1 :
がんと闘う名無しさん:
>1
乙です。
7 :
がんと闘う名無しさん:2011/11/24(木) 18:37:52.78 ID:Jbqt8y7o
>>1 ありがとう!
良いスレにしていきましょう。
>>1乙です
やはりこうした方が気兼ねなく話せる事もありますしね
こちらが過疎なら過疎で
いい事な気がする…
闘病生活に付き添い看取った身内と
離れたところにいた身内との温度差が亡くなった後も何か辛い
なんかボロボロです
側にいてても離れててもそれはそれで辛いと思うよ。
>>11 そういう物ですよ
それぞれ生活や思惑があって想いの統一や
こちらの思いをくみ取るなんて絶対ないです
でも仕方ないんですよ
>>11さん、お疲れ様です。休めない状況かもしれませんが、
あなたがボロボロになることなど亡くなった方も誰も望んでいないです。
極力休み、身体を労って下さい。
私も数日前に母を喪ないました。
睡眠や食事が余り取れない状況ですが、母も私が身体を壊すのを望むはずがないと思い眠れなくても布団に、食べれそうなものを少しでも食べたりしています。
母を喪ない私は天涯孤独の身となり、母が亡くなり孤独を強くする夜が恐いです。
ですが、それもいつかは乗り越えなければいけない。
>>11さんも今は辛いとは思いますがお互い、この状況を乗り越えていきましょう。
母の初七日が昨日でした。
うちの場合、近くに妹が住んでいるので、看病のことはほぼ妹に任せっぱなし。
私は離れたところに住んでるので、週末だけ帰省して病院に行くような生活でした。
もともとの性格もありますが、事務関係の手続き(役所・病院・銀行等)を闘病中も亡くなった後も私がやっています。
葬儀の手続きも…。
私も妹に「冷たい姉」と思われてたらどうしようと、不安になってきました。
亡くなった母にすがって泣く妹を病室に残し、外で親戚に電話したり葬儀社と打ち合わせをする私…。
温度差と言われてしまえば温度差なのかな?
でも、妹にそう思われてたらツラいなあ。
おねえちゃん頼りになると思ってるんじゃないかな〜
私は全部自分がやって闘病中も一番あれこれ本人とがんばってたけど、
他の家族を冷たいなんて思わないよ
>>15 私なら「大変な中、良くやってくれている」と思います
事務手続きが大変なのはよく分かりますから
ただ、了見の狭い人、特に感情を前面に出す性格の人は
そういう時に悲しまずに事務的な事を淡々としていると
「冷たい人だ」と感じるかもしれません
何処だかのスレで
「まだ存命中(もうすぐ死期は近い)なのに
葬儀や今後の事を話してるなんて信じられない」
と言っている方がいました
ただ、葬儀まで経験した者から言わせて貰えば本当に
事務手続きはたとえ存命中でも出来る限りした方が
後々が捗り、さっと済ませられれば落ち着いた後に
存分に悲しむ事が出来ます
(ちょっと話は違いますが、「葬式の時は悲しみに
伏していたいのに、精進落としなどで談笑するなんて
信じられない、静かに偲びたいのに!」
なんて感情や表面でしか物事を見れない人もいます)
しかし、あなたの妹さんがどう思っているかはわかりません
なので落ち着いた後にきちんと話し合いする事をお勧めします
葬儀屋の手配というか選択というのは本当に予めしておくべきですね。
私は母と二人暮らし、頼れる親戚もいないのに何も考えず、いざという時には慌てて選びました。
そして数日たった今 あらためて調べると約十万円は違うところとかある…あの時の自分を殴りたい。
人が亡くなるってお金かかりますね…これが自分の葬式代は遺しとけの理由ですか。
亡くなった母がいつも貯金は最低百万円しておくべき。でないといざというとき動けないというのが見に染みる。
葬儀に関していえば一般的に200〜300万は
かかると思ってたほうがいいですね
勿論葬儀社や葬儀の様式(仏式か神式とかの宗教や宗派)
精進落としの有無など色々な条件で変わってきますが
何も知らない人は「そんなにかかるの?」などと
すっとぼけた事を言いますが・・・
(うちは家長がそんな感じで心底呆れました)
遺族でも存命中に葬儀社などの互助会などに入って
おく事をお勧めします
割引やサービス品を受けられるのでかなり安くなります
ここに来る方は既に葬儀などは終わっている方が多いでしょうが
葬儀関連の本などを一冊持っているとかなり心強いですね
20 :
がんと闘う名無しさん:2011/11/25(金) 17:16:07.80 ID:PrMod08A
>>11さん
凄く分かるその気持ち。
妻を亡くして半年経ちますが、自分にしかない心の
宝になりつつあります。
もう本当に最期が近くなると葬儀社で見積もりをとっておいた方がいい
亡くなった時に混乱して、冷静さを無くして葬儀社に言われるままぼったくられる危険が無い。
一般的には常識とされている普遍的なテーマ、例えば
真実は一つだけ
怒りは自然な感情
戦争・テロは無くならない
死刑には殺人の抑止力がある
虐められる側にも虐めの原因がある
自己チューな人間ほど自己愛が強い
などの命題の間違いとその論拠を解説
義務教育では絶対教えない最新合理主義哲学
感情自己責任論
何かね、そんな予めの準備と、心の覚悟ができた癌に感謝しようと思う
まだお父さんが居なくなって3週間で 受け止められなくて実感なくて
ぼんやり、だけど 不慮の事故とかで亡くなったらサヨナラ言えなかったかも
うちはまだまだアセアセしてるけど そういい聞かせてる 自分に
確かに癌は一気に死ぬのじゃあなくて
だんだん弱っていくのでお別れする準備が出来るから
その点は突然死より遺族にとっては救いだ
しかし患者の死の恐怖と絶望を思うと今でも可哀想で堪らなくなる…
癌怖過ぎ
発症したらたっぷり苦しんだ挙句にしぬとか…死刑の方がましなレベル
しかも「立派に戦った」とか良くわからない美談に仕立て上げられるし…
しかもそれが2人に1人の割りあいでなるとか…
なんなの…?
確かに、貴方の母は持って半年とか言われて凄い怖かった。
日に日に弱っていく母を見るのは辛かった。
だけど、まだ意識もしっかりしていたし、歩くのはきつかったけどそれはガン宣告前からまだまだ一緒にいれると思った。
病院も経過がいいからと帰宅したときのため介護保険への加入を奨めてきた。
それにしたがい加入手続きをしたらその二日後に体調急変、
加入手続きしてから一週間もたずに亡くなるなんて思いもよらなかった。
主治医も思いもよらなかったというが、ひどいよ。
家に帰れると期待していたのに。
体調が急変した時、その瞬間は覚悟してくれと言われたが、
一旦持ち直した後は大丈夫と言ったから回復を信じていたのに。
自分もガンは徐々に弱り、苦しんで亡くなるものと思っていたから呆然としました。その中で大きな間違いもしてしまった。
油断だったんですかね。まだまだ母は大丈夫という思い込みという。
亡くなった後の手続きの中、介護保険の申請取下げしたけど受付の人も少し唖然としていました。
自分もこんなことするとは、手続きの一週間後に取下げるとは思いもしませんでしたよ。
すいません、先の書き込みの歩くのがきつい云々のくだりのところ、ガン宣告前からきつかったということです。
書き損じすいません。
葬儀は事前に会員になっておいたりすると半額位まで予算は下がりますよ
事前に知識は必要ですね
>>15 自分がやらない事をやってくれたのですから感謝していると思いますよ
温度差が激しくなるのは看取るのも手続きも何もかもやる側と
何もしないお客様状態の身内ですかな
これは温度差が激しくなると思います
どちらの立場にも立った事がありますが
あぁ看取って手続きして内側の立場になるのって全く違うなぁとは思いました
生活も変わるし、喪失感がやはり大きい
30 :
がんと闘う名無しさん:2011/11/26(土) 13:28:44.99 ID:wbMdUl4a
もしよければ先輩の皆さん、教えていただけますか?
あと1ヶ月と言われた62才の末期の父を自宅療養する事になりました
若いので隠すことはできず、余命は言わずも治療はできないと伝えました
1、家族としてどう接するのがいいか
2、私たちもがん発見3ヶ月で大切な人をなくす心構えもなく、父にどう接するべきかわからない
で悩んでいます
特に今後世話する母が一番動揺してます
そういう状態で支えになる、参考になる本やサイトはありますか?
病気の父向けもですし、看取る私達向けてのものも、知ってたら教えてください
31 :
がんと闘う名無しさん:2011/11/26(土) 14:06:12.81 ID:DkZSBE/x
私は今年身内が癌で亡くなりました。
本人には、余命は教えてませんでした。
やっぱりできるだけ普通に接するのが1番だと思う。
なるべく行きたいとこに行ってもらって、食べたいものものを食べてもらって、一緒にいれる時は一緒に楽しく過ごしてもらう。
徐々に動けなくなるし、食欲もなくなっちゃうから。
頑張って治療してたのに突然もうできる治療はないと本人が知った時は泣いていました。
強い人だったし、泣いてるのを見て本当に辛かった。
なので、何の治療もしないでいると不安にさせてしまうので、治療ではないのですが定期的に病院で注射や点滴をしてもらっていました。(栄養、ビタミンなどの癌の治療にはならないものですが)
何も出来る治療がないと辛いと思うので、気休めですが治療しているように思って、少しでも安心してもらえるようにです。
それで本人も少し明るくなったと思います。
結果、それでよかったのかは分かりませんが。
あと今になって思う事ですが、もっと家族写真を撮っておけばよかったなぁって少し後悔しています。
ちなみに余命2週間と宣告されていましたが、半年も長生きしてくれました。
本人もそうですが、家族の方も後悔の残らないように‥
>>30さん、私も
>>31さんと同じく出来るだけ普通に接していくのがいいと思いますよ。
私の母も先日亡くなりました。生前入院中は会う度に泣きそうになりましたがそれはいけないと、堪えていました。
ただ、一度腹を割って話す機会は必要です。
私の場合は亡くなる数日前に話しをしっかりしました。
その時はまだ大丈夫と思っていたのですが、容態が急変しあっ、という間に亡くなってしまいました。
しかし、亡くなる前にしっかり話したということ、それで私は心が随分安らかになれたと思います。
私の読んだものにも、一つの良い思い出はその倍以上の忌まわしさに勝る、とありました。
あと、主治医というか医者の先生とはしっかり話して意思疎通を取るのも肝要です。
辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、一杯あると思います。
そういう事は内に溜めず吐き出した方がいいと思います。
私もまだまだ悲嘆にくれることも多いですが、ここで癒される事も多いです。
自分の想いを誰かに聞いて貰う、というのは大切と私は思います。
辛いですが頑張って、自身を壊してしまうこともないようお気をつけて下さい。
>>30さん
恥じらいなんて捨てて、思い切りスキンシップとってください。
お父様のぬくもりをしっかりと焼き付けてくださいね。
自宅療養は不安もあると思いますが、ご家族の皆様と協力しあい、
支え合いながら、お父様との最期の時間をどうか大切にお過ごしく
ださい。寒くなってきたので、体調には気をつけてくださいね。
お金って大事ですね。お金が無いから母の葬儀も満足に出来なかったし、その後の法事も滞りそう。
母には最後までお金の事心配させてしまったし、多分今もしているんだろうな。
まずはお寺と相談だが、疎遠にしていたし気まずい。
今年初めに母をガンで亡くした。
喪中ハガキを出さなくてはいけないのだけど、
娘の私は結婚してるから母のことを
夫からみた関係で義母って書かなきゃいけないんだって。
せめて私の個人的な友人にだけでも母って書きたいのに夫に反対された。
私にとっては母なのに。悲しい。
>>36 まぁこういうのは慣例だから仕方ないでしょう
ただ、今は昔ほどそういうのにきつくないし
そもそもそういうしきたり分からない人が
増えてきてたり、内容が変わって来たりしてるから
母と書いたとしても問題は無かったろうけどね
葬儀が終わり一週間くらいなのに葬儀屋から請求書というか振込み用紙が届かない。
間に土日挟んでいるとはいえ、そろそろ電話して確認しないといけないかな…
>>36 今は母でいいですよ
最近はそういう流れですので気にしないでいいと思います
旦那さんにも最近はそういう流れですからと説得してみては?
また、貴方個人が出される物についてはそうしてもらうといいと思います
印刷を別にするとお金はかかりますが、数千円ですむ物ですから
もしくは筆を使い直筆でご自分の知り合いには送るといいですよ
最近多いメールの場合も気にせずあえて母でいいと思います
(妻の名前)の母A子が逝去いたしました、では駄目なのかな…
うちは喪中葉書出す予定無い
41 :
30:2011/11/28(月) 20:20:26.29 ID:RNgEOCtz
皆さんありがとうございます
普通の対応も難しいですが頑張りたいと思っています。
が…やっぱり今さらですが別の思いが出て来ました
他のスレにも書き込んだのですが、皆さんの意見を聞かせてください
余命は1ヶ月程度と私達だけに話しがありましたが、
本人はまだ治療を考えていて、私達家族はどうすべきか悩んでます
もう一回抗がん剤したらまだ頑張れるかもしれない、1ヶ月と言われても長生きする人もいるし、、
でも元気なうちに自宅に帰してあげたい
悩んで葛藤してます
皆さんのお考え、経験談教えてください
本人が治療を希望してるなら、主治医とも相談してから抗がん剤やってもいいと思います
治療によってのリスクが高いと思われるので、一ヶ月と言われた余命が縮まる恐れもあるし
家族でよく話し合ってください
もし私なら、治療をちょっと休憩した方がいいみたいだから、いったん家に帰ろうって言う
と思う
>>41さん 辛いし受け入れ難いかもしれませんが、きっとこれから
少しずつ、もしくはガクッと容態が変わっていくと思います。
素人の私たちから見ても良くない方向に進んでいると分かる位。
緩和ケアに入って、少しでも笑える時間を大切にした方がいいの
かもしれません。本当に辛い時期ですね。
>>41さん自身も体調に
気をつけてください。
母が亡くなり一週間経ったが今だに信じられない。
余命宣告を五月に半年とされたのに、母がいなくなるのを、先がないのを信じられなかった。
生まれてからずっと一緒に、二十数年暮らしてきたのに、これから先一緒にいれないなんて考えられなかった。
さすがに母は自分より先に亡くなるのは覚悟していたが、こんなに早くに喪うとは思わなかったよ。
もっと考えて動けていれば、今の苦境はなかったのか、少なかったのかなど色々考えてしまいます。
癌が憎い。
母の死の悲しみ・寂しさを乗り越えるにはまだまだかかりそう。
>>41 それだけでは状況が解らないので何とも言えない
どういう病状で進行状態かにもより異なる
しかし医師から緩和へという話がでたのであれば
担当医師はもう治療で改善の見込みがないと判断したのだから
納得できなければセカンドオピニオンを受けるといい
本人を連れていかずともセカオピは受けれるよ
その上で判断すればいい
そういう時にクリニック系に行くと法外な怪しげな治療を勧められるので
大型の大学病院等のセカオピに行くのがお勧め
多分進行しているという事だと思うので、担当医師と同じ事を言われるだけだと思うが
それで腹が決まる事もある
ちなみに自分は緩和ケア行く前に諦められずに数件見てもらった
担当医師ももう治療はないからとセカオピには協力的だったよ
もう二ヶ月たとうとしているのに何かダメだなぁ
事情があり闘病生活に付き添ったのが自分だけだったので
終わった今それを話せる相手がいないのが何か辛い
ふっ切ったように前に進む友人や他の身内に何かいつまでも話すのが…悪いような気がしてしまうんだ
でもいつも思い出してしまう
こんな事があったあんな事があったと
でも話せないのでおいてかれたような気持ちになる
すごいよく分かる…
うちは主人が亡くなって、子供がいないから今は一人で過ごしてる
大きい子がいれば一緒に思い出話できたのに
誰かに話す、分かち合える人がいるというのは大切なんだろうね。
私も亡くなった母と二人暮らしで母がいなくなった今、一人となり辛いです。
夜に一人というのがトラウマみたいになっているような。
ネットやゲームで気を紛らわしていないと色々考えてしまい、
母の骨壷にすがり泣いてしまう。何故逝ってしまったの?何故私を一人にしたの?、と。
亡くなる前に私を見ながら、いつ楽になれるの?という姿。亡くなった直後の姿などが思い浮かびダメだ。
家にいれず、マンガ喫茶で時間つぶしたり…どうしよう。
>>50 暫くそれでいいと思うよ
ただ1年経ってもまだそんなだといけないだろうけど
一年前は癌のことなんて知らずに日常を送っていたけれど
今、もう二度と逢えないなんてね…。
休みの日のたびに近くのホームセンターまで車で
灯油を買いに一緒に行っていた。
寒くなってきてそんなことを思い出す。
職場の行き帰り、ふと思い出す。
通り過ぎるあそこには何年か前に一緒に行ったなって。
そんな場所はいっぱいあって。
無性に逢いたくなる。
4日前、在宅で独りで母の最期を看取った。
呼吸って、急に止まるものじゃないんだね。
今のが最後の呼吸だった、ってしばらく理解できなくて、
もうすぐみんな着くよ、息してよ!って狂ったみたいに泣き叫んだ。
あまりの恐怖に、たった4日前のことなのにまるで数ヶ月の出来事だったみたいに
記憶がぼんやりしてる。
お骨、ボロボロだった。そんなに蝕まれてたのかとショックで心臓が痛かった。
いつになったら温かく思い出せるようになるのかな。
今は発作みたいに悲しみが襲ってくる瞬間にビクビクしてる。
弱いなー自分。母はもっともっと辛かったのにね。
自分も去年、というか今年始めは癌なんて遠い世界と思い、きっと来年も母と何も変わらず一緒と思っていたな。
思えばあっという間、だが母が亡くなってからは長い…
亡くなる前、特に病の場合は呼吸も心拍数も多く、だけど浅くなるんだろうね。
今、目を離せば最期を看取れないかもというのに母が深夜ということもあり私を案じて帰って休めといったのに従い離れた。
日常を続ければ明日も日常、という意味解らない事をその時は考えていたんだろう。
守ろうと努力しても守るのが大変なのが日常なのに。
ああ、ダメだな。ネガティブになっている。母はそんな事は望まないとわかってるんだけどね。
昨夜母が亡くなりました。末期だったけど、家に帰るためにポートを入れる手術後に急に悪くなって。
昨日の午前中はなんとか会話したのに。
まだあと数ヵ月は大丈夫かなと思ってたのに。
母が亡くなって2週間経ちます。
私は、最後の一呼吸にだけ間に合いました。
夜中の付き添いのため、交代で夕御飯を食べて来ようということになり、近くの喫茶店に入って10分後、急変を知らせる電話が…。
「えっ!?えっ!?なんでそんな急に?」というかんじでした。
9月末のガン発覚時に「年越しできない」と言われていたので、街中でクリスマスやお正月向けの商品などを見るたびに泣きそうな気持ちになってたけど、亡くなってからは平気になりました。
>>54 「日常を続ければ明日も日常、という意味解らない事をその時は考えていたんだろう。」この言葉、痛いほどわかります。
明らかに悪化してるのはわかってるのに、認めるのも怖くて側にいながらコーヒーを入れて飲んでごまかしたりしていました。
全然味のしないコーヒー。
>>55 私の母もポートを入れていました。イレウスチューブも、点滴のラインもはずしてやっと身軽になったけど、
ポートの膨らみだけは残ったなぁとぼんやり感じたのを覚えています。
まだお母さまはそばにいらっしゃるでしょうか。いっぱい触れて、お別れして下さい。
>>56 看護、本当にお疲れさまでした。
私も昼間と夜間で弟と交代しながら在宅ホスピスの時間を過ごしました。
共に必死にやりきった弟が臨終に間に合わなかったのが心残りでなりません。
今はゆっくり休まれて疲れを取って下さいね。
>>55さん、
>>56さん、お疲れ様です。
癌は徐々に悪くなっているイメージがあるので急変は驚きますね。
私の母も亡くなる数日前まで元気に、誕生日には外泊できると言われても楽しみにしていたのに誕生日二日前に急変、
一時は持ち直すも誕生日の二日後に亡くなりました。
日常といいましたが母が入院して一月半、闘病に入ってからは約半年。
今まで一緒に暮らしてきた期間に比べればなんと短い事か。
しかし、この半年で母を介護すること、わずか一月で毎日病院に見舞いに行くこと事が日常となっていたのに気付いた。
適応が早いのかね。私は。こんな感じで四十九日を迎える頃には、気持ちも上向いているといいな。
亡くなった母の葬儀が本日で一通り終わりました。
施主ってほんと忙しいのな。悲しみに暮れる暇もなかった。
ようやく家に帰ってきたけどそこら中にある母の痕跡に涙が出てくる。
とても処分できそうにない。どうしたらいいんだろう・・。
60 :
55:2011/12/02(金) 19:10:55.96 ID:Mndi367J
ありがとうございます。 葬儀の準備に追われています。あれこれ決めることが多くて涙も出ません。
昨日は寝ていないし…。
喧嘩もよくした母だけど、きっとすぐ側で私を見ていてくれてると信じたいです。そんな中で中学生娘が
高熱を出しててインフルかもしれないのです。
本当に泣くヒマもありません。
>>59さん、葬儀や手続き、忙しいし大変ですよね。
自分は葬儀も終わり一週間ほど経ちましたが、手続きとかが大変。最終的に数ヶ月はかかるかも。
しかし、忙しいのがよかった。亡くなった人の事を考えないですむから。
時間があるとすぐ考えてしまい気力が萎えていく…
明日から仕事も復帰するが、周りから気を使われるのだろうな…ちょい憂鬱。
>>60さん、ご自身の体調にも十分に気を付けて下さいね。
62 :
60:2011/12/02(金) 21:44:19.01 ID:Mndi367J
ありがとうございます。
通夜葬儀のときのことは殆ど憶えてないな
というか思い出すのが辛いから自然と記憶から抹消されたのかな
それよりも大変で辛かったのは役所への手続きだった
年金の停止および健康保険証の返還、生保の手続き etc.
今思えばよくあれだけのことをたった一日で出来たと思うよ
役所の手続きといえば故人の社会的抹消を意味するからね
体験して初めてわかったことだがそれに立ち会うということは
ある意味葬儀よりも辛いことだよ
自分は深夜に母が亡くなってからノンストップで葬儀屋→役所まわりとやったせいか何も感じる事なかったけど確かにそうですね。
確かに生きていた人の痕跡を消していくような作業。
ある種、感情が麻痺している内に大体をすましたのは正解だったのかな。
しかし、いざ振り返ると自責というか後悔ばかり。
母は、私に囚われず好きに生きろとか言ってくれると思うが…時間かかりそうだな。
>しかし、いざ振り返ると自責というか後悔ばかり。
がんで親や身内を亡くしたとき絶対こういう感情がでてきますよね
一部例外もあるだろうけど寝たきりという期間が殆どないので
元気なうちに何とかしてやりたいという感情が先にでたりして
今の治療で本当によいのだろうか?
自由診療になるけど代替治療した方がいいのか?
などなど
医者でもがんに関してはわかっていないことの方が多いのに素人の
私たちが出来ることなんて知れているのにね
予め余命宣告というものを受けながら、自分は余りに母に構わなかった、と思ってしまう。
子より親が先に死ぬのは当たり前。まだまだ先があると思っていた中に宣告を受け、それを信じられず、無為に日々を過ごし母を喪なってしまった。
そういう後悔で胸が張り裂けそうです。
亡くなる2日前が母の誕生日でその日に外泊し何か美味しいものを食べようと約束していたのに、
誕生日直前に容態が急変し約束を果たす事なく終わってしまったのもあると思いますが、悔しいな。
67 :
がんと闘う名無しさん:2011/12/04(日) 22:46:24.23 ID:wr2z0xv2
親の癌発覚から入院、亡くなるまでが1月以内で終わってしまった。
いまだに夢のようで信じられない
>>67さん、お疲れ様です。
自分は先に書いたように半年猶予がありましたが、あっという間に過ぎてしまいました。
そして親が亡くなってから二週間ほど経ちましたが、まだ夢のよう。
いつもいた人がいない、という事がまだ信じられない感じです。
お互い辛いですが頑張って行きましょう。
一年半だったけど過ぎてみれば同じだよ
夢見てたみたいな気分
患者本人にしてみれば、苦しむ期間が短い方が楽だったんじゃないかなと思う
やっぱり皆さん同じなんですね。
私の母も発覚から半年で逝きましたが、同じくこの半年間が悪い夢だったみたいに
フワフワした記憶になっています。
しっかり覚えていたいのに、自分の中に早く記憶が薄れて楽になりたいという
気持ちも同居してて、罪悪感を感じます。
もっともっとちゃんといっぱい背中マッサージしてあげれば良かったなぁ。
横向きで寝てる母の背中は少しマッサージしにくくて、一回につき10分くらいで
根を上げてしまってた。
この苦痛・悲嘆から逃れたいし忘れたい、だが忘れたくはない気持ち、私も同じです。
今度、親しい人と死別した人達の集まる分かち合いの会みたいな集まりに参加しようかな。
誰かそういう集まりに参加した人いますか?どんなものだか知りたくて。
母は肝臓に転移した影響で肝機能低下、痴呆症状も出てきて最後は急変、数日後亡くなった。
癌発覚から2年でしたが、辛い治療もよく頑張ったと思います。
今はただお疲れ様と言いたいです。
ウチは震災も絡んでいるので
癌告知→震災→余命告知→最後と何か壮絶な一年でした
怒涛の如く次々なので何かポカーンです
寝て起きたら一年分は嘘になってるといいといつも思う
先月末に父を亡くしました。最後は息が止まって数分とか10分後くらいに
病院について最後をみとることができなかった。2.3日前から呼吸が浅いとか
1日前に血圧が下がるとか予兆みたいのはあったけど看護婦さんに泊まれとか
なにも言われなかった。
葬儀も終わったしあとは相続放棄だとか年金だとかの手続きなんだけどなんか
知らないけど泣くことができなかったんだよね。ほかの兄弟とか親戚は泣いてたけど。
確かに泣きそうにはなるんだけど母親はまだ病院にいそうとかいってるし
私は結構冷たい人間なのだろうかとか考えちゃう。変な話最後のほうとかもう言葉には
出してはいないけど楽になったほうが・・・とか考えてたほとんど母親と私が病院とか
言ってたんですけど7か月っていう闘病生活もいま考えてみればもっと顔みせれば
よかったかなぁとか思っちゃうし。最後は看護婦さんの腕がいいのかわからないけど
少し笑ってた顔だった気もするが息がとまって涙が一筋あった。あれは苦しくて流した
のか楽になれたからなのか・・・もうよくわからんです。
母が亡くなり丁度二週間。時間が経つほどに状況の理解が追い付いたのか悲しみが深まる。
まだ母は病院に、どこかにいると思い込もうとして否定する日々。
仕事には復帰したが、辛い。母の見舞い等をしなくてよくなった分、肉体的には大丈夫。
しかし、精神的にはダメダメです。歌のワンフレーズ等ちょっとした単語にびくついたり。
昨日の夜中、母が亡くなりました
子宮頚がんの末期です
もう長くないと告げられて病院に泊まりこみで看ていたので、夜中に急変したとき声に気づいてあげられて本当によかった
父もがんで入院中だから、これから姉とふたりで頑張らないとです
まだ25なのに辛いです
お疲れ様です。まだ大変な状況かとは思いますが、まずは自身の体調に気をつけてください。
しかし、若くして親を亡くすのは辛いですね。私も27までで両親を亡くしましたが、大変です。
まだまだ教えてほしい事あったのに、と感じる毎日です。
>>77 ふたりとも早くに亡くされたのですか…
すごく大変ですよね
もっといっしょ過ごしたかったなぁと思ってしまいます
でも病気になってからの1年間辛かったけど楽しいこともたくさんあったので、母の前で悲しまないように、笑っていられるように頑張ります
>>78さん
実際は父は昔に蒸発。母が先日に癌で死去、なんで探せば父はいるかも?です。探す気はないですが。
その分、女手一つで私を育ててくれた母への依存が強かったらしく、呆然としています。
外面は取り繕う事が出来るようなったので仕事をしたり、母も食べる事が好きだったので美味しいものを食べたりして自分を癒していこうと思います。
しかし、2ちゃんがあって助かっています。私。
無かったら仕事に復帰するまでの間、自分の思いを吐き出せる場所も近くにはなかったと考えると怖い。
その為、元いたスレが荒れてココを建てる原因の一つになったんですが。
本当に皆さんには感謝です。
>>77 お父様も入院してるんですね。
私もそんな次期があったので気持ち良くわかるつもりです。
無理しないで。
私は
>>55なんだけど、今日は病院に支払いに行ってきました。
病院の何処かに母がいるような気がした。
もう此処には来ないんだと思ったらほっとしたような寂しいような。
病院の支払いに行って以来、病院に近付けないな。
病院に行くと、毎日母の見舞いに行っていた時を思い出すから辛くて。
毎日仕事の前に会いに行くのは大変だったが、そうであっても母といたかった。
今もその時と同じ時間、早めの時間に目が覚めてしまうが、空いた時間が辛い。
まぁ、私も来週は持病の通院でその病院に行かなければいけないんですが持病が悪化してないといいな。
今日は休みだったので
亡くなった父親と良く行ったホームセンターで買い物をしたあとに
昼はその父親と2,3度行ったことのあるファミレスに。
今年の正月、初詣の帰りに行ったのが最後で
あそこの席に座って今年1年どうなるかね〜って話を思い出したら泣きそうになった。
自分は逆に意味もなく病院をウロウロしてしまうww
なんとなく終わったんだなーと
あんなに通院していた先生にももう会わない不思議
血液検索も尿検査待ちもなにもかももう付き添わなくていい不思議
終わったのに世界は何も終わってない不思議
母は余命宣告されてほぼその通り逝ってしまいましたが、
結局自分は何も考えていなかった、母が死ぬという事実から逃げてたんだな、と感じています。
もっと優しくしたり色々出来たにも関わらず、いざ対面するとつっけんどんな、いつもと変わらない態度を取ってしまい、結局最期まで母としっかりと向き合えなかった。
時間が経てば経つほど後悔で頭が埋まっていく。
亡くなる前、体調を崩した時も明日には良くなるからと繰り返し母に言って、自分もそれを信じ込み最期まで向き合えなかった。母がいなくなるのを信じられなかった。
結局に伝えたいこと、聞きたい事も満足に話せず終わってしまった。
なんかちゃんと宣告までされたのに余りにもお粗末過ぎて情けない。
>>84 いや誰もそんなもんですよ
私もまったくあなたと同じ経験をしました
闘病中は母が亡くなるなんて考えたことがなかった
死んだあとの話なんてしたくなかった
本当はそういう話はちゃんとしておかなくちゃいけないんだけどね
今日、肺癌で亡くなった父の葬儀を終えました。
化学療法で肺の方は微妙に抑え込めてたのが
肝転移の方が一気に進んで歩けなくなってからたった5日で逝きました。
閉塞性黄疸で亡くなる前日にすこし黄色?くらいだったのが
看取った直後に蛍光灯下では菊やガーベラのくらいの黄色。
葬儀屋さんに湯灌お願いしたら本当にていねいに仕上げてくれました。
薬で抜けた髪の毛以外は遺影の写真とほぼそっくりになって嬉しかった。
つい二週間ほど前に父をすい臓癌で亡くしました
診断結果が判明した時点で既に末期の状態で、即日、緩和病棟に入院しましたが、
そこからたった5日で亡くなりました。入院直前まで、それでも仕事をしていたのに…
担当医と周囲の理解のおかげで、その最後の5日間は家族全員で過ごし、父を見取ることもできましたが
まだ60代半ばであったし、手術も投薬も一切ないままだったので、まだ現実味がありません
上を見ればきりが無いし、下を見てもきりが無いし、人それぞれとはわかっていますが
あまりにも早すぎたもので、正直、同年代でお元気な方だけではなくて、同じ癌患者の方相手でも
余命宣告が月単位でされている方を羨ましくすら思えてしまいます(ご不快に思われたらすみません…)
よく時間が解決してくれるとは言いますが、本当に父のいない現実を時間が解決してくれるのだろうか?
と、まだまだぼんやりとしているばかりです
病院て危篤とかにならない限り余り、もう危ないとか教えてくれないのかな。
母が亡くなる一週間くらい前に介護保険を進めてきたり。期待を持たせやがって。
母も家に帰れるかもとリハビリ頑張っていたのに、結局あっという間に体調崩して逝ってしまった。
>>88 母の場合は、
初診時→年は越せません(9月末。実質、余命3ヶ月宣告)
10月半ば→年は越せません
11月始め→年は越せません
11月半ば→互助会などには入っていますか?
…で、互助会のことを聞かれた日に亡くなりました。
夜中の付き添いをしたほうが良いと言われて、初めての付き添い泊まりをした早朝4時に言われました。
早朝4時にそんな話を廊下でされたのが切なかったです。
病室でしたほうがよかった??
日本に限らないかもだけど遺族に対するケアというか支援が少ないね。
仕方がない気もするが、病院も患者が死んだら終わり。入院中も家族にはなにもないし。
核家族が増え、下手したら遺されるのが一人とかになると辛いのに。
自分はココにお世話になって結構楽になりましたが、公的な何かがあると良いなぁ、と思いました。
>91
病院は対応にすごく差があると思うわ。
祖母が亡くなった病院は師長さんが支えになってくれた。
いよいよって状態も長かったのだが、毎日必ず私たちの様子見に部屋に来てくれて
いろいろ相談できたから亡くなってからの段取りも生前にある程度済ませたり。
救急車でいきなり運ばれた病院だったけど落ち着いて看取ってあげることができた。
でも父の時の病棟師長は入院の時に挨拶しただけで一度も顔合わせず、まったくの知らぬ存ぜぬ。
何度も入退院してたのにね。
他のスタッフや先生、窓口の事務さんも良い人ばかりだっただから
あの人だけが変わってたんだと思うけど。
>>93さん
看護師長、母が亡くなった時くらいにしか見なかったし話ししていないな。
主治医は内科部長の先生だったんですが、最初の余命宣告以外は特になし。
突っ込んで聞けば言ってくれたと思うけど、その時の私にはそれは出来なかった。
本当に病院によって違うんですね。新しめで雰囲気は良いんですがね。
>93
外来会計の事務さんの対応はすごく良かったわ。
夜中に亡くなって翌日すぐに支払いに行ったんだけど
昨夜の今日で夜中に退院ってだいたい察しがつくじゃない?
はっきりと言葉には出さないけど…
「今日は風が強くて寒いですから(帰り)気をつけてくださいね」と。
ぼんやりしてたから行きに切符買い間違えたりしてたんだよね。
いろんな気持ちで病院を去っていく人がいるってことをわかってる人だった。
95 :
がんと闘う名無しさん:2011/12/17(土) 05:17:11.18 ID:LGL3ix3r
来月で母が亡くなって1年が経つけど、
今でも母のことを考える
毎日1回は母のことが頭の中に出てくるよ
今頃天国で何やってんのかなとかね
二週間ぶりくらいに亡くなった母の夢を見た。場所は家で話しはせず抱きしめてくれた。
でも起きた後が辛いんだよね。惨めで。
母は膵臓癌だったが、見つかってすぐ余命半年と言われた。
しかし、母はそれ以前から通院していて膵臓にも二年前くらいに悪性じゃないけど腫瘍があると聞いていて、経過も見ているはずだった。
しかし実際は癌診断で即余命半年。母を診ていた医者の一人が急速に距離を取って主治医が内科部長になった。
やはり見過ごしがあったのかな。今更だが。
癌で肝臓に転移し肝機能低下、その影響で痴呆症状が出始めてそれがだんだん酷くなり、最後は脳梗塞で急変した母・・・
癌発覚した2年前、「癌なんかに負けない」と言って辛い治療を頑張って良い方向に傾いてきたのに・・・
急変した3ヶ月前を思い出すのと悲しい
闘病生活に仕事放棄してまで付き添ったので
終わった後は何をしていいか解らず数ヶ月はどん底でした
底過ぎて精神科いけだの色々友人やら回りが言ってくれるのですが
それすら疎ましく感じる位
今はやっと顔を上げれるようになりましたが
まだダメですね
でも引きずってでも生きていくしかないので必死に生きていきます
悩みは今は元気なふりしているので吐き出す所があまりない事でしょうか
回りにいつまでもグチグチ言う訳にもいけないですしね
ブログにすらもう書けない始末
ここがあると助かります
今の世の中、特に都会は孤独ですからね。話す人がいればいいですけど、いないと辛いですね。
私もココにはとてもお世話になっています。
お互いに親しい人の死を乗り越えられるよう頑張って生きましょう。
今更ながらにここや他のスレッド見ていると、如何に自分が癌に対して不勉強だったか解ります。
多分知るのが恐かったのもあるだろうが。
それでただ流されるまま、医者の言われるままになり自分では何もせず、普通に生活し、その中で失ってしまった。
いざとなれば出来るだろうと思っていたが、実際はいざという時間すら感じられずいきなり失ってしまった感じ。
今思えば余命宣告を受けてからがいざという時だったんだなと。
馬鹿だな、私は。こんなにも先人がいるのに何も学ばず考えずに。
ふとナーバスになってこんな長文書いてすいません。
>>100 ワインバーグ博士ですらガンの全体像がよくわからないと言うのですから・・・
我々が知る事が出来るのは本当にごくごく一部ですね
4ヵ月入院してた母が先月大好きな父の元へ旅立ってしまった
余命宣告されてたし、自分なりにお見舞いや病院での介護を悔いなく
できたからか、悲しくて泣く事はなかった・・・感無量ってやつ?
ただ、寂しくなったなぁ
今は、毎日色々な手続きに追われる日々だから
忙しくてガックリもしてられない状態。
一人っ子の私をこんなにしっかり者に育ててくれた父と母に感謝。
ありがとう、見守ってて下さいね、私は大丈夫です。
安心して2人仲良く天国で幸せに・・・。
>>102 あなたもご両親もとても幸せそう。
そんな風に言える素敵なあなたを育てたご両親も
そのご両親を育てたご先祖様も、立派な方々だったんでしょうね。
誰にでも間違いなく訪れる死という別離への恐怖が
あなたのレスを読んで少し和らぎました。
寒い日が続いていますしお体大切にね。
>>102さん
凄いですね。私は後悔に溺れているのに、こんなにも凄い方もいる。
私も見習って、前を向いて歩かなければ。
亡くなった母もまともに話せた最期の時に自慢の子供と言ってくれた。
なら間違いではなかった筈なのだからね。
私も自分なりに後悔しないようにと癌がわかってからの4ヶ月間
毎日病院へお見舞いに行ったり
新作のコンビニお菓子やスイーツ等を一緒に食べたりして
父とできるだけ多くの時間を過ごしたのでその辺の後悔はあまりない
ただ、孫を抱かせたかった、結婚して安心させたかったという後悔はある
みんな強く生きていて凄いな。
色々後悔や心残りはあるが、一番は約束していた外食が出来なかったことかな。
母の誕生日に病院近くの店へ行く予定を建てていたが、誕生日の二日前に急変。
一時は持ち直すも誕生日の翌日に亡くなってしまった。
もう少し精神的に整理がついたらそのお店に行ってみるかな。
癌がこんなに急変するものとは思わなかった。
本当に、急変て「急」にきますよね。
昨日まで普通に話していたと思ったら、次の日には意識がなくなって、あっと言う間に亡くなってしまった…。
「この調子なら年を越せるかも」と希望を持っていた11月始めが嘘のようです。
明日、納骨です。
母がいない初めてのお正月。(喪中なのでお正月はありませんが…)
1年前は、母が作るおせちがこれで最後になるなんて、想像もしてなかったなあ。
身内の死がこんなにキツいとは思わなかった。先月一周忌を迎えたのにまだ親父の死を受け入れられない。
親父は俺がとどめを刺したんだ。俺のせいで死んだから、俺はその事実と一緒に暮らしていかなければならない。
周りに対して激しくイラついて攻撃的になってしまうから、ジェイゾロフトとメイラックスを飲み続けている。
母には優しく接している。親父への償いという意味もある。俺は身内全員看取ると決めた。こんな悲しい思いをもう家族にさせたくない。
一年は喪に服すには長すぎる。薬を飲んでいるから病院はかかってるんだろうけどカウンセリングは?
