今、BSで「男はつらいよ」の第一作を見てた。
退屈な映画でR。
来週やる「男はつらいよ フーテンの寅」は、監督が山田洋次ではなく
森崎東なので期待。
928 :
吾輩は名無しである:2005/08/07(日) 00:33:40
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FH=n.:::::' | | :::FL日l」:::::
日日=:::::.:. 丿 ゝ .::田:/==Д::
929 :
吾輩は名無しである:2005/08/07(日) 00:34:37
誤爆すいません。
>>924 >この訳は、今では『ザ・シェークスピア』で
>ごく安く全巻読めるわけですが
読めませんよ、紫苑さん、あんな小さい活字は……。
ぱっとある個所の訳を調べるのには便利ですが通読するのは。
といいつつ、持っていますが。
所有欲を満足させてくれます。
……なんか全般的に荒れていますね。
ザイーガの文章ってある種の文学性を感じさせるんだが。
文壇BARが埋まってしまったから引越し。
今度はこちらでマターリしようっと。
933 :
小山内劇場 ◆02WwexELkE :2005/08/13(土) 23:11:54
公務員の削減によって夜警国家を実現するとして、保護対象は
多国籍企業なのでしょう。
企業側としては風潮のコンプライアンスはいいとして、社会的圧力による
企業倫理というものがあるわけですが、これは自治組織としては、
福祉などとは呼べず、非常に盲目的・刹那的な側面が残っています。
旧来的な就職体系が弱まり無限反復的に右翼的言動が発信されるように
なったところで、郵政民営化はそれこそ体系的に語られるべきであって、
造反組みの末路などというのは些事です。
934 :
おさむ ◆YST1av./UU :2005/08/13(土) 23:17:40
935 :
小山内劇場 ◆02WwexELkE :2005/08/13(土) 23:40:56
経済の現況は右傾化を緩和(または眼を逸らす)する受け皿とはならない。
國體不在による大衆のモラトリアム化とネット依存者(つまり弱者)の
右傾化のパースペクティブは、少なくとも郵政民営化では修正されない。
加えて、企業倫理=福祉ではないので、小国家の実現は危険をはらんでいる。
936 :
吾輩は名無しである:2005/08/14(日) 01:34:40
>>935 小さな政府論は国家=政府とは考えず、国家=国民一人一人の集合体
と捉える。したがって国民同士の連帯意識の欠如を補うために小さな
政府論は必然的にナショナリズムを要求するし、ナショナリズム抜き
の小さな政府論がうまくいくわけがない。
これは政治思想の常識だよ。
ネット依存者(つまり弱者)って、ライ部ドアや楽テンの社長も?
民権とナショナリズムは必ずしも互いを必要とはしないはずです。
日本がキリスト教圏にないことから、所属意識のための國體つまり天皇制に
代表されるナショナリズムが問題になる。そうであったのが、敗戦によって、
少なくとも一時的に機軸を変えねばならなかった。
しかし、戦後は終身雇用の実現によって大衆は企業に隷属することが出来た。
人倫と言う点では問題がありますが、少なくともこれは國體から眼を逸らすこと
に成功していた。
翻って、雇用体系が劇的に変わった今ではそれが期待できなくなり、力のある
会社組織から外れた人間であるほど(つまり所属できない人間であるほど)
國體に依存することで安心を覚えるという、日本人としては自明なスライドを
起こすようになった。これがネット右翼の実態です。
ここからが焦点なのですが、問題となるのは中国との外交および、
中産階級の民度の低下、加えて企業に対する早計すぎる権威の割譲であって、
わたしとしては、ナショナリズムを否定したいのではありません。
