1 :
日出づる処の名無し:
過去ログから退位問題に関する史料をサルベージしておきます。
1948.4月16日 東京裁判結審
4月22日
『芦田均日記』
〈芦田が田島に宮内府長官就任を要請〉
同君は新しき天皇の在り方について、又御退位の然るべきこと
(此点は南原君、堀内君も同じだ)を話され、
所詮即答は六ヶ敷いと言って明後日を期して別れた
6月5日
田島道治、宮内府長官就任
三谷隆信、侍従長就任
6月10日
参照:秦郁彦『昭和天皇五つの決断』
〈ウッダール・グリーン大佐がバンカー大佐を通じてマッカーサーに報告書提出〉
※報告書はマッカーサー記念館所蔵
※報告書余白にマッカーサーの筆跡で“Tommyrot”「バカげている」
「6月8日、天皇は宮内府某高官に対し、退位と関連して最近の人事交代が起こった、
という噂を話題にした。
その時この高官が、思い切って退位問題についての天皇の個人的感想を伺ったところ天皇は、
“自分はもし退位することが可能なら、個人的には気持ちが楽になる。
しかし同時に、日本で民主主義が達成される過程を見たいという強い気持ちも持っている”
と述べたそうである」
「天皇は皇族中の一長老その他に、戦争責任をとって退位したいと述べている。
戦犯が過酷な判決を受ければ、個人的な罪悪感が高まるだろうし、
とくに側近だった木戸元内大臣への判決が大きく影響すると思われる。
もし天皇が退位するとすれば、その時期は戦犯判決の時点になるものと信じられる。
[中略]
天皇の最終決意を促すのは、今後の内外世論、国内の政治状況、共産主義者の宣伝等々の
諸要素であろう」
6月12日
参照:工藤美代子「マッカーサーが阻止した天皇『退位』工作」
:「産経新聞」1988年6月4日付
〈駐日イギリス大使アルバリー・ガスコインがマッカーサーと会談〉
「私は天皇の退位を認めるつもりはない。
天皇には、義務として現在の地位に留まってもらうよう求めるつもりだ」
7月8日
『芦田均日記』
[三時過ぎ、田島道治宮内府長官来訪]
是非一度拝謁をして貰ひたいとの事で、明日参内しますと答へた。
お上はお淋しいのであろう。皇族殿下の公職禁止の話も相談があつた。
就中二人で真剣に話したことはabdicationの問題であつた。
結局二人は最後の瞬間まで白紙で臨まうといふ事に申合せた。
と同時に万一それが実現する場合は両人共責任をとる決心をしなくては
なるまいとの話をした。
7月8日
「寺崎あての手紙一九四八年七月八日付/フェラーズ文書」『昭和天皇「二つの独白録」』
アメリカでは、天皇の退位について頻繁に報道されている。
こういった噂は、日本を好まない連中の仕業だと無視してきたが、
万一、天皇が本気で退位を検討しているのならば、
新しい日本に揺るぎない信頼を抱いている私としては異議を唱えたく、
それをぜひ陛下に伝えてほしい。
共産主義者、特に、天皇が在位する限り日本は民主化できないと主張するソ連の共産主義者は、
天皇の退位を自分たちの勝利と見なすだろう。
マッカーサーは天皇の威信と個人的指導力を最大限に利用して占領政策を成功させた。
天皇の退位は、マッカーサーの占領政策にとって大変な打撃となるであろう。
特に、天皇の退位が戦犯裁判の判決と同時期であれば、世界は天皇を軍閥の仲間だったと見なすであろう。
これはいうまでもなく事実無根である。
天皇の退位は、「天皇に戦争責任なし」との印象を持ち始めているアメリカの世論を
逆転させることであろう。
天皇は戦犯たちに同情し、帝位を放棄したのだと受け止められるであろう。
天皇に反対する人々からは、判決に対する抗議だと見なされるであろう。
私が見る限り、退位は何の得にもならない。
8月29日
『芦田均日記』
予ての約束により宮内府長官田島君が午後七時、外相官邸に来訪。
田島君(以下Tと記す)は御退位問題について自分は白紙でいると言った。
(私も同じであると答へた)
然し宮仕へ三ヶ月にして自分は天皇が退位の意思なしと推察している。
―然しそれは自己中心の考へ方といふのではなく、
苦労をしても責任上日本の再建に寄与することが責任を尽す途だと
考へていられる如く見える、又、色々考へて見ると
周囲の情勢は退位を許さないと思ふ、と言ふ。
T氏の言ふ周囲の情勢とは
a、退位によって帝制の維持が容易になるとの見解は当らない、
悪くすると退位のために帝制が動揺するかも知れない。
b、摂政となるべき適任者がないのみならず皇太子は余り若年である。
c、SCAPが之を許すかどうか。
といふ点である。
T氏は更にいふ―
退位問題についてはSCAPの意向よりも先に陛下と話して貰ひたい。
そして次の三点に注意してほしい。即ち
(イ)退位を極るにしても御留任を願ふにしても
この問題は四大政党の一致の態度で行つて貰ひたい。
(ロ)新聞雑誌は当分御退位問題を取り扱ふだらうが、横田教授の如き論のために
G.H.Qが直ちに日本の輿論と考へることのないように充分説明して貰ひたい。
(ハ)総選挙が行はれても退位、留任の問題をCampaignに利用しないよう協定して貰ひたい。
私は以上の問題は全体として賛成であるから実現すると約束した。
10月8日
参照;10月26日付シーボルト発ベニングホフ宛。[ナショナル・アーカイブズ所蔵]『昭和天皇五つの決断』
〈芦田・シーボルト(GHQ外交局長)会談〉
「総辞職の決定を報告するため陛下にお会いした時、陛下は
裁判の判決がわかるまで東京を離れるつもりはない、と申された。
その時の陛下の口調と態度から、もしや退位を決意されたのではないかと
直感したのです」
10月28日
参照;10月29日付シーボルト発ベニングホフ宛。親展、極秘[フェデラル・レコード・センター所蔵]
『昭和天皇五つの決断』
〈マッカーサー・シーボルト会談〉
マ「実は自分も天皇が退位を考えているのではないか、あるいは裁判判決による
強い感情的緊張から、ひょっとして自殺さえ考えているのではないかと、心配していたところだ」
シ「わたしも同感です。なにしろ天皇は、東洋人であるうえに日本人なのですから」
マ「東京裁判の判決は、いわば1トン分のダイナマイトを爆発させるようなものだ。
誰もそのあとに何が起こるか予見できない。
天皇が判決の衝撃で一時的に判断力を失ってしまう怖れがある。
