(続)武産合気追求マジスレ!

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952【闘争と因果と気-完-】幼児 :03/08/13 07:26 ID:GiyGy2Yl

さて、気に目が向いてくると、競争という概念が無くなってくる。すると争う心の中に
弱さがしっかりと浮かび上がって見えてくる。つまり別の次元の心の目が開かれるという事で、
争う者の本性は、本来の自分に目覚められない魂の叫びを観るだろう。その魂の癒し(収束)
の為に怒らず(解放)には居られないということだ。おかしな話だが、怒りに出会うと
悲しくなる心境は、つまり魂の共感が起こったということだ。感情の共感は、
怒りとなるはずだからね。

一例を出そう。暴走族を観るとよく分かる。自分はここに居るぞ!であり、生きてるぞ!だね。
一見ふてくされた子供だって、自分の事を分かってもらいたくて、心と裏腹な行動を取る。
もっというなら赤子は泣く、泣いた赤子に必要なのは、愛情であり、抱きしめてやることだ。
これはもっと壮大に考えるならば、人間は昔から、自分達は何故この世に居るのかわからない。
だから太鼓や、踊ったり、唄ったりして、神に向かって叫ぶ。

だから私もこうして書いている。予告がずいぶんずれたが、因果応報だね。
つまり私の意思で私をコントロールできない意思薄弱な弱虫というわけさ。

では失敬。
953三陸沖:03/08/14 15:23 ID:6APqd6RA

続き書いてよ!
954幼児:03/08/14 19:44 ID:OzDMU6qr
盆休みだ。再会は明日からであります。書いた所で、終戦記念日の影響が
あるだろうが…。武道的よみものをお求めなら

佐山氏は比較的まともな事を言ってると思うのでここに載せておく。
あえて右側の発言を通じて、全体性を発言しているように思う。
http://seiken-do.com/tigermask/voice.html
955パールハーバー師匠:03/08/15 15:57 ID:SRAG9Dlz
おいおい幼児!続き書けよ。
何が「盆休みだ。」だ。日々書けよ。
956本家!合気道!:03/08/15 16:05 ID:qFt2Zn5H
http://www.kakutospirit.net/news/0306/hajime.html

植芝先生の教えを引継ぐものなり!
957名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/15 20:29 ID:x1heCgMj
合気道は勘違い。
実戦を経験しないくせに、俺は強いと独り善がり。
中には立派な人もいるが、ともすると組み手がないのを良いことに、井の中の蛙となる危険がある。
何とかならないものか。
958山崎 渉:03/08/15 20:34 ID:uf5ggeAa
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
959パールハーバー師匠:03/08/15 21:17 ID:bMGCZPxI
おい!幼児!だから書けって言っただろ?

また>>957のような、実戦がどうだとか訳の分からない勘違い野郎が
出てきたじゃねーか!さっさーと論破してやれ。
960【勝つ証明は必要か?-1-】幼児:03/08/16 00:00 ID:KKlfk56K


>>957他諸君に向けて。
全面的に同感だ。ただ組み手があろうがなかろうが強いと思う事は独りよがりだろう。
試合があり世界一になったとしても独りよがりだろう。

私にとって実戦とは究極に位置するのが核のボタンで、
同時に場所を人対人であれば実際の殺し合いである。町の喧嘩を実践とするなら、
町の喧嘩の広義のルールがあるし、試合ならルールがある。実戦であるが、
殺し合いではないレベルだ。

だから私の言う実戦闘を経験しているのはほんの一握りの人達に過ぎない。
実戦者は、単なる強さではなく、事実は、軍隊、警官、消防、人助けボランティア等
そんな人達だ。私たちはそういう人達をさしおいて強いだの弱いだの言えない。
そんな人達は、今でもただ任務をはたしている事だろう。

私たちが強いというレベルを考える必要があるのだが、今日は、終戦記念日だ。
強いとか弱いとか言ってる我々があるのも、強いとか弱いとかではなく、
何かを賭けて生き抜いた先祖がいることをわすれてはならない。
我々があるのも、先祖のおかげだ。諸君が強い弱いという対象が、
小さな島国の中での出来事だとしたら、内部分裂状態であり、内輪もめを
起こしており、さらに、競争している状況なんだ。恥ずかしい事ではないか?