>>935に書いた、大衆のモラトリアム化とネット依存者の右傾化の
パースペクティブに対して、眼を背けていられなくなるのはそう遠いことでは
なさそうだと思いませんか? これらはもちろん、家族形態の変化や
情報革命の功罪を閲してのことです。
>>937 依存者と利用者は立場が違うはずです。
鍵君はゲームに熱中する種類の人間だったのですか。私はちょっと意外でした。
他の利用されている方はこのことについてどう思うでしょうか。
日本のゲーム市場は縮小しているとはいえ未だに四千億円以上あり、
つまるところそれを利用している人間が相当数いるわけです。そういった人間の中で、
一部が、たとえばその一割が、利用を超えて依存傾向にあるとして、そうした人間が
現実では(或いは社会的には)何事も成し遂げていないのに、その対価である
フォーマルなサンクションを求めるとする。
その動機は、結果の出なかった努力、つまり徒労であるが、そうした行動であっても、
彼らの親しんできた虚構の世界では必ず意味のあることだったことによる。
もちろん実際はそんなこともなく、いかに克己の伴った努力でも、
失敗に終わればそれまでなのですが、しかし彼らはそうは思わない。
浪人したならば、一年だか数年だかを禁欲的に(少なくとも本人なりに)過ごしたことが
評価されないというのは納得できないし、社会的とは言わないまでも、最低、
彼を知る人にあっては彼の努力を労わなければならない。
すくなくとも彼らにとってはそうあって当然で、否定されても事態が理解できない。
これは日本社会の甘えの構造と造りを同じくするわけですが、その問題については
社会学板に譲るとして、さて皆さん。
仮にこうした人間が今後も量産されると考えたとき、皆さんが書き上げようとしている
玉稿は、将来それを受け取るのは彼らかもしれない。そのように考え始めると、
いまこの場で、そうした人間が現れたときに、罵倒して追い返すことで問題の解決と
なるでしょうか。彼らの精神に訴えられるような論理または方法を思いつかずに、
人格攻撃でしのぐのは、将来直面する事態に対する自身の無策を露呈することに
なりはしないか。あるいは、その手元の玉稿について、無力を証明することに
なりはしないでしょうか。
私としては、もう少し受け入れる努力があってもいいと思います。
小山内期待はずれ
カスばっかだな・・・
からみづらいスレだな
世代ごとのゲーム人口はある程度限られるとしても、
相対的には、虚構に人間性の回復を依存した人間が増えるわけですから、
そうした意味では、対処の方法というのも考えられてしかるべきだと思いますが……。
それにしても今晩は月がきれいです。
私の住むところでは、先週から秋虫の鳴き声が聞けるようになりました。
花壇に植えられたコニファーのムカゴもずいぶん大きくなりました。
四季に徒労というのはないのですね。
943 :
吾輩は名無しである:2005/08/21(日) 00:06:50
小山内、なにが言いたいんだ?
小山内、今夜は満月だよ。
長文になるから最初に結論を述べておきますが
私は、小山さんの意見には多少大袈裟なところがあると思います。
文学的エンターテイメントとして考えたら意味もあるでしょうが、
政治や経済及び学術に関する真摯な主張としては取るに足らぬ、鼻で笑うべきものだと思う。
さて私は
1.郵政民営化は何より国民自身の政経間の関係への意識を啓発する点で有益な動きだが
逆に、軍事如何を中心とする対外国交という現代日本政治における本題より卑小な問題で一喜一憂する
国民民度を明らかにした点では悲しむべき行いであろうと見える。
2.資本主義の持った矛盾という経済学の議題と、
現代政治及び近代日本教育制度やさらには国体をもごちゃごちゃにして論じようとするのは
いささか理論上無理がある。