だが天皇が退位を考慮しているとは思えないふしもある。噂はいいかげんなものだと信じたい。
いずれにしても、そんなことになったら、ひどい政治的破綻となるから、
なんとかして食い止めねばならん。
判決が終わったらすぐ、天皇と会見する予定になっているから、
わたしの方からこの件を持ち出して、退位はきわめて愚かなことで、
日本国民に対するこの上ない不親切行為だと言って、説得するつもりだ」
シ「わたしもそう思うし、本国も今の御意見に賛成のはずです」
マ「誰が考えても、これ以外の結論はないはずだよ。
退位となったら日本は共産主義者の手に落ち、無秩序になってしまう。
君はそう思わないかね」
シ「ええ、全く同感です」
10月29日
シーボルトが会談内容をメリル・ベニングホフ国務省極東局次長に伝える
11月12日 東京裁判の判決宣告
『資料日本占領』T資料211 、『昭和天皇五つの決断』
〈田島がマッカーサーに天皇のメッセージを伝達〉
「わたくしは閣下が過日、吉田首相を通じてわたくしに寄せられたご懇篤かつご厚情あふれる
メッセージに厚く感謝の意を表します。
わたくしの国民の福祉と安寧を図り、世界平和のために尽すことは、
わたくしの終生の願いとするところであります。
いまや私は一層の決意をもって、万難を排し、
日本の国家再建を速やかならしめるために、国民と力を合わせ、
最善を尽す所存であります」
昭和天皇に関しては、正直「神宮」が出来ても良いと思うんだがなぁ・・・
11 :
船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :2005/05/10(火) 10:34:35 ID:7yexA553
自国民をバカにし、自分や国のために戦った復員兵を危険物呼ばわりしてアメリカに媚びへつらい
退位したくない、生き長らえたいと懇願するなんともご立派な人物。それが昭和帝。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本人は全体として、自己の民主化に必要な教育に欠けており、さらに真の宗教心にも欠けており、
そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすい。
かくして、平均的な日本人は、自分で考えることにおいて昔からの障害に直面している。
たいていの神道信者は超保守的で、彼らと、神道と超国家主義を同一視していた復員兵とその他の者は、
しっかりと結びつく傾向を持っているので、依然として危険な面がある。
自分の治世に与えられた名前 ―昭和、啓発された平和― も今となっては皮肉なように思えるが、
自分はその名称を保持することを望み、真に「煌く平和」の治世となるのを確実にするまでは、
生き長らえたいと切に願っている。
http://www.jca.apc.org/wsf_support/messages/1389.html
祝・昭和の日制定
次は昭和節への名称変更ですな
まあ、マターリとやっていきましょう。では退位問題最後の局面について。
1951年
9月 SF条約調印
10月17日
『木戸幸一尋問調書』
〈木戸が松平康昌式部官長を通じて、天皇に退位をすすめる〉
11月28日
『木戸幸一尋問調書』
〈松平から木戸に返事〉
孝彦から此前面会の際、依頼した陛下御退位云々の松平康昌君への伝言について、
松平君の返事を聴いた。
御退位の御希望は陛下御自身にもあり、又田嶋長官も松平君も同じ意見なるが、
只吉田首相は至て此の問題については無関心なる様子な[の]で苦慮して居る。
陛下は八月十五日前後に其の御意向を吉田首相に御伝へになつた様に思ふとの
ことであつた。依って、余としては実際の政治として此の際、
直に実現困難なるべきことは了解し得るとも、去りとて、此の儘、荏苒時を過ごせば、
もはや機会はなく、万一、世論の変動により種々論議せられたる後、
御退位を余儀なくせらるるごときことありては、誠に遺憾なり。
事実、思召のあるところを明にする機会は媾和成立の時が唯一にして、最後の機会
なりと思ふ。依って適当の時機、例えば、米国が批准したと云ふが如き機会に、
田嶋長官をして吉田首相に思召を伝へしめ、それを宮内府の厳秘の書類として
保存せしめられ置くがよからんと思ふ。
このことを今一度康昌君に伝えよと話て置いた。
1952年
1月
衆議院予算委員会で中曽根と吉田が退位問答(非国民問答)
3月
徳川義寛『侍従長の遺言』
陛下の退位問題に最終的に決着がついたのは、講和条約が批准された昭和二十七
(一九五二)年三月だったと私は思います。
葉山の御用邸で慌しい動きがありました。
徳川義寛『侍従長の遺言』
「吉田さんは一貫して陛下の退位には強く反対しておられた。
『皇太子さまは立太子礼もすんでいない』などと。
退位は駄目だと吉田さん。これで、なしと決まったのではないかと思います。
マッカーサーは東京裁判の頃から吉田さんに
『陛下は退位するようなことはないでしょうね』と念押しをしていました。
陛下も折に触れて
『マッカーサーに言ってあるので、退位したら信義に反する』とおっしゃってました」
3月21日
三谷侍従長が「米国の平和条約批准成る」の報を奏上。
3月22日
田嶋長官が拝謁。続いて吉田首相が拝謁。吉田首相が皇太子に拝謁、小泉信三が陪立。
松平式部官長が拝謁、田嶋長官が拝謁。
4月4日
『木戸幸一尋問調書』
孝彦から松平康昌君に会った時の話として、先般余の意見を伝へた天皇御退位の問題につき、
吉田首相も漸く納得して独立の記念日等の機会に陛下より其御意志を仰出さるる様、
考慮中なるが、何分国家としては、御在位を前提として居るため、
発表の案文が中々書けないので行難んで居るとのことだつた。
そこ迄漕ぎ付けたのだから、是非、実現(御意志の発表)させたいものだと思ふ。
5月3日
皇居前広場の講和条約発効式典
藤樫準二『天皇とともに五十年』
五月三日に皇居前広場で開かれる講和条約発効式典で読み上げられる
天皇の言葉の起草にあたって、
天皇は、なんども田島長官を呼んで口述した。
これを文章化して小泉信三、三谷侍従長、宇佐美毅次長にはかった。
退位はすでに考慮外であったけれども、原案には
