BGM:球体の奏でる音楽by小沢健二
華麗に、文学的に2Get!
文学は慰めだろうか?
ぼくは思うのだが、それは慰めであるよりもっと、 「励まし」なのだ。
もし文学を捨てて町へ出たら、ぼくらはもっともっと励まされるかもしれないけれども。
文学が午後の一杯のcoffeeの様なものならば、ぼくらはそれを消費する[消化する]だけで良い。
何も大学の教授によって演壇から講義される必要は無いのだ!
文学よりも、町を知ろう。
小説を捨て、人を知ろう。
それが今日、ぼくが言いたいことです。
今夜僕らが話をしたのは 偶然じゃありえない だから
ブギーバック それは神様がくれた 甘い甘い蜜の味
5 :
吾輩は名無しである:04/10/01 16:36:33
>>3 ゴムキュー、君は文学板住人の洞察力を見くびりすぎ。
君が前に立てたスレッド 「文学とは大衆化された哲学である」での
105、112、127氏らによる親切な反論(「引きこもらず外の世界に出ろ」とか
「文学はエンターテイメント」云々)を上手く論駁できなかったからって、
このスレで彼らの意見を原型を留めないほど極端に誇張した形で登場させて、
彼ら自身にそれらを否定させようとしてるんだろ?で、自分達の
誤りを認めろと。さらにゴムキュー、おまえ自身はどうかというと、
Socratic ironyを巧みに扱える聡明なコテハンだということで、
このスレを訪れる人々をうならせたいんだろ。
でもな、ゴムキュー、そんなのはSocratic ironyなんていう
代物じゃないぜ。ソクラテスに失礼だ。頼むから、スレを
乱立しないでくれ。これを残したかったら、古い方の5MQ様専用スレ
を削除依頼してくれよ。
6 :
吾輩は名無しである:04/10/01 17:52:50
>>5 1.私は毎日逍遥する週間がある。
2.荒しは勘弁
>>5 1.ぼくには毎日逍遥する習慣があります。
2.荒しは勘弁
さあ、皆で文学的conversationに勤しみ賜えよ[失笑
あっやべっ
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19 :
吾輩は名無しである:04/10/01 19:26:50
>>3 > 文学が午後の一杯のcoffeeの様なものならば、ぼくらはそれを消費する[消化する]だけで良い。
君は文学を消化する午後の一杯のcoffeeのようなものだと本気で思っているんだね
> 何も大学の教授によって演壇から講義される必要は無いのだ!
ふーん。それが君の考えなんだ.
> 文学よりも、町を知ろう。
> 小説を捨て、人を知ろう。
君は何で文学や小説を捨てたいの
私達になにか聞きたいことある?何でも質問すれば
私達だって答えられる範囲内でしか答えられないけど
さあキミらはきゃらめるまきあーとのかをりに鼻腔を漂わせながら浮き足立ちながら
文学的なliteraryな雑談でもカマシ賜えよ。今宵も[←倒置法?←爆笑!ばくしょう
文学的なresponseの一つでも、宵の口にお届けできない様なカグシは椰子は
まったく全体、文学板に良くも欲も書き込めた名無しだなと思ふヨ[←カタカナ?爆笑
>>19 ではお言葉にお言語に大甘えて!「あなた達」に質問しまつ。
人類は何故生まれたのですか?
人間は何故死ななくてはならないのですか?
宇宙の目的は何ですか?
爆笑!
24 :
吾輩は名無しである:04/10/01 20:02:11
>23
宇宙に目的なんかねーよ、ばかかおめえ
やれやれ……
君たちの凡庸さには毎度毎度毎度の事ながらホトホトホトちゃん呆れるよ。
まるで夢の中に出てくる積み木の兵隊さんみたいだ。
では諸君、ほわほわヘナヘナした飽和的夢精的niet雑談を続けなよ!闘いなよ。
私は君たちウジ虫を無私で無視してをタスクバーに収納しつつ失敬するよ。[失笑
あっやべっ
キャラ間違った
>>25の
無私で無視してを
は
無私で無視して
の間違いです。あとアフダクの269Pのとくべつは特別の変換missです。(たぶん)
お詫びして訂正します。
あっ
またっ[w←あっお久し爆笑!
27 :
「 ◇m0yPyqc5MQ :04/10/01 20:15:39
みなさーーーーん、
ご存知でしょうけど、わたしは馬鹿でーーす。
28 :
吾輩は名無しである:04/10/01 20:18:18
けっきょく「さんのゆうしょうなんですよね
けっきょくしゅやくはうちゅうにただひとりのきみなんですよね
あっ
ヤベっ
自演バレちまった
矢部ッ
きょうはBGMになにをえらぶんだいっ
32 :
吾輩は名無しである:04/10/01 20:58:59
「 ◆m0yPyqc5MQ って馬鹿ですか?
>>31 夜は光GENJIパレードだよっ
>>32 フェイクとリアルを見分けられぬ嗅ぐしが資本主義階層を上り詰められるほど、世の中甘くないぞよ
| |/(-_-)\|
| | ∩∩ |
|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(-_-) …カゾクニモミステラレタ ダレカカマッテ…
(∩∩)────────────────
/ ↑
/
>>1 」◆m0yPyqc5MQ
2チャンだけが生きる場所…ヒッキー糞コテ
>>1 は糞スレ乱立厨。
(w
>>34 BARとキャッフェの差異を知覚できないのはトンダ御無沙汰yonda君でつね。まる。
働きありんこニポン人どもも、たまには、多摩や文学的CAFEで
『余裕」を持ってバキャンス楽しんだらばいかがですか?
鱈場蟹いかが?
読みにくくて済みません。
>>38 昔からの純文学を蘇生しつつ、新たな秩序を作り上げる
むずかしい挑戦に聞こえますが、¬さんが考える秩序って
どんなものですか
>>39 すなわち、見ては美しく読んでは至極立派上等、人間界の宝物と称されるべき代物。純粋造形芸術です。
そういう文学とは具体的には、下劣な妄想を嫌悪廃棄、人間界の美しい関係を再創造する事。要は
「現実の有様を正す文学」を造り上げる全力努力から生まれ出しましょう。
自助論、学問のすすめ、これ立派。
この高尚さをさらに美しい構成へ、高雅さへと、現代人が昇華・創造せしめる事なのです。
それが私の主旨なのです。
>>40 >」 ◆m0yPyqc5MQ
こいつ、哲学板でも除け者扱いなんですが。
ここにも居たのかよ・・・
大衆=名無しは皆、個性を十分に発揮する事ができないのか。と思う。
呆れるし、絶望的になる。そういう世界に生まれた個として。
それは諦めるという事では無い。
闘い、勝利しなければならない。
顔の無い匿名の名無しの群群群……
大同の取るに足らない意見。非建設的無駄話。
不毛の砂漠。
どこまでも見えない夜明け。
それでも歩き続けるというならば、私は、私を励まそうと思う。
「自助」。私はそれを信じる。
>>43 大変気の毒だが、我々に残された時間は少ししかない。
なにか他に質問しておきたいことはないか
遠慮はしなくていい。だが繰り返すが、我々に残された時間は
あとわずかだ。私たちへの質問を続けてくれ。
>>45 何かただならぬ気配しかしませんね。
質問。
1.夕焼けは優しいですか?
2.私たちに残された時間は何故そんなに長くも短いのですか?
3.神という完全な実在が存在すると仮定すると、
神にとって私たちの死の意味は生滅rhythm以外にありますか?
4.素晴らしい未来に私は生きていますか?
5.いつか争いは止みますか?
6.涙の理由は何ですか?
7.私がセックスの支配する世界に生まれ落ちた理由は何ですか?
8.愛は正しいのですか?
9.心はいつか救われますか?
10.体はいつか救われますか?
