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大切なのはただ一人の意志 後の者はそれに従えばよい
統治とは上から始まり下で終わるものだ
∧,,∧
ミ゚Д゚彡
< y~|⊃
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自らが抜きんでて優れているがゆえに大衆の主人として彼らを導く義務があると自負した独裁者達。
その峻烈な政治手腕から極東での戦略を学ぼう!
前スレ
★ヒトラーから学ぶ極東地域における方法論★
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/asia/1102522853/ ヒトラーに学ぶ
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/asia/1101722526/
ヒトラー、スターリン、毛沢東、ポルポト、その他の独裁者や扇動者。
彼らの行動や言葉から極東での戦略を考察するスレです。
前スレ悪名高いヒトラースレの次スレ、
知ってる人も知らない人も、またよろしく。
まずはフィリピンの独裁者マルコスに関して、
石原慎太郎氏自伝の『国家なる幻影』を参考にしながら紹介。
石原慎太郎都知事は、かつてのフィリピンの
独裁者マルコスによって暗殺された
ベニグノ・アキノ上院議員と親友だった。
マルコスはアキノ氏を逮捕し殺そうとしたが、
石原さんはフィリピンでマルコスの利権に繋がっていた
丸紅の檜山会長に頼んで殺さぬように電話させ助けた。
だがマルコスは、ロッキード事件にひっかかって檜山会長が
身動きがとれなくなったのを見計らって、再びアキノ氏を殺そうとする。
当時、石原さんは国会議員であったが船で獄中からアキノ氏を救おうと計画した。
5000万円を集め、自衛隊で特殊訓練をうけた男3人をつれ、
船を動かす専門家と自らもフィリピンに乗り込もうとする。
しかし、その時は計画を決行する前にアキノ氏が
心臓病で倒れアメリカでの治療を希望し、マルコスは国外追放という形で
それを許可したため計画は決行しなかった。
そして、再びアキノ氏がフィリピンに帰ろうという時
彼は自分が暗殺される事を知っていた。
その最後の夜に石原さんは
彼と最後の電話を交わす。
アキノ「慎太郎、ひょっとするとこれは、俺達の最後の会話になるかも知れない。
ついさっきニューヨークのマセダから電話があった。俺の帰国に備えて、
二重構造の暗殺が準備されているそうだ」
慎太郎「どういうことだ」
アキノ「誰か偽の犯人を仕立てて、そいつと俺を一緒に殺すということらしい」
慎太郎「どこでだ」
アキノ「空港でだろう」
慎太郎「なるほど、奴等ならやりそうなことだぞ。
しかし、何でマセダがそれを知っているんだ」
アキノ「彼の女房はイメルダの親戚だし、彼の親しい仲間にも仕方なしに
マルコスの体制の中にとどまっている者が何人かいるんだよ」
慎太郎「なるほど、あいつらか。で、彼はなんといっていた」
アキノ「だから、帰国するな、一度アメリカに戻って来いと」
慎太郎「そのことをエンリレには確かめられないのか」
アキノ「彼とは連絡がとれなかった。この計画は彼の配下の連中というより、
マルコスの番犬をしている参謀総長のペールの手で作られているに違いない」
慎太郎「マルコスからの電話には、いちいち立ち上がり、敬礼して話すというあの男か。
それならいっそう危険な話だぞ。エンリレの責任でそれを確かめさせた上で帰ったらいい」
アキノ「いや、それは出来ない。俺は予定通りに、明日あの国に帰るよ」
慎太郎「馬鹿な。ターミナルで黄色いリボンをつけて君を迎えに出ている
若者達のためにかね。彼らは11年間君を待っていたんだ。
それをもう一月延ばしたとしても、連中はリボンを皺にならぬようにしてしまって、
必ず君を待っていてくれるよ」
アキノ「いや、駄目だ。俺を待っているのは彼らだけじゃない。俺自身が待っていたんだ。
俺はみんなに、我々はもう待てないという事を伝えに帰らなけりゃならないんだ。
俺はな、病院でも、アメリカでも死にたくはないんだ。死ぬなら自分の国で死ぬよ」
長い沈黙の後
慎太郎「OK」
アキノ「今なんといった」
慎太郎「OK、といったよ」
アキノ「それだけかい」
慎太郎「ただ幸運を祈るよ」
アキノ「OK。ありがとう。じゃ、さよならだ」
石原さんはその後起こった事についてこう書いている。
その翌日、予定通り到着した中華航空811便に、5人の兵士が入ってきた。
アキノを確認し両腕をとって促し、タラップから地上に連れ出し
十数年ぶりに踏む祖国の土を数歩も歩かぬ内に一人が後ろから拳銃で彼の頭を撃ちぬいた。
その様子は同行していたテレビのスタッフが撮影し、日本のテレビで放送された、
あのあどけないほどの笑顔にこめられていたものが何だったかを知る者は、
最後の会話を交わした私しかいはしなかったろう。
兵士達に腕を捉えられながら、ほほ笑みながらも彼は明らかに怯えていた。
しかし、それを誰が咎めたり嘲笑うことが出来るだろうか。
ニューヨークの裏切り者から聞かされたことが今まぎれもなく、
わが身に起こるのだという事を、騒然とした機内で彼だけが知っていたのだ。
それにたじろがぬ人間などいるはずはない。
そしてなお彼は、静かにうなずいて自分から目の前にある
自らの死に向かって踏み出していったのだった。
彼を信じて彼に期待する国民を、独裁への拒否に向かって促す為だけに。
それこそが政治家としての完璧な責任の履行だった。
そしてアキノ氏は石原さんへこんな手紙送っている。
『親愛なる慎太郎。
私の国の政府が帰国のための正式な書類を出してくれるとは、
もともと思ってはいなかった。だから、ここまで来たら、私は私のやり方で進むつもりだ。
合法的な書類がないから日本航空は使えないので、明日十五日、月曜日にアメリカを発ち、
東南アジア経由で国に帰る。
私はいよいよ明日、危険な旅に向かって出発する。わが国の歴史の中で、
かつてこんなことをやろうとした人間は一人もいなかった。
私はアメリカで自由な人間として過ごす代わりに孤独な独房に戻り、
あるいは銃殺隊の前に立つかも知れぬことを選んだのだ。
マルコスが私の為に銃殺隊を整列させるなら、私にとっても悲劇だろうが、
しかしそれこそが起こり得る最良の事態かも知れない、とも思う。
私の死は大きな変革の端緒になる事は間違いないだろう。
マルコスは銃弾と一緒に私に最大の名誉を与えることになる。
私の運命がどうなろうと、神が君のような友達を与えてくれた事に感謝している。
君は私が最もつらかった時も、国が異なりながら私の事を忘れずにいてくれた。
私が投獄された時、我々の友情は辛い試練を受けた。
そして、君がボストンに来たあの夜、君が私をあの監獄から救い出す事を
本気で計画していたと話してくれた時から、私は永遠に君と結ばれた。
あの瞬間から、我々は本当に兄弟になったのだ。
君と君の家族に神の恩寵を』
>>5-9を読めば北朝鮮の体制が自業自得である事がよく分かる。
あのどうしようもない金正日体制を支えているのは他力本願の
朝鮮人根性そのものなのだ。
アキノ氏だってアメリカで安らかに死ぬ道だってあったはずなのに
祖国の為にあえて死ぬ道を選んだ、そして、彼の死こそ
フィリピンの変革の原動力になった。
また在日朝鮮人に一人でも金美齢さんのように
命がけで祖国の為に闘ってきた者がいるだろうか?
朝鮮人が南北分断やその他の問題を全て日本人のせいにしている間は
金正日は健在であろうし、また、それが運命の摂理というものだ。
天は自らを助けない者には決して力を貸したりはしない。
日本はそんな朝鮮人の頭の上から金正日を取り除いてやる必要はないのである。
日本人にとって関心があるのは拉致された日本人の事のみであり、
元日本の在日を含め、我々は朝鮮人など一人も惜しくはないし、ほしくもない。
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < 次に竹島の問題
ミ__ノ \_______
今までの流れを大まかに
竹島の日成立
日本の竹島(韓国名・独島)をめぐり、
2月22日を「竹島の日」と定める条例が16日、
島根県議会本会議で賛成多数で可決、成立した。
議会には韓国メディアも多数詰めかけ、採決は厳戒体制の中で行われた。
日韓両国は国交正常化40周年の今年を「友情年」と位置づけ、
交流を拡大させる考えだったが、韓国内で反日感情が高まるのは必至。
「冷静な対応」を求める日本政府に対し、
韓国政府は「何らかの対抗措置」を打ち出す方針で、
日韓関係への影響は避けられない見通しだ。
条例は、県議会の超党派の議員が提案。
韓国が実効支配する竹島の領土権確立を目指した運動を推進し、
国民世論の啓発を図るのが趣旨で、
1905年(明治38年)に県が編入を公示した2月22日を
「竹島の日」と定めるとしている。
島根「竹島の日」条例が成立
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050316it05.htm
島根県議会が「竹島の日」を制定したことに韓国は反発を強めていて、
韓国の日本大使館前で18日、男性が焼身自殺を図った。
太平洋戦争犠牲者遺族の集会に参加し、ライターで体に火をつけたという。
焼身自殺を図った男性は「急に感情が高まり、ガソリンをかぶって、
わたしの体を日本大使館の前で燃やそうと思いました」と話した。
日本の領土で、韓国も領有権を主張している島根県の竹島をめぐり、
韓国での騒動は広がる一方で、デパートでは、竹島の写真を印刷した
「竹島Tシャツ」が販売されている。
韓国のすべての学校では、竹島についての特別授業が始まり、
子どもたちは、竹島の絵を描いたり討論したりしている。
竹島に登る観光客、さらに竹島で合コンするツアーまで登場した。
ソウル市内の結婚情報会社では、3月26日から「竹島合コンツアー」を参加費無料で始めるという。
こうした韓国での状況に対し、町村外相は「いたずらに感情的になることなく、
冷静にこうした問題には対処しながら」と述べた。
竹島問題について、日本は1954年に国際司法裁判所で裁判することを要求したが、
韓国側が拒否したため、裁判は実現していない。
「竹島の日」を制定した島根県の隣にある鳥取県では、
姉妹交流をしている韓国・清州(チョンジュ)市から17日、突然、
「交流中断を検討する」との声明文がファクスで届いた。鳥取市都市交流室の岡部哲彦室長は
「こういう文書が来なければいいなあと思っていましたが...」と話した。
また、韓国・済州(チェジュ)島の一部のゴルフ場では、17日から日本人の入場を禁止した。
「竹島の日」制定に韓国反発 韓国の日本大使館前で男性が焼身自殺図る
http://www.fnn-news.com/headlines/CONN00066888.html
この領土問題について
ヒトラーの『わが闘争』では何と書かれているか
「外交に感傷は不要」
国境は人間によって作られ、そして人間によって変えられる。
「失地回復」
抑圧されている国土は激しい抗議でもって共通の国家のひざの元に戻ってくるのではなく、
戦闘力のある剣によって取り戻されるのだ。
この剣を鍛造することが、一民族の国内政策上の指導の課題であり、
鍛造作業を安全にし、戦友を探すのが外交政策指導の課題である。
失われた失地の回復は、神様にいかめしく請い求めても、あるいは国際連盟に
無邪気に期待を抱いてもなされるものではなく、武力によってだけ実現される
ということについて、ともかく、充分に知っていなければならない。
>>17は、これはその通りで
話し合いによって奪われる領土などは存在しないのだから
話し合いによって取り返す事も不可能だ。
チベットは話し合いによって失われたのではなく力によって奪われた。
北方領土もまた力によって奪われたのだ。
問題になるのはただ一つ、日本ははたして韓国より弱い国なのか?という一点だ。
西村眞悟議員がテレビで
「竹島の問題、韓国のテレビ局が取材にきて、
これは戦争で片付けないといけない問題なんだ。君達は日本と戦争するつもりか?
日本がその気になったら案外強いよ。やるか?
と言ったら、冷静に聞いてそうですねと言って帰っていった」
と、こう発言していたが・・
そう!この問題は日本が武力を背景にして強く出れば解決する問題だ。
>>20 こんな妖しいスレにまで来てくれるとは、
(n‘∀‘)ηありがとおぉぉ
30レスまで保守
>>1 スレッドタイトルが違ったので判らなかったぞよ.
>>17 実に悩ましいところで。
竹島のために国土防衛戦争をやらかすつもりがあるか?と訊かれると、
殆どの国民にはない。
多くの国民は、領土問題が自国民の安全と財産の保護に関わる問題であることを忘れている。
だから最近思うのだが、竹島問題を語るときには、李承晩ラインの犠牲者を追悼してからでないと、
単なる嫌韓感情の延長や、反・反日思想の暴走結果と、一般国民は誤解しかねない。
即死回避のために、お払いしときますね。
∧ ∧ ◇
( ゜▽゜)_ /◇◇
/__|]⊃y__|]⊃ ◇ ◇
/`ー==キ| 彡
∠ニ/_つつゝ
◇ ∧ ∧
◇◇\ (゜▽゜ )
◇ ◇ ⊂[|_y⊂|]
彡 彡 |キ==-丶
⊆⊆≪_\
水木しげる著、劇画ヒトラー
かなり昔の漫画だけど、面白いよ。
「おー、故郷の干しリンゴ」とか、「日本人はトーフを食べてるからね」とか、
水木口調でヒトラーが会話してる(w
(,,゚Д゚)つ旦 < 即死回避のお茶でも、どぞ。
えっと、スレ立てから、24時間以内に30レスだっけか?
急がないとヤバイんじゃないの?
即死阻止、支援 ⊃旦~
>>24,26-28
ありがたう。
即死判定は30レス未満のスレが
最終書きこみから2日以内にレスが付かないと落ちる
って事だから大丈夫。
スレの内容的に
じゅりあネエに保守してもらって
後ろめたい気がするぜw
>>23 そう実際には、この満腹の日本国民に
日本にとっての領土と海洋資源が
死活に関わる問題だと理解させるのは難しい。
そんな時にこそマスコミに世論を煽ってほしいのだが、
筑紫哲也はパネルに「なぜだ!」と書いて
「日本が感情的になって売り言葉に買い言葉で
竹島をめぐって日韓がおかしくなるような関係に
いかないように大人でありたい」とか・・・
まずはあの自称ジャーナリストどもの口に栓をしとかないと。
ちなみにこれね。
ワールドカップを一緒にやったり、
そしてヨン様ブームがあったりという、
日本と韓国との間は非常に良い関係だと思っていたのに、
最近突然こういう事がずっと続いているというのに
驚かれている方も多いんじゃないかと思うんですけど、
私もはっきりいって驚きであります。
蜜月状態はなんだったのか。竹島の問題っていうのは、
確かに両国とも自分たちの領有を主張している問題ではありますが、
しかし実質、実効支配を現在のところしているのは韓国側でありまして、
それを奪いとるために日本が今から軍隊を出そう
と言っているわけではないわけであります。
にも関わらずどうしてこんな騒ぎになるんだろうかというのは、
やっぱり両国間の関係の難しさというものを示してると思います。
ただ、こういう事は繰り返しあったにも関わらず、
私は元に戻る事はないだろうと一方では思います。
ものがなかなか言いにくかった時代が両国の間にありましたけれども、
少なくとも言いたい事はお互いに言おうという線では、
お互いにそんなに変わっていないわけではありまして、
ただ問題なのは言いたい事だけ言い合っていくと、
段々感情的になっていく事であります。
ここは、私は日本が本当に感情的になって「売り言葉に買い言葉」で、
本当に竹島を巡って日韓がおかしくなるというような、
両国にとってなんの利益もならないような関係にいかないように、
本当に大人でありたいなと思っております。
News23 多事争論3月17日(木)「なぜだ!」
http://www.tbs.co.jp/news23/taji/s050317.html
竹島の日に続くか?
【石垣】大浜長照石垣市長は22日の市議会3月定例会一般質問で、
尖閣諸島への上陸を希望していると報道機関にコメントしたことについて
「行政区の首長として視察する責任がある。自分の目で実際に見ないと
イメージがつくれない」と強調。海上保安庁の協力で上陸を実現させたい
との姿勢をあらためて示した。亀谷善一議員(平成市民の会)への答弁。
大浜市長は「尖閣諸島は国際法上も日本の領土と認められている。
できれば上陸したい。できなくても上空から視察したい」と述べた。
一方、市議会で「尖閣諸島の日」条例の制定を目指す動きが出ている。
島根県議会による「竹島の日」条例可決に触発された形。
「尖閣諸島が外国に実力支配される前に条例を制定したい」と、
伊良皆高信市議(平成市民の会)が呼び掛けているもので、
市議会6月定例会に提案する考え。尖閣諸島が日本固有の領土であることを
対外的にアピールすることが狙い。
条例案が可決されるかは不透明だが、制定された場合、
領有権を主張している中国・台湾の反発は必至。
尖閣諸島は、石垣市登野城2360番地―2365番地と登録されている。
一方で、台湾北東部の宣蘭県当局も2004年になって台湾の領土として登記した。
石垣市議会は2004年3月、中国人活動家の尖閣諸島・魚釣島への不法上陸を受け、
不法入国再発防止と警備強化を求める要請決議案を全会一致で可決。
「市の行政区の安全を守るためにも外国人の不法入国再発防止に向けて
巡視船の増強など警備強化を要請する」との決議文を首相や関係閣僚に送付した。
石垣市議会が「尖閣の日」提案の動き
http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/today/050322ea.html
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < 日本と比較してヒトラーの領土政策
ミ__ノ \_______
「わが民族の子孫の為、領土獲得はもはや権利ではなく義務である。
この世でもっとも神聖な血は土地の為に流される血である。」わが闘争より
1936年3月2日
ラインラント占領準備を命令。
3月6日
ヒトラー、翌朝にラインラント進駐するよう命令。
3月7日
午前5時、ヒトラー、ドイツ軍をラインラント非武装地帯に進軍させ占領。
ヴェルサイユ条約、ロカルノ条約を破棄。
午後、ヒトラー国会で演説「現在ドイツ軍は進軍中である。」と発表。
国会は興奮のるつぼ。
政策の承認を国民投票に委ねると宣言し国会を解散。
後にヒトラーは語る。
「ラインラント進駐後の48時間は自分の一生で最も神経を痛めた時間であった。
フランスがラインラントに兵を進めれば我々は尻尾をまいて撤退しなければならなかった。
わが方の手中にあった軍事資源は、ごく控えめな抵抗をするにもまったく不充分であった。
私は平然としている振りをしなければならなかった、我々を救ったのはテコでも動かない
がんばりであった」と。
ヒトラーが
「私なら反撃し、一名のドイツ兵もライン河を渡すことはない」
と自分で言うほどドイツ軍はまだ弱かった。
1936年3月29日
国民投票。98.8%がヒトラーを支持。
1936夏ベルヒテスガーデン
四ヵ年計画覚書。ドイツの軍隊は四年間で投入可能となっていなければならない。
ドイツの経済は四年間で戦争可能となっていなければならない。
1936年11月25日
日独防共協定調印。
1937年11月6日
日独伊防共協定、ローマで調印。
ヒトラー、ムッソリーニからオーストリア問題の譲歩を得る。
1938年1月26日
国防相、ブロンベルク元帥を罷免。
2月4日
ヒトラー、陸海空三軍を統括する国防軍最高司令官に就任。
1938年2月12日
オーストリア首相をベルヒテスガーデンに招き併合を要求。
2月14日
ヒトラー、オーストリアに軍事圧力を加えるよう命令。
1938年3月10日
ヒトラー、オーストリア侵攻計画の実行準備を軍に指令。
3月11日
ヒトラー、作戦開始指令。
ドイツ軍オーストリア国境に出動。
ゲーリング、オーストリアに国内安定の為にドイツの援助を要請するように最後通牒。
午後7時、オーストリア首相降伏「我々は力に屈服す。」
イタリア特使からムッソリーニの「何もかも友好的に受け入れる」との報告が伝わる。
ヒトラー
「決して、決して、決して忘れない。どんなことが起こっても。
あの人が援助を求める場合とか危険に陥った場合には、どんなことが起こっても、
世界中を敵に回したとしても、私だけは味方だと信じていいのです。」
とムッソリーニに感謝。事実ヒトラーは終生この約束を忘れなかった。
3月12日
ドイツ軍、オーストリアに侵入開始。
ヒトラー、オーストリアへ自動車でゆっくりと進む。
ブラウナウの近くの国境を越え、教会の鐘の音と熱狂的群衆に祝福され
生まれ故郷に入る。リンツ市役所のバルコニーから歓喜する群衆に演説。
「もし神がドイツ国家の指導者たるべく私をこの町から召されたのだとすれば、
それは私に一つの任務を授けられたのである。その任務とは、
わが愛する故郷をドイツ国家に還付することであった。私はこの任務を信じた。
私はそのために生き、そのために戦ってきた。そして今その任務を果たしたと信ずる。」
こうしてヒトラーは、わが闘争の冒頭に書かれた言葉を果たした。
「私は、イン河畔のドイツ国境に近いブラウナウで生まれた。この地が、私の
生誕地となった事を、私は幸福な運命だと思っている。
この小さな町は、ドイツとオーストリアの両国家の境にあり、我々青年には、
両国家の合併こそ、どんなことをしてでも遂行しなければならない、
一大使命と考えられるからである。」
3月15日
ウィーンの英雄広場の20万の大群衆に演説。
オーストリア併合
「ドイツ帝国の総統として、わが故郷のドイツ帝国参入を
ドイツ史の一ページに書き加える。
ドイツ民族にとってもっとも古いこの東方の地を
ただ今をもってドイツ帝国のもっとも新しい砦とする。」
3月16日
ヒトラー、ベルリンへ凱旋。熱狂的な大群衆に迎えられる。
「ドイツは今や大帝国であり、今後もそうであり続けるだろう。」
4月10日
国民投票。
オーストリア併合をドイツで99.08%、オーストリアで99.75%の賛成で承認。
1938年8月15日
ヒトラー、上級将校に「年内に武力でチェコ問題を解決する。」と語る。
9月12日
ヒトラー、チェコのズデーテン地方のドイツ人が迫害を受けていると演説。
ズデーテンのドイツ人に民族自決権の付与を主張。
9月14日
イギリスのチェンバレン首相から平和的解決のための会談申し入れを受ける。
9月15日、22日にヒトラー、チェンバレンと会談。
チェンバレンの妥協条件を拒否して、
「まもなく軍をチェコに進める」と言い残し会談は決裂。
1938年9月26日
ヒトラー、ベルリンのスポーツ宮殿で武力介入をちらつかせる演説。
「チェコスロヴァキアに要求する。すでに約束したことを実現せよ。
戦争か平和か、チェコスロヴァキアが決めるのだ。
我々の申し出を受諾してドイツ人に自由を与えるか、
それとも我々が自分で自由を求めるか。
今や私は最初の兵士として、我が民族の先頭に立つ。
我が民族は、先の大戦で敗北したときとは違う。」
チェコ、戦争に備えて動員令。
9月28日
ヒトラー、ムッソリーニの調停申し入れを受諾。
9月30日
ミュンヘン会談。
フランスからはダラディエ、イタリアからはムッソリーニ
ヒトラーは終始会談を自分のペースで進める。
領土的要求はこれが最後と明言。
ヒトラーの要求をほぼすべて認める形で終わる。
帰国したチェンバレンは平和の天使としてイギリス国民は熱烈に歓迎される。
チェンバレンは一方的な妥協の産物でしかないヒトラーとの共同声明を手に掲げ
「平和が守られた」と誇らしげに語った。
1938年10月1日
ヒトラーはその翌日ズデーテンに進駐
ドイツ系住民から熱烈な歓迎を受ける
「私を通じて全ドイツ国民は諸君を歓迎する。この土地は将来断じて
ドイツ国よりもぎ取られることはないのだ!
ドイツの楯が保護を加え、ドイツの剣がこれを守護するのである。」
1939年3月15日
ミュンヘン協定を破りチェコ合併協定調印。
ドイツ軍チェコに侵入。プラハを無血占領。
>>36-40でのヒトラーの歴史的な演説をみるにつけて、
生きているうちに一度くらいは日本政府が他国を
脅迫するような演説を聞いてみたい。
「私の後に続き諸君が世界へと踏み出す時が来た、
全てを任務に捧げ休息以外は何も望むな、平和以外は何も望むな」
ってね。
ヒトラーの演説を見たものは、こう述べている。
「興奮を肉体で発散させ、心臓をかきたて、
彼の血がますます顔を熱くして、ついに言葉の嵐となった」
演説に関して
アメリカの大統領選挙前、サンデープロジェクトなどで
キリスト教原理主義という特集を組んでたけど、
このジョン・ヘイギーという牧師の演説も聴衆を陶酔させてたな。
◇ネオコンと連帯する宗教右派
昨年11月24日の日曜日、テキサス州南部サンアントニオのキリスト教会は、
異様な熱気に包まれていた。テレビ伝道師のジョン・ヘイギー師(62)が壇上で、
ドスのきいた声を響かせる。
「フセイン(イラク大統領)よ、よく聞け。ホワイトハウスにいるテキサス人(ブッシュ大統領)が、
おまえを必ず引きずり降ろす」。会場を埋めた6000人の聴衆は総立ちとなり、
拍手と歓声が渦巻いた。
主催した教団「コーナーストーン教会」は信者数1万7000人と小規模だが、
集会の模様は全米110のテレビ局で放送された。設立者のヘイギー師は、
ブッシュ大統領がテキサス州知事時代に親交を持った実力者だ。
この集会は「イスラエルをたたえる夜」と題し、毎年開かれているもので、
昨年は、さながら「フセイン打倒決起集会」の様相を呈した。
同教団はイスラエルの右派政党リクードとの関係が深く、
聖書を厳密に解釈する福音主義派(キリスト教原理主義)に属する。
同党のネタニヤフ外相(元首相)は過去2回、集会に出席している。
ヘイギー師は「聖書は、エルサレムがユダヤ人に与えられた『約束の地』としている。
米国のキリスト教徒は預言を実現させる責任がある」と語る。
ヘイギー師はユダヤ系ではないが、自らシオニスト(ユダヤ民族主義者)と称し、
旧ソ連圏などのユダヤ人をイスラエルに移住させる運動を熱心に展開する。
旧約聖書の「出エジプト記」(Exodus)にちなみ
「エクソダス2」と呼ぶこの活動に過去3年で370万ドル(約4億4000万円)の
募金を集め、約1万人の移住に貢献してきた。
恍惚(こうこつ)とした表情の信者たちの前で説教をするヘイギー師
http://www.aminet.or.jp/~voyage/info/BonVoyage-Tayori/kininal.news.N.html
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(,,゚ー゚) < 安楽死、尊厳死の問題は日本でも必ず出てくる。
ミ__ノ \_______
【ワシントン河野俊史】尊厳死の是非をめぐって
7年越しの法廷論争が続いていた米フロリダ州の植物状態の女性、
テレサ・シャイボさん(41)の生命維持用の栄養チューブが
米東部時間の18日午後1時45分、体からはずされた。
共和党主導の連邦議会は、シャイボさんら関係者を公聴会に
召喚する手続きを取って延命工作を図ったが、同州巡回裁判所はこれを拒絶。
当初の決定通り、午後1時の期限を過ぎた時点で医師団が
チューブ除去に踏み切った。この状態が続けば、
シャイボさんは1〜2週間で死に至る。
シャイボさんは90年に心臓発作を起こしてこん睡に陥り、
植物状態になった。「妻は延命を望んでいない」と主張する夫と、
「娘は生きようとしている。
娘婿は財産を相続して他の女性と結婚したいだけ」と延命を求める両親の間で
激しい争いが展開され、これまで2度にわたって栄養チューブの除去と
再挿入が繰り返された。
論争は政治家を巻き込み、人工中絶など生命に手を加える行為に反対する
共和党側は延命を強く主張してきた。しかし、同州巡回裁は先月25日、
「これ以上の長期化は好ましくない」として、
栄養チューブを18日午後1時にはずすことを認める決定を下していた。
設定された日時が近づくにつれ、共和党側の尊厳死阻止の動きは本格化し、
17日にはブッシュ大統領も「このような重大な疑問のある事例では
私たちは生命を尊重する方向で考えるべきだ」とする声明を発表。
連邦議会の上下両院も、シャイボさんや夫を今月25日と28日に
公聴会に召喚することで、チューブ除去を当面回避する作戦を試みていた。
尊厳死:植物状態の女性、論争渦中で延命治療中止 米国
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20050319k0000e040034000c.html
ヒトラーの政策が安楽死、尊厳死を推進していたのは
良く知られているところで、
その基礎となった世界観は『わが闘争』に書いてある
自然の摂理の支配者への信奉であった。
「自然は、気候の変化や地震、洪水その他飢饉などの天然現象で人口淘汰を行なうが、
この自然の試練に耐えて生き抜いた者は、強くそうして健康である。そこでの数の低下は
質の強化となり、それはさらに種の強化となる。ところが、人間が人工によって、
数の制限を行なおうとする場合は違ってくる。人工は、自然の力とはまったく別種の
ものである。人間は冷酷な全知全能の女神より、役者が一枚上である。
人間は生むことそのものを制限することができる。これは利己的で、民族のことを
考えない人間にとっては人間的で、かつ正当だと思うだろう。しかし遺憾ながら、
その結果は逆なのだ。自然は生むことを自由にさせておくが、生きる為には困難な
試練を与え、最良なものだけを維持するが、人間は生むことを制限するくせに、
一度生まれ出たものは、どんなに愚かで価値の無い者でも、どんな代償を払っても、
物狂わしいばかりに努力する。しかしそれでは、数は制限されたが、質は低下しているのだ。
だからドイツ民族の増加を自ら制限する方法で、その存在を確保しようとするものは、
ドイツ民族からその将来を奪うものである。」
>>43-45について
人間そこまで人工的に、チューブまみれになってまで長生きしたいのか?
自分の力で、つまり自分の臓器の機能で生きていけなくなった者は
普通に死んでいくのが自然に適ったあり方ではないのか?
という疑問はずっと思ってきたことだ。
個人的な話だが祖母を亡くした時のこと。
その世話をしていたのは母だったが、祖母は二十数年間ずっと寝たきりで
最期が近づくにつれ咳をしただけで肋骨が折れて毎日痛がっていたそうだ。
常に身近で世話をした母は、死んで安らかに眠ってくれてホッとしたという。
そして、まったく世話をしなかった親族の連中が
もっと長生きさせることはできなかったのかと母を責めたのにはヘドを催したね。
ドラマ「弟」でもあったが石原慎太郎都知事は最愛の弟、裕次郎さんの最期の時、
辺りをはばからず、
「もういい、祐さん、もういいよ、もう死んでいいんだよ」
と繰り返し声に出して弟に言ったという。
『つり上げられた魚が水中で呼吸を求めて喘ぐように、呼吸を懸命に求める弟の姿に
死しか弟を救わぬことがよくわかった。
私があの時本気で願ったことは、今目の前で出来るだけ早く弟が死ぬことだった。』
と小説に書いている。
この安楽死、尊厳死の問題を考えた時、何よりも俺自身、意識が無くなった後まで
生きていたくないからそう思うのだ。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は23日、インターネットの「青瓦台ブリーフィング」で
「最近の韓日関係と関連し、国民の皆様に申し上げる文」と題したメッセージを自ら掲載した。
このメッセージで盧大統領は「日本との厳しい外交戦争もありうるだろう」、
「今度こそ根絶したい」などと、日本に対し例を見ない厳しい批判をした。
盧大統領は、「日本は自衛隊の海外派兵の法的根拠を設け、
再武装の論議を進めている」とし、「われわれに過去を思い浮かばせ、
未来を不安にさせる行為」と述べた。
続いて、日本島根県の「竹島(独島の日本式名称)の日」条例制定と
教科書歪曲を「侵略を正当化し、光復(独立)を否認する行為」とし、
「これは日本の与党勢力と、中央政府のほう助の下で行われている」と位置づけた。
盧大統領は「侵略と支配の歴史を正当化し、再び覇権主義を貫徹しようとする
(日本の)意図をこれ以上黙って見ているわけにはいかない」とし、
「これから政府にできるすべてのことをしたい」と記した。
また、「日本と厳しい外交戦もありうるだろう」としながら、
「経済、社会、文化交流を萎縮させ韓国経済を冷え込ませるのでは、
という懸念もあるだろうが、そんなに心配することはない。
われわれはよほどの難問に耐えうる力を持っている。
また、国家的に必ず解決すべき負担なら、耐えなければならない」と述べた。
盧大統領は「今回は必ず根絶しなければならない。
われわれは勝利するだろう」と述べた。
盧大統領が厳しく日本批判 「竹島の日」条例案関連
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/23/20050323000042.html
>>48のように朝鮮では大統領ですらこうなのだ。
このスレに彼らへの思いを書く事ぐらいは許されるだろう。
昔、新宿駅前の交差点で立ち止まっていると、2人の男がしゃべりながら
信号が変わるのをまっていた。「うるさい連中だなぁ」最初感じたのはこうだった。
他の日本人が黙っている中、彼らは聞きなれぬ言葉を延々としゃべっていた、
これが朝鮮人だった。
数人では「うるさい」程度にすぎなかったが、これが集団になると害獣となる。
明治維新以来、日本が近代化を遂げるとそこへ朝鮮人が現れた。
彼らは日本から学ぶためにやってきた、日本人もそれを快く受け入れたのだ。
日韓両政府の合意のもとで行われた併合を機に交流はますます盛んになった。
日本人は朝鮮半島を本国なみに整備し、食糧飢饉をなくし、病院を造り、
学校を造って文字を学ばせ本を読ませ教育を施した。
第二次世界大戦が勃発し、必然的に日本も参戦することを余儀なくされ、
多くの日本人が国家の為に愚痴をこぼさず贅沢を我慢し、過酷な労働に耐えている中、
同じように働いてくれた朝鮮人に対し、日本人は信頼をよせていたのである、
あの1945年までは!
1945年、第二次世界大戦に敗北し日本人は家を失い、食べ物を失い、仕事を失い、
そして国土を占領された。この最も辛い時期に朝鮮人は何を?
日本人が一日の食糧を得る為に必死で路上で物を売っているその商品を蹴り上げたのだ!
朝鮮人は働きもせず、栄養失調で子供が次々と死んでいた日本人から略奪し、
暴行を加え、女を犯し、唾を吐きかけた。
そうして日本人へ暴虐の限りをつくし、日本人から奪えるものを全て奪った後、
朝鮮人は帰っていった、日本人が学校を造り、鉄道を造り、病院を造り、ダムを造り、
国土を整備したあの朝鮮半島に。
そして日本人社会でまだ威張り足りない一部の者は残ったのだった。
日本人が最も辛かったこの時代、朝鮮人には助けられるどころかさんざん妨害された、
だがそれでも一部のごろつきを残し朝鮮人が引き上げた後は、
日本人はひたすら真面目にただ一生懸命に働き、それによって徐々にではあるが
確実に国家はもちなおしてきたのだ。
そこへ朝鮮戦争勃発の報が入る。あの独立を自分達では勝ち取らず大国の意のままに
媚びへつらってきた朝鮮人がスターリン・ソ連に媚びるものと
アメリカ合衆国に媚びるものとに別れ勝手に戦争を始めたのだ。
勿論、これは日本人には何ら関係の無い話であった、だが、戦線が朝鮮半島を蹂躙し
国土が焼け爛れてくると、何と朝鮮人は再び難民となって日本に押し寄せて来たのである!
かつて日本の焼けた荒野を耕す為に指一本の力も貸さず、ただ妨害をし
平和な半島に帰っていった朝鮮人が、今度は半島で戦争が起きると、
しかも完全に自分達の起こした戦争であるにも拘らず、半島の国土を見捨て
豊かになる兆しの見えてきた日本に帰ってきたのである。
それはあたかも害獣が何らの生産活動も行なわず次から次へと田畑を荒らし、
荒らしつくすと新たな田畑を求めて移動してくるように!
この新たな厄介者を政府は再び半島に送り返そうとせず、これによって生じた
経済の切迫を、何とあろうことか日本人を南米に移民させることによって
解決をはかろうとしたのである!
大戦後の日本人の受けた苦痛、移民の日本人の受けた苦痛、
そして今の日本人の受けている苦痛、
それら全てが愚かな日本政府の朝鮮人への寛大な政策の結果に他ならない。
朝鮮人は日本の国土を腐らせ、その腐敗した国土の中で繁殖し子供を増やし続けた。
その結果、今、日本には朝鮮人が大勢いる。
ある者は朝鮮の特色を薄め日本人の名前を名乗り日本人に成りすまし、
ある者は露骨に嘘をつき働こうとせず生活保護を受け、
ある者は権利ばかりを主張しそれに伴う義務や責任を何ら果たそうとはしていない。
それらは全て嘘つきで卑怯で恥知らずな朝鮮人根性そのものなのだ!
誰かが真実のメスを持って腐った肉を切ればそこには急に差し込んできた日の光に驚き
白い姿で慌てふためく蛆虫がいるはずだ、石原慎太郎都知事の発言に
度々わらわらと湧いてきてヒステリックな雄叫びをあげる朝鮮人団体がそれである。
日本がこれから北朝鮮であれ中国であれ敵と対峙する時、
国内に朝鮮人をのさばらせておけば1945年同様に再び背後から刺される憂き目にあう。
過去において我々も朝鮮人を毒ガスで殺してさえおけば
かくのごとき屈辱を受けずにすんだのだ。
奴らは寄生虫なのだ、日本の国土を食い破る寄生虫!
寄生虫の朝鮮人め!!
ヒトラー『わが闘争』より
感激の人為的抑圧
第一次世界大戦での最初の勝利の知らせがあったあとで、ある新聞が徐々に
そしておそらくは多くのものに最初わからないようにして、
一般の感激に2、3滴の苦汁をさし始めた。
これは一種の好意や善意や、しかもそれどころか
一種の心遣いという仮面のもとに行なわれた。
勝利の行き過ぎた祝賀に対する疑念であった。こんな形式の祝賀は大国民の祝賀に値せず、
同時にまた相応しくないと人々はおそれたのだ。ドイツ兵の勇敢さと雄々しい勇気は、
まったく自明のことだ、だから人々がそれについてあまりにも歓喜の爆発によって
分別なく感動させられすぎるのはよくない、最後に我々ドイツ人は今でも、
戦争は我々の意図ではなかったのだから、大声で叫んで軍隊の行為の純粋さを
すすけさせることは利口ではない。真の英雄が自己の行為を黙って、そして落ち着いて
忘れてしまう謙虚さほど、人を感嘆させるものはない、と。
人々はそう言う奴を、彼の長い耳をもって、柱まで引っ張っていき、縄で縛り上げ、
そして三文文士に、彼の美的感覚が勝利を祝っている国民をそれ以上侮辱できないように
するかわりに、勝利の歓呼のやり方に対して警戒を示し始めたのだ。
人々は感激というものが一度くだけたら、もはや必要に応じて目覚めさせることが
できないということに、少しも気付かなかった。感激は陶酔であり、
そしてその状態でずっと維持すべきだ。
私は大衆の心を充分に知っていたので、人々は美的な高揚では鉄を熱くしておくために
必要な火をかきおこすことができない、ということもよく知っていた。
私の目から見れば、人々がこの情熱の沸騰熱を高めるために何もしなかったことは、
正気の沙汰ではなかった。しかし、幸いにも存在していた情熱までも
断ち切ろうとした事は、私には絶対に理解することができなかった。
>>52について
一種の好意や善意や、一種の心遣いという仮面のもとに行なわれる
侮辱や攻撃に対して多くの人は案外無批判に受け入れてしまう。
だが、その仮面に騙される事なく心理的に正しいやり方で
善意や心遣いの仮面を剥ぎ取り顔面を殴ってくれた政治家がいる。
三国人発言時の石原慎太郎都知事である。
あの発言の後、彼に心遣いという仮面をかぶり沈静化の為に
早期に発言の撤回と謝罪を勧める、試みがあらゆる方向から企てられた、
正直に白状すれば一般大衆の一人である俺も沈静化の為に謝罪した方がいいなどと
思っていたのだ。しかし実際の釈明会見では都知事はその全てを
「馬鹿なこときくな!」と一言のもとに片付けた。
そしてその結果の発言への支持率は瞬間的に80%を超えたのである。
それ以来、俺も善意や好意の仮面をかぶった味方気取りの忠告屋を嫌悪するようになった。
そして
>>52の感激をその状態で維持すべきという考えは完全に大衆の心を理解した発言だが、
世の中では決まって冷静を気取って熱気に水を差すおせっかいがどこからともなく
湧いてくるのが常である。勝利の喜びに素直に感情的に歓喜する事ができないなら、
また、熱狂的行動力で戦うことも不可能だと、彼らは気付かない。
その結果はヒトラーの言葉通り大衆の心を味方につけようとする者からみれば、
正気の沙汰ではないのだ。
ヒトラー『わが闘争』より
あらわな暴力の行使
一体精神的理念を武力で根絶することができるだろうか?
粗暴な暴力を使って「世界観」を克服しうるだろうか?
