近代日本文学作家に影響を受けまた影響を与えながら文芸評論家も
様々な作品を残してきました。
そんな彼らの作品、交流、影響を論じようじゃありませんか。
正宗白鳥、小林秀雄、中村光夫、福田恆存、花田清輝、保田與重郎、
磯田光一、大岡昇平、竹内好、吉本隆明、平野謙、吉田健一、秋山駿、
江藤淳、蓮実重彦、柄谷行人、福田和也、
山城むつみ鎌田哲哉、スガ秀実、その他もろもろ。
彼らの残した様々論争の可能性を再評価するスレッド。
2 :
吾輩は名無しである:03/12/06 06:00
正宗白鳥…作家のイタイとこ突いてくる
小林秀雄…作家をイジメル(例:井伏鱒二)
中村光夫…「歳はとりたくないものです」
吉田健一…捩れたセンス
蓮実重彦…終わらない文章
柄谷行人…考えすぎ
福田和也…イロモン
すいません、いいかげんな印象で
で、2
3 :
吾輩は名無しである:03/12/06 11:43
磯田光一、平野謙、秋山駿、この当たりは忘れられて行きそうそうですね。
磯田光一→『思想としての東京』近代の都市を文学作品から考察
平野謙→『昭和文学史』文学史の参考書
秋山駿→『小林秀雄と中原中也』『信長』この人は何を狙って書いてるのか分からない。
4 :
吾輩は名無しである:03/12/06 15:05
桶谷秀昭と川村二郎はどうですか。この2人は保田與重郎を若い頃から持
続的に読んで、自身の著作にその成果を反映させてきた批評家です。
>4桶谷は『昭和精神史』『保田與重郎』川村二郎は翻訳物や保田の本の解説、
橋川文三は『日本浪曼派批判序説』『黄禍論』程度しか読んでいませんが、
桶谷秀昭と故・橋川文三―彼らは保田與重郎に対する愛憎も
あってか(橋川は竹内好の影響の方もあるけど)他の批評家とはいささか異なる
視点からアジア、ロマン派、ナショナリズムを論じて(そのためかやや泥臭い
くさい印象もありますが)昨今の宮台氏の亜細亜主義との差異を考えるのも
面白いかもしれませんね。
良かったら川村二郎の批評論を教えてください。
6 :
吾輩は名無しである:03/12/06 18:42
中村光夫はもうちょっと評価されてもいい思うんだが、
『風俗小説論』『二葉亭四迷伝』など。
されてるよ。
8 :
吾輩は名無しである:03/12/07 00:36
けれども、小林秀雄みたいにやたらと「小林論」が書かれたり、
全集や文庫やらが発売されたりもしなければ、
保田與重郎のように愛憎入り交じる「保田論」がかかれるわけでもなく、
吉田健一・蓮實重彦みたいに文体模倣者が続出するわけでもなければ、
吉本隆明・柄谷行人のようにチルドレンがたくさん産出されることもなく、
江藤みたいにその名前をやたらと連呼してくれる弟子がいるわけでもない。
そういうところじゃないのかな、
中村光夫が実力影響力のわりに評価されてないっぽいとこって。
ハスミ-スガ-金井ラインが高く評価はしてるみたいだけど。
講談社文芸文庫の二冊は品切れだし。
9 :
吾輩は名無しである:03/12/07 03:27
『対談・人間と文学 』(三島由紀夫・中村光夫)講談社文芸文庫
これだけだけ文庫で品切れじゃないのは。
でもあまり面白くなかったな。
>>2 中村光夫の「歳はとりたくないものです」というのは有名ですが、
出典はなんですか?『老いの微笑』ですか?
11 :
吾輩は名無しである:03/12/09 02:59
>>10 出典は忘れたが、所謂カミュの『異邦人』論争の際に、当時の文壇長老に向けて放った言葉。
要するに、『異邦人』という作品の良さ、凄さがワカンナイような長老に向けて「歳はとりたくないものです」
と言い放ったのです
おまいら、みんな、つまんねえ。早く消えろ。
いやだね
14 :
吾輩は名無しである:03/12/13 01:33
>>11 こんなに早くレスがつくとは思ってませんでした。
お答え、ありがとうございます。
中村光夫全集には「異邦人論」として論争の際の中村の文章がまとめられている
ようなので、卒論を書き終えたら確認してみます。
花田・吉本論争のコメント、キボンヌ。
これは、戦後から現代への知的覇権を決定した論争だ。
吉本が死期を前にして過大評価されている現在こそ、
花田の再評価を!
16 :
中村光夫の論争の:03/12/13 01:48
相手は広津和郎だよ。
>>15 柄谷行人,小林秀雄と読んできて,今,吉本を読んでいるが
こいつバケモンか?と思う。出来不出来はあるだろうが
今だ吉本は本質的には読まれてないと感じる。柄谷のような
読み手がいなかったら多分今はもう全く読まれていなかったのかも。
でも論争のところは知らないな。案外花田のほうがいいこと言ってるかも。
吉本は論争になると言葉に容赦ないから。
後,今日山城むつみの「小林批評のクリティカル・ポイント」っての
読んだけど,これは読む価値あり!久しぶりにこんなに良い批評を
読んだ。
19 :
吾輩は名無しである:03/12/13 03:13
>>17 吉本がきちんと読まれないのには、
その柄谷が、吉本の思想を単純化して、
バカとかファシストみたいに言ったことも、
大きかったのではないのかなあ。
まあ俺も、柄谷が批判するようなのとは別な理由で、
吉本は全く好きじゃないから、いい読者じゃないけど…
>>15 過大評価ってのは同意。あの論争はおれには
読んでもよくわからんところが多いけど
吉本が勝った(ようにみえた)のは、内容とは別に
なんか「現実はこうだ」「時代はこうだ」みたいな言い方を
強く繰り返したからのように思う。吉本はいつもそう。だから嫌い。
20 :
吾輩は名無しである:03/12/13 04:11
花田・吉本論争ってスガや柄谷が論じるまで吉本>花田ってことになってた
のかな?
読解力がない自分から見ても、花田の論のほうが優れてる気がするんだけど
21 :
吾輩は名無しである:03/12/14 16:53
今でも、ヨスモト勝利という通念は強いせすね。
花田と吉本の間で論争が起こったのは59年である。戦争直後の戦争責任論の
枠組みを再審に付すことになるこの論争は、まず、アイロニー(皮肉・反語)を
めぐる論争としてスタートしたものだった。
吉本の戦争責任の問い方は、文字通りのものにつく姿勢から始まっている。
彼は花田の語るアイロニカル的抵抗に対し、その良き聞き手たることを峻拒した。
なないより戦後派作家の戦争体験と自分達の世代の戦争体験との間を埋めることの
できない断層を提示しつつ登場した吉本は、花田のスタイルをカモフラージュ的
抵抗としてではなく、単に四分の三の迎合と四分の一の否定に過ぎないと、厳格に
文字通り=ストレートな意味において聞きとる姿勢をとった。抵抗の思想が
存在したことを知りえないまま戦争に動員された世代を自己意識とした吉本は、
決してアイロニーを解読しない他者という姿勢を選び取る。こうした他者の前に
花田的抵抗のスタイルとしてのアイロニーは機能不全に陥り、アイロニーの通じる
世代の共同性は囲い込まれる。そしてそこから身を引き剥がした吉本自身の
世代的同一性が提示されることになるのであり、彼の言葉がしばしば魔力的な
響きを持つようになるのも、こうした戦略的位置のなせる効果だといえる。
で、何が言いたいかというと、確かに論理的には(糸圭や柄谷が言うように)花田が
勝ってるんだろうけど、それだけでは掴みきれないような「何か」があり、それを
吉本は上手く掴んだということではないでしょうか。
(だからやっぱり吉本が勝利したというのは当たってると思う)
勤め人がしばし取る韜晦と皮肉の姿勢も
バイトの学生には通じなかったという事か。
ま、負け戦なんだから割を食った人間の言い分が
責任論的には一番通りやすいわな。
ただ、実際の社会というのは絶対的強者/弱者
という関係で成立しているわけではないので、
青いと言われればそれまでだ。
だから学生の叛乱や団塊の社会参加以降は読まれなくなったんじゃないの?
でも、「言語にとって美とは何か」は一読の価値がありそうだ。
「共同幻想論」「マスイメージ論」はあんまり大した事なかった。
それとフーコーとの対談は全然噛み合ってないぞ。
>それとフーコーとの対談は全然噛み合ってないぞ。
それホントだね。お互いの話がどう絡んでるのか理解できない。
しかしこれは翻訳のズレかもしれない。吉本の発言がフランス語に翻訳され
フーコーの発言が日本語に翻訳されみたいな。しかもその対談の翻訳者以外が
本にするために翻訳していれば,ますますズレていくし。
26 :
吾輩は名無しである:03/12/15 02:23
あげ
さげ
フーコーが対談後、吉本のバカさかげんに呆れていたというのは、
有名な話。
当たり前だが。
>>24 翻訳の問題云々より、単純に吉本のフーコー理解(ってへんな言葉だな)が
かなりずれてる、って感じがします。
>>17 山城むつみは、あの人が拭い去ろうとしない美意識を受け入れられるか否か
が結構問題になりませんか? 僕はどうも苦手で。
現代思想のフーコー特集で
フーコーと吉本の対談の詳細な分析が載ってたよ。
著者は吉本研究の俊英としても有名?な友常勉。興味のある方はどぞ
吉本は意志と意識の区別をキチンとしていないし、
フーコーがルソーからヘーゲルに至る法意志と
動物的自然的意志とを明確に区別した上で論を進めているのに
分類的であるとか全体論的であるといってもしょうがない。
全体的知(共同幻想)に対応する個人意識を仮定し、
それを拠点に闘争する個人といったロマンティシズムを披瀝されても困る。
フーコーの場合は全体に包含され、その再生産に組み込まれた中で
いかに叛乱が可能なのかという事を模索しているわけであって。
それにニーチェを反合理主義や歴史主義の位相で捉えるのも一面的すぎる。
どちらかといえば個人の意識(内面)がどう構成され、
それが世界認識にどのような影響を与えたかという系譜学的作業が
ニーチェのライトモチーフであって、アプローチは歴史的でしょう?
その点がフーコーのアルケオロジーと通じているわけだし。
しかし、吉本が謂う自然史/自然科学といった
エンゲルスとマルクスの相違点もよく分からないな。
普通に哲学・社会科学でいう「自然」とは必然論で決定論なのだから、
その伝でいえばマルクスの方がよっぽど決定論的だと思うんだが。
だからこそポパーによるマルクス主義批判があったわけで。
32 :
1b™ ◆1bBtQE5sBo :03/12/20 19:15
フローベールからスタンダール、モーパッサンを「文学への自閉」という
言葉で語っていた人間がいたような気がするんだが、誰か知らないだろうか?
教えてください。
33 :
吾輩は名無しである:03/12/21 02:17
/ ̄ ̄⌒γ⌒ヾ
/ ________人 \
ノ::/━━ ヽ ヽ
|/-=・=- ━━ \/ i
/::::::ヽ―ヽ -=・=-_ ヽ i
|○/ 。 /::::::::: /⌒)
|::::人__人:::::○ ヽ ) <まぁおさむは他のコテと違って文学の知識あるしね。
ヽ __ \ /
\ | .::::/.| /
\ ヽ::::ノ丿 /
_____-イ
>>29 どうして翻訳云々の話ではないと言えるのかな?我々にはフーコーの発言が
どのように日本語に翻訳され、吉本の発言がどのようにフランス語に翻訳されたか
参照することが出来ないのに。しかもフーコーのヘーゲル解釈はコジェーブを参照
したもので、それがアカデミックなヘーゲル解釈として流通しているわけででも
ない。
我々は安易に吉本でもフーコーでも理解出来るように思いがちだか、はたして
その解釈はどれほどの真意を得ているのだろうか?
35 :
吾輩は名無しである:04/01/11 22:34
重要性による配置図
正宗白鳥
小林秀雄
花田清輝
福田恆存
保田與重郎
大岡昇平
中村光夫
吉本隆明
吉田健一
蓮実重彦
柄谷行人
磯田光一
平野謙
秋山駿
三浦雅士
渡部直己
スガ秀実
福田和也
36 :
創作ノオト ◆tXJlWVkLzY :04/01/11 23:58
中村光夫は既存の保守派文芸評論家の代表ということで初期柄谷行人に
頻繁に引用されて否定される。中村光夫のように詰めの甘い評論家程、
自分が叩く論考として引用されやすい。平野謙もその典型例。
吉本隆明と花田清輝とも日本独自の左翼思想をつくろうといった構想を
持っていたと思われるが、花田清輝の方が不徹底だった。吉本隆明は古
典として残るだろうが花田の再評価は文芸雑誌レベルではあり得ないだ
ろう。
秋山駿の「信長」は既存の信長論が信長の天下統一ビジョンや先見性に
のみにスポットライトをあてていたのに対し、信長を行動と変革を希求
する魂の運動と捉えたところは面白い。文芸評論家しか書けない信長論。
だがそれ以外の評論は駄目駄目。
保田與重郎の評論に感銘する人が現代日本にどれくらいいるか疑問。今
の読者は研究対象のために無理矢理読んでいる人が多いんじゃないかな。
福田恆存は今なお日本の思想系保守派知識人の総帥。本格的な福田論は
未だないことから、評論の題材としては大穴。
蓮実重彦の文章は無駄が多い。
小林秀雄は過剰評価されすぎ。焼き増し小林秀雄論も多い。
正宗白鳥と小林秀雄の思想と実生活の論争は現代日本では通用しないで
しょう。古き良き時代の論争。
37 :
吾輩は名無しである:04/01/12 00:03
>>35 吉田健一そんな低いか?
あと篠田一士はまだ読める。
38 :
吾輩は名無しである:04/01/12 01:22
100年後の評価
S級 スガ秀実
A級 正宗白鳥
小林秀雄
花田清輝
福田恆存
柄谷行人
B級 蓮実重彦
大岡昇平
中村光夫
吉田健一
磯田光一
平野謙
C級 三浦雅士
渡部直己
D級 秋山駿
忘れられる有象無象 保田與重郎、吉本隆明、福田和也
もう忘れられている 江藤淳
39 :
これら記号要素を誰が解くだろうか?:04/01/12 11:43
正宗白鳥 ☆○△△□@
小林秀雄 ☆☆☆☆☆○○○○△△△□□□@@@
花田清輝 ☆☆○○△@
福田恆存 ☆☆☆○○△△△@
保田與重郎 ☆☆○△@@
大岡昇平 ☆☆○○△△□□@@
吉田健一 ☆☆○△△△△□@
中村光夫 ☆☆☆○○○△△□□@@@
吉本隆明 ☆☆☆☆○○○△△□□□@@@
磯田光一 ☆○△△□@
奥野健男 ☆☆☆○○△□□@
平野謙 ☆○△□□@
本多秋五 ☆☆○△□@
江藤淳 ☆○△□□@@
蓮実重彦 ☆○○△△△△□□@@
柄谷行人 ☆☆☆○○○△□□□@@@
秋山駿 ☆○△□□□@
篠田一士 ☆☆○○△△△△□□@
川村二郎 ☆○○△△△□□@
三浦雅士 ☆☆☆○○△△□□@
佐伯彰一 ☆☆☆○○○△△□□□@
竹田青嗣 ☆☆○○△△□@
山城むつみ ☆○△□@
渡部直己 ☆△□@@
スガ秀実 ☆○△□@@@
福田和也 △□@@
宮台真司 △□@@@
40 :
選択肢はこれ:04/01/12 11:48
☆
○
△
□
@
上の5つの記号に下記の要素の中から選択。
読解力、文章力、国際性、独自性、アグレッシヴ性、普遍性、ユーモア
41 :
吾輩は名無しである:04/01/12 20:52
>>40 ☆ 文章力?
○ 読解力?
△国際性
□ 普遍性?
@アグレッシヴ性
△と@は当たってると思うが。
>>41 だいたいそれでいいですよ。というか、ごめん。
ネタを振るつもりで適当に書いちゃった。
誰か突っ込んでくれると思ったんで。
誰か39を手直ししてくれるとありがたいんだけど。
今度ヒマあったらもうちょっと考えてみるよ。
それから、河上さんが抜けてたっけ。
花田清輝 ☆☆○○○△△□□□@@@@
保田與重郎 ☆☆☆○△@@
大岡昇平 ☆☆○○△△□□@@
吉田健一 ☆☆☆○△△△□□@
中村光夫 ☆☆☆☆○○○△△△□□@@@
吉本隆明 ☆○○△△□@@@
こうだとおもうけどな。この辺の人たちは。
良スレだな。
>>39をみると、死後4年ほどの江藤ですら懐かしく感じてしまうな。
45 :
吾輩は名無しである:04/01/15 02:05
そこに山崎行太郎を入れて糞スレ化実験。
いや、ありがたい。俺も入れてくれるの?
じゃ、☆はナシでいいから、△と@をいっぱい頼むよー!!
あれ? 頼んだからねー!!
記憶違いかもしれないけれど、
保田と中野重治の間で茂吉をめぐる論争というか、やりとりがあったような気がするんだが、
49 :
吾輩は名無しである:04/01/15 19:59
>>39>>43 何で吉本の文章力の評価が、「☆☆☆☆」と「☆」
に分かれるんだよw
客観性なんてカケラもねえな
馬鹿が足りない頭で勝手に格付してるのにいちいちケチをつけたところで始まるまい。
山崎乞太郎★★★●●●▼■@@@@@
というところでどーよ
うん、ありがとう!! 有名な先生達の中に混ぜれくれれば、それでいいんだ。
評価なんか関係ないもんね。評論家の肩書きさえあれば、なんとか食ってけるし。
50は乞太郎か?
54 :
吾輩は名無しである:04/01/22 10:57
番付はいいから、もっと個々の批評家について語ってよ。
55 :
吾輩は名無しである:04/01/22 12:24
>>54 Yes.またあんまり書き込みないときは勝手に格付けしちゅからね。
まずは河上、正宗からですか?
56 :
吾輩は名無しである:04/01/23 23:11
マルチポスト失礼します。
質問があります。
「花の美しさなんてものはない、あるのは美しい花だけだ」
みたいな文章がのってるのって小林秀雄のどの作品ですか?
57 :
吾輩は名無しである:04/01/24 01:39
当麻
58 :
吾輩は名無しである:04/01/24 19:58
吉田健一は、日本批評界を代表する人間である。
59 :
吾輩は名無しである:04/02/15 10:29
花田−吉本論争については、スガ秀美の本を読んで欲しい。論争当時、
吉本隆明は『資本論』を読んでいなかったとスガ秀美は言っている。
福田和也によると「鑑賞眼に狂いがなかったのは、平野謙と江藤淳とオレだけだ」
と柄谷行人が言ってたらしいけど。確かに多和田葉子や阿部和重を見出したのは、
柄谷行人(もその1人)だろう。しかし、『終焉をめぐって』や『日本精神分析』
を読むと、吉本隆明が「柄谷行人は文芸評論家としての感性を捨てた」と言うのも
わかる気がする。前者は『探求』の後者は『トラクリ』のそれぞれ文芸評論版
だから(加藤典洋は『意味という病』までは"わかる"らしい)。渡部直己も
「柄谷さんは小説を読める人ではない」と言ってたし。だけど、『反文学論』を
読むとそうでもない。けっこう、「細部」も論じているんじゃない?結局、
柄谷行人は「表象」の連中が嫌いなんだろうな。『悲情城市』(映画だけど)に
「主題の積極性」をみない奴はダメだみたいなこと言ってたし。まあ、それだけじゃ
ダメなんだろうけど(『ベルリン 天使の詩』を「主題の積極性」から評価している
のを吉本隆明にバカにされてた)、中上健次『地の果て 至上の時』(新潮文庫)の
解説なんて、オレは好きだよ。四方田犬彦の中上論より、影響を受けた。ところで、
『地の果て』が「ソ連崩壊」を予見していたって、アレ柄谷行人は本気で言ってるの?
トラクリとかで柄谷がカントやマルクスがどうこう書いていると読む気がうせるな
大学卒業してから柄谷読まなくなったわ
61 :
吾輩は名無しである:04/02/24 02:36
渡部直己の『不敬文学論序説』などの天皇論はやたらと小説家連中に影響力強かったなあ。
あれなんでなの?
スガの『帝国の文学』方は刊行も遅かったしそんなでも無いみたいだが。
でも青山の漱石映画『すでに老いた彼女のすべてについては語らぬために』は
スガまんまみたいだけど。
63 :
吾輩は名無しである:04/02/24 04:37
やっぱり今ダントツなのは、自称文芸評論家・山崎行太郎でしょ!
自称ってとこが素敵でしょ!
64 :
吾輩は名無しである:04/02/29 08:19
くやしい
65 :
吾輩は名無しである:04/02/29 10:02
埴谷も何気に良い批評を書くよ
吉田健一と共に文そのもので唸らせるタイプだね
66 :
吾輩は名無しである:04/02/29 10:06
立花隆はいれないの?
67 :
吾輩は名無しである:04/03/01 21:16
自称文芸評論家・山崎行太郎が一番!
68 :
痔郎 ◆oYo4g5x7Sc :04/03/09 19:00
橋川文三も入れてあげてよぅ。
良スレなのでageときます。
70 :
痔郎 ◆oYo4g5x7Sc :04/03/20 01:02
文學界でやった『近代の超克』って何で読めますか?
富山房文庫だっけ?
72 :
吾輩は名無しである:04/03/20 01:09
73 :
吾輩は名無しである:04/03/20 12:07
現役でやってる人で後々まで読み継がれる人って誰だろう?
74 :
吾輩は名無しである:04/04/08 23:43
岩波文庫の新刊で何やら出ているのだけども。。。
75 :
吾輩は名無しである:04/06/04 20:29
七北数人氏に一目お会いしたいものです。
文芸評論家って何の意味があるの?
自分で小説書いてる訳でもないのに、何言ってんだか。
自分のやっていることに何らかの意義があると
思い込めないとやってられない職業ではあるよな
文芸評論て業績として後世に伝えられるという種のものかというと疑問
意味のある人と意味のない人がいるね。
誰か『批評家の値打ち』を書かないものか。。。
確かに今は批評がないよな・・
小説家が批評家やると、自分も書いてるから
客観的に評価できないんだよね・・・
やっぱ作る人と評価する人は分けるべきだね
どのジャンルでもそれが基本なのに文学は
小説家が批評家やってるとこが諸悪の根源だね
今は選手が審判やってるようなものだ
すぐれた審判が必要
83 :
吾輩は名無しである:04/08/03 16:47
>>81 その考えかたって、あんま意味ないと思うよ。
作る人、評価する人が明確に分かれていない、いるはずがない。
創作に関しての劣等感って、大西が書いてたんじゃなかった?
とにかく、選手審判とかそういうんじゃないんで。
すぐれた批評家というのはすぐれた読み手であり、
すぐれた読み手というのはまた、すぐれた書き手になりうると思う。
85 :
吾輩は名無しである:04/08/05 02:09
そんなことはない
>>85 ん? わたしへのレスかな?
いやどんなレスでも反応があるだけいい。
中村光夫の「『わが性の白書』」
蓮實重彦の「陥没地帯」
とりあえず2例出しておこう。
花田清輝の「小説平家」は?