続く
961【勝つ証明は必要か?-2-】幼児 :03/08/16 00:01 ID:KKlfk56K

さて、上記の前書きから本日の考えの流れは展開するようだ。

「合気道で自信がもてない」というスレッドがあるが、
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/budou/1056619591/l50
様々な合気道のとらえ方がある。実に多様な発言が見られるが、このスレッドは
実に合気道の根幹を指す問題提起をしている。
つまり合気道で悟れるか?という問いを発している訳で、別に武道で悟れるか?
という問いでも同様だろう。

その中で感じる事を一部ではあるが述べてみよう。
まず、武道というとらえ方が、ある種特別なものであるというような観念を
多くの諸君は感じているように見受けられる。

武術歴や、合気道歴で合気道のレベルを考えてしまう思考習慣が多勢を支配している。
合気道とは魂主体で宇宙を知る人間修業の一つであり、私と世界との関係を知る学問でもあり、
身心鍛錬をして身体能力の進化を計ることで、生かされている自分を知るとも言えるし、
これらは、私が言葉を尽くしても、なんとかなるものではなく、諸君それぞれで、
感じているものだ。

続く
962【勝つ証明は必要か?-3-】幼児 :03/08/16 00:01 ID:KKlfk56K

ただ、その修業体系が武術を用いている為、魄(肉体鍛錬)主体の武術修業と
同列で扱われてしまう為、誤解が生じているのは、諸君それぞれが感じている通りだ。
そして修業体系が武術を用いているのが合気道なのだが、合気道は、じつに巧みな
修業体系をもっており、俗世間で言われる、強がり、主張、競争、意地、力みの
意識では、強力な技(合気)が出せないように、技自体が、よこしまな心では
出すことができないようになっており、そこが合気道の難しさでもあり、
また、悪用?ができず、人を選ぶ修業体系にもなっている傾向は事実として見受けられる。

ただ、武術修業であっても、本来は死生観に影響を及ぼし、人生観にまで入って来るもの
なのだが、スポーツ的なポップなものになってしまっているものもある。
格好いいとか、強いとか、力強そうに見えるとか、勇ましいとか、そんな外面部分を
見てああだこうだと言うものではない。
これは、先に挙げた、火事の現場で消化に当たる人達を見て
格好いいとか、そんな面しか見ていないという事で、そんな気持ちで、彼らは
消化に当たっていない。任務を遂行している人達だ。

続く
963【勝つ証明は必要か?-4-】幼児 :03/08/16 00:01 ID:KKlfk56K

武術の発祥とは、侵略という面もあるが、同時に仕方なく守る必要から、
仕方なく身につけるモノであるという面があると思う。どちらにしても
強いとか弱いとかの概念は無い。やる必要があるからやるだけだ。
やる必要が無いならやる必要がないという事なんだ。本来は。

さて、話を武道歴というものに戻そう。
武術歴というのは、身体運動歴と言い換える事ができる。
あと精神的には武術における死生観の構築度とも言える。

だから武道キャリアとは身体運動歴と広義にとらえると分かりやすいと思う。
身伸運動は武術における共通点もあるし。集団競技は、状況判断を鍛錬する。
野球でもなんでも身体運動は武術と=だと考えることができる。
武術は身体操作術だからだ。

続く
964【勝つ証明は必要か?-5-】幼児 :03/08/16 00:01 ID:KKlfk56K

実は、身体運動だけではなく、我々がやっている全ての身体運動を含めてもよい、
釣りでも、パソコンでもなんでも武術(身体運動)だ。
武術は身体運動を、闘争に用いた時武術となるだけで、単なる呼び名に過ぎない
という事がおわかり頂けると思う。
ならば、それがその個人の身体運動歴に上乗せさ、統合されるということだ。

さらに、それらを身につける修得技術の鍛錬も身体運動歴に含まれる。
だから私は武道歴のみから個人の武道あるいは武術の表現を判断する事は
できないと思うがいかがかな?もし私が現代において決闘をする場面があった場合、
武道歴のみならず、相手の全体の経歴を把握するだろうが、諸君はいかがかな?

簡単に言えば、個人の身体能力の進化促進遍歴は、我々自身の好きな身体運動を
やってきた結果遍歴ともいえる。つまり我々は出会うべくして合気道に出会っている。
そして仮に合気道こそその身体能力(全自分力)の進化の道具として
統合されている体系と思われるのなら、合気道が我々にとって今、最善の選択であると言える。
そのように思えるなら合気道で自信(自分を信じる事)は持てるはずだ。

続く
965【勝つ証明は必要か?-6-】幼児 :03/08/16 00:02 ID:KKlfk56K

さて、今までは、主に魄(肉体の部分)を語ったが、
合気道で自信を得られるか?という問いは、今の時代流行の想念から観るとそう思えない
かもしれない。自分の才能への目覚め、自分の価値、こういったものを、いかなる理念も
同列で扱われてしまう完全相対主義の今の世の中で、合気道だけで、信じられると
思えるのはおかしいと考える者がいても当然の結果だし、同時にそういうものは、
人生(生死)とセットで存在するからね。

ただ、自分というものは自然界の一部であるという知覚を合気道を通じて観たというなら、
今まで信じていた自分という想念自体がが間違っていたという大いなる覚醒を得たという
ことだろう。つまり理念の区別がついたということである。
だから完全なる自信というものは、自然界と一体である自分に気づく事であり、
自然を見方に付けるという、揺るがせない事実認識にほかならんと思うが諸君は
どうお思いだろうか?