「敗戦の責任を国民に深く詫びる」といった表現が二、三ヶ所あった。
しかし、「今さら陛下の謝罪はおかしい」という意見があり、
田島は抵抗したが、結局削除された。
朝日新聞夕刊
「この時に当り、身寡薄なれども、過去を顧み、世論に察し、沈思熟慮、
あえて自らを励まして、負荷の重きにたえんことを期し、
日夜ただおよばざることを恐れるのみであります。
こいねがわくば、共に分を尽くし事に勉め、相たずさえて国家再建の志業を大成し、
もって永くその慶福を共にせんことを切望してやみません」
徳川義寛元侍従長の日記付属資料[朝日新聞1999年1月6日]
明治天皇紀編纂に携わっていた三上参次から聞いたことであるが、
明治天皇は、大臣が辞職するのとは違って、天皇は記紀に書かれている神勅を
履行しなければならないから退位できないと仰せられたとのことである。
明治天皇の思召し尤もであろうと思う。
わたしの任務は祖先から受け継いだ此の国を子孫に伝えることである。
わたしは明治天皇の思召に鑑み、苦難に堪えて義務を果す方が国家に忠を尽すことになると思う。
熟慮の上、苦難に堪え日本再建に尽す決意である。
もし退位した場合どうであろう。何故退位したかと問われるであろうし、混乱も起るであろう。
又靖国神社の宮司にまつりあげて何かしようとしている人々もあるとのうわさもあり、
又摂政になると予測して、戦時中の役目から追放になる身でありながら動きをみせた皇族もあるから、
退位はなさらぬ方がよいと言ってくれたのは松平慶民であった。
木戸内大臣が終戦前に将来退位問題が起るであろうと言ってくれた時、
反対はしなかったが、その時とその後では事情がちがう。退位すると言ったことはない。
その他、東京裁判の頃にマッカーサー元帥から退位はなさらないでしょうねと聞いて来た時、
三谷、田島と相談して、退位しないと答えさせたことがある。
今退位すると言っては信義にもとることになる。
以上二つの理由から退位しない方がよいと思っている。
松平慶民宮内府長官と大金侍従長を一緒にやめさせようと芦田首相が進言してきた時に、
之は不便だと思い、その進言を抑え、まず松平のみを許し、
それから大金の退官も已むを得ないとして首相の進言に従った。
芦田と田島が退位について話合っていたことは知らなかった。
芦田と田島は退位論者であると解った。
そして大金が居ては退位させるのに邪魔になると思ったのであろう。
平和条約発効前に退位問題がうわさされた時、吉田首相が反対して田島らの退位論を斥けた。
三谷も田島も基督教信者である。
しかし三谷は基督教の立場から、困苦に堪える意味において退位しない方がよいと言った。
平和条約発効の記念日二十七年五月三日には詔書を発表したが、
小泉、安部、田島らの進言によったのである。
当時の不退位派に共通する見解は、退位は混乱をもたらすというもの。
具体的要素としてとりわけ、GHQ方面では共産勢力の増長拡大が懸念されている。
フェラーズは国内だけでなくソ連への影響まで言及している。
もうひとつの要素は摂政問題。見方によってはこちらのほうが深刻かもしれない。
最悪、皇位をめぐって兄弟相争うという構図ができた可能性もある。
田嶋長官も着任して間もないのに、摂政適任者不在という判断なのは興味深い所。
18 :
日出づる処の名無し:2005/05/12(木) 19:45:26 ID:TNuVG7ph BE:39959892-
ヒロヒト大好き。
日本人最大のオーラ。
神国の党首。全世界のリーダー。
今上の父上
退位に関する昭和天皇のご発言は
>>16以外にも
1945年8月29日
「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きことなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納める訳には行かないだらうか」
(「木戸幸一日記」)
1946年1月4日
「(公職追放令に関して)随分と厳しいものだね、これを、この通りに実行したら、いままで働いてきた官吏その他も生活できなくなるのではないか。
藤田に聞くが、これは私に退位せよというナゾではないだろうか」
(「侍従長の回想」)
1946年11月3日
「この憲法は帝国憲法を全面的に改正したものであって、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によって、確定されたのである……
朕は国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和を愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ」
(日本国憲法公布記念式典での勅語)
1952年5月3日
「ここにわが国が独立国として再び国際社会に加わるを得たことはまことに喜ばしく……
特にこの際、既往の推移を深く省み、相共に戒慎し、過ちをふたたびせざることを堅く心に銘すべきと信じます。
……この時に当たり、身寡薄なれども、過去を顧み、世論に察し、沈思熟慮、あえて自らを励まして、負荷の重きにたえんことを期し、日夜ただおよばざることを恐れるのみであります。
こいねがわくば、共に分を尽しことに励み、相たずさえて国家再建の志業を大成し、もって永くその慶福を共にせんことを切望してやみません」
(平和条約発効記念式典でのメッセージ)
1975年9月22日
「(真珠湾攻撃について)私が軍事作戦に関する情報を事前に受けていたのは事実です。
しかし私はそれらの報告を、軍司令部首脳たちが細部まで決定した後に受けていただけなのです。
政治的性格の問題や、軍司令部に関する問題については、私は憲法の規定に従って行動したと信じています。
退位については、憲法やその他の法律が認めていない。
だから私は、それについては考えたことがありません」
(訪米を前に皇居で行なわれた在京外国人記者団との会見で)
20 :
日出づる処の名無し:2005/05/12(木) 20:12:54 ID:6zH8Djr7
皇族と一緒にいて不快な思いをしたことがある
_..-ー'''''''''''― ..、
./ `''-、
./ \
/ ヽ
./ . l
│ はい l
| 100% |
│ ,!
