1 :
病弱名無しさん:
病気や怪我と闘った人の話や
病気や怪我が生み出した感動するエピソードなど
涙を拭わずにはいられないような話を聞かせてください。
他人から聞いた話でもご自分の話でもどちらでも結構です。
げっつ
3 :
病弱名無しさん:02/09/03 13:40 ID:COTLwAMg
以前、妻がデジカメを買って嬉しそうに色々撮ってたけど、
そのうちメモリがいっぱいになったらしくて
メカ音痴な妻は
「ねえ、これ写らなくなっちゃったんだけど…」
と遠慮気味に相談してきた。
けど、漏れは面倒くさかったから
「なんだよ、そんなの説明書読めばわかるよ!
忙しいからくだらないことで話しかけるなよな!」
と罵倒してしまった。
その妻が先日亡くなった。
遺品を整理してたら件のデジカメを見つけたので、
なんとはなしに撮ったものを見てみた。
漏れの寝顔が写っていた。
涙が出た。
4 :
病弱名無しさん:02/09/03 13:43 ID:HaagkfLh
5 :
病弱名無しさん:02/09/03 15:14 ID:pu2ejaSO
知人の娘が3歳で亡くなった。
ウイルスが脳に入ったかなんかの病気だったと思う。
入院して1週間だった。
娘が入院してる時、知人の奥さんが病院のベッドで寝ついた我が子を見て
缶コーヒーを買いに外に出ようとしたら、
寝ていたはずの娘が「おかーさーん」と呼んだ。
奥さんがあわててベッドの傍に戻ったら
「おかーさん、心配掛けてごめんね」
と3歳の子供とは思えない言葉を消え入るような声で言って、
小さな手で奥さんの手をきゅっと握ったらしい。
それが最後の言葉だったとか。
6 :
病弱名無しさん:02/09/03 16:00 ID:xIylW1bZ
>>3 俺が読んだ事があるのは
「妻」じゃなくて「母親」だったよ
まぁどうでもよいが
7 :
病弱名無しさん:02/09/03 16:14 ID:qMMGNRHE
昔、付き合っていた彼女が精神的不安定で自傷癖や不眠症をわずらっていて、
その彼女のストレスがいつも俺に向けられた。いつしか俺もそんな彼女と一緒にいるのが
嫌になり、別れ話をきりだすことになった。彼女のことは好きだったけど
俺も若かったし、もっといろんな可能性を夢みていた。
俺が別れ話を切り出すと彼女は意外とあっけらかんとしていて「私も別れようって思ってた。」と言った。
俺はその時ちょっと安心して彼女の家を去った。帰りの電車の中でいままでの彼女といた3年間の出来事を思い出していると涙が出た。
彼女も同じ気持ちだろう、俺に気を使ってあんなに気丈に振舞っていたに違いないと思うと
ほんとに彼女に申し訳ないことをしたと思った。
今は俺も30になって結婚もしている。俺のかみさんは今はもう元気になって精神状態も安定して、
お互い幸せに暮らしている。
あの時電車を途中で降りて死のうとしていた彼女のもとに戻らなかったらどうなっていただろうとふと考えることがある。
8 :
病弱名無しさん:02/09/03 16:28 ID:wzhyQky+
>>7 彼女さん良かったね。
本当に良かった。
( ´Д⊂
9 :
病弱名無しさん:02/09/03 16:30 ID:G6I51BKQ
10 :
病弱名無しさん:02/09/03 16:36 ID:378AfHCg
以前は小児がんの子どもを持つ母の手記に記されていた話。
その5歳の男の子はお母さんがとにかく大好きで、自慢だったそうです。
でももう手遅れの小児がん。
ついにその時がやってきました。
男の子は、口も利けないほど苦しい発作の最中にもかかわらず
母呼び寄せ、こう言ったそうです。
「かあちゃん、僕が死んでも悲しんでばかりいるなよ。
ちゃんとお化粧しろよ。おばさんになっちゃ駄目だよ。」
その子の中では永遠に若くて綺麗なお母さんなんだろうな〜
11 :
病弱名無しさん:02/09/03 16:37 ID:wJwvtlbS
12 :
病弱名無しさん:02/09/03 16:53 ID:pUIWn2Ha
>>5 >>10 。・゚・(ノД`)・゚・。
その時の親の気持ちとか子供の気持ち考えると
マジ涙が・・・。
良スレの予感・・・
13 :
病弱名無しさん:02/09/03 21:40 ID:mXZu81l4
14 :
病弱名無しさん:02/09/04 00:13 ID:sdOPeHXS
あげ
15 :
病弱名無しさん:02/09/04 01:24 ID:hOqjpaZH
もうかなり昔になるけど俺には13歳も離れた兄がいた。
俺が小3の時に兄貴は白血病をわずらって亡くなった。まだ当時俺も幼かったんであまり現実味が無く
兄貴の死を受け入れることができなった。母親は兄貴が死ぬ前に「私が悪いのよ。こんな病気なるように産んでしまって、お兄ちゃんごめんね。」
って言って何度も泣きながら兄貴に謝っていた。
母親が泣いたのを見たのは後にも先にもその時だけだ。兄貴も泣いていたのを覚えてる。
おっさんになった今でもその時の母親と兄貴の気持ちを考えると、胸がかきむしられる思いがする。
俺は今度男の子が産まれるんだけど、子供には兄貴の名前をつけようと思っている。
16 :
病弱名無しさん:02/09/04 04:30 ID:kkczezaf
うぁ!このスレ・・・ホントにハンカチ無しでは読めない・・・
びぇぇぇぇえ(ToT)
なんてスレなんだ、思わず泣いちまった(i_i)この後えっちな看護婦さんスレは見ないでし(^^;
18 :
病弱名無しさん:02/09/04 05:51 ID:hOqjpaZH
妻が入院してる時、中学生になる姪っ子と一緒にお見舞いに行ったことがあった。
帰りの電車の中、姪っ子のふとした一言に切れてしまい、「うるせーだまってろ!」っと
怒鳴って、ひどく叱ってしまった。勿論そんな風に怒鳴ったことも今まで無かったし、姪っ子も悪気があって言ったんじゃないってことはわかっていた。
姪っ子は妻譲りの気の強い性格で、「そんなに怒んなくてもいいんじゃない」と言って次の駅で降りてしまった。
最悪の気持ちだった。
この先妻はどうなってしまうんだろうという不安や心配・ストレスを姪っ子に向けてしまったことをほんとに後悔した。
なんだか救われない気持ちと辛い気持ちでいっぱいになった。そんな時俺の隣に座っていた全く知らないおばあちゃんが俺に向かって
「さっきのお嬢さんもあなたのつらい気持ちがわかる日がくると思うわ。」っと言ってくれた。
なんだかすこしすくわれたような気がした。
19 :
病弱名無しさん:02/09/04 06:45 ID:cYwGEcQ1
祖母が弱ってきて、寝たきりになった時、遊び盛りだった私は
見舞いにも行かなかった。
母から、もう何もわからなくなってしまって意識もない、いよいよだと
聞かされて、さすがに心苦しく思い顔見せに行くことに。
病室に入ると、やせ細った姿の祖母がいました。
母に「手にぎってあげなさい」といわれ、そっと握ると
意識のないはずの祖母が手を強く握り返してきて、目からは涙が・・・
握った手のぬくもりから、幼い頃手をつないでいろいろなところに
連れて行ってもらった記憶か蘇って号泣してしまいました。
祖母がなくなったあと、遺品の中からスケッチブックが。
まだ意識のあった頃に病室で書いたと思われるそれには
私や、孫たちの絵で埋まっていました。
20 :
病弱名無しさん:02/09/04 13:47 ID:f3SPGRO0
涙あげ
21 :
病弱名無しさん:02/09/04 17:52 ID:tAAlP/bq
ポケベルがはやっていた時、私の父親もポケベルを持っていたんだけど、私がいくら説明してもうまく操作できなかった。
父親はその時から癌におかされていて、父親が死んだ時、病室の引き出しから一枚の紙がでてきた。
おばあちゃんやお母さんはその紙を見て「なんだろね、これ?」と言って私に見せました。
その紙には数字の羅列が書いてありました。
私は一見しただけでそれがポケベルで使われる数字を使った文章だとわかりました。
涙が出てきました。
「お父さんもがんばるから、おまえたちもがんばれ」と書いてありました。
22 :
病弱名無しさん:02/09/04 18:03 ID:u1IAmlPv
あぁ・・・いかんいかん、歳のせいかのぅ・・・。
最近やたらと涙もろくて・・・。
この前「北の国から」を2週連続で見て号泣したばっかしなのに・・・。
(≧Λ≦)
23 :
病弱名無しさん:02/09/04 18:12 ID:N+cujxVv
良スレですわ。涙で画面が見えません・・・
これは、すごい良スレ!
ほんとに涙なしでは読めない。
25 :
病弱名無しさん:02/09/04 20:25 ID:BAYtiWaJ
感動とか言うよりも、未だに思い出す度に
後悔の気持ちでいっぱいになって自分自身が泣けてくる話を一つ…。
多分と〜っても長いです。
長文苦手な方は読み飛ばしてくださいね。
私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、
なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。
そんなぎくしゃくした関係だったけど、
継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。
小学校4年になった夏休み、
私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
あんまり気が進まなかったけど、
断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。
現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。
しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
すごく苦しかった。
でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。
--------------------------------------------------------------------------
やばい、また涙が出てきた。
でも、今の自分を客観的に見るためにも頑張って続きを書きます。
あと1〜2レス続きます。
26 :
病弱名無しさん:02/09/04 20:32 ID:BAYtiWaJ
(〜続き)
気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。
一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言ってた。
ベッドの傍に、継母はいなかった。私は父に「あの人は?」と訊いた。
父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。
私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、
そのまま力尽きて下流まで流された。
その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。
私は次の日に継母のいる病室に行った。
継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。
葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。
私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に
「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。
あの子なら、命かけてでも守れる自身がある。
○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」
(〜まだ続きます)
27 :
病弱名無しさん:02/09/04 20:40 ID:BAYtiWaJ
(〜続き)
継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。
いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。
いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。
そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。
愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。
私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。
日記を読んではじめて、私は「お母さん!」と大声で叫びながら錯乱状態になり、
声が出なくなるまでごめんね、ごめんね、と言って泣いた。
ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。
年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。
(終わり)
28 :
病弱名無しさん:02/09/04 20:45 ID:BAYtiWaJ
こうして文章にして不特定多数の人が見る場所に晒してみて、
ちょっと気分が晴れました。
うまく表現できないけど、
もしかしたら母が見に来てくれるんじゃないかと思えるような。
29 :
病弱名無しさん:02/09/04 20:52 ID:vtA+skJK
>>28 凄いせつなくて、でも感動した。血のつながりばかりが全てではないんだね。
実の子をも殺す親もいれば、こんな風に、血のつながりがなくても、それ以上
のものを与えてくれる人もいる。
きっと今でも見守ってくれているでしょう。
30 :
病弱名無しさん:02/09/04 20:52 ID:di7mWf6A
立派やなあ。お話してくれておおきに‥(涙
31 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/09/04 21:05 ID:WRkCAv+a
私はおかしいのでしょうか?
私は精神的に圧迫されるときがあります。
それは「うんこ」を流すときなのです。
便器の中を覗くこともできません。
胸の鼓動を押さえつつ後ろを向かないように流します。
私はおかしくなってしまったのでしょうか?
昔はこんなことはなかったのです。
いつからかこのようになってしまったのです。
先日原因を確かめようと、無理やり流すときに凝視しました。
頭の中に次のような言葉が思い浮かんだのです。
「…造物主。…捨てるのか?…いやだぁ!」
流し終わった後、私はなぜか涙を流していました。
その日は私、会社から急いで帰ってきました。
朝出かける前にトイレに行ってから夕方までずっとトイレに行っていなくて
帰り道に「大」の方が急にしたくなったのです。
幸いなことに大事に至らず家にたどり着くことができました。
私はアパートに住んでいるんですが入り口のすぐ近くにトイレ併設のユニットバスがありまして
かばんを放り投げるとすぐにかけこみました。
気分よく用を足し、尻をペーパーで拭きました。
ズボンを上げ、ベルトを締めた後に水で流すためにペダルに手をやりました。
そのときです…どこからともなく声が聞こえました。
「…俺を捨てるのか?」
いい話だ
34 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/09/04 21:06 ID:WRkCAv+a
私は驚いて周りを見まわしました。
私は一人暮しですので部屋に人などいるはずもありません。
侵入者でもいるのかと思いましたがそんな気配もありませんでした。
また声が聞こえてきました。
「ココだよココ、今お前が輩出したものだ。」
私はびっくりして便器を見ました。
するとそこには目玉が二つ付いた私の排出物がいたのです。
私はあまりの混乱故にこの状況…排泄物に目や口があることを不思議に思いませんでした。
「お前は何者だ?」と、つい聞いてしまいました。
「何者?答えるまでもないよ。今お前が出したものだ、アホか?」
私はなぜ自分の排泄物にアホ呼ばわりされなければいけないのかと
腹立たしくなってきました。
「なぜお前みたいなうんこにアホ呼ばわりをされなきゃいけないんだ。俺は造物主だぞ。」
するとうんこは冷ややかに笑いこう言いました。
「確かに俺はお前から出てきた、そういう意味ではお前は俺の造物主なのかもな。
は!じゃあその造物主様は自分の子供をどうするんだろうなぁ?
育ててくれるのか?愛を与えてくれるのか?どうなんだ?
違うだろ?汚い下水道へ流し込むんだろ?しかもそんなことお前は忘れるんだろ?」
「お前は俺に何かしてくれたのか?俺は元は肉であり、穀物であり、野菜でもあった。
お前はそれを栄養として摂取し有用な養分を自分の力として取り入れた。
俺はその残りカスだ。お前に作られたものでありながら捨てられるんだよ!」
私はその言葉に頭を金槌で殴られたような衝撃を受けました。
私は自分だけのことを考えていて彼のことなど忘れ捨て去ろうとしていたのです。
35 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/09/04 21:06 ID:WRkCAv+a
私は何とか彼を保存できないかと考えました。
しかしながら狭いアパート内にためて置ける場所などもありません。
せめて写真にでも残しておこうかと思いましたが、それを人にでも見られたらもはや社会復帰できません。
どうすればいいのかわからくなり、いつのまにか私は涙を流していました。
すると彼は再び語り始めました…
「俺をどうしようもできないことはわかっているよ
一時はお前の一部として体内に居たんだからな。
ただ、俺のような存在も居たって事を忘れて欲しくなかったんだよ。
親が苦しんでいるのを見て楽しいと思う子が居るわけないだろ。
いつまでもこうしているわけにもいかない。俺のことを本気で考えてくれたのはわかった。
それで俺は満足だよ。さぁ、流してくれ。」
私はしかし流すことをためらいました。
彼はやさしく語り始めました。
「どうして流さないんだ?お前の気持ちはもう十分わかったよ。
俺は確かにこのまま消えるが俺の一部はすでにおまえの体の一部になっている。
俺もこのまま流されても、いつか地中の養分となり作物や動物の肉を介して再び戻ってくるよ。
さあ、お別れだ。俺の旅立ちを見送ってくれ。」
私はもう一度涙を流すと彼を送り出すためにペダルをひねるのでした…
私は彼の最後の言葉を聞くと少しずつ水を流し始めました。
しかし少ししかひねることができなかったのでちょろちょろとしか水は流れず
彼を送り出すほどには至りませんでした。
彼はいらついた口調で
「早く流せ、思いきって流せ!」
と言いました。
36 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/09/04 21:07 ID:WRkCAv+a
彼はあらだたしい口調ではありましたが声が震えていたような感じでした。
私はついに思いきってペダルをひねりました。
彼は水流にのりくるくると回転しはじめました。
私はじっと彼を見つめていました。
彼は回転しながら語り始めました。
「また…戻ってこれるよね?僕はココでばらばらになるけど…きっと戻ってくれるよね?」
私はなにも言わずにうなずきました。
しかし、彼がまもなく水流で下水完に流し込まれる時にこの世のものとは思えない叫び声を上げました。
「い…いやだぁ!流れるのは嫌だ!死ぬのは嫌だ!お、おとうさん!いやだぁ!」
彼はじっと我慢していたのでした。私のことを気遣って。
誰でも死ぬのはいやでしょう。自分の存在が消えるのは嫌でしょう。
彼はその重圧に耐えきれなくなったのか最後の最後で緊張の糸がほぐれたのでした。
私は…私は情けないことに便座のふたを倒してその声が聞こえなくなるのを待ちました。
いつまでのその声は耳に残りました。そのまま朝を迎えました。
私はこのことを記憶の奥深くに封印して今まで生きてきたのでした。
37 :
病弱名無しさん:02/09/04 21:13 ID:ZlQG14M7
>>19 似たような体験してました。
当時の事思い出すと、ちと泣けます・・・。
おれも成長して(現在28)両親も年取って、この先どうなるかわからない年齢だし、今の内に出来るだけの孝行を
しておこうと思います。
いくらしても、やりつくせるもんじゃないんだろうけどね・・・。
38 :
病弱名無しさん:02/09/04 21:46 ID:cSkV/Q3O
肺癌スレは泣いた。
板違いだけど、半角の明日自殺するから画像くれっていう感じのスレもなけた。
どこいけば読めますか?
感動あげ!
40 :
病弱名無しさん:02/09/05 00:04 ID:7Lea79GW
。・゚・(ノД`)・゚・。
41 :
:02/09/05 02:00 ID:lY8U0aPg
高校生の時に付き合ってた人がデートの別れ際に私の目の前に交通事故にあった。
私が救急車をよんで彼は「全然大丈夫だから」と言って救急車に乗り込んだ。
ほんとにその時は全く平気っぽくみえて私も安心していた。でもその夜に彼が死んだ。
なんにも感じなかったし、彼が死んだことを受け入れられなかった。
お葬式の日も私は全く悲しいとかそういう感情もなくて、彼が死んだことになにも感じなかった。
そんな自分を責めたりもしたけど、どうしても悲しくなかったし、泣くこともできなかった。
周りはすごく私に気を使ってくれたんだけど、そう言う風に気を使われるのも私にとっては
うっとおしいだけだった。
半年ぐらい経って友達と死んでしまった彼のことを話していると
なぜだか急に涙があふれてきて私は泣き崩れた。自分でもびっくりするぐらい涙が出て、
悲しいって感情は無いのにどうして涙だけが出るのかわからなかったけど、
彼氏が死んでから半年経ったその時私は初めて泣いた。
42 :
病弱名無しさん:02/09/05 02:24 ID:PbfLq/H3
3〜4行でなかせてください、、!!
43 :
:02/09/05 02:58 ID:lY8U0aPg
>>42 ほい。
小学6年の時、答案用紙の年組を書く欄にウケねらいで「3年B組金八先生」って書いたら
翌日、担任の先生に呼ばれて「何でこんなこと書いたんだ? 金八先生みたいな先生がいい
のか?」って聞かれて、適当に「はい、そうです」って応えたら、先生が悲しい顔をして
「そうか...」とひとこと言って黙り込んだを20年経った今でも憶えてる。
44 :
病弱名無しさん:02/09/05 07:35 ID:ZYU7wnlJ
45 :
病弱名無しさん:02/09/05 07:57 ID:vqzJxDmG
まぢ泣ける・・・
俺的今世紀最大良スレ
>>1はビルゲイツ
話を提供してくれた方々は神
46 :
病弱名無しさん:02/09/05 08:07 ID:y3Ray4aC
ガンで3年前に亡くなった主人。
看病疲れでうとうとしてしまうと、必ず
自分の布団を私にかけてくれていた。
元気な時は口うるさくて頑固で、何をしてあげても
感謝の気持ちも何も表してくれなかった。
そんな主人の最後の言葉は
「いろいろありがとう。ひとりにして申し訳ない」
でした。
47 :
病弱名無しさん:02/09/05 09:45 ID:NLFkSXte
>46
旦那さんはきっと普段口には出さなかっただけで
本当はとても感謝してたんでしょうね。
シャイな人だったのかな?
48 :
病弱名無しさん:02/09/05 15:18 ID:9wlcJb0R
みんな人の死とかをちゃんと正面から受け止めた上で
ちゃんと乗り越えて、生きてるんだね。
「命」について考えさせられる。
49 :
病弱名無しさん:02/09/05 18:44 ID:psDGKTu9
そいつは生まれつき腎臓が弱く人工透析なしではいきられない体だった。
知り合った時は年の割には老けてるがなぜか悟りを開いたような
高僧の雰囲気を持った奴だなと思っていた。
頼まれた仕事はイヤな顔ひとつせず、いつもニッコリ笑って
引き受けてくれた。
少しはのんびりしろよ、と言ってもいつも頑張ってた。
そいつが昨日死んだ。幼い子供2人残して・・・
安らかな死に顔だった。
もう透析しなくていい。もう重い体で働かなくてもいい。
死の恐怖に怯えて生きなくていい。
子供の事は心残りだろうが、ゆっくり休んでくれ。
自分より若い奴の死はつらい・・・・
50 :
病弱名無しさん:02/09/05 21:21 ID:lWshFNid
私は看護婦で病棟に勤務していたことがあります。
整形外科が主なので、まず死んでしまうことは稀で
みんな手術が終わると元気になって退院していくことが多かったのです。
しかし、そこは混合病棟で昨日まで元気に花の世話をしていた人が亡くなるということもありました。
また、小児科病棟に異動になった時には
小さな子供が病気と戦い、亡くなっていく姿に耐えられず私は看護婦をやめました。
今は、一人でも多くの人が病気で亡くならないよう予防の分野を広めようと
保健師をしています。
みなさん、『親と健康のありがたさは失って初めてわかる』って本当ですよ。
51 :
病弱名無しさん:02/09/05 21:30 ID:XTb3z94R
みなさん、いい話ありがとう。
52 :
病弱名無しさん:02/09/05 22:03 ID:XH/djx1I
こういうスレこそageるべきだな
53 :
大工です:02/09/05 22:12 ID:nJgPFlOM
親方が脳腫瘍になり入院し毎日の様に見舞いに行っていたんだけど日に日に俺の事を誰だか判らなくなってきて奥さんや子供すら判断できず最後は自分自身判らなくなり亡くなりました。人生って…
54 :
病弱名無しさん:02/09/05 22:22 ID:T04uxRCf
このスレ読んじゃったら、この後半角行けないじゃないか。どうしてくれる、うるうる。
55 :
病弱名無しさん:02/09/05 22:32 ID:wxS3lLSd
「大学病院に行って下さい、紹介状を書きます」その言葉は何を意味するのか
大体さっしはついていた。嘘であって欲しいと願いつつも予想通り、小児癌の
宣告だった。これでもかこれでもかと抗がん剤の投与。息子は日に日に弱って
いった。私にできることといえば、面会時間ギリギリまで側にいることだった。
思い足と心を引きずり、病室を出て駐車場へ向かい、ふと病室の窓を見上げると
悲しそうな顔でずっとこっちを見ていた。私は病室に戻りたいたい衝動をおさえつつ
車を発進させた。ハンドルを握りしめ声を上げて泣いた。
泣く場所はそこしかなかった。フロントガラスはいつも涙で滲んでいた。
つづく
56 :
病弱名無しさん:02/09/05 22:43 ID:rxpAd8LC
泣きそうになるからこのスレは避けよう、って思うのに
また読んでしまう。ああ・・・。
>46
自分が死の床に居ながらもこの世に残していく
奥さんのことがきがかりに感じられるような
やさしいご主人だったんでしょうね。
泣けました。
58 :
病弱名無しさん:02/09/05 23:03 ID:t7cxZk7b
私が職場で倒れ、救急車で運ばれた時同じくして、
家で飼っていた犬が鎖から抜け出し、道で轢かれて息をひきとった。
入院中の私を気遣ってその事を教えられなかった私は
病院食の残りの食パンを「犬に食べさせてあげて」と両親に渡していた。
時が流れて、何かのTV番組の中で犬が主人の病気や事故の変わり身となって
死んでいくパターンがあると言うのを見て、私の場合もこれだったのかと
思ってしまう。
ありがとう、私は今日も元気に生きています。
59 :
病弱名無しさん:02/09/05 23:40 ID:vmQL6Sg6
グスン
60 :
病弱名無しさん:02/09/05 23:52 ID:QJWo1oAV
>>55 つ、続きは…?。・゚・(ノД`)・゚・。
61 :
病弱名無しさん:02/09/05 23:57 ID:teMRM65T
みんな
一度は
読みなさい。
62 :
病弱名無しさん:02/09/06 00:30 ID:V++4wZcW
55です
家に帰ると、娘が今にも泣き出しそうな顔で一人私の帰りを待っていた。
「お兄ちゃん早く元気になって帰ってくるといいね」とそんな会話をしながら
粗末な食事をわけあい、お風呂も一緒に入りそして手をつないで眠った。
それが娘にできる精一杯の愛情だった。そんな暮らしが一年続いた。
そして退院の日を迎えた。それまでの寂しさを埋めるかのように
釣りをしたり、お弁当を持って公園に行ったり・・・・
でも楽しい日々は長くは続かなかった。
恐れていた再発だった。
もう遅いので、また明晩。
63 :
病弱名無しさん:02/09/06 00:35 ID:bBf3hReH
>55.62
何かしらける。ネタの予感。。。
64 :
病弱名無しさん:02/09/06 00:41 ID:ei3GvLAl
65 :
病弱名無しさん:02/09/06 01:33 ID:4V3dCVl1
まじいいわこのスレ。
話提供者の皆さんありがとう。
66 :
病弱名無しさん:02/09/06 01:56 ID:ZaF6AlsP
俺も一つ
20歳の頃、一人暮らしをしている俺は遊びほうけていた。
たまに実家に帰ると、小学生の頃から飼っている老犬が気だるそうに顔を上げて
俺の帰りをよろこんでくれた。
尻尾をフリながら出迎えてくれていたが、繋がれた鎖はそのままで
散歩に行くことさえ俺は億劫になり、用事を済ませては、すぐに実家を後にした。
そんなことが1年くらい続き、21歳の誕生日に母から電話が入った。
誕生日のお祝いの電話と昨日、犬が死んだとの事の知らせだった。
なんだか不思議な運命を感じながら、しばしの間散歩に連れて行ってやれなかった
ことを悔やんで、泣いた。
67 :
病弱名無しさん:02/09/06 03:02 ID:/5oCcmM8
私も一つ
随分昔の話です。
とある病院の外科。13歳位の少年が、何の病気かは判りませんが、
体中にチューブを付けられ(点滴、静脈栄養、心電図などの計測機器、人工呼吸器等)
話も満足に出来ない状態にありました。
手術をしても成功率は低く、また成功しても5年生きれるかどうかも判らない。
その手術の前日。
主治医は少年のベッドの傍に座り、
「●●君、痛くないか?苦しくないか?」
と訊いていました。
痛くないわけがないのですが、少年は、点滴針が刺さった手をゆっくり持ち上げて、
ピースの形を作って医者に微笑みました。
それを見たDrは、その手を握り、
「そうか、頑張れ、手術一緒に頑張ろうな」
と言って、何度も何度も励ましていました。
結果、手術後少年は亡くなりました。
その主治医は自室で静かに泣いていたそうです。
長文スマソ
68 :
病弱名無しさん:02/09/06 06:11 ID:ei3GvLAl
69 :
:02/09/06 06:17 ID:Fva2t488
うんこ行ってこよ
70 :
病弱名無しさん:02/09/06 08:24 ID:YJhHWylJ
つづくのは冷めるよ。
できるだけ簡潔に、これ基本。
71 :
みなしごハッチ:02/09/06 08:26 ID:EF+eB2+b
72 :
病弱名無しさん:02/09/06 15:16 ID:8H+lemGG
続くのはいいんだけどね、
続きまでに時間が開きすぎるのはちょっとね。
1つの話は一気に書いてくれないと、ネタか?と思ってしまう。
73 :
病弱名無しさん:02/09/06 15:42 ID:Bp43zpX+
姫のホームページは泣けたねぇ。
色々あったけど、あそこが一番泣けた。
亡くなって3ヶ月ちょっとか。
はやいねー
74 :
病弱名無しさん:02/09/06 16:02 ID:KzW9IgEi
>>64のページの人ってどういう病気だったの?
ほかのページに行けないよ・・・。
76 :
病弱名無しさん:02/09/06 16:13 ID:0cQt+24V
77 :
病弱名無しさん:02/09/06 16:27 ID:KzW9IgEi
78 :
病弱名無しさん:02/09/06 17:55 ID:iOOJLbVZ
良スレアゲ
80 :
病弱名無しさん:02/09/07 04:51 ID:cfYLD4L0
1/2
私の祖母は今年の7月に死にました。
祖母は両親以上に私のことに気を使ってくれて、
家族の中では一番世話になったといってもいいくらいでした。
今年の4月、私は進学のため実家を離れることになりました。
そのとき祖母は癌でいつまで生きられるか解らなかったのですが
祖母は私が出発するとき見送りに来てくれました。
そして一ヵ月後ゴールデンウィークに家に帰りましたが、
もう祖母はほとんど寝たきりでほとんど話すことが出来ませんでした。
それからは祖母の様子を電話で聞いたりしましたが
状態はどんどん悪化していったようです。
81 :
病弱名無しさん:02/09/07 04:52 ID:cfYLD4L0
2/2
そして7月のある日、この日も何気に家に電話しました。
いつもどおり母が出て祖母の様子を聞いたところ、
「今おばあちゃんと話せるけど代わる?」と言われました。
せっかく話せるなら話そうと思い祖母に代わってもらいました。
しかしいざ話すとなると何を行っていいのか解らず
「大丈夫?」としか言えませんでした。
すると弱々しい声で「大丈夫だよ。そっちはどうだい?」と返ってきました。
「こっちも大丈夫、元気でやっているから」とだけ言いそれ以上は何もいえませんでした。
まあどうせ夏休みに帰るからその時にもっと話そうと思っていました。
その翌日、普段電話などかけてこない父から電話がかかってきました。
嫌な予感がしていましたが、それが本当になってしまいました。
それは祖母が死んだと言う知らせでした。
そしてすぐに実家に帰り葬式がありました。
今でもあの電話をした時の事を思い出すと
最後に話せてよかったと思う反面、とても後悔しています。
話せるときに話しておけばよかったと
長文&文章力無くてスマソ
82 :
病弱名無しさん:02/09/07 07:26 ID:sqyRofB6
83 :
病弱名無しさん:02/09/07 11:34 ID:xqMCDlQs
>>80-81 おばあちゃん・・・。(・_・、)
>最後に話せてよかったと思う反面、とても後悔しています。
気持ちわかるよ・・・。
84 :
病弱名無しさん:02/09/07 11:42 ID:FBYKJ8d+
85 :
病弱名無しさん:02/09/07 11:47 ID:GY9zIzNC
86 :
:02/09/07 11:47 ID:RD/H5WQ1
三つ下の妹がいました。体の弱かった妹は入退院を繰り返し、
そのたびに母が付き添うので、寂しくてたまりませんでした。
ある日、うちにいた妹に「妹なんていらない。犬の方がよかった。」
って言いました。「ワン!」って妹が言いました。半年後に妹は
この世からいなくなりました。どうしてあんなこといったんだろう。
ごめんね、お兄ちゃんがばかでした。
87 :
病弱名無しさん:02/09/07 11:57 ID:wD6m43Da
>84
そのスレは知らんかった。
まだ30代以上じゃないからね。
30代以下が書き込んでも「板違い」って煽られたりしない?
88 :
病弱名無しさん:02/09/07 12:00 ID:HxLlv3HQ
健康って大事だね
89 :
病弱名無しさん:02/09/07 12:10 ID:nbQdp4Ux
>>84の言い方になんか引っかかるもんがあるというか、
自分の価値観押し付けてるようにとれるのは自分だけ?
それに類似スレったって板が違うんだし。
別に「泣ける度数」を競争してるつもりもないんだけど。
別板の類似スレ紹介してくれるんならもっと言い方あるだろうに。
64の姫は詐病だったんでしょ?
んでも、いわゆる”お話”としては確かに泣けます
91 :
病弱名無しさん:02/09/07 15:08 ID:dmsWSvmX
>>89 まあまあ。
気持ちは分かるけど、マターリいきましょ。
92 :
病弱名無しさん:02/09/07 15:53 ID:ZrnMMEGX
93 :
病弱名無しさん:02/09/07 18:54 ID:K45Beu1q
大学病院に勤務していると、いろいろな悲しい場面に遭遇します。
でも、私が今まででどうしても忘れられないのは、あの事故です。
幼稚園に通う4歳の子を亡くされたお母さん。
母親がよその母親との話しに夢中になっているすきに、その子は園バスの
後ろに走っていってしまったそうです。
次の瞬間バスがバックして、子どもは弾かれ頭が割れた状態。
殆ど即死でしたが、病院に子どもが搬送されてきた時、お母さんは
半狂乱でした。
そして
「脳みそがでちゃった〜〜!もとに戻して〜
そうしないと死んじゃう〜〜〜!!!」と泣き叫んでいました。
亡くなったのを知ってもずっとこの言葉が病院内に響いていました。
あんなに悲しい叫びは聞いたことがありません。
94 :
病弱名無しさん:02/09/07 19:52 ID:oh3qwqQn
小学生の頃、俺は引っ越しばっかで全く友達がいなかった。
ってか、友達なんか必要ないって思ってた。
ホントは寂しくて仕方なかったけど、できあがった輪の中に入ることが怖くていつも一人で遊んでた。
たまに誘われても「どーせすぐ別れる」とか思ってたら愛想笑いして断るのが上手くなった。
で、小6くらいの時またいつものように引っ越しした。
だけど、そのときの引っ越しはいつもとはちょっと違ってもう一度同じ学校に戻ることになった。
小学校2年の時の学校に。
予想はしてた。
居る時間も短かったし俺のことを覚えてる奴はほとんどいなかった。
俺だって相手のことを忘れていた。思い出す気もなかった。いつものように一人で居た。
この年になると表面上つるむ事はし出してたけど大体は一人だった。
で、またその学校で過ごすようになって1週間くらいたった頃、一人の野郎が俺に封筒を渡してきた。
「おかえり。」とか言って。
何言ってんだ?こいつ。とか思って封筒の中身見たら、小2の遠足ん時の写真だった。
集合写真じゃなくて、俺と、そいつで撮ってる写真。
たまたま近くにいたから、気まぐれで、思いつきで撮った写真だろう。
撮ったことなんか全然覚えてなかった。
俺のアルバムはほとんど集合写真。
写真を撮らないから。
撮る相手も撮ってくれる相手もいないから。
家族は写真じゃなくてビデオばっか撮ってたし、ホントどのページも集合写真。
だからアルバムは嫌いだった。
「なんか捨てるに捨てれなくてさ。渡せて良かったよ。おかえり。」
そう言われた時、俺はヤセ我慢した。
無愛想に「捨てても良かったのに。お前アホやろ。」って言った。
ありがとうも言わなかった。
家帰った後、ずっとその写真眺めてた。
「もっと笑えよなぁ、俺。無愛想な顔しやがって。」とか言ってニヤニヤしてた。
・・・嬉しくて泣いていた。
まこちん、あん時はホンマありがとう。
今でも感謝してる。
95 :
病弱名無しさん:02/09/07 23:00 ID:QPD7POkk
>>90 あのサイトを閉鎖に追い込んだのは、彼女の病気が
「ネタ」だと信じ込んだ2chのラウンジ厨房達が
サイトを荒しに逝ったのが原因らしいです。
保守あげ!
97 :
病弱名無しさん:02/09/08 01:58 ID:rC9cJ//I
98 :
病弱名無しさん:02/09/08 03:07 ID:3ng92r0L
私の父親は白血病だった。小さな病院で肺炎といわれたが
不信に思った母が大きな病院につれて行くと即入院だった。
いまいち病気の恐ろしさのわからなかった私はどこかで自分の父親が死ぬなんて
ありえないとおもってた。
親孝行もまだ何もしてないのに、やっと仲良く話せるようになったのに。
発覚から一年後、愛犬が血液のとまらない病気で死んじゃった。
身代わりになろうとしたのかな。。。
だからぱぱも頑張った。でもどんどん衰弱して行くぱぱ、
ある日ぱぱの前の妻と娘が家に来た。二人で住みたいから頭金がほしいと。
ぱぱは言った。もうあげられるお金は自分が死んだとき娘に遺産を分けることしかできないと。
それでもずっと生きてくれると思ってた。
そして発覚から2年半後その日は来てしまいました。
子供たちに手をにぎられてしにたい。そう最後に言っていました。
ありがと。ぱぱ。ギュット手を握り締めて一粒だけ涙を流しました。
そしてぱぱは息を引き取りました。
一番つらいのはままに決まってる。だから涙をこらえました。
誰もいないところで一人思いっきり泣きました。
ぱぱの子供でよかったよ。ありがとう。
99 :
病弱名無しさん:02/09/08 12:28 ID:qGMAK41U
母方の曾祖母の話。
身内で唯一の曾祖母で私が会いに行くと「アイスでも買ってお食べ」と毎回
1000円をくれた。
毎回お金をくれるし温和な性格だったから、しょっちゅう遊びに行ってた。
曾祖母と祖母は同じ家から嫁に来ていて(曾祖母が養女だったらしい)、
曾祖母は気の強い祖母にいつも気を使っていた。意見を通すことは滅多に無く、
いつの頃からか晩酌にコップ1杯の日本酒を飲んで不満を忘れようと
しているように見えた。
いつからか私が小声で話すのは聞こえても祖母に話し掛けられると
耳の遠いふりをするようになった。
曾祖母の体調が悪くなって入退院を繰り返すうち、祖母はだんだん厄介者扱い
をするようになり、寝ているベットにはあまり行かなくなった。
曾祖母はお風呂が大好きだったが、介護で入浴させることは大変だったらしく
あまりお風呂には入れていなかったようだった。
曾祖母が危ないという話だったので駆けつけてみると、うわごとのように何かを
呟いている。
100 :
病弱名無しさん:02/09/08 12:29 ID:qGMAK41U
私も上手く聞き取れなくて「ぴいばあちゃん、お風呂に入りたいの?」
と言うと、大きく頷いた。握った手をぎゅっと握り返してきた。
私は必死に「ぴいばあちゃん、お風呂に入りたいって言ってるよ、
入れてあげようよ!」と言ったが、何年も介護している祖母に対しては
言わなかったことらしく、
「もう何も反応も無いし、そんなこと言うわけ無いよ」と言われた。
半泣きで「お風呂に入れてあげようよ」と繰り返したが、聞き入れてもらえな
かった。
内孫でない私が言ったところで聞き間違えにしか取ってもらえなかった。
ぴいばあちゃん、ごめんね。私がもっと強く意見を言えば、もしかしたら
お風呂に入れたかもしれなかったのに。ごめんね。
曾祖母が亡くなって10年以上が経ちました。
たまに曾祖母の手の暖かさを思い出しては涙がこぼれます。
自分にとって泣ける話でした。長文スマソデシタ。
101 :
病弱名無しさん:02/09/08 14:50 ID:I1RbouF5
>>93 以前オカルト板のスレで同じような事件のこと読んだ。
バスに子供潰されて、「誰か戻して〜!!!」って叫んでたっていう。
やっぱ同一事件なのかな。事故現場と病院の違いで
103 :
病弱名無しさん:02/09/08 15:44 ID:AD5m2LTe
肺ガンで亡くなった母は、医師に自分だけに告知するようにして、家族には病名を
言わないようにと言ってたらしい。
父は「ポリープがある」としか聞いていなかった。
自分ひとり病名を抱えて、退院後もガッツポーズして見せたり運動したり元気だったけど
体は痩せていった。
退院したのにどうしてと思ったのに、なぜかそれを聞くことができなかった。
ある日とても一人で動けなくなったとき、タクシーで病院に行って初めて父が母のレントゲンを
見せてもらった。肺中にたくさんの癌。。。
そして1ヶ月もしないうちに母は亡くなった。
遺品を整理していたら母の日記がでてきた。
家族のこれからの心配ばかり綴った日記。
もっと長生きしていろんなことしたいよ、と涙のあともあった。
健康に人一倍気遣っていたのにどうして自分が?と。
最後のページには「ずっと(自分を抜きにした)家族で
暮らせるといいね,お父さん」と記して終わっていた。
もしも病名を知っていたら、会社を辞めてでも一緒にいたのに。
どうして私は退院したからと安心して会社に行ってしまったんだろう。
一人で苦しんでいたかもしれないのに。
そんな私も結婚して家を離れたけど、週1回父の所へ顔をだす。
父は毎日、自分が食べるものと同じ物を朝と夜、母の仏前へ供えている。
私の母は入院中。
この前お見舞いにいって、医師の説明を受けた。
どうもステロイドを飲んでいると、間質性肺炎になりやすく、ましてや
喫煙をしているとなおさらリスクは高くなるそうだ。
最悪、肺気腫から在宅酸素療法もしくは死となる可能性もある。
私は、母に禁煙をすすめた。しかし、母いわく
「私が死ねば、住宅ローンはなくなる(母の名義なので)から生活が楽になる」
と言った。「この先、生活がよくなるってことはないし…」
確かに父の給与は私の半分近く。更に、弟はフリーターで借金している。
私も生活の援助をしたいけれど、自分でも住宅を最近購入し金銭面の援助はできない。
「死んでローンがなくなるかもしれないけど、死ぬのはイヤだよー」と言ったけど
あとの言葉が続かなかった。今までの母の苦労を知っているから…
こんなとき、うまくかける言葉が見つからず自分にくやしくて泣いた…
みなさんはこんなとき、何といいますか?
105 :
病弱名無しさん:02/09/08 15:50 ID:AD5m2LTe
103続き。
母が亡くなったあと1夜して家に帰ると、大事にしていたインコが、新しく飼い出して病院に行く前に
一緒のカゴに入れたインコに頭を散々つつかれて血だらけで死んでいた。
あまりにショックで、新しいインコをカゴから出し、大事にしていたインコのお墓を作った。
大事なものを一度に亡くし、辛かったです。
>103
。・゚・(ノД`)・゚・。
いいはなしをありがとう。
107 :
病弱名無しさん:02/09/09 14:53 ID:e2k4vx1f
あげとこ。
108 :
病弱名無しさん:02/09/09 15:01 ID:D7y1oQ8x
109 :
病弱名無しさん:02/09/09 15:36 ID:yJ+Q8+Xr
>>93 同じような場面を目撃しました。私が幼稚園の頃の話です。
私が見た場合は子供心にもの凄い衝撃と悲しみでした。
Aさんが外出すると言うので、BさんがAさんの子供を預かりました。
Aさんの子供(3歳くらい)やBさんの子供、私も含め数人でアパートの前で
遊んでいました。
Bさんがほんの少し目を離した隙にAさんの子供は道路の方へ歩いてしまった。
そこには運悪くスイミングスクールのバスがいて、発車しようとバックしてました。
…すでにバスはバックしていたんです。
そこにAさんの子供が飛び出してしまったんです。バスの運転手さんも見えなかった
と思います。(子供の頃の記憶なので)
今でも忘れられません。スローモーションのような画面で覚えています。
Aさんの子供が轢かれて脳みそが出てしまった場面。
Bさんが発狂したかの如く泣き叫んでいた場面。
警察の人がAさんに問い掛けても「私のせいよー私のせいよー」と繰り返し
叫んでいたBさんの声。
今でもあの場所にいくと、切なくなります。
110 :
病弱名無しさん:02/09/09 16:41 ID:ZVOcwmzA
>>109 そういう場合、AさんとBさんはどうするんだ???
その後の付き合いとか、責任とか、法的にどうとか・・
それがあるから子どもは人には預けられないなぁ。
歩けるようになってから入学程度までは何があるかわからん。
雨の日に親がインコを拾ってきた。どっかから逃げてきたらしい。
昆虫を入れてた結構大きい飼育箱の中に木とかを入れてその日は飼っていた。
次の日になると、もう死んでた。
近くに土手があったので、なるべく高い所から景色が見渡せるように、土手に埋めてやった。
その後、今度はスズメの子供を拾ってきた。ネットで情報を色々調べたけど、スズメの飼育は難しいらしい。
段ボールの中にタオルを何枚か重ねて、とりあえず、俺は寝た。
朝、いつもより早く目が覚めて段ボールを開けるともう死んでた。
インコを埋めたすぐ隣に埋めてやった。この日、朝練に逝くのがつらかった。
今はまた拾ってきたインコを4年ぐらい飼ってる。長生きしてもらいたいと思う。
>108
もっと、くだけたスレでの煽りならわかるけど、
こういうスレで煽るのはやめて欲しい。
マジ、勘弁してください。
113 :
病弱名無しさん:02/09/10 19:20 ID:mekBuNDD
あげ
>>112 別に煽りではないのでは?
純粋にその新しいインコがムカついたとか。
115 :
病弱名無しさん:02/09/11 13:34 ID:2i64TufR
age
116 :
病弱名無しさん:02/09/11 14:41 ID:Aq39g1JS
おまいらの親はおまいらにとって2ちゃんネタに出来る程度の
存在か
117 :
病弱名無しさん:02/09/11 19:15 ID:MZZUOzx7
悲しいはなしではなく、最後に希望がもてる話を……。
これじゃ感動じゃなくてただ悲しみの涙しか出ないよぅ
119 :
病弱名無しさん:02/09/12 14:28 ID:pCjvfVKV
アゲ
120 :
病弱名無しさん:02/09/12 14:58 ID:Q4KIzeXX
2ちゃんねる最高の名スレハケーン!
