呉智英について。

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199145
>>198
わ! 先に答えを言っちゃった。あーあ…それを>>186(コウ)へ最後に突きつけよう
と思ってたのに――。
ま…でも、いいか。コウよ。そういうことだ。詳しくは双葉文庫『封建主義者かく語りき』
72〜87ページを見よ。何とある――かいつまんでみても、こうあるぞ。

・(略)…というのは、何をかくそう、私も親孝行するのがとてもいやだからである。私の脳裏
に天啓のごとく封建主義がひらめいた時にも、すぐ追い討ちをかけるかのように、オヤコ―コー
という悪魔のごとき暗い咆哮が響き渡ったのだった。
・(略)…こういう恐るべき親孝行なるものを、理想主義的な封建主義者たちが主張していたと
は、ちょっと考えにくいのであるが、もっと深く考えると、「孝」というのは「親孝行」のこと
なのだろうか、という疑問が生ずる。逆説的なことに、終章で述べる、福沢諭吉という日本民主
主義のボスが、実に親孝行なのである。
・(略)…親孝行なんていうのは、主義主張というよりも単に情緒の問題なのであり、それが何
かの要因で通俗な社会通念になったものと考えたほうが妥当だという感じがしてくる。

以上、一部抜粋しただけでも、こんなことがザザァーッと書いてある。つまり呉智英は
     「親孝行」(コウのいう『孝』) ⇒ 封建主義  
と連想する人を、ましてや
     「親孝行」(コウのいう『孝』) ⇒ 儒学者の説いている「孝」
とする人を忌み嫌い、そんな人たちをどんな言葉を以ってして痛辣に批判しているのか――そう、
まさしくそれこそ『似非インテリ』『三流四流の知識を以ってして自己顕示したがるバカども』だ
と揶揄しているんじゃないか!
コウよ。
ただ単なるオヤコ―コーを“「それに類する」程度の意味合いしかない、「関係がある」くらいの
ニュアンス”で『封建主義者らしい』と愚直に連想する己の俗人ぶりを恥じよ。
そして>>154>>166>>181>>186でと、どんどん拙さを自分自身で露呈させていったそのバカ
っぷりを今一度、刮目せよ。
――どうだね。これでも何か具体的反論はあるのかい。ぐふふふっ…。