【もしかして】テクスト論再考【もう終わった?】

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1吾輩は名無しである
文学研究のフィールドはもはやポスコロ、カルスタへと
移行しているが、いったいテクスト論とは何だったのか?

小森陽一、石原千秋などといった我が国で一世を風靡したテクスト論者に
ついても語って下さい。
2吾輩は名無しである:05/03/07 13:18:22
>>1
テクスト論の提唱者って誰ですか?
3吾輩は名無しである:05/03/07 13:20:12
【参考レス】
作家論、作品論、テクスト論という区分け自体は古くさいもの
だけれど、テクスト論が流行らなくなり、カルスタ、ポスコロ
にも限界というか批判が集中するようになって、文学研究は
「次の手」を模索しているように見えます。その時に、一旦
は否定され葬り去られたはずの作家論、作品論に新たな照明を
当てることで新しい文学研究のあり方を見いだせるのではないか
という考えも出てきてると思いますよ。
国文学(日本文学)研究のフィールドでは、カルスタ、ポスコロ
はかなり大きな勢力になってると思います。構造主義、テクスト論、
脱構築批評なんかを駆使してた小森陽一氏も今ではポスコロですし、
アジアから留学生が多く来るようになったのでしばらくは続くと
思います。カルスタも最近元気のいい社会学からヒントを得て
メディア論なんかがさかんですよね。それから上に挙げたブルデュー
を援用した研究も出てきてる。『芸術の規則』で展開された
「文学場」概念を持ち込んだ研究が大正期を中心になされている。
自分が近代をやってるから話題を意図的に近代に限定してしまったけれども、
古典のほうもかなり面白いことになってて、今のところカオス
状態と言うしかないのかもしれません。近代は対象が限りなく
ありますし、近世中世もまだまだ資料発掘の余地大だと思います。
「文学研究に先はない」なんて言われてますが、「これから」
の私(たち)は戦略的に楽天的であるくらいのほうがいいような
気がします(また話題がそれてしまった・・・)
4吾輩は名無しである:05/03/07 13:20:34
(つづき)
それから、テクスト論、ディスクール分析との絡みで言えば
最近は「カノン=正典」批判も盛んですね。テクスト論が結局
自分の分析能力を誇示するために、それまで一義的な解釈を
なされていたカノンをいかに読み替えるかという作業に終始
した結果かえって批判をしたはずのカノンを再正典化するという
逆説に陥ったことは上に書きました。では自閉的な内在批評に
代わってなにがカノン批判をなし得るかというと、言説研究が
代替物になるのではないか。
つまり、漱石をカノンたらしめている、漱石をめぐる言説が
誰によってどのように発せられ、どのように受け手や社会に
享受され流通してゆくのかを研究する手法です。フーコーの
権力論が影響を与えていると思いますが、「語り論」の概念
を拡張したものとも解釈できまた、ブルデューの言う「象徴暴力」
というタームでもって説明することも可能で、人それぞれの
把握の仕方があると思います。いずれにしても、テクスト論的
カノン批判(実は共犯)と大きく違うのは、テクスト内部の
語りとテクスト外部の語りとの相互交通のダイナミズムを問題
として捉えた点でしょう。これでもってテクスト論と
カルスタ、ポスコロとの架け橋ができたと夢想するのは早合点
でしょうか。実際、Saidの『オリエンタリズム』はフーコー
の影響の下にOccidentがOrientをどう表象してきたか、その
言説の権力性、暴力性に着目した書だと思いますし。
5吾輩は名無しである:05/03/07 13:27:10
>>2
おいらもよくわからないのですが、
具体的な個人が提唱したというよりソシュール以後の言語学、構造主義、
受容理論などを経て生まれてきたものなのでは?
バルトの「作者の死」なんかを参考にしてください。
6吾輩は名無しである:05/03/07 13:30:12
知識ヲタクが実践を先延ばしにしてるだけのジャンルだろ。くだらないよw
7吾輩は名無しである:05/03/07 13:31:15
カルスタって?
【参考レス】
構造主義は、今まで作家の「創造」物として理解されていた「作品」を
作家の神の手から独立し、社会と連結した「テクスト」として理解し、
「客観的」分析への方途を開いた。

しかし、その「客観性」が逆に西洋が背景としている観念を蔽い隠して
しまうという懸念から、そうした分析者の観念の源泉まで問うような
「脱構築」分析がめざされた。

しかし、それが「決定不可能性」とかのレベルで逡巡しているとすれば
読み手の認識論としてはいいかもしれないけど、結局、テクストの意味
って何?ということで、社会−作者−テクストという連関を重視し、
その総合的把握を目指そうとする潮流が生れた。歴史性や権力関係を
重視するのがポスコロ、メディア状況を(読者−作家関係を同時代的に)
把握しようとするのがカルスタ。
8吾輩は名無しである:05/03/07 13:46:40
>>6
>知識ヲタクが実践を先延ばしにしてるだけのジャンル

テクスト分析もろくにできないで「実践」はままならない。
テクスト論は「実践」に不可欠の前提となるべき。

それなしにポスコロもカルスタもない。
9吾輩は名無しである:05/03/07 20:25:16
小森陽一、石原千秋あたりは語るにたるのかな?
矢部ちゃんがきそうなスレ。
10吾輩は名無しである:05/03/07 20:34:51
>>1
このスレは「文学理論」の次スレと考えていいんですかね?
11吾輩は名無しである:05/03/07 20:38:15
12吾輩は名無しである:05/03/07 20:38:36
>>10
本来別ものですが、次スレが立つまでの繋ぎとしても利用すればいいと思います。
13吾輩は名無しである:05/03/07 20:39:07
ニュークリティシズムの再検討から始めた方がよいと思う。
14吾輩は名無しである:05/03/07 20:48:07
>>12
どうも。
理論スレ終で日本の文学理論の入門書を尋ねたんですが、
森本浩一
中村光夫
石原・小森他「読むための理論」
などを紹介していただきました。
イーグルトンの「文学とはなにか」を読んで見たんですが、
これの同趣向の日本語版が、もしあれば読みたいんです。
理論ならどこの国でも同じだろ、という見解はありとして、やっぱり
日本独自の立論ができているなら、まずそれを学びたいと思ったもので。
15吾輩は名無しである:05/03/07 21:25:06
>>14
排他的になることを恐れないなら、
吉本でも読めば?
16吾輩は名無しである:05/03/07 21:31:15
さっきから「日本独自」にこだわっている人にレスすると、
「国文学」(日本文学という呼び名にすら抵抗する人)の王道は、
あくまでも王朝文芸の文献学です。

理論は国学から見ると「唐心」なので、
嫌う人も少なくありません。
よって、日本文学で文学理論を学ぼうとした世代の人たちが、
テクスト論を参照して書いたのが『読むための理論』です。

もしも国文学の王道を踏まえた上で何か考えている人、
ということなら、藤井貞和を読むのも良いかもしれません。
17吾輩は名無しである:05/03/07 22:04:42
>>15
ありがとうございます。
いま言語にとって美とはなにかTを読んでます。
>>16
ありがとうございます。
現代の文学理論なるものを、たとえば源氏に適用できないなら
断絶もやむをえないと思うんですが。
古典から不連続で現代まで来てるってのは、
結構世界向けの売り、だと思うんですけど。

アカデミックでは古典物、漢文物、現代物を統一した理論構築みたいなことは
やられていないんでしょうか。やって見て失敗したとか...

