1 :
吾輩は名無しである :
2006/08/12(土) 01:33:03
2 :
2 :2006/08/12(土) 01:50:30
3 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 01:58:48
蓮實重彦殿、新スレおめでとうございますm(__)m
まぁ、そっちはそっちでいいんじゃないの? それよかこっちではCVSムー大陸のコテハン対決の顛末が気になるところ。 本人たちは嫌がってるけど、両雄あい並び立たず、ってことで もう直接試合は避けられないよ。
7 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 14:00:23
(前スレのつづき) また名無し自演が始まったwww 一体誰がCを擁護するようなレスをつけると言うんだねwwwww
8 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 14:02:43
Cは分かりやすいよな、自分の気にくわないレスは全部「自演」で片付けようとするからな。
失笑ですたwwwwwwww
wwwwwは、自作自演バカの特徴だが 前スレの終わり方が、よっぽど悔しかったとみえるw 執念深い女だな
>>5 それ両方共同じバカが使ってるコテだからw
独りで自問自答してるバカだよ
>>5 誰も興味持ってないから。自作自演でやってるオマエが煽る以外は_w
>5 自分の家で自分のノートに書け。心ゆくまで。
>>5 オマエ病人だろ? 自演&妄想病。自己肥大妄想か?w
18 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 14:37:18
ん?やっぱりC=ムー大陸っつーことなのか? 茶番だな。。
あはは、俺もちょっと前に同じ様な誘導をしたっけな、カミュスレでw
つぎここ? ウンコがなんか最後の方で長文書いて放置されてやんの。 ひとり必死に汚臭放ってやがるからな。 あいつは映画を貶すほど見てない。 文学も知らない。 音楽も聴かない。 知識もない。 ただのバカです。
いや、二人のコテハンが結局同一人物だったということで、 もう完全に終わったんだよ
25 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 21:08:27
流れからいうとこっちが本スレのような気がするけど…迷惑だろうか。 同一人物かどうかわからないけど、Cというコテハンはなんでもかんでも 自意識に引き寄せちゃうみたいだからなあ。煽りとしては面白いけど。 二人で自演でもいいんじゃない? なんでもありだし。 ハスミンの話
26 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 22:26:08
書いてあることの内容に反発するのじゃなきゃ 文学板にふさわしくないなあ C ◆7sqafLs07s という人が書いてたとおり よその板の人たちなのかな? わたしはもっと内容の相克が見たい
27 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 22:27:09
みほみほいますか? みほみほの文章が読みたくて読みたくて仕方がない
28 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 22:46:14
もうこれ以上、シー=ムーのキモいDQNオナニーを見せつけられるのはウンザリ はよ氏ね
29 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 22:48:52
>わたしはもっと内容の相克が見たい >見せつけられるのはウンザリ 自分でなんかネタ書いてみろや。 テレビかなんかと間違えてんじゃねえのか?w
>>29 そうゆう自分もどーせ面白いネタ書けないんだろ?
だったら
>>26 、
>>28 と同じことだよ。
もちろん俺も面白いネタなんか書けやしない。
>>30 面白いかどうかは別にして、あちこちで煽ってますが。
もちろん、コテハンがどうのこうのとかじゃなくて。
32 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 23:06:15
けっきょく、この世はおおかたぬらりひょんばかりだって前スレでもあっただろ ぬらりひょんを見つけて嘲笑する前に、自分自身もそのぬらりひょんであることを自覚しなきゃならんのだ
33 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 23:09:58
というかぬらりひょんに徹するべきだ。
35 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 23:24:40
蓮実重彦って気持ち悪い
36 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 23:30:09
>>35 蓮實重彦の風貌ってヌラリヒョンみたいだよね。
俺もヌラリヒョンみたいな顔だと言われて ショックを受けたことがありますけど何か?
ヌラリヒョンとか流行らせたいのか。 バカじゃねw
39 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 00:37:29
いや、前から蓮實はヌラリヒョン呼ばわりされてた。 シャンタルさんとお似合い夫婦だよw
流行らせるってw ここでか?w
ウザイ
シャンタルと重彦がセクロスしたら重臣が産まれちゃいましたwww
43 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 00:59:01
>>41 お前が一番ウザいんだよ!!!
こンのぬらりひょん野郎!!!!!
44 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 01:00:45
>>43 あ?
ぬらりひょんがエラソーに何ほざいてんだよwww
45 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 01:03:10
こほん♪
バカばっかりwwwww ま、C=ムー大陸よりゃマシだけどwwwwwww
低劣な話題になるととたんに湧いてくるな、お前らは(憫笑)
48 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 01:21:35
>>47 うん、たしかに低劣なオマエが湧いてきてしまったな!(憫笑)
だ か ら 、 結局みんな同じ穴の貉、 この世は皆ぬらりひょんなのだよ、こほん♪
50 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 01:31:13
陥没地帯読んで頭が陥没しているおまえらバカ。
オペラ・オペラシオネル読んで脳細胞がペラペラになったおまいらヴァカ!
あったねえ、オペラwwwwww よくあんな時代遅れの小説を出版したもんだ。
53 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 01:43:13
いやー、このスレっていつ来てもホント面白いですねww
つまんね。
55 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 01:46:48
学歴が低く、教養に対する劣等感が多いやつほどハスミにはまるのはなぜ?
>>55 盲撃ちで妄想披露していただかなくて結構です。
ご自分のことおっしゃってるなら何も言いますまい。
57 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 01:51:18
>>55 う〜ん、かしかに学歴が低く、教養に対する劣等感が多い
渡部、糸圭とかは蓮實にはまりまくってる、
つーか蓮實にまんまと嵌められてるよなぁ…
58 :
55 :2006/08/13(日) 01:53:08
>>56 別に君のことを言っているわけじゃないよ。
それに、ハスミの匂わせている教養主義っぽい感じって気にならないか?
>>54 だったらこんなとこにわざわざ来てんじゃねーよヌラリヒョンが。
60 :
55 :2006/08/13(日) 01:54:45
>>57 そうだよね。まんまとはめられているんだと思う。
つまり、はめられている側にも、そういう欲望があるってことんだ
よね。そこんところをじっくりと考える必要があるような気がするんだなあ。
61 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 02:11:07
はめられてる? ホモ?
>>60 はめられる欲望なんかない。ただの処世術だ、あいつらわ。
その1 二つのハワード・ホークス論、ジャック・リベットの「ハワード・ ホークスの天才」と、蓮實重彦の「ハワード・ホークス、または映画 という名の装置」を続けて読む。 いくつかの共通点がたちどころに浮かび上がってくる。まず二人の キャリアの中で、比較的初期に書かれた評論だということ。そして、 両者共にある種の時代思潮に抗う形で書かれたということである。 二十数年という年月によって隔てられていながら、二つの論文を めぐる状況は、ある意味でよく似通っている。簡単に言えば、1953年の フランスにおいても、1977年の日本においても、ホークスは多少は 器用だが、つまるところ凡庸な娯楽映画監督とみなされていたのであり、 こうした扱いへの苛立ちが、両者が書かれる原動力となっているのである。 (つづく)
>>58 どの著作にも現れる「畏れ」や「慎み」を持つことを強いる物言いは、
教師的な振る舞いであると同時に教養主義であることを示しているのは確かです。
というより、むしろ完全なエリート主義ですね。
だからといってコンプレックスのウェートは関係あるんですかね。
64 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 02:17:29
つまり、「俺たち蓮實先生にハメハメして欲しいんです!」 みたいな色目使いの枕営業をやってるに等しいわけだよ、綿禿と虫圭は。
65 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 02:24:44
>だからといってコンプレックスのウェートは関係あるんですかね。 まあ、そのへんは「煽り」だからあまに気にしないで。 >完全なエリート主義ですね。 学歴についてはそうかもしれないけれども、映画批評に関しては そうじゃないな。教養主義でしょう。教養はエリートじゃなくても つけられるし。映画におけるエリートとはなにか? もしくは映画批評におけるエリートとは? 映画って言葉とエリートって言葉って親和性が低いような気がするんだけど。
66 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 02:26:12
>>61 まぁでも渡部直己の「ハスミン様ゾッコンLove」
みたいな媚態は尋常じゃないと思うよ?
マジで蓮實と性交したいと言わんばかり。。。
67 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 02:29:03
渡部キモすぎるwwwww
>>65 授業を受ければわかるんじゃないですか。
彼は、自分の映画史「正しさ」なんて概念を導入してますからね。
映画と批評はまた別の話ですね。
失礼! 映画史「正しさ」→映画史に「正しさ」
70 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 02:31:57
あとですね、そもそも映画において、「教養」ってなにか? みたいな問いもあると思います。映画を語ることで教養ぶれるのか? ぶれるんだね。 なぜかっていうと、「すべての映画を見ることは可能かもしれない」 っていうのがあるから。 ハスミンは「○○を見ていなければ」とか、「淀川さんと対談して、 ○○を見ていることにおののいた」っていうように。 でもね、それが「映画」が期待していることか、求めていることか っていえば、そうじゃないような気がするんだ。 つまり、映画っていうものを表現のツールとして「使っている」だけじゃないか っていうね。思うの。そこのところがどうにも信用できないところ なんだよなあ。 >映画と批評はまた別の話ですね。 そういうことなんだろうね。で、「どういうふうに別か?」っていうのを 考える必要があるんだと思います。
ハスミン×ワタハゲのシチュエーション萌え〜 (=´∀`=)
教養主義ってのは、元来農村から出てきたかたが、 読書から得る知識をもとに人格を高めたり、 社会を良くしていこうっ人生観なわけでしょ。 都市文化にあこがれる田舎もんの夢想みたいなもんで、 都市と農村の文化的な差異がなくなって消滅したわけです。 で、もちろん蓮實が教養主義というなら、 それにつられるのは、 フランス文化にあこがれる東京の田舎もんって言い方もできるんでしょうね。
映画を語ることで教養ぶるというのではなく、。 映画から得た知識なり見解なりが人格を高める。 社会を良くできるという 考え方ですね。 映画でいうところの教養主義というならば。
74 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 02:50:07
>フランス文化にあこがれる東京の田舎もんって言い方もできるんでしょうね。 すると、フランス人たちは「俺たちは都会人だ!」って思っているかというと そうでもないわけであって、一部のパリ系であって、もっというと パリってここしばらく芸術の中心じゃないんだし、むしろ その差別的振る舞いからバカにされていたりするんだ。 一方で、反マクドナルト運動みたいなものがフランスの田舎から 発生し、世界的に(先進国的に)広がったりしている。
75 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 02:51:37
>映画から得た知識なり見解なりが人格を高める。 >社会を良くできるという >考え方ですね ああ、そうか…。僕が「教養主義」という言葉を間違って使っていたようです。 正確さに欠けていました。
(その2) ここでは確かに、「輸入者」蓮實という視点が十分に成り立ちうる。 フランスでのホークス評価の先鞭となったリベットの論文を蓮實が意識して いなかったことはありえないし、直接の影響を受けていると思われる表現も 実際に散見される。リベットの指摘したホークスの「連続性へのこだわり」 という考え方をさらに純化し、洗練させたのが、蓮實の提示する「逆行」 「交換」「捕獲」といった概念であることは、二つの論文を読み比べれば 容易に見て取れるのである。両者は良く似ているというよりは、ある意味 相互補完的である。一方で萌芽の形でのみ存在する概念が、他方では十分に 展開されている。逆もまた真である。つまり蓮實は、リベットの論文で 「未だ言われていないこと」のみを用意周到に選択しているのだといってよい。 (つづく)
(その3) しかしここに蓮實の「オリジナリティ」を見るのも、逆にその欠如を見る のも、両者共に殆ど意味のない態度だといえよう。一般的に職業的な研究者が 先人の影響を受けないことはありえないし、またそれらの影響に対して自意識を 働かせないこともありえないからだ。重要なのは、これほど緊密な影響関係に ありながら、両者の論文が全く異なる思考様式のもとに書かれていることである。 一方は特権的な視点から特権的な言葉で特権的な事態を描く。しかし他方は、 誰にでも共有しうる視点から、誰にでも共有しうる言葉で、特権的な事態を 描こうと試みるのだ。 (つづく) 今日はこれまでにします。 続きはもしかしたらあさってくらいになってしまうかも知れません。 長文&連投失礼しました。
ちゃんと議論には割り込まない慎みがあるところが偉いね。 ムーは良い子だ。
79 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 03:52:18
ムーもCも天才だな。 文章を超えている。
参考までに… 「ハワード・ホークスの天才」 ジャック・リベット 『カイエ・デュ・シネマ』 1953年5月号 (翻訳:鈴木圭介 『ユリイカ 臨時増刊 総特集 ヌーヴェル・ヴァーグ30年』 青土社 1989年12月) 「ハワード・ホークス、または映画という名の装置」 蓮實重彦 『映像の詩学』 筑摩書房 1979年 *初出は『國文學 解釈と教材の研究 臨時増刊 映像と言語』 1977年06月号
81 :
・ :2006/08/13(日) 08:26:17
ムー次郎は「長文&連投失礼しました。」と言えるんだなあ。 それにちゃんと文献も明示できるんだなあ。 このへんは同じ兄弟でもシー太郎との差だな。さすが次男坊だよ。
>>74 なんか昔テレビでパリ人とパリ以外のフランス人の違いみたいのをやってて面白かった。
テレビだからかなり演出は入ってるんだろうけど
パリ以外のフランス人はみんな気取ってなくてフツーに明るく気のいい意感じだったな。
In France they kiss on Main Street Amour, mama, not cheap display And we were rolling, rolling, rock 'n' rolling
84 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:05:06
案の定、格闘技板に C ◆7sqafLs07s のここの書き込みが 転載されてた。 何人かの読みどおりただのC ◆7sqafLs07s アンチらしい。 かまわないほうが得策っぽい
自演ってことも想定しないと
自演する意味がないと思う というか85がアンチ本人だと思われ
87 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:12:39
そんなことだろうと思ってはいた 煽りにしても「文」が成立してなさすぎだし ここは雑談板じゃないから それ系の遊びはあまりもてはやされないよ
88 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:16:08
こういう池沼を連れてくるのがCのいくないところだなw
79 名前:吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 03:52:18 ムーもCも天才だな。 文章を超えている。
90 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:22:05
もういいよ池沼w 必死すぎw
91 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:22:40
だからCとムーは同一人物なんだろ? あのバカをいつまでも甘やかすなよ
コテハンのスレですか?w
>>79 Cは,知識はあるけど頭は悪いよ.
ムーは頭いいけど,若さがない.
94 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:24:15
95 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:27:26
>>25 そうそう。レスの内容が充実していれば、ぜひ読みたいもの。
結局おまえらってコテと馴れ合いたがるんだな
うざいから馴れ合うんだ. お気に入りのコテとは滅多に馴れ合わない.
98 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:35:45
フランス人ってろくに英語話せないやつ多いんだよ。そのあたりのレベルは 日本人とほとんどかわんね。いや、もっとひどいかもしれん。
>お気に入りのコテ そんなのいるのか??? 気持ち悪いやつだなあ。
コテ名なんかどうでもいいことw 論議沸騰中に互いを識別するためだけにある。 全てはレスの中身次第だ。
結局CのアンチはCのファンだからな。 多分女性が多いと思う。 男性は冷めた目で見てるから。 叩くのは逆効果ってことを男性は知ってるから。
馬鹿レスには一顧だに与えないw 馬鹿はさぞ悔しかろうが
>>99 文学板でお気に入りはAmilalaだ.
あいつは冷静な奴だから叩き甲斐がある.
冷静なコテがすきだ.
105 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:55:51
>盗作ラノベ婆佐藤亜紀本人は「ゴン」=処刑ライダー=AmiLaLa=「ペンギン」
>盗作ラノベ婆佐藤亜紀本人は「ゴン」=処刑ライダーAmiLaLa=「ペンギン」=みほみほ
あーあ…。
108 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 20:01:15
>盗作ラノベ婆44才は{処刑ライダー}=AmiLaLa=「ペンギン」=みほみほetc…w >盗作ラノベ婆44才は 文学板に糞ラノベスレ乱立した犯人 >盗作ラノベ婆44才は 糞のような低劣レスと自作自演レスを撒く犯人 >盗作ラノベ婆44才は 24時間板粘着し良スレをゴミれすで汚す犯人
109 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 20:02:23
叩きたいコテが議論で優勢かなと思うと そのコテと相手が同一人物だとやる これも雑談板にはよくある低級煽りw
スレ荒らしのスレッからし妄想婆にご用心w 無視が一番
111 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 20:04:16
もうC粘着の池沼の話はそのへんでいいよ つまらんし
妄想婆のプロフィールはこれか?w 1 :盗作ラノベ佐藤亜紀44歳の破廉恥人生w :2006/07/27(木) 05:06:15 >578 :吾輩は名無しである :2006/07/18(火) 23:22:37 >「自己愛性人格障害と闘い続ける」女がいる、佐藤亜紀44歳。 >小学生の頃から、自分を能力以上に見せたがる虚栄心の強さが人一倍。 >「有名になれば人生を逆転できるという自己愛性救出願望から」 >漫画や純文学など複数ネタから盗作して証拠を韜晦し、ラノベの賞を盗んだ。 >やがて盗作がばれ >口先だけの突っ張り人生が露呈すると、現実から逃れてネットに耽り >ブログで独り自画自賛する内に自己肥大妄想を募らせて >陰惨なネット依存症患者となった。 >図々しくも >文学板に板違いのラノベスレを乱立し、24時間粘着。 >盗作した暗い過去と強い劣等感から、純文学への嫉妬心を猛らせ >連日、糞レスによる執拗なアラシ行為に余念がない。 >その醜悪さに盗作追及スレが立ち、 >確信犯盗作の事実をつきつけられると、狂的な自作自演をさらに増幅させ >陰険な嫌がらせレスで文学板を荒らし続けている。 > 註:「 」部分は佐藤亜紀自身の自己告白の引用。
わかったからほかのスレッドでやって。興味ないし。
103 :吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:42:22
>>99 文学板でお気に入りはAmilalaだ.
あいつは冷静な奴だから叩き甲斐がある.
冷静なコテがすきだ.
103 :吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:42:22
>>99 文学板でお気に入りはAmilalaだ.
あいつは冷静な奴だから叩き甲斐がある.
冷静なコテがすきだ.
103 :吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:42:22
>>99 文学板でお気に入りはAmilalaだ.
あいつは冷静な奴だから叩き甲斐がある.
冷静なコテがすきだ.
わかったからほかのスレッドでやって。自作自演に興味ないしw
ゴミ除け ↓ >盗作ラノベ婆44才は{処刑ライダー}=AmiLaLa=「ペンギン」=みほみほetc…w >盗作ラノベ婆44才は 文学板に糞ラノベスレ乱立した犯人 >盗作ラノベ婆44才は 糞のような低劣レスと自作自演レスを撒く犯人 >盗作ラノベ婆44才は 24時間板粘着し良スレをゴミれすで汚す犯人
>>116 追加しといておくんなw
>盗作ラノベ婆44才は 杉田俊介(誰だよ?w)に振られた私怨を晴らそうと
>無関係の文学板にスレを立て自作自演で恨みつらみを書き続けている犯人
長すぎるかw
118 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 20:58:42
Cのどこが優勢だと!?
119 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:02:37
いい加減にしろラノベ婆妄想の佐藤粘着基地外! 他のスレまで来て荒らすなボケ!!
黙って議論続ければいいのでは? ゴミ除けはあるし 良レスが書かれれば厨房は口を挟めなくなる。自然に
121 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:09:19
>>120 一部の特権階級というか
わかる奴にはわかるんだよ2chでは
煽り名無し君w
板粘着のキチガイ婆もキチガイ厨房も 両方完全無視して冷静で充実したレスを粛々と書くことだな
124 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:11:41
なにか誘導するようでいて 言葉の端々で煽るのも 雑談板にはよくある低級な煽りw
126 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:15:57
>>121 そうやって遠回しに擁護するバカ自演のほうがよっぽどウザいわボケ!
最近見た映画について話そうぜw
129 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:17:54
煽ってたのが叩かれるとすぐ自演扱いして逃げるのも 格闘技板あたりですら放置されぎみの低級な煽り屋特有w
130 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:19:33
オマエ以外には「盗作ババアの文学板荒らし」などという キチガイ妄想を信じてる奴などいるわけねーだろ 早く死ね自演しか楽しみのないDQN。
131 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:20:29
キチガイ妄想を書いてるのはおまえ自身だよ あんまり調子に乗ると制裁を加えるぞ ここは雑談板じゃない専門板だ
>>129 そりゃCのことだ。
奴は自分が気に食わないレスは自演と決めつけてお茶を濁す。
前スレ見りゃわかるよ。
133 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:24:47
>>132 馬脚を現したなwただのCアンチの間抜け君w
IP抜くぞ?
134 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:25:03
うははwww Cを必死になって擁護する奴なんかいるわけないんだがwww バレバレなのに見苦しいねえwwwww
Cを擁護してるんじゃないんだよw アンチを叩いてるだけなんだよw
ゴミ除け ↓ >盗作ラノベ婆44才は{処刑ライダー}=AmiLaLa=「ペンギン」=みほみほetc…w >盗作ラノベ婆44才は 文学板に糞ラノベスレ乱立した犯人 >盗作ラノベ婆44才は 糞のような低劣レスと自作自演レスを撒く犯人 >盗作ラノベ婆44才は 24時間板粘着し良スレをゴミれすで汚す犯人 >盗作ラノベ婆44才は 杉田俊介(誰だよ?w)に振られた私怨を晴らそうと >無関係の文学板にスレを立て自作自演で恨みつらみを書き続けている犯人
>>135 どうもこの馬鹿(134)はCの大ファンらしく
世界には「C擁護」と「Cアンチ」しかいないと思ってるらしいなwww
おいおいおい w 2ちゃんねるらしい狂乱 w | |\ | ) ⊂ \ |_)_) <オマイラ オチケツ… |J J
140 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:29:10
これで煽ってるアフォがただのCアンチだと明確になったので 以降はスルーでよろしいかな?
141 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:30:52
コテのアンチなんて雑談板みたいなゴミ捨て場はともかく こういった板では侮蔑の対象w
142 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:31:17
またくだらん自演が…。 はっきり言ってコテハンなんかどうでもいいんだが。
143 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:31:57
どうでもいいことに拘り続けるコテアンチ(軽蔑)
144 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:33:19
同じ名無しとして 固定に粘着するような香具師だけにはなりたくないものだな・・
>>144 同意。なんか嫉妬してるみたいだもんなコテに。
146 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:35:45
で、Cのことはどう思ってんの? 別にCのことがどーでもいいならいちいち目くじら立てる必要もないと思うんだけど・・・
名無したるものこっちを褒めあっちを叩き とその場その場でコテを弄ぶのが王道 CアンチなどはC以下のゴキブリ 雑談板という棲み処に返れ、だなw
148 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:36:57
どうでもいいから話題にするなということだw
がはは。まあ、2ちゃんらしくていいねえ、こういうのw 「クレマスター・サイクル」見た?
150 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:39:43
佐藤亜紀に粘着する椰子にだけはなりなくない
151 :
146 :2006/08/13(日) 21:42:19
152 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:43:24
>>136 どうでもいいけど
間違った指摘はするなよな。コテを同定する時はちゃんとIPを抜け。
それ以外の推測はするな。他が迷惑する。
153 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:45:18
自作自演でスレ維持しているのは 盗作婆だけじゃない。
>>150 同意。なんか嫉妬してるみたいだもんな佐藤亜紀に。
155 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:51:35
ウザいなら無視して関わらなければすむことだろう。 2chにまともななにかを求める方が無理な話。 瞥見した中に自分にとって意味あるレスや情報があるなら それだけを読めばいい。
156 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:53:34
>>152 いや、その粘着ねらーは今更相手にしてもしょうがないし…。
157 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:55:01
>154 一々出てこんでもいいw 盗作婆が板中を荒らしていた&いるのは 紛れも無い事実だ。
158 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 21:57:26
>156 ツラ打算でもいい、ケツは割れてる
>紛れも無い事実だ。 力こめて書くな、きもいから。
160 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 22:01:08
すべてはここから始まった…。
97 :吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:34:43
うざいから馴れ合うんだ.
お気に入りのコテとは滅多に馴れ合わない.
99 :吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:36:50
>お気に入りのコテ
そんなのいるのか??? 気持ち悪いやつだなあ。
103 :吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:42:22
>>99 文学板でお気に入りはAmilalaだ.
あいつは冷静な奴だから叩き甲斐がある.
冷静なコテがすきだ.
