1 :
名無し三等兵 :
2013/06/28(金) 20:33:49.72 ID:???
2 :
名無し三等兵 :2013/06/28(金) 22:20:54.93 ID:???
F4Fの機銃掃射で沈む日本駆逐艦
3 :
名無し三等兵 :2013/06/28(金) 22:29:10.58 ID:???
4 :
名無し三等兵 :2013/06/28(金) 23:23:17.00 ID:???
開戦時にミッドウェー島を砲撃したのは潮、漣 決死の覚悟で出撃、砲撃成功後に帰る時が怖かったという しかしよくもまあ駆逐艦2杯だけであんな任務を成功させたもんだ 何の目標もない太平洋のど真ん中で島をぴったりと見つけた航海長の腕も凄い
5 :
名無し三等兵 :2013/06/29(土) 00:21:32.35 ID:r/njCz+G
ロンドン海軍軍縮条約で日本が小型の駆逐艦しか建造できないようにした米英許すまじ
6 :
名無し三等兵 :2013/06/29(土) 20:11:44.59 ID:???
7 :
名無し三等兵 :2013/06/30(日) 14:15:49.72 ID:???
>6 B29が投下してから何年眠っていたのだろう・・・
8 :
名無し三等兵 :2013/07/04(木) 03:32:21.21 ID:???
9 :
名無し三等兵 :2013/07/04(木) 06:02:29.17 ID:???
街がほとんど焼け野原になったから、今度は機雷で封鎖ってもう、やりたい放題だよな・・・ 陸上に落ちた機雷などで仕組みの調査はできたようだが、数が多すぎて。
10 :
名無し三等兵 :2013/07/04(木) 08:55:37.17 ID:???
B-29がばら撒いた機雷は2000個以上って言うからな
11 :
名無し三等兵 :2013/07/04(木) 22:32:35.21 ID:???
12 :
名無し三等兵 :2013/07/05(金) 05:25:30.84 ID:???
そんな著作があるとは… 電子書籍として刊行してほしい
13 :
名無し三等兵 :2013/07/05(金) 23:05:54.71 ID:???
第二次大戦で、日本の水雷艇(千鳥型、鴻型)が水上戦闘を戦った例ってある?
14 :
名無し三等兵 :2013/07/07(日) 19:27:33.53 ID:???
開戦初頭の揚子江や香港方面での拿捕事例や、支那事変での封鎖作戦(密輸船の臨検)くらいのもんかね
15 :
ゆうか("”復帰”"リハビリ中) ◆u8WC078ef5ch :2013/07/07(日) 19:38:26.34 ID:KoqXG/Do
>14 >11の本買うたけん 着いたらパラ見してみるわー
16 :
ゆうか("”復帰”"リハビリ中) ◆u8WC078ef5ch :2013/07/09(火) 23:25:25.36 ID:tx+8L6BN
鵲 1612.10 駆逐艦雷と共に敵哨戒艇と交戦、これを撃沈 16.12.15 駆逐艦栂と共に敵魚雷艇と交戦、取り逃がす 雁 16.12.15 英魚雷艇2隻と交戦、撃退する このくらいですかねー 開戦直後、香港あたりで英軍の小艇と交戦したり、商船を拿捕したりしてます
17 :
名無し三等兵 :2013/07/10(水) 21:31:00.97 ID:???
サンクス! 金持ちどすなあ
18 :
名無し三等兵 :2013/07/11(木) 11:32:08.05 ID:???
緒戦の攻略作戦には出撃しているんだね といって、前戦での強行輸送やか泊地突入作戦には使われていない。 位置づけ的には二等駆逐艦や旧式化した一等駆逐艦と同列ということかな
19 :
名無し三等兵 :2013/07/11(木) 11:43:54.10 ID:???
条約の都合で水雷艇という名前になっただけで、二等駆逐艦そのものだよね。
20 :
名無し三等兵 :2013/07/11(木) 11:51:50.13 ID:???
雉(きじ)だったかな ソロモンで島嶼間の文書や小規模な人員の移送任務をやってたのは
21 :
名無し三等兵 :2013/07/11(木) 17:10:58.35 ID:???
航続距離が短めなんで中部太平洋、ソロモン方面に投入しにくいのと 水雷艇を抜くと南遣艦隊や遣支艦隊には特設砲艦しか残らなくなるからちょっとした作戦もできなくなるわな
22 :
名無し三等兵 :2013/07/11(木) 22:24:48.31 ID:???
考えてみれば、支那事変には海軍も相当な規模の兵力を派遣している 上海事変などは海軍版満州事変と言っても過言ではないだろう それなのに海軍は支那事変には責任ありまへーんみたいな風潮が戦後蔓延しているのはいかがなものか
23 :
名無し三等兵 :2013/07/11(木) 22:29:19.72 ID:???
それはそうかもしれない
24 :
名無し三等兵 :2013/07/12(金) 21:29:28.95 ID:???
>>18 喫水が浅くて小型なんで河口向きとか話がなかったっけ?
25 :
名無し三等兵 :2013/07/13(土) 07:23:45.94 ID:???
長江の遡行なんかに投入されてるし
26 :
名無し三等兵 :2013/07/13(土) 13:19:01.62 ID:???
日本じゃないけど砲艦サンパブロって映画見ると興味深いね帝国海軍の砲艦もあんな感じで行動していたんだろうなとか想像出来る
27 :
名無し三等兵 :2013/07/13(土) 21:04:03.08 ID:???
>>24 それは結果論なんだけど、元々長江方面の警備は二等駆逐艦とかの小型艦が多い
で、事変拡大後は新造掃海艇が大量に投入されてますな
28 :
名無し三等兵 :2013/07/14(日) 15:06:05.40 ID:Mb2zdA1Z
>>27 日本の掃海艇は単能型というよりは、
敷設もできるし砲力も爆雷もある程度あるタイプだからね
英でいうとハルシオン型掃海スループとか
キングフィッシャー型哨戒スループが割と近い感じ
29 :
名無し三等兵 :2013/07/14(日) 20:18:42.58 ID:uTxo7AcM
砲艦サンパウロか 懐かしいなぁ 後半のリアリティの高い戦闘シーンが印象的だった プライベートライアンみたいにアメリカマンセーで無い どころも良い
30 :
名無し三等兵 :2013/07/15(月) 09:11:53.68 ID:???