88 :
吾輩は名無しである:04/08/07 19:53
大岡昇平、吉田健一、埴谷雄高も
小説、批評どちらもいける。
89 :
吾輩は名無しである:04/08/09 12:54
柄谷は小説書けないだろうな
90 :
吾輩は名無しである:04/08/10 02:45
小説と批評どちらでも書けるから、優れた読み手や書き手が、書き手であったり
読み手であるわけでなく(もちろんそういう場合もありますが)、
読み手−書き手の区別を厳密にすればするほど、お互いが厳密に区別できないものとして
洞察できる、ということだけではないですか?では、批評も創作もしない読み手は、
いったい何なんでしょうか。その人たちも、読み手であり、かつ書き手であるということだけでしょう。
91 :
吾輩は名無しである:04/08/10 19:47
>90
ちょっと文章がわかりづらいね
92 :
吾輩は名無しである:04/08/10 20:39
みんなでオナニーしてるみたいだね
言葉なんかに何求めてるの?ばかじゃん
穴にいれたもん勝ちだよ
椅子取りゲーム
もう日本なんか崩壊すんだから
獲れるだけ獲っとかないとな
93 :
吾輩は名無しである:04/08/10 20:43
>92
で、なにがいいたいの?
間違えて木の節穴に入れちゃって抜けないってことじゃないの。
95 :
吾輩は名無しである:04/08/10 21:04
だってみんな自分が特別だって思って
本読んでるんだよ
金正日だってそこいらのコンビニでたむろってるDQNだって
みんな自分が特別だとか思って
生きてるんだよ
文字は悪魔のじゅもんなんだよ
本は地縛霊
だまされちゃいけないよ
>>87 >花田清輝の「小説平家」は?
「小説平家」イイの?
「鳥獣戯話」しか読んでない。
中村「『わが性の白書』」と蓮實「陥没地帯」を挙げたのは、
すごく批評意識がある小説だと思ったからなんよ。
>>96 どういうところが?
>>90 後藤明生『小説―いかに読み、いかに書くか』を読むと、
「なぜ小説を書いたのか?」という問いに対して
後藤いわく「小説を読んだから」という理由を端的に語っていて、
「読むこと」と「書くこと」の深い結びつきを再認識させられる。
もちろん優れた読み手すべてが書き手になるわけじゃないにしても。
返答になってないかもしれないけどね。
>>88 >大岡昇平、吉田健一、埴谷雄高
その後の世代なら、大江健三郎や後藤明生なんかも
小説と批評の優れた両刀つかいだと思うよ。
>>90 もうひとこと。
>批評も創作もしない読み手は、 いったい何なんでしょうか。
>その人たちも、読み手であり、かつ書き手であるということだけでしょう。
何も書かない「読み手」も、
読むという行為の中で「リライト」はしてるかもしれない。
まあ、大江の読み方は教養主義的(教条主義的?)だけどな
103 :
吾輩は名無しである:04/08/11 11:18
批評書いてないけれど、選評類見る限り、
山田詠美の批評眼はなかなかのもんだと思う…。
同意してくれる人なんておらんだろうが…
104 :
吾輩は名無しである:04/08/11 17:14
>103
詠美のほかはだれがいいと思ってるの?
105 :
吾輩は名無しである:04/08/12 12:47
中村みつおのわが性の白書ってどんなの?
>>101 たしかにそういう面はあるね。
つまらない論文やエッセイも多い。
ただ、時折「ん?流石!」というとこがあるよ。
>>102 いえいえ。
>>105 『わが性の白書』はタイトル自体が鍵括弧の中に入ってて、
『わが性の白書』という書物をめぐる文壇模様をパロディ化してる視点が面白い。
中村とおぼしき批評家と小説を書き始めたその妻という設定もなかなか。
107 :
吾輩は名無しである:04/08/18 22:01
103はどこいった? ま、いいか。
108 :
吾輩は名無しである:04/08/18 22:04
「近代の超克」論争ってどうなの?
>106
ありがと。
110 :
吾輩は名無しである:04/08/21 18:40
文芸評論家でいちばん女にもてたのは中村光夫だよ
まぁ女にもてたくて一族郎党の反対おしきって法科から文学に転じたんだから
評価はそこそこであとは名前が通ればいいと思ってたんだろ本人は
111 :
吾輩は名無しである:04/08/24 20:22
初学者に薦めるこの評論家、この一冊、みたいなのありませんか。
112 :
吾輩は名無しである:04/08/24 20:40
どなたか、磯田光一氏の「永井荷風」講談社学芸文庫を持ってる人
小生の持っている蔵書と交換しませんか?
>>110 中村光夫で一番面白いのは何ですかね。
個人的には評論より『今はむかし』のようなエッセイが好きなんだ。
>>111 あぁ、それ知りたいですね。
個人的には三浦雅士から入りった。
114 :
痔郎。 ◆oYo4g5x7Sc :04/08/25 01:08
115 :
吾輩は名無しである:04/08/27 22:12
対談集から入るのもいい。
116 :
吾輩は名無しである:04/08/28 15:53
性格のいい評論家っているのかな?
117 :
吾輩は名無しである:04/08/31 22:46
海外文学の研究者には比較的性格のいい人もいるんじゃないかな?
118 :
吾輩は名無しである:04/09/09 22:07
性格は良いとはいえんけども小林秀雄から入るべし。
119 :
吾輩は名無しである:04/09/14 20:46:43
最近そういえば小林秀雄がオンセール。リバイバルくるのか?
120 :
吾輩は名無しである:04/09/16 10:41:20
今日「永井荷風」古本屋に売りに行きます
121 :
吾輩は名無しである:04/09/16 16:55:10
>113
小説では『贋の偶像』
エッセイでは『老いの微笑』『金銭と精神』
『戦争まで』など。
もちろん、好みによると思うが。
批評では意外なところで『制作と発見』
122 :
吾輩は名無しである:04/09/16 17:04:30
中島健蔵の主催する団体に所属していたのだが、会のすべてが中共寄り。
10代だったのでモロ影響受けてましたw
123 :
吾輩は名無しである:04/09/23 19:55:11
「近代の超克」に関して小林秀雄と保田與重郎はどうだったんだ?
124 :
吾輩は名無しである:04/10/03 20:47:28
小林秀雄は文章力があるな。あらためてそう思った。
125 :
吾輩は名無しである:04/10/04 02:12:39
中村光夫なら「二葉亭四迷伝」あげないとしょうがない
126 :
吾輩は名無しである:04/10/04 11:29:36
江藤淳なんかは最近不当に評価が低いんじゃないか?
>>121 どうも。『老いの微笑』はイマイチだったけど。
もう少し歳をとらないと味わえないのかな。
『贋の偶像』『制作と発見』は是非読みたいな、と。
>>125 ああ『二葉亭四迷伝』は中村光夫の代表作だね。
昔読んだかすかな記憶がありつつも忘却の彼方で、
我ながら情けない・・・
あと、『風俗小説論』について評価はどうなんだろ?
128 :
吾輩は名無しである:04/10/06 23:35:54
風俗小説という言葉は最近使わないよね。
129 :
吾輩は名無しである:04/10/08 00:22:04
小林秀雄と中村光夫ならどっちを評価する?
130 :
吾輩は名無しである:04/10/08 01:18:48
風俗書ける作家がいないんだよな明治以後
自分の生きたささやかな時間の雰囲気を伝える筆力すらない
結局観念小説の洪水なんだな
>>123 保田は不参加。座談会そのものに保田は意義を認めていなかったと思われる。
小林が近代を徹底的に突き詰めた挙げ句の果てに近代を超克するという立場なら、
保田には始めから近代は否定すべきもの以外の何物でもなかった。2人の姿勢の
違いは、小林の晩年の大著『本居宣長』とそれに対する保田の書評で再び見るこ
とができる。
132 :
吾輩は名無しである:04/10/08 18:48:11
131氏は詳しそうだね。
文学界グループでは小林もほとんど発言してないから、
座談会自体は大物不在なんだよな。
むしろ戦前に小林も保田も意見は提出しているってことになるかな。
133 :
吾輩は名無しである:04/10/08 18:51:59
それから
小林より保田を評価する人や
小林より中村を評価する人もいるけど
ハスミなんかはそうだと思うが
どういうポイントで見るかによるね。
134 :
吾輩は名無しである:04/10/08 20:48:34
>>132 いや、座談会の二日目は小林もかなりしゃべってるでしょ。
>>133 小林より中村というのはわかるけど、
蓮實は別に保田をそんなに評価してないでしょ。
というか蓮實自身が保田っぽいんだよ。
「蓮實自身が保田っぽい」っての補足キボン
>>134
>>126 気持ちは分からないではない。生前の文壇や論壇でのボス的な言動が邪魔して、
評価されるべき仕事もそうはなっていないね。仕事は仕事、人間性は人間性と峻
別して語られるべきだ。西部邁の江藤への追悼文は、生前の江藤の品性下劣な言
動を回想したもので、よくも悪くも、こんな追悼文が書けるのは西部邁だけだと
思った。
137 :
吾輩は名無しである:04/10/11 15:40:02
もっと批評家の作品も文庫化して残してくれよ。
今でも普通に各著作が手に入るのって小林、柄谷、蓮實くらいで
江藤が「小林秀雄」「成熟と喪失」なんかの一部代表作品と、
この間福田和也がちくま学芸文庫でまとめてくれたコレクションくらい、
中村光夫、福田恒存、花田清輝レベルで2〜3冊、
現代になるともっと悲惨で、渡辺直己、すが秀美レベルですら
文庫化作品は0。
そんなに批評って読んでる人口少ないのか?
くだらない小説はすぐに文庫化されたりしてるんだから、
もうちょっと批評にも目を配ってほしいよ。
>>136 >仕事は仕事、人間性は人間性と峻 別して語られるべき
そう思う。相手を批判することも好き嫌いを語ることも構わないが、
それがミソクソ的に混じり合ってる状況はいただけない。
>>137 >もっと批評家の作品も文庫化して残してくれよ。
同意だなぁ。文芸文庫が頑張ってくれているけどね。
保田與重郎のやつなんかはすごく貴重だった。
最近も高橋英夫の第一評論集が出たけれど
中村光夫、江藤淳あたりはもっと文庫化されるべきだね。
あと、小説家の評論ももっと文庫化されるべきだと思う。
大岡、武田、埴谷あたりのものは多少はあるけど、
古井由吉や後藤明生のものなんかも拾うべき。
139 :
吾輩は名無しである:04/10/11 17:07:01
就職・資格取得や世間のイメージにより修正 東京私立等文系偏差値
70 慶応
67 早稲田
65 上智、ICU、中央法、早2部人間
63 中央
60 明治、立教、学習院
57 青山、法政、独協外語、日芸
55 専修、成蹊、成城、東京経済
53 武蔵 日本 明学 国学
50 独協、東海、神奈川、東京理経営、武工環境、自由学園最高学部
47 駒沢東洋(○東駒○の荷物)和光、玉川、桜美林(町田3大)千葉商、麗澤
45 大東、亜細亜、拓殖、帝京、二松、関東学院、
43 大正、千葉経、流通経、城西、文教、聖徳
40 国士舘、桐蔭、日本文化、横浜商
140 :
吾輩は名無しである:04/10/12 12:44:41
小説だけ読んで評論をまったく読まないという人も多いんだろうな。
つまり部数が出ないから文庫化もされにくいんだろう。
逆に評論ばかり読んで小説を読まないという人もいる可能性もある。
141 :
吾輩は名無しである:04/10/17 18:05:43
カラタニ、ハスミ以降の鋭い批評家といえば
なんやかやいってもスガになるのかな。
すべての評論家は無用である。
必要なのは読書感想文を書く評論家だけ。
143 :
吾輩は名無しである:04/10/18 22:14:20
糸圭も最初の頃は良かったが、今は福田のほうがマシ。
文庫化という点では吉田健一はめぐまれてるな。
145 :
吾輩は名無しである:04/10/24 21:38:48
小林康夫、松浦寿輝、丹生谷貴志、四方田犬彦あたりはどう?
146 :
吾輩は名無しである:04/10/24 21:41:06
>140
評論ばかり読んで小説を読まないという人
アホだな
147 :
吾輩は名無しである:04/10/24 21:56:31
>評論ばかり読んで小説を読まないという人
こういうタイプの人間っていうのは
批評家のうけうりの図式的な思想用語で
作家を安易に批判したりするんだよな。
小説作品にはほとんど触れずに。
148 :
吾輩は名無しである:04/10/24 22:00:44
知ったかくんというやつでつね
149 :
吾輩は名無しである:04/10/24 23:14:06
渡部とスガの言ってることがほとんど理解できないのですが
私は文学やめたほうがよいですか
150 :
吾輩は名無しである:04/10/24 23:32:05
>>149 見込みあり、だと思う。
是非文学を続けておくれ。
151 :
吾輩は名無しである:04/10/25 16:52:12
評論によりかかって小説を読んでない知ったかくんは
すぐに思想とか政治とかを持ち出したがる香具師。
152 :
吾輩は名無しである:04/10/26 10:40:34
●福田恆存歿後十年記念――講演とシンポジウム――
日時――平成16年11月20日(土)午後2時30分開演(会場は2時)
会場――科学技術館サイエンスホール(地下鉄東西線竹橋駅7分)
特別公開――福田恆存未発表講演テープ「近代人の資格」(昭和48年)
講演――西尾幹二「福田恆存の哲学」/山田太一「一読者として」
シンポジウム――西尾幹二、由紀草一、佐藤松男
参加費――2000円
申し込み――電話(03−5261−2753 *午後5時〜10時)
または電子メール(氏名、住所、電話番号、年齢を明記=
[email protected])で、
現代文化会議まで
153 :
吾輩は名無しである:04/10/26 18:05:46
>>149 賛否は別にして、ああいうのが理解できないのは、知識不足なんじゃないの?
154 :
吾輩は名無しである:04/10/27 10:22:27
>評論によりかかって小説を読んでない知ったかくんは
>すぐに思想とか政治とかを持ち出したがる香具師。
2ちゃんでもいるよな。
渡部とかスガとかを読んでる人間にありがち。
おいおいスカはともかく渡部は思想や政治だけで書いてないだろ
この二人が仲間だからって違いがわからないのは
読んでない証拠だろ
156 :
吾輩は名無しである:04/10/28 13:39:05
確かに小説読んでないといけないとは思うな。
で、小説結構読んどけば、上記二人の本も、ネタとしても結構楽しめるとも
思うんだよね。
157 :
吾輩は名無しである:04/10/28 19:09:52
スガはネタとしての価値しかないだろ。
糸圭(すが)
159 :
無名草子さん:04/10/29 15:06:21
『日本近代文学評論選』を皆さんはどう読まれましたか?
160 :
無名草子さん:04/10/29 15:33:10
坪の名前が出てきそうな雰囲気がじんわりと・・・
評論家に代わりに本を読んで貰っても、役に立ちません。
結局自分で読む羽目に。
162 :
吾輩は名無しである:04/10/30 23:58:59
>161
それはアタリマエ〜。普通はこう。
1まず自分で作品を読む
2自分の読解を試みる
3次に評論を読む
4その評論が的確かどうかを判断する
5自分の読解を検証する
6場合によって作品を再読する
知ったかくんはこう。
1評論を読む(作品は読まない)
2その評論を検証しない(評論家を信じる)
3受け売りを公言する(自分の意見がない)
作品も評論も読まない俺は勝ち組
164 :
吾輩は名無しである:04/10/31 01:31:59
「自分の」とか「独自の」とかいうやつは大抵頭良くないよな。
読む読まないなんてあげつらっても仕方ないこと。
なんかの影響をすでに受けてなきゃ、小説だって読めないだろ。
純粋な読書家ほど不勉強だ。
と知ったかくんはもうしております。
166 :
吾輩は名無しである:04/10/31 16:00:03
『日本近代文学評論選』はお手軽でいいね。
できれば全5巻ぐらいで出して欲しかったけど。
167 :
無名草子さん:04/11/05 14:36:56
じゃあ何入れる?
『日本近代文学評論選』は入門としていいんじゃないかな。
ポイントは押さえている編集になってると思う。
昭和篇で吉本と江藤は入れたほうがいいとは思うけれど。
169 :
吾輩は名無しである:04/11/07 23:28:29
そういうの外しちゃう党派性がキモイ本だけどな
170 :
吾輩は名無しである:04/11/07 23:40:31
「近代日本の批評」は一応読んでおいたほうがいい。
『近代日本の批評』は面白く読んだっけ。あの4人の組合せは良かったな。
浅田も三浦もそれぞれの役割を充分果たしていてバランスがとれていた。
特に最後で蓮實と柄谷が批評の姿勢を語っているところが特にいい。
172 :
吾輩は名無しである:04/11/11 09:58:35
批評家は小林秀雄だけでいいってことがなんでわかんないの?馬鹿なの?
173 :
吾輩は名無しである:04/11/11 10:53:53
>172
もしかして小林秀雄しか読んだことがないのか?(w
174 :
吾輩は名無しである:04/11/11 12:16:03
伊藤 整は?
175 :
吾輩は名無しである:04/11/11 12:19:22
小林秀雄ってすごい古臭かった。
現在じゃ通用しないよと思った。古いんだから当たり前だけど。
176 :
吾輩は名無しである:04/11/11 16:38:21
>>175 古いんだから現在じゃ通用しなくて当たり前か。
もし文学を語る資格というものが在るのなら、
お前にとって、それは弁護士以上の難関資格となるだろう。
177 :
吾輩は名無しである:04/11/11 16:48:19
山本健吉の『詩の自覚の歴史』(ちくま学芸文庫)を読んだんだけど、
お蔭でようやく万葉集の面白さに目覚めることが出来た。
保田の『万葉集の精神』よりも、『詩の自覚の歴史』の方が、
一つ一つの歌の読み方が濃やかで絶妙に感じた。
万葉集全体の詩的価値や大伴家持の役割に関しては、
保田も山本も、反アララギ的で、似ているな、とは思ったけど。
続いて『古典と現代文学』も途中まで読んだけど、
山本健吉の文学観は、基本的に、
純文学と大衆文学の綜合によって理想の文学の創設を目指す、
という昭和十年代の横光の純粋小説論等に連なるもののように思った。
能や俳句を論じた箇所などは、
バフチンのカーニバル論にも通じるものを感じた。
山本健吉って、評論家としてはどんな風な位置付けの人だったんでしょうか。
178 :
吾輩は名無しである:04/11/11 17:15:06
>>176 不正確な引用をすることで、自分に都合のいいように、
>>175の趣旨を捻じ曲げてるね。
A:小林秀雄ってすごい古臭かった。 現在じゃ通用しないよと思った。古いんだから当たり前だけど。
B:古いんだから現在じゃ通用しなくて当たり前か。
これらが正確に同じ意味を持つ文章か?
このような不誠実な態度を取る人間にも、文学を語る資格なんてない。
>>177 参考になるレスだね。保田、山本を読んでる人もいるんだなあ。
あまり詳しくないんで逆に教えてほしいぐらいだけれども、
万葉集全体の詩的価値の評価だけでなく、二人は共通点も多そうな感じ。
山本のほうが浪漫派の保田よりもさらに地味だと思うけど。
>>179 あんた178でもあるんだろうけど、
煽りに煽り返すようなことしないでくれよ。
181 :
吾輩は名無しである:04/11/12 01:19:38
>>107 凄まじい遅レスで申し訳ない。
最近は川村湊が良いと思ってるんだけど、やっぱりこれも同意しては貰えないかもね。
何しろ売れっ子福田和也の影響で、読みもしないうちに非難する人もあるから…。
柄谷、蓮実なんてのは好き嫌いで言えば嫌いなんだけれど、やっぱり彼らの残したものの
大きさを考えれば、認めざるを得ないのかなって感じ。
小林秀雄あたりは、ある種の肝の座り方みたいなのに圧倒されるかな。特に「僕はバカだから
反省しない」というあの有名な発言には、仰天した。で、こいつはきっととんでもねぇヤツに違いねぇとw
作家の批評眼ということで言えば、やっぱり漱石は凄いんじゃないかって思う。
後は泰淳かなぁ。吉田健一にも魅かれるところがあるね。
どうしてって聞かれても答えられんのが哀しいとこだがね。
後、山本健吉の親父(名前失念した)。昔は鴎外との『舞姫』論争見て、「バカなんじゃないか、こいつw」
と思ってたんだけれど、最近は、以外とこの人、『舞姫』の本質的な部分を突いた批評をしたんじゃないかな
って思ってる。
だらだら書いてしまったけれど、まぁこんなもんかな
182 :
177:04/11/12 02:56:09
>>181 川村湊の『異郷の昭和文学』は、自分が引揚者の息子ということもあって面白く読めた。
この本の中で木山捷平の「引揚げ者精神」という言葉を見つけて、自分の性格を基調はこれかも知れない、と思った。
また、『異郷の昭和文学』は一つのユートピア論としても読める。
福田の『地ひらく』と対比させながら読むと更に面白いかも。
ちなみに、山本健吉の父親は石橋忍月。
忍月は弁護士でもあったそうです。
>>179 山本健吉は折口信夫の弟子でありながら、若い頃はマルキズム運動にも熱中していたそう。
『古典と現代文学』の巻末年表にこんな記事がある。
「一九五〇年(昭和二五年)四三歳
『俳句研究』『三田文学』『群像』や新潮文庫の解説等の仕事を細々とするが、
注文は少なく、妻は質屋通いをする。しかし本人は王者のような顔で煙草を
燻らせていた。一一月、遠藤周作の世話で絶交状態だった原民喜と逢う。
話し合えば友達同志、誤解もとけた」
女房に質屋通いさせながら「王者のような顔で煙草を燻らせていた」健吉、かっこいいぞ。
若い頃に山本は警察に捕まったことがあるのだけど、それは、当時隣家に住んでいた、
原民喜の異常行動に巻き込まれたため。しかも、巻き込んでおいて、この時原は山本に絶交状を送り付けたそう。
原民喜というと原爆詩人ということで神格化されてしまってるけど、かなりクレイジーな奴だったのかな。
ちなみに、原民喜は『日本浪曼派』の同人でもあった。
183 :
吾輩は名無しである:04/11/12 04:59:12
>>182 レスサンクスです。
石橋忍月!! そうそう!! いやぁ、名前を失念してたから、助かったw
ちなみに『舞姫』論争で敗北した(かに見える)忍月の息子、山本健吉は、
鴎外のこと、ずっと恨んでいたんだってね。
まぁ、鴎外がけちょんけちょんに言っていたから、息子としては面白くなかったに違いないんだよね。
ところで俺が、忍月は『舞姫』の本質突いてしまったんじゃないかって思ったのは、
反論した鴎外が、「鴎外」という筆名使わずに、あえて『舞姫』の登場人物たる…えと、なんだっけ(汗、
主人公の友人ね、あいつの口を借りて言わせる形式にしてる、という点がどうしてもひっかかっていたから。
どうしてなんだろう、別に鴎外という筆名で忍月と渡り合っても構わなかったはずなのに、なぜ鴎外は作中人物、
しかも主人公ではなく、主人公の友人が語るという形式をとったのだろうって。
当たっているかどうかはワカランけれど、それには、きっと鴎外という筆名で述べることが、忍月の批判を、
ある意味で認めざるを得なくなってしまうからではないだろうかと。
>>182 かなり詳しそうだね。参考になったし、
『古典と現代文学』再読したくなった。
>>180 それは人違い。あんたの早とちり。
変な詮索しないでくれよ(笑
>>183 >なぜ鴎外は作中人物、
>しかも主人公ではなく、主人公の友人が語るという形式をとったのだろうって。
そのことは谷沢永一が既に着目し、論じてますが。
谷沢の鴎外論とか『文豪たちの大喧嘩』(新潮社)とかで。
後者は、『新潮』初出時の連載タイトル「近代日本文学論争譜」です。
186 :
吾輩は名無しである:04/11/13 00:42:11
川村湊はいいと思うよ。
スガや福田に比べれば。
187 :
吾輩は名無しである:04/11/13 02:46:01
原民喜も「日本浪漫派」だったのか。(原の文庫の解説を大江が書いていた
でちょっと驚いたよ。
木山捷平も「日本浪浪漫派」の同人で「政治と文学」について亀井
勝一郎とちょっとやりあった。(招魂の賦より)
その木山捷平の追悼文をノンポリっぽい小沼丹が書いていたの読んで
この時代は文壇で関係なさそうな人同士の交流があったんだなあ。
福田恆存もちょっと関わったいたみたいだし、
戦後の言動はそれぞれだったけど、そのほかにも伊東静雄
太宰治など多士済々ですな。
188 :
吾輩は名無しである:04/11/14 21:46:15
山本健吉の『私小説作家論』は読んだ事がある。
何人かの私小説作家を取り上げながら、
私小説には批判すべきところが多いにしても、
まずそれを充分に知らなければいけないし、
知れば、そこに日本の特筆すべき精神特性が刻まれてる、
というような感じだったかな。
189 :
177:04/11/15 02:01:14
>>188 『私小説作家論』は未読なのだけど、その題名が物語っているように、
三浦雅士の『青春の終焉』に拠れば、山本はもともと中村光夫と並んで、
小林秀雄の弟子的な位置から仕事を始めたらしい。
小林の『私小説論』も、
中村の『風俗小説論』も、
>私小説には批判すべきところが多いにしても、
>まずそれを充分に知らなければいけないし、
>知れば、そこに日本の特筆すべき精神特性が刻まれてる
という問題意識で共通する。
中村が『風俗小説論』で批判している横光の「純粋小説論」にしても、
私小説的文学風土の克服を目指して提唱されたものだと考えれば、
小林も中村も山本も横光も、みな同じ問題意識を共有していたといえる。
彼らに共有されていた問題意識は、
私小説的文学風土=近代的告白文学の乗り越え、という意味で、
「近代の超克」という当時一世を風靡したフレーズによって象徴することが出来るのかも知れない。
保田の「近代の終焉」という発想も、「近代の超克」と対比しながら捉えると理解し易くなるかも知れない。
他の人々が揃って「近代の超克」を目指していた時、保田は一人「近代の終焉」を宣言していた。
190 :
177:04/11/15 02:01:51
そして山本は、その「近代」という問題意識との自分なりの格闘として、
日本の古典に於ける「詩の自覚の歴史」を辿ることを志した。
日本文芸の伝統の近代的展開として私小説なるものがあるとすれば、
日本文芸の歴史の中で選ばれなかった非私小説的展開を孕んでいた選択肢に、
近代を超える可能性が眠っているのではないか・・
その可能性の探究が基本的な山本の仕事のモチーフだと思う。
そして、山本は、
近代の「私小説=純文学」的なものの日本文学の伝統に於ける発現として、
「短歌」、「能」、「俳諧」を挙げ、
近代の「大衆文学」的なものの日本文学に於ける発現として、
「長歌」、「狂言」、「歌仙」を挙げ、
「短歌」、「能」、「俳諧」が最高の達成を見せたのは、それぞれ、
「短歌」が「長歌」と深い内的繋がりを保っていた柿本人麻呂、
「能」が「狂言」と深い内的繋がりを保っていた世阿弥、
「俳諧」が「歌仙」と深い内的繋がりを保っていた芭蕉、
の時代であった……ということを論証しようとし、
もって「純文学」と「大衆文学」の分裂という近代的疎外状況を克服する道筋を探ろうとする……
……以上が、山本の仕事の基本的な姿勢だと思ったのだけど、どうかな?