もし気にしないならここで吐き出せ > とどめ
本当に昨年の今頃は呑気に母と今年も終わりだと言ったり、クリスマス料理食べたりしてたんだよな。
あの頃は癌とか遠い世界で、おだやかな日々だった。
>>108さん
吐き出せるならどこかで吐き出した方がいいですよ。
ここでも、カウンセラーのところでも。溜め込むと身体にも悪いですし。
来年は初めて母のいない正月です。もちろん母が作った雑煮も食べられない。
癌にさえならなければ来年も再来年もずっと母と正月を迎えることが出来たのに・・・
もう二度と会えないなんて悲しい
有難うございます
>>108です
親父がモルヒネの皮下常注を始めて次の日の早朝に死んだ
肺がんで縦隔リンパが大きく腫れて食道を閉塞して器官の片方も閉塞して呼吸が苦しくて痰が絡んで
夜中に発作を起こして目を覚ましてしまってモルヒネのフラッシュしても効果が無い状態で、水を
飲ませたら器官に詰まるからと脱脂綿に水をしみこませて飲ませてあげるしか無くて、親父は悲しい顔をして
そのあとちょっとパニックを起こして、どうしたらええかわからん、と言いだしたから、おれが
大丈夫、お父さんは何にも間違ってないやんか、大丈夫、合ってるよ、大丈夫、代以上部
と言っていたら、突然呼吸が落ち着いたと思ったら呼吸が少なくなって、そのまま半目のまま死んだ。
俺が体を押さえたり、大丈夫大丈夫と油断させることを言ったりしたから死んだ、その前におむつをはかせたり
親父の尊厳を傷付けるようなことをしたのも全部おれで、俺の腕の中で最後は死んでいった。
すみませんでした。オヤジへの罪償いをしながら生きていくし、家族全員を看取って一番最後に死ぬ約束をしたので自殺したりしません。
ありがとうございました。
すみませんでした。落ち着きます。すみません。
>>112さん
辛かったですね。しかし、お父様は献身的に尽くしてくれた貴方の腕の中で逝けてよかったと思いますよ。
私の母はもう呼吸も心拍も弱く、看護士の方にも泊まってはと言われたのですが、
私は母の死を認められず、帰宅し、結局母はそのすぐ後に亡くなりました。
嘔吐物が喉に詰まっての死と聞きました。私が泊まっていれば助かったかもしれない。
唯一の家族たる私にすら看取られず寂しく逝かせてしまった。見殺しともいえる。一生の後悔です。
何があっても後悔はあると思います。しかし亡くなった人はそれが重荷になるのを望んでいないはずです。
家で急変、入院して数日後、容態が急変したと未明に電話があり病院に着いたら亡くなった直後だった。
前日、夜9時近くまで付き添ってて少し休もうと一旦家に帰った。
あの時帰らないで病院に泊まっていたら最期を看取れたのに・・・
私はそれが後悔です。
>>112 それは親父にしてみれば幸せな逝き方だと思う。
医者から見ても納得できる逝き方だと思う。
モヒ始めるのが遅いとは思うけど、でも何も間違ってない。想像できるコースの中では一番穏やか。
でも本人は納得してないんだよね。
時々思い出して向かい合って、少しずつ消化していくしかないか。
でもいいかい、話を聞く限り誰も何も間違ってない。考えられる中ではベストコースといってもいい。納得できないかもしれないが、これが客観的な見方で、考えるときの前提だ。
それでも向き合うのが辛ければプロとしてのカウンセラーの力を借りるといい。
おまけに、俺は親父が死んだ瞬間に、やったな、やりきったな、親父やったな、お疲れ様、って喜んだ。
目の前で親父が死んだ瞬間に喜んだ。母と兄が椅子に座って号泣しているのに、俺だけ親父に馬乗りになって笑っていた。
ばんざい、とか考えていた。今から考えるとどうしようもない人間だ。しかもこうやって自分のダメさ加減を書き込んでいれば
誰かに救ってもらえるつもりでいる。自分の罪だけを許してもらおうとしている。甘えている。
私を肯定してくれて本当にありがとうございます。ただの甘えでここに書き込みました。最低です。本当に済みませんでした。
さすがにしつこくなってきた
自傷すれば人はやさしくしてくれるよ
度が過ぎたらうざいだけだ
すまないと思うならさっさと消えろ
>>118 お前、精神病んじまってる人に対してそりゃないわ。言い過ぎだ。
まあ、お前にもあんまりきつい事言わない方が良さそうだけど。
なんにせよ悲しい事だね。人の死は。
亡くなった人も、遺された人もやりたい事がまだまだあったろうし。
全てに満足、納得し死ぬなんて事できるのかな。
うしおととらって漫画で悪い妖怪が
「満足する死とは何だ?」
って人間に問いかけて答えられないと
脳みそ食われるって回があったなぁ
などとふと思い出した
ヒロインが出した答えとしては
人の役に立って死ぬ的な事だったと思う
あるいは自己犠牲をしてでも他者を救う無償の愛
「泥なんてなんだい!」
のセリフは未だ覚えている
ID:hIs3DPlZは、「俺、何も悪いことしてないよね?」とアピールしつつ「全部俺が悪いんだー」「全部俺が悪いんだー」
とか罪を全部ひっかぶる悲劇のヒーローぶってる、根底にあざとさが見えるのが鼻に付く。
何区なった直後なら自分が見えなくなるのもわかるが、1年も前のことだろ。
甘えてるようにしか見えん。
気に入らん事は何でも書かなきゃ気が済まんのだな
でもまさに
>>123の言うとおりだよね
当人も
>>117で書いてるように自覚があるみたいだし
こういう自虐アピールって周囲の人間の方が大変なんじゃないのかな
今日はクリスマスイブだったね。
去年は家族で楽しく過ごしたけど、
今年は特にケーキやチキンも買わずに
昨日と同じように過ごした。
連投ゴメン。
まおちゃん、がんばれ。
がんでご家族を亡くされた方は患者さんの闘病や介護の経験を語ることで
亡くなられた方に対する供養になると思います
あなたの経験はこれからがんと闘おうという患者さんやそのご家族にとって
いいヒントになると思います
亡くなった母とは生前、母が亡くなる事前提で話しを出来なかった。
急に体調が急変しての死とはいえ、互いに余命は知っていて母が唯一の肉親、いなくなれば天涯孤独というのに。
おかげで今、凄い苦労しています。
しかし、こうなると解っていてもやっぱり話せなかったんだろうな。
母を傷つけたくないというより、母の死を自分の中で確定事項にしたくなかったのだろうな。
母の性格なら傷つくより喜んで話してくれたろうに。
実際に聞き逃した事はないか何度か聞いてきたし。
結局は自分の弱い心が問題。強くならねばな。
4日前父が亡くなりました。
通夜葬儀の時はずっと泣いていたんだけど
火葬場でお骨になった時から涙がでなくなった。
お骨を見ても「ああ、この体が頑張って癌に耐えてくれてたんだなぁ」というかんじで
ある意味他人事というか。父自身はもうここにはいない、と感じた。
つい数日前までのことなのに、数日前まで、ほとんどの時間を父と過ごしていたのに
父がこの世に存在していたのが遠い昔のことのように感じる。
現実逃避?自己防衛本能なのかな…
自分も火葬場で骨になったのを見て「あぁ死んだんだ…」とやっと理解した感じだった
ほんと数日前まで生きて、喋って、一緒にお菓子食べてたのになぁ
そうですよね。火葬する数日前には生きていたんですよね。
火葬が済んでお骨を骨壷に移す時、終わっちゃったんだと感じました。
それから約一ヶ月。大分落ち着いてきたと思うが、何かの拍子に思い出が溢れ動けなくなる。
亡くなった母との距離は近くて遠い。
俺も2か月前に母亡くしたが
寂しさとかよりも何も出来なかった
悔しさや後悔ばっかり
死ぬのは仕方ない、生き物だから
でもそれにいたるまでの過程がただただ
見守るだけで何も出来なかった
そして無駄だけどもっと前から
気が付いてれば救えたんじゃないか?
と考えてしまう
先月末に母が亡くなりました。
自分の立ち直りの早さに「私は人間として少し何か欠けているのか?」と不安になっています。
余命宣告後は「母が死んだら、どうやって生きていこう。仕事なんてしばらくできないかも」くらい考えていたのに、
いざ亡くなったら、あっという間に通常モードに戻れてしまいました。
母に申し訳ないという気持ち半分、もしかしたら「そのほうが、あんたらしいわw」と母なら思ってくれるかもという気持ち半分。
自分も十一月末に母を亡くし、約一ヶ月。
大分落ち着いてきたかなー、と思っていたら四十九日が近づくと不安定になってきました。
家にいると母に語りかけてばかり。泣いてばかり。
母の闘病中にもっと良くしてやれなかったかと後悔も再燃。
波があるのかな。悲しさ・辛さって。
本当に癌が憎い。
137 :
がんと闘う名無しさん:2011/12/28(水) 17:42:45.95 ID:/kwFGoNb
今月初めに父を亡くしました
実家から離れ生活が別なせいか、父を忘れて仕事や生活できる瞬間がある反面、
一瞬でも父を忘れていた事の罪悪感から父を思い出し、苦しい父の思いや無念さ、病気への自分の無力さを感じては
胸が潰されそうに苦しくなります。
どうせ時間を過ごすなら笑ってた方がいい!何ていつも思ってたけど、
今はそんな風に思えず、ただ黙々と生きてる感じ
お父さん、ホントに死んじゃったの?
今もまだ信じられない感じでいます
火葬場で骨の髄まで燃え尽くして燻った弟の骨見るのは辛かったな
自慢の強い虫歯の無い歯もスカスカになって、
小さい頃見せあいっこした大臼歯をみつけたときには、足が萎えてしまって歩けなかったよ
頭ではもう居ないんだと
解っていても感覚が納得しない
ものすごく自分がちぐはぐな毎日
これは克服するとか無理のような気がする
一生このままだ
悲しみを繰り返さない為にも
一般の人にもがんに対する正しい知識や今行われてる
現実って物を知っておいて欲しい
ちょっと調べたくらいや表面だけ見てるだけでは
見えてこない
そういう事を知っておかないといい方向には向かわない
残念ながら
現実的にはなにも知らない事は選択権が無いに近い
自分も癌であるが知ることによって初めて
他の無理の無い選択肢があることを知った
自分で守る気で居ないといけない
他人に委ねてしまってはだめだよ
命で責任取るのは当人のみ
>>139さん
自分もです。
母がいないのは理解している。が、納得できない。当然といえば当然ですが。
この世に生を受け20数年。離れることなく一緒だった人がいない。信じられません。
この気持ちも一年すれば薄れるのかな。そうあって欲しいし、嫌だ。
父が亡くなった後部屋に1人になった時に思い切り泣いてからは父の死を封印してしまった。
未だに母や親戚と父の話しをするのも嫌ではぐらかしてる。冷たい子供だと思われてるよね。でも父の話しをすると哀しくて寂しくて泣いちゃうから。
もう4年も経つのに…いつまで現実逃避してるんだろ。
143 :
がんと闘う名無しさん:2011/12/30(金) 05:37:20.66 ID:1atQjDel
>>140 >そういう事を知っておかないといい方向には向かわない
>残念ながら
>現実的にはなにも知らない事は選択権が無いに近い
果たして本当にそうかな?
知れば知るほど絶望的になってくるよ進行期のがんや末期がんの場合は
治療に際して殆ど選択肢がないんだからな
145 :
がんと闘う名無しさん:2011/12/30(金) 15:20:02.85 ID:P5z1TkDl
これからお通夜、落ち着かない
146 :
がんと闘う名無しさん:2011/12/31(土) 00:09:59.59 ID:z4Ysuf6E
5時間前に父が亡くなりました。
最初の癌から約14年、本当にお疲れさまでした。
初めて倒れてから丸2週間、家族全員で付き添いできて、たくさん話せて、笑って、この2週間に悔いはなかった。
最期も泣かずに全員で看とることができてよかった。
ただ、家に帰って一人になって、出てきた涙がとまらない。
ほんの8時間前までは元気で、何年振りかの家族写真を病室で撮ったことが嘘のよう。
毎日帰り際には「ありがとな」って言ってくれて、こちらこそありがとう。
兄弟全員、父さんの子どもに産まれてきて幸せでした。
ほんとにありがとう。
日にちが日にちだけにどこにも書けず、こちらに気持ちをぶつけさせていただきました。
数時間後には葬儀の打合せだから少しでも寝ないとなぁ…。
お疲れ様。話を聞いているだけで、これ以上の過ごし方はなかったということが伝わってきます。あと一週間は忙しいと思いますが、そこまで乗りきったらゆっくり休んでください。
昨年の今頃は母と炬燵でゆっくりしていたっけ。今年は一人、しかも仕事でした。
癌なんて遠い世界で日常を過ごしていたあの頃、もう戻って来ない大切な日々。
過ぎてしまえばあっという間。幸せな日々も母の死後の日々も。
かつては母が居るのが日常、今は母がいないのが日常。今の私には辛い日常です。
この一年色々あったとよく言うが、今年ほどの年はそうないだろう。
今年に比べれば来年は良い年のはず。そうであってくれ。
父がいないはじめての大晦日だった。
亡くなって10日、葬儀やら弔問客やら雑務で悲しむ間もなく過ごしてたけど
父がいないことをあらためて認識させられた
皆様、ご愁傷様です。
誰もが必ず経験する事ですが
大切な人との別れは辛く苦しいですよね。。。
舎利子でさえも、仏陀を看取るのが辛くて、
敢えて運命を変えずに先に死んだという話があります。
阿難も火光三昧に入ったのは、古い友が先に死んで新しい友と馴染めなかったのも理由の一つと言われます。
仏典でさえそうなのですから、古来から、自身が病むより老いるより死ぬよりも、
死別の苦しみを克服することが最も難しいということなのかもしれませんね。
私は、舎利子・阿難でさえも耐え難いものが、どうして自分に耐えられようかと考えて、
取り乱す自分自身をやっと何とか肯定しています。
愛別離苦というやつですね。
この正月で母の死から半年も経つというのに未だにひきずっています。
お恥ずかしい限りです。
本当に胸に穴が空いたかのような気持ちですね。
休みの日とかも何していいか解らない。
母の生前は食事などの買い物や母との会話、闘病が始まってからは介護や病院への見舞い、付き添いなど。
大変だったが、何もやることがない、解らない状況よりはマシだった。
本当に趣味なりなんなりを見付けないとな。
癌家系でもなく、癌体質でもない癌とは無縁だった母。
癌なんかならなければ今年のお正月も一緒に過ごせたのに・・・
本当に悔しい。
>>152 とても良い話を聞きました。
ありがとう。
もうすぐ四十九日だというのに今だに母の死が信じられないよ。
生まれてからずっと一緒に、ここ十数年は二人きりで暮らしてきた人がいないなんてさ。
火葬まで見送って四十九日の法要の手配も自分でしたのにさ。信じられない。
20代の内に親を失うとは思いもよらなかった。
母方祖父も母も同じ膵臓癌で亡くなった。自分も気をつけた方がいいのかな。
見付かった段階で手遅れだろうけど。
>>157 お疲れ様。癌になってまだ生きてる俺が言うけど、
それは癌家系だから、癌保険をお勧めしておく。女性なら女性疾患(ごめん名前知らない)の保険も。
若いから大丈夫と俺は思ってたが、癌になって家族に経済的負担をかけ、手間をかけ、遺すものがないと気付いたときは愕然とした。最低の金額でいいから入っておくといい。後は生活習慣でリスクをへらして。
>>158さん
ありがとうございます。
母が亡くなった今、天涯孤独状態ですが、何かの時の為に検討してみます。
家系的に糖尿病の家系でもあるらしく、私も子供の頃から患っているので生活習慣には一層注意を払っていきます。
>>159 口数多くてすまんが、49日というのは生活の区切り。
況してや天涯孤独であれば、そろそろ、まず自分自身のすべきことを優先しはじめていい時期。お母さんもそれを望んでいると思う。自分のなかのお母さんに聞いてみるといい。
一応60日を過ぎて抑うつ状態が続くならそれはうつ病として取り扱うことになっていて、その時は薬の力(and/orカウンセリング)を借りて心の重さを取り除く手伝いをすることになっている。
日数は勿論目安なんで、今生活を続けられないほど辛いならそういった手助けを考慮すべき。もちろん愚痴はいくらでも言っていい。
膵臓癌がとても心配なら(糖尿病も膵臓だし)、心配の度合いによって3-6カ月に一度エコーと糖尿病の検査を受けては?
失礼。すでに糖尿病だったか。ならば主治医に相談して時々エコーを追加してもらおう。糖尿病の評価にも有用だし。膵臓癌を患うと、場所にもよるが、糖尿病は急激に右肩上がりで悪くなるので、悪化が続くときは必ずエコーを。
>>160>>161 ご助言ありがとうございます。
母も生前、扶養するのが大変ならいつでも姥捨山に捨ててと言っていた程ですしそれは心得ているつもりです。自分の幸せを求めて行くことにしています。
ただ、家で何もやる事なくしていると、ふと悲しくなってしまう事があるんで酷いようなら、長く続くなら病院とかにかかってみます。
また膵臓癌の検査についても糖尿病で定期的に通院しているので今度いったときにでも医者に聞いてみます。
亡くなって、通夜とか葬儀でバタバタした後
ようやく落ち着いた時に、「今から2日前には生きてたんだよな」って思うと、
人の終わりってあっけないよね。
>>163 自分もよく考えてしまいます。
一週間前は、一ヶ月前は、というふうに。
年月を重ねてもこういう気持ちは消えないんだろうな。頻度は減るだろうけど。
私の母は7年闘病生活したのち、昨年12月29日に亡くなりました。
早く葬儀をしたかったのですが、火葬場が正月休みのため、葬祭場の霊安室に預かっていただきました。
でもそのおかげで、葬儀までの数日間、顔を見ることができました。
父のすい臓がんが発覚したが、オペ出来ると言われてオペした。痛いつらい思いをしたがあっけなく転移。抗癌剤使ってみたら血液の副作用が強く出て弱っただけだった。ほんとあっという間に動けなくなってモルヒネ漬けになって死亡。
半年の闘病。ほとんどずっと痛い思いをしてたと思う。我慢強いから言わなかったけど。
すい臓がんでオペ出来るなんてラッキー、一年くらいは生きれるかなって楽観的に考えてたのに全然ダメで、あっという間にいなくなった。
展開が早くてどこも連れて行けなかったし、オペ後に味覚も狂ったせいでおいしいものも食べられなかった。なんにもしてあげられなかった。
唯一、心の準備が少しは出来たこと、看取れたことはよかった。
父がいなくなって半年経ったけどやっぱり悲しい。まだまだ親は生きてるものだと思ってた。
父親がさらにマジキチになって困っている
辛いだ整理だと言い訳して仕事に行かず酒ばかり飲み
その整理は通帳や証明書探しで遺品も保険金も全取りする気満々
家計を支えてる兄や散々世話になった母方の親戚は蔑ろにする
指摘すると逆ギレするので手に終えない
母が死ぬ前からずっと心配していた事が現実になりつつある
>>167 もい放っておいた方が良いと思う
金関係は弁護士入れとけ
親父もあなたも気が付いてないだろうけど
その親父は病気だと思う
精神的な
亡くなって切実に解る「どこかで自分を支えていてくれた」感
日々意識はしていなくても心の奥に感じていた感覚はやはり本物だった
辛い
四十九日法要を昨日行いました。
思えば母が亡くなって以降、このスレが出来てから毎日のように覗き、書き込みをしてきた。
正直、2ちゃんが無ければ潰れていたと思う。
今日は亡くなった母が大好きだったデカワンコスペシャルだ
泣きながら笑ってみてる俺
母にも見せてやりたかった
172 :
がんと闘う名無しさん:2012/01/07(土) 22:43:45.28 ID:PXgdzswz
去年末に母が亡くなった時、辛くて切なくて精神を少し病んだ。
体重は7キロ減った。
1年たった現在、まだまだ母を毎日思い出し、胸の中で話し掛けては自己満足し、時には涙を流してる。
でも、普通に食べられて寝られるようになって体重も戻った。
これは立ち直ったって事なのかな。
>>172 一年で立ち直れるもんですか?
自分は母が亡くなって半年ですがまだあきませんわ
体重も10kg落ちました
仕事はちゃんといってますが休みの日はどこにも出かける気にもならず
家で一日中寝てますわ
体重がそんなに落ちるくらいひどいなら、心療内科で診てもらって、きちんと自分のケアをしたほうがいいと思うよ。
悲嘆の期間は個人差があるものの親の場合半年〜二年くらい。
配偶者の場合は一年〜三年くらい。
子の場合は二年〜五年くらい。
と聞いた覚えがあります。
状況に因っては差がありますが。
もし悲嘆が長期間もしくは酷い場合は病的な悲嘆と一年いう状況でカウンセリングが必要となる場合も、と。
しっかり泣いて悲しんで感情を吐き出すのがいいともありましたが中々できないものですね。
母がいなくなって一年くらいは、仕事してるわけでもないので、家にいても
身の置き所がなくて辛かった。外を出歩いても何しても、辛いことには変わら
なかったけど。
ただ一周忌が過ぎるあたりからなんとなくだけど、生々しい悲しみは少しずつ
薄れていったような気がする。時間薬かな。
忙しい仕事があるとか、他にやることがあるとないとではまた違うのかもしれないけど。
がんで親を亡くしたときああいう治療法もあったのに何で出来なかったんだろうな
という後悔の念でいっぱいになるね。
何とかしてやりたかったと自分を責めてばかりいる。
後悔はいくらでもあります。晴らす事は出来ないでしょうが。
余命宣告を受け、その時期が近付いたにも関わらず、見た目元気ということで母の死をほとんど考えなかった自分。
これさえなければ随分と変わっていたと思う。
実際は母の体調が急変するなか混乱するだけで結局ほとんど話せなかった。
母の死を前提とした話は一言もしなかった。
後悔は色々あれど最大のはこれです。
人は死ねばもう会えない、話せない。祖父母が亡くなった時に解っていた筈なのに。
余命宣告という形で猶予期間すらあったのに何も出来なかった。
本当に間抜けだ。能天気に明日があると思っていたなんて。
あの頃の自分を殴って戒めたい。
>>178 うわーん、うちと少し似てます。
割と元気そうだったのもあるけど、隣県の私には転移してることも言わずにいたので、私だけ楽観的に考えてました。余命宣告はされててそれは知ってたけど、なんか大丈夫だと勝手に思ってた。
動けなくなってからも父は自分の死を前提とした話は一切せず、こちらも出来なかったので、今までありがとうという事さえ言えなかった。それがすごく心残りです。
病院に泊まり込んで看病してたとき、朝日が毎日見れるのはこんなに幸せなんだなぁと知った。
年末に亡くなった父の葬儀が無事6日に終わりました。
時間があったから預かってもらっていた霊安室に毎日会いに行けて良かった。
本当に眠っているみたいだった。
父が亡くなってから、母と兄弟4人で父の生前と変わらず賑やかな毎日を送っています。
父の死に後悔はしていなかったはずなのに、毎日寝る前には涙が止まらない。
なんでだろう。
やっぱり大好きな父がいなくなってさみしいのかな。
あれこれ仕切る役目もちょっと疲れてきた。
明後日からちゃんと仕事復帰できるか不安…。
4日に兄が亡くなり、7日が葬儀でした
最後の3日間は本当に辛そうだったので
早く楽にしてあげたいって思ってたけど…
いざ最後かなって時は
やっぱりもっと頑張れって言ってしまった
ごめんよ、よく頑張ったね
俺の場合はもう頑張らんで良いからなと言ってあげた二日後くらいには逝ったな
回復して元気になるなら頑張れと言うが見込み無い人には辛いだけだからなぁ…
>>180 私も8年前に父ががんで他界した時、忌引きの最後のほうで
すごくおなかを壊して(おそらくウイルス性の腸炎?)熱が出たけど
「ここで復帰しないと、戻れないかもしれない」と1日絶食で受診して
仕事場にはいるのが精いっぱい状態。(それでいいんだと思います)。
帰りに点滴して帰りました。すごい疲れていたんだと思う。
半年くらいは一人になると泣いていたなぁ。。。
悲しさが薄れていくかと思ってたけど、これって変わらない、ずっと悲しいんだと気が付いたら
泣く日が減りました。悲しいものは悲しいのですよ。
相続争いで悲しんでいる余裕が無い
いつも死んでいくのはまともな人間からだ
母が亡くなる一日前くらいに、いつ楽になれるの?と聞いてきた時は堪えたな。
横にいた看護士と一緒に明日にはいくらか良くなるから、と言っていたと思う。
しかし、本当に楽になってしまうとは思ってもいなかったよ。
亡くなって1週間
車に乗ると病院へ向かってしまう
もう居ないのに…
最期の一週間は昏睡状態で右半身しか動けなかったけど、頑張れる?や姉ちゃん分かる?の問いかけに右手を握り返してくれたのが辛かったな。
それまでは少なからず希望があったけど、一気にお別れのカウントダウンがきてしまった。
>>185 ずっと苦しみが長引くより良かったんだよ・・・
でも前日まで意識合って喋れたって言うのは
遺族としても辛いね
しかも前日にそんな事聞かれちゃうなんてなぁ
うちは3日前くらいから薬のせいもあって意識なかったから良かった
>>188さん
>>185です。
確かに長く苦しむよりはよかったと思っています。
しかし、本当に急な容態悪化で多分亡くなる寸前まで意識はあったと思う。
実際三時間前には意識あって意思の疎通も出来たし少しは喋れた。
直接の死因は嘔吐物による窒息らしい。
苦しかっただろうに。自分の油断で近くにいられなかった。一人寂しく逝かせてしまった。
この後悔は長く続くのだろうな。
数日意識がなくてそれから息を引き取るのが多いのかな。知り合いもそうだったらしいし。
父は意識朦朧としたり混濁したりはあったけど、ほぼ最期まで意識あったよ。だからこそ最期まで苦しんでて辛かった。長いこと意思疎通出来たのはいいことなんかもしれないけど。
191 :
がんと闘う名無しさん:2012/01/12(木) 08:58:26.77 ID:cQp2qGuD
癌で亡くなった父の夢を見ました
笑顔で一言「治ったよ」と
>>191 このコメント見たら
自分の父親の声で再生されて、涙があふれてきたよ。
193 :
K:2012/01/12(木) 09:24:29.57 ID:AY+/qD0F
母が亡くなりもうすぐ二ヶ月。
夢に母が出てきたのは二回。どちらも何も話さずただ抱きしめ合っただけ。
生前はまだ時間があると思っていたから話したい事の一割も話せていなかったな。
何を代償にしてもいいから少しでもいい、会って話したい。そういう気持ちにかられてしまう。
>>191>>192 お二方のレスを見て気づいた。
もう母は癌に苦しむ事はない、と。
そう思えば気持ちが楽になった。
ありがとう。
>>191 あんたのレス読んでたら自然と涙が出てきた
母さんごめんな
何も出来なくて本当にごめんな
>>197 謝ることないよ。
母親からすれば、
「産まれてくれただけでありがとう。
生きてくれてありがとう。
自分の分も生きてくれ。」
だよ。
昔飼っていた犬の命日と父の命日が同じ12/15
とても可愛がってたから迎えに来てくれたのかなー
父は寂しがり屋なので一緒に愛犬もいてくれるなら安心かも…
会いたいなー
>>193 自分の持論を宣伝するために癌に苦しむ、苦しんだ身内の集うスレに書き込むのは止めろ!
おまいさんみたいのがいるために、必要な癌治療を拒否して余命を縮めてしまう患者も少なからずいる。
癌患者やその家族はわずかな可能性でもすがりたくなる。その感情を悪用する大企業もやっている癌用健康食品詐欺と
同じくらい悪質だ、あーーーー反吐が出る!!
>>200 それマルチだから相手にすな
肺がんスレにも告知スレにも書いてあったよ
不愉快に思うならレスするんじゃなくて削除依頼した方がいいだろうね
どうしてもっと会いに行かなかったんだろう。
こんなに早く死んじゃうと思わなかった。
やっぱり自分もいずれ癌、それも膵臓癌で死ぬんだろうかな。
母子家庭だったから父方は解らないけど、母方祖父と母が膵臓癌。祖母と母、私も糖尿病だし。
癌と糖尿の血筋、なんだかな。
健康管理、検診をしっかりしないとな。
自分の周りにいる嫌な人が癌になればいいのに何でいい人が癌になるんだろう。
母の葬式に来た人が言っていた。
全くその通りだ。嫌な奴こそ健康で癌と無縁なんて神様は何やってんの。いい人が癌で早死になんて酷すぎる・・・
自分の母は腹水抜いたら途端に体調崩して亡くなってしまったが、抜いたのが原因だったのかな。
それまでは元気とはいえないが、しっかりとはしていたのに。
主治医も腹水抜くの嫌がっていたし、流石にきついという事で抜いたらこんな事に。
誕生日が近かったから腹水抜いて一時的にしろ楽になって何か美味しいものでも食べようと話していたのに。
結局それは果たせず誕生日の翌日の深夜に逝ってしまったよ。
一番の悔しいことだな。
難しいね。
腹水には栄養分が入っているし、圧迫で血圧を保っている部分があるから、抜きたくないのが医者の本音。
だけど、横隔膜圧迫して息が苦しくなるし、おなかがはって痛くなるし、抜いてあげたくなるのも本音。
おいしいもの食べられなかったのは残念だけど、誕生日を迎えて逝かれたのならお母さんも満足されているのではないでしょうか。
>>208さん
ありがとうございます。
腹水に栄養分あるのは聞いていましたが、血圧にも影響あったんですね。
だから看護師さんが血圧気にしていたのか。
亡くなる数日前に話したのがまともに話した最期でしたが、背負ってきてくれてありがとう、と言っていました。
確かに母を扶養してきたのは大変だったけど、給料も上がって来たからこれからいっぱい親孝行出来ると思っていた矢先だったのに。
大切な人を亡くした後、遺された人は後悔との戦いですね。
数多の後悔をどう区切りを、妥協していくかの。
一昨日、父が逝った。
肺癌で長くはないと言われてたから覚悟はできていたけど
いざ現実となると結構辛いね。
娘らしいこと何もしてあげられなかった。
自分の生活に精一杯で父の事は二の次にしてた。
親不孝な娘でごめんなさい。
>>209さん
お疲れ様です。
覚悟はしていても甘いものだった、というのは自分もです。
これから色々と後悔も出てくると思いますが、焦らず一つ一つ整理していって下さい。
211 :
がんと闘う名無しさん:2012/01/17(火) 16:38:13.56 ID:8+jNfdaf
兄が亡くなり二週間
兄嫁と私達の温度差を感じます
辛いのは血の繋がった家族だけなのでしょうか…ね?
配偶者はもっと辛いと思うぜ
>>211 よくそんなこと言えるなあ
ちょっと信じられない
保険とか役所とか事務的なことやらなきゃいけないし、配偶者はまだ気を張ってるんじゃないかな。夫婦不仲だったわけじゃないなら、お義姉さんをいたわってあげてください。
>>211はもともと義理姉が好きじゃなかったんじゃないの。
ひどい言いぐさ。
母が闘病中だが、ここを見てると奇跡はないのかと思う。死んで欲しくない、涙が止まらないや。でも信じたい。
>1.あなたがこの悲しみを引き受けることにより、その人はこのつらい悲しみを悲しむことがなかったのです
ちょっと何言ってるかわからない
名言的なことで言いくるめようとして意味不明になってる感じだな
>2.もはや、その人はこの世のあらゆる苦しみから逃れました
これもひどいなw
小学生の考えたノベルかよw
ていうか全体的にひどいな、このサイトw ありがちなセリフ並べてるだけw
>11.自分を責めないでください とか、もはやただのお願いじゃんw
目からウロコ的な一言を期待して踏んだ奴は、文章レベルの低さに拍子抜けするだろ、これw
>>218 あなたが先に死んでたら逆にその人が苦しんでたってことだろう
よく考えるわ、病気になったのが自分でもし自分が先に死んでたらって
あ、解説も書いてるじゃん恥ずかしいw
こういうのや他人から言われた言葉でどう思うかなんて人それぞれだね
まだ気が張ってるんだろう。時間が解決するのを待つしかないかな?
>2.もはや、その人はこの世のあらゆる苦しみから逃れました
これはわかるような気がする
癌は激しい痛みを伴う病気だから尚更そう思う
犬の十戒を思い出した
感じることってありますか?
何となくですが
今ここに居てくれたみたいな?
夫婦仲が悪かったりするとどうかね?
夫の死を願うスレなんかもあちこちの掲示板にあるからね。
まあね
>>211の義姉がどうなのかは知らないけど
ここにいる人にみんなもそうよね?と同意させようとしてるのが気に食わないわ
血縁関係にある人の死だけが対象のスレじゃないのに
悲嘆の仕方は人それぞれだと思うのね
自分から悲しみが見えないからといって、その人が悲しんでいないと断定するのはいけないお
今度の日曜日四十九日だー雨・雪降りませんように
大の男が、もはや母の帰って来ないひとりきりの部屋で、唐突 に、前が見えない位、大粒の涙を流して大声で泣いています。
変でしょうか?
皆さんも、同じでしょうか?
>>231 ふとした事で泣けて泣けてしょうがない時ってあるよね。
私は女だけど、男性がそうなっても別に変だとは思わない。
むしろ泣きたい時には思いっきり派手に泣いた方がいいと思う。
母が亡くなってもうすぐ1ヶ月。
料理とか冠婚葬祭系で分からない事があった時に、「お母さんに聞いてみよう」って考えちゃう。いまだに。
もう一度会いたい。
>>232 早速、ありがとうございます。
一ヶ月たっても、まだまだ悲しみから癒えないのですね。
私は、昨日です。
お店で買い物をしても、母の事が、次々と思い出してしまい、外で大泣き出来ず。。
時間が、解決してくれると、良いのですが。
>>233 昨日ですか、それはもう泣くのが当たり前ですよー。
長く闘病されたんでしょうか。残念でしたね。
時間が経てば、むやみやたらに涙が出るって事はなくなるだろうけど、この喪失感はずっと消えないような気がする。
>>231さん
私はそろそろ二ヶ月になりますが、何かの拍子に涙はでますね。
でもやはり喪失感は薄れない。まだまだ時間はかかりそうです。
>>234 ありがとうございます。
これまで、ダムの様に貯めていた色々な思いが、突然溢れだす感じです。
モルヒネで、言葉が必ずしも、適切な使い回しでは、無かったのですが、それも可哀想でした。
私の勝手な予想では、一生消えない悲しみであるかのようです。
>>235 ありがとうございます。
皆様と、気持ちを共有出来ると、ひとりぼっちでは無いと感じられ、励まされます。
これから、暫くお世話になります。
宜しくお願いします。
私は母を亡くして2年半になります。それでもまだ、ふとした時に涙が溢れ出てきます。
こんなに早く、母の温もりを失うなんて考えてなかった。私の結婚や出産のとき力になってあげられないから、気にかけてあげて、と伯母にメールしていた。
ごめんなさいお母さん、私はまだ泣いてばかりです。お母さんが恋しくてたまりません。夢にも出てきてくれない。
>>231 全然変じゃないよ
つい最近まで自分もそうだった
母のいない初めての年末年始は本当に辛かった
半年経った今ようやく泣かないようになったかな
しかし一周忌までに墓のこととかいろんなこと
せにゃいかんからまた思い出して泣いてしまうかも知れん
自分も墓の権利で問題あったけど何とかなったから一周忌には納骨する予定。
正直お金も尽きていたし丁度いい。参加者は自分一人だがしっかりとやりたいし。
亡くなった母はそんな事にお金かけなくていいと言うと思うが、自分への区切り。しっかりやろうと思う。
しかし、葬式含め法要ってお金がかかりますね。
自分は略式でしたりもしましたが、まともにやると幾らかかることやら。
>>238 ありがとうございます。
同じ境遇の方の、コメント本当に感謝致します。
母には、感謝の気持ちで、いっぱいです。
母の死を通じて、様々な事に気付かされますね。
この気持ちを、大切にしたいです。
>>76です。
明日49日ですがまだ思い返すと涙が出ますが…それでも想い出を忘れたくなくて、毎日ノートに今までのことを記録しています。
そして母が亡くなったあと祖父母が急に他人のように接してきます。
父も余命宣告をされて、この先どうしていいか分からないでいるのに…。
母が生きていれば、って考えることがたくさんある毎日で、まだまだ落ち着きそうにありません。
最愛の祖父母を癌で亡くしました。
あまり悲しんでいると故人が心配するだろうから、前向きに生きようと思っていますが
先日の健康診断で潜血が見つかり再検査を受けました。
結局、これといった異常は見つかりませんでした。
でも少しだけ「これで祖父母と同じ癌で逝けるかも」と嬉しくなりました。
親族の7割が癌で亡くなっているので、自分も同じように死ねるなら本望、
むしろ仲間入りができる…と。歪んでるのかなぁ。
昨夜三十年以上仲良くしてた友達が亡くなった
先週奥さんに後1〜2ヶ月と言われて今週会いに行く予定だったのに
急に悪くなったらしい
最後はモルヒネが効かないでかなり苦しんで、医者に殺してくれとまで言ったらしいから
そんな状態が短時間で済んだことにすごくほっとしてて(変な言い方だけど)
まだ全然泣けない
っていうか頭がぼーっとしてて、何を考えればいいのか分からない
殺してくれは私も言ったことがあります。
本当に死にそうな状況でした。結局まだ生きてるけど。
良くなってから嫁に、あんなこと二度と言わないで、と言われたけど、正直なところ無理です。
せめて苦しむ時間が短かったことは、話を聞いている私にとっても他人事ではなく慰めです。霊前によろしくお伝えください。
それくらいは言わせてあげたいと思うんだけどな、大切な人だからこそ。
そういう極限の正直な気持ちでさえ吐き出すなと言うのは酷い話だ。
聞きたくないという側の気持ちもわからなくもないが・・・
>>244は大変な状況を乗り越えられて良かったね。
でも未だその時の苦しみを覚えているからこそ「無理」と思うんだろうから
傍で見ている者が想像できるレベルのものじゃないんだろう。
>>244 そこまでいって生還したって凄いですね。
今はどうなんですか?
どう書けばいいんだろう。直腸穿孔でのきつい汎発性腹膜炎で先の状況に。今は約3ヵ月後だけどようやく退院が見えてきた。
半端じゃなくハゲが進行したのと体重が15kg減ったのと、この2週間でようやく階段を昇れるようになった。あと相当バカになったのは実感する。
退院後しばらくしたら人工肛門を閉じる手術をする予定。聞きたいのはこれじゃないような気がするんだが…
母が亡くなって二ヶ月を越えたが悲しまとかが振り返してきた。
救いが欲しい。
遺族のケアとか行うところってないのかな。
250 :
がんと闘う名無しさん:2012/01/28(土) 20:40:02.40 ID:uaIcOuOD
入院中に撮った写メが6枚亡くなる1ヶ月前なんだけど、穏やか顔してるのよ
食べられない、歩けないのに何であんなに優しい顔してるのかな?
自慢の兄ですね!
写真、入院中も含め十年以上撮っていなかったな。自分も母も写真はあまり好きでなかったから。
最後の写真は自分が小学校卒業のだった。
自分の母も病状・余命知っていたけど、ずっと穏やかだった。
最期は早く楽になりたい。いつなれる?と言ったりもしましたが、それ以前は死を匂わせることはなかった。
今思えば意識的に避けていたのかもね。
252 :
がんと闘う名無しさん:2012/01/29(日) 00:38:07.44 ID:g2sg29tC
35
253 :
がんと闘う名無しさん:2012/01/29(日) 01:11:04.01 ID:g2sg29tC
妻が亡くなって、もうすぐで一年
35歳でした
胃癌末期発覚、余命半年と・・・
でも、一年がんばってくれ
最後まで、弱音ひとつ吐かずに
強く生き抜いてくれた
そんな妻が、のこしてくれた三人の幼い子供達の笑顔に力をもらいがんばれた
一周忌に、泣いてしまうかも・・・
でも子供達の前では、強い父親でいなければ
254 :
がんと闘う名無しさん:2012/01/29(日) 11:26:59.53 ID:xuMOdp21
>>253 子供の前では泣いたほうがいいんだって。
親が無理にこらえて強くあろうとすると、将来子供の情操に歪みが出るってさ。
子供がいるなら子供達と一緒に悲しいねって泣けばいいと思うけどなー
私は主人を亡くしたけど子供はいないから一人で泣いてるよ
>>249 がんサポートコミュニティなどで活動してるようです。
日本はその辺りの体制が遅れてますよね。
でも、家族は第二の患者という意識は徐々定着してるかも
257 :
がんと闘う名無しさん:2012/01/31(火) 20:41:25.95 ID:ZiSqMb/x
亡くなって1ヶ月経っても訳が分からない
何で死んじゃったんだろう…
たった2人の兄弟なのに、辛いよ…
>>257さん
自分も最後の血縁者である母を失い、二ヶ月。現実感が余りにない日々です。
当たり前にいた人がもういない、会えない。辛くて当たり前。
この辛さに慣れるのはいつになる事か。
自分も妻をなくしました、妻は無職だったので発見がおくれました
見つかって、一月もちませんでした
余命半年でしたから、手術(手術後急死)の医療ミスだったのかもと思えてなりませんが、証拠もないし、あまりのショックで動けませんでした
まだ結婚して二年
新居買って一年
正直言えば、後を追いたい
妻にできるだけ、ついていてやりたいから休みくれといった時の上司の顔は人間の本性を見た感じで、二度と会いたくない
年末に仕事をやめてきた
俺は若いから、頑張ってとか言う人間を信用できないんだ
もうじき一年になる
でも、寂しいばかり
本当に死にたい
>>259 うちと似ている
亡くなったのは主人だけど
ほんと、励まそうと良いこと言ってるつもりなんだろうけど
若いんだからこれからまたとか言ってくる奴に心底腹が立つ
10日程前に親父を亡くして葬儀以来泣いてなかったけど皆さんのカキコ見てたら涙出てきた…
>>261 泣いてください。悲しんでください。感情を隠さないでください。
今、押さえ込むと後で歪みが出るとよく聞きます。
私は寝る前に思い出を浮かべ、思う存分泣いて、悲しんでから顔洗って寝てます。
263 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/01(水) 23:51:51.60 ID:5+DptyTI
癌は知識武装しておかないといざ身近に起こると
とっさには対応出来ない
まず最初の選択肢からして違いますから
そういう事を多くの方に知って頂きたいです
今日で母がいなくなってちょうど二年
今でもつらい 悲しい
きっと一生この気持ちは変わらないんだろう
今でもあとをおいたいと思う
昨日、包丁を腹に押し当てた自分に恐怖を感じた
今耳鳴りがするんだけど近くにいるのかな
カウンセリングでも受けてみたらどうだろうか
>>264 2年ではまだまだ辛く悲しい気持ちは癒えないよ。
でも、生きて行かなきゃいけないんだ。
お母さんは君が後を追いたいと思ってるのが心配で
側を離れられないのかもね。
成仏させてあげるためにも、生きて行こう、前に進んで行こうと
思えるようになろう。慌てずに。
世界に同じ気持ちの人は沢山いる。
でも、生きていかなきゃ。
「母ちゃん、自分は元気にやってるぜ」って
見せてやれ。
267 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/02(木) 18:25:39.96 ID:nhedphzp
先立つ方からすると
いつまでもウジウジ泣かれるとウザイ。
若いんだから再婚して幸せになれば良い。
他人の言う事はあながち間違っていない。
後追いとか本当迷惑だから勘弁して欲しいわ。
>>250 うちも亡くなる2ヶ月ほど前に車椅子で外にでた時の写真を
葬儀のあとにあらためて現像したらいままでの中で一番の笑顔でビックリした
家でほとんど寝たきりだったから外にでれて嬉しかったんだろうな
もう少し元気なうちにもっともっと外出できれば良かった
でも真夏の暑さは体力奪うし抗がん剤やってたから抵抗力弱いし
涼しくなったらでかけようね、としか言えなかった
亡くなる直前まで明日天気が良かったら近くのパン屋のモーニングセット食べにいきたいね、といってた
>>267 先立つ予定なんですか?
