そのうっとうしい文体止めれ
953 :
吾輩は名無しである:2006/08/21(月) 16:41:14
ギリシャは多くの島々からなる地域で交易史の痕跡を探るにはもってこいの場所
曰くミニチュア世界なわけや国内でもあり国外でもあるちゅうことでマルクスがここ
せめたろと目ーつけたわけやないのそんなことぐらいわからんマルクスちゃうできみ!
つか、きみほんまにカラダニちゃんとよんどるん、なんか誤解してはるわw
アソシエーションの達成は、
日本のアメリカ同盟重視の政治姿勢と矛盾しないカタチで追求されねばならないよ。
要点は『軍事力の国連委譲』を全世界の国家に自主要請する国際関係環境づくりだよね。
つかたにさんは日本の知性としてその方便を考えなきゃだめだよ。
ちなみにぼくは
完全な国内民度啓蒙によって自由主義を『国際福祉主義』に導くしかないとおもふ
教育において学歴主義を徹底するようなことがその専らの手段だとおもふよ
[今日の学閥主義ではない]
つまり、何ら学歴の無い者は一切ホワイトカラーになれない社会風紀を養生すべきだ
専ら、いわゆる「高学歴」の基準を修士課程卒業のレベルまで引き上げるべきだとおもうふ
全入時代に学部卒なんか腐るほどいる
そんな奴らはみんな雑魚、という風紀にしなきゃだめだ
東大を頂点とするエスカレーター式に硬直化した縦割り教育組織を柔軟に横並びにし直して、
社会人入学や編入や教育引き抜きをもっと自由にし、
大学組織の風通しをよくすればだいぶ変わるとおもふ
「院卒学歴のないやつは何やらせてもだめだ」といふ気持にみんな、普通にならなきゃだめだ
その為にも、法律上の成人の年齢を25にまであげたらどうか
院卒しなきゃ一人前じゃない、という気風を養生するには調度いい
ニート対策にもなる
文体の所為で全く読む気が起きずスルー
柄谷の前にきちんとまず宇野を読んだら。
そうすりゃ資本論の意義も限界も含めて
アソシエーションの意義と限界が明確になると思うよ。
>>943 それはもう柄谷じゃなく当たり障りのない一般論。
960 :
吾輩は名無しである:2006/08/22(火) 04:58:25
神田うの派マルクス主義
アワレw
>>959 おまえの方がはるかに憐れ。
読んでみたらくっだらねーことしか書いてなくて
その気持ち倍増。
かなりバカだね。
963 :
吾輩は名無しである:2006/08/22(火) 06:49:31
64 :無名草子さん :2006/08/22(火) 06:30:00
柄谷が福田和也に禅譲とか言って
その後に文学の終わりを発言。
某証券会社の、会見で泣いて謝ってたオッサンを思い出す
ちゅーかじんみたい
他人をみると、すぐばかあつかい
あわれw
965 :
吾輩は名無しである:2006/08/22(火) 07:02:21
ねー(w
しょっぱい自演レス乙
わかったw
>>962=低学歴にーと
でしょ
あわれw
ぼくは学歴主義の徹底とともに、
『教育の再挑戦機会の増大』も提出していることに注意せよ。
つまり
『頑張るやる気』さえあれば誰でも成長していける社会体制が
→『国際福祉主義』
→国際協調への導き
→被覇権国の共和
→アソシエーショニズムの各国実践
という筋道への方策だとおもふ
今は一本道のエスカレーター式で、然も途中に高ーい壁を廻らしてるからダメだ
再挑戦不可能だから10代で人生決定指向=学閥主義が蔓延る
もっと教育機会を自由化させなきゃだめだ
今のは階層固定化の仕組みだから、アメリカみたいに官僚主義が誇大化するのだ
968 :
吾輩は名無しである:2006/08/22(火) 11:12:35
柄谷愛読者の一部の感性がたまたま俺(→)への反応で垣間見えたと思う。目新しい用語を駆使している割りには旧態依然な左翼の感性を維持していることがもろ書き込みに滲み出ていた。もっと自己解体すべきだ。でなければ大衆の支持など得られるわけがない。
>>967 徒手空拳でこんなとこに何か言うだけならいくらでも言える。