このくらいが基本の序の口でしょう。
確かに残された時間は決して多過ぎることは無い。
重大命題は、進歩の功利なのだ。
また他方、人生の熟読なのである。
49 :
吾輩は名無しである:04/10/01 22:12:52
あほがいますな
>>49 あ補外鱒な
そういやぁ昨日見たぜ、河原でな。
なーんてな
コンテナー
51 :
吾輩は名無しである:04/10/01 22:17:52
くだらんことしてないで働けデブ
>>51知りましたよ。間も無く働くでしょう、お望み通り。ね。
現代のモラトリアムについて意識できない低脳は話すだけで疲れますね。
新しい道
歩きながら考えていた。
そこがどんな世界か知らない、ただ、美しい。
私が歩く道を、ただその道を まっすぐに
聞いたことの無い音 触れたことの無い石
ただ、ただまっすぐに 歩き続ける道がある。
54 :
美香 ◆FE5qBZxQnw :04/10/01 22:46:12
病院か予備校かインドか、それが問題でR
55 :
吾輩は名無しである:04/10/01 22:46:45
55
57 :
吾輩は名無しである:04/10/01 22:52:37
>>55 いじけてな〜いで♪
こっち向〜いて♪
>ト書きぃ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
私は私のpaceで、LIFEという航海を乗り切っていこう
と考えていますよ。
それでは皆さん。善き未来を。
スモール・ラテください
ホットで
ホットミルクくなさい
はい
63 :
吾輩は名無しである:04/10/02 15:04:44
カプチーノくれよ
それと今日のBGMはなんだい
65 :
吾輩は名無しである:04/10/04 20:28:36
ころが暴れる前にこっちに非難スレ!
小説家=電波
つくりごとで自慰して人生消費?まったく呆れたウジ虫だな。
あ?地球に産まれた人間っていう生命体だっけ?そりゃースマンスマソ───この電波どもが。
オメーらが人間の現実性を汚してんだろ公害が!!!
小説家のくせに何が偉そうに文「学」者だよ。文「学」者って!!!ププ
お前等たんなる脳内妄想吐き出す機械だろ。
個性ぶった妄想患者に過ぎねーんだヨ。
気違いみたいなお話を作り込んでバッカみたいつーか馬鹿以外の何者でも無い。
小説=自慰他慰
《ウジ虫らしくていいや》ってか?
まぁ死ぬまで気違い妄想で暮らすなら良いが、それを世界にバラマくなよ。気違い増えちまうだろーがボケ
小説家と呼ばれる妄想電波クンどもよ。
お前等、この資本主義経済に巧く乗ったから何とか食ってんだよ分かる?
妄想売ってんのよ。 妄 想 売 っ て る ワケ!
まったく無能の自慰にも程があるだろーが。猿でさえ反省できるよ。
君ら反省できる?妄想馬鹿って事、わかりますかぁ?
できねーだろ屑虫。
電波書いてスマした顔して生きてんじゃねーよ。ふざけんなよ。
妄想家=小説家。
まあいいや。
テキトーに暮らせ。
じゃあな、一生電波発生させてろよ。ある星に産まれたクソみたいな生物の末路として[失笑]
ゴムキュー・・・
71 :
吾輩は名無しである:04/10/06 13:07:19
モカのLサイズくれよ。
ナポリタン、あります?
NET上の文字の群に食事なんかあるかよ[爆笑!バクショウ!
『ゆっくり歩け。たくさん水を飲め』
[爆笑!バクショウ!
もういいよ……文学は………意味無いし[←文学
バクショウバクショウ爆笑問題。
文学=国語学
それがまた(笑)
78 :
吾輩は名無しである:04/10/06 18:31:12
>>1、もう糞スレ十分立てただろ?早くVIPに帰ろうぜ!
 ̄ ̄ ̄\l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
λ λ... /
\. _
/\ _〉 //
/ 目 / / _
/ 目 / LЩ/ |
/ (《 ̄ ̄ VIP ―--
/  ̄ ̄ヽ 「Щ\_l
ヽ ヽ
\_ヽ
もう良いって。
もういいから。
たくさんだよ!!情報氾濫。意味のない言葉の羅列。団塊の世代の愛の子孫がウヨウヨ競争。
そんな中にHERO参上?ありえん。所詮煩悩機械。
文学の希望?
自慰の加速に希望ありますか?
どこまで行っても「やれやれ」。
腐りきった精神を出版社員の給料と読者の電波化に奉仕!結構結構コカコーラ。
忌ね!忌ね!
たとえクズみたいな人生でも勇ましく歩もう。一歩一歩。
道には理由など無くてもいいんだから。
自己目的化した出版業界や作家の作品には大した価値なんて無い。
人生それ以外に大切なものなんかあったか?
一度もない。
愛とかうるさい。
利益社会の仕組みに騙されるくらいなら産まれてこない方がいいんだ。
必死で競争しなくてもいいんだ。
自分のpaceをつかんで歩くのが一番大切なんだ。
文学に希望があるなら、僕の──君が──書く文にも希望がある。地球文明の今に実存する理由。
83 :
誘導、:04/10/06 21:54:31
皆、孤独な人工衛生と変わらない。
どんな精神的体験を踏んでも、どんな肉体的体験を経ても、
人は独りで産まれ、独りで死んでいく。
互いに通信する。そこに交わされるやりとりを人生と名付けてみただけなんだ。
文字を読んで娯楽ブってる知的生命!
宇宙に滑稽なヒトコマがあってもいいんじゃない?なんてことはないとは言いたくもない。
神様になりたい。それ以外はいらない。
86 :
吾輩は名無しである:04/10/06 22:06:09
>>85、もう糞スレ十分立てただろ?早くVIPに帰ろうぜ!
 ̄ ̄ ̄\l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
λ λ... /
\. _
/\ _〉 //
/ 目 / / _
/ 目 / LЩ/ |
/ (《 ̄ ̄ VIP ―--
/  ̄ ̄ヽ 「Щ\_l
ヽ ヽ
\_ヽ
不言実行!
ここはどうしてCAFEって言うの?
文学に問題なんて無い。
社会は自ずから改良へ向かって行く。
文学に出来ることは「息抜き」だ。
日本語を使って良い文章を作ろう。=文学。
小説自体が人類文明に対して不毛ならば、この板の営みも限りなく不毛だと思う。
文学の限界とその最高の実現について考えなくてはならない、と思うんだけれど。
私は文学芸術というものの限界を乗り越えたい。
最高の遊戯であり、最高の仕事である。そういうものを造りたい。
難しいだろう。不可能かもしれない。
絶望の中心でもいつも希望はある。
一歩一歩前進して行こう。
美しく、自由で、役に立つ、そういう文学を求め続けて行こう。
問題は無い。そして語るべき事も無い。
文学芸術は造形的関係を純粋に抽象的に表現することができる。
それが意味する所は、人類の文化文明そのものだ。
私は再び生まれるだろう。そして何度でもこの生を生きるだろう。
ずいぶん真面目腐ったCAFEですね。
カフェなら、もっとムーディーにしないと...
せっかくカフェラッテという言葉があるんだから、
文学的CAFEじゃなくて、
意味にLiteratureやリテラシーを含意させて
カフェ・リテ。。。
または、Cafe Lite
これぐらいのセンスは、最低限ないと困りますねー。(笑
96 :
tarbaby ◆7pcTvobAhE :04/10/10 11:51:14
語るべきものを、その言葉コンテクストを完璧に導き出しても、
読み手側が受け取る言葉に存在する多義性や曖昧性の推測は
完璧じゃないからな、おまいの言う文学を芸術に押し上げるには、
おまいだけの努力(身勝手さ)だけじゃ無理だわな
>>95 僕は[どちらかと言えば]真面目なんです。
語る者によってはそういう雰囲気が生じ得ますね。あたかも。
>>96 確かに。
重要なのは、言語自体の改良とその為の漸進的措置だと考えています。
つまりは、新しいコトバで新しいモノを組み立てていかなくてはならない。たとえば主観を一歩一歩排除する様な。
>>97 何でもありません。
にちゃんねる的言えば、匿名の固定ハンドル。
語れない事は語れないのですから。
どちらにしても生きていくのだ。
恋だとか愛だとか、そういう情念と、
「理性」の対決。
人間宇宙の運動が永遠に繰り返されていく。
自分という人間が――進化した猿――生きている意味。
大衆社会の一員として生きて行く意味。
幸福と平和。
尊きそれが実現されたとしても、人はまた悲劇と戦争に憧れるだろうか?
