[19世紀後半幕末総合]南北・普仏・西南・日清戦争06

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1名無し三等兵
いつの間にかスレが落ちていたので立てました。

荒らしは放置でお願いします。
2名無し三等兵:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:???
19世紀後半総合スレです。

日本史で見ればペリー来航からの幕末動乱期から
幕府倒壊・戊辰戦争、明治維新・明治新政府、西南戦争、日清戦争。

世界史で見ればパックス・ブリタニカ、
インド大反乱・南北戦争・普仏戦争・ドイツ統一、イタリア統一

兵器史で見れば雷管発明、リボルバー発明、ミニエー弾、ガトリング銃、
アームストロング砲、ボルトアクション小銃完成、モニター艦、装甲艦(甲鉄艦)
四斤山砲(フランス製前装ライフル式の青銅製山砲)など

戦列歩兵・散兵戦などの歩兵戦術から、帆船や蒸気船などまで
19世紀後半の時代で軍事に関係することなら陸海軍問わず、
東洋・西洋の違いも問いません。

上記すべての分野に全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。

このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。

20世紀は別スレで。
19世紀後半以前については、近世スレまたは古代・中世スレへ

前スレ
[19世紀後半(幕末)総合]南北・普仏・西南・日清戦争 07
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1363143372/
3名無し三等兵:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:???
おつ
4名無し三等兵:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:???
おつしておいてなんだが、数字が戻るのはどういうわけか?w
5名無し三等兵:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:5di/eXjY
まことにすみません。

今回が6と思い込んでいました。
6名無し三等兵:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:???
>>4
土鍋はなかったことにしよう(キリッ
7名無し三等兵:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ID:???
港区の観光案内見てたら、幕末に硝石一番作ったのは南部藩だったって話があるな。
http://www.voiceblog.jp/b151e/2198.html

曲がり屋で馬たくさん飼ってたから採れたのかもしれんが。
8名無し三等兵:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ID:???
盛岡藩の硝石作りを指導したのは秋田生まれで平田篤胤の弟子の佐藤信淵らしいが、
なにやら怪しげで面白いな。
9名無し三等兵:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ID:U7fWiQsc
>>8
佐藤信淵とはおもしろくて怪しい人材だな。
調所広郷とも親交があって薩摩藩の尊王攘夷運動にも影響を与えたとか
水野忠邦の天保の改革に際して顧問として参画したとか
水野忠邦が失脚せずに佐藤の提言を積極的に採用していたらどうなっていたろう
10名無し三等兵:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ID:???
幕末に硝石丘が伝わって各地で黒船対策で盛んに作られたともいうな
江戸市内は火事対策もあって近郊に火薬庫設けて保管してたと
『世田谷代官が見た幕末の江戸』 角川SSC新書
に出てた
農兵の訓練とか人足の動員、家財の避難とか色々興味深い内容だった。
11名無し三等兵:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:???
平田篤胤さんもわからん御仁だ。
思想家なのか単に怪奇オタクなのか、
ただ幕末における影響力が半端ないのに
いまはその影跡形もない…存在自体オカルトじみてる。
12名無し三等兵:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:???
よく知らんけど
敗戦でなかったことになったんだろうというのはわかる
13名無し三等兵:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:???
>7
毎年7500貫って28tだぜ、凄い量だな。
たしか五箇山や白川郷などが、毎年2tくらいだったはず(それも凄いけど)
14名無し三等兵:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:???
平田篤胤さんは国学の大家ではあるけど
あっちの方まで飛んでしまったから、正統な国学というのは首をかしげるな。
明治の国家神道の流れに平田神道が叛いたのも一因だろうけど。
15名無し三等兵:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:???
宣長没後の門人とか、平田篤胤個人は山師っぽさがある意味魅力的なんだけど
一応学問やってた本居宣長までの国学に
良くも悪くも宗教性を付与しちゃったからねぇ
16名無し三等兵:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:???
西南戦争で薩軍は主に前装式ライフル銃を使ったそうですが
どんなライフル銃が多かったのでしょうか。
ミニエー銃でしょうか
17名無し三等兵:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:???
>>16
後装式スナイドル銃の弾薬製造所設備が政府軍に搬出されたから
主力は前装式エンフィールド銃
・・末期になるとさすまたまで徴用してた
18名無し三等兵:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:???
>>17
前装式ライフル銃を西郷軍は使わざるを得なかったというのが真相の気が。
後装式ライフル銃の方が優秀であっても弾薬を西郷軍は製造できないから
19名無し三等兵:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:???
>>18
初期の弾薬庫襲撃でもスナイドルじゃなくてエンフィールドが持ち去られたみたいだけど
私学校の調練で前装式を使用してたのかな?
20名無し三等兵:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:???
>>18
>>17さんは同じ事を言っているかと。
政府軍側もスナイドルの弾薬補給には苦労していた様ですが。
スナイドル装備の部隊がエンフィールドに交換させられたなんて話も有りますし。
警視隊だったかな?
21名無し三等兵:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:???
有名な草牟田火薬庫だけじゃなくて
磯の海軍造船所付属火薬庫や坂元村、犬迫村の火薬庫など20数ヶ所が襲撃されて
数十万発の弾薬が奪取されたけど全部ミニエー弾だったのかな?
私学校幹部もスナイドル銃が使用不能となったことを見越して軍備・戦略を見直したのかな?
22名無し三等兵:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:???
西南戦争時、政府側もスナイドル銃不足か弾薬不足で
蔵から引っ張りだし、後方部隊にシャスポー銃、ドライゼ銃、アルビニ銃を
配ったりした。

西郷隆盛が鹿児島に下野してから政府は、鹿児島の弾薬庫には
スナイドル銃の弾薬とかは、置かないようにしたんじゃなかったっけ?
あと西南戦争が始まってからは、外国の武器商人に鹿児島には
武器を売らないように要請した。
23名無し三等兵:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:???
何か話がかみ合っていない気が

前装式ライフル銃の弾の方が後装式ライフル銃の弾よりも製造しやすい。
半分極論を言えばだけど前装式なら銃弾の手製すら可能だが後装式では手製は不可能。
銃弾の補給を考えると西郷軍としては前装式で戦わざるを得なかったのだろう。
前装式のエンフィールド銃を後装式のスナイドル銃に改造することは可能なのだから。
24名無し三等兵:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:???
厳密にはボクサー雷管のついてる金属製の薬莢底部が手作りじゃ厳しかったんだろうな。

ミニエー銃弾は陶器でも飛ぶ。
25名無し三等兵:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:???
弾薬の補給に政府軍が苦しまなかったというと嘘だけど
相対的にどちらが苦しんだかというと圧倒的に西郷軍だからな。
苦心惨憺して作った弾がまともにとばないというのは本当に西郷軍にとって悲しかったろうな。
26名無し三等兵:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:???
金属供出とかもさせていたんだっけ?
長幕戦争のときは女子の弾薬製造隊・ハトロン隊とかあったけど
西郷軍の弾薬製造体制はどんなかんじだったのかな?
27名無し三等兵:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ID:???
>>18
田原坂の戦いでは西郷軍側が300人程のボルトアクション式ライフル装備の
連発射撃隊を編成して政府軍の突撃を猛烈な射撃で撃退した、ってのを歴史群像の記事で見たので
恐らく私学校の武器庫にもそれなりの数の新型銃があったと思われる
28名無し三等兵:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ID:???
>>27
1877年当時に、三百丁も揃えられる連発式ボルトアクションライフルって何?
29名無し三等兵:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ID:???
>>26
小川原正道氏の「西南戦争」に僅かながらある叙述からすると
末期は本当に悲惨極まりない。孫引きになるが、宮崎陥落後は
「全軍弾鉛に乏しく、錫・銅を以て之を補う、錫・銅も亦尽く、鍋・釜の鉄を溶かし之を支うるに至る(後略)」
と熊本隊の中島典五は記している。
30名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
>>27 紙製薬莢 ボルトアクション式単発ライフル 
  シャスポー銃(1866年)ドライゼ銃(1848〜1862年)
  金属薬莢 ボルトアクション式単発ライフル
  グラース銃(1874年)モーゼルM71(1871年)
  番外 ヘンリーマルティニ銃(1870年)
  上記の銃に弾倉を付けたのがグラース銃が1884年
  モーゼルが1883年

 田原坂で使われた連発銃ってスペンサー銃とかのレバーアクションの類いじゃない?
31名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
まあ連発銃自体は当時でもわりとあったはず。
32名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
歴史群像別冊の幕末維新の戦争特集号確認したけど、
田原坂の戦いで横平山の争奪戦で薩軍が全軍から7連発銃40丁を集中配備して
政府軍の切り込みに火力で対抗した、ってことだた
33名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
やっぱり抜刀隊は薩軍にとっても相当な脅威というか衝撃だったんだな。
34名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
西南戦争の抜刀隊って元新撰組の連中には声がかからなかったのかな
永倉とか声がかかったらホイホイ参加しそうな気がするけど
35名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
永倉は日清戦争のときにも抜刀隊を志願してるから、
警視隊に入ってたら当然志願するだろうな。
36名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
>>34
斉藤一が参戦してるじゃん
37名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
斉藤一は切り込みで大砲二門奪取して、新聞で報道されて賞金100円とかもらってるんだな。
38名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
抜刀隊っても戦時臨時編成だし志願したくても入れるとは限らないんでね?
装備する日本刀も集めるのに一苦労したとかあった気がするな
39名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
戦前の巡査はみんなサーベル下げてたからな。 
40名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
>>38
初陣までに日本刀が集まらず、攻撃が延期になった位だからね。

>>39
この当時の平巡査はサーベルどころか警棒のみ・・・
治安出動では小銃と銃剣が支給される事になっていたし、平時から歩兵としての訓練を受けてはいたけど。
41名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???
いくら示現流や自顕流で鍛えている薩摩の若者でも、
相手が斉藤一や佐川官兵衛や山川浩では相手が悪い。
42名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???
実は、抜刀隊の主力は薩摩の郷士階級だったとか
小川原氏の「西南戦争」によると
「薩摩の人を以て薩摩の賊を討つ、賊将の名は皆な其の知る所なり。
又我が旅団の兵卒に薩摩の人多し、互に相接近し、其の声を聞けば、皆な知友或は親族なり。」
という悲劇が西南戦争では起こったとか。
会津出身者が多いと言っても警視隊の1割以下。警視隊の過半数は薩摩出身だったとか。
43名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???
城下士と違って郷士は西郷下野に同調せず巡査に留まった者も少なくなかったそうだからな
決して恵まれてるとは言えない巡査職でも薩摩で郷士やっているよりはマシだったんだろうな・・
44名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???
t
45名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???
>>43
給料が現金支給だからね。当時これはでかい。
46名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???
しかし小隊長はまぎれもなく元会津藩士の丹羽五郎だったからな。
丹羽の小隊は100名で構成され、戦死33名、負傷50名に及んだ。

部下はともかく丹羽五郎や斉藤一が戊辰の復讐のために先頭で切り込んでいったのは事実だろう。
47名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???
桐野は新撰旅団を新撰組と勘違いしてたし。
48名無し三等兵:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:???
>>42
>小川原氏の「西南戦争」
中公新書のやつですか?
49名無し三等兵:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:???
>>46
丹羽の小隊が一戦でそこまで消耗するんだったら
他の政府軍も崩壊していたろうし
最初のメンバー100名の内、終戦時に戦死していたのが33名
生き残っていたメンバー67名の内負傷の経験があるのが50名ということではないだろうか?
それとも本当に一戦でそこまで損害を出したのだろうか?
50名無し三等兵:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:???
丹羽五朗(当時は田村)が小隊長をしていたのは抜刀隊では無く、田原坂突破後に再編された植木口警視隊(第二次及び第三次編成)の一番小隊。

そもそも臨時編成の抜刀隊には小隊と言う編成単位は無かった様です。
その日の戦況に合わせて部隊は分割運用されていました。
田村警部も抜刀隊の初陣では加藤警部と共に25名からなる遊軍を指揮しています。

田原坂突破後、抜刀隊への兵力転出等で消耗していた植木口警視隊の元に300名強の増援の巡査が到着。
残余と合わせて6個小隊に編成し、植木口警視隊(第二次編成)としました。
抜刀隊が日本刀のみの装備(田原坂戦末期に例外有り)に対して、こちらは小銃装備の歩兵部隊。
ただし、日本刀も装備はしていて必要が有れば抜刀突撃もしました。

田村小隊の損害が大きかったのは事実な様です。
植木口警視隊第二次編成時(3月22日)には兵力61名でしたが、28日の朝には29名にまで減少していました。
更に、この日の戦闘で、戦死5名、負傷10名の損害を・・・
4月7日の植木口警視隊第三次編成時には解散した三番小隊から補充を受け、41名にまで回復はしましたが、それでも最も兵力の少ない小隊でした。

小隊兵力100名と言うのは延数かと。
51名無し三等兵:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:???
>>50
詳細な解説、ありがとうございます。
これなら納得がいきます。
幾ら何でも、一戦で100名の内33名が戦死、残り50名が負傷するようなら
他の部隊も大損害を被るはずで、西南戦争の諸書で著名な戦闘となると思われますから。
52名無し三等兵:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:???
別に一戦とはどこにも書いてないが
53名無し三等兵:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:???
>>30
ウィンチェスター(1873年)はやっぱりない?
54名無し三等兵:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:???
三月十四日 田原吉次ヨリ高瀬ニ至ル傷者ニ百六十余名 刀創最モ多シ
征西戦記稿付録 軍団病院日記抄

わざわざ軍病院の日記に一筆書き込む位多かったのか・・・
55名無し三等兵:2013/09/01(日) 09:37:32.99 ID:???
負傷にも、仙台藩みたいに射程内の目立つところに並んでるところを集中砲撃されて死傷者多数というのもあるが、
田村小隊の死傷者多数は意図的にに白兵戦に持ち込んでのものだからな。
56名無し三等兵:2013/09/01(日) 09:59:25.13 ID:???
今回の●個人情報流出騒動に絡み2ch閉鎖の噂もあるので念のため

2ちゃんねる 避難板一覧
http:// kisekiwo.com/hinan/
57名無し三等兵:2013/09/07(土) 07:41:21.37 ID:???
負傷っていってもかすり傷程度のものじゃ記録には残されそうもないよなぁ
指が何本か持って行かれたり、刀傷なら斬られ所が悪ければ半身不随もありえそう
58名無し三等兵:2013/09/07(土) 13:03:20.04 ID:???
桜田門外ノ変や池田屋事件でも現場に指くらいならゴロゴロ落ちてたとか
軽傷に見えても破傷風があるしな、北里柴三郎が破傷風菌の抗血清を開発
したのが明治23年か
59名無し三等兵:2013/09/08(日) 18:08:45.34 ID:???
天橋立に遊びに行ったら、1900年製造の40口径アームストロング砲がモニュメント的に置かれていた
大正12年に海事思想普及のため海軍省から寄付されたものとのことで、90年野ざらしになってるわけだが
それにしては綺麗なものだった
巡洋艦春日に搭載されていたもので、日本海海戦も経験してるはずだが構造的には
非常に単純なものに見えて、こんな原始的な武器で戦ってたのかと驚いた
60名無し三等兵:2013/09/08(日) 19:12:10.79 ID:???
>>58
日露戦争になるまで(更にいうなら皮肉にも第一次世界大戦では再逆転する)
戦争で直接死ぬよりも戦争で病死する方が多いというのが現実だった。
(ちなみに第一次世界大戦では戦病死した方がスペイン風邪や発疹チフスによって戦争で直接死ぬよりも多い)
西南戦争の負傷というのは病院に運ばれて負傷を手当てされた人数のみをカウントしていたはずだから
かすり傷くらいだと負傷者にはそもそも入っていないと思う。
61名無し三等兵:2013/09/20(金) 19:39:20.09 ID:0Y3atqjH
西南戦争でシャスポー銃を装備した海兵隊(旧幕府歩兵隊の生き残りが主力)が活躍
というのを考えたのですが、無理があるでしょうか。
シャスポー銃は紙製薬莢を使用する等、湿気に大変弱く、戊辰戦争の際にはシャスポー銃は
実戦に使用される以前に実際には錆びついていて使用不能であったというのを
以前ネットで見た覚えがあるので、気になりました。
また、そんなに湿気に弱いのなら、何で清仏戦争の際にインドシナ半島で戦う際等に問題にならなかったのでしょうか。
そのネット情報が正しければインドシナ半島ではすぐにシャスポー銃は使用不能になりそうなのですが。
こういった情報はどこまで信用できるのでしょうか。
62名無し三等兵:2013/09/20(金) 19:46:52.11 ID:???
形は単純で原始的だが、地金を作るのが非常に難しいんだよ。
形だけ真似できても同じようには撃てない。
63名無し三等兵:2013/09/20(金) 20:17:54.04 ID:???
>>61
シャスポーはインドシナ遠征でも使用されていますよ。
不発率が乾燥地帯と何れくらい増えたのかは解りませんが。

日本の海兵隊は西南戦争前に解散しています。
(部隊編成や軍服はイギリス海兵隊式、装備小銃はマルチニーヘンリーでした)
解散されずに存続したのか、新生海兵隊が編成されたのか、その辺りの設定が必要かと。
64名無し三等兵:2013/09/20(金) 21:08:15.31 ID:0Y3atqjH
海兵隊は佐賀の乱にも鎮圧に投入されましたが、史実ではその後に解散に追い込まれていますね。
一応、その後も存続していて西南戦争に投入されたという設定です。

また、海兵隊は旧幕府軍歩兵隊出身者を多数抱え込んだため、マルチニーヘンリー小銃ではなく
シャスポー銃を採用したということで考えました。
清仏戦争ではフランス軍は大苦戦していますから、シャスポー銃の話が全くのデマとも思えないのですが。
65名無し三等兵:2013/09/20(金) 21:19:10.33 ID:???
そう言えば、日本の海兵隊が存続して日露戦争に参加するって仮想戦記が有ったなぁ
66名無し三等兵:2013/09/20(金) 22:58:29.72 ID:???
佐賀の乱から台湾出兵のあたりで伊藤博文を懐柔しつつあった大久保利通が
ここぞとばかりに山県有朋一派を追い出して陸軍も薩摩閥で抑えるようになってたら
海兵隊存続もあったかも
台湾出兵は陸軍要職の山県の頭越しに進められそのためかなり山県は頭にきてたから分裂はありえた
67名無し三等兵:2013/09/20(金) 23:50:58.37 ID:???
とはいえ奇兵隊とかも軒並み解体だろ
何かあえて残すような特徴ってあるのか?
68名無し三等兵:2013/09/21(土) 07:48:51.02 ID:???
第二次大戦まで存続してたら海軍の基地航空隊が海兵飛行隊になってたかもな。
69名無し三等兵:2013/09/21(土) 10:17:11.10 ID:???
>>67
士族反乱に触発されてなどの理由で陸軍部隊の反乱事件が勃発したが、海兵隊部隊が華麗に鎮圧。
ソ連における内務省軍みたいに、陸軍に対する牽制のため存続が決定とか。
70名無し三等兵:2013/09/21(土) 10:18:30.66 ID:???
日本海軍海兵隊メモ

明治3年、英式海軍採用の流れから英式海兵隊の創設が決定。
明治4年、海兵士官学校が創設され、ブリンクリー海兵大尉が教導に当たった。
海兵隊の兵科は、歩兵科、砲兵科とされ、それに楽隊と鼓隊が付属した。
最高位は大佐。
兵力は明治8年の時点で1390名。

軍服は記章の一部を日の丸や桜花に変えた英海兵隊のコピー。
小銃はマルチニーヘンリーライフル(弾薬盒の形状は不明)
砲兵科の装備火砲は不明。

明治9年、海兵隊士官が廃止され曹長以下のみでの編制に。
明治11年、海兵隊が全面廃止される。
但し、軍楽隊(楽隊+鼓隊)のみは新たに軍楽科として独立し存続する事に。
(制服は海兵隊の物を以後も着用)

戦歴は佐賀の乱(一部は征台の役に参加とも?)位で、平時は儀仗任務を主としていた。
海兵隊最大の功績はフェントン(英第10海軍軽歩大隊付き軍楽隊長)から伝習を受けた鹿児島藩軍楽手達の流れを受け継いだ軍楽隊による西洋音楽の伝習と普及かと。
71名無し三等兵:2013/09/21(土) 10:32:43.19 ID:???
追加を・・・

最高位は制定された階級章上では大佐ですが、実際には中佐までだった可能性も。
明治8年時点での最高位の者も中佐でしたし。
大型艦の艦長の階級よりも下に抑えられていたのかな?
72名無し三等兵:2013/09/21(土) 18:46:05.62 ID:???
詳細な解説ありがとうございます。
それにしてもマルチニーヘンリーライフルを海兵隊はなぜ採用したのか
ちょっと疑問が。
別に陸軍と同様の小銃を採用しても構わない気が。
確か海軍特別陸戦隊の陸戦装備は基本的に陸軍と共通だったはずですし。
73名無し三等兵:2013/09/21(土) 20:11:34.54 ID:???
>>70
元の英国からしてそうなんだけど
何をするのが目的の部隊なの?この時代の海兵隊って
74名無し三等兵:2013/09/21(土) 21:20:32.77 ID:???
栄えあるロイヤルマリーンの任務
1.港にいる若者に酒を飲ませて拉致して監禁する。
2.出港後、監禁した若者を監視して、反抗したらケツを何度もぶったたいて死ぬほど罵倒する。
3.拉致した若者があきらめて従順になったら、砲丸や火薬を運ばせる。
4.敵艦に接舷した後、小銃をつきつけて抜刀突入させる。突入したら後ろから敵の指揮官を狙撃。
5. 泥酔させて強制徴募した水夫から艦長を守る。
75名無し三等兵:2013/09/21(土) 21:21:33.35 ID:???
海兵隊の当時の任務は、海軍所属の陸兵として小規模上陸作戦、
陸軍支援の陸戦、艦上に勤務しての接舷戦闘というのが英米海軍の考え。
日本海軍が英海軍を模範とした際に同様の考えで海兵隊を保有したらしい。
接舷戦闘なんて明治時代に起こるのか?と言われそうなので補足すると
戊辰戦争の宮古湾海戦でも行われたし、1879年の太平洋戦争でもチリ海軍が実施している。
だから、海兵隊を廃止する方がむしろ不思議な気がする。
76名無し三等兵:2013/09/21(土) 23:30:35.44 ID:???
>>75
海兵隊を巡る紆余曲折は薩長その他の藩閥間での抗争が大きそうな気が
ウィキのリンク辿ると海兵隊に所属した人間は薩摩系がかなりいる
海兵士官学校生徒の酒井忠利は西郷と縁の深い庄内藩出身
海兵隊はかなり薩摩色が強い感じ
大久保ら政府首脳が長州系への配慮もあって海兵隊廃止したんじゃなかろうか
海軍が独自の陸軍持ってる状況は本家陸軍にとって面白くない状況だし
大久保や西郷は薩摩出身ながら同郷の将校連が幅を利かせているのを快く思ってはいなかったようで
77名無し三等兵:2013/09/22(日) 08:45:40.39 ID:???
シャスポー銃が、湿気に弱いというのは、紙製薬莢に雷菅を糊付けしてた為。それで湿気が高いと糊付けしたところが剥がれたりして、不発になった。清仏戦争の時も銃剣のみで戦うはめになった部隊があった。とwikiに書いてあった。あとは生ゴムの調達にも問題があった。
78名無し三等兵:2013/09/22(日) 14:13:43.19 ID:???
まあM16だってベトナム戦争のときは合わない火薬使って大量に不発になったからな。
79名無し三等兵:2013/09/22(日) 14:36:13.80 ID:???
77だが、清仏戦争じゃなくインドシナ遠征でした。
80名無し三等兵:2013/09/23(月) 19:32:18.79 ID:???
>>76
その側面も否定しきれないけど、結局、海兵隊はある意味ぜい沢な存在だからな。
米国でも海兵隊は独立戦争以来活動し続けたにもかかわらず、無用論が現代に至っても絶えずに続いている。
接舷戦闘になったら、全ての乗組員が最悪の場合には戦わざるを得なくなるし、そんなことは滅多にない、
また、上陸作戦を展開するのなら、陸軍を投入すべきではないか、等々の批判が19世紀後半の米国でも行われていた。
それから思うと海兵隊に理解がそうあったとは思えない明治初期の政府首脳にとって、海兵隊は必要に思われなかったのだろう。
81名無し三等兵:2013/10/12(土) 19:52:52.15 ID:cwA8Kz94
この頃の騎兵の活躍譚としてはどんなものがありますか。
南北戦争で騎兵の活躍についてはスチュアート将軍の南軍騎兵が有名ですが。
他にはどんなものがありますか?
普仏戦争とかで騎兵は活躍しなかったのでしょうか?
82名無し三等兵:2013/10/12(土) 20:29:39.31 ID:???
日本語の歌にもなっている「ブレドウ旅団の襲撃」が世界的有名ですが、
明日早起きしなければならないので、あとで詳述します。
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Mars-la-Tour
83名無し三等兵:2013/10/13(日) 19:28:48.19 ID:???
>>82
ありがとうございます。楽しみにします。
19世紀後半となると騎兵の黄昏時になります。
騎兵ファンとしては時代の流れとはいえ寂しい限りです。
84名無し三等兵:2013/10/13(日) 19:51:34.77 ID:???
>>82
楽しみです

そういえば西部劇を見ると合衆国の騎兵隊はサーベルを装備していないな・・・
ほとんどが拳銃やカービン銃ばかり
85名無し三等兵:2013/10/13(日) 20:09:48.13 ID:???
以前に投下した書き込みですが・・・

566 名無し三等兵 sage 2013/04/30(火) 12:10:45.17 ID:???

ゲティスバーグ会戦の初日、北軍第一軍団の到着までの時間稼ぎをしたビュフォード騎兵師団は、半数以上の騎兵大隊がスペンサーカービンを装備。
その火力で南軍の頭を押さえる事が出来たと。
ビュフォードは乗馬術に劣る北軍騎兵に乗馬歩兵としての活路を見出だそうとしていたのが良い方向に出たと言われていますね。

同じゲティスバーグでも3日目、カスターのミシガン州義勇騎兵旅団が南軍騎兵旅団の抜刀突撃を受けた際、全員がスペンサーカービンかバーンサイドカービンと言った連発または後装銃を装備していたにも関わらず同じ抜刀突撃で応え、これを撃退していますが・・・
まぁ、時と場合によると。
86名無し三等兵:2013/10/13(日) 20:12:15.98 ID:???
脇道に逸れる質問で申し訳ないけれど、バーンサイドカービンって、“あの”バーンサイド将軍と関係あるの?
87名無し三等兵:2013/10/13(日) 22:46:50.61 ID:???
>>85
映画「ゲティスバーグ」だとビュフォードの騎兵隊がレイノルズ来援まで
持ち堪えられたのは、防御に適した地形だったからだとしきりにセリフに
盛り込んでいて、装備については特に言及していませんでした(映像では
ちゃんとカービン銃を装備していたと思うけど…)、実際は地形うんぬん
より装備が良かったからという事でいいのでしょうか?
88名無し三等兵:2013/10/13(日) 23:54:41.47 ID:???
>>86
“あの”バーンサイド将軍が考案者です。
銃の改良と生産に専念する為に軍を早期退役までしています。
その後、紆余曲折が有り、南北戦争の開戦で志願兵将校として軍に復帰しました。

>>87
地形も重要な要素だったと思います。
只、守備側が地形を選ぶのは当たり前なので・・・
無理な時も多々有りますが。
あと、多少移動速度を犠牲にしても騎馬砲兵を随伴していました。
火力を重視していた騎馬指揮官だった様です。
89名無し三等兵:2013/10/14(月) 19:09:19.31 ID:???
少し時代がずれますが
南北戦争の北軍騎兵の戦い方は日露戦争の日本軍騎兵の戦い方を想起させますね。
日露戦争時の日本軍騎兵の第一人者、秋山好古将軍は火力を重視して
ロシア軍騎兵と対峙しています。
劣勢な騎兵で戦う以上、騎兵の機動力を多少犠牲にしてでも火力を強化するしかなかったのでしょうか。
90名無し三等兵:2013/10/14(月) 19:31:00.55 ID:???
一応告知

10月15日 火 午後11時00分〜午後11時25分
激動の世の人材バンク「鍋島直正」(前編)

10月 22日 火 午後11時00分
激動の世の人材バンク「鍋島直正」(後編)

放送概要
幕末、貧しかった佐賀藩を急速に発展させた藩主・鍋島直正。日本初の鉄製大砲の開発に挑む部下たちを、直正はどのように導いたのか?直正流、常識破りの人材育成術に迫る。

幕末、貧しかった佐賀藩を急速に発展させた藩主・鍋島直正。藩を建て直すにあたり、直正が最も力を入れたのが、西欧の脅威に対抗するため、藩内で技術者を育成することだった。
沿岸警備のために鉄製大砲の開発が必須と考え、大砲鋳造のプロジェクトチームを結成。しかし失敗続きで藩内から批判が相次ぎ、メンバーは追いつめられてしまう。
そのとき、直正が放った一言とは? 当時の常識を超えた、直正流の人材育成術に迫る。
91名無し三等兵:2013/10/14(月) 20:41:54.44 ID:???
1870年8月10日、メッツの後方に潜入捜索をしていた第1ハノーバー竜騎兵連隊第1中隊のフォン=ブルメンタル大尉は、
兵力13万人のフランス第2軍がベルダンへの総退却準備をしていると確信し、報告した。

カール王子は一番近くに進出していた兵力3万の第3軍団と第10軍団に総退却の阻止を厳命。
両軍団はメッツ〜ベルダン街道上の要所にあるビオンビルに進出したが、1対4の兵力比の前に第10軍団はたちまちに兵力の半分を失った。

8月16日、先回りした第3軍団はフランス第2軍前衛の2個軍団を迎え撃ったが、
数にまさる仏軍は左翼に野砲兵と騎兵を迂回させて第3軍団の側面を猛砲撃した。

軍団長のフォン=アルフォンスレーベン将軍は軍団予備の第12騎兵旅団にフランス野砲兵の制圧を命じた。
92名無し三等兵:2013/10/14(月) 20:59:06.55 ID:???
フランソワ・カンロベール将軍の指揮するフランス野砲兵の砲撃は猛烈を極め、プロシア兵の損害が続出した。

フリードリッヒ・ヴィルヘルム・アダルベルト・フォン=ブレドウ少将は言った。
「大損害を被るだろう、しかしやるしかない!」
第7胸甲連隊、第19竜騎兵連隊、第16 槍騎兵連隊は地形と砲煙に隠れて仏軍の1000m前の丘の陰に集合し整列した。

14時、第12騎兵旅団は「ブレドゥの死の突撃」と呼ばれる突撃を開始した。
この突撃は完全な奇襲となり仏軍の指揮は混乱、プロイセン騎兵はフランス野砲兵を蹂躙し斬り刻んだ。
フランスの2個騎兵旅団は逆襲を試みたが、四散する友軍歩兵に妨害され時機を逸した。プロイセン騎兵は砲列を制圧するとすぐに退却した。
突撃開始時に800騎いた旅団は420騎に減っていた。戦死者の中にはビスマルクの息子ヘルベルト・フォン=ビスマルク中尉もいた・・。

しかし前衛の野砲を制圧されたフランス第2軍は総退却の機会を失い、メッツそしてセダンの大敗北へとつながっていくのである。
93名無し三等兵:2013/10/14(月) 21:02:54.08 ID:???
♪義を見て勇む武士の、心の内ぞ床しける、屍は野辺にさらすとも、玲瓏の月は清く照り
芳名長く後の世に、聞かずや高く謳はるる、ブレドー旅団の襲撃を

ああ見よ独の軍団は、数倍の敵を支へつつ、退くに退かれぬ梓弓
命の弦は危ふくも、怒濤の裡に包まれん、ただ天運に任せつつ、危機一髮のこの苦戦

友軍の急救ふべく、頼むは騎兵旅団のみ、さは云へ神にあらぬ身の、矢玉とびかふただ中に
如何で望みを果すべき、進めば死すと知りつつも、友軍の急棄て難し
94名無し三等兵:2013/10/15(火) 19:39:57.50 ID:???
長文の紹介ありがとうございます。
騎兵突撃の最後の煌めきですね。
93は軍歌の一節でしょうか。
95名無し三等兵:2013/10/15(火) 20:31:01.58 ID:???
>>94
旧軍騎兵の軍歌ですね。
ブレドゥ旅団の突撃については「日本騎兵史」の上巻でも詳しく取り上げられていましたよ。
旧軍騎兵は手本にすべしと教えられていたと。
96名無し三等兵:2013/10/16(水) 14:41:19.43 ID:???
>>95
やっぱり軍歌の一節だったのですね。
騎兵の感情からすれば分からなくないどころか得心してやまない状況ではありますが。
1945年の老河口作戦の日本騎兵最期の煌めきが皮肉にも世界軍事史上最期の騎兵突撃の煌めきとされる
ことも多いことを思うと何とも言えない感情が噴出してたまりません。
97名無し三等兵:2013/10/24(木) 23:49:18.32 ID:???
日本人が血を流して戦った日清戦争の下関講和条約の第一条(イーコール戦争目的)が朝鮮の独立っておかしくね?
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1382619189/l50
98名無し三等兵:2013/10/25(金) 00:00:53.43 ID:???
>>97
なんもおかしくない
朝鮮半島を独立させておいて中露や列強の支配下になるのを防いでおくのが明治期の日本の基本戦略だし
朝鮮に独立維持出来るだけの力も気概もないとわかったから仕方なく併合しただけだし
日本の国益のために朝鮮を独立させることのなにがおかしいのやら
99名無し三等兵:2013/10/25(金) 00:39:24.16 ID:???
>>97
(建前に過ぎないとはいえ)戦争目的がはっきり書かれてる
宣戦の詔勅見てみればいい
100名無し三等兵:2013/10/25(金) 19:23:55.67 ID:???
朝鮮は日清戦争前は清の属国だったからな。
日清戦争は朝鮮の独立のために戦われたという建前は間違っていない。
最も本音がどうだったかというと大喧嘩になる基だから、このスレではすれ違いということで。
101名無し三等兵:2013/11/09(土) 13:47:11.28 ID:emFTEYEK
保守も兼ねて