私は、その当時何度もこの問題を自問した。
類似の場合を、特に宗教的基礎で歴史の中に見出せるばあいを熟慮した際に、
次のような原則的認識が明らかとなった。
即ち、観念および理念、同様に一定の精神的基礎を持つ運動は、これが誤っていると
真とにかかわらず、ある程度発達してからは、技術的な権力手段でもってしても、
この有形の武器が同時に新しい扇動的思想や理念あるいは世界観の裏づけが無い時は、
粉砕することができないということである。
暴力だけを用いて、その前提としての精神的基礎観念という推進力がない場合には、
理念の担い手の最後の一人まで徹底的に根絶し、最後の伝統まで破壊する形を
とらぬかぎり、理念と、理念を流布することを決して絶滅させることはできない。
けれどもこれは、たいていこういう国家という団体がしばしば際限なく、
また時には永久に、権力政治的に重要な圏内から除かれることを意味する。
というのは、こうした流血の犠牲は、経験によると民族の最良の分子に的中するからである。
即ち、精神的前提なしに行なわれるすべての迫害は、道徳上正当なものとは考えられず、
民族の本当に価値ある分子に鞭打って反抗させ、不当に迫害された運動の精神的内容を
獲得することに全力をつくすからである。
これは多くの場合たんに粗暴な暴力による理念弾圧の試みに対する反感から、
生起するのである。だから迫害が増せば増すほど、内心で信奉する者の数が増加する。
したがって新しい教説の徹底的な殲滅は、その絶滅をさらに大きくし
常に高める方法でのみ実施され、その結果ついに当該民族や国家からも、
真に価値ある血をすべて奪い去ることになる。しかしこれは報いがくる。
いわゆる「国内」の純化は、一般的な無力化という代償の上でのみ行なわれうるからである。
だがこういう過程も元々支配すべき教説がある一定の小範囲をすでにふみ超えてしまった
時には、もはやいつも無駄である。
それゆえここでもまたすべての生物と同じように、幼年時代の初期が、一番早く
絶滅される可能性にさらされている。ところが年が進むとともに抵抗力が増し、
老衰が近づくとはじめて、他の形と他の理由からではあるが、ふたたび新しい
青春に譲歩するのである。しかし実際上、精神的基礎のない暴力によって、
教説やその組織的成果を根絶しようとする試みは、ほとんどすべて失敗に帰するのである。
実際次のような理由から、望んだものと正反対に終わることも稀ではない。
即ち、露骨な暴力という武器をもってする闘争方法の第一の前提は、堅忍さということにある。
それは、ある教説などを抑圧するためには、その方法をたえず一様に適用した場合にだけ、
その意図を達成する可能性があるということだ。
しかしここでまた暴力が動揺して寛大な態度に変わるやいなや、抑圧せらるべき教説は
たちまち再び息を吹き返すだけでなく、圧迫の波が凪いだ後には、耐え忍んだ苦難を
越えた憤激が、古い教説に新しい支持者を導き入れ、前からの信奉者は前よりも大きな
反抗心と、より深い憎悪をもってこれを支持し、その上ですでに分散してしまった
変節者も危険が除かれると再び古い立場に復帰しようとして、
この教説は迫害されるごとに新しい価値を得ることができる状態になってくる。
暴力を永久に一様に適用することにおいてのみ、成功の為の第一前提がある。
けれどもこの堅忍さは、いつもただ一定の精神的確信の結果である。
確固たる精神的基礎から生じたのでないあらゆる権力は、動揺せる不安的なものになる。
ただ熱狂的な世界観だけにありうるような安定性を欠いているのだ。
暴力は個々のその時々のエネルギーや狂暴な決断から出てくるものであり、
だがそれゆえ人格や本質的性格や強さの変化に従属するのである。
世界観の攻勢
すべての世界観は、宗教的要素が多かろうと、政治的な要素が多かろうと
反対者の理念の世界を消極的に絶滅するために戦うよりも、むしろ自己の理念を
積極的に実現するために戦うのである。しかし、それゆえこの闘争は防御よりも攻撃である。
その際、この目標は自己の理念の勝利であるから、目標の設定において
すでに有利な地位にある。これに反して敵の教説を絶滅するという消極的な目標は、
いつ達せられるか、確保されたとみなされてよいか、という事を定め難い。
それゆえ世界観の攻撃は、世界観の防御よりも組織的であり、強力でもある。
一般にそうであるように、ここでもまた判定は攻撃に属し、防御には属さない。
しかし精神的勢力に対して暴力を用いてする闘争は、剣それ自体が、
新しい精神的教説の担い手、宣布者、公布者として現れないかぎり、
ただ防御にすぎないのである。
かくして人々は次のように総括的に断定することができる。
即ち、ある世界観を、権力を用いて打倒しようとするあらゆる試みは、その闘争が
ある新しい精神的立場のための攻撃という形をとらないかぎり、最後には失敗する。
相対立する二種の世界観の戦いにおいてこそ、残酷な力の武器を不屈に、容赦なく用いて、
その支持した側に判定をもたらしうるのである。
しかしこの点で、今までマルクス主義打倒はいつも失敗した。
ビスマルクの対社会主義者立法が、あらゆる努力にもかかわらず、ついに失敗したのも
失敗せざるをえなかったのも、理由はこれである。新しい世界観高揚のために戦うことが
できるその世界観の足場がなかったのだ。というのは、いわゆる「国家の権威」
あるいは「安寧と秩序」というたわごとが、生死をかけた闘争の精神的動因として
相応しい基礎でありうるということは、本省高級官吏のことわざのような
知恵だけが考えることができるからである。
>>54-56には多くを考えさせられた。
まず思い出すのはキリシタン弾圧によって彼らを絶滅する事ができたか?
という日本の歴史である。ヒトラーの指摘通り暴力はその時々の指導者の
決断から生み出され、それが凪いだ後には更なる力をつけて盛り返してきた。
このキリスト教を弾圧する幕府の側には当然キリスト教に取って代わる世界観などなく、
ただキリスト教の脅威を排除するという消極的な目標によって行なわれた。
そう日本でも、単なる暴力や権力では一度生まれた世界観を打倒することはできなかったのだ。
ヒトラーが日本の歴史をそこまで知っているはずはないので、これは世界史的な摂理である。
日本には今現在、多くの売国奴がいる。金で国を売った者もいるが、
その多くは何らかの理念を持っている、それは黒人や白人や黄色人が地球の上に立って
笑顔で手をつなぎ「差別をなくそう」と訴える、人権ポスターに象徴されるような
甘っちょろい世界観かもしれないし、あるいは国境をなくそうと考えたり、
露骨に外国の利益の為に働こうとしたりするもっと悪意のある世界観なのかもしれない。
だが、なんにしても彼らを売国奴や反日、裏切り者、国賊と罵ったところで
彼らを打倒する事はできない、それは『わが闘争』に書いてある通りの理由からだ。
「国益の為」とか「北朝鮮の利益に繋がる」などという売国奴への攻撃理由は、
防御に属するのであり、世界観による攻勢ではない。
よって彼らは罵られれば罵られただけ反抗心とともに強くなる。
では、どうすればいいか?
隠れキリシタンにまでなって生き残ったキリスト教世界観を倒す手はあったのか?
これも『わが闘争』に書かれている通りで、一つの世界観を滅ぼすには
相対立する別の世界観の攻撃でもって滅ぼすしかないのだ。
良いか悪いかは別にしてキリスト教の爺さんと婆さんと赤ん坊しかいない天国より
美しい女神との性交と、この世の贅沢が保証されているイスラム教の天国をぶつければ、
激しい戦いの末どちらか一方の弱い世界観が滅びただろう。
同様に現在の売国奴達を倒すには攻撃する側も強力な世界観を持ち
その世界観攻勢によって倒さなければならない、具体的にいえば民族主義的世界観によって!
人間の心には空白などはなくどれか一つの世界観を信じていなければ安心しない、
彼らを倒すには別の世界観で彼らの心を征服するのが一番なのである。
この民族主義的世界観は、日本人一人一人に自分の属する民族を答えさせるだけでも
絶大な効果がある。この世界観は種の保存という本能に根ざした世界観であり、
地球市民的な世界観に負けるはずのない強力な世界観である。
自分の民族を自覚させるという単純ではあるが効果的な行為によって、
そして人は民族によって明らかに思考回路が異なるという現実を自覚させてやる事によって、
朝鮮人慰安婦と心が通じ合っていると錯覚した日本人を
はしごから引き摺り下ろしてやれるのだ。
裏切り者の世界観を滅ぼす為に攻撃する事を目的とするのではなく、
こちらの正当な世界観の布教の為に攻撃してこそ真に敵の世界観を抹殺できる。
思えばユダヤ人に対してナチスが行なった苛烈な政策も
嫌悪や嫉妬に基づいたものではなく強力な世界観に基づいて行なわれたのであったな。
感情に基づいた暴力の行使は人によってはできなかったり、動揺しがちだが、
人間は自分の信じきった世界観の為には動揺することなく暴力を行使する事ができる。
ヒトラーはウィーンでの若き浮浪者時代に
「この時代に私には世界像と世界観が形成された。
それが私の目下の行動の基礎になった。
かつて私が作りあげたものに、それ以上学ぶべきものはなく、
変更すべきものもなかった。
今日、一般にすべての創造的思想というものは、
早くも青年の時代に原則として現れるということを固く信じている。」
(わが闘争より)
と書いている。
俺も前スレに自分の世界観について大まかに書いたが
それは主に10代の頃形成されたものであり、
今見直しても原則として変更すべきものはないな。
かつて浮浪者だった、
学歴も金も軍での階級もない人間が、
30歳という冒険するにはもう若くもない年齢で、
無に等しい政党に己のすべてを捧げ、
15年の苦闘の末、
彼の民族の長になったのだ。
(,,゚‐゚)/ フューラー・・・
「嘘をつくなら大きな嘘をつけ」ヒトラー
「嘘もくり返すうちに本当になる」ゲッベルス
これが中国の宣伝活動の成果だ。
反ファシズム作品として知られる映画「シンドラーのリスト」の原作者
トーマス・キニーリ氏が8日、北京大学で「オーストラリア文学と世界」と題し、
講演を行った。講演終了後、キニーリ氏は報道陣に囲まれ、
記者の質問に答えた。
――第2次大戦時の中国の歴史を学んだことがあるか。
学んだだけでなく、中国を侵略した日本軍による南京大虐殺について
資料を作成した事がある。
――現在、日本の一部政治団体が南京大虐殺を否認しているが。
南京大虐殺は争えない事実だ。日本人の一部は犠牲者数にこだわっているが、
何の意義もないことだ。
――日本政府は今も過去を反省していないが。
理解できない。ドイツの大統領は、ナチスの迫害を受けた
ユダヤ人に跪いて謝罪した。英国のブレア首相はアイルランド人に謝罪した。
なぜ日本人にはできないのか。
日本政府は中国人民に対し、過去の罪行を心から謝罪するべきだ。
(編集NA) 「人民網日本語版」2005年3月9日
南京大虐殺は事実 「シンドラーのリスト」原作者
http://www.people.ne.jp/2005/03/09/jp20050309_48189.html
それにしても東中野修道教授の話をテレビで聞いたが、
南京虐殺を証明する写真がただの一枚もなかったとはな。
白状すれば俺も
「戦争なんだから少数の虐殺ならあっただろう」
と何の根拠もなく思っていたものさ。
それがまったくの無から始まった宣伝で
南京虐殺をここまで国際問題にしてしまうとは、
中国の宣伝はたいしたものだよ。
この宣伝戦の恐ろしさを日本政府はまったく理解していないのだ。
国民はほっといても「真実」なるものを勝手に見つけてくれると考えるのは大間違いで、
ナチスの選挙での大勝はナチスが真実に満ちた政党だったからではない、
ヒトラー、ゲッベルスという宣伝の天才によって勝ち取られたのである。
宣伝によって人は騙されるし、宣伝で世界を欺くこともできるのだ。
今日まで俺は「大人の態度」という迷信を何度耳にしたかしれない。
この「大人の態度」というものが宣伝戦において決定的な意味をもった。
大人の態度で冷静に振る舞って日本が得られたものはなにか?
何もなかった、奪われたものならいくらでも上げることができる。
大人の態度で竹島を奪われ、大人の態度で日本大使館にシナ兵に踏み込まれ、
大人の態度で日本の上空をミサイルが通過し、大人の態度で日本人を拉致された。
たかが2chという落書きの場でさえ、朝鮮人への怒りを持つ国民を
「嫌韓厨」と嫌悪し、いわゆる大人の態度をとろうとする人間が
この極東板にすら大勢いることには失望をおぼえる。
この手の連中こそ宣伝戦においては致命的に有害なのだ。
日本人学校に斧をもった韓国人の男が侵入し日本人の幼稚園児を
斧で殴り重傷を負わせてなお
「へー、子供が重傷?でも日本人でしょ?」
と犯人が言い放った事件を覚えているだろうか?
この韓国人のあけすけな憎悪に対しては、
ただ全面的な闘争をもって応えればいい。
宣伝戦に「大人の態度」は必要ない。
「もしも我々がこの戦争で敗北を余儀なくされるとすれば、
その時は全面敗北しかありえないであろう。
これほどまでに対立する二つの世界観がぶつかりあっているこの戦争では、
戦いがどちらか一方にとって不幸な経過をたどる時、
その結果は否応なしに全面敗北を意味する。
それは、双方の側において、
すべての力を出し尽くしてしまうまで続けられる戦いであり、
したがって我々は、我々を待ち受けているものが何かを知っている。
即ち我々は、勝つまで戦うか、
それとも最後の血の一滴までもちこたえるかしかない」
アドルフ・ヒトラー
>>62の世界観闘争を意識する人は少ないが、
この闘争からは誰も逃れることはできない。
中華主義は日本に対するもっとも活力ある対立物である。
両者は対極にあり、中華主義が勝利すれば日本が没落し、
日本が勝利すれば中華主義が没落する。
ここに何らの妥協の余地はない。
何故なら中華主義の世界観の原則は近隣を蔑視し、
隷属させることを目的としているからである。
過去において奴隷としての日本なら中華主義と生きる事ができたかもしれない、
しかし、民族国家として独立した日本と中華主義の共存は不可能なのだ。
近隣諸国が独立の意志を持てば持つほど中華主義は生気を失い、
逆に中華主義が力を持てば持つほど近隣諸国は、
その力によって併合されることになる、チベットのように。
この世界観闘争を知れば中華主義の中国、北朝鮮、韓国、華僑との友好が
無益どころか有害だと気付くだろう。
目下、日本民族国家に他の対立軸はない。
日本精神対中華主義こそが最大の世界観闘争の対立軸であり、
どちらか一方の没落が宿命付けられた戦いなのだ。
この世界観闘争の一番の激戦区にあるのが台湾で、
台湾の李登輝先生は講演で日本の統治時代に生まれた台湾精神と
大陸から来た中華主義を文化の対極と位置づけてくれた。
日本からもたらされたものは犠牲的精神で、大陸からきたのは利己主義だと。
本当に偉大で尊敬すべき政治家です。
李登輝先生の講演内容はここで聞ける
中央放送局 台湾国際放送
http://www.rti.org.tw/Japanese/
前スレにも書いた『わが闘争』の一説を思い出してほしい。
新聞の読者は一般に三つのグループに分類されうる。
第一は読んだものを全部信じる人々、第二はもはやまったく信じない人々、
第三は読んだものを批判的に吟味し、その後で判定する頭脳をもつ人々である。
第一のグループは数字の上からは桁外れの最大グループである。
彼らは大衆からなっており、したがって国民の中では精神的に
もっとも単純な部分を表している。そして、彼らは半ば無能から、半ば無知から
白地に黒く印刷して提供されたものを全部信じる。さらに、確かに自分の頭で
考える事もできようが、それにもかかわらず、考える事の単なる無精さから、
他人はきっと正しく頭を働かしたに違いなかろう、とつつましく仮定して、
その他人がすでに考えた事をありがたく全部そのままもらってしまうような、
無精者もまたこのグループに入る。ところで、大衆を意味するこれらすべての
人々にとって、新聞の影響はまったく驚くべきものであるだろう。
このことは新聞の啓蒙が、真剣で真理を愛する方面から企てるならば
有利であるだろうが、しかし人間のクズや、嘘つきがこれに手を出す場合は害悪となる。
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < これが新聞、いわゆる日本の大新聞なのである。
ミ__ノ \_______
朝日新聞コラム「風考計」
それにしても、にわかに広がった日韓の深い溝は、
両国の関係にとどまらない深刻さをはらんでいる。
まず、北朝鮮との関係だ。核と拉致で「日朝」が最悪になっている折、
「日韓」の好転ぶりが救いだと思っていたのに、これでは下手をすると
民族と民族の対立になりかねない。
朝鮮戦争を仕掛けられ、悲惨なテロの犠牲にもなってきたはずの韓国なのに、
いまは北朝鮮に寛大だ。むしろ、拉致問題で強硬論があふれる日本に対して
「日本支配時代に数千、数万倍の苦痛を受けた我が国民の怒りを
理解しなければ」と盧大統領が注文をつけるのは、
南北を超えて同じ血が流れているからに違いない。
これでは北朝鮮への包囲網どころではない。
韓国にも冷静に考えてほしいところだが、
日本にはいまも植民地時代の反省を忘れた議論が横行する。
それが韓国を刺激し、竹島条例への誤解まであおるという不幸な構図だ。
さらに目を広げれば、日本は周辺国と摩擦ばかりを抱えている。
中国との間では首相の靖国神社参拝がノドに刺さったトゲだし、
尖閣諸島や排他的経済水域の争いも厄介だ。
領土争いなら、北方四島がロシアに奪われたまま交渉は一向に進まない。
そこに竹島だ。あっちもこっちも、何とまあ「戦線」の広いことか。
そこで思うのは、せめて日韓をがっちり固められないかということだ。
例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。
ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。
見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ。
周辺の漁業権を将来にわたって日本に認めることを約束、
ほかの領土問題では日本を全面的に支持する。
FTA交渉も一気にまとめ、日韓連携に弾みをつける――。
島を放棄と言えば「国賊」批判が目に浮かぶが、
いくら威勢がよくても戦争できるわけでなく、島を取り返せる見込みはない。
もともと漁業のほかに価値が乏しい無人島だ。
元住民が返還を悲願とする北方四島や、戦略価値が高い尖閣諸島とは違う。
やがて「併合100年」の節目がくる。
ここで仰天の度量を見せ、損して得をとる策はないものか。
いやいや、そんな芸当のできる国でなし、
だからこれは夢想に過ぎないのである。
竹島と独島 これを「友情島」に…の夢想
http://www.asahi.com/column/wakayama/TKY200503270067.html 「どこであろうと、報道の自由という迷妄は特に致命的な危険を招くものである。
しかも報道の自由といわれるものは、好き勝手に報道を左右し、自分達の利益を守り、
必要なら国家の利益に反対する自由を意味するのである。
共同体の一員としてジャーナリストもコミュニティーに対して一定の義務があるのだ」
アドルフ・ヒトラー
今まで極東の問題を含むことに注意を払ってきたが・・・
誰も見てないなら・・・
やっぱりおもいっきり書きたい!
歴史上もっとも優れた扇動演説家
アドルフ・ヒトラー総統の演説を!!
・・フフッ
わが意志に、わが野望に、
神の祝福のあらんことを。
(・∀・)ニヤニヤ
[トルコ・アンカラ 28日 ロイター] トルコでヒトラーの反ユダヤ主義の著作
「わが闘争」が好調に売れているが、政府は、このイスラム教国には
人種差別主義者はいない、と主張した。
書店によると、トルコ語に翻訳された「わが闘争」はここ2ヶ月間
ベストセラートップ10にランクイン。少数のユダヤ人コミュニティは
この現象に震え上がっている。
この現象にコメントを求められ、セミル・シセック政府広報補担当官は次のように語った。
「特定の人種に属する人々に対する偏見を許容することはできません」
「わが国の文化に、そして歴史にそのような振る舞いは存在しない。
今も存在しません……人は自分の人種を選択することはできないのです……
トルコ社会のこの問題に関す考えは明瞭です。この国に人種差別はありません」
個人的に、政府関係者は、トルコは政府が人々の読む本を制限するこがない
自由な社会だと語った。少なくとも「わが闘争」は新しい2種類の
トルコ語ペーパーバックが販売されている。
トルコでは伝統的に反ユダヤ主義は強くない。イスラム教だが、
宗教に縛られない国で、近年、イスラエルと緊密な安全保障関係を築いている。
オスマントルコ帝国は、スペインでキリスト教異端審問(魔女狩り)が盛んだった時代、
ヨーロッパから逃れてくるユダヤ人や他の少数民族に保護を与えた。
政治アナリストは、「わが闘争」が売れているのは、
反ユダヤ主義やヒトラーの人格・思想を支持しているのではなく、
急激に強まっている国家主義と反米感情の反映だと分析している。
多くのトルコ人は、延々と先送りされ、今年後半にまでずれ込んだ
EU加入交渉の準備で、自分たちがあまりに大きな譲歩を迫られるのでは、
と懸念している。
米国が隣国イラクを占領していることに対しても、怒りが拡がっている。
トルコで、「わが闘争」より売れているナンバー1ベストセラーは「金属の嵐」。
トルコに侵攻した米国に、トルコ人の英雄が首都ワシントンを核兵器で殲滅して
祖国の復讐を果たすという物語だ。
トルコで「わが闘争」が売れているわけは……
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081112100705.html
俺も『わが闘争』の売り上げに貢献したんだよな・・・フフフ・・
演説はまた後で、時間がかかるから、
しばらくは俺のAAコレクションでお楽しみ下さい。
,,ゞ.ヾ\\ ゞヾ:ゞヾ ノノ ゞヾ . ゞヾ ゞヾ .ゞ;ゞヾ;ゞゞ;ゞ ヾ;ゞゞ;ゞ ` 散る桜
ゞヾ ,,.ゞヾ::ゞヾゞ:ヾ ゞ:.y.ノヾゞ..ヾ .ゞ,'ヾ ゞヾゞ ;ゞヽ,.ゞ:,,ヾゞヾ;ゞ 残る桜も
ゞヾゞ;ゞゞヾゞ;ゞ.ヾゞ, .,; ゞヾゞ___// ;ゞ ゞヾゞ;ゞ ヾ;ゞゞ; 散る桜
ゞヾ ゞ;ゞ ヽ,.ゞ:,,ヾゞヾゞ__;::/ ゞヾゞ;ゞヾ;ゞゞ;ゞ
ゞヾゞ;ゞ ヾ;ゞゞ;ゞ ヾゞ , ` ` ,
ゞヾ;ゞゞ ヾゞ `八 ` ` ,
ヾ
/ 〃 ` ,
` , , ` , _rュj /___/
{ェェIュ一 /\/´
,,}‐‐ii| /^'ヽ、 / / ` ` ,
[ェェl :ウ / ヽ、:/ /i´rュ.
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,,ゞ.ヾ\\ ゞヾ:ゞヾ ノノ ゞヾ . ゞヾ ゞヾ .ゞ;ゞヾ;ゞゞ;ゞ ヾ;ゞゞ;ゞ ` いざさらば
ゞヾ ,,.ゞヾ::ゞヾゞ:ヾ ゞ:.y.ノヾゞ..ヾ .ゞ,'ヾ ゞヾゞ ;ゞヽ,.ゞ:,,ヾゞヾ;ゞ
ゞヾゞ;ゞゞヾゞ;ゞ.ヾゞ, .,; ゞヾゞ___// ;ゞ ゞヾゞ;ゞ ヾ;ゞゞ; われは栄えある山桜
ゞヾ ゞ;ゞ ヽ,.ゞ:,,ヾゞヾゞ__;::/ ゞヾゞ;ゞヾ;ゞゞ;ゞ
ゞヾゞ;ゞ ヾ;ゞゞ;ゞ ヾゞ , ` ` 母の御もとに
ゞヾ;ゞゞ ヾゞ `八 ` ` ,
ヾ ´ ̄`丶 〃 帰り咲かなむ
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ゞヾ ゞ;ゞ iiiiii;;;;;:::: :)_/ヽ,.ゞ:,,ヾゞヾゞ__;::/ ゞヾゞ;ゞヾ;ゞゞ;ゞ
ゞヾゞ;ゞ iiiiii;;;;::::::::/ ヾ;ゞゞ;ゞ ヾゞ , `
ヾ;ゞゞヾ;ゞゞ |iiiiii;;;;::::;;::::| ヾゞ `八 矢弾丸尽き
ヾ |iiiii;;;;;:::::::;;:::|: ` ` `
` |iiiiiiii;;;;;;::;;::::;;|: 〃 ` , 天地染めて散るとても
` ,|i;iiiiiii;:::::::::::::;;:|
` |ii,iiiiiii;;;;;;:::::::::::| , 魂かへり
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` |iiiiiii;;;;;;((,,,)::.` | ` ` ,魂かへりつつ
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, |iiiiii;iii;;;;i;;;:: ::::::|` , 皇国護らむ
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//  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄  ̄ ̄ ̄
// 皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ
ネ
,..ヒニゝ、
_,. -‐'"~ ,ォ、 ``''ー 、_
皇国よ 悠久に泰かれと 願いつつ 、-─'''"~__,,,..-‐''"个`';ー-, 、.,_``''ー-;:-
`ー=ニ二! |^'│ . | | | l゙ニフ ̄
桜花と共に 靖国に咲く ,.__|,∩_|ェェ|,∩ェ|∩!ェェ!∩_|、、,ォ
;r、 {ニlニlヨ=!ー'''','二二ニ三王ー亠'=|;
,.,.r;:ゞ゙ヾ;,:ゞヾ`ゞ> _,,..-‐‐"ー''''' ̄ ̄_,,..-‐个ー-二二.,`_''ー------‐ャ
,,,.、ッゞヽ>;:;ゞ《ゞ;':;ヾ:ゞ;ヾ-;ソ ‐ニ;゙----──''''''''''"""~ _,,,,,,.....--|─┬--;--、、 ̄,``````´
ヾ;';:ゞ》:;、_ゞヾ;;/ヘFゞヾ;:'`  ̄ ̄|| ̄〒─i'''''"""| | | | | | | |. ̄|
〉ゞ;'ヾゞ、`)'~ヾ;;ゞ';;゙ゞ;ヾ;'ゝ iョェェ||ェョ;||ョェョ|ェョェ==|FEFEFE;|;王i;|;王;|王il|EF|EFヨ
,;z、,,r;、;v、ヾヾ;;'ゞ;ヾ;iiゞ<ノ;ゞヾ-'、、_ '==i‐_‐‐__‐_',,'ニニiニ二二二i!ニニニニニニニ=‐''
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~ ̄''''ー------=,,/''''''''''--,--ー─‐i / ● '____,,,,,,,,,/''''~~~~i_,,,==--ー' 天翔る 時は来にけり おおいなる
~~'''''ニ;;;:::::-----j.,/,'----'-------.,,,~~~~j'~.i
'ヲ-------=z,-u,-----ー─'''''''''~~~ ',,,',! やまとしまねを 我は護らん
`~ ト;
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.__,,-ーへ´ _,,,,.....===-zzZZ'ニヲ''.~ユΞ' /ヽ、'' 工'''ー--=..,,,,_
__,=--イ~ ___,,,.....=--ーー''''_'工~~Fヲ==ー'''''工,...=-ー''''~~,〃´ / ヽ `ッ-..,, ~~~''=ー--.,,,,,,,
,,,,,,,,,,,=---ー─=''''''~~ _,,,...=-ー''''''~~ _,,,...=-ー''''~ ,/ / ヽ、 ~''=...,,
;;; :::: ... ::::: ::;;;:::.....
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ヾヾ ゞ ```
ゞゝ;;;ヾ :::,r' ` ` i、;;;ヽ;;; ヾ;;;
i;;;::::′~^ ` ` ;;; ″~ ~
ii;;::iヽ / ` ゞ:,,,:: ヾ 〃::;:
iii;::i ` ` ii;;;;::: :: ` `
iii;;::i ` ` ` iii;;;;::: :: 若桜 春をも待たで 散りしゆく
iiiii;;::i ` ` iii;;;;::: ::
iii.,ii;;:i, iii;;;;::: ::: 嵐の中に 枝をはなれて
iiiii:゚i;;:i ` iiiii;;; :::::
iiiiiii;;::i ||iiii;;;;::::
iiiiiii;;::::ヽ;;,,';;"'';;";;""~"`"`;.";;""'"~"`~"'';;,,, /iiiiii;;;;o;;;
iiiiiii;;::;';;" `;;/i:ii iii;;;;;::::
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| .ヽ
_ ノ \ _
|ヽ_/ \_//
√_ ._ __.(
) (.ヽ´\ ./  ̄
⌒_ .\/
.ノし~|
| |
< ヽ
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/ _(
_/ / かくばかり 世界全土に 凄まじき
._ ._/ .|
. <(_ ‐~ .| 戦の果ては 誰か見るべき
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_.-‐"~ "ー´ |
_ /___ ,,__....._,...,_ ._ (~)./
<" ~ し、_.ノヽ- \ ] (`‐‐-´~U⌒.|,/
ヽ, く ~|._.-‐.v´| /
/ / ~
ヽ∩/~
´
_,‐/.| ヽ.,лi'\,‐i
ノ .| ,ノ ´i すめろぎの
/ 冫、 `'‐´`'-,_,‐'v'‐-ー,__,、,-、_`'!_ _
_ __ノ‐-ー'. ` ,‐^'‐‐,iー,,l´ ~ ,} 国亡ぶか 興るかの
‐‐=''‐'`フ ,‐´ `\ /"
.t_ . i`ヽ_/ ~j `i、 戦なるぞ
.л) .`j ___,,,--、 '‐! ζ
__| . jヽ‐'´~ /'' `ヽ ヽ, ,,---'´´~ 征けや 益良夫
`フ `i ノ ヽ, /
`'''ーt´ ,‐,/~ .i /
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// 死するとも なほ死するとも
//
// 我が魂よ 永久にとどまり 御国まもらせ
.,-、
..,|IIII|,、
/;;;;;;;;;;;;;;\ 大君の
._日iiviiviiviivii日_
.|:::゚:゚:゚:゚:゚;゚;゚;゚;゚:゚:゚:゚:゚:::| 深き恵に あみし身は
ェ|::::i━━━━━i::::|ュ
.|::|::::| ||:||:||:||:||:||:| |::::|::| 言い遺すべき 片言もなし
台 |::::| !!:!!:!!:!!:!!:!!:! |::::| 台
___iェェェ:|;;;;|二二二二二|;;;;|:ェェェi.___
.. |:::,-、::[.___[((〜.)()(.〜))].___]:: ,-、:::|
--、.......________.|:::IIII :|:::┌┬┬┬┬┬┬┬┬┐:::|:: IIII:::|__________
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:|:|__|::|r'" . .: ;;;`、:|__|::|__|::|__|:::l:::l:::|:::││││││││││::.|:::l:::l::::||__|:::|__|:::|__|/⌒ヽ-、|__|::
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ニニ[_]. −ニニ三三三三三三三三三三三三三三三ニニ− [__]ニニニ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
″ ゝ ″ ヽ ″ ヾ ″ ゝ " ヽ丿〜 。
ヽ ″ ゝ ″ ヽ ″ ゞ ″ ゝ ノ 〜 ゚ ゚
ヽ ″ ゝ ″ ヽ ″ ゞ ″ ゝ ″ ノ 。
″ ゝ ″ ゞ ″ ヽ ″ ゞ ″ ゝ ノ 〜 ゚
ゞ ″ヽiiiiii;;;;::::: ″ノ ″ノ ″ ノ 〜 ゚ 。
ゞ iiiii;;;;;::::: )::/:/ 。
。 |iiiii;;;;:: :|:/ 。 身はたとへ 北氷の露と 消ゆるとも
|iiii;;;;;:: ::| ゚
゚ 。 |iiiii;;;;;:: ::| 。 ゚ 大和桜の 色は変わらじ
,|iiiiii;;;;;:: ::| 。 __ 。
|iiiiii;;;;;::: ::| ヽ=oノ ゚
。 ゚ ,|iiiiii;;;;;;::: ::| ゚ / )゚Д ゚ ゚
|iiiiiii;;;;;;:: :::| 。 ヽ :| ゚
。 |iiiiiiii;;;;;;:: ::| | :| 。 。
,, , ,,/ヘ;;M;;;i;;iii;;ヾ、 ,,,, ,,,, しソ, , ,,, ,, ,, , ,, ,,,,,
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_,-ー' ̄ ̄ ̄`ー-、
r'´ | `ヽ、
r'´ ___|_ _ ヽ
l r' ´__☆_ `ヽ、 l
ヽ r';´=──── == j- '´
l `ヽ'´  ̄ ̄ ̄ ̄` --Ll 生きて虜囚の辱めを受けず
k';_ ` ̄_ ̄ ̄二`─'~l
f^ヽ``l´セユY`k'ヤユヽ`。 死して罪禍の汚名を残すなかれ
ヽl `-、_丿 lヽ__ ノソi
l , .r_、_,hヽ ノ
ヽ r,yllllllllllllllk) l
l '  ̄`- ' ̄ソノ
_ノ´~\ __ _ /ノl
_ ,-ー´ ヽ ,、`ヽ__,_ ノ ,、kヽ-、_
rt-'~ ヽヽヽ | k ' /ノ `ー 、
../ ヽ \~,- t ~/ /ヽ
/ ヽl ~l _(~)_ ____ ______l l、
l l |_|_|_|_|.|_|_|.| | | | | | | |0 lヽヽ
l l`-+-' `-+-'-'-'-'-'-'-' lk l
l l .;'"`; ;'"`;;'"`;;'"`;'"`;)) l ヽ
.l ヽ.`'''' `''' `'''' `'''' `''' l l
/λ \
/ / \ ヽ
/ / \ | 予は祖国を愛し
/ / `ー 、 |
| .| ー―-、 | 愛することを学び
| | | |
| | l \ | 熱烈に愛することを学ばんと欲し
,^ヽ.| ,;;_llliiillli_iJ ,;;iiillIIii_ |/=^
|i^.| | ,彳てフ’ 气.てフ' | i | | ただ一途に祖国あるを知り
ヽ | | ヽ  ̄'/ 【  ̄ , |_//
| ||  ̄ ┃  ̄ |_l 他のいかなる偶像をも
`-| / ┃ |
| | _,__i ) .| これと並ぶことを許すものではない
l i|||||||||||i |
ヽ、 ||||||||||||| ( /
|\  ̄ ̄二 ̄ ̄ |//^\
_ ,――| \ / / \
/ |\ ー――一 / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ | \ _/ / / \
| / 入 / / \
|\
| \
|ヽ、 | \
| \ ,,| \
`、 | ,,.''"´ `;、
) /′ `:、
γ′ / ';
( | '; マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし
'i, | .,___., ';
\ | .. ,; 身捨つるほどの 祖国はありや
`丶、'=ヽ ヽ ''"´ ,;
/~~ヾ,゙''、,_ ..
i′ ゙、 ¨''; `:、
i ゙!' ~ ゙!'
/λ \
/ / \ ヽ
/ / \ | 予は祖国を愛し
/ / `ー 、 |
| .| ー―-、 | 愛することを学び
| | | |
| | l \ | 熱烈に愛することを学ばんと欲し
,^ヽ.| ,;;_llliiillli_iJ ,;;iiillIIii_ |/=
|i^.| | ,彳てフ’ 气.てフ' | i | | ただ一途に祖国あるを知り
ヽ | | ヽ  ̄'/ 【  ̄ , |_//
| ||  ̄ ┃  ̄ |_l 他のいかなる偶像をも
`-| / ┃ |
| | _,__i ) | これと並ぶことを許すものではない
l i||||||||||i |
|\  ̄ ̄二 ̄ ̄ |//^\
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| / 入 / / \
>>85の修正
『わが闘争』より
まず世界観闘争
当時わたしは、偉大な政治的世界観闘争を経済的な物事に
あまりに早く結びつけることは危険だ、
という揺るがしがたい確信を持っていたし、また今もなお持っている。
というのは、こういう場合にここでは経済的な格闘が、
政治闘争のエネルギーをただちにそいでしまうに違いないからだ。
人々は倹約することによって小さい家ぐらい建てることができそうだという
確信をうるやいなや、彼らはこの課題だけに専念し、
もはや政治闘争をする時間などはあまり残らないのだ。
経済的諸問題にだけ没頭することが、いかに活動的な闘争力を奪うものであるか
ということを、我々はちょうど今日この目前にある典型的な例の中に見るのである。
即ち、1918年11月の革命は、労働組合によって行なわれたものではなく、
それに反して遂行されたのである。しかも金持ちはドイツの将来のためには
政治闘争をしない。彼らは、将来が経済の建設的な働きにおいて充分確保されていると
臆断しているからである。
>>88については
石原慎太郎都知事の手法をよく見てほしい。
断言していいがこの石原慎太郎という人物は一世代に一人の人物である。
この偉大な扇動家は、ほとんど経済的な問題に触れようとしない、
何故かといえばヒトラーのこの言の通り、大衆の心理を知り尽くしているからである。
彼は経済的な問題、つまり職と賃金の問題、または家計の問題と言い換えてもいいが、
家計の問題と政治的問題が両立できないことを熟知しているのである。
人が家計の問題に集中するやたちまち竹島、尖閣、沖ノ鳥島、日本人拉致などの
政治問題に対する集中力がなくなってしまう。
彼の発言のほとんどが政治的な問題に集中しているのはそのためである。
中国との政治問題が浮上すればマスコミは意図的に経済問題とからめ
人々の関心を家計の方に引きずりおろそうと企図する。
中国と揉めれば仕事を失う者が出てくると言って脅すのだ。
これは、あきらかに日本人から政治的闘争力を奪う意図がある。
誰がこれをやったか?
テレ朝のサンデープロジェクトとTBSのサンデーモーニングがこれをやった。
こいつらは、はっきりと日本の敵なのである。
演説の時代背景
1923年1月2日
パリ連合国会議開催。イギリスはまずドイツ経済の復興を提案するが
フランスの強硬な賠償提案により議会決裂。
同年1月10日
ドイツ政府、一切の賠償の支払いの四年間延期申し入れ。
翌1月11日
フランス・ベルギー軍、未納の賠償支払義務不履行を理由にルール地方を占領。
(これが史上空前の大インフレ発生の原因となる)
ドイツ、クーノ政府は国民に消極的抵抗を呼びかける。
ドイツ共産党も含む挙国一致でドイツ国民全体が憤怒。
同1月11日
ヒトラー、「フランス打倒より、十一月革命の犯罪者(政府)打倒を!」と演説。
同年4月10日
ヒトラー一万人の聴衆を前に演説
「いかなる経済政策も剣なくしては不可能である。いかなる工業化も力なくしては不可能だ。
今日我々は、最早なんらの剣ももたない。」
4月30日
ヒトラー、レーム大尉を同道してバイエルン駐在国防軍ロッソー司令官に
「共産革命切迫!武器貸与を!」と要請するが拒絶される。
そして、この年の11月にミュンヘン一揆を起こす。
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∧_∧ /
(,,゚ー゚) < ミュンヘン一揆の数ヶ月前、1923年5月10日の演説。
ミ__ノ \_______
・・・もし五月一日の意義を的確に自然生活から民族生活に移し得るものとすれば、
それは、すでに老衰に陥った民族の更新を象徴するものであろう。
民族生活においては、老衰とは国際主義を意味する。では老衰から何が生まれるか?
皆無である。
人類文化において真の価値を有するものは、国際主義から生まれたものではない、
それは一つの民族の精神から生まれたものである。
民族がその創造力を失った時、彼らは国際的となる。
知的無能力が民族生活を支配するところでは、どこでも国際主義が現れる。
従って、この思想の保持者が、何らの現実的創造力をも誇り得ない民族・・
ユダヤ民族であるということは、少しも偶然ではない。
それ故、五月一日は、国際的破壊思想に対する国民的創造意志の賛美、
国際主義的悪疫から国民的精神とその経済的見識との解放の賛美に他ならない。
それは、結局において、民族の健康回復の問題である。
我々はときが我々の上にもたらしたものを克服すべき力を持っている。
我々は国家社会主義たらんことを欲する。だが、語の通俗的な意味において
国家的であるのではなく、中途半端に国家的であるのでもない。
我々は、狂信的な国家社会主義者であって、中間派の綱渡りではない。
多くのものが無反省に用いる三つの言葉、「愛」「信」「望」は、
我々にとっていわゆる標語ではない。われわれ国家社会主義者は、わが祖国を愛し、
愛することを学び、熱烈に愛することを学ばんと欲し、ただ一途に祖国あるを知り、
他のいかなる偶像をもこれと並ぶことを許すものではない。
我々は唯一の利益を知るのみである、それは即ち、わが民族の利益である。
我々はわが民族に対する愛において狂信的であり、
いわゆる国民的政府もまたこの事実を意識せんことを念じている。
我々は真面目を信ずるものとは、犬のごとく忠実に携えゆくことができるが、
しかし、この我々の愛を愚弄し得ると信ずるものに対しては狂信的憎悪をもって追撃する。
我々は、二つの道を一つに見、そして右翼にも左翼にもおもねる政府とは
共にゆくことができない。我々は直往邁進する、愛か、然らずんば憎悪あるのみである。
我々は、わが民族の権利、永劫不滅の権利を信じている。
我々は、すべての他の民族は権利を有するが、わが民族はこれを有すべきでないとする
見解に対して抗議する。我々は、わが民族の権利に対するこの盲目的信念を、
この権利の為に献身すべき信念を獲得せねばならない、我々は狂信的である場合のみ、
これに次第に勝利が与えられるに違いないという信念を獲得せねばならない。
そうして、この愛と信念とから、望みの観念が我々に現れてくるのである。
他人がドイツの将来に対して危惧し、躊躇するとも我々は何ら疑いを持たない。
我々は、ドイツが強大となり有力となること、ならねばならないことを、
望み且つ信ずるのである。
我々は、ドイツがケーニヒスベルグからシュトラスブルクに、ハンブルクからウィーンに
延びる日の来るべきを望み且つ信ずるのである。
我々はいずれの日か、神がドイツを一国家に統合するであろうこと、
しかしこの国家の上には、ソヴィエトの星も、ダヴィデのユダヤ的星もなく、
ただドイツ労働者の象徴たる鉤十字が掲げられるであろうことを信ずる。
その時こそ、五月一日が真に来たのである。
演説の時代背景
1923年
8月12日
ドイツ、クーノ内閣崩壊。
翌8月13日
ワイマール大連立内閣成立。
内政は絶望的な状況、経済破綻、左右過激派による市街戦前夜の様相、
1ドル1億マルクのインフレーション。
9月2日
ヒトラー、突撃隊(SA)および他団体に武装闘争に備えた団体を結成させる。
名誉総裁にルーデンドルフ将軍が就任。
9月12日
ヒトラー、政府との対決姿勢をますます強めていく演説を行う。
「十一月共和国の本質は、敵に対する屈従、ドイツ人の面目の放棄、
平和主義的卑怯、あらゆる侮蔑の寛容、もはや何も残らないまでの妥協、
これらがそこにあるのだ。この十一月共和国は、これを創造した人々の
特徴をそのまま背負っている。」
11月7日
ヒトラー、ナチス単独行動による武装蜂起を決意し突撃隊に動員令を発令。
(ムッソリーニの劇的なローマ進行の成功を手本としたものであった
ナチスはその時には5万5千人の党員を擁していた)
翌11月8日
午後八時三十分、ヒトラーは武装した突撃隊員を率いビュルガーブロイ・ケラーに
現れ国民革命を宣言、バイエルンの総監、国防軍司令官、警察長官を監禁して
革命参加を要請する。最初同意していなかったがルーデンドルフ将軍の登場と説得で
革命に一旦は同意するが、ヒトラー外出中にルーデンドルフが
疲れた彼らを帰宅させてしまい、その後ヒトラーへの叛意を決意する。
11月9日
ラジオ放送でヒトラーの蜂起の否認声明を布告。
ヒトラー、レーム、ヘス、ヒムラー、ルーデンドフルは武装した約3000人の
突撃隊員と行進を開始するが警察隊の発砲に阻まれ四散した。
ヒトラーはその後、裁判で罪を問われたが全責任を引き受け答えた。
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(,,゚ー゚) < ミュンヘン法廷にて1924年3月27日の演説
ミ__ノ \_______
・・・ドイツの衰亡はいずれの日にその端を発したか?
