1 :
第一総軍 :
2000/12/29(金) 01:21 貧乏で有名な日本陸軍の戦闘能力.実際のところどの程度だったんでしょうか.部隊別の交換比率や編成内容など、具体的な資料をご存知の方はぜひ教えて下さい.
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/29(金) 11:37
最強だが弾がないのがタマに傷
3 :
切り身 :2000/12/29(金) 11:51
そうだなぁ 日本人は、コンプレックスから必要以上に弱いってゆうし アメリカ人は、「強かった相手を倒した俺はもっと強い論」で 強いってゆうし、 近隣諸国は恐れおののいてるし。 ヨーロッパの文献とかだとどうなってるんだろう
4 :
第一総軍 :2000/12/29(金) 23:56
なんか、ルイ アレンのビルマ遠い戦場の巻末資料によると、昭和20年のイラワジ会戦時にも日本軍は英軍に自軍以上の死傷者数を与えているし、悲惨なインパール作戦でも、戦病者を含めた日本軍の損害が6万ほど、英軍は死傷約2万、さらに本文中の記述ではその他に多数の戦病者を出していたらしく、スリムの記録では死傷4万だという。(おそらく戦病者含む) そう考えると、戦術レベルでは結構強かったといえるかもしれない.もっとも、単に戦死者で比べれば圧倒的に多いんだけどね.まあ、負け戦の中で重傷者は放置されたり自決したりしたことも死者が多いことの一因だけど、どう考えればいいんでしょうか.
5 :
名無し三等兵 :2000/12/30(土) 00:02
剣闘力は世界一か?
6 :
名無し三等兵 :2000/12/30(土) 00:19
イギリスもオーストラリアも日本兵は強かったというね。 ただ・・・日本軍じゃなくて日本兵という。 そこが真実かな
7 :
名無し三等兵 :2000/12/30(土) 00:27
今さらだが、長く中国軍相手だったからなかなか軍としては、一部を除けば 進歩しなかったんだろうなあ。 1万5、6千の関東軍が20万近い中国軍を破ったことあったそうだし。
8 :
名無し三等兵 :2000/12/30(土) 00:51
関東軍と言えば張鼓峯とノモンハンでも自軍以上の死傷者を 敵に与えたらしい。
9 :
連合軍、へたれ中国軍 :2000/12/30(土) 00:56
こちらが兵力や火力を豊富に準備しても、返って闘志をむき出しにして包囲してくる既知害な軍隊は迷惑です。 ラモウ、トウエツなんっていう戦争の推移に関係ない、ど僻地で玉砕するまでねばるんぢゃねぇ!!
10 :
名無し三等兵 :2000/12/30(土) 01:05
>>9 迷惑ということは遅滞行動として戦術上効果ありということだな。
相手が困ることをやりあって戦争はおこなうからな
11 :
第一総軍 :2000/12/30(土) 01:47
ラモウ、トウエツ、ミートキーナ等の遅滞作戦によって、結果的に大陸打通作戦を実施中の支那派遣軍の作戦に貢献したらしい。本国で窮地に陥った蒋介石は、遠征軍を早く呼び戻したがっていたので. まあ、日本軍としてもそんなつもりで玉砕したわけではなく、あくまで結果的にそうなったということですが.
12 :
名無し三等兵 :2000/12/30(土) 01:56
歩兵火力は貧弱と言われつつ、1個分隊に1丁の99式(96の場合も) 軽機と89式擲弾筒を実に効果的に使ってた感じもする。
13 :
名無し三等兵 :2000/12/30(土) 06:17
部隊編制とか、いい資料はなさそうだなあ。 一般論や、個人的体験のレベルならいい資料があるけど、 単に軍隊としての機能や、組織のメカニズムについて、詳細に解説しても それを必要とする読者がプロにもアマチュアにもいないものね。 ただし、概論としてなら米軍がWW2の頃に出してた 対日本軍マニュアルが判り易いんじゃなかろうか(どこかが出してたと思う) 具体的な編成の推移とかを扱い、一般に売られた資料本ってあるのかしら? 多分ないんじゃないかなあ?
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/30(土) 07:37
>>13 WarbirdsのBUNさんに聞いてみればわかるかも。
15 :
俺のケツをなめろ :2000/12/30(土) 11:21
T34/85一台で壊滅させることができます。
16 :
キャインキャイン :2000/12/30(土) 11:45
大岡昇平は第一次世界大戦を圏外で過ごしたことが、 近代戦に耐えうる陸軍の編成に失敗した要因とか言ってた。 ノモンハン事件でトンコロ喰ったのに、 ち〜とも考え改める気配なしだったし
17 :
名無し三等兵 :2000/12/30(土) 12:09
昔、ある雑誌でグルカの故郷を訪ねる(ミリタリー系雑誌ではありません) を企画した時、元グルカ兵のお爺さん達が、マラヤゲリラとかドイツ軍等は 大した事はなかったが、日本軍は一週間寝ずに戦闘していた唯一の軍隊だっ たと語ってました。同時に殲滅後、装備をみたら同情したくなる程、貧弱な 装備と食料事情だったと語ってました。
18 :
名無し三等兵 :2000/12/30(土) 13:30
兵の素質は当時世界一だったと思う。 上級指揮官と装備が良かったらと思うと(涙
19 :
名無しさん :2000/12/30(土) 13:34
今なら先制攻撃をすればアメリカにも勝てます。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい :2000/12/30(土) 17:16
補給があって金があって指揮官がまともで 優秀な兵がいきるよね、いまの自衛隊も似たようなもんだな
21 :
9> :2000/12/30(土) 18:43
>こちらが兵力や火力を豊富に準備しても、返って闘志をむき出しにして >包囲してくる既知害な軍隊は迷惑です。 そうですか。 でも俺はこの既知害な軍隊を誇りに思いますよ.
22 :
名無し三等兵 :2000/12/30(土) 21:30
>具体的な編成の推移とかを扱い、一般に売られた資料本ってあるのかしら? >多分ないんじゃないかなあ? 「日本陸軍便覧」米陸軍省編、光人社から邦訳が出てる。
23 :
時代遅れの人 :2000/12/30(土) 21:38
>22 防衛研究所に日本軍が編成部隊の全記録と将校の人事記録が あります。一般人も閲覧可能です。
24 :
名無し三等兵 :2000/12/31(日) 17:59
age
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/31(日) 18:45
昔、小野田さんが見つかったときどっかの国の軍人がゲリラでも 一人になったら降伏するのに、日本兵は一人になっても戦うので 凄いといってた。
26 :
名無し三等兵 :2000/12/31(日) 21:46
ダニガンの戦力評価は以下の通り 兵員 評価 中国軍師団 10900 4 英軍師団 17500 9 フィリピン師団 7500 4 米陸軍師団 15500 12 海兵隊師団 19300 16 日本軍師団 15500 10
27 :
名無し三等兵 :2000/12/31(日) 21:50
>23 ほんとうですか? じーさんの記録探しに行くぜ!
28 :
名無し三等兵 :2000/12/31(日) 22:45
>27 じーさんの詳しい経歴が判らないと人事記録は辿れません。 また、個人ではなく部隊にどんな将校が所属してたのかが 判るだけです。
29 :
名無し三等兵 :2000/12/31(日) 22:54
28 士官学校卒・最終的に中尉・ 中国にいた後、大本営にいたそうだ(自称) でも、恩賜の時計が居間にかざってあるので 本当ぽい・・・
30 :
名無し三等兵 :2000/12/31(日) 22:58
>29 原隊から調べれば判ると思います。恩賜の銀時計組か… 凄いお祖父さんですね。戦争が無ければ陸軍エリートコー スまっしぐらだったのに
31 :
名無し三等兵 :2000/12/31(日) 23:24
>30 うーん、凄い時計なんですか・・・。 なんでも鑑定団いけるかも・・・ 卒業年度・原隊聞いてみます。
32 :
名無し三等兵 :2001/01/01(月) 03:56
ばかばかしいほどの精神主義で、 太平洋戦争でもいまだに軍馬を使うなど、ロートルまっしぐらの ドキュソ軍隊でした。装備も時代遅れだし、戦術も 歩兵の銃剣突撃に頼っていたところもダメ。
33 :
第一総軍 :2001/01/01(月) 04:11
2日ぶりに戻ってきたら情報提供が増えていて感謝.これからも具体的な情報を希望. 軍馬については、大戦中は米英軍以外は独ソ軍でさえ大量に使用していた筈ではなかったでしょうか.そういえば英軍も、ビルマのジャングルに適応するために一部の部隊を自動車編成から徒歩と動物輜重に改めていましたね.まあ、精神偏重はそのとうりですけど.
34 :
カール グスタフ :2001/01/01(月) 05:45
>22「「日本陸軍便覧」米陸軍省編、光人社」を今、読んでます。 (13じゃないけど)結構、日本軍の装備を誉めていますね。 「改良、更新の可能性あり」ってとこが多いですけど、 結局、改良も更新もされなかったわけですね。 アメリカ軍に「必要にして十分だ」、と評価されながら新型に更新できなかった ってところが真実でしょうか?
35 :
名無し :2001/01/01(月) 06:49
兵站軽視の軍隊だったな。 機械化無視の軍隊だったな。 人命が菊の紋章付き兵器より軽い軍隊だったな。 民間人保護を優先させなかった軍隊だな。 植民地、占領地経営の下手な軍隊だったな。
36 :
名無し三等兵 :2001/01/01(月) 07:47
下手な煽りの冬厨だったな。
37 :
名無し三等兵 :2001/01/01(月) 12:05
age
38 :
アルザス :2001/01/01(月) 12:44
揚陸艇の元祖の丙型船は褒められるべきだろうな、陸軍空母と 呼ばれる「秋津州丸」や各種特殊船は他の軍に先駆けて建造された ものだし。
39 :
>38 :2001/01/02(火) 01:47
でも自前の潜水艦はいきすぎでしょう、、、、
40 :
名無し三等兵 :2001/01/02(火) 02:23
>39 あれのお陰でマトモな上陸作戦用舟艇整備の実績まで ドキュソに見えるね。 それとも、結果として潜水船以外がマトモだっただけで、 全部ドキュソだったのかな……。
41 :
名無し三等兵 :2001/01/02(火) 02:53
昭和18年に、陸軍では75ミリ級戦車砲の開発を 昭和23年を目安と考えていたそうです。 潜水艦作る前にやる事あっただろー!
42 :
名無し三等兵 :2001/01/02(火) 04:27
ドイツ軍の機械化部隊の主力は終戦まで軍馬だったんだがな。 後付けのイメージに50年たっても惑わされるのは旧軍以下だと思うがどうか。
43 :
名無し三等兵 :2001/01/02(火) 12:20
age
44 :
名無し三等兵 :2001/01/02(火) 12:56
>42 でも、完全機械化、機甲突破、空地一体の攻撃とかコンセプトはいいよね。
45 :
名無し三等兵 :2001/01/02(火) 13:04
やっぱ、日華事変を昭和13年春には停戦すべきだったよね。 近衛が「国民政府を対手とせず」なんつう、たわけたことを言ったせいで、、、(そればかりでもないが まあ、仏印進攻とか、なんか挑発的だったしぃ
46 :
名無し三等兵 :2001/01/02(火) 16:28
歩兵師団の砲兵や補給段列が馬車を使用していた 機械科部隊はトラックだったはず 補給が追従出来ないでしょ? なんか戦車じゃなくて騎兵が主力みたいに受け取れるけど?>42サン
47 :
名無し三等兵 :2001/01/02(火) 16:46
ドイツ軍は線路のないところではヘタレでした。 線路の幅が違ってもヘタレです
48 :
名無し三等兵 :2001/01/02(火) 23:00
あの当時軍馬中心の輜重部隊じゃないのはアメリカと イギリスだけだろ。 ほかは全部軍馬か徒歩の部隊だよ。 地形にもよるし。 リヤカーがいちばん実用的だったという 輜重の国もあるんだから。 自動車両にすればそれでその国の輜重が優秀と 判断するのは短絡的だな。 ただ建設工兵だけは機械化促進すべきだったな・・・日本は。 これで飛行場建設が遅れて日本は南方でずいぶん泣いた
49 :
名無し三等兵 :2001/01/03(水) 04:10
日本軍の輜重部隊が劣っていたわけではなく、 輜重部隊に託す補給物資の供給能力が劣っていた
50 :
名無し :2001/01/03(水) 04:37
日本軍は輜重兵をバカにしてたからな。 歩兵至上主義の軍隊だったものね。 今はどうなの?
52 :
名無し三等兵 :2001/01/03(水) 07:54
まったく、 高い戦車1両削って兵舎や天幕を新調してあげればいいのにねぇ
53 :
第一総軍 :2001/01/04(木) 01:31
日本陸軍スレッドは荒れるんじゃないかと心配していましたが、皆さん結構冷静に情報提供してくれているので助かります. だいぶ遅れてしまいましたが、26さんのおっしゃっているダニガンは、戦争のテクノロジーの人ですよね.ゲームデザインもやっていたはずですが、その戦闘力評価はどの本またはゲームの評価でしょうか.ご存知でしたら教えて下さい.
54 :
名無し三等兵 :2001/01/04(木) 13:16
age
55 :
名無し三等兵 :2001/01/04(木) 13:19
日本陸軍は正直申し上げて 当時のアメリカ海兵隊以下です。 (合掌)
ゲートル貧乏臭い
58 :
名無し三等兵 :2001/01/04(木) 15:02
57 みたよ。いまさら当然のこと。 装備の合理性・近代化率でアメリカ海兵隊・および列強 陸軍の編成(へんなり=装備の編成に関してはへんなりと呼び区別する) と日本陸軍のものとは隔絶の感あり。 いい戦車もってれば強いとか機械化率とかはアジアの闘いでは そうおおきな問題ではないが、歩兵携行火器が劣るのは 減点だよな
59 :
名無し三等兵 :2001/01/04(木) 15:06
日本軍は弱かったが日本兵は強かった。欧米のボードゲームでも日本兵 の評価は非常に高いものが多い。日本の歩兵ユニットはZOCを無視できる なんてのあるが(笑)
60 :
まあ、話し半分としても :2001/01/04(木) 15:25
>日本兵は強かった ヤケクソだったからな
61 :
ライダー :2001/01/04(木) 16:15
ショッカーより強い程度です>旧日本陸軍
62 :
名無し三等兵 :2001/01/04(木) 16:28
白兵戦には強いけど 接近戦には弱い
63 :
26 :2001/01/04(木) 20:48
ゲームではなくて、雑学本というべきか。
先の数字はほとんど火力だけを評価したものだと思う。
ダニガンはここの軍オタの評価は低いけれど、
ゲームデザイナーは両軍を偏見無く評価できるから
一見の価値はあると思う。
----
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発行日 : 1996年11月
納期情報(*3) : ただ今在庫切れのためバックオーダーになります。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/01/04(木) 22:44
ショッカーに強い程度ってどの程度? 無責任・ボキャなしの典型レス。 なにもわかんないならレスしなきゃいいのに なんかいわんと気が済まないんだろうな 比較対象からすでに逃げ発言じゃね、レスする価値なし、おまえ
65 :
第一総軍 :2001/01/04(木) 23:40
26様、情報に感謝します.火力の算定だとすると私の評価よりも日本軍を高く評価しているようです.私の火力試算では、一般的な日本軍師団の火力は米軍師団の3分の1と考えています.実際は、日本軍の師団編成は多種多様なので、第201師団のようにほぼ対等のものから、300代の師団のように3分の1以下のものまであるようです.実際の戦闘力は、火力だけでは測れないので興味深いところです.
66 :
名無し三等兵 :2001/01/04(木) 23:46
5師団(中国)や91師団(占守島)も火力は卓越してたでしょう。
67 :
第一総軍 :2001/01/05(金) 00:00
66様、そうですね。第91師団は火力が高そうですね.あの師団は多数の独立部隊を編合した師団なので、詳しい装備状態は残念ながら私の手元には資料がありません.第5師団は確か太平洋戦争開始時にマレー、シンガポール戦に参加した自動車化師団でしたね.確かに日中戦争にも参加していたと思います.終戦時にはインドネシアかどこかに駐屯していたはずです.常設師団なので、練度、装備も良好なはずですが、本土の部隊と比べて対戦車ロケット砲などの新兵器は劣っていたかもしれませんね.
68 :
名無しさん :2001/01/05(金) 00:05
5Dと沖縄に配備された24Dは日本軍のモデル師団ですね
69 :
名無し三等兵 :2001/01/05(金) 16:22
age
70 :
名無し三等兵 :2001/01/05(金) 16:47
71 :
>64 :2001/01/05(金) 16:47
つまらぬことに腹を立てる カルシュウム不足な君に 乾杯!
72 :
名無し三等兵 :2001/01/05(金) 19:00
歳さん!沖田さん!新撰組!と叫びたい気分です。 すべて、私の愛でつつみたい。私は高校1年生。 学校では皆から新撰組狂いだの、歴史狂いだのと 全然理解してもらえないのだけれど、今、私は 「どうすばらしいでしょう!私の恋人は!」 と自信を持って言えます。歳さん、沖田さん、そして 新撰組の皆さん、百年の時を越えて私の心に響いてきます。 何と書いたらいいのでしょうか。今日の私の気持ちを・・・・・・。 こんなこと、はじめてです。やっぱり来てよかった。 私と同じ気持ちを抱いてる方がこんなにいるなんて・・・・・・。
73 :
名無し三等兵 :2001/01/05(金) 19:20
>72 ど、どこから紛れ込んできたんだ、この遊星からの物体Xめ! 火炎放射器を食らえ! (バンコラン VS パタリロ 的) でもなあ、ほんとうにつきあったら、こわいぞ〜〜〜。 殺気と血のにおいを背負って帰ってきて、 それを忘れるためにあなたの肉体をむさぼり尽くすように抱くんだ・・・きっと。
74 :
第一総軍 :2001/01/06(土) 00:51
68様。第24師団も強力ですね.師団砲兵に15センチ榴弾砲まで持っている日本軍師団はそう多くは無いですから.昭和に入ってからの新設師団ですが、所属の各連隊は常設師団の連隊ですから練度、素質も優良のはず.
75 :
名無し三等兵 :2001/01/06(土) 11:28
age
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/07(日) 03:09
とにかく火力が貧弱過ぎ。あれではアメリカ、ソ連、ドイツ、イギリスなかとは比べられない。 下士官兵の精強さで補っていたようだが、実質はイタリア軍と同程度では
77 :
大陸打通作戦! :2001/01/07(日) 04:02
≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫ だが、ものの一年間もしないうちに、スチルウェル参謀長は、 その日誌に、自分の予期かった感想を記述することになった。 「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。 指導者たちの興味は、ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。 手に入るものには何でも頭を下げ、自分は戦わないように心がける・・・・。 “インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士 “ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! ≪中略≫ 当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、 その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練 をした孫部隊は、一キロ歩いては休み、次に一キロ進んでは ごろりと道端に寝転がる。 しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を 乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。 ≪中略≫ 孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえば かなわないものと信じていたのに、その日本軍がひきあげたのである。 勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。 ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、 たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。 そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。 ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、 にこやかに迎える孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・ なぜ、前進しないのか? ≪中略≫ スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。 「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかでとびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・もし自分の使命が達せられないようなら、 辞職してワシントンに報告せざるをえない」
78 :
名無し三等兵 :2001/01/07(日) 12:12
age
79 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 01:35
そりゃ、そんなんじゃ戦後の国共内戦で共産党軍にボコられるのも当然だわな… 日本軍1個大隊=中国軍1個師団も納得
80 :
第一総軍 :2001/01/08(月) 02:13
さて、日本軍の火力が貧弱なのはそろそろ情報が出尽くした感がありますが、皆さんは火力の劣った日本軍の実際の戦闘能力はどうだったとお考えでしょうか.可能な方は実例を挙げてご教授ください.
81 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 02:46
それにしても自分の生まれた県を出たこと無いようなニイチャンが いきなり南方のジャングルに連れて行かれて、なんて大変だったろうな。 おれたちがいきなりエベレストや南極に送り込まれるようなもんだ。
82 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 03:43
>80 日本刀と火炎瓶で突撃。 すなわち、当然全滅。 実例:太平洋戦線各地。
83 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 05:12
82はほんとにわかってんのかね?? たぶん戦線地図もみたことないんだろうな。 感覚だけで発言してる。 アノねぇ…対装甲の場合、歩兵は日本に限らず 爆薬嚢や地雷抱えて飛びこんでるんだよ。 フランス兵しかり、ドイツ兵しかり、イギリス兵しかり 中国兵しかり、ロシア兵しかり、朝鮮戦争の韓国兵しかり 日本刀は戦訓からの通達で戦闘時携行せずに自動火器または 小銃を携行すべしといわれてたんだ。 実際は将校も軽機または小銃携行して戦闘だよ。 これだから厨房は嫌い。しらないくせに思いこみだけで ヘタレ発言だからな
84 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/08(月) 05:20
85 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 09:08
>83・84 日常生活でクソの役にも立たない知識をひけらかして楽しそうだね。 現実社会の隅に引きこもっている白豚メガネ野郎と推察される。
86 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 10:58
>85 これなら無難に荒らせると思って書き込んだはいいものの あっさり知識不足と言うのがばれて地団駄踏んだあげくに コピペでなんとか憂さ晴らしをしていると推測される。 ・・・なんてな、小学生はもうすぐ学校始まるんだろ? ランドセルの中チェックしたか?冬休みの宿題終わったか? まぁかなり馬鹿っぽいみたいだから、レスなんか返さなくて いいよ。
>>85 2chでクソの役にも立たない皮肉をひけらかして楽しそうだね。
現実社会の隅に引きこもっている白豚メガネ野郎と推察される。
88 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 11:45
>>83 仏、独、英、中、露、韓の歩兵も爆弾を抱えて特攻していたんですか?
それと将校の装備ってそれまでは軍刀だけだったんですか?
マジで知らないんで出来たら教えてください。
89 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 12:13
>83・84=86・87 そんなに、悔しかったかい? ごめんごめん、ホントのこと言っちゃって…… 気を付けるよ。だからそんなにプルプルしないでよ(w
92 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 13:48
93 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 13:53
>90(83・84=86・87) 一見冷静さを保ってるかのように見せかけてるが、 そうとうプルプルきてますね〜 だからごめんって言ってるじゃん(w
94 :
>92 :2001/01/08(月) 14:03
100点
95 :
>93 :2001/01/08(月) 14:06
これ以上書き込んでも、自分のアホを宣伝するだけだよ? それとも、俺も「=83」にしてくれんの(ワラ ちょっぴり楽しみだったりする。
96 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 14:15
>95 わかった、わかった。 ボクの負けということにしてあげるから、落ち着いてね(w
>96 どっか逝ってください。
98 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/08(月) 14:40
みてると96>94>93>92>91>90>89の厨房はなにも具体的に問題なんか いえないんだな。きれいに数分ごとのレスをして、共同幻想つくりあげようと してドツボはまってるわ…。 だいたい勝ちも前もないだろう。おまえなんにも中身のあることは いえないバカなんだから。 厨房はなまじこういうスレに首突っ込まないでいたほうがいいぞ。 もろ低脳がばれるから。。。ちなみの俺は84だが必ずコテハン使っておる。 あとのやつは知らんし、俺のコテハンはほかの刷れでも見るはずだ。 わかったかフヌケ厨房
99 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/08(月) 14:42
上記誤字訂正する誠実な俺 4行目 勝ちも前も=勝ちも負けも 8行目 刷れ =スレ
100 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/08(月) 14:48
>98 はいはい。 そうとうカッカ来てるようですね。 落ち着いたほうがいいですよ(w
101 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 14:53
いるんだよああいう厨房、勉強だめスポーツだめ 学校では苛められ女子にまでコケにされ友達いなくて、 そういううさを全部ここに繋いで煽りやって ストレス発散させてる電波予備軍 ひとりで3役4役やって悲しい青春の奴 せっかくの祝日なのに、自分を複数称してる悲しい厨房だよ 哀れんでやるよ96
単純に100のほうがドキュンだとわかる
103 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 14:57
>101 まあまあ。 そうプルプルせずに、静かにしましょうね(w キミの言葉はそのままキミに返すからさ(ww
104 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 14:58
98> >使っておる。 …だいにっぽんていこくりくぐんの将校さんだったようです。 中尉ドノ!長靴を飯盒で煮て作ったジャングル定食が出来あがりました! 中尉ドノもお一ついかがですか?少々固いですが。 今日は特別にトカゲの丸焼きもついてます!
105 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/08(月) 15:01
第一総軍殿、ほかの皆様 あほ厨房は放っといて考察再開しようか。 戦史業書の後期師団編成の資料持ってる方、戦時編成師団の 編成と編成(武器編なり)簡単に掲示してもらえませんか。
106 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/08(月) 15:06
24Dの装備良質であったことは沖縄戦のスレで詳細に述べられて おりましたから、24Dと同じような編成の師団がほかにも存在したのか 否か、大学の資料で調べた限りは判明しませんでした。 目黒にいかれて調べた方がいらしたらご教示を
107 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 15:09
>105 やっと落ち着いたようだね。 そうそう、厨房はね、ほっとくのが一番だよ(w これで少しはわかったかい? なまじレスつけると荒れるだけだよ(w じゃあね(w
108 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 15:10
>104 ところで、キミは何?
沖縄から1個師団台湾にまわさなきゃならないときに、 9師団か24師団かを選ぶように32軍(沖縄防衛部隊)が 大本営からいわれて9師団が装備が古いから台湾に出したと 聞いたことがあります。なんかで読んだ
107だって100とおなじやつじゃん ばれないと思うのが厨房・・・もしや 頭よわいから消防か???
111 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/08(月) 15:20
>>110 おまえも煽るなよ…本題になにも関係ないし、あんなやつ
興味はない。スペースだと思えばよかろう。情報性のなにもない
レスは単なるスペースだ。おまえもそう思え くだらん
八原高級参謀の手記で32軍の9D台湾派出のことは書かれている。
109の言うとおり装備優良な24Dを沖縄に残置した
112 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 15:24
>110 100=107ってことは、ひとめ見ればわかるじゃん(w ちょっと蛍の光ちゃんをおちょくっただけだよん(w まあキミも、107を読んで落ち着いてね(w じゃあね。
113 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 15:28
>111 そうそう、その調子だ。 有意義なレスをつけるようにね。スレの状態も良くなるよ。 その調子でがんばってね♪
112・・・おまえの電波度もう病院いっても回復 しねぇかもしれねぇな。自分では気づいてるだろ・・・ このままじゃまともな大人になれないって いちいち(wつけるのってホントはおまえが笑えないような 日常過ごしてることなんだぜ。わかる?
115 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 15:34
はいはい。わかったからキミもここからでていこうね(w 蛍の光君のじゃまだよ(w
116 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/08(月) 15:35
夜になればまともに考察できる人間が来るから 俺はしばし落ち。114もバカ相手にしてねぇで もっと生産的なことをしたほうがいいぞ。 情報性皆無なら電波でない限りはここに張ってても しかたあるまい。
117 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/08(月) 15:38
相手にしてくれる人間リアルにはいないから 114や俺に食って掛かってるんだから。 114もわかってるだろうよ、そのへんは。 子供連れて本屋にいくから落ち。 電波のさびしさ慰め役はご免こうむるね…俺は
118 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 15:47
>蛍の光 といいつつ、書かずにいられない悲しい性分のようだね。 じゃあね(w
いちいちへらへら笑ってるので115の日常がわかるよ。 おれ専攻がそっちだから。 BBSでいちい(w)つけなきゃならん115って 実生活で服従と隷属でかろうじて社会にぶら下がってる 感じ・・・・おれも落ち・・・・きもちわるい奴115 くせぇ
120 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 15:52
>119 はいはい。わかったからキミもここからでていこうね(w 蛍の光君もいなくなったふりしてるようだし(w
なんだこりゃ?
レスが伸びてると思って来てみたら、荒れてたんですね。 改めて、第一総軍さんの新たな問いを貼っておこう。 さて、日本軍の火力が貧弱なのはそろそろ情報が出尽くした感がありますが、皆さんは火力の劣った日本軍の実際の戦闘能力はどうだったとお考えでしょうか. 可能な方は実例を挙げてご教授ください. さて……
123 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 16:40
火力絶大だったけどあっさり負けたフランス軍とか考えると複雑。
124 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 16:50
ノモンハンでは、善戦したっていわれてますよね。 あれほど火力に懸絶した差のあったソ連軍相手に。 もちろん、死傷者も途方も無い数だったそうですが。 潜在的な戦闘能力は非常に高かったのではないでしょうか? (というか、そう思いたいなー。)
125 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 16:53
>124 文字通り死力を尽くすような戦いには強かったんでしょうね。 装備だけ見てヘタレって言ってるのはどうかと思いますよ。
126 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 16:58
>>125 イタリア軍にはヘタレの称号を与えてもいいですか?
>126 軍事板では以前から「ヘタレ=イタリア軍」です。
>127 ヘタレア軍ってことですか? 関係ない話なのでさげます。
129 :
88 :2001/01/08(月) 18:00
完全に埋もれた・・・
130 :
名無しです! :2001/01/08(月) 19:58
>124 既出かもしれないですが。対戦した相手側の評価 ノモンハン事変の後モスクワに凱旋したジューコフ将軍に対してスターリンがら日本軍の評価を質問された時の答え、 『日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である。』 拉孟・騰越の玉砕戦の後、蒋介石総統が出した布告(逆感状として有名) 『戦局は有利に発展しつつあるも前途なお遼遠なり。(中略)ミトキーナにおいて、拉孟において、騰越において、日本軍が発揚したる忠勇と猛闘とを顧みれば、中国軍の及ばざること甚だ遠し。願わくは一層士気を振起し、万難を克服して大敵の打倒に邁進せんことを』 ブナの戦闘終了後、マッカーサー曰く 『ブナの戦闘に勝った後は、対日戦の勝利を疑うような事はなかった』が、死ぬまで戦う日本兵の頑強さを骨身にしみて知った将軍は『No more Bunas』を誓い、蛙とび戦術を採るようになった(米公刊戦史) 先陣訓の呪縛はあったにせよ、当時の日本兵の頑強さは特筆に価すると思います。 アイケルバーガー将軍(記憶危うし)だったとおもいますが、『日本兵を指揮して戦場に立つのが軍人として自分の夢である』というような事を戦後述べていますしね。 ヘタレの一言で片付けるのは、何か複雑な気がします。 実戦部隊は、良くやったと思いたいですね。
131 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 20:19
>130 確か、ブラッドレー将軍も「日本軍1個連隊を指揮してみたかった」というような事を 言ったような気がした。 直接対戦した相手では無いけれど。
132 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 20:30
みなさんが書くように、それほど強い日本軍も、停戦命令にあっさり従った。 これこそ、マッカーサーが度肝を抜いた事実でしょう。 天皇の命令がすべてである、という理解に達したわけで、 従って天皇制を残すほうが戦後処理しやすいという結論になった。 いやはや、変な国だったわけですね。しかし、ある意味、誇りに思ってよいのでは。 ごめん、スレ違いですな。
134 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 21:10
>>130 合衆国が、戦後日本に軍備を持たせずに(その後再軍備となったが)
ドイツ以上に、自国のコントロール下に置こうとした理由は、
そのへんに理由が有るようですね。
135 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 21:41
今野我々にはとうてい持ちようのない気力・精神力だ。
136 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 22:02
> ノモンハン 当初は火炎瓶を使って戦車を攻撃していたそうですね. 最初,戦車の燃料にガソリンを使っていたのでかなりの効果があったらしい. しかし,それに懲りたロシアが戦車の燃料に軽油(重油?)を 使うようになったので,それも通用しなくなったのだと. すみません,この辺の詳細をご存知な方,どうぞ御教授ください.
137 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 22:13
ここのスレを読んでると、日本兵に対して賞賛を禁じ得ない。 あなた方は、よくもまあ、あんな状態で善戦してくださったと……
138 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 22:48
>>137 完全同意。
靖国には行かないが、(戦犯で嫌いな奴がいる)、
しかし、下士官・兵には、素直に頭を下げるです。
139 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 23:02
追い詰められた兵が頑強な抵抗を示した例は他国でも結構ありますね。 ドイツやソ連、イギリスやアメリカ軍などなど。 しかし、絶望的な状況で文字どうり最後まで戦ったのは日本軍くらいかと。 >136 対火炎瓶用にディーゼルエンジンの戦車を持ち込んだのと、エンジン上部に覆い(金網?) を施したと記憶しておりますが。(って、ノモンハン戦見てきたみたいだな、俺) ちなみに、ノモンハン戦初期で対戦車砲の砲弾があったときは結構有利に戦いを進めていた ようです。>日本軍
140 :
いくら :2001/01/08(月) 23:17
兵隊、下士官が優秀でもその上があれじゃ、戦闘には勝てても 戦争には勝てないよなあ
141 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 23:30
うちのじいさまが、とうとうアルツハイマーになってしまった。 しかし体は頑強なまま。とうとう養護施設の壁を破壊。 ああ元帝国陸軍軍曹。
142 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 23:42
141> そのまま硫黄島に放り出しておいてください。 米軍に突撃するはずです。
143 :
名無し三等兵 :2001/01/08(月) 23:54
結局は精神論に辿り付いてしまうところが 日本陸軍の決定的弱さ。
144 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/09(火) 00:11
たしかに資質優れた日本兵1個連隊に優良装備を施して 指揮してみたいと有能なアメリカ将軍は思うでしょうね。 BT戦車はちょろく燃えるという表現でノモンハンを語る 下士官兵いますよね。対戦車集団戦闘の初体験にもかかわらず パニックにならずに戦闘して、損害を与えていたことに注目して よいかもしれません。対戦車戦闘指揮の脆弱性と戦車運用のまずさは 日本は生かすべきだった…その後に
145 :
第一総軍 :2001/01/09(火) 00:42
いやあ、1日ぶりで戻ってきたらだいぶ荒れてたんですね.蛍の光さんその他、残った方々が静めてくださったようで感謝します.私も、厨房と呼ばれる人が日本陸軍を弱いとけなすのも解らないわけじゃありませんが、戦闘の実例を調べるにつれ、単純に装備だけを見て弱いとはいえないことに気づくようになりました。また、弱いといわれる装備類も、米軍は別としても、その他の国と比べて言われるほどに劣っていたわけではないらしいことが編成表その他から読み取れます.確かに、戦車や対戦車砲が列強より1世代遅れていたのは確かですが、太平洋での戦闘では、米軍の投入戦車の37パーセントを撃破(恐らく完全損失の数字のみ、その他に損傷後修理車両が存在する可能性あり)するなど、戦術と根性で健闘しています.戦略という視点で見れば、日本陸軍は大ボケかも知れませんが、戦闘能力に限ってみれば、このスレッドで再検討するだけの価値があると思われます.
146 :
Tor :2001/01/09(火) 00:47
アメリカGR/D社のシミュレーションゲームでは欧米諸国軍と日本軍が 共通の観点で数値化されているので比較できるかも。 これによると日中戦争当時の4単位師団は攻撃力9、防御力11くらい。 プラス攻撃力/防御力2の兵站地区隊がついてる。 ちなみに独ソ戦時点のドイツの1線級歩兵師団が攻撃力/防御力8、 LSSAH師団の最強段階が各20。イタリア軍は最良の歩兵師団で4…。 ただし、砲兵戦力が貧弱なので他の部隊に火力支援を与えることが 出来ないということになってる。支援可能なのは近衛師団などのエ リート部隊のみ。また軽歩兵扱いなので移動にボーナスがついてる。 ただ、太平洋戦争の頃の3単位師団になると、攻撃力6、防御力8く らいにダウングレードする。
147 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 00:49
陸軍機カッコイイ
148 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/09(火) 01:13
わたしもいろいろ読んで思うのですが、日本軍の戦い方が優れていたのは 戦訓が多くあることにもよると最近思うんです。 米軍は戦争から遠ざかっていましたから、初期は非常に下手で弱かった。 日本兵を恐れていた。 しかし戦訓が増すにしたがって戦い方のコツをしっかりと身につけた。 やはり中国より米のほうが学習能力が高かったのでしょう。
149 :
第一総軍 :2001/01/09(火) 01:14
ごめんなさい。一気に書いたら読みずらくなってしまいましたね.以後気をつけます. 蛍の光さんへのお返事 24師団の装備問題ですが、私もそれほど詳しい資料を持っているわけではありませんが、歩兵連隊の装備という点では、編成の経緯から考えて以下の師団は同等の装備を持っていたはずです。 戦前から有る常設師団 近衛(後の近衛第2)、1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12、14、16、19、20師団 上記の常設師団を3個連隊に改編した際、余剰の連隊で編成された師団. 23,24,25,28,29師団 関東軍、又は支那駐屯軍の現役部隊で編成した師団. 26,27師団 樺太混成旅団又は、台湾混成旅団を基幹として編成した師団. 48,88師団 これらは歩兵連隊の装備のみを評価しており、砲兵については別に検討する必要があるかと思われますが、24師団と9師団の装備の違いは、主として砲兵の違い(9師団は山砲装備)で会ったことが解ると思います. 又、貧乏な日本陸軍は全ての部隊を重装備するのではなく、多数の独立部隊を編成し、重要な任務の兵団に増強して戦場に送り出すため、上記の師団でも戦場ではそれぞれ違う装備内容であったことが考えられます。 砲兵の装備状態について、私の資料が不足している上整理不十分なため今回は見送らせていただきます. お返事その2 戦史叢書の本土決戦編を所有していますので、決戦師団の編成内容は手元に資料があります.週末など、時間のあるときにご報告します.そういえば、200番代の決戦師団の第一陣は、上記の師団より編成装備ははるかに優れています.装備率については、11月の米軍上陸までには一応完了しそうですが、終戦時には編成中という状態だったようです.
150 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 01:17
朝鮮戦争でマッカーサーは旧日本軍人を召集して部隊を作り 戦局の挽回を図りたいと洩らしたらしい。 プサンが落ちそうなとき考えたそうだが、さすがに朝鮮半島で 日本軍投入となると国連軍としての立場がないのでご破算に なったらしいけど
151 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/09(火) 01:21
第一総軍様 ありがとうございます。さっそく保存させていただきました。 お手すきの折にでもよろしくお願いいたします。 僕も何かよい資料を神田の文華堂で探してみます。
152 :
第一総軍 :2001/01/09(火) 03:18
胃が痛くて眠れないので又来ました. Torさん、私も、ボードゲーマーなので参考になります.このスレッドも本土決戦のゲーム製作の資料にするつもりでご教授いただいています.更に詳しく教えていただけると有難いです. 蛍の光さん、私は茨城の人間ですが、時々文華堂へも行きますが、年に数回程度なのでいい資料がありましたら情報をお願いします.そういえば、新人物往来社のバックナンバーで日本陸軍師団戦史、日本陸軍部隊総覧、日本陸軍機械化部隊総覧は、戦史叢書を別にすればなかなかわかり易い資料ですね. その他のみなさん、本土決戦師団以外の詳しい編成、装備の内容をご存知の方、情報をお願いします.又、日米軍の交換比率をまとめた本があると聞いたことがありますが、まだ見たことがありません.ご存知の方は教えて下さい.
153 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/09(火) 03:33
このスレはどうかみなさん荒らさずに静かに進行させて いただけることをお願いします。 よろしくお願いします
154 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 10:33
本格的な迫撃砲、重砲、対空機関銃、対戦車ロケットなど基本的な火器 が日本軍にはなぜ欠けていたのでしょう。 単に金がなかったというだけの話ですか?
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/09(火) 13:37
自動小銃があれば大分違ってたんじゃないかと思う。 光人社の『最悪の戦場に奇跡はなかった』 高橋 伝 著 で筆者はさかんに主張されていた。この人ガ島とインパールを転戦したらしい。
156 :
>150 :2001/01/09(火) 14:19
元日本軍の在日朝鮮人義勇部隊はあったと聞いた。 面白いエピソードに、中共軍に包囲されたので全滅を覚悟して日本語で万歳三 唱したら、日本軍がいると勘違いした中共軍が包囲を解いて逃げ出したので助 かったんだとさ。 ほんとかね?
157 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 14:21
>155 補給が続きません。 弾が無ければ、何があっても同じです。
158 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 19:18
本格的な迫撃砲、重砲、対空機関銃、対戦車ロケットなど基本的な火器 が日本軍にはなぜ欠けていたのでしょう。 単に金がなかったというだけの話ですか?
159 :
>154,158 :2001/01/09(火) 19:32
迫撃砲も重砲も対空機関銃も日本軍にはあったと思いますが・・・。 質問の趣旨はなんでしょう? なぜ、配備が進まなかったかということでしょうか?
160 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 19:42
38式歩兵銃なめてはいけません。 射程4km
161 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 19:43
>158 迫撃砲や機関銃を作る技術はあったようなので、金がなかったのでしょう。
162 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 19:44
>159 配備とメンテナンスと補給の面も含めてです。 >160 ワラタ
163 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/09(火) 19:55
迫撃砲というのは簡単な武器で弾丸も特別技術的に無理はない 擲弾筒の運用・実戦での実績がよかったので整備しなかったものと おもわれる。 とくに南方のジャングルの多い地形なら擲弾筒の装備数を 高めるほうが確かに利にかなっている
164 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/09(火) 19:57
《補足》 ジャングルで弾着観測容易ならないのなら なおさら擲弾筒のほうが運用に幅があり、 事実連合軍の指揮官は擲弾筒の合理性を語っている
165 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 20:01
対空機関砲は、皇居に配備されていた模様。 高価なので普及しなかったようだ。 >163 う〜ん、結構使ってたような気がしますが。>迫撃砲
166 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 20:06
本格的な迫撃砲ということになるとね。 重迫撃砲は皆無だったな。 重砲も。
167 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/09(火) 20:08
米軍はめくら撃ちで迫撃砲射撃してますよね。 弾があるから。 対空機関銃ってドイツでもイギリスでもアメリカでも 既存の機関銃に対空用三脚などをセットしたものでしょう 日本も機関銃小隊は対空三脚携行しておりますよ。 20_とかの機関砲をいっているならわかりますが…
168 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 20:09
米軍は太平洋戦争で散々擲弾筒に手を焼いたので、その後自分たちがグレネード ランチャーを使うことにしました。
169 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 20:10
陸上配備型25_機関砲はありますよ。 沿岸部重防地点に配備されていたはず
170 :
>167 :2001/01/09(火) 20:11
>20_とかの機関砲 そうです
171 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 20:12
ジャングルで重砲・・・・・つらそうだな。 海岸線に配備する以外なさそう
172 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 20:20
対戦車ロケットが無かったのも痛いな。
173 :
名無し三等兵 :2001/01/09(火) 22:11
バズーカ砲試作段階で敗戦
174 :
軍好き :2001/01/10(水) 00:13
まあ九二式重機関銃と言う傑作があるけどな。あと九二式重機と九九式軽機の改良と思われる一式重機関銃に一式軽機関銃なるものが有ったけどね。でも殆ど生産されてないけどね。個人的にチェコ機銃は結構好き。あと九二式は保弾板じゃなくてベルトで給弾すればなおさらよかっただろうけどね。
175 :
名無し三等兵 :2001/01/10(水) 02:30
>174 補弾板って、あれ先に装填した板の端に次の板を引っかけられる から、装填手がいれば、ベルト給弾に劣らないよ。 ただ、どうしてもかさ張るけどね。 >迫撃砲 ありゃあ、命中精度を期待出来る兵器じゃやないよね? 射撃シーンを見ても、とにかく数撃ちます。という兵器でしょ? 日本軍の兵器選定や装備の方針として、「弾の節約」というのが 非常に大きい。自動小銃が採用されなかったのも、重機、軽機ともに 異常に命中精度が重視され、発射速度が遅いのもそのせいでしょ よって、迫撃砲の役割はより中途半端だけど命中精度が高い 大隊砲(歩兵砲・年式忘れました92式ですっけ?)がになうことに なり、弾幕張るのに有利なストークス・プラン系の迫撃砲は好まれなかったのでは? ジャングル戦なら、中射程で大射角の迫撃砲はかなり有用だったはずで 射程から言って、擲弾筒では代替できなかったんじゃないかなあ 山本七平がすこし書いてる。 あと考えられるのが、砲兵のプライドで「あんな安物はダメ」とか じじいの砲兵監が頑張りそうな気がするなあ。
ほんと、ここって「オタク」の巣窟だね。 実際に負けたわけだから、弱いってことじゃん。 にっぽんぐんは。 てーこく陸軍ばんざーい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以上を持ってこのスレは終了させていただきます。 長らくの御愛好を感謝痛します。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 終 了 ・ ・ ・
ズダダダ〜 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・・ ・・ ・・・ ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん
ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん
上等兵ドノ〜!ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん
とつげきばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん
攻略目標、中田商店!ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん ばきゅーん
182 :
名無し三等兵 :2001/01/10(水) 16:49
>本格的な迫撃砲、重砲、対空機関銃、対戦車ロケットなど基本的な火器 >が日本軍にはなぜ欠けていたのでしょう。 特定の隊が装備していたと言うことが議論の対象じゃなく、 標準装備であったか否かと言うことが問題
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/10(水) 20:15
空気が疲れてきてるな
184 :
名無し三等兵 :2001/01/10(水) 20:20
>>1 弱くはない。
相手が悪かっただけ。
当時の世界ランキングなら5位くらい。
(独ソ米英の次)
185 :
名無し三等兵 :2001/01/10(水) 20:50
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ / ,――――-ミ / / / \ | | / ,(・) (・) | (6 つ | | ___ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | /__/ / < みんなよく知ってるねぇー。 /| /\ \________
コピペがうざいからサゲ
187 :
第一総軍 :2001/01/10(水) 21:03
また荒れてきてますね。 176さん、弱いんなら弱くても良いんです.問題は、184さんがランク付けしているように、世界的に見てどの位の弱さなのか.(又は強さ) どうして弱かったのか.(又は強かったのか) 実際にどの位の戦果を挙げ、また損害を受けたのか。(つまり交換比率) 補給があった戦場と無かった戦場の比較. 負けたから弱いんだというだけでは、その弱さの本質に迫れません.そういっていたら、米英軍以外は全て弱いことになってしまうし、米軍でさえベトナムをもし敗戦と解釈するなら(戦争目的を達成できず、敵は目的を達したという意味において)弱いことになる.ソ連だってポーランドに負けたことがあるんです. オタクの巣窟でもなんでも、日本軍が強かろうと弱かろうとかまいません.少しでも真実に近づきたいだけです.具体的な数字を挙げての問題提起ならば大歓迎ですので、その意思があれば今後ともお願いします. 国家や軍の指導者でもない我々が分析したところで、世の中の役に立つわけではありませんが、そんな事言っていたら我々一般市民の人生なんて殆ど無駄ってことになってしまいます.そうかもしれないですが、そう思ったら世の中つまらないでしょう.