>>28 というか、条約で駆逐艦まで制限喰らったから、掃海スループや通報艦同等の条約外の警備艦ですからね
千鳥型水雷艇みたいな襲撃運動を意図しない分、旧型の駆逐艦がになう港湾警備程度の任務を想定した分無理のない艦に落ち着いたってところでしょうね
31 :
名無し三等兵 :2013/07/15(月) 18:58:34.11 ID:???
>>30 磁気機雷が普及する以前だと掃海艇と名乗っても、特に艦隊型は実質
駆潜艇や海防艦、砲艦的な使用も想定した汎用艦ですね
32 :
名無し三等兵 :2013/07/15(月) 19:09:05.61 ID:???
元々掃海艇自体が旧式駆逐艦・水雷艇が転籍していたりするからね
33 :
名無し三等兵 :2013/07/16(火) 20:52:13.59 ID:???
日本海軍的に言うなら、 ・駆潜艇の誕生は一次大戦後、掃海艇の存在よりも後で砲力は無し(本当の爆雷運搬艇) ・海防艦は元々大型艦の旧式化した状態での半隠居状態、二等戦艦に近い ・砲艦は御紋章付きなので巡洋艦と同クラスの格付け だもんで、意外と鎮守府付けとか出先の警備隊が手軽に使える警備艦って旧来の水雷艇(小さすぎて展開が難しい)や型落ちした駆逐艦(現役はGFでも足りない)が精々なのよね そういう意味では掃海艇って格は低いから人員の手配も比較的楽、無茶遣いしても揉めないって事で意外と需要はあるのね
34 :
名無し三等兵 :2013/07/17(水) 19:40:55.39 ID:???
35 :
名無し三等兵 :2013/07/17(水) 20:39:49.68 ID:???
>34 これは堪らない写真ですね。
36 :
名無し三等兵 :2013/07/17(水) 20:54:22.63 ID:???
手前は12.7cm高角砲積んだ海防艦?
37 :
名無し三等兵 :2013/07/17(水) 20:59:23.36 ID:???
手前は1等輸送艦の9号だと思います。オルモックで、竹と組んだ艦ですね
38 :
名無し三等兵 :2013/07/17(水) 21:02:05.37 ID:???
なるほど乙
39 :
名無し三等兵 :2013/07/17(水) 21:11:29.77 ID:???
これはいいね 左下隅にキャプションが書いてる、第九号輸送艦で昭和19年9月3日ということは竣工まであと17日か ・・・・これまで八九式12.7サンチ高角砲の照準口シャッターって、すだれ状のを巻き取ると思ってた・・・・ 物によって異なるのかも知れんが、これは丸々横にスライドしてる・・・・勉強になる
40 :
名無し三等兵 :2013/07/17(水) 21:19:17.19 ID:???
! たしかに!
41 :
名無し三等兵 :2013/07/17(水) 22:18:31.37 ID:???
>>39 ほんとだ、これは横にスライドしてる。おまいさん目の付け所がシャープだね
42 :
名無し三等兵 :2013/07/17(水) 22:36:44.76 ID:???
43 :
名無し三等兵 :2013/07/17(水) 22:44:40.91 ID:???
高角砲ニ詳シイ者ノ急派求ム
44 :
39 :2013/07/17(水) 22:53:03.44 ID:???
俺の視点はシャープっつーか何処かおかしいんだ その写真で隣の海防艦の艦橋天蓋にハッチ様のものが見えるとか 他の艦種だが要目簿を見てて「あ、ラムネ製造機積んでる♪」とか 駆逐艦の舷外側面図で洗い場に手押しポンプが描かれてるのを見つけるとか そんなのが気になってしょうがない GP出版の日本の駆逐艦に載ってる八九式の画と見比べると色々違ってるし 他の砲塔の画だとシャッターはすだれ状を滑らす式か鎧戸みたいなのばかりで、この横スライド式は簡易型なのかも 輸送艦辺りは公試を内容によっては一艦目だけやって、後の艦はそのデータで代用したりで簡略が著しいかんね
45 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 00:07:36.94 ID:???
>>34 おお!輸九
何と美しいフネ
活躍艦にして幸運艦
こんな鮮明な写真があったとは
46 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 01:02:31.98 ID:???
駆逐艦あたりじゃ、対空戦闘時に艦長が肩車されたり、若いモノの肩に組体操みたく立って艦橋天井の穴から顔を突き出して操艦した とかあるけど、そういった作業用の蓋かねえ
47 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 01:50:14.07 ID:???
後の海防艦も調べてみよう。砲塔に特徴があるよね
48 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 07:25:19.76 ID:???
>>46 そんなところだと思う、GP本で松型の艦橋の画で天蓋に「上空覗窓」があるのを見つけたしコレかと
島風の画にもそれっぽい蓋がある
どちらも写真の海防艦と同様に中央から若干左舷寄り
>>47 こいつは何だろうね、呉工廠では海防艦を作ってないから補給か修理か追加工事か
写真の日付と、一番砲の防盾が初期の形なのと、艦橋前に単装機銃がまだ無いのがポイントかな
この防盾は御蔵型、日振型・鵜來型の初期竣工艦のものらしい、艦橋の形から御蔵型ではない
日付で追うと19年9月3日までに竣工してる日振型、鵜來型は日振、大東、昭南、鵜來、沖縄で日振は8/22戦没
8月に公試中の大東とされる写真では艦橋前単装機銃が付いてるから除外
防盾の情報が正しければ昭南・鵜來・沖縄のいずれかとなる
49 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 07:48:58.22 ID:???