そうだな。
ただ「自覚」ってのが、西田哲学かぶれ地味てて、どうもな…
192 :
177:04/11/15 03:09:02
>>191 「自覚」って西田哲学用語なんですね。
そういえば、「近代の超克」座談会をリードしたのは、
西田の弟子である京都学派の面々でしたね。
なんのかんのいって、戦前最強の思想家は幾多郎ということになるのでしょうか。
193 :
吾輩は名無しである:04/11/15 03:14:35
私小説ふっこうしないのーーーー???きゃははははははははは
もともとはカントの「統覚Aperzeption」の訳語なんだが、
通俗化したため、
例えば「貴様自覚が足りないぞ!」のように、
若者を折檻するときの決まり文句と化して、
廃れていった言葉です。
哲学者は今やこの言葉を嫌がっています。
195 :
177:04/11/15 03:25:04
>>194 即レス、サンクスです。
ということは山本の言いたかったことも、
「貴様、詩の自覚が足りんぞ!」ということだったと要約できる……ということかな?
「自覚」は西田によるカントの訳語、
「超克」は樗牛によるニーチェの訳語……
では、保田の「終焉」の元ネタは何だったのでしょう?
シュペングラーじゃないの?
197 :
吾輩は名無しである:04/11/15 04:35:57
統覚
198 :
吾輩は名無しである:04/11/15 04:54:20
カント読んで「貴様自覚が足りないぞ!」の意味にとってるのーーー
ー??? るわっははははははははは
「私小説」はあるのでは?
私小説なんてそもそもなかったのだ。
「私小説」を私小説だ、って主張するの、不毛だね。
論点として。まぁでも経歴詐称はやめよう、文芸業界。
199 :
吾輩は名無しである:04/11/16 15:48:43
>>185 おぉ、そうだったのか。
情報ありがとう。
早速図書館でも行って読んでみます。
200 :
吾輩は名無しである:04/11/16 19:48:41
>>189 小林の場合も中村の場合もかなり私小説批判になってると思うんだが。
>他の人々が揃って「近代の超克」を目指していた時、
>保田は一人「近代の終焉」を宣言していた。
当時は近代化=西洋化という図式があったわけだけど
中村なんかはそういうところをつついていたし、
吉田健一なんかもそういう視点があったんじゃないかな。
201 :
吾輩は名無しである:04/11/17 00:20:00
保田がいう「近代の終焉」というのは、近代であったことなどないってニュアンスだけどね
202 :
吾輩は名無しである:04/11/17 08:52:51
典型的なマッチポンプ
203 :
吾輩は名無しである:04/11/18 13:06:51
保田とか山本とか渋いよなあ。
それで文芸評論家と言われる人はどれくらいいるの?
205 :
吾輩は名無しである:04/11/18 19:48:08
ちょっと流れとは違うんだが、
外国文学の研究者で文芸評論家となると、
メジャーになりにくいと思うんだがどうだろう?
川村二郎とか清水徹とか由良君美とか。
206 :
吾輩は名無しである:04/11/18 21:47:48
英文学者、仏文学者、独文学者、露文学者、中国文学者……
それぞれの専攻で、微妙に思想傾向の特色がありそう。
仏文に進歩派が多くて、
独文に保守派が多くないかな?
英文は漱石以来のノンポリ的なリベラルな雰囲気があるように思うし、
中国文学は、竹内好、高橋和巳、と近代の超克=東西対立の止揚を志す熱さがあるような・・
露文の傾向はどうだろう? 二葉亭以来の懐疑派かな?
207 :
吾輩は名無しである:04/11/18 21:58:41
わざわざ大学で学ばれ、それなりのステータスとなる外国語というのは、
国際政治上のパワーバランスに於ける強国の言葉だよね。
何故、戦前ドイツ語を多くの人が学んでいたかというと、
当時はドイツが最強国だったからで、
戦後世間的に外国語と言えば英語、というのが常識になったのは、
第二次大戦で米英が勝ったから。
仏も戦勝国で、一時期仏舶来の実存主義が大いに流行ったけれど、
米英に負んぶに抱っこ状態で勝った仏は、経済的にもいまひとつで、
文化的スノビズムに活路を見出すが、いまひとつ大衆受けせず。
戦後唯一米とタメを張っていた露も、冷戦崩壊後、
その株は落ちる一方。タトゥーバブルもあったが、
いま実利的理由で露語を学ぼうという人間が何人いるか。
こう考えると、
今後英語に匹敵するプレゼンスを持つに至る可能性を有しているのは、中国語か?
これからは中国文学者の発言力が強まるかも。
208 :
吾輩は名無しである:04/11/18 22:25:49
たしかに中国語の影響力はこれから強まるだろうね。
ただ、中国文学者の発言力が強まるかどうかはちょっと疑問だなあ。
というのも、かつての近代化=西洋化を日本が目指していた時代と違い、
経済と文化が切り離されているのがいまのインターナショナリズムだから。
南米文学者(鼓)や東欧文学者(沼野)は最近影がうすいのかな?
209 :
吾輩は名無しである:04/11/19 12:28:33
柴田元幸は評論家にはならない?
ならない。柴田は理屈嫌いじゃん
ああいうタイプは先天的に批評家じゃないです
理窟を嫌った武藤康史は、しかし批評家でもある。
212 :
吾輩は名無しである:04/11/19 21:27:08
シブサワもタネムラも批評家じゃなくてエッセイスト?
213 :
吾輩は名無しである:04/11/23 23:48:57
澁澤はサドの研究者=批評家、種村はマゾッホの研究者=批評家、とはいえる。
フランス文学全般、ドイツ文学全般となると、微妙なんじゃないのか。
どちらも幻想文学に偏ってるところがあるからね。
サブジャンルに徹した人は、「批評家」とみなされにくい。
王道がある、という通念と切り離しがたいのでしょう。
和田利夫って無名なのかしら。「明治文芸院始末記」が面白いのだけど。
>>215 遺著『昭和文芸院瑣末記』も面白い(特に「あとがき」は……)。
個人誌『けいろく通信』の『日本近代文学大事典』批判なども面白い。
でも「批評家」ではない。
日文協以外に学会に所属せぬ民間の研究者で、狷介な一匹狼だった感じだから
知られぬのも無理はない。
>>216 あくまで研究者という位置付けになるわけですか。
他スレでも氏の名前を見かけなかったので、ここではと。
スレ違いにもかかわらずありがとうございました。
218 :
吾輩は名無しである:04/11/26 23:30:46
紀田の『日本の名著名言事典』(学術文庫)も手軽で良かったが絶版かな?
大便の種類(硬い順)
うんき
うんこ
うんち
うんにょ
ゲ・リーベンデール
220 :
吾輩は名無しである:04/11/28 21:21:27
174で名前の出た伊藤整については
まったく読んだ事がないんだが、
だれか読んだことのある人いるかい?
222 :
吾輩は名無しである:04/11/28 21:32:33
伊藤整のスレがあるなんて予想もしなかった!
産休>221 いまからちょっとROM。
224 :
吾輩は名無しである:04/11/30 22:50:52
日本の文学批評史を眺めていたら、
「政治と文学」というテーマの論文・書物がやたら多いね。
しかしながら、1970年以降はかなり減ってる気がするけれど、
そのへんはどうなんだろう。
>>224 「政治と文学」論の牽引車だった平野謙自身が「純文学変質説」を提唱するに至ったからだよ。
「政治と文学」の二項対立式問題設定は「文学の社会化」と称すべきテーマにシフトされる。
平野謙「昭和文学の意味」(『文学・昭和十年前後』)参照。
……以後、平野謙のプロレタリア文学中心主義は、そのモチーフを「死」=転向から、
「文学大衆化」というところに重心を移すことで、たとえば「文学アクチュアリティ説」
などという形を取って、かろうじて維持されていくのである。
――糸圭秀実「「純文学」をもこえて」『小ブル急進主義批評宣言』
蓮實は好きになれません。
227 :
吾輩は名無しである:04/12/03 18:38:08
>>225 「政治と文学」というテーマが
「文学の社会化」ともいえるテーマにシフトしたってことの背景に、
安保闘争の挫折とか高度経済成長とかいう背景もあるんだろうけど、
「政治と文学」をめぐる言説自体が力を持たなかったともいえると思う。
吉本のマスイメージ論なんかが象徴的なんじゃないのかな?
一応確認するが、まさか、吉本のマスイメージ論なんかがいまだ力を持った言説だと見るわけではないよね?
あんなの、「政治と文学」以上に無力でつまらんよ。
……あとは、「非知(ボケ)」の「大衆」によって飽和した「マス・イメージ」の
世界を玩味する作業が残されているだけである。
――糸圭秀実「「純文学」をもこえて」『小ブル急進主義批評宣言』
229 :
吾輩は名無しである:04/12/04 01:43:14
すがもマス・イメージを玩味しているだけだと思うが。
スガ秀実がマス・イメージを論じたのって、どんなのがあったっけ?
例を挙げてくれ。
231 :
吾輩は名無しである:04/12/04 02:17:17
やつが言うジャンクって全部そうじゃん
イエロージャーナリズム好きなのもその徴候だし
暴露話につきまとう快に対してだらしないという印象がある。
ジャンクってJ文学のことだろ。J文学がマス・イメージかあ?
ゴシップがマス・イメージなのかあ?
なんか違ふ。
233 :
吾輩は名無しである:04/12/04 11:24:16
スガは、遅れてきた批評家。
政治と文学、という昔からのテーマに
何の新しさももたらしていない。
234 :
吾輩は名無しである:04/12/04 14:55:56
文芸評論家の評論家というジャンルがないとおかしいな
235 :
吾輩は名無しである:04/12/04 15:06:14
「批評家の値打ち」を作家の誰かに書いて欲しいものだ。
アキラックスでもいいが、彼はそんな野暮な仕事はしないだろうな。
236 :
本当の事を言おうか:04/12/12 23:53:51
メタクリティックか。
しかし、素材として料理しがいのある評論家って誰かな?
237 :
吾輩は名無しである:04/12/13 00:13:48
じゃあこの板で採点すりゃ良いじゃん。
小林秀雄なら
ドストエフスキイの生活・・・90点
無常という事・・・85点
本居宣長・・・60点
とか。
鴎外研究で知られた長谷川泉氏がお亡くなりになったと。享年八十六。
富岡幸一郎ってつまらないね。
樋口覚はどうなの?
どうって? 君はどうなんだい?
>>237 「作家の値打ち」は現役作家のみを扱ったのがイイ点なので
243 :
吾輩は名無しである:04/12/17 00:40:34
福田とスガに「批評家の値打ち」を書かせるしかないか。
福田はスガに何点つけるか? スガは福田に何点つけるか?
244 :
吾輩は名無しである:04/12/21 15:55:44
中村光夫は昔よく読んでたなぁ
エッセイでは『戦争まで』
批評では『二葉亭四迷伝』が好きだった
我ながら平凡なチョイスだな、これは
245 :
吾輩は名無しである:04/12/21 17:50:48
ツボウチ逍遥
246 :
吾輩は名無しである:04/12/21 19:43:02
永江なんたらというのが最近目に付くな。
『批評の事情』ってのもメタ批評みたいなもんか。
247 :
吾輩は名無しである:04/12/22 11:15:37
正宗白鳥っておもしろいなあ
北原武夫の批評集成が、読みたい。小説はどうでもいいから。
249 :
吾輩は名無しである:04/12/23 13:26:29
世界に影響力を与えられる批評家が日本から出て欲しいものだ。
中絶した『磯田光一著作集』(小沢書店)を完結させる奇特な書肆はないものか。
252 :
吾輩は名無しである:04/12/29 01:46:39
坪内逍遥と坪内祐三って関係あるの?
坪内祐三の父親がどっかの出版社の社長って本当?
そんなこたぁ坪内スレッドで訊けや。
254 :
吾輩は名無しである:04/12/29 23:59:01
>世界に影響力を与えられる批評家
個別の作家研究ならばいないこともないかな。
255 :
吾輩は名無しである:05/01/03 00:27:41
もっと批評は文庫化されるべきだな。
文芸文庫に頑張ってもらうしかないか。
坪内逍遥と坪内祐三って関係あるの? 関係無い。
坪内祐三の父親がどっかの出版社の社長って本当? 東洋経済新報社のサラリーマン社長だった。
257 :
吾輩は名無しである:05/01/03 19:02:46
このスレ的には中村真一郎や丸谷才一はどうなんだ?
258 :
吾輩は名無しである:05/01/09 23:00:19
吉田健一の良さがわからない
現代詩人の高橋睦郎も最近評論を始めてるよね。
王朝文学中心だから近現代中心のこの板的にはあれだろうけど。
詩人で評論家って珍しくもない。詩だけでは食ってけないからね。
261 :
吾輩は名無しである:05/01/16 05:05:37
ラーメン評論家とかくだらねぇと思っていたが
文芸評論家は当人その気になってるだけにもっと性悪いな
小林秀雄とか江藤淳みたいなのはキチガイだろ
まだ騙されるのいるのかな
江藤淳『小林秀雄』は実に全く駄作。馬鹿馬鹿しくて読んでられない(特に第一部)。
264 :
吾輩は名無しである:05/01/23 13:24:02
やっぱ文芸批評は文明批評にまで昇華されてこそ意義がある。
上野とか水田あたりに活躍してもらいたい。ウフッ。
265 :
吾輩は名無しである:05/01/23 13:33:23
その二人って誰よ?
上野俊哉とリピット水田か?
カルスタですね
266 :
吾輩は名無しである:05/01/23 13:36:17
もちろん上野千鶴子と水田宗子。ウフッ。
267 :
吾輩は名無しである:05/01/23 13:48:36
上野相手なら男では歯が立たないよ
文学部以外で唯一応援したい先生だね
268 :
吾輩は名無しである:05/01/23 17:39:43
柄谷と上野の対談なんてこれまでなかったのかな?
>>288 アキラックスと柄谷と千鶴子の鼎談ならあったはず。
詳しい内容は失念したが、柄谷が意外に気を使っているのが
印象的でした。
痛恨の未来レス。
>>268 だった。
『シンポジウムII』批評空間叢書13、太田出版で読めるはず。
もう絶版だろうけど。
271 :
吾輩は名無しである:05/01/23 20:20:24
フェミニズムは愚劣だよ。
273 :
吾輩は名無しである:05/01/23 20:47:47
アキラックス×柄谷×水田×上野の四人のやつ?
アキラックス苛立ってるなあっておもた記憶が。
274 :
吾輩は名無しである:05/01/23 23:32:36
フェミニズム批評によって
文学におけるファロゴサントリズムが見えてくる。ウフッ。
何だ、馬鹿か。馬鹿では仕方がない。
276 :
吾輩は名無しである:05/01/24 23:39:09
そういえば
>>1には女性評論家の名前が無いな。
社会学者を除くと女性の文芸評論家ってもしかしていないのか?
277 :
吾輩は名無しである:05/01/24 23:46:05
あきら苛立ってたね
>>276 斎藤美奈子、小谷真理、豊崎
って書いたら罵倒が飛びかうだろ?
スレ違いだったらすみません。
日本近現代文学を対象とした評論家で、スピノザを援用している人あるいは、
著書・評論をご存じありませんか?
できれば、部分引用ではなく、思想的に依拠しているような人を教えていただけると
幸いです。
280 :
吾輩は名無しである:05/01/25 17:28:58
ドゥルーズに影響されている人たちだな
丹生谷とか
丹生谷貴志ですか?
レポートネタならかんべんな
>278
豊崎・・・
あえて聞くんだが、どうよ、「百年の誤読」。どう読んだ?
近世文学の「恋」と近代文学の「恋愛」の違いって何?
285 :
吾輩は名無しである:05/01/25 20:38:33
レポート厨史ね
以上
286 :
吾輩は名無しである:05/01/25 21:35:57
斎藤、小谷、豊崎か・・・大物はいないな。
ところで、男流文学論って影響力はあった?
287 :
吾輩は名無しである:05/01/25 21:43:52
あれは社会学者が一方的に自分の優位性を述べるだけの本だった
288 :
吾輩は名無しである:05/01/26 01:06:11
男流文学論はタイトルからしてアジテーショナルだが、
多くの女性作家もまた「男流」であったという視点において
女性VS女性という図式があると同時に
水田宗子あたりからは「的がずれてる」という批判的指摘がある点でも
女性VS女性という図式があった。
内藤千珠子
>>240 樋口覚は村上一郎、桶谷秀昭の系譜に連なる人だが、二人よりモダニストの色彩
が強い。彼は福田恆存の仲人だった西尾実の、晩年の口述筆記をしていた。大岡
昇平について、大西巨人にインタビューしていたが、戦後文学に軸足をおきつつ
も、保田與重郎ら日本浪曼派へも食指を動かしているフシが見られる。しかし本
格的な保田論は当分先になるのではないか。死んだ歌人の齋藤史は、樋口の幼少
期の近所の住人だった。
「物は言いよう」斎藤美奈子を読んだ。
刺激が足りない。
なぜ女流文芸評論家はダメなのか。戦前の板垣直子とかも馬鹿にされてたね。
>>289 ナオコーラにインタビューしていて、なんか萎えてしまった。
田中美代子は?三島の解説でよく見るけど。
>>292 板垣の保田や浅野晃への批判は、当時は相当勇気が必要だったはずだ。批判それ自
体は当たっている部分もある(特に浅野に対して)。
>>293 三島本人は田中を非常に高く買っていた。三島の没後、遺書が出てきて、旧版全集
の解説の担当を田中に指名していた。自分が任されると思っていた村松剛は落胆し
たそうだが、三島は村松が偽物、インチキであることを見抜いていたようだ。しか
し、三島の死で一番稼ぎまくったのは、「親友」村松だった。
今、おっぱい!って言ったな。おっぱい!って、
おっぱい!
おっぱい! おっぱい!
おっぱい おっぱい! おっぱい!
おっぱい! ∩ ∩ ノ) おっぱい!
おっぱい! 川 ∩ 川彡'三つ おっぱい!
おっぱい! ⊂ミ∩、⊂ミ∩彡⊃ おっぱい!
おっぱい!⊂三ミ( ゚∀゚)彡三彡三⊃ おっぱい!
おっぱい! ⊂彡川⊂彡川ミ⊃ おっぱい!
おっぱい!⊂彡川∪⊃ U川彡⊃ おっぱい!
おっぱい! (ノ ∪ 川 ∪ミ) おっぱい!
おっぱい! ∪ おっぱい!
おっぱい! おっぱい! おっぱい!
おっぱい! おっぱい!
おっぱい!
山城むつみって女かと思ってた。。
297 :
吾輩は名無しである:05/02/06 01:02:06
女というより女々しいヤツだよね。
仲俣暁生
300 :
吾輩は名無しである:05/02/06 09:18:16
ムツミよりヒデミのほうがマシ。
301 :
吾輩は名無しである:05/02/06 12:35:50
>>294 村松は三島の死をダシに小銭稼ぎなんかしないだろ
藤島泰輔は多少稼いだかもしれんがそれにしたって大した事ない
一番稼いだのは三島の著作の印税受け取った人だろ
殆ど売れなくなっていた三島の本がバカ売れしたからね
オマエラみたいなバカが騙されて買い込んだわけだ
時間と金は大事にしろよ
稼いだって、印税貰ったって、別にいいぢゃない。
金銭は悪ではあるまい。
大事なのは書いたものの内容だよ。
三島事件で一番稼いだのは誰だ、という週刊誌の特集が事件後ありました。
304 :
吾輩は名無しである:05/02/21 00:05:28
日本の批評家で脱構築的読解をする人っていないの?
柄谷・蓮實以後の批評ではむしろ脱構築など常識では。
307 :
吾輩は名無しである:05/02/21 01:01:03
ポール・ド・マンレベルの香具師はいないと思う。
そんなこと言ったら欧米だって滅多に居ない。
309 :
吾輩は名無しである:05/02/21 05:00:42
>305
しりません
>305
ぜひその常識を教えてください
お願い致します
310 :
吾輩は名無しである:05/02/21 05:01:22
>305
しりません
>306
ぜひその常識を教えてください
誰ですか?
お願い致します
もう柄谷行人と蓮實重彦の名が挙がってるやんか。
312 :
吾輩は名無しである:05/02/21 14:41:32
二人ともド・マンより教養が低い
しかしポール・ド・マンは日本文学について二人ほど知るまい。
ド・マンも蓮實ほどはフローベールやフランス文学について知るまい。
315 :
吾輩は名無しである:05/02/21 14:59:28
>>314 バカがいます
ド・マンはプーレの高弟だろう?