続く
966【勝つ証明は必要か?-7-】幼児 :03/08/16 00:02 ID:KKlfk56K

そして、合気道には、その大いなる気きに導く、プログラム(道)が型や稽古を
通じて用意されている。稽古で魄(身体)を通じて心(魂)の使い方の矯正をし、
日常で生かす、その中で、色々な気づきをえていく、そして、また逆に稽古に
フィードバックさせる。この単純な繰り返しを経て、魂は成長してゆくと私は考えるし、
私にとってはこのサイクルは魂成長にむけてのプログラムとしては真実である。
諸君にとっては諸君のサイクルがあるのだろう。

さて、今度は、勝ち負けをこの文面の流れの中で話してみよう。
上記のようなサイクルを回した所で、肉体的勝ち負けに敏感な諸君の欲求は達成できないと
思われる。つまり上記のようなサイクルを回した所で強いという証明ができないだろ?と、
問いたい衝動が起こるだろう。当然の事だ。

続く
967【勝つ証明は必要か?-完-】幼児 :03/08/16 00:02 ID:KKlfk56K

合気道の思想は、気づきの高低、大小に関わらず、各々で、強さであるそれを
表現(行動、言論)する為に生きているといえる。だから誤解を恐れずに言うなら、
勝つ(生きる)ことを目指さず、勝(生きる)つ為に生きている。
言葉を変えれば、一方は、勝つことを目指し続けている。
一方は、勝つというとき、既に勝っている。

生きている事をわざわざ証明する必要が何処にあるか?
やるべき事をしている事を証明する必要がどこにあるか?
つまり、消防士の方が、火を消している事を自分自身に証明する必要が何処にあるか?
特攻で散る人が私は強いと証明する必要が何処にあるか?

当たり前の事をすることが実は合気道の思想の根底にあると私は考える。

予告通りの展開にはいつもならないようだ。だから予告は以後無しだね。
1000も近い。
では失敬。
968名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 01:35 ID:o5XNidz8
つまりこう言う事か。
合気道が求める「強さ」というのは、街中の喧嘩を超越したもっと高次元の強さであり、合気道できちんと実力を出せる人は、力の抜き方が分かっているという点で、現代社会により適合的なその高次の強さを身につけているのだと。
それは人それぞれだろうなと個人的には思う。
確かに、合気道の精神を体現した立派な師範(6段)とお話する機会を与えていただいたことはある。
が、試合がないのを良いことに妄想に耽るオナニストも確かにいる。
だからこそ、合気道SAのような動きが一部にあるのだろう。
それについてはどう思われる?
969名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 01:59 ID:o5XNidz8
100万(核兵器)と比較した場合、1でも2でも大差はない。
だから、1を2にする努力を怠って良いと言う理屈は通るのだろうか?
例えどれだけ無力であっても1を2にし、2を3にしようとする試行錯誤から進歩発展というものは生まれてくるのではないだろうか?
合気道高段者であっても、弱者虐めを生業とする、極めていびつな力の信奉者と化した屑を見たことがあるものとして、合気道内部にもっと大きな浄化のムーブメントが起きても良いのではないかと思う。
970名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 02:44 ID:o5XNidz8
ごてごて長文を書いて自分に酔うのも結構だが、要点を簡潔にまとめるのも文才の一つと私は考えるが、いかがかな?
>幼児
971名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 03:29 ID:L0xJ/JfJ
ちなみに、私が見た弱者虐めの屑リーダーをいただくオナニスト合気道は、間違いなく天武産合気道を名乗る団体であってことを付け加えておく。
972幼児:03/08/16 09:44 ID:HAPp6IOI
>>968
丁寧にレスしたい。長文になることをお許しねがいたい。
同時にあなたへのレスだが同時に諸君へのレスでもあり、
問題提起でもある。議論したい者は、迷わず参加して欲しい。
1000も近いので上げて置く。