南北戦争で南部が独立を達成するのはやっぱり無理だったのでしょうか。
私としては、南部が海軍戦略を理解していて、海上補給路を確保できていれば
独立できていたのかもと考えてしまうのですが。
南部海軍の実態はどんなものだったのでしょうか。
102名無し三等兵:2013/11/09(土) 21:29:08.18 ID:???
沿岸はがっちり封鎖されてたんじゃないの?
103名無し三等兵:2013/11/09(土) 22:25:40.95 ID:???
外洋航行できないメリマックくらいだろ。
104名無し三等兵:2013/11/09(土) 22:46:03.14 ID:???
南部海軍の装甲艦って通商破壊作戦に結構出てたと思うが。
以前記録を読んであの浮かぶコンビーフ缶に外洋航行能力があったのかと驚いたが、
どの位遠くまで行ってたか調べ直さんとわからんな。
105名無し三等兵:2013/11/09(土) 22:59:30.97 ID:???
ハンプトン・ローズを見る限り
士官の質や戦意では明確な差がない印象があるが
その辺はどうなんだろ
106名無し三等兵:2013/11/09(土) 23:30:58.82 ID:???
>>101
工業原料のプランテーション農業が主体の南部の経済力なんてたかが知れてるしねえ
基本当時の国際法じゃあ中立国は紛争当事国に武器売ってくれないし
かといって独立承認から戦時同盟締結まで踏み込んでくれる国があるかというと?w
シーレーン確保してもある意味無駄w
107名無し三等兵:2013/11/10(日) 11:20:31.63 ID:???
やっぱりベンジャミン・フランクリンみたいな奴がいないとだめなんだな。
108名無し三等兵:2013/11/10(日) 13:04:15.99 ID:x04H3Sg3
>>106
それがそうでもないところがおもしろいところ。
実際には、南部は南北戦争末期になるまで弾薬不足から戦闘不能になるのはなかったみたい。
なぜかというと、外国から大量の武器弾薬が密輸入され続けていたから。
フランスからは軍艦まで輸入寸前になっているし
(戊辰戦争で有名な甲鉄艦は元々南部が発注したもので、南部敗北により南部は入手できなかった)
109名無し三等兵:2013/11/10(日) 15:39:40.53 ID:???
やっぱりベンジャミン・フランクリンやスネル兄弟みたいなのがいたんだな(笑)
110名無し三等兵:2013/11/10(日) 18:37:18.05 ID:???
リンカーンの奴隷解放宣言も、日本では美談的に扱われてるが
欧州の世論を味方に付ける為の戦略なんだよね。
111名無し三等兵:2013/11/10(日) 18:48:11.16 ID:???
まあ今でいったら反原発みたいなもんだな。小沢一郎は失敗したけど・・。
しかし小泉純一郎みたいなものいて・・、自民党にとっては爆弾だな。
112名無し三等兵:2013/11/10(日) 19:15:02.95 ID:Kw+32Ilb
>>104
ネットでざっと見ただけだけど
南部海軍の通商破壊作戦は第二次世界大戦時のドイツ海軍の行動に匹敵するな。
インド洋から北太平洋まで通商破壊の武装船が出没している。
サムター、ナッシュビル、アラバマ等が活躍したらしい。
113名無し三等兵:2013/11/10(日) 21:11:25.47 ID:???
>>112
アラバマは日本にもゆかりが。
合衆国(北軍)海軍のワイオミングはアラバマ追跡の為、日本に寄港。
その最中、下関戦争に参加。
フランス艦の艦長の回想では「ヤンキーらしい荒っぽい戦闘方法」だったと。
114名無し三等兵:2013/11/19(火) 10:56:49.36 ID:OamBO+mO
 
日清戦争と第一次世界大戦はつながっていた。

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/44/292_2.html

それは皇帝夫妻を暗殺して第一次世界大戦を惹起した、

暗殺犯人にあった。

( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0103/32/210.html )
115名無し三等兵:2013/11/24(日) 20:55:18.12 ID:n4d4SAYL
旧日本軍最初の正式砲がアームストロング砲じゃなくて
4斤山砲なのが…

鉄製大砲の威力理解したうえで採用しないとか
日本陸軍は当初から貧乏性の塊だな

その後継砲もイタリアの青銅製大砲だし。
116名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:20:27.76 ID:???
アームストロング野砲は欠陥砲だからな。

四斤山砲にした明治陸軍は正解。
117名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:23:12.74 ID:???
発射速度と射程で4斤山砲を上回るけどね。。。

陸軍が創設にあたって鉄製大砲採用しなかったのは
鉄の不足だよ。
118名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:33:47.77 ID:???
アームストロングも事故を起こしてからは、閉鎖機構を錬鉄から鋼鉄に変えたんじゃなかったけ。
まあ、ますます日本で製造するには敷居が高くなっていったんだろうな。
119名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:39:43.08 ID:???
>>118
製造は可能だけど材料がない…
陸軍の中の人だってクルップ社製の大砲が欲しかったはず。
120名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:53:57.88 ID:???
薩英戦争の時に戦闘に参加した21門が合計で365発を発射したところ28回も発射不能に陥り、旗艦ユーリアラスに搭載されていた1門が爆発するという事故が起こった。
その原因は装填の為に可動させる砲筒後部に巨大な膨張率を持つ火薬ガスの圧力がかかるため、尾栓が破裂しやすかったことにある。
そのため信頼性は急速に失われ、イギリスでは注文がキャンセルされ生産は打ち切られて過渡期の兵器として消えていった。
121名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:58:34.41 ID:???
>>120
四斤山砲の後継砲だが…

クルップのあれが欲しいだろ普通
122名無し三等兵:2013/11/24(日) 22:06:08.20 ID:???
>>119
日本じゃ高炉の建設が遅れて、銑鉄を輸入に頼っていた事?
確か大島高任が釜石に作った高炉も、明治になって官営化以降うまくいかなかったんだよね。
123名無し三等兵:2013/11/24(日) 22:09:58.14 ID:???
>>122
数がいるから青銅砲も間違ってない

零戦や隼が第二次大戦で最後まで使われたのと同じ。

日清戦争では大砲が弱点にならなかったけど日露戦争じゃ
弱点になったけど。
124名無し三等兵:2013/11/24(日) 22:16:04.58 ID:???
まあどっちみち輸入銑鉄を使ったとしても、鋼鉄の精錬には転炉や平炉が必要だし、
圧延、鍛造するための設備も必要だし、更に加工するための切削機械も必要だ。
まあ一朝一夕にはうまくいかないよね。
125名無し三等兵:2013/11/25(月) 08:41:25.78 ID:???
>>123
日露戦争の時は、軍の備蓄弾薬が
底をつきそうなレベルじゃなかった?
先にロシアが手を挙げてくれたから
良かったものの
126名無し三等兵:2013/11/25(月) 09:46:37.76 ID:???
会戦連続後の砲弾不足は第一次大戦初期の仏独英も同じだから別に日本だけの問題ではない。
127名無し三等兵:2013/11/25(月) 19:20:55.30 ID:???
第一次世界大戦であれだけ砲弾を使用することになるなんて誰も思っていなかったからな。
仕方ない側面もある。でも国力差は冷厳で、日本以外の英仏露独墺伊米全ての国は
第一次世界大戦で半年もたたない内に砲弾の大量生産に成功している。
日露戦争で日本軍が砲弾不足に泣かされたのは本当に国力の差を痛感せざるを得ない。
128名無し三等兵:2013/11/25(月) 23:01:06.90 ID:???
砲弾っていっても0.何mmの精度が必要だしな。
それを熟練工でなく、そこら辺のねえちゃんに作らせるんだから、必要な技術は規格大量生産のノウハウかね。
日本は後進だからどうしても職人技的な力技でなんとかしてきたから、そこいら辺が弱かったかね。
129名無し三等兵:2013/11/26(火) 09:43:14.18 ID:???
ロンメルと戦った砂漠ネズミ軍は遅延信管なくて、シリアにあったビシー仏軍の信管を改造して使ってたというから、
そういう応用も重要だな。

ソ連の82mm迫撃砲はドイツの81mm迫撃砲弾も使えるように1mm口径増してるとか。
130名無し三等兵:2013/11/26(火) 20:31:58.51 ID:???
蘊蓄合戦を繰り返してるうちに、本筋からだいぶ遠ざかってしまったなw
軍オタによくありがちな光景ではある。
131名無し三等兵:2013/11/29(金) 07:55:04.27 ID:???
82mm砲弾を81mm迫撃砲に入れると詰まるの?
132名無し三等兵:2014/01/06(月) 20:05:02.79 ID:mHVgYHHG
133名無し三等兵:2014/01/08(水) 07:17:29.98 ID:???
134名無し三等兵:2014/01/10(金) 19:40:39.63 ID:???
半分、話題提供ですが。

シャスポー銃は紙製薬莢のためにアジア地域では湿気に弱く、役に立たなかったという話です。
これは本当なのでしょうか?
それが本当ならドライゼ銃を始めとする紙製薬莢を用いたライフル銃はアジア地域では役立たなかったように思うのですが。
実態はどうだったのでしょう?
135名無し三等兵:2014/01/10(金) 20:13:10.99 ID:???
雷管の位置の問題じゃね。
ドライゼは弾丸の底部だがシャスポーは紙薬莢の底部だから比較的不安定な為不発率が高くなる。
それに湿気の問題も絡めば更に不発が多くなるからとか。
136名無し三等兵:2014/01/10(金) 22:51:10.84 ID:???
対ベトナム戦でフランスが苦戦したのは、シャスポーの不発の多さが原因って話は読んだ
それ以外にも理由はあったんだろうけど、問題になるほど不発が多かったのは確かみたい
137名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:32:16.89 ID:???
シャスポー銃は、雷管を糊で紙薬莢に貼った為
湿気で糊が剥がれて…
日本の旧陸軍がスナイドル銃を選んだのは
湿気のこともあったのかな
138名無し三等兵:2014/01/11(土) 19:37:07.94 ID:???
シャスポー銃は、薬室からのガス漏洩防止に、ゴム製のパッキンを使用していたのだが、
これが消耗品で、当時の日本では作れなかったのも、明治陸軍で使われなかった理由のひとつらしい

金属薬莢型のシャスポーでは、パッキンは廃止されていたと思う
139名無し三等兵:2014/01/11(土) 21:42:57.46 ID:???
当時のフランスでは植民地から天然ゴムの確保が容易にできていたけど
イギリスを除いてそれ以外の各国では植民地の問題から天然ゴムの確保が困難だったというのを
何かで読んだ覚えがあります。間違いだったらすみませんが、植民地の無い日本ではその問題は
極めて深刻だったでしょうね。

後、湿気対策が弱いのは、フランスのお国柄というか、フランスの気候の影響かも。
フランス製の品々は湿気対策が気候からかあまり考えておらず、
フランス製のバッグ等は湿気で高温多湿気候の日本ではダメになりやすいとか。
間違いだったら本当にすみません。
140名無し三等兵:2014/01/11(土) 23:38:35.30 ID:???
19世紀の兵器は技術の進歩が激しいためどれも過渡期っぽいが、
その中でもシャスポーだとかミトライユーズは過渡期感が半端無い。
ドライゼだとかガトリングの様なイノベイティブさはあまり無い。
141名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:07:20.06 ID:???
>>138 金属薬莢式のシャスポー銃って
グラース銃のことでは?十三年式村田単発銃の元になった

金属薬莢の単発銃で
英国がヘンリー・マルティニ銃
仏国がグラースM1874
独国がモーザルM1871
142名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:33:15.10 ID:???
センターファイアの金属薬莢では、
スナイドル銃(英)やトラップドアライフル(米)も忘れないで。
143名無し三等兵:2014/01/12(日) 15:12:13.22 ID:???
>>141
ごめん、もちろんグラース銃のことね、シャスポーからの流れなんで改良型みたいな書き方をした

>>140
シャスポーの紙製薬莢+ゴム製パッキンのアイディアは、後の銃器発展の流れを知っている
我々からすれば余計な寄り道なんだが、当時としては物凄い先進技術なんで、
後知恵で批判するのはかわいそうな気もする
144名無し三等兵:2014/01/12(日) 17:05:18.77 ID:???
紙製薬莢は製造等の手間を考えればシャープス等の様な雷管外装式でも良かった様な気がする。
まあ当時先進国であったフランスだから問題はあまり無いのだろうけど。
145名無し三等兵:2014/01/12(日) 19:41:07.31 ID:???
前装式ライフルとして画期的なミニエー銃ですら
1849年の採用だったはず。
それがわずか20年も経たない内に旧式銃として顧みなくなられるとは。
それを思うとこの頃の銃の進歩は恐ろしいな。
紙製薬莢にもそれなりのメリットはあるから、単純に悪くは言えないな。
146名無し三等兵:2014/01/13(月) 01:05:47.52 ID:???
>>145
>それがわずか20年も経たない内に旧式銃として顧みなくなられるとは。
>それを思うとこの頃の銃の進歩は恐ろしいな。
一方で20世紀以降だと同じ銃が百年も使われてたりするもんな……。
147名無し三等兵:2014/01/13(月) 01:22:15.61 ID:???
枯れた技術ってやつだな
148名無し三等兵:2014/01/13(月) 03:45:40.03 ID:???
までも、M1911を設計したジョン・ブローニングや採用を決めたお役人も
100年先でもアレンジの上多用されてるとは思ってなかっただろうと思う。
149名無し三等兵:2014/01/13(月) 09:06:09.51 ID:???
>>145
でも、先込め式は南北戦争や普仏戦争(主にフランス軍)でも使われていたから・・・
一気に更新出来る国は限られていたのでは?

南北戦争開戦当初の小火器数(ショルダーアームのみ)
北軍
スムースボア:400,000
ライフル(先込め):100,000
ライフル(元込め単発):3,000
南軍
スムースボア:140,000
ライフル(先込め):35,000

戦争を通してのトータルは、
北軍
スムースボア:510,000
ライフル(先込め):2,850,000
ライフル(元込め単発):303,000
ライフル(連発):100,000
南軍
スムースボア:183,000
ライフル(先込め):435,000
ライフル(元込め単発):4,000
150名無し三等兵:2014/01/13(月) 11:43:49.18 ID:???
>>145>>146
確かに1840年末ごろから銃の発達は凄まじい

参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm


だから近世スレ(戦場に銃が登場した時代から1850年まで)と
19世紀後半スレというスレの使い分けになっているわけで・・・。

近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/1
151名無し三等兵:2014/01/13(月) 11:48:20.92 ID:???
>>144 シャスポー銃ってドライゼ銃の欠点である
長くて折れやすい撃針
発射時の顔面ガス噴射を
無くすために、撃針を短くし、漏れ防止の為ゴムパッキン
じゃなかった?顔面ガス噴射に懲りたモーゼルは金属薬莢式のM1871を作ったけど
152名無し三等兵:2014/01/13(月) 13:44:05.71 ID:???
>>149 wikiには
前装式のミニエー銃は
タバティエール銃(フランス版スナイドル銃)
に改良されたとあるがどうなんだろう?
しかし日本語でwaikiにタバティエール銃のことが
載ってるのが少しビックリ。
この頃のフランス陸軍は主力がシャスポー、2線級がタバティエールや前装式ミニエー
弾薬の補給とか大丈夫だったのか?
153名無し三等兵:2014/01/13(月) 18:34:56.63 ID:???
>>152
第2次世界大戦において、小銃弾を2種類使った国を思えば大丈夫では?

それで思い出したけど、大山格さんの雑誌コラムで怖ろしい実話が載っていた。
幕末の日本は銃の博覧会状態で、新型の後装式ライフル銃から戦国時代の火縄銃まで実戦に投入されたけど
ライフル銃の弾丸を前後あべこべに込めて撃つレベルの新兵すら珍しくなかったとか。
平時の訓練をきちんとしておくのは大事だな
とつくづく思わされた。
154名無し三等兵:2014/01/13(月) 22:45:53.42 ID:???
小銃弾なんて前の時代に山ほど作ったストックが余ってそうなもんだが
使い切るころには全部新型だよ!だよ!(そううまくいくかは知らない
155名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:07:57.54 ID:FhHKiIKj
>>153
戊辰戦争ってそう考えると凄い戦争だよな

火縄銃、ゲーベル銃(前装滑腔銃)やら
ミニエー銃(前装線条銃)やら
後装線条銃のスナイドル銃やシャスポー銃まで

カオスすぎる
156名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:13:00.54 ID:???
そりゃ一種のゴミ捨て場だし
157名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:14:01.59 ID:???
南北戦争後、余剰な銃が日本に流れ込んできたようなもの
158名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:26:24.68 ID:???
まあある意味当時の生産能力からすれば、統一規格の方がとても難しいのかもね。
数揃えなきゃならんし。
159名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:29:38.74 ID:???
何の統一規格の話だ?
160名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:31:55.30 ID:???
複数の小銃、小銃弾を使用するのは補給が大変っていうスレの流れじゃないの?
161名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:36:11.09 ID:???
>>160
苦労しすぎたから、明治維新後、そこから「軍銃一定」を日本陸軍が急いだ理由の一つなったのかも
162名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:44:41.40 ID:???
前装式なら大きささえ揃えりゃよかったんだがな
163名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:47:33.86 ID:???
小銃弾なんかこの時代ころころ変わるからね。
完成形といえるのは20世紀に入って、無煙火薬と尖頭弾の組み合せになってからだし。
164名無し三等兵:2014/01/14(火) 19:56:21.38 ID:???
「軍銃一定」を明治の日本陸軍が急いだのは
戊辰戦争で銃弾の補給に苦労した苦い経験が
陸軍の上層部にあったのは間違いないと思うな。

話を少し変えるけど
坂本竜馬が薩長同盟に伴い新式銃を大量に長州に供給したという話で
ゲベール銃が過半数を占めていたのを思い出したのだが
ゲベール銃は火縄銃に対して圧倒的優位を誇るような新式銃なのでしょうか?
私にはとてもそうは思えないのですが。
それとも竜馬も欧米の武器商人の口車に騙されて旧式銃を長州に供給してしまったのでしょうか?
165名無し三等兵:2014/01/15(水) 08:17:39.82 ID:???
wikiに書いてあるのは
火縄銃は裸火を使用するので
欧州流の密集隊形が組めない。
銃剣が装着できないとあるよ。
結局、火の管理が面倒とかあるんじゃないの?
166名無し三等兵:2014/01/15(水) 08:26:42.81 ID:???
いわゆるゲベール銃も高島秋帆が仕入れた頃はフリントロックだったけど、
黒船以降輸入された物はさすがにパーカッションロックだろうし、火縄銃との差は歴然だったんじゃないか。
167名無し三等兵:2014/01/15(水) 08:40:57.95 ID:???
>>164
そのゲベール銃がフリントロック式スムースボアなのか、パーカッション式スムースボアなのか分からないけれど、取り合えず不発率は減るみたいですよ。

フリントロック式はマッチロック式に比べ約50〜33%不発が少なかったそうです。
(The Anatomy of Victory: Battle Tactics 1689ー1763)

フリントロック式とパーカッション式では、
U.S. M1822フリントロック・スムースボア・マスケット:6発に1発が不発
U.S. M1842パーカッション・スムースボア・マスケット:166発に1発が不発
との記述が。
(Uniforms of the American Civil War)

和式火縄銃に対して一番優れている点は銃剣を付けられる事かもw
旧式兵器に違いは有りませんが、南北戦争でもフリントロック式、パーカッション式両方のスムースボア・マスケットが使われていましたから、数優先なら値段次第ではお買得?
168名無し三等兵:2014/01/15(水) 13:42:15.72 ID:???
発射する際にも、雷管式ならパーカッションキャップを挿すだけの所
火縄は、火縄を当てる位置の調整とかあるからね。
169名無し三等兵:2014/01/15(水) 18:19:13.87 ID:???
銃床があることを忘れちゃいかん
先台と銃把だけで両手保持で撃つ和式火縄銃と、銃床があって肩付け射撃ができる洋式銃とでは射撃の精度が段違い
特に未熟練者を動員した場合にはその差は広がる
まあ銃床がないのにも、再装填がやや容易とかメリットもあるけどね

火縄銃は規格化された工業製品というには程遠いって問題もあったしね
戦場の消耗でサービスやるにもきついものがあったろう
流入した雑多なゲベール銃も誉められたもんじゃなかろうが、部隊単位で統一してあればだいぶマシではあったろうし
170名無し三等兵:2014/01/15(水) 18:31:51.05 ID:???
火縄銃の精度が悪いとか聞いたことないけどなぁ
規格化した統一製品って何を持って規格化というか知らんけど
部品の互換性とか南北戦争にようやく始まりだぞ
171名無し三等兵:2014/01/15(水) 19:51:31.54 ID:???
日本の火縄銃は江戸時代以降に造られたものは前装式滑空銃としては精度が最良の部類だと思うが
射撃大会で前装式マスケット銃の部だと、火縄銃を使う参加者が多いとか
泰平の時代に職人が引き金部分の洗練に努力したしね
ただそれが実戦でマスケットより兵器として有用だったかは別問題だが
172名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:00:21.15 ID:???
パワー的にはどうなんだろう。
一般的な火縄銃(大筒とかそういうのではなく)とゲベール銃ではどちらが遠射に向いてるかな。
イメージ的には銃床で大きな反動を受け止めることのできるゲベール銃が有利な気がする。
173名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:21:16.46 ID:???
ゲベール銃と火縄銃は銃単体としてはライフルが無い以上
そんなに差はない気がする。
でも部隊として集団運用することを考えると火縄銃だと密集とかしづらい
それにゲベール銃だと銃剣もあるし火縄銃よりも不発率も低いし
そんなこんなを考えるとゲベール銃の方が優位かも。
174名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:27:19.64 ID:???
本体重量とかはどうなん?
175名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:38:25.04 ID:???
西洋的な考えではたとえ単発での命中精度が低くても、斉射することで敵に損害を与えるのが重要だと思う。
そのための戦列であり、多少精度が低くても遠くまで撃てる事が大事。
もちろん散兵では単発の精度が重要だけど。

火縄銃は精度は高いけれどもゲベールの様な使用方法では無い訳で、パワーで比較したらどうなんだろうと思ったけど、
wikiとか見てもなかなかエネルギーまで書いてないんだよね。
176名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:42:44.32 ID:???
黒色火薬使ってる限りは秒速400メートル台で後は弾の重さなりにしかならんのでは
177名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:50:54.77 ID:???
取り合えずゲベールは320ヤードは飛びますね。
もっとも、殺傷能力が残っているか否かは分かりません。
ヤーゲル(ベーカーライフル)だと600ヤードでの射殺記録が有りますが。
火縄銃やマッチロック・マスケットは、どの位度飛ぶのかな?

火縄銃でも密集隊形での使用は問題無いのでは?
ヨーロッパではマッチロック・マスケットを使用して密集隊形を運用していますから。
危険が無いとは言いませんが・・・
事実、全員がフリントロック・マスケットを装備した初めての連隊は、大量の火薬が身近に有る砲兵や段列の護衛任務に使用された位ですし。

マッチロック・マスケットでは出来るけれど、火縄銃では出来ない何らかの理由が有るのかな?
178名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:53:05.64 ID:???
飛距離は口径にもよるだろうしなぁ

密集というか斉射する時は火縄銃は火縄の管理が大変そうで向いてなさそうではある
179名無し三等兵:2014/01/15(水) 21:00:45.32 ID:???
ブラウンベスの口径は約19mmだそうだが、
火縄銃ではwikiの分類で見るとだいたい士筒(さむらいづつ)にあたる。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/火縄銃

士筒は「十分な鍛錬と財力を持つ侍のみが用いることができた。」とあるので、
やはり西洋の方が高威力な感じがする。
180名無し三等兵:2014/01/15(水) 21:04:03.36 ID:???
ブラウンベスは命中率が悪く有名だったようだ

ヨーロッパは騎兵対策で(馬を確実にぶち殺したい)から威力を求めたとか何かの本に
ストッピングパワーとはもともとそこから来た概念だとか
181名無し三等兵:2014/01/15(水) 21:08:27.34 ID:???
他のシャルルヴィル・マスケットとかスプリングフィールドとかのだと17.5mmだね。
ここら辺が標準的かな。
火縄銃で言えば中筒と士筒の中間くらいか。
うーん微妙な線だw
182名無し三等兵:2014/01/15(水) 21:16:07.97 ID:???
つうか一般的な火縄銃というのがどういうものか解らなくなってきたw
たぶん身分、経済力によって結構好き勝手なものを持ってたんじゃないか。
もしそうだとしたらそれこそが近代戦に向いてない要因だが。
183名無し三等兵:2014/01/15(水) 21:28:08.56 ID:???
>>180
ブラウンベスは大口径な分、ジャジャ馬で有名だった様ですね。
その代わり、使いなれたイギリス兵の手になると恐ろしい兵器になったと。
半島戦役でのランス軍は臨時編成の対ゲリラ中隊に鹵獲ブラウンベスを装備させていましたが使いこなせたのかな?
184名無し三等兵:2014/01/15(水) 22:26:03.42 ID:???
>>182
今、手元にないので大間違いだったらすみません。
歴史群像の上杉家の軍法を調査した記事で
ある程度は火縄銃の口径は上杉家中では統一化されていたらしい。
関ヶ原以前は上杉家は機動力重視で小口径の火縄銃を採用していたが
関ヶ原の結果を踏まえて大口径(といっても士筒級)の火縄銃の採用に踏み切り
火力重視に切り替えた結果、大坂の陣でさすがは上杉家と名を挙げたとの記事がありました。

そのような感じで戦国時代の大名家の場合
家ごとにある程度は火縄銃の口径が統一化されていたのではないでしょうか。
そうしないと補給の面からも苦労することになると思います。
185名無し三等兵:2014/01/16(木) 06:11:09.45 ID:???
士筒級といってもブラウンベスと同等のものと考えれば上杉家はさすがと言うべきなんでしょうね。
補給については弾丸の鋳造や早合につめるくらいなら個人レベルでやってたと思うけど、やはり部隊単位では口径の統一
はしていたと考えるのが自然でしょうね。
186名無し三等兵:2014/01/16(木) 08:49:23.51 ID:???
ちょっと話はずれるが
昔、百科事典でスナイドル式和銃と書いてあるものや
形状は火縄銃で、発火式が雷管式の銃の
写真を見たことがあるが
どのくらい改造されたんだろう?
スナイドル式和銃って、銃身にライフルが切ってあったんだろうか?
187名無し三等兵:2014/01/16(木) 19:22:43.93 ID:???
>>175
弾丸重量(口径)が決定的であとは安全の範囲で火薬量調整して随意に威力調整できるしね
黒色火薬の爆速の関係で上限はあってそれ以上は危険なだけだったりもするが
188名無し三等兵:2014/01/16(木) 19:31:20.05 ID:???
>>186
当時の日本で独自にライフリング加工ができたかというと疑問
不可能と断言も出来ないが
明治の13年式村田銃だって銃身は国産化出来ずに輸入に頼ったぐらいだし
工作機械や治工具の入手もあるし動力の問題もあるしねえ
ただ、一品物なら原始的にボタンをハンマーで叩き込んで加工した可能性もあるし
189名無し三等兵:2014/01/16(木) 22:25:02.30 ID:???
でもスナイドル式というからには後装でないとな。
単に施条型というのであればヤーゲル式とかミニエ式でいいわけで。

想像では火縄銃を無理矢理後方開口しそこに紙実包をねじこんで無理矢理発射みたいなハァハァ。
190名無し三等兵:2014/01/16(木) 23:03:30.39 ID:???
191名無し三等兵:2014/01/17(金) 19:57:52.62 ID:???
火縄銃でも後装式に改造したり、雷管式に改造できるとは知らなかった。
日本人は昔から本当に器用ですね。他の国でやった実例があるとは思えない。

そういえばスナイドル銃と言えば、明治初期の日本陸軍の制式採用小銃だったけど
他にもドライゼ銃やシャスポー銃も日本陸軍は用いていたとネット検索をかけると出て来る。
どのくらいの割合で各銃は採用されていたのだろう。
やっぱりスナイドル銃以外は数百丁とかその程度しか使われていなかったのだろうか。
192名無し三等兵:2014/02/16(日) 01:56:25.31 ID:???
映画「ゲティスバーグ」で、北軍の砲列に到達して倒れた
バージニア軍の旅団長アーミステッドが攻撃前に部隊に呼びかけて
「ヴァジーニアンズ」とジにアクセントを置いて発音していたが、
州の名前もジにアクセントが置かれるんだな。
カタカナで書くなら棒を入れるのはジの後でないといけないわけだ。

ニューオーリアンズもよくオーリーンズと発音する人がいるけど。
193名無し三等兵:2014/02/16(日) 19:48:41.62 ID:5AXrSAwE
>>192
それは知らなかったな。

最近と言っても4か月近く前だがゲティスバーグ前にリー将軍が北部侵攻を決断した
最大の理由が自ら率いる南軍の将兵を北部で略奪した物資で食わせるためだったという話を読んで衝撃を受けた。
ゲティスバーグへ向った理由の1つが将兵に履かせる靴のためだったというのは知っていたのだが。
これってどこまで信用していいのだろうか。
194名無し三等兵:2014/02/19(水) 16:00:45.53 ID:???
南北戦争と言えば焼きまくり殺しまくりの
シャーマン将軍。
北部ではシャーマン将軍の蛮行は
目をつぶってたのか?
195名無し三等兵:2014/02/20(木) 00:24:01.72 ID:???
シャーマン側の言うところによると
リンカーンは容認してた
196名無し三等兵:2014/02/20(木) 19:29:36.32 ID:???
>>194
こういうのは被害者側と加害者側とで記憶が全く変わってくるからな。
被害者は根深く覚えていて(更に自分の都合がよく覚えるが)、
加害者側は全くとは言わないまでもそんなには記憶しないことが多い。
それにシャーマン将軍の蛮行はシャーマン将軍直卒の将兵が
いわゆる「海への進軍」中に行ったことでもあり、最終的には
グラント将軍率いるポトマック軍と南軍主力を挟撃して覆滅するという目的もあった。
それからすると北部ではシャーマン将軍の蛮行は非難されなかったとは言わないが
非難しにくいものではあったろう。
197名無し三等兵:2014/02/21(金) 13:45:53.27 ID:???
>>194
私有財産の破壊に付いては一度、南軍と話し合えとは指示はしたものの、内容はシャーマンに一任。
指示を受けてシャーマンが話し合った形跡は無しらしいと・・・
リンカーンが後にシャーマンの事を「有能な判事」と呼んだ事は事態を容認したとも取れるとする説も有りますね。
198名無し三等兵:2014/02/24(月) 19:42:51.93 ID:FAZ5xMax
シャーマン将軍自体がいろいろ多面的な評価ができる人間なのが更に問題をややこしくしている気がする。

シャーマン将軍は20世紀の総力戦の創始者といわれるくらいで
前線と後方を区別せずに南北戦争で北軍の勝利をもたらすためにまい進した。
一方、Wiki等でも書かれているが「戦争は地獄だ」という名言を残すくらい戦争は嫌っていた。
目的のためには手段を選んではいられない、でも、良心からするといいのだろうかと懊悩する、
そういった極めて人間的な存在にシャーマン将軍は思える。
そして、北部が容認していたかどうかだが、それこそ人それぞれで、一部の人は容認していたが、
一部の人は非難していたというのが正解だと思う。
199名無し三等兵:2014/02/24(月) 22:58:49.23 ID:???
そういえばアトランタ陥落がリンカーンの再選に影響したんだっけ。
リンカーンはシャーマンの事を非難しづらい立場だな。
200名無し三等兵:2014/02/24(月) 23:09:30.43 ID:???
詳しい人の回答があるかと思ってたが案外ないもんだな
文春新書の戦争指揮官リンカーンには
グラントやシャーマンは戦況は報告するが、その裏で行う破壊工作については報告していなかったので
リンカーンがどこまで知っていたかはわからないとあるな

あと、リンカーン自身は資材の破壊命令まではだしてない
とある
201名無し三等兵:2014/02/24(月) 23:33:27.68 ID:???
どうもいろいろ微妙なようだkら興味あるなら読んでみると面白いかもしれない
たいして分量があるわけでもないが
202名無し三等兵:2014/02/24(月) 23:34:33.73 ID:???
三連投になるけど>>197のネタも同じようだな
203名無し三等兵:2014/02/25(火) 06:04:56.74 ID:???
戦車の愛称になっているぐらいだからなー。人気。