316 :
吾輩は名無しである:05/02/21 14:59:58
しかも『ボヴァリー夫人』の翻訳者です。
フランス文学についてなら、いい勝負でないの?
フローベールでは蓮實が専門だしな。
318 :
吾輩は名無しである:05/02/21 15:05:46
柄谷と蓮實が脱構築?
いや当然脱構築はふまえてると思うけどさ
ちょっとちがうんじゃない?
森鴎外、幸田露伴、斉藤緑雨の三人冗語は著名で無いのか?
「斉藤緑雨」は著名でないな。斎藤緑雨なら有名だが。
321 :
304:05/02/21 21:24:32
なんか意外に反響があったり(微笑
でも柄谷と蓮實は自らの批評スタイルを
「脱構築的」とは呼ばないでしょうねえ(笑
ってことはやはり、日本では脱構築的批評家っていないのかなあ?
322 :
吾輩は名無しである:05/02/21 22:25:47
305 306 311は無知で馬鹿な高校生の恥知らず
323 :
吾輩は名無しである:05/02/22 01:42:37
324 :
吾輩は名無しである:05/02/22 03:29:25
>323
東の「脱構築的批評」ってどれ?
昔やってた文芸時評も最近のラノベ評もしごくまっとうだろ
325 :
吾輩は名無しである:05/02/22 03:35:34
>>324 脱構築がまっとうじゃないみたいな言い方だな
326 :
吾輩は名無しである:05/02/22 03:53:01
日本の文芸批評の世界においては(特に今話題になっているような
ポールドマン的に方法論化された)脱構築的批評は
まっとうではない
ところで君の言う「脱構築的批評」てたとえば何?
327 :
吾輩は名無しである:05/02/22 03:56:46
ただ上の「まっとうではない」に否定的な意味はないよ
とはいっても「方法論化された脱構築的批評」は
くだらないものかもしれないね
328 :
吾輩は名無しである:05/02/22 04:12:23
『詩的言語の脱構築』のバーバラ・ジョンソンとか。
329 :
吾輩は名無しである:05/02/22 13:37:41
そもそもまっとうな意味で(その方法論も含めて)
日本で脱構築的批評を実践した香具師なんて
一人も存在しないし。
330 :
吾輩は名無しである:05/02/22 14:01:22
328さんは『詩的言語の脱構築』は読んだの?
331 :
吾輩は名無しである:05/02/22 14:25:29
フランス語でな
332 :
吾輩は名無しである:05/02/22 14:30:58
その割にはあんま頭良さそうじやないね
333 :
吾輩は名無しである:05/02/22 14:34:54
厨書き込みも面白いしな
B.ジョンソンは20代の時はすごかったんだと思うぜ?
Poetiqueに論文が載ったりしていたし。
その後つまらなくなったが。
334 :
吾輩は名無しである:05/02/22 18:19:13
ふむふむ。
そうすると、日本の文芸批評では
デリダの脱構築よりバルトの記号論・テクスト論のほうが
影響が大きかったということでOK?
あと日本の小説作品で脱構築的に読むと面白そうなのってある?
脱構築と名乗ってなくても脱構築的だろ、柄谷とか蓮實とかは。
名前でなく実質を読むべし。
336 :
吾輩は名無しである:05/02/22 19:20:34
>>335 柄谷とか蓮實を「脱構築的」と呼ぶとき
その「実質」って何?
漏れの印象では、
柄谷はドゥルーズ的、蓮實はフーコー的、
脱構築的ではないような。
>>336 『隠喩としての建築』や『反=日本語論』の頃を想定してるのでは。
>>336 「脱構築」をどう理解するかだね。
対立する二項が実はその対立を設定する同じ土俵に属することを示し、
土俵ごとひっくり返すことで二項対立そのものを宙吊りにすること、
とでも解すれば、まあ脱構築的でもあるかな。
339 :
吾輩は名無しである:05/02/22 19:48:04
>337
それ文芸批評じやないだろ
柄谷は『内省とソコウ』(文芸批評ではない)は脱構築的といえるがその後の『探究』からは全く別物。 >336
はすみがフーコー的?
完全に誤解してるよ
いい加減なこと書いてるやつら お前ら迷惑だぞ
341 :
吾輩は名無しである:05/02/22 19:51:55
>>339 >はすみがフーコー的
「物語批判序説」や「凡庸な芸術家の肖像」の
歴史的叙述は、フーコー的な分析の実践以外の
何ものでもないと思うけど。
342 :
吾輩は名無しである:05/02/22 19:55:21
>338
それびみょーにまちがっとるよ
>>339 文学評論における作家論・作品論至上主義なのかな。
>>341 歴史をやったらフーコー? むしろバルト。
>>342 どこが違ってるか具体的に指摘しないと話にならない。
345 :
吾輩は名無しである:05/02/22 19:57:50
>341
たしかにそうだ、失礼
でも俺ハスミはドウルージアンてイメージがあるんだが
>>343 バルトかなー。確かに「物語批判...」では
バルトは称讃の対象にはなっていたけど。
実践されていたのはフーコーだと思うがなぁ。
バルトって実践できるものじゃないでしょ。そもそも。
347 :
吾輩は名無しである:05/02/22 19:58:52
>340
枠もなにも文芸批評じやないだろ
>>347 では君にとって「文芸批評」とは何を指すのかね。
挙げられた『反=日本語論』を例に取れば、
大岡昇平「萌野」や野坂昭如「俺はNOSAKAだ」への批評を含む。
同じ頃には『表層批評宣言』もある。
ところで、何で拗音が小書きでないのか。
>>346 フーコーは説話論(narratologie)等と言ったりしまい。
「物語の構造分析」はまだしも実践できるバルトではなかったか。
そんなこと言ったらフーコーだって実践できない。ニュー・ヒストリシズムにも拘らず。
350 :
吾輩は名無しである:05/02/22 20:08:24
>342
自分でかんがえれ
今ケータイなんで長レスする気にならん
>>350 >いい加減なこと書いてるやつら お前ら迷惑だぞ
352 :
吾輩は名無しである:05/02/22 20:13:09
>351
どこがいいかげん?
>>349 まぁそうなんだけどね。
理屈ではそうだとして、しかし
蓮實がバルト的だと言われても、
もうなんか全然違うような違和感があるんだけどね。
例えば、あの蓮實文体ってバルトの軽快感とは対極でしょ。
>>352 具体的な指摘を求められると、「長レスする気にならん」と逃げるところ。
いい加減でなければ、後からでも返答するはずだね。
>>353 だったら、そもそも蓮實重彦を誰々的と規定することが間違ってたのでは。
挙がったフーコー、ドゥルーズ、バルトの中では、敢て言ったらバルトだって気がするけどね。
356 :
吾輩は名無しである:05/02/22 20:21:16
熱くなる前に脱構築の解説程度のことは自分で調べたら?>354
>>356 おや、調べてないとなぜわかる?
「まちがっとるよ」と文句をつけた
>>342の方に説明責任があるね。
あやふやな印象論や放言でないのならば。
358 :
吾輩は名無しである:05/02/22 20:27:13
>357
で調べたわけ?
>>358 はぐらかしてもダメ。
調べても
>>338を是とする者もあれば非とする者もある。
非とするならするで、具体的に理由を挙げなきゃ、話は始まらないよん。
360 :
吾輩は名無しである:05/02/22 20:30:59
はぐらかしてないよ
で調べたの?>359
363 :
吾輩は名無しである:05/02/22 20:41:56
君に調べる能力や読解力がないなら説明してやってもEが今は勘弁してくれ これうつだけでも大変だ
で、調べてないってことでいーんだね?
364 :
吾輩は名無しである:05/02/22 20:45:48
362なんだ「自分の言葉」って 中学生作文困苦ールか 笑
>>363 なら、必ず後で説明するんだね。約束だよ?
調べたところで、
>>338を「まちがっとる」とまでは見做せなかったよ。
あんたこそ、ナニ調べたんだか。
どうでもいいけど、いくら携帯から書き込んでるにしても、馬鹿っぽい文体だなあ。
つまり
>>364は中学生なみってことなんだよ、そんな風に注意されるってことはさ。
368 :
吾輩は名無しである:05/02/22 20:58:39
369 :
吾輩は名無しである:05/02/22 21:09:53
で、脱構築的批評家は?
何を以て「脱構築的」とするかによる。
371 :
吾輩は名無しである:05/02/22 21:40:15
ふむふむ。
これまでの流れをザックリみてみると
「脱構築的」という言葉のコンセンサスがとれてないみたいだナ。
まあ、デリダとド・マンのスタイルにも差異があるわけだし、
突っ込んでいくと、デリダによる「脱構築」は「方法」とはいえないわけで
いろんな留保が必要になってくるんで面倒。
そこでテキトーにやっつけておくと、
作品の綿密な読解を通して、
その作品(や作家)が暗黙の前提としているものを暴き、
それによって作品の「主張」にズレを見出すというか、
その主張に相反するようなほころびを見つけるというか、
そんなところだと思うんだナ。
というような理解の仕方だと
そういう面はドゥルーズにもフーコーにも蓮實にも柄谷にもある。
しかし、彼らは自分の仕事を「脱構築」とは呼ばない。
ん〜難しいナ。
ちと「テキトーにやっつけ」すぎでは。
373 :
吾輩は名無しである:05/02/23 09:41:55
では遅くなりましたが脱構築についていきあたりばったりかつ乱暴に説明させていただきます。
まず脱構築とは「(徹底して)対象に忠実であることによって」つまり「対象の内側から」その意味をずらしてしまう戦略である。
これを理解してないとお話にならない。
>>338の、
>対立する二項が実はその対立を設定する同じ土俵に属することを示し、
>土俵ごとひっくり返すことで二項対立そのものを宙吊りにすること、
これだけの説明だと例えばウイトゲンシュタインが『論考』で
哲学的に対立した立場から語られてきた様々な問題を「語りえぬもの」として「土俵ごと」(とりあえずは)片付けてしまった、
これも脱構築ということになってしまう。
「秩序」に対して「混沌」の復権を唱えて二項対立の秩序を転倒してもそれは二項対立の強化にしかならない。
「秩序」がなければ「混沌」もありえない、「混沌」の顕彰は「秩序」への決定的な批判たりえない訳だ。
だからこその「脱構築」であり、その意味では
>対立する二項が実はその対立を設定する同じ土俵に属することを示し、
この箇所はまあデリダの問題系ではあるんだが、しかし必ずしも「土俵を示す」イコール「脱構築」ではないんじゃないか?
>土俵ごとひっくり返すことで二項対立そのものを宙吊りにすること、
そしてこの部分は間違っている。土俵をひっくり返してしまったらそれはすでに土俵ではない。
その時点ですでに必然的に「新しい土俵」「メタ土俵」の上に取り込まれてしまっているんだ。
二項対立の土俵[○/×]→(転倒)→メタ土俵【ひっくり返された[○/×]/ひっくり返した主体】
そしてこのメタ土俵の上に新たに回帰した二項対立はいずれひっくり返されてしまうことになる。
脱構築とは土俵を破壊したりその土俵から逃走したりするのではなくあくまでも「土俵」を批判しつつも
「土俵の上」にいることを引き受け続ける戦略で、「ひっくり返」してしまったら「destruction」、
そうではなくあくまでもde「construction」だよ。
374 :
吾輩は名無しである:05/02/23 10:06:47
>>373 訂正
×「秩序」に対して「混沌」の復権を唱えて二項対立の秩序を転倒してもそれは二項対立の強化にしかならない。
○「秩序」に対して「混沌」の復権を唱えて二項対立の構造を転倒してもそれは二項対立の強化にしかならない。
>>373-374 土俵に拘泥して「宙吊りにすること」を無視してはいかんな。
ヴィトゲンシュタイン理解も、なんだかな。
376 :
吾輩は名無しである:05/02/24 07:49:20
>>375 「宙吊りにする」は脱構築の説明として適切だが「土俵をひっくり返して宙吊りにする」は不可。
君の言ってることは「落馬」を説明するのに「牛」を引き合いに出してきて「「落ちる」は合ってるだろ?」などと
幼稚なダダをこねているようなものだ。
そして
>>373の記述はウイトゲンシュタインの哲学についての個人的な「理解」や「解釈」を披露しているわけではない。
自分がウイトゲンシュタインの哲学を「理解」していると主張するつもりもない。
ウイトゲンシュタインが『論考』で哲学的な問題を「語りえないもの」としてカッコに入れることによって
(とりあえずは)片付けてしまった事は端的な「事実」だ。
そして
>>338の説明ではその『論考』も脱構築だということになってしまう。
よって
>>338の説明はつかえない。わかる?
大体こちらがちゃんと問いに応えてそれなりに形のある返答を与えているのに「なんだかなあ」はないだろう。
異論があるなら「なんだかなあ」じゃなくちゃんと言葉にしたらいいんだ。
対立する(?)相手に自らの意見を理性的に主張することもできない人間は「子供」と呼ばれるんだよ。
大人になりたまえ。
比喩表現にこだわらないほうがいいと思うけどな。
デリダの「戦略」にひっかかってるぜ。
で、脱構築したあとどうするかが問題だな。
378 :
吾輩は名無しである:05/02/24 18:23:29
ふむふむ。
>>373-374 でかなり「脱構築」について理解が深まった感じだネ。
>>338への批判点もわかりやすい。ただ細かく言えば全面的同意ではないけど。
>>338の「二項対立図式の土俵そのものをひっくり返す」ってのは
プラトニズムに対するニーチェ的なものとして、これはドゥルーズだろうね。
で、「二項対立図式の土俵そのものをひっくり返す」ことが
メタ土俵をつくるとも、二項対立図式を強化するとも、いえないと思うんだナ。
土俵をひっくり返し「続ける」スタイルなわけだから。
で、思想・哲学を文脈にしたときの「脱構築的な読み」というのは
文学作品に対する「脱構築的な読み」にもパラフレーズできるんだろうけど、
ニュアンスを変えなくてもOK?
>>376 「ウイトゲンシュタイン」? なぜかイを小書きにしないのは癖かな。
「語りえないもの」は『論考』の最後に唐突に出てくるに過ぎず、
「哲学的に対立した立場から語られてきた様々な問題」を無効化したのは
むしろ後期の『探究』に見るべき。蠅取り壺の比喩とかからも。
あと、要は
>>371も
>>373も内在的読解による解体って点の強調を
>>338に追加しただけだろ。
380 :
吾輩は名無しである:05/02/24 21:56:51
381 :
吾輩は名無しである:05/02/25 08:04:46
>>377 「比喩表現」とはどの比喩のこと?土俵?ひっくり返す?宙吊りにする?落馬?
比喩表現にこだわらないほうがよいのは何ゆえに?
>デリダの「戦略」にひっかかってるぜ。
どういうことでしようか?説明を。
>で、脱構築したあとどうするかが問題だな。
今は問題なのはあくまでも「脱構築」あって「脱構築したあと」はまた別なのでゎ?馬鹿ですか?
などと煽っても仕方ないですね。返答お待ちしてます。
382 :
吾輩は名無しである:05/02/25 08:05:17
>>378 >
>>338の「二項対立図式の土俵そのものをひっくり返す」ってのは
> プラトニズムに対するニーチェ的なものとして、これはドゥルーズだろうね。
>プラトニズムに対するニーチェ的なものとして
説明希望します。
ニーチェってプラトニズムを対立的な立場から論じてたっけ?(あやふや)
また二項対立自体を問題にしたこともなかったと思うけど。
ドウルーズの二元論に対する姿勢は「二項対立の土俵をひっくり返す」のではなくて
(「客観対主観」といった)二項対立の成立「以前」を思考するものじゃない?(ベルグソン?)
二項対立を転倒させる形で展開されたドウルーズ、というと例えば何がそれにあたるのでしょうか?
>で、「二項対立図式の土俵そのものをひっくり返す」ことが
>メタ土俵をつくるとも、二項対立図式を強化するとも、いえないと思うんだナ。
>土俵をひっくり返し「続ける」スタイルなわけだから。
うーん、「ひっくり返し「続ける」」ならば脱構築の説明として不適切ではないのかな。
とも思いましたが、やはり「ひっくり返す」ではダメでしょう。それだと超越論的な足場からの論理操作になってしまう。
そして「土俵をひっくり返し続ける」には新たな土俵(もともとの土俵が裏返った「裏土俵」でも「メタ土俵」でも)
の存在が前提になります。
繰り返しますが、あくまで土俵を「ひっくり返さず」その上で「批判」(「否定」ではなく)を続けるのが脱構築でしょう。
と、なんだか揚げ足取りばかりになってしまい申し訳ありません。
自分の場合デリダもドウルーズも大して理解しているとは言えませんので反論あるようでしたらどんどんどんぞ。
最後の3行に関してはそのニュアンスでオッケーではないでしょうか?
ドウルーズ(ぷ)。ドゥルーズと書けないのかな。
384 :
吾輩は名無しである:05/02/25 08:27:24
>>379 >ウイトゲンシュタインが『論考』で哲学的な問題を「語りえないもの」としてカッコに入れることによって
>(とりあえずは)片付けてしまった
君は上の記述は全く事実に反するといいたいのかな?返答してくれ。
>「哲学的に対立した立場から語られてきた様々な問題」を無効化したのはむしろ後期の『探究』に見るべき
「無効化」などとは書いてないぞ?引用は正しくするように。
『論考』は哲学の「無効化」などではないし誰も「無効化」などについては語っていない。
仮に君のいうように『探究』のほうが
>>373にあげる例として適切だとして、その場合でも『論考』を『探究』に置き換えれば
>>373の論は成立してしまうじゃないか。
>
>>371も
>>373も内在的読解による解体って点の強調を
>>338に追加しただけだろ。
強調もなにも「内在的読解」という視点が
>>338には全く存在しないじゃないか。君の読解力は一体どうなっているんだ?
まったくねぇ…。
煽ろうとしてことごとくすべってるじゃないか。
自分の頭の悪さばかり披露してどうするんだ?
385 :
吾輩は名無しである:05/02/25 08:35:24
>>380 >>348自ら答えてるじゃないか。
>挙げられた『反=日本語論』を例に取れば、
>大岡昇平「萌野」や野坂昭如「俺はNOSAKAだ」への批評を含む。
「文学作品」「文学」を対象にしているものが文芸批評だって。
>>339の「それ文芸批評じゃないだろ」は勿論
>>336であげられた『隠喩としての建築』に対してのものだ。
そんなことも「読めない」のお前?
脱構築とかドウル−ズは百年早い。国語の教科書からやりなおしなさい。先生からの宿題だ。
386 :
吾輩は名無しである:05/02/25 08:39:33
>>380 で、『反日本語論』の大岡論や野坂論は脱構築的批評なの?
ゴミムシみたいに俺にまとわりつく前にそれ教えてやれよ。
ま、「読めない」のなら仕方がないが。
これからも『反日本語論』は本棚の飾りとして活用してくれたまえ。
387 :
吾輩は名無しである:05/02/25 08:45:28
実は『反日本語論』昔読んだだけど全く内容を忘れてる。あはは。
面白かった記憶はあるのに。大岡でてきたなあ、という漠然とした感触はあるんだが。
同じ蓮実の『小説論=批評論』(だったかな?かなりあやふや)の冒頭におさめられてる
小林秀雄論は脱構築的だったような気がするので、見つかったらチェックしてみます。
388 :
吾輩は名無しである:05/02/25 08:49:15
>>383 君は今後俺がドウルーズ、とかスピヴアク、とかチユツパチヤツプス、とか書くたびに突っ込むように。
命令だ。
389 :
吾輩は名無しである:05/02/25 08:52:44
キヤノンで正解
390 :
吾輩は名無しである:05/02/25 08:55:16
>>378 補足
「二項対立の『強化』」、は強弁だったかも。
「二項対立の『温存』」「新たな二項対立の回帰」に訂正します。
連書き失礼しました。
391 :
吾輩は名無しである:05/02/25 09:00:46
クツツエー(クッツェー)。これはさすがに読めないな。
>>388 入力方法を知らないのか。レテラシー低いな。
>>385 >
>>339の「それ文芸批評じゃないだろ」は勿論
>>336であげられた『隠喩としての建築』に対してのものだ。
書名を挙げたのは「
>>336」ではなく
>>337だね。
で、
>>337では『隠喩としての建築』だけでなく「『反=日本語論』の頃」と書いてあるな。
なぜ蓮實重彦の書名の方は無視したの?
どう見ても『反=日本語論』をも「文芸批評じゃない」としりぞけてるけど?
無理に取り繕ってもダメ。
>>384 >「無効化」などとは書いてないぞ?引用は正しくするように。
無効化、って部分は
>>379ではカギ括弧内に入ってないから、「引用」ではないね。
批判されたからって亢奮しないで、冷静に見ること。
>その場合でも『論考』を『探究』に置き換えれば
>
>>373の論は成立してしまうじゃないか。
前期の『論考』と後期の『探究』を一緒くたにする有様では、
ウィトゲンシュタイン理解がなってないとされても仕方無いでしょ。
落ち着いて自省してごらん。
395 :
吾輩は名無しである:05/02/25 09:35:31
>>385 やはり『隠喩としての建築』を含めないってのは
文藝批評の枠が狭すぎやしないかね。
日本では小林秀雄以来、殊更に文学作品を論じなくても「文藝批評家」なんだし。
ァィゥェォ ヶ ッ ャュョ ヮ
398 :
吾輩は名無しである:05/02/25 09:46:58
>>396 じゃ、『トランスクリティーク』は文芸批評?
連載したのは『文学界』で文藝誌だったよなあ。
>>398 構造主義と脱構築以降の「批評」においては、「哲学」「思想」化も進んだし、
もはや「文学」だの何だのジャンルに拘泥しとってはいけないのかもしれん。
いや、『文学界』でなく『群像』連載だったな。
『隠喩としての建築』の表題作も『群像』連載。
ぁ ぃ ぅ ぇ ぉ っ ゃ ゅ ょ
ゎゎゎ
>>399 じゃ、『早稲田文学』に掲載されたテリー・イーグルトンの『アフター・セオリー』も文芸批評?
>>403 それでもジャンルに拘泥するのね。イーグルトンのそれは読んでないから知らん。
>>404がジャンルに拘泥しないのなら『隠喩としての建築』が文芸批評であろうと
なかろうが関係ないと思われますがどうでしょうか?
連載したのは『文学界』であったことが『トラクリ』が文芸批評の根拠であると
するならですが、『アフター・セオリー』も必然性を持って文芸批評ということ
は不可避となることは避けられませんが、 その点についてはどのようにお考え
なのでしょうか?
ぁぃことばゎ、ぉょょ
掲載誌だけ見るなら文学の範疇に入るわけだけど、
それはつまり、もはや文学って枠に固執する意味は無いってことなのかも、との疑念が湧いた。
ジャンルに拘泥しないのなら『隠喩としての建築』がナニ批評であるかはどうでもいいやね。
したがって、ここでそれをことさらに(
>>347みたいに)しりぞける理由も無くなるはずよ。
また、今現在の論点として争われています、脱構築、これに関しての観点からの
お考えは是非、お聞かせ願いたいということもあるのですが、また新たな論点と
して浮上してきました、大文字小文字問題につきましても何卒ご意見を伺う所存
であります。つきましては、ドゥルーズとドウルーズ、これは二項対立であるや
否や、更にはこの土俵をひっくり返したと仮定した状況におきましては果たして
どうなるのか。これは小林秀雄以降の文芸批評において可及的速やかな対処が望
まれるァポリァでもある次第だと想定されますが如何。
脱構築的批評は自らのジャンルも脱構築する、ってか。
ところで、
>>407がジャンルに拘泥しないのなら『隠喩としての建築』が文芸批評であろうと
なかろうが関係ないと思われますがどうでしょうか?