強さを求めるとか、高次元の強さとか、目指す物事とか目標ではなく、
本来の自分に気づく事だと私は考える。相対的見地から離れ、
自分の使命を知る事とも言える。自分生まれた役割を知る。
だから超越的なんてものではなく当たり前の事ではないか?
知りたくないか?自分の根元的問題だよ。まさに一大事だ。
生死をかける価値がある。

そして、そのあなたのおっしゃるように、「強さを身につけている」
というのは結果であって、その考えを拡大すると、町の喧嘩での証明とか、
試合での証明とかという考えにつながるが、
そういう結果の為に鍛錬するのではないということだ。
重要な事は、前提が違うという事だ。

続く
973幼児:03/08/16 09:45 ID:HAPp6IOI
妄想というお言葉が出たが、妄想も含めて人間だと思う。
ただ、受け取る方が「強さ」を自分に徹する強さと取るか、
人との争いに勝つという意味での「強さ」と取るか?この違いで、
立場の違いによる意見の相違が見られるのは確かだ。
強さの前提が違う以上。双方の前提を明らかにしなくてはならないと思う。
その上で強さを語るなら、双方の誤解は無いはずだ。あるのは事実だろう。

また、そのような強さの証明を求めらとしよう。一方には必要だろうが、
一方にはまったく無駄な時間ということだ。だから私ならそような証明においての、
負けを認める事は別になんら害はない。なにも失わないからね。
ただ、命のやりとりということになれば、話は別だよ。

続く
974幼児:03/08/16 09:45 ID:HAPp6IOI
合気道SAについての私の考えは、特にない。
私が語るのは、本人の自覚の問題だからね。
全て本人の自覚に帰着するが、合気道とは、開祖の思想と自分との
間に生まれるものであり、その差を埋める作業だと考える。

だから目標があるとするなら、いかに差を埋めるか?という問題しかなく、
この差を取ることを、悟り(差とり)といっても良いと思う。
合気道は勝つ物事があるとすれば、自分であり、争おうとする心であり、
勝とうとする心でもある。それに経験上そういう心で合気道の技が身に付くとは
思えない。

続く
975幼児:03/08/16 09:45 ID:HAPp6IOI
>>969
努力の例としてあげられたあなたの一例には同感だ。
問題は努力の方向が先と同様違うということだ。
相手に勝つ努力ではなく、自分に勝つ努力ということであり、
相手に勝つ努力をすることにより全体がより良い方向に向かうというなら
それでよいと思う。しかし、相手と切磋琢磨して技を磨くという理屈に大抵
すり替わってしまい。勝つ為の鍛錬となり、受け入れるより、批判や、
証明、主張、そういう考えを他者に向ける人間精神となってしまう。

だから、あなたが相手に勝とうと思う心を持っているのか、
自分に勝つ事(鍛錬)をしているのか?により合気道の見方が180°変わる
という事だ。

続く
976幼児:03/08/16 09:46 ID:HAPp6IOI
>>970
私のスタイルです。そして私の修業事項です。
>>971
だから、私は人の事を批判する精神をむしろ批判したいです。
自分が正解で批判する対象は間違いだという前提がなければ、批判できません。
そして批判は無力です。言葉にはそれほど力があるとは思いません。
それぞれ、正しいと思う道をそれぞれが歩めばよろしいのではないでしょうか。
結果は、自然が返してくるでしょう。
977幼児:03/08/16 10:05 ID:HAPp6IOI
一つだけ、追加しておく。
私は人の事を批判する精神をむしろ批判したいです。と発言したが、
「精神」を批判するのであって、人ではないので、よく私の発言を
ご理解していただきたい。
978園児:03/08/16 10:46 ID:iyiP2qCe
100万という数字も、もとは1から始まったんじゃねーのか?

1→2→(省略)→1000000→(省略)→無限大=?

一生懸命、せいぜい試合のための稽古をしていなさい。分からなければ。
親から貰った身体を痛めつけて、その痛みを知って己を知りなさい(w)
979名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 11:41 ID:WtM/A6Zn
>幼児氏

一部挑発的な発言があるにも関わらずの丁寧なレス、感謝致します。

つまり、こう言う事でしょうか?
いわゆる合気道が競争相手にしているのは、自分自身であり、克己こそが合気道の修行の主たるところなのだと。
争う心、批判する心を助長してしまう、試合、競争そのものは、合気道の目指す境地と相反するものであるがゆえ、現在のような練習体系が最適であると合気道は考えるのだと。

なるほど、建前としてはある程度筋が通った議論であると思います。
しかし、考えていただきたい。
物には良い悪いという物差しのほかに、健全か、不健全かという物差しもあると言う事。