l ./
.ヽ /
.\ /
`'-、 /
`''ー .......... -‐'″
>>19 いいね。この調子で史料うpしていけば、
天皇不起訴、天皇不退位、謝罪詔書不発表という一連の出来事に関して、
「なぜそうなったか」ということがより明確になる。
なぜ退位しなかったという歴史的経緯を知っていればいいんだけど、
退位すべきだったと言っている人たちがそういうことを知っているとは思えないんだよね。
かつて自分自身なーんにも知らないときは、「退位すべきだった」と思っていたから
余計にそう感じる。
23 :
日出づる処の名無し:2005/05/17(火) 23:07:17 ID:JclSwtEB
靖国神社のA級戦犯合祀に反対してたのを見れば分かるように、
昭和天皇は日本の侵略戦争のことを反省してた。
小泉も見習ってカルト的靖国参拝を止めろ。
きっと初歩的なことだと思うけど・・・
昭和天皇がいらっしゃらなかったら、日本はドイツのように分裂していた?
分裂はアメリカメインの占領のおかげでしないと思うが、退位等でもし国内混乱が深刻化すれば
赤化していた可能性はある。国内混乱状態が革命に最適の土壌と自分らで言ってるし、
戦後の共産党は50万人動員できれば革命は可能とか言ってて、
実際デモにそのぐらい動員していたからね。
ソ連とアメリカで、日本を分けるって話があったって聞いたけど。
(と高校時代の社会科教師がそう言った)
27 :
日出づる処の名無し:2005/05/18(水) 21:12:35 ID:y6DlnOU5
28 :
日出づる処の名無し:2005/05/18(水) 21:22:07 ID:2Sz8US7z
日本国内外にあれほどの被害を出しながら
なんの責任も取らずにく、たばっちまった
クソジジイ。
「退位していれば革命できたのに、クソジジイ」ということかな。クソサヨ君。
残念だったねwまあ、革命ゴッコは無人島でやってろってことで。
31 :
日出づる処の名無し:2005/05/19(木) 03:25:49 ID:RNtY+Nzc
>>28 昭和天皇に失礼だろ塵 おまえら大学壊したりさんざん暴れまわって、ワシらに1000兆
も借金押し付けええ身分やの
>>31 >ワシらに1000兆も借金押し付けええ身分やの
ウヨが財政赤字に関心を示した W
おまいこそ真の国士だ
1945年8月29日
「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きことなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納める訳には行かないだらうか」
(「木戸幸一日記」)
1946年1月4日
「(公職追放令に関して)随分と厳しいものだね、これを、この通りに実行したら、いままで働いてきた官吏その他も生活できなくなるのではないか。
藤田に聞くが、これは私に退位せよというナゾではないだろうか」
(「侍従長の回想」)
上記は読むに耐えない 戦争の規模がまるで分かっていないようだ
34 :
日出づる処の名無し:2005/05/19(木) 20:31:42 ID:mJkW5ad6
/ __`ヾ),_
/〃 (⌒゛`ヾv"ヽミ、
i / /´ _ニ=-=ニ .i l|
| 彳 〃_. _ヾ!/
| _ !" ´゚`冫く´゚`l
(^ゝ " ,r_、_.)、 | 僕の父さんは生物の研究者でも
ヽ_j 、 /,.ー=-、i リ ある素晴らしい人だよ!