188 :
大佐 :2001/01/10(水) 21:19
わが帝国陸軍は 強姦能力なら、ソ連についで世界第二位の偉容をほこっとりますです。 これというのも、敢闘精神による戦闘力と絶倫精神の性能力の賜物。 南京で中国人をヒーヒー言わしたりましたわ。 では。私もガダルカナル戦で忙しいので。 あ、そこのカタツムリは食ってはならん。 それは俺の晩飯だ。
ウザイ1のいるスレ
IT戦争の時代になってきたので オタクも役に立つと思われ。 陸海空につづいて「戦略オタク軍」の創設も あながち、空想とは言えないかも。 ナチ公の制服とかを支給すれば、連中も喜ぶだろうね。 しかし、気色悪いのは確かだ。 兵舎は秋葉原並にくさい連中に占拠されているのか。 ちゃんと警務隊は風呂に入れさせろ。あと長髪はかんべん。 テレホでネットにはまってそうなので、 六時に起床できる奴が何人いるのか…
>188 自前の「巨砲」は世界第二位か。(藁) そりゃ、サンパチ銃よりも携行度は高いね。 だけど、慰安婦で精力をそいでいた事を考えると、 おそらく世界一の軍隊だったのでは。
192 :
大佐 :2001/01/10(水) 21:37
191よ、 サイズでは鬼畜米英に劣っておるが、 我が陸軍は優秀な硬さをもっておるでのう。 速射砲なのが唯一の欠点じゃ。
弱さの本質に迫ると、なんか良いことあるんでしょうか?
194 :
大佐 :2001/01/10(水) 21:57
こら、重機関銃をオカズにオナーニしているのを 邪魔するな。
∧=∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∩(゚Д゚ )_ < 大日本帝国陸軍万歳! ――l∠ ̄〆/ ̄ ̄ ̄ ̄\\ \____________  ̄ ̄|` ̄|| ./_ │●│ \λ __  ̄ ̄\_____ >} ‐=</ )、 / ̄ ̄ ====  ̄ ̄\^ ○/)| _/_/⌒N / /0 __\/ )| ∠__ /]  ̄  ̄ ̄ ∠___/ )λ |==== |――――――――|==== | )λ \===\ _______\===\/
196 :
名無し三等兵 :2001/01/10(水) 23:01
1の母でございます。 このたびは、息子がこのようなスレッドを立ててしまい、 皆様には大変ご迷惑をおかけしております。深くお詫び申し上げます。 息子は幼い頃に父親を亡くし、そのショックで内気な子供になって しまいました。そのせいか、小・中学校ではいじめにあっていたのです。 この年になるまで、恋人はおろか友達さえもいないようで、大変心配 いておりましたが、この2ちゃんねるというサイトを知って以来、息子も 少し明るくなったようです。「今日○○板でね、ドキュソがさあ…」 と、とても楽しそうに夕食の時に話してくれるのです。 どうぞ皆様、息子を暖かく迎えてやってくださいまし。本当は良い子なんです。 よろしくお願い申し上げます。 と言いたいところですが、度重なり糞スレを乱立する息子にそろそろしびれをきかせおります。 もうとがめはしません、どうぞこのバカ息子叩きまくってくださいまし。
>196>1 かわいそうに。 でも、ええお母さんもってシアワセだ。
198 :
名無し三等兵 :2001/01/10(水) 23:27
おれ、普通科一士だけど、戦略オタク軍ができたら 幹部として抜擢してもらえないかな… たぶん大活躍できそうだもん 今の小隊ではいじめられているし。 下からベットの底を蹴り上げられて寝かしてもらえない。
199 :
名無し三等兵 :2001/01/10(水) 23:35
>198 その間は、下のヤツも寝てないから痛み分けってとこだな。
200 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 00:36
戦略オタク軍の編成 オタク幕僚長―オタク東北方面隊 オタク東部方面隊 オタク中部方面隊 オタク西部方面隊 ※幕僚本部は東京都千代田区秋葉原に設置とす オタク師団の編成 電気オタク1個中隊(工兵担当) アニオタ 2個中隊(南京強姦担当) ロリコン 1個大隊(幼女専門強姦担当) 引篭り 2個中隊(蛸壺での引篭り担当) パソオタ 2個大隊(機械化部隊相当) 陸軍オタク2個大隊(軍装マニア含む・ハッタリ戦闘担当) 以上、ジェーン・オタク年鑑より抜粋
201 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 00:39
ここ荒らしてる奴はすっごくかっこよくて、素敵な人なんだろうねえ? 一体、君の人生の目的はナニ? 生きてて楽しいかい?人を貶すだけがキミの楽しみなんだねえ そうすることでしか、充実感を得られないんだろ? 誰かの価値観やブランドに寄りかかって生きるのはさぞ 楽しいだろうね。ま、自信が無い奴ってそんなもんだけど わしのようなオタクには到底理解できない素晴らしさだよ。 もっと自信をもって、胸張って生きてみたら? 自信の無さが他人への攻撃になって爆発するんだよ。 逃げるなよ、臆病者。 責任もって、なにかを成し遂げてみろ。 人のことを端から貶すだけなら、誰でも出来るさ。 お前は正真正銘の卑怯者だね。一生他人が作った看板背負って喜んでな。 お前は自分の看板を作れそうもないからな。
202 :
第一総軍 :2001/01/11(木) 00:43
196さん、ネットは初心者だけど、女の子には余り不自由してないけどなあ. あと、父親が早く亡くなったのは本当だけど息子呼ばわりされるほど小僧じゃないよ. 2chに良くあるネタなのは解るけど、面と向かって俺に言えるかい. 少々大人気なかったな。又来る.
>>201 >>202 もう何十回も使い回しのコピペに怒ってもしょうがない。
相手はコドモか酔っぱらいだ。
無視するのが一番だね。
趣味一般板なんて滅茶滅茶ですよ。
204 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/11(木) 06:53
まったくだ…執拗な異常なドキュン相手にしてもしかたない。 粛々と淡々とそれぞれの知識や疑問をレスしていこうではないか。 精神安定剤切れた電波のごみレスは無視すればよいわな。 糞の役にもたたんからな。あんな低脳のレスは
205 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/11(木) 06:57
なお言わせてもらえば旧軍の問題はそのまま現行の自衛隊の 問題につながるものが少なからず存在することを 述べさせてもらう。 敗北した旧軍の編成・装備・人事・作戦 それはそのまま警察予備隊として発足した自衛隊の 発足時よりの問題点を内包しておると思慮される。
206 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 07:04
>>198 おまえ一士くんだりで何言ってんだ。
おまえの中隊長の名前レスしてみろ。いいこだから。
なにが幹部だバカが。
その前に曹候補にもなれんだろう。
207 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 07:21
荒らしには沈黙で臨むのが鉄則ですぞ皆の衆。
208 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 07:36
209 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 08:44
>201 おもろい
210 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 09:38
本格的な迫撃砲、重砲、対空機関銃、対戦車ロケットなど基本的な火器 が日本軍にはなぜ欠けていたのでしょう。 単に金がなかったというだけの話ですか?
212 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 13:39
age
対戦車ティンポ装備完了!
210> 兵隊揃える方が安上がりだったんだろ。 みんな、命令に逆らわずに、 はらわたさらけ出して死んでくれんだから。 あ、黒焦げとか、餓死ってのもあるね。
ここもそろそろ終わりだな…
216 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/11(木) 16:21
重砲はあったでしょうよ。 対空機関砲も25_があった。 言ってる趣旨がよくわからんね。 自走重砲とか自走対空機関砲とかいってんのかい?あんたは
217 :
>216 :2001/01/11(木) 16:22
特定の隊が装備していたと言うことが議論の対象じゃなく、 標準装備であったか否かと言うことが問題
218 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/11(木) 16:24
対空機関銃は機関銃小隊が対空三脚携行してる。 世界中に対空専用の機関銃開発して配備した国なんかないよ。 機関砲ならいざしらず。 口径12.7までを機関銃それ以上を機関砲と呼称区分してるぞ。 そういうことから勉強してからレスせい
219 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/11(木) 16:26
標準装備化して地誌がよくない南方でどう運用するのだ。
220 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/11(木) 16:28
小銃からして日本軍は近代化には遅れをとってたんだ。 戦闘能力を迫撃砲、重砲、対空機関銃、対戦車ロケットで 判断するのはナンセンス
221 :
>蛍の光 :2001/01/11(木) 16:31
222 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 16:43
223 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 16:53
口径が小さいし、やっぱ明治時代のレベルだと思う>サンパチ でも大戦中期までは信頼性は高かったらしい!?
224 :
>223 :2001/01/11(木) 16:57
しかし、戦後、小銃の口径は小口径化してきているぞ。
225 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 17:42
最近行った某公認遊技場の老人が 「M1なんか弾幕張るだけで使いもんにならん、38なら1kmでもいける。要は使い奴の能力次第だ 毛沢東軍が蒋介石に勝てたのは鹵獲した38つかったからだ」 と言いながら空気銃でかんしゃくだまを撃ってた。 更に「海保や自衛官もたまに来るけど、10mの移動目標もなかなか撃てへん それに比べて、朝鮮人やブラジル人はうまいよ。特にアメリカ人」 などといってたけど、やっぱり38は職人じゃないとつかえないし アメリカ人と比べると銃の腕前で劣っているような気になった。
226 :
名無し三等兵 :2001/01/11(木) 18:00
227 :
第一総軍 :2001/01/11(木) 20:17
1月は営業の仕事が楽なので早く帰ってきました.いつも10時頃まで仕事だけど. 203さん、蛍の光さん、すみません、少し大人気なかったです.201さん、代弁感謝します.自分の存在を賭けて挑んでくる相手は、敵でも尊敬できるんだけど安全圏からしか攻撃できない人物は生理的に好かなかったので.ご忠告どうり、これ以降無視します. さて、溜まっている問題に私も参加. 1、迫撃砲は、やはり消費弾薬の点で嫌われたんでしょうね.最も、92式歩兵砲の代わりに97式曲射歩兵砲(81ミリ迫撃砲)を装備した師団もあったし、本土決戦師団2式12糎迫撃砲が大量に装備されていましたけど.本来、量産が可能で軽量な迫撃砲は日本軍に向いた兵器だったと思うので残念です.まあ、重擲弾筒が装備されたのが救いですけど. 2、重砲は、重砲兵連隊や野戦重砲兵連隊に装備されていましたが、師団装備になかなかならなかったのは、機動性を重視する日本軍にとって重すぎること、そして大量生産に向いていないのでとても全師団には配備できないからでしょう.前にも書きましたが、日本軍は必要な兵団に独立部隊を配属して増強する方法をとっていましたが、貧乏な日本軍としては合理的な方法だと思います.後方で警備任務の師団に重砲が有っても宝の持ち腐れですし. 3、対空機関銃については確かに日本軍の弱点ですが、重砲と同じく必要に応じて独立部隊を配属していたようです.本土の200番代決戦師団には初めから20ミリ機関砲が装備されていましたが. 4、対戦車ロケットも決定的に遅れましたね.まあ、終戦時に3000門以上が生産済みだったらしいので、本土決戦時には何とか間に合いそうですが。出典は忘れましたが、1個連隊あたり36門配備する予定だったとか.(一寸自信がない記憶ですが) 遅い時間に又来ます.
228 :
名無しさん@蛍の光 :2001/01/12(金) 06:02
忘れていたことがあるのですが、 日本軍の伝統からか師団には状況により独立連隊・大隊などを 配備しいわば増強師団として運用する慣例があったようですね。 生産力が追いつかないのはもっともで、かつ師団固定編成にしていない ことからそういう部隊が師団になかったと、若いひとが判断しても 責められない気もすこしします。
229 :
名無しさん@蛍の光 :2001/01/12(金) 06:05
沖縄戦の戦闘序列では対空機関砲の独立大隊がかなり配備されているのが 確認できます。 やはりこのころから近代装備の配備が必要不可欠であると認識したの でしょうか
230 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 08:23
>224 口径が大きいと敵兵が死んでしまうからダメなんだ。 動けない程度に生かしとかないと。 まあ表向きは人道的配慮って言ってるが
231 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 09:40
日本軍の師団の基本的な編成を詳しく教えてください。
232 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 11:00
>でも大戦中期までは信頼性は高かったらしい!? 三八式は粗末な戦時型が作られなかった(そもそも開戦前に生産中止) のでみんな精度が高い職人の手作り品だった筈。
233 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 12:27
日本軍と織田信長の軍との根本的な違いはなんですか? あまり進化していないように見えます。 って言うか、鉄砲があるかないかの差だけで、鎌倉時代から 変ってなさそうに思うんですが…
>>233 >>234 総大将が討たれると壊滅する軍隊と変わりが無い?
おいおい、共通点ったら弾丸に中って死ぬくらいしか・・・
言っても無駄か、おりこうさんには。
ネタレスにマジレスされてもな〜
237 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 14:01
でも実際、 桶狭間と鵯越の繰り返しじゃん>帝国陸軍 なんか変ったの?
238 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 14:25
そういえば、鎌倉〜室町時代の軍勢なら 何世紀も昔のローマ軍の方が強いと思うのは俺だけかな? 実際、蒙古でなくローマ軍だったら なんて仮想戦記萌え〜
239 :
ローマの :2001/01/12(金) 14:32
全盛期には「倭」だったから おそらく半年で占領されてたろ(ワラ
240 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 14:51
おいおい、マジで戦国時代と比べてるの? 戦術面では圧倒的に強力だぞ。 ・国民軍でモラルが異常に高い =>散兵戦、銃剣突撃、玉砕戦まで可能。敵軍に寝返らない。 ・火力装備率100%。しかもライフル銃 =>18世紀以前の軍隊とは射程と殺傷力が段違い ・野砲装備 =>近代要塞を攻略可能 ・機関銃装備 =>(弾があれば)敵方の騎兵、歩兵突撃を無効化 でも、信長や秀吉は兵士の頑強さを期待しなかった分、 戦略や作戦面では合理的だったね。 もし日本兵の士気がイタリア兵なみに低かったら、 参謀本部はもっと合理的でいられたかも。
そんなにムキにならないでよぉ 実際、貧乏臭くて弱かったのに…
力と名誉を!
243 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 15:27
日本軍、カッコワルイ
244 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 15:45
特にゲートルが…
あとヘルメットの後ろからたれた 日焼け止めの布… 超貧乏臭い
246 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 16:07
>>243 確かに人民解放軍と同じくらいかっこ悪い。
247 :
なんの :2001/01/12(金) 16:17
ベトコン並にカッコ悪い
248 :
スレッドマネージャー2001 :2001/01/12(金) 16:33
結論:カッコ悪い軍隊はやはり弱いと… ベトコンはゲリラなので例外っと…
249 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 16:33
>245 確かにカッコ悪いが、同じ立場だったらキミもやるよ。 やらなかったら早々に日射病であの世逝きだ。
250 :
>249 :2001/01/12(金) 16:38
っていうか、ヘルメットが浅くて 襟が大きく立てられないデザインだったからじゃん? ドイツ式で、ジャケットも襟が高く引き出せればOK 要はそういう知恵がなかっただけのこと。
金もね>250
252 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 16:57
見た目が悪くて、知恵も金もないってことじゃないか。
まるで俺様のようだ 欝だでもしなない
254 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 17:11
252みたいなことが発言できるここはいいな〜。 W●RBI●DSではとてもいえん。
>>250 熱帯でヘルメット深くかぶって襟なんか立ててたら暑苦しくない?
しかしゲートルとかは時代遅れのファッションではあり。
>250 馬鹿だな、ヘルメットに限った話じゃないぞ。 今でも野外イベントとかでやってるやつ居るぞ。 キミは後頭部まで伸びた帽子を被りたいのか?
>245,256 熱い所でも ロンメルのアフリカ軍団とか イギリス第8軍はカッコいいじゃないか!
258 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 17:48
>255 別にゲートル自体は時代遅れじゃないよ。 よく歩くにはブーツよりもゲートルの方が都合が良いし 当時の軍隊は何処の国でも使ってる。 適当な事言うな。
259 :
まあ :2001/01/12(金) 17:49
そうだな…
260 :
げ :2001/01/12(金) 17:51
261 :
256 :2001/01/12(金) 17:56
>257 それは服装じゃなくて、中身がカッコ良かっただけじゃ? どちらも日本人が着たらサマに成らんと思うよ・・・
外人は無条件で格好いいニダ 日本軍はなんでも全部駄目駄目ニダ マンセーマンセー!!
>263 やめてくれ
265 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 18:12
カッコイイのは欧米人だけ
266 :
過去からの訪問者 :2001/01/12(金) 18:13
>>258 >よく歩くには…
「良く歩かなきゃならん」事情がある時点で願い下げだよ
機械化が遅れてるって証拠だろ?
ボクもあまり歩くのは好きじゃない…
>258 ブーツとゲートルの採用は常に併用。 防水等の機能を考えるとブーツが良い。 でも参戦国でブーツ用の皮が満足に揃えられる国は 無かったので(米国でさえも!!!)何処でも戦争後半は ゲートルと短靴を支給。 機械化とブーツの装備率の因果関係は無し。
269 :
同じゲートルでも :2001/01/12(金) 18:34
巻く奴だよ! 貧乏ったらしいのは!>268
270 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 18:39
そうそう! デザインも縫製も関係ない奴ね
271 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 18:40
アメリカ軍以外みんな巻きゲートルなのでは? 日本のはイギリス式と聞いたことがあるよ。
272 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 18:44
>>271 終戦まで
巻く何の工夫もない奴だったのは日本だけだろ?
靴にかぶさるように履けるのや
ベルトで固定できるデザインなら
カッコいいってこと
>271 みんな米軍NO1!!なんだよ。白痴はほっとけ、うつるよ。 「アメリカ軍カッコイイニダ!!ゲートルが一枚布ニダ!マンセーマンセー!!!」
我がドイツはブーツである。
>273 じゃあ君は、帝国一番の虚け者だね? 女の子とデートしたことある?
276 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 18:51
257は空気が読めてない上に頭が相当悪いと思われ
>278 藁田
280 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 19:17
あのツバの短い チンチクリンの略帽も情けない気がする…
282 :
名無しさん@蛍の光 :2001/01/12(金) 22:55
格好で戦争するわけじゃねぇからな。 ただし軍靴の質が悪かったのは現実に戦闘力の低下につながっていた。 足の疾患に悩む兵が多数いた。 兵の行動力を低下させたのは事実だ。 略帽とかゲートルはな格好というだけの話でね。 ロシアもフランスもゲートルだ。 ポーランドもオランダもゲートルだ。 もっと質のたかい話しろ。ゴミを垂れ流すようなレスばかりしてないで…
283 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 23:04
厨房はまずリアル世界で友人と会話できるようになってからここ来たほうがいいね。 恐らく日常世界で寡黙、一目散に帰宅してここで無責任にレスして 間接的に他人との接点維持して電波化防止してる厨房がうえにうじゃじゃ いるよ。 まあ放っておきなさい蛍の光
284 :
名無しさん@螢の光 :2001/01/12(金) 23:16
>282 にせものめが!!
日本軍って貧乏くさくてかっこわりー。 しかも、できる事といったらボロクソになって死ぬことだけ。 白兵戦だのみで、とても近代的な軍隊とは言えない。 世界何位だか知らないけど、すごいのは頭数だけだね。 餓死、戦病死は世界有数の規模じゃない? ここの常連は、ボロボロの陸軍軍服でも着て、 みんなで街中を行進でもして遊んでてください。
286 :
名無し三等兵 :2001/01/12(金) 23:47
しかし、最近この手の煽り厨房が本当に多くなったな。
287 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 00:03
同一人物だろ。 恐ろしく稚拙な例えを持ち出すのが特徴。
>286 マジでな・・・ゲッソリ。
成人式の恥さらし土窮鼠と同じ、 無駄騒ぎで荒らして、自分は参加しているつもり、 周りの迷惑に気づかない。
290 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 00:30
286〜289 どうせこのレスも、ひとりでプルプルしながら書き込んでるんだろ(w
>290 はいはい、判ったから。 取り敢えずは穏健に行きましょうよ。
(・∀・)チュウボウガツレタヨ クスクス
293 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 00:57
プルプルとか相変わらず言ってるからいつもの煽り厨房だよ。 まさに283がいってるような奴だから相手にするのはやめよう。 自分が単独だからこっちも一人がレスしてると思いこみたいんだろうよ。 本題にもどろ
294 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 00:58
ドイツ軍も餓死戦病死がおおいな。
295 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 00:59
よしよし、わかったようだな。 軍ヲタは、社会の片隅でこっそりと生きるがよい(w
296 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 01:02
おまえが社会の片隅でコッソリいきてろ259 源泉所得が1.000万超えたら相手にしてやるから それからこいや
297 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 01:03
おまえが社会の片隅でコッソリいきてろ295 源泉所得が1.000万超えたら相手にしてやるから それからこいや
298 :
まあ :2001/01/13(土) 01:04
>296 259です。私なにか悪いことしましたか?
299 :
名無し三等兵@虫の光 :2001/01/13(土) 01:07
>297 あわてて書き直してやんの(w
300 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 01:10
おまえが社会の片隅でコッソリいきてろ259 源泉所得が1.000万超えたら相手にしてやるから それからこいや
301 :
まあ :2001/01/13(土) 01:11
>299 259です。私なにか悪いことしましたか?
302 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 01:12
259 間違えた わりい ろくな情報ないから今夜はおわりだな。 基地外しかいないしな。 299おまえたまにはまともな情報もレスしろよ。 くだらねぇな
303 :
まあ :2001/01/13(土) 01:12
>300 259です。私なにか悪いことしましたか?
304 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 01:13
ちなみに300は299の自作自演なのでご注意を
305 :
名無し三等兵@虫の光 :2001/01/13(土) 01:14
>303 あわてて書き直してやんの(w
306 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 01:16
305おまえほんとに異常な粘着質だな レスの継続性を観るものがみればおまえが俺のハンを つかってやってるのが明瞭だろうに。 だから足りない厨房はきらい。うざい
307 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 01:19
糞レスのせいで有用な資料性の高いレスが埋没するのは 残念ですね。第一総軍殿はじめ諸兄の方々。 では失礼
今書き込んでも埋め草にされそうだけど……(^^;) 日本陸軍には興味なかったけど、このスレ読んでたら、色々知りたくなりました。 近所の本屋に行ったんですが、あんまりいい本がありません。 初心者には、どんな本がおすすめですか? よかったら教えてください。
309 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 01:33
>308 そんなもんに興味持ってるヒマがあったら、もっと勉強しなよ(w
310 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 01:35
>308 初心者はキライ!うざい!帰れ!!
現在もなお潜伏中のようですね。 低脳厨房。
うーん…… >308 オマエモナー >310 偽物でしょ? >311 どうしたもんでしょうねぇ……
>309 オマエモナー でした……
「100円ライター」はご立派、ご立派。プププ
315 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 01:50
>313 あわてて書き直してやんの(w
| | マダチュウボウガイルヨ |♪∧ サビシインダネ クスクス |・∀・) ⊂ ) | / |_)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
317 :
第一総軍 :2001/01/13(土) 02:11
何かまた荒れてるねえ.でもまあ、宿題だった本土決戦師団の編成第一弾です。 第一次兵備で編成された沿岸配備師団 師団司令部 歩兵連隊(拘束と支とうに任ずる連隊) 第1大隊 歩兵3個中隊、歩兵砲中隊、挺身中隊(沿岸に配備する大隊) 第2大隊 同上 第3大隊 同上 第4大隊 挺身3個中隊、(反撃に任ずる大隊) 速射砲中隊、通信中隊、補給中隊、衛生隊 連隊装備 小銃1905、拳銃202、重擲弾筒158、機関短銃72、軽機関銃81、 重機関銃54、92式歩兵砲18、94式37粍砲4、火炎放射器6、 57粍戦車砲18、その他 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 同上 歩兵連隊(打撃、反撃に任ずる連隊) 第1大隊 歩兵中隊3個、機関銃中隊1個、歩兵砲中隊 第2大隊 同上 連隊砲中隊2個、通信中隊、衛生隊 連隊装備 小銃1203、拳銃96、重擲弾筒111、軽機関銃54、重機関銃24、 軽迫撃砲12(恐らく97式曲射歩兵砲)、41式山砲8、その他 師団速射砲隊 隊本部、中隊3、段列1 小銃142、1式機動47粍砲12、その他 師団噴進砲隊 隊本部、中隊3、段列1 4式20糎噴進砲36、その他 又は 師団砲兵隊 隊本部、中隊3、段列1 75粍野砲8、91式10糎榴弾砲4 *砲兵隊と噴進砲隊はどちらか片方のみ装備. 師団通身隊 小銃220、その他 師団輜重隊 隊本部、ばん馬中隊1、自動車中隊1 小銃163、拳銃22、軽機関銃2、その他 師団兵器勤務隊 小銃18、その他 師団野戦病院 上記は、本土決戦準備の第一次兵備で編成された師団で、第140から160の16個 師団が編成され、海岸陣地に配備された.多くの場合、師団の建制部隊の他に 重砲兵、野戦重砲兵部隊の火力支援を受けていた.その任務は、米軍を海岸に 釘付けにし、決戦機動師団の到着まで持ちこたえることであった.
318 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 02:15
日本陸軍のファッションは当時アジア最先端だった。 軍紀粛正、精強、優れた装備…。 大陸で日本軍が現れるとあたりは粛として声もなかった。 これが分からないのが厨房。
319 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 02:20
>318 書いてて虚しくなんないか?
320 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 02:23
>日本陸軍のファッションは当時アジア最先端だった。 ファッショの間違では? 国民党は別だけど。
321 :
第一総軍 :2001/01/13(土) 02:34
308様、一般的な資料としては、新人物往来社 別冊歴史読本のシリーズに解りやすいのがあります. 例 日本陸軍連隊総覧、日本陸軍機械化部隊総覧、日本陸軍師団戦史、日本陸軍部隊総覧その他 最近は、ハードカバー本として再販もされているようです.少し題名が変更されてたけど。 又、資料的価値は今となっては薄いですが、読み物としてのめりこめるのは光人社 帝国陸軍の最後でしょう。最近は、文庫化されて5冊刊行されています.少し日本贔屓過ぎる感じがしますが、戦争中の陸軍の戦いが解りやすく書いてありお勧めです. 少し公平に見たければ、原書房 ビルマ遠い戦場 が良いでしょう.イギリス人が書いています. 蛍の光(本物)様、私ももう少しがんばって見ますので、よろしく. このスレッドは、私の知らない情報をお持ちの方から提供していただくとともに、私の情報を提供して皆さんのお知恵を拝借したくてはじめました.荒らしも出没していますが、おおむね良い人たちに恵まれていると思います.
322 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 02:35
なんだまだナチス信じてるやつがいるのか!
323 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 02:44
各地方の特性で弱い強いの違いはなかったの。 うろ覚えで申し訳ないが関西の連隊で「また負けたか8連隊」というような 歌があったように聞くけど
324 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 03:49
またも負けたか八連隊 それじゃあ飯は九連隊(くれんたい:BY九州弁)
325 :
第一総軍 :2001/01/13(土) 04:48
323様、東北は粘り強く、九州は攻撃に果敢で、大阪は弱く、都市部は無性格とも言いますね. さて第二弾 第二次兵備で編成された決戦機動師団 師団司令部 歩兵連隊 第1大隊 歩兵4個中隊、機関銃中隊、迫撃砲中隊 第2大隊 同上 第3大隊 同上 歩兵砲中隊、作業中隊、通信中隊、乗馬小隊 連隊装備 小銃2067、拳銃136、重擲弾筒112、軽機関銃108、 重機関銃48、機関短銃96、41式山砲4、12糎迫撃砲16、 その他 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 同上 迫撃連隊 連隊本部、迫撃大隊2個、連隊段列 小銃6、拳銃142、12糎迫撃砲36、その他 師団速射砲隊 隊本部、中隊3個、段列 小銃126、拳銃1、1式機動47粍砲12、その他 師団機関砲隊 隊本部、中隊3個 小銃128、4式双連(2連)20粍高射機関砲9、その他 野砲兵連隊 連隊本部、大隊3個、連隊段列 改造38式野砲(75粍)24、91式10糎榴弾砲24、その他 又は、 山砲兵連隊 連隊本部、大隊2個、連隊段列 94式山砲24、その他 *野砲兵連隊と山砲兵連隊はどちらか片方のみ装備 工兵連隊 隊本部、中隊3個、対戦車中隊、器材小隊 小銃891、軽機関銃2、火炎放射器16、その他 師団通身隊 小銃283、その他 師団輜重隊 隊本部、ばん馬中隊、自動車中隊 小銃147、拳銃17 師団兵器勤務隊 小銃25、その他 師団第4野戦病院 上記は、第二次兵備で編成された決戦機動師団で、多くは戦線後方に配備されていた。現役兵で編成され素質、装備とも優良で機動力をもち、その戦力は優れたものであった。 任務は、上陸した米軍を沿岸配備師団等が海岸に釘付けにしている間に戦車部隊等とともに殺到し、これを撃滅することであった. 第201から216の8個師団が編成された.
326 :
第一総軍 :2001/01/13(土) 05:04
訂正とお詫び 325の決戦機動師団編成の中で、野砲兵連隊の91式10糎榴弾砲の装備数が間違っていました. 325内では、24となっていますが、正しくは12です。以下のように訂正します. 野砲兵連隊 連隊本部、3個大隊、連隊段列 改造38式野砲(75粍)24、91式10糎榴弾砲12
327 :
308 :2001/01/13(土) 07:02
>>321 第一総軍さま
丁寧に教えていただき、どうもありがとうございます。
とりあえず、帝国陸軍の最後から読んでみようかと思います。
328 :
テリ造 :2001/01/13(土) 07:13
今は亡き祖父(終戦時帝国陸軍軍曹、南方戦線従事)の話を 思い出しながら要約すると・・・ 小銃などの部隊火器・・ 祖父が言うには、日本軍歩兵部隊が一番羨ましがったアメリカ軍歩兵装備は BARだったそうです。 むろん日本軍にも軽機関銃は小隊ごとに保有していましたが、祖父が言う には、小銃程度の大きさで、なおかつ重量はあるものの使用が大変に 容易で、日本軍歩兵は敵のBARの掃射を嫌がったそうです。 (撃ってきて直ぐに位置が変わるので、機銃陣地の兵を倒すように 安易に狙撃しにくかったもよう) M1ガーランドは祖父自身はそれほどなんとも思っていない様子でした。 祖父いわく「あんなものは直ぐに弾切れで大したことない」だそうです。 また「敵の騎兵銃は自動で正直羨ましかった」とも言っていまして、 おそらくM1カービンの事を言っていたのだと思います。 評価の違いは軽さと装弾数の違いからでしょうか・・。弾薬も異なりますが 祖父がそこまで知っていたかは謎。 資料で見る限り38式vsM1ガーランドの火力比は1:1.4で、私も まぁ妥当なんじゃないかなと思います。 火砲など支援・・・ 全く期待できなかったそうですが、後方の重砲などは精度が良く 散発的にせよ、敵陣に被害を出させていた模様です。 部隊内部では擲弾筒の評価は絶大だったもようです。 銃機関銃も評価が高かった模様(祖父の部隊は92式かは不明) 兵の質・・ 農家の次男三男などが比較的多く、少数ではあるが、裕福な 商家や会社の息子もおり、徴兵に対しての不平等は比較的 少なかったらしいです。 自分の名前以外、漢字を書けない新兵もちらほらいたようですが、 入営して最低ライン程度の漢字は覚えていくようです。 また、入営して初めて白米を口に出来た。と喜ぶ兵もいたそうです。 指揮系統など統率 絶対服従が原則で、内地での訓練期間中は「いじめ」も含めかなり 苛烈だったそうですが、前線に出ると、意外と上官に意見を求め られたり、部下が私見を述べる事が多少あり、上官も耳を傾ける ことさえあったそうですが、やはり、一度命令が発動されると絶対 服従だったそうです。 それ以外は、上下の関係を抜いて冗談をいいあったりすることもあったそうです・
329 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 09:49
>>328 >絶対服従が原則で、内地での訓練期間中は「いじめ」も含めかなり
>苛烈だったそうですが、前線に出ると、意外と上官に意見を求め
>られたり、部下が私見を述べる事が多少あり、上官も耳を傾ける
>ことさえあったそうですが、やはり、一度命令が発動されると絶対
>服従だったそうです。
日本軍の強みも弱みもその辺に理由があるような気がします。
優秀な指揮官を戴けば、途方もなく強そうだし、
無能な指揮官を戴けば……兵は哀れだ。
330 :
ドクターいりこ :2001/01/13(土) 10:33
日本のシステムは下へ行けば行くほど優秀である
331 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 10:36
第一総軍様ご苦労様でした。 わたしのコテハンをくだらない厨房が使っておりますが 相当頭の弱い奴なのでこの厨房は語彙がありません。 方々わたしとの区分ご判断できるものとおもいますので 放っておきますのでよろしく
332 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 10:40
現代の官僚制度に通ずるものが存在する。 上層部ほど硬直した過去の価値観に安住の地をもとめ、 既存の利権にあぐらをかく所など 旧軍の高級将校の事勿れ主義に通ずる
333 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 10:46
>>332 人間、地位が高く安定してくると、怠惰になるもんです。
どこの組織も一緒ですな。
334 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 10:47
ところが沖縄戦では京都出身の部隊が健闘して部隊感状幾度か 授与されている。戦闘詳報にも書かれていますね。
335 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 10:50
おなじく沖縄戦では重砲射撃で沖縄遠征米軍司令部直撃により 敵将バックナー中将の首をとったのは溜飲が下がる思いですね
336 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 10:52
337 :
名無し三等兵 :2001/01/13(土) 11:57
蛍の光さん いかれ厨房にコテハン使われて荒らされてるなら こんな方法ありますよ(知ってるとおもうけど) この掲示板はセキュリティレベル低し、よって厨房の ブラウザがバージョン低い場合仕込んでパスワード&メールアド 収集可能です IEのセキュリティレベルはクッキー食わせてるだけですから アホな安全だとおもってる厨房に鉄槌食らわせるのもひとつの 手ですよ
338 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/13(土) 12:02
この厨房はプロダイバ1社でポート80は開きっぱなしです 僕もその辺は知ってますよ337さん。ありがとう
文章が稚拙だから、そこら中のスレでコイツが煽ってるのが すぐ判っちゃって、みてるこっちが恥ずかしくなってくるよ。 しかも書いている内容も全然中身無いし、ただただ煽るため にだけ書き込んでる模様。 現実世界での鬱憤を晴らす為にやってるとしか思えない 悲しいヤツだよね。
340 :
第一総軍 :2001/01/13(土) 15:57
さて、第三弾 第三次兵備で編成された沿岸配備師団 師団司令部 歩兵連隊 第1大隊 歩兵3個中隊、挺身中隊、歩兵砲小隊 第2大隊 同上 第3大隊 同上 通信班、補給小隊 連隊装備 小銃不明(恐らく1700前後)、重擲弾筒112、軽機関銃81、 重機関銃18、94式37粍速射砲9、火炎放射器4、その他 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 同上 師団噴進砲隊 隊本部、中隊3、段列 4式20糎噴進砲36、その他 師団工兵隊 隊本部、中隊3、器材小隊 火炎放射器9、その他 師団通身隊 師団輜重隊 ばん馬小隊2、自動車小隊1 師団野戦病院 *手元の編成表では、小銃、機関短銃、拳銃等の携帯火器が省略されているため装備数については不十分な資料です. 上記が、本土決戦準備第三次兵備で編成された沿岸配備師団で、第303から355の11個師団が編成された.(但し、第321師団のみは独立混成旅団を改編したもので編成内容に差異がある可能性あり) その任務は、第一次兵備の百番代沿岸配備師団と同様に海岸での米軍の阻止にあるが、兵器の不足のため編成内容は大きく劣っており関東と九州配備以外の師団は劣っている編整数さえ充足できなかったと思われる.恐らく関東軍の根こそぎ動員師団と並んで、日本陸軍最弱の師団であっただろうが、要は水際での頑張りにあるとすればそれなりに使い道は有ったのかもしれない.
341 :
Tor :2001/01/14(日) 00:50
GR/D社の日中戦争シミュレーションゲームに登場する日本軍師団は、 次のようになっています。 三つの数字は順に攻撃力−防御力−移動力 移動力あとのアスタリスクは他部隊への火力支援不能 Mtnは山岳、Infは歩兵を示し、それ以外はすべて軽歩兵 8-10-6以上の師団は4単位編成(4個連隊編成)を示します。 9-11-6 Gds 10-12-6 1D,4D 9-11-6* 3D,6D,9D,10D,11D,13D,14D,16D,18D 10-12-8*Mtn 5D 8-10-6* 101D,104D,106D,108D,109D,110D,114D,116D 7-9-6* 15D,17D,21D,22D,27D 6-8-6*Inf 26D,32D,33D,34D,35D,36D,37D,38D,39D,40D,41D ちなみに独立混成旅団は2-3-5、兵站地区隊は1-2-4です(前の情報 は間違ってましたね)。 39年時点のドイツ軍の多くは6-6、ポーランド軍は5-6ですから、師団 あたりの戦闘力は高かったことが分かります。ですが欧米の師団は 他部隊への支援が可能なのが当たり前なのに対し(師団砲兵が充実 している)、日本軍のほとんどはそうではありません。 >第一総軍さま 実際の充足率はどれくらいだったのでしょうか? それにしても砲兵兵力の貧弱さは目を覆うばかりだったのですね…。 もしこの戦力で戦闘になったらと思うと鬱になります。
342 :
第一総軍 :2001/01/14(日) 04:45
誰も読んでないかもしれないけど第四弾です. 第3次兵備で編成された機動打撃師団 師団司令部 歩兵連隊 第1大隊 中隊3、歩兵砲中隊 第2大隊 同上 第3大隊 同上 歩兵砲中隊、作業中隊、通身班 連隊装備 小銃不明(1700前後?)、重擲弾筒85、軽機関銃81、 92式歩兵砲12、41式山砲6、火炎放射器8、その他 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 同上 師団迫撃砲隊 隊本部、中隊3、段列 12糎迫撃砲18、その他 師団工兵隊 隊本部、中隊3、器材小隊 小銃不明、火炎放射器9、その他 師団通身隊 師団輜重隊 ばん馬中隊、自動車中隊 師団野戦病院 *この資料も携帯火器が省略されているので小銃、拳銃、機関短銃の装備数は不明です. 上記が本土決戦準備第三次兵備で編成された機動打撃師団で、第221から234の8個師団が編成された.編成にあたって素質を優良にするよう指示され、その任務は、第二次兵備の200番代師団と同じく上陸した米軍を沿岸配備師団が海岸で食い止めている間に殺到し撃滅することであったが、第二次兵備の師団と比べ装備は大きく劣っており、第三次兵備の300番代師団と同様充足率はさらに低かったのではないかと推測される.
343 :
第一総軍 :2001/01/14(日) 05:42
Tor様、ありがとうございます.これはウォーオブレジスタンス 抗戦 でしょうか.羨ましいです.私は英語がだめなので諦めました.お手すきの際には、その他の国についても教えて下さい. 充足率については、戦史叢書 本土決戦準備 九州の防衛に以下の資料がありました. 第25師団 定数 装備数 (関東軍からの帰還師団) 小銃 10755 10137 軽機関銃 279 279 重機関銃 114 114 十年式擲弾筒 16 15 89式重擲弾筒 255 255 97式曲射歩兵砲 36 36 37又は47粍速射砲 36 36 41式山砲 12 12 94式山砲 71 71 12糎迫撃砲 12 12 第156師団 (第一次兵備の沿岸配備師団) 小銃 7332 7075 軽機関銃 300 174 重機関銃 188 143 投弾筒 不明 不明 歩兵砲 54 54 37又は47粍速射砲 78 24 41式山砲 8 8 20糎噴進砲 36 50 第212師団 (第二次兵備の決戦機動師団) 小銃 8113 7943 軽機関銃 332 291 重機関銃 144 131 89重擲弾筒 336 336 47粍速射砲 12 12 41式山砲 12 12 94式山砲 24 24 双連高射機関砲 9 7 12糎迫撃砲 84 24 *8月1日現在。但し、第25師団の数字には配属された独立山砲兵第19連隊、迫撃第4、第26大隊、第65兵站地区隊本部、兵站勤務第65中隊、独立自動車第56大隊を含む。
344 :
名無し三等兵 :2001/01/14(日) 11:52
米軍の沖縄戦当時の代表的な編成状況はどういうものだったのですか?
339>文章が稚拙だから、そこら中のスレでコイツが煽ってるのが 339>すぐ判っちゃって、みてるこっちが恥ずかしくなってくるよ。 へっへっへ、ばれたか。実はみーんなオイラの自作自演だったのサ。
346 :
第一総軍 :2001/01/14(日) 23:55
334様、米軍歩兵師団の装備は手元の資料では以下のとうりです. 小銃 7142 カービン銃 5662 BAR 405 狙撃銃 81 サブマシンガン 122 軽機関銃 211 50口径重機関銃 237 60ミリ迫撃砲 90 81ミリ迫撃砲 54 57ミリ対戦車砲 57 バズーカ砲 558 105ミリ榴弾砲 54 155ミリ榴弾砲 12 *上記は、丸1986年9月号とパンツァー1988年7月号による資料ですが、カービン銃の装備が人員の割に多すぎる感じがします.また、確証は有りませんが、対戦車大隊の増強を受けている数字かもしれません。米軍師団については、よく知られている割に資料によって数字が微妙に違うんです.
347 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/15(月) 01:10
第一総軍さんほかの方々、長文ご苦労様です。 僕が転居に伴い資料を実家に移してしまった為に第一総軍さんの レスがたいへん助かります。 本土海岸に張付く師団ですが本来後備役師団で高年齢者などの 臨時召集編成だと思われるのですがいかがなものでしょう? 千葉県佐倉周辺に配備された部隊などはやはり8月になっても 小銃が足りず、次々と召集されてくる40代などの兵員は 竹やりを与えられたという、従軍者の話がありますが、 作戦計画に編入されている決戦師団だとはおもえず、 海岸防備師団ともおもえません。 もうひとつ国民防衛隊のような組織が展開していたのでしょうか?