諸君は、対外政策における現ドイツの標語を知っているであろう、
それは「世界平和の維持、世界の経済的征服」ということである。
この二つの原則をもって一民族を支配することはできない。世界平和の維持は、
国家の政策の目的および目標たることを得ない。
民族の膨張および維持、これのみが目標たり得るのである。
もし諸君が経済政策によって世界を征服せんとするならば、他の民族は必ずや
そこに彼らの危険を見出すであろう。よくよく国家とは何であるか?
今日の国家は、経済的組織、人民の集団として形成され、恐らくはすべてのものが
各々他人の日々の食糧を保証するために協力することをその唯一の目標としている。
しかしながら、国家は、経済的組織たるべきものではなく、
民族の有機体たるべきものである。国家の目的および目標は、民族に食糧を供給し、
世界においてそれに相応しい地位を供与することである。ドイツはヨーロッパにおいては、
あらゆる民族の中で最も窮迫した民族である。軍事的にも、政治的にも、
また地理的にも、ドイツの周囲は敵ならざるはない。
従ってドイツは力の政策を強行する場合にのみ、ようやくその独立を維持し得るのである。
ヨーロッパの将来の発展を決定する地位にあるものは、イギリスとフランスの
二大強国である。イギリスは、ヨーロッパをバルカン化し、ヨーロッパの
勢力均衡を確立し、世界における自己の地位を不動のものにすることをもって、
この不変の目標としている。従ってイギリスは原則としてドイツの敵ではない、
ただヨーロッパにおける覇権を獲得せんと努めているだけである。
ドイツの公然の敵はフランスである。イギリスがヨーロッパのバルカン化を
必要とするが如く、フランスは、ヨーロッパの覇権を獲得せんがため、
ドイツのバルカン化を必要とする。ところで、四年半の激烈な戦闘の後、
革命に幸せられて、勝利は遂にこの二つの連合国側に落ちた、そうしてその結果、
フランスは次の問題に直面することとなった、
即ち「永久の戦争目標を実現すべきか否か?」
換言すればドイツを破壊して、民族の栄養源泉をこれより強奪すべきか否か?
今日、フランスは、その年来の国策の完成が次第に熟しつつあることを見ている。
いかなる政府がフランスの舵をとるかは、問題ではない。
その主たる目標は、依然としてドイツの絶滅、二千万のドイツ人の掃討、
ドイツ国家の分裂にあるのである。
我々が組織した軍隊は、日に日に増大している。その増大は刻々に速度を増している。
私は、今やこの未訓練の集団が大隊となり、大隊が連隊となり、連隊が師団となり、
腕章が泥中から引き上げられ、旗が再び先頭にひらめく時が、
いつかは到来するであろうという誇らしい希望を持っている。
その時こそ、我々が出頭すべき最後の審判の法廷、
神の法廷において、和解が成立するであろう。
いずれとなれば我々に対して判決を下すものは諸君ではなく、
今我々に対して提出せられた公訴について判決を宣言すべき、
歴史の永遠の法廷であるからである。
諸君が下さんとする判決を私は知っている。しかしながら、かの永遠の法廷は
「お前は叛逆罪を犯したか、否か?」などとは質問しないであろう。
この法廷こそは我々を裁くであろう。
ドイツ人としてその民族と祖国とのために最善を求め、
戦い且つ死なんことを欲したものを裁くであろう。
諸君は我々に対して、一千回でも有罪を宣告するかも知れない、しかしながら、
歴史の永遠の法廷を主宰する女神は、検事の論告と裁判官の判決とを微笑しながら
引き裂くであろう。何故なら彼女は我々を無罪と宣告するからである。
演説の時代背景
1938年3月10日
ヒトラー、オーストリア侵攻計画の実行準備を軍に指令。
3月11日
ヒトラー、作戦開始指令。
ドイツ軍オーストリア国境に出動。
ゲーリング、オーストリアに国内安定の為にドイツの援助を要請するよに最後通牒。
午後7時、オーストリア首相降伏「我々は力に屈服す。」
イタリア特使からムッソリーニの「何もかも友好的に受け入れる」との報告が伝わる。
ヒトラー
「決して、決して、決して忘れない。どんなことが起こっても。
あの人が援助を求める場合とか危険に陥った場合には、どんなことが起こっても、
世界中を敵に回したとしても、私だけは味方だと信じていいのです。」
とムッソリーニに感謝。
3月12日
ドイツ軍、オーストリアに侵入開始。
ヒトラー、オーストリアへ自動車でゆっくりと進む。
ブラウナウの近くの国境を越え、教会の鐘の音と熱狂的群衆に祝福され
生まれ故郷に入る。リンツ市役所のバルコニーから歓喜する群衆に演説。
わが闘争の冒頭に書かれた言葉を果たす。
「私は、イン河畔のドイツ国境に近いブラウナウで生まれた。この地が、
私の生誕地となった事を、私は幸福な運命だと思っている。
この小さな町は、ドイツとオーストリアの両国家の境にあり、我々青年には、
両国家の合併こそ、どんなことをしてでも遂行しなければならない、
一大使命と考えられるからである。」
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(,,゚ー゚) < 生まれ故郷リンツにて1938年3月12日の演説
ミ__ノ \_______
私は諸君の歓迎の言葉を感謝する。なかんずく、ここに集まられた諸君が、
この偉大なるドイツ民族の国家を建設することが単に一部少数者の意志および希望でなく、
ドイツ国民全体の意志および希望であることを立証せられたことを、心から感謝する。
我々のよく知る、かの国際的真理探求者たちも、今夕この事実を見るならば、
やがてそれを真実として容認しなければならないであろう。
数年前この町を出る時、すでに私は、今日私の心を充たしていると同じ信仰の誓いを
かたく胸に抱いていたのであった。その後長い年月を経て、今その誓いを果たし得た
私の胸中を想像して頂きたい。
もし神がドイツ国家の指導者たるべく私をこの町から召されたのだとすれば、
それは私に一つの任務を授けられたのである。その任務とは、
わが愛する故郷をドイツ国家に還付することであった。私はこの任務を信じた。
私はそのために生き、そのために戦ってきた。そして今その任務を果たしたと信ずる。
諸君はすべてその証人であり、保証人である。
私はいつ諸君がそのために召集されるか知らない。しかし、恐らく
それは遠いことではあるまい。その時、諸君は自己の信念を率直に表明することを
誓わなければならない。そしてその時こそ、私はわが故郷に対する誇りをもって、
全ドイツ民族の前にそれを指揮することができるであろう。
そして、このことはこの民族を分裂せしめんとする如何なる企画も無駄であることを、
全世界に証明するに違いない。
このドイツの将来に貢献することが諸君の義務であると同様に、ドイツ国民もまた
そのために貢献をなす用意があり、すでにそれは今日着々となされつつある。
現にドイツの各州よりオーストリアに進駐しつつあるドイツ軍の中に、
諸君は偉大なる全ドイツ民族の統一、ドイツ国家の力、その偉大と栄光とのための
戦いにおいて、進んで自己を犠牲にせんとしつつある人間を見るに相違ない。
ドイツ国家万歳!
演説の時代背景
1938年8月15日
ヒトラー、上級将校に「年内に武力でチェコ問題を解決する。」と語る。
9月12日
ヒトラー、チェコのズデーテン地方のドイツ人が迫害を受けていると演説。
ズデーテンのドイツ人に民族自決権の付与を主張。
9月14日
イギリスのチェンバレン首相から平和的解決のための会談申し入れを受ける。
9月15日、22日にヒトラー、チェンバレンと会談。
チェンバレンの妥協条件を拒否して、
「まもなく軍をチェコに進める」と言い残し会談は決裂。
1938年9月26日
ヒトラー、ベルリンのスポーツ宮殿で武力介入をちらつかせる演説。
「チェコスロヴァキアに要求する。すでに約束したことを実現せよ。
戦争か平和か、チェコスロヴァキアが決めるのだ。
我々の申し出を受諾してドイツ人に自由を与えるか、
それとも我々が自分で自由を求めるか。
今や私は最初の兵士として、我が民族の先頭に立つ。
我が民族は、先の大戦で敗北したときとは違う。」
それを受けチェコ、戦争に備えて動員令。
緊張が高まる。
9月28日
ヒトラー、ムッソリーニの調停申し入れを受諾。
9月30日
ミュンヘン会談。
フランスからはダラディエ、イタリアからはムッソリーニ
ヒトラーは終始会談を自分のペースで進める。
領土的要求はこれが最後と明言。
ヒトラーの要求をほぼすべて認める形で終わる。
帰国したチェンバレンは平和の天使としてイギリス国民は熱烈に歓迎される。
チェンバレンは一方的な妥協の産物でしかないヒトラーとの共同声明を手に掲げ
「平和が守られた」と誇らしげに語った。
1938年10月1日
ヒトラーはその翌日ズデーテンに進駐
ドイツ系住民から熱烈な歓迎を受ける。
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(,,゚ー゚) < チェコスロヴァキアにて1938年10月3日の演説
ミ__ノ \_______
私を通じて全ドイツ国民は諸君を歓迎する。この歓迎は同時にまた誓いでもある。
この土地は将来断じてドイツ国よりもぎ取られることはないのだ!
この大ドイツ国家の上にはドイツの楯が保護を加え、
ドイツの剣がこれを守護するのである。諸君そのものがこの保護の一部である。
今日以後諸君は、あらゆる他のドイツ人と等しく、諸君自らその任にあたらなければ
ならない。けだしドイツの産んだすべての子が、ひとりドイツの歓喜のみでもなく、
また我々の義務をつくし、必要の場合犠牲を捧ぐることは、
我々すべての誇りであるからである。
諸君のためにわが国民は剣を抜き放つ覚悟があった。
万一ドイツの国土が、あるいはまたドイツ国民が脅威に晒される場合、
諸君もまた起つべき用意があるであろう。
いざ、偉大なるドイツの将来に導くべき諸君の行進を開始せられよ。
この時にあたり、我々は全能の神に対し、過去において
我々の道を守り給えしことを感謝し、同時にまた将来においても、
我々と共に進み、我々の道を栄えしめ給う神に祈願するのである。
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く ̄ ̄`゙""~ ̄ / 'i,
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l, _, 、_, i! 燃えつきたぜ・・・
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ヽ., ヽ ノ ,/'
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γ´ ̄ γ⌒ヽ ヽ,_,.ノ
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ここもう何のスレだかわかんねーなw
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_,.! { ヽ_ ノ .::::::::::::| 男なら自分の立てたスレに
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( | '; マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし
'i, | .,___., ';
\ | .. ,; 身捨つるほどの 祖国はありや
`丶、'=ヽ ヽ ''"´ ,;
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i′ ゙、 ¨''; `:、
i ゙!' ~ ゙!'
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>>103のズレ修正
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~'-'-ノノノ_l.|:||:|:::::|:||:|_l_lヽヽ-'^
,,-''~||~~~'||=-、 予は戦いを欲する
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/ /~ /\ ~'-、 ヽ. そして
/ / / / .,- 、\ ヽ,
/ l' < ヽ/ \ ヽ l その目的のためには 手段を選ばぬであろう
| |, -、\ /\ >| :|
l .l\ ヽ/ , 、.\ .l l 実に戦いこそは
.ヽ ヽ \ / > .> ノ ./
.ヽ .ヽ `' / ./ ノ ノ 予にとって この全人生の意味である
\ \ \/ ,-' /
ヽ ~~''''''''''''~ /
''-=======-'
∧
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/■■■/ ∧ 私がなしとげたものを
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<■■■< /■■■\ かつてなしとげた者は
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∧ \■■■∨■■■∧■■■\ 誰一人として
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<■■■\ >■■■< \■■■> 存在しない
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\■■■∨■■■∧■■■\ ∨ 全ドイツの命運は
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\■■■/ >■■■> かかって
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かつて我々を笑っていた者は 今はもう誰も笑っていない
今笑っている者も 次期に笑えなくなるだろう
/∠. ,.イ
_丶y'ーY / |
(. `>‐、ノ、/ | 我々が動物界に君臨できるのは
,∠'rラz:_ `T^ーヘ/、 l
r;-‐' ッ レ'⌒ヾゝz._ | / \ヽ / ひとえに
`ラ゚ニ二フ `>、z.;∠ー--}`\∠.._ _,ノ'-ーz.__
`' ー-\-‐''´ /| |. / /゙\ ヽ⌒ ー-一"` 苛責のない不断の闘争の結果である
ヽ_ー-∠_'ニL._!,. イ-┘ l
_/  ̄  ̄ |ヽ. \ l二ニ._‐-┐ それゆえ
/,.‐-ゝ/ ,. -‐ ノ ノ>=、〉>- 、..__,゙二ニヽ` '┘
〈 < / /` ー-∠イニラ" }. L、 闘争に勝利を収めなければ
∨' 〈.〈 `ー-ゝ
ヽ`> この地球上において
‘´
ー=r''⌒ヽ. 生きる権利は消滅する
(. ト、 Vv、
>〉 ,ゝ, ' 、 ,l
~ ‘イ/ヽ.ェノ
♪君 が 代 は
(・∀・)
♪千 代 に 八 千 代 に
( ・∀・) (・∀・ )三 (・∀・ )三
♪さ ざ れ 石 の
(・∀・ )
ミ
( ・∀・) (・∀・ )
( ・∀・)(・∀・) ミ
( ・∀・)(・∀・)( ・∀・)
( ・∀・)(・∀・ )(・∀・ )(・∀・ ) (・∀・ )三 (・∀・ )(・∀・ )三
♪巌 と な り て
/ \
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♪苔 の む す ま で
,,,、、丶丶ヽヽ丶丶、、,,, イイ!
ミ 彡
ミ =@● ├─┤ ● ●c
ミ \/ 彡
,,.:ー_;_、
(,,.r=:g:,ノ_
lll ・_・/
,.=',.ヘ,+ノ';,、
/ ノ '゛、'y,"' } この土の
,:' 、ノ{ i。j',{。 i。}j
ヽ, :'ヽ'; !_j |。 i_j{ つらなる果てに
ヽ,γっニOニ{/`ヽ,
,:`゙''' ! !`''ヘ,,) 母ありて
i ! j (_}{_,
,'`ー‐-:-ー''i ||。 明日の壮挙の
/,:' ,ノ /ゝ j ||
〈 ' /゙ .,'! ` 丿 || 成るを祈るらん
`';ミ;ノ.}ミ;,'´ .||
,':::::;' i:::::i ||
;':::::;' .!:::::i ||
i::::,' .!:::::! ||
}:::ノ .{::ンヽ.., ||
i´:::i `'' ー-::' ´
ヽ='
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,、-''" _,、_ ``ヽ、
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( / d゙元゙_,ノ`ヽ、 ノ
\/,、-'ニニニニニ'ー-!'
E_''"______ミ!、
_,!「 ̄ '冖' ̄ ̄'冖' 丁
!`! ーマフ冫 'fマ'ン、f! 益良雄の ゆくとふ道を ゆききはめ
'! |.::. ` ー ,' '`ー l!
`|:::: イー = '' ! わが若人ら つひにかへらず
∧:: 、_-_、 /
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,、-''"´ \ `ー--ァチト、
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/\ヽ / ヽ─‐′ / _/ /
/ 丶 \ \ / /(_ / / 千万人なりといえども吾往かん
\ ~ヽ  ̄二 イ| ̄丶 < |
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_ /___ ,,__....._,...,_ ._ (~)./
<" ~ し、_.ノヽ- \ ] (`‐‐-´~U⌒.|,/
ヽ, く ~|._.-‐.v´| /
/ / ~
ヽ∩/~
巌 八 君 ○
苔 と さ 千 千 が r'"゙⌒゙゙''''ー-、,,,,_、 _,,,,-ァ
の な ざ 代 代 代 / ` ゙̄"゙゙゙゛ /
む り れ に に は / ,,-'" ゙゙゙̄'‐. /
す て 石 / .l゙ │ /
ま の / ヽ ,/ /
で / `''ー---'"` l゙
/'''''"゙゙"''―-,,,,、 ,l゙
/ `゙"―---ー'''"`
/
/
悠 身 魂 今 悠 赴 国 今 懐
久 は 魄 吾 久 か 家 吾 し
に 桜 国 れ の ん の れ の
護 花 に こ 大 と 安 す 町
国 の 帰 こ 義 す 危 べ
の ご り に に に て 懐
鬼 と . 突 生 を し
と く 撃 き 捨 の
化 散 を ん て .人
さ ら 開 と て
ん ん 始 し
も す
r~ヽ || _―i── - 、
/== ヽ r~||i―| ̄| |-i r=、___ ||
/==== 丶――― ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄├| ━ヽ||
∠__ -==∋ ● r ⌒ヽ、 ├| |⊃
 ̄ ̄ ̄ ー―――-__//━━ ヽ _ ├| ____ノ||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄丶ニ/ ̄ー-’ ||
沖 求 折 操 翼
縄 め る 縦 散
の て る .桿 り
海 止 と は
ま も
じ
_
/!\
_ __/-- ::!\
/ !、__/ ヽ ヽ \
,/ i_.: ヽ \ ! \ ..
/ /:: :::: /:::: :::::i.:::::::'''''
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テレ朝の報道ステーション見たが、
中共について
>>89で指摘した通りだった。
中国の日本の常任理事国入り反対運動の
ニュースのはずが、
直後に日本の中の中華学校特集が控えていたのだ。
「日本の会社が中国、中国という感じになってきた」
とかほざく日本人会社員が登場し、
見事なほどに問題がすりかえられた。
完璧に
>>89の予想が的中だ。
演説の時代背景
1933年1月1日
ケルン会談。
ヒトラー、前首相のパーペンと極秘に会談。
ヒトラーの首相就任で一致。
1933年1月30日
ヒンデンブルク保守派との連立を条件に不本意ながらヒトラーを首相任命。
副首相の保守派パーペン「我々はナチスを政府に取り込んだ。」
保守派の誰もがヒトラーを自分達の為に利用できると考えた。
ヒトラー内閣成立。ナチスからの入閣は2人のみ。
ゲッベルス、即座にたいまつによるパレードを行う。
同年2月1日
ヒトラーの要請でヒンデンブルク大統領は国会を解散。
首相になってわずか二日、ヒトラーは現状の弱い権力に満足せず
絶対的な力を得るため総選挙に打って出る。
2月4日
ヒトラー、ドイツ国民保護のための大統領令を発令させる。
政治活動を禁止させ新聞その他の出版物の発行を停止させる。
同日に地方議会の解散も命令。
2月6日
ヒトラー、プロイセンにおける秩序ある統治関係設定のための大統領令を発令させる。
ゲーリングにプロイセンの全面的支配権を与えるための法令。
2月8日
ヒトラー、ドイツの新聞編集者達に、新聞の発行量と報道の範囲は政府が決めると伝える。
2月10日
ヒトラー、首相就任演説を選挙演説として利用。
首相就任後はじめてラジオで国民に話しかける。
ヒトラー首相就任演説(動画)
ttp://www.earthstation1.com/pgs/wwii/dov-Hitler_021033.ram.html 「ドイツ国民よ!われらに四ヵ年の歳月を与えよ!
しかるのち判断し、われらに裁断をくだせ!」
選挙期間中は精力的な演説、八万回にも及ぶ党大会を行う。
2月27日
国会議事堂、放火により炎上。
ヒトラー捜査を待たずに共産党の犯行と断定。
翌2月28日
ヒトラーの要請で大統領緊急令が出される。事実上の戒厳令。
同日ゲーリング4000人の共産党員の逮捕を命令。
3月3日
ゲッベルス、共産党党首逮捕をラジオ放送。
3月5日
国会総選挙。
全議席647議席のうち
ナチス288議席を獲得、得票率43.9%
社会民主党120
共産党81
中央党73
ドイツ国家人民党52
バイエルン人民党19
3月9日
ヒトラー、共産党員の国会議席を剥奪、81名の共産党国会議員資格を抹消。
議席総数が566に減少して、ナチスが単独で過半数を獲得することになった。
3月23日
ヒトラー、帝国議会で全権委任法を要請し審議を求める。
441票対94票で可決。翌24日には発効されヒトラーは合法的に独裁権を獲得した。
5月1日
ヒトラー、ナチスへの入党申し込み受付停止。
100万以上の入党希望者が待機していたが「わが闘争」で書かれた
党員採用の制限に基づいて行動。
5月10日
ゲッベルス焚書を扇動、指揮。
政府、社会民主党の資産没収。
6月22日
社会民主党禁止令発布。
1933年7月4日
カトリック人民党、ドイツ人民党、バイエルン人民党、解党宣言
7月5日
ドイツ中央党自発的解体消滅。
これによってドイツにはナチス以外の政党がなくなった。
7月14日
諸党派新規形成取締りの為の法律公布。
ナチスがドイツ唯一の合法政党となる。
12月12日
ナチス一党独裁による国会開催。
ハイル・ヒトラーを叫び、国歌党歌を合唱し、わずか9分間で閉会。
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < 政権獲得の年、1933年10月30日の演説
ミ__ノ \_______
1933年3月15日、ドイツ国民は国内政策について態度を決しなければならなかったが、
同様にして11月2日には、対外政策についてその態度を決しなければならぬのである。
国民の名誉とその権利の平等が世界の前に将来自由に、公然と擁護さるべきことが
その意志であるか否かを明白にしなければならないのである。
最初は恐らく困難でもあろうが、長い間には大国民をその偉大さのうちに
維持し得るに至る唯一の方法のために決定しなければならないのである。
我々は個人として我々自身の名誉をもつがゆえに、国民の名誉を重んずる感情を持つ。
私は、私が以前に主張していた以外の道徳的原則を主張せんがために
ドイツの宰相となったのではない。私の見るところによれば、一国民の名誉は
その個々の市民の名誉、名誉を求める感情、名誉に対する要求をもって
構成されているのである。私は、政府なるものの名誉は国民の名誉であり、
国民の名誉は政府の名誉でなければならないと信ずる。
我々は戦争を欲しないが、しかし我が国民のためにそれ自らの生活を形成する
権利を欲する。そしてこれは世界のそのほかの部分に全く関係のない事柄である。
もしすべてのものが、脅されていないに拘らず、保障を云々するならば、
脅かされていると正常に感じ得る我々にこそ、彼らは少なくとも
同じ保障を与えなければならぬのである。
彼らが武装解除を欲しないのならば、そう言い張るがいい。
彼らが我々に権利の平等を与えたくないならば、そう言わせるがいい。
しかし、ここに言わなければならぬことは唯一つで、再びそれは言われたのである。
断じて我々は完全に平等の権利の上に立たないでいかなる協定にも参加しない。
我々は孤立せしめられるかも知れないが、
しかし名誉は汚されない。
断じて汚されない!
私は私の名誉を犠牲にせねばならぬような協定には参加しない。
そして彼らが、「しかし、それではお前は孤立せしめられるぞ」と言うならば、
私は宣言しよう、私は名誉を失っていられるよりも、
むしろ名誉を保って孤立せしめられようと。
私は信ずる、ドイツ国民は厳然たる性格を有しているがゆえに、
政府とは別個の考え方をするものではないと。
私は信ずる、この時、この歴史的な時において、わが国民は然りの言葉を
もってする以外に決定はできないのであると。
他に道は存在していない。
私は大砲は有していない。ただ諸君を、わが同胞の国民を有しているにすぎない。
諸君と共に、私はドイツのためこの権利を求めて戦わなければならないのである。
諸君は私の背後にたたねばならぬ。
我々は一致団結しなければならぬ。
我々は、我々が単一の軍であって初めてこの闘争を遂行し得るのである。
それにしても孤独なスレだw
たまーに、たれさんが見にきてくれるが、
『わが闘争』自体よく解からんつってたからな・・・
しかし、このスレの孤独さ、さえも
『わが闘争』によって予言されていたのである。
曰く「多くの者は、相当に長い文章を読むよりも、
むしろ具象的な表現を受け入れる用意ができているのである。」
ということだ。
ハハハ・・ゼェハァ・・・シクシク
前スレのヒトラースレで
聡明な方が指摘してくれたが、
今後は演説だけでなく、
『永遠なるヒトラー』にも
触れていこう。
まぁ、なんにしてもちょっち休憩。
>>127 微妙に難しいんじゃw
長文よりはなんかわかりやすい例で示してくれた方がわかりやすいのは事実だ
だがそのたとえを見つけるのがまた難しいわけだ('A`)
∧_∧
(,,゚ー゚)/) )) 皇紀記念保守♪
|\ ̄ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄ ̄\
./ \\ 旦 \
/ \|=================|
\ / ∧_∧ と )
\ ノ ___/(,,゚ー゚)ヽ___\
 ̄ ̄ 〇旦〇
良スレ発見!!
カゼラ氏
推薦書籍やDVDを整理して教えてくださると
感謝感激なのですが。
出来れば本の特徴とかも。
お願いします。
しかしカゼラ氏は頑張り屋さんでエライ!
権謀術数では建て逃げの感が強いよw
>>131-133 来訪者キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
たった一人でも来てくれる事がこれほどうれしいスレも他にない!
極東にこういうスレがあって。
2ちゃんねらーの政治的立ち位置を調べよう
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/asia/1109131853/ 1 名前:日出づる処の名無し[] 投稿日:05/02/23 13:10:53 ID:s3d3MWwJ BE:12197243-#
スクリプトを使って自分の政治的立ち位置を調べよう。
今回使用するスクリプトは英語製なので、日本国内のウヨサヨ度を測るのには
向いてない。国際的な立ち位置を知りたい方はどうぞ。
今回使用するものは
Political Compass
http://www.politicalcompass.org/ にあるPolitical Compass Test。(本文下部にあります)
日本語訳は下記を参照。
http://d.hatena.ne.jp/kanryo/20050222#p3 回答を終えると結果が出るのでそのなかの
Economic Left/Right
経済的ウヨサヨ度
Social Libertarian/Authoritarian
自由主義/権威主義度
この2つの項目の数字をコピペ。
回答には結構時間がかかるので暇なひとはどぞー
俺の数値は
Economic Left/Right: 2.25
Social Libertarian/Authoritarian: 9.08
こうだった。
他の極東住人とは全然違う。
俺は死ぬまで世界観の孤独さから逃れられないと覚悟している。
一人でも評価してくれる人がいるとうれしいかぎりです。
俺の世界観の基本は『わが闘争』です。
現在角川文庫から出てるのが手に入り安いようだが、
はっきり言って読みずらい。
おそらくは訳した人の問題だろう。
前スレでヒトラーの第一次大戦記を『わが闘争』からまとめたのだが、
あまりに書きずらかったから、別の人が訳した昔出版された
『わが闘争』の言葉と混ぜて書いたくらいです。
ただ、読めないことはないし、本屋にいけばすぐ手に入る本はこれだと思う。
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < これが『わが闘争』からみるヒトラーの第一次世界大戦記
ミ__ノ \_______
私はある日、父の書棚からさまざまな軍事的読物をみつけた。
その中に独仏戦記があった。それは上下二巻から成る絵入りの戦記で、読むうちに
私の血は、異常なたかなりをはじめた。
少年が何物かを発見し興奮した時の、あのいいしれぬ感動である。
私はこの本を何度読んだか知れない。
偉大な将軍や勇敢な兵士の物語は、私の内面的な成長に大きな刺激をあたえたのであった。
若い腕白小僧として奔放な生活をしていたころから、私は歴史的事件がおさまって、
平和になった時代に生まれたことを、残念に思ったものである。
民族の平和的競争時代では、もはや腕づくの防衛はなく、いっさいがおとなしく
だましあいをすることだけで、どの国家も企業家気どりで、縄張りをひろげたり、
注文を奪いあったりして、何とかして他人を出し抜こうとしているだけだった。
私は、少年時代から平和論者ではなかった。どんな教育が、この方向に向けようとしても、
それは無駄であった。
日露戦争のころ、私はもうかなり大きくなっていて、物の見方もある程度進んでいたが、
私は、はじめから日本の味方をしていた。ロシア人の敗北は、オーストリアの
スラブ主義の敗北と考えていたからである。
それ以来、幾歳月が流れた。嵐の前の静けさとみられていたバルカン半島に暗雲が
低迷し、やがてそれは大暴風雨の前兆である、ひどい蒸し暑さがおそってきた。
やがて暗雲の中に稲妻がきらめき走った。戦争が勃発したのである。
オーストリア皇太子暗殺の報がミュンヘンに達した時、私は下宿にいた。
オーストリアは、この事件によって、セルビアに最後通牒をつきつけた。
世界のどんな国でも、同じ情勢に立たされたら、これ以外のやり方はなかったろう。
たとえ当時ウィーン政府が、他の形式のもっと生ぬるい最後通牒を突きつけたにしても、
もはや情勢は変化しなかっただろう。1914年の戦いは、神にかけて、民衆に強いられた
ものだとは言えないと思うのだ。それは全国民が望んでいたものであった。
私自身にしても、まさに青年時代のいらだたしい気持ちが救われたように感じたものだ。
私は、嵐のような熱狂に圧倒され、ひざまずいて心の底から神に感謝した。
私は少年として、また若人として、少なくとも一度はまた国民的感激が空虚な妄想でない
事を、行動によって確認してみたいという望みを、何度ももったものだ。
それが心から正しいと思えないのに万歳と叫ぶのは、ほとんど常に罪悪のように思えた。
それがいまや遂にこのたるんだ感情から解放され、
何度も「世界に冠たるドイツ」を歌い、大声で万歳を叫んだ。
初陣
私はルードヴィッヒ三世陛下に直訴してバイエルン連隊に入隊する許しを求めた。
その翌日早くも請願の回答をうけとったが、私の歓喜と感謝は、底知れぬものであった。
かくて、遂に我々の義務を履行するために、ミュンヘンを去る日が来た。
我々がドイツの川の王者たるラインを仇敵の貪欲から守るために、静かな流れにそって
西の方へ下った時、初めて私はライン川を見た。朝もやのやわらかいヴェールを通して、
朝日のおだやかな光が、我々の頭上でニーダヴェルト記念碑を照らし出した時、
果てしなく続く輸送列車からは、暁の合唱がひびきわたった。
それは兵士達の歌う「ラインの護り」の歌であった。私の胸にこみあげてくる
感動をおさえることができなかった。
我々は夜を徹して、黙々と行進した。やがて霧を破って夜があけかかったころ、
突如として、シュッ、シュッ、と鉄の雨が頭上をかすめた。小銃弾は、ぬかるみの大地に
つきささり、我々の隊列を撃ち続けている。
だがこの小さい硝煙が消え去らぬうちに、この死神の使者に対して、たちまち二百ののど
から、最初のときの声が上がった。
銃声は響き、砲声は大気をふるわせ、銃弾はうねり、砲弾は空にほえはじめ、
誰もかれも熱にうかされ、目を吊り上げて前進した。足はますます速くなる。
ついにカブ畑と生垣を越えたところで、突如として戦闘がはじまった。白兵戦である。
すると遠くの方から歌声の波が我々にせまってきた、それはしだいに近づき、
中隊から中隊へと流れてきて、我々の所まで届いた。
我々は歌い続け、絶叫した。
「ドイツ!全てに冠たる!世界に冠たるドイツよ!」
戦いはロマンチックではなく、それは戦慄であった。感激はしだいに冷めて、
熱狂的な歓声も死の恐怖によって窒息させられた。
各自が自己保存の本能と、義務遂行の板ばさみになり、そのジレンマと格闘する
時期がきた。私もその相克から逃れることはできなかった。
死神が狂奔すると何か漠然としたものが叛逆を試み、弱い肉体にこれが理性だと
思いこませようとする。しかし、これはそのような仮装のもとに個々人を惑わそうとする
臆病にすぎなかった。そうなると進む足も鈍くなり、重くなる。
警戒心も強くなり、ただ良心の最後の一片によってかろうじて決断を下すようなことが
しばしばであった。しかし注意を促す声が高まれば高まるほど、誘惑すればするほど、
反抗心がいよいよ鋭くなり、遂に長い内心の争いの後に義務意識が勝利を収めたのである。
意志が完全に勝ったのだ。私は最初のころには歓呼の声をあげ、笑いながら突撃する
ことができたが、今では落ち着いてもいたし、決意もかたまっていた。
これは最も永続的なものであった。いまや初めて最後の試練に着手する事ができた。
私は若き戦争志願兵から、古兵になったのだ。
全軍はたくさんの戦闘を繰り返すたびに、老練かつ頑強になった。
嵐に耐えられなかった者は、やはり嵐によってうちくだかれた。
1916年9月末、私の混成軍団はソンムの戦場へ出発した。
それは我々にとって、その後引続いた恐ろしい物量戦の最初であった。そしてその印象は
実際筆舌につくしがたかった。戦争よりは地獄だった。ドイツ軍の前線は、
数週間にわたる連続速射の大旋風の中で、固守していた。決して退却しなかった。
1916年10月7日、私は負傷した。幸いにも後方へ戻り、輸送列車でドイツへ送られる
ことになった。故郷を見なくなってから実に二年たっていた。衛戍病院に横たわって
いる時、看護婦をしている一人が突然私のそばに寝ているものに話しかけたが、
そのとき私はほとんどひきつけんばかりに驚いた。二年ぶりに聞くドイツ婦人の声だった。
さらに我々を故郷へ運ぶ列車が国境に近づけば近づくほど、みんなの内心はますます
落ち着きがなくなってきた。二年前、若い兵士として我々が通った場所は、
みんな通りすぎた。そしてついに高い破風とその美しいよろい戸を見て、初めてドイツの
家屋を認め得たように思った。祖国だ!
1914年10月、我々が国境を通過したとき、我々は嵐のような感激に燃えたが、
いまや平静と感動があった。みんな幸福だった。運命は、彼が生命をかけて苦難と
戦って守らなければならなかったものを、もう一度彼に見せてくれたのである。
みんな他人に自分の目を見せるのが恥かしいぐらいだった。
不滅の月桂冠の最後の花輪
私が全治して補充大隊へ行かされたとき、そこにはただ不平、不満、悪口だけがあった。
私はドイツのこの忌々しい不和に耐え得なかった。
そこで再び前線へ行く志願を申し出たのだった。
1917年初め、私はもう一度私の連隊に戻った。
私は幸いにも、最初の二回と最後の攻撃に参加する事ができた。
いまや最後の回に、戦争が防衛の性格を失って、攻撃の性格を負うたのである。
敵の地獄に三年以上も持ちこたえて、ついに報復の日がきた。不滅の月桂冠の最後の花輪
を勝利をはらんだ旗にかかげ、今一度祖国の歌が、果たしなき行進縦隊にそって、
天まで響きわたった。
10月13日から14日の夜、イギリス軍のガス射撃がなされた。
「変な砲弾だな?」我々は青白い光を放って炸裂するその新型砲弾の恐ろしさを
知らなかった。早くも真夜中ごろ我々の一部は退いた。その中には即死した若干の戦友
があった。朝方私も、十五分おきにひどい苦痛に悩まされた。そして七時前に戦闘に
関する私の最後の報告書をたずさえて、焼けるように痛む目で、つまずき、よろめいて
帰ってきた。数時間後にはもう目は炭化し、私は何も見えなくなった。
こうして私は衛戍病院につき、そしてそこで、革命を体験せねばならなかったとは!
すべての犠牲は無駄であった
数日がすぎた。私は新聞を読む事ができなかった。十一月十日、牧師が病院に来て、
簡単な話しをした。そこで我々はすべてを知ったのである。
ドイツ皇帝の退位、祖国が「共和国」になったこと、誰一人として涙を禁じえなかった。
母の墓前に立ったあの日以来、私は一度も泣いた事がなかった。
死が多くの愛する戦友や友人を我々の戦列から奪い去ったときにも、悲しみ嘆く事は
罪悪のように思えた。彼らはみなドイツの為に死んだのだ!
そして遂に私自身が忍び寄る毒ガスに倒れ、両眼をおかされ、
永久に盲目になりはしないかという恐怖で一瞬絶望しそうになったときも、
良心の声が私をどなりつけたのだ。
「あわれな男よ、汝は幾千のものが汝より幾百倍も悪い状態に陥っているのに、
それでも泣こうとするのか」と。だが今や私は泣く以外に方法がなかった。
今はじめて私は、祖国の不幸に比べれば個人的な苦悩というものが全てなんと小さい
ものかという事を知ったのだ。
かくしてすべては無駄であった。あらゆる犠牲も、あらゆる苦労も無駄だった。
果てしなく幾月も続いた飢えもかわきも無駄だった。
しかも我々が死の不安に怖れながらも、なお我々の義務を果たしたあの時々も無駄だった。
その時倒れた200万の死も無駄だった。
こんなことの為に、彼ら兵士達は死んだのだろうか?
こんなことの為に、志願兵連隊は古い戦友の後を追ったのだろうか?
こんなことの為に、十七歳の少年はフランドルの地に埋もれたのか?
こんなことの為に、ドイツの兵士は灼熱の太陽や吹雪の嵐の中に、飢え、かつえ、
そして凍えながら、眠られぬ夜と、果てしなき行軍に疲れてもちこたえてきたのだろうか?
確かにこれら英雄達も一つの碑銘に値したのだ。
「旅人よ、汝ドイツへ来たりなば、故国へ告げよ。われら祖国に忠誠に、義務に忠実に、ここに眠れる」と。
であるのに故国はどうだ?みじめな堕落せる犯罪者よ!!
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) <
>>137-143以上、前スレからの引用でした。
ミ__ノ \_______
俺は本を読んで記憶に留めようと決意する事柄は少ないが、
『わが闘争』に書いてあることは、ほとんどを記憶しようと思うほど素晴らしかった。
例を挙げれば
「宣伝が上手くいき組織に入ろうとするものが増えれば増えるほど、
逆に組織は小さくならなければならない」
という一説、組織の成功が確実になってくると理念の実現を目的とするものより、
自己の利益に組織を利用しようとする者の方が多くなるからだと。
現在の自民党を見ればこれについても納得せずにはいられない。
次に『続・わが闘争』、これにも『わが闘争』で書かれた世界法則を
より具体的にして書いてある。
ただイタリアとの同盟やイギリスへの好意など、
日本人が読んでもあまり面白くない部分もあるのだが、
それでもお薦めです。
例えば「輸出貿易は他国の近代化とともに消滅する」
というくだりなど、今の中国を賛美している連中が
いかに軽薄かという事を浮き彫りにしてくれる。
角川文庫でもう一つ有名な本といえば、
ルイス・スナイダーの『アドルフ・ヒトラー』だが
これは酷かった・・・
「この邪悪な男・・・・・・過去のあやまちと不名誉の恐るべき産物・・・・・・」
というチャーチルの言葉から始まるこの本は
邪悪なヒトラー像をあますところなく伝えているが、
言葉の編集は杜撰であり、
恣意的にヒトラーの人間性が曲げられている。
しかし、200ページちょっとのこの本は
大雑把にヒトラーを知りたい人々からは愛されている。
日本テレビでやっていた『知ってるつもり』で
ヒトラーを取り上げた時もこの本が基本にあった。
かの『知ってるつもり』の製作者がいかに不勉強で
怠慢かを証明する事例だろう。
加えて司会者の関口宏も酷かったしね。
>>131 推薦の書籍、DVD、ビデオについては
ちゃんとしたものを書きたいので、
しばしお待ちを。
一人でも期待してくれる人がいるなら
必ず書きます。
今日は報道2001で石原都知事が出てたが、
この強い政治家に俺が魅了されたのも
俺に強者の神を信奉する世界観が
元々あった事が前提であったな。
民衆は思いを集中できるアイドルを求めているものさ。
| 強い政治家がほしい │
| 強い官僚がほしい |
| 強い軍隊がほしい |
| 強い指導者がほしい │
| その時こそ │
| 強い国家が誕生する |
\_____ ___/
○
O
o
。 はぁ・・・
∧_∧____
/(,,゚−゚) ./\.
/| ̄〇〇 ̄|\/
|____|/
意志の勝利はドイツ語ですか?
現在どこで入手できるんでしょう?
日本語の解説がある
ヒトラー演説集がほしいな
∧∧
/⌒ヽ)<カゼラ氏は何処行っちゃったんだろ…
i三 ∪
○三 |
(/~∪
三三 トボトボトボ
三三
三三三
>153
ごめんにゃい。
携帯からだけど
いま不在なので
ちょっとまっててね。
∧_∧
( ´∀` )<それでは、待つか
_____(つ日_と)___うつらうつら うたうた
/ \ ___\
.<\※ \______|i\___ヽ.
ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ
\`ー──-.|\.|___|__◎_|_i‐>
 ̄ ̄ ̄ ̄| .| ̄ ̄ ̄ ̄|
\| テレビ台 |〜
孤独との戦いが日課だったこのスレで
待ってる人がいるとは、うれしいぜ。
では・・・
オラァイクゼェー!!