18吾輩は名無しである:05/03/07 22:48:45
>>17
だから、国文学業界が超保守的だから、
「外国の理論は日本の作品には使えない」と予断を下しているんだよ。
あんたもかなりそういう思考にやられているようだ。

基本から考え直した方がいいよ
19吾輩は名無しである:05/03/07 22:54:09
総合的な研究なんか、
師弟関係の網の目が張り巡らされているアカデミズムでは無理だよ。
そういうことに関心があるのは、ほぼ評論家に限られる。

だから一般的に言えるのは、
どの時代に最も関心があるのかによる。

上代、中古、近世、近代と、
それぞれの時代の作品によって、
やはり有効なアプローチが異なるから。

森本浩一のような分析哲学導入の試みも、
必要な解毒剤だろうな。
最終的に分析哲学のアプローチは、一種の科学主義に陥るから、
俺は勧めないけれど。
2017:05/03/07 23:12:24
>>18
やられていないからこういう疑問がでてくるんじゃないかな、
と思いますけど気をつけます。ありがとう。
外国の理論が使えないといっていなくて、日本にないのか、と
聞いているんですよ。やっぱり同じ文化で育ったものの意見を
知りたいですけどね。TEも翻訳でしか読んでないし。

>>19
有効なアプローチ=理論ですか?
たとえばイーグルトン(TE)は批評の歴史的な発展の記述をしている
んですけれども、それは批評サイドの話なわけで。
そりゃ紫式部が現代文書くわけじゃないけど、現代文に適用できる
理論であれば、なんらか源氏にも適用できるんじゃないか、また
そんな理論構築はされているのか、を聞きたかったわけです。
21吾輩は名無しである:05/03/07 23:21:20
>>20
良くも悪くも、日本には天皇がいるわけですよ。
しかも、イギリスのような王室批判の伝統もない。
ゆえに、特に王朝文芸に対しては、
徹底した分析的アプローチが好まれない傾向があります。

とはいえ、源氏にテクスト論でアプローチしている人は、
前述した藤井貞和など、数多くいますよ。

しかし、江戸時代の文芸に対しては、
テクスト論的アプローチだと限界もあるような気がします。
町人文化の問題も考えないと、といった具合で。

やはりあなたの関心に応じて読み進めた方がよい。
いきなり万能理論を探すのではなく、
対象とする作品あっての理論なわけですよ。

その意味で、イーグルトンはあまり良くないと思いますよ。
同じマルキストなら、ジェイムソンの『政治的無意識』とか、
ドミニク・ラカプラの『思想史再考』における、
新歴史主義批評の方が有効なのではないでしょうか。
2217:05/03/08 00:48:59
>>21
ご意見感謝します。藤井さんの、読ませてもらおうと思います。

作品主体ということ自体には全く異論ありません。
自分の好みの作品があるでしょう?当然人によって
好みのリストは異なるわけですが、そのリストはある
共通点を持った作品群ではないか、その共通点とは
なにか、というのが関心事項です。
自分なりに考えては見たのですが、もし理論面で
援用できるものがあれば知りたいと思ったわけです。
でも、ご意見を伺っていると、ジェネラリストの
日本発の文学理論家はいない、ということですかね。
ちょっとさびしいな。
23吾輩は名無しである:05/03/10 12:45:41
「国文学」の世界が理論軽視なのは「国学」に対する「唐心」なんかではありません。
単にくだらないと思ってるからです。
みなさんが憧れてやまない社会学や人類学の世界でも、最近はくだらない理論の流行が廃れて
実証系が勢いを盛り返してきています。
いま一番熱いのは、実証的な成立過程研究、これ、これが通の頼み方。
時代の最先端を走ってるつもりが気づいたら取り残されてた、なーんて醜態さらさないでね。
24吾輩は名無しである:05/03/10 12:55:07
>>23
なぜ「くだらない」と思うの?
そのあたりの了解の仕方が知りたいな。
25吾輩は名無しである:05/03/10 12:56:32
>>23
だからそれが伝統的態度なんだって。
いつだって「実証が最高」に決まってるじゃん。
それやらないとアカポスもらえないし。
だから、理論を「くだらない」と心から思える事が、
特に国文学で食っていくためには必要なメンタリティーです。
26吾輩は名無しである:05/03/10 12:57:27
付け加えると、どんな分野であろうと理論は実証成果と相互にフィードバックされることにより
はじめて理論の「確からしさ」が認められます。
実証の伴わない理論など理論とは呼びません。妄想といいます。

あなたの好きな思想家さんの理論は実証的に確認されたものですか?
27吾輩は名無しである:05/03/10 13:01:21
解釈されるべきテキストと解釈する俺様。これだけが揃っていれば他に何もいらない。
28吾輩は名無しである:05/03/10 13:01:40
23=26は釣りが幼稚すぎ
29吾輩は名無しである:05/03/10 13:02:34
>>26
自然科学みたいに理論─実証の排他的な二極が
サイクルをなしているかのような19世紀的な考え方は、
まさに貧しい理論的思考しか持ってないことの証左。

ジュネットやバルトやリファテールでいいから、
少しでもちゃんと勉強すればそんなことは言えない。
30吾輩は名無しである:05/03/10 13:03:04
例えば21の書き込みも、
作品が第一だと言っている。
それなのに、「理論に関心がある=実証に関心が低い」
と短絡するのは、
「理論抜きの実証」をよしとする人間だからだろう。
31吾輩は名無しである:05/03/10 13:04:32
29に賛成だが、
俺は個人的には、
イポリット・テーヌのような
クレイジーな実証主義文芸理論は面白いと思っている。
32吾輩は名無しである:05/03/10 13:04:38
マルクスは現実の経済政策として効果をあげていますか?
精神分析は臨床の現場で効果をあげていますか?
フェミニズムは心理学や生物学の発展と共に歩めていますか?
ポストモダンは(ry
33吾輩は名無しである:05/03/10 13:07:17
32読んでこれ以上反論する気が失せた。
34吾輩は名無しである:05/03/10 13:13:46
だから そのジュネットやバルトやリファテールという方々がどれほどのものなのかとお尋ねしているのですよ。
自然科学と人文学を単純に2分化するほうがよっぽど貧しい19世紀的志向と思われます。
35吾輩は名無しである:05/03/10 13:16:54
マルクスが経済政策やビジネスの現場で駆逐されたのはなぜでしょう? それは失敗した理論だからです。
精神分析が臨床現場から駆逐されつつあるのはなぜでしょう? それは失敗した理論だからです。
あとの2つはどうでもいいやw

なのになんで文学の世界ではこいつらが生き残ってるの?
さっぱり理解できないでいます
36吾輩は名無しである:05/03/10 13:25:07
こんな妄想が大手を振ってまかり通っているのは文学分野だけです。
情けない。恥ずかしい。
他分野の方に何と申し開きするのですか?