なっていないの誰だっけ?
204名無し三等兵:2014/02/25(火) 09:48:05.09 ID:???
M4中戦車の愛称にシャーマンってつけたのイギリス人で、ここからアメリカ人の評価を推し量るのは無理がある。
205名無し三等兵:2014/02/25(火) 13:44:17.58 ID:???
確かシャーマンはメンヘラで
グラントはアル中
じゃなかった?
206名無し三等兵:2014/02/25(火) 19:39:29.00 ID:???
>>205
シャーマン将軍については知らないが、
グラント将軍はアル中一歩手前の状況だったのは間違いないみたい。
副官は常にグラント将軍の目の前に酒瓶が置かれないように常時注意しないといけなかったとか、
シャイローの戦いでも従軍記者に戦闘中に泥酔していたために敗北寸前に追い詰められたと報道されたとか。
(私としては泥酔していても勝てるって、南軍が滅茶苦茶無能だったとしか思えないですが)
グラント将軍と酒は切っても切れない迷関係みたいです。
207名無し三等兵:2014/02/25(火) 21:04:25.58 ID:???
>>206
それ言ったら、日本海軍なんかはアル中だらけだしな!
208名無し三等兵:2014/02/26(水) 04:12:26.34 ID:???
>>204
グラント
リー
スチュアート
シャーマン

そんなもん?どういう選考なんだろうね?
209名無し三等兵:2014/02/26(水) 07:46:54.34 ID:???
>>206
リンカーンがグラントの酒癖を指摘された時、
「彼の飲んでいる酒の銘柄を知りたいものだ。他の将軍達にも飲ませてやりたいのでね。」
と、有能なら酒癖など問題無いと暗に指摘したと。

>>208
イギリス軍の命名だとしたらなぜ南北戦争に拘ったのか謎・・・
まぁ独立戦争や米英戦争の将官の名前は付けたくないだろうけど。
210名無し三等兵:2014/02/26(水) 19:31:05.06 ID:???
半分スレ違いになるけど
英国にとってみれば自国に関係なくて米国で活躍した将軍となると
南北戦争から取らざるを得なかったというのが真相ではないだろうか。
211名無し三等兵:2014/02/26(水) 20:19:46.69 ID:???
英国人、命名センスはいいんだよな。P-51だって米軍の付けた“アパッチ”より
“マスタング”のほうが明らかにかっこいいし、似合ってる。
212名無し三等兵:2014/02/26(水) 20:29:21.80 ID:???
スピットファイアとか無茶苦茶なネーミングじゃねえか

英国スレもうないのな
213名無し三等兵:2014/02/27(木) 08:24:04.78 ID:???
>>212
あるぞ

ブリテンの兵器はキモイ 第44波
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1389935782/
214名無し三等兵:2014/02/27(木) 11:40:47.87 ID:???
なんだかんだ言って、一番アメリカ人が死んだ戦争が
南北戦争。
215名無し三等兵:2014/02/27(木) 14:00:42.37 ID:???
南北戦争関連戦車では
M36ジャクソン駆逐戦車
M551シェリダン空挺戦車
もある。

あとはパットン、チャーフィー、パーシング、エイブラムス、
などで南北戦争とは無関係。
216名無し三等兵:2014/02/27(木) 15:53:18.09 ID:???
パーシングってテキサス独立戦争の時の人物だよね?
217名無し三等兵:2014/02/27(木) 20:01:07.56 ID:???
>>216
第一次大戦の米国のヨーロッパ派遣軍総司令官のパーシングからじゃなかろうか
218名無し三等兵:2014/02/27(木) 21:18:01.06 ID:???
M26戦車パーシングなら第一次世界大戦からだな。

テキサス独立戦争から米墨戦争で活躍した米国の軍人の多くは
南北戦争でも令名を馳せているので調べ出すと結構面白い。
超有名どころだとリー将軍はグラント将軍を指揮下において米墨戦争で戦功を挙げているが、
南北戦争終結の名場面ともいえる南軍降伏の際のリー将軍とグラント将軍の会見の際に
お互いに米墨戦争の際に思いをはせ何とも言えない感慨にふけったとか。
他にも多々あるな。
219名無し三等兵:2014/02/27(木) 23:17:48.26 ID:???
アラモを忘れるな!byパーシング
220名無し三等兵:2014/02/28(金) 20:23:14.78 ID:jO7U34Sk
アラモで思い出したのだけど。
20年以上前に購入したアラモ砦を舞台にしたボードゲームで
メキシコ側に対してテキサス側の射撃能力が相対的に高く評価されており
その原因としてメキシコ側はマスケット銃なのに対して
テキサス側は前装式ライフル銃を装備していたからとゲームのルールブックに書いていたと思う。
これは私に記憶違いなのだろうか。今手元にはそのゲームがないので確認できないのだが。
221名無し三等兵:2014/02/28(金) 20:30:50.79 ID:???
>>220
SPI/HJのアラモかな?
テキサス軍の火力が高かった覚えは有るけど理由は忘れてしまった・・・
222名無し三等兵:2014/02/28(金) 21:15:11.36 ID:jO7U34Sk
>>221
HJの雑誌TACTICSの付録ゲームだったことは覚えているのですが、
SPIが原作だったかまでは覚えていません。
20年以上前ですし、今は(雑誌も含めて)手元にないですし。
ライフル銃自体は米国独立戦争以前からあるものですが、
テキサス独立戦争は、デルヴィーニュ式のライフル銃が登場したばかりの頃で
時期的に(19世紀後半というこのスレ自体からも)微妙極まりない時期です。
詳しい人のフォローを求めます。
223名無し三等兵:2014/02/28(金) 21:41:41.34 ID:???
ボードゲームについてならこっちのほうが詳しいぜ

良品戦争ゲーム(PC・コンシューマ・ボードetc)を語る10本目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1363562021/
224名無し三等兵:2014/02/28(金) 22:54:10.69 ID:???
ベイカーライフルのwikipediaよると、アラモの戦いで
”メキシコ側が”同銃を使用してた、とあるなあ

テキサス側もベイカーライフルなら装備できない理由はないけど、
問題は装備率か
225名無し三等兵:2014/02/28(金) 23:29:21.64 ID:???
デイビークロケットは熊退治するくらいだからライフル銃くらい装備してんじゃね。
まあ冗談はともかくとしても義勇兵とかは狩猟用のライフル銃とか使ってたんじゃないか。
226名無し三等兵:2014/03/01(土) 00:04:31.20 ID:???
歴史群像にもライフル使ったって書いてあるな
種類は書いてない
メキシコ軍は旧式マスケットだと
227名無し三等兵:2014/03/01(土) 01:57:34.23 ID:???
228名無し三等兵:2014/03/01(土) 02:13:08.44 ID:???
[14.0] 射撃戦闘と射程距離(選択ルール)
解説
 以下のルールは選択ルールで、プレイヤーの合意によってのみ使用される。
 19世紀初期のマスケット銃はおおむね旋条のない先込め銃で、有効射程は
80ないし120ヤードだった。
 しかし有名なケンタッキー・ライフルは例外で、250ヤード以上の距離でも
恐るべき精度を示した。
 アラモ砦内でも、ケンタッキーやテネシーからのグループがこのライフルで
武装していた。
 しかしメキシコ軍の装備はすべて、短射程の先込め銃であったのだ。
229名無し三等兵:2014/03/01(土) 02:14:09.66 ID:???
ルール
 射撃戦闘において、ユニットの火力は射程が7ヘクスを超える1ヘクスごとに
1下がる。例えば射程が9ヘクスなら2下がるわけだ。
 さらに、射程が14ヘクスを超えると射撃は全く行えない。
 これらの射程を数える時には、攻撃側のいるヘクスは数えないが、防御側のいる
ヘクスは数える。
 ただし、砲と、テキサス側の Kent と Tenn のユニット(シルエットが違うことに
注意)はこのルールの影響を受けないものとする。マップ上のどの地点に対しても
全火力で射撃できるのである。
230名無し三等兵:2014/03/01(土) 14:20:16.61 ID:???
前装式ライフルは、ミニエー弾発明前と後で分けた方が良くない?
ミニエー弾前だと装填にかなり苦労したとか…
ちなみにエンフィールドP1853とスプリングフィールドM1861は
どちらが多く日本に入ってきたんだろう?
231名無し三等兵:2014/03/01(土) 21:00:52.93 ID:???
テキサスでは使われていないだろうけど、当時の米軍はホールライフルもそこそこ使用しているみたいだね。
232名無し三等兵:2014/03/01(土) 21:34:05.50 ID:???
>>228,229はゲーム「アラモ」のルールでしょうか。
どうも直接引用、紹介して下さり、ありがとうございます。
233名無し三等兵:2014/03/01(土) 21:47:47.31 ID:???
>>230
確かにミニエー銃以降のライフル銃と
それより前のライフル銃だと装填方法が全くといっていいくらい違うからな。
ミニエー銃以降とそれより前で分けて
このスレではミニエー銃以降に限るべきだろう。
234名無し三等兵:2014/03/01(土) 22:20:00.79 ID:???
>>233
とは言っても、南北戦争でもミニエー以前のライフルが使われているし、ゲティスバーグ以降の北バージニア軍ではスムースボア・マスケットの装備が増えたりしているから・・・
技術の話ならともかく、戦史や戦例の話ではミニエー式以前を切り捨てるのは無理かと。
235名無し三等兵:2014/03/02(日) 19:24:31.70 ID:???
>>234
それをいうと戊辰戦争では戦国時代以来の火縄銃どころか槍までが使用されていますね。
ミニエー銃以降に限った話題は技術面に絞って話すべきだと思います。
236名無し三等兵:2014/03/02(日) 19:41:43.52 ID:???
それをいうと清仏戦争や日清戦争でも米西戦争、ズールー戦争、北清事変でもスムースボアライフルや槍が使われているからな。

槍は日露戦争でもコサック兵が使っていた。
237名無し三等兵:2014/03/02(日) 21:16:09.13 ID:???
日清戦争のときは連弩も使われたらしい。要は相手を殺傷できれば
時代遅れだろうが何でも使う。
238名無し三等兵:2014/03/02(日) 21:18:52.91 ID:???
投石は未来永劫使われるであろう
239名無し三等兵:2014/03/02(日) 21:29:31.08 ID:???
太平洋戦争のときは竹槍も
240名無し三等兵:2014/03/02(日) 21:54:44.14 ID:QCmp9UkY
ホームガードパイクの出番ですね、これは・・・
241名無し三等兵:2014/03/02(日) 21:55:24.46 ID:???
ごめんなさいsage忘れてました
242名無し三等兵:2014/03/02(日) 22:22:19.55 ID:???
>>236 おいおい スムースボアライフルってなんだよ?(笑)
243名無し三等兵:2014/03/03(月) 03:06:50.56 ID:ElFFVpKj
南北戦争の一般的な北軍歩兵はどのぐらいの弾薬を携行したんだろう?

左肩からかけるあの弾薬盒のサイズだと精々2,30発程度しか入らないような気もするんだけど…
それとも弾薬盒に入ってるのはあくまで即応弾で、雑嚢・背嚢に予備弾薬でも持ってるんだろうか
244名無し三等兵:2014/03/03(月) 12:49:40.59 ID:???
>>243
最も一般的だった弾薬盒(ライフル・マスケットと同時期に採用)は60発入りでしたよ。
内部には縦長のコンテナが左右に並んで2個。
それぞれのコンテナは上下段に仕切られていました。
10発1組の弾薬包4包(40発)を左右の下段に、
包を解いた弾薬20発を左右の上段に収納していました。

スムースボア・マスケット時代に採用された40発入りの旧型弾薬盒も使用され続けました。
南軍では戦争中に再生産までしています。

予備弾薬を雑嚢や背嚢に入れていたかは分かりません。
必要ならやるででしょうが、規則上認められていたのか否かは・・・
245名無し三等兵:2014/03/03(月) 13:32:21.15 ID:???
ねえ、時期的にスレチかもしれないんだが聞くけど、
歩兵に食糧などを入れて両肩に回したベルトで負わせるリュックサックは
何時頃から使われだしたんだろうか。
元は猟師がかなり古くから使っていたものらしいが、
例えば七年戦争ではどの軍でも肩掛け式を左右交互にたすき掛けにして
使っていた。正面からみて白い帯が胸で交差しているのがそうだ。
ロボジッツの戦いに参加したスイス人ブレーカーの書いたものによると、
パン袋や水筒や弾入れや雑嚢を交互に負うので胸が両側から締めあげられたという。
遅くはナポレオン戦争まで一部の部隊はそんな格好をしてるよね。
246名無し三等兵:2014/03/03(月) 16:10:09.46 ID:???
ランドセルの起源?
247名無し三等兵:2014/03/03(月) 20:34:35.34 ID:???
>>245
あれは背負い辛そうですよね。
特にプロシア軍のは。

ランドセル式を採用した最初の正規軍は、フレンチ・インディアン戦争中に北米大陸で活動していたイギリス軍軽歩兵やフランス海軍歩兵中隊の様です。
どちらも現地軍(イギリスはアメリカ人レンジャー、フランスは民兵)の装備を北米大陸限定で採用。
あくまで非正規装備品です。

正規軍全体への採用は7年戦争終了後。
フランスは1763年の軍服改定時に一部で採用が始まり、1767年の軍服改定時に犬または山羊革のランドセルを全面採用。
イギリスは遅くとも1768年の軍服改定時に全面採用。

プロシア軍での採用は1806年戦役の敗北後と、かなり出遅れ・・・
シャルンホルストによる軍制改革の一つとして行われた1808年の軍服改定時に採用されました。
248名無し三等兵:2014/03/03(月) 23:05:54.53 ID:???
へえ、詳しいですね。
ここんとこの流れをみて、知ってる人がいるかもと思って
聞いてみたんだけど。手元に資料があるんですか?
249名無し三等兵:2014/03/04(火) 06:59:57.67 ID:5Cgea7tX
リエナクトで使ってるようなトップクラウンが凹んでないスローチハットって日本で売ってるのかね?

そもそもスローチハット自体日本じゃほとんど売ってないし
250名無し三等兵:2014/03/04(火) 09:50:30.11 ID:???
バック・トゥー・ザ・フューチャー3で
ドクが被ってたみたいなクラウンの高いやつかい?
あれは高すぎか
251名無し三等兵:2014/03/04(火) 14:05:48.01 ID:???
>>250

ttp://49thvirginiainfantry.com/Slouch%20Hat-BeeHive%20DB.jpg

こんな感じのがイメージに近い
252名無し三等兵:2014/03/04(火) 18:03:05.99 ID:???
でもスローチじゃないよな?
253250,252:2014/03/04(火) 18:18:26.39 ID:???
slouch hatって言葉は昔、マーク・トウェインの自伝を英語で読んでいて
お目にかかったんだけど、広いつばの前が垂れた帽子って理解してた。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Slouch_hat
でも画像検索したりウィキペで引いたりした結果だとイメージと随分違う。

要はつばを維持するのに>251の帽子やメキシコ帽や山高帽のように
外周に行くに従って寸法を詰め気味にして反り返るようにしたり、
針金を入れて水平にしたりしないで、
側面に反り癖をつけて前後を水平にした帽子ということなんだな。
254名無し三等兵:2014/03/04(火) 19:00:59.15 ID:???
>>248
ランドセル(ナップサック)採用の流れは覚えていたので、軍装関係の資料から軍服改定年の確認を。
255名無し三等兵:2014/03/04(火) 23:20:25.50 ID:???
ウィキペを探したが英語版のBackpackの生地は全く歴史関係を欠いている。
独語版を参照してそれを翻訳サイトを通して読んで
この記事(Tornister)をみつけた。
ttps://translate.google.co.jp/translate?hl=en&sl=de&tl=en&u=https%3A%2F%2Fde.wikipedia.org%2Fwiki%2FTornister
歴史が書いてある。

こんなのも見つけた。
ttp://www.dererstezug.com/packingatornister.htm
すると今まで毛布だと思っていたのは外套だったのか?
256名無し三等兵:2014/03/04(火) 23:29:02.79 ID:???
最後のノートは、外套の裾の方は内側に織り込めってこと?
257名無し三等兵:2014/03/05(水) 04:23:03.97 ID:???
どうやって寸法合わせるのか知らないけど、
要は降ろした時立つようにってことだろう。
258名無し三等兵:2014/03/05(水) 13:18:40.99 ID:???
だいたいオスプレイのメンアトアムスのイラストの解説とかに書いてるだろ。
259名無し三等兵:2014/03/05(水) 15:17:29.18 ID:???
もう中古しかなくね
図書館においてあったりもするけど
260名無し三等兵:2014/03/07(金) 01:57:07.83 ID:???
アメリカの南北戦争再演バンドが演奏してた「Lorena Bright Smiles」という曲について何か知っている人いますかね?

どうも再演に限らずマーチングバンドだと定番(?)の曲みたいなんだけど

ttp://youtu.be/gGUeqMmKhFo
261名無し三等兵:2014/03/07(金) 13:21:19.98 ID:???
行進曲ならプロイセンやオーストリアに限るぜ。
262名無し三等兵:2014/03/07(金) 13:23:45.81 ID:???
LorenaとThy Bright Smileの二つの曲だろ?
263名無し三等兵:2014/03/07(金) 13:32:21.62 ID:???
♪俺は油で揚げた玉葱が大好き

でも>>261にやる玉葱はねぇ
264名無し三等兵:2014/03/07(金) 22:00:54.56 ID:???
クラリネットこわしちゃった!
265名無し三等兵:2014/03/08(土) 00:15:34.71 ID:???
ジャガイモが大好き
最初に自炊したころ、それを主食にしたくらい。
266名無し三等兵:2014/03/11(火) 08:40:01.95 ID:???
宮さん宮さん
267名無し三等兵:2014/03/11(火) 19:38:26.97 ID:ghIn26sD
>>266
宮さん宮さんで思ったのだが

戊辰戦争で活躍した旧幕府諸隊というと何が挙がるだろう。
また、薩長側だと何が挙がるだろうか。
私の想いの中では薩長側は特に思い浮かぶ隊名は無く
薩摩藩兵とか、長州藩兵、佐賀藩兵という形で思い浮かぶ。
一方、旧幕府側だと伝習隊とか、衝鋒隊、遊撃隊といったあたりが思い浮かんでくる。
皆さまだと、どんな隊名が思い浮かぶのでしょうか?
268名無し三等兵:2014/03/11(火) 20:06:06.82 ID:e5TYpvS5
飛行隊
茶坊主隊
269名無し三等兵:2014/03/11(火) 20:08:22.92 ID:???
>>267
奇兵隊が思いつかないの?

とりあえずあげると雷神隊
270名無し三等兵:2014/03/11(火) 20:33:14.37 ID:???
幕府側なら撒兵隊
地元で戦ったからw
271名無し三等兵:2014/03/12(水) 00:04:40.12 ID:???
パトロン隊

幕府側なら
菜葉隊、葉っぱ隊に名前が似てるから
272名無し三等兵:2014/03/12(水) 04:28:56.06 ID:???
上関茶筅隊
佐分利隊
273名無し三等兵:2014/03/12(水) 08:42:16.66 ID:???
イベントスレより
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1383531842/717

赤塚梅祭りだと
日本でも珍しい西洋銃砲隊(ゲーベル銃)によるオランダ語号令に基づく演武を毎年やっていたかと
まぁ開催地が高島平ですから当然なんですけどw
274名無し三等兵:2014/03/12(水) 19:59:18.26 ID:???
長州藩は奇兵隊を筆頭にいわゆる諸隊があったな。
印象に残る名前と言えば伊藤博文が率いた力士隊かな。
これって本当に相撲取りばかりから編制されていたのだろうか?
275名無し三等兵:2014/03/13(木) 03:08:03.54 ID:???
長州の諸隊は結成当初は自発的で面白い面もあったのだが、
元治の内戦後の慶応の軍制改革で厳しく統制されてしまったんだよね
その点では戊辰戦争の旧幕側のほうが面白いかも知れない
仙台の衝撃隊などがそう。
276名無し三等兵:2014/03/13(木) 07:29:44.76 ID:???
いわゆる諸隊って民兵組織に近いのかな。
277名無し三等兵:2014/03/13(木) 08:27:29.72 ID:???
むしろ傭兵だろ
278名無し三等兵:2014/03/13(木) 19:41:48.87 ID:???
隊によりけりだろうね。
傭兵寄りか民兵寄りは。
279名無し三等兵:2014/03/13(木) 19:58:40.97 ID:???
私としては長州藩の諸隊は義勇兵という側面が強いと思うな。
奇兵隊の結成を見て自らも長州藩を護るんだという想いから結成されていったのが長州藩の諸隊。
一方、旧幕府の伝習隊や衝鋒隊等は文字通り傭兵だった。
鳥羽・伏見の戦いの後、金のためならということで五稜郭まで戦い続けた。
何か幕府が敗れたのが分かる気がする(そして慶喜が抗戦を諦めたのも)。
280名無し三等兵:2014/03/13(木) 21:16:07.26 ID:???
>>278
罪人の隊とか、ペテンや人さらいで人を集めて入隊させた隊はないの?
281名無し三等兵:2014/03/14(金) 07:10:38.99 ID:???
そんな連中に銃をもたせて率いたいか?
282名無し三等兵:2014/03/14(金) 08:11:17.86 ID:???
幕府歩兵隊だって、博徒とかが大量に混じってたんだから、大して変わらん
283名無し三等兵:2014/03/14(金) 08:22:28.16 ID:???
奇兵隊だってならず者は多かったはず。
脱走兵が倉敷浅尾騒動をおこしてる。
284名無し三等兵:2014/03/14(金) 10:15:26.98 ID:???
>>281-282
プロイセンではそうやって掻き集めた兵隊で七年戦争を戦い切ったじゃないか。
いや博徒は志願して入るんだからそこが違う。
285名無し三等兵:2014/03/14(金) 10:21:17.27 ID:???
そういえば、博徒ややくざ者のほうが兵隊に向いていると
大鳥 圭介が言ってたな。本音かどうかは分からんが。
286名無し三等兵:2014/03/14(金) 10:57:23.61 ID:???
親分子分の関係と服従がはっきりしてる博徒やヤクザは頭をなんとかすれば何とか
勝海舟と新門辰五郎みたいに。
287名無し三等兵:2014/03/14(金) 12:42:21.07 ID:???
彰義隊にも新門の手の者が混じっていたしね。
上野敗走後、最後まで丸毛靭負に付き従った者の中にも。

他にも、火消し人足や魚河岸の連中から江戸守衛の為の町兵を編成しているよ。
実戦には参加していないけれど、仏式伝習をしたと。
288名無し三等兵:2014/03/14(金) 12:44:54.17 ID:???
>>285
譜代の旗本や御家人が、鳥羽伏見じゃ大して役に立たなかったんだから、
大鳥がそう言いたくなるのもわかる
289名無し三等兵:2014/03/14(金) 20:40:58.79 ID:???
今、手元にないけど野口氏が幕府歩兵隊という本の中で
博徒やヤクザ者が幕府歩兵隊で活躍した理由を書いていたな。
実際、太平に慣れて夜襲を卑怯と言って夜は寝るものだといって寝てしまう
譜代の旗本や御家人よりも夜襲に備えて起きておく博徒やヤクザ者が戦場では役だったと思う。
290名無し三等兵:2014/03/14(金) 21:47:06.94 ID:???
長期平和による戦士階級の貴族化問題か
291名無し三等兵:2014/03/14(金) 21:51:43.76 ID:???
そうだね。市役所の職員にいきなり銃を渡して「戦え」と言われても
どうしようもない。
292名無し三等兵:2014/03/14(金) 21:54:40.15 ID:???
藩内に階級闘争があった薩摩とか土佐は士分だけで間に合ったのか
293名無し三等兵:2014/03/14(金) 22:05:46.90 ID:???
>>292
薩摩藩の場合、士分が人口の3パーセントを占めるというどこの軍事国家という状況だから
士分だけで間に合ったと思う。
土佐藩の場合は、大山巌元帥の曾孫の大山格氏が書いた記事によると
ミニエー銃を渡された士分は初陣の際には銃弾を前後逆に装填して発射できず、
結局、ミニエー銃を棍棒代わりに使って戦う惨状だったとか。
実戦経験を積むにつれ、このような惨状は解消されていったのだが、
泣き笑いをするしかない悲喜劇が戊辰戦争では起きたものだとつくづく思う。
294名無し三等兵:2014/03/14(金) 22:09:18.33 ID:???
>>290
貴族化というより役人化
295名無し三等兵:2014/03/15(土) 00:23:05.27 ID:???
WW2ではやくざは役立たずだったという話を読んだことがある
詰まるところ当人の資質ということかな
もしくは親分が参加していたら統率も取りやすいとか
296名無し三等兵:2014/03/15(土) 08:51:06.47 ID:???
戦闘の様相がやくざの出入りライクなものから近代戦に変わったってことじゃ?
歩兵戦術でいえば、第一次大戦を境にガラッと変わってるし。
297名無し三等兵:2014/03/15(土) 08:55:09.92 ID:???
やくざの出入りレベルなら役人化してても御家人の方がやくざよりつおいんじゃね
298名無し三等兵:2014/03/15(土) 08:58:40.81 ID:???
戦列歩兵→散兵+戦列歩兵→散兵→中隊戦闘→分隊戦闘と変遷してきてる
からなぁ。
299名無し三等兵:2014/03/15(土) 09:04:47.16 ID:???
>>297
御家人も内職に励まないとと食べていけない
300名無し三等兵:2014/03/15(土) 12:49:16.27 ID:???
>>279
当初はそういう動機もあったし、参加者に士庶平等という理念もあったが、しょせんは幻想
対幕戦争の過程で統制が重視され、自発的要素は徹底して潰されていったのさ。
革命やら軍隊に幻想を持っちゃいかん。
301名無し三等兵:2014/03/15(土) 15:09:27.92 ID:???
>>300
長州の奇兵隊が良い例だよね
302名無し三等兵:2014/03/15(土) 19:12:49.55 ID:???
そういえば遊撃隊というのは
長州藩の諸隊にも旧幕府の諸隊にもあるな。
越後戦線で勇名を馳せたと言えば雷神隊と衝鋒隊ともう1つあったはずだけど
その1つが出てこない、どなたか知りませんか。
303名無し三等兵:2014/03/15(土) 23:32:01.10 ID:???
>>285
世襲化した下級武士よりゃマシだろ
道場剣法しかやったことなくてそのくせ新時代に対応する意思薄いし
貧乏で栄養失調状態だし
304名無し三等兵:2014/03/15(土) 23:35:21.85 ID:???
>>293
なんか人口比おかしいぞ
全国平均でも武士が7%程度はいたはずだから
305名無し三等兵:2014/03/16(日) 00:15:52.00 ID:???
ttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7860.html

江戸末期だが全国平均で6.4%
士分に限っても3.6%

一部の藩は郷士で「かさ上げ」する形になるから異常な人口比率になるけどね
306名無し三等兵:2014/03/16(日) 06:42:43.62 ID:???
松代藩の場合、10万石で3000人の士分を雇っていたけど
家族が含まれていないから、家族を含めると1万5000人くらいに増えるかな。
となると人口の15パーセントが士分ということになる。
全国平均の士分の割合と実際に雇われている士分とは違うからな。
ちなみにネット情報だと薩摩藩の士分は人口の26パーセント。
これだと人口の5パーセントは戦場に送り出せたのではないか?
77万石の石高から推測すると4万近い軍勢になる。薩摩藩恐るべし。
307名無し三等兵:2014/03/16(日) 07:48:38.55 ID:???
郷士って半農半士で碌な報禄も与えられないで、有事の際は真っ先に出征されるという事かな。
308名無し三等兵:2014/03/16(日) 09:46:47.41 ID:???
>>307
まあ永久予備役みたいなもんだな
年貢の減免とかはあったにせよあんまり愉快な身分じゃない
309名無し三等兵:2014/03/16(日) 09:54:48.83 ID:???
>>308
そんな身分でも金のある奴は買ったというから身分てすごいね。
310名無し三等兵:2014/03/16(日) 14:45:45.24 ID:???
1石取といって、1年間の俸禄が1石しかない武士も珍しくなかったらしいからな。
1年365日なので日給に直すと1日米3合にも満たない。
当然、家族どころか自分も食べていけないので家族全員が内職三昧だったとか。
公務員のワーキングプアは江戸時代は当然だったんだな。
311名無し三等兵:2014/03/16(日) 15:13:57.59 ID:???
>>310
大身の武士でも借金漬けだったらしいし。
312名無し三等兵:2014/03/16(日) 15:32:24.06 ID:???
普仏戦争のフランス軍は当時の最新銃であるシャスポー銃を持って戦闘に臨むもボロ負けしたのだから、ライフルの性能だけで敵を圧倒できる時代ではない。
鉄道による輸送力や大砲といった機械力もさることながら、重要な局面では騎兵や歩兵でどれだけ敵を押し込めるかという突撃力はこの時代においては最重要だ。
313名無し三等兵:2014/03/16(日) 15:36:10.93 ID:???
西南戦争はタイミングの問題がある。
もっと早いタイミングで西郷隆盛が蜂起していれば、熊本城は篭城の準備が整わず、あっさり陥落し、
戦いが長期化して財政が困窮した明治政府は西郷に講和を申し入れたかもよ。
314名無し三等兵:2014/03/16(日) 15:43:52.07 ID:???
>>312
プロシア軍も後装のドライゼ
315名無し三等兵:2014/03/16(日) 15:44:51.29 ID:???
土鍋こっちに移動…?
316名無し三等兵:2014/03/16(日) 16:18:54.38 ID:???
普仏戦争はマイナーながら、その後の世界史に絶大な影響を残した戦争だよな。
もし普仏戦争でナポレオン3世が勝っていたら、20世紀の第一次大戦やロシア革命は起きなかったかもしれないんだから。
ヒトラーも独裁者にならず、パン屋の店長ぐらいで人生を終えていたかも
317名無し三等兵:2014/03/16(日) 16:26:36.38 ID:???
ナポレオン3世が勝っていたらエッフェル塔よりでかいナポレオン3世の像がパリに建立されたかもな
318名無し三等兵:2014/03/16(日) 19:03:19.29 ID:???
普仏戦争ではプロイセン軍の大砲が敵を圧倒したってあるけど、どんな大砲だったんだ?
クルップ製で4ポンドと6ポンドが配備されてたって聞いたんだが・・・
319名無し三等兵:2014/03/16(日) 19:33:18.42 ID:???
>>318
普仏戦争に関する記事が載った「歴史群像」も「コマンドマガジン」も実家にあるので
答えにならない答えかもしれませんが。
結局のところ、普仏戦争は孫子のいうところの「我を知り敵を知らば百戦百勝」を地でいった戦争です。
プロイセン側はフランスの長所や短所を調べて勝算が十二分にあると判断して開戦の決断をしましたが
フランス側は国民世論に押されて開戦しただけで実際には戦争の準備ができていませんでした。
メキシコ出兵やインドシナ派兵でフランス陸軍の精鋭は消耗しており、ある意味再建途上。
ナポレオン3世もその事情はある程度把握していて開戦を避けたかったのですが、
これまでの失政で世論の支持を無視できなくなっており、開戦の決断をせざるを得ませんでした。
そして、無惨な敗北。世論は一転して、何故世論を無視して非戦の決断をしなかったのか、と非難を浴びせて
フランスで帝政復活は無理な状況になります。
世論というもののいい加減さを普仏戦争は教えてくれます。
320名無し三等兵:2014/03/16(日) 20:35:46.79 ID:???
>>314
しかしシャスポーの方が優秀だったと>312は言っているんだろう?