それでも人はまた歩いていく。
目的を見つけに。
それでも言葉に価値が宿って欲しいなら、語り続けるしかない。
語れるだけ語り続けるしかない。
破壊構築的に言葉を羅列しなければならない。
対立のみを前面に押し出す必要がある。
それだけが言語造形に希望をもたらす。
君はあるいは、この文章に驚かないかもしれない。それも構わない。
「正しく構成する」。
それだけができる全てなのです。
こんなBBS.に独り言であるかの様に文章を書き連ねる。
それはまるで無意味みたいだと思うかもしれない。
造形に意味があるとすれば、それが、純粋な均衡へ向けられた前進である時だ。
この造形に価値があるとすれば、一般的な美を実現する為の一歩である事だ。
私という生命体がどんな物であるかは知れている。
人間。それ以外であり得ない。
私の自由を造形に捧げる、それは新しい道であり、人類の一歩だ。
106 :
誘導:04/10/14 08:25:56
ゴムキュー・・・、読んでくれた人たちが書込みしたくなるようなこと
書いたらどうだ。返事してもらえないんじゃお前も寂しいだろうし
何も学べないぞ。
なんか疑問点があったらここのみんなに質問してみたらどうだ。
とりあえず最近読んだ本で疑問に感じたことを書け。
そしたら親切な人に何かヒントをもらえるかもしれないぞ。
>>107 その話し合いが文学的じゃなければあんまり。
君もなんか言えば。
>>107 最近本読みながら疑問に思った点
・21世紀は未来か現代か?
・黄金比とは一体何か?
artとsex appealを混同するから悲劇が起こる。
地球に住む考えるウジ虫=人間。
文学的な限界は愛?理知?啓蒙?自由?教えてくれますか。
どちらにしても進むだけだ。
それ以外の事を生命にできた試しは無いのだ。
>110
ま、ちと俺も思う・・・かな
tarbaby って知障?
>>114 固定ハンドルへの誹謗中傷は最悪板以外では禁止されています。たぶん。
>>115 」 ◆m0yPyqc5MQ って知障?
114のレスにより、今ここに2人のコテハンは
硬い友情で結ばれたのであった。
次レスにつづく
めでたしにゃんにゃん
問題はappealなんだよ。技量の部分に頼ろうとすればするほど
語るはずだった部分が見えなくなる。しかしそれをお座なりに
すれば、軽くなってもはや読み物じゃなくなるわな
ちょうどおさむのブログ見てから
>>110を読んだところだったから
同意したんだよね。
あいつは一生懸命語ってるつもりだろうけど、ちっとも語ってねえ。
わかってやってるにしても、捻りも遊びもねえし、意味不明だなと。
思うに、書き手とその言葉は絶対的結びつきが必要であって
挑戦的に切り離しを図って無味乾燥の文章を作ってそこに
何の価値があるのかなと、考えたわけよ。
ところでここはコーヒーハウスだろ?
たまに誰かが自分の作品を朗読したり、作品や日ごろ考えてる
ことをいう・・ビートニクみたいでいいと思うんだけどね。
>>119 cafeと名づけられたにちゃんねる文学板threadに過ぎませんけどね。
さて私はこう考えている。
「作者」と『構成された言葉』とは可能な限り切り離されていなければならない。
何故なら、さもなければartは芸能・entertainmentに成るに過ぎないから。
造形芸術としての作品は作者個人の肉体的・物質的条件とは無関係である。
作品の価値は造形性にあります。
芸術作品の価値は常に造形性にあると思います。
それが私たちの現実性を実現し、一歩でも普遍的な美へ導くならば、
その作品は精神的な価値を有しているのです。
鈴木剛介という人のTHE ANSWERという本は、
――私はまだ触れていないのですが――何か新しいんだぜという様なレヴューされてましたね、amazon.coで。
私の勘が外れていなければ、最高に下らなくは無いんじゃないでしょうか。たぶん。
文学芸術が悲劇を破棄し、「現実」を目指すなら
造形手段を純粋にして行く必要があります。
私はここにこういう文章を記す事で『言語造形』に何の寄与もできないかもしれません。
これは私の非常に個人的な事情――engagementあるいはcommit――の一形式に過ぎないのです。
今日の社会参加のあり方です。それはあなたにとってもそうかもしれませんが。
122 :
おさむ ◆YST1av./UU :04/10/15 00:44:01
>>119 ターベイビーw
あのブログ、僕のじゃないよ、さすがに僕はあそこまで下品じゃないし。。
いや、今まで面白がって放置してたのにも問題あるのかなぁw
なんか、やっぱ小説みたいですね。THE ANSWERは。
ツマンネーの。
早寝早起き。
それが太陽系地球星に暮らす昼光性生物の宿命です。
皆さんが、そしてこの肉体+精神が、健康であります様に。
good night!
126 :
おさむ ◆YST1av./UU :04/10/15 01:06:47
>126
それのことだ(笑
>文学芸術が悲劇を破棄し
この悲劇は何を指してるのかわからない。
言葉は必ずその発話者が存在するでしょ?
その人がその言葉を選んで書いているのだから。
書き手が絶対的不在の状態では言葉は生まれない。
何かを伝えようという目的を持って初めて生まれてくるのが
言葉なんだから。
たとえばカギ?さんが、言葉の「造形性」を追求して書いた
のなら、そこにカギさんが存在していることになる。
どうあがいたって、書き手は存在し続けるのに、切り離しを図る?
または不在を装ったところで、無理なわけです。
>>127 私にとって悲劇とは、《不均衡な関係》の事です。
〈あるもの〉と〈他のもの〉との間に不調和が生じている事です。
たとえばあなたと私が酷い言い争いをして、互いを憎み合い傷つけ合ったとします。それが悲劇というものです。
主体が存在するのは『言語』に対して、であって
造形した本人が個人性を外在化せねばならないという理由は無い、と私は考えているのです。
つまり
私は私で無くても良いのです。読んでも書いても皆が同じ‘I’ですから。
──言語構成から個人的なものを排除していくのは造形を純化する道です。
造形から主観は消え去りませんが、しかし、一歩一歩「より主観的で無くする」事はできるのです。
129 :
吾輩は名無しである:04/10/15 20:30:41
秘密をあげ
詩「今」
空が青いように
自分が進めるように
今 この愛を 無いを 違えないように
期待し過ぎ無いように 遅滞し無いように 市内 ゆけ
壮大 でいたい
もし気概が君を包むならば それが君を助けるだろう
light time 開会
私たちが主体 そう思いたいように 願い違えないように 舞soraにspace
題は無い 今をつくりあげる為に継ぎ足した光 みたい
そういうcoraに 生き甲斐 与えdyme 希代
青い空に舞 取time guy武
まずゆきながら その日見た nine-スライム クライム がIN right-time
私たちが期待したいもの
そう見つけたい時代
探し続けて今
たとえばそんな感じで。
おまい、駆動だべ?
ホットカルピスくなさい♪
|
| ∧∧
|(´・ω・`)
|o ヾ ドゾー
|―u' 日
>128
それこそ無味乾燥だなぁ
文学を記号として見て何が面白いの?何が見えるの?
俺は文学は『対話』だと思ってるから。
この掲示板も・・ねw
そういう点において
>129
秘密じゃねーーーぞw
>133
にちようびのあさははやいからねるよお
137 :
吾輩は名無しである:04/10/16 23:04:02
sage
>>136 しゅんくんどこいくの?
>>135 :tarbaby ◆7pcTvobAhE ってだれだれだれ?
あのね、てれびもみるけどびでおでもとるの
いまもうてれびのまえでまってるよお
またね、ばいばい
>>135 私は[少し前にも触れましたが]、悲劇的な造形を憎んでいます。
言語構成を作る者が何らかの観念形態や対象を相手に伝える、という文学artは悲劇的だ。
そう考えています。
言語造形が形態をまとった目的を持つと、その内容は変形され、「純粋関係」が覆い隠されてしまいます。
だから造形は混乱し、混沌とし、曖昧さの内に堕落してしまう。
純粋関係つまり「等価的対立の関係」そのものを均衡状態で実現せねば成りません。
この時、文学作品は『音楽』に近づくのです──均衡とは他方から見ればrhythmなのです。
たとえば、Jazzにイデオロギーの伝達性がありますか?