競争をしないという考え方が、健全に働けば、克己の修行として、先ほど挙げたような師範のような立派な方を生み出すこともある。
それは私も否定致しません。
しかし、それが不健全に働けば、あまり誉められたものではない高段者も生み出してしまうということが、確かに問題点としてあるということを申し上げております。

逆に競争ということが、1番でなければ意味がないといった方向に、不健全に働けば、確かに人を貶め、踏み台にする熾烈な競争社会を生み出すことはおっしゃる通りです。
が、健全に働けば、自分が何番なのかを知ることにより、「等身大の己を知る」と言う意味で、その修行者の最大の敵である、「慢心」を防ぐという素晴らしい効果があると言う事もまた事実ではないでしょうか?

私が申し上げているのは、合気道のもつ思想そのものを、どのようにして健全化して行けばよいのかという点に尽きるのであって、別に合気道の思想そのものを否定しているのではないと言う事をご理解ください。
一部合気道に確かに蔓延してしまう、「慢心」を防ぐ手立てはないのでしょうか?
お考えをお聞かせいただけないでしょうか?
980幼児:03/08/16 13:13 ID:HAPp6IOI
>>979氏の発言は個人的発言として私は受け取らない。
社会問題として全体性を持たせて、諸君共々に向けても述べてみたい。

>>979氏、読ませて頂きました。たびかさなる長文申し訳ない。

まず、合気道とは自分の事で、合気道はの思想は自分が合気道に触れる事で
自分の中に培うものであるという事だと考えます。
思想は外部にはないということだ。
そして合気道においてというより、自然において競争は仮想であっても
敵を外部にこしらえなければならないし、その根底にあるのは支配する心
だと考える。

人間社会での競争は何かに備えるという理屈もあるが、何に備えるのか?
防衛と侵略は私にとっては同意語だ。一生備え続けるのか?
つまり今の自分は完全であると思える「何か」がないかぎり
競争は成立してしまうということだ。

続く
981幼児-2:03/08/16 13:14 ID:HAPp6IOI

健全、不健全という物差しからのあなたの言う現象が起きている事は、
私も認める。同じように私もあらゆる場所にそのような問題が有り、
その結果、後に続く者を迷わせる結果になっている事実は残念な事だと思う。
しかし私にはどうすることもできない。それぞれ、自分で選んでそこに居るのだからね。

つまり、依存関係の中に存在する問題ということだ。不健全(仮に)な者が
いるとするならば、それを持ち上げる不健全(仮に)があって成立している。
だからそういう世界を良しとする者にとっては、そこが居場所であるから、
私はその人達の心地よい居場所を犯す事はできない。

同時にそこの居場所がいやであるが、不満をはき続ける者が居るとしても、
不満をはくことも、お好きにどうぞという立場なんだ。
どのみち、その不満も居場所がないと不満が出せないのだからね。

続く
982幼児-3:03/08/16 13:14 ID:HAPp6IOI

私の主張は、等身大の自分を知る事に他人との競争が必要か?と言う問いだ。
つまり自分と自分以外の世界を知るのに、争いが必要か?という問いである。
必要なのは、相互の理解、違いを知る事ではないか?という問いでもある。
もし男である自分を知る事は、女と争う事だというならそうだろう。
しかし必要なのは、理解しあうことではないか?

人は争うことによって理解しあう事を学ぶのも確かだが、
争う事そのものが理解ではないという事だ。だから争わなければならない
という理屈は詭弁だと考える。以上が私の考えだ。

続く
983幼児-完:03/08/16 13:14 ID:HAPp6IOI

慢心という問題は、成長ストップという状態で、裸の王様状態の事をいうと思うが、
これについても、お好きにどおぞという立場で、慢心それ自体では成立しない。
慢心を支える人達が居る。その関係で裸の王様王国が成り立つ。その王国を
仮に潰すという事になるのなら、それは自然であり、人間ではない。
もし、単独で見当はずれな慢心を行うなら、村八分だろうからね。

つまり、全てがバランス関係で成り立っている現象をそのまま受け入れている
立場で、別に矛盾もないし、悪い事があるだろうか?。
単に主義主張の言葉上の戦争に過ぎない。この先にあるのは実際の戦争だが、
それを防ぐ方法は、それらに毒されていない人間を増やすことでしかない。

だから、もし、あなたも私も諸君もそれを目指すなら、私たちの行動が、
新しい世界を創ると言ってもいいと思う。それが真実なら、それに
触発されてドミノ倒しのごとく、その良質(幸せになろうという素朴な想念)
な波は自然に広がるだろうと思う。
パラダイムシフトというのはそのようにして起こると考える。

