余は西楚の覇王項羽である!
その方らも覇王である余に質問があろう!
そして私が劉邦なんですけど
私このキャラのことよく知りません!
立ち上がれ農民! 降雨と劉邦を追放するのだ!
そして私がインポの印歩なんですが
最後の最後にあなたを見捨てた項伯とか鐘離昧とか季布のことをどう思いますか。
>3
たしかに オレたちの もくてきは
しんの あっせいから ひとびとを すくうことだからな。
三国志とか水滸伝とかと比べて知名度が低いことについてどう感じておられますか?
三国志の孫策が小覇王とか言われてますけど元祖覇王としてどう思われますか?
楚人同士仲良くシナよ
>2
おおっ 劉邦!
ようやく余の前に出てきたな!どうだ 我々は長く戦い、兵は皆疲れ果てている
この戦いを終わらせるにはおれとお前の一騎打ちが手っ取りばやい!
これ以上天下を苦しめることもあるまい
>3-4
ぬうう またも股夫の計にはめられたか
全軍奴らを八つ裂きにせよっ
項羽の違いは何度も記したが桁違いである
>3の一揆軍を突き刺しては放り投げ >4の印歩を一撃で突き伏せた
>5
叔父である項伯、江東から旗揚げした時より付き従った
鍾離昧がわしを見捨てるとは予想もしなかった
亜父(范増)の諫言を聞き入れていれば・・・
いや、天がわしを見放したというのなら、どうにもならぬ。
>6
なんだこのリンクは!余を馬鹿にするにも程があるわ!
龍且!その方十万の兵を従え>6の居城に向かえ
>8
知名度などどうでもよい 余の歴史を知り、同調するものがいれば
それだけで十分だろう
>9
その者も余と同様、武勇に優れた男なのであろう。
しかし矛を交え、戦場で合間見えることもない故 なんとも言えぬな
>10
・・・
その方下らぬことを言い、軍を乱した罪は重い
こやつを八つ裂きにせよ!
>7
体 年 范 な お 顔 リ こ
に 老 増 ん お を ュ の
冷 い の と お 会 ウ ス
汗 た い わ ホ レ
が う せ ウ で
流 (略) た と 初
れ 項 め
た 羽 て
は
>11 一騎打ち
今日は体調が悪いのでまた今度にしてくれ。
いけませんね!
あしもとがおるすになってますよ。
項羽様、大変です!
兵糧(ネタ)が…兵糧(ネタ)が底をつきましたっ!!
張子房が好きです。
また兵糧無くして自滅してるよ(´,_ゝ`)プ
よ〜〜し、パパ、戦車で攻めちゃうぞ〜
>16
ぬう・・・
漢王のこのわしを愚弄しおって・・・
貴様には狼牙風風拳を見せてやろう。
後悔するなよ。
>17
ほ、本当けぇ!?
いかんつい訛りが・・・
しかしこれはまたとない機会・・・!
いや待て・・・
虚言だったらまたボコボコにされるなぁ。
あぁ・・・どうすればいいんじゃ・・・
>18
でも蕭何たんはもーっと好きです。
ちなみに奴に初めて会った時に
女だと思って(;´Д`)ハァハァしたのは内緒じゃぞ。
>19
韓信!
主であるこのわしに断らずに勝手なことするでない!
その戦車はわしが頂いておく。
お前はこれで戦え。
ttp://eva-2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/upload/dat/eva0036.jpg
>15
おおっ劉邦敵に背を向けて逃げるか 臆病者め
逃がさんぞ 今日こそそちの首をとってくれる
「項羽は劉邦に向かって一直線に突っ込んできた
戦に強い項羽の本領発揮である(項羽と劉邦 19巻へ続く)」
>16
ふん 余に戦の講釈を垂れるか
貴様に用はない 雑魚はどけっ
>17
なに!
むむむなんたる手違いじゃ その方!
このような事態になるまで一体何をやっていたのだ!
その罪許しがたし この者の首をはね見せしめにせい!
「項羽はこのとき戦場においての兵糧の大切さを身をもって思い知った」
>18
范増「大王 この者ひょっとしたら張良の回し者かもしれませぬ
張良は韓の臣 しかし裏では劉邦と繋がっていましょう この場で首をはねるのが
よろしかろうと」
項羽「亜父よ それは余計な心配というものじゃ」
范増は思わず天を仰ぎため息をついた
>19
ぬうう股夫めが 補給路を断ったのもお前の仕業だろう
奸計を用いず正々堂々と勝負せい!
今真の勇というものを見せてやる!
項伯「お待ちください大王 韓信は戦車を回りに配置しております」
うむう あの戦車には死ぬ思いをさせられた・・・
股夫めが奸計を用いず正々堂々と(以下ループ
>20
「大王 韓信の戦車が動き出しました 間者からの報告によると
劉邦の陣へ向かっているようです」
「大王いかがいたします 一気に攻め立てますか」
いや待て これも股夫の策かもしれぬ 奴らの出方を見よう
項羽はそのまま陣で待機し 出方を見ていたが
韓信の動きはまるでなかった それが項羽には薄気味悪く 攻められなかった
>20続き
それから一ヶ月後・・・
「申し上げます 漢軍が奇妙な兵器を陣に配置しております」
おおっ ぬぬぬ鎧もつけておらぬ兵士を戦場に出すのが股夫の計だと言うのか
全軍出陣じゃ! 股夫を八つ裂きにし楚への侮辱をそそげ
「お待ちください大王 大王を引きずり出すのが韓信の目的でしょう
このような見え透いた手に乗ってはなりませぬ」
だまれ!ここまで馬鹿にされて引っ込んでいられるか そこをどけ!
「項羽の怒りが爆発した こうなると誰も項羽を止められなかった」
大王!大変です!!
たった今急使が参り後方の補給路を彭越に絶たれた模様にございます。
このままでは味方の武器・兵糧は三日も経たずに底が尽きます。
直ちに退却願います。
劉邦、よく知らないでやってるのかよ!
>21
兵士「項王来!項王来!」
あわわ・・・
項羽が来おったわい・・・
どうしようどうしようどうしよう。
そうじゃ!
兵に紛れて逃げれば・・・!
よし、夏候嬰ついて参れ!
項・王・来! 項・王・来!
蕭何「殿・・・」
劉邦は捕らえられました。
>24
彭越のやつめ・・・
なかなかやりおる。
これはもしかしたら勝てるかも・・・!
いや、でもなぁ・・・
それに、もし仮に奇跡が起こって勝てたとしても
あやつにdでもない領地を要求されたりしたら・・・
ああ・・・沛に帰りたいのう・・・
>25
うむ。
そなたの言うとおり兵法なんてかじったことも無いわい。
それでもあの項王と戦ってるわしは大したもんだと思わんか?
蕭何「殿、おそらく>2のことかと・・・」
む・・・そうであったか・・・
あやつはわしではなく劉邦のふりをしている紀信じゃ。
しかし、あやつめ。
このわしのことを知りませんとは・・・
相変わらず口の減らぬ男よのう。
ちなみに「お前崩しすぎ!わしこそが本物の劉邦である!」
という剛の者には喜んでこの璽を渡そう。
>24
何!ええいあと少しだというに
鍾離昧「兵糧がなくなっては戦えませぬ ここは撤退するしかないでしょう」
むむむ 口惜しいがそうするしかなかろう
曹咎!その方に一万を預ける ここに兵を伏せ 我らを追ってくる兵を向かえうて
「項羽はまたも兵糧のために撤退することになった」
>25
奴の知恵は所詮陳平張良の受け売りにすぎん
所詮一人では何一つできぬ男よ
(しかし何故だ?何故奴の周りにばかり優れた者が集まる)
項羽はその原因が自分にあるとまるで気づかなかった
>26
はっははは 劉邦!とうとうわしの前に引きずり出されたな
どうだ! 周りに張良韓信がいなければ貴様を捕らえる事などたやすい事!
鍾離昧!早々に劉邦の首をおとし、漢の敗北を天下に知らしめよ!
「お覚悟めされ」
(ドカッ)
はっははは はーっはっはっはっ・・・
・・・
「大王、起きてください!」
むうっ 夢か・・・まったく 下らぬ夢を見たようだ
>27
劉邦は>25の言うことを素直に認めた
それが劉邦のいいところでもあり、悪いところでもあった
そしてさらに驚いたことは劉邦がほぼ無学に近いことであった
(´-`)。o○(今回はなかなか挑発に乗ってこないな……)
項羽タソってアッチの方メチャ強そう♥
今朝は恐ろしい夢を見てしまった・・・
しかし、やけに現実味のある夢じゃったのう・・・
もしかして正夢なんじゃろうか・・・?
((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
>28
おお・・・
楚軍が逃げて行くぞ・・・!
もしかして、勝ってしまったのか・・・?
