呉智英について。

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166コウ
>>145

よく読むと、154 の文中「151の言うように」は「152の言うように」の
間違いだった。訂正する。

>わからないんで質問。
>>>142
>『封建主義者』=『病気の母親に献身的な看護をするために実家に拠点を置いた生活をや』るの?
>それで、どこが『封建主義者らしい』ことなのか。別に封建主義者でなくともできると思うが。どうか。

私の原文「封建主義者らしいと思った」(142)の文中の「らしい」は体言で
ある「封建主義者」の後にくっついて「それに類する(属性)」および「それ
にふさわしい(均斉)」というニュアンスを示す形容詞型の助動詞である。
「封建主義者らしいと思った」は「封建主義者の教えに出てくる親孝行だし、
彼は封建主義を語るにふさわしい人物だと思った」というくらいの意味で、
「らしい」を行為と人物評価に二重に掛けてある。そんなに難しく書いて
るわけでもなんでもない。二律背反でもない。

しかるに、この文章の前にある「実家で母親の面倒を看る(孝行する)」
というエピソードに目を奪われた 145 は、単純にこのエピソードを
指して、「封建主義者らしい(行動だ)と思った」と単純に解釈して
しまったようである。(のちに、さらに混乱している)

>どこが『封建主義者らしい』ことなのか。別に封建主義者でなくとも
>できると思うが。どうか。

「封建主義者」でなくては、孝行したことをもって「封建主義者たるに
ふさわしい人物」だとは言ってもらえないだろうね。

「民主主義者」でも、「国粋主義者」でも、「国家主義者」でも、
「軍国主義者」でも、「社会主義者」でも、「反動主義者」でも、
「共産主義者」でも、「資本主義者」でも、「米帝国主義者」でも、
「モンロー主義者」でも同じ。孝行しても「さすがは、封建主義者」
の言葉はなかなかかけてはもらえないだろう。

145 は、何か具体的反論はありますか?

さらに、「なぜ孝行は他の主義者だってやるのに、無理に封建主義者に
こじつけるのか?」に対するあり得たかもしれない、もう一つ別の答。

「それは、ここが呉智英を扱うスレッドだから。ゴルゴ13がわざわざ
鉄橋にセットされた爆弾をタイマーも使わずに狙撃するためだけに強引に
登場させられるのと同じ」