121 :
病弱名無しさん:02/09/12 14:59 ID:UgbzWv+8
誰かネタでもいいから書いてよー。
(でもネタだろ?って思うようなしょぼいのは面白くないからいらない)
122 :
病弱名無しさん:02/09/12 23:02 ID:wpp89mUe
阪神淡路大震災のときボランティアにいった。
震災後7日後くらい。体育館での生活にもストレスがたまってくるころだ。
看護学生だった私は、医学生とチームで体育館で暮らしている人の
健康チェックをしてまわった。
寒い季節、薬もない(家が倒壊してるから)状況下、
高血圧が悪化している人を見つけ、病院へ報告するという内容だった。
ある高齢の婦人の血圧を測っているとき
「あんたんとこは大丈夫だったんかい?」と聞かれた。
ボランティアを始める前に
「あまり関東からきたことは言わないほうがいい」と言われていたので、
「うちは何とか大丈夫やったんです」と言うとその婦人は私の手を取り
「それはよかったなぁ」と笑顔をくれた。
体育館での暮らしという自分の状況を恨まず、相手を思いやる婦人に涙が出た。
123 :
病弱名無しさん:02/09/12 23:19 ID:n24N3Uf/
死んだじいさんは、死ぬ前、残される婆さんの心配ばかりしてた。
死ぬ直前まで「婆さんをよろしく頼むよ。」と言ってた。
124 :
病弱名無しさん:02/09/15 01:30 ID:iU3xgbXj
ほしゅ
125 :
病弱名無しさん:02/09/15 18:59 ID:G5aW85y4
hosyu
126 :
病弱名無しさん:02/09/19 00:45 ID:3MOqgQXc
127 :
病弱名無しさん:02/09/19 01:09 ID:35JbrNSZ
128 :
病弱名無しさん:02/09/19 04:01 ID:SjyrdNUd
ほんっと、泣けた…こんな時間に。
あああああ(涙)私も書きたいけど、なんか、もう何年もたってて、
それなのに自分で頭のなかで整理できてなくて、書けない…悲しい。
ただ、これだけを、ここで言わせてください。(ごめんなさい)
いろいろと悩みもあるし、生きていくのは大変だけど、
精一杯がんばって生きていきます。こう思うようになったのは、
おばあちゃんとか、おじさんの、必死に生きようとした姿を見てです。
ほんとにありがとう。近いうちに,お墓参りいくからね。
129 :
病弱名無しさん:02/09/20 01:12 ID:LM0kJ5BE
age
130 :
病弱名無しさん:02/09/20 01:39 ID:gXV7rd6v
私が彼と最初に出会ったのは会社の懇談会でした。
ふとしたことから一緒に遊ぶようになり、付き合いはじめました。
私はもともと打たれ弱い性格だったので、彼にグチってしまうことが
多かったのです。
でも、彼はそんな私に嫌な顔一つせずに、優しい言葉をかけてくれたり、
励ましてくれていました。彼はグチ一つこぼさず、明るい人だったので、
「悩みがないなんていいねー。」なんて言ってしまったりすることもありました。
彼との別れは突然訪れます。彼が交通事故で亡くなったのです。
彼のお葬式に行っても、まったく実感が湧きませんでした。
お葬式の後、彼の両親から彼の携帯を渡されました。
何気なく携帯をいじっていると、送信されていない私宛のメールが
たくさんあるのに気付きました。
そのメールには仕事のグチや悩みごとなどがたくさん書いてありました。
その瞬間、私は彼の辛さに気付かなかった自分のくやしさや、無神経な言葉を言った
自分への後悔、常に私を気遣っていてくれた彼への感謝で涙が止まりませんでした。
あの日から1年以上になりますが、その携帯は大切にとってあります。
131 :
病弱名無しさん:02/09/20 02:42 ID:AAOKQ8LM
132 :
病弱名無しさん:02/09/20 03:13 ID:ZKXMFp9l
今年の初め、45歳の母が緑内障でついに失明した。半年ほど外出するのが怖かったようだが最近ようやく出歩くようになってくれた。
先日、買い物に行く、と言っていた母に俺が化粧をしてあげた。涙流して喜んでくれた。こんなことで喜んでくれるのなら化粧のしかたでも勉強してみようと思う。
133 :
病弱名無しさん:02/09/23 01:17 ID:2tZa2fsr
捕手age
134 :
病弱名無しさん:02/09/25 15:45 ID:Hk+6Nk4g
保守
135 :
病弱名無しさん:02/09/25 17:22 ID:Nk9LQ25U
これは自分の身の回りで起きたことじゃなくて、本で読んだ外国での話だけど。
3件の強盗の罪を犯した男が逮捕された。女性や子供を含め十数人を殺した非道な凶悪犯だった。
逮捕後も彼はまったく反省の色がなく、しばらく死刑の判決がおりる。
孤児で親の愛情をまったく知らずに育ち、幼い頃より悪事を働くことで生きてきた彼は、生命の尊さなど
とうてい理解できないものだったのだろう。死刑執行の日が来るまでの独房生活の間も、彼は自分の犯した
罪に対する反省はまったく示さなかったという。
そんなある日、彼は独房の鉄格子になっている窓の脇に、1つのつばめの巣を見つける。つばめが巣の中で
ヒナを生み、懸命に育てていた。彼は何日もずっと、そんなつばめの姿を夢中で眺めていた。数羽のつばめの
ヒナが少しずつ成長していく。彼は独房の中でそんな光景を微笑ましく見ていた。
ところが、なぜか刑務所の庶務員がこのつばめの巣を「害鳥の巣」などと称して駆除することに。独房の彼は
必死に庶務員に懇願した。「可愛そうだからやめてくれ」と。庶務員たちは彼の懇願など聞かず、そのつばめの巣を
棒で放り落とした。無残にも地面にたたきつけられ、巣を失ったヒナたち。彼はそれを見て涙を流しで叫ぶ。「なんで
こんな惨いことを」と。
その時、彼は初めて自分が今まで犯してきた罪を認識した。生命の尊さを理解した彼は、自分のやったことがどれだけ
愚かしいことかを知り、後悔し、その日以来毎日、痛烈の涙を流したという。
それからしばらく、彼の死刑が執行された。最後の日、彼は独房に1枚の置手紙を残したという。それにはこう書かれていた。
「神様、わたしのやってきた行為は死んでも償えるものではありませんが、どうか、あの小鳥たちだけは助けて下さい。これが
あなたへの最初で最後のお願いです。」
136 :
病弱名無しさん:02/09/25 17:54 ID:3V/Vy+cb
↑凶悪犯罪者の戯言など、何の価値もないよ。
137 :
e:02/09/25 17:55 ID:AnlnSjBH
a
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおんん。・゚・(ノД`)・゚・。
139 :
病弱名無しさん:02/09/26 02:32 ID:3kfnJwvK
5歳の頃、兄(1つ上)が車にひかれる瞬間を見てしまった。
その瞬間だけスローモーションになり、兄は車にはねられ空をとび、地面に叩きつけられた。
家の中に母がいたので「兄ちゃんが車にひかれた」というと、母は慌てて外に飛び出し、兄を抱きかかえずっと名前を呼び泣いていた。
それからのことは全然覚えていない、だれが救急車を呼んだのか・・・
そんな兄も今は元気です。
あの時死ななくてよかった、生きてくれてありがとう。
140 :
(・_・):02/09/26 03:33 ID:y/jUSqAF
俺、明日から大学の後期始まるから激しく鬱だよ・・
誰か慰めて!
>>139 よかった、本当に無事でよかった・゚・(ノД`)・゚・。
うちの親戚にも目の前で家族を交通事故で亡くした人がいるけど
親族の事故死を目撃してしまうのは、かなりしんどいものがあるからなぁ・・・
142 :
病弱名無しさん:02/09/26 05:24 ID:ZdyXUc2t
144 :
病弱名無しさん:02/09/27 23:26 ID:wA/LDOd7
>135,136
こち○で両さんが言ってた
「えらい奴は最初から悪いことなんてしねーよ」
確かに納得できる
でも135みたいなのもそれはそれでえらいんじゃないかな?
まあ人それぞれ考えあっていいと思うけどね
145 :
病弱名無しさん:02/10/03 06:17 ID:4r4VG7wt
あげ
146 :
病弱名無しさん:02/10/05 22:01 ID:G/hvBAbF
保守
147 :
病弱名無し様:02/10/06 23:17 ID:bQkHE0Dn
先日母の知り合いの息子が亡くなった。
亡くなる前日の夜に友達と大勢で騒いでいたらしい。
翌日の朝に家族が彼を起こしに行った時に既に冷たくなっていたらしい。
原因は不明らしいが、彼は酒を飲んで酔っ払った日は寝ている時に呼吸が一瞬止まるということがよくあったらしい。
自分と同じ年齢なので怖くなった。
スレ違いスマソ。
148 :
病弱名無しさん:02/10/10 09:21 ID:Ycuf1Ey2
みんないろんな経験してきてるんだな( ´Д⊂
ここの人達(・∀・)イイ!
がんがれ!
149 :
病弱名無しさん:02/10/13 18:52 ID:1yXfRt5N
ほしゅ
150 :
病弱名無しさん:02/10/13 21:38 ID:8wCdLR07
バカタレめ
151 :
病弱名無しさん:02/10/13 22:43 ID:kmME/caJ
152 :
147:02/10/15 01:01 ID:VqTT1HSo
153 :
病弱名無しさん:02/10/16 01:41 ID:fXqSQ3fN
コカコーラ宛がいいのかな・・・
父がガンで無くなる何日か前のこと。姉から聞いた話だけど
父は
「コーラが飲みたいなあ。こうさ、シュワアッと酸がキいてるヤツでさ」
とコーラを欲しがったらしい。それを聞いていた母と姉は
一目散にコーラを買ってきて、自分で起き上がれない父をそっと起こして
ゆっくり飲ませたそうだ。
喉にはタンがいっぱいたまっているからか、なかなかうまく飲めなくて
コーラの炭酸ですこし喉も痛かったのか、顔をしかめたりしたけど
コップたった10分の一程度しか飲めなかったけれど
飲み終わった後に「はあ、うまい。コーラってこんなにうまかったっけ?」
ととてもうれしそうに笑ったそうだ。
親父は入院してそれまで、食べ物飲み物を欲しがったこと全然なかったから、
母も姉もうれしくなって、残りのコーラを二人で分けて乾杯したらしい。
これこそスレ違いだが
コーラで乾杯をして母が帰って姉だけが残った後に
父の妹が来て、姉が嬉しそうにコーラのことを話したら
「兄さん?!コーラ飲まされたの?!辛かったでしょ??はい、いま吸って上げる!」と
父の喉にタンを吸引するチューブを無理矢理突っ込んだらしい。
父の葬式の時は「最後に大好きなコーラも飲めて、兄さんきっと幸せだったわ」なんて・・。
私はこれを聞いて悔し涙2g垂れ流したよ
すいません
>>153 ぜんぜん話が読めません
何で妹はチューブ突っ込んだんですか。
兄さん?!コーラ飲まされたの?!辛かったでしょ?ってことは
コーラ飲む事に反対なんじゃないんですか?
それなのに 幸せだった、なんて。
どこで泣いていいかわかりません
>154
のどにタンが溜まってるから炭酸は飲める状態じゃなかったんだろ。
でも本人が欲しがったから飲ませてやったら、妹が
呼吸困難に陥るんじゃないかと心配して、
慌ててチューブでタンか炭酸を吸い出したんじゃないの?
正直、妹がドキュソとは言えないんじゃないかな。
病人が欲しがるからって診療の立場から見れば
やっちゃいけない事もある。
身内からしちゃ希望を叶えてやりたいんだろうけど、
それが死を招くこともあるだろーしさ。
延命治療しないで自然死待ってた状態なら、好き勝手
やらせるのもわかるけど。
そいや延命治療するかどうかで家族が裁判起こした例もあるね。
これ以上苦しまずに自然に死を迎えさせてやりたい家族と、
何が何でも生きて欲しいと願う家族が、どうするか揉めて裁判。
どっちも本人のこと思っての行動だからつらいよなあ…
156 :
病弱名無しさん:02/10/18 19:47 ID:dei2TTyE
昔付き合ってた彼が癌で他界したと聞きました。
現旦那に会うまで、一番忘れられなかった人です。
ちょっとした行き違いから別れることになって、いい思い出しか思い浮かばない人でした。
彼以外の人と結婚して子供にも恵まれ、
幸せに暮らしてた私の元に飛び込んできた悲報でした。
共通の知人からの電話で知ったのですが
私が結婚してることもあり一報を入れるのを悩んだようです。
でも、彼から私にメッセージがあるということで連絡をくれました。
後日知人と会い、彼が私宛に書いた手紙を受け取りました。
封筒には「○○○○様」と私の名前がフルネームで書いてありました。
他界する数日前に書いたものだということでした。
その手紙は思ったよりもしっかりした筆跡で綴ってありました。
「君と別れたこと、幸せにするという約束を果たせなかったことを
ずっと悔やんできました。
でも今やっと気持ちが落ち着き、君の幸せを心から喜べそうです。
旦那さんと末永く仲良く暮らしてください。
君と再会する日が少しでも遠い日であることを願っています。」
157 :
病弱名無しさん:02/10/18 20:53 ID:IFqixli6
おれはじぶんの
かおみて
かんどうした
何かを求め、その代わり僕は愛を失くす♪
159 :
ボブ・サップ:02/10/19 13:27 ID:yED94nav
,、-──────-、
/ `ヽ、
/ \
/ \
/ \
/ ,r-ト-、
,' f /⌒ヽ!
,' i L、-、ヽ\
! ` `ー、 ) } \
! `ゝf j \
.| ' ノ \
! ,,、ノ∠, ヽ、`ー'
ヽ ,,;彡'' / / ヾ、ヽ
i 、 /シイノ ,'´ '; i
{ ヽ `ー,イ`二 ̄-'' i!|
\_,r-rフヽ‐'´ '´ 、_ i! | i / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| `‐' ノ`' '⌒ヽ-、,_ ヽ、 ノ | ,' < ヴィダルサスーン
!  ̄ 〉 ,r-ノ  ̄``ヽ、 ヽ /{ | / / \______
\ ( / ,,、ミ-‐''⌒! ヽ i / | | / / /
\ `ー‐‐'´,,、、ミッ‐',∠ノ ̄`! ! | / | / / /
\ 〈 r!=‐'´_,_// /、 ! | レ' / /
`ヾ、ヾ \ ̄|~´ / ノ } | //
`ヾ、 ヽ└---'´`` ノ ! /! // ,、-‐
/ `ヾ、ヽ、_ , ''´ j / // /
/ \丶ー‐'´ '´ / ノ´ /
/ \` / /
160 :
病弱名無しさん:02/10/19 14:43 ID:KRs/4+Oy
おれはじぶんの
かおみて
びっくりしてないた
161 :
病弱名無しさん:02/10/20 18:26 ID:xWtlKblV
きにするな
うじむし
162 :
病弱名無しさん:02/10/21 14:49 ID:Dm4mfici
父が亡くなって2年たちます。
父は凄く弱い人で仕事を転々とし、気の強い祖母と、姑小姑に苛められ胃潰瘍を繰返す母との間に立つことなく、家のごたごたをお酒で紛らわしていました。
長女で生まれた私はそんな父が許せず、真っ向からぶつかった為、虐待を受けていました。
体が飛ぶほど殴られて、母が泣きながら止めに入った事も。
中学まで、何度も自殺を考えました。
そしてアル中〜肝炎〜肝硬変。
肝硬変と腎不全で入退院をくりかえし、私のお腹の中の初孫にあと3ヶ月で会えるというところで、亡くなりました。
お葬式でも、小姑の叔母たちの「ちっとも兄さんらしくなかった」「だらしなかった」との罵詈雑言にさらされ、それに同調する気持ちもあり
号泣って程泣かなかった私。
しばらくたって旦那にネクタイを出している時、父が旦那と初めて会う時に病気の身体でわざわざ銀座の専門店まで出向いて買った品が出てきて、
うずくまって泣いてしまいました。
子どもの頃の優しかった父、どんなに疲れていても遊んでくれた父、そして結婚式のために頑張って一時退院してくれた父…。
虐待の暗い記憶に隠されていた思い出がつぎつぎに浮かんできて…。
もっと優しくしてあげればよかった。
父親は一人しか居ないのだから…。
163 :
病弱名無しさん:02/10/21 14:55 ID:DSKjFmgn
157>160>161>かんどうをありがとう
白血病で亡くなってしまったさとみさんの日記が読みたいんだけど、
Googleのキャッシュもほとんど消えちゃってるんだよねぇ・・・
どうにか読む方法はないかしら。
166 :
164:02/10/22 19:18 ID:Dv8hLL71
>165
日記の一部だけ残っていました。
どうもありがとう。
167 :
病弱名無しさん:02/10/22 20:35 ID:KTkDxJdY
だれかなけるをはやくかけ
おれはいま
なきたいんだ
なける
169 :
病弱名無しさん:02/10/23 17:35 ID:amjPyOXz
おれはなきたいと
いってるだろ
かけーーー
なける
なきたい
172 :
病弱名無しさん:02/10/23 20:34 ID:amjPyOXz
わかった
こうなったら
おれがかいてやる
ちょっとまってろ
173 :
病弱名無しさん:02/10/23 20:44 ID:amjPyOXz
ぎゃーーー
たすけてくれーーーーーーー
まってるのにんにん
175 :
病弱名無しさん:02/10/23 21:28 ID:PSdNyR4B
痛いよーーーーー足と手が折れたんだよ
毎日寝れない痛くて痛くて悲しいよ
痛くて痛くて グウウウッ・・・
age
177 :
sage:02/10/27 12:02 ID:9zPOvVnJ
コピペスマソ
男は,今日も仕事で疲れきって,遅くなって家に帰ってきた。すると,彼の5歳になる息子がドアのところで待っていたのである。彼は驚いて言った。
「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」
「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「パパは,1時間にいくらお金をかせぐの?」
「お前には関係ないことだ」男はイライラして言った。「なんだって,そんなこと聞くんだ?」
「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」男の子は嘆願した。
「あまり給料は良くないさ・・・200ドルくらいだな」
「わあ」男の子は言った。「ねえ。パパ。ボクに100ドル貸してくれない?」
「なんだって!」疲れていた父親は激昂した。「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。それが金が欲しいだなんて。だめだ!早く部屋に行って寝なさい!」
男の子は,黙って自分の部屋に行った。
しばらくして,父親は後悔し始めた。少し厳しく叱りすぎたかもしれない...。たぶん,息子はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。それに,今まで息子はそんなに何かをねだるってことはしない方だった・・・
男は,息子の部屋に行くと,そっとドアを開けた。
「もう,寝ちゃったかい?」彼は小さな声で言った。
「ううん。パパ」男の子の声がした。少し泣いているようだ。
「今日は長いこと働いていたし,ちょっとイライラしてたんだ・・・ほら。お前の100ドルだよ」
男の子は,ベットから起きあがって,顔を輝かせた。「ありがとう。パパ!」
そして,小さな手を枕の下に入れると,数枚の硬貨を取り出した。
父親はちょっとびっくりして言った。「おいおい。もういくらか持ってるじゃないか」
「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」男の子は答えた。そして,100ドル札と硬貨を父親に差しのべて...
「パパ。ボク,200ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」
http://isweb28.infoseek.co.jp/travel/mnoriko/joku/joku2.htm
178 :
sage:02/10/27 12:03 ID:9zPOvVnJ
板違い・・・・・吊ってきます
179 :
病弱名無しさん:02/10/28 22:10 ID:1Yi+lCVv
保守
180 :
病弱名無しさん:02/10/28 22:24 ID:pnt4IWko
117のこどもって
おれのちいさいときに
そっくりだ
びっくりした
181 :
病弱名無しさん:02/10/30 01:13 ID:iRz9tofC
もっと感動をください!
最近泣いてないから・・・
182 :
病弱名無しさん:02/10/30 21:12 ID:hl9LRvnR
わかった
おれがかいてやる
はんかちもって
ちょっとまってろ
183 :
病弱名無しさん:02/10/31 03:07 ID:bRdsj3HD
☆ チン マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < 泣ける話まだーー?
\_/⊂ ⊂_ ) \_____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| .愛媛みかん. |/
泣ける2ちゃんねる見てきた
激しく泣いた。。
なんか、ああいう話を見ると、健康で平凡な生活してる
自分ってなんて幸せなんだろうって思う
185 :
病弱名無しさん:02/10/31 12:30 ID:PCLgyTGJ
>>184 泣ける2ちゃんねるってどこにあるんですか?
186 :
病弱名無しさん:02/10/31 14:19 ID:e48Emzg2
私の4歳の長男は、小児ガンです。
十カ月の闘病生活の末、亡くなってしまいました。その間、皆さまの献血のおかげで安心して治療を受けることが出来ました。本当にありがとうございます。
あの子は、輸血されると元気になることを知っていて『アンパンマンのエキスだ〜』と言っていました。一時は、毎日のように輸血をさせて頂きました。輸血が必要な時『今足りないので待っていて下い。』と言われ、祈るような想いで輸血されるのを待っていたこともありました。
届いたときは、本当に嬉しかったです。献血して頂きました皆様になんてお礼を言ったらいいのか。
ありがとう!ありがとう!
医療スタッフと皆さまのおかげで生きながらえることができて、どんなに『ありがとう』といってもたりません。今でも病院に多くの子供たちが輸血を待っています。これからも献血お願いします。もちろん私も来ます。子供たちの笑顔が消えませんようにと祈っています。
byりょうすけ大好きよ
三宮ルーム落書帳から
187 :
病弱名無しさん:02/10/31 21:13 ID:Xxn0imqn
188 :
病弱名無しさん:02/11/01 00:08 ID:tkxkad+w
189 :
病弱名無しさん:02/11/01 00:23 ID:yv0282eX
おれの涙は枯れたのか
190 :
病弱名無しさん:02/11/01 07:14 ID:oc2E5bKj
>>187 泣ける2ちゃんねる ありがとう〜。
こんな朝早くから泣くのか。。
準備OK!逝ってきます〜
191 :
病弱名無しさん:02/11/02 00:40 ID:aFpCh/NA
涙あげ
192 :
病弱名無しさん:02/11/02 01:28 ID:zEer32a2
(´Д⊂グスン あげ
193 :
病弱名無しさん:02/11/02 02:05 ID:58z/neiA
194 :
病弱名無しさん:02/11/03 03:21 ID:K4NOqOuy
サガリスギダヨ
195 :
病弱名無しさん :02/11/03 11:09 ID:9zSM3LHk
すごい泣けました。
(´Д⊂)
私も病気でずっと入院してます。
先月一度ひどい貧血と体の痛みで混迷状態になりました。
意識が朦朧として看護師さんの呼びかけとかも全然反応できなかった。
なのに会社に行っていたはずの母親が何故か病室に来て、手を握って
「可哀想に」
って一言。
その言葉だけすごくはっきり聞こえてきた。
お父さんお母さんごめんね。
早く退院してお嫁に行くからね。
泣くのはその時にお願いします。
196 :
病弱名無しさん:02/11/03 23:33 ID:4WJxnu4W
>195
頑張れ〜!
月並の言葉しかかけられないけど、頑張れ〜!
頑張れ〜!
頑張れ〜!
頑張れ〜!
197 :
:02/11/04 01:51 ID:gW4ROMT/
みんなガンガレ!!!
この世界の悲しみが全て癒されますように
198 :
195:02/11/04 19:12 ID:j22qK6Wf
>>196-197 PC制限されてるので遅くなりましたけど・・・
本当に゙ありがとうございます!
頑張って早く治します!!
199 :
病弱名無しさん:02/11/06 03:02 ID:190Hq7K4
ええ話や。
実は最近、自殺する事ばかり考えていました。
でも自分が死んだ後、残された家族や友人がどんな思いをするかと言う事を
ここのスレ見て、余り考えて居なかった事に気が付きました。
自分は何て馬鹿な事を考えていたかと思うと、涙が止まりません。
思えば親には苦労を掛けっぱなしでした・・・
親孝行して働き詰めの両親を、早く楽にさせてやりたい。
皆さん、本当に有難う。
僕はこれから先、どんなに辛くとも生き抜く事にします。
201 :
病弱名無しさん:02/11/06 12:32 ID:rEAowqFf
>200
どんな理由かはわからないが自殺なんて考えるなよ。
懸命になって生きようとしている人たちに失礼じゃないか!
親御さん達は貴方の笑顔を期待しているよ!
親御さんを大切に!
202 :
病弱名無しさん:02/11/06 14:51 ID:EfdpJB15
>>200 そうそう。ぶっちゃけ死んじゃう本人はいいんだよ別に。死んじゃえば
何も分からなくなるんだから。
でも、残された人は一生辛いんだよね。どんなに努力してももう貴方は帰ってこない
という耐え難い現実と、何故自殺を止められなかったのか?という激しい後悔と
自責の念に耐えなければならない。
今、自殺を考えてる奴!
(・∀・)イキロ!
203 :
病弱名無しさん:02/11/09 03:23 ID:HMUeBPi4
あぶねえ!落ちる!
204 :
病弱名無しさん:02/11/09 06:30 ID:d/lTnf5s
juy
205 :
病弱名無しさん:02/11/09 07:35 ID:eFhPg0gI
jubu
なんかね…
この手のはなしは失恋板いけばゴロゴロしてるけど。
207 :
病弱名無しさん:02/11/09 14:42 ID:O/Q3zJc9
高校生の時、私はスーパーでバイトをしていました。
大きくはないけれど市内に店舗が6店ありお正月は
全店合同での新年会がありました。新年会も終盤に
なったころ、うちの店長から実は社長が手術で翌日
入院すると聞かされました。
次の日私は定期を買いに駅まで行き、偶然札幌の病院に行く
為、小さなバックを持った社長と店を抜け出して見送りにきたと
思われるエプロン姿の奥さんを見つけました。挨拶しようかどうか
迷ったけどアルバイトの私の事なんて覚えてないかなと思い声を
かけませんでした。そして数週間後、私はバイト先で社長の死を
知らされました。ガンだったそうです。。。旅行に行けば従業員
全員にお土産を、修学旅行には餞別やお年玉をくれる優しい社長
でした。バイト後、1度家まで送ってくれたこともありました。
あれから7年。後を継いだ息子さんは売上の悪かった店を次々
閉店し今では2店舗。私の働いていた店もなくなってしまいましたが
私はなぜあの時、ひとこと声をかけられなかったのだろうといまだに
悔やみます。
209 :
病弱名無しさん:02/11/14 09:20 ID:pRTp/yx6
あhgy
210 :
病弱名無しさん:02/11/14 09:24 ID:pRTp/yx6
>>次の日私は定期を買いに駅まで行き、偶然札幌の病院に行く
為、小さなバックを持った社長と店を抜け出して見送りにきたと
思われるエプロン姿の奥さんを見つけました。
分かりにく!
211 :
ななし20才:02/11/14 09:31 ID:Xf1//V76
俺は、20才にしてHIVに感染していることを告知された。たしかに、性感染
だから自業自得かもしれないが、性なんて本能的なものだからあまりせめないで
ください。一番つらかったのは、母親に告知したときかな、今こそ元気に振舞っ
いるもの、やはり自分の腹を痛めた息子が辛い思いをしているのを考えると、落
ち込んでしまようである。俺は、昔のアルバムを見ていた、俺が0歳くらいのと
きに、お母さんの腕にだっこされている写真があるんだけど、自分で言うのもな
んだけど、すげー赤ちゃんってかわいいんだなーって思った。今まで、大切に
育ててきてもらったお母さんを悲しませたことを思うと自然と涙がででくるし、
とりあえず、今はHIVについては普通に寿命まっとうできる病気だからもう
お母さんからもらった大切な体を汚さないように、俺は、精一杯生きていこう
と思う。ごめんなさい、お母さんそしてお父さん・・・・。
合掌
213 :
病弱名無しさん:02/11/16 14:36 ID:MY8mS13W
合掌なんておかしいぞ。
その生きる勇気と感謝の気持ちをたたえよう。
214 :
病弱名無しさん:02/11/19 08:13 ID:pCrOwH1X
215 :
病弱名無しさん:02/11/23 02:15 ID:oT57p+K7
私が18の時、当時専門学校に行っていてその夏に彼女ができたんです。
夏休み明けて一緒のクラスの友達に報告したら、「幸せだね。羨ましいな」
って、あまり気の無い返事が返ってきたんです。私が「なんかあったの?」って聞いたら
「彼女が死んじゃった・・・」と彼が話し、どうやら事交通故で入院していたそうです。
その子が亡くなる前日、彼が見舞いに行ったら「のど乾いた!ジュース買ってきて」、「花火がしたい!」
と、メチャクチャわがままで正直むかついたらしいです。その夜、急に様態が悪化したみたいです。
彼は、「あの子はわがまま言う子じゃなかったのに、なんで気付いてあげれなかた・・・最後のわがままなのに。」と言っていました。
私は「自分が幸せでいいのか?こんな話してごめん。」と思わず彼に言ってしまうと
彼は「いつこうなるか分らない・・・だからいつでも彼女の事を大切にして、
何かあっても後悔しないくらい愛してあげなよ。」と、声を震わせて私に言いました。
泣ける話じゃないけど、自分が泣いた話になっちゃうかもだ
今年の夏、うちの父が脳梗塞で倒れた。
病院の集中治療室で眠る父を見て涙が止まらなかった。
「今夜が山です」と、言われた。
それでも父は一生懸命何かを言おうとしていて、
でもアタシは泣きじゃくって聞こえなくて、母が
「今になって、俺がどれだけ心配したかわかるだろ」
と言ってるのだと教えてくれました。
1ヶ月前、何度目かの自殺未遂で病院に運ばれたことを思い出して
自分がどれだけ心配掛けていたのか…ようやく気づかされました。
あれから3ヶ月経って父は退院し、半身麻痺と言語障害は残るものの
あらためて家族の大切さに気づいた私たちは、とても幸せだと思います。
217 :
:02/11/29 21:01 ID:5zl6ktGm
ageage
219 :
病弱名無しさん:02/12/04 16:02 ID:u70gBswO
220 :
病弱名無しさん:02/12/04 23:59 ID:owqo+QD4
ちょっと泣けた夜だったんで書いてみます。
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。
特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。
しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。
しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と
言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。咳き込むたびに
ハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。ハンカチは血だらけだった。
咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。
向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。
奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。
その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。
うちのカミさんはちょっともらい涙していた。
帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよ。」
とカミさんにいった。カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。
221 :
病弱名無しさん:02/12/05 00:03 ID:4wCo6J/h
222 :
病弱名無しさん:02/12/05 00:39 ID:bx9ziQ5b
>>220 なんか染みたーー。
うちのダンナもそういう人になって欲しいな。。。
223 :
病弱名無しさん:02/12/05 09:53 ID:yJN065yg
泣くのオレだけだろうから、前もってお目汚しスマソと言っとく。
オヤジが今年の春に入院し、夏に死んだ。
子供から見ても波乱万丈の人生で、職を転々とし、最後の2年間は大好きな車を仕事にしたい、
ということでタクシーの運ちゃんやってた。おふくろによれば
「あんなに生き生きと働いているのは今まで見たことがなかった」
ということで、きっとタクシー運転手を天職だと思っていたのだろう。
入院して1ヶ月ほどたったゴールデンウイーク、オレは彼女を連れて見舞いにいった。
その彼女を親に会わせるのは初めてだったが、まだオヤジが多少は元気だった頃だったし、
それに今度いつ会わせられるかわからないので、半ば押しかけるように連れていった。
そして、見舞いのあと彼女に地元の観光名所を案内しようという話になったとき、オレがあまり
そういう場所を知らないので本でも買って見ながら行くわ、というと、オヤジはやおら起きあがって、
心配する母親をよそに、チラシの裏に鉛筆で地図を描きはじめた。
さすがタクシー運転手だ。まるで自分の家の間取りを描くかのように、観光名所の場所を鮮明に描いた。
交差点の名前、目印となる建物、一番効率よく見て回る順番、オヤジなりにつけた「面白度」…
すげえ。どんなガイドブックよりもわかりやすい。生まれて初めて、親父を心底尊敬した。
その地図を頼りに彼女を案内しながら、この土地、そしてこのオヤジのもとに生まれてよかった、
と心底思った。そして、「早くよくなって、またタクシーに乗るんだ」という、オヤジの強い思いを感じた。
オレらが帰った直後からオヤジの容態は悪化し、2ヶ月苦しんだ末8月に死んだ。
辛い人生だったろうな、と思う。でもなオヤジ、オレはあんたの子供でほんとによかったと思ってるよ。
そして最後に、あんな些細なことだけど、あんたを尊敬できてよかった。
オヤジの描いた地図。今でもカバンのポケットに入ってるけど、見ると泣きそうなので出せない。
来年には、あんときの彼女の苗字をあんたと同じにして、墓参り行くからな。そんで、またあの地図を
見ながら、観光名所巡りするよ。
長くなってスマンかった。
224 :
病弱名無しさん:02/12/05 12:47 ID:pjV/FrdC
うるうるくる・・・・・・。
>>223 仕事中に泣かせないでください...・゚・(ノД`)・゚・。うえええん
227 :
病弱名無しさん:02/12/06 03:48 ID:+wP/x3AG
あげなきゃあ
228 :
病弱名無しさん:02/12/06 03:51 ID:tHocSg7N
233感動しますたー。
来年には結婚ですか。
オメデト〜( ・∀・)_o∠*:'゚*パーン!!”
お幸せにね。
233楽しみだ・・・ワクワク
233頼んだぞ
232 :
病弱名無しさん:02/12/06 11:20 ID:c4bmoavd
がんがれ233
233 :
酔生夢死:02/12/06 12:33 ID:VSHFxi77
俺には彼女がいない。
でも予知夢で来年結婚することになった。
…ごめん、こんなんしか無理
235 :
病弱名無しさん:02/12/07 00:30 ID:UQbVztDv
まだ俺が研修医だった頃の話・・・
ある1人の父親が入院していた、末期の癌だった。
家族(奥さんと小学生の息子)は毎日見舞いに来ていた。
その父親も自分が癌であることは知っていたが、家族の前では
気丈に、なるべく明るく振舞っていた。
しかし家族が帰った後、「先生、俺は本当は怖いよ・・死にたくないよ・・」
と弱音を吐いていた。
俺は末期の患者は初めてだったので、なんて言って
いいか分からなくて言葉が出なかった・・
全身状態が悪化し、いよいよという時、家族が呼ばれた。
彼は泣きじゃくる息子の頭をなでで
「男の子はめったな事で泣いちゃあだめだぞ、そんなことじゃ
ママを守れないぞ・・いいか、これからはお前がパパの代わり
にママを守るんだ・・約束できるか?」と言った
息子は言葉にならない声で「う・・ん・約・・する」
と、頷いていた。
3人はずっと手を握り合っていた・・
父親はその晩亡くなった。
最後まで彼は家族の前では「父親」として「男」として頑張った。
俺もあんなかっこいい男になりたいと思った。
236 :
病弱名無しさん:02/12/07 09:50 ID:N8UZdvnp
あげたり
病院に勤めていたころの話
「○○さん(私)に処置をお願いしたい」「○○さんは今日は日勤ですか」と
いつも看護婦の私を慕ってくれる患者さんがいました。
お孫さんも成人して、そのお孫さんが遠くに住んでいるとのことで
私が孫のように可愛いと言って下さり、笑顔のステキな初老の元警察官の方でした。
そこはとても忙しい病棟で、毎日亡くなる方もいらっしゃるような重病棟で、
その方もいずれ長くないのは承知でした。
そんなある日、せん妄や徘徊等の痴呆症状が目に付くようになり、脳のCTの結果
肺癌が脳に転移していることが発覚。本人の自覚もないまま、日に日に症状は悪化、
呼吸器の状態もそれまでより更に悪化して行きました。
家族との相談で出来るだけ本人の苦痛を和らげる方法で治療方針も決まりました。
しかし看護婦にも攻撃的になったり、手が付けられないような徘徊になると、
正直こちらとしても対応に頭を悩ませます。
QOLの高い医療を、、、といっても今の医療現場の現状では限度があります。
とてつもない忙しさの中で、だんだんその患者さんは「ケアに手がかかる」
患者さんになりつつあったのです。
238 :
つづき:02/12/08 02:31 ID:J8iUiDNM
少しづつ歩くことも辛くなってきて臥床ぎみになってきた頃のことでした。
ナースステーションでカンファレンスが行なわれているとき、
その前を点滴スタンドを押して凄い勢いでフラフラと歩いているのです。
その場にいたスタッフは皆慌てて制したのですが、「お風呂、お風呂…。」
と、お風呂に入りたくて咄嗟に部屋から出てきた様子でした。
真っ青な顔で倒れこみストレッチャーで運ばれました。
スタッフは口には出しませんでしたが、もう!と言わんばかりの対応をする人もいる人もいました。
私も正直、それよりも重症な患者さんに手が罹りきりでしたし、
「もう、仕方ないな…ハア」とさえ思っていたのです。
そういえばしばらくあの患者さんの入浴介助してないな、なんて、
ほんのちょっと頭をかすめたくらいでした。
そしてそれからすぐ呼吸状態も悪化し、意識も落ちて眠るように亡くなりました。
看取ることは出来ませんでしたが、ちょうど出棺のときに立ち会うことが出来て
そのときご家族とお孫さんにはじめて顔を合わせることが出来ました。
お孫さんと奥さんは出棺のあと、きょろきょろと誰か探している様子で
私を見つけると深々と頭を下げたあと、
「○○さんに背中を流してもらって嬉しかったって、この日記に書いてありました。
ほら、何月何日って細かく書いてあるの・・・どうもありがとうございました。」
と話してくれました。
細かく記された私の名前、日にち・・・小さな日記・・・
今まで何人も看取ってきて涙を流すことなどなかったのですが
涙がとめどなく出てきました。
そういえばお風呂がとても好きな患者さんでした。
ごめんね、あのとき背中流してあげたらよかったね、
あんなに気持ちいいって喜んでもらえたのに
私に出来ることはそれくらいのことしかなかったのに
本当にごめんなさい。
すみません
思い出しながら書いたので文章変かもしれません。
しかも感動する話じゃないですね・・・
すみません。
240 :
病弱名無しさん:02/12/08 06:44 ID:4FQ/0RTh
俺は高校生の頃友達がいなかった。欲しかったりもしたがどうすればいいか判らな
かった。だんだんこいつらなんてたいした事ねえよなんて思い出してひねくれてっ
た。
高二の夏チャリ通の途中で車にはねられた。意識が吹っ飛んだ。気がついたら天井
見てた。足と腕を一本ずつぽっきりやっちゃったらしくしばらく入院した。
轢いてきた人が謝ってきた。たいして興味も出なかった。
担任がやってきた。みんな寂しがってるぞとかいっていたがうそだと思った。
しばらくしてクラスの奴がきた。何度か金を貸した奴だが特に仲が言い訳でもない。
来たのが不思議だった。どうしてと聞きいたら、
だって俺らダチやん。あたりまだろ。
不覚にも泣いた。
そいつは俺が何故泣いてるのか判らず、おろおろしていた。その姿を見て笑った。
久々に笑った。
その後俺らは時間を忘れるほど話しまっくった。
>>237-
>>239 いや、いいお話ダターヨ !(ノ_・、)ウルウル…
242 :
病弱名無しさん:02/12/09 16:06 ID:Tf6AZBbg
あげ
243 :
病弱名無しさん:02/12/10 07:12 ID:EQaETot8
泣いた。
244 :
病弱名無しさん:02/12/11 02:01 ID:AU/XBCN9
age
245 :
病弱名無しさん:02/12/11 02:06 ID:e7/qhmpR
西鉄高速バスが佐賀市の少年(17)に乗っ取られた事件で、バスを運転していた平野忠運転手(57)が11日、福岡市の西鉄本社で事件
後初めて記者会見した。平野さんは3日午後1時35分ごろ、九州自動車道太宰府インター(福岡県太宰府市)付近で乗っ取られた直後、社内
マニュアルに従い方向指示灯や前照灯を点滅させて周囲に異常を知らせようとしたが、だれも気付かなかったことを明らかにした。少年が逮捕
されるまでの15時間半を「地獄のようだった」と語り「死者を出してしまい、申し訳ありません」と泣き崩れた。
平野さんは10日、合同捜査本部による実況検分に立ち会い、この日福岡市に戻った。会社側に「きちんと(報道関係者に)話してから静養し
たい」と要請し会見が開かれた。制服姿で会場に現れた平野さんは青白く疲れきった表情。
平野さんによると、少年が運転中の平野さんに「バスは乗っ取りました」と“宣言”したのが始まりだった。「年齢や運転歴を聞かれた。冷静で
丁寧な口調だった」と言う。
包丁を突きつけられた佐賀県久保田町徳方、小学1年、石橋優希ちゃん(6)の解放や女性をトイレを行かせてくれるよう頼んだが「だめ」と拒否
された。
3度目の要請でトイレ停車が聞き入れられ、午後2時45分ごろ、九州自動車道新門司インター付近の路肩で停車。この時降車した女性が非常
電話で事件を通報するが、同時にバスの前へ車2台が停車した。
「女性の合図でバスの異常に気付いたのだと思う。だが、少年に『早く出てくれ』と言われ」発進させざるを得なかったという。
直後に少年は「(女性が)逃げた。裏切った」と興奮。平野さんは「後部座席
で悲鳴が聞こえた。刺されたと思った。恐怖感が先に立ち、相手の言う通りにしようと思った」と振り返った。
平野さんは約20分の会見の間、2度、机に突っ伏して泣いた。「バスジャック
防止に向けて改善点はあるか」などと聞かれた時で「はがいか(悔しい)」と漏らした。
平野運転士は1961年採用。98年に「30年無事故表彰」を受けている。
今後のことを聞かれ「早く立ち直ってバスの運転を頑張りたい。心の整理が
つき次第、復帰したい」と話した。
246 :
病弱名無しさん:02/12/11 13:19 ID:uhJNhNo2
>>
まんこ
まんこ
まんこ
248 :
病弱名無しさん:02/12/13 01:08 ID:pQ2TmbYE
249 :
病弱名無しさん:02/12/13 03:09 ID:hrx5jnqj
・゚・(ノД`)・゚・。うわああああああああん
寝ようと思ってたのに。
250 :
ネコバス:02/12/13 05:26 ID:xT4cx8jU
しくしく
251 :
病弱名無しさん:02/12/13 05:43 ID:eLP9t/10
私は右手に障害があります。
兄弟が二人いますが、彼らは生まれたときから
幼児期の写真がたくさんあるのに私の写真はありませんでした。
両親に理由を聞くと、「カメラが壊れていて撮れなかったの。」と言っていました。
物心ついたときから私は自分の障害について認識をはじめ、
他人への劣等感、最終的には自分が生まれてきたことへの恨み、
そして両親への恨みへとつながっていきました。
小学校の頃は両親に「右手は20歳くらいまでには治るかな??」
などと聞いていたりしたのですが、上のようなこともあり、
「何で俺は右手が使えないの?何で俺を生んだの?」
と不躾な、両親からしてみると非常にやりきれない文句をいっていたことを覚えています。
今、私は大学の卒業を控え、両親の私を育ててきた苦悩を
多少なりとも知ることができます。
障害をもって生まれてきた私に衝撃を受けて生後しばらく自暴自棄に
なってしまった母親とそれを立ち直らせるために母親を殴った父親の悲しみ、
写真が少ないのもしばらく私に愛情を注ぐことができなかったから、
そのような背景があるからなんです。
でも、私の記憶にある両親は私にたくさんの愛情を注いでくれました。
幼い頃、寝るときいつも父に右手を握ってもらって寝てたことは忘れません。
「おまえの手が早く治るように。」この父の願いは叶わない事は今ではわかります。
一生付き合っていかなければならない障害ですが、私がこの世に生を受けてきたこと、
両親が頑張って育ててきてくれたこと、絶対恩返しします。
来春から就職。本当に頑張って働いて絶対に親孝行します。
パパ、おかあちゃん、長生きしてください。
乱文失礼しました。
・・・ううっ、が・ん・がれ!