>>48 一枚の写真からそこまで読み取れる人を無条件に尊敬してしまう、凄い
50 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 08:01:50.85 ID:???
この前、海自ひうち型支援艦の実物を初めて見たが あれ復舷性大丈夫なのか? 吃水が浅いわりに上部構造物がデカすぎに思える 水雷艇友鶴の戦訓は生きているのか?
51 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 14:30:34.36 ID:???
実物は見た事ないが・・・ 確かに前方〜斜め前からの写真を見ると、不安になるねえ。 でも真横からの写真を見ると、なんとか成り立ちそうなんだが。
52 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 15:35:26.24 ID:???
>>50 3番艦までは外洋での運用は想定してない設計だったとも聞くし
そういう割り切りの元では大丈夫なんではないか
53 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 15:38:57.86 ID:???
船底の形状と重心位置さえ適切なら問題無いぞ
54 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 15:47:52.52 ID:???
>>48 写真の日付が合っている事を前提でアジ歴でその三隻の動向を調べてみると
昭南は第1海上護衛隊戦時日誌ではマモ02船団の護衛中
鵜来は鵜来戦時日誌では所在は横須賀
沖縄は呉防備戦隊戦時日誌には動向は書いてないけど呉か佐伯にいる
と考えると沖縄ではないかと思います
55 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 17:52:30.08 ID:???
56 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 21:43:21.86 ID:???
>>50 ,
>>51 護衛艦に見慣れるとアレだが、サプライボート・タグボートとしてみると別におかしい船型でもない
訓練支援艦に類別されてはいるけど、震災後に福1に水船持ち込んだように曳航作業が念頭にあるので船体後半を作業後半とする以上、上部構造物が艦橋と一体化して他の船の倍になるのは仕方がない
あと、民間タグを使う経験上でいうならば、設計図でいう上甲板レベルの出入り口がちゃんと閉鎖(密閉、防水)できるのであれば、+1甲板(上甲板より1層上の階)までを乾舷とみなして外洋を運行する事も珍しくはないよ
57 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 22:12:45.98 ID:???
じゃああの写真は輸送艦第9号と海防艦沖縄の活躍艦同士ツーショットということか 見てるとなんかご利益ありそうな気がする
58 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 22:39:49.99 ID:???
海防艦「沖縄」万歳!
59 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 22:42:48.46 ID:???
>>52 俺が見たのはまさにその3番艦
情勢を考えてもこれからどんな任務にでも就く場面がありそうだから
ちょっと心配になった
60 :
名無し三等兵 :2013/07/19(金) 07:00:47.16 ID:???
61 :
名無し三等兵 :2013/07/19(金) 07:24:16.61 ID:???
通巻第9号か、創刊早々に読んでたんだね 昭和16年生だからこのとき齢18、翻って俺が18の時にどんな見識を持ってたかと考えると・・・・ 「この5月で、日本海々戦が闘われてから53周年になります。」 これから更に55年経ってるのか
62 :
名無し三等兵 :2013/07/20(土) 01:55:38.91 ID:???
63 :
名無し三等兵 :2013/07/20(土) 06:38:51.28 ID:???
パイクリート空母に目が行ってしまう俺って
64 :
名無し三等兵 :2013/07/20(土) 21:01:18.88 ID:???
>62 右端の古そうな艦はなんだろう?
65 :
名無し三等兵 :2013/07/20(土) 21:09:12.31 ID:???
66 :
名無し三等兵 :2013/07/20(土) 21:17:08.08 ID:???
>65 ほほう、復員業務にも使用されていますか。
67 :
名無し三等兵 :2013/07/21(日) 18:38:10.41 ID:???
戦後の梨で、回天の装備が少し残っている写真があるよね。
68 :
名無し三等兵 :2013/07/23(火) 05:09:57.39 ID:???
69 :
名無し三等兵 :2013/07/23(火) 22:48:50.71 ID:???
70 :
名無し三等兵 :2013/07/28(日) 02:03:33.02 ID:???
>69 沢山載ってますね。 2枚目は1944とありますけど、1945かな?
71 :
名無し三等兵 :2013/07/29(月) 13:07:12.42 ID:???
下船前で甲板に出てきてるだけでは
72 :
名無し三等兵 :2013/07/29(月) 18:35:29.19 ID:???
>>71 多分そうだね
復員船ってギリ積め込んだイメージあるけど、結局は捕虜輸送に準じるから乗船時点で写真の状況までは詰め込まない
(基本的に名簿を作る以上、船内容積で求める人数以上は乗せない)
73 :
名無し三等兵 :2013/07/29(月) 20:26:54.82 ID:???
レイテ戦の時1Dを輸送した時は1隻に5000人くらい詰め込んだらしいんだがあれは作戦中につき無理したんだろうな
74 :
名無し三等兵 :2013/07/31(水) 21:04:27.97 ID:???
それでも7000〜1万トンの優秀船だから、1人/1〜3総トンを確保できているし、 師団の手持ちとはいえ補給も持ちこめているからなあ
75 :
名無し三等兵 :2013/08/04(日) 12:52:39.38 ID:???
暇だなあ あまり知られてないけどコレ割とお勧め、って本や資料はないかな
76 :
名無し三等兵 :2013/08/04(日) 13:05:50.21 ID:???
知ってるのばかりかもだけど 北尾謙三氏の「ぼんぼん主計長奮戦記」 短現士官のユーモラスな戦記、乗艦は海防艦19号 花井文一氏の「海防艦四十号」 花井氏は日向、伊38潜と乗り継いできた下士官 矢花富佐勝氏の「駆逐艦勤務」 駆逐艦のメカニズムから艦内生活まで、乗艦は「朝霜」 片岡覚太郎氏の「日本海軍地中海遠征記」「松」主計長の見た地中海作戦 小艦艇の戦記からはとくに学ぶことが多い
77 :
名無し三等兵 :2013/08/04(日) 15:24:36.86 ID:???