>>407 ジャンルに拘泥しないということを仮定の上での、ナニ批評である
かはどうでもいいやね、という事態においての境界侵犯状況ですが、
さくらももこの『さるのこしかけ』、デューク更家の『ウォーキン
グ健康法』、家田荘子の『歌舞伎町のシノギ』などもしりぞけられ
なくなってしまうという帰結に達しますことにつきましては、果た
してこの事態は小林秀雄以来の文芸批評の系譜的にはどういった位
置付けが与えられるべきか?
>>407氏は如何にお考えか!?
要するに、文芸誌にのってれば文芸批評ってこと?
>>412は何が主張したいのかなあ。自分で何言ってるかわかってる?
或るものを「文芸批評じゃない」からと却けることはできなくなっても、
他の理由で排除することは可能だし、現に何らかの排除と選別が働いてるよね。
ごく端的には、文学雑誌に載せる/載せないの選別からして。
>>413は、
>>407が読めてないみたい。
>>414 文芸誌にのってる以外の排除と選別の基準ってたとえば?
今気づいたんだけど、
>>407の「もはや文学って枠に固執する意味は無いってことなのかも」にしたがうと
文学の枠内にある文芸誌にのってることも選別の理由にならないけど。
>>407が読めてる
>>414さん説明キボンヌ。
416 :
吾輩は名無しである:05/02/25 11:17:25
脱 構 築 的 論 戦 に な っ て き ま し た
>>412 よく知りませんが、そのさくらももことかデューク更家とか家田荘子とかを、
しりぞけたいんですか。どこから、そしてなぜ、しりぞけたいのでありますか。
>>415 『群像』とか『文學界』とかは、狭義の文学評論でない評論も載せてるだろ。
そこでは、この評論は文学を論じてないからなんて理由で掲載不可にはしないよな。
文学専門雑誌と見られる雑誌でもそんな情況なのだから、
もう旧来の文学なんて枠は解体してるんでないの。
つまり、文学雑誌に載ったからって文学評論たる身分を保てるわけではないし、
逆にそれが文学か否かに固執する理由ももはや無いんだと。
419 :
吾輩は名無しである:05/02/25 11:30:10
>>417 しりぞけるのが目的といういわば誤読に対しては固く否定の意図を表明することに
やぶさかではありませんことをまず前提にさせていただきますが、私の欲するのは
そもそもの問いの主体たる
>>304氏、氏の要求たる脱構築的批評作品を提供するため
の境界の確定こそがただ今行われていることでありましょう。それら、さくら、デュ
ーク、更家の作品を推薦するべきであるか、それが私の意図するところであります。
>>419 推薦したければ、すればぁ? 理由も挙げて、さ。
421 :
413:05/02/25 11:32:29
>>421 どこで何を排除・選別するかによるでしょ、そんなのは。
一般的に排除や選別を言っても定まらないから、具体的に特定しないと。
雑誌だったらその雑誌のエディターに尋ねると早わかりなんでないの。
423 :
吾輩は名無しである:05/02/25 11:37:34
>>423 しりぞけたくもなし、推薦したくもなし。一体、何がしたいんだべ。
425 :
413:05/02/25 11:40:05
427 :
吾輩は名無しである:05/02/25 11:43:10
>>427君は、枠消滅問題について、何を、聞きたかったのでありますか。
430 :
413:05/02/25 11:48:58
>>426 >>422は雑誌のエディターが基準としかいってないけど、
>>407の「もはや文学って枠に固執する意味は無いってことなのかも」にしたがうと
文学の枠内にある文芸誌にのってることも選別の理由にならないけど。
431 :
413:05/02/25 11:51:43
>>430 それは最早「文学」として選別されてはない、しかし何らか別の選別は働いてるでしょ、
と
>>414は言ってたわけで。
実際、雑誌は無制限に何でも載せる(載せられる)わけではないし、単行本も同様。
433 :
>>428:05/02/25 11:53:37
枠消滅状況において、どこまでを文芸批評に含めるかということであります。
>>433 その「文芸批評」の枠が解体したってことなのに、
なぜ未だ「文芸批評」の範疇に拘泥するんだか。
435 :
吾輩は名無しである:05/02/25 11:57:58
>>432 文学を選別の基準としないのなら文学雑誌自体基準にできないのでは?
>>435 その通り。だから別に文学雑誌を基準にはしてないだろ、
>>414は。
どこにも何かの選別があるって例を出しただけで、
その文学雑誌の選別に基づくとは言っとらんな。
『現代思想』や『批評空間』やその他でもアリだろ、批評は。
437 :
吾輩は名無しである:05/02/25 12:06:25
>>434 間違えました。枠消滅の混沌的事態の想定においてはなにもかも含めて
対象としてしまうことになるのは是か?ということであります。
>>435 文学雑誌と言ったって、その選別は既に「文学」を基準としてないんだし。
>>437 意味わかんね。
「なにもかも含めて対象としてしまう」のに疑問があるってことは、
やはり何かしりぞけたいんでないかい?
440 :
吾輩は名無しである:05/02/25 12:12:12
441 :
吾輩は名無しである:05/02/25 12:14:03
>>439 じゃあ「なにもかも含めて」オッケーなわけ?
442 :
吾輩は名無しである:05/02/25 12:15:04
>>440 『群像』だってば。
で、すぐそのあと「ジャンルに拘泥しとってはいけないのかもしれん」と書いてるぞ。
同じことを
>>407でも言直してる。「疑念が湧いた」と。
>>441 だから「文学」以外の別の選別が働くだろと
>>414に。
いかなる選別も無い場所なんてあり得ないしね。
>>442 「
>>413ね」とは、413が書いたとの意か、413に向けて書いたとの意か。
おお、決定不能制がここにも。
「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」、そこには排除と選別の体系があるのぢゃ。
(蓮實重彦「倫敦塔訪問」『反=日本語論』参照)
447 :
吾輩は名無しである:05/02/25 12:37:26
>>443 >>444 文学批評という言葉の是非以前に「文学」を想定しない。
要するに単に「批評」だというわけね。
ただ「狭義の」文芸批評/文学批評という枠を認めないわけではないよね?
>>418でその呼称使ってるわけだし。
で、脱構築的批評は?
450 :
吾輩は名無しである:05/02/25 17:33:30
このところレスが多いね。
451 :
吾輩は名無しである:05/02/26 11:29:17
『現代美術を知るクリティカル・ワーズ』(フィルムアート社)より
脱構築
所与のシステムやテクストの無根拠な前提を暴いた上で、その前提を用いて既存のものとはまったく違った結論を引き出そうとする
452 :
吾輩は名無しである:05/02/26 17:07:31
>所与のシステムやテクストの無根拠な前提を暴いた上で、
>その前提を用いて既存のものとはまったく違った結論を引き出そうとする
ということは、イエスがパリサイ人相手にやったことも脱構築になるのかな?
パリサイ人が依拠していた旧約を創造的に読み替えることで、
イエスはパリサイ人を論破した。
453 :
吾輩は名無しである:05/02/26 18:46:41
イエスは神!
454 :
吾輩は名無しである:05/02/26 18:47:33
ィェスゎ神!
455 :
吾輩は名無しである:05/02/26 19:18:51
イエスゎ神だょ!
456 :
吾輩は名無しである:05/02/26 19:30:20
ぁぃことばゎ、ぉょょ。
ということは、一休さんの「屏風から虎を出してもらいましょう」も脱構築?
458 :
吾輩は名無しである:05/02/26 21:15:31
脱構築=頓知ですか。
一級さんはトンチを使って自分は賢いでしょ?と
いい気分になっていたわけではない。
多分、バカがいい気になっていることが気に食わなかったのだろう。
なるほど。前提(「夜な夜な虎が屏風から…」)を用いて問い
(「虎を退治してみよ!」)を宙吊りにしてしまう一休は脱構築派。
「はしではなく真ん中を渡りました」の言葉遊び風もデリダっぽい
462 :
吾輩は名無しである:05/02/26 23:07:31
この道を行けばどうなるものぞ。危ぶむなかれ。その一足が道となり、その一足が道となる。
「馬鹿ってゆうやつが馬鹿」は脱構築?
464 :
吾輩は名無しである:05/02/27 20:20:24
>>382 ふむふむ。
>説明希望します。
とのことなので、時間の経済的消費による制限内で簡単に。
二項対立図式といえばやはりプラトン=プラトニズムでしょうネ。
現実に対する理想(イデア)といった対立が代表的だけど
まずニーチェは『善悪の彼岸』なんかでそうした土俵をひっくり返した。
ドゥルーズの読みによるニーチェは、「二項対立」を批判しただけでなく、
「二項対立図式」を成立させている土俵そのものをひっくり返した。
その土俵が捏造されたものだという暴露(『ニーチェと哲学』)。
これはニーチェの系譜学からフーコーの考古学へと継承されてるネ。
だから、どこにも土俵というものはない。
という意味で、「二項対立の成立以前を思考」してもいるんだけど
それによって二元論的土俵はひっくり返されるわけだと思うんだナ。
AとBが入れ替わるというんじゃなくて、土俵そのものがネ。
だから「超越論的な足場」からのものじゃなくてサ。
脱肛?
でもあれだね。
デリダがツェランやブランショを読むようなスタイルを受け継いでるのは
小林や松浦あたりになるんじゃねーの?
468 :
吾輩は名無しである:05/03/12 20:00:00
小森陽一ってどうよ?
もうダメ。
470 :
吾輩は名無しである:05/03/12 20:51:45
なんでゾッキ本のスレがあるの?
471 :
吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 21:59:25
江藤淳と大江健三郎の論争ってどんなだったの?
知ってる人おしえてちゃぶ台!
472 :
吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 00:06:55
大江が江藤の痴漢癖を小説で書いちゃって
江藤がキレた
473 :
吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 00:27:34
菅野昭正はどうだろうか?
474 :
吾輩は名無しである:2005/03/31(木) 21:34:32
平岡篤頼はどうだろうか?
475 :
吾輩は名無しである:皇紀2665/04/01(金) 20:00:06
川村二郎はどうだろうか?
476 :
吾輩は名無しである:皇紀2665/04/01(金) 20:30:17
菅野昭正『小説の現在』
平岡篤頼『迷路の小説論』
川村二郎『銀河と地獄』
どれも70年代前半(かな?)の収穫でしょう。
477 :
吾輩は名無しである:皇紀2665/04/01(金) 20:38:41
そのリストを00年代前半まで希望!
478 :
吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 17:19:45
2000年代前半ならば
『W文学の世紀へ』沼野充義もいいよ。
沼野は慣れない美術に手を出さなければいいのに
480 :
吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 22:54:55
沼野『W文学の世紀へ』には大江から町田まで取り上げられてて
現代日本文学についてはなかなか読ませてくれた。
481 :
吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 00:01:58
清水徹はどうだろうか?
ヌーヴォー・ロマンかぶれはもう結構。
483 :
吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 05:27:23
小林秀雄はどうだろうか?
どうって何がよ? 愚問には愚答しか返ってこない。
485 :
吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 19:31:53
外国文学者(翻訳家・研究者)の日本文学評論は玉石混交だね。
それは日本文学者も同じか(笑
清水徹は日本文学については鋭く語れないんじゃないかな。
今度出た清水のヴァレリー論はちょっと気になってるけども。
486 :
吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 22:56:45
小林秀雄の“本居宣長”読み終わりますた
毎日炊事、洗濯してちゃんと生きようと思います
487 :
吾輩は名無しである:2005/04/09(土) 01:22:59
磯田光一はもっと読まれるべきじゃないのか?
488 :
吾輩は名無しである:2005/04/09(土) 22:11:30
篠田一士は日本の作家については書いていませんか?
490 :
吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 00:58:26
『日本の近代小説』があるじゃないか。
今読んでいて、気になった点。もういないかもしれないが。
>>376たんへ。
>ウイトゲンシュタインが『論考』で哲学的な問題を「語りえないもの」としてカッコに>入れることによって(とりあえずは)片付けてしまった事は端的な「事実」だ。
「論考」を斜め読みしたか、原典(邦訳で無問題)に当たっていない人の基本的な誤読。
ここでヴィトゲンシュタインが用いている「語る」という動詞の主語は、日常言語ではなく、論理語。
論理語で「語りえないもの」について、私は興味がないとヴィトが言っているのであって、
哲学的な問題を片付けてしまったと主張しているわけではない。
さらに言えば、論理語で「語りえないもの」とは、
(今日の言葉でいえば)真理条件を持つか否かというフレーゲの「真理値に対する実在論」
の立場を前提にして論じているのであって、
よく論理実証主義における検証主義に引き寄せた論考解釈が(意識せずに)犯す誤読、
日常言語(もっと細かく言えば「述語」赤いや痛い)が曖昧だから無意味だ
と主張しているわけでは全くない。
単に、「真理値に対する実在論」の立場から言えば、真理値を持たない命題については
真姿に扱うに値しないと言っているだけ。そして日常言語=真理値を持たない命題の
構成要素などとは、論考においてヴィトは一言たりとも主張していないし、
ましてや日常言語=哲学的な問題の構成要素などとも一言も言っていない。
「哲学的な問題」という一語が何を意味するのかはわからないが、
もしカルナップのハイデガー批判とかを念頭にした形而上学批判の類いであるならば、
それは思想史へのリテラシーを欠いた人間による誤読。
ヴィトはあくまでラッセル/フレーゲの流れ。
そしてその流れにおいて、問題となったことは記号論理学の構築であって、
それは数学の哲学の問題であって、哲学的な問題でもなんでもない。
以上、パッチワーク読書が絶対に読者の体にはよくないと思う
元パッチワーク読書家より。
大人になりたまえとか言う前にすることは山ほどあんぞ。
493 :
吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 04:57:16
>>492 「(とりあえずは)片付けてしまった」を「とりあえずは「解決」してしまった」
と読んだようだがそのような意図はない。
『論考』を精読してはいないし内容に関して記憶もあやふやなことは認めるが。
煽るつもりでもないようだし善意からでもあるようだし不快な感じもしないので
指摘してくれたことに対しては感謝しておく。ありがとう。
おはようでつ。
>「(とりあえずは)片付けてしまった」を「とりあえずは「解決」してしまった」
>と読んだようだがそのような意図はない。
了解でつ。おせっかいですみません。
495 :
吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 12:08:59
通りすがりながら
>>492を読んで
自分もパッチワーク読書をしてるなと反省。
しかし、特定の分野の専門家でもない一般読者としては
多少その傾向はやむをえないなあ。
批評家にもその程度の人って結構いるような。
まあそれでも
>>376はチト知ったかぶりがひどすぎたよね。って379以下が指摘済みだが。
>>487 磯田光一は著作集が未完のうちに版元(小沢書店)が潰れてしまったからなあ。
どこかで引き継ぐ人はないものかね。
498 :
吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 12:26:42
脱構築とか超越論的とか批評を通じて人口に膾炙した
言葉の使い方をめぐってはいつも荒れるものだと思う。
よほどひどい誤用でない限り違和感あってもスルーして
話を先に進めるのが大人の知恵かと。
土俵うんぬんのレトリックの部分で喧嘩してもしょうがないしね。
499 :
吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 23:40:47
磯田光一の『戦後史の空間』を今日たまたま入手。文庫はこれだけだろうか。
501 :
吾輩は名無しである:2005/04/11(月) 00:07:34
ようやく折り返し地点か。
502 :
吾輩は名無しである:2005/04/14(木) 13:32:11
小林秀雄の推薦で中村光夫が保土ヶ谷カントリーの会員申請したのに
落とされたのは何故なんだ
中村光夫は泣いたらしいじゃないか
それでもビジターで行ってたらしいから情けない
だから馬鹿にされるんだ
やっぱり推薦人が悪かったのか
503 :
吾輩は名無しである:2005/04/14(木) 15:02:27
平野謙を超える批評家はいないね。
504 :
吾輩は名無しである:2005/04/15(金) 19:36:01
当時はともかく、今は中村光夫>小林秀雄でしょ。
505 :
吾輩は名無しである:2005/04/17(日) 00:06:22
中村光夫は花袋の評価を誤ったとして評価下がってるから小林
と同じくらいでは?
506 :
吾輩は名無しである:2005/04/19(火) 03:41:11
いつのまに中村光夫はそんなに偉くなったのか
507 :
吾輩は名無しである:2005/04/19(火) 11:34:22
みつおはエライというよりエロイよ。
中村光夫評価はハスミやカラタニの影響大。
私小説についての論はA級戦犯扱いだけど。
知の3馬鹿のヨタを真に受ける人もいるんだ
>>509 未だに「三馬鹿」なんて言葉を使う香具師は空気読めないジジイ
ジジイだろうがガキだろうが
ニセモノの権威にヘコヘコしてるようじゃいけませんね
いまだに信者がいるのが不思議です
512 :
吾輩は名無しである:2005/04/23(土) 08:52:19
>>511 本物の権威って誰よ?
すぐ予想できるが。
どうせ福田恒存とかその辺の連中を引き合いに出すんだろ?
信者乙
514 :
吾輩は名無しである:2005/04/23(土) 16:47:35
思考停止したら負けかなと思ってる。
考えたら負けかなと思っている
このスレ開いたら負けかなと思っている
文学は負けかなと想ってる。
なんで負けなの?
519 :
吾輩は名無しである:2005/04/23(土) 19:10:58
↑聞いたら負け
520 :
吾輩は名無しである:2005/04/23(土) 21:17:51
文学者の福田恒存さんが、女性の身上相談では、
「とても顔を見なければ答えられない」と述べている。
醜く生まれついた女性に生涯つきまとう不幸という現実を無視するわけ
にはいかないのです。いくら残酷でも、それは動かしがたい現実なので
あります。いや、現実というものは、つねにそうした残酷なものなので
あります。機会均等とか、人間は平等であるとか、その種の空念仏を
いくら唱えても、この一片の残酷な現実を動かすことはできないのです。
しかし、身上相談係りというものは、つねに人間平等、機会均等の立場から
しか答えてくれません。つまり、女性という女性が、みんな同じ魅力を
もって生まれついているという仮定のもとに答えるのです。
私のように意地わるく顔が見たいなどとは申しません。
(福田恒存『私の幸福論』ちくま文庫 p.11-12)
つまり顔を見ずに、本当にその人のためになるような的確な
アドバイスなんて出来っこない。
メールで相談を持ちかけられて、それに答えたとしても、それはあくまで
平均的な容姿を仮定しているのだ。
美人と不細工では、与えるべき処方箋が違う。
女の身上相談に的確に答えるには、女の顔を知らなければならない。
521 :
吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 00:54:40
そこで、美/醜を脱構築ですよ。
522 :
吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 00:56:50
ハスミやカラタニが小林を叩いて中村を評価してるのは
戦争というファクターと、近代の超克というファクターだと思われ。
523 :
吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 00:58:27
お前ファクターって言葉好きだな。
524 :
吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 00:58:58
お前ファクターって言葉好きだな。
ファクター川賞やるよ。
525 :
吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 01:30:38
>524
第一回受賞者か? やったぜ。
痛い信者が多いよね>3馬鹿
527 :
吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 10:13:27
3馬鹿って526とあと2人誰だ?
528 :
吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 10:32:17
ハマコーとテリー伊藤
州*‘ o‘リ<馬鹿じゃないもん!
530 :
吾輩は名無しである:2005/04/25(月) 01:07:38
>>529 ああ君は馬鹿ぢやない。
江藤淳はちくま学芸文庫でかなり手軽に読めるようになったが、
実は『成熟と喪失』しか読んだことがない。
5冊以上読んだって人はいるかい?
江藤淳の評論はつまらん。『小林秀雄論』も『漱石とその時代』も『閉ざされた言語空間』も。
『近代以前』はまあまあ。でも『こもんせんす』の方がマシかも。
そこでさびれきった江藤スレへどうぞ・・・・・・
从o゚ー゚从<大塚英志の江藤淳論はおもしろいとゆいたいです。
534 :
吾輩は名無しである:2005/04/25(月) 08:41:31
あの時代の文学研究は作家論だからなぁ…
3馬鹿も本読むのかしら
州*‘ o‘リ<「近代文学」の同人よりましだもん!
3馬鹿の本って古本屋じゃゾッキ扱いだよ
先物買いのバカには売れても
時の流れというシビアな査定には到底耐えられない
浅田彰が単行本出したがらないのは
それに気づいたからだろうね
538 :
吾輩は名無しである:2005/04/27(水) 23:55:10
>>533 へー面白いのか。どのへんが良いのかなあ。
从o゚ー゚从<ずっと福田和也と見間違われてたところがおもしろかったです。
爺さんが三馬鹿に触れてるのってどの本ですか?
というかはじめて三馬鹿って呼んだ作品を教えてください。
「知の三馬鹿」でぐぐってもでてこなかった。。
最初の文章はたぶん試行連載の「状況への発言」
別件だが知の三バカでぐぐったらなかなかいいカキコ発見
荒削りでツッコミどころ満載だがこういう八方破れは逆に見所がある
89 名前: 投稿日: 01/12/02 15:36
>>84 そうじゃないと思う。共同幻想論後が吉本のいちばんやりたかったこと。
つまり、戦後のマルクス主義を反省して、東大だとかの、
アカデミズム中心の知識のあり方を完全否定して、
都市論や大衆論を本格的に開始した。
そここそ、彼の最大の業績じゃないかな。
でも、その頃から、東大や、東大出身の学者や、知識人層とか、
柄谷や浅田、蓮実らが、吉本を否定し始めた。
「こいつ等はみんな、知識重視で、大衆よりも、知識人がえらいみたいな、
スターリン主義を未だに脱出できない」って、吉本は言う。
吉本に言わせれば、「知識を殺すことのできないダメな奴ら」「知の三バカ」。
吉本が戦後最大の思想家なのは、
大衆の視線まで降りてきた最初の人だってことだと思う。
例えば、源氏物語論を現代語訳でやってしまったことは、逆にすごいことだと思う。
吉本が「原文にあたれ!原文にあたらなきゃ意味がない」とか言ってる学者に対して、
「お前等、全員嘘つきだ!」と言ってしまったのはすごい。
「源氏物語なんて、全部原文に当たって、完全に理解した人がいるなんて、
俺には信じられない」って言ってしまえるすごさ!!
「そんなこと言ってる学者は、嘘つきで、プライドばかり高いバカだ」って。
良く考えれば、柄谷だって、『トランスクリティーク』は、翻訳でやってるしね。
俺的には、そういう吉本の言葉に救われた。
俺の周りには、「〜〜を原語で読んだ」とかいって、
えばり腐ってる奴が多かったからな。(2ちゃんにもよくそう言うスレたってるし)
544 :
吾輩は名無しである:2005/05/05(木) 13:54:29
吉本の姿勢自体はいいとこもある。
無知の知というソクラテス的スタイルの強みみたいなとこがね。
しかし文章表現能力がないのがイタイ。
また「知識を殺すこと」のレベルも低いんだよなあ。
しょうがない人だなぁ思っていると時にハッとするような文章にぶつかる
摩訶不思議な人です
文章表現能力がないってのは、文学者として致命的だよ。
文章読解力すら怪しい。
自己紹介乙
548 :
吾輩は名無しである:2005/05/06(金) 18:34:21
>>545 あー確かにそれはあるんだよなあ。
この人って大丈夫なのか?と思ってたら、
時折かなり鋭い分析を見せたりする。
そんなときは文章表現力の貧しさも、
深く思考した結果の美しいレトリックにさえ感じたり。
この人っていい意味で原始人みたいな人なんだよ
言語にとっての美とは何かの(評判の悪い)原始人も
自分のことを語っているのかなぁと思うと感動すら覚える
ヘレンケラーの名場面みたいにね
もどかしくなるくらい洗練とはほど遠い文章だけど
どこか懐かしさを感じるんだよね
こんな人が一人ぐらいいてもいいんじゃないかな
エピゴーネンは大嫌いだしオイラも自戒はしてるけどさ
惚けの失言まで珍重してくれるんだから、読者は有り難いよね。
しょうがない人だなぁ思っているとやっぱりしょうもないレスにぶつかる
摩訶不思議な人です
爺さんスマートボールの景品で食ってた時代あるってマジ?