348 :
名無し三等兵@蛍の光 :2001/01/15(月) 01:13
344さん 僕は沖縄戦の日米の戦闘序列・編成表を持っているのですが、 残念ながらこれも実家に今あります。 近いうちになんとかレスしたいとおもいます
349 :
テリ造 :2001/01/15(月) 03:04
>>347 さん
「国民防衛隊のような組織が展開していたのでしょうか?」
もちろん編成されていました。
編成の基準は町内会や区の単位で構成されていたはずです。
例・・・
神田○○町防衛隊、小石川○○町第三小隊とか
このような感じですね。
で、小隊長など、陸軍の職業軍人などに率いられ、各地で
それぞれ講習と軍事演習を行っていたもようです。
武器が大変に不足していたので、陸軍の備品の他に
旧式の小銃や猟銃、ダイナマイトなど様々で雑多な装備です。
また教則本も配布され、そこにはM4戦車の弱点を表示した図や
敵兵を鎌や出刃包丁によって殺害するやりかた。
敵を引きつけての火炎瓶攻撃の手順や格闘術、絞殺の仕方なども
記されてします。
また既存の武器の応用方法や手製武器の製造の仕方も記され、
例えば鎌2本をチェーンで結んだ鎖鎌製造法や木製地雷の製造と
埋設方法、電線を隠して敵兵を感電死させる方法など多岐に
渡って記述されています。
陸軍の首脳部は、もちろん戦力としては国民編成の軍事組織に
それほど戦力として期待する訳ではなく、敵を引きつけるための
囮や欺瞞、及び、民間の徹底抗戦による漸次的な敵兵力減衰に
期待し、その間を陸軍部隊が攻撃するものと考えていた模様
ですね。
「一億総玉砕」は単なるスローガンではなかった。って事です。
手榴弾や爆雷による国民挺身隊の組織化も一部地域では
進めていました。
350 :
テリ造 :2001/01/15(月) 03:07
補足ですが・・・ もし349のような計画が米軍の上陸により実施された場合。 現在の日本の総人口は想定で2.000万〜6.000万人以下。 って推定資料をどこかで読んだ記憶があります。
351 :
名無し :2001/01/15(月) 04:24
民間人の軍事組織は国際法違反なんでしょう。
352 :
>第一総軍 :2001/01/15(月) 19:41
米軍と日本軍の編成から見て比較評価するとどうなりますか? どうも重火器が劣っている気がしますが。
>351 戦時国際法&慣習を守って交戦する限り、民間人の軍事組織も合法。 国家が組織すれば「民兵」、自発的な蜂起なら「群民兵」となり、戦時国際法の 適用を受けられる。 ただし上陸した米軍が国際法を遵守し、民兵を「交戦者」として扱い、無抵抗の 文民を保護するかどうかは、また別の問題。 不正規兵の攻撃で頭に血が上ってくれば、末端では何があるか分からない。
1945年、東京大虐殺(東京事件)が起こる。
355 :
第一総軍 :2001/01/16(火) 00:17
まずは訂正.346の私のレスで、334様となっているのは344様の間違いでした.すみません. 蛍の光様.こちらこそ感謝します.わたしはこのスレッドを立てた本人ですが、ネット初心者なので蛍の光さんが事実上司会進行してくれ、さらに荒らしの対応などにあたってくださるので私は心置きなく書き込みに専念できます. 又、いろいろ資料をお持ちのようなので特に米軍編成などの書き込みに期待しています. 又、お問い合わせの部隊ですが、佐倉には東京師管区歩兵第五補充隊が駐屯しているので、それかもしれません.これは以前の留守師団を改称したもので、新設師団の編成母体となったり、前線の師団の補充など後方任務にあたるもので、歩兵補充隊は軽装備の連隊に相当します.決戦準備で多数の師団を編成したのでこれら師管区部隊の素質と装備は極度に弱体化していたはずです. もっとも、昭和19年に編成完結していた近衛第3師団の補充兵にも充分な装備は無かったようで、従来の師団も増強のため兵器を必要としていたのかも知れませんね. 更に、349でテリ造さんが極めて詳しく書いてくださった国民義勇戦闘隊に加え、300人前後(500とも)からなる地区特設警備隊や、1200人前後からなる特設警備大隊などの二線級の戦闘部隊も多数編成されていましたから最後は結局、自作の代用兵器を持ち出すことになりそうです.
356 :
第一総軍 :2001/01/16(火) 00:31
連続で失礼. 352様、仰るとうり重火器の不足は悲しい事実です。確かに日本軍師団は独立部隊の増強を受ける場合がありますが、それにしても軍団砲兵や独立戦車大隊に支援される米軍の火力には到底敵わないでしょう. しかし、太平洋の島々の戦いは海戦の敗北によって完全に補給が途絶し、艦砲射撃を受けたのに対し、ビルマの戦いでは補給の不足した(途絶ではない)末期の戦闘でも日本軍はかなり健闘していたようです. イギリス師団やインド師団をどう評価するかにもよりますが、火力だけで戦闘力を全て判定できるものではないようです。もちろん、火力は戦闘力の極めて重要な部分を占めていることは確かなのですが. そういえば、何番のレスか忘れましたが、第二次兵備の200番代決戦機動師団の編成を見ていかがでしょうか。その他の師団の編成も含めて感想を聞かせていただけると参考になります.
そのあたりは短期間ながら実際に戦闘に加わった ドイツの国民突撃隊の事例などが参考になるかと。 相手が主にロシア兵だったというのも考慮すべき点かも知れないが、 制服や腕章を着用して身分証を呈示しても捕虜とは認められず、 降伏したその場で射殺されるというケースも多かった。
>第一総軍 もうすこしまとめたほうが分かりやすかったとおもう>第二次兵備の200番代決戦機動師団 聞いた話によると、沖縄戦の米軍の損害の大半は、 大陸からの転属の部隊によるというものです。 多少うなずける気がしますね。
359 :
名無し三等兵 :2001/01/16(火) 15:09
重傷者で戦場にそのまま放置って地獄だよ。
360 :
名無し三等兵 :2001/01/16(火) 16:59
日本陸軍も人命軽視の傾向にあった と言うべきか・・・
361 :
名無し三等兵 :2001/01/16(火) 17:00
ソ連軍は自軍の負傷兵を戦車で踏み潰して 前進していったそうです。
362 :
名無し三等兵 :2001/01/16(火) 17:08
まあ、銃殺大好きのスラブ民族だからねぇ
363 :
名無し :2001/01/16(火) 21:27
中国の更衣兵も合法?
364 :
名無し :2001/01/16(火) 21:29
>360 傾向どころか、完全に無視。 そうでなければ、補給、後方を無視した軍隊を組織しない。
365 :
名無し :2001/01/16(火) 21:30
負傷兵には、自殺用の手榴弾をおいて前進した日本軍。
366 :
第一総軍 :2001/01/16(火) 23:38
352=358様、了解です.一応編成表は、装備と組織の両方を見られるようにああしたのですが、確かに師団全体の装備数だけを比較するのには少々不便な表でしたね. 週末にでも、各種師団を比較しやすいように装備数だけをまとめた表を作ってみましょう. 沖縄戦の件ですけど、沖縄本島の主要部隊はそれぞれ以下の経緯で移動してきました. 第24師団=満州の関東軍から抽出。常設の精鋭師団の改編時に余剰の連隊で編成された。 第62師団=中国の支那派遣軍から抽出.山西省の警備師団。 独立混成第44旅団=日本本土で新規に編成.移動途中で敵潜水艦により海没、沖縄で再建. 戦車27連隊=関東軍の戦車第2師団捜索隊を改編. 軍砲兵隊=関東軍より抽出. 仰るとおり、主力部隊は関東軍と支那派遣軍からの抽出部隊です.細かい編成はいずれ、蛍の光さんが発表してくれるでしょう.
367 :
名無し三等兵 :2001/01/17(水) 00:54
77の投稿者です。366の人に質問があります。 このとき抽出された支那派遣軍は、前に大陸打通作戦に参加してましたか。
368 :
第一総軍 :2001/01/17(水) 01:21
367様、第62師団は確かに大陸打通作戦に参加していました.本来は装備も素質も良くないといわれる警備師団である第62師団が沖縄に派遣されたのは、大陸打通作戦で活躍したためと思われます.
369 :
名無し三等兵 :2001/01/17(水) 10:44
age
370 :
第一総軍 :2001/01/18(木) 00:03
いやあ、最近日本陸軍関係スレッドが幾つも出ているので参加者も分散しちゃいましたね. まあ、私にとっては他のスレッドであっても内容が参考になれば喜ばしいんですが。 皆さん、他のスレッドも覗いてますか.
昭和16年12月10日。 常磐線で移動途中の陸軍部隊が霧の中に入って突如タイムスリップ。 霧の中から出てみると。。。 「見ろ、ハワイだ!」 「あれがハワイか!」 「少尉、本当にあれがハワイなのでありますか?」 「おれにもわからん。。。」 タイムスリップ部隊の中で最先任の如月少尉は苦悩の末、占領を決意する。 「目標、ハワイ!」 かくして、帝国陸軍は「常磐ハワイアンセンター」を占領した。
372 :
名無し三等兵 :2001/01/18(木) 10:55
age
373 :
名無し三等兵 :2001/01/18(木) 13:22
368>第62師団は確かに大陸打通作戦に参加していました 中国戦線であの時期にあれだけの勝利を収めて、まだ転属できたとは・・・ 368>本来は装備も素質も良くないといわれる警備師団である第62師団 そんな軍隊にイチコロ負け(独ソ開戦初期のソ連軍の敗退以上)の中国軍の実力は・・・
374 :
名無し三等兵 :2001/01/18(木) 14:35
国民党と共産党はどっちが強かったのでしょうか? 国民党のほうが装備は良好そうだけど性根は腐ってそうな気がします。 日本軍の彼らに対する評価がどんなものだったか、どなたか存じていませんか?
国民党です。
376 :
名無し三等兵 :2001/01/18(木) 17:17
>77の投稿者です。366の人に質問があります。 あの児島本の引用、warbirdsのAns.Qにあったのと同じやつだな。 コピペなのか本人なのかは分からんがまあそんなことはどうでもいい。 けどくだんの本だけど、俺は自分で本屋・古本屋・図書館であちこち 探しまわったけど無かったぞ。もう絶版になってるのかな。
377 :
第一総軍 :2001/01/19(金) 00:48
376様、私は引用した本人ではありませんが、同書は所有しています. 文春文庫から出ていたはずですが、確かに最近本屋で見かけないですね。 こ 3 4 と背表紙に番号がついていますが、注文番号かも.
378 :
第一総軍 :2001/01/19(金) 01:20
374様、実は私は中国軍にも大変興味があります. どちらが強いかは、どのレベルで比べるかということになりそうです. 国民党軍と一口に言っても、蒋介石系の中央軍の他に主だったものだけでも10近くの地方軍閥による寄り合い所帯なので、結束力に欠けました. 又、蒋介石の中央軍の中でも、湯恩伯、陳誠、胡宋南、何応欽等の系列があり、別系統の部隊を指揮する際に大変不自由が有ったようで、それぞれ自己の勢力を温存しつつ他派の勢力の弱体化や吸収を狙っていました. ただ、このような事情を一切抜きにして中国の軍隊を1個師団同士で戦わせるといった、スポーツ的な比較を無理にするとすれば、 1、国民党蒋介石直系米式装備師団(但し、補給が続けば) 2、国民党蒋介石直系半米式装備師団 2、国民党軍の蒋介石直系軍の第200師(機械化) 2、共産党軍八路軍の3個師団 2の三種が同率 3、国民党蒋介石直系軍の通常の師団 3、共産党軍新四軍の師団 3の二種が同率 4、国民党の地方軍師団(地方軍閥) 4、共産党の地方軍 4の二種が同率 と、勝手に考えています.因みに、中国軍では師団といわずに師と呼ばれます. 他にも満州国軍とか内蒙古連合自治政府軍とか南京の汪兆銘軍とか北京の華北政務委員会治安軍とか、日本側にたった傀儡軍もあって興味深いです. あと、日本側評価ですが、初期には国民党軍重視で、共産党軍を共匪と呼んで軽視しましたが、後期には華北では少なくとも共産軍が主敵であることを認識していました. 国民党軍を撃破するとその戦力の空白遅地帯に共産軍が浸透してきてかえって治安が悪化するといった具合です.
379 :
名無し三等兵 :2001/01/19(金) 01:25
380 :
名無し三等兵 :2001/01/19(金) 09:39
age
381 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/01/19(金) 12:01
大東亜戦争終結までは国民党側の兵力・装備共に圧倒的優位は動かなかったはず。 問題は国民党軍といっても汪精衛の南京政権の軍隊が多くて、戦後共産側に寝返ったのではないか。
382 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/01/19(金) 13:24
支那派遣軍総司令官・岡村寧次陸軍大将こそ日本史上最高の名将。 これは中国人すら認める事実で、内戦に破れた国民党は彼を軍事顧問にしている。 李登輝前台湾総統も学徒出陣で日本陸軍に入隊し、彼の兄も壮烈な戦死を遂げている。 そして日本陸軍をボロクソけなしているはずのあの韓国さえも、元日本陸軍中尉の朴正熙を大統領にしている。
383 :
名無し三等兵 :2001/01/19(金) 14:05
376>あの児島本の引用、warbirdsのAns.Qにあったのと同じやつだな。 このテの内容は中国擁護・日本悪玉派には触れられたくない急所であり、 指摘されると猛烈に怒り出すゆえ、投稿場所は慎重に選んだ方がよい。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/19(金) 17:53
「日本陸軍の戦闘能力 」か、やっぱいろんな面があって何とも断定できへんわ。
385 :
名無し三等兵 :2001/01/19(金) 18:21
383>指摘されると猛烈に怒り出すゆえ ちゃんねるで良かったね、376の人。所謂「毛沢豚」かどうかは知らんが。 あまりに痛い痛いところを突いているからさ、ここでも強く反発する人は少なくない。 まあそれも一部と言えば一部なんだろうけど、反論なら事実認識の誤りを指摘して欲しいな。
386 :
374 :2001/01/19(金) 23:53
>378様、ありがとうございます。 国民党軍は互いの利益がからみ一枚岩ではなく、共産党軍はゲリラ軍的な側面 が強かった、という事ですか。
387 :
第一総軍 :2001/01/20(土) 00:38
386様、仰る通りです。 補足するとすれば、大戦も末期になると共産軍もゲリラ戦中心の地方軍と正規戦を行える中央(八路軍主力)とに区別されていったようです. 381様、その通り、国民党軍の優位は揺るがないかに見えました.現に国共内戦も最初の一年は国民党の勝利が続きました. 但し、汪兆銘(精衛)の軍隊は資料にもよりますが25万から40万程度で、本来の国民党軍300万以上から見れば些細な数です.また、終戦後に多くは国民党軍に吸収されたはずです.但し、ご指摘の通り一部の地方部隊は共産軍に流れた事実はあります. 敗北の原因としては、各部隊では相応に強力な国民党軍も派閥の対立による連携のまずさにより、最終的には敗北しました. 結局、総兵力では当初圧倒的だった国民党軍も、兵力を小出しにして常に優勢な兵力を集中してきた共産軍に各個撃破され、また、撃破された部隊が寝返って更に敵を太らせるなど、明らかに戦略上の過失が原因と考えられます. 蒋介石自自身は、他国の独裁者たちと比べればまだましな人物だったようですが、結局並ぶものが無い立場というのは人の目を曇らせてだめにするということでしょうか.彼のライバル毛沢東も、優れた用兵家であり革命家でしたが神格化されるにつれ多大躍進政策や文化大革命など執政を行ってしまいましたし.
388 :
名無し三等兵 :2001/01/20(土) 00:39
時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう
389 :
名無し三等兵 :2001/01/20(土) 00:40
時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう
390 :
名無し三等兵 :2001/01/20(土) 00:41
時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう
391 :
名無し三等兵 :2001/01/20(土) 01:01
>但し、汪兆銘(精衛)の軍隊は資料にもよりますが25万から40万程度 よく中国側の抗日戦史(日本語訳)読んでると、「偽軍○十万を撃破」なんて出てきますが。 こういう本に出てくる数字はそれ以外にもあまりにいい加減で全然分からなくなってきます。 #中国側の資料がこれだから、個々の戦果・損害は不明確なことも多いようですが、 #それでも日本陸軍が中国大陸「打通」に成功したことは作戦経過を見れば明らかといえる。
392 :
海大最強 :2001/01/20(土) 01:54
>382 昔よくその岡村さんの名前見かけたんすけど、そんな偉大な 方だとは知りませんでした。
393 :
第一総軍 :2001/01/20(土) 02:19
すみません。387の私のレス、誤変換が多いですね.お詫びします. 391様、確かに中国側資料の数字を合計すると、傀儡軍なんか何十回も全滅してることになりますね。特に中共側の資料。 大陸の打通は確かに成功したのは確か.このスレッドの存在意味たる『日本陸軍の戦闘能力』という点に関しては評価できるでしょう. もっとも、打通したものの戦略的な価値は少なかったようで、B29はマリアナに移動して影響なし.鉄道線は翌年には大規模に撤退したので放棄してしまうなど、残念な結果となりました. 唯一の価値は国民党軍に大きな損害を与えたことで、これによって雲南遠征軍や駐印軍を呼び戻させてビルマ戦線の史実以上の破綻を防ぎ、翌年の中国軍の反攻を大きく遅延させたことでしょうか. 兵隊が殆ど無尽蔵な中国軍ですが、昭和20年になっても欠員に苦しんでいたといいます。
394 :
ソゥキッサ鄙 :2001/01/20(土) 02:21
時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう 時の他国のロケット弾と比較してどうだったのでしょう
395 :
名無し三等兵 :2001/01/20(土) 02:40
396 :
名無し三等兵 :2001/01/20(土) 08:42
393>もっとも、打通したものの戦略的な価値は少なかったようで ええ「もともと」中国の戦力なんてアメリカと比べれば微々たるもんですからね。
397 :
第一総軍 :2001/01/20(土) 13:45
396様、中国軍の戦力的価値の考え方は難しく、日本陸軍の大軍を大陸に釘付けにしたという前向きな評価も出来るかと.
398 :
>397 :2001/01/20(土) 13:55
戦略的には太平洋戦争勝利の一因となり、戦後国連の常任理事国入り するほど影響力を持ち得たことから大成功だったとも言える。 (これで共産中国に追い出されなければねえ)
399 :
名無し三等兵 :2001/01/20(土) 13:58
401 :
第一総軍 :2001/01/21(日) 10:48
400様、大陸打通作戦の相手は、国民党軍のはずですが. むしろ、中共軍は日本軍が手薄になった華北で勢力の拡大に成功していたそうです。
402 :
名無し三等兵 :2001/01/21(日) 13:52
沖縄戦は97式をコケにしたM4シャーマンさえもカナリ撃破してるね。 日本陸軍の対戦車体当たり肉攻戦の価値をもっと見直すべきだと思う、悲惨だが。
403 :
第一総軍 :2001/01/22(月) 00:30
402様、結局、兵器行政の誤りを現場の兵士が身をもって補ったということでしょうね. 逆説的には、現場が何とかするから上層部は多少無能でもその無能さを隠しつづけられたということでしょうか. 戦闘能力に限るこのスレの趣旨からすれば検討に値する事実でしょう.
>403 そうまとめられると、戦後55年の歴史が 日本人の組織論になんの進歩ももたらさなくなりますな(笑)
405 :
名無し三等兵 :2001/01/22(月) 13:28
age
406 :
名無し三等兵 :2001/01/22(月) 14:36
日本人に組織論などありません。 大企業は江戸時代の幕府や藩と何ら変わっていません。 語るだけ時間の無駄、 その内西欧やアメリカ企業の傘下にくだるのです。
407 :
第一総軍 :2001/01/22(月) 23:59
そろそろ話題を戻しましょうか. 日本陸軍の具体的な資料や評価を引き続き募集するとともに、それと比較する形で他国の部隊の評価まで話を広げておきましょうか. 『大陸打通作戦』スレッドと多少かぶる内容なので最近低調ですが、これで赤軍、独軍、英軍ファンも書き込みやすくなったのでは. 飽くまで日本陸軍との具体的な比較が原則ですが.
408 :
名無し三等兵 :2001/01/23(火) 00:47
>これで赤軍、独軍、英軍ファンも書き込みやすくなったのでは. ちなみに俺は英軍が一番嫌い。非力でアメリカの援助武器に頼ってばかりのくせに米ソと 肩をならべて戦勝国ヅラすんなっての。対独反攻もできずマレーからインド洋まで連敗のくせに。
409 :
名無し三等兵 :2001/01/23(火) 01:38
昭和17年頃の師団単位での兵員一人あたりの平均馬力は 欧米諸国が4〜5馬力、アメリカは平均10馬力以上。 日本は歩兵各員が1/4馬力持っていると仮定しても 平均で1馬力に満たなかったそうな。 日本軍の場合兵士の能力は階級に反比例するって米英の研究家に 言われてたそうな。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/23(火) 01:57
天に代わりて不義を討つ、忠勇無双の我兵は〜♪ 帝国陸軍は無敵であ〜る
411 :
名無し :2001/01/23(火) 05:57
>410 ところが、自分たちが不義だったんだよね。
412 :
名無し三等兵 :2001/01/23(火) 09:42
>411 引っ込め馬鹿
413 :
名無し三等兵 :2001/01/23(火) 11:17
>412 いや、陸軍軍人なら竹やり担いで「突撃」だ、馬鹿
414 :
名無し三等兵 :2001/01/23(火) 13:23
日本軍の戦闘能力について、 当時の米軍(陸軍、海兵隊ともに)との比較研究 をまずやるべきでは?
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/23(火) 13:35
>>414 火力 米軍>>>>>>>>>>>>>>>>>帝国陸軍
機械化 米軍>>>>>>>>>>>>>>>>>帝国陸軍
戦略 米軍>>>>>>>>>>>>>>>>>帝国陸軍
戦術 米軍≧帝国陸軍
参謀 米軍>>>>>>>>>>>>>>>>>帝国陸軍
将官 米軍>>>>>>>>>>>>>>>>>帝国陸軍
下級将校 米軍≧帝国陸軍
下士官 帝国陸軍>>>>>>>>>>>>>>>米軍
兵 帝国陸軍>>>米軍
持久力 帝国陸軍>>>>>>>>>>>>>>>米軍
精神力 帝国陸軍>>>>>>>>>>>>>>>米軍
416 :
名無し三等兵 :2001/01/23(火) 13:59
>415 藁た >413 突撃なら、帝国陸軍御用達コンドーム 「突撃一番」を持参の事。 南京でも性病罹患者が続出だったから。 シベリア派兵の際に、性病患者が増え過ぎて戦闘能力が 著しく低下してしまったために、従軍慰安婦が創設された教訓を お忘れなく。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/23(火) 15:08
>突撃なら、帝国陸軍御用達コンドーム ここはコンドームじゃなくて、衛生サックと言って欲しいですな。
>415 大事な「補給」を忘れてるぞ。
419 :
名無し三等兵 :2001/01/24(水) 09:38
>418 それこそ我が帝国陸軍の陸軍たる所以。
対等に補給がなければ米英ごときに我が帝国陸軍は負けん!
>420 補給の無い米軍……思わず想像してしまった(笑) まるでゾンビのような動きで殴り合う米兵と日本兵とか。
>421 そうきたか。 俺はあまりに膨大な量の補給物資に頭を抱える日本軍指揮官を想像してしまった。
423 :
1 :2001/01/24(水) 12:30
彡川川川三三三ミ〜 川|川/ \|〜 プゥ〜ン ________________ ‖|‖ ◎---◎|〜 / 川川‖ 3 ヽ〜 < ボクはバカ、軍をた、ヒキコモリの三重苦!助けて〜 川川 ∴)д(∴)〜 \________________ 川川 〜 /〜 川川‖ ブタ 〜 /‖ 川川川川___/‖ / \__ /| | サ __ | | | ヨ / | |_ 童貞 | \__⊃ 租 珍
424 :
名無し三等兵 :2001/01/24(水) 14:36
日本軍の戦闘能力について、 当時の米軍(陸軍、海兵隊ともに)との比較研究 をまずやるべきでは?
>424 性病罹患による戦闘力低下率(1942年) アメリカ陸軍2.2% 同海兵隊 3.6% 日本陸軍 22.4% 日本は特に大陸での低下率が高かった。 アメリカ軍は欧州戦線での低下が中心。
426 :
名無し三等兵 :2001/01/24(水) 23:54
「日本陸軍の戦闘能力 」が無かったら満州帝国なぞ存続し得なかったはず。 東西南北を問わず領土拡張主義のソ連が黙ってこれを見過ごすわけがない。
427 :
第一総軍 :2001/01/25(木) 00:53
424様、その通りですが、誰か実際の交換比率の信頼できる資料をお持ちの方いらっしゃるでしょうか. 私も一応各種資料からより抜きして比較したのですが、どうも信頼できる数字かどうか自信が無いもので. また、装備数の簡単な比較では、221様が紹介してくださったリンク先も参考になるかと.但し、この表と違って日本軍師団の装備数については、師団のタイプによって大きく変動しますが. どなたか、赤軍の狙撃師団、親衛狙撃師団の後期型編成をご存知の方いらっしゃるでしょうか.
彡川川川三三三ミ〜 川|川/ \|〜 プゥ〜ン ________________ ‖|‖ ◎---◎|〜 / 川川‖ 3 ヽ〜 < ボクはバカ、軍をた、ヒキコモリの三重苦!助けて〜 川川 ∴)д(∴)〜 \________________ 川川 〜 /〜 川川‖ ブタ 〜 /‖ 川川川川___/‖ / \__ /| | サ __ | | | ヨ / | |_ 童貞 | \__⊃ 租 珍
429 :
名無し三等兵 :2001/01/25(木) 03:49
陸軍タン 萌え萌え〜
430 :
名無し三等兵 :2001/01/25(木) 14:15
あげ
晒しはげ
432 :
名無し三等兵 :2001/01/25(木) 21:45
僕は陸軍より海軍の方がトロかったと思う。 だって陸軍は海軍がミッドウェーやマリアナやレイテほど酷い負け方してないじゃん。 物量・兵器に不足が無かったミッドウェーの敗北や、マリアナ・レイテの乏しすぎる戦果は何だ。 日本陸軍が単独で負けた戦いと言えばノモンハンとインパールだけど、あれは物量・火力 の絶対的不足が著しかった上に、戦闘自体はそう一方的にはやられてない。 戦争末期でも海軍と違って「大陸打通作戦」で大勝利を収めているのだ。 岡村寧次陸軍大将こそ中国人も認めた日本陸軍史上最高の名将だ。 #いや海軍の場合は相手がアメリカ海軍で悪すぎだったか。
一般的に、陸戦のほうが海戦より決定的結果が出にくい。 海戦は陸戦よりも短時間で激烈、勝者の被害は少ないのに敗者は壊滅することも 少なくない。 (航空戦はこの傾向が、海戦よりも顕著に表れる) 陸軍の粘り強い戦いも海軍の両極端な戦果も、それぞれの特性によるもので、 従事した人間のせいにするのはお門違いというものだ。
434 :
名無し三等兵 :2001/01/25(木) 23:12
でも三度にわたって行われたソロモン海戦は全体として日米共にほぼ互角だったね。
435 :
名無し三等兵 :2001/01/26(金) 02:34
海軍が中国海軍叩いてもしょうがないじゃん。 ただの弱いものいじめ。 それよりも陸軍の綱紀をどうにかしてくれ。 後の世までの恥さらしだ。 ナンキン辺りでティンポもさらしていたけど。
436 :
名無し三等兵 :2001/01/26(金) 03:37
日本軍は真性ドキュソ。日本軍マニアは厨房。
437 :
名無し三等兵 :2001/01/26(金) 04:50
438 :
名無し三等兵 :2001/01/26(金) 13:50
age
439 :
名無し :2001/01/27(土) 06:31
資料を調べるほど、日本軍のトロサが証明されやりきれなくなります。 あのような軍隊を持っていたなんてハズカシイ。
打通作戦の成功により、中国のクソ集団による沖縄占領が阻止された。 あれがもっとはやく徹底的になされて台湾の運命も変わっていたに違いない。
441 :
第一総軍 :2001/01/28(日) 00:32
なんか私の出る幕は無い感じですね.
442 :
名無し三等兵 :2001/01/28(日) 01:29
第一総軍>なんか私の出る幕は無い感じですね. そんなこと無いですよ。第一総軍氏は2ちゃんねるには珍しくまともな知識人です。 カタログ上の数字だけで見ると何から何まで米英独ソ中のどれにも劣ってそうですけど、 実際の戦場では日本陸軍戦力は最強とまではいかなくとも列強標準レベルです。 これはノモンハンやマレー・ビルマ、大陸打通、硫黄島、沖縄で実証済み。 格闘術というのは武器や腕力に勝る相手と戦うことに意義があります。 当時の陸軍では植芝合気柔術が普及してました。これこそ最強格闘術だと思います。
443 :
名無し三等兵 :2001/01/28(日) 01:43
日本柔術はアメリカ軍でも軍隊格闘術に取り入れられてますからね。 戦前、体格の劣った日本人のコンデ・コマが欧米の巨人格闘家相手に 連戦連勝だったのも、日本柔術が当時世界有数といえる根拠かもしれません。
444 :
第一総軍 :2001/01/28(日) 03:13
442=443様、感謝します. 格闘術は盲点でした.柔術をやっていたらしいことは知っていましたが、これほど詳しくは知りませんでした. 確かに末期ビルマ戦の記録を調べると、日本軍は悲惨な状態ながらもイギリス軍に大きな損害を与えています.この原因を柔術だけに求めるわけにはいかないかもしれませんが、柔術が日本軍の白兵戦能力を大きく向上させていたんでしょう. 装備だけで比較すると考えられないほど善戦する日本軍の戦闘力の考察には興味深い事実です.
選択肢として持たないならどんな軍隊だって粘り強く善戦 すると思うが・・・。
446 :
名無し :2001/01/28(日) 07:58
なんで、退却、降伏が禁句の軍隊に成り下がったのでしょうか? 珍しい軍隊ですね。その伝統を引き継いでるのはどこの軍隊?
447 :
名無し三等兵 :2001/01/28(日) 08:14
降伏しなくなったのは、日清戦争で降伏した日本兵が清兵にむご たらしい殺され方をしたからだと聞きました。 (ソース:2ch、(笑))
そりゃウソだわ。
449 :
名無し三等兵 :2001/01/28(日) 11:30
>柔術をやっていたらしいことは知っていましたが、これほど詳しくは知りませんでした. 僕もああは言ったもののそれ程詳しくしらべたわけじゃないです、全然素人。 柔術は「戦場」という何でもありのケースを想定しているので 金的や目潰しなど汚い技や小道具を凶器に利用する技も多いです。 あれ程劣った条件でも善戦した日本軍の白兵戦能力の底流には柔術があったと僕も思います。 現在のアメリカ軍隊格闘術「マーシャルアーツ」も柔術技が多く取り入れられてます。
450 :
名無しさんの野望 :2001/01/28(日) 14:03
米軍の圧倒的な火力の前の柔術ってどのくらい使用頻度あったのか疑問ですが? 火力制圧後の銃剣突撃は米軍でも常道だろうけど、 逆に米軍は人的損失恐れて突撃までは出来なかったのではないか?
451 :
無人格兵器 :2001/01/28(日) 15:17
銃剣(笑) 格闘術(爆) 懐古、耽美はなんでもありか
452 :
無人格兵器 :2001/01/28(日) 15:41
昔の戦争は例題、ドクトリンの変遷以外専門外だが 第二次大戦の兵士死因割合などの数字はなにかと 目にする。砲弾、機関銃、小銃、疾病など割合に ついては議論が出る場合もあるが、銃剣(笑)、格闘術(爆) 日本だけ特殊だったとしたら、ほかに武器がないから 「日本陸軍が使った手段」として有力なのかも知れない それは「強さ」とは言わん
453 :
名無し三等兵 :2001/01/28(日) 16:10
海戦や空戦は殆ど科学戦なんやろうけど、陸戦は原始的な面もあるからなあ。 例えば朝鮮戦争の時の中国軍の人海戦術。まあこれとて制空権がモノを言ったが。 ただ、ベトナムのジャングル戦なら航空機さえもある程度無効にできたからなあ。
454 :
名無し三等兵 :2001/01/28(日) 16:17
朝鮮戦争は中国の完敗。ソ連からミグ戦闘機などの兵器代を闇値でふんだくられた。 いくら歩兵が多くたって航空機無しではどうもならんよ。やっぱ制空権が決め手。
455 :
名無し三等兵 :2001/01/28(日) 19:10
age
456 :
名無し三等兵 :2001/01/28(日) 22:57
傀儡国家「満州国」がソ連国境に接しながら1945年8月まで続いた事実が、日本陸軍の実力。
457 :
名無し三等兵 :2001/01/28(日) 23:12
>>456 言い方変えれば満州国が帝国破滅の諸悪の根源。
459 :
無人格兵器 :2001/01/28(日) 23:18
>>456 ソ連がどこと戦ってたと思うんだ?
少なくとも日本でも満州国でもない
相手にされなければ勝てるのが日本陸軍の実力
という主旨なら、同意
460 :
無人格兵器 :2001/01/28(日) 23:19
日本陸軍を讃えるスレッド、とか はっきりした名前のを作れや そっとしといてやるから
461 :
名無し三等兵 :2001/01/29(月) 00:03
>ソ連がどこと戦ってたと思うんだ? 1939年8月に独ソ不可侵条約が締結されております。 独ソ開戦は1941年6月のドイツ軍のソ連侵攻からです。 >少なくとも日本でも満州国でもない 有名なノモンハンの日ソ衝突は1939年5月以降、停戦協定は9月。 >相手にされなければ勝てるのが日本陸軍の実力 一番いいのは「戦わずして勝つ」朝鮮戦争の戦犯釈放と特需景気。
462 :
第一総軍 :2001/01/29(月) 00:15
445様、厳密には、降伏は出来なかったものの、退却は選択肢としてありましたし、結構行っていました.太平洋の島々の場合は退却しようにも制海権が無いため出来なかっただけの事です.但し、戦闘部隊が命令なくして退却することは他国と比べて少なかったようです.所謂潰走というやつ。潰走しないということは、その後の作戦を行う上でやり易いはずです. 452様、何も格闘術で直接敵兵を殺すばかりが問題ではなく、格闘術、銃剣術で優越する(少なくとも本人たちは信じていた)という信念が、積極的に白兵戦を挑む士気の高さにつながったのではないかと考えます.実際、火力の応酬だけでは米英軍に全く歯がたたなかったはずですから接近戦に賭けるしかないわけです.兵器行政上又は生産力上、米軍並みの火力装備を持つことが不可能である以上、他の方法で少しでも補うしかなかったのだと思います.そもそも敵わない相手に戦争を仕掛けたオオボケはともかく、始まってしまった以上、敵わないから戦いませんというわけにもいきませんしね.戦いを終わらせるのは政府や軍の上層部の役目. 前にも書きましたが、1945年のイラワジ会戦での日本軍死傷者12,913名、英軍死傷者18,055名であり英軍の死傷が多くなっています.参加兵団数はほぼ同じ(やや英軍が多いが)日本軍師団の殆どは3,000名から5,000名砲兵は3分の1程度に弱体化した状態であったことを思えばこの戦績は大したものだと思います.ただし作戦的には完全に裏をかかれて敗北しビルマ防衛が破綻しました。(仮に裏をかかれなくてもこの状態では大差なかったでしょうけど) 457様、459様、終戦時の関東軍はたしかに張子の虎でしたが、本来の関東軍は結構強力だったはずです.終戦時には本来の部隊を殆ど抽出されて張子の虎になっていたわけです.ソ連からそれなりに警戒されていたのは以前の関東軍です.関東軍は従来の師団の全てと多数の独立部隊を抽出され、根こそぎ動員でどうにか張子の虎を演じようとしていたわけです.
463 :
第一総軍 :2001/01/29(月) 00:23
460様、
464 :
第一総軍 :2001/01/29(月) 00:27
463番の書き込みすみません.間違って書き込むをクリックしちゃいました. 460様、讃えるスレッドでは、駄目でしょう.このスレッドでは具体的な資料の提供や、それに対する感想や考察を募集しているので強い派と弱い派の両方の参加者が必要なんです.飽くまで具体的な資料を元にした議論が望ましいんですけれど.
465 :
ジョセフ・ジョースター :2001/01/29(月) 00:30
お前の次のセリフは、 『間違って途中なのに書きこんじゃいました、申し訳ない』 だ!!
俺が申し訳無いわ。空振り。撃つ出し脳。
467 :
第一総軍 :2001/01/29(月) 01:09
465=466様、懐かしいですね.社会人になったばかりの頃、ジョジョはよく読んでました.
468 :
名無し三等兵 :2001/01/29(月) 01:12
464>強い派と弱い派の両方の参加者が必要なんです 更には旧日本軍悪玉史観もね。 スレッド立てた本人の第一総軍さんが実は最も詳しいようですね。 何にせよ異論があれば徹底的に議論し、矛盾点を明らかにしていきたいです。
>更には旧日本軍悪玉史観もね。 っつうか、悪玉以外の何者でもなかった。 略奪・強姦・破壊… できる事はなんでもしたんじゃん。 国家的恥さらし。 今時「大日本帝国陸軍」なんて語っているヲタクは 全員逝ってよし。 帝国陸軍らしく、自決してください。 靖国神社にまつってあげっからさ。
470 :
名無し :2001/01/29(月) 07:11
日本軍悪玉 慰安婦、南京だものね。
>469 やなやつだね。
472 :
名無し三等兵 :2001/01/29(月) 08:53
単なる「煽り」でしょ。
473 :
名無し三等兵 :2001/01/29(月) 08:58
略奪・強姦・破壊… じゃあ植民地で略奪・強姦・破壊してきた連合軍も悪玉だね
474 :
名無し三等兵 :2001/01/29(月) 09:28
日狂組の教えに忠実なドキュンでしょう。
475 :
名無し三等兵 :2001/01/29(月) 09:35
んじゃ韓国軍や北朝鮮軍、中国で活動していた軍閥はすべて悪玉だね。 旧日本軍以上の。
476 :
名無し三等兵 :2001/01/29(月) 09:39
ヴェトナムでの韓国軍なんか凄いよね。 ついさっき別スレのリンク先で読んだのよ。
日本陸軍を嫌いな気持ちは分かるし、それをやめろとも言わないけど それと「能力」的な話は別だよ。 感情論で日本陸軍の能力を評価しないでほしい。
478 :
名無し三等兵 :2001/01/29(月) 10:53
誰か、WWUの米軍の編成表(装備も含めて) 作ってくれないかなあ?
479 :
第一総軍 :2001/01/30(火) 00:47
478様、346番に一応米軍歩兵師団の装備表は書き込んでおきましたので宜しければ参考になさってください.但し、人員の割にカービン銃の装備数が多すぎるのでこの点は少し怪しい数字です.(この装備数だと、後方部隊の兵士まで殆どカービンを持っている計算になる) 詳しい編成組織図は多少の資料はあるものの未整理のため発表できません.どなたか詳しい方の情報をお待ちします. また、317,325、326、340,342、343には日本軍の編成表や装備について書き込んであります.比較するのも一興かと。 468様、確かに私は日本軍や中国軍、満州国軍などの調査をして資料を集めてはいますが、自分だけだと考え方が偏ってしまうので皆さんのご意見も非常に参考になります.それに、最近出ていらっしゃらないですが、Tor様や蛍の光様、テリ造様、他に識別不可能ですが何人かの名無し様達は分野によっては私以上の情報をお持ちのようです.また、情報をお持ちではない方も、その頭脳を提供して感想や考察を加えて頂ければ頼もしい助っ人です.
480 :
第一総軍 :2001/01/30(火) 01:16
なんか大陸打通作戦スレッドとかぶってますよね.いいのかなあ。
481 :
名無し三等兵 :2001/01/30(火) 01:50
資料オタクよせばですか、このスレ。
482 :
名無し三等兵 :2001/01/30(火) 02:26
/O // ././ __ ./ / {∬ 二⊥‐ / / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ゚Д゚) / ./ < みなさん、ここは希少な日本軍オタの板です。帝国軍人らしくさっさと真でください。 _/ニニニニ_/ / \___________ _ニ‐^|.| ゝ/ー/(__,,/l / | | 〈 / 〈《 ,/))| / | | Nヽゝゝ - ‐^ノノ | _ / └―――ニニニニ―‐└―-< /" | / ,ニ< \ / __ | '-^ ̄' (Θ \ /__、、 -‐'''^-  ̄\ ̄l ̄l~^\______|\ ̄l ̄l^\ /ノ''-./V V VVN /〈y-―――┘ └――――┘ 《[ 》| 》 》 ,》 ,| l〈 ))===== } _/)===== } \_-'-'-'-'-'-'^'ノ===== ノ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ=====ノ
相手にされなかった厨房がコピペ荒らしに走ったか。
484 :
名無し三等兵 :2001/01/31(水) 00:24
司馬遼太郎や五味川純平のノモンハン戦史を見てると何だか日本軍総崩れみたいだ。 もしそうなら『満州国』なんてとっくに潰れてたぞ。独ソ不可侵条約も締結されてたし〜。 独ソ開戦は1941年6月22日で、ソ連はそれまで対独戦の用意なんかしてなかったぞ。 もしかしたら「日本陸軍は愚かだ」という思考に凝り固まっていただけなのかもしれない。 しかも最近出た「陸軍機甲部隊」(学研)によれば新鋭97式は一両しか失っとらんと。 #そこに傀儡国家「満州国」が敗戦間際まで存続した事実こそが、日本陸軍の戦闘能力だ。
485 :
第一総軍 :2001/01/31(水) 00:56
484様、確かにノモンハンについてはロシアの資料公開によって依然言われていたのと違い、日本軍の一方的惨敗ではなかった事が明らかになっているそうですね. 又、九七式中戦車も当時のBT7と比較して機動力に劣るものの装甲ではわずかに優れていたらしく、主砲の貫通力はかなり劣っていたとはいえ、当時の一般的な戦闘距離でなら結構BT7を撃破可能だったらしいです. もっとも、九七式はノモンハンにはわずか4輌しか参加していないので、1輌損失はちょっとデータとして考えるには弱いでしょうか.
486 :
第一総軍 :2001/01/31(水) 01:16
ああ、今度は日本戦車擁護スレッドとかぶってしまったか.
487 :
名無し三等兵 :2001/01/31(水) 12:09
でもさ、今時センソの勝ち負けなんてど〜だっていいじゃん。 帝国陸海軍が強かろうと弱かろうと、今の僕らにゃ何の関係もない。 礼賛も擁護も批判も反省も、面白半分茶々いれながら気楽にやろうぜ。
488 :
名無し三等兵 :2001/01/31(水) 14:04
>九七式はノモンハンにはわずか4輌しか参加していないので、1輌損失はちょっとデータとして考えるには弱いでしょうか. まあ司馬も五味川も結構いい加減なんだねえ、ありゃ殆ど架空戦記やなあ。 97式チハを腐す前にこういう基本的な事実認識がまるでなってない。 まあ日本戦車部隊は性能よりも数が著しく少ないことが「弱い」理由だろうが。 ところでノモンハンで投入された日本・ソ連の戦車数はそれぞれ何輌だった?
489 :
名無し三等兵 :2001/01/31(水) 16:15
age
490 :
名無し三等兵 :2001/01/31(水) 19:14
沖縄戦の対戦車体当たり肉撃隊こそ、明らかに米軍を震撼し得た唯一の対戦車兵器!
>>484 おヴァカ?
開戦直前まで対独戦準備してない?
自分の著書に自分達を絶滅させて生活圏を獲得すると記している総統
がいる国の国境から、軍を全部極東に移動できると思ってんの?
条約って万能にして不摩の大典かなんかだと思ってんの?
目にしたく無いと思う事はなんでも見えなくなるのは危ないんじゃないの?
ってのは余計なお節介か。
492 :
名無し三等兵 :2001/01/31(水) 20:07
>開戦直前まで対独戦準備してない? おヴァカ? あなた、独ソ開戦はナチ独の全面的一方的奇襲攻撃だよ。 スターリンがゾルゲらの警告を無視したことも有名だけど、もっと勉強したら?
>>484 関特演も知らないんぢゃないの?(困ったもんだ)
494 :
第一総軍 :2001/01/31(水) 23:59
488様、すみません。ノモンハンの詳しい資料は手元に無いんですが、緒戦のハルハ河会戦だけでBT5、T26等戦車装甲車200輌以上だったはずです.その後に大量増援されているはずなので恐ろしい限りです.確か現在パンツァー誌に詳しく連載されていたと思います.
495 :
第一総軍 :2001/02/01(木) 00:13
連続で失礼.最近独ソ戦がらみの論争が起こってますが、これって満州国の存在と日本陸軍の戦闘能力の関係からですよね. もう少し皆さんの書き込みをよく読んでから私も入れていただこうかと思います.