105 :吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 19:55:51
>盗作ラノベ婆佐藤亜紀本人は「ゴン」=処刑ライダー=AmiLaLa=「ペンギン」
161 :
吾輩は名無しである :2006/08/13(日) 22:05:01
ほら、佐藤粘着がまんまと釣れたよw 「おお、どした婆さん、涙目で…w」が口癖のバカwww
さて、そろそろ蓮實シゲヒコとシャンタルの馴れ初めについて 騙っていただきましょうか↓
盗作婆ジサクジエン乙w どうした涙目でw ゴミ除け。貼っとけ >盗作ラノベ婆44才は{処刑ライダー}=AmiLaLa=「ペンギン」=みほみほetc…w >盗作ラノベ婆44才は 文学板に糞ラノベスレ乱立した犯人 >盗作ラノベ婆44才は 糞のような低劣レスと自作自演レスを撒く犯人 >盗作ラノベ婆44才は 24時間板粘着し良スレをゴミれすで汚す犯人 >盗作ラノベ婆44才は 杉田俊介(誰だよ?w)に振られた私怨を晴らそうと >無関係の文学板にスレを立て自作自演で恨みつらみを書き続けている犯人
164 :
晒し上げ :2006/08/14(月) 06:07:28
>>164 また自演キ○ガイが騒いでますた(・∀・)
さて、 では本当に蓮實シゲヒコとシャンタルの馴れ初めについて ↓ ↓
167 :
吾輩は名無しである :2006/08/14(月) 07:34:58
>>165 うはははwww
「晒し上げ」とか言いながらsageてやがるこの粘着馬鹿w
しかもシャンタル蓮實なんかしらねーくせに
>>166 の書き込みで誤魔化して
直後に自分の批判が書き込まれねーように糞工作までしてやがるwww
てか関係ないスレにまであらわれてラノベ婆妄想の宣伝マジうぜ。 誰も信じないっつぅの。 佐藤亜紀なんかどうでもいいし。佐藤粘着の自演野郎マジ氏ねよ。
関係ないというか・・・ 以前「葬送」を酷評された恨みだろ。 蓮實の方は書評したことも憶えてないんじゃね?
ん?平野の作品を蓮實が酷評したことがあったの? んで佐藤粘着の香具師は本当に平野ヲタなの? 単に佐藤に私怨があってこーゆうくだらない事してるだけのようにも 思えるけど…
>>86 >>135 同意。
このスレで、「ムー大陸」と「C」の議論に嫉妬して
邪魔しているのがラノベ盗作婆==>167−170だよ。完全スルーで
と書き込むラノベ婆。
どーでもいー 平野も佐藤もアホ。
>172-173=「処刑ライダー」44才 哀れ哀れw
175 :
吾輩は名無しである :2006/08/14(月) 21:32:06
自分の気に食わないレスを全部佐藤の書き込みと妄想するw まったく低脳過ぎて話にならんなww
いい加減にしろ、ここは蓮實重彦のスレだ。佐藤亜紀のスレではい。 ラノベ婆厨の粘着自演馬鹿はとっとと巣に帰れ!
177 :
吾輩は名無しである :2006/08/14(月) 22:32:24
子息蓮實重臣ノ近況情報求ム
(その3) リベットの「ハワード・ホークスの天才」はこう書き出される。 「明白さとは、ホークスの天才の目印である。『モンキー・ビジネス』〔53年〕 は天才の映画であり、その明白さによって有無を言わさず見るものの精神を納得 させてしまう」 この文章自体が、有無を言わせぬ調子というか、石つぶてでも投げ込むような 攻撃性と性急さを帯びている。こうした戦闘的なスタイルは、この時期のカイエの 同人達に共通のものだ。ヒッチコックやホークスを持ち上げることは、当時の 映画業界にとって、挑発的だったどころか、スキャンダルに近いものですらあった らしい。彼らは新参者の常として、事あるごとに大声をあげ、まず結論から先に 叫ばなければならなかったのである。 成りあがり者の常套手段はもう一つある。それは、既存の伝統的な価値観を 可能なかぎり味方につけるということだ。今、私の手元にある『ユリイカ』の ヌーヴェル・ヴァーグ30年特集号に収録されている評論の中でも、ゴダールは ダグラス・サークの『翼に賭ける命』を「映画がフォークナーにひけをとらないこと を示したのはこれがはじめてなのである」と断言し、シャブロルはヒッチコックを 「バルザック、ドストエフスキー、ベルナノスらが半ば失敗した企てに見事成功した」 と持ち上げ、リベットも当の評論の中で、「(ホークスの)『赤い河』や『コンドル』 の血縁として挙げられるべき人は、コルネイユをおいてほかにはいない」と述べて いる。香具師の口上といってしまえばそれまでだが、彼らはそのような戦術を是非 必要としていたし、またそれらの固有名詞は、権威付けの為に持ち出されたという よりは、ある直接的な「威力」となって拳のように打ち下ろされるのだ。 (つづく。私は一体何をやっておるのだろう?)
その3→その4でした。
181 :
吾輩は名無しである :2006/08/15(火) 00:31:00
Lovin' you is easy cause you're beautiful Makin' love with you is all I wanna do Lovin' you is more than just a dream come true And everything that I do is out of lovin' you La la la la la la la... do do do do do No one else can make me feel The colors that you bring Stay with me while we grow old And we will live each day in springtime Cause lovin' you has made my life so beautiful And every day my life is filled with lovin' you Lovin' you I see your soul come shinin' through And every time that we oooooh I'm more in love with you La la la la la la la... do do do do do No one else can make me feel The colors that you bring Stay with me while we grow old And we will live each day in springtime Cause lovin' you is easy cuz your beautiful And every day my life is filled with lovin' you Lovin' you I see your soul come shinin' through And every time that we oooooh I'm more in love with you La la la la la la la... do do do do do (Lovin' You/Minnie Riperton) アン・ルイスのバージョン探してんだけど、どのアルバムに収録されてるのだろう。ハスミンなら知ってるかも。
182 :
吾輩は名無しである :2006/08/15(火) 00:33:13
>>178 「断言したものの勝ち!」って感じだったんですね。
そういうのって、映画にだけあったことではないんでしょうけど。
>>182 あの連中は、実際かなり喧嘩っ早かったらしいですw
(その5) 一方、蓮實は、まさにこうしたやり方すべてに「逆行」する。 「ハワード・ホークス、または映画という名の装置」の書き出しはこうである。 「ハワード・ホークス的「作品」とは、透明なあまり視界に影すら落とそうとはしない 不可視の装置である。どこまでも澄みわたって視界をさえぎることもなく、また尋常な 瞳にはとうてい捉えきれないほどに巨大な空間を占有する精密な玩具である」 一見して「ぬらりひょん」的な文章である。カイエの同人達のハングリー精神は 微塵もない。だが、蓮實が、世に出た当時から現在に至るまで誤解を受けてきた理由は、 これらの言葉の連なりの中に、何か特殊で、余人には図りがたい「意味」があるのでは ないかと(あるいはそう見せかけて人を煙に巻いているのではないかと)、あらぬ 勘繰りをされてきたからだ。事実はまるで逆である。「透明」は単に透明なのであり、 「不可視」は単に不可視なのだ。それらの言葉は背後に何も隠してはいない。それらは 「美的な」言葉でも、「詩的な」言葉でも、「哲学的な」言葉でもなく、単なる「言葉」 なのだ。その意味で、これらの言葉は、「一枚のレインコートはレインコートに、一丁 の拳銃は拳銃にそっくりのイメージをかたちづくっている」ホークスの映画そのものに 限りなく接近することになる。
(その6) 「(…)ホークス的な挑発性は、(…)日常的な言語の制度化した安定を擾乱すること で詩的言語とやらの復権を目論んだりはしない。日常言語と詩的言語といったすでに それ自体が古典的な対立を越えて、詩的言語の挑発性と呼ばれる概念そのものを挑発し、 その無廃を宣言するのだ。つまりそれは、詩人の存在そのものを撃つ透明な挑発性なの である」 これは、別の場所で、批評家たるものは「嫉妬のあまり映画そのものを模倣するまで に至らねばならない」と述べている蓮實にふさわしく、まさに蓮實の批評のマニフェスト にもなっている。ではなぜ、ホークスの映画は一見誰にでもわかりやすく、一方、蓮實 の文章は「難解」なのか?それを明らかにするために、再びカイエの同人達の言葉に 戻ってみよう。 「敢えて言ってしまえば、運命、神々しいもの、悪魔的なるものといった、あらゆる 偉大な作品の品質保証として通用している観念こそ、クロード・シャブロル、ジャン・ ドマルキ、フランソワ・トリュフォーが、ヒッチコックにおいてもそれが認められる ことを異口同音に説き、はっきりと示してみせようとするものなのである」 (エリック・ロメール「誰のせいなのか?」) 「知的で厳密な映画作家でありながらも得体の知れぬ力や魅惑の力の塊であるホークス の中には、秩序立った錯乱に惹かれるゲルマン的天才が潜んでいる」 (ジャック・リベット「ハワード・ホークスの天才」)
(その7) 翻訳文特有の混乱を別にすれば、これらの文章はわかりやすい、というか、とりあえず 何か分かったような気にはさせるのである。なぜなら、ここで使われている、「運命」 「神々しい」「悪魔的」「知的で厳密」「得体の知れぬ力」「魅惑の力」「秩序だった 錯乱」「ゲルマン的天才」といった言葉たちは、とりあえず何らかの特殊な深みというか、 特殊な「価値」を有するイメージを、漠然とではあれ、直ちに読む者に喚起するからだ。 それらは、フォークナーやドストエフスキーやコルネイユといった固有名詞が喚起する イメージと同様に、カイエの同人達が武器にしているものである。しかし蓮實もホークス も、自らの作品から、こうしたできあいの「深み」を徹底的に排除するのだ。そこから ホークスの古典的で透明な画面の連鎖と、蓮實の迂回に迂回を重ねる文体が生まれるの である。 (まだ続きます)
平野っていいよなぁ
(その7)書き直し 翻訳文特有の混乱を別にすれば、これらの文章はわかりやすい、というか、ある程度 何か分かったような気にはさせるのである。なぜなら、ここで使われている、「運命」 「神々しい」「悪魔的」「知的で厳密」「得体の知れぬ力」「魅惑の力」「秩序だった 錯乱」「ゲルマン的天才」といった言葉たちは、とりあえず何らかの特殊な深みというか、 特殊な「価値」を有するイメージを、漠然とではあれ、直ちに読む者に喚起するからだ。 それらは、フォークナーやドストエフスキーやコルネイユといった固有名詞が喚起する イメージと同様に、カイエの同人達がよりどころにしているものである。「明白さとは、 ホークスの天才の目印である」という文章を目にしたとき、われわれは、それに同意する か否かはさておき、「明白さ」「天才」といった言葉が漠然と抱かせるイメージを 共有しつつ、それらのイメージがさらに垂直に深まって行き、今は隠されている特殊で 複雑な地点で焦点を結ぶことを期待する。つまり、「じゃあホークスはどういう意味で 天才なの?」「明白さってどういうこと?」という「問い」が生まれるのだ。この、 次第に奥まって行く垂直の運動をたやすく追うことができれば、その文章はやさしいと いうことになり、逆に困難を伴えば難解であることになる。 ところが蓮實とホークスは、自らの作品から、こうした「深み」を徹底的に排除する のだ。できあいの、共有された深みも、特殊で深遠な深みも、共に排除されるのである。 そこからホークスの古典的で透明な画面の連鎖と、蓮實の迂回に迂回を重ねる文体が 生まれる。それらはやさしくもなければ難解でもない。 予告通りスレッドストッパーになってしまいましたが、 まだ続きます。 俺ももういい加減終わらせたいのですがw
(その8) ではそこで一体何が起こっているのか?一言で言えば、映画においても、批評に おいても、「運動」が生じるのだ。各々の画面や言葉はもはや、背後に読み取られるべき 思想も感情も隠してはいない。それらは垂直に奥まって行く神秘的な存在であることを やめ、ただお互いどうしの水平の関係を生きるのだ。その関係は、抽象性や一般性に 還元されることのない、ひたすら具体的なものである。この具体性こそが運動なのだ。 そして重要なのは、これらの運動は、ホークスのそれであれ、蓮實のそれであれ、 「誰にでも見える」ということである。それらを追うのに、知識も想像力も体験も必要と されないのだ。逆にいえば、蓮實の文章を読んだり、ホークスの映画を見るときには、 知識も想像力も体験も、まるで役に立ちはしないということである。ごく乱暴に 言い切ってしまえば、蓮實の文章を追うのはそう難しいことではない。幼児がお話の 続きをせがむように、ひたすら「それから?それから?」と言葉の連なりをたどってさえ いれば、行き着くべき場所に到達するような仕組みになっているのだ。ただし、 間違っても、途中で立ち止まって、「これはどういう意味?」などと尋ねてはならない。 レインコートがレインコートでしかなく、拳銃が拳銃でしかないように、言葉は言葉で しかないのだから。 ところが、蓮實の批評の言葉の連なりと、ホークスの映画の画面の連続は、ある地点で 袂を分かつことになる。言葉はある時、光に眩惑され、立ち止まってしまうのだ。
>俺ももういい加減終わらせたいのですがw 俺はもっと読みたいよ。 遠慮なくやって欲しいです。 「それから?それから?」
>>190 ありがとうです。
俺も疲れてきたので、何とか今晩中にけりをつけたいと思っておりますが、
どうぞお付き合いください。
では続きは引用から。
(その9)
「みずからの「生」を決して見ることがないように、誰もホークス的「作品」を見たりは
しない。「死」とは秩序の崩壊ではなく、凝固することで変容を逸した均衡にほかなる
まい。ホークス的循環装置は、その無限の交換によって均衡の成就をたえず一瞬さきに
伸ばすことで宙に吊られる、来たるべき透明な「作品」なのである」
(「ハワード・ホークス、または映画という名の装置」)
「つまり「批評」とは、不可視を可視の世界に引きずり出したり、未知を既知によって
解明したりすることではなく、みずから白痴の表情をまとって「制度」の一劃にかたち
づくられる時ならぬ事件を生きざるをえないものの、絶対的な畸形性を前にした不条理な
苛立ち、欠語をむなしく宙に放出するしかない無力感、そしてその苛立ちと無力感とを
外気にさらすことでみずからの崩壊を受け入れながら、積極的に他者の生成に加担して
しまう自分自身への深い驚きだ、ということである」
(『表層批評宣言』)
(その10) 注目すべきは、常に「過剰なるもの」との遭遇を説く蓮實の言説に、いかに「欠如」を 示す語彙が豊富に用いられているかということである。「宙に吊られる」「来たるべき」 「透明」「苛立ち」「欠語」「無力感」…。カイエの同人達が「ホークスは偉大である」 と宣言する同じときに、蓮實は「ホークスは不在である」と述べるのだ。 ここには二重の操作がある。第一に、言葉を可能な限り貧困なものとすること。あるいは 言葉そのものの貧困さを露呈させること。次にその貧困化された言葉に「敗北宣言」を させることである。ある意味でこれは「出来レース」以外の何ものでもない。時には敬虔な 宗教劇を、時には陰惨な復讐劇を思い起こさせる、この「弱者の言葉」によるドラマに、 蓮實の魔術の一切がある。 つまり、蓮實がある時期、あれほどの追随者や模倣者を生み出したのは、彼が特権者に よる特権的な言葉を語っていたからではないのだ。事態はまるで逆である。むしろ特権者に よる特権的な言葉は、たとえばゴダールのそれやジョナス・メカスのそれ、あるいは ブレッソンのそれのように、徹底的に孤立すべく運命付けられるだろう。一方蓮實が 語るのは、アルカイズムや蛮勇を最後のひとかけらにいたるまで抜き取られ、去勢された、 つるんとした言葉である。学者の言葉であり、平等主義の言葉であり、民主主義の言葉で あり、ニーチェのいう「終わりの人」ならぬ「終わりの言葉」なのだ。そして蓮實は われわれの耳元でこうささやく。「これこそわれわれの言葉だ。君らの言葉だ。いや、誰の ものでもない「匿名」の言葉だ」と。そして「作品」は、それらの言葉が潰えた極限に 初めて現れるのだと。
(その11)
私は何も蓮實が詐欺師であると主張したいわけではない。逆に言いたいのは、蓮實は
たゆまぬ努力の人だということであり、他人にも常に努力を要求しているのだということ
である。今ネットでちょっと面白いテキストを見つけたので、少し長くなるが紹介する。
蓮實が映画の学校で講義をした時の採録らしい。
タイトルは「映画は個性的でない人によってつくられる」というものである。
「もう一つの問題もあります。それは、ここのような映画の学校で何を教えるべきなのか。
何をというのは講義の内容ではなく、何になれと教えているのか、ということです。
ここにはさまざまな科の生徒さんがおられるということですが、わたくしの大原則は、
間違っても個性的であろうとするなということです。自分は個性的だと思っている人が、
世界の、人類の、99.9パーセントであるとするなら、間違ってもそんな連中を真似しては
いけない。ですから、断固、個性的たろうすることをやめなければいけない。なぜなら、
映画は個性的ではない人によってつくられた、という大原則が存在しているからです。
「映画の父」といわれるデヴィット・ウォーク・グリフィスは決して個性的な天才では
ない。ごく普通の監督でありながら、それ以前には存在していなかった「映画作家」
として自己を開花させた、ということです。個性的な才能という点をとってみれば、
シュトロハイム、等々、他にもっともっとたくさんいるでしょう。だが、なぜグリフィス
が「映画の父」といわれているかというと、彼が普通の映画作家だったからなのです。
普通の映画作家であったということは何を意味しているかというと、与えられた条件の
中で自分自身の表現をどこまで高めていくかという、いわば、最良のための努力をたえず
していた監督であるわけです。ゴダールのような人でさえ、最良のための努力をたえず
行っている。「相対的によりよい表現がある」ということ、これは幻想かもしれません。
だが、それを信じなくては映画は成立しません。(2006年4月1日)
http://www.eigabigakkou.com/speak/index.html
今日はここまで。 明日こそは終わらせますw
【TBS毎日新聞の在日朝鮮人化を危惧する】(最近特に朝日よりも反日的) ◆中韓の靖国参拝に関する声明を神の啓示のごとく報道し、他国の内政干渉を認めてしまう毎日新聞グループを日本人として憂慮する。 ◆自民党、加藤元幹事長をTBS毎日は英雄化。 それは加藤の主張を徹底的に美化し、加藤を報道番組に長時間露出させることによって世論誘導。TBSはメディアを私物化するな。 そのTBSの異様な執着振りは、ロシアの警備艇に日本人船員が射殺されても加藤氏の実家炎上をトップニュースにすることにも現れているではないか。まるで赤坂のTBSが焼き討ちされたかのような報道である。 ◆筑紫哲也がキャスターを務める「ニュース23」では韓国美化報道の中で、テロである拉致が軽視されるのはなぜか? それを考えたときに毎日新聞の軽薄な反日姿勢が透けて見える。つまりTBS毎日新聞グループは中韓の内政干渉を利用しているにすぎない。とうてい公正な報道機関のすることではない。 ◆上述と連動するがTBS毎日が公正な報道機関ならばボクシングの亀田一家の試合であれ程まで歪んだ番組作りをするだろうか。 亀田親子が外国人の対戦相手を不道徳な手段で侮辱しても、TBSは亀田一家を家族愛の塊として美化している。その報道姿勢は明らかに意図的で、中韓を美化して我々視聴者を誘導する姿勢に通じるものがあり、不気味である。 それから世界戦でのジャッジに対する裏工作が疑われても仕方あるまい。 ◆TBS・毎日新聞グループの主張する日中韓の平和とは、 日本が中韓に歴史問題で譲歩し我々の血税から毎年多額の援助を今後も続けて中韓のご機嫌うかがいをとること以外の弱腰の内容でしかない。つまりTBSは赤坂(もともと在日が多数居住)の地において朝鮮人化しているのである。
196 :
吾輩は名無しである :2006/08/17(木) 17:33:54
平野っていいよなぁ
そういつまでも注意してもらえると思うなよ。
コピペすんなボケ。
コピペすんなボケ >195-196
はやばやと200。 (その12) ここには「教育者」蓮實重彦の真髄がある。この講義に先立つこと四半世紀前にも、 「顔と記憶と名前を失って充実した匿名性の中に埋没することは、自分を虚構の存在に なぞらえつつ主体の維持を錯覚することよりはるかに困難ないとなみなのだ」 (『映画 誘惑のエクリチュ―ル』)と述べている彼は、彼のいう「擬似冒険者」には 徹底して手厳しい。 「あらゆる「制度」に蔓延している怠惰な事実誤認、それは、「未知」なるものはいま、 ここにはなく、したがって見えてはいないと信ずることであり、そんな「貧しい」確信が、 「未来」だの「彼方」だの「深さ」だのを捏造してもっと奥、もっと遠くへと困難な距離を 踏破して進まんとするあまたの擬似冒険者を生み落とすのであり、そうした楽天的な 魂たちは、自分に最もふさわしい仕草を、「未知」なるものを「既知」なるものへと 移行させんとする「発見」の旅だと信じて疑わない。だが、存在が真に有効な視線を 欠いているのは、まさしく、いま、この瞬間に、ここにあるものをめぐってなのであり、 そのとき瞳を無効にされた存在は、『彼方』を見やって視力の回復をはかるのではなく、 むしろ自分自身の瞳を積極的に放棄して、『既知』と思われた領域の一劃に不意に不可解な 陥没点を現出せしめ、そこで、いま、この瞬間に、ここにあるものと接しあいながら、 もはや自分自身には属さない非人称的な瞳を獲得して、世界を新たな相貌のもとに 把えることになるだろう」(『表層批評宣言』)
(その13) 長々と引用した二つのテキストは、それぞれ相互依存する二つの軸に対応している。 一つは「匿名性」=「主体性」の軸であり、もう一つは「いま、ここ」=「彼方または奥」 の軸である。ここで注意すべきなのは、今しがた等号で結び付けられた2項の間の道筋は、 「制度」の内部において「連続」しているという点なのだ。人は瞳の焦点を、地平線の 彼方から自分の足元にゆっくりと移動させることができるし、日常の中で仮構された 「主体」もまた、例えばある映画のある場面に接した瞬間などに、つかの間であれ、 「匿名性の中に埋没する」機会を有するのだ。蓮實はこうした姿勢を「困難ないとなみ」 だとは言うが、「不可能」だとは決して言わない。蓮實はただこう言うのである。 「努力せよ」と。
(その14) つまり、「教育者」蓮實が、その著作の中で、繰り返し提示しているのは、「絶対」に 到るための「相対的な」道のりなのだ。権利上、その道は「誰でも」巡ることができる のである。迂回に迂回を重ねてのたうつ文体は、その漸進的な軌跡に他ならない。しかし その向かう先はといえば、畏敬の対象とする他には料理の仕様もない、まったき闇や まったき光なのだ。道はそこにたどり着くゼロ秒前で断ち切られる。「絶対」は、一瞬、 「不在の輝き」を放ったかと思うと、その絶対/相対の陰鬱なシステムが作り上げる 「事象の地平線」の彼方に没し去ってしまうのだ。蓮實の著作は、「その先」については 何も答えてくれない。 そこから何が生まれたか?模倣者の際限のない饒舌と、もう少しおひとよしで生真面目な 連中を襲った失語症である。しかし、これはいささかアキレスと亀のパラドックスに似た 事態なのではないか?あるいは、『女と男のいる舗道』の中で、ブリス・パランがアンナ・ カリーナに語った『三銃士』のエピソードを思い出しても良いのかも知れない。そこでは、 ある男が、「なぜ右の足と左の足が交互に前に出るのか」という問題で悩みだし、その結果 一歩も歩けなくなって命を落とすのである。彼はものを考えることによって死に至らしめ られたのか?いやむしろ、彼は「制度=物語」に殺されたのだといってよいだろう。
(その15) 蓮實はことあるごとに、自らの著作もふくめ、全てが「物語」なのだと、全てが「制度」 なのだと説く。しかしこれは両刃の剣なのだ。いつしか蓮實の「物語」は、「世界」という 名の唯一の「物語」であるかのような相貌を呈しはじめたからだ。おそらく、この「栄光と 退廃」は、「リュミエール」の発刊あたりで始まったのではないかと思われる。もう詳しく 述べる気力がないが、『映画に目が眩んで』に始まるジャーナリスティックな批評における、 蓮實の「転向」ぶりは驚くほどのもので、例えば「ゴダールの『パッション』は、世界で 初めての絵画を翻案した野心的で美しいフィルムである」といったタイトルなどは、一見 蓮實が「カイエ・デュ・シネマ」の同人たちのスタイルを模倣したかのようである。しかし、 ここで行われているのは異なる価値観の間の「闘争」ではなく、均質な環境のもとでの 「啓蒙」に過ぎぬのだ。 では、「われこそ世界である。絶対に向けて、相対的に努力せよ」と抑圧にかかる強大な 「物語」に対して、いかに振舞うのか。 私の回答は簡単である。「唯一の真理」がないのと同様、「唯一の物語」というものも 存在しないのだ。物語は複数存在する。 例えばそれは、徹底して断片に止まろうとするゴダールの物語でも、一切の自己反省を 排して縷縷と語りつづけられるドゥルーズの物語でも何でも良い。人は、とにかく何かを 「具体的に肯定する」必要があるのだ。それがたとえ愚行であれ。「絶対」を前にした 硬直症には、「ある物語」が、「ある思考」が有効である。それは「正しい」物語である 必要も、「唯一の」思考である必要もない。そのときに勇気を与えてくれるのが、「カイエ」 の同人達や、ニューヨークの実験映画作家らが持っていたアナーキズムなのだ。例えば、 ジョナス・メカスは、ジョン・フォードの作品をこのように褒め称える。 「彼の最新作<ドノバン珊瑚礁>を見てくれ。二千年たって、ナイルの砂漠の中から、こんな 映画が掘り出されることを想像してみてくれ!」(『メカスの映画日記』)
(その16) 泣いたね。俺は。これを初めて読んだとき。蓮實に徹底的に欠けているのは、この無垢 なのだ。しかし私は、最後にメカスを引き合いに出して蓮實を貶そうというのではない。 蓮實の批評は決して過去のものではない。その一見遊戯的な文体にぶら下がっている陰鬱さは、 映画や世界と向き合うある時期には是非とも必要なのだ。ひとは一度は「世界」を背負って 苦しまねばならぬ。しかし、それは到達点ではなく出発点なのだ。ニーチェのいう 「三段の変化」でいえば、蓮實の批評はちょうど「らくだ」の時代にあたるのではないかと 思われる。ひとはある日、蓮實の『映像の詩学』なり『表層批評宣言』なりを叩きつけ、 「知るか馬鹿野郎!」と吼えて「獅子」となるのである。しかし、人生は一方向に進むのでは なく、何度か「回帰」するものなのだ。「獅子」から「赤子」へ、そして再び「らくだ」へと 螺旋を描くように戻ってくるのである。そして、そのときに再会する蓮實の書物は、以前の それとはかなり違う顔をしているはずなのだ。その意味でも、カイエの同人達と蓮實の評論は、 互いに循環しつつ、そのたびごとに別の表情をあらわにするのである。 終わりです。 長々と独り相撲してしまいました。 付き合って読んでくださった方、ありがとう。 お盆も終わりだな。。。
... おーいw
206 :
吾輩は名無しである :2006/08/19(土) 01:10:25
長すぎ! 200字くらいに要約してけろ!w
省略されました まで読んだ
208 :
吾輩は名無しである :2006/08/19(土) 01:52:03
>>204 「そういえば小林康夫はいまでも蓮實家詣でをやっているのか…」
の部分まで読んだお(・∀・)
209 :
吾輩は名無しである :2006/08/19(土) 02:00:58
>>204 石田敬英は毎年お歳暮の時期がくると松浦寿輝に対抗して・・・・・まで読んだお!(^∀^)
対象を語る言葉それ自体の中で自分を語るタイプだよな、ムーは。 俺はそういうの好きだよ。
国語のセンセとしては、時系列を整理するか、 一番言いたいことに焦点を絞ってテーマをハッキリさせた方がいい。 全貌を語るには短すぎて、 これから展開すべきある印象、ある視点のイントロにとどまってる。 とはいえ、乙です、ムーさん。
212 :
吾輩は名無しである :2006/08/19(土) 09:31:38
プリントアウトして読む必要があるな。 ムーさんに敬意を表してそれくらいやらんいかんな。
>>206 わかりました。
「ハスミは真面目だけどずるい。それ読んで信じる奴は利口だけど馬鹿だ」
33字ですがw
>>207-9 乙です♪
>対象を語る言葉それ自体の中で自分を語るタイプだよな、ムーは。
要するに恥じらいを知らない=おっさん臭いんですなw
年々そういう傾向が強まってきて困ってますw
>国語のセンセとしては、時系列を整理するか、
>一番言いたいことに焦点を絞ってテーマをハッキリさせた方がいい。
行き当たりばったりに、考え考え書いたらあんなふうになってしまいました。
というか、あんなに長くなろうとは自分でも想像してなかったw
すでに自分の中ではっきりとした答えが出ている問題なら
もっとコンパクトにおさまったでしょうが、
私はどちらかというと、未だ自分の中でもやもやしている何かが
書いているうちにだんだん分かってくるというやりかたが好きだったりします。
読む人には大迷惑ですがw
>全貌を語るには短すぎて、
>これから展開すべきある印象、ある視点のイントロにとどまってる。
どうしろとww
>>212 ウソでもありがとうございます。
>>205 遅くなってすみません、お疲れさまです。
俺ごときが誉めたところでしようが無いけど、
読ませますねえ、立派です。
>>212 氏に同意。
>蓮實に徹底的に欠けているのは、この無垢なのだ。
興味が湧いていくらか読み始めていた矢先に、
興味の核心をズバリ書かれて驚きました。ますます読んでみます。
なんかこの書込み小学生の感想文みたいで自分で笑った。
書き直さなくていいや。w
>>214 どうもありがとうございます。
しかしほめ殺しっぽいなあw
>ますます読んでみます。
ぜひぜひ。
今回はかなり批判的な立場を取りましたが、
やっぱり『映像の詩学』をはじめとする70年代後期の蓮實の仕事はすごいです。
80年代に入ってからも、ジャーナリスティックな評論以外では
ぽつぽついい仕事をしてると思います。
『ハリウッド映画史講義』とか、インタビューものとか。
216 :
吾輩は名無しである :2006/09/22(金) 01:28:07
誰かいませんか
217 :
吾輩は名無しである :2006/11/12(日) 07:57:29
age
218 :
吾輩は名無しである :2006/11/20(月) 09:40:48
なにこのさびれっぷり・・・
表層批評宣言なくなっちゃったんだよ。 せっかく古本屋でゲットしたのに。
221 :
吾輩は名無しである :2006/11/25(土) 12:17:04
マジで??