無い。
そこに在るのは「破壊+構築された関係」だけです。
これが精神と物質との──多少なりとも普遍的な──等価性の美を実現し得るのです。
『等価性の美を実現する』事は、artというものが時にそう見なされる様な〈戯れ〉ではありません。
人類にとっての「仕事」に他ならない。
等価性の美は、関係へと、人間の注意を導きます。
こうして関係自体の新しい美は意識され、
人間間の不均衡さ(生の悲劇の原因)を修正に向けるのです。
メロディーが破壊され、リズムが構築される。均衡感覚が呼び起こされるのです。
等価性の美の実現というartの使命を軽視してはならない。
〈不均衡な関係〉があらゆる場面に浸透すれば──〈醜〉とはこれなのだが──私たちは悲劇に堕ちます。
戦争やテロリズム、痴話喧嘩、言い争い、全ては〈不均衡な関係〉が呼び寄せる悲劇なのです。
純粋関係の造形は、普遍、不変、永遠、といった概念に私たちをすくい上げ
そうして新しい美を感得させます。これが人類を「美」へ──「均衡関係」へ──導く道なのです。
悲劇を絶滅し、幸福と呼ばれ得る何かを創造する方法なのです。
人類にとって『等価性』という関係は必要です。不均衡が私たちを迷わせ、また惑わせます。
それ故、artにとって純粋関係の造形は達成すべき使命なのです。人類の仕事です。
私たちが互いを愛する為には、まず環境が十分でなければならないと歴史は示しています。
各国地域間に本質的な意味での文明差異があってはならないのです。地域格差が関係に及んではならない。
たとえば、世界中の誰とでも仲良く話し合えるべきであり、その為に必要なのは空腹が満たされる事です。
一者が他者を支配してはならない。
等価造形は、関係以外の何の支配からも解放された
相互尊敬・相互謙譲を実現する故、人類の統一的な「環境」にとって必要十分です。
artは仕事なのです。
勉強は?
>>143 していますよ。
24時間何の行為の自由も無く「勉強」しなければならないと考えている理由は何ですか?
>>144 屁理屈はいいんだ。
「2ちゃんでうだうだやってるヒマがあるなら、勉強は?」
ほら、言い直してやったぞ。で、東大ぐらいには入れるだろうな。
学問は世を知る事です。教養は余裕ある視野です。
おいおい・・・。
じゃあ、冗談にも「東大」だの「建築専攻」だの抜かすな!
一生、浪人生のままでいようが、お前の勝手だけど。
時間的な存在である私が、変化する方向性が、進化である様に習慣を修正する過程が、人生です。
academismが自分にとって+になるかどうか、熟慮しているんです。
それでですね、私が思うに
>>1さんのような普遍主義への要求を掲げて、
そうしたものを是非、実現したいのであれば、アートや文学というツールで
それを体現しようとするのは、一番不向きだと思います。
もし本当にそうしたいのであれば、むしろ科学的な領域でこそ、
そうした「貴方の夢想している」普遍性を追求すればいいのではないのでしょうか。
私は芸術的なあらゆる表現体は、一元的な意味や普遍性へと還元されることなく
そこへ永遠に新しい可能性、水路、意味、イマージュを切り開いていくことに
その価値と存在意義を第一に見出すことができます。
それは間接的には、生きる方法論とも結びついていて、A/B/C…と
その選択肢と可能性を増大させていき、確定記述に収斂されることのない
自由の領域を・・つまり、多くのチャンスを想起させ、人間に新たな試みへと
開いていくように知的インフルーアンスを行使できることがアートや文学の
重要な機能のひとつだと思うからです。
自然界の適応原理から言っても、私の言ってることの方が
普遍的ではないけれども、相対的な妥当性を獲得できていると思います。
あと、言語を用いてないJazzなどの音楽に
イデオロギー性がないと言ってますが、
それはそれを利用する文脈によって、その意味が変化します。
たとえば烈しいテクノ音楽などを遊技場で、射幸心を煽るような仕方と
ボリュームで流せば、それは資本主義と結びついてしまうんだし、
かつてのドイツの全体主義的なイデオロギー装置に、ワーグナーなどの
クラッシック音楽が利用されたことなどもそうです。
また宗教などにも、そうした音楽性がよく使われることも周知の事実です。
なんだかすごいことになってますね・・僕は一時避難す
>>149 あなたの言いたい事はよく解ると思います。
多様性と持続可能性の問題──と言い換えても差し支えないでしょうか?
私はuniversal artを希求してます。宇宙的美の実現を待望しています。
そして『[学問としてでは無い]言語造形art』にとってすれば、
この普遍への道は「開かれて」いるのです。
あなたの意見に対しては、
「多様性・持続可能性・普遍性を満たす様に意図された文学artは、実現できる希望がある」
と、私は、回答します。
科学は人類にとって、純粋理性による試みの最も普遍的な体系化過程、と呼べるかもしれません。
ただ、解放──人間理性の解放──という目的には必ずしも合致しないです。
また実践理性による試みとはまた別の領域で、
[つまり美という領域で、]artは、人間を真理へ導くのです。
artは人間のあり方です。
そこには人生以外の如何なるものからも制限を受けない「開かれた」時空間が用意されています。
真に自覚在る個性は普遍的なartを要求します。
観念形態と結びつかない限り、その意志は人類の連帯にとって最も重要なことではありますが。
>>150 artが自己展開する過程は、イデオロギーとは全く無関係です。
何故ならartは根本的に「私たちがつくるもの」以外の何でもない、極めて直接的な概念だからです。
否定する肯定するに構わずartは永久に私たちを取り巻くのです。
よって、その観点からすれば
《既成art作品》を利用する事はあり得るとしても
「art創造」が利用される事は原理的に無い。
また既成art作品が何らかのイデオロギーに利用されたとして、その時点で
それは既に『art創造』で無くなってしまいます。
──たとえば国歌斉唱がart創造で無い様に。
それは既につくられた作品の模倣なので、私たちが常に生き生きと生活すべき環境の創造では無いのです。
観念形態から自由であるという事。
これが言語造形にとっても本質的だと思います。
ただ重要なのは、『artの造形性』なのです。
造形が観念形態と混じって不純になるとそれは教義に近づきます。
造形にとって大事なのは均衡です。均衡は等価的関係の破壊構築によってのみ可能です。
もし造形が観念形態に奉仕するばかりならば、それは、悲劇[関係の不均衡]を呼び寄せるでしょう。
fu----nn
インターネット文化は、
一方で女の子の社交性をEメールを通じて急上昇させていますが、
他方で男の子は「2ちゃんねる」的な掲示板に引きこもって
脆弱なプライドを温存する結果、とても人前に出せない、それこそ掲示板の世界に
永久に引きこもっておいてもらうしかないような勘違い野郎が急増しています(笑)。
, ―−宮台真司
>>157 ふう---nnん
それが眠れない夜に意味あんの?
眠れない夜に君に会いたくなる。それは考え過ぎだろうか?
あるいは考え過ぎかもしれない。
僕が生きている時空に実存するのは同じ人間でしか無いのだから。
携帯電話の電源が切れるまで僕は知らない誰かにリズムを送り続ける。
それが儚い戯れだとしても、信じている事は、いつも新しい未来だ。
抱き合い慰め合うだけの肉体性しか持たないのが愛だと言いますか?
性に愛は依存しますか?