実践がまるで伴わない、アフォの戯言。
柄谷や蓮實の劣化引き写し。
ニュー速あたりのクズバカ共の前で披露してみろw
袋だたきで終了。
>>968 卑小な枠内でしか物事を推し量れない。
ここを読んだり書いたりするやつは、
自己解体以前に、自己確立すらできてねーよw
昼間の愚衆まじめにあわれ
972 :
吾輩は名無しである:2006/08/22(火) 12:33:24
オナニーと煽りしか能がない。
ググってみたらキチガイか。
構った方が悪かった。
974 :
吾輩は名無しである:2006/08/22(火) 21:17:42
喫煙倫理の欠如あわれ
ヲエ
アソシエーション=開かれた相互目的の社会は、
自由の相保性によって倫理関係を互恵へ、つまり
『義の勧め』に導くよ。
いい例だよ(^o^)
978 :
吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 02:42:44
アソシエーション=煙草を捨てる自由な個人と、拾わされる不自由な個人の連合体?
>>978 個人同士が互いに自由な倫理的選択を勧める関係=アソシエーション
だよ
他者を目的として扱うとは、自由と他由を認めることだよ
全然違うけどね
981 :
吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 10:59:25
問題は柄谷が採用するカントの命法にあると思うのです。《他人の人格を手段としてでなく目的として扱え》だったと思います。
で、柄谷この命法を彼の提唱する運動の導入にしてますよね。倫理的だと思いますよ、これは。そうして、そこにカントの命法を→
982 :
吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 11:22:37
→使わなければならない、という箇所が、やはり開かれた運動を阻むと思います。というのは、主体に倫理的方向性を強いてゆくでしょう。主体に倫理的方向性を強いる、という所がかつての左翼運動と変わってないのです。これはそもそもカントの命法が反‐物象化の→
983 :
吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 11:27:54
→思想として読み替えられることからこうなるんだと思うのですが。つまり、やはり柄谷においてはカントはマルクスの補完として採用されているに過ぎなくなっている。そのような読み替えは自由を産まないと僕は思いますよ。
アソシエーショニズムは社会主義ではありません。
それは自由主義と社会主義を止揚したような『第三の社会思想』です。
自由の互恵制=アソシエーションは人格同士に強制力を与えません。
たとえばからたにさんがタバコを道端に捨てたからって、
それは他人からの倫理的監視以外の理由で
――つまり自律した主体によって――制限される筈はないのです。
社会主義と異なるのは、個人対個人の関係が自由をゆるしあう前提に置かれていることです。
>>981-983 カントもマルクスも自分の言いたいことの援用するのに
読み替えてるだけなんで本人はずっといい加減だし、
そもそも旧来の「運動」に荷担するつもりなんてさらさらない人でしょ。
>>985 最近になって言ってることって、
消費=生産協同組合っていうのは、トフラー(←元トロツキスト)の”プロシューマー”と似てるし
アソシエーショニズムだって、アメリカのマネジメント思想に通じる。
蓮實との対談「闘争のエチカ」では、「トフラーとかドラッカーとか、
あんなのをアメリカの知性だと思われちゃ困る」みたいに言ってたけど
案外、この辺の学者と柄谷が最近言い出したことは近いんじゃないの?
ただ、日本の知識人は、ヨーロッパを持ち上げ、
アメリカ(東部はギリギリ・セーフで認める)を馬鹿にする
っていうポーズの人が多いから、
形だけでも西欧哲学史の裏づけを欲しがるんで、
そういう人向けには良いんじゃないか?