同じ著者だが、なぜか今まで一度も文庫化されていない3冊 魚雷艇の二人 海軍兵科将校 最後のネービーブルー 回想の復員輸送艦秘話
78 :
名無し三等兵 :2013/08/12(月) 23:06:31.61 ID:???
ちぃと毛色が違うけど 海軍工員記(森岡諦善) 佐世保工廠に戦時徴用された僧侶が見聞きした工廠内外の記録 一部に誤認や勘違いもあるが素人が取った記録としては詳しい 戦中に海防艦以下の小艦艇の推進器が鉄製になっていた事をこの本で初めて知った
79 :
名無し三等兵 :2013/08/14(水) 17:55:42.92 ID:???
>>78 工場工廠によるけどな
三菱長崎の電気部の回想とかだとペラや軸受けが鋳鉄になったり、合金の配合を変えたりするので
アノードの組み合わせを変えたり、犠牲防食を一歩進めて最初から放電するためのバッテリーを登載して試験していた話もある
80 :
名無し三等兵 :2013/09/01(日) 13:34:52.46 ID:???
小艦艇引き上げ
81 :
名無し三等兵 :2013/09/03(火) 00:03:49.83 ID:???
82 :
名無し三等兵 :2013/09/03(火) 00:04:43.45 ID:???
83 :
名無し三等兵 :2013/09/03(火) 10:19:13.32 ID:???
>>81 まさか丹羽誠一と宮崎駿に接点があったなんてw
84 :
名無し三等兵 :2013/09/03(火) 22:10:29.91 ID:???
昔の雑誌の読者投稿欄なんて普通の交流場所だからな それこそ同人誌なんか記事の持ち込み、写真の提供しあいから意見、反論記事の応酬で、それがもとで廃刊になったものも多いし
85 :
名無し三等兵 :2013/09/04(水) 00:38:07.83 ID:???
>>81 面白いね。
でも、それ紙面画像掲載って著作権侵害じゃないの?
86 :
名無し三等兵 :2013/09/04(水) 00:43:13.97 ID:???
普通に自宅の住所や本名、電話番号が載ったね>昔の雑誌 平和な時代だったんだろうか。
87 :
名無し三等兵 :2013/09/04(水) 01:09:17.19 ID:???
世艦の読者交歓室は今でも郵便番号住所氏名が出てるのう
88 :
名無し三等兵 :2013/09/04(水) 09:55:11.28 ID:???
>>86 単行本も著者の住所が載ってて誤記とか指摘すると
お礼の手紙もらえたりしたよなw
89 :
名無し三等兵 :2013/09/04(水) 15:46:18.31 ID:???
匿名掲示板じゃなくて、ペンパル・ペンフレンドの文化の延長だから、「皆の眼に触れる投稿欄では言い難い事は直接書簡」だったものなあ
90 :
名無し三等兵 :2013/09/05(木) 15:54:41.55 ID:???
ペンパルとかおっさん世代すぐる
91 :
名無し三等兵 :2013/09/05(木) 18:47:15.24 ID:???
>>90 とてつもなく昔の話に思えるけど80年代前半まで残ってたんだぜ
むしろ自分の世代(70年代前半生まれ)は、古い「同人」文化と
パソ通−ネット文化の端境期だったから結構疎外感あったかも
どこでオタ友見つけりゃいいのっていうw
92 :
名無し三等兵 :2013/09/05(木) 18:54:31.89 ID:???
アニオタには学校の同好会やコミケがあったけど 軍オタ趣味は共有できる場がなくて 神保町で本あさってるとき同じコーナーにいる同級生見つけたときは お互い大笑いしたけど
93 :
名無し三等兵 :2013/09/05(木) 19:29:55.16 ID:???
そもそも一般書店で軍事系雑誌なんて丸と世界の艦船ぐらいしか出ておらず、それさえエロ雑誌の横にぽつんと置かれている扱い なので立ち読みしてるとあらぬ誤解をうけつづけてねぇ 女子には後ろ指をさされ、一部男子には英雄視された中学よ(涙目
94 :
名無し三等兵 :2013/09/05(木) 19:42:31.58 ID:???
>>93 昭和から平成へ、1980年代の日本は、バブルとリア充、宮崎事件、そして大雪山SOSと、まことにオタクに辛い時代だった。
そして、軍オタは電脳世界へと突入していった・・・
95 :
名無し三等兵 :2013/09/05(木) 19:58:41.77 ID:???
しーろいーさかみーちーを〜♪
96 :
名無し三等兵 :2013/09/05(木) 23:43:25.63 ID:???
一気にスレの流れがw いいぞもっとやれw
97 :
名無し三等兵 :2013/09/06(金) 01:38:06.30 ID:???
擬人化とか萌えキャラ付与とかしなくても、兵器の素のままの姿に綺麗とか美しいとか魅かれるとかの言葉を吐けるんだよ、よく訓練された軍オタは!
98 :
名無し三等兵 :2013/09/06(金) 09:23:19.56 ID:???
いやそれが普通だから。 擬人化とか邪道でしょ
99 :
名無し三等兵 :2013/09/06(金) 09:39:06.95 ID:???