__/\_ "ヽ ^ )ソ__
|ヽ. | |` ー--ィ´i |
| > |、/□、/| < |
35 :
日出づる処の名無し:2005/05/19(木) 20:42:48 ID:Tq3LmycF
>>32 このご発言、先帝の慈悲深さの表れ以外の
何物でもないと思うが。
36 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 00:38:24 ID:3a4GBMGA
【この頃の天皇と陸軍大臣との遣り取り】
この頃戦況報告に参内した杉山元陸軍大臣に、天皇が「最近の陸軍のやり方は意に添わない」
と述べ、杉山はかしこみながらも概要「事変はあと二ヶ月で片付きます。南京を占領すれば、
蒋介石も抗戦を諦めるでしょう」と奏上している。
ところが事態は泥沼に入って行くことになった。
中国側に抗日統一戦線が結成され、蒋介石の国民党政府と毛沢東率いる共産党が「国共合作」で
対抗する局面を向かえることになったからである。
この頃の話と思われるが、民政党代議士で2.26事件直後に粛軍演説で軍部に噛み付き除名
された斎藤隆夫が、
「最近の陸軍は足利尊氏より悪い。表向きは忠義づらしているが、考えていることといえば陸軍第一、
国家第二、天皇第三なんだからな」
との発言記録が残されている。
天皇の弟宮で、当時陸軍少佐であった三笠宮も、
「今の陸軍ときたら、お上のお気持ちは踏みにじる、庶民のことは『町人』と称して頭から馬鹿にして
かかる。どうして、このようなことが公然とまかり通るのか、一度、徹底的に体質改善して作りかえ
る必要があるのではないか」
との発言が伝えられている。
37 :
ケムペイ君:2005/05/21(土) 00:45:13 ID:+/NaL+57
先帝陛下は明治憲法の欠陥の犠牲者の一人。
先帝陛下ご自身は敵将マッカーサーさえ感動させた人徳の持ち主。
こういうことは、教科書にのってないからな。
38 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 22:33:22 ID:y00fDYOR
ここの住民は
なんで日本で一番戦争責任があるのにそれを一切とらずに
のうのうと皇位に居座り続けた人を賛美できるのかね?
おれはこいつは元首としての器量がない人だと思うがね
39 :
1942:2005/05/21(土) 22:35:48 ID:OzDoJHpT
>>38 勝手に思ってれば?どうせアカだろwお前さん
40 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 22:37:19 ID:8F1G6Y98
>>38 あなたのいう昭和天皇の戦争責任って何ですか?
41 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 22:38:08 ID:y00fDYOR
>>39 いやいや俺は赤ではないよ。ただなんで責任も取れない人を
あがめられるのかなって。
きっと今上天皇も昭和天皇の責任逃れについては苦々しく思ってるんじゃないか?
42 :
1942:2005/05/21(土) 22:40:31 ID:OzDoJHpT
43 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 22:41:43 ID:cFWdDNZ8
>>38 外国人がそれを言うのは内政干渉。
日本の一部の近隣国と違って戦時のことは条約、補償で解決済み。
中韓はそれをわざと無視して天皇だのA級戦犯だの解決済みのことを
再度取り上げたり言いがかりをつけ日本に内政干渉をする。
>>38が日本人なら日本政府が戦後アジアの国々にどういう対応をしたか調べるべき。
当時の日本政府は、中韓には文句を言わせないほどのことを行っている。
44 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 22:43:53 ID:y00fDYOR
>>41 侵略戦争当時の最高責任者としての政治的責任と道義的責任
>>43 何で中韓が出て来るんだよw
日本人に対する道義的責任はどうするんだ?
45 :
1942:2005/05/21(土) 22:48:48 ID:OzDoJHpT
>>44 道義的責任??なにそれ?
戦争に勝てなかった という責任の事?
46 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 22:49:42 ID:cFWdDNZ8
>>44 では、天皇の政治的、道義的責任という内容を列挙してください。
それから天皇が最高責任者だというソースをお願いします。
侵略戦争という言葉はいつ使われたかご存じですか?
侵略していない戦争があったら他国の例を挙げてください。
47 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 22:50:16 ID:y00fDYOR
天皇の大御宝である国民を、遭わなくてもいい未曾有の戦争災害に導いた責任
48 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 23:00:01 ID:8F1G6Y98
>>47 >遭わなくてもいい未曾有の戦争災害に導いた責任
それは天皇の責任というよりも、帝国陸軍の責任では?
昭和大神宮は出来て欲しいな。
51 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 23:03:58 ID:y00fDYOR
天皇は侵略戦争当時の最高責任者だし帝国陸軍は東京裁判で一応は責任とっただろ
昭和天皇はGHQに指名されなかったとはいえ裁判にすらかけられていない。
じゃあどうやって責任とったんだ?とってないじゃんって話
52 :
1942:2005/05/21(土) 23:05:24 ID:OzDoJHpT
>>47 やっぱ君 アカいよ十分w
大体 戦争災害って何?w
53 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 23:07:17 ID:ZEEuHAZm
責任とは権限があって発生する。
大日本帝国憲法では確かに天皇が主権者とされていたが、いざ国策会議の席上では
天皇の決定権はいくつもの制約がかかっていた。
天皇は独裁なんてできない立場だった。
54 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 23:13:52 ID:8F1G6Y98
>>51 東京裁判は戦勝国が敗戦国の政治的指導者を一方的に裁いたもので、
その裁判で帝国陸軍の関係者が裁かれたとしても、
それは国民に対して責任を取ったということとは違うだろ。
55 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 23:20:55 ID:y00fDYOR
>>46 >>53 昭和20年1月、フィリピン陥落の後、昭和天皇が
「(講和は)もう一度戦果を挙げてからのほうがいいのではないか。」
って述べたのは有名でしょ?当時の天皇は現人神だったんだからその発言は絶対でしょうに
そんなこと言われたら最高戦争指導会議や側近は身動き取れなくなるだろ。
日本各地の都市への空襲とか、住民を巻き込んだ沖縄玉砕なんかそれがなかったら
起きなかったかもしれんし。
とくに7月のポツダム宣言は文中に「条件は以下の如し」とあるから
無条件降伏から有条件降伏へと日本にとって有利となっってたのに
それを敢えて無視させたのが、昭和天皇の言葉だろ。
これだけでも十分責任あると思うが
56 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 23:30:11 ID:8F1G6Y98
>>55 当時日本の指導的立場にあった方々が、昭和天皇のご意向に沿って政治を行っていたならば、
あんな未曾有の事態にもならなかったでしょうにね。
57 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 23:44:51 ID:xHVdMMf6
「国民を今日の災難に巻き込んだことは申訳なく思っている。
退くことも責任を果たす一つの方法とは思うが、むしろ留意して国民と慰めあい、励ましあって日本の再建のためにつくすことが、先祖に対し、国民に対し、またポツダム宣言の趣旨にそう所以だと思う」
昭和天皇のこのお言葉で私には十分ですし、道義的責任は果たしたと思います。
58 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 23:46:44 ID:teLX0XcD
退位しなかった昭和天皇の責任より、
昭和天皇を免責した日本国民の責任のほうが重い。
59 :
日出づる処の名無し:2005/05/21(土) 23:49:59 ID:y00fDYOR
なぜ?ぜんぜん足りないよ。最低でも退位は必要だったと俺は思うが
自身もマッカーサーと対面した時に責任は自分がとるって言及したし
確かに道義的な責任は責任のとり方が難しいということはあるだろうな
60 :
日出づる処の名無し:2005/05/22(日) 00:00:09 ID:StQ+dG9b
>>58 戦前は国民も大々的に戦争を支持していたわけで、
国民にも大日本帝国を亡国たらしめたという意味での戦争責任があったわけだけど、
昭和天皇の戦争責任を免責することによって国民の戦争責任も免責されるという心理的構図があったんだろうね。
日本史板より史学的な、史料に基いた議論ができるスレだったのに・・・。
>>55 それは2月の近衛上奏のときの発言でしょう。引用は正確に。
で、この発言がポツダム宣言「黙殺」に関係しているという史料はどこに?