こんなことだからW大や某公立大のような事態が起こるのですよ。
37吾輩は名無しである:05/03/10 13:26:21
文学部でソーカル厨かよ
詩ね
38吾輩は名無しである:05/03/10 13:44:59
まだ詩ねません。でも氏ね、じゃなくて詩ね、て良いですね。
このような変換ははじめてです。さすがは文学板。

では最後に一言だけ。
理論研究というのはその性格上どうしても流行廃りがあります。
下手すると5年10年でクルクル変わるものでしょう。
もちろん古くなったからあれはムダだった、とは思いませんが、
いずれ古くなるとわかってるのに貴重な労力を注ぐことがもったいなく思えるのですよ。
それに比べて実証研究の成果はそう変わるものではありません。
私としては賢い道を選んでいただきたいのですよ。
余計なお世話なのでしょうが。

というわけで 国文学最高!! 文献学最高!! 背景研究無敵!!!!
39吾輩は名無しである:05/03/10 13:48:47
>>38
お前25で完全にプロファイリングされてるとおりのキャラだな
鎌田スレみたいな魑魅魍魎を相手にしろよ
ああいう連中を完全撃破できたら認めてやる
40吾輩は名無しである:05/03/10 14:10:18
実証こそ古びるんだけどね。
例えばシュレーゲルの『ヴィルヘルム・マイスター』論は、
今でも残っているけど、
当時のゲーテ草稿研究なんてほぼ無意味。
41吾輩は名無しである:05/03/12 11:38:16
> もちろん古くなったからあれはムダだった、とは思いませんが、
> いずれ古くなるとわかってるのに貴重な労力を注ぐことがもったいなく思えるのですよ。

どっちなんだw
42吾輩は名無しである:05/03/12 11:58:24
実証研究の方が、能力がいらないというメリットがある。
4317:05/03/12 23:56:29
>>42

能力が高くないと訓古できないんじゃ^^;
言われている能力とはどんなものを指しているんですか?
44吾輩は名無しである:05/03/15 04:40:40
ixionの降臨を期待してageておこう。
45吾輩は名無しである:05/03/20 20:46:04
良スレあげ
46吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 22:10:29
ジュネットやバルトやリファテールについて
もう少し話を聞きたいところ。
47吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 23:59:15
テクスト論は加藤典洋によって息の根をとめられたよ。
48吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 00:03:39
>>47 まさかまさか、釣りだよな? 本気でないよな? な?
49吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 09:11:47
中村三春は既に過去の人なのか?

あと、加藤=トビスギ=典洋たん
のテクスト論wを越えたり越えなかったりは
ギャグだよな?いつから世の中において
「自己言及=私小説」という同一性が担保されるよう
になったのか知りたい。そもそもカテゴリーが違うだろ。
50吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 23:28:27
もっと>>47にしっかりと食いついてくれ。
もちろんフィッシングじゃないぞ。
51吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:25:13
おい、書き込みが止まってるぞ。
テクスト論はまだまだ始まったばかりじゃあないか。
52 :2005/04/03(日) 23:54:48
なんかの関数的な機能をFとすると
テクスト=F(文学作品)
という感じでしょうか。
53吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:57:48
>>52
漱石か。
54吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 00:41:01
>>53
そういうわけじゃないですけどね^^;
バルト嫁って言われたモンで
55吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 00:55:38
たしかバルトによれば文学というのは言語体[歴史](水平に拡がった地平)に対して
垂直に突き刺さった個に由来する文体[反歴史]において生じる言語活動の一形態
だっけか。うろ覚えだが。
56吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 01:39:02
すいません。読んでるのは「物語の構造分析」なんだけど、
作品からテクストへってところがあるんですよ。

ここらへんの話は常識なんでしょうか。自然科学と歴史的に
対比しているような調子で、なんとなく無理やり感が否めない。

自分が考えていた作品=テクストってのは×で
簡単に言うと作品を「ずらした」のがテクストらしい。
違うかな?
もしそうだとすると、テクストってのはかなり不安定なもの
になってしまうわけで。

57吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 18:03:25
物語の構造を、言語学の構造によって説明しようとしている
のは分かるんだけど、ディスクールについては
言語学モデルに単純に従うと言ってよいのか、疑問だ。
58吾輩は名無しである:2005/04/06(水) 01:24:44
>>57
フーコーにおける「ディスクール」の用法は、
そういう疑問から生まれたものだと思う。
5917:2005/04/06(水) 23:01:08
>>58
^^;まだバルト読み終わってないのに...
60吾輩は名無しである:2005/05/29(日) 12:51:29
カルスタ・ポスコロ・ポモがいろんな場所で議論の対象となっています。

社会学板↓
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1116175495/
仮に研究する人生↓
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3974/1116759980/
61吾輩は名無しである:2005/06/17(金) 13:00:55
ixion降臨期待あげ

テクストの快楽おもすれー
やっぱバルトの文章はいい
62吾輩は名無しである:2005/07/31(日) 02:47:47
保守あげ
63吾輩は名無しである:2005/07/31(日) 11:34:39
>42
じゃあおめえ研究者兼作家になりゃいいジャン
64吾輩は名無しである:2005/07/31(日) 15:37:32
>>40
>実証こそ古びるんだけどね。
>例えばシュレーゲルの『ヴィルヘルム・マイスター』論は、
>今でも残っているけど、
>当時のゲーテ草稿研究なんてほぼ無意味。

当時の文学理論も古びてほぼ無意味なのでは?
だとしたら、お互い様ってことだな。
65吾輩は名無しである:2005/07/31(日) 19:28:30
>>64
古びない。ロマン主義研究は今でも盛ん。
独文が他国に対して誇れる最大の遺産と言っても過言ではない。
66吾輩は名無しである:2005/07/31(日) 19:33:13
繰り返すと、実証はどんなバカでも努力でなんとかなる。
それに半端な理論家はみちゃいられない。
しかし、実証をやる奴は、自分の名を残そうなどと考えてはいけない。
アカデミーに奉仕する奴隷の気持ちで、大伽藍の礎石を一つ一つ積み上げるが良い。
そういう修道院的性格がある。

それに対して理論家は、超一流なら古びない。
小さいがユニークな建物として残る。

そしてテクスト論は、文学理論そのものを伽藍にしようとした運動だ。
先に挙げた二択の不毛さを突破しようとしたんだね。
成否はこれからわかってくる。
今はアンチによる否定的評価の時代でしょう。
真価がわかるためにはあと数十年必要。
67吾輩は名無しである:2005/07/31(日) 19:56:46
実証は、バカがやっても根気と努力と作業さえあればそれなりのものになるが
理論は、バカがやってはならない(バカがやったものは目もあてられない)
68吾輩は名無しである:2005/08/09(火) 03:07:33
実際のところ、理論と実証のどちらもないとまずいんだが。
個々の研究者がどちらにウェートを置くかは、その研究者の資質と指針によるってだけの話だと思うが。
69吾輩は名無しである:2005/08/09(火) 12:02:56
大脳あるのか?って感じの実証論文はけっこう採用されている気がするけどね。
66が言うように、テクスト論は、両方やろうとしたんだと思う。
70名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:00:15
そうだ選挙に行こう!
71吾輩は名無しである:2005/09/25(日) 07:31:55
アゲル
72吾輩は名無しである:2005/09/28(水) 23:47:31
論理、知ってる?
73吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 13:08:21
知ってるよ。
74吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 14:17:53
実証ってでも題材は偶発的な産物だしねえ。
文学理論って所詮は訓古だろ。つまんねーよ。
75吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 17:01:15
訓詁派と理論派とは、むしろ対立してるんだけど。
無知の癖に口出したかったんだね、よしよし。
76吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 18:45:38
>>75
文学理論ってのは過去しか見ないし、未来を語れないってこと。
過去の派閥争いのことにしか目が行かないんだろうね(笑