ほんとみたいよ
組合やって仕事クビになってたときの話かな
吉本サンの貧乏エッセイは味わい深いよ
文章下手なんてとんでもない
一部の読みにくい(これはホント)理論的な著作の印象が強いんだろうね
从o゚ー゚从<ちょっとボケてるところがにくめないとゆいたいです。
「ちょっと」ではない。大ボケ。
しょうがない人だなぁ思っているとやっぱりしょうもないレスにぶつかる
摩訶不思議な人です
チミのほうが信者に見える
何の信者か知らんが
「非知」に「ボケ」とルビを振った糸圭秀実の揶揄は秀逸だったよね。
ボケに対してはツッコミ(批評)が必要だわな。
それとも、ボケを真に受け(たふりして)てボケ返す、ボケツッコミのつもりか?
まシャケはどのみち逝って良しだな
562 :
吾輩は名無しである:2005/05/07(土) 21:39:44
>>559 「痴呆」にジャンクとルビをふった俺様の揶揄には到底及ばない。
>>560 ボケとツッコミがないまぜになってるところに特異性があるともいえる。
ビンボじまんはやめたまえ>シャケ
吉本と吉本信者は単なるボケ。
シャケは何処でも居すわっちゃうんだなw
意味わからんことを一人で言って一人でウケてる。ヘンなひと。
魚圭秀実のことではないでしょうか
呉智英師がこの人物を懲らしめる時に愛用しておられる呼び名です
それ位はすぐわかる。
>>567 が、「ビンボじまん」だの「居すわっちゃう」とか、何なんだ一体?
評論史研究では、なぜか昭和戦前だけ手薄だよな。誰かやってくれないかね?
そう?
橋川文三の日本浪曼派批判序説から半世紀
かなりの蓄積があるように思うけどなぁ
明治や大正や戦後については、それぞれ批評史・評論史と名乗る単著があるのに、
昭和戦前だけ穴になってるでしょ。
日本浪曼派なんて極一時期の極一部の動向に過ぎないし。
それに小林秀雄と安田與重郎ばっかり論じてても批評史・評論史にはならないんだよ。
だいたい世の小林論や保田論は主観だけ先走ったオマージュばかりで論文以前、
実証的歴史研究の勘所はすっぽり忘れられてしまってる。
もっと多種多様な批評家の評論活動を見てかないと、昭和戦前批評史は書けない。
お若いの
ま、夫子自身にがやってみせて呉れ給え
569に「誰かやってくれないかね?」と書いてあるがな。
何が穴かも気づいてなかった人ばかりかいな。頼りない。
チミは気が済んだら何処か遠くに行き給え
評論の研究なんかして面白いんだ。確かに
野球評論家の評論家とか、サッカー解説者の評論家とか、
会社にたくさんいるな。
評論家たちは、いい文学は時代を超えて残るというが、
評論はどれも残ってないじゃんw
悪いがガキはロムって居てくれ
情報量ゼロのカキコは要らない
昔の文藝雑誌を読めばわかるよ。
創作小説なぞ詰らないし、単行本で読めば済むものばかりだが、
時評を始めとする評論・批評は今読んでも面白く、過去のアクチュアリティーが彷彿とする。
>>577 短気。576みたいな問いは当然予想されるんで、
それに対する答えがないのはおかしい。
>評論はどれも残ってないじゃんw
これのどこが問いなのか分からんな
ガキは甘やかすな
つけ上がるだけだ
581 :
吾輩は名無しである:2005/05/12(木) 08:08:46
江藤淳は偉いよ浪人しても東大受からないのに頑張って
評論家になりおおせたんだから
小林秀雄始め心の底まで学歴ヒエラルキーに支配されてる
ヤシばっかりの中よくやった
そうとう変人でイヤな男だったらしいけど
東大受からなかった時点でおきらめるヤシが殆どなんだから
不屈の精神力だよ
容姿もひどいしどうせなら日比谷高卒の学歴でやってくれればよかったん
だけどそこまでの蛮勇はなかったみたいだね
魚圭
583 :
吾輩は名無しである:2005/05/13(金) 19:19:55
大江健三郎の非小説は評論や批評と呼べるのかどうか
584 :
吾輩は名無しである:2005/05/14(土) 01:03:11
大江は下手な評論家よりいいよ。
理論書もかなり読んでるし。
大江は下手な評論家。
小説家としての大江はやはり超一流だよ
オイラはレインツリーから懐かしい年への手紙をリアルタイムで
個人的な体験からフットボールまでを再放送で読んだクチだけど
こいつ天才だと心底舌を巻きました
でも
この人のエッセイとか往復書簡とかのたぐいは
とても同じ人とは思えない
モーリスブランショみたいな謎の人戦略を取ってれば
歴史に残ったかも知れないのに残念
587 :
吾輩は名無しである:2005/05/14(土) 13:36:17
>585>586
大江健三郎について語りたいなら
『小説の方法』『新しい文学のために』くらいは読みなさい。
588 :
吾輩は名無しである:2005/05/14(土) 15:22:21
>>586 とっくに歴史に残っているのに何言ってんの?
>>587 あれのどこが褒められるのか、マジで聞きたい。
589 :
吾輩は名無しである:2005/05/14(土) 17:24:40
『新しい文学のために』読んでない人もいるんだなー
理論書もだいたい読んだ
まぁお勉強ノートみたいなもんだ
実作には遠く及ばない
591 :
:2005/05/15(日) 02:42:01
大江健三郎で最も評論的なのは『同時代としての戦後』だと思うよ。
作家が自らの作品をどう書いたかという点で興味深いのは
『新しい文学のために』より『私という小説家の作り方』のほう。
前者はバフチン、シクロフスキー、バシュラール、山口昌男を援用して
かなり幅広い視点から文学の方法について書いているけれども
入門書風なこともあって、ちょっと概論的で物足りない。
大江の「文学理論」は、谷沢永一にも蓮實重彦にも柄谷行人にも馬鹿にされたね。
593 :
吾輩は名無しである:2005/05/15(日) 03:07:39
所詮小説家なぞに理論は判らないわけだな。
谷沢永一、蓮實重彦、柄谷行人は
結局何の痕跡も残せずにフェイドアウト
大江の小説作品のいくつかは
確実に日本文学史に突き刺さってる
理論書やエッセイのたぐいは無論蛇足
小説家として肉体的に生存するための営業みたいなもんでしょ
つまり、大江健三郎の評論や理論やは駄作と。(小説の話なんざよそでやれ。)
谷沢・蓮實・柄谷らの研究や批評は大江のよりは優れ、読み継がれてるけどね。
つまりじゃねーだろw
3バカに文芸評論と呼べるものは存在しない
とっとと失せろクズ
読み継がれる?
バカも休み休み言ってくれw
牙あるなんちゃら一作で力尽きたあの人に
バブルで駄本量産したかの人この人
いまだに「読み継ぐ」暇人がいるのか
ゾッキ屋もシゴトあがったりだwwwwww
十年前ならそれでも丁寧に棚に並べてた古書店はあった
いまや一山いくらで処分されて跡形もない
残酷だなヒョーロンの運命ってやつはw
大江の評論も、『牙ある蟻』その他からの批判に対抗できず、既に跡形も無いな。
まゴミはゴミどうし仲良く消えてくれて清々したなw
大江健三郎の評論を持ち上げるなんて、批評や研究を読まない無知だけでは。
>>584
ま大江の実作に歯形すら残せない牙ってのも詐称もいいとこだな
蓮実なんざまわりを犬みたいにぐるぐる待ってるだけだし
柄谷は大西巨人の時もそうだがいつのまにか理解者づらして延命
こいつらが近代日本文芸評論家なのか
冗談は顔だけにしてくれw
実作、ねえ……。小説なんかマジメに論ずるに値しないヨ。お遊戯なんだから。
スレ違ひ。
大江の評論は駄作だと認めざるを得ないので、必死に話題を小説の方にそらす
>>603。
なんでアンタが3バカに義理立てて必死にレスするんだw
さっさと近代日本文芸評論家の話にもどしてくれや
まさか3バカしか読んでないのかこいつ
虎の子貶されちゃそりゃ必死になる罠wwwwwww
だいたい大江をネタに駄本製造したのは蓮実のほうだし
批判すると見せていつのまにか大家の理解者づらしてるのは柄谷のほうだぜ
谷沢って今何やってんだ?
少なくとも近代日本文芸評論家じゃないのは確かだなwwwwww
ああ、江藤淳も大江健三郎の小説以外の文章の駄目さ加減を嘆いてたっけね。
>>586>>590あたりが議論の発端だろうが
スレの流れも読めずに駄レス垂れ流してんなよ3バカ厨w
すると障害児をネタに駄作濫造したから、それ以前の作も否定されるのか。
するとじゃねーよ池沼w
さすが評論を馬鹿にするだけあって、語彙が卑しいな。知性の無い文章だこと。
>>612は意味不明ですね
個人的な体験は三島由紀夫の批判はあったものの
今読んでも批評に耐える傑作でしょう
新しい人よ目覚めよ、はそうではない
レインツリーまでの読者をどこかで裏切る不徹底、俗情への結託
がどこかで感じられる点で数段落ちると思います
遺憾ながらエッセイ、評論と同レベルかと
しかしそれが
大江文学の抜きんでた達成を無に帰するものとも思えません
どこか2ツ目トル
大江文学で面白いなと思うのは
自分のそれまでの作品や作品をめぐる批評
ときとして身辺にあらわれる壊れた人間たちの存在や言動を
執拗に取り込んで作品世界を重層化させていく点です
レインツリーや新しい年への手紙は
前期の作品群ほどの華やかなイメージはないものの
精密な読みに耐えるユニークな傑作と言って良いと思います
この面白さを撤退的に解明してくれるなら
近代日本文芸評論家の呼称を許してもいい
批評家たるものその試金石はやはり作品批評でしょう
×新しい年
○懐かしい年
でしたね、お詫びして訂正します
>>615 ならば、評論家がもし今駄作を書いてても、昔の功績が無になるわけではないよね。
要は、
>>609はわかっちょらんと。
あと小説論なら大江スレッドあたりでどうぞ。
>>617 >この面白さを撤退的に解明してくれるなら
大江の詰らん小説なんざ読まされるのは御免蒙りたい。お勧めにしたがって「撤退」しようかね。
もっとも、どこが詰らんのか駄目な作品を徹底批判する評論もあってよい。
ま、これも大江スレッドでやってくれ。
白旗挙げて3バカ厨が撤退だそうだ
仲間内では転進とか何とか負け惜しみを言うのだろうが
広いココロで許してあげようじゃないか!
さよなら、グッバイ、3バカ厨w
あら
一応皮肉だと分かったのかしら
3バカ厨もあなどれないなぁw
>>617 >批評家たるものその試金石はやはり作品批評でしょう
わかってないね。批評は作品論に奉仕するものに非ず。
でもさぁ
牙ある蟻読んだ同じ人がどのつら下げて
へんな人生論とか読んでるんだろうね
他人事ながら同情に堪えないよ
大江の小説読者も、どの面下げてあんな『小説の方法』とか愚論を読んだのかなあ。
あ、そもそも創作偏重で評論を読み慣れないからあんな大江の文学理論にも騙されるのか。
>>624 成るほど、他は貶せても『牙ある蟻』だけは認めざるを得ないんだね。
あ、ほんとに読んでるんだ
牙ある蟻のなれの果てのへんな人生論
読者ってほんとに有り難いなぁ
こんなしょうもないネットでも必死に擁護してるし
オイラ開高の話書いたみょうな句読点の本みて
ああこれはもういいや、って思いました
真面目な人をからかう趣味はないんでとっとと「撤退」してね♪
それにしても
言葉尻に必死にすがりついて哀れを誘うよね
へんなヒョーロンカにハマった人生でも
否定されるのは悔しいのかしら
>オイラ開高の話書いたみょうな句読点の本みて
ぷ。わざわざ読んだんだ。
わざわざも何も
谷沢の本は数十冊は読んだよ
ていうかどの書き手でも同じ
すごい!、また何コイツ?でもひととおり読まずに評価なんか出来るわけないじゃん
ほんとにこの人天然だねw
教祖の本以外読まずにクダ巻く
3バカ厨って生きていて恥ずかしくないのかしらwwwwwww
谷沢氏の本でも時系列で読んでくと
自己模倣に陥らざるを得ないときの逡巡とか諦めとか
いろいろ伝わってきて学ぶことは少なくないよ
この人って周期的に思い鬱に襲われるんだよね
それをふっきるために、高見順が場末の定食屋に通うみたいに
身も蓋もない人生論本に手を染めるみたい
ちょっと痛々しくもある
でももういいやって思ったのが開高本
言うべきコトがまだ残ってるとは思えなかったし
どうせ3バカ厨は何も分からず読んでるんだろうなぁ
気楽でイイよねバカはw
×思い
○重い
キレて脅して凄んで怒鳴って年上ぶってバカは相手にしないと逃げる。
これが評論家。
自己紹介ですか先生・・・
636 :
:2005/05/15(日) 21:05:06
>>592 >大江の「文学理論」は、谷沢永一にも(後略
いや、別に大江は「理論」を書いたわけぢやない。
>>594 >所詮小説家なぞに理論は判らないわけだな。
理論VS小説なんて随分〇〇な感性だなぁ。
大江は小説を書くだけぢやなく、批評も書いた。
蓮實は批評を書くだけぢやなく、小説も書いた。
そして蓮實は大江について批評を書いた。
>>595>>596 大江の小説作品は批評的エッセイを上回るのは確か。
『同時代としての戦後』所収の作家論を読めばわかるけど
初期の頃からなかなか鋭い批評眼を持ってるし、
その批評眼は膨大な読書量に裏打ちされているよ。
大江の評論が「理論」といえるかどうかは怪しい。
ただ、批評的エッセイとして読めば面白いものはあるよ。
637 :
:2005/05/15(日) 21:16:24
>>617 >大江文学で面白いなと思うのは
>自分のそれまでの作品や作品をめぐる批評
>ときとして身辺にあらわれる壊れた人間たちの存在や言動を
>執拗に取り込んで作品世界を重層化させていく点です
これは同意。
つまり『懐かしい年』などの大江の小説には
批評が組み込まれているといえるんぢやないだろうか。
>>630は自家撞着にすら気づかぬ阿呆。
下らぬ本でも読むべきってことなら、
>>627の「あ、ほんとに読んでるんだ」以下は、何ら非難になっとらんぞ。
wをつけなきゃ書き込みできないみたいだが、自嘲か。
「三馬鹿」という言葉を使う香具師は全員品性下劣。
柄谷蓮實の腰巾着スガも。
荒れてるなー。
荒れずに議論できるようになるのが評論を読む効用と
思っていたが。そういうものでもないんだね。
>つまり『懐かしい年』などの大江の小説には
>批評が組み込まれているといえるんぢやないだろうか。
それまでの自分の営みを懐疑の淵に追いやるような自己批評
最も鋭い執拗な批判者すら作品の内部に取り込んでいく狂気じみた力業
中後以降の大江文学はいくつかの作品は批評文学の極北かもしれないね
(とくにレインツリーと懐かしい年)
こうした鋭敏な批評性が「地の文」ではなぜか表現としての輝きを失うのが
不思議と言えば不思議
この人が根っからの作家だからとしか言いようがない
このあたりは三島由紀夫とは逆かもしれないなぁ
何がどう逆なのかと聞かれても困るけど
大江文学は(×→の)いくつかの作品
643 :
:2005/05/15(日) 22:52:44
>>641 三島由紀夫は美学的な批評眼=感性を持ってたんぢやなかろうか。
ロゴスのひと大江健三郎とちがって、パトスのひとというか。
ただ大江の小説作品以外の評価が低いんでちょっと弁護に回るけど、
新聞で書評をやってたのをまとめた『小説の経験』を読むと
評論家の書評より面白い部分が多いんだよねえ。
読むことに書くことを重ねた視点から批評されてるから。
三島の「美学」は趣味が悪い。
三島ってもともと明晰無比な論理の人だと思うんだよね
おそるべき理解魔だし批評文の切れ味も半端じゃない
それはなぜ小説作品では作りものめいた既視感を漂わせるんだろう
まさか本気でそんな認識を持ってるわけじゃないよね?
そう言いたくなるような不透明さが宿命的につきまとうのが三島文学
たぶん三島にとっての文学作品って何かの代用品だったんじゃないかな
明晰すぎる論理が涯てまで見切ってしまった虚無を指さす矢印みたいなもの
サービス精神旺盛なこの人のことだから、矢印の造型にも彫心鏤骨、
持てる秘術を尽くそうとしたんだと思う
でも矢印は矢印にすぎないから、結局は規定の方向を指し示すだけ
かくて作品世界は壮大な空虚として完結し
かろうじて生き残っていた批評精神も内側から食い尽くされてしまった
この人の(生身の人としての)最期が必然だったのかよく分からないけど
それはなぜ×→それがなぜ
647 :
吾輩は名無しである:2005/05/17(火) 03:22:56
富岡幸一郎ってクリスチャンだったよな。
なんで林房雄なんかを持ち上げてるんだ?
648 :
吾輩は名無しである:2005/05/17(火) 18:25:01
ミシマは天才。オーケンは秀才。
649 :
吾輩は名無しである:2005/05/17(火) 19:45:41
今いちばん注目の批評家は仲俣先生ですかね、やっぱり
他のジャンルに本質的な意味での批評家が潜んでるような気がする
脳科学の茂木健一郎
どうやら小林秀雄を本気で継承する覚悟らしい
独我論哲学の永井均
この人が文学作品を論じたら相当の所まで行くはず
生態心理学の佐々木正人
アフォーダンスの文学理論は可能だろうか
ああ、だから茂木健一郎は駄目なんだな。
面白いじゃん>茂木サン
これだけピュアな人もめずらしいよ
ハラハラしながら愛読してるっす
だから粘着はやめてね♪
はあ?
ああ クオリアの人かw
理系出身の(広義の)批評の人で
さすが(理系的センスが生きてる)と思わせるのは
吉本隆明、養老孟司、大森荘蔵、三木成夫あたりかな
大森サンの『新視覚新論』は難解な哲学書だけど
オイラほとんど文学理論として読みました
最近読んでるギブソンの『生態学的視覚論』にも
似たようなテイストを感じる。面白いよ
倉阪鬼一郎も大森荘蔵を文学書(魔法書)として読んでるんだね
同好の士っているもんだなぁ・・(以下引用)
「新視覚新論」は読了までにむちゃくちゃ時間がかかってしまった。
ジョージ・バークリィの「視覚新論」を批判的に検討したすべり出しはスぺキュレイティヴで面白
く読める(五感をテーマにした変な小説を書いている人は参考になりますよ・・・と誰にともなく)。
難所は中盤で、大森哲学の柱の一つである「重ね描き」を理論的に補強するために
さまざまな検討をしているのだが、難解な物理の話になったりするから私の頭ではとてもついていけない。
そもそも私は哲学それ自体には何の義理もないので、
ある種の魔法を見せてくれれば(大森荘蔵風に言えば言葉が詩的相貌で立ち現われてくれれば)、
もしくはスぺキュレイティヴな刺激さえあれば、いくら間違っていてもいいのである。
終盤は大好きな「立ち現われ一元論」、ことに終章は大森節全開で堪能しました(幽霊の材質のくだりとか)。
引用は九章「言い現わし、立ち現われ」の結語部分のみ。
「嘘つき、ペテン師、妄想患者、作家、詩人、
これらの人々はこの『現実世界』の外に立ち現われを創造する。
まさにそれを『言い現わし』、『思い現わす』のである。
それらの立ち現われはこの動物的な、余りにも動物的な『現実世界』からしめ出しをくうだろうが、
彼らはまた一つの(余りにも?)人間的な『現実世界』を作り出しているとも言えはしないか」(傍点略)。
大森の弟子は単なる科学主義者が多いから、驚きだよな
師匠のどこを見ていたのかと。
658 :
吾輩は名無しである:2005/05/20(金) 00:00:22
吉本隆明、養老孟司、大森荘蔵、このあたりはつまんないな
情報量ゼロの書きこみはご遠慮ください
神聖喜劇、何度読み返したか分からないくらい好きな作品です
舞台が見たいだけの理由で対馬にも行きました
壱岐に泊まって「これから対馬に行く」と言うと
そんな何もないところ何しに行くんだと複数の人から止められたほど
なんだか地の果てというイメージだったけど
あぁ、ここがあれか、の連続で楽しい旅でした
忘れられないのは浅芽湾の美しさ
上島、下島には橋が架かっていて車で行けるんだけど
厳原の旅館に居合わせた郵便局長さんが入り江を結ぶ小舟があると教えてくれて
樽が浜から海を渡りました
ほんとに作品の描写そのまま
もう十五年も前の話だけど
投稿ミスです、悪しからず
662 :
吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 12:43:04
「小説を愛した批評」といえば、何があるのだろう?
663 :
吾輩は名無しである:2005/05/28(土) 07:51:08
中条省平の「文章読本」でしょうか。
小林秀雄や吉本隆明は外せないなぁ
アンチが多いのも自業自得ではあるけれど他をもって代え難いのは確か
小林秀雄の初期のべらんめぇ批評で
知り合いに借りたラディゲを一人深夜に読んで
「すまなかった」と懺悔する話とか本当に絶品
吉本隆明も難解な理論書はマニアに任せるしかないけれど
太宰や漱石についての文章は実に味わい深いです
666 :
吾輩は名無しである:2005/06/01(水) 18:55:09
三浦雅士はどないやろ?
踊ってろ
668 :
吾輩は名無しである:2005/06/01(水) 21:16:46
中条はランディを誉めた。北上次郎は唯川を誉めた。
669 :
吾輩は名無しである:2005/06/02(木) 15:05:20
中条はなんでもありの人だから、
ラノベだろうと褒めるものは褒めるよ。
文芸純粋主義から見ると邪道なんだろうな。
670 :
吾輩は名無しである:2005/06/02(木) 18:59:34
中条のセンスは信用できるのか?
ラノベでもなんでも褒めるのはかまわないが
その選択眼に問題があるんじゃないの?
671 :
吾輩は名無しである:2005/06/03(金) 23:14:53
中条はふつう
672 :
吾輩は名無しである:2005/06/04(土) 10:39:57
やっぱ日本の戦争責任を語れない批評家はだめだろ
コヴァの釣りか
低学歴は匂いで分かる
674 :
吾輩は名無しである:2005/06/07(火) 23:13:34
磯田の「永井荷風」を読んでみた。
これはなかなかよくないか?