496 :
名無し三等兵 :2001/02/01(木) 00:45
>>495 ドイツのポーランド侵攻は事前にソ連との不可侵条約秘密議定書で
領土分割の打ち合わせが済んでおり、ソ連は共犯に他ならなかったのです。
そしてこの独ソ不可侵条約締結発表の日付けは1939年8月23日です。
ですから欧州戦勃発により独ソ関係が悪化したという事実は無く、寧ろその逆です。
これがノモンハン事件の推移にいかなる影響があったと云えるでしょうか。
付属議定書
独ソ不可侵条約の調印に際し、両国全権代表は東欧での双方の利益範囲の
境界画定問題を極秘に討議した。その結果次のような結論に達した。
一、バルト諸国(フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア)
に属する領域の領土的・政治的変更の場合、リトアニアの北部国境が
ドイツとソ連との境界となる。これに際し、
ヴィルナ地域に関するリトアニアの利益を両国は承認する。
二、ポーランド国家に属する領域の領土的・政治的変更の場合、
ドイツとソ連の利益範囲の境界はナレフ、ヴィズワ、
サンの各河の線にほぼ沿うものとする。
独立したポーランド国家の保持が両国の利益にとって望ましいかどうか、
また、この国家の境界はいかなるものかという問題は、
今後の政治的発展の流れの中で最終的に明確になるだろう。
いかなる場合も両国政府はこの問題を友好的な双方の合意によって解決する。
三、東南ヨーロッパに関してはソ連側からベッサラビアに対するソ連の利益が強調された。
ドイツ側からこの地域に政治的関心を全く持っていないことが表明された。
四、この議定書は両国によって極秘に保持される。
モスクワ、一九三九年八月二三日
ソ連政府全権ヴェ、モロトフ
ドイツ政府代表ヨハヒム・リッベントロップ
#参考 「独ソ不可侵条約」(斎藤治子 新樹社)
497 :
第一総軍 :2001/02/01(木) 01:12
496様、確かにソ連はドイツと密約を結んでいたのは確かです.ノモンハンにもし影響があったとすれば、直接ドイツとの関係が緊張したからというよりも、大戦の勃発に伴いどのようにも動きやすい状態でいるために日本との危険で不毛な軍事的冒険を終わりにしたかったんでしょうね. 独ソ戦開始時には、ソ連軍の主力はルーマニアの正面に配備されていて、ドイツの南方軍集団を結構苦戦させています.これはドイツとの直接対決に備えたというよりも、対英戦に忙しいドイツが介入できないうちにルーマニアの油田を狙っていたとも考えられますね.又は、そのような姿勢を示すことでルーマニアから更なる譲歩を引き出そうとしたものか. まさか関東軍に恐れをなしたわけではないにせよ、損害の割に得るものが少ないとソ連は考えたのでは.
498 :
名無し三等兵 :2001/02/01(木) 04:14
まぁ関東軍特別大演習当時の関東軍が帝国陸軍最強部隊だったことは、 誰も異論はないだろう。 で、司令官が石原莞爾あたりだったら、もっとよかったんだろうが
499 :
名無し三等兵 :2001/02/01(木) 05:24
石原莞爾は誇大妄想狂のドキュソ。
500 :
名無し三等兵 :2001/02/01(木) 06:10
1939〜40年にかけてソ連はフィンランド攻撃でで悪評を買ったソ連は国連から除名。 この国は東西南北どこでも領土拡張主義であり、その為にはヒトラーとでも妥協する。
501 :
名無し三等兵 :2001/02/01(木) 12:33
>>497 ノモンハン事変当時、独ソ両国は蜜月関係(といっても政治的に)でしたね。
この密約で明らかなように、ソ連はナチ独と結んででも領土拡張に励んでます。
ですから日ソ停戦は「ドイツとの関係が緊張したから」では断じて無いです。
満州も取れるものなら取ったでしょう、日本陸軍さえいなければ。
502 :
名無し三等兵 :2001/02/01(木) 14:34
346番以外でも、 信頼できる米陸軍、海兵隊の編成があれば 多少戦闘能力がある程度分かるのだが
503 :
ばばぼん♪ :2001/02/01(木) 22:38
とりあえず、アメリカ軍歩兵師団について。 師団司令部 歩兵連隊 第1大隊(歩兵中隊×3) 第2大隊 第3大隊 歩兵連隊 歩兵連隊 師団砲兵 野戦砲兵大隊(105mm砲中隊×3:105mm榴弾砲×12〜18) 野戦砲兵大隊(105mm砲中隊×3) 野戦砲兵大隊(105mm砲中隊×3) 野戦砲兵大隊(重砲中隊×2:155mm榴弾砲×8〜12) 偵察中隊 工兵大隊 通信大隊 段列(整備・補給等) 編成は諸外国の三単位師団に準じます。ただし、開戦直後の状態と大戦末期との状態では、兵員・装備の充足率等で大きく異なります。 また、これ以外にも上級部隊から、戦車大隊や対戦車大隊(自動車化対戦車砲大隊・駆逐戦車大隊)、対空大隊等が臨時に配属されます (もっとも、これは一度配属されたら、引き上げられることは少なかったらしい)。 アメリカ軍の装備・編成で特徴的なのは、「員数外の装備が多い」「完全自動車化」ということでしょうか。 その為、部隊によって実際の装備の数が定数と異なっていることが多いようです。 105mm砲編成の砲兵大隊は、大抵の場合、各歩兵連隊に一個大隊ずつ張り付けられ、その支援にあたります(もちろん、集中して運用されることもあります)。 155mm砲大隊は、重点的な火力支援が主要な任務です。 砲兵大隊の砲門数が12〜18とあるのは、大戦初期では四門、その後徐々に火砲の生産数が増加し、 大戦末期には六門と定数を満たすようになったためです。ただし、太平洋戦線では終戦まで実質五門だったと聞いたことがあります。 海兵師団については、分隊の人数が陸軍は12人なのに対して13〜15人なのと自動火器が多めに配備されていること以外は、 陸軍の歩兵師団の編成に準じていると思います(なんかで読んだけどうろ覚え。例によって、臨時にいろんな部隊が配属される)。 なお、諸外国の師団/旅団級部隊の編成については、以下のサイトが詳しいでしょう。 www.freeport-tech.com/WWII/ まだまだ構築中の箇所が多いのですが、ノルウェー軍要塞師団なんかもあっていい感じです。 編成オタには結構萌えます(笑)。
あらら、テキストで書いて張り付けたら、改行がおかしいよ(泣)。
505 :
第一総軍 :2001/02/01(木) 23:56
503=504様、非常にわかりやすい解説ありがとうございます. こんごともよろしく。 紹介していただいたサイトを覗いてきます.
506 :
第一総軍 :2001/02/02(金) 03:14
石原莞爾は誇大妄想狂のドキュソ。
507 :
第一総軍 :2001/02/02(金) 03:20
日本軍の処刑方法は何だったんだろう。 銃殺、斬殺、刺殺。銃殺は軍刑としてのそれだし、 100人斬り云々は斬殺。が、戦記(史書系)を読む限りでは、 銃剣による背後から首筋への刺殺が多いような気がするのだけど。
508 :
名無し三等兵 :2001/02/02(金) 16:40
>503 具体的な装備類の資料が後欲しいですね。 (他人任せですみません)
509 :
名無し三等兵 :2001/02/02(金) 21:52
日本は何たって領土が小さすぎるってば。広大な領土を持つアメリカ・ソ連、 世界中に植民地を持つイギリス、チェコもフランスも併合したドイツとは別だ。
510 :
第一総軍 :2001/02/02(金) 21:54
506の書き込みは偽者です.いちいち説明しなくても皆さん御解りでしょうけど.
511 :
第一総軍 :2001/02/02(金) 22:11
あと507もね。でも507の質問はまともだから私宛という意味かな?
512 :
名無し三等兵 :2001/02/02(金) 22:58
>日本は何たって領土が小さすぎるってば。 何たって米英独ソは広大な領土を持ってるんだからね、島国の日本とは訳が違う。 帝国陸海軍はそういう国々に軍事的経済的にどこまで対抗できたんだろう。 アメリカだけは別としても、1945年8月までのソ連国境での満州国存続 という事実からして英独ソにそんなにひどい遅れをとったとも思えないが。
513 :
名無し三等兵 :2001/02/02(金) 23:14
日本陸軍の兵器は戦車・火器をはじめ著しく貧弱と言われてますが、 隼戦闘機や97式中戦車など航続距離に優れたものが多いことからして、 『機械の信頼性』においては英独ソをはるかに凌いだと思います。 (航続距離がある=整備無しで長く使われても壊れない)
514 :
名無し三等兵 :2001/02/02(金) 23:21
>>513 三野みたいなヘタレ優越論するんぢゃねえ。
アホ(笑 言葉の意味調べて出直してらっしゃい。
516 :
名無し三等兵 :2001/02/02(金) 23:31
>(航続距離がある=整備無しで長く使われても壊れない) 意味が違いますよ。 航続力はあくまでも「搭載している燃料でどれだけ動けるか」であって 勿論、完全に動作することが前提です。 つまり数字としてあらわれる「航続力」はあくまでも「カタログデータ」 に過ぎません。 第二次大戦で最も信頼性のある戦車はM4シャーマンと言われます。 そのM4の航続力はT34より短いですが、無整備で走破できる距離は 実に3倍もありました。
517 :
名無し三等兵 :2001/02/02(金) 23:51
悪い悪いと言われていた97式戦車の操縦性や信頼性は 大陸打通作戦や緒戦期のマレー、フィリッピン決戦での戦闘ではどうだったの?
518 :
名無し三等兵 :2001/02/03(土) 00:31
513の投稿者です。
>>516 >>517 僕は普通「航続力」といったら零戦みたいにはるか南方で航空戦やって、
それでも多くが無事に帰ってくるという意味で言ったんですけど。
ところで「大陸打通作戦」では廃品間際の中古戦車が多く使われたため、
さすがに投入戦車の三割がリタイヤしたそうです(陸軍機甲部隊 学研)。
519 :
名無し三等兵 :2001/02/03(土) 00:36
>>518 何で日本軍機が航続力が長いかというと、
まともに戦争をしようと思っている人は絶対やらない、
「翼内に燃料タンクを備える」ってことをやっているからよ(はあと)
>>519 ほいじゃあ、F4UやP51の運用者も戦争やる気
無かったんだな(藁
アホめ。
521 :
名無し三等兵 :2001/02/03(土) 01:00
それよりも日本軍の武器は現地で鍛冶屋が修理できたそうな。 これをどう捉えるかだね。 整備性に優れていると見るか、そんな貧相なものかと見るか。
522 :
ノモンハンで :2001/02/03(土) 02:31
総力をあげてあつめた重砲が約80門しかも数日で弾切れ これが帝国陸軍の重砲集中使用のトップクラス、、、、、 やはり貧乏がわるいのか?
523 :
名無し三等兵 :2001/02/03(土) 06:50
まだやってたの、このスレ。
524 :
>519 :2001/02/03(土) 07:29
五十六/2 なんか、真に受けたらいかん。 B-17だってB-29だってSBDだってMe-88だって翼内に燃タンある。
525 :
某研究者 :2001/02/03(土) 08:28
まあ大体スターリンに日本の戦車が対抗可能な訳も無く 対戦車攻撃は攻撃機でだろうが矢張り護衛のコスト等や 悪天候時での運用の困難性を考えるが故に対戦車砲・対戦車自走砲・ 対戦車ロケットを開発せねば効率が悪い場合も有る訳だろうか
526 :
某研究者 :2001/02/03(土) 08:38
或いは観測機として配備されていたオートジャイロに37mm砲を装備して 敵航空機の視認を避ける為地形を利用しての近接支援等は可能だった訳だろうか
527 :
名無し三等兵 :2001/02/03(土) 08:43
>>524 せめて防弾タンクにしてくれい。(搭乗員一同)
528 :
名無し三等兵 :2001/02/03(土) 13:28
>まあ大体スターリンに日本の戦車が対抗可能な訳も無く 戦艦大和は対ソ戦まで取っておけば良かったかもしれない。 シチリアやノルマンジーで米艦艇が対地艦砲射撃で地上軍を叩きのめしたように、 千島あたりでソ連戦車部隊に対地艦砲射撃を食らわしてやれば北方四島は今頃・・・(妄想)
529 :
名無し三等兵 :2001/02/03(土) 14:08
37mm砲の反動で吹っ飛んでいくオートジャイロの哀れな姿が目に浮かぶ・・・
530 :
某研究者 :2001/02/03(土) 14:52
まあしかし後方にも同様の砲弾を同時に発射すれば或いは
531 :
名無し三等兵 :2001/02/03(土) 15:01
>530 デメリットが多すぎて企画倒れだな。
>530 それ、ANT-23/29じゃん・・・・・・・・
533 :
第一総軍 :2001/02/04(日) 01:31
503様が米軍師団の編成表を書き込んでくれましたが、最近大陸打通作戦に言及される方が何人かいらっしゃるので、手元にある中国軍の資料を少し整理して近日中に書き込んでみようと思います.
534 :
名無し三等兵 :2001/02/04(日) 17:27
やはり38式小銃→99式短小銃への転換は間違っていたのだろうか? 7.7ミリ弾薬の導入は航空用に限定しておけばよかった。
535 :
名無し三等兵 :2001/02/04(日) 23:04
我が帝国陸軍は永久に無敵です!!!
503の補足です。アメリカ軍歩兵連隊の編成について。ノルマンディ上陸以降での例です。日本軍との比較対象の基として下さい。 なお、これは15年ほど前に自分でウォーゲーム資料にと複数のものを自分用にまとめたものなので、出典については記憶の彼方です(^^; 連隊本部 歩兵大隊 歩兵中隊 小銃小隊(三個分隊) 小銃小隊(同じ) 小銃小隊(同じ) 重火器小隊 歩兵中隊(同じ) 歩兵中隊(同じ) 迫撃砲小隊(81mm迫撃砲×四門) 対戦車砲小隊(57mm or 76mm対戦車砲×四門) 歩兵大隊(同じ) 歩兵大隊(同じ) 対戦車砲中隊(三個小隊:57mm or 76mm対戦車砲四門) 連隊砲中隊(三個小隊:105mm榴弾砲×六門) 各歩兵小隊は12人編成の分隊×3で編成されます。各分隊は小銃×11挺(内、狙撃銃を持った狙撃兵か、小銃擲弾手として指定された兵が一人。いない場合も多い)、BAR×1挺ということになっていますが、下士官は短機関銃やカービンを持っているたり、BARが2挺に増強されたこともあったようです(これは各チームに1挺ずつということでしょう)。また、M1919A6軽機の生産が始まると、各小隊に2挺程度与えられたようです(このあたりになると、現代のアメリカ軍小銃小隊の原型を見ることが出来ます)。 重火器小隊は、他国では歩兵大隊与えられていた重火器中隊(日本陸軍の場合は機関銃中隊)を、あらかじめ小隊に分割して各中隊に配属したものです。装備は503の発言と同様、生産数の増加と共にある程度の変遷があります。ノルマンディ上陸以降だと、.50口径重機が一挺、7.62mm重機、バズーカ、60mm迫撃砲が2〜3ずつ程度のようです(もちろん破損等によりそれ以下の場合も多かったと思います)。実戦時には中隊長の指示の下、各小銃小隊に分割されて、あるいは集中して運用されます。 余談ですが、アメリカの国内宣伝目的(「前線ではアメリカ製兵器が足りているから国民は安心して欲しい」ということらしい)のためか写真資料などは少ないのですが、アメリカ軍は捕獲した兵器をかなり使用しています。上記以外にもMG34/42(まともな軽機がなかったからか?)や手榴弾、沖縄戦だと九二式重機を使用した例があります(これは大日本絵画「GUNS of the ELIITE」から)。 各対戦車砲部隊が使っている対戦車砲は、生産数からするとほとんどが57mmだったようです。御存知の通りすでにこの口径のクラスの対戦車砲では効果が少なく、朝鮮戦争の頃になると75mm無反動砲と置き換えられます。もっとも、これでもT-34/85相手には不足だったのですが(第二次大戦と朝鮮戦争でのアメリカ陸軍歩兵師団の編成は、中隊規模以下を除けば大体同じです。60年代に入ると大きく変わってきます)。これで足りない場合は、師団に配属された戦車大隊や駆逐戦車大隊の支援を受けます。 連隊砲中隊(便宜上、こう書きます)は、なかった場合、あるいは師団長の指示で師団砲兵旅団と共に運用された場合もあったようです。朝鮮戦争当時になると、107mm迫撃砲中隊(三個小隊:107mm迫撃砲×十二門)と置き換えられます。
あ、訂正(^^; 》対戦車砲中隊(三個小隊:57mm or 76mm対戦車砲四門) 十二門です。各小隊に四門ずつ。
当時のソ連がやってきた対外政策を知る者は、「満州国」の存在には一目置くであろう。
539 :
名無し三等兵 :2001/02/05(月) 20:46
age
540 :
名無し三等兵 :2001/02/05(月) 22:12
495>連続で失礼.最近独ソ戦がらみの論争が起こってますが、 495>これって満州国の存在と日本陸軍の戦闘能力の関係からですよね. ええ、ええ。パウル・カレルなんかの独ソ戦史を読んでると時々日ソ関係史 が出てきますから。逆にアルヴィン・D・クックス「ノモンハン」だと、 不可侵条約締結などの独ソ関係のリンクが結構多く書かれているんですよ。
541 :
名無し三等兵 :2001/02/05(月) 22:59
「勝った」とされる日露戦争の旅順攻防戦と「負けた」とされる ノモンハン事件それぞれの日本・ロシアの損害比は何故かあべこべだ。 外交・戦略レベルと戦闘・戦術レベルではハナシが違うらしい。
542 :
第一総軍 :2001/02/05(月) 23:52
ばばぼん様、資料の提供ありがとうございます.わたしもウォーゲーム作成のため資料を収集中です。今後ともご協力いただけるとありがたいです. 540様、私も日本軍師団とソ連軍師団の戦闘力比較には大変興味があります.大戦末期の関東軍は張子の虎でしたが、結局主力は戦わないまま終戦となりました.もし戦っていたらどうなるか.また、戦力を抽出される前の精鋭師団で戦っていたらどうかなど、興味は尽きません. 日本軍第107師団は、分散退却中に侵攻したソ連軍第39軍の攻撃を受けて損害を出しましたが、反撃に出て狙撃師団1個に打撃を与えてその軍旗を奪い、終戦まで健在していたそうです. 第107師団は従来の精鋭師団と比較して60パーセント程度の戦闘力と判断されていたそうですが、分散退却中に優勢な敵から奇襲を受けながらのこの戦いはまずまず見事ではないでしょうか.
543 :
名無し三等兵 :2001/02/06(火) 00:18
>私も日本軍師団とソ連軍師団の戦闘力比較には大変興味があります 1938年夏にも張鼓峰事変というのが起こってます。この時の日本軍は戦火拡大 をおそれて航空機・戦車無しで半分の兵力でしたが敵戦車100台撃破・捕獲です。 ノモンハンでもそうですが、飛行機・軍用車両・兵力・砲・銃火器その他 どれを見ても遥かに日本陸軍が劣ってるのにいざやってみると何故か今回もまた 損害はソ連側の方が多くなっているんですね。今度はジューコフ指揮なのに、不思議。
544 :
第一総軍 :2001/02/07(水) 19:41
では、予告していた中国軍の編成を書き込む準備として中国国民党軍基礎知識その1を書き込んでおきます. 中国軍の軍制は、戦争中に何度か変更されましたが、代表的な序列は以下のとうりです. 1, 軍事委員会 2, 戦区 3, 集団軍 4, 軍 5, 師(師団)6, 旅(旅団) 7, 団(連隊) 8, 営(大隊)9, 連(中隊) 10, 排(小隊) 11, 班(分隊) 又、末期には米式装備師を主力にした方面軍が編成されて対日反抗戦力となったが、方面軍の規模は戦区と集団軍の中間である.
風邪をひいてしまった. 最近ちょっと低調だけど明日の夜ちゃんと書き込みます.
546 :
名無し三等兵 :2001/02/08(木) 23:30
>風邪をひいてしまった. 第一総軍 さんのファンです、しっかりして下さいよぉ〜。
547 :
第三総軍 :2001/02/09(金) 01:59
日本軍の一部では強姦防止のために兵員を一列に並べて強制オナニーさせた っていう話を聞いたのですが、本当ですか?
548 :
名無し三等兵 :2001/02/09(金) 03:23
なんかソ連軍って対ドイツ戦もそうですが 圧倒的優勢な兵力の割に膨大なダメージを負うことが多いですね。
549 :
第一総軍 :2001/02/09(金) 23:49
中国国民党軍基礎知識その2です。 今回は師団の種類にしましょう. 1, 師(師団) 通常の歩兵師団である.基本的にな編成は以下のとうりである. 甲編成=各2個団(連隊)よりなる3個旅(旅団)に、若干の特科兵を加えたもの。 乙編成=各3個団よりなる2個旅に、騎兵連(中隊)、砲兵営(大隊)、工兵営、輜重兵連を加えたもの。 丙編成=各2個団よりなる2個旅に、騎兵連、砲兵営、工兵営、輜重兵連、特務兵連を加えたもの. となっている。また、より細かく言えば、何年型甲編成というように何度も改編されているので上記の編成もあくまで目安でしかない. 因みに、34乙制という場合、民国34年(昭和20年)型の乙編成ということである. ただ、戦史を見る限り実際には3個団編成の師が多かったようである. 日中開戦時にはドイツの軍事顧問により60個師の近代化計画が進行中であったが、実際には25個師程度しか間に合わなかったらしい. また、末期には米式装備や半米式装備の師も多数編成された. 2, 新編師 通常の師と基本的には変わらないが、その名の通り新しく編成された師で優良装備の部隊が多かったようだ. 本スレッド内でスチルウェルの文章を引用した方がいたが、引用文内の第38師団とは、性格には新編第38師のことである. 3, 暫編師 これも歩兵師であるが、地方の雑部隊や敗残部隊などで臨時に編成したものである. 4, 騎兵師 各2個団からなる騎兵2個旅に、機関銃連、迫撃砲連、特務兵連を加えたもの. 5, 機械化部隊 正確には第200師といい、自動車化歩兵1個団と戦車1個団その他よりなる。初期にはソ連製T26戦車やドイツ製1号戦車で編成されていたと思われる. 戦争初期に撃破された後再編されているので、編成内容も変化していたかもしれない. 以上が基本であるが、蒋介石の中央軍とその他の地方軍閥系の軍では装備も練度も大きく差があった.
550 :
名無し三等兵 :2001/02/10(土) 04:38
いくら米式装備してもフーコン・ミイトキーナその他の戦闘の結果を見ると、 やっぱ中国軍はヘタレですかねえ。
551 :
某研究者 :2001/02/11(日) 13:25
アラスカ・カナダ伝いで米本土に上陸する事は まあハワイから米本土へ補給線を敷くよりは可能性は有った訳だろうか (矢張り敵潜水艦に対し脆弱な空母ではなく陸上飛行場の援護が受けられるが故に) アラスカの石油を確保して米攻略の橋頭堡としたい所だが 原爆が完成する可能性の高いWW2時点より其れ以前に攻略していた方が未だ可能性が有った訳だろうか
552 :
83・84 :2001/02/11(日) 14:11
ロケット系と大砲はメリットとデメリットにおいてどのような違いがあるのでしょうか
553 :
83・84 :2001/02/11(日) 14:11
ロケット系と大砲はメリットとデメリットにおいてどのような違いがあるのでしょうか
554 :
83・84 :2001/02/11(日) 14:11
ロケット系と大砲はメリットとデメリットにおいてどのような違いがあるのでしょうか
555 :
83・84 :2001/02/11(日) 14:11
ロケット系と大砲はメリットとデメリットにおいてどのような違いがあるのでしょうか
556 :
83・84 :2001/02/11(日) 14:11
ロケット系と大砲はメリットとデメリットにおいてどのような違いがあるのでしょうか
557 :
第一総軍 :2001/02/11(日) 19:03
550様、確かに米英独ソ日に比べると見劣りしますが、ルーマニアとかギリシャとかノルウェー等と比較できれば面白いかもしれませんね. 449の私の書き込みに追加です. 6. 預備師 これも歩兵師のバリエーションだが詳細は不明.恐らく後備部隊だと思われるが、預備師には蒋介石直系軍が多いので少し疑問も有る. 7. 青年軍 昭和20年初めに日本軍が貴州に侵入したことに脅威を感じた蒋介石が編成した精鋭歩兵師。青年で編成されたため青年軍と呼称されるが、通常の歩兵師の連番である. 第201から209の9個師団が編成された.装備は米式装備だが、従来の米式部隊を上回る装備を持っている. 8. 整編師 終戦後に国共内戦に備えて編成改正された歩兵師。従来の戦力不十分な師を旅に改編し、549に書き込みした基本編成に従って旅を編合して新たな師を編成した. 従来の師より兵員数でも装備でも強化されていたが、内戦に敗れた. 9. 調整師 549の書き込みでも書いた、日中開戦時の60個師改編計画で編成された師を、それ以前の師と区別して調整師または整編師などど呼ぶ場合がある. 10. 戦車師または装甲師 内戦に敗れた国民党軍が台湾に逃れる際、蒋介石の息子である蒋偉国将軍が率いていた. 詳細は不明だが、最精鋭部隊だったと言う. 11. その他、騎兵師にも暫編や新編の師が存在する.
>543 やはり、革命とその後の混乱、そして粛正等による軍内部での混乱が、 下級将校の教育・養成に影響を及ぼしたためではないでしょうか? 実際に部隊の指揮をとるのは佐官以下ですから。 ちょっと違うけど、スコードリーダーのデザイナーズノートにヨーロッパ各国の下士官養成課程の比較が出てたな。 非常におもしろい内容だったので、探してみます。 >547 昭和初期だったかに、騎兵学校に入校した直後に「ブーツを使ったオ○ニーの仕方」を 座学の時間中に懇切丁寧に教わった、という手記なら読んだことがありますが(^^;;; >550 「ヘタレ」というより、その戦争に対するモチベーションの問題かと。 事実、大陸でのゲリラ活動では相当苦労しましたから。 北洋軍閥以降、中国の軍隊は「国防のため」ではなく「政略のため」の軍隊であったことの方が多いわけですし(笑)。 あ、それとも自分の土地を離れると駄目なのかな? >第一総軍さん ご苦労様です。ドイツの軍事顧問を受け入れて以降の中国軍改編なのですが、 最終的にはドイツ式の編成に向けて行われていたのでしょうか?
559 :
第一総軍 :2001/02/12(月) 00:18
ばばぼん様、ドイツの軍事顧問の件なのですが、当時有名ゼークト将軍を中心とした軍事顧問団でしたが、肝心のゼークト将軍が訓練などに余り関心を払わず、ドイツ兵器の売り込みのほうに熱心だったので蒋介石が失望したと読んだことがあります。 その後、日独の親密化に伴い軍事顧問は正式には引き上げられましたが、一部の顧問はドイツ軍籍を離脱して中国軍人として戦ったそうです. 60個師の改編ですが、一応ドイツ兵器を装備してドイツ式の訓練が施されていたようで、第二次上海事変から南京までの戦いで日本軍を苦しめたものの潰滅したらしいです. 当時(日中開戦時)日本軍は平時17個師団、中国国民党軍は約180個師を持っていました。日本軍が戦時編成で倍増したとしても中国に派遣できる師団は20個師団と予想し、計画としては60個師を近代化することで日本軍に対して3倍の優勢で勝算があると考えたようです. この近代化された師団の代表的な編成表が手元にあるのでいずれ書き込んでみたいと思います.(なかなか馬鹿に出来ない重装備です) 因みに、ドイツ軍事顧問が引き上げた後はソ連が中国を支援し、戦車や航空機を供与しています.独ソ開戦後にソ連が援助する余裕を失うと、アメリカが支援を本格化させました.
>日独の親密化に伴い軍事顧問は正式には引き上げられましたが ドイツとの同盟はやはり中国問題が焦点だったと思います。 第一総軍様の2ちゃんには珍しいほどの丁寧な解説は毎度のことながら目から鱗です。
561 :
第一総軍 :2001/02/13(火) 00:15
560様、仰る通り、日本にとっては中国との問題が同盟に大きく関係していたと思います.今から考えると、ドイツとの同盟で枢軸国と連合国の線引きがはっきりしてしまい、戦争が世界規模になってしまったんですが、当時の日本は近視眼的でそこまで考えられなかったのかもしれませんね。 さて中国国民党軍の師団編成(60個師近代化バージョン)です。 師部(司令部) 歩兵旅 歩兵団 第1営 歩兵3個連、機関銃連、小砲排 第2営 同上 第3営 同上 歩兵砲連(又は迫撃砲連)、通信連、特務連 歩兵団 同上 特務排 歩兵旅 同上 補充団 (編成は歩兵団と同様) 騎兵連 砲兵団 3個営、通信連、特務排 (野砲装備と山砲装備の師がある) 工兵営 3個連、通信排 通信兵営 電話2個連、無線1個連 輜重兵営 2個連 衛生隊 特務連 化学排(但し、正式ではないため持たないものが多い) 探照排 歩兵銃7831、騎兵銃1395(野砲装備の場合)又は1503(山砲装備の場合)、拳銃108、 重機関銃92、軽機関銃294、82ミリ迫撃砲(歩兵砲として)20、75ミリ野砲または山砲36、 150ミリ榴弾砲4、20ミリ小砲(詳細不明、歩兵砲らしい)30、 槍(詳細不明、誤訳かも)2940 以上です.予想外の重装備ですが、対日開戦までに10乃至25個師の改編が終了していた様です.また、必ずしも全てこの編成だったわけではなく、例によって目安にすぎないと思われます. 装備については異説もありますが、一応こちらを信じておくことにしましょう.異説のほうは余りに貧弱で、日本と対等に戦うための新編成とは考えられないので.
562 :
第一総軍 :2001/02/13(火) 00:30
因みに、561の装備で書いた槍ですが、私の知識ではちょっと訳せないのでこう書きました。中国国民党軍の名誉の為に一応付け加えておくと、槍とは、銃をあらわす場合があります.(例、歩槍=歩兵銃) でも、注釈に作衝鋒槍之用と書いてあるので本当にただの槍かも。まさか、そんな、いくらなんでも、ねえ。
563 :
しろうと的質問ですが :2001/02/13(火) 04:47
>561,562 装備は比較的充実してるようで日本軍にさほど劣らないようですが・・・。 しかも常に5〜10倍の兵力でも日本軍相手に結局は敗退ですか・・・。
564 :
名無し :2001/02/13(火) 05:22
最初から最後まで銃剣突撃
565 :
名無し三等兵 :2001/02/13(火) 11:28
age
566 :
第一総軍 :2001/02/13(火) 23:49
563様、この編成装備は日中開戦までに10乃至25個師しか完成しませんでした.その他の160以上の師はこの半分以下の装備であったと考えられます. 又、一度撃破された後は、再編成し様にも兵器不足のためこのレベルでの再編は不可能だったようです.(末期の米式装備師は別として) 確かに全ての師がこの装備を持っていたら、ソ連並に恐ろしいですね. 因みに、この時期の日本軍師団は未だ4個連隊編成の師団だった上、師団数がそもそも少なかったので、一応充分な野戦重砲や独立野砲または山砲部隊で増強されていたことを付け加えておきます.
567 :
563 :2001/02/14(水) 00:04
第一総軍さま、レスありがとうございます。 そうですね、考えてみれば名新聞記者・伊藤正徳氏の著者「帝国陸軍の 最後」の第1巻でも、当初は欧米の指導でほどほど軍備が整えられていたが、 相次ぐ敗退戦で装備の大部分を失い、それ以降の部隊のほとんどは 小銃は38式並みだが、あとは旧式の軽機と迫撃砲だけだった、というコメント を想いだしました。
「論より証拠」ってのは日本陸軍によく当てはまることわざだな。 兵器の性能はカタログ比較よりかは実戦でどれほどの戦果があったかで決めるべき。
569 :
第一総軍 :2001/02/15(木) 00:21
568様、確かにその通りですね。 最近はゲームソフトの影響でしょうけど、カタログデータ偏重の方が多い感じがしますね.まあ、日本軍には精神偏重の悪癖がありましたから、それに対するアンチテーゼが出できてもそれはそれで結構健全なのかもしれませんが。 私も時々は戦闘国家や大戦略をプレーするときがありますし、なかなか面白いとは思っていますけど、実戦での記録のようにはならない場合が多いですね。 特に兵器を単位としてユニット化する場合、歩兵のカタログデータなどは戦車のように単純には評価できませんしね.
570 :
第一総軍 :2001/02/15(木) 00:49
567様、1938年には、国民党軍師団の標準編成が変更されていることをつい今発見しました. 恐らくあなたの仰る通り装備を減らした軽量師団の様ですが、残念ながら詳しい装備は書いてありませんでした. 3個団編成になっているようですけど.
571 :
第一総軍 :2001/02/15(木) 23:26
前にも書きましたけど、どなたかソ連軍の狙撃師団と親衛狙撃師団の後期型編成をご存知の方いらっしゃらないでしょうか。 どの程度一般部隊と親衛狙撃兵に装備などの違いが有るのか知りたいです.
572 :
ばばぼん♪ :2001/02/16(金) 20:02
はいっ、ソ連軍狙撃兵師団の編成です(笑)。「後期型編成」というのがよく解らないのですが、43年以降だと大体こんな感じのようです(例のよって、基本的な「編制」です ^^;)。 御存知の通り、ソ連は開戦直後に大打撃を受けたため、1942年には編制がかなり縮小されました。その後は徐々に増強はされたのですが、実際にどうなったかは謎です。また大戦中のソ連軍は「編制」にこだわらない傾向が強く、方面軍司令官には狙撃兵師団の最編成を自由に行える権限があったため、これが混乱に拍車をかけます(笑)。そのため、本当のところは永遠に謎です(そもそも細かい資料が少ない)。恐らくは「改編・再編する暇がなかった(再編・補充が消耗に追いつかない)」というのが真実に近いのではないでしょうか。基本的には諸外国の三単位師団に準じていますが、ピョートル大帝以来の伝統か、砲兵が強力です。 なお、ソ連軍部隊に付けられている「親衛」というのは、一種の名誉称号です。戦功のあった部隊に冠することで士気を上げ、宣伝等にも使うことを目的としています。元々が優良部隊であったためか、一応は装備や補給が優先的に回されていたようです。 師団司令部 狙撃兵連隊(三個狙撃兵大隊、一〜二個短機関銃中隊、偵察中隊、二個対戦車砲中隊、一個歩兵砲中隊、一個重迫中隊) 狙撃兵連隊(同じ) 狙撃兵連隊(同じ) 師団砲兵 榴弾砲連隊 第一大隊(中砲大隊:本部、三個中隊:122mm榴弾砲×12門) 第二大隊(中砲大隊:同じ) 第三大隊(重砲大隊:本部、三個中隊:152mm榴弾砲×8門) 軽砲連隊 第一大隊(本部、二〜三個中隊:76mm野砲×8〜12門) 第二大隊(同じ) 対戦車砲大隊(三個中隊:45mm or 57mm対戦車砲18門) 対空大隊(二個中隊:37mm対空機関砲×12門) 工兵大隊(三個中隊) 偵察中隊(騎兵、オートバイ化、自動車化等) 支援部隊・段列 狙撃兵連隊については後述します。 師団砲兵は榴弾砲連隊と軽砲連隊の二個連隊があることになっていましたが、榴弾砲連隊がない師団も多かったようです(以前紹介したサイトの、ソ連軍狙撃兵師団の師団毎の編成をご覧下さい)。 榴弾砲連隊は、ここでは三個大隊としましたが、二個大隊編成(152mm砲大隊がない)、或いは全てが中砲大隊の場合も多かったようです。 軽砲連隊が装備する「76mm野砲」というのは、よく戦記等に登場する「76mm対戦車砲(ラッチュ・バム)」です。日本でいうと九〇式野砲が対戦車砲としても使われていた、ということでしょう。 ソ連軍狙撃兵師団にはこれ以外にも対戦車砲大隊があり、軽砲連隊は両方の任務をこなすことを目的としていたようです(ちゃんとやろうとすると両方の訓練やるのか。大変だなぁ ^^;)。 なお、中砲(122mm)以上や高射砲は4門編成で、軽砲(76mm)や対空機関砲は6門編成で中隊を編制していました。 対空大隊は一部の優良師団や親衛狙撃兵師団のみに配属されていたようです。ここでは二個中隊と書きましたが、三個中隊とする資料もあります。独ソ開戦当時には二個軽対空砲中隊(対空機関砲中隊)+一個重対空砲中隊(76mm高射砲4門)で編制されていましたが、後に重対空砲中隊は廃止され、高射砲師団などで要所防空などの為に使われたようです。 工兵大隊も同様に優良師団や親衛狙撃兵師団のみ。工兵はどこの国のものでも資料が少なくて難儀しています(^^;
573 :
ばばぼん♪ :2001/02/16(金) 20:02
続いて狙撃兵連隊。例によってこれは「編制」で、実態は不明です(^^; 連隊本部 狙撃兵大隊 狙撃兵中隊 狙撃兵小隊(三〜四個分隊) 狙撃兵小隊(同じ) 狙撃兵小隊(同じ) 狙撃兵小隊(同じ:ない場合もある) 機関銃小隊(二個分隊:重機二挺) or 機関銃分隊(重機一挺) 狙撃兵中隊(同じ) 狙撃兵中隊(同じ) 迫撃砲中隊(三個小隊:82mm迫撃砲×9門) 短機関銃中隊(三個小隊) 短機関銃中隊(同じ:親衛狙撃兵連隊のみ) 偵察中隊(三個小隊) 対戦車砲中隊(45mm or 57mm対戦車砲×6門) 対戦車砲中隊(同じ) 歩兵砲中隊(76mm歩兵砲×4門) 重迫中隊(二〜三個小隊:120mm迫撃砲×6〜9) 「狙撃兵」というのは「小銃兵(=歩兵)」を指します。これは日本陸軍の参謀本部が「Riflemen」をどう考えてか「狙撃兵」と訳したことが始まりだと聞いたことがあります。はたしてこれが予算獲得のために意図的に強く見えるように訳したのか、あるいは単なる誤訳か(笑)。 中隊以下での規模の狙撃兵の編制は、大きく分けて二つのバリエーションがあります。 A.「9人編成分隊×四個分隊」の小隊×3 B.「7人編成分隊×三個分隊」の小隊×3(これは44年末以降) A・B、いずれも共通して各分隊に軽機が一挺と下士官は短機関銃か自動小銃です(捕獲兵器を使用していたことも多かったと思います)。これに機関銃分隊(重機一挺)で中隊となります。親衛狙撃兵中隊の場合、機関銃分隊は二個分隊で編成される機関銃小隊と置き換えられます。 短機関銃中隊は、あの有名な「デサント」です。戦車の背中に乗って行動する(標的になりやすい上に遮蔽物がない)ため、「平均寿命二週間」と言われた部隊です。狙撃兵連隊の場合は余剰や捕獲した軽機や重機を与え、逆襲の為の予備隊等として使ったのでは、と思います。また編制上あるだけで、実際には解体して一般の狙撃兵中隊に編入していた場合も多かったと思います。親衛狙撃兵連隊の場合は二個中隊が配属され、結果として一般師団より多くの短機を持っていたことになります。 偵察中隊は通常の歩兵と同じですが、任務の性質上、短機の率が高かったと思います。また、騎乗やオートバイ化されていることも多かったと思います。 重迫中隊は、一般の狙撃兵連隊は二個小隊編制(6)、親衛狙撃兵連隊は三個小隊編制(9門)だったようです。 >562 あれ、確かホンモノの「槍」です(^^; 何で見たかはどうしても思い出せないのですが、朝鮮戦争でも極少数、槍兵部隊が出ていたと読んだ記憶があります。朝鮮戦争に投入された中国軍の中には国民党軍から寝返った部隊(当然、使い潰される運命にある)も多かったそうですから、小銃等が行き渡らなかった部隊もあったのではないでしょうか。 あと、日本陸軍の工兵連隊と騎兵連隊の詳しい編制をお持ちでしょうか?>第一総軍さん 特に師団工兵連隊と攻城専門の工兵連隊についてなんですが。
ちと、573の訂正(^^; 編制と編成が一部ごっちゃになってました(^^;;; 》親衛狙撃兵中隊の場合、機関銃分隊は二個分隊で編成される機関銃小隊と置き換えられます。 親衛狙撃兵中隊の場合、機関銃分隊は二個分隊で編制される機関銃小隊と置き換えられます。 なお、大戦中のソ連軍部隊の編制としては、以下のサイトに出ています。 ただし、ワタシが見た資料(ウォーゲーム関係のデザイナーズノートとか小部隊での編制とかなんとか) と異なる部分も多いのと、内容自体が死ぬほど見づらいです(笑)。一度、プリントアウトしてご覧になることをお勧めします。 www-online.shef.ac.uk:3001/mr-home/hobbies/OOB.html だれか露西亜に渡って、詳細に調べて本にしてくれないかな。 金と暇があったらやるんだけどな(爆)。
575 :
第一総軍 :2001/02/17(土) 00:30
ばばぼん様、大変感謝します。現在、酔っぱらっているので一通り目を通しただけですが、後で詳しく読み直します. 日本軍工兵連隊の件ですが、私の手元には師団工兵連隊の簡単な資料しかありません。 きっと、独立工兵の資料がご所望なんでしょうけど一応書き込みます. 連隊本部 中隊3、器材小隊1 連隊長以下898名、馬119、自動貨車4 第11、25、57師団の工兵連隊共通. 連隊本部(連隊本部に通信班を有す) 中隊3、器材小隊1 連隊長以下961名、馬125、自動貨車10 第77、86師団の工兵連隊共通。 ご期待に添えずすみません。この程度しか今のところ見当たりません。もし見つつけたらご報告します。 しかし、ばばぼん様は明らかに私以上の資料をお持ちのようです。いつか他の参加者の方も交えてオフ会でもしたいですね.
576 :
名無し三等兵 :2001/02/17(土) 17:22
age
577 :
第一総軍 :2001/02/18(日) 00:22
では今日は1938年改定の中国軍の師団編成にしましょうか。 師部(師団司令部) 団(歩兵連隊) 歩兵営(大隊) 歩兵3個連(中隊)、機関銃連 歩兵営 同上 歩兵営 同上 迫撃砲連 戦車防御砲連(対戦車砲) 通信排(小隊) 衛生隊 団 同上 団 同上 野戦補充団 基本的には歩兵団と同様。但し充足率は低かったと推定。 特務連 衛生隊 野戦医院 以上です.詳しい装備については資料がありませんが、師団から、砲兵、輜重兵、工兵等が無くなっているのが解ります。 恐らく、戦争初期の損害から立ち直れていないためと思われますが、例によって目安に過ぎないと思われますので、一部の精鋭師団はこの限りではないでしょう。 因みに、師団から取り除かれた特科兵は、軍直轄として各1個営(大隊)が配属されていたようです。
578 :
第一総軍 :2001/02/18(日) 03:23
そういえば私は、編成と編制をごっちゃにしていましたね。すみません。 米ソなどのメジャーな軍については、ばばぼん様が非常に詳しいので、その分野はお任せすることにして、私はマイナー軍街道をひた走りに使用かと思いますが、いかがでしょうか。 あと、ばばぼん様は小部隊というか、戦術単位の編制にも精通していらっしゃるようですね。
579 :
第一総軍 :2001/02/18(日) 17:37
578の書き込みを含めて、私の書き込みは誤変換が多いですね. では、国民党軍1940年型師団編制です. 師部(師団司令部) 団(歩兵連隊) 歩兵営(大隊) 歩兵4個連(中隊)、重機関銃連 歩兵営 同上 歩兵営 同上 軽迫撃砲連 通信排(小隊) 輸送排 特務排 団 同上 団 同上 補充団 歩兵団と同様。但し充足率は低かったと推定。 砲兵営 山砲6 輜重兵営 騎兵連 戦車防御砲連(対戦車砲) 工兵連 通信連 特務連 野戦医院 師団装備 歩兵銃3100、軽機関銃162、重機関銃54、 擲弾筒216(推定)、迫撃砲36(推定82ミリ)、 戦車防御砲4、山砲(推定75ミリ)6 人員約1万人 以上です。1938年型編制に比べて、師団の特科部隊(工兵、砲兵等)が配属され一般に強化されている.恐らく、米英ソなどからの軍事援助の結果このような編制の強化が可能だったと思われる. 但し、歩兵団の編制は1938年型に比べて縮小されているのはいかなる戦訓によるものか興味深い。 又、軍は通常、正規の師2個と新編師1個、騎兵、砲兵、工兵、輜重、特務の各1個営が配属されていた。 因みに、蒋介石の主力部隊である第1,2、5、74軍は攻撃軍に指定されており、編制、装備は異なっているがこれについては後述する。
いやあ、ワタシは元々、戦術級ゲーマーなんですよ。 だから、連隊級以下の小部隊の方が専門なんです(^^; あ、来週末、職場の試験なんで、しばらく書き込みがなくなります。 スコードリーダーのデザイナーズノート(の抜粋 ^^;)ご期待の方、ちょっと待って下さい。
陸軍の編成なんて知って、なんか役に立つんですか?