222 :
吾輩は名無しである :2006/11/25(土) 13:27:11
ムーはゴミだろ
表層批評宣言あったわ。
どうせ読まないんだろ
★PR★青 土 社 の 新 刊★
http://www.seidosha.co.jp/ 『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』
蓮實重彦:著 46判上製376頁 定価2,520円 ISBN4-7917-6308-4
不可能性を超えて、事件を炸裂させる〈力〉。バルト、ドゥルーズ、デリダ、
フーコー、そしてフローベール。「批評」は他者の言説の中でまどろむ記号に
触れ、それを目覚めさせることから始まる。読むことで潜在的なものは顕在化
し、その覚醒によって他者の言説は誰のものでもない言説へと変容する。待望
の「批評」論集。
うん、これは買い、だな。 表層批評宣言は一度読めばそれで十分だ。
アマゾンから届いた。 冒頭のバルトの追悼をちょっと読んでワクワクしてきた。 かっこいい。 「映画」でもない「文芸」でもないこういう路線の蓮實さんの本は本当に久しぶりだ。 カヴァーのデザインもなかなか。 思わずこすってしまったよ。 夜になったらゆっくり読む。
久しぶりに本格的な論集が出たという感じなのかな。 欲しいけど高いな。まあ買うだろうけど。
トが落ちた。 「「赤」の誘惑――「フィクション」をめぐる進行中の作業のためのノート」 ね。
『ブヴァールとペキュシェ』論もあるのか
「表象の奈落」、まだ少ししか読んでないのに誤字・誤植が4ヶ所あった。 全部読んだらもっとあるだろう。いくらエラそうなこと書いてても、 これじゃぁね・・・(苦笑
233 :
吾輩は名無しである :2006/11/29(水) 11:43:24
>>232 編集者の責任もあるだろうけど、
蓮實が弱ってきていることの兆候の一つだろうね。
本造りにおいて誤字・誤植を排すのは、
相当基本的なことだからな。
弱るも何も70歳なんだから当然だろう。 書き下ろしが無く、再掲載基本だから、 おそらく入稿は掲載されたテクストを下地に必要に応じて若干訂正を入れたものだろう。 一度掲載されたものだからおそらく改めて著者校正をする必要は無いと思われる。 だから誤字の責任は編集者にある。 誤植をするのは、組版を請負う編集プロダクションもしくは印刷会社。 それをチェックするのも編集者。 こちらは全く著者が関知するところではないだろう。 どの出版社でも編集者の質が落ちているのは否めない。 いろいろ理由はあるにせよ。 せっかく見つけたなら青土社に指摘して薄謝でも貰え。 ついでにカヴァーのキズや汚れも指摘したらきれいなものに交換してもらえるかもしれんぞ。
まあ誤植は普通出版社の責任だわな
印刷屋はなんもしないし、丸投げなら編集者のせいでもない。
ていうかどんな間違いなんだ? 例をだしてくれ、いくつか。
238 :
吾輩は名無しである :2006/11/30(木) 13:08:41
「反日本語論」読んだけどこの人きれいな文章だね。 独自の思想は何もないような気がするけど。 批評家というポジションよりもっと実力発揮できるポジション あるんじゃないのかな?
どんなポジションや。 それに『反=日本語論』は、もう三十年以上前の旧作だってことお忘れなく。
ゾクの総長とか...?
文部科学大臣をやって欲しい。伊吹はもういいよ。
ていうか蓮実が「きれいな文章だね」と言われる時代が来るとは・・・ 30年以上前の作品についてだけどw
243 :
吾輩は名無しである :2006/11/30(木) 16:58:17
三島を馬鹿にしておきながら、あんなショボイ書く蓮実さん。w
ショボイ書くw
三島なんかに騙される奴はいまどきいないだろ・・・
246 :
吾輩は名無しである :2006/11/30(木) 17:20:45
おまえらも蓮実チルドレンか。
重臣じゃないよ
蓮実って書く奴は何を書いても信用しないことにしてる。 ハスミンの方がまだわかる。
249 :
吾輩は名無しである :2006/11/30(木) 19:07:09
どうりでおまえら、馬鹿なわけだ。あはは。
ショボイ書くに言われたかねーけどなw
251 :
吾輩は名無しである :2006/11/30(木) 19:33:37
蓮實重彦を始め斜に見てたけど、 小津安二郎についての厚田雄春さんへのインタビューを読んでものすごく驚いたよ。 あのレベルのインタビューが出来る人、日本には他にいない。
ヴィデオ以前の話だもんな。
253 :
吾輩は名無しである :2006/11/30(木) 21:13:15
西の柄谷、東のハスミン、ってか。
さて、誤字・誤植野郎はいくつ間違いを見つけたのか? いくらエラそうなこと書いてても、 具体的な指摘がないんじゃぁね・・・(苦笑
人から「こたえ」を教えてもらわないと、分からないのかねぇ? おれも1個見つけたけど。分からないやつは、ハスと同じくらいボケてるってことかな・・・(苦笑
じっさい反=日本語論は蓮実重彦の本のなかでは読み心地の良いものだし あまり彼の本を読まないような人にも受けが良かったらしい。 ただ彼はこういう文章はあまり書きたくないみたいな事をあとがきで言ってるけど。
257 :
吾輩は名無しである :2006/11/30(木) 22:24:33
蓮實重彦って嫌われてるけど(俺も好きじゃない)、 それでも小津のインタビューのことにしても、抜きん出てる部分はものすごいな。
>>255 あれ? 「まだ少ししか読んでないのに誤字・誤植が4ヶ所あった」って言ったの君だよねぇ?
いきなり他人のフリして擁護してるけど。
じゃなきゃ何で赤の他人が「誤字・誤植野郎」を擁護するワケ?
いくらエラそうなこと書いてても、
具体的な指摘がないんじゃぁね・・・(苦笑
いまだに校正の責任の所在が蓮實本人と思い込んでいるのは、
飲み込みが悪いって言うより頭が完全にボケてるってことかな・・・(苦笑
おまえが234なら随分粘着だな。 どうでもいいんだよ、そんなクソ細かいこと。 バカかw
おやおや。 「どうでもいいんだよ、そんなクソ細かいこと。」って、言い出したのはお前なんだけど。 いくらエラそうなこと書いてても、これじゃぁね・・・(苦笑
259ではじめて書いたわけだが、 誰が誰だかわからんくせによくそんなこと書けるな、オイw キチガイ粘着は死んだらいい
おやおや。 「どうでもいい」はずの「通りすがり」の「赤の他人」がそんなにエキサイトしてどうするんですか? 「誤字・誤植野郎」と利害関係があるってことかな・・・(苦笑
まあ誤植ぐらいでいきがってるのが馬鹿だな
分かったから、具体的に指摘せーよ。 重版で直すように伝えるからよ。
>>262 ちょっと見ない文面だと「エキサイト」ととらえるお前の脳内はおめでたい。
何が苦笑だ、ハゲ。
死ねw
おやおや。
267 :
吾輩は名無しである :2006/12/01(金) 02:12:48
喧嘩するようなことか?
268 :
吾輩は名無しである :2006/12/01(金) 03:38:58
うっせーハゲ。最後の一本抜いてやるから泣き叫べよ。
269 :
吾輩は名無しである :2006/12/01(金) 06:56:27
2chぽい応酬が続いております。 でもこれなくなったら一気に過疎るのも2chか。。
おやおや(W
271 :
吾輩は名無しである :2006/12/01(金) 09:19:38
おまえらほんとにアホですね。
おまえもな(苦笑
結局誤字・誤植バカってのは逃げたまま? 何だったんだ? あのゴミクズは?
おやおや。
誤字・誤植バカは壮大な釣り。
「釣り」という2ちゃんのステレオタイプに寄りかかって、 曖昧にごまかして終わるってのは卑小な失敗以外の何ものでもない。
277 :
吾輩は名無しである :2006/12/02(土) 13:23:51
「月に憑かれたピエロ」を知らなかった教養人、ハスミ先生に燃え。
書かれている内容の些末さと対照的な、誤字・誤植の多い、いいかげんな 造本が不愉快なのだ。
うるさいよ
具体的に指摘してくれないとただの悪口でしかないね。
>278 意味の通らないレスをする暇があるならさっさと「誤字・誤植」を提示しろよ、タコ。 最低4つな。
282 :
吾輩は名無しである :2006/12/02(土) 16:48:50
権威を笠にきている。 批判を許さない。 円滑な人間関係を築こうとしない。 敵か味方かで人間関係を判断する。 ・・・蓮見重彦の文章からそんな人間像を抱いてしまう。
283 :
吾輩は名無しである :2006/12/02(土) 16:52:53
円滑な人間関係なんて見たくねえよ。お前そんなの見たいのか?
>282 お前の妄想なんてどうでもいいわ。
もうすぐ届くはずだから、もうちょっと待ってて。
おやおや(W
287 :
吾輩は名無しである :2006/12/04(月) 01:27:23
>232 :吾輩は名無しである :2006/11/29(水) 08:51:37 >「表象の奈落」、まだ少ししか読んでないのに誤字・誤植が4ヶ所あった。 >全部読んだらもっとあるだろう。いくらエラそうなこと書いてても、 >これじゃぁね・・・(苦笑 結局こいつ逃げたね。 いくらエラそうなこと書いてても、これじゃぁね・・・(苦笑
誤字・誤植がひどいのはむしろ、『批評、あるいは仮死の祭典』でしょう。 俺が買ったのは10年くらい前だったけど、あれは読み進めながら 「校正、えらくたるんでるな」と思ってたよ。 せりか書房って他の本のつくりも雑なのかなあ。
そこでカッパのマークの
どのみち蓮實は著者校正が甘いってことね。 一般論としては、いくら出版社任せで本出しても、放任したこと自体が著者の責任。
>>291 本当に飲み込みの悪い馬鹿だな、お前って奴は。
だから何で雑誌の再掲載分に著者校が必要なんだよ?
お前は具体的に最低4つ「誤字・誤植」を挙げりゃいいんだよ、このボケ!
おやおや(W
もうちょっと待っててね。たぶん今日あたり着くんじゃないかな。昨日、配送済みメールきたから。
いやっほーい!。たった今、届いたよ。急いで読むからちょっと待っててね。
あと2時間以内に頼むな
ふー。2時間以内は読めなかったよー。でも、面白かった。 とりわけ注目すべきは、やはりなんといっても「赤の誘惑」だろう。 この講演が2005年に執り行われたらしいという記述にもその重要度は伺える。 すでに死したものを語るときでさえ、蓮實重彦という語り手においては「倦怠する記号」 の舞台的演出を取りやめようとはしないのだ。 「赤の誘惑」において語られるさまざまな「フィクション」による軋轢。 真っ赤な火を点す女に対する誘惑。その女が議論する男たちを赤によって煽動する。 もちろんこの件を読んで、そのフィクション論が、現代日本文学でも今まさに、 実践されているということを想起せずにはいられない。 阿部和重『ミステリアスセッティング』こそ、この2006年の日本という地において もっとも最前線で「赤の誘惑」を喚起する書物に違いない。
バカじゃねーの?(*´・д・)(・д・`*)自分の言葉に酔いまくってるな
298 :
ぼそっ :2006/12/04(月) 20:58:31
自分の言葉に一度も酔ったことのない奴に、文学を語る資格はない。
>>296 とりあえずお疲れ
他の論文の感想も頼む。
本日ようやく『表象の奈落』を購入。 反則だが、あとがきだけさらっと読んだ。 が、いきなり誤植・誤字かと思われる箇所にぶつかる。 以下の引用文は誤植?それとも俺の誤読? >ただ、「好奇心」あふれた「厚顔無恥」--つつしみの徹底した不在--がしばしば「表象」の「不可能性」とやらに触れずにいられぬことぐらい、誰もが漠然とながら気づいているだろう。
そこは別に普通に読めると思うけどな。 逆に誤植だとすればどこ?
>>301 《「好奇心」あふれる「厚顔無恥」--つつしみの徹底した不在--》が《しばしば「表象」の「不可能性」とやらに》触れえる、と読めるのだけど、本書では、「厚顔無恥」は肯定されるのかな?
それとも罵倒語?
本文をまだ読んでないので、これまでの蓮實のイメージから、「厚顔無恥」、がまさしく貧しい存在を罵倒してるかの印象を持ったのだが。
もし肯定しているのなら、まったく問題ないのだが。
303 :
302 :2006/12/05(火) 01:48:06
それとも《「表象」の「不可能性」》といった問題系が欺瞞なのかな? 頭こんがらがってきた。 だれか啓蒙よろしく。
『「厚顔無恥」--つつしみの徹底した不在--』ってのは、 自信の無い粗探しをマルチポストをしてまでやるアホを指しているので、 特に間違いは無いんじゃないかな。
「表象」の「不可能性」について前半に書かれた部分がないと いまいち意味は通らんが、誤植でもなんでもないわな。
馬鹿が利口ぶるとロクなことがないという見本だな。 恥ずかしい。
307 :
302 :2006/12/05(火) 02:03:49
いま、あとがきを読み直して自己解決した。 失礼しました。 >いうまでもなく、「表象」には、できないこととできることがある。 だが、それができないことについて語ることは、どうやら、それとともにあることより遥かに魅力的なものらしい。 (中略)『表象の奈落--フィクションと思考の動体視力』は、そんな魅力に屈せずにおくというスタンスで書かれた書物である。 ところで、これって露骨に柄谷批判をしてるような。違う?
うるせーよ、馬鹿。
人に何か問いかけるなら、もうちょっと客観性のある書き方をしろ。 問題意識も、引用も中途半端で、おまえにしかわからん。 初歩的なことだ。
馬鹿はおとなしく最初から読め。
311 :
302 :2006/12/05(火) 02:14:31
失礼しました。 三回熟読してからまた来ます…orz
正直こんな奴にこの本が理解できるんだろうかと思った
313 :
吾輩は名無しである :2006/12/05(火) 08:00:10
あげ
あとがきであれば、<もはや「批評」ではない何やら不気味な ものかに向けて綴られた言葉ではない。>という文章がおかしい と気付かなければ、アタマ悪いよね。
>>314 文法的には何の問題もない文章なわけだが。
>>291 雑誌初出の再録であっても、著者校は必要。ちゃんとした本ならね。
まあ読んでもないくせに誤植がいっぱいあると言った奴が一番悪質だな
318 :
吾輩は名無しである :2006/12/05(火) 17:50:30
つまり、蓮実チルドレンは全員馬鹿ってことでおK?
おk
320 :
吾輩は名無しである :2006/12/05(火) 21:46:50
誤植よりも、書いてある内容を理解してくれ。
お前もな。
322 :
吾輩は名無しである :2006/12/06(水) 02:58:02
え 全然理解できない まじでこれがちゃんとした日本語?
323 :
吾輩は名無しである :2006/12/06(水) 02:59:34
理解はできるけど、もうちょい解りやすくかいてほしいでつ
絶対買ってもない奴が文句言ってたりするよな
毎回くだらないことでレスが増えるが内容はとてつもなく薄い
隗より始めよ
327 :
吾輩は名無しである :2006/12/06(水) 04:56:07
ごめんね
328 :
吾輩は名無しである :2006/12/06(水) 16:58:23
つまり、蓮実チルドレンは全員馬鹿ってことでおK?
おまえが馬鹿ってことでOK
330 :
吾輩は名無しである :2006/12/06(水) 17:27:42
全部馬鹿だね。
331 :
吾輩は名無しである :2006/12/06(水) 17:35:00
ハスミンは東大学長 元。
俺が入学した年に、蓮實先生が総長になられ、 俺が卒業した年に、蓮實先生は総長を降りられた。 非常に、縁を感じる。
333 :
吾輩は名無しである :2006/12/06(水) 17:55:48
クズどもが多かった4年間ってことでおK?
ざっと読んでみたが、分哲への突っ込みがほとんど難癖をつけているだけに思える。 米合衆国大統領と虚構内人物を対置する奴ばっかだね、て、そう言われても… まあ、この人の文章は大なり小なりこういう傾向があるわけだが。 来年まとめられるフィクション論を読まないとはっきりしたことは言えんな。
権威に弱い馬鹿 レトリックにコロっと騙される馬鹿 まともな日本語も知らない馬鹿・・・ 馬鹿の壁は、厚くて高いなぁ(^^)
馬鹿の壁とは、正確には
>>335 のようなやつのことを指します。
>分哲への突っ込みがほとんど難癖をつけているだけに思える。 蓮實先生はかつてウィトゲンシュタインについて何かおっしゃったことがあるのでしょうか? 柄谷さんの『探究』の書評を出したことがあるようですが(「戦闘の光景」とかいうやつ) これはどのような内容だったのでしょう。
そういうの人に聞かないで興味あるんなら自分で調べろよな。 どうしてすぐ他人をあてにすんだ・・・
339 :
334 :2006/12/06(水) 22:20:21
>>337 ウィトゲンシュタイン自体を論じたことがあるかどうか知らないけど、
やっぱり柄谷との対談本『闘争のエチカ』が、蓮実の分哲への態度を知るのには
最適なんじゃないですかね。
しかし、あの本は柄谷・蓮実の双方が相手に擦り寄ろうとしている面もあるから、
素直に受け取っていいかどうかはわかりません。
『表象の奈落』は前半の現代思想の人たちを論じた部分と
後半の分哲を扱った部分の温度差があってなぁ…
三浦俊彦なんかの名前が出てきて面白いことは面白いけど、今更ここからはじめなきゃ
ならんのか、ていうねぇ…
『赤の誘惑』本論への、一種の予告編とみるなら、あれで十分まとまっているでしょう。 とりあえず俺様の動体視力で、分析哲学の連中の書物の中に眠っている 「赤」の怪物を立ち上げたぞ、どんなものだと。 あのハスミンが何故、いま、フィクション論なの? そんな疑問を多くの人々にあたえながらも、来年二月の本編公開へ向けて、 期待はいやがうえにも高まるいっぽうなのです。チャンチャン♪
分析哲学とヴィトゲンシュタインの間には径庭があって、到底一緒にできんがね。
フィクション論というのは前世紀にやりのこした仕事なんでしょ。 わざわざ蓮実さんがやらずとも、弟子筋に適任がいそうですけどね。
蓮實はフィクション論を数年前から予告していたが、遅きに失した。 最近、ジュネットのフィクション論(『フィクションとディクション』)も サールのフィクション論(『表現と意味』)も、共に日本語に翻訳されたので、 もう一般読者にも誤魔化しやハッタリは効かないな。 三浦俊彦なんかじゃなくて、これらの一流どころのフィクション論と きっちり比較・検証してみるといいよ。蓮實がどの程度のものか。
344 :
吾輩は名無しである :2006/12/07(木) 08:21:55
チャンチャン♪ (苦笑
345 :
吾輩は名無しである :2006/12/07(木) 09:06:27
おまえらのレベルはその程度か。
一流どころのフィクション論ワロス 所詮蓮實の仮想読者のレベル設定なんか相当低いところにあるんだし、 その著作と海外の人間比べたって意味ねーし
田舎の中高生みたいな虚勢の張り合いはいい加減止めてほしい。 自分の「レベルの高さ」を誇示したいなら書き込みで証明しろ。
>>346 蓮實はそんなに日本の読者を馬鹿にしてはいないと思うよ。
読者を舐めてはいけない。
>>348 実際会ってみりゃわかるよ。
先生だから
> あのハスミンが何故、いま、フィクション論なの? > フィクション論というのは前世紀にやりのこした仕事なんでしょ。 > 蓮實はフィクション論を数年前から予告していたが、遅きに失した。 「遅刻の人」蓮實重彦について語ろうとする言説がここまで蔓延っているのは何故ですか!
ハスミに過去の人になってまらわないと困る連中はたしかに存在するよね
だれがなぜ困る?
フィクション論とやらは、蓮實が妙に使命感に燃えて書かれた本であるらしいから どんな出来になってるか見ものだな。 蓮實の著書のあとがきには大抵「こんなの書くつもりはなかった」「まとめるつもりはなかった」 「誰か他の奴が書いてくれれば、わざわざ俺がやるまでもなかったのに」 等々、読者にとっては知ったことでない繰言が書かれている。 スガ秀実も戸惑わせたそのモチベーションが、今ひとつわからないんだよな。
フィクション論についても、そんなこと言ってたけど? 分析哲学の連中やジュネットなんかがもっとちゃんとやってれば口出さなかったのにって。
>スガ秀実も戸惑わせたそのモチベーションが、今ひとつわからないんだよな。 お前にとって知ったことでないのでは?