理論っても文学じゃ(ry
77吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 18:56:43
やっぱりわかってないみたいだな。
過去を整理してそこに無いものを求め、あるべき文学を描くのも理論の仕事だってのに。
78吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 19:01:48
>>74 訓詁は「訓古」ではない。だから過去と短絡したのか。恥かしい奴め。
79吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 22:16:04
>>78
あらら、古は訓詁とは関係ないとおっしゃるんで。
電波なお方とはしらず、失礼いたしますた。
これにて退散。
80吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 23:14:44
>>77
もう少し具体的に言ってくれないと分からないな。
81吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 00:15:35
>>79 自分の誤字を棚に上げて逃げたか。もう来なくていいからね。
>>80 そもそも>>76が抽象的で、何を具体例に想定してるのか、トンチンカンだったし。
8276:2005/10/01(土) 02:38:37
>>81
>過去を整理してそこに無いものを求め、あるべき文学を描くのも理論の仕事だってのに。
実際にそういう仕事がされているなら例示してみてくれる?(藁

しかし、「あるべき」文学ねえ...なんかリーマンの発想だね。
だいたいさ、過去の文学理論を実践した傑作が出たって例しがあるのかね。
文学理論は説明の道具でしかないと言うのが気に入らないなら、
そうでないものの存在を示してみてほしいね。抽象的はイヤなんだろ?


83吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 03:58:24
理論は説明の道具だが、それは未来をも語る。過去しか語れないってのは誤りだな。
ま、先に>>76の抽象性を具体例で解きほぐしてくれ。
一体、どんな文学理論を読んだってのか?
84吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 10:42:56
バルトの「S/Z」やジュネットの「フィギュール」あたりは必読だろ。
それすら読んでない奴は「理論」を語るなよ。
85吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 15:45:47
作品なしに文学理論は存在しないと思うけどねえ。

出てくる理論書は横文字ばかり。まあ、バルトは好きだけどな。
恋愛のディスクールで未来が語られていたっけ?
86吾輩は名無しである:2005/10/02(日) 00:29:38
『恋愛のディスクール』が理論書だと思ってる馬鹿発見。
87吾輩は名無しである:2005/10/02(日) 01:55:20
理論が下火なの、分かるな(藁
88吾輩は名無しである:2005/10/02(日) 04:11:31
フーコーは良い小説家だと思う。
附言こそすれ本人もそれを否定していない。
89文学理論を認知科学と統合しよう!:2005/10/03(月) 01:16:57
やっぱ時代は科学っすよ!
科学かっこいいじゃないっすか!
神経生理学と認知科学知らなきゃマズイっすよ!

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788507242/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4782801114/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4791758609/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4327410535/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788507781/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326648716/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047914304/

どうです?科学って素晴らしいと思いませんか?科学の時代に生まれたことを感謝しましょう!!
90吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 03:11:43
認知科学ってまだ怪しげなのも多そうだね
91吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 03:53:59
「っす」 が痛々しいな。
宣教師よ、他所をあたれよ。
92吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 11:42:44
外国の理論に目が行きがちのようだけど、漱石のものって評価されてるのかな。
定式化といっても記号を使ったお遊びレベルかもしれないけど、あの時代で、と思うと
なんとなくすごいなと思ったり。

小説の書き方、とか文章読本って作家が結構書いてるけれど、ああいうのも
どうなんでしょうねえ。

イーグルトンが源氏をクオートしてくれりゃ、違和感も少しはうすらぐんだが...

93吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 12:43:02
>>92
逆に聞くけど、なんで日本人じゃないといやなんだ?
それに漱石だって、当時のイギリス経験論に由来する理論だよ
94吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 17:31:25
89 :文学理論をポスモダと統合しよう!:2005/10/03(月) 01:16:57
やっぱ時代はポストモダン状況っすよ!
ポスモダかっこいいじゃないっすか!
構造主義言語論と脱構築知らなきゃマズイっすよ!
どうです?ポスモダって素晴らしいと思いませんか?ポスモダの時代に生まれたことを感謝しましょう!!


90 :吾輩は名無しである :2005/10/03(月) 03:11:43
ポスモダって既に怪しげなのも多そうだね


91 :吾輩は名無しである :2005/10/03(月) 03:53:59
「っす」 が痛々しいな。
宣教師よ、他所をあたれよ。
95吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 19:34:16
>>93
フランス料理の名シェフって刺身を上手く切れるかな(笑

○日本文学を扱わなけりゃね。
○日本人の構築した理論を希望

96吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 20:02:51
>>95
お前かなりバカだな
どうせイーグルトンの知識も筒井経由だろ
97吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 20:03:40
>>95
カテゴリーミステイク大杉
お前が言っているのは、
「フランス人にすし職人なんか出来るか」
という排外主義。
98吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 21:56:54
>>96
なにか、読んだよ〜⇒じゃあ〜頁に何が書いてあるか説明汁!⇒〜行目は〜ニダ!
⇒じゃあ〜頁は?
という展開を期待してるのか(笑
>お前かなりバカだな

>>97
ちょっとちがうだろ(笑









99吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 22:02:08
>>98
お前は何事も先入観が強すぎる
テクスト論を取り入れた日本文学研究などいくらでもあるし。
100吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 22:12:06
そうか、知らなかったよ(藁
101吾輩は名無しである:2005/10/06(木) 12:22:29
文学を語るときとりあえずテクストという単語を入れとけば知的に見える
あざとさ。また似非評論の印でもある。
102吾輩は名無しである:2005/10/06(木) 12:34:18
翻訳語が糞すぎたから仕方ないよ
テクストクリティークを「本文批評」とか訳しちゃうんだぜ?
103吾輩は名無しである:2005/10/08(土) 19:02:47
元小森ゼミ生の私がこのスレをageるのであった。
104吾輩は名無しである:2005/10/09(日) 01:48:50
セクハラ気味ってマジ?
105吾輩は名無しである:2005/10/09(日) 07:13:50
つか、自分マンセーな読みを押し付けられる時、テクスト論は
とても楽しいイジメ道具になるから必要だよね。
106吾輩は名無しである:2005/10/09(日) 17:24:42
ロトマンとジュネット、どちらを先に読むべき?
107吾輩は名無しである:2005/10/09(日) 22:23:36
>>106
もちジュネット
108美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/09(日) 23:14:00
ポスコロ、カルスタも、テクスト論を前提としたものなわけでしょ?
そのへんをわかってない奴が多すぎる。

