みんないやしい欲張りばかり 井伏さんは悪人です

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1つしま
 
2つしま:2006/09/21(木) 09:41:12
私が、その峠の茶屋へ来て二、三日経って、井伏氏の仕事も一段落ついて、
或る晴れた午後、私たちは三ツ峠へのぼった。三ツ峠、海抜千七百米。
御坂峠より、少し高い。急坂を這うようにしてよじ登り、一時間ほどにして
三ツ峠頂上に達する。蔦かずら掻きわけて、細い山路、這うようにしてよじ
登る私の姿は、決して見よいものではなかった。井伏氏は、ちゃんと登山服
着て居られて、軽快の姿であったが、私には登山服の持ち合せがなく、ドテラ
姿であった。茶屋のドテラは短く、私の毛臑は、一尺以上も露出して、しかも
それに茶屋の老爺から借りたゴム底の地下足袋をはいたので、われながらむさ
苦しく、少し工夫して、角帯をしめ、茶屋の壁にかかっていた古い麦藁帽を
かぶってみたのであるが、いよいよ変で、井伏氏は、人のなりふりを決して
軽蔑しない人であるが、このときだけは流石に少し、気の毒そうな顔をして、
男は、しかし、身なりなんか気にしないほうがいい、と小声で呟いて私を
いたわってくれたのを、私は忘れない。とかくして頂上についたのであるが、
急に濃い霧が吹き流れて来て、頂上のパノラマ台という、断崖の縁に立って
みても、いっこうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧の底、
岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸いながら、

放屁なされた。いかにも、つまらなそうであった。
3つしま:2006/09/21(木) 09:47:55
先輩というものがある。そうして、その先輩というものは、「永遠に」私たちより
偉いもののようである。彼らの、その、「先輩」というハンデキャップは、殆ど暴力と
同じくらいに荒々しいものである。例えば、私が、いま所謂先輩たちの悪口を書いて
いるこの姿は、ひよどり越えのさか落しではなくて、ひよどり越えのさか上りの態の
ようである。岩、かつら、土くれにしがみついて、ひとりで、よじ登って行くのだが、
しかし、先輩たちは、山の上に勢ぞろいして、煙草をふかしながら、私のそんな浅間しい
姿を見おろし、馬鹿だと言い、きたならしいと言い、人気とりだと言い、逆上気味と言い、
そうして、私が少し上に登りかけると、極めて無雑作に、彼らの足もとの石ころを
一つ蹴落してよこす。たまったものではない。ぎゃっという醜態の悲鳴とともに、私は
落下する。山の上の先輩たちは、どっと笑い、いや、笑うのはまだいいほうで、蹴落して
知らぬふりして、マージャンの卓を囲んだりなどしているのである。
4つしま:2006/09/21(木) 09:49:14
私たちがいくら声をからして言っても、所謂世の中は、半信半疑のものである。
けれども、先輩の、あれは駄目だという一言には、ひと頃の、勅語の如き効果がある。
彼らは、実にだらしない生活をしているのだけれども、所謂世の中の信用を得るような
暮し方をしている。そうして彼らは、ぬからず、その世の中の信頼を利用している。
永遠に、私たちは、彼らよりも駄目なのである。私たちの精一ぱいの作品も、彼らの
作品にくらべて、読まれたものではないのである。彼らは、その世の中の信頼に便乗し、
あれは駄目だと言い、世の中の人たちも、やっぱりそうかと容易に合点し、所謂先輩たちが
その気ならば、私たちを気狂い病院にさえ入れることが出来るのである。
5つしま:2006/09/21(木) 09:54:53
井伏さんが「青ヶ島大概記」をお書きになった頃には、私も二つ三つ、つたない作品を発表していて、
或る朝、井伏さんの奥様が、私の下宿に訪ねてこられ、井伏が締切に追われて弱っているとおっしゃったので、
私が様子を見にすぐかけつけたところが、井伏さんは、その前夜も徹夜し、その日も徹夜の覚悟のように見受けられた。
「手伝いましょう。どんどんお書きになってください。僕がそれを片はしから清書いたしますから。」
 井伏さんも、少し元気を取り戻したようで、握り飯など召し上りながら、原稿用紙の裏にこまかい字でくしゃくしゃと書く。
私はそれを一字一字、別な原稿用紙に清書する。
「ここは、どう書いたらいいものかな。」
 井伏さんはときどき筆をやすめて、ひとりごとのように呟く。
「どんなところですか?」
 私は井伏さんに少しでも早く書かせたいので、そんな出しゃばった質問をする。
「うん、噴火の所なんだがね。君は、噴火でどんな場合が一ばんこわいかね。」
「石が降ってくるというじゃありませんか。石の雨に当ったらかなわねえ。」
「そうかね。」
 井伏さんは、浮かぬ顔をしてそう答え、即座に何やらくしゃくしゃと書き、私の方によこす。

「島山鳴動して猛火は炎々と右の火穴より噴き出だし火石を天空に吹きあげ、息をだにつく
隙間もなく火石は島中へ降りそそぎ申し候。大石の雨も降りしきるなり。大なる石は虚空
より唸りの風音をたて隕石のごとく速かに落下し来り直ちに男女を打ちひしぎ候。
小なるものは天空たかく舞いあがり、大虚を二三日とびさまよひ候。」


 私はそれを一字一字清書しながら、天才を実感して戦慄した。
私のこれまでの生涯に於て、日本の作家に天才を実感させられたのは、
あとにも先にも、たったこの一度だけであった。


「おれは、勉強しだいでは、谷崎潤一郎には成れるけれども、
井伏鱒二には成れない。」
6吾輩は名無しである:2006/09/22(金) 13:25:46
ほんと太宰ってねちゃねちゃした文章を書くのがうまいよな。
しかもそういうやつに限って無頼派を気取ってたりする。
で、それを好きなやつが存在するから不思議だよ。世の中はwww
7吾輩は名無しである:2006/09/24(日) 12:21:40
8吾輩は名無しである
>>5
皮肉屋だな〜wwwww