★推薦書籍
【わが闘争】
ヒトラーの民族主義的世界観を学ぶ本としては、
まさに女王である。
読者へ媚びる事をまったく意識せず、
自身の世界観をあけすけに書いている。
また、これほど真理に満ちた本も他にない。
多くの研究者は自伝としての
この本の価値を否定しようと躍起になっているが、
にもかかわらず、
この本の中で示された方法論は何ら傷つきはしなかった。
曰く「時間そのものが演説の効果に影響を与える」
曰く「演説の際にあらかじめ予想されうる反論を
挙げておき、それへの再反論を用意しておく」
曰く「大衆は女性のようなものであり、
かの女性らの心理が弱い男を自由にするよりも
あえて強い男に身を屈するように、
大衆もまた腰の低い者よりも支配する者を好む」
曰く「大衆の心を開く鍵は無気力な客観主義ではなく、
何よりも強い意志の力である」
これら『わが闘争』で書かれた言葉群に何ら感銘を受けず、
現実政治の中で与える影響を考慮できない者がいるとすれば、
それは鈍感としか言いようがない。
【続・わが闘争】
外交政策への具体的な言及が多く、
ヒトラー自身によって刊行を禁じられた本で、
日本人に関係あるのか?
と疑問を持つ者もいるかもしれないが、
この本にも普遍的な政治法則について
書かれている。
「輸出貿易は他国の近代化とともに消滅する」
「戦争ばかりではエリートが死ぬ」
「平和のみでは服従と移民につながる」
など、外交の真理が言及されており、
無策による中立であっても
他国からは何か裏がある力の温存と勘繰られ、
国際政治の共通のゲームを興ざめさせる相手として疎まれる。
など日本にぴったり当てはまる事が書かれている。
歴史の金槌になれないものは金床になるしかないの
言葉通りチベットの現状もまさに中立政策の末路である。
【ヒトラーの遺言】
読んでまず驚くのは日本に対する好意だろう。
「我々にとって日本は、いかなる時でも友人であり、
そして盟邦でいてくれるであろう。
この戦争の中で我々は、日本を高く評価するとともに、
いよいよますます尊敬することを学んだ。
この共同の戦いを通して、日本と我々との関係はさらに密接な、
そして堅固なものとなるであろう。」
その他にもイタリアへ友情を貫いたのは失敗であったと認めたり、
困難な状況では一人でいた方がより良いなど、
晩年のヒトラーの心理を理解する事ができる。
自らの人生を
「ドイツ国民のために陽のあたる場所を征服しようとして」始めた仕事だと
告白する様には、改めてこの人物のスケールの大きさを感じれる。
【ヒトラーのテーブル・トーク】
ざっくばらんな話満載。女性のダイエットについてや、
学校時代の思い出、また日本軍の快進撃に対する驚きなど。
時代背景を知る人も、知らない人も普通に読んでて面白い本。
推薦ということで数を絞ったが、
これらの直接の言葉の本を読んだ方が
変なヒトラー解説本を読むより、
ヒトラーの世界観を理解できるだろう。
あと手に入りやすいという点で推薦する。
DVDやビデオの推薦は難しい。
好みがあるからな。
俺ならまだ聞いた事のない
ヒトラーの演説の一部が聞けるだけでも
DVDやビデオを買うが、
なかなかそこまでの人はいないのだ。
NHKの『映像の世紀』の『ヒトラーの野望』は、
全体として面白かったよ。
ヒトラーの首相就任演説の一部も聞けるわけだし、
残念なのは、その演説の最後の
ヒトラーの感情が一番昂る場面が含まれてない事かな。
「私は国民を愛している。その証を立てる時がきた。
いま我々を呪う数百万に及ぶ人々が、やがては我々が努力し、築いた、
ドイツ帝国に対し心の底から敬意を表し、感謝する日が必ずやくるであろう。
新しく生まれるドイツ帝国の栄誉と権力と栄光と正義とに。アーメン!」
って部分が。
ヒトラーが未来を予言する力を
何か超能力的なもののように捉える向きがあるが、
俺から見れば、あれは正しい政治認識の産物である。
石原慎太郎都知事は、まだ誰も中国に対する警戒心を持たず、
世間が中国から貰ったパンダで賑わっている頃から
今日の中国の脅威を予言してきたではないか。
尖閣をほったらかしにしておけば奪われるという事も
彼の予言の範疇である。
西村眞悟議員は拉致問題を北朝鮮による犯行と
誰も信じていない時から北の犯行と予言してきた。
一方で拉致を否定し続けた社民党(社会党)があったというのに。
このように正しい政治認識を持つ政治家は未来を予言できる。
だから過去の発言をみれば、その政治家が正確に物事を
判断しうる人間か、否かが分かるのだ。
社民党は北朝鮮は日本人を拉致していないと不正確な判断をしてきたため、
当の北鮮が拉致を認めた時180度ぶれざるをえなかった。
俺は石原慎太郎という政治家を詳しく知る者として
はっきり申し上げるが、彼の発言はまったくぶれてないし、
彼を支持したことで恥をかいたことは俺には一度もない。
話を戻して、ヒトラーの政権獲得時の1933年から1934年までの談話から
彼の正しい政治認識に基づく予言をみよう。
1933〜1934年のヒトラーの談話
将来の戦争は、この前の大戦とはまったく異なる様相を呈するであろう。
歩兵攻撃と大兵力投入はもはや関心をひかなくなる。
この数年にわたる硬直した前線の形態が再び現れることはないであろう。
そのことは私が保証する。あんなものは堕落した戦争の形態である。
正当な権利をはばまれている国民は、
いかなる兵器を使用してもかまわない。たとえ細菌戦であろうとも。
私は自分が必要とする兵器を手に入れることをはばからない。
新しい毒ガスは戦慄すべきものである。
だが、鉄条網にかかって緩慢に死んでいくのと、毒ガスや細菌感染による
断末魔の苦しみとの間にどのような差異があろう。
将来は一国民全体が、他の一国民全体に敵対するのであって、
もはやある軍隊が敵の軍隊に対立するのではないのだ。
我々は敵の身体的健康を弱めると同様その精神的抵抗力をも
破壊するであろう。おそらく細菌兵器が将来を決すると思う。
今のところ我々はそこまでに至っていないが、実験は行なわれている。
聞くところによれば、その実験は成功裏に進行しているということである。
しかし、この兵器の適用は限られている。その意義は戦争前に
相手方の戦意を消耗させる点にある。つまり、この独特の戦争は
軍事行動の前に行なわれるのである。
敵国イギリスをこれによって押さえる事ができると思う。あるいはアメリカも。
戦争前の平時おいて、バクテリアに感染させる手段は
特務機関によって、普通の旅行者によって行なわれる。
これは依然としてもっとも確実な手段である。目下有効な唯一の手段である。
とにかく想像してもみたまえ。
伝染病としてはっきりした結果が現れるのに数週間かかる。
それ以上にはならないとしてもだ。
あるいは、戦争の真最中にバクテリアを投入することもできよう。
つまり、敵の抵抗力が動揺しはじめる時である。
兵器が問題なのではない。常に人間が問題なのだ。
戦術というものは変わらない。少なくとも技術的発明によって変わることはない。
兵法を永久に覆すことのできるような技術革新はこれまでなかった。
あらゆる技術的発明も、その効果を再び空しくしてしまうような
次の発明が踵を接して続いている。
確かに兵器の技術は進歩するし、更に多くの革新が生みだされ、
遂には究極的な破壊力にも到達するであろう。
しかし、これらすべて単に一時的な優越性を保証するにすぎないのだ。
私が、1914年の阿呆どもと同じような戦争を始めるなどと誰が言っているのかね。
そのような事態を避けるためにこそ、我々の努力が向けられているのではないかね。
どうも空想力をもっている人間が少ないようだ。
連中は自分のちっぽけな経験をもとにしてしか将来を想像できない。
彼らには新たなもの、思いがけないものが見えないのだ。
将軍連中も固陋だ。考えが自分の専門分野にとらわれている。
創造的な天才は、常に専門家の枠をはみでるものだ。
私は問題を単純な核心に還元する才能をもっている。
これまで戦争は秘なる儀式とされた。戦争をめぐって厳かな儀式が行なわれてきた。
だが戦争は最も自然なもの、最も日常的なものである。
戦争は常にある。至るところにある。始まりもなく、講和条約もない。
生きることは戦争である。あらゆる格闘は戦争である。
戦争は根源的状態である。原始的な行動に戻ろうではないか。
たとえ野蛮人の行動であろうとも。
戦争は、奸計・詐欺・欺瞞でなくて何であろう。不意打ちと奇襲でなくて何であろう。
人は、他に生き延びようがない場合には、まず殺し合いをやってきた。
商人・泥棒・戦士、これらは以前は一つのものだった。
広い意味の戦術がある。精神的手段による戦争がある。
戦争においては何が重要かね?相手を降伏させることだ。
私は、相手が降伏したならば、完全に殲滅するつもりだ。
相手の戦意をくじくのに、何故紳士的に振る舞わねばならないのか。
別の、もっと安価な、もっと上手い方法があるというのに。
塹壕戦において歩兵の前線攻撃を砲兵隊がまず準備したのと同じ役割を、
将来は将軍が作戦を開始する前の宣伝による相手の心理的消耗が果たすことになろう。
相手の国民の戦意を奪い、降伏する気にさせねばならない。
軍事的行動に考え及ぶ以前に、士気を消極的にしてしまわねばならない。
相手を精神的に制圧すること。戦争の前に、いかにしてこれに達することができるか。
これが、私の興味を惹かれている問題である。
混乱させられた気持ち、感情の葛藤、優柔不断、パニック。
これが我々の兵器である。革命史はご存知と思う。
常に同じことだ。支配階級が降伏する。
何故か?敗北主義だ。支配階級は、もはや何らの意志もない。
革命の理論、これが、新しい戦術の秘密である。
私はボルシェヴィキに学んだ。そのことを公言するのをはばからない。
人は、自分の敵から最も多く学ぶのである。
戦意を喪失した敵が、巨人の一撃を受けて、
たちどころに屈するという確信がない限り、私は戦争を始めないであろう。
敵が精神的に戦意を喪失するならば、敵が革命の縁に立つならば、
社会不安が切迫しているならば、その時こそ時至れりである。
ただ一撃が敵を殲滅する。いまだかつてない密度の空襲、奇襲、テロ、
内部からの暗殺、指導的人物の殺害、敵防御の全弱点に対する圧倒的な攻撃。
突発的に、同じ瞬間に、保有戦力損失を顧慮することなしに。
これが未来の戦争である。すべてを壊滅させる巨人の一撃。
事後のことを考えず、ただこの一点に集中する。
私は戦争ごっこをするのではない。戦争ごっこで言う「司令官」などに指揮を任せたりはしない。
戦争を遂行するのは私である。攻撃の潮時を決めるのは私である。
絶好の時期はただ一度しかない。私はその時を待ち構える。鉄の決意をもって。
その時を逸することはない。私は、全精力をその瞬間を呼び起こすことに集中する。
これが私に課せられた使命なのだ。これが実行できるなら、
その時こそ私は、青年を死地に送る権能を持つのだ。
その時こそ、私は、救える限りの命を救ったのだ。
諸君、我々は英雄ぶるのではなく、相手を殲滅しようとするのだ。
将軍連は、戦争についていろいろ見解をもつにもかかわらず、騎士として振る舞おうとする。
連中は戦争を中世の馬上試合のようにやらねばならないと信じているのである。
私は騎士を必要としない。革命が必要なのだ。
私は革命の理論を、政策の基盤としているのである。
私はいかなる手段もためらいはしない。いわゆる国際法なるものも、協定も、
私が提供された便宜を利用するのを妨げることはできない。
次の戦争は、いまだかつてなかったほど血生臭く残酷なものとなろう。
しかし、軍と民とにいかなる差別をも認めぬ、もっとも残酷な戦争が、
同時にもっとも短い戦争であるがゆえに、もっとも柔和な戦争なのである。
私は戦争を欲する。私にはあらゆる手段が正当なものとなる。
私のスローガンは、「敵を挑発するな!」ではなく、
「あらゆる手段を用いて敵を殲滅せよ!」である。
戦争を遂行するのは私なのだ!
私はあらゆる理論を、その真の核心に還元する才能をもっている。
私は必要なときに断固として、それを行なう。
世間の人間は、物事を単純に考えることができない。
なんでも複雑にせずにはいられない。
私は単純化の才能をもっている。そうすれば、すべては一気に解決する。
困難はただ想像の中にあるだけなのだ!
>>162-166この発言はまさに先駆者だ。
この世界観に基づきスペインに巨人の一撃を加え、
あるいはオーストリアへの工作活動を行い併合する。
これに比べれば日本の指導層のなんと官僚的なことよ。
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)< 勉強になりますな〜^^
_φ___⊂)__ \________
/旦/三/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
|愛媛みかん|/
_ (⌒Y´ ̄ヽ ∧_/( ̄)) ∧_∧
γ´ `ヽ_`と.__ )( ・ ∩( 《 ( ・∀・) ゴロン
)) ,、 , ) <、_,.ノ ヽ、.__,ノ l つ つ
((_/し∪V .ヽ.__ノ!__)) ゴロン
∧__∧ ∧_∧ ∧_∧
( ) ( ;´Д`) (・∀・ ) もう帰さないぞ〜。
( つ (U_U )つ (つ と)
.ヽ___ノj ↑カゼラ師匠 (⌒Y⌒)
∧__∧ . / ̄ヽ ̄
(・ ) __ ( __ ) ( ゴロン
と ヽ ( ̄))∧_∧ /´ `Y⌒) VUVJ_)
(__ト、__丿 〉 》∩ _) ( .__つ´
ヽ、.__,ノ ヽ、__,.>
>>168‐169
∧_∧
(,,゚ー゚) ふふふ、てれるぜw
やっぱ書き込んでくれる人がいるって、
いいなぁ。
同じく1933〜1934年のヒトラーの談話
私は政治に倫理的規範は認めない。政治は、あらゆるトリックが許される賭けだ。
ルールはその賭けに参加するものの腕に応じて絶えず変わるのである。
私のことを馬鹿な人間だと考えている連中が、
あとになって自分達こそ馬鹿だったことに気付いたとしても、
私の責任ではない。
彼らは私に血に飢えた専制君主という刻印を押そうとしている。
統治というものは根本的に専制政治である。
それ以外にはありようはない。
このことがフーゲンベルクや、私に好意的なイギリスの友人に理解できぬとしても、
彼らはとにかく、この新事態に馴れるまで待たねばならないのだ。
新しい体制がすべて専制として現れるのは、この新しい強制のやり方に
馴れていないからにすぎない。
統治と秩序は強制なしには考えられない。
私が功名にあこがれる野心家と交渉をもつことに非難が浴びせられている。
なんという馬鹿どもなんだ。いったい、信心女とでも帝国を建設せよというのか。
野心のない人間は私のまわりにこないでもらいたい。
自分の昇進と普遍的問題とが密接に関連をもっていて、
両者がわかちがたくなっているものに対してのみ私は信を置く事ができる。
愛国心についても単に語るだけでなく、
それを自己の行動の唯一の動機とする人間は疑わしい。
とにかく、私の課題は人間を改良することではなく、
人間の弱点を利用することだ。私と同じように力の中に歴史の原動力を見、
そこからもろもろの帰結を引きだしてくる部下を持ちたいと思う。
大衆にとって道徳的な常套句が不可欠である。
したがって政治家が外に向かっても不道徳な超人として
登場しようとするほどの誤りはない。愚かな演技だ。
そんなことをするのはほとんどが己の衰退を強さにみせかけようとする
甘やかされたブルジョワ息子である。
私としては、ブルジョワ的な意味で特に不道徳な行動をとることには
いささかの興味もない。
いかなる帰結をも恐れぬというだけなのである。
強制収容所や秘密警察の施設が気に入っているわけでは決してない。
しかし、これらは回避することを許されぬ必要性なのである。
残酷さへの意志なしにはうまくいかない。
我々の相手にはこれが欠けているが、それは彼らが弱いからなのであって、
決してヒューマニズムだからではない。
統治はヒューマニズムに基礎をおくのではないのだ。
だが残酷な行為をあまり頻繁に使いすぎるのはよくない。
効果がうすれる。
テロよりももっと重要なのは、大衆の観念の世界、感情の構造を
組織的に変えることである。
大衆の思考と感情とには依然として従わねばならないのだ。
歴史に対して責任を担う人々は、運命そのものの役割、
地上的限界をすでにほとんど超えて、全能者の役割への成長を
ますます明瞭にしつつある。
それ故彼ら自身は、歴史の最先端にあって、
大衆のものの考え方に心を動かされぬ神の如き存在である。
大衆を保持することこそ、行動の唯一最高の掟なのである。
我々の道は決してきれいな道ではない。
偉大さへの途上にあって、手を汚さずにすんだものを私は知らない。
きれいな手でなにごとかを行なうことは、
後継者にゆだねることにしよう。
>>172の
「政治家が外に向かっても
不道徳な超人として登場しようとするほどの誤りはない。
そんなことをするのはほとんどが己の衰退を強さにみせかけようとする
甘やかされたブルジョワ息子である。」
ここのくだりがね、
まるで金正日の事を言い当てているようだw
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < つづき、つづき〜
ミ__ノ \_______
私は、大衆が感じていること、大衆に期待できること、
いかなる事情があっても避けねばならぬことについて、
誤ることのない感覚を持っている。
これは一回限りの才能であり、この点については
誰にもとやかく言われる筋合のものではない。
だが、この才能だけではことは運ばない。
方法も意のままにできなくてはならないのだ。
大衆指導は言葉の最も深い意味において芸術である。
それの修得は、緊張した努力を前提とする。私の対立者達は、
鼻に皺を寄せて、羨ましそうに互いにたずね合っている。
この男の大衆における成功は何に由来するのか、と。
実際、彼ら社会主義者、共産主義者は大衆を独占してきた。
集会ホールさえ持ち、街頭行動も支配してきた。
そして突然、一人の男が現れ、巨大な大衆運動が成立したのである。
これはただ、幸運と、大衆の批判能力の喪失のためなのであろうか?
いや、彼らは勘違いしているのだ。
我々自身に、我々の努力に、我々の獲得した技術に、その根拠があるのだ。
大衆の批判能力の喪失は、たしかに特別の事情がある。
しかし、マルクス主義者や反動家のような
浅薄な頭脳の持主が考えているようなものではない。
大衆というものは、それなりの批判の器官を持っている。
しかし、個人におけるのとは別の機能の仕方をする。
大衆は本能に従う獣のようなものである。決して理性的な判断は行なわない。
私が史上最大の国民運動を動かすことに成功したとすれば、
それは私が大衆の生活規範と感情とに逆らってことを進めたことがないためである。
この大衆の感情は素朴なものであるかもしれないが、
自然的特性の持つ強靭さ、根絶しがたさを持っている。
食券とインフレーションの時代のように、一度大衆が強烈に体験したことは、
決して彼らの血管から流れ去ることはない。
大衆は単純な思考形式、感情形式を持っている。
これに当てはまらぬことは彼らを不安にする。
私は彼らの生活規範を顧慮することによってのみ、彼らを支配できたのである。
私は大衆を熱狂させ、忘我の状態に誘い込むという非難を受けた。
この種の見解によると、大衆を鎮め、鈍感な無関心状態に保つことが義務ということになる。
諸君、違うのだ。
まさにその逆なのである。
私が大衆を指導できるのは、無関心の状態から抜け出させることができた時のみである。
熱狂的な大衆のみが操縦できるのである。
無関心な状態で鈍感な大衆は、あらゆる共同体にとっても、最大の危険である。
無関心は大衆にとって、自己防衛の保護色なのである。
大衆はその中に身を隠しており、突如として予期せぬ行動と反応を爆発させる。
だから大衆が無関心状態になっているのを見た時に、
直ちに干渉を行なわぬ政治家は、国事犯ものなのである。
私が大衆を熱狂させるのは、大衆を私の政治の道具にするためである。
私は大衆を呼び覚ました。大衆を大衆以上のものに引き上げた。
大衆に、この意味と機能を与えた。
人々は私が大衆の低次元の本能を呼び起こした、と言って批難したが、
私の行なったのは別のことである。
私が理性的判断をもって、大衆のところへ行っても、彼らは私を理解しない。
しかし、私がそれ相応の感情を大衆の中に呼び覚ませば、
彼らは私が与える簡単なスローガンに従うのである。
大集会では思考は排除される。
私がこの状態を必要とするために、
この状態が私の演説の最大の効果を保証してくれるために、
私は皆をこの集会に送り込む。ここでは皆が好むと好まざるとにかかわらず大衆になる。
インテリも市民も労働者と同様、大衆になる。
私は国民を混ぜ合わせる。私は大衆としての国民に語りかける。
大衆に対する感化の技術において。
私に匹敵するものはいない。
ゲッベルスでも私には及ばない。
理性と巧みな着想によってもたらす事ができるものは、ゲッベルスも持っている。
しかし本当の大衆指導は、学んで得られるものではない。
いいかね諸君、大衆が大きくなればなるほど、一層、操縦しやすくなるのだ。
そして、農民、労働者、官吏など、人間が混じれば混じるほど、
大衆の典型的な性格が現れてくる。
インテリの会合や、利益団体などとかかわりあってもだめだ。
そこで君が、理性的な説明によって達成したことも、明日になれば
正反対の啓蒙によって吹き消されてしまうのである。
群衆心理に陥っている国民、つまり熱狂的に、われを忘れて、
人の言うことを受け入れやすくなっている状態の国民に語ったことは、
催眠状態で与えられたスローガンのように、後まで残る。
消しがたく、あらゆる理性的啓蒙に抵抗する。
しかし個人にも、他人がどうしようもないノイローゼがあるように、
大衆も決して目覚めさせることのできぬ劣等感を持っている。
インフレとか食券とかいわれているものは皆これに属する。
私は相当ひどい窮乏でも、安心して大衆に強要できる。
しかし、そのためには適当な補助観念を大衆に与えてやらねばならない。
もし今日、1917年ないし18年と同じ無関心の状態に大衆を追いやったなら、
どうやって戦争遂行など考えられよう。
>>174-176これは、すごいね、
この大衆心理の天才は。
ちょっと話がそれるけど、
俺も元は無関心層から
石原慎太郎都知事の扇動によって
熱狂者へと目覚めさせられたのである。
☆
/ ̄| ☆
| |彡 ビシィ
| | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,― \ |
| ___) | ∠ Good Job!
| ___) | ∧_∧ \______
| ___) |\___(´Д` )_____
ヽ__)_/ \___ _____, )__
〃 . / / / / 〃⌒i
| / ./ / / .i::::::::::i
____| /⌒\./ / / | ____|;;;;;;;;;;;i
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|_|| / .ノ |_|| |_||
(_/
>>178 この極東に俺と同じく、
この独裁者の言葉の真理を
理解できるものが、きっといるに違いないと
信じたかいがあった。
久しぶりに『わが闘争』から
闘争と批判
いわゆる民族主義者たちが、自分達は決して消極的批判をするつもりはなく、
ただ建設的な仕事だけが価値があると再三再四いうならば、
それは歴史的発展についての深い洞察が不足していることから生じているのである。
マルクス主義は昔から70年間も「批判」してきたのだ。
そして実に否定的、破壊的な批判であり、このあくことなくむしばむ酸によって、
古い国家がぼろぼろになり、崩壊するまでの批判だ。
それからやっと彼らのいわゆる「建設」が始まったのだ。
それは当然であり、正当であり、そして論理的だった。
既存の状態は、単に未来を強調したり、代弁したりするだけでは除去されない。
というのは、現在すでに存在している状態に傾倒しているものや、
そのうえ利害関係のあるものは、ただ必要性を証明してやることによって、
完全に転向したり、新しい状態のために獲得したりすることができるとは信じられないからである。
反対に、まさしく二つの状態が並行して存在し、それと共にいわゆる世界観が党になってしまい、
その束縛から二度と抜け出すことができなくなる場合が、簡単に起こりうる。
というのは、世界観というものは不寛容なものであり、他党と並ぶ党という役割では
満足することができず、自己の全面的な承認と、自分の見解に従った変革を
有無をいわさず要求するからである。
このように世界観というものは以前の状態を代表するものが
依然として同時に存続しつづけていることには耐えないのだ。
これは宗教に対してもそのままあてはまる。
>>180について、
俺が2chで毎日気にかけているスレは二つ。
一つはここであり、もう一つは都知事スレだ。
★石原都知事の会見感想スレ【動画あり】その7★
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/asia/1109601548/ だが、このスレの中でも、あるいは現実社会でも
「石原都知事を支持するのは当然だが、小泉首相も評価する」
という声は少なくない。
比べで俺は小泉首相を批判する。
何故なら石原都知事が総理になる事を熱望しているからだ。
「小泉首相は良いが、石原首相ならもっと良くなる」という
弱々しい主張では、ただでさえ困難な理想が実現するとは思えない。
『わが闘争』の言葉通りで、新しい世界観、新しい状態を望むならば、
現状への批判は不可欠だ。
世界観は不寛容たるべし。
いや、カゼラ氏の啓蒙活動は始まったばかり
しかし、これだけの熱意をHPにしたら凄いのが出来ると思われるのが残念。
そうそう、ヒトラーの魅力だったか?のサイトがあるのだが
ヒトラーはニーチェ、ランケ、トライチュケ、クラウゼウィッツらの本を読み、
書棚に軍事関係の本が並んでいたらしい。
他のヒトラーの蔵書って分からないのかな
そこらもカゼラ氏に期待。
が…!!
邪魔しちまった…スマソ
携帯からなんで読みにくかったら申し訳ない。
ヒトラーの主張は講談社の群衆心理という本と共通点が多いらしいね。読んだことはないが。ヒトラーが読んだらしい本も紹介してってくれ
小泉も石原も期待するだけ無駄だと思うけど。
彼らは変革を必要とする世の中で変革を望まない人たちに支持されて出てきた、
ポッと出の人達。とてもじゃないけど改革は出来ない。
堀江貴文も似たようなところがあるけど、先走り汁的な人物じゃないかな。
根本的な変革を望むには時がまだ熟してない。
彼らは戦国の人物で例えたら、北条早雲や斎藤道三てとこだ。
>>185 。 。
゚
゚ ゚ ゚
。 ゚
。 。
。 __ 。
ヽ=oノ ゚
゚ / )゚Д 了解しました ゚
。 ヽ :| ゚
| :| 。 。
,, , ,,,, ,,,, しソ, , ,,, ,, ,, , ,, ,,,,,
"""""""""""""""""""""""""""""""
と、携帯の相手に意地悪してみるw
>>186 石原都知事について
俺を説得しようとしても無駄だぞ。
俺自身が熱狂に支配された人間なのだ。
一つの世界観を倒すには他の世界観が必要となる。
俺が都知事を批判する人間に聞くのはまずこの質問。
では、誰ならいいのか?
世襲ではない独裁というのは組織として理想的だよ。
特に腐敗した世の中においては絶対不可欠。けど日本においては難しいかもなぁ
堤義明やキリスト教の性犯罪で事あるごとに独裁独裁と
オウムの様に繰り返す馬鹿なマスコミが存在するから。
時間が成否を左右すると言い切れる。
石原とは一度だけ握手したことがあるが柔らかい手をしてたぞ。
それはおいといて、石原には漏れも期待してる。けど歳を取りすぎているな。
指が疲れるので敬称略で
>>190 そんなことなら心配いらない。
石原都知事の有能さは俺が保証する。
誤解をおそれずに言えば
石原都知事の手法の一部は
『わが闘争』に書かれている手法と
共通しているのさ。
「他の政治家は喧嘩のやり方が下手だ。
俺なら相手の反論をあらかじめ予想してからやる」
と彼の本で読んだよ。
それがこの部分にあたる
演説の重要性ヒトラー『わが闘争』より
私は当時、短期間のうちにある重要なことを学んだ。
すなわち敵の手からただちにその抗弁の武器を叩き落すことである。
我々の相手は、特に討論する演説者の場合には、一定の脚本をもってあらわれる。
そこにおいては我々の主張に対する反駁がくり返してなされる。
だからこの過程がいつも同じなのは、目的を意識した統一的訓練がある事を
示しているのだ。我々はそこで、相手の宣伝が信じられないぐらい訓練されている事を
知る事ができた。この宣伝を単に無効にしたばかりでなく、
ついにはそれと同時に宣伝の首謀者すらも叩きつける手段を発見したことを、
私は今日でも誇りに思っている。二年後に私はこの技術を完全にマスターした。
どんな演説のときにも、討論のさいにでてきそうな相手の異論の内容や形式を想定して、
前もってはっきりとしておき、そしてこれを更に自分の演説の中で、
手回しよく残るくまなくやっつけることが重要である。
でてきそうな反駁自体をいつもただちにあげて、そしてその根拠の薄弱さを示す事が、
その場合有効であった。聴衆は、たとい教え込まれた異論で
もっていっぱいつまっていても、それとは別に正直な気持ちでくるものであるから、
彼らの記憶に刻み込まれた疑念を前もって解決しておく事によって、
比較的容易に彼らを獲得した。彼らに叩き込まれたものは、おのずから論駁され、
その注意はますます演説に引きつけられたのである。
とにかく、石原だろうが、小泉だろうが、幕末の吉田松陰的位置付けで見た方が正解だろ。
誰と特定することは不可能で、彼等の行動によって少数の若者に志が吹き込まれ、それらの若者の手によって
変革は達成されるだろうな。
>>194 俺は現実主義だから、
現状で一番良い政治家を選ぶよ。
少なくとも兵士達は未来の理想より、
今の理想的な指導者を
必要としているだろうからね。
まぁ、それはともかく話を戻して、
HPについてはどうも懐疑的でね・・
前に極東板の有志で板のHPを作ろうとして
実際に作った人達がいるが、
今そのことを話題にするものはいないし、
知っているものがどれだけいることか。
ああいうものはすぐに寂れるからなぁ。
スマン明日に響くので寝る。
このスレは面白いので期待してますな
しかし考えさせられる。
2chへの書き込みって
啓蒙活動になるのかな?
俺の場合は単なる趣味なんだがw
ヒトラーが私が夢想家でないとしたら誰がドイツを救うのだ!
と怒ってた文の記憶が。=現実的はだめ
まぁマスコミが腐敗し政治家も去勢されている限り、日本は漸進的に破局へとむかうだろうな。
>>199 一応紹介しとこう。
1937年5月20日の演説
「私は常にドイツの未来を信じてきた。
彼らは当時言った、あなたは空想家だ…
私はわが国の経済危機を除去できると信じた。彼らは言った、
それはユートピアだ。さて誰が正しかったか空想家か、それとも彼らか。
私が正しかった、そして私は将来についても正しいだろう。」
∧_∧
(,,゚ー゚)ノシ おやすみw
>>186-199までのやり取りを見直してみて、
俺がまさに
>>180の言葉通りなのなw
「既存の状態は、単に未来を強調したり、
代弁したりするだけでは除去されない。
というのは、現在すでに存在している状態に傾倒しているものや、
そのうえ利害関係のあるものは、
ただ必要性を証明してやることによって、
完全に転向したり、新しい状態のために
獲得したりすることができるとは信じられないからである」
これは驚いた!w
本当に人間心理の天才だよw
☆ チン ハラヘッタ〜 オハヨ〜
ハラヘッタ〜
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・)< カゼちん期待してるよ〜♪
\_/⊂ ⊂_)_ \____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
|  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| |
| 淡路たまねぎ .|/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
195を読み返して思ったのだが、現在必要としている指導者は
これから来るであろう衝撃に対する備えを行える人物であり、
現在の問題点をあますことなくあぶり出す能力を持った人物。
そして時が来たときに、出てきた新時代のリーダーに道を譲るだけの度量を持ったリーダーだろう。
しかし、このスレ人気ないねーw
カゼちんと漏れだけか。
まぁ漏れがいなくてもカゼちんは頑張るだろうが。
権謀術数スレの主である漏れも見習わなければ。しかし書くことがないんだよなーw
ではカゼラ師匠また。
>>202 AAはいいね。
殺伐としたスレに潤いを与えてくれる。
>>203 人気ないもなにも
すでにこのスレ、秘密結社の様相を呈してるよ。
>>204 世界史板なんだね。
俺は基本的に他板にいかないからなぁ。
かつて俺に『わが闘争』が落雷のように直撃し、
電撃のように感電させられ、大きくは世界観を小さくは政治の見方を学んだ。
それがあけすけな真実だと信じて前スレ、現スレに書き続けてきたが、
「一般大衆」というとき何故だか自分をぬいて考えるのが人間の常である。
しかし、すべからくそれが俺にも当てはまるのだと考えると、
ある意味、恐ろしいね。
これがヒトラー主義が危険思想といわれる所以なのだ。
ヒトラーが読んだ書籍については彼の会話から知ることができる。
1944年5月16日の会話
リンツ図書館の大ホールにはカント、ショーペンハウアー、ニーチェの胸像がある。
わが国の偉大な思想家で、彼らに比肩する者はイギリスにもフランスにもアメリカにもいない。
中世から伝えられてきた教えと教会の教義的哲学とを完璧に論破したのが
カントの最大の功績である。カントの学説を基礎として、
ショーペンハウアーは彼の哲学を築いた。
ヘーゲルのプラグマティズムを打ち負かしたのもショーペンハウアーである。
私は第一次世界大戦中、ショーペンハウアーの著作をいつも持ち歩き、彼から多くを学んだ。
ショーペンハウアーのペシミズムは一部は彼の哲学思想から、
一部は個人的生活での経験に対する主観的感情からきたものだろうが、
ニーチェはこれをはるかに上回っている。
また別の会話から
テロはあらゆる新しい権力の創設の際には不可欠なのだ。
ボルシェヴィキはこれを昔ながらの流儀で行なっている。
前の支配者階級全体を殺してしまう。
これは昔ながらの古典的なやり方だ。
私の記憶にあやまりがなければマキャヴェリもなおこれを勧めている。
しかし最後はこう締め括っている
文献はいろいろ研究した。
しかし、私はこれらすべてを自分のものにつくりなおした。
何によって刺激を受けたか、何が自分の独創であるか、
今はわからないし、わかりたいとも思わない。
誰が何を考えたにせよ、少なくとも初めて壮大な規模で、
首尾一貫してそれに従って行動したのは私である。
そして、このことこそが決定的なのだ。
そう、我々が必要としているのは
哲学する人物ではなく実際に行動してくれる人。
シナへの我々の憎悪を代弁してくれる扇動者だ。
石原慎太郎都知事こそが、
我々の思いを成就させてくれるであろう。
| すみません
| となりでワッショイしてもよろしいですか?
\___ ____________
∨
__∧_∧__/■\____
| ( ;´∀`) (´∀` ) .|
| ( ) ⊂ ) |
/ ̄( ( (  ̄( ( (  ̄ ̄/|
|| ̄ (_(_) ̄(_(_) ̄ ̄||
∧
/ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄\
| (エッ!!) |
| ど、どうぞ・・・・ |
おにぎりワッショイ!!
\\ おにぎりワッショイ!! //
\\ おにぎりワッショイ!!/
+ +
+ /■\ +
__∧_∧__ (´∀`∩)__ +
| (´∀`; ) (つ 丿 )) |
| ( )(( ( ヽノ .|
/ ̄( ( (  ̄ ̄し(_) ̄ ̄/|
|| ̄ (_(_)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ||
∧
/ ̄ ̄  ̄ ̄\
| ・・・・・・・・・ |
ヒトラーは凄いね。様々な本を読み、それらを全て自らの肥やしにして、
さらに、再構築した上で万人の心に響く様に表現できる。すばらしい能力だ。
ヒトラーは記憶力もよいらしいよね?でも、
少年時代の成績が悲惨なものだったのはなぜなんだろうか…
↓ヒトラーの読んだ本に関して、こんなことを書いてあるものもある。
●なお、“浮浪者伝説”に彩られたこの時代について、
彼自身は後年も多くを語ろうとしない。果たしてこの時期、
単に絵を描いて売るだけの生活を送っていたのであろうか。それとも、
絵を描く以外に何か特殊な作業に着手していたのではないか?
ヒトラーの人生にとって、この時期は芸術家から政治家へと
大きく方向転換していく重要な時期である。
●イギリスの歴史家トレバー・レブンズクロフトは、この5年半に関して、
ヒトラーは“呪師”としての修行を積んでいたと述べている。
ヒトラーはこの時期、ウィーンの街で神秘領域の書物を専門に扱う
古書店の主人、エルンスト・プレッシュと知り合っているが、
そのプレッシュ自身、神秘主義者であり、メキシコで古代アステカ人や
マヤ人の祭儀魔術の研究も積んでいたとみられている。
彼はヒトラーの資質を見抜き、彼に精神統御や内面的鍛錬の修行をさせたという。
目的をひたすら目指す集中力、思考を事物のように操る想像力、
感情の激しい抑制、根源的欲望の制御などの修行を経たのち、
秘蔵していたマヤの麻薬ペヨーテを使って、彼を神秘の領域に導いたという。
(古代アステカ人やマヤ人は、ぺヨーテを使用して、宇宙の深淵と彼らの心を
交流させていたといわれている。自分の無意識を宇宙の普遍的無意識へと
導くことによって、その語りかける声を聞き取れる能力を目覚めさせていたそうだ)。
●またこの時期のヒトラーの公立図書館での読書傾向を研究者はリストアップ
している。古代ローマ、東方の宗教、ヨガ、神秘主義、催眠術、占星術……
聖書はとうにすみずみまで読みこなしていた。そこに、リグ・ヴェーダ、
ウパニシャッドなど古代アーリア人の聖典が、ゾロアスター教の教典
ゼンド・アヴェスタ、エジプトの死者の書が加わるという。
■このころ(1920年ころ)のヒトラーはつましい生活をしていた。
本棚には歴史や軍事関係本がびっしりと並びわけてもクラウセヴィッツ
のものがひときわ目に引いた。
■1924年2月16日から4月1日にかけての裁判で、
5年の禁固と罰金200マルクを宣告され、ランツベルク要塞に投獄される。
この間、ニーチェ、ランケ、トライチュケ、ビスマルク、モルトケ、
クラウゼヴィッツを中軸として読書をしていた。
意志と力の優位性を信じ、知恵に到達するためには、貞潔と禁欲が必要であると
確信した。そして、人間性に関しては色濃い悲観的態度をとる賢人
ショーペンハウエル(実存の世界は苦そのものであると説く)と
同様の境地に達する。つまりストイシズムを信念とした。
>>210 本人が告白しているように
興味ない科目を徹底的になまけたためだと思われ。
>>211-212 ヒトラーは神がかった国家主義者だが、
その手法には、なんら呪詛的な要素はない。
自然の理と人間の理にかなったやり方をしている。
こういうのは全て後から出てくる事で
俺はあまり興味はないな。
>>213 ヒトラーの禁欲主義は有名ですな。
なんのとりえもない凡人が空から降ってきた
権力を手に入れると金正日みたいになるのが
普通なのだが。
そこからヒトラーは決して私欲からではなく、
自民族への義務の精神から権力を欲したことがわかる。
真偽はさておき読書家だった事は確かだね。
記憶力は実際のところどうだったの?<カゼラ師匠
漏れの持ってる、『写真集ヒトラー第三帝国・興亡の記録』によると
態度 良
努力 可
宗教学 可
ドイツ語 不可
地理・歴史 可
数学 不可
科学 不可
物理 良
自在画 秀
速記学 不可
と、けして記憶力が良いとはいえないのだが…
上記はヒトラーが退学を余儀なくされたシュタイエル実科大学、
退学させられる最後の学年のものらしい
もれも
>>212より上は眉唾ものだとは思うが、
公立図書館での読書傾向を研究者はリストアップ
↑
この言葉にひっかかる
>>213は実際にありそうだよね。
>>215 その本、俺も持ってるよw
もっといっぱい、いっぱい本が欲しいね。
でもお金がなぁ。
大体は図書館ですませないとなぁ。
ヒトラーの記憶力は間違いなく良いです。
でなければ、あれだけ集中した仕事を
こなせるわけがない。
また、憶え方の要領が良いんだと思う。
曰く「本質的なものを記憶し、本質的でないものを
忘れる事にこそ、その価値がある」
いろいろ引用してしまったが
1.本当にヒトラーは天才的記憶力の持ち主なのか
2.ヒトラーは実際にどのような本を読んでいたのか
を知りたい。カゼちん、解説ヨロ
>>218 全部俺かよ!w
1.どこから天才的になるのかは知らないがイエス
2.オスタラ叢書・シオン賢人の議定書
つーか、ヒトラーの性格、人格を
論じるならユダヤ人問題が欠かせぬ要素になるが、
俺がこれまで一切触れてないように、
それはやるつもりはないぞ。
どちらかというとヒトラーのその方法論を
問題にしてほしい。
>>220 うーん、じゃあ漏れはお呼びでないなぁw
シオン賢人の議定書、オスタラ叢書
>>220か。
そういえば、権謀術数スレでもシオン〜の本を紹介してたな。
でもカゼちん、手法を考える場合、ヒトラーの基本的な性格や
能力を考慮に入れないと、方法論は机上の空論にならないかな?
地形の支援の無い軍隊が悪戦を強いられるように、能力を無視した
方法論も意味の無いものだと思うのだけど。
それに、ミュンヘン一揆の失敗が示す様に
自分の置かれた状況と、自分にあった方法論を選ばなくては失敗する。
だから、ヒトラーの世界観はさておき、基礎的な能力や性格ぐらいは
ポイントを絞って論じないと手法論の話で間違った方向へいくと思うよ。
>>217 漏れは
ヒトラーのテーブルトーク上下
写真集ヒトラー第三帝国・興亡の記録
我が闘争上下
我が闘争
永遠なるヒトラー
ヒトラーは語る
を持ってるよ。読みたい本がたくさんあるから
まだよんでないけどねw積んであるww
>>221 はっきり申し上げると、
最大の現実的理由があるのだ。
このスレには板違いで削除されてきた
歴史があるのだよw
俺もさんざん煽られたさ。
あー煽られたさw
スレの最初
>>5-10で
俺がフィリピンのマルコスの話から始めたか
考えてほしい。
ヒトラーの性格を本気で
論じ始めたら極東にいられなくなる。
そう、ここは極東板なのだ!