私も先に死にたかったです
270 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/02(木) 23:29:02.95 ID:nhedphzp
先立つかもしれないし、まだどうなるかわからないけど
死ぬってそんなに悪い事じゃないよ。
なんか最大の不幸みたいに泣いてばかりいられたら成仏できないと思う。
先に行くのは申し訳ないけど後追いとかされたら更に申し訳なくなると思う。
先に逝く(かもしれない?)立場だからこそそう思うんだろうね
あぁ確かにそうかもなぁ。生きてる方にとっちゃ近しい人の死は最大の不幸だけど、死ぬ方はそうじゃないかもしれないんだ。心残りなことはあっても、最大の不幸じゃない。
だからといって、残された私たちの悲しみが減るわけじゃないけどさ、なんか目からウロコだった。
失った側は喪失感が半端ないんですよ
癌になってから相手と一緒に闘ってさ
泣きたくても我慢してお風呂でこっそり泣いたりさ
こっちは癌じゃないから体は痛くなかったし息もできたし階段ものぼれたし
でもさあ同じ時間苦しかったんだよ
それなのに一人でいっちゃって
あげく
>>267みたいな事言われたら、生まれてきたくなかったと思うわ
>>267はなんでこのスレに来たの?
たとえ再婚したって一生主人の最期の姿は忘れない
背格好の似た人を見たら外でも涙出るし
家族連れの多い場所には行けない
ウザイって言葉は悪いかもしれないけれど
そんなに変なこと言ってるとも思わないし悪意も感じないけどな。
実際に自分の家族が毎日泣いて楽しいとも感じず後追いしたい
って暮らしているのをあの世みたいなところで見ていると仮定すると…
自分ならやりきれない。
心配で心配であの世に逝ってまで鬱になってしまうかも。
そこまで自分を想ってくれることは嬉しいと思うけどね。
でもその何千倍も心配だ。
悲しいことも苦しいことも楽しいこともたくさん感じて生きていって欲しいと思う。
>>273は依存とか共依存でぐぐってみたらいいんじゃないかな。
思い当たることがいっぱいあるようだったら
本来の健康な心身を取り戻すことができるかもしれないよ。
きっと一番慰めたり励ましたりしたいと思っているご主人本人は
それができなくて悔しいんだと思う。
自分ならそう思うって話で差し出がましいこと言ってごめんね。
>>273 267は、残された人間は幸せに生きろって言ってんだよ。ちゃんと読め。
自分が死ぬ側だったら、大切な人にめそめそして欲しくないでしょ。笑って生きて欲しいでしょ。
兄が亡くなって6日。明日は初七日です。
わずか7ヶ月で逝ってしまいました。
本人は自分の余命を知っていました。6ヶ月〜9ヶ月だと
生前、母と自分の葬式の事を話していたそうです。その話を仮通夜の時に聞きました。
その時の母と兄の気持ちを思うと苦しくてたまりません。
去年の今頃は元気だったのに兄はもういません。
この現実をまだ信じられない自分がいます。
辛いです。
>>264です
>>265 真剣にカウンセリングを検討中です。
父も母が亡くなってから鬱病の診断を受けていますし、私にも素因はあるように思います。今大学生なのですが、精神疾患に認定されると就職等に不利なのかと思って敬遠してしまいます。
>>266 優しいお言葉ありがとうございます。
同じ頃にお母様を亡くされた友達が元気に笑顔で生活しているのを見ると、大切な人が亡くなってもそんな短期間で元気になってしまうのかと複雑な心境です。人の存在ってなんだろうと思ってしまいます。
私自身、周囲から見ると「もう」2年だろうから、周囲にはなかなか言いづらくて言えないのでその友達もそうなのかもしれませんが‥
少しずつ、前に進まなくてはと思います。元々思い詰めやすい性格なので、自分のペースで進めたら良いなと思っています。
>鬱病
今の精神科や神経内科ってあかんな
簡単なカウンセリングして薬くれるだけや
抗うつ剤なんかのんでも治らへんて
279 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/05(日) 07:24:35.75 ID:/GDQKM0W
>>273 口が悪くてごめん。
考え方も夫婦の関係も違うと思うので人それぞれかも。
でも風見しんごが娘さんが亡くなって家族みんなすごく落ち込んだけど
立ち直らせてくれたのも娘だったと語ってました。
亡くなった人の存在をそんな風に思ってくれたら
すごく嬉しいと思うし生まれた意味があったと思うのです。
今は悲しいと思うけど居ないことを嘆くより
出会った意味を大事にして残された家族が幸せになるのが一番の供養だと思う。
母が亡くなった後、母の引き出しから手帳を見つけた・・・
亡くなる前年に書いてた日記のようなものだったけど呼んだら泣けてきた。
一時期、抗がん剤が効いて癌が無くなったって喜んでたのに・・・
転移なんかしなかったらまだ元気だった。
癌って嫌いだ。
>>231 ここ最近、泣かなくなったと思っていたのですが、通勤途中の電車のでも、自然と涙が出てしまう。
皆さん、外では泣かないですか?
妄想ですが、体(洋服)を置いて、長い長い旅行に出掛けた事にしました。
早く旅行先で、合流したいです。
自分も落ち着いたかな、と思ったら振り返してきて泣くのなんて週に一、二回だったのが毎晩になってしまいました。
母の死から二ヶ月半。まだまだ先は長そう。
祖母が亡くなって1年が過ぎました
小さい頃から私の面倒を見てくれて私の気持ちを誰よりも理解してくれたのは祖母でした
今でも思い出すと時々涙が出ます
本当に本当にありがとう、おばあちゃん
284 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/08(水) 07:05:12.79 ID:PYR3oHKG
知り合いのお母さんが乳ガンで亡くなった まだ子供20代三人もいるのに
突然……
2ヶ月前にそこの家でおばあちゃん亡くなって葬式したんだが 俺の母親の話だと普通に元気にしてたみたいで………
だから 最近まで気づかなかったんじゃないかって話だ
知り合いのお母さんやおばあちゃんはスレ違いでは…
286 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/08(水) 12:17:10.65 ID:TwYiGaWN
昨年、肺癌で父を亡くしました。
最後まであまり痛いとか
言わなかったけど唇には
噛みしめたあとがあり
やっぱり相当の痛みが
あったのに、家族に苦しんでいる所を
見せまいと我慢していたんだなぁと
余計に泣けました。
おとといNHKでやってたあさイチのがんワクチン特集をみてショック受けた
去年の夏に死んだうちのおふくろと同じ小細胞がんで余命2ヶ月といわれた
おじさんが久留米大学のがんワクチンで今も元気で生きてる。
そんなの知っていたらうちのおふくろにも受けさせてあげたかった。
まだ臨床レベルなんで誰もが受けられるわけではないという出演していた
教授に対し司会のいのっちや有働アナの「何故早急に出来ないんですか」
という声はがんで苦しむ患者やその家族にとって本当に心強い代弁になった
のではないかと思う。
うちのおふくろのようにもう死んでしまったものは諦めるしかないが
がんワクチン治療を受けてたあのおじさんにはおふくろの分まで長生き
してもらいたいと思った。
288 :
287:2012/02/08(水) 12:43:38.02 ID:iMN7xUhz
訂正
×臨床レベル
◎治験レベル
新薬や新治療法
新聞やニュースで見ても結局、承認だの保健適用外だので一般人は受けられず。
仕方ないこととはいえ、毎度苛々させられる。
あの番組にしても、かなり新薬開発側のバイアスがかかっているとみたほうがよいよ
将来的にはかなり期待できる療法でも今はまだまだらしいし
あの番組の例にある患者も例外中の例外くらいの確率なんじゃない?
大多数はほとんど効かない、あまり効かない
ただたまたまその薬を使えば大切な人も助かったかもいれない・・・・という思いは理解できる
291 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/08(水) 21:41:41.02 ID:Ry9HbMos
人間って本来今の平均年令まで生きるような構造にはできてないと思うんだ
だから若い時代を過ぎた30代の後半あたりから免疫細胞の機能が落ちて癌細胞が活発になるんだと思う
>>281 ちょっと感覚違うと思うけど、うちの父も今頃世界各地飛び回ってるんだろうなと思ってる
元々国内外問わず旅にでていろんな文化や言語に触れるのが好きな人だったから
そしてたまに自宅に寄ってこっそり様子をみにきてくれてる気がする
何十年か後にみんな一緒に世界中飛び回る予定
>>292 レス、ありがとうございます。
同じ様に、考えている方がおられ、ほっとしています。
一緒に、旅行に出掛けたいくらい、仲が良かったんですね。
294 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/09(木) 16:29:26.70 ID:J1raXvzm
20代とかで癌になった身内の方で何が原因で癌になりましたか?
>>294健康診断をきちんと受けてご自分の体を大切にしてくださいね。
297 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/09(木) 23:00:45.15 ID:722mJk56
>>253です
先日、妻の一周忌終えました
泣いてしまうのは、自然の感情なのかなと
まだ一年しかって、思うよりも
もう一年たったんだって、思ったほうが気持ち的にも楽なのかなって
兄が亡くなりました。まだ50歳の若さで…
兄妹でもあり親友みたいな関係で何でも兄に話していました。
兄が居なくなった今、どうすればよいのか解りません。
>>298さん
乱暴な言い方になりますが、なるようにしかならない、というのが私の感じた事です。
私も母を亡くして二ヶ月半ですが、最初の頃はこの先どうなるか解らなく不安でした。
しかし、現在もやるべき事をやって生きています。
結局は自分が生きようとする限りなるようになり、人生は続いていくのです。誰がいなくなろうとね。
まずはやるべき事を見付けて少しずつでも片付けてはどうですか?
そうすればいつの間にか時は過ぎて大切な人の喪失感も薄れるかもしれません。
時には辛い事もあるかもしれませんがそういう時はここでもいいですが、誰かに話すと楽になると思います。
>>298 本当に、辛いですね。
私は、3週間前に母を亡くしました。
直後は、世の中、白黒に見え、時間も分からなくなりました。
これ程までに、喪失感を、感じることになるとは全く想像出来ませんでした。
最近は、帰って来ない旅行に行ってしまったと、妄想し現実逃避しながら、仕事に行っています。
全ての物を見る度、考える度に、思い出してしまい、涙が、外でも出てしまいます。
それでも、3週間経ちました。
この先も、このように、時間が過ぎて行くのだと思います。
私も、辛いとき、ここで気持ちを整理させて頂いています。
本当に、感謝しております。
ひとそれぞれの悲しみがありますが、その喪失感は共有することで、元気づけらると、思います。
辛くなったら、書き込みをして、その気持ちを同じ境遇の方々と共有されたら宜しいかと思います。
なんか突発的に眠れなくなったり、空腹を感じなくなったりしてしますようなってしまった。
心療内科とかに行ったほうがいいのかな。
行ってみる価値はありそうな症状ですね。
歌はダメですね
テレビから歌が流れた途端に号泣してしまった
その曲は忘れていたけど、聞いた途端想い出がよみがえり…
でも、その頃を想いださせてくれた曲に感謝したりして
悲しいけど少し嬉しいような、よく分かんないな…
>>301 鬱の一歩手前か軽い鬱状態かもしれません。
私はそんな感じでした。
>>301です。
>>302さん
>>304さん
ご助言ありがとうございます。
様子見て、改善が見られないなら近所の市立病院に心療内科があるので受けてみます。
>>301 一ヶ月以上経っても悲しみが抜けない場合はうつ病の可能性が高いらしいです
半年経っても正直まだしんどいです
>>306 一ヶ月越えると鬱病の疑いですか…三ヶ月近いですが、自分もまだまだ悲しみはあり、何かあると涙を浮かべてしまう。
母を失い、両親・祖父母が全員いなくなり親戚とは絶縁と天涯孤独状態だから相談する人もいないし早めに心療内科受診するかな。
身内が亡くなれば悲しいのは仕方ない。
知り合いのおっさんなんか親父亡くなって、20年以上は経ってるけど
「夢でもあいたいな」って時々言って目潤ってる
自分も親父が死んで6年近くになるけど、なんかの拍子に寂しいことはあるよ
まあ自然かなって思ってる。
古代中国なんか親が死んだら3年間、墓のそばに掘っ立て小屋立てて
粗衣粗食で泣きまくって痩せるほど嘆くべき!な考えだったんだ
それと比べたら、自分の悲しみよう足りないな。
古代中国の話、それと比べると確かに普通に暮らせてるな。表現変かもしれないけど、なんだか慰めになった。
母が亡くなって2ヶ月半。ふとしたときに子どもたちが話す母(子どもらにとっては祖母ですね)の思い出ばなしが、
びっくりするくらい母が母であった特徴を捉えてて、いつも泣かされる。
下の子は2歳、もうちょっとしたら母のことも忘れてしまうんだろうなと思うと辛過ぎる。
あんなに可愛がってもらったのになぁ。ちょっとでも覚えてて欲しいなぁ。
ずっと仲良しだった友達が、今月頭に亡くなりました
大学卒業まで後1ヶ月だったのに、国試に向けて頑張って勉強してたのに
慢性骨髄性白血病にだけ妙に詳しくなった
急性転化すると本当に予後って悪いんだなあって
参考書に赤字でたった一文だけで書いてあることに、今はすごく違和感がある
勉強が手につかないです、一緒に勉強してた思い出が蘇えってきちゃう
人の命が重いって意味を実感しています
国試受かっても、患者さんとそのご家族にどう向き合えばいいのか分からない
>>310 自分や友達がされたかったようにすればいいんだよ
>>310 paramedicalの学生さんかな?
患者さんはいい意味でも悪い意味でも他人です。
職業として選ぶ以上、患者さん達からは他人として常に最善の判断を冷静に行うことを期待されていると思ってください。
友人や家族(や自分)については冷静な判断は期待できませんので、自分では診断や治療は行わないのが鉄則です。しかしプライベートな時間に感情的になるのはもちろん当然のことでしょう。
現時点で職業倫理でもないですが、切り離して考える訓練としてもよいかもしれません。
>>311の通り、今友人がそこにいたら何て言うか想像してみたらよいかもしれません。
>>310です
優しいお言葉ありがとうございます
心の整理がなかなかつきません
彼女が在った痕跡を見つけると涙が出ます
ご遺族のほうが私の比じゃないくらい辛いはずなのに、自分が情けないです
お母様は、その子の分も人生を楽しんでねって言ってくださいました
まずは国試受かることだけ考えて頑張ります
その後に思う存分また泣く!
余命宣告のスレ見ていたら亡くなられる前に伝えたいこと伝えられたという人が何人かいて羨ましかった。
癌は徐々に弱るものとばかり思っていたから急変してあわあわしていたら、あっという間に逝ってしまったよ。
覚悟が足りなかった、油断と言われればそこまでだけど、まだ元気にしている内に今まで育ててくれてありがとうとか言えないよ。
私も今までありがとう、すら言えませんでした。
本人は最後までなんとか持ち堪えて復活する気だったから、亡くなる前提のことは
一切話せなかった。
でも、今はそれで良かったんだと思うようにしています。
元通りにはならないだろうけど心の平穏を取り戻すにはやっぱり時間しかないのかな。
最後にお礼も言えなかったという方、後悔は消えないけれど、
他の家族や友達なんかに、これからは素直にありがとうって言えるようになりたいね
318 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/17(金) 16:37:26.24 ID:JbuYfWfu
>>310 その友人の癌になった原因ってなに?
マジでその友人羨ましい・・・俺も早く病死したい・・・
23歳だけど、癌になる確率ってどれくらい?
>>317 そうなれるといいですが。
今は悲痛を時間が癒してくれるのを待っています。
>>318 自殺すれば?
コンクリートに頭ぶちまけて死ねよ
おまえみたいなのにマジお似合い
321 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/17(金) 17:35:10.49 ID:kv0V3NVE
>>318 あんたみたいなのは苦しみつつ長生きするから覚悟しろ
今でもあの危篤状態になって意識もなく焦点の合わない目を半分開いて
苦しそうにゼーハー息をしていた姿が忘れられない
意識はないけど父は「そこ」にいたのかなとか
耳は最期まで残るって聞いてたけど私の声はちゃんと聞こえてたのかなとか
考えだすとウボアーってなるわ
323 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/18(土) 06:00:28.77 ID:hRIQQw+v
アスベスト吸引者は10倍、喫煙者は5倍、両方のひとは50倍のリスクで肺がんに。
自動車は、2004年まで石綿含有のブレーキ、クラッチ部品などを
使用し、現在もまだ全面禁止措置がされていない肺がん産業です。
死んでも労災、国家補償はでるので、遺族はあきらめないこと!
この件もマスコミは報道しないし。怖いわ
12月2日に日刊サイゾーweb版
●隠蔽の“家元”三菱自動車がアスベス
ト被害者遺族に口止め料!?
http://www.cyzo.com/2011/12/post_9245.html
324 :
不思議なもの:2012/02/18(土) 11:42:42.58 ID:TYbawfuY
12日に父の葬儀終えました
つらつらと考え事をしてみます
命って両親からもらったものですからそれは自分でどう使おうが人に譲ろうが落とそうが自由なるものだと考えていました。しかし命って預かり物なのですね。
預かったものは大事にしなくてはいけないし、必ず返さなくてはいけないものだと思うようになりました。
不思議なものと感じる点は、ほとんどの人はその返却先と正確な時間を知らずにいるが、誰に教わること無く必ずその日が来ることをのみ知っている点だ。
預かり物は大事に育てて、いつも労をいとわずピカピカに磨きをかけ、より大きくして返すところに返さなければいけなく思います
命が自分という体に限られた時間だけ宿っていることに感謝しつつ 悔いのないよう懸命に生きて行きたいと思います
どんなに死をキレイに解釈しようが
死にたくないもんは死にたくない
三ヶ月前、病院から危ないと連絡あり駆け付けたが間に合わず、
心電図のピーッという音と医者と看護師が囲む中で虚ろに目と口を開けた母が頭から離れない。
なんで私は母から離れたんだろう。いよいよとなったら有休目一杯とって一緒にいようと思っていたのに、いよいよという時を見逃すとは。
医者も急変すぎてびっくり言っていたが、心残りは心残り。
今思えばあの時の私はおかしかったんだと気づける。
だって癌で余命宣告されていたのに母が死ぬことを考えていなかった。明日も会えると思っていた。
あれから三ヶ月たったが、まだまだ惰性で生きている感じ。
いつになったら母の幻影を振り切れることか。
母を亡くして3年半経つけど痛みは和らがない
未だに元気な母を夢にみる
途中でお母さん末期ガンなのに全然元気じゃん!
このまま大丈夫なんじゃ…え…あれ、おかしいよ…?
あ…夢だ…もういないんだ…って気づいて絶望する
この先いつか結婚しても子ども生んでも
母に見て貰える事はないんだなあ…
食道癌で主人を亡くした。病気が分かった時は厳しい状況で、だけど余命のことは言えなかった。
病院から、もうこれ以上は出来ることないからとホスピスを勧められ、全てを話し、転院したら一週間で逝ってしまった。
亡くなる前日、私は看病疲れなのか、歩けないくらい腰痛があり、まだまだ続くだろう看病に備えて帰宅しようとした。
主人が「帰らないで」と言ったのに「明日早く来るから今日だけ帰るね。ごめんね」
それが最後の会話。あの時一緒にいなかった自分を呪った。主人はいつも私を一番に考えてくれてたのに。9年経ったけど、まだ生きてる自分が嫌い。
母が容態が急変したと病院から連絡があり駆け付けた時はもう息絶えてた。前日の夜遅くまで付き添い、「ちょっと休んでくるね」と言ったら、何も話せないのに「ウ〜」と・・・
きっとそれは「ゆっくり休んできなさい」の母の最期の言葉だったのかな?
それはずっと忘れられないな。
>>328さん
>>329さん
自分も明日早くに来るからね、と言って帰って看取れなかったです。
明日があると信じていたのに、ね。
どうしてあの時に帰ってしまったんだろうというのはずっと消えないんだろうな。
自分は家族が一時帰宅してる間にただ一人臨終に立ち会いました
立ち会えなかったら後悔したでしょう
でも立ち会ったからこその苦しみも知りました
うまく言葉にできないけれど立ち会えなかった方は
どうかご自分を攻めないでください
きっとそれは天国に引っ越した方の優しさです
あなたに一番悲しい瞬間を見せたくなかったんです
332 :
不思議なもの:2012/02/18(土) 22:25:59.60 ID:TYbawfuY
>>329 お母様の貴方への最高の気づかいだったと思います
私も実家でただ一人臨終に立ち会いました。立ち会った苦しみ、確かにありますね。
なぜ私一人の瞬間だったんだろうと考えたこともありましたが、
今後実家に一人残って生活する家族ではなく嫁に出た私を選んだのは
母の優しさだったんだろうと気が付きました。
もし自分が旅立つときは、その瞬間は子どもたちに看取ってもらいたい気持ちと、
見せたくない気持ち半々です。
そのくらい、怖くて辛かった。あんなに泣き叫んだのは生まれて始めてでした。
334 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/19(日) 00:26:14.50 ID:Cbp3NN3T
どうしたらいいのか、わからない事ばかり。
一週間経っても、あちこちに母の生きてる証を目にしては、ひたすら、夢の中の事だったらと願っている。
まだまだ続くのかな?いつまで続くのかな?
仕事でツライことがあるたび心の中で、
亡くなった父親に問い、頑張ろうって思うことを繰り返す。
いなくなったころは毎日泣いてはいたけれど
半年過ぎた今は日々の忙しさに追われて寂しさは紛らわせているのか?
心の余裕がない状態に思い出しては涙が止まらない。
ぽっかり空いている場所が埋まらないまま過ごしている。
ずっとずっと続くんでしょう。逢いたいと思う気持ちはどんどん増してくる。
>>334さん
私も母を亡くしてそれくらいの時はそんな感じでした。
何かただひたすら手続きをやって気を紛らわしていました。
それから三ヶ月。やるべき事もほぼやり終えて日常に復帰しつつありますが、逆に辛さが増しています。
母を失った事を改めて痛感している感じです。
悲しみが続く期間は人それぞれと言いますが、どうなることか。
互いに頑張っていきましょう。
>>335 私も仕事で嫌なことがある度に亡くなった母に問いています。
亡くなって5ヶ月の間、色んなことがあり毎日しんどい。頑張るのも疲れた・・・
こんな時、母は生きていたら話を聞いてくれただろうと思いながら泣いてしまう。
泣いてばかりはいられないんだけどねー。
これからも母のいない現実、受け入れることは出来ないけど、何があろうとも生きていくしかない・・・
338 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/20(月) 00:07:41.70 ID:c0YznvPa
母を亡くして2週間が経った。
親友のように仲が良くて、休みの日はよく一緒に買い物に行った。
元気と勢いのあるしゃべり方が特徴で、見た目も若くとても自慢の母親だった。
去年の暮れから急激に具合が悪くなった。年明けに入院して、入院してから2週間くらいで旅立ってしまった。
本当に元気な母親だったので、未だに亡くなった実感がわかない。
最期の方はごはんも食べれなくなって、ガリガリになっていた。見るのが辛かった。
周りの方からも、あんなに元気だったのに・・・と必ず言われる。
私の中では、どこか長期旅行にでも行ってるのかなって感覚。
医者に残り長くないことを言われてからも、それを悟られないようにいつもと同じように母と接した。
母がまともにしゃべれるまでは、笑って会話できたけど、逆に今まで言えなかったような感謝の気持ちとか
そういうことは何も伝えられなかった。本当に悔しい。
癌ががわかってから、もっといたわってあげれば良かった。
8年も闘病して、母は普通に仕事もしていたから、いつしかその生活に慣れてしまって体調のこととか
気遣ってあげることができなかった。本当にごめんね。
この気持ち、決して忘れたくないけど、一体いつまで続くのだろう・・・
その気持ちは多分ずっと続くよ。
ただ、慣れて鈍るだけだけだと思う。
昨日、年末に亡くなった父の四十九日の法要と納骨を行った。
やっぱりお骨がなくなってしまうと視覚的に“いなくなってしまった”気がする。
毎晩寝る前に訳もわからず泣くことは無くなったけど、逆にふと思い出した時に寂しかったり後悔で激しく泣くことが増えた。
泣きながら「会いたいよ」「最期はごめんなさい」って繰り返し言ってる自分がいる。
やっと会えない実感が沸いてきたのかもしれない。
まだ最期に握り続けた手の感触も思い出せるのに。
>>331 伝えたいこと、すごく良く分かります。
私の場合、最期は妹と2人だったけど、母や弟たちにあっという間でも苦しんでいる姿を見せずに亡くなれて逆に良かったと思う気もします。
病院側が気遣ってか、家族全員揃った時点で医師を呼び臨終を告げてくれたけど、出血し意識が無くなっていく様は今でも思い出しては涙が止まりません。
自分の判断や呼び掛け次第では意識が戻る可能性があったんじゃないかと後悔でいっぱいです。
きっとどちらの立場も辛いですよね。
私も逆だったらそれはそれで自分を責めたと思います。
どちらにしてもこの気持ちは無くならないんだろうなぁ…と漠然と思います。
…って父はそんな風に思って生きてほしくないと思いますが。
亡くなった母は自分の事なんて忘れて幸福を求めなさい、とか言っていると思うけど、簡単には割りきれませんよね。
母がいて、私がいての幸福だったんですから。
最期を看取れなかったあなたへ
「もう帰っていいよ」って言ったのには理由がある。
あなたを置いて先に行くという罪悪感がどうしてもあるんだ。
一人で逝けばその罪悪感を覚えずに済むんだ。
大丈夫、あなたからの愛情は十分に伝わってるよ。
おとん
ありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。
父さんが死んで、ホッとした部分もあるけど
別に焼かなくて良いじゃないかって思った
父さんはちょっと眠ってるだけなんだよ。でももう二度と起きない。だから安心して見つめる事ができた
それももうできない。写真の父さんと見つめあったって仕様がない。涙が出てくるのは同じだけど、全然違う
自分だけ早々にコンパクトにされちゃって
父さんらしくないね
ふざけんなババア!ちくしょ〜!
私みたいな出来の悪い娘誰が生んでくれって言った!ふざけんな!
それでも愛情注いで育てやがって、私が大学に上がったころ
婆ちゃんの体調が悪くなってそれでも一人で介護しやがって、ふざけんなよ!
婆ちゃん看取った後、間をおかずに父が脳出血で倒れてまた介護の日々が始まって
それでも一人でがんばりやがって、ふざけんな!
父の介護くらい手伝うといってもほとんど一人でやりやがって
ほぼ10年も父の介護が続いてとうとう父を看取ってやっとゆっくり出来る日が来たのに
末期の癌ってどういうことだよ!ふざけんなよ!
父が死んだあとに温泉旅行プレゼントするって言う孝行娘のフリができないじゃないか!
それでも孫の世話しようとしやがって、ふざけんなよ!
もう人の世話しなくていいんだから、自分の楽しいことしろよ。
高校合格した孫に震える手でお祝いの商品券渡して喜んでるんじゃねーよ!
そんなもん自分の好きにつかえよ!
そんで今、意識混濁に陥っちまって・・・ふざけんなよ!
アンタの人生何だったんだ!人の世話ばっかだったジャねーか!ふざけんなよ!
ふざけんなよ!ふざけんなよ! でも・・・
うんでくれてありがとう もう聞こえないかな??
>>345 気持ちはわかります。
親孝行しようと思った時にはままならず。私もそうでした。
でもこのスレは「身近な人を癌で亡くした人の居るスレ」です。
まだお母様は生きているのでしょう?
ならココに来るより一緒にいてあげて、話しかけてください。聴覚は一番最後まで残るといいます。
きっとあなたの言葉は届くはずです。
>>346 すれ違いごめんなさい
でも、みんなどんな気持ちで送ったのか知りたくてここ読んでいて
思わず気持ちをぶつけました。
母は今、意識混濁状態でクスリが切れると苦しがって痛がって薬が効くと寝ます。
往診のお医者さんも2〜3日だと言ってます。
何かやってないと心が折れそうで間が持たなくてPCに向かってます。
ごめんなさい
348 :
346:2012/02/22(水) 08:58:42.42 ID:+c/1B38W
>>347 自分は母の死という事実を直視出来ず逃げていたら看取ることも出来ず逝ってしまいした。
それからは後悔の日々です。今日でちょうど3ヶ月ですが、まだまだ気持ちは晴れず重い一方。
私には出来なかったことを勧めるのはなんですが、もう定まってしまった母の運命、しっかりと見送ってあげてください。
何かあればまた聞きに来てください。お互い頑張りましょう。
349 :
345:2012/02/22(水) 18:31:29.46 ID:KLRHTe5H
>>348 今朝は取り乱してごめんなさい。
あのあと、ほどなくして母は逝きました。
最後の息まで手を握って見送ることが出来ました。
最後を看取ってくれたお医者様が言うには
肺がんだったのでもしこれ以上生きながらえても
痛みと息苦しさで悶絶しながらの最後になるだろうから
それだったら今くらいの最期でよかったんじゃないですか?
ってことでした。私もそう思います。
幸か不幸か父の納骨がまだで仏壇においてあります。
仲良くアベック納骨にしようと思います。
今晩は母と添い寝します。
聞いてくれてありがとうございました。
義理の母が先ほど、息を引き取りました。優しいお姑さんでした。
お世話になりっぱなしで、感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
>>351 辛いですね。これから大変になると思いますけれどお身体に気を付けて下さい。
351です。
>>352さん、温かいお言葉、ありがとうございます。
354 :
不思議なもの:2012/02/23(木) 21:33:34.15 ID:4pBZUCse
345
泣くな 血迷うな ガンバレ つらいのは充分わかっています
でも 現実を見据えてガンバレ
私も 父を無くして7日目です
355 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/23(木) 22:25:04.88 ID:g4XhQeqI
MIKAMIのインターネット でググれ
このブログ痛すぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
クソワラタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
癌について今更ながらに調べたら知らないことばかり。
母の生前に知っていれば良い癌治療の病院に転院したりして幾らか長生きしてくれたのかな。
それとも苦しみを長引かせるだけだったのかな。
自宅から徒歩20分の市立病院への入院だったから毎日仕事前に会いに行けたからよかったが、癌という観点からは余り良い病院ではないようにも思えた。
全ては今更だが、IFの考えは積もるばかり。考えてもどうしようもないのに、ね。
私も同じようにifを考えますよ。
昨年1月から再発するまでの間に
予防として漢方薬や健康食品あたりを飲ませていたら
結果は変わったのかもしれない
と思ってしまいますよ。
考えてもムダなのにですね。
蛇足ですが
通夜の際
生き返ることを願ってましたね。
いや
火葬場に入るまでね。
お気持ちすごくわかります。
カマに入れられる瞬間に(もう本当にこれでお別れなんだよね。本当に死んでるの?)って思ってつい
「ちょっと待って」と言いそうになりました。
骨になった姿を確認して、「ああ、ほんとに死んじゃったんだね。」と現実を突きつけられますよね。
359 :
357:2012/02/25(土) 07:44:35.60 ID:CNu8kBil
皆さん、おはようございます。
>>358 おっしゃる通りです。骨を見た際、以前骨折して入れたボルトを見て、骨が母親のものに間違いないと思いました。
ここ数日間
母が逝く瞬間が目覚めの合図になり
本当に辛いです。
>>358 私も父の骨を見て父が死んだという現実を受け入れたって感じです
なんか骨を見た時は涙も出なかった
唖然とした、って感じ
自分も火葬場で骨になった母を見て終わっちゃったんだ、と実感した。
だけどそれから三ヶ月。終わったのが信じられない。信じたくないという思いばかり強くなり辛い。
もう母に会えない、話せないのは理解しているが、それを受け入れられない。
362 :
359:2012/02/25(土) 19:43:06.92 ID:CNu8kBil
「時間が解決する」
とよく言われますが
疑問に感じますね。
とにかく今は
一人でやっていけるだろうか
という不安と
もう二度と食事に連れ出すことが出来ない悲しみ
の2つで胸が一杯です。
363 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/25(土) 21:33:38.91 ID:eMpw0+ZT
時薬が 癒してくれます
364 :
362:2012/02/25(土) 21:47:16.64 ID:CNu8kBil
>>363 そうでしょうか?平均してどれくらいの期間で癒されますか?
>>361 私の場合
「必ず生き返らせてみせる!」
と非現実な戯言を口に出す始末です。
>>362 完全に、同意します。
他人が、時が解決すると言いますが、全くのでたらめであることを、母を無くして実感しています。
先日、初めて知ったのですが、グリーフ(悲しみ)ケアと、グリーフワークと、いう考え方が、あります。
本人は、自分の状況(悲しみ)を、ワークを通じて、理解し、共存し、生きていくのだと思いました。
まだまだ勉強中ですが、決して、時間は、癒しを与えてくれないことは、ここに書き込みされている方々のコメントを通じても、読み取れますよね。
最近は、亡き母と一緒に生活していた頃が、どれだけ幸せな日々だったのかと、ひたすら、感謝を思う毎日です。
367 :
364:2012/02/26(日) 08:46:51.45 ID:fPXWeSzh
皆さん
おはようございます。
母が亡くなって
一週間が過ぎましたが
やはり
目が覚めるとき
母の逝く瞬間が脳裏に浮かびます。
明日からはまた仕事に出ていかなければなりませんが
どうも倦怠感が身を包んでいます。
368 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/26(日) 19:48:08.94 ID:Bh3B+L3B
肺せん癌の主人を15日に送りました。子供はまだ4歳です。13日に肺せん癌のステー
ジWと診断されたばかりで隣県のガン専門の病院に紹介してもらうことが決まった
のに・・・ 昨年秋ごろから腰が痛いと言ってたね。 咳も出てたね。でも腰
痛持ちだったし風邪ひいて長引いてるねとしか思わなくて・・・ なんで病院に引
っ張っていかなかったんだろう?後悔ばかりです。39歳だなんてまだ若すぎるよ。子
供もパパが帰ってこないことは分っているようで二人きりは寂しいからイヤだと泣き
ます。私も今は自分でもビックリするくらい元気です。でも・・・ 会いたいよ。
今朝の3時48分に逝きました。心拍数がゼロになる瞬間を見ていました。こちらに連れて来てから半年、家に戻してあげられなかった事に悔いが残ります。
370 :
367:2012/02/26(日) 23:11:05.65 ID:fPXWeSzh
「悔い」
と言えば
以前述べたこと以外も
・昨年原発の手術を地元の医療機関で受けたこと(国立がんセンターで受けなかったこと)
・手術後がんセンターに一度も行かなかったこと
・腸閉塞のバイパス手術のため開腹して、腹膜播種と分かったのに、主治医が目に見える分だけでも癌の除去を行わなかったこと(抗がん剤の効き方に影響したと思います)
・東大型のワクチンの治験を地元の国立大にお願いしたら断られたこと
等々
数えたらキリがないですね。
ありとあらゆる可能性を全て実行するのは難しいことです。
悔い、後悔。亡くなった人に対してのそれは取り返しがつかない。
何故、母が逝く時に近くに入れなかった、逃げてしまったのか。
その晩に死ぬとは思わなかったというのは言い訳、自分は逃げてしまったんでしょうね。
結果、最後の血縁者を私は看取らなかった。親不孝者ですね。
伝えたいことも伝えられず後悔に溺れる日々、表面上は平静を装えるが内心はぐちゃぐちゃです。
何を代償にしてもいいから一年くらい時間を巻き戻したい。
寝付けない。母が亡くなってから度々こんな事がある。水曜には百ヶ日です。
もう100日経ったのか、まだというのか解らないですが。
母に会えなくなって100日。こんなに長い間離れたのは初めてで、しかしその記録を伸ばすしかないのが辛い。
死んだらもう会えない。余命宣告された時には解っていたはずなのに、本当の意味では解っていなかったのだろうね。
今日は変な夢をみて一日憂鬱です
死んだはずの母ちゃんが夢の中で生きていたのですよ
何と久留米大のがんぺプチドワクチンを受けてたみたいで
あのとき末期で二週間も持たないと言われた母が半年以上も
延命が図れて・・・
目が覚めて気づいたら夢でした
何と残酷な夢なんでしょう
あのときこうすればよかったというのが潜在意識として
夢に顕れたのでしょうね
今がんで闘病中の患者さんおよびその家族の方々くれぐれも
悔いのないような治療をしてくださいね
経験からいいますと医者のいいなりになっていたら駄目ですよ
375 :
370:2012/02/27(月) 22:59:32.07 ID:tpCqbc5w
私も数ヶ月後に
同様な夢を見そうです。
ところで医者の言いなりばかりなってはダメ
と言われるのは同意しますね。
特にプライドの高い医者は避けるべきだと思います。高慢ちきでも100%完治させるのなら良いですが、そんな医者は存在するはずがないのですからね。人間ですから。
結局は癌で根治が無理という状況では患者の苦痛をどれだけ抑えて、安らかに逝ってもらえるかですよね。
長い間生存出来ても苦しんででは辛すぎる。
そういう意味では、私の母は良かったんだと思うことにします。
突然急変して二日、三日苦しんで私が離れた時に嘔吐物を詰まらせて逝ってしまった。
しかし何日も何週間も苦しむより良かったんだと。
伝えたいこと、聞きたいこととかまだ一杯あったけど母が長い間苦しむよりは良かったんだと思うことにします。
もう、割り切らないと、振り切らないと。母の死からもう数ヶ月は経つのだから。
>>376 いや冗談抜きでそう思わないと本当やってられないよね。
>>377 自分はやっとそれに気付けました。どんなに悔やんでも、実際どうしようもないということを。
なら、これで良かったんだとします。
実際に母も最期近くに私にありがとう、と言ってくれ恨み言は何一つ言わなかった。
ならこれが私に出来る最善だったのだと。
今日で弱音を吐くのは終わり。
明日からはしっかり前を向いて歩いていきます。
長文失礼しました。
うんうん。
きっとお母さんも安心しているだろうね。
みなさん、夢のなかに亡くなった人が出てくることってないですか?
私の場合は、亡くなってまだ2ヶ月弱ですけど2回母の夢を見ました。
なぜか病気だった面持ちはなく、でも元気にしゃべっているでもなく
今となっては記憶があやふやなのであれですが、
目が覚めたら居ない現実をつきつけられ、毎回号泣してしまいます。
普段は仕事や家事に必死で、母がいないのもそんなに気にならないのですが
これが毎日続いていたら、きっと私の精神は持たないと思います・・・
381 :
がんと闘う名無しさん:2012/02/29(水) 23:28:38.52 ID:tdVY/XhQ
一昨年の12月に彼女がなくなりました。
昨年は一年中悲しんでいました。
そして今年の1月に彼女が夢で出てきました。
亡くなった方は夢に出てきても喋らないと聞いたことがありましたが(昔、祖父がそうでした)
僕は彼女に「具合はどう?」って聞きました。
そしたら「元気だよ」って言ってくれました。
彼女が夢に出てくるまでは新しく好きになる女性はいませんでしたが、夢に出てきた後は、女性を好きになることがありました。
これは彼女からの「私は元気だよ。私を気にせず、彼女作ってね」っていうことだったのでしょうか?