253 :
病弱名無しさん:02/12/17 08:34 ID:sn8zPCkW
あげ
254 :
病弱名無しさん:02/12/17 23:14 ID:c12kjD1F
自分の話じゃないが阪神大震災の時の話。
木造家屋が倒壊して瓦礫の下、夫婦が身動きとれなくなっていた。
決して仲むつまじい夫婦でも無く、むしろ会話もない冷めた関係だった。
身動きのとれない、お互いは何メートルか離れていたが会話を交わす事はできた。
不思議な事にこんな時になってやっとお互いに本音の言葉が出た。
旦那「ごめんな、俺がもっと稼いどったら、もっと頑丈な家に住めてこんな事にならんかったのにな」
妻「こんな時に何言っとんの?救出されたら、また一から頑張ろうや」
旦那「ありがとう。今まで冷たくしてすまんかったな。一緒に頑張ろな。」
数時間後、救出部隊によって瓦礫は取り除かれたが旦那は冷たくなっていた。
255 :
病弱名無しさん:02/12/17 23:17 ID:c12kjD1F
阪神大震災の話をもう一つ。
これは相思相愛の本当に仲むつまじい夫婦の話。
家屋が倒壊して夫婦が壁や柱の下敷きになったが
運良く夫だけがそこから這い出る事が出来た。
夫は愛する妻を瓦礫の下から救い出そうとするものの
なんと火災の炎がみるみる動けない妻に迫って来る。
炎熱と煙に咳き込む夫婦。
「あんた、あたしの事はええから早よ逃げて!」
「お前を放って行けるはずないやろが!」
しかし火の手はみるまに下敷きになって動けない妻にせまる。
目の前で煙火に焼き殺される愛妻。
救いたいのに自力ではどうする事もできない夫。
その夫はその後、あまりの精神的苦痛から妻の名をどうしても思い出す事ができなかったそうだ。
------
毎日顔を合わせているといっても家族はいつまでも永遠じゃない。
今お互いに生きているこの時を大切にしなければ・・。
256 :
病弱名無しさん:02/12/18 11:52 ID:LOU/f2mo
257 :
病弱名無しさん:02/12/19 17:27 ID:Nj7wcmJj
258 :
病弱名無しさん:02/12/20 21:28 ID:lbVthy6V
サウンドノベルのネタにしようと思ってるんだ。
もっとすごいの頂戴
259 :
病弱名無しさん:02/12/20 21:40 ID:lbVthy6V
俺の親父が死んだのは、3年前の春のことであった
親父「次郎、すまなかったな。おまえにいろいろ苦労かけた」
次郎「そんなこと言うなよ。親父はまだ死なないよ。死ぬわけないよね」
親父「・・・」
親父はガンを宣告させられた。余命はわずか1ヶ月。
どうして、親父が死ななければならないのか、あんなに一生懸命に働いて
弱みなんか一度も吐いたこともない親父が、何故こんなに弱いんだ
所詮、人間なんて、病気に勝てない。
これも運命なんだ・・
親父は1ヶ月後、俺の前で息を絶えた。俺は一言言った。
「おつかれさん、あんたはすごい人だったよ」
親父が、俺の誕生日にプレゼントしてくれた時計は・・
まだ・・動いている
現在進行形の話なので少し躊躇しましたが、、、長文失礼します。
私は先天性の神経の病気で、筋肉の細胞が壊れ、体力が衰えていく症状があります。
治療法も無く原因不明なので、日々確実に衰えていく自分に怯えています。
昨日の夕食後、母に最近の体調の様子を聞かれました。ほんとのところ、ずっと体調が悪かったのですが、母に心配をかけたくないので、「まぁ、普通だよ。」と軽くかわしました。
けれど母はそんな様子を察していたようで、「お母さんに出来る事があれば何でも言って。痛みを代わってやれないんだから…。」と何度も何度も言うので、
根気に負け、病状が悪化してることを少しずつ話し始めました。すると不覚にも涙が溢れ、しまいには号泣してしまいました。
一通り話を聞いた母は、苦しい位にきつく抱きしめ「ごめんね、全部お母さんが悪いの。ごめんね、ごめんね」と謝りながら泣いてました。
思春期の頃は、運動が一切出来ない事で劣等感を抱き、存在意義が分からなくなったこともありましたが、母を恨んだことはありません。
けれど、泣いてる母を目の前にして、何も言葉をかけてあげることができませんでした。
母の身体を通して聞こえる、声を押し殺した泣き声はすごく切なかったです。
ごめんね、お母さん。私大丈夫だから。
261 :
病弱名無しさん:02/12/21 08:58 ID:ijAFGzy6
・゚・(ノД`)・゚・。うわああああああああ〜〜〜ん。
朝から涙が止まらない〜〜〜
age
263 :
ありがとう、お母さん:02/12/22 20:20 ID:gHIZKvPD
6年前、お母さんは亡くなりました。白血病でした。
あの時のお母さんを思い出すと、涙がでてきます
卓也「お母さん、お母さんはまだ死なないよね」
母「何を言ってるの?卓也。お母さんはまだ全然元気です」
しかし、母は気の弱い声で返事する
母「それより卓也、もうすうぐ、卓也の誕生日だよ。欲しものある?」
卓也「欲しいもの?それは・・元気なお母さん!」
母「ふふ、ありがとう」
母「・・卓也、ごめんね。・・産んでごめんね。」
卓也「・・・・・・」
母「お母さんは卓也に心配させて、まだ卓也は10歳なのに」
卓也「・・」
それから数日後
母「卓也、今日卓也の誕生日だね。お母さん、卓也のために
時計買ってきたよ。それと・・はい、これ」
卓也「わーい、カレーライス。ありがとう。でも、お母さん、体
悪いんじゃないの?大丈夫なの?」
母「・・なんともないよ。卓也の顔を見るだけで元気がでちゃう」
卓也「お母さん、元気になってよかったぁ」
母「・・・・・・・・・・・・・」
数日後
医者「卓也君、お母さん、もうだめかもしれない」
卓也「・・・何言ってるの?お母さん、あんなに元気だったよ」
医者「・・卓也君の前では元気に振舞っていたんだよ。本当はお母さん、
はっけつびょう、という病気だったんだ」
264 :
ありがとう、お母さん:02/12/22 20:30 ID:gHIZKvPD
卓也「白血病?学校で聞いたことある。すごく重たい病気なんだよね。
医者「・・・・・」
卓也「お母さん、死んじゃうの?そんなの嫌だよ!
お母さん、死んじゃうなんて嫌だよ!!」
先生、もうだめです。
医者「!!」
医者「・・・・・・・」
卓也「何で?何で何もしないんだよ!何でだよ!!」
医者は首を横に振った
卓也「お・・・か・・あ・さん、し・・ん・・じゃう・・よ・・」
医者「卓也君、ごめん!」
卓也「おかあさ・・嫌だよ。死んじゃ嫌だよぉぉ!」
・・・・・21時53分です。
卓也「おかあ・・・さ・・ん」
僕は泣きじゃくりながら、お母さんが先ほどまでにいた寝室へ向かった。
ふと、ベットを横に、カレーライスの残り物があったことに気づいた。
卓也「・・・・・」
僕は無我夢中で食べた。残したくなかった。
お母さんの作ってくれた、カレーライスは
まだ・・・・あたたかかった。
ありがとう、お母さん。
妹の友だちだった。
幼い頃から脳の病気を患っていて、手術の繰り返しで四肢もまともに
機能しなくなってしまって、それでもがんばって歩いて学校に登校
していた。
小学生の頃、一度帰宅時間にその子と一緒になったことがあって、
友だちの姉として面識の会った私はなんとなく一緒に帰ることに
なった。
片足が麻痺していて歩くのにとても時間がかかるその子。
私はその日遊ぶ約束をしていて、正直早く帰りたくて仕方がなかった。
会話もあまりはずまなくて、その子の家まで送るべきだったのに、
「いいよ。私ひとりで帰れるよ」
と言うものだからそれに甘えて途中で別れた。
数年後、あの子が長くないと母に教えられて妹と見舞いに言った。
個室で、脳の病気のせいでその子とわからないくらい頭が肥大していて、人工呼吸器も苦しそうで意識は殆どないようだった。
その子の母はもの凄く冷静で、淡々とあと一週間かなとつぶやいてた。
母は号泣していたけど、私と妹はなんと言ったらいいかわからなくて、
ただ突っ立ってその子を見守っていた。
まだ15歳だったのに、そのまま死んでしまった。
その子の家に行ったら、まだ部屋がそのままになっていて、机に
飾られた写真、元気そうに笑ってる写真を見ていたら一緒に帰った
あの日のことを思い出した。
「おねえちゃんおねえちゃんって、**はひとりっこだからすごく
嬉しそうだったのよ」
そんなこと言われて、おうちまで送ってあげればよかったなと思ったら
涙が止まらなかった。
ごめんね。
266 :
病弱名無しさん:02/12/24 14:14 ID:KyYuyYLP
このスレを読んで感動している人がいる限り
この世はまだ捨てたもんじゃないなとしみじみ思いますた。
さっきこのスレを見つけて一気に読みました。
涙こそでなかったけど、すごく感動しました。
268 :
病弱名無しさん:02/12/24 15:06 ID:8MdN3cLH
人が死ぬスレですか?人が苦難を乗り越えて生きるスレですか?よく分からない。
皆さんのベストはどれですか?
私は・・・・
決められません・°.(ノД`)
270 :
病弱名無しさん:02/12/24 17:29 ID:SKnnx8de
切れ痔がなおったよー!!
感動、とはちょっと違うかもしれませんが。
【クリスマス】クリスマス氏ね【氏ネ】
http://pink.bbspink.com/test/read.cgi/ascii2d/1040691388/l50 [1] 名前: クリスマス氏ね [ クリスマス氏ね ] 投稿日:02/12/24 09:56 ID:pw/GOpVU
クリスマス氏ね
[2] 名前: 名無したん(;´Д`)ハァハァ [ sage ] 投稿日:02/12/24 09:57 ID:+kAfcdBn
禿同!何がクリスマスだ!
みんな死んでしまえ!!
[43] 名前: 名無したん(;´Д`)ハァハァ [ sage ] 投稿日:02/12/24 13:29 ID:WbJ0SBF1
というか、俺みたいなキモデブヲタは一生これでいいと思う
俺は中学のときに好きな子に告白したことがあったが泣かれた
つまり彼女たちからすればキモヲタから告白されること自体
千度死んでも拭い切れない恥だということだ
というわけで俺はもう女に告白しません。俺って優しいね。
・・・漏れは、こんな彼らが大好きです。
でも、現状肯定はしません、人間になれるよう努力します。
分かるかも271のヤツ。優しい人だねえ。
もう8年前になるけど、漏れの高校にいっつも一人でいる女の子がいて
なんで?って聞いたら、中学校のときにアトピーが
ひどかったらしくて、それでもすごく大事にしてくれた
友達がたくさんいたそうな。
でもある日、部活の帰りに教室の前を通ったら、彼女を嫌ってる
クラスメイトたちが話をしてるのが聞こえて、その話って言うのが、
その子と仲良くするんだったら友達も仲間はずれにしようみたいな
ことだったらしくてそれがショックで、友達を無理やり避けるように
なったんだそうな。
なんかそれ以来、自分が友達になることで不快な思いをさせるのが怖くて
悲しくて堪らなかったんだと
友達は何よりも誰よりも、大切で尊いものだから、友達を作って
これ以上悲しい思いをその友達にさせるようなことはあってはならんと。
そのままクラスからは孤立して3年生になって、その年のセンター試験
を前にしてアトピーが悪化して彼女は亡くなりました。
一歩退いて、我慢するのも優しいと思うけど、
そういう人たちだからこそ幸せになってほしいなあ。
273 :
病弱名無しさん:02/12/26 13:59 ID:dwKaLPU8
むかし自分の彼女が
「よくあんな男と付き合えるよね〜恥ずかしくないのかな?」
と陰口叩かれてるのを聞いてしまった。
俺の悪口ならまだしも、何の罪もない彼女まで…と思うと
怒りを通り越して絶望感さえ感じた。
当時ややデブ気味だったが、その陰口によって自分が余計醜く思えてきた。
そのあと彼女と会ったときの、彼女の笑顔がつらかった。
もちろん彼女は何も知らないのだが。
結局、それとは全く関係のない理由で彼女とは別れてしまったが、
あんとき俺を好きでいてくれたことに、心から感謝している。
あれから漏れは、自分の彼女がそんな陰口をたたかれないよう努力した(つもり)。
なんとか人並みの男にはなれたと思うが、あのときの彼女が今の俺に会ったら
好きになってくれるだろうか?
近所に住んでいるご夫婦の話です。
その夫婦には子供が無く、そのせいか私は子供のころから可愛がってもらっていました。
おじさんは無口な土建屋の事務員、おばさんは自宅で商売をしていて雑貨から野菜など
なんでもあるミニスーパーみたいな店で、朝から晩まで年中無休で働いている人でした。
当然晩ご飯なども、おじさんが7時ころ帰ってきても食べられるのは9時過ぎというのは
しょっちゅうの事でした。洗濯ものもたまる、掃除も毎日できない、休日も一緒に過ごせない・・・
おばさんは結婚して以来、そのことを心の中で申し訳ないと感じていたそうです。
今年の秋、おばさんは長年の疲れからか体調を崩して一週間の入院をすることになりました。
コンビニがあるから大丈夫だとおじさんは言っていましたが、毎日持っていくお弁当や食事の支度さえ
できなくて迷惑ばかりかけて申し訳ないと落ち込んでいたようでした。
おばさんが入院した4日後、おじさんの会社にラジオ番組の取材がきました。
取材というかローカル番組のコーナーの1つで「会社対抗クイズ」みたいなものです。
私は前日に知っていたので翌日ラジオを持ってお見舞いに行きました。
続く
275 :
病弱名無しさん:02/12/26 16:01 ID:msdodq9u
ワクワク
276 :
274:02/12/26 16:12 ID:U1vlDl+a
続きです
休憩室のような場所で持っていったラジオを二人で聞きました。
そのクイズ自体におじさんは登場しませんでしたが、話の流れで「自分の奥さんは○点だ」
というようになっていきました。
それぞれが「結婚後+20キロだから50点」とか「料理がヘタで40点」とか悪く言って
笑いを取る、みたいな雰囲気になっていました。
わたしは「あ、やばいかな・・」と思いはじめ、おばさんも何か気まずい顔をしていました。
ついにアナウンサーがおじさんの作業服のネームを呼びました。
「○○さんの奥さんに点数をつけるなら何点ですか」
おばさんが小さな声で「20点・・・」とつぶやいた瞬間
「98点!・・・だな。あれでなきゃワシの嫁は無理だ」
おばさんを見ると両手に顔をうずめて泣いていました。今年一番感動した出来事です。
稚拙な文章スマソ
これこそ夫婦の鑑だな。
11/22いいふうふの日賞を西村知美にやってる場合じゃないだろ
日本はほんとに正直者が馬鹿をみる世の中になってる。
漏れが童貞なのもきっとそのせいだ。そうに違いない。うん。
278 :
病弱名無しさん :02/12/26 18:34 ID:U2uDvMTh
279 :
病弱名無しさん :02/12/27 10:25 ID:fus+EOlm
仕事納めage
私は母の顔がすごく嫌いでした。
なぜなら大きなやけどの跡があるからです。
よそのお母さんはあんなに綺麗なのに何で私のお母さんは・・・
とか、何でこの人が母親なんだろう
とさえ思ったことがありました。
そんなある日のこと。
その日の四時間目のこと私はあることに気づきました。
夕べ徹夜で仕上げた家庭科の課題が手元に無いのです。
どうやら家に置いてきてしまったようです。
あたふたして勉強も手につきません。
家庭科の授業は五時間目。
私は昼休みに自宅まで取りに帰る事を決心しました。
281 :
280:02/12/28 01:41 ID:sv88EIoe
四時間目も終わり帰る準備をしていたところ、クラスメートが
「めぐみ〜、めぐみ〜、お母さん来てるよ」
と言いました。
私は、はっとしました。急いで廊下に出てみると何と母が
忘れた課題を学校まで届けに来ていたのです。
「なんで学校にきてるのよ!取りに帰ろうと思ってたのに!」
と息を立てて問い詰めると、
「でも、めぐみちゃん夕べ頑張ってやってたから・・・」
といいました。
私は、
「おばけみたいな顔して学校来ないでよ、バカ!」と言って
母から課題をひったくるように取り上げるとすたすたと
教室に入った行きました。
自分の母親があんな顔をしていることを友人達に知られて
しまったことで私は顔から火が出る想いでした。
282 :
280:02/12/28 01:42 ID:sv88EIoe
その日の夕飯後のこと私は父親に呼ばれました。
昼間のことで怒られるのだろうな・・・と思いました。
すると父親は予想に反してこんな話をはじめました。
「お前がまだ生まれて数ヶ月の頃隣の家で火事があってな。
その火が燃え広がってうちの家まで火事になったことが
あったんだよ。そのときに二階で寝ていたお前を助けようと
母さんが煙に巻かれながらも火の中に飛び込んでいったときに
顔に火傷を負ってしまったんだよ。」
「今お前の顔が綺麗なのは母さんが火の中に飛び込んでいって
お前を助けたからだよ。」
私はそんなことは、はじめて聞きました。
そういえば今まで火傷の理由を母から聞いても
あやふやな答えしか返ってきたことはありませんでした。
「なんで今まで黙ってたの?」
私は涙ながらに母親に聞くと、
「めぐみちゃんが気にすると思ってずっと黙ってようと
思ってたんだけど・・・」
といいました。
私は母への感謝の気持ちと今まで自分が母親に取ってきた
態度への念とで胸が張り裂けそうになり
「お母さん〜」
と言って母の膝の上でずっと泣いていました。
今では自分の母の顔のことが誇りにさえ思えるようになりました。
家族を、私を守ってくれた母のこの顔の傷のことを・・・。
以上長文失礼しました。
283 :
病弱名無しさん:02/12/28 02:37 ID:5XHJBkq8
280さん、いい話をありがとう。
これからもお母さんを大事にしてください。
ええ話や〜。ウワーン
284 :
病弱名無しさん:02/12/28 03:11 ID:DMkz/8Dy
>>280-282!
涙デタ!ポロリキタ!
拍手!おっかさんにも拍手!
・゚゚゚゚(ノД`)゚゚゚゚・ウオォォォォン
285 :
名無し:02/12/28 03:50 ID:k46WPzMS
初めてこの板来て初めて読んだ。
涙があふれました。
自分をはじめ、人間に失望していたけど…
なんか自分が小さく思えた。
頑張らなきゃなぁ
286 :
病弱名無しさん:02/12/28 05:15 ID:4OKZcH2c
俺が小学生の時の話。
当時俺はクラスで一番背が低かったけど体はめちゃめちゃ丈夫だった。
病気やケガもろくにしたことなかったし当然学校を休んだこともなかった。
そんな俺が小4になったころインフルエンザにかかって初めて学校を休んだ。
今までろくに病気になったことのなかった俺は病気への免疫が出来てなかったので相当きつかった。
熱は40度を越え子供ながらに俺はもう駄目なんじゃないかと思っていた。
俺が熱にうなされながらふとんに横になっていると母親が「外に誰かが来てる」と言った。
その日はものすごい大雨だった。
誰かが見舞いに来てくれたのか?でもこんな大雨の日にまさかなと思いながらも俺はよろよろと起き上がって外に出てみた。
俺が外に出ると大雨の中傘もささずに走り去る人影が見えた。
その後ろ姿はクラスメイトのYのようだった。
当時俺とYは犬猿の仲でささいなことでいつも殴り合いの喧嘩をしていた。
Yは昔で言う所の番長的な存在の奴でクラスの嫌われ者だった。
先生を殴ったり教室から先生を締め出したりするかなりの悪ガキだ。
Yと俺の家は近所で集団登校でも同じ班だった。
俺は心からYを嫌っていたわけじゃなかった。
みんなから嫌われているのを知っていながらワガママな所を直そうとしないYのわからず屋な所やひねくれた根性が嫌いでよく喧嘩をしていた。
あいつが俺の見舞いに?それとも病気の俺にとどめを刺しにきたのか?上等だやってやると思いYを追いかけようとしたが体が重くて動かない。
バカらしくなって家に戻ろうとした俺は門のブロックの間に挟まっている手紙をみつけた。
そこには汚い文字で『おい、S。風邪ぐらいで学校休むな!早く治して学校に来い。決着をつけてやる。』と書かれていた。
Yなりの見舞いの言葉だったのだろう。
俺はその手紙の内容とあまりの字の汚さに思わず笑ってしまった。
翌日、熱が下がった俺は学校へ行ってYに昨日のことを問いただしたがYは自分じゃないととぼけた。
それから二年後。
俺が小6になった時に事件は起こった。
287 :
病弱名無しさん:02/12/28 05:44 ID:4OKZcH2c
>>286のつづき
なんとYの親父が警察に逮捕されたのだ。
Yの親父は当たり屋だったのだ。
親父の逮捕後Yの一家は大阪に引っ越した。
クラスメイトは問題児Yの転校に大喜びだった。
でも俺は正直寂しいような気持ちになった。
別に喧嘩相手がいなくなってどうこうではなくて毎日のように学校で喧嘩をしなくてすむのならそれにこしたことはない。
理屈抜きに本気でぶつかり合える相手がいなくなったことが寂しかったのかも知れない。
大騒ぎするクラスメイトを横目に見ながら俺は学校の帰りいつも下を向き一人で寂しそうに下校していたYを思い出した。
そのあまりのYの様子に何度か一緒に下校したこともあった。
Yが転校してしばらくの間は俺の家にYが電話をかけてきていたがすぐにそれもなくなった。
俺は小学校を卒業しても中学になってもときどきあの時の寂しそうなYの姿を思い出してはYのことを心配していた。
あのワガママな性格は直ったんだろうか。
向こうの学校でいじめにあってないだろうかと。
さらにそれから数年後。
俺が二十歳になり友達と成人式に行った時のこと。
懐かしい旧友と再会し昔話をしていると一緒に来た友人が慌てて俺の所に走ってきた。
そんなに慌ててどうしたんだ?と訪ねると友人は「Yが来てる。お前を探してる」と言う。
俺はその友人の言葉に驚いた。と同時に俺は駆け出していた。Yが来てる。
子供のころは顔を合わせば喧嘩ばかりしていたYを今俺は必死になって探していた。
が、会場はかなりの人ゴミでなかなかYを見つけられない。
と、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。友人の声ではない。
後ろを振り返るとそこにはすっかり大人になったYがいた。
8年ぶりの再会だったがすぐにYだとわかった。
俺は開口一番Yに言った。
「友達もいないくせによく来たな」
我ながらバカなセリフだと思った。
Yは昔と変わらない不敵な顔で笑うと答えた。
「お前がいるだろ」
288 :
病弱名無しさん:02/12/28 05:52 ID:4OKZcH2c
>>287のつづき
俺達は友達だった。
8年経った今初めてそのことがわかった。
それから俺とYは時間が経つのも忘れ二人で色んな話をした。
Yは大阪でヤクザになっていた。
今では子分もいるらしい。
でも俺はそんなことは気にならなかった。
あれから俺には想像も出来ない苦労があったらしい。
今こうして元気なYの姿が見れただけでうれしかった。
それからさらに4年が経った今もYは大阪にいる。
結婚を期にヤクザからは足を洗った。
今は子供と奥さんと三人で仲良く暮らしている。
今でもYとの交流は続いている。
289 :
病弱名無しさん:02/12/28 06:54 ID:1spHE2qT
>>286・゚・(ノД`)・゚・
いいなぁ・・・「お前がいるだろ」って。。
あなたも友人もとても素敵な人なんでしょうね
290 :
病弱名無しさん:02/12/28 07:33 ID:sc86Ny7R
>>286-288 とてもいい話だ…爽やかな読後感ですた。感動した。
友情っていいなぁ。・゚・(ノД`)・゚・。
292 :
病弱名無しさん:02/12/28 08:11 ID:1spHE2qT
293 :
病弱名無しさん:02/12/28 11:01 ID:DMkz/8Dy
感動あげ。・゚・(ノД`)・゚・。
294 :
病弱名無しさん:02/12/29 09:18 ID:iAGi88GF
そのころ俺は大阪にいた。
俺は誰にも相談せずに外資系企業への転職を決めた。勤務地は東京になった。
実はこれが初めての転職ではない。その前は東京にいた。
せっかく大阪に帰ってきたのに、東京の、それも外資系とは、と周りには反対されたが、
親父だけが「俺は反対しない。がんばればいい」と言ってくれた。
親父は大工で、無口な人間だった。普段何を考えているのかわからなかった。
そんな親父の一言に、自己中の俺もさすがに身が引き締まった。
親父はそのころから痴呆があり、時計の文字盤も読めなくなっていた。
そんな親父の介護費用を稼ぐのが転職の目的のひとつでもあったが・・・
あれから5年近く経った。俺はまだ東京にいる。
自分だけの世界に生きている親父は、もう何も言わなくなった。
親父の言葉は、まだ俺の中にある。
スレ汚しスマソ。
295 :
病弱名無しさん:02/12/29 17:19 ID:bCNZJ60k
>>294 なんて父親思いの人なんだ・・・・゚・(ノД`)・゚・
ちっともスレ汚しなんかじゃない!泣けた・・・。
296 :
病弱大学生:02/12/29 17:43 ID:hMgvSHsY
俺は1浪してマーチ止まりだったことがずっとコンプレックスになっていたんだけど、
このスレ読んで大学のレベルで悩んでいたのが馬鹿らしくなったよ!いい話をありがとう
297 :
病弱名無しさん :02/12/30 13:36 ID:ox7m8ktV
298 :
聞いた話:02/12/31 01:00 ID:6SUejUpe
私は戦時の中、幼少時代をすごしました。
物心ついたときには母親はおらず、父は兵隊に取られ
祖父と2人田舎で暮らしていました。
家のすぐ脇には河が流れており、200mほど河を下ったところには
捕らえられた米兵を収容している建物がありました。
とある日のこと、私が芋を河で洗っていると誤って
手を放してしまいその芋を河に流してしまいました。
その芋はたまたま下流で水浴びをしていた米兵達によって
拾われました。
米兵は自分達に向かって流してくれたものだと思い
喜んで私に手を振って芋を持って帰りました。
きっとひどい扱いを受けていたのでしょう。
299 :
聞いた話:02/12/31 01:01 ID:6SUejUpe
それから私は定期的に川下にいる米兵達に回りには
分からないように、野菜を河に流して渡すようになりました。
やがて戦果も悪化して日本軍が不利な状況になるにつれて
食糧事情は厳しいものとなりました。
もともと私と祖父の2人暮らしだったため食料で困ることは
ありませんでしたが、米兵達に食料を分け与えることは
出来なくなりました。
300 :
聞いた話:02/12/31 01:02 ID:6SUejUpe
申し訳ない気持ちになりながらもいつも食料を流している
時間私はいつものように川岸まで行きました。
いつものように200m川下では米兵達が待っています。
近づくのは禁止されていたため当然話をすることも出来ません。
ジェスチャーで分け与える食料が無いことを伝えようと、
手を大きく振ってバツマークを作って食料が無いことを伝えます。
しかし上手く伝わらず米兵達は手を振り帰してきます。
そんな私が流す食料を楽しみにしている米兵に
何もして上げられない無力な自分に腹がたち河の水を
蹴り上げると米兵も同じように真似をします。
今度は河の中で飛び上がってみるとやはり米兵達は
私の真似をします。
何とかしてあげたい。そう思いました。
私は自分の家の畑から祖父の目を盗み少しですが
スイカやかぼちゃを取り今までと同じように河に流して
米兵に渡しました。
301 :
聞いた話:02/12/31 01:03 ID:6SUejUpe
しかし数日後スイカを取っているところを祖父に見つかり
理由を聞かれました。
私は正直にこれまでのいきさつを話しました。
すると祖父はこう言いました。
「なるほど。お前は非国民だが非人間ではないな。」
そう言うとそれ以降畑から取った野菜を河に流して
米兵に渡すことを許してくれました。
302 :
聞いた話:02/12/31 01:04 ID:6SUejUpe
やがて終戦を迎えたある日のこと、家の上空を数機の
戦闘機が飛来してきました。
米兵を収容していた建物があったためひどい扱いを
受けていた米兵が仕返しに空襲に来たに違いない。
祖父はそう言いました。
しかし私はそんなこと無いよ。そんなこと無いよ。
と言いました。
あの米兵たちがそんなことをするとは思えなかったのです。
やがて戦闘機からたくさんの金色や銀色の小石くらいの
大きさの物が振ってきました。
爆弾だ!
祖父は言いました。
しかし何も爆発しません。
空から振ってきたものは金銀色の紙に包まれた
チョコレートでした。
なおもチョコが降り続きました。
星のように。
体と何も関係ない話で恐縮です。
聞いたのが結構前のことなので上手く伝えられず申し訳ないです。
>>280 それとそっくりな話を道徳の教科書で読んだ覚えがあるよ。
母親は交通事故でびっこになったという設定だったけど。
305 :
聞いた話:03/01/02 18:47 ID:t28fj//E
age
306 :
病弱名無しさん:03/01/02 19:03 ID:9IObQ9Go
私もよく自分が死んだら何人くらいの人が泣いてくれるのか
考えます。別に死にたいとかそうゆうんじゃないんですけど・・・・
なんでかな・・・・?
307 :
病弱名無しさん:03/01/02 19:05 ID:pGvNYIrB
>306
オレも考えるよ!!友達数人は泣いてくれそう。身内は泣いてくれなそう・・・。
何となく。
308 :
通りすがり!:03/01/03 00:00 ID:umGFPcAo
私もその話は聞いたことがあります!ってか道徳の時にビデオで見ました!
結構いい話で・・・・・たしかその話を小さな女の子にしてあげる話だったような・・・
最後の飛行機に乗って帰っていくとこのシーンが感動的でした!
309 :
病弱名無しさん:03/01/03 08:35 ID:lHoH0tXV
去年の10月5日卵巣癌からの全身転移で母が亡くなりました。
家庭の事情で離れ離れに暮らした事を、自分が病気になっても謝り続け、
亡くなる3日前まで後夫(現在の父)と私達姉妹の関係を心配していました。
母が亡くなり、父を見ているのがとても辛い。
でも、そう思えるような関係を築いてくれた母に心から感謝しています。
苦労ばかりだった人生、これからはゆっくりして欲しい。
310 :
病弱名無しさん:03/01/03 22:27 ID:b7D21lhc
今から9年前、当時は仕事の関係で家内ともに海外赴任していました。
ある日、日本からの突然の電話、家内のお母さんが急に亡くなったとのこと。
自分も家内にうまく事情を説明できないまま、飛行機で帰国。飛行機の中では家内は泣きっぱなしでした。
自分のできることは手をしっかりと握りしめることだけでした。
24時間かけて日本へ到着し、葬儀場で変わり果てたお母さんの姿を見て家内は号泣しました、周り私も号泣でした。
あんな泣いた家内は初めてでした。
お母さんと最後に会ったのが1年半前、元々病気で寝込んでいたのですが、娘に心配かけない様にと家内の父はその事をずっと連絡しなかったんです。
「もう少し早くわかっていれば亡くなる前に会えたのに・・」と悔やんでいたのを思い出します。
そのお父さんも一昨年なくなりました。家内35歳にして両親を失ってしまいました。
特にお母さんには孫を抱かせてあげたかったな・。 家内のことはずっと一生大切にしていこうと誓いました。
下手な文章ですみません。
311 :
病弱名無しさん:03/01/03 22:45 ID:gived3J4
>>310 奥さん、幸せだよね・・・・・・
こんな素敵な旦那さんに巡り合えたのだから・・・・・・
(奥さんに話せないよね。こんな事・・・・・だから余計素敵に思える・・・)
312 :
:03/01/04 00:44 ID:n94IxL7J
ウワアン
313 :
病弱名無しさん:03/01/04 00:56 ID:EqYvw8x8
看護学生だった頃の話。
受け持った患者さんはずっと昔に家族と生き別れになった方で、
生活保護をうけながら1人で生活されている方でした。
面会にくる家族もなく、もう最終末期、今週一杯持つかという
状況でした。
ある日、検温に行き、何事もなく終え、部屋を出ようとすると
酸素マスクのしたで何か必死に言ってる。何回聞いてもうまく
聞き取れず、繰り返すこと10回近く。よく聞くと、「水」
と言っていて、吸い飲みから水を口に入れました。すると満足
され、目を閉じました。それを見て部屋を後にしようとすると
消えてしまいそうな声で「あぁ・・・・」と聞こえ、振り返ると
手招きしています。
また何かを必死で言っていますが、聞き取れず、「ごめんなさい、
もう一度おっしゃっていただけますか?」と言うと、酸素マスクを
外し、とぎれとぎれに、しかしその方にとって精一杯の声で
「あ・・・り・・・が・・・と・・・」
と私の手をとり、おっしゃいました。毎日悪くなっていく患者さん
をみるのが辛くて、実習に行きたくなくなってしまったり、正直
その患者さんを見るのが恐くなっていたので、そんな自分に情けなく
なり、思わず患者さんの横で泣いてしまいました。
その患者さん、翌々日の朝、私が病棟についてしばらくして
お亡くなりになりました。なくなる瞬間にもご家族の方は誰もおらず、
私と病棟スタッフが立ち会いました。
あの「ありがとう」は今まで聞いた「ありがとう」の中で、
最も重たいありがとうでした。私のほうがお礼を言いたい気持ちで
一杯です。
FLASH板→泣ける2ちゃんねるFLASH→泣ける2ちゃんねるから
ここにたどり着き、一気に読んでしまいました。マジ泣けた。。
良スレ、感謝。m(__)m
>>313さんのようなかたなら
安心して自分の身を任せられるなあ…。
医療がもっと発達しても死ぬ人の数はゼロにはならないわけで
つらいこともたくさんあるでしょうけれども
どうか頑張って下さい。
316 :
病弱名無しさん:03/01/04 15:17 ID:CD2jATCR
・・・泣いちゃったよ
私も精一杯生きようと思いました
また来ます
317 :
病弱名無しさん:03/01/04 17:19 ID:u2hn79Cc
私の母は躁鬱病で入院していました。
ある日、母が入院していた病院から「お母さんおうちに戻られてます?」と電話がありました。
まだ退院は先だと思っていたので不安になって「帰ってませんが、うちの母病院にいないんですか?」と聞くと、
「こちらの手違いかもしれません。」とだけ言われました。
心配になって家で1人オロオロしていると、父からすぐ電話がありました。
私が「ママどうしたの?病院にいないって。」と言うと
「ママは今パパと一緒だから大丈夫だよ。」と父は言いました。
安心して家で待っていると、伯母が急にやってきて母が病院のそばで自殺したと告げました。
私は伯母に連れられて泣きながら既に葬儀場にいる父の元へ行きました。
父は確かに母と一緒でした。
電話で私が母の事を聞いたとき、あまりの悲しみに私にどう伝えていいか分からなかったようです。
この日生まれて初めて父が泣き崩れるのを見ました。
318 :
白血病プログラムにも参加しましょう。:03/01/05 16:56 ID:7psX0pQu
>>314タソのように、ここにたどり着きましたが、
えー話や・・・(T_T)皆さんガムバテください。
319 :
病弱名無しさん:03/01/05 17:01 ID:cgQyckWz
このスレ読んでると心が洗われるような気持ちになれる。
久しぶりにいい話が沢山聞けました。ありがとう。
うちのワン助がこの間天寿を全うした。
だいたい死ぬ一ヶ月くらい前からご飯が食べれなくってさ。ドッグフードをぬるま湯でふやかして、
口に持っていって食べさせても半分くらい吐いちゃうし、歩くのも苦しいみたいだった。
水も5分沸かせて塩素とか飛ばしたやつを冷まして出しても、飲んでからしばらくすると
やっぱり吐いちゃう。医者にみせたら、寿命だからこっちでやれることは無いっていわれて。
そんな状態とはいえ、俺も学校とかあるし、んで、大学行くと帰ってくるのが
だいたい夜の8時とか9時になるからさ。たぶん看取れないなって思っていたのさ。
家をはさんで門の反対側に庭があって、そこにいつもつないでいてさ。
だから門と玄関からは見えないんだけど、俺が学校から帰ってくると、ワン助がいつも同じように鳴いて、
俺が「ただいまー」って返事すると、ごそごそ小屋に引っ込む音がして。
何年も続いていたそれが無くなって、しばらくしてから実感した。「ああ、もうすぐ死んじゃうんだ」って。
学校行って、帰ってきて、門を開けようとしたら、うちのワン助が鳴き声だしたのよ。
以前、帰ってきたら必ず鳴いていたみたいにさ。少し弱い声だったけど、いつもみたいに。
急いで庭に回ったら、散歩の催促のしぐさをしてるんだよ。
足とかぶるぶる震えて、立つのもやっとなのに、散歩行こーぜってやってるんだよ。
自分がいかに元気か見せようとしているみたいだった。
情けないことに、俺、何やってやったらいいのかわかんなかったんだよね。おろおろするばかりでさ。
ワン助が崩れるようにクタッてなったのを見て、あわてて、ワン助が好きだった、抱っこをしたら、
目を薄く開いてこっち見て、それが閉じて。それで終わりだった。
放心状態で葬式をやって、その状態のままで小屋の片付けやって。
次の日、なんかすこし広くなった庭をみたとき、最後の姿が浮かんできてさ。
ワン助があれだけ胸張って意地張って立っていたのに、俺が引きずっていてどうする、
辛い事があっても頑張らなきゃいけないって、そう思った。
321 :
病弱名無しさん:03/01/06 15:14 ID:eEpZL5Ct
仕事始めで憂鬱だが、ここのスレ見てまた頑張ろうと思いますた。
去年の夏は毎日のように、会社近くの公園のベンチに座って携帯電話を握っていた。
入院中の親父の病状を母親に確認するのと、看病で疲れている母親を励ますため。
病状と同様、母親の精神状態も一進一退で、昨日電話口で号泣され、すぐ帰ってこいと
言ったと思ったら、次の日には嘘のように元気な声で「当分持ちそうだから帰って来なくていい」。
いつも昼飯食ったあと、ベンチに直行。蝉がミンミン鳴く中、母親を慰めたり
あまりわからないことを言うときには怒鳴りつけたりと、本当に辛かったが、
闘病中の親父はもっと辛いだろうと何とか耐えた。
ベンチから遠くに見える建設中のマンションを見るともなしに見ながら、
こんな苦しみがいつまで続くのだろうと思った。
親父が力尽きたのは、暑さもピークの8月。会議中に同僚の子が知らせてくれた。
喪主だったので、ばたばたして悲しみに浸る間もなく、また仕事が立て込んでいた
こともあって、式の翌日には東京に戻ってきていた。
四十九日が済み、仕事も落ち着いた秋口頃、久々に公園のベンチに座ってみた。
暑く、辛かった夏を思い出しながら遠くを見ると、建設中だったマンションが
立派に完成していた。
ふと、あのマンションの建設中は、親父は確かに生きていたんだと思うと、
なぜか涙が止まらなくなった。俺も母親も辛かったが、親父が生きててくれるなら
あれくらいの苦しみ、何年でも続けてあげられたのに。
あの辛かった日々が、愛しくさえ思えてきた。
またマンションが建設中になればいい、と思った。
でも親父も辛かったんだよな。苦しかったんだよな。
今は楽になったか? 今年は初めて親父のいない正月だったよ。
産まれてすぐ入院しちまったから、結局親父が一度も抱けなかった
孫(姉貴の息子)がな、物に捕まりながらだけど立つようになったぜ。
322 :
病弱名無しさん:03/01/06 19:22 ID:qlfvFjc9
心が荒んだ時にこのスレを読むと心が軽くなり、ありがたさをしみじみと
味わえるような自分に戻れる・・・・・まだまだ日本も捨てたものじゃ
ないね!!
323 :
続き:03/01/06 21:26 ID:BksmoDlT
今思い起こせば点滴直後に顔がむくみだしていた経緯からも医療ミスと思えた。突如、肝不全へとなった原因解明に解剖を申し出た担当医を現実感がない俺は力いっぱい殴り飛ばしていた。
あれから7年この場をかり心から言いたい
おやじ、23年間育ててくれありがとう。心より感謝します。おやじの優しい心、死ぬまで忘れません。
乱筆乱文にて失礼!
324 :
山崎渉:03/01/07 04:14 ID:ynTZGBe2
(^^)
325 :
病弱名無しさん:03/01/08 02:08 ID:a/hAaien
ホシュ
326 :
:03/01/08 03:27 ID:cT2Ti4af
私が中学生の時に、知能障害なのかな。話ができなくて動作がとても遅く、カラダは大きいけれどいつもオドオドしてしまう男の子がいました。
クラスの男子によくからかわれていたので、見かけると、もうやめなよーと言ったり、落とされたものをひろってあげたりしてました。
男子たちも陰湿ではなく、かるーい感じだったので、私もさほど気に止めていませんでした。
つづきは?
328 :
つづき:03/01/08 03:41 ID:5E4ZsVgk
それから3年後、私の姉からこんな話を聞きました。
実はその男の子のお兄さんと、私の姉は親友で、よく3人で遊んでいたそうです。
姉も何年かぶりにその兄弟の家に遊びに行ったところ、姉のことを男の子はまったく覚えていませんでした。
なのに、〇〇子(私)のねーちゃんだよ、と言うと、私のことだけしっかり覚えていたそうです。
329 :
つづき:03/01/08 03:51 ID:UM5vD+IZ
あの時あーしてくれた、こーしてくれたと、私がすっかり忘れていたことを、しっかりと。
それならば、もっともっと真剣に助けてあげれば良かったなと反省しました。
男の子本人にとっては、とても辛いいじめだったんですよね…
330 :
最後:03/01/08 04:09 ID:cT2Ti4af
皆さんの話に感動して、私も思わずカキコミしてしまいましたが、稚拙な文章ですみませんでした。ショボン
殺人の時効って15年だっけ。医療ミス(業務上過失致死???)は何年だろう?
332 :
病弱名無しさん:03/01/09 01:38 ID:I+jrNXDZ
人間っていいなぁ〜ってここに来るといつも思うよ・・・・・(泣
心が温かくなるね★
334 :
白血病プログラムにも参加しましょう。:03/01/09 20:38 ID:hTz1vPkr
ええ・・・話・・・・だ。自殺したいという人が、日本海溝に沢山いたが、
この話を読んでると「なんであいつら自殺なんかしたがるんだ?」と思ってしまいます。
ageときます。
335 :
病弱名無しさん:03/01/09 21:03 ID:tNeKwaRE
涙あげ
336 :
体育会系中年男:03/01/11 01:24 ID:ADu48xNP
1990年5月、婚約者が肝臓ガンで余命半年と宣告された。
自分より2歳年下の彼女は当時25歳、将来の生活を想像し、
お互い希望に胸膨らませ、幸せの絶頂にあった2人にとって、
それは到底絶え難き試練であった。しかし、彼女は強かった。
事実を受け入れ、最期まで諦めずに生きると誓ってくれた。
そこから2人3脚の闘病生活が始まった。大型トレーラーの
運転手である自分は勤務が不規則ではあったが、それでも、
出来る限り彼女の病室を訪れ、励まし、応援を送り続けた。
彼女もそれに応えるように治療に望み、一歩ずつではあるが
歩き続けた。その結果、その年の9月には、2人で北海道を
旅行出来るまでに回復した。そして、一縷の望みが生まれた。
『もしかしたら、彼女は助かるかもしれない!』
話は2泊3日の旅の初日、小樽を訪ねたときに進む。当時、
小樽では『石原裕次郎記念館』の建設工事が進められていた。
母親の影響で、子供の頃から裕次郎のファンだった彼女は、
『もし、私に奇跡が起こって、再び小樽に来られたときは、
一番に石原裕次郎記念館に来てみたい。』
と言っていた。自分もその言葉に微かながらも希望を持った。
しかし、その奇跡が起こることは無かった。札幌の時計台を
訪れたとき、『恋の街札幌』を唄っていた彼女は、それから
3ヶ月余りが過ぎた1990年12月5日早朝4時31分、
『お爺ちゃんに会いに行って来る!』という言葉を残して、
お婆ちゃん、両親、弟と妹、そして、自分に看取られながら、
大好きだったお爺ちゃんのところへ旅立っていった。
昨年、彼女の13回忌を済ませ、自分も今年40になるが、
自分の心の中に永遠に生き続ける彼女を支えにして、今日も
生きているのである。
337 :
病弱名無しさん:03/01/11 01:52 ID:e0bqE/oG
338 :
病弱名無しさん:03/01/11 09:04 ID:Gh2jjmIH
4年ぶりだ こんなに泣いたの
339 :
病弱名無しさん:03/01/11 16:28 ID:DqtwHIkH
すごい良スレ。
目から涙が溢れて止まりませんでした。(ノДT)アゥゥ
ここで私からも話を提供。乱文スマソ(汗
私の母は、趣味の一環(?)で。年末になると毎年
お正月のおせち料理を食べるときに使う祝い箸を
あらゆる知人に配っています。
昨年、母は癌?で家族と離れ、京都の方に入院している
同僚の男の方に、何の気なしに箸を送りました。
その時、病気の進行により、既に食事はおろか流動食をチューブで
流し込むんでいる状態だとは知らなかったからです。
後でその事を知人から聞き、無神経なことをしてしまった、と
母は後悔していました。
しかし、お正月明けに来た一通の手紙。
その同僚の方からでした。
手紙には、このように書かれていました。
「病気になって初めて健康であることの大切さを、
食べるという基本的な人間の行動すらできなくなった自分は
切実に痛感し、半ば放心的になっていました。しかし、
そんな私にもいつもと変わらず箸を送ってくれてありがとう。
正月までにはこの箸を使って食事ができるように、頑張ろうという
大きな励ましになりました。本当にありがとう。」
手紙を読みながら母は泣いていました。
翌月、その方は亡くなってしまいましたが、母のした
行動は、彼にとってすごく勇気づけられたことだったんだなぁ
と思いました。
働きすぎの私のお母さん。
あなたも健康に気を付けて長生きしてね。
340 :
病弱名無しさん:03/01/11 21:35 ID:BJfW7tEC
久しぶりだ。
こんな素直に泣いたの。
ageだぁ・゚・(ノД`)・゚・。
age
342 :
体育会系中年男:03/01/12 00:43 ID:I23290Sd
336の続き
この掲示板に書き込んだあと、裕次郎のCDを聞きながら、
一冊のアルバムを眺めていた。その年の夏、2人で北海道を
訪れたときの写真である。病気のために痩せ細ってしまい、
188aで当時95`だった自分と並ぶと、それこそ大人と
子供ほども違う。しかし、それらの写真に写る彼女の表情は、
どれも素晴らしい笑顔ばかりだった。余命半年と宣告された
人間のものとは思えない笑顔を見ているうち、止め処も無く
涙が溢れて来た。今年40になる自分であるが、久しぶりに
泣いた。棚の上に飾ってある彼女の写真を手に取りながら、
夜が更けるまで泣いた。そして、そのまま眠ってしまった。
朝、ラジオ放送の音で目が覚めた。ラジオから聞こえたのは、
彼女の大好きだった『恋の街札幌』である。まるで、彼女が
天国からリクエストしてくれたような巡り合わせであった。
学校へ行くのが怖い。もう高校生なのに泣いてしまう。
休んで母(色々あって片親)に迷惑をかける度、涙が出る。
でも、ここを見て、勇気を出して学校へ行こうって思った。
こうやって学校へ行ける自分は幸せなんだって気づかされた。
スレ汚しスマソ。
>343
なんで行くのが怖いの?
嫌なことでもあるの?
悩んでいるんならここでぶちまけてみては?
345 :
病弱名無しさん:03/01/14 22:42 ID:PMNJ4unj
耐えがたいほどの良スレだ。
耐え切れずに泣いてしまった。・゚・(ノД`)・゚・。
あげておきます。
346 :
病弱名無しさん:03/01/15 12:33 ID:t2Vdh48A
こんな良いスレはageなきゃ!