現実問題として、真の革命というのは起こるべくして起こる。
決して最終戦争という一方的な都合のでっち上げ思考で起こるとは思えない。
だから私の答の確信は、幸せになるにはどうしたらいいのかな?
そして私は何をすればみんなが幸せになれるかな?と考えた結果の発言だ。

私の考えはこんな所で失敬する。
984幼児:03/08/16 13:24 ID:HAPp6IOI
あと16発言だ。でこのスレッドも終了となる。
ご挨拶もできなくなる場合もありうるので、
あらかじめ、閉めのご挨拶をしておこう。

壮大な縦読みをおつきあいしてくださった諸君に感謝する。

諸君、よき合気道ライフを。
そしてよき人生を。
では失敬。
985名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 14:21 ID:3vE9PDVL
>>幼児氏

つまり、こう言う事かな。

一部合気道に、「慢心」「勘違い」が蔓延していることは確かに認めるが、団体の中でそれが成り立っているならば、それなりの合理性があってのことだから、何かきっかけがあれば崩れることがあるかもしれないが、とりあえず放って良いのではないかと。
第三者である我々がどうのこうの言う問題ではないのだと。

それともう一つ、相互を理解し合うためには、必ずしも「競争(争い)が必要ない」ということで、男女の区別を例に挙げていたが、それについて少々。
男女の例というのは、別な意味で面白い例えなのだが、恋愛を例に挙げて考えて欲しい。
恋愛は、確かに争いそのものではないが、ある意味自分が問われ、自分を見つめる必要性に迫られる場所であることは言うまでもない。
それを競争と呼ぶか、争いと呼ぶかは別にして、少なくとも、等身大の己自身を知り、等身大の相手を受け入れるという必要性を迫られるという点で、その個人の幼児的万能感からの脱却という成長を喚起できる場所であると言う事はお分かりいただけるであろうか?

恋愛を試合に置き換えていただきたい。
「相手を叩き潰す」ということに主眼を置くのではなく、「他者との関係で自分を考える」という点に主眼を置くのであれば、その個人の成長にとって、試合というのは、これ以上の場所はないと自分は考えるが如何であろう?
この場合の他者とは、必ずしも「敵」を意味しないことは言うまでもない。

恋愛経験を積まない者が、人格的成長を望むことが難しいように、試合経験を積まない一部合気道修行者が、幼児的万能感の世界に浸ってしまうことは、武道修行を積むものとしてある種の悲しみを感じる事実であるということを伝えておく。
何らかのきっかけで合気道内部に、もっと大きな浄化(パラダイムシフト)の動きが出てきてくれることを願っております。
986衍字:03/08/16 17:35 ID:CLldsLEa
都合が悪くなると挑発か(w
まーいいや。挑発でも煽りでもなんでも。

ほんの一握りの組織の合気道?数箇所の道場の稽古を見ただけで
勝手に判断して、「浄化」などというのは如何なるものかと。

はっきり言って、試合がしてたいなら試合してなさい。
相手を叩いたり蹴ったりして痛めつけて得られるものもあるでしょうよ。

どーせ試合に負けたって命取られたり、命を懸けたり、財産没収されたり
することのない甘っちょろ〜いもんなんでしょ?(w

偉そうに言う前に日本国中、世界各地の道場を回ってきてからだよね。
『名無しさん@お腹いっぱい。』の場合は(w

まー、あんたらみたいな人がいるから、いつまでたっても戦争は起きるって
ことだね。終戦記念日は昨日だが、ちっと関連付けてみた。
987名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 19:01 ID:JoAtxedo
>>986

よく読め。
馬鹿につける薬はないというが、自分に都合の悪い情報はシャットアウトするのが人間の脳らしいからな。

>恋愛を試合に置き換えていただきたい。
>「相手を叩き潰す」ということに主眼を置くのではなく、「他者との関係で自分を考える」という点に主眼を置くのであれば、その個人の成長にとって、試合というのは、これ以上の場所はないと自分は考えるが如何であろう?
>この場合の他者とは、必ずしも「敵」を意味しないことは言うまでもない。

俺がいつ戦争や争いごとを賛美した?
人の成長には、自分と他者との関係で物を考える必要があるのではないかと問いかけているのだぞ?
といっても、おこちゃまには分からんか。