>>316
なんでパン屋?
321名無し三等兵:2014/03/16(日) 21:03:02.34 ID:???
でもシャスポーの紙薬莢の底に雷管って抵抗あるな。ガス漏れ用のゴムパッキンは良いとしても。
322名無し三等兵:2014/03/16(日) 21:43:21.37 ID:???
>>311
以前読んだ武士の家計簿って本によると
常時年収の二倍の借金があるのが平均的だったらしいな
借金先は、親戚や領地の農民なんかが多かったそうだ
案外商人からの借金は比較的少なかったらしい
領地の農民はいざとなったら収めるはずの年貢を差し押さえれば済むけど、
そういったことが商人はしづらかったからだとか
323名無し三等兵:2014/03/17(月) 19:50:37.47 ID:???
>>322
年収の2倍の借金って今でも珍しくない気がするな。
住宅ローンを組んだ人だとよくあるレベルになる。
この頃の借金の利息はどれくらいだったのだろう?
ちなみに薩摩藩とかは250年賦かつ無利息で元本のみ返還で借金をしていたからな。
よく金を貸してくれたものだ。
324名無し三等兵:2014/03/17(月) 19:58:41.54 ID:???
>>323
住宅ローンなら土地や建物といった物がある。
この時代の武士の借金は生活費。
消費者金融に年収の2倍の借金があるようなもの。
325名無し三等兵:2014/03/17(月) 20:53:35.76 ID:???
徳政令まだーちんちん
326名無し三等兵:2014/03/17(月) 21:24:15.07 ID:???
ご一新でがらがらぽん
327名無し三等兵:2014/03/18(火) 08:52:13.70 ID:???
>>318>>319 普仏戦争に関しては
wikiにも結構詳しく載ってるよ。
仏側の大砲は前装式の四斤山砲系列で
プロイセン側はクルップの後装式とか
328名無し三等兵:2014/03/18(火) 21:18:34.88 ID:???
>>327
普仏戦争はフランスが一方的に兵器の面で優越していたわけでもないし、
プロイセンが一方的に兵器の面で優越していたわけでもない。
フランスもプロイセンも兵器の面だけから見ればお互いに優越してる面があり
それを自分の有利に生かせればお互い必勝だった。
でも、結果論だけでいうとそれを有利に生かせれたのはプロイセン側だった。
本当にフランスの軍人が少しでもまともで世論を無視できる強さがあったと惜しまれる。
329名無し三等兵:2014/03/19(水) 13:52:20.13 ID:???
兵器の優位を生かしただけで必勝はねーだろ
330名無し三等兵:2014/03/19(水) 14:03:46.21 ID:???
鉄道の整備とか短時間での動員能力とか事前の計画が優れていたんじゃないの。
まあ19世紀後半の戦争って多かれ少なかれ鉄道と港湾をめぐる戦いだよね。
331名無し三等兵:2014/03/19(水) 19:36:25.51 ID:jMR1RvdM
>>330
戊辰戦争や西南戦争で鉄道は活躍していたっけ?
332名無し三等兵:2014/03/19(水) 19:56:03.19 ID:gtKTaeca
わかりきったことを聞くなよ
333名無し三等兵:2014/03/19(水) 20:10:39.98 ID:PSqg4sk/
西南戦争で東京・横浜間を鉄道輸送した位かな?
これのおかげで警視隊は東京を発ったその日の内に横浜港から出航出来たと。
334名無し三等兵:2014/03/19(水) 20:55:37.00 ID:jBnTqb8/
>>331
戊辰では海軍はそれなりの活躍をしたけどね
335名無し三等兵:2014/03/19(水) 21:10:20.49 ID:0PYSCu/5
戊辰では新潟港の制圧が重要局面だね。
336名無し三等兵:2014/03/19(水) 21:53:18.29 ID:/0AKEemR
西南戦争も海運での補給がなきゃ政府軍あんな早期に鎮圧できなかったろ
337名無し三等兵:2014/03/19(水) 22:59:50.15 ID:cQti7U2v
警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の10大事件の第9位に西南戦争
がランクインしているらしいな。
338名無し三等兵:2014/03/20(木) 07:30:43.73 ID:ztwmh/Ji
一位は226事件か?
339名無し三等兵:2014/03/20(木) 08:42:16.55 ID:XcprMQlZ
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/anket/140year.htm
〆切は今年5/6だから、まだ決着してない

>>338 おうむがえしする前にぐぐれよ
そのうちに、ガセビアを信じたなどの、ひどい目にあうぞ
340名無し三等兵:2014/03/20(木) 17:27:15.96 ID:ztwmh/Ji
>>339
その程度調べるのも馬鹿らしい話題だし
会話のできんこだね
341名無し三等兵:2014/03/20(木) 21:29:22.41 ID:MZLjfdig
>>336
西南戦争では政府軍が制海権を握っていたからな。
熊本城の救援も八代からの背面軍によるものだし、
鹿児島への上陸作戦は薩軍の抗戦計画を根本から崩壊させた。
本当に薩軍に海軍戦力があって、南九州の制海権を確保できていたら
西南戦争の流れはかなり変わったのではないか。
342名無し三等兵:2014/03/21(金) 10:43:58.64 ID:LKqbGMZI
西南戦争の時の薩摩側って
落としどころを どう考えてたの?
士族などの反政府勢力を結集して、打倒新政府?
それともある程度、新政府軍にダメージを与え
薩摩に触れると火傷すると思わせ
独立するとか?
それとも何も考えてないとか?
343名無し三等兵:2014/03/21(金) 10:48:10.21 ID:s0pJpM96
最初からそんな事を考えてたような計画的な反乱では無いだろ
344名無し三等兵:2014/03/21(金) 11:18:26.90 ID:1/mrquBw
西南戦争の薩軍側ははっきりいって開戦計画とかなくて暴発しただけだからな。
参加した者の中には西郷陸軍大将を先頭に東京へ向えば、ナポレオンが皇帝として復活したように
陸軍の将兵は競って西郷側に転じるという楽観論まであったくらい。
熊本城に籠城して鎮台兵が抵抗するのは本当に意外だったとか。
345名無し三等兵:2014/03/21(金) 12:07:50.66 ID:LKqbGMZI
ということは、西郷王国化して新政府の言うことを聞かない薩摩を潰したい
大久保らが薩摩を挑発して暴発させたということ?
346名無し三等兵:2014/03/21(金) 15:22:27.41 ID:PfdFsleT
何故そこで陰謀論めいた話になるのか
347名無し三等兵:2014/03/21(金) 16:51:20.97 ID:LKqbGMZI
じゃあ薩摩が勝手に暴走したとでも?それじゃ自爆じゃん。
348名無し三等兵:2014/03/21(金) 17:10:04.15 ID:j//hJKr+
自爆だよ。だから暴発。
349名無し三等兵:2014/03/21(金) 21:10:45.50 ID:HNUfRwYl
>>345
意図的な挑発はしなかったけど、薩摩がある文章を西郷暗殺指令と勘違いして暴発しちゃったんだっけ。
大久保も後日「これは誤解しても仕方がない」と言ったとか何とか。
350名無し三等兵:2014/03/21(金) 21:45:34.69 ID:7Bi/1tNn
>>349
確か「西郷を視察(シサツ)せよ」という指示を政府が薩摩の状況を探る密偵に出したのを
薩摩側は「西郷を刺殺(シサツ)せよ」という指示が密偵に出たと誤解したのだったかな。
薩摩側は西郷陸軍大将を刺殺せよとは言語道断と激高して挙兵したが、
個人的な理由の挙兵ではないか、と板垣退助を始めとする薩摩以外のほとんどの反政府勢力はそっぽを向いてしまい、
結果的に西南戦争は大失敗に終わる最大の原因になってしまった。
もし、薩摩側が大久保以下の現政府の失政を正当に糾弾するとして挙兵していれば、
板垣らの行動も変化し、薩摩川の勝利の目もあったと思う。
351名無し三等兵:2014/03/22(土) 01:11:32.71 ID:0Fs0p6G3
一応暗殺の口供書はあるが拷問による捏造と本人が言ってるレベルでわけがわからん
そしてそれを東京に問いただしに行くというのが戦争の大義名分
なにそれというレベル

だから以後の行動もテキトウ
全国レベルで決起を促すとか、最初から長期自給の構えとか船で東京急襲とか
手を尽くせばもっと大変なことになったのは間違いないところ
352名無し三等兵:2014/03/22(土) 01:23:48.92 ID:wQuzQuNU
>>323
亀だが、同書によると藩士の関しては利子は15〜18%が普通だったようだな
高めなのは、大名ほど信用があるわけでなく、町民ほど担保がとりやすい訳でない、ということで高めなのだそうだ。
個々で考えると、年収の二倍の借金があって利子が15だったら年収の3割分の利子が毎年増えるわけで……
まあ火の車だったのは当然だよな、と。

あと、金の使い道なんだが、原書が手元にないので正確には分からないんだが
たしか、複数の通過儀礼や年中行事、それに武士という身分を手に入れた祖先を祭るために宗教団体に寄進するお金
こういった武士で居続けるための「身分費用」がかなりの割合を占めていたらしいな。
353名無し三等兵:2014/03/22(土) 10:42:13.38 ID:CV8ykK/x
>>340
親切に忠告されてるのに、感謝の意も示さない
ググレカスって蹴飛ばされたほうが良かったようだな
バカが偉そうにしてると滑稽だ
354名無し三等兵:2014/03/22(土) 11:15:40.67 ID:hMYXjnA+
>>320
普仏戦争でフランスが勝って歴史が変わり、第一次大戦もロシア革命も起きなくなればヒトラーの出番は無い。
ただヒトラーは出番が無くても口の上手さや不屈の意思でパン屋とかビアホールの店長としては活躍したと思うよ。
あとヒトラーはセールスマンも得意そう。
355名無し三等兵:2014/03/22(土) 11:20:42.18 ID:hMYXjnA+
西南戦争の西郷は明治政府の閣僚だったのだから、明治政府の弱点を理解していたはずだ。
弱点とは明治政府の財政難と薩長閥の内部抗争だ。
明治政府の重鎮はしょせん成り上がり者だから、金や地位を巡って醜い内部抗争を繰り返したのだし、
そこに磐石の政権基盤があったわけではない。
356名無し三等兵:2014/03/22(土) 11:31:43.12 ID:hMYXjnA+
蜂起する前の西郷らは行動を厳重に制限されていたわけではない。
ならば、どうせ死ぬ気なら東京に集結し、東京で蜂起をするという手もあった。
大久保利通も数人の暗殺者に暗殺されたのだし、東京で蜂起していれば明治政府の重鎮の邸宅や役所を灰にするぐらいはできただろう。

この東京蜂起の場合は武器をどうするのかという問題がある。
大人数が小銃を持って東京に集結するのは不可能だからだ。
まず手ぶらで東京に集結し、棒や即席の火炎瓶などの身近な武器で武装し、夜間に東京や神奈川の武器庫を襲撃して武器を奪い、闇夜に乗じて
東京各所に放火して騒乱状態を作り出す。
そのうえで馬車に乗って逃げる政府重鎮を狙う。
357名無し三等兵:2014/03/22(土) 16:37:41.25 ID:0Fs0p6G3
また土鍋か
358名無し三等兵:2014/03/22(土) 17:39:18.55 ID:5p7fsFEW
そういや古代中世スレは落ちたままだね
359名無し三等兵:2014/03/22(土) 17:51:24.47 ID:HOT/zts5
強制IDになったから対処が楽だな
360名無し三等兵:2014/03/23(日) 19:20:01.03 ID:veiqLhRq
古代中世スレも、立てなければ立てないで、この幕末スレ見たいに、また別のスレッドを荒らすだけじゃないのか。

ところで渾名の『土鍋』の由来はなに?
361名無し三等兵:2014/03/23(日) 19:34:20.65 ID:v7eQlDiR
これが受けたからじゃね

216 名前:名無し三等兵 [] 投稿日:2011/10/08(土) 18:43:36.93 ID:g+S3DfCX [1/2]
>>213
そういう話をする方というのは、普通「そういう用法もある」という言い方はしないで、
「刀は脳震盪起こさせるためなんだぜ、どうだおまいら知らなかっただろ!」と
得意満面のドヤ顔で話させることが多いです。

>>214
鉄の普及なら図書館で勉強してね。昭和40年代くらいでも、地方にいくと
鍋釜すら鉄じゃなくて、土鍋でご飯を炊く、なんて普通だったんだから。

218 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:54:25.71 ID:???
>>216
>昭和40年代くらいでも、地方にいくと鍋釜すら鉄じゃなくて、土鍋でご飯を炊く、なんて普通だったんだから。

ただの印象論でデータとかは何もないわけか。
このスレは軍板の中でも特に根拠なしで進むスレのようだな。

219 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/08(土) 21:00:41.86 ID:???
土鍋を使うのは鉄が普及していなかったから・・・w

220 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/08(土) 21:04:13.18 ID:???
土鍋を使うのは鉄が普及していなかったから(キリッ

「ドヤ顔」って書くヤツは結局自分の知らない知識を他人に披露されて悔しい!
ってだけだからな。

221 名前:名無し三等兵 [] 投稿日:2011/10/08(土) 21:29:28.54 ID:sr7AkfTh
土鍋が根拠wwww
362名無し三等兵:2014/03/23(日) 19:37:51.25 ID:veiqLhRq
そうか……まぁ地方によっては、土鍋で飯を炊いてたなんて例は幾らでもありそうだが、一般的とは言いかねるよな。
ましてや軍事にまったく関係ない話だし。
363名無し三等兵:2014/03/23(日) 19:42:21.99 ID:v7eQlDiR
軍板は飯の話好きだから
議題は鉄の貴重性の話だが土鍋に全部もってかれた

363 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/14(金) 22:19:29.27 ID:???
ところで鉄鍋で飯たいた方がいいの?
進化の理想としては土鍋→鉄鍋→電気炊飯器?

368 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/14(金) 23:01:51.61 ID:???
土鍋→鉄鍋は上位互換なのか否か

369 名前:名無し三等兵 [] 投稿日:2011/10/14(金) 23:16:39.02 ID:4NIWFlBI [8/11]
土鍋→鉄鍋は上位互換かどうかは知らんが(少なくとも炊飯では)、
土鍋→鉄釜は上位互換であり、それが50年前まで互換できなかったということは・・・
なぜだったかわかる?

なお、町屋では土鍋→鉄釜が上位互換だったが、
囲炉裏のある農家では土鍋→鉄鍋は明らかに上位互換だった。その違いは・・・
図書館で勉強してくれ。自分で。
何でも他人から投下してもらって、それで文句ばかりじゃ韓国に負けて当然だ。

386 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/15(土) 09:53:33.60 ID:???
鉄鍋はあまり料理には向かない
アルミも

具体的に言うと保温性
金属は陶器より熱しやすく冷めやすい
364名無し三等兵:2014/03/23(日) 19:42:54.28 ID:v7eQlDiR
剣豪・チャンバラ・時代劇を語るスレ
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1314011090/

387 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/15(土) 10:04:23.57 ID:???
圧力IH炊飯ジャーが最上位ってことでいい?

393 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/15(土) 13:16:00.16 ID:???
蒸気カット圧力IH炊飯ジャーこそ至高

544 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/25(火) 21:13:03.28 ID:???
このスレ見て圧力IH炊飯ジャー買ったよ

545 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/25(火) 22:47:10.29 ID:???
>>544
おお、このスレで初めて建設的なことが起きました!おいしいご飯を楽しんで下さい!

546 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/25(火) 22:58:39.07 ID:???
>>544
とうとう土鍋生活から脱したか。おめでとう。
365名無し三等兵:2014/03/24(月) 00:08:02.53 ID:OuvbEuC0
>>358
避難所のおーぷん2ch軍板にもスレはあるけど過疎ってる
366名無し三等兵:2014/03/24(月) 19:31:58.67 ID:Z/7jH1+c
>>358
あのスレは電波粘着が居付いてるからほとぼり醒ましのためにしばらく建てないんだろ
367名無し三等兵:2014/03/24(月) 19:38:01.02 ID:aKssHgaK
ID出るから連鎖あぼーんが効いてよい
368軍事板強制ID制式採用選挙4/19-25:2014/03/31(月) 17:00:24.38 ID:6UlnFs+9
強制ID制仮導入ノ是非ヲ問フ投票ヲ4.19ヨリ決行セリ!総員参加セヨ!自ラノ意思ヲ示ス戦ヒニ!

【4/19〜4/25までの期間、強制ID表示の是非を問う再投票を行います】

議論中失礼いたします。
皆様お気付きのように3/19に、軍事板では任意ID制から強制ID制への変更が行われました。
今回の導入は飽くまで仮導入のため、実施一ヶ月後に是非を問う投票を行います。

投票当日に向けての議論は現行自治スレにて、自治スレ他で指摘された強制ID制導入
に伴うメリット・デメリットのまとめはまとめウィキにて行っています。

自治スレッド53(ID強制表示本採用投票4/19予定)
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1395286401/

軍事板強制ID制メリット・デメリットまとめWIKI
http://idtroops.wiki.fc2.com/

これらを参考に、強制IDに賛成の方も反対の方も共に、投票による意思表示をお願いします。
369名無し三等兵:2014/04/09(水) 19:17:15.53 ID:/G+2GTyl
保守も兼ねて

南北戦争の頃は前装式ライフル銃や甲鉄艦が花形だったと思いますが
戊辰戦争の兵器調達と絡む話はどんなものがあるでしょうか。
私の知っているのは薩長側が調達した「甲鉄」は南軍が発注したものというくらいです。
他にもいろいろありそうなのですが、ご存じの方はおられませんか。
370名無し三等兵:2014/04/09(水) 19:33:42.54 ID:dj5Shoyu
盛岡藩は潜水艦を買って宮古湾に配置する計画をしていたらしいぞ。
蒸気船を買ったのは、東北諸藩では一番早かった。
箱館の警備もしていて訓練は進んでいた。

潜水艦購入計画は延期されたが、宮古湾は実際に海戦場になった。
371名無し三等兵:2014/04/10(木) 19:05:39.24 ID:I2QmVTFT
>>370
この頃の潜水艦というと
動力は何を使っていたのだろう?
まさか人力?
372名無し三等兵:2014/04/10(木) 20:08:50.97 ID:6mqCvuvr
ハンレイみたいなのか?
373名無し三等兵:2014/04/11(金) 10:51:58.83 ID:KoyAiBZt
桜田門外の変。
当時黒船は日本各地に出没し、沿岸に停泊し薪や食糧を求める事頻繁で、
太平洋岸の水戸藩はそういうことはかなりの頻度でおきていて、藩士はそこに
日本侵略にたいする憂慮があった、とする歴史学者の説がある。

水戸藩委に限らず幕末の我が国沿岸の各藩hでは公式記録に残らないまでも、
そういうことは多々あったろう。 そこでは殺戮などはなく友好的、人道的
な交流があったと思われる。
374名無し三等兵:2014/04/11(金) 10:55:21.67 ID:KoyAiBZt
戊辰戦争か我が新発田藩は奥羽越列藩同盟を離脱して官軍に寝返った。
 そのことは卑怯かもしれないが領民を戦火から守ったことは、近代国民国家
の意識の芽生えとして特筆されるべきだ。
375名無し三等兵:2014/04/11(金) 12:03:26.08 ID:0AYwWJP1
秋田藩はボコボコにやられて死にそうだったやんけ
376名無し三等兵:2014/04/11(金) 20:04:50.82 ID:Ofo4Vne7
寝返りというか、味方を裏切って敵方に奔るタイミングというのは本当に難しい。
もちろん、領民を護るためとか大義が立つのは必要不可欠ではある。
長州戦争、四境戦争においても津和野藩や広島藩等、幕府から寝返るとは
いわないまでも長州藩に好意的中立を保ったことが長州藩の勝利に貢献している。
外国でもそういった例は事欠かない気がするけど
どんなものだろう?
377名無し三等兵:2014/04/11(金) 20:21:10.58 ID:rHjkBFJt
>>376
30年戦争のザクセン侯とかまさにそれ
いつもいつも最悪のタイミングで寝返りして結果的に新教連合、ハプスブルグ家、他のドイツ諸侯と各方面から
批判された挙句、ウェッジウッド女史にまで侯の優柔不断な態度が30年戦争の長期化を招いた主要因とまで断罪されてる始末
378名無し三等兵:2014/04/12(土) 04:28:26.00 ID:Xu1rZW/l
もともと秋田のあたりって日本海交易で関西圏との繋がりが強かったんでしょ。
列藩同盟はお義理で参加した感じで、離脱も想定内だったんじゃね。
379名無し三等兵:2014/04/12(土) 19:01:55.32 ID:Ufa7NsFP
確かに庄内藩等の対応を見ていると
秋田藩の離脱は想定されていた可能性が高いな。
しかし、秋田藩の寝返りが藩内に多大な被害をもたらしたことを考えると
何とも言えない感じが。
薩長側も秋田藩の救援を試みはしたが、援軍も中々送るのに苦労したし。
裏切るのは本当にタイミングが重要だな。
380名無し三等兵:2014/04/12(土) 19:22:47.35 ID:farovRrV
>>371
南部のは人力。ハンレイには最初、今で言う電動機を積もうとあれこれ
試行錯誤をし、金も無駄遣いし、それから蒸気推進にしようとし、
それもうまくいかなくて結局それまでの試作艇同様人力用クランクをとりつけた。
381名無し三等兵:2014/04/12(土) 19:35:36.34 ID:Ufa7NsFP
>>380
当時の技術力からすれば人力も仕方ないか。
潜水艦を蒸気推進で動かそうなんて
シュノーケルが実用化されないと無理だろうし。
382名無し三等兵:2014/04/12(土) 22:18:28.80 ID:K3BwrQUn
一体何を作ってどうやて太平洋を越えて売りつけるつもりだったのか
そもそもホンマかいなという
383名無し三等兵:2014/04/12(土) 22:54:41.37 ID:fapa8Nd5
>>382
武器の輸出の話はトンデモじみた実話がゴロゴロしているからな。
戊辰戦争絡みで結構知られている話としては
薩長側の主力艦の「甲鉄」が元々は南部連合がフランスに発注した軍艦の2隻の内の1隻で
南部連合が崩壊した結果、フランスはデンマークとプロイセンという戦争直前の2国に1隻ずつ売りつけようとしたが
先にデンマークとプロイセンが戦争を始めてしまい、デンマークが敗戦。
戦勝国のプロイセンは何とか1隻を買ってくれたけど、デンマークは購入してくれずじまい。
その結果、フランスは米国に押し売りを掛けて、更に薩長に転売され、「甲鉄」になったという。
説明している私にも何でこうなったのか、よくわからない。
384名無し三等兵:2014/04/12(土) 23:11:37.29 ID:K3BwrQUn
>>383
特に軍艦は完成まで時間かかるからいろいろあるさw

しかしなかなか数寄な船だったのね
385名無し三等兵:2014/04/12(土) 23:17:25.53 ID:Xu1rZW/l
それを言うなら数奇だろ
数寄な船だと茶室かなんか積んでそうな
386名無し三等兵:2014/04/12(土) 23:17:40.30 ID:7qNuT3/T
しかし、当時は先進国も軍艦は海外で作って買ってるところが多かったのを聞くと不思議な気分
387名無し三等兵:2014/04/12(土) 23:36:48.21 ID:K3BwrQUn
>>385
なるほどと思ったが辞書引いたらどっちでも同じだわ
当て字だそうで
388名無し三等兵:2014/04/13(日) 13:25:47.04 ID:nZcFX7W6
甲鉄の話って目茶苦茶複雑やね。
英語版wikipedia、日本語版wikipedia、日本語のwebサイト、それぞれ話が微妙に違うw
389名無し三等兵:2014/04/13(日) 13:40:36.35 ID:LfXnkZBz
>>388
伝言ゲームかw
390名無し三等兵:2014/04/13(日) 15:23:26.87 ID:uUauzeoR
>381
蒸気を耐圧容器に貯めといて潜航後エンジンを回す考え。
南北戦争後に二ヶ国くらいで実験的にはそれなりに成功した。

>383
「甲鉄」には一応南部側の回航員が乗り組んで出航したろ?
北の軍艦二隻がこれを警戒していたけど
とうてい太刀打ちできなかったから接触はさけていた、
入港前に南部が降伏した、と記憶しているけど違った?
391名無し三等兵:2014/04/13(日) 15:56:44.36 ID:uhM2kNDC
積んでおいた、軍艦「甲鉄」始末、が見当たらない・・・
392名無し三等兵:2014/04/13(日) 17:02:51.30 ID:CnUKy367
聯合艦隊軍艦銘銘伝だと一応南北戦争に従軍したってなってるな
393名無し三等兵:2014/04/13(日) 19:24:57.55 ID:1xq/k4ok
「甲鉄」が日本にたどり着くまでの状況については
私の持っている雑誌「コマンド」8号の記事に載っていたけど
それも微妙に異なるからな。
フランスがデンマークへの売り込みに失敗して、結局、南部連合に売却することに再決定。
しかし、南部連合の主要港が北軍の制圧下にあったためか、一旦、ハバナへ向かうことになり、
ハバナにたどり着いたところで南部連合の降伏の報告を受けたためにスペイン政府が購入。
更にスペインから米国へ、米国から徳川幕府へと転売されて、日本に到着。
後は結構ご存じの経緯を経て、薩長が入手ということになっている。
真実が本当にわからなくなってくるな。
394名無し三等兵:2014/04/13(日) 21:32:45.74 ID:6Xnt53Ox
自分も本が見つからないが、数年前の自分のレスを発掘したので参考までに

>ストーンウォールが正しいが、ストーンウォール・ジャクソンと呼ばれることもあったそうだ。
>
>中村彰彦著 軍艦「甲鉄」始末 という本によると、
>このフネは元々南軍向けにスフィンクスという名前でフランスで建造され、
>デンマークに売却されてスコルテーダに、
>再びフランスに戻されてオリンダに、
>回航中に南軍が奪取してストーンウォールに、
>さらに回航途中でキューバに叩き売られ
>続いて北軍のものになり、
>日本に売られて甲鉄に、
>最後に東になったそうな。
>
>延べ8カ国に所属し、7つの名を持つということになります
395名無し三等兵:2014/04/13(日) 23:17:29.33 ID:CnUKy367
ストーンウォールジャクソンて南北戦争のジャクソンのあだ名じゃねえかw
396名無し三等兵:2014/04/14(月) 00:52:54.71 ID:/pvKT5w9
>>394
八つの国を股にかけ、七つの名を持つ男…、って書くと格好良いな。
397名無し三等兵:2014/04/14(月) 12:37:24.81 ID:KEt1fUFi
船だから男じゃないだろう?
398名無し三等兵:2014/04/14(月) 15:14:56.65 ID:t25cKs+J
てs
399名無し三等兵:2014/04/14(月) 15:16:03.42 ID:t25cKs+J
>>397
どんなアバズレだよってかw
400名無し三等兵:2014/04/14(月) 19:56:18.64 ID:ZtsAWtLT
>>399
甲鉄の処女だろw
401名無し三等兵:2014/04/14(月) 20:11:47.22 ID:VvUb3W4a
船は女性だからな。
でも、甲鉄は処女ではないはず。
ちゃんと敵艦に対して砲撃して、処女は失っている。
402名無し三等兵:2014/04/14(月) 20:48:12.20 ID:vafz2fVt
スペインがこらうちのもんだし、売らね、と頑張ったらどうしたろう。
403名無し三等兵:2014/04/14(月) 21:25:43.34 ID:WXANZX7u
>>402
米西戦争が史実より30年早く勃発しキューバの歴史が変わったかも
404名無し三等兵:2014/04/14(月) 22:24:18.36 ID:bOWt7OPm
スペインにしても旧南部連合の船員に押し売りを掛けられて無理やり買わされたみたいだし、
アメリカに買い取ってくれ、と半分泣きついた感じだから、
その流れはないと思うな。
それよりも戦争勃発が遅れてデンマークが無事に買い取っていた場合が気になる。
姉妹艦同士が撃ちあうという悲喜劇が起きていたかも。
姉妹艦同士が撃ちあうことなんて滅多にないことだと思うから。
405名無し三等兵:2014/04/14(月) 22:33:34.31 ID:xYbfQXJq
筑紫は黄海海戦に出てないもんな。
406名無し三等兵:2014/04/15(火) 08:19:45.94 ID:xWPh4iw2
>>401
ドイツ戦艦「ビスマルク」は男みたいだけどな
407名無し三等兵:2014/04/15(火) 11:32:02.64 ID:DTuN7KlX
>>406
単なる総統の戯言
今現在も、原語では定冠詞「Die」付きで呼ばれてる(女性1格)
408名無し三等兵:2014/04/15(火) 19:58:17.72 ID:pIT4Ry0D
>>395
ストーンウォールジャクソンか。
南北戦争で綺羅星のごとく輝く将帥の中で
南軍の中ではリー将軍とともに人気のある将軍だな。
ジャクソンは軍団長としては有能だけど全軍の将帥という立場では
それほどでもないという評価を読んだけど
本当のところはどうなのだろう?
北軍のバーンサイド将軍と同様なのだろうか?
409軍事板強制ID制式採用選挙4/19-25:2014/04/19(土) 03:10:46.45 ID:oDJ31SLQ
4/19〜4/25までは、軍事板強制ID表示の制式採用の可否を問う選挙期間です。

投票所はコチラ。
軍事板強制ID制式採用投票スレッド
http://nozomi.2ch.net/test/read.cgi/vote/1397822163/l50

議論スレはコチラ。
自治スレッド54(ID強制表示本採用投票4/19-25)
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1396337551/

議論まとめや参考データはコチラ。
軍事板強制ID制メリット・デメリットまとめWIKI
http://idtroops.wiki.fc2.com/

皆様からの投票、お待ちしています。
410名無し三等兵:2014/04/26(土) 21:06:43.53 ID:57oPLcMi
甲鉄と開陽は当時の東アジアにおいてどれくらいの有力艦だったのでしょうか。
昔、読んだ歴史雑誌で仮に甲鉄までも幕府海軍が手に入れて榎本が率いていたとしても
薩長側はすぐに甲鉄と開陽をしのぐ軍艦を調達して五稜郭を攻略できたという記事を読んだ覚えがあるのですが
ネット情報では甲鉄や開陽は東アジアのみならず当時の世界では有数の軍艦だったという話まで出て来るもので。
本当のところ、史実の流れが異なった場合、薩長側は甲鉄や開陽をしのぐ軍艦をすぐに購入できたのでしょうか?
411名無し三等兵:2014/04/29(火) 15:20:11.49 ID:ePWXbdIM
新政府軍に金がない、というのは置いておくとして。

>>フリーゲート艦
開陽を事例にすると建造から引き渡しまで3年かかってるので新造は間に合わず。
各国の極東艦隊およびアメリカ本土から就役済みの艦艇を購入する場合は
戦列艦は別として開陽と同規模のフリーゲート艦が主力になってるので
比較的新しい艦艇の購入は相手側の好意がないと難しいかと。
5〜10年で解体メンテが必要になる時代なんで中古はかなり型落ちします。

>>甲鉄
同型艦はプロシア海軍行きなんで購入不可
北軍の建造した帆機走の装甲艦はボロボロなので不可
砲塔装甲艦(モニター)は余っている状態で甲鉄購入時に勧められたりしてる。
ただ装甲艦にしては舷側の高い、甲鉄でも回航に1年かかってるので購入しても
到着に時間がかかるのでの五稜郭戦には間に合わないかと。
412名無し三等兵:2014/04/30(水) 19:23:18.00 ID:1ECK4cDX
>>411
新政府軍は金がないはずですよね。
私の覚えている雑誌記事だと「甲鉄」の購入がすぐ現場で即決できたことや
戊辰戦争中に旧幕府軍を兵站面で圧倒できたことを傍証として
新政府軍がお金に困っていたことは全くないといっていました。

後19世紀では軍艦は建造費より高い金額を示せばすぐに売買契約が成立する
(一例としてジュゼッペ・ガルバルディ級二等戦艦はアルゼンチンやスペインに次々と
売却され最初発注してから8年後にようやくイタリアは4代目として取得した)ものなので
買おうと思えば新政府軍はすぐに買えたというので当時の軍艦はそういうものかと思えました。
やっぱり甲鉄や開陽クラスの軍艦はそうそう買えるものではないのですね。
413名無し三等兵:2014/04/30(水) 20:27:17.53 ID:PU6BOct/
NF文庫の新刊に「巨砲艦」ってのが出てて、この本が甲鉄に一章を割いてるが、
排水量1358t砲、3門、9ktの装甲艦は当時としてはあんまり有力な船には見えんなあ。
他国のお下がりで良ければ、もっとほかの船を手に入れられたんじゃないだろうか。
414名無し三等兵:2014/05/01(木) 13:07:30.10 ID:el0waeFQ
415名無し三等兵:2014/05/01(木) 13:15:47.79 ID:el0waeFQ
英国
オーシャン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3_(%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%89%A6)
ウォーリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2_(%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%89%A6)
416名無し三等兵:2014/05/01(木) 19:39:53.87 ID:NAPIjmEx
英仏の主力艦を見る限り
甲鉄はどう見てもしょぼい軍艦にしか思えないけど。
新政府軍なら甲鉄クラスはすぐに買えるように思える。
417名無し三等兵:2014/05/02(金) 23:37:58.28 ID:W7Xi7cle
>>416
 いやいやいや、官軍の貧乏さを見くびってもらっては困る。
 それに、甲鉄艦クラスでも、世界の裏側から回航する費用つけたら相当の金だろ。
418名無し三等兵:2014/05/03(土) 00:49:36.46 ID:e9rmxcnv
>>417
回航中にどんどんポンコツになっていくというw
419名無し三等兵:2014/05/03(土) 07:55:02.61 ID:21Rh+BrY
甲鉄の購入費用は40万ドル。日本までの回航費用が別途10万ドル。
420名無し三等兵:2014/05/03(土) 11:12:02.32 ID:9RG4Naoz
そりゃあ国産しなきゃってなるわなあ
421名無し三等兵:2014/05/03(土) 19:13:13.33 ID:bvSo9tAu
ちなみに甲鉄がスペインから米国に買い取られた際の費用は1万6000ドル
いかに日本が足元を見られて米国から高い買い物をさせられたか分かる。
回航費用は別としても25倍になっているのだから。
422名無し三等兵:2014/05/04(日) 17:57:09.08 ID:+xiHRRat
甲鉄を米国が買ったときの価格って、南軍がフランスから同艦をハイジャックして、武装を搭載するために
キューバのハバナに入った後、北軍の監視が厳しくて出航できず、船員に給料を払うために艦長がキューバ当局に
捨て値で売却したときの価格で、それを戦後に統一した合衆国が買い戻したって時の価格だから、
艦の価格とは言い難いと思うぞ。
423名無し三等兵:2014/05/04(日) 21:04:54.07 ID:FMmrXD7z
>>422
甲鉄はコマンドマガジンの記事を読む限り
フランスから出航する際に武装は完全に搭載済みだったみたいだけど
コマンドマガジンの記事が間違っているのでしょうか。
424名無し三等兵:2014/05/05(月) 20:29:44.55 ID:ctrn29Ex
「巨砲艦」の記述によると、甲鉄は同型艦が二隻建造され、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン戦争で
争っていたプロイセンとデンマークにそれぞれ一隻づつ、フランスの中立の意思を見せるために非武装状態で
引き渡されるところだったとか。プロイセンは購入して自国で武装を搭載し、
戦争に負けて不要になったデンマークは引き取りを拒否したとか。
これが南軍にハイジャックされ、後に甲鉄となる。
425名無し三等兵:2014/05/07(水) 20:04:25.67 ID:q5n0sELT
>>424
その記述には少し疑問が。
何故、甲鉄は日本に引き渡された際に英国製のアームストロング砲を積んでいたのか?
アームストロング砲は司馬氏の著作等で誤解されているが実際には英国でも欠陥砲扱いされた代物で
英国以外ではほとんど採用されていない。
甲鉄もその後、米国製のバロット砲にわざわざ換装している。
もし、フランス出航時に非武装だったのならアームストロング砲を英国から輸入してまで搭載するとは思えないのだけど。
426名無し三等兵:2014/05/07(水) 20:21:15.50 ID:84fsS3Bg
南軍の工作員は後の甲鉄、この時点での艦名オリンダを奪取した後スペインに向かい、同地でブローカーから入手した
アームストロング28cm(300ポンド)前装滑腔砲と12.7cm(70ポンド)ライフル砲を搭載している。
武装が日本到着後に換装されたのはご存知の通り。
427名無し三等兵:2014/05/08(木) 19:00:43.75 ID:bXT/y/bF
>>426
詳細な説明ありがとうございます。
何となく裏がありそうな気がするのは考えすぎでしょうか。
70ポンド砲はともかく300ポンド砲ともなるとそう簡単には軍艦には搭載できません。
予めフランスの造船所と南軍の工作員との間では談合済みでシージャックされたことにして
スペインの港で大砲を搭載できるように話をつけていたような気がします。
陰謀論が好きなせいかもしれませんがデンマークとプロイセン双方に軍艦を売りつけるような
造船所ですからそれくらいしかねない気がするのです。
428名無し三等兵:2014/05/08(木) 20:14:35.02 ID:BvNzGSEV
うん、行先の無い軍艦の処分に困ってただろうし、シージャックは南部連合とフランスの共謀が疑われてる。
ちなみに甲鉄もプロイセン軍の同型艦も、浅喫水で沿岸作戦用に設計されたこのタイプの船、
両国ともあんまり使い勝手はよくなかったそうだ。
429名無し三等兵:2014/05/09(金) 19:30:16.50 ID:/Jf3BBCI
確かに甲鉄のスペックを見ると沿岸防衛用の軍艦なのは間違いなさそう。
開陽はその点については外洋での戦闘も考慮して建造されたみたいで
甲鉄と開陽を比較すると沿岸防衛重視の軍艦と外洋戦闘重視の軍艦の対比のようで興味深いな。
430名無し三等兵:2014/05/30(金) 20:06:52.24 ID:ZBQddbT/
散兵戦術ってあるけど散兵線ってのはどれくらいの密集具合だったんだろうか(普墺〜日露あたり?)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f8/LJB9_-_Zimmer.jpg
画像は普仏戦争の絵画だけどこれだと戦列歩兵と変わらないように見えるけど・・・
431名無し三等兵:2014/05/31(土) 14:12:37.32 ID:dByv+7PN
>>430
その時代の歩兵は戦列歩兵と大差無いかと。
歩兵の兵科分けも、戦列歩兵、軽歩兵(徒歩猟兵、ライフル銃兵)のままで、隊形も横隊+散兵が未だに主流だったみたい。

散兵戦術と言っても全ての歩兵が散兵として戦う訳では無いし。
散兵の比率がナポレオン戦争の頃に比べて増えた程度?