松型で抜ける自信がある
100 :
名無し三等兵 :2013/09/06(金) 19:45:00.74 ID:2Na5eElO
>>93 >そもそも一般書店で軍事系雑誌なんて丸と世界の艦船ぐらいしか出ておらず、それさえエロ雑誌の横にぽつんと置かれている扱い
変な地方だな
都内じゃたいがい航空系と一緒に模型系、鉄道系と並んでいたが
軍事研究だけは総合雑誌
>>99 ,102
闇夜にいきなり軟らかい下腹をエグリ込んでくる魚雷を持っているんだぞ
そんなに男の娘がええんか
>>103 駆逐艦が漢の娘なら巡洋艦同士なんてガチムチだろw
キャンベラ「夜戦は度胸!何でもためしてみるのさ」
「ああ...次は8インチ砲だ」
鳥海「よかったのかホイホイついてきて、オレはどんな夜戦にだって突っ込んでいく艦なんだぜ」
駆逐艦が男の娘で巡洋艦がガチムチだったら戦艦は何なんだ あ、いや答えなくていいから、嫌だ聞きたくないぃぃ 空母はどうなるんだろう、航空「母」艦だろ
とんぼ吊りの駆逐艦
わしにゃよう分からんので、だれか 仁義なき戦いで例えてくれんかの
>>105 旧式かつウェーク島で傷を負いながらもソロモンの殴りこみに付いていきましたよ「夕凪」は、ええ。
ほんまけなげな駆逐艦や。
>>106 戦艦とは「選ばれた漢」に決まっているだろう
空母は「食う母、すなわちマザコン」だ
駆逐艦が男の娘とか俺得。 地味だけど健気に頑張る峯風〜睦月きゅんが良いです!
orz
そもそも男の娘は「男」なわけだが
116 :
名無し三等兵 :2013/09/07(土) 17:17:52.06 ID:kyBg7741
おまいらホントキメェな
小艦艇では、掃海艇が今も昔も活躍中だね
駆逐艦か海防艦か砲艦あたりの全甲板の配置図が載ってる資料どこかに無いものか… タイにメコン号見に逝くしかないのかのぅ… 峯風型あたりの図面あったら欲しいんじゃが…
全甲板の配置図、って、例えば舷外側面及上部平面、上甲板平面、下甲板平面及船艙平面みたいなの? だったら書籍化されて普通に見れるかは分からんけど存在してるよ 俺は大和ミュージアムで春風のを閲覧の上紙に出力してもらった(上のに諸要部切断もある)
「春風」って南方で触雷して艦橋から前を吹っ飛ばされた艦だっけ?
そう その復旧工事終了時点の図面があった この後台湾海峡で潜水艦に尻尾を食い千切られる運命が待ってる 船体を切断する損傷を複数回負って生き残ったのはこれと涼月だけじゃなかろうか
>>119 大和ミュージアム行けば買えるんですか?
春風だけ?
不知火も艦体切断されつつ後進でアリューシャンから帰って来たな 同型の天津風が応急的な艦首をくっつけた姿の写真は残ってないもんなのか 秋月が艦体切断して帰って来た時は進捗中の霜月の艦体をくっつけたんだったな 秋月と霜月は違うとこで建造してたんじゃなかったか、これ結構すごいと思うわ
>>123 天津風の艦首無い写真は米軍空襲下の有名な写真が有ると思うが。
>>121 学研本の秋月型で確認したけど
2度ぶったぎられて2度復活したのはその2隻だけみたいですね
1度復活とか、中破複数回もぶったぎられたことは1度だけっていうのは他にもありますが
>>122 買えるというか、収蔵図面の電子化した奴をライブラリーで閲覧可能で、欲しければ紙への出力サービスもあるって事
何のどんな図面があるかは現地に行かなきゃ分からない(図面のweb検索閲覧サービスはない)
写真も見れるし出力できる、写真はwebで検索と閲覧(転用防止のマーク入りだが)は可能
ちなみに結構かかった
原図を縮小分割スキャンした1画面分をA3に出力して\300/一枚
春風の1/48全長分が3分割、それが舷外側面及上部平面、上甲板平面、下甲板平面及船艙平面だから三葉で9枚
更に諸要部切断が1画面で1枚、トータル10枚\3000也
大型艦で他の細かい所の図面もあってそれも出す場合は一体いくらかかるのか恐ろしくなった
あとは出版物で可能性があるとすれば、昭和造船史なんかの付録で縮小図がなかったかな
>>125 いやまあ、春風の2回目は馬公で応急修理後、這う這うの態で佐世保まで戻って、戦局から修理を諦めて疎開繋留だったから復活とは言い難いけど・・・
それでも佐世保で入渠した時の写真見たら、接岸航路だったとはいえこれで潜水艦の跋扈する東シナ海をよく戻って来たなと思った
>>118 簡易なものならモデルアート社、潮書房の本も。図面集も出てたよ。
旧海軍艦船の艦内の写真って無いよね… 生活ぶりがよくわかる資料ないものか
>>129 カメラが普及していないというか写真をとるって事が少ないからね
基本的に残っているのはマニュアルというか生活指導用の参考資料か何かの巡視、行幸の際の記録写真ぐらいのもの
それ以外は写真館でポーズとって撮影するぐらいのものだよ
パイロットとかだとカメラ持っている人も多いけど、それだって記念撮影なのだから、
「写るんです」が普及する前の写真は意図して撮ったもの、記録しようとしてポーズ取った写真だと思わないと
昔亡くなった大叔父の写真に艦上での写真はいくつかあったけど 考えてみたら艦内って暗いだろうから昔のカメラじゃ・・・
駆逐艦の最上甲板の砲塔の前で兵たちが四、五人並んだ写真をいくつか見るけど 本当にいい表情してるのな、屈託のない爽やかな笑顔、不敵なツラ構え 特設砲艦(だったと思う)で戦死したという遠い親戚の許婚の軽巡「夕張」時代の写真を 見せてもらったことがあるけど、どこの一家だよってくらいガラの悪そうな連中だったw でも小さいフネに乗ってた奴らの表情は本当にいい
天津風はシンガポール発つ前の時点でもう舞鶴の海軍工廠で 艦首側の建造に着手してたそうだけど図面残ってないものかな 例によって丁型ベースだそうだから涼月以上に強烈な外見になりそうだけど
>>129 戦後アメリカが撮った写真で、
空母の艦内を撮影したものを数点みた事があるけど、
丹念に探せば出てきそうな感じもする。
>>134 DEやコルベットは保存艦もあるしなんとなくイメージもわくけど
旧海軍艦艇の具体的な生活はわかりにくいよね
例えばトイレのかたちとか
大和級で初めて洋式便器になって兵たちがとまどった、、とまことしやかにささやかれているが、 三笠考察のHPで三笠の便所模型作ってたけど洋式だったぞ?… 揺れるんだから和式はヤバイだろーから早くから洋式だったんじゃないの?と思ったんだけど どうなんでつか?