しかし、亜父の立てた恐ろしい策かもしれんしなぁ・・・
しばらく様子を見てみるか。
調子に乗って深追いすると今朝見た夢みたいな事態になりかねんし・・・
いや、追わないとああなるのかも・・・
ええい!考えても仕方無いことじゃ!
とりあえず、酒じゃ!酒を持って来い!
>30
おお、韓信ではないか!
今回も良く働いてくれたな。
さ、お前も飲め。
>31
うむ。項羽は何もかも桁外れに強い。
体力も知力もわしなどでは比にならんくらいにな。
アッチの方が強くてもおかしくはないはずじゃ。
だが、わしだって一つくらいは勝てるものがあるはず・・・!
と、言う訳でアッチの方では、わしの方が上ということにしておこう。
背水の陣のエピソードがベルセルクにそのまま使われてましたね。
項王よ、儒を尊べ!
いつまで経っても儒学を学ぼうとせぬから
お主は猿といわれるのじゃ!!
韓信元帥が梁山泊三大軍師で梁山泊最高司令官で九大天王であることについてどう思いますか?
さらに孔明のライバルらしいんですけどどう思いますか?
>33
何、ベルセルクとな?
ムムム・・・
申し訳ないが、わしは全くと言っていいほど書物を読んだことが無くてのう
と、言う訳なので、蕭何に聞いてみたんじゃが
つまりこのグリフィスという者が韓信の用いた策を使って敵を破るという事か?
ムムム・・・
読む前からグリフィスとやらが嫌いになってしまったではないか・・・!
>34
ははは
そちの言うとおりじゃ
項羽には勇しかない
猿と言われても仕方が無いのう。
ところで、儒学ってなんじゃ・・・?
>35
おのれ韓信のやつめ!
このわしを出し抜いてそんなことをしていたとは!許さん
わしも爆死するだけの兵士Aの役でも良いから出して欲しかったぞ!
しかし、わしの記憶が正しければ九大天王というのは、
名前だけで最後まで登場しなかった気がするのだが・・・
是非とも大塚署長にはご登場願いたかったのう
>36
孔明?
ああ、あのわしの子孫(自称)の軍師で張良のそっくりさんの・・・
わし的には張良>>>>>>>>>>楚歌が聞こえてくる包囲網>>>>>>>>>>韓信じゃからな
これからはBF団の方に肩入れさせてもらうとするか
全てはビッグファイアのために!
>30
韓信め わしの目の黒い内は好きにはさせぬぞ
「范増の年老いた体に力が漲った」
>31
はははご婦人 大王は虞姫様というたいそう美しい方が常にそばにおる
あなたの近寄る隙はないでござろう
(待てよ ひょっとしたらこの者 項王を惑わそうとする漢の刺客かもしれんな)
英布!その者を捕らえ 牢につないでおけ
>32
ふふふ 劉邦よ わしが大王のそばにいる限り
いかなる計も通じぬぞ この范増の神算鬼謀によって
貴様の命はもはや風前の灯火じゃ
>33
なんと それはまことか
しかし余はその「べるせるく」とやらを読んだことはない
そのまま使用していた罪は重いが命だけは助ける(作者の)
>34
なにっ 猿だと・・・!
「項羽にとって猿とは最大級の侮辱である」
おのれこのくされ儒者ァ
この儒者を煮殺し外黄の民を皆生き埋めにせよ
鍾離昧「いけません 絶対いけません」
〜30分後〜
わかった 生き埋めは中止だ
鍾離昧「ご慈悲を感謝いたします」
>35
股夫めが 無用の口先で成り上がるか
しかしいかなる位につこうとも余の勇にまるでかなわぬことは奴も知っていよう
故に奴は計をめぐらすのだ 恐れることはない 楚の兵は天下無双の兵じゃ
>36
孔明だと きかぬ名の武将だな・・・・
(范増が耳打ち)
なるほどよくわかった 後世の丞相とな・・・
しかし実際に見ぬ以上なんとも言えぬわ
その方の期待には答えられぬようだ
>37
なにっ 猿・・・
「項羽にとって猿(略
ふざけるな 貴様の智や勇はすべて受け売りではないか!
>わしも爆死するだけの兵士Aの役でも良いから出して欲しかったぞ!
ムムムなんともいやしい態度 王侯の資格があるのか
BF団? 季布よ いったい何だ
「それがしはそのような物存知ませぬ」
うむ・・・余も初めて聞く名だ 我が陣に知ってるものはおらぬのか
「大王」 おう垣楚 その方 BF団とは何かわかるか
「はっ それがし ネットサーフィンなる事をやっている際に確かにその名を目にしました」
おう それで
「このURLを見ればおわかりになられるかと」
ttp://www.bad-city.com/~shira/gr/bf.html ・・・
何だこの奇怪な奴らは!劉邦はこのような輩に組し 天下をないがしろにするというのか!
出陣じゃ!
項羽サマいつも怒ってますね。体に悪いと思うのですが。
それともあなた方の国ってみんなそんな感じなの?
降雨
(´-`)「項羽の弱点は自分が強いせいで自分の部下がだれでも
自分と同じ働きができると考えてしまう事。
これを利用した作戦を考えたぞ!」
(巨大な鼎を何万と用意させる)
(´-`)「これをおそらく項羽は兵隊に持ち上げさせて・・・・あれ?」
>41
何!余がいつも激昂しているだと・・・
余を誰だと思っておる わしは楚の覇王項羽じゃぞ!その方許しがたし 即刻首をはねい!
范増「大王お待ちください」 なんだ 亜父
「大王 最近の暴虐 目に余るものがあります 時には生かして使うことも重要かと
王には仁愛の心が必要なのです」
だまらっしゃい 亜父 この者を生かしてどうするというのだ 余に害しか及ぼさんわ!
范増はいつものようにため息をついた
>42
「大王 どうやら雨が降ってきたようです」
うむ・・・戦の前に雨が降るか
合戦に影響を及ぼさねばよいのだが
>43
「大王 あれをご覧ください」
おおっ あの鼎は・・・・
「はっ 大王が持ち上げたあの鼎にございます それも大量に」
ぬぬぬ またも股夫の計略か ・・・!(横山的閃き)
股夫め! ボロを出したようだな そのような大量の鼎を陣においては展開もできまい!
火矢を放て!
項羽の判断は確かに正しかった
何千と飛んでくる火矢の前に 漢軍は次々と倒れていった
「それっ 今じゃ 股夫の陣を制圧し皆殺しにせよ」
勢いに乗った項羽は一直線に突っ込んだ これが項羽のミスであった
「大元帥 項羽が正面よりやってきます」
「よし 鼎を転がせ!」
漢軍は一斉に鼎を転がした 韓信は斜面の上に陣を張ったため
転がした鼎は下へ勢いをつけて転がっていった
「わーっ」「ひーっ」
今度は楚の兵が次々に倒れていった
〜お詫び〜
>40での返答で「垣楚」となっておりますが、コレは間違いです。
ここにお詫びいたします。
>38
ムムム
范増め やはり恐ろしい策を用いておったか。
あやつさえ 居なければ項羽など恐・・・
いや やはり恐るるに足りるのう・・・
>40
なにっ 項羽が出陣したと
ムムム
ほんの 冗談であったのにのう・・・
書簡を 送って 誤解を解かねば・・・
「あれは 冗談でした ごめんね もうしま千円 許してね 劉お兄ちゃんより」
しかし 韓信は仕方がないと思うていたが
張良までもが わしをないがしろに しておったとはのう・・・
>41
あやつの体の心配より わしの命の心配をして欲しいわい
楚の者どもは 確かに気性が荒いが
項羽は その中でも群を抜いておるぞ
あやつの 配下の者どもも大変じゃのう
>42
雨が降ってきおったか。
これはいい この雨に乗じて逃げることが出来る。
蕭何「大王さま そんな弱気なことでどうするおつもりですか」
ムム
>43
蕭何
韓信は数万という数の鼎を用意させておるそうじゃが
一体 いかなる計略があるというのじゃ
蕭何「それがしにもわかりませぬ」
ならば聞いてまいれ
芋煮会でもやるというのか
>45
蕭何「という 計略にございます」
なるほどなるほど
相変わらず たのもしい男じゃ
しかし 敵に回ったらと思うと・・・
((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
>46
その程度はささいな間違いじゃ
それよりも わしの口調が最初の方と 変わってきておる気がするのう
蕭何「大王 誰とお話になっているのですか」
戦闘開始直後
(´Д`;)。0○(ぎゃー!作戦ミスった!)