あと「テクスト論」っていう呼び方がださいのでやめてほしい。
109吾輩は名無しである:2005/10/09(日) 23:35:14
また頭の悪いレスがついたな(笑)
しょーもない。
110吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 00:23:39
>>1
小森先生や石原先生個人について語ってもいいの?
けっこうカルスタ批判してるよね
111美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 00:51:37
>>108
頭が悪いのは君だよ。
「テクスト論」て何?
そんな「論」があるわけ?そんなのないよ。
この頭の悪い名称をなんとかしてほしい。
対象を「テクスト」と捉えた場合の、さまざまな研究方法があるだけであり、
「テクスト」をめぐる「論」などというものは存在しない。
112美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 00:58:58
ポスコロもカルスタもその「さまざま」のうちなわけで、
「テクスト論」が終わって、ポスコロ・カルスタになる、なんてことはない。
両者は繋がっていて、別個のものではない。
「テクスト論」なんてものは、実体としては存在していないのだよ。
113美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 01:04:21
「テクスト論」が終わってよかった、もう理論の勉強はしなくていい、
これからは昔の新聞・雑誌なんか読んでれば、論文が書ける、
とか思ってる奴が大杉なんだよ。
対象が「テクスト」としてあるという状態が、終わるはずがない。
「テクスト論」なんてものは、終わる前に、最初から存在すらしていないのだ。
114美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 01:05:23
「テクスト論」が終わってよかった、もう理論の勉強はしなくていい、
これからは昔の新聞・雑誌なんか読んでれば、論文が書ける、
とか思ってる奴が大杉なんだよ。
対象が「テクスト」としてあるという状態が、終わるはずがない。
「テクスト論」なんてものは、終わる前に、最初から存在すらしていないのだ。
115吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 01:31:46
文学理論なんてやらなくていいよ。文学とはあまり関係ないから
116吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 01:37:45
ほんとはやりたくない…
117吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 01:43:13
やるまい
118吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 01:43:51
テクスト論という名称の表層だけを巡って批判を展開し、
肝心の中身に触れずに逃げるんですか?
勉強してないのがばればれ。
119吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 01:50:31
美香さんの言いたいこともわからないでもない、
要は安易にポスコロカルスタやる人が多いねってことだよね。(違ったらごめん)
でも
>「テクスト」をめぐる「論」などというものは存在しない。
このへんがよくわからない。事実存在するじゃん。
120吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 01:52:14
そもそも、美香にはテクスト論がどういったものかの認識から誤解があるようだ。
まあ、まずは受容理論からやりなおしていただきたい。
121美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 01:58:51
美香美香と言ってもどの美香なんだか
122美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 01:59:52
わーい、美香が大勢いる!
123美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 03:17:32
上のほうの「美香」の中の者だが
数日前から美香は共有コテになってる。
君らは「美香」という名前に釣られて
バカとか勉強してないとか反応したようだね。
全く同じ内容がixion名義で書いてあったら
「鋭い視点」とか言ったんじゃないの?

テクスト論の中身?どういったもの?
だから「テクスト論」など存在しないと言ってる。
恐らく君らが「テクスト論」と思ってるものは、
単に対象を「テクスト」と規定するパラダイムのことに過ぎない。
こう規定したうえでのいろいろなアプローチが研究の内容であって
それらは「テクスト論」などという枠組には収まらないんだよ。
124吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 03:19:17
「作品からテクストへ」の含意がわからんのかね。↑
125美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 03:24:26
だから「作品からテクストへ」とかはパラダイムの問題だと言ってる。
それ自体が、特定の研究領域なり研究方法なりとしてあるわけではないということだ。
126美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 03:37:24
例えば「作品論」などという研究方法はない。
○○という方法による作品論、▲▲の視点による作品論、があるだけ。
その○○や▲▲が、特定の研究方法なわけね。
テクスト論もそうで、それは対象をテクストと規定するスタンス、パラダイムの問題であり、
それ自体が、研究方法になったり、研究領域になったりするわけではない。
そうしてテクストと規定したものに、どういう方法で接近するかってとこから、
いろんな研究分野が成り立ってくるのよ。
だからテクスト論を「分野」として立てるのはおかしいってこと。
127吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 05:38:19
>対象を「テクスト」と捉えた場合の、さまざまな研究方法があるだけであり、
>「テクスト」をめぐる「論」などというものは存在しない。

存在する、といったところがあまりかわらんのじゃないかな。

読了報告のほうがおもしろー。美香様〜
128吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 08:10:04
また馬鹿が書き込みしてるな(笑)
こいつにはテクスト論は読解によるテクストの生成ってこともわからんのか。
そもそもテクスト論が指す「テクスト」とは現に存在するライティングのことではないんだよ、アホ。
129吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 09:56:06
>>128
そこで「ライティング」とはまた不用意な。
それが「エクリチュール」の英訳語と知っていれば、そんな説明はしないだろうに。
130美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 10:52:19
>>128
は?「テクスト」が「現に存在するライティング」のことだ、などとわたしが何処で言った?
だから「読解によるテクストの生成」とかは、パラダイムの問題であって、特定の研究分野じゃなんだよ。

君は理論をかじり始めた学部生か?
131美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 11:00:29
訂正 ないんだよ。
132吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 11:50:04
バラダイムの誤用ワロスwwwww
133吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 12:02:05
テクスト論は存在しないのと同様に文学なるものも存在しない。
どちらも所詮はイデオロギーに過ぎない。
134吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 12:09:59
>>133
お前も「イデオロギー」の使い方がメチャクチャ。

ここで誰かを晒すレスがことごとく間違いなのはどうしたものか。
うかつに他人を貶すのはよした方がいいですよ。

別に普通にテクスト論について語ればいいと思いますが。
135吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 12:52:22
>>134
イーグルトンは著書の中で「文学とはイデオロギーだ」と言っていますが、
それは間違いなのでしょうか?
イーグルトンより賢い君の意見を聞きたいね。
136美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 13:18:03
きゃっきゃっ、美香がいっぱい居る〜〜!
うれP−.
137吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 13:21:55
>>135
無駄な煽りをやめろと。
最後の一行。


文学とイデオロギーが等値のわけないでしょう。
「文学におけるイデオロギー」はある。
イーグルトン理解が間違っているんじゃないの?
138吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 14:07:48
君、本気で言ってるの?
文学を文学たらしめているのはイデオロギーに
他ならないじゃないか。
139吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 14:09:44
三好行雄も知らないで、作品論は無いだって。あほか。
140吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 14:13:07
>>138
全てがイデオロギーから説明されると?
そうでないなら、文学という次元はそれなりに自律性を持つのですが。
よっぽどの還元論者でもない限り、そんなことは言わないはず。
141美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 21:51:21
>>139

>作品論はない

んなこと、言ってねーよw
作品論ってのが、研究方法ではないのと同様、
テクスト論などという、研究方法もない、と何度言えば…

>>132
じゃ「正しい」用法を言ってみろ。
142美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/10/10(月) 22:00:16
あと「存在しない」ってのは、
別に「イデオロギーに過ぎない」って言いたいわけじゃない。
それならイデオロギーとして「存在」はしてるわけだから。

