くるまオタク養成講座V9829;飽くなきボーソー9829;
ぁちゃーやっちまったぜ、タイトルの9829;は♥のつもりだったんだけど★。
さて、前スレ>540
あれはゴムひもでは無くキャンバスひもwです。
片側に2本づつ、計4本かかってます、あれはトラニオンで吊る方式のリジッドの車軸が
それこそリフトした時など際限無く(ったってトラニオンの長さで限度があるんだけど)
車軸が落っこってくるのを防ぐ為です。
そして前ヌレ>537
>・・それはともかく・・。
>都会には都会の、田舎には田舎の文化という物が有ると思いますよ。まぁ、鳥取、滋賀、町田
>とか迄行くとまた話は別なのでしょうが。
>・・此処だけの話ですが、町田では日本語が通じない。つか言語という物が未だに存在しない
>って噂は本当なのでしょうか・・?
町田はクルマで逝くところでは無ひ、駅近くの中心部はクルマ文明とは無縁の地、
世田谷の一部(経堂・豪徳寺)同様それこそイセッタのやうな物件で無ひと侵入不可能と
さぅ思ってますのでその噂を検証することも困難であります。w って別に個人的には
町田のその手の噂は尻ませんでしたが、さういふ扱ひを受けてゐるのですか・・・。
鳥取も行ったこと無ひので何とも申せません、滋賀は大丈夫でせう、多分。
つな、先般グラン・ツァー途中、滋賀の大津といふところで75のオルタネータが身罷ってくれて
大津SAのGSで身動き取れなくなり、挙句JAFの積車呼んで持ってってもらひましたが
下手すると東京のJAFより親身でしたぞ。大阪のJAFも東京では考へられ無ひ親身さで
アテクシかつて関西に対して相当な××感を持っておりましたが、
ぃあぃあ、立派なものです関西圏。
運転も何でも有りのハナ突っ込んだ者勝ちと聞ひておりましたが、
意外やそれもアテクシ毎日経験してゐるゲソナンエリアで揉まれて鍛へられてゐるせひか
全く感ぢません、意外な程真っ当で上品、アテクシのはうがよっぽどげふぃんなボーソーしてました。w
まぁミナミとか南部のはう行くと股違ふらすぃですが。
>>1 新スレ乙です。
前スレは気が付きませんでしたが、また入らせて頂きます。
ちなみに別スレでも書いたコブラ、右ハンドルでステアリングにもACとありました。
トランクにもACとautocraftのエンブレム有り。
外観は427のようでしたが、ググっても不明。
ダッシュ、メーター回りはレザーパッドでした。
運転席後部のみにキャメルバーのようなもの有り。
この素性が、もし解りましたらご教授下さい。
レプリカなんですかねぇ?
。 。
/ / ポーン!
( Д ) エ、エロ先生が普通の文章を書いてるなんて・・・
いつでもどこでも「あてくすぃ」とか言っててくださいw
>>5 申し訳無ひ、
>>1だらう、あれは前ヌレに敬意を表し且つヌレの連続性を意味する為
敢へて純粋にコピペしたのだ。ご理解頂きたひ。
>>1 スレ立て乙であります。
日本で最も乱暴なのはにゃごやであると言うのが定説ですが、
何度行っても別段そう感じた事はありません。
こう言うとまた問題有りなのかも知れませんが、そういうのって曜日や時間帯にも夜のだと思います。
それこそここだけの話、職業運転手の多い時間帯には乱暴な運転の車が目立つ気がします。
さて、メインさんがいらしてくださっているので
>>4にお答えしたいのですが、
残念ながらコブラには門外漢ですのでちょっと古雑誌の2〜3冊引っ張り出してきた程度では
文字に書かれた事のみではっきりした事は言い切れません。
が、一応参考にでもなれば。
まずオリジナル427コブラにRhdは存在するのか?が問題なのですが、恐らくは無いと思うのですが
確証が得られません。
トランクにACマーク有りとの事ですが、427に限らずコブラの車体前後にはACのマークは無く
コブラ・エンブレムが付くのが本来の姿のようです。ステアリング中央にACマークが付くのは
289迄で、427ではここもコブラエンブレムになる様子。(ペダルにACマークが付くのは
全てのコブラに共通する特徴)
このACマークと言うのが曲者のようです。と、言うのもナントカautocraftと言う名前でレプリカコブラを
作っている会社が幾つか有るらしく、洒落で其処オリジナルのACマークを車に与えていたり
するようなのです。
つまり英国AC社のエンブレムをパロディ化したAuto Craftオリジナルマーク。
微妙に書体が違っていたり(w
>>7 ご教授頂きまして、有り難うございます。
いろいろググったりはしたのですが、よく分からない状況です。
一応、写真は撮ったのですが、ペダル付近は写っていませんでした。
(年甲斐もなく、スパカ少年の如く行為をw)
写真を見て気が付いたのですが、マフラーがリアエンドから左右2本出し。
それも50Φくらいの細さ。
コブラというと、サイドマフラーというイメージだったので、これも不可思議でした。
私の住む田舎では、黄色はアクセル全開、赤は気を付けて全開ですw
直進車がいても、無理矢理右折してきますし、
駐車場から右折で出る場合、片側を平気で渋滞させる香具師が多杉w
コンビニの駐車場では、ゴミ箱ではなく、駐車場にゴミを捨てるDQN家族も多い。
日本の道徳心はどうなったのでしょうか?
9 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/05/24(水) 15:20:37 ID:GdOMM7iQO
盆暮れ正月&GW都内にゐると、だうやら日本には信号の赤は進めで緑は止まれ、
といふ地域があるらすぃことを痛感します。w だうも北関東付近がさうらすぃ。w
その手の話で思ひ出したのが、EU統合後のイターリャ。
一応イターリャには制限速度があり、それはドイッチュを除く欧州の標準の130km/hなのです。
ぢつは300km/hなぞ夢の股夢の959と違ひ、本当に300km/h出てしまふF40の国なのですが
アウトヌトラーダの制限速も130。しかし当然のことながら誰一人守るバカタレはゐなかった。
ところが欧州統合後、このイタ公どもがきっちり130守るんですな、
何事!?と思へば、欧州統合の越境往来の簡素化に因って
アルプスを越へ遥か北方から、はたまた東方からド下手のドカッペwが流入してきて
危険で飛ばせなくなった、さうな。w
まぁ思ふに、イターリャ国内には国内だけの暗黙のボーソーの仁義があったと思ふのです、
しかしストラニエーレどもはそれを知らなひ、仁義無きボーソーは言ふまでもなく危険であります。
さういふことなのでせう。
日本の道徳心ねぇ・・
そう言えば以前、高速SAのごみ箱に明らかに家庭ごみと思われるモノを捨てている家族の乗った
プリウスを見た事が有ります。とんだエコカーですこと(w
ところでコブラ。実はイベント等以外で見掛ける427の殆どはレプリカと思っております(w
これが289ならまた話も別なのですが。だって、どうせレプリカ作るなら最強バージョンにするでしょう?
昔セリカのプラモデルに実車同様のフルチョイスシステムが売りの物が有りましたが、どうせ組むなら
皆GTにするのでST以下の部品は結局無駄だったっていうのと同じ理屈ですかね?(違うか w
私、模型好きという事も有りレプリカ全てを否定する者ではありません。でも光岡が輸入している
MG-TDのレプリカなどはどうも気に食わない。最近のフェラーリを模した代物もそう。
コブラのレプリカ等は許せる。つか、結構好き。何処かに基準は有ると思うのですが、
それが何処なのかちょっと考えてみないと自分でも判らないところ。
他の方はこの辺の線引き、どう思われます?
模型の話のついで。
以前、戦後のアルファの模型を一台作ってみようという気になって、どうせならば日本のタミヤではなく
イタリア製プロターを選んでみるかと思い、其処から出ていたジュリエッタスパイダーを組んでみました。
ドアは開閉するし、リアサスには金属製のコイルスプリングも付くという、中々凝った構成。
そのくせ、フロントは左右のホイールを一本のプラ棒がつなぐだけという手抜き・・
訳ワカランぞ、イタリア人(w
よくよく考えると、自分の車もブローバイは通常、大気解放w
(キャッチタンクは付けていますが・・・今時、キャブ車ww)
なので、環境破壊の観点では人のことを言えないのでした。
(触媒は、スポーツ触媒を付けています)
セリカST・・・現存するTA22セリカSTが少ないのは、エンジン形式が2Tのため
2T-Gに換装したGTレプリカが多いためのようですw
(当時の車はコーションプレートでは識別できないのです。カラーコードも無い)
レプリカ・・・実際見た中で良くできている、というか区別がつかなかったもの。
バンクス・ロータス・ヨーロッパSP、ストラトスのレプ、コブラ(多分レプ)
マイアミバイスのテスタは、数年前まで気が付かなかったw
ダメだこりゃ〜と思ったのは、多分フィエロベースのカウンタック・レプw
なんか遊園地のおもちゃかと思ってしまいましたww
(オーナー見てたらスマソ)
許せるレブリカ、許せないレブリカ。たしかにありますが、
線引きは難しいですね。
そもそもレブリカの定義と言うのも意外と微妙なところですし。
>>11 セリカのプラモ作ったことある!
俺は小学生ながら、1400のバージョン作りました(グレードはEが付いてたが忘れた)
モーターがエンジン位置に付いていて、プロペラシャフトを通じてリアタイヤを
駆動していたような・・・・
同時期に作ったLBだったかな?記憶があやふやになってきた。
>リアサスには金属製のコイルスプリングも付くという、中々凝った構成
ズリエッタの頃のリアサスは、うちのズリア系とは異なりトラニオン式ではありません。
Aの字を逆にしたやうな物件でデフを挟み保持する構造。
この構造の為この時代のアルファは有名なアルファダンスをしません、
これはぢつはトラニオン式リジッドに特有のものなのです。
そしてそれはトラニオンの両端のブッシュ類がヘタってきた時に起きるもの、
うちのは頼みもしなひのに以前工場で「おまぃならこっちのはうがEだらう」と
強化ブッシュを入れられてますのでまづ踊りません。w
>>14 多分バンダイ1/20だったと思うのですが、実は自分では作っていなくて模型雑誌で読んだ話なのです。
ちゃんとエンジンブロックの中にマブチモーターが収まっているというのが売り物だったとか。
>>15 下手に実車の写真を見るよりも模型を作るというのはホンモノの構造を知るのには有効だと思うのですが
あのプロターのキットだけは、なんだかアテにする気になれません。
・・直進専用車か?(w
さて、レプリカの定義ねぇ・・。確かにマジメに考え出すと、結構難しい事になりそうな・・。
ケイターハムのセヴン、ミツオカのビュート、VWのニュービートル、フォードのニューGT40。
この辺はレプリカに入れるべきなのか??
・・難しい事は置いといて、もうちょいコブラの話。
コブラのベースになったACエースって、前スレの終わりでちょっと触れた戦前のBMW328のエンジンを
英国ブリストル社が改良して生産した物を積んでいたのだとか。
そのシャシーにフォードのV8を積む事を思いついたキャロル・シェルビーさんって方は、狭心症の為に
レースから引退したアメリカ人の元レーサーだったそうです。
と、此処まではコブラ好きな方なら周知の話。
最初はシボレーV8を積む事を考えていたそうですが、GMとの交渉に失敗してフォードV8になった
っていうのも有名な話。もしも此処でシボレーV8が手配出来ていたなら、チーム・シェルビー・アメリカンが
フォードのワークスチームとなり、66〜67年のルマンでフォードGTを走らせそれを制覇するって事も
無かったのでしょう。人の運ってのも結構微妙な所で変化するもののようです。
・・私も今週末の日本ダービーの時だけでも、幸運に恵まれたいところ・・。
コブラの元になったACエースという車、同時代のフェラーリをちょっと鈍く(つまり英国調)にしたような
形で、見た目にはあまりパッとしない車に見えるのですが、この当時としては先進的な四輪独立の
足回りを持っていました。(前後共に横置きリーフがアッパーアームを兼ねるウィッシュボーン)
キャロル・シェルビーさんがこの車を選んだ理由としては、AC社がエンジンを自製出来ない程度の
規模にあり、その供給元であったブリストル社が自動車用エンジン部門を閉鎖した事から
載せるエンジンを代えざるを得ない時期にあたっていた事が良く知られています。
が、そうした事情だけではなく、そうした先進的な足回りを持つシャシー性能にも注目をするだけの
価値が十分に有ったのでしょう。(但しエンジンが強化された427ではコイルスプリングに改良されました)
長く“スポーツカー不毛の地”と言われていたアメリカでも、自製のスポーツカーでレースに出ようとした
試みは幾つか見られます。キャロル・シェルビーさんは、その先駆だったブリッグス・カニングハムや
ランス・リヴェントローのスカラブとは異なり、ベースシャシーに英国製スポーツカーを選び
アメリカ製V8を載せるという手法を選んだ訳ですが、これはやはりレース屋であるより前に
大富豪だった前者達と、かつてヨーロッパのレース界で成功を収めた元レーサーという資質の違いが
より現実的な方法を採らせたと見るべきなのでしょうか。
スカラブと言えば。
ランス・リヴェントローという大富豪が興したこのファクトリーが活動したのは1957年〜1961年。
シェルビー・アメリカンが最初のプロトタイプを完成させたのは1962年1月と、
偶然にも黄金虫とはすれ違うように毒蛇は誕生しています。
その為、シェルビー・アメリカンのレース活動が本格化して最初に構えたファクトリーが手狭になった時、
キャロル・シェルビーさんはフォードの仲介を得て、元スカラブ・レーシングの施設をそっくりと
受け継ぐ事が出来たそうです。
そしてこれには、スカラブの有能なスタッフも受け継ぐ事が出来たというオマケもついていたそうで、
こんなところでも、この頃のシェルビーさんは大変幸運に恵まれていたようです。
・・ホント、私もタマには・・せめて日本ダービーの時だけでも・・(ry
上に“黄金虫とはすれ違うように毒蛇は誕生している”と書いたように、コブラ自体はスカラブよりも
新しい車なのですが、ベースとなったACエースは1953年の設計ですのでシャシー構成などは
実はコブラの方が古臭い構成だったりします。
もっとも純レースカーのスカラブと、一応はロードカーでもあるコブラとを単純に比較するのは
公平とは言えないでしょうが。
スカラブの活躍した60年前後という時代は丁度レーシングカーが次々にエンジンをドライバー背後に
置くようになった時期であり、国際レースの中心からは離れたアメリカに本拠を構えていたスカラブは
この流れに乗り遅れてだいぶ苦労した様子。
ところがロードカーベースという前提で争うGTカテゴリーにミドシップ化の流れが波及するには
更に数年の時間が掛かった事が、コブラには幸いしたようです。キャロル・シェルビーさんが公然と
ライバルに指名したフェラーリは、更に保守的なシャシー構成であり、あの有名な250GTOにしても
フレームはACエースと同様の鋼管ラダーフレームでしかなく、足回りに至ってはリアは単純なパラレル
半楕円リーフのリジッドアクスルでしかなかったのですから。
考えようによっては、純レーシングカーを一から開発していきなりトップカテゴリーに打って出るという
無謀な試みをしなかった事がコブラの成功に繋がったとも言えるでしょう。
この辺も、かつては欧州の地でレーサーとして活躍し、本場のサーキットの空気を肌で感じて知っていた
シェルビーさんのしたたかさなのでしょう。
彼は飽くまでレース屋であり、ロードカーの生産はGTホモロゲーション取得の為の手段でしかなかった
ようです。しかし動機は何で有ったにせよ、そうして彼が生み出したコブラは現代でも人気が有り、
レースでの実績とは無関係に最強バージョンであるという理由から7リッターモデルの427に人気は
集中しているようです。
>>18 非常に勉強になりました。
私の記憶あるコブラというと、デイトナ・クーペがあります。
空力的な250GTO対策と何かの本で読んだ覚えがあります。
それと日本のレースでも走っていたというのも・・・多分、昭和42年頃?
>>18 追記
コブラ427のW/Bも2286・・・ビート、S30Z、KP61、ポルシェ917もこの付近。
この数値は最小回転半径の為だけではないような気がするんですが。
W/Bは、その中にエンジンとコクピットを収めたうえで最小限に抑えようとすると大体皆似通った
数字になったと言う事なのでしょう。ただ、ビートの場合は軽自動車規格が先に有ったと思いますが。
シェルビー・アメリカンがGTカテゴリーに於いて世界制覇をする為に作られたコブラ・ディトナクーペ。
言われるように、それまで使用されていたロードスターボディーでは欧州の高速サーキットでは
フェラーリ等に対して不利と考えられた為に主に最高速の向上を図って作られたレースカー
だったそうです。
日本でも走ったのは全部で6台作られたワークスカーの内、3番目に完成したシャシーだそうで、
シェルビー・アメリカンチームからの出走歴は僅か数戦に留まったものの、日本に売られてからは
66年と68年の旧・日本GPを始め何戦かのレースに出走しているようです。
日本GPでは、最も大型のクラスGP-Vカテゴリーでの出走だったようですが、実際には半分の排気量
2リッタークラスのプリンスR380やポルシェ906の敵には成り得なかったようです。
この後、この車は長く日本に有り、ロードユースにも使用されていたそうですが83年頃に
キャロル・シェルビーさん自らの元へ買い戻されたのだとか。
この、当時独立系(日産・トヨタといったワークスと距離を置いた)レーサーの中では
生沢徹や滝進太郎等と並ぶ実力派だった酒井正の手により旧・日本GPに出走した時の写真が
手許に有るのですが、あまり鮮明ではないので此処ではアップしません。
それでも、メタリックブルーに白いストライプというシェルビー・アメリカンのワークスカラーそのままで
あったことは確認出来ます。やはりコブラはこのカラーリングに限ると思われたのでしょう。
しかしそれ以上に異様なのが、車の左側面、サイドウィンドウ後方に描かれたハーケンクロイツ。
一体何を思ってこんな物を書き足したのか?全く理解不能・・。
ところで。
今テレビでモナコGP放映しているのですが、恐らくモナコほど昔から変わらないレイアウトのコースは
他に無いのでは?
>>23 おぉ、良く見つけなさった。
此処の写真では例のハーケンクロイツは確認出来ませんね。
あんまりはっきりとした事は言えないのですが、恐らく日本に入ってからボディー塗装はやり直して
いるのではないか?って思うのです。このwebページに有る、後方から撮った写真を見ると
ボディー後端の白/青の塗り分けが何故か本当のシェルビー・アメリカンカラーとは左右逆なので。
ピート・ブロックの手になるクーペボディー、如何にもカム理論に忠実なコーダ・トロンカですが
最初は彼が後に作ったヒノ・サムライのようなリング状のウィング(彼はエアロ・フォイルと呼んだ)
を付けるつもりだったという話も聞いたことが有ります。多分それを考えていた段階では違う形
だったのでしょう。
さて。コブラの映像と言うと“ガムボール・ラリー”(邦題・激走5000kmでしたっけ??)が有りました。
映画そのものはどうでもいいような出来だったと思いますが、
コブラが走っている、ただそれだけで十分に価値が有ったような(w
あと、コブラ自身は映画に写っていないのですが、66年公開のMGM作品“GRAND-PRIX”では
ジョン・フランケンハイマー監督の要望により、カメラカーに427コブラが使用されたそうです。
F-1サーカスを題材にした映画ですので、当時恐らくは世界一速いオープンカーだったコブラにしか
この役目は務まらないと思われたのでしょう。
もっとも“歴代最速のカメラカー”の座は、この後70年のルマンを題材にした“栄光のルマン”で、
映画プロダクション自らが一年落ちのワークスカーポルシェ908を本当のレースにエントリーさせ、
二周毎にフィルム交換の為のピットインを行いつつ周回したっつう無茶によって奪われたのですが(w
“史上最速のカメラカー” 現代のショーアップの進んだF-1中継では、複数の車にカメラが付けられ
もうカメラ専用車の必要も無くなったのかも知れません。
中島悟がF-1デビューした頃には、未だ小型カメラと言えども結構嵩張る為に、それに配慮して
全ての車の最低重量が5kg引き上げられたなんて事も有ったようです。
このスレ、大蛇が好きな人はいても毒蛇好きは少ないようですが、
もうちょっとだけコブラ・ディトナクーペの話に“蛇足”(w
この車、見た目にはかなり洗練の度合いを増しているようですが、中身は殆ど289ロードスターのまま。
つまりブレーキはディスクに強化される等してはいても、鋼管ラダーフレームに前後横置きリーフの
ウィっシュボーンという足回りなどはそのまま受け継がれているようです。
そこに架装された流線形ボディーは、イタリアのグランスポルトというあまり馴染みの無いカロッツェリアが
叩きだしたアルミ製。同時代のシャパラルがモノコックまでFRPを採用していた事を思えばかなり
保守的な設計に見えます。
50年代のカニングハムに始まり、ランス・リヴェントロー(スカラブ)、キャロル・シェルビー(コブラ)
ジム・ホール(シャパラル)ダン・ガーニー(イーグル)といったところが次々とアメリカ製マシンで
世界に挑戦、フォードGTがルマン4連覇して「アメリカで一番なら世界一」と言わんばかりに
一気に盛り上がり、CAN-AM等が大盛況。しかしポルシェ917ターボに冷水かけられ、
マスキー法とオイルショックで今度は一気に盛り下がり。
これが言わばアメリカモータースポーツ・バブルの60年代の流れって感じでしょうか?
フランケンハイマー監督のGRAND-PRIXに、モンツァのバンク走行中のロータス(?)
からエキパイが脱落し、後続車に当たって大事故になるシーンがある。
これをなんと事故る後続車の視点で撮影しており、はずれたエキパイが車の下に
巻き込まれるまででワンショット。どうやって撮影したのかぜんぜんわからない。
この映画、俳優が実際にレースカー(F3ベースらしい)を運転しているシーンも
多い。当時のレースカーはよく脚が動くので、見ていて実に楽しい。
確かに最近のレースカー、サスペンションがストロークしないのでまるでラジコンの走る様子を
見ているよう。
その点、タイヤも今と比べれば細くグランドエフェクトなんて考えの生まれる以前のレースカーは
ロールする様子も見ていて楽しかったように思います。
モンツァの事故シーン、そういうのが有ったような気はしますが・・。何せ昔に見たっきりなので
そこまでの記憶は有りません。
それにしてもこの映画は力作ですね。当時のF-1ドライバー達も撮影に協力的だったようで、
ジム・クラークの姿も一瞬映っていた筈ですし、中にはカメラカーのコブラをF-1ドライバーだった
J・P・ベルトワーズが運転して撮影したシーンも有るのだとか。
DVD化されているようなので、買って見ようかなぁ・・。でも、正直言うとストーリーの方は・・。
それにアノ時代のハリウッド映画らしく、やたらに長いのですよね。
ところで。その映画にも、如何にもホンダをモデルにしたと思える日本のメーカーが出て来ますが、
第一期ホンダF-1挑戦を取り上げる時、必ず“モーターサイクルの経験しかない会社が〜”という
言い方をされるようです。けれども、ちょっと思うのですが、この頃までは新興チームがいきなり
F-1に挑戦するという事もそう珍しい事ではなかったようです。
ロータスだって最初に作ったシングルシーター、12でいきなりF-1に出ていますし、先日少し触れた
ランス・リヴェントローのスカラブに至っては、レースカー作りの方は勿論、ドライバーの方も、
アメリカ国内レースでのいくらかの実績しかないまま、いきなりリヴェントロー自身の手によって
F-1に挑戦しています。・・今ならライセンスが発給されないでしょうね。
さて、モンザと言へばモンザ36、
ぃあ何もココでホイヤーに肩入れする筋合ひは無ひのでまぁEや、
モンザはアルファのホームグラウンドながらぢつに荒れたコースでも有名で
これまでどれだけの事故トラブルがあったことか。
その一つのお話。
911、かつて何かのレースで専用のレーシング・ヌペシャルが
この荒れたコースに耐へられづ破損。急遽代役として急造され投入されたのが
市販のSベースのレース仕様。これがかの有名な911Rなのであるます。
さぅさぅ、やっぱさうでしたか、アテクシ薄っすら記憶してゐるところでは
確か911Rは速度記録車、レコードブレイカーだったやうな、と思ってゐたのですが。
そして一方自らの手で自らの首を絞めるポルシェの伝統そのもののw917ども、
まぁこれもシッポの長ひの短ひの色々ですが、このガルフ・カラーつうのも
思へば上記ホイヤー・モナコのヌトライプ状でありました、
どっちかってえとこのヌトライプの入り方はガルフなんですよね。
マルティニ、アテクシマティーニはシェイクでもステアでもw余り好きではありませんが
キナ・マルティニ始めこの手の甘味果実酒、酒精強化ワイン、
つまりはヴェルモット大好きでありまして、ま、ほかにもポートワインとかシェリー・クレームとか。
それはさて置き、マルティニ、ガルフ等企業カラー以前の時代にも
例へばブガッティT35のソニア・ドローネイとか○×カラーつうのは有った訳です。
しかし、その系譜に連なるのはBMW3.5CSLあたりのそれこそアンディ・ウォホールとか
リキテンシュタインとかアッチ方面になるのでは無ひでせうかね?
>>31 >その系譜 ・・うむ・・“著名なアーティストがカラーリングを施した車”という括りと考えると、
ちょっと範囲が狭すぎますし、かといって“スポンサー絡みではなく、カラフルに飾られた車”とすると
今度は範囲が広すぎるように思われ、難しいですね・・。
アールデコの時代には、ヴォアザンがルーフ部分を除くスカットル以降を全てタータンチェックに
飾った車なんかを何処かのショーに出品していた記憶が有りますが、アメリカを捜せば、
スポンサーカラーが流行するずっと以前から、熱帯魚か極楽鳥のような色とりどりの車が
レースを走っていました。
欧州とは異なり、ナショナルカラーを身に纏う必要性の全く無いアメリカ国内イベントですから、
単純に見栄えとか、観客席から見て区別が容易な方が良いといった理由からそうした事が
流行ったのだと思います。まぁ、簡単に言ってしまえば競馬のジョッキーがそれぞれの馬主の
勝負服着てレースに挑むのと同じ理由でしょう。
で、ちょっとスポンサーカラーの話の続き。
良く知られるように、F-1に於いて最初にスポンサーカラーを導入したのはコリン・チャップマンの
ロータスのようですが、その遥か以前からアメリカのインディー500等では色とりどりのレースカーが
走っていたので、そうした中にSTP等のスポンサーカラーの車が登場しても、アメリカ人は別段奇異には
感じなかったのでしょう。
その為、アメリカのレース界で最初にスポンサーカラーを身に纏った車というのは調べても全く判りません。
ロータスもインディー遠征では、F-1を煙草のパッケージ色に塗る以前からオレンジのSTPカラーで
レースに臨んでいました。ですから、チャップマンにしてみるとゴールドリーフカラーで車を飾る事にも
大した感慨は感じていなかったのかも知れません。
あまり良い写真ではありませんが、第二次大戦前に既に広告を纏っていたアメリカのレーシングカー
の一例。1935年のミラー・フォード
http://www.greatrace.com/meet_racers/photos/2005_31_1.jpg この年のインディーは、後輪駆動のミラーが優勝したそうですが、この車はFWD型でした。
別の資料によると、前後共に1/4楕円リーフで吊った独立懸架だそうですから、前年に優勝した
FWDミラー(フロントはドディオンアクスル)とは別物でしょう。
ボディーサイドにフォードV8マークが描かれているように、エンジンはフォードのV8そのものを
使用していたようですので純粋な意味での“スポンサーカラー”とは違うかも知れませんが、
広告を纏っていた事に違いはないでしょう。但し、生産型のSVエンジンでは成績の方は
揮わなかったようです。耐久性のアピールにはなったのかもしれませんが。
何処のスレだったかは忘れましたけど、以前“何故イタリアのナショナルカラーは赤なのか?”って話が
出た事が有りました。サッカーのイタリア代表のユニフォーム等を見ると、イタリアのイメージカラーは
青の事も多いようなので。
結局これは、最初に行われた国際レースにイタリア車がいなかった為に、青をフランスに取られた事から
そうなったのだという話でしたが、大体なんでそれぞれの国の色を皆単色にした事やら。
すぐにネタ切れになる事くらい、判りきっていたでしょうに。
まぁ、その時にはこうも多くの国が自動車の生産やレース活動に乗り出すとは思っていなかったという
事なのでしょうか?
日本のナショナルカラーは紅白という事になっているそうですが、これはホンダがF-1に挑戦する際
本田宗一郎氏は最初は黄金色にしたがったのが、南アフリカだかのナショナルカラーと被るという事から
止む無く変更したと聞いた記憶が有ります。紅白か、黄金色か・・まぁ、どっちもどっちかなぁ・・。
>サッカーのイタリア代表のユニフォーム等を見ると、イタリアのイメージカラーは
>青の事も多いようなので
これもどっかで何度か書きましたが、イターリャのナシオナル・コローレはアズーロ、ブルーなのです。
そしてイターリャのモスト・フォーマル・カラーも紺、黒では無ひのです。
礼服も、フォーマルぐるまの色も紺が最も格が高ひとされてゐるのです。
>最初に行われた国際レースにイタリア車がいなかった為に、青をフランスに取られた事から
>そうなったのだという話でしたが
ありゃ、これはアテクシ存ぢませんでした・・・、さうだったのですか。
エロスパ氏がご存知でなかったという事は、何処のスレでの話題だったのか・・?
この話は、その後高斉正氏の著作“モータースポーツ・メセラニー”でも読んだと思いましたが、
ちょっと今その本が手許に無いので、本当にその本だったかをちょっと言い切れません。
一応“ナショナルカラー”で検索するとWikipediaに詳しい事が書かれていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC 此処にも有るように1900年のゴードン・ベネット杯にはイタリアは出場していなかった為、
フランスに先に青を取られたようです。赤はこの時にはアメリカの色という事になったそうですが、
1903年を最後にアメリカ最初の自動車メーカー、ウィントンがレースから撤退した事から
赤が空席という形になり、後にレース界に登場したイタリアがそれを選んだという事だそうです。
ドイツのナショナルカラーはこのwebページでは「1934年以来銀になった」と書かれていますが
上記“モータースポーツ・メセラニー”では「銀に変更されたという話は無い」と書かれていました。
そのどちらが正しいかはともかく、その所以となったメルセデスの有名なエピソード。
完成なったレースカーが、最大750kgという規定重量を僅か1kgオーバーしていた為に急遽車体の
ペイントを全て剥し、アルミ地肌のまま出場したという話。
これ、上記webページやその他、多くで見掛ける定説ですけど、本当でしょうか?
乾燥後のペイントが車一台分でどの程度の重量なのか?って事が判ってないとやる意味が無い。
それにそんな面倒な事するくらいならカウルの一部、熱気抜きのルーバーでも切り取って
金網にでも置き換える方が余程簡単な筈。
それにアウトユニオンもメルセデスに追従して銀色にした理由が希薄に思えます。
多分これ、GPレースをプロパガンダに利用しようとしたヒトラーが、
レースカーを白よりももっと派手な色に塗る事を望んだのに対し、ナショナルカラーを無視して
それに応じたメルセデスの詭弁が、そのまま定説と化したのではないか?と、思うのです。
↑ 「如何でせうか」と言われても、私JTの社員でもないので(w
フェラーリの赤の色味の変化って話は以前にも有りましたが、元々がナショナルカラーってモノ自体
色見本とかが有る訳でもないようなので、結局赤なら何でも良いのでしょう。
つまり、今のフェラーリの赤がイタリアンレッドなのかマルボロレッドなのか?なんて事は
どうにも言い様も無いのでしょう。
ナショナルカラーってのも、本来国別対抗戦だったゴードン・ベネット杯以外では大した意味は
無いようにも思います。同じ国の車同士でチームプレイをする事等、他のレースでは有り得ないですし。
GPカーをそれぞれの国のナショナルカラーに塗るという事も、ロータスがゴールドリーフカラーを
採用するよりも前に、既になし崩しに変化しつつあったように思えます。
と、思うのも。F-1チームの過半数が英国からのエントリーになった頃には、一口に緑と言っても
BRMのそれはかなり濃い色で、ボンネットにオレンジのストライプ。ロータスは明るい緑に
黄色のストライプと、それぞれ見分けが容易なように、結構違った色を使用していたようですから。
そうせざるを得ないのは、何時の時代にも、F-1って形だけでは見分けられない為でしょうか。
それに、他所のチームが全てスポンサーカラーになった今では、フェラーリだけがイタリア代表として
ナショナルカラーを主張する意味も無いと思うのです。ですから今のフェラーリにとって、赤とは
ナショナルカラーと言うよりも、ルノーの黄色とかと同じようにメーカーのイメージカラーだと
思った方が適切なのではないでしょうか?
・・てな事を書いてから思った。
日本のナショナルカラーは正しくは紅白ではなく、象牙色に赤丸なのだそうですが、
この色で国際レースに出場した日本製のレースカーって言うと、第一期ホンダF-1くらいのもの。
これでは現実には日本のナショナルカラーと言うよりも、かつてのホンダのイメージカラーでしかない。
・・・・てな事を思い、書き込みそうになってから思い出した。70年代にマキF-1なんつうモノがあったっけ。
今ではF-1マニアの間でも、殆ど話題に上ることは無いでしょうが、エンジンはフォードDFV、
トランスミッションはヒューランドといった主要なコンポーネンツは皆同じ物を使っていた、いわゆる
“キットカー”の時代に下級フォーミュラの経験も殆ど無いまま、いきなりF-1に打って出て、
予選通過もままならぬままに撤退したこの車、確か挑戦初年度は白地に赤丸で走っていた筈。
http://www.racingsportscars.com/f1/1974/Brands_Hatch-1974-07-20-025.jpg 他では生沢徹や中島悟が欧州のF-2やF-3に挑戦した時にもこのカラーリングを使用していた記憶が
有りますが、これらは日本製の車では無かった筈・・。中島の時にはノバあたりの日本製マシンを
使用していた事もあったかも・・。
今年はスーパーアグリチームが純日本製に拘ってF-1に挑戦を始めていますが、これ、そもそも
ホンダやBSがこの先もF-1に挑戦し続けるという前提が無いと拘りようも無いという、
ちょっと他人頼りな部分のある計画という気もします。
それに今時純日本製への拘り自体、なんだかアナクロなような・・。
それにしても。結果が残せなかった者に対しては酷く冷たいのも日本人。
70年代のマキF-1と、90年代の井上隆智穂は意図的に忘れようとされているのかも?
井上に関しては、ネット上で検索しても名前の表記が「隆智穂」「高千穂」「隆千穂」とまちまちですし(w
1975年・オランダGPの予選順位
http://sports.yahoo.co.jp/f1/1975/08q.html 最下位ですけど、鮒子田寛の名前が有ります。恐らくこれがF-1GPの世界で最初に日本人の
名前が登場した時でしょう。
それにしても懐かしい名前が続きますねぇ・・。女性ドライバーとして唯一ポイントを獲得した
L・ロンバルディとか“モンツァ・ゴリラ”ことV.ブランビラとか(w
模型の世界でも70年代F-1ってのは結構今でも人気が有ります。90年代からはTV中継が始まった
事も有り、当然人気なのですが不思議とその間に挟まって80年代の車は人気今ひとつ。
この時代には死亡事故が多発し過ぎたような気がするのもその一因でしょうか?
70年代だって結構それは有ったのですけれどね。
あと、70年代のF-1が模型に恵まれている理由の一つには、フェラーリやリジェ・マトラ、BRM、
ブラバム・アルファロメオ等を除けば皆DFVエンジンなので、模型メーカーにすれば同じ部品が
使い回せる分だけ開発が楽という事情も有ったりして。
しかし今になって思えば、幾らフォードDFVが良く出来たエンジンだったとは言え68年に登場した
基本形そのままで15年も第一線で活躍し続けたというのは、当時のフェラーリ他が不甲斐無かったとも
言えるでしょう。DFVの元になったF-2用4気筒FVA等はそのずっと前に姿を消したのですから。
もっとも、当時のフェラーリやアルファの12気筒は水平対向や180度Vであった為に、70年代末から
流行したグランドエフェクトカーに適応し難かった事もDFV陣営には味方したという事情も
有ったのでしょうが。
レラ・ロンバルディと言へばツーリングカーレースでもGTV6で優勝しております。
今でも旧車レースでは滅茶苦茶強ひGTV6、他ヌレでの頂き物ですが
http://www.youtube.com/watch?v=P6pNIlkqK30&search=alfa ヌパ・フランコルシャン、アルデンヌ高原の黒ひ森の中を駆ける姿、
”遠くで聞くF1の音”と言はれた快音をご堪能下さひ。
映像中のGTV6はレッドゾーン直前まで回して(そりゃサーキットだもん)ゐますが
アテクシ通勤・買ひ物等でも毎日ここまで回しております。w
一方S痔の切り返しで揺らぐシーンがありますが、
あの揺らぎ方が固定・半固定(ド・ディオン)軸を持つアルファの挙動そのものです。
レラ・ロンバルディの乗ったGTV6の写真、何処かに有った筈だけど見つかりませんでした。
彼女はもうちょっとF-1に参戦させても面白かったと思うのですが。
小柄な女性ドライバーを乗せる事を前提に設計するならば、低速コースの多い現代に向いた
ホイールベースの短いコンパクトなF-1が作れそうな気がしますが、まぁ無理か(w
70年代F-1でちょっと思い出した事ですが、この頃のフェラーリでリアにド・ディオンアクスルを
試みている筈。しかし実戦には投入されずに終わった筈。
1951年のアルファ159“アルフェッタ”はそれ以前のリア・スウィングアクスルからド・ディオンに改造され
成功していますし、もうちょっと後にはランチアD50(ランチア・フェラーリになったあれ)がやはり
ド・ディオンアクスルを採用していましたが、その辺がド・ディオンアクスルを使用したGPカー
としては最後の部類でしょうか。他ではランス・リヴェントローのスカラブがアメリカ国内で走らせた
二座スポーツカーがド・ディオンだった筈。
最近のレースカーではド・ディオンは流行らないようです。
現代の殆どロールをしない、対地効果を重視した空力最優先のレースカーの世界では
対地キャンパーが変化しないというド・ディオンのメリットが生かされないという事もあるでしょうが、
やはり一番大きな理由としてはこの形式にしてしまうとトーインやらキャンバーといったアライメントが
調整出来ない(筈)ということが有るのかも知れません。
まぁ、毎回細かくセッティングを変更するといった事は有り得ないロードカーの世界では
関係の無い話でしょうけど。
上記の70年代のフェラーリ312Tがこれを試みた理由はトラクション確保にあったと聞いた記憶が
有りますが、結局の所採用に至らなかったのはそうしたネガの方が大きかった
からなのではないか?と思います。
・・今日は全てうろ覚えと推測だけの書き込みだな(w
ちょっと話は戻り、ナショナルカラーの事。
皆がナショナルカラーに車を塗っていた頃の自動車レースを、商業主義に毒される前の良き時代等と
言う方も多いようですが。私はそれには賛同しかねる者であります。
こう書くと大袈裟ですが、フットボールのようにプレーヤーが体一つで行う競技とは異なり、
モータースポーツに於いてのナショナリズムというのは、第二次大戦前のヒトラーではありませんが
それぞれの国の先端技術の誇示であったり、一流ドライバーの雇用を含めた資金力の誇示という
側面が感じられると思うのです。
こう考えるのは私に元来備わるアナキストの気質に由来するところも有るでしょうが、
ドライバーにもタイトルが掛けられている(しかもそちらの方が先に掛けられた)にも関わらず
車の国籍は飽くまでエントラントであるチームの色となっている事からもそう感じるのでしょう。
資金力を誇示するという意味合いが有るという部分は、競馬にも共通するものでしょう。
アチラでも、ジョッキーの着るユニフォーム(勝負服と呼ぶ)の色や柄は馬主が主催者の下へ
登録したものを使用するのが通常ですし。(日本の公営競馬はその点では例外)
国毎に色分けされた車同士が技術力やら資金力を競い合い国威発揚しあうっつうのは、
考えすぎかも知れませんけれど、私にはどうにも生臭いモノに思えるのです。
それに比べればマールボロとマイルドセブンとかがどっちが多く自社のロゴをTV画面に写すか?
って競い合う方が余程平和的で良いとすら思えます。
それにしても。最初にF-1の世界に現れたスポンサーカラーも煙草(ゴールドリーフ)でしたし、
マールボロにJPS、キャメル、ラッキーストライク、ロスマンズ、マイルドセブンetc・・。
煙草会社っつうのはそれだけ宣伝にお金掛けても元が取れる。いい商売なのでしょうか。
何せ今はともかく、昔は日本でも「煙草の元値なんて売値の0.1%」なんて言われたそうですから。
・・日本センバイ公社・・ナンチテ・・(スマヌ・・)
今年ももうすぐ行われるルマン24時間レース。
スポーツカーレースの方は、あまりナショナルカラーという概念の無いアメリカ(フォード)の参戦が
有った事からか、F-1よりも早く色とりどりの車が走っていました。
66年に初優勝を遂げたフォードGT−MKUなど、黒地に白ストライプなんてのはまだマシな方で、
金色に蛍光ピンクなどというdでもない色彩の車を平気で走らせていましたし。
それにしても、幾ら見分けを容易にするためとは言え、全ての車を違う色に塗って来るってのも
大フォードならではの資金力の一端を見るようです。ナンと言ってもこの年には8台(!)もの
ワークスカーを持って来ているのですから・・。
以前年バレスレに書いた話ですが、このルマンに勝ったフォードGT-MKU。エンジンはフェアレーン用
(と、言う事はコブラ427とも同じ)V8、427キュービックインチ≒7リッターで、公称485bhp。
と、いう事はリッターあたり70bhp未満。現代の市販ロードカー以下。それを発生する回転数も
6200rpmとのこと。
映画「男と女」などでフォードGTの排気音を聞く事が出来ますが(ただし65年型4.7リッターの筈)
この位の回転数だからこそ快音に聞こえるって事は大きいと思うのです。もうちょっと後、
70年代F-1のフェラーリやマトラ12気筒のソプラノが美しいという方も多いようですが、
それでもせいぜい一万とちょっと程度。最近の20000rpm近くまで回るGPエンジンの音は、
既に人間の快感領域から外れていると思う事が有ります。
そこで、今年のルマン。
地上波でのTV中継は無いようですが、アウディのディーゼル・レーシングエンジンはどんな音が
するのでしょうか?
「静かすぎて、タコメーター見ないとシフトタイミングがわからん」とドライバーから
筋違いなクレームがでてるとか>アウディ・ディーゼル
極右反動ファッシスタと思はれ(本人はさうは思ってませんが)、
民主制は唾棄すべき前世紀の恥づべき価値観と信ぢてゐるアテクシです。w
最低限現状は民主制≒衆愚制であることは間違ひ無ひのです。
デモスのクラチアとは本来衆愚制を意味するのですから。
その本質は2000年前のジュリオ・チェーザレ暗殺から何ら変はってゐなひのです。
さて、それはさて置き近年のフェラーリのストラダーレは
販売戦略が明らかに”F1の雰囲気を街中で楽しむオモチャ”になってゐることを示すやうに
張りの有る高音を響かせてゐます。かつてのフェラーリとアルファは非常に似た音質で
低音ながら音圧高ひアイドリング、レブリミット近くまでブン回せば
抜けの良ひ、排気系の管が共鳴するやうな張りの有る中音域でありました。
快音は人の好みに拠るところ大でせうが、絶対的に不快な音はあるさうで
ベンシのクラクションは意図的にその音にして注意を促す、とも聞ひたものです。
股、夜中にその辺走ってゐる原チャの安物2スト音を快く感ぢる酔狂もゐますまひ。w
バイクは相当前、20年も前から既に10,000回転を超へる超高回転エソジソ当たり前になって
その音は電気モータのやうで、個人的にはあの音は内燃機の音には相応しからづ
好みではありません。が、エソジソの発展は高回転化の歴史ですのでいづれクルマの音も
アレ式になってゐくの鴨知れません、レシプロ内燃機が存続するならば。w
>>46 それがアウディだけの事なのか?それともディーゼルのレース用エンジンっつうのはそういう物なのか?
来年から(前スレで今年と書いたのは間違いでした)登場するプジョーと比べてみないとナンとも
言えませんねぇ。どうせならプジョーも今年から出て欲しかったところ。
まぁ、暫くレースから遠ざかっていたのでシャシーが間に合わないのでしょうか。
>>47 衆愚多いに結構。エントロピー拡散は誰にも止められないのです。助さん格さんリボ核酸・・。
何処の世界でも国家なんて枠はズルズルとなし崩しになって行き、世界全体ノータリン化が進む
ってのが大まかな流れ(であって欲しいなぁ・・)
2ちゃんは少々右傾化していると言いますが、どうせ表面だけの事。以前何かのTV番組で
「アメリカでも最近の若者は国家の2コーラス目を歌えない」なんて言っていましたが、此処日本だって
君が代を二番まで歌える若者なんて滅多にいないでしょう。
まぁ、そんな話は置いといて(長い前振り w)
>エンジンの発展は高回転化の歴史。
確かにそうなのですけど、市販ロードカーに限っては此処30年程の間、高回転化は頭打ちになっている
ように思います。
ある程度まで回せばパワフルだけど、下の方はスカスカってのは、街中ではどうにも使い辛いので
最近はむしろ高回転化よりもフラットトルク化の方に技術は進歩しているように思うのです。
公道用エンジンは排気量に制限のあるレース用とは違った方向に進んでいるとも言えるのかも。
しかしねぇ・・。高回転まで回さなくても充分速い。回さないからいつでも静かってのも
悪くはないのでしょうけれど、面白味という点ではどんなものか。
その内に前スレで冗談に書いた“アクセルに連動してサンプリングされた爆音が室内に流れる”
なんて車が本当に出たら嫌だなぁ(w
>かつてのフェラーリとアルファは非常に似た音質で
マフラーが同じアンサ製とは言え、4気筒と8〜12気筒なのに?
同じ内燃機関の音がする、という意味では似てるかな。
なんでこうアルファ海苔って勘違いした人が多いんだろう?
50 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/06/17(土) 10:25:22 ID:ZLS114fAO
聞いたことないだろ?
ここで知ったかはみっともないからやめな
51 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/06/17(土) 10:28:48 ID:ZLS114fAO
音と言えば、動物の中でも音には敏感な馬は、同じメーカー、同じ車種の中からも
普段世話をしてくれる人の乗るバイクの音を聞き分けるのだとか。
レースのプロ達は、それぞれの車の排気音から、何回転位まで回っているのかをかなり細かく
言い当てられるようで、現代のF-1のように排気量やシリンダー数が決められているならば、
そこからおおよその出力も言い当てられるって話も聞きますが、・・本当か?
ところでルマン。結局アウディは強かったと言うべきか・・。相手が相手なので順当勝ちでしょうか。
ディーゼルの初勝利と言っても、勝負になるレギュレーションだったという事も言えますし。
やはり比較対象になる他のワークスチームの出ていないレースは面白味が無いです。
それに、どうも車自体、見た目の魅力に乏しく見えますし。
最近の純レースカー、複雑過ぎて全体像が把握し難い形状になっています。
一時期、F-1等ではカラーリングも複雑にし、更には見る角度によって色が違って見える塗料の使用で
写真に撮っても形状が判り難いようにする事も真剣に考えられたとか。
如何にも空力が多くを担う現代、少しでも独自のノウハウを秘密にしておきたいレースカーならではの話。
マクラーレン辺りのグラデーション多用したカラーリングとかはその名残りでしょうか。
フェラーリの赤が変わったのも、そんな話が有った頃だったように思えますので、或いはそんな事も
多少は影響しているのかも知れません。
まぁ、結局の所。エンジン出力同様に見る側もプロならそんな程度で誤魔化すのは無理なのか、
あまり最近は聞かなくなった話のようですが。
今スレになってからレースカーの話が続きますが(って、自分で勝手にやっているだけですけど・・)
今回のルマンの感想の続き。
優勝したアウディのターボ・ディーゼルエンジンが凄いのは確かなのでしょうが、負かした相手が
自然吸気のガソリン5リッターで、それにいろんな係数が有ったりとなると、どれくらい凄いのか?
ナンだか良くワカランと思うのです。80年代のグループCの頃のように、燃料消費量一定の上での
競争とかだと判り易いのでしょうが。
もっとも、新種のエンジンがレースに登場した時にどう扱うのかってのは結構難しいところでしょう。
ターボエンジンが最初にレースの世界に現れた頃には排気量1.4倍という係数を用いるのが主流でしたが、
日本独自の2リッタースポーツカーレースだった富士グランドチャンピオンシリーズでは、ターボは
1.6リッターまで許されていましたから係数は1.25。それでも当時は財政的に苦しいチームが
手探り同然に使用していた事も有り、BMWの2リッター自然吸気エンジンにも全く歯が立たず。
その当時にはまさか係数2.0と厳しかったF-1でもターボが主流となるとは思えなかったものでした。
他にもロータリーエンジンとかガスタービンとか、変わったエンジンを持ち込もうとする人が現れる度
レース主催者はその対応に苦労するようです。ディーゼルターボも今のままでは有利に過ぎると
判断されたら、この先どう扱いが変化して行くか。
いっそのこと、燃料配給制にして車毎に一枚ずつ定額のプリペイドカードでも発行したら
面白いと思うのですが。
一レース毎に使用できる燃料が、量ではなく金額で制限されるというやり方ならば、
ディーゼルの優位もより理解し易いと思うのです。
・・って、所帯染みたレースではありますけど。
保守。・・ついでに所帯染みた話の続き。
よく知られた話でしょうが、普通日本では距離(km)/リッターで表わす燃料消費率。
欧州では100kmあたりで消費される燃料の量で表示するのが一般的なようです。
何でそういう違いが出来たのか?計算のし易さは大差無いでしょうが、自分が馴染み深い事もあり
日本式の方が判り易いと今迄考えていました。
“何処其処まであと何km”という表示を見た時なんかにも、日本式の表示に慣れていた方が
残りどの位の燃料を必要とするのか、暗算が楽だと思っていたのです。
ところが最近気が付いた事に、欧州式の方が燃料費(金額)の計算はし易い。
例えば、押し並べてリッターあたり10kmの車と14kmの車とではどの位ガソリン代に差が出るのか?
これ、100kmあたり10リッターの車と7リッター強の車という具合に考えれば、1リットル140円として
420円の差が出るとすぐに計算出来る。つか、嫌でも意識させられる筈。
そう考えると、新車を買う時にも10万kmあたりでの燃料費の違いなんてのも簡単に出てきます。
上の例ならば、単純に1000倍して42万円。これ、実は今ネットで調べたレクサスGS450h(ハイブリッド)
と、同じエンジンでハイブリッドシステム無しのベース車GS350との10/15モード燃料消費率なのですが
(今月のCG誌のテストではこれ程の差は出ないようですけど)仮にこれを一応信用するにしても
欧州式の燃料消費率表示が価格表のすぐ横に有ったとしたならば、誰にでも車体価格差の250万円は
到底取り返せないと簡単に気付いてしまうでしょう。
まぁ、レクサスの例はちょっと極端ですが。他のハイブリッド車は皆、同じ装備のグレードとの
単純な比較がし難い価格設定になっているように見えるので特別にそう感じます。
欧州でディーゼルが主流になりつつあるという事は、価格差が燃料費で吸収出来る範囲にあると
いう事なのでしょうか。エコといっても我等貧乏人にはエコロジーよりエコノミーですから。
音の件。
まぁ知ってる知らなひは詮無きことながら、
音質つうか音の傾向が似てる似てなひの例として昔の空冷911とヴォロクソ・ヴァーゲンのバタバタ。
これが股似た音なんですな。排気量もシリンダー数も違ふ、だけどどっちもバタバタ。
音質も似てゐる。
違ひは6発の911のはうが、特にアイドリングで顕著なのだけれどバタバタバタと速ひ、
ビートルはバタ・バタ・バタ。
同じ水平対抗でもヌバルは水冷なのでw少し湿ったつうかくぐもった音でドコドコドコ。
アルファ・ヌッドもこの系統の音。
アルファ直4&V6がフェラーリV8・V12と同系統の音つうのもこれらと同ぢ感ぢ。
とは言へ、これらは全て昔のお話で現行同士比べるとみんな随分違ってきたしねえ。
で、セコひプリペイドレース、アテクシ的には嫌ひではありません。w
ゐぢましひと言はれやうと”レースは市販車技術の実験場”ならば
より市販車、生活に沿ったレギュレーションもアリかと。w
まぁ此処に来るやうな人なら誰しもご案内の通り、
欧州では軽油の値段が(政策的に税金が掛けられており)一般にレギュラーよか高ひくらひ、
まかり間違ふとハイオクと変はらなかったりします。
それでも欧州のデーゼル車率が高ひのは、要するに足が長ひからでもあります。
他にも点火系の電気系を持たづ故障が少なひとかとも言ひますが
根本的にケチな欧州ぢん、ケチもさることながら足が長ひ、
1回満タンにした後航続距離が長く給油のサイクルを長く出来るデーゼルは
普段の生活でも給油に行く面倒少なく、
グラン・ツァー、ロング・ツァーでの給油のタイムロスが少なく済む、
さういふ点でも人気があるやうです。
アルファの直4なら、フェラーリのV8よりトヨタの2T-Gのほうがよっぽど音が近いぞ。
もし近いとしたら、エンジン音っつーよりは、薄い鉄板で作ったマフラーゆえの近さだと思うが。
イタ車嫌いの英車好きの御仁なら
「アルファの音が良いって? ありゃマフラーがぺっらぺらだからだよ」と
吐き捨てちゃったりする、あのアンサ製の純正マフラー。
ま、そうとは言い切れんと思うがね。
ちなみに1960年代後半〜1970年代前半あたりの車での印象。
マフラーペラペラ、そのせひは厳然としてあります、排気系の形状はまぁEのですが
材質と厚みが本当にショボひ。このペナペナスカスカの管に共鳴する音があの音になる
まさにさうなのです。ちなみにアンサは腐るより詰まるのが多ひ気がするのですが
ヌパイダのマフラーは詰まるより腐って既に3回落ちてます。w
まぁ音が似てる似てなひは個人的な感覚にも拠るからだうかうは言ひますまひが・・・、
60〜70年代の物件知ってて? ぅーみゅ・・・。
>>57 アルファ直8の音ってどうなんでしょ?
直4×2だから直4が2台分うるさいだけなんだろうか?