(´へ`;)。0○(だがここで表所を顔に出してはいけない!ヘイニドウヨウガハシルトマズイカラネ)
戦闘中盤(火矢が雨あられ)
(´Д`;;)。0○(も・・・もうダメぽ・・・)
(項羽突っこむ)
(´Д`)。0(あ、あれ?ナニカンガエテンダ?デモチャンス)
ヽ(`Д´)「よし!鼎を転がし落とせ!そして、曹参と樊ロ會に合図だ!」
○←韓信軍
凸凸凸←突っこんできた楚の軍勢(後方手薄)
凸 凸←曹参・樊 ロ會軍
(戦闘終盤)
兵1「将軍!曹参と樊ロ會の攻撃を受け、敵は浮き足立っています!」
(`∀´)ノ「よし!我々も突撃だ!」
どういった事が一番許せませんか?
>49
蕭何
兵糧は どうなっておる
「ぬかりはありませぬ」
そうか
>50
民を苦しめる者は許せん!
そのためにも 項羽に負けるわけにはいかんのじゃ!
と民の前では 言うておるがこれは建前じゃ
やはり 食べ物のことかのう
わしが食べ物をせびりに行った時 兄嫁がまだ中身の残っておる鍋を 空だと言いおった
あのばばあめ・・・
思い出したら 腸が 煮えくり返りそうじゃわい
腹いせに 米と偽って 虫の死骸でも送ってやるとするか
それから数日後・・・
「大王さま! 兄嫁さまの元へ 無事米がたどり着いた模様でございます
たいそう 感激しておられました」
な なにっ わしは虫の死骸を送ったはずじゃ!
ま まさか韓信の元へ・・・・・
>51
「無事米がたどり着いた」を「無洗米がたどり着いた」に見間違えました。
53 :
以上、自作自演でした。:03/06/17 17:56
貴方にとっての自慢の部下は誰でしょうか
ジャーン
ジャーン
ジャーン
>47
その方が劉邦の使者と申す者か
はっ 名を陸賈と申します
して 要件はなんじゃ
はっ 大王より書簡を預かっておりますれば これにございます
どれ見せてみよ
「あれは 冗談でした ごめんね もうしま千円 許してね
我 天下を乱す大罪人 項羽を誅する者なり 劉お兄ちゃんより」
なななななあにい おのれ亭長上がりの劉邦め! わしを舐めきっておるわ!
誰かおらぬか
いかがなされました 大王 おお亜父 劉邦めがわしに戦書を送りつけて参った!
たかが劉邦ごときに舐められてたまるか ふむう 大王お待ちください これは罠ですぞ
大王のそういう気性を見た漢の策略にございます
ここはじっくりと様子を伺うのが上策かと うるさい亜父 余は決めたぞ 何と言っても行くわ!
「項羽の性格を知る范増だけにこれ以上何も言えなかった」
>49
「ぬうう この大量の鼎 いったいいつまで転がってくるのじゃ
このままでは全員討ち死にするぞ」
そこに曹参・樊ロ會率いる一軍が後方より攻めあがってきた
前方の鼎 後方の漢軍を目にした楚兵はすっかり戦意を喪失し 逃げ腰になっていた
さすがの楚軍もこれでは戦いにならなかった
一方 後方で待機していた鍾離昧 季布の軍が項羽を目視できる所まで辿りついた
鍾離昧「おおっ 大王が窮地だ 季布」
季布「うむ どこか一点を切り崩そう」
「大王 援軍にございます」
「よし 我らもあそこを攻めたてろ 鼎に巻き込まれぬよう用心せよ」
五人の将と同時に戦いながら指示を出す項羽の強さに漢軍は舌を巻いた
>50
最も許せぬ事じゃと ふむう・・・
劉邦が余に盾突く事だな
劉邦は余が旗揚げしたときに駆けつけてきた客将 余に仕えるならまだしも
牙をむくとは間違いにも程がある
>51
劉邦の予想通り 虫の死骸は韓信の元へ送られていた これはひそかに潜り込んでいた
楚の間者の仕業だった しかし韓信は特に気にもせず 使いの者に捨てさせた
一方劉邦は内心気が気でなかった 失望した韓信が漢より出て 謀反を起こすのではないかと
眠れぬ夜が続いた 後の韓信の悲劇はこの時より芽生えだしていたのである
>52
長いと思ったら読み飛ばしてもらってもいいです
要するに劉邦は送る相手を間違えたということです
>53
自慢の部下だと 馬鹿を申すな
部下の優劣など決めるのはおかしいであろう
余に心服し従う者は皆自慢の兵であり将である
>54
おおっ 今の音はまさか・・・
「いえ 今の音はただの訓練でございます」
ぬう 驚かせるな てっきり漢軍がやってきたのかと
60 :
以上、自作自演でした。:03/06/20 00:30
なにか後悔している出来事はありますか?
61 :
以上、自作自演でした。:03/06/22 21:45
一番感動した一言はなんでした?
62 :
以上、自作自演でした。:03/06/24 02:10
自分の事を良い君主だと思いますか。
63 :
以上、自作自演でした。:03/06/24 02:48
ハンゾウは亜父(AHO)ですか
(´-`)。0○(また項羽を逃がしてしまったか…)
衛兵「将軍、漢王からこんなものが……」
(虫の死骸)
(;´-`)? ナンデムシノシガイヲ?
(´-`)「項羽を昆虫採集の虫みたいに捕まえろってことか?ソレモムリガアルナ」
(´-`)「どうしよう、これ…?ヒョットシタラアンゴウトカ、アルイハマタヘイヲトリアゲルコyジツカモ…」
(´∀`)っ□「ま、イザと言うときは部下が気付かずに捨てちゃったってことにすれば良いか。
トリアエズドンナムシガハイッテイタカハネンノタメニキロクシテオコウ」
衛兵『勘弁してくれ…(涙)』
67 :
九江王鯨(英)布:03/06/25 02:08
義帝を殺したのは俺の意思じゃない!
すべては覇王の命令があってやったことだ!
俺の一存ではそのようなことはせん!
>60
後悔している出来事じゃと そうだのう
やはり大恩ある亜父を疑い 追い出してしまったことだな
余のいたらなさが亜父を殺した 策にまんまとかかる己の単純さを恥じる
>61
一番感動した一言 ふむう
(叔父上が旗揚げすると申したときも感動したが やはり)
うむ・・・ 「一言」ではないが 虞姫を初めて見たあの時こそが最も感動したかのう
>62
当たり前であろう 余は人民のために日々精進しておる
これが良き王でないとすれば何としよう 王とは民のために尽くせる者じゃ
>63
なにい 貴様 軍師である亜父にたいして阿呆だと・・・!
無礼にも程がある この者の首をはねよ
>64
何じゃこのURLは 何かわからんがクリックしてみるか
「お待ちください大王!そのURLに触れてはなりませぬ」
季布 何故じゃ
「はっ 古来2chと言うものはブラクラとグロ画像が伝統にございます
何も言わずにURLだけを乗せてある場合は大変に危険です」
ふむう これも劉邦の仕業か 龍且!その方一万騎を従え このURLに飛べ
「だ 大王 お待ちください!鑑定スレにて判断を仰ぎますれば」
おうそうか よし攻撃は中止じゃ
>65
うむ ご苦労だった
それにしてもこのスレの乱立・・・余が王となってからも世は乱れておるな
>66
「申し上げます 現在漢の内部は大変に混乱しております
どうやら潜り込ませた間者がうまくやっているようです」
なるほどのう この間に大軍を率いて攻めれば劉邦の首を取るのもたやすい
「大王 お待ちください どうやら韓信は健在のようです」
「范増どの それは我らを見くびっているのでございますか 我らが混乱している漢軍すらも倒せないとでも・・・」
「いや そうではござらん 攻めるなら韓信の謀に用心してもらいたいのじゃ」
ふふふ また亜父の心配性がはじまったようじゃな
>67
おおっ 英布 この裏切り者が!
よくも余の前に顔を出せたな!余が直々にそちの首を取ってくれる
〜中略〜
何度も記したが項羽の強さは桁違いである さすがの英布も旗色が徐々に悪くなり
撤退を余儀なくされた
「待てっ 英布逃げるか」
「大王お待ちください 伏勢があるとも限りません うかつに飛び込むのは危険です」
「我々は今勢いに乗っている!勝ち戦は勢いが大事じゃ それっ」
項羽は一直線に英布の軍を追った
(´∀`)っ△ ←おにぎりを食べる韓信
兵士「伝令!楚軍が動き始めました!」
(;´∀`)「え?え?いきなりなんで!?」
カイ通「どうやら鯨布に攻撃を仕掛けるつもりらしいです」
(´∀`)っ「そうか、んじゃ、囲魏救趙策で手薄な彭城を適当に攻撃しといて」
(´-`)。0○(これでこうこうこういうところに布陣を敷いて、あとは適当なところで引き上げればいいや)
>70
ぬぅ、さすが項羽よ。
このままでは全滅じゃ・・・
伝令「後続部隊、項羽軍によって攻撃をうけています!」
なに、いかん!救援に向かうのだ!