>それを敢えて無視させたのが、昭和天皇の言葉だろ。
因果関係の認識がめちゃくちゃなんですけど。
バタフライ効果や風桶話の類まで因果関係を認めていると、
朝鮮戦争は日本の責任ということになりますよ。
近衛上奏のとき降伏しろとかいうのはアカと呼ばれても仕方ないわな。
そりゃ天皇制打倒が前提にある人間なら国体護持は放棄して完全無条件降伏しろと簡単に言える。
おまけにドイツとの単独不講和協定も無視しろということになる。
国際条約を屁とも思わないソ連のお友達なら簡単にできることでしょうけど。
一撃講和は失敗に終わったが、一撃講和論は間違ってはいない。
不利な状況でも最善をつくす必要がある。
その結果、出血講和は成功したわけだから、沖縄戦は無駄ではない。
米軍出血の結果それまで無条件降伏を要求していた連合国がポツダム宣言で条件をつけてきた。
もう少しがんばっていればグルーの意見がバーンズを圧倒して、より日本に有利
なものになっていたかもしれない。
64 :
日出づる処の名無し:2005/05/27(金) 20:56:11 ID:5WwKwmUX
さっさと投降すれば核落とされずにすんだのにな ヘタレ
サヨクって日本を分裂させたかったのかー
海に沈めばいいのにな・・
66 :
日出づる処の名無し:2005/05/28(土) 09:16:00 ID:Fm0Cm4d5
質問です。昭和天皇の埋葬方法は火葬でしょうか?それとも土葬でしょうか?
古墳を見る限り土葬のようですが、崩御から埋葬まで1ヶ月ぐらい経っている。
最近亡くなった高松宮妃は希望で火葬になったそうですが、基本的には
皇族は土葬なんでしょうか?
近衛はグルーの情報しか聞いていないのにそれがアメリカの総意だと
思っていたのがイタい。それで国体護持は確実と思い込んでいる。
国体護持楽観を根底にしているから、平気で早期降伏を進言できた。
実際は、グルーら知日派はバーンズ一派に押されまくってポツダム宣言でも天皇制保障を案文に
盛り込むことができなかった。バーンズ回答でも同じ。
68 :
日出づる処の名無し:2005/05/28(土) 12:09:28 ID:4OK40Qyy
天皇が徹底抗戦を国民に呼びかけてていたら、原爆を何発落とされようと戦争は継続されていただろうよ。
それだけは確か。
昭和天皇がいつ一撃講和を諦めたか。独白録では
>(五)講和の決意
>雲南作戦も已に望みなしと云ふことになったので、
>私は講和を申込むより他に途はないと肚をきめた。
となっているが、これだけでは具体的に期日を特定することは難しい。
一方、以下の史料は極めて示唆に富んでいる。
『高木惣吉資料「秘録抜粋」』
昭和20年5.11
〈近衛が〉尚木戸に突っ込んで一体陛下の思召しはどうかと聞いたところ、
従来は全面的武装解除と責任者の処罰は絶対に譲れぬ、それをやるようなら
最後まで戦ふとのお言葉で、武装解除をやればソ連が出てくるとの御意見であった。
そこで陛下のお気持を緩和することに永くかかった次第であるが、
最近(五月五日の二、三日前)御気持が変わった。
二つの問題も已むを得ぬとのお気持になられた、のみならず
今度は逆に早い方がいいではないかとのお考にさへなられた。
『細川日記』
昭和20年5.24
(略)
内府と公と会見せられたる折、内府は、
「最近御上は、大分自分の按摩申し上げたる結果、戦争終結に御心を
用ひさせられるることとなり、むしろこちらが困惑する位性急に、
『その方がよいと決まれば、一日も早い方がよいではないか』
と仰せ出される有様なり。
その際、『鈴木は講和の条件等については尚弱い』と仰せありたり」と。
「唯軍の武装解除につき、多少心残りもありたる様なりしも、
『三千、五千の兵が残りたりとて、殆ど有名無実なり』と申し上げたる所、
それも御断念被遊たる様なり」と。
『木戸幸一日記 東京裁判期』
〈戦後の回想1950年4.17〉
陛下は実の処一九四五年の初期には、未だ軍備を撤廃される位ならば戦争を
継続する外ない位のお考への様であつた。
武装なき国家となつてしまつては国家自体の存続が出来まい、云うような
御心配を往々洩らして居られた。
併し四月の末か五月の初め私は近衛公に会つた時、
「陛下も此の頃は軍備の保有を口にせられなくなり、
殆ど無条件でもいいから早く終戦したい御気持になられて居る」と話たことがある。
実際その頃には民族を絶滅より救ふことに手一杯と云ふ感じに変られて、
かれこれ条件をつけて居ては民族そのものの滅亡になつて了うと云うまで
考へつめて居られた様である。
近衛と木戸が会談したのが5月5日。これは木戸日記でも確認できる。
高木惣吉資料に記載のある5月5日の2、3日前の木戸日記をみてみると、
5月3日は簡潔に拝謁があったことしか記されていない。
5月2日は以下の通り。
>十一時三十五分より十二時十分迄拝謁、更に一時五十分より同五十五分迄、
>御文庫に至り拝謁、独総統薨去等の情報に伴ひ内閣の執れる方針につき、
>外相の依頼により大体を奏上す。
そして5月1日には
>十時五十五分より十一時四十五分迄、御文庫にて拝謁、
>独乙の運命を中心に種々御話ありたり。
このドイツ降伏に関する部分は、独白録の以下の部分と関連性があるといっていいだろう。
>
私に[は]「ニューギニア」の「スタンレー」山脉を突破されてから
勝利の見込を失つた。
一度何処かで敵を叩いて速かに講和の機会を得たいと思つたが、
