【弁証法】  五木  寛之  【の論理で否定】

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11
Я 五木★寛之を360度の視点から批判・擁護するスレです・・・・・

2吾輩は名無しである:05/01/30 06:56:07
ここじゃ駄目なの?

五木寛之は 懐疑的!鬱病!偽善者!
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1083676536/
3吾輩は名無しである:05/01/30 13:35:48
髪を洗わない限り弁証法が逃げていくから大丈夫だ!
4吾輩は名無しである:05/01/30 13:37:20
弁証法が鬱になって逃げて行ったらしい。
5吾輩は名無しである:05/01/30 15:02:46
深夜の友は真の友
6吾輩は名無しである:05/01/30 16:25:42
五木寛之が鬱であると言う情報、つまりその根拠はどこからきているのだろう?
もし彼がそうであるとするならば、ウンコ朝日などに軽妙なエッセイなど書けないだろうし、
また、そのエッセイの文脈から本来の鬱はかんじとれないのだが。

>>2の言うとおり、http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1083676536/ここでも良かったのだが
しかしあまりにもこのスレは劣化している為、「あぁ、ここでは無理だ!」
と、思ったので、新スレを立てました。また、一般書籍板の●五木寛之●でもとは考えたのだが、
こちらは「文板」より更に酷いので、諦めました。

7吾輩は名無しである:05/01/30 16:31:47
外車で古寺巡礼しているという噂は本当なのか?
8吾輩は名無しである:05/01/30 16:32:31
林真理子に守られているというのは本当なのか?
9吾輩は名無しである:05/01/30 16:33:53
林真理子に取り憑かれたため、同情票が集まっているということでは。
10吾輩は名無しである:05/01/30 17:00:10
林真理子はださないで欲しい。なぜなら彼女自身が「弁証法の論理」を理解していないから。
文春での彼女を読む限り、彼女の思考を疑ってしまう。かかる彼女の言はマンガの矛盾より劣る。

ところで、あるところで「五木」の-他力が文学的テーマであると言っていたのだが、
どこでそのように感じられたのか疑問に思っているのだが、だれか-他力-に詳しい方が居れば、ちょっとレクチャーしてくれないか。
11吾輩は名無しである:05/01/30 17:30:34
弁証法の論理は弁護士・検察官・裁判官 に任せておけ。
作家如き、作家風情がでるまくではない。あしからず、文板諸君よ!
12吾輩は名無しである:05/01/31 09:20:35
13吾輩は名無しである:05/01/31 23:57:26
「善人なおもて往生を遂ぐ いわんや悪人おや」と言うのは他力の核心だが、
これは充分、文学的テーマたり得るだろう。
現に、これに触発された文学者は多数いるよ。
14吾輩は名無しである:05/02/01 00:03:30
五木もそうなのか
1513:05/02/01 00:10:37
あ、>>10ね。
16吾輩は名無しである:05/02/01 18:48:15
>>13
-他力-を再読してみる。レス感謝!
17吾輩は名無しである:05/02/01 19:05:19
わたしのこころに雪がふります・

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Spotlight/5823/snow.htm
1813:05/02/01 22:04:29
>>16
併せて「歎異抄」の熟読をお勧めするよ。
そうすれば他力が正確に理解出来るだろうから。
19吾輩は名無しである:05/02/02 16:15:31
一般書籍板の五木スレ、最初の方だけ読んでみたんだが。
何と言うか。
独特の荒れ方、だね。
20吾輩は名無しである:05/02/02 17:24:01
ここだろ
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/books/1086686834/
インテリとDQNが混在。
21吾輩は名無しである:05/02/10 14:16:07
他力を読んでいて,まず最初に思うのは,以前,ある知人が「五木」の-生きるヒント-を半ばまで読み,“なんだ,これのどこが生きるために役立つのか?”と言う言葉であった。

この知人がそう思うのには,理由があったと思う。それは「生きるヒント」と言う本のタイトルだけを重視し,
それに期待を込めて読みすすめれば,当然,知人が半ば途中で読むのを断念したことも肯ける。
仮にこの知人が「他力」を読んだとしても,およそ半ば途中で断念すること必定だろう。
この「他力」にしてもそうであるが,これらの著作から安易な気持ちで実用性を発見することが,
そもそもの期待はずれと言うところだろうかと。まあそれゆえ,「他力」に文学性を発見することが,
可能なのであろう。むろん五木寛之に文学を見たのではなく,「他力」の底流に潜んでいる真宗(親鸞)
の思想に文学性を見たのであるが・・