人生を豊かにしてくれます。
583 :
名無し三等兵 :2001/02/19(月) 15:01
>>77 論より証拠やな。同時期で対米戦はあっさり負けたが、中国相手なら大勝利だ。
584 :
名無し三等兵 :2001/02/19(月) 15:06
>>583 劣勢包囲で逃げられつづけ
奥地へ奥地へと引きずり込まれるだけのいくさの
何処が大勝利だ?
第一対米戦だってあっさり負けたわけじゃないぞ。
マリアナ・レイテの海戦はどう見ても大した戦果もなく「あっさり負け」やねえかい。
586 :
名無し三等兵 :2001/02/19(月) 15:19
>>585 真珠湾から珊瑚海までは勝ってたろーが!
587 :
第一総軍 :2001/02/19(月) 23:47
ばばぼん様、試験勉強頑張ってください。御戻りになるまでこのスレッドが命脈を保っていられると良いのですが。 581様、多分これといって役にはたたないでしょう。でもまあ、趣味なんて物は役に立つか立たないかを気にしているとつまらないですよ。 584、585、586各様、実は私は日本海軍は言われているほど強くなく、陸軍は言われているほど弱くないんじゃないかと考えています。 海軍が一流で陸軍が二流なのは一応確かとしても、マリアナ、レイテはさすがに悲惨でしたから。でも、その負けっぷりというか悲壮感漂う戦いが実は好きなんですけど。 ゲームごとで恐縮ですが、国際通信社の日本機動部隊2でレイテシナリオを作りたいなあ。でも信濃とかもありで。
588 :
名無し三等兵 :2001/02/20(火) 04:16
みんな知ってるかい?ニッポンの地震ってね、 天皇陛下がお怒りになると起こるんだ。 陛下は人間宣言をしたけどね、あれはGHQの手前、 仕方が無くやったことなんだよ。 やっぱり陛下は神なんだ。神であり宇宙なんだよ。 神様が怒ると地震が起こったり雷が鳴ったり、 神様が悲しむと雨が降ったり。 陛下の臣民として、神の子としてこの国に生を受けて ホントに嬉しいし、誇らしいよ! この幸せを地球のみんなに分けてあげなきゃ! 陛下の元に統治される喜びを! 地球を全てニッポンにしようよ! それには戦争しかないんだ! やるしかないんだ! 戦争しかないんだ! 戦争がしたいんだ!
589 :
名無し三等兵 :2001/02/20(火) 20:39
590 :
第一総軍 :2001/02/20(火) 23:50
なんか疲れたなあ.
591 :
>第一総軍さま :2001/02/21(水) 00:42
>実は私は日本海軍は言われているほど強くなく、 >陸軍は言われているほど弱くないんじゃないかと考えています。 大平洋の戦いにおいて「陸軍・海軍」で分けて考えるのが 間違っているのかもしれません。 米軍の火力はたしかに日本軍に比べると強力ですが、 戦場に大砲を持ってくることができなければ意味がありません。 ガダルカナルの戦いに砲兵で参加した人のインタビューを読んだ ことがあるのですが、その人は「せめて中隊の定数の砲を持って こられれば、あんなに一方的に撃たれはしなかったのに。」と 悔しがっていました。反対に日本海軍がことごとく米軍の補給を 阻止していれば結果は逆になっていたはずであることは言うまで もないでしょう。乱暴な言い方をすれば「海軍に力がなかったから 陸軍がじゅうぶんに戦えなかった。」とも言えるわけです。 さらに突き詰めれば「海軍力を維持できる国力があれば…」てなことに なり結局最後には「なんでアメリカ相手に戦争なんか始めたのか?」と なってしまいます。さらに言うならば国民党軍は帝国陸軍よりさらに弱い ということが定説になっていますが、敗れても敗れても「距離を時間に 換える」などと言ってどこまでも退却し膠着状態に陥れています。 この場合、日本軍には中国を屈服させる力が無かったことになります。 「距離を時間に換える」というのは半分負け惜しみなんだと思いますが それでも結果的に中国を戦勝国側に導いています。この場合、果して中国 大陸の広さは中国軍の強さの要素にはいるんでしょうか? …すみません、話がそれました。つまり軍隊の強さ・弱さを考える場合 「部隊の定数がそろっていたら」「弾薬が充分あったら」という仮定を 持ち込むとキリがなくなってくるので、その辺の「貧弱な補給」みたい な要素もそのまま適用した方が良いのではないでしょうか?
結局 決定論か・・・
593 :
名無し三等兵 :2001/02/21(水) 00:52
589> 何を言う!我が皇軍のちんこを愚弄するのかっ! 目標、敵まんこっ。…いいか、副官、復唱せよ。 両翼の火力を敵まんこに集中し、本隊は肉弾突撃で中央突破を目指す。 では、突撃!
594 :
ZEKE :2001/02/21(水) 01:02
兵站ですよね? 「海軍はもともとその様には建造されておりません。(米内光政海軍大臣)」 本土から直接出港して、内南洋で1回大海戦に勝てれば良い、と言う発想。 明治の日本海海戦の昭和版ですね。 結果、島嶼戦に必須の補給能力とか海上交通護衛は二の次になっていたのに、 この部分で欠陥を露呈したんだと。 使い方を誤ったのか、平時から研究不足だったのか、両方だったのかと言った所でしょうか? 海軍をあてにしていた陸軍は対米戦、厳しかったのもむべなるかな...。
595 :
第一総軍 :2001/02/21(水) 01:20
591様、確かにこのスレッドの趣旨では戦闘能力のみを扱っているつもりでも、補給状態などの点を完全に無視できないのはご指摘の通りです。補給状態に関しては、良かった戦場と悪かった戦場の両方を比較することでその差を知ることが出来るかと考えます.まあ、良かったと言うよりも悪くなかった戦場と言い直したほうがいいかな. 因みに海軍ですが、単に兵力で負けている場合はもちろんとしても、サマール沖海戦などの戦績を見ると、所謂3倍の命中率なるものも怪しいですね.スリガオについても、惨敗は仕方なかったとしてももう少し何とかならなかったかと残念な気もします. ごめんなさい.陸軍スレッドでしたね。次から話を戻しましょう.
596 :
>594 :2001/02/21(水) 02:47
そういう意味では日本海軍は巨大なサイズの沿岸海軍であって 決して外洋海軍じゃないですよね。 だから(こういう書き方をすると噛みつく人いそうだけど)日本 は海軍力は当時一流だった、というのを聞くと違和感を感じま す。 一流の海軍とはまずもって自国が利用する海面を維持するため の外洋海軍であって、それを満たしてなおかつサイズも(各国 に比して)大きい場合にそう呼ばれるべきでは、と考えます。
597 :
名無し三等兵 :2001/02/21(水) 03:05
米海軍以外に一流は無し。
598 :
>597 :2001/02/21(水) 03:14
それを言ってしまうと身も蓋もないな(汗 私としては大出血を強いられ、米軍の支援を受けながらでしたが とにかく自国の必要とする海面を全うした英海軍も一流の列に加 えてもいいような気がします。 戦艦まで通商路(&兵站)確保に酷使したその姿勢はある意味海軍 の鑑。 と思ったけど米海軍と同列というのもアレだしせいぜい一流半程 度かなー。
599 :
名無し三等兵 :2001/02/21(水) 03:20
一流の英海軍が例のドキュソ海軍に連敗・壊滅した理由を教えて下さい。
600 :
ZEKE :2001/02/21(水) 04:38
>596 噛みつく人がいたとしてもその通りですよね。 「護衛だの兵站だのといったことは、海大でも充分には教わっとらん。」 だから実際に始まってから慌てる。 開戦後の海軍艦艇の建造計画なんてくるくる変わるし...。 今やられている真っ最中になのに対潜用の船作っていたりする。 出来あがったときには機雷で動けなくなる。 アメリカ相手に戦争するにしても限定的に終いをつけられれば、 陸軍だって島嶼戦で孤立させなくて済んだのに。 結果論なのはわかってるんだけど、やっぱりそう言いたい。 一流二流というのはよくわかりませんが、平時の戦備として準備されて、 実際に想定通り使用されたのはイギリスだけじゃないかと思います。 アメリカだって真珠湾のショック以降はドタバタやってるし、 無駄な船も相当作っているけど規格化されて作った部分でかなり”バレ”なくて すんでる(笑)
601 :
591 :2001/02/21(水) 22:26
>>第一総軍さま >補給状態に関しては、良かった戦場と悪かった戦場の両方を比較することで >その差を知ることが出来るかと考えます. 「悪かった戦場」といってもガダルカナルやインパールのような 「最悪の戦場」は考慮しなくても良いと思います。 師団単位で飢餓状態に陥るなんて論外ですから。 ただ、一会戦分の弾薬の定数やその平均の充足率などは 調べられるなできるかぎり調べた方が“実力”の算定も 現実的になると思います。 >>600 よく考えてみればアメリカ海軍だって大鑑巨砲主義だったんですよね。 でないと真珠湾に戦艦を集めるわけないし。 ただ、目論みがずれてもそれを挽回するだけの工業力をもっていたために 機動部隊中心の艦隊を編成できただけでしょう。 だいたい正規空母のエセックス級を10隻以上建造するなんて ほとんど反則行為に等しいと思います。(笑)
602 :
>601 :2001/02/21(水) 22:43
おいおい、米軍サンの反則度はその程度じゃないぞ。 途中で勝ちが見えて面倒になって2隻ほどやめちまったけど 24隻を戦争が終わるまでに海に浮かべてるんだエセックス 級。 惜しいとこで間に合わなかったミッドウェーなんてバケモノ はそれでも6隻手をつけて2隻はそのまま完成させちまった。 それに加えてどこの国も戦争が始まるなり作りかけのは投げ 出してた戦艦の類なんかを16隻も作り続けてて10隻は完成。 その他も見てるとなんというか決闘用の絢爛豪華装備を連合 艦隊の2セット分戦争中に完成させてる感じだよな。 もちろん本当の戦争用装備(護衛駆逐艦や護衛空母、潜水艦 など)もドカスカ。比べる気も失せそうな差になっててお話 にならない・・・
603 :
ZEKE :2001/02/21(水) 23:18
>601 >ほとんど反則行為に等しいと思います。(笑) そうそう、あんなの反則。(笑) エセックス級が10隻? なんのなんの、発注は32隻で完成は戦後分含めて24隻だったらしい。 護衛空母だと、カサブランカ級で「毎週」1隻起工して年50隻完成。 もうムチャクチャ。 陸軍は巷間言われているほど補給を後まわしにしたわけじゃないですよ。 作戦立案と同時に必要な物資を算出して手配もかけてるんですよ。 作戦実施後の指導がまずくて計算以上に消耗したり、相手がぶつけてくる 量が極端で、最前線で前進後退の間に失われる量が計算できなかったり、 それと、官僚的になってる部分が顕著になるのは、軍需省ができてから 帳簿合わせにはしってるみたいですよ。
604 :
第一総軍 :2001/02/21(水) 23:48
601様、最近仕事が忙しいため図書館にもなかなか行けませんが、戦史叢書のなかで少し資料を探すしかないですね. そういえば、正確な数字ではありませんが、硫黄島では半会戦分の弾薬と増強師団相当の兵力で一応3週間ぐらいはかなり戦えましたね. 沖縄では0.8会戦分で2ヶ月半位でしょうか.1会戦分が3乃至4ヶ月の戦闘所要量ということですので実際の戦闘消費がどの程度か推定できるかも. 596から599と602様、(纏めちゃってすみません)確かにアメリカは反則.でも、結構実用的でいい艦造ってますよね.アラスカはつっこまないで。 ZEKE様、なかなかの腕?とお見受けしました.ここのスレッドの方はみんななかなかの腕なんですけどね。引き続きよろしく.
605 :
601 :2001/02/21(水) 23:52
>602,603 24隻ですか。エセックス級の同型艦の数はうろ覚えだったので 「10隻以上くらいだよな…」と思って書き込んだんですが どうやら私もアメリカの工業力を甘く見ていたようです。(笑
606 :
名無し三等兵 :2001/02/21(水) 23:54
>陸軍は巷間言われているほど補給を後まわしにしたわけじゃないですよ。 同意。ただ、その必要とされた物資の量が他の列強諸国と比べて…(涙) 更に、物資を送る輜重の手配がつかなくて後方で野積みになってたり、輜重の消費 する物資を計算に入れてなかったり、進撃による補給線の伸びに無頓着だったり…(涙涙)
607 :
名無し三等兵 :2001/02/22(木) 00:04
戦前に北海道で実施された陸軍大演習でかなり兵站面の改善が必要であること。 鉄道に対するトラック輸送の優位性などが既にあぶり出されていた。 それでも演習だから痛みを感じていなかったんだろうな。演習とは謂え 殉職者が結構出ていたんだが。
608 :
第一総軍 :2001/02/22(木) 00:51
そういえば、日本の弾薬生産量は年間何会戦分位だったんでしょう. ご存知の方いらっしゃるでしょうか.
609 :
ばばぼん♪ :2001/02/22(木) 01:09
「会戦分」ではありませんが、こんなものがありました。 www1.odn.ne.jp/~aal99510/heiki_16.3.42.htm www1.odn.ne.jp/~aal99510/heiki.17.18.htm www1.odn.ne.jp/~aal99510/heiki.19.htm
610 :
ZEKE :2001/02/22(木) 02:46
>アラスカはつっこまないで。 突っ込みた〜い!(大笑) 何でアンなもん作っちゃったの?!巡洋艦の規格でしょ? 日本海軍の諜報戦の勝利? それが転じて自分でB-65型なんて計画したんじゃ、お笑い返しになっちゃうんだけど。(^^; >ただ、その必要とされた物資の量が他の列強諸国と比べて…(涙) 最初に持っていった物量だけで大勢を決してしまうのが基本としてあったみたいですね。 大勢が決まればあとは掃蕩戦であり兵站は楽であると...。 でもこれ、前提として最初に携えて行った物量で主導権を握れなければ、 後を考えなければならないんだけど、ここで冷静を欠く傾向が強かったみたいですね。 出先の中央に対するメンツとかプライドとか、になるのかな?
611 :
弾薬の生産 :2001/02/22(木) 22:30
光文社NF文庫「大砲入門」によると 1会戦4ヶ月で1門あたりの生産数は3会戦1年分が 理想とされていましたが、実際の生産数はその3分の1だったようです。 1門あたり必要な弾薬数は1会戦 ●小口径1600発 ●中口径1000発 ●大口径 640発 となっていました。
612 :
米軍の場合 :2001/02/22(木) 23:03
米軍については資料を探しているところですが 「レイテ戦記」にこんな記述があります。 『九日〇五三〇、以後米九○二野砲大隊はキャンプ・ドーンズに 対して一一〇発の準備砲撃を行い、〇八二〇からは歩兵の進出を 支持するために一九二発発射した。』 これを日本軍に当てはめてみると、大隊あたり八門として 一門あたり約37.5発、午前中だけで(!)4日分の弾薬を 撃ったことになります。 これはかなり乱暴な計算なのでアテになりませんが、 ひとつの目安としてあげてみました。
613 :
捕捉 :2001/02/22(木) 23:06
612は中口径砲と仮定して計算しました。
614 :
第一総軍 :2001/02/23(金) 00:07
ばばぼん様、いい資料をありがとう.後、あそこにソ連軍の対日戦損害も出てましたね.大変参考になります。実は、一度あそこを見つけたことがあるのですが、わかんなくなっちゃってたんです。 ZEKE様、ゲームごとで恐縮ですが、ツクダホビーからでていたアドミラルグラフシュペーの太平洋版データを入手したとき一度アラスカを使ってみました.いい艦ですよ.戦艦と空母さえいなかったら。ダメ? 611から613様、興味深いです.米軍との比較は大変良い着眼点です.因みに、米軍の砲兵大隊は通常、105ミリなら16門、155ミリなら12門とする説も有ります. また、日本軍の会戦弾薬ですが、野砲又は山砲は2000発、10糎榴弾砲1500発、重砲100乃至800発とする説もありますが、その兵団の任務や作戦地により多少の変動はあるようです. ともあれ、非常に有益な考察なので引き続きお願いします.
615 :
名無し三等兵 :2001/02/23(金) 00:09
>あそこにソ連軍の対日戦損害も出てましたね いかほど?、またその信憑性は?
616 :
>614 :2001/02/23(金) 00:12
>ツクダホビーからでていたアドミラルグラフシュペー 懐かしい・・・プレイヤーひとりあたり精々4隻ぐらいで手一杯になる 恐ろしいゲームだった。
617 :
第一総軍 :2001/02/23(金) 00:36
615様、信憑性は不明ですが、回復不能12,031名、入院24,425名、モンゴル軍は回復不能72名、入院125名と書いて有りました. 616様、因みに、私はイタリア戦艦ビットリオべネトで大和を沈めた奇跡の男です.そんなんだからサイコロ魔人とか言われるんだなあ.
618 :
第一総軍 :2001/02/23(金) 23:54
あげときますね.
朝鮮戦争で中国軍の人海戦術でパーシング戦車を撃破ってのは?
620 :
第一総軍 :2001/02/24(土) 00:58
619様、まあ不可能ではないですよね.動けなくしてしまえば、その戦場を制圧したほうしか回収できないわけだし、後でゆっくり爆破してもOK。 明日は営業会議なので、今日はこれくらいで. また、中国軍編制の続きでもやろうかな.でも、みんな中国軍には興味ないんでしょうね.
>>619 なんか歩兵が飛びかかって運転席のペリスコープに毛布被せて、動きの取れなく
なったところをフクロにした例がけっこうあるそうな。
パーシングかイージーエイトか知らんけど。
これに懲りたのか、アメリカ戦車の運転席はこのあと車体中心線上に。
622 :
第一総軍 :2001/02/24(土) 20:20
では今日は、国民党軍1941年型師団編制の精鋭師団バージョンです。 師部(師団司令部) 団(歩兵連隊) 営(大隊) 歩兵3個連(中隊)、機関銃連 営 同上 営 同上 迫撃砲連 戦車防御砲連(対戦車砲) 通信排(小隊) 衛生隊 団 同上 団 同上 野戦補充団 基本的には歩兵団と同様。但し充足率は低かったと推定。 山砲営 又は 重迫撃砲営 戦車防御砲連 2cm高射砲隊 特務連 衛生隊 野戦医院 以上が1941年当時の国民党軍精鋭部隊であり、蒋介石が攻撃軍に指定した第1、2、5、74軍の師団編制です. 詳しい装備状態は不明だが、団(歩兵連隊)の編制は1938年型編制であり、それに砲兵、戦車防御砲、高射砲隊を増強されている. 更に、これら4個軍は直轄部隊として野山砲混合砲兵団、特務団、工兵団、輜重兵団、補充団、戦車防御砲営、重迫撃砲営、捜索営(騎兵、自動車混合編制)、通信兵営、汽車大隊、特務隊を配属されており、防毒、衛生訓練が施されていた.
623 :
大佐 :2001/02/24(土) 20:44
日本軍を考えるうえで考えるべきは、その狂信ぶりです。 これは、数字で出せない。 日本軍は喰えるものなら人間でも生でムシャムシャ食べたし、 ガリガリになってマラリア等で死にそうでも刀だけで戦ったし、 爆弾を抱いて突撃することに躊躇しなかった。 さらに細菌兵器に関しては、人体実験を繰り返し世界1の技術 があった。 アメリカが唯一原爆を2発も投下した日本軍は、狂信性や細菌 兵器の技術等を含めて総合的に判断すると強かったといえます。
624 :
ばばぼん♪ :2001/02/24(土) 22:16
はい、以前書きました、AH「スコードリーダー」のヒストリカル・コメント(ヒストリカル・ノート) の一部を抜粋したものです。「スコードリーダー」はヨーロッパ戦線での歩兵戦闘を扱ったものであるため、 ドイツ、イギリス、アメリカ、ソ連の四カ国についての話が中心になります。 特にソ連軍についての部分は、張鼓峯やノモンハンなどで多数の損害を出したのも頷けます。 そっち方面の参考にして下さい(笑)。 なお、これはスキャナで読みとったものをざっと手直しした程度のものなので、 結構、誤字があるかも知れません(笑)。 とりあえず今回は、各国の小部隊指揮官(士官候補生)の訓練方法の比較です。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 引用開始 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 第二次世界大戦中に、戦術は変化、党壊し、1940年になされた観測報告は、1944年までにはしばしば的はずれなものとなった。 しかし、一般的に、変化した部分は、単にその「応用」が変わっただけであり、首尾一貫した理論を依然として基碇にしていた。 それはドイツ軍が小部隊の理論を生み出し、どのようにしてその効果を最大限引き出したかを話題にしていた。ここでこの理論のうち、 いくつかの典型的応用例を調べてみよう。 まず第一に、ドイツ軍の訓練の背景にあった基本概念は、他の国々とは著しく異なっていた。第二次世界大戦以前の各国の訓練計画の 大部分において戦術問題は、それに関してはどれような質問にも答えられる訓練士官により出題され、約1時間クラスを解散させた。 それで、士官候補生は再び、呼び戻されときに正確な答えをすることができた。ドイツ軍歩兵のクラスでも、同し問題が出きれたであろう。 しかし、一人一人の学生は2分以内に「実用的な」解答を要求された。おそらく青二才のうち2、3人が解答せよと命じられただろう。 指導員はそれを聞き1人の候補生を「分隊長」として選び、すぐにクラスにその戦法を実行させてみた。指導員と候補生の学友により、 自由に厳しく批判が行なわれた。しかし、ある要素だけは、滅多に批判されなかった。学生は、鋭気を示すことについてはほとんど叱られることはなかった。 さらに、たとえ誤答でも素早い決断が常に奨励された。 とにかく、「英士官学校」のやり方では1時間の熟考の後、練習問題は議論され、実行されたであろう。しかしドイツ軍のようにではなく、 重きをおいたものは、全く違っていた。そこでは無謀なことには水が差され、目的は論理的かつ正確に諭しられて人的資源の方法的維持に定常的な努力が払われた。 訓練の展開に従い、指導員がそれを議論し、さらに維持や共同作業、方法についての原理を詳説した。そして完了した後もゆっくりした休憩時間があった。 ドイツ軍では、訓練を素早く直接的に行ない、その間休息も調整したため、他の国では1つの問題しか解析しえない時間内に、2、3の戦術問題を研究することができた。 ロシア軍では事はさらに単純であった。戦術には基本的に2つの型があり攻撃するか、守るかれいずれかであった。 防御の場合、指揮官が配置した場所で、敵が敗れるか、別の場所に配置換えになるか、あるいは死ぬまでそこに留まるかのいずれかであった。 攻撃では、敵に突撃し、白兵戦を挑み、相手を殺すれだ。さもなくば死である。失敗に対して受け入れられる弁解は唯ひとつ、死であった。 言うまでもなくなぜロシア軍がヨーロッパの軍隊中で最高の損害率であったか、実際にこのシステムが広い範囲に渡って説明している。 すなわち全体としては、進取の精神に関して、ドイツ軍はそれを激励し、西側諸国では忘れられ、ロシア軍では非難されたといえる。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 引用終了 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 もちろん、実態はここまで単純なものではなかったと思います。 特にソ連軍の場合、最低限だけのことを教えて後は現場で(生き残って)実地に学ぶ、というのがより実際に近かったのでは。 また、これだけ単純な訓練内容だったからこそ、革命とその後の混乱、大戦初期の大打撃から立ち直れた、 つまり「安上がりに小部隊指揮官を大量生産できた」のだと思います。
ああ、改行失敗した(号泣)
626 :
第一総軍 :2001/02/25(日) 01:07
ばばぼん様、ありがとうございます. でも、試験のほうは?
627 :
名無し三等兵 :2001/02/25(日) 02:58
(⌒Y⌒Y⌒) /\__/ / / \ / / ⌒ ⌒ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ (⌒ / (・) (・) || あなたねぇ ドキュソのぶんざいで | ( (6 つ |< こんなスレッドなんか立てるから | ( | ___ | | サザエに厨房って言われちゃうのよ | \ \_/ / \______________/ \____/ (っ) ζ / ̄ ̄ ̄ ̄\ / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ /\ \ /| < さよう、お前を必要としてる奴なんて | ||||||| (・) (・) || いやしねぇんだから、さっさと回線切って | (6-------◯⌒つ| | 氏ねっ!ばっかもーんっ! | | _||||||||| | \________________/ \ / \_/ / \____/ (っ) ____ /∵∴∵∴\ /∵∴∵∴∵∴\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ /∵∴// \| < 早く氏んでくれないなんて | |∵/ (・) (・) | | ひどいや | (6 つ | \________________/ | ___ | \ \_/ / \____/ (っ)
628 :
第一総軍 :2001/02/25(日) 23:37
そういえば、今このスレッドには何人くらいが参加しているんでしょうか。 文脈からすると私を入れて4人位でしょうか.あとは荒らしの人かな. 色々な意見が聞けて有意義なのでわざわざIDチェックまでしなくても良いんですが、メールで送ってくれた人も(?)も、そこまでしなくても大丈夫ですよ.
629 :
ZEKE :2001/02/26(月) 04:57
>第一総軍様 >ツクダホビーからでていたアドミラルグラフシュペーの太平洋版データを入手したとき一度アラスカを使ってみました. シュペーで、太平洋で、アラスカですか。あぁ!二十面体サイコロ。(笑) うちは空母戦ばかりやっていました。 なぜか友人にアメリカ海軍ファンがおりまして、「敵」役に事欠かなかったです。 売ってるまんまのデータだと気に入らないらしくて、どうしても開戦前にルールを変えたがる。 「上陸戦だとアメリカが強い!」とか「補給戦だとアメリカが強い。」とか、 そのうち根拠がどーしたこーした...。 そうなる前に日本側で攻勢を続けるとハワイが獲れるとこまでは行けます。 その頃には相手は負けが込んでいて、やり直しになるんです。疲れます。(^^;
>第一総軍さん え〜、試験は土曜日に終わりました。いろんな意味で終わりました(笑)。 今日は眠いので、続きはまた明日です。それではお休みなさい。
631 :
第一総軍 :2001/02/26(月) 23:51
ZEKE様、私ももう19年来のゲーマーです。 ZEKE様の仰るゲームは太平洋艦隊でしょうか?それとも太平洋の覇者?私たちは昔航空母艦のレイテシナリオをつくって騒いでいました。あと、日本機動部隊も。 一番良くやったのはバンダイの第二次世界大戦と、エポックの日露戦争かな。 ばばぼん様、文華堂スレッドでもお見かけしました。わたしも年に何回か行っているので、どこかですれ違っているかも? 試験はお疲れ様でした。私もプライベートで色々有って終わった感じです。
632 :
ばばぼん♪ :2001/02/27(火) 23:23
はいっ、続きです。今回はドイツ軍とソ連軍の攻撃戦術の比較です。長いので二つに分けました。 例によって、スキャナで読んで、テキストにして校正したものなので誤字があるかも知れません。 また、適当な位置で改行するのは諦めたので(笑)読み面手と思いますが、 もしそうだったらWordか何かにコピペしてください。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 引用開始 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ドイツ軍のやり方の良い例の1つに攻撃線上の障害に関する「攻撃技術」があった。この障害は、敵の防御、待避壕、地雷、支接砲火とみなされた。しかし、障害の外面的な手ごわさにもかかわらず、それが最初に発見されたときから30分以内に、大隊は原連隊と完全に協同しており、攻撃可能な位置を占めていた。大隊長の使う原則は中隊や小隊で彼の部下が使用したものと同じであった。第1ステップは、接敵正面の特定の部分に対する急激な火力増強により火力戦に勝つことであった。ここでのポイントは特定の地域へ指定された深さを持つ火力の優勢を達成することであった。この実際の展開はしばしば3段楷のシナリオで示きれた。 第1段階は「釘付け(ネイリング・ダウン)」と呼ばれる。ここで、先頭の部隊は前進を止め、敵 の全ての移動を停止させるため強い火力を発揮する。もし砲兵支援が可能ならばこの時点で使周する。目的は塹壕内の歩兵を捜し出すことである。だから個々の分隊長は基本的地形偵察が妨げられないようにする。 次の段階は「盲目化(ブラインデッド)」と呼ばれ、新たに投入された部隊は、敵陣へ浸透するため今始まった小部隊の移動に対して敵防御陣地を「盲目化」させるような位置へ火力を集中するように先頭部隊と接触する。 最終段楷として、敵防御の弱点へ侵入成功の後、確保する「制圧(ヒートン・ダウン)」がある。的は浸透した部隊による側背面への射撃に加えて先の部隊が正面から強い火力を維持しているため、「打ち負か」される。この時点で、全方向からの砲火により士気を挫かれた守備部隊は、「敗け」始め、組織としての機能を停止することになる。もしそうなれば、事は坂を下るように進み、陣地は急速に崩壊してゆく。 この、「報階」を追って、ドイツ軍指揮官が「決心」し、望むだけの数の「地点」に、ドイツ軍は圧力をかける。攻撃は狭い範囲に限られ、1個大隊に対し、1,000ヤード(914m)以下、できれば600ヤート(598m)程度が望ましい。攻撃指揮官は正面の目標に火力を集中し、側面は無視せねばならない。その大隊が仕事をする間は、その連隊が側面を守ってくれると仮定されていた。 本質的に、「移動と射撃」という概念は古い。しかし、ドイツ軍は彼らの西側の敵よりも「ただちに行なう」という考え方に重きを置いた。しかし、正直に言えば、この方法は欠点だと考えられた。速い決断を重視するため誤解を生ずる余地があった。ドイツ軍は戦争を続けるために、よく訓練され経験ある士官とあまり訓練されていない予備を組合わせる必要があった。誤まった解釈の結果は、さらにありふれたものになり犠牲の多いものになった。加えて、それは危険でもあった。彼らの戦術で敵に強制した混乱の中で、個々に前進した浸透部隊がお互いに射撃したり、支援砲撃によって倒されたりした結果、煙幕や戦闘の混乱のためしばしば犠牲になった。しかし、これらの危険な面があるにもかかわらず、最高に時間をかけ誤りを最少にする西側連合軍の方法よりも、ドイツ軍は少ない損害で済むと論じた1分ごとに防御は可能になり、強力になると主張した。しかし、ドイツ流が必然的に良かったと結論する前に、我々は彼らの軍が多くの決定的敗北を経験したことを思い出すべきだ。皮肉にも、彼らがその戦 術を無視し、敵にその防御力を強める時間を与えた時、それは有効になった。
633 :
ばばぼん♪ :2001/02/27(火) 23:24
歩兵戦術に関する議論の焦点をロシア軍が同じ短い年月の間にその歩兵をいかに発展させたかに向けてみよう。ロシア軍の組織は服従という面で秀でており、進取精神に乏しいということはすでに述べた。それにもかかわらずそれらを並はずれたものにした別の特徴があった。まず第一に、ドイツ軍の歩兵指揮官が部下の火力を狭い正面に集中させるように注意していたのに対してロシア軍指導者はそれとは全く反対のことをした。1941〜42年の彼らの戦術原則は、物量によりどこかで誰かが突破する「可能性」がある限り広い正面を攻撃することであり、敵を大敗走させることであった。さらに歩兵の目的が白兵戦を行ない敵を殺すことであるから、それが起きる限り実際に生じた突破が「どこ」かということはそれほど問題ではなかった。これは、ドイツ軍がそれがどこで起きるかを望んだという特徴に村して、完全に正反対であった。 ロシア軍の場合、考えられる例としては、3個大隊から成る狙撃兵連隊の連隊長は2波に展開した攻撃を準備したであろう。そして第2波には彼自身も加わっていた。緊密な砲兵支援は間接的に呼び出された砲兵よりも第2梯団に加えられた自走砲という形で大部分与えられた。言葉で言うと簡単である。全てが「企画」された後、攻撃は始まった。これは攻撃前夜にドイツ軍陣地にできるだけ近くまで這い進んだ第1梯団によってしばしば始まった。この「腹這い」段楷は、前もって決められた時間か、ドイツ軍が彼らを発見するか、何らかの優勢が手短に得られるまで続くことになる。この時点で「前進」段階が始まる。第1波の「腹這い部隊」に前進命令を知らせる「空砲」を第2波で撃ち最終突撃を命令する。 その信号で激しい匍匐前進が始まり、誰にでも「これがそうだ」と解るように叫ぶ。そして第1波は立ち上がり、ドイツ軍の機銃に向けて、走りながら撃ち、叫び、気狂いしみた突撃を行う。同時に第2波は連隊長とともに、第1波の「成功」を補強すべく、狂った突進に加わる。自走砲が加わっているため、第1波の手に余った抵抗を「一撃」することができるはずである。もし戦車がしよう可能ならば、歩兵はしばしはそれに乗車し 前進速度を増加させ、「敵との白兵戦」を可能にした。一度攻撃を開始したロシア軍は 実行という面で勇敢てありドイツ軍と同様に時間という要素を重視した。彼らの敵はしばしばロシア歩兵が「攻撃をじっくり考え、素早く行ない、なかなか止めない」と評した。 上記の方法は生存という面では非常に不経済なものである一方、ロシア軍がその結果を守れば敵にとって「最も士気を挫く」ものだと主張した。損害にも関わらず終わりのない列を作って攻撃してくる完全に意志のない敵を見ることは 実際にドイツ軍を非常に落胆させた。そして、敵を打破するための最上の方法の一つが土気を挫くことであったため、ロシア軍の立場からすればこの攻撃法砲は成功であった。公正にみて、「ロシア流」のやり方は彼らの文化の性質と必要とされる人員の両面で理想的に適していた。彼らが皿に複雑な訓練方法を選んでいれば、1941年に受けた猛烈な痛手から彼らの軍を全体約し再建する時間は、恐らくなかったであろう。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 引用終了 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 これはアメリカ人から見たものなので、同然、バイアスがかかっていると思います。 次回はアメリカ軍についてです。多分(笑)。 >631(第一総軍さん) 「ウォーゲーマー暦19年」というと、大体、ワタシと同じ同年代の方のようですね。 文華堂は月一ぐらいで行きますね。先日は芙蓉書房の本と朝日ソノラマを何冊か買いました。 え〜、試験結果は今週末に出ます(笑)。
ありゃ? スレ間違えた恥ずかちー。 でもホント藁えるよ。
正:また、適当な位置で改行するのは諦めたので(笑)読みづらいと思いますが、 誤:また、適当な位置で改行するのは諦めたので(笑)読み面手と思いますが、 鬱だ氏悩(泣)
637 :
第一総軍 :2001/02/28(水) 00:01
ばばぼん様、同年代ですか。いずれぜひお目にかかりたいものです。 私は茨城の人間ですが、東京に何人か友人がいるので結構出かける機会があります。 神保町に行くときは、文華堂をみて、書泉ブックマートでコマンドやゲームジャーナルを物色、東方書店などで中国軍等の資料を探し、お金に余裕があればロシア亭、なければマックで食事、大体そんな感じです。 634様、あちこちでご活躍ですね。
638 :
第一総軍 :2001/03/01(木) 00:35
一応あげ
酔うているので続きは明日やります(爆)。 「張鼓峰事件当時のソ連軍狙撃兵師団の編制」のおまけ付きで(笑)。 時期的に、ノモンハン事変の時のソ連軍にも応用できると思います。
640 :
第一総軍 :2001/03/02(金) 01:18
ばばぼん様を待つためあげ.
641 :
ばばぼん♪ :2001/03/02(金) 23:47
はいっ、いよいよ佳境には入って参りました(笑)。 最後はアメリカ軍の歩兵についてです。これはドイツ軍と対峙したヨーロッパでのアメリカ軍について書かれたものですが、太平洋戦線でも類似した問題に直面し、その後、同様の手法を用いて解決されていったのでは、と思います。 ただし、例によってアメリカ人が書いたものなので、アメリカ向けにバイアスがかかっていると思います(笑)。 また、よく読むと訳がちょっと解りづらいですが、これはご愛敬と言うことで(爆)。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 引用開始 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 他ならぬロンメル彼自身からのアメリカ軍に関する有名な言葉に「初めはアメリカ兵ほど戦闘に無能な者はないが、彼らほど素早く学び取る者もない」がある。アメリカ陸軍における小部隊戦術の発達は、おそらく戦争中のあらゆる関係国の中で組織的に最小のものであった。その哲学はほとんど「何でもやる、何かをやる、そうすればできるだろう」というものであった。1940年には規模という点で何も無かったアメリカ軍は、1945年にはほぼ100個師団にまで膨れ上った。これは早いが中途半端な戦術と訓練を必要とした。初めは、英軍の練習問題方式がこのような問題に村しては理想的であると思えた。しかし、英軍兵士とアメリカ兵が非常に違っているという基本的理由でうまく行かなかった。 兵士としてのアメリカ兵はアマチュアであり、今後もそうであろう。兵は例外的な生まれついてのアマチュアであり、そうでなくともプロフェッショナルではなかった。アメリカ兵にとって戦闘という概念は兵士の本分ではなく、続けなければならない汚い仕事として見ていた。南北戦争でなされたコメントに、グラント将軍の軍隊は日雇い労働者の一団のように見えた、とある。アメリカ兵は哲学的にも戦術的にも日雇い労働者であったため、この記述はまさに真実であった。彼らは確かに疑い深く頑固な日和見主義者で、一生を捧げた掃除人夫であった。その分隊、小隊長は人々の指導者というより職場の親方の親方のようだった。そのためアメリカ軍部が独断的に実行した練習問題を仕込もうとしたが、兵士達はそれを「ミッキーマウス」以上には取扱わなかった。 しかし、これら全ての欠点にもかかわらず、彼らは多くの長所を持っていた。彼らは機械を使用した戦術に非常に巧みさを発揮し、敵の最高のものとしばしば張り合った。彼らは機機的なものや仕掛けを愛し、新しい装置の役割を理解するための機械を2,3回与えられた。彼らは階級にかかわらず等級には僅かな関心しか持たず、自分自身のやり方で物事を行なう傾向を持っていた。彼らが失敗したときは極端なことになり、その結果、損害を大きくした。しかし、成功したならば、同時代のどこよりも優れた結果をもたらした。 アメリカ軍部はこれに気付き、生れつきの好みである「自分の」方法で行なわせようと試み、この終りなし、課題に対する野戦マニュアルを練習問題としてではなく、彼らの戦術の基本となる兵士の指針として発刊した。戦争を通じて、やり方の工夫についての最新版や速報版を新しく出し続けた。もしその「工夫」がドイツ軍のやり方にまさるものならば、全体的に攻撃で勝利を得るだろう。アメリカ兵はこれら終りの無い出版物の連続をあびせられ、一般的にそれらを一目見るだけだった。しかし、兵士たちを常に良い戦術に触れきせることにより、数人でも磨かれることを期待したのであった。
642 :
ばばぼん♪ :2001/03/02(金) 23:48
これらは、分隊あたりの兵器が他のいずれの陸軍にも勝っているということが事実でなくとも、アメリカ軍の分隊を他の兵士達よりもお調子者にした。特別なものを持たない基本的アメリカ軍分隊は他のものを火力で追い払うことができた。彼らのM−1小銃は明らかに戦争中、特に使い易さ、耐久性の面 で最良の小銃であった。そしてブローニング自動小銃は軽機ではないが、しばしば効果的にその代役を果した。それゆえに、アメリカ陸軍はドイツ軍軽機の著しい効果を軽視し、決してそれをとりあげ、作ろうとはしなかった。本質的にドイツ軍分隊がアメリカ軍に対抗する唯一の手段は、軽機を装備することであった。これはチュニジア作戦時のダジェベルターエントでの2個小隊間の歩兵戦で明らかになった。アメリカ、ドイツの両小隊はそれぞれ石璧を盾に向い合って対決した。そしてドイツ軍小隊がアメリカ兵の火力により退却するまで、ただ単に撃ち合った。勝負にはならなかった。 しかし、そこに落し穴があった。アメIjカ軍兵士は火力を発揮することはできたが、銃火をあまりうまく受けられなかった。一般にアメリカ兵は砲火を受けるとドイツ、英国のどちらよりも先につぶされた。多くの場合、銃火にさらきれることは責任の一部ではないと常に感していたので、それを避けることに全力を尽くした。その一方で他の国の兵士より早く身を伏せ、走り去るけれども、すぐに回復して、他国の兵士が戻る以前に、再び目標に挑むため帰って来るという頑固さを持っていた。それはだいたいのところ「すぐ逃げるが、すぐ回復する」というふうにまとめられた。すなわち、アメリカ軍分隊は恐ろしいがもろいものだった。しかし、僅かな幸運と良い指揮官を得れば、かなり役立った。そして、1944-45年のヨーロッパでは最も恐ろしい分隊となった。 上述のようにアメリカ軍分隊は軽機を持たず、より優れた火力で不足分を補った。しかし、これはアメリカ軍が支援火器を装備しなかったというのではない。逆に、アメリカ軍が火器を装備した場合、他を圧倒する量であった。「多いこと」は「良いこと」だと考えたアメリカ軍は、機銃の支援が必要ならば、可能な限リカ強く大きかるべきだと感じた。すなわち、彼らはほとんどポップコーン製造機の様な、すばらしい0.5インチ口径の機関銃を取り上げた。火力の効果の点で、それは機銃どころではなかった。それは野戦で最も破壊的な機銃であり、その設計は今でも実際に変化していない。このはなはだしい兵器の最後から2番目にあたる発達例は、「チョッバー」の名で知られる0.5インチ対空砲4門装備のM−16型ハーフトラックであった。この最終到達点は、たとえそれがトラックにこれらが装備されているのを見るのが珍しくないことだとしてもこれら兵器の気前の良い配備であった。 アメリカ軍の最終点に我々を導くものは、彼らが利用できた車輌の総数であった。どの軍隊もそれに到達することはできなかった。アメリカ軍の歩兵編成では、ほとんどの装甲擲弾兵よりも多くの車輌を持っていた。戦いに行く際は、トラックやジープ、ハーフトラックに乗車してであり、徒歩のものは一人もいなかった。アルデンヌの守備では、アメリカ軍がその軽率さにより棄てた車輌群に、ドイツ軍は肝をつぶした。実際に、あるドイツ軍将校は、アメリカ陸軍は戦闘員と同数のトラックを持っているとまじめに思った。彼の記述は過大ではあったが、それほど極端ではなかった。 そうして、戦争の終りまでに全ての国家がほとんど同し結果に到った歩兵戦術を作り上げた。それぞれの国の歩兵戦術の最終的な書物は、各国の文化的拝啓と戦術の工夫に影響を受けた。その工夫とは、勇敢な的と彼ら自身の一生を捧げた「分隊長」により取り上げられたものだった。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 引用終了 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 如何でしたでしょうか。 直接日本軍とは関係ないものでしたが、対峙した敵部隊(特に歩兵)がどの様な性質を持っていたか、ということの手助けのようなものにしていただければ幸いです。 つ〜か、同種の文章で日本軍について書いたものって、「天皇にたいする忠誠」とか「武士道」とかいうのがちりばめられているのがどうにも(^^;;;
643 :
ばばぼん♪ :2001/03/02(金) 23:49
さて、おまけの張鼓峰事件頃のソ連軍狙撃兵師団の編制です。 これは芙蓉書房刊、富永亀太郎著「我ら張鼓峰を死守す」に出ていたものですが、狙撃兵師団の編制は独ソ開戦頃まで大体同じのようです。例によって、ペーパープラン上のものです(^^; 師団司令部 狙撃兵連隊 連隊本部 狙撃兵大隊 大隊本部 狙撃兵中隊(狙撃兵小隊×3、機関銃小隊) 狙撃兵中隊(同じ) 狙撃兵中隊(同じ) 機関銃中隊(三個小隊:重機×12) 重火器中隊(対戦車砲小隊、迫撃砲小隊:45mm対戦車砲×2,82mm迫撃砲×2) その他(通信、化兵各一個小隊) 狙撃兵大隊(同じ) 狙撃兵大隊(同じ) 連隊砲中隊(3個小隊:76mm歩兵砲×6) 防空小隊(高射機関砲×3) 対戦車中隊(3個対戦車砲小隊:45mm対戦車砲×6) 騎兵小隊(約40名) 工兵小隊(約45名:一個大隊分の渡河機材40m分) その他(通信、化兵、軍楽各一個小隊) 狙撃兵連隊(同じ) 狙撃兵連隊(同じ) 偵察大隊(車載歩兵、騎兵、装甲車等) 戦車大隊(偵察小隊、軽戦車中隊×3) 軽砲連隊(三個大隊、各大隊は野砲中隊×2,十二榴中隊×1:76mm野砲×24,122mm榴弾砲×12) 重砲連隊(二個大隊、各大隊は十五榴中隊×3:152mm榴弾砲×24) 高射砲中隊(三個小隊:45mm機関砲 or 76mm高射砲×6) 高射機関砲中隊(二個小隊:) 工兵大隊(一般工兵中隊×2,技術中隊×1,材料廠) 狙撃兵は各分隊が12名という以外は以前書いたものとほぼ同じです。なおこの本によると小隊は「軽機、擲弾銃、狙撃銃×各1、自動小銃×2、小銃×6(あ、一人分足りない ^^;)」の分隊が三個、「擲弾銃×3、小銃×9」の分隊が一個で編制されるとありますが、まあ、これも「こうあるべき」ということでしょうか。 前回たのと同様、重砲大隊は欠く場合もあります。恐らくは、戦車大隊などもそうだと思います。 ちなみに朝鮮戦争当時の北朝鮮軍歩兵師団の編制でも同じように重砲連隊を欠いています。 とりあえず、おしまい。ああ、疲れた(笑)。
644 :
第一総軍 :2001/03/03(土) 00:07
ばばぼん様おみごと。いつもながら参考になります. アメリカ軍の歩兵評価は実にそれらしいですね。 明日は急に出勤になってしまったので、私は明日の夜何か書き込みましょう.