俺にとって知ったことでない。
俺にとっては重要なことである。
そりゃケジメだよ、ケジメ。>モチベーション
フィクション論は、デリダなんかに批判された リシャールなんかのテマティスム批評の復権(精神分析抜きでの) ということかな? ラカン批判を読んでそう思った。
それだと今までの蓮実と変わらないことになるな。 まあ変わらないんだろ。
チクショウ! 邪魔してやろうと思っていたのに、もう完成してしまったのか
ドゥルーズの「シネマ2」を読み飛ばしていて思ったんですけど 映画を見るのはひどく面倒くさい。 もう動体視力を鍛えるのは諦めました。 さようなら。
365 :
吾輩は名無しである :2006/12/13(水) 02:28:18
誤植バカの指摘待ち上げ
動態視力が衰えると、誤植を見逃すわけかな。
指摘もできないのに誤植が4箇所もあると 「言うだけ」の恥知らずは書き込みを慎むべきだな。
動体視力は60歳を過ぎると急速に低下し、70歳では殆どゼロに近くなる。 高齢者ドライバーの事故が多いのはそのため。 つまり、老人は自分では誤植を見つけられない。必死で「誤植バカ」を 煽って「答え」を教えてもらおうとしている異常者は、自分で誤植を見つけ ることは出来ないのだ。
俺はどんなバカに対してもマジレスをするタイプなのだが、 読書をするのに動態視力など要らない。 繰り返し言うが、指摘もできないのに誤植が4箇所もあると 「言うだけ」の恥知らずは書き込みを厳に慎むべきだな。 蓮實非難の口実としててめえが言い出したことなんだから責任を持って指摘しろ。 最低4つ以上な。 さもなくば「読書の際の動態視力」みたいな下らない与太話 なんか読みたくないから、とっとと消えうせろ。
だから誤植云々が全部どうでもいいヨタ話だって気付け。 くっだらねー意地の張り合いしてるとぶっ飛ばすぞ
ネットの掲示板で「ぶっ飛ばす」ってのも 全く現実味のない「どうでもいいヨタ話」以外の何ものでもねえよな。 てめえが一番つまらねえ。 流れが気に入らねえならてめえのレスで変えやがれ、このボケナスめ。
そんなことより、映画を見ずとも動体視力(あるいは古井由吉的運動神経)が鍛えられる方法を教えてくれ
>>371 言い訳がましく書いてあることが二番煎じ
ぬるい
ぬるすぎる
「ぬるすぎる」って言うのは、ネットの掲示板で「ぶっ飛ばす」とか息巻いてる馬鹿のことじゃないの。 くやしけりゃ回線伝わって来いよ、このイモムシ。
「ぶっ飛ばす」がよっぽど気に言ったんだwwwww 一生懸命考えた決め台詞が「ボケナス」と「イモムシ」かよ。 センス皆無ばバカだな、お前。 死ねば?
>皆無ばバカだな! ま、いいや
>372 野球やれ。 ポジションはキャッチャー。
自演決定だな。 どうして馬鹿って追い詰められるとステレオタイプ的な行動に逃げるのか?
ホントこの板のヤツってバカなw
お前が言う資格は無い。
言うだけなら誰でもできんだろ、ゴミw
そう。 指摘もできないのに誤植が4箇所もあると「言うだけ」なら誰でもできる。 どんなバカにでもね。
誤植ネタはもういいよ。 それより『表象の奈落』の感想はないのか。 そういう俺もまだ全部読んでないが。 やっと第一章まで読んだ。 バルトやドゥルーズには肯定的だが、デリダには厳しいような。 デリダの《芸術への無関心》が「純粋不在だけが……霊感を与えることができる」と書かせるのだろうか…。
385 :
吾輩は名無しである :2006/12/16(土) 21:00:55
家の馬鹿息子、三十五歳無職。
サルトルか
エピステーメー連載時、 「…………………私……………は、もはや………………」 といった具合に延々と「………」で区切られた文章を読んで、 一体何なんだこの文体は、と思ったものだったが、 今回再録された文章には「…」が無いのを見て、 そうかあれは雑誌編集者の仕業だったのかと気付いたのだが、 あれから四半世紀経ち、「私……………は、もはや………………」 中年になっていたのだった……………
388 :
387 :2006/12/19(火) 18:24:00
………どうやら「私」がスレッドストッパーのようだ……… ………このスレッドは……………終了……………しました……………
読み込んでもねえ癖に感想の真似事はもういいよ。 それより『表象の奈落』の誤植ネタはないのか。
390 :
吾輩は名無しである :2007/01/23(火) 19:19:38
age
391 :
吾輩は名無しである :2007/02/11(日) 11:19:33
赤の誘惑まだ?
いよいよ赤の誘惑でます。31日。みんな買おうね★
393 :
吾輩は名無しである :2007/04/09(月) 00:29:37
394 :
吾輩は名無しである :2007/04/09(月) 01:45:52
蓮實は最後は総長だったぞ、平成9年から4年間。
395 :
吾輩は名無しである :2007/04/11(水) 02:49:07
>>732 内容に期待できるか?
4年も前の
しかもバリ大北京大東大共同シンポの時のもんだぞ。
396 :
吾輩は名無しである :2007/04/11(水) 02:50:10
どうせ誤植だらけの不良品だろ(苦笑
398 :
吾輩は名無しである :2007/04/12(木) 06:41:39
5
399 :
吾輩は名無しである :2007/06/20(水) 01:58:38
双子の自分探し(だったっけ?)のときみたいに 「赤」みつけたよー!ここにも、ほらここにも! みたいな感じの本なんだろうか?
フィクション論は期待していただけにガッカリだった。 直球勝負を期待したのに、 ものすごい変化球を投げられたような。。。 しかも一塁に牽制球でw
402 :
C ◆7sqafLs07s :2007/06/22(金) 01:34:12
蓮實の論理構造は常に意味不明なんだよな。 >自分のことについて嘘(うそ)をつかずに書くことは不可能。書いた途端に、フィクションが発生してしまう。 ならば >作品の背後にいる作者を介してしか、小説の解読の網の目ができなくなってしまっている。 別に問題ないじゃん。どうせその「背後にいる作者」自体がフィクションを通した虚像なんだから。
403 :
C ◆7sqafLs07s :2007/06/22(金) 01:42:17
作品の背後(かどうかはわからない)に いる(かもしれない)作者(かもしれない)を介して(いないかもしれない) しか、小説(じゃないかもしれない)の解読(かどうかわからない) の網の目(とは言えないかもしれない)ができなくなってしまっている(かもしれない) 充分スリリングだと思うが。
404 :
吾輩は名無しである :2007/06/22(金) 12:17:11
ムー大陸vsCのコテハン対決、今から楽しみにしてます!\(^ー^)/
>>402 C さん、あんた、わかっとらんw
釣りか? 釣りなのか?
406 :
C ◆7sqafLs07s :2007/06/22(金) 16:27:32
わかっとらん なんて人口無能でも可能な反応なのであって。 とにかく誰かが何か言ったら「おまえわかっとらん」 と言っておけばいいと思うのは頭が悪いのに 声と態度だけ大きいおっさんの悪いところだよ。 昭和のポーズだよ。 網の目、だのフィクション、だのというタームと言えば誰だ、デリダ。 世界二大ジャッキーのうちの1人であるあのジャッキー・デリダの表現を 使って「作者」のフィクション性をアピールしているのか それともデリダの言い回しだという事実を忘れるほどボケてしまって 自分の発明した言い回しだと勘違いが始まっているのか知らないけど いずれにせよ今更、陳腐かつ糞つまらない着眼点だなあ というところから僕は蓮實の脱構築を開始したわけですよ。 せめてアホなりに言葉を尽くしたまえ。2ch用語に乗りかかってるだけじゃないか。 ハッタリじゃないか。忍者ハッタリ君じゃないか。じゃないか。
ホントにバカなんだなw
408 :
C ◆7sqafLs07s :2007/06/22(金) 22:50:17
なんだデリダを読んでないのか。さもあらんキンポー。
議論にも値しない
410 :
C ◆7sqafLs07s :2007/06/23(土) 01:28:45
まあ与えられた能力以上のことは誰にも出来ないわけですからね。 僕はあなたの無能を肯定しましょう。
411 :
405 :2007/06/24(日) 00:36:41
C さん、とさん付けしたのを後悔したwww
寒い洒落といい、恥ずかしい奴www
しかし、あまりにも馬鹿すぎる。あちこちのスレッドに出没してるが。。。
やっぱり釣りか? 釣りなのか?
>>406 ちょっとだけマジレス。
デリダだと思っている時点でアウト。
でも読み返すにつけ、馬鹿すぎる。。。
やっぱり釣りか? 釣りなのか?
>>411 またしゃしゃり出てくるからマジで相手するな。
構って欲しくて仕方ないだけだよ。
で、長文垂れ流してまたトンズラw 前スレと同じ展開。
田原裕允w
415 :
C ◆7sqafLs07s :2007/06/26(火) 01:00:30
>>411 馬鹿だと思う理由を書いてくれないとこれ以上いじりようがないな。
416 :
C ◆7sqafLs07s :2007/06/26(火) 01:14:09
まあこの「〜な時点でアウト」とかいう表現が好きな人は 具体的な話になろうとすると逃亡して 必ず決まって「かまうな、無駄だ」みたいなフォローが入るという 見慣れたパターンの人だから 今回もこれで逃げ続けるんだろうけど。 しかし網の目、フィクションときてデリダじゃないとは。
417 :
吾輩は名無しである :2007/06/26(火) 03:03:22
ところで『「赤」の誘惑』は買い? amazonのレビューが酷すぎて中身が全然わからないんで。
理論にもガチで取り組む、尖鋭な批評的読解を 期待していたのだが、意外と緩い読み物だった。
もともと理論を迂回するタイプですよ 抽象と具体の対比がベタ
>抽象と具体の対比がベタ わかるようで全くわかりませんなw
抽象的なのは駄目、作品体験の生々しい具体性が重要ってスタンスですよ 当然「理論」のほとんどは抽象。
そもそもそういうアンビバレンツなねじれたスタンスは、 自分で何度も言い訳してるし、 いまの物書きの最前提なわけでそれが何か? ということなんですが。
>>422 >そもそもそういうアンビバレンツなねじれたスタンス
ぜんぜんねじれてないし。
作品体験の生々しい具体性が重要ってスタンスってのは相当ベタ。
それを伝える表現者として、作品と批評を同時に成立させようなんて プロとして売文する物書きの姿勢が、アクロバットにならざるを得ないんでしょう。 この爺さんは、小説家でも、映画監督でもないんだから。 大体、ベタなのは、ホントにいまさらで、 単なる映画愛好家、小説愛好家にすぎないなんてのは、 10年も前から言われてたことだよ。
425 :
C ◆7sqafLs07s :2007/06/26(火) 13:20:13
10年間同じ欠点を抱え続けてきたということですかね。
30年だよ
427 :
C ◆7sqafLs07s :2007/06/27(水) 07:42:48
それだけ抱えるとそれは欠点というより愛嬌ですね。 ただ、爺さんの愛嬌を金払って 手に入れようとは思わないというのが一般的な感想でしょうか。
日本のバルトもどきをもう30年も演じてきてるってことだよ。飽きもせずに。
抽象機械が重要と言い切ってるドゥルーズの紹介者面してきたのが謎
430 :
C ◆7sqafLs07s :2007/06/27(水) 18:38:45
最初は目的のために演じていても そのうち演じること自体が快楽になるんでしょうな。 演じるのって楽しいですからね。
草野進って蓮実の偽名なの?
凡庸な芸術家の肖像の文庫版はいつ復刊するんだ? 以前ふつーに本屋で売っててたまたま金持ってなくて 違う日に行ったらなくなってた… 超ハードカバーのやつ持ってるけど でか過ぎ重過ぎで読めないよ、持ち歩けないし。縦も長くて読みづらい。
ちくま学芸文庫は復刊しないよ。残念でした!
434 :
吾輩は名無しである :2007/07/28(土) 22:29:37
『「ボヴァリー夫人」論』はいつ出版されるのだろうか。 蓮實がところどころに掲載したそれらしき論文はすべて持っているが、 ボヴァリー夫人論を私は中学生の頃から待ちわびていたのだが、今では 大学生。未だ公刊されず。聞くところ、生まれる前から来年出すといい続けている らしい。結局出版されずに終わっていくのだろうか。 『「ボヴァリー夫人」論』の前振のはずの『凡庸な芸術家の肖像ーマクシム・デュ・カン論』 は、当の昔に公刊されたわけだし、その関連の『帝国の陰謀』も出されている。 『「赤」の誘惑ーフィクション論序説』も出された。 もう準備は整っているはず。日本語版とフランス語版とを用意することになるらしいから、 まだ先のことというのか。それとも『ジョン・フォード論』が先なのか。 『「ボヴァリー夫人」論』が公刊されれば、即売切となるだろう。なにせ待望の書だから。 100万部はいかぬにせよ、軽く10万部は超えると思われる。
435 :
吾輩は名無しである :2007/07/28(土) 22:33:47
いや初刷2000部がいいとこ
436 :
吾輩は名無しである :2007/07/28(土) 22:34:07
ついでに『「ボヴァリー夫人」論』は筑摩書房から出版されるだろうね。 それとも東京大学出版会からか。フランス語版はガリマールから。
437 :
吾輩は名無しである :2007/07/28(土) 23:39:03
ボヴァリー発売前日には主要書店で徹夜組がでるかもしれないね。 蓮實ファンは相当に多い。
>>434 >ボヴァリー夫人論を私は中学生の頃から待ちわびていたのだが
よくもまぁ・・・
語るに落ちるというんだよ。初刷は3000が常識数。
439 :
吾輩は名無しである :2007/07/28(土) 23:53:49
蓮實重彦のライフワークがたった3000でちゅか?
440 :
吾輩は名無しである :2007/07/29(日) 00:27:42
私が蓮實重彦に出会ったのは、中学3年の図書感想文として父親の書斎にあった 『表層批評宣言』を手に取ったときにはじまる。 のっけから奇妙な文体で、一文がどこで終わるのかわからぬ粘着質な文章表現に、 今まで味わったことのない眩惑を覚えたからである。 意味を理解したのか怪しいまま、意味など理解しようもないのだと、理解の浅い自分自身に 弁明しつつ、深さの誘惑のなかで浅さにとどまり続ける勇気を蓮實から学び取った感覚を得られた ことに喜んでいた自分がいた。 それ以後、蓮實の著作を片っ端から読み漁ることになった。 どうやら自筆年譜にもあるとおり、フローベールを専攻している蓮實の本店をのぞいてみようと、 『凡庸な芸術家の肖像ーマクシム・デュ・カン論』にまで手を伸ばし、ついでに『帝国の陰謀』を 楽しみ、フランス第二帝政期の文化に想いを馳せるという中学生らしからぬ生活を送ることになった というわけである。
441 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 07:13:28
結局小林秀雄より滑稽な男になってしまったね 評論家の宿命かな ところで大江はいまでも初版5万らしいね
>>439 蓮實のライフワークは大昔の映画を陶酔的にくっちゃべることだと
御本人がどっかでのたまってたような…そうでもないような気がしまちゅが?
443 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 14:33:02
蓮實は日本の批評家の中でも稀有の存在でしょう。 とりわけ『凡庸さについてお話させていただきます』は、蓮實の凄みを感じさせます。
444 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 15:35:06
輸入者
ひたすら凄みを感じさせるだけで、あまり中身がないというオチ・・・
赤の誘惑も出だしは良かったのにオチが弱い
447 :
吾輩は名無しである :2007/07/31(火) 23:56:02
何かにつけて「結論」をつけずにはいられないというのが、近代の近代たる所以ですから (これ自体、「結論」めいていますが)、蓮實重彦氏の言説は、そうなることを周到に回避 すべく、「結論」もないまま唐突に終わりを告げるわけです。 とまとめてみせることも既に蓮實氏が仕掛けた罠に嵌っているということなのでしょう。 ド・マンや蓮實氏のような「ベルギー・コネクション」(浅田彰氏曰く)が蟻地獄を設けて、 人々がそこに吸い込まれるのを虎視眈々と待っているというのです。
電波
449 :
C ◆7sqafLs07s :2007/08/01(水) 08:11:34
その論理でいけば 回避しなきゃいけない時点で結論することの価値を認めてしまっているわけだから 戦術構築の時点で敗北だな。
電波のおまけ
>>440 >意味を理解したのか怪しいまま、意味など理解しようもないのだと、理解の浅い自分自身に
>弁明しつつ、深さの誘惑のなかで浅さにとどまり続ける勇気を蓮實から学び取った感覚を得られた
>ことに喜んでいた自分がいた。
ハスミンの文体まんまやんw
>>434 も。
ちっと文章心理学でもべんきょしてから書けばどないだ?
煽られ釣られてずるずるずるずる出てくるようでは
修行が足りなさすぎる。人間ができていないんだ、つまり。
ドストやトルストイやフロベールに入れ揚げた中学生ならまだ救いようもあるが、
なんとハスミンにひっかかる中学生じゃ、こりゃ頭打ちもいいとこ。
長じていったいどんなオトナになることやら、末が案じられるばかりである。
つか、ネタ書きすんなってw
>>434 >>440 つい乗ってしもたやんけorz
453 :
吾輩は名無しである :2007/08/01(水) 21:10:16
やたらと模倣しやすいのが蓮實文体の罪だな。 畑は違えど村上春樹の文体にも同じことが言えるな。
454 :
吾輩は名無しである :2007/08/01(水) 23:30:23
私の文章が蓮實重彦の文体と言う方がおられるようだが、明らかに私の文章と 蓮實重彦の文章とは異なる。むしろ私はグリフィスのメロドラマに似せて文章を 構成しているといってもいい。といってしまっては、またまた蓮實の口寄せのように なるというオチがつくわけだが、私が理想とする文章の典型は、ジャン・ピエール・リシャール の『マラルメの想像的宇宙』にあるといってもよい。ごく一般に解されているように、リシャールの 模倣者の関係に入っているとみてよいだろうと思われる。
笑った。ネタだよね?
浅すぎて笑えない むしろつまらなすぎてあきれる
リシャール読んでないだろ
458 :
C ◆7sqafLs07s :2007/08/02(木) 14:32:48
というかリシャールの<翻訳の>模倣にしかならないよな、どう頑張っても。
>>433 2005年、2006年と復刊フェアやってるよ
今年もしてほしい。そして
凡庸な…もお願いしたい。
箱本が重すぎる…
460 :
吾輩は名無しである :2007/09/01(土) 23:24:23
蓮実の読書歴は? とくに10代のころの
田河水泡
462 :
吾輩は名無しである :2007/09/09(日) 23:15:53
のらくろかよw
蛸の八ちゃん
464 :
吾輩は名無しである :2007/09/19(水) 01:32:48
「赤」の誘惑 マジ面白いぞ!
出だしだけ面白くて最後は平凡だった
466 :
吾輩は名無しである :2007/09/21(金) 13:56:05
てすつ
467 :
吾輩は名無しである :2007/09/21(金) 19:14:48
ポルノ版『草枕』はいつから撮り始めるのかね?
468 :
吾輩は名無しである :2007/09/22(土) 00:29:33
それよりもなによりも一刻も早く世界待望の 『「ボヴァリー夫人」論』を出してくれ〜! 書き込み用と保存用の2冊買うから。 日仏語版同時出版の可能性があるので、計4冊を絶対買うから。 世界に衝撃が走る瞬間を見たい。
こいつの、来年出る出る詐欺には、もううんざりだぜ!
ジョン・フォード論とかな
471 :
吾輩は名無しである :2007/09/22(土) 14:34:53
『「ボヴァリー夫人」論』も読みたいけど、オレはやっぱり、 蓮實氏が撮った映画を観てみたい。 妥協なしで、蓮實理論どおりに、蓮實氏本人が撮った映画を。 それは、シネフィルをうならせる作品になるだろう。 しかし、それが傑作になるかどうかは、蓮實氏がいうように、 彼が映画に愛されているかどうかに、かかっている。 オレとしては、蓮實氏が映画に愛されていないことを望む。 傑作ではない、セオリーどおりの映画というものを観てみたいので。
さんざん馬鹿にしてたボグダノヴィッチみたいになるとみた
473 :
吾輩は名無しである :2007/09/22(土) 20:07:29
『「ボヴァリー夫人」論』発売日は徹夜組が出るものと予想。 おれも一番先に手に入れたい。
474 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/22(土) 21:48:48
その行列にむかって米軍の飛行機とかが墜落して欲しいよね。
>こいつの、来年出る出る詐欺には、もううんざりだぜ! 三十年ぐらいずっとやってるんだろ? ふざけろコラ。ハスミ。 映画撮る撮る詐欺からは足を洗ったようだがな。
476 :
吾輩は名無しである :2007/09/22(土) 23:31:12
ふざけろ? ふざけんなの間違いでしょう? ふざけちゃったらダメじゃん。 蓮實重彦は、予告は常に裏切られるということを示しているんだと思う。 かつて蓮實も言っていたが、世界で蓮實と肩を並べてフローベールについて 本格的に語り合えるのは10人もいないだろうって。 それぐらい世界的な学者なんで、その主著は本格的なものになる。 よってまだ出版されていない。でもでたらものすごい大著になるだろうことは 予想できる。阿部良雄が凄いボードレール研究を出したから、蓮實も負けられない との思いが強いのだと思う。
本気度がよめないスレだ。
そこでどくしん術ですよ。
ソフトポルノ「草枕」いつ撮るんだよ?
480 :
吾輩は名無しである :2007/09/23(日) 09:43:42
浅田彰「でも、ライフワークがあるってのは素晴らしいことだよ。」
481 :
吾輩は名無しである :2007/09/23(日) 10:34:42
蓮實先生は当然、日本映画を全否定なさっているんですよね? 武満徹さんとの対談で、いつか映画を撮りたいけど、 いいカメラマンがいない、と話しておられたので。
482 :
吾輩は名無しである :2007/09/23(日) 11:36:28
いいカメラマンがいない? じゃてめぇがカメラまわせよな、ハスミ。w
483 :
吾輩は名無しである :2007/09/23(日) 12:17:30
日本映画を全否定しているわけないではないか。 むしろ特に1950年代の日本映画が世界的な水準でみても非常に優れていること をつとに指摘しているではないか。 小津、溝口にしても然り。 カメラマンについても、厚田雄春や宮川一夫などを尊敬していたことが窺われる。
484 :
吾輩は名無しである :2007/09/23(日) 12:19:24
なにより『「ボヴァリー夫人」論』を早く仕上げてほしい。 仕上げる前に亡くなったとなれば、世界の損失になってしまう。
485 :
吾輩は名無しである :2007/09/23(日) 13:07:41
蓮實先生が「厚田雄春や宮川一夫などを尊敬していたこと」は誰でも 知っている。しかし、彼らが仕事をしなくなってからの日本映画については、 全否定しているはずでしょ? 全否定していないのであれば、なぜ彼らの後に登場した優秀なカメラマンと 組んで、映画を撮らなかったのだ、という話になる。
忙しいからだろ。
487 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/23(日) 13:56:33
正直、どっかの評論家だの大学教授だのが「映画撮りたいなー」と言ったら 「ではどうぞどうぞ」って感じで撮れるわけじゃないからね(笑) なんつうか、自主制作じゃないんだから(笑)
488 :
吾輩は名無しである :2007/09/23(日) 16:35:48
蓮實だったら撮る条件なんか整えられるだろ。 陥没もオペラも、特に前者は確かに質の高い作品だと思うが、 あれは本業が小説家の人間はいろんな意味で書けないよ。 映画はああいうわけにはいかんしな、 プライド高くて通俗になりきれないのでは? かと言っていかにもな芸術映画は撮りたくないし、みたいな
489 :
吾輩は名無しである :2007/09/23(日) 20:05:25
>>465 最後にルーマンを持って来たのは嫌味なんですかね?
490 :
吾輩は名無しである :2007/09/23(日) 22:07:47
市役所・社保庁の年金どろぼうは、必ずや、一人残らず公表されねばならない。 せめては、社会的制裁を。
491 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/24(月) 00:42:33
>>488 君は映画というもののシステムをよくわかっていないように思う。
そんな「通俗は嫌だが芸術に寄りかかるのもまた通俗だし
ハリウッドは嫌いじゃないがそのまま模倣しようとは思わないし
とにかく映画は撮りたいが、どうしよう」なんて人の企画に
資金は提供されないし、封切りしようとする人間もいない。
蓮實がそういう状況なのかどうかは別にして。
日本映画がこれだけ注目されても年に何本もの映画がお蔵入りしてしまう。
映画っていうのはそういうシステムなんだぜ。
492 :
吾輩は名無しである :2007/09/24(月) 01:19:28
>日本映画がこれだけ注目されても この辺にこいつの限界が露呈してる。 つくづくバカだよな、おまえw
493 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/24(月) 01:29:46
そんなアホにでも書ける罵倒じゃなくて 議論をしたまえ(笑) もし万が一可能だったりするならばとしての話ではあるがということにしておこう。 くらいの保留をしておくが。
494 :
吾輩は名無しである :2007/09/24(月) 01:46:35
お前みたいなアフォと議論したがる奴いるかよw 首吊って死ね、クズw
495 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/24(月) 01:56:27
議論は出来ないが罵倒なら出来る。 だからそれをやるしかない。 ということですね。 人間として生まれてこなければコンプレックスもなかったでしょうに。 可哀想です。同情しますよ。
496 :
吾輩は名無しである :2007/09/24(月) 02:31:58
C ◆7sqafLs07s について一言。 ↓
映画を撮るとしたら キャメラは厚田雄春氏しかいないって 坂本と村上との対談で言ってた その厚田雄春氏が亡くなったからもう撮らないんじゃない?