そんな都合のいい解釈は如何なものかと思う
それはあなたの夢という形であらわれた潜在意識でしょう
すなわち無意識に死んだ彼女を忘れて新しい彼女をつくりたい
というあなたの願望が夢としてあらわれたのです
383 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/01(木) 01:27:06.53 ID:Huq3ziRu
人間は一度必ず死ぬ。
それは早いか遅いかだけの違い。
そう自分に言い聞かせていくしかないよ。
そうだけど、少し早すぎたなあ
>>380 自分は母が亡くなり三ヶ月くらいですが、夢に出て来たと明確に覚えているのは二回。
一回目は家のベランダで洗濯している母を見付けた私が駆け寄り、そうしたら母が抱きしめてくれた。
二回目は多分は入院していた病院の展望室みたいなところで二人で窓の外を見ていた。最期に抱きしめてくれた。
両方とも会話はなし。話したいけど話せない。
思い出したら涙出て来た。
どちらにせよ、目覚めた後に惨めになって辛いですね。もう、母はいないんだと再認識を強いられているようで。
386 :
375:2012/03/01(木) 08:01:45.07 ID:XuRiqBGi
亡くなって12日…。
思い出すと
涙が目に溢れ出てきます。
好物を供えても
結局は食べるのは
生きているこちらであって
母ではないことが辛いです。
亡くなる前に何も食べさせてやれない状態だった分だけ
悲しみが増します。
お供えしても結局は食べるのは自分か捨ててしまうのが空しくて余りしないようになってしまった。
母が亡くなる前に干し柿食べたい言っていたが、見つからなくて探している間に急変して逝ってしまった。
母の物の整理していたら母が入院中に持っていたノート見ると食べたい食べ物が一杯書いてあった。
それらを少しずつ集めて供えていたけどそれも途中でやめてしまった。
正月には雑煮だけでも作ってお供えしたけど、空しかった。
お供えは気持ちの問題だと思うけど、今の自分には空しい行為としか思えない。
急変して病院に連れて行って数日間、何も食べられなかった・・・
母が亡くなってから仏壇に母が好きだった食べ物をお供えしてます。
きっと美味しく食べているんだろうと思いながら・・・
現実は一緒にご飯食べること出来なくて悲しいです。
うちの母も61歳で逝ってしまった
食べることが唯一の趣味だったのに最後のころは
何を食べてもおいしくない、何も食べたくないし食べれない
状態になってしまったのはかわいそすぎた
せめてあの世では好きなものを好きなだけ食べて暮らしてほしいわ
亡くなって1週間。
毎日息を引き取った時間に目が覚める。
怖かっただろうか。苦しかっただろうか。
間に合わなかったことが辛い。
母が亡くなり三ヶ月は過ぎたけど、母が亡くなったのが火曜午前3時台だからか今だに月曜火曜がきつい。
この時間、あの時は…と考えてしまい心身共に重くなってしまう。
いつになったら振り切れるのか。
ガンになってからの母の日記を見た。
どんなに不安だったことだろうと思うと
もっと帰ってあげれば良かった…
でも母の日記には私への感謝と私の旦那に申し訳ないという言葉だけ…
昨日の早朝に父(52)が肝臓ガンで亡くなりました。発見時には末期だったそう。(母が私たちには話さずにいた)
先月母から父がガンだとは聞いたものの、自宅療養ということなのでまさかこうなるとは思わず。一昨日入院したとの連絡あり、離れた下宿先から急いで帰ってきたのに…帰ってから一回も話せず逝ってしまった。本当に状態が急変したので家族は誰も最期に間に合わず。
長い間苦しまず済んだ&できるだけ自宅で過ごせたのが救いだったかな。
正直まだ帰ったらお父さんが出迎えてくれる気がしてしまう。信じられない。寝てるんじゃないの?お正月に、一緒にお酒飲める年齢になったことを喜んでくれて嬉しかった。まだいっぱいしてあげたいことあったのに。早いよ。
母が一人で頑張りすぎないか心配で仕方ないです。母妹をしっかり支えていきたい。
長文乱文すみませんでした。このようなスレがあってよかったです。 まだ頭が現実についていきません…。
>>393 肝臓癌のなくなり方としては最良じゃないでしょうか。
お父さんを誉めてあげてください。
>>389 なんかうちの60で逝った職員とかぶって泣けた
父さん。後二週間くらい生きててくれても良かったんじゃないかな
そしたら私の話題、ひとつあったのに
無理して考えなくても話せたのに
誕生日とかそういうの、祝ってもらってもへきえきするだけなのは別に父さんに対してだけじゃないから
気にしないでよ。ってそんな事言わなくても、父さんはちゃんと祝ってくれるよね
父さん、ありがとう
片付けをしようと思っても
手につかない毎日…。
少しでも前進あるのみ!
と奮い起たせています。
頑張ろう!
もうすぐ桜の季節ですね。
去年のその頃は母の膵癌が解って手術するかどうか考えていた時期。
結局、元々の母の身体が悪く手術に耐えられるか解らないから、また母の希望から抗がん剤治療になった。
直後に肺への転移も発覚したからこれで良かったんだ、と医者は言っていた。
もっと早くに癌と解っていれば、医者は随分と前から膵臓に腫瘍があり、経過観察と言っていたのにな。
癌と診断されたら余命半年、やっぱり膵癌は難しいのかと思う。
これから桜を見る度に考えてしまうのかな。
心中お察しします。
ウチの場合、膵癌を手術したにもかかわらず
腹膜転移でしたからね。
他の板にも書きましたが
腹を開けるまでは
再発傾向も
転移傾向も
見られない
と言われていたのに
ですよ。
腹膜播種はCTでも見つけにくいらしいですが
裏切られたような気分ですよ。
去年の春は元気だった。
時々熱出すくらいで。
秋から急に悪くなった。
坂を転がり落ちるみたいだった。
癌が憎い。
一緒に行きたい所が色々あったのになー。
もう少し体調良くなってから、と思ってたらいなくなってしまった。
無理してでも連れて行っとけば良かったのかな
癌で亡くなることを「自然死」と言う人もいますが
もし「自然死」なら徐々に悪くなっていくはずなんですよね。
癌の場合大概「急転」し悪化していきますので
「自然死」とは思えませんね。
私は「老衰」で死なせたかったです。
>>400さん
自分も体調のいい時を見計らって、と考えていたら急変して亡くなってしまいました。
やれる時にやる、というのを痛感した。
>>401さん
そう、急変するんですよね。自分は勝手に癌は徐々に衰弱していく、と思い込んでいました。
入院中の母に外で昼飯食べてきな、と言われ出て戻ったら危篤状態に陥っていた。
その時は持ち直したが、結局は数日後に逝ってしまった。
持ち直したから大丈夫かな、と油断していたから看取ることも出来なかった。
あの時の自分を殴りたい、「今」を大切にしろと伝えたい。
私も油断がありました。
結果として
逝く瞬間に立ち会えましたが
その前日が健常者と同様な血圧だったので(もち直したので)
もう2〜3日はもつと思っていました。
今考えると
命の最後の輝きだったのかもしれません。
本日3月6日は、父の8回目の命日です。
父は胃の全摘手術の2年後に体力低下が原因で亡くなったのですが、今でも手術しなければもう少し長生き出来たのではないか?と思う事があります。
高齢者の場合、癌の進行と術後の体力低下を秤にかけないといけないのかも知れませんが・・・・手術に前向きだった父は立派に癌と戦ってくれたと思っています。
先週、大好きな祖母を癌で亡くしました。
母と私の二人で介護をし、旅行に行ったり、買い物に出かけたりと、
親友のような祖母でした。
「私はもう孫に全部まかせてんの。孫がいないと生きていけないの」って何度も言って・・・
癌の末期とわかり、母と告知や今後について話し合い、
かなりケンカをしました。
日々悪くなる祖母をみてるのが辛く・・・けど、母は告知も転院(祖母が望んでた)もしないと言い張り、
3日くらい病院に顔を出せなかったこともあります。
「〇〇のこと待ってたの。」力なくいう祖母が忘れられません。
最後は、私が席をはずしてる間に心停止したのに、また2〜3分持ち直し、
私と母が揃ったところで再び心停止し、永眠しました。
祖母は、どう思ってるんだろう。
信用してた孫に「栄養失調だ」なんて嘘つかれて、どんな思いだったろうと
今はまだ、涙が止まりません。
>>405さん
お疲れ様です。
きっとお祖母様も癌かどうかはともかく、何らかの難病だとは気付いていたかと思います。
ならそれを言わない事についても解っていたはずです。
今は大変かと思いますが、体調に気をつけてください。
407 :
405:2012/03/06(火) 21:58:00.43 ID:6n1F6pmB
>>406さん
ありがとうございます。
発病から4ヶ月。
いつから我慢してたのか分かりませんが、高齢だから進行は遅いだろうと
勝手に思い込んでましたが、違うんですね。
食べれなくなり、歩けなくなり、オムツになったのも逝く1週間前。
痛み止めは逝く3日前に初めて使用したくらいで、未だに本当は痛いのを我慢していたのか、
本当に急激に悪化したのか分からないです。
祖母もよく「体に気をつけろ」って言ってました。
406さんの言葉が、祖母からの言葉のように感じました。ありがとうございます。
>>405さん
私も405さんと全く同じ。
旅行に行ったり、買い物に行ったり、親友のようだった祖母を2月2日に亡くしました。
昨年11月に余命3ヶ月と診断され、母と私の2人で話し合い、本人には告知しないでおこうと決めました。
最期もやっぱり母と私の2人で看取りました。
祖母の死から1ヶ月が過ぎましたが、まだ悲しみから抜け出せずにいます。
最期まで嘘をつき続けたことが、どうしても心に引っかかって取れないのです。
405さんもツラいですね。
今はとにかくゆっくり休んで下さい。
自分は母子家庭で育ち、血縁者も母だけだったから告知しました。母の望みだったし。
余命は伝えるか迷ったが私の祖父、母の父が同じ癌だったから解っていた。もしかしたら母が医者から聞き出したのかもだが。
互いに残りの時間も大体把握していたが、変わりない日常を送り、母の体調が悪くなったら入院してそのまま終わった。
あっけない、これで終わりなんだ、というのが正直な思い。
今は日々を惰性で生きている感じ。とにかく空しい。
私も上の方同様
母子家庭(親一人子一人)で育てられたので
空虚感が全身を覆い
辛い毎日を過ごしています。
可能なら蘇生させたいです。
虚しい願望ですが…。
411 :
405:2012/03/07(水) 23:26:03.48 ID:ePMZzoRu
>>408さん
温かいお言葉、ありがとうございます。
癌が分かった段階の11月は元気だったし、気丈な祖母なので、
どこまで進行しているかはともかく、癌であることは伝えたかったです。
大好きな孫に嘘をつかれ、自分の病状がよくならず、うすうす感じながらも
何も聞かなかった祖母を思うと、辛いです。
408さん同様、一番それが引っかかっています。
408さんもお辛い状況なのですね。
同じ気持ちを分かち合える方がいて、良かったです。
最近危篤状態だった時の2日間を思い出しては悲しくなる
手を握っても握り返してくれなかった
お父さんって呼んでも返事してくれなかった
もっと一緒にいたかった
61歳早すぎだっつーの嫁にも行ってないし孫も見せてないぞ
せっかちな親父めこのやろう
自分も最近、母の亡くなった前後の数日をやたらと思い出してしまい辛いです。
亡くなった日の朝、
「何時来るの?今日、苦しいから早めに来てね」
と自力で携帯で電話してきたのに亡くなるなんて。
何故かその電話の会話が母の携帯に録音されているから時々聞いて涙してしまう。
ビデオとか録ることがなかったからそれが唯一の母の肉声。
残っていてよかったと思う反面、何故こんなものしか残っていないのだろうとも思う。
414 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/08(木) 10:16:45.87 ID:A5sWbsgQ
兄が亡くなって2ヵ月経ちました
時間が経っても悲しみは無くならないです
『たった2人の兄妹だもんな』が口癖だった兄
お兄ちゃんが居ないのは、辛い、辛い、辛い、、、
肉親を亡くして悲しい、辛いのは分かります。
でも、私は悔しい。あの時、こうしてたらとか悔しい思いだけが込み上げてくる。
416 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/08(木) 23:07:06.41 ID:BSBStjhW
葬式をはじめその後の仏事、拷問やな。ウチは闘病生活半年くらいで
短い方かも知れんがその分見つかった時は末期だったわけで休む間もなく
看病し最後のひと月は冗談抜きで寝る間も無かった。で、亡くなれば仏事
の段取りやの香典は受け取らないようにしたがそれでも持って来たり
お供えくれたりの分のお返しに悩んだり。気持ちはありがたいが、一人しか
おらんし仕事あるしでもうゆっくりさせてくれよってのが本音やわな。
各種の手続き、法事の手配、確かに苦行ですね。
私は母が亡くなった今、天涯孤独になったんで法事は参加者は私一人の簡単なものになりましたんで楽でしたが、それでも葬儀屋、お坊さんと大変だった。
納骨は墓の権利の継承がまだなので一周忌にやりますが一息つける段階に来たからか体調崩したり、気力がでなかったりな事に。
墓の権利と家の登記がまだだから、もう少し頑張らないといけないんですが、身体が動かない。
418 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/09(金) 11:32:33.54 ID:IjG5O+wi
親戚いないなら楽だね。俺は親戚が多い、しかも皆遠方。だから来るとなったら大層。皆悲しいから来たがるけど一番悲しんでるのは一人息子の俺。その弱ってる人間をさらにヘトヘトにする仏事ってなんなんだよ。
419 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/09(金) 11:35:29.04 ID:IjG5O+wi
あと、役所関係とか手続きなんて面倒ではあるが誰に気を使う訳でもないからなんてないよ。ただ平日仕事だからなかなか進まないってのはあるが。
もう10年くらい会ってなかった親戚のおばちゃんに
葬式で「病気のこと全然知らなかったわー(チラッチラッ)」
って言われて、話すかよ!とイラッとした。
あることないこと言いふらされるだけなのに言うわけないじゃん。
421 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/09(金) 19:20:03.47 ID:6Pe8GfDu
わかります。
私も親戚関係でかなり気を使い、疲れ果てました。
母が亡くなって、もうすぐ49日ですが、また親戚が集まるのでまた叔母さん同士で
ケンカとか始まるのかと思うとぞっとします。
母が亡くなって一ヶ月弱
世の中はちょうど去年の震災の特集をしている
震災のときを思い出すと実家から近い職場から私の自宅まで
仕事を終わった私を車で送ってくれた母を思い出す
あのころはまだ元気だったのにあれから一年も経たずになくなるだなんて思いもしなかったよ
ほんの少しのことで母が思い出されて寂しくなる
小さい私に手芸を教えてくれた母
何か新しい手芸を始めるとこれ作ってみたよって一番最初に見せるのはいつも母だった
初めて作ったマカロンケースかわいいものが好きだった母に見せたかった
とても切ない
本日買い物に行き
スーパーの鮮魚店をブラつくと
母の好物の雲丹がありました。
供えたいと思いつつ
結局食べるのは自分だから
と虚しさを感じ
帰りました。
また家の整理をしなければ
と思っていますが
母の衣類をどうも捨てきれずにいます。
何か抵抗があって。
自分も母の衣服を捨てられずにいます。
もう必要ないのに捨てられない。捨てられるようなった時が母を振り切った時何だと思う。
その時までは母の衣服はタンスや押入れの奥にしまっておこう。
母の衣類は誰かがもらってくれると
助かるんですが
(↑「捨てるのとどう違うんだ!?」と言われそうですが…)
体格や流行などのおかげで
相手がいないのが困ります。
可能なら「若い人」にもらってもらいたい(ずっと見れるから)のですがね…。
地震より病気で苦しみながらじわじわ死を迎えた人の方がよっぽどかわいそうな気がしてならない
「死」という結果において何の差もないよ。
死んだ人は「未来」が失われ「今」から切り離され「過去」にしかいなくなる。
タイムマシンが欲しいよ。
自分は母の衣類をまだ処分したくないのだけれど父が早く処分したがっている
今は実家に父一人だからなのかも知れない
うちは取っておいても意味が無いからさっさと捨ててしまったよ衣類は
思い出とかは心に残ってればいい
それと故人が着ていた物見るとその当時の事思い出して辛いってのもある
あああの服はこういう時来てたなぁとかこの時期はこれよく来てたっけとか
最愛の父を亡くして2週間になる
何も手につかないという状態にはならなかったけど
よしよしってしてくれる大きな手がもう無いと思うと
生きている意味がないとさえ思えてくる
仕事を辞めて母と二人で付きっきりの看病をして
最期の一呼吸まで看取れたのが気休めになってます
もっと生きたいなあって言葉が忘れられない
私ももっと生きていて欲しかったよ お父さん
医者に対する後悔…。
昨年1月の手術後から
主治医は画像検査は3ヶ月に1度はやっても
腫瘍マーカーは一切検査しなかったこと。
で…その結果画像では分からない腹膜播種…。
腫瘍マーカーが必ずしもアテになるとは言いませんが
月に1度しか検査できないとは言っても
すべきだったと思いますよ。
また主治医が再発予防に抗がん剤を使わなかったのは
副作用を考えてのことだと思いますが
梅澤医師のように量・インターバルなどを調節すれば良かったのでは?
と思います。
ところで
梅澤医師はがんセンターの医師のことを「標準医療から逃れられない人」のように言いますが
逆にそれ故に腫瘍マーカーは真面目に検査していたと思います。
また地域差もあるかもしれませんが
梅澤医師が自己のブログで語っているのとは異なり
私の場合
町医者の主治医の方が代替医療を必死で否定し
がんセンターの某有名医師(本やサイトでは「名医」と謳われている)の方が否定していませんでした(肯定もしませんでしたがね)。
町医者の方が責任が軽く
がんセンターの方が重いから安易に肯定否定を断定しないと
私は思います。
母は亡くなる時、何を考えていたのだろう。
喋ることが出来ない中、きっと家族の事を考えていたと思う。
最後まで家族の心配してたんだろうね。
母みたいに仕事も家のことも完璧に出来ないけれど精一杯、生きていきたい。
私は看護師で、色んな人の死を経験しました。
癌で亡くなる患者様、患者様の家族が一番死を受入れ、悲しみの中にも温かい空気が流れていました。
だから、祖母が癌だと分かったとき、先が長くないと分かった時は、
お別れの準備ができるようにしてくれたと思いました。
実際、母は「もう日中もつかどうか」と言われても、「まだ大丈夫」と何も準備をしていなかったのですが、
21時になり「互助会に入っていたけど、どこに入っていたか分からない」と言い始め、
調べて、今後の段取りがついた後、祖母は亡くなりました。
ちゃんとお見送りができて、お別れの心構えもできる癌は、
痛く辛い日々があるけど、残された家族に気を遣った個人の優しさあふれる亡くなり方だと思います。
祖母亡くして二七日。永遠に話せない辛さは、変わりないですが・・・(涙)
長文、申し訳ありませんでした。
母が危篤状態に陥り、その後に回復した時、亡くなった祖父母らが来ていたと言っていた。
結局再度急変し数日後に母は逝ってしまった。
母は最期まで私を心配していた。大丈夫といいたいが、正直今は辛く生活も乱れがち。情けないな。
父が亡くなって9ヶ月。
やっと私に子どもが出来ました。生まれても父に抱いてもらえないのがすごく残念だけど、がんばって産むよ。
心拍確認してうれしくて涙が出たんだけど、そういえば嬉し泣きなんてすっごく久しぶりだなぁって思った。いつも悲しくて泣いてた。
死んだ人ってずっと夢見てるような感じなのだろうか
テレ朝のガンマナイフの話・・・もっとうちの母がガンが軽い内に分かっていればこれで助かったんだろうなぁ…
ガンマナイフ、すごかったですね。
がん細胞って死滅するんだーと驚きました。うちの母の場合、増殖するのを抑えるので
精いっぱいみたいな感じだったので…(胃癌でした)
ガンマナイフは脳腫瘍にのみ適用される手術法なんでしょうか?
この先、さらに効果的な治療法が確立されていくのでしょうね。
良いことではありますが、その治療を受けられる人を妬ましく感じてしまう。
ガンマナイフはターゲット(病巣)がハッキリと現れてからの治療法であり
はっきり言って悪性腫瘍に対しての後手の治療法です。
後手の治療法で救えるのは転移のリスクが少ない良性腫瘍のみです。
転移速度が速い悪性腫瘍を本当に治療した経験のある医者は意外と少ないので、
ガンマナイフばかりを薦める病院には気をつけましょう。
本当に終わったんだなと感じる。亡くなった人との関係全てが。
毎日会って声を交わし、暮らしていた人がもういない。言葉では言い表せないこの気持ち。
いくら思っても、届かない。伝わらない。
癌に限らず病気って恐いですね。まだまだ死ぬような歳でない人を苦しめて殺してしまう。苦しめるのは本人だけでなく、その家族も苦しむ。
いずれ癌の完治も難度が下がる時代が来るのかな。来るといいな。
>>422 そうなんですよね。
去年の夏に父親が亡くなって半年過ぎたけど
1年前の大震災の時はたまたま仕事が休みで自宅でその父親と
揺れがあまりに大きくて肩抱き合って揺れが収まるのを待っていたことを思い出します。
その時は病気のことなんてわかっていなかった。
いつまでもずっと一緒にいられると思っていた。
ふとした瞬間に父親を思い出しては寂しくなります。
半年経ってもその思いは続いている。
逆に入院していた時のことはあまり思い出さない。
弱っていった姿なんて思い出したくないから。
震災で、停電で大きな余震が続きながらも、居間で母とラジオ聴きながら過ごしたことを思い出した。
震災前に癌は分かっていたけど元気だったのに半年経った頃に急変して母は亡くなった。
去年は辛く悲しい年だったなぁ。
2chでこんなとこがあったのか。
もう7年前だが父を亡くした。
あんたがたの気持ちはよくわかるよ。
何もいわず、あなたの肩をぽんと叩く。
>>444 デカい板だからね
年々板自体の項目も増えて行ってるし
大抵自分の知りたい見たい板やスレってあるもんだよw
母が癌になる前はこの板なんて見向きもしなかったな。
母の癌が発覚してからは余命宣告スレにお世話になって、今ではココに居着いている。
本当にこんな状況は昨年の頭には考えてもなかったよ。
母を亡くして悲しいんだけど
高校1年の時母親を病気で亡くした同級生の女の子の
通夜での寂しそうな姿が浮かんで、「16歳でお母さんと別れなければならなかった彼女に比べたら
40歳で親と別れるのはそれほど特別なことじゃないんだから
悲しみに浸ってちゃダメ」とつい自分に言い聞かせてしまう…
>>447 他各位
「いやー俺が癌で良かった。お前ら(息子・娘)が癌になったら
どうしようかと思った」・・・と父が語っていたよ。
親を亡くすのはつらいけど、「順番通り」なんだ。
「順番破り」で子供を先に亡くされた方々の悲しみに比べれば
まだ耐えられる。
おお! 実は俺も同じ意味のことを書こうかと思ってたんだ。
「祖死親死子死」
死っていう不吉な言葉がいっぱいあるけど、中国ではめでたい言葉だそうで。
祖父母が死んで、親が死んで、子どもが死ぬ。年の順に死ぬことはめでたい事だと
いう意味のようです。昔、「浮浪雲」に載ってた。
俺は余命半年を宣告されたがん患者だけど、親より1日でも長生きしようと思っている!
450 :
L05:2012/03/18(日) 05:49:14.77 ID:WExW+3SU
ウチも同じ。
母(胆管癌 53)を三年前、父(肺癌 59)を一昨年夏に亡くし、次は自分の番。
年初に膵臓癌が見つかり 手遅れで抗がん剤も効かぬといわれ退院、現在は自宅で療養(?)中…
行けるうちにあちこち回り、ほぼ行けた。
あとどのぐらい動けるか分かんないが、痛みはまだ苦しいとまではいってない。
医師から告げられた期日でいえば あと二〜三ヶ月ぐらい?
苦しんで苦しんで逝くよりは 誰にも迷惑かけずにおだやかに逝くほうがいいね(+_+)
いい流れだな。俺も癌だが、おまいらのようには
死は切迫していないのでそのときおまいらのように
なれるかはわからないけど、おれも頑張るよ。
452 :
450:2012/03/18(日) 11:23:10.05 ID:WExW+3SU
父は入院42日で亡くなったが 母は二ヶ月苦しんだ(;_;)
人工呼吸器が嫌だったようだが 最後の一週間は哀れでした。
妙なこと言うが、普通に街歩いてるうちに ガタッときてそのまま眠れれば いちばん楽だと思っとる。
妹には悪いと思うけど。
私の母も人口呼吸機をいやがっていたな。付けたのは三日ほどだったが。
しかし、本当に悪くなるとあっという間なんですね。
前日までリハビリとかやっていたのに急に悪くなり三日で逝っちゃった。
454 :
449:2012/03/19(月) 08:56:34.96 ID:AqnqJSFM
>>452 俺は余命半年を宣告されたけど、この前過ぎたよ。状態も半年前とそんなに変わってない。
統計はたんなる情報であって、医者は予知能力者じゃないってことだよ。
自分の母は余命一年早くて2,3ヶ月といわれましたが実際は1ヶ月でした
進行がものすごく早かったみたい
早すぎて呆然としたけど苦しむ期間がものすごく短かったと思えば
母にとってはよかったのかもと思ってます
でも早すぎていまだにちょっと実感がわかない部分がある
普通に今でも入院してそうな気がたまにしてる
>>455 わかる。
うちの姉も急に悪くなって亡くなったから
もう一ヶ月近くたつけどいまだに実感わかない。
病院や実家に行ったらいるんじゃないかと思っちゃうよ。
でも時々亡くなった時の病室の風景や
様子を思い出して苦しくなる。
これが現実なんだなって。
自分は信じようとしないことで現実逃避してるだけなのかも
母は家に居て急変し、病院に行って3日後に亡くなった。
春頃からは外来通院していて体調が悪い時があっても「もう入院は嫌だ」と言っていた。
母は死期を悟って最期まで家に居たい、家族と一緒に過ごしたいと思っていたんだろう。結果的に最期は病院に行ったけど直前まで母は家族と過ごすことが出来て良かったって思っているかも・・・ いや、そう思いたい
自分もなんだか実感がわかない
医者にもう治療法がないと言われても
あと1〜2週間、もういつ逝ってもおかしくないと言われても
お棺の中で眠っている顔を何度見ても葬儀が終わって遺影を眺めても
次の朝になったら「何だ、夢か」と思えるような気がしてしまう
でも何回朝を迎えても夢から覚めない
自分もいつか戻って来てくれるんでは、という思いが消えない。そんなことないとも解っていますが。
まさかこんな早くに亡くなるとは思っていなかったから、話しもしっかり出来なかった。
最期に交わした言葉が「また明日来るから」で結局明日はなかったよ。
癌ってやっぱりストレスが良くないのかな?
元々、うちは母方も父方も脳関係で亡くなる人ばかりで癌はいなかったのに、
震災以降は、親戚含めて身内も癌になったり、進行が思ったより早くて
あっというまに死んじゃって。
癌家系になっちゃったよ。
癌家系でもない癌体質でもない母に癌が発覚した時、「原因はストレスですね」と・・・投薬治療して良い方向にきていた時に震災があり、病院が負傷者を受け入れるため、一時、外来通院患者は停止。(当然母も行けない)
停電、余震が続きそれの恐怖で更にストレスが重なり、また進行して半年経とうとしている時に亡くなった。
ストレスさえなければ母も癌になることはなかったのに・・・
母がいなくて辛い
462 :
460:2012/03/20(火) 16:38:11.72 ID:ELm6UBP1
>>461さん
うちの状況とよく似ています。やはりストレスで悪くなるんですね・・・
震災前から調子悪いとは言ってて、ちょうど3月20日くらいに検査する予定でした。
でも、震災でやはり検査延期となって、5月にようやく検査をし、癌が分かりました。
比較的進行が遅く、転移もしない癌って説明受けたのに、あっというまに全身に転移。
震災で私自身も大変で、思いやってあげられなかった・・・逆に辛く当たることもあった気がする。
それが申し訳ないです・・・
3月3日に大腸がんで母を亡くした。
何も恩返ししてあげられなかったって言う気持ちも強いけど、
余命1〜2ヶ月といわれてたところを9ヶ月も生きてくれて、
自分の住んでるところまで家族旅行で来てくれたし、
亡くなる数ヶ月前に電話で
「こんなにたくさんの人に心配されて、思ってもらえて、私は人生幸せだよ」
って言ってくれたのが救いだったかもしれん。あれは車の中でボロ泣きした。
嫁や孫の顔見せてやりたかったなァ
母親を亡くしたんだけど夜中だったこともあり家族の誰も看取れなかった
看護師さんは「最期は私がずっとついていましたけど
苦しまないで亡くなりましたよ」と言ってくれたけど
結局モルヒネも打たなかったそうだし本当は消灯時間で真っ暗な中、
ナースコールも押せずに一人で苦しんで最期を迎えたんじゃないか
と思ってしまう。実際苦しんで亡くなったからって
看護師は事実を遺族にバカ正直に伝えないだろうし。。
亡くなって間もなくなら苦悶の表情も元に戻って
一見安らかな表情になるだろうし…
……とは言ってもこれは自分の中でそう思っているだけで
看護師の話を信じて「苦しまなかったことが唯一の救い」と思っている父親には絶対言わないけれど…
>>464さん
お疲れ様でした。
私も家族を癌で亡くしましたが、最期までやはりモルヒネは使いませんでした。
死期間近になると、酸素不足や尿毒症・・その他諸々で、意識が薄れ、痛みも感じなくなるそうです。
実際に最期の日は「痛い?」って聞いても、朦朧として「眠い」って答えてました。
結局、家の場合は、元々心臓が悪かったので、心臓発作を起こして逝ってしまいましたが、
それでも、苦痛の表情を浮かべたのは発作時の10〜20秒でした。
それはそれで、一瞬の苦しみだったので、良かったと思うようにしています。
こんな話でお役に立てないかもしれませんが・・・
忘れられないのがさ、
チェーンストークス呼吸に入って、
ハーッ(沈黙)ハーッ(もっと長く沈黙)最後の一呼吸がカニのようにぶもわっと
すごい圧がかかったのか、口から鼻から血の泡が吹き出したのがさー。
血走った目もグワッと見開いてさー。
胸の音は泡の弾けるブチブチブチチチ・・・って音で、
何がどうって訳じゃないけど、ああいう姿は何度でも鮮明に思い出すのね。
半狂乱になって酸素マスクを振り払って、血の泡を両手で拭って弟に頬摺りした母のうめき声とか。
その思い出してしまうことを周囲の人に理解してもらえないのがしんどいのね。
別に同情とかして欲しいんじゃないの。
日常生活の中で不意に思い出して、あーっ。。ってなることを理解して欲しい、それだけなの。
ただ本当に単純に思い出してしまうの。
わかってもらうのは難しいのかなー。
なんかあと、エンジェルケア?ってずるいと思う。
人間死ねば安らかな顔になるんだよ。
綺麗な顔にしてもらって、苦しまなかったね、とか言われると、はぁ!?ってなる。
すごい形相のまま見送れとかそういうんじゃなくて、
本人苦しかったんだよ、辛かったんだってさ、苦しくないとかの奇麗事で片付けられたくない。
病院でやってくれるのはそれはありがたいことなんだけども、せめて家までは戦いの痕跡を残していてもいいんじゃないかなって。
だって死んじゃうぐらいの苦しみと戦ったんだから、何も知らない親戚に「安らかだね」とか言って欲しくないわけ。
こうやって自分の書いてる内容を読み直してみても、遺族ってのは千差万別で非常にセンシティブでナーバスな扱いにくいものだなと思うんだわさ。
でも、なんていうか・・・もうちょっとおのおのやりようがあってもいいんじゃないかなぁ、って・・・。
母が亡くなってから自分は母にとって自慢のできる娘でいられたんだろうかとよく考える
私も母の最期の姿、忘れられない、焼き付いていますね。
少し開いた口、開いているけど何も見ていない目。まだ温かいが人の温もりではあの感触。
その光景が突然に浮かび上がる時があり苦しく辛い。
亡くなる瞬間、自宅で私独りで看取ったから本当に怖かった。
どれが最後の呼吸なのか、まだ次の呼吸があるんじゃないかとむちゃくちゃ混乱したなぁ。
みなさんフラッシュバック的なものがあるんですね。自分だけじゃないって少し安心しました。
私はエンジェルケア、有難かった。葬儀のいわゆるおくりびとの人の作業見る方が辛かった。
鼻ん中紐みたいの入れてゴシゴシ拭いてるのとか、「昨日までイレウスチューブ入ってて痛くて苦しかったんだよ!」
って叫んでやめさせたくなった。
そのへん、訪問看護師さんは痛かったところ、辛かった症状等考慮して優しく優しくケアしてくれたので、
共に闘ってくれた人こその心配りだなと思ったよ。
>>467さん
ごめんなさい、エンジェルケアは弟さんのことだったの今気付きました。
軽率に発言してしまいすみません。
最後の瞬間、とても辛そうだったのですね。467さんもお辛かったですね…。
人が亡くなる瞬間をリアルタイムにつぶさに見届けるって、なかなかないことだし、
それが大切な人の死であればなおさら、経験したことのない人にはわからないのかもしれませんね。
私も母の死の瞬間を独りで看取ったので、あの時の悲しみや辛さは後から駆け付けた
家族の誰とも共有できません。
ここはそれをわかってくれる人がいるから、気持ちが少し安らぎます。
472 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/23(金) 16:32:25.97 ID:WILADAbC
四十九日は終わったが、初盆だの一回忌だの意味あるのかよ。そんなもん出来る余裕があるなら生きてるあいだにもっと色々するよ。
四十九日はまだだけど、つい最近まで病気と闘ってるのを見てたのに
急に仏事や手続きに追われてわけがわからなくなる。
非常識な嫌な親戚が居座ってなかなか帰ってくれなかったり…
亡くなった後の役所や法要の手続き、亡くなった瞬間から始まりますからね。
自分は葬儀屋すら決めてなく、てんやわんやでした。
今考えればもっと良い選択がありましたが、あの時はそれが限界、そう思う事にしています。
475 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/23(金) 20:10:02.81 ID:98xtz0Uc
宗教家や信心深い人には申し訳ないが、死んだ後にすることに意味
がないと。故人をしのぶという周りの人間への配慮で一応やっているが
ほんと無駄なことだと思う。
まあこんなこと言ってる俺は地獄行き決定かなw
476 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/23(金) 21:15:36.50 ID:nurtQRQx
そうだよね
遺族はモメ事ばかりでうんざりってのが本心
悲しいのに、悲しみを抑えなくちゃいけない現状が辛い
大事な跡取りが亡くなり我が家は散々です(T ^ T)
たしかに生きているうちにいろいろやってあげたかったけど
私は葬儀や四十九日等でお経を読んでもらって、いくらか救われた気持ちになったけどなぁ。
まぁお経読んでもらったくらいで簡単に天国にいけるとは思わないけど
本人の希望や残された家族たちが無意味だと思うなら、そういうのは省略してもいいんじゃないかとは思う。
最近そういう葬儀が流行ってるみたいだけど、料金の問題だけじゃなく
結局、葬儀やその後の法事は遺族のためにやるものだから。
私は普段は宗教とは全く無縁の生活だったけど、高校大学と仏教系だったから
いくらかそういうことに馴染みがあったし、
大学時代に相続関係の法律の勉強をかじったのが今になってちょっとだけ生きてきた。
うちは家族が少ないからそんな勉強しても意味ないみたいな事言われたけど
いざそういうときに直面すると、知識がある分いくらか冷静に対応できた。
いいかげんな父に代わって大学まで行かせてくれた母にただただ感謝。もういないけど・・・
478 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/24(土) 18:51:10.47 ID:wnr9Oaa9
>>477 >本人の希望や残された家族たちが無意味だと思うなら、そういうのは省略してもいいんじゃないかとは思う。
家族「たち」っていない(俺一人)んだが親族はやたら多いわけ(母は兄弟姉妹が多い)
だから俺はしたくなくてもそうもいかないのよね。
まぁ、死んだ人ってのは、死んだ時点から、最早「親族を集めるアイテム」でしかない。
親族付き合いが好きな人には良いアイテムだし、そうでない人には面倒なアイテム。
それだけ。
母が亡くなったが親戚とは絶縁状態だから呼ぶべき人もいない。
参加者私一人だけど、四十九日法要はしっかりやった。
一周忌もやり、そこで納骨する予定。
私も宗教は信じてはいないけど、気持ちの整理付けるにはいいと思っている。
職場の60代の人(女性)が、「自分が死んだ時は火葬するだけで
読経も戒名も墓もいらない」みたいに言ってたけど
旦那さんに、「そういうことがしたいのなら、生きている間に親戚みんなにそのことを知らせなさい」
と諭されたそうだ。
本人の希望で、事前にみんなに知らせてあれば、残された人たちで
そういう葬儀をやっても許されるのかもわからないね。
482 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/25(日) 18:43:23.51 ID:fux912nZ
兄妹は関係ない?
兄が亡くなり兄嫁さんに言われました。
483 :
がんと闘う名無しさん:2012/03/25(日) 18:54:52.04 ID:fux912nZ
途中で送ってしまいました。
あなたは関係ない人だから。
と言われしまい、兄が亡くなったのを
悲しむなとお叱りを、、。
訳が解りません。
我が父親はとても苦しんでいたようだから、亡くなった時はそりゃ
悲しかったけれど、ほっとしたね。ああ、もうオヤジ苦しまなくていいよ、と。
もっと医者に頼んで、苦しませずに眠り薬を入れて意識落としてやれば良かったと
後から思ったけれど、その時はもう何も出来なくてただ見守るだけだった。
>>483さん
まぁ、兄嫁さんも一杯一杯なんでしょう。
もちろん貴方が悲しいという気持ちは縛られる必要はありませんよ。
>>484さん
後から考えれば、というのは際限ないですよね。
だから私はあれで良かったんだ、と思うようしています。
所詮は後の祭、今更だとも。
心残りはいっぱいありますよね
私もあの時ああすれば、こうすればとか、
もっと優しくすれば、もっと一緒にいてあげればとか後悔ばかりです
でも、それでも、あの時の私には、あれが精一杯だったって思うようにしてます
その思いを忘れずに、他の残された家族を大切にしようと
それを教えてくれたと思ってます
私の一番の心残りは母を看取れなかった事と予定していた外出が出来なかった事ですね。
母の誕生日が数日後に控え、医者からも誕生日に外出許可を得ていたのに急変、誕生日の翌日に逝ってしまった。
そして急変する中、母が死ぬのを認められず、明日もまた来るから、と離れたらその直後に亡くなってしまった。
この二つはどんなに時間が経っても和らぐ事なく自分を苦しめるんだと思う。
今年就職する友人たちが「初任給で親に何してあげる?」という話をする。「両親を食事に連れていくとしたら自分もいた方が良いのか」とかそんな他愛ない話。
私は二年前に母親を亡くしていて、両親に‥って話に入れないし、みんな母親いるんだなって羨ましくなる。悲しくなる。寂しくなる。
彼女らは、私が母親を亡くしたのは二年も前のことで、すっかり立ち直ってると思っているのだろう。いちいち気使わせるのも悪いと思うけど、なんだかな‥その度心がえぐられる
亡くなった母がしてほしかっただろうな…という後悔じゃなくて
自分自身がしたかったという類の後悔なんだけど
母を抱きしめたかったな。。もう先がないといわれても
「末期といわれても何ヶ月、何年も生きた人もいるもんね!」というスタンスで接していたので
目の前で涙も流さなかったので抱きしめてボロボロ泣くとか
絶対に出来なかった。体のマッサージは毎日していたから最後のスキンシップが不足していたわけではないし
後悔と言っても実際今同じ状況に戻ったとしてもできないけど。
>>489 わかる。
まだ余命を宣告されていたわけでもなかったから
本人を不安にさせたくないし、
なるべくいつも通りに接してたら
あっという間に行ってしまって抱きしめることもできず。
後悔先に立たずですね。
思い立ったときにしておけばよかった、ってことが山ほどあります。
朝ドラのカーネーション、故人も楽しみにしていたし
毎日見ていたんだけど、
病院での話になってから辛くなって見なくなってしまった。
思い出して泣いてしまうのがわかりきっているので。
病院が舞台のドラマとかしばらく見られないわ。ヘタレです。
膵癌は怖いね。母方祖父と母は膵癌で逝ってしまった。
自分も気をつけようと思うが気をつけても、定期検診してても膵癌には無駄な気がしてしまう。
膵癌だと発見→手遅れなイメージ。
この前亡くなった母も随分と前から膵臓に腫瘍があるから良性か悪性か見ていきましょうと医者は言っていたのに数年していきなり余命半年宣告。
まぁ、他の癌もあるから定期癌検診はやろうと考えているけど、自分も膵癌で死ぬのかな?と恐怖にかられる今日この頃。本当に怖い。
膵臓癌は、根治術ができた場合の1生率(5生率ではなく)が50%だから。
手術しなければ1年後には90%の人が亡くなる。
だから、手術を受けて生活の質が下がる時間を考えると、
ご高齢や進行した人には手術を勧め辛い。
それくらい厳しい癌。他の癌とは別格。
一番手術のメリットがあるのは若い人の早期発見。
膵臓はエコーでも見難い場所にあるから、
年に一度はCTも撮れるといいんだけどな。
年に一度のCTなんて被曝量も馬鹿にならんよ
それから半年に一度胃カメラやってた逸見さんも胃癌(スキルス)で亡くなられた
凶悪無比な膵癌が一年一回のCTで防げるとは思えない
膵臓癌を一年も放置したら発見の時点でおしまいだろう。なら何もやらない方がまし。
残りは3か月毎のエコーと、腫瘍マーカー採血だろうな。
家族歴がきつければ被曝量と比較してもメリットはあるだろうからお勧めはするが、もちろん強制じゃない。
半年毎のGFSを何故やっていたかは知らんが、sigならそれは見つからなくて当たり前。何の例えにもなってないぞ。
495 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/01(日) 20:15:38.13 ID:IDSrykry
私の父が、末期がんで入院してるんですが、目がおかしいんです。
片目がゼラチン張ったみたいに透明というか…
意識はまだあります。
ネットで調べたら、亡くなる前の症状に、こういうのがある、と載ってたので、もう先は短いのでしょうか?