347 :
感謝。:03/01/15 13:19 ID:7oPmteGh
このスレを見つけ、自分にも過去、いい話があるので投稿。
小学校5年生の時、俺は野球を初めた。すごく厳しいチームで、ヘマをしたら
怒鳴られ、バットでケツを打たれることも暫しだった。
そんな中、Yコーチだけはやさしかった。勿論練習中は一コーチとしてだったが、
練習後、ジュースをおごってくれたり、いろんな面白い話をしてくれたり本当に
オニーサンみたいな存在だった。当時Yコーチは40歳ちょっとで未婚だった。
コーチの中で、Yコーチが近い存在で何でも喋れる人だったので、よく俺たちは
「なんで、結婚してないの??」とちょっとからかったりしていた。でもコーチは
いつも言葉を濁しその後は何もいわない感じだった。
つづく。
348 :
感謝。:03/01/15 13:34 ID:7oPmteGh
時がたち、俺が中学2年になった時、悲報が届いた。
母から「あんたが小学校の時のコーチのYさんが、亡くなったって、、」
すぐに、元野球チームメートと一緒にYコーチの家に。
持病が一気に悪化したらしく、突然の悲報に皆唖然。
向かうバスの中で皆で号泣、、、
家に着くとお母さんが出てきてくれた。二人暮しで、式の手取りをしないといけないらしく
忙しそうだった。Yコーチにそっくりでやさしい人だった。
部屋に案内され、俺たちはめちゃくちゃ泣いた。
俺たちが卒業前の最後の試合で、初めて公式戦で勝ったときの皆の集合写真が机に
飾られていた。練習はめちゃ厳しいが、とても弱いチームだったにもかかわらず、
他のコーチと違い、いつも明るく接してくれたのが彼だった。
お母さんが話してくれたが、持病を抱えていて、結婚すると奥さんに迷惑かけるから、
ということで何度も見合いを断ったそうだ。
本当にごめんなさい。何も知らずにガキのクセに生意気にからかったりして、、
「コーチー、ジュースおごってよ!!!」
「わかった、わかった、でも今回だけだぞ。」と笑顔で答えてくれた
コーチの顔が忘れられません。
349 :
ちょっといい話1:03/01/15 13:59 ID:Yngf3oM6
実際に経験した話です。3人の難病の子供がいました。
もう助からないと宣告されていました。しかし、凄腕の
医者によると、可能性はまだあるかもしれないと・・・。
医者は「自分の力で、わたしのところに果物をひとり一個、
森で見つけて持ってきなさい」と、3人の子供に言いました。
子供たちは病気で弱った体に鞭打ち、最後の可能性に賭けて
命懸けで山に入り、瀕死の状態ながらも最後の力を振り絞って
医者のもとに果実を持ち寄りました・・・。
すると医者は言いました・・・
「その果実を尻の穴に入れなさい」
その言葉にびっくりする子供たち、不信感を露にしながらも
もっと生きていたい、そんな一途な気持ちから、表情には
生きる意志の強さがありました。しかし一人だけ表情の
優れない子がいました。
350 :
ちょっといい話2:03/01/15 13:59 ID:Yngf3oM6
子供たちは医者の言うままに一人目は野いちごを、そして二人目は
ビワを、それぞれ尻の穴に無理やり入れました。しかし、相変わらず表情の
優れない三人目の子供、よく見るとその手には大きなヤシの実が・・・。
入りませんでした・・・。
果実を尻の穴に入れることができなかった3人目の子供は、
変わりに種を知りの穴に入れることで生きようとしました。
そして3ヵ月後、最初の2人は元気になっていました。
3人目の子供は・・・亡くなっていました。果実を尻の穴に
入れることができなく・・・亡くなっていました。
種しか入れることができなく・・・亡くなったのです。
数年後、その3人目の子供のお墓からは大きなヤシの木が
生えてきたということです・・・。
>>349-350 泣けない上に元ネタのほうが遙かに面白いという、
投稿者のセンスのなさを露呈した悲惨な作品例
泣ける話ではないのですが、
幼い頃、隣家に住んでいたおじさんが、夕方に近所をぐるりと
散歩するのが日課で、帰り道などによくすれ違って軽く挨拶
をしていました。
しかし、いつのまにかそのおじさんの姿が見えなくなって、たいして気にも
止めていなかったのですが、ある日突然母におじさんが亡くなった
ことを知らされました。
隣の家に挨拶に行きました。大きい人だったから大きなお棺に窮屈
そうに入って、目を閉じてしんとしているおじさんを見て、あの
外を散歩していた人と同一人物だとはとても思えなくて、子供だった
私はひどく混乱しました。
その日以来、あたりまえですが外を歩いてもおじさんがいないんです。
あたりまえのように存在していた人が消えてしまったこと
が、いなくなってしまったことがひしひしとわかって、
このとき初めて死というものを知ったような気がします。
355 :
349350:03/01/15 23:34 ID:Yngf3oM6
あら、おもろくなかった・・・??ごめん・・・。
一生懸命考えたの・・・。場違いだったかな・・・。
356 :
病弱名無しさん:03/01/16 00:37 ID:2d+vZGG+
>355
お前みたいのいるとシラけるんだよ禿げ!!
357 :
病弱名無しさん:03/01/16 01:22 ID:MU3WK+Yd
ええスレだなあ
些細な症状でこの板来たけど良かったよ
病気で悩んでも今はまだ生きてるんだなあって実感
生きること感動できることに感謝
358 :
病弱名無しさん:03/01/16 11:02 ID:M7LwMHBm
>>355 文章も稚拙だし構成もめちゃくちゃ。
読んでて可哀相になります。
削除依頼よろしくね。
>>355の凄まじい言われようを見るに付け、ある意味ハンカチが手放せない
360 :
病弱名無しさん:03/01/16 19:18 ID:tNbdv1WI
>>355 すみません。何がどうなのか言いたい事がわかりません(汗汗・・・・
元ネタが面白いとの事ですが・・・・・元ネタは何ですか?
(厨ですみません・・・)
361 :
病弱名無しさん:03/01/16 19:22 ID:9ftKdlxz
362 :
弘:03/01/16 22:57 ID:9Cnzu738
私の父は、高校の時野球部の投手として甲子園を目指したそうですが、「地区大会の決勝で9回に逆転されあと一歩のところで甲子園に出ることができなかった」と、小
さい頃良く聞かされていました。
そんな父の影響もあってか、私は小さい頃から野球が大好きで、野球ばかりやっていました。父も良くキャッチボールをしてくれました。
そして私は、小学5年から本格的に野球を始め、高校に入った私は迷わず野球部に入部しました。
ところが、高校入学と時を同じくして、父が病に倒れてしまいました。
その後入退院を繰り返し、高校1年の冬からはずっと病院に入院したきりになってしまいました。
父の体がどんどん細くなっていくのを見るにつれ、なんとなく重大な病気なのかなとは感じました。
父は、病床で私の野球部での活動内容を聞くのを一番楽しみにしてくれていました。
363 :
弘:03/01/16 22:58 ID:9Cnzu738
そんな高校2年の秋、私はついに新チームのエースに任命されました。
それを父に報告すると、一言「お前、明日家から俺のグローブ持って来い!」と言われました。
翌日病院にグローブを持っていくと、父はよろよろの体を起こし、私と母を連れて近くの公園の野球場に行くと言いました。
公園に着くと父は、ホームベースに捕手として座り、私にマウンドから投げるように要求しました。
父とのキャッチボールは、小学校以来でした。しかも、マウンドから座った父に向かって投げたことはありませんでした。
病気でやせ細った父を思い、私は手加減してゆるいボールを3球投げました。
すると父は、怒って怒鳴り、立ち上がりました。
「お前は、そんな球でエースになれたのか!?お前の力はそんなものか?」と。
私はその言葉を聞き、元野球部の父の力を信じ、全力で投球することにしました。
父は、細い腕でボールを受けてくれました。ミットは、すごい音がしました。
父の野球の動体視力は、全く衰えていませんでした。
ショートバウンドになった球は、本当の捕手のように、ノンプロテクターの体全体で受け止めてくれました。
30球程の投球練習の後、父は一言吐き捨てるように言いました。「球の回転が悪く、球威もまだまだだな。もう少し努力せんと、甲子園なんか夢のまた夢だぞ」と。
364 :
弘:03/01/16 22:59 ID:9Cnzu738
その数週間後、父はもう寝たきりになっていました。
さらに数週間後、父の意識は無くなりました。
そしてある秋の日、父は亡くなりました。病名は父の死後母から告げられました。
ガンでした。
病院を引き払うとき、ベッドの下から一冊のノートを見つけました。
父の日記でした。あるページには、こう書かれていました。
「○月○日 今日、高校に入って初めて弘の球を受けた。弘が産まれた時から、私はこの日を楽しみにしていた。
びっくりした。すごい球だった。自分の高校時代の球よりはるかに速かった。
彼は甲子園に行けるかもしれない。その時まで、俺は生きられるだろうか?できれば球場で、弘の試合を見たいものだ。
もう俺は、二度とボールを握ることは無いだろう。人生の最後に、息子とこんなにすばらしいキャッチボールが出来て、俺は幸せだった。ありがとう」
私はこれを見て、父の想いを知りました。それから、父が果たせなかった甲子園出場を目指して死に物狂いで練習しました。
365 :
弘:03/01/16 23:01 ID:9Cnzu738
翌年夏、私は背番号1番を付けて、地区予選決勝のマウンドに立っていました。
決勝の相手は、甲子園の常連校でした。見ていた誰もが、相手チームが大差で勝利するものと思っていたようでした。
ところが、私は奇跡的に好投し、0対0のまま延長戦に入りました。
10回裏の我がチームの攻撃で、2アウトながらも四球のランナーが1塁に出ました。
そのとき打順は、9番バッターの私でした。
相手のピッチャーの球は、140KMを超えていました。打てるはずもありませんでした。
あまりの速さに怯え、目をつぶって打とうとしたとき、亡くなった父の顔が一瞬まぶたに見えたように感じました。
気が付くと、目をつぶって打ったはずの私の打球は、左中間の最深部に飛んでいました。
私は夢中で走りました。相手チームの二塁手が、呆然として膝から崩れるのが見えました。サヨナラ勝ちでした。
チームメイトは、感動で皆泣いていました。
応援に来てくれていた父の当時のチームメイトも、泣いていました。
スタンドの母が両手で持った父の遺影が、静かに笑って、うなずいているように見えました。
366 :
弘:03/01/16 23:01 ID:9Cnzu738
甲子園では、結局1勝もできませんでしたが、父のおかげで甲子園に出ることがで
きて、とても楽しく野球が出来ました。
そのときもって帰った甲子園の土は、全て父のお墓に撒きました。
甲子園に出れたのは、父のおかげだったような気がしました。
これから、どんなに辛いことがあっても、父のことを忘れず努力していきたいと思っています。
ありがとう、お父さん!!
367 :
病弱名無しさん:03/01/17 01:33 ID:vCSq7vxA
うぅぅぅ・・・・、がんばれよ。
お前は宝をもっている。
368 :
山崎渉:03/01/17 12:52 ID:Y0W6tCWQ
(^^;
369 :
病弱名無しさん:03/01/17 23:21 ID:wCYTX+88
>>362〜
>>366 何だか、この人がうらやましくなった。
確かにお父さんが死んだ事の悲しみは深いけど、この人はこれから来る
どんな困難も絶対に乗り越えられるし、人生前向きになれる・・・・・
これは凄い宝ですね(^^;
370 :
病弱名無しさん:03/01/17 23:26 ID:TwK91Ktq
会社での残業を終えた俺は、暗い夜道を一人歩いていた。
時間はもう夜11時を回っていて、他に人影も無い。
いつもの道を、いつものように、アパートに向かってノロノロと歩く。
クタクタになった体は鉛のように重いが、いつもより、気分はいくらか軽い。
明日は久しぶりの休みだ。明日はゆっくりできるな…
アパート近くの公園に差し掛かると、なにやら園内の木陰に見慣れないダンボール箱が置いてある。
公園と言っても、ベンチと砂場しかない小さな公園だ。誰かがゴミでも捨てていったんだろう。
疲れていたのでそのまま通り過ぎようとも思ったのだが、よく見ると中で何かがごそごそと動いている。
どうも様子がおかしい
371 :
病弱名無しさん:03/01/17 23:27 ID:TwK91Ktq
気になって近づいてみると、狭い箱の中でワッショイが一匹、せっせと踊っていた。
ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ
どうやら捨てワッショイらしい。しばらくじっと見ているが、飽きもせず、ずっと踊り続けている。
今朝はこんな箱、あったかどか気にもしなかったが、こいつは今までずっとここで踊っていたのか?
ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ
「お前、疲れないのか?」ぽつりと呟いてみたが、当然、俺の言葉なんて理解できるわけも無い。
能天気な顔で俺の顔を見上げただけで、相変わらずせっせと踊っている。
ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ
「お前、腹減らないのか?」俺の問いかけには、やはり反応しないが
俺がおもむろに、カバンから昼食に買ったホカ弁を取り出すと、ワッショイの動きがにわかに慌しくなる。
最近、疲労ですっかり食欲を無くしていて、大分残していたのを、勿体無いからと持ち帰っていたのだ。
「ほれ食べるか?」ウィンナーを一個、手でつまんで目の前に持っていってやる。
ワッショイ、ワッショイ
嬉しそうに口に含んだものの、どうやら気に入らないらしく吐き出してしまう。
肉は嫌いなんだろうか。ワッショイの好みはよくわからないので、仕方なく弁当ごと箱の中に入れてやると
ワッショイは素早くご飯に飛びつく。が、よく見ると食べようとしない。俺の顔を能天気な顔でじっと見上げると
オニギリワショーイ、オニギリワショーイ
妙な声で鳴きだした。…ひょっとしてこのご飯を、オニギリにしろって言うのか?
372 :
病弱名無しさん:03/01/17 23:27 ID:TwK91Ktq
オニギリワショーイ 、オニギリワショーイ
「悪いけど疲れてるんだ。オニギリにしなくたって食べれるだろ?」
段々面倒くさくなってきた俺は、そう言って立ち上がると、公園の出口の方へ向かって歩き出した。
ワッショイは慌てた様子で、ゴトゴトと箱を鳴らして踊っているようだが、
戻ってやる気力も無かったので、そのまま歩き続けた。
公園を立ち去るまでオニギリワショーイの声は止まなかった
次の日、昼まで眠った俺は、昼食の買い物がてら公園に寄ってみた。
昨日と同じ場所にあの箱が置いてあったが、近くにはそれを覗きこむ老婆が一人。
よく見ると、俺のアパートの大家だ。皺くちゃの皮だけになった、ヒヒのような婆さん。
近づいてみると婆さんは俺に気づいたらしく、声をかけてきた。
「ああ、おはようさん。ちょっと、これ見てみ」
箱をあごで指すので、俺はそっと覗き込む。昨日見たワッショイがぐったりと横たわっている。
その周りには、昨日俺がやった弁当の中身が、干からびて箱の中に散乱していた。
「こりゃあ、駄目だわ。死んどるな」特に悲しんでいる様子もなく、婆さんは無感情につぶやく。
「でも、誰かが餌をやってくれたみたいだ…。」
俺はどう反応していいかわからなかったが、無意識のうちにそう呟いていた。
「そうやねえ。でもこの子等はオニギリじゃないと食べられんけえねえ。」
婆さんの言葉をぼんやりと聞きながら、俺は何も言わず、ただ黙って横たわるワッショイを見おろす。
顔だけは相変わらず能天気だ。目をつぶったまま、もうピクリとも動かないが。
「このままにしとけんし、埋めとかんといかんね」
「俺が…やりますよ。埋めておきます。シャベル、借りますよ。」
何故かカラカラに乾いた喉から、それだけ絞り出すと、俺はアパートの方へ歩き出す。
「そぅかぁ?それじゃあ頼むわ。シャベルはアパートの小屋の方にあるけえね。」
背中にかけられた婆さんの声が、やけに遠くから聞こえるような気がした
今日の映画、シックスセンス あれのラストは泣けるなぁ
ひさしぶりに泣いた...
スレ違いなのでsage
374 :
病弱名無しさん:03/01/18 16:51 ID:7e9YNHAO
>373
おお泣いた泣いた!!
でもビデオの方が完全版つーんでラストがもっとハッキリしてて
良かったけど。
375 :
三国戦国板よりコピペ:03/01/18 23:29 ID:0Oi4M/f6
376 :
病弱名無しさん:03/01/20 17:34 ID:X7Acj7/G
脳みそ飛び出し系の話は興奮するね
一度は現場に出くわしたいものだね
378 :
病弱名無しさん:03/01/20 18:48 ID:DsBUpmmZ
この季節になると思い出します
高校生の頃のことです
叔母が入院したので、母と一緒にお見舞いに。
その病院は私の姉が入院していた病院で、
姉は白血病のため、4歳で亡くなっていました。
まだ私が生まれる前の出来事で、
ほとんど姉の事は聞くことも無かったため、母に
「この病院にお姉ちゃん入院していたんだよね」と話しかけました。
「来たついでに入院していた病室見て行こうか」と母は言いだし、
姉がいた病室前に行きました。
そこはすでに病室では無く、風呂場になっていて、母も
「ここもずいぶん変わったなあ・・・」と感慨深そうに
「ここに病室があって、ここにお店があって、お菓子を買った。」と
当時の院内の様子をいろいろと話しだしました。
それまで姉のことをほとんど口にしなかった母としては珍しいことです。
「それで、最後はなんでお姉ちゃん死んでしまったの?」
なんとなく姉の最後の様子を聞きたくなっただけなのですが、
母から返って来た言葉は
「お金が続かなかったんよ・・・」
それまで懐かしそうに病院の説明をしていた口調とは
うって変わった、重い一言でした
379 :
378:03/01/20 18:49 ID:DsBUpmmZ
すみません、続きです
裕福ではない我が家では長期の治療費、
特にひきりなしに続く輸血代金の捻出は相当厳しく、
金の切れ目が、我が娘のこの世との切れ目とさせてしまった無念さが
それきり無言になってしまった母の背中からにじみ出ていました。
そして、なぜ姉の事は口にしなかったのかも。。。
どうしても女の子が欲しかったからもう一人生んだ。それがお前だ。
元気に育ってくれたし、これからも元気でいたらそれだけでいい。
といってくれるお母さん、いつも親不孝者してごめんなさい。
今度また電話します
380 :
泣けないけど聞いてください:03/01/20 21:08 ID:HyeAbEZF
今年の11月 私は夢を見た それは幼馴染の友人たちと遊んでる夢だった 私は今20代半ばで
友人たちと世間話しているところだった すごく現実味のある夢で普段夢を見ることが無かったので夢か現実か分からなかった
ふと友人たちの中に中学以来会ってない人がいて「久しぶり!」
と言うと彼が車でドライブをしようと言い出した 私は夢の性か何の疑問も持たずに
彼の車に乗って走り出した なぜだか風景は地元の田舎の風景が続いた ふと彼を見ると
黄色い顔していた さっきまではまったく気づかなかったが良く見ると服も擦り切れていた
彼を見ているとなんだか生気が感じられず 「病院に行った方がよくないか」と言ったが
彼は無言のままで 気がつくとなぜか友人達がいた場所に戻っていた そこで一番の親友に
「あいつ変わったな」と言うと「あいつって誰だ?」と言われ あいつは○○だよ
ここで夢が覚めた 気づくと10時間も寝ていた 変な夢だなと思っていたがその時は
気にしなかったが 徐々に気になり○○の家に電話番号を親に聞いて電話すると事故で死んでいた
381 :
病弱名無しさん:03/01/21 00:08 ID:/O94BMjz
このスレ読んで少しだけ優しくなれた気がする
382 :
病弱名無しさん:03/01/21 00:11 ID:gcG4mEJ3
5年前に亡くなった祖父のこと。
祖父は人付き合いが上手い方ではなく、それは家族に対しても同様で、
特に子供に接するのは苦手としていたらしい。
そのせいか小学生時代の俺には、祖父はいつもムスっとして機嫌が悪く怖い人に見えた。
そんな祖父に理解を示し、自分から歩み寄るほど出来た子供ではなかった俺は、必然的に彼と距離を置いた。
祖父と馴染まないまま月日は経ち、俺が小学5年生になった秋のある日、俺は目に怪我をし入院した。
馴れない入院生活を気遣ってか、毎日父や母、祖母や兄たちが病室に訪れてくれた。
祖父だけは1度も姿を見せなかったが『あの人らしいや』と別に気にもとめなかった。
それほど俺と祖父の関係は冷めたものだった。少なくとも俺にとっては。
その頃から俺は人と話す時、必ずなにかしらネタをやりたがるヤツで、
入院中よくやったのは誰か見舞いに来た時に「帰ってよ」と言いフトンにもぐる、というものだった。
これは当時人気のあったバラエティ番組のネタで
確か島田神助演じる女のマンションに明石屋さんまが来るのだけど
神助は「かえってよ」「もうこないでよ」と言いドアを閉める、というものだったように思う。
そのギャグは大抵みんな知っていったので、見舞いに来た時の挨拶代わりみたいなものになっていた。
(続く)
383 :
病弱名無しさん:03/01/21 00:11 ID:gcG4mEJ3
(382続き)
その日、俺はする事も無く(目のケガなのでマンガも読めない)昼間から目を閉じボーとしていた。
その俺のベッドの横に誰かが来る気配がした。昼間ということもあって俺はそれが家族の誰かだと判断した。
誰か確認することもなく、ガバっと布団を頭からかぶると「帰ってよ」と言い放ちリアクションを待つ。
だが何の反応も無いまま、やがてその誰かは何も言わずベッドから離れて行った。
不思議に思い布団から顔を出すと誰もいない。一体これはどういうことなのか?
しばらくすると病室に看護婦さんが入ってきて、こう言った。
「今○○ちゃんのおじいちゃん来てたわよ。一人で来てたけど、ちゃんとお話した?」
後で知った話。祖父は実は家族とよく見舞いに来ていたそうだ。
ただし家族と一緒に病室には入らず大抵廊下にいるか、ロビーで待ってるかしてたらしい。
どうしてその日一人で来る気になったのかは判らない。
だが、祖父は一人で俺の見舞いに来てくれたのだ。そして俺に「帰ってよ」と言われた。
そして俺の希望通り帰った。祖父は…テレビなどめったに、ましてやバラエティ番組など見ない人だった。
1週間後、俺は退院し家に帰った。祖父はいつものように怒ったような顔で自分の部屋にいて、俺を見ても何も言わなかった。
俺もバツが悪くて何も言えなかった。むしろ『何も言わんと帰ったじーちゃんが悪いんや!』くらいに思っていた。
数年後の冬。祖父が亡くなったのを聞いたのは遊びに行った先でのことだった。
電話で母の「おじいさん亡くなったで」という言葉を聞いた瞬間、真っ先にあの病院でのことが鮮明に思い出された。
俺は自分が大人になって酒など飲めるようになったら、じいさんと飲んであの時の事をあやまろうって、ずっと思ってた。
だが上手いタイミングを作ることが出来ないまま日々を過ごすうち、祖父は病に伏せ、そして行ってしまった。
『じいさんゴメン。あん時はほんまにゴメン』
墓石にあやまってもしょうがない。そう思いながら、他に出来ることのない俺は今も謝り続けている。
384 :
病弱名無しさん:03/01/21 11:43 ID:x/3UnAUz
良スレだ…
385 :
病弱名無しさん:03/01/21 12:08 ID:i6YMno23
>>1 大っ嫌い。
感動するために他人の怪我や病気の話を聞こうなんて奴は反吐がでる。
お前は感動話として受け入れてるのかもしれないが、
実際そこには感動うんぬん以前に、悲しみと苦しみしかないんだよ。
しかもココの書きこみは美談とされる部分だけ。
平凡とされる病死ひとつとっても、事後処理や、生活環境の変化、相続問題、など周りから見えない問題は山積み。
病気克服にしても、費用による家計圧迫、昼夜を問わない世話、その他にも本人、家族の細かい苦しみは様々だ。
本当にリアルで苦しい部分までは書かれていない。
それを他人が都合のいい感動話として聞こうなんてあまりに失礼な行為だ。
ついでに言うなら、お前がしてるのは「感動」ではなく陳腐な「感情移入」だ。
>>385 怒ってる意味がサッパリわからん。
本当の苦しみなんて、書いてる本人が一番よくわかってるだろ。
それでも自分の意思で「美談とされる部分だけ」書いてるんだから、
第三者がケチつけるのはナンセンスだってことがわからんのかな。
なんで書くかお前にわかるか? なんで苦しい部分を隠して
美しい、言葉悪く言えば「お涙頂戴」な部分だけ書くかわかるか?
苦しみなんて、人様に見せたり自慢したりするもんじゃないんだよ。
今更自分の苦しみをひけらかして、周りから同情されたところで
死んだ家族も失った時間も戻ってきやしないんだよ。
ただな、大事な人といた時間、一緒に過ごした時間ってのは、
たとえ最後の一時期が苦しくても、美しく、懐かしく、愛しく
かけがえのない思い出だと思えるようになるんだよ。
「苦しい」と思うことすらできなくなった今となってはな。
(もちろん皆が皆そうではないだろうが、そういう人はそもそも
ここに書き込まないだろう)
その気持ちをここに書いて他人に共有してもらうことで、失ったものへの
心の持ち方に自信が持てると言うか、美しい、愛しいと思うことが
間違いではなかったと思えるようになるんだ。
もちろん、そうではないときは手厳しいレスが返ってくることも
覚悟してる。「独りよがりでウザい」と言われるんじゃないかと、
内心ビビりながらも書いてる。
書く方も読む方も、納得の上で成り立ってるスレだ。
気に入らないなら、いちいちレスするな。勝手に反吐でも何でも吐いてろ。
387 :
病弱名無しさん:03/01/21 16:20 ID:gv4aOu41
386 に感動した
388 :
病弱名無しさん:03/01/21 16:26 ID:psAn66B+
389 :
343:03/01/21 17:37 ID:HXSa8klb
ここに書くことではないですが…書きます。
申し訳ありません。
関係ない話がイヤな方、スルーしてくださるとありがたいです。
>>344 遅レスですが、ありがとうございました。
怖い理由は、私が父のことによるトラウマで対人恐怖症なだけで、
皆はとても優しいです。申し訳無いほどに。
今、自分なりに頑張って少しずつですが学校に行っています。
今日皆と少し喋りました。皆、笑顔でゆっくり話してくれました。
明日も、頑張ります。
紅白にも出たが夏川みりという沖縄の歌手が歌っている
涙そうそうという曲を是非聴いてほしい。
作詞者の森山良子が幼くして亡くなった自分の兄を思い
書いた曲で、その事を知って聞くとおそらく涙が自然と出てくると思う
兄という歌詞は入ってないのでそれぞれ聞いてる人が思っている人を
思いながら聞いてもまた良し。とにかくいい曲よ(涙
スレ違いなのでsageときます
正直このスレにもなだそうそうした
391 :
単なる1個人の体験談ですが・・:03/01/21 18:28 ID:BqqWZeYT
俺が中学二年のころだったかな、休日は一日中寝てる父だったけどあの時は
何故か父に連れられてスッポンやらどじょうやら珍味を買いに行くことが
たびたびあった。たまにへんな匂いを放つ漢方薬を買うこともあったが、
毎回違った珍しい料理が食べられるということで俺は喜んで付いていった。
んで、帰りには決まって祖父の家に行って、わいわいしながらみんなで食べた。
そんなことが続いたある日、祖父が突然亡くなった。ほんと突然だった。
通夜、葬式、墓参りでバタバタして、やっと落ち着きを取り戻した中で母が、
俺に祖父と父のことを話してくれた。
そこで俺は初めて知った。
祖父が医者からも見離された、末期の大腸がんだったこと、そして父が暇さえ
あれば本で勉強して、ガンが治りそうな自然食品を懸命に探してまくっていたこと
を。結局は父の努力の甲斐も無く祖父はガンであることを知らぬまま、亡くなった
ということだった。そんなことも知らずに俺は。。
もう大人になった俺だけど祖父の命日がくるだびに家族みんなで囲ってスッポン鍋
やらドジョウのテンプラを食べた記憶を思い浮かべると今でも涙が出てくる。
392 :
病弱名無しさん:03/01/25 18:42 ID:6G0Wu3Zp
>>64 泣けた。。
この人はなんの病気だったんですか?
393 :
病弱名無しさん:03/01/28 01:28 ID:1dxlVPGZ
>>392
白血病です
394 :
るい:03/01/30 13:00 ID:M4liomhQ
395 :
病弱名無しさん:03/01/30 14:02 ID:zGCyEbud
>280は中学の教科書にのってるやつだね。
396 :
病弱名無しさん:03/01/31 00:14 ID:P30GAtLC
私は小さい時から中耳炎で、しょっちゅう耳が痛くなって治療のために耳鼻科に行っていました。
小学校に入ると私が耳鼻科に行くために学校を休んだり早退したりすると
クラスの子に「病気でもないのに、授業を受けたくないから仮病を使っているんだ」と
散々からかわれて辛い思いをしていました。
うちの母は片耳が難聴で聴こえないんですが、おばあちゃん(母方の)がそれを気にしていつも
「ごめんね、お母さんの耳が悪いから○○ちゃんの耳も悪くなってしまって」と私に謝るのです。
小学3年生のある日、おばあちゃんが急にうちに遊びに来て「これから巣鴨に行こう」と言い出しました。
当時は子供すぎて巣鴨に何があるなんて知らなくて、ただおばあちゃんと出かけるのが嬉しくてついて行きました。
巣鴨に着くとおばあちゃんは長い行列に並んで
「ここはとげぬき地蔵様があるんだよ、お地蔵様の自分の体の悪いところを洗うと
身代わりになって治してくれるの」と言いました。
私たちの順番になるとおばあちゃんはシワシワになった手でタワシを持ってお地蔵様の左耳を
ゴシゴシと擦りながら「○○ちゃんの耳がよくなりますように」と一生懸命洗ってくれました。
帰りにおばあちゃんは「あんみつ食べて行こうか」と言って一緒にあんみつを食べました。
おばあちゃんは6年ほど前に亡くなったんですが、おかげで今では中耳炎も良くなり、
ここ5年は中耳炎で耳鼻科に行ったことが一度もないくらいになりました。
おばあちゃん、中耳炎良くなってきたよありがとう。
>396
天国から耳を治しにきているんですね。
398 :
病弱名無しさん:03/01/31 01:36 ID:qTWDX/n1
399 :
病弱名無しさん:03/01/31 14:15 ID:XXCewB7C
400 :
病弱名無しさん:03/02/01 02:47 ID:89VGuth9
一昨年死んだじぃちゃん。
脳梗塞で倒れて、左脳をやられたので利き手が使えない、言語障害があるなど
結構重度だったけど、何年か入院した後は自宅療養。
新聞読んだり、こっちの言うこともわかってたし、倒れる前のじぃちゃんと
なんら変わりなく私は接してた。
でもやはり歳とともにどんどん弱っていった。(その間20年)
もう危ないと言われ、ちょうどゴールデンウィークだったので会いに行った。
ほとんど意識があるかないか、口から水分も取れなくなってきたので
明日になったらいつも来てくれている訪問看護の方に電話して
点滴にしてもらおう、って言ってたその日。
自発呼吸を補助する酸素マスクと、喉にからまったタンの音が絶えずしていたのに
ふと聞こえなくなった。あわててじぃちゃんのところに行ったらすでに呼吸停止。
ばぁちゃんは医者に電話を掛けてたが、連休中、通じない。
その場にいた私と母はもうパニックで、じぃちゃんに呼びかけたり
体をさすったり脈を計ったり…「ばぁちゃん!救急車!救急車!」
って叫んだんだけど
いつも穏和なばぁちゃんが「黙りなさい!救急車呼んだところでどうなるの!」
と怒鳴った。みるみる紫色になり、口を数回パクパクして最後にフーっと息を吐き
じぃちゃんは死んだ。
ばぁちゃんはもう助からないってわかってたんだ。医者に電話したのも
死亡確認とかそういうのの為で、医者が到着するまで
死後硬直が始まる前に、手を組ませたり、あごひもを結んだりしてた。
そしてひげを剃りながら「おじいさん、よくがんばったね。楽になったでしょ。
よかったねぇ、よかったねぇ」と話しかけてた。
その時初めて涙が出た。死に際にじぃちゃんのそばにいず、電話をかけてたのも
きっと見たくなかったんだろう。死にゆくじぃちゃんを。
私もあんなに取り乱さないで、もっとじぃちゃんをゆっくり送り出せばよかった。
それをちょっと後悔している。
401 :
病弱名無しさん:03/02/01 02:56 ID:89VGuth9
長文スマソ、だけど続き。
葬式やらバタバタとした儀式が一段落し、私も家に帰った。
その後何日間か、じぃちゃんが夢の中に出てきた。
普通にじぃちゃんの家で、こたつに入って一緒にテレビを見たり
足と足でこちょこちょしたり(きっと思い出の出来事なんだろう)
元気な頃のじぃちゃんとの、普通の出来事の夢だった。
悲しさは全然無く、むしろすごく楽しかった。
でもある日、じぃちゃんは寅さんみたいな「旅に出る人」の
格好をしていて「もうそろそろ行くから」と私に言った。
行かないで!と泣いて泣いて、頼んだ。
じぃちゃんは飴が一杯入った袋を私に手渡し
(その飴は私が大好きでよく買ってもらったものだったけど
それまですっかり忘れてた)
「大丈夫だから」と笑って行ってしまった。
ワンワン泣きながら起きた。それっきり一度もじぃちゃんは夢に出てこない。
死んだ人が時々夢に出るんだけど会話したことがないよ。
ニコニコ笑っているだけだよ。
でも、意思の疎通はできるんだよ。不思議だ。
・・・・おじいちゃんの声を思い出せない
403 :
病弱名無しさん:03/02/01 05:04 ID:+jp8oapS
死ぬ運命ってのは変えられないからな。
じゃないと年寄り増えて年金掛かる。若者もっと苦労するもん。
404 :
学生さんは名前がない:03/02/01 14:42 ID:D5mJKvA0
留年決定したので自殺します・゜・(ノД`)・゜・。
405 :
病弱名無しさん:03/02/01 14:53 ID:2mAQt2xC
俺は去年の4月に解雇され
金もないが
まだ生きている
その上バイトも今月(1月)で終わりと帰り際に言われたよ
もっと早くいってくれ
406 :
くろ:03/02/01 15:10 ID:0Ib3Zj/8
彼女がある事故で目に大怪我を負った。手術をしたがあまりいい状態にはならなかった。数週間が過ぎ、彼女の目は次第に光を失いかけていた。医者からは「残念だが明日にでも完全に見えなくなるかもしれない」とショックな言葉を言われた。 続く
407 :
くろ:03/02/01 15:22 ID:xKPn5nGT
俺はその事実を彼女に言えなかった。その日の夕方、彼女に病院の屋上に連れていって欲しいと頼まれた。屋上に着いたらそこには晩秋の素晴らしい夕焼けが広がっていた。
408 :
くろ:03/02/01 15:27 ID:Rr1ipCTK
その景色を見ながら彼女は小さな声で呟いた。「こんな綺麗な夕焼けももう見れなくなるなぁ...さようなら光さん」 彼女は気付いていた。自分の目がどうなるのかを 俺は流れる涙を堪える事ができなかった
409 :
くろ:03/02/01 15:33 ID:yMsOu4aK
この世の中、ささいな事で自殺する人もいれば障害を持っていても懸命に生きている人もいる。それぞれの人生だから自由だがこれだけは言える。人生において健康にまさる幸福はないと
410 :
病弱名無しさん:03/02/01 16:55 ID:ew1ngT3i
本当に健康第一とはよく言ったもんだよね。
411 :
病弱名無しさん:03/02/01 18:53 ID:D+fQe5M9
私が23歳の頃、就職1年目の冬、私の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に、「今日は遅くなるよ。
ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」
と言う。「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と私が言うと、いつもは
温厚な父が、「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父。食卓にはスーパーで売ってるような
鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。
「なんでわざわざ帰らせたの!私だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
私は言い過ぎたな、と思った。でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、「実は
お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめんね。」とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。あの誕生日の日のページに
「○子に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。夜が明ける頃には
涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに、、、。
父も数年後に死んだ。こんな情けない自分でも、がんばって生きている。
>>411 情けなくなんかないよ。
頑張って生きているんでしょ?
両親に感謝の気持ち、届いてるよ。
413 :
病弱名無しさん:03/02/01 21:00 ID:HH+Li6jU
>>411 スーパーで買ったローストチキン…、涙が止まりません。
あなたのためにごちそうを用意したんでしょうね。
つか
>>411はさんざん使われてるコピペ
コピペはできたらやめてホスィ…
>>412や
>>413みたいにせっかく返事を返してくれる人がいても
書いた張本人には届かないので…
せめて「コピペですが」と一言入れて欲しい。
>>405 解雇するなら最低20日前に通告しなければならない。
よって訴えれば20日間分の給料がもらえる(゜д゜)ウマー
スレ違いなのでsage
416 :
病弱名無しさん:03/02/02 03:18 ID:BtIv18k+
417 :
病弱名無しさん:03/02/02 04:27 ID:E2Md6eFs
泣ける‥
ほんとに泣ける‥
。・゚・(ノД`)・゚・。
418 :
病弱名無しさん:03/02/02 04:55 ID:tsg7a9k2
なんかネタっぽいなぁ。
>>411がコピペなのは残念だが
実話であって最初に書いた人の体験談なら許せる。
420 :
sage:03/02/02 14:14 ID:E09MC/9H
全部読んでいたら、泣きすぎて眼が腫れあがった…。
これから夜勤なのに…患者さんにこんな顔見せられん…^^;
>406
最後のセリフにブラックジャックの「目撃者」って話を思い出したYO!
422 :
15歳:03/02/02 16:11 ID:9gNywxOD
私は小学校3年生の時に転校したのですが、やはりすぐには馴染めず学校に行きたく
ない!と家で泣いてぐずる私をなだめ、『学校までついてってあげるからいこう?』
と言ってくれました。そして母の励ましのかいあって私は学校の友達もいっぱいでき、
元気にいくようになりました。
小5から塾に通い始め、中学受験をしました。第一志望校に受かり、1番喜んでくれたのは
母でした。『○○(私)はほんまに頑張り屋さんやね。今日はお寿司とろうね。』
中学に入りバスケ部に入った私は気の合う部活仲間達と一緒にいきいき部活に励んで
いたのですが、ある日バスケ部のトレーナーとして入ってきたSさんの、えこひいき・セクハラに
悩まされるようになりました。友達とも話し合い、みんなで親も連れてきて学校に言いつけて
やろう!って事になり、みんな親にその事を言ってお母さん達だけの話し合いになったのですが
『もうすぐ(2ヶ月)で引退だし、そんな事したら私達に悪い印象ができてしまうから
あと少しこのままでいればいい』という結果になってしまい、もうしょうがないから
子供達だけで言ってみよう、という事になったのですが、うちの母がなんと着いてきてくれる
と言うのだけでみんなだいぶ気の持ちようが違います。
私のお母さんの大人な意見、子供達のちょっと乱暴な意見wで結果、Sさんはやめさせられる
事になりました。帰りにマックでお母さんも一緒にみんあでワイワイいいながらお昼ご飯
を食べたのを覚えてます。みんなから『○○のお母さんしっかりしてていーなー』と
言われ、母の事を誇りに思いました。
423 :
15歳:03/02/02 16:13 ID:9gNywxOD
バスケ部を引退する2002年7月、最後に試合にまさかの2回戦負けでみんな号泣しました。
家に帰った時半泣きで試合の話をする私に、『3年間もきつい練習よく頑張って。
えらいやん。お疲れ』とニコニコしながらコーラを持ってきてくれました。
2002年9月初め。
お母さんは風邪をこじらせ肺炎になってしまい入院する事になりました。
私は、私の友達で肺炎で入院した子がいるけど、その子はすぐ治って今も元気にしてる
のでお母さんもまあそのうち帰ってくるだろうと思っていました。
しかしお母さんは肺炎発症から入院までが長かったのです。
お母さんは単なる風邪と言って寝こんでいたときから肺炎は発症していたそうです。
お見舞いに行ったとき茶碗蒸を一口くれた事、
勉強が嫌いだった私は久々にちゃんと勉強してやっととった数学100点のテストを見せてびっくりした顔、
怒られるかも?と思いながらも茶髪でゆるいパーマかけての対面。『似合う似合う。自分が一番可愛く見える
格好してたらいいよ。』と言ってくれた声、
すばてが懐かしく思い出されます。
最後の報告は『合唱コンクール優勝した!!』。お母さんはすごいすごいと私と一緒に
おおはしゃぎしました。
424 :
15歳:03/02/02 16:14 ID:9gNywxOD
10月4日お母さんは家族に見守られて亡くなりました。
私は静かに泣いていました。
数日後、病室の整理の時家族当ての手紙が発見されました。
父・兄・私宛にそれぞれ1枚ずつあり、私宛には
『○○は今も勉強嫌いで遊んでばっかりかな?遊ぶのはすごくいい事。○○は友達も
たくさんいて元気で活発ですごくいい子。でもやるべき事はちゃんとやれる人間になりなさい。
その年でかわいらしい髪型をしているあなたはきっとおしゃれさんになると思うな。
お母さんも服が大好きでした。あなたはどんな服が好きかな。できれば今風の格好じゃなくて
女の子らしいトラッドなお洒落さんでいて欲しいな。これからも自分を信じて強く生きてね。』
今私はお母さんの手紙どおりの生き方ができていると思っています。
大好きなお母さんが生きていればって思うけど、それでも前向きに生きていける
つよい自分になれるようがんばっています。お母さんも天国で強く、元気に
頑張ってね。
明日実家帰って親孝行しよう・゚・(ノД`)・゚・。
426 :
病弱名無しさん:03/02/03 02:47 ID:vzaF/ykl
ちっとも涙なんかでないね。
人の心ないから。
なにがそんなに悲しいのかな。
目の前で人が死んでも平気で笑える性格だから私。
427 :
病弱名無しさん:03/02/03 02:52 ID:tFUPM3pH
uwaaaaan
428 :
あけみ:03/02/03 03:49 ID:nKqoKsYr
初めてこの板に来ました。よろしければ、私の話も聞いてやって下さいm(_ _)m
私の父はいつも憎まれ口ばかりたたく、ひねくれ親父です。いつも私をバカ、アホ、などとからかい、褒めてもらった事は一度もありません。
でも確かに私は学校での成績が良くなく、スポーツもできないので、仕方ないかなって思っていました。
そんな私が中3の時、家の近くのCDショップで、私は万引き犯と間違われました。
実際間違われても仕方ない状況でした。
その店は、未精算の商品を店外に持ち出すとブザーが鳴る仕組みだったのですが、私はシングルCDを精算したつもりになって、鞄に入れて出ようとしてしまったのです。
しまった、と思いましたが、店員は確信犯だと決めつけ、私を店の裏に連れていきました。
429 :
あけみ:03/02/03 04:00 ID:nKqoKsYr
そういうつもりじゃなかったと弁明しても信じて貰えず、学校と親に連絡がいきました。
私は成績は悪かったですが、絶対に悪い事はしませんでした。髪を染めたり校則違反はしていましたが、万引きなんかしたことなかったんです。
なのに、かけつけてきた担任は私の話を聞かず、すいません、うちの生徒がの一点張り。いくら違うと言っても信じて貰えませんでした。
しばらくして、来てくれたのは父でした。父は怖い顔をしてて、絶対怒られるって思いました。
けど父は、「うちの娘は絶対万引きなんかしません、何かの間違いどす」とハッキリ言ってくれたんです。
私が何も弁明しないのに、そういってくれたんです。
いつも私にバカバカ言っている父が、「あけみは絶対そんな子じゃない」と泣きながら訴えてくれているのをみて、私は胸がつまりそうでした。
430 :
病弱名無しさん:03/02/03 04:11 ID:OqQZokaV
431 :
あけみ:03/02/03 04:12 ID:nKqoKsYr
店側は結局信じてくれませんでしたが、私は父が信じてくれただけで十分でした。
いつもバカバカと私に言っている父が、本当は私を信頼してくれている事を知り、帰り道で涙が止まりませんでした。
私は今25歳ですが、父は癌で入院中です。相変わらず、憎まれ口だけは本当に達者な父ですが、私は今、その憎まれ口をできるだけ長く聞いていたい思いでいっぱいです。
長くてすいません。父は今年65になります。大切にしてあげたいなと思います。ここまで読んで下さってありがとでしたm(_ _)m
432 :
病弱名無しさん:03/02/03 04:26 ID:V3BlrQGA
>>431 「大切にしてあげたい」という気持ちが大事だと思います。
きっとお父さんにも伝わってますよ。
がんばってください。
433 :
病弱名無しさん:03/02/03 04:30 ID:l5rXvNdq
434 :
病弱名無しさん:03/02/03 05:03 ID:h2rpB0z6
>429
感動する中、間違いどすにちょっとワロタ。舞妓さんかと思ったよ。
私が中学生のとき祖母が死んだ。
病気を発見したときにはもうどうしようもなかった。
でも病気がわかる前から祖母の様子は変で、多弁だったのにうまく喋れなくなったり、
うまく呼吸ができないようなことがあった。
それなのに私と兄はそれをからかうようなことをして、祖母も笑って受け流していた。
でも病気が発覚する少し前、兄にからかわれた祖母が声を押し殺して泣いているのを見た。
自分の身体がうまく動かなくなっていくのを感じて、どれほど不安だったんだろうと思う。
それなのに、祖母は私たちにはそれをみせないようにしていた。
私はそれを知ってすごくつらかった。ずっと謝ろうと思っていたのに
そのうち祖母は寝たきりになってしまって
それから、私はあまり祖母と顔を合わせられなくなってしまった。
祖母の部屋にはいつもヘルパーさんがいて、二人にはなれなかったから。
祖母もきっと会いに行こうともしない私のことなんか嫌いになっただろうと思っていた。
でもある日私が部屋でピアノを弾いていたら
ヘルパーさんが来て、私に言った。
「もっと弾いてあげてね。おばあちゃんあなたのピアノとても楽しみにしてるの」
涙が出た。でもその後すぐ祖母の様態は急変して、帰らぬ人になってしまった。
いまでもずっと後悔している…なんですぐに謝らなかったんだろう。
もっと会いに行ってやらなかったんだろう。ごめんなさいおばあちゃん…ごめんね・・・
436 :
病弱名無しさん:03/02/03 05:40 ID:OqQZokaV
いいんだよ。そう思ってくれるだけで充分だよ。
\___ __________/
|/
∧_∧
( ´∀`)
( _つ゛∧_∧ オバアチャン・・・
(_ノ (∀・* )
□ (∩∩ノ )
>436
ありがとう…
438 :
病弱名無しさん:03/02/03 08:59 ID:EFY6mIx+
日ごろの行いや格好が悪いから誤解されるんだよ。
自業自得だろうが。
>>426は親の慈愛を知らずに育った、かわいそうな子
あなたの大切な人が死んだとしてもそんなことを言えますか?