独乙との単独不講和の確約があるので国際信義上、独乙より先きには
和を議し度くない。
それで早く独乙が敗れてくれればいいと思つた程である。
まあ昭和天皇は三国同盟には反対で松岡外相には厳しい見方をしているな。
東条については同情的のようだ。
『本庄繁日記』
昭和8年4月17日
〈鈴木侍従長の話〉※原文カナ
陛下は歴史に精通され
一、奈翁は半世は仏国の為を考へたるも、後半世は自個の名誉の為に戦ふ、是失敗の因なり。
二、露帝室の亡びたるは帝室の為にのみ計り、露人民の為めを顧みざりし結果なり。
三、独乙の亡びしは自国の為のみを考へて、世界各国の為めを顧みざりし結果なり。
此の如き大きな考を保持せらる。
又、論語に、或人子貢に政治を問ふ、子貢答へて曰く、
国家に不足なるものあらば、第一に兵を去れ、第二に食を去れ、
只国の信義のみは如何なる事あるも去る能はず、と。
>
昭和天皇が、たとえ相手がドイツやソ連でも常に国際条約遵守を原則として、
たびたび国際信義という言葉を口にするのはこういう東洋的な帝王学に由来
しているんだね。特に
>国家に不足なるものあらば、第一に兵を去れ、第二に食を去れ、
>只国の信義のみは如何なる事あるも去る能はず、
この部分が印象的。
75 :
日出づる処の名無し:2005/06/04(土) 22:02:11 ID:oYXOHo29
昭和天皇や当時の重臣たちの行動云々について語るには、明治の法体系全般
を細微に説明しないと解らない。感情的な批判より、当時置かれていた国内外の状況
や西洋諸国に認められるため急ごしらえで作成した明治の法体系の欠陥等について
解り易く説明したほがいいのでは・・・?
76 :
日出づる処の名無し:2005/06/06(月) 10:55:34 ID:wlnwnSQ+
「昭和天皇の戦争責任」と「イタリア国王エマヌエーレ三世の戦争責任」の違いは何でしょうか?
保守
78 :
日出づる処の名無し:2005/06/12(日) 06:08:46 ID:+sTwSnQl
79 :
日出づる処の名無し:2005/06/12(日) 07:33:21 ID:vqYcT+W3
ご訪米の際に?
>>60 その戦争責任とはだれに対して負うものか?
敗戦責任のことか?
保守
82 :
日出づる処の名無し:2005/06/19(日) 21:15:09 ID:wFgwRJg+
昭和帝、明治帝のみが真の天皇である。
良スレ保守。
何も調べないで自分の憶測・願望を書きこむ人がいるのがちょっと残念。
誰がなんと言おうとも
どっかの外国人が呼び捨てしたりひどいこといっても
私の中では
「雑と言う草はありません」の人
でしかなかったりする。
ほしゅついでに言ってみた。
「普通のカタツムリというものはいない」もおもすろいよ。
以下、『昭和を語る』から御学友の渡邉昭氏のインタヴューを一部引用。
大正十年、皇太子時代にパリにいらっしゃって、エスカルゴ(カタツムリ)をお食べになった。
それである時、御学友の一人の松平直国というのが
「日本のカタツムリを料理して食べた人がございましたよ」と申し上げたんです。
すると陛下-そのときは陛下になっておられた-が、
「日本のカタツムリには、こういうカタツムリと、こういうカタツムリと、こういうカタツムリが
いるが、どれだ」とおっしゃる(笑)。
松平は「普通のそこらへんにいるカタツムリです」と(笑)。
陛下は「普通のカタツムリというものはいない」とおっしゃるので、
松平は「それでは調べまして」ということになった。ともかくよく知っていらっしゃる。
86 :
興亜一心:2005/07/05(火) 22:49:43 ID:7NgCdGMf
「この世に「雑草」という名前の植物は無い」全ての物を平等に愛する陛下の御心を表す名言である。
違う板でも書いたが陛下は「共産主義者」ではないかと思います。
87 :
84:2005/07/05(火) 23:20:21 ID:MCAAqtRd
共産主義者かどうかはどうだって良いのですけれども、
愛される雑草で居たいものです。
「雑草」でかまいませんから・・・
88 :
興亜一心:2005/07/05(火) 23:36:52 ID:7NgCdGMf
GHQが天皇の権威を失墜させるために行った「人間宣言」民衆にもまれながら「朕は汝人民と共にあり」・・
は逆効果となり国民は却って陛下をいっそう崇拝するようになってしまった。
赤旗を振ってお迎えする労組員に「組合の健全な発展を祈ります。日本の再建のために努力してください」のお言葉。
いいなあ。日本人って。
89 :
興亜一心:2005/07/05(火) 23:58:41 ID:7NgCdGMf
>87
失礼いたしました。
「共産主義」だの「帝國主義」だのなんて我々人民のレベルの話ですよね。
「現人神」の陛下には関係ないことでした。
90 :
日出づる処の名無し:2005/07/10(日) 02:09:06 ID:1LnwrLhW
91 :
日出づる処の名無し:2005/07/10(日) 10:35:23 ID:c44/miVv
>>50 神道に興味が無い人が増えて、神職になる人が激減してるから
建設してもすぐに寂れて潰れるだろう。
まあ、それを言ったら靖国神社も明治神宮もいずれはそうなるだろうが。
おまえ等…
もし、サマワの自衛隊が戦闘状態になったら天皇陛下の責任と言うのか?