ナポレオン戦争でのイギリス軍大隊(10個中隊、約660名)
2列横隊の9個中隊(幅495フィート/150.9メートル)の前面に散兵1個中隊(66名)が展開。

南北戦争での大隊(10個中隊、約500名)
2列横隊の8個中隊(幅132ヤード/120.7メートル)の前面に散兵2個中隊(約100名)が展開。
各中隊の10ー20%を散兵に充てる方法も。

※英米軍ともに定数では無く、前線での平均的な兵力
432名無し三等兵:2014/06/02(月) 00:33:35.37 ID:F2R0otWF
それって大隊ではなくて連隊では…?

少なくとも南北戦争では10個中隊1000名で連隊
(定員割れが常態化してて大抵500名程度)を編成してたんですが…
433名無し三等兵:2014/06/02(月) 01:10:50.76 ID:0GzpIs/W
10個中隊で1000名つうことは1個中隊100名か
なんだか周時代の軍制みたいだね
434名無し三等兵:2014/06/02(月) 08:17:18.55 ID:rWlkX8ef
>>432
説明不足ですみませんでした。
散兵の密集具合の話でしたので、はしょってしまい・・・

戦前の規定(1855年?)では、兵力に応じて連隊を複数の大隊に分割する様に指示されていましたが・・・
開戦後には一部の合衆国正規連隊(連隊名にU.S.が付く)で、
1個連隊=2ー3個大隊(多くは2個)
1個大隊=8個中隊
の編成が行われていただけの様です。

主力である州義勇兵(連隊名に州名が付く)では、
1個連隊=1個大隊=10個中隊
の編成が行われていました。
この場合の大隊は、戦闘隊形に移行した連隊の別称くらいの意味な様ですが、一つの規模の部隊を状況に応じて異なった単位名で呼ぶ事は別の時代や国でも有りました。
435名無し三等兵:2014/06/02(月) 17:26:00.73 ID:iiXK+L1D
ぶっちゃけ第一次大戦初期くらいまで一列横隊組んで敵陣までノッシノッシと歩いてたよね
んで機関銃陣地の十字砲火喰らって死体の山
436名無し三等兵:2014/06/02(月) 18:34:41.67 ID:fWLn0GZS
映画「トレンチ」のイギリス軍がまさにそんな感じだったな。
437名無し三等兵:2014/06/02(月) 18:43:17.91 ID:Z3iIHJy6
重装歩兵や槍兵の時代じゃあるまいし、
野戦で銃兵に横隊を組ませる意味ってあまりないんだよね。
傭兵や騙されて兵隊になった連中ならそうしないと
逃げたり死んだふりしたりする可能性高いから仕方ないけど。
438名無し三等兵:2014/06/02(月) 21:17:14.32 ID:5AU7nX2r
横隊だと敵の攻撃を分散できるので有利なのかな。
まあ結局機関銃による側防射撃には無力だが。
439名無し三等兵:2014/06/02(月) 21:20:05.10 ID:g5qFAWml
銃砲撃横一列で怖くない

まあなぎ倒されちゃ意味ないんだけど
440名無し三等兵:2014/06/02(月) 22:03:06.42 ID:rWlkX8ef
小銃の火力が弱かったから固まって射つしかなかったのかと。
あそこまで密集しなくともって気もするけれど、散兵や散開気味の横隊だと白兵戦で不利になるし・・・

ライフルの比率の増えた南北戦争でさえ射撃戦の距離は平均で150ヤード以下。
相手がその気なら、突撃時の歩調
ダブルクイックステップ:1歩が33インチ、1分間に165歩
で1分掛かるか掛からないで白兵戦間合いまで進出して来る。
その間に密集隊形に移行するか(隊形変換時は射撃が出来ないけど)、阻止射撃に専念するか(各自2ー3発は射てる)。

防御側有利と言われていた戦争だから、散開隊形と言えども阻止射撃に専念するのが正解だったらしい。
逆に言うと白兵戦間合いまで行ければ攻撃側にも勝機が。
その為に考え出したのが歩調を1分間に180歩以上に上げるってのも凄い話だけど。
441名無し三等兵:2014/06/02(月) 22:29:26.89 ID:g5qFAWml
つかボウガンが忌避されたのと同様に
狙撃も嫌われたらしいから
それがヨーロッパの密集偏重から後の横隊戦術につながってるような気がしないでもない
442名無し三等兵:2014/06/02(月) 23:09:28.12 ID:YqHEiyXx
馬が突っ込んでくると散兵じゃどうしようもないからだろ。
443名無し三等兵:2014/06/02(月) 23:59:57.54 ID:AJPm6DmF
人が突っ込んできてもどうにもならん
別に殺されなくても散開してる隙間に敵がなだれ込んだらもう統制とか不可能だし
通信機でもあればいいが
444名無し三等兵:2014/06/03(火) 02:15:55.97 ID:kbZAGoPc
その前に指揮官が撃たれるから統制できなくて前進できないよ
445名無し三等兵:2014/06/03(火) 08:04:06.34 ID:m9FtOZMK
>>444
中世や古代なら部隊指揮官の死傷で攻撃が頓挫したかもしれないけれど、
このスレの時代なら次席指揮官が引き継いで続行かも。
ナポレオン戦争でさえ、そうだったからなぁ
446名無し三等兵:2014/06/03(火) 09:36:32.54 ID:t4F19SfK
このころの銃剣突撃を指揮するのは将校と決まっていたから、
小隊以下には分割できない。下士官は銃剣突撃を指揮する教育を全く受けていない。
下士官の任務は兵隊の逃亡防止。

だから最低でも50人、100人ごとの銃剣突撃になる。
下士官が銃剣突撃指揮できるようになるのはヴェルダン戦以後のフランス軍から。
447名無し三等兵:2014/06/03(火) 09:48:17.04 ID:t4F19SfK
小銃の有効射程距離までは縦列で前進し、有効射程距離あたりで横一列に並び点
野砲・小銃の一斉射撃で制圧し、敵の銃列が崩れた隙に銃剣突撃し、よってたかって敵兵を串刺しにする。

しかし第一次大戦ではそこを陰に隠れた重機関銃で薙ぎ倒される。
448名無し三等兵:2014/06/03(火) 19:14:41.95 ID:Bmizg05k
戊辰戦争では散兵戦術が進んでいたのではなく、射撃が下手だったせいなのか。
五稜郭の戦いで伝習隊が16時間に及ぶ射撃(3万5000発も消費した)を浴びせたにも関わらず
新政府軍の兵士400名のうち死者は2名、負傷者は21名だったとか。
1人当たり90発近い射撃を行っているにも関わらず。
最も新政府軍側の方がもっと酷く伝習隊200名のうち死者1名、負傷者2名の戦果しか挙げられずじまい。
ちなみに新政府軍側は後装式に改造済みのスナイドル銃を装備していたらしい。
戊辰戦争では射撃はこれほど当たらないのか、と印象に残っている。
449名無し三等兵:2014/06/03(火) 19:31:59.89 ID:1KtzmKYW
お互いに損害きらって撃ち合ってたらそんなもんじゃね
射撃の腕と以前に遠かったら当たらんだろう
大砲があれば打開できそうな気もするけど

つか南北戦争の少し後とは思えんなw
450名無し三等兵:2014/06/03(火) 20:42:17.51 ID:N/0UwmJ+
>>448
もしかして、4月13日から14日に掛けての二股口の戦い?
両軍共に当てる事には、あまり拘っていなかったみたいですよ。

新政府軍の状況は、台場山に作られた旧幕府軍の胸壁陣地を下から見上げながらの射撃。
その上、間断無く射ち掛けていれば銃声に臆して逃げ出すだろう、と考えていてマトモに狙って無かったと。

射ち下ろす旧幕府軍も胸壁越しに射っては隠れで、やはりマトモに狙って無かった様子。
後の回想(麦叢録)に「乱放(乱発)」と書かれている程。
もっとも、正面に注意を引き付けている間に側面に回り込 せた別動隊で新政府軍を後退せているから、やる気は充分だったかと。
指揮官が土方だしw
(兵力、質共に劣っているので正面からの力業では勝てないと言っていたとの回想も)

両軍共、そんな感じな上に間には熊笹が繁っていて・・・
451名無し三等兵:2014/06/03(火) 21:06:35.41 ID:Ur0qcPo7
それから10年も経たない西南戦争では、田原坂の半月で官軍の戦死者2000人。
3月20日なんてその日だけで戦死者495人。
452名無し三等兵:2014/06/03(火) 21:36:01.85 ID:DjcNb7oV
この時代の戦闘での戦傷者の内訳
ミニエーシステム以降は砲弾よりも銃弾で倒れた兵士の方が多いのだろうか
453名無し三等兵:2014/06/03(火) 21:41:47.69 ID:PRGgsHGu
つっても田原坂では一日平均32万発も撃ったそうだぞ
政府軍の数字だから薩摩側ははるかに少なかっただろうけど
454名無し三等兵:2014/06/03(火) 22:13:39.40 ID:bzu9VNBa
戊辰戦争は、戦術がどうのというより素人同士の大喧嘩っていうイメージだな。
1000人規模の大部隊でも数人の死傷者で敗走したり、そうかと思えば同じような
規模の部隊でも2〜3割死傷者が出るまで戦ったり、大した損害も出てないのに
負けた気になって自刃してしまったり…。
455名無し三等兵:2014/06/03(火) 22:18:15.44 ID:55hVHp4U
>>451
>戦死者495人
死傷者436人、行方不明者59人だったかと。
二股口の様に正面からの直接戦闘を避けた戦闘とは違い、迂回路でさえ激戦になった戦闘での損害は半端無いですね。

>>452
北九州に作られた軍病院の記録「征西戦記稿付録 軍団病院日記抄」には、

三月十四日 田原吉次ヨリ高瀬ニ至ル傷者二百六十余名 刀創最モ多シ

と有ります。
刀傷が一番多いなんて日本の特徴、てか田原坂戦だけの特徴かもしれませんが。
456名無し三等兵:2014/06/04(水) 07:15:39.41 ID:d1oLqBT4
維新後間もない時期に村田勇右衛門どんが薩摩の二才どんらに実戦的な射撃訓練を施しちゃったからな
457名無し三等兵:2014/06/04(水) 10:45:57.92 ID:iHn7EV8K
村田と言えば、東郷隆の「狙ろうて候」読んだ人はいる?
「大砲松」が面白かったので気になるけど、実店舗や図書館で見掛けないから・・・
458名無し三等兵:2014/06/04(水) 11:14:49.28 ID:d1oLqBT4
>>457
面白いよ、東郷隆の最高傑作という声もチラホラ
459名無し三等兵:2014/06/04(水) 16:48:48.56 ID:Lv5vH3H5
>>457
松が面白いなら素直におすすめ
実業日本社文庫版なら入手容易かと
マイナーレーベルで在庫処分されでもしたのか、ブコフで東郷作品で一番見かけるタイトルかもw
幕末ネタで長編作品だと、九重の雲とか学研M文庫で全く同じ主張してる本があって、アチャーと苦笑いさせられたりw

発明家っつうより優秀な野戦指揮官に見えてきて、人生間違えたようにも思えてくるがw
ついでに比較用に兵頭二十八のイッテイなんて読み比べてみると、同じ人物の人生ネタにしてその出来の格差にもう笑うしかない
460名無し三等兵:2014/06/04(水) 20:28:30.97 ID:/iCclZcP
>>452
南北戦争における北軍の医療調査記録によると
砲撃による死傷者は全体の戦闘による死傷者の8パーセントに過ぎなかったとか。
ただ榴散弾による死傷者なのか銃弾による死傷者なのか区別せずに
全て銃弾による死傷者にしているに過ぎないという批判もあるようなので参考までに。
461名無し三等兵:2014/06/04(水) 21:00:06.45 ID:GCQL6KjD
>>458
>>459
有り難う御座いました。
小説はスレ違いと言われるかとドキドキでしたが、質問して良かったです。
他の戊辰物と銃物もこの機会に探してみますね。

村田関係ですと、本人に直接取材した「村田銃発明談」がGooglebooksに上がってますね。
手書き原稿を複写した物ですが・・・
ヨーロッパ視察で終わっていますが、以前読んだ活字版はもっと長かった気も?
462名無し三等兵:2014/06/11(水) 22:54:24.53 ID:JWEHMArX
BSで放映してた映画「王になろうとした男」観たけど面白かった。
キプリングの小説を映画化したものだけど、wikiみると19世紀末の色々な出来事をモデルにしてるんだね。
463名無し三等兵:2014/06/15(日) 11:46:09.95 ID:FOSi0CeK
19世紀末期の軍事関連の映画って少ないよね。
ショーン・コネリー主演のモロッコを巡る列強の争奪戦を舞台にした「風とライオン」って映画見たけど面白かった。
最後ドイツ軍が悪役になってしまうのは王道なのか・・・w
464名無し三等兵:2014/06/15(日) 20:53:02.90 ID:K0jD8cQq
まあどうしても20世紀の大戦争を経た後だと19世紀後半は渋めの内容になっちゃうのと、帝国主義という欧州にとっては
あまり触れたくないwものを描かなくちゃならないので少なくなっちゃうかな。

それでも大英帝国植民地もの(ズールー戦争等)やアメリカ南北戦争ものがあるんだから、普仏戦争とかあってもいいと思
う。僕の知らないだけかな。
465名無し三等兵:2014/06/15(日) 21:00:51.86 ID:LgFTp5JY
20世紀初頭まで範囲に入れて良いのなら、フォート・サガンがお薦め。
前半はモロッコ、後半はWW1の西部戦線。
フランス軍服オタには目の保養。
466名無し三等兵:2014/06/15(日) 21:38:10.93 ID:VpawB5sR
19世紀末期だと!
なら1900年舞台の北京の55(ry
467名無し三等兵:2014/06/15(日) 21:45:12.92 ID:FA9khWIK
フランス軍の軍服?赤いズボンのやつしか認めんぞ・・・!

イタリア独立戦争〜普仏戦争頃の戦闘描写がある映画ってたしかにないね。
ツべでいろいろと探してるけどなあ・・・
468名無し三等兵:2014/06/15(日) 22:08:41.32 ID:9LsC/htl
>>467
>フランス軍の軍服?赤いズボンのやつしか認めんぞ・・・!

それこそフォート・サガンの世界。
主人公はフランス人将校としてシパーヒを指揮しているから、アラブ系民族服風の軍服の群が見られるよw
469名無し三等兵:2014/06/16(月) 11:10:00.68 ID:DF0s/HLm
普仏戦争関連の映画という質問で
ヤフーの質問にあって、回答が「ナチスに挑んだ女」
だった。ビスマルク関連の映画にもないのかな〜
日本でも日清戦争や台湾出兵辺りの映画は少ない。
470名無し三等兵:2014/06/16(月) 19:28:06.15 ID:dOjArwAM
本当に何で日清戦争を舞台にした映画が少ないのかな。
近代日本が最初に行った対外戦争ということで注目度もありそうなのに。

欧州関連に話を戻すけど1871年に終結した普仏戦争以降は
いわゆる列強同士の本格的な戦争は第一次世界大戦まで無かったから
必然的に1872年から1913年までを舞台にした戦争映画は少なくても仕方ないと思う。
471名無し三等兵:2014/06/16(月) 19:31:46.83 ID:OwCpYcZC
ボ、ボーア戦争とかあるし
472名無し三等兵:2014/06/16(月) 19:50:06.27 ID:dOjArwAM
それを言い出したら米西戦争とか、義和団の乱とか
アフガン戦争、第一次エチオピア戦争とかもありますね。
ボーア戦争の当事国オレンジ自由国やトランスヴァール共和国を列強と呼ぶのはちょっとためらわれます。
473名無し三等兵:2014/06/16(月) 19:51:04.92 ID:i2cY4AdY
ズールー戦争なんて3本も映画があるよ!

「ズール戦争」「ズールー戦争・野望の大陸」「ズールー大戦争」とタイトル被りまくってるけど
474名無し三等兵:2014/06/16(月) 21:36:51.70 ID:NDxziAPR
黒光りするピッケルハウベをかぶり紺色の軍服を着てドライゼ銃を構えるドイツ兵の戦列と、
赤ズボンでシャスポー銃を長距離から射撃する赤ズボンの仏兵を映像でみてみたい
475名無し三等兵:2014/06/16(月) 21:55:05.52 ID:8n1jbYhK
一八九四甲午大海戦は燃える映画だぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=7EzObwXVsgU
特撮も力作だ。予告より本編の方がいいような気がした。
476名無し三等兵:2014/06/16(月) 22:01:00.38 ID:8n1jbYhK
マフディーの乱なんか6回も映画化されてるそうだ。
http://www.youtube.com/watch?v=Z58VID4Qjf0
2002年版。映画としては糞だったが、このシーンだけはよい。
477名無し三等兵:2014/06/16(月) 22:05:11.67 ID:1HfRxhHZ
「戦争と冒険」だったか、若き日のチャーチルの伝記映画がありましたね、
クライマックスはボーア戦争でチャーチルが捕虜になった後、脱走するシーン。
478名無し三等兵:2014/07/03(木) 18:04:26.39 ID:XL0dXpfm
ピケットチャージ
479名無し三等兵:2014/07/03(木) 20:29:06.27 ID:HGFk4i4L
ピケットチャージか

南北戦争の南軍の頂点ともいえる突撃だな。
ロングストリートの代わりにジャクソンが率いていれば、
栄光が得られていたのか、もっと悲惨な結果になっていたのか
気になって仕方ない。
480名無し三等兵:2014/07/03(木) 20:58:29.71 ID:7j0yd6PE
ジャクソンなら初日にセメタリー・リッジを占領させていた、あるいは自ら占領していたと思う。
で、会戦の流は全く別の物に成っていたかと。
481名無し三等兵:2014/07/04(金) 18:50:49.52 ID:VHM6lifR
スレチかもしれんがビスマルク時代の映画見つけてきた
派手な戦闘シーンはないけど軍装見てるだけで満足だ
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=qyIGZ9355tg#t=5601
482名無し三等兵:2014/07/04(金) 20:30:09.39 ID:XZV0tEnK
ビスマルク時代もこのスレの時代だな。
産業革命により染色技術が格段の進歩を遂げたのもこの時代。
おかげで軍服の色もキレイになった。
フランス陸軍だったか、軍服の色を視認性の低い色に変えることは
軍隊精神に反すると主張したのは。
キレイな軍服でこそ兵士は勇敢に戦うとか、幾ら何でもと思ってしまう。
483名無し三等兵:2014/07/04(金) 20:42:32.83 ID:inGxwpDU
心理的な効果はある程度)あったんじゃないか?
先史時代から戦士はきらびやかに飾って自らを強い存在だと暗示することはあったわけだし
484名無し三等兵:2014/07/05(土) 08:54:11.64 ID:huzGnwbM
>>482
20世紀初頭、WW1までのフランス軍の軍服改訂は迷走しましたからね。
各種のトライアルを重ねた結果
「今までので行く!」
ですからw
1911年には先進的なグレイ・グリーンの物までデザインしていたと言うのに・・・
軍上層部に、この軍服を採用するだけの先見の明と度量が有れば、WW1の流は変わっていただろうとさえ言われる始末。

軍服改訂の各種トライアルは、ここが上手くまとまっているかと。
http://rosalielebel75.franceserv.com/reforme-uniforme.html
485名無し三等兵:2014/07/05(土) 13:21:45.92 ID:pBujBZ4c
>>481
ケーニヒスグレーツの戦いだね
486名無し三等兵:2014/07/06(日) 19:22:43.39 ID:fg+V25dX
普墺戦争か。
オーストリアの改革が順調に進んでいて
普墺戦争でオーストリアが勝利していたら(単純な国力差からいえばそうなってもおかしくなかった)、
歴史はどのように変わっていただろうか?
487名無し三等兵:2014/07/07(月) 00:02:59.79 ID:Q+s9JsNB
改革の進展は民族主義への理解につながる。
小ドイツ解決を否定した上で、ハプスブルク帝国が民族ごとの連邦制をとることになったら、
相対的にプロイセンに対抗できなくなるのではないだろうか。
バルカンでロシアに対抗しなければならない情勢でプロイセンへの従属を強いられ、
結果として大ドイツ解決のような形でドイツ統一・ハプスブルク連邦の解体が起きるかもしれない。
その場合帝冠の行方はどうなるのだろうか。
488名無し三等兵:2014/07/07(月) 01:22:12.59 ID:ZyiJSVMo
>>484
1911年の部分
ヘルメットがかっこいいね
しかし胸甲?騎兵は胸甲つけたままなのか・・・w
489名無し三等兵:2014/07/07(月) 07:08:06.63 ID:H+XtKP85
>>488
フランス軍の騎兵はWWTまで胸甲をつけていた部隊があったはず。
490名無し三等兵:2014/07/07(月) 21:09:04.98 ID:Q1KjnAr+
>>488
徒歩兵科のヘルメット(カスク)型制帽は普墺戦争や普仏戦争でプロシアが勝利して以来、シャコーやケピに代わり各国で流行していたそうです。
(ピッケルハウベに似た物からイギリスの海外派遣軍用に似た物まで各種)
流石にフランスではピッケルの代わりにクレスト(鶏冠みたいな部分)を付けていますが、よりにもよってフランスが採用するのは如何かと思いますが・・・

WW1緒戦でのフランス軍胸甲騎兵の軍装は19世紀末と殆ど同じで胸甲も着用していました。

20世紀初頭撮影
ttp://img507.imageshack.us/img507/5434/cuicxd3.jpg

1914年
ttp://img831.imageshack.us/img831/4641/cufrmarne14.jpg

1914年8月、パリ市内を通り前線へ向かう胸甲騎兵
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9f/French_heavy_cavalry_Paris_August_1914.jpg

ドイツ兵捕虜を護送する胸甲騎兵
ttp://historyfan.tumblr.com/image/3385649804

1914年9月、幾つかの胸甲騎兵連隊は馬から降り、徒歩胸甲騎兵(Cuirassiers a Pied)として運用され始めました。
胸甲は着用しませんでしたが、ヘルメットはクレストを外して着用しました。
ttp://www.ami1rc.org/images/1900-1918/1a15.jpg
491名無し三等兵:2014/07/23(水) 19:38:31.45 ID:8uvwPWEv
日清戦争といえば書店で
大谷正氏の「日清戦争」が中公新書から発売されているのを見かけて購入。
これからゆっくり読んでいこう。
結構、日清戦争関係に詳しそうなので楽しみ。
492名無し三等兵:2014/07/24(木) 01:00:22.21 ID:7l8clqI3
南北戦争150年だそうで米では催し物が続いてるとか新聞に書いてあった
493名無し三等兵:2014/07/27(日) 09:23:44.72 ID:qVgiuK9d
>>492
と言っても、150周年のメインは昨年とか一昨年だな。
494名無し三等兵:2014/07/27(日) 19:08:52.51 ID:3ud14u01
南北戦争だと前装式ライフル銃が全盛期で
後半(1864年以降)だと後装式ライフル銃が北軍で主装備化するんだったっけ?
あたかも西南戦争における政府軍と西郷軍の装備の差異を彷彿させるな。
495名無し三等兵:2014/07/28(月) 05:12:43.44 ID:sTQEOckL
>>494
構図としては普墺戦争が原型モデル?
496名無し三等兵:2014/07/28(月) 07:40:07.82 ID:+ZASYqAG
>>494
さすがに北軍と言えども後装式は一部の部隊や兵科向けだった様です。

後装単発のシャープス
ライフルは約9,000
カービンは約 50,000

後装連発式のスペンサー
ライフルは約12,000
カービンは約110,000

後装連発式のヘンリー・ライフルは約1,700

後装単発式のバーンサイド・カービンは約55,000

後装単発式のスミス・カービンは約30,000

騎兵のカービンに付いては後装化が進んでいた様で、しばしば完全後装化の連隊や旅団が戦史に登場します。
歩兵のライフルに付いては後装化は進んでおらず、ましてや完全後装化に付いてはベルダンズ・シャープシュターズの様な極一部の精鋭連隊に限られていたと。

南軍側が用意出来た後装単発銃は各種合わせても10,000以下と言われていて、約4,000とする資料も。
後装連発式に至っては皆無とのことです。
497名無し三等兵:2014/07/28(月) 14:49:52.75 ID:DCcg71mQ
合衆国陸軍が装備した、後装式銃ってトラップドア式の
スプリングフィールド銃じゃなかった?確か1873年式
1860年代後半の欧州強国での後装銃配備具合って
大英帝国がスナイドル銃、プロシアがドライゼ銃、フランスが
シャスポー銃とタバティエール銃、ロシアはクルンカ銃?
オーストリアは?
498名無し三等兵:2014/07/28(月) 20:04:04.03 ID:Bxsag5BQ
499名無し三等兵:2014/07/28(月) 20:47:13.51 ID:+ZASYqAG
>>497
スプリングフィールドのトラップドアは一番古いM1865(前装式からの改造)でも、登場時期は南北戦争終了後ですね。
南軍戦争中は前装後装に関わらず、雑多な種類のショルダーアームが使われていました。

北軍のショルダーアームは、24種類の前装銃、27種類の後装銃、そして25種類のカートリッジ・・・
結果、両軍の多くの連隊は複数の種類のショルダーアームで武装する事に。
その場合でも、エンフィールド(.577カートリッジ)とスプリングフィールド(.58カートリッジ)の様に、せめてカートリッジが共用出来る組み合わせで支給する努力がされていたと。
ゲティスバーグに参加した北軍歩兵242個連隊の内、170個連隊がこの2種類の組み合わせで編制されていたそうです。
500名無し三等兵:2014/07/28(月) 21:39:15.67 ID:MszWv/2i
補給担当の将校が発狂しそうなレベルのショルダーアームの種類ですね。
太平洋戦争の日本軍の小銃が2種類しかないのに叩かれていることを思うと
なおさらショルダーアームの種類の多さにびっくりします。
ところでクルンカ銃と言うのを初めて見ましたが、ロシアで大量に採用された銃なのでしょうか。
501名無し三等兵:2014/07/28(月) 21:47:18.11 ID:yrxyVzCr
502名無し三等兵:2014/07/28(月) 21:47:23.98 ID:R2SHRfRZ
センターファイアカートリッジが実用化するまでは、なんだかんだいっても歩兵の主力ライフルはミニエータイプだったんだろうね。
でもスペンサー銃のリムファイアカートも意外と強力で、350grの弾丸を初速370m/sで撃ち出すんだから.44マグナムに近いよね。
503名無し三等兵:2014/07/28(月) 21:49:12.34 ID:yrxyVzCr
1867年の露土戦争では大半の兵がクルンカだった、と書いてありますね。
http://www.militaryrifles.com/turkey/Plevna/ThePlevnaDelay.html
504名無し三等兵:2014/07/28(月) 21:50:04.58 ID:yrxyVzCr
×1867
○1877
505名無し三等兵:2014/07/29(火) 07:48:48.34 ID:0ZOPxZ3U
>>503
ライフル旅団は別の後装銃、ベルダンライフルを使用していたのですね。
南北戦争でシャープシューターズを率いたベルダン准将が設計に関わった後装銃なので、ライフルマン向けだったのでしょうか?
小口径で命中率が良かった分、威力は弱かったらしいですが・・・
日露戦争の鹵獲品が日本国内で猟銃として流通していた経緯も有るので、実用上の問題は無かったのかも知れませんが。
506名無し三等兵:2014/07/31(木) 19:42:40.38 ID:aFDYr/mA
鹵獲兵器を有効活用するというのは第二次世界大戦レベルでもあったくらいだから
違和感はないけど。ベルダン式は38式歩兵銃でも採用されていたはず。
小口径でもライフル銃はそれなりの威力がある。
少なくとも対人用として考えるなら22口径のライフル銃でも大けがをさせるには充分な威力があるからな。
507名無し三等兵:2014/07/31(木) 21:37:30.89 ID:jOCtpSNC
22口径の護身用拳銃だって当たりどころが悪ければ死ぬからな。

ブラジルのスポーツ用品店には銃床がカラフルなプラ製の22口径単発の
子供用ライフルがワゴンにザラッと盛ってあった。
508( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2014/08/01(金) 21:12:28.19 ID:Xt8m/k28
戊辰戦争

架空の人斬り
ttp://22.snpht.org/140801210942.jpg
齋藤 一
ttp://22.snpht.org/140801210943.jpg
509名無し三等兵:2014/08/24(日) 10:12:48.85 ID:amaO0Ybm
ネタ?

ゲティスバーグ会戦の軍及び軍団司令官のウエストポイント卒業席次

ポトマック軍 G.G. ミード少将 1835年 19/56名
第1軍団 J.F. レイノルズ少将 1841年 26/52名
第1軍団 A. ダブルディ少将 1842年 24/56名
第2軍団 W.S. ハンコック少将 1840年 18/25名
第3軍団 D.E. シックルズ少将 政治家出身、戦前の軍歴無し
 1861年6月、民主党連邦下院議員からニューヨーク市志願兵旅団の連隊の一つに大佐として入隊
第5軍団 G. サイクス少将 1842年 39/56名
第6軍団 J. セジウィック少将 1837年 24/50名
第11軍団 O.O. ハワード少将 1854年 4/46名
第12軍団 H.W. スローカム少将 1852年 7/43名
騎兵軍団 A. プレソントン少将 1844年 7/25名

北バージニア軍 R.E. リー大将 1829年 2/25名
第1軍団 J. ロングストリート中将 1842年 54/62名
第2軍団 R.S. イーウェル中将 1840年 13/42名
第3軍団 A.P. ヒル中将 1847年 15/38名
騎兵軍団 J.E.B. スチュアート中将 1854年 13/46名

参考(北軍)
ミシガン騎兵旅団 G.A. カスター准将 1861年 34/34名
 卒業直前に南部出身候補生の多くが退学して行った南北戦争を象徴するクラス
 実戦で頭角を表し、1863年6月、23歳で准将に(最年少将官)
G.B. マクレラン少将 1846年 2/59名
 リー将軍が最も手強い北軍将軍と語った優れた軍隊組織編成者
 ゲティスバーグ会戦の頃には全ての司令官職から解任されていた
510名無し三等兵:2014/08/24(日) 12:06:27.06 ID:IOeFpU9t
>>509
ほほう。
マクレランは秀才なのか。

ところで、Ewell は「ユーエル」でないの?
511名無し三等兵:2014/08/24(日) 20:22:35.77 ID:amaO0Ybm
>>510
ごめんなさい
Ewell はユーエルでした。
人名地名は結構いい加減に呼んでしまってるので・・・

マクレランは秀才タイプですね。
攻撃側が有利と言われるナポレオン時代の戦術に精通していながら、銃砲の発達で防御側が有利になった現状も理解していたと。
しかし、その為なかなか攻勢を掛けなくなってしまい、リンカーンと対立関係に。
でも戦争前半には必要とされる時に必要とされるポジションに就いていたんですよねぇ
不思議と・・・
512名無し三等兵:2014/08/25(月) 19:40:17.86 ID:TBuSm+Z3
リー将軍のマクレラン将軍評を思い出すな。
新聞記者が北軍最優秀の将軍は誰ですか、という問いに対して
リー将軍は言下に「マクレランだ」と即答したとか。
実際にマクレラン将軍の下で北軍は建設されたようなもので
マクレラン将軍がいなかったら北軍の将兵のどれほどが南軍の銃火の中に突撃できたか
疑問に思う。
でも、南北戦争を扱ったゲームでは大抵平均以下の将軍として評価される
(野戦指揮能力からするとそう評価されるのはやむを得ない気がする)
本当に不思議な将軍ですね。
513名無し三等兵:2014/08/25(月) 20:11:11.49 ID:TGT/7auK
マクレラン将軍は部隊指揮官より行政タイプなんだろう。
編成や補給をガッチリやってくれるから兵隊には人気があったとか。
514名無し三等兵:2014/08/25(月) 22:19:55.51 ID:rHjOklJv
リーはグラントではなくマクレランが最強の敵。
ナポレオンはウェリントンではなくカールが最強の敵。

自分を負かした奴は素直(冷静)に評価できないらしい。
リーもナポレオンもやっぱり人の子だな。
515名無し三等兵:2014/08/26(火) 13:05:21.31 ID:UFF9isN5
>>514
ナポレオンはイギリス嫌いだから苦笑いするしかないけれど、リーの場合はガチでは?