それはむしろ恋です。
愛は、宇宙への共感です。たぶんね。
女性が貞操観念を失ったのは、男性の責任だ。
もし男性が勇気ある命を生き抜かねば、女性は美しくも日本的なものを永久に失うだろう。
私たちが進む道は、どこまでもどこまでも続く。
それをゆく私たちだけが神と一つになるだろう。
もはや言いようのない実在の完全性と調和することができるだろう。
私たちはそうして、私たちが神という言語概念で表現するものと等価値な生命体であると自覚するだろう。
そして僕は眠る。
次に目覚めた世界が新しい光を讃える為に。
私たちが暮らす地球を、再び太陽光の元に回転させる物理法則。
そして私たちは自然法則に従いやがて死んでゆく。
私たちは菌類に分解され、土を耕し、新たな生命の源となる。
宇宙は広大な水面を湛えて何処までもたゆたう海原に似て、
今日も新たな混沌を導き入れ、また秩序化する。違う構成を呼び、星屑を固める。揺らがせ、無化する。
命達が生まれてはまた消えてゆく。
新たな喜悦が感じられ、古びた苦痛が捨てられていく。違う誰かが出会い、また別れてゆく。
偉大な有。
完全な無。
精神はその前にただただ感激して在る。
ただただ感激して、考察に導かれて、表現し、倫理宇宙に抱かれ、
人によって生かされ、人の故に亡くなって、
自然を愛し憎み、人工を愛でては悔やみ、
やがて大宇宙と変わらなくなる。
やがて大宇宙と変わらなくなる。
小宇宙たちは今も何かを破壊しまた何かを構築する。
同じリズムに乗って、同じダンスを踊り、同じ音楽を奏で、同じ絵を描く。
そして君は目覚める。
生命体にとって限りある時間を繰るカレンダーが更新される。それが正しくある様に。
にちゃんねるは現実世界だ。
芸能界と、にちゃんねるは、原理的に等価だ。テレビ局を介さない違いに過ぎない。
自分の道は自分の手で切り開け。
匿名と実名の間を走り抜け。
お前だけの生き方を掴むんだ。
にちゃんねるという新しいメディアは、匿名の大衆を反映した新しい媒体だ。
芸能人・artist・全ての知識人はそれを馬鹿にはできない。
何故なら、社会人は多かれ少なかれ大衆に依存して生きているからだ。
この匿名の大多数こそ、社会を担う基本なのだ。
単なる「有名人」は匿名人より、必ずしも知性的道徳的に優れてはいまい。
似非有名人は『匿名人』によって今や組伏せられようとしている。
それが大衆の力、民主主義の力なのだ。
『社会を良きものに変えていく勇気ある者』。
それが有名人の中にいるのか、匿名人の中にいるのか、解るまい。
惰性に流れた悲劇垂れ流しのニュースより価値ある情報は、きっと、
個々の人々の毎日の生活の中にこそある。
だから僕は、テレビやラジオや新聞よりも基本的に、にちゃんねるが好きだ。そこには生の声がある。
腐りきった芸能界よりは好ましい。無数の人間達の生きようとする意志が好きだ。
一歩ずつ一歩ずつ向上してゆく。学問し、独立する。そして世界を変えてゆこう。
匿名の大衆が暗愚に流れるとすれば──それが全時代を通しての
必然だとしても──知識人の勇気ある先導が必要だ。
責任ある自由こそ真の自由だ。
義務を果たし、広い社会に活き活きと参加し、そして新しい価値を創造しよう。
資本主義は軽視し得ない。国力の基本は経済力だと言えようから。
お金という価値観、物質主義に対抗する、『自らの生き方』を力強く時代に打ちつけてゆこう。
無徳の数字取りに偏るマスメディアをしり目に、自分の仕事を黙々と成し遂げて行こう。
「匿名であること」を笑いたければ笑うが良い。私の名前は鈴木雄介だ。
そもそも有名になど大した意味は無い。名誉は職分より大事では無い。
たとえどんなに困難でも、次の希望に向かい、最後の勝利を信じて
目の前の目標をクリアし、あの目的を達成しよう。
169 :
吾輩は名無しである:04/10/26 01:39:10
レスのスピードが遅い! ダッシュダッシュ
>>169 人生と呼ばれるどこまでも孤独なraceでは、自分のpaceを崩さず、気長に駆け抜けるのがコツです。
慌てると転びます[笑
『artと新しい造形について』
artは現実性についての問題だと思う。
僕は主に絵画というartを通してこの問題に取り組んで来た。
現実性=リアリティ は、幻想的なもの=イリュージョニスティックなもの を
可能な限り作品から破棄していき最後に実現できる。
もはや現実の実在以外では無い造形要素のみを用いること。
絵画で言えば、色面のみを用いることだ。
artが自然の再現から脱出した時が、modernという概念の始まりだった。
そしてartが 自然の反対物=完全な人工物 と成った時、modernは目的地に到達する。
絵画で言えば、自然の気まぐれとは正反対の「直交線+初源色彩」を扱うことでこれができる。
私は言語造形にも注目して来た。
すべての造形は同根なので、同じ原理がそこにも適用され得るはずだ。
「新しい造形」は原理を確立した唯一のartだと思う。
だから、それは普遍的な法則に共通する部分が多いだろうと感じている。
artは美を実現する自己目的機構だと思われるが、同時に、
不均衡な時間的な実存である個体にとって、美という道を通って不変・永遠・絶対に触れる方法だろう。
自分を超えた力に参加する新しい造形活動は、
社会に一般的な美を実現し、artistに救いをもたらすことができるのだ。
仮説『宗教+art=文化』
宗教は、artに対立している様に私は思う。
宗教はシステムを目指すが、artはスタイルに向かう──のではないだろうか。
システムとはこの場合、集団化・組織化という意味。スタイルとは、独立化・生き方化という感じ。
──これは少し単純化しすぎの大袈裟なたとえかもしれないが、
宗教家は悪の組織をつくり、artistは救世主の役割を担う。
この両者の戦いの間に「文化」の普遍的な型があるのじゃないだろうか。
とは言え。
宗教とartは同根だと思える。ただ、表れ方が正反対なだけなのだ。
両者の目的は現世の生の救済であって、言い換えると、人類幸福と世界平和である。
だが、文明が進歩するにつれて、
宗教はその個別性によって悪の色彩を帯び、artは普遍性によって善の形を取る。
少なくとも今の僕には、そのように見えるのだ。
173 :
吾輩は名無しである:04/10/28 01:03:44
創価と統一の臭いがプンプン・・か・・・
文学
福沢諭吉は著書『学問のすすめ』で、文学の様な人の心を慰める為の学問、
日常生活の間に合わない学問は二の次にしろ、と言った。
そして日常生活に応用できる物理学や経済学など「実学」をすぐに学べと言った。
この考えには、日本国民を国際競争の中で独立せしめ、日本国を近代化しようという意図がある。
明治以降の日本を眺めればそれは適切な指導だったと言えなくはない。
2004年私たちは経済大国の主へと成り上がった。
一方、「人の心を慰める力」は今や足りないのではないかと思う。
文明の物質はある程度整ったが、文明の精神は逆に衰退している様に感じる。
人々の心は荒廃し、慈悲の心、思いやり、人情は段々と薄くなってはいないか。
私は、文学が文明世界でどの様な役割を担えるか、と考えた。
文学は人の心を安心させ、励まし慰め、そして
明日の戦いに向けて勇気づける為に書かれるべきではないだろうか。
「独立と助け合い」の精神を育む文学作品が今、望まれている。
私たちはその創作に力を傾けようではないか。
国の独立は世界平和の前提である。だからこそ、人民の生きる意志を勇気づける力強い作品が期待されている。
僕はartistなので、誰とも連帯しません。
自由と独立を望んでるのです。
だから閉じた組織をつくる意志はまず無い。もっぱら一国民としてのみ生活したい。
宗教家や信者は、artistとしての私の敵です。
しかし、「人間を勇気づけたい」という気持ち自体は、きっと宗教者とあまり変わらないでしょう。
ただ、生き方が正反対なんですね。
信仰と依存が宗教者の生き方でしょう。私artistは自由と独立が信念なのですから。反対です。
宗教者と戦うことはとても困難です。
artistは平和主義でなくてはならないと私は思っています。
だから、彼らの集団的暴力に対して作品創作という武器ひとつで、
勇気を持って独りきりで立ち向かわねばならない。
私が組織みたいな何かをつくるとすれば、出入り自由のオープンな集まりだけでしょう。
それが独立人同士の助け合いだからね。
176 :
吾輩は名無しである:04/10/28 09:33:23
人間革命
乙
キミみたいな香ばしいのが
○作センセのお得意さまなのだよ
177 :
吾輩は名無しである:04/10/28 09:35:18
第○文明
や
S○Iグラフ
の
中吊り広告でみかける用語が一杯だね
はっきり言って何故福沢諭吉を出してくるんだ?