若い人は、もう「アメリカよりヨーロッパの伝統のほうが上」って
あんまり思ってないだろうけど。
「アジア的発展段階」をもじって言うなら、
現代社会は「アメリカ的発展段階」やな
988 :
吾輩は名無しである:2006/08/24(木) 01:00:35
寅栗って本、高いね
からたにさんの認識が間違えているのは、
福利主義は資本の拡大による環境破壊しかもたらさない、という点だよ。
福利主義の究極は調整効率の最適化=厚生だからだよ。
従って福利主義は環境問題を解決する、現在見つかった限り唯一の筋道だよ。
功利的名誉が環境福祉を方法に用いるのは想像に難くない。
だからカント的自律法が福利主義より上位にある、という論旨は正しくない。
むしろ両者は互恵共存しなければならない、かたわ思想です。
カント的自律法は内面を、福利主義は対外活動を指導するような文明思想ではないの。
近代文学=小説が社会思想の伝播装置として終焉し、
代わりに春樹的娯楽商品がポストモダンちっくな言葉の戯れに走るだけ。
よって、『知的な私』は文学に今後興味を持たないだろう。
これが柄谷さんの近代文学終了論旨だよね。
ぼくは実際のところ、文学の究極は『日常文』にあると思うよ。
それまで、文面の理想的範例という価値は保ち続ける。
文学が知的階級の思想的娯楽としてではなく、
純粋な「文体の知的実験」になる歴史的な流れは寧ろ、
哲学的エクリチュールに威圧され続けて来た文芸にとって非常な高尚化だと思う。
文学は語法を操る技術の美学として再定義されるべきだ。
そこから現代文学は新たなカタチで蘇生する筈だよ――恐らくは、
小説=再現的虚構のそれより遥かに高等で知的な『概念構成の芸術』として。
既成思想は、そこではもはや単に文体へ利用されるものに過ぎない。
New Association Movementの活動は趣味の議論だと思う。
それは大衆社会に対して今後もまったく影響を与えられない。
デリダが半永久の脱構築趣味の中で自己充足したような、「諦念」の残滓だ。
政経的に観ればNAMは単純に、閉鎖的思想界でキチガイじみた発想を騒いでいるだけだよね。
柄谷さん自身、「指導の象徴」として記録されればいい、としか思ってないでしょう。
共和主義(Associationism)の実践は
不買や生協を直接勧めたり、政治参加(engagement)したりすることによるのではなく、
ただ『大衆啓蒙』に見い出される。
なぜなら民主制国家の本質は世論の質だから。
もしリベラリズムを超えた地平が大衆世論に自覚されるならば、主権の止揚により
その時こそまず社会内共和体が自発的に形成される筈だ。
その輪はすぐ各国とnet workし、とある共栄圏ができあがる。
それが世界共和国の始まりになる。
992 :
吾輩は名無しである:2006/08/24(木) 02:46:37
>>もしリベラリズムを超えた地平が大衆世論に自覚されるならば
って随分時代がかった言い方やね大むかしやんw
リベラリズムのはるか前段階の自己決定も自己支配も達成できない衆愚に
何をかいわんやって話。
ネットに書きこめる程度の知力があれば、もう立派なネティズンだよ
995 :
吾輩は名無しである:2006/08/24(木) 10:28:29
NAM京都シンポジウムで浅田彰はNAMを資本主義を越えるものでなく、補完するものの一つとして解釈しているが、これは誤解じゃないですか?同じシンポジウムで柄谷は資本に転化しない貨幣、てことをNAMの運動としている。こんな初歩的な段階で誤解している→
996 :
吾輩は名無しである:2006/08/24(木) 10:31:33
→人をよく柄谷と並べて出席させたと感心する。浅田の発言自体は面白いんだけど、浅田の“資本主義の補完としてのNAM”は、柄谷も怒るでしょう。それでも浅田と同伴やめないところがまた面白いけども笑
おいおい、一体いつの話してんだよ・・・
柄谷セン生
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