小泉を内閣総理大臣に裁可したのは確かに天皇陛下だからなぁ
>>91 心配無用。
現在の神職不足や神社の荒廃は、ひとえに地域共同体が破壊された結果、
地方の神社が役割を終えて余ってしまっただけのことだから。
昭和神宮は是非国民運動にしたいなぁ。
爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも
95 :
日出づる処の名無し:2005/08/06(土) 18:33:06 ID:MwaBK2rN
age
96 :
宮内庁.com ◆K.qmyQDBQc :2005/08/10(水) 04:40:29 ID:IaMUlyQx
どうも宮内庁.comです。
97 :
個人の尊厳☆:2005/08/10(水) 11:49:00 ID:I4hqvETF
98 :
日出づる処の名無し:2005/08/19(金) 19:33:00 ID:jmTx8/a9
age
99 :
日出づる処の名無し:2005/08/25(木) 16:39:56 ID:oV5eJDfo
age
稀代の犯罪者ですよね?
神職って、神藤学部出てないと駄目なの?
國學院とかかな、やっぱ。
ちょっと興味あるけど、理系のオレ。
大学入り直すわけにもいかんし、まあ、無理なら普通に税金・年金払える職に付きますが。
105 :
日出づる処の名無し:2005/09/05(月) 14:39:44 ID:xkbmfFVO
責任のみ存在する権威職・・・
106 :
日出づる処の名無し:2005/09/05(月) 16:58:01 ID:4jnHbubW
ヒロヒトって、マッカサーに((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル しながら命乞いした奴だろ
あの時、最低の愚帝じゃなくて、秩父の宮だったらな。 いまさらどうしようないけどさ。
108 :
日出づる処の名無し:2005/09/12(月) 15:35:23 ID:k6yELxyE
>>106 それはマッカーサーの手記からか?
続きをよく嫁
109 :
日出づる処の名無し:2005/09/13(火) 19:56:02 ID:cZbIZ7jx
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/ / \ ヽ / /
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/ / `ー 、 | \ \ / \
| .| ー―-、 | \ \ / \
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ヽ | | ヽ  ̄'/ 【  ̄ , |_// \ / /\ \
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ヽ、 |||||:|||||||||ll ( / / /
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_ ,――| \ / / \ \ /
110 :
しまりす:2005/09/13(火) 20:20:51 ID:9DNRbO3J
>>106 >ヒロヒトって、マッカサーに((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル しながら命乞いした奴だろ
小さいときから天皇の教育を受けた昭和天皇はストレスが大変だったと思います
その様な教育を施された人が自分のために ((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル しますか?
あ、極東3国さんのおうさまは事大すれば問題ないですから関係ないですね(ワライ
アメリカの歴史家は「マックはヒロヒトにレイープされたのだ」って書いてた。
すげえ。
後の「自衛戦争」「満州国は防波堤」発言を先帝にレイープされた結果だと考えると面白いな。まあ、んなこたぁねーだろうが。
113 :
日出づる処の名無し:2005/09/13(火) 22:01:46 ID:H3ycrq8d
>82
> 昭和帝、明治帝のみが真の天皇である。
終始幕府を信頼し、勝手に勤皇を唱えてはテロや騒乱を企てた長州を
嫌悪した孝明帝こそが真の天皇である。
114 :
日出づる処の名無し:2005/09/23(金) 19:19:01 ID:vbALJ3HQ
保守
115 :
日出づる処の名無し:2005/09/23(金) 19:41:23 ID:30Z7t4mn
日本国天皇御名は、この書を見る各位に宣示する。
日本国政府は、日本国の全権委員が連合国の全権委員とともに千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名した日本国との平和条約を閲覧点検し、これを批准する。
ここに、日本国憲法の規定に従い、これを認証し、その証拠として、親しく名を署し、璽を鈴せしめる。
昭和二十六年十一月十九日 奈良において
御名御璽
内閣総理大臣 吉田 茂(印)
外 務 大 臣 吉田 茂(印)
>>111 下品極まりない批評だな、その米人史家。
「徳」がわからないんだろう。
元首に感化された、近代では稀有の例として取り上げるべきだろうに。
117 :
日出づる処の名無し:2005/09/27(火) 16:46:26 ID:3aOs1l/T
118 :
日出づる処の名無し:
でも昭和世代の漏れには先帝陛下のほうが「ミカド!」って感じがしてよかった