496 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/01(日) 21:36:44.13 ID:GBVyKQdW
祖母が末期ガンだと昨日知りました。
余命はまだ判りませんが、どんなことをしてあげたら良いでしょうか
最後まで祖母の為に何かしてあげたいんです
497 :
【大吉】 :2012/04/01(日) 21:54:56.28 ID:dm8qJFQ+
一分でも一秒でも長くそばにいてあげるがいい
>>495 意識はあっても状態は?
目の瞬き反射がおかしくなって目が乾くのは、
癌の部位や現在されている疼痛緩和処置によっては、死前兆候にはならないこともあるから。
看護士さんにドライアイ用の目薬さしても良いか聞いて、大丈夫ならやってみてもいいかも。
499 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/02(月) 21:00:31.81 ID:IF9+WUbP
四ヶ月経つのに振り切れない。
情けないと思うがどうしようもない。
何かいい方法ないかな。
>>500 遺族会はどうでしょう?
もちろん乗り越えるのは自分自身だけど
自分以外に同じ境遇の人がたくさんいる、というのは心強いと思う。
同じ喪失感や悔しさややるせなさを感じてるのは、自分だけじゃないんだなって
>>500 4ヶ月じゃまだまだでしょう。
振り切れなくて当たり前で、それは情けないことではありません。
あなたがまともな心を持った人間であることの証明です。
肉親の死が風のように振り切れるようになるには10年単位の時間が必要ともいわれます。
503 :
500:2012/04/04(水) 00:33:19.43 ID:x0NYO0+X
ご助言ありがとうございます。
>>501 遺族会や分かち合いの会など以前に考えたのですが、宗教とか絡むのかと怖くなり避けてました。
今一度調べてみようと思います。
>>502 十年ですか。
とにかく今は前向きに生きていこうと思います。
504 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/05(木) 22:33:10.20 ID:hSM0CG2F
496のものです。忙しくて連絡が遅くなりすみません。
アドバイス有り難うございます
505 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/06(金) 04:20:11.18 ID:6kMv3Qax
友人が亡くなった
三年前に胃にしこりがあると手術
その後の検査でガンと診断され、また手術
抗がん剤しながら入退院繰り返していた
年末に会った時にまた入院するって笑ってた
自分のことあまり話さない人で
いつも入院する日も教えてくれなくて
一ヶ月前くらいに、道路の反対側をお友達と歩いてたの見かけて
おじゃまかなと声かけなかったけど
話しておけばよかった、悔やまれる
馬鹿自分、、
まだ40代だったのに
明日お通夜行ってくる
長い闘病生活の末、父が亡くなった。
早すぎる死で、花嫁姿も見せることができなかった。
末期に入ってからは、日に日に弱っていく父を見ながら、何で病気になんてなっちゃったの?と心の中で父をなじってしまったこともあった。
でも、弔問に来てくれた父の元部下の方が、父は病気が見つかってからは特に、部下を育てることに注力してた、自分も沢山のことを教えて頂いたと聞かせてくれて、目が覚めた。
父に恥じぬよう、私も一生懸命生き抜きます。
長文失礼しました。
507 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/06(金) 12:00:47.96 ID:ozimAh8N
508 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/06(金) 13:47:23.63 ID:Uh2ti6ih
母が亡くなって、二月。去年の花見は元気で小旅行した思い出。今年は花見客見るのも辛いのに、事情をよく知ってる人から、「今年はどこの花見に行くの?」と 脳天気に聞かれた。
どん底 再び…
>>507の千の風になって、母が亡くなる前は聞いても何も思わなかったけど、今は聞くと涙が溢れてしまう。
>>507 リンク、ありがとうございました。
今、帰宅中ですが、外ではとても見られません。
本当に、母が存命の時は、二人で笑って聴いていたのに、今は、とても簡単な気持ちでは見れませんね。
511 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/07(土) 02:17:10.64 ID:RgPq1JfJ
昨日の午後7にじいちゃんが亡くなった。
去年夏に肺癌が見つかり10月に手術したんだがすでに転移していて何もできなかった。
入退院を繰り返し、日に日に痩せていき最終的には歩くこともできず喋ることもできなかった。
昨日の昼に病院に行った時はご飯も食べていつもより少し元気だったので安心して4時頃に帰ってきたんだがその3時間後に急変して最後はあっさりと逝ってしまった。
昨日は虫の知らせか知らないが自分は本当は昼から予定があったんだがその予定を断って病院へ行ったり、普段こない親族が来たり、ばあちゃんはいつも夕方4時に帰るのだが昨日はたまたま8時までいたりと皆いつもより違った行動だった。
そのお陰でじいちゃんはばあちゃんに手を握りしめてもらいながら息を引き取りました。
今日はばあちゃんとじいちゃんの結婚記念日だったのであと1日だけ生きてて欲しかったとばあちゃんは泣いてた。
癌は肺から胸、最終的に心臓までいってたらしい。
なんか今にも目を覚まして起き上がりそうな感じでまだ死んだという現実が受け止められない。
これが夢だったらいいのにな。
長文すまん。
513 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/07(土) 12:11:43.91 ID:Xu/6oCoK
なにか言ってあげたいがなんて言えばいいんだろうな
適切な言葉ってなんなんだろうな
514 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/07(土) 16:03:43.47 ID:ySGGfMvU
2月にあっという間に末期癌っていわれ、
亡くなった祖母の死を受け止められないままでいるのに、
一昨日から子供のように可愛がってた愛犬が癌転移の可能性があったらしく危篤状態になった
今、愛犬は落ち着いてるけど、もう嫌だ
まだばあちゃんの49日も経ってないのに・・・
愛犬が死んだら後を追って死にたい・・・
>>514 自殺はダメだよ。生き抜かないと。
生きて生きて生き抜かないと先に逝った人達には会えないよ。
私の親族は皆、逝ってしまったけど私は生き抜くよ。
生きていれば良いことも悪いこともある。今がどん底なら、この先なにがあっても乗り越えられるよ。
だから生きてみようよ。
大変だけど乗り越えた先に大切なあの人は待っていてくれるのだから。
つらいのはあんた一人だけじゃないんだよ。
何の力にもならないけれど、分かち合える。
517 :
464:2012/04/08(日) 00:56:57.57 ID:+KDo4L9L
>>465 すみません。なんとレスをしたらいいかと思って日にちが経ってしまいました。
お気遣い本当にありがとうございます。
去年8月に、父に膵臓癌が見つかって、もう末期で余命半年って言われたのに、9月末には亡くなった。まだ55歳だった。
私も、母もまだ全然立ち直れてないのに、今年1月に父方の祖父が咽頭癌で余命宣告された。
先日先生に、祖父は今月末までもたないと思うって言われた。
なんでこんなに不幸が続くんだろう
先月体調崩してそのまま入院、癌宣告。
末期に近い状態って言われてたけど余命も言われぬまま、父が今日逝ってしまった。
金曜は体調もだいぶ良くなって、元気にご飯も食べて。
来週には点滴が取れるねって話してた矢先だった。
一度家に帰って来て様子見ながら通院出来ると良いねって話してた。
死に際に立ち会えなかった。
病院から連絡を貰ったときにはすでに心配停止って言われた。
一人で逝かせてしまった。寂しかったと思う。
家から5分もかからない距離の病院なのに。
ひとつだけ救われることがあるとすれば、父があまり痛がらずに逝けたことくらい。
お父さん、一ヶ月の闘病生活お疲れ様。大好きだよ。
>>519さん
お疲れ様です。
私の母も外出許可を薦められて申請した直後に急変、私も看取れず亡くなりました。
元気だったのにあっという間に悪くなり逝ってしまった。
ただ苦しむ期間が短かったのが私も幸いと思います。
大変かとは思いますが、頑張って下さい。
悲しみを紛らわす、癒す良い方法あるのかな。
>>521 何かに没頭して疲れて寝る
仕事が一番だ
>>522 やはりそれが一番ですかね。
そして時間が癒してくれるのかな。
ありがとうございました。
524 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/14(土) 00:11:43.20 ID:h1pr6jJ8
人生を頑張る大半の理由がなくなっちまった…
525 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/15(日) 02:51:34.54 ID:mVAyM3zF
去年、原発不明ガンで母を亡くした
本来なら次は自分の子供や孫に
頑張って貰うために己が生きてくんだけどな
相手も無く一人で死んでくであろう俺には辛いぜ
私も命を繋げないかも。
未来が、明日が全く見えないよ。
今は惰性で生きている、母が亡くなる前の自分をトレースしてるだけに思えてしまう。
私自身も癌を手術した身なので
生きる気力が無い
結婚することも無くもちろん子供も無い
親の焼かれたお骨を見てから
もう自分自身も終わった気がする
自分の家族がある人は未来があっていいよね
>>521 自分は数年前に母を癌でなくしたけど、言い方が適切か分からないけど、悲しみを先に済ませたと思ってる。
もう死んじゃったから、その辛さを先に味わったから、もう人生で再度同じレベルの悲しみはないから、安心してる。
まだ母親が健在な人は今後いつかそれを味わう事になる。ああ、可哀相だなと思う。たぶん私性格歪んでるわ。
母を亡くして、自分自身もやる気がなくなった。毎日仕事、家のことの繰り返しで何とか生きているだけ。
これからもずっと、それの繰り返し、張り合いない。
532 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/16(月) 18:21:22.86 ID:d12zuF0b
もう三年前に母親を肉腫で亡くした。
かなり珍しいし予後も悪い病気だけど、病院の検査で腫瘍が潰れて
急激に悪化したとしか思えず非常に悔しかった。
術前の腸の検査後に急変して検査入院前は普通に生活してたのが
様態急変して一週間ほどで亡くなった。
一年くらいはうつうつしてたけど、今はたまに思い出すくらい。
でも詳しく思い出すと当時の気持がよみがえってくるからわざと考えない
ようにしているんだと思う。
>>530 自分が先に亡くならない限りは必ず親を見取るんだよね。
533 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/17(火) 14:38:19.48 ID:tCF9yTe3
>>531 私も同じです。
無気力状態ですが、なんとか仕事も家事もやってます。
母と同じ処に行きたい思いは強いです。
でも自殺しなくても人は必ず死ぬんですから
それまでの辛抱だと思って踏ん張っているというか。
いつか母と会えるって希望を持って生きています。
あの世で母と会えたら、私、頑張ったよって言うつもり。
今はそんな風に思って生きています。
534 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/17(火) 15:12:12.52 ID:mrbROsO3
嫌いじゃないけど、会話が少なくあまり話さなかった父が白血病で亡くなって
親孝行できなかったことを後悔してる。
3月に大学卒業したけど就職決まってなくて母親にも迷惑かけてる。
親のために頑張ろうとやる気はあるけど、結果が出なくて毎日泣いてるわ。
闘病中も辛いのにいつも自分のこと心配してくれてただけに申し訳ない。
父と代わってあげたかった。
535 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/17(火) 16:16:26.84 ID:tCF9yTe3
>>534 ああすればよかった的な後悔をする人のほうが多いと思うよ。
自分もそうだし。
焦らず仕事を探して、お父さんに報告したらいいよ。
メソメソしてウツになって引きこもりになったら
就職するのはもっと大変になるよ。
今が踏ん張りどき。辛いかもしれないけどね。
536 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/17(火) 17:39:24.41 ID:pX8X/2Cc
ビックリした事、駄文です^^;
姉が亡くなり三ヶ月経ちました
泣いてばかりの生活から少しだけ立ち直ったかな?
って思っていたら
身体の変化に気付きました
●花粉症なのに症状が軽い
●生理がこない
こんな事ってあるのでしょうか?
不思議です。
537 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/17(火) 20:33:28.80 ID:Y8ZriYdh
>>530 私も、同感です。
辛い思いをするのが早いか遅いかだけです。
今はもう介護の心配もないし、辛い思いをしなくてもいいんだと思うと気が楽です。
ひねくれてなんかないですよ。辛い思いをするのはかわりないですから。
自分ももっと親孝行すれば良かったと思うことはたくさんあるけどとにかく本人に生きてほしかったので、
末期と言われてからも見舞いに来る時は必ず子供(孫)を連れて来る弟に微妙な気持ちになった。
「孫を見せたから俺の親孝行は済んでる」みたいな主張に思えてしまって。。
もう赤ちゃんとキャッキャ出来る容態じゃないんだし私だって家族総出でやって来る弟一家を
もてなす暇があったら母のそばについていたいと思うのになんでいつも1人で来ないんだろうと
苦々しい思いがした。それとなく伝えても「何で?母さんだって孫に会いたいでしょ」と
こちらの言ってることが理解できないみたいだった。
孫の顔見せてハイおしまいと、ろくに母と話さず帰るんじゃなくて
会話するとか体をマッサージしてやるとかしてほしかった。
危篤が告げられてやっと父が「1人で来るように」と釘を刺し
亡くなる前日にやっと母に触れてくれた。
何故孫が可愛いかっていったら、可愛い我が子の子供だからだよね。
やっぱりいざという時には息子・娘にはかなわないんじゃないかな。
そりゃあ結婚して子供にも恵まれて幸せな姿を見られたら安心するだろうけど
お父さんお母さんにしたら、
元気で過ごしてくれれば十分って思っている気がする。
お母さん息子さんと触れ合うことができて良かったですね。
うちの母は、孫には自分がやつれていく姿を見せたくないって言ってた。
だから子供たちは夫に任せて、なるべく一人で会いに行ってたんだけど、
亡くなる一週間ほど前に仕事終わってから顔見に行ったら、
「なんだ、一人で来たの…」って言われた。
ああ、やっぱり孫に会いたいんだなって思ったよ。
だから翌日、子供たちを連れて会いに行ったんだけど、
もう誰が誰だか分からなくなっちゃってて…
最後の言葉が「なんだ、一人で来たの…」になっちゃった。
538さんのお母様は幸せだったと思う。
孫の顔も見れたし、娘さん(だよね?)もこんなに自分の事を考えてくれてて。
ああ、自分のこと書きにきたんだった。
14日に母が亡くなったんだけど、火葬場に空きがなくて、
明日(もう今日か)やっと通夜…。
さっき実家からの帰り道、自分の母の名前が書かれた看板をたくさん見て
涙が止まらなかったよ。運転できなくて路肩に停めてしまったわ。
母が亡くなってすぐに父が「母さんに化粧してやってくれ」って言うから、
しましたよ。カサカサに乾いた肌や唇に化粧水叩き込んでさ。
グラデで印象的な目元を作り上げ、頬だけでなく耳朶や首筋にも
チークを入れる事によって、まるで生きてるみたいに仕上がりましたよ。
みんな顔を見にきて「起こしたら起きそう…」って言ってたよ。
起きてよ。
起きてよお母さん。
542 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/18(水) 02:07:29.48 ID:F9XSYVx9
今なんとなく、亡くなった父のことを思いだし、感謝の気持ちも伝えられなかったなぁと考えはじめたら涙が止まらなくなりました。
2年前の俺が21のときなんだよなー
親父と酒のみたかったなぁ
何恥ずかしがってたんだよ俺は
久々に父が夢に出てきた
夢の中で家に帰ってきた父に「どこ行ってたの」って聞いたら
「横浜まで」(仕事で毎日行ってた)って答えてた
父はまだ仕事に行ってるらしい
そんで泣きながら父を抱きしめたら、父も泣いていた
会いたいなー
一昨年、手術に付き添ったときの覚書が出てきた。
私に宛てたメモも。
思い出してまた涙が出た
あの時は病気が良くなることしか考えてなかったよ。
なんでいなくなっちゃったのかな。
H19年 ばあちゃん他界
H20年 かあちゃん他界
H23年 とうちゃん他界
家に帰ると真っ暗で、そこには当然誰も居ない。
あるのは、家の隣を流れる川のせせらぎと俺の記憶だけ。
でも、心の目で見ると、そこにはみんな居て、楽しそうに笑っている。
だから、いつも心の中で話し掛ける。
今も昔と変わらない。
時は過ぎ行くものではなく、蓄積するものだ。
546 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/18(水) 23:36:32.56 ID:3E8hEJMD
>>545 みんながんだったのですか?何歳で亡くなったのですか?
家族の死が続くと辛いですね。
じいちゃん、ありがとう
ごめんね
一昨年父が死んだ
日に日に痩せていって、最期には骨と皮だけになってた
私は死ぬ数日前まで癌だとは知らなかった
親孝行もまだなのに
何もしてあげられなかった
そして今、愛犬も癌になってしまった
もう歳だから手術も難しい
この子も父みたいになるのか
また私を置いていってしまうのか
またなにもしてあげられないのか
涙が止まらん
もうわけがわからんよ
549 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/19(木) 22:51:16.64 ID:Dkl/DgTT
身内を亡くした人が、亡くなった方がなかなか夢に出てこない、ということをよく聞く。
亡くなられた人を惜しんでいつも考えているのに、だ。よく夢はその人の心が現れると聞くことがあるが、
もしそうなら嘆き悲しむ対象の人が毎日のように夢に出てきていいはずだ。
自分も親父や大切な人を癌で亡くした。
親父が死んで10年になるが、たまに夢に出てくる。死んだばかりのときはまだ死ぬ死ぬ病んでいる親父。
次に出てきたときはもう少し良い状態の親父、とだんだん恢復していき、最近みる親父はもう病気になる前の
颯爽とした親父だ。
この前手術で麻酔をされた人が、亡くなった友人が降りてきた、といっていた。
深い深い眠りというのは死後の世界に近づいているのではないか、と勝手に思い込むようになった。
自分が深く眠っているとき時々親父のいる世界に近づく。そちらの世界に逝った親父はすぐに
自由なからだになるのではなく、だんだんに病んだ状態から良くなって自由になっていくのではないか。
亡くなった母の夢、亡くなった一ヶ月の内に二回ほど見た後は見ていないな。
なんか夢自体見なくなっている。
最初は見ると惨めになると思ったが、今は何故夢に出て来てくれないの、と思ってしまう。
夢でいい。私に声をかけて欲しい。触れて欲しい。抱きしめて欲しい。御飯を作って欲しい。
唯一無二の親友が逝ってしまった・・・
最後まで弱音を吐かなかったな。
俺は彼にとってそこまで重要な存在ではないかと思っていたが、
彼の両親から、癌であることを打ち明けたのは俺のみであり、
親族以外で最後に会話を交わしたのも俺だと聞いて号泣した。
気を使って一歩引かずに、もっと親身になって会話をきいてあげるべきだった。後悔しか残ってない。
訃報を聞く前日、彼が夢に現れ、元気にバスケしてた。
俺がお前体大丈夫なのか?って聞くと、病気はすべて嘘だよバーカ!
なに泣きそうな顔してるんだよキモイwって笑い飛ばしてくれた。
現実であってほしかったな・・・
>>549 私もです。母の亡くなった直後、夢に出てくる母はいつも体調悪い母でした。最近は元気な母が出てきます。徐々に回復しているのでしょうか。
夢でもいい
会いたい
早いよ…
もっと孝行したかった
もっと優しくすればよかった
ごめんごめんごめん……
このスレに書き込んでいいのかわからんが。昨日親しい後輩を亡くした。20歳だった
後数時間で通夜なんだが、どんな顔すればいいのかわからん
半年前はあんなに元気だったのに、実感がないというか喪失感というか変な気分
今日の夢があいつらと談笑してる夢だったのは神か悪魔の悪戯なのかね
身内ではないが、癌で亡くなられた大切な人の形見を取り出してみた。
その人の匂いが染み込んでいた。
匂いは記憶中枢に近いところで感じるので、その人の思い出がどどどっと溢れてきた。
今朝、父が他界した。
1年と2ヶ月の闘病生活辛かった筈なのに、昨日まで元気に振舞ってた。
まだまだ大丈夫だと思ってた自分が馬鹿でした。
今まで本当に有難うね。
>>553 まったく同じ気持ち。
母が亡くなる時、逃げてしまった。看取れなかった。
最後の家族、血縁だったのに逃げてしまった。
ごめん、母さん。一人でいくの寂しかっただろうに。
最後の最後で最大の親不孝してしまったよ。
眠れない
夢ばっか見るんだけど
肝心の故人は出てこない
出てきてよ
会いたいよ
もう一度話したいよ笑い合いたいよ
私も母が亡くなってからなかなか夢に出てこなかったので
故人を思う気持ちが足りないのかしら…と思ったこともあったんですが
意外と夢に出てきにくいものなんですかね。
3週間以上経ってやっと出てきてくれましたがやはりまだ病気の母でした。
3回目の時は少し回復したのか父の運転する車の助手席に乗っていました。
通院時はずっと、後ろのシートで横になっていたものですから…
でも後部座席にいる私を振り返った母は、周囲がカラーなのに1人モノクロで
顔はまだ強張っていました。
たしかにいつかは夢で元気な母にも会いたいけど、うちの家族も皆看取れなかったので
ひとり苦しみながら逝かせてしまったのにすぐに過去の思い出モードにしてしまうのも
母に申し訳ない気がして、苦しかっただろう時のことを今しばらくは思ってあげたいような、
複雑な気持ちです。
母が亡くなって1週間経った頃、父の夢に出てきた母はまだ病気だったが、3ヶ月後の母は元気だった頃の姿だった。
私の夢にもそんな明るい母が出てきました。
あの世に逝ってから病気が治るなら現世で治って元気でいてほしい。
561 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/21(土) 13:57:14.11 ID:bf46osOc
携帯電話の簡易留守メモのメモリーがいっぱいの表示が出たから、全件消去しようとしたけど、一件 公衆電話からのものがあった。ひょっとしたらと思って、聞き直してみたら、11月30日検査の帰りを知らせるまだまだ元気な声の母だった。速攻保護した。
明日は納骨です。
562 :
549:2012/04/21(土) 17:11:09.16 ID:WPWmBwuA
やっぱりみんな夢に出てくる死者は始めは病気だがだんだん良くなっていくんだな。
不公平にも早死にしてしまった人たちも、あっちの世界では元気に回復して颯爽と楽しくやっていると思えば
少しは納得がいくんではないだろうか。
563 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/22(日) 13:52:59.06 ID:oRkL5Tka
大学生の息子を亡くしました。一年間の抗がん剤と移植、最期の二月は仰向けで動けず飲めず、おしっこも出ないで大きくむくみ、緑色の状態でした。
助けてあげられなかった。どう謝ればいいんだろう
>>563 なにを謝るの?
看病された側としては感謝こそすれ恨むなんて気持ち湧かないよ
565 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/22(日) 16:05:23.12 ID:oRkL5Tka
本人は嫌がったのに、むりやりいい治療があると遠い病院まで連れてきてしまいました。結局、苦しめて殺してしまった。病院を移らなければ、まだ生きていた
私の父が悲しみもせず、きつい口調で何度も、苦しんで逝った息子を「親不孝だ」と言いました。かわりにあんたが死んで!と思った
死を受け入れられないとそういう表現になりますね>怒り
本当に怒ってはいるんですけど、実は悲しみの表現だったりします。
受け入れるまでにもう少し時間が必要ですね。
ECロスの「死の瞬間」もし立ち読みする機会があれば。
>>565 父親を責めるのはお門違い
息子が死んで悲しんでる時に
よく父親のことを「死んで」なんて言えますね
あなたおかしいよ
568 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/22(日) 22:58:01.10 ID:qsM/FNgq
順番から言ったら、お父上 からだよね。孫より長生きしてしまう、お父上なりの怒りの表現なのでは?
私の母の姉も「替わってあげたかった」と、会う度に言うけど、正直「そうしてくれても 構わないんだけど…」と 思う
u=nn
「代わりにあんたが…」とは思わないけど
看病している間に他の家族との温度差が気になったりすることはあると思う
具体的に書くのは憚られるけど、母が癌になって家族皆で協力すべき時なのに
たまに来て家事が至らないところをあげつらったり
精神的にも肉体的にも疲弊しているであろう父への労わりがなかったり
ああ…具体的には書けないけど母が亡くなる直前数日間の病室での言動とか…
わだかまりはいつまでも残りそう
571 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/23(月) 07:25:24.55 ID:C+MdPU1b
>>567 おかしいかもしれない。
苦しんで苦しんで、それでも一言も泣き言を言わず、最後は私が薬で眠らせてもらいました。心の中で必死に息子に謝っているのに、「親より先に逝くなんて親不孝だ」「頑張っていたんだからそんなこと言わないで」「親不孝は親不孝だ」
どれだけ辛い苦しい思いをしていたか何も知らないくせに、葬式にだけ来てそんなこと言うな、あんたがかわりに死んでよと本当に思いました
うちの父は肺がんと診断され4ヶ月ほど抗がん剤と放射線治療で入院
その後自宅で半年ほど定期的に検診受けて先日息を引き取ったんだけど
亡くなる前日まで自分の好きな事を楽しいそうにしてて元気だった。
朝トイレに行って下痢が止まらず、嘔吐しその場から動けなくなり
救急車を呼んで車中で意識が無くなり病院に着くなり心臓が止まった。
苦しむ時間が短く他界してしまった父にとっては良かったのかなと思う。
数日間、苦しみぬく姿を見せなかったのは父なりの思いやりなのかな。
本当に今まで有難う。あっちでゆっくりして下さい。
姉が闘病生活2年でこの世を去った
余命宣告を聞いてからの半年は
姉を思っては涙が出て仕方がなかった
いざ亡くなってしまうと
その瞬間は大泣きして、振り返ると恥ずかしい位だったが
病室で姉の体を清めたりしているうちに、すっかり涙は枯れ、心は鎮まり
通夜や葬儀で涙が出ることはなかった
遺体の一番汚れた部分を拭いてきれいにしてあげたのは私
ご主人や身の回りの世話を主にしていた身内など、
汚れた部分には触れずにきれいごとばかり
きれいごとばかり
574 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/23(月) 11:23:46.80 ID:pdFHuDl3
>┴< ⊂⊃
...-(・∀・)- ⊂⊃ 幸せだった日々
>┬< ワーイ
J( 'ー`)し ('∀` ) いくら金を積んでも手に入れられない思い出
( )\('∀`) )
|| (_ _)||
;;⌒::.;;.⌒⌒/ /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /::. :; ;⌒⌒:.:⌒:;⌒;;⌒
.. ,::.; / /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /.., ,; .: ,,。,.(◯) ::
: :::., / /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /,,; (◯) ::: ヽ|〃 ;;:
. ,:.; / /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /.., ,; :ヽ|〃 ,,。, ::;;,
\________________○_______/
O
o
__
父|
と|
母 |
の |
墓 | ∴ ('A`)トーチャン、カーチャン........ウチノ家系ハ..俺ヒトリ。
──┐ ∀ << ) 独身デ家ヲ継グ奴モイナイカラ..俺ノ代デ..コノ家ハ終ワリダ..ゴメンヨ。
575 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/23(月) 13:53:53.78 ID:fJK/DqS7
>>565 親より先に死ぬ事=親不幸って意味で言ったんじゃないの?
576 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/23(月) 16:02:22.80 ID://qPujVf
>>563 いいなぁ、大学生のうちに死ねるなんて・・・
俺は23歳のニートだけど、早く癌になって死にたい・・・
毎日、死ぬことばかり考えてる。
>>571 お父さんは、可愛い娘が悲しんでるのがつらいんでしょうね
俺の娘に何するんだ!ってなもんで
お互い落ち着くまでちょっと距離を置いた方がいいかもね
悲しみは消えないし小さくもならないけど時間が経てば少しは落ち着くから
578 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/23(月) 17:27:26.65 ID:RNn0WWCO
子供の死は、「親に対する重大な試練」の一つだから。乗り越えるのに、大変
な苦痛を伴うが、それを乗り越えると、人間として、より立派にる。
間違っても、後を追ったらダメだから。強く、強く生きるべし。先の大戦では、
多くの親が、子供を戦争に送り込んだ。それに比べれば、最期まで世話が
出来ただけ、まだ良い方だから。親としての義務は、十分、果たしていると思う。
579 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/24(火) 15:29:45.93 ID:YJSWU18i
>>576 世の中は矛盾と理不尽と不条理にみち溢れている。
>>576 縄一本用意して首突っ込めば済む話だろ
グダグダ云ってる暇があるんならサッサとやれよ愚図
父を見送って一年
後悔や悲しみはたくさんあるけども少しずつ消化している
けれど周囲のおせっかいがどうにも負担
食い道楽の父が多少無理して外食に行ってもいいじゃないか
余命宣告された父の楽しみが気に入らなかったとぐちぐち言ってくる人が複数身内にいる
正直当たり障りの無い返答ばかりしてたんだが人殺し呼ばわりされたので怒鳴ってしまった
静かに悼みたいんだが身内で関係が切れない無神経な人達に少し疲れている
582 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/24(火) 22:30:01.10 ID:Wutt09in
故人の為に何もしてやらなかった奴ほど偉そうなことほざきやがるのは何処も一緒だね。
583 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/24(火) 22:40:04.25 ID:ufrOqomp
横須賀で 「無差別爆撃」「無差別殺人」予告の脅迫で 世界中から呼び寄せた 要人や著名(有名)人を人質に監禁、 籠城を続ける
華喃(フィリピン)人
狆閔贐-チュォミ(ハイエナ)人の
サイバーテロの電気操作による 喘息患者攻撃の立て籠り期間中のこの2年間の被害(犠牲)者数を調べよう。
長年の癌、脳卒中、心不全の犯人は
札幌の電気保安協会を20年前に辞めた 酒本蔆碼の孫の「さとう」殊「朝鮮工作員ウベ」の犯行。
まだ、人質、監禁、籠城は続いている。
人質は千人以上。
朝鮮人は身勝手な血も涙も無いイキモノである。
584 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/24(火) 22:41:19.04 ID:ufrOqomp
ミドリ十字の加熱製剤
585 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/24(火) 22:42:10.26 ID:ufrOqomp
クロイツフェルト・ヤコブ病
人間の新変種型クロイツフェルト・ヤコブ病(CDJ)という疾患が狂牛病を起こす「ブリオン」、特殊異常型ブリオン蛋白によるものでないかという疑問で確定してないのです。
多分、カニバ。成人のカニバは特に危険と思われる。
狂牛病の牛は牛骨等を餌に混ぜているらしい。共食いの場合は同じ生物のたんぱく質を分解出来なくて当たり前。
更に水銀は体内から出にくい。
水銀中毒の可能性がある。
病院でその旨を伝えて点滴治療を。
野口(遠山) 日出弥(英世) 明治天皇の曾孫
Eleonora de' Medici.
>>581 理不尽な連中には切れてもいいと思います。
私も数日前父をなくし、父が亡くなるまで詳しくは知らなかったのですが、無神経で父のおんぶに抱っこだった親類一家のために、定年退職後から無くなるまでの10年をその親類に無駄に使われたのを知ってはらわたが煮えくり返っております。
亡くなってから詳しく知りましたが、この場さえ我慢したら今後一切付き合いせずにいればいいから我慢しようと思いましたが、通夜の際、父が気に入って決めた会場が小さいと抜かしていたと聞いて堪忍袋の尾が切れました。
馬鹿なのか翌日のこのこ火葬場まで来て骨上げまでしようとしてたのでお願いだから帰ってくれと帰らせました。
その一家のため私の家族の10年が台無しにされたのが悔しくてたまりません。
私は親戚はいるが絶縁状態で実質天涯孤独だが、こういう話し聞くと縁が切れていてよかったとも思う。
墓に問題あって連絡したが無視されたよ。実の兄弟が亡くなったというのにね。
でもこの世に頼れる親類がいないのは寂しすぎる。
好意的な親類がいる人はその縁を大事にしてね。
酒に逃げがちだったんだけど昨日夢で母に怒られてしまった> <
しかも母の死を嘆いて飲んでる→ダメよ!前を向いてしっかりしなさい!
じゃなくて、こっそり酒を飲んでるのを咎められた(汗
うわ、ごめんなさい〜
怒ってたからあったかい雰囲気はなかったけど
夢から覚めて思い直すと、病気の感じは抜けていたのでちょっとよかった。
589 :
576:2012/04/25(水) 16:53:37.44 ID:+J8S8+W8
>>580 首吊りは怖くて出来ない・・・拳銃とかで心臓打ち抜いて死にたい。
日本じゃ銃買えないしな・・・
今日も一日寝たきりの生活だった・・・生きていてもいいこと何か何もない
生まれてこなきゃよかったよ!
抗がん剤の後遺症の倦怠感で崩れ落ちそうだけど必死に働いてるんだぞ
健康なのに何やってんだよ
おれも抗癌剤しながら仕事復帰してるが、正直どうでもいい。
俺が見送られるか見送るかくらいの違いだ。
先週母が亡くなった。
>>532さんのような、肉腫で予後も悪い珍しい病気だった。
ずっと苦しそうだった。でもいくときはあっという間だった。
母50歳。私21。
一番苦しかったのは母だったと思う。心配ばかりかけて何も返せなかった。
いつも子供のことばかりだった母が、あまりにも苦しくて子供のことなんか知らんって言うほどだった。
母はいつも他のひとのことばかり考えてて、とにかく優しかった。
だから仏さまが早く迎えたがったのかもって祖母(母の母)は言った。
何でうちのお母さん選んだし。
お母さん、内定もらったよちゃんと就職できるよ。
お金稼ぐから、またおいしいもの食べたりライブ行ったりしようよ。何でいないの。
何かもうこの先何も心から楽しめなくなるんだろうな。
何しても母の顔浮かぶ。
亡くなった時の病室の匂いとか、真っ青で冷たくなった手とか、怖くて忘れられない。
痛かったし、苦しかったろうな。
何でそんな思いをさせないといけないんだろう。
支離滅裂ですみません。
あとからどんどん悲しくなってくる。
593 :
580:2012/04/26(木) 18:17:40.26 ID:e+Y3QScn
>>589 とことん愚図だな、お前
首吊りが一番確実且つ楽な死に方だのに
どうしても銃で死にたきゃ散弾銃買えよ
大粒やスラグ弾で頭半分吹っ飛ばして死ね
594 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/26(木) 19:13:15.23 ID:bOQSSmiT
1年前の丁度今頃から父は癌の闘病生活を続けている
最初はただの腫瘍と聞かされていて良くなるものだと思っていた。
しかし半年たっても回復せずむしろ悪化していてだんだん不安になってきた。
その頃から母は末期ガン・・・のようなタイトルの本を
何冊も買っていて自分もなんとなく状況を把握した。
そして先週、母から父は末期がんだと聞かされた。
持って一ヶ月といわれたので、28日から父の病院で一緒に過ごす予定だったが
今日母が泣きながら帰宅し、父はもう長くないと聞かされ
今病院に行く準備をしている。
自分はことし中3の受験生。
動揺して落ちこぼれないよう公立の地域で一番の難関校を志望している。
父に何をしてあげれば良いのか誰かおしえてください。
595 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/26(木) 19:29:27.97 ID:XWCZ9Rr8
ここは亡くした人のスレだから‥。
どんな状態でも今、生きているだけ羨ましい。
そばにいてあげてね
うん、今この時を大切にして下さいね。
闘病、看護の時は大変でも後々はそれでもあの時はよかった、と思えるよ。
亡くなってからこのスレに来たけど
亡くなる前から見ていたら最期を予期させるヒントがあったのにな…と思った。
迂闊にも病院を出てしまって死に目に会えなかった。
でも生きているうちはこのスレ読む気がしなかったから仕方ないのか。。
すみません。お教えいただけたら幸いです。
おじが亡くなって一年過ぎました。
おじの連れの義理の叔母とは仲がよいのですが
遠方にいるので、時々、電話をする程度です。
その叔母が、闘病中(がんでした)の事を思うと
今でも苦しいと言います。
この苦しみとは、具体的に、どういうものをさすのでしょうか?
また、その苦しさが和らぐのはどれぐらいの期間が必要でしょうか?
どういう声掛けが(こういう言い方はいい。こういうのはNG)よいのか
お教えいただけましたら幸いです。
私自身、親友や、親しい人を亡くして鬱のようになったりしましたが
痛みを伴う人(おじ)の闘病に数年付き添った人の感覚は
また違うようなので、よろしくを願いいたします。
1月に亡くなった兄の夢をみました
目隠ししているので
『どうして?』と尋ねると
『こっちは眩しい、あっちは暗いから』と笑っていました
その時ワンコが吠え、私は目が覚めました
ひょっとしたら、兄は近くにいたのかな?
ワンコには兄の姿が見えたのかな?って勝手に喜んでいます
知らねえよカス
601 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/27(金) 18:11:07.07 ID:66o78FfN
600さん
カスとか言わないでよ
>>597 自分も危ないと病院からあり駆け付けたのに、何故か離れてしまい、見とれなかったです。
何で離れてしまったのかずっと後悔していますが、出口は見えず。
>>598 自分は母の闘病、半年を一緒に過ごしました。
終わって振り返っみての気持ちは無力感とこうすればよかったんではという後悔。
母の死から半年ですが、まだまだ続きそう。
なんでも支えてくれるのは嬉しいと思いますよ。
>>599 いいなぁ。私も母に夢で会いたいです。
603 :
598:2012/04/28(土) 02:10:36.45 ID:/CJ8NhED
604 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/28(土) 08:13:37.87 ID:XfK/oicZ
息子が亡くなって半月。この一年間をあれこれ思い返している。自分はそばにいただけで 何もしてあげられなかった。
医者も、今思うと、もっと早め早めに手を打ってくれていたら どうにかなっていたのでは‥と思う。
病名を知り勉強したが所詮素人で。自分がその道の医者で知識があり全力で治療していたなら、殺さなくてすんだかな。
605 :
がんと闘う名無しさん:2012/04/28(土) 16:17:59.45 ID:hFV9T4IX
>>598さん
叔母様の気持ち分かります。
愛する人が苦しんでいる姿って自分の方が辛くなってしまう。
叔母様はご自分を責めていらっしゃるのでは?
姪っ子ちゃんからの電話は嬉しいと思いますので
近況報告など兼ねて、お話して差し上げるのが良いと思います
叔母様は大事な旦那様とお話出来ないので、ね。
中3の大会前に母を乳癌で亡くしました
入院し始めたときは期間も短かったのに、あとからあとからどんどん伸びていって、家にいる時間が無くなった
父から病名を聞かされたのは中2のときで、そのとき自分は不登校気味だった
家によくいたのになんで見舞いにはいかなかったんだってすごく今でも後悔してる
最期はすごくあっけなかった
心電図が何も波を表さなくなって、母は息をしなくなって、白目だけど開いてた目も閉じてしまって、担当医から「ご臨終です」って言葉聞いても、何も理解出来なかった。
部活の大会見にきてくれると思ってた
だから絶対九州大会行こうと思ってた
なのになんでって、なんで死んじゃったのか訳わかんなくて、顔がぐしゃぐしゃになるまで泣いた
小さい頃はお父さんっ子で、正直苦手だった母。小学校高学年からようやく好きになれてきて、一緒に洋服見るの大好きだったのに。一緒にテレビ見て、N響見て感想言い合うの好きだったのに。地域の行事で演奏したときに感想聞くの楽しみだったのに。
もうそういうことが何も出来ないって分かって、涙がとまんなくなった
何より自分に一番後悔してる
なんでもっとお見舞いに行かなかったのか、あの頃の自分を殴りたい
もうすぐ1年経つけど、綺麗なものになりそうにない
だから、出来ることがあるなら何がなんでもやった方がいいと思った。分からないなら一緒に居るだけでも絶対違うと思う
あと質問なんですが、癌ってやはり遺伝するものなんでしょうか
発症は心構えで変わるものでしょうか
偉そうに自分語りすいません
でも学生もいると思うから、私みたいな思いしなくて済めばいいと思う
義父が亡くなった。
余命聞いたとき動揺したけど、それより永く生きると思った。
だけど、だいたい余命宣告ぐらいで亡くなった。
亡くなっても、実感わかなかったけど、
火葬が始まったくらいから、急に悲しくなってしまった。
義父だから、そんなにショックじゃないかな?って思ってたけど、
地味に悲しい。
いいお義父さんだったからな。
今までありがとうございました。お義父さん。
>>606 乳がんだと遺伝するモノもあるよ
親戚に若くして乳がんになった患者が多いと遺伝する可能性ある
検査もできるのて多い場合は試してみるのもありかと思います
癌家系でもなく癌体質でもない母に癌が発覚した時、原因はストレスと言われた。
最終的には肝臓に転移した癌が大きく影響し亡くなったけど・・・
これからは自分も気を付けなければ、癌なんかになりたくない
昨年1月に母を胃癌で亡くした。
娘を出産したちょうど1ヶ月後だった。
癌だと告知されていた母の希望で里帰り出産したけど、産後1週間の頃に余命1ヶ月と宣告された。
産後から母の死までの1ヶ月間の出来事は辛いことが多かった。
本来なら娘が産まれて嬉しいはずなのに、辛い記憶しかなくて娘に申し訳なく思う。
去年も今年も世間が「母の日」と騒ぐこの時期が辛くて仕方ない。
同じ膵臓癌でもやはり随分と経過が違いますね。
祖父は苦しんで苦しみ抜いて、何日も意識はあっても喋れない程に衰弱してやっと亡くなった。
しかし母は元気にリハビリとかしていたが、急変して喋れない程だったのは亡くなる前の半日くらい。
母が余り苦しまなかったのはよかったが、祖父の前例みていたから油断していた。
まさか去年が最後の母の日になるとは・・・
これから毎年この時期、辛くなる
母の日をやる事はもうない、か。
今まで母の日に何かって事をしていた訳でもないけど。
もう親孝行も何もすること出来ないんだよな。
社会に出てやっと余裕も出来てきたのに。恩を返す間もなく逝っちゃうなんてひどいよ。
614 :
がんと闘う名無しさん:2012/05/06(日) 07:56:53.57 ID:6wiuxqHX
白いカーネーション
自分も同じがんになって、2倍苦しんで死にたい。お前みたいに苦しくても苦しいなんて言わず、最後までまわりを気遣って死ぬんだ。
助けてあげられなかったから‥さ。
自殺じゃないから迎えにきてくれるでしょう?