3.社会改良への意欲は私にも当然ある。お互いにますます努力しましょう。
>>942 現代までの小説だって殆どが「虚構」ですw
「依存」と「利用(独立)」の境界線を引く為の判断力に随分と自信がお有りの様に見える。
だが、人は縁起するものではありませんか。
あなたのテレビゲームに関する見解は
理想論としては多少の趣が感じられるけれど、現実論としてはちょっと受け入れ難いです。私には。
そこには幾つもの論理的弱点があります。緻密さにおいて少しばかり欠如がある。
私の拙見を書き込みます。
1.テレビゲームは現代的芸術形式であり、そこで楽しむことの何がおかしい?[芸術は自己目的的である]
2.realityは芸術における永遠の主題だと思われるが、
芸術の歴史的パラダイム転換はその追究をあらゆる手段方法を用いて継続する。
時代は芸術の試みを基本的に受け入れる。
3.テレビゲーム市場が如何に盛り上がろうと下がろうと、
政治や経済に純粋な興味を持つ人口比は人類史及び国家史の継続の為の安全圏内にあるだろう。
[何故なら人間はただの馬鹿ではないから]
そして──これはちょっと難しいお話になってしまいますが
宇宙は多様化に向かいます。
その真の理由は未だ誰にも分かりませんが[たぶん地球人は未だ知ったことがない]、
兎に角エントロピーは増大するのです。
それは人間界についても『自然的には』同様で、
芸術も様々なカタチへ変化しながら続いて行こうとするのですね。
おそらくは──生き残ろう、もっともっと自由になろう、さらに無限になろう、
そんな意志をエネルギー自体が持っているんです。
苦労するしないは飽くまでも個人的な問題です。
楽をしようと思えばできるし、
苦を自ら引き受けてさらに成長学習しようと志すのも可能です。
それに正当に報いるべきはあなたのお考えの通り社会の責任でしょうね、だが、分かりますでしょうが
完全に因果応報の社会はどこまでも『理想』でなくてはなりませんね。
もし現実が無欠に合理的になってしまえば、
不条理に立ち向かって抑圧を昇華する努力を忘れ、
社会人間を改良する為に日夜頭を絞り体を鍛える必要も無くすでしょう。
文明の『本当の前進(パラダイム論を超えて)』というのは、
不完全な社会が含有した力動化そのものにあるわけ。
>>935 あなたの現代日本国家論に関しての私意見は、
『ネット世論の急進化が日本国民全体の世論を左右せんまで巨大化するだろう』とでも言いたげなあなたの前提は
恐らくは早計な想像ではありませんか。
民主主義政治において世論を真に左右するのはその量というより質です。
反対に政治を動かす「実践」的世論は量にある程度依存します。それは衆愚に傾く危険を呼びます。
しかし、知識人や人格者の意見は、無知蒙昧暗愚文盲の大衆を一掃するだけの力を持つのは疑えない事実です。
また『企業倫理が純粋な利己主義に凝り固まり続けていくだろう』というのも
いささかおかしな固執ではないか。現に『愛・地球博』とか『ISOなんちゃら』とか、
所謂博愛主義的企業風土を競合相手との差違化に利用する「賢くも希望的な」会社はきっと、
これからの21世紀をleadしますよ。
まあ私の直観ですけどさ。でも裏付けもありますよ。
ヒートアイランド現象の解消に本腰を入れないとそろそろヤバいという都会の雰囲気とか。
何かバランスを取る為の見解を差し挟んだのみの様にも見えるでしょうけど
私が本当に言いたいのは
『さらに的を得ようとする積極的な議論の習いこそは、民主主義の希望である』
というこの単純明解な事です。
文学板で政治論経済論を吐いてはならぬというキマリは見当たらぬ。
雑談スレならば尚更。
ま、ドンドン遣りましょう。文学を等閑にしない位にw
さて
独りで長々とした長文の連投は悪いが、ここでは大目に見て勘弁して欲しい。
私ことカギ君の話題に関することだから。
小山さんはたぶん作家の方でしょう?