笑ってられますか?もしそうだとしたらあなたは断じて人間ではありません
ただの物体です、存在価値のない。
感動の中、無粋ですまんが
>シングルCDを精算したつもりになって、鞄に入れて出ようとしてしまった
のを「そんなつもりじゃなかった」で許してもらおうってのがそもそも…
それで許してると、すべての万引き犯を許さなければならなくなる。
例の川崎の一件のあとだけに余計に…スレ汚しスマソ
ちなみに
>>426は、人とは違う自分に酔ってるだけの性格不具者でしょ。
友達も恋人もいなくて誰にも相手にされてない事実を「人とは違う性格だから」
ということで必死に正当化しようとしている悲しいお仁。
てな反論レスを期待して書いてる一種の釣り師だから、マジレスするだけ無駄無駄。
442 :
病弱名無しさん:03/02/03 14:16 ID:R3gYB88I
肉親に対する想いって皆、同じだね。
後悔しながら歳をとる。
子供の頃ってのはそんなものかもな。
俺も、じいいちゃん、ばあちゃんに対しては同じだもん。
443 :
病弱名無しさん:03/02/03 14:53 ID:nKqoKsYr
>>440さん
すいません。それは十分分かっています。
何かボケっとしてたんですよね…(T_T)
あれから店に入る時は、できるだけ小さい鞄を持っていくよう心がけてます。ほんとバカですね私…(*_*)おっちょこちょいなんです。
ちなみに、それから自分を見直し、高校からは派手な格好もやめ、勉強して東工大に行きました。
今は父の後をついで建築士をしています。
あの日のことがなかったら、多分私は高校でもバカなままだったでしょうから、ある意味ではよかったと思っています。
今は、父にできる限りの事をしたいなと思ってます。
444 :
病弱名無しさん:03/02/05 01:09 ID:mTqzY8vY
あなたの未来をも変えた出来事だったのですね〜。
でもそのボケっとした性格で決して傾いた家は建てないようにしてくださいね!w
445 :
病弱名無しさん:03/02/05 02:02 ID:Rwfsz6de
>>443 頑張って東大に入ったんですね
頑張り屋ですね
>>445 水をさすつもりはありませんが’東工大’です。(汗
447 :
病弱名無しさん:03/02/05 11:40 ID:9HSrE9RI
448 :
病弱名無しさん:03/02/05 13:10 ID:ibNsXRrV
449 :
病弱名無しさん:03/02/05 13:43 ID:1pTHuKoP
息子が4才の時、私が羅患していたインフルエンザに感染し、
40度以上の高熱を出し、深夜に痙攣を起こした。
意識はなく、搬入先の病院から、翌朝、県都にある緊急病院に転送された。
ICU(集中治療室)のベッドに寝かされ、胸や鼻にチューブやらコードやら
取り付けられた。
医師からはインフルエンザ脳症ですと告げられ、壊死性脳症というタイプの
病状であり、今のところ小脳が壊死(脳が死んでいる)している旨、また、
症例もあまりなく治療法が確立されていないこと、過去の症例等の説明があった。
その説明を聞いて、「息子はもう死んでしまうのだな」と感じた。
医療処置があるのでとのことで、いったん待合所に出、椅子に座りながら、
妻(別の病院に入院中)にどのように説明しようかと悩んでいた時、
ふと目の前の清涼飲料の自動販売機に気がついた。
その中に息子がよく飲んでいたポケモンのオレンジジュースがあることを発見したのだ。
缶のふたのところに5百円玉位のおおきさのポケモンのコインが入っていて、
息子がコイン目当てに買っていた物だった。
その瞬間、これまでの出来事が余りにも突然なため、「息子の死」というものについて、
実感を持って理解できなっかたのだが、急に涙が溢れてきて、いつまでも止まらなかった。
昨日まで本当に元気にしていた。
覚えたばかりのふざけたテレビ漫画の歌を大声で歌うものだから、「うるせえ!」と
怒鳴りつけたのも昨日のことだ。そんなことが次から次ぎへと走馬燈のように頭の中を
回り、今病院にいることが夢なのかどうかさえも分からなくなり、ひとりで泣き続けた。
450 :
病弱名無しさん:03/02/05 13:45 ID:1pTHuKoP
それから、ICUでの入院生活が続いた。約1週間、依然として胸のチューブ等はついたままで、
意識はあるのかどうか分からず、普段の3分の1位しか開かない眼はうつろだった。
もちろん手や足はほとんど動かなかった。
話しかけても、返事もなく、時折眼球が私の方を追うようにゆっくりと動くが、
見えているのかどうかも分からなかった。
看護婦さんがテレビを運んできてくれた。「外からの刺激も大事ですから」と
NHK教育テレビをつけて去っていった。
それから2.3日。いつもと同じように息子が見えるように教育テレビをつけ、
私は呆然としながら脇に付き添っていた。
すると突然、かすれるような小さい声で「だ...ん....ご」。
びっくりして息子の方を向くと、テレビの方をみながら息子の口元がかすかに笑っている。
しゃべったのだ。
思わずテレビの音量を上げた。
テレビは「ダンゴ三兄弟」の歌を放送していたのだ。やっぱり息子の好きな歌だった。
テレビは見えていたし、歌も覚えていたのだ。
よかった。うれしかった。
歌が終わると、息子は眠りはじめた。
私は自動販売機にポケモンのジュースを買いに行った。
451 :
病弱名無しさん:03/02/05 13:46 ID:rJcvzMC/
↑
本当にそう思う?それでそのガキが試験に堕ちたら最高なのにな。
というかこいつこのことを面接で話して高感度あげてるはずだから点数悪くても合格だな。
タレントが必ず受験合格するのと一緒だぜ。
だいたい甘いんだよ。ちゃんと下見して時間に余裕もってやればこんあことにはならんだろ。
自己管理のなさ。親の教育のなさ。最低なニュースだな。甘えるな!
>451
とりあえず煽るならもっと早く書き込めよなw
ま〜あれをいい話だと思えるくらい心に余裕がないと、
仕事も人間関係もうまくいかないぜ、
>>451くん!
454 :
:03/02/05 15:51 ID:phD6R2cJ
2才の息子がテレビを見ていたとき。漏れは息子の近くで新聞をめくった。
息子は「うるさい!」と怒鳴った。漏れは信じられない言葉に睨み付け、
さらに新聞をめくった。
息子はまた「うるさい!」と怒鳴る。
「びしっ」思わず手が出た。
テレビに目を向けてみた。馬が写っている。
「馬さん!」だった。
息子は泣きもせず、黙々とテレビを見ている。
殴った手の感触だけがやけにリアルだった。
>>454 息子さんがすさまじく可哀想になった…
ちゃんと謝ったんだろうな?
456 :
:03/02/05 18:19 ID:phD6R2cJ
謝ってま専務。
手後れでしょうか?
手遅れかどうかは思春期になったらわかるだろうな…
458 :
:03/02/05 19:49 ID:phD6R2cJ
(⊃Д`)
459 :
病弱名無しさん:03/02/06 16:41 ID:9VhbkZBA
このスレをアボーンする神はまだですか?
かわいそう。
>449-450
小脳が壊死ってことは大脳は生きているんですね。
・・・・息子さんは意識はハッキリとしているんだ!
・・・よけいに涙がでる
462 :
病弱名無しさん:03/02/07 05:28 ID:PlTp/CW4
うちの親父が死んだとき、母は火葬場の釜の中に入っていく棺桶に
「おとうさん、また会おうね!」
と手を振りました。
463 :
病弱名無しさん:03/02/07 12:45 ID:eQjof3r6
>>462
あの世で会おうってことだろ。どう考えても。
死んだ人間にまた会おうってどこで会うんだ?
「お父さん、また会おうね!」っていった母親を
子供のおめえが一緒に棺おけにぶち込めばよかったじゃん。
そうすれば一緒じゃん。
ナンマイダ、ナンマイダ、ナンマイダ。
>463
マジレスするも何だが
『生まれ変わっても夫婦になろうね』とは考えられないか?
これもいい話だぞ。お前など言ってもらえないだろ。逝ってよし。
466 :
m:03/02/07 23:35 ID:effMCHQB
463の見解だけは正しい。
年を取った人間は自分の死期を現実の問題として感じている。
「そのうち天国で又会おうね」が正しい。
>463
逝ケ。
>>466 正しいかどうかは受け取る側の判断な訳で・・。
松任谷由実の曲に「Autamn Park」と言う曲があるけど、その一節
”やがて生まれ変わり 別の人になっても
貴方をさがしてる 私を見つけて”
と言う部分を思い出したよ。
オレはどっちかと言うと
>>465を支持したい。
「私が死ぬまで天国で待っててね、生まれ変わったらまた一緒になろうね!」
て感じでいいんじゃない?
469 :
病弱名無しさん:03/02/08 19:26 ID:vWai6kTS
私の母は私が8歳の頃に死んだ。リンパ癌だった。12月に亡くなった。
10月の運動会では私と兄がリレーの選手だったから見に来てくれた。でも、母の体は
痩せ細り1人では立っていられないほどだった。前々から母は入退院を繰り返していて、
病気だという事は父から聞いていた。でも、軽い病気と信じていた。
母も私や兄を心配させないために元気そうに装っていた。
運動会が終わって、すぐに母はまた入院した。
それから何回もお見舞いに行った。日に日に母は弱っていく。もともと細い体
が、もっと細くなり、骨と皮だけのようになってしまった。
家に帰っても、父は仕事でいないし兄はまだ帰っていなくって鍵っ子だった私。
いつも明るく装っていたけれど、ほんとはとっても寂しかった。
そんな生活が続いたある日。学校に行こうとしたら病院から電話があった。
3人で急いで病院に行った。そこには母がベッドで寝ていて、なぜか機械も外されていた。
初めて父が泣き崩れた姿を見た。それがなぜだか私には、すぐに分からなかった。
『お母さん。どうしたの?』声をかけても返事がない。すると、父に抱き寄せられ
『お母さんは天国に行ったんだよ。お母さんは今まで苦しかったんだ。
でももう苦しまずに過ごせるんだよ。一緒にさよならしようね。』やっと、母が
死んだということがわかって涙が溢れた。
その後お葬式の時は、友達が来ていて照れ笑いしていたけれど、だんだん
悲しみが増してきた。そして今。もう私は20歳になりました。
お母さん、私の姿見えますか?
辛い事も悲しい事も今まで乗り越えてきた私だから何があっても大丈夫。
心配しないでこれからもずっと見守っていてね。
家族3人これからも元気で頑張るよ!
470 :
病弱名無しさん:03/02/08 21:22 ID:oF5LvHpZ
472 :
病弱名無しさん:03/02/08 21:57 ID:E10iVQyb
-― ̄ ̄ ` ―-- _
, ´ , ~  ̄" ー _
_/ / ,r u ` 、
, ´ / / J ,ヘ u ヽ
,/ ,| / / ○ ,/
と,-‐ ´ ̄ / / r( `' J く
(´__ 、 / / `( ,ヘ u ヽ
 ̄ ̄`ヾ_ し u┃ ○ J _>
,_ \ J ┃ `' __ -‐ ´
(__  ̄~" __ , --‐一~;;;:".. ̄
 ̄ ̄ ̄ *・∴:∵:*::
・:::・: *∴・* :*
473 :
病弱名無しさん:03/02/09 14:58 ID:5B/bZxog
被害妄想やな。
474 :
病弱名無しさん:03/02/09 21:13 ID:Ntx3pMyI
472は絵が下手でよう分からんぞ。
泣いてるようにも見えるし血反吐吐いて苦しんでるようにも見える。
475 :
純:03/02/10 14:07 ID:RaXCjD59
15才の三月に僕は定時制の高校にいくため上京する事になった。見送りにきたのは父と妹だけだった。雪の中を車がゆっくりと走りだす。妹は姿が見えなくなるまで涙を堪えた目で走りながら手を振っていた。
476 :
純:03/02/10 14:14 ID:nVqo4p7/
車のラジオから尾崎豊のILOVE YOUが流れていた。運転していたトラックの親父から「俺は受け取れない。お前の宝にしろ」と金を渡された。その金はピン札に泥がついていた。親父がトラック運転手に渡した金だった
477 :
純:03/02/10 14:16 ID:yMs3NjPP
貧乏な親父が必死で集めた金だった。涙が止まらなかった
478 :
病弱名無しさん:03/02/10 19:55 ID:udHbtXb+
>>475-
>>477 良い話なのですが、背景が分かりません・・・・・
どこかに、この話の前振りみたいな話があるのですか??(厨ですみません・・
479 :
病弱名無しさん:03/02/10 20:34 ID:FL1tgz9L
>478
ネタだとしたら激しくワロタ。
480 :
病弱名無しさん:03/02/10 20:58 ID:Ti6hzUMH
>>475-
>>477 北の国殻のパクリだっちゅーの。気づいてやってくれ
481 :
病弱名無しさん:03/02/10 21:18 ID:udHbtXb+
>>480 北の六合からは見たことが無いので、マジ知らん買った・・・・・・・
ちなみにネタではありません・・・・このスレ汚してしまいスマソ
m(__)m
482 :
480:03/02/10 21:30 ID:Ti6hzUMH
笑
483 :
病弱名無しさん:03/02/11 01:28 ID:KeE+/ri6
>>475-477 そうだと分かっていても、ジンと来た。
ビデオ借りてきて見ようかな・・・
北の国から見たことないから全く意味分からんかった。
485 :
病弱名無しさん:03/02/11 14:10 ID:VurpNawA
北の国からみたいないかにもってやつでは泣けません
486 :
病弱名無しさん:03/02/11 15:07 ID:H9+Ko4GY
>386を読んで、自分の気持ちを代弁してくれた嬉しさで泣いた。
ありがとう・・・
487 :
病弱名無しさん:03/02/11 15:24 ID:2ljXRAmb
昭和30年代の集団就職の時代には普通にあった話じゃないかな?。
>>449-450 ええ話や…
つーか小脳がダメになっても人間って生きてられるんですか?
房な俺に教えてください…
489 :
病弱名無しさん:03/02/11 17:08 ID:JfMiY7++
こんな良いスレはageなきゃ!
490 :
病弱名無しさん:03/02/11 17:24 ID:Cuzp1tYL
113 :名無しの心子知らず :03/02/11 04:09 ID:tu3jsilw
僕の今までは全てが嘘で、明日はやっと目が覚めて。
優しいお母さんが笑ってるでしょ?
僕がこの世に生まれてごめんなさい。
どうすれば許してもらえるのですか?
ただ僕は愛して欲しいと思ってた、それだけだった。
温かい手をつないで欲しかった。怖い夢を見た時は優しく抱きしめて欲しかった。
僕がたくさんを望んでごめんなさい。
ママの望み通り僕は消えます。
ごめんなさい。ごめんなさい。
これ読んだ時なんでか泣けた。意味わかんないけど、私も親に嫌われてたから・・
思いだした。
491 :
病弱名無しさん:03/02/11 17:46 ID:g65yG0dG
北野国からの泥のついた2万円は有名な話
492 :
病弱名無しさん:03/02/11 22:52 ID:ZWMUr4AG
ドラマで申し訳ないが、このスレを読み終えた後、僕の生きる道を見たら
僕の生きる道がとても泣けた
493 :
病弱名無しさん:03/02/11 23:07 ID:HDv7rQ6d
駄目だ…涙が出てきてスレの最後まで読めない。゚(゚´Д`゚)゚。ウワァン
俺は僕生きよりその前の義母さんといっしょの方が泣けたな
家族の絆・゚・(ノД`)・゚・。
一週間ほど旅行に行って帰ってくると猫がいなかった。
親に聞くと、私が旅行に出た日にいなくなったそうだ。
心配していると次の日、帰ってきた。
でも、ぐったりしていて、病気だという事はすぐに分かった。
獣医に連れていくと保っているのが不思議だ、でももう保って
1日くらいだと言われ、ショックで泣き崩れた。
そしたら猫が苦しいだろうに、私の手を舐めて小さく「ニャー」
と鳴いた。
その日から、猫は1週間、生きた。
苦しそうでミルクもスポイドでしか飲めなくて、何もしてあげら
れない自分が悔しくて涙が出た。
なのに、私が泣くと猫のほうが、手を舐めて私を慰めてくれた。
最後は、私の膝の上で、ちょっとだけ苦しそうに鳴いて逝った。
病気になっていた事、気付いてあげられなくてごめんね。
旅行に行って、一番苦しい時に私を捜してたのにいなくてごめんね。
無理矢理頑張らせて、1週間も長く苦しませてごめんね。
みんなに言われたよ。
「あんたに会いたかったから、帰ってくるの待ってたんだよ。
あんたと、少しでも長く一緒にいたかったんだよ」
って。そうだね、きっとそうだったんだね。
苦しかったののに、私ばかり泣いてごめんね。
私のそばにいてくれてありがとうね。
今も、あなたが大好きです。
496 :
病弱名無しさん:03/02/12 03:44 ID:pO8enq7D
感動アゲ
ん
498 :
病弱名無しさん:03/02/12 18:48 ID:F6mUfdUS
>449
今インフルで子ども病院連れてったとこ。
シャレにならん。不安で今晩は寝らんないな。
499 :
病弱名無しさん:03/02/12 22:42 ID:IWGx3lEP
先日我が家の文鳥が急に楽鳥してしまいました。
朝、調子が悪くなったなと思い電球で暖めていたのですが
夜には死んでしまいました。翌日5歳になる子供とお墓を作ってあげようと
穴を掘り買ってきた花を子供とともに添え埋めようとすると
「もうポチは生き返ってこないんだね」といって泣き出してしまいました。
思わず、もらい泣きでした。ついでに「お父さん死ぬまで大好きだからね」
といわれ又うるうるきました。
>>499 板違いかも知れんがイイ話ですね。
お子様の純粋な気持ち、大事にしてあげてください。
501 :
さな:03/02/12 22:57 ID:giSWgvVc
ある寒い日でした。飼っていた小鳥のピーちゃんが寒そうにしてたので一緒に寝ました。朝起きたらピーちゃんはぐったりして死んでいました。私は一瞬何が起こったか分からずしばらくして涙が止まらない程溢れてきました
502 :
さな:03/02/12 23:03 ID:B1NFT2jB
たぶん寝返りをうった時にピーちゃんを...私は自分が許せませんでした。でも命の大切さを勉強しました。よくニュースで動物虐待を取り上げてるけど私は絶対許せません!小さくても大切な命なのに。ピーちゃん、絶対忘れないよ
>>499 関係ないのですが、文鳥の名前がポチなのですか?
途中で話が犬に変わったのかと思った。
504 :
病弱名無しさん:03/02/13 00:47 ID:PoVrJ+cz
動物の話しは泣けるよね・・・・
505 :
病弱名無しさん:03/02/13 01:08 ID:wd+ZQ8sZ
>>503 拾ってきた文鳥だったのと、それ以外ちび、しろ、でか等
他になかったのでポチにしました。説明不足で済みません。
>>501 同じ経験があります。
もう、十年以上前の事なのに、いまだに思い出すと辛い。
でも、もっと辛かったのが、姉の一言。
「本当に苦しんで死んだんだね。」
姉が、鬼に見えました…今でも時々見えますが。
感動話じゃないので、サゲ
507 :
体育会系中年男:03/02/13 01:28 ID:lLW1ZnvX
人間であれ、動物であれ、生命は最も尊きものである。
特に、我々人間は多くの生命を頂いて生き長らえている。
そのことを考えれば、人間と人間が殺し合うことなど、
出来る由も無いはずであるが、残念ながら、今日もまた、
どこかで殺し合いが展開されているのである。そして、
幼い生命、弱い生命が真っ先に奪われてしまうのである。
1990年12月5日、自分の婚約者であった女性が
肝臓ガンのため、25歳という若さでこの世を去った。
彼女は生前、残された時間があと僅かと分かってからも、
懸命に生きようと努力をした。そして、最期まで決して
諦めようとはしなかった。自分はその彼女の姿の中に、
生命の尊さというものを見たような気がしたのである。
彼女の最期の表情には、苦悶や後悔といったものは無く、
それどころか、自分なりに生命を全うしたことへの満足
とでも言うべき表情に満ち溢れていたのである。
今、この画面を前にしながら、自分の生命を断とうと
考えている人が、或いは、誰かの生命を断ってやろうと
考えている人がいたら、今一度考えて欲しい。生命とは、
父母から賜ったものであり、その前には先祖代代から、
そして、宇宙から脈々と続く流れがある。何人たりとも、
その流れを断つ資格など持ち合わせてはいないのである。
特に、我々人間は多くの生命を頂いて生き永らえている
生命であるからこそ、生命の尊さを忘れてはならない。
>507
「ようこそ、次の時代の支配者になる者達よ。
恐竜達がなぜ滅びたか、知っておいても損はなかろう。
我々人類の歴史には、我がもの顔で地表をねり歩いた恐竜は
氷河期という自然が起こした天変地異によって絶滅したとある。
しかし、西暦2053年ある偉大な科学者により、
恐竜の化石から真実の歴史を聞きだすことに成功したのである。
それは、我々人類を驚かすには十分なものだった。
化石は我々にこう告げた。
「我々は滅びたかった。単純な繰り返しを生きることに疲れてしまったのだ。
ただ寝て起きるだけの生活には堪えられなかった。
そのため、弱い者を食い殺し少しずつでも滅亡の道を歩みたかった。
しかし子は生まれる。そして強い者は滅びることはできない。
自然の定義とは何と皮肉なことか。
そんな時、天は我々の願いを聞き入れてくれた。
異常な程の寒さが我々を襲ってくれたのだ。
これで滅ぶことができる。単純な毎日に終止符を打てるのだ・・・」
この言葉だけで十分であった。
あの理性のかけらもないと思っていたちっぽけな脳みそが、
生きることの最終理念を悟っていたとは・・・
この時代に生き物が学んだのは「空しさ」。
人類はこの事件を境に滅亡の道を歩み始めた。」
親戚で、酷い痴呆のお爺さんがいた。
長年連れ添った、お婆さんが、お爺さんが亡くなる3年前に、闘病も空しく、
亡くなってしまった。
そのお葬式の席で、前日の通夜では、息子さんの隣でただご飯を食べつづける
だけだったお爺さんが、お経が始まったとたん、お婆さんの名前を呼びながら、
泣き崩れ、息子さんに支えられていた。
その姿に、驚きと共に、あー、わかるんだなーと思わず貰い泣きしました。
>508
懐かしいな。
511 :
病弱名無しさん:03/02/13 02:09 ID:b9lAr068
人には言えない恥ずかしいことだけど、思い切って話す。
俺は、高校時代、ささいなことがきっかけで両親と大喧嘩をし、
そのことをずっと引きずったまま大学生になっていた。
一人暮らしをし、実家にもまったく帰らぬ日々が続いた。
当然、正月や盆の親戚の集まりにも顔を出さずに数年が過ぎた。
ある時、祖母が脳いっけつで倒れたという話を聞いた。
脳の3分の1を摘出し、まともに喋ることすらできないということだった。
それでも俺はまだくだらない意地を張って、見舞いにいくことができなかった。
祖母が倒れてから一ヶ月ほどたったある晩、祖母が危篤状態に陥ったという連絡を受けた。
さすがにもうやばいと思い、親戚全員のあつまる病院へ向かった。
緊急治療室へ通された俺は、親戚全員の視線を気にしながら、祖母の近くへいった。
見ると、高校の時丸々としていた祖母が、別人のように細く、小さくやせこけてしまっていた。
口は開きっぱなしで、鼻にはチューブが通っている。
もう数時間前から意識がないらしい。
手を握り締めて、俺は祖母に「おばあちゃん、おばあちゃん」と声をかけた。
しばらくそうするうちに、その声が聞こえたのか、祖母はうっすらと目を開けた。
そして、「○○ちゃんだ・・・」と俺の名前を呼び、涙を流した。
ピッピッという心拍計の音がだんだん弱まっていくのが悲しくて悲しくて、申し訳なくて、号泣してしまった。
その時、初めて自分がおかした罪の重さを実感した。
今では一ヶ月ごとに祖母の墓参りにいって、自分の近況を報告している。
512 :
病弱名無しさん:03/02/13 03:13 ID:jvhGRjXZ
さとみさんのHPが一番だったなぁ。。。
今本当に辛いんですが、何とか耐えてみせます。ありがとう
514 :
病弱名無しさん:03/02/13 16:29 ID:2bHZVLpt
感動age
515 :
病弱名無しさん:03/02/15 12:29 ID:eLJEqj24
就職してから遠く親元を離れ、一人暮らしをしてたが
その仕事が嫌になり止めて実家に戻った。
それと前後して母が風邪をこじらせて入院した。
程なく母は退院して自宅で静養していた。
その頃、俺はまだ働く気がなく毎日朝から晩まで遊び呆けてた。
母の作る料理は田舎料理ばっかりで好きになれず、
一人暮らしの時のように外食ばっかりしていたので、
母親が静養中に作ってくれた料理もほとんど手にすることはなかった。
しばらくして、再び母親は入院した。
そこで初めて母が癌の末期であることを知った。
516 :
病弱名無しさん:03/02/15 12:40 ID:eLJEqj24
続き
遅いがやっと俺は目が醒めた、すぐに就職しまじめに働いた。
母は自分の死期が近いことを知って無理に一端、自宅に帰っていたのだ。
俺と一緒に食事をするために、俺に偏った食生活をさせないために
辛い体で食事を作って待っていてくれたのだ。
でもその後作ってもらうことなく母は帰らぬ人となった。
ほんとは好きだったんだ、母の作る肉じゃがや茶碗むしが・・・
517 :
金八:03/02/15 13:11 ID:OzdBRUBI
てめえら普段から親孝行しろよ!後悔ばっかしやがって。先に親 が生まれてるんだから先に死ぬのはあたり前だろうが!今の自分があるのはすべて親のお陰だ。その事を忘れて自分翻意な生き方をしてたらきっと後悔するよ
518 :
金八:03/02/15 13:18 ID:nLFmaz2I
死んだ後、もっと親孝行してれば良かったと思ってももう遅い。だから生きている今だからこそ、精一杯の親孝行をしろよ。今からでも遅くないから有難うの気持ちを自分なりに伝えてみろよ。それが一番の親孝行だ
519 :
病弱名無しさん:03/02/15 13:20 ID:E7O5ikR2
残念だけど人とはそういうものだ。
皆、後悔しながら代を重ねる。
僕は悲しかった
その日は雨
まだ10月なのにとても寒かった
体の芯から温まりたい
僕は走った
体を温めてくれるものに向かって
「600円になります」
順番ふだをもらった
僕は待った
ひたすら待った
なのになかなかラーメンは出てこない
寒いからみんながラーメンを食べたがって
こんな列になっているんだ
早く、早く・・・
僕はそう願っていた
なぜなら僕の一番好きなスタメン発表がもうすぐだ
そう、ここは西武ドーム
野球場のラーメンだ
そんな中で、もうスタメン発表は始まっていた
こっちはまだ引換券をもったまま
しかも次の番
見たいにも見られず
音だけが聞こえてくる
忘れない
あの悔しさを
522 :
病弱名無しさん:03/02/16 01:36 ID:8j/L/XIu
お話してくださったみなさん、本当にありがとうございました。
私も体が弱いほうで、親には迷惑ばかりかけています。
食べ物の好き嫌いも激しくて、食事の度に「こんなの食べたくない!」とわがままばかり言ってしまって。
それなのに、こんな私を育ててくれてありがとう。
いつも体の心配してくれてありがとう。
本当は私がお父さんやお母さんの肩をもんであげなくちゃいけないのに、「勉強ばっかしてないで」って、私の首や肩をもんでくれてありがとう。
わがままな娘で本当にごめんなさい。
でも生まれてこれてよかった。
本当にありがとう。
親からもらった愛情なんて、「親孝行」なんてもので、とても返せるものじゃない。
あなたの愛情は、同じように、あなたの子供にそそげばいい。
立派に生きて、やがて生まれる新しい生命に、せいいっぱいの愛情をそそげばいい。
親に返すことなんてできないよ。 不可能だよ。 親の愛だけは、無理。 あなたの心と体と
全身で感じて、受けとめるだけでいいんだよ。
大丈夫。 その気持ち、その愛情は間違いなく親から子へと伝わるから。
そうやって生命は続いていくんだよ。
524 :
病弱名無しさん:03/02/16 09:25 ID:yYaJXtVi
age
このスレと「泣ける2ちゃんねる」読んでたら
実家から電話がかかってきた…。
なんつうタイミング。
4月から就職して頻繁に帰省できなくなるから、
両親が元気なうちに少しでも何かをしたいと思った。
書きこんでるみなさん、教えてくれてアリガトウ。
526 :
病弱名無しさん:03/02/19 20:30 ID:bfg6JUrw
三年くらいまともに帰省してなかった。
そんなとき、私は入院。現代の医学では治療できない病気を宣告された。
仕事ほっぽりだして、三時間車を激走させてきてくれた親父。宣告された私以上にあわててた。
言葉にはできなかったけど、親父に包まれたようで嬉しかった。
それから二年、実家近くに転勤した。病気が離れがちだった実家と自分を結びつけてくれたようで不思議だった。
まあ、難病っても私は普通に働けるんだけどさ。
みんな、ガンガレ。
親孝行って、意識する時既に遅しって感じがする。
でも、その気持ちだけでいいんだよね。
一生懸命な思いはきっと伝わるはず。
529 :
金八:03/02/20 16:23 ID:/BSSL/Xg
いや思うだけじゃだめだ!はっきり声に出して有難うと言うんだ。親が生きている今だからこそそれができるんだよ。照れ臭いならメ−ルでもいいから感謝の気持ちを伝えなきゃ。絶対より一層親子の絆が強くなるから
530 :
病弱名無しさん:03/02/21 11:10 ID:RCOvMJmb
あげ
531 :
病弱名無しさん:03/02/21 16:34 ID:Y8fqHBVn
良スレage
532 :
病弱名無しさん:03/02/22 15:55 ID:gO28JrBE
>>529 そうだね。感謝の気持ちやこちらの愛情も言葉にして伝えよう。
533 :
病弱名無しさん:03/02/22 16:33 ID:ypsbVknx
おばあちゃんが風邪をこじらせて入院したと親から電話があり、
今度の休みにお見舞いに行けと言われたけど
彼氏と約束があったので、その次の週に行くことにした。
そしたらその間に脳出血を起こしてしまい
私がお見舞いに行った時にはすでに意識がなく、
もう回復する事はないと言われた。
あの時、すぐに行ってれば、最後に何か話せたのに・・・
おばあちゃん、ごめんなさい。
534 :
金八:03/02/22 17:09 ID:PzuAMlOp
ほらみろ!後悔しても遅くなるだろ。家族にだけは普段から精一杯の感謝の気持ちを伝えなければ、いざ死んだ時物凄い後悔の念が強くなる。照れや恥ずかしさはその時だけだからちゃんと言った方がいいんだよ
535 :
病弱名無しさん:03/02/23 08:38 ID:LWU9h3gy
あご
536 :
病弱名無しさん:03/02/23 14:33 ID:I2OwZ02I
てぬーか 偽善か
537 :
病弱名無しさん:03/02/23 19:12 ID:sRq2U9Lj
ネタスレってここだったか。
>>74のナコさんて方は入院はしてなかったんでしょうか?
摂食障害っていっても精神病ですよね。 水のみしか摂れない状態ってことはかなり切迫していた
と思うんです。 最期に居合わせた方の気持ちを思うと、こうなる以前に打つ手は無かったのか、、と
とても残念でなりません。
539 :
病弱名無しさん:03/02/26 18:39 ID:ewu3xUJa
つうかメンヘルは、自分自身でそうしたくてなっていくからな…
体の病気で食べられなくなるのと、また違う
心を治してとは簡単に言えても、実際本人に治す意志ないからね
治らないで死ぬ事が本望の人が多いもの
540 :
病弱名無しさん:03/02/27 11:52 ID:OJ90wIK8
お
あげとく
2ちゃんにこの様な良スレがあったとは、ある意味ショック。
スレ違いと思うが反省を込めて書きます。
俺は犬が好きで、独断と偏見で家族の意見も聞かず子犬(オス)を買ってきた。
最初は、みんな反対していた為あまりかわいがっていなかったが、
そのうちに情というものがでたのか、かわいがり始めた。
ある日帰宅すると、もう1匹(メス)増えていた。
家族全員昼間働いている為、1匹ではかわいそうと言う事らしい。
それと同時に俺よりもかわいがっているので、
俺自身は気が向いたらかわいがったりしたが、ほとんど放っておいた。
仕事で疲れて帰宅して散歩はきつかったので、どうでもよかった。
それから十数年たち、近所でも長生きな犬でよっぽど大事に育ててるんでしょうねと、
よく声をかけられた。
そして、老犬となったメス犬が病気になった。
週に2,3回の通院で毎回数千円が吹っ飛んでいった。
あまりにも出費がすごいので、もう通院するのをやめさせてくれと喧嘩にもなった。
数ヶ月通院したが、いよいよ家で手に負えなくなり医者も入院を勧めるので,
入院する事になった。
あー、また金かかるのかよと、ぼやきまくった。
俺以外は毎日見舞いに行っていたが、俺は行かなかった。
少し気になるのでどんな様子かと聞くと、
大人しくしているが治る見込みは無いと言う事らしい。
そうとう衰弱してるのだろうと思った。
入院から5日位して初めて見舞いに行った。
小さな折の中で、足に点滴用のチューブが見え、
ハァハァと苦しそうに息をして、気丈にもお座りをしてうつろな目で俺を見ていた。
医者に聞くとずーっとお座りしたままだったらしい。
えっ、ずーっとお座り?
そう言えばまだ犬が元気な頃、悪い事をした時にお座りさせ続けた覚えがある。
犬を見ていたら、なぜか「もう悪さしないから早く家に帰してくれ」と謝っているように見えてきた。
医者にあとどの位までもつのかと聞くと、
おそらく気力だけで持ちこたえてるのでしょうと言った。
それを聞いた俺は、医者や家族の反対を押し切り強引に退院させてもらった。
車中でひざの上に乗せた犬はすごく薬の匂いがして、
すまん今日までこんな風にしてと謝り続けた。
帰宅中大人しくしていた犬だったが、我が家が近づくと,
どこにこんな力が残っていたのと言うくらい暴れだした。
もしかしたら家に着いたら元気になるかもとも思った。
犬を抱え玄関に入り板の間に寝かせると、
ヨロヨロと立って確かめるようにしきりに匂いを嗅いでいた。
開いている目もほとんど見えなかったかもしれない。
我が家だと納得したようで、静かに横になり苦しそうに息をしていた。
毛布をかけて数分後、大きな息を2回して眠るように死んでいった。
これ以降俺は犬を飼う事が出来ないでいる。
皆さんにお願いです。もし末期のペットがいたら、
ぜひ我が家で逝かせてやってください。
家族のいない犬猫病院では悲しすぎます。あなたの迎えを待ち続けています。
ちなみにオス犬は1年後に我が家で逝かせてあげました。
私が中学の時親父に連れられて北新地のゲテモノ食い専門の店に連れて
行かれ、親父はコオロギの佃煮や芋虫の唐揚げなんかを注文していたん
ですが(すでに食い気0)隣に座っていた30代ぐらいのおっさん2人
がその日に馬で勝ったらしくその店の時価って言う「猿の脳みそ」を注
文しました。するとしばらくしてカウンターに小さな椅子に拘束された
猿が置かれました。その猿の頭は頭蓋骨が切り取られ所々に血は付いて
いるものの、うすいピンク色の脳が露出していてその猿はわめきもせず
ただ両目を左右に動かしていただけでした。
私は怖くなって親父に店出ようと泣きながら言ってたんですが「ちょ
っとオモロイから見てよーや」とおっさん2人が食べるのを見たがって
いたので私も渋々座っていた座布団を盾に片目で見てました。おっさん
2人もさすがにビビッタらしく10分ぐらい「お前行けや!」となすり
合いをしていました。結局注文したおっさんが食べる事になりフォーク
をその猿の脳みそに刺しました。刺したら絶対暴れだすと思ったのです
が刺しても目は左右に動いたままで、なんの変化もなかったので私もち
ょっと怖くなくなりました。カラシ醤油に付けて食ったおっさんは「醤
油の味しかせーへん」と言いながら少しづつ削って食っていました。し
ばらくすると猿は左頬が引きつってきて目がスゴイ勢いで動きだし、口
を大きく開けて暴れ出したんです。次の瞬間、ゆっくり目を閉じて死ん
で行きました。今でもあの光景はトラウマになってます。
そういう調子に乗った人間は来世で脳みそ食われそうだな。。
>542-543
いいや、貴方は良いことをしたんだよ。
貴方じゃなければ家に帰ることができなかったんだからね。
>546
禿げ同!
549 :
ひとつめ:03/02/28 05:47 ID:FNEzlSyp
感動は呼び起こさなくてただ悲しいだけかもしれないけれど。
僕の彼女は現代医学では対処できない(らしい)病気でした。
「病巣」が存在せず、害のある(詳しいことは教えてもらえませんでした)
斑点が内臓器官の表皮のみに突如として現れる、今でも病名の定まっていないものです。
僕がそのことを知ったのは去年の春でした。
僕が告白したときに聞かされた事実でしたがきっと治ると思っていました。
斑点はおなじペースで増え続けていくことがわかっていました。
斑点の部分を切り取り、誰かの表皮を移植する、という実験に近い治療が始まりました。
切った部分を表皮を引っ張って縫うのはもう限界だったらしいです。
表皮は僕のものを使ってもらいました。
同一人物のものでないと拒絶反応がさらにひどいこと、
彼女を養っているのは実質的に両親であること(この方法では
表皮提供者に病気が移る可能性があるそうです)から
僕が志願しました。
僕の親はなぜか承諾してくれました。
彼女の余命が伸びました。
毎日の生活は、普段通りでした。
彼女も僕も普通に高校に通っていたし、
二人ともおなじ通学路(入院していた、からですが)だったし
遊びにも行けたし、とにかく幸せでした。
秋口頃、僕の表皮が足りなくなったことと、彼女の体力が限界であることを理由に
治療を断念しました。
550 :
ふたつめ:03/02/28 05:47 ID:FNEzlSyp
それからは民間療法に頼っていましたが
結局、彼女は今年の1月に亡くなりました。18歳でした。
よく頑張ったと思いました。
移植は手術みたいに大がかりなもので、僕自身が激しい痛みを感じていたのだから
彼女もきっと同等かそれ以上の痛みを感じていたのだろうと思います。
次は、僕が死ぬ番です。
病気は移っていたのは去年の夏からわかっていましたが、彼女には最期まで言えませんでした。
あの世でも会おうと約束していたので、ちょっと早いことに彼女はびっくりするかもしれませんが
早く会えること自体には喜んでくれるだろうと思います。
僕は、彼女がそうだったように、誰かからの表皮の移植を希望していません。
そして、彼女とは違って、このまま自宅療養し治療らしい治療は受けずにいたいと思います。
彼女に聞かれたら怒られそうですが、僕は死ぬのがわかっている自分のために誰かに死んでほしくありません。
もう死ぬのは怖くありません。
後悔もしていません。
いつ死んでも、大好きな彼女が待っていてくれます。
そういう意味で、僕はきっと幸せ者です。
本当は、彼女が読んでいてくれればなぁと思って書いてしまいました。
長く拙い文章を読んでくれて、ありがとうございました。
551 :
病弱名無しさん:03/02/28 17:12 ID:A836F+4v
人は力の限り生きればそれで良い。
年月は関係ない。
患部を切り取って皮膚を移植すれば部分的に治るの?w
で、それが君に移って、今度は君の番なの?w
しかも移植したのは内臓の皮膚?w
あなたが患っているのは精神的な病じゃないんですか?w
553 :
病弱名無しさん:03/03/01 07:04 ID:mq9jg2qU
かれこれ10年ほど前、俺が高校2年の頃の話。
俺、けっこうばーちゃん子でさ。
中学終わり頃までは家が近所だったこともあってちょくちょく
ばーちゃんの家に行ってたのね。
それが、別に意識してたわけじゃないんだけど、
高校入ってぱったりと行かなくなって、
不思議と呼ばれもしなくなってさ。
ホント知らなかったのが恥ずかしいんだけど、高校2年の7月に
いきなりじーちゃんがヤバイって聞かされて、そこで初めて
ばーちゃんちに呼ばれなかったこと、いやに音沙汰なかったこと、
一度突然顔出しに行った時ばーちゃんしかいなかったこと、
そんなのがいろいろわかってさ。
それで、とりあえず見舞いに行ったんだよ。
そしたらもう見た目ホントに別人なのね。皮膚に斑点っていうのかな。
内出血みたいなやつがたくさん出来てて、痛々しくてさ。
腕とか足とか半分ぐらいまで細くなってるし、
ロクに声も出なくて、こっちはすげぇ泣きそうなのに
じーちゃんだけ一人で笑顔でさ。あーもう書いてて泣いちゃう。
とりあえず涙とまんないので続く。。
554 :
553:03/03/01 07:36 ID:mq9jg2qU
でね。俺が「大丈夫?」って聞いたら「うんうん」って頷くんだよ。
見たまま大丈夫じゃないのに。「痛くない?」って聞いても「うんうん」。
もーさ、今思えばバカな事しか聞いてなくて恥ずかしいんだけどさ。。
そんなやりとりしてたらじーちゃんが手出したのね。握手みたいに。
そんでじーちゃんの手握ったらさ。
えらい強く握り返されちゃってさ。。無理しちゃって。。
手離したと思ったら、今度はその手で
帰れ帰れ、ってやるんだよ。え?って顔したら
指でわっか作ってさ。金はないよ、っていう手振り。
声出ないくせに「金なんかないから帰れ」って言いながら
笑ってんだよ。じーちゃん。。
俺、なんも言えなくて、危ないかもしれないっていう
病人の前で泣くなんて絶対イヤだったけど、
それ見てボロボロ泣いちゃったよ。
じーちゃんは、その翌日早朝、逝っちゃいました。
じーちゃんが死んで今年の7月でちょうど10年。
うまい米を食うと
「おかずは何でも良いから米だけは旨いものを食わせてくれ」
って頼んでたじーちゃんを思い出します。
3年前までプーやって働いてた。
母親のみの片親だったけど、月々ちゃんと家にお金入れてたし暮らしは
悪い方じゃなかった。
惨めそうな母を見ているのが嫌で、家に帰らないことが度々だった。
いつもみたく遊びほうけて、2週間家に帰らないことがあった。
久々に家に帰ってくると、母は布団の中で急死してた。
一人で・孤独に・2週間もの間・誰にも気づかれず死んでいった・・・・・・。
あのプーやってた時のお金を使って、母に美味しい物食べにつれてったり
行きたいって言ってた北海道に行けばよかった。
私の人生の中でこの後悔は一生消せない。
556 :
金八:03/03/02 13:45 ID:muUNWTsS
後悔先に立たず。親だけは親だけは大事にしろよ。絶対後悔するから
557 :
病弱名無しさん:03/03/03 19:47 ID:OKZdzV+O
どんな死に方がいいのか俺には分からん。
558 :
病弱名無しさん:03/03/04 10:36 ID:rMU5LWNp
夕方4時20分。
駅についたとたんに電車はでてしまい電光掲示板に目をやると出発は20分後だった。
程なくして駅内放送がながされ、1番線が急遽、各駅列車に変更された事を知った。
発車まで3分を切っていたので急いでとびのると同時に発車のベルが鳴る。
走り出した電車は意図する方向と逆に走っていった。
各駅は2番線だった。
うわぁ・・・・悲しいぃいぃいぃぃ
>>542-543 これ見てものすごくグッときた。
うちにも同じように亡くなった犬がいるもので・・・。
立派な家族の一員だよね。
561 :
病弱名無しさん:03/03/07 05:28 ID:T3qXBvht
良すぎスレ上げ
562 :
病弱名無しさん:03/03/07 06:47 ID:z81hvfeP
563 :
シュン:03/03/08 10:40 ID:FOu+YJoz
僕には中学時代、彼女がいた。中三のクリスマス二人で過ごす約束した。しかしいつまで待っても彼女はこなかった。何かあったのかもと思い、彼女の家に行った。そこには信じられない貼り紙が玄関にはってあった
564 :
シュン:03/03/08 10:51 ID:o+6+xznM
「関係者各位の皆様にはお詫びの言葉もございません」。夜逃げだ!前から家が借金で苦しいのを彼女から聞いてた僕は一瞬で理解した。全身の力が抜け涙が溢れてきた。何でなにも言わないで行っちゃうんだよ!しかもクリスマスなのに それから二年が過ぎた
565 :
シュン:03/03/08 11:03 ID:P43mD7yS
高校で町を出ていた僕は正月帰郷していた。何気なく夜ラジオを聞いていたら「〜に住むシュン君へ 今は〜に住む@@より」僕は耳を疑った。そして僕と彼女の二人の思い出の曲が流れた。
翌日、朝からそのラジオ局に行って昨日の彼女の葉書を探してもらった
566 :
シュン:03/03/08 11:10 ID:bvkNopBa
葉書が見つかり住所が書いてあった所に急いで行った。呼び鈴を押しても反応はなかった。そしたら隣のおばさんが出て来て「そのコなら今の時間は〜で バイトしてるよ」と 教えてくれた。そこはファミレスだった。意を決して入った。
567 :
シュン:03/03/08 11:25 ID:2y2hfEZs
「いらっしゃいませ〜」一人のウエイトレスが下を向いてテーブルを拭きながら言った。彼女だった。彼女も思い直したかのようにはっとした顔でもう一度俺を見た。「何時に終わるんだ?」 「..四時」 二年振りの再会だった
568 :
シェン:03/03/08 11:28 ID:TTK9CD2+
「ふざけてんじゃねえよ!」俺は隠し持っていた文化包丁を取り出し、
彼女の心臓めがけて激しく突きたてた。即死だった。
569 :
シュン:03/03/08 11:34 ID:kSgHb0/v
二人は雪の降る中、しばらく無言で歩いた。そしてラジオを聞いたいきさつを話すと「信じられない まさか聞いてくれたなんて」。それから今までの事をお互い話した。彼女は夜逃げした後ろめたさから連絡できなかったそうだ。
570 :
シュン:03/03/08 11:39 ID:o+6+xznM
でも俺の事を好きな気持ちは変わらずラジオのリクエストコーナーに一言添えて投稿した。それをたまたま帰郷していた俺が聞いた。まさに奇跡だった。それから俺達はまた付き合う事になった。以前より深い愛で
571 :
ション:03/03/08 11:40 ID:mx6WCfJD
俺は久しぶりに彼女と合って猛烈に欲情していた
今にでも彼女を抱きたかった
歩きながらラブホテルを探した でもなかなか見つからない
雪の中を2時間30分歩き続けてなんとか一軒見つけることができた
「北の国から」そんな名前のラブホテルだった
572 :
病弱名無しさん:03/03/08 11:45 ID:o+6+xznM
シュンのいい話をちゃかすなよ
(´-`).。oO(568・・・即死なのに・・・?)