随何「大王お待ちくだされ!このまま項羽軍に飛び込むなど自殺行為ですぞ!」
しかし・・・・後続部隊には俺の家族がいるのだ・・・・
随何「ソノ気持ちはわかります!しかしここで死んでしまっては項羽の罪をすべてかぶることになるのです!」
むむむ・・・わかった。このまま漢までひくぞ・・・・
73 :
以上、自作自演でした。:03/06/27 15:47
自分のどんなところを誇りに思われますか?
>73
やっぱり俺の場合はこの刺青だな。
罪をおかして刺青を彫ったら王になると言う予言も当たったしな!
名前も英布よりも鯨布の方がカコイイしな!
それに額に刺青があるのは結構便利だぞ。
弱い兵ならこれをみただけで腰を抜かすしな!
75 :
以上、自作自演でした。:03/07/02 01:28
猿め
役立たずの部下を持つと悲しくなりませんか?
>71
「申し上げます 現在彭城が韓信によって攻撃されています」
なにっ ぬううなんという事だ
よし 英布をすばやく討ち それから彭城を援護するぞ
「お待ちください大王 既に英布は漢の援軍と合流したとの報告が入っております
今は英布よりも彭城を守ることを第一に考えましょう」
うむ・・・ 周蘭の申すとおりだ
>72
英布はすがるような気持ちで家族の無事を祈った
しかし項羽が見逃すはずもなく 英布の一族は子供から老人まで
皆殺しにされた
>74
英布は自分の額を指しながら上機嫌であった
時として傲慢なのが英布の悪いところであった
>73
余の誇れるところ・・・決まっておろう
この誰も太刀打ちできぬほどの力よ 余の前ではどのような将とて
赤子のようなものじゃ
>75
なにい ぬううその言葉許せぬ
キャラネタ板の2ちゃんねらーことごとく生き埋めにせよ
「いけません 絶対いけません このスレを見ている者は皆大王の子供にございます」
「しかしこのような侮辱 決して許せぬ!」
「大王 時には生かして使うという事もお考え下され」
「余に従う者には温情をかけよう しかし歯向かう者には容赦せぬ」
キャラネタ板の2ちゃんねらー一万人が生きたまま埋められた
>76
役立たずの部下?誰のことを言っておる
それにのう 女子供のように悲しがるなど覇王にふさわしい行為ではない
張角 董卓 袁紹 袁術 劉表 劉焉 呂布 馬騰 孔融 陶謙
公孫サン 張繍 王朗 劉度 趙範 金旋 韓玄 張魯 司馬懿
郭嘉 荀ケ 諸葛亮 周瑜 呂蒙 陸遜 関羽 張飛 趙雲 馬超
黄忠 張遼 徐晃 張コウ 楽進 于禁 阿会喃 伊籍 尹黙 于吉
袁煕 袁尚 袁譚 袁胤 閻圃王允 王双 王平 王方 王粲
王累 カイ越 カイ良 何進 華佗 賈ク 郭シ 郭嘉 カク昭
郭図 郭淮 夏侯淵 夏侯惇 夏侯霸 夏侯恩 夏侯尚 華雄
簡雍 韓遂 関索 関興 カン沢 徳潤 韓当 甘寧 関平 管亥
何儀 顔良 韓嵩 管輅 魏延 魏続 姜維 許チョ 仲康 喬瑁
許攸 鞏志 紀霊 橋ズイ 許劭 子将 金環三結 虞翻 仲翔
厳顔 厳綱 呉懿 黄蓋 黄祖 黄権 公孫越 高沛 呉蘭
皇甫嵩 胡車児 向朗 高覧 高順 侯成 胡軫 顧雍 元歎
兀突骨大王 蔡和 蔡勲 蔡仲 陳就 蔡瑁 陳生 左慈 司馬師
司馬昭 司馬徽 沙摩柯 朱儁 荀攸 荀正 紫虚上人 朱霊
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
頑張ってたのに7月3日からパッタリ質問がこなくなってたね。
朕がageてやるぞ。
それと精力絶倫の薬をもってまいれ。最近、どうも疲れるわ…
賊徒どもはほうっておけ…どうせ、楚は滅びたのじゃからな。
高祖や魯公がお見えにならないので、代わりに私が皆さんの質問に答えたいと
思います。特に限定はしませんので何らかの書き込みをいただければ幸いと
存じますゆえ。
我が名は張 文遠
自己紹介して
韓信の才能をあなたが見抜いてはいても、
夏侯嬰がいなく他に誰も見抜いた人がいなかったらぞっとしますよね?
>86
早速の書き込み感謝します。なるほど、二種類の名をお持ちですか。
私も蕭何もしくは蕭相国、文終侯と呼ばれていました。
最初のは親から貰った名。次のが在世時の官位で最後が死後の追贈です。
>87
これは失礼しました。私は蕭何と申す者で高祖劉邦陛下に仕えた臣で
ございます。高祖が沛で遊侠をされていた頃からの知り合いで、挙兵
以後ずっと付き従い、主に兵員、物資の調達・補給を担当してきました。
非才の身ながら漢王朝の初代宰相を務め、些かながら青史に名を残させて
いただき、光栄な反面、恥ずかしいというのが本音です。
>いなかったらぞっとしますよね?
いなかったらと思うとぞっとしますよね?に訂正。
>88
仰る通りです。もし夏候嬰殿が推挙してくれなければ、私も韓信殿の大才を
知る事が出来ずにいたでしょう。
そうなったら高祖も私どもも天下平定どころか蜀の田舎で飲みなれぬ
現地の酒で無聊を囲みながら老いさらばえていたでしょうね。
私が言うのも変ですが、改めて夏候嬰殿と韓信殿に感謝しています。
天下統一後の劉邦について・・・何か一言あれば。
あと、張良様がついていればあのような悲劇は起きずに済んだと思いますか?
>92
太史公ですね。我々漢の諸臣を書き記していただき有難うございます。
さて、質問の答えですが、確かに高祖は韓信殿初め多くの功臣を粛清され、
戚夫人に溺れられた事もありましたが、皇帝としての義務は果たされていたと
愚考しております。私個人への対応については、やはり多少の言葉はありますが
ご遺言で私への信任を口にされていたので、それで良いと帳消しにしております。
張良殿についてですが、彼の処世は高祖がどうあれ変わらなかったでしょう。
あくまでも戦時においての参謀と自らを位置付けていたので、あえて口を
挟む事はなさらなかったと思いますね。
一説には張良殿は韓の遺臣として祖国再建と魯公(項羽殿)への復讐に
畏れ多いですが、高祖を利用していたと言うのもありますから。
>93
何だか寂しいものですね。
張良はきっと劉邦が最も信頼した人物の一人だったでしょうし。
もちろんあなたもそうでしょうが。
ただ、どうしても韓信は可哀想だとしか・・・。
反旗を翻していれば、天下を取れたかもしれないというのに。
さて、私は一端、座を外しますが私同様、漢の諸臣並びに楚の勇将方の
参加を歓迎いたしますので、何時でもご来臨を待っております。
もちろん高祖と魯公のご復帰を第一に願っておりますが。
それでは皆さん、今後ともよろしく。
煤i゜Д゜)「しょ、蕭相国!?」
|彡 サッ
| 「………」
|
|-`))) スッ
|-`;) 『放置した形でいてごめんね………』
最後にこれだけお答えしましょう
>94
名も無き地方の一官吏の私と違い、韓の遺臣である張良殿とは立場も
思考法も異なるのはいたしかたないでしょう。
今更、彼を責める事は出来ません。
韓信殿にはやはり同情を禁じえないというのが本音ですが、彼にも
責任はあります。不用意に高祖に不快感を感じさせる行動を取られ
臣の身でありながら謀反を企まれたのは弁解の余地は無いでしょう。
天下を取られていたかはともかく、天下平定後も臣としての分を
弁えられていたら、漢軍最高の将として反乱・匈奴戦にその才を
存分に発揮された事は断言できます。
彼は古今稀なる名将でした。
前言を翻しての回答、見苦しい所を見せました。では今度こそ
失礼します。
98 :
以上、自作自演でした。:03/07/30 09:04
普段、何をされて過ごしているのですか?
漢中王で終わるのも悪くなかったと思うけどね。
以下の質問にお答え下さい。
父にしたい人:
母にしたい人:
兄・姉にしたい人:
弟・妹にしたい人:
親友にしたい人:
下僕にしたい人:
いくらなんでもこりゃないよなという人:
意味分からん人:
虐めたい人:
可愛がってあげたい人:
結婚したい人:
韓信って見た目は本当に貧相だったの?