そして現代的な作家である。
「将来的な読者層」の選定の為に、政経学術の論を利用してるpragmatistみたいに看える。
当たりでしょう?w
僕は浪人しました。
最初は決して望んだわけではなかったが、でも途中からはむしろ自主選択として「無所属」になりました。
ずっと何かしらの学習に励んでいたセルフ・トレーナーだったのだから、
まぁNEETではありませんでしたが、それでも
社会制度の何処かにシッカリした依り所のない浮き草の身分を数年経験した。
それは確かにキツかった。
僕みたいな若い奴──そしてもっとツライ状況にいる奴──は現にたくさんいるでしょうし
これからも過去に類がないような増加を[もしかしたら]診せるかも知れない。
それは分からない。
でもね
いつの時代にも哀しみはあります(笑い)
社会はそれを慰めたり励ましながら何とかやってくんです──時には悲劇喜劇も演じながらw
企業、家庭、政府、役所、科学、哲学、芸術、教育、sports、宗教、報道、文化、芸能はその受け皿です。
人類史が今日までに獲得して来た成果がそこにあります。
文学に可能なのは
現代っ子の共感やら同情やら共鳴やら天啓やら崇拝やらを、呼び覚ます作品を叩き出すこと
くらいでは?(と言いながらニヤリと含みのある微笑みを浮かべる。
まるで相手の顔色をいやらしく楽しむように)
ここで待ちます。
今晩は。
大介です。
僕は、ここ数日
自分に2ちゃんねるでの文学的活動を禁じようと、頑張ったけど、
とりあえず今までそこで補っていた「創造力の出口」を別のどこかに作ってやらないと
決して無理なんだよね。
それは悟りましたね。
『徳は現世の宝である』とレオナルド・ダヴィンチさんが云う様に
高尚無私な人格の代え難い唯一性は、
我々がこの世界で手に入れることのできる最も価値あるの宝の1つですね。
私は少なくともそう思う。
春山ムーさん[愛称]は、僕[大介]について、
「何の現実的成果も上げていない苦難痛渋の見返りを社会に受け身的に要求している」
みたいにおっしゃっていると見えますが
事実、勘違いです。
僕は2ちゃんねるに何も──そう何ひとつ──期待していない。全く。
単なる息抜きです[個人的修業を兼ねた]。
それをまるで典型的怨望型弱者みたいに扱うのは誤りだと思う。
僕は弱虫ではない。
成功を手にする為に自力で戦い、勝ち取る積極性は「2ちゃんねるの外で」発揮しています。
苦労人はしばしば自信を頼みにします。
それは人生の困難が彼らに『自助独立』の精神を植え付けてくれたからです。
謂われ無き中傷暴言を匿名で吐き捨てることで「合理化」している者たちこそは弱者と言うべきでしょう。
自身の現状と向き合い、徹底して戦う勇気のない堕落依存の輩どもです。
彼等はいつの時代にも一定量いる、愚民なのです。その向上の為には、
1.自助の成功者の例をたくさん増やす
2.自由教育を盛んにし、学生の受け入れ口を広げる[同時に出口を絞る]
以上が有効な方策であろうと愚考致します。
大介さん、今晩は。久しぶりです。
叩く気はもう無いんですけど、ただこういう自分の事を突き詰めたレスを書くと
また荒らしがやってくると思います。barにもここのこと書いてあったし。
今までのところ、このレスは穏やかに流れているようなので
こういう露骨に荒らしを刺激するレスを投じるのは控えた方が宜しいか、と。
globalismはつまり新しいルネサンスであって、
日本においては平成維新と云うべきmovementなんだと私は思うんですね。
それは人類史上初めて、地球全体が「1つの世界」として一般的に意識される時代だと言えるでしょう。
現状地球第二の文明国家日本においてもその影響は表れる。
教育形態と強固に結びついた終身雇用年功序列形式の戦後日本型生活スタイルの王道がまず波を受けた。
学歴主義の内包したはずの自動民度高化式は段々次第に形骸化し、
官庁を中心とした天下りの堕落、口ばかりのエリート像、理屈ばかりで究行実践の出来ない頭でっかち、
要するに──大学受験さえクリアすれば何でもあり、戦後日本教育の封建制風欠陥が暴き出されたわけ。
環境が流動化しているときに最も有利なスタイルは、あらゆる突然の事態に対処できる柔軟性──
つまり『平均中庸』なんですね。少なくとも、それがいちばん安定して生き残り易いタイプなんだ。
で、企業にも御国にも権威にも依存しない生き方を取ろう
とする人が21世紀前半戦、時代の先導役になるだろうと私は思う。
ま例外もあるで生姜。
>>954 やあ、春山ムーフィールドさん[愛称]。今晩は。
人は自分を通してしか世界について語れないものですよ。
>>954 今ちゃんと自分のレスを読み返してみたのですが、
>露骨に自分のことを突き詰めたレス
とやらは一体どこにあるんですか?