排気音の話。60-70年代のレーシングポルシェはそれこそ904から917まで排気音が似ています。
中音域の豊かな張りのある音というか、聞けば一発でポルシェと分かる音。
そこで最新鋭のGT1はと言うと…音がしない。ほとんど無音でストレートを駆け抜ける姿は正直怖いです。
アルファ、フェラーリ、アバルトの音も似ていますね。高音が立った音質もさることながら、
どれも音程と倍音構成が不安定と言うか、微妙に輝きが揺れる感覚が似ているのでしょうか。
言われてみればこの揺れ、マフラーが薄くていろんなところと共振しているせいかもしれません。
同じイタリアものでも古いマセラティは全然違う。とにかく野太い、私としてはあまり色気を
感じない音質でした。
ターボはその構造から自然に静かになるのでしょうね。
市販車ではメガフォンつけて無理にうるさくしている例も多いようですがw
自分の経験上、排気音にはエキマニの関わりが大きい。
スバルも最近では、あのドコドコ音がすっかり消えています。
これはご存じのように純正から等長エキマニを採用したため。
これを寂しく感じるスバリストもいるようですが、以前までの純正エキマニは
とても300マソ近い金額の車とは思えないくらいの適当な鋳物w
排気音は確かにマフラーの一言でくくっても良いのかもしれませんが。
連投スマソ。
私の住む地方都市では、「天ぷら油リサイクル燃料で走ってます」と堂々と書いた
ディーゼルエンジントラックが運行しています。(お上の仕事を請け負って)
以前、ディーゼルで比重検査を喰らった身の上としては、アレはどうなんだ?と疑問が。
地方税という観点で言うと?な気がするんですがw
エキマニが音に及ぼす影響はその通りで、いわゆるむせび泣くような音というのは
排気そのものの干渉と、排気系パイプの共振のたまものでしょう。
古いアナログシンセサイザーに例えれば「LFOのカットオフ周波数とレゾナンスを
微妙かつランダムに変調した音にフェシズシフターをかける」といったところ。
(誰がわかるんだよ、そんな例え)
ということは鋳物の不等長エキマニではどうにもならず、ステンのタコ足の出番になります。
実は私、この「ステンのタコ足」にめっぽう弱い。歴代の車選びも、標準でタコ足が
ついてるかどうかが基準になっていたりします。
×フェシズシフター
○フェイズシフター
>>63 '89NA6CEがデビュー当時、この点も売りでしたw
国産としては、初めて「音」にも拘った1台でした。
純正で4-1ステンエキマニ(見れば解りますが、出来は×です)+ステンのマフラー・・・
初期型は国産4気筒としては、良い音質と音量でした。
(今は軽自動車ですら採用していますが)
ちなみに私の場合
エンジンが特殊wとなったため、マキシムワークスのエキマニにワンオフ・ステンマフラー
(メインパイプを50Φで中間にサブサイレンサーで音量と共振域を調節+特注メインサイレンサー)
エンジンを作った後、バルタイ、キャブとセッティングしていくと、最終的に排気系で調整が必要になってしまい・・。
5回作り直して、妥協したのが現仕様ww
個人的には4気筒なら4-2-1派、6気筒なら6-2-1派です。
見た目なら4-1、6-1でしょうけど。
言い忘れましたが、排気音に混じるキャブの吸気音、カムのビート音、圧縮比から来るエンジン本体の音
これらがほどよく混じり合って、初めて排気音になるのかな・・と。
>>58 横レスですけど、直8アルファの音を聞いた事が有ります。直4の二倍と言うよりも(何故か)二乗
してしまったような凄まじい音でした。
マシンガンのような排気音、それに打弁音。更に各種のギアノイズやらルーツ型過給機への吸気音
等が“ほどよく混じり合って”(w 殆ど一人フルオーケストラ状態。
私が聞いたそれは8C2300のスポーツモデルでしたが、大人しいツーリングモデルでも音量こそ違えど
音質そのものには大差は無いとか。
この時代(1930年代)ブガッティと並び“高級車なら静かであるべし”とは全く考えず、むしろ
“高級車なら高級な音を撒き散らすべし”派だった(そういう派閥が有るならばw)アルファならではの
聞く者の全身を震わすような雄叫びに思えたものでした。
とは言え、直8の車と言えば最も新しくっても50年以上も前の代物。タペットの調整が完全だったり
オリジナルの排気管がそのまま付いていたりする方がむしろ少数派でしょうから、良く考えれば
“これこそアルファの直8の音だ”とは言い切れないところも有るのですけどね。
エンジン音、確かに排気管次第の部分は大きいのでしょうが、チーム毎に排気管の形状は様々でも
DFVの音はやはりDFVだったりしますし、私は直接聞いた事は無いのですがマトラV12と
マツダ20B(レース用)の音が何故か良く似ているなんて話を何度か聞いた事もありますし。
構造も何も全て違っていようと似るときには似てしまうって事なのかも。
さすがにアテクシも動ひてゐる、ぃあエソジソのかかってゐる直8アルファには
お目に掛かったことはありませんのでナンとも言へません。
ブガッティもこれ股さすがにエソジソのかかった物件にはお目に掛かったことありませんが
以前CG誌でコバショー御大が式場先生のEB112S試乗されて、その余りの静かさに
「静粛なブガッティとは丸い四角の様な形容矛盾だ」とお書きでした。
エソジソ、補機類、ギアノイズに満ち満ちた戦前の(アテクシ的に言へば本物のw)
ブガッティを知ってゐるとその違ひは衝撃的であったやうです。
そこでまぁアテクシこれ股その音は存ぢませんが、EB112のしかも”S”ですら
静かに感ぢる(実際フェラーリやランボルより遥かに静からすぃのですが)、
つうことは本物のブガッティつな余程dでも無ひ音がしたのでせう。
一方、音はかつてはアルファ・ロメオの魅力のひとつでした。
(現行156はまだしも159ブレッラ一派になると滅茶苦茶静からすぃ)
その音の特色ははインジェクションの世代も(うちの2台はこの世代)も、
それ以前のキャブの世代も共通するのは回転数によって音色が刻々と変化することです。
その音は、排気もあるでせうしエソジソ自体、補機類などにも因るでせう。
エンジンベイ、エンジンフード裏に一切の吸音材を持たなひヌパイダは
例へ幌を上げてゐやうとも遠慮無くエソジソ音が室内に侵入します。
その音はアイドリング〜2000回転ぐらひまでのやや太ひ排気音と打弁音などが
3000〜4000あたりでは連続した音となる、
同時にミャァーミャァー、ミューミューといふまるでスーパーチャージャーか
電気モータの唸りのやうな音が混じってきます。
そして4000ほどからトップエンドにかけて、回転計の針がレッドゾーンに吸い込まれるやう、
或ひは針がレッドゾーンに自らの意思で飛び込んで行くやうなふけ上がりと共に
ダダダダダッといふまさにマシンガンのやうな音とシャーーーーン、
ジャーーーーといふチェーンが高速回転するやうな音になります。
吸音材の入った75では室内にゐるとこれらの音はかなりスポイルされ、
より排気音が強調されますが、エソジソの音量は小さくなっても同じ音です。
その音は単一の、どれか一つの音では無く、常に幾つも音が同時に鳴ってゐる、
そしてそれが回転域、旋律によって常に変化するまさにオルケスタ。w
もっともフェラーリがフルオーケストラなら弦楽四重奏か室内楽でせう音量的には。w
この音って物件は微妙なもののやうで、以前アルファ党員として知られた下畑氏が
145&146をLHD・RHD試乗されて明らかに音が違ふとお書きになっておりました。
どっちがどっちだったか忘れましたがどっちかが静か、
どっちかがまるでキャブの吸気音のやうな音がする、と。
その原因としてスカットルに開く穴の大きさ&位置が影響してるのでは無ひか、とのことでした。
さて、今度はヌテンのマルミッタ。w
アテクシ此処↓のやうに
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/car/1144423471/98 75のエンジンベイ内レイアウトに疑問を感ぢてゐるのですが。
(4発75乗りなら全ての人がさう感ぢてゐるらすぃ、当然でR)
そこで話はヌテン蛸足。”白く焼けた排気管・・・”ぅーみゅ、ぢつに素晴らしひ、
さう子供の頃から思ってゐたのですが、だうもSS(ステンレス・スチール)なんぼ焼ひてみても
バーナ・トーチ、アルコールランプwの酸化炎・還元炎どっちでアレコレしてみても
きれいに白くは焼け無ひのです。赤紫とか虹色になるのが関の山。
聞けばだうやらあの白ひのは耐熱塗料らすぃのです・・・、ちぇ、なんでぇ。
>>69 75のエキマニ付近も大変なのですなぁ(知りませんでした)
(次期型ファミリーカーを156のGT-Aワゴン目論み企画中・・・159ワゴンも気になる)
うちのロドスタの場合、DOHCいわゆるクロスフローなのに純正だとエキマニ近辺にエアクリーナーと
エアフローメーターがw(何考えているのか?解らない設計)
そんなわけでキャブ化し、本来のクロスフローにww
それはさておきエキマニにバンテージ、これは使用しております。
さらにシルバーの遮熱塗料も塗布(サーモテック製・・・同じ性状物はホームセンターで格安ww)
排気温度が高くなったせいか、溶接部に割れが生じた経験あります。
ちなみに本当は巻きたくなかったのですが・・・
自分でエキマニを付けたとき、手の油が付いていたらしく、エンジンをかけたとたん・・・
いわゆる「手あか」の紋章が焼き上がりましてww
吸気音とカム
以前はラッシュアジャスターを生かしておりますたが、リフトの大きいカムを使用するために
インナーシム化したのですが、アイドリングから音が変わりました。
クリアランスが大きい場合の音ではなく、キャブ本来の音というのが強調された感じ・・・旨く表現できませんが。
個人的には、排気音よりカムに乗るような吸気音が勝った「クヮァ」と「クゥォ」が混じった音質が好みです。
以前聞いたことのある1300GT-Aのサイドマフラー仕様、これの発する音域が堪らないくらいにwww
直8のアルファは皆過給機付きの筈で、カムシャフトドライブはギアで行っている為か、
凄まじいギアノイズを撒き散らすようです。
オリジナルブガッティも過給機付きはほぼ同様ですが、こちらはよく“キャラコを引き裂くような音”
と言われるように、アルファよりもやや甲高い音が強調されているようです。
過給機無しのオリジナルブガッティの音は、私も直接は聞いた事は有りません。
以前CG-TVのオープニングに使用されていたのがT35の過給機無しのモデルだった筈。
あと、例のT41“ロワイヤル”の音も録音された物を聞いた事は有りますが、さすがに14リッターの
直8の音ともなると結構野太く感じました。
もっとも録音された排気音ってのはマイクの位置によって結構変わってしまう物のようですが。
EB112Sの音も聞いた事は無いですが
>>60も言われているように、
本来ターボ付きエンジンはタービンがサイレンサーの役を果たす為なのか、
排気音そのものは静かになるようで、初期のターボ付きレースカーだった73年のポルシェ911RSR等
出場したレース記事には必ずと言ってよい程“音も無く”といった記述が写真に添えられています。
排気音と言えば。
フランス車は皆、小型は小型なりに、大きいのも(といっても3リッターどまり)大きいのなりに
皆乾いた音質で結構喧しい。それこそ安っぽいペラペラな排気管が共鳴し、下手するとその振動が
フロアパンにまで伝わって車全体が共鳴箱と化しているようなのも有り。
これ“あの国の歩行者達は皆おしゃべりに夢中になって上の空で歩いているので、近づいている事を
車の側から知らせてやる為に静か過ぎては危険だから”という説が有ります。
・・本当かよ(w
>>71 >>静か過ぎては危険だから
テレビ番組で現行プリウスが近づいてきても、目の不自由な方が気が付かないことが
多いと報道されていました。
そんなことは大げさでは?と思っていましたが、先日、交差点で本当に気が付きませんでしたw
そう言えば近所に有る運送業者さんの倉庫で使われている、電動式のフォークリフト。
前進、後退時にはそれぞれ遊園地の遊具のような、のどかなチャイムが鳴るようですね。
あまり静かな車だと、微低速時にはそういう音がするように義務付けられるかも。
ところで、先日メインさんが書かれていたてんぷら油リサイクル車ですが。
本来、自分の車に何入れて走ろうと、有害ガス等を撒き散らすのでなければ自分の勝手と思うのですが
それやると脱税に問われるのでしょうか?その辺はあまり良く判っていないのですけど、その車の場合
公的事業に使用されているということは、その車を使う業者さんへの報酬は市民の税金から
払われているという事でしょうから、その事業を行う為の燃料代にまた税金が掛かるという事は
税金の二度払いを市民に強いると言う事で、この場合にはリサイクル燃料で経費削減するのは
市民の払う税金の節約ということで良いのでは?(ああ、ややこしい・・)
ディーゼルエンジンってのは皆さんご存知のように、ドイツ人ルドルフ・ディーゼルさんの発明した
圧縮着火行程を持つ(ディーゼルサイクル)エンジンの事を言う訳ですから、使用する燃料に関わらず
この仕組みで動くエンジンなら全てディーゼルエンジンと呼ぶ訳でしょう。
ですから本来は軽油に限らず、灯油でも重油でもディーゼルサイクルで動くエンジンに使用されれば
なんでもディーゼル燃料と呼ぶべきなのでしょう。
と、言う事は。先日ホンダがガソリンを使用した圧縮着火行程制御の実験に成功したそうですが、
これも実用化出来ればガソリンを使用したディーゼルエンジンという事になり、ガソリンもまた
ディーゼル燃料の仲間入りという事になるのでしょうか?(ああ、ややこしい w)
成る程ねぇ・・。まぁ恐らく実際には経費の削減にはなっていないのでしょうが、エコロジーの観点から
使用しているってところなのでしょうか。
ガソリンであれ、ディーゼルであれ。自動車用エンジンは燃料に要求する物がシビアなので
そう簡単に代替燃料を入れて使うという訳にはいかないようです。
アメリカのレースでは使用されたメタノールにしても、火災時に炎が見え難いけれど水で消火出来る
等のメリットが有るそうですが、既成のエンジンにそのまま使用する事は出来ないようです。
理由は耐油性しか考えていない既成エンジンの配管類が耐えられないとか、気化熱が大きいので
気化器がやられるとかって聞いた事が有りますが、それでも数割程度まではエタノールとか
メタノールを混ぜても無改造のままでも大丈夫って聞いた記憶も有ります。
全く自信の無いうろ覚えですけど、自分で澱粉からエタノール発酵させ、蒸留して試す気は有りません。
燃料として使用し、脱税に問われる前に(飲むつもりは無くとも)酒税法の方で捕まるでしょうから(w
まぁ、それはともかく。
エタノール等のアルコール類は燃料としては耐ノッキング性が非常に高いそうで。
その為にアルコール混合燃料というのは結構昔からレースでは使用されていたそうです。
その使用を前提に設計・製作された1920年代のGPカー等を現代の耐ノッキング性の高いガソリンで
走らせる事には問題は無いようですが、その車の作られた当時の性能のガソリンのみでは
ノッキングが酷くてまともに走れないのが殆どなのだとか。
第二次大戦前、欧州で売られていた平均的なガソリンのオクタン価はせいぜい75程度だったそうです。
アメリカではもうちょっとはマシだったそうで、その辺の事は前スレでもちょっと触れましたが、
その為に1930年頃のメルセデスの純ワークスレースカー“SSKL”も、300psという公表値を出すには
アルコール燃料の助けが必要だったとか。それに対してほぼ同時代、同排気量のアメリカ車
デューセンバーグSJがガソリンを燃料に320psを豪語出来たのは先進的なDOHC-4バルブヘッド等の
設計によるところも大きかったでしょうが、燃料の質そのものが違っていた事も考慮すべきなのでしょう。
ところで戦前の過給機付きメルセデス。
車そのものについては前スレでも何度か触れましたけど、残念な事にこれの音は聞いた事が有りません。
実は確か一回、トヨタ博物館の収蔵車パレードで走っている所を見ている筈なのですが、
以前にも書いたようにメルセデスの過給機は全開加速の時にのみ、クラッチが繋がり動くように
設計されているので、パレード程度の速度では働かないのです。
しかもこのの過給機は気化器の上流側に置かれる為に、過給機が回っている時用と
そうではない時用との二つの吸気系を備えているので、平素の走行時とでは吸気音も全く違うと
思われます。
モノの本によれば、過給機が回っている時の音はあまり快音とは言い難い、牛の鳴き声のような
のどかな音だそうですが、当時のドイツ人たちはそれを“ワルキューレの雄叫び”等と呼んだのだとか。
恐らくはブガッティの“キャラコを引き裂くような音”という有名な形容への対抗心から、
無理矢理にそんな風に言ったのだと邪推してみたくなるところ。
最近(?)ではトヨタがレビンや初代MR-2でルーツ型過給機を使用していましたが、
確かに音だけで言うならターボよりもこっちの方が快音なのではないでしょうか。
・・と、書いてから思い出した。
もっと最近、つか現在のメルセデスにもコンプレッサー(機械式過給機)付きエンジンは多数有る筈。
あと他にもジャガーとか現行ミニとかにも有ったような・・。
でもあまり音には注意を払った事も無い為か印象に無いですねぇ。
遮音材詰め込んだ設計の為か、
それとも現代の車にはあまり興味を持てない私のおかしな嗜好のせいなのか?
ミニの過給機付きはすぐにそれと判る音がしますね。
快音かどうかは聞く人次第でしょうが。
保守。・・ついでにちょっと。
1930年代の過給機付きメルセデス380K〜540K。派手なスタイルで(特にスペツァル・ロードスター)
アメリカを中心に人気が有るようですが、以前にも書いたように基本的には全てメルセデス自製の
ボディーが載せられているので一台毎の変化に乏しい事も有り、私は博物館等で見掛けても
特に興味深くは見られません。
この時代のレースシーンでは大径楕円鋼管を主構造材とする極めて進歩的なGPカーを
多く生み出しているメルセデスですが、生産車の方は特にどうという事の無いターンフローのOHVの
エンジンを積んだ車しか作っていません。小型車の170V等に至っては戦後までSVで通しています。
もっともGPカーのエンジンはと言うと、二段過給機を備えた大変お金の掛かっていそうな代物。
ロードカーにそのまま積む訳には到底いかないのも無理の無いところ。
ですから、この時期には生産車ベースである事を要求する、ルマン等のスポーツカーレースには
メルセデスは出場出来る車を持てませんでした。
それに対し、例えばアルファ・ロメオはGPカーそのままを二座にしたようなスーパースポーツ
8C2900をルマンに持ち込んでいます。
しかし殆どGPカーそのままの内容の市販車が出来たというのは確かに凄い事ですが、
それだけGPカーが市販車に近い内容であったと見る事も出来るでしょう。
この時代のGPレースでは“財政的に苦しかったアルファは新型GPカーの投入に遅れを取り、
時にヌヴォラーリの超人的活躍で一矢を報いる事は有っても全体的にはメルセデス等のドイツ勢相手に
苦戦が続いた”
と書物には書かれる事が多く、また私もそのように思い込んで以前このスレでそのまま書きましたが、
確かにアルファの側に立って思えば、スポーツカーレースの事も同時に視野に入れて開発したが為に
一見そのように見えてしまっただけとも言えるのかも知れません。
スーパーチャージャーというと日本人にとってはトヨタの4A-GZELU、1G-GZEUのよる
ルーツ式が一般的なイメージだと思います。
その他、バンケル式というのもありますが、もっとマイナーなものもありますw
マツダが実用化したPWS(プレッシャー・ウェーブ・スーパーチャージャー)。
高回転への対応がネックとなり、80年代にはフェラーリもF-1に検討したらしいとも聞いたことが・・。
実際には、実用5,000rpm以下で使えるディーゼルで日の目を見たものでした。
しかし、マツダはこのSCを継続せず、1代で終了。
現存する車を見ると解るのですが、耐久性の難があり、異音を発してしまう個体が多かったようです。
このSCは元々スイスのブラウン・ボヘッリ社のものを実用化したもので・・
例のロータリーの経緯に似てますがw
このほか変わったSCというとこれまたマツダから・・。
90年代初頭に登場したユーノス800に採用されたミラーサイクルエンジン。
こいつにはリショルム・コンプレッサーが採用されておりました。
これら2種のSCは、ルーツ式とは異なった低騒音型であったと印象があります。
ま、我々せだいにとってはマッドマックスに登場するインターセプターのSCこそが
SCのイメージなんですがww
とSCネタついでに
先日、友人がメルセデスの後に付いたとき「KOMPRESSOR」の文字を見つけ、
自慢げに「あのベンシ、おかしくねーか?」と。
要は「K」じゃなくて「C」じゃろうとw
このあと「SLK」と「SLC」の話とごちゃ混ぜになり、理解するまで大変だったようですがwww
私にとってはブガッティT57SCとか直8アルファこそが機械式過給機のイメージの代表なのですが(w
実はトヨタのルーツ式過給機付きレビン、私には意外と馴染み深かったりして。
実家(すぐ近所ですけど)の父が何故か一時期これに乗っていて
「何で又、レビンなの?」と訊いたら、皆で出掛ける時には私や兄の車が有るし、自分の運転では
せいぜい母と二人しか乗らぬ事が殆どなので小さいので良いだろうと思ってそれにしたのだと、
良くワカラン説明されました。
・・しかし、その頃兄(嫁と二人の子持ち)が乗っていたのはニッサンの180SXだったのですが・・。
そんな車が二台並んで置かれている家を、近所の人たちはどんな目で見ていたのやら(w
身内の者である私の目にすら異様に思っていましたし・・(ww
ルーツ式過給機ってコンプレッサーとは呼ばれていても、実は構造図等を捜せば判るように
団扇で風送っているみたいな代物で圧縮機能は無いに等しいような代物のようです。
そこである程度以上の過給圧を得ようとするならば二段過給なんて手に頼るしかないようですが
騒音などの点から市販車ではそこまでは出来ないようですし、やる意味も無いらしいです。
よく機械式過給機付きエンジンの感触を「大排気量化したようだ」なんて言われているのを見掛けますが、
だったら最初から大排気量を与えた方が良いのではないか?と考えるのが普通でしょう。
只、戦前型スポーツでは、吸入抵抗の低減等にまだ経験が浅かった為か、それが無いと言って良い
過給機付きエンジンでしか得られないレスポンスの鋭さといった物が存在したようです。
つまり、戦前の市販車に付けられた機械式過給機にとっては、単なる大排気量化では得られない
スポーティーな感触を演出する事も重要な役目だったと考えても良いのでしょう。
>>81 ご実家の状況、御察し申し上げますw
なにしろ私も家前にロードスターとビートを並べていましたからww
20年近く前、日産にも変なSC仕様がありました。
記憶に新しいかとは思いますが、初代マーチR。
ルーツ式SCとターボを装着した国産初ツインチャージャー。
目的は、ラリーカテゴリーの為だけに、通常の排気量より小さく設定。
実は当時、友人が乗っておりました。(クロスミッションのR)
確かに低速からフラットトルクなのですが、クロスミッション故、エンジンのおかげか?
ミッションのおかげか?解りませんでしたw
戦前の過給器付エンジンといえば、やはり飛行機からのフィードバックに他なりませんね。
SCとターボで車に採用した場合の大きな違いは、やはり加減速が有るが故のネックでしょう。
SCであれば、アクセルオフから再加速でも構造上、加給圧の制御が自然でしょう。
ターボの場合、どうしても排気圧の利用から、アクセルオフの時の残留圧力や加給圧の上限などの
制御が難しかったのでしょうし。
現在の車でこれほどターボを制御しきれるようになったのは、やはりブローオフバルブと
アクチュエーター(又はウェイストゲート)の発案によるものでしょう。
そうするとやはりポルシェってのは、流石と言うしかありません。
トヨタ7ですら、当時は纏まらない状況だったのですから・・・。
追記
私もターボエンジンを所有していた時期があります。
CA18DETのS13シルビア(1.8)、EJ20シーケンシャルターボのBG5レガシィ(2.0)、
1J-ZTのシングルターボ110マークU(2.5)・・すべて5MTでした。
この中で印象深いのは、BG5の段付加速w
最後まで違和感に慣れませんでしたww
訂正
あくまで自動車用エンジンとしての小型化されたブローオフバルブとウェイストゲートバルブってことです。
飛行機にも当然ありましたので・・。
どうも日本語が下手で_| ̄|○
今考えてみれば、耐ノッキング性能に優れ気化熱が大きい分冷却が楽なメタノールを燃料とし、
エンジンレスポンスの要求が厳しくないインディーで最初にターボチャージャーが実用化されたのは
必然だったように思えますねぇ。
トヨタ7がターボに取り組んでいた頃には市販キットとかマイナーなツーリングカーレースでは
そろそろターボが採用された例も有ったようですが、それでもやはり熱ではかなり苦労したようで、
以前CG誌の連載シリーズ“スポーツカープロファイル”でトヨタ7が取り上げられていた時にも
“テスト後にエンジンを開けてみると常にピストンがつらい状態だった”等と書かれてありました。
当時テストドライバーを務め、後に日本人として初めてF-1に挑戦した細谷四方洋氏はこの車を
“素晴らしい車であった”と絶賛していますが、確かにレースに参加するレベルにまでは
未だ纏めきれてはいなかったようです。
それにしても、ポルシェは当時のGr.5に1971年までほぼ掛かり切りであり、対してトヨタはGr.7の
CAN-AMカーに専念出来たという事情は有りますが、1970年の時点で既に一応車の形に出来て
観客の前でパレード走行をして見せ、エンジン出力も72年のターボ917に遜色ないレベルに
達していたというトヨタ7。その頃には未だ秘密だったニッサンのR383と共に、71年シーズンから
CAN-AMに参戦していたならば、仮に初年度は結果を残せなかったとしても翌72年シーズンには
一年間の先行熟成を武器にターボポルシェ917/10を迎え撃って面白い結果が残せたのでは?と
考えてみたくなるところ。
かく言う私はターボとは縁は無いようです。昔、短期間興味半分に初期のターボ付き軽自動車を
所有した事が有る程度。何故かローギアがノンシンクロで“ターボ付ける前にやる事が有るだろ!”
と思いつつ、燃費が酷く悪いので、ターボに気付かれないようにソーっとアクセル踏んでいました(w
話はトヨタ7に脱線しますが、この車最初3リッターで後期は5リッターと当時のGr・7規定の車としては
中途半端な排気量のエンジンだった事をずっと不思議に思っていたのですが、
欧州でのGr・5(5リッタースポーツカーレース)やGr・6(3リッタープロトタイプ)に参加したいという
色気も同時に持っていた為の大きさだったようです。
最近のSCG誌に、当時の屋根付き5リッターバージョンの計画や開発状態が取り上げられて
いましたが、Gr・5にも使用出来るようにこの排気量とした上でコンパクトにまとめたエンジンは
69年の日本GPでライバルのニッサンR382が6リッターと判ったところで「ならばこちらも」と言う風に
排気量アップする事が出来なかったのだとか。
もっとも同じ排気量で戦って敗れては面目丸潰れというもので、
「規則上は許される事であっても、ニッサンのやり方はスポーツマンシップから見て如何なるものか?」
と思わせられるだけマシだったかも?(意地の悪い見方?)
Gr・7のオープン二座スポーツカーで行われていたレースとしてはCAN-AMが最も有名ですが
これは2ヒート制で行われる事も有ったように飽くまでもスプリントレースだったようですが、
同時期に日本で行われていた日本GPレースは69年を例にとると720kmの長丁場でドライバー交代も可
と言った具合にかなり耐久レース色が強かったようです。つまり世界中何処でも行われていない
Gr・7の耐久レース。専用に作られた日本メーカー製の車でなければ勝ち目は無し。
そんな事やってて良かったのか?その答えは結局ルマンに一度も勝てなかったその後の両メーカーの
国際レース戦歴に出ているのではないでしょうか?
特にトヨタ。レースではここ一番で勝負弱いというイメージがすっかり定着してしまったようで
未だにF-1でも苦戦の連続から抜け出せていないようです。
86 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/07/04(火) 23:42:58 ID:gPGoCv7g0
とつぜんですみません。
古い(1950's)イタリア製のツインカムのメンテ、ボディの修復でお勧めのショップは
どこかご存じないでしょうか?
↑ 私は門外漢ですが、現在お住まいの場所をおおよそでもお書きにならないと難しいのでは?
昨日の話の続き。
日本GPがそのような特殊な形体になったのは当時のJAFの方針そのものの迷走の為だったようです。
年に一度開かれていた“日本GP”を二度に分割、春はフォーミュラカーによるJAF-GPとし、
将来的にはF-1GPのシリーズ戦の一つへと昇格させ、秋にはスポーツカー耐久レースを行い
こちらも将来的にはWSCのシリーズ戦の一つに昇格させる事を目標にしたようです。
此処までは良いのでしょうけど、WSC(WSPC)世界スポーツカー耐久レースシリーズを意識しながらも
車の方は当時人気上昇中だったCAN-AMに使用されていたGr・7カテゴリーの出走を認めるという
中途半端さが、特殊な(歪んだ)レースを生み出してしまった原因でしょう。
その為に折角最新(1969年当時)の耐久レーサーだったポルシェ917がワークスに近い陣容で来日
して来たにも関わらず日産やトヨタとの力量関係は不明のままに終わってしまったと思うのです。
やはり待ち受けているだけでは、本当に戦うべき相手と五分の条件での戦いは望めないのでしょう。
なんだか私が第一回から見続けている競馬のジャパンカップの歴史を思い出させる話。
それにしても、1963年にまだまだ素人臭さの多かった第一回日本GPが開かれてから未だ数年。
曲がりなりにもF-1やWSCといった世界の頂点となるレースを招聘する事を目標にして
レース体系を整えようとしたJAFの姿勢も、そしてトヨタ7やR382といった純レースカーを開発した
国産メーカーの勢いも、今の目で見れば物凄い早さでの進歩に思えます。
これこそが高度成長時代の勢いというものだったのでしょうか。
まぁ、先行者の背後に取り付くことは出来てもそこから横一線に並びかけるのは更に大変なのは
何処の世界でも一緒なのでしょうけど。
雨続きですね。
皆様の所は如何でしょうか?
(まぁ、雨以外にも7発も打ち込んでくる野蛮国家がありますがwww)
こう雨が続くと思い出す1冊の本、五木寛之著の「雨の日には車をみがいて」。
このなかでイスパノスイーザを例えに用いる一文がありました。
(多分、あった・・・シムカのことか?)
実は私、この「イスパノスイーザ」をこの本より以前に知っていたので、五木氏は
「イスパノスイザ」と書いて居られましたが、あえて伸ばしてますw
余り知られていないマイナーな車マンガ・・・村上もとか著の「ドロファイター」
このマンガ(80年代前半)には、当時のアメリカのドラッグレース(トップフューエル、ファニーカー)や
ミゼットレース(オーバルダートコースのレース)、そしてストックカーレース。
リチャ−ド・ペティを知ったのも、このマンガだったような気がしますw
・・・ちなみに私は雨に日には、車を磨きませんw
車を磨くのは、休日、曇り、早朝・・・これが必要十分条件ですw
>>88 手許にその本有りましたので捜してみたら
「彼女のうれしそうな顔を見ることができるのなら、ぼくは百万フランのイスパノ・スイザだって
手に入れただろう」という一文がありました。
以前このスレで“車が出て来る小説、小説に出て来る車”の話題が出た事が有りましたが、
意外な事に“如何にも”なこの本はその時話題に上らなかった筈。
アルファ・ロメオの回ではアルファ・オーナーの男性がちゃんと変態さんに描かれていたり(w)と、
結構鋭いところに目が向けられているのですけど(ww
私もイスパノは“イスパノ・スイザ”派ですね。伸ばしては呼びません。
それはともかくこのメイク、第二次大戦後はフランス側とスペイン側とに別れてしまったようで、
フランス側の方は車とは無縁になり兵器メーカーとして現在も存続しているという話ですが、
スペイン側の方は一時期元アルファ・ロメオの設計士だったリカルトを招聘して“自動車の宝石”
と言われたぺガソを作ったりもした後はトラック専業になって今でも存続しているのでしょうか?
なんつったっけなぁ・・やたらに長い名前のメーカーになってしまったので覚えていないのですけど、
ナントカカントカ・カミオーネ(トラックの意味らしい)SAとかって言うような名前だった筈。
このぺガソという車、元々がトラック中心の会社が工場の見習い工員に教育を施す事を
第一義に作られたという風変わりな成り立ちで計画された為か、あまりレース等には出場する事は
無かったようで、そのせいか現代では影の薄い存在になっているように思います。
主に1950年代前半という、未だ日本がモータリゼーションに目覚める前に作られたという
時期的な理由も大きいのでしょう。数百台程度は作られた筈ですが、私はその実物を見た事が
有りません。
お変態さまが参りました。w
つか、この頃は大阪から某お母ちゃんwがエロ小屋大掃除の叱咤激励に来て
掃除をせんと「何でお母ちゃんの言ふこと聞けへんの! お尻出し!」と尻叩かれるので
暇さへあれば掃除とゴミ出しばかりで暇がありません。w
「お尻出し!」と言はれれば前もシダルマはお約束。w
さて、五木氏の作品中のお変態さま御用達の一件は「アルファ・ロメオの月」ですな。
アテクシ未読ですが、調べるとだうやらモーホの方のやう。
モーホのアルファ乗りと言へばイターリャの誇る大変態映画監督、故パゾリーニ氏であるます。
それはさて置き、アルファ・ロメオの月経仮面の一節にかうあるさうです、
>ソレックスのシングル・キャブの付いたツインカム・エンジンは、
>こちらの爪先の動きにまったく忠実に反応した。
>ウォーム・アンド・ローラー式の軽いスティアリングが、
>コーナーの狙った場所へぴたりとノーズを運んでゆく
嘘ですw、ウォーム・セクター式ステアリングはズリア一派、つまりはうちのヌパイダまでさうですが
うちのセリエ4こそパワーアシストがあるので軽ひですがセリエ3までは重ひ重ひ切れなひ切れなひ。
一方、「たそがれ色のシムカ」なる一文もあるさうですが、洒落になりませんシムカ、
本当に黄昏てしまひましたでは無ひですか。w 黄昏させたのはクライスラーであり
股引導を渡したのはツトローエソでもあるます、熟れの果てのタルボも今は亡き。
エロ小屋大掃除、3dトラック1杯分のゴミが出ましたがw
出ること出ること、大量の女性ファッション雑誌、婦人服w、そして75のステアリングやら
カムカヴァーやらヌパイダのトノゥカヴァーやらテールランプやら、磨り減ったブレーキパッド、
外したアース線やら。w 汁出し用に使った今はまうハァハァしなひ婦人服、捨てるに当たって
お母ちゃん「汁付ひてるよー、ばっちひからアンタ捨てて」w
それはともかく汁出しにも使った昔のCLASSYの連載に五木氏の”レッスン”つう作品があります。
ボルボに乗る駆け出しの自動車ヒョンカの主人公が年上のおねータマにゐろゐろ仕込まれる、つう
ちとハァハァなお話。w その女性は単身欧州を旅行したりするのですが
彼女に似合ふのはなんだらうか、と主人公が想像するシーンがありまして
アテクシの記憶に残ってゐるのは「アルファ・ロメオの可愛らしひヌパイダ」といふ一節。
これ股大嘘です、見てくれはともかく一度でも乗ったことがあるなら
クチが裂けても「かわE」なとどは言へません、野蛮この上無ひ。w
なを、モーホとアルファと言へばアテクシ数年前ヌパイダの小さなトランク一杯に
フェチ婦人服満載してA坂のニューハーフヘルスに出撃し、E美タンつうおカマ着せ替へ人形プレイ、
写真撮り捲りのPクリ咥へのAナルほぢりの蛮行に耽りましたが、美形おカマはEのです。
あれは女のヴァリエーションと理解しております。しかしモロ野郎は断固ヤであるます。w
さぶも廃刊になる中、魔羅族ぃあ薔薇族は伊藤文学変臭腸のもと頑張ってゐるやうですが。
http://www.barazoku.co.jp/ 過給機ネタ書かふと思ったのですが馬鹿話で時間が無くなりました、
気が向ひて暇があったら股カキませう。つか今回もクルマネタでは無くチツ礼。
それと、小屋大掃除で出てきたクルマ雑誌、女性誌のクルマ記事等にも
中々興味深ひ物件多数なので、いづれヌキャソして貼るのも一興かと存ぢますが
まだまだ旗日・生理中なので生理整頓、分類してからと言ふことで
これも股の機械に。
部屋の掃除は大変ですねぇ・・。私の場合、古雑誌一冊捨てるにも資料価値の有りそうなところを
抜き取りリングファイルに綴じてから。・・なんて手間の掛かる事をしているので更に大変。
重い、切れないというアルファのステアリングですが私が過去に乗った事がある車の中では
シトローエン、トラクションアヴァンがそうした車の王者に違いないでしょう。
幾ら歴代のアルファがそのサイズの割りに小回りが利かないと言っても“サイズの割りに”であり
3mを超えるホイールベースに幾らも切れないステアリングを備えたトラクションアヴァンの
ジェット旅客機並みの回転半径には到底敵わない筈。
と、まぁ。これは前輪駆動車のパイオニアであるが故の欠点であって、DS以後のモデルでは
フロントに比べてリアトレッドを狭くしたり、オーバーハングを削ったりしてカタログ上の数値以上に
小回りが利くように思わせていますが。
他では印象に残っているのは先代までのレガシィでしょうか。
なんだかあまりステアリングが切れないで小回りが利かなかったような印象が有って
やはり水平対向エンジンと太いタイヤ、5ナンバーサイズのボディーでは仕方ないのかと
ついカタログ上の最小回転半径など見てみたら、これが意外にそんな事は無かった。
感覚的な小回りの良さってのは、最小回転半径の数値云々等よりもオーバーハング部分の長さや
ボディー形状から来る見切りの良さ等の方に大きく左右されるようです。
一般には良く切れるステアリングでこの点では評価の高いメルセデスも、車種によっては案外と
四隅が把握し辛くって狭い道での苦労が大きかったりするようです。
フロントバンパーの隅にスリーポインテッドスターのコーナーポール立てた車が多いのは、
決して(センスの無い)洒落っ気でやっているだけではないのでしょう。
小回りの善し悪しの感覚には、ステアリングの重さも重要だと思います。
フルロック状態での最小回転半径はけっして大きくないのに、いざUターンをしようとすると
フルロックに行き着けない、いきおい実効回転半径も大きくなって片側2車線ではUターンを
躊躇してしまう。
実は私のリトモアバルトがまさにコレでして、かつて某雑誌で「パーキング・アンダーステア」
と書かれた時には膝を打って大笑いしたものです。
ちなみにリトモの等速ジョイントは歴としたボール式CV ジョイントで、決してハンドルの切れ
ない車ではありません。
>>92 お疲れ様です。
私は独身時代、アパートの中にタイヤ32本、6気筒エンジン1基、4気筒エンジン2基、
ミッション2基、その他パーツ、ケミカル品、工具類で3部屋中2部屋を占拠。
部屋を訪れる者には、白い靴下と白いパンツを禁止しておりましたw
>>93 私はそれを「ヘタクソ棒」と呼んでました。
うちの先代サファリ(現場用)にも付けてます。
(電動ウインチ装着のため、フロントオーバーハングが解りにくい)
2年前までジープJ44を現場用に活用していたが、これのステアリングの
重さは半端じゃありませんでしたw
細く、大径のステアリング、ノンパワステにドミグラタイヤ・・・ステアリングのキックバックで
突き指したことが数回_| ̄|○
このほかコラムMTのギア抜けでも指骨折したこともありますがw
この車はフリーホイールハブなど有りませんので、何事にも力業が必要でした。
機械式ウインチには助けられましたww
(曲がりきれないとき、ウインチで引きずる荒技w)
>>94 リトモであれば、運転したこと有ります。
当時、ボールナットステアのTE71に乗っていたので、それほど違和感はなかったのですがw
KP61ですらラックピニだったのに・・・。
本日は水道に電気にエアコンにと次々工事が入り、
その間に75の水温・サーモスイッチ疑惑の相談に工場行き
明日は明日で午前中から電気工事が入り、その合間にゴミ出しet掃除。w
休みが休みでありません。w
で、そのゴミの山から発掘された逸品。w 閑中自づから忙有り、
ぃあ忙中自ずから閑有り、寸暇を惜しんでヌキャソ。
http://up.isp.2ch.net/up/a6974fdce2ac.lzh 凍結する際逝ってる師から頂きもの物件まで混入してしまひましたが・・・。
↑ 休日にゴミ出しはいけませんよ(w
まぁ、収集場所には月曜に持って行くのでしょうけど。
以前、エロスパ氏と多摩川沿い三業地域なんてローカルな話になった時。75を見つけた車屋が
中原街道沿いに有ったなんて事を聞いたように覚えていますが、あの後で「此処かな?」と思った
車屋見つけました。
そこがそうなのか否かは別にどうでも良い事ですけど、そのイタリア車専業かと思われる車屋の
有る辺り、昔はそれこそ大地主さん、豪農のお屋敷が多かった所と見えて、地名も「小杉御殿町」
ですから、ナンテコトもないような小さなアパートでも、ついている名前は“ナントカ小杉御殿”(w
地名ですから仕方無いですけどね。(それにしてもマンションやらアパートの名前って凄いねぇ、
“シャトーナカハラ”なんて直訳すれば“中原城”でしょ? w)
ああいった昔からの住宅地ってのは矢鱈に細い路地ばかり多くって車では通りたくないところ。
最近多い幅1.8mを超えるような“コンパクトカー”では小回りが利かなくて仕方無い。
こうした場所では駐車場まで狭苦しいのが多く、出し入れするのも一苦労。
軽自動車ばかりが売れるってのも無理は無い話なのかも。
以前タイヤのCMでジャン・アレジにフェラーリで京都の街並みの中を走らせ
「京都の道はエキサイティングだった」なんて言わせたのが有ったように記憶していますが、
彼は一体、どういう意味で興奮したのでしょ?(w
エロ小屋は大掃除前はテレビに出ても恥づかしく無ひゴミ”屋敷”でありました、
吐き出したゴミは下品王の巣食ふ下品”城”のベランダに山積み、ヌモーキーマウソテソ状態。w
ゴミ山崩してゴミの日に処分するだけで1ヶ月掛かりました。w
何度もお母ちゃんのぷぢょ206とヌパや75並べたことありますが、
ヌパはともかく75が横から見るとそれなりにCセグDセグなのですが
前から見ると明らかに、絶対的に75のはうが小さひ。w だう言ふ訳でせうか?w
京都も先日生まれて初めて行きましたが、案内するお母ちゃん曰く
「市内はバスとタクシー優先でバス・タクの横暴が目に余るうえ一通だらけ、Pは無し
有名所面白処はクルマはおろか原チャでも難しひ」とのことで
かろうぢて平安神宮”だけ”見てきました。w
小杉だのナンだので軽とは甘ひ、世田谷のあぜ道こそ東京屈指の、
ぃあ、日本屈指の難所でせう。以前プロジェクト・セクーヌのカーナビ開発で
”世田谷を制する者がカーナビを制す”と言はれたとか。
あの辺のババァどもは30km/h以下なら日本で最も運転技量の高ひ連中でせう、
経堂だの豪徳寺だの赤堤のあぜ道農道をデカひベンシやクラウソで
(あの辺のババァはやたらベンシ・クラウソが好きw)激しくウロウロしてゐるのですから。
ぃあ本当にアテクシがアルファで音を上げるやうなところを如何に取り回しがEとは言へ
ベンシE〜Sクラスで出入りするのですから。当然ヘタクソ棒付きはデフォルトですが。w
保守・・。
ついでにちょっと。
世田谷は確かに巨大迷路ですが(w 小杉、新丸子辺りも一本裏に入れば大差無いです。
それというのも、元々があの辺は等々力、丸子といった多摩川の向こう側にも共通して存在する地名が
多い事からも判るように、昔は多摩川がもっと西の方を流れていて世田谷や大田区と密接な
関係に有ったという説が有ります。(ホントかよ? w)
あまり車の話放置でローカルな話題に行くのもナンですが。
大きくなればそれだけぶつけ易いというような単純な話ではありませんが、それにしても最近の車
確かに幅広い。サイドエアバックの展開の為にスペースが必要なのだとかいろいろと言われますけど
どうも納得し辛いと言うのが本当のところ。
その点クラウンはさすがに日本的高級車(良くも悪くも)。実はああ見えて意外に幅は狭いようです。
全長に対しての幅の比率で見ると、かなり細長い車になっていますが、この方面での王者は
以前ちょっと話題になったアストン・マーチン・ラゴンダでしょうか。
新世代アルファもかなり幅広になっていますが、それを敬遠してしまう顧客も少なくないのでは
ないでしょうか?あんまり幅広くては狭い山道ではライン取りも何もなくなって、センターラインを
守るだけで精一杯なんて事にもなりかねない。
それにねぇ・・。新世代アルファのスタイルリーダーであるブレラ、確かに良いデザインとは思うの
ですけれど、アルファのバッジが無くても良いならかつてのいすずピアッツァでも良いような・・。
昨日だか一昨日だか帰宅途中近所で対向車で妙なアルファが来たと思ったらブレッラでした。w
写真写りが常に悪ひアルファなので、写真見る限りだうかなぁ、ぃあ実車はいつも違ふからなぁ、
さう思っておりましたが実車の印象も同じでした。w づんぐりむっくり。
しかし159系どれも1800mmを超へ1900mmに迫る全幅は勘弁してヒスィものであります。
恩恵として舵角が大きく取れるやうになってアルファの歴史始まって以来初めてw
小回りが効くやうになったとも聞きますが、全幅1800mmのクルマに
こまわり君シノゴノ言はれたくありません。w
ブレラ、歩行者の視点で見た方が格好が良いなんて話も聴きますが、
未だ自分では実物見ていないので実際にはどんなものやら。
それにしても4.4mの全長に1.83mの幅。2.2リッターFFモデルで1.5t超の車重。
まぁ、フォード・フォーカスよりも65mm長く10mm幅狭いと思えば充分コンパクト(?)
それにしてもこの車重は如何なるものか。
1960年前後、ジュリア系が人気だった頃のアルファにも、戦後最初のモデルだった1900をベースに
サイズアップした2000、そしてそのエンジンのボア・ストロークを縮小した上で6気筒化した2600が
有りましたけれど、今やすっかり忘れられた存在のようで、これらが話題になっているのを
見た事が有りません。
その頃とは時代が違うとは言え、人々がアルファに望むのは果たしてメルセデスに対抗し得るような
安楽な移動の為の道具なのか?159系の売れ行きがある程度その答えになるのでしょうけど、
外野の一人としては、あんまりこの路線で進んで欲しくはないかも・・。
そうは言っても、大きくて利益率の高い車を作りたくなるのは人情というものなのでしょうか?
つか、大きい物が作りたくなるという事、それ自体がごく単純な欲望みたいなものなのか・・。
古くは「イスパノ12気筒車は驚きに値する失敗であった」なんて言ったW・O・ベントレーさんも
作った車を「ムシュー・ベントレーの高速トラック」とエットーレ・ブガッティに鼻で笑われましたし、
そう笑ったエットーレさんは史上最大の偉大なる失敗T41“ロワイヤル”を作ってしまったように。
(こんな変な比喩を持ち出すから大正生まれみたいに思われるんだろうな w)
102 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/07/13(木) 00:22:34 ID:xaVR6NN50
>>86 遅レスですみません。
神奈川県西部に住んでいます。
>>102 このスレ、イタリア車好きな方もいるようですが、基本的には過疎スレ(w ですので、
良い情報が得られるかは、どんなものでしょうか?
先日、ブレラの全体形は以前ジウジアーロ自らが作り上げたアッソ・デ・フィオーリや、その生産型
いすゞピアッツァから大きく踏み出てはいないと思い
>>100の最後のような事を書きましたが。
あの後ネットで検索してみても、今や初代ピアッツァは入手困難のようです。
現役当時には“外見以外に見るべきところは少ない”といったような評価を多く聞いたような気がする
ピアッツァでしたが、私は残念ながらその実物に乗った事は無く。またベースになったジェミニにも
(乗ったかもしれませんが)記憶に残る物は有りません。
今ネットでいろいろと調べてみても、足回りはかなり不評だったようで、それがあの頃いすゞ車に多かった
ハンドリング・バイ・ロータス仕様を生むきっかけになったようです。
もっともこのハンドリング・バイ・ロータスという仕様、ピアッツァやジェミニで止めておけば良かったのに
クロカン四駆のビッグホーンにまで用意したのはやはりやり過ぎだったようで、
“そんなハンドリング・バイ・ロータスがあるか?”と、言われてしまう事になり、その有り難味を
自ら引き下げてしまったようです。乗用車メーカーとしては最後のあがきを続けていた頃のいすゞとしては
致し方無いところだったのかも知れませんが。
もっとも、ロータスの創始者であり、今もイメージリーダーであり続ける故コリン・チャプマンが
最初に作ったオースティンセヴンベースのスペシャル“MKV”はサーキットユースのみの車ではなく
殆ど英国でしか行われない四輪のトライアル競技用も視野に入れた車だった事を思えば
オフロード車にハンドリング・バイ・ロータスバージョンが有っても不思議は無かった・・・・かも・・・・。
>>102 平塚にわりと有名なショップがあったような・・・
あとは第三京浜都築インターそばの、昔バイクのカウルで一世を風靡したオヤジの店か。
どっちも行ったことはないので詳細は知りません。
そう言えば、小田原に住んでいる親類が以前
「こっちではメンテが不安で珍しい車には手を出し難い」ってこぼしてた事が有りましたっけ。
102さんは50年代のイタリア車をお持ちなのでしょうか?どんな車種なのか、下手に書くと本人バレして
しまいそうですのであまり細かな事は訊けませんが、ちょっと興味有るところ。
私の住んでいるところの近くに、最近まで有った某大会社の社員用駐車場で時々アルファロメオの
1900スプリントが停まっているのを見られましたが、確か第三京浜川崎インターすぐ傍に有る車屋さんの
ステッカーが貼られていたようです。
以前にもちょっと触れた事が有りますが、この時期のイタリア車にはアメリカの影響からか、
スポーティーな車種であってもコラムシフトを採用している例が多いようです。
私個人としては、コラムシフトそれ自体は別に嫌いということも無いのですが、右ハンドル車で
左手操作のコラムシフトはちょっと勘弁して欲しいかも。アレならばむしろフランス前輪駆動車に多かった
ダッシュボードからシフトレバーが突き出たプッシュ・プル式の方が好きです。
コラムシフトの場合、それが最も良く出来た部類の物であっても、ごく標準的な出来のフロアシフトより
スローな変速しか望めないように思います。プッシュ・プル式の場合はその動きさえ頭に入れば
意外に変速行為は楽なのですが(手入れが行き届いている事必須ですけど)
アルファの場合、戦後の1900からLhdが標準になったようですが、ランチア等は更に遅く
50年代半ばまでイタリア国内仕様はRhdだったようです。
オリジナルの設計に拘りイタリア国内仕様と同じステアリング位置を選ぶという人もいるのでしょうが、
もしも万が一にも私がこの時代のランチア、特にアウレリアを入手する事が出来たとするならば、
迷う事なく輸出仕様のLhdを選びたいと考えます。
この車、トランスアクスルを採用している事も有り、コラムシフトの感触が唯一と言っても良い弱点で
ある事は様々な人に語られているようですので、更にそれを左手で操作するは気乗りがしませんから。
恐らくランチアは最も遅くまでRhdにこだわり続けた右側通行国メーカーだと思うのですが、
こうした右側通行右ハンドルメーカー。何故そうしたのか?諸説有るようですが、
ショファードリブンで使うには、後席扉へ素早くアクセス出来るように路肩側へ運転席を置く方が良いとか
サーキットの多くは時計回りなのでRhdが有利であり、その名残りを生産車に残したのだとか、
どれもあんまり説得力が無いように思います。
要は右通行Lhdってのは、運転席側のドアが使い難いT型フォードや、それに追従したシボレー、
欧州ではシトローエンといった大衆車から始まった為に、安っぽさが有ってその為にかつての
高級車メーカーには受け入れ難いところが有ったのではないか?と、私は思います。(また珍説w)
まぁ、結局は皆大衆化の流れには逆らえず、また他社の製品からの乗り換えに不都合が有っては
商売上も不利とあってか、Lhd化してしまった訳ですが。
ちょっと不思議に思えるのは、フランスやイタリアではこうした高級車の多くは第二次大戦直前まで
殆どがRhdで通しているのに対し(オッチキス辺りはどっちに入るか微妙・・)メルセデス等のドイツ勢は
かなり早い段階でアメリカ式(フォード式と言うべきか?)のLhd派に宗旨変えしている事。
大衆車から高価格車迄作る総合メーカーと言うのはフランスではルノーが有りましたが、こちらは
30年代半ばまで安い車はLhd高くて大きな車はRhdと作り分けていたようです。
まぁ、こちらの方が変といえば変なのかも知れませんが・・。
やはりドイツはフォードやGM(オペル)の欧州での基点も有った事でもあり、
アメリカ式に影響されるのが他に比べて早かったという事だったのでしょうか?
>>103 いすゞ以前にもトヨタがGA61セリカXXでサスチューンにロータスの恩恵を受けていました。
当然、当時のGMとの資本提携によるものですが、ソレによりセリカXXは見違えるようなハンドリングを
得ました。6気筒FRの苦しいバランスの中、あれほど楽しい車は無かった。
しかし、絶妙なノーマルバランス故、ホイールやタイヤサイズを変更すると見るも無惨に・・。
当然、トヨタからはセリカ用(60系)のドアノブ、テールレンズ等が供給され、当時のエクセル、エスプリに
採用されておりました。
いすゞはロータスブランド前にイルムシャーブランドを立ち上げ、純正でレカロシート採用などプレミアム化を計りましたが、
当時の純正レカロは寒川にある某○木工業によるノックダウン生産品。
口の悪い連中からは、寒川レカロなどと呼ばれましたw
アスカやジェミニ同様、ピアッツァにも当然シリーズ化。
ただ、このブランドもディーラー系中古車点で「カゲムシャー」シリーズを販売され、自社でイメージを落とすというw
そしてやはり提携がらみからハンドリング・バイ・ロータスシリーズも発売開始。
ピアッツァにおいては、リアサスペンションが3リンクから5リンクに大幅な変更を受け、非常に載りやすくなりました。
特にスライド終盤からカウンターを戻し、収束するまでの動きはスムーズになりました。
ピアッツァといえば、ヤナセブランドのピアッツァネロ(後のPAネロ)も在ったということ。
そんなわけでピアッツァには、ヤナセ、イルムシャー、ロータスのプレミアム仕様が3パターンも
あったのです。
ちなみにウチのオヤジは、最終ビッグホーン・イルムシャー5MT(3.1DT)ロングに乗っていました。
単純にリアLSDが純正装備だったので選んだようですがwww
>>107 「カゲムシャー」シリーズって、どんなのだったのでしょ?(w
外国車愛用の私が言うのも変な話かもしれませんが、国産車のカタログに
「ナントカ製・ナントカ採用!」みたいなことが書かれていると、なんだか舶来品コンプレックスの暴露のように
見えて仕方が無い。例えばトヨタのカタログに「レカロシートがオプションです」とか「ゲトラグ製6速MT」
とか書かれているのを見ると
「自社開発の純正シートはレカロよりもダメな代物です」とか「自社ではゲトラグのようなギアボックスは
作れません」とか言っているのと大差無いような気がするのです。
ロータスっつう会社は半分エンジニア会社みたいなものでしょうから、
昔からロータス・フォード・コーティナとか、サンビーム・ロータス。近くはロータス・カールトン/オメガとか
のように他社とのダブルネーム車名が多い会社ではありますが、
いすゞが用意した“ハンドリング・バイ・ロータス”仕様はそれらとはやや趣が異なるように思えます。
ルノーに有った“クリオ・ウィリアムズ”とかフィアットのアバルトバージョンとかは大人しい車に
著名なレーシングチームの名前を借りる事でレーシーなイメージを強調したものですけれど、
いすゞの“ハンドリング・バイ・ロータス”っつうのは最初に失敗した車を他所の会社任せで
ナントカして貰ったみたいな感じに見えて仕方無いところ。
これ、私の意地の悪さがそう思わせるだけではなく、皆そう思っているでしょ??
これがいすゞでなくアルファロメオとかだったら、意地でも“ハンドリング・バイ・他社”なんてバージョンは
作らないでしょう。それ出したらイメ−ジダウンですから。
逆に言えばアレが出せたいすゞのプライドの無さっつうのも凄いモノでしたよね・・。
109 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/07/17(月) 00:05:21 ID:TeIP95SmO
スレ違いかもしれんが、F1の予選ダイジェスト、ドライバーコメントのBGMなんて曲か分かる人いる?
>>108 私も同じように思っておりました。
結果、現在では乗用車メーカーを終了(中断?)してしまいました。
古くはヒルマンのノックダウンし、タクシーで名を馳せたベレル、そしてベレットと
確実に自社ブランドを立ち上げつつあったのですが・・。
マイナーですが、ロータス以前にはジェミニ・ミンクスというグレードもあり、
当然コレは上記からw
コレは日本車独特のなんでしょうかね?
昨今では、スバルがポルシェ・チューンと謳ったものもありますからねぇw
(スバルの工場で日産車を製造したりと・・・)
国内では、商用車のOEM供給が繰り返されており、訳が分からない状態です。
日産キャラバン→いすゞコモ、日産ADバン→マツダファミリアバン
マツダボンゴ→日産バネット、スズキキャリー→マツダスクラム
三菱ミニキャブ→日産?