時代錯誤も甚だしい
>>178 近代以降の日本国民の精神的支柱だと思うからです。
彼の言う『独立自尊』とは、おそらく、
近代以前[江戸時代まで]に日本が育んできた「武士道」の論理的帰結です。
言い換えると、近代版の武士道です。
──日本には基本として、ひとつの強烈な宗教のような、物事を測る精神的尺度の基準が無かった。
穏やかな自然の内に何となく和している間は、それほど必要は無かった。
だから儒教や神道や仏教や民衆の倫理やらが混ざり合い、段々と発酵して、後に
戦国時代の中で「侍」の男気が基準になって行った。
江戸時代末期にはそれも政治上には腐敗しつつあったが、それでも民衆の精神を規律する原理だった。
そして文明開化。キリスト教の影響も受けながら、福沢諭吉が武士道を近代化対応版に改造した。
それが『独立自尊』の精神である、と。
私は、日本精神というやつを、今のところそういう風に考えているのです。
だから精神文明の問題を解こうとするとそこに行き着かなきゃ成らないのです。
村上春樹さんとか大江健三郎さんとか西田幾太郎とか和辻哲郎は、
まず日本における[そして世界における]精神文明の問題に切り込み、
『ひとつの国民的人間的原理を表出する』、
という場所までは行ってないと思う。まあ行く気が無いんだろうけど、たぶん。
駐屯地で武士道にまで回帰しちゃった人はいたけどね。
あと国民精神が精神文明にとって何故大切だと思うかというと、
日本語によって表現する事は日本国民と切り離せないだろうから。
人間的原理を目指しても、ある程度、国民的原理に成らざるを得ない。
だから敢えて国民精神自体を含めて「文明」に繋げてしまうしか無い。
その言語による場合はね。
個性という言葉で文明をつくろうとしても、
individualityという言葉によってできるものとは違う。
文明という普遍的なものについて考えると、言語の差異に意図的にならなくちゃ良くないと思う。
うっっ・・おまいはどこかが抜け落ちてると思われ・・・わざとか?
>>162 曖昧な物言いですね。まるで日本人みたいだな。
このCAFEに集う人が少ないのは残念なことです。
文学の目的や、手段について
真剣に──humourを含めて──話し合う機会が持てれば
と思ったのですが。
185 :
ガディ ◆wCv9l5YJ26 :04/11/03 02:39:31
カフェはいい。中立地帯だからね。
186 :
吾輩は名無しである:04/11/03 07:42:03
kkkkhjjjn
僕は建設したいんです。
文壇みたいなものや、
出版業界や、
作家の権威や、
賞の名声や、
売買や、
そういった「文学」自体にとってnegativeなaspectを消去した先で。
フランツ・カフカという青年は、生前に認められなかったという文章を読みました。しかし
今や遠い日本でも教科書用に作品が採択されたりしています。
同時代のかの国に存在した、数え切れない流行作家たちの名前は誰一人知らないのに、です。
僕は時代と場所というものへpureでありたい。
それが「文学」そのものにとっての真剣さ、まじめな姿勢、献身だと私は思うから。
カフカの作品を載せている教科書なんてあるもんか。
>>188俺の高校のに「変身」載ってたぜ。
なんなら出版社とか言ってみても良いけど、まあ、
ふつうに大きめの図書館とかで教科書パラッとめくってみなよ。あると思うよ。
そんな教科書を使っているから、お前みたいな馬鹿な卒業生が生まれるんだ。
教科書と副読本は違うよ。
generation gapとはこのことだな。
「変身」は抽象的で易しい文体だから、分析しがいもあるし教材向きなんじゃね。
あんまり面白いと思わなかったけどな。
ザムザが虫になろうと俺にはどうでもいいからな。つくりごとだし。
>>192 村上春樹はノンフィクション作家なのか?
『対立の調和』
これが現代のkeyだと思う。
科学と宗教。
物質と精神。
アメリカと弱国。
>>193「物語を生きる」というstyleであるいは、そうなのかもしれない。
彼の造形にとってはfictionalな物事が第一命題なのでは無いと思う。
単に、文学──散文体の作品──の為に「detach→物語→commit」という形式は
利用されて来た様な気もする。
迷惑メールは迷惑なだけで、宣伝になっていない。
小説を書いてあるthreadに発表した時のこと。
頭韻も脚韻も踏んでいないのに、それは小説じゃないと決めつけられた。
酷く罵倒され、迷惑だからと追い出された。[と言っていいだろう]。
敢えて言い返さなかったが、
リズムを持った文体や抽象性が詩情を喚起するからといって
明らかな散文体の作品を詩だと独断するのは、失礼を通り越して哀れだと思った。
これは陰口では無い。
その場で言い返すとスレ荒らし扱いにされるのは分かっていたから
今、この場で反論しているのだ。
私をあのスレから追い出した君へ。
韻を踏んでいない散文体のものがたり形式の作品は、一般的に小説と名付けられています。
そのthreadでの話の続き。
命懸けで文を書いている者は
趣味として日曜に一句読むようなアマチュア小説家と
相入れないものだと思った。
両者は向いている方向が全く違うから。
前者は文化創造の自覚と、最大多数の最高幸福への熱い思いを作品に結晶させる。
後者は労働のほんの息抜きに、隣人とお茶でも飲みながら一服するものとして何かを書いてみる。
懸かっているものがまったく違う。懸けているエネルギーも意識もぜんぜん異なる。
だから前者はあらゆる作品の良い部分に目を向け、可能な限りの客観視とともに、
あるいは素直に優れた点を褒め、作者が自主的に向上することを無言で願う。
後者は、はっきり言えば、馴れ合いたいだけだから
互いの、主客入り交じった、遠からず近からずの批評で満足し合う。
私は両者の立場が分かるが、
往々にして後者──日曜趣味の者──は、前者を貶したり排除したりする傾向にある様だ。
それは後者が、前者──進歩的作家──を理解できないから、という以外に特に理由は無いのだ。
前衛が生まれるたびに、この同じパターンが繰り返されるのは滑稽というよりむしろ哀れだ。
人がいかに不寛容で、自己反省の能力が未だに無いかを証明しているだけだから。
その追い出した者ですがねぇ、
>前衛が生まれるたびに、この同じパターンが繰り返されるのは滑稽というよりむしろ哀れだ
お前は前衛でも何でもなくて、単に馬鹿なの。話にならんのよ。
ナルシストのお前の自己満足のオナニーの閲覧の趣味の無い人間なんですよ、俺は。
{もちろん意図的に“の”を使っているのは前衛的な趣向である}
馬鹿なミュンヘンちゃんのために言いたい事を要約してやったじゃん?
ピアノの発表会で書道の作品を公開してるようなもんだってさ。
それってさ、読みすると「つ理でスよ」=釣りですよ、になって、
それにもろに反論してるお前はいいように釣られたんですから!!
残念!!
陰口我慢できなくて自爆した斬りぃー
韻を踏んでいない散文体のものがたり形式の作品は、一般的に小説と名付けられています
↑百回読んでね。
>小説は物語でなくてはならない、ということだろうか。
=わたくしミュンヘンは小説は物語でなくてもよいと考えます。
→って事はものがたり形式の文は書いてないんですよね? ミュンヘンさん。
>詩的なイメージを喚起し、物語性を脱構築した小説は小説かい?
=わたくしミュンヘンはものがたり性を無視します。
→じゃーやっぱりあんたのは小説ではないよね。
はい、自分で答えでたね。あんたのは、詩ですから!!
残念!!
自分で自分を一刀両断、切腹ー!!