574 :
青森の病弱名無しさん:03/03/08 12:50 ID:c5ZhjdPY
3年前に、亡くなった私の祖母の話をします。
祖母は、アルツハイマー方の痴呆症になり、徘徊などの症状が酷くなり、
伯母から椅子に拘束など虐待を受けていました。
ある時、酷い床ずれで入院し、誰が付き添うかで親族がもめて、
たまたま正月の休暇で帰省していた私が、1週間程付き添う事になりました。
酷い虐待を受けていた祖母は、頭に手を近付けただけでビクビクするような状態でした。
言葉も話せないし、孫の私も分からない状態でしたが、好物のりんごを食べる時には、
少し微笑んでいました。
付き添うようになって4日程した頃、「ねぶた・・・」と突然話せる筈のない祖母がつぶやきました。
「ねぶた」の一言に私は涙ぐみました。
赤ちゃんの頃、祖母と共にねぶたを見に行き撮った記念写真を思い出して…。
いつか写真だけでもねぶたを見せてあげたい、と思ってましたが、
結局それから2年後、祖母は老衰で亡くなりました。
575 :
世直し一揆:03/03/08 12:54 ID:gv57hzVp
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」(「世間」と言っても、同じA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎないのだが・・・)、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする
(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはた
いてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●後で自分の誤りに気づいても、強引に筋を通し素直に謝れない(切腹するしかない!)●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。包容力がなく冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
576 :
病弱名無しさん:03/03/08 17:14 ID:8qYypofO
シュンの話ドラマみたいで感動したよ
577 :
病弱名無しさん:03/03/08 17:51 ID:IjCxD2Iw
あげたい
ラジオでメッセージ送って思い出の曲かけてもらうって
柊あおいの「星の瞳のシルエット」っぽくって(・∀・)イイ!
579 :
病弱名無しさん:03/03/09 10:47 ID:r/B+LcO9
いい話やぬ
580 :
病弱名無しさん:03/03/09 12:40 ID:mX8tWTPy
581 :
シュン:03/03/09 13:43 ID:ntQIXjf2
この話はもう少し続きます。再会した二人はそれから数年は幸せな日々が続いた。遠距離だったけど毎日電話した。時々は同じ時間に同じビデオを見てデート感覚を楽しんだりもした。でも遠距離のせいか次第に擦れ違うようになった
582 :
病弱名無しさん:03/03/09 13:51 ID:qK0fv+4Z
たまにデートする時も彼女の体ばかり求めるようになった。ギクシャクした関係が続いた。ある日、彼女は別の男性からプロポーズされたといってきた。本当は俺に止めて欲しかったのはわかっていたが俺は強がって「じゃあ、その人と結婚すれば?」と言ってしまった
583 :
シュン:03/03/09 14:01 ID:sijGXd0h
「そうね、私達最近うまくいってないし。その人と結婚するね」
彼女はそう言うと寂しそうに去っていった。自分に自信のない俺は行くなと言えなかった。それから半年が過ぎた。心の中にはまだ彼女がいた。でも連絡できずにいた。ある日の夜三時頃に電話が鳴った
584 :
シュン:03/03/09 14:09 ID:IJABOzjY
彼女だった。「明日結婚式なの。今一人ですごい心細いの。本当は今でもシュン君が..好きだよ」少し泣きながら言った。俺はたまらなくなり「昔二人で見た卒業って映画おぼえてるか?昔の恋人が結婚式で花嫁さらうやつ。あれやってやろうか?」と
585 :
病弱名無しさん:03/03/09 14:10 ID:60l9+cpL
586 :
シュン:03/03/09 14:18 ID:LWZVgZlw
自分でも信じられない事を言っていた。彼女から式場の場所を聞いた俺は翌朝仕事をさぼり彼女を奪うつもりでそこに行った。ウェディング姿の彼女はすごい綺麗で幸せそうだった。その姿を見た俺は彼女に会う事もなくそのまま帰る事にした。
587 :
シュン:03/03/09 14:23 ID:QdrOx0Xe
彼女に対する気持ちが愛情から何かもっと大きなものに変わったからだ。「とっても綺麗だったよ。幸せにね」帰りの車で一人つぶやいた。
これが僕の青春の思い出です
588 :
病弱名無しさん:03/03/09 14:27 ID:dU5Y/GGn
>>シュン
実話なの?
すごくいい話・・・
589 :
病弱名無しさん:03/03/09 17:18 ID:plV6f4dQ
あげ
590 :
病弱名無しさん:03/03/09 19:55 ID:5F0eS2EB
ここを読んでいて思い出したことがありましたので
書き込ませて頂きます。
丁度、一年前にうちで飼っていた犬が寿命で逝きました。
その日友人と学校帰りに寄る所があったので帰りが少し遅くなり
発車する前の人気の無い電車の中で携帯を持っていなかった私は
友人から携帯を借り、「今から5時電で帰るから」と母に連絡をしました。
母はその事に返事をした後すぐに「ロロ(うちの飼い犬の名前)が
死んだよ」と言ったのです。
「うそっ」あまりにいきなりなことだったので信じられませんでした。
母の話によると、その日の昼にロロは息を引き取ったそうです。
動物の葬式をしてくれるお寺の御住職さんは「私は40年ここで
住職をしてますが、18年も生きた犬は初めてです」
と言っていたそうです。
(続く)
591 :
病弱名無しさん:03/03/09 20:29 ID:5F0eS2EB
携帯を切った後、思わず私は友人に
「ロロが死んだって…」と言ってしまいました。
言わずにはいれなかったのだと、今になって思います。
携帯で聞いた事を私は友人に全て話しました。
話しているうちに涙が出ていました。友人は
「18年も一緒ってことは小さい頃から飼っていたんだから
それはつらいね」と言いました。
慰めや優しい言葉よりも、当たり前の事を言ってくれた
友人には感謝しています。
しばらくして、家族とロロの墓参りに行きました。
墓参りと言っても、ペット霊園ではなく、動物専用の共同の
一つのお墓なので、お墓の周りには色々な花やペットフードが
たくさん供えてありました。
お墓の両脇に犬と猫の石像が立っているのですが、犬の石像を見た時
私は驚きました。その石像はロロにそっくりでした。
大きさも同じ位でした。「この石像、ロロにそっくりだね」と
私が母に言うと、母は「そうでしょ」と言いました。
帰る時に私はその犬の石像の頭を撫でてから帰りました。
もう少しで暖かくなるので、そうなったらまたロロに会いに行こうと
思っています。
592 :
病弱名無しさん:03/03/10 13:29 ID:JaBC1cbp
笑た
593 :
病弱名無しさん:03/03/10 22:57 ID:Y3czNocC
青春の思い出うらやましい
飼い犬ネタはやめて。
俺、泣いちゃうぞ。
595 :
病弱名無しさん:03/03/12 20:44 ID:POVkhTvN
あけた
596 :
病弱名無しさん:03/03/12 21:47 ID:Rh/+Qvz8
花粉症が苦しくてここに来たのにとんだ寄り道をして
さらに顔がぐしゅぐしゅになってしまいました。
家族って大切。
愛って大切。
いのちって大切。
大事にしよう。
本人が見てくれている事を祈って
6年前に5歳年上の彼女が居た
彼女の父親が癌で(当人も知っていた)
彼女の嫁姿が見たいと言っていた為亡くなる3週間ほど前に
嘘でも良いから結婚相手だと挨拶して欲しいと言われた
彼女の父親は
「心配事がこれでなくなったな、婆さん(奥さんのこと)も一緒によろしく頼むな」
と喜んでもらえた。俺も親孝行が出来て嬉しかった
彼女の父親が亡くなった1年後から具体的に結婚話をするようになったある日
急に、彼女と彼女母親との連絡が取れなくなった
家に行っても、電気はついておらず
会社も辞めた後でした
それから数ヶ月後(はっきり覚えてない)ようやく一本の電話があった
「私、女じゃなくなっちゃったの。。。ごめんね」
このような内容だったと思うがこれだけで電話を切られてしまった
身に覚えのある奴
頼むから帰ってきてくれ。
それとも、もしかしたらフラレタだけなんか?
599 :
病弱名無しさん:03/03/13 01:07 ID:zk1Ehdu5
おなべになったの???
>>598 何らかの疾患で子宮摘出
↓
子供が生めない体になった
↓
彼と結婚する資格がなくなったから身を引いた
ってことなのかな・・・?
それとも、「『あなたの』女じゃなくなっちゃったの・・・」ってことなのかな?
なんにせよ、彼女、本当の事を言ったってくれや〜(´Д⊂ヽ
600ゲトしとった〜〜(´Д⊂ヽ
602 :
山崎渉:03/03/13 16:31 ID:4eQkpQqX
(^^)
603 :
病弱名無しさん:03/03/14 02:09 ID:7x6opsP/
私の話なんですが、今から5年ぐらい前に内臓の疾患にかかり、それから入退院の日々を繰り返しています。まだ23歳だった私は完治がなく、入退院を繰り返すと医師に言われた時、自暴自棄になってしまい荒れてる日々を繰り返していました。
604 :
病弱名無しさん:03/03/14 02:17 ID:vAfDBToN
(続き)そして現実問題で結婚なんて夢の夢でした。そんな入退院を繰り返す女なんて誰も、嫌だろうと。だけど当時付き合っていた彼は、分かってくれて、お嫁さんにしてくれました。そして夢の結婚生活が始まり、妊娠しました。
605 :
病弱名無しさん:03/03/14 02:23 ID:d3ONKnkl
医師は不安がりましたが、出産すると心に決め妊娠期間、病気を悪化させまいと必死でしたが、医師の不安は的中し、私は妊娠事態負担が大きくなり、妊娠中なのに5回の入退院を繰り返しました
606 :
病弱名無しさん:03/03/14 02:28 ID:/LWfaYtu
妊娠中なのに痛み止めや強い薬を投与したから子供に何かあったらどうしょうと考えていましたが無事に健康な子を出産できました。が、そのあと病状はますます悪くなり3か月の入院をしました。
607 :
病弱名無しさん:03/03/14 02:34 ID:EZwQjOAh
初めての子供に母乳も飲ませらず入院のせいで、一緒にさえ暮らせない、たまに旦那と親が連れてきてくれる、わが子を見つめ泣いていました。最高に具合が悪くなった時、「死」を考えました。
608 :
病弱名無しさん:03/03/14 02:41 ID:7x6opsP/
生まれたての幼い子を残し死ぬんだと考えた私は旦那と子供に手紙を書きました。「ありがとう」の気持ちの手紙を・・忘れて欲しくはないし私が貴方達を愛していた事を残したかったと言う気持ちで。
609 :
病弱名無しさん:03/03/14 02:47 ID:vAfDBToN
毎日、泣いていました。が、医師の懸命な治療で病状は安定しました。まだ、あいかわらず入退院の日々ですが、こんな体の私でも結婚してくれた旦那と、いつも寂しい思いをさせてるけど笑顔を見せてくれる子供に感謝してます。
610 :
病弱名無しさん:03/03/14 02:53 ID:EQD9821z
本当だったら遊びにいろいろ出かけたりするのにできず親子で過ごすのも入院すると出来ないけど子供にも遊んであげたり出来ないけど、私は幸せです。後何年生きれるかはわからないけど宝ものは家族ですね。
611 :
病弱名無しさん:03/03/14 04:11 ID:Gaf/ios+
で、なんの病気なのでしょうか?
612 :
病弱名無しさん:03/03/14 13:26 ID:9EFOVGz5
毛じらみです
613 :
病弱名無しさん:03/03/15 16:11 ID:NFmjHSRF
毛じらみか
614 :
病弱名無しさん:03/03/15 16:34 ID:ysvAHTFT
感動しますた(ノД`)
615 :
病弱名無しさん:03/03/19 14:11 ID:55u1iKLK
age
糖尿病を患ってて、目が見えなかったばあちゃん。
一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする(母が仕事で家に居なかった為)。
一緒に買い物行ったり、散歩したり。
だけど、ばぁちゃんが弱っているのは子供だった私でもわかっていた。
高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。
たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ私だってわからなくなっていた。
「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。
それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなってた。
暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。
誰が誰だか、わからないんだって。
私のことも、わからなくなってるらしい。
なんとなく、覚悟は出来ていた。けれど、悲しかった。
それから。
半年くらい過ぎた頃。
ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終わった。
葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。
「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』っていう封筒が入ってたんだよ。」
そう言って、私に封筒を手渡した。
ばぁちゃんの字で、さぁちゃんのって書いてあった。
中身は、通帳だった。私名義の。
二十万ほどの預金が入っていた。
働いてないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。
そういえば、昔、ばあちゃんが話していた。
「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」
「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」
その夜、初めて泣いた。
ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。
でも、喜んでくれるよね。
・・・ちなみに、ばぁちゃんは糖尿病で血管詰まらせて他界してしまいました。
脳の血管まで圧迫しちゃうんですね。。。
だからボケちゃうんだ・・・。
でも、最後の最後まで、叔父に頼んだり祖父に頼んだりしてお金振り込んでたみたいです。
なんか泣いてしまった
619 :
病弱名無しさん:03/03/19 20:43 ID:8bYs6IPe
age
うわあぁぁぁん 。・゚・(ノДT)・゚・。
さぁちゃん、元気な赤ちゃん産んでね。
きっと、おばあちゃん見守ってくれてるよ!
他人が『死ぬ』『可哀想』で感動する人の感性がわからない。
『思いやり』や『やさしさ』ならわかるが・・・。
単に優越感に浸ってるのでは・・・。
622 :
病弱名無しさん:03/03/21 02:24 ID:F/BOE0+J
623 :
病弱名無しさん:03/03/21 04:01 ID:YVST2COo
>>386 @ノハ@ ω
( ‘д‘)(・|> <なるほど
_|U_|//
\___ノ
U U
624 :
621:03/03/21 16:11 ID:kOLrtPaq
書き手側の気持ちはわかるよ。
ただそれを読んだ他人が「感動した!」やら書いてるのはおかしいと思うのよ。
まあそういう趣旨のスレだからすれ違いは自分の方だけどね。
625 :
病弱名無しさん:03/03/21 20:59 ID:evLzZmgx
>>624 「感動する」ってことは、イコール
「書き手や話し手の気持ちや体験を分かち合う、共有する」ってこと。
人間らしい、素直な感情だと思うよ。
人間は不思議な生き物で、自分が実際に体験しなくても
耳で聞いたり目で見たりしただけでも
その人の立場になって疑似体験ができる。
その「疑似体験」によって感情が刺激され、
「感情が動いた」数だけ内面が成長していくんだよ。
626 :
病弱名無しさん:03/03/22 15:51 ID:t6ynLmzC
↑お〜納得したわ・・・!!!
627 :
病弱名無しさん:03/03/22 19:55 ID:MMnF2jiO
>>580くらいからのシュン
ワラタ( ´_ゝ`)
628 :
病弱名無しさん:03/03/22 20:05 ID:xGJ3L7FH
629 :
病弱名無しさん:03/03/23 10:13 ID:sVZkqMBr
>628
それはネタということだったが、違うのか?。
631 :
病弱名無しさん:03/03/23 22:42 ID:RAwtO2Yb
>>630 彼女本当に可哀相。
オフィシャルのサイト読んだけど号泣したよ。
救いは彼女が今は大分回復して不屈の闘志で前向きにがんばってること。
632 :
病弱名無しさん:03/03/24 18:28 ID:BQt0V7ij
>>631 その子のオフィシャルサイト教えてもらえないかな?
633 :
病弱名無しさん:03/03/25 00:49 ID:X86+aNYr
634 :
病弱名無しさん:03/03/25 17:05 ID:spIkvaZb
635 :
病弱名無しさん:03/03/25 18:50 ID:ixOhOw4S
なきたくなった
なんかかけ
このやろーめ
636 :
病弱名無しさん:03/03/25 21:24 ID:rOVYuAqH
祖母ちゃんが死んだのは6年前の高校受験のときだった。祖母ちゃんは俺が中学
はいった時ぐらいからボケ始めていた。始めは、何曜日かわからなくなり、最後
のほうには人のものを自分のものと間違えてどこかにしまってしまう(勿論しま
った場所は忘れている、、、)そしてある日事件が起こった。それは、俺が中二か
ら中三に進級する時の春休みだった。俺は中学時代サッカーをやっていて、サッ
カーにはすねあて(レガース)を付けるといったルールがあるのである。そのす
ねあてが試合当日なくなっていたのである。俺は真っ先に祖母ちゃんを疑ったら
いつもの通り「しらないよ」といわれた。そして俺は切れて祖母さんを殴った。
そしてクラブも引退して高校受験に向けて勉強しているころ祖母ちゃんは死んだ。
俺は「こんな時に葬式なんか最悪や」って言ったのを今でも覚えてる。高校は私学
になったので俺は親のもとを離れて、一人暮らしするようになった。引越しの用意
をしている時、たんすの間に何か奇妙な板があった。「なんだろこれ?」と手にと
った時、俺は言葉を失った。(これは、あのときの、、、祖母ちゃんのせいじゃな
かったんだ。俺の不注意でたんすの間に落ちたんだ)そして俺はないた
637 :
病弱名無しさん:03/03/25 21:26 ID:rOVYuAqH
(続き
最後まで祖母ちゃんのせいにした自分に泣いた最後まで祖母ちゃんを
疑った自分にも、、、、泣いた
638 :
病弱名無しさん:03/03/25 21:27 ID:rOVYuAqH
(続き
そして葬式の時まで祖母ちゃんを嫌った自分にも泣いた
639 :
病弱名無しさん:03/03/25 22:10 ID:UuhiKG0n
640 :
病弱名無しさん:03/03/25 22:36 ID:rOVYuAqH
死んでみるわ!
3.1415926535 8979323846 2643383279 5028841971 6939937510 50桁
5820974944 5923078164 0628620899 8628034825 3421170679 100桁
8214808651 3282306647 0938446095 5058223172 5359408128 150桁
4811174502 8410270193 8521105559 6446229489 5493038196 200桁
4428810975 6659334461 2847564823 3786783165 2712019091 250桁
4564856692 3460348610 4543266482 1339360726 0249141273 300桁
7245870066 0631558817 4881520920 9628292540 9171536436 350桁
7892590360 0113305305 4882046652 1384146951 9415116094 400桁
3305727036 5759591953 0921861173 8193261179 3105118548 450桁
0744623799 6274956735 1885752724 8912279381 8301194912 500桁
9833673362 4406566430 8602139494 6395224737 1907021798 550桁
6094370277 0539217176 2931767523 8467481846 7669405132 600桁
0005681271 4526356082 7785771342 7577896091 7363717872 650桁
1468440901 2249534301 4654958537 1050792279 6892589235 700桁
4201995611 2129021960 8640344181 5981362977 4771309960 750桁
5187072113 4999999837 2978049951 0597317328 1609631859 800桁
5024459455 3469083026 4252230825 3344685035 2619311881 850桁
7101000313 7838752886 5875332083 8142061717 7669147303 900桁
5982534904 2875546873 1159562863 8823537875 9375195778 950桁
1857780532 1712268066 1300192787 6611195909 2164201989 1000桁
荒し荒し
643 :
病弱名無しさん:03/03/25 22:48 ID:quseWC0Q
644 :
病弱名無しさん:03/03/25 23:20 ID:X86+aNYr
ID丸出しの分かり易い荒らしだな(w
( ;Д;)ヽ(´v` )ヨシヨシ それでもおばあちゃんは君のこと愛してるよ!
636
646 :
病弱名無しさん:03/03/25 23:57 ID:WKy7Pixb
夜も遅い時間にこそこそっと。
以前ここに書き込みしました
>>195です。
私は肺がんでつ。
若いから進行も早くてよくここまでもったと思う。
今年の初めに余命宣告されました。
長くもって一年。短くて半年。
今はキャンサーホスピタルに転院しています。
肺がんは脳に転移しやすい。
そろそろモルヒネも効かなくなってきた
脳に転移したらわけがわからなくなっちゃうだろうな。
転移したほうが痛みがなくて楽みたいだけど・・・。
余命を宣告される前は余命を宣告されたらこう生きようとかいろいろ考えてた。
でも結局今までの自分のままでしか生きられないんだって最近わかった。
死ぬのが近いのにPC解禁されたら真っ先に2ちゃん見ちゃうし。
新しいパソコン買っちゃうし。
宣告される前は死を甘受することは格好いいと思ってた。
でも今は生きたい。
648 :
病弱名無しさん:03/03/26 00:20 ID:iYtDWXLf
>646
あなたの生きざま、心に刻んでいいですか?
649 :
病弱名無しさん:03/03/26 00:50 ID:5G/cffhM
僕も不治の病でそろそろ発病か、というところです。
独身で親孝行できてません。
大泉逸郎の孫という歌が親といるときかかるとかなりつらい、、。
でもいまは運命だと悟ったつもりでいますが
このさきいつまで正気でいられるかわかりません。
でも今は、たとえ死んだとしても自分の魂はなくならない
そう信じてます。
650 :
病弱名無しさん:03/03/26 01:17 ID:oG4RQpp0
>>646 >死ぬのが近いのにPC解禁されたら真っ先に2ちゃん見ちゃうし。
>新しいパソコン買っちゃうし。
今生きているのだから、新しいパソコンで2ちゃん沢山見ましょうよ。
そして人生を楽しんで下さい。ガンガレ!!(´▽`)
>>649 >でも今は、たとえ死んだとしても自分の魂はなくならない
>そう信じてます。
私もそう思います。人間の存在は死などで無くなるものではないと
思います。ガンガレ!!(´∀`)
>>646 か、かける言葉が見あたらない……
でもまた書いてくれ。みんな見てるから
652 :
病弱名無しさん:03/03/26 01:38 ID:oG4RQpp0
>>651 そうなんだよう!判ってる、判ってるけど同じ時代に生まれて生きてきた者同志
何か言ってやりたいじゃねえかよう!!!!( ´Д⊂ヽ
2ちゃんをやりはじめて3年目・・・まわりの人には
「あんな掲示板やってる人は低俗なヲタク」扱いされるが
まさに玉石混交なんだよね・・・
たくさんの人の想いが交錯する掲示板・・・
真実とか虚像とかそういうのを抜きにしても語り尽くせない程の
人々の囁きがはいっている2ちゃんが僕は好きです。
>>646さん、奇跡は起きますよ、起こすのです
654 :
病弱名無しさん:03/03/26 09:16 ID:gvnpmuil
655 :
病弱名無しさん:03/03/26 11:31 ID:T6Yjv97y
戦争始まったら反戦訴えるのと一緒やな。
>>655 戦争を始める奴がいなければ反戦する必要ないからな
657 :
636 :03/03/26 16:44 ID:FY6s6deu
ばばーなんかどうでもいいんじゃ!だいたい俺が生まれる前に逝ってるから
顔もみたことない俺にとったらただの「他人」やから
658 :
病弱名無しさん:03/03/26 16:45 ID:BaNMyS/u
ハイ次。
659 :
病弱名無しさん:03/03/26 17:13 ID:HgN14iV4
ウチの母の同僚の話。
働かない夫と別れ、母一人子一人で細々と生活していたが息子が白血病に。
母子家庭で医療費はかからないものの、何とか重病の息子を助けようと
夜も寝ないで働き、仕事がないときは病院で息子に付きっきりだった。
笑顔を浮かべるのがやっとの、やせ細った息子の体は、薬の副作用で
黄色くむくんでいた。
衰弱が著しく、「もはや回復は不可能」と医者に言われ母親は黙って
病室の息子の手を握っていた。
すると息子はそっと目を開け「お母さんごめんね。親孝行できなくて。
でも、僕が死んだらそんなに働かなくてももういいんだよ。」
そう言った。
数日後、息子は11歳で亡くなった。
その子のお葬式の後
「生きててくれてありがとう」
そう母親に言われた。
660 :
病弱名無しさん:03/03/26 22:37 ID:fkDLGNam
わらいたくなった
わらえるはなしなんかかけ
このやろーめ
646でつ。
皆さんありがとう。
PC制限があるのでなかなか来れないけどまた何か叫びたい時に書かせてください。
痛みがひどくなってきているので今週はモルヒネ漬で頭もボーっとしてるんでまとまりがなくてすみません。
ではまた。
662 :
病弱名無しさん:03/03/26 22:51 ID:fkDLGNam
もるひねって
どんないみ
663 :
病弱名無しさん:03/03/26 23:08 ID:fkDLGNam
おれもいっしょにしんでやる
>>661 好きなだけ書けばいいさ、そういうところだろ。
たまたま同じスレをみた人間として、月並みだが一言。
がんばれ、そして楽しんでください。イ`!
665 :
病弱名無しさん:03/03/27 00:45 ID:fyW8M8ri
>>661 そうそう、でも身体に負担がかからない程度に。無理はしないでね♪
いつでも待っているよ。(´▽`)
>>662 そんなのも自分で調べられないような奴は661に命を明け渡せ
668 :
病弱名無しさん:03/03/27 21:12 ID:Y7YgG1X5
662へ
おとといきやがれ
はなたれめ
くろとシュンは同一人物?そんで、ネタ?
違ってたら激しくスマンです。。。
670 :
病弱名無しさん:03/03/28 00:37 ID:FVKdkBlD
生きていていちばんたくさん涙を流したときのことを。
私には結婚を約束した人がいました。突き詰めては決まっていませんでしたが、
もう双方の両親、友人たちにも結婚するということを伝えていました。
彼との未来を夢見て貯金にも励んでいました。
が、彼は交通事故にあってしまいました。
幸いにも一命は取り留めましたが、ひどい怪我でした。
彼のお母さんと交代で私も懸命に看護し、一日でも早く治ってくれるよう願っていました。
でもその願いとは裏腹に彼は一向によくなりませんでした。
詳しいことはわからないのですが、いろんな後遺症があったみたいです。
それでも私は病院に通い続けました。それが当然だったから。
でもある日、来た私の顔を見るなり彼は「もう来るな」といいました。
びっくりして訳を聞くと……。
(上げてしまいました、すみません)
彼が言うには、日に日に皮膚の感覚がなくなっているんだそうです。
身体も動かなくなっている。脳か脊椎をやられたんだ、と言っていました。
驚きましたが、それと私が来ていけないのとどう関係があるの、と。
彼は私の手を握り、この手を握る感覚が日に日にわからなくなっていく。
手がただしびれている。意識だって時々ぼんやりする。
そのうちお前の手だってこともわからなくなるかもしれない。そんなこと俺には耐えられないと。
家に帰った後、一晩中泣きました。このまま彼は家族のことも私のことも
わからなくなってしまうんだろうかと、とても怖かった。
彼の症状はやはり、悪化していきました。何でこんなことになるのか
私にはさっぱりわからなかった。横たわる彼の手を握っても握り返して
くれないぐらいにまで、彼は弱ってしまった。
彼のお母さんにも、つらいだろうから無理して来なくていいのよ、と
言われました。つらいけど、無理なんかじゃない。でも……。
私はもう彼と結婚できないんだろうか、彼のお嫁さんになれなんだろうか…。
いつまで私は彼のそばにいれるんだろう…。
不安で怖くて悲しくて、毎日泣きました。
家族が心配するので、夜、布団の中で口を押さえて泣きました。
一ヶ月もしないうちにとうとう彼は植物状態になりました。
弱っていく自分を感じて、こんな日が来ることを彼は知っていたんでしょうか。
名前を呼んでも手を握っても、ここにいるのが私だとわかってもらえない。
彼のご両親に言われました。「今までありがとう。息子はもう
こんな状態でとてもあなたと結婚はできない。早く息子のことは忘れて、幸せになってくれ」と。
その言葉のとおりにしても私は誰にも非難されなかったでしょうが、
私はそれが怖くて仕方ありませんでした。
どうすればいいのか、本当にわからなかった。
彼の赤ちゃん、身ごもってないかな…と少し妄想もしたものです。
あれから二年経ちますが、私は新しい恋人など作れませんでした。
彼は今も病院で眠っています。最近は少し落ち着いて顔を見れるようになりました。
彼の両親とも家族のように付き合ってくれています。
いつか彼がむっくり起き上がって、「おはよう」と言ってくれる夢を私はまだ、見ているようです。
長くてすみませんでした。
>675
ネタなら、いいじゃない。
こんなこと、自分に起こったら私もどうしたらいいかわからない…。
677 :
病弱名無しさん:03/03/28 20:42 ID:YSZ7uNq1
よし
おれがかれしになってやる
678 :
ジョニーウォーカー:03/03/28 22:45 ID:SVpxBE8K
ここはニューヨーク。
石畳の敷き詰められた下町のバー。
そこでロックを飲みながら待ち合わせをしている
>>675。
ふと窓の外を見ると待ち合わせ相手の
>>674が見知らぬ
>>670に金を渡している。
「よ、遅くなったな」と酒場に入ってきた
>>674に、
>>675は
「さっき、話していた
>>670には植物人間の彼氏がいるんだろ?
そして君は治療費を渡した。
ハハハ、あれはいつもの手口なんだ。君は騙されたんだ、まあ僕もだけど。
彼女に植物人間の彼氏なんかいないんだよ」。
と言うと、
>>674は
「そうか・・(ここでロックをゆっくり一口)、彼女には植物人間の子彼氏はいないんだ・・・。
・・・・・・・よかった・・・。」
自分が書き込んだのを思い出して、来てみました。
ほんとにドラマみたいな出来事ですよ。でも事実ってそんなものだと思います。
ある意味、2ちゃんだから書けたと思います。
ネタと思ってくれた方、ありがとう。
世の中にたくさんあってはいけない話だと思います。
>678
正確に言うと、「植物人間」ではないです。言葉が足らなくてすいません。
それにもう確かに私は「彼女」とは言えないですよね。
彼を彼氏と呼んでもいけないと思います。
>679は670です。書き忘れました。
681 :
ジョニーウォーカー:03/03/28 23:57 ID:SVpxBE8K
>>678で茶化した責任を感じてマジレスするが
俺の嫁は今も原因不明の肝炎で入院してんだけど、俺は執拗に情報の開示を担当医に求めるよ。
どういう病気なのか?こういう症例はほかにあるのか?どういう検査をするのか?その検査でなにがわかるのか?
検査の結果を聞くことはもちろんのこと、「(検査の内容は)専門的なことだから素人にはわからない。」
と突っぱねられても理解できるまで聞く。それから今してる点滴はどういう効果があるのか。
そして、いつごろよくなって退院できるのか・・・。
愛する者の体のことだから、それこそ必死さ。
でも
>>670はなんで彼氏のからだのコトに無頓着なの?
>詳しいことはわからないのですが、いろんな後遺症があったみたいです。
>彼が言うには、日に日に皮膚の感覚がなくなっているんだそうです。
>身体も動かなくなっている。脳か脊椎をやられたんだ、と言っていました。
>彼の症状はやはり、悪化していきました。何でこんなことになるのか
>私にはさっぱりわからなかった。
もしかして、そんなものかぁって納得してんの?
聞いたことないよ。脳か脊髄に損傷を受けている人が、最初は意識がしっかりして
いろいろしゃべってたのが次第に植物状態になるなんて。
家族でないから医者はアンタには説明義務がないかもしれないがアンタ婚約者だろ?
医者の襟掴んででも病状を聞けよ。
泣くくらいなんてだれでもできんだよ。
病院からの帰りに単車を運転しながら涙で前が見えなくなって事故りかけたりもしたけど
嫁の「帰りは事故らないようにゆっくり帰ってね。」の一言を思い出して、止まって涙を拭うんだよ。
それからきめたのさ。
泣くんじゃなくて笑おうと。
俺が笑えば嫁もきっと笑うだろうと思ったからな。
>>670がネタでないならますますイライラします。
682 :
病弱名無しさん:03/03/29 02:58 ID:CoXoMkfa
お袋の兄貴(漏れの叔父)は、6才で亡くなった。
いつものように、近所のガキと木登りしてた柿の木から落ちて
動けなくなった、落ちただけなのに様子がおかしいと病院へ連れていったら
白血病だった。もう50年も前だから、当時は白血病の例すら少なくて
入院すると、エライ医者とその部下が集団で検診に来たそうだ。
次々と10何人もが、6才の叔父のお腹を触って検診する。
「冷たいから、お前ら触るな!」と医学生の手を払いのけて怒る小さな彼を
泣きながら見守るしかなかった婆ちゃん。
治療の方法すら余りなくて、最期は鼻血がずっとポタポタ止まらなくなった。
それで鼻から脱脂綿をずーっとつないで、ベッドの横の洗面器に
鼻血がたまるようにしたらしい。絵本で読んだのか「天使さまが見えるよ」
と最期の頃には、うわごとのように言ってたそうだ。
小学校に入学したばかりだった。ほとんど使われる事のなかった
ピカピカのランドセルを残して、亡くなった。享年6才。
叔父の写真は今も仏壇にあり、90才になった婆ちゃんが毎日拝んでいます。
>>681 ずっとずっと奥さんを愛し続けてください・゚・(ノД`)・゚・
基本的には良い医者ほど情報開示を拒まないものですよ。
納得できるまでほじくりかえして聞くべし聞くべし。
医者とも相性ってありますからね。
>最期は鼻血がずっとポタポタ止まらなくなった。
>それで鼻から脱脂綿をずーっとつないで、ベッドの横の洗面器に
>鼻血がたまるようにしたらしい。
つらいなあ。それを見る親の気持ちを思うと更に辛い。
子供が痛いおもいをするのはきついなあ。
それから・・・670〜673の彼女。
もし別の誰かを好きになっても自分を責めないようにね。
685 :
チビ:03/03/29 15:51 ID:HYuBYDJY
今日の朝、うちの猫が死んだ。
三ヶ月ほど前、あいつはうちに迷い込んできた。
ニャー、ニャー鳴いて、おれの後ろを付きまとってきたんだ。
元来、俺は猫が好きじゃない。犬に比べれば愛想も良くないし、
猫の鋭い目つきも好きじゃなかった。
でも、あいつは普通の猫とは違った。愛想を振り撒き、俺を見つけると
一目散で走ってついてくる、座ってるとひざの上にのっかってくる。
まるで、犬みたいな猫だったよ。
見た目にも、まだ小さくてさ。贔屓目抜きにしても、猫のえさのパッケージ
とかのモデルできるんじゃねーかってくらい、べっぴんさんな猫だったよ。
686 :
チビ:03/03/29 15:54 ID:HYuBYDJY
あまりにも、かわいくなってきちゃってさ。飼うつもりはなかったけど、
とりあえずえさを与えたわけ。
うちん家はさー、じいちゃんと、かあちゃんが動物嫌いだからさ、
「えさやって、居着いちゃったらどーすんの!」って反対されてさ。
けど「まあー、一回くらいえさやってもいいでしょ」って思ってさ。
それからさ、いつのまにかあいつはうちの猫になっちゃったワケ。
反対してた母ちゃんも「チビ、チビ」ってかわいがってさ。
じいちゃんも、最後まで反対してたんだけど、いつからか(反対してた手前もあって)
みんなに隠れて、煮干し与えたりしてかわいがってたみたい。
父ちゃんのかわいがり様っていったら異常だった。
もともと動物は好きみたいなんだけど、我が子の様にあいつを
かわいがってたよ。
あいつが来てから、我が家はあいつ中心の話題でよく盛りあがったりしてさ。
あいつは、いつからかうちの家族全員に愛されていたんだ。
687 :
チビ:03/03/29 16:09 ID:HYuBYDJY
昨日の晩からあいつは、居なくなってた。
「いつもの事で、まあまた戻ってくるでしょう」って楽観してた。
そして、今日の朝。
母ちゃんに、たたき起こされて「チビが前の道で、車に轢かれてるって
隣のおじさんが言ってる」って。
「はぁ?」おれは寝起きって事もあって話が良く飲み込めなかった。
とりあえず、母ちゃんと一緒に、見に行ったんだ。
遠目にも、何かが道端に死んで居る様に見えた。「まさかね」って。
でもさ、ピンクの首輪が見えた時、俺にはそれがチビだってことを
認識する以外になかった。
おれは、駆け寄って血だらけになった冷たいチビの体を抱き上げた。
688 :
出会いNO1:03/03/29 16:09 ID:9Fu9xuXy
689 :
チビ:03/03/29 16:16 ID:HYuBYDJY
不思議にその時は涙は出なかったよ。まだ理解できてなかったのかも。
家まで連れて帰って、ダンボールにチビを下ろした時、俺の手に残った
チビの赤い血を見たとき、涙は溢れ出したよ。
「チビが何でで死ななきゃなんないんだよ」って、
まるでだだっこのガキみたいに号泣した。
690 :
チビ:03/03/29 16:27 ID:HYuBYDJY
それから、しばらくしてチビの墓を庭に作ってやった。
じいちゃんが「寂しがりやな猫だから、うちに埋めてやろう」っていうし。
全て、終わらせて、自分の部屋に戻って携帯見たら、待ち受け画面で
俺が撮ってやったチビがまっすぐにこっち見てた。
それ見て、また泣いた。
今、やっと気持ちも落ち着いてきた。
けど、チビとの思いでを思い出しては涙ぐんでしまう。
父ちゃんは早朝から出張出掛けてまだチビが死んだ事を知らない。
さっき電話あって「チビ帰ってきた?」て母ちゃんに聞いたらしいけど、
「まだ」って答えてある。
車で出掛けてるから動揺して事故でもあったら困るからって。
691 :
チビ:03/03/29 16:39 ID:HYuBYDJY
あんなにチビをかわいがってたんだから父ちゃんは
帰って事実を知ったら激しく落ち込むのだろう。
しばらくは、うちの家族の気は晴れないんだろうな・・・。
チビ、ごめんな。昨日の晩テレビなんか見てないでお前を探しに行けば
良かったよ。一人で死んでった寂しがり屋なお前の気持ち考えると、
涙が止まらないよ。暖かくなったらシャンプーしてやるって言って
たのに、してやれなくてごめんな。本当に、ごめんな。ごめんな。
・・・・・・・・・今うちの家族はお前が居ない喪失感でいっぱいだよ。
板・スレ違い、長文、スイマソン。
692 :
病弱名無しさん:03/03/29 17:34 ID:0sGHH9B6
maa  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
. Å_Å
. (煤Lw`) γ γ
/(⌒~M~) γ
ノ | || ......................................
. く _,.(___)._) .::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::::........
~"''"""゛"゛""''・、 ...:::::;;;'' ';;;:::::.......
"”゛""''""“”゛゛""''' "j' ...::::;;;'' '';;;::::::.........
:::::ヘ :::::....ヽ :::;;;ノ ::( ....::::::;; '';;;::::::::::.......
:: ゝ :::::......ノ:;;../ ~~^^ ~~~~~^^^~ ~~^^~~~^ ~~~^^~~~~
693 :
病弱名無しさん:03/03/29 17:35 ID:0sGHH9B6
名スレだ
泣いた。
不謹慎かもしれないが死体が見つかっただけでもチビは幸せだったよ。
695 :
紳士:03/03/30 04:57 ID:ws7iG6Hf
697 :
病弱名無しさん:03/03/30 08:51 ID:P27R2Xmb
>>687 気持ちなんとなくだけど分かります。
うちの猫は老衰で死んだんですけど寂しがりやだったのか
自宅の居間で最後を迎えました。
仕事だったので最期は看取れなかったけど、
最後の夜は一緒に寝ました。
2年経った今でも携帯の待ち受け画面ですし、
”見掛けると一目散で走ってついてくる”
”座ってるとひざの上にのっかってくる”等、
687さんの文章で思い出して涙が出ました。
受け止める事が出来るまで時間は必要だけど、
大切な思い出に出来る日が来ると思いますよ。
698 :
病弱名無しさん:03/03/30 09:12 ID:1g/iyvOC
数ヶ月前に猫の死体が玄関前にあった。
小さな子猫で衰弱死だろう・・・。
私たち家族は、野良猫だと思って
海に捨てようとしたのだが、これもなにかの縁と思い
裏の山に埋葬した。
あれから数日後だった。
おなじ茶トラ猫が玄関前に横たわってる。
さすがに、誰かの嫌がらせではないかと
思っていたのだが、今度ばかりは違った。
かすかに息があった。
この前の猫は、こいつの兄弟ではないか・・・?