もう一つ、空手だって理想とする境地は確かに「非争」なのだよ。
有名な言葉があるだろ。
「Q、空手家は、何故戦うのか?」
「A、戦わないためだ」
と。

そのための方法論として、現在の合気道のやり方にはまだ改良すべき点があるのではないかと問題提起しているのだ。
建設的な議論を期待しているだけで、挑発しているつもりはない。
自分と他者との関係で物を考えられないものが、どうして、自分と宇宙の関係でものを考えられるのだ?
自分と社会の関係で、あるいは自国と他国の関係で物を考えられるようになって初めて、次のステップとして合気道の理想とする宇宙と一体となる境地があるのだろ?
そこのところのステップを理解できない輩が絶対数存在すると言う事を問題提起しているだけで、合気道の教えそのものを否定した覚えはないぞ。



988名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 19:06 ID:JoAtxedo
話しは少々飛ぶが、個人的な感想を言わしてもらえば、今の合気道は、「柔よく剛を制す」という思想に凝り固まりすぎている気がする。
それは確かに真理なのだが、同時に「剛よく柔を断つ」というのも真理であると言う事。
どちらも実は真理であって、分かちがたいのが真実ではないだろうか?
陰陽思想というのがあるが、あれに従うと、「柔の中に剛があり、剛の中に柔がある」というのは当たり前のことなのだが、現行の合気道の練習体系は、どうも片側しか強調していない感じがして、それが様々な問題を生んでいる気がする。

大体合気道修行者にこう言う論争を吹っかけると、合気道しかやったことがない奴に限ってヒステリックに自己防衛に走るもんなんだが、他武道を経験してきて、「剛」の部分にも自信があるやつは、余裕のある対応をするね。
合気道も、ある程度のレベルまでは、「剛」を重んずる練習を行い、しかるべき後に「柔」を学んだら良いのではないか?
「剛」の裏づけがない「柔」にはあまり意味がないと感じるのだよ。
989名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 19:21 ID:JoAtxedo
現役最強の空手家である数見肇が合気道を学んでいるのは知っているかな?

彼から直接聞いた話なのだが、彼はある時期最強の突きとは何かを求めてひたすら拳を鍛えることに励んだのだ。
それこそどこぞのマンガにあるように、拳を鍛え、筋肉を鍛え、場合によっては薬を使うことも厭わず、最強の突きを追い求めたのだと。
しかし、追い求めているうちは、「一撃」で倒す突きは手に入らなかったのだ。

ある時期から、他人に薦められて入門した合気道で彼の考え方はがらりと変わった。
「自然が一番である」という合気道の思想を学んだ彼は、あることに気がついたのだ。
「利かせてやろうと思ってうったパンチは絶対に効かない」
ということを。

では究極の突きとは何か?
「疲れたなと思ったくらいのときに、無心でふっと出した突きが、実は一撃で相手を倒す突きであった」
と彼は語っていた。

「真理とはまつげの先の如し」
究極の突きとは、むしろ力を抜くところから生まれてくることに彼は開眼したのと。
それ以来、彼の組み手は一回り大きく成長し、現役最強の道へと彼をいざなっていったのだと。

実は今日の数見があるのは、合気道のおかげなのである。
990名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 19:26 ID:JoAtxedo
ここで大切なのは、数見はきちんと、「剛」とは何かを求めてきちんと修行を積んだからこそ、「柔」の何たるかに気づき得たということであって、最初から「力を抜くところに究極の突きがある」などといわれても、初心者にはにわかには理解しがたいであろうと言う事なのだよ。
そこのところがきちんと分かるような練習体系を作れないものかな?、ということを問うているのである。
決して、争いごとを賛美しているわけでも、合気道を否定しているわけではないことをご理解願いたい。
991幼児:03/08/16 21:07 ID:HAPp6IOI
>>985
結構スレッド数を気にしてるんだ。残りは私があまり出しゃばりたくないので、
簡潔にご返答したい。

あなたの考えの拝見してみると、
根底にある違いの一部は、武術(身体操作的)のような気がする。
合気道は武術を使って、身心鍛錬(あなたに譲歩している表現)
を行うものだと私は考えている、だから誰でもできる。ここがポイントだと思う。

心身鍛練が目的で、武術は方便。だから踊りでもいいし、あえて極端な事を
言えば、活用できなくてもよい。もっと言うなら、どんどん弱くなってもよい。
合気道の動きはなんの意味もない。ただ正しく愉快に鍛錬する。

だから動き(魄、身体)から合気道(魂、心)は理解できない。
強いとか弱いとかは結果的にそうなるという事だ。
簡単に言うと、身体運動から得られる自分の観察記録(知覚)を得るものだと思う。
この部分は私がさんざん語ってきた事だがその誤解は、合気道を武道の枠にはめる以上
永遠に続くと思う。合気道は合気道である。