そういえばホンダといすゞでアスカ、ビッグホーンをOEMバーターしていたのもありましたw
経営事情とは言え、各社プライドなぞ捨て去ったようでw
最近、?と思うのは、ちょっと前のいすゞエンジンのエランと韓国製エランw
そしてトヨタエンジンになったエクシージュ(111か?よく分からないですが)
ゲトラグ製6MTですが、これは三菱GTOにも採用されておりました。
そう、あのネ申のマシンですw
カゲムシャーシリーズについては、後ほどレポート致しますww
資料を確認したところ、正式には武者シリーズw
ジェミニ・ワカムシャー(若武者)、アスカ・カゲムシャー(影武者)
ピアッツァ・ムシャブルイ(武者震い)、ビッグホーン・アラムシャー(荒武者)
ちなみにそのカタログの右上にはなんと「HANDLING BY ISUZU」とありますw
これはノーマル中古車を商品力アップを狙って、ドレスアップしたものです。
まぁ、本家のオペル・チューナーが、この事実を把握していたかどうかは解りませんがw
う〜〜む・・(w
まぁ、一時期メルセデスが経営が苦しかった頃のポルシェに救済目的も含めて500Eの生産依頼したり
といった具合に他所の国でも結構いろいろ有るようではありますが・・。
ロータスがトヨタエンジン積んだというのは別に変わった事やった訳でもないと思います。
つか、完全自社開発のエンジンを積んだロータスのロードカーって有りましたっけ?
ダブルネームっつうのも意図するところやその手法も含めて様々なパターンが有るようですが、
最も多く、聞いても不自然に感じないのはデザインスタジオ(カロッツェリア)と自動車メーカーの
連名パターンではないでしょうか。
中には“アストン・マーチンDB4/GTザガート”とか“ドライエ135MS/フィゴニ・エ・ファラシ”のように
決してそれがその車の生産数全体に占める割合が多くは無いにもかかわらず、1セットになって
記憶に刻まれてしまっているような例も少なくありません。
そう感じるのは私だけなのかも知れませんが、そのお陰で最近CG誌上等でも取り上げられた
フェラーリ575にザガートがボディーを架装した車
http://www.jellywoods.net/gallery/gallery/1849-1/zag00003.jpg これ、グリル隠されたら私はまずアストン・マーチンだと思ってしまうでしょう。
これがエロスパ氏ならまた別な風に思うのでしょうけど、私にはザガートデザインというとアストンの
イメージが強すぎるのです。
もっともザガートのデザインに独自の個性が表れたのは、例のダブルバブル・ルーフも含めて戦後の事。
ヴィンテッジ期のアルファロメオ6C1750等を見ると、クロームのモール類に多少の変化が
有る程度で、トゥリング製もザガート製も大して変わりの無いボディーを纏っているようですが。
年バレスレでちょっと話が出た、レーシングエンジンのお値段の事を少し。
まぁ、ピンキリいろいろ有るでしょうが、戦前のブガッティやアルファロメオにはGPカーのエンジンを
そのまま積んだスポーツカーバージョンが有ったように、昔はレーシングエンジンと言えども
ロードカーと大差無いお値段だった様子。
とは言え、飽くまでも庶民には未だ高嶺の花だったシトローエンやフィアットの数倍〜数十倍する
価格で売られていたブガッティやアルファの“普通”と比較しての話ですし、
燃料も普通のガソリンは使えずベンゾール(エタノール)混合燃料を要求する等の面倒も有り、
更にはブガッティT55“グランスポール”(GPカーT51のエンジンを使ったスポーツカー版)を
例に取れば二万km毎にビッグエンドメタルの交換(エンジンを下ろさないと出来ない)を求める等
維持に掛かる費用は莫大なものになったとの事です。
現代のF-1エンジン等は、例えば今季ウィリアムスがコスワースに支払っていると言われる金額や
供給されるエンジンの数等から考えると、一基数億という価格になる筈。
これはさすがに極端ですけれど、今ではヒストリックF-1くらいにしか使い道が無い筈のDFVでも
ちゃんと回るのを捜すとなれば数百万円単位ではちょっと無理とか。
また、80年代に量産されたグループCカーポルシェ956/962Cのエンジンは
当時のレギュレーションで市販車のシリンダーブロックを流用する事が義務付けられていたそうですが、
それでもエンジン単体価格で911ターボの車両価格を軽く上回ったとか。
この辺が言わば“ピン”の部類でしょうか。
逆にキリの方、それもとびっキリとなるとどの辺なのでしょう。“純レーシングエンジン”という言葉の
定義から考えないと難しいところになりそうですね・・。
ピンのほうでならw
先代ヴィッツ・ワンメイクレース(ナンバー付)は、レギュレーション上では
エンジンはチューニング禁止。
ですが、優勝チームの「殆ど」(全部とは言い切りませんw)は、OHされてもバレない
チューニングをなされたものでした。
(この詳細については大人の事情により自主規制)
見た目には、どこも削ったり、加工した形跡はありません。
ちなみにこの1,000ccエンジンの単体価格、概ね100〜110マソ。
ヴィッツMSBの車両価格1台分くらいでした。
モデルチェンジを機にレギュレーション変更され、現行型では封印がなされました。
これはOHする変りに、劣化したらMSB仕様のコンプリートエンジンと載せ替えろ!というものです。
また、鼬ごっこになるのは間違いないのですがねw
ついでにスズキKeiのワンメイクもあったのですが、これも同じくらいと記憶しています。
(タービン付なので意外と高価だったようです)
なお、このレースは、参加車両をメーカーが全数買取し、シリーズ途中でレースが無くなってしまいました。
とある部品の強度不足からリコールに発展し、ついにはメーカーが力業でww
(レースに使った車両なのに新車価格の85〜98%程度の高額で買い取られ、完全に廃車されたそうです)
この辺りも大人の事情wが相当介在していましたね。
>>112 遅レスでスマソ、どうしても見れない・・・うちのPC環境設定が原因だと思います。
まぁ、OEM自体を悪いとは言いませんが、あまりユーザー側にとっては?なのは、間違いないと思います。
実際、販売側の最前線であるディーラーとしてなら、なお辛いようで。
これは統計的なデータではなく、友人のディーラーでの話ですが、OEM供給車両を購入するユーザーにおいて
1,元メーカーと値段競合を計る
2,自社ブランドには無いパッケージなので、妥協で購入するディーラーマン
3,今までのディーラーとの付き合いから購入してしまう個人、法人顧客
(特に法人は非常に多いらしい・・・これまた大人の事情が絡んでいるようでw)
のパターンが多いそうです。
しかし、トヨタ・キャミとダイハツ・テリオスの販売では、あのダンシング・ベビーのCMの影響か?
トヨタの販売が勝ったようですが・・・パッソも同じ傾向かなw
(古くはダイハツ・コンソルテとトヨタ・スターレット(KP47)から・・・)
今夜もほろ酔い加減になったところで・・
ヒマなワタシが
>>116サンのために天災するデナイノ
ttp://response.jp/issue/2006/0515/article82005_1.htmlより転載 ☟☟☟☟☟☟☟ฺ 以下コピペ ☟☟☟☟☟☟☟ฺ
2006年5月15日 ヨーロッパ商用車覇権レース、伊仏合作バンで過熱か
フィアットとPSAプジョーシトロエンは11日、合弁工場で生産している貨客用商用車
フィアット『ドゥカート』/プジョー『ボクサー』/シトロエン『ジャンパー』の新型を発表した。今年後半に発売される。
両社は1978年、商用車を合弁生産する『セベル』社を設立。現在イタリアのバル・ディ・サングロで上記の3モデルを、
フランスのバレンシアンヌの工場でプジョー/シトロエン/フィアット/ランチアのMPVを生産している。
今回発表された“バン3姉妹”新型のエンジンには、100−157馬力のコモンレール16バルブディーゼル4種が用意される。
手動変速機は、従来からの5段に加え、新開発の6段も追加される。また、ABSと運転席エアバッグが全車標準となった。
オートレベリング・サスペンション、MP3対応オーディオ、ブルートゥース・ハンズフリー通話対応など、オプション装備充実も図られている。
従来型ドゥカート/ボクサー/ジャンパーは、過去7年間で約200万台が売れたヒット車種。
その好調な売れ行きは、2002年に両社が合弁を2017年まで延長することに合意したきっかけにもなった。
また今回同時に、フィアット・アルゼンチン工場で生産する変速機をプジョー/シトロエンに供給することも発表された。伊・仏2大メーカー間の連携は、より強固になりつつある。
いっぽうルノーは9日、GMとの商用車共同開発に関する提携の契約延長を発表した。
こちらは1996年に締結されたもの。現在商用車を英・仏の工場に加え、日産スペイン工場(2002年から)でも生産し、
ルノー、オペル、ボクスホール、日産の各ブランドで販売している。
欧州商用車マーケットにおける企業の垣根を越えた合弁・提携は、乗用車とは別にライバルを睨みながら着々と構築されつつある。
ちなみにそうして誕生した各社のミニバンは、ヨーロッパではホテル送迎や観光ハイヤーとしても多く使われている。
また、大手レンタカー会社もグループ旅行客を見込んで大量導入している。
欧州を旅していると、知らず知らずのうちに何かとお世話になっている車でもあるのだ。
ただし一部地域では、移動交番車の定番でもある。こちらはできれば(特に護送などで)試乗したくないものだ。
《大矢アキオ》
☝☝☝☝☝☝☝☝☝ฺ 以上コピペ ☝☝☝☝☝☝☝☝☝ฺ
>>115 大人の情事・・もとい、事情ですか。
勝負事である以上、規則の中で最大の努力をするのが当然。と、言えば聞こえは良いのですが、
規則の抜け穴捜しになりがちなのがどの世界でも現実。
モータースポーツでは更にその傾向が強いようですが、勝敗以上に潔さが求められるのは
今時は外人さんが上位を占めるようになって危機感強めている大相撲くらいのもの?
またダブルネームの話の続き
レーシングエンジンの話なんてしていたら思いだしたのですけど、レーシングカーでは
シャシー・コンストラクターとエンジンビルダーのダブルネームは珍しい事では有りません。
つか、普通は最初にこっちを思い出すのでしょうか?(w
50年代にランチア・フェラーリなんてのも有りましたけど、アレは財政難からレースが続けられなくなった
ランチアからフェラーリが設計者のヴィットリオ・ヤーノも一緒にGPカーD50を譲り受けたもので
ちょっと性格が異なります。他の“クーパー・クライマックス”とか“ロータス・フォード”なんかは
皆“シャシーとエンジン”の並びで呼ぶのが通例の様子。
最近雑誌のコベントリー・クライマックスの特集で初めて知った事ですが、
こうなったのはレース報道でシャシーの名前しか書かれない事に不満を感じたクライマックス社が
エンジンビルダー名も一緒に報道するように申しいれて以来との事。するとそれ以前は単に
“クーパー”とか“ロータス”としか呼ばれなかったという事なのでしょうか。
そう考えると昔は飛行機と一緒ですね。中島のエンジン載せても零戦は三菱。
ロールスロイスのエンジン載せてもスピットファイアはスーパーマリンといった具合。
市販車は今でも飛行機式に
シャシーメーカーの名前だけで呼ぶようですが
・・そう言われれば、そうでした・・(w
ところでOEMってのも別に悪くは無いと私は思いますが、
開発を放棄したお手軽な行為という見方も有るのでしょうか?まぁ、確かにそう言われれば
そう見えない事もないかも。(何でも“そう言われればそう思う”主体性の無い私・・w)
OEMやノックダウン生産ってのは昔の方が多く有ったような気がします。最近多いのは共同開発とか
エンジンのみ、プラットフォームのみといった部分的な供給ではないでしょうか。
特に急速なディーゼルの普及が進みつつある欧州では、エンジンバリエーションの多い車種が
増えている様子ですので他社製のディーゼルエンジンを搭載する車もかなりの割合になっている様子。
アルファロメオ159がいすゞ製のディーゼルを積むなんて話も聞いた事が有りますが、その話は
その後どうなったのでしょうか?
いくらディーゼル限定とは言っても他社製エンジンを積むアルファ等、昔なら考えられなかった事。
昔からのアルファ好きな方はどう感じるでしょう。まぁ、案外と欧州人はこうした事には無頓着で
何処製のエンジン積んであってもアルファはアルファとしか思わないのかも知れませんけど。
更に。他人事ではありますが。こうした流れの中ではスバルは欧州市場にどう対応して行くのでしょう?
今や少数派となった水平対向エンジン縦置きレイアウトの基本設計では他社製ディーゼルエンジンの
供給を受けることも無理でしょうし、独自にディーゼルを開発出来る規模でもないでしょう。
GM傘下からトヨタ傘下に移った事でもありますし、
この際欧州市場は諦め、アメリカに専念して行くのでしょうか?
なかなか書く暇もありませんが、とりあへづ一言だけ。
なに、ぢつは昔っからアルファのヂーゼルはボロクソ・ヴァーゲン製であります。
ほう、そうだったのですか。フィアット傘下入り前の事でしょうか?
フランスのプジョー、ドイツのVWやメルセデスあたりは結構昔からディーゼル乗用車には熱心だった
ようですが、やはりガソリン価格等との絡みも有るのでしょうかね?
ディーゼルに関してはちょっと興味深い事に、ルマンを制したレースカー、アウディR10のエンジンと
最新の一般公道用ターボディーゼルエンジンでは逆とも思える話を聞くようです。
アウディR10はレーシングカーとしては異例とも言える程にパワーバンドが広く、
その為に今や6段7段が当たり前になったレースカー用ギアボックスも、この車は5段で済ませているとか。
それに対して市販車のインプレッションで良く聞くのは、ターボエンジンの常でごく低い回転域では
あまり力強さを感じないのに、ブースト圧が立ち上がると一気にリミットまで吹け上がる。
しかしそのリミットが5000rpm程度と低い為に下の方のギアでは忙しい。と言った具合。
最新のCG誌上で田辺さんもこうした事を書いておられますが、此処ではアウディR10の常用回転域は
市販車と変わりない3000〜5000rpmと表記されています。が、他紙ではこの車のレブリミットは
7700rpm程度と書かれている記事も有りました。
まぁ、どっちにせよ今時のレーシングエンジンとしては特にパワーバンドが広いという事も無いように
感じられるのですが。恐らくトルクが豊富で、超高速域限定で使用されるアウディR10の場合には
物凄く高いファイナルギアが使われているので実際以上にパワーバンドが広く感じられるという事
なのでしょうか。
一体どの程度の数値であるのか?ちょっと興味の湧く話ではあります。
70年代オイルショックの波及か?アルファロメオもジュリアにディーゼル出してます。
パーキンスユニット?とありますが、どんなものなんでしょうね?
ちなみにイタリア初のターボディーゼル車は、なんとアルフェッタw
VM社製です。
ジュリア時代からディーゼルが存在するならば、向こうの人達は今更アルファにディーゼルも
違和感無しなんでしょうね。
先日も年バレスレで名前が出たフォードGT。中年世代には根強い人気が有るようです(w)が、
考えてみれば大排気量低回転大トルク型エンジンに高いギア比を組み合わせて信頼性高い
高性能車を作ろうという考え方においては最新ターボディーゼルもフォードGTの流れに
一脈通じるモノが有るように思います。
レギュレーションも時代も異なるので馬力その他の数値は全く異なりますけど、フォードGTの場合、
66〜67年のルマンに勝利した427ユニット(つまり7リッター型)の場合、7400rpmがリミットとされ
更にはより高いマージンを考慮してレース中のドライバーには最大出力を発生する6200rpm遵守を
求めたのだとか。多分今年のルマンに勝利したアウディR10もこの位の回転域で使用されたのでは?
私個人は非力な小型エンジンを低いギア比と組み合わせる方が好きですし、ギアを選び間違えれば
全く速度が乗らなくなる事も面白味の内と思う者ですが、ルマンのような耐久レースに於いては
かつてフォードGTが選んだ方向の方が確実性が高い事は理解出来ます。
また、かつてのファセル・ベガやコブラ等に始まるアメリカ製のエンジンを用いた高性能車
(ファセルとコブラでは目指したところは全く違いますけどw)のような行き方もアリと考えます。
ですから最近のターボディーゼルを用いたスポーツカーの類も一度は経験してみたいと思うのですが
市販車に於いて残されたネガは、エンジン重量増に伴うハンドリングの問題でしょうか?
この辺は実際に経験してみないと何も言えないところですが、日本の場合、まず軽油の質の改善が
先に行われない事には中々普及は進まないのかも。
保守。
ついで。
大排気量のアメリカ車のエンジンを流用した欧州車と言えばACコブラが最も有名なのかも知れませんが、
フォードGT40もベースはローラGTMkW。
コブラ以後にもデトマソやらモンテベルディやらと、この手の車は数多いようです。
元祖と言えるのは何なのでしょうか?私が知る限りでは数台が試作されたのみで終わった
シトローエン・トラクションアヴァン“22CV"。11CVの直四を対峙させたV8の開発に失敗した事もあり
フォードのSV・V8を借用していたとか。
後はイギリスの小規模メーカー、ジェンセンが戦前からフォードのエンジンや足回りを流用した車を
作っていた筈。
もっと古いのもありそうな気がしますが・・。
このところ何故か私の脳内では“時代はアメリカエンジン”状態
年バレスレで“フォードGTはフェラーリ買収に失敗したフォードが腹いせに作った車”なんて
言われ方していましたけど、別にそんな事は無く、ルマン制覇計画がまず先に有り
その一環として最も手っ取り早いと思われたのが当時ルマン連勝中だったフェラーリの買収
だった訳で。
エンツォ御大ご自身は最初案外この話には乗り気だったそうですが、フェラーリの資産価値の見積もりが
フェラーリ側とフォード側とで大きく食い違った事、更には当時GT部門でフェラーリのライバルだった
コブラ=シェルビー・アメリカンとの関係を切る事をフォードが渋ったことなどからエンツォさんが
機嫌を損ねた為に破談になったのだという事だそうです。
で、仕方なく自製のレースカーを作ろうって事になったフォードですが、そうした車を作った経験は全く無し。
そこで英フォードを通してローラ・カーズのローラ・マークY(126でWと書いたのは間違いでした)
を設計者のエリック・ブロードウェイさんから買い取り、同時にエリックさんも一年間フォードの
ルマンプロジェクトに参加して貰ってフォードGTの基本は出来上がったのだそうです。
この話の余談で面白いと思ったのは、その頃英フォードと最も親密だったレースカー設計者と言えば
ローラのエリックさんよりもロータスのコリン・チャプマンだったのでしょうが、ロータス=チャプマンは
あまりに個性が強すぎ、なによりもフォードにとっては危険な人物になりかねないと評価され、
プロジェクト入りの候補には上がったものの最終的には敬遠されたのだとか。
チャプマンの設計が元になっていたなら、フォードGTもかなり異なった姿になっていたのかも。
あるいはメカフェチ、空力フェチさんにはそっちの方が面白いモノになったのかも?
あの時期にロータスが大排気量化に走っていたら、その後のスポーツカー勢力図は
ずいぶん違った物になっていたでしょうね。
フェラーリやポルシェと並ぶ位置にロータスが立っていたら、と考えるとわくわくしますね。
エランもヨーロッパも出たあとなので歴史的に喪う物も少ないし。
と、エスプリ好きに懸架を売ってみる。
懸架を売ってどーするんだよwド・ディオンさんやマクファーソンさんじゃあるまいし>俺
>>129 リジットさんとウイッシュボーン様が寂しがって居られますw
>>128 それが、実は無い訳でもないのですよ。大排気量のロータス。
1964年のロータス30と、翌年のロータス40。共にフォードV8を積むGr・7の純レースカーですが。
このカテゴリーがCAN-AMシリーズによって一気に人気爆発する直前の車という事もあって
あまり日本人には馴染みが無いモデルですけど、丁度その頃流行したスロットレーサー(模型の)
のキットが幾つか有った為に、実車マニアよりもむしろ模型マニアの間で有名な車のようです。
まぁ、いずれにせよエンジンを自社開発する規模になかったロータスですから、
ポルシェやフェラーリと並び立つような存在にはならなかったとは思いますが。
もしもこの時期にロータスがGr・7ではなくルマン等の耐久スポーツカーレース用のGr・5やGr・6
のレースカーを作っていたならば、フォードGTのベースはローラGT・MkYではなく
ロータスになっていた可能性も有ったのかもしれません。
ところが、コリン・チャプマンはそれ以前(1962年)ルマンに出場しようとした際、
車検をめぐってルマンを統括していたACOの役員と衝突し
「二度とルマンには出ない!」と言ってしまった後だった(w)そうですから、ルマン用のGr・5やGr・6を
作るという事は有り得なかった事なのかも。
そうでなくともその頃のロータスは29、34、38といったシングルシーターでインディーに挑戦する等、
アメリカのレースにご執心だったようですし。
132 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/07/26(水) 23:49:46 ID:xQrWKVkR0
コピペ推奨!!
■■2006超大福餅R祭■■
某地方都市のコミュニティ新聞に掲載された路上ミュージシャンへのインタビュー。内容を見て驚くな(wwww
-ところで話は変わりますが・・・
小松:はいはい
-小松さんはあるところでも有名人だという
小松:来ましたね(笑)
-ある匿名掲示板の・・
小松:そう。車の掲示板でアドバイザーやってます(笑)
-ハンドルネームを今日は教えていただける約束ですよね。
小松:弱ったなぁ。祭りになっちゃうかも。
-祭りとは、掲示板内で大騒ぎになることですよね。
小松:そうそう(笑)
-超大福餅Rさんとして有名なんですって?
小松:ああ、言っちゃった(笑)
そうです。自分のサイトでは音楽一本槍みたいな?そういうカラーで
自分の世界観というものを築いてるんですけど、たまに息切れしちゃうんですよね。
神だ、キリストだ・・という話も占いもクソ食らえって気分になる(笑)
-そういうときに超大福餅Rに変身するわけですね(笑)
小松:昔からオヤジの影響で車には詳しい。その知識を生かして少しでもたくさんの人を助けてあげれればいいなって。
-その考え方もやっぱり小松純也そのものじゃないですか。
小松:あ、そっか(笑)でもそういうこと。生まれてきたからには犬死にはしたくないから。
-車の話になると目がきらきらしますね。
小松:あ、いや、音楽のほうも宜しくお願いします。有線大賞狙ってます(笑)
独自の音楽観を確立してじわじわブレイク中の小松純也さん。川越の路上から飛び出す日はすぐそこだ。
小松純也オフィシャルサイト
http://www.k5.dion.ne.jp/~christ/ おまえら絶対に突撃すんなよ。絶対だからな。
・・・・(w
・・ところでロータスのGr・7レースカー、30&40。レースでの成績はどんなものだったのか?っつうと、
131でも書いたように1964〜65年というとCAN-AMシリーズ開幕の直前、
Gr・7のレースは未だ全米格式のものではなくアマチュア色の強いUSRRCという物だった事もあり
具体的な成績は調べられませんでした。
しかし、64年のタイプ30は33台が作られたのに対し、65年のタイプ40は僅か3台に激減、66年に開幕した
CAN-AMシリーズには初期に数台のタイプ30が出場したのみ。・・これで大体の想像はつくかと・・。
つまり、あんまりパッとした成績は残せなかった様子。
もっとも、これ、ロータスのシャシーに問題が有ったとは決め付けられないところも有ります。
当時関係が深かったフォードエンジン用に作られたロータスでしたが、この時代(1950年代から
70年代初頭まで)アメリカ国内のスプリントレースでは常にシボレーエンジンの優勢が続いていて
ロータスに限らずフォードエンジンを積む車は苦戦する事が多かったようですので。
海外のレースの話となると欧州が主体になりがちな日本人の感覚でいうと、ルマン他のスポーツカー
耐久シリーズを制覇したフォードエンジンが60年代に最も活躍したアメリカ製ストックブロックの
レーシングエンジンのような気もしますけれど、ことアメリカ国内ではシボレーの後塵を拝す事が
多かったようです。もっとも供給体制、チューナーの数等で大差が有ったようですので、成績が
そのまま実力を反映したものとも言えないのでしょう。
丁度、欧州の耐久レースでのシボレーエンジン搭載車、シャパラルの成績とフォードGTとの成績とを
比較してシボレーエンジンの評価とする事が公平ではないのと同じように。
134 :
香ばしい:2006/07/29(土) 01:01:46 ID:i57uxBKs0
もう一年ぶりのカキコ なかみなし
ディーゼル…ブームになるんでしょうねえ。
このスレで書き込むことじゃないんだけど初代あうでぃTTってやっぱデザイン傑作なのでは
…なんか実用車として(歪んでるけど)ほしいなあ。
そのデザインのせひでひっくり返るクルマなのですがEんですか?w
アテクシ的には今度の7gコーヴェットを試してみたひ、
それとフロントエソジソ12気筒599、GTSを出してヒスィ。手の出る話では当然無ひが。w
ジューどもの陰謀でガス代が股高騰しやうとも。
>>135 漏れは車でひっくり返るというのを体験したことがあるw
20年近く前、友人が1マソで購入した初代ホンダ・ライフ(360cc)でスピンターンで遊んでいたら、
フヮっと自分が浮く感覚の後、助手席が地面になり、スローモーションのよふにゴロリと逆さまになった。
シートベルトが腹に食い込み、2枚折りのトーストの如き状態にw
コレが昭和最後の正月の出来事でした。
数年経ってAクラスの横転シーンを見たとき、あんな感じかぁ・・と納得したww
以前このスレで話に出たスウィングアクスルに限らず、どんな車でも転倒の危険は有るそうですが、
それが前兆を感じさせず唐突にやって来たり、低い限界点で起きたりすると問題視されるのでしょうね。
ロールの大きい車が転覆し易いかというとそうでもないようで、ソフトなスプリングと低いロールセンター、
全くスタビライザーの備え無しで極端に大きくロールする2CVで結構な無茶やった経験は有っても
私は転覆にまで至ったことはありません。
スウィングアクスル全盛の頃迄のGPカーでの死亡事故には横転、転覆でドライバーが頭を打つという
パターンが結構多かったようです。ロールバーもシートベルトも無く、ヘルメットも只の布製だったのでは
それも当然に思えます。
・・つか、なんで軍隊式鉄兜くらい使用しなかったのか?これ、ずっと疑問に思っている事なのですが・・。
革や布製のヘルメットでさえ被らずにいるのが勇気の証であったようです。
・・・珍走団の方々と一緒ですな。
イタリアではシートベルトの義務化もつい最近のことだそうで、乗せてもらって下手に締めたりすると
「俺の運転が信用できねぇのか」と怒られたり「オカマかよ」などと笑われることもあったようです。
私も一度変なキレかたをされた記憶があります。
日本でもかつて見た光景ですなwww
>>138 今、五体満足に生きているからこそ、笑い話で書き込めるのです。
やった瞬間は、走馬燈のように部屋に残したエロビデオに至るまでw記憶が巡りましたよww
(高校生なら裏盆をきにしたでせうがwww)
この体験を元に2点式や3点式の危うさを実体験したものでした。
サーキット走行用に4点式のシートベルトが市民権を得た頃、日本ではシュロスかサベルトが
幅をきかせておりました。
しかしながら、フルバケ+4点式でも十分ではないため、股ぐらから押さえ込む5点式を当時から愛用始めました。
操作性なら、カムロック方式でしょうが、敢えてシンプソンのレバーロック方式に拘ったのは、
NASCARでのシーンに万世しておりましたのでw
いまではタカタ製カムロックにしておりますが、滅多に使うことは無くww
このフルハーネスについても紐解いてみたいものです。
(↑実はよく分かりません・・・ELR方式発案については、感心したことがありますが)
なお、未だにレース経験やラリー経験の無いショップでのフルハーネスのIボルト固定方法が
いい加減なのは問題ですね。
(ナット溶接プレートをシャーシに溶接しないで止める危険性を認識すら出来ないショップが蔓延しているのが事実)
同様、ロールケージにも言えますがね。
(今は、8割以上が始点部分を溶接しないようです・・・サーキット用レギュレーションとはいえ、本来の安全対策として意味があるのか?甚だ疑問であります・・・
ファッション重視なら、以前の珍走のよふにビニールパイプで十分かとwwww)
※某サーキットでは、本当にビニールパイプ・ロールケージにパッドを巻いた仕様で走行許可が降りていたのには驚いた・・・
そんなサーキットで、しっかりしたモータースポーツ運営はと悲観_| ̄|○
自動車に使用されている程度の厚みの鉄板の場合、強度を要するモノは直接溶接した方が
丈夫に出来るとは一概には言えないところもあるのだそうですが、
実際にどんなものなのかは、私にはよく判りません。
確かに下手な溶接ではシャシーを穴だらけにして剛性は低下する、モノはすぐ取れるっつう
悲惨な事にしかならないようですが(w
>>139 シートベルトの件、ちょっと前まではよく有った話ですね・・。
似たような話で例のタッカーがシートベルトを標準装備にしようとした時に
「危険な車だから装備していると思われるからやめとけ」と言われたそうです。
人は痛い目に遭ったり犠牲を払ったりしないと中々懲りるという事はないのでしょうか?
もっともGPカー等のオープンコクピットのレースカーの場合に限って言うと、
イザと言う時には車外に投げ出された方がまだマシという考え方は結構根強かったようです。
こうした車にもシートベルトが普及した理由は、実は安全性以上にタイヤが進歩して格段に大きくなった
前後左右のGの為、それまでのように踏ん張っただけではドライバーが体を支えきれなくなった事から、
バケットシートとセットで一般的になったのでは?(珍説w
まぁ、まさかそんな事も無いでしょうが、60〜70年代に起きた死亡事故の多くはそれ以前とは異なり
火災による焼死であった事を思うと“投げ出された方がまだマシ”派の言い分も全く判らんでもないと
思う事も有ります。
ロールバーのボルト止めは、実際にシャーシが路面と接触した場合を想定し、
危険と見なされるため、溶接するのが・・・というのが第一の理由だそうです。
勿論、ロールバーの溶接部により接触面積を稼ぎ、合わせて強度を目的としています。
ボルト止めの場合、シャーシに応力が加わった状態で、ボルトの伸びによる撓みを生じるが
溶接の場合、応力は面として受け止めますので、面積当りでは低減されます。
なお、裏面にあて板や内側にガセット等を用いての補強が前提条件です。
よって、昨今見かける、ボルトとあて板による取付方法は、ナンチャッテ・ロールバーと言われる場合もありますw
(実際、危険ですので、最低限、あて板は溶接推奨してくれるのが親切なショップと言えます)
・・・・ボルト止め方法は、リセール・バリューを考えたやむを得ない方法とも聞きます。
実は、ロールバーの見解で、某地方陸運事務所とディスカッションからディベートに発展したことがwww
理想は判るのですけど、溶接ってする人の腕にかなりバラつきがあるので信用出来ないのです(w
まぁ、積極的にそれを薦める店ならばそれなりの自信もアリと見て良いのかも知れませんが。
電気溶接っつうのは皆ご存知でしょうけど、接合しようとする材料同士を熱で溶かしたところに
更に補強の為に溶けた材料(溶接棒)を盛り付ける訳ですが、熱で溶けた(膨張しきった)状態で
盛り付けられれた部分やその周辺は冷却時に収縮して必ず歪みを生じさせます。
下手な人の行った溶接というのは盛り付けた肉ばかり多く、歪みだらけでありながら、
実際に溶けていたのは表面だけで強度全く無しっつう酷い事になりがち。
当然溶接免許ってのが有って、それを持っている人なら安心なのでしょうが、溶接許可証ってのも有り
これは只、安全教育済みを証明するだけ。
これを持っているだけでは何の保証にもなりません。・・・・何故か私も持っているくらいですから(w
閑話休題(長い前振りw)
ロールバー、ロールケージの溶接という話で思い出したのですが、前に書いたGr・7用のロータス
タイプ30&40とほぼ同時期に46(ロードカー、ヨーロッパの初期型)をGr・4用レース用に仕立てた
タイプ47というレースカーが有りました。これ“シャシーは軽量化と共に強化を図った別物”とされ、
46がバックボーンと記されるのに対してスペースフレームと言われる事も多いのですが
どうも46のバックボーンフレームに軽め穴を追加した後、ロールケージを直接溶接して
フレームの一部としているだけなのではないか?って思われます。まぁ確かにそれでも
スペースフレームと言えなくは無いでしょうけど。
この時期になるとレースカーの生産・販売は旨味の無い商売となりつつあったようで、ロータスも
この分野からはフォーミュラカーだけを残して撤退しているようです。47はそんなロータスの
最後のレーシングスポーツであり、故にそれまでの11や23、30や40のような専用設計を与えられた
純粋なレースカーとは異なる性格の物なのでしょうか。
現代のロータス、エリーゼなどはアルミを接着材で組み立てているそうですが
やはり熱の影響を避ける為もあるのでしょうか?
歪み、酸化、結晶構造と時効…アルミ合金の溶接は鉄と比較して施設面でも技術面でも
格段にむずかしくなります。しかも合金の配合毎に熱に対する振る舞いががらっと違う。
わざわざ冷間鍛造して引き抜いた部材に熱を加えたら元も子もないという事情もあるでしょう。
車のフレームのように大きなものを量産しようと思ったら接着の方がずっと楽です。
しかも現在なら溶接以上に強力な接着剤も手にはいることですし、総合的には接着が優れている
という判断でしょう。
アルミ合金の溶接については自転車関係の資料をあたれば偏執狂的に詳しいものがすぐ見つかります。
ところでロータス47、あのバックボーンフレームにロールケージを溶接してしまったとすると、
ボディーはどうやって架装したのでしょう。考え出すと夜も眠れなくなっちゃう。
146 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/08/02(水) 21:40:43 ID:49wOwoUB0
新幹線も溶接しないで接着剤使ってるね。
プッシュロッド式のサスペンションはマルチリンクやダブルウィシュボーンより優れたものなのですか?
長所と短所を教えてください。
うむ・・過疎スレ慣れしている為、幾つかレスが有ると何処から手を付ければ良いのかワカラン事に・・(w
えと・・。最初に訂正。
>>145 ロータス47のフレームですが、単に軽量化してロールケージ溶接しただけではなく
剛性向上の為、フロントにクロスメンバーを加えてあるとのことです。
画像が無いので残念ながら詳細は不明ですが。
ロールケージも溶接してある事は確かですが、ボディーも軽量化された別物とのことですので、
恐らくパネル分割や架装方法も異なるのではないでしょうか。
そう思って眠って下さい(w
>>147 プッシュロッド式っつうのもダブルウィッシュボーン式のバリエーションの筈。インボードに置かれた
サスペンション(バネ&ダンパー)へ力を伝えるのに(プッシュ)ロッドを用いる方法でしょう。
その車のサスペンションをインボード式にする必然性が有るか否かが先にあるので、
それが優れているか云々は簡単に言えないと思います。
まぁ、レースカーでは採用するメリットが有っても、ロードカーには・・。
まず、図解入りで説明しているHP等を検索して、構造を理解して下さい。
で、接着剤で組み立てるモノコックの話ですけど、エリーゼが登場した時のロータスの主張は
まず接合強度の確保だったように記憶してます。
熱変形の影響の無い事も当然メリットとしては有るでしょうが、それが主な理由ではなかった筈。
いくら接着剤が進歩したと言っても、接合面積が同じであるならば溶接に勝る接合強度が得られるとは
思いにくいのですが、広い面積で接合出来れば溶接を上回る強度が得られると計算出来た事から
接着法を選択したというような事でしょうか。
それに接合面積が広いという事は曲げや捻れといった応力を、限られた部分で集中して受けないで済む
という事もあるでしょうから経年変化等にも強いのかもしれません。
80年代初頭までレースカーの主流だったアルミ製ツインチューブモノコックでは、
溶接で閉じたサイドメンバーを前後で挟み締め上げるバルクヘッドはアルミの鋳物を使用し、
(サイドメンバーとの)接合には多数のボルトを用いるのが常套手段だったようです。
これ等は恐らく、熱変形の影響を最小限にし、モノコックシャシー全体の歪みを抑える為に
そういう構造をとったものと思います。
しかし何にでも例外は有って、耐久レースを席捲したポルシェのGr・Cカー956/962はフロント部分にも
曲げ加工したアルミ板を使用し、これにサイドメンバーを直接溶接していたようで、鋳物のバルクヘッドや
ボルトによる接合等は一切用いていなかったようです。余程組み立て加工に自信が有ったのでしょう。
或いはこの時代のポルシェには、アルミモノコックの製作を通じて何か市販車にその加工技術を
フィードバックさせる計画でも存在したのでしょうか?
150 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/08/03(木) 00:54:04 ID:1mn2W8DcO
インボードにサスペンションを収めたらcd値の低減に効果があるのでしょうか…
でもカレラGTに採用される理由が解らない…
最初にまた訂正。
>>125の最後に軽油の質改善云々と書きましたが昨年初頭より硫黄分の少ない
軽油の販売が始まっていたことも知らずに書きました。
・・世事に疎いなぁ・・私は・・。
>>151 現代の例外的な高性能車は車体下側へ多くの空気を取り込み、その部分の気流を速く流すことで
ダウンフォースを得ています。そこで気流を妨げ、流速を遅くする原因となる要素を出来るだけ隠し
車体内側へ配置する必要からインボード式のサスペンションを使用するようです。
その辺の事は“グランドエフェクト”等をキーワードに調べてみると良いと思います。
また、このレイアウトだと通常は直立に近い角度に配置しないといけないサスペンションユニットを
車体の中心近くに寝かして配置する事にもなりますのでフェンダーや(フロント側で言うと)
ボンネット部分を低くボディーをデザイン出来る事にもなるでしょう。
逆にデメリットとしては、ボンネット内部のスペースを有効に利用出来なくなる事等でしょうか。
・・とは書いたものの・・。
私自身が実際にこうした車に乗ってダウンフォースを体感した経験が有る訳でも無いのですけどね(w
プッシュロッド式のサスペンションが実際にストロークする様子は
http://tamiya.com/japan/products/23206porsche/index.htm このページの下の方にあるリンクの動画を見ると良く判るでしょう。
実物見るよりも理解し易い。さすがはタミヤクオリティー(w
でもねぇ・・正直な事を書くと、実は私プッシュロッド式とかには左程の興味は無いのですよ。
ナンと言っても風情ってものが無いでしょ?
二輪のリアサスのような、リンク式サスペンションは、
4輪では、あまりないように思います。
もっと採用されても良いような気がしますが、問題があるんでしょうかね?
風情があるサスペンションってどんなのでしょw
155 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/08/04(金) 18:15:32 ID:gl2D58gP0
全楕円リーフ
156 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/08/04(金) 19:49:16 ID:JE1j6PKuO
↑ ターボ時代のF-1がリッターあたり900馬力も出していたっつう話ですか?
確かに、俄かには信じ難い数字ですけど、逆に考えれば信じ難いからこそ雑誌の記事にもなるのだと・・
・・ミもフタも無い言い方ですけど(w
もっとも予選のアタックラップで瞬間的にしか出せなかったようですよ。
恐らくは冷却が追いつかなかったのでしょう。
>>153 多分はレイアウトの問題と思いますが。
二輪のサスペンションの場合、キャンバー角だのトゥー角だのという要素を考慮しないで済むなど
四輪用とは条件が異なりますから、ナンとも言えないところも有ります。
・・と、書いていて思った。二輪のリアサスっつうのは、その殆どはサスペンションアームが
前後方向に付いている点で四輪のトレーリングアーム式に近いと言えるでしょう。
車体がロールすればしただけ対地キャンバーの変化するこの形式、二輪の場合はそれが当然で
別に構わないのでしょうが、四輪の場合は限界付近の挙動がつかみ難い車になり勝ち。
この形式を採用した車のタイヤを無闇にインチアップすると、特にその傾向が強くなる気がします。
それまで対地キャンバーの変化を外側タイヤのサイドウォールが変形する事である程度吸収していたのが
撓み代が少なくなった事でトリッキーな傾向に拍車が掛かるのでしょうか?
>風情の有るサスペンション
そりゃハイドロニューマティック(w
それと前のリーディングアームと後ろのトレーリングアームが一つのバネを共有する2CV式とか・・。
オリジナルブガッティの四角い穴の穿たれたアクスルビームをリーフスプリングが貫通するフロントとか、
リーフスプリングの束を固く革紐で巻き板間摩擦を高める事でダンパー効果を持たせた
リジッドアクスルなんかも結構好きですねぇ(w
158 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/08/05(土) 09:40:12 ID:cj2bg2UqO
>>157 なるほど…
その馬力もすごいですが、それを受け止めるシャシーもよほどの技術と耐久性がないと使い物にならなかったでしょうね…
風情のあるサスペンションと言えば初代MINIに採用されたラバーコーンサスも当てはまるような気がします.
もっともあまりに構造と性能がプアでサスペンションと呼べるような代物かどうかは疑問が残る所ですね
>>159 最初に思ったのは“なんでハリアーなのでしょ?”って事でした。
数あるイタリアのカロッツェリアの中でも特にスポーティーなイメージの強いザガートですから
もっと他に相応しいベース車は無かったのか?・・と、思いトヨペット店のラインナップを見たら
スポーツカーらしく見える車種って全く無いのですねぇ・・。
あと、思ったのはあんまり元のハリアーと代わり映えしていないという事ですね。
もっとも、こういう機会でもなければハリアーのデザインを改めて見る事も無いであろう私には
大した事は言えないところでは有りますが。
>>158 オリジナルミニのオーナーに叱られます(w
確かにオリジナルミニのサスはストローク量が限られていることもあり、不整路での乗り心地は
褒められたものではないでしょうが、最初は10インチタイヤを装着していた事からも伺えるように
そうした用途に使われる車ではないのだと割り切れば、あの単純な構造から想像される以上の
性能を得ていたと思います。
実は先日、カラーリングに関して語るスレでウォルター・ウルフレーシングの名前を見て以来
気になっている事なのですが、ラバーコーンサスってストロークは限られる代わりに構造はシンプルで
軽量に出来る事から、70年代中期ウォルターウルフのスポンサーを得ていた頃のウィリアムスが
F-1マシーンでも試みていたような記憶が有るのです。
それとも、コパスカー(コパーシュカー?いろんな発音例が有る様子)辺りの他の車だったか・・?
誰かご存知有りませんか?
161 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/08/07(月) 16:21:30 ID:Y3BuayBuO
>>160 F1に…
確かにバネ下重量は軽くなりそうですね.
オリジナルMINIのラバーコーンサスはダンロップ製の物で劣化が早かったそうで、社外品に変える人が多かったらしいです.
それでも普通のタイプのサスより劣化が早いそうな
もっともその手の旧型車に疎い私は受け売りで書くしかないのですが.
>>159 ダブル・バブルになって無ひのでダメです。w
>>159 トヨタらしさもザガートらしさもないなあ。いろんな国産メーカーの特徴を寄せ集めた
みたいに見えて、ちょっと醜悪。MR-Sのザガートバージョンはけっこう好きなのですが。
ふと思ったのですけど、ダブルバブルルーフって2シーターでないと成立しないデザインのような・・。
4人乗りでやろうとするなら、4つコブ盛り上げるか、縦長に間延びした形にするか。
どちらにしてもおかしな事になるような気がする・・。
私個人の嗜好で言うならば、元々ダブルバブルルーフってあんまり好きではないのです。
サンルーフ付けられないですから(w
それにしても+200万円ねぇ・・。
なんだか最近のザガートデザインって、少し前でも触れたフェラーリの599GTZなんかも含めて、
“ザガートらしさ”にこだわりすぎ、袋小路に入っているように思えるのですけど。・・どうでしょうね?
>>161 バネ下はどうでしょうか?
・・それはともかく。バネ下重量の削減と言えば真っ先に思いつくのがホイールの軽量化と並び
ブレーキのインボード化。
で、私以前からちょっと疑問に思っているのですが、駆動輪ではない車輪のブレーキを
インボード化して得られる効果ってどの程度有るのでしょうね?
確かにブレーキ本体はバネ上になりますがその代わりにその力をホイールへ伝えるハーフシャフトが
必要になり、その上この重量の何割かはバネ下重量になるわけですし。
駆動輪ならば、当然最初からドライブシャフトが存在する訳ですからブレーキをインボードに置くのも
そんなに無理も無いでしょうし、余計なパーツを追加する必要も無いのですけど。
166 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/08/08(火) 23:35:54 ID:PAcfv29YO
>>165 ダブルバブルルーフ.
確かRX7に採用されていたような(うろ覚え)
デザインのための物かあるいは整流のためのものか解らないですが、個人的には普通の平なルーフが良いです.
ブレーキをインボードに収めるものがあったなんて…
初めて知りました.
構造上放熱が難しそうですね.
タイヤ周りの軽量化は効果がとても大きくバネ下を1kg軽量化することはバネ上を15kg軽量化する事に等しいので、
例えばアルミホイールを従来の物より2kg軽い物にすれば120kg!? の軽量化に値する効果が得られる訳ですね.
今ではホイールの技術も進みアルミ鍛造、マグ鍛造をはじめ、ドライカーボンのも開発されています.
もっともドライカーボン製は二輪しかないのですが、マルケジーニのフロントのそれは約1.7kgしか無いそうです.
しかしこれは軽すぎて操作がピーキーなのと耐久性の問題で予選に使われるくらいです.
167 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/08/08(火) 23:40:17 ID:pd4D7GQi0
>>165 RX-7(FD)はサンルーフのオプションあったよ。
ダブルバブルルーフでも付けられるんだね。
RX-7の場合はザガート関係ないので
ダブルバブルもどきと言うべきかと
>>165 非駆動輪のインボードブレーキなんてアホなものがあったとは・・・
インボードの冷却はスペースさえ空けておけばアウトボードより有利なこともあるね。
この伝で大昔にはシャフト装備のブレーキもあったね。
>>167 む・・ダブルバブル(もどき?w)のサンルーフ・・そんなのが有ったとは・・。
考えてみれば外側スライドなら出来ない事はないのですね。
つか、内側収納でも無理すれば出来るかもしれませんが、ダブルバブルって「此処まで車高削りました」
って言っているみたいなものですから「実は戸袋分余裕が有ったのです」となる内側収納では
格好がつかないと思うので(w
ブレーキのインボード配置ってのは結構例が有ります。
が、165にも書いたような理由からか、非駆動輪への採用例ってのは少ないようです。
しかし一時期のレースカーでは真剣に取り入れられたようで、超有名所としては1954〜55年に活躍した
メルセデスのGPカーW196とその派生車種である300SLR等が有ります。
そしてボディーサイドにラジエーターを配置し“近代F-1の始祖”と言われるロータスのタイプ72も
前輪にインボードブレーキを装備していました。
この車、丁度F-1に4WDが流行していた時期でもあり、試験走行をスクープした記事等では
インボードブレーキ用のハーフシャフトを前輪のドライブシャフトと見間違われ「新型4WD車登場」
と書かれたそうです。
1970年。シーズン途中から実戦に投入されるやいきなり無敵を誇ったロータス72。
連勝モード入りしたロータスのエースドライバー・ヨッヘン・リントは好調の理由を問われると
「こいつに乗ればサルでも勝てるぜ!」と言い放つなど大変御満悦だったそうですが、
運命のイタリアGP予選。
フロントのインボードブレーキ用ハーフシャフトが折れた(!)マシンは大クラッシュ。
皮肉にも彼が最大の信頼を寄せたタイプ72ならではのトラブルにより、リントは歴史上唯一の
死亡後にその年チャンピオンが確定した悲劇のドライバーとなったのでした・・。
アルフェッタや75を見せて、「ほら、この車後ろにはブレーキがないんだよ」というと
男女を問わず騙されるヤツの多いこと多いこと。
ロータス72、フロントカウルのスリットから覗くブレーキディスクは、個人的には最大の
萌えポイントです。
↑ >ブレーキが無いんだよ
以前75オーナーのエロスパ氏が他スレで似たような事書かれておられました。
皆さん、やっているのですね(w
さて、此処で話は戻ってバネ下重量の事。
>166さんも書かれているような「バネ下重量の削減1kgはバネ上15kgに匹敵する」という話。
昔から言われている事ですし、BBS(ホイール)の広告などにもそう書かれていますけど、
これ、本当にそうなのでしょうか?タイヤメーカーの広告等を見ると多少重量増が有っても
インチアップした方が良いような事が書かれていますし。
結局の所、皆少しでも高いモノ買って貰おうとして自分に都合の良い事書いているだけみたいな気も・・(w
まぁ、軽ければそれに越した事は無いってのは判りますし、ロードホールディング等に関しては
バネ下重量の削減が大きな効果を生むであろう事も想像はつきます。
しかし、ロータス72のように、非駆動輪のブレーキをインボード化してまでそこに拘る価値って
本当に有るのでしょうか?ブレーキ用のハーフシャフトなんて、余計なパーツが必要になる
デメリットだってバカにならないって思うのです。
もしも本当にバネ下1kgの削減がバネ上15kgの削減にに匹敵するのならば、
仮にその為にバネ上が10kg重くなろうとやる価値は有るのでしょうけど。
どうもそこまでの意味は無いような気がします。
ロータスF-1でも、70年から数年間はフロントインボードブレーキを続けましたが、76年シーズン途中からは
ごくありふれた位置にブレーキディスクを戻してしまったようですし。
バネ下荷重と言うと、タイヤ、ホイール、ブレーキとサスの一部(ロアアーム等)に話が逝きがちですが、
このほかにもFRならプロペラシャフト、その他ドライブシャフトにも話題を広げたいところ。
特にカーボンプロペラシャフトの効果は、大きいそうです。
勿論、ドライサンプ仕様なら他の部分の影響もあるでしょうが。
すっかり忘れていましたが、ホンダ1300クーペは、空冷ドライサンプだったとは!
国産の量産車には、無いものと思っていましたw
追記
自分で書いておきながらですが、ドライサンプによる重心の低下とバネ下荷重の軽量化は相反するような気がしますが、
いかがなものでしょう?
ちなみにバネ下荷重軽減による効果をタイヤメーカーごとに違う数値を示すのは?w
>結局の所、皆少しでも高いモノ買って貰おうとして自分に都合の良い事書いているだけみたいな気も・・(w
私も同じように思ってましたw
39度の熱のせいでいつも以上にハチャメチャな文章スマソ。
ざっと読ませてもらって何ですがw
バネ下荷重軽減と自動車における運動部品(?w)の軽量化が混同されているような
気がするのですが。思い違いかもしれませんwなんせ昔聞いた話でw
バネ下軽量化はあくまでもサスの応答性の為ではないでしょうか。
「バネ下1kgの削減がバネ上15kgの削減」だとすると
いくら軽量化しても乗り心地は変わらないことになりませんかw
タイヤ、ホイル、Dシャフト、ミッション、エンジン等の運動部品の
軽量化が1kgの軽量化=車重における?s軽減だったと記憶しています。
ちなみにぐぐってみましたら、「バネ下1kgの削減がバネ上15kgの削減」と
たくさん出てきましたがwww 。
>>173-174 えと・・ホントに読んでて良く判りません(スマヌ・・)
まぁ、私が言いたい事はとりあえず“バネ下が軽いに越した事はないでしょうけれど、それがバネ上
軽量化の何倍の効果とか単純に言える事ではないでしょう”という事です。
バネ下重量と聞くと私が思うのは、よくある樹脂製のホイールカバーの類の事。
あれ、要らないって思うのですよね。つか、あれ自体が好きだなんて人もいないでしょうし、
必要と思っている人だって、まずいないでしょう?
大した重量物ではないかも知れませんけど。
現代では何故か鉄製のディスクホイールは黒一色に塗られるのが半ば当然となっているようですが
アレだって出始めは(当然ですけど)最新の技術という事も有り、結構洒落たデザインに加工されていたり
カラフルに塗られていたりもしたようです。
それが今では、高価な軽合金製ホイールに代える事を促すかのように、黒一色。
“本当はアルミの方が格好良いのですけど”とでも言うかのような銀色の樹脂製カバー付きが殆ど。
・・とは言え、ホイールカバー本来の目的であるワイヤーホイールの保護の為の物。
アレは結構好き(節操の無い私 w)
トヨタ博物館の収蔵車のランチア・アストゥーラ
http://www.toyota.co.jp/Museum/data/images/a03_04_3_5_2.jpg さすがにホイールカバーもプレスの安物ではなく、(恐らくステンレスの)ヘラ絞り品。
バネ下重量は・・まぁ格好良いから固い事は言わなくても良い(w
>>174 >>175 大変失礼致しました。
自分で読んでもグッチャグチャでしたw
(他スレ用のネタまで混在して書く始末、スマソ)
バネ下1s削減とバネ上何s削減が同等か?正直、一概には言えないのでしょうね。
タイヤメーカーB社では10倍、その他4〜15倍と開きがあります。
慣性モーメントの影響を考えると、タイヤ、ホイール、ブレーキの重量が各々の条件で違いますので、
計算していくと、開きが出てくるのでしょう。
サスアームに関しても、支点から同様の計算をしていくと・・・ですね。
慣性モーメントの計算方法は、積分式を要しますので各自挑戦下さいw
(コレを書くと1スレ埋めかねないのでwww)
ノーマルの車に軽量ホイールを装着した場合、当然ながら加速は良くなります。
しかし、若干の突き上げ感が生じるのも事実です。
(こういうクレーマーが最近多いようでw)
ちなみに私は、軽いホイールよりもデザインを優先しますw
多少、重くたって格好よけりゃ、あばたもえくぼ。
一つ訂正
ペラシャフト、ドラシャがバネ下のように書いてしまいましたが、明らかな
間違いです。重ねてお詫び申し上げます。
タイヤメーカーの言うインチアップ効用
重量増になった場合、百害有って一理無しだと某タイヤメーカーも逝っておりますw
ノーマルのタイヤ重量+ホイール重量>(インチアップの重量)が可能なのは
せいぜい1インチアップですが、標準でアルミ装備が多い現在、ほとんど難しいらしい。
実はサイズがデカイ米国製軽量鉄ホイールでは、違う結果がでるようですが。
ホイールカバーって、機能と意匠を分離したすばらしい発想だと思うだけどな。
鉄ホイールだけではなく、強度と重量に最適化した無骨な形状の合金ホイールに、
流麗なカバーってのもありだと思う。
カバー付ホイールというと
20年ほど前にあった無限CF-48というホイールと当時のCカーを思い出します。
このCF-48、デザインがフィンだらけwの上にOPTでカバーを付けられるものでしたが
当時の市販ホイールとしては先進的デザインでした。
ただ、フィン形状故、掃除が大変でw(実は未だ持ってる私)
同時期、ボルクのCなどもありましたが、これは好みが別れたような?
カバーから発展し、リアスパッツ装着もありますが、
個人的には格好良さを感じられないw
(どうも昔のアメ車ビッグセダンに付いていたイメージがあるんですよね)
>>179 >普通にワイアーホイール使っていればそんな苦労しないで済む筈ですし、
当時のブガッティ時代から採用されているのには、驚きました。
もしかしたら、熱対策だけでなく当時のワイヤーホイールのバランスの取りにくさも関係したのかな?
と憶測してますが。
20年ほど前、ワイヤーホイールを使用していたのですが、正直、1,000キロも走らないうちに
バランスが崩れてきましたね。
リムが異常なわけでなく、ワイヤーの張りが微妙にズレ始めると
ホイールセンターが出なくなるため、スタンディングウェーブのような乗り心地になってくるのでした。
20年前でこんな状況でしたので、70年以上前となれば・・・との憶測w
>>182 そう言われましても、どうにもスパッツは中途半端なモモヒキにしか感じずw
'93〜'95のキャディラック・コンコースにも採用されていましたが、
後期型では廃止。
珍しくスパッツの似合う車でしたが・・・。
(特に霊柩車仕様コンコースにはスパッツが厳かな雰囲気となり似合う)
今ならインサイト?が採用しているようですが、インサイト自体、滅多に見ることがないw
それはさておき、スパッツの空力効果は理解できますが、ホイール周辺のデザインを覆い隠すことになるのが
好きになれない理由かもしれませんね。
マンガ「カウンタック」のように透明なら、少しは許せそうなwww
そういえばブガッティT35のプラモデルを厨房の頃に作った記憶がある。
直列エンジン+SCという構成を見て、それが作りたくなった理由。
数年後、CGTVのオープニング登場シーンには感動しました。
モ・モモヒキ・・(泣
あのエレガンスを理解されないとは・・
・・まぁ、そうは言っても。実は歴代のシトローエンの中でもDSやAMIやGSあたりは
スパッツ履いたと言うよりもリアフェンダーの切り欠きが無いと言った方が正しいようにも思いますが。
ホイールそれだけで鑑賞に耐えられるモノってのも、そう滅多に有る物ではないと思います。
エットーレ・ブガッティさんの考案した数々のホイールは、間違いなくそうした稀有な存在の中に
数えられると思います。
他では例えフェラーリ330P4の金色に光る星型ホイールが美しくとも
250GTOのボラーニ・ワイヤーホイールが格好良いと言っても、それは車の一部として他と調和し
全体を引き立てているだけであって、ホイール単体での鑑賞に耐えられる物とは言えないでしょう。
ところでブガッティT35のプラモデルというと、モノグラムの傑作キットの事でしょうか?