癌になりたいなんて言うなよ。
あんな苦しむもの無くなればいいのに。
まだ55だった父が、余命半年と告知されて、二ヶ月も経たない間に亡くなったよ。膵臓癌だった。
家で看てて通院してたから、亡くなる日はお昼まで一緒にご飯食べてのんびりテレビ見てすごしてたのに、夜になって急に痛がりはじめて、救急車よんで、そのまま…
あまりに急すぎて心の準備もなんにもできなかった。
もっといっぱいしてあげたい事いっぱいあったのになぁ。
618 :
がんと闘う名無しさん:2012/05/08(火) 15:48:03.58 ID:cTl2BsGR
癌闘病中だった父が土曜日に亡くなった。
私は自分の事ばっかりで何もしてあげれなかった。
お父さんのツラさも痛みもわかってあげれなかった。
ああすればよかった、こうすればよかった。
もしも、もしも、なんで、なんで、って後悔ばかりで苦しい。
最期も間に合わなかったよ。
夕方からでも行ってれば、助けてあげられたかもしれないのに。
なんで家に居たの。なんで病院行ってあげなかったの。
病院の父の遺体を見たら、涙の跡があった。
苦しかったんだよね、悔しかったんだよね。ごめんなさい。本当にごめんなさい。
この後悔は一生抱え続けるのでしょうか。ツラい。
これからどうしたらいいのかわかりません。
>>618 お疲れ様です。
後悔は誰にでもあると思います。
私も母の死から半年くらい経つけど、不意に悲しみが込み上げたりして辛い日々です。
まだまだやる事もあると思いますが、体調に気をつけて頑張って下さい。
亡くなる前の昏睡状態の時に涙を流すのは家族に今までありがとう・・・ってことなのだと思う。母が流した涙は忘れられない。
そういえば私の母も涙出てたな。
最期には私の油断で間に合わなかったけど。
しかしあの時の事を思い出すと駄目だな。
まだまだ乗り越えられないようだ。
俺のオカンも金曜日に逝った。
もう回復の見込みは一切無いのに、心臓動いている限り、
麻薬打ってまで苦しそうに呼吸をさせてるのは辛かった。
首絞めて殺してしまう人の気持がわかったよ。
痛くても痛いとも言えない、表現が何もできない、
必死に呼吸してるだけ。こんなのは治療じゃないね。
喋れなくなった時点で、早く死なせてやらなきゃいけないよ。
姉が亡くなって3ヶ月近くたつ。
悲しみは落ち着いたと思ってたけど
昨日から急に寂しくてたまらない。
会いたい。話がしたい。
夢にくらい出てきてくれたらいいのにな。
>>623 自分も母を失い半年。もう大丈夫かな、と思える時もありましたが、すぐに悲しみがぶり返してきます。
会いたい、話したい、触れ合いたい。
叶わないと解っていても私も毎日思い続けています。夢でもいいとも。
しかし夢でも会いに来てくれない。母を感じられない。
辛い日々ですが、お互いに頑張って乗り越えましょう。
いつかは癌もたやすく治療できる時代が来るのかな。
母を失ってから次は自分の番かと怖くなっている。
まあ、私の生きている間には無理とも思っているけど。
626 :
がんと闘う名無しさん:2012/05/11(金) 02:51:22.44 ID:p8swds3C
5/5に母が亡くなりました。
癌が発覚して2年半。
抗がん剤治療辛いはずなに、子供の私にはいつも心配かけない
ようにしていたお母さん。
もう頑張らなくていいからね。
ゆっくり休んでね・・・
今だにお母さんがいないという現実に実感がわきません。
正直、不安でいっぱいだよ・・・
>>626 お疲れ様です。
私は母が亡くなって半年ですが、実感は二週間くらいで込み上げてきました。
しかし、実感が出てきてもそれを認められず受け入れられず今に至ります。
これからも大変かとは思いますが自身の体調に気をつけてください。
お互いに現状を乗り越えて行けるよう頑張りましょう。
癌て寿命なのかな。そんなわけないよね。
癌でなくても死ぬ時が寿命だと思うよ
人間は生まれて来た時からいつ死ぬか決まってるきがする
>>629 そうですね。そう思わないとやっていけない、というのもありますが。
親が子供より先に死ぬのは当たり前。ただ私は早かっただけの事。
割り切って進まないと母も怒るだろうし。
風呂に入ってほっとするのも、何かを食べておいしいと感じるのも申し訳なく思う。2ヶ月も食べられなくてシャワーも浴びられなくて辛かったでしょう。
組み合わせてたくさんの抗がん剤を使ったけれど、死ぬ直接の原因になった薬はわかっている。担当医が「カンファレンスの結果、次(の患者)は、この薬の使用を止めるか減らすようにします」
治療方が確立されていないのはわかっていたけれど実験台にされたんだね
父親は「役に立ったんだ、仕方がないよ」と言うけれど私は悔しくてならない。苦しみぬいて死んでいった20才のあなたを一年間見てきた。同じ病気で元気になっていく人達を見ると、どうして‥?と苦しくなり腹が立ってくる
母が亡くなって父が本当に落ち込んでいたので、母を亡くしてこの上父にまで弱られたら…と思い、
せっせと父の好きなものを食べさせていたら3kgくらい太ってしまった。。
父はもともと食べることが好きだったけど母の療養中は母に合わせて食事は控えめだったからその反動もあり…
49日の法事の時に「お父さん痩せないね」と親戚のおじさんから言われて、
まるで父が母の死を悲しんでいないみたいに思われたら申し訳ないな…と思った
父が亡くなって約一ヶ月。
初めて夢に父が出てきてくれた。
メタボ体型で元気だった時期の父だった。
笑ってソファに座ってた。やっと夢で会えた。
後悔ばかりの日々だったけど笑顔の父と会えて嬉しかった、
明日からまた頑張ろうと思う。
何か私の耳元で話していた母は元気だった頃のそのままの元気な声だった。
夢うつつなのか幻想なのか分からないけれど、母の元気な声を聞けて良かった。
声だけだけど・・・
母親とはもう夢の中でしか会えないと思うと寂しい
私が死んだら母に会えるのかな…?
死後の世界ってあるのかな…?
母が亡くなって半年になるが一回くらいしか夢で会えてないな。
家のベランダで洗濯物干している母を見ていて、最後に母が抱きしめてくれる内容。
また会いに来てくれないかな。
1ヶ月が過ぎた。
どうしているのかなぁ。まだ起き上がれないのか、苦しんでいるのか、最後に何度も「ゆっくり眠るんだよ」と言ったから 今も眠っているのか。
後悔ばかりです。"だから病院を移りたくないと言ったでしょ"と怒っているのか。
どこにいてもいいから元気に笑っていてください。できたらその姿がみたい。
>>633 私も今日、姉が亡くなって初めて夢に出てきてくれた。
3ヶ月目にしてようやくだ。すごく嬉しかった。
夢の中で「やっと出てきたね」って言ってしまった。
目が覚めたらやっぱりいなくて泣けた。
でも633さんと同じように明日からまた少し頑張れる気がする。
あと一週間で母が亡くなってから丁度半年。
色々あったようで何もない、していない半年だったな。
手続きとかに手間取り納骨もまだ済んでないし。
昨年の今頃は余命スレに余命半年くらいと書き込んでいたころかな。
あの頃は本当に半年で亡くなるなんて思っていなかった。
母がいなくなって天涯孤独になってしまったが、このスレなどで励ましを受けて頑張って来れた。
また半年頑張り、一周忌そして納骨を迎え、喪を終え新しい一年を始めよう。
母の日に亡くなるなんてあんまりだよ
どうして余命を宣告されたにも関わらず
何もしなかったんだろう
どうして人間は大事なことを忘れてしまうんだろう
母さん、本当にゴメンね
本当にね、余命半年と言われていたのに何も出来なかった。
会社にもいよいよとなったら長期で休みとる、と伝えていたが結局に休み取ったのは亡くなった後。
急変したというのはあるけど、母の最後に何も出来なかった。
あやまりたいけど、もう相手がいない。
私の一日の始まりと終わりは母への語りかけ。
会って話したいよ、お別れを言いたいよ。
もう二度と母に孝行できないと思うと欝病になってもおかしくない
もうなりかけてる、これが欝なのかと言った感じ
自分自身精巣腫瘍になり13年がたった、術後子供も産まれ10歳になりました。
先日、突然の後輩の訃報30歳子宮癌が全身転移だったそうです。
シングルマザーだった彼女、一昨年研修からの帰り、娘さんの好きだというお菓子を買い、新幹線の中で楽しそうに話してくれた笑顔が忘れられません。
これから研修に行く度に彼女を思い出すのでしょう。小学校入学式直前に母を亡くした娘さんが不憫でなりません
ご冥福を祈ります
母がいなくなって一人になってしまったが、現状が欝なのか精神に異常があるのかわからない。
仕事に出ている間は多少の事はあれ、普通に動ける。
だが、家に帰ったり、休日の日は悲しみが溢れてメソメソしている。
一度近所の心療内科に行ってみるかな。
心療内科はお勧めする。
>>645 ほぼ同じ状況です
一度だけ病院に行こうと思います
精神科と心療内科はどう違うのかいまいち解らない。
近所は心療内科ばかりあって精神科はない。
>>648さん
私の勝手な解釈ですが、
心療内科:精神的なものからくる心の病気(鬱病、パニック、不安症など)
精神科:心より、脳の器質的な病気(統合性失調症など)
に世間的には分かれているような気がします。
ただ、心療内科は鬱病など心の病気の人が増えたのに、
「精神科」という言葉で診察をためらうことが多い人のために作られた科で、
結局はどちらも同じのような・・・。
私は、看病している時から不眠症や動悸がするようになって、心療内科で薬をもらいました。
だいぶ楽になって、逝った後も思ったより早く立ち直ることができました。
悲しみで胸が押しつぶされ、涙が止まらない時、考えすぎて眠れない時に飲んでまして、
飲んだ後は苦しさがなくなり、ボーっとして悲しみが和らぐ感じでした。
参考になれば良いのですが・・・
>>649さん
678です。助言ありがとうございます。
今日で母を失って丁度半年になりますが、まだまだ悲しみばかりです。
時には休みの日などは身体を動かすのも億劫になり、夕方まで動かないということも。
持病で定期的に市立病院にかかっているので、相談してみます。
余命宣告スレ見るとかつての記憶が浮かぶ。
しかし私の母は膵臓癌としては幸運だったのかなと思ったよ。
私の母は余命半年宣告受け最初と最後の一ヶ月に入院して、その途中も自分から見るに普段と余り変わらず生活できた。
最後の一ヶ月、体調崩して入院した時もあれ食べたいこれ食べたいと私に買いに行かせていた。
本当に辛そうだったのは最後の三日くらい。急変し一時持ち直すも、また急変しあっという間に逝ってしまった。
祖父も膵臓癌だったが、母とは比較にならない苦しみようだった。
そう考えると母としても私としても、幸運だったのかな、と思ってしまう。
会社を長期欠勤して立場を崩すこともなく、今も定職に就けている。
改めて感情抜きに考えると、極めて幸運だったと思う。
義理の母が亡くなって、今日で3ヶ月。
お嫁に来てから、本当に色々と助けてもらっていたんだな…と、日々痛感しています。
お義母さん、感謝しています。
父親亡くなってもうすぐ一年
今でも夕方になると普通に帰って来そうだわ
手術前は100キロ以上あった父親がたった一年半で半分以下の体重
食べたくても食べれない父親見てるのはつらかった
母は癌になってから20キロ近く痩せてしまった。それでも、あれ食べたい、これ食べたいと言って好きな物を食べてた。なのに家で普通に過ごしていて急変し入院してからは何も食べること出来なくなって可哀想だった・・・
今は仏壇に好きだった食べ物をお供えしてます。あの世でしっかり味わってくれているといいけど・・・
655 :
がんと闘う名無しさん:2012/05/24(木) 21:35:57.09 ID:j1hvJZg+
抗がん剤治療が辛い辛いっていつも言ってた母
たった数ヶ月しか寿命が延びないのなら、抗がん剤治療なんてしなければ良かった…
いやいや
その数ヶ月は大変貴重な数ヶ月だよ
母を失ってそう思う今日このごろ
チューブだらけになってまで延命させるのは人間の尊厳が…
QOLが重要視される…とか言われるけど
患者本人が、出来ることはなんでもやりたい生きたいと思っているのに
その本人の前で、家族(のうちの1人)が、命の期限を告げQOLを説く主治医に
妙に理解を示したがってウンウンうなずいてるのが腹立たしかった。
医者でも薬剤師でも患者の世話をする看護師でもないくせに
医療関係の職場に勤めているというだけで聞きかじっただけの知識のくせに
「私は医療関係者だから宣告に動揺なんかしない」というアピールをしたがり
ショックを受ける親にも「そんなこと前からわかっていたじゃない」みたいな対応。
取り乱せとは言わないけどそんな態度はどうなの?と私が抗議しても
「医療機関に勤める私が妬ましいのね」みたいな反応。
もうあと数日と言われても亡くなった後もこの人の態度は冷淡だった。
でも死に目に会えずかけつけた病室で故人の傍ら看護師と話している時と
弔問客が来た時と葬儀時だけはきっちり涙を流していた。
故人と仲が悪かったわけでもないのに家族が癌になってこの人がとった態度が
私にはいまだに理解不能。
自己レス
医師が、患者の死にいちいち落ち込んでいられない、
事務的な感覚になっているって言うのの真似をしたかったのかなあ…
でも薬局事務だろ?!
>>658 薬局事務wいるいる、そういうタイプの奴。
何かにつけてそういう態度でしょ。自己愛が強いんだよ。
一生治らないから可能であれば今後関わらないかドライに接するが吉。
ここでいいのかな・・
独り言だと思って読み飛ばしてください
昨年亡くなった妻の夢をしょっちゅう見る
凄くリアルで一瞬だが「あっ、やっぱり居るんだ、こっちが現実だよな!良かった!」と
でも次の瞬間目が覚める。いつもの部屋がシーンとしている・・
吐き気が襲う 吐く・・
家の色んな場所で会話したときの声が聞こえる・・
買い物に出て、いつもの角で後ろから妻が呼ぶ声が聞こえて振り返る・・
みんな乗り切るのでしょうか
でも自分には無理かもしれない
親や祖父母の時とは違う
言葉では言い表せない感覚
頭では分かっているんですよ居ないということは
だけどどうしても感覚が、私の感覚が妻の死を認めない、納得しない・・
もっと早く病気に気がついてやれば良かった
なんで調べなかったんだろう
なんで病院に不信感があったのに主治医を信頼しきってしまったんだろう・・
ちぐはぐな息苦しさが日毎に増していく
気が狂いそうです
.───┐ ∠_ \L
 ̄ ̄ ̄| | llヽ _| ヽ
| | |l ̄| | l 未来では菅直人や民主党はどうなったの?
| | / ´\ /
| | ヽ、_ `^イ
二二二 」 _ __ lニ二二l、 ____
─┴┐ ⊆フ_)__./ ┌ヽ ヽ┐ /´ `\ 政権交代後原発問題を断罪されて
二二二二二二l / | | | |. / ヽ 菅直人や当時の内閣は
_l_____| /`ー─‐|_| |_| / ヽ 全員公開処刑。
| /`ヽ__, ─ 、ノ |─l l l
|───/ /lニ/ /二ニluul. | ! あと民主党議員だった連中も
| ___| ̄ | | |_|. l / 終身投獄で獄死。
└─( )(ニ|  ̄|./二ニ) ヽ / その一族は被差別賎民指定。
 ̄ ̄ / ) >━━━━━━ く 鳩山・岡田・稲盛一族は全財産賠償徴収。
663 :
がんと闘う名無しさん:2012/05/27(日) 17:07:44.32 ID:m1vnxT18
660さん私も1ケ月前に妻に先立たれました。あなたと同じです。よくわかります。
毎日つらいです。胸がはりさけそうです。あの時になんでもっと早く病院
行けと言ってやれなかったのか。あまりにも早い旅立ちでした。後悔ばかりです。
人間の寿命って生まれてくる時から決まっているんだよ…
全ては運命、そう思えれば楽になれるのだろうかな。
なんか二度と会えないって実感が湧かない。いつか会えるんじゃないか、実はドッキリなんだよとか思ってしまう。
そんな訳無いとは解っているが、二度と会えないなど認めたくないよ。
もう夢の中でしか会えないよ
こないだ夢で父が死ぬシーンを
遠くから傍観してる夢を見た
ベッドの上で亡くなる父とそれにすがって泣き喚く自分を
遠くから泣いて見てる夢だった
起きたら泣いてたわ
たぶんあの看取った瞬間がトラウマ入ってるのかもしれない
亡くなった瞬間は看取れなかったが、その前後の事は私もトラウマチックになっている。
深夜に病院から呼ばれて走っていって、病室が近づくと聞こえてくる心電図の心停止の時の音。
病室に駆け込むと医者と看護士が一人ずつ。私が来たのを見ると医者が死亡確認。
母の目は開いていたが何も見ていない。
その後、葬儀屋に連絡したりと呆然としながらしていた。
今でも鮮明に思い出せる母の亡くなる前後数日。辛いな。
669 :
がんと闘う名無しさん:2012/05/30(水) 22:39:08.73 ID:oPTZuFMU
亡くなった時の事は一生忘れないと思うよ…
病室のあの感じは忘れたくても忘れられんよな
ドラマとかで危篤シーンはよく出てくるけど、現実はあんなもんじゃなかった
とくかく苦しそうだった
うちは深夜病院から連絡があって直ぐにかけつけたがすでに亡くなった後だった
母を1人で逝かしてしまった事はずっと心残りだ…
亡くなる前の何日間は、既に意識がなかったですか?私の父、今末期で入院してるけど、まだ意識があるから大丈夫かなと思ってるんだけど…
意識があっても急変することがあるのかな?
私の母は最後は看取れなかったが、意識は亡くなる二時間前にもあったし、多分最後まであったと思う。
とにかく油断しないでくださいね。私は油断して看取れなかったんで。
>>672 話ができるからと言って具合がいいと思わないようにと医師からいわれました。
意識があっても、話ができてもあけなく逝ってしまう場合もあるということらしいです。
>>672 近くのホテルに待機しても間に合わなかったです。
今日明日だろうみたいに言われて時間に自由が利くなら
病院待機できるか聞いてみてください。
病院待機が必要だったら看護師が言ってくれるだろう…
と思って、言われなかったからと病院まで15分のホテルに戻ったら死に目に会えませんでした。
ウチは若いのもあってか危篤状態になっても
当日の朝まで何度か意識が戻り何度も話た
うちの母の場合は、夕方にバイバイして明日また来るねと言うと母もバイバイしてくれた
弱っていたけどまだまだ亡くなるとは思わなかった
しかしその日の深夜に亡くなってしまった最期には間に合わなかった。
家で急変し入院して亡くなる前日の夜、ちょっと家に帰ろうと看護師が「娘さん、一旦帰って休んでくるそうですよ」母に告げたら、もう喋ることも出来なかったけど「ウッー」と・・・
結局、深夜に亡くなったけど一人で逝かせてしまった。あの時、帰らなければ母を看取ることが出来たと最初は後悔したけど、今はあの「ウッー」は母の休んできなさい。という私への最後の言葉だだったんだろう。
思い出すと泣けてくる・・・
母が体調悪く付き添っていた時、昼飯時に母が何か食べてきなさいと言ったので少し席を外し戻ってきたら意識不明の危篤状態に陥っていた。
その時は持ち直したが、三日後に急変して亡くなった。
その再度の急変の時の記憶が実は曖昧になっている。
苦しそうな母が夜遅いから家に帰りなさいと言ったと思うが、それが本当なのか自分を騙す嘘なのか解らなくなってしまった。
どちらにせよ呼吸も細く、心拍も小さく早くと異常だったのに離れたのは事実。
母は最後の家族なのに看取れなかった。
だがあの時、母から離れた時は今母が死ぬ訳無い、明日にはまた会えると本気で思っていたのだろう。
680 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/01(金) 00:21:48.03 ID:2CpWhqMK
うちもまだ亡くならないと思い込んでいて、結局、母を1人で逝かしてしまった
最期は、テレビドラマみたいにみんなに囲まれて
「お母さーん」と叫びながら亡くなるのかと思っていた
お坊さんに1人で逝かしてしまった事を嘆いたら
「人間は生まれてくる時も1人、死ぬ時も1人です」って言われてなんか救われた。
いいお坊さんだねぇ
>>679 うちも(?)、治るのを目指して治療中だけど今一時的に体調崩してるから
治療は中断ね、っていう感じで接していたので
意識ある本人に「今危篤状態」と知られるのが怖かった
亡くなる前日にはみるみるうちに色んな機具が繋がれていったけれど…
どう見ても危篤じゃないとごまかせていないだろうに
消灯時間に帰らないと本人が怪しむと思い込んでしまって…
683 :
sage:2012/06/02(土) 00:14:08.87 ID:YEC5eS+i
son(mymom decide her operation.)
684 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/02(土) 15:02:07.19 ID:bsXTjXAz
父を癌で亡くしたのもあり、癌が憎く怖いです。それで、心気症的になってちょっと出血やあシコリがあると気になって気になって
検索しては、自分で当てはめて。寝れない時もどうやったた治りますか?
みなさんはどう向き合っていますか?
685 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/02(土) 15:46:24.50 ID:odG/yNxG
うちの父も、息をするのも辛そうですぐ寝そうになったし、あまり話しかけないほうが、と
母から言われてたこともあり、また、私が見ているのが辛くて今にも泣き出しそうだったため(これは自分の弱さが原因)
母と兄弟を残して「又くるね」と言って帰ろうとしたら
いつもは「ああ」とか「うん」とかしか聞いたことがなかったのに
「ありがとう」と言われ、それが最後になってしまっ翌日夜中のうちに亡くなり、
病院から連絡あって駆けつけたときにはもう冷たくなっていた。
後から、兄弟や母にもメールの返事で「ありがとう」と書いていたことがわかった。
散々お世話になったのに、むしろ父からありがとうと言われて、こちらからは
ろくに感謝の言葉も伝えられないままの別れとなってしまい、後悔ばかりがつのる。
癌が発見されたときには家族の誰よりも元気一杯で、どこががん患者なの?
という状態で、それが亡くなる直前まで続いていた。
亡くなった時も、やせ細ったり髪が抜けたりというのもなく、
いつものままの父だった。
癌が憎い、医療が憎い。
父の癌細胞を取り出して、包丁で殺せたらどんなに良かったか。
仕事中は心を無にしてるが、内心悲しみでいっぱいで
全然立ち直れない。
目で見える状態でなく
血圧、心拍数、血中酸素濃度、尿の色から排便の回数止まってから何日目か等、
全部看病ノートにつけていたので
徐々に落ちていってるのが解った
最後は血圧計で血圧を測るのも難しい位になり
あぁ数日だと覚悟したらその日だった
今さらながらだけど記録をつけていて良かったと思う
きちんと在りし日の日々を思いだせる
>>686 記録つけていたが、その日の朝まで血圧、心拍数、血中酸素濃度は問題なかった。
ただ、尿の様子、量からやばいことはわかっていた。(おそらく最後のとどめは腎不全)
亡くなる5時間ほど前から、血圧、心拍数、血中酸素が一気に悪くなり最後を迎えました。
私もかなり細かい記録を付けていたので、亡くなってから何度も読み返しては思い起こしています。
記録をつけるのがしんどい時もあったけれど、記録をつけていてよかったと今思います。
688 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/02(土) 16:25:41.48 ID:odG/yNxG
>>643-645 激しく同意。
結局、親っているのが当然すぎる存在で、余命を宣告されても
まさか亡くなるなんて心のどこかで思ってないんだよね。
実感がゼロに等しい。
本当に欝。今まで味わった悲しみなんて、どこが悲しかったんだと思う。
以前別スレにも書いたんだけど、祖父が4月の末に何となく食欲なく検査入院→
すい臓癌発覚で余命半年を宣告→丁度先月の今頃、半年は持たない、かなり弱っていると医師から話があった。
毎日見舞いへ行ってたけどやはり日に日に悪化しているのがわかり、ここ数日は反応も無い状態だった。
そして今日、朝早く電話で「危篤ではないが危ない」と呼ばれ、母と昼過ぎまで付き添ってた。
微熱があるのと血圧が低いとの事だが特にいつもと変わりは無く、私だけ「また明日も来るから」と家に帰った。
で、家に着いた瞬間母から「直ぐに来て!」と電話あり、駆け付けるともう息を引き取ってた。
急過ぎるよおじいちゃん…さっきまで普通に息してたじゃん…
でも最後は苦しむ様子なくゆっくり息を引き取ったらしいから良かった。
苦しかったのかもしれないけどw
亡くなったのに書き込みしてるのも不謹慎だが、誰かに聞いて欲しいけどここじゃないとまともに会話できないから書いてしまいました。
失礼しました。
おじいちゃんの匂いは忘れないから。
>>689 吐き出す事も大切だよ。
何かあればまた来てね。
>>685 「ありがとう」ってもう言ってもらえないと思ったら泣けてきた。
もう2度と会えない今、
入院中のつらい日々でさえ幸せな時間だったんだなと今更ながら思える。
692 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/03(日) 23:17:06.87 ID:tqZTura1
本当にね。
入院中、見てるのも辛くて涙をこらえてたけど、
亡くなってしまった今は、あの時で良いから戻って、
暖かい体に触れたい。
戻りたい、そうですね。
伝えたい事、今になってぽろぽろ出てくる。
ありがとう、この一言も言えなかった。
どんな代償を払ってもいいからもう一度会いたい。
皆さんの思いが、亡くなった大事な方へ届きますように
695 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/04(月) 12:34:23.47 ID:MTMsF+kX
父が亡くなって、初月忌です。
もう1ヶ月経ったのか…という思いと、まだ1ヶ月しか経ってないのか…という思いと両方です。
相変わらず、自分を責めてしまう日々です。
なんでもっと優しくできなかったんだろう。
なんでもっとツラさをわかってあげれなかったんだろう。
お父さんには、私しかいなかったのに。
元気な頃、一緒に暮らしてた思い出を頭に浮かべようとするのですが、
浮かぶのは亡くなる前日の苦しそうな姿か、最期に間に合わず病院に駆けつけて目に入った瞬間の光景や葬儀の様子ばかり。
鼻から酸素を入れ、貧血で輸血され、喋るのも息を吐きながらしゃがれた声で呂律も回らず…。
なんでそんな姿を見ながら、病院から帰ってしまったのか。
なんでもっと耳を傾けてあげれなかったのか。
なんで、大丈夫だなんて思ったのか。
根性は人一倍、もっとあったお父さん。
最期まで頑張ってくれた。
今日はお線香をあげて、お父さんに≪ごめんなさい≫ではなく≪おつかれさまでした、ありがとう≫と言ってあげたいです。
でもやっぱり、≪ごめんなさい≫と泣いてしまいそう。
うちも父親の四十九日法要を済ませた所です
どこかのスレに100回の墓参りより1度の親孝行って書き込んであったこど
何でもっと優しくしてあげなかったのかとずっと後悔しています。
亡くなった後、仏壇やお墓に好物をお供えした所で食べれるワケはないし
何でまだ元気に動けるうちに美味しい物を食べさせに行ってあげなかったのか色々考えてしまいます・・・
697 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/04(月) 16:46:51.51 ID:qAcip0he
月命日が辛い
あの日の事を鮮明に思い出して辛くなる
朝は会話したのに、夕方は意識朦朧で…
そのまま逝ってしまった
苦しむ時間が少なかったのが責めてもの救いかな
天国でゆっくりして居てくれるのかな?
ずっと大好きだよ!
698 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/04(月) 17:56:35.82 ID:8CEKotiR
私も父を三週間前に亡くした。
同じく後悔ばかりで、いくら父の遺影の前で手を合わせて、伝えたかったことを思ってても、胸が痛み続けるだけ。
あんなにいるのが当たり前だったのに、もう二度と会えないという事実を未だに受け入れられない。亡くなる前日には笑顔で話していたのに。会いたい。
699 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/04(月) 18:44:40.53 ID:S/5h3l0j
この間、急に母が横っ腹が痛いと言い始めた。
腰が悪かったので近くのかかりつけの病院に診察してもらったところ
湿布と塗り薬を処方してもらっただけで終わった。
まだそのときは母が肝臓がんだなんて思っても居なかった。
数日経っても痛みは治らず、もっと大きい病院に行き、検査入院をすることに。
それから体や血液を調べた所、肝臓癌と言われた。
母は部屋を出てから、やっぱりね...と小さい声でつぶやいていた。
私は泣きそうだった。気づいてあげられなくて本当にごめんなさい。
小さいときから優しくしてくれた母が癌になってしまうなんて思いもしてなかった。
検査をした病院では、もう治療をしても直らないかもしれないと言われ、入院もできず
結局近くの病院に少し入院させてもらっただけで、間もなく緩和に移った。
自宅療養も少しはしたものの、悪化するばかりで足も手もパンパンにむくんでいた。
姉達が病院に泊まったりして母のそばにいつも居てくれた。
私が見舞いに行って二日後、母が亡くなった。姉が看取ってくれていた。
まるで眠っているような顔をしていて、いつものあの顔だった。
お母さん、今までありがとう。ごめんね。大好きだよ。
母は肝臓に転移した癌で脳にも影響し、痴呆症状が出て、亡くなる1ヶ月位前には足が浮腫んで膿が出て腹がパンパン状態で最期は急変、入院して数日で亡くなった。
それから10ヶ月になるけれど、未だに母が癌だったのも亡くなったのも信じられない。
まだ現実を受け入れられない・・・
701 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/05(火) 20:13:49.72 ID:0QQmYxwE
本当にね。
親っているのが当たり前すぎて、
いないことを受け入れるのに凄く時間がかかるよね。
鬱になるほど自分を責めてはいけないと思うけど
亡くなってからしばらくの間は、亡くなる前後のことしか浮かばないのも当然だと思う。
亡くなって1週間も経たないのに「お母さんこれ好きだったよね〜」とお決まりの思い出話をする姉に違和感を覚えた。
通夜葬式49日などの席では湿っぽくなりすぎないよう
思い出話をするけど、家族だけの時にはまだ思い出話にする気分じゃねーよ
ってのあると思う。母が闘病中これしか食べられなかった…というメニューは出したくないよと思ったり。
3ヶ月経ってやっとアロエヨーグルトをおそるおそる出したら父は黙って食べた。
母が亡くなりました。この悲しみを乗り越えられるときはくるんだろうか
母には後悔ばかり、本当にごめんなさい。お母さんどうか私を許してください
できるなら私もお母さんのところにいきたい
うちも父を亡くしたばかり
こんなに早く亡くなるなら、もっと優しくしてあげたら良かった、もっと会いにいってあげれば良かった、など後悔ばかりしています。
705 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/05(火) 22:10:05.04 ID:0QQmYxwE
>>703 私も父を亡くして2週間くらいは、いっそのこと父のところへ
行ってしまったほうが楽だと毎日思うほど
後悔や悲しみに苛まれたが、少しづつ癒えていくから今は
辛いけど耐えるしかない。
お母さんの血をたくさん受け継いだあなたが、お母さんの分まで
生きてあげるべきなのでは。
当たり前に家に帰れば居た母。
親孝行も余り出来ず逝かせてしまった。
亡くなる数日前にしっかり面倒見てくれてありがとう、と言われた。
こんなはずじゃなかったのに。そんな思いで一杯です。
当たり前が当たり前でなくなる。辛すぎる。
私も母を亡くして2週間ほど。
産休に入る直前で職場をむやみに休めなかったので、仕事がある日は
病院に行くこともできず、週に3回くらいしか入院中の母の元へ行ってあげる
ことができなかった。
疼痛とせん妄が悪化したため日中も鎮静させ、そこから3日ほどで逝ってしまった。
結局入院して1ヶ月もたなかった。
そんな短期間ならもうちょっと何かしてやれることがあったんじゃないか。
まわりの人はそんなことはない、よくやっていたと言ってくれるけれど、
今もその思いが私を苦しめる。
せめて初孫の姿を一目だけでも見せたかった。
事務的手続きを私の手で一つ一つ済ませていくたびに、母の痕跡がなくなっていく。
各手続きのたびに母の死を突き付けられて、これもまた辛い。
表面上は気丈にふるまっているけれど、心の中はボロボロ。
出産の都合で四十九日と納骨は4週間もたたないうちに行うことに。
その時ですらすでに正期産に入ってしまっているので仕方なし。
本当はもう少し長く家にいてもらいたかったけれど。
ごめんね、お母さん。
空から孫のことを守ってやってください。
708 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/06(水) 00:56:59.04 ID:gkotIp3p
母が亡くなったとき病室に充満してた洗剤のにおいが忘れられない。
幸いうちの洗剤のにおいじゃなかったけど
わたしにとってはそれが人が死んだ時のにおいになってしまった。
四十九日も終わったけど、最近になって自分がだんだんおかしくなってきてるのがわかる。
急に泣いたかと思ったらすぐに笑ったり
趣味とか好きなことも出来るようになったかと思ったらふっと何もやる気がなくなったり。
他の家族にはこんなとこ知られたくない、心配もかけたくない。
でも家の外に信用できる人間がいない。
友達に話してもわかってもらえないし、それどころか面倒だと思われてる気さえする。
何かもう疲れた。
洗濯したり掃除したりご飯作ったり。
お母さんいつ帰ってくんのかな。もう辛いよ。
ひとりでがんばるのくるしいよお母さん
709 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/06(水) 03:23:31.50 ID:2542s1eu
膵臓ガンは最悪のガンとよく言われるが本当なんだな、
去年の11月に手術受けて、入院、
3月、リンパ節、肝臓へ転移、緩和療法へ
先週、5月30日に叔母が永眠、
4月には笑って話だってできたし、お土産のおはぎだって平らげて、
元気そうだったっていうのに
710 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/06(水) 09:47:53.27 ID:hvWLDqZp
うちの父は元気だったのが急変してから5日だった。
癌とは言えども元気だからまだまだ行けそうだと家族も本人も思い込んでる時だった。
だから本当に何も伝えることなくお別れになってしまった。秋には2人目の孫も見せられるはずだったのに。
結局頭のどこかで父が亡くなるはずがない、と思い込んで何もしなかった自分に腹がたって仕方ない。
>>709さん
私の母も膵臓癌で昨年4月に発覚、6月頭に余命半年宣告、10月半ばに化学療法で病院に行った時に突然倒れ入院。
11月末に更に急変し亡くなりました。
私も母が膵臓癌となった後に色々調べましたが本当に最悪の癌、癌の王様と言われると書いてあって絶望しました。
見つかりにくいし、転移の確率も高いし、膵臓とったら後が大変だしと。
母方祖父も膵臓癌だったんで家系かな。私も気をつけないと。
気をつけてどうこうなるとも思えないけど。
>>710さん
私も母が最期の数日前まで元気だったので全く覚悟を決めるとか以前に逝かれてしまい伝えたいことの半分も伝えられなかった。
最期に急変した時も死ぬ訳無い元気になるよ、と思ってしまっていた。
結局葬儀屋とかも手配していなかったから大変な事になりました。
かつて祖父母を失って死に触れたはずなのに、何も学べていなかった。
情けない気持ちで今も一杯です。
先日祖父が亡くなった。
火葬場で最後のお別れする時、いつもは厳格で泣かない父が声を出して泣いてた。
あの光景は2度と忘れられない。
そしてあんなに愛情注いでくれたのに、そのうち優しくするからと、いつも冷たくしてしまった自分がもの凄く憎い。
おじいちゃんには恩返しできなかった分、おばあちゃんや父母にたくさん返していくから。
本当にごめんね。
ありがとうね。
父を亡くして1年になるけど、なかなか立ち直れない。
寛仁殿下のニュースを聞いて、失礼ながらご家族の悲しみや喪失感を
当時の自分とだぶらせてしまった。
父は死ぬ数時間前まで元気で「また明日ね。おやすみ」が最後の会話だった。
その後、緊急の検査中に心肺停止、そのまま脳死に至り翌朝冷たくなって帰宅した。
せめて静かに逝かせたかった。
検査中にもがき苦しんで死ぬなんて思わなかった。
お父さん、ありがとう って言いたかった。
まだ心の整理がついていない自分に愕然としている。
714 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/07(木) 09:26:12.99 ID:c5Ksbi47
祖父母と書いてる人は、もう祖父母も70を超えるような年だろうし
孫がそんなに悲しんでくれる年になって、本人も思い残すことはないでしょう。
癌で亡くならなければ、痴呆や下の世話で身内が苦労するのだし。
問題は、70にも満たずに、仕事も現役だったりな時に親を亡くした時。これは本当に辛い。
私も贅沢かもだが母にはやはり70にはなって欲しかった。
62で亡くなったから還暦迎えられてよかったとも思うが。
62歳だった期間は二日だけど。
誕生日辺りに急変するだなんて思いもよらなかったよ。
おかげで誕生日に予定していた一緒に外食いく約束果たせなかった。それが凄い心残り。
心残りといえばやっぱ結婚して孫を抱かせてあげたかったなー
たまに父と同年代の人がお孫さん連れてニコニコ散歩してるの見ると
父にもこういう経験をさせてあげたかったと心底思う。
しかしこればかりは自分一人じゃどうにもならなかったけどw
10年前に祖父を胃がん原発の肺がんで亡くしたんだが、妻でしか分からない
違和感(脳転移してた)の18時間後、急に呼吸停止、死亡した。何でか、暮
れで主治医が生きる患者優先で、小6の自分が見よう見まねで検案やったの
覚えてる。無論、店じまいした主治医が飛んできて、死亡診断したけどもよ。
文系なんで、医者とか検視官じゃないけど、そっちの方向に進みつつあると
いうのが何ともw
今日は仕事休みだったので
昼間、テレビ見ながら寝ていたら
父親がトイレに行くと言って自分の横を横切って行った。
父親が病気になって入院する前にあった光景を
思い出させるような同じような感覚だった。
ちょうど1年前は、毎日のように仕事終われば病室に会いに行って
帰り道の車の運転では涙流していたな・・・。
母の余命宣告受けた日は、目の前が真っ暗になり倒れそうになったのを思い出したよ
もうこの世のどこにもいないなんて未だに信じられない。
720 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/07(木) 21:49:50.65 ID:Pglm+/2h
本当に信じられないよね。半年前は、父も母も私も妹も、
なんて平凡な幸せな生活を送っていたんだろう。
それが父の末期がんが見つかり、一転してしまった。
末期がんと言えども、もうすぐ定年だから仕事を続けたいと、
普通に働いていた父。そして体調が急変、突然の死。
どうしてこんなことになったんだろう。
現実に起こったこととは思えず、ドラマでも見てるような気持ちが
ずっと続いている。
父がこの世にいないなんて、この後永遠に信じられない気がする。
信じられない、どうしてこんな事になってしまったのだろう。
本当にそうですね。私も毎日思っています。
昨年の正月には来年も母と正月を迎えられる、考えるまでもなく当然と思っていた。
それが春頃に膵臓癌が解り半年。
母がいなくなって半年が過ぎたが信じられない、信じたくないとウジウジする毎日。
この気持ちを乗り越えられるのはいつになるのだろうか。
722 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/08(金) 16:49:37.81 ID:r2tax3zE
僕の母も6月2日、逝ってしまいました。1月に多発性骨転移の原発不明癌で余命1年と言われ、緩和ケアに移った後、5月に肝転移が見つかり、
余命3か月と言われ、この日夕方あと持って1か月と言われたのに、急に熱が上がって最期は熱痙攣で目の前で逝ってしまいました。
あっという間でした。うちは母子家庭で母に軽い障害があるためずっと二人で生きてきました。
葬儀も終わり、今日役所の手続きもあらかた終わりました。今家に帰って笑ってる母の遺影と私だけです。
後悔しても無駄とわかってますが、ちょっとしたことで思い出し、あの時喧嘩しなけりゃよかったとかもっと話してあげればよかったとか
もっともっと優しくしてあげればよかった。入院中は病室から仕事場に通ってたけど、こんなことならもっと休みを取って
一緒にいてあげればよかった。癌と告知はしたけど治るからと疼痛緩和の放射線治療を受け、
4月に介護認定を受けたあと、一か月だけ家に帰ったときすごくうれしそうでした。
実際はかなり痛みをこらえた状態だったはずなのに、それでも家事をしようとしてました。
血尿が強くなり再入院し、早く家に帰りたいと繰り返してました。
私の携帯によく病室から、ご飯食べてる?帰りは気を付けて帰ってねと
いつも人の心配ばかりしてました。いまだにその時の留守録は消せません。
なんでこんなに早かったのか。こんなことならもう一度家に帰してあげればよかった。
前の方も書いてますが、本当に立ち直れるのか、天涯孤独に耐えられるのか、自信がありません。
すみません、誰も話す相手がいないのでここに書き込みました。
乱文お許しください。
実家とは距離が離れていてなかなか帰省する事が出来なくて
母の事も希望的観測で今時は、癌になってもなかなか死んだりしないよ〜とか言って帰省しなかった
まさか母の癌があんなに急速に悪くなるなんて思わなかった
あまり会いにいく間もなくあっという間に亡くなってしまった
こんなに早く亡くなるなら、仕事を休んでずっとついていてあげれば良かった。
後から色々後悔してももう遅いのに・・・
父ちゃんや母ちゃんは遺していった家族がちゃんと食べてるかちゃんと寝てるか
幸せに生きてるか心配してくれてると思う
だから幸せに生きて安心させてやってほしい
人には簡単に言えるけど自分の事となると難しいんだけどね
人にそう言いながら自分に言い聞かせて日々生きてる
生きてるときは反発してばかりだったけど最後の半月はいっぱい手にぎれた
父の日には大好きだった百合の花を一杯飾るつもりだ
725 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/08(金) 23:27:02.97 ID:CBlE4nnj
もう5か月ほど経ち「もう落ち着いたか。」ってよく言われる。「まあ」としか答えられないが、日に日に後悔やら寂しさやらむなしさが大きくなってる。
>>722さん
私も母子家庭で育ち、半年前に母を癌で亡くし天涯孤独になりました。
母と暮らした家に今では一人。寂しい限りですが何とかやっています。
大変ですがお互い頑張っていきましょう。
727 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/09(土) 09:26:31.75 ID:eC0Ie42h
>>726さん
722です。励まし本当にありがとう。
でも、725さんが書いてるように寝ても起きてても後悔とさびしさばかりです。
この5か月間何か延命策はないのか走り回って、それなのにあっという間でした。
それならもっとついててあげればよかった。
母が病床で、ごめんね、私のせいで結婚できなくて、といったとき そんなことないよ
と答えたけど、母はどんなにつらい気持ちでそういったか。
私はもう年なので未来がない。たぶん家族を持てない。
この寂しさをずっと抱えて生きていくのはつらいです。
728 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/09(土) 15:59:28.90 ID:QjXbzPSq
癌って、やせ細って最後はボロボロになって亡くなるようなイメージがあるけど、
そうじゃないケースもたくさんあるんだよね。
うちの父も、元気だったころと全然変わらない姿で亡くなった。
だからこそ、周りも本人も油断していた。
もっとやつれても、生きていて欲しかったと思うけど、
本人にとってはむしろこのほうが良かったのだろうか。
いくら考えても答えは出ないのに、ああすれば、こうすれば、と思ってしまう。
729 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/09(土) 19:35:21.52 ID:6jZYbbQc
従姉40歳を亡くしました看護師をしていたからすべて理解して受け入れて3ヶ月後に亡くなりましたまだ小学生と幼稚園の子供を残してですまだ母親の死を理解出来ない下の子の姿と放心状態の伯父夫婦の姿に泣けました
いい大人になっても母親の死はキツいのに
ましてや子供の頃って親は、自分の世界そのものだから亡くしたら本当にキツいね。
731 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/09(土) 23:17:10.27 ID:5H2KneU5
722です。俺は最後に親不孝をしたのかも
逝く2週間前ぐらい前、毎晩一時間ごとに起こされて、
つい母にナースコール押してと、俺昼仕事だから身が持たんと
言ってしまったことを思い出した。俺って本当に馬鹿だ。
もしかしたら、ナースコールのボタンさえきつかったのかもしれないのに。
もう謝れない。他にもいっぱい思い出してきた。つらいよ。
悲しかっただろうな。俺にあんなこと言われて。
もうどうしようもない、泣いてもどうしようもない
みんなどうやって忘れられる
732 :
726:2012/06/10(日) 08:49:00.24 ID:atScFRT+
>>731 多分忘れるのではなく慣れるのだと思います。
私も仕事中に入院中の母から電話があった時、仕事終わったら行くからとしてしまった時があります。
もちろんそれ以外にも後悔する事は沢山あります。
しかし全ては終わった今、これで良かったと思う他ないとも思っています。
終わってしまった今、どうこう出来ませんし、母も私が後悔に縛られて生きるのを望むはずもないですし。
とにかく今を生き抜いて、明日に繋げて下さい。
残酷かもですが、時間がいずれ慣れさせてくれるのだと思いますので。
私も小学生の頃に母親を癌で亡くし今は自分が闘病中です。子供は保育園の子がいますが、この子の為に治りたいと言う気持ちと治らないのなら、母親の記憶が残らないうちに…と言う気持ちで混乱しそうです。
734 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/10(日) 09:46:55.40 ID:CzwqArS+
そう、時間の流れというのは人間を慣れさせるものだ。
父母を癌で亡くしたとき、最初の2・3週間くらいは地獄の苦しみ。
735 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/10(日) 09:47:10.10 ID:2TB9+6tz
>>732さん
本当にありがとう 732さんのお母さんからの電話のことも
私にもぴったり思い浮かび、後悔してるひとつでした。
次々思い浮かぶ事ばかりなのでつらいです
他の方もそうなんですね
そうか 時が慣れさせてくれるかな
本当に残酷ですね でもしょうがないですものね
家族がほしかったな
いかに精神的に母に依存していたのか
自業自得かな
本当にご返事ありがとう
736 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/10(日) 10:48:43.07 ID:2TB9+6tz
722です
>>734さん
何を申し上げていいかわかりませんが、
ご病気が治ること、本当に心からお祈り申し上げます。
>>734さん
やはりそうなんですね
母が逝って8日目、
これからどこまでこの状態が続くのか
737 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/10(日) 17:38:11.97 ID:zDBxyL0y
ご飯のみと水とテキーラ ウォッカ コーラ などで体を無菌状態に
するとかどうなの?とくに水だけを飲むとか
水とご飯だけとかどうなの?レトルト食品だけとか
テキーラ ウォッカだけとかどうだろ?