>96
上将軍であり王位にもあった韓信殿の事、おそらく多忙の故、
時間が取られなかった事と推察します。
気の向かれた時でも良いですから、また名采配を振るわれるのを
願っていますよ。
>98
宰相ですので普段は宮廷に出仕し、各部署からの報告に目を通しています。
それ以外の時は、自邸で一族子弟や食客と語らったり、小宴を催す等して
時を過ごしていました。
今思えば充実した日々と思っています。
>99
性格診断ですね。一度もした事無いので機会を見てやってみようと思います。
教えて下さり、有難うございます。
>100
確かに王位にまで昇ったのですから、それで満足しても良かったかもしれません。
ですが、私どもは望郷の念絶ちがたく、また高祖も天下平定と共に同じ気持ちを
抱いておられました。その意志に沿った行動でしたので、あれでよいと
今は考えています。
それと、100おめでとうございます。これからも我々漢楚の者をご贔屓に
してくれれば、これに過ぎる物ございません。
>101
父にしたい人:范増殿です。深い学識と経験は尊敬しますね。
母にしたい人:やはり私の母以外考えられません。
兄・姉にしたい人:紀信殿。自己犠牲には感動しました。
弟・妹にしたい人:樊噲殿。守ってくれるので。
親友にしたい人:項伯殿。義理堅さでは信用できます。
下僕にしたい人:その方に失礼ですので
いくらなんでもこりゃないよなという人:二世皇帝胡亥
意味分からん人:魏豹。あの変節には理解できませんね。
虐めたい人:特にいませんね。
可愛がってあげたい人:孝恵皇帝陛下
結婚したい人:無礼ですが虞美人です。
>102
俗説では、そのような話がありますが、実際では体格が良いとか
壮と認められるほどの容姿という記述が残っていますので、それとは
異なります。
(^^)
得意技を披露してください
幸せについて本気で考えてみて
蕭何殿は陳平殿のような不道徳なことはいたすまい
儒学は勉強したんですか
項羽とUFO
>106
困りましたな・・・私は自慢できる芸など持っていないのですが。
(しばらく思考中)
よし、溜まっていた報告書を持ってまいれ。
(部下の役人が木簡の束をかついでくる)
では、これらを一日で片付けてみましょう。
・・・やはりダメですか。罰杯飲ませていただきます。
>107
多くの民を治める立場ですから、やはり民が働き、笑顔を洩らす時が一番の
幸せです。そういう時には、自分の職務に誇りをもてますし、皆がやってきた
事が無駄ではなかったとしみじみ感じますね。
>108
「兄嫁と密通し、賄賂をもらった」という噂ですね。陳平殿本人から聞いた訳
では無いので、断定は出来ませんが、噂の立つ以上それに準じた行動を
されていたのは、ほぼ事実でしょう。
小心者の私にはとても真似できないと半ば感心していましたが、彼の才知は
それら悪評を押しのけるに余りある物でしたよ。高祖もそれ故、彼の素行に
目をつぶって重用されていたのですから。
>109
お恥ずかしい事ですが、全く学んでおりませんでした。
とは言え、私どもの時代では儒教はそれほど普及してなく、実践に向かない
空論というのが一般的な見方でした。
漢の功臣で儒学に堪能だったのは麗β食其殿、陸賈殿、叔孫通殿でしたが、
彼らも儒学者としてではなく外交官や式典担当などの実務家として
働いていましたから。
ちなみに儒教が広まるのは高祖の曽孫である孝武皇帝の時代です。
>110
言われてみると確かに語呂が似ていますね。UFOというのは皆さんの時代で
言う所の未確認飛行物体の略ですな。私どもの頃にも奇怪な彗星や天文の異常
などが見られた際、天の警告・啓示として小さくない影響を及ぼしました。
113 :
以上、自作自演でした。:03/08/05 21:27
呂后について何か言いたい事ありますか
項王様・・・私は何時も貴殿をお慕い申し上げております。
ですからどうか、私を置いて行かないで下さい
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>113
後の世では悪女の代名詞となられた皇后陛下ですが、嫁がれた時は裕福な家
の出にも関わらず、慣れぬ農作業に精を出され、放蕩な高祖に良く仕えて
いましたし、魯公の人質になられたりして創業の苦労を高祖と共に分かち
合われました。韓信殿や彭越殿の粛清も皇后陛下なりの漢王朝の将来への
危惧心から出た行動ですし、曲がりなりにも国を統治され、戦火に疲れた
民に平穏をもたらしたのですから、もう少し評価されてもいいと私は考えます。
ただ、個人的には高祖に劣らぬ畏怖を感じさせるお方でしたが。
>114
魯公の愛妾である虞美人様ではないですか!?
申し訳無いですが、魯公は只今、遠征に出られて留守でございます。
しかし、あれほど貴女様を寵愛された魯公が置いていくと言うのも
妙ですが・・・?
とにかく、このままにして置けませぬ。私の知り合いに任侠に厚い者が
おりますので、その者に保護して貰うよう頼んでおきます。
今、書状を書きますので、しばしお待ちを。
誰か!食事と湯浴みの用意を!くれぐれも失礼の無いようにな。
>115-118
ん?どなたですかな?
見たところ、道士か何かのようですが、どのような用件で参られましたか。
・・・寄進をお願いしたいと。そういう事ですか。
ですが宰相が特定の宗教に寄進するのは些か問題があるのですよ。
残念ですが、期待に添えそうもありません。
代わりと言っては何ですが、旅をしやすいように手形を渡しましょう。
それでは、無事に旅と信仰を全うされるよう、道中、気をつけて。
なぜ、秦の中央での勤務を辞退したんですか
あなたにとって嬉しかった出来事を教えてください
ええっとぉ〜蕭何様に聞くような事ではないのですが…
題目が『項羽と劉邦』となってますが
項羽は、項籍 字を羽
劉邦は、劉(名は不明、『邦』は敬称) 字を季
つまりは、『項羽と劉季』とすべきでは?
…って、スレを立てられたのは蕭何様ではありませんでしたね…
出すぎた真似を申し訳ないございません。
>121
私の勤務ぶりが上司に認められて、当時の都である咸陽への赴任を薦められた
事ですね。別に私が先見の明で秦の滅亡を予測していた訳ではなく。単に故郷を
離れるのに抵抗を持ったに過ぎなかったんです。あの頃の私は出世など思考外で
衣食にありつき家族の平穏が保たれれば、それで良いと考えていたんですよ。
およそ上昇志向とは縁の無い役人でしたね。
>122
懐王の命を受けた高祖が咸陽一番乗りした際、秦の諸文書を発見した事です。
法律から各地の人口・収穫率などを事細かく記したこれらの文書は私にとっては
千金に値する宝とも言えました。それが後に漢楚の戦いや漢王朝成立後の統治に
大きな役割を果たすとは想像できませんでしたが。
>123
確かに仰るとおりですな。私も沛にいた頃は高祖を「劉季」と呼んでいました。
皇后陛下の父君が沛に来た折に開いた宴会で、高祖が無遠慮に入り込んだ際に
私が言った「劉季は大言多く成事少なし」がそれです。
しかし、長年、その題目が定着していまい、魯公が皆さんに深く知って
貰うために、この題目を選ばれたんでしょう。
>出すぎた真似を申し訳ないございません。
いえいえ、出すぎたなどと考えられずに。ご指摘いただき有難く思います。
もし、他にも気付いた点があったら何時でも申してください。
曹参と仲悪いのは何でですか?
何かきっかけになる事柄でもあったんでしょうか?
過去の偉人で尊敬している方はいますか?
蕭何殿なら斉の桓公に仕えた名宰相管仲を見本にしているのでは?
台風で難儀している民が多いようですね。皆さんも用心するに越した事
ありませんよ。天災は何時の世も恐ろしい物ですから。
>125 樂毅将軍
これはこれは、高名なる樂毅将軍においでいただき、ここも箔がつくと言う
物でございます。何時でもいらしてください。
本題ですが、曹参殿とは同じ沛の役人として親しくさせて貰ってましたが、
漢朝が定まるに従って、些か疎遠になったのは事実でございます。
元はと言えば、兵糧担当の私が僅かな誤りで曹参殿の軍への輸送を
滞らせたのがそもそもの理由だと記憶しております。後で気付いた時に
八方手を尽くして謝罪したのですが、何分生死の問題なので曹参殿は
納得されず、そのままとなった次第で真に恥ずかしい話で恐縮です。
その罪滅ぼしと言ってはなんですが私が死ぬ時、後任の宰相に曹参殿を
推挙したのですが、あのような形でしか返せぬ自分を恥ずかしく感じました。
>126
私はあまり歴史を学んでおりませぬので断定した回答は出来ませんが、
魏の信陵君、無忌公子の話を高祖から聞き、憧れを抱いておりました。
王族と言う高い身分にありながら、門番や肉屋といった下層の者と交際し、
賢者と認めれば下座に位置して教えを聞き、一時的とは言え魏を秦の侵略から
守った事には、深い感銘を受けたものでした。
名前を挙げられた管仲については、あまりに遠すぎる存在と言うのが私の
本音です。「出でては将になり、内にありては相となる」というのが臣下の
理想ですが、政務はともかく、戦場では何の役にも立たぬ私など、足元にも
及びません。模範とする人物はある程度自分が近づける範囲だと考えており
ますので。
漢字多くて読めないでつ……
>128
これぐらいの漢字を使う方が蕭何らしいと思うよ。
横レスごめん。
実はあなた様に見てもらいたいものが。
私は詳しい方法は教えられませぬが、あなたの国漢の末期の記録をお見せすることができます。
一種の仙術のようなものと考えてくれて結構です。
(あくまで演義の映像を見せる)
・・・・御覧になって頂きありがとうございます。
この末期に登場した諸葛亮孔明という人物・・・あなたはどう評価しますか?