>しかし、彼らが仕事をしなくなってからの日本映画については、 >全否定しているはずでしょ? 黒沢清とかタケシとか持ち上げまくってたのは誰ですかw >映画っていうのはそういうシステムなんだぜ。 そうでもないよw 蓮實が撮りたいと言い出したら身を乗り出してくるような ヤマッ気のあるプロデューサーなんていくらでもいる。 (その判断の良し悪しはさておきw) 今の日本映画のシステムなんていい加減ですよ。 どう考えても売れないだろこれは、みたいな企画が、 慣習と力関係とお金の按配でフツーに通るからね。 まあ、たぶん蓮實は撮らないと思うけど。
499 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/25(火) 16:06:37
多分俺の知ってるシステムとは違うシステムなんだろうね ムーの言ってるのは。 俺が知る限り、たとえば永瀬正敏くらい知名度のある役者が主演でも 未公開のままの映画は沢山あるんだけどね。 まあ無根拠に「いくらでもいる」とかかかれちゃうと話が広がらないよ。
500 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/25(火) 16:17:12
そもそも映画の企画で「どう考えても売れないだろ」 とかそういう発想の仕方をする人は多分そんなに存在しないと思う。 それはあくまで外側からの目線だよな。 何が売れるか見通しが立てにくいというのが 現在の映画界の現場に偏在する現実だと俺は思うよ。 だからヤマッ気とかじゃなく「これでやってみるか」っていう人は確かにいるかもしれないが 上に出ていたような「通俗はいやだけど芸術でもなく〜」みたいな どういう画で行きたいのかもわからないような企画に金や人を動かす奴はいないだろう。 むしろそれこそカメラマンとか、ホンを外に預けるなら脚本家とか、 勿論役者とか、そういう外堀がほぼ決まっていて、 そっちである程度の「計算」が出来たうえで、最後のニュアンスとして 「あの評論家がついに映画界に殴りこみ!」っていう話の進め方ならあるかもしれないとは思う。
501 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/25(火) 16:28:14
それから何を比較して言ってるのかは全く不明だけど 映画のシステムが「昔より今」いい加減になってるってことは絶対にない。 昔のほうが良い意味でも悪い意味でも「いい加減」だったのは間違いない。
502 :
吾輩は名無しである :2007/09/25(火) 19:00:13
長い割に中身がない。 具体的には何にも知りませんってことが言いたいわけなw
503 :
吾輩は名無しである :2007/09/25(火) 19:11:01
副プロデューサーとか助監督で関わるのはありじゃないかな
最近Cは暇らしい。
うーん、Cとやりあうと逐次反論みたいになって、どうしても長文化が避けられないんですがw もっとドンブリ勘定でいきませんかw 問題は今の映画界で、蓮實が撮れる可能性があるかなしかだと思うが… >それはあくまで外側からの目線だよな。 Cは作り手側に対する思い入れが強すぎて、かえって軸がブレてる気がするんだよねー。 もちろん、どんなプロデューサーだって、「これはイケる、売れる!」という信念のもとに 製作を進めるもんだとは思いますよ。 何が売れるか見通しが立てにくいというのもごもっとも。 でもね、「商品管理」には、「外側からの目線」が正に必要なわけです。 俺が言いたいのは、例えばアメリカの映画界が銀行にがっちりと首根っこを掴まれている のに比べて、日本の映画界は、良くも悪くも「思い」が重んじられる部分が残ってると 思うわけね。 で、物好きなプロデューサーが、「これでやってみるか」で突っ走れば、まあ可能性は あるだろうと。 あと、「今」と「昔」の区分なんですが、私は勝手に70年代前半の撮影所崩壊を境に 考えてます。 で、撮影所の量産体制の中での「いい加減」の意味と、それ以後の、1回1回の興行が 生きるか死ぬかの勝負の中での「いい加減」の意味は、まるで違ってくると思う。 確かに週代わり二本立て興行のローテーション体制のほうが、好き勝手やれたんですよ。 鈴木清順の映画なんて見ても、二本立ての内の「添え物」の方は、興行収入に影響が ないから、なんだかんだ自由があったんだと思う。 問題は、撮影所時代の遺風が、中途半端に残ってしまってることだと思う。 「映画人の心意気」とされているものの一部分は、有害な時代錯誤以外の何物でもない。 私の言う、今の「いい加減」さとは、そういう意味です。
あと、俺は蓮實は撮らないと思うけど、もし彼が撮る気をおこしたなら、 「通俗は嫌だが芸術に寄りかかるのもまた通俗だし ハリウッドは嫌いじゃないがそのまま模倣しようとは思わないし とにかく映画は撮りたいが、どうしよう」 なんて事には絶対なりませんw 彼は霞を食っている象牙の塔の住人じゃありませんよ。 彼は「悪人」ですw 政治的手腕も商品管理能力も抜群ですよ。 監督というよりも、むしろプロデューサーに向いているタイプかと。 だから、もし蓮實が撮ることになったら、その興行システムも含めて、 全て見通しを立てた上で行動するでしょうな。 ちなみに以上は誉め言葉ではないです。 蓮實のそういう部分は俺、キライなのでw で、ここからは「トラとライオンもし戦えば」的な妄想ですがw まあどう考えても蓮實の知名度のみによりかかっては、興行的にムリなわけです。 蓮實本人が、いつかどこかで「自分の動員力は首都圏で2000人は行く」みたいなことを 言ってた気がするけど、この数字は企業や自治体の助成を受けた、単館でのイベントなら 十分でも、億単位で金が動く映画の世界ではお話にならない。 かといって、低予算自主映画的なアマチュアリズムに流れることはまずないでしょう。 まあ、たけしを主演にするとか、それくらいの戦略は立てるでしょうなw 根拠はないんですが、それこそバカにでもわかるオーソドックスな映画を撮ると思いますよ。 以上。
今更、蓮實さん自身が撮ることはまずあり得ないでしょうから、 脚本だけでも出版して欲しいですね。 しかし、ポルノ版(?)草枕ってのは、何なのか。 わざわざポルノ風にせずとも、漱石の原作をそのまま撮れば、 ソフトポルノ映画みたいになると思うのですが。 水は出てくるし、画家とモデルで視線劇が成立するし、 かと思えば湯気で視線が遮られるし、舞台に高低差はあるし… 非常に、良さそうですね。惜しかったな。
508 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/26(水) 06:02:23
>>505 だからさームーの書き方は凄く馴れ合い的だから
自分で伝えてると思ってることのほとんどが相手に伝わっていないんだと思うんだよね。
少なくとも俺には疑問符ばかりが浮かぶ書き方になっているわけだ。
俺としてはその疑問符についていちいち確認しないと返答のしようがないという事態になる。
勿論、馴れ合い的に曖昧な返事をしてもいいんだけど
そんなことするためにこの板に書いてるわけじゃないし
だから俺はこの板の雑談関係にはタッチしてない。そういうスタンスなのね、俺は。
それが面倒なら(面倒だという人がいて当然だと思うし)触れなきゃいいと思いますよ。
>俺が言いたいのは、例えばアメリカの映画界が銀行にがっちりと首根っこを掴まれている
のに比べて、日本の映画界は、良くも悪くも「思い」が重んじられる部分が残ってると思うわけね。
確かに、台本よりもはるかに厚い契約書類が用意され
時には役者が休憩時に座るイスの材質まで契約で決めるようなアメリカの映画界と
企画の詳細も決まらぬまま撮影に入ることがあるような日本の映画界とでは
色んなシステムが「表面的」に違うということは事実だと思うし
その背景にはムーが言うような投資の保証に対する考え方の違いとかがあるわけなんだろうけど
でも俺はアメリカの映画界に日本ほど「思い」が存在しないとは言えないと思うけどね。
むしろそれが暴走しないためにシステムがあるわけで、ということはそれだけの
「思い」が秘されてはいてもちゃんとあると思うんだけどな。それは欲望であったり。
まあそのへんは多分あんまり争点ではない。
509 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/26(水) 06:09:55
>>505 続き。
>問題は、撮影所時代の遺風が、中途半端に残ってしまってることだと思う。
「映画人の心意気」とされているものの一部分は、有害な時代錯誤以外の何物でもない。
私の言う、今の「いい加減」さとは、そういう意味です。
そういう言い方なら、納得できますよ。多いに。
それは多少カタチを変えて演劇界にもあるし、おそらく音楽界にもあるでしょう。
ただしムー自身が書いているように「時代」というものが影響を与えるわけで、
時代に応じて「変わっていないから」時代錯誤になるわけなんですよ。
外側とか枠は変わっているのに、企画自体を動かすシステムとか
そこに携わる人たちの精神状態は変化していない。そのギャップが問題だという話なら理解できます。
だけど最初に書かれた「今の日本映画のシステムなんていい加減ですよ。」
という言い方には俺はちょっと疑問が残ってしまった。
内側のシステムそのものは基本線として変わっていない気がするからです。
単に時代が変わっただけで、中身も一変したなら別だけど、
旧態依然としたシステムや精神が問題だとするなら、
「今にそぐわない方法がおかしい」と言うべきです。最初から。
まあこれも確認さえしてしまえば大きな争点ではない。
510 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/26(水) 06:16:09
>>506 >「通俗は嫌だが芸術に寄りかかるのもまた通俗だし
ハリウッドは嫌いじゃないがそのまま模倣しようとは思わないし
とにかく映画は撮りたいが、どうしよう」
これに関しては俺個人の見解と言うことじゃなく
最初に書かれた
>>488 の見解について皮肉ってるわけだから
流れを読んでくださいとしか言い様がない。
多分俺じゃなく488へレスつけるべきだったんだろうね。
これが俺にとっては一番大きな争点だな(笑)
で、残りの部分は自分の主張と差異が見られない。
たとえば
>監督というよりも、むしろプロデューサーに向いているタイプ
っていう評価に異論はございません。経歴的にもそのとおりでしょう。
>根拠はないんですが、それこそバカにでもわかるオーソドックスな映画を撮ると思いますよ。
これはまさに自分の主張どおりなので、これにも反論の意思はありません。
画期的な映画ではなく、普通に成功する映画になるんじゃないですか。
もし万が一撮るのなら。少なくとも第一弾は。
511 :
吾輩は名無しである :2007/09/26(水) 06:36:55
きんもーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
512 :
吾輩は名無しである :2007/09/26(水) 20:07:19
>>507 >脚本だけでも出版して欲しいですね。
大賛成です。ソフト・ポルノ『秘本・草枕』だけじゃなく、1936年上海のドイツ租界を舞台とした
活劇とか、『鳴滝の火事』なんてのも脚本は完成しているらしいので「文藝」あたりで発表して
欲しいものです。
513 :
美香 ◆ESCVVanDCU :2007/09/26(水) 23:02:10
くいーん♪
うわ・・でた。。
基本、同じ意見なわけですねw 馴れ合い万歳♪
516 :
C ◆7sqafLs07s :2007/09/28(金) 08:57:25
ここから上の三人死ねばいいのに
ここから上の四人死ねばいいのに
518 :
吾輩は名無しである :2007/09/28(金) 18:55:12
>1936年上海のドイツ租界を舞台とした活劇 なんか、「セチュアンの善人」っぽいな
>>491 皮肉で関係ないことを言ってるんでしょうが
映画業界や、出資してくれるかどうか、について言ってるんじゃなくて、
「別にして」る蓮實自身について、なんだけど…
書き方としては荒いけど、勇気ないだけだろ、と感じで。
インディペンデント撮って単館上映をなんとか、てクラスの知り合いなら何人かいるけど、
蓮實クラスなら、低予算映画撮れるってぜんぜん。
得意の無責任な方言として言うのは良いけど(最近はくちにしてないんだろうけど)、
どうせ撮る気ないのになーと思うと、寒々しく感じてしまって。
たんに感想ですが。
520 :
吾輩は名無しである :2007/10/08(月) 11:13:50
今日の特ダネでちょっとやってたね。
522 :
吾輩は名無しである :2007/10/08(月) 12:25:56
il||li _| ̄|○ il||li
たけしよりも蓮実重彦がワイドショーに出てるってことのほうが衝撃的だったよ。
それは自分も思った 一応東大総長だったって触られたけどね
525 :
C ◆7sqafLs07s :2007/10/08(月) 19:52:41
たけしは義理ガタイ人間だからね。 自分を自殺に追い込んだ元カノにだってCMの仕事を与えちゃうような。
526 :
吾輩は名無しである :2007/10/08(月) 20:43:00
バカ登場
527 :
吾輩は名無しである :2007/10/08(月) 20:59:38
『C=ムー大陸』説はどうなったんだ
スルーしろって
ありえませんてw
いや、おまえじたいがありえないから。
531 :
吾輩は名無しである :2007/10/15(月) 19:34:12
ノムラスコープ復活だから、よく見ておけよ。
小説も書いてるよね 「陥没乳首」だっけ?
違う。「沈没アナル」
ムーvsCのコテハン対決、今から楽しみにしてます!!\(^ー^)/
感情教育が復刊されたよね
フローベール論はまだ出ないのか。
『ボヴァリー夫人論』に関しては、蕎麦屋の出前の如く「あ、すぐに出ます」と 口では涼しげに言いつづけながら、実際には出版をどこまでも先延ばしにする… ということに、批評家生命をかけて数十年来取り組んでいるものと思われる。 それはただのギャグにすぎぬではないか、と突っ込みたくもなるが、 キートンやゴダール、時にはチャップリンさえをも見ればわかるとおり、 ギャグというのは自身の実存をかけなければ成立しえないものなのだから、仕方ない。
538 :
與志さんの虚体です :2008/01/22(火) 00:46:39
その点については蓮實重彦自身『魂の唯物論的擁護のために』の中に収められている 対談の一つで触れている。 要するに『「ボヴァリー夫人」論』を書き上げてしまえば、そのために批評家として新たに ものを書く気力が失われるのではないという恐れがあって、それゆえに完成させまいとさせる 力学が働いてつい周辺部分を取り上げてしまうのだそうだ。映画批評ですらそうらしい。 しかし昔からずっと書き続けていることにはいるし、その準備も整いつつある。 フィクション論もその一つだし。 但し、フローベール論全体としてではなく、あくまでも「ボヴァリー夫人」論を出したいという ことのようだ。
田中和生が 蓮実を「ただのぼんくらジジイ」と言ってるよ。 蓮実を叩けるのは田中しかいない
540 :
吾輩は名無しである :2008/01/22(火) 04:00:46
541 :
吾輩は名無しである :2008/01/22(火) 06:52:43
江藤淳を貶された腹いせ程度だろw 田中なんて小物過ぎて、話にならない。
蓮見だって小者だろw
543 :
いつか :2008/01/22(火) 11:52:25
「蓮見」って誰。 「蓮実」ってのも誰。 『反=日本語論』を読んでいるわれわれとしては 「それは何とも不愉快であった。というのは、 どうしても間違えてはもらいたくない筆者の苗字の一つが (略)別の文字に置き換えられていたからだ。」 という引用をすることにやぶさかではない。 さらに、 「道化の役を買って出た人がいたとするなら、 それをみんなで笑ってやるのが礼儀というものだろう。 口笛を吹かれることだって、道化の成長には貴重な経験なのだ。」 さて、読んではいない本の著者の名前を書くことで 言及している当の支えを経ている《かのような》二重の効果。 この偉大な映画批評家の模倣はすまい。 失礼どころでは済まされませんよ。
中身もなけりゃ笑えもしないレトリックなんざ ↓
545 :
吾輩は名無しである :2008/02/07(木) 22:26:19
「ネット上は幾つものそれぞれの真実で溢れかえっている」 みたいなことを言ってたのをどこかで読んで興味深かったんだが。 これって、政治性が働かない場所では・・・みたいな意味だよね。 それで蓮実さんはこの政治性にはどういうスタンスなの? 必要と考えてるのかな? 例えば、ネット上では、蓮實はゴミ、みたいな言葉も「それぞれの真実」として 語られてるわけでさ、そういう意味で政治には肯定的なんだろうか? 蓮實に詳しい人、だれか教えて。
>>545 当然のことながら、一部のエリートが啓蒙的な立場から
庶民を指導しなければならないと考えてますよ。
その立場をゆるぎないものにするためには、権威や政治力も必要なわけです。
だれもが勝手なことを言いだしたら、収集がつきませんからね。
だから東京大学の総長になったりもするわけです。
文部大臣くらいは狙ってるかもしれないw
蓮實さんは政治大好きですよ。
俺って凄いだろう? おまえらは馬鹿だ! ってことを言い続けてきた
これまでの人生をみただけでも、わかるでしょ?
それが悪いことだとは思いません。
それ自体は悪くないけど、それを感じさせる人って、結局それだけなんだよね。 そこが悪い。
少なくとも、品はあまり良くない人ですねw 良くも悪しくも、生まれつきのヤンチャ坊主みたいなところがあるんでしょう。
549 :
吾輩は名無しである :2008/02/10(日) 20:01:42
戦後日本を体言した最後の人だったみたいな側面はあるね、あの異様なまでの過剰さとかね。 蓮實のエピゴーネンはカッコ悪いんだ、みたいな意識が一般的に浸透してきたところで やっと脱戦後っぽくなってきたってのはあるし、そういう人柱的な業績は日本人としては評価すべき。
550 :
吾輩は名無しである :2008/02/17(日) 12:37:46
蓮實さんは、『リアル鬼ごっこ』をこそテマティスム批評するべきだと思うんだ。 誰もが稀代の愚作として知っているはずの何やら禍々しい『リアル鬼ごっこ』 という作品名の響きを・・・ みたいな感じでやってもらいたい
551 :
吾輩は名無しである :2008/02/17(日) 14:08:58
こいつは哲学をわかっていないよ。
552 :
吾輩は名無しである :2008/02/17(日) 15:33:19
わかるつもりもないだろう。哲学者というより美学者くらいのつもりかと。
553 :
吾輩は名無しである :2008/02/21(木) 15:40:23
体言と体現の区別もつかないような人に何言われても
554 :
吾輩は名無しである :2008/02/21(木) 23:47:21
555 :
吾輩は名無しである :2008/02/22(金) 14:14:09
553 名前:吾輩は名無しである[] 投稿日:2008/02/21(木) 15:40:23 体言と体現の区別もつかないような人に何言われても
つーか、ミスタイプ部分しか突っ込みどころがありません と言外に認めてしまうってのもいかがなものかと・・・
557 :
吾輩は名無しである :2008/03/03(月) 17:24:51
蓮実は評論の終演を体言したヤシだwwwwwwwwww
体言止め、ですね。
559 :
吾輩は名無しである :2008/03/05(水) 00:30:12
うまい! 早稲田文学フリーペーパーで 蓮實は、 批評は、「有限の文字記号からなる形而下のテキスト」を対象とする、と 述べてたけど 自分の弟子の万田邦敏が(法学部中退なのに)教授やってる学科の名称 「立教大学現代心理学部映像身体学科」という 「有限の文字記号からなる形而下のテキスト」は どう批評する?
560 :
吾輩は名無しである :2008/03/05(水) 00:51:55
紋切型辞典に載ってそうだなw
561 :
吾輩は名無しである :2008/03/05(水) 07:08:12
現代「心理」学部映像「身体」学科というのも不思議な名前だな 心と体は対義語って感じだから 法学部無法者学科みたいなw
562 :
吾輩は名無しである :2008/03/05(水) 11:39:11
あー559は相手しない方がいいよ。 基地外だからw
563 :
吾輩は名無しである :2008/03/05(水) 13:05:36
蓮實ってケチンボだって
564 :
吾輩は名無しである :2008/03/05(水) 16:35:54
村上龍との対談でも「枚数の問題は大事ですね。学生のレポートを指導するときに 何枚くらいの題材なのか、しつこく聞きます」って言ってたもんな。 紙=天然資源を無駄にしたくない、という思いがあるのだろう。 う〜ん、エコロジカル・ハスミンwwwwwwwwwwww
565 :
吾輩は名無しである :2008/03/05(水) 16:37:56
だったら、「現代心理学部映像身体学科」という名称は インクの無駄づかいだと 万田に指導しなかったのだろうか?
566 :
吾輩は名無しである :2008/03/05(水) 16:40:27
>>563 ヤスケンにも
たかり屋で蕎麦をたかられたって、書かれてたな
「そんなにエライか、東大学長」というエッセイで
東大学長は偉いだろ。偉いくせにそばたかってかっこわるいって話じゃないのか。
568 :
吾輩は名無しである :2008/03/05(水) 19:18:00
編集者のくせに蕎麦くらい黙っておごることすらできないのか。 そんなことをネタにするところも小さい。
569 :
吾輩は名無しである :2008/03/05(水) 21:29:51
オスペをたかる教授もいたというから ヤスケンもたかり体質にうんざりしてたんだろう
そんなヤスケンも鬼籍に・・・。
571 :
吾輩は名無しである :2008/04/02(水) 01:33:40
蓮實重彦の口から里田まいの名前が出てくるとは
蓮實「小説家には断念すべきものなんかなにもない。どんなことを書いてもよいし、 なにをしてもいいし、里田まい的な無知さえが彼らには許されている。」だってさ ソースは今度出た早稲田文学1
574 :
572 :2008/04/04(金) 00:39:37
>>573 thx
川上未映子を擁護するための言葉のような気がするね。
しかし里田まいを引き合いにだしたのは面白いが、木下優樹菜だったらもっと凄みが出たのになあ。
「WB」掲載の「タキシードの男」は面白いな。 こんな追悼文を書けるのは蓮實しかいない。
576 :
吾輩は名無しである :2008/04/06(日) 17:11:58
蓮実が「フィクション論」がセクショナリズムによって研究が進まないとか 書評なんぞ、批評にはならないだの、だれそれは馬鹿だの言ってるのは まったくそうなんだけど 阿部和重によって文学に戻ったとか、 笙野、松浦、古井といった作家としてつまらないものしか挙げられない ところに悲しさがある
早稲田文学読んで思ったんだけど、インタビューで言及されている 「新潮」掲載の(最近の)大江健三郎論って何でしょうかね? 気になって探したんですが、見つかりません。 どなたかご教授下さい。
『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』評のことではないですか
579 :
577 :2008/04/06(日) 20:06:00
>『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』評のことではないですか ありがとうございます。そうですそれです。 「新潮」のバックナンバーを探しているのですが、どこに入っているのでしょうか? 申し訳ありませんが、私の能力では見つけられません…。
ここ数ヶ月のものを見ればどれかに入ってるんではないでしょうか
581 :
577 :2008/04/06(日) 20:46:23
いや、見てるんですよ、ここ数ヶ月のは。 よもや、早稲田文学の情報が違うのかな、と。
確かに書いてるのは見ました とにかく三ヵ月でなければ六ヵ月探してみてはどうですか?
584 :
吾輩は名無しである :2008/04/06(日) 22:14:38
585 :
577 :2008/04/06(日) 22:31:34
皆様、どうもありがとうございました。 私もシモン論、ベルンハルト論を読みたいです。
海外の作家を絶賛はしても論じようとはしないんだよなこいつ 単に依頼がないというだけではない他の理由があると思うが
蓮実は読書量が少ないんだな 取り上げてる作家がことごとくつまらん
587の考える面白い作家(たとえばだれ?)を蓮實が取り上げたら どうするんだ?
眼からハスミンの足を生やす。
590 :
吾輩は名無しである :2008/04/07(月) 20:25:38
>>586 実際、海外の作家を論じたものは少ない。大昔にプイグの『リタ・ヘイワースの
背信』とか幾つかの書評があったくらい。
2009年に「トマス・ピンチョン コンプリート・コレクション(仮)」なるものが新潮社
から刊行開始されるそうなので、その際にはトマス・ピンチョン論をぜひ!
矢野さんに期待したい。
591 :
吾輩は名無しである :2008/04/08(火) 01:29:00
ピンチョンだのシモンだのベルンハルトだのバルガス=リョサだのを論じはじめたら 今まで必死に擁護してきた日本の小説家のつまらなさが白日の下に晒されちゃうから それは政治家・蓮實重彦はやらないでしょう
>2009年に「トマス・ピンチョン コンプリート・コレクション(仮)」 ネタかと思ったら、本当じゃん!
「メイソン&ディクソン」の翻訳は間に合うのだろうか?
重力の虹も出るって?
595 :
だれよ :2008/04/10(木) 15:25:35
蓮実重彦のインタビューの最後の方にでてくる、ドストエフスキーに似た高名な作家って、だれ?だれかおせーてくれ。
596 :
吾輩は名無しである :2008/04/10(木) 15:46:19
埴谷雄高かなと思ったんだけど… 存命中の作家では思い浮かばないな。 丸谷とか? 読んだことないけどw
597 :
どーよ :2008/04/10(木) 23:06:42
インタビューの続きで、チェーホフがどうのとかあった。チェーホフの前衛性について、最近「新潮」とかで触れたのは平野啓一郎だっけ?なら、平野?ちがうかな…
598 :
吾輩は名無しである :2008/04/11(金) 23:25:55
村上春樹が「ドストエフスキーみたいな作家になりたい」って言ってますぜ
599 :
吾輩は名無しである :2008/04/11(金) 23:29:52
前衛性w 「性」w
600 :
吾輩は名無しである :2008/04/12(土) 20:47:59
いまさら『「知」的放蕩論序説』読み終わった。 ハスミン、いまだに「68年」を連呼するスガをイジメまくってるなw そのおかげを被ってウォーラーステインまで叩かれてたのには笑った。
おかげを被ってねえ。
602 :
吾輩は名無しである :2008/04/23(水) 02:36:47
ピンチョンは「重力の虹」を誉めてたね 松浦寿輝とか荻野アンナと鼎談したときに。 春樹は結婚詐欺だっていった鼎談 どの雑誌だったか?
603 :
吾輩は名無しである :2008/04/24(木) 17:16:28
ワセブンはスガとワタナベのすみかだろ。 さっさと反論のせろよ。 じゃなきゃ逃げたとみなすからなwwww
「映画の崩壊前夜」買った?