ご飯だけだと無菌状態になるけどな
宇宙食とかどうなんだろ
738 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/10(日) 17:49:18.78 ID:zDBxyL0y
水とごはんだけだと勝手に体が無菌状態になるけどな
テキーラ ウォッカだと体が殺菌されるけど
宇宙食なんて無菌食だろ
これでがん発生率が下がるのでは?
525 名前:がんと闘う名無しさん[] 投稿日:2012/06/10(日) 17:39:13.17 ID:zDBxyL0y
ご飯のみと水とテキーラ ウォッカ コーラ などで体を無菌状態に
するとかどうなの?とくに水だけを飲むとか
水とご飯だけとかどうなの?レトルト食品だけとか
テキーラ ウォッカだけとかどうだろ?
ご飯だけだと無菌状態になるけどな
宇宙食とかどうなんだろ
526 名前:がんと闘う名無しさん[] 投稿日:2012/06/10(日) 17:49:56.05 ID:zDBxyL0y
水とごはんだけだと勝手に体が無菌状態になるけどな
テキーラ ウォッカだと体が殺菌されるけど
宇宙食なんて無菌食だろ
これでがん発生率が下がるのでは?
737 名前:がんと闘う名無しさん[] 投稿日:2012/06/10(日) 17:38:11.97 ID:zDBxyL0y
ご飯のみと水とテキーラ ウォッカ コーラ などで体を無菌状態に
するとかどうなの?とくに水だけを飲むとか
水とご飯だけとかどうなの?レトルト食品だけとか
テキーラ ウォッカだけとかどうだろ?
ご飯だけだと無菌状態になるけどな
宇宙食とかどうなんだろ
738 名前:がんと闘う名無しさん[] 投稿日:2012/06/10(日) 17:49:18.78 ID:zDBxyL0y
水とごはんだけだと勝手に体が無菌状態になるけどな
テキーラ ウォッカだと体が殺菌されるけど
宇宙食なんて無菌食だろ
これでがん発生率が下がるのでは?
72 名前:がんと闘う名無しさん[] 投稿日:2012/06/10(日) 17:35:17.90 ID:zDBxyL0y
ご飯のみと水とテキーラ ウォッカ コーラ などで体を無菌状態に
するとかどうなの?とくに水だけを飲むとか
74 名前:がんと闘う名無しさん[] 投稿日:2012/06/10(日) 17:42:09.34 ID:zDBxyL0y
宇宙食 カップラーメン レトルト食品 ごはんだけとか
水 ウォッカ テキーラ とかとると体が無菌状態になりやすいけど
がんにはなりにくくなるの? 水だけが一番理想とか聞いたけど
23 名前:がんと闘う名無しさん[] 投稿日:2012/06/10(日) 17:40:21.26 ID:zDBxyL0y
ご飯のみと水とテキーラ ウォッカ コーラ などで体を無菌状態に
するとかどうなの?とくに水だけを飲むとか
水とご飯だけとかどうなの?レトルト食品だけとか
テキーラ ウォッカだけとかどうだろ?
ご飯だけだと無菌状態になるけどな
宇宙食とかどうなんだろ
356 名前:がんと闘う名無しさん[] 投稿日:2012/06/10(日) 17:39:44.31 ID:zDBxyL0y
ご飯のみと水とテキーラ ウォッカ コーラ などで体を無菌状態に
するとかどうなの?とくに水だけを飲むとか
水とご飯だけとかどうなの?レトルト食品だけとか
テキーラ ウォッカだけとかどうだろ?
ご飯だけだと無菌状態になるけどな
宇宙食とかどうなんだろ
351 名前:がんと闘う名無しさん[] 投稿日:2012/06/10(日) 17:38:55.13 ID:zDBxyL0y
ご飯のみと水とテキーラ ウォッカ コーラ などで体を無菌状態に
するとかどうなの?とくに水だけを飲むとか
水とご飯だけとかどうなの?レトルト食品だけとか
テキーラ ウォッカだけとかどうだろ?
ご飯だけだと無菌状態になるけどな
宇宙食とかどうなんだろ
740 :
738:2012/06/10(日) 21:01:52.10 ID:zDBxyL0y
すみません 連投してすみませんでした
がんになったら何も食べないのが理想です 水しか飲めません
741 :
連投主:2012/06/10(日) 21:04:39.13 ID:zDBxyL0y
ただがんになったらウォッカしか飲めないのでは?それくらいやらないと
効果ないのでは?
742 :
連投主:2012/06/10(日) 21:10:23.36 ID:zDBxyL0y
俺だったらウォッカ 水 テキーラを飲むけどな
それくらいしか方法がないのでは?
あと宇宙食をとるけど
火葬場で骨の髄まで燃え尽くして燻った弟の骨見るのは辛かったな
自慢の強い虫歯の無い歯もスカスカになって、
小さい頃見せあいっこした大臼歯をみつけたときには、足が萎えてしまって歩けなかったよ
744 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/11(月) 09:22:24.48 ID:K7hxl+it
火葬って言うのは合理的で良い物で不満はないけど
焼かれに行くところや骨になったのを見るのは本当に辛いことだよね。
遺体でも良いから身近に置いておきたいと思ってしまう。
火葬場で、すれ違う遺族が持つ遺影が老人ばかりな中で、父の遺影だけが若かったのも辛かった。
745 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/11(月) 09:38:09.06 ID:DWFMl2m6
若くても老人でも辛いものは辛いよ
他人の悲しみは計り知れない
すみません下げるの忘れました
自分は火葬で良かったと思います。
形が残れば未練も残る。お骨になった事で諦めが付く事もありました。
しかし辛いというのも解ります。私も火葬の前後はそんな気持ちでした。
何にせよ大切な人が辛い闘病の末にいなくなってしまった。
もう話す事も会う事すら出来ずに、しかし私は生きていく。
まだしばらくは辛い日々が続きそうです。
748 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/11(月) 12:40:59.65 ID:K7hxl+it
当然若いから辛い老人だから辛くないとか、そんなくだらないことは言ってない。
そうですね…うちの母は70ちょっとでまだまだ若いうちに亡くなりましたけど
街を歩いている白髪頭で杖をついたりカートを押したりしてる
「おばあちゃん」を見かけると、ああうちの母もこんなおばあちゃんになるまで
生きてほしかったのに…と思ってしまいます。
>>744さんもお父上には
まだ数十年、おじいちゃんになるまでの時がほしかったと思われたのでは。
うちの母もお婆さんになるまで生きてて欲しかったな…
日本人の女性の平均寿命が86歳なんて信じられないよ…
90で亡くなっても100まで生きて欲しかったと考えるんだよな。
先週祖母が亡くなったんだけど大往生だとみんな酒飲んで騒いでいたら、姪に「どうして大ばあちゃんが死んだのにみんな笑ってお酒飲んでるの?」と泣かれた、姪は酷い大人達だと思っただろうな。誰も何も言えなかった
753 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/11(月) 20:20:07.83 ID:O0I1JeOM
だいたい昔から90歳以上過ぎた人が亡くなると
大往生だ〜って宴会みたいになるな。
そうなんですよね、これだけ長生きしたからお祝いみたいなもんだ、的な雰囲気でした。でも7歳の子には理解出来なかったですね
うちの田舎では90過ぎて亡くなると、お赤飯を炊いて、紅白の餅をまきました。
お香典も紅白の水引になるんですよ。
自分は5歳でしたが、手の平より大きな紅白のおまんじゅうを貰って嬉しいのと、
親戚の人が泣きながらハァめでてぇこって〜と挨拶してるのが奇妙に不思議でした。
5月29日に胃癌で父が亡くなりました。
病院で父の心拍がどんどん小さくなって、
血圧がどんどん下がっていくのを、ただ見てることしかできない、
何もできない自分がほんと悲しくてしょうがなかったです。
今、その後の連絡等や仕事が忙しくあまり悲しみを感じないのですが、
手が空いたときに喪失感が襲ってきます。
>>756 お疲れ様です。
何かやっている内はいいんですよね。考えなくてすむから。
なんで仕事中とかは全然平気。休日とかが辛いですね。
とはいえがむしゃらに動いても身体を壊します。くれぐれも体調に気をつけてくださいね。
しかし母が亡くなった曜日と時間帯が近付くと毎週特に辛い。今まさにその時間帯。
色々思い出してしまう。
皆さんはどうですか?何か気を紛らわすのにいい方法はなうかな。
758 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/12(火) 13:34:48.64 ID:pBYE+pEG
仕事、1週間ぶりに出勤した時はまだ悲しみが全然癒えてなくて、きつかったな。誰とも話したくなくて、親の死で1週間しか休めないなんて短すぎると思った。
3週間くらいたったら、むしろ仕事は気を紛らわしてくれてありがたいと思ったが。
いや、そんなにきつきゃ勝手に休めよ。精神的きつさなんて人それぞれだろ。
有給フルに使えば土日あわせて3週間くらいいけるだろ。
普通は精神的にきつくたって生活のために仕事に来るのが普通だから。
生活が余裕なら勝手に休めばいい。それで給料減らされたって自己責任だ。
「給料減らすな、でも休ませろ」とか言ってんなら、死ねって感じだが
別に会社を責めてるわけじゃないんじゃ…
>普通は精神的にきつくたって生活のために仕事に来るのが普通だから
まさにこのとおりで、「精神的にきついね」と思いながら出勤したものだった、と言ってるだけじゃないのかな
「月曜は仕事に行くの憂鬱だなあ」「嫌なら休め」というような余裕のない反応に見えるけれど。
一応誤解があると嫌なので
「月曜は憂鬱で仕事に行きたくないなあ」レベルを身内の死と同一視してるのか!と突っ込まれないように…
月曜の出勤が憂鬱なのは特別に怠け者の人じゃなくてもよくあることだし
月曜は憂鬱だから休むって人はいない
身内が亡くなって1週間では精神的に辛い、けど出勤する
という人も普通にいる
ということを言いたいだけで辛さのレベルが同じということをいいたいんじゃないよ
762 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/12(火) 21:47:55.46 ID:OUWT+mZH
>>759 なんか異常に理不尽に絡んでるけど、相当ストレスたまってるね。
大丈夫?
まあいいんじゃないの?人それぞれってことで。
余裕ない反応!とか異常に絡んでる!とか
必死に反応しているほうが、余裕なく異常に絡んでるように見えるよ
まあいいんじゃないのという相手が違うような
一周忌しなきゃいけないんだが
なんだか本当にお別れみたいでしたくないんだが…なぁ
カトリックだと法事はなく、あったとしても、故人の誕生日にお祝いをするんだよね。
○周忌とか、わざわざ死んだ日を思い出して暗くなりにいくんじゃなくて
その人の生まれた日を祝うっていうのがアメリカらしいなーって思った
>>755 いい風習ですね。
状況を想像したら笑い泣きになりました。
768 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/13(水) 09:23:45.89 ID:4zWNfKmv
カトリックって誕生日を祝うのか。それ良いね。
まぁ仏教の場合死を忌々しいものとして見るのだから仏教である限り仕方ないね。
父の癌がみつかる前の平凡で幸せだった頃に戻りたい。親孝行もしないうちに逝ってしまったが、
1人でも孫を見せることができて、凄く喜んで貰ってたことは本当に良かった。
亡くなった母の誕生日、命日の二日前。
誕生日を迎えられたのを喜ぶべきか。
770 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/13(水) 20:50:32.05 ID:i7/hlQjP
喜んであげたら良いんじゃないかな。
うちの父なんか、誕生日の一日前が命日だよ。
あぁ、お母さんに会いたい
お母さんが死んでから、私も早く死にたいと思いながら何となく毎日が過ぎていく
772 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/14(木) 00:49:59.29 ID:2o09hvyx
722です。
>>771さんの気持ちものすごくわかります。
今日冷凍庫の奥の方見たら揚げたら食べられるよう
とんかつや魚の天ぷらがたくさん出てきました。
母は歯がなかったのでほとんど食べないので私のためのものです。
体が弱いくせに一生懸命作り置きしてたのでしょう。
そんなことが家の中を見るたび見つけてしまう。
ここ2〜3年は結構喧嘩というより私が一方的に意見を言うことが多く
いつも怒ってると言ってたのに、癌になって入院したら急に優しくなったと
言ってた母。もう謝れない。
つらい。たった5か月しか優しくできなかった。
母が入院中からもう安定剤なしでは仕事もいけなくなりました。
気持ちの吐き出しさせてください。
昨年末に父を膵臓癌で64で亡くしました。病名確定時には末期の状態。余命宣告もできずに、いつ亡くなってもおかしくない状態
残された手段は緩和ケアしか無く、そのまま即日入院。私たち子供もその日の内に帰省。
ほっとしたのか、気力が切れたのか、それから入院後、一週間もしないうちに亡くなりました。
家族全員で最期まで付き添って看取れたのは、本当に何よりだったと思います。
そんな経緯、病名など、上司にはお礼と報告も含めて全て伝えていました。
急な出来事に加えて、看病(というより看取りですね…)のための休みの融通など聞いていただき、感謝をしていました。
けれどつい昨日、その上司が他の同僚と仕事中の雑談の中で、
「うちのおばあちゃん、膵臓癌らしいのね。で、それって見つけるのが難しくて、わかった時にはもう末期でダメらしいのね。
だから予定見て、近いうちに一度病院行かなきゃなんだー」
などと、明るく楽しげに話されていました。
上司と私の席とは隣なので、パーテーションで仕切られていても、半年前の父の事が思い出されずにはいられない内容が
聞こえてきてしまい、正直、入院中の事、臨終のこと、葬式のことなど、どうしてもいろいろ思い出されて仕方ありませんでした。
トドメには「これでわかったけど、私は肝臓癌で死ぬよね。めっちゃ酒飲むから。あはは」と冗談交じりの締めの言葉。
相手にしてみれば、もう半年も前の事と思っているからなのか、あるいはご本人も無理をされているのかもしれませんが、
特にこちらを気遣うような雰囲気は一切なく、私が隣にいることもきちんと理解されていました。
なんだかなあ…と思いながらも、当事者とそうでない人によって違うだろう…とできるだけ納得をするように抑えていました。
そして今日になり、申請・許可済みの来月の休み・出勤の予定の変更できないか?との打診がありました。
お祖母様が危険な状態らしく、予定よりも前倒しで行くことになったそうです。
休みについては特に問題も無かったので、すぐに上司の相談通りの日程に変更させてもらいましたが、
その時に昨日は平気であんな事を身内亡くした人相手に言ってたのになあ…など、
なんともいえない気持ちが出てきてしまいました。
誰もが同じ状況下ではないし、同じ考え方・捉え方ができるとは思ってはいませんが、
ただ、なんだかなあ…と思わずにはいられないのです。
半年程度では、こんなものでしょうか。それとも、単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
折に触れて様々な場面で父の事を思い出して、ああ…と思わずにはいられません。
もう実家に戻っても父はおらず、聞きたかったことはもう二度ときけない、何も一緒にできないのが辛いです
小康状態であった不眠も、以前の状態にぶり返しつつあるのがなんとなく自分でもわかるんですが
家族や主治医でさえ、誰かを相手にしていると、本当は辛い、しんどいことがある…という事を吐露できずに
「大丈夫だと思います」と、元気なふりをして結局言えずじまいです。
何をどう言いたいのかわからなくなってきましたが、半年って長いものですね…。やっぱり、辛くて悲しくて寂しいです
>>773 祖父母と両親では死の重みが全然違うよ
その上司も自分の親が亡くなったらあなたの気持ちが分かるだろうけどね
いちいち気にしてたら精神上良くない、聞き流すしかないよ。
775 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/14(木) 10:09:40.42 ID:MM8sSy4l
そもそも会社の人に自分の悲しみをわかってもらおうとするのを間違ってる
他人に期待しすぎ
×するのを
○するのが
心がえぐられるような傷は本当に近い人だけ
周りは悲しんでくれるけどやっぱり一つの出来事に過ぎない
これはしょうがないよ
あとは配慮が出来るか出来ないかの話
778 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/14(木) 12:35:17.62 ID:hjCck0ER
そうなんだよね。親を亡くした深い悲しみは子にしかないもの。
亡くなったばかりならデリカシーない上司だと思うけど、半年前のことなら、自分なら割り切れる。
会社の上司なんて赤の他人なんだし。自分も一月前に63歳の父を亡くして悲しみをひきずってるけどね。
上のレスでもあるけど、祖父母を亡くすのと実父母を亡くすのではショックの度合いも全然違うし。
779 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/14(木) 12:43:33.30 ID:qW3UIwh0
>>773 自分も似たような状況がありましたが
上司に対し、「フッw、小僧、親の時はそんな呑気でいられんぞ!」程度に見てた
察するにその上司は婆ちゃんっ子ではないようだし、そうすると態度はそんなもんだと思う
上の方に祖父母と親は違うと書いてる方もいますが
爺ちゃんっ子、婆ちゃんっ子だった人は親の時より辛いらしいです
780 :
773:2012/06/14(木) 14:33:10.51 ID:1meL5uJT
皆さんありがとうございます。
自分がファザコン気味だったとか、ちょうど落ち込む気持ちがぶり返してたりとかもあったから、聞いちゃったタイミングが悪かったもしれない。
>>779が思ったっていう一言見て、なんかふっと楽になった気がする。
父に「母(婆さん)と妻を亡くしてどっちが辛い」と聞いたら妻だよ。と・・・自分も母を亡くした辛さは大きいけれど父は30数年連れ添った妻を60で亡くしてもっと辛いだろう。
母が老後、70代を迎えるのを見たかったな。
親の死は辛いけど順番だから仕方ない面があるよ
配偶者の死がストレス度No.1らしいから、長い年月ずっといたなら余計に辛くて寂しいだろうね。
自分の半身がもがれて自分も半分死んでしまった感じかな…
亡くなった母の闘病生活、一年くらい前に始まったんだよな。
抗がん剤投与のための入院から退院し家に戻り。
それから半年後、今から半年前に母は亡くなった。
母子家庭で、母は身体を悪くしたため私が母を扶養していた。
20数年一緒に暮らし、支え合ってきた。
その母がもういない。
辛いな。一年前にはいたのに、この先いくら探しても逢えないのだから。
母から離れて一人暮らしをそれなりの期間やっていれば違ったのかな。
784 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/15(金) 13:38:21.40 ID:ohWGvZmF
私も父が老後、せめて70くらいまで、仕事を引退後、趣味のウォーキングや野球観戦を嬉しそうに楽しんでる姿を見たかった。
それを奪った癌が憎いし怖い。
でも、杖をついてやっとのことで歩いたり車椅子の老人を見ると、癌で介護なんてする暇もなく突然倒れて亡くなったのは、融通が聞かないほど真面目だった父らしいような気もしてくる
うちの母も痴呆や寝たきりになって介護されたくないって生前よく言ってた
癌になり、介護される事もなくあっという間に亡くなったという事は、願いは叶ったという事なんだな
しかしもっともっと長生きして欲しかったな…
先日、父が突然亡くなって告別式までなんとか無事に終わりました。
転移が見つかり一年弱、肝転移が大きくなってきてこれから痛みが出てくる段階と覚悟してから突然の事でした。
まだ大丈夫だと母に任せっきりで何もしてあげなかった。心細かっただろうな。
毎晩、浮腫んだ足をマッサージしながら話をすれば良かった。
何も出来ない不甲斐ない息子で情けなくてしょうがない。
787 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/16(土) 09:18:31.13 ID:lF69udHN
うちも、脳転移してたけど、どこがそんな酷いがん患者なの?という感じで、
本人も、ちょっと味覚がおかしいな、と言ってるぐらいだった。
医者からは「脳転移してるから、言ってることがおかしかったりしませんか?」
と言われたりしたけど、亡くなる前日に見舞いに言ったときには
難しいニュースの話しをしてるほどだった。
救急で運ばれた病院では、酸素マスクがすぐに外れて息が苦しくなったり
かかりつけの病院とくらべて頼りなくて、
今でもあそこに入院したがためにこんなに早く亡くなってしまったんじゃないかとか
色々後悔ばかりが頭をよぎる。
適当にサラっと書かれた死亡診断書を見た時、人一人の死って
こんなに簡単なものだったのか、と思った。
癌って本当にどこに怒りや悲しみをぶつけて良いのかわかんないね。
叔母、すい臓癌、余命3ヶ月と言われたのに2ヶ月ももたなかった
葬儀もあっという間だった
あっという間すぎて、入院生活のときの姿が幻のように感じる
なんか元気なときの姿と入院してからの姿が、同じ人物だとわかっていても結びつかない
え?ほんとにいないの?電話したら出るんじゃないの?と思ってしまう
> あっという間すぎて、入院生活のときの姿が幻のように感じる
> え?ほんとにいないの?電話したら出るんじゃないの?と思ってしまう
身内を亡くしたらそんなもんじゃないかな。俺も未だにかーちゃんの声が聞こえる気がするよ。
家に帰った時「おかえり。今日は何処行ってきた?」なんてな。
そして出かけた時には、帰ったらこんな事があったと話そうかと考えている自分に気が付く。
もう独り言にしかならないんだけどな。
>>789 自分も、いまだに、何かあると母に話そうかとか考えてしまう。
誰もいない家に行ってきますとただいまも言っている。
母の死なんて本当に信じられないし信じたくないよ。
791 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/16(土) 15:30:13.02 ID:nB3Taq4d
>>789 >>790 本当にまったく自分も同じです。
いつもおかえりって言ってくれたのに。
実はいまだに母の携帯持ってます。
帰宅前、何買ってきてと伝言入れてくれてたのに。
みんなそうなんですね。
胸が苦しい。
一人は寂しいよ。
やっぱりそうだよな。
そんな時に思い出す母ちゃんの顔は笑顔だから、本当は思い出した時に笑顔を返したいんだけど。
まだ無理だなぁ・・・俯いちまうわ、やっぱり時間かね。
少なくともこのスレ読んで色々思い出して涙する内は無理だろうなぁ・・・
笑顔で思い出を話せるようになるまで時間は掛かるだろうけど、それまで心配しないで見守っててくれよ母ちゃん。
って所か。今はそう考えるので精一杯だな。
793 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/16(土) 22:43:51.57 ID:lF69udHN
本当にね。
うちも父が癌を宣告されてから亡くなるまでの間のことが、
悪い夢でも見てるようで現実のことと思えない。
余命宣告されていたのに活かせなかったよ。
明日があると思っていたら無くて、伝えたいことも伝えられず一人で逝かせてしまった。
かといって生前に死を前提とした話しなんてできっこない。
母には癌で助からない事、大体の余命も伝わっていたのに。
確実、そして近い内に母に死が訪れる事は解っていたのに、ただ日常を過ごすしか出来なかった。
思い出せば色々後悔はあるが、もうどうしようもない事。
とはいえそう納得出来るかといえばそうもいかない。
今は日々、母が生きていたらどうしていたのだろうかとか考えてばかり。
今まで生きてきた中、母の闘病の時も含めて今が一番辛いかな。
>生前に死を前提とした話しなんてできっこない
そうですよね。もうあと数日と言われて遠方から母の兄弟が尋ねてくるのも私は怖がっていました。
ああもう最期なんだなと本人にわかってしまうと。。
尋ねて→訪ねて でした。
遠方にいる母の余命が残り1ヶ月をきると言われて
身の回りを色々整理してしばらく実家に滞在するつもりで駆けつけたら
母はもう自分の命が残り少ないと悟ったみたいでした。
私や弟の小さかった頃や、母の子供の頃の話など昔の話を色々聞かせてくれました
癌と分かった時や転移した時など母は苦悩や生への葛藤があったみたいだけど最後は穏やかに見えました。
余命1ヶ月って言われたけど結局二週間ももたずに母は逝きました
父に置いて行くけどごめんねって言っているのを今でも思い出したら涙が出ます。
父親も母親も、もういなくなっちゃったよ
退院できないのわかってるのに、「退院したら」とか嘘ばかりついてゴメン
一人ぼっちになってしまった
自分が癌だからかよく考えるんだが、残された日をどう過ごしたいか、
自分なら今までと同じくらいの日常じゃないかなと思っている。
だから、一人一人違うけど、それも正解じゃないかな。
>>797 私の母も一度急変して意識不明、危篤状態になった後に持ち直した時に長くないと悟ったのか色々話してくれました。
その数日後にまた急変して亡くなりました。
母さんと話した事、年金の照合で役に立ったよ。
母は、癌の末期に何でも愛おしく感じる、何でも美しく感じるって言ってたな
最後の満開の桜並木を一緒に歩いた時、今まで見た中で一番綺麗だったって言ってた
その後、急速に弱ってあっという間に亡くなってしまった
この世界とはもうお別れするって自然に感覚で分かってくるものなのかな。
懐かしいお母さん、もう一度会いたいよ。
母が肝臓に転移した癌が大きくなって急速に弱っていき家で急変、入院してから亡くなるまで早かった。
去年の今頃は大好きな花の手入れや梅漬けしたりしていたのに・・・
まだまだ、好きなことをやりたかっただろうにね。
母が植えた花を見ていると思い出して泣けてくる。
私ももう一度お母さんに会いたい
でももう二度と会えないから辛い
このスレの皆さんのレス読むと、辛いのは私だけでないんだと感じます
804 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/19(火) 01:15:41.58 ID:I2qAVn6X
去年どころか4月には嬉しそうに桜を見に行ってた父が急変して
5月に亡くなったよ。
やっとリタイアで、これから毎年のんびりとお花見できるはずだったのにね。
親友のお骨が、お寺の納骨堂に納められたままらしい。
お子さんが暮らす自宅近くにお墓を建ててあげればいいのに
自宅から離れたご実家に帰された形で可哀想・・・
「実家へ帰らせていただきます」って?彼女の意思ではなかったでしょうのに。
あんまりにも病状が急激すぎて、話をすることすらも難しかった…。
なにも知らずに年明け帰省したら、腹を割ってあれこれ話そうとしてた去年の自分が腹立たしい。
なんでもっと早く、ちゃんと話す場を作って、いろんなとこ一緒に行ったりしなかったんだろう。
>>805です。
この文章では意味不明でした。
お寺は、ご実家のお寺とのこと
自宅とは離れたご実家のお寺、ということです。
近年、この親友を含め、親族や身近な人が
癌で何人も亡くなっております。
また現在闘病中の方も何人かいらっしゃいますので
お墓の話などうかつに話せない状況があります。
親友がお子さんの近くで安心して眠れるように祈るばかりです。
お墓を建てると後で子供達が墓守りが大変だからと
最近は、お墓を建てないで、永代供養にする人達も多いよ。
墓は大変ですね。
亡くなった母方の墓が祖父の代で権利止まっていたので私が継ぎました。
母子家庭だったので母にはその墓に入ってもらいます。
母は天国で祖父母と逢えたかな。
しかし墓に限らず相続って面倒ですね。大した財産もなかったので非課税で済みましたが。
お母さんに会いたいよ
母が亡くなり、順番だから仕方ないって思っても
母には長生きして欲しかったな
癌になってしまったら長生き出来ないんだなとしみじみ思う。
812 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/19(火) 23:45:04.99 ID:d5wzH2Yv
私もお母さんに会いたい
私はお父さんに会いたいな!
新盆だからお盆が楽しみ、って言い方も変だけど帰ってくると思うと嬉しい
この一年半で相次いで父も母も亡くしてしまった
私は、父も母も自分の体の中にいると思ってる。
母が亡くなり初めてのお盆だな。
提灯とか買って色々やってみるかな。
近所に仏壇のはせがわがあるから覗いてみるか。
百回の墓参りより一度の親孝行っていうらしいけど
生きているうちにもっと会いに行ってあげれば良かった
これからは、母のいない時間をずっと過ごしていかないといけない。
817 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/21(木) 21:29:01.18 ID:TZjXQkKs
母が抗がん剤治療で苦しんで亡くなったのを見て
自分が癌になったら抗がん剤治療はしたくないと思った
抗がん剤の副作用で苦しむよりだんだん自然に弱って死ぬ方がいい。
死なんて理解していなかった小学生の時、合宿から帰ったら一緒に住んでいた祖母の葬式だった。
私が合宿に出た日に母が家に帰ったら亡くなっていた、急死らしい。
その一月後に膵臓癌だった祖父も祖母を追うように亡くなった。
十数年後の今、まだ死ぬなんて思っていなかった母も膵臓癌になり亡くなった。
今までの人生の中で最も大切だった人達、誰を看取る事も出来なかった。
親不孝、祖父母不孝なのかな。
祖父母の時はともかく、母の時は錯乱して逃げてしまった。
怒って欲しい人達はもういない。怒られないのがこんなに辛い事とは思わなかったよ。
患者を安心させるためだけに介護保険の申請を薦めてくる事ってあるのかな?
ある日退院支援看護士とやらが来て薦めてきたので申請したら、一週間後に母は亡くなった。
その後に主治医と話していたら、保険の話しの時点で母は見た目元気だったが危険な段階だったとの事。
母には伝えなくてもいいが、私には予め伝えて欲しかったよ。
帰宅できる希望はあるんだと申請して、その一週間後に死亡手続きと一緒に申請取り消しする羽目になるとは。
薦められたのはもう治療法方がないということで緩和ケアの話をされた頃(本人告知)だった
直接自分は聞いてないけど緩和ケアに入っても何ヶ月も生きる人もいるから…ってことだったのかなあ
認定結果通知が来たのは亡くなる数日前でした。調査員が来た時には自力で歩けていたので要介護1。
通知を受け取った時にはベッドから起き上がることも出来なくなっていました。
本人に伝えたら「1?1?」と少し興奮させてしまって、
現状に応じて変えてもらえるし(よく知らん)、第一今は入院中で
サービスは受けないんだから関係ないよ安心してとなだめることになり
わざわざ言う必要なかったと反省しています。
>>820 そういう事だと思います
自分の妹は、検査で容体の急変と癌の急速な拡大が確認され
そのまま入院、そのまま余命数日から長くても3ヶ月と告知
その時は弱っていましたが自身の脚であるける位には元気でしたので意味不明でした
在宅看護が出来るよう色々申請し数日後に退院
数日後にはもう動けなくなりましたが
そのまま頑張り2ヶ月後に亡くなりました
亡くなってから色々調べて知ったのですが
余命数日なんて大袈裟な、動けるんだから三ヶ月いや半年とかあるだろうと当時は思ったのですが
その時の血液の数値やら色々を見ると本当に数日でもおかしくない状態だったのですね
その当時は勉強が足りずに…気づげませんでしたが。
例え一週間かもしれないと思っても介護申請は妥当だと思います
運が良ければ過ごせるもう少し先の日々を少しでも快適に過ごせるために
逆縁しなかっただけでも親孝行
母が亡くなって、癌って死ぬ前ぎりぎりまで歩いたり喋ったり出来るって分かったよ
もっと早くから寝たきりになるのかと思っていたよ。
だからまだまだ亡くならないと思って油断してしまったよ。
もっと色々聞いておきたい事があったのに今となってはもう二度と聞けないよ。
私もそう。
母ともっと話しておけばよかった。
今お母さんに無償に会いたい。
>>820>>821 やっぱり場合によっては必要になるかもだから、が理由なんでしょうね。経過を見て帰宅できそうならその時に役立つし。
医者としても急変といっていたから申請一週間後に亡くなるのは予想外だったのだろうな。
私も癌て徐々に弱っていくものと思い込んでいたから母と何も話せず、看取る事も出来なかった。
5分でいいから母に逢えないかな。
826 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/23(土) 07:49:39.97 ID:uBPBAlDo
昔の人はよく言ったものだね
孝行したい時に親は無し
いつまでもあると思うな親と金
お父さんが病気になって植物のまま七年。
お母さんが介護してます。
もう…
どうしたらいいか…
お母さんと一緒に旅行行きたい
病院て冷たいね。死んだらそれまで。さよならよ。
母が亡くなった病院に自分も持病のため通院しているけどケアとかそういった関係への誘導もない。
当然かもだけど、辛いな。
みんながそうではないけど仕事としてやってるからねえ
感情まで持ってったらキリがないし
自分たちの中で思い出として残るかぎり、その人は幸せでいられると思う
個別に対応というか遺族の心のケアをしてくれる心療内科的なものの紹介と言うことなのかしらん
スピリチュアル団体に誘導されるのは困るけれど。。
そういえば、まだ治ると信じていた1度目の入院の時に
待合室に置いてあった古いパンフレットをめくってみたら
癌患者本人の心のケアとしてレイキヒーリングとかのスピリチュアル団体が紹介されていてちょっと引いた。
そういうものにあまりよいイメージがないので。
県立病院が正式にこういう団体を認めているのかしらと訝しく思ったけれど、
結局それらしき勧誘は全くなかった。
置かせてくれと頼まれて、反社会的団体でなければ断れもしないんじゃないかな。
さすがに霊気は引くけど、アニマルセラピーとか色々なボランティアではまじめな所も多いから。
スピリチュアルケアとか真面目な用語なのに、スピリチュアル団体になったとたん胡散臭さ爆発だな。
死んだ母と話したくてイタコさんの所へ行こうか悩んでる
気休めだとしてもいいと思ったり。
亡くなった父が夢に出た。
元気でフツーに家族皆でドライブしてた。
目が覚めたら大泣きしてしまいました。
私も霊能者に見てもらいたいなと思ったりするよ。
一年くらい前には余命宣告スレに母が余命半年と宣告されたと書いていたんだよな。
本当に半年で終わってしまったから母を亡くしてからも半年。
これからの半年、一年前はどうだったとか思い出しながら過ごすのか。そして一周忌に。
自分もイタコとかに縋りたい気持ちあります。
しかし所詮はまやかしと思う面も。
終わりの感じられない迷路をひたすら歩いている気持ちです。
832です
>>834 >>835 私も母が死んでから終わりのない暗闇を歩いてるような感じです
辛い気持ちにきっと終わりはないんですよね・・
霊能力者やイタコさんに見てもらいたいと言う人がいて、皆辛い気持ちは一緒なんだなと思いました
遺骨よりも故人を身近に感じたいと思って遺髪を少しもらいましたが
気に入ったロケットペンダントが見つけられず
まだ半紙に包んでポーチの中です。手元供養になっていない。。
遺骨・遺髪などを身につけていらっしゃる方はやはりペンダントですか?