そもそも旧幕の開陽丸の時代から…
日本海軍のクラス呼称は〜型
逆に英国建造艦だから洋式じゃないのか?
潜水艦のはわかる。世界中どこでも「バケツ」だ
ジェントルマンなら蓋つきオマルと言いたまえ
昔から気になってるのですが、艦船便所でう●こした後ってどうしてたんですか? 1.チリ紙を置いてた? 2.海水をバケツに入れて置いてて洗った? 3.拭かずにそのまんま?
>142 「1」でしょ?
それってパイプ詰まるし海に浮かべばよく目立つだろうから敬遠されたんでは? って気がするので自分としましては風呂にも入らぬ海の漢はケツの匂いなど気にしない! 3を押したい
古来艦船の居住区は前が兵隊後ろが士官だったですが 戦艦では大和型でようやく偉いさんが艦橋行くのに近い合理配置になりましたが 合理的居住区配置に先鞭をつけたのは駆逐艦でしょうか?
ドレッドノートも幹部の居住区を艦橋の近くにしたら不評だったらしいな。
大和型でいきなり従来と配置が全く変わってるのは単に長門型以古の戦艦が めっちゃ古いからってだけで、その間の大正昭和初期に艦船内部配置の改革が ジョジョに進んでいた てことでFAですか?
>>147 だいたいそんな感じよね
イメージでいうなら、八八艦隊計画艦くらいまでは旧来の英国式の艦尾に艦長室を、場合によっては歩廊(舷外に張り出した廊下)を配置するスタイル
その後、昭和初期の艦艇から単位もヤードポンド式からメートル法に変わってきているし、艦橋構造物や上構といった部分で居住区を吸収するようになってくる。
防御構造とか注排水区画といった概念が艦内レイアウトにも影響を及ぼしてきたのもあって、条約後の艦艇のレイアウトがガラッと変わったように見えるのね
艦長たちの太平洋戦争でなんかの駆逐艦の艦長が指揮官は24時間指揮官でなければならないから作戦中は一切艦長居室に戻らず非番の時も艦橋の休憩所にいたみたいな事言ってたけど そういうのも逆にどうなんだろうなって思わなくもない
>>149 よくあるのが艦橋の後ろにある海図室、ここは夜航海にあわせて遮光カーテンで覆える(海図を探すための照明が外に漏れないようにする)ようになっていたり、
チャートデスク(A0くらいの海図が広げられる)があるので上で横になったりできるので、ここで横になったり仮眠とったりという話はよくありますな
で、居室に戻らないってのも、今みたいに艦橋からの電話直通設備がなかったり、伝声管の配置がないとかいろいろ問題があるので、対空警戒・対潜警戒で即応するためには、どうしてもドア1枚さきの場所で寝る方が
「艦長の気が楽だ」って事が要因なようですな
>>149 有明艦長の吉田正一大差ですなぁ
あの本を読んでると、強い意志・精神力を持った人じゃないと艦長として生き残れないんだなぁと
思います
それでも、それでも「オマルとセットになった腰掛で2週間頑張った」柳本蒼龍艦長に比べれば、、、
>>149 球磨の横山艦長が
哨戒長とかフネを操ったことのない人が当直になったりするって言ってる
そりゃ怖いよな、結局自分が頑張るしか無い
でも駆逐艦の館長室って艦橋の床下ですよね…
>>154 それでも、何かあった時に、
「艦長を呼ぶべきかどうか判断」して、
「誰かを伝令として部屋まで走らせ」、
「欠礼にならないようにドアをノックして許可があるまで待ち」、
「状況を報告して」、
「艦長が上に上がっていき」、
「タイミングを見て指揮権継承」する
流れがあるから、5分くらいはかかるわな。
後方での航海中に電報が入ってきた程度ならこれでもいいけど、護衛中に雷跡発見とか、見張り員が何か見つけたという状況だと、その5分が惜しい。
そこから総員戦闘配置をかけるなら命取りになりかねぬって事よ。
なんで、商船関係の回想を見ていると戦争中盤以降は航海科士官は航海中に部屋に戻るって話はほとんどないわな。
駆逐艦や海防艦とかでも、便乗者に元艦長とか同期の知り合いを指名して乗ってもらい、
安全地帯(と思われる)の1時間だけアドバイザーとして艦橋にいてもらえたら仮眠をとれて幸せーなんて話もあるくらい。
156 :
155 :2013/09/10(火) 22:27:49.66 ID:???