一応、ヒトラーの手法から学ぶ
対北鮮や対中共への戦略って趣旨でやってるもんでね。
>>222 欲しかった本を手に入れた時の感動は
なにものにも代えられないものがある。
うははw
これは文句を言わず、カゼラ師匠の提供するものを黙って食うしかなさそうだw
>>224 確かに欲しかったものを手に入れた時の感動は嬉しいね
それが安い時はもう幸せでいっぱいになる^^
最近は大橋武夫の兵書研究と悪の戦略を本当に安く手に入れた時うれしかった。
ヒトラーのテーブルトークもそうだな。探しまわったが見つからず、
数ヶ月ぶりに立ち寄った古書店で上巻を発見した時の喜びといったら…^^
まだ読んでない事は内緒の話w
とにかく本で良書を発見したらとにかく買い。原則だなこれは。
ではカゼちん、邪魔しちゃわるいので、黙って応援することにするよ^^
>>225 理解してくれてありがとうw
極東板の1001表示と板の紹介文を
決めたのが俺でね。
当時あった自治スレを運営してたのも俺だった。
その俺が板違いのスレを立てることに
疑問を感じる人もいたわけだw
極東の自治厨コテと一スレだけと約束したが、
それも破ってまた立てたw
俺がこのスレ好きなんだからしょうがないw
ふふ、今日は寝るーノシ
カゼラ師匠は今日来ないみたいだな…
寝るか。
>>227 いるよーw
俺はだいたい都知事スレから手をつけるからw
>>スレ住人へ
といっても住人の数は限られているが。
俺は欲しい本がある時はよくここを利用してます。
日本の古本屋
http://www.kosho.or.jp/ 結構便利で、欲しい本が安く手に入る。
ついでに言うと同じ本で値段が違う時は
安いものを選んだ方がいい。
値段の違いは本の質の違いというより
書店の事情の違いにすぎないから。
正直ヒトラーの話題は
極東よりも世界史むきという事は
分かってはいるが、
俺の根本にあるのは
ヒトラーの主義、哲学を共有したいという思いより、
シナ、朝鮮への憎悪を共有したいという思いの方が強いから
極東板にこだわり続けるのだ。
ヒトラーの最大の魅力はその演説にあり、
俺が昂揚するのもまさにそこである。
あの演説を聞けば俺自身、非常に鼓舞されるのだ。
目下、中共のなんたる忌々しさよ!
日本は国連常任理事国入りのために
随分他国にお金をばら撒いたと
石原都知事がばらしていたよ。
それが中共によって全て水泡に帰そうとしている。
こういう時にこそヒトラーの演説が思い出される。
1923年8月1日の演説
おおよそ人々を結合しうるものには二つのものがある、
即ち共同の理想と共同の詐欺と。
我々は我々の旗に偉大なるゲルマン的理想を染め出した、
我々はこの理想のために、我々の血の最後の一滴までも戦わねばならない。
諸君はその欲するところをなせ。
もし諸君にして戦いを欲するならば、敢然とそれを求めよ。
我々は、諸君が果たして七千万のドイツ人を
農奴および奴隷に転落せしめ得るか否かを見よう。
臆病者どもが「我々には武器がない」と叫び出すかもしれない、
確かに武器はどこにもないのだ。
しかし、もしドイツ民族が一つの意思、自由とならんとする唯一の意志を
有するならば、その時我々は、我々の自由を戦いとるべき武器を持つことになるのだ。
この武器が人道的か否かは問うところではない。
もしそれが我々に自由を与えるものならば、それは、我々の良心と
我々の神との前に正しいとされるものである。
我々はドイツ人であり且つこれを誇りとする者と、
ドイツ人たることを欲せざる者、または最初よりドイツ人たらざる者と
最後の決戦が来なければならないのだ。
もしドイツが崩壊せんか、我々は我々の卑怯なる臆病のゆえに、
これと運命を共にするか、然らずんば、我々は死と悪とに対して敢然として戦いを挑み、
我々に植え付けられた運命に反抗しよう。
その時、我々は国際的なユダヤ人の精神とドイツの意志と、
いずれがより強きかを見るであろう。
わが闘争から
民衆集会の必要性
「民衆集会というものは、まず第一に若い運動の支持者になりかけているが
さびしく感じていて、ただ一人でいることで不安に陥りやすい人に対して、
たいていの人々に力強く勇気付けるように働く大きな同志像を、
初めて見せるものであるから、それだけでも必要である。
同じ人間でも、中隊や大隊の中で、戦友のみんなに囲まれているほうが、
自分一人に頼ってするよりも楽な気持ちで突撃に参加できるであろう。
群をなしておれば、人間というものは実際にこれに反する千の理由があろうとも、
常に何か安心感を持つものなのだ」
これについて俺は常々思うのだが、
我々が2ちゃんねるに来る最大の理由も
ここにあるのではないだろうか。
間違いなく万人受けはしないであろう、このスレにも
評価してくれる人が来てくれるわけだからな。
楽天フリマの方が安かったような〉カゼちん
>>234 ヤフオクとかそっちに無かったらという前提でね。
まぁ、俺が見た時にたまたま無かっただけかもしれんが、
俺の選択肢の一つだ。
わが闘争より
読書や学習の技術というものも本質的なものを保持し
本質的でないものを忘れることにある。
際限もなく多く読む人、一冊一冊、
一字一字読む人々を博識と言うことはできない。
彼らはもちろん多量の知識を持っているが、
取り入れた材料を分類したり整理したりする事を知らない。
彼には本の中から自分にとって価値あるものとそうでないものを選別する技術が欠け
更にあるものはいつも頭の中に保持しあるものはできるなら無視するというように、
無用な厄介者を引きずっていかないという技術が欠けている。
読書というものは、それ自身目的ではなく目的の為の手段である。
だから、読書は各人の素質、能力を引き出し助長すべきものである。
その時々に読んだ内容があまつさえ読んだ本の順序に従って記憶にとどめられるのでなく、
優先順位的に与えられるべき地位と場所を与える事が必要である。
そうでなければ覚えこんだガラクタから錯綜した混乱が生ずる、
それは無価値であるだけでなく、他方においてその不幸な持ち主をうぬぼれさせ、
何か理解したような気にさせ、この種の教養が新たに増すにつれ、
世の中の実際からますます遠ざけてしまう。
そうした頭を持っているものは、混乱した知識の中から時代の要求に適合したものを
引き出す事ができず、永久に正しいものを見出すことができない。
正しい読書技術を持っているものは、どんな本、どんな雑誌やパンフレットを読んでも
長く記憶すべきだと考える。すべてのものに直ちに注意するだろう。
こうした方法で得れたものが人生に突然なんらかの解決を要する問題が表れた時、
直ちに規準をとらえ問題を解決したり、検討したり、新しい検分をしたりするのに
必要な知性を提供するのである。
読書はその時にのみ意義と目的を持つのである。
間違った方法で必要な手がかりを自分の知性に提供している演説者は、
その見解がいかに正しく現実に適っていてもすべての討論の際に記憶に見捨てられ、
自分の主張の根拠も、反対者を反駁する根拠も見出せない。
>>236について
俺がヒトラーから学んだ事、
それ自身は目的の為の手段すぎないというなら、
ヒトラーの世界観を通じて、
日本にとっての不倶戴天の敵、シナ人・朝鮮人・華僑らの
これら滅ぼすべき中華主義の敵を知り得た事。
また、日本の政治の巨人、石原慎太郎氏を見出した事。
これこそが俺の学んだ目的であった。
目下、シナ・朝鮮・華僑などの
中華主義的世界観との間で行なわれている宣伝戦は
のるかそるかの戦いであり、
この宣伝戦においては
「嘘もくり返すうちに本当になる」と言った
ゲッベルスの発言が全て正しい。
「宣伝それ自体には何ら特別な原則的な方法はない。
それにはただ一つの目的があるだけだ。
そしてこの目的とは政治では常に、大衆の獲得ということだ。
この目的に役立つなら、どんな手段でも良いのだ。
この目的を素通りしてしまうなら、どんな手段でも悪いのだ。
宣伝の方法は因果論的に日々の戦いそのものから発展してくるのだ。
我々の誰一人として生まれつきの宣伝家などではないのだ。
我々は日々の経験から効果的な大衆宣伝の方法と可能性を学んで、
それをまず何度も繰り返し使って一つの体系にまで仕立て上げたのだ。
宣伝は精神的認識を伝える必要もなければ、
おだやかだったり上品だったりする必要もない。
成功に導くのが良い宣伝で、望んだ成功をはずしてしまうのが悪い宣伝だ。
たといそれがどんなに魅力的であってもである。
重要なのは宣伝の水準ではなく、それが目的を達することである」
「中国人の日本商品の不買行動は一時的なもので
いずれ日本の商品が欲しくてたまらない層が勝つ」
だとか、
「中国の行動を世界中が見ているので相手にしなくても
他の国は日本に味方してくれる」
とか、
そんな夢みる幼稚園児のようなテレビコメンテーターを
今日までいくらでも目撃した。
この白痴達は宣伝戦の意味を一ミリも理解してない。
中共には蜃気楼の中から「南京大虐殺」なる実像をつくりだした実績がある。
俺にはアイルランド紛争の本質など分からないし、
アメリカとフランスの積年の確執など知りようがない。
他国のことについては、どこもわずかばかりの情報を探る程度なのだ。
そんな中では声の大きい宣伝の方が必ず優勢に立つ。
今日の問題の多くが「金持ち喧嘩せず」という態度をとりつづけた
日本の無策にあったと語ったのは石原慎太郎都知事である。
彼は事あるごとに「水爆をつくっている中国」
「チベットで200万人殺した中国」という前置きをつける、
バラエティー番組に出てもその姿勢を一切変えないのだ。
出演している他の芸能人どもの顔が凍りつくのが分かるのだが、
彼はそんなことおかまいなしだ。
これが宣伝戦で日本のとるべき態度であり、淡い期待を語る馬鹿に用はない。
胸のむかつく中国の反日デモは置いといて、
久しぶりにヒトラーのテーブルトークから。
1942年1月3日
私は盲目的に国家を信じる。もしこの信仰が失われればすべてが終わりだ。
危機には必ず終わりがある。問題はそれを切り抜けて生き残れるかどうかなのだ。
いつまでも零下50度のままの冬などありはしない。
だからどんな状況下にあっても決してひるまないこと、これが大切なのだ。
人が危機的状況を切り抜けるのを見るのは素晴らしい。
しかし、この危機を克服する力は残念ながら誰にでも与えられているわけではない。
私の生涯を通して危機は日常茶飯事だった。
第一に青年期に体験した貧乏、次は党の直面した難局、そして政府の問題。
幸いにもどれ一つとして永遠に続くことはなかった。これは救いだ。
吹雪の吹き荒れる冬にも、やがて春が来ることが分かっている。
今は氷に閉じ込められているとしても、
四月になれば太陽は照り輝き大地には生命が蘇るのだ。
南部の春の訪れは五月だ。二月、クリミアではもう暖かくなり始める。
四月末、まるで妖精が魔法の棒でも振ったように、
雪はほんの数日で解け、一面緑に覆われる。
この冬から春への変化は一瞬の出来事、過渡期というものがない。
人間の世界での出来事には比ぶべくもない力強い生命力の逆襲なのだ。
「まるで妖精が魔法の棒でも振ったように」
って表現がなんとも綺麗だった。
他スレで日本が北京オリンピック不参加をちらつかせることに
外交的圧力になるような効果が期待できないという意見があったが。
本当にそうなのかヒトラーの発言からみてみる。
周知のように現在の形のオリンピックはベルリンからであり、
ヒトラーが生み出したものである。
聖火リレーもこの時からだ。
聖火が通過中の国は自発的にベルリンオリンピックを
宣伝することになり、実際宣伝として素晴らしい効果があった。
そのヒトラーの1942年4月12日の発言
ドイツでオリンピックが開かれると決まった時、
内務大臣がスタジアムの建設計画を提出した。
二つの案があって、一つは百十万マルクかかり、
もう一つは百四十万マルクかかるものだった。
関係者のうち誰もオリンピックが国外での信用を上げ、
我々の威信を高めるまれに見る機会である事を
考慮していないようだった。
ベルリンスタジアム建設の予備的助成金として
二千七百万マルクを提案した時の閣僚の顔は忘れられないな。
実際にはスタジアムは七千七百万マルクかかったが、
五億マルク以上の外貨を呼び込んでくれたのだよ!
ヒトラーにはオリンピックに参加させれば、
世界のドイツに対する見方を180度好転することができるという自負があった。
それゆえ、世界のまだどの国もオリンピックの意義を理解していない時から、
不参加国のでないよう、参加国に対して最大限の気を遣ってきたのである。
そして、この外貨を呼び込むという一点だけとっても、
中国にとって日本の参加の意義ははかり知れない。
実際、全アフリカの国や全南米の国が落とす外貨よりも
ただ一国、日本の応援団や観光客が落とす外貨の方が遥かに多いだろう。
中国は自分達のお仲間の北朝鮮の参加などより、
日本の参加の方に魅力を感じているはずだ。
だから、日本のオリンピック参加、不参加が外交的圧力に
効果がないとする意見は完全な誤りであり、まったく根拠がないのである。
むしろ最大の効果的な戦略の一つといえよう。
安倍ちゃんは
「中国は(2008年に)五輪をやろうとしているが、
今の状況が続けば、五輪ができるのか、自由経済の一員の資格があるのか、
との疑問が生じざるをえない」
とオリンピックに初めて言及した。
「中国、五輪できるのか疑問」自民・安倍氏が批判
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050417-00000212-yom-pol 才覚のある政治家なら当然触れるべき問題だ。
これは最大の武器になるのだ。
人類の歴史上、最も偉大な扇動演説家
アドルフ・ヒトラーから学ぼう、その演出を。
まず様々な催し物について圧倒的に夜が多いことに気付く。
松明によるパレード、党大会、集会、演説、焚書、
そしてサーチライトをつかった光の宮殿など。
それについては『わが闘争』に書いてある。
「演劇に行って、何か一つの劇を午後三時と同じ配役の同じものを晩の八時に見ると、
人々はその異種の効果と印象に驚くであろう。この気分についてはっきりとしたものを
得るだけの感覚と能力のある人は、午後の上演の印象が晩の印象ほど大きくないことが、
すぐにわかるだろう。映画においてすら同じことが確かにいえる。
これは重要である。時間自体が一定の影響を及ぼしているのだ。
よくわからない理由からではあるが冷静にさせる会場というものがあって、
それがあらゆる気分の醸成に何か猛烈に反対するのだ」
そして、集会では開始の予定の時間よりも随分またされる。
この効果については石原都知事の著作からも見ることができる。
選挙遊説が千歳からの航空機の欠航で予定より半日遅れた時の話。
途中の街道が以上に混み車が全く進めなくなった。
これ以上遅れてはと、車を降りて外に立っている商店街の人に訳を聞いたら、
私の顔を見直して、
「ああ石原さんだっ、みんなあんたを待ってるんですよ」
相手がいう。
世辞にしても大袈裟なと思ったら、すでに見知りあっていた地元の応援者が
折りよく探しにやってきていて息せき切って腕をとり、
もうどうにもならないからここから走ってくれという。
言われるまま走り、走りながら聞いたら、飛行機の欠航で
スケジュールはずれたがそれを告知する術もなく、ほうっといたら人が出過ぎて
この有様だという。警察もお手上げで、町の中心部は完全に麻痺してしまっていた。
500メートルほど走って止まったままでいた宣伝車に飛び乗って眺めれば、
町の目抜きの大通りは何かの大きなお祭りのように人また人で埋め尽くされ
なんとも異常な光景だった。
そこで演説を終え、そのまま遅れを取り戻すべく次の高崎へと思ったら、
とんでもない、同じくらいの人たちが後まだ四ヶ所に集まっているという。
眉唾で移動してみればまさに言葉の通りで、みな呆然としていた。
飛行機の欠航が怪我の功名で異常な人の出になってしまった。
これと同様で開始を遅らされた聴衆はヒトラーの姿を見ただけで
熱狂する状態になっているのである。
話はじめる前は、聴衆が静まるまで辛抱強く待つ。
緊張を高め、自分の言葉を進んで聞く雰囲気をつくるのだ。
演説の手順は、はじめ、ためらいがちに、はにかみながら、手探りに、
そして、出し抜けに声を響かせる。
テレビではヒトラーの演説が興奮の絶頂にある部分だけ取り上げることが多いが、
70分ほどの演説全体を聞けば演説は静かに始まることに気付く。
それから演説の流れは、静と動、動と静のくり返しである。
静かに始まったかと思えば感情の昂りをみせ、そしてまた落ち着きを取り戻す。
聴衆に対してこきざみに興奮、恍惚をあたえているのだ。
くだらない決まりきった言葉でも病的に熱を込めることによって
聴衆にさも偉大なことのように感じさせ、
ジェスチャー、ポーズによって聴衆に印象をうえつける。
竹村健一氏がよく紹介していたがアメリカの研究で
言葉の内容が人に与える印象はわずか7%で残り四十数%が
声質や表情、もう残り四十数%が服装、体格、身振りだと。
演説中の拍手喝采は、あえて静止することによって次の拍手喝采の呼び水とし、
聴衆の熱気を最後まで持続させる。
重大なことを最初に話さず聴衆をひきつけてから話し、
充分な効果を引き出す。
そして何より自分の言葉を自分自身が完全に信じきる事。
これらが聴衆を熱狂させるのである。
中国の反日デモを嘲笑しようと、軽蔑しようと、
馬鹿にしようと、あるいは冷静に観察しようとかまわないが、
その対策としてただ無策に終わるなら、
日本こそが一番マヌケだったと最後に気付くことになるのだ。
ヒトラーやゲッベルスといった宣伝の天才からすれば
そんな日本の態度は完全に落第点だろう。
ゲッベルスは言う
「政治宣伝には秘訣がある。
何より宣伝の対象人物に、それが宣伝だと気付かれてはならない。
同様に宣伝の意図も巧妙に隠しておく必要がある。
相手の知らぬ間にたっぷり思想を染み込ませるのだ」
と。
中国のデモには、はっきりした目的がある。
それは日本の国連常任理事国入り阻止である。
ことはアナン国連事務総長が日本の常任理事国入りを支持し、
フランスが支持し、世界の理解が得られる見込みができた時から始まった。
中国が歴史認識の問題にしようとするのは
ゲッベルスの言葉通り宣伝の意図を巧妙に隠すためだ。
現に呆れるほど愚かな日本のマスコミは歴史認識が背景にあると
中国の宣伝にそのままのっかったのである。
あのデモ自体に目的があるのではなく、あれは日本の国連常任理事国入りを
中国が反対する時、そして拒否権をも持ち出そうという時、
単なる一国のわがままに過ぎないと思われないよう、
それが国際的な趨勢と思わせるよう、世界から中国への理解を得られるよう、
また日本への言い訳となるようにするための大規模な演出なのである。
あれがそのまま演出なのだ。
それに日本が気付かず歴史問題で怒っていると鵜呑みにするなら
どちらがマヌケか想像がつく。
かかる宣伝戦において
日本はこれを絶好の好機と捉え
攻勢に打って出ねばならない。
それは安倍晋三氏が明確に示したように
北京オリンピックへの疑問を宣伝することである。
中国と同じやり方でこれを演出し、
北京オリンピックへの不参加が何時でも可能な状態へと
国内世論をあたため、国際社会にそれが一国のわがままではなく
自然な形で理解が得られるような素地をつくるのだ。
これこそがヒトラーから学ぶ極東戦略である。
カゼラ師匠、頑張ってますな
日々勉強させてもらってます。
陰ながらこのスレ応援していますが、
sageすぎて、
DAT落ちはしないのですか?
>>250 ありがと。
見てくれる人がいなかったら
おそらくもっとAA貼りまくったと思う。
>>251 この隠れた地下スレに
更に隠れた住人がいるとはうれしいね。
今、DAT落ちの可能性があるとすれば圧縮だが、
それは書き込みがないスレから順番に落ちるから
誰かが書いてるかぎりこのスレは大丈夫。
ヒトラーの会談から
「私は一般大衆の友ではない。
私は一般大衆とひとかどの人物とを対置して捉えている。
歴史を作るのは人物であって大衆ではない。
大衆は指導されねばならない。
大衆の厳格な指導なしには重大な歴史的決断を
実行に移すことは不可能である。
一般国民を権威の秩序の中に編成しなければならないのである。
独裁制・・・・・・お望みならそう呼んでもらってもかまわない。
私の構想をその表現で呼ぶ事が正しいかどうかは、
にわかに判断できないが、
しかし、私は無定型の大衆の友ではなく、
ドイツを不運に陥れた民主主義の宿敵である。」
テレ朝の報道ステーションの世論調査で
歴史教科書の従軍慰安婦などの記述がなくなったことに、
若い人ほど「良いと思わない」と答えていて、
60代以上と20代の差は40%にものぼると
仰々しく驚いてみせていたが、
お前らマスコミと教育が若者をそう育てたのではないか。
大衆は指導を必要としている。
それはマスコミの指導ではなく、
厳格な指導者による指導である。
中国やアメリカの独裁者から学ぶ事は?
敵を知る事こそ、勝利への第一歩。
>>256 詳しい人に是非とも書いてほしい。
敵から学ぶことこそ最大の課題だ。
中共の毛沢東の『矛盾論』は石原都知事が読めと
言うだけあって名著だと思う。
毛沢東と会談したフランス大統領のポンピドーが、
「あなたは大陸間弾道弾なんぞを開発して、アメリカと戦争でもするつもりなのか。
そんなことをしたら何千万という国民が死ぬことになるぞ」と質したら、
「場合によったら戦争も辞さない。死者の数にはこだわらない。
大体わが国の国民は多すぎるから」と嘯かれ、
呆然とさせられたという述懐がその日記に記されているとか。
また、台湾人の金美齢さんの話で、
「台湾は日本に50年間統治されたがその間、政治犯として
死刑にされた者は一人もいなかった。
蒋介石は台湾の人間を2万から3万人も殺した、たった2年で。
しかも殺したのは政府に反抗したものだけでなく、
無関係な今後台湾人の指導者になりそうな
インテリ層もみんな殺した」と。
この中共の独裁者の残忍さから
日本も学ぶべきものがあるはずだ。
少なくとも日本が同じ残忍さを持っていたなら、
靖国への内政干渉など起こりえなかった。
西村眞悟議員が指摘した事だが
日本政府が「人命は地球より重い」といってテロに屈した時から
北朝鮮による拉致事件が続発して起こったのだと。
今日血を流すことをためらえば明日にはもっと多くの血が流れると
いいかげん歴史から学べそうなものである。
また中国から学ぶものの一つとして、
すでに書いているように
中共が日本の国連常任理事国入りを
阻止する為につかった世界への宣伝と同じやり方で、
北京オリンピックの開催への疑問を世界に宣伝するなら
これほど効果的な方法はない。
そして、北朝鮮の金正日からは
何より世襲制の愚かさを学べるであろう。
石原慎太郎氏の力は彼一世代のものであり、
息子達のものではないのだ。
政治家の親の素質を選択の条件にするなら
国は方向を誤るのである。
敵から学ぶことについて、
ヒトラー自身こう述べている
「私は常に自分の敵から極めて多くを学んできた。
私は革命の技術を、レーニン、トロツキーその他のマルクス主義者に学んだ。
カトリック教会、フリーメーソンにおいても、
他では知ることのできなかった洞察を得た。
他ならぬ敵から学ばぬのは、馬鹿者である。
そうすることによって、自分自身の着想を見失うのを恐れるのは、
臆病者だけである」と。
マルクス主義から学んだことについて
私はマルクス主義をただ克服したのではない。
マルクス主義が志向するもの、マルクス主義において正しいものから、
ユダヤ教義の衣を取り除くならば、私はマルクス主義の執行者でもあるのだ。
私はマルクス主義から多くのことを学んだ。
ためらうことなく、それを告白できる。退屈な社会理論と唯物史観、
その他の馬鹿げた代物のことではない。
マルクス主義の方法を学んだのだ。
小心な商人風情、書記風情がおっかなびっくり始めたものを、
私が本気でとらえなおしたのである。
国家社会主義の理論はすべてこの中にある。
もっと詳しく考察してみたまえ。
労働者運動、大衆デモ、もっぱら大衆に理解できるよう起草された宣伝文書。
これら政治闘争の新しい手法は、本質的にはマルクス主義に帰せられるのである。
私は、この手法をただ引き継いで発展させさえすればよかったのだ。
それだけで本質的に我々に必要なものは手に入ったのだ。
社民主義者において何遍となく破綻をきたしたことを、
私はただ首尾一貫させて継承すればよかった。
彼らの破綻は、革命を民主主義の枠内で実現しようとしたという事情のためである。
またカトリック教会から学んだことについて
カトリック教会は、とりわけその並々ならぬ、巧妙な戦術と世智のために、
また人間性の希薄化を信者の指導に導入したことのために模範的なものである。
だから、私は今後永久に効力を持続するわが党の憲法としての綱領を扱う際には、
教会がその聖なる信条書を扱うのと厳密に同じやり方に従ってきたのである。
教会はそれについて、あれこれいじり回すことを許さなかった。
変転する時代の、あらゆる願望を退けることができた。
1500年以上も通してきた形式に対する、
あらゆる論理的批判の攻撃を退けることができた。
教会は、相矛盾する要素も、相対立する要素も、
すべてこの書に付け加えることができるということを知っていた。
それを、敬虔な民は耐えた。
彼らは矛盾を決して論理的に受け取ったりしないのである。
だが、ただ一つのことによって信者は混乱させられる。
荘厳な信条の変更によってである。
たとえ、それが実生活においてはもはや妥当しないものであっても、
それが、今はただ聖なる記念碑にすぎぬものとなっていても。
これらを見れば、ヒトラーという政治的巨人が生まれながらに
すべての能力を有していたのではなく、
日々敵の中からその力を吸収する事によって育ったのだとよく分かる。
そしてこの事実は
日本の平和主義者どもの教義を知れば、
彼らを倒す手段も分かるという事である。
彼らはまさに現行憲法を、マッカーサー憲法を、
聖典か何かのように権威付けしようとしている。
だから一字一句を変えることに狂わしいばかりの抵抗を示す。
これを放置し、いたずらに時間の経過を与えれば
変更はますます難しくなるであろう。
だが、逆に考えれば一度でも変えてしまえば、
たちまち彼らは精神的拠り所に大打撃をうけ混乱させられる。
これこそが石原慎太郎氏の日々の主張の
憲法破棄の根拠であり、例え前文だけでも変更する事に
意味があるという根拠である。
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < 話はかわってヒトラーの支配の原理
ミ__ノ \_______
支配とは常に優越している方の意志を
弱い方の意志に転移させることである。
いかにして、私は自分の意志を対立者に強制できるか。
あらかじめ、相手の意志を分裂させ、無力にする事によってである。
相手の意志を混乱させる事によってである。
異物は、相手の血液循環の中に侵入して定着し、
発病、衰弱を引き起こし、ついに相手はあらゆる抵抗力を失うに至る。
テロという補助手段は、その直接的効果のためというよりは、
むしろ、相手の抵抗力を動揺させるために欠くことのできぬものなのである。
このことは、同時に精神的武装を伴う未来の戦争の心理的公理でもある。
私がこの点についても、すべてを用意しているのを知った時、
全世界は驚嘆するであろう。
前大戦の敵方のプロパガンダなど、この私の手段に比べれば、
子供じみた序奏としか映らない。
戦争は、私にとっては決して単なる軍事行動としてのみ遂行されるのではない。
たとえ血なまぐさい戦闘が一方で行なわれようとも、
当の敵国民にわが意志を浸透させることにより、
不意の瓦解を起こさせることは計算ずみである。
>>262について
ここにオーストリアを支配した原理を見ることができる。
これはすごい。この政治闘争の中から学んだ戦術は
ヒトラー独自の財産である。
相手に打ち勝ち、相手の意志を砕き、
無力化した時はじめて相手に自分の意志を強制できる。
また逆に自分の意志を挫くことのできない相手に
自分が変えられることはない。
日本国についてもまったく同様であり、
中共の靖国参拝を止めろという戯言が、
単なる内政干渉と一笑されず、
日本国に強制できるのは日本の意志が
分裂し、無力化している限りにおいてそうなのである。
そしてまさに靖国参拝をめぐって中共が行なうデモやテロは
その直接的効果のためというより、
日本の抵抗力を動揺させるためにあるのだ。
また、歴史教科書で中韓から一方的に意志を強制され、
日本国側から中韓に意志を強いる事ができないのも、
日本の意志が混乱していることに原因がある。
日本は梃子でも動かぬ鉄の意志を持ったとき、
はじめて他国から意志を強制される側から
他国に意志を強制できる側へと転じれるだろう。
我々は、この過去の偉大な独裁者からなんと多くを学べることか!
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < 忘れていたよ、4月20日はヒトラー誕生日だったね。
ミ__ノ \_______
部下はもう、いま以上のものを求めず、柔弱になっている。
いったいどうやって戦争が遂行できるだろう。
この連れと一緒では・・・・・・
これまで情熱的に打ち克とうと戦ってきたものを、
いまや逆に遂行しなければならないのか。
そもそも私は何事かを達成したのだろうか。
すべては私が頂上の席をおりると同時に再び砕け散ってしまうのではないか。
憲法を導入しておけば、自分が行なった立法を
少なくとも法の形に高めておくことができたのではないか。
もはやなにも私の死後まで残るものはないかもしれない。
私の後継者はすべてを壊し、すりかえてしまうのであろう。
私に関する記憶を踏みにじり汚すであろう。
ちょうど、私が、先行者、対立者の業績をそうしたように。
2、3の建築物を除いては、骨董品以外なにも残るまい。
建築!もしかしたら私は建築家にほかならなかったのだ。
すべては私に建築が許されるための回り道だったのだ。
建築家養成機関に入らなかった不器用な男のための回り道だ!
なんとグロテスクな人生の回り道だ!
実際は、永続的な生命のあるものはなにも創りはしなかった。
すべては混乱した朝夢のようにはかなく消える。
私は大衆をよく知っている。その中に生きてきたのだ。
あまりにも身近だったために、とことんまで軽蔑せずにいられなかった。
大衆の方も私を憎み軽蔑した。
いじけたもの特有の、息もつかせぬあえぎあえぎの執念深さで、
大衆はかつて私を信じたこと、私に歓呼の声をあげたことに対して復讐するだろう。
「奴も同じようにどん底の生まれだ。欺瞞によって浮かび上がったものの、柄でもない」
というわけだ。もっともけたたましい歓声をあげた大衆こそ、
まっさきに私に向かって石を投げるだろう。
女どもは私に唾を吐きかけるだろう。死んでから遠からずしてわめきたてるだろう。
だがもう私は死んだも同然ではないか。
まだ、こんなことを夢想していなくてはならないのか。
目まいがする。私の生涯は熱に浮かされた夢だったのだ。
おそらく最大の罪人ということになろう。
私はなにも成し遂げなかったのだ。ただ破壊しただけだ。
私が建築を進めようと思っていた土台が突然消えてしまった。
こういったことは皆夢のようだ。
帝国の建設はどうなったのか。オーストリアとチェコスロヴァキアも再び離脱するのではないか。
果たして私に維持できるだろうか。
私はドイツとオーストリアの間に永久に溝を掘ってしまったのではないか。
憲法はどこへいったか。
歴史的過去、諸侯に対する追憶を抹殺しようとして構想された大管区制はどうなったか。
大ゲルマン同盟・ヨーロッパの同盟秩序はどうなったか。
社会制度はどうなるのか。国防軍はどうなるのか。
孤独が私の胸をしめつける。孤独になるのが不安だ。
なにか恐ろしいものが私の周囲に胚胎している。
人間に会わねばならぬ。行動しなければならぬ。考えてはならない。
ただ一つ、行動あるのみだ。
すべて虚しいものだ。
このスレも。
終わったら痕跡もなく消える。
だが生きている間は、戦いこそがその意味だと
豪語した人間を俺は尊敬しよう。
。 ◇◎。o.03 ☆οo.
。:...◎:03 ☆∧_∧ ☆。∂03 ゜
/。○。∂. (,,゚ー゚) O◇。☆
/ ◎| ̄ ̄ミ__ノ . ̄ ̄ ̄|:◎:
/ ☆。| 強者の神へ |☆
▼ 。○..io.。◇.☆____| 。.:
∠▲―――――☆ :∂io☆ ゜◎∂:.
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < 日本においてはシナ・朝鮮人を指す。
ミ__ノ \_______
自然は無慈悲だ。だから我々も無慈悲であってよいわけだ。
願わしくない民族人種を計画的に、比較的苦痛もなく、ともかく多くの流血の惨事もなく、
死滅させるような方法はたくさんある。
私はその方法に帰依することを公言するのをまったく恐れない。
世界大戦のあとに、フランス側からドイツ民族は非難を受けた。
ドイツ人はあまりに多い、2千万人は多すぎると。我々はこの言葉を受け入れる。
我々はこのように計画通りに人口移動の計画的操作に賛成する。
だが、我々にその代わりにどこか他の場所の2千万人を抹殺することを許してもらおう。
数年間にわたって貧しい者たち、悲惨な者たちを保護するなどという
戯言が続いたあとで、今や強者を下等な者から守ることを認めるべき時がきたのではないか。
自然な本能は、あらゆる生物に、その敵を単に征服するのみならず、
絶滅することを要求する。昔は全人種、全民族を絶滅させることは、
戦勝者の当然の権利とみなされていた。
ゆっくりと、流血させることなく、これを遂行する事により、
我々は我々こそ優しさの持主であることを証明するのだ。
(,,゚‐゚)/
この匿名掲示板に、
なかんずくこのスレのシリーズにおいて、
俺は自分の世界観を包み隠さず書けた。
実にこの国家主義こそが俺から片時も離れない忠実な友である。
御陰で俺が何時ネットに厭きて消え去っても
悔いは残らないであろう。
『わが闘争』序文より
私はここでこの著作を、無縁の人々にではなく、
心からこの運動に従い、知性がさらに心から啓蒙を求めている
この運動の信奉者に向けているのである。
人を説得しうるのは書かれた言葉によるよりも話された言葉によるものであり、
この世の偉大な運動はいずれも偉大な文筆家にでなく偉大な演説家に
その進展のおかげをこうむっている、ということを私は知っている。
けれども教説を規則的、統一的に代弁するためには、
その原則的なものが永久に書き留められねばならない。
それゆえ、この著作を私が共通の事業に加える礎石たらしめんとするのである。
レッヒ河畔ランツベルク要塞営倉にて
アドルフ・ヒトラー
この言葉が俺の根幹だ。
世界を動かす力は書かれた文章などにはなく、
実際に情熱的に行動し、また話すことのできる
扇動者にこそあるのである。
神は決して哲学するだけの意気地なしには
ほほ笑みはしないだろう。
だから俺の尊敬の感情は哲学者や思想家にではなく、
実際に行動する人物にそそがれる。
現在、俺が極東板で最も強力な
石原慎太郎氏の支持者である理由も
まさにここにある。
わずか七年という短期間に、
これほど途方もないものを創造した男が
かつてこの世にあったろうか。
正しく観察すれば、
それは今日すべて成就されているのである。
少なくとも、いたるところに礎石を置いた、
という意味では成就しているのである。
私の根本的変革の理念を与えなかった人間活動の領域が
一つでもあるだろうか。
私は、フリードリヒよりも偉大なのだ。
ナポレオンよりも偉大だ。
シーザーよりも偉大だ!
ここを去るわけにはいかない。
この孤独の中から、雲の上の神のように命令を下さねばならない。
誰にも妨げられぬこの山の水晶の家、鷲の高巣。
ここから統治しよう。
日本の屈辱的な現状を超克し、
日本民族の誇りを取り戻してくれる人物なら、
どんな政治家であれ恐れはしまい。
レーム粛清に際し
私に向けられたすべての非難、我々の前に横たわるすべての困難を、
私はおせっかいな悲観論者の誰よりもずっと早く気づき、計算済みなのである。
どのような情勢の展開も私を驚かすことはない。
一貫した、ゆるがぬ確信を持って、我々の革命の巨大な目標を達成するであろう。
そのためには、自分自身の放縦を我々全体の発展法則にしようと企む物知りたち、
批評家たちは必要ではない。それは我々の没落を信じて、指折り数えて待ち、
偉大な仕事の始めには必ずある困難を誇張することに喜びを見出している連中なのだ。
この阿呆どもは、我々の偉大な作業の中の否定的な要素でなく肯定的な要素を
強調することによて、困難な闘いの中にある自分にも、
さらに私にも勇気を与えることができるということがわからないようだ。
いったい、我々が実はまだ実権を握ってないという事を、
私が彼らよりもわかってないとでも言うのか。
だが、決定するのは私の意志なのだ。私の命令に従わぬものは、抹殺されよう。
反抗がすでに誰の目にも見え、世間の口にのぼるようになってからでなく、
私が反逆の嫌疑をかけたときに。
私は迷うことなく断固としてわが道をゆくのだ。
老将軍が死ぬ五分前になって、犯罪者どもは私に面倒をかけたのだ。
誰が大統領の後任になれるか、私か、それとも反動グループの一人か、という重大な時期なのに。
この愚行だけで、すでにこの連中は射殺に値する。
一致団結した意志のみが、我々の行為を成功させるのだということを、
君達に繰り返し言っておいたはずだ。
隊列をはみだして踊ったりする者は射殺される。
連中には私の言う事を聞くよう十遍も百遍も言い聞かせたではないか!
党が一致団結しているかどうかにすべてがかかっている今、
私は自分の家の秩序と規律さえ保つことができないなどと反動の輩に言わせておかねばならないのか。
党が共産主義者よりも悪質な反抗のるつぼである、などという非難に耐えねばならないのか。
最後通牒をつきつけられなくてはならないのか。
この臆病な哀れな奴らに!
しかもこの私が、この私が!
あらゆる感傷は捨て去らねばならない。
あらゆるお芝居は終わりにせねばならない。
国家社会主義はワイマール諸政党のごとく、
おのれが愛国者であることをわざわざ証明してみせるまでもないのだ。
おおげさな芝居なしに我々の任務にとりかかることができるのだ。
ドイツ人の目標は、決して数日あるいは数週間で達成されるようなものではない。
世界に不信の念を呼び起こすようなことはすべて避けねばならない。
舞台にあがってお芝居をしたいだけなのか。
それとも本当にその事を欲しているかのいずれかなのだ。
だとすれば、我々は芝居はあきらめるべきなのだ。
それにしても小泉外交は屈辱的だ。
まるで意志がない。
やはり俺は指導者の意志によって切り開かれる
日本の姿を見たいな。
この掲示板の書き込みから見ただけでも、
日本では、まだ誰も開拓したことのない新たな領域で
謝罪することが総理の評価につながるらしいな。
橋本首相は誰もが見落としていたイギリスの下品な大衆紙
『サン』にイギリス兵への謝罪文を書いてきたのだから
評価されてしかるべきだな。
村山によって独占された謝罪市場の残った枠をめぐって
歴代内閣が我先にと謝罪を競い合い、奪い合うわけか。
馬鹿ばかしい!
小泉を評価してる連中は、どいつもこいつも正気かね?
小泉の行為が第二次大戦後に日本がとった謝罪外交の
一つにすぎないと認識できないものは馬鹿である。
小渕首相が金大中に謝罪し、お互いこれからは未来志向といったが、
今見る影もない現状になったことは、それほど古い過去なのか?
「この謝罪が最後だ」という淡い期待が何度砕け散ったか、
歴史からだけでなく、経験からも学べないのか、愚か者は!
正しい世界観、国家観、歴史観さえあれば未来の予測はできる。
日本にはこの記憶喪失の国民大衆を有無を言わさず服従させる
偉大な指導者が必要だ。抵抗は容赦なく叩きつぶされる、
下への権威、上への責任、服従あるのみだ。
無論俺も一大衆として服従させられる事を望んでいる。
石原慎太郎氏なら、こんな無様な外交はしなかった。
日本は侵略しました、と謝罪した事が評価されるべきではない。
我々の父祖を貶めた評価を新たに世界に定着させるべきでもない。
そして父祖を侵略者だと謝罪した男と同じ男が、
父祖の魂眠る靖国神社を「不戦の誓いを立てる場所」と
勝手に内容をすりかえるべきでもない。
今回の謝罪が評価されたから何なのだ?
ならば歴史の正当な女神が過去の日本の行為の正当性に光をあてても、
我々自身がそれを否定するつもりなのか。
これで中国の反日活動への根拠を失わせたというが、
逆に考えれば今までの反日活動に根拠があったと認めた事になるのだぞ。
中国は自分達の行なった数々の破壊活動の正当性を認めさせ、
日本には謝罪もせず、逆に日本から謝罪されたのだから外交上の勝利である。
日本は大使館、企業を破壊され謝罪させるどころか、
自分達が謝罪したのだから外交上の敗北である。
それに屈辱を感じないとしたら外交をおままごとのように思っている者だけだろう。
それを今回の謝罪は今までより評価が高いから
小泉外交は成功だなどと信じることは俺には到底不可能だ。
それ以上に小泉は中共のテロに屈したのである。
ヒトラーの演説を思い出すぜ。
断じて我々は完全に平等の権利の上に立たないでいかなる協定にも参加しない。
我々は孤立せしめられるかも知れないが、しかし名誉は汚されない。
断じて汚されない!
私は私の名誉を犠牲にせねばならぬような協定には参加しない。
そして彼らが、「しかし、それではお前は孤立せしめられるぞ」と言うならば、
私は宣言しよう、私は名誉を失っていられるよりも、
むしろ名誉を保って孤立せしめられようと。
我々日本人も名誉なくして生きる権利はない。
>歴史からだけでなく、経験からも学べないのか、愚か者は!
>正しい世界観、国家観、歴史観さえあれば未来の予測はできる。
>日本にはこの記憶喪失の国民大衆を有無を言わさず服従させる
>偉大な指導者が必要だ。抵抗は容赦なく叩きつぶされる、
>下への権威、上への責任、服従あるのみだ。
>無論俺も一大衆として服従させられる事を望んでいる。
>石原慎太郎氏なら、こんな無様な外交はしなかった。
彡ミミミミ))彡彡)))彡)
彡彡゙゙゙゙゙"゙゙""""""ヾ彡彡)
ミ彡゙ .._ _ ミミミ彡
((ミ彡 '´ ̄ヽ '´/ ̄ ` ,|ミミ))
ミ彡 ' ̄ ̄' 〈 ̄ ̄ .|ミミ彡
ミ彡| ) ) | | `( ( |ミ彡
((ミ彡| ( ( -し`) ) )|ミミミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ゞ| ) ) 、,! 」( ( |ソ < 同意!