日本語のインスト付きでイマイあたりからも売られていた事が有った筈。
私の手許にも一台完成済みの物が有りますが、暫く於いて見るとまた不満なところも出て来て
数年前に絶版キット屋で再入手したまま手をつけられずに有ります。
あのキットは過給機付きのT35Bをモデル化していますが、CGTVのオープニングに使用されたのは
エンジン音の話の時にも触れましたが過給機無しのT35Cだったようです。(ラジエーターの幅が異なる)
もうずっと前に他スレで書いた事ですけれど、直6も絶滅の危機にある現代に於いては
もう直8を作ろうというメーカー等は現れないのでしょうねぇ・・。
直列多気筒が生き残るのは船舶のディーゼルエンジンくらいですかねえ。
あれ、運転中に1気筒切り離して整備できるらしいので、直列と呼んでいいのかも疑問ですが。
鯖ごとアクセス規制中
>>186 そういう物があったとは知りませんでした。どんな構造なのでしょう?
自動車のエンジンでは直8が最も長い筈。
30年代フランスのヴォアザン、20世紀初頭にアメリカのウィントンという会社が直列12気筒を試みたそうですが、
どちらも失敗に終わったとか
さすがに携帯で長文はつらい(w
直6ですら現代の限界設計と1気筒当たりの排気量の増大、そしてトルクの増大によって
長大なクランクやカムシャフトが捩じ切れる程になってきてゐるのだと思ひます。
まづ第一に衝突安全の問題からクラッシャブルゾーンの設定の為直6以上では不利なのが問題なのでせうが。
昨日、前もって頼んで置ひたヌパイダのリレー貰ひにいつもの工場行ったところ
やたら156が何台も入ってゐて、うち1台がオイルパン割って焼き付かせて
エソジソ交換になってゐました。廃棄するしか無ひといふオールアルミ2.5gV6エソジソが置ひてありまして
勿体無ひので貰って帰ることも一瞬脳裏をかすめましたが、そんな物件背負って帰った日にゃ
股お母ちゃんに「こんなガラクタ拾ってきて!」と怒られるので止めました。w
その前に行った時はデイトナが入ってまして、久々にじっくりと見物させて貰ひました。
あの内装デザインはやはり安心感があります、幅こそ違へうちのヌパイダとも共通する60年代風味の
イタリアのヌポォシ・カァwの雰囲気、あれがEのです。既に数年生活の道具となってゐる75ですが
こっちのはうが何かビジネスライクで慣れては来てますが何かやはり違ふ。
車内に棚もあれば引出しもあるのはEのですがやっぱり当時のセダンはセダン。
やっと規制解除。
一つ私が不思議に思っている事。
昔は直8の純レーシングエンジンが一杯有ったのに、直6というのは意外と少ない事。
50年代のルマンに活躍したジャガーやアストンは市販車用エンジンがベースだった筈なので、
純レース用となると思い浮かぶのはマセラーティのGPカーとかプリンスR380用(GR-8)とか。
>>188 前スレでも話に出ましたけど60年代のイタリアンGTやスポーツカーの華美、流麗さに比べると
同じ頃のベルリーナは案外と素っ気無い実用一点張りの弁当箱スタイル。
内装にも同じ事が言えるのでしょうかね?
まぁ、それでもフランス車の内装よりはまだ色気が有ると思いますが。
フランス車の場合、それが思い切った造形を取り入れた内装であってもプラスティックやビニールを
他の何かに見せかけようとは全く思わないかのような質感ばかりで、つい最近までのプジョー等も
散々安っぽいと言われ続けていたようです。
でも、それもまた良き哉。掃除は楽です(w
ちょっとホイールの話の続き。
>>180でメインさんがワイヤーホイールのメンテナンスの面倒な事、昔の事なら尚更であろうと
書かれておられますが、この事に関して。
昔のロールスロイスに付属していた整備手引書には一ヶ月もしくは1000マイル毎の点検には
“少なくとも3時間30分をかけること”という記述が有ったそうです。ただしこれは木製ホイールの場合で
ワイヤーホイール付きの場合は更に40分余計にかけるべしとされていたとか。
この一文だけ見ても当時の整備の苦労が偲ばれます。
また、オーナードライバーの比率の高かったアメリカではセンターロックのワイヤーホイールが
流行らなかったのも無理は無かったとも思われます。
ところで、ワイヤーホイール自体は自動車が誕生するよりも早くから自転車で使用されていたようで、
その為か19世紀末に自動車が実用化された頃には、主流は馬車の世界から来た木製ホイールでしたが
ワイヤーホイールを使用した車も幾らかは有ったようです。
例えば世界最古の自動車メーカーとして知られるプジョーが最初に作ったガソリンエンジン付き
四輪車もそうだったようです。もっとも自動車よりも先に自転車製造で成功していた同社ならば
それも当然なのかも知れません。
このように自動車の世界に限って言うならば、木製ホイールとワイヤーホイールとではどちらが古く
どちらが新しいとは言えないのでしょう。しかし木製の方は20年代末頃を最後に滅亡したようですので
現代の我々の感覚的には、そっちの方が古臭く感じるのも無理はないところなのでしょう。
(・・現代に木製のホイール作ったら認可されませんかね? w)
軽合金ホイールっつう物は何度か触れたようにブガッティのGPカー、T35が最初のようですが
何故か第二次大戦前には模倣する者もなく、戦後暫くして(1955年)ジャガーがレースカー
Dtypeで使用するまでは忘れられた技術になっていたようです。・・なんででしょう?
特に製造上の問題があったとも思えないのですが。
さて、75、内装のみならづ走りもアテクシいつもお腐卵臭のクルマのやうだなぁ、
と思ふことがしばしばあります。っつなまぁ今のクルマに比べりゃ低ひのですが
ヌパイダあたりに比べるとはっきりハイギアードで、お陰でいはゆる”ツキ”が良く無ひ。
出足がチャリにも負ける。w 出足悪くツキ悪くゑぃゑぃと踏んでゐるうちに
気が付くと結構dでもなひヌピードになってる。w その辺がお腐卵臭っぽひです。
内装ショボひのは或る時期までの欧州車一般にさうでした、
BMWあたりも同一セグメント内では高級なのですが、3だの5だのはプラ感ビニ感シダルマ。
日本に入ってくるのはそれでも目一杯のおサレをした高級内外装仕様なのですが
欧州用なんかベンシでも激しくショボかったもんです。日本の安ピカ志向、
カローラの中身に革張りで豪華高級車、みたひな発想が無かったのでせう。
まぁバカラ仕様みたひなのもありましたが。
アルミ、私見ですが恐らく戦前はその製造に物凄ひ電力を使ふことや、
軍需物資としての性格が強く民生用に大量使用し辛かったのでは無ひでせうか?
う〜む・・。それは恐らく無いと思うのですよ。アルミニウム。ボディー等には平気で使用されていましたし、
T35あたりといえば1920年代後半、世界的には軍縮の時代でしたし。
軍需物資としてかき集められたのはもうちょっと後の時代の事のようです。
その為に、アルミを多用して作られたヴォアザン車等は現代に残っている数が少ないのだとか。
ところで、また少し話は戻りますが、ブガッティT35のブレーキドラム一体の軽合金ホイールの事。
例によって素人考えかも知れませんけど、、あれ、実に巧妙且つ合理的なアイディアと思います。
放熱性も恐らく良いでしょうし、それに、どうせブレーキドラムは必要な物なのですから、
ホイールと一体にしてしまえばそれこそバネ下重量の節約にも繋がったと思うのです。
ただ、部品そのものの大きさが普通のブレーキドラムに比べて大きくなる為か、パッドの当たる面の
真円度を出すのには苦労したようで、現代のヒストリックカーレース等で走っている個体は
当時のままのデザインで新たに作り直したホイールを履いた物が多いのだとか。
第二次大戦後、軽合金製ホイールは復活しましたけれど、このブガッティT35流の
ブレーキドラム一体構造ホイールの模倣者は出ませんでした。
ですからこのアイディアの有効性については客観的な解答は無いまま、現代に至っているようです。
軽合金製ホイールを復活させたジャガーは、レースカーにディスクブレーキを導入したパイオニア
という事もあり、今更ドラム一体構造ホイールを試みる事など考えもしなかったのでしょう。
>>190 アロイホイールは、製造コストと堅牢性確保の問題からしばらく敬遠されていたみたいですね。
マグホイールも、しばらく割れやすいと言われてきましたから。
・・・それでも私は、70年代製(?)のクロモドラとカンパニョーロのマグを愛用www
少なくともフェラーリは、メカニックからのアロイホイール導入の進言に対し、
エンツォが頑なにワイヤーホイールの使用を主張し続けたようです。
とにかく大出力エンジンと腕の良いドライバーさえあればレースには勝てるというのが
信条だった彼らしい話です。
>>193 貴重な物をお持ちですね。マグネシウムは腐食性に難有りと言われますけれど、
実際にはどんなモンでしょうか?
193さんの書き込みを読んで思い出した事。
前スレでエンジンの外見の話になった時に“昔のアルミブロックエンジンには
冷却水の染み出しを防ぐ目的で加圧エナメル塗装なるものが施されている事が多い”と書きましたが、
その事からも判るように戦前の鋳造技術では内部に空洞(スとか言いますね)が出来易く
それを検査する方法も未熟だったという事はあるのでしょうか。
1955年(大惨事の有ったあの年)のルマンでジャガーが復活させたという軽合金製ホイールですが
デザイン的には鉄製のプレス・ディスクホイールと大差は無かったようです。
http://www.motorsnippets.com/cars/Cadwell_2001/graphics/Jaguar_DType.jpg この後、ロータス等のF-1マシーンでも軽合金性ホイールは急速に浸透していったようですが
見た目に気を配るところまでは中々行かなかった様子。。
http://hemsidor.torget.se/users/p/plus2/LotusPics/lotus25.jpg ・・まぁ、これはこれで良いのですけど。
造形の自由度が高いという所に目をつけ、ホイールにも多様なデザインを試みたのは、
やはりイタリアのカロッツェリアからでしょうか。
もっともこう言う私、自分名義の車に限って言えばホイールを代えた事って有りません(w
いつもPCDが半端な車だったりという事も有りますけれど、社外デザインのアルミホイール履いた
シトローエンって格好良くないと思うのです。
191でエロスパ氏の書かれているようなフランス車のイメージというと、
代表的なのは今では半分忘れられた存在ですけど60年頃のパナールとかでしょうか。
ボディーの割りには小さなエンジン。ハイギアードで加速は鈍くとも最高速は結構高いみたいな。
http://www.delest.nl/media/img/DCP_2708.JPG この写真見るまですっかり忘れていましたけれど、このパナールのホイールはブガッティT35流とは
ちょっと違いますがブレーキドラム一体型でした。
ホイール中心近くの部分、放熱用に放射状のリブが切られているのが見えますが、
この部分は露出したブレーキドラムでリムだけのホイールがそこに直接ボルト止めされています。
この車、全長4570mm WB2570mmだそうですから2リッター級程の大きさと思えるのですが
前方投影面積削減の為か幅だけは1600mmとやや狭く、空力的なボディー形状と相まって
そのボディーサイズから想像するよりも遥かに小さな850ccフラットツインエンジンで130km/hが出せ
燃費はリッターあたり14km走ったとか・・本当かよ・・
また、この車の先代。戦後間もない頃に登場した“ディナ”はアルミ合金を主構造材に使用した車の
パイオニア的な存在でもあり、写真の形になった53年型の“ディナ54”では僅かに650kgに過ぎなかったとか。
ところが、このマグネシウム3%入りのアルミ合金、成形前に加熱して“なます”行程が不用になった
画期的な物だったそうですが、耐久性にはやはり多少の難が有ったとかで、
マイナーチェンジを繰り返す度に鉄の比率が増し、59年型では総鉄製となり車重も850kgまで増えて
しまったそうです。
ホイールの場合とは違い、曲げや捻れといった応力の掛かる主構造材ですけど、当時のアルミ合金には
未だ不備な所も有ったという事なのでしょうか。
・・って、なんだか、いろんな話に一度に通じる車ですね(w
保守。
ついで。
パナール無き後、オールアルミ製の量産車つうものはホンダのNSX迄無かったと思うのですが
NSX登場の時、新聞見ながら
「今度のホンダの新型車、全部アルミ製ですって」
と言ったら、傍にいた人で
「本当に?シートや窓ガラスはどうなっているの?」
って真剣な顔して言ったのがいました(w
車に興味が(極端に)無い人の感覚ってのはこんな物なのでしょうかね・・?
>>195 何しろサイズが2000cc並ならクルマの値段も2000cc車並だったそうだからな……
それじゃ俺でも4CV買っちゃうわ。水冷で静かだし。
198 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/08/29(火) 23:22:51 ID:BQF1fCx90
沼津にあるレストアラーってどうなんでしょうか、、、
↑ 良くご存知で(w
もしや「パナールの空気レンズ」なんて有名な(?)話もご存知でしょうか?
当時の値段とか、良く判らないのですがライバルであるルノーが同時期に作っていた2リッター級
“フレガト”の下位グレードやプジョー403等とほぼ等しいプライスタグを付けていたとか。
もしも巡航速度に大差無くとも加速はかなり遅かったでしょう。
私だったら同じ空冷フラットツインエンジン付きでもシトローエンAMIとかにします。
かなり安かったでしょうから。
・・まぁ、そうは言ってもこのパナールディナ、最盛期には年に10万台も売れたそうですから
それなりの評価は有ったのでしょうけど。
この手のアクの強い車って、惚れこむか一顧だにしないかどちらかしか無いと思うのです。
ですから当時この車の(特に仏国外の)オーナーに今で言う「顧客満足度調査」とかやったら、
凄いデータが得られたとも思うのです。「後悔するくらいなら最初から買わない」そういう車でしょう。
ところで。
このパナールのフラットツインエンジン、給排気弁が一本のトーションバー型バルブスプリングを
共有し、そのトーションバースプリングは中間に全く支点を持たないという変わった設計だそうです。
つまり、吸(排)気弁が開いている時には閉じている排(吸)気弁を基点として、捻られる。
常にトーションバーはその全長を用いられる。
これだと、給排気弁が同相に在る時点ではバルブスプリングは全く捻れていない
(バネの力が全く働かない)ことになると思うのですが、これでオーバーラップが規制される等の
バルブタイミングへの悪影響とかは無いのでしょうか?
あ、リロードしてなかった(w
>>199 メカはあの天才グレゴワール肝煎りの初代ディナからそのまま流用だからねー。
鈴木隆先生の本で語られてたけど
クランクのメインベアリングがローラーで、
しかもメインローラー相互間の摩擦を起こさないために
そこに小さなサブローラーまで入れていたのが凄い。
オール軽合金、バイク並みの一体ヘッド、ヘミのクロスフローで高回転という
1946年の設計としては確かに度肝を抜かれるスペックのエンジンではある。
しかしこのクルマを研究会のサンプルとして輸入しようという鈴木先生の案を
「ああいうイロモノは参考にすべきではない」と切り捨てたベテラン技術者は卓見だった。
グレゴワールの設計は理想に走りすぎてコケるもんなあ。
こんな凄いクルマだが、リアがトーションバーなのはともかく
フロントサスが横置きリーフスプリング二段式は独立懸架の最原始型じゃないのか?
まぁ、最後はシトローエンに吸収されたとは言え、ほぼ20年作られたのですから
“イロモノ”とか“コケた”っつう言い方は酷かと思います。
フロントサスにしても、モノコック等の改良に手一杯だったのか、結局そのままだったのは
ちょっとお粗末だったかも知れませんけど、登場した46年の時点では時流に即した物だった事でしょう。
さて・・。
>>195に貼ったパナール・ディナの写真。見ると判るでしょうがワイパーが左右バラバラな角度で
付けられています。
これ、故障している訳ではなく、これが正しい位置なのだそうです。
普通の車のように、左右同位相に付けられたワイパーが単調な動きをする事は、
運転者の眠気を誘うと考えた設計者が、わざと違和感のある角度に設定してそれを防いだのだそうです。
また、これは写真では判らないでしょうが、パナールのライトレンズは正面が凹型という変わった形を
しています。
走行中、この部分に気流が渦を作る事で、周囲よりも密度が高められた空気がレンズの役割を果たし
その為に速度が高まる程に光の収束率が高まるという合理的な設計なのです。
前者のワイパーの話は本当らしいですが、後者の方は勿論当時の(今で言うところの)都市伝説で
これが有名な(?)“パナールの空気レンズ”というお話。
これを信じたのは、他ならぬ当時のパナール・オーナー達だそうです。
ワイパーの件のような下地が有った事もあるでしょうが、溺愛して他に何も見えないような状態でなければ
“バカバカしい”の一言で終わってしまうネタでしょう。
ディナのフロントサスは剛性が低そうだね。
既にトラクション・アヴァンがウィッシュボーン装備でデビューした10年以上後だけに、
前輪駆動車としてはいかにももったいない。
戦後の車の話になると、急に人が増えますね。
未熟者の私にとっては1960年より前は闇のかなたです。
もっと修行せにゃ。
>>204 一日に2〜3レス伸びるだけで「人が増えた」と言われる哀しいスレ・・(w
・・・・更に哀しい事には、私もそう感じたり・・(ww
>>203 実は上下のリーフスプリングだけでなく、前後方向の位置決めの為にラジアスアームも追加されてたりと、
剛性には不安は無いようです。
しかし、軽量化やコスト対策の為なのか、サスペンションアームをリーフスプリングに兼ねさせるのは
良いにしても、結局その為に剛性が不足しラジアスアーム追加するようでは元も子も無いような・・。
だったら何故上下どちらかだけでもAアームにしなかったのか?と、やはり今更ながら思いました。
ディナの直接の祖先とされる(大戦前にアミルカーが作っていた)同じグレゴワールさん設計の
“コンパウンド”という小型車では「フロントはトーションバーだった」と言う記述が見られますので
恐らくはトラクション・アヴァンと同じ構成だったと思われるのですけど。
ところで、このパナールのフラットツインエンジン。
>>201さんも書かれた通りのクロスフロー。
Vツインやフラットツインには珍しくない形ではありますが後方吸気の前方排気。
まぁ、これはこれで一向に構わないのですけれど、当然そのままでは二つ並べて四気筒版を
作ろうって訳には行きません。
戦後のパナールって、一事が万事こういった具合に細部にまで凝り、まとまり過ぎているような
きらいがあり、そこからの発展が出来なかったような気がします。
アミルカーコンパウンドって
確か前後とも横置きトーションバーのトレーリングアームだったような気がしたけど・・・
違ったかな?
ディナ系パナールのリアサスもある意味凝りすぎの典型ですよね。
横置きトーションバーを何本も複雑に組み合わせた半独立サスとも言うべき設計。
別にあんなことしなくても
トラクションアヴァンやルノー・キャトルぐらいにシンプルで別段構わない気がするんですけど・・・
ま、それを言ったら戦前型パナールだって
みんながやめてもとことんナイトスリーブバルブ命!とか、
X型の変態シフトパターンとか、
バックボーンフレーム&オールトーションバーサスは立派なのに
イカレたゴス流線型ボディとスリーブバルブがアレなディナミクとか、
みんなどこか間違ってるんだが
>>206 アミルカー・コンパウンドのサスはトレーリングアームだった(かも知れない)のですか。
手許の資料だけではそこまでの記述は無いので、改めて調べてみます。
それにしても戦後のパナールの足回りって、ナンだか構造図を見れば見るほど
“なんでこういう構成にしたのだろう?”って思えてきます。
パナール自身が戦前最後に作っていた“ディナミク”(勿論後輪駆動ですが)の前輪は、既に
ダブルウィッシュボーン+トーションバーを用いていた事を思うと余計にそう思います。
恐らく、第二次大戦後のパナールは、もう戦前のような豪華な車を細々と作っていては
企業としてやっていけない事は判っていて、小型量産車の世界に乗り出したのは良いのですが
ルノーやシトローエンのように安価な車を大量に生産する能力は無かった為に
(実際、その軽合金製ボディーの生産にはファセル・メタローン社の協力を得ていたそうです)
最初から“値段で勝負”する事は諦め、その分他とは違った設計・製法を用いる事で
他社製品との価格差に説得力を持たせようとしていたのではないでしょうか。
言わばイタリアに於けるアルファロメオのように、老舗の暖簾の力を借りた収益率重視の
中規模量産企業を目指したといったところ。
もっともパナールの暖簾にアルファ程の有り難味が有ったかどうかは疑問なのですが。
エミール・ルヴァッソール直々の設計になる元祖システム・パナールですね。
こんなもんを50時間もぶっ通し不眠不休で運転してレースに勝ったんだから
ルヴァッソールという人はとんでもない香具師だったと思います。
↑だうもルヴァッソール家墓碑に見へますな・・・。w
さて、このパナール足、アテクシには後期型おパンダやらY10のオメガ・サスに見へます。
もし、これが後ろ足つうか駆動輪側であれば車輪を保持する車軸とデフ・ドライヴシャフトが別になり
それはまごう事無きド・ディオンになります。
ド・ディオンの定義は「固定軸のうち車軸とデフ・ドライヴシャフトが一体で無ひもの」です。
おパンダetY10のオメガ・サスの場合、Ωと言っても実際にはこのパナールに似たΛ型で
異なるのはコイルバネであることぐらひ。
http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g40707896 エラひ資料添付でナンですがw
トレーリングアームもちゃんとあります、つかこれ無かった日にゃサスがあっちこっち向ひて使へません。w
この当時、アテクシY10ターボ・アバルトの購入真剣に考へた時期でありまして
当時の発表ではこのリアサス、横Gによって若干のステア機能も持ち
当時流行りの4WS的に作動する、と言はれてました。
トーションバー、うちの汁75までのアルフェッタシャシではバネ下軽量化の為です。
が、その改造版のES30ではコイルに替へてあります。恐らく極度に下げた車高の為
リフターが前輪には付ひてゐるのですが、その作動の為と思はれます。
それと既に当時、ぃあアルフェッタの頃からその萌芽はあったのですが
タイヤがバイアスからラジアルにとって代はられホイールも大径化幅広化し
バネ下の重さが今更だうにもならん程重くなっていく時代でもあったのです。
ちょとやそっとサスで軽量化してもタイヤ周りで全て相殺され食ひ潰されてしまふ、
さういふ状況でトーションバーも糞も無くなってゐったのださうです。<昔アバルトヌレで教はったこと
しかしこのディナ時代にはまだまだ有効でしたでせうし、だうせトレーリングアームが要るなら
その先っちょ遊ばしておくよりトーションバー付けてバネ下軽減はアテクシには非常に合理的な発想に思へます。
>>214 “ちょっとヘン”だから良いのですよ(w
その写真は4扉のセダン型ですが、こちらの2扉クーペ(コーチ)の方は、窓配置も更にヘンで
大変よろしいです。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/6a23.jpg?bcsQYcFBcg4dzDLN この写真の出展元の著者・佐藤章蔵氏はこのデザインを「漫画」の一言で片付け・・・・(泣
>>213 上にパナール・ディナの後輪懸架の図(別にアレもド・ディオンと呼ぶと思った訳では無いです。念の為)
貼った時に「何かに似ているなぁ・・」と思ったのですがフィアットのΩもそうでしたか。
アレに似ているって思ったのかなぁ・・?
両者を比較すると、フィアットの方がパナールのリアに比べると、より中央のチューブが太く、
トレーリングアームには角度が付き細い為、剛性は高そうですが半独立的作用の狙いは
希薄なように見えます。
ところで、パナール・ディナの直接の祖先と考えられているアミルカー・コンパウンドって車。
その頃には既にアミルカーはオチキスに吸収された後だったので、実際にはオチキス社の製品でしたが
戦後復活を狙ったオチキス社からも、48年にその名も「オチキス・グレゴワール」という名前で
コンパウンドの発展版が出ています。
http://www.automag.be/IMG/jpg/Hotchkiss-Gregoire.jpg これの他にも、グレゴワールさんがオリジナルを描いた、似たような内容の車が、イギリスではケンドール
オーストラリアでもハートネットという名前で計画されたそうです
(・・GM辺りの世界戦略車でもあるまいし w)
しかし、パナールのみを例外にして、他は皆少数が作られた程度で挫折してしまったあたりは
やはり“グレゴワールの設計は理想に走り過ぎてコケる”と言われても仕方の無いところでしょうか。
>>215 あ、オチキス・グレゴワールも縁でボルト止めのリムだw
一皮剥くと滅茶苦茶変なメカが収まってるんだろうな(ワクテカハァハァ)
グレゴワールの設計で唯一それなりに売れた車になるんでしょうね、ディナ。
トラクタ・ジョイントを考案し、自作の前輪駆動車トラクタでルマンに出場し、
モータースポーツ小説まで書いた才人ですが、
こういう人はなかなか世間的な大成功を収めにくいのかも。
ぅーみゅ、オチキス・グレゴワール、エロ小屋整備で発掘されたヌーペルCG第18号にあったぞ、
と思ひほぢくりだしてきました。
http://cocoa.gazo-ch.net/bbs/38/img/200609/954485.jpg http://cocoa.gazo-ch.net/bbs/38/img/200609/954494.jpg http://cocoa.gazo-ch.net/bbs/38/img/200609/954498.jpg ページ丸々ヌキャソしてもEのですが、まぁニ玄社さんに申し訳無ひので写真の一部のみ。
詳しくはリソドバーグあたりで古本漁って下さひ。
尤もオチキス・グレゴワールを詳しく知りたひ人もさう多くはゐますまひが。w
ところで、フレンチ・オチキスつうとアテクシ的には機関銃メーカーといふ印象があるのですが
これと関係あるのでせうか?
で、このヌーペルCGの見開き2ページ、
「サヨナラ・パーティー・TO・ジャン-アルベール=グレゴワール」となってゐて
パリ郊外の旧トラクタ工場でのグレゴワール氏追悼集会の模様であります。
最初の写真はその旧工場構内に集まったオチキス・グレゴワールであります。
本文からの一部抜粋。
”これらの高度に洗練された効率のよいマシーンたちは、すべてグレゴワールのブレーン・チャイルドであった。
彼は生涯にだだひとつ、大きな過ちを犯した。それは彼が時代に先んじすぎたのである。
彼は1927年のルマンに自らトラクタのステアリングを握って走ったが、
その車は彼の発明になる"le joint homocinetique Tracta"(トラクタ式等速ジョイント)をもつFWDであった。”
”1932年、彼は軽くしかも強靭にするため軽合金を多用することを考え、
アルミニウム鋳造のシャシー・フレームを案出した。それはアドラー・ユニオール、
アミルカー・コンプーンド、パナール・ディナ、オチキス・グレゴワールなどに応用された。”
以上、原文ママであるます。
一番下のスパイダーボディ、現代にも通じる美しさですね。
初代フェアレディにも似ていますが、影響を受けていたのでしょうかね。
>>217 オチキスはエロ先生の言われるように元々マシンガンで有名な兵器メーカー
乗用車から撤退した後はジープタイプの特殊車両を作っていた筈です。
戦車も作ってましたな。なんだか弾がココココ…と出てきそうだ。
>>219 オチキスはあんまりメーカーとしての存在感がないなあ。
ドイツのボルグワルトとかイギリスのスタンダードのような影の薄さというかw
ボルクハルト(ボーチャード)ピストーレンwが後のルゲルw(ルガー)にの下地になったやうに
オチキスはパナールの下地になったのでせうかね?w
>>223 ボケ過ぎです
GM謹製グリースガンで45ACPカンチョーしてあげませう
45オートのどんぐり玉撃つならミシンのシンガー社製M1911A1で宜しひかと。
つか、鉄砲ヲタヌレではありませんでしたので閑話休題、して股閑話。
このグレゴワール先生発明になるle joint honocinetique、
上記ヌーペルCG誌によればこのパテントはその後世界中の軍用4WD車両に使はれ、
股アドラー・トルンプ・ユニオールはフィルデナント・ポルシェ博士が個人的に
ヒトラーと繋がりを持ってゐなかったなら(双方オーストリーの出)、
これが国民車ヴォロクソ・ヴァーゲンになってゐた可能性があるのださうです。
さう考えるとこのグレゴワール先生、
少なからず軍用関係にもご縁のある方のやうにも思へるのです。
初代ジープの前輪ジョイントはダブルカルダンもしくはトラクタだったしね。
(ワイスジョイントも一部あったみたいだけど)
DKWも最初の前輪駆動モデルからトラクタジョイント。
一方シトロエンがトラクシオン・アヴァンや初期形2CVで
ダブルカルダンを続けたのが何となく興味深い。
う〜む・・。まさか戦後のパナールだのオチキス・グレゴワールでこんなに話が続くとは・・。
最初にパナール・ディナの名前出した時には、デューセンバーグの話書いて放置された事を思い出し、
「この車の話では盛り上がらないだろうな」って思ったのに・・このスレ読んでいる人の嗜好はワカラン(w
>>216 オチキス・グレゴワール、手許に構造図は無いので詳しい事は判りませんけど、例えば前輪の懸架方式。
“ウィッシュボーンとベルクランクで水平に置いたコイルスプリングを押す、独特な形式”
って手許の本には書かれています。そう言われると、現代のフォーミュラカーみたいなのしか
思い浮かばないのですが、実物はどんな物だったのか?
調べてみれば他にも面白そうな機構は一杯有りそうです。
デタッチャブルリムのホイール自体はこの時代の車には珍しくなくって、ルノーあたりも50年代には
使っていたようです。
戦後のパナールは一貫してこれを使い続けたのですが、
ドラムブレーキだった頃には
>>195にも書いたように「放熱の為」という理由も有ったと思うのです。
しかし60年代にもなり、ディスクブレーキを採用してからも、わざわざブレーキを丸く囲ってまで
この形のホイールを使い続けていたようです。
こうなるとただ単に好きでやっていたとしか考えようが無いところ(w
しかし、兵器メーカー等として残ってた元自動車会社って結構有るみたいですね。
元々そんなに大きな規模で車作っていた訳では無かったから、切り捨ててもナンとかなったという事?
ゴーン氏のリストラ策で売却になってしまひましたが
荻窪の今伊勢丹クィーズシェフw、その前日産アプリーテ、
古くはプリンス自工工場、その前は多分中島飛行機だったのでせうか?
あそこ日産荻窪工場だった頃は日産の航空宇宙部門、
ロケットぃあはっきり言へばミサイル工場でありました。
我が国のJ隊でも愛用、ヌイヌ・エリコン社製対空機関砲L90にはアナログ・コンピュータを積んだ
電源車つうのがセットになっております。これも国産ライセンス化されてますが
元々はポルシェ製。なにせポルシェは戦時中戦車も作って、あの巨大戦車マウスにも
例の3桁の番号があるのです。(何番だったか忘れましたがw)
旧軍時代から軍と関係の深いポルシェ、そこから出た半官半民のVW、
ポルシェ何度も潰れさうな時期がありましたがなんやかんやで潰れないのは
国策会社的に潰せなひ事情があるの鴨知れません。
ジーク・ハイルはダイムレル・ベンシばかりではありませんぞ。w
空力と軽量化の鬼のようなイメージのあるポルシェさんですけれど、Sシリーズベンツのような
力押しの車も作れば戦車も作る・・。そんな事に費やした時間を自動車に向けていられたら、
もっと面白い物が沢山残ったのかも知れないのにねぇ・・。
さて、強引なネタ振りですけど話はパナールがらみに戻り、空力と軽量化と言えば
セダン型を更にそっちに洗練させたパナールCDっつう車が有りました
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=749 この“量産セダンの空冷フラットツインを流用して作られた二座クーペ”というコンセプトから、
日本人が思い浮かべるのはトヨタのスポーツ800(でしょ?)
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=767 トヨタスポーツの開発陣がパナールCDを知らなかった筈はないでしょうが、
この両車、比較してみると意外な程に似ていないのは面白いところ。
元になった量産車が全く違うのですから駆動方式その他が異なるのは当然としても、
パナールCDがGT的性格が強いのに対し、トヨタの方は飽くまでその名の通りスポーツカー的。
それを端的に表わしているのがボディーサイズで、パナールの方がなんと420mmも長い。
この違いが生まれた原因は、当時の両国の道路事情の差や設計コンセプトの違いもあるでしょうが、
19世紀から既に風洞実験が行われていた国で生まれたパナールと、ほぼ設計陣の心眼から生まれた
トヨタスポーツとの違いでもあると思うのです。
トヨタスポーツは実は巷で言われている程には空力的には洗練されていないかも知れませんが、
もしも当時、トヨタに風洞の設備が有って実験を繰り返してデザインされていたならば、
あの引き締まった好ましい形にはならなかったかも。
初期のポルシェも、実は“こちら側”の住人であった筈なのですけどね・・。
パナールCDとトヨタスポーツ800で、近いところにあるのは車重くらいでしょうか。
共に580kg。昔の車は軽かったとは言え、やはりこの数字は大したもの。
参考になるかどうかは判りませんけど、ホンダのS800は710kg、ビートが760kg。
最近の軽自動車はほぼ800kg超が当然。
戦後最初のパナール・ディナもCD等と丁度同じくらい。ついでに同時代のルノー4CVやシトローエン
2CVのサイズも調べると。
WB 全長 全幅 車重
パナール・ディナ 2140mm 3823mm 1440mm 575kg
ルノー・4CV 2100mm 3606mm 1430mm 555kg
シトローエン2CV 2400mm 3780mm 1480mm 490kg
いずれも50年代初め頃の数字。
水冷4気筒エンジンを持ち、高価な素材の使用もパナールに比較すれば僅かである事を思えば
ルノー4CVの軽さも大したモノ。
・・2CVは、・・ねぇ・・
・・・・・・(w
↑ 見事にずれたな・・(スマヌ・・ w)
4CVは地に足の着いた手堅い合理的設計
ディナは無謀ギリギリな野心的エンジニアリングの産物
そして2CVは
大メーカーが社長ぐるみ身体を張っての壮大なネタです
ありがとうございました
(そのネタはバカウケして40年続きましたが)
他の板でノッキングとオクタン価についておおざっぱに説明したら、「くるまオタクは来るな」と
それほど遠回しでもなく言われてしまった。聞かれたから答えただけなのになあ。
ちょっと愚痴らせて下さい。
オクタン値と言うと軍板で旧軍の飛行機をアメ公がテストした時の燃料云々で少し荒れてたのを見たことがあるな。
しかし軽い車と言えばスズキTwinドクオ一人じゃ乗れない車だがまじオヌヌメ
つーかレース出たいよこの車で。JAF戦には出られないとか聞いた覚えがありますがw
エロ小屋大整備続編で太古のPCバックアップディスクが発掘されました。
その中から出てきた一品。背景からこれはまごう事無きドイッチュラント、何時のものなのか。
御馴染みのコレ、軽ひクルマつうか本来これはバブルカー、キャビンヌクータでせうが。
http://cocoa.gazo-ch.net/bbs/38/img/200609/964288.jpg 元ネタet出典不明です、こんなのにこんな御パニエでパンパンのスカートが収まるといふ。w
他にも大量に出てきましたフェチ画像、KUNIヌキャソとか何だとか。
しかし車関連はこれ1枚だけだったといふ・・・★。w
2CVは他の車と比較してもあまり意味がないのでしょう。半分農機具ですから(w
スズキのツインも軽かったのですねぇ・・。最も軽い仕様で570kgですか。
でもあれでレースとなるとどんなものでしょう??
そう言えば最近何処かのノーマルカー耐久レースに2CVで出た人がいたそうですが、
トラブル抱えてハザード点滅させている車にも抜かれたとか(w
軽い車の極めつけと言うと、以前このスレで出た話の一部蒸し返しになりますが
最初期のロータスセヴンが330kgとか、オースティンセヴンが350kgとか・・
第一次大戦直後にフランスで定められたサイクルカーの規定が“1100ccで350kg以下”だったとか。
この辺が四輪車として成立出来る最低限度なのでしょうか。
もっとも、サイクルカーの一群の多くは規定内に収める為に、重要な強度部品
(例えばフロントアクスルビーム)すら木で済ませていたりと、とても恐ろしくて乗れたモノでは
無さそうな代物だったり・・。
>>233 オタクっつうと、周囲の空気も読まずにゴタク並べ出す人が時にいるから嫌われるのでしょうかね?
このスレ始めたきっかけもそんなところかも。
>>235 む・・恐らくは60年代の写真と思われますが、メッサーもさることながら、後ろのコブラのような
ロードスターが気になる・・。
さて、クルマをたく来るな、で思ったのは
だうやら昨今つまらなひクルマ程出来の良ひEクルマ、
といふ価値観が固定し支配的になってゐるやうなのです。
マックと牛丼しか食ったこと無ひ連中が味を語り、その価値観だけが全て、
そこから外れるものは、つまり彼らが理解出来なひものは存在してはならなひダメなもの。
吟味し手間ヒマかけた、結果高額になる料理はダメなもの、
適当で上っ面だけで薄っぺらな味でも食へて腹が一杯になり安けりゃE。
股はアテクシよく例へる100円ライター価値観。
火さへ点けばEあとはだうでもEなら100円ライターに勝るものはありません。
その機能だけを全てとするなら100円でE、確かにライターの本質は着火機能、
それが100円で満たされるならこれ以上高性能で高機能なものはありますまひ。
しかし、それだけではつまらん、感触や感覚、
さういった数字スペックとして表記出来無ひ部分の愉しみそれが100円ライターの価値観のみで、
100円ライター的世界観の中でしか生きてこなかった人達には理解出来無ひ。
何故S.T.デュポンやカルチェやダンヒルが存在するのか、
その世界観やその価値観を愉しめる人を理解出来無ひのです。
そして決定的なことは民主的と言ふことは即ち衆愚の美名ですから
数の多ひ衆愚こそが決定権を持つ。100円ライターの世界観こそ唯一絶対の価値観に今やなったのです。
だから走る衆愚、4輪を付けた100円ライターメーカーを絶賛するのです。
彼らは100円ライターに金箔貼りました、とか胴体をカーボンで作って\1,000ライターです、
そんなレヴェルでぐるぐる回って議論し差別化し得意になってゐるのです。
とてもつまらなひ、とても浅薄。
しかし、浅薄で無教養であることが正しく、彼らが何の努力も無しに理解できなければならなひ。
逆に言へば、努力しなければ理解出来無ひこと手に入らなひことは悪なのです、現代は。
勉強しなければ付いて行けなひことは勉強しなひ自分が悪ひのでは無く
そんな低脳な自分に分かるやうに教へなひヤシが悪ひ、この理論こそが正しひのが現代なのです。
100円ライターの例えには少々異論も有ります。
100円ライターが好きだという人も滅多にいないであろうという意味で。
私は家で使うライターと持ち出し用は別にしていて、外で使うのはBICと決め、他は使いません。
BICライターそのものが感触その他いろいろを含めて好きなのです。
・・まぁ、それがどうしたと言われたらそれ以上何も無い話ですが・・(w
仮にAT限定免許だったり、ATしかずっと乗っていなくてMTに乗れなくなった人だったりすると
ノンシンクロのギアボックス操作の話とか、ダッシュボードからシフトレバーが生えたプッシュ&プル式
とか、コラムシフトのスローな事とかの話になったら何も判らない。ついていけない。
自分の理解出来ない話で他の人が楽しそうに会話して、置いてけぼり食らわされる。
そんな事への恐怖(みたいなもの)に怯える人がいるように思うのですよね。
いろんなところで。
>>237 それもやり過ぎると鼻持ちならないスノビズムとなって顰蹙を買うんですけどね
>>238 BICは100円ライターの中では点火が確実でいいです。
>>239 確かにねぇ。何でも程度問題。
その一方で誰かが顰蹙買ひながら補正もせねばならん訳で。
まぁ尤もアテクシがその役やる必要も義務も無ひのですが。w
そして誰かやるだらう、誰かやれと言ひつつやれば悪口言って足引っ張り
愚痴だけこぼしてりゃ世話無ひ訳で。ぃあアテクシもそのクチです。
思へばアテクシ風情がこんなとこで何言っても詮無き訳で、
本来公的発言の出来るポジションの人が声を上げる義務があるのですが
それを商売にして食ってるとやはり世間を真っ向から批判は出来んのでせう。
そしてずるずると低きに引きずり込まれて行く。恐ろしいことです。
まぁ、言っている事が正しくとも言い方やタイミングを誤まれば角が立つし、
最悪、言っている事も言い方も正しくても、相手の虫の居所が悪かったなんていう
つまらない理由で角が立ったり。
・・此処でそんな事話しても仕方ない事ですし、面白くもないでしょうから話を戻しますが。
パナールの初期に於いてその設計を受け持ったのは世界初のレーシングドライバーでもあった
(と、言って良いでしょう)エミール・ルバッソールであり、発明者に敬意を表わすならば
“システム・パナール”も“システム・ルバッソール”と呼んでも良いとか。
このエミール・ルバッソールさんのお言葉に
「重く作れ。しからば丈夫ならん」っつうのが有るそうです。その一言から考えても、戦後のパナールは
180°の方向転換をしたと言えるのでしょう。
そんな調子でしたから、黎明期のレース界では強かったパナール車も20世紀始めには
その他大勢の中に埋もれ、更にエミール亡き後は技術的には一歩遅れた保守的メーカーとなり
以降、レースには無縁を決め込み、戦前一杯は高価格な車を細々と作るだけで終えています。
とは言っても。強度を重要視すれば重量が嵩むのは無理も無い話で、
現代でも(重く作ろうとしている訳でもないでしょうが)オフロード車が重くなる傾向にあるのは
仕方の無い事のようです。そう思えば町から一歩でも出たら全て無舗装が当たり前の頃には
エミール・ルバッソールさんの言う事もある程度はもっともだったのかも。
丈夫もさることながら今も昔も乗り心地に一番効くのは重量であります。
手っ取り早く乗り心地良くするなら重ひ車体に細く大径のタイヤ、これです。
昔のアメ車のブワンブワン・ダヨンダヨン、あの安直なサスにも関わらづ
あの乗り心地を得てゐたのはひとえにその重量のお陰でありませう。
走るクルマとは正反対の方向性ですが、
思へばファミリーカーなどはこれが正解なの鴨知れません。
現代のクルマ、これ股衝突安全の為非常に重くなってきてゐます。
それこそアルファ156GTAなぞ前輪荷重が900`超へる、
なんぼFFでもEんでせうかタイヤ2ヶにジュリア1台分の荷重は。
そしてアテクシ思ふのは衝突の衝撃のエネルギーは速度の2乗に比例し
且つ質量に比例します、となれば重ひクルマほど衝突の際の破壊のエネルギーは大きひ。
なんぼ頑丈になってもこれでどれほどの意味があるのだらうか?、と。
ぶつけられたはうは堪ったものではありますまひ。
>>237 センセ、センセ、おっちゃんが憑依してまっせ。
おっちゃんはどうしているのでしょう?前スレで私が変なネタ振って怒らせたみたいな気がして
気が咎めて(そうでもないかな・・?w)いるような、いないような・・。
>>242 そこで2CVですよ(w
あんまり2CVの事を書くと私の持病“2CV買いたい病気”がぶり返すのですけど。
軽い車重でもソフトな乗り心地。それを可能にする比較的大径で細いタイヤ(125-15Rなんてあれだけw)
ソフトなスプリングでも容易にボトミングしないたっぷりとしたストローク。前後関連懸架。
衝突安全性は・・。まぁ、ぶつかった相手にやさしいなら仕方ないと諦める(w
現代の車、重くなった分だけ昔の車よりも乗り心地は良くなったかと言うとそうでもない気がします。
バネ下もそれなりに重くなっている事、タイヤのロープロファイル化(ラジアルの一般化も含めて)
操安性を重視して固めのスプリングが多い事等がそう感じさせているのでしょう。
それに、乗り心地の為に重量が増しても良いとは誰も言わないですし、また言えない筈。
軽い分2CVは安っぽいでしょうけど、ただ単に安っぽいのではありません。
“もの凄く安っぽい”のです(w
何せ天井は布一枚。内装材など無きに等しい。しかし上の方で比較したパナール・ディナ
(乗った事ないですけど)やルノー4CV(赤ん坊の頃に乗った事が有ると親に聞いたけど記憶に無いw)
よりも、WBや幅の数値から判るように、中が一番広いのは間違いなく2CVだった筈。
うむ・・家のトヨタ車の車検っていつだったっけ・・(w
福山自動車時計博物館で4CVに乗り込んだことがあるが、
幅は2CVとどっこいどっこいじゃないか。
あの空間はなかなか落ち着けるものがあった。
ディナは4CV並らしいが、ディナ54になると1.6m幅だから
さすがに2CVよりは広いと思うよ。
イベントでルノー4CVのリアシートに乗った事がありますが
そっちの広さは2CVの圧勝だったような気がします
4ドアで乗るのが楽な事やキャンバストップの開放感も大きいですし
>>245-246 中々具体的ですね。ディナ54ともなれば既にかなり別なクラスの車。此処で比較したのは230に
書いたように戦後最初のディナです。
2CVの広さって、確かに気分的な物が大きいのですよね。
1480mmという全幅は現代の軽自動車と等しいのですが、後方から見ると台形そのものの形状故、
実際の有効室内幅はそれよりも僅かに少ないでしょう。
それでも頭上に大きな空間が有る事とか、キャンバストップ開けたときの開放感とかで
なんとなく誤魔化されて広く感じるように思います。
(うむ・・持病が・・w)
まぁ、正直にミもフタもないことを言ってしまえば。
私は例え安っぽくとも2CVが理屈ぬきに好きなので、冷静な判断なんて出来ないのですけど(w
初期の2CVは全く生産が受注に間に合わず、地方に暮らす医師等を優先せざるを得なかったそうです。
この頃、シトローエンの経営者であり2CVの企画にも深く関わったピエール・ブーランジェ自身が
この車の主な納入先について「車を必要とする職業であり、かといって普通の車は高価で買えない人」
と語ったとか。
・・メーカー自ら“普通の車”とは別種のものと認めた2CV(w
シトローエン2CVは48年のパリサロンで発表され翌年7月から販売は開始されましたが、
最初の内は中々生産も軌道に乗らず、この年に納車されたのは僅か924台に留まったそうです。
49年のシトローエンでもそんな調子でしたから、戦後更に間もない46年発表のルノー4CVとなると
48年初頭の時点で日産僅かに12台に過ぎず、この年の終わり頃になってやっと日産225台といった
レベルに達したそうです。
同じ頃、パナール・ルバッソール社には鋳造部品を多く使用したディナのアルミボディーを
大量に生産する力が無く、ファセル・メタローン社の協力を得ていた事は以前にも書きましたが、
戦前からの大メーカーだったルノーやシトローエンですら戦禍からの立ち直りには苦労し、
中々生産が軌道に乗らなかったこの頃の事ですから、かつては高価格の大型車を細々と作るだけの
メーカーだったパナールにしてみれば、そうした外注を多用する生産方法に頼らざるを得なかったのも
無理は無かった事でしょう。
もっともこうしたやり方では売り上げの割りには利益は上がらなかったのか、54年の二代目ディナでは
大型の鋳造部品不用の設計にして、ボディーを自製するようにしたそうです。この変更により、それまで生産の
7割をパナールからの注文に頼っていたファセル・メタローン社が突如として設備過剰に陥ったことも
あの戦後フランスの例外的な高級車“ファセル・ベガ”誕生の一因であったのだとか。
この頃のファセル社、パナールの他にもシムカやフォードのボディーも作っていたそうですが、
もしや(手許の資料にはその旨は書いてありませんが)オチキス・グレゴワ−ルのボディー等も
ファセル・メタローン製だったのではないでしょうか?
エロスパ氏がスキャンされた画像の中にあったコクピットの写真、如何にも木目印刷した金属板加工に
特許を持っていたという同社らしい特徴が見られるように思うのです。
>>249 ファセル受け持ちのシムカ、フォードは何れもスペシャリティーのクーペモデル分だけだったはず。
生産規模は多寡が知れている。
それだけにパナールに降りられた影響は大きかっただろう。
逝ってるが来ないから保守しておこう
↑ はぁ、どうも・・。どうせなら何かネタ振って下さい(w
シムカの名前が出たところで、今ではあまり語られる事も無くなったこのメーカーの事でも書こうか
と、思ったのですけれど、考えてみたらパナール以上に書く事が無いような気がしてきました。
大体、フィアット車をフランスで生産することから始まったこのメーカー。オリジナルのモデルというと
51年のアロンドから68年の1200辺りまでと案外に少ないですから。
そんな中では、以前五木寛之さんの小説「雨の日は車をみがいて」の中に出た事でちょっと話に出た
60年代始めに発表された1000なども代表的なモデルの一つと言って良いのでしょう。
しかしこの車にしても、当時は珍しくなかったリアに水冷の直4エンジンを積むという成り立ちであり、
同時代のルノー8やヒルマン・インプ等とイメージが被ってしまう分。だけ影が薄いように思えます。
更には、ルノー8には(かつてはシムカと縁が深かった)ゴルディーニの名前が付けられた
高性能版があったり、ヒルマン・インプにはコヴェントリー・クライマックスの息が掛かったエンジンが
乗っていたりという"売り文句”が無い事も、この車の印象を地味にしているようです。
シムカ1000の方にも、高性能版(ラリーU)が有って、1.3リッターに拡大され高度にチューンされたエンジン
大径のヘッドランプやフォグで飾られたフロント等は結構格好良いのですけれど、
この手法もほぼ同時代のルノー8ゴルディーニと似たようなものでしたし。
もっとも、それ以上に日本独自の理由として。ルノーも日産を傘下に収めるまではインポーターが
目まぐるしく変わり、買った後の事を思うと中々手を出し難いメーカーの印象がありましたけれど、
シムカに至っては全く輸入されなかった時代が長く続いた事が、このメーカーの印象を薄く感じさせる
最も大きな原因なのかも知れません
映画「現金に手を出すな」でルネ・ダリィ演じるリトンがアロンド運転してましたね。
リアシートにはジャン・ギャバン扮するマックスが女性二人と押し込められてました。
よく考えるとマックスの愛車はフォード・ヴァデットだったな。
まー一番面白いシーンで活躍するのはトラクション・アヴァンなわけだが。
フォード・ヴァデット(ヴデット?)
http://images.amazon.com/images/P/2726883451.08._SCLZZZZZZZ_.jpg こういう、これと言った特徴の無い車っつうのは最も話題に上り難いでしょうね・・。
保存しているマニアさんとかっているのかなぁ・・?
この車のエンジンって、36年に発表された2.2リッターのV8だそうですから、
恐らくはドイツフォードや英フォードでも作られていた60HP型と同一の物でしょうが、
ドイツや英フォードからは戦後そのエンジンを積んだモデルは出ていない筈(自信無し)
一応はフランスフォードの独自モデルという事だったのでしょうか?
>>254 その映画は見ていないと思います。全く記憶に無いので。
今、貸しビデオとかでその映画を見てシムカ・アロンドやフォード・ヴァデットが判る人って
一体どのくらいいるのでしょう?(w
フランス・フォードはシムカに吸収され(54年)そのシムカもクライスラーに買収された後
プジョー傘下入りした訳ですが、元々(向こうの人にとっても)地味な印象のメーカーだったのでしょう。
同じように傘下に収めたシトローエンは、プジョーとは異なるキャラクターを持つ為か
その名前や独自性を残されたまま現代に至っていますけれど、
シムカ(クライスラー・フランス)の方は一時期タルボの名で市場に出ましたけど、結局は
プジョー本家との差別化が出来なかった為か、その名前は今や跡形も無くなってしまったようです。
>>255 1954年おフランス製の渋いギャング映画ですよ。
名画として日本でも有名です。レンタルや格安DVDも多く出てたと思う。
ステン・ガン引っ提げての抗争ではタルボ(だっけ?)でのカーチェイスシーンもあります。
当時はアフレコだから本物の音かどうか判りませんが、
トラクション・アヴァンの発進していくシーンなどでエンジン音とか聞けます。
詳しくはこちらでも。
ttp://www.nikkei.co.jp/style/cinema/0011/index.html >「誰の、車だ?」
>「俺のだ」
>「100万ってところか」
>「もっとするぜ、そこらの車とはわけが違う」
>「5000万と100万だ。見ろよ」
>暗いガレージに光るヴァデット*のトランクを開けると、5000万フランもの金塊の入った重たい鞄が並んでいる。
実にカッコ良く、泣けるシーンですわ。
ヴァデットはフォード・フランスの独自モデルですが、デザインやメカについては、
同じ1949年式のアメリカ本国のマーキュリーのまんま縮小版だとか言われますね。
1952年にファストバックスタイルをノッチバックに手直しして、そのまま1954年まで生産されます。
確かに戦後も乗用小型V8を作っていたのはフォード・フランスだけです。
(トラックまで入れるとちょっと判らん)
ブリティッシュ・フォードの戦後V8は、小型V8用シャーシにフルサイズV8載せた「パイロット」だけ、
ドイツ・フォードはそれどころじゃないという状態で。
見て判る香具師は変態の類でしょw
トラクション・アヴァンのエンジン音は聞けても大して嬉しくないかも(w
別に面白い音でもないですし、第一この車って何故か私の中での珍車度はGS以下なので(w
49年マーキュリーと言えば、以前他の話題でゲーリー・クーパーさんと一緒に写っている写真を
上げた事がありましたので再び
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/4cbf.jpg?bc3AVhFB2zyoHPaA 小柄なフランス人がヴァデットの前で同じポーズとったら、大体似たような比率になるのでしょうかね?
と、与太はともかく(自分で書いたのですけど)。
ヴァデットに積まれた小型V-8って、アメリカ本国では37年式にそれまで安価版に積まれていた
A型以来の直4と代わる形で登場したものの、このサイズではやはり経済性などからV-8は
不利だったのか、41年式では新設計の直6に代えられたそうです。大きい方のV-8が53年式にまで
使われた事と比較するまでもなく、かなり短命でした。
ところが税制で有利という事もあり、欧州では戦前一杯のみならず戦後もフランスで
ヴァデットに積まれて生き延びたのはさすがに物持ちの良い(しぶとい)フォードらしい話。
このヴァデットって車、256さんも書かれたように形はモダーンな純戦後型ながら、
中身は如何にも当時のフォードらしい保守的な設計だったようです。
それでも前輪が独立懸架になった等と、戦前型からは大きく進歩しているのですけど。
まぁ、何でも新しければ良いという物でもないでしょうが、トラクション・アヴァン型シトローエンが
戦前から浸透していたお国柄ではデザインとV-8(SVでしたけど・・)エンジン以外には
あまり見るべきモノが無いと思われても仕方の無いところだったかも。
シムカはアバルトがベースに選んだことでだけ有名ですね。
フロアパンに補強が入れてあってフィアット600より剛性が高かったのが理由だそうですが、
本当のところはどうだったんでしょう。
後は「ユンボのオリジナルはシムカ製」ってトリビアくらいで、ラリー以外のシムカ車は
見たこともないですね。
>>257 やはり「今更SV」という所はあったかも。
シボレーの「ストーブボルト」6気筒OHVはアップデートしながら四半世紀保ったもんねえ。
>>258 アバルト・シムカですか。正直この辺はあんまり良くワカランのですけど、多分シムカ1000のシャシーを
ベースにしていた筈。
>>259 まぁ、フォードの“EARLY-V8”も21年続いたのですから充分長命でしたけどね。
50年代前半までSVが通用したのは、やはりアメリカならではの特殊性。・・と、言う訳でもなく
英フォードではナンと61年までSV1.2リッターの“ポピュラー”が作り続けられたのでした。
・・という話は前スレでも書きましたけど、さすがは何でも古いモノを有り難がる変人の国、英国(偏見?w)
ところで。258さんが「ラリー(シムカ1000“ラリー”の事でしょうか?)以外のシムカ車は見たこともない」
と書かれるのも無理は無い話で、
平凡なファミリーカーとしてかなり割高だった輸入車を使う人なんて、昔はいませんでしたよね。
早い話、輸入車と言うと趣味性の強い車が多かった訳で、その為か現代でもベースグレードは
正規輸入されていない車、トップグレードだけしか日本には入らない車が多いようです。
この事から、私等日本人が抱くイメージがかなり偏っている車種って結構有ると思うのです。
例えば以前フランス旅行した時に素のルノー8を見た事が有りますが、あの車って大径のランプやら
フォグやらで武装した“ゴルディーニ”のイメージが強かった為に一瞬車名が出て来ませんでした。
メーカー側が“8”のイメージリーダーとなる事を意図して“ゴルディーニ”を出したのならば、
全く向こうの思う壺(w)なのでしょうけど、これってやっぱり歪んでいるのでしょうね。
あ、そうだ・・。あと、ついでなんですが、「ユンボのオリジナルはシムカ製」って話。
「へぇ〜、そうなのか」と、思いつつ一応ぐぐってみたら「シカム社(現ユンボ社)がオリジナル」って
幾つかのサイトに出ていたのですけど、記憶が混乱してませんか??