645 :
名無し三等兵 :2001/03/03(土) 00:08
>>645 見るからにヤバ気なURL。死体画像か?
647 :
名無し三等兵 :2001/03/03(土) 14:48
>第一総軍 関東軍に30センチ加農砲(だったか?) が配備されており、終戦間際の対ソ連迎激戦で 多大な戦果を得たと聴いております。 詳しい話を知っておりますでしょうか?
>>646 久和ひとみの死に顔。
>645
こんなとこにまで貼ってどうするの?
>ばばぼん氏 独露米の歩兵戦術、面白かったです、おつかれでした
650 :
第一総軍 :2001/03/04(日) 00:53
647様、30センチ榴弾砲でしたら、とに配備されていたのは確認できました. 東寧重砲兵連隊のほうは、そのうち2門が第5軍の第124師団に配属されてソ連第5軍(狙撃師団12個、戦車旅団5個、陣地守備隊1個、各種砲兵21個旅団その他)と交戦したようですが、戦果の程は良く解りません.ただ、ソ連第5軍は日本軍第5軍(師団3個、国境守備隊1個、野戦重砲兵連隊1個その他)との牡丹江決戦で割合に大きな損害を受けたようです. 第15国境守備隊(約1500人)には3門が配属され、ソ連軍第35軍の第264狙撃師団と第109陣地守備隊(一部)の攻撃を受け、8月26日頃まで抵抗して玉砕したようです.26日まで持ちこたえた事実から、それなりの活躍をしたと考えても良さそうです。
651 :
>647 :2001/03/04(日) 00:57
30cm短瑠弾砲1門は満州からルソン島に輸送されて、米軍の侵攻に対して勇戦、大砲撃戦を敢行したのち玉砕・破壊されました。
652 :
名無し三等兵 :2001/03/04(日) 01:51
フランスからかった24cm列車砲は50000mの長射程を誇ったのに、ソ連侵攻時には分解整備中で、涙を呑んだみたいね。
653 :
名無し三等兵 :2001/03/04(日) 02:12
虎嶺要塞(?)の41センチ砲が大鉄橋破壊の任務を達成してくれたのが救い・
654 :
名無し三等兵 :2001/03/04(日) 10:53
age
655 :
名無し三等兵 :2001/03/04(日) 14:17
96式24センチ瑠弾砲は活躍したんか?
656 :
第一総軍 :2001/03/04(日) 23:25
655様、すみません。24センチ榴弾砲を今日調べる時間が有りませんでした. 本当は、中国軍編制の締めくくりとして米式装備師団編制を予定していたのですが、自作ゲームの製作と休日出勤の為出来ませんでした.
657 :
名無し三等兵 :2001/03/05(月) 16:12
>第一総軍 他に日本軍の重砲の戦果、多く配備された 師団等教えてください。
>>657 人に頼らないで少しは自分で調べる努力したら?
公立図書館でも手にはいるよ、その程度の資料は。
659 :
坂神蝉丸 :2001/03/05(月) 17:01
>658 莫迦か。その程度のことは教えてやれ。 実はお前がただしらないと見たが。
660 :
恥知らずの腐れ厨房 :2001/03/05(月) 17:05
2ちゃんねるは匿名だからどんな無知蒙昧を曝け出しても平気なのサ。 どんなつまらん初歩的な質問でももっとみんな気楽にやろうぜ。 但し新スレ立ては却ってウザい・見づらいから専門のスレッドで。
>>659 とりあえずおうちに帰りましょ。
ご実家が大変なことになってる最中に、こんなとこであそんでる場合じゃないですよ。
>>661 とりあえずおうちに帰りましょ。
ご実家が大変なことになってる最中に、こんなとこであそんでる場合じゃないですよ。
663 :
坂神蝉丸 :2001/03/05(月) 17:10
>661 家族とは縁を切った。実家に逝って何をする? 元・家族と会って挨拶でもするか?無駄だな。
664 :
第一総軍 :2001/03/05(月) 23:37
657様、ごめんなさい.仕事が忙しくて(帰宅は夜10時)平日にはなかなか調べられなくて. 今思い出せる範囲では、 沖縄戦時の第24師団。師団砲兵に15糎榴弾砲12門を含んでいたはず。砲門数は間違ってるかも. 同じく沖縄戦時の独立混成第44旅団。これにも旅団砲兵に15糎榴弾砲が有ったと思う.砲門数忘れた. 本土に配備された近衛第1師団。4年式15糎榴弾砲24門。 他にもあると思いますけど、調べる時間が無いので今日はご勘弁を。後、師団砲兵にもともと有ったものと、独立部隊から配属されたものとが有りますが、独立部隊はややこしいので、建制装備に限ったほうが良いかも. もっとも、私もそれほど詳しい資料は手元に無いんです.本土決戦を中心に資料を収集しているもので.
665 :
>664 :2001/03/05(月) 23:42
あなた、マジでいい人だ・・・・・・ あなたみたいな人は、昔は本当にたくさんいたんだよ・・・・・・ 願わくば、まだここに愛想を尽かさないでくださいね。 他力本願みたいであれだけど。
666 :
名無し三等兵 :2001/03/05(月) 23:56
>>664 甘やかすんじゃない、あんたは良くても他者が迷惑だ。
667 :
第一総軍 :2001/03/06(火) 00:10
はい。
668 :
名無し三等兵 :2001/03/06(火) 15:24
age
669 :
名無し三等兵 :2001/03/06(火) 17:16
666をまず甘やかせるのは止めよう
670 :
第一総軍 :2001/03/06(火) 23:28
結局私はどうすればいいの?
671 :
名無し三等兵 :2001/03/07(水) 05:13
これは末永く大切にしたいスレだage
672 :
名無し三等丘 :2001/03/07(水) 05:31
調べ方や、軍事専門の古本屋を教えるという手がある。
673 :
名無し三等兵 :2001/03/07(水) 09:56
>>670 手間でなければ答えれば良いし、そうでなければ情報へのポインタを示すという方法もありますね。
ただ、睡眠時間を削ってまで答える必要はないかと。
ところで大戦中の米軍の砲兵について調べているのですが、
良い資料がみつかりません。どなたか良い資料を御存知ないですか?(W
674 :
名無し三等兵 :2001/03/07(水) 14:07
警察予備隊だか、自衛隊に配備された105mm砲や155mm砲って、旧軍の砲兵から見るとお話にならないほど 命中率や精度が悪くてあきれた、、本当ですか? それと米軍将校を迎えて閲兵式をするとき、米軍の旧装備をもらった部隊が砲を磨き上げるようにピカピカにして 整列していたら、米軍将校がその清潔さに驚いた、とか聞きますが。米軍装備って普段そんなに汚いのですか?
>>674 そういう話は聞いたことある。
ただし、時間あたり投射弾量が充分ならば精度は落ちても良いとする
発想を説明されて納得したとも聞く。
676 :
名無し三等兵 :2001/03/07(水) 23:14
>>674 今でもそうだよ>米軍
例)油圧部分から作動油が少量漏れていた場合:
自衛隊「基準値内だが、念のため点検しよう」
米 軍「漏れるのは油圧がかかっている証拠だ」
677 :
名無し三等兵 :2001/03/07(水) 23:20
FH-70って自衛隊が使うときと、欧州のNATO軍が使うときで命中率や精度が違うのですか?
678 :
第一総軍 :2001/03/08(木) 00:14
666様、まあ私もそんなに答えられるわけじゃないですしね. ただ、地方の人間(私も含めて)にとっては、情報不足は如何ともしがたい面があるのも確かです.私は幸い県庁所在地なので戦史叢書は何とか図書館で見つけることが出来ましたが、地方の図書館ではなかなかお目にかかれないのも事実で、新刊本なども光人社や学研文庫ぐらいはなんとかなっても、それ以外の専門書は出版されたことさえわからないのが現状でして。 つい、何とか協力してあげたくなってしまったんです.結局はこれも自己満足なんでしょうけれど。 672、673様、そうでした。その方法がありましたね. 重砲については、一番良いのはもちろん防衛図書館ですが、私のような地方人の方は 1,図書館で戦史叢書を探す.無いところも多いですが、最近は検索してどこの図書館にあるのか調べてくれるかもしれません. 2,新人物往来社の別冊歴史読本 特別増刊 日本陸軍機械化部隊総覧を探す.最近は、少し題名が変わったかも知れないけれど単行本化されていたはずですよね. 上記2点を試みてはいかがでしょうか.私も時間が有るときは可能な限り掲示板上で質問にお答えしますが、貧乏暇無しでして、行き届かない場合はこうさせていただくのも良いですね.それに、このスレッドには他に沢山詳しい方が出入りされているのでお知恵を拝借できるかもしれませんから質問自体は否定しないほうがいいかと. 実は私も他の方々の書き込みでかなり勉強させてもらってましてね.
ロスケは欧米の国々から見ても恐ろしい存在。日本陸軍も大したもの、 日露戦争以来ずっとこの化け物と国境沿いで張り合ってきたんだから。
680 :
第一総軍 :2001/03/08(木) 23:22
あげ
681 :
名無し三等兵 :2001/03/08(木) 23:39
陸軍の兵器で一番効果的な戦果を上げたのが『10榴』
682 :
名無し三等兵 :2001/03/08(木) 23:49
弾と砲数が揃ってればねぇ。 準備砲撃だけで砲弾撃ち尽くしてちゃ世話ないよ。
683 :
名無し三等兵 :2001/03/08(木) 23:53
主に鹵獲を防ぐ為なのだろうけど、 日本軍が砲弾を打ち尽くした大砲を埋めるのは 何か宗教的な理由がありそうな気が・・・・
684 :
第一総軍 :2001/03/09(金) 00:16
683様、確か砲兵には軍旗が無いので、砲を軍旗として扱うためだと思いましたが.
685 :
673 :2001/03/09(金) 00:49
>>678 有難うございます。
砲兵をテーマにした単行本があればお手軽に調べられるな、という甘い
期待のもとに質問したんですが、やっぱり地道にやるしかないですね。(笑
アドバイスの通りにしてみます。
>>676 空軍でも同様だね。
よく、日本の整備兵や航空技術系のひとの回想に
「鹵獲された米軍機はオイル漏れひとつなかった」とあるけど、
私は疑っている。
つーか、オイル漏れの生じないパッキングなんてあの時代には
なかろうよそもそも……。
>>685 地道って、こつこつと図書館に通ったり、東京・神田の文華堂(^^;)に通ったりですか?
私は陸軍苦手ですが、出きるだけこういう場で応える様にしたいですね。
諦めないで質問するのは「有り」ですよ。
そうでなくても当時を担当した方々の文は限定発売だから入手困難なんですよ。
あの時手放さなければ良かった、ってのもあるので。
688 :
>685 :2001/03/09(金) 13:44
光文書房の「ルソンの砲弾」は良く書けている、砲兵将校の自伝ですよ
>>686 その考え方は極端なり。
あれは「日本よりも漏れが少ない」と解釈すべき。
読んだ事を言葉通りにとらえて疑うところが中坊なり。
690 :
ギレン・ザビ :2001/03/09(金) 14:08
日本陸軍の戦闘能力? あえて言おう!カスであると…
>>689 最近、ここ見ても思うけどデジタルな思考の人が多いね。
物事全部、オンかオフみたいな解釈する人。
疑うのは勝手だけだけど極論にばかり走るので閉口する。
日本軍ってのは海軍も陸軍も史上最低のカスのカス以下のチンカス! 中国戦線も太平洋戦線も米・英・独・ソからすればチンポのカス。
693 :
bbb :2001/03/09(金) 14:25
ゲートル巻いてる時点でカスもカス、クソカス 「口の端のネバネバよりも取るに足らないカス」だって マルコビッチも言ってた
694 :
名無し三等兵 :2001/03/09(金) 14:55
そういうカスの子孫はカスの濃縮物
694は693の書き込みの意味が 全く解ってないみたいようで… たまには違う風にも当たってみなよ 井の中のオタクさんよ
696 :
名無し三等兵 :2001/03/09(金) 15:07
>>693 英軍もゲートル使ってるよ。バックル止めタイプだけどね(笑)
ちなみにおしゃれさんの仏軍もゲートル使ってる。
これは巻きゲートル。
解ってないのが どんどん増えるね…
698 :
名無し三等兵 :2001/03/09(金) 15:14
怪我もしてないのに足に包帯巻いてる 軍隊なんてイヤだ!
699 :
名無し三等兵 :2001/03/10(土) 12:57
近衛師団って弱かったの?
700 :
兵卒1 :2001/03/10(土) 14:25
主兵装の38式歩兵銃は威力はともかく 命中精度は当時世界水準以上とのこと。 達人ともなると300mから照準眼鏡ナシで 狙撃できたらしい。
701 :
名無し三等兵 :2001/03/10(土) 14:57
>>554 古い話だがロケットの長所はなんと言っても発射台が簡単なものでも撃てること。 木組みの脚にトタン板つけただけのでも当時のならいける。 そのかわり風の影響をやたら受けるんで命中率は最悪。だから弾数で勝負する。 野砲は口径によって少しかわるがこの逆かな?
702 :
685 :2001/03/10(土) 23:12
>>688 ありがとうございます。本屋で探してみます。
大平洋戦争の戦記物には「米軍の砲撃の凄まじさ」がよく
書かれているのですが、敵のいそうなところにめくら撃ち
するような勿体ない砲撃をするのはアメリカ軍だけだったのか?
ということに興味がありまして、それで調べてみようと思ったのです。
703 :
名無し三等兵 :2001/03/10(土) 23:19
近衛師団は基本的には儀杖兵の集団で見た目のいい奴を選んで配置していたが、実戦経験はむしろ一般師団より劣っていた。マレー作戦のときは山下中将(第25軍司令官)と西村中将(師団長)の対立もあって、継子扱いされていたらしい。ジョホール水道を渡るときには、近衛師団は「囮」としてしか使われなかったことからも分かると思う。決して、SSとか赤軍親衛隊とかと混同してはいけない。
704 :
名無し三等兵 :2001/03/10(土) 23:23
英陸軍でも国産モノなら日本戦車は十分に対抗できた。 マレーのブレンガンキャリアには圧勝、ビルマの米製M3には苦戦。
705 :
名無し三等兵 :2001/03/10(土) 23:23
開戦時、日本陸海軍は上陸作戦に関し、世界一の作戦能力を持っていた。広島第5師団は、上陸作戦用に編成されていたんだよ。
706 :
名無し三等兵 :2001/03/10(土) 23:26
ビルマのM3戦車を歩兵の夜襲であっという間にやっつけた日本軍は強い。
707 :
名無し三等兵 :2001/03/10(土) 23:30
38式歩兵銃を馬鹿にしてはいけない。アメリカ以外の国はみんな似たようなもの。 部品の互換性がない点はともかく(職人が一つ一つ手作り)、敵側でも高く評価されているんだから。 個人的には99式を導入して補給の混乱を招くよりも、38式の自動化を図るべきだったと思う.
708 :
名無し三等兵 :2001/03/10(土) 23:32
M3中戦車はレンドリース法でソ連にも供与されとったが 「七人兄弟用棺桶」なんて呼ばれとったな
709 :
名無し三等兵 :2001/03/10(土) 23:41
38式歩兵銃は泰平組合によって中国の地方軍閥やメキシコに 輸出されとったな。 アラビアのロレンスも使っていたがどこからもってきたのやら。
710 :
名無し三等兵 :2001/03/10(土) 23:45
それから、フィンランド軍も38式歩兵銃や31式12センチ砲を使って、ソ連を撃退した。
711 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 00:48
そんな事実があったとは・・・
712 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 00:52
でも、誤解しないでね。二線級装備だから。 ただ、フィンランドの人々が日露戦争での日本の勝利に勇気付けられたこたは間違いない。
713 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 00:56
戦後はべトミンが有効活用。フランス軍も95式軽戦車使ってたな。 さすがに車体前面に鉄板をボルトでガチガチにとめとったがな。
714 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 00:57
>>706 マレーで国産のブレンガンキャリアでは歯が立たず、
ビルマでは米国供与により兵器性能で勝るも、大量捕獲されてしまう。
これでもうこの時期においての英陸軍>日本陸軍は確定的になったと言える。
え?、皇軍太郎?、まあ大戦後半のインパールの悲劇も忘れるべきでは無いが。
715 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 01:06
さらに言えば、中共だって、関東軍の装備をソ連から供与されたことで、国民党をやっつけ、国連軍を押し戻したんだから. 因みに、WWUの列強諸国の鉄兜の中でも、日本軍のそれは最優秀のデザインかつ材質とされている。人民解放軍の海軍では少し前まで、日本軍の鉄兜を使ってた.
716 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 01:10
>>707 補給もさることながら達人至上主義の軍首脳に自動銃の採用を 「ウン」と言わせるのは至難の業ですな
717 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 01:18
だから、「無能」といわれるんじゃない。
718 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 01:23
達人に走るのも全てビンボーのせいなんですがね・・・
「貧しさに、負けた〜。いいえ、世界に、負けた〜」
720 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 23:34
歩兵ばっか!
721 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 23:45
歩兵一人1銭5厘で、実に経済的。
722 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 23:51
>>721 全然経済的じゃない。銃後がなければ戦争できないのを忘れてるだろ。
723 :
名無し三等兵 :2001/03/11(日) 23:57
いやいや、そうじゃなくて、あらゆる兵科の中で一番経済的ということよ。
724 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:04
40kgの荷物背負って時速5qの進軍の後戦闘。 日本の歩兵はやってられませんな。
725 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:07
特に、山砲バラして担ぐのはヤダ。 なんか、トラックをバラして担いでたのも、見たことある。
726 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:10
ある本で見たけど、40Kgってほんと?かなあ。 銃や鉄カブト、靴等全て含んだ重量とは言え・・・。 (米を5Kgも背負っていた??)
727 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:13
本当だよ。他に、擲弾筒のタマとか分担して持っていたわけだし。もちろん、作戦にもよるが。
728 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:15
擲弾筒の担当は特にきつかったらしい。
729 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:19
更に、山砲の砲身、機関銃はもっと大変。 日本軍じゃ、「重迫病」は、迫撃砲担当特有のものじゃなかったかも。
730 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:23
40キロしょって時速5キロで歩かせる兵隊に 鮫皮の靴はヒドイだろ〜 血豆潰しまくりだな。
731 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:31
地下足袋も履いていたよ。
732 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:34
ええと、歩兵のお荷物はというと・・ 38式歩兵銃と弾120発、ごぼう剣、手榴弾2個、擲弾筒の予備弾 5発、鉄帽、皮革鞘、銃弾入れ2コ、手入れ用具一式、小エンピ、 防毒マスク、米6kg、乾パン、缶詰、せう油、予備衣類、地下足袋 水筒、飯盒、携帯テント、洗面具、筆記用具、最後にこれらを入れる 雑嚢・・と。さらに冬は毛布2枚、防寒コート、携行燃料。止めに 初年兵は予備小銃弾60発と擲弾筒の予備弾5発をオマケ。 かるく40kgはありそうですな。
733 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:39
なんで、初年兵だけ?差別だ〜、訴えてやる。
>>733 初年兵にそんな発想はでてこないって。(笑
735 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:43
ようするに補給部隊を作るのが面倒だった。てトコですか?
736 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:45
補給部隊もあったけど、定数が揃うことはほとんどなかった。 だけど、軽装備でいくと飢えるし、やだな〜。
737 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:47
初年兵の苦労は妖怪博士の水木しげるの本を読むとよくわかる。 特にあの人はシーレーン崩壊で補充兵が来ないんでずっと初年兵 だったから悲惨だ。
738 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:48
じゃあ、水木しげるも補充兵が来たら、シゴクんだ〜。
739 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:49
数少ない機械化(車輌化)師団(近衛、第5、48、56等)は まだその点で恵まれていたのかな。
740 :
茨城人 :2001/03/12(月) 00:50
>>737 しかも言葉が通じなかったそうだし(笑)
水木だけ山陰出身で、あとはみんな茨城人
「さあ、行軍するべ〜」
「そだな、やるべ〜」
741 :
大渦よりの来訪者 :2001/03/12(月) 00:51
うちの祖父曰く、「食うもん食ってれば問題なし」との事。 ちなみに、当時は余り力のない祖父でも野砲を一人で旋回させるのは わけない作業だったそうで………。 「君もちゃんと食べれば……」と言われてもかなり困る事この上ないですが。
742 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:52
かわいそうなのは、車輛化師団とマニラの先陣争いを強いられた某師団。師団長以下必死に自転車のペダルをこいで、勝ったらしい。パチパチ。
743 :
大渦よりの来訪者 :2001/03/12(月) 00:54
>742 し、師団長まで……絶句もんですな…。
744 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 00:57
>>737 水木しげるはよく上官に殴られたそうで。 敵戦闘機が来襲したとき・・・ 軍曹「小銃を空に向けろ!!」 水木二等兵「軍曹殿!空に銃を向けて何を撃つのでありますか?!」 修正・・・ 気持ちは解るが口にだしてはいけないよ・・・
745 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 01:30
>第一総軍殿 大分前にウオーゲームを作る、と言われていましたが、 ゲーム会社にお勤めでありますか? 水木しげるの漫画は面白いよね。 「劇画ヒトラー」は良かったな。
746 :
かば :2001/03/12(月) 01:44
敵に対する憎しみではなく、 上官である下士官、古参兵への恐怖心が 凄まじい戦闘能力へと変化するオソルベキ軍隊
747 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 02:35
貧乏に強い日本軍 40キロでも負けないぞ。
748 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 02:37
でも日に20qの行軍は辛い・・・。 あぁ眠い・・・そろそろ氏のうっと
>>746 だから上官は兵より前には出ないんですよ。
上官として戦死した人の中にはなぜか後頭部から撃たれているという
冗談じゃないことが実際起きたらしいし...。
750 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 12:00
水木しげるにはあまり同情できない。 輸送船での見張りについたとき、 敵の魚雷の軌跡にみとれていたり、 自軍の輸送船の命中に見とれていたりと して見張りとしての任務をすっぽかしていた 行動にはあきれる。 俺は上官でなくともそのときぶん殴っていたであろうと思うような 行動を水木しげるはとっていたからな。 よく殴られていたのは上官の横暴でなく水木しげる自身の資質によるものが多い。
>>750 つまり徴兵では役に立たない奴もたくさん入隊してしまう(笑)
752 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 14:59
軍需工場では徴兵が懲罰化してるし
753 :
名無し三等兵 :2001/03/12(月) 16:22
重い荷物抱えて長距離はるばるやってきた日本軍相手に
>>77 とは何とトロい中国軍!
754 :
かば :2001/03/12(月) 23:06
支那や満州あたりでポコペンやってた連中は別として・・・ 南方や離島で戦った日本兵(将校&一部下士官は除く)は世界最高の戦士です。 美味しい食事に煙草スパスパ。上等な編上靴に清潔な被服。 機関砲、戦車、機関銃などを大量投入し、航空&重砲支援もビシバシの米軍相手に、 届かぬ補給にピンハネづくし。底の抜けた靴で血豆を潰し 頑癬、シラミに血を吸われ、上官からの虐待に耐えつつ 徒歩のみを移動手段として小銃、軽機、擲弾筒、で真っ向勝負。 時に頑強な米陣を突き崩し、しかも決して降伏しない。 ましてル島で27年戦い続けた小野田&小塚両氏は国民栄誉賞以上だろう。 嗚呼、ただ願わくば『最高の戦士には最高の兵器』を・・・・
755 :
広島第5師団長 :2001/03/12(月) 23:46
我が師団は帝国陸軍中もっとも早い自動車化師団です。 中国大陸・南方で勇名をはせました。
756 :
第一総軍 :2001/03/13(火) 00:05
745様、私は一介の営業マンです.ゲーム製作は趣味でやってるだけ. 現在は本土決戦関係のゲーム製作の資料収集中ですが、最近は友人の依頼で 宇宙戦艦ヤマトの戦略級マルチゲーム製作に取り組んでいます. テストプレイは10日に行いましたが、10月のヤマトパーティーまでに手直しが 必要のようです. ごめんなさい、スレ違いの話題でしたね. 本題ですが、今週末頃に国民党軍米式装備師団編制を書き込むため準備中です. 引き続き、お見捨てなきよう、皆さんよろしくお願いします.
757 :
名無し三等兵 :2001/03/13(火) 00:08
連合軍兵士も日本兵ほどでないにしても車輌化されてない一般歩兵は やはり数十キロのフル装備を抱えて行軍したんでしょうか・・・。 詳しい方よろしく願います。
758 :
名無し三等兵 :2001/03/13(火) 11:08
age
759 :
第一総軍 :2001/03/13(火) 23:20
そういえば、次の歴史読本特別増刊は、関東軍全戦史だったと思います. どの程度のものか不明ですが、楽しみですね.
760 :
名無し三等兵 :2001/03/14(水) 13:24
age
761 :
第一総軍 :2001/03/15(木) 00:02
準備中につき、今日は上げだけ.
762 :
名無し軍属 :2001/03/15(木) 00:48
日本軍が補給軽視に陥った理由ってなんすかね〜
763 :
名無し軍曹 :2001/03/15(木) 07:32
>>762 軽視と言っても「補給など必要無い」という考えだったわけでなく、兵站能力に
よって軍隊の行動範囲が制限されるという認識が薄かったんだと思います。
ガダルカナルのような島嶼作戦は別にしても、ニューギニア、インパール
などの作戦でも、一応補給能力の見積もりは行ったみたいですが
結局作戦目的を優先させて実施にゴーサインを出しています。
ただ、戦況というものは目まぐるしく変化するので前線指揮官などは
戦機だとみれば、多少無理して独断先行するのもやむなし、
という面もあるので一概に悪いとは決められないでしょう。
(もっともこの「多少」がかなり曲者ですが)
この場合、より上級の指揮権を持つ人間は戦局全体を見通して手綱を締める、
というような役割を負っているわけですが、作戦立案を担う側が前線指揮官の
ような感覚で作戦を決めてしまうところに問題があったのだと思います。
軍政的な面でみれば、自動車産業を軍の保護のもとに育成しようとしたり
していますからまるっきり軽視していたとは言えないと思います。
ただ、工業力が追い付かなかったんですよね…。
>>742 でも、師団長だったら自家用車くらい買えそうなもんだと思いますが。
師団長も貧乏だったのか。(笑
764 :
名無し三等兵 :2001/03/15(木) 12:33
>日本軍が補給軽視に陥った理由ってなんすかね〜 海軍の陸軍嫌いが大きかったと思う。海軍に取って陸上部隊の補給なんて自分の手柄にならない。
765 :
名無し三等兵 :2001/03/15(木) 13:32
「海上護衛戦」のスレに答えが載ってるよ。 大規模な沿岸海軍。 そう思うよ。
766 :
第一総軍 :2001/03/16(金) 00:07
補給軽視。確かにねえ. 結局日本の国力では、平時17個師団、戦時30個師団位が国力相応だったんでしょうね. それを師団169個、戦車師団4個、飛行師団又は航空師団15個、高射師団4個、その他に独立旅団多数ですからね. 仮に重視していても補給しきれなかったでしょうね.
767 :
名無し三等兵 :2001/03/16(金) 00:39
赤紙はただでしょう。郵送ではなかった気がするが・・・
極論かもしれませんが、国民レベル(あるいは民族レベル)で、 補給等の長期的視野での活動全般についての認識が育っていなかった、というのはどうでしょうか? というのも戦国時代や島原の乱以降、日清日露の戦争まで大規模な野戦軍を編成し、 実戦に投入したということがほとんどありません。 これに対して欧米諸国の場合、領主が騎士を雇い、領民を動員していた時代から、 金払いや補給が悪ければ寝返りかねない傭兵中心の軍隊の時代を経て、 その後に至っていますから(←経過をすごい飛ばしてます ^^;)。 陸軍建設の初期の頃から日露あたりまでは、欧州に留学したりメッケル少佐等から直接教わった将官達 (=欧州での事例をそのまま受け入れた将官達)も多かったでしょうが、 この時期の軍人達が退役すると「頭では補給の重要さを理解していつもり」の感覚の軍人達が相対的に増え、 その重要性は忘れ去られたかのようになりましたから。 というのも、休養や組織の維持コストに無頓着なのは、軍隊のみならず、 日本企業全般にも言えることではないのかと、サービス残業疲れの頭で思うのですが如何でしょうか?(笑)
769 :
第一総軍 :2001/03/16(金) 00:45
同感. 無いものねだりをしないように精神論と怪しげな道徳で縛ろうととするのは昔からの日本組織の伝統でしょうか.
770 :
名無し三等兵 :2001/03/16(金) 00:46
>768 白木屋なんか最たる物でしょうね。(w
771 :
名無し三等兵 :2001/03/16(金) 00:53
>>768 ビール腹をさすりつつレスします(笑)
戦国時代、英雄豊臣秀吉が完璧な補給部隊を持つ軍隊を運用して
遂に天下統一を成し遂げました。
つまり400年前に兵站の重要性は日本人の認識としてあった筈です。
それが徳川太平期を過ごして徐々に薄れて行き
日露戦争では「継戦能力はほぼ1年」と認識しながら
ロシアとの予防戦争に踏み切り、辛くも1年以内で勝利を収めた為、
ますます兵站軽視の風潮が広がり、
結果太平洋戦争ではシーレーンの破壊、現地部隊への補給途絶、と、
豪快に破滅してしまったのではないか?と愚考します。
つまり、長い間をかけて兵站の重要性を忘れ、
また気づいた時には何も手を打てないほど状況が悪化していた。
てトコでしょうか。
772 :
名無し三等兵 :2001/03/16(金) 05:29
「海上護衛戦」読んだ方が早いって。
773 :
名無し三等兵 :2001/03/16(金) 15:36
>>772 「海上護衛戦」でテーマになっているのは狭い意味での兵站というより、
国家としての継戦能力の維持に関してだから「日本陸軍の戦闘能力」と
いうテーマからはちょっとずれるんでないかな。
もちろん、充分参考になる本だけど。
774 :
名無し三等兵 :2001/03/16(金) 15:42
師団は169個もあったの?
>>771 むしろ、秀吉をはじめとする天才(語弊があるが)のみが兵站の重要性に
気づいていて、その他大多数には常識足り得なかったと思われ。
776 :
第一総軍 :2001/03/16(金) 23:16
774様、それがあったんですよ。数だけなら結構大陸軍ですね.
777 :
名無し三等兵 :2001/03/16(金) 23:44
>>773 新版なら始めの方の10ページだけでもよく読め。
778 :
773 :2001/03/17(土) 00:38
779 :
第一総軍 :2001/03/17(土) 00:56
では、久しぶりに中国国民党軍編制、米式装備師団(美械師) 師部(師団司令部) 団(歩兵連隊) 歩兵営(大隊) 歩兵3個連(中隊)、機関銃連、迫撃砲排(小隊) 火箭砲排(バズーカ砲) 歩兵営 同上 歩兵営 同上 迫撃砲連 平射砲連 通信兵連 特務排 衛生隊 団 同上 団 同上 砲兵営 山砲12 輜重兵営 工兵営 通信営 特務連 衛生隊 師団装備 歩兵銃不明、軽機関銃243、重機関銃54、 (推定) 75ミリ山砲12、82ミリ迫撃砲30、60ミリ迫撃砲162、 37又は57ミリ砲12、バズーカ砲18、ブローニング自動銃486 火炎放射器27、他 以上が代表的な米式装備師団の編成だが、装備についてはかなりの部分推定であり、 工兵や砲兵装備の小火器は不明である. 第2、第5、第8、第13、第18、第53、第94、第71、第74、新編第1、新編第6軍に所 属の師団が米式化されていた. その内、新編第1、新編第6、第5、第18、第74軍の5個軍は、最強の装備を持ち5大 主力軍といわれ、3個米式装備師に加え、砲兵(榴弾砲12門)、騎兵、工兵、装甲、 汽車、輜重、団各1個、通信、高射機関銃、戦車防御砲、平射砲、特務、営各1個、 及び新兵訓練処より編制されている. その他、第46、第52、第60、第62軍は半米式装備師により編制されており、上記の 師には及ばないものの(詳しい編制内容は不明)、有力部隊と推測される. また、200番代の青年軍の師も米式装備を持っているが、これについては後の機会にする.
780 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 01:07
日本陸軍のこと書いてほしい 169個師団中いくつつぶされたかわかる? それに第1師団〜第169師団? いろいろ聞いてスマソ
781 :
ZU :2001/03/17(土) 01:13
>780 欠番どれくらいあるんだろうか? 伊号潜水艦みたく、前の師団番号に「1」くっつけただけ、なんてのも あったりして。
782 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 01:22
本土決戦用にとりあえず人数だけ集めてた200〜300番師団も 含まれているんでしょうね?
783 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 01:23
欠番か 何師団がいいかなーオレだったらやっぱ第1師団
784 :
ZU :2001/03/17(土) 01:26
>783 新兵なのに2・26事件に引っ張り出されて、その後不遇な軍隊生活を 送ることになるよ? それでもいいの?
785 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 01:34
どんな軍隊生活なの?第1師団ってフィリピンで玉砕しなかった?
786 :
ZU :2001/03/17(土) 01:38
>785 昇進できない。激戦地に送られる。とか。
787 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 01:41
第1師団って最悪だな・・・
788 :
ZU :2001/03/17(土) 01:43
そういやあ、大阪の連隊は、日露戦争でたくさん戦死者を出したら、 市民から抗議・投石が殺到したので、その後二度と激戦地には出され なかったという話がある。私の住む北海道の連隊(旭川・札幌)なん てひどいぜ。ガ島、アッツ、沖縄、メレヨンでの死者が多い。
789 :
ウル覚え第一師団の歴史 :2001/03/17(土) 01:44
玉兵団の歴史・・・・ 日露戦争の『旅順攻略作戦』に参戦=壊滅 2.26事件に連座=満州追放。 レイテ決戦に投入=壊滅。 セブ島で終戦=腹減った。
790 :
ZU :2001/03/17(土) 01:44
>787 でも、2・26事件がなけりゃ、一生帝都警備だったかもしれないのにねえ。 恨むなら、2・26事件の青年将校と真崎を恨め!
791 :
第一総軍 :2001/03/17(土) 01:52
ZU 様、こちらにも来ておいででしたか.よろしく。 ここのところ比較のつもりで中国国民党軍に深入りしていましたが、 日本軍師団に興味をお持ちの方もいらっしゃるようなのでそろそろ日本軍 に戻ったほうがいいのでしょうか. 国民党軍をもう1回やってから、満州国軍かなにかにしようかとも思いま したが確かにマイナーすぎですかね。
792 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 01:52
そりゃヒドイ>ZU 第二師団でいいや・・・・・ だれかつぶされた師団の一覧みたいなものなーい?
793 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 01:54
日本軍師団きぼーん>第一総軍さん
794 :
>792さん :2001/03/17(土) 01:55
俺の記憶が確かなら 第二師団はガダルカナルで壊滅した筈だけど・・・・どうします?
795 :
ZU :2001/03/17(土) 01:55
>792 第二師団って、あのガ島でボコボコにされたいわゆる丸山師団(仙台) のこと? そんなにガ島の土になりたいの?
796 :
ZU :2001/03/17(土) 01:55
>794 かぶった! 負けた…
797 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 01:56
>>792 第二師団はガダルカナルで飢餓状態に陥ってます。(笑)
798 :
ZU :2001/03/17(土) 01:57
戦意喪失。撤退だ! 間違えた!転進だ!
799 :
797 :2001/03/17(土) 01:57
かぶり^3(藁
800 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 02:00
ほぼ全員(90%以上)死んだ師団といえば 第十六師団。第二十六師団。第百八師団。 ほかにもあるんだろうな〜
801 :
792 :2001/03/17(土) 02:03
そうだった・・・ 第三師団でいいでしょう・・・・・・・・ 三師団はあんまりみたことがないな・・・
802 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 02:05
第六二師団もそうでは?>800 六二はたしか沖縄防衛の第三二軍だったはず
803 :
第一総軍 :2001/03/17(土) 02:13
皆様、では日本軍師団編に戻りますが資料整理のため後日少しずつで良いでしょうか. 因みに第二師団はガ島で大損害を受けた後再建され、末期のビルマ戦にも参加しています.
804 :
ZU :2001/03/17(土) 02:15
>803 それって確か福岡の124(?)連隊と同じパターン?
805 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 02:16
サイパン防衛の二九師団、四三師団もそう 百八師団ってどこでやられたの?
806 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 09:32
占守島の第91式師団が装備最良と、(漫画でスマソだけど)描かれていた。 機動性も加えれば第5や第48も日本陸軍の中では最良かも。
807 :
名無し三等兵 :2001/03/17(土) 21:13
第2師団といえば、ガダルとインパールをハシゴしたシャレになんない戦歴では?<うろ覚え 108師団は硫黄島の栗林兵団だったと思う <更にうろ覚え
808 :
ばばぼん♪ :2001/03/17(土) 22:11
大戦中の第二師団の戦歴(簡単に) S.16.09 臨時編成 S.17.01 蘭印攻略作戦 S.17.08 ガダルカナル奪回作戦 S.18.01 ガダルカナル撤退、ブーゲンビル島−ニューブリテン島を経てフィリピンへ。ここで再編 S.19.01 ビルマへ移動、ビルマ防衛戦に従事(「インパール作戦」には直接従事していない) S.20 一部を残してインドシナへ移動、終戦 第百八師団は、旅順>硫黄島、だったかな?(うろ覚え)
スマソ、第百八師団じゃなくて、第百九師団だった(汗)
再びスマソ、第百九師団は最初から小笠原で編成してた。 第百八師団は関東軍だった。
811 :
名無し三等兵 :2001/03/18(日) 00:08
日本陸軍の火力が貧弱だったのはただでさえ不足していた予算を海軍に取られた結果だったと思う。 大和なんてコスト高の役立たずよりもも97式中戦車など実用的兵器の生産に力を入れて欲しかった。
812 :
名無し三等兵 :2001/03/18(日) 00:25
小銃くらい、いきわたらせるべき
どなたか義烈空挺部隊指揮官の所属および出身地をご存知ありませんか?
814 :
第一総軍 :2001/03/18(日) 00:50
それでは、日本軍師団の一覧第1回. 近衛師団 宮兵団(後の近衛第二師団) 明治24年編成。 昭和14年 中国戦線に師団の一部近衛混成旅団を派遣. 昭和15年 全力動員. 昭和16年 マレー、シンガポール攻略に参加. 昭和18年 近衛第2師団と改称。 昭和20年 スマトラ島で終戦. 近衛第一師団 隅兵団 昭和18年 旧近衛師団の2個連隊と留守近衛師団で編成. 昭和20年 宮城守護任務のまま終戦.終戦時に師団長殺害 の末一部反乱. 近衛第二師団 近衛師団を参照。 近衛第三師団 範兵団 昭和19年 編成。 昭和20年 千葉県の第五十二軍隷下で本土決戦準備中終戦.
815 :
第一総軍 :2001/03/18(日) 01:16
第一師団 玉兵団 明治21年 編成. 昭和12年 満州派遣.支那事変中、混成第二旅団を一時派遣. 昭和15年 3単位師団に改編. 昭和19年 フィリピン レイテ島に派遣。米軍と交戦。 昭和20年 セブ島へ脱出後終戦.生存者約800名。 第二師団 勇兵団 明治21年 編成. 昭和6年 満州派遣。 昭和8年 内地帰還。 昭和12年 満州へ再派遣。一部は支那事変に参加. 昭和15年 3単位師団に改編. 昭和16年 ジャワ島攻略戦に参加. 昭和17年 ガダルカナル島に派遣. 昭和18年 ガ島より撤退後、フィリピンで再建. 昭和19年 ビルマ派遣.断作戦に参加. 昭和20年 仏印に移動.明号作戦に参加. 仏印軍を武装解除、または撃破.その後終戦. 第三師団 幸兵団 明治21年 編成。 昭和9年 満州派遣。 昭和11年 帰国. 昭和12年 上海郊外に上陸.南京作戦に参加. 昭和13年 除州作戦、武漢作戦に参加. 昭和15年 3単位師団に改編. 昭和19年 一号作戦に参加. 昭和20年 上海付近にて米軍の上陸に備えて準備中に終戦.
816 :
第一総軍 :2001/03/19(月) 00:54
第四師団 淀兵団 明治21年 編成。 昭和12年 満州派遣。その後華北地区で中国軍と交戦. 昭和15年?3単位師団に改編.華中地区に派遣、各作戦に参加. 昭和16年 第一次長沙作戦に参加. 昭和17年 フィリピン派遣。バターン、コレヒドール攻略に参加. その後帰国. 昭和18年、スマトラ島に派遣. 昭和20年 第十五軍に編入され、タイにて終戦. 第五師団 鯉兵団 明治21年 編成. 昭和12年 華北に派遣.チャハル作戦、大原攻略作戦に参加. 昭和13年 徐州会戦、広東攻略戦に参加. 昭和15年 北部仏印に進駐. 昭和16年 マレー、シンガホールポール攻略作戦に参加. 昭和17年 3単位師団に改編. 昭和18年 第八方面軍に編入されニューギニア方面で作戦. 昭和20年 セラム島で終戦. 第六師団 明兵団 明治21年 編成. 昭和3年 第二次山東出兵に参加. 昭和7年 動員.翌8年にかけて熱河作戦に参加. 昭和12年 華北地区で作戦.その後杭州湾上陸、南京攻略に参加. 昭和13年 徐州作戦等に参加. 昭和17年 ブーゲンビル島、ニュージョージア島に派遣. ニュージョージア島で歩兵第十三連隊が米軍と抗戦.撤退. 昭和18年 ブーゲンビル島で米軍と抗戦. 昭和19年 翌20年の終戦まで、オーストラリア軍と抗戦.
>>811 それもあるけど、陸軍って歩兵が多すぎたのも原因の
一つじゃないの?
