私はよく哲学人間と言われる一学生です。
私はどうやら何十億といる人間の中でも少数派の人間らしいです。
私に似てる人いますか?
>>1さんは完璧な板違いにも関わらず、
多分僕も哲学人ですw
哲学と文学ってお隣どうしって感じで見られますが
じつはけっこう相容れないものという気がします。
今アドレス載せてしまっててへこんでます
板替えます
なに、さっそくウイルスでも来たの?
ウイルスより恐い
>>2からの独白メールとか?
おまえねぇ、むやみにスレたてないで、質問スレとか
雑談スレからはじめろって言ってんだろが。
お母さんから習わなかったか?
哲学板で
【哲学】文学人間集まれ
とか立てて迷惑かけんなよ。
きてないです
でもここじゃ人集まらないかなって
わかりました
ありがとうございます
>>1さんの礼儀正しさが面白い[w
僕なら、頻繁にカキコみたいところだけど[哲学が好きだから]
その前に削除人さんの「お眼鏡にかかる」かもね。
>>10 じゃ、もっと読みたい。頻繁にかきこんでよ。
べつに文学板で哲学好きな椰子あつまれって
言ってるだけだから削除ってこともないんじゃないの?
>>11 そうかな。
そもそも哲学とはね……ブツブツ
つづく
私まじめなんです
言わずともうしれたことかもしれませんが。
お願いなんですが、大介さん、過去に考えたこといろいろ考えたこと教えてください
14 :
吾輩は名無しである:2005/08/15(月) 01:49:19
そうだ。正しい、
そもそもxxとは何か、
からはじめるのが哲学だ。がんがれ。
僕は考えるのだが[哲学は常に自主的内省から始まる]、
哲学は各地域に住んだ人間たちが多かれ少なかれやってきた本性的探求活動なのだが
特に、厳しい自然を容易に制御する為に奴隷制度を利用導入した古代ギリシャの「暇人達」が
人類史において初めて、明晰判明に『哲学(philosophia)』なる営みを意識したのだ
と考えるのは論理的です。何故なら我々の使用する哲学なる概念そのものが古代ギリシャ発であるから。
さて哲学とは何か?
古代ギリシャにおける暇人は、自然宇宙が持つ不可思議さ──なぜそうなっているのか?──をよく考えた。
色んな人が、世界の根源は水だとか数だとかたくさん考えた。
でもある時から、そんな考える暇人[彼らを「哲学者」と呼ぼう]たちを堕落が襲う。
つーか答えはあるといえばあるし、ないと思えばないのさっとか言って、
適当に詭弁を弄するニセ知識人がはびこってしまいます。
そしてある男が立ち上がった。
>>13 だんだんに話して行けるかも知れませんから、お待ちになっていただきたく思います。
出来たらあなたの考えもお聴かせ願えますか。
哲学の勉強会はgive & takeでしょう。
>>15 いいんだよ。
俺もいいすぎたよ。がんがれ。
19 :
吾輩は名無しである:2005/08/15(月) 02:03:21
いろんな哲人を知って自分なりに考える。
自分の哲学があったほうが、つまらないことで流されない。
そのぶん、哲学のない多数派からは嫌われるが。
>>16 話してくれている最中申し訳ありませんが、IQはかったことありますか?
>>18 言いすぎだとは思いませんよ
むしろよかったです
>>19 確かにそのとおりだと思います
私もそう思い、このスレ作りました
うまくいえませんが、私は、この私達が生きる世界、地球、宇宙がどうなっているのかというか、誰が作ったのかというか、そもそも世界は存在するのかといったような、漠然としたことを考えたことがあります
私の一つの結論は、この世界、宇宙は、あるひとつのRPGにすぎないのではないかというものです
ラスボス倒して終わり?
そういうわけでもないですが、たしかにラスボスを倒すことを最終目的のひとつだとすればそれもありえるかもしれませんが、
ただ、うまくいえませんが、この宇宙も一つのパソコンのプログラムやアプリケーションのようなものににすぎないんじゃないかといったぐあいです
まあええやないか。
今晩は。大介です。
アレクさんの考えに、僕の考えはちょっと似ているかも知れません。
僕は、「人生はgameだ」と思っています。
もしこのthreadが削除されなければ、そのところまで話をできるだろうから
ちょっとだけ語らせて下さいね。
アレクさんも、宜しければもっと考えを聴かせて下さい。
どんなgameなんでしょうか?
game のどのような属性(例えば、ギャンブル性とか
非生産性とか、いろいろありますね)ゆえに
人生をgameに例えて考えるのでしょうか?
お説をもうすこしきかせてください。
31 :
吾輩は名無しである:2005/08/15(月) 19:41:12
ageてみよう
>>30 言いますけど、よければちょっとだけ待っていただけますか?