一応保守。
・・ついで。日本人が外国車に偏った思い込みを持っているのも無理は無い話で、
再び五木寛之さんの「雨の日は車をみがいて」の中から、シムカの事。
「そもそもシムカという会社自体が、平凡、実用、安価、と、個性を重んじるフランス車らしからぬ
ポリシーをつらぬいてきたメーカーなのだ」
スッと読み流してしまいそうな一文ですが、フランス車に限らず大衆向けのベーシックカーのポリシーって
皆そういうものでしょう。
別に個性を重んじている訳ではなく、シトローエンならシトローエン、パナールはパナールと言った具合に、
皆それぞれに自らが信じた方法を駆使し、実用の為に最善と思われる車作りをした結果が
個性として表れただけの事。
保守的であるとか、そうでないとかは多少有ったでしょうけれど、それでもシムカが例外的に
そうだった訳でもなく、例を上げるまでもなく保守的なフランス車なら他に幾らでも有りましたし。
まぁ“重箱の隅”ではありますが・・。
車に詳しく、それを題材にした小説も数多い五木寛之さんの事ですから、車に余り興味が無い人に
フランス車のイメージを簡単に伝える意図が有っての一文なのかも知れませんけれど、
こんな所からも一般へ偏った思い込みが広がっていくのではないでしょうか?
「雨の日は車をみがいて」に登場するシムカは64年に発表されたリアエンジンの“シムカ1000”
ベースグレードのベルリーヌという設定ですが、この頃のシムカはかつてのようにフィアット製品を
そのまま生産するのではなくなったとは言え、相変わらずフィアットを最大の株主としていた関係からか
この“1000”もフィアット600をそのまま拡大したような設計だったそうです。
シムカと聞くと確かに地味で保守的な印象があるのですが、それに対してこの時代(60年代)の
フィアットと言えば天才設計家ダンテ・ジアコーザさんの正に油が乗り切った頃。
この頃のフィアットに地味で保守的といった印象を抱く人もそうはいないでしょう。
しかし、それと似たような製品を作っていたシムカとなると・・。
ミもフタもない言い方ですけど、イメージなんてそんな風に曖昧で実体も何も無い場合も時には有るという
いい見本かも知れません。
ところで。シムカ1000とほぼ同じ頃、フィアットからも600を拡大したようなモデル“850”が出ています。
この両者、当然中身はかなり近い構成だった様子。つまり600を拡大する比率が少し違っただけ?
何故そんな風に似た車を両国で作ったのか。同時代の英国BMCや今のトヨタなら、迷わず中身は共通の
バッヂエンジニアリング車にしたことでしょう。
「雨の日は車をみがいて」の中には、主人公とその恋人がシムカ1000のクーペに言及するシーンが有り
最近それを読み返して「そんな車、有ったかな?記憶に無いなぁ・・」と思い、検索してみたところ、
こんな写真が見つかりました。
http://www2.uol.com.br/bestcars/carros/classicos2/simca-1000-coupe-2.jpg http://www2.uol.com.br/bestcars/carros/classicos2/simca-1000-coupe-3.jpg むむ・・。ちなみにフィアット850にもクーペが有って、こんな感じです。
http://t2frx2.online.fr/copain3.JPG ・・これではシムカ1000クーペが記憶に残っていなかったのも無理は無いのかも。
民族系量産車メーカーのBMCとルーツ、スタンダード
米資系のフォードとヴォクスホールなどを見てみると
1950年代中期までを見ると
・前輪独立懸架とフラッシュサイドとセミモノコックを採用しただけ
・後輪駆動でリアはリーフリジッド(ほとんど全部が該当)
・エンジンは一部にSVさえ残っている
・そしてスタイルは何年か遅れのアメ車の縮小版でどうしようもなく古くさいと。
どうしてこんなクルマばかりの土壌でモータースポーツ文化が盛んだったのか。
>>265 そんな国から、いきなりミニが出て来るっつうのも面白いところですね。
>どうしてこんな〜
う〜む・・。よく国民性がどうのこうのとか言われますが、ミもフタも無い事言うとモータースポーツなんつう
お金の掛かる趣味に打ち込む事が出来る富裕層が他の国に比べて多かったという事が最も大きいかと。
もっとも英国でも、国民の多くを占める労働者階級ともなれば他の国と同じくモータースポーツどころでは
無かったと思います。以前にも書いた話ですが、58年発行のアラン・シリトー著「土曜の夜と日曜の朝」に
登場する“高給取り”を自称する工場勤務の主人公の若者でもその暮らしは
「節約すればオートバイどころか中古の自動車だって買える」と言った程度だったそうですから。
あと英国で見逃せないのは、競技に適した場所が豊富だった事とかも有るのでしょうか。
グッドウッドみたいな、貴族の所有する領地等。
それにしても判らないのが、ヒルクライムやジムカーナと並び、50年代頃まで英国のモータースポーツの
底辺を支えたという四輪のトライアル競技っつうモノ。何処かでその写真を見た事が有りますけど、
単なるドロンコ遊び(w
アレなら場所なんて幾らでも有りそうですし、競技車のエンジンも何より粘り強くなくてはならぬでしょうから
SVも意外と使えたのかも。
しかし英国人はそういう事が好きだそうですけど、他所の国民の理解は得られないでしょうねぇ。
私なんてその写真見ただけで「う・・汚い・・」って思って終わりでした。
まあ、当時の英国のロワークラスにとって
有力な交通手段はバイクでしたからね。
ロワークラス出身でライダーとしての腕を磨いて四輪に進出した名レーサーというのも
結構いたような気がします。
しかし、50年代の英国車は小型になればなるほど変なのが多い・・・
性能と品質を別にすれば、
見てくれは同時期の日本でまだ存続してたオオタ自動車の製品と変わらんぞこれは。
考えてみると(考えるまでもないか?w)50年代イギリス車って
ジャガーXKシリーズだのMG-Tシリーズミジェットだのといったスポーツカーや一部の高級車以外は
あんまり話題にならない気がしますね。
>>267 >小型になればなるほど変なのが多い
それもその筈(?)「安けりゃいいんだろ」と言わんばかりに旧型車のシャシーに古臭いエンジン載せた
開発費殆どゼロのフォード・ポピュラーみたいなのを別にすると、小型車には小型車なりのデザインっつう
モノが有るだろう事を全く無視して高級・大型車を寸詰まりにしただけみたいなのばかりですから。
上のほうにリンク貼った、オースティンA30など、画像編集ソフトで横だけ3〜4割伸ばすと、
別にどうと言う程の事もないような普通の車になってしまいます(w
その辺りが同時代にフランスやイタリアで作られた小型車との大きな違いでしょう。
そんな中では少しはマシな方だったのが48年に誕生した(二代目)モーリス・マイナーでしょうか。
http://www.mg.org/Gallery/2000%20Archive/Topping/Morris.jpg これもFRレイアウトでリアはリーフリジッドと、265さんの書かれた範囲を出る物ではありませんが。
それでもさすがに後にミニを生み出すアレックス・イシゴニスさん設計だけはあってか、
一応は小型車らしい格好でまとめられていると思います。
設計の初期段階ではフラット4を積む事も考えられていたとか。トーションバー使用の前輪懸架や
丸みを強くした全体型など、kdf(VWビートル)の影響も少し有ったようにも見えます。
>ジャガーXKシリーズだのMG-Tシリーズミジェットだのといった
>スポーツカーや一部の高級車以外はあんまり話題にならない
1950年代のオースチン(スポーツカー除く)、ローバー、スタンダード、
ボックスホール、ハンバー、シンガー、ヒルマン
なんだか消極性の権化みたいなクルマしか思いつかないな
それでドルを稼げるとでも思ってるのかと小一時間(ry
ドルを稼ぐのはスポーツカーの役目と割り切っていたのでしょうね。
前にも書いた話ですが、例えば50年代スポーツカーの代表格トライアンフTR-3A(1957-61)など、
総生産数6万台近くのうち英国国内で販売されたのは僅かに2000台弱。
残りの殆どはアメリカに輸出されたと言いますから、実はほぼ輸出専用車みたいなモノだったようです。
でもねぇ、現代の我々はそんな車を見て「如何にも英国的だねぇ」なんて思ってみたり。
よくよく考えてみれば、其処に有るのはアメリカ人をはじめとする(イギリス人から見ての)ガイジン向けに
“作られた(或いは薄められた)英国臭”なのでしょう。
では“本当の英国的なるモノ”とはどんな物だったのか?と考えてみると、英国国内で最も多く売れた車、
つまりこの数日此処で話に出たような、変に古臭い車。これこそディープな英国への入り口(w
と、まぁ。もしもオースティンA30みたいな車の良さが理解出来るようになったとしても、それで英国人気質が
理解出来るというようなものでは勿論ありませんけど、
輸出向けに作られた英国調よりも余程本当の英国が見えるであろう事も確か(でしょ??)
・・・・私には理解出来なくってもいいや・・。
アテクシ英国には一目も二目も置ひておりますが、
あの何たっけ、腐れ納豆みたひなペーストとかモルトビネガーなんぞ喜んで喰らってゐるのは
全く理解の範囲を逸脱しております。w
トラだのMGだの、あの辺のヌポォシ・カァwはまぁ同時代のジュリエッタ・ヌパイダなどに比べると
圧倒的に旧態的ではありますが、意外やそれが幸ひして
モノコックの屋根ちょん切ったお陰でユルユルのガタピシ、
エソジソはオーヴァーハングマウントのヌパイダ、一方旧態依然のフルフレームシャシに
ほとんどフロントミッドマウントのエソジソの英国軽ヌポォシ、
今となってみればそのメリットは歴然鴨知れません。
尤もエソジソはあの通りで半世紀前からDOHC当たり前のアルファ・ロメオのやうな痛快さは無ひのですが
その分当時のショボひタイヤでも愉しめた優れたハンドリングとあのカチカチといふシフトの感触、
これらを楽しむクルマであるのでせう。
さて、一方アバルト・シムカ、中身はあらかたシムカ1000、それは確かです、
シムカ1000は実質FIAT850の4ドア版ですが4ドアのベルリナ化するにあたり
相当の補強が入りフロアパン、つまり実質的な最主要応力部材の強度が
FIAT850やそれに先立つセイチェントより遥かに高ひのです。
にも関わらず足回りは実質850のまま、セイチェントや850を元ネタにしてゐたアバルトにとって
これは既にあるアバルト・パーツがほとんどそのまま流用出来たのです。
当時、数は非常に少ないながらシムカ1000そのままの4ドア・アバルトも存在しました。
シムカ・アバルト1150です。ま、あっと言ふ間に無くなっちゃったのですが。
しかしシャシはともかく実質FIAT850、もっと言へばセイチェントの足で
アバルトの2リッター・ビアルベロ(DOHC)の200ps超のレーシングエソジソ積んで
それでレースに勝てると言ふのも物凄ひ話であるます。
>腐れ納豆みたいなペースト
マーマイトの事でしょうね。あれはねぇ・・・・うん・・・・不味い・・つか、食えたものじゃない。
新横浜プリンス地下の成城石井でつい買ってしまったのが有りますけど、残り誰か処分してくれません??
・・なんて事はともかく(w)成る程ねぇ、アバルト・シムカ。
前スレで600の足回りの話が少し出た時にも構造図見て“随分凝っているなぁ”と思いましたけど
やはり600本来のパワーや用途に対してはかなりの余裕が有ったという事なのでしょうね。
ところで、アメリカに輸出された英国製スポーツカー。
エロスパ氏の書かれたように、操縦性を楽しむのが本来の用途なのは間違い無いでしょうけど、
実際には裕福な家庭の洒落たセカンドカーとして使われる事も意外と多かったみたいで、
カタログ等の広報写真にも若い女性が日常の足に使っている光景が多く見られるあたりは
メーカー側も結構そうした使われ方を意識していたように思われます。
「だったら性能なんてソコソコでもいいんじゃないかな?」
別にそう本気で考えた訳でもないでしょうけれど、50〜60年代にはルノー・カラベル(中身は殆どドフィン)
とかフィアットの一連の小型カブリオレなど、性能数値だけ見れば大した物ではなくとも、
実に魅力的なデザインの小型2シーター・オープンが沢山有りました。
アメリカ側からのそれらへの対抗馬がナッシュ・メトロポリタンだったのではないでしょうか?
>>272 メトロポリタンの写真を見て
「英米タッグ組んで大西洋越しにネタグルマ作ってどうする!」と怒りたくなった。
東欧チェコのズデネク・ミレルによる愛すべき絵本「もぐらとじどうしゃ」で
主人公の「もぐらくん」ことクルテクがガラクタ集めて作り上げた
「じどうしゃ」さながらのクルマだ。
チェコ人は絵本で愛らしい車を描き
アメリカ人とイギリス人は鳩首談合して1/1スケールのイロモノを作ってしまった。
↑・・全くワカラン例えですね・・(w
ネタグルマと言ってしまえばそれまで。のメトロポリタン(アメリカ人はMetと略して呼ぶとか)ですけれど。
英国製スポーツカーがアメリカ車のサイズ的盲点を突く形で富裕層の洒落たセカンドカーとして
売れているのを見たナッシュの経営陣が
「だったら、ウチのフルサイズカーをまんま縮小したようなデザインで小型車つくれば、
フルサイズ買ってもまだ余裕のある人には格好の愛玩車になるんじゃないか?」
・・みたいに考えて企画したのではないか?って思うんです。
かと言って新規に全ての部品から作るのでは割が合わない。そこで小型車を多く作っている英国で、
既成の小型車のパーツを多用して組み立てる事にする。
英国側にすれば新たに開拓しないでも、既に有るナッシュ車の販売網がそのまま使える。
デザインはナッシュのフルサイズをそのまま縮小したみたいなものなのだから、
アメリカ人の嗜好に合わせた新デザイン考えるよりも遥かに確実と考えた(かも?)
そうして渡された仕様書やデザインを見て
「こ・・これは・・ちょっと・・」
と止める人、英国側に誰かいなかったのか??
多分いなかったのでしょうね。なんたって、大型高級車を寸詰まりにしたような
ヘンテコなデザインの小型車が大手を振ってまかり通るみたいな国ですから。
「ふむ・・。アメリカ人はこういうのが好きなのか」
くらいに思いながら、ネタグルマは作られたのでしょう。
実物はねぇ・・。見ると脱力感満点で怒る気も失せます。つか、思わず笑っちゃいますよ(w
1954年時点でセカンドカーに適した英国製スポーツって
アメリカでそんなに普及してたかな?
例えばMG-Aだって1955年だよね。
もうちょっと後のような気がするけど。
しかし、結局AMcは自前でランブラーを作ることになると。
>>275 ランブラーの方が先だったんじゃないか?
確かランブラー自体は前々からあったブランドだったか。
でもAMCがフルサイズのナッシュ・ハドソンに見切りを付けて
本式に小型車の売り出しをかけたのは、50年代後半からだ。
ランブラーという名前はナッシュ社の母体となったジェフェリー社の更に大本の一つだった会社名とか。
小型車の定義そのものが曖昧ですが、1950年に登場した戦後型ランブラーを手許の資料では
「アメリカ初の小型車」としています。
まぁ、純粋に大きさだけで言うならば、T型フォードだって小型って言っても良いのでしょうけどね。
>>275 1954年と言えばMGのモデルで言うならTFの頃。その前のTDから輸出用にLhdも用意するようになり
(更にその前のTCまではRhdのみ)大半が輸出されたそうですし、その成功を追うように
オースティン・ヒーレー(そう言えばナッシュ・ヒーレーって車も有りましたね)とかトライアンフTR-2等も
出ていたので、既に英国製二座オープンの流行は始まっていたと思います。
・・とは言え、そうした車のどれ程がスポーツカー的に使われ、どの程度がセカンドカー的に使用されたか?
なんて統計など当然有る筈も無し。その先は珍説好きな私の空想がかなり入っていますので
ネタ半分、話半分でお気楽に捕らえて下さい。
それにしても、マッタリ系の二座オープンカーってのは昔から結構有りますが
それが脱力系の領域まで行ってしまったっつうのはメトロポリタンくらいのものでしょうか?
正に空前絶後のネタグルマ(w
強いて言うならば、ニッサン・フィガロがその線だったかも。
あと、もう一つ思ったのですが、この頃のナッシュ(54年にハドソンを吸収してAMC)のモデル名。
“メトロポリタン”だとかランブラー“カントリーマン”だとか。
一体どういう意図で付けられたのでしょ?(w
件のナッシュ・メト、今も売り物件があるといふ状況も凄ひと言へば凄ひことです。w
http://www.mini-house.com/1960METRO.html さて、その寸法比較、フルサイズのアンバサダー(天竺製に非ずw)と比べると。
http://www1.odn.ne.jp/~chr94850/contents00_1_01_13.htm ハドソンつう物件も中々の高級品の部類っつうか高級車の下っ端つうか、
キャデと勝負は出来無ひまでも弟分のラサール辺りとは勝負になったさうで
確か映画ドライヴィング・ミス・デイジーの中で運転手付きのキャデだったかを
息子に贈られたジューの老婦人ミス・デイジーが「昔ハドソンにも乗ってゐた」
といふ台詞があったかと薄っすら記憶しております。
逝ってる師にとってアメリカ製高級車は
「赤ひテヱルのパッカード コンロンコロン ヘチマコロン」wでせうが
アテクシにとっては時代もありませうがやはりキャデとクライスラー、
そしてデ・ソートあたりでせうか。輪姦?所詮フォード。w
まぁデューセンバーグも宜しひでせう。
が、根本的にアテクシアメ車は門外漢ですのでこの手は専門家にお任せします。
>ニッサン・フィガロ
デビュー時に一目見て「あっメトロポリタンだ」と思った。
俺にはどう考えてもあのスタイルは
メトロポリタンをアイドルっつーかモチーフにしてるように見えた。
そういう人けっこういそうな気がw
>>279 「中身はでっかいフォード」のゼファー系はともかく、
コーチビルドボディが似合う1930年代のKシリーズリンカーンまでは
どう考えてもクライスラーより格上ですたいw
(エアフロー系を除いたクライスラーの実直さも捨てがたいが)
話は例によってアチコチになるますが、
でっかひフルサイズカーをそのまま縮めたのと逆にちっこひのを単にでかくした例として
シナ国の紅旗(ホンチー)があるかと存ぢます。
だうも手元にあった小型車を要人BIP用wに縦横高さ単純に等倍したとしか思へんプロポーション。w
さて、これ股話はアチコチ、だうやら昨今景気宜しくご同慶の至りのFIAT、
先般のアテクシ国外追放・欧州逃避行wの際には新型おパンのCMがやたら流れてましたが
その後FIAT自動車ショー歌、痴楽綴り方教室恋のFIAT内回り編wをやらかしてゐたさうな。
http://www.webcg.net/WEBCG/essays/000018652.html てなてなことを言ひながら 走るFIAT内回りw
わぁ、誤字のオンパレードw、
竹下× 竹久○
コンロンコロン× コロンコロン○
だうもチツ礼致しました。★
戦前日本では高級車というとパッカードとビュイックだったみたいね。
「宮様と株屋御用達」とか
丁度最近のCGの中で小林彰太郎さんが「昭和の東京自動車見聞録」で書かれていますが、
1930年の「東京自動車総覧」という資料にパッカードは全体の1.2%にあたる254台が登録されていたとか。
(キャディラックは66台、リンカーンは28台)
やはり当時の宮内庁の公用車がパッカードに統一された影響は(特に華族等で)大きかった模様。
私も確かに(前輪が独立懸架になる前の)パッカードは大好きですけれど、ああした大排気量の
柔軟なエンジンを備え粛々と走るアメリカ製大型車が“良い車”の典型となってしまった悪影響は
後の日本に様々な形で残っていったと思っています。
その話は以前にも書いた事が有りますので繰り返しませんが、日本車へもそうした影響はある時期までは
かなり残っていたように思います。
例えば60年代に生まれ、自動車の普及に大きく寄与した各社の1リッター級の中でも意欲的な設計だった
スバル1000とかリアエンジンの日野コンテッサ等よりも内容的には縮小したアメリカ車的に凡庸でも
見栄えがするニッサンサニーやトヨタカローラ等の方が数倍売れたというのも(それだけが原因では
ないでしょうが)ユーザー層がアメリカ車に洗脳され切っていた事と無縁ではないと思います。
さすがにSVのエンジンこそ有りませんでしたけれど、60年代中期〜70年代に至るまで日本の小型車で
最も多く売れていたのは
>>265さんの書かれたようなミニ登場以前の英国製小型車と大差ない物。
この頃になってもFRレイアウトの1リッター級なんて他の国にはあまり無かった筈。
>>285 しかも同時代の類似車種をヨーロッパに探すと
フォード・エスコートとオペル・カデットが出てくるw米資系やんけ
まあこういう小型FR車はいろいろ毀誉褒貶はあるにせよ
耐久性・整備性では有利だから、それなりに実用車としての存在価値はあったわけだが。
FRそのものが悪いなんて事は当然無い訳で、
簡便な機構で済むならそれで良しとする考え方も勿論アリですけどね。
50年代のイギリス製小型車とか60年代のカローラやサニーなどの日本車って、
システム・パナールを考案したパナールや、プロペラシャフトの考案者ルノーなどが、
自らの発明をあっさりと捨ててまで新時代の小型車のあり方を模索していた事を思うと、
どうにも割り切り方が甘いように見えます。
・・つか、構造図とか見ても面白くもナンともないので話のネタにならんのですよ・・(w
いっその事、見た目がナッシュ・メトロポリタンくらいにまですっ飛んでくれていれば・・。
ところで、先日ちょっと触れたニッサン・フィガロ。メトロポリタン程の割り切りが無いと思う部分が有って
あれでも一応は定員4名になっている事。・・何処に乗るの??
何故か実際に乗れる乗れないは別にしてでも日本人は4シーターでないと買わないのでしょうか。
古くは360cc時代の軽自動車、マツダR360クーペなんかも定員4名(無理だってば w)
遊び車ならそれらしく割り切る事が格好良いのであって、二座で不便ならもう一台セダン型持つとか
(誰かさんみたい w)他の車にするとか。
それに、本気で後席使う気が有るなら、普通は最初からああいう車に目を向けないでしょう。
どうにもその辺って、作る側も買う側も中途半端な貧乏性が抜けないみたいに思えます。
実際に4人乗って走っているフィガロを見た事が有るって人、います??
>>287 類似レイアウトのヴィヴィオT-topに4人押し込めてるのは見た覚えがw
とにかく乗れるということにしておけば商売の足しにはなるというハラかも知れん。
国内向けのZしかり、軽のフロンテクーペしかり・・・
ジアコーザ「4座の半額で2座は作れない」
→2座のトポリーノのモデルチェンジは4座の600
百瀬晋六氏も「2座より4座」を志向してスバル360を作った。
一方、「小型車なんて大抵は1人か2人しか乗らないもんだ。
統計を取れば平均乗車は1.X人・・・2人乗りで割り切ったっていいだろう」
って位の理屈は戦前のダットサンの頃から言われていたことで・・・
昔から理性と人情のせめぎ合いみたいなのはある罠。
初代アルトは、それなりに上手く妥協したとも言える。
そう言えばヴィヴィオのT-topなんてのも有りましたっけ。
それは実用車の場合、二座より四座でしょう。
でも遊び車の場合は多少運転席背後に空間が有っても、無理に+2としないで
手荷物スペースと割り切る潔さが格好良い場合も有ると思います。
だから、スバル360は四座で良い。つか、そうでなくてはいけない。でもマツダR360クーペなどは
二座に割り切った方がクーペらしい潔さが有ったと思います。ま、売れなかったでしょうけどね・・(w
戦前のクーペやロードスターに良くあったランブルシート付きなんてのも格好は良いですねぇ。
あの場合は荷室を潔く切り捨てたと言うべきでしょうか。
もしもフィガロのオプションにトランク犠牲にしてランブルシートが付けられたら迷わず注文したかも(w
もっとも現代では到底安全基準だのナンだので許可されないでしょうし、
当時でもあれはとても乗れたものでは無かったようですが。
小さな子供さんがいる家庭とかなら話もまた別ですが、二台目の車を持つならば
思い切って実用性の低い遊び車にしてしまうのも一つの手でしょう。
「でも、リアシートも無いよりは有った方が・・」とか「ちょっとした買い物の時に荷室も有った方が・・」
とかと所帯染みた事を考えて実用車を買っても、結局は一台目の車よりも実用性も乗り心地も性能も
少しずつ見劣る物を買ってしまう事になりがち。
そんな風に存在感が薄くってあんまり乗らない車買うのって、実はこっちの方が余程無駄だったりしますから。
・・・・言うまでもなく、我が家の事です(苦笑
非常に潔く割り切った我が家wのクルマどもですがw、
ぢつはヌパイダ、あれのセリエ2にはお飾りリアシートがあったのです。
折り畳み式の。しかし到底大人はおろか幼児が精一杯。
しかも国内での法定定員は折り畳みシートがあっても当時から2名。w
つか、うちのヌパイダよんどころなく3人乗りしたこと3度ありますが
大の男3人乗ったらリアサスが底打ちしてだうにもなりませんでした。w
英国勢と比較すればエンジンも運転席も前進位置にあるアルファ・スパイダーですから
ベルリーナよりもショートホイールベースな分無理は有っても+2くらいはなんとかなったのでしょうね。
でもねぇ、屋根や後席などを潔く切り捨てた所に存在意義がある車ですから、
あれこれと欲張ってしまったらスパイダーの意味がなくなりますものね。
セリエ2だけで終わったっつうのもある意味当然なのかも。不評だったのでしょうねぇ。
>>288さんが初代500“トポリーノ”にちょっと触れられているのでそのついで。
あの車、一貫して二座のままだった筈なのですが、戦後窮迫した経済状態だった頃には無理に4人も5人も
乗せようとする人が後を絶たなかった為に、48年型からはフレームを延長してリアのサスペンションを
1/4リーフから1/2に強化しているそうです。それでも定員は一応二人のままだったというのは、
メーカー自ら無茶を見て見ぬ振りしていたと言う事でしょうか?
イタリア人達も戦後の窮迫時には(実用車という事もあり)スパイダーの場合とは違って、
粋に割り切る事は出来なかったようです。
この500(初期型)とか500B(48年〜49年)は見た目には大して変化していないこともあり、
資料もなんだか混乱した事が書いてあったりしますし、現存する個体もいろんな年式の部品を
寄せ集めてレストアしたような物が多いので尚更混乱します。
例えば小松の日本自動車博物館にある35年式と表示してある個体を見ても、
或る資料では48年式以降の特徴としているキャンバストップを備えていたり、
トヨタ博物館の36年型と称する個体も戦後型の特徴の筈の二本ワイパーを備えていたり
(戦前は一本ワイパーの筈)
時にはこうした大量生産車の方が、オリジナルの姿を残すのが難しいのでしょう。
アテクシ大学時代に初代シティに6人乗りしたことがありますが。
まぁ大学時代ですから経済的に窮迫つうか限りあるお小遣ひを仲間内で持ち寄って
遊ぶ訳ですから。w
高校時代の友人には更に剛の者がゐてファミリアのハッチバック5枚ドアに
11人乗りしたヤシもおります。w シナ国雑技団かギネスブック挑戦企画か。w
あぁ、さうだ、チンケと言へばオードリー・ヘボンwのローマの休日、
あれでチンケに3人乗りするシーンがありましたっけ。
おヒィさまがヴェスパ乗ってボーソーするシーンばかりが印象的で有名ですが
最初に姫様拾った時はチンケに3人乗りだったと記憶しております。
最後に見たのが去年の年末なのですが・・・余りに何度も見てるので適当に流し見、
さうするとディティルを充分覚へてゐなひといふ・・・。
ファミリア11人乗りは豪快ですね(w
その手の無茶はやった事無いなぁ・・。その昔、知人の引越しを手伝いに行った時。
車の座席数が不足したので、仕方なくトラックの荷台に積まれた洋服箪笥の中に隠れて
(閉じ込められるとも言う)二時間近く移動した。・・なんて事は有りましたけど(w
大体、ラテン系は定員っつうモノに無頓着なのでしょうか?法律はどうなっていたのか、
戦後のパナール、初代ディナのバリエーションに“ジュニオル”っつうロードスターが有りましたが
1450mmの幅一杯にベンチシートを設けて横3人掛けも出来るようになっていたとか。
・・でも当然、一応の乗車定員は二名だったようです。
シトローエン・トラクションアヴァンにも戦前は二座カブリオレが有りましたが、
メーカー広報写真だったとされているものの中にも、横三人掛けしているのが有ります。
コラムシフトと同様、床からシフトレバーが生えていないプッシュ&プル式なのでそれも可能なのでしょうが
私の知る限り、トラクション・アヴァンの前席はベンチではなく平坦ながらもセパレートの筈・・。
つか、メーカー自ら定員オーバー推奨して良いのか?
後にはちゃんとまともに一列三人乗りが出来るマートラ・シムカ・バゲーラなんて車も有りましたし、
フランス人は余程この形がお好きな様子。
マトラ・シムカならバギーナwもさうですがその後釜つうか熟れの果ての
マトラ、ぃあタルボ・ムレーナもそれ式受け継ひでますな。
このマトラ(タルボ)ムレーナ、20年ぐらひ前、当時よく遊んでゐた神宮前、
カンサイブティックやカレーのGHEE(無くなっちまった★)、
そしてあの疑惑の三浦氏のフルハムロードwのあったあの通りで
ぢつに頻繁に見かけたのを覚へてゐます。
これも股何もそこまでせんでもといふ補助席のやうな小振りのシートが真ん中にあって
運転席と補助席のスキマにシフトが生へる無理ブリは見るからに
3人乗るのは無茶に見へたものです。
幅1.7mちょっとのバゲーラやムレーナでもフロアシフトではちょっと無理が有りますか。
やはり横三人掛けはベンチシートのアメリカ車に限るってことでしょうね。
昨日触れたシトローエン・トラクションアヴァンのカブリオレの写真
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/e62c.jpg?bcn2RnFB5WIaI0A5 当然運転しているのは真ん中で“両手に花”とご満悦の男性ではなく、左側の女性。
この写真に限らず、トラクション・アヴァンの広報写真ではステアリングを握っているのは
殆どが女性のようです。運転が楽だというアピールなのか、単なるイメージ戦略か。
“トラクション・アヴァンのステアリングは重い”という風評(事実ですけど)への対抗措置なのではないか?
と、私は勘繰ってますが(w
今日(もう昨日か)近所に住む伯母に会った時に
「昔は定員オーバー等におおらかだったねぇ」なんて話をしたら
「私は夫(故人)が商売を始めた頃に、当時発売されたばかりのミゼットを買ったのを見せびらかしに
当時住んでいた品川から実家の有った小田原まで第二国道を二人乗りして行った」
なんて話を聞かせて貰いました。
ダイハツミゼットに二人乗り・・ねぇ・・。乗る場所はおろか、ドアも無いのに・・(怖!
聞けば、和服で精一杯にめかしこんで必死の思いでしがみついていたとか。
「そこまでするなら荷台に乗れよ」
・・とはさすがに言えませんでした(w
アテクシ昔、友人が下北で店やってる頃、茶沢通りの1本裏の店から北沢八幡まで
RX-7(FC)のリアに押し込まれて初詣に行ったことがありますが、
まぁ前の晩から泥酔した身には拷問以外の何物でも。w
911のリアも酷ひと思ひましたがあんな生易しひものではありません、
何せ輸出仕様は2シーターなのですから。
ところで以前「町田には言語といふものが未だ存在しなひ」といふ話がありましたが、
だうもそのやうです。w
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/car/1159180323/l50 まぁアテクシ町田つうところにはあまり用が無ひので実態は尻ませんが。
>>298 似たような形の車でも、ポルシェ924は其処までの事は無かったと記憶していますが、
・・まぁ、どっちにしてもまた乗りたいって物では有りませんけどね・・(w
クーペってのは本来は箱型2人乗り馬車の事。なんて事を聞いた事が有ります。
だから現代のクーペの殆どは“2+2クーペ”と言わなければならず、ランブルシート付きならば
“ランブルシート・クーペ”という事になり三人掛けならば“3シーター・クーペ”と呼ぶべきなのでしょう。
・・面倒臭いからしませんけど・・(w
ところで。一応は“隠した状態か畳んだ状態が標準なのを補助席と言う”と定義すると、
最近まで良く見られたのがステーションワゴンの荷室に有った、横向きに座るアレ。
ああいうのも、衝突安全性にうるさい昨今は認可されないのでしょうか?
実際、まともに乗れたモノではないようなのですが、あれが付いていると定員7名になるので
重宝するなんて話も聞いた事が有ります。
補助席で私がいつも思い出すのがこの不可解な写真。見開きのスキャンなので見辛いのですが。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/5b2d.jpg?bc23PoFB5X1Ok.CH 車は1900年代のルノーですが、運転席前のスカットル部分に補助席が有るのが判るでしょうか。
なんでまた、こんな邪魔になる位置に設けたものなのか??全く意図が理解出来ません。
4人向かひ合はせに座るのは汽車・列車では世界的に一般的、
元々は馬車の客室のレイアウトが元なのでせうか。
さう言へば、さすがに今では欧州でもdと見かけなくなりましたが
欧州の列車といへばコンパートメント式、4人とか6人とかの個室式で
側面に通路のあるアレ式。あれの6人部屋は横3人掛けです。
この辺に横3人掛けシートの源流があるのでは無ひでせうか? 思ひ付きですが。w
しかし欧州列車でありがたひのは国にも拠りますが
概して日本より遥かに喫煙者が優遇されてゐる点。w タバコ自体は遥かに高ひですが。
なのでお土産にタバコが結構喜ばれるといふ昔の日本状態、社交にタバコ贈答にタバコ。w
海外で列車に乗った経験があまり無い(地下鉄とかは結構有りますが)のでピンと来ないのですが
以前エールフランス乗った時には機内に喫煙所が設けてあって、
「これは有り難い」と、行ってみたら乗務員が皆すっかりくつろいでいました。
何の事はない。自分達が吸いたいだけでやっているらしい。
喫煙者には寛容な事で知られたフランスでも、近く公共の場所は全て禁煙になるのならないのと
いろいろ聞きます。
でも、どんな事になるのやらねぇ・・。彼らの言う禁煙ってモノ自体が訳のワカラン物ですので。
以前パリに行った時に丁度開催中だったパリ・モーターショー(パリ・サロン)に行ってみましたが
「禁煙」と表示された真下に灰皿が置いてあるという不思議な状態。
「だって、床に吸殻捨ててはいけないでしょう?」ですと・・。
なんだか判ったような判らんような・・。
カローラがモデルチェンジしたそうなので、そんな事でも書こうかと思っていたのですが、
なんだかねぇ・・。カローラと聞いただけで、運転するまでもなく皆判ってしまうような気がする。
それはさすがに錯覚でしかないのでしょうけど、雑誌に載る試乗記事なんかは大体想像がつくような・・。
「これは、是非今度の週末には販売店に行って試乗してみたい!」って思う人がどれだけいるのでしょう?
トヨタにしても、ついにカローラセダンにも“アクシオ”なんて名前を付け加えるあたり、
コロナがプレミオになった経過を思い出させます。
とすると・・。もしかしたらこれが最後のカローラになるのかも?
ブレッド&バターカーならぬ
マイコン電子ジャーで炊いた産地不明コシヒカリみたいな車ですからねー
しぶとく続いていくんじゃないでしょうか
>>304 カローラって、いつでも時代の先端からちょっと遅れたところにあって、
面白くは無くとも安心出来るみたいな車だったと思うのです。
しかし、それだけに“此処から新しい何かが始まるだろう”っつう新鮮さを感じた事は無い。
ですから購買層が高年齢化して行くのは不可避なのではないかと思います。
・・ところで・・
>>302先日の「クルマオタクは来るな」みたいな話ではありますが、
既にネタスレ化の流れが出来上がっているところに此処に書くような長文ぶちかましても、
まともに読もうって人はいないでしょう(多分)
もしもまともに読む人があっちにいるならば、此処に誘導した方が良いかも。
それにしてもあのスレの1さん
フロントヘビーならアンダーステア、リアヘビーならオーバーステア って、随分簡単に片付けますねぇ。
もっと簡単に言うならば、全ての車はコーナリングの初期段階ではアンダーステアでしょう。
その前の段階では直進していた筈なのだからその慣性の影響(w
そして全ての車は最終的にはオーバーステア。スピンモードに入った途端に逆回転する車も無いから(w
と、与太はともかく
重量バランスの話になると必ず(?)出る名前がタトラ77。空冷とは言えV8リアマウント。
これの改良型で、幾らかバランスの改善された87で前後重量配分は35:65だったそうですから
77の前後重量配分ってどのくらいだったのでしょう?
女性が隣に立ってる写真は、登り坂なんですよねえ。
平地では広告写真も撮れないほどリアが沈んでるんだろうか。
>>305 まぁアレはアテクシのネタのつもりなのです。
箸にも棒にもかからんやうになってる所で上手くネタの取っ掛かりがありましたので
ここにドカンと質も量もクソ重ひガチガチ本気風読み物投入してゐたづらしてみやう、と。w
いきなりdでも無ひ量と内容のレスぶつけてヤな顔されてみやう、と。w
万々が一付ひてこれるヤシが釣れたらこちら誘導しやうかな、と。
ですからアレは元よりカキ捨てのつもりだったのですが・・・、
まぁ勿体無ひと言へばさう鴨知れません。
んでわこちらに移植しませうかそっくりそのまま。w
具体的には156ですな。
あのクルマの場合根本的にフロントとリアのグリップの立ち上がりにはっきりと差をつけて
それであのヒラヒラ感を演出してゐる。それがFRの古アルファを知ってゐると良く分かり
なんか小手先の薄っぺら感を感ぢるのです。が、まぁ相当強引なタックインをやらかしても
リアの接地が失はれづ(良き伝統でRサスのストロークの伸び方向への長さ故)、
これが安全装置になってゐるのですが。そして逆にそれが失はれるほどのボーソーをした場合
その先のリカバリーの方法が無ひ、とアテクシは感ぢました。それは非常に危険。
FRの頃には例へ限界を超へても即スピンモードになる訳ではなく
技量があればいくつかリカバリーの方法があり、一旦安全装置の底割れしても
その先に二重底があったものなのですが、156はどっすん・バリバリで底が無ひ。
ことにGTAがヤバひ。
さて、MRと言っても一般的な市販車ではその重量配分は限り無くRRに近ひのが現実です。
本当にエソジソ・ミッションの重量物が前後アクスルのほとんど中間にあるのは
F1だのCカーだの、それに近ひレイアウトはそれこそマクラーレンF1とか
F40〜50あたりとかそのぐらひ。エソジソ・ミッションを前進させるとキャビンが前に押し出され
ドライバーの足がうっかりするとフロントアクスルより前に出てしまふ、
これでは危なくて市販車には使い難ひ。
FFフロント流用のMRであれば重量配分は伊代伊代後ろ寄りになります。
元々フロントの荷重が小さく操向輪に荷重の掛からなひMRは充分な荷重の移動で、
つまりシフトダウンやブレーキングで減速をすることで向きを変へることが肝要であるます。
RRによく似てゐる、911、それも古ひ930シャシなど良くご存知のRRポルシェの手だれの使ひ手なら
その辺十分ご理解頂け、上手ひものと思ひます。
アテクシ昔からの持論として「クルマはハンドルで曲がるのでは無ひ、
アクセルとブレーキ(&シフト)で曲がるのだ」なのですが
ハンドルは単にヨーイングコントロールの機能しか無ひのです、本当は。
ヨーの発生方向とクルマの動ひてゐく方向は必づしも常に一致する訳では無ひのです。
限界旋回で競り合ふレースならともかく、アテクシ辺りが街中&高速ボーソーするには
常にフロントに荷重のかかるフロントエソジソのはうが扱ひ易ひのは事実です。
FFでもEのでせうが、長年FRに乗ってゐるので勝手知ったるFRのはうが個人的には安心。
まぁ156のGTAのやうに前輪荷重が900`cを越へ、
昔のジュリア1台分が2つのタイヤに載っかるのもいささかだうかとも思ひますし。
で、Z軸モーメントを仰るならフロントミッドマウント、これでせう。
トランスアクスルFRも重量配分を言ふなら有利に見へますし実際それなりの効果もあるのですが
Z軸モーメントを言ふならフロントミッドのはうがE。
それにうちの2台の古アルファ、スパイダも75も車検証見るとぢつは重量配分は
ほぼ5.5:4.5〜6:4で余り変はらんのです・・・。
あのスーパーハンドリングマシン、ES30(SZ・RZ)もぢつは純正のピレッリPゼロとか
サスペンションジオメトリがあのハンドリングの源で、TA(トランスアクスル)であることは
実際にはお添へ物程度の効果しか無ひのでは、と思っております。
ハァハァゼェゼェw、移植完了。w
>>308 やっぱり、ね(w 例の嫌がらせ芸かな?ともちょっと思ってはいました。
けど、お遊びにしても費やす労力に対して見返りが少ないかと(w
>>307 そんな事は無いです(w
タトラ77。このスレでは何度か触れた事がある車ですが、私は斜め後方から見た所が最も好きです。
丁度今月のCG誌の中「名車の残像」でランボルギーニ・チータについて
「デザイナーの関与していない事が幸いして出来た格好良い車である」みたいな批評が書かれていますが
一連の空冷タトラにも同じ事が言えると思います。
つまりエンジニアさんが理想と考えた形が、そのまま生産化された車であると。
その事が最も明確に表現されているのが流線形の肝である”なだらかにバンパーレベルまで下降する
ルーフライン”であり、それを最も感じ取れるのが斜め後方からの眺めであると思うのです。
その分、フロントからの眺めは特徴的なウィンドシールド等で航空機的な雰囲気が有りますけれど
意外につまらなく感じます。
この辺はデザイナーの手があまり入っていない弊害なのではないかと思うのです。
で、この車のハンドリングは如何なるモノだったのでしょう?
戦前のタルガ・フローリオ等で、時にはかのヌヴォラーリ等とも互角に渡り合ったというチェコ人のレーサー
マダム・ジュネックは、かつてこの車を「癖は強いけれど、とても面白い車だった」と語っていたそうです。
その一方で、チェコに侵攻したドイツ人将校の多くがあまりにもこの車で事故を多発させるので
ナチス上層部はこの車の使用を禁じたなんて話も読んだ事があります。
我々のような半端な腕前で御し切れるような代物ではなかったのかも知れません。
遊びに見返りを求めてはイカンのです。w
さて、本日それこそまともに3列横並びシートがまともに機能するクルマ見掛けました、
すっかりその存在を忘れてましたが。w それはFIATムルティプラ(セイチェントに非ずのほう)。
あの大きさになるとFIATに見へません。w
ムルティプラって、提携先メーカーとの協約で4.1m以上の長さのミニバンを自社開発出来なかった
フィアットが苦肉の策で作った車なんて話も聞いた事が有りますが、
世界中何処に輸出するにも共通仕様で済ませる事が出来るように中央を運転席にしなかったのは
ちょっと残念(w
ところでしつこくタトラ77。
実物を見た事が有るという方、いませんか?
私は或る自動車博物館で展示されている筈なのを楽しみに出かけて行ったところまでは良かったのですが、
残念ながらレストア・整備中で展示から外されていたという経験をした事が有るのみです。
世界初の流線形“量産車”とされる車ではありますが、改良型の77Aを含めても255台しか作られなかった
というだけの事はあり、様々な仕様が混在しているのか資料もいろいろ混乱が見られます。
例えば、三人横掛けのフロントシート。中央が運転席という仕様が存在したのは確かなのですが
それを77A全ての特徴であるとしている本も有れば77のプロトタイプに数台存在しただけの仕様としている
本も有るといった具合。
リアエンジンですからステアリングシャフトを変な分割にする必要も無くこのレイアウトをとる事が
出来たのでしょうけれど、タトラ流バックボーンフレームでは床中央の盛り上がりが大きかった筈で
運転席を配置にするには向かない筈。
また、シフトレバーも何処に置いたのでしょうか?
フロアシフトにしても三人横掛けが出来る程の室内幅が有ったとは思えませんが、かといって
リアに置いたギアボックスをコラムシフトで操作するのもかなり無理が有るでしょうし・・。
3列横並びシートのクルマが内外で売れないのは、写真に写った時真ん中の人が(ry
話は恒例アチコチになるますが、
ランボル・チータつう物件、年に1度か2年に1度ぐらひの頻度で見かけるクルマであるます。
思へばこのクルマ、元々は米国で軍用として開発されたものの制式採用には至らづ
その技術がそのままランボルに売却されチータ、
そしてLM002(厳密にはチータとLM002は別です)となったものです。
そして更に数奇な運命は、この結局大してモノにならなかったLM002は
再度米国にノウハウが移りあのハンビー、
ハマー(本物w、つまりH2以降は別)の開発の叩き台になったのです。
>>316 そう言われて見直したら、今月のCGに取り上げられていたのはLM002でした。
それにしても幅2m以上も有って、前も後ろも横三人掛けが出来ないってのも勿体無い話。
三人で車に乗り、横三人掛けって誰か実際にやった事有りますか?
アレ、実際にやってみると実に不自然だと感じます。
大体、飲食店等に三人で行って横一列に座ったりしないでしょう?
「それを言うなら、二人でもそうだろう。飲食店でカウンターでもなければ並んで座るか?」
と言われればその通りなのですが、二人ならば互いに顔を見合わせない事が時に新鮮で、
普段言い難い事が楽に言えたりするというような事も有ります。
しかし三人横並びに座っても、三人でする会話は大体2人+1になり、均等に発言する事はないでしょう。
そうなると下手に横並びな分だけ一人の疎外された感じは強くなり、面白くない気分になりがち。
最初から2人+1配置で腰掛けていれば、まぁそんなものかと納得出来ちゃうのでしょうけどね。
ほぼフランス車にのみ、一列三人乗り型が見られるというのは(マクラーレンF-1はスタッガード配置)
その国民性とも無縁ではないかも。とりあえず自分の言いたい事は話し、人の言う事はあまり聞かない(w
三人で会話していても、あの連中ならば一人が疎外感を感じる事態にはならないのでしょう(偏見w
>とりあえず自分の言いたい事は話し、人の言う事はあまり聞かない
そんなのイタ公どもだってさうです、お腐卵臭ほどでは無ひにしろ。w
つか国産wだってアテクシ自身さうです、まづ黙って俺の話を聞け、
前後の話の流れも空気読むもクソも無ひ、俺様が言ひたひことが全てに優先。w
これは既に皆さまよぉくご存知でせう。w
お腐卵臭、もしや国民挙げて3Pがお好き、とかではありますまひか?
何せ謀略を防ぐ名目で王様・王妃の交尾やら出産は公開だったお国、
ギョーム・アポリネール一万一千本の無知ぃあ鞭の国、
エマニエル坊やぃあ夫人の国。w
お変態の本場は欧州とアテクシ固く信ぢておりますが、その欧州の2大変態大国は
やはり欧州列強お腐卵臭とドイッチュラントと思ふのです。w
↑ 多分、3P絡みに話が行くだろうと思った(w
国民性と言えば。
フランス人が車選びに最も重視するのは直進安定性だという話が有ります。
話好きな彼等は熱中してくると身振り手振りを交えないと気が済まないので、ちょっとくらいステアリングから
手を離したくらいで進路が乱れては困るのだとか。
そうは言っても。ただ単に真っ直ぐ走るだけと言うならば、タトラ77みたいにリアヘビーな車であろうと
足回りを安定方向に仕付け、リアに大きな尾翼でも付けておけばナンとかなるでしょう。
どんな時にでも、例え車線変更を行った直後であっても運転者に緊張を強いることがないというのが
本当の意味での直進安定性と思います。そう考えればフランス人達の言う事は結構理に適っているのかも。
此処だけの話、現代の国産車でも基本的には70年前(!)の設計のトラクション・アヴァンに劣る
安定性しか得られていないのって結構有ると思います。
買う人が何を求めているのかは、ちゃんと生産車に表現されているという事なのでしょう。
まぁ、直進安定性だけ良ければ良いというものでもないのは当然で、それだけを追求するならば
前スレで話に出たプロペラ推進車が一番(w
・・そう言えば、アレ考えたのもフランス人でしたっけ・・。変態大国・・かな、やはり・・。
直進安定もさることながらだうも我が国では平均速度が低ひせひか
ヘタクソが多ひせひかw国産でしばしばあるものですが
ハンドルはスカスカぐらぐらのパワステがEことになっておるやうで
路面インフォメーションも糞も無ひ場合が多ひのも困ります。
あれも思へば一時期のアメ車の小指1本で弾ひただけでロックまでガラガラと回って
挙句ロックのエンドで跳ね返って戻ってくるwやうなのが軽ひタッチでEといふ悪影響なのでせうか。
昔の日本ではトップギアで坂道登れるのがパワーのあるクルマと思はれてゐた、
そんなお間抜けこの上無ひ意識はやはり大排気量大トルクのアメ車を誤解した悪影響なのか
単なる後進性の現れだったのか。しかしコレ的意識は未だにいろんな面で残ってゐるやうに思ひます。
いまでも、安い車の電動パワステはね・・・
無茶苦茶に軽いだけか、味付けがおかしいかのどっちかで。
オイルポンプをモーター駆動する電動油圧式が比較的ましか。
うむ・・>トップギアで坂道登れるのがパワーのあるクルマ
それは昔の日本に限らず、スムーズなシフトダウンには正確なダブルクラッチが必須だった頃には
ロールスやイスパノもそんな事をウリにしたようです。
それはともかく・・。
私は何度か「昔も今も。その存在を知らぬ人でも。日本人にとっての理想の車はパッカードなのである」
と、説いてきましたが、やっと賛同して下さりそうな方が見つかりましたか(w
しかしこれ、単に与太で言っている訳ではなく、本来狭くて起伏も多い国土の日本にはアメリカ車よりも
欧州車の方が向いていると思うのですが、にもかかわらず日本のモータリゼーションはアメリカ車により
(アメリカ資本と言うべきか?)もたらされた事の生んだ不具合や不条理は、エロスパ氏も書かれたように
ソフト/ハードの両面においていろんな形で残っていると思えるのです。
さて。此処でちょっと、これを逆に考えて。
アメリカ車によってモータリゼーションがもたらされた事にも良さは有ったのでしょうか?
自動車メーカーの側からすれば結構有ったのかも。仮にフランス車が戦前からの主流だったとしたら、
例えば1955年、かのDS誕生と同じ年に、トヨタは初代クラウンを発売出来たでしょうか?
機構は単純でも、その分メンテナンスは楽で酷使して使い捨てが利くアメリカ車が“良い車”と刷り込まれたからこそ、
縮小されたアメリカ車のような車でも市場に受け入れられたのだと思います。
また昨今、本家アメリカ車がダウンサイジングに苦労する時期が来た時。
日本車がアメリカ市場でシェアを伸ばせたのもそうした車作りを続けて来たおかげではないでしょうか?
元から“縮小されたアメリカ車”を作っていたのですから、見事に“ツボに嵌った”とも考えられます。
>縮小されたアメリカ車のような車でも市場に受け入れられたのだと思います。
いや、縮小されたアメリカ車のような車だから市場でウケたと言うべきか
ヨーロッパ車の域に達していなかった1950年代後半の国産設計の日本車が
ヨーロッパ車を凌いでいる点があったとすれば、
それは悪路での酷使における耐久性だったろう。
初代クラウンに限ってはどうだったろうね?
もしも当時のトヨタが悪路での耐久性に自信を持っていたなら、
トラックと共通シャシーのマスターを同時に売ったりしなかったと思う。
1950年代の日本では、現在とは比較にならない程にアメリカへの憧れが強かったようですね。
それが今のように欧州志向が強くなったのは、ベトナム戦争の影響とかビートルズ出現とか、
日本そのものが変容した為とか・・。
トヨペット・マスター。以前クラウン・コンフォートが出た時に
「マスターって名前を復活させれば良いのに」と思った人、いません?(w
http://gazoo.tns.ne.jp/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=7086&ex_spec=spec トヨタのウェブサイトGAZOO.comの“名車列伝”のリストには無いみたいなのにgoogleから検索すると
見つかるのは何故でしょう?前にもこんな事が有ったような。
トラックシャシーという事もあり、現在のトヨタはこの車を乗用車の歴史からは除外したいと
思っているのでしょうか?
ま、それはともかく。デザインの評価は数年前のパッカードの劣化縮小版のようなクラウンよりも、
特に近年はこちらの方が高いように思えます。
先日ちょっと話に出た仏フォードのヴァデット辺りとは、如何にも同時代の車って感じです。
此処でいきなり脱線。
私、初代クラウンと聞くと“ゴジラに踏み潰されたパトカー”って連想が浮かぶのですが
最初の“ゴジラ”は1954年公開。クラウン誕生よりも一年先。っつうことは、他の怪獣モノとか
いろんな物とごっちゃになって出来上がったイメージなのでしょうけれど、そうと判ってはいても
やはり初代クラウンRSは白黒に塗り分けられ、ゴジラに壊される場面が最も良く似合うと思います(w
確か初代クラウソはカンチレヴァー式のサスがやたら壊れて
それで業務用にスマター出したと記憶しております、アテクシその頃は尻ませんが。w
眠い・・(バカ・・)
>>326 マスターはクラウンとは同時発売だった筈。
アレが出た理由はトヨタの事情なのか、それともタクシー業界からの要望に合わせたか。
戦前にデュポネ式を採用した(不評だった)シボレーで懲り、戦後も外貨が一時的に自由だった時期に
およそタクシー向きとは思えない車種(2ドアも有った)を欧州から輸入して使用してまた懲り。
当時のタクシー業界はかなり保守的になっていたのだとか聞いた事が有ります。
中にはコイルスプリングそのものを毛嫌いするような偏見すらあったとか。
そんな事情を知っていたトヨタにすれば、未だ小さな市場しかなかった個人向けに
全てを賭ける訳にはいかず、トラックと共有シャシーのマスターを用意せざるを得なかったといった
ところでしょうか。
もっともタクシー業界というのは当時の日本に限らず、保守的な所が多いようです。
イギリスのロンドン・タクシーキャブは有名ですが、現行型もメチャクチャに長命ですし、
その先代っつうのもかなりそうだったようです。
詳しい事はちゃんと調べないと不明ですが、恐らく第二次大戦後は何回もモデルチェンジしていない筈。
インドでタクシーに多く使われているアンバサダーってのも有名ですけど、あれも基本的には
初代クラウンと同時期のモデル(モーリス・オックスフォード)だとか・・。
現代には、電動スライドドアを持つミニバンなどのような、よりタクシー業務向きと思える車種も
一杯有るのに、タクシーと言えば決まって3BOXのセダン型。業界が保守的なのか、客側も
「これで良い」と思っているのか・・。
・・・・って、もう何年もタクシーに乗っていない私の言うべきことではないか・・(w
>>326 いや初代クラウンのフロントは手堅くダブルウィッシュボーン&コイルです。
中村主査の設計が良かったのか、酷使にも根性よく耐えました。
カンチレバーリーフのリヤサスがヘタってわやになったのは2代目コロナ。
マスターは重役陣が不安がって同時進行開発させたものです。
>>327 ロンドンタクシーは戦後2度しかモデルチェンジしてませんね。
アメリカにはチェッカーという先例もあったし、
フォード・クラウンビクトリアも長生きです。
FRでリアはリジッドサスとして酷使への耐久性と整備性を最優先、
FRならフロントのハンドル切れ角確保を図れて小回りに都合が良く、
大方の利用人数は1〜3人程度なので乗用車ボディで十分、
というのがタクシー業界側の都合なんでしょうね。
3ボックスだと見てくれもいいとか、
いろいろ仰々しいところに乗り入れるにも都合がいいとかいう事情もありそうです。
客も保守的ですしね。
さて、恒例何の流れも関係無しですが8C、歳バレに8C市販版の話しましたが、
「うちのはクアトロチリンデリ・デュエミラだ」なんぞとアテクシ時々ふざけておりましたところ
本当に4Cやる気らすぃです。
http://www.infomotori.co.uk/a_4_EN_18308_2.html 4C1400と4C1800、そして4C1900。w
メーカ自らネタやらかしてだうする、
もっともアテクシ等ネタ大好き連中ばかり乗ってるメイクでRのも事実。w
個人的にはかういふふざけたネタは大好きであるます。w
しかし、ひとつ真面目に考へるとアルファに限らず欧州車、ぃあ欧州製品ブランド品では
この手のやりクチが増へてきておりますな。
それはブランド商売つうものを良く分かってると言ふか。
ブランドの力を支へるのは歴史であるます。それが戦後僅か4〜50年であらうとも、
或ひはデジタル物屋のやうに10年かそこらでもその間の製品の実績と評価の積み重ねの
歴史がブランド価値を作る。
その源流を深く辿ると前々世紀(今度は間違へ無ひぞw、今は21性器w)まで遡るALFA社、
その自らの歴史を食ひ扶持にすることが出来る、
それを誇示して見せるのはブランド商売を熟知したやりクチだなぁ、と。
しかし、昨今のブランド商売が中身有りモノにブランドタグだけに成り下がってゐる轍もふんでしまってゐる。
股も中身は大プントぢゃあなぁ、大プント決して悪ひクルマぢゃなささうなんだけど
さういふモンぢゃあ無ひでせう・・・。 原価の極小化と上代の極大化で目一杯の利幅取る、
それが今求められるブランド経営なのはアテクシ熟知してゐますが・・・。
>329
そんなら、俺の車は6Cじゃ!