勢いの有る頃の南軍、彼我の装備や兵站の差が余り無く、何よりジャクソンが配下に居たリーを攻防共に破ったのはマクレランだけだし。
アンティータムでは会戦だけでは無く、メリーランド戦役も失った上、リンカーンに奴隷解放宣言まで出されてるから。

じゃあ、北軍総司令官はマクレランのままで良かったのでは?と言うと、それは違う気もする・・・
516名無し三等兵:2014/08/26(火) 20:30:08.48 ID:qQ0VhJ13
マクレランは実際にリーと戦う相手と見た場合、リーと相性が悪いと思う。
リー将軍は劣勢であっても敵軍を誘出して局所優勢を作出して敵軍を叩くのが得意だが
マクレラン将軍はWWUのモントゴメリー将軍と同様に自軍が圧倒的に優勢と確信が持てるまで待機して
その上で力押しの攻勢をかけるタイプ。
モントゴメリーもマクレランも自国の国力が敵に対して優勢にあり、そういった戦法が取れる。
この戦法の困ったところは劣勢なリー将軍にとっては対処の仕様が無いところ。
国力の優勢な側が持久戦略を取り、圧倒的な戦力を確保して攻勢をかけてきたら
劣勢な側に対処する方法は存在しないから、劣勢な側は無理しても短期決戦を挑まざるを得ない。
そういうことを考えるほどリー将軍にとってマクレラン将軍は嫌な相手だと思う。
517名無し三等兵:2014/08/27(水) 19:39:35.99 ID:UOsvYWD4
優勢な兵力をバックにした力押しはグラントの方な気が・・・
当初は2倍の兵力だったウィルダネスの戦いでは、正面のリーを圧倒している最中、両翼に側面攻撃(片翼は増援の別動隊による)を受けて敗れたりしてるし。

マクレランは、その慎重さからか正面以外も警戒(疑心暗鬼の方が近い?)しながら戦っている感じ。
その代わり、正面に敵を上回る兵力を配置出来、尚且つ不測の事態に備えられるだけの予備兵力を確保出来なければ攻勢を掛けない。
その条件が満たされ無い時は防御体勢を敷いて籠る。

2倍の兵力で望んだアンティータムの戦いは、リーとの双方による兵力随時投入のチキンレースの果てに多くの予備兵力を残したまま勝利。

両軍同兵力ながら砲兵戦力では南軍を凌駕していたマルバーンヒルの戦いでは、野戦構築陣地に引き籠り、攻撃を仕掛けて来るリー麾下のジャクソンを削り勝利。
半島戦役自体は失ったものの、バージニア半島からの撤退には成功。
(南軍的に無視出来る存在になっていたとも・・・)

リンカーンの様に「今すぐ結果を出せ」的な上司とは反りが会わないのは仕方が無いかと。
518517:2014/08/27(水) 19:54:44.49 ID:UOsvYWD4
>>517
×随時投入
〇逐次投入
やってしまいました・・・
519名無し三等兵:2014/08/27(水) 20:21:20.78 ID:IjIzQF+P
マクレランは慎重すぎるから
世論を気にしなければならないリンカーン大統領と相性が悪いのは仕方ない。
世論を気にせずに戦争をできるならマクレランは優秀だけど
世論が攻勢を望んでも何だかんだと理由をつけてマクレランは引きこもってしまう
(と世論は見てしまう。マクレランとしては充分な戦力を整えて攻勢に出たいのだが)
こうなるとリンカーンとしては世論の圧力の前にマクレランを解任せざるを得ない。
520名無し三等兵:2014/08/27(水) 20:28:45.59 ID:dRnaHt1H
マクレランは、情報収集にピンカートン探偵社を活用していたのだが、
同社があげてくる南軍の兵力見積は常に過大で、生来の性格に加えて、
その報告のせいでますます慎重になったと読んだことがある。
521名無し三等兵:2014/08/27(水) 22:02:07.09 ID:uCmsuZUJ
結局は自分が敗けた相手には「あの時、こうだったら勝てた・・・」的な感情の方が
先にくるけど、苦労しながらも打ち負かした相手からは「あの時、もしこうされたら
敗けてた」というような感情があるから・・・

>リーはグラントではなくマクレランが最強の敵。
>ナポレオンはウェリントンではなくカールが最強の敵。

こういう事になるような気がする
522名無し三等兵:2014/08/27(水) 22:48:51.50 ID:Oz6TOblJ
自分が(戦争を繰り返して)弱くなったときにあいつらが出て来たから負けたんであって
全盛期だったらあいつらなんてひとひねりだった

的な思いもあったかもしれない

あいつらはおいしいところだけかすめ取ったごっつぁんゴール野郎なんだよ
みたいな
523名無し三等兵:2014/08/27(水) 23:05:53.53 ID:bi7XjWUK
そりゃそうだろうね。
ナポレオンにすればプロシア軍が来なければウエリントンを撃破できたと思っているし。
リーにすれば勝機のあった前半に勝ちを取らせなかったマクレランが手ごわかった。
グラントが出てきた時にはもう勝敗は決まっていた。
524名無し三等兵:2014/08/28(木) 21:17:19.28 ID:L/HzW9pw
確かにな。
グラントがリーの相手になったのは最早、南北戦争の帰趨が決まった後だから。
リーにしてみれば、グラントが主な相手になったときはもうどうにもならなくなった後という想いがしたのだろう。

ピンカートン探偵社はネットで見るとこの探偵社の諜報活動の威力により、
南北戦争の終結は最低3年は早められたという評価があるみたいだが本当なのだろうか?
私が昔、読んだ雑誌記事だとピンカートン探偵社は南軍の兵力を常時最低でも実際の2倍以上と見積もっていて
アンティータムやゲティスバーグでは北軍が圧倒的劣勢兵力と事前評価しており、
そのためにマクレランやミードは追撃を断念せざるを得なかった。
もし、きちんと南軍の兵力をピンカートン探偵社が把握していたら1863年中に戦争は終結した
という全く逆の評価がされていたのだが。
どちらが本当なのだろう?
525名無し三等兵:2014/08/29(金) 08:19:37.74 ID:zYB1KHFj
>>522ー524
あの台詞には続きが有って、そこでリー自身が似た様な事を言っていますね。

グラントは戦争後半に成功を納めたが、それはマクレランの業績の上に成り立っていた。
最初から攻撃的なグラントが指揮を取っていたら南部は独立出来ていただろう。
的な感じで

McClellan, by all odds. で検索すれば全文が出て来るかと。

>>524
追撃したらしたで悪い方に転ぶ気が・・・
でも、ピンカートン探偵社の話は面白そうですね。
526名無し三等兵:2014/08/29(金) 14:17:49.21 ID:ltvo1uRS
>>525
検索してザッと読んでみた。

マクレランが前半で頑張ったから後半でグラントは勝てた。つまり、グラントが最初から
指揮していたら、当然オレが勝っていた。という事は、マクレランに勝たせなかった
オレが一番。

でOK?
527名無し三等兵:2014/08/30(土) 10:02:26.10 ID:fw/IL3v6
>>526
そこまでは言って無いと思うけどw
最盛期のリーと言うか南部を倒すには、マクレランの用意周到さと慎重さ、グラントの積極性が必要だったって事なのかな?
まぁ、それらを兼ね備えていたら殆んどの戦争に勝てる気も・・・
よほど国力が残念じゃ無い限りは。
528名無し三等兵:2014/08/30(土) 12:47:15.42 ID:NIvMbC2T
マクレラン将軍は戊辰戦争の大鳥圭介とどこか似ている気が。
名軍政家であって優秀な軍隊は作れるけど
実戦の指揮はどこかダメなところとかが
特に2人共戦況を慎重に読み過ぎて予備の投入をためらってしまうところとかよく似ている気が。
529名無し三等兵:2014/08/30(土) 21:18:26.15 ID:x8KxcOHI
>>528
大鳥は普通だよ。アレだけ戦力差があったら負けるでしょう。

寡をもって衆を撃破したら名将でしょ。
530名無し三等兵:2014/08/31(日) 16:00:40.11 ID:lTKIGGSz
>>527
南北戦争の約百年前のこと
ダウンが慎重に負けないように戦い、ラウドンが積極的に攻勢をかけて……
確かに理想的な組み合わせ
ここでも人気や評価がラウドン>ダウンっぽいのも泣けるが
531名無し三等兵:2014/08/31(日) 16:57:10.14 ID:ISPhCq83
>>530
そりゃあいつの時代、どこの組織できも慎重な意見なんて人気ないでしょw

イケイケドンドンですよw
532名無し三等兵:2014/08/31(日) 17:21:47.42 ID:DB0Nbt/x
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533名無し三等兵:2014/09/02(火) 19:43:04.68 ID:hbxFvzQ/
ピンカートン探偵社は

現場のエージェントは、南軍部隊発見の成功報酬欲しさに、怪しげな情報でも報告した
上層部はエージェントの報告を精査せず、怪しげな報告でもそのまま集計した
エージェントの報告が正しくても、別々のエージェントが同一の部隊を発見しているものを、複数の部隊を発見したとして集計した

ということを積み重ねた結果、南軍の兵力を実情の数倍にして報告したらしい
534名無し三等兵:2014/09/03(水) 06:35:46.83 ID:PCMTM9J4
そのへんはスパイってどこもそうよね
露探みたいにありもしない日本軍の待ち伏せを大量に報じてドッガーバンク事件引き起こしたり
535名無し三等兵:2014/09/06(土) 12:18:43.13 ID:4xc2Renn
>>528
大島は維新政府側に居たら
大村以上に活躍したかな?
536名無し三等兵:2014/09/06(土) 13:41:33.91 ID:HLvEkRrA
だから士官学校や陸軍大学での情報参謀教育が必要なんだよな。
537名無し三等兵:2014/09/06(土) 15:57:31.99 ID:4xc2Renn
古屋佐久左衛門 とか?
538名無し三等兵:2014/09/06(土) 17:19:17.72 ID:w2LNPrUa
衝鋒隊と古屋佐久左衛門、良いですね。
衝鋒隊戦史や佐幕派史談は読んだけど、他に何か良い本は有るかな?
539名無し三等兵:2014/09/09(火) 19:06:29.48 ID:l9MS0Yuh
天野とかも近代軍の指揮官としてはどうなんでしょうね?
540名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:25:24.72 ID:DZoGWl7F
陣笠スレとのマルチですまん。日本史板にはあまりミリオタがいないもんで・・

時代劇だと甲冑を着た際、下級武士(足軽含む)は鉢金巻いた上に陣笠被ってるけど、
高級武士は漆塗りの陣笠(大名陣笠・端反笠)の下には鉢金巻いてない。何か理由あるの?

八重の桜でも、兵達は韮山笠の下に鉢金巻いてたが、山本覚馬らは鉢金巻く時は陣笠脱いでた。
541名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:30:59.93 ID:fDL6avmO
>>540
それこそ兜首だからじゃね?
542名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:37:01.27 ID:oaJLzhLl
甲冑を着ていると銃弾を受けた時、
銃弾によって甲冑が破壊され、その破片によって傷口が拡大してしまう。
だから、戦国時代でも末期になると紙鎧みたいなのが装備されている。
高級武士ほど情報入手が速かったので幕末になると甲冑は速やかに高級武士ほど捨ててしまった。
鉢金も甲冑同様に思われたからではと。
鉢金については全くの憶測だが。
543名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:37:16.96 ID:DZoGWl7F
いや、構造的に鉢金巻いちゃうと大名陣笠は被れないとか、痛むとか理由があるのかな、って。

甲冑来た上に紙製の被り物のみって、何かさみしくない?
544名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:39:42.03 ID:DZoGWl7F
>>543>>541へのレスね。

>>542
甲冑を着てると被弾時に逆効果なので戊辰戦争時までに廃れたのは読んだことがあった。

幕末限定というより、江戸時代中期以降の話ね。
545名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:42:27.72 ID:DZoGWl7F
連レスすまん。

時代劇や八重の桜での話は、甲冑を来てる高級武士の被り物のことね。
江戸中期以降に兜を被る代わりに陣笠被ってるあのスタイル。
546名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:51:52.97 ID:qQc4CRWl
笠をかぶってるのは兜だと蒸れてすぐぶっ倒れるので、合戦ギリギリまでかぶらないものだからだろ。
ただでさえ江戸時代の兜は戦国時代より重くて首に負担かかるし。

鉢がねつける時に笠を外すのは、鉢がねが兜に準じたものなので
本来兜をつける身分であることを表すために笠を外してつけるのではないか。
547名無し三等兵:2014/09/12(金) 22:10:52.64 ID:DZoGWl7F
なるほど・・
548名無し三等兵:2014/09/13(土) 09:21:47.93 ID:gPePkdu5
>>544
第2次長州征伐のときに、鎧やべぇ鎖帷子とか最悪って記録があったって
野口武彦の著作にあったな
549名無し三等兵:2014/09/13(土) 09:36:25.74 ID:5ttvuvNh
そもそも胴体や頭部に銃弾受けてしまったら
鎧着てようがなかろうが死ぬのに変わりなさ
そうと思ってしまう。
あのころの銃って軍馬一撃で屠れるように
強力だったんでしょ。
それなら白兵用に鎧着るのも悪くないような気もするが伏せたり走ったりするのに
都合悪かったのあな。
550名無し三等兵:2014/09/13(土) 10:16:09.42 ID:1ZgudJaR
戦国の事は分からないけれど幕末の韮山笠と陸軍笠では、前者には前頭部に余裕が有り、後者には無いとは言わないが少々狭いかと。
被り方に依っては前頭部に乗せる感じになるし。
だから物理的にってのも有るかも。

後、韮山笠は単なる被り物なのに対して、陸軍笠は階級章を兼ねた正式な被り物って違いが関係しているとか?

八戸の桜、総集編でも良いから再放送してくれないかなぁ
551名無し三等兵:2014/09/13(土) 10:37:31.53 ID:NvkEka6c
元 DZoGWl7F だが
なるほど・・

ちなみにこれが、上で述べた八重の桜でのシーンの一つ。「蛤御門の戦い」から。
http://www.youtube.com/watch?v=y6HGQQ8vsl8

ちなみにこれは忠臣蔵、赤穂城明け渡しの際の軍勢。こっちでは下級徒歩(足軽?)は鉢金を付けず、円錐形の陣笠のみを被り、
高級徒歩や上士は鉢金のみを頭に付けてる。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=sU2-RinAXLY#t=692
552名無し三等兵:2014/09/13(土) 19:26:38.91 ID:Uu842KHC
戊辰戦争では、
大村益次郎を筆頭に元医師から軍人に転職して
戊辰戦争で大活躍と言う人材がごろごろいるけど。
この人たちの本来の医師としての技量はどれほどだったのだろう?
少なくとも大村については適塾で緒方洪庵から私の代わりに塾生を指導してほしい、
と言われた割には、医師としては超やぶ医者で
地元に帰った時には大村先生に診てもらったらすぐに死ねるといわれるレベルだったらしいのですが。
他の方々はどのていどだったのでしょう?
553名無し三等兵:2014/09/13(土) 20:02:01.23 ID:pfBg4LXl
大河は予算や時代劇の伝統やらで甲冑やらの考証はいい加減だって大学の先生が言ってた
554名無し三等兵:2014/09/13(土) 20:27:15.72 ID:L8tHR2/y
そもそも論として大河を元に考えていいのかという話はあるよな
555名無し三等兵:2014/09/13(土) 21:05:27.47 ID:vZBO3WqW
>>552
漢方医や蘭方医ならともかく、先人の積み重ねの少ない最新の西洋医学だと自分の経験や腕が全てですから微妙だったかも。

江戸に進駐した西南雄藩の医師が良い機会だからと横浜へ行き、外国人貿易商から携行用手術機具セット(ドイツ製だったか?)を購入。
大きくて使い辛いが外国人サイズだからかと納得しつつ前線の手術で使用していたと。
ある日、一緒になった医師に自慢がてら見せた所「獣医用と書いて有りますけど・・・」と。

こんな手探り状態でしたから・・・
556名無し三等兵:2014/09/13(土) 22:23:49.29 ID:o4Mj0HjB
>>552
蘭方医の医者の肩書って、蘭学を学ぶ口実が実学としての医術ぐらいしかなかったための名乗りみたいなもんだしねえ
資格試験のある時代じゃなし、名乗るだけなら勝手ではあったし
大村とか福沢とかは、臨床医としての実践ほとんど適塾時代にしてないんじゃないかなあ?
生計の手段として医者って当時でも悪いもんじゃないから、そっちをまじめに取り組むのも多かったろうけど
ただ適塾はじめ当時の蘭医塾って、外語学校に医学講座がオマケでくっついてたようなところあるしw
推して知るべしでw
557名無し三等兵:2014/09/13(土) 22:36:48.84 ID:v4jVcNg/
大鳥なんかは医学より軍事のほうが面白くなっちゃって
医学書は読めなくなったとか言っているな。
558名無し三等兵:2014/09/14(日) 09:39:55.51 ID:tAdk5gIW
理論先行でしょうしねえ。
実技をするときは「家庭の医学(比喩)」を読みながら直すようなもの?
その「家庭の医学(比喩)」も読めない漢方医との比較になるので。

でも松本良順は評価高いのでは?
559名無し三等兵:2014/09/14(日) 19:19:55.92 ID:AkNJW05+
>>552です。
松本良順みたいに医師を目指して蘭方医を極めた人はともかくとして
大村や大鳥みたいに転職した人は確かに臨床経験も少ないでしょうし、
医師としての腕はやはり駄目の可能性が高いでしょうね。
福沢も医師を目指して適塾の門をたたいたわけではないですから
医師としてはまるで駄目でしょうし。
560名無し三等兵:2014/09/14(日) 19:32:46.92 ID:PTxqX2PM
>>559
てか諭吉はまず血が全くダメだったという…w
当時の内科医だったら全く血を見ず薬草煎じて処方だけ出してることも可能だったろうけどなw
でも蘭方医に期待されたのは先進的な西洋外科医術w
561名無し三等兵:2014/09/14(日) 19:35:24.08 ID:m/43b9tp
松本良順、高松凌雲
この2人の奥詰医が双璧なのかな?
色々と対照的な経歴の2人だけど。
562名無し三等兵:2014/09/14(日) 21:28:25.74 ID:ix7Cnae3
>>561
そういえば高松凌雲の実兄の古谷佐久左衛門も
医師から軍人への転職組だったな。
幕末にヘボン医師から医術を教えてもらっていながら
戊辰戦争で戦火の中に散っていった。
この人は弟に似て腕はよさそう。
563名無し三等兵:2014/09/15(月) 01:11:39.01 ID:XlAbP2ar
手塚良仙みたいに徹頭徹尾蘭方医って人も当然ながらいる…と思ったら、
幕府歩兵屯所付医師から帝国陸軍軍医だから、医師と言っても軍事色強いな…
564名無し三等兵:2014/09/15(月) 03:46:35.44 ID:4b+OD4gl
一応、村田蔵六は村医者の息子だから医者が本業になる筈だったんだけどな。
565名無し三等兵:2014/09/17(水) 00:40:24.05 ID:5wo0Sq5F
              ,,,、、、、、、、,,,
           ,r''.:´.:;;;;;;;;;;;;:;:;:.:.::`ヽ
          /.:.:;;;;;:;:;:;;;;;;;;;;;:;:;;;:;:;:;:;;;:゙、
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         |;;;:.:{   -ー -、 , -‐.::.;l;!
         |;;::.:ヽ    _ _,,)j   _,,.;i!
 .          i;;;;.:ji! ,r''ニニニ二ン r''二ニュ
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         レハj!    ''' "´   j;:.~'' ´ !
           Yヽ!     , ィ ,_ _,,ハ   |
            し'i.      ,′  j !;::.',  |
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566名無し三等兵:2014/09/19(金) 06:47:19.99 ID:0JTi8kOT
長州藩の医学校の依頼で
女性の解剖と人体の仕組みの講義を行っているから
臨床医ではないが医学者としては名声が十分にあったんでしょう
大村益次郎
567名無し三等兵:2014/09/19(金) 07:24:15.47 ID:yAIgWXGA
実際に臨床に携わっていた村医者の大半は
良くて自分の故郷の藩医について修行して
そのまま農村で開業といったコースだから
大阪や江戸のような先進地域で洋学を学んだ人間は少数派
遊学で得た知識や人脈を買われて政治や行政の方面に進むのは必然でしょう
568名無し三等兵:2014/09/22(月) 17:13:17.28 ID:Klnpr5B7
蘭学医の名分で、蘭学書を読み理屈だけ独学しながら、きっちりと実戦でも勝てる兵法を身に付けたんだから、少なくとも天才ではあるんだろ?
向き不向きはあるにしても……
569名無し三等兵:2014/09/22(月) 19:37:45.70 ID:nLrVQHPN
その点からいえば大鳥圭介は机上の理論家かな。
戊辰戦争でも大鳥圭介が指揮を執ると常に敗北するので
味方からも大鳥の指揮下には入りたくないと拒否されたという伝説が。
結論から言えば実戦勘というものが大鳥にはなかった気がする。
570名無し三等兵:2014/09/22(月) 20:22:55.93 ID:/MBwH/3R
>>569
負けてなお威在り。
ということで、負けてもまた非とが集まってきて人徳もあったらしいよ。
普通負けたら見方から殺されたり、下ろされたりするものだが。
571名無し三等兵:2014/09/22(月) 21:16:27.78 ID:cn3tV+yF
確かになんだかんだ言っても
大鳥率いる伝習隊は五稜郭まで戦い抜いているからな。
人徳が無かったら、伝習隊から大鳥は追い出されていてもおかしくない。
572名無し三等兵:2014/09/22(月) 21:28:01.63 ID:VL1CCqYJ
>>569
机上の理論家と言うよりも、西欧戦術に忠実に従い行動した実践家では?
それを色々と条件の異なる日本でやってしまったのが・・・
ある程度開けていて西欧式部隊機動の出来る小山では勝っているし。
相手は西南雄藩では無いけどw
573名無し三等兵:2014/09/22(月) 21:32:40.39 ID:QkPhly3b
>>568
軍事に関しては天才だったね。まぁ教科書どおりの戦闘法に負ける幕府側が酷すぎるとも言えるが。

>>569
大鳥はまあまあだと思う。あの戦力差で勝ったら戦争の神様だよ。
574名無し三等兵:2014/09/23(火) 07:43:12.43 ID:Da0GNntt
土方歳三はゲームだと旧幕府系の将帥としては最高の評価を受けていることがあるけど
実際の戦闘の腕はどうだったのだろう。
大村益次郎と同程度の評価を見たこともある。
575名無し三等兵:2014/09/23(火) 08:26:29.90 ID:aQiwJePf
最高が否かは微妙だけど前線指揮官としては良いのでは?
部下の掌握や戦術眼はともかく、戦略眼は解らないけれど・・・
指揮した兵力も西欧なら連隊以下だし。
もしかしたら名大隊長止まりなのかもしれないなぁ
576名無し三等兵:2014/09/23(火) 10:18:23.82 ID:pKjhgIPp
土方大将旗下の第三軍が旅順を攻めるのは見たくはある
577名無し三等兵:2014/09/23(火) 15:00:42.67 ID:JrLZUWBP
>>576
止めてあげて
土方さんはその時は1835年生まれなので69歳の老将よ(ちなみに乃木将軍は55歳)
大山元帥でも62歳でご老体と呼ばれているのに。
70歳の老いた身に鞭打って奉天会戦の先陣を承るというのは講談だといい話だけど
現実に置き換えてみると満州の吹雪の中で70歳で戦うなんて過酷過ぎる。
578名無し三等兵:2014/09/23(火) 15:22:48.44 ID:TlVJ3Wl8
元々は多摩の農民で、西洋兵学を学んだわけでもないのに、銃砲を装備した部隊を率いて、
少なくとも前線指揮官としては成果を残しているんだから、やはり素質はあったんだろうな、
土方歳三。
師団クラスの部隊を率いたらどんな采配を見せたのか、興味あるな。
579名無し三等兵:2014/09/23(火) 17:21:41.04 ID:aQiwJePf
土方には西南戦争で新選旅団を・・・
桐野の「またあいつらか!」の勘違いを現実の物にして欲しいなw
580名無し三等兵:2014/09/23(火) 19:20:13.96 ID:pN2Yhmzy
>>579
ネット仮想戦記ではごろごろありそうなテンプレな話だな。
581名無し三等兵:2014/09/23(火) 20:27:06.04 ID:hCbswNWW
まぁテンプレだけど日露よりは現実味が有るかな?
同人歴史小説にも有ったけど、とても読み進められる様な品物じゃ無かったなぁ
状況よりもキャラ優先で。
582名無し三等兵:2014/09/23(火) 20:59:22.65 ID:EZ+495aE
「薬屋やってました」黒田如水もそうだったな

軍事は実学だから、自然科学系からの転向は容易なのかねえ
583名無し三等兵:2014/09/23(火) 22:10:56.96 ID:K/1hvTGT
石田散薬がそんな自然科学と呼べるほどのものかと調べたら、なんと昭和23年まで製造されてたんだな。
つかwikiがあること自体驚きだったw
584名無し三等兵:2014/09/24(水) 09:15:12.82 ID:5LXTapSJ
日本の場合、一個師団を維持するには、日本円にして1800億円かかる。
これは自衛官1人につき2000万円に相当する。

もちろん近直の物価や為替では、また変わってくるのだろうし、
そもそも今の自衛隊は、師団制から旅団制へ移行しているのだが、
それでも軍隊と言うものが、如何に金のかかるものか分かるだろう。

ヤキマ演習に40億円を費やすことなぞ、何ほどのこともない。

護衛艦なら公試後に荒らしの中へ突っ込み、潜水艦なら圧壊深度
ギリギリまで潜って、実際に性能を、確かめるものだ。
出来るだけ実戦に近い環境で、実戦経験豊富な米軍立会いのもと、
カタログデータではない、実際の性能から、使い勝手まで確かめるのは、
国防に寄与すること大である。

ペーパードライバーに、客の命を預けるタクシー会社などないのだ。
ネット・マーチに青春を捧げたヘリボーは知らず……
585名無し三等兵:2014/09/24(水) 09:18:12.92 ID:5LXTapSJ
失礼しました、2CHビュワーが誤作動したようでし。
586名無し三等兵:2014/09/24(水) 14:07:27.18 ID:CjwPbZnc
>>573
今市の戦いでは珍しく旧幕府・会津軍の兵力が優勢だったけど
まぁ敵が板垣だったしね
587名無し三等兵:2014/09/24(水) 22:59:06.66 ID:GWI/n5j2
ちょっと上のフィクションの話で思い出したけど、昔「維新の嵐」ってゲームがあった。
プレイヤーとして土方を選ぶと、エンディングの一つに、薩摩屋敷に斬り込んで、
並み居る薩摩藩の重臣を全て葬り去るってのがあったなあ。
588名無し三等兵:2014/09/25(木) 04:43:46.80 ID:Ul/YP9Xp
>>587
なにその警察官が強盗するような展開。
589名無し三等兵:2014/09/25(木) 09:53:49.25 ID:ZdfELgCD
>>587
たぶん、板垣は戊辰での最高の指揮官だろうなぁ。
もし板垣があのままずっと軍籍にいたらと考えてしまう。
590名無し三等兵:2014/09/25(木) 12:33:55.63 ID:1bnEGd3w
そうは言えば、板垣退助が、民主主義と国民国家について書いた文が、どこかに無かったっけ?
幕藩体制のままだと、頭が挿げ替わるだけだから、庶民の支持や協力が得られなとかなんとか。
自由とか理念とかじゃなく、富国強兵のために民主主義が必要なんだって意見は、流石に軍人だわ。
591名無し三等兵:2014/09/25(木) 12:53:58.07 ID:P1QlwIdO
>>587
幸栄のゲームだっけ?
それなら遊んでみた事がある。
適当にやってたら宗旨 (尊王・佐幕) が変わっちゃってゲームオーバー。
592名無し三等兵:2014/09/25(木) 19:21:59.73 ID:Ul/YP9Xp
>>589
板垣の評判が良いのは聞くけど、
具体的にはどの辺がよかったの?
どの辺で活躍?

小笠原唯八や山地元治、土佐の将才のほどは
具体的にはどうなんでしょ?
593名無し三等兵:2014/09/26(金) 18:21:56.16 ID:H+/nYr0a
松原岩五郎著「最暗黒の東京」岩波文庫を読んだ。
明治25年ころ新聞に発表されたもの。

新聞記者である著者が貧民窟に入り込んで残飯屋に雇われ、
毎日三台の大八車を引いて士官学校へ行き、残飯残菜を払い下げてもらっていた。
貧民窟のさらに下層の人々はここで買う物でどうにか腹を満たしていたが、
分量は日によって大きく違った。
多分激しい演習があると残飯が出ないんだろう。
三日も空荷で帰ると貧民達が飢えるので
三日目に彼は係に頼み込んで畑の肥やしにするものや
豚の餌にするものをもらってきて、それでも大いに感謝されたという。
594名無し三等兵:2014/09/27(土) 21:16:48.57 ID:z1nZb5xJ
山田顕義や板垣退助の指揮が良かったと聞くがそんなに良かったのかな?
595名無し三等兵:2014/09/28(日) 02:52:49.34 ID:GTqOz9YW
700の兵を三つに分けて2500の兵を攻撃するという
気が狂ったかとしか思えない伊地知の采配
実際勝ってしまったわけだが彼の脳裏には一体何が閃いたのだろうか
596名無し三等兵:2014/09/28(日) 09:17:43.11 ID:b4/Inbc4
でもこの戦例って悪い前例になってしまうんだよね。
597名無し三等兵:2014/10/01(水) 05:52:36.40 ID:2DTJkcrw
>>595
そこは誰でも勝てたのでは?
598名無し三等兵:2014/10/01(水) 20:30:33.26 ID:2RyuzfGn
>>597
余りの非常識さに相手が勝手に混乱してくれたおかげだからな。
誰でも勝てたと言われると疑問を覚える。
相手に冷静に対処されていたら、逆に各個撃破されて伊地知は大馬鹿の烙印を押されたはず。
599名無し三等兵:2014/10/01(水) 21:28:22.24 ID:2DTJkcrw
>>598
相手は近代歩兵じゃないし。
600名無し三等兵:2014/10/01(水) 22:35:01.93 ID:tYzR0olA
>>599
はいはい
それなら何であの後、会津若松まで進軍するのに手間取ったの?
601名無し三等兵:2014/10/02(木) 02:35:11.22 ID:rsNoi7hd
>>600
それこの話題と関係ないよね?
602名無し三等兵:2014/10/02(木) 18:50:13.73 ID:7LP/WboR
>>600
そら白河城を会津・仙台+α連合軍が圧倒的兵力で攻め立ててたからじゃないの
援軍にきた板垣を丸々、目の前の連合軍本隊ガン無視で棚倉攻撃に投入してるのは草生えるが
603名無し三等兵:2014/10/02(木) 20:11:25.85 ID:7LP/WboR
>>598
混乱はしてないんじゃないの?
単に囮の中央軍に全力で釣られたクマーしただけで
604名無し三等兵:2014/10/02(木) 21:13:29.10 ID:rsNoi7hd
戦力的に伊地知の白河口は助攻で平潟が東北方面の主力。
605名無し三等兵:2014/10/05(日) 08:05:20.21 ID:EGZLat/a
新政府側の近代歩兵の連隊や大隊指揮官は指揮官は誰が有名?
606名無し三等兵:2014/10/05(日) 18:19:14.53 ID:/IyoI+yF
板垣退助とかどうだろう
ただ、余り勇将というイメージがある指揮官が新政府側では思いつけないんだよな。
勇将というより智将というイメージが新政府側の指揮官には先立つ感じがする。
607名無し三等兵:2014/10/05(日) 18:26:53.74 ID:EGZLat/a
大鳥や赤松や鍋縞系の門下が習得した操錬を活かした歩兵の運用だったんでしょうか?
それとも装備だけ洋式になっただけで、あとは現場指揮官の裁量で運用したのかな?

後者のようや気がしてきた。
608名無し三等兵:2014/10/05(日) 20:46:06.47 ID:ro+EHs1M
>>607
赤松って誰だったっけ?
鍋縞は鍋島の誤字と観たが。
609名無し三等兵:2014/10/05(日) 21:33:09.31 ID:D91BGj4s
>赤松って誰だったっけ?