ヽ( ( ̄ ̄ ̄' ) )/ \_______________
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ミミ彡ミミミ彡彡ミミミミ
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ミミ彡゙ ミミ彡彡
ミミ彡゙ _ _ ミミミ彡
ミミ彡 '´ ̄ヽ '´ ̄` ,|ミミ彡
ミミ彡  ゚̄ ̄' 〈 ゚̄ ̄ .|ミミ彡
彡| | |ミ彡
彡| ´-し`) /|ミ|ミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ゞ| 、,! |ソ < とりあえず貼っておく
ヽ '´ ̄ ̄ ̄`ノ / \________
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 ̄ ̄| `\.`──'´/ | ̄ ̄`
\ ~\,,/~ /
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http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/index.html
>>280 この番組での田嶋陽子は細菌的な売国奴であるが、
しかし、議論はよく訓練されている。
今日は客席に中国人が来ていたのだが、
彼らも一人一人物怖じすることなくしゃべっていたよ。
これらは子供の頃からの訓練の成果だろう。
いつか2chへの書き込みをしている人間を観客で
集めたこともあった番組だが、
その時の彼らは惨めなものだった。
ヒトラーは強い。
会談内容などを見ればわかる。
裁判でもあれだけの言葉を駆使できるのだからな。
ヒトラーの言葉。
他の党が運営している講習会で、
何人かの仲間に人前での話し方の講習を受けさせた。
このおかげで、我々の集会を野次り倒そうと送り込まれる連中の議論の仕方がよく分かり、
彼らが口を開いた途端に黙らせることができるようになった。
マルクス主義グループから来た女達が討論に加わった時は、
ストッキングに穴が開いているとか子供が不潔だとか言って馬鹿にしてやったものだ。
女を論理的な議論で納得させるのは不可能だし、
集会の会場係が手荒に応対しても民衆の義憤を買うだけである。
一番いいのは馬鹿扱いすることで、実際すばらしい効果があった。
議論にも訓練が必要だな。
事前に反論を予想しておかねばならぬ、
物怖じしてはならぬ、
屈してはならぬ。
「神よ、われらの敵を打ち滅ぼし給え」
という信念が勇気を与えるだろう。
俺は石原都知事こそを
見習うべき指針としている。
カゼラ師匠、勉強になります。
出きれば出典の方もタイトルと出版社こみで宜しく
たく…愚民どもはどうしようもないな
山崎拓当選だって。一時的な感情で政治を動かす馬鹿どもをなんとかしてほしい。
そもそもの発端は愛人の暴露によるが、そんなくだらん私的な事で国の政治まで影響を及ぼす決断をするなよな。
女が政治に関わりだすとろくなことがない。
何でこのスレが上がってるんだ?
と思ったら移転か。
>>285 テーブルトークから
道楽半分で政治に口を出す女は大嫌いだ。
軍事問題にまで口を出されると耐え難い。
党の地方組織では、女性にはほんの小さなポストにもつく権利はない。
そのため、党は女嫌いの集まりではないか、
女性を子づくりの道具や遊び相手としか考えていないのではないか、
などと言われてきた。それは違う。
私は青少年の訓練など大切な仕事で女性を重用してきた。
1924年には政治に関心を持つ女性達が急激に台頭してきた。
彼女らは帝国議会に参加したいと主張した。
女性の道徳的レベルの向上のためだというのである。
私は議会で審議される問題の90%は男性の問題であるから、
女性の意見は役に立たないと言ってやった。
彼女らは反論したが、私はこういって黙らせた
「私が女性のことが分かるくらいあなた方も男性のことが分かるというのかね」
怒鳴っている男はあまり見場のよいものではないが、
どなっている女はすさまじい。叫べば叫ぶほど、声は甲高く耳障りになる。
爪を剥き出しにし、髪をかきむしらんばかりだ。
女性を思いやる気持ちがあるなら、女には相応しくない行動を
とらさないように心がけた方がいい。
闘争を伴うものは何であれ男だけの問題である。
極東板では理想の内閣なんてものを
書き込む人も多いが、その中に女性の名前を
必ず入れようとする向きがあることには
俺はまったく賛成しない。
日本初の女性首相の誕生など永久にこなくていい。
俺が尊敬する石原都知事もスタッフは全員男なのである。
日本の理想とする指導者層に女など必要ない。
列車事故は痛ましい。
だが、中絶によって失われる命、
それはその何百倍にも匹敵する。
ヒトラーは戦争での流血は
出産増加政策によって容易に補われる。
と言ったが、多くの人は流血の方にしか興味がなく、
目に見える前に流れた血には気付かない。
指導者には、巨大な視点から全体を見渡せる
人物が必要だろう。
『永遠なるヒトラー』より
人間の太陽期は終焉に向かいつつある。
新しい種類の最初の偉大な人間群像の中に、
今日でもすでに来るべきものが告知されている。
古代北方民族の不滅の知恵によれば、
古きものが神々とともに没落することによって、
世界は繰り返し若がえるはずであり、
また、太陽の回帰点が彼らにとって永遠の進歩という直線でなく、
螺旋状の生のリズムの象徴とみなされているように、
今や人間は、みかけはあともどりしているが、
これは、さらに一段高く登るためなのである。
天地創造は終わっていない。
少なくとも、人間という生物に関するかぎり終わっていない。
人間は、生物学的にみるならば、明らかに岐路に立っている。
新しい種類の人種はいまその輪郭を示し始めている。
完全に自然科学的な意味における突然変異によってである。
これまでの古い人類は、これによって必然的に生物学的に衰退の段階に入っている。
古い人間は、衰退形態においてのみ、その生を生きながらえるのである。
創造力は、すべて新しい種類の人間に集中することになろう。
この2種類の人間は、急速に相互に逆の方向へ発展している。
一方は人間の限界の下へ没落していき、他方は今日の人間の遥か上まで上昇する。
両者を神人および獣的大衆と呼ぶことにしたい。
人間は超克されねばならぬものである。
無論ニーチェはこれについて、すでに彼なりに知っていたのである。
彼は超人を、すでに生物学上の新種とさえみなしていたのである。
無論この考えは、ニーチェにおいてはぐらついていたのであるが。
人間が神となる。これこそごく明快な意味なのだ。
人間とは生成途上の神である。
人間は、自己の限界を乗り越えるべく、永遠に努力しなければならない。
立ち止まり閉じこもれば、衰退して、人間の限界下に落ちてしまう。
半獣となる。神々と獣たち。
世界の前途は今日、そのようなものとして我々の行く手にあるのだ。
こう考えれば、すべては、なんと根源的で単純になることか。
私が政策上、社会的団体を新たに組織すべきか否か
という決定を行なわねばならぬかどうかという問題も、結局、これと同じ問題なのである。
運動が閉鎖的である組織、立ち止まっている組織、古いものに固執する組織は衰退し、
没落を運命づけられている。しかし、人間の根源的な声に耳を傾ける組織、
永遠の運動に帰依した組織、それは、新たな人類を生み出す使命を受けている。
これで、国家社会運動の深さが理解できたかね。
これよりも偉大で、包括的な運動が他にあり得るだろうか。
国家社会主義を政治運動としか理解せぬもんは、実は何も知らぬに等しいのである。
国家社会主義は宗教以上のものである。
それは新しい人類創造の意志なのである。
政治とは今日、まさしく運命の形式なのである。
この淘汰の過程を、政治的手段によって促進できるとは思わないかね。
今日、政治は生物学的根拠、生物学的目標がなければ完全に盲目である。
国家社会主義のみが必要な任務について完全な認識を持っている。
私の政策は普通言われている意味での民族主義政策ではない。
その基準と目標とを、生の本質についての全面的包括的な認識からとったものなのである。
新しい人間は、すでに我々の間に生きているのだ。
彼はすでに存在しているのだ!
>>290-291これは党大会でのヒトラーの演説を思い出す。
「我々が改良すべきことを我々自身が知っている。
人間は改良できる。我々がそれを改良するのだ」
この言葉の通りで政治の使命は、
現在国内にいる国民に吐いて捨てるほどの食糧を供給し、
今だけの肥え太った豚を量産することではないし、
抵抗力の存在しない弱い人間を医療で無理やり長生きさせ、
新種の病原体にもってこいの餌を提供してやる事でもない。
また、驚くほどの低年齢の少年少女を性的堕落に到達させることに
あるわけでもないのである。
政治の使命とは、まさに生物的使命を成就させることにある。
この生物的使命とは何であるか。
それは言うまでもなく、全ての生物の共通の使命、
種の保存にある。だがただの種の保存ではない。
地球規模で見れば更にその上がある。
自然は適者生存と自然淘汰によって、優秀な種を保存しようと
しているのであり、劣悪な種ならば種族すべてを死滅させる。
造物主の意志は全ての生物を分け隔てなく保存する事には無く、
大小様々な階層の中の優秀な種だけを保存する事にあるのである。
無論、人間とてその例外ではない。
我々は優秀な種族を目指さなければならないし、
それを促進させることが政治の使命なのだ。
だが人間の改良においては、以下の点で最大限の注意をはらわなければならない。
それは前スレでも書いたが、改良された人間が同胞と思えなければ
対立の原因にしかならないということである。
例えば人間の改良が資産家などの金持ち階級の特権的な行為に限定されれば、
生まれた人間は国民を貧富の二階級に分断させる為の道具にしかならない。
そして、この対立した貧富の両方の勢力が世界を滅ぼす力はすでに持っているのである。
また人間の改良を個々の親のエゴに委ねられるなら、
今度は国民を優劣の二階級に分断させることだろう、そして、またしても
この対立する二階級は互いを滅ぼせるのである。
どのみち対立が生まれてしまえば破滅的な結末しか用意されてないであろう。
だからこそ、この仕事は政治の使命なのである。
まるで予防接種のように国民に分け隔てなく改良を施すのだ、
そして、緩やかに自然の形を壊さない形で最大限の慎重さをもって行なうのだ。
その時こそ、古い神々・・・これは倫理と呼ぶべきだが・・・これらは砕け散り、
新しい強者の神が誕生するのである。その元には生まれながらの支配者の民族、
日本民族の姿があり、シナ人、朝鮮人は、足に踏まれることを宿命付けられるだろう。
もし、この領域を開拓せず今のようにこの領域を禁忌として封じ込めるなら、
どこか別の世界の他の誰かによって産み落とされた支配者達に
逆に日本民族の側が家畜にされるであろう。
これは強者の神の意志にあがなった当然の報いなのである。
このスレのシリーズは偶発的に生まれたものであるが、
極東板の歴史で、このようなスレは一度たりとも存在しなかった。
極東板などというものは元々、おのれが売国奴であることを
公言して憚らない大衆世論に反抗した者達の集まりである。
自然な形の愛国者であって、その意味では普通である。
だが、我々はどの極東住人とも違う、どの固定ハンドルとも違う。
我々は世界の生成を考えているのだ。
神の摂理を学んでいるのだ。
来たるべき偉大な指導者の時代、猛々しい神話の時代に備えて、
その輪郭を夢に描いているのである。
だが流石にスレの危険度は日増しに高くなるな。
ちょっと軽い話。
ジパングってマンガで画かれたヒトラーの言葉は
テーブルトークからの引用で、
マンガで画かれるヒトラーの中では
良い方に思えたよ。
296 :
日出づる処の名無し:2005/04/27(水) 23:22:16 ID:PxSt5Gm9
ぎれんに学べ
>>290-291についてもうちょっと。
竹中大臣の話では日本人の所得は、
ここ100年で11万倍になったとか。
この繁栄の時代、日本は何をしてきたか。
種族を強化するどころかむしろ弱体化させた。
当然ながら繁栄というものは永遠に続くものではなく、
やがで衰退がくる。
その時、種族すらも弱くなっていれば
生物としての死滅を余儀なくされるであろう。
個人の権利と幸福を追求する道は、
種の権利と幸福を追求する大義の前には
消えうせるべきである。
それは、母親が母体を損ねても新たな命を
産むことを躊躇わないように、
特攻隊が自分の命と引き換えに
祖国を守る道を志願したように、
人間の摂理にも適っているのだ。
日本の政治家でこの領域の扉をノックしたのは
石原都知事だけだった。
彼がはじめて国民に受け入れられる形で
安楽死の問題に言及したのだ。
安楽死こそが、この領域への第一歩で、
その本質には個人より種族全体を考える世界観がある。
だが、朝日新聞がヒステリックに彼の言葉の一文だけを取り上げ、
非人間的だと非難し、すぐさまその扉に釘を打ち付けてしまった。
石原都知事はいろんな意味で先駆者だ。
彼に大衆世論が追いつく日は永遠に来ないのかもしれない。
しかし、世界の趨勢が安楽死を認め、
個人の生存や権利より、種全体を考える本来の姿に立ち戻った時、
日本もようやくその問題に取り掛かったとしても、
おそらく何もかも遅いのである。
これを再び書いときたい。
『わが闘争』闘争と批判
いわゆる民族主義者たちが、自分達は決して消極的批判をするつもりはなく、
ただ建設的な仕事だけが価値があると再三再四いうならば、
それは歴史的発展についての深い洞察が不足していることから生じているのである。
マルクス主義は昔から70年間も「批判」してきたのだ。
そして実に否定的、破壊的な批判であり、このあくことなくむしばむ酸によって、
古い国家がぼろぼろになり、崩壊するまでの批判だ。
それからやっと彼らのいわゆる「建設」が始まったのだ。
それは当然であり、正当であり、そして論理的だった。
既存の状態は、単に未来を強調したり、代弁したりするだけでは除去されない。
小泉首相の謝罪を評価する声が聞こえる。
謝ることで反日デモから根拠を奪ったと。
政治的には正しい判断だったと。
自民党の政権がこれだけ長く続いたのに、
日本の公式見解として世界に認識されるのは、
ただの一度だけ政権与党になった社会党の村山の出した
最も酷い談話ということになる。
これがどれほど有権者を侮辱した行為か。
どれほど馬鹿ばかしいか。
どれほど将来に禍根を残すか。
目を覚ましてほしいところである。
小泉を擁護する者には、
小泉は良くやったと評価して
喜んでいる自分の姿を是非とも想像してほしい。
客観的に見ればそれは
「日本の侵略と植民地支配への謝罪が
これでようやく世界に認識してもらった」と
喜んでいる売国奴と同じ姿に他ならない。
過去に日本が行なった謝罪を改めて証明しただけと言うが、
そんなものは覆されるべきだろう。
小泉擁護派が自分は消極的批判によって自国の足を引っ張りたくなく、
ただ建設的な意見しか言いたくないと思い、
自分を騙し小泉を擁護しているとしたら、
それは、歴史的発展への洞察が不足しているのだ。
新しい世界は古い世界の批判なくしては生まれない。
日本の正しい歴史認識は村山談話
・・・西村議員は小泉談話と言ったが・・・
それの批判なくして生まれようがないのである。
それにしても俺はどうやら極東住人をかいかぶってたようだ。
歴史的にみて過激な大衆は過激な政治家より常々過激なものだし、
また、世論の扇動のためにもそうあるべきだが、
小泉外交の評価に対しては石原都知事や西村眞悟議員より、
極東住人の方が遥かに柔弱なのだからな!
しかもその極東住人の後ろには、もっと柔弱な一般大衆がいるのだ。
これでは話にならないね。
憲法改正どころか、村山談話を覆すのも一体何時になるやら。
イヨイヨ会得した煽動を実行ですカナ?
ヒトラーやヒムラーより過激な大衆なんて、いたとしても一握りだろう
それにこの板、なんでかしらんけどサヨク多すぎるよw
>>301 いや、扇動はネットでは無理w
だって書かれた言葉だもん。
かといって生活を犠牲にする覚悟などないし。
自分のことを考えれば考えるほど
ヒトラーの偉大さが分かるよ。
極東板で良スレをつくろうとしたら、
sage進行で住人を選ばないといけない・・・
まさに御指摘の通りだw
『わが闘争』より
今日、文筆にたずさわる騎士やうぬぼれ屋はみんな、
次の事をよく覚えておくがいい。
即ちこの世界における最も偉大な革命は、
決してガチョウの羽ペンで導かれたものではないのだ!
ということを。
そうだ、ペンは常に革命を理論的に基礎付けることだけが残されている。
だが、宗教的、政治的方法での偉大な歴史的なだれを起こした力は、
永遠の昔から語られる言葉の魔力だけだった。
民衆の運命はただ熱い情熱の流れだけが、転換させる事ができる。
そして情熱はただ情熱を自らの中にもっているものだけが
目覚めさせる事ができるのである。
しかし情熱がほとばしらず、口が閉じられているものを、
神は自己の意志の告知者に選んだ事はない。
俺自身、石原都知事の言葉の情熱に
目覚めさせられた一人だった。
俺は彼の演説を直接聞いた。
ネット上の誰なんかよりも
実際に扇動に期待できる人は
いっぱいいるさ。
石原さんかあ ヒトラーは壊滅したドイツ経済を建て直して支持を拡大したが
石原さんはバブルを建て直さずに都庁に入っちゃったからなあ
「三国人」発言などで民族主義の方向から支持を得ようとしてるのは評価してるけど
今無理に総理になっても支持母体がイマイチで小泉さんと大して代わらない活躍しか
できなさそうなんだよねえ
>>305 彼が都庁に入った直後も
みんなそう言ってたよ。
だが最初「小説書くようにはいかないぞ」と野次った
都議が今では犬ごとく忠実になった。
職員も同様だ。
彼のやったことはどれ一つとっても、
青島時代からは想像もできぬことだよ。
支持母体のない都庁で
何故あれだ力を持つに至ったのかは、
『わが闘争』の「権威の三原理」に書いてある。
権威を形成する為の第一の基礎は、常に人気である。
けれどもこの基礎にのみ基づく権威は、まだ非常に弱く、疑わしく、また動揺している。
それゆえこういう人気にだけ立脚している権威の担い手は、権力を形成する事によって、
権威の基礎を改善し、確実にしようと努力しなければならない。
権力、したがって強制力の中に、我々すべての権威の第二の基礎を見るのである。
それは、わずかに本質的により安定し、確かであるが、常に第一のものより断じて力強くない。
人気と強制力が結合し、それらがともに、ある期間継続することが
できると、権威はさらにもっと固い基礎の上で立ち上がることができる。
伝統の権威がそれだ。ついに人気と力と伝統が結合した時に、
権威は揺るがし難いものと見られてよいのだ。
彼には絶大な人気があり、
それを権力で補強した。
そして時間を重ねることで、
揺るがしがたい権威を得たのだ。
だから三国人発言でも耐えうる事ができた。
他の政治家なら消し飛ばされていただろう。
そして2005年4月24日朝刊の
読売新聞世論調査
・首相に最もふさわしい政治家は?
1 石原慎太郎 31%(+4%)
2 安倍晋三 29%(+6%)
3 小泉純一郎 16%(−4%)
4 田中真紀子 8%(−1%)
5 小沢一郎 8%(+1%)
( )は前回2004年4月調査からの増減
石原都知事以上に人気のある政治家は日本にいない。
彼にできない事は他の誰にもできないであろう。
ふむ つまり都政改革の実績を掲げて「国政でもやれます」と宣言すれば
うまいこと大衆の心をつかんで「人気」が支持の根幹となるかも、ってわけか
結構いけそうな気がしてきたw
このスレのシリーズは扇動について類例をみないほど
詳しく、また本質的であるが、このスレ自体は扇動は意識してない。
意識していたらこんなに長々と文章は書かなかった。
扇動を意識してるのは都知事スレの方だ。
いかにレスを短く単純化するかが当初からの課題だった。
そして、情熱的であること、一方的に信じきること、
誰に何を書かれようと動揺を認めぬ鉄の意志を持つこと。
このヒトラーの扇動術によって
元々石原都知事関係のスレが無かった極東板で、
都知事スレに非常に質の高い支持者を集めることができた。
俺自身、彼らから学び情報を得ている。
彼らに日々の勇気をもらっているのだ。
ただ、それとは別に実際に人を動かすのは、
実際に動く人以外にはできないだろう。
『我が新秩序』より
ズデーテン地方割譲演説の一部
私はチェンバレン氏に対し、ドイツ国民は平和以外の何物をも欲しないと断言したが、
しかしまた、私は我々の忍耐にかけられたギリギリの限界の後にはひけないと
いうことも告げておいた。私は遂に氏に対して断言し、それをここに繰り返して言うが、
この問題が解決した場合、ドイツにとってはそれ以上領土問題はヨーロッパにはないのである。
また私は氏にむかって更に断言したが、チェコスロヴァキアがその問題を解決する時、
即ち、チェコ人が他の少数民族と、それも脅迫によってでなく、平和的に和解するとき、
私はそれ以上チェコに関心は持たないのである。
そして、このことは氏に保証されるのだ!我々はチェコ人など欲しくはないのだ!
しかし、同様にして私はドイツ国民の前に述べたいのである。
ズデーテン問題に関しては、いまや私の忍耐も種切れになったと!
私はまた、ベネシュ氏に対し一個の提案をしたが、これは彼が自ら約束したことを
遂行するだけのことなのだ。戦争か平和か!決定権は彼の掌中にある。
彼はこの提案を受諾して、遂にドイツ人に対して自由を与えるか、
それとも我々がでかけていって自らこの自由を獲得するかだ。
世界は四ヵ年半の戦争において、また多年にわたる私の政治生活を通じて、
何人も私の顔に投げつけられないことが一つある。
私はかつて臆病者であったためしは断じてないのだ!
いまや私は最初の兵士としてわが民族の先頭に立つ、
そして私の背後には、世界はこのことを知らなければならぬ、一国民が進軍するのだ。
1918年のそれとは違う国民なのだ!例えあの当時路頭を彷徨する学者がわが民族の間に
民主主義的標語の毒を注入することができたとしてもだ。
今日の国民は最早あの当時の国民ではないのだ。
あのような標語は我々には蜂の針のようなものだ。我々に怪我をさせることはできない。
我々はいま免疫になっているのだ。いま全ドイツ国民は私と結合しているのだ!
国民は私の意志が国民の意志となることを感じているのだ。
まさしく私の見るところでは、私に私の行動を委ねるものは、ドイツ国民の将来とその運命なのである。
そして我々は我々の意志を、我々の闘争時代、私が単なる無名の一兵士として
ドイツの征服に乗りい出し、断じて成功と最後の勝利を疑わなかった時代におけると同様に
強固にしたいと思うのである。あの時、私の周囲には勇敢な男女がかたく集まり、
その人々は私と共に進んだのである。
いま我々はすべて共通の意志を形成したいと思う、そしてその意志はいかなる困難、
いかなる危険よりも強固でなければならぬ。して、この意志が困難と危険よりも強固であれば、
やがていつかは困難と危険を打破するのである。
我々の覚悟はできているのだ!いまベネシュ氏に選択を行なわせればいいのだ!
>>312-313この時の聴衆の熱狂は
『映像の世紀』でも見ることができたな。
「我々はチェコ人など欲しくはない」という件が
北朝鮮による拉致問題に当てはまると思う。
我々は拉致された日本人だけを返せと要求するのであって、
決して北朝鮮人など欲しくはない。
元在日朝鮮人も同様に欲しくはない。
俺個人としては、あの朝鮮人の人口を減少させてくれた
金正日政権を破壊すること自体は望んでないのである。
俺が関心があるのは、あくまで日本人のことのみだ。
アマゾンの意志の勝利は日本語訳付くのかな
解説もあればありがたいのだか。
カゼラ師匠は何処で買った?
しかし、このスレは結構人が見ているようだ
人大杉でなんど弾かれたことか…
極東のコテ連中から
ナチヲタ呼ばわりされてる俺だが、
そうではない。
世界の摂理を研究しているだけだ。
それを通じて政治の見方を学んでいるのだ。
フューラーヲタってのは否定できない部分だと思うが(w
>>316 人大杉はサーバ負荷が高いと発生するやつだからなぁ
同じtmp鯖で祭りでもあったか、新造鯖のtmp5の調子が悪いのか
>>319 ここに来るとはめずらしいなw
たれさんも学べば、
何れの政治家が優れているかが分かるだろう。
ヒトラーは党が自分に対して従わぬ態度をとった時、
一時不在にして、反動勢力に軽率な行動をとらせ、
忠実な部下にその状況を逐一自分に報告させ、
即座にミュンヘンの党本部に戻り脱党を宣言する。
そして、再入党の条件として党委員の即時辞職と
自分に独裁的権限を持った議長の地位を要求。
自分を抜いてはナチスは存続できないという自負があったためである。
事実その翌日には党委員会は
再入党の全ての条件を受け入れて完全に屈したのだ。
就任当初の小泉首相にもあらゆる可能性があった。
彼も党を黙らせられる人気があったためだ。
石原都知事からチャンスを奪った反発から、
俺はその人気には懐疑的であったが、
当時の事はよく憶えている。
国民はみな熱に浮かされたように彼を支持していたよ。
だが小泉首相には自分を賭けることはできなかったな。
ヒトラーのように自分の人生を賭けれる人物は稀だ。
だが冒頭
>>5,9で紹介したように
石原都知事なら自分の信念の為に人生を賭けれる人物だと信じている。
都議会で緊急の際には超法規的に振る舞うと公言し、
声を荒げ
「私は首をかけてやるんだよ!命がけでやるんだよ!
命がけで憲法破るんだよ!当たり前の事じゃないか!
誰がつくった憲法なんですか」
と、いった言葉は忘れられないからな。
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < たまには、ニュースを。
ミ__ノ \_______
【ロンドン2日共同】2日付の英紙ガーディアンは、
ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーの最期を知るドイツ人元看護婦(93)が
同紙とのインタビューに応じ
「(自殺前日)ヒトラーは(ベルリンの)地下壕(ごう)の医療班全員と握手し、
ねぎらいの言葉を掛けた。それが(彼を見た)最後だった」
などと当時の様子を証言したと報じた。
同紙は、元看護婦は当時地下壕にいて現在も存命する2人のうちの1人で、
メディアでの証言は初めてとしている。
元看護婦は総統官邸で勤務し、ヒトラーのことを
「いつも親切で魅力的だった」と話した。
戦局の悪化とともに白髪が増え、年齢以上に年老いたように見えたという。
1945年4月30日にヒトラーが愛人のエバ・ブラウンとともに
自殺した日のことを「突然、多くの医師が地下壕に現れ、
ヒトラーの死を知った。官邸の庭で火葬された」と証言している。
ヒトラーと自殺前日に握手 地下壕にいた看護婦証言
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=GIF&PG=STORY&NGID=home&NWID=2005050201001019
不覚、前スレから見直しても、
わが闘争の「演説の重要性」の
大事な部分を書いてなかった。
忘れないうちに書いとかないとなぁ。
今まで人前で話す機会は何度もあったが、
俺は上手く話せただろうか?
俺が臆することなく話せたとしたら、
それは、ヒトラーの演説に学んだ成果である。
緊張によって言葉につまるなら自分が緊張を演出してると思えばいい。
自分の話に注目させるためにわざと緊張を高めていると思えば、
それだけで場に支配される感覚から、場を支配する感覚にかわるのだ。
暗示の力は強い!
自分の姿や声を研究するのもいいな。
多くの写真が、その種のヒトラーの努力の痕跡を残している。
「正確な自己認識が気概を生む」とは、石原慎太郎氏の言葉である。
今の我々はビデオに自分の姿をうつす事によって、
比較的容易に、それを認識できる。
スピーチの抜群に上手い者を真似るのもいい。
石原都知事の会見は、最高の教材になるだろう。
どこの学校よりも学べる偉大な学習である。
『わが闘争』
時流に抗して
当時、群衆はヴェルサイユ条約が恥辱であり、屈辱であるということを、
実際この強制的命令がわが民族からの前代未聞の略奪を意味している
ということするも、聞こうとしなかったし、理解しようともしなかったのだ。
大衆がこの平和をすべて民主主義の成果だと依然として見ていた当時、
我々はこれに対して抵抗し、人々の脳裏に永遠にこの条約に敵対するものとして、
銘記されねばならなかった。その後この見せかけだけの金ピカ物の苦い現実が、
あらわな憎しみをありのままにあらわしてきた時、
我々の当時の態度が思い出されたことが、彼らの信頼を獲得することになったのだ。
すでにこの頃から私は、重要な原理的問題において、
全体の世論が誤った態度をとっている場合には、人気だとか、憎悪だとか、
あるいは闘争だとかを顧慮しないで、いつでも世論に抵抗する態度をとっていた。
国家社会主義ドイツ労働者党は世論の捕吏であってはならず、
世論の命令者にならねばならなかった。
国家社会主義ドイツ労働者党は、大衆のしもべではなく、主人になるべきなのだ!
>>326について
土井たか子を顔にマドンナブームと称して社会党が大躍進した事があったな。
石原都知事誕生までは、日本の首相にしたい政治家bPは2位に大きく差をつけて
ずっと田中真紀子だったな。
国民世論など大きく誤る方がむしろ多い。
田中角栄の時代、世間がパンダブームと日中友好ブームにわいていた中、
日中航空協定に徹底的に反対した青嵐会の石原慎太郎氏は
中国の宿敵として人々の記憶に銘記された。
これが今の信頼に繋がっている。
彼は公僕などではない、国民の主人だ。
『わが闘争』
時流に抗して
勿論、特にまだ弱々しい運動にとっては、ある優勢な反対者が、彼の誘惑技術によって
民衆を狂気のような決断や、あるいは誤った態度をとらせることに成功した瞬間に、
自分もそれと協議したり、一緒に叫んだり、ついにはこの若い運動自体の視点からみて、
見せかけのものではあるが、若干の根拠があると思える場合は更に大きな誘惑があるものだ。
その際、人間の卑怯さは、たいていいつも「自己の視点」からそういう犯罪に
仲間入りしようとする事を正当らしくみせかける何物かを発見する根拠を
なお熱心に探すのである。
この潮流に押し流されないためには、このうえもないエネルギーが必要であった。
だが性格の弱いものにとっては、簡単に帆を風にまかせ、
世論の叫びに降伏するということは、誘惑的なことだった。
そしてその降伏が問題なのだ!
人間は、内心に虚偽と劣悪さとをもっているから、おそらく自分自身に対してすら
なんといっても降伏だとは認めないかもしれないが、
しかし、彼らをさそって協力させたのは、民衆世論に対する臆病と不安だけだった。
ということの真実さは変わりない。
他のいかなる理由付けも全て罪の意識のある小罪人のあわれむべき逃口上なのだ。
それゆえ、運動がこの方向に向かって破滅することを防ぐために、
鉄拳をもってこの運動を急転回させることが必要であった。
こういう転換をやろうとする事は、勿論すぐには俗受けしないし、
実際それを敢行する勇気のあるものは、往々に生命の危険にさらされるのである。
だが、こういう時に行動を起こして石で打ち殺され、
その後、後世の人々がひざまずいて感謝する原因となっている人物は歴史上少なくないのである。
だが運動が期するところはそこにあるのであり、現代の瞬間的賛成ではないのである。
こういう時には個人としては不安な気持ちになるのも、もっともであるが、
だが、一度この時をすぎれば救済がくること、そして世界を革新しようとする運動は
瞬間にではなく、未来に奉仕するものである、ということを決して忘れてはならないのである。
歴史上、最も偉大な、最も持続的な成果というものは、
たいていは、それが一般的世論やその認識、更にはその意志に最も鋭く対立するものであるから、
そのはじめの頃はまったく理解されないのが普通である、
ということをその際人々は確認することができる。
>>328について
小泉首相の靖国神社への前倒し参拝、そして今日の中国やオランダへの謝罪。
それらは全てあの性格の弱い男が世論の叫びに簡単に帆をまかせた結果だ。
いかなる理由付けも、その臆病と不安を隠す逃口上にすぎない。
そして今、小泉をかばっている者こそ、彼の帆にたえず風をおくり続けている存在だ。
しかし、遺憾ながら彼らにはその自覚すらない。
あわれむべき、小罪人よ。
演説の重要性
演説者は、大衆が自分の評論をどの程度理解してついてくることができるか、
また自分の言葉の印象や効果が所期の目的を果たしているかどうかを、
たえず聴衆の顔付から計り知ることができるかぎりにおいて、
彼は自分が語っている大衆からたえず自分の講演を修正してもらえるのに、
文筆家は読者一般を知ることができない。
だから文筆家は、はじめから自分の目前にいる一定の大衆を目標とする事ができず、
まったく一般的に論述するのである。
だがそのためにある程度まで彼は、心理的な鋭敏さと、後にはしなやかさを失うのである。
それだから一般に立派な演説かは、立派な文筆家が演説する以上に
いつももっと上手く書くことができるであろう。
演説家は書物と同じテーマをかまわずに扱うことができる。
けれども、彼が偉大な天才的な民族の演説家であるならば、
同じ主題や同じ題材を二度と同じ形式で繰り返さないであろう。
その時々の聴衆の心に語るために必要な言葉が、その場で感情に合して
ちょうど流れ出すように、常に大衆によって動いていくに違いない。
けれども、彼が少しでも間違っているならば、
いつでも彼の目前には生き生きした訂正があるのだ。
すでに上述したように、演説家は聴衆の表情によって、
彼らが第一に自分が言ったことを理解したかどうか、
第二に彼らが全体についてくることができるかどうか、
そして第三にどの程度まで提議したものの正しさについて確信したか、
ということを読み取ることができるのである。
第一に、彼は聴衆が自分の言ったことを理解しないと見たならば、
彼は最も劣等なものでさえも理解できるに違いないぐらいに、
その説明を単純に平易にするだろう。
第二に、殻は聴衆が自分についてくることができないと感じたならば、
みんなの中で最も頭の弱いものすら取り残されない程度に、
自分の思想を注意深く徐々に組み立てる。
そして第三に、聴衆が自分の提議したものの正しさを納得してないように思えるかぎり、
これを度々常に新しい例を繰り返し、また口に出さないまでも感じ取れる聴衆の異論は、
自分から持ち出して、遂には最後まで反対するグループさえも、
彼らの態度や表情によって、自分の論証の前に降伏したと認められるまで、
反駁し粉砕するであろう。
その際、人間というものは知性に根拠を持たず、たいていは無意識に、
ただ感情によってのみ支えられた先入観にとらえられている事がまれでない。
こういう本能的な嫌悪、感情的な憎悪、先入的な拒否というような柵を克服することは、
欠点のある、あるいは誤った学問的な意見を正しく直すことよりも千倍も困難である。
誤った概念やよからぬ知識というものは、啓蒙することによって除去する事ができる。
だが感情からする反抗は断じてそれができない。
ただ神秘的な力に訴えることだけが、ここでは効果があるのである。
そしてそういうことは常に文筆家にはできず、ほとんどただ演説家だけがなしうるのである。
以前は恐る恐る書いてたが、
もう馴れたな。
果たして、ここはヒトラースレなのか・・・
それとも都知事スレの延長なのか・・・
まぁ、それはどうでもいいや。
前スレ同様、理解できる者には理解できるだろうし。
扇動の才覚の一欠けらも存在しない人間には、
永久に経っても理解できないだろう。
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│ しばらくしぃちゃんでお待ちください. |
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『わが闘争』演説の効力の心理的条件
人間の意志力は、自分と異なった意図や異なった意見を強制しようとする試みに対しては、
このうえないエネルギーで抵抗するように思える。
これに対して晩には、それらはより強い意志の支配力に、もっと容易に屈服するのである。
というのはこういう集会はすべて、確かに二種類の対立する力の格闘であるからだ。
支配的な、使徒のような性質をもつものの優れた演説技術は、
すでに最も自然にその抵抗力を弱められている人々を、
精神的にも意志的にも緊張力を完全にもっているものよりも、
もっとたやすく新しい意図に獲得することができるであろう。
カトリック教会の、実際に人工的に作られたのではあるが神秘的な夢幻状態、
燃えるローソク、香煙、香炉なども同じ目的に役立つのである。
様々な演出を姑息だと思い論で勝負すべきだ、などと考える者は人間に対する理解が欠如している。
ヒトラーの言葉通り、大衆は感情に支配されるのであり、特に女はそれが全てだ。
「あの人は嫌い」という女に理由を聞けば「直感」と何度答えられたか。
ヒトラーはテーブルトークで
「集会ではいつも私は準備なしで話をした。その代わり、
党のメンバーを何人か聴衆の中に紛れ込ませ、
あらかじめ打ち合わせたセリフのところで発言するようにした。
大衆が自分の意見を自発的に述べるという印象を与えて、
私の演説の効果をいっそう高めるためである。」
と、あけすけに語っているが、サクラを使い一体感を演出しようと、
そんな事は決して罪でも卑怯でもない。
何故なら大衆自身が論理的なものには重点を置かず、
感覚的な力にこそ、その重心を傾けているからである。
例えば俺がどんなに書き散らした所で、人に与える影響の点で、
極東のコテのイピョウさんの創ったFLASHには決して勝てないであろう。
文章より映像と音が人の感覚に与える影響の方が大きいからである。
だがFLASHとて直接聞く石原慎太郎氏の演説に敵うはずもない。
そこには更に空間的な迫力があるからだ。
小林よしのり氏の漫画、特に『戦争論』は論理的に正しいから若者に影響を与えたのではなく、
感覚的に読者を感動させた事によって与えた影響だ。
ヒトラーともなれば偉大な扇動演説家であると同時に偉大な扇動演出家でもあった。
感覚的な力の最高の状態、忘我の状態に大衆を熱狂させ、
抵抗力をすべて取り去った後、自分の意志を強制した。
人を説得する事を目的に、仲良くなったり、プレゼントしたり、
恩を売ったり、駆け引きしたり、示し合わせた第三者を介入させたり、これらは全て演出だ。
こうした演出なくして、論理的のみで人を説得する事は難しいだろう。
人は感情的な嫌悪でもって物事を判断するのだから、
演出によって彼らを感情的に感動させ、あるいは熱狂させ、
それを打ち消すのは決して罪ではないのだ。
おおっっカゼラ師匠も買ったんだ。漏れも買ったんだけど…
…ドイツ語わかんないw
カゼちんの訳を期待しよー(@_@)
けどヒトラーの声を聞く限りスゴイとは思わなかったな。
たぶん言葉の言い回しが社会情勢に符合してドイツ人の心に染み渡る
上手な表現だったんだろうね
声を聞く限りでは、少しだけ出てきたゲッペルスの方が威厳があった
>>338 (;¬¬)・・・知るかーw
俺がドイツ語分かるなら、もっと早くに買ってたぞ(,,゚Д゚)ゴラァ!