蕭何殿 ありがとうございました。
蕭何殿は死の際に次の宰相を曹参と進めて、
曹参は蕭何殿の死を聞いて、家族に引越しの用意をさせた。
と言う話があるほど、互いを認め合ってた二人に、
過去何があったのか気になりましたので。
>>129殿に便乗。
蕭何殿、同時に曹操の評価もお聞きしていいですか?
遅くなりましたが、本日の回答に参ります。
>128
うーん・・・言われてみれば確かに、普段使わないような漢字が散乱して
ますね。特に人名が些か判読が困難かもしれません。古いのが多いですから。
流石に全部と言うわけには行きませんから、せめて人名だけでも振り仮名を
つけるようにしますので、それで勘弁して下さい。
>129
・・・実に奇怪な術を・・・いやいや、気を悪くなさらずに。
なるほど、この道服を着て四輪車に乗っている人物の事ですな。
羽毛扇を軍配にして、見事な指揮をされている。兵も整然と動き、戦って
いますね。軍法がしっかり機能している証拠でしょう。
・・・次は政務を取られている所ですな。こんな夜中にまで一人で黙々と
処理していますが、こんな調子では、何時か体に響く事でしょう。
戦場でも馬に乗らずにいる所を見ると、それほど頑健とはいえないようですし、
心配になってきますね。
>130 樂毅(がくき)将軍
先日は失礼しました。私如き小臣に過分な御言葉いたみいります。
・・・曹操と申される方の評価ですか。それでは129さんに再度、
術をお願いしましょう。
・・・この方ですか。家臣に囲まれて軍議をされているようですが、
皆、緊張した面持ちですな。畏怖されているのが分ります。
高祖とは違った空気を感じますが、決して厳格だけではないようですね。
次は誰かと話しているみたいですな。どれどれ・・・
「何故、わしの悪口のみならず、父や祖父の事まで書いたのだ?」
「矢は、一度弓につがえてしまったら、放たぬわけには行きませんので」
「見事な答えだ!今日よりわしに仕えるが良い!」
察するに、ご自分や父祖の悪口を書き連ねた文章を書いた者との対話と
見受けますが、先祖や親を重んじる我々から見ると、許すだけでも
抵抗があるのに、その本人を家臣にするなど、相当の度量と自信がないと
出来ませんよ。実に興味深い逸物ですな。高祖の漢王朝設立に劣らぬ
大事業をされるかもしれない方でしょう。
いやあ、何時の世にも英傑と称される方は少なくないのですね。
勉強をさせて戴きました。礼を言います。
側室はいますか?
今日は少し早めに来ました。やはり夜遅いと満足の行く回答が
出来ませんので。
>133
正直に申しますと、何人か置いています。
沛にいた頃は本妻一人でしたが、漢王国の宰相になった時から、側室を
蓄え始めました。子孫を残す意味は勿論、私どもでは、多くの側室を持つのは
一種の見栄や外聞でしたから、皆さんの観念とは大きく異なるんですよ。
他の方では、戦争で夫を失った寡婦を多く養った例もあるので、そうした
意味では、女性の救済とも言えるかもしれません。
135 :
以上、自作自演でした。:03/08/12 05:44
劉邦への餞別を他の連中より多くあげたのは何故ですか?
136 :
以上、自作自演でした。:03/08/12 05:49
某スレでのミスに愛嬌を感じた。
蕭何さんから見た始皇帝はどうよ?
>135
ああ、高祖が咸陽に人夫を連れた時の話ですね。
仰るとおり、他の者が三百銭の所を、私だけが五百銭、餞別に渡しました。
特に理由は無く、単なる好意でしたが、あの当時の私には、五百銭は決して
小額な金ではありませんでしたね。
後に高祖が論功行賞で私の封地を増やしてくださったのも、そうした
いきさつを熟知されていたんでしょうな。
>137
始皇帝ですか?生憎、一面識も無いので詳しくは分りませんが、やはり
長い六国時代を終わらせ、統一を成し遂げたのですから、優れた君主
なのでしょう。
ただ、あまりに厳法主義を徹底させ、占領して間もない旧六国の反感を
買って、滅亡の遠因は生み出したのも、同じ始皇帝なのは否定できません。
後に漢王朝成立の際は、始皇帝を一種の反面教師にして、緩やかな法律と
民への放任主義を選んだのです。
天莫空勾践時非無范蠡
離間の策失敗して、氾増が去ることなければ漢は危うかったと思いますか?
確かにありとあらゆる要素が絡み合っての最後の勝利だと思われるだけに、
わからないところですね。
141 :
以上、自作自演でした。:03/08/13 16:08
沛にいた頃は劉邦たちと、どんな仲でしたか?
>139
天、勾践(こうせん)を空しくする莫れ。時に范蠡(はんれい)無きにしも
非ず・・・ですか。
あなたの主君を昔の越王勾践、自分をその忠臣である范蠡になぞらえて
主君を励まされているのですな。いや、見事な忠誠心です。
高祖の身代わりに降伏して魯公に火焙りにされた紀信(きしん)殿に
劣りませんよ。もし仕官をお探しなら、是非、漢に仕えてください。
>140
確かに陳平(ちんぺい)殿の計略により范増殿を追い落とした事により
魯公の力を削ぐのに成功しましたが、もし上手くいかなかったら、あの様に
勝利するのは難しかったかもしれません。
後に漢に降伏した楚の将の話によると、范増殿は我らの弱点をかなり熟知
されていたようで、韓信殿との正面衝突を避け、高祖本軍のみを標的にして
いたようです。高祖を討てば韓信殿も主君を失った流軍と化すのですから、
流石だと思いました。
もし、魯公が范増殿の進言を全て聞き入れていたら、私どもは骸を晒して
いたでしょう。恐ろしい事です。
>141
当時、遊侠の徒であった高祖や他の方とは、それなりに親しく付き合って
おりました。高祖が法を逸脱したり、私闘をされた時には私が弁護して、
しばしば感謝された物です。ある程度の好意と、沛の治安上彼らを利用
しようと言う本音があったんですよ。高祖の広い人脈と地縁は無視できない
物がありました。
あのままだったら、田舎の親分と役人と言ういわば腐れ縁で終わったで
しょうが、それが皇帝と宰相になるのですから、全く運命とは不思議な物
ですね。皆さんも、先々どうなるか分りませんよ。
あなたから見た恵帝と文帝はどう写りました?
宦官は何故、必要なんでしょうか。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
147 :
以上、自作自演でした。:03/08/15 14:26
兵糧輸送で、困った事ありましたか。
>144
恵帝は早くから皇太子として扱われていたので、お会いしたり話したりする
機会も多くございました。幼少時代、苦労されただけあって、下々の者にも
温情を施される、心優しい方でしたね。異母兄弟にも分け隔てなく接し、
臣下にも礼をもって応対されてましたが、母后陛下の強烈な個性に頭が
上がらなかったのが唯一の欠点でしたな。
ですが、皇帝とは言え、母には孝を尽くすのが我が国の慣習でしたから、
致し方なかったんでしょう。
文帝については、ほとんど面識も無く、いずれは辺境の王になるだろうと
言うのが、私の見方でした。特に聡明でもなく暗愚でもない皇子が後に
名君と称せられるまでになるとは思いませんでしたよ。
>145
古来から、宮廷での使用人として宦官は必要不可欠な存在でした。確かに
趙高(ちょうこう)を初めとする悪宦官がいる事は知っておりましたが
それに代わる物が無い以上、宦官を使わざるを得なかったんですよ。
それに些か弁護する言葉ですが、大多数の宦官は特に野心を持たぬ
危険視するに値しない者でしたから。
まあ、これはあくまでも私個人の主観ですから、中には宦官そのものを
憎む方もいるでしょう。
>146
はい、お元気で。
>147
私が担当した限りでは、前述した曹參(そうしん)殿の事件以下、
大きな事柄はありませんでしたが、時に、末端の担当官が兵糧や
武具を横流しした事もありました。いわゆる汚職ですね。
法に反する行為なので、極力罰してはいましたが、何せ戦争中
ゆえ、幾らいても足りないので、死刑などの重刑は難しく、完全に
取り締まる事は出来ませんでした。
聞くところでは、皆さんの周りでも、そうした事が多いとか。
何時の世も人間と言うのは変わらないのかもしれませんね。
劉邦を見てると天運だとか天意だとかがホントにあるような気がするな。
>150
仰るとおり、天命を受けられた(と称する)者には時に天に守られるか如き
不思議な事があるようです。
特に高祖に置かれては鴻門(こうもん)の会、雎水の戦いでの大敗北、その
他でも命の危険にさらされた事が数多くありました。雎水では敗走と途中で
太公(高祖の父上)や皇后陛下が捕えられると言う中で高祖とごく少数の者
が逃れたのも、まさに天助でしょうな。
ですが、高祖に限らず誰にでも、何らかの加護はあると思いますよ。
例えば先祖や親しい者が見守っているように。もし、あなたに
そのような時が来たら、心の中で手を合わせる事を薦めます。
長年続いた戦乱に終止符を打った強大国秦があっという間に滅び、
さらに無類の強さを誇る項羽も滅んで、家柄も何も無い劉邦が400年続く漢を立てる。
やっぱ歴史は面白い。
暑くないですか?