>>604 『映画崩壊前夜』な。買ったよ。まだ読んでないけど。
606 :
吾輩は名無しである :2008/08/05(火) 00:06:37
淀川センセが蓮實をニセ男爵と呼んだのは何の対談だったっけか・・・・・・
607 :
吾輩は名無しである :2008/08/05(火) 00:28:24
昔、『表層批評宣言』を読んだが、 こいつは信用ならないと思った。
>>606 ×ニセ男爵 ○ニセ伯爵
確か、雑誌マリ・クレールでの対談だったと思うけど、
ハスミンをいじれるなんて淀長さんくらいのもんだったし、いじられた本人も
満更いやでもなさそうで可笑しかったな、あれは。
エセ男爵じゃなかった?
ウソ講釈
はじめて書き込みします。蓮實重彦さんの国家に対する立場を知っている人がいらしたら教えてください。 例えば、柄谷行人はマルクス主義者です。森鴎外と夏目漱石の場合でいうと、森鴎外は国家社会主義に関 心を持っていましたし、大逆事件批判もするリベラルな考えを持っていたとはいえ、山県有朋とつながって いた陸軍軍医総監でした。一方夏目漱石は東京帝国大学教師をやめて新聞社の社員になりました。このよう な単純な図式にはおさまらないとは思いますが、なるべく短く答えていただきたい、あるいはそのことがわ かる書物名をおしえてください。
マクシム・デュ・カン論を読むべし あとは東大総長時代の発言集がよさそう 短くというならこれ以上は言えん
なんでも短く言えると思ったら大間違いだな 少なくとも全著書読んでから短く言いたいのであれば意味は有るが そうじゃなきゃ短く言うことなど無意味。
614 :
吾輩は名無しである :2008/08/17(日) 00:17:42
蓮實の本って手に入らなくない?とっつきやすい代表作は何ですか?
616 :
吾輩は名無しである :2008/08/17(日) 01:00:24
ちゃんとレスくれてありがとうございます。読んでみます。
本人が自演で宣伝してるスレ
>>614 とっつきやすさで言えば、映画狂人シリーズか「ハリウッド映画史講義」か「映画はいかにして死ぬか」なんじゃないかな。
ただし、映画ヲタ向き。
映画関係でいうと、『シネマの煽動装置』なんか軽い調子の文章で 読み易いし笑える所も多い、初心者にはとっつきやすいんじゃない
622 :
吾輩は名無しである :2008/08/19(火) 01:56:57
「凡庸さについてお話させていただきます」
慇懃無礼についての間違いだな。
624 :
吾輩は名無しである :2008/08/19(火) 03:28:02
「愚鈍さとツインテールについてお話させていただきます」
625 :
吾輩は名無しである :2008/08/19(火) 10:20:31
老害評論家
これからの批評は 渡部・スガが背負っていきますので 老害は引退してください
627 :
吾輩は名無しである :2008/08/19(火) 12:07:25
>>渡部・スガが背負っていきますので 渡部・スガこそ老外だろ。この二人、消えているよ、すでに。
映画批評はハスミの後継者がより権威主義的になってる
629 :
吾輩は名無しである :2008/08/19(火) 16:04:47
蓮實はいいんだよ。渡部がダメだよな。
蓮實がいいわけがないじゃないか。
蓮實なんてヨイショ相手からインタビュー受けてるのばっかりだが 渡部・スガはいまだに評論を出しつづけている。
渡部・スガよりよほど蓮実の方が今でも仕事量多いと思うが。
633 :
吾輩は名無しである :2008/08/22(金) 20:22:47
渡部なんて不敬文学論序説だけじゃん
>>633 渡部は時評書かすと芸があっていいよ。
悪口は紳助みたいな域に達していたよ
前に母校の図書館で八十年代九十年代の雑誌かたっぱしから渡部の時評拾ったことあんだけど
おもしろかった。
セコくて下品な悪口芸はスガの上をいっている。
その二人の時評って 今手に入らないよね 誰も必要としてないし需要がないんだろうねw
>>634 スガの悪口はみんなうんざり暗い気分になるだけなんだが
渡部のは面白いよな
スガは勝ち馬に乗ってるだけっぽいからつまらん どうせ大西巨人が「善」なんだろwみたいに予想が付くし
>勝ち馬に乗ってるだけっぽいからつまらん 渡部の方こそまさに……
640 :
656 ◆pMC.4Mizqg :2008/09/13(土) 01:37:15
《ジル・ドゥルーズは、 『カントの批判哲学』(指定文献省略・引用者注)にとどまらず、 ほかの何冊かの哲学的な著作で、 「赤」に言及するカントの言葉を参照している。 「二つ以上の表象がしばしば継起し或は同伴して現れると、これらの表象は、遂には互いに連れ合って一つの結合をなす」という事実をどうとらえるかの例として、 「赤い」と「重い」とが挙げられているのである。 その事実を、『純粋理性批判』(指定文献省略・引用者注)から引用しておく。 著作によって引用される部分は長かったり短かったりするが、 肝心な部分はほぼ以下の内容につきている。 もし辰砂が、 赤かったり黒かったり、 或は軽かったり重かったりしたら、…私の経験的構想力は、 例えば赤い色の表象によって重い辰砂を思い浮べることすらできないであろう。 (ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)にも同様の引用箇所があったと記憶するが、いま探したところ頁を示せない。参照先知っておられる方は、もちろんドゥルーズの別の書籍でも結構なので教えてもらえれば助かる。以上引用者注)
641 :
656 ◆pMC.4Mizqg :2008/09/13(土) 01:39:53
ドゥルーズの処女作といってよい『ヒュームあるいは人間的自然--経験論と主体性』(指定文献省略・引用者注)で、 この文章はカントによる卓抜な連合説批判の例として引かれており、 そこでの引用行数はこれより遥かに長い。 (中略) 「現在を知覚するときには必ずその現在に過去との合致を強制する身体的器官によって、 わたしたちが辰砂を手に取るたびごとにその重いという感覚が再生され、 わたしたちはそれを見るたびごとに赤いという感覚が再生される、 ということが必要なのである」(ドゥールズ ガタリ『哲学とは何か』。指定文献省略・引用者注。以下中略) 「赤面した顔色と羞恥との間に、 どのような必然的な結合を見て取ることができるのか」(バークリー『視覚新論』指定文献省略・引用者注。以下中略) 「『赤くなる』という非身体的な表現と、 『赤い』という身体的性質とを区別する」(ドゥルーズ ガタリ『千のプラトー』。指定文献省略・引用者注)ことに言語の本質があるという立場を表明している。 ブレイユの記述で重要なのは、 「繋辞(である。本文傍点。引用者注/以下引用者。「である」体と「た」体の対立を想起せよ!!)を無視し、 主語を動詞--ここに付加形容詞的な属辞が目立っておかれることはない--によって表現するとき、 まったくの動詞として考えられた属辞は、 もはや概念(対象あるいは対象のクラス)としてではなく、 もっぱら事実あるいは出来事を表現するものとして現れる」(エミール・ブレイユ『初期ストア哲学における非物理的なものの理論』。指定文献省略・引用者注)という部分である。 そこから、 「身体あるいは物の状態は、 記号の『指示物』であるとはいえず、 それによって人は『表象するものではなく、指示するものでもなく、いわば介入するものであり(!!以上引用者)、これはまさしく言語の行為なのだ』」という『千のプラトー』の言葉が引き出される。 (中略) この「事実あるいは出来事」という表現は、ニーチェ的な視点だといってよい。》 (蓮實重彦『「赤」の誘惑 フィクション論序説』)
642 :
吾輩は名無しである :2008/09/13(土) 02:20:39
蓮實はヒュームの人性論が生前刊行されなかったという事実を確認していないw
て俺が間違ってどうするw それはライプニッツだ カントが読んだのが人性論ではないという事実を無視、だな
645 :
吾輩は名無しである :2008/09/14(日) 00:28:14
淀川長治に「ニセ伯爵」と皮肉られたインチキ評論家
>>642 貴君はスレを汚したりしていない。
スレ汚しというのは645のような馬鹿をいうんだ。
647 :
吾輩は名無しである :2008/09/14(日) 22:27:00
淀川GJ
この人いつ映画観てるの?
649 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/15(月) 00:51:43
みられられらるらよ。
651 :
吾輩は名無しである :2008/09/15(月) 08:52:58
>>649 お前蓮實がどれくらい見てるか知ってんの?
652 :
吾輩は名無しである :2008/09/16(火) 01:45:05
では粋で鯔背なツッコミを一つ頼みます
654 :
吾輩は名無しである :2008/09/16(火) 14:31:04
どこが野暮なんだよ?お前誰だよ?
蓮實の映画評論はアホでしかないが、文芸評論は評価してるぜ。 村上春樹が大嫌いってだけで信用に値するねw
映画知らないだけちゃうんか
蓮實の映画批評は、副読本っぽい書き方だと思う 通念がどこかにあって、それを崩すというか だから蓮實だけを真に受けたドグマがろくでもないのだろう
おまえもろくに読んでないな。 そんな印象糞の役にも立たない
印象じゃないよ じゃあそうじゃない事実を示すべき
>>657 からして「〜だと思う」、「〜だろう」ってあんだろ?
これのどこが事実か説明してみてくれ。
副読本っぽいと思うのは参照項を知らないから出てくる言葉じゃねーの?
二行目、三行目は完全に意味不明。
まず蓮実をどうこう言う前に自分の日本語能力をなんとかした方が良い。
少なくとも誰かに何かを伝えようという意思が見えない。
揚げ足取りかよ 蓮實こそがスタンダードと言いたいならそう示してくれ
>>661 批評というものは
あくまで映画が主で二次的なモノであるなんて当然だろ。
そこからひねくれた物言いで回りくどく自分で創作してると言い張り
ダブルスタンダードを使い分けるのが蓮實のスタンスというのも前提。
誰も蓮實がスタンダードだなどとふやけたことは言ってませんね?
ダブルスタンダードを ↓ ダブルスタンダードで 一応
>>662 違う違う
双葉みたいな先行者の盲点を突くって意味
665 :
吾輩は名無しである :2008/09/18(木) 01:04:46
>>654 匿名掲示板で「誰だよ!」ってanyoneだよ
本名知りたかったらお前の全能力と人脈辿ってここを探れ
というか2ちゃんの過去ログに名前さらされたことあるから
推論でみつけてみ?
これ挑発じゃなくて実話
名前晒されたことだったら俺だってあるよw
667 :
665 :2008/09/18(木) 01:11:18
加齢臭漂う上に粘着だね
669 :
665 :2008/09/18(木) 01:15:56
>>668 加齢臭通り越して腐臭がただよいつつある
ゾンビではないのでご安心を
ご老体をいたわれよ、新世代
40近い爺か
>>669 いや、俺もロートル
けどガッチャマンはないだろ
こうまでつまらん自意識に縛られながら名無しやるより、 いっそみんなコテ名乗ったらいいやんw おめーらの実名なんて別に知りたくねーしw
おまえみたいになりたくないな
横。 ちーきゅーうーはーひーとーつー わーれーれーばーふーたーつー、の後を、忘れた。それだけw
やっとログを半分ぐらい読み終えた。
Cには確かに自意識的な調子が目に付くけど、
蓮実の姿勢自体の逆説的な穴への指摘はかなり同感だ。
デリダ由来なのかどうなのかはコメントしない。
ただ、不可能性へのにじり寄りは、あるところまで似てるね。
そして、蓮実とデリダの足取りはその限界をどう扱うかで分岐するのだが、
俺はデリダのほうが数倍好きだ。蓮実はすごくぬるいと思う。
Cや他の人のレスへの言及を絡ませて言うと、
まずは
>>419 >>421 の言うように
>抽象と具体の対比がベタ
これは当たってる。
そして30年間そのままだったと
>>425 で言うCや、
それはバルトもどきでしかないと言う
>>428 のとおりで、
もどきが自己目的化しているようにすら見える。
>>447 への返答としてCが
>>449 で
>回避しなきゃいけない時点で結論することの価値を認めてしまっているわけだから
>戦術構築の時点で敗北
と答えているが、こういう逆説的な保守性があるんだよね。
対立構図をとり、片方の立場を取る、という振る舞いによって、対立項を強化してしまう。
過激なように見えてひたすらに保守的で、対立構図への依存が酷い。
本当はその対立構図自体を線引きしなおすことを、局面局面ごとにやるべきなのに。
レスの文脈に沿って言うと、
回避するスタイルさえ取れば逃げきれるってことでしょう。
しかし、それこそが「結論」と同じようなものだよね。
いつの間にか対立項の模倣になってしまうんだよ。
676 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/20(土) 00:08:43
>>675 違うよ。ここでは誰も触れていないようだけどフロベールさ。蓮実の批評の原点だ。蓮実の著作のなにを読んでいるんだみんな?
あとシネフィルが全然いないなこのスレ。
戯曲スレに芝居観ている芝居好きが皆無なのと同じ理由かな。くだらねぇヾ( ´ー`)
俺シネフィルだよw
678 :
吾輩は名無しである :2008/09/20(土) 01:24:43
俺映画好きだよ
679 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/20(土) 01:58:36
>>677 >>678 数ヶ月ちょっと前だけど、アテネフランセでやったカール・ドライヤーの上映会は行った?私は逃したしてしまって大後悔してるんだが。
悪いけど私は東京人なんで地方の諸事情なんて一切考慮しない。あと村落共同体特有の心性もまるで分からないし嫌いだな。
>>679 お前たんに性格悪いだけだろ
俺もお前の事情なんか斟酌しない
武陽隠士はスルーするものと相場が決まってるものだと思っていた
まぁ彼は、いつもいる人でもないから。
違うよ、って何がどう違うのかさっぱりわかんないなw このコテハンは自分の気分・関心にあってると、「うん、そうだ。」という一行つぶやきをレスにつけるわ、 それまでの議論の推移を無視して、単に自分のイメージを断定的にはっつけるから、 話にならん。まさしく「話し合いにならん」というべきか。
だから、普通はみなスルーしているでしょう面倒だから。
だね。結果的に構ってしまったのと同じレスをつけてしまって(スレ汚しになって)すまんかった。
686 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/21(日) 01:55:01
>有象無象 あんまり映画なんて観ちゃいないくせして、偉そうに蓮実の映画評論云々してるからレスしたまでさ。 あと蓮実の評論にフロベールの紋切り型辞典があることを前提しないでデリダ云々しても仕方ない。 蓮実はデリダなんて嫌いだよ(認めてはいる)。豊崎じゃないんだし。しかし思想文学オタクでデリダとブランショにはまる奴らはばっかばっかだ。フーコー、ドゥルーズと読むのと違って ニワカに深遠な気持ちになったと錯覚するんだろうなw どうでもいいがバルトの映画評もひどいな。ゴダールと仲が悪いわけだ。ああそうそう蓮実の評論を論じるときにバルトを持ってきてるのは止めてくれ。蓮実は日本のバルトじゃない。 まあまた来るぜ。映画くらい観てくれ。ドゥルーズの映画評論はとりあえずチェックしろや。
687 :
吾輩は名無しである :2008/09/21(日) 02:51:57
ドぅるーずを読んでいるとはさすがだな。シネマの方は当然、原典で読破されているんだろうし。 ちょっと他の人とは違うね。命がけで2chやっている人らしい貴重な意見だ。 やっぱり量をこなしている人の書く文章は違うな。
蓮実の映画観と、ドゥルーズの映画を論じる問題設定とが容易に両立できると思ってるなんて、救いがたい白痴だな。
むしろ敵対するよな
蓮実におけるようなサスペンスの全ジャンル的拡大 (ムー大陸がこのスレで言ったような、不可視的な中心を置いた宙吊りとか) メロドラマもサスペンス亜流としてロメール「グレースと公爵」をその視点で見切る発想、 これら背景のもとでのヒチコックへの重視 あるいは、バタイユの「非知」に近しい、ショットへのたじろぎの実演と、そこで留まる姿勢(レヴューだと特に顕著)。 このどれもがドゥルーズと異なるし、相容れないよな。
フロベールに蓮実のすべてがあるとかいう仮説にしたがうとしよう 作品=有限性に対して、読解がはらむ無限な活動とその区切り だとか 表象不可能性に対して、相対的に表象可能性の圏域にこだわり、 かつその中で無限を見出す(ゆえに表象不可能性を別のレベルで再投入してると思しいのだが) だとか 映画作品をメロドラマ=サスペンスで包摂する見方 これをフロベールで説明してみよ。 蓮実だけでフロベールをそれこそ「ニワカ」になるやつって、フロベールについて何も知らなくて困る。
>あんまり映画なんて観ちゃいないくせして、偉そうに蓮実の映画評論云々してるから
ところで、
>>675 のどこが蓮実の映画評についてのものだったのだろう?
まずもって、映画批評関連ではないのだと思うが。
675の主旨が映画批評の蓮実を指してるのなら、
作品全体とショットの対立のさせ方から話を始めないとつながらないでしょ。
確かにドゥルーズと蓮實は水と油かもしんないw 真面目にドゥルージアンやるなら、蓮實は全否定の対象になりかねんなあ。
ドゥルーズは実験映画も普通に好きだし
逆は必ずしもそうならない所が、蓮實のズルいところなんだけどねw
>>694 まあドゥルーズの方がいい意味野蛮なんですよ。
シドニー・ルメットとか唐突に出てくると、さすがに「ええ〜っ」て感じですがw
蓮實は「シネマ」って設定自体嫌いだろう フィルムの断片的体験で行くと決めた人だから
>>696 マルコ・フェレーリとか出してるのを見て小山田圭吾かよと思ったぜw
>蓮實は「シネマ」って設定自体嫌いだろう >フィルムの断片的体験で行くと決めた人だから そりゃあ70年代まで。 それ以降は崩れまくりですよ。 そのストイシズムをメジャーになった後も持ちつづけていりゃよかったんですが、 「リュミエール」以降はヒエラルキーの人になっちまいました。 「ロッセリーニを擁護するためならフェリー二の全作品を火にくべてもよい」 とかね。
>>699 それは頭が悪いなあ
意味の論理学でキャロルとアルトーどっちも捨てないと言い切ったドゥルーズの方が偉い
>>698 ルメットの言及はさすがに不思議がられていて、
昔のユリイカのシネマ特集では、「カイエでそんな文脈でもあったのかしら」とかコメントされていたな。
それは昔のユリイカの連中が馬鹿 なんでドゥルーズがアラン・レネを褒めるのか?みたいな擬似問題もあったし、 蓮實に毒されすぎ
いや、レネはカイエでも普通に評価高いし、 マリエンバード、ヒロシマ、ミュリエルもあるし、そんなに無理はないのでは。 ルメットの場合は、うーん・・・
だからそういうシネフィル的批評とドゥルーズは無縁なんだよ
いや、そこはカイエ=蓮実としちゃうのは問題かと。 蓮実の好みはやたら偏ってて、しかも国内でヘゲモニーあったからね。 カイエってもうちょっと違うと思うよ。 日本だとシネフィル=蓮実派になっちゃうぐらい窮屈だけどさ。 ドゥルーズがさらにそれを無視してる側面はあるが、かといって全く別個ってわけでもないと思う。
俺が言いたかったのは十年前のユリイカが蓮實ドグマで書かれてるということ
そりゃあ70年代カイエは蓮實が嫌いなスクリーンへ継承されたし
709 :
642 :2008/09/22(月) 10:59:45
>>675 いつのまにか私はCになってるんでしょうか??
まぁわかりませんが。
ところで私の言説が自意識過剰だとしたら、むしろ「批評」や「批判」は「無意識過剰」ともいえます。
どちらが正しいかはともかく、
自己を自分の感性や生きた人生を限りなく抽象化して語るのが哲学(とりわけデリダ?)だとしたら、
私はあくまで過剰な自意識を徹底的に理論武装とその盲点を限りなく、
シンプルにするのではなく、
むしろ他者の引用を借りて無茶苦茶につなぎ合わせる事によって、
増幅したノイズを提示しようとしています。
むろんこれに署名してしまえば、
私の生きた人生のお前の土地や環境や血縁関係や恋愛関係や所属した組織内関係や身体や器官や…etc
それらの「歴史」から浮かび上がる「署名者」の「存在」がありがたがられたり、共感されたり、侮どられたりされかねません。
710 :
642 :2008/09/22(月) 11:01:59
しかし蓮實が、たとえば『大江健三郎論』で行おうとした「大江的存在」(作者的存在)とはいったい誰というかanythingなのでしょうか??? それがいくら「荒唐無稽」だとしても、 もしかしたら「浜村龍造」(中上健次『岬』、『枯木灘』、『地の果て 至上の時』。とりわけ、『地の果て 至上の時』で己を浜村孫一という歴史上の人物になぞらえたり、 秋幸を誘導し山に入ったり、 路地の地図を書く龍造)に似てはしまいか?? そして、未完というか決して書かれる事のなかった「秋幸的存在」とは、 中上健次その人ではなく、 龍造的存在に同調するとともにノイズを感じ、 それをこれまた混乱した周波数によってブーストしたノイズで応戦する行為として、 「小説的フィクション」という文字記号だけでつくられた散文に文字記号をかき集めて、 アナロジーとパラレルとその対立項と…とにかくつなぎ合わせて「構造」にするのがポストモダニズムだとしたら、 デリダをコペルニクス的に展開して、 むしろ「増幅構築」(これは私が思いついた「比喩的」概念です。細かい検証はまだされてないので、とりあえず仮の命名としておきます)すべきではないか…。
711 :
642 :2008/09/22(月) 11:02:24
むろん私にも盲点があります。 この立場を特権化するつもりはないです。 ただ、好き嫌い(趣味判断)をカント的に構築するのではなく、 散文的に示すなら、 この方法は可能性がある気がします。 細かい検証は、また批判、修正、啓蒙、盲点等の指摘お待ちしてます。
お前はすっこんでろ。675のアンカーでは、
「425で言うC」「返答としてCが
>>449 で(...)と答えて」と、
コテハンでCと明白なものに一々断りを入れてあるじゃないか。
どう勘違いしたらそうなる。
冒頭が「やっとログを半分ぐらい読み終えた。」
からはじまるように、642のログ以前の、Cがこのスレでやりあってたときの
文脈に沿っての返答じゃないの。
お前、単に 俺って無意識過剰〜 と吼えたり(かくも意識されていて、どこが無意識だ) 710以後の話を話したかっただけだろ。 勘違い乙
714 :
642 :2008/09/22(月) 11:09:31
追伸。 もしかしたら、これはニーチェがすでに行った遊戯で、 その真似は茶番かもしれません。 それでもドイツのあの時代に行ったニーチェが、 あくまで自分の言葉で散逸する散文的哲学を披露したとして、 そこに他者のの言葉をあたう限り巻き込んで、 「聴く立場」のやるせなさを提示する事。 もしかしたら、すでに丹生谷貴志が既に光の国でやろうとした事の反復かもしれませんが、 二度目の反復は茶番ではなく、 『差異と反復』です。
715 :
642 :2008/09/22(月) 11:12:22
>>712-713 おまえらなめてんのか????????????????
すっこんでろとか勘違いとか人の揚げ足とるなら、
まともに批判してみろ。
ただし、この映画見て己を知れ、はなしね。
文字記号でたのむ。
こいつ、スガスレでもドゥルーズスレでも馬鹿にされて無視されたのに、
>>646 が褒めたものだから調子に乗って住み着いただけなんで、放置しておけばいいよ。
無意識過剰って理論的にあり得ないんですけど ていうか自意識過剰なやつはそのまま無意識も過剰だろ
仕方ないなあ、相手してあげるよ。一回だけだぞ。
>>675 の冒頭
>やっとログを半分ぐらい読み終えた。
>Cには確かに自意識的な調子が目に付くけど、
ここに注意。
ここから読み取れるのは、
675はこのスレの前半ログで語られていた論点について語っていること、
特にCの立ち位置に賛意を示しながら語っていること、
前半ログの序盤では、前スレからCとムー大陸の対論のかたちで引き続いていたことが示され、
>>25 の時点で揶揄的に
>Cというコテハンはなんでもかんでも
>自意識に引き寄せちゃうみたいだからなあ。
といわれており、おそらくそうしたスレの空気に応じながら、
675が何か言おうとしたこと。
第一、675の一体どこに
>>640-642 への応答をみなして返答してるんだ。
唯一つながりそうな箇所は
>蓮実の姿勢自体の逆説的な穴への指摘
というところかもしれないが、そんな指摘全然してないじゃん。
逐一言及箇所をアンカーで指示されてるのに、何でアンカーで指示されてもいない自分への応答だと考えるのか。
単に勘違いじゃないの。
いや、勘違いであっても、「これは俺への返答じゃないのだろうが、興味深いので横レスします」
もいいかもしれない。だが、返答としてつながりがなさすぎるだろう。
お前、単にくっちゃべりたかっただけちゃうんか。
>>717 無意識過剰ってのを90年代のスガがたしか三島について言ってるんだ。
それをわけもわからず使ってるだけだと思うよ。
って、よく読むと、
>>712 の「俺って無意識過剰〜 と吼えたり」というのは違ったのか。
お前ら無意識過剰って言いたかったのか。いや、批評というものが、か?
>ところで私の言説が自意識過剰だとしたら、むしろ「批評」や「批判」は「無意識過剰」ともいえます。
この一文、どういう意味で「むしろ」と対比されてるのか意味わからんな・・
>自己を自分の感性や生きた人生を限りなく抽象化して語るのが哲学
で、これは自意識に属するが、批評は無意識に属するってことか?