ちょっと簡単すぎるんでトリップ変更します。前のトリップはoidashでした
せっかく付けてもらったんだし、活用してやろうw
夜、レスつけた後で布団の中で色々考えてたわけよ。(ミュンヘンなんであそこまで馬鹿になれるんだ? やべーよ。どう考えても変態だよ)ってさ。
そしたらふと気づいちゃったんですよ、ミュンヘンちゃん。
(あ、もしかしてミュンヘンってすげー正常人で、正常人が鼻に付きそうなキャラをあえて作ってんのか? 釣り師なんてレベルじゃなく、本格SLGerとして2ちゃんを楽しもうって魂胆か?)とか。
やっべー。俺のレスなんて予想済みで、どんなレスを返すかもテンプレが出来てんだろーなー。「あははっ♪ そう来たか☆」とか爽やか極まりなく言って、メモ帳に書いてあるレスパターンをコピペしてるだけとかさ。
やっべー。ミュンヘンやっべー。哲学・文学大好き爽やか天才美少女お嬢様厨房(15){お嬢様はちょっと小生意気で独善的である}の予想図がもう俺の中で完璧に出来上がっちまったよ。イメージは文系のリュック{FF}。
やっべー。……バリ萌え。夜のテンションの高さでミュンヘン{イメージ}で抜いちゃったよ。むしろバリ萌え化計画{プロジェクト}発動だよ。
あ、ミーニャータソという前例がありましたから!! 残念!! 二番煎じはオマージュという言葉で誤魔化せ、斬りぃー!!
とか思いながらも止められない妄想。絶対B型だ。実は気が弱くて面と向かって文句言えないから隅っこでいじける可愛い奴。
美香はついに発狂した?
出会い系でやりまくって5ヶ月するとこの症状に。
>>202 これは主観的な意見ですが、
[あなたは]凄い妄想力ですね。
そのimagenationを何か、『実利的福祉的な行為』へ昇華できるとよいのではないかと思います。
私は男性ですし、あまり優秀な遺伝配列も持たない比較的不細工な成人です。
>>200 前にも某200文字threで少し触れましたが、
「定格と破格」の問題です。
あなたが私を異様なまでに非難した様に、ムキになる必要はなにも無いと思います。単に
リズムを持った散文は詩的印象を喚起するということです。にもかかわらずそれは小説です。
何故なら見た目には韻を踏んでいないからです。
反対に、
平淡な文体で書かれた詩は小説的[あるいは物語的]印象を呼び起こすこともあるでしょう。が、
それは詩です。何故なら表された韻律が明らかだからです。
「定格と破格」と言いましたが、
『小説[散文作品]と詩[韻文作品]』の差異は
「暗韻と明韻」の違いに帰着するのではないでしょうか。
根本的には同じもの──文学──でも
型とその破り型によっては、異なる形式として現れるのではないか。
暗韻とは文の表面からは隠されたリズムです。
明韻とは文章構成上に誰の耳目にも明らかなリズムです。
1.例のスレで無駄に連レスさせたくなかったんだよ。追い出したかったの。
2.んであそこでちょっと鼻に付いたから、いじって反応みてるだけですよ。ある意味では萌え。
3.そろそろ「空気嫁」「スルー汁!」とか言われそうだからこっちに移動してきたのですよ。
>>205 定格と破格の問題である。散文と韻文の差異の問題である。
散文は文の表面に韻が見えない文体で、これを定格とするなら
韻が露出している韻文は散文の破格であり、これは別形式として発現され、すなわち詩となる。
って言ってんの? でOK?
いまいち分からんから再現してみたわけだけど。出来てますかねぇ?
>206いいんじゃないの、そう考えたければ。
肯定でも否定でも叩かれるしね。その答えはある意味では正解。
つーかお前その返答でこのスレから40人、まさに一クラス分の人数が去ったことは言うまでもねぇよ?
お前にみんな期待してるわけよ。もちろん俺を論破するとかじゃなく、いかに厨な発言を繰り返すかって意味で。
お前は俺をうざがってるだろうが、CAFEと銘打っている割りにスレ主のお前の考えを掘り下げようとした人間にとぼける事でしか反応出来ないような、
お前の、どこから引用してきたかは知らんが、そういう文章を書く練習をする場になってるこのスレには、多くの人がいるんだよ?
もちろん日和見な野次馬には違いないが、縛孫とミュンヘンどちらが厨かってのを楽しみにしてるお客様が。お前はそういうところを全く考えてないね。
そんなに自己顕示欲が強いのに、有名になるための方法を全く考えてない。もっと面白く、俺にずばずば斬られるような発言をしないとダメなんだよ。
あるいは俺こそを厨たらしめるような発言。じゃないと2典にのらねぇよ?「み」の欄に。
ミュンヘン…文学板に現れた厨房。トリップの一部がオリンピックと読めるところからミュンヘンと呼ばれる。痛い発言を繰り返し縛孫というコテハンに徹底的に叩かれたが、逆に縛孫を論破する。厨そのもの、あるいは厨発言による釣り師を指す。
ね。つーかお前のトリップをPNにして文学作品投稿してみろよ。佳作にでも引っかかったらお前がブラジルに住んでても飛んでいって目の前で謝罪するからさ!
>>208 あなたが主張していることは時と場合によっては正当性を持つ可能性が無くはないと思うが、
今回私には、あなたが匿名者の代表には見えないのです。
何故ならあなたは攻撃的だからです。
私が敢えてそれ以上の言葉を慎んだのは、
あなたの意見は「当たらずといえども遠からず」だと感じたからです。つまり
かける言葉が見当たらなかった。
さて、より精緻に考えれば、
短歌、俳句、歌詞、定型詩、不定型詩など
暗韻側から見れば定格が詩なのであって、散文体のそれは破格体なのでしょう。
暗韻と明韻は文学芸術にとって、等価交換的なのではないでしょうか?
有名さや文壇的出世は私にとって別段価値が感じられないものです。
「無名さと大衆的地平での創造」。これが私の求めているものです。
私が大事にするのは、
私の創造する作品がある人に感動を与え、結果としてその人の生きる力をたくましくさせることです。
私が肉体精神に秘められた全エネルギーを──死をも恐れず──創作に注ぎ込むのは
「生きよう」という抑え難い力からです。
そして私が芸術の中で実現しようとするものも、この『生命力』『生きる意志』に他なりません。
──言うまでもないことかもしれませんが、
芸術は他の社会制度とは一線を画した、自己目的的な文化製造体系です。従って
私には賞や売り上げといった作品の外部的価値には興味が持てない訳です。
私が関心を持つのは作品の内在的価値すなわち、それがある人に与える深い感動の力なのです。
いつでもね。
暗韻と明韻が等価交換って事は大して重要じゃなくてね。まあそれでもこっちの目的は達したんで別にいいんだけど。
俺の仮定をひっくり返して妥当だと考えてるところ、逆が成り立つなら真であるゆえに、お前が破格を別形式と捉えてる事に意味があるんだよね。
お前は散々自分の作品を散文の破格だ。それを認められないの人は哀れだ。
みたいな事を言ってきたけど、お前の認識にそって散文の破格を定義するなら、詩だろ。
という訳で詩でしたって認めるべきだろう。お前がバカなのはよく分かってるから、
この発言を得たからっていまさらそれをネタにする気もないんだがね、その間違いを認めるだけはしようや。
お前が単純にキレてくれると助かったんだが、俺も興味が無くなってきた。
最初はミュンヘンがどんだけ面白い事言ってくれるかワクワクしたけど、今は惰性でカキコしてるからねぇ。
萌えらんなくなっちゃったわけですよ。というわけでまー、詩でしたって認めろや。
>>211 私は自身の200文字小説作品が散文では無いと主張した覚えはないよ。
特に韻律を整えていないから、それを散文体の作品だと考えている。
そこに君が登場。
「お前のは小説では無く、詩だ」と議論の余地無く断定。
そして某スレから排除した。
それだけの話だ。
ズバリ問題の中心は、『君が散文体の作品に隠された韻律[暗韻]を読みとった』ということだ。
∴某スレで私は正当なレスを展開していたし、
君は匿名性を悪用し、自身の勘違いを一般的意見であるかのように狡猾にすり替えた上、
執拗にここ迄も私を追いかけてきた訳だ。
君は、
他人の意見の本質を、自分の立場を相手に置き換えてから再度
考えてみるという訓練を積んでみると良いよ。
そうすれば今回の様な「厚顔無恥な」、「自己中心的な」騒動を今後、
世間様に巻き起こさなくても済むことになるかもな。
ま、忙しい人に迷惑をかけないように気をつけろよ。
意味の無い自己目的論争に貴重な時を費やす奴は馬鹿しかいないんだからな。
コレを読むほとんどの人は、2004年11月25日[木]現在、地球の、ある島国に生まれた人間だろう。
私もその一人だ。
私は思うのだが──我々地球人は、文明を築き上げていくことを共通の目的にしている。
学術、経済、政治、スポーツ、教育、、、幾多の人間活動は、同じ
『地球文明』を目指して行われている。少なくとも私には、そう見えるのだ。
文明とは何か。
文明とは、
人間がすすんで賢明さと気高さをレベルアップし、
自らの分と他のひとの分を見わけ、互いをジャマせず互いに協力し合い、
各自が人間としての権利をうちたて、社会に繁栄と平和をもたらすことを云う。
……簡潔にまとめれば、
『自分から立派な人になり、みんなに幸福をあたえること』だ。
さて。
だとすれば問題は、「どの様に文明道に貢献するか?」だ。
各自、しっかり考えて欲しい。
そして何より貴重な自分の命を、大切に生かして行って欲しい。
ひとりひとりの毎日の行いだけが、つもり積もって私たちのを世界をつくりあげるものなのだから。
215 :
吾輩は名無しである:04/11/26 20:42:50
天才!