>152
その通りですね。歴史とは雄大なる人間物語ですから、時には弱者が強者を
圧迫したりと、私たち常人の想像をはるかに越える事柄が起きても何ら
不思議ではありません。
私たちが沛で暮らしていた時も、秦が始皇帝の言うように万世まで続くと
思っておりましたから、その秦を高祖を長にした私たちが滅ぼすなど全く
想像の域を越えていました。
もしや、あなたも近い未来において国の頂点に昇り詰めるかもしれませんよ。
>154
我ら漢人の着る服はゆったりとした物が多いので、この時期は特に暑いの
ですよ。まして長安は夏では四十度を越えるのも珍しくないので、余計
鬱陶しく感じます。
とはいえ、宰相たる者が他人や部下の前でだらしなく素肌を晒すなど、
下手したら弾劾の口実を作りかねないので、已む無くこうしているのです
が、自由な服を着れる皆さんが羨ましい限りですよ・・・
>153
『私を…。殺して…。』少女は力なく微笑んだ。
村人たちを夜な夜な惨殺した魔物の正体は、劉邦が憧れ、韓信が
愛する項羽だったのだ!
虐待の中、微笑む事しか許されなかった少女の内に隠された涙。
その悲しみにつけいり、巣食った悪魔が二人を襲う!
果たして劉邦は憧れの項羽を殺す事が出来るのか!
次回!!”マーナセナリティ!〜傭兵〜”『夢見る様に微笑んで』。
御期待下さい。
「お兄ちゃん…。、やっぱり…お兄ちゃんのことが…」
月下に浮かび上がる義妹・項羽の幼い肢体。
兄・韓信は、その白い素肌に目を奪われた。
「いけない…」そう思いつつも、韓信の唇は項羽を求める。
屋根裏で二人を窺う劉邦の気配に気付かずに…。
いっかつ浪漫ぽるの第一弾!【項羽の口唇】好評上映中!
???・・・これな何でしょうか?
158 :
以上、自作自演でした。:03/08/18 16:16
下役人時代で嫌な事とかありましたか?
遅くなって申し訳ありません。早速答える事にします。
>157
不謹慎かもしれませんが、私もつい失笑してしまいました。
当時なら不敬の罪は免れないでしょうが、皆さんの時代なら単なる余興として
扱えますからね。157さんも、楽しまれると良いでしょう。
>158
沛で役人生活をしていた頃は、地元の上役や同僚とそれなりに交際していま
したが、時に中央もしくは他の地方から赴任した上役と衝突した事もありま
した。
沛の風習やしきたりに無知なのが多いので、意見しても無視されるか、下手
したら猛反発されるのも少なくなかったでしたね。
結局、格下の私が謝罪して事なきを得ましたが、つくづく主君に諫言した
古今の名臣は自分とは程遠い物だと思い知った物です。
貧しかった頃、何を食べてますか?
酒は飲むんですか?
なんど、劉邦を殴りたいと思いました?
>160
沛にいた頃ですな。主に粟、キビなどの雑穀を主食としていました。
皆さんの良く食べられる米は主に南方で食されていたので、それほど
良くは食べませんでしたね。
おかずでは、野菜類が中心で、たまに食べる魚や肉がご馳走扱いでした。
高祖に紹介された樊噲(はんかい)殿が屠殺(主に犬)に携わっていた
ので、その関係でよく売れ残りを分けてもらっていましたから、肉と言
えば犬でした。味は悪くないのですが雑食動物なので臭いがきつかった
のを覚えています。
>161
勿論飲みますよ。沛時代でも、よく高祖に誘われて馴染みの酒屋で杯を
酌み交わしたものです。尤も酒豪の高祖に付き合って飲むのは些か苦し
い物がありましたが。何せ私が一杯飲む間に、三杯、四杯と飲むのです
から。
酒と言えば、昔、夏(か)の禹(う)王が酒を献上され、それを飲んだ
際に美味と褒めながら、酒で国を滅ぼす君主が出るだろうと言われた話
が伝わっていましたが、高祖の大酒を諫める臣下がよく引き合いに出し
ていました。
酒と言う者は時には薬となり毒にもなる複雑な代物ですから、深く溺れ
てはならないのでしょうね。私も皆さんも気をつけましょう。
>162
畏れ多い事を言うものではありません!皇帝たる高祖に手を上げるなど
臣の身で考えられる事ではありませんよ。
・・・ですが、それでは悪いので本当の所を独り言で出します。いいで
すか!あくまでも独り言ですからね。
まだ私が役人で高祖が無頼漢の時でしたが、勤務中の私を無理矢理誘っ
て酒屋に繰り出したり、何度注意しても一向に素行を改めない高祖に、
何度か拳を振るおうとした事がありましたよ。
ですが、多くの仲間を従えるだけあって腕には自信のあった高祖を私が
殴れるはずも無く、結局一度もその様な事はありませんでした。
恩と怨を忘れない高祖の事です。もし私が殴ったら何らかの形で皇帝即
位時に返されたかもしれません。
165 :
以上、自作自演でした。:03/08/23 03:46
項羽てバカ?
呉に甘寧あらば、魏に牛金ありよ!
>165
しっ!何て事を申されるのですか。壁に耳ありと言いますよ。
皆さんの世では、魯公の欠点があからさまに表現されてますが、我々
にとっては、恐れるべき存在にして、偉大なる勇将でした。
そんなお方を悪しざまに罵るのは、165さん自身のためにも良くあり
ませんよ。
>166
この間に見せてもらった三国時代の武将ですな。一国に一人いるかど
うかの猛将が互いに戦比べをするのは、皆さんの大いに好む話でしょ
うね。戦場に立った経験の無い私でも興奮します。
もし、宜しければ、その二方の話を詳しく聞かせていただけないでし
ょうか?
蕭何 ◆XqrDqbQCBA って何様のつもり?
韓に張良あらば、楚に范増ありよ!
漢に蕭何あらば、秦に李斯ありよ!
漢に呂后あらば、秦に趙高ありよ!
>165
コロス。
171 :
以上、自作自演でした。:03/08/24 21:33
>169
楚と漢を例えてたのになぜに急に秦と漢になるのかね?
>168 曹参殿
申し訳ありません。高祖と魯公の留守を守る身としては些か
出すぎていたようです。曹参殿がご不快になられるのも無理
無い事かと。
ですが、他に人のいない以上、私が皆さんの質問に答えなけ
ればならぬので、どうか了承してください。
>169
人物の比較ですか。張良殿と范増殿に関してはおおむね同意
ですが、私と李斯殿とでは、学識や経験で大きく私が劣って
いると思いますが、その点は如何でしょうか?
最後の皇后陛下と趙高とでは、少し問題があるのでは・・・
>170 項羽(魯公)様
おお!魯公様。聞かれていましたか。
お怒りも尤ですが、165さんも、既に前非を悔いておられるので、
どうか坑埋めだけは御勘弁を!
>171
私が推測するに、時代が近いからではないでしょうか?
秦の勃興時に生を受けた者が多い漢の諸臣にとって、李斯殿ら秦
の人物は色々と参考になる存在でしたから。
そういう意味では169さんの比較の仕方は当を得ていると思いますよ。
陳余と張耳の関係って案外脆いものでしたよね・・・
刎頚の交わりって、あんなに簡単に壊れていく関係なのでしょうか?
>174
そうですね。刎頚の交わりの元祖である、藺相如(りんしょうじょ)と
廉頗(れんぱ)は故国である趙を守るという共通の目的があって結びま
したが、陳余(ちんよ)殿と張耳(ちょうじ)殿は個人的な友情として
交わりました。
貧困の頃はとても固い絆でしたが、国家や軍事に関わるようになってか
らいさかいを起こし疎遠になり、ついには憎み合う関係にまでなりまし
たな。
富貴権力は一種の魔物と言いますが、それに魅せられた犠牲者なのでは
ないでしょうか。
つくづく人と人との関係は難しいものだと思い知らされる話ですね。
174さんもご友人との関係で何かとお悩みがあるかも知れませんが、
これらの話を教訓として、胸にしまっていただければ、お二人の事柄も
無駄にならないと思います。
176 :
以上、自作自演でした。:03/08/30 21:17
覇者と王者、どちらが良いでしょうか?