でも必ずしもRPGというだけの意味ではないと思います。
>>16のつづきを先に書いてしまいたい……
こんばんは
もしかしたら
>>32さんは私が言いたいことをわかっているかもしれないので、よかったら書いてもらえますか?
ただ、私もGAMEでいえば村人Aとか村人B的な、一定のことしか言わないような存在に過ぎないかもしれないということが私の考えの重要な点の一つです
33は私です
そしてある男が立ち上がった。
彼の名はソクラテスだ。[でも奥さんは悪女だったらしい。彼はお人好しだった]
下品極まりない詭弁を弄する口先だけの知識人は、
当時のギリシャが「議論」を政治の方法として採用していた為
いわゆる今で云う弁護士みたいな職分を得て、ヌクヌクぬくぬく偉そうに暮らしてました。
しかしソクラテスのおっさんは街中にいきなり出ていき、ヒマな若者へ片っ端から話しかける。
それは単なる世間話みたいなものに聞こえるのだが、ふと気がつくと
若者は自分がまだ勉強不足だと悟ってしまう。
そう──ソクラテスはただのおっさんじゃない。
腐敗したギリシャを救おうと頑張るカッコいいおっさんなのだ。
彼の話術は工夫した雑談みたいなもので、
相手の知らないことをさりげなく質問するように誘導する、というものだった。
そして若者はついに答えられなくなり自分の無知を知る。
ソクラテスは段々と街中の有能な若者の間でヒーローになり、
「ソクラテスはギリシャ1頭が良い」とまで言われる。
しかし彼は言った。
『もし私が他の人たちより頭がよいとしたら、それは
私は、「人間にとって本当に大切な何か」を知らないということが分かっているからでしょう』
36 :
吾輩は名無しである:2005/08/15(月) 20:37:38
>>35のおかげで哲学史の復習ができそうだ。
>>19のいうとおり
a いろんな哲人を知って
b 自分なりに考える。
この両方がないとだめなんだよね。
>>35は今まずaの方をひととおりやろうとしてわけだ。
まあ、時間はかかるかもしれないが、
気長に行こう。
しかし政治的支配者は彼の存在が邪魔になり始める。
市民の人気を集めるカリスマ性を持ったソクラテスは、自身の権威を将来的に脅かすかも知れなかった。
そして権力者はソクラテスに死刑を宣告する。
理由は主に「若者を悪い道へ誘っている」というものであるが、内実が粛清的意図なのは明らかだった。
ソクラテスは毒入りの酒を自ら仰ぎ、刑を全うする。
彼を慕う若者たちは最後まで止めさせようとしたが、
彼は『もし私が正しければ、ギリシャは良くなるだろう』と言っただけだった。
ソクラテスは──僕は思うのだが、恐らく──自己を犠牲にしてまでも
「自分の無知を反省する」ことの大切さを人類に伝えようとしたのだ。
彼の死後
弟子のプラトン、孫弟子のアリストテレスという大哲学者が生まれる。
38 :
吾輩は名無しである:2005/08/15(月) 20:51:51
政治板:【諸悪の根源】お役所の終身雇用【ぶっ潰せ!】
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1124103486/ 1.お役所に限らず終身雇用全般の弊害についての議論も歓迎
2.終身雇用を採用することが得をする歪んだ公的システムの
解明(ここで得をするのは雇用者側でも、被雇用者側でも
どちらでも構いません。)
3.そのような公的システムを支える終身雇用の公務員たちの
公的及び政治的行動
4.公務員が終身雇用であることによる公的サービスの不効率
(国民&市民のためにちゃんと働かなくても、職は守られ
さらには給料も大して変わらない)
5.終身雇用(とくに官公庁、県庁、市役所などにおける)を
ぶっ潰すために活動している政治家、議員の応援!
ソクラテス、プラトン、アリストテレスという哲人たちがはっきりと打ち立てた『哲学』という営みは
その後、紆余曲折を経て段々と本来の役割が見いだされて来る。
他方、東洋にも沢山の「考える人」がいた。
ブッダ、孔子、老子などは特に有名だ。
彼らは独自の考え方で、それぞれが『本当に大切なもの』と思われるideaを探した。
そして彼らの考えに触れる機会を持った人々は深く感心し、
その立派な思想を信じない訳にはいかなかった。
西洋のキリストの考えは特に強い影響を与え、しばしば人々はその是非を争い喧嘩をした。
そんな混乱の最中に産まれたマホメットは、
もう二度と絶対に下らない喧嘩をしないよう、「信じる為の思想」を生み出したりもした。
それはまず無知を知るという『哲学』的出発の原則から離れ、「宗教」となって人類を善導しようとした。
カントという人は、
哲学とは『考える』ことであり、「学ぶ」ことや「信じる」ことではないと思った。
そして自然や宇宙の真理を探求する「科学」や、信仰や美を求める「宗教」や「芸術」は、
『哲学』本来の活動ではないと考えた。彼は、哲学とは道徳の追究──悪いことに対する善いことを知る営み──であると感じた。
[カントはとても自分に厳しい人で、一生毎日の時間割を厳守し、真面目に勉強へ明け暮れて亡くなった]
複雑諭吉という人は、孔子達の考えを信じて疑わなくなった日本人を憂い、
一生懸命「学問[科学や哲学]」をしてもっともっと広い世界を知らなければならないと言った。
そして国際競争の先で人類が目指さなくてはならないのは『文明』である、と考えた。
[彼は若い頃に世界中を飛び回ったが結局日本が好きで、生涯日本人の教育に力を注いだ。
日本で初めて自力で本格的な大学を創った。
そして政治経済論から男女交際論まで幅広い視野を持つ、極めて活動的な哲学者だった]
僕はそんな人類哲学史の先端に生まれ、また哲学的探究をして来ました。
[ ] のコメントがイイ!