俺が言ってるのは、カテゴライズの仕方がおかしいってこと。
例えばアメリカと日本は日米安保条約を結んでるけど
アメリカと沖縄で沖米安保条約、ってことにはならない。
「アメリカ」と「日本」は国家という同じ範疇だが、沖縄はより下位の範疇だ。
テクスト論とカルスタを同列に扱うのは、米沖安保条約みたいなもんで
範疇のレベルを混同してるってことだよ。
「テクスト」の考え方は、いち流派ではなく、もっとメタの位置にあるわけ。
カルスタになってもポスコロになっても、「テクスト」の概念は終わらない。
143吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 22:49:17
作品論もテクスト論も研究方法であるぞよ。無知には呆れるなあ。
144美香委員:2005/10/11(火) 03:49:03
不毛。
テクスト論という方法論は、現実的にあるんよ。
例えば、どっかの大学でまことしやかに方法論として、あるいは、であるかのように講義されてるはず。
だから、どの美香ちゃんかは知らんが、大人の美香ちゃんは、
「「テクスト」の概念」とやらが、安易な方法論に落ち込んだら、
「「テクスト」の概念」が持つ批判力の多くを失っちゃうんじゃないかい〜
と言った方が分かってもらえるんでないかい。
無論、様々な立場がある以上、決して共有されないかも試練。
そもそも、このスレタイがいかん。文学史の整理が大雑把すぎ。
メタに立ちたいなら、もう少し・・・
145吾輩は名無しである:2005/10/12(水) 21:35:28
テクスト論は常に精神分析と表裏一体であって、
歴史学と表裏一体の作品論とは相容れない。
146吾輩は名無しである:2005/10/12(水) 21:37:14
作品論と作家論、
なんていうトンデモ用語が支配する、
近代日本文学業界が駄目だったから、
テクスト論も一定のインパクトを持った。
147吾輩は名無しである:2005/10/12(水) 22:31:55
>>146
日本語に不慣れだな(笑

148吾輩は名無しである:2005/10/13(木) 00:32:25
>>147
韓国人認定か?
まあ勝手にしろ
149吾輩は名無しである:2005/10/13(木) 23:16:52
作品論と作家論ってトンでもなのか。今のご時世だと。
常識的なアプローチに思えるけどなあ。
150吾輩は名無しである:2005/10/14(金) 00:50:14
トンデモだよ。
その区別は恣意的すぎるし日本文学でしか通用しない
151美化委員:2005/10/17(月) 03:57:21
>>146 >>150
まず、あなたの足場を明らかにしてもらおうか。
話はそれからだ。と無駄にAGE BEFORE BEAUTY
152吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 04:10:39
>>151 この板で「委員」を名乗ると、知ったかぶりのヨイショマンと見做されますぞ。
153吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 04:59:42
反省orz
154吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 10:38:39
ド・マンによれば文学は元来アイロニカルな分野で
最初からディコンストラクトされているそうな。
155吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 10:51:35
批評って、まず印象があってそれの理由をあとから考えるんだろ?w
156吾輩は名無しである:2005/10/18(火) 16:08:58
本書を始めるに際し、私は、文学なるものなどは存在しないと論じた。

テリー・イーグルトン『文学とは何か』P303より
157吾輩は名無しである:2005/10/18(火) 17:40:56
文学が存在するとして論旨展開したっていいわけだろ?
論理的に(ぷ)考えれば。
あれが玉条かよ。
158吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 00:12:28


ぷぷぷ
159吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 00:35:03
>>158
157じゃないけど、ぷぷぷじゃ訳わかんね、
突然来てもわかるように、ちゃんと書け、
親切なんやろが藻前は。
160吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 00:37:34
「ぷぷぷ」などという書き込みをする者はプロレタリアート
161吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 01:07:48
PUPUPU

Jien Otu
162吾輩は名無しである:2005/11/04(金) 19:45:35
さて、アホな荒しは無視して議論を再開しましょう。
163吾輩は名無しである:2005/11/19(土) 22:18:42
アゲ
164吾輩は名無しである:2005/11/19(土) 22:51:33
そもそも「文学研究」というお題目が間違ってるの。
にもかかわらず「文学研究」という括りにこだわろうとすれば、
テクスト論だろうがポスコロだろうが、カルスタだろうが、結局のところ
認識の問題に吸い込まれていくわけ。
こういうのって文学板でやるべき話なのか?と思う。
165吾輩は名無しである:2005/11/19(土) 23:51:23
>認識の問題

詳しく。
166吾輩は名無しである:2005/11/20(日) 09:50:24
中村三春新刊age
167吾輩は名無しである:2005/11/22(火) 12:33:24
みはる ガンダム
168吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 12:50:22
ドッコイショ
169吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 12:51:56
中村三春ってなぜか読む気がしない。文学理論は好きなのに、なぜかな?
170吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 22:30:14
言ってること、どの論文も同じだからだろ。
171吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 16:18:33
たしかに理論家は金太郎飴になりがちだが……。大澤真幸とか酒井直樹とか。
172吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 16:41:17
テクスト論が、作品論の迷妄や欠陥を補填したり突いたりするのは、文学研究が
豊穣になるということから言えば良かったと思うのだけれど。
テクスト論自体が、なんだか極端な妄想になってしまったという気がしないでもない。
173吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 16:43:58
テクスト論がテクスト論のふりしながらいつの間にかまた作品論になってしまったのさ。
174吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 20:43:21
中村三春より、弟子の押野武志の方が上なのは確か。
175吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 05:55:10
押野武志ってのは、どの辺が優れてるのかね? 
176吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 10:12:18
「作品論」「作家論」という国文用語はキモ過ぎる。
近代文学関係の知人の話を聞く限り、
擬似問題を生み出しまくりだと思う。
テクスト論の意義も歪曲されていたっぽいな。
17717:2005/11/25(金) 13:27:14
>>176
>173
178吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 16:15:31
文学を「虚学」(三好行雄)と開き直ってやるぶんには、
その辺のゆらぎはいいとオモタ。
179吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 16:19:45
虚学だからって三好作品論みたいな出鱈目や適当はよくない。それでは「学」ですらないぞ。
180吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 20:09:26
ソレニハドウイ
sage
18217:2006/01/09(月) 22:59:26
>>179
出鱈目や適当ってのは根拠示せる?
183名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/10(火) 03:08:04
三好は偉大
>>182 え、作品論批判を読んだことないわけ? 「批評と研究の接点」とか。 
18517:2006/01/10(火) 15:45:12
>>184
質問してるのはこっちだよ
作品論批判を文献名まで挙げて貰ったんだから、あとは自分で調べて読めばいいぢゃん?
http://wwwsoc.nii.ac.jp/amjls/somokuji.htm#023
"批評と研究の接点"で検索したら、引っかかったぞ。
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1111593033/66-71
おまいら、中村三春がとうとうブログで動きだしましたよ。
根源的虚構について語ってますよ。
テクスト論は、まだ終わらんよ!
ttp://yaplog.jp/projectmannex/
Project Mってなに?
プロジェクトXかなんかなの?
190名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/17(火) 13:31:09
中村三春のは、テクスト理論を装った文藝學(東北-岡崎義惠)ですから。残念。
>>189
そうではなく、エヴァ厨のようだ。
192名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/23(月) 08:10:26
なんと。
193吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 01:53:52
テクスト論って乱暴に言うと、書かれていることが全て実際に起こったことだと捉えて、
それについて解釈していくってことでいいのかな?
194吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 02:07:43
うん。
195吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 02:31:01
ハア? 何言ってんですか、この人たち。それだと歴史書でしょ。
196吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 02:36:15
普通の国文学研究にかえれ。
なにかが狂っているとしか思えん。
197吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 02:51:40
>>195
たしかにそう取れる書き方でしたけど、そういう意味じゃないですよ(笑)
198吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 03:26:42
ならどんな意味なの。ちゃんと誤解されない書き方をしてみんさい。
199吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 03:28:17
つまりね、書かれていることが全て実際に起こったことだと捉えて、
それについて解釈していくってこと。
200吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 05:25:26
そこから、更にイカれた解釈をするテクスト論が増殖しました。
201吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 13:09:18
>>199 だからね、それだと歴史書の読み方と変りないのね。あほか。
202吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 14:36:40
>>201
たしかにそう取れる書き方でしたけど、そういう意味じゃないですよ(笑)
203吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 14:47:19
書き手の意図がどうあれ、書かれたものを書かれた意味で読み取るべし。
それがテクストに即すってことさ。
>>193>>197はテクスト論の初歩もわかっちょらんのに口出しなさんな。
204吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 14:53:51
>>202
後からそんなつもりは無かったとか言ったって、
文章にそんな風に書かれてあるんだから、駄目さ。
ニュー・クリティシズムの連中も、intentional fallacy って言ってるだろ。
205193:2006/02/14(火) 18:02:56
>>203
つまり、僕が書きたかったことでいいってことっすね。