とりあえず、分かるとこだけ教えとこう。
シュトライヒャーの演説
「民族の純血を守らない人種は滅びるのだ」
ヘスの演説
「わが総統、貴下はドイツ国家です。貴下の行動はドイツの行動であり、貴下の一挙一動に国民は従います。
かつては貴下の行手に勝利があり、今は貴下の行手に平和がある。アドルフ・ヒトラー、ジークハイル!」
ルッツェ、突撃隊に向けての演説
「総統閣下、昔我々が忠実に義務を果たしたように、将来もまた貴下の命令に従います。
我々同志の任務はただ一つ全て閣下の命令に服し、昔と変わらず忠誠であることです。わが総統ヒトラー万歳」
ヒトラー、突撃隊に向けての演説
「同志諸君!ドイツの為に団結しよう。ここに新しい隊旗を授ける。今こそ隊旗は最も相応しい者に渡された」
シーラッハのあと、ヒトラー、ユーゲントに向けての演説
「新しい人間が必要だ。誰にも負けてはならぬ、堕落する世界にもだ。
若いドイツを背負っていく諸君は皮よりも鋼鉄よりも強くなければならぬ」
「ドイツはわれらの前に、ドイツはわれらの後に、そしてドイツはわれらの内にある」
ヒトラー、夜の高みからの演説
「国家が我々を創ったのではない、我々が国家を創ったのである。我々の運動は脈々として巌のごとく永遠に不変である。
我々の同志の一人でも生き残る限り、我々が過去に行なってきたと同様、我々の運動に全力を傾けるであろう。
太鼓の音は太鼓の音を呼び、旗には旗が続き、集団は集団を呼び、州から州へ
そして遂には昔分裂していた国民が統一ある強大な国家を形作る」
「敵がどれほど多人数を集めようと、敵がいかなる苦痛を強いようとも
われらに命令はできぬ、できるのはわれらを創り給うた神のみだ」
最後のヒトラーの演説
「最初、わが党がわずか7名で発足して以来、これが理想的な党であることを確信し、
決して妥協はせず、また武力にも屈しなかった」
「私は全身全霊を没頭させる」
「この国家、この帝国は何千年にもわたり存続する。喜ばしく思おう、未来はあますところなく我々の手中にあるのだから」
世論調査で靖国に参拝するべきでない
とする回答が上回った。
ここで『わが闘争』の一文を紹介しておこう。
「宣伝の心理」
大衆は外交官から成り立っているのではなく、また国際法学者のみから
成り立っているのでもなく、まったく純粋に理性的判断からでもなく、動揺して
疑惑や不安に傾きがちな人類の子供から成り立っている。
一度、自国の宣伝によって敵側の一抹の権利さえも認められるようになると、
すでに自己の権利に疑惑をもたらす根拠をおいたことになる。
大衆は相手の不正がどこで終わり、自分の不正がどこから始まっているか、その時
判断する立場にはいない。そういう場合に彼らは不安になり、邪推したりする。
反日暴動に少しの根拠でも認めようものなら、
すぐに世論というものは変わるのだ。
日本の場合、総理大臣が敵の正当性を謝罪によって認めたのだからな。
日本人が自分達を疑うこれ以上の材料はなかっただろう。
ヴェルサイユ条約も最初評価されていた。
平和をもたらした条約だと。
だが賠償の苦い現実が実際に生活に降りかかってきた時、
国民はその過ちに気付いたのだ。
小泉の謝罪を評価する声は多い、
だが実際に過去の日本の正当性を研究し発表しようという時、
その謝罪の重荷が降りかかってくるだろう。
その時気付く、全体の世論が誤った態度をとっている場合には、
人気だとか、憎悪だとか、あるいは闘争だとかを顧慮する必要はないと。
小泉の謝罪を最も痛烈に批判した政治家は西村眞悟氏である。
胡錦濤に何故謝罪と補償を求めない、と批判した政治家は石原慎太郎氏である。
このことを覚えておこう。
>>330で
「一般に立派な演説家は、立派な文筆家が演説する以上に
いつももっと上手く書くことができるであろう」
の言葉通り、
一流の扇動演説家でる石原都知事は書いてもたいそう上手い。
小説のことではなく、産経に掲載する『日本よ』など、
まさに聴衆を意識した演説のように面白い。
話の冴えない国会議員の書いた本は、
やはり読んでもつまらなかったな。
「一流の扇動演説家である」だな。
タイプミスが多いなぁ。
まぁ、最初っからだけどw
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『わが闘争』から
国家の高揚に大衆の心を引きつける為には、どんな社会的犠牲も大きすぎるということはない。
大衆の心は決して中途半端や、いわゆる客観的立場での弱々しい強調ぐらいでは
反応するものではなく、とにかく追求しようと思った目標に向かって容赦のない態度、
熱狂的に一方的な態度をとることによって可能となるものである。
毒は反対の毒によってだけ破壊されるのであり、無気力なブルジョア的情緒だけが、
中間の道を天国に通じる道と考えるに過ぎない。
民族大衆は大学教授からも、そして外交官からも成り立っているのではない。
彼らが少ししか抽象的な知識を持っていないことは彼らの気持ちを
感情の世界により多く住むようにさせる。
彼らの肯定的であるか、そうでなければ否定的である態度は、その点に基づくのである。
彼らはこの二つの方向中一方の活動だけを感じるのであり、
この両者の中間を浮動している中途半端には決して感受性をもたない。
だが、彼らの感情的態度は、同時に彼らをはなはだしく堅固にする。
信念は知識よりも動揺させることが難しく、愛情は尊敬よりも変化を被ることが少なく、
怨恨は嫌悪よりも永続的である。この地上でもっとも巨大な革命の原動力は、
どんな時代でも、大衆を支配している科学的認識にあるというよりは、
むしろ彼らを鼓舞している熱狂、また往々彼らを駆り立てるヒステリーの中にあった。
大衆を獲得しようと欲するものは、彼らの心の扉を開く鍵を知らなければならない。
その鍵は客観性でもなければ、したがって優柔不断でもなく、意志と力である。
民衆の心を獲得することは、自分の目標に対して積極的な闘争を指導してゆくことと並んで、
この目標の敵対者を絶滅させる場合にのみ成功できる。
民衆はどんな時代でも、敵に対する容赦のない攻撃を加えることの中に自分の正義の証明を見出し、
逆に他者の絶滅を断念することは、例えそれを自分が正しくないことの証明と感じはしないにしても、
自分の正義についての不確実さと感じとる。
大衆は本能の塊に過ぎず、彼らの感情は、敵同士であることを望んでいると主張している人々の間の
お互いの握手を理解しはしない。彼らが望んでいることは、より強力な者の勝利と
より弱い者の絶滅、あるいは弱い者の無条件の隷属である。
最近は極東住人との意志の乖離を
ひしひしと感じる。
こんなにも中国に対して
弱気な人達の集まりだったとは・・・。
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
東亜+に強硬派が増えてハン・極東は三馬鹿ヲチ板に近いのではないだろうか
東亜のカキコで「ハン板はヲチャ気取りで当てにならん」とか言われてたらしいしな
ウヨの集結場所も変わったもんだw
ただ東亜の方で厨凶が戦後成立したっつのを知らん椰子がいたらしい、漏れが見た範囲じゃニュー即に近い>東亜
東亜の意見に慣れちまったらこっちの意見は弱気に見えるだろうなぁ、相対的に(ニガワラ
>>350 究極の右翼隔離板じゃない極東なんて、極東じゃねー!
北京オリンピックの成功によって中国に与えられる国際的信用は、
そのまま台湾併合に繋がる。
おそらく台湾人の中にも中国の甘言に騙される者が大勢でてくるだろう。
「中国はそんなに悪い国じゃなかった」と。
>>349の書き込みは
「今後も反日デモが続き、当局が日本に対して謝罪もせず在外邦人の安全確保を怠るなら、
モスクワ五輪の時と同様、三年後に迫った北京五輪のボイコットを考えたらいい。
昨年、中国で開催されたサッカーアジア杯でも日本代表チームやファンに対する
嫌がらせが行なわれ、国旗・日の丸が焼かれたりしました。
今の中国が五輪のような世界中が参加する国際行事を安全かつ円滑に運営できるとは
とても思えない。事実、米国やヨーロッパの国々の新聞の論調なども
中国に対して厳しいものが多い。日本としては五輪ボイコットの表明と合せて、
あの国では言論の自由が認められず共産党以外の連帯組織を認めない、
国民一人一人の自由がいかに奪われた国であるかを積極的に国際世論に訴えたらいい。
必ず同調する国は出てくるでしょう。
そうすれば、五輪に国家の威信をかけている中国にとってかなりの痛手になる。」
と、主張した石原慎太郎氏に対して歓迎するどころか、
明らかに怯えを見せた極東住人に対してのものだ。
日本が孤立化することを恐れているのか?
世界を牽引することを恐れるのは臆病者だ。
それでは台湾人の流す血の中で日本人も溺れ死ぬ。
選手達には涙を飲んでもらおう、
涙を飲む方が台湾人の血を飲むよりはましである。
君達の欲している金メダルは
中国人が殺した人間の金歯から作られたものだと諭せば、
そんなものを欲しがるより、むしろ参加しないほうが名誉であると、
選手達も分かるだろう。
専門的に学べば、それだけ専門的に話したくなるものだが、
そこには、聴衆は元の位置からまったく動いてないという
現実への配慮が欠けている。
聴衆を意識して話す時は、あくまで分かりやすく単純にだ。
この場合難しい言葉を駆使する方が馬鹿なのだ。
少し前の石破防衛庁長官はミサイルの説明で
胸のボールペンを取り出し、誰にでも分かるように説明していた。
石原都知事の話が分かりやすいのは今更言うまでもない。
書き込みについても同じで、
このスレは見るものを意識してないから別にいいがw
最近は都知事スレも長々と文章を書くようになってるから
気をつけないといけない。
長々と書く者の方が利口と思うのは誤解である。
大切なのは単純化と、いかに文章を短くまとめるかだ。
都知事の定例会見を見れば分かる。
毎日新聞の外人記者がたどたどしい日本語で
アメリカへの疑問を並べ立て、今アメリカにNOという必要はないでしょうか?
と質問したら「ないね、はい次」この一言で終わらせたからな。
万景峰号についても、もし東京にきたらと質問され
「俺なら蹴り出すね」と一言。
短い表現で最大の効果を発揮する人もいるわけだ。
>>352 日本が北京五輪を潰して泥をかぶるより、中共の焦りを誘って自爆させるべきという
計算が先にあるからスルーしてたんじゃないっすかね?
>>351 東亜作ったまろゆきに文句言ってくれw
狐様だかroot★かに「極東あるのになんで東亜作るんだ」って聞いたけどヌルーだったけどなw
>>354-355 たれさんも雑談に似たようなことを書いてたが、それは2chのネタに走りすぎです。
かの2チャンネラーの感覚は、ほっとけば中国も韓国も北朝鮮も全部自爆して
最後には日本だけが残ると言わんばかりだが、現実はそれほど甘くない。
消極的外交の愚は前スレに書いた。
「積極的対外政策の必要性」
現在のわが金持ち政治家たちは抜け目なく賢明でいらっしゃる。歴史を知らないために
政治判断が狂っているのだ。わが国民にとってまさに呪いとなっていることわざも
少なくない。例えば「果報は寝て待て」「渡る世間に鬼はない」「漁夫の利」などだ。
少なくとも国家の生命について言えば、最後のことわざはごく現実的な意味でのみ
当てはまる。具体的に言えば、一つの国家の中で二者が希望のない争いをすれば、
その国家の外にいる第三者が勝利するということだ。
しかし国家どうしが争っている場合には、究極の成功を得るのは、意図的にその紛争に
関わった国である。理由は、国家の強さを増大させる可能性は紛争にのみあるからである。
世界の歴史的事件を見れば、すべて二つの視点から判断することができる。
即ち、常に中立者の立場と干渉者の立場が対立するのである。そして一般に、
常に中立者が貧乏くじを引き、干渉者が利益をあげる。もちろん、勝つと踏んだ方が
負けなければ、である。
国家の生命においては以下の事が言える。この地球で二つの強国が争えば、周囲にある
大小さまざまな国は、その闘争に参加しさえすればよいのである。しかし、中立を
守れば、どちらが勝っても残った戦勝国からの敵意を受ける運命となる。
現在まで、この地球上で中立を政治行動の原理とした国が隆盛したことはない。
偉大な国となるのは常に闘争によってである。
この世界は単純にできているが、
それは臆病者を滅ぼし、
勇者を祝福するという点で単純なのさ。
>>356 少し言葉が足りなかった 中共政府の自壊ではなく北京五輪が中止になる程度の
事件の勃発を期待してたわけだ でもやっぱあそこの弾圧はスゴイわw
>>358 良くも悪くも鉄の拳で13億をまとめてる国だからな。
自分達が煽った国民でも方針転換で「回れ右」、
そう簡単にはいかんよ。
日本も成すべき行動を欲しなければいけない。
>>356 あんなのネタじゃなきゃ書かんってw
希望的観測なんて外交じゃやっちゃイケナイど基本だしw
政府は十四日、愛知万博開催期間限定で実施している
韓国人観光客の査証(ビザ)免除措置を万博終了後も継続、
恒久化する方針を固めた。六月に韓国で行われる日韓首脳会談で、
小泉純一郎首相が盧武鉉大統領に表明する。観光振興に加え、
韓国が強く求める観光ビザの恒久免除を実現し、
領土問題や歴史認識などで冷え込む両国関係の修復を図る狙いもある。
今後、韓国人スリ組織の入国阻止など治安をどう確保するかが課題となる。
観光ビザをめぐっては、韓国が日本人向けは免除しているのに対し、
日本側の免除は韓国人修学旅行者に限っている。
このため、韓国には「不平等で相互主義の原則に反している」との不満が強かった。
日本側は万博期間中の実績で判断する方針だったが、
「日韓関係早期修復のテコにしたい」(政府筋)という首相の判断で恒久免除を前倒しする。
韓国人観光ビザ、免除恒久化へ 関係修復狙い/治安対策カギ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050515-00000003-san-pol ヒトラーが国民にとっていかに魅力的な指導者だったかが良く分かる。
こいつらを排斥してくれる政治家なら喜んで支持するさ。
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < むー、書くことないなー。
ミ__ノ \_______
何か本読まないと思いつかん・・・
とりあえずヒトラーの真理をついた扇動でも。
経済の切迫から移民を進める政府に対して
「政府は仕事がほしければ外国へ行けと言うが、
それほど外国にいい仕事があるというなら、
まず国内にいる外国人がそこへ行けばいいではないか。
彼らさえもこちらに来るのでは、
どういう仕事がまっているか想像がつくというものだ。」
平和主義者に対して
「羊が軍備をもたないという理由で
狼が平和主義者になった事があっただろうか。
ガチョウが平和的中立を憲法に明記したからといって
狐に喰われずにすむということがあっただろうか。
しかし、それを本気で信じている哀れな羊がいるのだ。」
>>361のニュースについては、
昔、都知事の発言に対して在日が
●妄言撤回と謝罪を
日本の皆さん!
日本の植民地支配によって、
日本に居住を余儀なくされた私たち在日韓国人は、
友好的な日韓関係を望んでいます。
両国と両国国民の関係を損なうこの度の妄言に対し、
石原都知事が自ら進んで撤回するとともに、
社会的責任として内外の韓国国民に謝罪することを強く求めるものです。
皆さんのご理解をよろしくお願いします。
ってビラを配ってるのを見た。
小泉が日韓関係を修復したいと言うなら
まずこの日本に居住を余儀なくされたと主張する人達を
祖国に帰してやるのが先ではないか!
売国よりは、排他主義の方が100倍も好ましい。
♪
∧,,∧
ミ ゚Д゚彡⊃
♪ ヽ⊂ ミ ♪
,.,,,,.,,,, ⊂,,, ミ ,.,,,,.,,,,
ミ・д・ミ し″ ミ・д・ミ
"''''''" "''''''"
/ ホッシュホッシュ!! \
『わが闘争』
「一人の敵への集中」
人々が一般に成果を戦い取ろうとするならば、純粋に心理的考慮からも、
決して大衆に二つまたはそれ以上の敵を示してはならない。
そうでなければ、闘争力を完全に分裂に導くからだ。
概してどんな時代でも、本当に偉大な民族の指導者の技術というものは、
第一に民衆の注意を分裂させず、むしろいつもある唯一の敵に集中する事にある。
民衆の闘志の傾注が集中的であればあるほど、ますます運動の磁石的吸引力は
大きくなり、打撃の重さも大きくなるのである。
いろいろの敵を認識することは、弱い不安定な性格のものにとっては、
自己の正当を簡単に疑わせるきっかけをつくりやすいから、別々にいる敵でさえも
ただ一の範疇に属していると思わせることが、偉大な指導者の
独創力に属しているのである。動揺している大衆は、自分が大勢の敵と争っているのを
見ると、すぐに客観的な態度をとり、実際に他のすべてのもの達が間違っていて、
ただ自己の民族や自己の運動だけが正しい状態にあるのかどうかと、
疑いを投げかけるものである。
しかしそれと同時に、はやくもまず自己の力が衰えてくる。だから内的には
異なっている敵をいつも一つにまとめてやらねばならない。
そうして自分の支持者たる大衆の目には、ただ一つの敵に対してだけ闘争が
なされているのだというように、まとめねばならない。
これが自己の正義に対する信頼を強め、正義を攻撃するものに対する
憤激を高めるのである。
今日、万景峰号を入港させた北朝鮮。
反日暴動の中国。
竹島占領の韓国。
これらの敵を複数と認識するのは心理的な誤りだ。
我々の敵は一つ。
それは、中国人・朝鮮人・華僑ら、中華主義民族だけである。
この一つの敵を滅ぼすことに集中すれば、
意志が分散されることはない。
安倍ちゃんへの期待が高まっている。
だが、扇動者としての石原慎太郎都知事は、
安倍晋三よりも偉大だ。
西村眞悟よりも偉大だ。
安倍晋三は朝日新聞の「NHKに圧力をかけた」というでっち上げに対し、
朝日を潰しにかかることができなかった。
西村眞悟はプレイボーイ誌上での「核武装議論」についての発言で
世論を味方にすることができなかった。
「三国人発言」の時、俺はまだ首都圏にいた。
数日の間、6割が批判的で支持が4割だったものを
会見での扇動一つによって8割の支持と十数%の批判に
世論を急旋回させた石原都知事の手腕を、
俺は肌で感じることができたのだ。
しかも共同通信からは詫び状をとり、完全に圧勝だ。
石原氏が都知事のままで終わるなら残念で仕方ない。
ナチスの記録映像を見て感じるのだが、熱狂の中で死ねる人間は幸せだと思う。
自分の言葉に信仰を抱けず、
恥じらいを感じてしまうような精神は、
扇動者としては失格である。
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < これはまた、馬鹿丸出しの例えだなぁ。
ミ__ノ \_______
小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題が
20日の参院予算委員会の集中審議で取り上げられ、
野党だけでなく与党の公明党からも批判が上がった。
神崎武法代表が19日に「自己の信念だけで行動するのではなく、
大局観に立つ行動をしてもらいたい」と自粛を求めたのに続き、
首相の靖国参拝に公明党が懸念を強めていることを印象付けた。
この日の審議で同党の福本潤一氏は、A級戦犯が合祀(ごうし)されている
靖国神社への参拝について
「ヨーロッパでヒトラーの墓に参るようなものではないか」と指摘。
首相は「ヒトラーの墓参りをするのとは全く別の問題だ」と声を荒らげた。
福本氏は靖国神社参拝が、政教分離を定めた
憲法に違反するとの司法判断があることも指摘。
首相が「靖国神社だけでなく、
(外国の)無名戦士の墓や広島、長崎、沖縄でも慰霊、参拝している」
と反論する場面もあった。
靖国参拝、公明も批判 参院予算委集中審議
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=DLT&PG=STORY&NGID=poli&NWID=2005052001004393
>>262に書いた支配の摂理は、
実は物凄く重要な摂理で、
沖ノ鳥島という日本の領土を守る、
敵・味方の分かりきった問題でも
マスコミは様々な言葉を用い
国民の意志を分裂させようとする。
曰く「この時期に中国に喧嘩を煽るべきじゃない」
曰く「石原都知事の行動は大人気ない」
政治に興味を持っている人間なら、おそらく聞き飽きた言葉だろう。
マスコミは良くない時期については延々と講釈してくれるが、
良い時期については一度も教えてくれない。
大人気あるというのは、竹島に韓国人が上ってはしゃいでいるのを
大人しく見守り続け気がつけば奪われているという愚かな現状の事か?
これらマスコミのダニのような反応は『わが闘争』の中で
正確に予言されていることなのだ。
何時の時代においても、何処の国においても、
国を売る奴の姿は変わらんよ。
話の内容はヒトラーとはまったく違うが
キング牧師の演説も素晴らしい。
キング牧師の演説の中にも
ヒトラーの示した扇動の芸術を見ることができる。
言葉の繰り返しの芸術を。
マスコミとは何なのか?
沖ノ鳥島で国旗をなびかせ石碑にキスする
石原都知事の行動をパフォーマンスが過ぎると批判するが、
パフォーマンスなくして、どうして国民への啓蒙が可能だろう?
それなくして国民への注意を喚起し、
国民を目覚めさすことがどうしてできようか。
俺の石原都知事が扇動のいろはも知らない、
あんなイカサマ師や馬鹿女に評論されねばならないのか?
あんな憐れな奴らに!
マスコミついては、とことんまで軽蔑しても軽蔑しすぎということはないな。
犯罪者を始末しなければ社会のバランスが崩れる。
中間層はどちらにも転ぶ、悪にもなるし、正義にもなる。
外国人の犯罪より日本人の犯罪が多いからといって、
奴等を免責する事はできない。
ピッキングはまさに中国人が持ち込み
日本の中間層が奴等の側に転んだ結果、広まった犯罪である。
常に社会の天秤はごく一部の者がその傾きを決める。
日本の犯罪は増えた・・・何が一番変わったか?
中国人の増加!これが一番の原因だ。
中国人を間引かなければいけない。
国内においても、国外においても。
日本のバランスのために、世界のバランスのために。
我々の敵は強い、油断は破滅を招く。
『わが闘争』宣伝の心理
「オーストリアやドイツの漫画宣伝がまず第一に配慮したように、
相手を嘲笑したような例は、根本的に誤りであった。
実際に遭遇してみると、たちまち相手の人々に関して
まったく異なった信念を持たねばならなかったから、根底から誤っており、
さらに最も恐ろしい報いがくるからだった。
というのは、ドイツ兵が敵の抵抗という直接の印象にぶつかって、
いままで自分達を啓蒙してくれたものに騙されたと感じ、
そして自己の闘争欲やあるいはまた確固たる心構えを強化するのと反対のものが、
はいってきたからだ。気おくれがしたのだ。
これに反して、イギリス人やアメリカ人の戦時宣伝は心理的に正しかった。
彼らは自国民にドイツ人を野蛮人だと思わせることによって、
戦争の恐怖に対する準備をし、幻滅をおこさせないように努力していた。
いま自分に向けられたどんな恐ろしい武器も、彼らにはただ、
彼らに今まで与えられた啓蒙が正しかったことを確信した以上には感じられず、
他方、極悪な敵に対する怒りと憎悪の念を高めると同様に
啓蒙が正しかったという信念を強めたのである。」
2chにはシナ人・朝鮮人をただ笑ってさえおけば
奴らは勝手に滅びるというネタが蔓延しているが、
実際に韓国の漁船を取り締まっている保安庁に
そんな余裕はまったくないだろうな。
こんなデタラメな2chのネタでも100回も繰り返すうちに
信じる者も出てくるのだから恐ろしい。
敵をただ嘲笑し実際の野蛮さ凶暴さを
目隠しするような板になるなら極東板など必要ない。
中華主義民族はみな野蛮な殺戮者だ。
石原都知事が言うような
「中国人は人間の顔の皮を剥ぐ」
という啓蒙こそが心理的に正しい。
扇動について、
『わが闘争』からも原則的なことは学べるが、
俺が薦めるとしたら、
『ナチ・ドイツの精神構造』宮田光雄著
『ナチス・プロパガンダ絶対の宣伝』草森紳一著(1〜4)
これらは良書だと思う。
個人的には『HITLER選挙戦略』って本も好き。
ただ、自分が日本人なら
扇動の教師には石原慎太郎都知事がいる。
彼がいなくなれば、
都のホームページの会見動画も消えるのかと思うと、
勿体無くてしょうがない。
スプラトリー諸島を見れば分かるが、
領土紛争で大切なのは自国の正当性を主張する権利ではなく、
その争いに対する勝利である。
正当性などは強さの前に屈服する。
俺の信仰する神は、強者の神だ。
そしてこの神は自然をつかさどる神でもある。
その唯一の教義は「強者は常に正しい」ということであり、
その教えに裏切られたことなど一度もない。
西村眞悟議員の時事通信で、
中国・朝鮮らをひと括りに中華圏とみなす考えは正しい。
俺も中華主義民族とひと括りに書いたが、
もっと良い呼び方はないだろうか?
「ユダヤ人達」より「ユダヤ人」と単一視した方が効果的である。
敵を「ユダヤ圏」などと呼ぼうものなら一つの敵への集中力が散漫になる。
ナチスのスローガンは
「ユダヤ圏から物を買うな」ではなく、
「ユダヤ人から物を買うな」である。
「ユダヤ圏の排除」ではなく
「ユダヤ人の排除」である。
・・・・・・三国人。
素晴らしい表現ではないか。
中国・韓国・北朝鮮ら中華圏を合わせて三国人と呼べばいい。
この言葉は石原都知事が使った時より
大きな意味を持つかもしれない。
将来、偉大なスローガンになる可能性を持っている。
日本人よ、三国人から物を買うな!と。
三国人だと台湾も含まれちゃうから少し微妙
>>378 代案ないかい?
一まとめに呼ばないと。
新しい意味合いにできないもんかねぇ。
韓国が赤化統一されれば「アカに物を売るな」でオッケーなんだがなw
『煽動の研究』煽動は反復にあり
真偽はともかく、宣伝の反復によって、例えどんなに確固とした信念であっても、
その土台を侵食していって、それに代わるべき新しい観念を構築することができるだろう。
絶えず反復し、大衆の心理を把握すれば、四角が実際は丸であることを論証することは
決して不可能ではなかろう。四角や丸と言ったところで、結局それらはなんであろうか。
単なる言葉にすぎないではないか。
言葉というものは、ある観念に別の衣をまとわせてつくり変えることができるものである。
――――ゲッベルス
抽象的観念など避けて、その代わり感情に訴えなければならない。
たえず少数の決まり文句を反復し、決して客観的であってはいけない。
即ち、議論の片面だけを述べて、敵を激しく非難し、
常に特定の敵を一つだけ定めてゆかなければならない。
言語的、視覚的にたえず反復し、まずヴェルサイユ条約を締結した裏切り者、
次に共産主義者、それからユダヤ人。
――――アドルフ・ヒトラー
煽動に関してこの巨人達に並ぶものはないな。
石原慎太郎都知事が同じ話を繰り返すというが、大いに結構。
政治と無縁な番組に出ても
「水爆をつくってる中国」
「チベットで200万人殺した中国」
と繰り返し言及してくれるのだから素晴らしいじゃないか。
まぁ、「南京虐殺」については敵にこれをやられたのであるが・・・。
『ヒトラーの遺言』より
感謝の気持ちから、私はイタリアに対する批判的な判断はいつも差し控えてきた。
私はむしろその反対にイタリアをいつも対等の相手として扱うべく努力してきた。
しかし生存の法則は、本当は対等でないものを対等に扱うことが誤りであることを立証している。
前に長野県知事の田中康夫が突然外国人記者クラブで、
石原都知事を「臆病な人」だと言いだした事があった。
マスコミが面白がって二人の対立を煽ろうとしたが、
石原都知事は「ふーん、そういう事を言うって事は、
よっぽど勇気があるんだろうね」とまったく相手にしなかった。
会見でその事を質問する記者には
「こんな大事なとこで、そんなくだらねー質問するなよ、お里が知れるよ」と一蹴。
モーニング娘が都知事にインタビューしにいった時にもその質問をしたのだが、
「あのひと気持ち悪いよね」というだけで気にもかけなかった。
当選したての田中康夫は何とか自分と都知事を
ライバルのように見せようとしてたのだろう。
だが、あの田中康夫という気持ち悪い男の会見場には
宅八郎という同じく気持ち悪い男が乗り込んでじゃれあっていたので、それがお似合いだよ。
あの二人こそがライバルだ。
石原慎太郎という巨人があんな気持ち悪い男を相手にしなくて良かった。
「本当は対等でないものを対等に扱うことは誤り」という法則を守ることによって
自らの権威をいたずらに傷つけることはなくなる。
『囚人ルドルフ・ヘス』より
総統は、演説の小さな点までこだわりながらリハーサルをやるので、
それは大変な騒ぎだった。
彼は人を魅了する演説家だった。彼は聴衆の心をゆさぶり、
彼らの心を掌中に収めた。
演説でアドルフ・ヒトラーほど
聴衆に印象を与えることのできる人物はいなかった。
日本の政治家で国会で演説する時、
仲間とリハーサルをする者など皆無だろうね。
ゲッベルスの日記より
はじめてヒトラーの演説を見た時の印象
僕は始めほとんど気付かなかったが、突然誰かが向こうに立っていて話し始めていたのだ。
最初はためらいがちに、はにかんで、それはまるで思想が偉大なために、
普通の言葉の狭い枠におさまらないので、その思想にぴったりとした言葉を、
手さぐりで探し求めているみたいだった。
それから、だしぬけに言葉は響きを増した。僕は引きずり込まれた・・・。
「意志の勝利」や首相就任演説の動画を見た者なら、
ヒトラーの演説が決して叫ぶだけの演説ではないと気付くだろう。
威風堂々と演説をはじめるのではなく、驚くほど躊躇いがちに、緊張しながらはじめる。
それが人を引き付けるのだ。
まるで人前で話す事がはじめてのような男が、演説の中で天才煽動演説家に豹変し、
聴衆の熱気を引きずり、だしぬけに声を響かせ、獅子吼の興奮の中へ。
聴衆は最初の低さから、その高さまでの急上昇で忘我の状態になるのさ。
俺の知る限り石原都知事の三国人発言釈明会見は、
まさに彼の感情的な声の響きによって見るものを興奮させた。
残念ながらその会見の動画はないが、
この浜渦副知事をめぐる会見でも、その一端は垣間見ることができるだろう。
2000/10/27の定例会見
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/ASX/20001027.ASX
多くの人は哲学する事など欲しない、欲しいのは簡単な結論だ。
あらゆる問題を絶えずその核心に単純化し、
極端な図式を繰り返すことによって、明確に敵・味方を分けなければいけない。
即ち、愛か憎か、正義か悪か、忠誠か裏切りか、愛国か売国か、
小泉首相のあそこは評価できるが、ここは評価できないという
中間の言葉に人を感化させる力はない。必要なのは全肯定か全否定かである。
中国に謝罪した小泉首相を俺が極端に批判した時、一部評価するという
スレ住人と言い争いになったが、極端な図式、極端な例えを繰り返すことで
優柔不断に根拠を置く者など、その極端な図式の前に消え去ってゆくものだ。
だから、俺の尊敬する石原都知事はこう主張する。
「朝鮮総連に課税する。嫌なら日本に居なきゃいい」
「東京に万景峰号がきたら、俺なら蹴り出す」
「田中均なんて爆弾仕掛けられて当たり前だ、あんな奴は」
「シナ人は民度が低い」
「嫌いだね俺は、中国共産党政権」
「北京五輪はボイコットしたらいい」と。
「韓国人にも良い奴がいるのは認めるが」とか、
「中国人は利口だが今回の事は」とか、
「在日の多くは真面目に働いてるが一部の者が」とか、
彼らを批判するにも必ず余計な一言を付け加える者に
石原都知事の大衆における人気と成功は理解できないだろう。
こういうニュースがある。
石原慎太郎東京都知事は27日の定例会見で、
都議会自民党などが「独裁政治をしている」として辞職を求めている
浜渦武生副知事の進退を含め、特別職人事について「結論を出した」と述べた。
週明けに議会側に伝える方針。
石原知事は、都幹部が施策を説明する際、
側近の浜渦氏がいつも同席してきた実態を「考えてみればおかしな話」と指摘。
「これから恐らく新しい態勢で、わたしの考え方を披歴し、徹底するよう努力する」と語った。
福永正通、大塚俊郎両副知事と横山洋吉教育長が、
都政混乱の責任を取る形で辞職願を提出したことについては
「ある部分は連帯責任があったと思う」とし、辞職を認めるかどうかは「わたしが決めること」と話した。
側近の進退「結論出した」 都政混乱で石原知事
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=soci&NWID=2005052701004927 俺は都議会の事情に詳しい、一時期よく都議会の傍聴にいってたからな。
そこで見た浜渦武生副知事は、まさにヒトラーの傍らに常に居た
エルンスト・レームのような露骨なbQであった。
『意志の勝利』の前の作品『信念の勝利』では、
ヒトラーに次ぐ第二の実力者レームがヒトラーの側に立っていることが多かったらしいが、
彼の粛清後の『意志の勝利』ではヒトラーはもう他の部下から引き離された
単独で高みに君臨する指導者として映っている。
逮捕したレームを処刑するよう進言したのはゲーリング、ゲッベルス、ヒムラーら他の部下達である。
彼の死後は最早露骨なbQを置かず頂上にいる自分一人のずっと下に
同等程度の部下多数という構図をとった。そして、それは組織者として正しかったのだ。
都議会に浜渦副知事への嫉妬があるのは明らかだ。
レームの、ヒトラーの傍らに立てる特権的な立場に他の部下が嫉妬したように、
都議会は、都知事や都幹部が施策を説明する際
側近の浜渦氏がいつも同席してきた事にも反発を持っている。
人間の摂理は永遠に変わらんね。
おお、今回の騒動はレーム粛清だったのか
面白いね都庁は。主要な人物を紹介すると、
浜渦武生氏は石原さんが都知事になる前からの側近で、
都知事が彼を副知事に要請した人事は最初議会に蹴られているが、
わずかな期間に都知事が圧倒的な実績と人気をつくりあげ、
再度議会に要求して通った念願の副知事だった。その議会での就任演説にていきなり
「国旗日の丸の掲げられた議場で就任できる事は、まことに光栄」
と第一声を放つ力強い人であり、常に都知事の傍らにいる名実ともに都庁bQである。
大塚俊郎氏は大手銀行への外形標準課税、不正軽油撲滅をやった
当時の主税局長で、都知事が出世させ副知事となった。
サンデープロジェクトに都知事と一緒に出て国の役人に平然と食ってかかって田原すら驚かせてた。
横山洋吉教育長は日教組の集会で都の代表として出席して
「教え子を再び戦場におくるな」という時代錯誤のスローガンを掲げた彼らから
「ヒトラー」と非難されたが、その後躊躇なく国歌斉唱時の不起立教師を
根こそぎ処分した副知事達に次ぐ権力者だ。
そして都議会自民党などの都議達、靖国神社へ都知事が参拝する前に現れ、警備を確かめたり、
見物客への指示等、都知事の露払いをしていた石原都知事に対しては犬のごとく忠実な連中である。
そして、それ故浜渦副知事の都知事と常に一緒にいる特権的な立場に反感を持ち、辞職を迫っている。
今の都の幹部に無能者は一人もいない。
だが浜渦氏は議会に辞職を要請され、二人の副知事と教育長は
都政混乱の責任を取ろうと辞職願いを出している。
組織の問題は難しいね。同じ志を持っていても嫉妬が渦巻いているからな。
ヒトラーに学べば、組織の不和は世間の人々が口にするようになってから手をつけたのでは遅すぎる。
そうなる前に決断を下すべきだ。
石原都知事の決断は速かった、どういう決断を下したかは今後を見守ろう。
ナチスのスローガン
諸君の祖国はドイツと呼ばれる!何よりも祖国を愛せよ!言葉より行動を!
ドイツの敵は諸君の敵である。心の底から敵を憎め!
ドイツを罵倒する者は諸君を罵倒する者だ。彼に鉄拳を見舞え!
ドイツ人は常に外国人とユダヤ人に優る!
確かにユダヤ人も人間だが、それを言うなら蚤も動物だ!
未来を信ぜよ!それでこそ諸君は勝利者になれる!
我々はドイツの名誉回復を要求する。名誉なくして生きる権利はない。
デモ禁止を黙殺せよ、しかし死ぬな!
スローガンは宣伝には欠かせぬ要素だ。
そして、あらかじめ流布されたスローガンを演説で口にする事によって、
より大きい効果を与える。
南京虐殺については判を押したように数の問題じゃないという奴がいる。
そういう連中に対しては
「南京虐殺が数の問題でないなら、ゼロ人でまったく問題ない」と言えばいい。
そしてヒトラーから一番学ぶべきは人種絶滅の技術だな。
宣伝・煽動・スローガンによって、
国民の憎悪を他民族を滅ぼさんまでにどうやって高めていったか。
無論、日本の場合はそれをシナ・朝鮮人に向けるべきである。
ヒトラーは誰もが思い当たる身近な疑問から始める。
『わが闘争』より
ある時、私が町を歩き回っていると、突然長いカフタンを着た、
黒いちぢれ毛の人間に出くわした。最初の疑問はこうだ
「これがユダヤ人なのか?」
だがこの見知らぬ顔を長く見つめれば見つめるほど、
その特色を調べれば調べるほど、
私の最初の疑問は次のように変わっていった。
即ち「これでもドイツ人なのか」と。
俺の身近な疑問はこれだな。
「なぜ日本のテレビなのに
シナ人教授、在日評論家、韓国人タレントで溢れているのか?」
不愉快な発言をする評論家に紹介のテロップがでる、
やはり在日だった。
発音の汚い日本語を喚き散す男・・・やはりシナ人教授だ。
かつて日本人は虫下しで腹の中の回虫は克服したが、
もっと恐ろしい寄生虫、在日・シナ・朝鮮人に蝕まれている。
歓迎されてもいないのに彼らはいたるところに居る。
注意深く観察してほしい、テレビの中で在日・シナ・朝鮮人を見ない日は無い。
中共、韓国のテレビ局に日本人教授が出席する事はなく
我々だけが一方的に国内放送で彼らの雑音を聞かされ続ける。
我々だけが日本の主張とシナ・朝鮮人の主張で半分に割られた
得体の知れないものを掴まされている。
一瞬背筋の凍る思いであるが、同時に激しい怒りを覚える。
我々は日本と無縁な外国人ではない。
我々が欲しいのは日本の立場に立った主張だけである。
日本のテレビの中での在日の多さには
素朴な疑問を持ってる人も多いんじゃないかな。
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < 長いナイフの夜だ!
ミ__ノ \_______
東京都の石原慎太郎知事の「懐刀」といわれる浜渦武生副知事が、
都庁の人事や政策を独占しているとして、都議会が批判を強めている問題で、
石原知事は浜渦副知事を含む6人の特別職が総辞職することで、事態の収拾をはかることを決めた。
石原知事は30日午後にも、都内のホテルで都議会の自民、公明の代表者らと会い、了承を求める。
辞職するのは、浜渦副知事のほか、福永正通、大塚俊郎、竹花豊の3副知事と、
横山洋吉教育長、桜井巌出納長。
浜渦副知事は3月の都議会で、都の関連団体が運営する福祉専門校を巡り、
民主党幹部に「ヤラセ質問」を依頼したとの疑惑が持ち上がり、都議会は百条委を設置。
浜渦副知事は証人尋問で疑惑を否定し、今月12日、百条委はこれを「偽証」と認定した。
この背景には、「石原知事の威光を借りて都政を牛耳る」(自民幹部)とされる
浜渦副知事への議会側の反発があり、
石原知事も会見で、「私の管理責任」と側近政治の弊害を認めていた。
知事周辺によると、総辞職は、浜渦副知事の事実上の更迭と、
施策のほぼ全案件を審査するなど浜渦副知事に
「過大」な権限を許した他の副知事らの責任を問う措置。
警察庁から出向中の竹花副知事については、8月に同庁に戻ることが決まっており、
他の副知事に遅れて7月末に辞職することも検討されている。
浜渦・都副知事ら、特別職6人辞職へ
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050530it04.htm
都議会は即ち、ドイツ国防軍である。
今回は彼らを取るか側近の浜渦氏を取るかの瀬戸際だった。
世間はほとんど気付かないだろうが、大切な分水嶺だった。
レーム粛清の再現だ!
石原都知事は親友であり、何十年間の側近でもある都庁bQの浜渦副知事を更迭する!
この決断によって議会は都知事の手腕に忠誠を誓うだろう。
石原慎太郎は安倍晋三よりも偉大だ!西村眞悟よりも偉大だ!
田中真紀子すら切れなかった小泉と比較してみよ!
田中真紀子をその継続が不可能だと世間の誰もが口にするようになってからようやく切ったのに比べ、
石原慎太郎は世間がまだその対立の深刻さに気付かないうちに決断を下した、この速さで。
石原慎太郎にはこれができるのだ、情に流されることのない冷酷な決断が!
>>387に書いたように、これこそが組織者として最も正しい選択であった。
強力な指導者に支えられた組織では、bQを排除しようとする動きは必ず出てくる。
これは人間心理の天才、組織運営の天才、アドルフ・ヒトラーですら回避できなかった。
いや、むしろ回避など元々不可能なのかもしれない。
何故ならそれは組織運営の失敗ではなく、新たな高みを目指す為の段階にすぎないのだから。
誰もが乗り越えなければならない試練なのだ。
ならば最初から強引な人間を側近にしなければ良いという意見があるが、それは愚かである。
突撃隊なくしてヒトラーの当初の成功がありえなかったように、
浜渦副知事の強引な手腕なしに矢継ぎ早に政策を展開する都政の躍動はありえなかった。
そして突撃隊粛清後は代わりに国防軍がその役割を果たしたように、
今までの優秀な副知事達の代わりは都議会が果たすであろう。
馬鹿どもにはそれが分からない。
bQの排除は、より強い組織を産み出すための陣痛にすぎないということが。
都庁は最早、石原慎太郎という一人の絶大な指導者のみに支えられた組織となった。
俺の石原都知事に対する信頼はますます強くなる。
『わが闘争』で示された指導者の3つの条件
「理論家」「組織者」「扇動者」の全ての条件を都知事は満たしたのだ。
都政は今、第三帝国1934年の段階にある、偉大さへのはじまりだ!