初めて聞いたぞそんな対比。自明なことのようにまくしたてられてもなあ・・・
720 :
642 :2008/09/22(月) 12:51:08
>>718-719 参考になります。
ありがとうございます。
私の周波数をイコライザーとプリアンプを使って増幅して、
言葉で提示したらああなったまでです。
ただその周波数の突っ込みどころは確かにある訳で、
そこはまた調整します。
こんな荒らしまがいも俺が言うのもなんだが、
巣に帰る前に、出て行け!だけでは、
いくら恫喝しても罵声を浴びせても効き目はない。
むしろ怒気を強めるだけである。
むしろ相手の周波数を受け流したり、
むしろ全く別の方向へ追いやるのが、「言葉と物が蓄積された人間の社交」ではないか?
とまたこじつけたところで去ります。
相手にしてくださった方には、
永遠にHDに保存しておきます。
721 :
718 :2008/09/22(月) 23:31:30
そらお前が
>>712 の2行目3行目を全く無視して勝手に切れただけだろう。
1-4行で見れば、お前宛のメッセージじゃねえよすっこんでろ、と読めると思うが。
自分が人の文意を取り損ねることすら人のせいにするな。
>むしろ相手の周波数を受け流したり、
>むしろ全く別の方向へ追いやるのが
これがスレを自分の引用独演会に使って、聞かれてもいない自説開陳を一人で繰り広げた言い訳かよ。
それは単に、社交ではなくて暴れてるだけだ。
感謝なんて要らないから、黙って半年ROMるか、
あんたみたいな軽挙妄動は2chは見るだけ半可通になるのがオチだから
2ch以外でしごかれてこい。このレスに返答は要らない。
のびてると思えば内輪向けの自分語りといつもの、か。 こいつら死なねーかな。
ここって、内輪以外に何があるんだろう。 たしかにこの50レスぐらいはうんざりな流れだけど。
724 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/23(火) 01:13:54
>>704 それは正論…
といいたいとこだがシネフィルだよ、あの水準は。それに対してジジェクは「シネフィルじゃない」と断言できるね。
ドゥルーズの映画についての文章はすばらしいよ。やはりこのスレにシネフィルはいないみたいだw
ちなみにこのスレはドゥルーズスレじゃなくて、シネフィルにしてフロベール研究者の蓮実重彦のスレ。映画もフロベールもろくに興味がない奴ばっかのスレに私も半ば呆然だぜw
変なのが偉そうに上から「シネフィル」とかほざいたところで チンケな三下に何を説明したり語ったりする必要は誰にもないw そもそも誰にも相手にされてないんだから。 スレや住人を見捨てたんならただ消えりゃいいんだよ。 こういうバカが一番うざくてしょーがない。
蓮實は批評家だからヒエラルキー作っていんでしょうが。トリュフォーもゴダールも作ってる。 ドゥルーズは哲学だから関係がないだけの話。そこに順位作ってどーすんの。 それとシネフィルは必ずしも作家主義ではないんだがな。作家主義とシネフィルがごっちゃになってる。
作品の良し悪しの価値判断をすることと、そこに体系的な構造をもちこむこととは 違いますよ。 トリュフォーやゴダールの評論をいくら読んでも、俯瞰的な見取り図なんて 浮き上がってきやしませんw それは山田宏一でも山根貞男でも淀川長治でも同じこと。
728 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/24(水) 23:20:04
>>725 >>726 >>727 あほくさw
映画観ろってことだ。私は日本史プロパーだが、とりあえず史料を読め(まあ本当は漫然と読んでも仕方ないが)という話と同じようなもんだ。
映画ろくすっぽ観ない奴が映画評論を云々する醜悪さをバカにしてるだけの分かんないみたいだなw
バッカみたいw
観ずに読まずに偉そうなうんちく語る。ここにいる連中はネットで知ったかのバカばっか。ウィキペディアみたいなゴミ箱を暇さえあれば開いてるんだろうなw
…でもホント、よくもまぁそれでおまんま食べてるひとたちの前で、 そこまでの知ったかをって感じなんだがw 知識で競ったってね。見識をこそみせつけてやれと。あるのなら。
730 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/25(木) 00:11:39
>>729 意味不明w
それと見識ってw映画の話ふってもダメだろうが、おまえらw蓮実の映画評論の批判があんなんじゃなw
田舎の引きこもりとみたぞw
「隠士」が引きこもりを叩くのってどうよ
イタい上に、イジりたいという欲望を起こさせないコテってどうなのかねw もう少し地球にやさしくなりましょう。 せめてリサイクルできないと。
>>730 うん。
判るひともしくは、心当たりのあるひとwにしか判らない
そんなもんだが、けれどもちゃんと、機能はしている。問題ない。
でもいいんじゃね? だってここはあくまでも文学板なんだし。
言葉から、引き出せる人間しか合わないし、そもそも要らないんだって話。
それだけだよ。
蓮「実」って書くだけでまず駄目。 んで、映画「評論」で論外。 この糞コテこそ何も知らん門外漢の塵芥のくせにどうしてこんな偉そうにできるんだw ま、真性リアル・バカだから仕方ないんだろうが。
735 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/25(木) 00:37:27
>>731 >>732 「大隠は市に隠れる」って知っている?それはともかく、「武陽隠士」というのは江戸時代にいた匿名経世批判した人のペンネームだよ。
江戸時代の武陽隠士はありとあらゆることを批判しまくっている。
私はそれの衣鉢を継いでるわけだ。私は時評みたいなことを思いつくままに書き込みしてる。ただ私は学問に命を掛けている。ただレスに命掛けているわけではない。
突然だが言わせてもらう。ここはドゥルーズのスレでもデリダのスレでもない。蓮実のスレだ。
それからイジルも何も批判すべき点は批判させていただくだけだ。くだらない意味なしの実存漫談思想漫談はたくさんだ。
736 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/25(木) 00:50:17
>>737 あほくさw“実”がどうとかw
どうでもいいよ。夏目漱石のスレもそうだけど、古典とか読んだことない奴ばっか。表記のラフさ加減が分からないんだな。
どう表記しようが私の勝手さ。
まあ『反=日本語論』には、とある外国人日本文学者が名前表記を間違えたのに(も。他に主因あり)腹立ったとか書いてあるが、蓮“実”じゃなく蓮“見”と誤記された感じの書きっぷりなのだが、お前ら読んでるか?ははははは
バカなレスだなお前
737 :
吾輩は名無しである :2008/09/25(木) 00:55:36
>>738 お前のレスもあほくさ。でOK???
↓↓↓
意気軒昂でよろしいですな。 で、隠士様は今まで何本くらい映画をご覧になっているのでしょうか? 後学のためにご教示願いたく。
739 :
ただ私は学問に命を掛けている。 :2008/09/25(木) 00:57:57
wwwwwwwwwwwwwwwwwww ただ私は学問に命を掛けている。 wwwwwwwwwwwwwwwwwww
なんだせっかく遊んでやろうというのにw 寝ますよ。おやすみ。
じゃあ俺が構ってやろう(笑 …ムーはなー、 構ってちゃんモードに入ると途端にバカっぽくなるんでwww お前はマジレスをだけ書いてろとw いや本当に。
はい。 「己を知れ」ということですね。 だそうですよ。隠士様。
東大出版会から今度出た「映画論講義」 もう読んだ人いる?読みやすい?
744 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/10/04(土) 02:16:20
>>741 >>742 挙げとくからまともな反駁してきてくれ。
茶々は無視する。あと己を知るのはおまえだよ。もっと本読め。読まずに語るほど私は自惚れてはいない。
まったくテメーみたく読まないで御託ならべてみてーよ。ばあか
>>743 ザっと読んだ。
読みやすいもなにも蓮実の映画本の多くがそうであるように、しごく啓蒙的な書物だ。ていうか楽しい本。
※ちなみに君にレスしたというより、ロムってるギャラリー向けね。
ギャラリーとかもうね・・・
なぜかスガスレに別名で書き込んでるし
頭のイカれた福音派のひとですかw
748 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/10/04(土) 02:32:22
>>746 ?私はこのコテでしか書かない。
悪いけど頭の中の要らざる知識を捨ててるんで面倒くさいことしたかない。
まあどうでもいいや。なにもかも面倒くせえや。
バカはどうでもいいことに血道あげるんだろうが知るかって感じ。こっちは書きたいこと書いたらオサラバだ。
。
じゃあな
>>748 すいません、知恵遅れさんに質問です。
最近見た映画を5本くらい、去年か今年のベストを教えていただけますかw
精々金井美恵子程度は語れるようになったらこのスレに顔出しでもいいよ。 清、則文、神代、曽根、藤田の良さなんて 酒乱のメンヘル女なんかにわかってたまるかっつうのw
実生活でのある種の憂さを晴らしてるレスに共通の痛々しさがあるね 聞かれもしないのに自分のことを語らずにいられないあたりが何とも哀れで
自演するきちがいが狂いまわってるので・・・・w 相手にしないように
520 :武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/25(木) 01:46:58
>>519 私が金井美恵子先生なはずがありません。
敬愛する先生のような方と私が同一人だなんて恐れ多いことです。冗談でも止めて頂きたいものです。
ちなみに先生が若い頃の写真を観れば瞭然なように、妖艶な美人です。
私は別段妖艶じゃないいたって普通のほうです。
ところで私はまだ若いです。先生の子供みたいな世代です。別に年取ることを忌避しているわけではなく単なる事実として言っているだけです。
いずれにせよ誰にしても年取るのが当たり前。年のこと云々するのはどうなんでしょうか。
分かったか!オヤジうぜーよ(`ε´)
ここは金井スレだ。ググった能についてのいい加減な書き込みをしたり、コテハンを揶揄したりする場所じゃねえんだよ。
金井ファン以外は消えろや。
さて寝るか。バカ相手にくだらねー夜更かししちまった。明日つらい…
mixiから甜菜 〜蓮實重彦が偏愛する本 24冊〜 阿部和重『シンセミア』 ヴァージニア・ウルフ『燈台へ』 大江健三郎『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』 河野多惠子『みいら採り猟奇譚』 後藤明生『挟み撃ち』 ルイ=フィルディナン・セリーヌ『北』 クロード・シモン『フランドルへの道』 ジャック・デリダ『有限責任会社』 ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 中上健次『熊野集』 中上健次『千年の愉楽』 中原昌也『ニートピア2010』 ロラン・バルト『彼自身によるロラン・バルト』 ロラン・バルト『ミシュレ』 ミシェル・フーコー『言葉と物』 藤枝静男『田紳有楽・空気頭』 藤枝静男『悲しいだけ・欣求浄土』 古井由吉『白暗淵』 松浦寿樹・古井由吉『色と空のあわいで』 松浦理恵子『犬身』 村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』 ジャン=ピエール・リシャール『マラルメの想像的宇宙』 山田宏一『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』 山田宏一『トリュフォー、ある映画的人生』 ※蓮實氏が「魅せられ」つつも、残念ながら品切れの本 阿部和重『ABC戦争』 井上究一郎『ガリマールの家』 井上究一郎『幾夜寝覚』 笙野頼子『二百回忌』 アラン・ロブ=グリエ『消しゴム』
754 :
吾輩は名無しである :2008/11/04(火) 20:24:59
蓮実重彦のいうことにはいくつか我慢できないところがある 小説は後進地帯であり、映画はメディアとしてその何倍も優れている という主張にはなんの根拠もない 結局のところ映画はどこまでいっても表層的な、まさに氏自身のような 凡庸でありきたりな人格しか表現しない また映画のほうがそれに接するための手段がはるかに地域的にも経済的 にも限定される 年100本も見れるほど暇なのも才能だと本人は無責任に嘯くだろうが ほんとに無責任で根拠のない断定が多く、それはそうするほうが本人 には面白いから ただそれだけのことだ そういう言葉でどれだけの人間がキヅつき振り回されたか そんなことも知るかというだろう 無責任は肯定されるのだから バブル崩壊を堺に小説を擁護せねば(誰にたいして)と言い出したが、 そんなこと無関係に小説は生きている だいたい大事なことは腰が引けている ガタリの対談の司会でもまるでへっぴり腰 ガレルの後姿にかたりかけたなどとよく言うよ
ちんたまきゆいまで読んだ
756 :
吾輩は名無しである :2008/11/04(火) 21:11:54
757 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/11/04(火) 22:45:49
>>754 たぶん君には難解で「訳の分からないことゴチャゴチャ言ってる」と思うことだろうが、
蓮実に限らず先鋭な映画批評家は「メディアとしての映画」としての映画を批評してるわけじゃないんだよ。
まともな文芸批評家も小説をメディアとして批評してるわけじゃないのと同じことだ。
また君は、蓮実のターム(タームだなんて蓮実が聞いたら嫌がるだろうな)「表層」と「凡庸」の意味も取り違えている。
凡庸(蓮実的に凡庸の対義語は愚鈍だ)はともかく、この蓮実タームの「表層」は深層との二項対立の際に持ち出される表層じゃなく、深層との二項のじゃない表層だ。深層に価値概念を求める向きには意味がわからないだろう。
映画を画面だけに限定して観る見方のように(ドゥルーズもまあそうだ。画面なんかたいていの映画観る奴らは観てないんだよね。蓮実はそこに「映画そのものを観ろ!」と扇動的な批評をジャーナリズムあるいは立教大なんかの映画の授業で始めた張本人なのさ)、
画面それのみを徹底的に唯物論的(これも蓮実的用法)に観ようとするスタンスに繋がるポジティブな態度でいるときに留まる場所みたいなことさ(留まるなんて言い方だと深層とかを想定しちゃう。とにか蓮実の「表層」く深層なんかまったくない表層のことだ)。
リシャールの批評なんかに通じてるな。
だから蓮実の文芸批評も一見変な符丁に拘泥してフロイト的な何かを求めてるみたいに見えるけど、実は全然違うんだよ。無意識とかを前提にした符丁じゃないんだよね。言語そのものに即してるだけなんだよな。
頭の悪いレスには即座に反応すんのな、この酒乱のド・レズがw くたばれ
759 :
吾輩は名無しである :2008/11/04(火) 23:52:42
画面上にワケもなく波の絵が出てくるといったときの、 直接的な経験。 骨董を撫でまわすときの興奮みたいなものか?
761 :
吾輩は名無しである :2008/11/05(水) 05:16:21
762 :
吾輩は名無しである :2008/11/08(土) 21:53:14
この蓮實という人は貧しい読書遍歴の持ち主ですね。
763 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/11/08(土) 22:58:27
>>758 そりゃそうさ。馬鹿叩いてストレス発散してんだからw
764 :
吾輩は名無しである :2008/11/08(土) 23:06:15
765 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/11/08(土) 23:24:52
>>764 そりゃオマエが馬鹿だから意味分かんないだけさw
766 :
吾輩は名無しである :2008/11/08(土) 23:28:57
お互い様ヨ
蓮實氏がどこかで宇野邦一『映像身体論』について、〜なこと書いている時点で読む価値ない云々 といった趣旨で批判されていたと記憶していますが、どこでだったかどなたかご存知ないですか?
蓮實は宇野を無視してるよ
>>757 「表層」がドゥルーズのパクリだということを知らない奴に限って、
「深層」は無いとかいう。
蓮實自身は当たり前だがパクリだと知っているので、
恐るべき「深層」について、それと名指さずに語ることがたまにある。
意味という病
>>762 もっと読んでるけど独自の審美眼と策略があるから敢えてリストに挙げてないだけだよ
映画監督の吉田も最近になってヨイショしてるし。意外と義理堅く作為的な所はあるよね
>>753 金井破門されとるw
不勉強な映画批評書いたから頑固に怒ってるんだろうな
774 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/11/24(月) 00:22:49
>>769 それは既知だよ。それに私は蓮実が「深層はない」とか言ったなんていってないし。
深層を前提としない表層に留まる思考のことさ。なにかを断定するのは君みたいなバカだろw蓮実のそれとなく示すかもしれない「深層」は、「表層」と「深層」の二項対立の深層じゃないってことも分からないバカじゃしょーがねえよ。
蓮実の本ろくに読んでないんだなw私のレスも今一度読み直せ。
バーカ
深層の令嬢あははん
>>774 知らない奴に限って、よく分かってないくせに、二項対立はいけないとかいう。
単に二つの関連する概念が出てくるだけで、二項対立はいけないとかな。
二項対立が何かも知らないわけ。
更に言えば、ドゥルーズ≒蓮實には、二つではなく、もう一つあるんだが、
二項とか言ってる時点で、もう、ろくに知らないのはバレバレなんだな。
777 :
吾輩は名無しである :2008/11/28(金) 15:36:20
777
778 :
川俣軍司 ◆kapwcKvnKE :2008/11/28(金) 16:16:08
779 :
川俣軍司 ◆kapwcKvnKE :2008/11/28(金) 16:17:42
…・・!?
780 :
いつか :2008/11/28(金) 18:27:30
えっ……………
781 :
川俣軍司 ◆kapwcKvnKE :2008/11/28(金) 18:40:09
すみませんでした。
>>753 金井破門されとるw
不勉強な映画批評書いたから頑固に怒ってるんだろうな
783 :
吾輩は名無しである :2008/11/28(金) 23:55:47
784 :
吾輩は名無しである :2008/12/08(月) 19:34:13
数学が実際できるかどうかは、あまり批評能力とは関係がない。 でもいまの時代それじゃ言論できない。 数学できないやつは馬鹿という時代だもん。 問題は、数学ができないと思われると馬鹿にされてしまう、という社会状況があるということ。 つまり、「このセンセ、何だかんだいっておりますけど、数学できるんですか?」と読者に思われ、 「結局、このセンセ、科学もよう知らん、トンデモさんなんやろうか。ソーカル事件」と総括される。 読者は多岐にわたるようになった。たとえば、理系研究者や技術者も批評を読む。 インターネットによって言論がなされる時代とは、つまりそういうことなのだ。 そのとき、基本的な数学も知らないような知性は、見た目で排除されてしまう。 羽須美がダメになっているのは、こういうこと。
785 :
川俣軍司 ◆kapwcKvnKE :2008/12/08(月) 19:47:58
786 :
名無し募集中。。。 :2008/12/09(火) 09:15:48
「魅せられて」読んだときに、単純に老いを感じて悲しかった。 やはり凡庸な芸術家の肖像あたりの知略に満ちた文体が好きです。 昨日は、「三四郎を読む」を再読して感動しました。 創造的な読みの実践例だと思いました。 創造的に読むときに小説は読み手の中で芸術として成立するのだなー、と。 三四郎を読み返さなければ、と思ったしだいです。 今更な話題で恐縮です。
そう調子づくな。 早朝から荘重な総長だなw
788 :
名無し募集中。。。 :2008/12/12(金) 09:31:49
昨日は『反=日本語論』の「倫敦塔訪問」を読み感銘を受けました 漱石も蓮實重彦も西洋を徹底的に相対化して見ているし 民主主義そのものの欺瞞性を指摘している点とか 「代表」や「表象」を通じて、政治と文学が通底しているという指摘などに刺激を受けます 漱石は今なおアクチュアルな作家であるという認識に勇気付けられます
新潮の新連載は面白そうだな もっと攻撃的にやれよ
790 :
吾輩は名無しである :2008/12/15(月) 12:36:34
舞城や古川などの新人は黙殺。古い頭でいまだに文芸批評家のトップのつもりw 叩くときは被害のこないジャンル外の人ばかりw
791 :
吾輩は名無しである :2008/12/15(月) 13:00:19
線形代数さえ理解できないだろうにねw
今さら東浩紀界隈に言及したら笑える
793 :
吾輩は名無しである :2009/01/02(金) 18:07:06
川上未映子についてどう思ってるか知りたいな
794 :
吾輩は名無しである :2009/01/03(土) 12:01:56
小谷野敦さんがブログで 蓮實は一九三六年生まれで、日本人として初めてフランスで博士号をとっ てきたと豪語していた。 と書いているんですが、本当なのだろうか? 蓮實氏が日本人として初めてフランスで博士号をとっ≠スということも事実 ではない気がするし、豪語していた≠ニいうのも小野谷さんの作り話のよう に思える。
795 :
悪い太郎 ◆LziSwFxVAU :2009/01/03(土) 12:10:24
このジーサンが死んだのは何年前だっけ?
796 :
越前かに :2009/01/03(土) 12:15:44
まだ生きてたような、、、
797 :
悪い太郎 ◆LziSwFxVAU :2009/01/03(土) 12:16:31
ナンの為に!
798 :
ブレードハリソン :2009/01/03(土) 12:19:58
歳をとると誰でもそうなんだから、あまりキツいこというなや。
今なにやってるの?
800 :
吾輩は名無しである :2009/01/05(月) 21:42:26
まだ生きていたような気がするが....
801 :
吾輩は名無しである :2009/01/14(水) 15:20:48
これからは町山、ガースの時代 ハスミンなんて時代遅れの評論家なんてw そんな時代いやだなあ
802 :
吾輩は名無しである :2009/01/14(水) 19:29:57
町山はホントやだ
ハスミン自身が総長時代の4年を経て もう映画評論家と言えるようなもんじゃないと認めてるじゃん 違う人探したほうがいいと思うぞ 海外の評論家とかな。
たとえば?
カイエとかS&S読んで好みなの探せばいいじゃないか
いや、そういうことじゃなくて、
>>803 が違う人がいいというのだから、
邦画もわかる代替になるような方をご存じかと思ったわけで。
もし具体名が挙げられないのならば、適当なこと言ってんな、と思う。
同時代の映画票は、 いくつかの優秀な映画ブログを巡回したほうが 遥かに有益だろう。どこかは教えないが。
ハスミンが自分で自分はもう終わったつってんのに 寄りかかろうとする信者はちょいキモい
>>808 >>803 のひとですか?
人を信者呼ばわりして逃げてないで、
偉そうなこといいたいなら、海外の評論家を挙げてからにしてください。
ガースはまあいいが、町山はいやだな。
811 :
名無し募集中。。。 :2009/01/16(金) 23:20:02
「魂の唯物論的な擁護のために」を再読しています はすみんが唯物論者=左翼であることを明言していたり 非政治的であると思われているが実は政治的であると言っていたり とても興味深いです 先日読んだ「赤の誘惑」は面白かったですが、はすみんにしてはやや低調なのかな という印象でした
812 :
吾輩は名無しである :2009/01/16(金) 23:28:39
蓮實なんか揚げてるからダメなんだコノ板は! まで読んだ。
813 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/17(土) 01:20:50
>>807 ブログなんてゴミばっかだよ
緊張感がまるでない。
だいたい校正も校閲もない文章読む神経が私にはわかんない(ここもそうだがw)
自己否定かよw
蓮実先生自分でもう終わったって明言してるのに 赤ちゃん信者が乳離れしないのが可哀相
麻生「自民党をぶっ壊す!」
>>813 よく探せ。活字に劣らない良質なブログがいくつかある。
819 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/17(土) 12:39:38
>>817 よく探せ、オマエの読んでるブログのゴミなとこを
820 :
川俣軍司 ◆kapwcKvnKE :2009/01/17(土) 13:03:27
蓮實重彦が芥川賞選考委員になるなら僕はもう何も言いませんよ
確かにゴミばかりですねぇ(笑)翻訳を載せているからということで見てみるととんでもない内容のものを見つけましたよ(笑)翻訳以前の問題でしょうねぇ(笑)おやはや(笑)
この板にいるコテなんか世間のゴミブロガー以下の塵芥以下だろw
823 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/17(土) 19:27:49
>>822 熱くなりなさんな。論破されて悔しいのは分かるがw
まあブログとか参照してる時点で馬鹿だよマジでさ。
「違う人探した方がいい」って言ってる奴に向かって「じゃあお前が教えろ」って返しもどうなんだ
825 :
名無し募集中。。。 :2009/01/20(火) 11:51:17
はすみんも時々アドルノの『啓蒙の弁証法』に言及するけど アドルノの文化産業批判に対して明確に態度表明というか批評している文章ってありますか?
>>813 >緊張感がまるでない。
はすみんの文章みたいなものですね?
827 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/21(水) 22:36:04
>>825 私が知る限りないな。
ただ「文化」としての映画なり文学と「芸術」としての映画・文学は峻別してたから、
前者の方を『啓蒙の弁証法』で論じられてる文化産業云々に当たるとでも本人は言うんじゃないか?
しかし『啓蒙の弁証法』を読むと恐ろしく文学映画音楽なんかに対して冷めるよな。私は大好きだあの本。
そんな区別、蓮實は断じてしてない。 映画は映画だw
829 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/21(水) 23:40:29
>「芸術」としての映画 これが嘘。
831 :
吾輩は名無しである :2009/01/22(木) 07:18:48
町山がほめてたマイケルムーアがクソすぎた
832 :
NEGATIVE.D :2009/01/22(木) 08:58:32
>>827 じつはひそかに蓮實重彦とアドルノは似ているのではと思うのです
アドルノは映画を否定し、はすみんは映画マニアという点は表面的な違いで
どちらも芸術なり作品なりの可能性を信じていたと思うのです
はすみんには「作品」(それを芸術と言ってもいい、と言っている)という観念がありますから
そうなり得ている映画や小説となりえていないものを峻別するぐらいは当然でしょうね
何を言ってるんだ、おまえは
834 :
NEGATIVE.D :2009/01/22(木) 10:27:07
はすみんはあまり正面からアドルノを持ち上げたりしないけれど 実はひそかに影響を受けたり意識したりしているのでは という下衆のかんぐり的なことです
ん、そもそもアドルノをきちんと読みこなせるほど 蓮實にドイツ語力はないでしょ。 せいぜい啓蒙の弁証法(これはホルクハイマーとの共著だが)を翻訳で 読んでる程度。
文頭に「ん」とつける人時々いるけど、 どういう気持ちで「ん(?)」と書くのかといつも思う。何「ん」って。
837 :
835 :2009/01/22(木) 12:00:18
>>836 「ん?」の意味です。
「?」をつけるべきでした。
838 :
吾輩名無しである :2009/01/22(木) 18:30:41
どの雑誌か忘れたがこのオッサンがサッカーについて対談して サカヲタから顰蹙かったらしい。 それ以来サッカーについてほとんど語らなくなったw
「この本は読むなと言われて本当に読まない奴は馬鹿でしょう」
>>839 おもしろいと言っていただけて光栄w
両者ともに基本的な思想は唯物論ですし
はすみんはポスト構造主義の思想と並走した感じですが
アドルノは一部ではプレ=ポスト構造主義者みたいに評価されておりますし
案外いけるんではないかとw
842 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/23(金) 22:55:49
>>841 そりゃ単なるバカだよwあほくさい
だいたい蓮実が自己形成した頃(30才くらいまでとしようか)はアドルノなんて日本ではそんなに読まれていなかった。
邦訳だって少ないし(ほとんどない?)。
それともフランスでは読まれていたとかね?