どうでもいいっちゃいいですけど、
>書き手の意図がどうあれ、書かれたものを書かれた意味で読み取るべし。
と言いつつ
>>193>>197はテクスト論の初歩もわかっちょらんのに口出しなさんな。
って書き手を批判するのは変じゃないですか?
206吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 18:38:16
全然ちがふ。
あんた、またまた理解力の無さをさらけ出してますから。>>205 
207吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 21:25:24
理解云々言うほどテクスト論って難しいか?
作家論のほうが複雑な気がする。
208吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 21:34:01
作者を考慮しないっていうのは、実践には幼児退行的な難しさがあるよ。
209吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 23:57:09
岩波現代文庫 ヤウス「挑発としての文学史」をお薦めします。
それと参考に本をあげたところですぐに「古い」とかほざかないで下さい。
基本書ですので今のところ旧新関係ないです。
210吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 02:26:10
>>205
どうでもいいちゃいいけども、
これが作家論って何よという話題だったら、
投稿者の話をしなきゃ「変じゃないですか?」っていうんですか?
211吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 02:41:45
テクスト論批判でアカポスGETだぜ!
212吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 03:04:10
死ぬまでテクスト論を貫く研究者が
出て欲しい。それが期待かな。
もちろん優秀じゃなきゃ駄目だけど。
213吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 03:09:39
丹生谷さんがそうなんじゃないの
214吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 12:34:37
石原千秋とか
215吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 13:48:37
>>205 「僕が書きたかったこと」なんて書き手の意図は、却下です。
>>213 お前、読んでないだろ。
>>214 近年は国語教育論に浮気してテクスト論から離れ出してる。
216吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 17:22:14
日本だと『構造としての語り』を出した頃の小森陽一が一番じゃないかな。
217吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 18:14:39
>>213 お前、読んでないだろ。


うん。読む気もないよ。
218あつjくてスマソ。ネル:2006/02/16(木) 04:58:57
ニブヤはテクスト論者でもなんでもない。
千秋はテクスト論における読むこと=書くことを積極的に
誤読することで、生産性を高めようとしている(いた)が、そもそも
テクスト論など根付いてもいない(か、テクスト論の名のもとに
私的な読解を正当化することに終始する輩ばかりが跋扈している
んだろと妄想されている)世界で「積極的な誤読」などという
高尚な技は理解されるわけもないわけで。
ただし、千秋の「テクストに殉じるために、厳密なテクスト分析を
通過した後で誤読しよう」という態度はもちろん、評価されるべき。
テクスト論は「好き勝手な読み」を正当化するための道具ではない。
厳密に読めば読むほど、読むという過程それ自体を対象化せざるをえないという諸刃の剣。
とりあえず「S/Z」でも読んでみてくれ。こいつ基地外かというくらい
徹底的に文章を検討し、文章を検討している自身の手法に対する再帰的な
考察を繰り広げている。

ちなみにテクスト論を死ぬまで貫く研究者は今後出てこないと思う
(つまり、現状で打ち止め)。
理由はテクスト論それ自体にあるのではなく、テクスト論だけでは
就職できないという世界の配置の問題。
テクスト論を前提にCSに走っても「現場」とやらと直結しない
CSは「ただのアカ」判定されて、ますます就職から遠くなるだけ。
219吾輩は名無しである:2006/02/16(木) 12:18:09
〜論を選べるものだと思ってるやつは幸せだな。
220吾輩は名無しである:2006/02/16(木) 23:50:15
〜論とうたう以上、メソッドとして伝承可能な技術たるべきだとは思うが。
技芸ではないのだから。
221吾輩は名無しである:2006/02/17(金) 01:26:01
技術者も、あれかこれかと選んだあげくに
その技術を身に付けるんじゃないと思いますよ。
222吾輩は名無しである:2006/02/17(金) 18:26:36
レヴィのやり方を文学に適用するはずだったのに、
テキストの深部にフロイトとかジェンダーとかの記号をを発見することがすでに
レヴィから全然かけ離れてるのだね。
レヴィは、そういう文化的歴史的先入観を捨てて事実を見ろと言ったわけで、
むしそそういう先入観そのものである文学的事実に適用できる理論じゃない。
223吾輩は名無しである:2006/02/17(金) 21:37:58
文化記号論とテクスト論と解釈学をごっちゃにしてないか?
エリファス・レヴィの魔術的方法を適用するはずだった……なら面白かったのになあ。
224吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 00:56:58
なるほど、終わってる。
225吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 01:20:29
文学理論の歴史は他の哲学科学の歪曲転用の歴史だから、
レヴィ=ストロースさえ読めば、構造主義文学論のおかしさにすぐ気付く。
レヴィ=ストロースは、自然科学の手法を社会科学に取り入れて、
目的や意味を排除したのだが、
なぜか構造主義を標榜する文学理論は、文学の深層から目的や意味を抽出する。
ポスコロやカルスタも同じで、根本的に非科学ってこと。
既出だが、文学者はおとなしく作家論、作品論やってるほうがいいと思うね。
226吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 01:28:30
>>225 
馬鹿言っちゃいけない。
構造主義は目的論的因果性は排しても、意味は排除しちゃいないよ。
227吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 01:33:45
カルスタ教授ども、もう死ね。