818 :
名無し三等兵 :2001/03/19(月) 01:05
ドキュン中国軍相手にはそれで十分だったから。
819 :
名無し三等兵 :2001/03/19(月) 01:19
でも仮想敵国はずっとソ連だったわけだから、もう少しなんとかならなかった のかなあ。 昭和16年、戦車保有数はソ連2万、日本1800。
820 :
陳誠大好き :2001/03/19(月) 01:57
第一総軍様 今は要望の多い日本軍の話題のようですが、 またよろしければ国民党軍の編制の続きを聞かせて下さい。日中戦争に興味がある私としては非常に楽しみにしております。
>819 なんとかしたかったんだけど、日中戦争の戦費に消えちゃいました(泣)。 つ〜か、結果としてだけど宇垣軍縮の「やり方」にも問題があったと思う。 平和な時代の軍隊は、極論すれば「張り子の虎(強そうに見えればいい)」んだけど、 それを満州事変以後みたいな展開になって急増する必要になると、基礎的な工業力の脆弱な日本の場合、 安上がりな歩兵の増強ということにつながりかねない。 同時に日本の場合、軍隊自体が農村の口減らしの要素が強いから、歩兵(無学でも努力すれば下士官として勤め上げられる)を減らして 砲機工(技術的な要求が多いため、相対的に「学」が必要とされる)を増やす、ということにはなかなかならない(それでも、ソ連よりは数段マシなんだけど ^^;;;)。 結局、戦力を強化するためには歩兵を増やす、という悪循環に陥ったんではないかと思う。
822 :
王道派 :2001/03/19(月) 08:54
>>821 >つ〜か、結果としてだけど宇垣軍縮の「やり方」にも問題があったと思う。
大学生に軍事教練なんかさせるよりも予備役の兵に近代化のための教育を
やった方がよかったかもしれませんね。
823 :
名無し三等兵 :2001/03/19(月) 11:22
陸軍の機械化計画は実際に進行。 その段階で関東大震災。 震災復興で予算が止まって以後そのまま。 他に海軍軍縮条約以前の八八艦隊用予算等も想起のこと。
824 :
グライフ :2001/03/19(月) 18:17
本土決戦用『タ号』航空機についての情報求ム。
825 :
つるっぱげ三等兵 :2001/03/19(月) 18:23
98式軍刀についての情報求む。
826 :
名無し三等兵 :2001/03/19(月) 23:28
レイテ戦記に飛行機から「ダ弾」をばら撒いたと書いてあったけど、 使い方間違ってないか?
827 :
名無し三等兵 :2001/03/19(月) 23:40
なんで?
828 :
第一総軍 :2001/03/20(火) 01:28
このまま師団略歴を続けていってもなんか単調でつまらない書き込みになってしまいそうですね. 私的には書き込むことで資料の整理にもなるのですが、皆様どのような点に興味をお持ちでしょうか. 820様、中国国民党軍編制はあと1回、青年軍師(師団)編編制で一応終了となります.過去の書き込みを見ていただければ、国民党軍の大雑把な師(師団)編制を把握できると思います. 共産党軍についても一応の資料があるのですが、彼らは余り正規の編制にはこだわっていない様なので、国民党軍ほどの精度の高い書き込みは出来ないと思います. 満州国軍については一応の資料を手に入れていて、少なくとも終戦時の状態はかなり解明できてきましたが、皆さんさすがに興味は無いでしょう. 汪兆銘政権軍については現在資料収集中ですが、かなり大雑把な把握しか出来ていません.彼らも正規の編制をどの程度とっていたか怪しいと考えています. 内蒙古連合自治政府軍ですが、これについては改めて書き込むほどの事は無いようです。資料も少ないですが、皆さん興味も無いでしょう. 華北政務委員会治安軍については、ほぼ調査は終了しました.それほど詳しくは無いのですが、これ以上の資料は入手困難と考えています.これについても皆さん興味無いでしょうね. ばばぼん様、又以前のような編制についての力作、期待しています.多分あなたがこのスレッド一番の知識人のようですし.
829 :
陳誠大好き :2001/03/20(火) 05:54
第一総軍様 満州国軍等、私自身は非常に興味がありますが、皆さん興味ないでしょうね。インド国民軍は調査の対象外でしょうか?近ごろ気になっております。 そういえば国民党の調整師はどの師団が対象となったのでしょうか?私は戦略級にはずいぶん疎いのですが、戦史を見る限り、やはり88師や36師等の活躍した部隊では?と思うのですが、手元の資料では見分けがつきません。こういったことも解るのでしょうか?
830 :
名無し三等兵 :2001/03/20(火) 19:58
シネ
831 :
名無し三等兵 :2001/03/20(火) 21:48
ぬう……なんと勉強になるスレッドだ。
832 :
第一総軍 :2001/03/20(火) 23:46
陳誠大好き様、60個師近代化計画での整編師(又は調整師)ですが、以下のように判明しています. 第一次整編 民国24年(1935年) 第2,25,36,87,11,14,67,94,57師及び、 教導総隊(師団規模),第二師補充旅 第二次整編 恐らく民国24年(1935年) 第3,4,9,10,83,27,79,18,88,89師 更に民国25年に第一次と第二次の師編制は増強.他に第38師も改編されたらしい. 第三次整編 恐らく民国26年(1937年) 第1,5,13,16,51,56,58,78,85,98師 以上が手元の資料にあります。但し私も詳しく分析していないので、多少の間違いがあるかもしれません。 他の資料と突き合わせて分析していけば更に詳しく判るかもしれませんが、今回はこれぐらいでお許しください. そういえば、戦史によるとと仰っていましたが、どのような戦史をお持ちなのでしょうか。興味深いです。
833 :
陳誠大好き :2001/03/21(水) 00:39
第一総軍様 整編師の情報どうもありがとうございます。 特に88師は元ドイツ軍人のフォン・シュメリンク中尉がいたと聞くので絶対整編師だろうと思っていたのですが、やはりそうだったのですね。 戦史といえるかわかりませんが私が持っているのは有名な「中國抗日戦争図誌」くらいでして大したものはもってません、、、 私は元来模型やってる人間なもので国民党軍装備戦車の細部等は詳しいのですが、編制はさっぱりです。 なんとか開戦時の国民党軍戦車部隊三個大隊(二個?)の各部隊名と所属位は知りたいと思っているのですが。
834 :
第一総軍 :2001/03/21(水) 00:56
陳誠大好き様、大変すばらしい.あれ、高くなかったですか? 私は神保町で時々内田書店とか東方書店とかで安いのを探すだけです. 調整師または、整編師は、どちらの呼び方でも良いようですが、どちらかというと整編師の方は国共内戦時の師に使うことが多いようです. 開戦時の戦車大隊ですが、私も詳しい資料はありません。何か見つかったらご報告しますけど. 今後とも数少ないマイナー軍研究者同士ですし、色々教えていただけるとありがたいです.
835 :
陳誠大好き :2001/03/21(水) 07:50
第一総軍様 こちらこそよろしくお願いします。 あの本はやたらと高いですね。近くの図書館になぜかおいてあるので、私は結局上海〜南京戦のあたりを重点的にかなりのページをコピーして持ってるだけです。 第一総軍様には教えて頂くことばかりですが私も兵器等ならばそこそこ解るつもりですので何か不明な点等がありましたらどうぞ。 以前ハクゲキ砲は82mmとありましたが、これは何か根拠がおありでしょうか?82mmという口径はソ連位しか使っていないので気になっていたのですが。ドイツ式は81mm?%
836 :
陳誠大好き :2001/03/21(水) 07:51
第一総軍様 こちらこそよろしくお願いします。 あの本はやたらと高いですね。近くの図書館になぜかおいてあるので、私は結局上海〜南京戦のあたりを重点的にかなりのページをコピーして持ってるだけです。 第一総軍様には教えて頂くことばかりですが私も兵器等ならばそこそこ解るつもりですので何か不明な点等がありましたらどうぞ。 以前ハクゲキ砲は82mmとありましたが、これは何か根拠がおありでしょうか?82mmという口径はソ連位しか使っていないので気になっていたのですが。ドイツ式は81mmですし。 と、国民党の話ばかりですみません。
837 :
第一総軍 :2001/03/21(水) 23:11
陳誠大好き様、迫撃砲の件は私の打ち間違いです.すみません。本当は、フランス式のストークブラン81ミリ迫撃砲が主力と思われます. ソビエトからも軍事援助を受けていたので、82ミリもあったかも知れませんが、ストークブランは国産化しているのでやはり主力でしょうね. 兵器類の質問ですが、大戦末期の米軍援助の戦車はどのような割合であったかご存知でしょうか.M3,M4なんでしょうけれど。
838 :
陳誠大好き :2001/03/22(木) 00:56
第一総軍様 私は米式装備についてはまだまだ調査途上ですが、手元にある限りではなぜか戦車の台数等は書かれていません。お役に立てずにすみません。開戦時の戦車は台数が概ね判明していますが、普通なら米式装備の方が情報がありそうなものなのですがね。 迫撃砲は81mmでしたか。ラインメタルの砲も使ってたようですが、編制上はフランス式だったのかもしれませんね。又、編制上の20mm小砲はドイツ製開脚式砲架の20mm機関砲ではないのでしょうか?ちょっと他には思い付かないもので。 75mm野砲はどこの国の物を想定していたのかは判りませんか?
839 :
第一総軍 :2001/03/22(木) 23:46
陳誠大好き様、残念ながら、野砲の形式はわかりません.ドイツの顧問団にしても、必ずしもドイツ兵器だけを売り込んだわけではないらしく、他国の兵器も転売しているみたいなので. 日本軍師団シリーズ省略版 第七師団 熊兵団 明治29年編成 一部がノモンハン、ガダルカナルに参戦。 終戦時、第五方面軍に所属、北海道にて本土決戦準備中. 第八師団 杉兵団 明治30年編成 関東軍から昭和19年ルソン島に転出、米軍と交戦しつつ終戦. 第九師団 武兵団 明治30年編成 上海、南京、武漢戦に参加.その後関東軍へ. 昭和19年、沖縄へ転出、更に台湾へ移動。その地で終戦. 第十師団 鉄兵団 明治30年編成 台児荘、石家荘戦に参加、その後関東軍へ. 昭和19年、ルソン島へ転出。米軍と交戦しつつ終戦. 第十一師団 錦兵団 明治30年編成. 上海戦に参加、後に関東軍へ. 昭和20年、第五十五軍隷下で四国にて本土決戦準備中終戦. 第十二師団 剣兵団 明治30年編成 関東軍から昭和19年台湾へ転出.その地で終戦. 第十三師団 鏡兵団 明治38年編成、大正14年廃止、昭和12年復活 終戦まで中国戦線で作戦. 第十四師団 照兵団 明治38年編成 北支、徐州戦に参加、その後関東軍へ. 昭和19年パラオに転出.その地で終戦. 歩兵第二連隊のみはぺルリュー島で全滅. 第十五師団 祭兵団 明治38年編成、大正14年廃止、昭和13年復活 中国で治安作戦、昭和18年ビルマ派遣.昭和19年インパール作戦参加. 昭和20年イラワジ会戦参加、タイにて終戦. 第十六師団 垣兵団 明治38年編成 南京、徐州戦に参加.昭和16年フィリピン攻略作戦参加. 昭和19年レイテ島にて米軍と交戦.ほぼ全滅.
840 :
第一総軍 :2001/03/23(金) 23:25
明日は営業会議なので、今日は上げだけ.
841 :
ばばぼん♪ :2001/03/24(土) 00:29
中国軍の20mm機関砲ですが、今はなき「戦車マガジン」90年2月号に 航空用と思しき機関砲に箱形弾装と三脚(四脚?)を付けたものが出てきます。 写真で見ると、エリコン系かなぁ? 特殊な例かも知れませんが、こんなのもあるということで(^^;
842 :
第一総軍 :2001/03/24(土) 00:31
ばばぼん様、大変感謝.謎の20ミリ小砲とはそれかも。
843 :
少佐 :2001/03/24(土) 01:38
私はシベリアに抑留されてたジイサンとも話したこと があるんですが、あのシベリアよりも日本軍のシゴキ のほうが酷かったと言ってた。
844 :
第一総軍 :2001/03/24(土) 01:43
少佐殿いらっしゃい。 確かに日本軍は歩兵主力の軍隊のくせに兵隊を大事にしないあたりが残念です。 最初は鍛えるためだったんでしょうが、例によって都合良く古兵たちのストレス発散に利用された部分は大きかったんでしょうね. 明日は会議なんでもう寝ますけれど、良かったら過去の書き込みなども読んで行ってください.大変ですけれどね.もめてた時期も結構あるし.
845 :
少佐 :2001/03/24(土) 01:45
ちょく、ちょく顔出すんで、よろしく!
少佐は危険です。
847 :
陳誠大好き :2001/03/24(土) 16:11
ばばぼん様 はじめまして。そういえばそういうのもありましたね。たしか謎の機銃と紹介されていた気が。 国民党はヨーロッパ製兵器をドイツのHAPRO社を通して購入していたようですが、実際にはドイツ兵器会社と癒着していたたようですので、ドイツ系スイス製の兵器も少なく無かったようですしエリコンかもしれませんね。編成と実際は異なりますし、なんとも判断つきませんね。 第一総軍様 台湾には「抗日戦史」という全101巻の本があるそうですがご存じありませんか?日本の「戦史ギョウ書」の全102巻に相当するすさまじい本らしいのですが、、、
848 :
名無し三等兵 :2001/03/24(土) 18:53
読み応えありage
849 :
ZU :2001/03/24(土) 18:54
>847 「せんしそうしょ」ですね。
850 :
陳誠大好き :2001/03/24(土) 19:12
Z2様 あ、ソウですね。ごめんなさい。
851 :
第一総軍 :2001/03/24(土) 23:43
日本軍師団シリーズ 第十七師団 月兵団 明治40年編成、大正14年廃止、昭和13年復活 中支にて治安作戦に従事. 昭和18年ニューブリテン島に派遣、上陸した米軍と交戦. 昭和20年現地にて自活戦中に終戦. 第十八師団 菊兵団 明治40年編成、大正14年廃止、昭和12年復活 上海、南京戦など中国で作戦. 昭和16年シンガポール攻略、17年ビルマ攻略に参加. 昭和18年ウィンゲート部隊及び、米式中国軍と交戦。 昭和20年ビルマから脱出しつつ、第二十八軍の救出にあたり終戦。 第十九師団 虎兵団 大正4年編成. 満州事変、張鼓峰事件に参加. 昭和19年ルソン島に転出、米軍と交戦. 持久戦を行ないつつ終戦. 第二十師団 朝兵団 大正4年編成. 満州事変、華北での作戦に参加. 昭和18年ニューギニアに派遣.米豪軍と交戦. 昭和19年アイタぺ作戦に参加. 昭和20年玉砕命令が発令されるも直後に終戦.
852 :
第一総軍 :2001/03/24(土) 23:51
陳誠大好き様、抗日戦史の存在は知っていますが、もちろん見たことはありません. 無念ですが。
853 :
毛沢豚 :2001/03/25(日) 00:42
854 :
毛沢豚 :2001/03/25(日) 00:44
855 :
少佐 :2001/03/25(日) 04:41
映画「フルメタルジャケット」を見れば解るように、 アメリカの陸軍もシゴキはやる。 「愛と青春の旅立ち」では軍曹のシゴキに耐えれない 兵士が自殺するシーンも描かれてる。 まあ、あれは空軍が舞台ですがね。 しかし、日本軍のシゴキは立派な軍人を出してた面よ り、馬鹿で汚い奴を作った面があったと思う。
>>855 自殺したのは失恋したからでは?
それと、空軍の兵士ではなく海軍の士官候補生だったような。
てゆーか、「フルメタルジャケット」は海兵隊、 「愛と青春の旅立ち」は海軍航空隊の話だろうが。
858 :
名無し三等兵 :2001/03/26(月) 01:04
age
859 :
名無し三等兵 :2001/03/26(月) 10:22
age
860 :
陳誠大好き :2001/03/26(月) 21:21
そういえば関西の師団って評価極端に低いですよね、、なんというか俗説が評価に繋がってるというか、まあ歴史なんて元来そういうものなんでしょうが。うーんどうなんでしょう。祖父は第四師団だったもので気になってます。 戦歴を見る限りそんなに弱い感じはしないんですが。
861 :
第一総軍 :2001/03/26(月) 23:09
陳誠大好き様、確かに第四師団は第二次バターン作戦に参加した後、本格的な戦闘を経験していないのは残念です.(犠牲が少なかったという点は別として)終戦時にはタイにいたようなので、後半年でも戦争が長引けばイギリス軍と戦ったことでしょう. あと、遅くなりましたが一応インド国民軍の簡単な資料はあります.ですが、日本語で読める資料なので、みなさんも目にしている方が多いんではないでしょうか.
862 :
第一総軍 :2001/03/27(火) 00:43
私信ですがすみません。 少佐殿、風紀委員だそうですが大目に見てくれているようなので一応お礼を申し上げます.(例のスレッドの件) 意味不明の方々、すみません。少佐殿にちょっと借りが出来てしまったもので.
863 :
第一総軍 :2001/03/27(火) 23:45
今週末あたりに国民党軍編制の最終回、青年軍編制を書き込みたいと思っています.また、時間のあるときに順次日本軍師団シリーズ簡略版を続けましょうか?個人的には無味乾燥な気もしますけど.
864 :
名無し三等兵 :2001/03/29(木) 00:05
>864さま そんなことはありません。 楽しみにしてますよ。「大日本帝国陸軍師団史」
865 :
名無し三等兵 :2001/03/29(木) 10:11
虎、鉄、豹などの名前を持つ師団はいかにも強そうだけど 祭、宮、玉なんて名前の師団ははちょっと弱そう
866 :
陳誠大好き :2001/03/29(木) 19:31
第一総軍様 青年軍の編成大変楽しみにしております。 第四師団の六十一連隊はインパール作戦にちょっとだけ参加してたような気がするのですが、損害はなかったんでしょうか?戦史を読むとたまに増援部隊の話がでてくるんですが、私の読解力不足のせいかどうもよく解らないんです、、、
>>865 「たま」と読まず、「ぎょく」と読んで見なさいな
・・・実際には「たま」と読むのかもしれないが(笑)
868 :
第一総軍 :2001/03/29(木) 23:47
明日の夜出直してきます.疲れ気味でして. 現在ここともう一つのスレッドによく出入りしていますが、2つのスレッドだけでも結構疲れるものですね.皆さんはいかがですか? 陳誠大好き様、いつもありがとうございます.明日こそ必ず書き込みますので. 867様、そう、日本軍の兵団通称名は音読みなのか訓読みなのか私には解らないものが多いです.どなたかご存知なら教えていただきたいんですが.
869 :
第一総軍 :2001/03/31(土) 00:01
陳誠大好き様、歩兵第六十一連隊は、確かにインパール戦末期に山本支隊に配属となりましたが、既に日本軍は撤退中でその殿を務めたようです. 師部(師団司令部) 団(歩兵連隊) 歩兵営(大隊) 歩兵3個連(中隊)、機関銃連、迫撃砲排(小隊) 火箭砲排(バズーカ砲) 歩兵営 同上 歩兵営 同上 迫撃砲連 平射砲連 通信兵連 特務排 衛生隊 団 同上 団 同上 砲兵営 山砲12 砲兵営 同上 輜重兵営 工兵営 通信営 警衛連 衛生隊 これは、民国34年(昭和20年)初めに日本軍が貴州内に深く進入したことに脅威を感じた国民党が編成した精鋭師である。一寸河山一寸血、十万青年十万軍のスローガンで愛国的な青年が参軍し、201から209の9個師が編成された。 装備は当然米式であるが、通常の米式装備師を上回る装備を持っているという.(詳細不明) また、訓練も充分に行なわれていたようで、戦闘序列を見る限り抗日戦争中に最前線に投入された様子は無いようである.但し、国共内戦では国民党軍の直系中の直系として活躍し、一部は台湾軍の基礎となり、また一部は増強されて軍に改変されたようである. 一応国民党軍師団編成はこれで最終回です.この後の国共内戦には新たに改編された整編師が登場しますが、団に変わって再び旅を編成内に含むこと以外今のところ詳しい資料がありません.一応は、戦力不十分な師を旅に改編(格下げ)し、旅を2乃至3編合して整編師としたようです。
870 :
ばばぼん♪ :2001/03/31(土) 00:16
国民党師団の編制、ご苦労様でした>第一総軍さん 実はワタシも趣味でウォーゲーム(正確には某ゲームのエキスパンションキットとシナリオ集) を作っているのですが、国民党軍の編制(特に小部隊の定数等)について詳しい資料はございますでしょうか? とりあえず、和書・洋書(英語・中国語ならOK)、どちらでも結構です。
871 :
陳誠大好き :2001/03/31(土) 00:48
第一総軍様 青年軍の編制興味深く拝見させて頂きましたが、抗日戦争に投入されて無かったとは意外です。 あと、六十一連隊の情報ありがとうございます。 インパール作戦に行った隊はそうだったんですか。祖父の話によると、連隊全力参加の命令だったのがその後変更され祖父の所属していた第二大隊をタイにそのまま残置することになったらしく、そのおかげで直接戦闘に参加することは一切無かったそうです(爆撃から逃げ回ったりはしたようですが)。 ゆえに今でも時折祖父は 「あの時は上官がわしらを守ってくれたんや」 と話すことがあります。
872 :
第一総軍 :2001/03/31(土) 00:58
ばばぼん様、ご無沙汰ですね.残念ながら小部隊の定数は詳しい資料は持ち合わせておりません. 但し、手元にある民国軍事史略稿の第三巻下冊による1940年型歩兵営だと以下の通りとなります. 歩兵営 歩兵連(100名)×4 歩兵排×3 第一班 歩兵銃6挺、軽機関銃1挺 第二班 第一班と同様. 第三班 歩兵銃6挺、擲弾筒2挺 重機関銃連 第一排 重機関銃2挺 第二排 同上 第三排 同上 又、同書による米式装備師の歩兵営は以下の通り 歩兵営 歩兵連×3 歩兵排×3 第一班 軽機関銃1、ブローニング自動銃2、歩兵銃不明 第二班 同上 第三班 同上 迫撃砲班 60ミリ迫撃砲2 その他連当たり正確な所属は不明ですが火炎放射器が1基あったようです. 機関銃連 第一排 重機関銃2 第二排 同上 第三排 同上 迫撃砲排 81ミリ迫撃砲2 火箭砲排 バズーカ砲2 となっています。 又、別の資料抗日戦史論集による調整師(60個改編師)の歩兵営は 歩兵営(775名、馬66匹) 歩兵連(177名)×3 第一排×3 歩兵班3個、軽機関銃班2個 機関銃連(126名、馬43匹) 小砲排(71名、馬20匹)恐らく20ミリ小砲 となります。 因みに民国軍事史略稿は、神保町の内田書店や東方書店に結構ある本で、粗末な紙質の黄色の表紙で新書版位の大きさです.第一巻から第四巻まであり、更に一巻ごとに上下冊または上中下冊に分かれていたりしますが、一冊あたり1500から2000位だったと思います. 抗日戦史論集はハードカバーの真っ赤な表紙に金文字の目だつ本でこの一冊しか見かけたことはありません.変換できない時なのですが、さんずいに倉、海叢書の発行です。
873 :
第一総軍 :2001/03/31(土) 01:14
すみません、上の書き込みの内田書店は内山書店かもしれないです.ちょっと自信なし.
874 :
ばばぼん♪ :2001/03/31(土) 01:21
第一総軍さん、どうもありがとうございます。助かります。 なるほど、すっかり東方書店を忘れていました。 学生の頃に行ったきりです(笑)。 以前アップした、米独ソの歩兵戦術みたいにものの日本軍版を書こうと思ったのですが、 うまくまとまらないので難渋しています(+_+) TACTICSからのコピペで済まそうかな?(笑) 結構、量があるんだけど、見たい人います?>all
875 :
第一総軍 :2001/03/31(土) 01:25
ばばぼん様、見たいです.戦場の日本軍という短期連載のやつですよね。私はその号を1冊しか持っていないので大変興味があります. それとは別に、こうも趣味が近い人物とネット上とはいえ知り合えると大変嬉しい.実は日曜日にナンジャタウンに出かけるので偶然どこかですれ違ったりするかもしれませんね?
876 :
第一総軍 :2001/04/01(日) 23:36
ナンジャタウンから帰還.今週末は日本軍師団の簡略版を少し進めましょうか.3冊くらいの資料からの省略ですけどね.
877 :
ばばぼん♪ :2001/04/04(水) 06:52
仕事が修羅場中なので、ワタシも終末にやります(+_+)
878 :
名無し三等兵 :2001/04/04(水) 10:03
硫黄島で日本軍、20か30cmの重迫撃砲使いまくってたぞ。 あとそこの戦いか知らんけど、ロケット砲も少数あったらしい。 ってほんとか?
879 :
陳誠大好き :2001/04/04(水) 18:37
〉〉878様 硫黄島では混成第二旅団砲兵団の噴進砲中隊(でいいんでしょうか?)が噴進砲を使ってますし、米軍に捕獲された3式20CM噴進弾や、20CM噴進砲の写真も残っています。 変わったところでは硫黄島でバズーカを捕獲使用した話なんかもあります。
880 :
ばばぼん♪ :2001/04/04(水) 19:27
30cm重迫は使っていませんが、確か、33cm臼砲(通称「ム弾」)は使っています。 ええと、どっかに資料があったんだけど、見あたらない…(泣)。
881 :
陳誠大好き :2001/04/04(水) 19:51
ばばぼん様 98式33センチ臼砲は硫黄島では独立臼砲第二十大隊によって使用されたようです。
882 :
第一総軍 :2001/04/06(金) 23:07
日本軍師団シリーズ簡略版 第二十一師団 討兵団 昭和13年編成. 北支那方面軍隷下で中国にて作戦.昭和17年仏印派遣. 一部はバターン作戦に参加. 昭和20年、明号作戦にて仏印軍を武装解除。又は撃破。 その地で終戦. 第二十二師団 原兵団. 昭和13年編成. 編成後一貫して中国大陸で作戦. 昭和20年命明号作戦に参加.仏印軍を武装解除又は撃破。 その後ビルマ投入の途中、タイで終戦. 第二十三師団 旭兵団 昭和13年編成。 昭和14年ノモンハン事変に参加.大打撃を受け、再建. 昭和19年フィリピン派遣潜水艦により一部海没。 昭和20年ルソン島にて米軍と交戦中終戦。 第二十四師団 山兵団 昭和14年編成. 編成後関東軍に所属.昭和18年、師団の一部で第七派遣隊を編成し メレヨン島に派遣.昭和19年沖縄本島に派遣.昭和20年米軍と交戦し ほぼ全滅. 第二十五師団 国兵団 昭和15年編成. 編成後関東軍に所属.昭和20年本土に移駐. 第十六方面軍の決戦兵団として本土決戦準備中に終戦. 第二十六師団 泉兵団 昭和12年編成. 編成後駐蒙兵団、後に駐蒙軍に所属.昭和19年フィリピンルソン島に 派遣.その後レイテ島に転用途中海没。レイテ島にて米軍と交戦、ほぼ全滅。 第二十七師団 極兵団 昭和13年編成. 編成直後武漢作戦に参加.昭和18年関東軍に編入.昭和19年再び支那派遣軍に 編入し一号作戦に参加.昭和20年米軍の上陸に備えて南京付近に移動中終戦。 第二十八師団 豊兵団 昭和15年編成. 編成後関東軍に所属.昭和19年沖縄宮古島に派遣.その地で終戦. 第二十九師団 雷兵団 昭和16年編成. 編成後関東軍に所属.昭和19年グアム島に派遣途中海没.一部はサイパン島、 主力はグアム島にて米軍と交戦.ほぼ全滅.
母方の伯父は山兵団に所属、沖縄で戦死しました。 師団の情報ありがとうございます。
884 :
第一総軍 :2001/04/07(土) 18:06
日本軍師団シリーズ 第三十師団 豹兵団 昭和18年編成 昭和19年フィリピンミンダナオ島に派遣.レイテに米軍上陸後、4個大隊を レイテ島に派遣.主力は昭和20年ミンダナオ島にて米軍と交戦しつつ終戦. 第三十一師団 烈兵団 昭和18年編成. 昭和18年ビルマ派遣.昭和19年インパール作戦に参加、コヒマを占領するも 師団長が独断で退却させる.昭和20年イラワジ会戦に参加後、タイにて終戦. 第三十二師団 楓兵団 昭和14年編成. 編成後、中国山西省で治安任務に従事.昭和19年蘭印ハルマヘラ島に派遣途中 一部海没。同地で終戦. 第三十三師団 弓兵団 昭和14年編成。 編成後中国で治安作戦に従事.昭和17年ビルマ攻略作戦に参加. その後アキャブ 会戦に参加.インパール作戦ではビィシェン プール正面まで進出するも失敗. 昭和20年イラワジ会戦に参加後、タイにて終戦. 第三十四師団 椿兵団 昭和14年編成。 編成後中国で治安任務に従事.昭和16年錦江作戦、昭和19年一号作戦 に参加. 昭和20年米軍上陸に備え南京地区へ移動中に終戦. 第三十五師団 東兵団 昭和14年編成。 編成後中国で治安任務に従事.昭和19年ハルマヘラ島に転用途中一部海 没。 その後更に西部ニューギニア各地に分散配備されたが、一部は米 豪軍と交戦全滅.主力はソロンに集結し終戦. 第三十六師団 雪兵団 昭和14年編成. 編成後中国で治安作戦に従事.昭和18年ニューギニアに派遣.一部はビアク 島で全滅.主力はニューギニアにて米軍と交戦しつつ終戦. 第三十七師団 冬兵団 昭和14年編成. 編成後中国にて治安作戦に従事.昭和19年一号作戦に参加.その後北部仏印を 経てタイに進出し終戦. 第三十八師団 沼兵団 昭和14年編成. 編成後中国で治安任務に従事.昭和16年香港攻略作戦に参加.その後蘭印攻略 作戦に参加後、ガダルカナル島へ派遣.昭和18年ガ島撤退後、ラバウルで再建 され同地で終戦. 第三十九師団 藤兵団 昭和14年編成. 編成後中国で治安作戦に従事.昭和20年関東軍第三十軍に編入され、四平に駐 屯.ソ連軍侵攻時に交戦する間もなく終戦.
優良スレあげ
886 :
名無し三等兵 :2001/04/08(日) 22:07
最優良装備の師団は5?48?91かな?。
887 :
第一総軍 :2001/04/08(日) 23:27
883様、そうでしたか。私は31の戦争を知らない世代です.しかし、ドイツ軍やソ連軍の研究と違って、日本軍の研究にはどうしてもあなたのように身近な方がいらっしゃるので何かこう、気楽に軍事マニアというだけではいけない部分を感じることがあります. 885様、ありがとうございます. 886様、そうですね、一概には言えませんがその3個師団は優良装備ですね.他に、第二百一から二百十六師団は本土決戦の切り札でしたし、サイパンの第四十三師団は一部海没していましたが本来は装備を増強されていたようです.又、関東軍時代の第十二師団は戦時編成で約7万人にまで膨れ上がったことが有ったようです.他にも色々あったでしょうね.
例の「戦場の日本軍」、ここにアップしちゃってもいいんですが、 テキストとgifにして別のとこにアップしてリンク張るのと、 どちらがいいでしょうか?(アレ、図も多いし) 別なとこにアップするとしたら、どなたかいい場所御存知ありません?(^^;
889 :
名無し三等兵 :2001/04/08(日) 23:48
>>887 第一総軍さま、
たしか決戦師団の201〜216は相当数の百式、ベルグマンSMGも
装備していたような・・・。
890 :
bububu :2001/04/09(月) 00:09
ageage
891 :
第一総軍 :2001/04/09(月) 00:19
889様、仰るとおりです.どのあたりか忘れましたが、このスレッドの大分前のほうに私が書き込んだ装備表があります.参考になれば幸いです. ばばぼん様、すみません。この世界は私も大して詳しくないので他にどなたか詳しい方の御助言を待ちましょう.
>>891 どうもすいません。軍事板は比較的最近の参入者なもので・・・。
そしてありがとうございます。
893 :
864 :2001/04/09(月) 01:20
>第一総軍さま 「師団史」非常に勉強になります。 これからも期待してます。 ありがとうございました。
894 :
第一総軍 :2001/04/11(水) 00:08
864様、私もそれほど詳しい資料が有るわけではありませんが、ゆっくり続けてみます.
895 :
第一総軍 :2001/04/14(土) 11:55
日本軍師団シリーズ 簡略版 第四十師団 鯨兵団 昭和14年編成 編成後中国で治安作戦に従事.昭和19年一号作戦に参加. 昭和20年南京方面に移動途中終戦. 第四十一師団 河兵団 昭和14年編成. 編成後中国で治安作戦に従事.昭和17年末ニューギニアに転用. 昭和19年アイタぺ作戦に参加。昭和20年米豪軍と交戦しつつ終戦. 第四十二師団 勲兵団 昭和18年編成. 昭和19年千島派遣。昭和20年主力は北海道に転用、第五方面軍隷下で 本土決戦準備中に終戦. 第四十三師団 誉兵団 昭和18年編成。 昭和19年サイパン島に派遣途中、一部海没。米軍と交戦、全滅. 第四十四師団 橘兵団 昭和19年編成。 昭和20年茨城県にて本土決戦準備中終戦. 第四十六師団 静兵団 昭和18年編成. 編成後主力は小スンダ列島に派遣.昭和20年マレー半島に転用され終戦. 歩兵第百四十五連隊のみは硫黄島で全滅. 第四十七師団 弾兵団 昭和18年編成. 昭和19年一部が第十二派遣隊(後の独立混成第五十八旅団)としてルソン島 派遣.主力は中国に派遣され終戦. 第四十八師団 海兵団 昭和15年編成. 昭和16年中国での作戦、続いてルソン島作戦に従事.昭和17年蘭印作戦参加. その後一部はシンガポール、主力はチモール島にて終戦. 第四十九師団 狼兵団 昭和19年編成. 編成後ビルマへ派遣途中一部海没.断作戦参加. 昭和20年メークテーラ防衛戦後、南ビルマで終戦.
はいっ、以前お話ししたTACTICSの短期集中連載「戦場の日本軍」です。興味のある方はどうぞ。 図表等はアップできる場所がよくわからなかったので省きました。 スキャナで読んでのまる写しなんで、なんとなーく気が引けます。よって、sage進行で(笑)。 今回は第一回「小部隊戦術」です。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 HJ「TACTICS」誌・87年8月号 戦場の日本軍〜第2次世界大戦を戦った日本陸軍の作戦と戦術〜 瀬戸利春 日本軍の戦闘法がどのようなものであったかは余り知られていないのが実情のようです。筆者自身、友人連中に日本軍の戦闘法についてどのように思うか試しに尋ねてみたところ、「日本軍に戦闘法なんてあったのか」「バンザイ! 突っ込めー、じゃなかったの」「味方が倒れても倒れても突っ込んでいったから英軍なんか迫力に負けて逃げていった」などと言う答が返ってくるばかりで、果ては、「日本軍の出て来るゲームはエキゾチックだ」だとか「日本軍の戦いはエスニツクだ」などと言い出す始末。確かに日本軍の登場する数少ないゲームを見ても3W「Okinawa」の軍司令官切腹ルールとか、AH「Banzai」のバンザイルールなどすごいルールがあったりします。 さてこのようにゲームの上で特別待遇を度けている日本軍ですけれども、実際にはどのように戦闘を行なったのでしょうか。その日本軍の戦闘法について部隊規模に分けて3回連載で紹介して行きたいと思います。1回目は分隊から中隊レベルでの戦闘、2回目は大隊・連隊、3回目は師団以上の規模の予定です。兵科的には歩兵中心で他の兵科(戦車、騎兵など)については別の機会に譲りたいと思います(注:結局なかった ^^;)。
歩兵の携帯火器 目本軍兵士の一般的な装備火器は言うまでも無く三八式歩兵銃である。この銃が制式化されたのは明治三八年だからお世辞にも新しいとは言いかねるが、大戦初期にアメリカ軍が装備していたスプリングフィールド銃やイギリス軍の装備していたリー・エンフィールド銃も同じ頃の制式化だから特別に古いわけでもない。実際、この種のボルトアクション銃は大戦を通じてアメリカ以外の陸軍では多数装備されていた。三八式歩兵銃は欧米人の目から見ると長くて扱いにくく思えるようであるが、日本軍はむしろ長い銃の方が白兵戦時に有利で良いと考えていた。他国のこの種の銃と比較して劣るところは口径が 小さいため非力であること以外無かった。日本軍は昭和十四年に口径を7.7mmと他国並にした小銃を制式化した、これが九九式小銃であった。この銃もボルトアクションライフルであったが同じ頃からアメリカ軍やソ連軍は半自動銃や自動銃を装備しはじめていた。戦争が始まるとボルトアクションライフルは火力発揮の点で半自動銃や自動銃に劣り戦闘で明らかに不利であることが判ったが、日本軍は自動銃の量産に最後まで成功しなかった。 三八式歩兵銃と九九式小銃はどちらも終戦まで使われたが口径が異なるので弾薬供給面で恐らく大 変であったろう。その他にも多くの捕獲小銃が支給された。戦争末期になると装備は決定的に不足し仕上げ前の単発銃はおろか猟銃、擲弾を飛ばす弓矢、果ては竹槍やら中国戦線からの青竜刀までが支給される始末であった。 分隊レベルで火力支援を受け持ったのは軽機関銃であった。最初に装備された十一年式は独特な給弾方式ゆえに故障に悩まされた。次の九六式は優秀な軽機関銃で故障は減ったが、口径径6.5mmでは威力不足とされ口径7.7mmの九九式が開発された。生産数が不足したため一種類の銃に統一されず三種類とも終戦まで使用された。 日本兵はあまり軽機関銃を信頼していなかったようである。最新の九九式でも例外ではなく、ある部隊では九九式を使用せずに敵から捕獲した重火器を逆用していたほどであった。擲弾筒は実際にはこの種の他の兵器と同様それ程実際的効果は無かったが、連合軍兵士達に恐れられた。 日本兵にとって頼もしい支援火器は九二式をはじめとする重機関銃であった。重機関銃は大隊の機関銃中隊が装備し、各中隊を支援した。 短機関銃に代表される小型自動火器をほとんど装備しなかったのは日本軍の欠点であっただろう。特に不定期遭遇戦やジャングルでの限られた視界での戦闘では物音のするあたりへの散布射撃が止確さや射程より重安であった。日本軍は太平洋戦争が始まってからこのことに気づいたのだが、アメリカ軍はパナマでのジャングル戦で、イギリス軍はドイツ軍との戦闘で日本の参戦以前に短機関銃の必要性を知っていた。 対戦車兵器に関しては日本軍はまったく非力で、戦車に対しては地雷を抱いて突っ込むしか手がなかった。この攻撃法も敵が戦車に歩兵を随伴させるようになると成果が減退した。戦争末期極く少数の対戦車成形炸薬小銃榔弾、「タ弾」「タ擲」が実戦で使用されて若干の戦果をあげた。 兵員の質 日本兵の士気の高さや軍紀の正しさを称賛する人は内外に多いが、実際には「帝國陸軍の最後」などに登場するような精鋭ばかりではなく部隊ごとの事情や指揮官の能力によってさまざまで、その結果、強い部隊とそうでもない部隊とが存在したのが実情であった。 戦闘の原則 日本軍は全体として、精神主義的、白兵突撃主義で、攻撃を非常に重んじていた。例えば「作戦要務令」には「攻撃精神充塩せる軍隊は、能く物質的威力を凌駕する」と書かれていた。また同じ「作戦要務令」では戦闘指揮の要則として「状況真に止むを得ざる場合の外常に攻撃を決行すべし」となっていた。 攻撃そのものについては敵部隊を包囲して殲滅することに主眼が置かれていた。実戦では包囲はともかく敵を殲滅することは容易で無く中国軍相手でもなかなか成功しなかった。攻撃に際しては敵の意表をつくことが奨勧され、企図の秘匿・迅速果敢な行動が重んじられ敵情が不明であったとしても任務に邁進することとなっていた。ために時として無謀と思える行動を取ることがあったが、この点無謀なことは差しひかえていた英軍とは対照的であったといえるだろう。
分隊・小隊・中隊 日本軍の主力は歩兵であった。図1(省)は歩兵中隊以下Fの編成である。編成の最小単位は分隊で甲編成で15名、乙編成の場合には13名で一個分隊が編成されていた。分隊の構成員は必要に応じて数名のグループに分かれて行動した。分隊が小隊を小隊が中隊を構成しており、この編成は基本的に変更されることは無かった。「歩兵操典」には中隊は各小隊の小隊は各分隊の適切緊密さなる協同を行ない戦闘力を発揮すること、分隊は分隊長以下挙止恰も一体の如く射撃および運動を調和し、突撃を実施す、と書かれていた。 緊密な協同を行なう具体的な戦闘行動が「射撃と運動の連繋」である。図2(略)はその概念を簡単に表したものである。ある一部隊が他の部隊の援護を受けながら敵に近接するという行動自体は別に日本軍独自のものでは無く諸外国の軍隊でも一般的なものである。しかし射撃による制圧を重視するドイツやアメリカに対して白兵主義の日本軍では機動と突撃が重視された。敵に対する近接は突撃のための、突撃は白兵戦を行なうための行動であり、戦闘は白兵戦によって決するものとされていた。 具体的には日本軍の攻撃は次のように行なわれた。敵に遭遇すると索敵によって敵情を明らかにする。次に部隊長は速やかに目標を決し部隊を展開させる、そして部隊長の命令で攻撃が始まる。各部隊は示された目標に接近をはかる、この時、兵は運動、特に発進・停止の動作を機敏にし、敵から捕捉されにくくし、速やかに敵に近接する。そのために、早駆(はやがけ)・匍匐前進を行ない、地形地物・陰影を利用し、体を屈し、必要ある時は進路を変更する。ひとつの場所からひとつの場所へ移動する際の距離は通常30mを越えないのが良いとされていた。停止後は速やかに地形地物を利用し的確な射撃を行なう。射撃の際には正面からのみでなく、前進方向と異なる方向の目標への射撃、敵の予期しないところからの不意な射撃が重視された。日本軍は射撃を軽視していたわけでは無いが、みだりに射撃することは戒めていた。射撃の重点は正確さにおかれ、軽機関銃ですら点射・狙撃を行なった。 また夜間では秘匿のため射撃は原則として行なわれなかった。これはドイツ軍が、持続した射撃を行なう方が静かにしているよりも特に士気低下を防ぐ点でより安全である、と考えていたのと対照的である。 充分敵に近接したら(大体30m以下であった)手榴弾を投擲し突撃をする。突撃は兵の動作中特に緊要とされていた。昼間の突撃の場合、威声を発し猛烈果敢に突進する。突撃を始めたら敵の射撃・手榴弾・毒煙があろうとも断乎突進する。突撃成功後の白兵戦では射撃は原則として行なわれなかったが、実戦では白兵戦の際敵を射撃で倒した例があり、昭和十九年頃からは、火器使用を行なうように考え方が変化していった。 日本軍の相手であったアメリカ軍では突撃は突進ではなく、むしろ速く歩く程度で運動しながら射撃と並行して前進した。ソ連軍の突撃は突進で、走りながら同時に叫び撃ちまくっていた。日本軍は他国に比較しておそらく射撃量は少なかったと思われる。夜間に攻撃を行なう場合は企図の秘匿が厳重に行なわれ、射撃をすることも威声はおろか声を発することも制限された。 小部隊の攻撃 日本軍の攻撃は多くの場合、夜間やスコール、ジャングル内の迂回・浸透等、気象・天象を利用して行なわれた。以上の要素は日本軍に奇襲の利を与え敵はパニックを起こした。日本軍の突撃は敵に対して物理的な損害よりも精神的な打撃を与え、多くの場合実際に白兵戦が行なわれる以前に敵は退却した。時に日本軍は敵の退路に対してあらかじめ部隊の一部を配置して、戦果を一層大きくした。 このような成功は中国や太平洋戦争初期のマレー、ジャワ、ビルマなどで見受けられた。これらの場合、敵が訓練不足であったり、愛国心の無い植民地兵であったり、機械化されて路上しか機動できなかったりしたため、日本軍の成功はより確実なものとなった。 こうした初期の成功から日本兵は連合軍兵士から「ジャングルの魔物」と恐れられ、日本軍の突撃は「バンザイ突撃」として恐れられるようになった。このような要素はマレー戦を扱ったゲームの「士気ルール」とか「Banzai」の「バンザイルール」、「戦闘指揮官シリーズ」の日本兵の狂暴化ルールなどに反映されているようである。「Battlehim」の宣伝文句の日本兵などはまさしく「ジャングルの魔物」といった感じである。
「パンザイ突撃」 ここで日本軍の「突撃」と「バンザイ突撃」という言葉について述べておこう。連合軍は日本軍の「突撃」(特に夜間の突撃)を「バンザイ突撃」と呼んでいたが、これは追い込まれた部隊がやむなく取った行動ではなく戦前から考えられ訓練されてきた攻撃の一つの形であった。 これに対して日本で一般に「バンザイ突撃」と言った場分、追い込まれてどうしようもなくなった部隊が最後に一花咲かせるため、(あるいは自暴自棄になって)行なう無茶な「突撃」のこと、あるいは無謀な攻撃の代名詞と言った感じで受け止められているようである。確かに無謀と思われる攻撃は行なわれたし、戦争後半ともなるとまともな攻撃なのか自暴自棄なのか良く解からない攻撃もあるのだが。 白兵戦闘の限界 日本軍の白兵攻撃は戦争初期の香港、パターン、そして中国の長沙においてさえその限界を示し始めていた。これらの場所で日本軍の歩兵攻撃は敵の陣地と砲兵火力によって停滞させられるか出血を強いられた。長沙では日本軍は補給切れで撤退し、香港、パターンでは、砲兵と空軍を日本軍としては大規模に投人して攻略できたにもかかわらず、日本軍は自分達の歩兵の攻撃法が失敗したとは考えなかった。長沙の失敗は準備不足、パターンは特例とされ香港は失敗とすら思われなかったのであった。 日本軍が攻撃法の過りを認識したのはガダルカナルが最初であろう。アメリカ軍はガダルカナルの飛行場に鉄条網と散兵壕を構築して全周防御を行ない、機関銃を中心とする火点群を相互に支援できるように配置した。この陣地は特に強力と言えるほどのものでも無かったが日本軍の攻撃は失敗した。機関銃の火網にとらえられ日本軍突撃部隊は次々と倒れていった。ある中隊は5分ほどでほとんど全滅した。ガダルカナルでは迂回も浸透もあまり効果がなく、火点の制圧もあまり熱心に行なわれなかったためか夜間で奇襲であったにもかかわらず損害が出るだけであった。 ガダルカナル以後、日本軍の攻撃は連合軍の守備に悩まされ挫折するようになった。また連合軍側の対策も強化されていった。夜の閣に対してサーチライトや照明弾で戦場を照らし、マイクロホンで位置を標定して砲撃を行ない、地雷や鉄条網で日本兵の移動を妨げ、その奥で待ち構えて十字砲火を浴びせかけた。上陸直後や前進直後で陣地ができていない時には戦車が移動トーチカとして使用され、上陸海岸では艦砲射撃による支援砲撃が加えられた。連合軍は次第に物量を投入してこれらの守備を強化していった。これに村して日本軍は有効な攻撃法を見出すことができず、少数兵の夜間切り込みだけがある程度の戦果をあげるのみであった。
防御戦闘 日本軍の考え方によれば防御とは本当に止むを得ない場合にのみ行なうもので、防御を行なう場合でも適切に反撃を行なうものとされていた。 戦争初期に敵の攻撃を受けた場合にはしばしば反撃を行なって敵を撃退していた。純然と防御をするようになったのは戦争後半のことと考えて良いと思う。実際に戦争後半に防御を行なうにあたって問題となったのはいかにして連合軍の物量、そしてその物量によって発揮される火力に対抗するかということであった。 連合軍の砲火の洗礼を受けた日本軍は火力を重視するようになり、防御戦闘の主体はむしろ砲兵にあるという感じになるのだが、第一線を文字通り支える歩兵の役割も無視できない。歩兵にとって敵の火力に対抗するということはいかにして砲撃下で生き残るかということであった。歩兵が生き残る鍵は陣地にあった。うまく構築された陣地が強力に持ちこたええることは第一時大戦やクルスクなどでも明らかである。 日本軍の陣地は戦場の状況に応じて作られ、これといった定形はなかったが、その特徴として厚く掩蓋(屈根のようなもの)で覆われていたこと、火点同士が相互に援護しあえるようになっていたことがあげられる。陣地が掩蓋で覆われていることの効果は大きかった。丸太と土だけ掩蓋でも10cm級の火砲に対して持ちこたえることができた。従ってビルマの奥地のような88mm口径の25ポンド砲弾程優しか飛来しない戦場ではいくら砲弾を射ち込まれても陣地は積り、最後は歩兵同士の接近戦となった。接近戦では日本軍の銃火も敵に損害を強いたのである。 太平洋方面ではどうであったろうか? ここでは歩兵は戦艦の40cm砲以下の大口径砲の射撃にさらされた。サイパンでは準備不十分のため施設の80%が破壊損傷したが、アフェタナ岬の陣地のように生き残ったものがあったし部隊も相当数が生存し、水際戦闘は激戦となった。日本軍の攻撃は戦車を伴って行なわれたが火力の前に阻止されてしまった。サイパンの戦訓で日本軍は水際陣地は持ちこたえられないし水際反撃は成立しないと考えるに至った。しかし強化した陣地、特に洞窟陣地が生き残ったことは注目しなければならない。次のグァムで日本軍は水際から後退して部隊を配置したため、一万二千トンの砲爆撃でも死傷わずかに90人であった。 アメリカ軍は日本軍の逆襲に備えてM4戦車を応急のトーチカとして使用した。こうなると日本軍の逆襲は無理で逆にM4に追い立てられる結果となったが日本軍には有効に対抗できる火器が無かった。 長さ10km、幅4km程の小島ペリリューは五千トンの砲爆撃を受けたが(サイパンは約三千トン)水際の基幹陣地はコンクリート等の資材で十分に強化されていたため生き残り、上陸第一波は反撃火力で撃退した。しかしナバーム弾の攻撃に手間どっているうちに第二波の上陸は許してしまった。上陸軍はM4戦車を先頭に占領地域を拡大した、またもM4を押さえるえることはできなかったのである。日本軍の軽戦車と歩兵の反撃もまた失敗、少数兵の夜間切り込みだけがある程度成功した。しかし同島の激戦は後に、天然・鉱山洞窟を利用した防御が予想外に強靭に続けられたことにより大きく評価された(驚 くべきことに昭和二十二年に終戦を知るまで抵抗した部隊もあった)。 ペリリューの戦訓では洞窟によれば歩兵が生き残ること、少数兵の切り込みは成功の可能性があること、接戦に持ち込めば敵の砲撃はほとんど不可能であること、戦闘の鍵は対戦車戦にある、とされた。そしてペリリューでも戦闘は接近戦となったことも忘れてはならない。 硫黄島、沖縄でも歩兵は水際反撃をさけて洞窟陣地内で粘り、防御戦闘は火力主導で行なわれた。これらの洞窟陣地は射界が限られる欠点はあったが砲撃に対してはほとんど無敵であった。連合軍はこれらの陣地に村して、歩兵、戦車、工兵、砲兵による諸兵連合チームで馬乗り攻撃として知られる攻撃を行なって陣地をひとつずつ潰していった。この種の攻撃では銃眼に対する直射、バズーカ、火灸放射機、爆薬が役にたった(注:いわゆる「コークスクリュー・ドライバー」)。 洞窟陣地による日本軍は連合軍部隊に対して後方から砲撃を行なって苦しませた。両軍にとって戦闘は消耗戦となった。ちなみに、3Wの「Okinawa」はこの消耗戦の寡囲気が良く表現されているようである。
同じ頃ビルマでは歩兵の小部隊が砲兵(たった山砲一門だが)と連繋して平地で戦車を含む敵を撃退している。片桐大隊の戦闘がそれであるが、図8・9(略)を見ていただきたい。片桐大隊は実際は60名程度の中隊と小隊の中間位の規模でしかなかった。歩兵は完全地下式の陣地で待機、敵の戦車と歩兵が攻撃のため陣地上に来ると山砲が陣地上に瞬発信管付楷弾を射ち込んで敵を撃退した。この戦闘で使用された陣地は「まな板陣地」と呼ばれ、戦闘法は「まな板戦法」と呼ばれた。これと同様の戦闘を朝鮮戦争でアメリカ軍が大規模に行なっている。 戦争後半の日本軍の防御は陣地と火力によって成功したが本土決戦を迎えようとする日本軍には十分な火力も強力な戦車も無く、また敵を撃退するためどこかで反撃をする必要もあった。そこで日本軍は今までの戦訓から都合の良い部分だけ取り上げて積極的な水際反撃の方針を打ち立てた。その方針とは、強化した水際陣地で頑張って敵による海岸堕設定を阻止し、彼我混戦状態に持ち込んで敵の砲爆撃を不可能にした上で攻勢を開始、敵戦車に対しては対戦車特攻が準備された。また攻勢は敵上陸後ただちに、おそくとも48時間以内に行なうこととされた。 本土決戦は行なわれなかったので上記の方針がうまくいったかどうかわからないが、もし行なわれたら両軍とも大変な損害を出したかもしれない。しかし装備として竹槍が支給される状態ではあまり期待はできないだろう。もし成功させるとすれば朝鮮戦争で中共軍がやったような人海戦術に頼るしかなかったと思われる。 今回は中隊以下の歩先の戦闘ということで話を進めてきましたがいかがだったでしょうか。 次回以降次はより大規模な部隊の戦闘について書いてゆく予定ですが、今回の話に登場した砲兵戦闘や浸透戦術についても触れてゆくつもりです。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 早速訂正(+_+) 正:「コルクスクリュードライバー」 誤:「コークスクリュードライバー」 日本軍の防御陣地(地下陣地)ですが、ベトナム戦争当時のベトナム軍陣地、特に「ハンバーガーヒル」に出てきたようなヤツが近いのかな? と思います。 続きはまた来週(多分 ^^;)。
902 :
第一総軍 :2001/04/16(月) 00:08
ご苦労様です.続きを期待します.