>>155 に補足すると、
艦を失って内地帰還の便乗者などに元艦長とか同期の知り合いを見つけたら、自分の艦に指名して乗ってもらい、アドバイザーとして時々艦橋にいてもらえるとベットで仮眠がとれて幸せー、という話
(それでも3日に1時間とか、日に30分とか)
艦艇で戦時航海中の洗濯ってどうなってたのですか? 多分無理ですよね… 非番時に甲板に集まって海水バケツで汲んでやってたのだろうか…
空母飛鷹の話しで、 洗濯桶で正月の餅つきをやろうとして副長が止めたというのがあった。
>>157 航海中だとたぶん平時でもやんねえな、干す場所がない
洗濯物を干す時は甲板上に張った索にぶら下げるとかマストから吊るかで、航海中だと飛ばされるだろう
機関科なら航海中でも水を融通して機械室や缶室の片隅でできるだろうけど、そこの室内中に吊るす訳にもいかんし一部上級者だけじゃないのかな
艦隊勤務は強烈な悪臭に耐えられないと務まらなかったということか…
スコールを利用して風呂洗濯をしたという話は聞くな。
>>155 球磨の横山艦長は艦長室で休憩中に
航海長が伝声管で「艦長!魚雷!」だったそうな
なあに。ドン亀乗りに比べればかわいいもんよ>艦隊勤務は強烈な悪臭に耐えられないと務まらなかったということか… ドン亀乗りが上陸したときの汚さ自慢エピソードは事欠かんよ。
>>159 陸軍の輸送船で、従兵が連隊長殿の褌だけでもと洗濯し、マストに干していたら、
護衛隊指揮官から「打合せに無い白色吹き流し一流アリ、緊急事態なりや?」と問い合わせが飛び込んできてだな
>>157 戦艦武蔵とかには軍属の洗濯夫が乗船し、洗濯室に乾燥機まであったようだから、
マル3計画ぐらいから後の大型艦は似たような状況だったんじゃないかなと
<同じレベルの散髪夫の配属具合から
ただ、これでも士官以外だと節水制限外の時とか、水の補給できる時以外には注文しにくい雰囲気があるようだが
>>155 ,
>>162 伝声管のある無しでも違ってきそうだな
駆逐艦とか海防艦だと艦橋が狭いから艦長室まで伝声管がないとか艤装に差があるのかもね
艦内に張り巡らせてた伝声管も日本艦の脆弱性に貢献した、と言ってる人たちがいたな。 研究家とか、自分の乗ってた巡洋艦が沈んだ元海軍士官とか。 伝声管から海水がどんどん入ってくるから防水も何もあったもんじゃなかった、とか。 アメリカのある戦史研究家は、ヒラガはぱっと散るのを潔しとする日本の文化にのっとって すぐ沈むようにあの伝声管を張り巡らせたのだろう、結果的にそれは連合軍のためになったとも。
>>167 時期的な違いもあるんだけれども、電話にしたらケーブルの保護が難しい(スプリンターでの切断、火災の熱に断線)とか、
部品や艤装の慣れによる部分の問題があるので切替が難しかった部分もあるのよね
出始めの時期だと、電話線のつなぎ目の処置に慣れていなくて、音がクグモルけどもソコソコ使える伝声管の方がいいって人もいれば、
ソロモン海戦の天竜みたいに「砲撃ったらサビが落ちてきて詰まって使えん」と言う人も
>>167 米海軍は電源不要の有線電話を配備していたから、なおさら伝声管が非合理的に思えたのかも知れませんな
今でも海自では使ってるんだろうか?音が小さくて慣れないと難儀する代物だけどw
阿川弘之が海兵団入ったときに(戦争も末期)教官が電話かけたことある奴手挙げろと言ったら数十人いたなかで2人だけだったとかいう話を何かで読んだ
機関室なんかは騒音が激しいから高声電話が比較的早くから歓迎されているんだけどさ、やっぱり電話をかけたことのない人が多いから、 初めのうちは電話が鳴ってもドウゾドウゾと遠慮しあう事が多かったらしいぞw 中には呼び鈴が鳴るとビクッとしてしまうので、機関長がいる時間は電話使わないで、機関長ビクビクしちゃうからなんてお願いしている話もあるくらいw
>>171 今でも電話恐怖症の新入社員は絶えないもんね。
会社の電話って聞こえにくいんだよな 聞きなれない用語とか使われると何言ってるのかまるで分からんし
>機関長がいる時間は電話使わないで、機関長ビクビクしちゃうからなんてお願い 意味ないじゃんw
>>172 読みてえ
日清戦争のとき威海衛で鈴木貫太郎艇長の水雷艇「六号」が
敵艦「来遠」を雷撃するため引き金を引くも故障のため魚雷が発射されず、そのまま退却
後に無念の想いで藤崎辰次郎水雷長が魚雷にまたがって切腹した逸話の好きな自分としては
こんなん描くくらいの作者ならここ見てる気がするw 再販して欲しいけど無理ならblogにでもうpしてくれんものか…
アメリカは燃えにくい塩ビ皮膜の電線があるからいいよね。
峯風型の艦首の1段高いとこって兵員室で 士官居住区が兵員室の床下なんだね… 特型も同様の配置だけど、やっぱり士官が兵の床下って嫌だったのか 陽炎型では士官室が上になってるよねw
峯風型はウェルデッキだから艦橋とかに行くにもいったん暴露甲板にでなきゃならんのじゃないかな だとしたら船首楼ではなく船体船首部になる部分に士官居住区をおいて士官室や艦橋との艦内通路をつくらにゃまずいのかもしれん 特型だと船首楼が艦橋まで連続しているのでレイアウト変更に問題がなかったのじゃなかろうか
艦尾砲塔下の建物が便所だと知ったときの悲しみよ…
艦内容積が十分とは言えないから、別に銃砲激で穴の開いてもいい設備は甲板上にもっていきたいよなあ
甲板下の船体もブリキ板ですが…
風呂とは名ばかりで洗面器一杯の水もらって体に石鹸塗りたくって 水につけたタオルで拭き取るだけとゆう(´;ω;`) この話読んでたのでチャリで遍路したとき道の駅のトイレでこの入浴法 やりますた
全裸で手ぬぐい片手に夕立ちを待つ方法じゃなくてよかったな、、、
平時でも錨泊していると、近くの女学校のお嬢さん方が見ているから甲板上で水風呂浴びるなとか、 寺に風呂を借りる段取り付けるから自重しろとかって話はあるよね
女学校の前に停泊とか嘘っぺぇw
後部の砲塔下建家の風呂は兵員用で 士官用風呂は前部にあるのだろうか
松型で士官浴室は艦橋前機銃台の下、上甲板右舷にある でも兵員浴室でも神風型だと艦橋下の上部構造内なんだな(士官浴室は艦首楼の後端右舷)
風呂マニアキタ━(゚∀゚)━! 何見ればそんなの載ってるんだよ…
別に大した資料は見てないけど 世艦別冊の駆逐艦史(新版のほう)折込図に櫻の艦内側面・船楼甲板平面・上甲板平面が載ってる 神風型は春風の図面見たけど、睦月型の艦橋下には兵員浴室はない(電信室関係で埋まってる)から神風型でも後期艦は艦橋下にはないかも、こっちはGP出版本 ディーゼル艦の浴室とか烹炊所は、補助缶あれば別だけど缶なしでどうしてたのかも気になるな 厳島の烹炊所に重油竈があるのは何かで見たが
>194 これは面白い解剖図だね。
ちっちゃい艦だな
水雷艇じゃね?ソレ。
書いてあるよな
T.P.Dって書いてあるからトーピード・ボート・デストロイヤーでね?