ついでにいえばベンヤミンもマイナーだ。
当時(昭和20年代30年代)の雑誌とか書籍チェックしろや。
全然違う名前(今じゃ不人気ないし読まれない)思想家哲学者なんかが目白押しだ。
うるさいよ。
>>837 いや、「ん」または「ん?」って何? ということだった。
蓮實をアドルノと結びつけてる奴が阿呆
>>842 はあちこち荒らしてる馬鹿だが、蓮實をアドルノと重ねるのも阿呆。
『凡庸さについてお話させていただきます』の著者を
文化産業論みたいな大衆文化批判者アドルノと一緒にできるかよ。
でもまぁアドルノを大衆文化批判論者と決めつけるのも 一面的な見方なんだけどな。 東大表象出身の竹峰義和が書いた『アドルノ、複製技術へのまなざし』 (青弓社)って本を読めば、アドルノが大衆文化にもどれほど可能性を 見出していたかがわかる。
そりゃアドルノ贔屓はテキストをいろいろ深読みしてあげてるけどさあ……無理がないか。 ベンヤミンへの無理解(と浅井健二郎も言っとったな)を見ても、アドルノは基本的にワカッテナイ。 ちなみに蓮實は早くにベンヤミンは読んどって、 後年フランス人がずっと遅れてバンヤマンバンヤマンと騒ぎ出したのには今頃何言ってやがると思った、とか語ってた。
852 :
NEGATIVE.D :2009/01/26(月) 11:17:07
蓮實重彦に同調する読者なら、アドルノ好きになるなんてあり得ないだろ。
>>852 の引用文は、パラフレーズすると、
あの批判すべきアドルノ達ですら「啓蒙の自己崩壊」程度のことは言ってるのに……
ってことに過ぎない。これがアドルノを評価してるなんてのは贔屓の引き倒し。
蓮實に同調せず、蓮實は馬鹿にしてるけど案外アドルノと蓮實は近いのでは、とか論じるなら話は別だが。
その最後の意味に決まってる
それならそれで、蓮實って結局自分が侮ってるアドルノと大差ないよね、って蓮實批判にすべきだろ。
>>852 >NEGATIVE.D
こいつにはそもそも蓮實の文章を論じる最小限の知性も感じられない。
いわんやアドルノについてをや。
857 :
吾輩は名無しである :2009/02/04(水) 02:48:58
中原昌也・川上未映子・岡田利規 古川日出男・舞城王太郎・佐藤友哉 も読んでるのか 俺の名前も出してくれよ
70過ぎたお爺ちゃんが >「羞恥心」のお馬鹿さんトリオのときならぬ隆盛 とか書いてるのにワロタw
「里田まい的無知」もそうだがどんだけヘキサゴン好きなんだよ
今回久々に美文家としてのはすみんの面目躍如って感じの文で大満足だった あんなに遠まわしに嫌味を言えるのははすみんにしか出来ない芸だよ
今月のユリイカ
864 :
クニンリングス :2009/02/05(木) 02:47:33
アドルノがハリウッド映画を理解できてなかったことを、笑って済ますことは出来ない。 知識人の敗北として、真剣に考えるべきだ。 みたいな事を言ってた。 ペロペロ。 アドルノ舐めるなよ?
「知」的放蕩論序説ですよね
>>864 たしかにアドルノは映画もけちょんけちょんに批判してますが(笑)、
映画の意義を理解できなかった、とまで言えるのか?
そうだとしても、時代的にやむを得ない面もあるのでは?
アドルノが叱咤激励したことで映画の側が発奮したという面もないか(買いかぶり?)
そもそも蓮實重彦先生がわーわー言うまで誰もハリウッド映画をすごいなんて気づいていなかったのでしかたがない、という面はないのだろうか?
とか、いろいろ疑問があるんですが。
866 :
吾輩は名無しである :2009/02/11(水) 04:22:12
>>850 に挙がってる本を読めば直ぐに分かることだが、
アドルノは、既にハリウッド映画の凄さを承知していたし
そもそもハリウッドの人脈にも通じてた。
無知で大衆映画批判してたなんてことは全くない。
むしろダブルスタンダードを巧妙に使い分けてた。
それがアドルノの一筋縄ではいかない知性。
アドルノって所詮、知識人ぶった偽善者に過ぎんからなあ。 ベンヤミンがカール・シュミットと関係しとったことを隠蔽したりね。 何か奥深いものを秘めたかに見せかけても、暴かれてしまって狼狽する。 蓮實みたいな表層的で露悪的な偽善っぷりの方がよっぽど一筋縄ではゆかん。
蓮實も同じって言ってるようなものじゃん
>>866 ,850 その本、ぜひ読みたいと思います。ご教示感謝です。
アドルノがチャップリンと交流していたことなども、『アドルノ伝』には書かれておりましたね。
>ダブルスタンダードを巧妙に使い分けてた。
なるほど。
議論を活性化するためにあえて極論を極限まで言ってみるという特徴はあるように思います。
それこそが弁証法を始動させる、と言うんでしょうか。
そんないいもんぢゃないだろ。贔屓の引き倒しのアドルノ論はよそでやって。
アドルノは日本ではまだほとんど理解されてないと言っていいよ。 やたらとアドルノ否定したがる連中の批判がたいていショボイ。
はいはい、つまり蓮實はショボい、と。
ところで『陥没地帯』好きな人いますか? わたしは二回読んだんですけど、訳が分かりません。 もちろん、文体の雰囲気は好きなんですけれども。
陥没乳首はわりと好きです
竹峰さんはもっとがんばるべき
今月の新潮はどうだった? 先月は東浩紀への叱責って感じだったけど
中央公論にもインタビューが載ってるみたいね
>先月は東浩紀への叱責 何それ?kwsk 中央公論のインタビューは次ページが東なんだが、 両者が180度違うこと言ってて鮮明だった。 で、今むしろ説得力あったのは実利性を重視する東だった。
文化は実利性で攻めていっても限界あるからなあ 大衆文芸はいつだって売れてるし
当の東が全く「実利的」なことなんかしてねぇからなぁ・・・。
あずまんもはすみんも十分空想的ですよね 実利・・・?
ハスミンはどうやってフランス語をモノにしたんでしょう? ロブグリエの通訳は 留学前だったとおもうんですが
統治層は昔からそんなもん
大学入試の外国語で英語じゃなくてフランス語を選択したんだよね 宮川淳や阿部良雄や種村季弘や豊崎光一や清水徹の仏語読書会に参加したことはあるのかな
885 :
NEGATIVE.D :2009/03/26(木) 12:32:35
蓮實重彦が島田雅彦の小説作法ABCを推薦!と広告に出ていたんですが マジですか?
886 :
吾輩は名無しである :2009/03/26(木) 14:23:05
島田の小説はともかく小説についての発言はそこそこ面白いんじゃない?
高橋源一郎と一緒か
おーい、生きてるか。
889 :
吾輩は名無しである :2009/04/23(木) 02:17:13
もう半分死んでるだろ
890 :
悪い太郎 ◆LziSwFxVAU :2009/04/23(木) 02:46:48
おい、オマエらこら。 21世紀に蓮實を連れてく気か? カンベンシテクレって。 高橋死ね。
891 :
吾輩は名無しである :2009/04/23(木) 05:53:14
太郎は本当にダメだね。死んだほうがいいよ。
発言は面白いと書いたが謝るわ ABC、あまりにもひどい出来だった 褒めてる身内たちに引くわ
893 :
吾輩は名無しである :2009/07/13(月) 04:01:23
河出文庫の山田爵訳のボヴァリー夫人の解説を蓮實が書いてる 蓮實って酒が飲めないんだね
894 :
吾輩は名無しである :2009/07/13(月) 11:35:30
東:そうですね、例えば蓮實重彦文体ってあるでしょう。あれは僕の考えでは、フラ ンス語の条件法をあるやり方で翻訳する、新しい翻訳文体なんですけどね。それで、 ああいう助動詞が肥大化した日本語の文体は欧米では通用しない、とかかつて柄谷行 人は言っていたわけですよ。それは確かにそうかもしれないですけどね、しかしかと いって、蓮實文体の問題が日本特殊の話だとは言えない。 例えば最近では、韓国でもデリダとか訳されています。そうしたら当然、韓国でも蓮 實文体に近いものがあると思うんですよ。韓国語と日本語は、文法体系がとても似て ますからね。そうすると、もはや蓮實の問題は日本だけのものとは言えない。つま り、 条件法がある言語から条件法のない言語に翻訳された時のひとつの反応として、相対 化して見ることができる。 その線で言うと、さらに、デリダの文章が中国語に訳されるとどうなるのかにも関心 があります。中国語では時制の表現が欧米とも日本語とも違うので、おそらく、漢字 がいっぱい並ぶのではないかと思うのですけどね。条件法を翻訳するために。 いままでの哲学者にはそういう視点がほとんどないんで、すごく簡単な二分法になっ ていたわけですよ。例えば、デリダのフランス語はフランス語圏でしか通用しない、 同じように蓮實文体は日本でしか通用しない。対してドゥルーズの文章は国際的だ、 同じように柄谷行人や浅田彰の断言文体は国際的だ、というようにね。でもまあ、こ ういう杜撰な話は僕、耐えられないんで……。そんな簡単なものじゃないんですよ ね、 言葉って。そういう単純さから脱出し、欧米で通用する/日本国内で通用するといっ た対立ではない、もっと相対化した視点を導入するためにも、アジアという問題は今 後ますます重要なのではないかと思うんですよ。
895 :
吾輩は名無しである :2009/07/20(月) 12:08:27
>>794 > 小谷野敦さんがブログで
> 蓮實は一九三六年生まれで、日本人として初めてフランスで博士号をとっ
> てきたと豪語していた。
> と書いているんですが、本当なのだろうか?
本当かどうか気になって調べようと思ったところ、
いつの間にかブログからその部分が削除されていた。
ぼくの浅い知識でも数箇所の間違いを指摘することが可能なんだけど、
小谷野さんがブログっていうのは嘘と間違いだらけなんじゃないだろうか?
小谷野に期待しても仕方ないでしょ
>>895 ×「小谷野さんが(→「の」?)ブログっていうのは嘘と間違いだらけ」
○「ブログっていうのは嘘と間違いだらけ」
ブログなんてみんな適当だよ。
馬鹿に対して馬鹿と言うことは蓮實的には正しい。
蓮實さんの吉本隆明に対する高評価が理解できない
900 :
吾輩は名無しである :2009/07/23(木) 04:13:59
もう余生は映画のことを話すだけで小説について論じるつもりはないのかね 柄谷と一緒で
901 :
吾輩は名無しである :2009/07/23(木) 14:27:12
中上論書いてって言ったら 二人共ノコノコ出てくるだろ
舞城論かいてみろこの老いぼれ
903 :
吾輩は名無しである :2009/07/23(木) 15:35:19
ラノベは取り扱ってないだろ
904 :
吾輩は名無しである :2009/07/23(木) 20:38:30
2月号の「時限装置と無限連鎖」の中で現代の日本文学を語るのであれば、中原昌也や川上未映子 や岡田利規とまではいわずにおくが、せめて古川日出男、舞城王太郎、佐藤友哉などは読んでおくべき であり、≠ニ仰っており、舞城論を書くとは思えないがラノベを取り扱ってないことはない。
そのへんの作家をラノベと呼ぶのは無理がありすぎ ラノベってのは完全に産業化したキャラクター小説を指すべき
産業化してない小説なんてもう誰も読まないから、 後続のためにラノベ論を大御所が書いておくべきだな
売れないラノベに価値はない
>>904 蓮實にとっては、中原や川上より舞城や佐藤のほうが重要ってことか
文盲
やはり、田中ロミオだろ。 あたま5つくらい、飛びぬけてる。
どこがw 感傷的すぐる
ラノベはすぐ天才が現れるなw 来年はもうロミオも終わってるだろうね
913 :
吾輩は名無しである :2009/07/25(土) 01:50:22
>>904 よく覚えてないけど、そんなこと蓮実がベタにいってたわけじゃないでしょ。
そういう作家を評価する批評家に対する蓮実の嫌みったらしい皮肉じゃなかったっけ?
金井に対する「現代文学を読め」というお叱り
>>904 こういう並列を平気でするところがただのコレクター。後輩への収集指南。
眺めて悦にいってろ。
たけしを志ん生と対比した上で、「二塁手」的と評したことの 弁明を、北野映画に対する絶賛的な批評に書き添えるべきだよ。 評価が変わったことは、恥じることではないのだから。
たけしって今でも二塁手じゃないの? つ〜か、グラウンドには誰もいないようなのだが。
青山、黒沢がいるから北野はいらない
「溝口チャンバラ映画」発言で、蓮實スクールを破門になった金井美恵子だが、 まずはオレたちから、彼女を許してあげようよ。 そうしたら、蓮實先生も復学を認める気になるかもしれない。
>>918 金井先生は山根との対談で、北野より黒沢を重視していた。
それが、蓮實スクール破門の遠因になっている。
海外では、黒沢や青山より、大島や北野の方が有名なのだから、
それらを悪く言う人間を蓮實先生が許すわけがない。
馬鹿ばかりの世界へようこそ>映画界
>有名なのだから、 それらを悪く言う人間を蓮實先生が許すわけがない。 ? ばか?
924 :
吾輩は名無しである :2009/07/30(木) 01:58:28
>>923 >ばか?
蓮實先生にそんなことを言うやつは絶対に許さない。
926 :
吾輩は名無しである :2009/08/02(日) 20:25:50
928 :
nega.d :2009/08/05(水) 00:15:02
蓮實重彦と金井美恵子の関係は、蓮實スクールなんてものではないんじゃないでしょうか。 よく分かりませんが。 それと余談ですが、黒沢清の「トウキョウソナタ」は、とても面白かったです。 蓮實、金井、両者とも、近年の文章には老いを感じるのですが、いかがですか。
清にも老いを感じるのが困ったところだ
930 :
吾輩は名無しである :2009/08/09(日) 20:16:45
>>916 二塁手(どこを守らせてもそこそこにこなせるが生まれながらのスターではない。寡黙なイメージ。)
映画監督になる前のたけしについては「饒舌な二塁手はビートたけし一人でじゅうぶんである」と記し
「彼は面白い人だとは思いますが彼の発言が正しいとは思いません」と発言している。
竹馬に乗った志賀直哉の写真の話をし、たけしの言動(パフォーマンス)と対比して語ってもいた。
映画監督以降のたけしについては金井美恵子によるインタビューで
タレントとしてのビートたけしはさほど興味を惹く存在ではありませんね?と問われ
「確かに彼は面白い人だと思いますが、さあ早く家に帰って彼の番組を見ようと思ったことは一度もありません」
「ですが彼が監督した映画は一刻もはやく観たい。僕にとってビートたけしという人は映画を撮らなければただの人です」
と答えている。弁明する必要など何もない。
931 :
吾輩は名無しである :2009/08/09(日) 20:19:10
長身のオランウータンだな。
932 :
ザ・スミス :2009/08/09(日) 21:24:56
オランウータンでも芸があるからいいよね
933 :
吾輩は名無しである :2009/08/10(月) 20:16:43
>>932 だが、彼の芸は古い。別に残すほどのものもないしw
934 :
吾輩は名無しである :2009/08/10(月) 22:24:07
古くても芸があるからいいよね
芸のマネという芸もある
936 :
吾輩は名無しである :2009/08/11(火) 06:54:59
その芸の人気も大分落ちてるらしいじゃないか? wikiで見ただけなんだがw
金井美恵子の小説は昔から全然面白いと思ったことがない どこが評価されたんだろ 島田や昔の阿部みたいにお勉強しているねってことか?
938 :
吾輩は名無しである :2009/08/12(水) 16:49:25
金井の作品は当たり外れが大きいわりに本人が自画自賛を繰り返すものだから読まずぎらいな人も多いだろう。
939 :
吾輩は名無しである :2009/08/12(水) 18:26:49
金井は意地悪ばあさんみたいで愛嬌があるよw あまり凄みは感じない。
それなりに文学に詳しい欧米人は金井をどう読むんだろ
941 :
吾輩は名無しである :2009/08/13(木) 16:47:21
ここ数年の金井のエッセイにはさすがに辟易させられる。
身内には甘いからな
昔の金井の愛人が蓮實の友人(詩人)という関係で、 蓮實は友人に気を使ってほめていたが、 金井がその友人と別れたので、 蓮実は金井をほめる理由がなくなった。
松浦寿輝のこと?
945 :
吾輩は名無しである :2009/08/14(金) 12:33:37
デタラメばかりだ。
946 :
吾輩は名無しである :2009/08/14(金) 19:53:01
>>944 943が真実かどうかはしらないが松浦寿輝というよりアマタイのほうが
話の辻褄は合う。
あれ? 金井って天沢と最近までつながってたの? 大昔、中上の感化(たぶん)で 「詩人はバカだ。もう詩は書かない」 なぞと宣言した時点で関係が切れたと 勝手に思い込んでましたが。
948 :
吾輩は名無しである :2009/08/15(土) 00:11:30
天沢退二郎なら守中の得意エリアだなw
89年の昭和批評についての討議で 蓮實は天沢の散文を評価していたような 2002年の知的放蕩論で、 すががそのことについて蓮實に聞いていた
950 :
吾輩は名無しである :2009/08/15(土) 00:35:39
別に蓮實が天沢を評価しようがどうってことないw 天沢なんか、世間的には単なる「空気読めない」だろうしw 時代から隔絶されてるお方だw 問題は守中の本音だよw
蓮實が空気を読めてるとも全然思えないけどな 権力の効果でしょ
952 :
吾輩は名無しである :2009/08/15(土) 01:24:21
>>949 天沢が単にダチだから。ダチは大事だろ?
953 :
吾輩は名無しである :2009/08/24(月) 20:39:35
蓮實なんてもう誰も読んでないからな。
954 :
ザ・スミス :2009/08/24(月) 21:19:09
俺さー最近読み始めたよ!
文学論はあまり見るべきところがないよね…… 詩が読めないのにリシャール好きなのがチグハグなんだろう
あまりに存在感なくね?
赤の誘惑で衰えを感じた でも昔の本もこんな感じだった
958 :
吾輩は名無しである :2009/09/08(火) 13:57:36
磯崎か… 無難だな
トウキョウソナタは糞映画だろう。あんなもんほめるやつの気が知れん。
もう年なんだから静かに暮らさせてやれよ。 耄碌してきてんだよ。
>>961 俺のすきなものが全てつまっているぞという多幸感。この場合の俺とは黒沢ではなく文字通りの俺を指す。
例えば、あのご都合主義でサクサク進行するドライブ感とか、ざっくりしすぎだが。
正直、今の黒沢清の映画は、あまりにも好物な物が詰め込まれすぎていて、守りに入っているのではとふと思わなくもない。
そういう意味では、ハタと意外なブツをしれッと提示する、現在の坂本順治の方が好きかもな。
>>963 あんたいいやつだな。
あんたの書き込み時間の空白を見るにつけ多幸感が浸透してくる。
>>965 まともな日本語使えよ。
「書き込み時間の空白」だの「多幸感が浸透」だのw
さすが蓮實のスレだなwwww
969 :
吾輩は名無しである :2009/09/12(土) 09:54:38
鳩山総理の妻、鳩山幸さんはサイエントロジーというカルトと関係があるという噂があります。
http://a ☆ntikimchi.see☆saa.net/artic☆le/1☆2757☆8850.html←日本アンチキムチ団
━━━鳩山幸さんの旧姓と出自が不明だそうですよ。━━━
764 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/06(日) 01:04:07 ID:/WrcABwtO
幸夫人のごお父様は中国人ではなく、キム・ジョンウォン(漢字不明)という朝鮮北部出身の貿易商だったようです。
戦後は日本に渡り、幸さんが渡米するまでは神戸の商社に勤めていたようです。 キムさんは幸さんが渡米した直後、
北海道室蘭に引っ越し、貿易商を営みながら総連支部の設立に尽力されたと話しておりました。
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 2
http://hi ☆deyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/12☆52279762/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「 韓国で行方不明になった日本人女性 6 5 0 0 人 」 被害者家族が訴え
http://b ☆log.liv☆edoor.jp/ne☆ws2chplus/archives/506☆632☆24.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
李鵬が言ってた、20年後に日本なんてなくなるって、こういう事か。
1000 :名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 21:55:04
鳩山:「譲歩を引き出しました。ソースコード開示しなくてもいいそうです。やったー!」
でもEAL3並みの要求を飲まされる。日本の適合性評価機関は承認されない。
結局技術はばっちり漏洩する。終わり
↓↓↓
↓↓↓
【国際】 中国 「IT製品、ソースコード開示せよ。情報漏洩はないから」…日本側が撤回求めるも、予定通り実施へ★6
http://s02.megalodon.jp/2009-0912-0150-53/pc11.2ch.net/test/read.cgi/os/99 ☆1481942/89-90
>>958 無理矢理な誉め方じゃなかった?
単なる不整合を美点とすり替えるような…
引っ掛かる書き方の小説のほうがいいと思ってるんだろ
972 :
吾輩は名無しである :2009/09/14(月) 00:14:08
「筋のない小説」論争?
973 :
吾輩は名無しである :2009/09/18(金) 23:23:39
トウキョウソナタは黒沢作品にしてはしらけるところがあって ギンレイホールでみたからこの値段ならいいか、程度の
>>973 たとえばどこらへん?
たしかにアカルイミライに比べたらちょっと落ちるが、
私はロードショーで見たけど満足したよ。
しかし、チェンジリングのパンフに載ってた黒沢の文章には失望した。
文章だけは蓮實の物まねだが、具体的な画面に基づいて論をたてる蓮實の美質を継承していない。
こんなんでいいと思ってるのか。
作家は批評家にならなくてもいいのです
976 :
吾輩は名無しである :2009/09/28(月) 18:14:15
977 :
吾輩は名無しである :2009/10/23(金) 05:56:31
死ぬまで現役の文芸批評家でいてほしいなあ
うんこ、まんこ、ちんこ、ゲロ、グロ、 ちょっとしたスパイス書いときました!
979 :
吾輩は名無しである :2009/11/27(金) 18:29:53
たくさんの登場人物にかかわる雑多な事柄を、一個の時計に従って並べていく。 小説は、時間が次々と絡み合いながら終わりに向かうものです。そして時間を 絡ませる上でもっとも力になるのが「物語」なのです。 「物語」というのはラーメンの麺に似ています。 美味しいラーメンは、麺をすすっていると、自然と口の中にスープの風味が広がって きませんか? 麺とスープのバランスが絶妙で、かつ麺がスープを持ち上げる力が強い。 反対にまずいラーメンは、麺とスープが分離しています。スープはまあまあだけれども 麺を食べている手応えがないというのも、満足感が得られません。 この考えを小説に当てはめてみましょう。面白い小説ほど、流れに沿って物語を たどっているだけにもかかわらず、世の中の情勢が分かったり、人間の心の深い部分に 、無理なく触れられたりするものです。麺というのは、小説が展開する時間、 言い換えれば物語の比喩です。そして、タイムリーな要素、深淵な要素は スープなのです。 「物語」ということは、1990年代にはずいぶん批判されましたが、21世紀の今、 考え直してみる必要がある。 断片化された経験を、まとまった一つの世界に築き上げてゆくことこそ、現代の 小説が多くの読者を獲得するための条件だと思うのです。ブログを読んだだけでは 満たされないものを、「物語」を組み込むことによって、小説は提供できる。 そうはいっても、インターネットが普及してから、小説の中で扱うべき情報が増える 一方です。しかも読書の時間は減ってきているわけです。そこで読者は、 手軽でありながらも、奥行きのある小説を望むようになりました。 多様な世界をどう圧縮して「小さく説く」かということが、切実な問題になっています。 平野啓一郎
980 :
吾輩は名無しである :2009/11/27(金) 18:50:25
蓮實の物語批判なんて害毒流しただけのアホの議論だねっていわれてるわけか
だって蓮實って映画の方では物語大好きなんだもの
ヲタはまず自身がヲタであるつう認識からだよなs 映画好きは自覚乏しいのが多いところがたまらん。
蓮實重彦の「動体視力」=細かいカットにこだわるオタクのはしり
蓮實には自分がオタクであって傍流だって自覚があったからまだマシなんだがな その自覚あってこそ自分は本流だという主張のアイロニーも生きてくる 日本人は細部に異常なほど拘る オタクのはしりというなら千年以上前からの話になる その手の類推は下らない
千年以上とかそんな荒唐無稽なことを持ち出して、 蓮實の批判を許さないとか意味不明