さてここからが僕個人の考えになります。
>>30への返答という形式になりますが
人間とはとりあえず「生まれて死ぬ」だけの生き物です。そして知能を持ち、故に
単なる生存の為の競争というだけでなく『目的的遊戯』として学術活動(そして文明活動)を
行う生き物だと考えることができます。
この2つの仮定を前提にすると次の結論が揚棄されます。
「人間は目的としての遊戯をする為の実存である」
そんな訳で私は人生はgameだと考えるのです。
つまり、哲学はそんな遊戯としての人生の中で、永久に道徳を追究する活動ではないでしょうか。
[こういう表現は形式論だと言えますが、
では内容としての「道徳とは何か?」という思考は個人的な内省だから、
他人に語るだけの価値は殆ど無いと思うのです]
[遊戯という言葉やgameという言葉の定義は、言語game的deconstructive差異化を避ける為に
対立概念を用いて仮定しておきます。
遊戯⇔仕事
game⇔work]
[仕事およびworkとしての人生ではならないのか?という問いは、
仮定が崩れたら当然成り立ちます。
私のこの考えは多かれ少なかれ実用的に個人的なものなのです。]
僕は科学や芸術とは異なる使命を負ったものとして、
人類における『哲学』という営みを捉えています。
そして哲学が、為されるべき懐疑性を失い、
信仰の対象として「思想」になったときそれは宗教化するのだ、と思う。
私は、ここでは宗教をするつもりがありません。
誰かの信仰を煽りたいのではないし、はたまた知識をひけらかしたいのでもない。
私は『哲学』の定義を普遍的に明晰判明にすることで、人類の活動の内部装置としての
『道徳追求システム』を発動させるべきだ、と考えているだけです。
ですから、
>>1さん(アレクさん、&さん?)の疑問のすべてを解くことは到底できません。
ただ、勉強する意味や価値を、pragmatismを超えて、悟って欲しい、とは思う。それは願いです。
道徳的な。
私は科学と矛盾しない考えとして、「エネルギー」こそ世界を創った本人だと思ってるのです。
さて、この私たちを含む宇宙世界が、「自己創造性を持ったシステム」だ、と考えるのは
ここから導かれる論理性です。
エネルギーとはもしかしたら、哲学的な意味づけをすれば、そんな性質の言い換えなのかもしれない。
文学板なので文学的に言えば、設計と施工を同時にやってしまう超元気な天才建築士みたいなものです。
それが宇宙です。
[宇宙とは何か?すべてです。
エネルギーとは宇宙自体であり、宇宙はエネルギーで出来ています]
精神とは何か?
というのは、思考や内省を生む原因として、哲人がよく考えて来た問いです。
私も例の如くまた考えていますが
要するに、「エネルギーが脱受動性を謀った過程的結果」ではないかと思う。
ここで人生なるgameをRPGとしてイメージするのは可能なんですね。
主人公を生み出して自由に世界を冒険させる、そんなプログラムが宇宙だ、と。
自分自身──宇宙という主体そのもの──が創った[或いは創り続けている]ゲームなのだけれど。
でも
あまり科学的事実から離れて思索を進めると、時代の中での真実性を失ってしまう危険があるから
この辺りで[とりあえず今は]やめておきましょうか。
saveして、continueに備えましょう[w
僕は、文明とはユートピアの実現法だと考えているんです。
それはある種の宗教だとは思わないではありません──もちろん、
不変的普遍性を持って欲しいと[哲学的に]願ってはいるのですが。
そのお話は別の場所で、別のoccationに語ることにしましょう。
何せココは文学板だから[w
>>20 一年くらい前にIQ-testとかいうテレビ朝日かどっかの番組を利用して測りましたが、
結果は、至って平凡なものでしたよ。
どうして知りたいんです?そんなの。