私達はそう思いながらえさをあげた・・・。
699 :
病弱名無しさん:03/03/30 09:16 ID:1g/iyvOC
現在はずいぶん体も太ってきた。
しかし、まだまだ子供で、無邪気に家の周りを走り回っている。
数ヶ月前のやせ細った体がウソのようだ。
父は、その猫のために家を作ってあげた
小さな木箱だった。
忙しい日々で何かを忘れていたのを
気付かせてくれた
我が家の猫・・・。
ペット板に逝け
他でもかいたけど…
「神様が<いいよ>というまで生きるのが人間の仕事なんだよ」
今は亡き祖母が子供の時の私に教えてくれた言葉です。
人生の要所要所でふとこの言葉を思い出し、それなりにまっすぐ
歩んでこれていると思っています。
702 :
3章7廃:03/03/31 01:02 ID:RYAk96Jp
昨日、
http://www.geocities.co.jp/Beautycare/8256/2002.5after.htmlに行ったんです。
そしたらなんか涙がめちゃくちゃいっぱい流れて止まらないんです。
で、よく見たらなんか「2002年5月後半闘病日記」、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
俺な、他人の闘病日記くらいで普段流してない涙流してんじゃねーよ、ボケが。
所詮他人だよ、赤の他人。
なんか文章が妙に明るいし。知り合いの妊娠告白を心から喜んでんの。せつねーな。
「左足の小指の壊死部分が落ちた。これで4本指だーヤクザだー」、
とか言ってるの。もう見てらんない。
お前な、とても苦しそうなのになんでそんなに強いんだと。
闘病日記ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
病院の同室の奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
医療ミスで主治医を訴えるとか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。
女子供なんだからもっと甘えてろ。
で、やっと落ち着いて読めるようになったと思ったら、
最後の行に5/22 20時17分 逝去、享年23歳とか書いてあるんです。
そこでまたボロ泣きですよ。
あのな、他人の死に涙するなんてのはきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
マヌケな顔して何が、嘘だろオイ、だ。
俺は本当に心から悲しんでるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間自分を問い詰めたい。
俺、薄幸の美少女に涙する自分に酔ってるだけちゃうんかと。
あまりのショックでボロボロの俺が今、自分の心の中での最新流行と言えばやっぱり、
ネタ扱い、これだね。
誰かが俺みたいな奴を釣るためにネタとして書いたことにする。これが理性の保ち方。
ネタ扱いってのは騙された悔しさがある。そん代わり哀しみが少なめ。これ。
で、さらに2chに「おまいらネタに騙されてやんの」とカキコ。これ最強。
しかしこれをすると彼女を愚弄しているという後ろめたさまで二重に伴う、隼の剣。
素人童貞の俺にはとても出来ない。
まあそんな俺ができることといったら、
せめて彼女の魂が安らかならんことを祈るだけだってこった。。・゚・(ノД`)・゚・
704 :
病弱名無しさん:03/03/31 11:10 ID:ZX+iZZDM
>せめて彼女の魂が安らかならんことを祈るだけだってこった。。・゚・(ノД`)・゚・
いいじゃないか、それで。
生きている人間が死んだ人間にできることはそれしかないのだから。
705 :
病弱名無しさん:03/03/31 12:07 ID:gPQDR5Zc
今はもう閉鎖になってるね。最期のページだけしか読めない。
「ネタだ!」とか言って2chから荒しが大挙して伝言板を荒したそうだ。
706 :
病弱名無しさん:03/03/31 13:42 ID:SSUuYqxD
オレには幼馴染の女の子がいた
小学校・中学校まで病気の為殆んど普通の学校に行けず
いつも院内学級で1人でいるせいか人付き合いが苦手でオレ以外友達は居なかった
彼女の体調がよく外泊許可中はいつもオレが普通の学校へ送り迎いをして彼女の体調の変化に対応するようになっていた
普通は親がやることだが家が隣同士で母親の職場が同じで家族ぐるみの付き合いをしていたので
彼女の母親はオレに絶対的な信頼を寄せていたんだと思う
(彼女の入院費を稼ぐ為に働いて彼女自身をおろそかにしなければならないと言う
矛盾した悲しい現実もあった)
オレはそんな信頼に答えるように幼いながらの正義感を持っていて
学校で茶化される事があったがそれは自分に与えられた責任が果たせていると言う確認でしかなかった
彼女は人工透析以外普通の学生生活を送ろうと懸命で体調さえよければ雨の日や雪が降るような寒い時でも
中学生とは思えない華奢な肩を震わせて学校に行った。
そんな彼女のがんばりで高校進学の出席日数は普通の学校と院内学級を合わせて何とか間に合って(実際は足りなかったが意欲有りで認められた)
オレが合格した高校の2次募集を受験して補欠ながら何とか合格して、いつもふさぎがちな彼女の表情は輝いていていた
これは高校合格だけでは無く、体調が安定してきて外泊許可が長くなったのもあると思う
彼女にとって今全てが動き始めた
707 :
病弱名無しさん:03/03/31 13:44 ID:SSUuYqxD
彼女の高校合格の日、両家合同でちょっとした合格パーティーが行われて
彼女の母親がオレの手を泣きながら握って何度も何度もお礼をして
オレは苦笑いするしかなく彼女も恥ずかしそうに笑っていた
そこまで感謝されているのは嬉しかったが微妙な違和感があった。
彼女が寝付いた後話を聞いたら
彼女の病気は内臓、とりわけ腎臓が殆んど機能しておらず
医者からは10歳まで生きられないと言われていたと言うのだ
腎臓に障害があるのは話や人工透析中の様子を見てきたから既に知っていたが寿命の事は知らなかった
入学までの約1ヶ月間毎日のように2人で過ごして、ごく普通の生活
ごく普通の時間を過ごしていて、いっしょにテレビを見ていても彼女は幸せそうだった
考えてみればこんな時間の過ごし方は数ヶ月前ではとても考えられない
彼女にとっては病室で1人で過ごすのが普通なのだから
それに気が付いた日俺は泣いた、彼女にとっての日常が病院で1人きりで非日常が家。
しかも、家に帰っても家族は誰も居ない入院費を稼ぐ為に
この頃からオレは責任から義務へ彼女を絶対に守ると決意したと思う
>>646 がんがってホシイ。
私は肺がんじゃないけど同じくホスピタルで過ごす身だよ。
私は若年性痴呆で、あと一年くらいで自意識がなくなるらしい。
ある意味死と同じかもしれない。
痛くっても悲しくても自分らしく最後まで生きてください。
私は常に明日の自分は今日の自分と繋がってるんだろうかっていつも不安です。
今日感動しても明日はその感動を覚えていられる保証はない。
だから辛いっす。
まだまだ命は長いのに、親不孝にも程がある〜。
私が完全にボケて訳わからんくなったら、親もこんな娘がいたという部分のみボケてほしいと思う今日この頃。
709 :
病弱名無しさん:03/03/31 23:13 ID:hf6ola3R
>708
あんたも、しっかりな。
710 :
病弱名無しさん:03/04/01 00:25 ID:4DtB6qA7
ここを読んで少し羨ましく思う方々がいました。
親族の方が末期癌で亡くなっている方が何人かいるようで。。。
私も父を末期癌で亡くしました。
中には亡くなる数分前などに言葉を交わされた方もいるんですね。
私の父の場合あまりの痛みで痛み止めを使っていたせいか亡くなる一ヶ月前あたりから肌に感触もない、
起き上がることもできない、もちろん言葉を交わすこともできなくなってしまっていました。。。
最後は言葉を交わすのではなく、私が「お父さんの分までがんばるから。18年間今までありがとう」
と、一方的に伝えることしかできませんでした。。。
だから私は前の方々がすごく羨ましいです。
最後に聞いた声ってあまりの痛みに上の空な状態で呻いている声しか聞けませんでした。。。
711 :
優しい名無しさん:03/04/01 02:46 ID:FEz59SAy
ここの話には感動したが・・・やっぱり自殺しまつ・・
712 :
病弱名無しさん:03/04/01 05:01 ID:z9Vr4xhp
私も父を18歳の時亡くしました。末期癌。10ヵ月間ずっと父は頑張ってた。
癌と知らせてないから「退院したら○○行くぞ」「早く退院するぞ」とか言うのを聞くのが辛くて耐えられなかった。 母と二人でいつも泣いてた。
父は歩いてたら急に容態が急変し、私が着いた時には話もできず体もおかしくなり、白目むいて一生懸命呼吸してた。その僅か7時間後に亡くなりました…。お父さんにもう一度でいいから会いたい…。
713 :
病弱名無しさん:03/04/01 07:41 ID:RIu4FuSR
>>711 ”君が死んでも世界は変わらない。
でも、君が生きていれば世界はきっと変わっていく。”
714 :
病弱名無しさん:03/04/01 09:39 ID:lLMTglWq
716 :
病弱名無しさん:03/04/02 07:40 ID:tvY3Pq5b
このスレいいですね。
なので、自分のことですが書きます。
うちの母は結構太ってます。小さい頃は嫌でした。
俺とお姉を生んだらおなかに脂肪のようなものが残ったって言ってました。
それが嫌で嫌で仕方なかったです。
なので、いつもおかんに"ダイエットしてーな、感じ悪いわぁ"って言ってました。
参観日とかも"他のおかんは綺麗やのにうちのおかんはでぶやもんなぁ"って。
それからもう10年ぐらい立ちます。
お姉が結婚し、子供が生まれました、最近。
うれしく思っていたらふと思いました。
"そういや俺もそうやってうまれたんや"って。
"そうやっておかんがおなか痛めて生んでくれたんや"って。
ごめんなさい、おかあさん。あんな無茶なわがままばっかり言って。
今思うとほんと酷いことを言ってました。
"あんたらがいるからおかんは元気なんや!"っていつも言ってました。
ありがとう。ほんまごめんな。
この年になってやっとありがたみがわかりました。
この先、盆や正月くらいしか家に帰れへんけど許してや。
俺も頑張るからおかんも新しい職場で頑張ってや。
スレ違いならスマソ。
717 :
病弱名無しさん:03/04/02 08:42 ID:M4cuGLx1
しかしそんな決意も脆くも崩れ去った
いつも通りいっしょにテレビを見てトランプで遊んで、お昼に病院から宅配された
ごはんを食べていたら彼女は嘔吐し気絶してしまった
救急車が来るまで洋服や口の周りを拭いてソファーに移動させようと抱きかかえたが
驚愕した軽い軽すぎる、まるで内蔵の無い人間を抱きかかえているようだった
結局彼女はそのまま入院し高校は休学した
彼女の日常に戻っていく
今までの入院中の面会は4日に1回程度で人工透析のある日は行かなかった
でも、あのころは毎日のように彼女の病室を訪ねて人工透析後の虚脱感で彼女が寝ていても
面会時間いっぱいまで本を読んだり勉強をして過ごしていた
透析が無い日は学校の話・友達の話・テレビの話どうでもいい話を面会時間ぎりぎりまで話して
本が欲しいと言えば直ぐ買ってきて、大きめの鏡が欲しいと言えば1番高い物を持って行き
彼女の日常が、無邪気な笑顔が充実するように努めた
そんなある日、日曜日に面会に行こうとしたら彼女の両親からいっしょに行こうと電話があり
彼女の要望のクシを購入して行った。クシの入った可愛らしい袋はちょっと恥ずかしかったので
彼女のお母さんに持ってもらい病院に行った。彼女の両親は担当医に挨拶をすると言い
オレは先に彼女の病室に歩き出した。しかし、クシの事を思い出し彼女の両親が入っていった
部屋に行き様子を伺おうと少し開いているドアから覗き込むと上気した感じで担当医と話していて
その内容が聞き取れた
「あと、半年の命です」
718 :
病弱名無しさん:03/04/02 08:44 ID:M4cuGLx1
中に居た看護婦さんが泣き声に気が付いてオレを中に入れて椅子に座らせてくれた
担当医から告げられる言葉は全てが虚しく何を喋っていたのか余り覚えていない覚えているのは
「半年の命、先天性腎機能障害・移植は合う人が居ない・人工透析の副作用・入院中の吐血
人間として迎えさせる」
担当医の話が終わり彼女の母はショックが大きくとても今日は会えないと言い
クシの入った袋を渡して帰っていった
オレも今自分の顔がどんな表情をしているか分かるから、彼女に絶対悟られたくないから
数時間気持ちを落ち着けてから彼女の病室に向かった
病室に入ると彼女は無邪気な満面の笑みで迎えてくれて、クシに気が付くと更に笑顔を輝かせていた
室内は夕焼けのオレンジで溢れていてオレは死をイメージしてしまい目が熱くなるのを感じて
クシを渡し棚の上にある鏡を渡して窓際に移動して顔を背けながら話した
流石にずっと背を向けて喋ると悟られそうで無理して振り向くと彼女はクシで髪形を7・3にしたり9・1にしたり
髪で遊ぶのに夢中で少しほっとした。
彼女の枕元を見ると参考書が置いてあり色々書き込みがされていて、聞くと
「時間いっぱいあるし、復学したらテストでトップを取るんだ」と照れくさそうに笑っていた
それから少し喋ると直ぐに面会時間になり帰った
夕焼けが町を包む、彼女の黄昏
「時間いっぱいあるし・・・」
719 :
病弱名無しさん:03/04/02 14:52 ID:oj9am/oa
この間おばあちゃんが亡くなりました。
ずっと入院はしていたのですが口はまだまだ達者でした
最近は母が病院につきっきりでほとんど家にいませんでした
病院は家から遠く私は2ヶ月ほどばあちゃんのとこへお見舞いに行けず
じまいだったのですが高校が推薦入試で休みだったのでその日一日母の
代わりに病院に行くことになりました
とてもわがままな祖母でしたのであれが食べたい、これが食べたいと言って
一時間に一回は売店に行かされました
祖母はだいぶ不安だったようで時々涙をこぼしながら
あと何日生きられるのか・・・などとつぶやいていました
もう、うるさいなあと私は軽く流していたんですが
本当のことになってしまいました。その日は何事もなかったのですが
それから4日たった日、病院から電話があって私は学校を早退して
家族と病院に向かいました
720 :
病弱名無しさん:03/04/02 15:17 ID:oj9am/oa
祖母は呼吸困難になり呼吸器をとりつけられていました
私はそのときは状況がよくわからず、それから進展もないので
その日は父が泊まり私達は帰ることにしたのですが
ばあちゃんはあと一ヶ月ももたない、と聞いたときは
涙があふれました。意識を戻すこともできないそうで
延命治療も効果は期待できない、と説明を受けたそうです
その日はずっと泣いていてそれからもしばらく眠れない日が
続きました。祖母と最後に交わした言葉がじゃあね、ばいばい
でした。それから2週間ほどして祖母は亡くなりました
ずっと眠っていたのに祖母は自分が亡くなったことをわかって
いるのでしょうか
よくドラマなどで死に目に何か一言残して死んでいくってゆうのが
ありますが現実はそんな生やさしいものではないなとつくづく
感じました。祖母あの世で楽しく過ごしていることを思うばかりです
718さん
すみません。メモかなにかに書いて一気にアップして頂けないでしょうか…
ひやかしとかじゃなくって、すごく気になっているんです。
私の父親の事を聞いて下さい。
10年くらい前に過労により心臓を痛めてしまって、入院&手術をしたんです。
手術は無事に終了し、その後、身障者という看板を背負いながらも私を大学院へと
進学させてくれました。
それで、東京の大学院在学中に付き合っている彼女
(結婚を前提で、卒業後結婚する約束をしていた彼女。遠距離恋愛である。)
と話し合いの結果、若い間に子供が欲しいということで、子供を作りました。
最近流行のできちゃった結婚ではありません。計画的な子供です。
話が逸れましたが、大学生活最後の卒業式には両親に出席してもらおうと思い、
山口県に住んでいる両親を東京へと呼びました。そして、彼女の両親と顔あわせをさせようと思い
青森県に住んでいる彼女の両親も東京に呼んだんです。
山口県と青森県。東京はその中間にあり、この時しか無いと思ったわけです。
そして、卒業式も無事終わり、その日の夜、自分の両親と彼女の両親のために宴会の席を
設けました。
「いつにも無くお酒が美味しかった。」
父の言葉が印象的でした。
翌日、天気は雨。
自分の両親の宿泊しているホテルから電話がありました。
電話は母からでしたが、どうも父の様子がおかしいという内容でした。
話しによれば、左半身の感覚がだんだんと無くなっているとの事。
車を飛ばしてホテルまで行き、父に会いました。幸い意識はハッキリしていたので
状況を伺うと、頭が痛くて、だんだんと左手、左足が動かなくなっていくとのこと。
すぐさま救急車を呼ぼうと思いましたが、最初に触れた心臓の件もあるので、
身障者という事情を知らない病院に搬送、入院、手術となるとリスクがあります。
また、母のことを考えると山口から遠く離れた東京の病院に入院させるわけにも行きません。
それで、私はいちかばちかの掛けに出ました。
すぐに東京駅から新幹線に乗せて、心臓病の主治医のいる病院に入院させる事にしたのです。
東京駅まで車を飛ばして、新幹線の予約を、すぐに乗れて一番早い便へと変更してもらいました。
その間、父の左半身の症状は悪化する一方でした。
意識がハッキリしていること、そして頭痛が納まりつつある事がせめてもの救いでした。
もっとも、そこに私は望みを託した訳ですが。
新幹線に乗せると、あと私には何もできる事がありません。
出きることと言えば、山口県内に就職した兄に電話をすることと、
意識のあるうちに病院までたどり着いてもらいたいと願うだけでした。
当時、新幹線で広島駅までは約3時間30分。
母親には凄く長く感じられたことでしょう。
私も東京駅から自宅への道のりは非常に長く感じました。
自宅について、しばらくすると兄から電話がありました。
今、父が病院についた。意識はハッキリしているとの事でした。
すぐさま緊急検査、緊急手術、緊急入院となりました。
病状は脳内出血。無事に手術は終わりました。
わずかでも出血部位がずれていると意識がなくなり死に至る可能性があったと知らされました。
また、心臓病で投与されている薬を把握していない人が手術をすることは危険だ。
ここで手術をしたのは正解だ。と言われました。
しかし、左半身はリハビリを続ければなんとか少しは動くようになるかもしれないが
それなりの覚悟は必要と言われました。
翌日(父が倒れてから2日目)、私は予定通り入籍を済ませ、意識の戻った父に
一言、入籍した旨を伝えました。
天国と地獄を同時に見たような一日から3ヶ月がたち、青森にいる妻から女の子が産まれたとの
連絡を受けました。
しかし、先天性心臓病だと診断され、手術をしないと半年も生きられないといわれました。
もちろん手術をする事を決め、東京の有名な病院に転院しました。
例の事件(事故)が起きたのは、丁度入院しているころです。
何とか無事に一回目の手術は成功しました。
しかし病気の部位が父の心臓病と似たところだったので、父にはこの事を話せませんでした。
最初の年末年始を迎えて、家族を連れて実家(山口)に帰ったときのことです。
丁度ニュースで例の病院の件が放送されました。
父は娘がその病院で手術を受けたと知らないのであれこれ言っていましたが、
私は頷くことしかできませんでした。
今でも父に娘の件を話す事ができません。親に隠し事をする親不孝な息子をお許しください。
全て実話です。
726 :
病弱名無しさん:03/04/03 14:22 ID:Pr7g15tg
>>718 僕も続きが気になります。早急に書いてください。
727 :
病弱名無しさん:03/04/03 16:38 ID:luOSudcm
>>725 すんません、例の事件ってのが分かりません。
家に帰ると彼女の両親がオレの両親に病状を話していた
彼女の両親はとても落ち着いていて、オレの両親が泣きじゃくっていて逆に励まされていた
オレはムカついて冷蔵庫から牛乳を取り出し一気に飲み干してそのまま寝た
次の日から彼女の母は勤務日数を減らして1日中病院に居る日が多くなり
オレがムカついていたことは馬鹿だと思った
元々医者から10歳までしか生きられないと聞かされていた彼女の両親はとうの昔に覚悟を決めていたんだろうと
しかし、両親が見舞いに来る日が多すぎて流石に悟られてしまうと担当医から注意を受けていた
今日も面会に行くと笑顔で迎えてくれた
学校の話・テレビの話・仕入れた面白い話をひと通り話して久しぶりに勉強を教えようと
大量の本がある棚から彼女のノートと参考書を取り出して何処まで進めたのかノートを見た
しかしそこには勉強の跡は無く、日記が書かれていた。その後直ぐに彼女に取り上げられて
内容は余り覚えていないが1日分の日記が1ページ程使って書かれていた。
「まだ、見ちゃ駄目」
日記を書くと考えがまとまって、気分がいいらしい
その事を褒めてあげていると急に彼女の顔が苦痛に歪んで胸を押さえた
何かまずい事を言ったのかと思ったがそれは違い、急いでナースコールを押して看護婦さんを呼んだ
直ぐに安定したが看護婦さんに呼ばれ別室で話を聞いた
腎臓障害が心臓に影響しはじめて不整脈が起こりやすい事、もう時間が無い事
人間として最後を迎えさせる事
オレは忘れてはいなかったが、あえて考えないようにしていたのかもしれない
彼女の時間が迫っていることを
その後面会謝絶になり、2日程逢えなかったが直ぐに逢えるようになった
オレはいつも通り毎日学校帰りに面会に行った、彼女の無邪気な笑顔を作る為に
ノックをすると返事がある、今日も大丈夫だ
ドアを開けると黄昏に染まった病室でオレに背を向けて夕焼けに染まった町を眺めていた
その横に静かに座りオレも黙って見ていた、窓に反射している彼女の顔を
彼女もそれに気が付いたのか照れくさそうに笑って話し出した
「いつも来てくれてありがとう。もう大丈夫だから」
ひっかかる事があったが気にするなと言って、窓に反射している彼女の顔を見つめた
ふと、部屋の中を見渡すと本棚にあった大量の本が数冊を残して空っぽになっていた
聞くと、片付ける時お母さんが可愛そうだと笑って言った
彼女はいつもの無邪気な笑顔では無く、悟った様なやさしい笑顔だった
不意に目が熱くなり、トイレに行って来ると言い訳してその場を離れようとすると
彼女の母親と入れ違いになりオレは顔を隠すように軽く会釈をして出て行った
病室から彼女のビックリしたような声が聞こえる、どうやら外泊許可が下りたようだ
どんな顔で喜んでいるのか見たかったが既に逢えるような顔ではなかった
日記を書くと考えがまとまって、気分がいいらしい
「いつも来てくれてありがとう。もう大丈夫だから」
整理された本棚
悟った様なやさしい笑顔
彼女は既に知っている、もう時間が無いことを
最後の外泊許可で帰ってきた日は両家で食事会が開かれた
食事制限が厳しいながらも母親たちが、がんばって作った料理が食卓に並ぶ
誰かがちょっとでも予感させる事を言えばその場で食卓は凍りつく。そんな雰囲気で
会話は交わされていた。普通の話でも大げさに笑いリアクションも大げさだった
オレも嫌いではない胡麻和えを嫌いと言い、話を盛り上げようとがんばった
彼女を見ると両親たちに向けてまた無邪気な笑顔で笑っていた
両親たちとオレに向ける笑顔を使い分けて
問題なく食事会は終わり帰ろうとすると彼女に呼び止められお礼を言われた
「付き合ってくれてありがとう。」
意味は分かっている
7月に余命を宣告されて今は12月
最後の外泊許可を貰った彼女に会いに行く。
病室で見る笑顔より輝いていたのがすぐにわかった
外泊許可を貰っても免疫力の落ちた彼女を人ごみに連れて行く訳にはいけないので
近くの森林公園に行くことが多かった、森林公園と言っても中にはちょっとした博物館や美術館があるのだ
16歳の普通の女の子なら退屈で悪態をつかれそうだが、何も知らない彼女はニコニコして楽しそうにしていた
今日の彼女はよく喋った、幼稚園の頃の話・2人で行った映画の話・体調の安定していた頃の通学中の話
オレは何となく覚えているが彼女は細かく詳細に覚えていて驚かせる
不意に黙った彼女を見ると、白すぎる頬を赤らめ目に涙を貯めてオレに感情を爆発させた
「まだ死にたくない」
オレはたまらずゾッとするほど華奢な彼女を抱きしめた
何て言えばいいのか馬鹿なオレには分からずただ抱きしめてキスをした
「ありがとう」
長期外泊許可が終わった今日、彼女は帰っていく
その後、彼女の体調は緊張の糸が切れたように日に日に状態が悪くなる一方だった
今彼女の覚醒時間は短い、あらゆる激痛が彼女を襲いそれを和らげる為にモルヒネが使われているのだ
ちょっとした風邪でも肺炎に進行し後が無い、感染症・合併症・言葉で表すのは簡単だが現実は想像をぜっする
念入りに消毒して黄昏さえない彼女の無菌室に行く、彼女の顔は浮腫んでやっと高校生らしい感じになっていた
荒い息使いで額にうっすら汗が出ていて透明なビニールのカーテンを開けて拭いてあげる
不意に彼女は目を開け笑顔にならない表情を見せまた眠りについた
その日の夜、病院から電話があった
彼女が移された病室には今まで見たことのない親戚と無数の機械、枕元には彼女の両親が立っていた
彼女は虚ろな目で来てくれた人にお礼をしていてた
モニターを見ていた医者に促された彼女の両親は、オレを枕元に手招きする
彼女の手を握って話す、痛みは?苦しくない?寒くない?ゆっくり話した。
彼女は後で日記を見てねと言って、日記を出して穏やかな笑顔を見せた
「私、がんばったよね?」
「ああ」
彼女は早朝に亡くなった
アルコールのニオイがする彼女の日記には色々な事が書いてあった。
オレが話した学校の話・友達の話・テレビの話どうでもいい話、その時のオレの表情
まるで、書きもれるのを恐れている様に細かく書いてあった。
2ページ程の空白あと、彼女の感情がぶつけられていた。
文字にならない文字で吐血の事・胸の痛みの事、既に文字ではなかったが彼女の気持ちが分かる
夜中の病室で1人、孤独と不安と戦っていたんだろう
その後何事も無かったように最後の外泊許可の日々まで書かれていた
そして最後のページには1文だけ書かれて終わっていた
「今日キスをした、もう怖くない・・・愛してます」
※未だに彼女のこと自分の感情を整理出来ずにいたため、書いてみました。
※7日から新学期が始まるのに情けないです
※長文・読みづらくてすみません。
735 :
病弱名無しさん:03/04/03 23:13 ID:bKp3KQHe
彼女は精一杯生きたさ、おまえはやれることをやったさ。
それでいい。
736 :
病弱名無しさん:03/04/03 23:21 ID:UbAxYwim
バイト先の店長の話です。
店長は在日中国人でレストランバーを経営しています。
顔は怖いけどいつも明るく、子どもをそのまま大人にしたような
ひとでした。
そんな店長の父親が1ヶ月の入院の後、癌でなくなりました。
店長は末っ子で父親にとても可愛がられていたようでした。その話をよく聞いて
いたのできっと店長は物凄い悲しみに打ちひしがれているのだろうと
思っていました。
しかし店長は3日後には店に出勤してきました。
いつも通りの明るい店長でした。気丈に振舞っているのだと思いました。
それから一ヶ月が過ぎた頃私は店長に尋ねました。
「僕もいい年になってきたけど、絶対親の死なんて受け入れられそうに
ないです。年齢なんか関係ないのかも知れないですけど・・・。店長は
凄いですよね。いつも通りに明るく振舞って」
続く
737 :
病弱名無しさん:03/04/03 23:34 ID:UbAxYwim
736の続き
すると店長がいつもとは違う少し悲しそうな顔で言いました。
「親父の葬式時に俺はずっとビデオを撮ってたんだ。葬式の様子や
きてくれた人達を。そしたら親戚の1人が俺に言ってきたんだ。「お前、
自分の父親の葬式なのによくビデオなんかまわせるな」って。確かに
おかしいのしれないけど、なんか実感がなくて。涙も出なかった。
でもいつか、もっと時間が経って、そのビデオをゆっくり見ることが
出来たら、俺は1人で泣きたい」
私はそれを聞いて「あぁ、この人は男だな」と思いました。
738 :
病弱名無しさん:03/04/03 23:49 ID:Co3ms9aN
運命と云うのが厳然と横たわっていて
それを前にして必死になっているあなたがたに
人生、家族、愛 真に大切な事を教わった。
ありがとう。
どういたしまして。
740 :
火星人:03/04/04 00:49 ID:RgfoXakE
ハンカチ用意すればよかった。。。袖が濡れちまった・・・
ここに出てくる人ってみんな大切に思われてる人だよな!
俺も死ぬ前にそんな風に思われてみたいなぁ〜
いつかこのスレに俺が登場しないかなw
741 :
病弱名無しさん:03/04/04 01:27 ID:MNaVHDLq
ああ今日も泣いた。
>>740 登場するときにはつらーい悲しみや苦しみを乗り越えてるってことさ。
大変なことだよ。
漏れはそういう悲しみまだ体験してないから怖い。
742 :
病弱名無しさん:03/04/04 01:32 ID:ET02uUgs
おやじが亡くなったのは、オレが大学受験を控えた12月でした。
それまでの三年間、おやじは入退院を繰り返していて、会社も辞めて。
おふくろが旅館に賄いで勤めてそれで我家はなんとか持ちこたえていました。
そんな親を見ていて、高校でたら働こうと思っていたら、おやじが、気にするなお前を大学出してやれるだけの
蓄えはあるから国立落ちても私立に行って、大学は出ろと言ってくれました。
国立大の推薦試験が12月にありました、その試験を受けるのに仙台に一泊することになり
その夜、いえに電話でおやじの容態を聞きました。
おふくろは、今日はいいみたいでお前の事を心配していたって言ってました。
その時、おやじは亡くなっていたそうです。
あとで、おふくろになんで教えてくれなかったって酷く当たると、父さんが最後まで
お前には絶対に教えるなってそういったから。
声も出ませんでした。
おやじをうちに連れて帰る車の中で、何度も何度も冷たくなったおやじの手を握り締めて泣きました。
推薦が通って、大学に進学して、そして就職して。
いま、自分に子供が出来て・・・・。
おやじのオレに対する思いを感じました。
自分に愛する者が出来て、おやじのオレに対する思いを感じました。
ありがとう、今年もまたおやじの墓前に子供をつれてお参りします。
>>733 すげえ大事なひとを失ってしまったんだ。
無理に感情を整理しなくてもいいんだよ。
全然情けなくなんかないよ。
あなたみたいないい男に愛された彼女はいい女だったろうし
しあわせだったと思うよ。ガンガレ!!
744
仮にそうだとしてもあんたのほうがウゼエ。 春だなあ…
746 :
病弱名無しさん:03/04/04 07:08 ID:FoSbReWF
>>722 大人ですね。 あなたを含めたご家族の幸せをお祈り致します。
747 :
病弱名無しさん:03/04/04 10:53 ID:N7gRpMBo
>>744 加奈って?
ググってみたら・・・エロゲーが出てきたんですけど。
でも、良い話だな。
748 :
病弱名無しさん:03/04/04 11:41 ID:b91fk9EE
いや、悲しい話だよ。
>>733は最後に彼女に死ぬ勇気を与えたとはいえ、やはり悲しい話だ。
749 :
病弱名無しさん:03/04/04 15:25 ID:DC1zmO6Y
四年前に死んだ親父の形見、財布に入れて肌身離さないようにしてる
重度のアル中だった親父。死ぬ直前に正気に戻った時期があったらしく
ミミズが這ってるとしか思えない字で漏れに書き残したメモだった。
葬式が終わって、母親が遺品を全部燃やそうとしてたのね
そのころは漏れもあんなクソ親父の遺品なんざいらねぇと思い
遺品の数々をまとめてる時に見つけたメモ。
あのころの親父が字を書けたという事実よりも、アルコールで
脳みそグデングデンになってもなお子供の将来を案じてたのかと思うと、
じゃあ酒飲むなよ、となんだかものすごく歯痒かった。
正直死んだ時は「やっと死んだ…」なんて気持ちだったけど
今は酒を飲むしか逃げ道が無かったのかな、なんて考えも浮かぶ。
やっぱアレね、親孝行 したい時には 親は無し ってのは
良く言ったもんですね。一昨日が命日だったんで、山のてっぺんまで
墓参りしてきますた。生前から雨男だったんで、命日は四年連続雨とか。
まぁ数ヶ月前に財布ごと落としてもーたっつー話・・・泣きそうでつ
751 :
病弱名無しさん:03/04/04 21:16 ID:AuOxhqvf
>>73さん
>>75さん
>>164=166さん
>>392さん
>>702さん(気づいた範囲)
その他の,さとみさんのHPが見れなくなっちゃって残念という方々へ
今日,偶然2ちゃんでこのスレを見つけて一日中泣いてたものです。
ぐぐるのキャッシュもなくなってしまったさとみさんの闘病日記をほとんど
見られる(かな?)方法を見つけてしまいました。
なんとか一枚だけ残ってた最期のページをたより偶然見つけてしまって。
ブラクラやネタじゃないことを証明するために,直リンではなくて見る方法を
以下に。
で,見る方法ですが,
>>165さんが紹介されている,
http://webdev.archive.org/ を利用します。
ここに,まだのこってる最期のページにある,闘病日記の目次へのリンクを
入力(コピペでもたぶんOK)してみてください。最期のページはこのスレの中に,
目次へのリンクは,最期のページを探せばみつかるはずです。(つづく)
(つづき)
そこから闘病日記の目次がWebに存在していた時期が表示されて,
闘病日記の目次にリンクが!
そこから,さとみさんのHP(キャッシュ?)のほぼ全体にアクセスできると思います。
(掲示板はむりっぽい)
わたしも,まだ読んでる途中ですが,いまのところ,正攻法で表示できない
ページはほとんど見れてます。
わたしは,彼女が死ぬ前日に,Coccoの風化風葬を聴いていたというのを
読んで,・゜・(ノД`)・゜・。
でも,これ載せることで,残ってる最期のページとかもつぶされたり削除
されたりしたらやだなあ。
長文スマソ。
754 :
病弱名無しさん:03/04/05 23:07 ID:Mnb6TuZE
見れた、、、でも読むのが悲しい。
俺にできることは骨髄バンクへの登録か。
755 :
753:03/04/06 03:12 ID:7+RwpUcg
追加れす
753です。通信環境が貧弱なんで切断されてID変わってるかもしれません
けど。
やっぱ掲示板以外でもこの方法でもそのままでは見れないところ
もあるみたいです。でも,ちょっと工夫すれば見れるようです。(見れました)
たしかに,読むのが悲しいというの,わかります。自分で見つけて書いて
おいてなんですが,どうしても読んでみたい,もう一度読みたい,という
ような人にしかお勧めしません。
軽い気持ちでは読めないです。ヘビーです。
756 :
病弱名無しさん:03/04/06 09:28 ID:zfmLheFc
本人が明るく振舞ってるだけに気の毒でならない。
757 :
病弱名無しさん:03/04/06 11:09 ID:RDu0WiIh
お前らって悲劇のヒロイン演じてるだけだろw
ボケッ !
ヒロインつーのは女なんだよ。男はヒーローてんだ。
こんな簡単な英語も知らないお子様にはわからんだろうが、
みんなつらい現実をいくつも背負ってるのよ。
だから共感できるのよ。
759 :
病弱名無しさん:03/04/06 12:03 ID:RDu0WiIh
あ〜あたし達って
何て不幸なのかしら(ゲラ
age
758
こゆヤシはスルー。それが一番
762 :
病弱名無しさん:03/04/06 23:18 ID:edXefORu
最初のほう読んだけど、毎日毎日、嘔吐と痛みじゃないか。
21年ぶりに会った母親から金せびられ、ドナーからは向こうの都合なのか骨髄提供を拒否されてる。
あまりにも辛すぎる。
今となっては彼女の魂が安らかでることを願うばかりだ。
763 :
病弱名無しさん:03/04/09 01:16 ID:X1H0PA4y
同意。
加えて、
ここで話された人たちの、
彼ら、彼女らの魂が安らかであることを願う。
さとみさんのHP大体全部読めました。
>>752さんありがとう。
私も看護師だったので、事細かにかかれている内容は痛いほど分かりました。
いや、軽軽しくそんなこといえないのですが・・・。
ひとつ年上の新婚さんが早くして亡くなってしまったことを思い出して
泣いてしまいました。
やっぱり、普通に、平凡でも健康に生きていられるのって幸せなんだと思います。
戦争が始まってしまう世の中の普通って、よく分からないけど
生きたくても生きられない人を看取ってきてそう思いました。
あの時 手をギューっと握ってくれてありがとう。
辛い治療頑張りましたね。これからはゆっくり休めるね。
逆に励まされて私の毎日がありました。
あなたの力になれなくてごめんなさい。
あの時さすってくれたおなかの赤ちゃんはもう2歳です。
あなたの亡くなった頃に咲く花が今年も咲きますね。
765 :
体育会系中年男:03/04/09 03:02 ID:B76vFPem
高速道路の料金所に勤める人が、ラジオに投稿した話より
料金所のブースで待機していると、1台の軽ワゴン車が
入って来た。運転しているのは70過ぎのお爺さんで、
助手席には誰かの遺影と思われる写真が。幸いなことに、
後続車が途切れていたので、私は思い切って、
『失礼ですが、どなたのお写真ですか?』
と尋ねてみた。すると、そのお爺さんは答えられた。
『ワシの家内ですわ! 長患いの末、77歳のワシを
残して、72歳で逝きましたんや! 入院中から、
“元気になったら、京都や琵琶湖に行きたいわ!”
なんて言うてましたんやけど、あかんかってな…
それで、49日も済んだし、今から京都と琵琶湖に
連れて行ってやりますねん!』
僅か20秒足らずの出来事であったが、私は大きく心を
打たれた。私は今年63歳になり、妻は還暦を迎えるが、
これからも2人で手を取り合って生きて行こうと思う。
この話を聞きながら、自分は不覚にも目頭が熱くなった。
今から13年前、自分を婚約者が肝臓ガンで亡くした。
元気であれば今年38歳、中学生か小学校高学年前後の
子供の母親になっていた筈である。自分は今年40歳に
なるが、今だ独りである。彼女の死後、何度も見合いの
話は来たのだが、全て断って来た。好きになった女性も
何人か居た。しかし、結婚まで話が進んだことは無い。
未練がましいと言われれば、そうかも知れないのだが、
最期まで自分のことを愛し続けてくれていた彼女のため、
自分は独りを貫き続けている。そんな自分であるから、
そのお爺さんの気持ちは痛いほど分かる。
桜の花が散り、初夏の気配が感じられるようになる頃、
彼女の38回目の誕生がやって来る。
766 :
病弱名無しさん:03/04/09 04:55 ID:FofqTM8O
共に白髪が生えるまで…って言葉をふと思い出したよ。
俺がまだ高校生の頃、母親が子宮筋腫で入院したことがあった。
アスファルトに真夏の熱気が照り返してそれは熱い夏だった。
けど俺と親父は毎日毎日病院に見舞いに行った。
親父は仕事を終えた足でまっすぐスーパーカブに乗って病院に行くのだ。
行ってなにを言うわけでもなく、ただ毎日通った。
いつも威張ってて美容師の母をねぎらうでもなく、酒を飲んでは大声で怒鳴る親父。
決して仲がいい夫婦じゃなかった筈なのに。
もう親父が死んで10年になる。 自慢げに口笛を吹く親父、カブに乗って見舞いに
行った親父、なんとなく思い出してしまった。
767 :
病弱名無しさん:03/04/09 21:49 ID:AgG/iHmS
>>733よ、君の彼女は全ての苦しみから解き放たれ安らかに眠っている。
だから君も思い煩うな。 君に「葉っぱのフレディ」という絵本を読んで欲しい。
そして、病の床にあり死を覚悟している人にも。
本当に泣けるスレだったんだ…
まじ泣きなんて久しぶりにしてしまいました
今、自分の傍に居てくれる人たちを大切にしたいと思います
ここ覗いてよかったよ、ありがとう
769 :
病弱名無しさん:03/04/13 15:23 ID:ZKMPuBKj
age
770 :
病弱名無しさん:03/04/15 00:46 ID:7T7WrZsN
1年半ぐらい前、3つ上の姉に二人目の子どもが出来たんです。
ウチの親は生まれるまで性別を聞きたくない、と言っていて
私は遠くに住んでいることもあり、親と同様に生まれるまで知りませんでした。
出産の次の日の夜、電話をしました。
出たのは私の母でした。
私:「産まれた?男?女?」
母:「うん、産まれたよー。男の子。」
ここまでは普通の口調、普通の会話だったんですが
母は急に泣き出しました。
そして、
771 :
続き:03/04/15 00:47 ID:7T7WrZsN
・産まれて来た子どもはダウン症だったこと。
・ダウン症の原因は遺伝子にあり、今の医学では完治できないこと。
・完治できない故に一生付き合っていかなければいけない病気であること。
・普通の子に比べて成長が遅く、普通の学校・普通の生活は難しいこと。
・脳の発育も遅く、知能障害になる場合があること。
・長く生きられない子も多いこと。
こういった事を教えてくれました。
ずいぶん長い間電話していましたが、母も私も泣きっぱなしでした。
せっかく産まれて来たのに、周りの私たちが泣いてちゃいけないよね。
そうは言っても涙が止まりませんでした。
今、その子は1歳半です。
一応元気そうですが、風邪レベルでも即入院です。
痰の処理?のようなものができないらしく、人工気管をつけています。
想像しにくいと思いますが、首からチューブが出てるんですよ。
次に会えるのはお盆かな。
気をつけてるわけじゃなくて、笑顔でいられるのが嬉しい。
あの時は泣いちゃってごめんね、っていつも思ってます。
ダウン症の子は皆とても明るく人懐っこくて
天使の子供とも言われますよ
そのお子さんが皆に愛され幸せに過ごせますように
またご家族の皆様の幸せもお祈りいたします
親友の目がもう見えなくなった。
「アタシの顔覚えてるかー?」
と聞いたら
「覚えてるよぉ、当たり前〜。」
と、微笑んでくれた。
この前も
「あたしの事、邪魔だと思ったら手はなして先行っちゃっていいよ。」
と言った。
思わず彼女を抱きしめると
「何だよう、あたしにそのケは無いぜ」
と言って泣いていた。
でも涙は流れていなかった。
さとみさんの日記、見られなかった…何を間違えたんだろう。
彼女の強さの10分の1でもいいから見習いたい
>>773 内容は大分違うのだけど、
川原泉の「銀のロマンティック〜」を思い出した。
>>733 今読みました。
君の彼女は、俺の中で生きている。
俺の彼女も、俺の中で生きている。
そばに居ると思えばいいさ。
777 :
山崎渉:03/04/17 12:05 ID:4laVrmkl
(^^)
778 :
病弱名無しさん:03/04/17 22:29 ID:HlHsShHw
↑
一体何者?
779 :
病弱名無しさん:03/04/17 22:44 ID:SrWV2R3m
774さん
見れなかったという方がいらっしゃったようなので,さとみさんの日記の
目次のアドレスを貼っておきます。以下のURLを,コピペで
http://webdev.archive.org/ のTake Me Backで検索してみてください。
http://www.geocities.co.jp/Beautycare/8256/diary.pre.html ちなみに,このURLに直接アクセスしても,現在はもう,データが残って
いません(ので,直リンでもかまわないと判断しました)。
検索すると,4つ候補が出てきます。前にも書きましたが,それぞれ微妙に
表示できるページとできないページが異なっています。また,そこでリンクが
表示されていても,インターネットアーカイブの側の問題などでアクセスできない
ページもあります。実際,前はアクセスできたのに,今はアクセスできなく
なったというページもいくつかあるように思えます。
追伸 764さん,感謝されるとなんか照れマス。(^-^;
>>780 けちくせーこと書くなよ。
教えてくれよ。 h抜きじゃだめま?