だが、この戦友達を辞めさせる決断は決して楽なものではなかったはず。
(,,゚‐゚)/ 石原慎太郎都知事、あなたは立派です・・・。
この都政における事態は、まさに歴史の輪郭をなぞるがごとく
人間の摂理から考えて不回避であった。
だが、それでも個人の感情としては、浜渦氏が愛国者で、
勇猛な人間と知ってる故に都議会自民党には怒りを覚えるね。
都議会自民党は勘違いせぬ事だ、浜渦氏を更迭したことで満足しなければいけない。
石原都知事の逆鱗に触れ、都知事が中国を攻撃するのと同じ声の大きさで、
過去に都知事の息子をオウム真理教の信者と中傷した事を非難すれば、
お前達の議席など容易に吹っ飛ぶだろう。
今更気付いたが、
メガドライブの大戦略ってテレビゲームで
オープニングに一瞬ヒトラーの演説があるが、
あれは『意志の勝利』の最後のヒトラーの演説の
一部だったんだね。
セガサターンの「ワールドアドヴァンスド大戦略」のOPなんて総統の肉声入りですよw
>>397 うはっ、それ買う前にサターンは友達に、ただであげちまったよw
石原都政の問題を俺はレーム粛清に例えたが、
今もって背景はまったく同じものだと思っている。
だが、ドイツ国防軍と都議会の決定的な違いは
都議は選挙によって議席を失うということである。
bQを排除した体制はナチスのそれと同じものになるだろうが、
議会については国防軍のように味方にするというより、
都知事は今居る連中を消し飛ばす気かもしれんね。
今日の都議会の所信表明演説での石原都知事の
「この本定例会は都議会の皆様にとりまして現任期最後の定例会となります。
現任期を最後に御勇退される方々にはこれまでの御苦労に対し感謝の意を表します。
また改選をむかえる皆様には心より御健闘をお祈りいたします。」
と強調し、野次る都議達をにらみつけながらの声を荒げての発言を見てそう思ったよ。
組織運営の冷徹な決断は同じだったが、
武力と軍事的知識を持って君臨しつづけるドイツ国防軍に対し、
ヒトラーが突撃隊の粛清に全力を傾け、大量の血を差し出したのとは違い、
石原都知事の場合、流す血は必要最小限に留め、
あまった余力を都議会への報復にあてるのかもしれない。
組織者として優れているのはヒトラーのようにどんな人間に対しても
愛着を持ちすぎない態度なのだろうが、
石原都知事の部下への愛情は強い。だから部下にも慕われるのだ。
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < 諸君!石原都知事の言葉を是非聞いてくれ。
ミ__ノ \_______
1日付の英紙タイムズは石原慎太郎東京都知事とのインタビュー記事を掲載し、
知事が08年の北京夏季五輪をボイコットするよう呼び掛けたと伝えた。
同紙によると、知事は日本と中国が領有権を争っている尖閣諸島
(中国名・釣魚島)を中国が占拠するような動きを見せれば、
英領フォークランド諸島をめぐる82年の英国とアルゼンチンの戦争のような
「小規模戦争」も辞さないと語った。
知事はボイコット呼び掛けの理由として、中国で昨年夏行われた
サッカーのアジア杯での中国人観客による反日行動に言及。
「北京五輪は国際政治の文脈でみると、
36年にベルリンで開かれたヒトラーの五輪と同様の意味がある。
ベルリン大会は軍事力を背景とする示威行動だったが、
北京も同じような姿勢を示そうとしている」と語った。
石原知事、英紙に「北京五輪ボイコット」
http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-050601-0008.html
「北京五輪は国際政治の文脈でみると、
36年にベルリンで開かれたヒトラーの五輪と同様の意味がある。」
とは、俺が
>>352で書いた事と同じだ。
(,,゚‐゚)/ ハイル マイン フューラー
随分昔にさ、ちょっとした好奇心から
第二次大戦中は満州にいた祖母に
ヒトラーの演説のビデオを見せたことがあったw
祖母曰く「東条さんの演説より迫力がある」らしい。
東条さんも演説が上手かったとか、
もし戦争に勝ってたら東条さんは軍神になってたと言ってたね。
そしてヒトラーも昔の日本では英雄だったと、
ムッソリーニの名前はちっとも出てこなかったらしいがね。
先入観のない時代の貴重な証言だ。
ヒトラーの悪名は共産主義の独裁者がやった虐殺には無批判な
マスコミのもたらした一種の先入観だろうね。
>>401の訂正。
>>352じゃなくてこっちの書き込みだな。
121 名前:カゼラ ◆SONY/ZIFXU [sage] 投稿日:2005/05/13(金) 23:43:46 ID:/6sXKJyG
北京五輪を成功させてやることがどれほど恐ろしいかは、
今の形のオリンピックの産みの親である
アドルフ・ヒトラーの言葉から学べばいい。
オリンピックの大成功はヒトラーにオーストリアを併合させるだけの
国際的信用を与えるに充分だった。
中国の台湾に対する態度と、ヒトラーの態度の類似性を指摘した
石原都知事の言葉を忘れるべきじゃない。
北京五輪など実質的には平壌五輪と変わらんのだ。
チベット民族の流した血の海で選手達を泳がせようとしているようなものだ。
しかも、その成功の先には台湾人の血の海が待っている。
ただ現状の変化を恐れる臆病者だけが、
中国への覚悟をぐらつかせているのさ。
★石原都知事の会見感想スレ【動画あり】その8★
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1115476239/121 何にしても石原フューラーほど俺の思いを代弁してくれる政治家は他にいない。
俺は極東板以外には書かないが、
その極東でもこのスレともう一つ石原都知事を扱ったスレにしか書かない。
反日暴動で俺が真っ先に北京五輪をボイコットしろと都知事スレに書き込んだとき
スレ住人はあまり賛成しなかったスポーツと政治を絡めるのは良くないとね。
しかし、そのすぐ後に文藝春秋に都知事が「北京五輪を断固ボイコットせよ!」という
提言を載せてくれたのだ。俺は大喜びでその提言を貼ったさ。
するとまたスレ住人は喜ぶどころか不安と疑問の声をあげた。
俺はそいつ等に北京五輪はベルリン五輪と変わらないと何度も書き込んだ。
だが、そんな反応しか示せない住人にショックを受け、このスレの
>>349にも愚痴を書き込んだよ。
すると今回どうだ。石原都知事は世界に北京五輪ボイコットを訴え、しかも
「北京五輪は国際政治の文脈でみると、36年にベルリンで開かれたヒトラーの五輪と同様の意味がある。」
と、指摘してくれたのだ。
この時の俺の胸中を想像していただけるだろうか。
まさに「神は我らと共にあり!」という心境だった。
議会演出においてはナチスのそれに優るものは無いだろう。
議会というより劇場のようだったからな。
しかし、灰色に特徴付けられた無機質な空間で
トルコ行進曲が演奏され、そこに王として君臨する
石原慎太郎都知事が演説する東京都議会もなかなか芸術的だった。
_______
∧_∧ /
(,,゚ー゚) < いや、邪悪さでいうなら毛沢東の方が上だろ。
ミ__ノ \_______
毛沢東は、ヒトラーやスターリンと同じくらい邪悪で、彼らと同じくらい人類に被害を与えた。
香港のベストセラー作家である張戎(代表作:ワイルドスワン)と
彼女のご主人ジョン・ホリデーは2日、毛沢東の邪悪さを立証する本
『毛:知られていない話』を出版した。
序文で「数十年間全世界人口の4分の1を統治して絶対権力をふるった毛沢東は、
7千万人の命を奪った責任を負わなければならない」と主張した。
張戎は、これを立証するために世界中のリーダーと中国共産党高位幹部、
毛沢東側近勢力とインタビューを行い、ホリデーは全世界で公文書を捜し回った。
二人は、特に毛沢東が党内で自分の立場を強化するために、数万人の兵士と政敵を
「大長征」の美名の下、死に追いこんだと強調した。
毛沢東は、日本と国民党政府の間で戦闘を楽しんだし、
日本が勝利すればロシアの支援をもらうことができるという計算の下
侵略者たちとの衝突は避けた。毛沢東はまた弾よけに使うことができる中国兵士が十分いて、
米軍とあたっても前に進めると信頼させて朝鮮戦争をけしかけたと言った。
二人は、毛沢東が原子爆弾を製造するために41億ドル(1957年物価基準)をつぎ込んで、
資金は食糧輸出で調逹したと主張した。
「この位の金額なら、当時飢饉で死んだ3千800万名の命を救うことができるほど
十分な小麦を買うことができるお金だ」と言う。
東亜日報(韓国語)を翻訳<毛沢東, ヒトラー位邪悪…朝鮮戦争けしかけて>
http://www.donga.com/fbin/output?f=todaynews&code=a__&n=200506020348&main=1
最高に面白いスレだよカゼラ
お前の主張には同意出来るな
まぁ、在日に厳しすぎるけどな
日本に貢献してる奴も沢山居る事をお忘れなく
戦後の混乱の中の犯罪は凄かったらしいけどさw
>>407 この地下スレをよく見つけたなw
>>408 まぁ、俺の意志が変わる事はないけどねw
敗戦直後の朝鮮人を知ってる世代は
彼らへの憎悪を隠そうとはしないね。
祖母は、はっきり「チョン」という言葉で
「馬鹿チョンが悪さばかりした」と言ってたもの。
このスレにレームを粛清したヒトラーの態度こそ正しい
と、何度も書いたがそれとは別に
会見の中で浜渦副知事を庇い続ける石原都知事の姿を見て、
やっぱり俺はこの人が好きだと思ったよ。
『ヒットラー語録』より
「人は愛するものの為にのみ闘うことができ、尊敬するもののみを愛することができ、
またその何たるかを知り得たもののみを尊敬することができる」
日本は教育の中で日本のことを教えられてこなかった。
あの忌々しい教師どもによって。
いつかの東京新聞でのアンケートで日本の為に戦えると
答えたものは19%しかいなかった。
しかもそのわずかな数値も高齢な世代の回答であり、
20代となると数%、20代の女性では0%だった。
全ては日本を知らないから尊敬できず、
尊敬できないから愛せず、
愛せないから戦えない。
教師の罪は誰よりも重い。
教師についてはヒトラーのこの言葉も
「学校の先生達の言うことがちっとも力の無いのは、
自分の生活のために説いているということが相手に分かるからだ。
言っていることがいくら良くてもそれでは駄目だ」
逆にいえば自分の生活を維持する目的以上の熱意が伝われば、
説いていることがいくら悪くても相手を感化できるということだ。
おそらく教師達は売国的な言葉にだけは生活以上の情熱をもって
生徒に教えているのだろうな。
だから国歌斉唱時の不起立教師に「うれしかった。先生、芯があるね」などと
励ます勘違いした馬鹿な生徒が出てくるのさ。
『ヒットラー語録』より
「百人の愚者を集めても一人の賢者を作ることは出来ない、
それと同じく、一個の英雄的な決心は、百人の卑怯者が集まっても、
その中からは生まれてこないのである」
「塵も積もれば山となる」とは努力や継続を促す目的では正しい諺だが、
人間に当てはめるとまったく意味は異なる、
山となったところで塵は塵にすぎないということだ。
人が多く集まればそこから行動する人間が出てくるわけではない。
行動する人間は一人でも行動できるし、何もしない人間は何千万人いても何もしない。
一千万人以上が見ているテレビ番組で
400件程度の電話やファックスでも「大きな反響がありました」という
司会者の言葉を聞いた。
海上保安庁に応援メールを送るというたいして労力の伴わない行為でも、
ほとんどの者は指一本動かさないわけだから充分効果があると思う。
事実、海上保安官の話として
「事件がきっかけで、国境を巡る任務は危険を伴う厳しいものだと、
国民に理解してもらえたと思う。国民の声を励みに今後も頑張りたい」
という声が記事になってた。
それにしても韓国漁船に対する官邸の態度はなさけなかった。
海上保安庁は勇敢なのに。
ありゃ、どう考えても小泉が悪いんだろ。
北側だけが悪いふうに言って小泉を必死に庇おうとしている連中は
どうかしてるんじゃないの?
日本民族には小泉あたりで充分だなどとでも言う気かね?
>>180あたりに書いたが、批判なくしてより良い政府を望むことは不可能だ。
田嶋陽子あたりに煽動の才が無くて良かったよな。
あれの選挙演説や国会での質問を見て、ホッとしたのは確かだ。
クルト・リース著の『ゲッベルス』より
ゲッベルスのヒトラー評
「あの男は危険だ。彼は自分の言うことを信じきっている。
彼の力の秘密は運動に対して熱狂的な信念のあることだ。
そして、それ故ドイツをも狂信していることにある。
自分はこれまで決してそうではなかった、これからもああはなれまい」
これが総力戦演説の後、
「白痴の時間だった。彼らに四階から飛び降りろと命令すれば平気で飛び降りただろう」
というどこか冷めた視点をもつゲッベルスとヒトラーの違いだな。
扇動者としてヒトラーの方が優る要因の一つでもある。
そして、このヒトラーの信じきる能力によってたかが議会屋風情が
おっかなびっくりして実行できなかった大衆煽動を終始一貫して実行できた。
煽動は自分ひとりで成り立つ芝居ではないのだから、
弁舌が人の心を捉えるとすれば、捉えるだけの物がその弁舌の中にあるからだ。
石原慎太郎都知事を見ててつくづく思うのだが
煽動演説の才とは、それは、自分が上手く口に出して言えないでいること、
言葉を思いつかず反論できないでいることを、誰かが代わりに語ってくれることにあるのだ。
だから煽動は人間の心理をよむ力なしにはありえない。
同時多発テロを第二のパールハーバーと騒ぐアメリカに日本人が眉をひそめている時に、
あの喧騒のアメリカにいながら堂々とアメリカの高官に
「いや、ことの残忍性からしたらむしろあなた方が落とした原爆に近い、第二の原爆だ」
と言ってのけて日本に帰ってきてくれたこと、これが彼の煽動の才なのだ。
我々大衆が反論したくても思いつかないところに痛烈な一撃を見舞ってくれた爽快感。
あの言葉の力がある限り、石原都知事の煽動力が無くなるということはない。
レーニンは「演説とは煽動だ」と言い切っている。
ヒトラーはその言葉の魔力を誰よりも理解した。
そしてヒトラーこう指摘する
「大衆を独りにしてはいけない。いつも皆と共に、集団のなかにあるようにするのだ。
彼を個人にかえらせて、孤独の中に閉じこもらせてはいけない。ものを考えさせてはいけない。
ものを考えるとろくなことはない。いつも突き動かし、揺さぶり、走らせるのだ。
そうやって、皆と共にあるとき、彼は孤独の淋しさを感じることもなく、暖かな感情に包まれて、
生き生きとしてくる。その生きた力と感情で政治をつくるのだ」と。
読書はまさに独りでする行為であり、独りで熟慮し、反省し、非行動的になる。
だから本の与える影響には限界があり、書き言葉では世界は変えられない。
俺自身、読んだ本の内容などすぐに忘れる、
だが石原慎太郎氏の演説を聞き聴衆と共に感動した光景はいつまでも心に残るのさ。
宣伝について『わが闘争』にこうある
「宣伝は事実を客観的に詮索してはならない。たとえ公平の原則を守るとしても、
敵側に有利な事実は決して提供してはならない。
ただ味方に有利な面だけを提供するようにしなければならぬ」
そしてゲッベルスの言葉はより興味深い
「宣伝を目して、粗野だとか下品だとか野蛮だとか公正を欠くなどと批評するのは、まったく的はずれだ。
宣伝とは、自分と同じ真理を認める人々を探し求める行為だからだ。
かくして宣伝は組織に先行し、組織は政権に先行する。」
「『たかが宣伝じゃないか』という馬鹿がいる。だがイエス・キリストは宣伝以外に何をしたか。
彼は本を書いたか。それとも説教をしたか。マホメットは屁理屈をこねまわした論文を書いたか。
レーニンは、チューリヒからセント・ペテルスブルクに帰ったとき、真直ぐ書斎にかけつけて
本を書いたか。それとも大衆の前に立って演説したか」
「街頭を制する者は、いつか必ず国家を制する。何故ならあらゆる政治権力や独裁政治は、
その根を街頭にもっているからだ」
この宣伝の天才は実際どういう手法をとったか。
ゲッベルスはまだ無名の者として演壇に上がった時、
聴衆は新米のゲッベルスを笑い、彼は壇上で立ち往生した。
そして笑いの中から「資本家の手先め!」という野次がとんだ。
その時、壇上のゲッベルスは立ちどころに切り返し、自分の財布を引っ張りだして小銭をぶちまけ
「今、私を資本家の手先と野次った奴はここに出て来い。
自分の財布とどっちが多いか比べてみろ!」と叫んだ。
この一喝で聴衆は度肝をぬかれ、シンとなって彼の話に聞き入った。
また共産党との乱闘で負傷した同志を、担架で壇上に担ぎ上げ
その前で痛烈に共産党攻撃の演説をぶつ。
他にも時の首相ブリューニングに立会演説の挑戦状を送りつけ、
相手が応じるはずも無いのを見こして、回答もないうちに
町中にでかでかと「首相、立会演説を拒否する!」と書いたポスターを貼り、
首相が逃げたという印象を植え付けたところでゲッベルスがおもむろに演説会場に姿をあらわす。
一緒に大きなトランクが壇上に運び上げられ開口一番
「首相は出席を拒まれた。だが私は彼をここへ引っ張ってきた」と言うと、聴衆はドッと笑いこける。
トランクを開けると首相の演説を吹き込んだレコードがセットされていて、
ゲッベルスはレコードのスイッチを入れたり切ったりしながら、
首相の演説を徹底的に叩きのめした。
この最後に紹介したゲッベルスの手法に俺は忘れられない光景を思い出す。
TBSのサンデーモーニングが石原都知事の発言の
「私は日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはないが」と切り出した話を
「私は日韓合併の歴史を100%正当化するつもりだ」と捏造した後に開かれた
2003年11月11日の臨時会見である。
いつもの会見場と違った場所で大きなテレビモニターにサンデーモーニングの
関口宏とコメンテーターどものやり取りが映し出される。
そしてその放映中のコメントに笑ってみせ、映し終わると
それぞれのコメンテーター、リポーターの名前を挙げ、
「番組の出演者は虚構の世界を築いて、でっち上げで世論を誘導しようとしている」
と痛烈に非難し、TBSは自分に都合の悪い部分だけ削除していると叩いた。
日本の政治家で他にこんな演出をした人を俺は知らないな。
このスレのシリーズの初代スレのテンプレに
『わが闘争』の言葉の一節がある。
「マスコミは下衆である。この下衆どもの口から世論の三分の二が製造され、
その泡から議会主義という愛の神が生まれたのだ」
石原都知事は週2,3回しか都庁にいってないという
まるで仕事してないように報じるマスコミのインチキ宣伝が猛威を振るっている。
詐欺師め。
そういう週もあったという事が、大衆には毎週そうだと伝わっている。
そもそも政治家の能力を決めるのは役所への出勤数ではないというのに。
だから俺は上記のヒトラーの言葉を思い出すのさ。
420 :
極東板@千紗ちぃ ◆kJXhnPGvOw :2005/06/05(日) 03:17:12 ID:ANK06rwR
上げて置くですよお兄さん
>>420 上がってたから驚いたw
(,,゚‐゚)ありがとにゃ。
フランス攻略にあたりドイツ国防軍参謀総長のハルダー将軍の
ベルギー、オランダに主力をおき、北フランスから攻め入る作戦を
ヒトラーは一蹴しアルデンヌ突破を決める。
反対する将軍達と激論になったが、ヒトラーは言い放つ。
「将軍、あなた方国防軍が強固に固執するからこそ、私はそれに反対するのだ。
というのは、フランス軍もきっとあなた方と同じように考えるはずだからだ。私はその裏をゆく」と。
そして、作戦は成功を収めフランスは降服する。
石原都知事はこういう発想の転換を
「前に跳ぶのは誰でもできるが、横に跳べ」という言葉で表現した。
実際に石原都知事は環境の問題を不正軽油による脱税を取り締まる視点から、
東京の空気を良くしたのだ。
政治・軍事において核やミサイルなどの兵器が問題なのではない、
常に人間の心理が問題なのだ。
石原都知事と佐々淳行さんが対談して
諸悪の根源は日本が平和で自由で豊かでありすぎた為だと言っていた。
安全すぎるから警戒しない。
豊かすぎるから働かない。
平和すぎるから防衛を考えない。
ガラパゴス諸島の天敵がいないためやたら警戒心のない鳥を思い出す。
治安はようやく体感的に恐くなってきたから考え出した。
だが国防は依然として恐怖を体感してない。
両者は一致してミサイルでも撃ち込まれないと日本は覚醒しないと言っていた。
『わが闘争』の一節
「1904年に日本の役割を我々が引き受けて血を流しておけば
1914年から1918年にかけてその何十倍の血を流さずにすんだのだ」
北鮮のミサイル攻撃、いや例え核攻撃であったとしても、
その犠牲により戦う心を取り戻す事が出来るならば、
それは将来的に決して大きすぎる犠牲ではないのだ。
ゲーリングはミュンヘン一揆失敗をこう振り返る
「もしこの一揆が成功していたらドイツ国民の全幅の信頼を得る事はできなかっただろう。
この不成功はまさに神の配慮の結果である。」
選挙によって信任されるというのは人気を高める上で大きな効果がある。
ヒトラーは独裁者になった後も国民の答えが分かりきった問題に対し、
選挙し、選挙遊説をし、信任を問い、帝国の建設に国民の意志も反映されているという
参加者意識をつくったのである。
ラインラントへの進駐を信任するか否か。
オーストリア併合を信任するか否か。
政策の承認を国民に委ねるとして国会を解散させ、
いずれも圧倒的多数で承認され、国民はヒトラーへの支持を強めていく。
田中康夫はその思想、その気色悪い仕草でとても支持できるような知事ではないが、
議会との対立、役所との対立を再び知事選に打って出て
再任されることで彼らを黙らせたやり方は実に正しい。
人を付き従わせる権威の第一の基礎は常に人気である。
そして選挙はその人気を確認するうえで重要な儀式なのである。
小泉首相の一番最初の人気は言うまでもなく、あの開かれた自民党総裁選の結果である。
自民党員による投票結果によって、日本地図が小泉勝利の色で染まっていく光景を
ニュースで見せられつづけ、国民の意見を誰よりも反映した総理だと人気を集めるにいたったわけだ。
実際の自民党の選挙参謀が書いた
『HITLER選挙戦略』って本はヒトラーの言葉から
実際の選挙のやり方を説明している。
『わが闘争』の
「いかなる運動も、獲得した人材をまず二大グループに、
つまりは支持者と党員とに選りわけねばならない。
組織は、支持者自体の中から最も価値あるものだけを党員にするように、
最も鋭敏に心がけなければならない」
という言葉を引用し、後援会の会員をどんなに増やしたところで、
それが実際の投票行動に結びつかないことがあるという。
後援会の会員とは会社の命令で入会したり、安易な理由から入ったりしているにすぎず、
後援会の中の受動的な「支持者」と能動的に働く「運動員」は明確に分けなければいけない。
後援会の組織作りはこの運動員を中心に固めなければならず、
支持者と運動員を同列においたり、
単なる支持者だけの後援会組織なら必ず崩壊するという。
また『わが闘争』から
「宣伝の第一の任務は、組織のために人を獲得することである。
組織の第一の任務は宣伝の継続のために人を獲得することである。」
この言葉を引用し、まず宣伝活動の任務は後援会員を募集することで、
候補者への支持を得ることを目的にしては宣伝活動の意義が薄れるという。
ポスターやパンフレットは候補者への支持を増やすというより、
ポスターを貼る行動、パンフレットを配る行動によって後援会員にやる気をださせ、
候補者の為に闘っている、自分が必要とされているという意識をつくる上で重要であり、
またポスターの内容、パンフレットの内容を決めるにしても
発案は一部でも承認や、賛否の討議には皆を参加させ、
参加者意識を持たせることも重要だという。
ドイツ労働者党に入って間もなくヒトラーも
まず党員を増やさないことには何もできなかった。
だから党員の獲得に集中した。
自分達への支持を訴えるより先に党員を増やさなければ、
宣伝の継続が困難であるためだ。
2chで全板人気トーナメントというヒトラーの方法論を実験する絶好の企画があった。
極東はあの企画を大切に思ってる人も多いだろうからと、俺はあんまり関らなかったが、
しかし、あれだけ無関心に過ぎ去るなら実験に使っても良かったかね?
極東の1001表示と紹介文決定でヒトラーの手法を実験した前科もあるしな。
選対本部長は板内選挙によって選ばれ、支持者と運動員を明確に分け、
宣伝の任務を投票を呼びかけるより先に運動員を募集することに置く。
・・・いや、よからぬ考えはやめよう。『ヒットラー語録』のこの言葉
「例えどんなに立派であり、正しい考えであっても、実行されなければ駄目だ」
あんな事に3ヶ月も縛られたら生活が破綻する。
あれはあの程度の関心の低さくらいで良かったのだ。
反ヒトラーの立場から見たヒトラーの演説。クラウス・マン著『転回点』より
ミュンヘン、1929年夏。舞台、イーザルシュタットの巨大なテント。
テントの中には民衆がひしめいている。2万、3万の人間だ。暗い。
演壇だけがまばゆい光をうけている。そしてそこから、電光に照らされた舞台から
声が聞こえてくる。猛り狂う犬のむかつくような遠吠えだ。
「ユダヤ人ども!」とその恐るべき声は吠えたてる。
「罪はユダヤの豚どもにある。他の誰にあるというのか!」
私達のすぐそばにいた若造が、毒グモにでもかまれたように突然金切り声をあげる。
「奴らを絞首台にかけろ、絞り首だ!ユダヤのゲスどもは絞首刑だ!」
それに答えて例の声は粘りつくような嘲りの調子をみせる。
「ま、ご辛抱。同胞諸君、待てば海路の日和ありだ」
群衆は血に飢えたように浮かれて吠えたて、笑い崩れ、武者震いする。
「これは何です」とわがイギリスの友人ブライアン・ハワードがささやいた「あの男は偏執病だ」
「いわゆるワイマール共和国を支配しているのは誰か」とあの獣の声が問いかける。
答えが合唱で返る
「ユダヤの野郎だ!他に誰がいるものか。ユダヤの豚ども、奴らは絞り首だ」
「何とアブノーマルな」と友ブリアンは私達にささやく
「彼は確かに狂っている。皆それが分からないのかな。それとも皆も狂っているのだろうか」
そしてあの声は、憎悪のあまり、今は喘ぎながら、息も切れ切れに、かすれている。
「いわゆる国際連盟を支配するのは何者か。新聞はどうだ?国際カルテルは?
クレムリンは?いわゆるカトリック教会は?」
一つ問いかけるごとに、同じ型どおりの足踏みと咆哮が答える。
「ユダヤの豚どもだ!奴らを絞首台にやれ!」
反ヒトラーの立場で書かれたものだが、演説するヒトラーと、それを聞く聴衆の感情の昂りがよく分かる。
煽動が感情の発露でなくてどうして煽動できようか。
煽動が聴衆の感情の代弁でなくてどうしてその心を捉えれようか。
石原都知事の三国人発言後の会見で
「石原都知事の感情的な顔を見て、都民は残念に思うだろう」と書いたのは毎日新聞だが、
残念に思ったのは毎日新聞一人で都民は都知事の感情の発露に揺り動かされ、
圧倒的な支持に傾いたのであった。
ミュンヘン法廷での演説。
「小鳥は小鳥であるが故に歌わなければならぬ。
政治家は政治家であるが故に仕事をせねばならぬ。
そして独裁者は、ひとに強要されるのではない、自らそうなることを欲するのだ。
引きずられて前進するのではなく、自分自身を引きずってゆくのである。
そこにはやましいものは何も無い。
労働者が自らを鞭打って重労働に従うことのどこにやましさがあろうか。
世界に発明をもたらす発明家のどこが生意気であろうか。
独裁者たるべくして生まれた人間にはしゃにむに前進する権利がある。」
クーデター失敗で全て失ってなおこの覇気。
政局をみて石原慎太郎総理の夢を諦めそうになる時は、
この意志力を見習わないといけないな。
429 :
日出づる処の名無し:2005/06/08(水) 01:22:29 ID:rxgQ/eNA
>>429 いきなり貼られても何が言いたいのかワカンネ
シュペール回想録『ナチス狂気の内幕』より
ヒトラーがベルリンの「ハーゼンハイデ」で、ベルリン大学と工業大学の学生達に
演説したことがあった。ホールは超満員。まるでベルリン中の学生が、
崇拝者からは神のごとく崇められ、敵からは悪態の限りを言われているこの人物の話を聞き、
その姿を見ようと集まったかのようだった。
ヒトラーは学生の中の多数の支持者達から万雷の拍手をあびて登壇した。
すでにこの拍手からして、私は心を動かされた。
しかし、それにもまして私を捉えたのは、彼の登場ぶりだった。
ユニフォームに肩帯をかけ、腕に鉤十字の腕章をまき、額に長髪をたらした姿は、
プラカードや漫画でなじんでいた。しかしそこへ現れた彼は、よく似合う青い背広で、
市民的な生真面目さを見せ、すべてが折り目正しい印象を私に与えた。
後に私は、彼が意識的にか本能的にか、周囲に自分を合わせるのが実にうまい事を知った。
数分に及ぶ大喝采を彼はほとんど拒むかのように、懸命に止めさせようとした。
それから低い声で、ためらいがちに、いささか内気に、演説というより一種の語りかけを始めていった様子が、
私には魅力的であった。それは、彼の敵側の宣伝、即ち「ヒステリックな煽動家」「大見栄を切る狂信者」
というのとまったく相反していただけになおさらだった。彼は嵐のような拍手を受けても
講義をしているようなその調子を崩さなかった。そのうちヒトラーのはじめの控えめさは消え、
時々音程を上げ、暗示的な説得力で聴衆の胸の中へ踏み込んできた。
話の内容はよく覚えてないが、印象の方は後々まで強烈に残った。
敵側は一矢も報いることができなかった。そこで、少なくとも一時は会場全体に一枚岩的な雰囲気が生じた。
ヒトラーは最後に説き伏せるために話しているのではなく、むしろ今や一団となった聴衆が彼になにを
期待しているかが分かっていて、それを語っているのだと確信しているふうだった。
ドイツの二つの大学の学生と教授団の一部を思うままに操るくらいは、赤子の手をひねるようなものだと
いわんばかりだった。その晩の彼がまだ批判を許さぬ絶対君主でなく、八方からの攻撃にさらされていた
にもかかわらず、なおそうだったのである。
彼の説得力、決して美しくはないその声の独特の魔力、
むしろ陳腐といってよいわざとらしさのもつ異様さ、我々の複雑な問題を
てきぱきと片付ける指導者的明快さ、それらのすべてが私を引っ掻き回し、
がんじがらめにしてしまったのである。彼の政策など私は無知に等しかった。
私が理解するより先に彼が私をつかまえてしまったのだ。
私はナチス党を選んだのではなく、その出現が最初の出会いから、私に暗示をかけ、
それ以来私を離さなくなったあのヒトラーに私は賭けたのだった。
そして『わが闘争』のこの言葉
個々の表現方法や語調でさえも、きわめて極端な二つの階層には同じように効果を持つことはできない。
もし、宣伝が素朴な表現法をやめるとすれば、大衆の感覚に通じる道を失ってしまう。
それに反して、宣伝が言葉や身振りに大衆の感情の言辞のもつあけすけさを用いれば、
いわゆるインテリから野卑で月並みだとされて受け付けられないだろう。
今日は道路清掃夫、錠前屋、溝掃除人などの聴衆を前に語り、明日は大学教授や学生の聴衆の前で
必要上同じ思想内容の講演をして、同じ効果をうることができるような人間は、
いわゆる雄弁家の中でも100人に10人はいまい。
だが、錠前屋と大学教授を同時に前において、両方の理解能力に一致するだけではなく、
両方を同じく効果的に感動させ、あるいは万雷のような拍手の嵐をまき起こすまでも酔わせるようなやり方で
語り終えることのできる人間は、1000人の雄弁家中にもおそらくわずか1人しかいないだろう。
残念ながら日本にこれができる政治家はいないな。
だが、石原都知事なら聴衆にあわせて話し方を変え説得する術は持っている。
軟弱な国民に向けて話す時より屈強な自衛官に向けて話す時の方が
より発言が率直になるのはそのためである。
靖国神社への参拝を自粛することが政治的に適切だと判断する叛逆者どもは、
鎮魂や慰霊の果たす政治的役割の重要性についてまったく分かってない。
ヒトラーがミュンヘン一揆犠牲者追悼式をあれだけ厳かに行なったのは
その政治的効果を誰よりも理解していたからである。
ミュンヘン一揆犠牲者追悼式では、
最初に犠牲になった血の証人たちへの沈黙の対話がはじまる。
ヒトラーが一つ一つの棺の前にうずくまっていると、七万人の制服の党員が
無数の旗と党組織の全ての旗を掲げて死者のそばを沈黙の行進をする。
そしてあの有名な死者の点呼が始まるのだ。
一人一人の名前が読み上げられる度に群衆の「ここにあり!」の声が響く。
16発の礼砲が響き渡り、ヒトラーは巨大な花輪を記念板の上に置く。
その間は死のような静寂があたりを包み込む。
あらためて荘重に演奏されるドイツ国歌にあわせて、
彼らはすべての死者に敬意を表し何千もの旗を斜めに掲げ、
最後の点呼で再び犠牲者の名が読み上げられ死者は永遠の見張りについたのだ。
それに比べ、靖国神社では参拝した政治家に
まず記者が「私的ですか?公的ですか?」と質問する。
なんと馬鹿げた光景だ!
慰霊や鎮魂の荘厳であるはずの雰囲気の欠片もない。
いつかはマスコミを排除した厳粛な靖国参拝を見たい。
死者への尊崇の念なくして国家へ忠誠を誓わすことは不可能だ。
フェルト・ヘルン・ハレ師団に相当する部隊を自衛隊に創設すべきだな
∧_∧
(゚ー゚*) 殺伐としたスレに救世主が!
.目 V> )
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| お土産 |
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// ヽ.`、
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| お土産 |
ヽ、_____ノ
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○
O
o
。 というお話だったとさ
∧_∧____
/(,,゚−゚) ./\.
/| ̄〇〇 ̄|\/
|____|/
∧_∧ エイ!!
(,,゚ー゚)
゙「 ||y||フ┿('A`)('A`)('A`)─
ノ_/'ノゞヽ
ちょっと遊んでみた。今は反省している。
未来の独裁者アドルフ・ヒトラーに
強い影響を与えたウィーン市長カール・ルエーガーのように、
石原都知事は未来に向かって種を蒔くしかないのだろうか。
この社会が一度砕け散ってしまうまで
日本国民は真の強者を選出することはできないのか?
・・・考えてもしょうがない。
強者の神を信じるしかない。
>>432にあるようにヒトラーの声は決して美しいものではない。
だが、そのガラガラ声にこそ心に響き渡り、魂を揺り動かす魅力があった。
キング牧師の声も人の情緒に訴える魅力がある。
拉致問題の北鮮への抗議集会でおそらく声の美しいであろう女性が
甲高い声を張り上げて「金正日よ、拉致した日本人を返せ」と言うのだが、
聞いててそれはあまり魅力的なものではなかった。
女性だから駄目ということではなく、例えばあの田中真紀子のような
しゃがれた声の方が煽動演説の声としては魅力的なのである。
無論、田中角栄についてもそうだ。
逆に声優などには煽動演説は出来ないだろう。
人の心をつかむ声は、澄んで美しい水のような声ではなく、
あくまで大地を震動させるような力強い声なのだから。
ヒトラーの演説をはじめて見た時のレニの回想
「まるでみるみる地表がもり上がり、突然まん中から裂けて
凄まじい勢いの水が噴き出してくるようでした。
私はただ痺れたように聞き入っていました」
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1933年2月1日首相就任演説「ドイツ国民に対する布告」
ドイツ国民が国内及び国外の敵の約束に目をくらまされて名誉と自由との接触を失い、
それによって一切を失った不幸の日より既に14ヵ年以上経過した。
あの叛逆の日以後、わが国民は神の恵みから見放された。軋轢と憎悪が我々を襲ってきた。
何百万のあらゆる生活の道を歩む最も優秀なるドイツの男女は深刻な苦悩をもって、
国民の統一が消滅し、政治的、個人的意見、経済的利害の分解を招いて混乱し、思想的不和に陥った。
その日以後、過去において往々そうであったように、ドイツは痛ましい不統一の様相を呈していた。
我々は約束された平等と友愛を決して与えられず、しかも自由を失った。
けだしわが国民は世界におけるその政治的地位を失うや間もなくその精神と意志の統一を失ったからである。
我々はドイツ国民が1914年に、自己に微塵も罪の感情をいだかず、ただただ攻撃せられたる祖国を防衛し、
ドイツ国民の自由を・・否、存立そのものを把持するために戦争に参加したのであると固く信じている。
しかも我々は、1918年11月の当時以降我々の上に下された悲惨な運命のうちに、
まったく国内の崩壊を見得るにすぎないのである。
世界のその他の部分もまた、あの当時以降我々に劣らず厭世的な危機に悩んでいた。
歴史の行程を押しつつみ、以前には諸国民の内部的連帯性のために必要な理解をもたらす上に
少なからぬ役割を演じ、交易及び商業のためあらゆるその利益を有していた力の均衡は一方に押し傾けられている。
勝利者と敗北者の不健全な観念は諸国民の間に存する信頼を破壊し、それと同時に全世界の産業を破壊した。
わが国民の不幸は見るに堪えないまでに恐ろしい!
幾百万の産業労働者は失業して飢えに苦しむ。中産階級全体と小さな職人達は貧窮に陥れられた。
この崩壊が遂にドイツの農民に及ぶ時、我々は計り知れぬ惨禍に直面せしめられるのであろう。
おそらくその時は、一人国民が崩壊するのみでなく、二千年の遺産が、
人類の文明文化の最も崇高なる産物の或る部分が崩壊するからである。
いまや我々がドイツ国民の生活とその将来について寒心しつつあるこの時に至って、
世界大戦の老指導者は我々に対し、ドイツ国民救済のために統一を図り、
忠誠をもって再び彼の下に闘うことを要請した。今回は戦線は国内にある。
我々はここに国民及び政府の指導者として、神に対し、我々の良心に対し、わが国民に対して宣誓する、
我々は我々の上に授けられた任務を忠実にかつ決然として全うすべしと。
11月政府は14ヵ年の間にドイツ農民を破滅せしめた。14ヵ年の間に彼らは数百万の失業者を創造した。
わが政府は鉄の決意をもって揺るぎなく頑健に目的を固守して、次のごとき計画を遂行する。
4ヵ年以内にドイツ農民をその落ち込んだ泥沼から救わなければならぬ。
4ヵ年以内に失業を徹底的に克服しなければならぬ。
政府は14ヵ年の疾病を4ヵ年にて快復せしめようと決意している。
今、ドイツ国民よ、我らに4ヵ年の時を与えよ、然る後判断し我らに裁断を下せ。
元帥フォン・ヒンデンブルグ閣下の指揮を奉じて、いまや我々は闘いを開始せねばならぬ。
全能の神よ、我々の事業の上にその祝福を与え、我々の目的を強化し、
我々に知恵と国民の信頼とを与えられんことを。
ユンゲ著『私はヒトラーの秘書だった』より
時々、教会や人類の発展について私達の質問や発言をきっかけに
彼が自説を展開し私達が拝聴するという感じになった。
「どのような源から人類が誕生したかについて、科学はいまだ解明できていない。
我々は爬虫類から哺乳類へと、おそらくは猿を経て人間へと進化したある哺乳類の
高度に発達した最終段階にいる。我々は創世の一環であり、自然の子供である。
だからすべての生き物と同じ法則が我々にも当てはまる。
そして自然は最初から戦いの法則に支配されているのだ。
生きる力のないもの、弱いものはすべて淘汰されてゆく。
弱いもの、生命力のないものや下等な存在の命を
人工的につなぎとめるという目的を持つようになったのは人間が最初で、
そもそも教会が原因なのだ」
彼は教会とはまったく関係がなかった。
それどころかキリスト教のことを偽善的な人買いの組織だと言っていた。
彼の宗教は自然の法則だった。
俺もよく神に祈るような事を書くが、
実際のところ、どの宗教に対しても無関心である。
自然の法則以外の神など信じようがない。
子供の頃から不当な抑圧を克服するのは戦いの法則でしかなかったのだから。
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川ノ ノ 。 彡 ノ
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加藤紘一を見れば分かるが軽率に突進するのは勇気ではなく、愚か者の証拠だ。
石原都知事が総理になる条件とは中曽根元首相との人脈でも首相公選制でもなく、
国民の人気と国会議員の議席を失う事への恐怖心である。
今の状況で都知事から国会議員に転身し、都民への責任放棄の謗りを克服し
かつ今以上の人気を獲得することは国会議員程度の権力で可能なのだろうか?
確実に総理になれるという確約があれば、無責任の謗りは無効化できるが、
国会議員どもに石原都知事を担がないと議席を失うという切実な恐怖心が今あるのだろうか?
という疑問が俺にはある。
もし自民党の次の総裁が国民の期待を裏切り安倍晋三以外の例えば福田康夫とかなら
その時こそ石原総理誕生の好機だ。
この時にあたり石原都知事の大公約「横田基地の返還」が一部でも達成されていたなら、
彼の総理への道を阻むものはない。
ヒンデンブルグは85歳で大統領当選だ。
石原都知事は72、待てば海路の日和ありってね。
総理になるチャンスは一度しかない大切なのはその時を外さぬことである。
あらためてこの摂理を
『続・わが闘争』から
「輸出貿易は他国の近代化とともに消滅する」
特に今日では多くの者が、困窮と不安、飢えと悲惨から自分達を救ってくれるものとして
経済を考えている。確かに経済は、一定の条件下であれば、土地との関係から外れた
ところでの生存の可能性を国民に与えることができる。しかし、それには数々の
前提条件が必要となるので、ここで簡単にふれておかねばならない。
こうした経済システムの意味は、ある国が何らかの重要な商品を自国で使用する以上に
生産しているというところにある。その国は余剰分を自国領土の外へ販売し、
その収益から食料や、自国にない原材料を購入する。したがってこの種の経済は、
生産の問題だけでなく、少なくとも相当程度、販売の問題を含んでいる。
特に今日は生産拡大についての議論が盛んだが、まったく忘れられている事がある。
そのような増産に価値があるのは、あくまでも買い手がいての話だということである。
現在の世界の商品市場は無限ではない。工業生産の盛んな国は着実に増えている。
近年ではアメリカが輸出に転じ、東洋でも日本が輸出国となった。
この競争は工業国が増えれば増えるほど、逆に言えば市場が縮小すればするほど激しくなる。
何故ならば、世界市場をめぐって競争する国が増える一方で、商品市場は
少しずつ減少していくからである。
これは一つには、自力で自国を工業化していった結果であり、また一つには、そうした
国々で急増している支店営業システムのためである。このシステムは資本家の利益しか
考えないものだ。例えばドイツの造船所で中国の船を建造すれば、ドイツ国民にとって
大きな利益になる。それによって、もはや不十分となった国土からは得られない食料を
手に入れる機会が、一定数のドイツ国民に与えられるからである。
しかし、例えばドイツの金融グループなり工場なりが、いわゆる支店造船所を上海に作り、
中国人の労働者を雇い、外国の鉄鋼を使って中国のための船を建造したとすれば、
例えその企業が莫大な利益を上げたとしても、ドイツ国民には何の利益にもならない。
それどころか、注文が失われた結果としてドイツの国家経済からはその儲けの数層倍
もの金額が引き去られてしまうのである。
現在はまだこうした将来像に微笑む余裕のある者が多いが、この状況が進めば、
三十年以内にはヨーロッパはその結末の下でうめき声を上げることになる。
市場の困難が拡大すればするほど、残された市場をめぐる競争は激化する。
この競争の第一の武器は価格と品質であり、各国は競って相手より安い値段で売り込もう
とするが、最後には、やはり究極の武器は武力ということになる。
靖国参拝を妨害する拝金主義者の企業主どもめ!
国家の名誉より目先の利益優先とは。
テレビでも首相が靖国に参拝することで民間がどれだけ損をするか、という発言をみた。
しかし、中国にものを売り、中国に進出するという行為にどれだけの価値があるというのか?
日本の力で中国が工業化し工業製品の輸出に転じれば、
中国への輸出は縮小する一方で強力な競争相手の出現を意味するというのに。
「輸出貿易は他国の近代化とともに消滅する」という事は自然の摂理だ。
それは敗戦後すぐの日本の復興を歓迎したアメリカやヨーロッパの感情が、
やがて日本の発展と工業製品の輸出を期に日本への憎悪に変貌したように、
日本にとって決して好ましいことではない。
それは歴史の中で分かりきっていることではないか。
そしてそれを加速させる中国市場に目がくらんだ日本企業、
今だけの企業利益のために中国に媚びる売女が将来日本人から仕事を奪うのだ。
そもそも、それ以上に名誉なくして生きる権利はない!
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