形見的なジュエリーなどはまだ形見分けも済んでいない状況で
姉妹も他にいるので勝手に持ち出すわけにもいかないし
宝飾品はあっても故人が常日頃身につけていたようなものはないので
特に身に付けたいものはないのですが。
私も母から遺髪を貰いましたが、まだこれといったのはないですね。
何がいいのかとか考えてはいるのですが。
自分は男なんでペンダントはどうなんだろう、お守りみたいな小袋がいいのかとか定まりません。
今は仏壇に置いているけど、出来れば持ち歩きたいですし適当なのはなんだろうか…
本当に最期を看取れなかったのが、逃げてしまったのが辛い。
母は一人で寂しく病室で、苦しみながら逝ったと考えると、後悔と涙が止まらない。
嘔吐物を詰まらせての窒息だとか医者は言っていたが苦しかっただろうに。
何で母から離れてしまったのだろうか。
ごめんね、母さん。
お母さんに会いたいなぁ
会いたいね、幽霊でもいいから出てきてくれないかなと思うよ。
うん、幽霊でいいから会いたいよ。
霊感があればいいのにと思う。
聞きたい事が色々あるけどもう永遠に分からないままだよ。
本当、母に夢でいいから会いたいよ。
七ヶ月経つけど、母を夢で見たのは二回のみ。
洗濯物を干している母を見つめているのと、病院の窓から外を二人で見ている夢の二回。
話したりは出来ていない。
職場では普通を装っているが、正直辛い。でも仕事辞めたりしたら母が悲しむと思い頑張っている。
845 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/29(金) 00:12:39.89 ID:MIg8I/Qw
先週。癌で大切な人を亡くした…一週間経つのに昨日のことみたい。どう生きて行けばいいか解らない。モヤモヤして、なにも手に付かない。どこに吐き出せばいいんだ。
>>845 身近に吐き出せる人がいないならココでいいんじゃないかな。
相談に乗ることは出来るよ。
>>846 ありがとう。
余命1年の宣告受けてから2ヶ月で…ばあちゃんに一生会えなくなった。1年恩返し沢山するはずだったのにな。後悔ばっかりだ。こういうのって時間が解決してくれるのかな?
>>847 時間が癒してくれる、よく言いますが実際には慣れなんだと思う。
大切な人がいないという事に慣れてしまう。
私は母を失い七ヶ月ですが、大分慣れたような気もしますがふとした時に凄い沈む時もあります。
まあ、何を言っても生きている私達は先に進まないといけないんで体調に気をつけて日々を過ごすだけしかないですね。
うちも父をなくしてちょうど半年だけど、確かに慣れてきた
けど、やっぱりふとした瞬間に入院してた頃のことや危篤の時の事を思い出して胸が痛くなる
そして「父はもういないのだ」と再確認して沈む
でもやっぱり自分は生きてるんだから先に進まないといけないんだよね
そっか。慣れ、か…まだ一週間、もう一週間。きっと来週、来月はもう少し気分も軽くなってるのかな。
皆みたいにたまに思い出して大泣きして、また明日もばあちゃんの分まで頑張って生きよう!てなれるのかな。ありがとう、なんだか気持ちが軽くなってきた。
私はそろそろ三ヶ月経つけど、まだしょっちゅう泣いてしまう。
泣くと会いたいって思ってしまうからまた辛い。
でも少しずつでも前向いて生きていかなきゃって思うよ。
自分は七ヶ月だけど、まだたまに泣いてしまう。
特に朝起きた時と、仕事から帰宅した時が辛い。
いつになったら立ち直れるやら。一度心療内科なりカウンセリングなり受けるかな。
母には長生きして欲しかったな
もうすぐ1年経つけどまだ亡くなる間際の事が、ぐるぐると走馬灯のように回っているよ。
うちの母はよく夢に出てくるけど、まだまだ生きたかったんだなと思う。
本当かどうかは分からないけど、この世に未練なく亡くなった場合はあまり夢にみないとかいうからね…。
私は母の死に目に会うことができなかった
なので一ヶ月たつ今も、あの日ああしておけば看とってあげることができたのにと後悔ばかりです
855 :
がんと闘う名無しさん:2012/06/30(土) 17:06:36.05 ID:Wxb4pq3g
どこにもいないと思うと寂しいよね
父が亡くなってから20日ぐらい立ちあわただしい日常に戻ってるけど
父の名残を見つけてはもう会えないって現実が今更ながら突き刺さる
自分は母が亡くなってかれこれ5年もたつが最初1年ぐらいはきつかった
でも大丈夫。時が解決して立ち直れる。
母が亡くなって9ヵ月になるけれど、未だに水曜日はキツい・・・
水曜日になると亡くなった時の事を思い出してしまって気持ちが落ち着かない。
こんな事はこれからも続くだろうがとにかく辛い
母は弱ってたけどまだまだ死なないって思い込んでてあまり話せなかったな
遠方に住んでるから仕方なかったかもしれないけれどもっと早く会いに帰れば良かった。
癌の最後ってあんなに急速に悪化して亡くなるなんて思わなかったよ。
そうだね。急変なんて考えてもいなかった。
あの頃は余命宣告スレにいたりしたが、まともに他の人のレスを見ていなかった。
見ていればこんな事もあると気付けたのかな。
今となっては今更すぎるが。
癌で余命宣告された友達がいる
私は首にリンパ腫がある
悪性になっても手術が出来ないから死ぬ らしい
簡単に死ぬんだなって思った
人の命って本当に儚いね
あっという間に逝ってしまうよ…
母の気配、もう感じられない。
一年前には一緒に生活していたのに。今では家に帰っても一人。
この先、何をすればいいか解らないや。
父を亡くして一年たつけどまだひょっこり顔出して面白いこと言ってくれるんじゃないかって思ってしまう
不意に思い出して涙が出る
亡くなったときは結構冷静だったのに…
>>863 自分も母が亡くなった時の方が冷静だったと思います。多分凍り付いていただけだとも思うけど。
喪主として色々手配し、様々な手続きをして。今思えばよく出来たと思う。
母が元気な頃は、いつも母とランチしたりお出掛けしたり、亡くなる前の一年は介護でずっと一緒にいた
母が亡くなり毎日一人で私にはもう何もないんだなと思う
どうやってこの悲しみを乗り越えていけばいいのかな
私も早く母のところへいきたい
>>865 早く母に会いたい。解ります、私も同じ気持ちです。
でも実行したら母が悲しむし怒るだろうから生きないと。
生きられるだけ生きて、その間にあった事を土産話にでもしようと思いこの先を生き抜くつもり。
でも心底辛いのも事実。奇跡ってないのかな、と思ってしまいます。
867 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/06(金) 07:26:43.18 ID:J2HCyNPp
母を亡くしてから奇跡なんて無いんだと思ってます。
868 :
全身に転移の末:2012/07/07(土) 01:55:56.54 ID:UCHUOuLo
「みんな疲れてるんだよ」亡くなる直前に心臓発作で苦しんだ患者より疲れたんですか?
>>868 看護する側の疲れと患者の苦しみは全く別の物。比べられるものではないよ。
>>838 すみません、レスをいただいていたのに。
家族を亡くした直後で辛いというレスが続いているのに
のんきなこと聞いちゃったかなあと思いレスがしづらくなり…
ってそれじゃ答えてくださった
>>838さんにも失礼でした。。
私も最初はロケットペンダントをと思ったんですけど
写真を入れるような形状のものを買ってしまってこれは遺髪入れに合わないなと。
お守り袋がイメージ的には合うんですけど身につけるには?とやはり思ってしまいましたね
仏壇に母の好物をお供えしたら抗がん剤治療中の母の事を思い出してしまう
気分が悪くて好きな物も食べれなくなり、味覚も無くなり、最後は飲み込む事も出来なくなった母
今はもう仏壇にお供えするしかなくなってしまった
しかし美味しいと言って食べてくれる母は、もうどこにもいない。
日々の暮らしは母がいないという事を除き以前のサイクルに戻った。
だからこそ母が亡くなったという事が解り辛い。
仕事帰り、昔だったらこの辺りで母に電話していたとか時々駅のケーキ屋でお土産買って帰ったとか。
本当に毎日自問しているよ。何故こうなってしまったかを。
お母様亡くされた方多いんですね
私も先日母を亡くしました。最期は私が看取りましたが
末期と言われてから病気と闘った数年間の記憶が蘇ってきて、
やれることはやり切った、これでやっとゆっくり眠れるんだね。お疲れ様、本当にお疲れ様、と
母の亡骸に向かって何度も言いました。
それでも寂しくなり涙が止まらない日もありますが…そういう時は我慢せずに泣きじゃくります。
皆様の大切な方も痛みや辛さから解放され、きっと皆様を見守っていらっしゃると思います。
見守ってくれてたらいいなぁ
>>874 そうだね。見守ってくれている、そうであればこれほど心強い事はないな。
末期癌で余命8ヶ月〜1年と宣告されたのに半年たらずで今日の3時頃、祖父が亡くなりました。
泣きすぎて顎が痛いです。
ここの存在を最近知りました。
妻が亡くなってもうすぐ5ヶ月になるけど、会社から帰宅した後等、毎日ふっとした時に涙が出てくる。
家に戻ると一人なので余計に考えてしまう。
時間が解決してくれるといいけど…
配偶者の死はストレス度ナンバーワンだそうだから辛いね…
879 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/10(火) 21:11:43.48 ID:hPvcPfQ+
二年間、肝臓癌、食道癌、また肝臓癌、先月余命宣告うけた親父が一昨日亡くなった。昨日、今日お通夜、葬式で初めての喪主でフラフラだ。もう親父と話したり出来ないと気付いて更に落ち込んでる今です。
>>879 お疲れ様でした
お父様のご冥福をお祈りします
>>878 ありがとう。
父が亡くなった時は、妻がいたから気が紛れてたけど、一人だとダメだね。
先月から、フィットネスクラブに行きだして気分転換してるけど。
配偶者の死はストレス度ナンバーワンと聞くし
母の闘病中は父が出来る限りの尽力をしてくれたと思うし
もう助からないと言われた時や亡くなった時の父の落ち込みを見ているので
以前はあまり父とは仲良くなかったけど、母の死後は頻繁に実家に帰って
ご飯を作ったり一緒に出かけるようにしている。
でも時々「お母さんにもこんなことさせてたんでしょ!(怒)」と嫌味を言ってしまうこともあったり…。
父の方が先に逝けばよかったのに…ほど酷いことは言わないけど。。
思えば母も、良くしてくれた小姑の方が先に逝き、あまり仲良くなかった
(同居はしてないから険悪とまではいかない)小姑と老後よくつきあうようになり
「○○伯母さん(亡くなった方の小姑)にはもっと色々してあげたかった…」と言ってたたな…
本当に癌も種類によるね。
母は定期的に通院して、膵臓があやしいから監視もしていたのにいざ癌となったらすぐ余命半年でその通りなってしまったよ。
これが胃とかならどうにかなったのかな。
884 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/12(木) 00:13:54.93 ID:GvqI4slU
885 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/12(木) 00:40:58.11 ID:GvqI4slU
↑坊さんの師匠と弟子の対話です
後半の四苦八苦の説明辺りから読んでもいいと思います
>>883 妻は大腸が原発で、手術前に肝臓への転移がわかり6ヶ月と言われたけど手術後に大学付属病院に転院して3年半頑張ってくれた。
使う治療薬によって大分違う事がわかった。
最低でも認定病院に転院するとをお勧めするよ。
肺がん末期の告知あった時の診察室、治療初期に効果があった時のうれしさ、後期に入り色んな薬が効かなってきた時のあせり、
そして電話が鳴るたび良くない知らせにビクつき、レントゲンの画像を見るのも怖かった終末期。
今でもありありと思い出して胸が苦しい。でも本人が一番つらかったんだろうな・・・あんなに早く終わりを予想してなかったから…
888 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/12(木) 18:01:37.08 ID:mjrskJlM
みんな抗がん剤って最後は効かなくなってきて色々変えていったんだね。
抗がん剤治療しなかったらもっと寿命が短かったのかな…?
そういう例もあるがケースバイケースとしか言えない
ただ余命宣告というのは、過去の統計や、現在までの癌の成長スピードから算出する予測だから
わけのわからん民間療法の「治ります」とかいう戯言よりは指針にはなる
890 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/12(木) 18:56:04.78 ID:0ESahdEG
こんな板があったのか…ちょっと書きこませてもらおう。
母親は今年で三回忌だ。
ある朝突然血を出して救急車で運ばれた。わけわからないままついていった
父親の報告を待つこと数時間、とりあえずガンっぽいとのことで親戚で病院に行き
先生の話を聞くと末期の乳がん。胸が腐って取れたらしい、そこまでずっと家族に
隠していた。
既に手の施しようがなく、いつどうなってもおかしくないということで治療は痛み止めのみ。
そんなこんなで3カ月毎日病院に通い、意識がなくなってから2日後に逝った。
自分が泊まった日だったため、最期は1人で看取った。物静かな母親らしく深夜にひっそりと…
病院を出るときの夜から朝に変わる時の空の色が忘れられないな。暑い8月だった。
891 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/12(木) 19:06:08.89 ID:0ESahdEG
そしてもう1人、2chのスレで雑談してた人。
3年ほどスレだけの関係が続き、オフ会で初めて会う。
その後はスレで雑談しながら半年に1回くらい飲むといった飲み友達の関係に。
そんなこんなで2年くらい経った時に、いきなり肺がんだと言われた。
母親より前の話だったので、取り乱して大泣きした。
相手は5つくらい年上だったがまだ30代前半だったのであと30年くらいは飲み
友達でいられると思ったのに…
その後、治療しながら休職や復職を繰り返し、たまに飲んだりもしたが…
ある時入院すると書き込みがあってから4ヶ月位書き込みがなかった。それまでは
どんなに空いていても2〜3か月だったからどうしたのかと思って本名でググって
見たら、同級生らしい人のツイッターに入院してから数日後に亡くなったと…
覚悟していた部分もあったが、しばらくは受け入れられなかった。
まだ若かったし、婚約者もいたというのにさぞかし無念だったろう。。
何もない自分でもよかったのにと思ってしまった。
私も母が明け方に病院から出た時の事を一生忘れない。
しかし昼間亡くなった人は裏口からこっそり出棺するのだろうか?
母の入院中病院に通ってたが
霊柩車が病院の前に止まっているの見た事ない。
通用口からお見送りします。
幼なじみで、子どもも同級生が胃がんで亡くなった。まだ5年生と年長の子どもを残して逝くのは辛い。小さいとき約束したことや、授業参観を一緒に行ったことを思い出す。
ご臨終ですなんてなんのドラマだよどっきりなんだろこれ
なんなんだよ・・・くそ
>>892 うちの母はホスピスで看取りました。
一晩家族で過ごし、翌日の正午に、ホスピスの表から
スタッフに見送られました。
ホスピスでは退院と言ってくれました。
ホスピスに行く前の病院では、
亡くなった方は、目隠しで隠すようにエレベーターで運ばれ
通用口から見送られていました。
病院独特の考え方があると思います。
ホスピスへの転院時は、もちろん目隠しなく
エレベータ前でスタッフ等に送られ
表入口から移動しました。
自分も母が亡くなったの午前4時くらいで葬儀屋の車に母と一緒に乗り、病院の地下駐車場から出て外に。
徐々に明るくなる街中を走ったのは忘れないかな。
病院に呼び出され急いで行ったが間に合わず、病室に入ると目は開いているが何も見ていなく、口も開いているが呼吸のない母。
母を囲む医師と数人の看護士。心停止を知らせる心電図の音。私が入るなり、瞳孔確認し臨終を告げる医師。
今も鮮明にその光景を思い出せる。
ああくそ、涙出て来た。
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ヽ|フ匸| ー┼┐ヾ 七 | .| `lフ /| .| - ∠..、
ノ.ヒ二l | 、| ノ ノ ∠|/ レ / ー (_
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899 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/12(木) 23:27:52.19 ID:GvqI4slU
>>892 うちの母は日の高い時間に病院で亡くなりました
葬儀屋の車が到着するまで霊安室で待ち、到着次第献花して車に移動となります
ですから葬儀屋の車が病院の前に停まってるのは数分なので滅多に見る機会はないと思います
ちなみに葬儀屋の緑ナンバーは乗用車登録ではなく、貨物車登録だそうです
900 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/13(金) 02:42:30.08 ID:soIbmcKV
正式な死亡時刻っていうのはドクターが確認した時刻ってことになるが
看取った自分としては心電図がフラットになった時間なんだよな…
真夜中だったので40分近くタイムラグがあったけども。
あ、ちょうどいまの時間だ。
その何時間か前から不規則になる血圧や脈拍、乱れるたびに祈るような気持ち。
お陰で自分は心の準備はできていたのかもしれない。
心電図が動かなくなった時、ナースステーションに報告しに行った自分の口から出
た言葉が「あの、、止まったみたいなんですが…」だったのは後から思い返せば滑稽だったけど。
うちの父は自宅で看取ったから、ご臨終ですはなかった。
どんどん呼吸が浅くなって最期は息を吐いたまま吸うのを忘れちゃったみたいだった。
皆さんに聞きたいことがあります。
これは酷な質問かもしれないので嫌な方は飛ばしてください。
亡くなる前は苦しそうでしたか?
父は亡くなる直前の夜は激しいを痛み訴え、それまでは動かせなかった身体で文字通り七転八倒していました。
暴れて体力消耗→それでも呼吸困難からか苦しそうでした。
最期に控える痛みや苦しみは不可避なのか教えてください。
連投すみません。
>>900 そうなんですね。
自宅で心電図どころか血圧も測ってなかったけれど、きっと全部めちゃくちゃだったんだろうなぁ。
数値で見られないのは自宅看取りの不安な点なのかもしれません。
>>901 うちの場合は亡くなる1日半ほど前に激しい痛みを訴えて暴れ、そこからモルヒネでおとなしく
させているような状態でした。おそらく最期の痛みって避けられないのかなと思います。
最後の半日くらいは目は見開いたままで焦点合わず、口もずっと開けたままでした。
酸素マスクはつけていましたが、それでもやっぱり呼吸は苦しそうでした。
最期は呼吸が浅くなって間隔が長くなっていつの間にか止まってしまったといった感じだったかなあ。
薬のおかげか、苦しんだ感じはありませんでした。
数値で見られるというのは、はっきりわかるという点でいいかもしれませんが
あの、心電図の間隔が徐々に広がって忘れた頃に心電図の音と呼吸が起こり
色々な数字が下がっていくのはなんとも言いがたいものがあります。
いつ「その時」が来るのかと…
テレビドラマはある程度間隔が広がったらすぐに0になりますが、実際はそんなことなかったですね。
>>901 私の母は亡くなる4日前くらいに意識不明の危篤に急変するも回復、したと思ったら徐々に数値とか色々悪くなった。
亡くなったの深夜でその日の朝、喋るのも辛そうにしていて「いつ楽になれる?」とも聞いてきたりした。
七転八倒するような事はなかったけど、徐々に呼吸が浅く多く、心拍も小さく多くなっていった。
辛かったんだろうが、その程度はとても解らないや。
>>903 > 数値で見られるというのは、はっきりわかるという点でいいかもしれませんが
> あの、心電図の間隔が徐々に広がって忘れた頃に心電図の音と呼吸が起こり
> 色々な数字が下がっていくのはなんとも言いがたいものがあります。
> いつ「その時」が来るのかと…
その時、というのはかなり定義によりまして…
もちろん法律上は医者が確認した時間、ということになるけど、数字の上でも、あのゼロになったあともしばらくは数字に出ない程度の間隔で心臓は動いたりするんです。
もちろん生き返れるような状態ではない(有効心拍ではない)のですが、おみとりの時にピッというのもばつがわるいので、ご家族にこれから確認をしますよ、と気配を作っておいてまずモニターの電源を切ったりします。
逆に到着までちょっと時間がかかるときは、心臓は止まっていてもそのまま酸素や点滴などをごく少量だけ流すこともします。医療ではなくご家族への気遣いのつもりですけどね。
>>903 状況が私の母と全く同じだ…
看取り方もほぼ一緒。私は看護士さんに「呼吸、してないみたいなんですど…」と
ぼんやり言ってしまいました。
最期は眠るように逝きましたが、亡くなる前日は痛みでワーワーと手をバタバタさせ
モルヒネ投与で静かになりました。今思い出しても可哀想で涙が出てきます。
緩和ケア病棟で痛みや苦しさ、精神的な辛さなど全てに最良のケアをしてくださった
のですが、癌の痛みとは想像を絶するものなのでしょうね。
モルヒネ投与始めてからは、母にはまだ頑張って生きて欲しい気持ちと、
もう休ませてあげたいという気持ちで複雑でした。
癌のできた場所にもよるのでしょうが、うちの母の場合は痛みは最後までありませんでした
大腸癌が肝臓に転移して亡くなったのですが、肝臓の機能が失われてものすごく酷い倦怠感があったみたいです
まさに死ぬ程のだるさに身の置き所がなく苦しんでいました
気を紛らわせるために手や足を父と一緒にさすったりしていました
亡くなる前の日はほとんど眠っていてたまに目が覚める感じでしたが、目覚めると意識ははっきりしていました
夕方、明日また来るねと病室を後にしたのが最後になりました
深夜二時過ぎに病院から連絡が入り直ぐに駆けつけましたが母は亡くなった後でした
1人で逝かしてしまった事が今でも残念です。
908 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/13(金) 15:40:18.37 ID:mB6NzABX
>>899 人間亡くなってしまうともうただの物なんだね。
>>907 うちも同じような状況です。
母が家で急変し入院、数日後に亡くなった。
前日の病院の消灯前まで付き添い、ちょっと家で休んでくるからと帰ったが、深夜3時過ぎに連絡があり、病院に駆け付けた時には亡くなってた。自分も一人で逝かせてしまった事を後悔しています。
でも帰る時、母は喋れなくなったのに最期の声を振り絞って「うー」
それは一生忘れられない・・・
910 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/14(土) 08:53:50.29 ID:gqkoh0hr
本当に最期の時の事は一生忘れないね
まだまだ死なないって自分で思い込んでたよ…
>>901です。
皆さんありがとうございます。
痛み、ないし倦怠感(痛みがくるまではこれが強かったようでした)はあるものなのですね。
緩和ケアなとで酸素マスクやモルヒネがあればもう少し楽だったかな…と思っていましたが、痛いときは痛いものなのかな。
>>906 >まだ頑張って生きて欲しい気持ちと、
>もう休ませてあげたいという気持ちで複雑でした。
本当にこの通りです。
それでも皆さん同様、本当に苦しそうな時間は亡くなる直前のみで、それでも最期は眠るようだったので、
亡くなるまでに時間もあるガンで逝くのはそれほど悪くなかったのかな、と思ったりしています。
肉体的な痛みや苦しみからもう少し解放できればいいですよね。
皆さんの愛しい方も今はもう楽に安らかに眠っていますように。
癌は亡くなるまで間があるから本人も家族もだんだん受け入れていくけど
本人の苦悩は最初凄まじいものだったと思う
母の遺品を整理していて癌関係の本が色々出てきたり
日記、少しだけみたら何で癌になってしまったのかとか色々書いてあったよ…
この世とお別れするのがとても辛かったみたいだ。
何でもっと側にいてあげなかったんだと後悔してる。
お母さん、逢いたいよ。俺、寂しいよ
私もお母さんに会いたい
会って謝りたい
人間死んだら終わりだと思っているけど
霊魂はあるのか、死んだ後の世界ってどうなっているのか
色々本を買って読んでる…
うちの母はガンと診断された時、すでにステージ4と言われ、
診断名を受けた瞬間に崩れ落ちました。
その後、三ヶ月間泊まり込みで看病しましたが、
あんなに我慢強い母が時折、
「なんでこんな病気に」とか
「自分で死ぬこともできない」とか
ポツリと呟く姿を見て
ガンは本当に容赦ない病気だと思いました。
それでも、母は最期まで「元気になりたい」と言ってました。
でも、決して「治る」とは言いませんでした。
私は、母の強い倦怠感や痛みに、
早めに主治医に緩和ケアをお願いしました。
もっと母に痛みだけでなく、安心できる時間を持って欲しかった。
最期は、私の腕の中で呼吸を止めました。
徐々に顎呼吸になり、浅くなり、最期は吐くのをやめました。
途中までうつろな目をしていましたが、最期は瞼を閉じて
眠るような表情でした。
浮腫でむくんでいた顔も亡くなった時には以前の顔に戻ってました。
お母さん、頑張ってたね。
初盆で色んな人が家に来てくれても、みんな父のことを
「まだ亡くなった気がしない。笑顔で帰って来るんじゃないか。」
って言ってくれてありがたい。
昨年末に亡くなって未だに実感がわかない。
受け入れられない…とは違うんだけど。
でも月に2,3回は亡くなった時を思い出して泣いてしまう。
連投すみません。
亡くなった時の状況ですが、動脈からの出血が直接の死因なので一瞬苦しんだだけで本当にあっという間でした。
なかなかトイレから出てこないのでドアを開けたら、吐血しながら洗面台に掴まって立ったまま目を見開いている父が。
ナースコールで呼ぶ間もなく深夜にも関わらず当直の看護士さん達が大勢駆け付けてくれたから、飛ばしてた心拍数とかかなりやばかったんだろうなぁ…。
ベッドに移してそのまま意識は戻らず、30分しないうちに家族全員が揃った所で医師の死亡確認。
大腸→肝臓→肺までの転移は乗りきったのに、リンパ節への転移からはほんとに治療もしんどそうだった。
入院から亡くなるまでに2度の大出血も乗りきったけど、飲食できないし、治療もできないし、どんどん痩せていくし、だるいし、不安だろうに
いつも笑顔で周りを楽しませていた姿は本当に尊敬できた。
普段から毎日色んな話をしていたけど、まだまだ色んな話をして、色んなことを教えてもらいたかったよ…。
やっぱり慣れないしさみしいなぁ。
この先私はどうやって生きていこうか
920 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/15(日) 19:42:06.20 ID:OpAyOv+A
遠方に住んでいる旦那の父が末期癌で今は、流動食しか取れなくなっています
流動食しか取れなくなって、義母によればだいぶ経っていると言っていますが、流動食しか取れなくなっても
だいぶもつものなのでしょうか?
うちの母は、流動食しか取れなくなって一週間位で亡くなってしまったので
普通は、流動食になって平均余命ってどれくらいあるものなんでしょうか?
みんな放射能気にしてますか?
922 :
sage:2012/07/17(火) 14:15:45.75 ID:LrbmDvfp
亡くなった母から、もらった手紙(闘病中に書いてくれた)を読み返したら
涙が止まらない
お母さんに会いたいなぁ
水も飲めなくなったらあっという間だよ…。
あと尿が出なくなったりしたら早いよ。
亡くなる数日前から看護士がやたらと尿を気にしていたのはそうか、と亡くなった後に気付いたよ。
>>923 妻は水がのめなくなって喉に詰まった感じの咳をしたので、看護士を読んだら首を振ってた、すぐに医者を呼んでご臨終だった。
>>920 父は一ヶ月くらいもった
最期は個人差だろうけど、水も飲めなくなったら本当にすぐ
私の母ももうすぐ最期かも…ここまでざっと読んだけどみんな出来るだけ
涙を見せないように頑張ってるんだね。私なんか母が死ぬ前から泣きっぱなし
今までの色んな思い出がぐるぐる頭の中を回ってて…泣くのは葬式の後まで
我慢しなきゃいけないよね。薬の副作用で会話もうまく出来ないから、母の友達や行きつけの
近所の美容院の人に独断で勝手に母の病状を報告したりしてる…正しい判断かどうか
分からなくて自分は間違ってるんじゃないかと思いながら色々行動してるのが辛い
やっぱり人間は水も飲めなくなると終わりなんだね。
>>927 私が母が癌になってから母の前で泣いたのは母が意識不明の危篤に陥った時と亡くなった時だけ。
危篤になった後、一旦回復した時に何で泣いてるの、と言われた。
今思えばみっともなく泣いても良かったんではと思う。
結局は何しても後悔は残るのだろう。好きにやればよかったと。
>>930 私の母は泣かない人だったので
私は、母の前で母の分まで泣いてしまってました。
本当に、子供のように泣きじゃくった事もありました。
それはそれで後悔もあります。
残された者の思いは本当に様々ですね・・・。
931 :
930:2012/07/18(水) 21:56:53.49 ID:+E/oFl+h
ごめんなさい
929へのレスでした
>>928 がんの状況によるからそうとも限らない。
腹膜播種で飲み食いできなく輸液のみで働いてる人もいる。
今時輸液は携帯できるし。
尿は出なくなるとヤバい。カリウムたまると心臓止まる。
尿毒症でやられる場合もあるし。
>>927 母がそろそろという頃に緩和ケアの先生に言われたのですが、
本人の前で泣いちゃいけないと我慢する人が多いですが
いよいよという時に泣いてしまってもそれは良いと思います。お別れの準備として…と。
実際それでも泣くのは我慢していましたが、亡くなる2日前に意識朦朧とした母の口から
「ありがとう」と言われたときに限界でボロボロ泣いてしまいました。
母は自分がいよいよと解っていたんだと思います。
もしお母様の前で泣いてしまったとしても、お母様に今までの
感謝の気持ちをきちんと伝えられたら、最高の親孝行になると思います。
お母様はきっと全部解ってらっしゃると思いますから…
本当にこのスレ見ると共感出来る事が一杯で涙も出る。
私も亡くなる数日前、意識もはっきりしていた母にありがとう言われた。
その時に行方知れずになっている父の居場所知りたいか聞かれたが聞かなかった。母は知っていたのかな…
今となってはどうしようもないが。
人生の最期はみんなそれぞれ色んなドラマがあるね…
私は、ありがとうと最後に伝えることができなかった
一生後悔すると思う
反応はないけど、言えば伝わるんじゃないかな
毎日母に話し掛けているよ。朝出勤する時、帰宅した時。
虚しいとも思うけどやめられない。
あるわけないのに返事を期待したり。
>>936 私も。。。。なくなる直前はありがとうといえなかった。
ありがとうって言ったら、もう最期だと悟られてしまいそうで
心の中ではいっぱい言ってたのに、いえなかった。
>>939 俺も妻に言えなかったよ。
言ったら、最後になりそうな気がして。
ありがとうと言おうと思っても言えず、最後に交わした言葉は
「また明日来るから」
明日なんてなくて、すぐ病院にとんぼ返りしたが間に合わず。
結局何も言えなかった。母はありがとうと言ってくれたのに。
八ヶ月経つけど情けなく毎日メソメソしてます。
>>939>>940 私もそう。だからその点については後悔してない。
ただ、もうまもなく…と悟られたくないあまり
面会時間終了時に近くのホテルに帰ってしまったことがものすごく後悔
本人にはわからないよう別室で待機を看護師に申し出るべきだった…
当時のことを思い出そうとすると胸が詰まって苦しくなる
母は不安だっただろうな寂しかったろうな辛かったろうな・・・
944 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/20(金) 18:51:03.64 ID:g5+mZ+r7
私も母への最後の言葉は、「明日また来るか」らだったよ・・・
本当にいつが最後の日になるか分からないね。
弟「ねえちゃん、これ医療ミスだろ、こんな急に」
私「わからない。後で調べてもらう」
弟「少し寝たい、眠い、眠らせてくれ!」
(本人の意思確認がとれたものとして、看護士が鎮静用のモルヒネ注入)
弟「俺は昨夜寝てないんだ!!!!!」
うちの最後のやり取りはこんな感じでした。
寝てないんだ、の次はありませんでした。
二度と意識が戻らず、その9時間後に心肺停止しました。
声と空気を今でも鮮明に思い出せます。
実際に医療ミスに近い状態で危篤に陥ったので、
不安と混迷と怒りの中で死なせたことをとても残念に思っています。
今日で親父が亡くなってから半年…早いなぁ。
亡くなった日は仕事中に病院から連絡貰って急いで向かったけど間に合わなかった。
お袋と弟が間に合ってくれたのが幸いだった。
未だにその日の事をふと思い出してしまいます。
>>941>>944 私も父との最後の言葉は「また明日来るね」だったな
その日の夜中に病院からの電話で心配停止。
病院に行った時はもう息を引き取った後だった。
もう一回夕方か夜にでもお見舞い行っておけば良かったとか
もっと話しておけば良かったって今でも思う。
きっと何年経ってもずっとそう思うんだろうな。
私は、母と最後に話した言葉はなんだったろう
死ぬ前の数日は、痛みが酷いからか返事が返ってこないことが多かったから
私もあまり話しかけることをしてあげなかった
返事できなくても聞こえてたのに、どうしてもっと話しかけてあげなかったんだろう
介護で疲れてるからって、あまり笑顔もみせてあげられなかった
お母さんほんとにごめん
死ぬ前の日、お母さんが眠りにつくのを見届けて私はいつも通り部屋に帰りました
その次の朝、亡くなりました
だからお別れもありがとうも言えぬままでした。
「また来るね」が最後の言葉多いね、うちもそうだった。
父は「んーまたなー」って返してくれた
次の日には危篤状態で2日間つきっきりだった
安定していた夕方に一旦家に帰って、着替えてからまた病院に戻ったんだけど
凄く綺麗な夕焼けでこの世の終わりみたいだった
うちの家族は今、生と死の間にいるのに
世界はなんにも変わらないんだなーなんて車でクリスマスソングを聞きながら思ったよ
家の母は亡くなった日が水曜日だったので、水曜日になると必ずといっていいほど当時を思い出して胸が苦しくなる。
息を引き取ったばかりの時、泣いてしまって何も言えなかったけど、母の遺影に「ありがとう」と・・・
母に届いたかな・・・
私の母は火曜日の午前3時半くらいに亡くなったから月曜から火曜日にかけてその時を思いだし身体も重くなってしまう。
私も毎日母にありがとうと言っていますが伝わっていると願う。
952 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/22(日) 06:49:39.98 ID:NlEJTbJj
>>949 本当に人1人亡くなっても周りは何も変わらなく季節は過ぎていくね…
953 :
930:2012/07/22(日) 21:43:59.95 ID:AdQcQydt
母の闘病中(肺腺癌 ステージ4 胸水有り 癒着術失敗 イレッサ効果なし)
は、とにかく辛かった。
泊まり込みで看病していた、自分の気持ちに余裕がなく、つねに
切羽詰った状態でいっぱいだった。
母が亡くなって三ヶ月。
ただただ寂しくて、悲しい。
母が居ないことがよく分からない。
でも、仏壇の花は週一回入れ替えて、水は毎日変えて朝晩拝んでいる。
お墓にも、週二回行って花を変えて拝んでる。
でも、なぜ母がいないのか不思議に思う。
いない事が普通になるまで時間がかかると思うよ。
時間たつにつれ、生きていたくなくなる
早く私も母のところにいきたい
うちの母は緩和ケアに入院してから二カ月後に亡くなったんだけど
さすがに本人の前で泣く訳にもいかず毎晩一人家でワンワン泣いてた・・・
一週間後が二回目の命日なんだけどこの時期になるとあの頃の事を思い出しては又泣いてる。
母が亡くなって一年後父も亡くなった
なんか死ぬのが怖くなくなったよ
早く死んで父や母に会いたいな。
>>958 出来の悪い悪意の兄弟に食いつぶされて…他人事じゃないし、哀れだ
もうすぐこのスレも終わりますね。
このスレは母が亡くなったのと同時期に建った。
それから八ヶ月程経つが悲しみは小さくなったと思うが深くなったとも思う。
母のいない生活には慣れたが、母のいない事実には慣れないというか。
朝起きて仕事に行って、帰って寝て。この中で母について、死について、癌について考える事が増えた。
何でこんな事になってしまったか。答えはでないかもだが一生考えるのだろうな。
何はともあれ、あの時は最善を尽くしたとするのが一番なのは解りました。
>>960 私は明日で母の3回目の月命日が来ます。
>母のいない生活には慣れたが、母のいない事実には慣れないというか。
全く同じ思いです。
残された父と二人、なんとか毎日暮らしています。
仕事しているときは、比較的忘れられるのですが、
通勤中の車の中や、ちょっと時間が空いた時は
闘病中の母の気持ちを思って、胸が詰まります。
時間と共に哀しみが深くなって来つつあります。
もうすぐ初盆を迎えます。
それまでは、なんとか頑張らないと。
初盆っていつやるものなのでしょうか?
49日前なのに新盆で迎えてしまったw
旧盆もギリギリ49日前あたり
地方差もありそうですが、まだ逝ってないのに迎えたり送られたりされて面倒だったろうなぁと思ってしまったw
>>962 東京の例ですが、5月に区切ると菩提寺(浄土宗)のご住職に伺いました。
亡くなられたのが5月31日以前であれば、その年に初盆。
6月1日以降であれば、翌年のお盆の時期が初盆となるそうです。
宗派によっても、違うのかもしれません。
>まだ逝ってないのに迎えたり送られたりされて
まだ旅路の途中だから来年まで待っててね、
って夢とかで言ってくれたらいいですね…。
新盆、母も帰ってくるのかな。
今までお盆とか余り考えてなかったが作法とか調べてやってみようかな。
今日、自分の持病の通院で母の亡くなったところでもある病院に行ったけど、まだまだあの頃を思い出し辛いな。
この入口を一年前は母とくぐっていたんだよな、とか。
こないだ母が夢に出てきてくれた
また夢で会いたいよ
966 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/27(金) 17:04:21.81 ID:KL4T1Gkz
お母さん死ぬの早すぎだよ
何も親孝行しないうちに亡くなってしまったよ・・・
967 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/28(土) 17:03:21.19 ID:q+t7GFyK
肺がん末期の父、
「お見舞いに来てくれた人たちに礼状を送りたいから文章を考えてくれ」
と言われ、試作を持って行った朝。
俺は仕事に向かう為、
「また明日来るよ」
と言うといつも素直じゃない父にしては珍しく、
「おう楽しみにしてるよ。」
その日の夕方に急変、急いで病院に着いた時にはもう虫の息だった。
俺が来たのに気付いたのか偶然か、2度ほど大きく息を吸い込み、そのまま旅立った。
ドラマのように、感動的な最期の言葉なんてない。
本人も周りも今日死ぬなんて思っていないから。
だから最期の言葉は他愛もない、けど忘れる事が出来ない言葉なんだ。
入院中に話したいろんな事、最期に交わした言葉。
それら全てを胸に刻んで、残された俺たちは笑顔で毎日を過ごす。
これが何よりの供養になると信じてる。
ありがとう父ちゃん。
病院側も手馴れてるのか作業的だよな・・・
危ないからきてくれ→行くとぐったりした状態でそのまま心拍数低下→ご臨終です
他にできることがあればするんだけど、本人も家族も苦痛を延ばすだけと思うと積極的になれない。
言葉は悪いけど、落としどころって言葉に集約されるか。
>>969 ホスピスでは、入院手続きで延命処置はしないにチェックさせられた。
実際に何もしなかったよ。
ホスピスはそもそもそういうところだからねえ。
俺もそういう状況なら延命はいらないや。
ペプチドはやらなかったのか?
お父さんにドラマのように元気づけてあげるなんて綺麗なことできなかった。
お母さんとお父さんがそんなに仲良くなく見えたし、お母さんはしてあげてたことといえば入院したときに着替えを持って行くだけでなにもしてないように見えた。
私がお父さんが意識がないときお母さんも手を握ってよって言ってもだいたい断られた。
お母さんとおばあちゃんも仲が良くなくておばさんを巻き込んで喧嘩もしてた。
私はなにもできなかった。出来ることはあったのに何も出来なかった。出来なかったというかしなかった。
お父さんが元気なときは優しくていろいろしてくれたのに。
自分が最低すぎて嫌になる。お父さんが亡くなって1年たつけど今だに後悔してる。
ここに書き込んで許されたいのかも。
書き込んで許されたい気持ち、私も同じだよ。
私も母に後悔の気持ちで一杯だから。
母に会いたい。昔に戻りたい。それしか考えられない。願えない。
最後の家族、血族だったのに何でこんなに早くに別れないといけなかったんだ。
まだまだ私には母が必要だったのに。
こんな甘ったれた私だから、母と最後まで母の死を前提とした話を出来なかった。
母に会いたい。謝りたい。情けなくてゴメンと。
もう2度と母と会えない
この事実は重過ぎるだろう・・・
978 :
がんと闘う名無しさん:2012/07/30(月) 19:17:50.55 ID:rwbsBkqw
あんなに元気だった母が亡くなったなんて信じられない。
数年前の母に会いたい・・・
去年の今頃は、暑い暑いと言いながら、
朝晩の花の手入れに明け暮れていた母が、
今年は居ない。
亡き母の替わりに朝晩の水やりや、休日の手入れに勤しんでる。
でも、今年の暑さは異常。
折角、花が咲き誇り始めたにの、暑さで花びらが煮えている。
せめて、母の初盆までは咲いてて欲しいのだけど。
仕事してると疎かになってなってごめんね。
お母さん。
昨年の今頃は母を病院に連れていった帰りに一緒にファミレスで食事したな。まさかそれが最後の外食になるとは。
入院中、外出許可をもらい母の誕生日に外食しようと計画していたら誕生日二日前に急変し誕生日二日後に亡くなった。
本当に最後の外食がファミレスだなんて。