782 :
病弱名無しさん:03/04/19 13:18 ID:oVRDZVtL
age
泣けるかどーか判らんけど、兄貴のハナシをひとつ。
高校に進学した兄貴は野球部に入部。甲子園を目指す高校球児のひとりとなった。
やっぱり野球好きの親父は喜んだ。バットとグローブを新調までしてくれて、兄貴を応援してた。
強豪チームってワケじゃなかったけど、不遇な少年時代を過ごした親父は、
兄貴を自分と重ねてみてたみたいだった。
兄貴高2の冬。突然「背骨が痛い」と兄貴は変調を訴えた。そんでも朝練はサボらずにガンバってた。
遂に、痛みで起き上がれない朝がきた。学校を休んで病院へ。診断結果は、「良性の貧血症」だった。
練習休んで療養に専念すれば良かったんだろうが、兄貴はレギュラー獲得に拘った。
監督に黙って、通院と練習の日々を送った。そして高3の夏、兄貴は念願の
レギュラーの座を手に入れた。
高野連に選手登録するためにメンバー全員ヘルスチェック。だが、担当医は兄貴の顔を見るなり
「キミはダメだ。」と言い放った。
担当医は、兄貴の主治医だったんだ。
784 :
783:03/04/19 18:57 ID:X9eIyr73
当時オレは中3坊。確か期末テストで部活中止のときで、まだ明るいうちに下校してたんだ。
名前を呼ばれて振り返ると、ソコにはチャリにまたがった兄貴。
「今日は練習どうしたの?」と、よせばいいのについ聞いちまった。
兄貴はハナシを誤魔化すように、オレを後ろに乗せてくれた。
家に着くと大声で泣き出した。「出場停止になった」と言って。
やりきれない思いのまま夜がきた。7時頃だったかな? ナンカ表が騒がしい。
坊主頭の一団が、家の前にズラっと立ってた。兄貴のチームメイトだ。
みんな心配して、様子を観にきてくれたんだ。
「元気出せよ。」「オレ達からも頼んでみっから。」
オレは個人技ばっかりだったんで、こーいう結束は未だに知らんス。
いいもんだね、チームメイトってさ。
785 :
783:03/04/19 19:06 ID:X9eIyr73
やがて親父が帰ってきて、コトの仔細を母から聞いた。
やにわに便箋を取り出すと、シコシコなんか書き始めた。
翌朝、登校する兄貴に親父は一通の封書を差し出した。
「嘆願書だ。監督に渡せ。
息子が死んでも悔いはないから出場させろ、と書いてある。」
兄貴は言い付け通り、監督に渡した。
ひとととり読み終えると、監督は兄貴に「今日から練習に参加しろ」と命じた。
その日の練習は早くに終わった。監督は早々に学校を後にすると、
一路医者の家を目指したそうだ。
786 :
783:03/04/19 19:16 ID:X9eIyr73
「私が責任を取るから、この生徒の出場を許可してくれ。」
監督は公立校の国語教諭だった。(つまり部活の顧問、っちゅーこっちゃね。)
「責任」とは即ち、「永久失職」を意味してた。
そんでも兄貴の努力をムダにしたくない、って気持ちの方が強かったんだろう。
監督は、医者の説得にあたってくれた。
長いこと兄貴を診てて、医者も情にホダされたんだろう。
「補欠登録」という条件をつけて、診断書に手心を加えてくれた。
公になればオオゴトだろう。カルテ偽造だもん。
でも兄貴のために、医者は出場を許可してくれた。
787 :
783:03/04/19 19:24 ID:X9eIyr73
「できれば一試合フルで出場したかった。」
なんてゼータクなコトを兄貴は言う。
でも、その顔はとても晴れやかだ。
地区予選 準々決勝敗退。それが彼らの戦績だった。
でも「野球部創設以来の快挙」だったって、今でも兄貴は笑って云う。
「事勿れ主義」なんて言葉が浸透しだしていた頃のハナシ。
でも、こんな教師や医師がいたんだよ。
788 :
病弱名無しさん:03/04/19 22:31 ID:p3oi1/9Z
先日、専門学校時代の友人とその友人の2才になる女の子と3人で映画を見に行きました。
私は7年前から過敏性大腸にかかってしまい、外出もままならず、
友人からの遊びの誘いも「体調が悪い」といつも断ってばかりいました。
私も自分勝手に「なんでいつも誘ってくるんだろう、結婚してるんだから家族で行けばいいのに」と
早くに結婚し、子供もいる幸せな友人にちょっと嫉妬していたところもありました。
それに友人にも「付き合いが悪いな」と思われて嫌われてるだろうなと思いっていました。
映画が終わってレストランに行った時、友人が
「最近△△(子供の名前)がよくしゃべるようになってきてね、昨日お風呂に入った時に
明日○○ちゃん(私)と遊ぶんだよ〜って言ったら“○○ちゃんってだぁ〜れ?”って聞くから
○○ちゃんはママのお友達って言ったらパパの所に走って行って
大きい声で
“明日○○ちゃんと遊ぶんだよ〜ママのお友達なんだって〜”って嬉しそうにしてたよ〜」
その時涙が出そうになりました。
家に帰って大泣きしました、体調が悪くて出かけるのも控えて友人からの誘いも勝手に何度も断っていたのに、
つき合いが悪い私だったのに、「○○ちゃんはママのお友達」と思っていてくれてとても嬉しかったです。
これからは体調を整えて友人ともまた出かけるようになりたいです。
789 :
山崎渉:03/04/20 05:49 ID:eHOwbUQB
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
>>過敏性大腸
コンビニで売っている亜鉛を試してみなされ
私は別の目的で購入したが
飲み始めてからウンコが硬くなった
791 :
病弱名無しさん:03/04/20 21:14 ID:mCI3MPbm
過敏大腸の情報は専用スレでしてくれ〜
792 :
病弱名無しさん:03/04/24 14:37 ID:gOeAQBjZ
保守
793 :
病弱名無しさん:03/04/26 15:22 ID:iun+ssJl
大好きだった友達が、交通事故で死んだ。
彼に会いに行く途中だった。
知り合いの車に乗せてもらっていく途中、運転していた知り合いが
事故を起こし、彼女だけ車から投げ出されて死んだ。
即死だった。
突然の死で、通夜も葬式も全然実感がなく、ボケ〜っとしているうちに
終わった。
葬式の帰り道、桜が満開でものすごくきれいだった。
東京に住んでいた彼女は4月早々に花見を済ませ、
彼女と一緒に花見に行った友人は、彼女が桜を見ながら
彼の話を楽しそうに語り、彼から来るメールを気にしていたと言う。
「彼女はもう桜を見ることが無いんだな」と思った瞬間、
号泣してしまった。
あれから4年。こっちは桜が満開です。
桜を見るたびに彼女のことを思い出し、胸が苦しくなる。
794 :
病弱名無しさん:03/04/28 17:43 ID:MFiyIp/j
age
796 :
亜 ◆AQ5p3uIpXQ :03/04/28 21:06 ID:wMWppPvr
ダウン症の人って、染色体が1本【多い】んですよね。少ないなら、わかるんだけど。
もしかして、ダウン症の人は、新人類へ進化する前の過渡期なのか?・・と思ってしまう。
797 :
病弱名無しさん:03/04/28 22:20 ID:K15NBjXP
2年前、私のことをかわいがってくれた伯父(父の兄)が亡くなりました、末期の咽喉ガンでした。
私は小さい頃から人見知りが激しく神経質、おまけに偏食だったのでよそで食べ物が食べられませんでした。
でも伯父はそんな私に「Sちゃん、これ好きだっただろう、食べな〜」と言っていつも私の好きなものを買ってきてくれて、
人を喜ばすのが大好きな人でした。
私が専門学校に入る時も保証人として願書に署名してくれ、
「Sちゃんに合ってるよ、がんばって通いな」と言ってくれました。
その伯父がおばあちゃんが亡くなった翌年から急に具合が悪くなり入院、
ノドにできたガンは想像以上にひどく、手術後、伯父は鼻を押さえないとうまく声が出せなくなってしまいました。
それを聞いて私はなんとか治って元気になってもらおうと、一人で千羽鶴を折りました、二週間かかりました。
父が入院している伯父の所に千羽鶴を持っていくと伯父はとても喜んでくれたようで、
私は伯父が喜んでくれただけで嬉しかったのに私に2万円くれました。
後日、伯父が退院したというので家族で家に行くと、不自由になってしまった声で
「Sちゃんありがとう、すごく丁寧に折ってあるって、病院で評判になっちゃったよ〜ありがとね、嬉しかった」
伯父も退院したし、私はとても嬉しかったのですが、
数日後、父から「伯父さん、ホスピスに入るから・・・」と言われました。
伯父は元気になって退院したのではなく、ガンが末期でもう手のほどこしようがなくて、
本人にも告知されているために退院したのでした。
私が千羽鶴をあげた時にはもう遅かったんです。
ホスピスとは末期ガンを告知された人が亡くなる時までを過ごす施設です。
→つづく
798 :
797:03/04/28 22:22 ID:K15NBjXP
伯父がホスピスに入って数ヶ月後のことでした。
お見舞いに行っていた父から「ハンバーガー買っていってやる、何がいい?」と電話がかかってきました。
うちの父はハンバーガーとか嫌いなのに急にそんなことを言うなんておかしいなと思いました。
そして父がハンバーガーを買ってきて
「これ伯父さんから“子供たちにハンバーガーでも買ってやれ、ハンバーガーならSちゃんも好きだろう”ってお金くれたから」
私は泣きながらそのハンバーガーを食べました。
それからすぐ3日後、伯父は亡くなりました。
小さい頃から伯父に迷惑をかけてばかりいた私。
伯父の「ありがとう」という言葉は一生忘れません。
私も伯父に心からありがとうと言いたいです。
そしてこれからも天国から見守っていてください。
799 :
病弱名無しさん:03/04/28 22:40 ID:GVUVED0m
>Sちゃん
ううううぅぅ、伯父さんの為にも偏食なくせよ〜。
社交的になれよ〜。
800 :
病弱名無しさん:03/04/28 23:17 ID:qBcnVLW7
801 :
病弱名無しさん:03/04/29 00:29 ID:7h+yHOSy
挨拶にはすごく厳しい親父だった。小学生の頃、友達の間で
親指を立てる挨拶(サムアップっていうのか)が流行って、
俺も挨拶代わりに親指立ててた。親父は、そんな俺を見るたびに
「挨拶くらいちゃんとしろ!」とひどく怒っていた。そんな親父が
胃ガンで倒れたのが、俺が中学に入る少し前。何だかんだ言って
親父が大好きだった俺は、手術室へ向かう親父に、「お父さん
頑張って」と泣きべそかきながら声を掛けた。親父はヤニで黄色く
染まった歯をニヤリと見せて、俺に向かって親指を立てた。
手術はうまく行かなかったけど、あのときの親父の笑顔が支えに
なって、ぐれることもなく育ち、今では二人の息子の親父だ。
息子達を励ますときはいつも親指立てて、親父に負けないくらい
黄色く染まった歯をニヤリと見せている。
802 :
病弱名無しさん:03/04/29 00:36 ID:2rAcqoMl
>>801
そんなに黄色いのか。・゚・(ノД`)・゚・。
803 :
病弱名無しさん:03/04/29 10:30 ID:tfyjlNWy
保守
>>800 内容は悪くないんだろうが、広告ばかりで読む気が失せる。
闘病生活を読ませて儲けようという根性にとても腹が立つ。
805 :
病弱名無しさん:03/04/30 16:19 ID:pE1HhA4T
806 :
bloom:03/04/30 16:20 ID:0G1t8RXD
807 :
病弱名無しさん:03/04/30 17:50 ID:hi8G6mgz
↑ぶらくら
808 :
病弱名無しさん:03/04/30 21:33 ID:JvzgdeGk
809 :
病弱名無しさん:03/05/02 23:32 ID:DU/iOhc+
ちょっとスレ違いかもしれないけど・・・
前テレビで紹介されていたある難病の子が作っているHPを時々見させてもらってました。
そしたら日記に「今日は天気がいい」とか「空が青い」とか「今夜は星がきれい」とか、
なんか外の景色っていうかそんなことばかりが書いてありました。
私もHP持っていて日記書いてるけど「今日は○○で△△した〜」とか1日にしたことをただ書いただけ。
それで、その子の日記読んでいて、私最近空が青いとか星がきれいとか感じたことあるかなって気づきました。
天気なんか私にとってはなんでもないことだけど、命に関わる難病のその子には
一日一日が貴重なものでせいいっぱい生きてるんだなって思い、自分を反省するとともに涙が出てきました。
810 :
病弱名無しさん:03/05/03 00:47 ID:K2EI4U+u
友達が、20代前半で第二子を妊娠中→検査で子宮ガン発見。
若いとガンの進行が早いこと、絶対に母体が無事では済まないこと、
お腹の赤ちゃんにも転移する可能性が高いことなどを告げられていたのに、
彼女は「子供を殺すことは出来ない」と、産んだ。
産後、全身にガンが転移した状態で、手術すら出来なかった。
命がけで産んだ赤ちゃんも、すでにガンが転移していた。
赤ちゃんは小さな体で何回も大手術をうけたけど、ダメだった。
たった半年も生きることは出来なかった。
やせ細って、意識も朦朧としている中、彼女はベッドの上で毎日毎日、
「赤ちゃんはどう?」「淋しがってない?」と周囲に聞いていた。
お見舞いに行った友達は、赤ちゃんがすでに亡くなっていることを知っていたので、
「もう赤ちゃんに会ってくれた?可愛いい?私も早く会いたい」と言われるたびに、
涙をこらえるのが必死だった。
ドラマでこういうシチュエーションの時、「私の命はどうなってもいいんです」
なんて言って、出産して、運がよければ母子ともに無事。
悪くても母親が死んで「あなた(子供)を助けるために、お母さんは・・・」
なんてことが多い。現実は全然違うんだと言うことを思い知らされた。
何一つ良い事はなかった。この事が無かったら、向井亜紀さんのように
子供を諦めたケースを「結局自分の命の方が大切なんだな」なんて
冷たい目で見てしまったかもしれない。
命がけで産んだ我が子の苦しみも、死も、何も知ることなく
死んでしまった彼女。残された3歳のお兄ちゃん。
何が正しいことなのか、わかりません。
泣ける話というより、今でも思い出すと辛くて悔しくて泣いてしまう話です。
811 :
病弱名無しさん:03/05/03 01:04 ID:DRNmI3ho
>>810 挑戦することがその人の天命だったんだ。
私の友人も白血病で骨髄移植に挑戦し、残念ながらGVHDでこの世を去った。
移植に踏み切らなければあと3年は生きられた筈、なんていう人もいるけど、
彼はジワジワと死んでいくより、奥さんや家族のためにも長期生存する方法を
選択したんだ。
無謀じゃなくて『勇気』だったんだと今でも思う。
あなたの友達も、後悔して生きるより、って思ったんじゃないのかな?
812 :
810:03/05/03 01:12 ID:K2EI4U+u
>811
天命か・・・。
正直言うと、「産む」って話聞かされたとき
命がけで赤ちゃんを選んだ!エライ!って思っちゃったんだ。
何にもわかってなかったから。
自分の中で、まるで「美談」として賞賛してた所があって、
そんなこと考えた自分バカバカバカ!って思っちゃって。゚・(ノД‘)・゚・。
813 :
病弱名無しさん:03/05/03 02:58 ID:si7L8Mmc
>>812 あなたに足りなかったのは「覚悟」だったんだね。
どう生きるか、は どう死ぬか、と同義語だって誰かが言ってた。
お友達の決意は、正にそれだったんだな、きっと。
いいモノ見せて貰ったんだ。後悔ばっかしてないで、それを糧に生きて行きなさい。
それがせめてもの供養だべ?
自分の娘を殺した母に親孝行などできるものか。
おまいらシアワセそうでいいですね。
>814
このスレにいる人たちと、君と、どう違うんだろう?と考えて、
今ずらーっとこのスレを見た漏れが感じたのは、
不幸の中から幸せへの教訓を得たかどうか、かなぁと。
とはいえ、現在不幸な人間には、この手のスレは辛いのもよくわかる。
少し立ち止まって見返してみるからこそ、そこから教訓も得られるだろうが、
立ち止まった場所が既に不幸のど真ん中では(;´д⊂
おととい、全く板違いのスレで偶然さとみさんのHPを
見ることが出来ました。
その後、彼女のことが知りたくて、いろんなスレを巡り巡って
このスレに辿り着きました。
おとといの時点では、ほぼ全ての日記が読めたのですが、
今は最後のページしか見れないようです。
おとといの時点では読めたのに、何故でしょうか?
唖然としながら約6時間、一時もPCの前を離れることなく読み続けてしまいました。
出来ればもう一度読みたいです。
817 :
病弱名無しさん:03/05/04 11:25 ID:z31IviDQ
>816
履歴からなら闘病日記や古いTOPページは読めるけど
最終の「お別れの言葉」があるTOPページには行けなくなっていた。
しかし、忘れない彼女の別れの言葉を。
「わたしがお休みするときがきました」「わたし、頑張れたかな」
決して忘れない。
818 :
病弱名無しさん:03/05/04 12:51 ID:EdTBkayb
2/1
私の叔父、つまりお父さんの弟が去年の暮れにアルツハイマーで亡くなった。
叔父さんは、4年くらい前に発症して、ずっと寝たきりの状態になっていた。
私が今住んでいるのは埼玉、叔父さんは島根ということで、
年に1度の夏休みにだけ父母はお見舞いに行っていた。病状を聞かされてはいた。
「言葉なんてほとんど喋らない。誰のことも覚えていない。家族の事も」
それを聞いても、私は「ふーん、大変だな」くらいにしか思わなかった。
私が小学6年になった年、初めて病院に連れて行かれた。
そこは病院というよりも、老人ホームというかんじだった。
病室に入ると、おじさんはベッドに横になっていた。
想像を絶する姿に私は言葉を失った。口は何やらとりつけてあり、半開きだった。
体はあまりに痩せ細っていて、骨に皮という感じだった。肌は真っ白。
叔父さんはじっと私のほうを見て「ぁ・・・ぁ・・・」と何か呟いていた。
もちろん私のことなど忘れてしまっている。私は、涙が出そうになった。
何故だか早くこの場から立ち去ってしまいたいと思った。
帰りの車の中で、お父さんに「どうだった?」と聞かれた。
私は「びっくりした」としか答えられなかった。
中学1年になって、ちょくちょく叔父の奥さんから手紙がくるようになった。
内容は「今のところ悪化はしていない」というような比較的明るいものだった。
中学2年になると部活に忙しくなった。部活があるからと、私は帰省を断った。
11月。お父さんから告げられた叔父さんの危篤。
お見舞いに行きたくても、あまりに遠すぎる。家族で祈るばかりだった。
峠は越えたとの電話を受けてほっと一安心、というのもつかの間。
12月26日に、叔父さんが亡くなったとの連絡。
私たちはすぐに島根へ、車で向かった。
819 :
818:03/05/04 13:28 ID:EdTBkayb
2/2
島根につくと、すぐに通夜に連れて行かれた。
私は叔父が死んだという実感はなく、ただお経を棒読みしていた。
お父さんは目を真っ赤にして、涙をこらえているように見えた。
子供や奥さんは、なんともないように見えた。
通夜の後、父は母に「ビール2本、買っておいてくれ」と言った。
次の日は火葬。焼く前に叔父さんの顔を見なさいと両親に促され、
嫌々見た。ショックだった。それは人間というより、蝋人形と言った
ほうが正しいという感じだった。口から、綿のようなものが出ていた。
その姿だけが頭にずっと残り、その後のことはほとんど覚えてない。
あんなに元気だったのに。あんなに優しかったのに。
その次の日は骨をお墓に入れた。
1人づつ線香をさしていった。父は線香をさしたあと、何か取り出した。
ビールだった。蓋を開けると「プシュー」という音がした。
それをそっとお墓に置くと、こう呟いた。
「ビール、一緒に飲みたかったんですけどねえ・・・」
父の隣にいた知らないおばちゃんが嗚咽を漏らしながら泣き始めた。
私もまた、泣きそうになった。でもなぜか「泣いてはいけない、我慢」
と心の中でずっと思っていて、堪える必要なんかないのに堪えていた。
享年34歳の若すぎる死だった。
よしひろおじちゃん、公園につれていってくれてありがとう。
ママに怒られたとき、アイス買ってくれてありがとう。
バスケ教えてくれてありがとう。
海でヒトデとってきてくれてありがとう。
私もえりもパパもママも元気に生きてます。
今まで本当にありがとう。おやすみなさい。
820 :
病弱名無しさん:03/05/05 15:55 ID:bRDRMP2W
>817 また観られるようになってましたよ 心に焼き付けました
821 :
病弱名無しさん:03/05/05 16:18 ID:BM02p7kI
僕は小さなころは(小学生)悪ガキで、お母さんの財布からお金を取ってた。
それがばれて、こっぴどく叱られたが、反省なし。また財布からお金を取ろうと
したが、財布を見つけることが出来なかった。
探し回ったあげく、ばあちゃんの財布らしきものを見つけた。中には旧札が
入っていた。旧札でも買い物が出来ることが分かると、今度はおばあちゃんの
財布から旧札を取っては使うようになってました。
年は過ぎて、僕が高校生ころ、おばあちゃんが他界しました。
遺産相続で、おばあちゃんは子供にも少しながら別けてくれました。
それが、あの旧札でした。兄弟3人で割ったらかなり少ないものでした。
すごく苦しい気分です。
現在その旧札は大切に取ってありますが、見るたびに胸が苦しくなります。
822 :
病弱名無しさん:03/05/05 17:47 ID:64kH064h
>820
名前をつけて保存した。
写真集のみさきちゃんが書いた絵が泣ける。
823 :
病弱名無しさん:03/05/05 23:58 ID:SejHVfYo
みさきちゃんってさとみさんとどういう交流関係があったの?
当時を知らないので…
824 :
病弱名無しさん:03/05/06 08:19 ID:re/vIH2p
>823
俺もここで知ったから読める部分でしか分からないけど
たぶん、同じ病気で入院してて亡くなった子だと思う。
日記にも出てきたような。
さとみさんのhpから骨髄バンクに登録する人がいると思う。
白血病解析プロジェクトに参加する人もいるだろう。
彼女は生きれなかったが、その死は何人もの白血病患者を救う。
825 :
病弱名無しさん:03/05/06 20:33 ID:2MjWp+/j
ここは、まさしく名スレだ!
まだ途中だけど、泣けてきた。
感動する話は思いつかないけど、
湯元香樹美(自信無)の「夏の庭」って本は感動した。
このスレに書いてありそうな内容です。
…スレ違いだな。
テレビつけっぱなしで、白血病の娘の日記を読んでた。
ロンドンブーツの番組のリナとかいう女が許せなくなった。
827 :
病弱名無しさん:03/05/06 23:29 ID:Va2dgxUq
なんか泣けたんでコピペします
スレ違いかもしれませんが読んでやってください
俺の双子の姉は2,3才の頃に目のガン(?)みたいなもので左目を摘出しました
あれは小学校3年の頃でした
僕は祖母に本(3Dメガネ付)を買ってもらいました
メガネを掛けると本がの中の恐竜が飛び出してきました。あまりにすごい(当時の俺はそう感じた)ので姉に見せてあげにいったところ
姉は「何も変わらない、何も起こらない」と言いました。
俺は「何で僕は見れるのに姉は見れないんだろう?」、と思いちょうど部屋に入ってきた親に「なんで○○ちゃんはこれが見れないの?」と姉本人の前で聞きました。
すると親はいきなり俺を違う部屋に連れて行き、目を潤ませながら「これを○○ちゃんの前に持っていかないで」と俺に言いました。
俺は「何で?」、と言いました。すると母は少し間を置き「○○ちゃんは片目しか無いからこれは見れないの」、と泣きながら言いました。
そのとき俺は初めて姉に何をしたのか自覚しました。
でも何故か俺は姉に謝りませんでした。
んでこの前姉と2人で子供の頃のおもちゃを整理していたら3Dメガネが出てきました。
姉は何も思わなかったかもしれませんが俺はすごく切なくなりました。
今になってあの時謝っておけばよかったな、と思います
変な終わり方ですがここに書き込めばちょっとは気が晴れるかな、ちょっとは罪悪感が無くなるかな、と思い書き込みました
828 :
病弱名無しさん:03/05/07 22:13 ID:Rxe77q0D
今しにそうなほど苦しいからかな?
ひどく悲惨な状態なのに、涙なんてでない。
まさに生き抜くことにしがみついてるかんじ。
まわりでみてると十分涙を誘うらしいけど、その涙の大本はけっこう
覚めた目でみちゃってるのよね。
人間いつかは死ぬんだから。それが早いか遅いかだけ。明日眠りから
醒めなくてもいいように、後悔のない人生を送りたい。それだけだよ。
829 :
病弱名無しさん:03/05/08 00:37 ID:+9RLmsA6
生きるとは闘い。
死とは解放。
親父の死顔を見てて、ふとそう思った。
オレは闘いきってないから、まだまだガンガらないとね。
830 :
病弱名無しさん:03/05/08 06:46 ID:RwS9e7Eb
前に書き込まれてた肺癌の女性が気にかかってる、、。
それと>828さん 自分もよくわかるよ。家族に申し訳ないだけだが
自分的には精一杯生きることだけしか考えられない。
832 :
病弱名無しさん:03/05/08 23:29 ID:qcjPuQbz
そろそろ何も無いうちにじいちゃあばあちゃんの家に遊びに行こうかな・・・
834 :
元野球少年:03/05/10 00:51 ID:RbtZ5QVu
俺が小学六年生の頃。友達に誘われて少年野球チームに入りました。
野球の経験は全く無いのに、入って何日かしてすぐ試合に出ました。
相手のピッチャーの球は全然見えなかった。けれどセンター前のヒットを出せた。
その事が嬉しくて家族に報告すると、次の試合に父親と弟が見に来てくれる事になりました。
試合の日、緊張しながらも準備運動をし、試合に備えていたのですが、
運悪くスタメンでは出られせんでした。
途中で出してもらえる、ずっとそう思ってたのに。結局その日は出してもらえませんでした。
悔しくて帰り道、一人で泣きながら帰りました。
家に着いてからは恥ずかしくて部屋に篭っていると、父が来て
「こういう時もある。今度の試合では絶対出れる。」
と励ましてくれました。
今まで僕に無関心だと思ってた父が励ましてくれたので嬉しくなり、同時に涙が流れました。
その後、僕は肩を壊し野球を諦めざるを得ず、中学校では無意味な三年間を送りましたが、
今は弟が野球をしているのでいつかテレビに出る事を期待して応援しています。
感動とかじゃなくてスマソ
944 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 本日の投稿:03/05/10 21:20
自分自身のことなので sage で書かせていただきます。
長いですから、(文才が全く無いもので・・)まず最初に謝っておきます。読まれる方、だらだらすみません。
元号が昭和から平成に変わろうとしてた頃の話です。
当時私は二十代半ば、彼女も同じ年でした。
付き合おうかどうかという時期に彼女から私に涙ながらに電話・・・
「結婚は出来ない体だから付き合えない・・・」
夜中でしたが気になるので彼女に会いにいきました。そして彼女から
「一度乳癌の手術をしているから・・・片胸が無いの・・・私」
私「・・・・・・・・・・でも、・・・それは僕にとっては結婚出来ないという条件ではないよ・・・」と、
私も彼女が好きでしたし実際片腕片足が無くとも好きな人は好きになる(例えがわるくてすみません)
性格でしたから。
そうこうしている内にお互いが一緒に住むようになりました。が、幸せ気分も束の間で、彼女の肺に
転移しているかも知れないという検査の連絡が入ってしまいました。
急遽入院で、後は検査の連続で(肺への内視鏡検査はつらかったそうです)二週間が過ぎた頃です。
見舞い時間が過ぎて帰りがけに彼女が「左の足が少し引きずって歩いているみたい」というので、
「症状を先生に話してみるね」といって帰りました。次の日、先生に報告すると、「・・・明日、頭を検査」
と、・・・私は当時何もしらない馬鹿者でしたが「足」→「頭の検査」でびっくりしたのを忘れられません。
検査した夜、CTスキャンの結果を聞きに行かなくてはならなかったのですが、彼女には「大丈夫だよ、
大した事無いって」といいながら震えながら病院の応接室に入って行きました。
先生は若い方で私達を真剣に励ましてくれる方でした。その先生も現状が悔しかったらしく第一声が
「どうしようも・・・」と、少し涙を浮かべながら話してくれました。やはり脳内にも転移していたんですが
「癌細胞の成長が早くて周りの脳を圧迫しながら進んでいる、摘出したいが周りが柔らかくなっている
ので、今の医学では不可能なんだ・・・」
945 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 本日の投稿:03/05/10 21:21
続きです。
私はもうぼろぼろに泣いていましたが勇気を出して「どれくらい持ちますか?」と、聞きました。
入院はしているものの彼女はとても元気で見るだけでは病人とは思えなかったのですが、先生いわく
「何もしなければ2ヶ月、延命処置を取れば半年だろう」とおっしゃいました。涙ながらにです。
私「治療しても半年??」先生「治療とは言えない、延命処置だ・・」
その方法とは放射線治療の事で、激しい嘔吐や脱毛、目まいを伴うものです。私は考えました。考えま
したがとてもその場では判断出来る物ではありません。せめて余命2年とかであれば抜けた髪も生え揃
うであろう。でも、半年なんて、 次の日、先生に外泊許可を得て自宅に帰る二人が居ました。
その夜、彼女のほうから「検査の結果、聞かせて・・・うそは無しで・・・」と、言われ、私は言葉に詰りそう
になりながらも彼女を信じ、正直にすべてを伝えました。この瞬間が今までの人生で(未だに)辛かった
時です。言葉は省略させて頂きますが、二人ともぼろぼろに泣きながら、でも、特に彼女は強く理解して
残された人生をどう生きるか、決断をしました。「退院して、少しでも楽しもう!」
翌々日、病院に帰り、先生に二人の考えを伝えたところ、「頑張れよ!負けるなよ!」と励ましていただき
2日後に退院しました。その後すぐに旅行社に行き、新婚旅行の手配と、「結婚しました」の葉書を作り、
友人一同に送り、(彼女が病気だとは誰一人知らない)みんなで祝ってもらいました。
余命2ヶ月と言われながらも彼女は本当に頑張り、退院4ヶ月後の「花の博覧会」にも(車椅子生活になり
はしましたが)行く事が出来、喜んでくれました。
しかし、病気は確実に進行し、まもなく自宅療養が不可能な状態になり、再入院、雨の降りしきるある晩に
意識不明になり、翌朝私の腕枕の中で帰らぬ人となりました。
恥ずかしいながら、15年近くたった今、「彼女のすべての強さ」に、私は追いつくことが出来て居ません。
946 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 本日の投稿:03/05/10 21:23
さらに続きです。本当に長くてすみません。
前置きが長すぎるんですが、二人同居を始めた頃に銀行の口座の暗証番号やらもろもろの番号を統一し
ようと、二人の誕生日をたした「○△◇■」を決めて生活していたんですが、彼女が亡くなってしまって、暫
らくした頃に、公的な機関への書類提出で、死亡診断書が必要になり、病院で2通取ったんです。で、内1
通がなぜか開封状態で手元に来たもので、見てしまったんです。死亡原因、病名云々のなかに眼に留まった
死亡時刻、 平成*年*月*日 ○△:◇■分・・・・・・・・
二人で決めた暗証番号が並んでいました。きっと本当の偶然でしょうけれども、私は「忘れないでね!」と、
彼女が言ってると今でも思っています。勿論死ぬまで忘れる事は無いでしょう。
ここを見ている若い女性の方々、是非、健康管理には気を使ってください。若くても大病はするかもしれません。
同じく、彼女、もしくは奥様が居られる男性の方々、パートナーの健康に気を付けてあげて下さい。
どんな病気でも「早期発見、早期治療」が第一です。私は彼女を救ってあげれませんでした。しかし、今ここを
見ている人たちは万が一なにかあった時、きっとパートナーを救えます。見落としが無い様にお互い注意して
あげてくださいね。
本当に長々とスレ汚し、すみませんでした。13回忌が過ぎた今、少し人に話したくなりました。
>>837 ・゚・(ノД`)・゚・。
何も言葉がない。心に銘じておくよ
839 :
病弱名無しさん:03/05/11 10:20 ID:ExOZa/TV
>>837 そうか、彼女は君の腕の中で、、、そうか、、、。
840 :
病弱名無しさん:03/05/11 16:31 ID:fL1Zemec
俺には一つ下の彼女がいた。俺は当時バンドのギターをやっていて、彼女を少し疎かにしていたかも知れない。
ある日、仲間と学園祭に向けて練習していた日。その日は雨が降っていた。今でもハッキリと覚えている。
彼女から電話があり、(いつも俺から電話してたので、掛かってくる事は珍しい)大事な話があるとの事。
練習を中断し待ち合わせの場所まで猛ダッシュで走ると、雨が降っているのに傘も差さず(俺もだが)
ずぶ濡れで待っていた。俺も見るや否や泣き出した。
「…あのね、がっくん。私もうがっくんの彼女じゃいられないの…」
「どうして?!何があったんだ!」
彼女は泣きながら俺に話した。
学校帰りに、二人の男に「ヤられた」事。写真も撮られ、更に暴行まで受けていた。
話を訊いていると、涙が雨に紛れて頬を伝っていた。同時にその男を殺したいという感情も生まれた。
「…どんな男か覚えているか?」
俺は訊いた。すると、相手の二人組は顔を隠しておらず特徴的な顔つきだった為、見れば分かると言った。
俺は四日程街を彷徨った。そいつらが彼女にした事を償わせる為に。
だがそう簡単にも見つからない。彼女はあの日から部屋で塞ぎ込んだままだ。
そして二週間経った。
学校もずっと休む訳には行かないので、制服に着替えヨロヨロと学校に向かった。
すると、いた。例の二人組の片割れが。俺は興奮した。
後ろから近づき、「すみません。」と声をかけ、振り向いた所を思いっきり殴りつけた。
そこからはよく覚えていない。ひたすら殴り続けた。俺の拳は血だらけになり、果てには警察に捕まった。
学校は退学。親には見離された。相手はレイプ犯だと言うのに…そいつを殴って何が悪い?
結局彼女に会えたのはそれから一ヶ月と少し経ってからだった。
以前よりは元気を取り戻したようだったが、まだ事件の事を引きずっているようだった。
「心配するな、俺がいる。これからは俺がお前を守るから。だから前みたく笑っててくれ…」
普段なら言えないクサい台詞。だがこれは俺の本心。俺は本当にこの人の為だけに人生棒に振っても良いと思えた。
それから数ヶ月。彼女は自殺しました。
霊安室にはいつもと変わらない、寝てるだけのような彼女がいました。
そこでした最後のキスは、冷たく…死の味がした。
思い出しただけで手が震えてきた。
勘違いがあると思うから補足しとく。
>俺は訊いた。すると、相手の二人組は顔を隠しておらず特徴的な顔つきだった為、見れば分かると言った。
とあるが、彼女は絵が上手かった為実際に描いて俺に見せた。俺はそれを見てずっと探していたんだ。
…日本でも性犯罪が多いけど。
加害者はただヤりたいだけだろうがな。被害者は泣き足りないくらい辛いんだ。
俺の彼女みたいに自殺する人だって多くいるだろう。
やろうと思ってる奴、今なら遅くない。人が傷付く前にやめろ。
やった奴、俺がぶっ殺す。
842 :
病弱名無しさん:03/05/11 17:12 ID:5tcsfBIa
犯人の2人も処罰されたんでしょ?無罪放免?
843 :
病弱名無しさん:03/05/11 17:42 ID:ExOZa/TV
>842
確か、被害者が訴えないとダメだったような、、、。
844 :
病弱名無しさん:03/05/11 20:17 ID:5Ojo+pIq
今から12年前、まだ高校生の頃の話から始まります。
かなり長いですがすみません。3〜4回に分けて書きます。
当時私には彼氏がいました。
クールで口数が少ないけどかっこいい同級生の彼のことが好きになって
私から熱烈にアタックして付き合うことになったんです。
付き合うことになったのはいいけど、
彼は私が憧れてたような愛情表現がなかったんです。
ぶっきらぼうだしいつまで経っても名字で呼び捨てだし…。
ただ、私と二人で喋ってる時はほかの人には見せないような
とても優しい目で真っ直ぐ私を見てくれてました。
それでも私は不安になってました。もしかしたら女としてではなく、
自分の姉妹を見るような感覚なのかなって。
思い切って彼に気持ちを確かめようと思ってた矢先、
彼は車に轢かれて突然亡くなってしまいました。
手を繋いだこともなく、彼のぬくもりを知らないまま
私の目の前から突然去って行きました。
845 :
病弱名無しさん:03/05/11 20:18 ID:5Ojo+pIq
押しつぶされそうな悲しさをこらえながら彼のお葬式に出席しました。
お葬式が終わり、泣きはらした目で会場に背を向けた時に、
彼のお母さんに呼び止められました。お母さんも泣きはらした目をしてました。
「これ…中身読んじゃったの…。ごめんね。あなた宛の手紙だったの…」
そういって封の開いた封筒を渡されました。
ふらふらと家に帰り、もらった封筒の中身から紙を取り出しました。
彼の字を見た途端、その場にへたり込んで大声で泣いてしまいました。
その手紙には
『○○へ 面と向かってでは どうしても照れくさくて言えないから
手紙で勘弁して欲しい。
○○のこと一番大切に思ってる。
誰よりも幸せでいてほしい人だと思ってる。 □□より』
と書いてありました。
彼は私の不安な気持ちをちゃんと察してくれてたんです。
しばらくは小さい子供の頃に戻ったように泣き狂いました。
846 :
病弱名無しさん:03/05/11 20:18 ID:5Ojo+pIq
それから5年後…。
私は小さな会社で事務の仕事をしてました。
5年の月日が流れてやっと、好きな人ができました。婚約もしました。
幸せでした。
でも、その幸せは長く続きませんでした。
「この人となら」とまで思ってた人が二股をかけていて
婚約を一方的に破棄されてしまったんです。
不幸なことは続くもので、婚約が白紙になったと同時期に両親を失いました。
バブルの崩壊で多額の借金があり、それを私に隠したまま自殺してしまいました。
私一人残して。
借金は祖父が全額払ってくれました。
「なんでこうなる前に親に一言でも相談してくれなかったんだ」と頭を抱えてました。
私は重なる不幸に押しつぶされそうになってました。
外をふらふら彷徨い彼と両親のところへ行こうと死に場所を探しました。
完全に自分を失っていて、心のコントロールが効かなくなっていました。
冷静に考えれば後追い自殺なんていけないことだとわかるのにそれも失ってました。
847 :
病弱名無しさん:03/05/11 20:19 ID:5Ojo+pIq
夜、生きる気力を失った私は操られるように人気のない通りの雑居ビルを見つけ、
誰にも見つからないように無断で屋上に侵入しました。
ビル内にまだ仕事をしてる人がいたからなのか、鍵はかかってませんでした。
屋上に着くと手すりを乗り越えて、靴を脱ぎました。
目をつぶって体の力を抜きました。
その時、誰かが凄い力で私の腕を引っ張りました。腕が折れそうなぐらいに。
見つかってしまったと思い、小声で「離して」と引っ張られたほうを向くと
そこにいたのはあの彼でした。
ぶっきらぼうだったあの彼が、あの優しい目で真っ直ぐ私を見てました。
とても暖かい、安心感のある目。あの時のままの姿・年齢。
彼は口元にかすかな笑みを浮かべて首を横に振りました。
そして、スッと消えました。
ほんの1秒にも満たない出来事だったと思います。
でも私にはスローモーションみたいにゆっくりに感じました。
暗がりが見せた見間違いだったのかもしれません。
錯乱した精神が私に幻を見せたのかもしれません。
私は我に返り、バカなことをせずに済みました。
それから7年経った現在…。
私は結婚して、小さい子供もいます。幸せです。
旦那はあの彼のことも知った上で、私を受け入れてくれました。
ここで終わりです。
848 :
病弱名無しさん:03/05/12 01:51 ID:H+sS0pJa
彼のぶんまで幸せになるのが恩返しだね。
>>840 >>844 失礼だが激しくネタ臭い
読みきり少女マンガとしてはいいかも
しかしそれだけではあんまりなので
お亡くなりになった大切な人々のご冥福をお祈りいたします
850 :
病弱名無しさん:03/05/12 10:58 ID:+bfWnhvj
>>847 死んだ彼が救ってくれたその命、大事にな。
851 :
病弱名無しさん:03/05/12 11:51 ID:FWI+vpWI
>>849 >しかしそれだけではあんまりなので
>お亡くなりになった大切な人々のご冥福をお祈りいたします
847は前にどっかで読んだ。
854 :
病弱名無しさん:03/05/14 17:05 ID:I9JHJN5j
>>844はオカルト板のスレのコピペだよ。
それもだいぶん前のやつ。
正直ハンカチ無しでここまで読んだ。
話しがつまらないとかじゃなくて
実際に辛い体験をしてしまうと
妙にさめちまうんだよな。
>>885 つらい体験をしたからこそ泣ける、いや、涙が勝手に出てくるってこともあるよ。
さめる気持ちもわかるけどさ。
857 :
病弱名無しさん:03/05/19 01:46 ID:BWSDnyPm
age
859 :
病弱名無しさん:03/05/19 08:38 ID:PMKY7I47
彼女は安からに眠っているさ。
力の限り生きたのだから。
>>858 おい、そこのページってオリジナルじゃねぇだろ?
ひとり歩きし始めてんのかよ・・・
862 :
中村孝志:03/05/19 12:23 ID:J5j9eEI/
いえーい。みんなのってるかい?
いろいろあったけど復活したぜ
それじゃー手始めに今までの復習といってみるかベイベー
1.わたしはなかむらたかーし
せいけいげーかのきょうじゅです
しんさつすばやく
しゅじゅつもテキパキ
だーめなけんしゅういはいちげきひっさつ
わたしはなかむらたかーし
せいけいげーかのきょうじゅです
2.わたしはなかむらたかーし
せいけいげーかのきょうじゅです
しんだんてきかく
かんじゃはかんげき
にほんのいりょうはこのてのなーか
わたしはなかむらたかーし
せいけいげーかのきょうじゅです
863 :
病弱名無しさん:03/05/19 12:40 ID:cq848NsS
4年前の冬、目の前で交通事故を見た。私の前を歩いてたおばあちゃんが、横から曲がって飛び出してきた原付にぶつかったのだ。
私は呆然とし、そして我に返り、すぐ救急車を呼んだ。現場は人通りもあまりなく、ひいた人と私とでおばあちゃんを道の脇に移動し、救急車を待った。
ひいた人(おばさん)は気が動転し、おろおろしながら泣きそうにしてた。おばあちゃんは頭から出血し、ぐったり横たわってた。
私は予定が入っており、そこに向かう途中だったので、はっきりいって『面倒な事にまきこまれた・・』と思ってた。
864 :
病弱名無しさん:03/05/19 12:53 ID:TrorjQpP
続き
けどさすがにこの場を離れるのも、と思い、おばあちゃんの傍に座ってた。「おばあちゃん、大丈夫?」と繰り返し話しかけてると、おばあちゃんは時折、途切れがちに「ありがとうね、みかちゃん(みさちゃん?)・・」とつぶやいてた。
後日、私は警察の人から事情聴取を受け、おばあちゃんは無事だという事と、身寄りがない、孤独なお年寄りだという事を聞いた。
あの時つぶやいてたみかちゃんとは、もしかしたら孫や娘の名前なのかな、なんて思った。
そして、おばあちゃんが私にとても感謝していたと聞いて、少し切ない気持ちになった。
865 :
病弱名無しさん:03/05/19 23:47 ID:/mEIVrdR
>>861 無断って断るヒトがいねーンじゃねぇのか?
でもせめて一周忌にだけでも復活して欲しいナァ。
867 :
病弱名無しさん:03/05/21 09:09 ID:OOVkCnS0
天国のおばあちゃんへ
私が小学1年の時、みんなが自転車を持っているのに
親がどうしても買ってくれず、私が自転車を持っていないことで
友達から仲間はずれにされているのに気付いてくれて
かわいい自転車を買ってくれてありがとう。
でも2年生の時にその自転車で転んで頭を打ってケガをしてしまった時、
おばあちゃんがすぐ家に来てくれて「私のせいだ」と言って
すごく心配して気にしていて、転んでケガした私が悪いのに本当にごめんなさい。
おばあちゃんありがとう、これからも天国から見ていてくださいね。
868 :
病弱名無しさん:03/05/21 18:59 ID:aZux54tA
感動あげ
869 :
病弱名無しさん:03/05/21 19:59 ID:DAwXdARw
TAKEさんhappybirthday♪♪お(^O^)め(^。^)で(^O^)と(^o^)う(^。^)♪ねぇホントはいくつ?(* ̄m ̄)退院決まりそうだねっ嬉しいねっ♪続くじょーっp(*^-^*)q えへ。
5/22 20時17分 逝去 享年23歳。
>>858 早過ぎる、
俺みたいに友達もいない、おっさんが代わってやりたいよ
870 :
病弱名無しさん:03/05/22 00:30 ID:xcT2ABWd
>>867 正直アンタのがいちばんグッと来た。(・・、)
871 :
山崎渉:03/05/22 01:35 ID:N/8j9IBb
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
872 :
病弱名無しさん:03/05/22 12:39 ID:HYPWHDc/
良スレage
873 :
病弱名無しさん:03/05/22 16:46 ID:H+jQ7WhU
小4の夏、縁日でウズラのひよこを買った。
今思えば、よくあるように、すでに弱っているひよこだったが、
子どもの私には単におとなしいひよこにしか見えなかった。
餌を買って名前を付けて、ずっと見てても飽きないほど可愛いと思った。
次の日の朝、どう見ても弱っているのがわかった。餌も食べてない。
でも能天気な私は学校から帰る頃には元気になるだろうと思って家を出た。
学校ではひよこのことなんて忘れていた。
下校の時間になって思い出して慌てて走って帰ってくると、
ドアを開ける音を聞いて頭をもたげ、「ピー!」と
それまでに聞いたことがないような大きな声でひと鳴きして
コクリと頭をうなだれて死んだ。
どう見ても私の帰りを待ってから死んだようだった。
874 :
病弱名無しさん:03/05/22 18:25 ID:MXg1ukpF
>>873 をいをい、その話ペット大好き板で読んだぞ。
875 :
病弱名無しさん:03/05/22 18:51 ID:73/7PNhb
さとみさんの命日ですね・・・・・・・・。
あなたの事を知ったのは最近だけど
心の底からご冥福をお祈りいたします。
苦しみのない安らかな時を過ごされていますように・・・・。
私の目の前にあるつらさなんてあなたの比ではないけど
私もせいいっぱいがんばって生きます。
876 :
病弱名無しさん:03/05/22 20:17 ID:MB9Xonnp
さとみさんの日記読んで、自分がいかに無駄に生きてきたかわかった。
今まで何の目的もなく生きてきたけど、これからは
ちゃんと生活しようと思いました。
亡くなられた時間に書き込みします。
ご冥福をお祈りします(´Д⊂)
877 :
病弱名無しさん:03/05/22 20:21 ID:vXs894Js
彼女は星になった。
いつも静かに瞬いているよ。
878 :
873:03/05/22 20:30 ID:4eWXeqDX
>>874 ???ペット大好き板には行ったことないけど?
同じ話なんてあるのかな?
879 :
病弱名無しさん:03/05/22 22:56 ID:FSyohFdl
やっぱり覚えてる人がいたんだね〜。いま保存してある闘病日記を読み直してた。
心からご冥福をお祈りします・・・
>>858 そこが出てきて一気にしらけた。
まだやりたいんだったら他でやってくれ。
っていうか、何でそっとしておいてやらねぇーの?
こういう事一番嫌がってたのに。
882 :
病弱名無しさん:03/05/22 23:56 ID:lMJDg5F7
>881
俺は多くの人に知って欲しい。
そして、骨髄バンクに登録する人や献血する人が増えてほしい。
あのHPは彼女の生きた証。
別れの言葉は命の言葉。
俺は決して忘れない。
883 :
病弱名無しさん:03/05/23 01:15 ID:xjjdc242
>>881 オレも風化するよりはたくさんの人に伝える方がいいと思うけどな。
故人の遺志を汲んでやることも大事だが、でも故人に関わった人間たちの
義務ってモノもあるだろうに。
風化sage
885 :
病弱名無しさん:03/05/23 20:56 ID:5SLaprUB
さとみさんの日記のなくなる前日の日記が
妙に長いですよね。虫の知らせというかそんな気がしました。
23才、悔しかっただろうなほんとに悔しかっただろうな
そう思います。
886 :
病弱名無しさん:03/05/23 21:08 ID:rHCaa36O
みんなに会いたいと言ってるね。
(´Д⊂)・・・
って泣くわけないだろ。
他でやってくれよ、それとageないでね。
荒らされる原因になるよ。
あそこにはキティーが沢山居た事を忘れずに。
既に>858みたいな基地外がいるし。
嫌いだから言ってるんじゃないよ。
もっと多くの人に伝えたいって言うんだったら
行動力と責任力がある人がHPでも作って
やってくれ。ここで断片的に伝えるだけじゃ
何にも伝わらんし、逆に勘違いされるよ。
それにここで「伝える」って言ってるけど俺には
自分の中に居る彼女を蘇らせて悲哀に浸ってる
だけに見えるよ。女々しいね。
それじゃ何にも伝わってこないんだよ。
俺はここから彼女のHPに行って、とりあえず自分にできることとして献血したし骨髄バンクへの登録も考えてる。
もちろん、UDにも参加した。
俺みたいなのは一人や二人じゃないはずだ。
889 :
病弱名無しさん:03/05/24 15:34 ID:noXpb3Tl
俺は温泉とか銭湯がきらいだったんだけど、
それは包茎だったからだ。
仮性だけど、ずっとかたくなに温泉をこばんでいた。
自分の小さな皮かむりをみると、屈辱的な気持ちでいっぱいになる。
先日、家族旅行に行ったときに、親父と兄貴と一緒に風呂に入った。しぶしぶ。
親父も兄貴も包茎だった。
なんだか俺のこだわりなんて、どうでもいいことのような気がしてきて、
少しだけだが楽なった気がした。
890 :
病弱名無しさん:03/05/24 17:55 ID:eBXNrqKc
大好きなおじいちゃんがいた
本当に大好きで、私のこともすごくかわいがってくれた
でも、私が小学二年生の時に癌でなくなってしまった
最初おじいちゃんが病院からはこばれてきたとき、なんでかわからなかった
なぜか、うちで療養するのだろう と思っていた
でも、いつまでも目覚めないおじいちゃんと しんみりとした親戚をみていると
わかってしまった
でも私は泣かなかった
通夜のせきで、お父さんが泣いていた
おじいちゃんを霊柩車ではこぶ光景を見たとき、初めて
おじいちゃんとの記憶が頭のなかにあふれた
お母さんの服で涙をふいてごまかしていた
ブランコをこぐ私 おもちゃをたくさんかってくれたおじいちゃん
昔、近所の公園に夜おにいちゃんといこうとした私を
おじいちゃんが危ないからととめた でも私はいってしまった
おじいちゃんの気持ちを考えていなかった
入院中にだって、あまり顔をださなかった
でも、今の歳になってつらくなる 大好きだったのに 大好きだったよおじいちゃん
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