インテークエアボックスにも書いてあるしw
中身を一から作る技術も体力も、今のギーブルには在りますまい、残念ながら…
ほぅほぅサージタンクに6Cの鋳刻つうことは6C2500か6C3000のOHC、
そしてFRですな。w
最近特に復古調デザインに御執心な様子のアルファですけれど、過去の名車の多くが外部デザイン。
「これぞアルファらしさ」という物が、人によって異なるのが難しいところでしょうか。
「見た目も重要だけど、乗り味にこそアルファらしさを」ってのは皆が思う事でしょうが、
それも開発陣の思うアルファらしさと顧客の思うそれが必ずしも一致するとは限らぬのも難しいところ。
>>328・・・・成る程。
>3ボックスだと見てくれもいいとか、 いろいろ仰々しいところに乗り入れるにも都合がいいとか〜
その理屈は充分理解出来るつもりではおりますが、実際には派手な塗色とか会社の名前入りで
あんまり品の良く無い外見なのが殆ど。
私が理想と考えるのは、昔の“運転席はオープン。客席は箱型”で、ひと目でタクシーと判る為には
ボディーサイドにケイン(籐)を貼るっていうスタイル(それを模したペイントでも可 w)
http://www.citroenmodelcars.nl/images/gallery/abc/B2Taxi.jpg こんな感じ。これなら何処にでも乗り入れられる(・・でしょ??)
しかし、昔から雑誌の“読者参加型デザインコンペ”等でタクシーってのは定番のお題であるように
皆“これで良い”とは思ってはいないのに中々変えられないのがタクシーの形。
大体、タクシーのヘビーユーザーってのもそうそういない(w)でしょうし。
車にあれこれとうるさいマニアやらオタクやらは、あんまり積極的にタクシーを利用しないでしょう。
で、結局は業界や運転手さん側の都合優先みたいな事になり、私の住む地域ではクラウンセダンが殆ど。
もしかしたら日本で最も車種のバリエーションが無い地域なのかも?
その昔ジュジャーロ御大がタクシー専用車コンセプトカー発表したことがありました、
76年の”ニューヨークタクシーキャブ”↓であります。
http://cocoa.gazo-ch.net/bbs/38/img/200610/1039097.jpg 紐育と銘打ちながらクルマはアルファ・ロメオw、訳分かりません。w
しかも廃エースかエスパスかつう1ボックス。当然それっきり。w
アテクシの巣食ふ近所では現行プリ薄のタクシーがおります、
乗ったこともあります、雲ちゃんはヲヴァちゃんでした。
日産の何つったっけ、1.5ボックスみたひなののタクシーも一時期おりました。
都内で時々見かけた(さう言へば最近見なひね)ワンコインを謳った\500タクシー、
あれデミ雄かなんかでしたよねえ。
しかしアテクシの実家のトーホグではタクシーと言へば小型が主流、地方ってさうでせう?
しかし何故か東京、横浜、大阪、神ビあたりの大都市圏では中型が主流っつのも
こちらに来た当時は不可解でした。今では麻痺してそんなもんだと思ってますが
やはり今となっても不可解ではあるます。
昨日書き込んだ後で気付いたのですが、
>>333の書き方ではボディーサイドにケイン(籐)を貼るのは
タクシーだけの特徴のようにとれるかも知れません。
しかし
>>299に貼った謎の補助席を持つルノーにも見られるように、古いフランス製高級車には
良く見られる馬車時代の名残りつかお遊びです。20〜30年代にはあまり流行らなくなったものの
それを模したペイントはタクシーには多く残っていたらしく、パリのタクシーの特徴になっていた模様。
戦後にもルノー4にそうしたペイントを施したバージョンが一時期有った筈ですが、
古い高級車をイメージしたモノであり、決してタクシー仕様って訳ではありませんでした。
馬車の名残りと言えば、現代のボディー形式の呼称ってのもそうですけれど、
さすがに21世紀の現代ともなると、かなり元の意味からは離れているようです。
日本には未だに正式には輸入されていませんが、VWの最高級車に“フェートン”ってのが有りますが
あれが出た時にCGで小林彰太郎さんが
「フェートンというのは4〜5座のオープンボディーの形式の一つであり、セダン型のこの車には
如何なものか?」と書いたところ、作家の高斎正氏が自らの著書で
「フェートンとはオーナー自ら運転する馬車の事というのが本当の意味だったそうだから、
VWは別に間違っていない」と書いていました。
そうは言っても。元々の馬車のボディー形式の意味からはどうであれ、30年代頃には
「デュアル・カウル・フェートン」とか「オールウェザー・フェートン」といったオープンボディーである事を
前提にしたバリエーションが多く見られた事もありますし、自動車用語としての“フェートン“と言えば
やはり4〜5座のオープンボディーの一形式を連想するのが普通(?)と思うのです。
もう、さすがに馬車本来の意味からは離れても良いのではないでしょうか?
フェーd、語源はエルメスたん(ローマで言ふメルクリウス)の乗る火の車であります。
なればうちの2台の轟珍号wも立派にフェーdであるます。w
それでは我が家の家計簿もフェートンですか。
VWのフェートン。良く出来ているそうですが売れないみたいですね。
出来の良さだけでは売れないならば、レクサスもこの先はどうなるのでしょう?
そう言えば、VWフェートンってW12のエンジン等意欲的な部分も多く、レクサス以上に新奇とも
思えるのですが。
さて・・。現代の自動車のボディー形式の語源となった、馬車ボディーの形式名にも、
当然と言えば当然ながらそれぞれに語源は有るという訳ですね。
今になっては何が語源だったのか不明な物も多いのかも知れませんが、そんな中では
クーペ(Coupe)ナンかは如何にもカップル(Couple)が語源っぽい気がします。
実際にも先日ちょっと触れたように“二人乗り用の箱型”と言うのがその定義だそうですし。
ところが、前スレでも書いたように自動車の歴史も初めの内は、フランス等ではクーペと言うと
所謂“クーペ・ド・ヴィル”の事で、例のブガッティ・ロワイヤルの“クーペ・ナポレオン”のような物。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/3cfa.jpg?bcl24sFBfysC7rwE これだと“完全な箱型でも二人乗りでもないじゃん”と思うのが現代の感覚でしょう。
事実数年後には同じくブガッティから“クーペ・アトランティーク”が出ていて、こちらは完全に二座。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/1794.jpg?bcl24sFBwSxrnzST クーペ・ナポレオンでは運転手は、クーペの定義である“二人乗り”の“二人”の中に入っていない。
つまり運転手はあくまで使用人に過ぎない者であったのが、数年後のクーペ・アトランティーク”では
オーナー自らが運転をする車であった為に“二人”の内に入っている。
その為に見た目には全く異なる形式に見えるこの両者が共に同じ“クーペ”という形式で呼ばれるという
一見矛盾したことになっているようです。
この両者の間に有る数年間の間に、自動車が積極的に運転を楽しむ物へと変化したのかもしれません
その事が、クーペという言葉の意味を変えたことにつながり、自動車用語としての“クーペ”とは
馬車用語のそれとは異なる意味を持つものにしたとも考えられます。
↑ 毎度、何が言いたいのか不明な長文でしたが、要は
“馬車用語が語源であっても、自動車用語として独立した扱いをしても良い言葉も時には有るだろう”
みたいなことでした。
馬車の形式を忠実に模した自動車とかならば、飽くまで馬車形式の呼び名に拘るというのも
それはそれで意味もあるのでしょうが、ブガッティ・ロワイヤルのDouble Berline de Voyage
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/320c.jpg?bcH4MtFBWNwDb84U (中段左側)くらいにまで徹底していれば・・。
馬車用語を語源としないボディー形式ってのはあるのでしょうかね?
最近何故か“サルーン”って呼び方に押されて旗色の悪いように感じる“セダン”なんかは
どうなのでしょうか?
“セダン型”という馬車形式も有るには有ったという話を以前何処かで聞いた記憶も有りますが
あまり広く用いられた言葉ではなかった事は、同じような形式が国によっていろんな呼び方を
されている事からも明らかと思われます。
セダンチェアーという代物もその昔には有ったそうで、こちらは日本で言う駕篭のようなものだとか。
“セダン”という言葉を初めて自動車に用いたと言われるフォードさんが、その命名の時に
脳裏に思い浮かべたのはどっちだったのでしょう?
保守
毎度の長文書き終え、書き込みボタン押したら
「アクセス規制中です」ですって(w
ぃあー、・・・・・火曜から入院しておりました。ぃあクルマでは無くアテクシが。w
細菌性だかヴィールス性だかの腸炎。
>>341 またまた〜尿道炎だったくせに〜
見得はっちゃって〜
↑尿管結石、腎臓不具合再発の可能性もありましたが今回はセーフ。w
退院した足で会社行ったら「何変なもの食った?」とアチコチで言はれ膜ったのが
ぢつに不本意。w
規制解除。
こうして、何か悪さした人の使ったホストを規制するのって意味あるのでしょうかね?
数日経てば元通りだし、他の人の迷惑になるだけみたいに思うのですが。
>>341 そりゃ、災難でしたね。
疲れってのは何処かに貯まって、いつか急に現れるもの。
お忙しいようですけど、まぁ、ある程度はテキトーに流して行くのも時には大事なのかも。
お気楽が一番ですって(w
で、
>>339のセダンチェアーの話から。この前書きこめなくて保存しといた分。
セダンチェア、本来なら”輿”と和訳するものと思ひます。
御神輿の輿、お輿入れの輿、玉の輿の輿。
かつて小柳ルミ子は大隈賢哉の腰の玉に乗ったと。w
一方動く斤量ですが、
今の今でも逝ってる師のお書きになったやうにサイドカァレースで活躍しております。
このサイドカァレースっつな見ててもぢつに面白ひのですが本邦では許可されなひ。
危な杉るからです、実際これが盛んな欧州とかでは結構死んでます。
だから面白ひと言えば面白ひのですが。
ところで”セダン””サルーン”、セダンは箱型の御輿からとして
サルーン、アテクシサルーンつうと米国開拓時代の西部の酒場を真っ先に連想するのですが
これと関連あるのでせうかね? こんな↓おねぃタンのゐる酒場。
http://recollections.biz/Merchant2/merchant.mv?Screen=CTGY&Category_Code=saloon (↑アテクシ結構フェチ衣類買うとこですw、海を越えてDMまで来ますw)
欧州式サロンは股別でせうし。
ベルリーナ(ベルリン式)っつなベルリンで特徴的に箱型馬車が見られたのでせうか?
寒ひとこなので上が開くやうな乗り物では耐へられなかったのでせうか。
今でもドイッチュ、北欧のオープソでは多くがカブリオレで中綿の入った厚ひ幌、
ヌパイダ式やロードスター式のペラペラでは凍死しちまふんでせうから。
重量物の移動でトラクション確保…
DTMのC-classの事か!?
>>347 サロン、サルーン、語源は判りませんが共通しているのは“くつろげる場所”
といったニュアンスでしょうか。恐らくは自動車用語のサルーンも同じ語源でしょう。
ベルリンってのも語源は判りません。今度近所の図書館で“馬車の歴史”って本でも借りてみます。
が、とにかく“箱型の四輪大型馬車”を意味する言葉だったようです。
意外にもドイツではその形はリムジン(小型はリムジーネ)と呼ぶ方が一般的なようで、
ベルリン(及びその変化形)を用いるのはフランスやイタリアに多いみたいです。
ドイツでもBMWには328に有名なロードスターモデルが有りました。まぁそれは例外にしても
最近もZシリーズってロードスター型が有りますが、アレはアメリカ市場を意識したものなのでしょう。
この頃流行している“クーペ・カブリオレ”形式には、あそこは未だ手を出していないようですが、
やたらに前後均等の重量バランスに拘るメーカーでもあることから、メタルルーフという重量物が
大きく移動するレイアウトには手が出し難いのでしょうか?自らの拘りに縛られているのかも。
>>348 その車の事は良く知りませんけど、現代のレース・レギュレーションには大体
「パラストは車体に固定されていること」といった一文が有るというのは、
使い残りのガソリン(去年ホンダF-1が引っ掛かったような)等はそれと認めないという事の他に
車体の中を重量物が移動するようなデバイスの禁止という意味合いもあるのでしょうか。
以前にエロスパ氏が(フロントの)トランク内でボーリングの球が転がった弾みに横転した
スバル360の話を書かれていましたが、丁度その逆みたいなもの?(違うか w)
350 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/10/30(月) 00:03:22 ID:gbdL0Z0m0
ナンバープレートライトをレインボーにしたんだけど、完璧違反になるかな?
青でも違反だけど…
↑その手は恐らくダメでせう、ナンバー関連は今でも結構うるさく
アテクシもかつて封印にPETボトルのキャップ被せてw(土窮鼠仕様ねw)
それお巡りにめっかって咎められました。ナンバープレートにシール、
ステッカー貼るのも所定のもの以外違反ださうです。
で、
>>349 >意外にもドイツではその形はリムジン(小型はリムジーネ)と呼ぶ方が一般的なようで、
>ベルリン(及びその変化形)を用いるのはフランスやイタリアに多いみたいです。
本国で本国のものにその国名等使ふ例は、まぁ本邦に於ける”日本酒”ぐらひなものでせう。
その国・地域で普遍的なものにわざわざその地の名称を付けて判別する必要は無ひのですから。
例へば、”コニャック””アルマニャック”だって他の地域・国に出荷する前提で
その名が使はれる訳ですし、ヌコットランドの地で単にウヰスキー、
ウスケヴォーと言へばヌコッチしかありますまひ。
と、言った事情に因るものでせう。
日本酒だって本来は「酒、サケ」なのだが
「日本酒」という区別の仕方はあんまり好きではないなぁ(´・ω・`)
じゃあ焼酎は泡盛はどうなのよみたいな感じ。
「清酒」ならわかるが。
>>352 さぅさぅ、本来”酒”と言へばポン酒のみを指す、
と言ふか”ポン酒”つうものを”サケ”と称してゐた訳で、
それを敢へて”日本”酒と呼ぶことは本来不必要なのであります。
問題はアルコール飲料一般を”酒”と括ってしまったことから
敢へて判別するための名称が必要になった、そこだと思ふのです。
>>353 ぢゃあ焼酎はチョン酒、泡盛は琉球酒で如何でせう?w
まぁ焼酎の発祥は本当のところは不明でせうがこの手の蒸留酒は世界各地で
自然発生的に多発してますから本邦でも独自に発生したとも思へます。
清酒っつうのも”濁り酒”に対しての言葉で、本来本邦日ノ本の国のサケはこれなのです。
神代の時代のサケは決して清酒ではありません。
そして戦時中〜戦後混乱期の三倍醸造法によって大きく変化したのが今の清酒であるまして
本来の清酒の製法といふものはほとんど現存してゐなひのであるます。
フランスでフレンチトーストと注文しても通じない。またフランスパンという名前で売られているパンは無い。
ナポリにはナポリタンは無い。・・みたいな話ですかね?
ナンだかそれでも微妙に脱線っぽいような気もしますけど・・(まぁいいや w)
とにかく。セダンってのはアメリカ車文化圏の言葉であるようで、他国ではベルリン、サルーン、
リムジーネなどと呼ばれるようで、クーペとかカブリオレ程普遍性のある言葉ではないようです。
しかし、ベルリン馬車とベルリン型自動車とでは当然違いもあり、運転者(御者)までもが
箱の中に囲われる形になれるのは自動車ならではのこと。
その為か、世界で初めて作られたクローズドカーとされる1899年のルノーでは、
馬車の形式名をそのまま使うのには抵抗を感じたのでしょうか、
“conduite-interieure”(コンデュイ・タンテリエール。
英訳ならenclosed drive?室内で運転するといった意味)
と名付けられていたのだとか。
その車の写真。
http://www.carroantigo.com/imagens/evolucao/1899-renault-coupe.JPG 空力も重心高もなにも無いといった形ですけど、トップハットを被ったままで乗っても充分な
ヘッドクリアランスをとった結果でしょう。
>>346の“セダンチェアー”と良く似た形ですけど、もしかしたらヘンリー・フォードさんが
箱型を“セダン”という名前で売り出すことにしたのは、この辺りに起源が有るのかも知れません。
明石で玉子焼
コンデュイタンティリエ(お腐卵臭語の表記、リエゾーンで繋がるとだう書ひたらEか困るw)、
こちら↓は'34年発売のブガッティ57の初期の広告(出典SCG18/JPC)
http://cocoa.gazo-ch.net/bbs/38/img/200610/1055531.jpg ↑こちらのタイプ57シャシ上に架装された4扉4座のギャリビエにもこの表記があります。
ところでこの頃の一連の広告にはこれまで語られた諸々が一気に出てきまして
この↓57Sシャシのクーペ、アタラントは2扉2/3座と表記されております。
http://cocoa.gazo-ch.net/bbs/38/img/200610/1055532.jpg 同じく57Sシャシのクーペ、御馴染みアトランティ↓では2扉2座。
http://cocoa.gazo-ch.net/bbs/38/img/200610/1055534.jpg この2/3座つうのはぢつに訳分からん表記に思へますが
これは要するにベンチシートで2人でも良し詰めれば3人も乗れる、といふことでせう。
お腐卵臭名物3Pでありますが、かう読めるのはこの↓4扉のギャリビエでは
4-5座と表記されており、4人でも5人でも乗れるからです。
つか、定員が固定されておらづ1人分あやふやなところが股なんとも。w
先に示したギャリビエでははっきり”4座4扉”と表記されてゐるのに
後に示したギャリビエでは4-5座となってるのも不可解なところ。
それともお好みで4座仕様も5座仕様も、アタラントなら2座でも3座でも選べた、
といふことなのでせうか?
これら一連の広告には他にも興味を惹くところがありまして
最初のギャリビエでは”コンデュイタンティリエ”
4座2扉のヴァントォでは”コーチ”と称しております。
ところが後に紹介したギャリビエでは”ベルリーヌ”となっております。
しかもこの後のヤシ、4扉でありながらクーペ・ナポレオンの如き十字桟付きグラスルーフ。
後のヤシは恐らく先に示したものよりやや時代が下ると思はれるのですが
この間に”コンデュイタンティリエ”は”ベルリーヌ”と呼ばれるやうに変化したと思はれるのです。
>>357-358 病み上がりだと言うのに、随分変な時刻のかきこみですねぇ・・(w
“4-5座”等というのは、現代日本のミニバン等にも見られるような“どちらの仕様でも好きな方を”
という意味でしょう。
“コーチ”というのは、私はずっとツードア(フォード流表記w)セダンの事だと思っていました。
つまりツードアセダン=コーチでフォードアセダン=ベルリーヌと。
実際にも殆どはそうみたいなのですけれど、最近30年代のルノーの広告でフォードアでも
“コーチ”と表記してあるのを見つけましたので完全にそうとは言い切れないようです。
どうやらフォーマルな感覚よりも軽快さを打ち出したセダンをコーチと呼んだのでしょうか。
また“コンデュイタンテリエール”って言い方は、御指摘のように30年代も後半頃には
あまり使われなくなったようです。屋根付きが一般的になるにつれ、不自然な感じになったのだと
思われます。
そうした流れは量産メーカーの中でも先進的だったシトローエン辺りから始まったようで、
20年代後半には既にこの言葉は使わなくなったようです。が、保守的なルノーや
カスタム・コーチワークを手掛けるカロシェではもう少し後まで使用していたようです。
“フェートン”(トルペード/トゥアラー)のように、現代ではその形式自体見られなくなった物を除けば
こうした“今では使われなくなったボディー形式用語”ってのは他に有るでしょうか?
咄嗟に思い浮かぶのは“カブリオレ”に統一されつつあり、最近は使われなくなった
“デカポタブル”とか“コンバーティブル”辺り。
つピラード・ハードトップ。w
つかこのピラード・ハードトップなる妙な言葉、恐らく和製英語でせう、他聞ひたこと無ひ。
本来”サッシレス”と呼ぶべきものであるます。
で、トゥアラー、以前なんかで(って調べたら出てきて何と歳バレスレw)
ロールスのバーカー・トゥアラーの話しましたが、思へばオープソボディーの
それもコバショウ御大のヴォロクソ・ヴァーゲン関連のアレでは「側窓のガラスも無ひ」といふ程の
シダルマぐるまを何で”旅行用”と呼んだのか?
さう言へばうちの轟珍1号ヌパイダも最初の企画では
”105系のヴァリエーションとしてのオープン2座のファスト・ツァラー”
がコンセプトであります。そして”トゥアラー””トゥリズモ”の前に大が付くGT、
このGTの元々の定義は「1日に500`を移動可能なハイスピード・ロードゴーシングカー」
であります。1日で500キロを超へるグラン・ツァー、
アテクシ轟珍1号での東京・大阪間の移動で何度も実証しておりますが確かに可能w
よってGT・グラントゥリズモの資格はあるのですがw、
それでもやっぱりそりゃあ耐候性の良ひクローズドカーのはうが長距離用にはEでせう。
それをファスト”ツァラー”(ツァー・トゥアーと混用申し訳無ひ)としたのは
何故でせうか? 欧州では旅行の移動は青天井で行ふもの、といふ意識でもあるのでせうか?w
さて、妙な時間の出現の訳は、ぢつはアテクシのゐた病棟は逝きかけぢぢぃだらけでして
アテクシゐる間に何人逝くかと思ってゐた程。w そんなぢぢぃ時間で娑婆との時差が少し残ったのと
正直言って仕事復帰即全開フルスロットルで激しく疲れ帰るなり寝てしまふ、
起きたらあの時間、仕事は山になってるから2度寝も出来なひ、であの時間だったのです。w
自分でも思ひます、仕事の嫌ひなこの俺様が何でこんな目の玉三角にして仕事してるのか、と。w
で、その逝きかけぢぢぃで思ひ出したのですが、人生の最後の最も厳粛な式典・葬式、
これの重要な小道具にフューネラル・ワゴンつう物件がありますが
この最もフォーマル度の高ひクルマに往々にして似非オープソ風味があるのは何故なのでせう?
レザートップなんつう生易しひもので無く雷(ランドージョイント)風味お飾りまで付く本格派。w
今ではカジュアル感一杯のオープソ、元々は最もフォーマルなクルマのスタイルだったのでせうか?
訂正:
ロードゴーシング ×
ロードゴーイング ○
F1のターボエンジン時代は1.5Lでも1000馬力出ていたらしいですが本当ですか?
すごすぎなんですが。
さて。トゥアラーってのは英国でのみ通用するボディー形式用語のようで、アメリカではフェートン
フランスでトルペードと呼ばれた形がこれに当たると思われます。
何故、簡潔な幌型にこの名前が付けられたかは不明ですが、箱型に比べて軽い分だけ
轢く馬への負担が少ない事から長距離巡航に向くといった程度の意味だったのではないかと
想像します。
グランツーリスモという言葉を最初に自動車用語として用いたのはアルファロメオのようで、
1934年の6C2300の高性能版に、ノーマルの“ツリスモ”に対して“グランツリスモ”という名前を
与えているようです。ボディーの方は、当時のアルファの常で全て外注でしたから、
様々な形の物が架装されたようですが、6C2300自体が純スポーツの8C2900等とは異なり
よりロードユースを意識したものであることから、スタイリッシュなクーペが中心だったようです。
ところが同じ時期の英国では、こうした高性能な長距離用自動車には
“コンチネンタル”という言葉が用いられていたようです。
それを最初に用いたのは20年代のロールスロイスで、ファンタムUの高性能版の名前に
その言葉が用いられています。
こちらもボディーは全て外注でしたから様々な形の物が乗せられたようですが、空力に優れた
クーペボディーで後席は多少狭くなってもその分旅行用荷物を多く積めるように
大き目のトランクを備えたものが多かったようです。
エドセル・フォードがリンカーン・コンチネンタルで追及した“コンチネンタル・ルック”の始まりでしょう。
以上のような事から、ボディー形式用語としての“トゥアラー”と、“グランツーリスモ”という言葉とは
直接の繋がりは薄いモノと思われます。
こういう話、している本人は当然それなりに面白いからやっているのですけど、
まともに読もうって人はどれだけいるのでしょうね?(w
古い車に詳しくない人間にとってはこういう汎用性があるというか
今の車にも多少なり関係のある話のほうが分かりやすくて楽しい。
古い車の話がつまらないってわけじゃないよ。
うむ・・。まぁ、基本的には暇潰し。自分の好きでやっている事ですので暴走は大目に見て貰うしか
無いのですけれどね(w
ところで、あんまり縁が深くても困り物の霊柩車の話のついで。
“FUNERAL COACH”とか“FUNERAL WAGON”或いは“Hearse”で検索すると、結構いろんなのが
引っ掛かりますが、エロスパ氏の書かれているのはこんな感じの物でしょうか?
http://hearse.com/vehicles/motorized/lincoln/1999/eagle/hearse/v003/images/IMG_0414.jpg アメリカ辺りではHot-Rodの題材としてもポピュラーなものらしく、そっち系のWebページでも
幾つか見掛けます。それをそのまま輸入したものと思われる車を日本で見た事も有りますが、
日本式の霊柩車にしか馴染みの無い人には、一体何なのか判らない事でしょう。
欅作りで銅ぶき屋根と、大体相場は決まっている日本式とは異なり、色も形もバリエーションが
豊富なのも向こうの霊柩車の特徴のようで、白いボディーに白い屋根でも違和感は無いようです。
その事から、アンビュランス(救急車)の回転灯を取り外し、リアクォーターウィンドウ部分に
ランドージョイントを飾ったパネルを取り付けて即席霊柩車とするコンビネーションカーも
“コンバーティブル・アンビュランス”等と呼ばれて一般的なのだとか。
日本では考えられないドライな割り切り方ですけれど、人口の少ない地方等では
そうそう使う機会も無いのに専用の車を置くというのも勿体無い事から考えられた物なのでしょう。
馬車の歴史という物が無い日本では、本来これに対する物ってのは無かったそうですが、
大正11年の大隈重信公の国民葬の時、バス用シャシー上にお寺スタイルの棺入れを載せた物が
特製され(これ自体は棺入れ部分は取り外し可能)これを範として一般にも定着したのが始まりだとか。
意外と歴史は浅いモノのようです。
ぃあーお母ちゃんが来ておりますのでちと書く暇がありません。
昨夜はお母ちゃんの古い友人のミラノぢんとお茶(つか皆様ビール、アテクシチンザノ赤ロックw)
今日は関東甲信越ピッコロ・トゥリズモをせねばなりません。
お母ちゃんはまだ寝ておりますが。w その間にアテクシは始業点検をせねば。w
>368
そして1930年代になると中古のパッカードやビュイックが
宮型霊柩車に改造されるようになる、と。
今日、交差点で営業用ナンバーの白い現行クラウンが鼻先突き出したので
「おや、個タクかな」と思ったら
動き出した後のボディが進んでも進んでも途切れない、実に全長10m近い。
キャディの特装車並みにロングホイールベースの洋式霊柩車仕様。
モノコックでもあれだけ無茶やれるんだなーと変に感心した。
>>370 じゅ・10mって、そりゃ凄いですね。一体誰を寝かすのでしょうか?
営業ナンバーという事は、本当に霊柩車として使用されているのでしょうかね?
多分、剛性も何も無くなっているでしょうけれど、それをどうのこうのと言うような走り方は
元から不可能となっている事でもあり、大した問題では無いのかも(w
ちょっと昨日の“コンバーティブル・アンビュランス”で思い出した事。
随分前の話ですが、私の祖母が亡くなった時。都内の大きな病院で最期を迎えたのですが
さすがは大病院と感心したのが、地下の一角に葬儀場までちゃんと備えていた事。
入院患者数がそれこそ数百人にもなるならば、亡くなる方もそれなりにいるのは仕方ないこと。
葬儀場の備えを持つのは合理的な事でしょうが、ちゃんとそれなりの配慮もあって、
参列者の入り口は外来患者や見舞い客とは全く別にしてあり、それぞれが顔をあわせる事は
一切無いようになっていました。
それでも一応、使われる霊柩車はお寺スタイルの物ではなく、一見普通のクラウンのバンみたいな物。
やはり一目で霊柩車と判る物が病院に出入りするのは、縁起でもないって事なのでしょうか。
知らない人が見たら、只の出入り業者さんくらいにしか思わないかも。
自分が死んだ時には。
さすがに生ゴミに出されるのも嫌ですけれど、葬儀なんてまぁ適当にやってくれればいいや・・。
残せる物も大して無いので遺書を書くにしても書く事も無いですしね・・。
でもねぇ、クラウンのバンとかハイラックスベースの霊柩車で運ばれるのは嫌なので、
常々家族には“霊柩車はシトローエンにしてくれ”とは言ってあります(迷惑 w)
>>371 あんたそれ、大型ハイドロ車のブレーク探してこないと・・・w
近在に特別養護老人ホームができたんだけど、
その筋向かいにあった潰れたパチンコ屋跡に入居したのは、
・・・葬儀屋チェーンの葬祭場(おいおい)
このフューネラル・ワゴン・コーチビルダーwの広告、
住所が”東京府荏原郡入新井町不入斗29”、
ほぉぉ、東京にも”いりやまず”つう地名が有ったんですなぁ。
不入斗、アテクシ横須賀のあの辺の標識でこれ見かけて
当時のおねぃタンにその読みを何度も訊ひたものでした。
”入”は”はいる”と読むのでせうか?京都のやうだなぁ。
焼き場、都内だと代々幡、桐ヶ谷などまぁ都内ですから平地にありますが
実家のはうでは確かに緩ひ丘の上。以前ぢぢぃ焼ひた時にその数年前のばばぁのときより
明らかにコツの量が少なひので
「なんか少ねぇなぁ、やっぱ人間100年近く生きるとかうなるかね」などと申しておったところ
係の人曰く「ここ数年で燃焼温度上げてゐるんです」とのこと。
やはりこの世界も技術革新はあるのか、やはり効率化だらうかと考へてゐて
ふと思ひ当たったのがダイオキシン。
やうするに人も萌へればダイオキシンが出るの鴨、まぁ棺桶の内外装、
副葬品から出ることもあるのでせう。
まぁアテクシなど毒気の塊ですしw、ぢん性の最後の最後まで周囲ケムに巻ひて
思いっきりヤな顔で送られてみたひ、とも思ふのです。w
そこまでちゃんと見ていませんでしたが、不入斗ってのは読めませんねぇ。
荏原と言うと、現代の品川区ですけれど、入新井というのは大田区の方だったようです。
環七と池上通りの交わる辺り。作家の山口瞳さんのお生まれになったのがこの辺りだったとか。
火葬場の火力ねぇ・・。煙の問題とかも当然有るでしょうが。
昔は副葬品と言ってもせいぜい六文銭持たせる程度のものが普通だったようですが、
近年はやたらにあれこれと入れたがる方が多いのだそうで。
係りの人としても本音では「廃品処理までついでにやる気か?」くらいの事を思っても、
遺族は良かれと思ってやっている事だけにあんまり言えないそうです。
そんな事も火力に多少は影響しているのかも・・。
少しは車の話(とは言ってもまだ霊柩車w)
パッカードのシャシーやエンジンは丈夫だったので、ボディーが疲弊した後は霊柩車に転用して
再び活躍したと言うのは良く聞きます。
昔は古い車を大事に乗り続ける人は少なかったそうですが、それでも元はフォード等の数倍の値段の
高級車。中古といっても新車のフォードより安価に入手出来る代物ではなかったでしょう。
それでもパッカードが好まれたのは、見た目に高級だからというだけではなく、
当時の宮大工さんが“いい仕事”した重量級ボディー(1ton以上は楽に有ったとかw)を載せて
フォードではセカンドギアで目一杯に引っ張るようにしないと登れない急坂でも、トップギアのまま
音も無く登り切れるパワフルさが好まれたのだとか。
1933年のスーパーエイトを例にとると、6.3リッター直8SVのエンジンは数値で言うならば
135ps/3200rpmでしかありませんが、吸・排気系をあえて絞って低回転型に徹した結果であり
単純に現代の感覚で受け止められるものではなかったようです。
横須賀の方の不入斗には不入斗中学(通称いり中)があって、かの山口百恵の
出身校であるそうな。
>宮大工さんが“いい仕事”した
以前、師のおっしゃった木造ボディ、
大工の棟梁に腕を見込んでと妙な木造ボディビルドを持ちかけるアレですな。w
うっかり五重塔でもおっ建てられたらだうするんでせう?w
一方恥丘の裏側ブラ汁では英雄の葬儀の際には棺桶を消防車の上に載っけるさうで
アイルトン・セナの葬儀は記憶に新しひところ。あれはだういふ訳なのでせうかね?
そしてミスターFIATにしてイタリアの父ジョヴァンニ・アニエッリのときは
FIAT車で棺桶の載るクルマは1ボックスのなんかしかなく、
それに載っけてリンゴットの旧本社やら何やら練り歩ひたさうです。
さて、この手の話となると近ひ将来懸念されるのは故錦。
ありゃ今のままでは長くなひでせうだう見ても。
あれ載っけるのはコトですぜ、載せられるクルマも限られる。
つか、焼き場のカマに突っ込めるのか? カマの口につっかへさうな気が。
>>377 先日の相撲協会の会合で
小錦は分割して出棺することに決まりました。
>>379 パトカーと紛らわしい塗り分けはしちゃいかんことになってたんとちがうか
>白い車に無塗装のウレタンバンパーならば、そのまんまで白黒ですし。
おいおい
思へばそれこそ豆腐屋営業車86やDR30ヌカ自慰、ぃあRSあたりには
ウエストラインより下が黒、上が白が純正設定されてました。
アテクシも当時、をひをひこの配色はご法度ではなかったっけ?と思ったものです。
まぁ上下白黒は通ってもフェンダー白ドア黒は通るかだうか。
昨今都内の各区では似非パトカーが徘徊して防犯にあたってますが
あれはああいった目的の車両だから(要するに似非パトカーで犯罪抑止)
あれが許可になるのでせうなぁ。
で、>白い車に無塗装のウレタンバンパーならば、そのまんまで白黒ですし。
旧パンダが試作されてFIATの重役に提出された時、白い鉄板部分に
剥き出しのヒンジを隠すウレタンやら無塗装のバンパーやらモールやら
各部のプラスチックパーツ真っ黒けの姿を見て、お歴々曰く
「なんだこのパンダみてぇなクルマ?!」、
でパンダになったのは一部では有名なw話。
しかるに今度のパンダはパンダに見へなひ。w
だう見ても寸詰まりのカリブ。w
いっとき欧州車の黒バンパーこそ通の証、みたいな時期もありましたが、今や
フランスもイタリアもバンパーをボディ同色に塗る時代。フォードKAまでも
バンパーが黒いのは下のグレードのみというていたらく。
最後に残る黒バンパー、実はプロボックスではないかと期待しつつも恐ろしい。
私の車も白いボディに黒いバンパー、側面下半分は黒いプロテクターで覆われて
パトカーカラーと言えなくもない。
最近の車の場合、バンパーと呼べるのかどうか?ってのも多いですけどね。
子供向け絵本によく“はたらくじょどうしゃ”みたいなのが有りますけれど、最初がタクシーで
消防車にパトカーってのはともかく、二番目に来るのが霊柩車なんてのが有ったら嫌だろうな(w
・・ナンてことはともかく・・。
パトカーは白と黒って法律で定められている訳ではなく、単に慣例でそうしているだけ
(そうでなければ覆面は違法でしょ??)なのでしょうから、民間がその配色を使用していけないという
理由もないのでしょう。(消防車の場合は?・・知らんw)
警察車両を白黒にしている国ってのは結構有るみたいです。もっとも白黒の配置は様々で、
以前フランスの自動車関連のイベントに有ったポリスブースに置かれていた古いパトカーは
白いボディーに黒いドアとボンネットでした。
>>381の長野県警のHPでは、白黒になった理由を
>日本で生産される自動車の色がほとんど白色で、パトカーも白一色だと、ちょっと見ただけでは
パトカーと一般の自動車との見分けがつきませんでした。そこで(後略)
と、日本独自の理由のように書いていますけれど、そんな訳は無いでしょう。
大体、幾ら昭和20年代と言っても
>日本で生産される自動車の色がほとんど白色
だったなんて事は無かった筈ですし。
別に“他国に多い配色を導入した”と書いても構わないと思うのですけどね。
出っ歯竹槍チバラギ仕様つうのもさすがにdと見なくなりました。w
ヤングオートなんつう雑誌もまう無ひんでせうなぁ。
まぁこの手志向する人々は皆今や土缶(ヒジカタの缶詰1BOX・ミニバソ)に乗るやうになったでせうし。w
さて、その土缶と言へば以前ジュジャーロのヌーヨークタクシーキャブの話しましたが
そのヌーヨーク名物イエローキャブ(巨乳に非づw)、クラウソ・ヴィクトリアあたりが定番だったのが
今やホンダ・オデッセイが大量にゐるさうです。さすが米国、実用一点張りに臆面無し、ですな。
さう考へるとオデッセイのCM、なんかあのCMの景色に似合ふ車体色・仕様はタクシー仕様かと。w
037、思ったよかミャーミャー言ひませんな、それこそ録音の仕方で音は変はるのですが。
室内で聞けばミャーミャー言ふのでせうが。
さて、本日暇に開かせてイタルヌピード
http://www.italiaspeed.com/読んでおりましたら プント元ネタに開発コードネーム”ジュニア”の豆アルファをやるさうです。
全長4b切る豆グルマとのこと。ターゲットは若ひ子たち。
FIAT・alfaの分析ではアルファ党は2極化し若年層と
ぢぢぃwの”アルフィスタ”どもに分かれてきてゐるのださうで
ザーメンながらアテクシも後者に括られてゐるものと思はれます。
尤もブレッラ/ヌパイダ辺りの主要ターゲットは34〜45歳でアテクシスレスレで上限近く。w
今度のヌパイダちっともEとは思ひませんが。つか、もっと我々お変態さま、
ポリティカル・コレクトな言ひ方すれば欲望の制御の不自由な人向けのクルマを出して頂かんと
買ふ気の起きる新車が無ひ惨状が続くことになり非常に困るのです。
今でも一番欲すぃ(アテクシの場合買ひ替へではなく常に増車前提なのも問題ですが)のが
ES30であるといふ惨状が全てを物語ってゐるかと。
そしてイタルヌピードで良く良くブレッラのメータ見ましたら
指針が時計で言ふ6時からヌタートなのは昔に戻ったやうでEと思ひましたが
(昔のジュリア時代は5時からヌタート)、問題は速度計が何と240までしか無ひ!w
回転計に至っては6000までしか無く呆れたことに4500以上がレッド!
あんまりであるます。うちの2台でさへイエローが5800レッドが6300から、
リミットが75で7000、ヌパでは8000で実際回ってしまひます。
4000〜6000行ったり来たりのトルクバンドに乗せた運転が一番面白ひクルマなのです。
速度計だって75で260、ヌパは220、
まぁ実際やった限りでは目一杯ぶっ飛ばしてメータ上75で230〜240まで
ヌパは200そこそこではありますが。(実際に出てる速度は75で210〜220ぐらひ、ヌパで200+ぐらひ、
カタログの最高速がそれぞれ205と197ですし)
さう思へばこのブレッラのメータ、これって欧州で人気のヂーゼルか所詮直噴こんなものなのか、
どっちにせよ非常に面白くありません。
それと昨今のアルファ・ロメオで非常に面白く無ひのは音がさっぱりしなひこと。
一生懸命”プレミアム”を標榜する昨今の同社ですが
やはりかつての「高級なクルマは高級な音を撒き散らすべし」派に立ち返って
”プレミアム”な音を盛大に撒き散らして欲しひものなのです。
音・振動が無ければそれで高級といふ盗用多の安物高級哲学に感染してはいけません。
>>393 良くも悪くもわかりやすい
二昔前の外車ヲタぶりに、乙。
しかし、アルファにディーゼルってやっぱ変だ。
効率的な動力発生装置は
「よくできたパーソナルな移動装置」であるドイツ車かフランス車に載ってればいいので、
イタ車に積むのははなはだしく邪道に思える。
NSXかっこいいな。
>394
それはローマのディーゼル臭さを知ってのことですか!
まあ主にバスのせいですが。
イターリャにはapeの3輪ヂーゼル軽トラwつう身も蓋も無ひ物件まであります。
我々ストラニエーリにとっては伊太利亜車は趣味のオモチャですのでアテクシも好き放題書きますが
現地では生活の道具でもある訳で(尤もうちの2台も生活の道具でもありますが)
アテクシの主張するやうなより趣味性に偏った方ばかり向ひてもゐられないのでせう。
元来クルマつう消費財は実用と趣味性の両極のどの辺でバランスさせるか、だと思ふのです。
アテクシは単に個人的な嗜好でアルファ・ロメオにはもっと趣味性を、と思ふのですが
売ってる側としてはそればっかつう訳にもいかんのは分かります。
が、売り物の目玉として”プレミアム”で”エモーショナル”を掲げるんですから
まうちっと、と思ふのです。
環境とかは勿論大事ですけど、趣味の自動車とは時に悪の華の香りも有って良いと思いますので
(竹槍・出っ歯とかじゃなくってね w)音量自体は周囲の迷惑にならない程度であっても
音質や、室内への侵入に関しては、アルファのような車はもっと判り易いスポーティーさも
主張して良いかと思います。
ところで
>音・振動が無ければそれで高級といふ盗用多の安物高級哲学
これはどうでしょう?トヨタ流と言うよりもその手本だったパッカード流だと思います。
音や振動を極力排除しようというのは、スリーブバルブにこだわったヴォアザンやパナールなどの
例を見るまでもなく昔からある考え方ですし。
>>395 NSX・・。個人的嗜好を抜きにして見ているつもりですが、あの時代NSXに限らず
人の目を惹くに値するデザインのクーペが有れば、今のようなクーペ不人気は無かったと思います。。
車板にも幾つか“スポーツカーはダサい”みたいな趣旨のスレッドが有りますが、
本来車の華だった筈のスポーツカーにネガティブなイメージをもたらしたのが、90年代の没個性な
クーペの一群だったのではないでしょうか?
何度か書いた事ですが、室内や荷室を犠牲にしても見た目を追求するからには、
犠牲に見合うだけの格好良さがなければ意味が無いと思います。
つまり、格好の良くないクーペには存在価値など無いと。
90年代〜現代に至るまでに出現したクーペやロードスターデザインの車。
それらは果たして
>>381のフィゴニ・エ・ファラシに代表されるフラム・ボワイヤン様式のドライエよりも
新鮮だったでしょうか?
>90年代〜現代に至るまでに出現したクーペやロードスターデザインの車。
それらに、クーペにもサルーンにもなりそこなったような4ドア車も加えてやってくださいまし。
日本におけるAT車の躍進とスポーツカーの凋落は、直接的な関連はないとしても、その根本は、
似通ったファクターに起因しているような気がしてなりませぬ。
>音・振
さう言はれればさうですな、アテクシも書きながら”音・振動だけ無ければ
路面のインフォメーションも何も無ひグラグラスカスカで
何処・何踏んでるか分からなひハンドリング、接地性の怪しげな足”
と書くべきかと思ひつつ端折ったのですが・・・、
と書ひて気が付ひたのですが、このスカスカで軽ひだけのハンドル、
ブワンブワンでダヨンダヨンの足、これも起源は一時のアメ車オリヂンと思はれるのです。
戦後のモータリゼーションがアメリカ手本であったことに由来する、
それもアメ車のうち正直あんまり良く無ひのを摺り込まれてしまったことに由来するのでは無ひかと。
>クーペ、ロードスターの凋落
だうもこの現象は日本だけではなく世界的な規模のやうです。
先日書ひたアルファ・ロメオの分析同様、クルマに興味持つ層が減ってきてゐる、
欧州ですらその傾向で、売れるのが実用一点張り(しかしイメージと違ひぢつは無駄の塊)の
土缶車ミニバンばかりと言ふ傾向、これは既に自動車が成熟商品となってしまって
白物家電化してきてゐる為だと思ふのです。
かつては技術的競争力の誇示だったヌポォシカァは今や二ッチ商品として中身は有り物で
如何にコストダウンするかの競争、上っ面のみ如何に商品力持たすかの競争、
さういふ状況なのだと理解しております。
そして
>クーペにもサルーンにもなりそこなったような4ドア車
かの大真面目で技術部門主導だったおベンシさへもCLSといふこの手を出してきた、
真面目なパッケージングも糞も捨て去ってマーケティング主導に堕した、
これこそが自動車産業の現状を示してゐると思ふのです。
1930年代初頭には既にハイウェイ網が出来上がったアメリカでは、操縦性よりも乗り心地を重視した
車作りが求められ、その結果としてエンジンなどの重量物を車体の中心から出来るだけ離して置き、
客室をホイールベース間に完全に収める事で柔らかいスプリングを使用してもピッチングの少ない
水平に上下する振動系がGM技術陣により発見・実用化されました。
その結果としてステアリングの応答性が悪くなったなどという副作用ももたらされたのですが。
第二次大戦後、以前からアメリカ資本によって自動車の普及が進められていた日本では
悪路での乗り心地が最優先事項であった事や、単純な見栄えの良さなどから
そんなアメリカ車を最上とする風潮が出来上がり、現代に至っていると考えております。
で、現代の若いドライバーでも、結構多いのが「出来るだけアクセル踏まないのが良い運転」と
頑なに思いこんでいる人。1.5リッター程度の普通に走る分には充分なはずの車なのに
「この車、坂道に弱くって」みたいなことを言うので、見ると全く踏んでいない。
強く踏むとキックダウンするのでエンジン音が高まるのが嫌なのだとか。
「エンジンに無理させている気がする」のだそうです。
こういう人ってAT/MTに関わらず、ギアボックスって何の為に有るとおもっているのでしょうね?
>クーペにもサルーンにもなりそこなったような4ドア車
これも要はかつてののアメリカ車のサイドヴューを小型の日本車で再現しただけの物でしかなく
アメリカで次の流行SUVやミニバンの隆盛が伝えられればそれに取って代わられるだけの
儚い一時の流行でしかなかったと思うのです。結局はトヨタ流と言うよりアメリカ流。
ベンツのCLSにしても、室内寸法はベース車両のままで外寸だけ拡張では欧州では使い辛いのは
判らない筈も無し。結局はアメリカ市場でのウケ狙いなのではないでしょうか?
ところで、今日は近所の図書館で「馬車の歴史」なんて本借りてみました。
しかしこれ(当然ながら)車輪の起源に始まり、映画“ベン・ハー”に出たみたいな戦車とかは出て来る。
コーチとかワゴン、セダンにサルーンと言った現代の自動車用語とのつながりを知る為だけで読むには
かなり大変な代物(w
・・どれだけマジメに読めるものかなぁ??
>>392 アク禁で遅レスになりましたが、SCユニットがドライバーの後頭部直後にあるので、
相当賑やかです。ストラダーレはノーマルだとさほどではないですが、私のは社外品
のエアクリーナーがついていたせいか、南利明さん並にみゃーみゃー言います。w
ミドシップねぇ・・。
重量物を前後に分散させる事でバランスを取った車がドライバーのミスに不寛容である事は
容易に理解出来ますが、重量物を車体中心に置いた車ってのもそれはそれで・・。
限界を超えると一気に危険領域に行ってしまうというのは理屈では中々理解し難いもの。
さて、サルーンにもクーペにも成り損ねた車、一時期日本では大流行しましたが
私の場合は近所にある実家の車が最初のコロナ・エクシブだった時期が有ったので
自分では所有した事は無くとも結構乗った事は有ります。
(あれ程直進安定性の無い前輪駆動車を他に知りませんw)
先日“ピラード・ハードトップ”なんて話題がちょっと出ましたけれど、センターピラーも無い
4ドア・ハードトップとしては最後まで残った車種だったのかも。
この手のセンターピラーの無い4ドアハードトップっていうのは、
量産車としては多分50年代のキャディラック辺りから流行し始めた形と思うのですが、
70〜80年代にはセドリック/グロリアとかの日本車でも結構流行したような記憶が有ります。
しかし、結局は廃れたのは、開放感が有るようでも実はかつてのキャディラッククラスの
ボディーサイズが無ければ案外狭苦しく、また剛性も低くなりがちだからでしょうか?
センターピラーを持たない4ドアサルーン自体は、案外昔から有るようです。
有名どころでは30年代のランチア・アプリリアなんかがそうだった筈。
もっともこの場合、観音開きのドアは普通の窓枠付きでしたから
飽くまで乗降の利便性を考えた為の物だったのでしょう。
ピラーレス・4ドア・ハードトップが一気に無くなったのは
やはり側突に対応させるのが非常に困難な為と思はれます。
4ドアHT(昔はこう略したものですよねぇ?)が廃れたのはロールオーバー
テストをパスできなかったからだったような。
ハードトップと言えば’89年にユーノスロードスターが予約開始した時に
担当セールスに「ハードトップはないの?」って聞いたら
「お客様、これはオープンカーなのでHTは出ません!」
ソフトトップの対極としてのハードトップとか自動車と馬車との関係をいちいち
レクチャーするほどこちとらヒマぢゃないんじゃぁ!と思い放置しました。てへっ
>>404 ビッグキャビンでボンネットの短い1930年代後期のアメ車って
審美性に拘る人からは非難の対象にもなるようだけど
俺はその身も蓋もない実用主義が結構好きだったりするw
ピラーレスセダンは1930年代のイタリアでは一種の流行だったようだね。
同時期のフィアットでも
小型車であるバリッラやヌォーヴァ・バリッラにピラーレスセダンがあったほど。
>>406 セールスに教養がなかったと言うほかないな
さて今回もFLMCからセールのお知らせが来ましたが、
これが来るたびに目を皿のやうにして隅から隅まで舐めるように
真剣に見る自分が情け無ひ。w
>407
当時はオープンカー売ったことのあるセールスなんかいなかったんだから
多少は大目に見てあげても。
つーか、新車ディーラーで若い営業に
ハードトップの定義を講釈たれる中年客ってのもなぁ(´・ω・`)
>>410 その当時から既に中年だったと決め込むのも失礼かとw
>>409 ファミリアカブリオレっていうのもあったけどね
カブリオレ、中綿を挟んだ厚ひ幌、幌を上げればクーペと遜色無ひ耐候性を持つ、
一方その厚ひ幌ゆへ幌下ろせばどっかと山積み、いささか野暮ったひ。
かういふ物件ですのでさう考へたらカブリオレ用ハードトップつう物件には
まぁお目に掛かったことがありませんな、さう言へば。
HTつなロードスターやヌパイダといった簡便な幌を持つクルマに
クーペ並みの耐候性を持たせる為の装備であるます。
となれば元々耐候性に優れるカブリオレにHTは屋上屋を重ねるそのものなのでせう。
股、どっかと山積みになった下ろした幌の上にHT据へるのも困難だったでせう。
>>407 ピラーレスサルーン。流行の中心は仰る通りイタリアだったようですが、
同時期のMGにもこの手のボディーが有りましたように、意外に広く作られていたようです。
捜せばもっと有るのかも。
前スレで“変ったドアを持つ車”の話になった時、イスパノスイザに架装されたこの種のボディーが
話に出たように、恐らくはそうした一品物のカスタムボディーから生まれた物とは思われますが、
リアフェンダーが邪魔で後部座席用扉を大きく切り取れなかった頃には、乗り降りに便利な事から
こうした(観音開き)ピラーレス構造が小型車の間で流行したといったところではないでしょうか。
ところで。
新車ディーラーって、それこそ“くるまオタクは来るな”って場所なのではないか?と思う事が有ります。
忙しいセールスマン氏にすれば、余計な事なんて言わないで成約書にハンコ押してくれる客こそ
いいお客様であって、鵜の目鷹の目で粗捜しするような相手は仕事の邪魔でしょうから。
我が家にはトヨタ車も有るので、新型車が出るとその度に案内が来ますが、トヨタ車に乗って行くのと
シトローエンに乗って行くのとでは明らかにセールスの方の態度が違います。
シトローエンに乗ってトヨタディーラーに来る客等、冷やかしに決まっていると思われるのでしょうか(w
トヨタ車で行くと、あれこれと話しかけられるのに、全くの放置プレイをされます。
まぁ、セールスマン氏相手に“買う気なんて無いですよ”とは、中々面と向かっては言い難いので
(気弱な私w)じっくりと車を見たい時にはその方が気楽で良いのですけど。
>>410 >>411 そうです!'89年なんだからバリバリ青年でした。
ちなみに私はユーノス・ロードスターを購入し、何ヶ月か遅れてリリースされた
ハードトップも入手しました。本当は件のセールス氏に教育的指導も兼ねて発注
したかったのですが、彼はマツダオート店の社員でユーノス店の立ち上げの補助
に狩り出されていただけなので無縁になってしまってました。
国産ディーラーネタではパルサーGTI-Rが発売になってランチア・デルタの
デッドコピーであると噂になった時にプリンス店にデルタ16Vで乗り付けました。
セールス氏「あ、ライバル車ですね?本当に買っていただけたら宣伝になります!」
私の心の声「誰がライバルやねん!せめてWRCで1勝してから言えば?」
しかも下回りを見せてもらったら驚くほどデルタのまねっこ。
当時すでにデルタのレイアウトは時代遅れだったのにそれを真似るとは…!
と呆れてしまいました。あの辺から日産の凋落は始まったような。
先日お母ちゃんのぷぢょさん206の点検にお付き合ひして
75でブルーらいよん行ったのですが、
まぁお母ちゃんのお供の甲斐あって、407クーペゐぢってたら
「カタログ差し上げませうか?」、一旦は申し訳無ひのでw断ったのですが
何だか是非っつうんでありがたく頂ひて帰りました、が、
帰宅したとたん開封もせづ部屋の隅に放り出して見もしなひ。
お母ちゃんに「せっかく呉れたのに可哀想に、ちょっとぐらひ見てあげたら」
とまで言はれてしまひました。w
あとでゆっくり見ると言って東京まで持ち帰りましたが・・・まだ見てません。w
つかどこに仕舞ひ込んだかさへまう分からなく・・・。
ブルーらいよんの方、大変申し分けござひませんでした、
しかし右ハン・トルコンの欧州車持って来られてもアテクシ的にはだうにもならんのです・・・。
しかも「ぃあー、昔の505は良かった・・・」っつはれてもデーラーの方も困ったらうと。w
>強く踏むとキックダウンするのでエンジン音が高まるのが嫌なのだとか。
>「エンジンに無理させている気がする」のだそうです。
>こういう人ってAT/MTに関わらず、ギアボックスって何の為に有るとおもっているのでしょうね?