もし宜しければ教えて下さい。僕には分からなかったから。
一応、言っておくとムーじゃないんだけどね。
とりあえず、名無しを非難罵倒するのは不味いと思うよ。荒らしがry)
それと、
>>955について言わせてもらうと
地球全体が「1つの世界」として一般的に意識されるとともに、
日本ではバブルが弾けたってことも大きいよね。
官僚の実利を問われる時代に結局奴らは何も出来なかったんだから。
>>958 そうですか、ムーでも春吉[愛称]でもないですかそーですか。
実は、僕は「バブル」という観念が未だによく分からないのですが
日本の未来は明るいと信じていますよ。
一万円札の肖像に福沢諭吉さんがいる限り、この国は世界一の文明です。
そう信じております。一国民として。
>>957 俺の説明が変でしたね。一方的な独り語りになってるということです。
言い方は悪いですけれど、
要は取っ付き難いんです。共有できそうなネタが見当たらない。
>>960 それは僕の話術の欠陥ですね。
でもだからって相手を傷つけてよいというわけは宇宙のドコにもないでしょう。
誰も話し相手もいないときに、空気に向かって「はなす」コマンド押すよりは
独り語りで場をなごますほうがマシだと思ってたんだけど。
違うのかな。
コールフィールドさんよ、もうよせって。
君の意見には同意なんだが
もう大介の相手しないほうがいい。本人のためだ。
また例の人が来てしまいましたねw
>>962 僕の為を思うならば、宜しいならあなたが私や私に関するレスをすべて「無視」してくれさえすれば
場は丸く収まるわけですが
どうでしょう。
特定の誰を攻撃するでもない「表現の自由」を守るのは、国民の責務です。
そして侵すものは国賊です。
語感は激しいですが、心底そう思うのでハッキリ言わなければならない。
刺々しい雰囲気になりそうなんで落ちます。 では
>>965 そんなことはありませんよ。
問題は「ひとり」にあるんだから。
僕をイジメて一人占めしようと楽しんでるのは、結局、綿矢さんでしょ。
でしょ。
さて
問題は解決されましたw一応[一同うなずく。うんうん]
僕は今12ちゃんねるのQちゃんの番組を観ているんですが
やっぱり、『上を向いて歩こう』は良いですね。
そしてQちゃんは国民的ヒーローですね。
人柄の魅力というのはああいうものでなくてはなりませんね。
わざとらしくない。
どうしてよりにもよってあのQちゃんがあんな死に方をしなくてはならなかったのか?