それからあなたの求める合気道は、あなた自身で見つけるしかないと思う。
批判、批評、裁きはあまり意味があるとは思えない。なぜならば、
私もそうだし、諸君もそうだと思う。全部我々自身の問題だと思からね。
居たい場所に居るし、やりたいことをやってる。なんの問題もない。
992幼児:03/08/16 21:24 ID:HAPp6IOI
>>985さん
もし、私のレスでも未消化であれば、合気道はむしろ、
ヨガとか、禅、弓道に近いという考えで、思案してみては如何でしょうか。
私はあまり人間の道という道具を区別しないが、人間が悟る道は、
無限に方法があると思うんだ。
私は合気道が良いと考えてる。あなたはあなたの道がある。
諸君には諸君の道がある。
993楊枝:03/08/16 23:45 ID:e3KSYtU1
あのさー、別にどうでもいいんだけど、このスレにいる空手やってるとか言っちゃってる奴はいかんね(w

空手君、まーそんなカッカすんなって。殴ったり叩いたり蹴ったりして解決するような
単純なもんじゃないんだよ。
数見なんちゃらが合気もつまみ食いしてるのだったら、そいつにでも詳しく
教えて貰って出直してきなさい。

馬鹿とか使ったり、ちーと名前が売れてる奴の名前を出してきても無駄だよ(w
994名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/17 12:39 ID:gjeB3PRw
>>幼児さん

紳士的かつ、論理的なレスを感謝いたします。
また一人、尊敬すべき合気道修行者に出会えたことを嬉しく思い、「弓道やヨガと同列に考える」、「人の悟る道は無限大にある」等、こちらの疑問に対し、論理的に納得のいく説明をいただいたことから、このスレにおける論争はここまでにしたいと思います。
まことに勝手ですが、他スレで会うことがあれば、またいろいろご教授願えればと思います。

>>993その他の有象無象

このスレに何人の修行者が居るか分からんが、言葉尻を捉えて人格批判をするだけの小学生レベルの奴ばかりで、こちらの論理をきちんと理解し、論理的に反論のできるレベルにあったのが幼児さん一人であったことがまことに残念だわ。
スレの残りも少ないことだし、もし、自分の合気道についての意見がマスターベーションではなく、万人を論理的に納得させられるレベルにあると自負するならば、他スレにこの続きをしましょう。

合気道では自信が持てない
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/budou/1056619591/l50

待っとりますわ>オナニスト諸君
では
995用事:03/08/17 21:05 ID:Q8cVvQxC
ほんと、どーでもいいんだけど、まーいいや。

幼児のおじさん、最後閉めてよ。
996名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/17 21:25 ID:nssT3iL5
幼児って人おじさんなの?中学生だったらビックリだね・・・フフフ
997名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/17 21:32 ID:9SqwisGu
オナニストって何ですか?
998幼児:03/08/17 22:37 ID:N4uuRJND
(続)武産合気追求マジスレ! を長々と占拠した形になって
申し訳ないと思っている。
2chに置いて既に合気道スレッドは、ループに入っている。
だから従来の2chの常識的発言で人間的成長を果たすのは不可能だと
考える。但し、元氏等のような使い方も有りだし、私のような
エッセイの発表場所としての利用、また別の可能性もあると考える。
今は、全体が模索時期にあると私は考える。

そういう意味で、私は考える。やはり「武産合気」つまり合気道の
神的概念のマジスレは残して置こうと思う。但し、雰囲気を
見ながら、私は発言してゆこうと考える。

という事で、別の形で継続させようと思う。
スレッド名は、「武産合気探求マジスレ!」としようと思う。
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/budou/1061127271/l50

(続)武産合気追求マジスレ!の流れを汲むものであるが、支流である。
「追究」ではなく、「探求」となっている。前置きは、ごちゃごちゃ書かない。
合気道・自分・気・意識・魂・呼吸・神・宇宙・宗教・精神・心等
こういう一元ものを探求してゆくスレッドだ。
つまり、諸君の気づきがこのスレッドをこしらえるわけだ。

余談だが、相変わらず、私、幼児はココでエッセイを続けるが、エッセイ中はsageる。
レスは上げる。消滅、存続は神のみぞ知る。
では、始めよう。
999名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/17 22:48 ID:Op01Ut6L
>幼児
追求と探求では、ちと意味合いが違うな。兄弟スレができるのはいいことじゃよ。
お主は、探求で頑張るがよいぞ。
1000剣山:03/08/17 22:50 ID:9RZKcplb
1000?
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。