赤松小三郎のことでは?
610名無し三等兵:2014/10/06(月) 19:28:05.17 ID:dE+6Qx1/
>>609
ネットで赤松小三郎のことを見たが
さすが真田家の家臣だと感心した。
真田日本一の兵の伝統は幕末まで脈々と受け継がれていたということか。
611名無し三等兵:2014/10/08(水) 15:57:46.11 ID:Aqx19Ux+
殿様だけ見るとううん?って感じだけど(断絶してるし)
軍の方は、長岡城再奪還戦の主力に薩長と並んで選抜されるぐらい強かったんだっけ
612名無し三等兵:2014/10/08(水) 21:06:08.39 ID:XN/8NL6j
>>611
真田家の松代藩が得た戊辰戦争で得た賞典録は、薩長土に次ぐ第4位(他にも同じようにもらった藩もあるが)で
鍋島家の佐賀藩をしのぐ。越後口で主力の一翼を担って奮戦したからな。
10万石で3000も藩士!を動員した価値があったということか。
これだけ石高の割に動員できたのは他は薩摩藩だけだからな。
613名無し三等兵:2014/10/08(水) 22:15:56.61 ID:/+SLycbF
>>611
えー?真田幸貫は名君だよ。養子大名だけど。
しでかし屋の佐久間象山もよく飼って使っていた。
近代兵制への移行も藩の素性の賜物だよ。
614名無し三等兵:2014/10/08(水) 22:51:26.98 ID:Jjf2l0rQ
>>610
最後がかわいそうだったね。赤松小三郎。
油断は禁物なんだね。
615名無し三等兵:2014/10/12(日) 14:37:29.35 ID:LQf+pXmG
保守
616名無し三等兵:2014/10/17(金) 20:02:05.56 ID:OBj9Cgma
戊辰戦争に登場した銃で一番命中率が高かったのは
エンフィールド銃というのは本当なのでしょうか。
後装式ライフルのスナイドル銃やシャスポー銃は実は命中率では
エンフィールド銃以下だったと聞いたのですが。
現代の自動小銃がボルトアクション式の小銃より命中率が落ちるように
戊辰戦争時に登場していた、前装式ライフルから後装式ライフルへの過渡期の後装式ライフルは
命中率は低下したというのは本当なのですか?
617名無し三等兵:2014/10/17(金) 22:06:51.12 ID:2ZLi5HY3
>>616
wikiにいろいろのってるじゃん。
過渡期の製品だからいろいろ問題あるけど、センターファイアのメタルカートリッジの利便性が勝ったんじゃね。

で、日本語wiki見てて気になったんだけど、MkIIIになって銃身が鋳鋼から圧延炭素鋼に変わったと書いてあるんだけど、
英語wikiだとiron barrelからsteel barrelとなってるんだよね。
俺もてっきり錬鉄から鋼鉄に切り替わったとばかり思ってたんで、日本語wikiに違和感を感じたんだけどね。
そもそも錬鉄の時代から圧延なり鍛造して使ってたんだから、鋳鉄っていう表現はおかしくないかな。
618名無し三等兵:2014/10/17(金) 22:09:49.23 ID:2ZLi5HY3
ラスト一行で鋳鉄と書いたのは鋳鋼の間違いね。長文スマソ
619名無し三等兵:2014/10/17(金) 22:27:38.80 ID:2ZLi5HY3
もうひとつ書き忘れてた。wikiっていうのはスナイドル銃のwikiね。たびたびスマソ
620名無し三等兵:2014/10/18(土) 01:07:10.02 ID:K7Rnev2X
気にスナイドル
621名無し三等兵:2014/10/18(土) 22:12:49.63 ID:PfEaTZM3
>>616
閉鎖が甘いとガス圧が落ちるので初期の後装式はミニエー銃やエンフィールド銃と比べて飛翔能力に劣る。
それでも連射制の優位があったので軍性も含めて普墺戦争で勝利。
622名無し三等兵:2014/10/20(月) 16:03:23.75 ID:jF0iBoUQ
幕府も不発が多く使い勝手が悪いシャスポー銃より
2流だがフランス版スナイドル銃のタバディエール銃を
貰った方が良かったかもね。
623名無し三等兵:2014/10/21(火) 19:48:30.12 ID:eBucstRG
>>616です。
やっぱり初期の後装式ライフル銃は命中率が前装式ライフル銃に比べて落ちるのですね。
それよりも連射能力が高いし、伏射もできる以上、後装式ライフルが圧倒的優位なのは分かるのですが。
タバディエール銃を幕府が使用することはありえない気が。
シャスポー銃というタバディエール銃より優秀なフランス製の銃があるのに。
F15戦闘機を購入可能なのにF4戦闘機改良型を購入可能ならそれで我慢しろというようなものです。
624名無し三等兵:2014/10/21(火) 20:00:34.95 ID:fW5nsEBc
逆にF15を貰ったって、その高性能を活かせる
設備、環境、人が無いと 宝の持ち腐れだよ。
625名無し三等兵:2014/10/21(火) 21:47:32.01 ID:0Hh9DlGo
イランが購入したF14みたいなもんだな
626名無し三等兵:2014/10/21(火) 22:09:10.38 ID:zU4frohQ
>>625
あれはイラン革命のせいだから。

確かに設備、環境、人がいないと役に立たないのは事実ですね。
西南戦争では前装式ライフルを主装備にした西郷軍が善戦していますし、
戊辰戦争での越後戦線ではガトリングガンがそう役に立たなかったそうですし。
627名無し三等兵:2014/10/22(水) 01:20:40.34 ID:GMPoiut+
>>625
あっ、同じこと思った。期待は持っていても稼働品が少なかったり、フェニックスミサイルを供給してもらえなかったり。
生産国とは違いますわな。
628名無し三等兵:2014/10/22(水) 05:00:20.11 ID:FsMTdXSG
弾薬の製造可能性でいえば、紙(布)薬莢で雷管外装式のシャープスあたりが一番実用的な気がする。
まあ専用の雷管だけは輸入しなければならないだろうけど。
性能は南北戦争で折り紙つきだし。
629名無し三等兵:2014/10/22(水) 07:24:28.01 ID:GMPoiut+
>>628
日本は多湿だけら向いてないと思う。
戊辰の主役はミニエーとエンフィールド。
幕府や薩摩が装備した後装銃も少数導入で陸軍が標準に採用した兵制も諸藩の多数派であった前装ライフルを前提にしたフランス式だし。
630名無し三等兵:2014/10/22(水) 07:56:04.80 ID:FsMTdXSG
>>629
多湿で問題になったのはシャスポーの紙薬莢の底部に雷管を付けた構造だと思ってたけど、
シャープス等でも問題になったの?
確かに前装式なら紙実包を破って火薬を注入するから、その分着火に有利そうだけど。
631名無し三等兵:2014/10/22(水) 08:25:27.18 ID:m6IFZwdh
>>628
メイナード・テー プ式は専用雷管しか使えないけれど、ディスク式の方には一般的な金属雷管が使えますよ
ですから、金属雷管専用のM1849や、ディスク・金属併用のM1852以後(M1855を除く)なら専用雷管に悩まされずに使用可能かと
特にフルストック歩兵銃のライフルマスケットはM1859とM1863のみなので、歩兵用に輸入するなら自動的に併用雷管式の物になるし
(この両年式は今まで以上に金属雷管の使用を考慮した機構に変更されています)

>>629
雷管が湿気に弱いのはメイナード・テー プ式ですから、専用のM1850、M1851、M1855を避ければ湿気に関しては問題無いかと
M1855は納入前に陸軍から湿気問題でキャンセルされているので、下手したら在庫を売り付けられる危険が有るかもw
(メイナード・テー プ式の採用はキャンセルを除くと結局は2年間)
632名無し三等兵:2014/10/22(水) 08:43:30.57 ID:FsMTdXSG
>>631
失礼ですけど、もしやスプリングフィールド小銃の事をいわれてるのでは?
それはそれで非常に参考になりますが。

そしてシャープスの場合ですが専用の雷管が必要だと思っていましたが、wikiを見ると通常の雷管も使用可能とのこと。
いかにも実用的なアメリカらしい感じです。
633名無し三等兵:2014/10/22(水) 09:03:38.47 ID:FsMTdXSG
シャープスの英語wikiを見ていると>>631氏の言われてるのはやっぱりシャープスの事のようですね。
だとしたら相当お詳しい。
どうも失礼致しました。
634名無し三等兵:2014/10/22(水) 11:09:25.76 ID:kaayfqGO
シャープス銃は高性能なのに何でスプリングフィールド銃と
更新出来なかったの?と思ったら高価なのね。
ということは、ナポレオン三世がシャスポー銃三千丁を
プレゼントしたというのは、大盤振る舞いだったのね。
635名無し三等兵:2014/10/22(水) 14:09:30.44 ID:m6IFZwdh
>>634
庄内藩がシャープス(M1859かM1863のカービン?)を1丁30〜45両で600丁も購入していますね
長岡藩でも纏まった数を購入している様です
日本はアメリカに次ぐ使用量だったのかな?
イギリスへの輸出数が不明なので何とも言えないけれど・・・
636名無し三等兵:2014/10/22(水) 20:48:05.62 ID:wGhYJF+H
>>634
あれは本当に大盤振る舞いだったと思う。
幕府が勝利した結果、シャスポー銃を装備した日本陸軍と言うのも見たかったな。
637名無し三等兵:2014/10/22(水) 22:35:09.70 ID:RX2Hu6Bv
>>636
明治初期に一部の鎮台兵が普通にシャスポー銃使ってるんだけどね
村田銃が行き渡るまでは戊辰戦争時の銃を使うしかないんだし
638名無し三等兵:2014/10/23(木) 07:20:57.49 ID:BKjc/L+J
マルティニ・ヘンリーを海兵隊が装備したりと、各種小銃が使われていましたね

海兵隊の使用していた弾薬盒の形が分かる方いらっしゃいますか?
軍服やサーベルは資料が有るけれど、下士官兵卒の装具類は不明点が多くて・・・
中西立太氏のイラストは疑問点が多いし
639名無し三等兵:2014/10/24(金) 20:47:02.96 ID:dbusw9tu
>>638
いろいろと事情はあるのでしょうが、なんでわざわざマルティニ・ヘンリーなんてマイナーな銃を
という疑問を海兵隊は採用したのか、と疑問を覚えてしまいます。弾薬等の調達も大変そうですし。

話を変えますが、西南戦争では地雷が新兵器として使用されたのですね。他にも新兵器が使われたのでしょうか。
640名無し三等兵:2014/10/24(金) 21:04:44.62 ID:5I8n9eAl
英軍の制式小銃だからマイナーではないでしょう。
あと日本語が変。
641名無し三等兵:2014/10/25(土) 18:35:52.78 ID:4Y7UN7+h
>>637
幕府歩兵が本当にシャスポー銃を使ったのかは疑問らしいね。
最終段階の函館ではミニエーを使っていた。

ドライゼ銃ならプロイセン式兵制を採用した紀州藩に装備されていた。そのあと、明治新政府へ上納された。
それが纏まった数であったため、西南戦争の不足のときに訓練された元紀州藩兵共々動員したとか。
642名無し三等兵:2014/10/25(土) 19:18:13.04 ID:a/DipDKa
>>639
明治政府の海兵隊はイギリス海兵隊がモデル
それでマルティニ・ヘンリーなのかな?と
643名無し三等兵:2014/11/02(日) 19:39:43.43 ID:NaWxRLrl
話を変えるが、小川原正道氏の「西南戦争」だと
屯田兵は「ロケット」攻撃を人吉攻防戦で行ったらしいのだけど
この頃からカチューシャみたいなロケット弾が存在したのだろうか?
それとも、これは小川原氏の誤りなのだろうか?
644名無し三等兵:2014/11/02(日) 19:50:24.30 ID:IdsVE5V+
645名無し三等兵:2014/11/02(日) 20:02:31.96 ID:NaWxRLrl
>>644
孫引きだけど、このロケット攻撃により人吉市街が
「火勢忽ち焔騰して終夜白日の如し」と化してしまったらしい。
こんなに威力があるのだったら、もっと知られていてもいいと思うのだけど
646名無し三等兵:2014/11/02(日) 20:24:43.48 ID:Y6rKQvu2
アメリカ国歌にまで歌われる様なモノだものな。
647名無し三等兵:2014/11/02(日) 20:32:44.50 ID:mNo5AlS3
薩英戦争でも使われてたよな。
よっぽどアームストロング砲より役立ってたような。
648名無し三等兵:2014/11/02(日) 21:39:32.45 ID:DOAmkkD+
映画でも、リメイクされた方の「アラモ」とか日本未公開の「ゲティスバーグ」とかでも
ロケット弾らしきもの飛ばしてる。
649名無し三等兵:2014/11/02(日) 23:00:57.25 ID:QkYcEdrg
コングリーブロケットって命中精度は悪いけど射程と威力があって、艦艇から陸上への焼き討ちなんかに使われてたんだっけ
650名無し三等兵:2014/11/03(月) 08:47:50.79 ID:nVLaWiJh
「屯田兵沿革 戦闘記」
屯田兵司令部 明治26年刊
がGooglebooksで閲覧出来ますよ
屯田兵沿革→前史・創設から明治26年迄の部隊史
戦闘記→西南戦争の戦史

戦闘記には5月31日にロケットによる攻撃を行ったと有ります
>>645さんの
>「火勢忽ち焔騰して終夜白日の如し」
の文章は、戦闘記の当日分に有ります
人吉市街全体では無く、薩軍が守備していた山田郷を指している様です
6月1日の人吉突入に伴う火災(始めは幾つかの町のみ)は退却する薩軍による放火としていますが、村落の焼失原因は相手側に有りと主張される事が多いので・・・

肝心のロケットに付いては型式を特定する様な記述は屯田兵沿革にも戦闘記にも無い様です
屯田兵沿革には明治7年にガトリング4門をアメリカより購入と有りますが、西南戦争に持ち込んだのか否かは記述が有りません
想像よりも優良装備の部隊だった様です
陸軍中将兼開拓次官の黒田清隆が北海道憲兵事務の総理として管轄下に置いていたから?
651名無し三等兵:2014/11/03(月) 11:51:06.54 ID:IGPVtcTw
やっぱり南北戦争の余りだったのかな?
652名無し三等兵:2014/11/03(月) 17:23:50.64 ID:ousrAIpu
だとしたら火薬しけってなかったのかな
653名無し三等兵:2014/11/03(月) 19:52:27.80 ID:g7O6dLJp
やはりコングリーブロケットの可能性が高いみたいですね。
ありがとうございます。
他にも気球が用いられたり、風船砲弾弾薬?という謎の兵器が投入されたりとか
西南戦争はいろいろな兵器が用いられていますね。
654名無し三等兵:2014/11/03(月) 20:03:37.78 ID:Eyj/070F
>>653
あー、>>644書いたものだが
薩英戦争で使われたのはヘイル・ロケット(旋回して飛ぶ。安定棒無し)らしいのでぐぐってみたら

http://page.freett.com/sukechika/meizi11/03wepon/meizi07-4.html
> その結果、明治十(1877)年二月十二日、政府軍の軍艦「孟春」・「鳳翔」に艦載用ロケット弾、
>「東艦」に6斤ロケット弾50発、3斤ロケット弾30発が装備された。
>これらのロケット弾は対地攻撃用であり、西南戦争が始まると、
>軍艦は元より駅逓局用連絡船、郵便船にも自衛用に搭載された(但し、実戦使用は無かった模様)。

とあるのを見つけてもうた
655名無し三等兵:2014/11/03(月) 22:45:01.30 ID:nVLaWiJh
>>654
面白いサイトを有り難うです
Hale rocketで検索したら、やたらと近代的なランチャーが出て来て驚きましたがw
角度の浅い迫撃砲みたいな形

イギリス人のウィリアム・ヘイル(1797-1870)が開発、最初の売り込み先はアメリカ
米墨戦争で使われた後、クリミア戦争でイギリス軍が使用したが、この時は正式採用にはならなかった
1867年にイギリス軍の正式採用となり、主に植民地戦争で使用されたと

サイズは各種有るが、24ポンド(約10kg)ロケットの標準射程は1200ヤード
条件が整えば4000ヤードにまで延びる事も

張ってくれたサイトの情報から想像すると、ロケットは屯田兵固有の装備では無くて、艦艇から派遣されて来た臨時編成の海軍陸戦砲兵なのかな?
それなら屯田兵沿革に装備の記載が無いのも納得出来るし
656名無し三等兵:2014/11/04(火) 21:02:16.30 ID:uTFhB7BU
おもしろい情報を教えていただきありがとうございます。
ヘイルロケットは全く知りませんでした。
657名無し三等兵:2014/11/04(火) 21:40:52.15 ID:q0N8yhdk
この頃のロケットって炸薬と着発信管ついてたの?
658名無し三等兵:2014/11/05(水) 16:33:04.31 ID:Yd4eYFw0
どうかなと思うよ。
ヘイルロケットってのは噴射孔を三つにして噴射ガスに角度が付くような
鉄の羽根をつけ、ロケットに回転を与えることにより
コングリーブロケットから竿を省いて
飛距離や発射器を改善しただけのものだから。

基本的にこのころのロケットは街や港に群がって停泊した船に火をつけるのに
効果的なだけだった。
659名無し三等兵:2014/11/07(金) 18:33:07.07 ID:NUKIs3CP
南北戦争の将校に名誉勲章、死後151年 米国
ttp://www.afpbb.com/articles/-/3031149
660名無し三等兵:2014/11/08(土) 18:16:44.77 ID:zbUTzVr6
>>659
下級将校にも関わらず戦史に名前を残している様な人物が叙勲されるのは良い事かと
でも、タイミング的に中間選挙が見え隠れする時期なのが残念・・・

アロンゾ・ハースフォード・カッシング
ウィスコンシン出身
1841-63年

1861年6月、ウエストポイント卒業(34名中12番)砲兵科
ニューヨークにて任官

第1次ブル・ラン、ヨークタウン、7日間戦争、メリーランド戦役、フレデリクスバーグに北軍砲兵将校として従軍後、ゲティスバーグ会戦へ

ゲティスバーグ会戦
第2軍団付属砲兵旅団/合衆国第4正規砲兵連隊/Aバッテリー指揮官(中尉)
兵員126名
3インチ・ライフル砲6門

会戦3日目、ピケットの突撃が始まった時、カッシング中尉のAバッテリーは、前進して来る南軍の正面に位置する石壁沿いに砲列を敷いていた
そこは石壁が直角に2度折れ曲がっていて、後に「血染めの角」と呼ばれる様になる場所の近くだった

南軍が石壁に到達した時、隊の使用出来る砲は2門だけだった
カッシングは、その内の1門に残った砲兵を集めた
それは腹部に受けた傷からはみ出した腸を手で抑えながら出した命令だった
カッシングが地面に倒れ込む直前、彼の砲は轟音を立てて至近距離から南軍に火を吹いた

致命傷を受けた南軍のアーミステッド将軍が覆い被さる様に倒れていた砲身は、カッシング中尉が最期に指揮していた砲だった
その場所は後に「南軍最高到達地点」と呼ばれる様になった
661名無し三等兵:2014/11/10(月) 10:48:17.10 ID:o/NNlBGf
ヘイル・ロケットの話題を見てて思ったが
この頃にはボム・ケッチは無かったのかな?
662名無し三等兵:2014/11/10(月) 14:02:13.24 ID:nOzBaJ2R
>>661
ボム・ケッチに含まれるのか判らないけれど、南北戦争の北部海軍には
モーター・スクーナー:13インチ臼砲1門と火砲一組を搭載
が有りましたよ
主に河川での交戦に使われたと
663名無し三等兵:2014/11/10(月) 20:48:22.78 ID:qX2SAas1
アレだよね、駅らしい所にズラーッとならんだ写真があり、
また映画「続・夕陽のガンマン」にも出てくるえらい肉厚の臼砲。
664名無し三等兵:2014/11/10(月) 22:01:15.32 ID:N07gFNe7
>>660
映画「ゲティスバーグ」のピケットチャージのシーンで、北軍の砲兵が負傷したらしい
他の兵?を抱えていて、それを地面に横たわらせてから南軍戦列に至近距離から
砲を発射するシーンがあるけど、もしかしてそれ?
665名無し三等兵:2014/11/11(火) 19:30:05.29 ID:AkAoz+VG
>>664
ガーネット将軍の最期のシーンの少し前?
砲兵軍曹に支えられていた砲兵中尉が頭部に被弾したのか揉んどり打って倒れるシーンが有りましたね
その後、軍曹は砲に戻り引き綱を引き発射
砲口の先にはガーネット将軍が・・・

丁度、血染めの角の突出している方の石壁沿いに並んだ2門の3インチ・ライフル砲での出来事でした(右側の砲)
後のシーンでは同じ場所でアーミステッド将軍が倒れました(左側の砲)
カッシング中尉は力尽きて倒れたのでは無く、傷に耐え踏み留まっていたところを頭部に被弾して倒れたとする話も有ります
細部に関しては目撃者に依って一致しない事も有るでしょうし、映画の絵面の都合も有るでしょう
多分カッシング中尉の最期を描いたシーンで間違いないかと
666名無し三等兵:2014/11/17(月) 19:45:14.44 ID:EWozkVVW
少し上で屯田兵の話題が出ているが。

ネット検索を掛けると屯田兵にも騎兵や工兵、砲兵までいたみたい。
屯田兵だけで軽師団が編制できそう。
それにしても騎兵はまだしも、工兵や砲兵の屯田兵は訓練が大変では、と思うのだが。
そのあたりは問題にならなかったのだろうか?
667名無し三等兵:2014/11/17(月) 21:28:25.05 ID:df2+GNoh
屯田兵の工兵・砲兵・騎兵は各小隊が若干でした
農作業以外に土木作業にも従事していましたから、その中から工兵を組織するのは無理が無いかな?
また、軍馬飼育に付いての教育を受けた者もいましたから騎兵も有り?
飼育と戦闘とは違いますが・・・
日露戦争では屯田兵の中から、第7師団の各連隊付き乗馬歩兵小隊を編成していますから、それなりの練度は有ったのかと
屯田兵の騎兵だけでは足りそうも無いので、歩兵でも乗馬の出来た兵がいたのかな?

砲兵は謎・・・
668名無し三等兵:2014/11/18(火) 19:41:00.55 ID:EJA39K/j
>>667
砲兵はやはり4斤山砲が主装備だったのでしょうか?
669名無し三等兵:2014/11/23(日) 19:22:49.60 ID:8ZvQap/p
基本的にはWWUまで、人力で運ぶのが大半だからなぁ……
ナポレオンが騎馬砲兵を好んだのと対照的だ
670名無し三等兵:2014/11/23(日) 19:43:58.05 ID:VPkPoAgc
>>669
それはあくまでも非常事態によるもの。
日本も山砲はともかく野砲は馬で運んでいます。
昭和になると自動車牽引を考慮して機動砲という分類まで作っていますし。
ただ、実際問題として、自動車どころか馬にも事欠くことから人力でやむを得ず運ぶことが多かったので
大日本帝国陸軍は砲を人力で運ぶというイメージが浸透する羽目に。
671名無し三等兵:2014/11/24(月) 00:13:22.83 ID:/iY8cCji
お馬さんの質も劣ってたからねぇ
672名無し三等兵:2014/11/24(月) 05:19:18.70 ID:5ynwdId6
戊辰とか西南戦争とか国内で戦争してた時は道路が狭くて大変そう。
日清のときの朝鮮半島や遼東半島がまだ道路は広そうな感じがする。ただ補給には苦労したみたいだけど。
日露になってようやく鉄道が使える様になって、前線の近くまでは鉄道で移動できる様になったと思う。
673名無し三等兵:2014/11/24(月) 07:49:43.25 ID:1SUalSJe
幕府陸軍の仏式砲兵隊は分解した四斤山砲を馬の背に乗せて運んでいますね
鳥羽街道では薩摩の砲撃に驚いた幕府砲兵隊の馬が四斤山砲を乗せたまま逃走したけど・・・

大鳥圭介の伝習隊は歩兵のランドセルを馬の背に乗せて運んでいました
こちらは小山の戦いで新政府軍の銃声に驚いてランドセルを乗せたまま逃走・・・

それなりに馬匹輸送の記録は有るけれど牽引や荷馬車では無いみたい
銃火器の音にも慣らしていないし、やはり本格的な物では無いのかな?
674名無し三等兵:2014/11/24(月) 08:19:19.36 ID:iYtZmO0E
戊辰戦争の頃は文字通りの荷物を積むだけの馬だろうな。
江戸時代に馬で物を引くというのはまれだったと思うから。
鳥羽・伏見や小山の戦いで幕府側が使った馬は、臨時に買い求めた馬で
軍馬として調教されていなかった可能性が高そう。
675名無し三等兵:2014/11/25(火) 12:32:16.52 ID:kunb9UoR
>>671
WW2までは馬の質 (牽引力)も充分ヨーロッパ風に高くなっていたでしょう?
支那戦線ではそれが祟ってバタバタ斃れたらしいけど。
676名無し三等兵:2014/11/25(火) 15:32:27.21 ID:HW/C86Qb
馬の質が問題外だったのは日清・日露の話ですな。
1906年の馬政局 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E6%94%BF%E5%B1%80
の設立から30年計画での品種改良で、競走馬としての能力はともかく、
軍馬としては見劣りしなくなってる。
677名無し三等兵:2014/11/25(火) 18:47:53.09 ID:4usPxEBN
軍用馬の品種改良に付いては幕府のフランス軍事顧問団が種馬を兼ねてアラブ馬26頭を持ち込んでいますね
品種改良の担当は榎本軍にも加わったカズヌーヴ伍長
しかし、戊辰戦争の混乱で計画は頓挫
殆んどの馬は有力者の乗馬として一代限りで消耗
明治のフランス軍事顧問団の調査によると9頭のみの存在が確認出来たと
内1頭は千葉で繁殖(2-3頭)していたとの話も有りますが・・・
678名無し三等兵:2014/11/25(火) 20:44:17.37 ID:9Wiu9Jjo
このスレは基本的に日清戦争までだから
日本の馬の質は大問題の時期ですね。
それにしても、義和団の乱では日本の馬は欧米諸国の兵に嘲笑されたというのは
どこまで本当なのでしょうか?
679名無し三等兵:2014/11/25(火) 21:30:30.37 ID:HW/C86Qb
>>677-678
日本でまともに品種改良が行われるようになったのは
馬政第一次計画 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E6%94%BF%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E8%A8%88%E7%94%BB
からで、それ以前は地区単位でバラバラな繁殖計画だったし、大々的に
種牡馬・種牝馬を導入することもなかった。去勢もあまりされなかった。

義和団事件の際、去勢していない & 気の荒い在来種の馬を使ったことで
「馬のような恰好をした猛獣」と言われたというのは、広く知られた話だし、
嘘だとも思えない。

ただ、この改良計画によって在来種が激減、というか半ば絶滅しちゃった
のが悲しいところ。
680名無し三等兵:2014/11/25(火) 22:30:09.30 ID:kgH01SVv
いま残ってる木曽馬は駄用馬の系統しかいないのに
日本では明治までずっとこれに乗ってたんですよ、みたいな紹介のされ方してるのが何だかなあ
あれは山奥のお百姓さんが農作業専用にこっそり飼ってた馬の子孫だろと。
乗用の木曽馬なんか品種改良で消えただろと。
なぜ間違いなく乗用馬だと言える御崎馬の方をクローズアップしないのか。
681名無し三等兵:2014/11/25(火) 23:04:06.62 ID:YQJAVfuo
「馬のような恰好をした猛獣」でググったら
ttp://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/975/
っていうページがヒットした。なかなか参考になりました。
682名無し三等兵:2014/11/26(水) 19:37:55.87 ID:S4MhyTvS
日本馬はいろいろ誤解や偏見に満ち溢れている存在だと私は思う。

日本馬のサイズを持ち出してどうしようもないとほざく人もいるが、
それならチンギスハンの蒙古馬のサイズを持ち出すと黙る人が大半。
チンギスハンの蒙古馬のサイズは日本の明治期の馬のサイズと大差ない。
それなのに、日本馬のサイズだと大人を載せるのは絶対無理www、
日本馬で乗馬戦闘なんて子どもでも絶対無理とわかるのに戦国時代の騎馬武者の存在を信じるなんて
大馬鹿、大馬鹿wwww、
何ていうのがネット世界では横行している。

だから、どういう状況を想定しているのか、そして馬に何を求めるのか、きちんと設定しないと
あさっての方向に話が転んでしまう。
683名無し三等兵:2014/11/26(水) 20:29:56.27 ID:HJuzd6Aj
イメージだけの話で申し訳ないが
去勢や蹄鉄の関しては別として、馬の大きさに関しては
アラブ経由で西洋馬が大型化した結果日本馬が取り残されたん?
684名無し三等兵:2014/11/26(水) 20:48:39.12 ID:JugvBcJV
明治陸軍の騎兵がいかにデタラメだったかは、良くも悪くも日本騎兵の父と呼ばれる秋山好古の経歴を見ればわかる。

秋山好古は松山藩の石高10石の徒士の子弟で、馬とは何の関係もない家庭環境で育った。
秋山好古が乗馬を始めたのは士官学校に入ってからで、騎兵科の同期は3人だ。
その中で一番優秀だったのが士官学校に入ってから乗馬を始めた秋山好古だった。
義和団事変のときの陸軍騎兵で、室町戦国時代の乗馬武士のレベルは語れない。
685名無し三等兵:2014/11/26(水) 20:52:21.59 ID:JugvBcJV
伊藤博文や山県有朋は良くも悪くも騎兵隊でなく奇兵隊出身。
上士の乗る軍馬のことなど全く理解していない。
686名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:04:20.00 ID:S4MhyTvS
江戸時代に乗馬文化が日本では完全に廃れたからな。
確か早馬を使えたのは幕府のみで、大名ですら藩元と江戸との連絡は早飛脚に頼るしかなかった。
(だから、忠臣蔵で赤穂への江戸からの連絡に早馬を使うのは全くの出鱈目)
こんな状態だから、日本馬は江戸時代に農耕馬が主な用途にならざるを得なかった。
更に農地の限界から、馬耕よりも人手で耕作が当然になった。
(馬を食べさせる農地があるなら、人手でその農地を耕作した方がよいという理屈。)
このため、農耕馬も激減した。そんな状況だから、馬も少しでも小さい方がいいという理屈が横行しだす。
そんなこんなが積み重なって、明治初期の日本馬は異常に小型化して、馬に関する技術も退化していた。
687名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:16:11.69 ID:JugvBcJV
こないだもりおか歴史文化館で見た展示説明だと、
南部藩では「駒」は牝馬で、「駄」は牡馬だという。
「上駒」を使えるのは上級武士だけ。庶民が運搬用や農耕用に使えるのは軍馬として使えない「駄」、つまり牝馬だけ。
「駒」の売買は厳しく規制されていた。幕府の早馬はみんな南部馬。
688名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:19:11.64 ID:7usMEnua
>>686
飛脚ってめちゃ速かったはずだぞw
幕府の飛脚はつぶよりで構成されてる。
689名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:20:22.50 ID:S4MhyTvS
>>688
飛脚は馬に乗っていたっけ?
乗馬文化の話をしているのだが。
690名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:22:10.09 ID:S4MhyTvS
それを言い出したら、古代地中海世界で騎兵が発展しなかったのは
山がちの地形では人が走って連絡する方が馬よりも速かったからと言う説があるくらいだから。
691名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:22:53.99 ID:7usMEnua
>>689
人のほうが早いんだよw
駅逓で馬取替とか面倒くさいんだよ。

軍事上の理由で橋のない川もかなりあるので
人が渡してた。

NHKのタイムスクープハンターでも増水した川に
突入する川越人足の話あっただろうがw
692名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:24:40.97 ID:c6ICxViC
>>683
北ヨーロッパあたりの土着の馬が元々デカかったらしい。いわゆる重種ってやつ
そこに走るのは速いけどそんなに大きくないアラブを掛け合わせたって感じかな

銃器が発達したせいで、とにかく騎兵は敵が弾込める前に突っ込めないといかんってことで
必死こいて改良したんよ
693名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:41:37.83 ID:ZXLhGiMQ
でかい馬はそれだけ飯食うし、農耕馬としてはでかすぎて不経済だからいらない
意図的にでかくしようと頑張らない限り特に山がちな日本なんかではでかくならない

ヨーロッパは一時期無暗にでかくしようとしたからな
ペルシュロン系だったか中世騎士は馬鹿でかくしすぎ鈍重で足が弱いとかなんかか当時から批判してた奴もいたとか

中国だと漢や唐ですでに国営牧場作って馬そろえたりしてるんだが
ヨーロッパの馬飼育精度がどうなってたのは詳しくは知らない
694683:2014/11/27(木) 00:18:40.10 ID:Y2wU4yGJ
>>692-693
なるほど。ありがとう
695名無し三等兵:2014/11/27(木) 00:52:30.37 ID:O35hqR7h
織田信長が整備しだすまで、日本は主な街道すら人がすれ違うのがやっと、江戸時代に入ってようやく旅籠が出来たくらいで、馬車を通すようにはなってない。
大都市の中と、江戸や大阪、京都など重要都市の周辺のみが、かろうじて大八車を使えたくらいで、舗装道路なんてほとんどなかった。
しかも都市圏ですら、橋が痛むという理由で荷車の通行を制限していたし、荷車の所有と使用は許可制、人に怪我をさせたら死罪だったほどだ。