これは異様な謎です。
しかし、僕は思うが、
たぶん解答は単純で、Qちゃんは短距離走者typeだったのだと思うんですね。
人生の前半戦で燃え盛るような体験をあまりにし過ぎてしまっている。
「長期的な視野や計画」というのは彼の精神内の人生設計には無かったんだろう、と私は推測しますね。
ですから、あるところで突然劇が終幕するというのはむしろ、当然と言ってもよい。
でなけりゃ「お話」にならない。人生が美しくならないわけです。
短距離走をやめてしまえば良かったのかもしれない。
とりあえず走るのを諦めてしまいさえすれば、そこでレースは終わるはずです。
人生は別の軌道を辿ったかも知れない。もしかしたら。
まあ運命の必偶というのは縁起因果しながら常に無常に生々流転するわけで
科学的確率とかを考え始めると何も言えない。
要するに運が悪かったんでしょうが
やっぱり『一生涯という作品』としては、ある生の美術にまで昇華されているのは事実なんですよね。
あの番組のドラマに出てきた「黒いQちゃん」みたいなのは、
彼自身を芸術化、物語化しようとする自己監督みたいなものだったのかもしれませんね。
そして今は6ちゃんねるの福山雅治さんの情熱大陸を観ている。
まず気がつくのは福山さんはとても整った顔形をしていますね。
まさに俳優向きというか、どんな角度からもブレないルックスをしている。
オールラウンド・プレイヤーである自分を認めた上で、
無邪気な原点を忘れないで自由に生きたい。
まあソツがないっていうか
まさにオールマイティな発言だ。
Qちゃんとうう素晴らしい方のあの番組を鑑賞したあとに
福山さんのものを視ていると思うのは、
『弱点のない美しさは決して理想美ではない』ということかな。
あからさまな弱さがあるからこそ応援したくなる。
弱いからこそ強くなれと励ましたくなる。
負けるとわかっているから全力で勝ちにいける。
1ちゃんねるの大江さんの番組を掛けています。
原爆の悲劇は戦後日本国民のidentityの要なんじゃないかと私は思うんですね。
「どうして日本はあの戦争に加参し、なぜあんな敗退を経たのか?」
僕は日本に生まれて日本で育った日本国民として、それをずっと考えています。
原爆の悲惨は人間として嘆くべきですが、
自主的に行った侵略の非情もまた、同じように省みるべきです。
ノーベル文学賞が何ですか。名誉や国威が何ですか。
人間の幸福を殺してはばからない行為など全て悪悪悪、悪中の悪です。
核の廃絶も文民統制も定言命令です。
私やあなたがしなくてはならないのは「自分の生き方を『人道』に合わせる」こと
それだけです。
人道とは何か?
『強悪を挫き、弱善を助ける』
この為の志です。
ま
人類史はアレコレ流れながらいったいどうなることやら。
お楽しみにw
ということで
僕が思うに
いちばん大事なのは、今近くにある自分たちの幸せを一生懸命育てていこうとする毎日ではなかろうか。
そんなわけで
綿矢さん、とりあえずメールしませんか。
あなたが暇なとき、少しでも寂しいとき、僕がつまらない話でもしてあなたを慰めますから。
では、悪とは何か?
アメリカ式の侵略型民主化は悪か?
日本式の曖昧独立主義は悪か?
ラディン式のゲリラテロ型正義は悪か?
戦争は悪か?
世界のどこかの悲劇もそ知らぬ自分たちだけの幸福は悪か?
そういう形式の質問では決して唯一解は出て来ないと思うんです。
それらは全て、「方便」であって『目的』ではないから、
その場その時で可能な限り公平な立場から判断するしかない。
暴論極論を申せば
侵略戦争、原爆投下、生物化学兵器の利用も大いに良し。
それらはみんなTPOでの最善の倫理的思慮に因って善悪どちらにも成り得るのだ。
と。
まあ今のは飽くまでも机上の理論で、
現実の実践に当たっては決してそんな馬鹿はとても出来ぬ。
私は思う。
『文明』こそは我々の唯一無二の目的である。
それとはつまり、『最小少数の最低悲劇+最大多数の最高幸福』を実現する意志である、と。
これにどれだけ益するか否かであらゆる物事の善悪は測られるべきであろう。専ら、
戦争は国家権威の拡大の方便、テロリズムは宗教的信仰心を通じた自慰であるから、
両方のうちでどちらがよく文明に適うかと云えば前者だ、アメリカだ。
アメリカの方がどちらかといえば善である。
日本の曖昧主義は未来式平和主義の貫徹の目当てある行為で、
少なくとも国際情勢の均衡を乱さない限りで善であったが
それが余りに現状と矛盾したら悪になろう。然らば、
改憲軍備も又『目的』が為の使い方を間違えなければ大いに善である。
素知らぬ幸福は善だが、知って福祉に励んだ上での幸福はさらなる善である。