675 :
吾輩は名無しである:2005/06/07(火) 23:15:20
中条なんて論外も良いとこだろ。
ランディをべた褒めし、中島梓のとんでも評論を真に受ける頓珍漢だ。
でも中高、大学まで一緒なのであまり悪くも言えない。
676 :
吾輩は名無しである:2005/06/07(火) 23:24:35
>>675 身内褒めする貴様が一番頓珍漢ということだな
>>674 磯田の急死は返す返すも残念。本人も「昭和文学史」を書き下ろしたかったことと
思う。「萩原朔太郎」は「青猫」の部分が書かれざる一章となってしまい、画竜点
睛を欠いた観があるが、傑作と呼ぶにふさわしい作品だ。
便利屋ヒョーロンカ扱いしてたくせによく言うよ
679 :
吾輩は名無しである:2005/06/13(月) 19:19:18
高橋和己が評論も明快ぞなもし
高橋の小説は悪文で有名なのに、何が「も」だ。鑑賞眼の無い奴め。
邪宗門は良かったなぁ
悪文だなんて感じなかったよ
エッセイも大好き
中国文学論集なんて再読三読しました
でもいかにもって感じの一連の著作は読んでないんで
弁護してるわけではありません
邪宗門、なかなか良かったですね。
頭ぶん殴られたくらい、衝撃を受けた。
もうあんな小説を書く作家、いなくなりましたね。
読む前のイメージが「苦悩する知識人」というウェットなものだっただけに
邪宗門の雄大な構想力、明晰で容赦のない文体に圧倒されました
最近のものでは
故たかもちげんの『祝福王』が邪宗門を引き継ぐ傑作だと思います
こちらは漫画ですが共通のスピリットを感じました
684 :
吾輩は名無しである:2005/06/16(木) 06:30:20
高橋和己って893がいるから警察いらないって言ってたな
おまいはくだらんことばかり覚えてるな
686 :
吾輩は名無しである:2005/06/16(木) 18:35:32
>高橋和己が評論
なにがオススメかい?
687 :
吾輩は名無しである:2005/07/07(木) 21:55:43
川村湊が最も優れた批評家だろう
ミナト自演乙
689 :
吾輩は名無しである:2005/07/11(月) 22:09:07
川村湊いいと思うがなあ
690 :
吾輩は名無しである:2005/07/21(木) 20:47:45
川村二郎ならまだわかる。
評論家って男か女かわからない名前が流行ってるんですか?
まあ男なんだろうが
またの名を左門豊作
693 :
吾輩は名無しである:2005/09/03(土) 23:02:57
磯田光一の「殉教の美学」の文庫化を。
磯田光一なら『比較転向論序説』の方がいい。
それより、寺田透の評論を文庫化しないと。
『ことばと文体』あたり、どや?
磯田光一なら『比較転向論序説』より『戦後史の空間』じゃないかな。
そんなん、とっくに新潮文庫になったやんけ。
>>696
698 :
吾輩は名無しである:2005/09/04(日) 19:52:21
そしてすでに絶版。
>>698 元版も文庫版も、まだ古本屋ですぐ見つかる。
まあ文庫化したところで、五年と持たないで品切絶版では、あまり意味無いね。
学術文庫も文芸文庫も学芸文庫も、在庫切らすの早過ぎ。
701 :
吾輩は名無しである:2005/09/04(日) 23:33:31
「左翼がサヨクになるとき」は売れると思うんだがなあ。
いま必要なのは、『右翼がウヨになるとき』では。
でも、磯田光一みたいにバランスが取れて、さらに洒落のわかる、
そんな適当な筆者がみつからないな。
福田和也と斎藤美奈子と糸圭秀実と宮崎哲弥と大塚英志を足して五を掛けた位の筆者が。
死んじゃうと評価が上がるもんだなぁ
さいごまで便利屋の中堅評論家として使いまわされていた不遇な人
というのがリアル磯田
まぁ本人も余生のつもりだったかもしれないけどね
左翼がサヨクになるときは
大西巨人の猛攻撃で木っ端微塵に粉砕されたという印象しかないな
磯田と言う人は70年代の日本共産党を
リアルポリティクスとみょうに持ち上げてみたり
この手の話題では今ひとつトンチンカンなところがあった
いや、晩年の『思想としての東京』『鹿鳴館の系譜』『永井荷風』など、
文学誌(史ではなく)でやっと資質を開花させたんぢゃないかな。
マ、開花しても結実はこれからだったし、洒落のわからんところが疵だけど。
>>704 実は大西巨人はあれで磯田を攻撃するよりずっとずっと前にも、
対女性倫理の似た問題を別の人から指摘されて噛みつき返したことがあった。
だから磯田が大西について述べた印象は必ずしも的外れではなく、
昔から読者に共有されたものではあった。
>昔から読者に共有されたものではあった
大西の決めぜりふだと「俗情との結託」ってやつね w
大西があんなことにムキになるのは、内心痛い所に触れられた気がするからでないの。
本人に言ってみたらどうですか
すると、泉下の磯田光一本人の霊にも言分を聞いてやらなくっちゃね。
711 :
吾輩は名無しである:2005/09/05(月) 21:58:17
>>703 「便利屋の中堅評論家」というレッテルは的外れじゃないかな。
そういうレッテル形容によって切り取られた磯田像しか見えないのは不幸。
磯田と大西の関係も不幸というかすれ違いだった。
712 :
吾輩は名無しである:2005/09/05(月) 22:54:43
ってか、大西巨人は不幸な対面ばかり、幸福な遭遇なんてないのでは。
それは半ば自業自得、自分で孤立してるんだから、もう勝手にやらせておけ、だ。
大西は再評価著しいんじゃないのかなぁ
神聖喜劇なんてけっこう若い読者を獲得してるよ
三島の自決でもっとも深く傷ついた文学者は
もしかしたら磯田光一だったのかもしれない
もはや余生と漏らしたそうだけど
どこか自己実現の夢を断念したような気配は
その後の「仕事きっちり」路線からも感じ取ることができる
永井荷風論やそのバイプロダクトである東京論が
素晴らしいことについては同意だが
>>713 読者との出会ではなく、712は文学者同士の関係や論争を言ってる。
716 :
吾輩は名無しである:2005/09/06(火) 23:54:15
磯田って人は思ったよりも気の小さい、心配性なところのある人だったらしい。
大西巨人の文学論争を「不幸な側面ばかり」「自分で孤立」
と総括するのは無理がありそうだね
「天路の奈落」をめぐる磯田サヨク論への批判は
磯田らしからぬ軽率な図式化が痛撃を受けただけで
言いがかり的な陰湿さは感じない
「俗情との結託」論争における真空地帯批判も
大西が神聖喜劇を完成させたことで検証の場が読者に開かれている
文学者、批評家のあいだにおいても現在の大西が孤立しているとは言えない
吉本隆明た柄谷行人らの例外的な高い評価も大西再評価に拍車をかけている
むしろ大西は偶像が破壊されなかったただ一人の戦後文学者かもしれない
なので
>>712の
>ってか、大西巨人は不幸な対面ばかり、幸福な遭遇なんてないのでは。
>それは半ば自業自得、自分で孤立してるんだから、もう勝手にやらせておけ、だ。
という批評がどこからやってきたのか逆に興味がある
だって大西巨人のリゴリズムって我のみ正しの独善性の裏返しでしょ。
中卒を感知しました
720 :
吾輩は名無しである:2005/09/07(水) 01:18:05
>大西ファンなら下記へ
ていうか
>>714が発言の中心なんだけどな
生きてるうちは偶像も反撃するからな。
大西は生涯の仕事で見ればそれほど評価されてない気がする。
とりあえず出会いの幸不幸は仕方ない。
生きてれば物理的なとり返しは可能なんだし。
というトンチンカンな人にイチイチ反応した私が軽率でしたw
それにしても
>図式の解りやすさと整理力
と
>>714の関係はやはり気になります
>>723 もしかして720=722だとか誤解してる?
725 :
吾輩は名無しである:2005/09/07(水) 02:51:35
磯田ネタで盛り上がってるね。
もちろん磯田にも欠点はなくはないが、
720のいう「図式の解りやすさと整理力」はその通りだし、
それが「バランス感覚」でもあるんだろう。
鳴り物入りの派手なパフォーマンスはないが、
それでいて決して表面をなぞるだけではない深みもあるよ。
なんで磯田光一は『戦後批評家論』(1969)を再刊した河出文藝選書版(1977)で
序論「戦後批評史論ノート」を削っちゃったのかねえ?
悪くない整理だと見えるんだけど、何か文壇的に「配慮」でもしたのかなあ。
727 :
吾輩は名無しである:2005/09/08(木) 00:20:48
結構磯田光一は読まれてるみたいでびっくり。
今は読まれてない
ムカシは定番だからオサーン連中は一通り読んでる
「低学歴」批判をする批評家はいませんか
磯田は「戦後史の空間」だけ読んだことがあるが
つまらなかったなあ。
731 :
吾輩は名無しである:2005/09/09(金) 03:19:39
「戦後史の空間」つまんなかった?
そこそこ面白かったけどなあ。
少なくとも福田とかスガとかよりは。
んなカスと比べても
いや福田のが上
734 :
吾輩は名無しである:2005/09/09(金) 21:45:13
磯田光一は賞にはめぐまれてるね。
735 :
吾輩は名無しである:2005/09/10(土) 07:11:46
サントリー、芸術推奨のほかに何かあったっけ?
736 :
吾輩は名無しである:2005/09/10(土) 12:26:41
磯田の「思想としての東京」「永井荷風」「鹿鳴館の系譜」「戦後史の空間」は
すべて受賞していた記憶が。
>>733 それは勿論、福田恆存の方が上でせう。磯田光一自身も認めてゐました。
738 :
吾輩は名無しである:2005/09/10(土) 15:51:41
>>737 今その文体を半端に実践すると、ただの退嬰的なフェチに陥ることが実感できた。
やめれ
739 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 17:08:15
ぜんぶだめ
740 :
:2005/09/10(土) 20:37:10
文学と都市空間の関連性については
前田愛が明治期をやり、磯田光一がその後を継いだ。
>>738 表記を「文体」と一緒くたにしてはいけない。なぜ退嬰的なのかも、理解に苦しむ。
>>740 磯田・前田は同時期で、文学史から文学誌への転換でも相互に合流、どちらが後継でもない。
742 :
吾輩は名無しである:2005/09/11(日) 00:59:26
>>741 正字正かなが「表記」であって「文体」ではないとする理由は?
また、それがconservativeだという意見に理由を求めようとするのは、理解に苦しむ。
>>742 「木曾路はすべて山の中である」――この文に正字正かなと新字新かなの差は無い。
「國境の長いトンネルを抜けると雪國であつた。」と
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」とで、「文体」の差がどこにある?
「それはまだ人々が「愚」と云ふ貴い徳を持つてゐて」と
「それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持っていて」とで、「文体」が別か?
語彙・語法・修辞のどれにおいても差異が無いのに、「文体」が異なると呼ぶのは無理。
conservativeを退嬰的のことだと決めつけるのはネガティヴな表現で、
保守思想に対して偏見が過ぎる。同意してほしければ理由を示すべきだな。
>>742
丸谷才一が旧仮名に拘るのも、
旧仮名はコンサヴァだけのオモチャじゃないぞ、
とアピールしたいということかな?
746 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 02:46:25
もう長いこと、文藝批評は文体論を曖昧にしすぎた。
恐らく、構造主義言語学以降の語り論とともに、寺田透に学ばねばなるまい。
747 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:52:42
>743
そこに「文体」の差がまったくないんだったら、吉田のケンちゃんも丸谷のサイちゃんも
あほなこだわりをもってるヘンクツ屋にしかすぎなくなるんじゃね。
>>747 なぜ文体に拘泥するのはよくて、表記に凝るのは駄目なのか。あほはそちら。
749 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 23:08:46
だめだこりゃ
どうでもいいがジジイ二人は敬老板にでも逝ってくれ
どうでもいいが吉田と丸谷をジジイ呼ばわりするなよ>750
丸谷の歴史的仮名遣いはどこかサマになってないよね
田舎もんが無理に江戸弁しゃべってるみたい
ていうか、バカの一つ覚えみたいに
>さあ、だうでせう
って言われても困るんだよなぁ
>>752 どうでもいいが意味不明。舊假名遣でも「だうでせう」なんて書かないし。
>舊假名遣でも「だうでせう」なんて書かないし
ふーん
じゃ何て表記するの?
歴史的仮名遣いで、どうでしょう
スレ違ひなのに、自分で調べもせずに無闇とたづねるのは、
スレ汚しの迷惑になるだけだと思ひますが、どうでせうか。
無理に假名遣を改めるやうな田舍者だからでせうか。
756 :
改訂:2005/09/12(月) 00:20:10
丸谷の歴史的仮名遣いはどこかサマになってないよね
田舎もんが無理に江戸弁しゃべってるみたい
ていうか、バカの一つ覚えみたいに
>さあ、どうでせう
って言われても困るんだよなぁ
どうでもいいが、依然として意味不明だな。バカの一つ覺えは
>>756かと。
さて寝るか
759 :
吾輩は名無しである:2005/09/12(月) 00:23:18
マニエリスム的観点では?
丸谷の旧仮名は風俗だからな。
旧かなは80年代のヲタっぽい。
ガイナックスとか、ああいう連中のノリを想起させる。
>>761 さうさう、批評家でいへば山崎正和とか桶谷秀昭とか長谷川三千子とか、
どいつもこいつもあにめおたくなんだよね?
愛國戦隊大日本とかな
戰隊、だらう。知らぬなら無理に使ふな田舍者。
>>763 武藤康史なんかも昔は舊假名だつたな。
彼がオタク臭いといふなら、それだけは當つてゐる。
へんなのが頑張ってるね
764がキモオタなのは確定
旧かなって品格ある香具師が使わないと、ただの軍オタに終わる。
いま多くの者が新かなを使用するのと一緒で、
正字正かな使用も特別なことではない。昔はみんなが使った。
それを「文体」だとか「品格」だとか、ヘンに入れ込みすぎ。文学板だから?
漱石なんて当て字のオンパレードだしねw
旧かなを反時代的な美学とかんちがいしてる人は
反俗を仮構する俗物@橋川文三
丸谷の文章の卑しさも
その辺から来てるんじゃないかな
>>767 むしろ766とか、妙に拘って歴史的仮名遣を排する奴の方が
「反時代的美学」主義に縛られてるみたいなんだけど、どうよ?
「@橋川文三」てのは「©橋川文三」のつもり?
反俗的俗物ってのはもとは花田清輝の言葉だよね。
福田恆存も似たこと言ってたし、磯田光一好みの語でもあるが。
770 :
769:2005/09/12(月) 01:44:42
まぁあれだな
ダンディズムとしては
意志的に新かなに移行した大岡昇平の右に出るのはいないだろう
772 :
吾輩は名無しである:2005/09/12(月) 01:49:18
でも、附和雷同で流されて新かなに移行した奴と区別がつかないのが玉に瑕。
>>771
目くら千人、目あき千人
大岡の主体的新かな移行については
具眼の士によって論証されてるし
全集でその前後の文章を追体験することもできる
>具眼の士によって論証されてるし
だれよ? 大岡自身が言ってることを具眼とか言ってもさ……。
>区別がつかないのが玉に瑕
本人も言ってるのに区別が付かないのはヴァカじゃん
>>775 大岡が新かなの文章すべてに、私が新かなにしたわけは……とか前書きつけてるとでも?
(でも本当につけたら本多勝一の本みたいになるな)
一冊とか数篇だけ読むのが大半で、大岡の文章をすべて読む全集の読者ばかりではないわな。
777 :
吾輩は名無しである:2005/09/12(月) 02:26:53
>反俗的俗物ってのはもとは花田清輝の言葉だよね
中野重治。バカはもう書きこむなって
「わたしは、これまで、その種の紳士たちを、反俗的俗物と呼び、
かれらにたいしては俗物以下の待遇しかあたえてこなかった。」
――花田清輝「反俗的俗物」、初出『文學界』一九五五年四月号
さて、これに先立つ中野重治の使用例を挙げられるかな?
>>777
あぁこいつらアフォや・・
言葉尻で何熱くなっとんねん
781 :
:2005/09/12(月) 20:49:25
かな遣いネタでこんなに盛り上がるとは(笑
とにかく松原は論外として、福田、吉田、丸谷より
花田清輝や大岡昇平、磯田光一のほうがソフィストケートされてるじゃないかな。
まあ字面におけるマニエリスティックな表現の可能性はあると思うけどね。
鑑賞批評家としての、日夏耿之介(無論正かな)。
783 :
吾輩は名無しである:2005/09/12(月) 21:52:27
>とにかく松原は論外として、
あらら松原新一は論外か。可哀想に。
あれで六〇年代末から七〇年代にかけてはブリリアントな新進批評家だったらしいぞ。
何か「家庭の事情」で十年以上沈黙して、九〇年代に活動再開したが、昔日の面影は無いとさ。
(ナニ、松原正? 誰だ、ソレは)
784 :
吾輩は名無しである:2005/09/12(月) 22:36:01
「絶望からの出発」の人か。
うむ
宮台クンですな
それは解説書だろ。
>>784 『怠惰の逆説 広津和郎の人生と文学』(講談社、1998)、とかさ。
やはり齡を取ると、人生論に陥るものなのかねえ……。
787 :
吾輩は名無しである:2005/09/13(火) 11:31:33
で結局、
>>777のバカは、中野重治による使用例を挙げられないのかな。
あぁこいつアフォや・・
言葉尻で何熱くなっとんねん
789 :
吾輩は名無しである:2005/09/16(金) 00:30:00
790 :
吾輩は名無しである:2005/09/17(土) 00:10:00
磯田の話に戻るけど
「思想としての東京」はつまらなかったな。
「戦後史の空間」は面白いけど。
何がどうつまらなくて面白かったのか、最低限説明入れろや。
792 :
吾輩は名無しである:2005/09/17(土) 01:36:29
787が戦前の中野を知らないことだけはわかった
793 :
吾輩は名無しである:2005/09/17(土) 01:40:41
>>792 早く中野重治全集から「反俗的俗物」の用例を示しておくれよぅ。
あぁこいつアフォや・・
言葉尻で何熱くなっとんねん
知識欲に燃えてると言ってくれたまへ。さ、早く用例の出典を示して頂戴。
実際、俗物論の系譜を辿るってのは面白いよ。井口時男のスノビズム論にもつながる。
グロテスクな教養はダメですか先生
高田里惠子か。
『文学部をめぐる病』もさ、ナチスだの戦争責任だののよくある弾劾は主題でなくて、
むしろ断罪論をうまくやりすごしながら、或る文学的俗物のパターンを浮彫りにした所が面白いのに、
政治的思考に縛られた頭の古い人らは、あれすらも個人攻撃や戦犯追及として読むんだからなあ。
小谷野敦ですら個人的コンプレックスに拘泥して読めてない。楽しみ方を知らないよな。
庄司薫の赤白黒青四部作も忘れんでケロ(涙
なんで庄司薫が出て来んの。薫君は俗物ってか。
800 :
吾輩は名無しである:2005/09/17(土) 07:08:34
キンとギンも書いてケロケロ
801 :
吾輩は名無しである:2005/09/17(土) 09:58:39
福田恆存と中野重治って接点あったの?
福田の中野重治論は、その短歌的叙情を徹底批判したものだった。
まだ花田清輝の方が福田恆存とつながる所があるね。磯田光一がしばしば併立させたみたいに。
803 :
吾輩は名無しである:2005/09/18(日) 17:22:29
793消えたね。中野重治全集9巻読んで逃げた?
9巻の、何て文章よ?
それに、花田清輝は中野から「反俗的俗物」って語を借りたのかい。
先輩、もっと本読んで出直して下さい
「中野から借りたのかい。」と今ハラにげても遅いっス
単なる質問だべ。
それと、「今ハラ」って?
「いまさら」の先輩の田舎の方言っすw
結局、中野の出典は? 初出年月は? 他の俗物論との関係は? 全部曖昧。
東北の水飲み百姓を怒らせると怖いぞー
たいしてこわくないよ。
現政権の票田だし。
東北は征夷大将軍によって徹底的に植民地化された地だ。
811 :
吾輩は名無しである:2005/09/20(火) 16:38:09
先輩、馬鹿にされてますよ。
花田全集もって立ち上がって下さい。
805って東北ズンだったんか。
↑ゴメン806の間違い
「今ハラ」とかワケわからんこと言ったのは805ではなかと?
あと、中野重治は「反俗的俗物」とは言っとりゃせんけえのう。
815 :
吾輩は名無しである:2005/09/21(水) 20:22:24
東北人キモイ吸収弁使うな
>>815 吸収弁じゃなかとよ。
>>814の2行目はおっきゃまーがどっかあっちゃの方じゃろーが、
吸収弁はそげん下品じゃなかと、上品かとよ。
せめて一行ごとに訛りを変更するとか、814を見習って工夫せなあかんで。
>>816
818 :
吾輩は名無しである:2005/09/22(木) 00:07:16
花田派の負けだねこれは
議題:結局、中野重治は反俗的俗物といつどこで言ったのかについて。
東北の百姓はしつこいってホントな
>>816 「おっきゃまーが」って何ずら? なまりがキツくてわからんぞなもし。
>>820 花田清輝が
そんなことを言ったのか? 戦争中の中野については批判しても
戦後は肯定していたろ。好きな作家を訊かれると中野重治の名をあげた。
ちなみに嫌いな作家は、宮本百合子、だった。
>>823 あんた、読み違ってるよ。誰も花田の中野評価なんざ問題にしてねえっつの。
花田清輝は「反俗的俗物」(1955)って文章を書いたが、
それに先立って中野重治にその語を使った論があったかどうか、がいまの疑問。
825 :
吾輩は名無しである:2005/09/22(木) 00:44:54
>>824 花田でも中野でもどっちだってかまわないが
「反俗的俗物」って言葉ならもっと昔からありそうな気もする。
言葉はともかく、當人は反俗のつもりだが実は俗物って指摘はありがちかも。
これと逆で、福田恆存の「俗物論」には俗物的反俗物が出てくるね。
わざと俗物のふりをする反俗的精神の持ち主のアイロニー。
花田が中野を肯定していた事実は
東北にはまだ伝わっていない。
議論の筋と関係ないな。
そんなニベもなくはねつけたら可哀想だろ、
中野の出典を挙げられなくて必死に話をそらしてるのに。
830 :
吾輩は名無しである:2005/09/22(木) 01:00:39
>>826 ふむふむ。それならありがちじゃないね。
いや、それも最早ありがち、ってのが福田の結論ではなかったっけか?
>>824 なんだ、そんなことを議論していたのか。
解答:無い
>>803 第9巻・・・「芸術に関する走り書的覚え書」か?
「反俗的俗物」という表現が出てくる文章を引用するのが一番早い。
今いるなら書け。
そうすれば議論に即決着がつくだろう。
中野の「芸術に関する走り書的覚え書」は1929年初版
花田の「反俗的俗物」は1955年初出
キミらは何がしたいの?
で結局、
>>777の阿呆は、中野重治による「反俗的俗物」の用例を挙げられないのかな。
東北人そう興奮するなよ
↑中野の出典を挙げられなくて、話をそらすのに必死だな、ト。
わたし女子高生だけど
それがどうした、俗物め。
なんで正面に座るの?