哲学者の西田は第二次大戦の末期,“いっさいの書物を焼失しても【臨済録】と【歎異抄】が残れば,
我慢できると言ったそうである。
つまり歎異抄は親鸞の「思想書」であり,その親鸞の根本を形成する他力思想を引用させている五木の「他力」も,
「思想書」であると言うことができる。

その五木の「他力」のなかで,ある批評家から,「他力の自覚を得るにはそれなりの自力は必要ではないか?」
と言う反問を投げられている個所がある。これについて五木寛之はヨットマンの話しを引用し,説明している。
22吾輩は名無しである:05/02/10 15:12:10
ヨットマンがその自助努力<自力>を怠ればそこから先に進むことはできない。
そういう意味では,まさしく<自力>は必要である。その自力にはじめて他力
の風が吹き込み,そうしてヨットは前進する。その意味では,五木寛之も「自力」
は必要であると認める。だが,
その自力もじつは既に「他力」のはからいに拠るもので有ると言う。

無風状態ではヨットは進まない。ある程度の自力は必要である。もしそのときに,
ヨットマンがヨットの上で居眠りをしていたら,いくら他力の風が吹こうとも,
その風に乗る事はできない。つまりいくら自力で頑張っていても,他力の風を無視していては,
他力も自力も無意味になる。その自力が無意味にならないためには,じっとヨットの上で,いつかは
他力の風が吹くのだと,信念を持続させなければならず,その信念を持たせる力こそが,
他力のはからいに拠るものだという。
即ち,自力を超えた「不思議な力」こそ他力の本質であり,それを五木寛之なりの解釈で言うと,

“人事をつくすは,これ天命なり”   とのことである・・
23吾輩は名無しである:05/02/10 16:44:54
「善人なほもて 往生をとぐ いはんや 悪人をや」
これは【歎異抄】のなかでも代表する思考の一つであろう。注:自分は真宗の信徒ではないので,思考との表現にお許しを・・

この悪人正機説を世の中の人は,「悪人でさえも浄土に往生するのだから,善人は言うまでもない」

と,言われる。これは一応,道理にはかなっている。
しかし,阿弥陀仏の本願である他力の救いの趣旨に反するものだ,と親鸞は言う。
なぜなら,自分の力を信じ,善行を積み重ねて仏になろうとする人は,ひたすらに
阿弥陀仏の本願の,お救いのはたらきを信ずる心が欠けているから,阿弥陀仏の
本願のおこころからははずれている。

これでは,まだまだ自力にすがっているようなものだ,と言うところだろうか・
自分がここで思うのは,逆に善行を意識すると言うことは,仏を信じていないことの証左になると?

そして【歎異抄】は言う。
しかしそうした人でも自力にとらわれた心を根本から転換させて,阿弥陀仏の本願の救いのおはたらき
を信じ申し上げれば,阿弥陀仏の真実の浄土に,往生することができるのである,と。

阿弥陀の本願の本質は悪人(悪人=煩悩を備える人)を救いとって,仏にすることだから,
他力を信じることを定めた悪人こそが,ほんとうの浄土に往生するにふさわしい人である。
それゆえに,善人でさえも浄土に往生できる。よって,なおさら言うまでもなく,悪人が
浄土に往生できる。

24吾輩は名無しである:05/02/10 16:45:46
>13に推奨され,久しく読んでいなかった歎異抄の現代訳を読んでみたのだが,
まさしく自分にとっては,思想書のなにものでもなかった。こうした思想性を,
根本理念に持つ五木寛之の書く「生きるヒント」などは,思想性を皆無にした,
自分の知人などに役立つはずはないと言えよう。こうした知人には,どのように,
生きて行くか,或いは,どのようにしたら生きられるのか,と言う書物は不向きであり,
むしろ生きて行くその道にはどうしたら得をするのかと言う,実践書が向いているのだろう。

逆説的に論理を成立させてゆくことを考えていたら,五木寛之の「内灘夫人」を,
ふと,思いだしてしまった。>13がこのかきこみをみたならば,五木の弁証法を,
もっともよく表している過去の事葉などがあれば,是非,一つ伺いたいものでありんす・(^^