177 :
以上、自作自演でした。:03/08/30 22:57
時は皆さんの事情に関わらず、無情に流れ行く。
これに抗うか。それとも従いますか?
レスリー・チャンを知ってますか?
韓信大元帥の傍に蒯通をつけたのは失策ではありませんか?
もともと軍略家としての韓信大元帥は有能ですが、
王質たるものは持ち合わせていないような気がします。性格的にも…
斉王になったのは蒯通がそそのかしたからだと思うんですが…
>176
両方。寧ろ覇王。
>176
理想的には王道でしょうが、私どもの生きた時代はそれを許しませんでした。
高祖は覇道で天下を取られ、その後に王道を目指されていましたが、同様の
諫言を陸賈(りくか)殿が申されました。いわゆる「馬上で天下を得ても馬
上で天下は治められない」ですな。こちらは文武の兼ね合いを述べた言葉で
すが、後の世まで天下を制御する術として伝わったそうで。
>177
時ですか。例えて言えば長江の流れのように多くの事柄や人の営みを見つめ
続けた雄大な存在ですね。我々が青史に名を残せたのも天から時に従った結
果かもしれません。いわゆる運命論になりますが、時はそれに従ってこそ人
に施しを与える物ではないでしょうか。
>178
え〜と・・確か皆さんの時代の役者でしたな。
詳しくは存じませんが、魯公を主題とした劇に絡んだ話を演じられたとか。
魯公の御名がはるか時を越えて映像となるとは、我々の時代では想像も出来
ませんでした。さぞ名のある役者だったのでしょうが、何でも不慮の死を遂
げられたとか・・残念な事です。
>179
韓信殿の王としての資質ですが、彼は一個の名将軍であり、それを
超えた物ではなかったかもしれませんが、蒯通の進言に迷われたの
も、それに当るでしょう。とは言え蒯通は韓信殿が斉にて独自で登
用した、いわば韓信殿直属の臣。臣が主に進言するのは非難できな
い事です。後に高祖もそれで蒯通を赦免しておりますから。
今思うに、蒯通の進言を拒絶した上で、疑惑を生む行動を慎まれた
なら、後の彼の運命も変わっていたでしょう。
>180 魯公
そういえば、魯公は従来の覇者の称号に代えて覇王と名乗られまし
たな。
多くの者に新しい時代が来たと言う感覚を与えましたが、それに充
分に応えられなかったのも魯公の敗因かもしれ・・・あわわ。口が
滑りました。お許しを・・・((((;゚Д゚))))
あぁ帝位を奪いてぇ。
>182
許す。別に俺を侮辱せんとした言葉ではないからな。
勝者として敗者の敗因を研究するは至極当然と言えよう。
まあ、俺にはそんなもの必要なかったがな。
それと、俺の敗因は天が劉邦に味方した点、この一点に尽きる。
他の敗因などありえん、肝に命じておけ。
荊軻は始皇帝暗殺に失敗しましたが
そのことについて何かありますか?
武将は個人的武勇と指揮能力どちらが優先されると考えますか?
孔明の遣いですよ!!
否、ちゃうんですわ。
なんで最後の2項目だけ秦にしたんやろって。
時代ちかしいっちゅうのんで比べるんやったら、最初から秦と漢にすればええだけやん。
楚は後の2項目は漢とタメ張れる奴おれへんってことかいな!?って思うタンですわ
>183 呂産殿
外戚である呂産殿が高位を望むのは分りますが、さすがに皇帝を求めるの
は不遜と申すしかありません。とは言え、密告の類は好みませぬので、聞
かなかった事にします。以後言動を慎まれるように。
>184 魯公
寛大な御言葉畏れ入ります。
確かに天命と申すべき敗因ですな。たまたま天が高祖に味方したと思いま
すな。敵対したとは言え、尊貴な方の評価は難しい所です。
>185
荊軻の一件は当時の我々では禁句でした。秦の始皇帝への反抗と受け止め
られなかったので。それに風の噂程度にしか聞きませんでした。
詳細な事柄を知ったのは、秦の文書を接収した際でしたが、それを読んで
多少の感慨を受けたのは事実です。義気に感じて国王暗殺を実行したので
すから。とは言え危急存亡の時と考えても、こうした一刺客に頼っての国
事は大手を振って受け入れられません。
>186
私は実戦の経験が無いので断定できませんが、韓信殿の例で考えると指揮
能力を重視します。確かに武勇に優れれば前線での活躍が出来ますが、そ
れでは常に討ち死にと言う危機も孕んでいます。
やはり本陣で指揮を取り勝利に導く方が良いでしょうね。
>187 孔明の遣い殿
前に見せていただいた時代に活躍された諸葛亮殿の使者ですな。
異なる時代を超えてよくぞいらっしゃいました。
聞くところによると何かと多忙だとか。せめて自信の健康には留意
されるようにとお伝えできませんか?
>188
そうでしたか。ご解説有難うございます。
私も自分で申しておきながら、些か腑に落ちぬ所があったので、
これで疑問が解けました。
もし、宜しければまた同じような趣旨の比較をお願いします。
鐘離昧をどう思うますか?
私って可愛そうよね?
>191 弱策殿
鍾離昧(しょうりばつ)殿ですか。魯公配下中でも指折りの勇将と
聞いていました。韓信殿と親しかったようで、よく話を伺ったもの
でしたよ。陳平殿の反間の計でも標的に入ってましたが一時的な効
果しかありませんでした。魯公によほど信頼されていたんでしょう。
後に韓信殿に匿われて意見の衝突で自殺されましたが、もし韓信殿
と組んで謀反を起こされたら、鎮圧は不可能だったかもしれません。
では、本日の最後に
>192 戚夫人様
うーん・・・仰るとおり貴女様の末路には憐みを催しますが、やはり
側室としての分を弁え、過大な懇願を高祖にされなければ、後の悲劇
は避けれらたかもしれません。皇后陛下は唯一の正室なのでしたから。
今となって如何ともしがたいですが、はるか後世まで悲劇の美女とし
て御名が伝わっている事だけでも良しと御考え頂けませんか?
>191
いい奴、話の判る奴だった。
あんな配下を持てた事を嬉しく思う。
あんな配下を一瞬でも疑った事が悔しいな…。
196 :
沛の居酒屋の婆:03/09/10 20:20
ちょいと!劉亭長の酒代のつけ、何時になったら払ってくれるんだい!?
季布についてどうおもいます?
>195 魯公
魯公にとって鐘離昧殿は優れた家臣と同時に戦友であったのでしょうか。
そのようなお優しい御言葉を頂いて、鐘離昧殿もさぞ満足されているで
しょう。君臣の絆とはこうあるべきですな。
>196 沛の居酒屋のご主人のお婆さん
ええ?あの頃のツケは高祖が入ると客が増えるからと全て棒引きにして
くれたはずでは・・・?
それに今更持ち出されても・・・高祖がおられないので代わりに私が支
払いましょう。
( ´д`)つ IIIII
>198
季布(きふ)殿も魯公の下で高祖を悩まされた勇将でしたが、侠家に
匿われ、夏侯嬰(かこうえい)殿の弁護で漢に仕えましたがさすがに
その節義と勇気は賞賛に値する物でした。
太后陛下が匈奴討伐を計画し、それに樊噲(はんかい)殿が賛成され
た時も、道理をもって反対されました。太后陛下の義弟にあたる樊噲
殿を斬るべしなどとは、普通の臣ではとても申せないでしょう。
200 :
以上、自作自演でした。:03/09/13 07:05
200げとー
>200
二百おめでとうございます。これからも宜しくお願いします。
私がここに常駐して初めてのキリ番なので、特別な思いがしますよ。
魯公も戻られて順調に進んでこれたのは、全て皆さんのおかげです。
私も漢王朝初代宰相の名に恥じぬよう全力で望む所存ですので、どうか
今後とも何かしらの質問を書いていただければ、これに過ぐる喜びは
ありません。
死は痛ましくもあり悲しくもあり、美しくもあり輝かしくもある。
>202
高祖の旗の下に集まった諸将には、功成り名を遂げて子孫に美田を
残された方もいましたが、逆に無念の討死をされた方も少なくありま
せん。
死を美と取るか否かは後世の評価奈何ですが、一つの基準だったのは
確かです。
韓信殿の御最後は明らかに前者ですね。類稀なる大才と共に消滅した
のは実に痛ましい事ですが、それに私が関わっていた事を思い出すと
自責の念が胸を突きます・・・