実は抱え大筒などの砲術書には「梯子や土俵、荷車などを利用して撃て、いたずらに抱えて撃つな」と書いてあったくらいだが、肝心の車が街道を進めない。
だから大砲にしても牽引が出来なかったため、分解して駄馬なり牛なりに載せるしかなく、比較的に軽量な山砲が好まれたってだけの話しだ。
それ以前には軍艦のカッターなどに載せる、ボートキャノンが転用されてたくらいだから、いかにインフラが足を引っ張ったかが分かるだろう。
696名無し三等兵:2014/11/27(木) 08:32:13.24 ID:LasmwX9U
>日本は主な街道すら人がすれ違うのがやっと

信長以前の軍隊の行軍なんかはどうしてたの?まさか一列縦隊?
697名無し三等兵:2014/11/27(木) 09:42:06.07 ID:t4t0mMfr
獣道というのもあるが、近代陸軍みたいに四列縦隊とかはない。

要するに大名行列が武士の行軍隊形。平地の敵前では備の陣形。
698名無し三等兵:2014/11/27(木) 13:55:08.25 ID:vbqc1jyB
馬を軍事に使い出したのは近東だと思うが、
少なくとも歴史に現れたのはそうだと思うが、
最初は小さくて弱く、人を乗せて走れなかったから
ごく軽く作った二輪車を牽かしてそれに射手などを乗せたんだよね。
699名無し三等兵:2014/11/27(木) 14:57:27.98 ID:aOC9euYU
>>696
『センゴク』の桶狭間戦記などは、当時の雰囲気を良く伝えているよ。
マジで一列縦隊か、良くても二列で、左右に草木の迫る、間道のような道を行軍するんだ。
700名無し三等兵:2014/11/27(木) 19:46:28.34 ID:HznZ4mPZ
こういうのって、どこまで本当なのだろう?本当に東海道でも戦国時代は1列でしか行軍できなかったのだろうか。
行軍となると前の人と最低1メートルは空けないと武装した兵士は行軍できない。
火縄銃にしても長槍にしてもそれは変わりない。そうしないと兵士同士がぶつかり、行軍どころではない。
となると小田原の戦いのときは豊臣軍は先頭から後端まで200キロメートルと言う長大な行軍を行ったことになる。
また、関ヶ原の戦いで東軍7万8千は先頭から後端まで78キロという長い隊列で行軍せざるを得ず、
赤坂から関ヶ原まで東軍は絶対に駆けつけられない。何しろ、前列の部隊が展開して布陣しないと道路は空かないのだ。
従って、関ヶ原の戦いは大嘘ということになるのだが。
701名無し三等兵:2014/11/27(木) 21:24:39.65 ID:pzsBL7Gn
そろそろスレ違いになってるぞ。
まあ江戸時代の旧街道なんかでも広くなってるのは宿場町周辺だけで、途中の道はやたら細くなってるという話は良く聞く。
702名無し三等兵:2014/11/27(木) 23:47:41.27 ID:+C591jmT
信長が街道整備したときには幅3間

 江川には舟橋を仰せ付けられ、嶮路を平らげ、石を退けて大道とし、
 道の広さ三間間中、路辺の左右に、松と柳を植え置き 『信長公記』巻8


江戸時代の東海道は6間

 天下之通路自他共大海道ハ六間  『家康百箇条』

だけど、すべての区間が6間ではなかったようだ

ttp://sfsnet.s180.coreserver.jp/sfsnet1/news_images/2007/20071117_yamamoto-hirosi/soushukodo-fujisawa_lecture.pdf
703名無し三等兵:2014/11/28(金) 08:43:38.59 ID:kApwurXm
幕末の官軍は、山あいで道が良くない中山道じゃなく
中山道よりは整備されてる東海道を使用した。
道をあまり整備せず、大井川などに橋をかけなかったのは
江戸を攻めづらくしようとした、幕府のもくろみ
704名無し三等兵:2014/11/28(金) 08:54:14.76 ID:uwIFksqB
板垣退助「・・・」
近藤勇「・・・」
705名無し三等兵:2014/11/28(金) 19:33:39.88 ID:pltrvK+n
でもまあ幕末の動乱で、日本が一気に体制が入れ替わったのって、やっぱり蒸気船の影響が大きいよな。
大量の兵員を移動するのにそれまでの交通インフラじゃ無理。
黒船の来航を驚きをもって迎え入れた当時の日本人は、なかなかいいセンスを持ってたと思う。
706名無し三等兵:2014/11/28(金) 19:40:29.50 ID:Un3fMWi8
いや、挑戦征伐とか関ヶ原とか大坂の陣とか島原とか10万は普通に動員してるで
707名無し三等兵:2014/11/28(金) 19:50:38.27 ID:W9BkWNlz
戊辰戦争の戦闘(一会戦)で万単位の参加兵力なんて無かったしなぁ
地元でも戊辰戦争の戦闘が有ったけど、両軍合わせて二千行ってないし
そんな兵力でも宿場町三つが灰塵に・・・
708名無し三等兵:2014/11/28(金) 19:56:17.55 ID:ddCcB/aV
>>706
ちょっと粗い計算をしてみる。
10万人の兵糧として、1日に100トンの兵糧が最低でも必要になってくる。
(米だけでおかずなしというのが大前提。おかずを入れたらもっと必要になる。
WWU中の米軍は兵士1人当たり1キロではとても足りない(米国の食事はおかずが必要不可欠)
と計算していた。)
100トンの兵糧を前線に運ぶのに人力でどれくらい必要だろうか。
1人100キロ運べるとでも?それでも1万人は必要だ。
更にその運ぶ人のために食料は別途必要で。頭が痛くなってきそう。
本当に10万人動員して、兵糧は十分に確保できていたのだろうか?
709名無し三等兵:2014/11/28(金) 19:57:30.01 ID:ddCcB/aV
>>708
一部訂正。1万人ではなく1000人が必要。
710名無し三等兵:2014/11/28(金) 21:15:15.69 ID:K1hPz9xM
近世大規模軍隊の兵糧輸送は基本的に船だよ。
秀吉の九州征伐でも、輸送船が追いつくまでに手持ちや近隣の
食料食いつくして飢餓状態、とかやってる。

あとは敵地の城を落として貯蔵食料を食うとか。朝鮮はこれかな。
711名無し三等兵:2014/11/28(金) 21:23:02.28 ID:Un3fMWi8
城自体が要塞兼倉庫だから行軍はなんとかなる

朝鮮では補給不足で島津さんがだいぶひもじい思いをしていたそうだが
712名無し三等兵:2014/11/28(金) 22:19:28.61 ID:pSNvac64
>>707
長州征伐では10万単位で動員した結果幕軍惨敗で
銃持ってる奴だけが戦力だって気付いたから
以降は銃火器の数にひっぱられた動員になってんだよ
713名無し三等兵:2014/11/29(土) 00:40:11.23 ID:OXTuELPH
>>712
ゴメン、戦争全体の動員数の話だったんですね
一会戦の参加兵力と勘違いしてた

四境戦争の幕軍も各口(戦線)への派兵戦力は公式では万単位だけど参加実数は
・芸州口は先鋒(大敗した伊井とか)は三千、後続の主力でも五千
・石州口は八千
・大島口は三千
・小倉口は小倉藩の参加部隊は分かっても実兵力が良く分からないので・・・
でも個々の戦闘の参加兵力は多くないと思います
高杉がゲリラ戦を仕掛けていたから
(何れも海上兵力は除く)

これ以後、兵力は揃えられた火器の数に影響を受けたと言う説には、何か納得
714名無し三等兵:2014/11/29(土) 03:10:58.18 ID:fUyzSde6
黒船、つまり蒸気機関の船に限った話ではなく、中世末期から近世にかけての軍隊は、艦船からの輸送を期待できる沿岸部か、鉄道ないし河川のそばで無い限り、補給が停滞して戦えなくなるんだよ。
西洋の近代軍が植民地の原住民に負けた戦いのほとんどは、内陸部で補給を期待できず、また移動に時間がかかって分進合撃を阻まれる状況で、平たく言えば動員力を活かせない時に発生している。

ただし逆も真なりとは限らず、インカ帝国のように少数の近世軍隊が、人口数万の帝国都市を陥落させることもある。
もっともインカ帝国は鉄器すら持たない石器時代の文明だったし、生贄の儀式で徴発を繰り返し、被支配民族の恨みを買ってたなど、特殊な条件が色々と重なってたが。
715名無し三等兵:2014/11/29(土) 03:36:27.95 ID:3bu2M5LV
蒸気船のメリットはまず大河川など大型帆船の入りづらいところでも行動できるところだよね。
阿片戦争なんかでは小型の蒸気船が大型の軍艦を曳航して天津や揚子江沿岸まで進行してる。

日本沿岸だと湾内での活動に有利じゃないかな。湾内に設置された砲台に接近して砲撃戦を行う等は
従来の帆船では難しいと思う。
716名無し三等兵:2014/11/29(土) 04:03:28.86 ID:3bu2M5LV
あと日本沿岸だと従来は季節風を利用した航行をしてたと思うんだが、蒸気船だと季節による制約を受けるのが
なくなるのが大きいんじゃないかなあ。
717名無し三等兵:2014/11/29(土) 05:00:38.49 ID:qbRHhsNa
やっぱ破壊力より機動力だよね
718名無し三等兵:2014/11/29(土) 05:03:05.06 ID:jvnHCest
>>714
インカが滅んだのはヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌でやられたからだよ
「 銃・病原菌・鉄」を読め
719名無し三等兵:2014/11/29(土) 08:52:10.94 ID:OXTuELPH
西洋の近代軍が植民地の現地人軍に負けた戦いで>>714の条件に当てはまる戦いって何処だろう?

西洋軍が大敗した有名所だと
イサンドルワナは補給は充分な状態だったけれど、ズール族を舐めて掛かって全滅
ハルツームは政治的な問題で解放軍の派遣が遅れて籠城軍が全滅
で、条件と違うし

強いて言えば、山岳地帯で包囲され全滅したカブール撤退でのガダマク?
カブールを明け渡せば軍人4500と民間人12000の安全な撤退を保証するとの協定を結んだ後に撤退
しかし、協定は反故にされ30000の現地人軍に襲撃を受け軍人民間人共に全滅
(戦死以外に凍死とかも有ったけど)
やはり少し違うし・・・
720名無し三等兵:2014/11/29(土) 09:00:07.71 ID:OXTuELPH
>>719
間違えを・・・
×ガダマク
〇ガンダマク
721名無し三等兵:2014/11/29(土) 10:39:25.54 ID:eZE6ZBxm
>>718
インカ帝国はまず皇帝を捕虜にしたのが良かったんじゃないの?
まあ読んでみようと思うが。
722名無し三等兵:2014/11/29(土) 23:03:24.04 ID:8P1P9rkU
>>719
イギリス側は1200人しか居ないじゃないか?
723名無し三等兵:2014/11/29(土) 23:28:53.52 ID:8P1P9rkU
あぁイヤ改めてwikiったが、イギリス側はヨーロッパ兵800人の、アフリカ兵が900人だ。
最終的な被害者数が1200人ね。
対するズールー軍は2万人で、死傷者は3000人。
724名無し三等兵:2014/11/30(日) 10:40:58.15 ID:h9oQqcnp
死傷者の数と戦場の勝敗は関係ない。旅順で勝利したのはロシアでなく日本。
硫黄島で勝利したのは日本軍ではなく海兵隊。
モガデシオで勝利したのはデルタやレンジャーではなく、ブラックホーク撃墜したソマリアの武装住民。
725名無し三等兵:2014/11/30(日) 19:47:41.89 ID:QgrhbQRs
>>724
確かにおっしゃるとおり。
日本も本土決戦を決断していたら、一億玉砕をはたして米ソに降伏する
屈辱を味わうことなく、千載の栄光に輝いたろうに。
返す返すも残念でならない。
726名無し三等兵:2014/11/30(日) 20:36:04.62 ID:BZUbQ9oS
>>725
まぁ共産国家の衛星国になるんだけどねw
727名無し三等兵:2014/11/30(日) 20:42:16.40 ID:CoPjICaJ
>>723
wikiの数字にはナタールのヨーロッパ人入植者兵が入っていない様ですね
入植者兵を入れつつ数字を丸め直すと

イギリス兵750人
入植者兵200人
先住民兵1050人
(その他、兵站馬車の御者等の民間人300)

入植者兵の数は少ないですが、ズールー族との交戦経験は豊富でした
彼らの忠告や助言を無視し、ズールー族を過小評価した結果が、イサンドルワナでの敗北に繋がったと
728名無し三等兵:2014/11/30(日) 20:59:45.51 ID:jkc3OPaK
>>726
衛星国にはならないよ。
日本人は米ソに徹底抗戦して絶滅するのだから。
降伏するくらいなら死を選ぶ、東条英機が説いた戦陣訓に則る日本人。
千載の栄光に輝き、世界史で永遠に語り継がれると思います。
729名無し三等兵:2014/12/01(月) 00:57:53.68 ID:YCpje965
西洋の軍が現地軍に負けたのってベトナムあたりでフランス軍が清軍に大敗したのがなかったっけ
730名無し三等兵:2014/12/01(月) 13:35:15.90 ID:HcLob5jd
いや逆に死傷者少なくても軍事的に完敗ということもある。殺人は軍事作戦の第一目的ではない丸

薩英戦争はイギリスの方が死傷者多いが、砲台全滅して市街焼かれた薩摩の完敗。
馬関戦争は海岸砲台占拠された長州の完敗。
ラバウルは終戦まで占領されなかったが別に日本軍の勝利でもなんでもない。
連合艦隊も瀬戸内海にプカプカ浮かんでるだけではどうということはない。
731名無し三等兵:2014/12/01(月) 19:43:02.74 ID:uYMeuuuf
>>730
全くおっしゃる通り、パラグアイを見よ。
死傷者を多数だし、国民の8割を失おうとも、独立を維持し、軍事的には勝ったといえる。
732名無し三等兵:2014/12/01(月) 21:10:51.85 ID:IubEYBcN
>>731
言えるわけね〜だろ。三国戦争について30秒ぐらい調べてから出なおせ。
733名無し三等兵:2014/12/01(月) 21:40:41.17 ID:Q99SERft
>>732
ロペス大統領はパラグアイ史上最大の英雄になっているじゃないか
間違ったことは言ってない。
734名無し三等兵:2014/12/01(月) 22:41:42.36 ID:csAZsKrF
>>731
傀儡政権が続いて二度と工業国として立つことを許されず、
未だに工業製品無関税でもか?
735名無し三等兵:2014/12/01(月) 23:05:34.52 ID:GyVLoTAN
>>733
ナポレオンはフランスの英雄だけど、フランスはナポレオン戦争で軍事的に負けていますよ?
英雄の存在と勝ち負けは無関係かと
736名無し三等兵:2014/12/02(火) 01:15:17.68 ID:sG6s1ib9
独立を勝ち取ったなら、政治的にも軍事的にも、勝利と見做すのが公正ってもんだろ?
それが例えピュロスの勝利であったしても、敗北するよりはずっとマシだよ。
WWUのロシアも、一連のインドシナ戦争におけるベトナムも、被害に見合わない勝利だったけど「負けるべきだった」なんて声はないぜ。
737名無し三等兵:2014/12/02(火) 02:01:36.38 ID:sFLTVcz+
>>736
お前が気違い荒らしなのは理解してあげたから、消えろ。
738名無し三等兵:2014/12/02(火) 10:09:18.47 ID:t38sAL/o
突然どうしたんだ?
眠いなら寝てから書き込めよ
739名無し三等兵:2014/12/02(火) 22:20:34.59 ID:i717qqH3
>>736
「負けるべき」なんていう意気地なしは中々いないからなw
まぁ大日本帝国みたいに負けて大経済成長できたのが例外なんだよw
740名無し三等兵:2014/12/02(火) 23:18:28.42 ID:RlIDs/Mm
>>739
ドイツなんて第一次と第二の二回もやってますぜw
741名無し三等兵:2014/12/03(水) 09:19:51.33 ID:yUfnxxnH
フランスも七年戦争、ナポレオン戦争、普仏戦争、西方電撃戦、インドシナ戦争に敗北してるが、
今のドイツは電力も食料も全くフランスに依存している。
742名無し三等兵:2014/12/03(水) 19:55:30.60 ID:0X4NJ1UT
>>740
流石に3回目はやる気がないようだw
743名無し三等兵:2014/12/04(木) 00:33:46.16 ID:iWCNhOhJ
>>742
する必要のないものをやる気云々で語られても
744名無し三等兵:2014/12/04(木) 07:25:32.97 ID:MBwRr0ce
まあ西欧内部で抗争する必要ないしな。
欧州での対立線はぐっと東方に移って、ロシア、ウクライナ間だし。
ただロシアがエネルギーカードを武器に欧州の何カ国かを取り込む可能性がこの先無い訳ではない。
745名無し三等兵:2014/12/04(木) 13:31:49.11 ID:F7JbEMWc
今はフランスもドイツもロシアと敵対する気はさらさらない。

我儘し放題で孤立してるアメリカがうるさいから対立するフリだけしてる。
日本も同じ。
746名無し三等兵:2014/12/21(日) 19:35:05.82 ID:YcsO7j71
保守も兼ねて

日清戦争で日本軍や清国軍が使った火砲はどんなものがあるのでしょうか?
小銃に関しては日本では村田銃が主に使われた(最も後方部隊までは装備されていなかったみたいですが)ようなのですが
どんな火砲が使われていたのですか?
747名無し三等兵:2014/12/22(月) 20:25:50.33 ID:fozoT+8m
日本陸軍はこういうのですね。
http://d.hatena.ne.jp/taron/20130421/p3
748名無し三等兵:2015/01/13(火) 13:05:23.00 ID:Z/zZZIlf
パリテロのニュースで知ったけど、今のフランス内相の名前はカズヌーヴって言うんだね
いや、それだけなんだけどw
749名無し三等兵:2015/01/13(火) 22:04:19.90 ID:E2Uf+x6r
>>748
カズヌーヴか
幕末のあの人の子孫かも

それにしても19世紀後半の頃に軍事顧問として外国に派遣された人には優秀な人が揃っていますね。
フランス軍事顧問団のシャノワーヌ大尉は後にフランス陸軍大臣まで出世しましたし
ラストサムライのモデルといわれるブリュネ大尉も将軍にまで昇進しています
(フランス軍参謀総長となったというのは訳語的にはやや不正確だとか。
日本では参謀総長は陸軍大臣と同格ですが、ブリュネが務めていたのは陸軍大臣の部下で少将クラスが任命される役職。
従ってせいぜい陸軍省の局長クラスとのこと)
日露戦争でバルチック艦隊司令官を務めたロジェストヴェンスキーもブルガリアに派遣され
ブルガリア海軍の事実上の司令官の地位をロシア海軍大尉の身で務めている。
他にも有名な例が多々ありそう
750名無し三等兵:2015/01/14(水) 19:56:45.51 ID:oghDIUZ9
ブリュネが務めていたのは
Chef d'Etat-Major du ministre de la Guerre
戦争大臣付き参謀長
で、戦争大臣の補佐が任務だった様です
chef de cabinet
主席補佐官、主席秘書官
と、文官を思わせる名称で呼ばれる事も

Ministre de la Guerre
時代によっては陸軍大臣の性格が強かったり、海軍への影響力が強かったり弱かったり・・・
シャノワーヌの就任直前には Ministere de la Marine
海軍大臣
が制定されていました
現代は
Ministere de la Defense
国防大臣
として全軍を統轄してます

旧軍の陸軍参謀総長に近いのは
Chef d'Etat-Major general de l'Armee
戦争大臣付きとは異なり、実際の作戦立案と実行に関わったと
(旧軍の参謀総長の様に陸軍大臣と同格と迄は行かないみたいですが)
階級は当時のブリュネと同じ General de division
(現在のNATO階級区分の少将とは異なり、旧軍の中将の方が近いかと)
WW1以降は上位の常設階級が制定された為、それらが務める事も有りました
権限の拡大に合わせて名称も変化して行き、現在は
Chef d'Etat-Major des Armees
統合参謀総長
として、全軍の作戦その他を統轄しています

※eのアクセントは省略
751名無し三等兵:2015/01/16(金) 19:46:58.57 ID:Fu0LM1YU
>>750
詳しい解説をありがとうございます。

それにしても戊辰戦争と日清戦争は遠いようで近いみたいですね。
戊辰戦争と日清戦争と両方で活躍したと言えば立見将軍が有名ですが(日露戦争でも活躍しましたが)
他にも私が知らないだけで結構いそうな気が。
752名無し三等兵:2015/01/17(土) 02:08:31.78 ID:hBRFszsm
>>726

衛星国どころか朝鮮半島ともどもよくて「東アジアのバルト3国」、
悪けりゃ「東アジアのカリーニングラード」になってかもしれんよw
753( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2015/01/27(火) 20:51:05.51 ID:5ezGaGUL
NHK教育 2015年1月27日(火) 23時00分〜23時45分
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 負けても生き残れ!「榎本武揚」


幕臣として函館・五稜郭で最後まで新政府軍に抵抗した榎本武揚。
敗北後は一転して新政府の高官となった。なぜ彼は生き残ったのか。そこには一つの秘められた思いがあった。

番組内容テーマは「負けても生き残れ!」。榎本武揚ほど波乱万丈の人生を送った人も少ないだろう。
幕臣として、函館・五稜郭で最後まで新政府軍に抵抗。敗北後は一転して新政府の高官として登用された。
なぜ彼は生き残れたのか。いや、生き残ろうと思ったのか。
ともすれば「転向した」と非難される榎本。その人生を探ると、すさまじい能力と決意が明らかに。
新政府側の人間を感動させた榎本の行動とは?
埋もれた榎本の功績に光を当てる。
754名無し三等兵:2015/02/01(日) 19:15:32.37 ID:EkOaif4x
日清戦争の頃の列強の海軍力はどれくらいなのか分かりませんか。
ドイツが艦隊法を制定する以前の海軍力が分からないもので、どうかよろしくお願いします。
イメージだと英が突出していて、仏がそれに次ぎ、露が世界第3位。
独米伊は遥かに格下。清日は問題外というところなのですが。
本当のところはどうなのでしょう?
755名無し三等兵:2015/02/05(木) 11:12:26.93 ID:B3gOpfrV
個人的な考えだけど、英国が1番というのは
分かるが、アメリカの評価が低すぎないか?
フランスと同等或いはその下くらいだと
おもうのだが
ドイツはティルピッツ前は、沿岸警備隊に毛が生えた
程度と 何かで見た記憶がある。
756名無し三等兵:2015/02/05(木) 19:32:02.86 ID:x4t4PrKv
>>755
以前、何かで見たのですが
米西戦争に独が介入を検討した際に、独海軍により米海軍を圧倒して、独陸軍による米本土上陸、ワシントン占領も可能
と独陸軍参謀本部は判断したそうです。
大間違いだったらすみません。
757名無し三等兵:2015/02/05(木) 22:54:48.80 ID:Cutb2tX1
>>754
コンウェイの図鑑持ってるから、ひまさえあれば艦種ごとの隻数まで調べられるよ。
今度の休みにでも調べてみっか。

>>755
日清戦争ということは米西戦争前。フランスと同等どころか、やっと「戦艦作ってみた」
程度だと思うが。
758名無し三等兵:2015/02/06(金) 18:50:49.81 ID:d4kGUt+w
>>754
ゲームの話で申し訳ないが、「パックス・ブリタニカ」だと米海軍の初期戦力は
日本以下だったよ。
759名無し三等兵:2015/02/06(金) 23:36:22.94 ID:tbySsZAM
Pax Britannica の日本は強すぎ。明治13年に10戦力海軍ユニットなんかないだろ。
760名無し三等兵:2015/02/06(金) 23:54:15.30 ID:37bSCZpd
ちょっと調べてみたんだが、米西戦争勃発時のアメリカの戦艦は
テキサス、メイン、インディアナ、マサチューセッツ、オレゴン、アイオワ
の6隻みたいだな。

>>759
あのゲームの日本海軍は日本海海戦の勝利という要因が戦力に
プラスされている。実際の艦艇の数ではなく。
761名無し三等兵:2015/02/07(土) 07:52:47.85 ID:vrBA3DyU
>>760
メインが沈んだところから戦争スタート。

リメンバー・メインのキャンペーンが打たれてアメリカは対スペイン戦争の戦意を燃やしました。
762名無し三等兵:2015/02/07(土) 21:50:43.94 ID:kHaFqLpM
アメリカは、第二次大戦まで
戦争開始→軍拡
戦争終了→軍縮の繰り返しだから
よく分からん
763名無し三等兵:2015/02/07(土) 23:37:49.69 ID:yK1OUPtx
戦時に困らなくて無くていい状況なら常備軍なんか少ないほうがいいに決まってる
764名無し三等兵:2015/02/08(日) 09:36:40.55 ID:RxaSOkue
アメリカは、モンロー主義だったからね。
現在のように世界の出来事に、顔を出すのが
珍しい
765名無し三等兵:2015/02/08(日) 19:58:43.57 ID:3gxB2kdg
数えたよー。
まずは欧州列強から。

一等戦艦/二等戦艦/小型装甲艦/旧式装甲艦/甲鉄巡洋艦/防護巡洋艦/無防御巡洋艦/水雷艇。
一等戦艦は1万トン以上、二等戦艦は5000トン以上、小型装甲艦はそれ以下。

イギリス 20 / 2 / 4 / 31 / 12 / 73 / 26 / ca.100
フランス 7 / 10 / 8 / 15 / 7 / 17 / 33 / 221
ロシア 4 / 4 / 4 / 25 / 4 / 3 / 1 / 50
ドイツ 4 / 5 / 6 / 8 / 0 / 3 / 31 / 104
イタリア 5 / 3 / 0 / 11 / 1 / 10 / 3 / ca.120
766名無し三等兵:2015/02/08(日) 20:03:55.27 ID:3gxB2kdg
欧州二等国。

オーストリア 0 / 3 / 0 / 3 / 1 / 5 / 12 / 49
オランダ 0 / 1 / 12 / 0 / 0 / 0 / 16 / 22
スペイン 0 / 1 / 0 / 3 / 3 / 6 / 19 / 15
スウェーデン 0 / 0 / 6 / 0 / 1 / 2 / 0 / 15
767名無し三等兵:2015/02/08(日) 20:12:24.84 ID:3gxB2kdg
アジア諸国。

トルコ 0 / 1 / 0 / 15 / 0 / 0 / 7 / 26
清 0 / 2 / 0 / 0 / 3 / 5 / 14 / 11
日本 0 / 0 / 0 / 3 / 1 / 7 / 8 / 24

アメリカ諸国。

アメリカ 0 / 0 / 0 / 0 / 1 / 9 / 6 / 2
アルゼンチン 0 / 0 / 3 / 2 / 0 / 3 / 0 / 23
ブラジル 0 / 0 / 4 / 3 / 0 / 3 / 2 / 21
チリ 0 / 1 / 0 / 2 / 0 / 4 / 2 / 13
768名無し三等兵:2015/02/08(日) 20:21:44.61 ID:3gxB2kdg
清国海軍を除いて、1894年末の勢力を示した。
アメリカ合衆国の平和ボケぶりはすごいが、すでに戦艦の建造は開始している。
769名無し三等兵:2015/02/08(日) 20:52:51.42 ID:DIe+aeX1
おお、本当にありがとうございます。
アメリカが南米三国以下の海軍力とは意外。
そして、普通に考えたら日清戦争で日本の海軍力は圧倒的に劣勢。
よく日本が日清開戦を決断したものだ。
770名無し三等兵:2015/02/08(日) 21:08:53.93 ID:3gxB2kdg
>>769
アメリカ最初の戦艦「テキサス」が建造されたきっかけは、ブラジル海軍の小型装甲艦
(二等戦艦に分類してもよかったかも)「リアシュエロ」の建造を知って、
「いまブラジルと戦争したら、アメリカの全艦隊でかかってもリアシュエロ1隻にかなわないぞ!」
と議会で糾弾されたからだそうです。
「テキサス」は1886年予算、1889年起工、1892年進水、1895年就役。
771名無し三等兵:2015/02/08(日) 22:21:36.23 ID:DIe+aeX1
19世紀末のブラジルは意外と海軍大国だから

確か世界で2番目にド級戦艦を保有したのはブラジルだったはず
(さすがに自国建造は無理で、英国に外注したそうだが)
772名無し三等兵:2015/02/08(日) 22:27:50.81 ID:YzwkaT+C
アルゼンチン、ブラジル、チリの南米ABC3か国で軍拡してたんだよね
773名無し三等兵:2015/02/08(日) 23:17:01.20 ID:WyQMsy4M
>>764
モンロー主義ってのはたこく不干渉とちゃうよ。
南北アメリカ大陸はアメリカが牛耳るからヨーロッパは手を出すなって感じで。
774名無し三等兵:2015/02/09(月) 07:51:45.00 ID:PAxfk0r0
この時期の軍艦って日進月歩だよね。
ちょっとアップデートを怠ったら、あっという間に遅れを取ってしまう。
90年代ころのパソコンや携帯みたい。
775名無し三等兵:2015/02/11(水) 19:24:24.86 ID:veqhsiUI
そういえば日清戦争開戦の際に日本海軍の恐怖の筆頭だった鎮遠は
日露戦争までは何とか二等戦艦だったけど日露戦争終戦直後には時には戦艦どころか海防艦扱いになったとか。
本当に日進月歩としか言いようがないな
776名無し三等兵:2015/02/28(土) 10:52:09.37 ID:LCCRfGgC
保守
777名無し三等兵:2015/03/01(日) 23:23:07.35 ID:ZC3nH6/S
まあ、現代の超大国アメリカと、片田舎に降って湧いた往時の弱小国家アメリカはもはや別の国だと考えた方が…
国のあり方やら何やら、根幹に通ってるものはともかく、実情がまるで違いますし
778名無し三等兵:2015/03/07(土) 18:00:06.86 ID:BEq7GRus
ペリーが来る十年以上前から日本は西洋式の陸戦部隊を養成していたとは。
779名無し三等兵:2015/03/07(土) 19:20:26.78 ID:toQZGkyb
>>778
問題は、それが幕府主導の下、全国規模で編制できなかったことだな。
それが実現していたら、幕末から明治維新の流れが大きく変わっていたろうに
780名無し三等兵:2015/03/07(土) 20:53:38.38 ID:BEq7GRus
>>779
そんなに違わないのでは?長州藩とか佐賀藩とか紀州藩とか。
封建制を自ら崩す改革ってのは無自覚に陥っている場合が多そうだし。
781名無し三等兵:2015/03/07(土) 20:56:53.42 ID:BEq7GRus
高島秋帆
下曽根信敦
江川英龍

この辺から長崎横浜系へ流れる西洋歩兵の話希望。
782名無し三等兵:2015/03/11(水) 00:38:57.45 ID:wF42b+Ic
つべにあがってる黄海海戦のシナ映画www
艦長が犬を軍艦に持ち込んで黄海気分だから負けるんだろww

海戦の勝因と敗因は日本軍最低級のプロ軍人を錬成したのに対してそもそも漁船のりレベルの民間人をほぼ訓練なく軍艦に徴用して職業軍人編成してなかったんだよね。9割
負けて当たり前だろ


黄海海戦は元々の総力はチャイナが1.5倍以上で上だった。砲撃戦の経過も職業軍人側の日本も徴用漁民のシナも大差なく5分の経過だった。
ところが交互に被弾してからシナ側はダメージコントロールが一切出来ず職業軍人の日本兵はそれができたから継戦でできて同時に大破したとしてもチャイナは継戦できなくて撃沈された

旅巡も同様。当時世界屈指の大要塞があったのにやはり無訓練の徴用兵を使って防衛戦にならなくて継戦不可能になった。

装備でかてて練度と戦争計画、指揮官の少なさによる敗北
783名無し三等兵:2015/03/11(水) 18:56:59.47 ID:KQ+RQou8
西洋歩兵の話なら高野長英を忘れてはいかん。
784名無し三等兵:2015/03/11(水) 19:38:54.52 ID:RSRV+lgT
>>782
清国の北洋艦隊で撃沈された軍艦は黄海海戦では巡洋艦3隻だけだが
それも700発以上当ててやっとこの始末。
日本海軍の練度は高かったかもしれないが、装備がどうにもならん。
785名無し三等兵:2015/03/11(水) 19:52:05.51 ID:RSRV+lgT
>>782
旅巡も同様とあるのは、旅順要塞攻防戦のことだと思って書くけど。
(大間違いだったらすみません、旅巡という世界屈指の大要塞を無知で知らないので)。
そもそもこの時の清国軍は1万3000人ほどしかいない。
1万6000人が残存していたにも関わらず日露戦争時の旅順要塞守備隊は降伏のやむなきに至ったように
旅順要塞を2万人以下で守るのは不可能(日清戦争時と日露戦争時と要塞規模や程度は違うけど
守備隊が守らねばならない範囲はそう変わっておらず、要塞線は25キロもあったので、1キロ当たり500人で
清国軍は守備する必要があった。しかも予備隊なしで。これでは守り抜くのは無理と思うが、762の頭の中では余裕なのだろうか)
日清戦争の頃、機関銃もない時代に1キロ当たり500人の防衛線で守り抜けるものだろうか?
786名無し三等兵:2015/03/11(水) 19:52:45.72 ID:RSRV+lgT
762は782の誤記です。
すみません。
787名無し三等兵:2015/03/12(木) 10:40:10.58 ID:LZX49emn
そもそも日清戦争時の旅順要塞と
日露戦争時の旅順要塞は別物だろう
788名無し三等兵
日清時代の旅順は要塞と言ってるが砲台はあるけど城塞都市のようにシナ囲郭をめぐらせた総構えみたいなもんだし
新市街もなかった