>>215 全ての人にはそれぞれの天才があります。
大事なのは、それを自分で育てる『地才』ではないでしょうか?
地才とは、根気強い毎日の進歩のことです。
217 :
吾輩は名無しである:04/11/27 14:58:08
そういう頭打ちの思考はやめろよ、読んでて気持ちわりい
カギくんへ
ご参考までにどうぞ。共感できるでしょ
>幸福は私たちの通常の状態である人間は常に幸福で、創造的で、宇宙と調和するように
>設計されました。適切な環境を与えられた花が自然に成長し開花するように、
>人間の幸福と意識もそうなるのです。状況が適切であれば、誰もが永遠に今を生き、
>自然の恍惚状態にいられることでしょう
>でも私たちはまだそのような楽園に住んでいるわけではありません。残念なことに、世界は数千年の
>偏狭、残忍性、宗教的準軍事的非寛容、飢饉、病気、苦しみからようやく抜け出ようとし始めている
>ところであり、か弱い私たちは侵略による被害、強欲な地主や下劣な独裁者、堕落した政府による残
>忍な気まぐれによって、今にも壊れそうな状態にあります。これらの苦しみは全て、世代を追うごと
>に私たちの感覚を麻痺させ、私たちの心と身体を生き残るためだけのある種の生物学的緊急状態に無
>理やりおこうとします。考えうる危険から逃れるために、脳は戦うか逃げるかしようとして全ての力
>を動員させ、エネルギーを節約するために、より高度な意識の中枢のスイッチを切り、私たちを不安
>な麻痺状態にしてしまいます。恐れの感情を持ち続けると、それは絶望感と欲求不満へと変わり、攻
>撃性が強くなり、それが自分に向けられると自殺をし、他人に向けられると社会での暴力となります。
>これはテロリズムを正当化するものではありません。そのような絶望的な暴力行動を解決する方法は、
>条件反射的に宣戦布告をするのではなく、愛と希望を与えることで苦しみの根本原因を取り除くことだ
>ということを説明しているのです。
>誰であろうと主戦論者の呼びかけにだまされてはいけません。戦いは問題の一部だからというだけではなく、
>この戦争への呼びかけは常に堕落した権威がその支配力を維持するために使うひねくれた手段だからです。
>恐れの状況を注意深く作り上げることで、彼らはあなたの脳を常に精神的緊急状態にしておき、それが都合
>よくあなたの脳内のより高度な中枢のスイッチを切り、あなたが彼らの提案により素直に従うようにするのです。
>
>目覚めよ!だまされてはいけません。政府と宗教組織はあなたのためを思ってはいません。ただ金をもうけ、権力
>を保持することしか考えておらず、影で動いている経済大国の操り人形に過ぎないのです。選挙前はうわべだけ笑
>顔と感謝を表しますが、影ではあなたのことを笑いながら銀行へ足を運んでいます。彼らは従順なうそつきのマス
>コミを使って政治的に正しい宣伝で世論を操作し、恐れの状況を慎重に作り上げながら合法性という幻想を維持し
>ています。私たちの注意がすべてこの危機感に向けられてしまうことで、人生の喜びを味わうことができなくなり、
>エロヒムが設計してくれたように私たちがあるべき数多くのより高度な意識の状態を探検するエネルギーがなくな
>ります。だから私たちは自分の潜在能力の数パーセントしか使うことができないのです。これにより私たちは哲学
>的に思索し、愛し、笑い、共感し、創造し、存在するもの全ての繊細さを楽しむことができなくなります。最も重
>要なことは、この恐れと不安によって私たちの疑う能力とより広い視野で見る能力は麻痺させられ、私たちは盲目
>で従順な羊となり、喜んで税金を払い、立派な態度と政治的公正さという衣をかぶりよだれをたらしている狼達を
>太らせるのです。
>現代の世界は火を使って遊ぶ赤ん坊のようなものです。私たちは人類を解放する科学技術を持っていますが、
>それを賢明に使う方法をまだ理解していません。現代のような混乱した時代には、人類がそのおもちゃを使っ
>て自らを破滅させないためにも、そのような明晰な洞察力が必要です。そのために、私たちの愛に溢れた宇宙
>の親達エロヒムによって官能瞑想という贈り物が与えられています。それは感覚の訓練で(meditare「瞑想す
>る」はラテン語で訓練するという意味)、サバイバル状態の深みから逃れ、脳のより高度な中枢を起動させる
>ことができます。それによって、私たちの周囲や内面にあるものへの洞察力を発達させることができます。広
>い視野で物事を見ることができるようになり、現在大変多くの人々の目を曇らせている泥沼の混乱状態の中を
>人類という赤ん坊が前進していくためにはどのような行動方針が最良なのかを決定することができるようにな
>ります。誰も生きるために奴隷になる必要がなくなり、誰もが無料で食物、住居、衣服、教育、平和を享受で
>き、誰もが自分の能力を開発させ、本当の自分を発見し、他人と心を通い合わせ、宇宙とつながっていると感
>じるために時間を使うことができるようになります。
222 :
ラエルに会いにきてください:04/12/20 21:16:56
>現在私たちはそのような楽園に住むための技術を持っており、官能瞑想の哲学に力を与える革命的な精神を持っていますが、
>政府、宗教、主要な経済企業団体は自分達の権力を手放したがりません。麻薬のように権力の中毒になっています。彼らは
>私たちが7年で全ての人にとって豊かで実りのある世界をとても簡単に作り上げることができることを十分に知りながら、
>私たちを原始的な状態に保とうと共謀しています。あなたの政治家、宗教、職場、その他あらゆる機会にこのような世界を
>築きあげることを要求するのはあなた次第です。あなたを抑えようとする人がいたら鋭く指摘するのです。要求しなければ
>手に入れることはできません。
>
>エロヒムは私たちに、快楽、幸福、ユーモア、愛は意識の基礎食品であると教えています。彼らからの贈り物である官能瞑
>想は私達に自分の潜在能力を目覚めさせる方法、それらを人生に応用する方法を教え、私たち一人ひとりが全ての花を咲か
>せる自己実現の庭になるように導いてくれます。この哲学は「ハーモニー・メディテーション」の本に説明されており、そ
>の技術はCD(日本未発売)になっている6つの瞑想から学ぶことができます。でも、最も良い方法は世界中で開催されてい
>るセミナーの一つに参加することです。そこでは、何百人という面白い人たちと共に、ラエル自身や彼のアシスタント達に
>よる研修、講義、ゲーム、瞑想に参加する楽しみがあり、それは実に独特で価値のある体験として残ることでしょう。
223 :
類型 ◆oznZwF2Cak :04/12/21 08:29:44
カギ氏のキャラとスタイルがジョジョに完成していく様子を観賞する作業を終了。
224 :
ラエルに会いにきてください:04/12/21 13:16:38
幸福は私たちの通常の状態である人間は常に幸福で、創造的で、宇宙と調和するように
設計されました。適切な環境を与えられた花が自然に成長し開花するように、
人間の幸福と意識もそうなるのです。状況が適切であれば、誰もが永遠に今を生き、
自然の恍惚状態にいられることでしょう
225 :
吾輩は名無しである:04/12/21 18:27:42
良スレ
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