で結局、
>>777・
>>803は、
中野重治による「反俗的俗物」の用例を挙げられない、と。嘘つきメ。
粘着は嫌われるゾ♪
嫌って貰って結構だな、嘘つきや知ったかクンには。
どうでもいいけど中野重治って評論随筆読むとイヤな奴だよな。
>>845 そうか? 転向に至るまでとか、戦後の「近代文学」派批判とか見てると
マッチョになり切れないか弱いロマン主義者って感じがして微笑ましいが。
>>846 近しい仲間を口汚く批判して切り捨て、我独り尊しの態度でぬきんでようとするのが卑しいよ。
左翼にありがちだねえ・・
保守も脳内左翼を煽るときは口汚いよ
福田が森嶋道夫叩くときとか。
850 :
吾輩は名無しである:2005/09/23(金) 11:54:02
敵を敵として罵倒するのと、同志に対して口汚く内輪揉めするのとでは、また別では。
花田清輝なんかは、内容は公式主義で糞つまらないけど、とにかく藝があって読ませるね。
森嶋はラディカルではあっても左翼とは言えないだろう
マルクスを数学的に純化し解体した偉業は不朽の業績
福田のようなちんぴらが喋々すべき人物ではない
ラディカリスト森嶋の真骨頂は
自伝的エッセイを読めばおのずと理解できると思う
考えの突きつめ方、人の悪さ、能力と胆力、出処進退の潔さ
どれをとっても福田なぞ足元にも及ばない
そんな信奉するほどご大層な人物かねえ。
>>851
853 :
吾輩は名無しである:2005/09/23(金) 12:18:56
>>851 自伝でその人物を判断するなら、世の中はたぐいまれな偉人だらけw
森嶋通夫って文藝評論はやってないから、スレッドの対象外だな。
経済評論家でも石橋湛山なら若い頃に文藝時評もやってて、全集に入ってるけど。
福田ごときにマジレスする電波もいるんだね
あ、みんなのコトじゃないよ
中川某とかいうガマの油の先生
同じ福田でも、恆存と和也を保守と一緒くたにするなよ。
明治維新は左翼アナーキズム革命
保田與重郎も左翼アナーキストヒョーロンカ
という人だからね>ガマの油先生
両福田の区別もついてない可能性があるなぁ
858 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 15:02:01
森嶋を煽ったのはもちろん恆存な。
よく福田恆存が神聖視されているのを目にするけど、
森嶋の叩き方に対しては、「人文乙」と言いたい。
859 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 21:05:18
福田恆存の良さがよくわからないんだが・・・
吉田健一の良さがよくわからないんだが・・・
862 :
吾輩は名無しである:2005/09/25(日) 12:18:03
福田恆存や吉田健一はまだ読まれてるっぽいけど
平野謙って最近ぜんぜん読まれてないんじゃね?
863 :
吾輩は名無しである:2005/09/25(日) 12:49:10
福田恆存より福田和也のが上
>>862 少なくとも『昭和文学史』なんかは教科書として読まれてんぢゃないの。
「古い記憶の井戸」はどうなん?
本多秋五じゃない?
平野謙とか本多秋五なんかは読んだことがないアホなオレ。
868 :
吾輩は名無しである:2005/09/28(水) 23:21:07
竹内好も読まれてなさそ
ことしになって中国で静かなブームみたいだね
>竹内好
中国ポストモダンの俊英
孫歌女史の竹内好論も最近邦訳されて
何やら逆輸入の様相
870 :
吾輩は名無しである:2005/10/02(日) 05:38:06
>>863 福田和也って抽象論に弱いからすぐ忘れられそう。
871 :
吾輩は名無しである:2005/10/02(日) 08:48:01
おまえら細谷博っていう評論家ご存知?
872 :
吾輩は名無しである:2005/10/02(日) 09:05:03
評論家に最も大切な資質をあえて一つ挙げるとしたら何すかね?
はったりの強さでは
雨の日も風の日も悠然と書き続けることと
自分が変化したことをどの時点でもきっちり分かるようにしておくこと
本気?
本気でない人が文章など書いてはいけません
福田和也あたりが駄目なのは
「いやぁアレは冗談だよ」という逃げ道をいつも用意している点です
自分が変化したことをどの時点でもきっちり分かるようにしておくこと」
なんか無理だろ。いくら本気になったって。
政治家なら答弁用に常にねつ造しておく必要はあるだろうけど。
「文芸評論家」にはそんな必要はないね。
読むほうが変化を読み取ればいいだけの話。
それを「無理」と知ることこそ誠実さや知性じゃないのかな、
もちろん、「あれは冗談だよ」と逃げ道を作るのは、それとまた別。
まぁチミの好きにやってくれ給え
879 :
吾輩は名無しである:2005/10/04(火) 01:15:54
海外文学に弱い批評家はいらないと思う今日この頃。
カラタニや蓮実は退場ですか先生
881 :
吾輩は名無しである:2005/10/04(火) 01:23:18
カラ&ハスは海外の批評には強いから>880
同業者の情報にくわしい便利屋みたいなものだよね
海外文学に見識があるとは思えないな
最近ぶっとんだのは亀山郁夫のドストエフスキー論かなぁ
スタブローギンの告白を骨の髄まで読み解いた悪霊講義や
スターリン学にまでつながる壮大な構想の大著に震撼させられた
海外文学を血肉化するってこういうことなんだと思ったよ
亀井さんは研究者で批評家のつもりはないだろうけど
いやしくも文学に興味のある人なら読まないと損
何より行文がデモーニッシュで白熱してるのがいい
ちょっと古風だけど立派な批評家といっていいと思うよ
885 :
訂正:2005/10/04(火) 01:43:04
亀井さんじゃなくて亀山さんね
ごめんなさい
二次(三次?)生産者としての謙虚さを
持ってる人がいいけど、それだと「研究者」になってしまう?
そう!それ!
謙虚さがないとだめだよね
887のような香具師に限って謙虚な研究書を退屈がるものだよ
889 :
吾輩は名無しである:2005/10/04(火) 05:00:41
882から887あたりの人と友達になりたい
890 :
吾輩は名無しである:2005/10/14(金) 03:43:46
中村光夫のよさってわからない。何が彼ならではのすぐれたところなの?
891 :
吾輩は名無しである:2005/10/14(金) 05:24:25
ですます調で一見謙虚なようでいて、実は辛辣で傲慢なところ。
何だ、それだけなのか。年は取りたくないものです、ってか。
>何さ
まで読んだ
894 :
吾輩は名無しである:2005/10/21(金) 18:15:12
スガ秀実は批評家としての力量はともかく、人間性に好感がもてる。
895 :
吾輩は名無しである:2005/11/07(月) 20:41:11
人間性なんかどうでもいい、書いたものがすべて。
「批評の人間性」ってか? それも、書いた文章の品格の問題さね。
897 :
吾輩は名無しである:2005/11/07(月) 20:52:31
僕はバカだから反省しない
と言えること。
↑やあい、バーカ、バーカ。
899 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 21:52:17
日本にまともな評論家はいませんよ
900 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 22:29:07
なら外国で、どんなのが「まとも」な評論家なの?
901 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 22:32:56
評論家っつーかもう学者だよね。
イーグルトンとか
左翼偏向のイーグルトンが「まとも」だってんなら、
平野謙だって糸圭秀実だってまともな批評家だよなあ。
903 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 22:37:39
イーグルトンは学者・研究者としてはどうかね。
交通整理が取り柄の概説屋さんでしょ。
904 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 22:41:19
アカデミズムに属しているかいないかに関わらず、
学問的に論文を書いているかいないかの違いでございます。
主張の左右は無関係でございまして。
小林秀雄を筆頭に評論家は日本にはいません。
大学教授が作家論や文学史研究として書いたものは
味気ないのですが論文です。
そういう観点から致しますと
柄谷などを持ち上げる不思議な方々が多いですが
理解しかねます。
学問的に論文を書くのは、学者や研究者であって、評論家ではないぞ。
むしろ欧米の「評論」は狭い大学人サークルで流通する言説に過ぎず、
日本にくらべ一般読者相手に評論家が活躍する場に乏しい。
906 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 23:00:59
評論が「論」であるかぎりは理論的に書く必要があるのですが
花田清輝や小林秀雄などをみれば分かるとおり、ちっとも
そうではないのです。
自分はこう思うということを、言うなればその人の口癖とでも
呼べるものや学問用語を用いなくても、同様な意味内容を
示すのに大掛かりな言い方でそれをするなどをし、
また、口語的に書いていることも挙げられますね。
小林が批評のスタイルを作り上げてしまったというのは
このことと言えるのではないでしょうか。
いわば仲のいい間柄で時事を皮肉など交えながら
語り合う、そんな感じの口調、文体で書いてしまうという。
907 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 23:03:56
偏見もはなはだしい。↑
>評論が「論」であるかぎりは理論的に書く必要があるのですが
何らかの形で論理的である必要はあるが、必ずしも理論的である必要は無いよ。
あんた、サント=ブーヴやエドマンド・ウィルソンを評論と認めないつもりか。
908 :
家出猫:2005/11/16(水) 23:05:53
渡部・柄谷・スガ先生よりも清水伊津与先生の方がかなり内容が難しく、ものを書くには役に立つと思ってるおれがいる。
口語的ってことなら、『文学生活』のアナトール・フランスとかとか、
欧米にもcauserieの伝統があるっての。
作家にして評論家を兼ねるのは多くはそれだ。
てか、日本の批評家もそれらに学んだのに。
910 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 23:31:12
私、ちくま文庫に収められているプルーストやボードレールの評論を
読んだことがありますから、あなたのおっしゃりたい事はよくわかります。
また、多くの人に理解を得ようとする目的から、ですます調と平易な表現に
よったものも日本ではとても多いものです。
しかしさきのフランスのものも含めまして、それは広義の意味での評論文となりましょう。
いくらか論理性に欠けていても内容理解は可能ですから。これは何も軽蔑ではなく
われわれの日常行う会話においてまったく当てはまるものですのでそう申し上げるまでです。
遅まきにこんなことを申し上げるのはとても僭越ではありますが
かつてヨーロッパでは自著を出版する以前に内容の検討として
書簡のかたちでさまざまな識人と対話を行いました。先に論理性を
云々しておきながら大変ずうずうしいのですが言わせて頂きますと
この書簡におけるスタイルというものがのちのちになって先に述べました
著述家に引き継がれているのではないか、と勝手に推測しております。
それに加えてフランス特有のモラリスト(モンテーニュなど)の影響も
考えられると思っております。
何に致しましても彼らはアカデミッシャンではありませんでしたね。
イポリット・テーヌは教授でしたが。
911 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 23:35:29
909さんがおっしゃるのは
随筆のたぐいのことですね。
>>910 はあ? 全く話がズレとるな。いろいろ間違っとるし。
ですます調の評論は日本では多くない。中村光夫は例外的だ。
広義もクソもあるもんか、それは十分に「評論」なんだよ。勝手な狭義の定義をしてもダメ。
「アカデミッシャン」であるか否かとかも関係ないことだし。
ティボーデの『批評の生理学』における有名な三分類でも勉強してから言ってね。
ブリュヌチエール流のアカデミックな「職業的批評」はその一類に過ぎない。
913 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 23:46:20
論理的かそうでないかを私は言ってるんですが
914 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 23:48:59
評論であるためには論文である必要がありますよね
915 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 23:49:42
サント=ブーヴやエドマンド・ウィルソンは論文が書けませんでした。
916 :
吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 23:50:34
>>913 あれえ? 「理論的」ではなかったの?
>>907の批判を受け容れたのかな。
それに、アカデミズムに属した教授批評家でなければ論理的ではないとでも?
ジッドやヴァレリーやによる非学術的な作家論は、論理的ではないってかい。
>>914 ありません。評論は論文の子集合ではない。
>>915 残念でした。学術論文も書いてます。でもそれと評論は別よ。
918 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 00:07:52
あーつまりなにかを評する調子で書かれた文章を評論とよんでもさしつかえないってことですか。たしかにそれはそうですね。
919 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 00:08:36
エドマンド・ウィルソンは学術論文は書けそうですが
ブーヴは本当でしょうか。
920 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 00:10:06
ああ、卒業論文がありますもんね
無知もいい加減にな。
サント=ブーヴは『月曜閑談』だけでなく、大学教授として古典文学講義を書いてる。
922 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 00:15:28
>>918 「さしつかえない」ではなく、それこそが評論の定義だろ。何言ってんだか。
923 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 00:18:24
初めて知りました 自分でも調べてよんでみます
..
reviewやcriticが論文形式の文でなければならないと決めつける方が間違ってるわな。
927 :
鼎:2005/11/17(木) 00:34:44
そうでしょうね。但しそれを歪曲して、単なる独我論的断定を、批評と勘違いしている人も多いような気がするけど。
うむ。断定するには、それなりの論理を見せなきゃな。
論証の限りではレトリックもありだが。
929 :
鼎:2005/11/17(木) 00:47:40
928 竹田青嗣が、自分の思考が正しいと思い込むことと、自分の思考を正しいものにしようと努力することとはまるで違う、と言ってました。後者のためには論理が必要となる。あなたの言うのは恐らくそういうことかと思います。
まあ、竹田青嗣なんかに説かれたかないがね。
931 :
鼎:2005/11/17(木) 01:10:06
おや、竹田は嫌いですか?それは失敬。でもあれは竹田の考案したオリジナルな考えと言うわけじゃないですから。というかすぐれて論理的な思考とか、正しいテーゼというのは誰かに帰せられない。だから、まあ、気にしないでください。
ばかがですます使うとコントの台詞にしか見えない。
中村光夫は?
934 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 11:28:55
レヴューやクリティックは論文でなくては絶対にいけません。小林秀夫なんてたしかに文章はかいていますが「なんのことだかわからない」ので完全にアウトです。
ブーヴやウィルソンも評論として認めない方がいいでしょう。
935 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 11:35:37
バルトも何のことが書いてあるのかさっぱり。
ブルトンは論外。
ジュネットなんかもキチガイ読みを発展させたに過ぎずこれもだめ。
世界中の刊行物が生硬な論文でなされることを願う。
935の基地外っぷりがあきらかになりました
937 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 11:38:14
レヴューやクリティックは論文でなくては絶対にいけません。
つれないな。
939 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 11:51:00
ああ、論理への希求・・・・
数学・・・
釣れないって。
941 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 12:07:50
大学教授として古典文学講義を書いてる
論文でなくて教科書ね
942 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 12:08:34
あれえ? 「理論的」ではなかったの?
>>907の批判を受け容れたのかな。
それに、アカデミズムに属した教授批評家でなければ論理的ではないとでも?
ジッドやヴァレリーやによる非学術的な作家論は、論理的ではないってかい。
ナニ興奮してんだバーカ
>941-942
無用な空白開けるナ! 見づらいだけだバーカ
批評家である江藤淳の学位論文「漱石とアーサー王傳説」は、
大岡昇平の批評によって実証的にも論理的にも否定された。
ここでは結局、小説家の評論が勝利を収めたわけだ。
946 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 13:36:37
あの、お仕事は?ww
947 :
吾輩は名無しである:2005/11/17(木) 13:41:12
わかったうちの大学にもブーヴ選集あったからのぞいてみるわ
解説ばっかだな。持論はないのかよ。
そんなこといって、解説できてる気になられたら困るだろ。
誰に言ってるんだ?
951 :
吾輩は名無しである:2005/11/18(金) 10:08:21
E.ウィルソン立ち読みしたよ。論文じゃないね。
時代的制約(その時代その時代特徴的な書き方があるということ)を度外視しても
ブーヴの講義録なんて論文ですらありませんでしたねwwwwwwwwwwwwwwwwww
昔と今では論文の書き方も違ってるのに。馬鹿だなあ。
それに評論は論文ではないってのが、まだわかっとらんらしい。阿呆やなあ。
講義録が「論文」なわけないだろ、語ったものなんだから。ナニ言ってんだ?
>>951
954 :
吾輩は名無しである:2005/11/18(金) 11:23:25
>>904>>906>>910 の文章がそもそも論理的ではない。
文学の場合、理論的に論理的な論文は、ほとんど的外れ。
個人的には、評論も論文も単なるブックガイド。
しかし実作者側の批評不信もよくあるが、ほとんどが頭悪いか己惚れかだし。
俺の場合、もう小説なんかなくても批評・評論だけあればいいけどね。
文藝誌の目次の右側に用はない。
956 :
平下流:2005/11/18(金) 21:07:41
オイラここに名前が出てくるのは柄谷行人ぐらいしか読んだ事がないんだけど、
柄谷行人好きっていないの?評価低いの?
959 :
吾輩は名無しである:2005/11/21(月) 21:20:00
960 :
平下流:2005/11/22(火) 02:20:27
>>1 その他もろもろの中に加えてもらいたい人。
林房雄、河上徹太郎、平野健、山本健吉、中村真一郎、丸谷才一
961 :
平下流:2005/11/22(火) 02:24:30
平野健は平野謙の間違い。
958
教えてくれてありがとう
ある知的水準のレベルを越えた事を認ずる人達の間では、
柄谷行人のファンであるってのは恥ずべき事であり、まるで女子供の読むものの様な嘲笑の対象ですらあるってのは知らなかったよ。
でもオイラ、それ以外はあんまり読んだ事ないし、柄谷行人が結構好きなんだけど、何がこんなに評価を低くするのだろう?
誰か親切な人教えて下さい。
「今が駄目」と「全部駄目」は違う。
「小林秀雄好きはバカ」と言いたがる人が多いのと同じで。
読み物として面白いと思ったらそれでいいんだよ。
どうでもいいけど「オイラ」という一人称は、旧かななみに
先入観を植え付けるので、やめたほうがいい気がする。
「認ずる」とか書いてる時点でバカっぽいけど。柄谷のことは柄谷スレで訊くべきだし。
レスどうもです。
しかし、「オイラ」と書いて注文をつけられ、
「認ずる」と書いて馬鹿と言われ、
「柄谷」はスレ違いだと文句をつけられる。
まったく難しいトコで、オイラにゃココはあんまり向いてないらしい。
でも割りと親切な人がいるから、もう少し教えてもらいたいのだけど、
「小林秀雄好きはバカ」と言いたがる人は何故そう言いたがるのか、ならそういう人は誰ならいいと言うのだろう?
それと、近代日本の文芸評論家を論じるスレなら柄谷を出したって場違いではないでしょう。
教えてばっかりですまんです。
>>965 あんまり文学板って大したことないね。
具体的な話を出すとレスがつかないんだよな。w
「柄谷はもうダメでしょ」とかきいたふうな口をきく
やつばっかり。なんの根拠もない。
久しぶりに来てみたけどあいかわらずだわ。
。
他に「通りすがり」で書きこんでる人がいるから
これからコテハン名乗るかな。
>>965 とりあえず、柄谷は、タイトル忘れたけど雑文をあつめたやつで
その中のマクべス論が出色のできばえだったな。あれは結構オリジナリティ
があったと思う。
968 :
吾輩は名無しである:2005/11/22(火) 16:15:32
過疎板だからな
969 :
吾輩は名無しである:2005/11/22(火) 16:30:36
今の若い人、20代前半の人には、柄谷ってわりと低く評価されてる気がしないでもない。
むしろスガやワタナベあたりを有難がってる傾向が…。
30代の人なんかにしたら、スガやワタナベってのは柄谷や蓮実の亜流でしかないじゃん、
という認識じゃないかと思うんだが。
40代以上の人にしてみれば、柄谷なんてのは江藤や吉本に較べたら…なんて認識なんだろうな。
でも、いま文庫でまとめて読める批評家って小林、柄谷、江藤、吉本ぐらいだよな。
没後も全集なり著作集がでそうなの上記に蓮実しか無理そうだし。
971 :
吾輩は名無しである:2005/11/22(火) 22:54:46
2chの意見なんか鵜呑みにするなよ
柄谷行人読んでても恥ずかしいことじゃないし
でも色んな人の本読んだ方がいいことは確かだね
972 :
吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 00:48:00
なんか伸びがよくなってきたなあ。
柄谷はやっぱ『日本近代文学の起源』でしょうな。
「風景」というありふれた言葉をスリリングな概念に変貌させたよ。
>>966 こないだもどっかのスレで思ったけど、すごいせっかちな人がいるよね。
普通三十分とかでレスつくものなの?
つかスレの終わりも近いのに、瀬沼茂樹や高橋義孝、大岡信すら出てこない。
加藤周一は?佐々木基一は?
結局近代日本文芸評論家というよりは、近年メディア露出の多いはやりの評論家
少々と、作家の片手間仕事ばっかじゃん。程度が知れるね。
975 :
吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 02:02:55
だからここは2chだって
アホかこいつらは
>>973 >すごいせっかちな人
ん?
これ、俺のことか?
さて、一日たったわけだが、多少でも内容にふれたレスは972だけなわけだ。
あとは文壇内の流行り廃りとか評論家の名前の列挙だな。
さて自分も内容のないレスじゃ恥ずかしいから前のレスに少し補足。
「マクべス論」で柄谷がそれなりにすごいのは、シェークスピア劇の中で
とりわけ「近代的」な趣を有するこのマクべスという人間について
まったく革新的な見方を提示していることだ。
他人の解釈の引き写しではなく、従来の解釈にほんの少し訂正を加えた
ものでもなく、土台となる部分から人に転換をせまる読みを披露している。
たぶん2ちゃん文学板の人間は古典中の古典シェークスピアなど読まず嫌い
ですましていてピンとくるやつはほとんどいまいが、もし「マクべス」を
読んだことがあるならば、また、英文学専攻の人間がいるならば、この
論考は読んでおいて損はないと言っておきましょう。
>>975 なるほど。おまえにはちょうど居心地がいいわけだな。
だから邪魔しないでくれ、というわけか。
978ってずいぶん粘着質の通りすがりだねw
何が気に入らないのか知らないけど、965のオイラみたいな疑問て
自分でいくつか読んでみて、自然に何となく分かっていくべきものであって、
読む前から人に説明してもらうようなものじゃないし、
そういうのいちいち答えるのめんどくさいし、というのが
読書する人の感性のような気がする。
>>977 シェークスピア全作マジ読破しますたが、
柄谷には全然感心しないし別段革新的とも思わねえすが、なにか?
柄谷って本人が尊大ぶってるだけっしょ。屁理屈小理屈大風呂敷。
広げすぎてたたみ方がわかんねかったりして…。悲惨じゃねーの実際?
「全作マジ読破」とか「なにか?」とか「だけっしょ」と書く人よりは
多分悲惨ではない。あ、どさんこだったらごめん。
マクベス論なら福田恆存。柄谷のはいま読むと内容空疎。
だから、蓮実重彦、柄谷行人あたりはもう
「近代日本文芸」じゃ無いだろって。
>>1に出てるのだと、せいぜい江藤淳までだろ。
何読んだ以前に、スレタイ読めない奴ばっか。
>>981 ちょっと2ちゃん語勉強してから来な、おっさん。
枝葉末節はどうでも、中身中身。本質を衝いているかどうかの勝負。
小林秀雄じゃないけれど、何をじゃなくて、どう書くか
(書かれているか)が文芸だろ。
本質を衝く。
何によって。
>>980 おまえね、「マクべス論」について言ってんだからそれについて
反論してくれないかな。
まあ柄谷全否定でもいいけど、それにしたってどこがどういう具合に
感心しないかもうちょっと具体的に言えないものかね。
まったく1行レスばかり得意なやつばかりだからな、2ちゃんは。
「〜は感心しない」「〜はダメ」「〜はバカ」、こんなレスばっかりだね、
あいかわらず。
>>982 おまえも「マクべス論」読んで言ってんのか?
どこが内容空疎か言ってみなよ。
俺は福田のマクべスにも感心したが、柄谷のを読んだのはそのあと。
「マクベス論なら福田恆存」なんて言うが福田の何を読んで言ってんの?
>>983 >だから、蓮実重彦、柄谷行人あたりはもう
>「近代日本文芸」じゃ無いだろって。
なに、こいつは。
おまえの「近代」の定義はなんだよ。
なんなんだよ、いったいこの文学板のレベルは。
>>966 逆に訊きたいが、今は、「近代」か?
近代や現代の定義というより、世代論としてまぁ、第三の新人あたりまでが
せいぜいじゃねぇのかなと。明治から昭和初期にかけてと、現代を同列に
語るのもね。人は世につれ〜というけれど、文学もまた同じ。同時代人として
三島辺りまでを語るのと、今の時点から振り返って言及するのは違う。
だから大雑把に、筑摩の現代日本文学大系まで(笑
内容じゃなくてな。
異論は多々あるだろうが、その場合あらためてこちらから、
「じゃあ今は、近代か?」と問いたいね。