25吾輩は名無しである:05/02/11 16:48:17
a
五木先生は偉大だよ。
本なんてまったくよまなかった中学生時代、親父に言われて
小説に開眼したよ。偉大すぎる
27吾輩は名無しである:05/02/11 22:38:34
多くを語るつもりはありませんが、
「風に吹かれて」等をご一読なさっては如何かと
28吾輩は名無しである:05/02/11 22:39:18
27=13です
29吾輩は名無しである:05/02/13 10:52:10
スレタイはスレタイとしても>>1のカキコの批判擁護だけと言うよりそれ+五木寛之の作品+作家としての五木の人間像を考察する。

これを>>1に提案。
30吾輩は名無しである:05/02/13 11:53:26
31吾輩は名無しである:05/02/15 18:54:59
TBSは3月下旬に【青春の門】を放映する宣伝をしているようだが
文学板の住人はこうした背景に何を思いますかね?(なぜこの時期に・・)
32吾輩は名無しである:05/02/18 20:28:34
戒厳令の夜
33吾輩は名無しである:05/02/22 17:48:32
「さらばモスクワ愚連隊」

дOCBИДА-НИЯ,

このスレたてた>>1
は本当に「弁証法」を理解できているのか?

まず,>>1
にかぎらず,ある(命題)を提起してからの議論ではないのだろうか?
それをせずして,勝手に言いたいことを言うなら,他のスレでいかようにもやっていたらどうだ!
34吾輩は名無しである:05/03/06 17:05:50
だからなにかと
35吾輩は名無しである:05/03/11 21:14:12
1=33
です。どうもスミマセン!
36吾輩は名無しである:05/03/12 08:16:51
タイヤがふくれあがるのと自身の大切なものがふくれあがるのとたいした差はない。
37吾輩は名無しである:05/03/12 10:55:58
>>36

なんじゃそりゃ?キボン!キボン!  オーレ!
38吾輩は名無しである:05/03/13 13:06:30
昨日10の五木寛之の百寺をみました

最終的にはやはり寺なのですかね?
39吾輩は名無しである:2005/07/04(月) 04:03:21
【ノルウェイの森】by 村上春樹 (1987)をやっと読んだ。

感想1. 五木寛之 「凍河(上・下)」文春文庫に分量や設定が似てる。
ちょっと優柔不断な主人公、 精神病患者の葉子・直子、 年上で魅力的な某女史・レイコ、 奔放なナツキ・緑・・・
http://www.ne.jp/asahi/shi/home/shifile/book1/book1-044.htm
http://www.ne.jp/asahi/shi/home/shifile/book1/book1-045.htm
> ★凍河/五木寛之……私はこれを先に読んでいたので、「ノルウェイの森」を読んで“似てるなー”と思ったのでした。
> 僕、直子、緑、レイコさん的な人物が出て来る、精神病院が舞台の小説です。久しぶりに読み直してみましたが、なかなか面白いよね…。村上春樹さんはこの本、読んでないのかなぁ…?

感想2. 40歳くらいの男が20歳くらいの時に恋愛したりセックスしたりを思い出す話なので、そういう経験のない小谷野敦だと読んでも解らないんだろうな。

感想3. 『グレート・ギャツビー』への言及がある。「Green Light」への言及も数行あり。『グレート・ギャツビー』の話が解ってない小谷野敦はここの部分が理解できなかっただろうな。

小谷野敦『もてない男』89ページ
>> 涙ぐましいのは、・・・フィツジェラルドの『グレート・ギャツビー』の主人公で、
>> 片思いの相手の気を引くため、大金持ちになって彼女の家の近くで毎夜
>> 夜会を開いている。しかし、いざ彼女が近寄ってくるとたちまち彼は幻滅してしまって……というお話。

大きなストーリーとしては、まるでそういう話(ギャツビーが幻滅する話)ではないんだが、そういう部分が2行ほどあるの?

小谷野は英語が得意でなさそうなので翻訳で読んだんだろう。(小谷野程度の英語力ではこの小説は読めない。) そういう誤訳があるのか?  無理して英語で読んだのか?

> ギャッツビーはデイジーに幻滅するどころか最後まで庇い続けるんだよ、だから悲劇の結末なんだ。 再会して満足はしただろうが幻滅はしていない。
> 小谷野は本当に恋愛小説の研究者なのか?  つーか日本語の読解力の問題か。重要な誤読だよ。
40吾輩は名無しである:2005/07/24(日) 02:29:59
age
41吾輩は名無しである:2005/11/26(土) 06:29:20
なあに、かえって免疫力がつく
42,  ↑:2005/11/26(土) 07:19:17
死スレ・シャッフル厨
43吾輩は名無しである
宗教にはしる前のエッセイだけ評価。