903 :
名無し三等兵 :2001/04/17(火) 19:47
ばばぼん様、小銃小隊の軽機関銃や擲弾筒の定数はどうなっいるのでしょうか。 資料によってまちまちなので、混乱しています。 是非ご教授ください。
904 :
ばばぼん♪ :2001/04/17(火) 21:09
>903 大戦中の場合、定数としては軽機は三挺・擲弾筒三門でいいようです。 軽機は十三名編制の小銃分隊に一挺ずつ、重擲は十三名編制の重擲分隊に集中して配備されていましたが、 実戦の際には、軽機・重擲共に小隊長の直接指揮の下に置かれます。 ただし、動員の際に定数通りに装備が揃わなかったために「後日配備」とした場合や、 インパール作戦開始直後の段階でも「軽機は小隊に一挺あるかないかないかだった」 とする手記もあり、実態はかなり定数を下回っているようです。
905 :
九州男 :2001/04/17(火) 21:09
福岡の久留米師団って第何師団なんですか?。祖父が所属していたもので‥ 結構、歩兵師団の中でも有力な師団だったと聞いています。 誰か教えてください。ちなみに祖父はビルマのジャングルで戦死です。
906 :
奥さん、名無しです :2001/04/17(火) 21:27
ばばぼん様、どうもありがとうございました。 やはり定数と実際の配備数には違いがあったのですね。
907 :
第一総軍 :2001/04/17(火) 23:07
905様、恐らく第十八師団と思われます.この師団はシンガポール攻略後、ビルマ攻略作戦に参加し、終戦までビルマの戦いに参戦していました.又、仰る通り第十八師団は有力な師団で、最強ではないにしても最精鋭師団の一つと考えられます.
908 :
第一総軍 :2001/04/18(水) 00:31
907に追加します。第五十六師団も久留米編成でビルマ戦に参加してますね.となると結構難しい. 第五十六師団も結構強力な師団ですし判断に迷いますが、第十八師団のほうがやや精鋭と判断できるかも。
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/18(水) 00:51
>>905 おお、うちのじいちゃんも久留米ですよ。
南方(ランインだったかな? どのあたりにあるのかわかりませんけど)に行ったと言ってました。
910 :
名無しさんの野望 :2001/04/18(水) 01:00
家のおじいちゃんは、第14師団架橋建設中隊所属でした。 中国で戦ったそうです。戦友誌がある。
911 :
270 :2001/04/18(水) 01:03
このスレッドが好きで毎日のように拝見しております。いままで発言は 控えておりましたが、みなさまの見識と博識に敬意を表します。 お邪魔いたしました。
912 :
名無し三等兵 :2001/04/18(水) 01:14
第56師団は装甲車1個連隊分を擁していた優良装備部隊と 名記者・伊藤正徳著「帝国陸軍の最後」に書かれていました。
ランイン=蘭印(今のインドネシア)ですね。 久留米の城址公園辺りに記念碑か何かなかったかな? (関係ないけど、久留米の水天宮には「千歳」の記念碑があったはず・・・ これは海軍か。失礼、逝ってきます)
914 :
名無し三等兵 :2001/04/19(木) 03:26
訳有りゴメンナサイage
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/19(木) 10:50
久留米の124連隊所属の方の戦記を読んだことがありますが、 九州の部隊は確かに攻勢の時には頼りになりそうですね。 ただ、ガダルカナル戦やビルマでの戦闘ではその実力を発揮 しきれなかったようで残念です。 >>第一総軍様 以前、第一総軍が仰っていたようにoffができると楽しいそう ですね。 ここの板では皆様に色々教えて頂いて勉強になります。
916 :
第一総軍 :2001/04/20(金) 01:12
915様、そうですね。そういう機会があると勉強になりそうです.私と違ったアプローチで研究されている方が結構いらっしゃるので期待大です。 週末に例のつづきですかね。後は.
917 :
名無し三等兵 :2001/04/20(金) 08:52
質問です、中国大陸での制空権はいつの時期にいずれの側にあったのですか。
918 :
第一総軍 :2001/04/21(土) 15:34
日本軍師団シリーズ 簡略版 第五十師団 蓮兵団 昭和19年編成 編成後台湾で作戦準備中終戦. 第五十一師団 基兵団 昭和15年編成 昭和16年満州は派遣、その後広東に駐屯. 昭和17年末よりラバウル進出. 昭和18年ニューギニアに輸送途中、ダンピール海峡で航空機の攻撃で海没。 昭和19年アイタぺ作戦に参加後、終戦まで持久戦. 第五十二師団 柏兵団 昭和15年編成 昭和18年トラック島派遣途中海没。現地で再建され終戦. 第五十三師団 安兵団 昭和16年編成 昭和19年ビルマ派遣.ウィンゲート空挺部隊と交戦. 昭和20年イラワジ会戦に参加後、ビルマ南部で終戦. 第五十四師団 兵兵団 昭和15年編成 昭和18年蘭印、マレーに派遣後、ビルマに転用. 昭和19年第二次アキャブ会戦でインド第7師団を包囲するも撃破できず、インド第15軍団と交戦. 昭和20年イラワジ会戦後ビルマ南部で終戦. 第五十五師団 楯兵団、後に壮兵団 昭和15年編成 昭和16年、南海支隊をグアム攻略に派遣、17年に主力はビルマ攻略に参加. 昭和17年南海支隊はニューギニアスタンレー山脈で大損害を受け、再建後ビルマで主力に復帰. 昭和19年第二次アキャブ会戦に参加、、昭和20年イラワジ会戦後、仏印で終戦. 第五十六師団 龍兵団 昭和15年編成 昭和16年坂口支隊を蘭印攻略に派遣、主力はビルマ攻略に参加. 昭和19年ら孟、騰越で師団の一部が玉砕.昭和20年ビルマ南部で終戦. 第五十七師団 奥兵団 昭和15年編成 昭和16年満州派遣. 昭和20年本土決戦用に九州に転用され、第十六方面軍指揮下で作戦準備中終戦. 第五十八師団 広兵団 昭和17年編成 編成後中国で治安作戦に従事. 昭和19年一号作戦参加.昭和20年華中に移動中終戦. 第五十九師団 衣兵団 昭和17年編成 編成後中国で治安作戦に従事. 昭和20年関東軍に編入.ソ連参戦後も戦闘に参加する機会なく終戦.
919 :
ロボット3等兵 :2001/04/21(土) 16:15
第1総軍さん、レイテ島で戦った部隊は戦後に誰も出てこなかった と、大岡昇平「レイテ戦記」にありますが本当でしょうか? 伊藤正徳「帝国陸軍の最後」NHKスペシャル「レイテ」には戦後の生還者 がいるみたいなことを云ってましたが、実際は飢餓、住民の襲撃などで、 全員戦死の方が通説みたいですが? (もっとも、生還者がいてもあの戦いには触れたくないのかもしれない)
920 :
第一総軍 :2001/04/23(月) 00:27
ロボット3等兵様、すみません。残念ながら私にも資料がありません. 常識的に考えてあれだけの大きな島で1人もいないとは考えずらいのですが、フィリピンの反日意識を考えると難しいのかもしれません. 厚生省援護局の資料でもあたってみるしかないでしょうね.
921 :
名無し三等兵 :2001/04/23(月) 00:29
>919 そんな事レイテ戦記書いてないと思いますが?
>>917 少なくとも湘桂作戦(19年)には、制空権は米華軍側にあったようです。
その合間を縫って航空支援を得られたのが有難かった・・・と言われています
923 :
第一総軍 :2001/04/27(金) 00:55
制空権ですか。922様の仰るとおりでしょうね。よく、大陸打通作戦時に疾風を装備した第20戦闘飛行集団?を派遣して制空権を奪還したとか言う方もいらっしゃいますが、少数機では制空権の奪還とは言いすぎでしょう。局地的に集中すれば一時的に制空権を握れただけのことのようですね。 現に、武漢とかが爆撃で大損害を出して兵站基地としての能力を失って作戦に重大な支障が有ったとの事ですし。
924 :
名無し三等兵 :2001/04/27(金) 08:45
中国軍は制空権を完全に握っておきながら打通作戦での日本陸軍快進撃を許したのですか。
925 :
名無し三等兵 :2001/04/27(金) 11:20
陸軍さんは、太平洋地域で負けつづけているのに なんで中国大陸で意味のない作戦を続けてたのかね?
926 :
名無し三等兵 :2001/04/27(金) 12:01
司馬遼太郎さんが言うように、昭和戦前は「暗黒の鬼胎」であり、 その時期に為された日本の戦争は「大陸打通作戦」に限らず、 全てにわたってアジアの人々に耐えがたい苦痛を与えた 残虐で無意味な侵略戦争に過ぎなかったのです。
927 :
名無し三等兵 :2001/04/27(金) 12:18
>>926 そりゃそ−だよ。
でも、「侵略戦争=悪」なんつーことがグローバルスタンダードとして
認知されたのは、日本の敗戦以降の話だからね。
それをしつこく追求してODAの金額を増やそうと目論む連中や
そいつらに対する嫌悪感から「あれは正義の開放戦争じゃ」などと
とぼけたことを抜かすインチキ連中があとを立たないんだよね。
横道にそれたのでsage。
928 :
ばばぼん♪ :2001/04/29(日) 23:58
はいっ、大変遅れました(^^)/ 例のヤツの続きです。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 HJ「TACTICS」誌・87年10月号 戦場の日本軍〜第2次世界大戦を戦った日本陸軍の作戦と戦術〜 第二回「大隊・連隊戦術」 瀬戸利春 大隊・連隊の編成 今回は大隊・連隊を取り上げるわけだが、まず大隊・連隊とはどのようなものか、編成から見てゆくことにしよう。 図1(省略:四個中隊編制の歩兵大隊)は日本軍歩兵大隊の基本的な編成で、太平洋戦争を通じて概ねこの編成は守られた。 大隊が中隊と大きく異なる点は、人数はともかく、わずかに二門ながらも一応砲と呼びうる兵器を持っていることと、図示してないが独自の補給部隊と通信部隊を持っていることである。つまり大隊というものは独自に戦闘行動をとれる最小単位の部隊であると言うことができる。とは言っても大隊のほとんどは独立して存在するわけではなく、大隊は数個集まって連隊を編成していた。 図2(省略:三個大隊編制の歩兵連隊)は日本軍歩兵連隊の編成である。この編成も太平洋戦争中変更されることは無かった。連隊の編成は大隊の規模を拡大したものと考えることができ、当然ながら補給部隊と通信部隊もより大がかりになっている。 日本軍歩兵連隊は対戦車砲部隊である速射砲中隊(日本軍は対戦車砲のことを速射砲と呼んでいた)を持っていた。日本軍で一応対戦車兵器と呼び得る兵器を持っていたのは連隊以上の部隊だけであった、と言うより対戦車砲を持っていたのは歩兵では連隊だけであると言ったほうがより適しているだろう。ヨーロッパ列国では大隊と連隊に対戦車砲中隊を持たせるか、連隊に対戦車砲中隊を配属する以外に師団に対戦車砲大隊を持たせていた。それと比較すれば連隊以外に対戦車砲部隊を持たなかった日本軍は、編成上、対戦車火力で他国に劣っていたことになる。対戦車火器の威力が弱かったことと対戦車砲の数そのものが前述のように少なかったために、日本軍部隊の対戦車戦闘は砲兵部隊に依存することが多かった(対戦車砲は通常歩兵のものとされていた)。
929 :
ばばぼん♪ :2001/04/29(日) 23:58
大隊・連隊の装備 大隊・連隊の装備についても触れておこう。ただし中隊以下の装備は前回書いたので、ここでは省かせていただく。残るは歩兵砲と速射砲それに機関銃中隊の装備である。 まず機関銃中隊であるが、この中隊は八挺の重機開銃を装備していて、大隊全体、あるいは大隊内の各中隊・小隊を個々に支援した。装備の代表的なものは九二式重機開銃で、口径7.7mm、発射速度は毎分500発台(他国の重機は通常600〜700発程度)で格別すぐれた機関銃とは言えなかったが、歩兵にとっては頼りがいのある支援火器であった。 速射砲(対戦車砲のこと)中隊は数種類の37mm砲と1種類の47mm砲のうちのどれかを装備していた(ばばぼん♪注:ほとんどの場合、連隊速射砲中隊の装備は九四式速射砲です。機動一式速射砲は独立速射砲部隊にまわされていたようです)。37mm砲の中でも、最初に作られた九四式はドイツの37mm砲PAK36よりも装甲貫通性能が劣っていた。日中戦争時代、日本軍はPAK36を中国軍より押収したが、これがラ式対戦車砲として使用された。さらに性能の良い一式37mm速射砲を開発、これらは太平洋戦争を通じて使用されたようである(ばばぼん♪注:ほとんどされてませんし、性能自体も37mm.Pak.36より劣ります +_+)。いずれにしても37mm級の対戦車砲では連合国の戦車にほとんど(あるいはまったく)効果の無かったことは、皆さんも御承知の通りである。そのためかウォーゲーマー誌のゲーム「Road to Batarn」の日本軍対戦車砲ユニットは米軍戦車ユニットに攻撃されると防御力が落ちると言うルールがある。 それはともかく として、一式機動47mm速射砲に話を移そう。まず名称であるが機動と言う文字が付いている。砲の名称に付く「機動」と言うのはその砲が自動車牽引に適するようにゴムタイヤを装着していることを表している。当時日本軍の火砲の大半は馬で運ばれていたし、自動車牽引もさほど多くはなかったので、わざわざこのような区別をしていたのである。 この47mm砲は米軍のシャーマン戦車の側面なら貫通できたので、うまく配置してシャーマンを撃破した例が結構ある。ただ47mm砲の生産数は少なく、配備数はさらに輪をかけて少なかったので、米軍戦車はあまり苦戦をせずにすんだ。 結局、日本軍は連隊レベルでも対戦車能力が極めて低かったので、対戦車戦闘は砲兵に任せるか肉迫攻撃によるしかなく、戦争末期には場合によって敵戦車が釆てもだまってやり過ごすことさえあった(何しろ下手に戦車に手出しをすると損害を出しかねないのである。実のところ米軍もたいした対戦車砲を持っていなかったのだが、日本軍戦車に村しては十分強力であったし日本軍戦車の数も少なかったので米軍にとって問題は起こらなかった。
930 :
水みみず :2001/04/29(日) 23:58
おもろいね
931 :
ばばぼん♪ :2001/04/29(日) 23:59
歩兵砲は大隊・連隊の重要な支援火器である。その用法は後述するとして、装備の方を観てみよう。 歩兵砲も数種類あるがそのうち十二年式歩兵砲と九七式曲射歩兵砲は、普通の迫撃砲である。特に九七式は各国で広く使用されたストークスブラン式81mm迫撃砲である。十一年式平射砲は口径37mmで三脚式の対戦車砲といった外観と性能を持っていた。 それらに比べてもっとポピュラーなのが九二式歩兵砲である。この砲は大隊の歩兵砲小隊に配備され、広く大隊を支援したので「大隊砲」の異名がある。この砲の特色は平射・曲射の両方が可能で、そのため最前線で直接射撃をしたり後方から間接射撃で支援を与えたり、また迫撃砲のように使用されたりした。 連隊の歩兵砲中隊に配備されたのは四一式山砲で、これは「連隊砲」なる呼び方をされた。この砲は四一式山砲と言う名前が示すように本来は歩兵砲ではなく、砲兵隊の装備した山砲であった。山砲と言うのは山地・荒地でも行動しやすくするために、分解して馬に積んで運べるように作られた野戦用の砲である。もともとこの四一式山砲を使っていたのは砲兵隊だが、昭和十年により新しい山砲が支給されるようになったので、四一式は歩兵隊に譲り渡されて歩兵砲となったのである。四一式山砲は連隊ごとに四門(つまり一個中隊、ちなみに小隊は二門である)が装備されて、もっとも支援火力を必要とする場所に与えうるように連隊本部の直轄となっていた。
932 :
ばばぼん♪ :2001/04/30(月) 00:00
歩兵砲の用法 ここで歩兵砲について少し掘り下げてみよう。なぜなら歩兵砲というものはただ漠然と装備されていたのではなく、大隊・連隊の戦闘(主に攻撃である)と深く関係していたからである。 大隊・連隊といえども基本的な戦闘様式は前回に述べた中隊などと大差はない。攻撃前に展開し地形を利用しながら支援しあって前進する。あるいは敵を迂回する。ただ歩兵砲があるのが中隊以下と違う点である。歩兵砲が小銃や機関銃と違う点はその破壊力にある。小柄ながらも大砲なわけで敵の簡易な機関銃座や観測所、遮蔽陣地などを肉迫などしないで破壊することができる。従って大隊や連隊は簡単な陣地や抵抗ならわざわざ砲兵の支援を頼らずとも排除して進撃することができたのである。 しかし逆に考えれば、わざわざ歩兵砲など装備せずとも砲兵の支援を受けられるならそれで良いのではないだろうか。なぜ歩兵砲が装備されたのか知るには第一次大戦直後までさかのぼる必要がある。 当時各国の陸軍のあいだで歩兵にたいする近接支援の問題が重要視された。第一次大戦中にフランス・ドイツでは歩兵に軽量級の加農砲や槽弾砲を交付していた。これらは歩兵にとってあまり足手まといにならずに直接大きな火力を持たせることになった。本来ドイツ陸軍が保持したかったのは臨機な支援能力だったのである。 支援を与える方法は議論のあげく二つの方法に落ち着いた。要するに弾者観測員が砲兵中隊と適切かつ簡単に連絡がとれ、信頼できる射撃統制装置を与えれば、歩兵が砲を持たずとも支援が受けられるようになるという考えと、もうひとつは歩兵に砲を持たせるという方法であった。砲兵が適切に歩兵を支援することは指令伝達の面で困難であった。当時は無線通信が未発達で信頼できなかったのである(無線の発達は後に戦争に大きな影響を与えることになる)。だからといって歩兵に在来型の砲を装備したのでは、コストと兵畢操作要員の面で問題があった。 各国陸軍はこの問題を真剣に検討して結局それぞれの道を歩んでいった。英国陸軍は口径80mm前後の迫撃砲を装備し、それで一応満足した(反対に日本軍はあまり迫撃砲を装備しなかった)。ドイツ・フランスは歩兵砲を装備した。特にドイツは歩兵砲の開発に熱心で各連隊に75mm軽砲(ばばぼん♪注:le.Geb.IG 18)と150mm砲(sIG 33)を配置した。英軍・米軍も一時、歩兵砲の装備を試みたがすぐ廃止してしまった。要員が確保できなかったのである。そして米軍は歩兵部隊に正規の砲兵部隊を配属させることにした。その方がより有利であると判断したためであった。そして、第二次大戦においてはおそらく無線が発達したためと思われるが、砲兵はその全体組織を通じて相互に支援しあえるようになったので歩兵砲を装備する以上の大火力を適宜前線に送れるようになった。 さて問題の日本軍は、米英はど有効な砲兵支援を歩兵に与えられなかったためか(無線のおくれ、砲の数、弾薬量、観測法などの影響で)、あるいは単にドイツ陸軍の影響を受けただけか判然としないが、とにかく歩兵砲を装備することにしたのである。しかしまた歩兵連隊に正規の砲兵隊が臨時に配属されることもあった。
933 :
ばばぼん♪ :2001/04/30(月) 00:00
浸透戦術 日本軍がしばしば行なった、あるいは得意とした戦法に浸透戦術があった。今回はこの浸透戦術について書いてゆきたいと思う。 まず浸透戦術そのものについて書いておくべきであろう。最初のオリジナルな浸透戦術は第一次大戦中にドイツ軍が考え出した。当時の戦闘は大規模な陣地戦で、歩兵の正面攻撃はうまい具合にはゆかなかった。当時の防御線は堅固に作られた防御拠点と各拠点を結ぶ塹壕によって構成されていた。砲兵射撃をもってすれば塹壕にいる敵を殺害したり、撃破することは簡単であったが、問題は防御拠点であった。防御拠点内に立てこもる兵士を直接殺害することは大変に困難であった(このことは現代でもあまり変わっていない)。しかし遮蔽物に不安を抱かせる火力集中によって、また敵後方の壊乱によって守備兵を士気喪失させることは可能と思われた。 ドイツ軍は攻撃に先だって五分間の準備砲撃を行なって敵を混乱させ、その直後に「シュトストルッペン(打撃部隊)」あるいは「ストームトルーバー(嵐部隊)」と呼ばれる特に訓練された部隊が前進を開始した。彼らは戦線のすき間を見つけて、拠点の間をすり抜けてどんどん前進して行く。彼らの目的は拠点の奪取ではなく敵の混乱を利用して積極的に突っ込むことであった。弱点を捜し拠点を通り過ぎて彼らは敵後方深くへ浸透していった。こうした浸透の後から予備隊が残存拠点を包囲していった。砲撃(しばしばガス弾を射ち込んだので混乱は一層大きくなった)と浸透で士気の喪失した守備兵はここで敵に手を上げた。こうして戦線に穴が開くとそこから兵力がさらに注ぎ込まれてより大がかりな浸透が行なわれた。最後には敵の全体的防御組織は崩壊していった。これは後の「電撃戦」の原形とも言えるだろう。ともかくドイツ軍はこの戦術により、リガでロシア軍を、カポレットでイタリア軍をパニックに追い込み、西部戦線の英仏軍を数十km後退させた。 このオリジナルの港透戦術はS&T誌の「Kaisars Battle」というゲームでうまく再現されているので興味のある方は一度プレイしてみると良いだろう(尚、ドイツ軍の渉透戦術については本誌7号に詳しく載っているので参照されたい)。
934 :
ばばぼん♪ :2001/04/30(月) 00:00
日本軍と浸透戦術 浸透戦術という新しい戦術は第一次大戦後、各国に普及した。日本軍にもこの新戦術は紹介され、太平洋戦争で使われることになる。特に昭和十四年第十六師団長になった石原莞爾中将は浸透戦術の訓練に熱心で、第十六師団の歩兵訓練は草木でカムフラージュして、ひたすら匍匐前進することに徹した。おかげで第十六師団の練兵場は、号令も叱咤の声もなく走る姿もなく、静まり返っていたと伝えられる。 さて日本軍の浸透戦術はオリジナルなままで行なわれていたわけではない。第一に日本軍は「ストッストルツペン」のような部隊を育成しなかった(これは他国の陸軍でも同様であったらしい)。だから浸透戦術を敢行しようとする部隊は、第一線部隊・第二線部隊あるいは予備隊というふうに部隊を適当に分けて、各々に港透する役目や残存拠点を攻略する 役目を与えていた。この際に大隊をさらに細分することはあまりなかったようである。 次に日本軍はドイツがやったほどには激しい準備砲撃をしなかった。これは日本軍が歩兵中心主義で火力を比較的軽視していたことと、砲も弾薬も少なかったことによる。 そのかわり日本軍はカムフラージュや隠密行動には熱心であった。日本軍は火力で敵を混乱させるよりも、戦線を突破して後方攪乱によって敵を混乱させ敗走に追い込むことを重視していたようである。特に敵司令部を戦線突破後に襲撃するのは常套手段であった。某少将はこれをさして桶狭間の信長にたとえていたが、どうも日本軍の戦闘は戦国時代の合戦の感覚を引きずっていたように思える。 日本軍はまた、浸透戦術に限らず戦闘において地形や気象の利用に熱心であった。浸透戦術は伝統的な夜襲に結びついて、夜の闇を利用して戦線をすり抜ける夜間浸透となり、また敵陣地翼側のジャングルを利用しての迂回浸透となった。そしてしばしば両者は結びついて夜間のジャングルの迂回浸透行動となった。 実際問題として日本軍の行動は迂回とも浸透ともつかないものが多かった。日本軍は攻撃の基調を包囲においていたし、日本軍が戦った戦場は戦線の長さのわりに投入兵力が少なく、また各拠点間の距離が大きく、時には数キロに渡って穴が開いていたからである。 しかし迂回にせよ浸透にせよその効果は似たようなものではあった。 日本軍の攻撃例 日本軍の浸透戦術の効果は太平洋戦争初期のマレー、ビルマ、ジャワなどでは絶大なもので日本軍の火力不足を補ってあまりあるものであった。これらの地域では、日本軍の浸透はジャングルやゴム園の小規模な迂回という形態をとった。だからといって日本軍は普通考えられているはど、このような地域での行動に熟達していたわけではなく、しばしば方向を見失ってしまうこともあったのである。けれども連合軍はジャングルを浸透して来るという発想すらなかったので、日本軍の行動は奇襲効果を生みだした。 こうした日本軍の行動で直接ルール化されているのはウォーゲーマー誌の「Okinawa」程度のようである。このゲームの日本軍ユニットは敵ZOC内を通過することができるのだが、このルールは日本軍の浸透を再現したものである。他のゲームでもジャングルにはZOCの影響が及ばないといったルールのあるものがあるので、これらも、日本軍のジャングルでの港透を再現していると言えるかもしれない。 話がそれたのでもとに戻そう。浸透攻撃の例をあげると、シンガポール島攻撃の時に暗夜で隣兵すらはっきりしない漆黒の閣の中を強行渡河した日本兵は、陣地に在る英軍兵士の頭を飛び越してゴム園の中に遮二無二突進して行った。また同じシンガポールのプキテマでは英軍の逆襲を受け危機的情況におちいったが、この時も森林を利用する日本軍歩兵の翼側への浸透攻撃の圧力で切り抜けた。 日本軍の南方各地域への侵攻段階では敵兵のかなりが士気が低く訓練も不十分な植民地兵であったことが日本軍の成功を助長した。
935 :
ばばぼん♪ :2001/04/30(月) 00:01
浸透戦術の失敗 いささか気が重いがここで戦術の失敗についても見てみることにしよう。失敗の例としてガダルカナルでの川口支隊の攻撃がある。 川口支隊は一個連隊を基幹とし、他に青葉支隊・一木支隊の一部を合わして五個大隊の兵力であった。対する米軍は海兵隊一個師団(七個大隊)で士気は比較的高かった。米軍は飛行場を中心に全周防御を行ない、特に東西両翼は念入りにし、北の海岸には監視部隊を配置、南の山地(ジャングルであった)は要地を固めてあった。 川口支隊は中央隊・右翼隊・左翼隊の三隊に分かれ東・西・南の三方向から攻撃を行なった。 夜間に始められた攻撃で中央隊は敵防御の第一線・第二線を突破、明け方近く敵司令部目前に迫った。右翼(つまり東側)は第二線を抜けず、左翼は明け方近くやっと敵陣に接触、一部の部隊が敵陣地一角に突入したところで天明を迎えた。いずれの部隊も敵に接した時点で猛烈な射撃を受けて損害を出し、素早く前進できないうちに夜明けを迎え、明るくなるとともに激しい航空攻撃と防御砲撃にさらされた。この時点で攻撃の失敗が認められ、日本軍は攻撃を中止して下がった。 同様の失敗は沖縄でもくり返された。沖縄での日本軍の攻勢は夜間に浸透戦術で行なわれ一時は突入成功かに見えたが、天明後の米軍の反撃で失敗、一個師団のほとんどが全滅に近い損害を受けた。 それでは一体なぜ港透戦術は失敗したのであろうか。 まず考えられる原因は火力であろう。日本軍に欠けて米軍にあったのが火力、特に砲兵火力であった。確かに日本軍の攻撃は防御砲火によって大損害を出したし、米軍の火綱をすり抜けるのは容易でなかった。しかしそれだけが原因とはいいきれない、実のところ米軍の浸透戦術や英軍のジャングル内からの迂回浸透攻撃も成功を収めなかった例もある。米軍や英軍が失敗したのはこの種の攻撃に慣れていなかったためではない。浸透戦術自体に一種の弱点があったためである(これは日本の失敗にもあてはまる。)。その弱点とは何か。 港透戦術は敵を直接殺傷するのではなく敵の精神にダメージを与えて敗北させる戦法である。もし敵がダメージを受けなかったとすれば、攻撃部隊は逆に敵中でむき出しのままで孤立することになる。そこで反撃されたら当然ひとたまりもない。実際防御側はダメージを受けても敗けなかったし、ダメージを簡単に受けもしなかったのである。そうなった原因は防御拠点に対する信頼、攻撃に対する慣れ、そして士気の高さにある。第二次大戦後半には防御拠点は簡単に破壊されないことが明らかとなったし、立てこもる兵士は少し位包囲されたとしても士気が落ちることなく戦い続けた。連合軍の兵士にしても日本軍の兵士にしてもジャングル内から敵が来ることに対して驚かなくなってもいた。 無線の発達は包囲下での連絡を可能としたので孤立感もうすらぎ自分達の取るべき行動について(粘るのか脱出するのか、手を上げるのか)司令部の指示をあおぐことも可能となった。 これらの理由の全て、あるいは一部によって浸透戦術の敵の士気をくじくという目的は崩れて、結果として太平洋戦争末期の歩兵戦は第一次大戦を思わせる消耗戦となったのである。 今回は大隊・連隊の戦闘法ということで、特に歩兵砲と港透戦術に焦点をしぼってみました。 次回は師団・軍といった大部隊について書く予定です。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 今週末に続きを上げます。
936 :
水みみず :2001/04/30(月) 00:02
すごい、読む気がせん
937 :
888get :2001/04/30(月) 00:03
だめですよ水みみずさん しっかり読んで知識を身につけましょう
改行しろヤ。ホンマに読む気がせん。
読みたい人だけどうぞ(^^) つ〜か、前の方に「読みづらかったら自分でWordか何かにコピペして」と断ってあります。 それを前提にしてますので、あしからず。
新スレたてなくていいんですか?
950ぐらいを目処に新スレ移行しましょうか。 第一総軍さん、如何でしょうか?
942 :
第一総軍 :2001/04/30(月) 00:15
ばばぼん様、大変助かります。この連載当時、私はまだ高校生で資金に余裕が無かったのでタクティクスは買っていませんでした。 後に社会に出てからバックナンバーで一部手に入れたのですが、この連載は確か最終回分しか持っていません。今読むことが出来て大変嬉しい。 続きを期待しています。 940様、新スレも考えておいたほうが良いでしょうか。このスレの役目を未だ期待してくれている方がいるのでしたら是非新スレに移って続けたいですが。
943 :
第一総軍 :2001/04/30(月) 00:16
941ばばぼん様のお考えのままに。
944 :
水みみず :2001/04/30(月) 00:17
>888get おまえまだいたのか、未来戦争スレで俺をみすてたな
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/30(月) 01:08
第一総軍様、岡山の師団と終戦時の伊勢神宮防衛の近衛部隊についてのデータを下さい。
946 :
水みみず :2001/04/30(月) 01:09
オレモキボーン
947 :
第一総軍 :2001/04/30(月) 23:41
945様、岡山の師団というのが、岡山編成の師団という意味であれば、大戦中に岡山編成の師団は無かったようです。 しかし、岡山ではいくつかの連隊が編成され、姫路や広島編成の師団の一部を構成していました。 第十師団(歩兵第十連隊) 第十七師団(歩兵第五十四連隊) 第百十師団(歩兵第百十連隊) 第五十四師団(歩兵第百五十四連隊) 第二百二十四師団(歩兵第三百四十二連隊) 第百五十四師団(歩兵第四百四十七、四百四十八連隊) 第二百五師団(歩兵第五百九連隊) 伊勢神宮の近衛部隊については残念ながら私は資料を持っていません。但し、本土決戦時には警備1個大隊と機関砲大隊からなる伊勢警備隊と88ミリ高射砲装備の独立高射砲第五大隊が配置されていたそうです。 水みみず様、始めまして。あちこちで大暴れのようですね。宜しくお願いします。
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/01(火) 01:07
>>945 です。
第一総軍様有難う御座います。
うちの死んだじーさん(徴兵で)がシナ戦線で工兵→岡山で教官(ヤクザもん相手に厳しくしごいていたとの事)→昭和19年から近衛部隊として伊勢神宮の守備隊兼宮様の御守をしていました。多くを語らずに逝ってしまいました。
ところで、陸軍の新兵相手の教官ってどのくらいの階級からなれるもんでしょうか?
御回答願います。
>>942 わざわざレスつけていただきありがとうございます。
無理にとは申しませんが、書き込むネタがあればご披露頂けるとありがたいです。
950 :
第一総軍 :2001/05/02(水) 01:07
945様、私もそれほど詳しいわけではありませんので、そのつもりでお読みください。 通常日本軍は同じ地方の兵を集めて部隊を編成します。師団についても基本的にはそうなのですが、近衛師団のみは全国から優秀かつ見栄えのよい背の高い兵を集めて編成したそうです。 つまり、おじい様はその様な事情で近衛兵となったのかもしれません。近衛師団は、支那事変中にその一部で近衛混成旅団を編成し中国に派遣しています。 その後に近衛混成旅団は帰国し、近衛第一師団の編成母体となり、元の近衛師団主力はマレー作戦に参加後、インドネシアに駐屯し近衛第二師団と改称されました。つまり、前後関係は良く解りませんが、帰国後に教官となり更に伊勢神宮に派遣されていたのかもしれないですね。 もし、一般師団の兵として中国に渡っていたとすれば、第十、第十七、第百十師団が中国で作戦した事実があるのでその工兵連隊かもしれません。(独立工兵部隊の可能性もありますが) 又、教官の件は良くわかりませんが、下士官クラスでも士官候補生の教育にあたることがあったようなので、少尉より下の階級でも充分可能性は有りそうです。
951 :
名無し三等兵 :2001/05/02(水) 11:34
>888get おまえまだいたのか、未来戦争スレで俺をみすてたな
953 :
水みみず :2001/05/02(水) 13:15
∧ ∧ .| || || | | __|l−l|__ l /__ __\ < =\_・)o(・_/= > / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \彡(_人_)ミ / < それは秘密です >_ _ < \______ <,, (/ _)、 ,,> _ \_/ \_/ _ ( \|ニ ニ|/ ) \゙ ¬、 ___べ/ \_(⌒__/  ̄
954 :
名無し三等兵 :2001/05/05(土) 00:08
age
955 :
名無し三等兵 :2001/05/05(土) 16:04
age
956 :
888get :2001/05/05(土) 16:07
水ミミズさんはもうコテハンやめたのかな? そうならおれもそろそろ在野に下るかな
957 :
ヨーク :2001/05/06(日) 00:42
ここの1000はもらった
958 :
名無し三等兵 :2001/05/06(日) 01:36
>921 「どっちにしても終戦までレイテに生きていた兵隊は ほとんどなかった、ということのほうが確かな「事実」 なのである。」 とレイテ戦記には書かれてます。 >928 tactics、当時かっていたから懐かしい・・
959 :
第一総軍 :2001/05/06(日) 01:54
現在資料整理中のため日本軍師団シリーズは少しお待ちください。
>958 ありがとうございます。 同じくTACTICSに掲載されましたAH「スコードリーダー」のヒストリカル・コメント (#624以降。抜粋したものですが、興味がお有りでしたらお読み下さい) と比較するため日本陸軍の編制・戦術等について簡単に書かれたものを探したのですが、 なかなかいいのが見つからなかったのでこれを転載いたしました。 今見ると6.5mm弾の是非等、世間での評価が変わってきているものもあり、 興味深く思います。 第3回(最終回)は明日アップする予定です。 その際、ワタシが新スレを立てようと思いますが、いいですか?>第一総軍さん
961 :
第一総軍 :2001/05/06(日) 02:14
ばばぼん様、OKです。宜しくお願いします。
保存sage
sage
防腐剤投下
防腐剤投下
967 :
名無し三等兵 :2001/06/17(日) 18:38
age
968 :
名無し三等兵 :2001/06/29(金) 05:53
ちょーっ
969 :
45/85式改 :2001/06/29(金) 19:10
age
防腐剤投下。
sage
sage
防腐剤投下
974 :
紫電改 :2001/07/18(水) 04:47
教えて! 父は新兵徴兵期間(2年間)五勤で除隊したが、どのような 働きをしたのでしょうか。
防腐剤投下