俺の場合はエンジンの心配はしてないんだが、ATが脆弱なことで有名な車種だから
余り荒っぽく扱いたくないのが本音。スポーツ派でもないしね。
借り物のクルマや職場のクルマだと引っ張れる限り引っ張るんだがw
↑ そういう方はまた話は別ですよ。
そう言えば、少し前迄の欧州製のATに、丁度空いた郊外を走るくらいの速度で一番上のギアと
その下とを彷徨う悪癖のある物って多かったらしいですね。
やたらに変速するので寿命も短かったということも良く聞きました。
スレの流れには遅れがちですけど、後乗せハードトップの話。
アイディア自体は昔から有ったようですが、戦前の物は木骨にアルミ板を貼り、そこに布か
模造皮革を被せるという構造であった為に重量もあり、一般にはあまり普及しなかったとか。
アルミの一枚もの叩き出しでも出来るのでしょうが、余程慎重に扱わないとすぐに歪みそうですね。
そんな事も有ってか、広く使われるようになったのは合成樹脂の一般化した戦後の事のようです。
有名なのはメルセデスの二代目SLの“パゴダ・ルーフ”とか、ルマンで活躍したジャガーEタイプの
ロードスターに乗せられた物などでしょうか。
で、カブリオレに乗せるハードトップってのは聞かないというエロスパ氏の話ですが、
戦前にはフォード辺りに二座カブリオレという代物も有りましたけれど、戦後は大体が
二座ならロードスターとかドロップヘッドクーペ、スパイダーなどと名乗り、カブリオレと名乗るのは
殆どが四座の車になったように思います。
・・つーと、カブリオレに乗っけるハードトップとなると、四座をカバーする物となってしまい、
大きさだけでもかなりな物になってしまうっていうのも、カブリオレ用のハードトップの無い理由かも。
勿論、カブリオレ用の幌は厚くて耐候性も高く、ハードトップの必要が無いという事も大きいでしょうが
大体、戦後の量産モノコック構造のカブリオレってセダンやクーペがベースですので、
わざわざハードトップ乗せるくらいならば、最初から固い屋根付きを選ぶでしょうしね。
以前のダイハツの軽用4速ATも半端な速度域だと3←→4速のチェンジが頻繁だった。
2代目オプティ(サッシュレスのピラードハードトップw)
を友人から借りて運転したところ、
パワー充分、重心が低くサスもそれなりの性能で、シートもそこそこ、
意外に良くできた車だったが、
巡航時のATの落ち着きの無さだけは運転しにくいったらありゃしなかった。
>そう言えば、少し前迄の欧州製のATに、丁度空いた郊外を走るくらいの速度で一番上のギアと
>その下とを彷徨う悪癖のある物って多かったらしいですね。
ZF製AT搭載の仏車にそういう傾向があったような・・・
>>386 はたらくじょどうしゃってあれだろ?精神剥脱車とか生埋め労働車とか出て来る歌
アメリカ人とかって日本の道を運転するのが大変って本当ですか?
道が狭いから大変だとか聞きました。
そんなこと、アメリカ人に聞かないとw
ミッション、アテクシMTでもしばしば日本の道路の流れとギアの不一致を感ぢます。
2速では速ひ3速では遅ひ、3速でも行けるけど加速がトロひ、さりとて2速では
ちとエソジソヌピードが高くて如何な引っ張り好きのアテクシも気が引ける、なんつう。
さて、先日日産手穴つう物件に同乗する機会がありまして、これが股。
まぁギアが上がったり下がったり回転計が左端のはうでチョコマカチョコマカと上がったり下がったり。
まぁ忙しなひことこの上無ひ。省燃費の為なのでせうが見てゐてそのゐぢましさに情け無くなる程。
さう言へば昔の3速トルコンあたりなんざ別にホールドモードでなくとも
3000ぐらひまで平気で引っ張るのがなんぼでもあって、あれはあれで良かったと思ふのです。
それが故に、更にトルコンのヌリップロスも相まって燃費は悪かったでせうが
なに、MTだってアテクシのやうに引っ張り引っ張りボーソーしてれば同じこと。w
ところで昨今は7段だの8段だのってチャリンコか?と思ふやうな多段ギアが出てきましたが
そのうちそれこそチャリ式に15段変速とか20段変速とか出てくるのでせうか?w
つか、現時点で7段だ8段だっつうなら黙ってCVTにしろ、と。
ベンシも盗用多も玉にゃ日産に頭下げてトロイダルCVT貰へ、と。
ま、盗用の多ひとこはお得意の盗用っつう手もありませう。w
ATでもMTでもギアの段数が増へる、といふことはミッションのガタイがデカくなる訳です。
そりゃさうで歯車の枚数が増へるんだから。
さりとて際限無くミッションのガタイをデカくは出来無ひ、
そりゃクルマの大きさは限度がある訳で。
そこで歯車を薄っぺらくするんですな多段ギアでは。
近年のFFアルファのFIAT製6段ギア、あれ横置きFFではタイヤハウスに突き出て
お陰で例によって小回り効かなひ、147GTAあの大きさで回転半径6b超つう体たらく。
そこまでデカくなってそれでも昔の5段ギアよかヤワになってるつう話ときどき聞きます。
ましてや7段も8段ものギア、歯車薄ひところに大馬力大トルク、Eんでせうかね?
>>420 こりゃまた失礼。
しかしまぁ、一週間も前の書き間違えに今頃突っ込まんでも・・(w
>>419 元は私がいつもシトローエンの整備でお世話になっている所で聞いた話ですので。
ドイツ車でもそういう話は聞いた事が有りますが、その車にもZFのATが使用されていたのか否かは
判りません。
最近は高価格車の世界では、トルコンATの方がMTよりも多段化する傾向にあるようですけれど、
考えてみれば変な話のような・・。何の為の流体継手なのでしょう?
それにエンジンはトルクカーブを見ても凄く不自然にフラット(つか、カーブしていないw)なので
変速する意味もどれだけあるのか?と、余計なお世話でしょうけど、つい思います。
そりゃ、それなりに意味があってやっているのでしょうが、あんまり高価格車にもATにも興味の無い
私のような物の目には、なんだかカタログ数値の為にやっているようにも見えるのですが。
多段化した割りにはコンパクトかつ軽量に納まっているとは言っても、
変速機って結構重量物ですし、嵩張るものでもあります。
私はハイブリッド車には懐疑的な者なのですが、その理由の一つとして、純粋な電気自動車ならば
無用の長物の筈の変速機が捨てられない事も有ります。
昔のレールカー流に、ガソリンエンジンで発電した電気でモーターを回して走るという形に
回生システム組み合わせるという形式のハイブリッド車でも出来たら、どうなのでしょう。
その場合でもやはり、変速機は必要なのでしょうか?
ぇーと、上記HTはアテクシも記憶があります、が、セリエ2対応だったかなぁ・・・。
セリエ2にも確か載ったやうな気がしますが上記画像は見ての通り
最初のデュエットですね、このときにはまだお飾りシートはありませんので。
セリエ1とも言ふべきデュエットとその後のセリエ2ではウインドシールドの傾斜が
異なりますしサイドウインドゥet三角窓の形状もデュエットとそれ以降は異なります。
だうだったかなぁ、でも確かこの手の形のHTがセリエ2にもあった記憶が薄っすら・・・。
一方これは88年頃の大沢がアルファ輸入再開時のカタログから
http://cocoa.gazo-ch.net/bbs/38/img/200611/1088623.jpg セリエ3クアドリ仕様です、このHTは完全に2座用でリアガラスには熱線も入ります。
大沢扱いの頃のヌパイダは全てHT標準だったのですが、
買ったお客の大半がHT要らなひと言って置いてったので大沢のデポにはこのHTが
山積みになって放置されておりました。アテクシあとでこれが欲しくて漁りに行かふと思ったのですが
その時には既に全て処分されたのかだうしたのか、山の行方はようとして知れづ・・・。
今となっては探してもこのHT、まづ出てきません。真夏用に欲しひんだよね。
さて、シリーズ(直列式)ハイブリッド、確か日産が研究中とか以前聞ひたやうな記憶がありますが
その後だうなったか。記憶そのものが曖昧ですし。
で、この方式この発想は昔からあり、大戦末期に開発されたポルシェ設計のマウス重戦車、
これがそれ式です。
変速機問題、最終的に電気自動車でやりたひのはやはりモータとホイール、
駆動輪の一体化か駆動輪のドライヴシャフトにモータ直結であらうと思ふのです。
ホイール内にモータ内蔵してはバネ下が余りに重くなる、その辺も問題でせう。
走行環境が米国と大きく異なる欧州では米国で人気のハイブリッドよりヂーゼルに注目が集まってます。
米国では一部の州に一定以上の電気自動車の販売比率を求める条例もあった筈で
その辺もありませうし、欧州ではハイブリッドは欧州のドライヴィングパターンでは
決して経済的では無ひ、といふ見解が強ひやうです。
アメリカではディーゼルが不人気なのは何故なのでしょうね?
昔は馬力よりトルクの低回転型V8でドロドロと走っていたように、現代のディーゼルなんかは
結構好みに合いそうな気がするのですが。
>>426 こうして見比べると、意外に細部が異なるものですね。部外者である私にはテールエンドとか
バンパー形状くらいしか目が行ってませんでしたが。
先日、アルファディーラーの前を通り掛かった時に新型スパイダーが陳列してあるのを見ました。
一見した印象は“案外良いのでは?”でしたけど、あの幅と重さはどうにかならんものか・・。
元々は最も身軽な形状であった筈の2シーター・オープンですが、モノコック構造では
ルーフが無い分軽くなるどころか剛性確保の為に逆に重くなるというのは、
理屈では判ってはいてもやはり変なモノ。
軽量なオープンモデルを作りたいならば、いっそモノコックを止めてロータス・エリーゼのような
構成にする方が確実なのでしょう。
メーカー側にすれば“専用にフレーム作ればそれなりに高価になってしまう”と言うのでしょうが、
エリーゼの価格は新型アルファ・スパイダーとほぼ拮抗していますし。
まぁ、そこは“顧客層が異なるので価格に対して求めるものも違う”という事なのかも知れませんが。
でも、エリーゼのように身軽なアルファ・スパイダーが欲しいっていう人、
結構いそうな気がするのですけどね。
>身軽なアルファ・スパイダーが欲しいっていう人
アテクシがさうです。w
が、根本的にヌパイダは、少なくともデュエット以降はヌポォシカァを志向してゐなひのです。
105系の本気のヌポォシはそれこそJr.ザガートであったりレース用ならGTAやTZであり
ヌパイダの本質はツァラー、もっと否定的に言へばデートカーなのです。
尤も単なるデートカーに堕して無ひのはぢつはレース用を除く105系で最速の最高速を持っており
これはピニンの空力ボディーが物を言ってゐるものと思ふのです。
そのヌパイダ、デュエットとそれ以降では御馴染みボートテールの他ウインドシールドの傾斜・形状等
細部に相当の違ひがあります。それは何故か?
アテクシ以前アバルトスレでもTTの転倒事故の流れで書きましたが
デュエットの上品な尻尾が切り落とされた時期は排気量のアップが続き
1600から1750、そして2000まで拡大された時期でもあります。
表向き「デュエットのエレガント過ぎるテール形状がアルファ党の不評を買った為、
およびトランク容量のアップが目的」と言はれておりますが
それは表向きで、本当の理由は空力の問題だったとアテクシ睨んでおるのです。
排気量のアップにより最高速が上がった、そして自慢の風洞を持つピニンは
最高速の上昇によるリフトに気が付ひた、そこで尻尾を切り落としコーダ・トロンカとし
ウインドシールドの角度と形状を変更した、と考へてゐるのです。
優美なボートテールは、しかし明らかにリアのリフトを誘ふ形状です。
リアだけでなく翼断面そのものの形状となりクルマそのものが浮きかねなひ。
ウインドシールドの角度・形状を変へ気流を変へ、コーダ・トロンカで撥ね上げリフトを抑へる、
これが目的だったと思ふのです。
今度の新型スパイダーはデートカーに特化してしまったような印象ですかね。
もうちょっと硬派な物も有って良いと思うのですが。
コーダトロンカ(または発見者の名前をとってカムテール)というのも、
30年代には既にその効用が認められていたそうですが、すっぱりと切り落とした方が
角を丸めるよりも効果的であるという事が認知されるまでには結構時間が掛かり、
現代の我々が思うようなコーダトロンカ形状が一般的になったのは60年代の事のようです。
具体的には62年のフェラーリGTOやアルファロメオSZ辺りからではないでしょうか。
(60年に登場した初期型のSZは丸いテールエンド形状だった筈)
私もスパイダーがコーダトロンカを採用した最大の目的はリフト対策であろうと思います。
その変更自体は、空気抵抗を抑えることに集中した結果の古典的な流線形形状から脱皮し、
揚力の発生にも目を向け始めた60年代の流れの中ではごく自然な事に思えます。
しかし上でも触れたように、62年にはアルファにしても(SZはその名前通りザガートデザインでしたが)
フェラーリのレースカーとも密接に関わっていたピニン・ファリーナにしても
既にコーダトロンカ形状のもたらす効果については認識していた筈ですので、
66年に誕生したデュエット(今、この名前は日本では使えないのでしょうね・・)が
最初からこのテール形状ではなかった事の方がむしろ不思議とも思えるのです。
まぁ、65年に2リッター125HPで始まったポルシェ911も古典的な流線形ボディーで生まれ、
その為に後には巨大なスポイラー類で武装しなくてはならなかったように、
2リッター級かそれ以下の車の速度域ではリフトの問題もまだ取るに足らない事と、
その当時は考えられていた節もあるのですが。
SZ1は仰る通り丸尻、後期のSZ2がコーダ・トロンカです。
ヌパイダ・デュエット、ぁー、この名の説明しだすと長くなるなぁw、
ま、恒例脱線するか、これは本来ならジュリエッタの後継でRジュリア、
そのヌパイダなのでジュリア・ヌパイダと名乗るべきところ、
ベルリナやベルリネッタ(つまりGT)を先行させヌパイダは旧100系をそのまま引っ張って
排気量だけ拡大したのです(ボンネットにエアスクープ付けて)。
その際名前だけ”ジュリア・ヌパイダ”にしたので105ヌパイダが出たとき使ふ名前が無かった。
そこでサニー・マーチ式に公募したのです。で、決まったのがデュエット。
しかしその直後、他業界なのでその辺が不思議なのですが犯し屋から菓子の商品名とダブる、
とクレームが付き、結局正式名”アルファ・ロメオ・スパイダー”で発売されたのです。
今の日本では股も盗用多がまるで恥を知らなひチョソン企業のやうな真似してこの商標持ってますが、
それ以前に既に発売時にイターリャ国内で商標として使へなかったのです。
さて、閑話休題w、
ヌパイダのボートテール、
これは105ヌパイダがデザイン的にはディスコヴォランテの末裔であることに由来するのです。
ピニンが試みたディスコヴォランテ、スーパーフロウといった一連のデザインに連なる系譜であり
更にはバティスタ・ピニンファリナの生前最後の作品であります。
105ヌパイダの発売は66年、この一連のデザインシリーズの掉尾を飾る形でヌパイダは世に出ました。
最初1600cc最高速165kmとか175kmとかでしたし、
まぁまだまだ空力のこともゐろゐろな考へが混在してゐたの鴨知れません。
そしてぢつはこれ股ヌパイダ同様長々と続ひた(そして今にまで至る)911、
これも途中で確か(それも993だ996だではありません、901系か930系の頃)
空力の問題、特にケツの重ひ911、フロントのリフト改善の為ウインドシールドの形状と
角度が変更になってゐる筈です、これ股ヌパイダと同様。
バティスタのファミリーネームはピニンファリナではないような。
通称で問題ないんじゃないの
成る程ねぇ・・。
それにしても四座の車に“デュエット”と名付けたトヨタは何を考えていたのか、それとも何も考えて
いなかったのか・・。
ところでコーダトロンカ(カムテール)の話の続き。
60年代初めのフェラーリ250GTOとかアルファロメオSZ、またコブラ・ディトナクーペなどが
この流行の火付け役だったと思うのですが、それを一般レベルに広めたのはアメリカ車、
フォード・マスタング(我々世代はムスタングと呼ぶべきとまた言われそうw)でしょう。
言うまでも無い話でしょうけれど、コーダトロンカを採用すればそれでリフトが抑制出来るといったような
簡単な話では勿論無い訳で、フェラーリをはじめとするこうしたテールエンドを持つレースカーも
多くは気流を跳ね上げるような形状のスポイラーを同時に装備していたようです。
こうした場合にカムテールの効果がどうなるのか?その辺は風洞実験のデータを見た訳でもないので
ナンとも言えないところではありますけれど、このような“断ち落としのテールエンドとスポイラー”という
組み合わせが新鮮に見えたのか、フォードのデザイナーはこれを元にいわゆるダックテールを
作り上げたと思われます。
もっともこの頃まではアメリカ車は意外に空力には無頓着な事も多かったようで、
マスタング等に採用されたダックテールも、実は50年代のテールフィン同様見た目重視の物であり、
実効の程は定かではないようです。
もう少し後に出て来たコーダトロンカの欧州車(シトローエンGS等)と比較すると
如何にもリアの絞込みが小さく、カムテールの効果も少ないように見えます。
しかし格好が良いことは確かですし、荷室容量への貢献は有ったことでしょう。
蛇足。
マスタングと呼ぶか、ムスタングと呼ぶか。両方で検索してみると(ヒマな人・・w)
フォード マスタング の検索結果 約 190,000 件
フォード ムスタング の検索結果 約 29,100 件
今では“マスタング"派が圧倒的なようです。昔はそうでもなかったと思うのですけどね。
ついでに。これが飛行機の世界になると、ノースアメリカンP-51は
P-51マスタング の検索結果 約 43,900 件
P-51ムスタング の検索結果 約 41,200 件
かなり拮抗しているようです。
そしてさらについで(バカ)ギターの世界では
フェンダー ムスタング の検索結果 約 30,600 件
フェンダー マスタング の検索結果 約 16,600 件
ここでは“ムスタング”の方が多数派。
外国語のカタカナ表記なんて、結構いい加減なものですね(w
シボレー コルベット の検索結果のうち 日本語のページ 約 256,000
シボレー コーベット の検索結果のうち 日本語のページ 約 625 件
シボレー コーヴェット の検索結果のうち 日本語のページ 約 124 件
意外に”コルベット”が主流
昔は“ムスタング”の方が多数派だったと思ったけれど、実は五十嵐平達さんなどは60年代から
既に"マスタング”派だったりと、意外にこちらも車の世界では多かったのかも。
シボレー“コルベット”が多数派なのは、“ヴ”という表記が公に認められたのが割りと最近だった事も
理由の一つなのでしょうか。
“カムテール”で検索すると沢山いろんなウェブページが引っ掛かるのに、
“ヴニバルト・カム”で検索しても“ウニバルト・カム”で検索してもまともな結果は出て来ないのが
カムテール理論を発見したドイツの学者。
しかも実践化したのがかなり後のイタリア・カロッツェリアであった為に、彼の発見した理論に従い
作られた形状は“コーダトロンカ”とイタリア風の呼び方をされる事も多いですし。
このカム教授という人は空力のみの専門家という訳ではなく、元はダイムラー社に於いて働いていた
技術者だったそうです。
このスレで何度か話の中に出た、もう少し後の時代の、フランスに於けるJ.A.グレゴワールさんとも
近いものがあったようで、彼の残した試作車にはグレゴワールさんの設計にも共通する部分が
前輪駆動とか、アルミ製セミモノコック等という具合に多く認められます。
しかしカム教授の考案したアルミ製セミモノコックボディーは彼自身が
“自動車の扉開口部の剛性低下を閉断面構造体の使用で回復する方法”と呼んでいるように、
グレゴワール流とは少し異なるようで、アルミ板をリベットで組んだ構造体を
ボディー下ステップの位置に置くというもの。
言わば、60年代以降のレーシングカー的なツインDチューブモノコックと、プラットフォームフレームとの
中間的なものと考えると判り易いでしょうか?
1925年、カム教授が特許申請したセミモノコック構造の略図
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/26ea.jpg?bcbva3FBARj5IL67 太線で強調された部分がアルミ板をリベット組みしたボックス構造体。
この図でも判るように、1930年代にカムテール理論を発見する以前の作品という事から
テールエンドは丸く整形されています。
恐らくこの時点では未だこうした形状を最善と考えていたのでしょう。
この頃のドイツでは、未だに自動車の普及率は低く、シトローエン5CVのデッドコピーであった
オペル“ラウプフロッシュ(雨蛙)”あたりが最もポピュラーな自動車だったようです。
そこへ新しい形の大衆車をもって自動車産業に侵出しようとした企業の依頼で
カム教授はこの車を設計したそうですが、残念な事にこの話は立ち消えになり、試作のみで終わり。
そして結局この車はカム教授が全てを設計した唯一の作品となったそうです。
こんな“ぶっ飛んだ”代物をいきなり持って来るような人には怖くて頼めないといったところでしょうか。
フランスに於けるJ.A.グレゴワールさんとはだいぶ扱いが異なったようですが、
そこは時代の違いなのか或いはドイツとフランスとの国民性の違いもあったのか。
その試作車の写真が残っています。実車も復元され、ドイツのある自動車博物館にあるとか。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/e9c5.jpg?bcbva3FBh.WAxDXp 設計を依頼した企業の頭文字をとりSHWという名前が付けられていたそうです。
写真を見る限り、如何にも学者さんが作った車という感じのボディーデザインという感じを受けます。
ヤーライ教授の提唱した流線形ボディーを纏ったマイバッハ等にも言える事ですが、
良く言えば学究的。はっきり言ってしまえば説教臭く洗練されていないといったところでしょうか。
・・こういう話を書きこむのって楽しいなぁ・・(w
>>438 昔のカーグラのFORD GALAXYの広告にフォード ガラクシーと書かれていたのを
思い出しますた。
>>439 シボレー の検索結果 約 2,060,000 件
シヴォレー の検索結果 約 737 件
シェヴォレー の検索結果 約 16,000 件
シェヴロレー の検索結果 約 329 件
ちなみに
ジャガー の検索結果 約 6,270,000 件
ジャグァー の検索結果 約 689 件
ジャグワー の検索結果 約 13,900 件
ジャギュア の検索結果 約 12,100 件
ヲタ↑は放置で↓
>>444 ここはヲタの為のスレ。
オマイがどっかいけ!
日本の看板、横書きの部分が現在と同じく左からなのですね。
英語のロゴに合わせたのか、その方がハイカラだと(←一発で変換できないことに驚愕)
思われていたのか、ヤナセのポリシーだったのか。
こんなことも今では調べないとわからない。
「1920-30年代の広告における横書き方向の分析とその意義の研究」卒論にできそうですね。
>>447 昭和初期、タクシーの過剰供給が円タクの流行を生んだぐらいで、
フォード、シボレー以外にも多彩な車種が入ってたようだからね。
モダン風俗を描いた昭和初期の文学作品や大衆小説、探偵小説にも
タクシーの車種が言及されることはよくある。
>>442 いつごろの広告でしょうか?あんまりアメリカ車の広告は保存していないのです。
はっきりとは覚えてはいないのですが、 427 サイドオイラーとか載せて、ブイブイ
いわせてた頃の奴だと思います。今や、このクルマについて調べようと思ってグっても、九割以上ミニバン情報しかヒットしませんが。
>>448 ハイカラ、私のPCの辞書では一発です。まぁバカ変換や誤変換のやり過ぎで
「じゅうかん」と入力すると“獣姦”と一発で出るみたいなバカな辞書ですけどねぇ・・(w
>>449 そう言えば、昭和初期の文芸作品(ナンだったかは失念)の中で主人公が鬱屈とした気分を晴らそうと
タクシーに「そこいらじゅうを力一杯走れ」と言う場面が有った記憶が有ります。
当時の日本では、暴走するのにも運転手を使うったのかと・・(w
>>450 そういう広告は見つけられませんでしたが、何冊か手許に有った70年前後のCGを見ていたら
CG誌中の表記は“ギャラクシー”でした。しかしあの雑誌、時に輸入元とは異なる表記を使用するので
ナンとも言えませんが。
実はアメリカ人に“Chevorlet”を読ませても、返ってくる答えは様々だと、五十嵐平達さんは
書かれていました。ややこしい話ですけれど、私の知人にも今野さんと書いて「コンノ」と読む人と
「イマノ」と読む人がいますから、それと似たようなもの(かなり違うかw)
車のほうのシヴォレーですが、技術的には保守的だったフォードとの差別化を図る意図もあったのか、
1911年の創業以来、アメリカの大衆車としては意外に新奇な技術も取り入れていたようです。
そんな中には、前スレで話の中に出た“ニー・アクション”ことデュポネ式前輪独立懸架とか
銅の冷却フィンを持つ空冷エンジン(1924年)とかのような勇み足も有ったそうですが。
↑成る程。自社名を“ニューエンパイヤモーター”と表記する会社では無理もないような(w
こういう話って、英語等とは全く異なる体系の表音文字を持つ国ならではのものでしょうね。
ところで
>>452さんが見つけて下さったwebページに有る広告の50年代終盤〜60年代初頭というと、
日本でもプラモデルが流行り始めた頃。
アメリカ車中心だった実車の世界とは異なり、模型の世界では欧州車のキットも多かったようです。
(その理由はまたその内に)ですから当然、当時の日本では馴染みの無かった車名も多く、
今では見られない表記をされている車名も結構見掛けます。
手許にそうした黎明期の模型の箱絵を多く載せた雑誌が有りますが、
現代の目では違和感を感じずにいられないようなのも幾つか有り、
“アルフヮ・ロメオ”(かえって読み辛いw)とか“マセラーテー”とか。
“フェラリー”なんてのも今では変に感じますけど、黎明期の模型界では意外な事に“フェラーリ”よりも
むしろこちらの方が主流派だったようです。
あと、そこまで変ではなく、まぁ今でも少数派でいそうなところでは
“メルツェデスベンツ”とか“チャパラル”とか“ムスタング”辺りでしょうか。
大体、こうしたキットの多くはいい加減に企画された物が多かったようで、箱に書かれた車名と
その下に描かれたイラストや写真が別の車なんて物も結構見られますから
恐らく、そうした車名表記も模型メーカーの拘りを表わしているものとかではないのでしょう。
>>453 >箱に書かれた車名と
>その下に描かれたイラストや写真が別の車なんて物も結構見られますから
'59年式クライスラーインペリアルの当時のキットが手元にありますが、これの箱絵
は同年式のインパラ風のクルマのカスタムカーです。で、箱の余白部分にに"59 IMP
HT"とスタンプが打ってあります。靴を箱入りで買うと、箱に"26.5cm"なんて書か
れている感じに。これから察するに、当時は他車種も、恐らく箱絵は共通で、この
スタンプの表記で車種を区別するようになっていたのだと思われます。
ここ迄書いて気がついたのですが、箱絵がインパラでスタンプが"IMP"ではどう見て
も中身はインパラとしか思えないですよね。当時、間違って買った人はかなりいる
のではないでしょうか。
でも、確かに、箱と中身が違う、いかにも安易なプラモデル、ありましたね。箱絵
はソヴィエトT-34なのに中身はドイツパンターとか。これは板違いか......
455 :
454:2006/11/30(木) 00:04:40 ID:pKv1xnIK0
追記。
もし、同シリーズのインパラのキットがあったとすれば、インパラとかベルエアの区別がなく、単純に"CHE"とか"CHV"とか
シボレーを意味する表記になってたのかもしれませんね。
457 :
454:2006/11/30(木) 00:58:03 ID:zKD8cQqO0
>>456 >そのキットの事は知りませんが、何処のメーカーの物でしょう??
アメリカAMT(AMP)です。
>話のついでに、様々な“フェラリー”のキットの箱絵
250LMとデイトナクーペの絵が、いい感じですね。私は、俗にいうスーパーカーブーム世代ですが、スーパーカーブーム当時、フェラーリを"フェラリー"と言っていた友人が結構いました。
>>“近所の駐車場にいつも停まっている車、スカイラインだと思っていたらティアナだった”
今日、仕事場の近くの日産ディーラーに展示してある新型スカイラインを見かけましたが、
第一印象は、"それなんてフーガ?"って感じでした。
458 :
454:2006/11/30(木) 01:12:19 ID:zKD8cQqO0
250LMじゃなくて275Pでしたね。下にちゃんと書いてあるのに間違えました。
大体は完成見本の写真が使われているアメリカ製のプラモですが
たまに実車の写真が写っているのが有って、大体そういうのはdでもない内容なので要注意ですね
↑ 何度かその手に泣かされた・・(w
あれ、完成させてもお粗末な物にしかならないのを誤魔化す為なのでしょうね。
でもイラストをあしらったパッケージには名作キットが多いというのはちょっと不思議。
・・と、あんまり模型の話で暴走すると「模型板に行け」と言われそうなので、適当に切り上げて。
スーパーカー世代という言葉はよく目にしますが、具体的には幾つくらいの方を、そう呼ぶのでしょう?
私もブームのきっかけになったマンガ“サーキットの狼”はリアルタイムで読んでいて、
周囲には結構マニアがいましたが。私自身は、あんまりああいう形の車が当時も今も
あまり好きではないので少し間を取っていました。
スーパーカーと呼ばれる車の中でも代表格だったランボルギーニ・カウンタック。
近年は“カウンタックという表記はおかしい”と言われる事が多いようです。
先日“ガラクシー”の話で古いCG誌をひっくり返していた時に、
丁度あの車の最初のプロトタイプが出品された71年ジュネーブショーの記事を見つけましたが、
その時から既にあの雑誌での呼び方は“カウンタック”になっていました。
この後、例のマンガの作者(恐らくCG読者の一人だった?)が“カウンタック”という呼び方を広め
結局それが日本での一般的な呼び方になったのでしょう。
私はドイツ語はさっぱりですので、全くの思いつきでしかありませんが、この読み方って
最初にこの車のプロトタイプが現れたのがジュネーブでの事でしたので、
もしかしたらドイツ語風なのでしょうかね??
461 :
454:2006/12/02(土) 00:58:58 ID:sGOZSKVU0
確か、カウンタックは本来は、クンタッシと発音するんでしたよね。
ジュネーブ→スイス→ドイツ語読み説はちょっと興味深いですね。私もドイツ語解らないんで、何と
も言えませんが。
スーパーカーブームは'75〜'78年位(ピークは'77年の歯磨き粉のサンスターが晴海で行ったスーパー
カーショー辺りでしょうね)と思われますので、その頃の小中学生辺りがスーパーカー世代でしょ
うね。現在なら、多分、30代半ば〜40代前半辺りでしょうか。
Countachの発音、アテクシもれ伺ふところではモーデナのはうの方言と。
イターリャ語っつうのも我々が馴染みのある標準語なんつなテレビ・ラヂヲの中ぐらひで
まぁ方言が強烈であるます。ミラーノやトリーノ、
つまりロンバルディアだのピエモンテだの北部のイターリャ語はまるで腐卵臭語。
アテクシ程度ではとてもとても聞き取れなひことが山ほど。
もっともポミリャーノ・ダ・ルッコ(ナーポリ)などのアフリカ語wも相当で
こんなとこでこんな言葉で製造されたFFはアルフヮ・ロメオではありません。w
つか、NHK教育のイターリャ語講座に出てたチョゐ悪をやぢジロさん、
ナーポリ出の彼の発音は教へてEものかだうかってぐらひ訛ってました。w
閑話休題、つか全て閑話w、
モーデナはエミーリャ・ロマーナ州、つまりロンバルディアとトスカーナの間です。
北部と言へば北部ですが、北部の中では南部w、
更にイターリャ語の標準語はほぼトスカーナ語ですのでミラーノやトリーノほど激烈な発音かだうか。
Countachをクンタッシュと発音するのは成る程北部臭ひですがアテクシ真偽は存ぢません。
勿論、モーデナに勤めるランボルの重役連がモーデナの出とも限りませんし
イターリャきっての工業都市でありその手の教育機関も多ひトリーノ及び
その周辺の出身の可能性も大ひにあり得るのですが。
(一説によるとカンタックの試作を見たランボルだかベルトーネだかの重役が
「なんだこりゃ?!」countach?!ったのが車名、とも。真偽不明)
思へばベルトーネならトリーノですから北部発音でも不思議はありません。
まづ第一に、アテクシの辞書にはcountachなどといふ方言は載っておりません。w
俗語・方言辞書があれば出てる鴨知れません。
ヌイヌはドイッチュ語だけではなく、ことにジュネーヴあたりからヌイヌ西部、
ジュラ山脈・ジュー渓谷(ヴァレ・ド・ジュー)一帯からビエンヌ近くまでは
完全に腐卵臭語地域です、ビエンヌあたりからチューリッヒのはうへいくとドイッチュ語になります。
面白ひのは、つかヌイヌってかういふ国なんだ、と思ふのはジュー渓谷の腐卵臭国境近くから
ローカル線に乗りますとビエンヌまで車内は腐卵臭語ばかり。
ビエンヌでインターシティ(都市間特急)に乗り換へるととたんに周りはドイッチュ語、
そしてチューリッヒからチューリッヒ”空港”駅までの間は英語がやたら多ひ。w
尤も、大半のヌイヌぢんは2ヶ国語ぐらひ話します。
つひでに、もしCountachをドイッチュ語読みするとしたら
”コウンタッハ”でせう、更にドイッチュ語では本来カ行の音はKで表記されます、
カブリオレもドイッチュ語表記ではKabriorletカブリオレート、です。
もちろん、外来語表記としてCabrioletと書く場合もあります。
しばしばクルマを良く知らなひ人がアテクシのヌパイダを
スーパーカーのはしくれと勘違ひしてくれることがありますが
ヌパイダは堕落したスーパーカーなどではなく誇り高きスーハーカーなのであるます。w
ジュネーブ辺りは既にフランス語圏でしたか。とは言え、ドイツ語と両方話す人も多ければ
何処からが圏内なのかは曖昧でしょうけど。
結局“カウンタック”という呼び名が出来た理由は不明ですね。件のCG71年5月号、
ジュネーブショーの記事は、署名が無いので誰が書いたか判りませんが、
恐らくは欧州の契約先から送られた原稿を誰かが翻訳したものでしょう。
その時には単なるデザインスタディでしかなく、生産化されるか否かも不透明だったようですので
翻訳を担当した人も、まさかこんなに後になるまでその発音を議論されることになるとは
思わなかったことでしょう。
もっとも、雑談としてこういう事を書いたり話したりはしても、私個人は結構大雑把なこともあり
イタリア人があの表記を“カウンタック”とは発音しないからと言って、その表記が間違いだとか
言う気は有りません。
別に当地の言語風に読まないといけないという事は無いと思うのです。
ちょっと、車とは無関係の例になってしまいますが。
競馬の凱旋門賞の行われる“Long-Champ”競馬場を、英国人たちは平気で
“ロングチャンプ”って発音しているようですが「そういうのは間違いである」とか言うこともないし
同様に車名や人名なども彼等の言語感覚で読めるように読まれても仕方ないかと。
だってねぇ、そこでうるさいことを言うならば、英国人達から
“英国なんて呼び方はこっちでは誰もしない”なんて言い返されても文句言えないでしょ?(w
でもABARTHを、『 えいばーす 』 という米国人は流石にどうよ?
と思うのですW
英語よみからでないの?>カウンタック
彼の地では、ポルがポーシャ、リナックスがライナックスだとか。
日ノ本では、AMGがアーマーゲーですwwww
まぁ、拘るも良し。拘らぬも良し。(結局は何でも良いのか?俺・・w)
“あーまーげー”はさすがにちょっと・・ですけど・・。
アレ、最初にその呼び方広めた人はネタのつもりだったのでしょうかね??
真に受けた人は“BMWの時とではMの読み方が違う”とかってところから気付かなかったのでしょうか??(w
ところで“カウンタック”
>>463でエロスパ氏が書かれていたような
“ランボルギーニだかベルトーネだかの重役がプロトタイプを一目見て発した一言が名前の由来”説は
私も何処かで読んだ記憶が有ります。
この話から連想するのが我が国の岡本太郎画伯のお言葉
「綺麗綺麗ではダメ!“これはナンなのだろう!”という驚きの中にこそ真の芸術が有る」とかいうの。
多分、この言葉は前後を編集されたTV番組とかで流れたのが広まったもので、
岡本画伯の真意は伝わっていないと思います。
だってねぇ、人を驚かす為には何をやっても良いって物でもないでしょうし。
何によって、どう驚いたのかが問題なのではないでしょうか?
70年代以降、それこそ“カウンタック”からフロンテクーペまで大流行した楔形(ウェッジシェイプ)ですが
そんな中ではカウンタックの形って当時から人気が有っただけに好きな人も多いのでしょうが、
私には驚きは有ってもあんまり洗練されていないように見えるのです。
デザイナー氏が何をやりたかったのかは判りますが(つか、あれ程判り易い車も他に無い?)
それも真横から見ての話。他の角度から見ると煩雑で訳が判らない車って気がするのです。
ぇー、ぢつはカンタックは習作、試作の時期と生産型では大幅に形状・細部が異なります。
まぁ正直ランボルは個人的な感覚では伊太利亜車の中でもアバルト辺りと並び
ある種若干異質なものを感ぢ、あまり専門的には詳しくは無ひのですが
伊太利亜車党としての一般教養レヴェルとして知ってる限りのお話です。
試作期のカンタックは生産型よりはるかに単純で細部もあれ程までにゴテゴテしておりません。
あの特徴的なボディーサイドのダクトも無かった記憶があり、またアチコチに開ひた
エアインテークも無かった記憶なのです。確かLP500と呼ばれたガンディーニの手になる
スタディは生産に移されるにあたりロードゴーイングの際の熱の問題から
次々と穴が開けられダクトが設けられ、あの激しひ姿になったと記憶しております。
それは基本骨格を308/328と共用しピニンのエッジの効ひた彫刻的なデザインを持つ
288GTOが本気のセミレーサーとしてF40に仕立て直された際に
その彫刻のやうなボディーは切り刻まれ、引き伸ばされ、そして美しさと引き換へに
猛るロードゴーイングレーサーの凄みを得たのと重なるやうな気もします。
そして、一見楔形そのものに見へるカンタックですが、
途中から尻に羽根が生へ、それが年々大きくなって
良く知られたデルタ・ウイングにまでなった、そのことが示す通り
非常にリフトの発生する形状であったのです。
それはリアに向かってなだらかに傾斜するルーフ〜Cピラー(と言って良ひのかだうかw)
この形状は負圧を発生させ揚力となる形そのものなのです。
これでせめて一時期のアバルトのやうな3次元逆Rのテールエンドでも持ってゐれば
多少は状況は違ったの鴨知れませんが現実は単なる切り落とし。
一見強烈なウエッジに見へて翼断面そのものの形状であったところに
ウエッジ時代初期の試行錯誤が見へ隠れする気がするのです。
うちの75はウレタンのベルトラインに一体化した小さなリップスポイラーを
トランク後端に隠し持ってゐます。これは初期の75には無く、後期型、
TS辺りから始まったもので、それ以前はボディーを折れ曲がりながら一周する
単なるベルトにしか過ぎませんでした。TSでは200km/hを超へる最高速を持ち、
その一方旧ヌオーヴァ・ジュリエッタのドアパネルを再利用する極度に特異な
ウエッジシェイプを持つ75、そのハイデッキは後傾しカンタックの後部同様
リフトを誘ひかねなひ形状なのです。しかしこの僅かなリップの効果は
200km/h前後までの75では明らかに有効でメータ上220を越へる程飛ばしても
何ら接地感にもハンドリングにも変化はありません。この程度の速度域なら
この程度のスポイラーで充分な効果があるのです。しかしそれが300ともなると
これではだう考へても足りなひでせう。
そこであの巨大なデルタ・ウイングだったと思ふのです。
>>469 それが、実は70年代以降のスポーツカーとかになると基本的には興味の対象外なので
生産型カウンタックがどんな形に変化したのか?記憶に曖昧なところも有り。
“煩雑で訳が判らない”というのは
例のジュネーブショーの記事に載っている純粋なデザインスタディとしての
初登場時の写真を見ての感想なのです。
多分、生産型よりはかなりスッキリした姿なのでしょうが、それでも“こけおどし”感は拭えないと。
記事の中では「ベルトーネの前作“ストラトス”よりはだいぶ良い」みたいな
好意的なのか。そうでもないのか微妙な扱いですが。
そりゃそうと。
大流行した楔形ですが、実際の効率ってのはどんなモンだったのでしょう?
単に車全体の形をそれに近づけるだけでは意外に大した効果は得られないように思えます。
カウンタックにしても、後にはそれこそゴテゴテとエアロパーツを追加して尚更煩雑化したように、
実は最初のプロトタイプや初期生産型の時点では、あんまり風洞を用いての実験などは
されていなかったと思えるのです。
あ、リロードしていなかったら話が被った。
>トランク後端のリップスポイラー
シトローエンにも付いている車種が有りますが、ついていない車種(グレード)と
乗り比べた事は無いので明確な効果についてははっきりとした事は言えないところも有ります。
只、一つだけ言えるのは、スポイラーが付いていると、其処がお盆のように雨水を貯めてしまうので
汚れも一緒に溜まるし塗装も其処から傷んでくる(w
うちのはビクともしておりません、溜まるより先に吹っ飛ばしてしまふ。w
さて、このIMSA75、75つうクルマはシャコタンにしてぶっとひタイヤ履かすと
滅茶苦茶カッコEのです、このフレアフェンダーもぢつに宜しひ。
このカッコで200km/hオーヴァーで吹っ飛んでったら大概のクルマはよけてくれるでせう。w
・・・、が、カッコばかりこれやると75の美点が全て消へてしまって
ハンドリングは滅茶苦茶乗り心地はドッタンバッタン、
そしてコーナリングヌピードガタ落ちと最悪なのです。
ところでこの写真の「ドライサンプエソジソの写真は裏焼きではなひ!」といふキャプション、
確かにだう見ても変です。通常向かって左から吸って右に吐くのがアルファ4発
(通常クロスフローのエソジソは何でもさうでせう)、それが確かに逆。
これは一体?!
>>474 傷みは来る時には唐突に来ますよ(w
それはそうと。
昔のフランス流前輪駆動車や四輪駆動のF-1等ではエンジンを前後逆に積みましたが、
75ではそんな事する意味も無いでしょうし、第一前後逆とも見えないし。
謎ですねぇ・・。
レース用の改造などというもの、目的がはっきりとしていて適切に行うから格好が良いというもので
それを形だけ真似ようとしても、竹槍出っ歯と紙一重。つか、興味の無い人の目から見れば
そのまんまみたいなもの(w
・・此処だけの話、2CVで車高落として太いタイヤ履かせるともの凄く不気味な車に・・(w
この頃のIMSAのレギュレーションがどうだったのかは判りませんけど、
車の方の性能アップに従いリップスポイラーも大きくしないと揚力が抑えきれなくなるのは自然の道理
とは言え、この程度の改造では恐らくダウンフォースを発生するところまでは至っていないのでは
ないでしょうか?
ところで。
ロードカーの場合、其処から先に踏み込み空力でダウンフォースを獲得してもサスペンションが吸収し
タイヤへ接地力を伝えるところまでは至らないと思うのですがどんなものなのでしょうね?
>>474 > ・・此処だけの話、2CVで車高落として太いタイヤ履かせるともの凄く不気味な車に・・(w
さらには、それにエアロ満載で凶悪なヘンテコ車と化した写真を見たことありますwww
たしか洋書だったかな?
>ロードカーの場合、其処から先に踏み込み空力でダウンフォースを獲得してもサスペンションが吸収し
>タイヤへ接地力を伝えるところまでは至らないと思うのですがどんなものなのでしょうね?
サスペンションが動きを吸収しても、下向きの力はそのままだと思いますが・・・。
>>477 バネ上に固定された空力付加物等でダウンフォースを獲得したとしても、懸架バネの固さが
ロードカーとしての常識の範囲内にある限り、その力の大半は懸架バネを押し潰すことに費やされ
タイヤの接地性を高める事には殆ど使われないだろうという意味です。
60年代終盤以降、レースカーのサスペンションが極端に固められたのは、様々な理由が複雑に
絡んでの事なのでしょうが“空力付加物はバネ上に固定すること”と規則化された為に
そこで獲得したダウンフォースを少しでも効率的にタイヤへ伝達する為というのも
要素の一つと思われます。
しかし、幾らレースの規則がそうなっているからと言っても、公道を走る車までが
それに従う理由は全く無いですし、いたずらにバネレート高めても、乗り心地が悪くなっては
レーサー並みの鍛錬を積んでいない普通の人では脳ミソをシェイクされてしまうだけで
とてもじゃないですがまともに走れない。
第一、懸架バネを通してダウンフォースをタイヤへ伝えるというのが非効率的であることは
考えるまでもありません。
そこで。乗り心地への悪影響を最小限に抑えて効率的にダウンフォースをタイヤへと伝える為には
レースの世界にウィングが登場した当時のシャパラルのように、
ウィングステーを直接サスペンションのアップライトに固定するとか、
更に進んで60年代末期のF-1のように前後輪の真上、地上2m以上の所にウィングを設置するとか
(勿論ステーはバネ下に固定)
そして更にはグランドエフェクト全盛期にヒンシュク買って出走出来なかったロータス88のように、
本来のモノコックとは別に空力の為だけのボディーカウルを用意し、そちらはサスペンション無しで
直接バネ下にマウントする等と考えるべきでしょう(どんな車だ w)
>>479 時間が無いと仰る割りには朝から何をやっておられるのかと・・(w
では、空力やらダウンフォースやらの話は一先ず置いといて。
2CVストレッチリムジン(w
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/c9b5.jpg?bcuxs7FBZCk_.Fs5 実はこの手のネタの中で、今迄で最も笑った画像が見つからない・・。
“2CVサハラ(4WD)ベースの月面作業車”って代物で、結構綺麗な流線形に仕上がっていたのですが、
空気も無い月面で空力を考え、流線形にする必要があるのか?と・・。
それ以前に、あの空冷フラットツインは真空の中でも回るのか?
更にそれ以前の問題として。気圧ゼロの中ではガソリンがどうなるのか?
そして更にそれ以前の問題として。個人でそんな物作って、どうやって月面まで持って行く?(w
こうした大衆車を改造するお遊びというのにもいろんなパターンが有るようですが、
オースティンセヴンを改造するならばヴィンテッジ・スポーツカー風にするのが最もポピュラーですし
VWビートルならばCal-lookのホットロッドにするか、若しくはプラットホームシャシーやリアエンジンという
その構造を生かして全く別の車のように仕立て直すかと言った具合に、
それぞれベースとする車毎に、その構造やら性格を反映して人気になる改造パターンが
決まってくるように思います。
そう考えると。ネタ車にばかり改造される2CVのキャラクターってのは一体ナンなのでしょう?(w
>>478 > バネ上に固定された空力付加物等でダウンフォースを獲得したとしても、懸架バネの固さが
> ロードカーとしての常識の範囲内にある限り、その力の大半は懸架バネを押し潰すことに費やされ
> タイヤの接地性を高める事には殆ど使われないだろうという意味です。
そんなことはない。
ふ〜む・・。書き方が極端でしたかね?まぁ、バネ上で得ても、無いよりはマシでしょうけど。
バネ下で得る方が遥かに効率的なのではないか?と、思う訳ですよ。
事実、最初にウィングを付けたシャパラルはバネ下固定でしたし、ボディー下のベンチュリーで得た
ダウンフォースを有効に使おうとコリン・チャプマンは二重シャシーなんて物を考案したのですし。
いずれにせよ、普通〜やや固め程度の範囲内にある乗り心地の車では、
せいぜいゼロリフトがいいところであり、強大なダウンフォースを発生させているロードカー自体
殆ど無いでしょうから真剣に考えてもどうなるというものでもないのでしょうし、
本当の事は風洞実験のデータでも見ない事には、判らないのでしょうが。
後は速度感応式パワステとかではない車のフロントへ強力なダウンフォースを与えるとか。
タイヤへ力が掛かっているならば、速度が上がる毎にステアリングが重くなるでしょうから
具体的な数値は出なくとも或る程度証明にはなるでしょう。
ところで。楔形、ウェッジシェイプの話の続きになりますが、
ああいう形状で実際にダウンフォースって得られるものなのでしょうかね?
こういう形というのは、コーダトロンカの時とは逆にアメリカのレースカーで最初に試みられ
それに刺激されてイタリアのカロッツェリアが市販車に持ち込んだと思うのですが
初期のウェッジシェイプ車フォードJカーとかシャパラル2H
http://www.mmjp.or.jp/60srace/JcarNo1.jpg http://www.petroleummuseum.org/PetMuseTest1.data/Components/Images/GalleryPhotos/2H.jpg 結局は物にならなかったようです。
特にシャパラルの場合巨大なウィングを追加されて最初の形からは
全く違う車のようになってしまったあたり、後のカウンタックと同じ道を辿ったようで
興味深いところ。
・・と。
考えてみれば(普通の脳の持ち主ならば考える迄も無く?)
重い物乗せれば懸架バネも撓むけれど、タイヤにも当然その分の重量は掛かる訳で
同様にダウンフォースにしても“懸架バネが吸収してタイヤには伝わらない”
なんて事は有り得ないのか・・。
・・バカの考え、休むに似たり(w
えーと。
簡単に言えば、てこの支点の問題です。
だから、どこに支点を作るとどれだけ変わるかってことですね。
これについては長くなるので次の機会に。
ザガートRZキター!!
仕事でorz
あれかなぁ 角度の固定されたウイングだと
Rサスの沈み具合でウイングの角度が変わるわけで。
最適な角度を保つためにバネ下に取り付けしてみたとか。
まあ、どうでもええですがw
バネ上から押さえつけると、
お腹をするから、いやでしょ?
可変ウイングは、レギュレーションで禁止されなければ、
大きな可能性があると思うんだなぁ。いや残念。
どうやら私の脳は、古典的な流線形からせいぜいコーダトロンカまでにしか対応していないらしい。
・・と、言いつつも
>>486 可変ウィングと言えば、速度に応じて立ち上がるような代物ならば市販車にも多く見られますが
此処で書かれているのはシャパラル2GとかニッサンR381のような物でしょうね。
シャパラルのは、ブレーキに連動して減速時には立ち上がった角度になり抵抗源となる
一種のエアブレーキを意図したものだったようですが、ニッサンR381の物は
左右に分割されたウィングが、リアサスに連動してコーナーでは角度が変化するという
凝った機構だったとか。走る様子を見た事は無いのですが、不気味な物だった事でしょう。
実際の効果はどれくらい有ったのか?まともな競争相手に恵まれなかった車という事もあり
はっきりとした事は今では判りませんねぇ。
シャパラルくらい巨大なウィングを、ああいう形で高い位置に設けていれば
それこそウィングの効果も充分に発揮でしたのでしょうが、市販車でアレやっても抵抗が大きいし
第一公道では格好が良くない。
アレはやはりサーキットで見るから良く見えるのだと思います。
慣れの問題かも知れませんが、峠道なんかでブラインドコーナーの向こうから
あんなのがすっ飛んで来たら誰でもビックリするでしょう?(w
やはり私は流線形とか、コーダトロンカの世界で生きていたい(w
レースカーでは今やサスペンションは空力によるダウンフォースを効率的にトラクションに変へる
その為に一定のグランドクリアランスを保つ為のみに存在してゐるのです。
これは平滑なサーキットでこそ意味のあるもので、路面状況の一定しなひ公道上では
この手は使へ無ひのです。もし、この手の空力に多く頼るクルマを公道上で走らせて
コーナーの途中にバンプでもあった日にゃおしまひです。
最速レースカーがそのまま最速ロードカーとなり得なひ程、今や両車の技術はかけ離れてゐるのです。
空力に多くを依存したロードカーを作ることは非常に危険なことなのです。
ロードカーの場合、空力付加物の意味合ひはダウンフォースを強く発生させ
その力でトラクションを稼ぐレヴェルまでは至らづ、
リフトを抑へる、浮き上がることを防ぐレヴェルまでが妥当と思はれます。
路面の凹凸の吸収をきちんとサスペンションがこなせることが重要と。
それ以上を望むとなると路面の凹凸が如何にあろうとも常に一定のグランドクリアランスを保て、
且つ、フラットな或ひは船底型のアンダーパネルを持ち、その形状が負圧を発生させ
その負圧で路面を吸い付けられる高さまで車高を下げねばなりません。
公道上の凹凸はそれを許す高さでは無ひのです。
>>488 ボディー下面でダウンフォースを得る形体ではその通りでしょうけど、
ボディー上面に付加物取り付けてダウンフォースを得るのならば、車高はどうあれ
まぁ問題無いでしょう。
もっとも、昨日も書いたようにあんまり派手な付加物(ウィング)はみっともないですし
視界の邪魔でも有りますが。
ラリーカー等に付けられているウィングとかの類では、
ダウンフォース発生まで至っているのでしょうかね?
一応はロードカーに分類される車の中ではフェラーリのF40辺りがかなりボディーから離れた
高い位置にウィングを設けていますが、ウィング本来の効果を引き出すならば、
あの位やらないと意味がないのでしょうか。
あんまり低い位置に取り付けた場合、いくらウィングの下面の空気の速度が高まり
負圧が発生したところでトランクのフタを引っ張り上げる力になってしまうのではないかと・・
(また性懲りも無く珍説 w)
まぁ、コーナーを多少速く回れるようにしたところで、その為のデバイスで抵抗が増えては
(ロードカーの場合)ナンにもならんでしょう。
空気抵抗とダウンフォースの重要性のバランスを、サスペンションの役割等と同様に
ロードカーとレースカーとでは一緒には考えられないのだと思います。
>>489 ちょっと古くなるけど、デルタに付いてたかなり突っ立ったリアスポイラーはかなり効き目ありますよ。
FFのHFターボに付けたら前輪がリフトしまくって、角度寝かせた記憶があるwww
あれ、立てると最高速が変わるらしいです。
エスコートコスワースの巨大な二段羽根はどうだったんでしょう。
スープラの羽根もけっこう効きそうな形状ですね。
リアスポイラーの役目は大別すると「空気の整流・剥離」「ダウンフォース」
に分けられます。
FF車の場合ダウンフォースをかけてはフロントリフトを招き、肝心の前輪に
トラクションがかからなくなります。従ってFF車のリアスポはほぼ100%
空気の整流と剥離のために着いていると言えます。
空気の整流というのは立体物の後方にはとかく気流の乱れや渦(カルマン渦)が発生しがちです。
これらは車体の安定性を失わせたり車体を後ろ方向へ引っ張ったりといった悪さをします。
これを防ぎ、気流を後ろへきれいに流すとともに車体から剥がしてやる役目をFFのリアスポは
担っています。
一方後輪駆動や四駆のクルマには上記の整流・剥離に加えて下向きの力である
ダウンフォースを加える働きを持たせます。
整流・剥離、ダウンフォースともにリアスポの形状として重要なのは大きさも
さることながら怒り肩の形状です。車体本体から遊離した位置にあればなお良し。
例えばR32以降のGT−RやFD3S、ランエボなどを思い出してほしいのですが、
いずれも初期型は角がラウンドしたボディとの一体感のある形状だったのが、どんどん
性能が上がり、本気で空力を追求するようになると角の立った、あるいは垂直翼まで
着いた形状になっていきます。
これはカルマン渦のような気流の乱れは特にCピラー後方で起きやすく、その位置に
リアスポがあってこそ整流、剥離、ダウンフォースがかかるからなのです。
もうお分かりかと思いますが、市販車で本気のリアスポイラーというと古くは
ランチア037ラリー、一連のフォードコスワース、F40、最近ではR34
スカイライン、ランエボ\。
逆に格好だけなのはスープラ、三菱GTOあたり。
またFFハッチバックでリアスポはリアゲート最上部に着いているものの、
まったくウイング形状になっていないボディとツライチのものは、剥離と整流
のみを意図したものであります。
デルタに関しては標準位置なら整流と剥離、立てた位置ならダウンフォース狙い
の形状と言えます。
こちらにもCGTVようつべ貼らうと思ひましたが、まぁランチャをぢさんの話引き継ひで。
ダウンフォース重視か整流重視かは、その速度域とか目的によって使ひ分けられるのは当然です。
例へばシルヴァーストーンやモンザのやうな、或ひは米国のやうな単純なオーバルコース、
かういった高速サーキットでは最高速が勝負の鍵を握りますので整流寄りに、
鈴鹿やモンテ、或ひはラリーやパイクスピークの山登りのやうな場合にはダウンフォース寄り、と。
ことにパイクスピーク登山などは標高の高い山なので大気密度は薄く
あれだけのすり鉢のやうなカントが付ひてゐても巨大な羽根で押し付けなひと
谷底に転げ落ちてしまふのです。
さて、さうなるとこの整流とダウンフォースは言ふまでもなくトレード・オフですので
そこのベスト・バランス、パレート最適wを見つけるのに各チーム腐心しておるのです。
一方ロードカーの場合、もっぱら整流かと言へばさうでもなく、
上記ランチャをぢさんの挙げた競技用ベース車両のみならづ、
そしてFFでもリアのダウンフォースが必要になった場合があるのです。
その悪ひ例(w、しかし本当)が先代TTです。まぁTTの場合4駆もありますが
FFでも、と言ふよりFFで問題になったのが高速域での転倒。
高速域ったって僅か130〜150km/h程で転倒したのです。
これは元ネタのゴルフ4シャシの確信犯的無理と何度も述べたリフトを誘発する
ボディ形状によるものです。リアのリフトとトラクション不足に因るものであった、と。
その対策としてVWはリアのショックの変更とリアスポイラーの追加で対応しました。
が、それは根本的には付け焼刃であり、本来フロントに荷重を掛けなければならなひFF、
そのフロント荷重を削って対応せねばならなかったのは本来誉められる方法では無ひのです。
しかし、まぁ一旦売っちまったモノはせうが無ひ、これしか打つ手がなかったのでせう。
アテクシが問題視するのは、このことは容易に開発段階で見抜けた筈、
と言ふより間違ひ無くヴォロクソ・ヴァーゲンはこのことを知ってゐた筈です。
それを平然と公道に放った責を問うてゐるのです。
>>494 今のベンツがかつてのベンツでないのと同様に、今のVWもかつてのVWではない、ということでしょうか。
アウディと言えばそのそう責任者は言わずと知れたピエヒであり、かのフェルディナント
ポルシェの孫であります。
TTと911は断面で見ると非常に似ている。そう翼断面を形成している。
ゆるやかに下がるテールはフラットなボディ下面との流速の差を生み、当然強烈な浮力を
生じる。
ポルシェはリアエンジンでリアヘビーだからトラクションはかかる。でも高速域ではやはり
リフトを生じるからあの巨大なリアスポイラーが不可欠だった。
これと同じようなボディデザインをさらにリアの軽いFFでやったらどうなるか?