いらん。チャラい。無意味。ムダ。
228吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 01:35:25
とくにラカン派とか自分でいってるセンセイ、ばいばい。
229吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 01:36:48
具体的に名を挙げろよなー。
230吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 01:46:40
『作者の冒険』のセンセイのことだろうか?
あの人の基盤はリクール+ラカンだし…
231吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 01:56:14
『「作者」をめぐる冒険―テクスト論を超えて』でしょ。
超えるってよりも、反動退歩って感じだけどな。
232吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 20:11:44
テクスト論なんぞ読者のくだらない思い上がりに過ぎない。
233吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 21:00:23
↑百パーセント作者な自意識の産物はつまらなそう。
234吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 01:18:18
作者をテクストに還元して(機能としての作者)読めば面白いと思う。
235吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 01:24:59
そんなの基礎、初歩、で当り前のことのはず。
236吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 01:39:55
だよNE!
237吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 01:48:22
http://le-presque-rien.blogspot.com/2004_04_01_le-presque-rien_archive.html
この「作品が読者にもたらす作者の像」を措定せよという主張は、じつはすでにナラトロジーの分野で議論 しつくされてきた「暗黙の作者」の議論の退屈な反復である。
238吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 17:35:03
作者なんて作品の前ではどうでもいいことだ。
239吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 23:11:16
石原氏の新刊読んだ人いる?学生と読む三四郎
240吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 23:36:48
あの本にはオイラが登場しますよ。
241吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 23:48:51
↑だれ?wwwwwwwww
242吾輩は名無しである:2006/04/11(火) 00:21:37
この教室にテクストはありますか?
このスレに院生の人はいますか?
243吾輩は名無しである:2006/04/16(日) 21:27:23
岩波現代文庫「挑発としての文学史」は基本書としていいよ
244吾輩は名無しである:2006/04/16(日) 21:41:43
期待の地平な。
245吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 01:53:05
イーザーとヤウスを勘違いしてないか?
246吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 04:27:00
テクスト論ってよく聞くけど何なの?
ググっても、解説したサイトが見つからない。
247吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 09:05:37
イーザーは『行為としての読書』だろ。
ヤウスは『挑発としての文化史』であってる。
248吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 21:24:20
いや、地平とか、現象学使うのはイーザー。
ヤウスは歴史記述が基本。
249吾輩は名無しである:2006/04/20(木) 00:08:32
学生と読む三四郎、最後の子のレポートすげー。
250吾輩は名無しである:2006/04/20(木) 01:10:15
興味ないね
251吾輩は名無しである:2006/04/20(木) 01:48:44
期待の地平はヤウスだよ。要確認。
252吾輩は名無しである:2006/05/09(火) 15:27:26
なお、イーザーは、主題と地平の構造。
253吾輩は名無しである:2006/05/09(火) 16:38:54
ヤウスもイーザーも有名で重要なのに翻訳が少ないねぇ・・・
ドイツ語が全然読めない私には確かめようがないよ。
254吾輩は名無しである:2006/05/09(火) 22:42:58
受容美学
255吾輩は名無しである:2006/05/24(水) 17:21:55
age
256吾輩は名無しである:2006/06/30(金) 11:41:31
ジュネット・スレたちますた
ジェラール・ジュネット
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1151480784/
257吾輩は名無しである:2006/07/10(月) 22:12:13
このタイミングで上げることに意味がある
258吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 13:30:17
age
259吾輩は名無しである:2006/09/09(土) 00:38:53
今日の伊勢丹でのパーティー用があって
いけなかったんだけど、全身HAREの人になら
チケット譲りたかったよ。
いった人いる?
行きたかった人は?
260吾輩は名無しである:2006/10/20(金) 03:26:56
sage話しもなんだからageるぞ
261吾輩は名無しである:2006/10/21(土) 01:31:27
テクスト論についての入門書で何かいいのがあれば教えてください。
あと、石原・小森のテクスト論関係の本でお薦めのがあればそれも教えてください
262吾輩は名無しである:2006/10/21(土) 15:20:55
>>261
『現代文学理論』:新曜社←圧倒的におすすめ

千秋なら『テクストは間違わない』
小森さんはなんかそれ関係で著作あるっけ?
あとはバルト嫁

263吾輩は名無しである:2006/10/21(土) 19:30:43
>>261
前田愛『文学テクスト入門』
264261:2006/10/22(日) 00:35:16
>>262>>263
ありがとうございます。
前田愛はたしか小森陽一の師匠に当たるんでしたっけ?
小森の変わりに前田を読んでみます
265吾輩は名無しである:2006/11/10(金) 13:03:05
小森陽一の師匠では、亀井秀雄も忘れずに。
いまの小森はもう師匠から批判されてるけどね。
266吾輩は名無しである:2006/11/10(金) 21:07:16
亀井さんはホームページをもってるね。
2ちゃんの言説分析なんかやってるw
267吾輩は名無しである:2006/11/13(月) 03:44:18
千秋の「大学生の論文執筆法」の第一章はある高名な哲学書の形式を真似ている
と書かれていましたが、どなたかその作品をご存知ないでしょうか。
268吾輩は名無しである:2006/11/13(月) 04:20:38
269吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 07:27:42
ひつじ書房から出る中村三春とか西田谷洋とかって、どうも面白味が無い。
http://www.hituzi.co.jp/books/272.html
http://www.hituzi.co.jp/books/278.html
270吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 08:31:50
もう一度形式を徹底しよう。
271吾輩は名無しである:2006/12/23(土) 16:28:25
安藤宏
272吾輩は名無しである:2006/12/28(木) 23:34:38
石原って器用だな
273吾輩も名無しである:2007/01/05(金) 01:42:50
千秋のはヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』。岩波文庫のが訳がいいよ。
274吾輩は名無しである:2007/02/24(土) 08:49:46
小林秀雄がいいんじゃね
275吾輩は名無しである:2007/04/10(火) 03:33:09
はあ?
276吾輩は名無しである:2007/04/12(木) 12:53:31
ひい
277吾輩は名無しである:2007/04/20(金) 00:25:48
石原千秋が春樹本出すってマジ?
278吾輩は名無しである:2007/06/26(火) 12:03:22
しるかぼけ
279吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 20:09:38
小森ちゃん
280吾輩は名無しである:2007/10/08(月) 21:36:45
あげ
281吾輩は名無しである:2007/12/16(日) 13:35:25
あげ
282吾輩は名無しである:2007/12/29(土) 05:35:05
ヘルマン・オームスのひねり
283吾輩は名無しである:2007/12/29(土) 07:38:58
ねじりもちおいしい
284吾輩は名無しである:2008/01/13(日) 23:03:35
285吾輩は名無しである:2008/01/16(水) 22:02:01
研究者のカルスタ評価

カルスタ・ポスコロ・ポモ専用
http://jbbs.livedoor.jp/study/3974/storage/1116759980.html

カルスタ・ポスコロ・ポモ専用2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3974/1124097649/


286吾輩は名無しである:2008/03/10(月) 21:55:19
終わった
287無名草子さん:2008/03/16(日) 01:18:53
また始まる
288吾輩は名無しである:2008/03/27(木) 12:01:10
また終わる
289吾輩は名無しである:2008/03/31(月) 12:58:16
そして再開
290吾輩は名無しである:2008/03/31(月) 13:06:55
時間潰し乙
291吾輩は名無しである:2008/06/16(月) 08:21:59
からあげw
292吾輩は名無しである:2008/07/31(木) 23:37:19
またはじめるよ、あいつが
293吾輩は名無しである:2008/08/01(金) 03:23:02
おまえ舐めるなよ(笑)
294吾輩は名無しである:2008/08/07(木) 03:32:37
お前何がおかしいの?
人前で意味不明のニヤニヤオヤジだろ
きもい
295吾輩は名無しである:2008/08/07(木) 11:42:49
おい、片山! おまえこのままで済むと思ってんのか。
こっちはおまえの住んでるとこ知ってるんだからな。
296吾輩は名無しである:2008/08/07(木) 17:29:44
うるせえぞ、前田!
297吾輩は名無しである:2008/08/11(月) 04:00:39
ジェイムソンの『政治的無意識』  ドミニク・ラカプラの『思想史再考』
シュレーゲルの『ヴィルヘルム・マイスター』論  バルトの「S/Z」  ジュネットの「フィギュール」
テリー・イーグルトン『文学とは何か』  ヤウス「挑発としての文学史」  イーザー『行為としての読書』
リファテール  イポリット・テーヌ
298吾輩は名無しである:2008/08/11(月) 05:38:09
南無妙法蓮華経
299吾輩は名無しである:2008/10/25(土) 23:43:50
あげ
300吾輩は名無しである
過疎化