そんなことをポルシェの孫がわからなかったはずはない。
エロスパ氏が確信犯と呼ぶのはまさにこのことでありましょう。
神の末裔ピエヒ(末裔であっても傍流であるといふことが股ひとつ良くも悪しくも、なのですが
その件は股の機械に)、ボディーデザインもさることながら
アテクシ以前からシャシの問題を疑っておりました。
そしてとある人からゴルフ4シャシの驚くべき成り立ちを聞き疑ひは確信に変はりました。
ゴルフ4は半官半民のVWを巻き込んだ政府の経済政策の暗部に関はってゐたのです。
ぃあ、かう書くとひとりVWだけ取り沙汰されさうなので訂正しますが
ドイツ自動車産業とドイツ政府がまぁグルになった作戦、
その失敗例がゴルフ4だった、といふことです。
酔っ払って書くと文章が変でスマソ orz
ピエヒさんったら・・・そんなに天性の揚力遣いなら、飛行機作りのほうが天職かもしれませんねwww
相当の人は作用・反作用の辺りからをちゃんと復習すると良いようです。
スレを盛り上げる為の確信犯(誤用)なら、ゴメンナサイ。
尻の扇風機は妙なこと大好きのアルファだからではなく、
シャシのブラバムの責任でありますw、っつかこれ系必づアルファばかり取り沙汰されますが
この手のシャシのF1にはBMWだったかルノーだったかのエソジソも載った筈。
さて、そのF1、ラジエータも徹底して軽量化小型化されてゐるらしく
停止してアイドリングのままほったらかしておくとあっと言ふ間にオーヴァーヒートするのだとか。
300km/hの風量前提に設計されてゐるのでせう。
2Jの「可動式空力付加物」ってのは、ボディサイドに這わせた可動式スカートが
引っかかったのではないかと。
それがないと効果半減どころか・・・。
同様にウィングカーの代名詞のような一連のロータスも同様のものがサイドに
ついていましたし。
可動式スカートは路面に引きずるような形で接しているため、コースの痛みも異常に早く
それも一因の様な気がします。
コース路面の痛みですか・・。まぁあのスカート、材質は軟質樹脂とかでしょうし初期のロータス等は
ブラシで済ましていた筈。ボディー下から火花散らすような行為に比べれば・・(w
細かい事ですが、シャパラル2Jがレースから締め出されたのは、後続車のドライバーから
「埃を舞い上げられてはタマラン!」と抗議されたからという話を何処かで読んだ記憶が有ります。
これはさすがにネタ半分っぽいですが、この時点では例のスカート(サイドカーテン)が
「可動式空力付加物」にあたるかどうかの判断は下されなかったと思います。
後にロータス等のグランドエフェクトF-1ガこうしたカーテンを装備した時にも違法性を指摘する声は
あちこちから聞かれましたが、結局うやむやのまま数年が経ってしまったのも、シャパラルの時に
サイドスカートについての具体的な議論が無かった為でしょう。
ところでブラバムBT46Bのサクション・ファン。エロスパ氏も書かれているように、ブラバム側
つか、シャシーデザイナーだったゴードン・マーレイが首謀者だったようです。
この人、後にまたマクラーレンF-1(ロードカー)でも似たような事をやっていた筈。
この車は、ギャップの大きい公道用という事も有り例のサイドカーテンは装備していないでしょうから、
(ちゃんと接地している状態と、そうで無い時とではハンドリングが劇変する危険性が大きい筈)
そのサクション・ファンの効果もそれ程大きくは無いと思われるのですが、
この事に関しては或るブログで「エンジンを掛けるとファンが回り車高が沈み込むのがイカス」
なんて書かれているのを見ました。
・・本当でしょうか??
突然の質問に気を悪くしないでいただきたいのですが、
相当逝ってるさんは自動車関係の仕事に就いていらっしゃるのですか?
思へば摺り板火花散らしてコース傷む、ならオートはだうするのか?と。w
必ず鉄板打った左足出して火花散らしながら旋回するでせう、
(これが本当の左足ブレーキw)
オートレース場のコースの傷みの修復代は当然車券から出てゐる訳で。w
閑話失礼!w
例によって長文書き終え、書き込みボタン押したら
また「規制中です」と・・
>>507 直接の関わりはありませんプロの貧乏人か、怪しい人が本職です(w
>>508 あ、そうか・・。
携帯で長文はきついのでサイドスカートの話の続きはまた今度。
ブラバムBT46、当初はボディ表面に貼ったパネルの内側に冷却水を通すことを目論んでいたのですが、
冷却能力が著しく低くて当然のように却下、普通のラジエーターが必要となったものの、
つける場所なんか用意してない。かろうじて装着できたのがエンジン上(しかも水平)だったが走行風が
当たるわけもなく、ファンで風量を確保したのは苦肉の一策、路面に吸い付いて云々はケガの功名、
という説もあります。まあゴードンマーレーの作った車のこと、一石二鳥を狙ったのはその通りでしょう。
では
>>510 78年に登場したブラバムBT46には大まかに言って三つのタイプが有ります。
最初にお披露目されたのは、シーズン前のプロトタイプで、普通のラジエーターを持たず
ボディー表面冷却システムを試みたもの。
http://www.forix.com/8w/6thgear/brabham-bt46.jpg “特殊な冷却液を現在開発中”との触れ込みでしたが、結局はモノにならず。
このシステムでは、二階建てバス程の表面積が必要だと判って放棄されたとか
(本気でやる気だったのかは不明 w)
二番目が、前年迄と同じくフロント両サイドに二分割したラジエーターを置くもの
http://www.racingsportscars.com/f1/1978/Zolder-1978-05-21-001.jpg これが通常のBT46と呼ばれる車で、そして第8戦のスウェーデンGPに現れたのがBT46B
この年無敵を誇ったロータスのグランドエフェクトマシン“79”に対抗すべく作られた
例の“サクションカー”です。
文句を言われる事は覚悟の上だったゴードン・マーレイはあらかじめ実験と計算は行っており
“このファンの働きの70%はエンジン冷却に関与している。故にこれは断じて冷却ファンである”
と言ってのけたそうですが、当然そんな言い訳は通用せず。
しかし一度スウェーデンGPの車検は通った事からこのレースの優勝という結果だけは
なんとか認められたのだとか。
それにしても・・。サイドスカートで風通しを悪くしたボディー下から空気を吸い込むなんて、
如何にも非効率的なレイアウトにしておいて“これは冷却が目的のファンである”等と言うとは、
厚かましいと言うよりも、むしろ“よくぞ言った”と褒めてあげたい・・かも(w
このゴードン・マーレイって人「天才」とか「鬼才」とか言われる事も多く、
最近はCG誌の巻頭コラムにも登場しているようですが、あんまり私個人的には好きになれません。
例のサクションカーにしても、最低地上高ルールを小莫迦にしたようなBT49Cにしても
規則の曖昧な部分を突く事、それ自体の善悪は別にして彼のやり方ってのはどうも・・。
・・・・まぁ、大人物と呼ばれるべき人のする事ではないなぁ・・と・・。
彼の作品と呼べる物は、レースカーのブラバムやマクラーレンのみではなく、
ロードカーのマクラーレンF-1(ややこしい名前)とか超軽量スポーツ“ロケット”等も有りますが
どれも細部への配慮や洗練を欠き、感動が無いと思います。
マクラーレンF-1の高価な事とか高性能な事はあちこちで語られていますが、
その形についてはあまり真っ向から語られているのを読んだ記憶は有りません。
また、シーズン最多勝を記録したマクラーレンMP4/4など、もしも何処かの博物館等で目にしても
そうした記録とは無縁の、形そのもので感動を受ける事は無いでしょう。
ゴードン自身の品格の無さが、その作品にも表れていると言ったら言い過ぎでしょうか?
2ちゃんのスレで品格だの感動が無いだのという話を続けるのもナンなので軌道修正。
ボディー形状と空気抵抗の話が中途半端な気がするので、もう少し続き(勝手)
コーダトロンカの発見者、カム博士は飛行船等を例にとって研究したところ。
やはりというべきか、最も空気抵抗が少ない形体とは雨滴型であり、前端部の形状もさることながら
断面積が最大になる部分から、なだらかに一点に絞り込む事がミソで、その為には全長が
或る程度長い必要が有るという結論に至ったそうです。
理想的な雨滴型とするには、長さが幅の7〜8倍程必要となるのだとか。
勿論これは自動車に於いては無理が有る話で、普通の自動車の場合はせいぜい幅の2〜2.8倍程度。
そこで或る程度は妥協するにしても、出来るだけなだらかに絞込みたいところ。
なだらかな絞込みを行った形状ならば、その後端を或る範囲で切り落としても抵抗はあまり変らない
こうした形状ならば機敏さも犠牲にしないで済むし、前後に短い車でも無理な絞込みをしないで済む。
この理論がどうやって発見されたのかは不明ですが実用的である事は確か。
ところが、ボディー後半をなだらかに絞り込む事が全く無理な車も有り。2BOX型の小型車などが
そうでしょう。
そういう車は形状で空気抵抗を減らす事は潔く諦め、ひたすら前方投影面積を節約するというのも
一つの方法で、初代ミニなどはそうした考えで作られていると思われます。
しかし、初代ミニが実用車としては無理が有る程に低く作られたのは、そうした理由の他に
当然、低重心化の狙いも有るでしょう。
ミニと同様の基本レイアウトを持ち、普通の車並みの車高だったニッサンの初代チェリーが
同時代のスバル等と比べるとかなり扱い難いハンドリングだった事からもそう考えるのです。
(勿論リアルタイムで乗り比べたという訳ではないですが w)
フェチ板某画像投稿ヌレでは神と崇められるアテクシ、
しかし神にも安息日は必要なのです、7日に1日ぢゃあ足りなひ足りなひ。w
はーぁ★。
「ブラックのバンパーで一層シャープな印象」あたりに時代が。いや、うちの車の
半分は確信犯的黒バンパーですが。
ところで、
>>514を読んではた、と膝を打ったのがホンダ・インサイトのデザイン。
あれは理想的涙滴型の後半を切り落としたものなのですね。
スパッツも空力的には効果高いのかな?
ツミたちの空力話は実に偏狭だね。
知らんだろ、アラブの王子達がどう空気抵抗を
解決しているか。
教えてあげよう。
高速走行をするときは
前に一台走らすんだ。
↑競輪か!(w
その話なら知ってます。その車の跳ね上げた気流に絨毯を乗せ、空を飛ぶのでしょう?
>>515 私も卑怯道ならば師範代くらいは勤まりますけどゴードン・マーレイのやり方は
洒落にも芸にもなっていないと思います。第一オリジナリティーが無い。
流派が異なるという事もるのでしょうけど。
>>518 実際の効果はどうなんでしょうねぇ?風洞実験の様子等を見た訳ではないのでナンとも・・。
同じ車にスパッツつけた時と外した時と、同じ条件で同じ区間を走らせ、燃費でも出してみないと。
>>517 他にカム理論に忠実に見える車と言えば、現行プリウスとか、アウディA2とか。
http://autotapeta.fm.interia.pl/audi/Audi%20A2.jpg ちょっと古いところではシトローエンGSあたり。
逆に
>>437で触れた62-63年のフェラーリ250GTOなど、見た目には大変空力的と思えますが
前車軸より後方(所謂フロントミド)にV12エンジンを配置する為、運転席は後車軸の直前となり、
当然断面積が最大になる部分は車の後半部となります。
この形状だ最大断面積部からボディー後端までが短いのでなだらかに絞り込むには無理が有り、
雨滴型の最後尾を切り落とす形状には出来ないので、空力的にはあまり好ましくないのだそうです。
最近の車では曲線的なルーフラインの頂点がドライバーの頭上となる辺りよりも明らかに前にあると
見える物が多く、ちょっと無駄に感じる事もありますが、
アレなんかも断面積が最大になる部分を前方に設け、後端部への絞り込み方を緩やかにするという
空力的な工夫という意味合いもあるのでしょうか?
(最近、自分の思いつく事に自信が持てない私 w)
今日の昼間、新幹線が走っているのを見ていて思ったのですが。
最近の新幹線の先頭車両、あのカモノハシのような形状の先端部分。
雨滴型のようになだらかに後端に絞り込むのが空気抵抗軽減のコツなのならば、
アレなんかも先頭車両としてよりも、最後尾車両としてより効果を発揮するのでしょうか?
より雨滴型に近づけるなら、先頭は昔の初期型新幹線で後端は現代の車両にすれば良いのかも。
もっとも中に挟む物があれ程長いと、前後端の改良で得られる効果が全体に寄与する割合など
どれ程あるのかは大いに疑問なのですけれど。
鉄道マニアに尋ねてみたいところですが、空力に詳しい鉄道マニアってあまりいないかも・・。
・・閑話休題。また例によって更なる閑話(w
62-63年のフェラーリGTOの“カムテール+リップスポイラー”を更に判り易い形にして提示したのが
フォード・マスタングに途中から追加されたファストバック・クーペなのではないか?という話の続き。
あの車、
>>473の下の方にリンク貼った写真からも判るように両側面の絞込みは少なく
ルーフラインも直線的で、全体形を雨滴型に近づけようという意思はあまり感じられません。
恐らくは空力よりも、デザイナーの造形センスが生み出した形状なのだろうと思います。
速度規制も厳しく、ガソリンは安価だった頃のアメリカ車ですから、それでも良かったのでしょう。
丁度今月のCG誌の巻頭コラムでゴードン・マーレイが
「形状はその機能に忠実であるべきだ」といった旨の事を書いていますが、
エンジニアである彼の目にはあのマスタングのデザインはどう見えるのでしょうか。
“空力効率と運動性の両立”というカムテール本来の機能に忠実とは言い難いのかも知れませんが
そういう小難しい理屈を抜きにしてデザインされた奔放さこそ、ある時代までのアメリカ車の
通俗的ながらも面白いところだったと私は考えるのですが。
(そんな事言う割りには理屈っぽい文章w)
新幹線で言えばカモノハシの700系は環境配慮型。
静粛性やトンネル進入時の衝撃波対策がなされている。
対して500系は性能追求型で700系より高出力で最高速も高い。
でも先を尖らせすぎて先頭車両の座席数が少なかったり、乗り心地
も悪い(気がする)
700系はカーブでぐにゃぐにゃしてちょっと前のトヨタ車みたい。
空力はともかく初期型新幹線100系は歴史に残るグッドデザインだと
思います。古いドイツのバイクのカウリングそっくりなんですけどね。
榮久庵 憲司さん(工業デザイナー)のキッコーマンの醤油小瓶と並ぶ
エバーグリーンかと。
クルマオタクだけでも病膏肓に入るようなものなのに、
鉄道オタクの領域まで足を踏み入れたら・・・
新幹線、開業当初そのあまりの速度に乗客が不安を感ぢ無ひやうに
意図的に当時の航空機・旅客機に似せた、とか漏れ伺ったことがあります。
醤油瓶のGKの手になるものかだうかは尻ません。w
アテクシGKは大変に尊敬しておりましたが昨今あまり目にしなくなったやうに思ひます、
単にアテクシが気を付けて見て無ひ為でせうか。
今回の来阪の際、岐阜羽島付近でちゃうど新幹線と併走しましたが
まぁ凄まぢひ加速。到底ヌパイダで追ひかけられるものでは無ひ。w
911を持ってしてもだうかなぁ、多分並みの下グレード911では追へ無ひ鴨。
あの区間は新幹線が全開加速する区間らすぃです。
乗ってると体感的には気が付きませんが物凄ひ加速でっせあれは。
>>523 新幹線は間違っても買わないから大丈夫ですw
>>524 GKと言えば超高回転でナナハンキラーのハシリ、RZ−250とかV−MAX
が有名でしたね。
調べてみたら最近では味の素のCookDOくらい…
自動車業界もそうだけど、最近は外部デザイナーの手になっても公表しない
ことが増えていますから作品はもっと多いのかも知れませんが。
トンネル突入時の衝撃波ねぇ。列車には列車の空力って物が有るんですね。
>>524 >物凄ひ加速でっせ ・・って、関西に行くと書き込みまで(w
まぁ、車だけのマニアさんというのもそうはいないでしょう。
私の場合、他に好きな乗り物といえばエレベーターでしょう。東芝エレベーターの有機的な外見とか
繊細な操作感覚が好みです。
ちょっとコーダトロンカで思い出した話。
雨滴型の尻尾を切り落としても、当然の如くそこに気流の渦は発生するようですが、その割りには
抵抗は変らない。これは発生した渦が上手く仮想テールの役割を果たし、その上の気流を後方に
導く為なのではないか?という仮説のもと、60年代終盤の三菱コルトF-2が変った試みを
行っています。
文章だと説明がし難いのですが、砲弾型ボディーの最後部に複雑な形状の蓋をし、
そこに意図的に渦を作る事で仮想ボディーカウルとして空気抵抗を減らそうというものでした。
しかしタイヤむき出しのフォーミュラカーでは既に気流は剥離した後のところですし、
真上にリアウィングも有ってはその効果は判らず。
まぁ、他に応用しなかった所を見ると、あんまり良い結果は得られなかったのでしょう。
ところで、この三菱コルトF-2という車、ロータスのF-1よりも一年早くサイドラジエーターを試みた車。
しかし日本だけで走ったマイナーフォーミュラという事も有ってか、今ではすっかり忘れられた存在。
大体、この会社の「世界初ナントカ」って、信用する人、あんまりいないでしょう?(w
人も企業も、日頃の行いって大事ですよね。
>>525 > GKと言えば超高回転でナナハンキラーのハシリ、RZ−250とかV−MAX
> が有名でしたね。
どっちもそんなに回らないけど。
GKなの?YA-1くらいしか思い浮かばない・・・
RZ−250は「当時としては」超高回転型でした。
その後にはPHASERとか登場してもっと凄かったですけど。
V−MAXは書き方が悪かったけど、超高回転型・ナナハンキラーではないですね。
うむ・・“エレベーターの有機的な外見”に誰も突っ込み入れてくれないか・・。
空力の話の続き。
普段、我々が最も空力の影響を感じるのは直進安定性ではないでしょうか?
勿論空力以外にも足回りのセッティングだの、重量バランスだの様々な要素が有るので
何処までが空力の影響によるものかは誰にも言い切れないのでしょうが。
実際に、揚力の発生が大きい筈の古典的流線形(雨滴型の半分)を基本にしていても
かつてのシトローエンDSは一寸位手をステアリングから離したくらいでは全くナンとも無いほどでした。
これ、なんでも身振り手振りで話さないと気が済まない典型的なフランス人ドライバー対策とか(w
ところで。最近のベンツが以前のような手応えを失くしたとはよく聞きます。
(私はトヨタ化したと言うよりもアメリカ車的になったと感じますが)
その一方、旧型Aクラスのような酷く固い乗り心地で長時間乗りたくないのも有りました。
そうした最近の例でなくとも、デビュー当時の190Eの直進安定性が悪かった事等もよく聞きます。
それこそが例のサッコ・プレートを追加された理由だそうですが、当初の不安定さの理由を
“空力を抵抗値削減に振り過ぎた為”とメルセデス自身が認めていました。
しかし、必ずしも抵抗値を少なくしたら安定性が犠牲になるとは言えない筈。
単に煮詰めが不足しただけの車を発売してしまったメルセデスの詭弁と今も思っています。
旧Aクラスや190などの小型ではない、中型以上のベンツに関しては語る程の経験は有りません
まぁ、あの値段で悪ければ誰も買わないでしょうが、意外にも(?)
“安楽過ぎて眠くなるので、長距離運転の時は要注意”なんて話も聞きます。
もっとも、此処まではメルセデスの知った事ではないでしょうけど(w
>512
>ボディー表面冷却システム
Macchi MC.72を連想した。
↑ そう言えば、以前此処のペーパークラフトで作りました
http://www8.wind.ne.jp/takumi/s079.html 飛行機ならば表面積も大きくて対気速度もありますからイケルのでしょう。
もっとも、このやり方では空気抵抗はどうなるのでしょうか?疑問ではあります。
>>529は、年バレスレにて“長距離ドライブには少し前までのベンツに勝る物は無い”という話が
出た事から思いついた話でした。両方読んでいないと、なんでいきなり空力と無関係な
旧Aクラスの乗り心地なんてのが出て来るのか意味不明の文章で失礼・・。
で、安定性の話。前に話に出た重量バランスとハンドリングの話とも絡みますが、
前輪駆動にすればそれで安定志向になるかといえばそんなに簡単な物でもなく、
前輪駆動であろうがナンであろうが、不安定な物は不安定(何を当然の事を w)
以前にも書いた事がありますが、私が乗った事がある中では初代チェリーとコロナ・エクシヴが
特に不安定に感じた前輪駆動車でした。
とは言え、その不安定な感覚はそれぞれ異なるもので、初代チェリーの場合、
アクセル踏んでいる限りはそうでもないと感じましたが、タックインが唐突で過大であり、
急な制動を掛けるといきなり不安定になったような記憶があります(かなり遠い記憶・・)
その頃は何も判らないで“前輪駆動ってこういうものなのか?”なんて思いましたが、
その後ああいう感覚の車には出会っていません。
今になって思えば足回りの未熟さも有ったのでしょうが、エンジンとギアBOXを二階建てにして
(重心が高まるやり方で)車体最前部に置くというアレックス・イシゴニス式配置が
そうした特性に大いに関与していたのかも知れません。
スエズ動乱を契機に誕生したと言われる初代ミニ、最初からエコノミーカーとして設計された為に
そのボディーサイズは現代の日本の軽自動車枠にもすっぽりと収まる程小さく、
空力を考慮しての絞込みなどは殆ど見られません。
それでも高速で使用される事も多い欧州車ですから抵抗が大きいのは上手くなく、
その為に高さも削ることで前面投影面積を小さくしているのでしょう。
勿論、幅狭い車ですから低重心化は操縦安定性の為にも不可欠であったとは考えられます。
それにしてもこの車の低重心への拘りは冷静に見てちょっと異常とも思えるときが有ります。
ロードクリアランスもギリギリですし、初期の10インチタイヤ等、他に使用している車も少ないので
選択肢も限られてしまうといった具合。実用車としては此処までやる必要があったのか?と。
これは恐らく、エンジンとギアBOXを二階建て構造とする事で、その部分の重心が高くなるという
ネガに気付いた設計者アレックス・イシゴニスの考え出した対策でもあったのではないでしょうか。
横置きエンジンで前輪を駆動するレイアウトの発明者とも言われる事の多いイシゴニスさんですが
ご存知のように現代の横置きエンジンレイアウトの車、実は殆どがミニの数年後にイタリアで
ダンテ・ジアコーザさんがアウトビアンキ・プリムラで試みたエンジンとギアBOXを並列に配置する
レイアウトで作られています。戦前にはドイツのDKWがモーターサイクルのパワープラントを
前後逆に積んだような(資料が少ないので推測込み)車をつくっていますので
イシゴニスさんは横置き前輪駆動の発明者でも無い事になります。
ニッサンが何故初代チェリーでアレックス・イシゴニスレイアウトを採用したのかは判りませんが
初代ミニの本家オースティン(BMC)以外でこのレイアウトを採用した車って意外に少ない筈。
潤滑等の機構的な問題も当然有ったでしょうが、エンジン部分の重心高の問題も
その原因の一部だったのでは無かったのかと思うのです。
>>528 > RZ−250は「当時としては」超高回転型でした。
嘘はよくない。前世代の空冷2st、RD、RGと比べても殊更に高回転型ではない。
> その後にはPHASERとか登場してもっと凄かったですけど。
同じ250ccでも4st4気筒と2st2気筒を比べて何を語りたいのかな。
534 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/12/28(木) 01:00:15 ID:tXvE6Wf2O
イシゴニスレイアウトを採用した「意外に少ない例」に、ジアコーザレイアウトの
権化のように扱われているプジョー205が入っている不思議。
>>533 ま、デザインのことを語りたかっただけなのでこのへんで。
>>535 プジョー205が?
と思って調べてみたら、初期型はそうだったんだね
1.9のGTi(エンジンとミッションオイルは当然別)は一時期購入候補だったけど
それは知らなかった
>>535 そう言われてみれば・・。
プジョーは最初のFWD204からイシゴニス派でしたが、エンジンを傾けて搭載して重心下げてました。
104の為に開発したアルミブロックのエンジンは初期の205にも使用されていましたが、
水平近くまで傾けて搭載されていた筈。(もっとも、ジアコーザ型になった後の車もエンジンは傾けて
搭載されていますが)
このタイプ(クランクとミッションがケースを共有)は日本に入って来ていたのでしょうか?
何処でジアコーザ派に主旨変えしたのでしたっけ?
ところで最初に始めた御本人が「このへんで」と書いておられるのに、
蒸し返すような事を書くのも失礼かも知れませんが、昔私もRZは高回転型に感じました。
何故か250よりも350の方がそうだったような記憶が有りますが、低回転域ではまるでだらしなく
ある程度まで回るといきなりパワーが出て、すぐにレヴリミットみたいな。
つまり、“幾らでも回る”でもなければ“レヴリミット近辺を好む性格”でもない
“低回転域は全く使い物にならない”という消極的な意味での高回転型(w
初代ミニ他で親しまれたBMCのA型エンジンってのも、回転数でパワーを稼ぐタイプの
エンジンだったように思います。レヴリミットそのものは左程高い訳ではなかったようですが、
“良く回る”と思わせる類の。
まぁ、この辺の事は飽くまで感覚の類。よく言われる“スロットルレスポンスが良い”とか
“吹け上がりが鋭い”なんて事も、車自体の重さやらギア比が違えばかなり変わるでしょう。
極端な話、トップギアに入った時のブガッティ・ヴェイロンのW16よりも、無負荷の時の
2CVのフラットツインの方が“鋭く吹け上がる”・・筈。(断言はしない、気弱な私w)
丁度今月のCG誌にカーデザイナーの永島譲二さんが
「カン・ナム選手権に出ていた車一般、実は同じ時期のヨーロッパGr4やGr5レースカーよりも
空力的には一歩進んでいた」
なんて事を書かれています。
まぁ、それも一つの見方でしょうけれど、中には結構何が何やら・・な物も一杯有って、
“あのチームがあんな事やるならば、こっちはこうだぜ!”みたいなノリで無茶やっているとしか
思えないのも・・。
当時“青天井ルール”なんて言われた自由な雰囲気がアメリカ人の気質と相まって
いろんな変り種を産み出したのでしょうか。
そうした物の多くは現代の我々の眼から見てしまえば素人臭く、時には何を狙って設計されたのかも
理解しきれない物すら中には存在します。
しかしそんな中から、シャパラルのようにレースカーの空力に革命を起こした車が出た事。
これもまた事実であり、その意味では永島さんの書かれた事も理解できるのですが。
思えばヨーロッパのスポーツカー耐久レースを席捲したポルシェ917Kも、Dr・ピエヒさん率いる
ポルシェAGが風洞実験を重ねて作り上げたボディー形態を、実戦経験豊富なジョン・ワイヤーが
“大排気量モンスターは、そんなのじゃダメだ!”みたいに大胆に作り変えたものが基本でした。
抵抗削減第一からダウンフォース重視へと空力に対する考え方が大きく変化し
それまでの学究的な考え方での設計よりもレースの現場での発想の方が余程モノを言った。
60年代末期とはそういう時代だったという事なのでしょう。
しかしそうした混乱の時代が長く続く筈も無く。風洞設備すら持たぬ小規模な
レーシングカーコンストラクターの多くは70年代を生き延びる事は出来なかったようです。
さすがにシャパラルはともかく、三菱コルトF-2などを話題にしても興味の有る人もいないでしょうから
この辺で毎度の脱線。
その内に書こうと思っていた話ですが、あちこちでカー・オブ・ザ・イヤーが選出されましたけれど
レクサスは話題になっても本来トヨタの屋台骨支える筈の新型カローラはあまり話題には
ならなかった様子。
キムタクやさんまを主役に据えたCMも、なんだか短期間で終了したような印象しか残っていません。
今回のカローラのモデルチェンジ。レクサスLSの登場の直後だったということ、
これが最も大きな宣伝だったのではないかと私は勘繰っております。
レクサス登場→各種媒体で取り上げられる
→“庶民のささやかな夢”ベンツやBMWとの比較記事があちこちに載る
→そうした雑誌を読まない人も、雑誌広告で“ベンツと比較されるようなのをトヨタが出したか”と思う
→そのトヨタ製品ということで、なんとなくカローラにも箔がついたような気がしてくる
・・みたいな(強引でしょうかね??)
レクサスLSで「おやっ?」と思ったのが、ボンネットフードの開口部がフロントグリルと一体式
ではないという部分。
高級車のお約束はフロントグリルごとガバッと開くのが定番と思っていただけに意外。
もちろん機能性から言えば、フロントグリルはおろかエンジンフードすら開く必要がほとんど
ないのが、トヨタ車だとは思いますが(初代エスティマあたりから?)
トヨタの思惑も世間の趨勢もエンジンルームはブラックボックス化してくるのでしょう。
セルシオ〜レクサスオーナーが自分でプラグの番手を換えるなんて想像し難いですよね。
最近のクルマは専用のテスターがないと基本整備ができないようになってきています。
また、先日会社名義の並行輸入ベンツのスペアキーを作ろうとしたら、正規ディーラーで
ないと作れない。しかも会社の実印と印鑑証明まで要求された。
トヨタのエスティマなんかは専用工具がないとバンパーの脱着すらできないらしいし。
前述のテスターといい専用工具といい、正規ディーラーでないと入手できないらしい
ので、そうやってユーザーを囲い込んで、系列ディーラーの売上げを確保するのでしょう。
>>542 購入時の公的書類に捺印する時は別として、
民間で実印証明まで要求する権利なんて有るのでしょうかね??
>トヨタのエスティマなんかは専用工具がないとバンパーの脱着すらできないらしい
かつてシトローエンDSはボルト一本でリアフェンダーが脱着出来た為に、傷付けたら他の車から
そこだけ失敬する輩が増えたとか。そんなことになるよりはマシかも(w
昨日も書いた事ですが、レクサスって半分はトヨタの宣伝塔だと思います。
国産車の多くはちょっと近所までの買い物みたいな用途に特化している現代ですから
ああした長距離用セダンの市場が幾らも無い事は他ならぬトヨタ自身が判っているでしょう。
それでも3BOX型を最上とする風潮やらそうした車への密かな憧憬みたいなものは
アメリカ車中心だった時代から日本人の心の奥底に刷り込まれていて、
そこを上手く突こうとしたのがレクサスであり、それをアイドル化してカローラを売ろうとする戦略と
私は見ます。
それにしてもモデルチェンジしてすぐに忘れられるカローラってのはどんなものでしょう?
空気のように目立たないで、別に愛着も湧かないという車でなければ買換え需要が無くなるし。
トヨタ自身が困るのでしょうか。
しかしそういう車作りを続けていては、より手軽な軽や自転車にいつかは負けると思うのです。
それにねぇ。
愛着が湧く事。それ以上に重要なものなんて何が有るのでしょう。
ブランド戦略でいうとトヨタって類似企業の松下/ナショナルから随分学んでいる気がします。
これまで松下はテクニクス(オーディオ)オズマ(PA)みたいにいろいろやって
成功したり失敗したりしました。
その中でブランドを確立しつつあるのがパナソニック。
日本よりも米国で認知度が高まり、日本でもちょっとだけ特別なブランドになろうと
しています。
パナソニック製品がナショナル=松下であることは買う人は知っている、だけど
ナショナルブランドよりはちょっとだけお洒落で趣味性が高いと思わせるのが
ブランド戦略の妙というか…。
つまり冷蔵庫・洗濯機のナショナル=トヨタカローラとちょっと特別な
パナソニック=レクサスではないかなと。
トリオ→ケンウッドみたいに元のブランドが消滅する場合もありますね。
>>543 実印と印鑑証明は本人確認のためでしょ。
おろそかにして盗難や詐取に使われたんじゃ、ディーラーが損害賠償責任を負うことにもなりかねないし。
社員の不正行為なんてのもありますしね。
ブランディングについては、大企業ですら金儲けの手段と考えているところが少なくないですね。
本来ならば、顧客満足に対するロングタームでの企業努力の結果が、ブランドの確立へとつながるはずなのですが。
一流ホテルの接客姿勢の猿真似なぞは、ほんの瑣末でしかありません。
それより最低限のコンプライアンスと内部統制を何とかしろ、と。
クレジットカードですら、銀行印と免許証で作れるのにね。
今回の場合、会社名義ってところが微妙なところだったのかも。
高級車をアイドルとして、大衆車を売るってやり方は、恐らくはGMがシヴォレーとキャディラックで
始めた事だろうと思います。両者のデザインに共通性が見られるようになった30年代初頭あたりが
その始まりではないかと。
しかしそういう売り方を始めるよりも前に、キャディラックは既に高級車としてある程度認知されて
いたようですが、トヨタの場合は高級車の方を後から育てないといけない難しさはあるでしょう。
>>544 トヨタと松下の関係って、GMとGEの関係に良く似ているような気がします。
結局の所、トヨタの直接の師匠って生産台数で抜こうが抜くまいがGMなのではないでしょうか。
その失敗も含めていろんな事を学んでいると思う時が有ります。
さて、カー・オブ・ザ・イヤー。(・・って、本来なら年末のネタ w)
これ、受賞してもなんだかあまり縁起の良い賞ではないような気もしますが・・。
実体の無い流行に結構左右される賞のようですので、何年か後に受賞車の顔ぶれを見ると
“あの人は今・・”状態になっている例が多いように見えます。
言わばテツ&トモ、レイザーラモンHG、はなわ、波田陽区・・(w
ついでに、読売新聞が誌上で行った人気投票型のカー・オブ・ザ・イヤーの投票結果
http://www.yomiuri.co.jp/atcars/nichiyou/photo/20061228ni_04.gif 読売新聞ほどの巨大メディアにしては集まった票数が随分と少ないようですし
投票締め切り時点で最も新しかったスカイラインが受賞ってのもねぇ・・。
これって世間全般の、自動車への関心の薄さを表わしていると読めませんか?
確かに日本人はお手本があってそれの改良改善で本領発揮しますからねえ。
ちょっと前のトヨタ車の車名の頭文字がCなのもGMへの憧憬かもしれませんね。
ただ今回のレクサスは「いつかはクラウン」でカローラを買わせる戦略とはちょっと
違う気がしますけど。
頭文字で言えばロータスのE…ロータス・エクセル!おまいはどこの計算ソフト
だよっ!ていう突っ込みも今は昔…
トヨタどころか欧州車も、プラグカバーはずすのにトルクスの雄雌が必要なのが
一般的になってしまいました。だいたいダイレクトイグニッションのコイルをはずす
度胸がある一般ユーザーもいないでしょうね。
>>548 DOHCのV6横置きなんて車では、素人にはプラグ外す事も出来ないのも多いようですしね。
つか、素人には下手に手を出して欲しくないと言っているみたいなのが昨今の流行のようです。
去年出た車の話の続き。
書くタイミングを逸したようですが、秋にカローラがモデルチェンジした直後にテレビ東京の
「ガイアの夜明け」という番組で取り上げられていました。
経済の話題を取り上げる番組でしたので、車自体のことにはあまり触れず。
バックモニターが標準装備とか、ワゴンはワンタッチでリアシートが畳めて荷室が大きくなるとか。
あとは女性セールスマンの奮闘とか、カローラを取り巻く状況であるとか・・。
まぁ、意地の悪い言い方かも知れませんが、カローラという車の事を語るには
その程度で充分なのかも。自動車雑誌ですら、まともに試乗記事を載せないところも多いですし。
見た目の事は、何を言うまでも無く映像で語られているのですから。
前から思っているのですが、車にとってデザインって大事ですよね。
第一印象がどうのこうのなんてのは、結局のところはデザイン次第ですし。
デザインが悪ければ中身が充実していても売れないでしょうし、下手すると気合入れて開発した
新たな技術も、それを搭載した車がデザインで失敗して売れなかったばかりにそれっきりなんて事も。
ちょっと前の事ですが、ホンダが最後のプレリュードで試みた本格的な4WS。
あれ、少し乗った限りでしかありませんが、良く出来ていると思ったのですが、
車そのものが「あの、格好悪いのね」でオシマイみたいな代物だった為か、全く市場の反応も無し。
あの技術はその後一体どうなったのでしょうか?
>>550 五代目にも付いていた筈(ちょっと自信無くなっている w)
発売当時、さかんにTV-CMで4WSが大きく進歩したとアピールしていたので、
興味を持って見に行った記憶があります(四代目の時じゃなかったよなぁ・・)
まぁディーラーでの試乗では後輪が同位相にステアするような無茶は出来ませんでしたが(w
小回りが利くというのは判りました。
誰か身近な人が買わないか?と思って、聞くと皆が口にしたのが昨日書いた
「あぁ、あの・・」という台詞でした・・。
ポルシェも928で試みた後はあまりこの技術には執着しないようですね。
マツダ辺りも一時期結構熱心にやったようですが。
結局のところ後輪操舵を取り入れたところで限界が高まると言うものでは無いでしょうし、
その前の時点での、限界が近い事を運転者に知らせる挙動(多くの場合アンダーステア)が
感知され難くなる事は、むしろ危険とも思うのです。
ホンダは現行レジェンドで異なる形でのアプローチを試みているようですが、
アレならばまた話も違うのでしょう。
ただ重量増が避けられない4WDが前提というのは本末転倒とも思いますが。
ディーラーでの試乗と言えば、シトローエンC6を少し運転させて貰いましたが、アレは凄い。
どれくらい凄いかって、普段ハイドロシトローエンばかり乗っている私が、数メートル走らせただけで
“他の何とも比べられない”って思った程。700万近い値段もむしろ安いと思った自分が怖い(w
レクサスを含むトヨタもベンツも本当にそのクルマが好きで購買した比率は低いと思うのです。
フェラーリも然り。
でもシトロエンC6を新車で買う人はほぼ100%好きなのでしょうね?
かのヘンリー・フォードはアルファロメオを見かけると帽子を取ると言ったそうですが、
私もC6を見たらこう呟くでしょう。
「やっぱり変…。」
シトロエンを好む人は 『この変態ッぷりがたまらん!』
と思って乗るのか、『これこそが乗用車のあるべき姿!』
と思って乗るのかどっちだ?
個人的にはDSサイズでハイドロ出して欲しいなぁ…と思う。
シトロエンを好む人は 『これこそが乗用車のあるべき姿!』と思いつつ、
その目的を達成するためにメーカーが選んだ手段に一抹の疑念を感じながら乗る、
悩めるインテリゲンツィアではないかと。
またアクセス規制(w
>>552 変・・ですか?
>>554 一抹の疑念ねぇ・・別に感じませんけど・・
>>553 DSサイズならC5でも。
GSかBX、C4サイズと言いたかったのでは?
私なら、もう少し現実的に、C6の技術がC5にフィードバックされたら
荏原の輸入業者ジャベル辺りが入れそうなディーゼル仕様など・・
(目を覚ませと一喝されそう w)
C6、XM以来の久々にツトローエソらすぃツトローエソだなぁと思ひます。
唯一、そして決定的に気に入らんのはモモヒキw(ヌパッツ)付ひてないこと。w
C5はここ暫らくのツトローエソだかぷじょさんだか分からん一派にしか見てくれ見へませんし、
C4はってえとこれでモモヒキ穿いてりゃ幾許かはらしく見へるのでせうがアレだし
決定的なのはワイドラクティーヴで無ひんでせう?
8気筒のフェラーリ、FFのアルファ、金属バネのツトローエソつう括りのものか、と。w
ゴムひものツトローエソは認めます。w
金属バネでもまぁ昔のAX(出来れば5枚ドア)とかVISAとかはまぁキライではありません、
あの手の豆グルマ結構好きなもので。
以前、”盗用多のセールスはアルファ乗り・ツトローエソ乗りには営業しなひ”つうのがありましたが
思へばかつての両社には厳然とした閉じた世界観があってその中だけで商売してたやうに思ふのです。
つまり、その世界観を理解、賛同出来なひ者は最初から相手にしなひ商売。
それでかつては成立してゐた、そしてそれが通用しなくなって潰れwた、と。
元々敷居の高ひ低ひはあっても、それがグローバルな(或ひは般ピーレヴェルに合った)
ものであったかさうでなかったかは別にして欧州車にはそれぞれのメイクスに
それぞれの世界観があったのです。それを押し通せたことがブランドの力を作ってゐった、
そしてそれが失はれ、ブランドは単なる記号に過ぎなくなってゐるのが現代でせう。
中身と世界観、哲学がブランドを作った時代は過ぎ去り、ブランドの記号性が利益を上げる時代。
それは良く言はれる白物家電化と言ふよりファッション・アパレル化です。
成熟商品の方向性として白物家電化とまう一つ、プレミアムな”イメージ”で
利幅を大きく取るブランド記号商売があると思ふのです。
例へば時計、既にとっくの昔に成熟商品化して技術競争の時代は終はりコスト競争すら一段落してゐる。
昨今出てきた自前の極度に凝った機械を積む超高級機は別として
多くのブランドウオッチが中身は皆同じETAの量産機を使ひケースや文字盤、針も
それぞれ専業メーカに委託生産させてます。しかしお値段はブランドで決まる。
アテクシいつも言ふ\100ライターにBICと書くか東海精機と書くか、
18金の皮被せて高級品として中身\100に\1マソの上代付けるか、そんな話です。
その被せる皮や印刷の記号に差別化の面白味を見出す人はそれで構は無ひのだと思ふのですが
そこでダンヒルやS.T.デュポンやカルチェなどの凝った工作と機構を好む人は
排除され、それを望むと法外なほど高額な物しか無ひ、さういふことになってゐるのです。
恐らくクルマといふ商材もこの方向に向かって行くでせう、残るのは安物のカローラに金の皮や
三角の盾やドゥブル・シェブロン付けただけの”コスプレ・カー”と
超高額な凝りに凝った機構を持つ特殊で裕福な世界でもごく一部の顧客パイを食ひ合ふ
さういふ世界のクルマに2極化してゐくのでせう。
せめて三角の盾をつけたミニと呼んでください(´Д⊂
ミニほどご立派なものかだうか。w
つか、今のBMWミニは旧来のミニの思想云々とか、それこそコスプレカー云々は置ひといて
BMW渾身の力を込めた力作であることは間違ひ無ひのです。
FFのBMWとしては他に悲惨な末路を辿ってゐるローヴァー75がありますが
これも3シリーズをFF化することも視野に入れて開発された機構が投入され
Zアクスルも採用されてゐる、この辺のBMWお試しFFは試しの最初だけあって
物凄ひ力を入れて開発されてそれに応へる出来になってゐます。
尤も、今回の159だってオリヂナルとは言い難ひとも言へますが
元になったGMプレミアムシャシ、これは相当宜しひシャシです。
それの足回り中心に改造されたシャシは元のシャシとはほぼ別物となってゐます。
アテクシまだ試乗の機会に恵まれておりませんが、本来はそこそこ宜しひ筈。
問題は度の過ぎた重さと
”我々古ひアルファ党がが知る(思ってゐる)アルファの走り方”をするかだうか。
今となっては純血のオリヂナルだけで構成されてゐるかだうか、
何てことは判断の中に入れやうがありますまひ。
思へばかつてのアバルト、この多くはFIAT(そのフランス子会社シムカ)のシャシに
同じくFIATのエソジソ、しかしどれも大幅に手が入れられエソジソなどヘッドはまったく別物、
ことによるとクランクもピストンもコンロッドも別物、
ほぼそのままなのはシリンダのみつう物件でした。ベースはFIATとしか言い様が無ひのですが
モノは全くの別物になっておりアバルトオリヂナルと言っても良ひ程。
望むならここまでやることですかな。
規制解除。
普通のスレは1000近くなると「そろそろだな・・」と思うけれども、このスレは500kb近くなると
そう思う(半分以上は私のせいだろうな w)
さて。>ゴムひものツトローエソ・・・・そんなの有りません(w
シトローエンつうメイクス、変ったモノ出さないといけないみたいに思われている節が有りますが
創業からの最初の15年程は、構造的には全く何の変哲も無い堅実無比な車を作っていた事は
今や忘れられているようです。
つか、現代に至るまで、変ったモノを作ろうとして作った事など一度も無いと思うのですけどね。
よくエロスパ氏が言われる「シトローエンをシトローエンとならしめるもの」とは何かと考える時、
私は“移動の悦楽化”であると思うのです。
柔らかくストロークの有る、しかしコンプライアンスの少ない足回りだとか、切り始め、利き始めの
鋭敏なステアリングやブレーキ。目に心地良く詩的風情に満ちた外見などは
それを実現する手段であり、決してそれ自体が目的と言う訳ではないと考えます。
車は人間の移動の為に存在する道具であるならば、それ(移動)そのものを悦楽とする事を理想に
その為に思いつく最善の手段を講じる事でシトローエンの味わいなるものが成立するのでしょう。
それに対して、移動は目的地に達するまでの手段に過ぎないのであるから
その間は出来るだけ安楽に過ごせる事を理想とするのがメルセデス的なるモノと思うのです。
いわば“移動の安楽化”
シトローエンが理想とするところとは、肉体の疲労を排除しようとする姿勢は共通していても
実は全く異なる物なのかも知れません。
逝ってる師灰汁金につき代わって維持あげ。
ありゃー、こりゃ股失礼!www
>>561 もう今更維持しなくてもそろそろ500kb(w
ところで前スレのサブタイトルに付けた“明日無き暴走”というのは、言うまでもなく
ブルース・スプリングスティーンの出世作の邦題(原題はBorn to run)ですが、
私はこの言葉を聞くとブガッティを思います。
自らが信じる道を脇目もふらずに突き進んだ結果、前輪独立懸架やモノコックボディー、
油圧ブレーキといった新たな技術を全く受け入れる事が出来ず、独善、我流の塊と化し
歴史の中に消えていったオリジナル・ブガッティの退廃的な美しさに満ちた行き方には
“明日無き暴走”という言い方しか言い様が無いと思うのです。
オリジナルブガッティの走りの味わいを語る事は残念ながら出来ませんが、
博物館等でその姿を見る時、ブガッティをブガッティたらしめるものとは
“明日無き暴走”の一言なのではないだろうかと思う事が有ります。
そこで思うのですが「アルファをアルファたらしめるもの」とは何なのでしょうか?
159はどうも不評のようですが、その理由は
“古ひアルファ党がが知る(思ってゐる)アルファの走り方”からかけ離れてしまった事にあるようです。
なんでも開発陣に多くのドイツ人が加わった結果、“乗用車”としては洗練され、
ドイツ車好きには支持される車になったようですが、かつてのアルファの味わいは薄れたとか。
限界そのものの高さもさることながら、その一歩手前のコントロール性に優れたハンドリングとか
低速コーナーの続く峠道よりも、中・高速コーナーの続く道でこそ楽しめる味付けとか、
そういった部分は余所者にも容易に理解出来ますが、それは一体何の為に必要だったのか?
ホンダともBMWとも異なる物が一体何処に存在するのか。またそれは何なのか。
現在のアルファの設計陣に言い表せる言葉が必要だったのではないでしょうか。
>「アルファをアルファたらしめるもの」とは何なのでしょうか?
それは“移動の悦楽化”です。w
やり方やその悦楽・快楽の方向性・種類はツトローエソとは明らかに違ひます。
しかしそれはやはり快楽主義的なものであって、しかもある種性的な、と云ふ類のもの。
移動の悦楽化・快楽化、その中で操作することの愉しみ、高速移動のスリリングな愉悦、
例へ高速でボーソーしなくとも五感にダイレクトに響く扇情的な刺激、
これらのもたらすより本能的な快楽です。それは時に安楽さとは対極にあるものですが
思へば交尾は安楽では無ひでせう?w さういふところなのです。
その為の
>限界そのものの高さもさることながら、その一歩手前のコントロール性に優れたハンドリングとか
>低速コーナーの続く峠道よりも、中・高速コーナーの続く道でこそ楽しめる味付けとか
そしてあの音と振動とか、60年代には既に完成された(固定軸・半固定軸の)世界一と評されたロールや
性的に刺激的な(時に特異な)デザインとかがあったのです。
以前、女性誌で自動車評論家の下畑氏が164のデザインを
「健康的なお色気、などといふものでは無ひ、暴走族のおねーちゃんの金ラメ・メッシュサンダル趣味を
うんと高級に磨き上げたやうな妖しい色香」と書ひておりましたが、ひとつデザインのみならづ
クルマの隅々にまで淫蕩な淫らなほどの快楽の追求が漲る、それが我々の知るアルファ・ロメオだったのです。
欧州の女性用フォーマルウエア、それは時に日本人の目から見ると
売春婦と見分けの付かなひ程の場合があります、アッパークラスの女性のパーティーウエアなど
日本人の目からは悪趣味で淫らにすら見へる程に性を強調する。しかしそれが魅力的と賞賛されたりする。
性的であるとふことは決して悪ではなく、生き物の根幹を揺さぶる魅力であることを素直に認める、
特にラテンの人間が人間であることを認めることが根幹を成す思想では非常に素直に評価します。
アルファ・ロメオの快楽主義的傾向はここに根ざしてゐたのだと思ふのです。
で、何故かつてのアルファ乗りに我々性倒錯者・お変態さま、暴走族一歩手前しかゐなかったのか
自づと答へが出るかと存ぢます。w で、アテクシしばしば言ふ
”アルファ乗りといふのは片輪とかツンボとかオシとかメクラとかビッコとかと同じ
差別用語でR、ポリティカルコレクトな言ひ方では「自制心の不自由な人」「快楽に転び易ひ人」
と呼ばねばならなひ”ってのがご理解頂けるものと存ぢます。w
さすがに上手い事を書かれる・・
>思へば交尾は安楽では無ひでせう(そこに感心か w)
書いている当人達だけが面白がっているような話が続くのもナンですけど(爺臭い書き方 w)
最近、レクサスに限らずプレミアム・ブランド云々っつう言い方を良く聞くような気がしますが
ただ、とにかく利益率の高い、美味しい商売がしたいだけのように見えます。
中には生産規模が“値段で勝負”出来る程には無い為に、そういう形の商売をせざるを得ないという
例もあるでしょうけど。
でもねぇ、此処だけの話。自動車作りはじめて間もない頃には
オースティンセヴンのライセンス生産をしていた会社を傘下に収める事で地歩を固め、
戦後の苦しかった頃にはイセッタのライセンス生産で糊口をしのいでいたBMWが
「我こそは由緒正しきプレミアムメーカーである」みたいなことを言うのは、如何なものか??
等と意地の悪い突っ込みも入れたくなる例も有り。
それらの(言葉は悪いですけど)俄かプレミアムメーカーが提供するプレミアム感と言うのは
確かに判り易いモノではありますけれども画一的であり、あんまり面白くは見えません。
そういう具合では、お金が有ったら有ったで結局のところ
“どの軽自動車が使い勝手が良く、割安感があるのか?”みたいな事と基本的には同じ次元で
“どのプレミアムセダンがより高級感が有るだろう”って悩むだけではないでしょうか?
人によっては、それも楽しい悩みなのかも知れませんけれど、私はそんな事で悩みたくない。
567 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/01/11(木) 12:33:58 ID:JUju5sAPO
>相当の人
一世紀から歴史のあるメーカーなら、大抵トホホな時期があるんだから、そんな意地悪言わない!w
今年のダカールに2CVが出場してたみたいだが、まだ生き残ってるだろうか…
>>567 昨日BMWについて書いた部分を言われているのだと思いますが、オースティン・セヴンやら
イセッタを作っていた頃が必ずしも“トホホな時期”とは考えていません。
当時の一般大衆に、高い技術力で安価に交通手段を供給した事はむしろ誇って良いと思います。
(サヨク系の者ですので w)・・まぁ、オリジナリティが無かった事はアレなんですけどね・・。
さて。プレミアムカー(二昔程前に流行った“ハイソカー”とどう違うのでしょ? w)
私自身はそういう物には無縁な貧乏人ですけど、町工場の経営者さん等に知り合いが多い事も有り、
案外と接する機会は多いのです。しかしそういう人が所有しているのって、実は会社名義の場合が
多いのですよね。
私はどうも性格なのか、経営者さんよりも工場の職人さんやらパートのオバサン達と
仲良くなる事の方が多いので、そうやってお金使わないと損みたいな税制とか、
更には税金を余計に払うのが勿体無い気がする世の中の有り様にはちょっと疑問有りなのですが、
今此処でそれを言っても仕方無いので置いといて・・。
そうした“プレミアムカー”をこれまでのクラウン等に代えて手に入れた人達って、
実は別段車好きということもないようですが、彼等が異口同音に口にするのが
「見えないところにもちゃんとお金が掛かっているねぇ」って言葉。
そりゃ、お値段がお値段ですから。安いのよりも洗練されているのは当然でしょうと思いますが、
そうして作られた凝った機構や、それを支える品質やら生産管理技術。
それで一体何が出来ているのか?そこまでを見ようとする人は皆無のようです。
別に話はプレミアムカーに限った事ではないのですけど。技術の力で何を描くのか?
それこそが本質なのだと思います。
“移動の安楽化”だとか“移動の悦楽化”みたいな、そうした理想に共感出来て、
初めて大枚をはたく価値が有ると。
また、そこまで見ようとする意思が有るか無いのか。そこが単なるスピード好きとかメカ好きと
車そのものが好きな人との分かれ目でもあると私は思うのです。
・・けど、どんなモンでしょ??