あ、下に書いてあるわ 失礼しました
水雷艇って… 日露戦争時の日本の駆逐艦はもっと小さいだろ… 前端の兵員室2層も無いし後部士官居住区も真ん中通路左右に部屋じゃないだろ
TPDだとしたら、そいつを輸入したもの及びその国産化がまさしく雷型から初代神風型までの日本駆逐艦だから、もしかすると艦内が完全に同一化もしれない
その絵じゃ前部の小口径速射砲が二門並列配置なのが気になるんよ 雷型〜初代神風型って前甲板がタートルバック型で並列どころか艦橋より前に備砲置けないよね 絵は推進器軸も3軸だし、TBDから単なるDestroyerに移り変わる頃の艦じゃないのかと 2本煙突3軸推進で単装発射管2基、砲は中口径1門小口径4〜5門 該当する英駆逐艦があるかどうか・・・・英語版wikipedia見てて挫折したけど
グラマンの機銃掃射で穴だらけになったっていうからなあ
駆逐艦の舷側板厚は上甲板付近で15〜16mm、水線付近だと9mmくらいだからねえ、いくらHT・HHTでもブリキ缶だ 海防艦だともっと薄いよ
樅型駆逐艦に乗ってた人は 大きいほうは最上甲板の後ろのほうに作られた特設トイレで 直接海にポットンしてたと書いてたな
峯風型の武装下ろして対空機銃だけにして快速輸送船として活用してれば
そしてB-17の水平爆撃でなぶられると
>>213 峯風型が駆逐艦として活用されていなかったとでも?
島風は40気圧400度で高温高圧缶というが大戦中に175隻生産された フレッチャー級駆逐艦はそれに匹敵する38.4気圧454度 日本の量産型艦隊駆逐艦である夕雲・秋月は29.1気圧350度
ボイラーやタービンは総合技術だからな、簡単には追いつけないよね
設計は天才が一人いれば出来るけど、機関は工業力がモロに出るからなぁ 特に日本は戦後、設計者ばかりデカい顔してるから機関についてまともに研究されてない有様だし
昭和造船史とかに総説かかれてたと思うけど
一般向けの読み物が少ないってだけだろ
ていうか、同時期他国と比べてどうだったのかは趣味本でも・・・ 外国艦の本と読み比べないと分かり難いというか
まあドイツの糞燃費の悪いへっぽこ機関よりはマシだろう
>>214 小艦艇にとって脅威だったのが、B-25などの機銃掃射などだったようで。
駆逐艦くらいだと掃射をもろに食らうと大半の兵装が破損して使用不能になって、
人員では幹部がほとんど全滅。
沈まなくても戦力を喪失してしまう。
B-25も火力バカ一代に走ったのは酷いからねえ H型で前方指向火力が12.7mm機首4門+機首側面4門+上部旋回銃座2門、加えて75mm砲だっけ 艦戦2機分に近い50口径だけでも脅威なのに砲と反跳爆撃も来るとか悪夢だろ
B-25H型は前方に指向できる12.7mmが10丁あっておまけに75mm砲まであるというね
226 :
225 :2013/09/17(火) 01:00:17.97 ID:???
おっと、かぶったな
で、それに対抗して機銃積んだら 機銃射程の外から普通に爆撃されて終了だろって話
ドイツ駆逐艦への攻撃を試みた英軍モスキート部隊は駆逐艦側の37mm高射機関砲で逆にアウトレンジされてロケット弾攻撃でしか有効打を与えられなかった、という話を何処かで読んだので、日本海軍にもそれぐらいの口径の機関砲があったら良かったのかもしれない
ビッカースの40mm機銃が使えたらねえ・・・。
>>230 そっちの37ミリは18型で、ドイツ製といえどもやや旧式で戦前に生産が止まっていた上、20ミリ砲のボアアップ版に過ぎないので日本側が生産しなかったのも分かる…ような分からないようなw
本国では、一旦20ミリ4連装砲に置き換えられ生産が止まった後軽量化された36型・照準器を改良した37型が登場し、最末期の米英ロケット弾搭載機との戦闘では長い射程を活かしたアウトレンジ攻撃で活用されたそうな(20ミリはロケット弾より短射程)
因みにかのルーデルが用いた37ミリ砲は対戦車砲ではなく18型の本砲だったりするw
ドイツに行った潜水艦で、 帰路に37mmや20mmに載せ換えたのがあるよね。
対空機銃は一丁を一人で自由に動かせるやつにすべきだったよね 旋回と俯仰を別々にハンドルで回すなんて当たりっこないのを当時の当事者も みんな知ってたのにどうして変えなかったのか… ドイツ駆逐艦の機銃はほとんどそのタイプじゃん
指揮装置付き 壁一面の玉 うらやま
こゆうのみると12.7mm機銃で機銃掃射ってのが効果的なのが分かるな
日本駆逐艦の毘式40mmも1型が一人、2型が二人操作の銃座だったはず
ヲーバードのQ&Aコーナーにレイテ後戦訓により大和の 単装機銃が3連装機銃に置き換えられたって書いてあったけど 旋回と上下を別々の人間がハンドル回して合わせるようなやつになんで 変えたんだろうか? 弾が一杯出るほうが心強かったとか?
>>241 世界中でそれがスタンダードなんだから、十分実用できるものだったってだけだよ
まずは自分の思い込みを否定したほうが良い
ドイツは
>>239 のごとく単装機銃が主だしアメは指揮装置付きだし…
完全人力の日本のやつは海防艦の戦記に
「あんなもん当たるもんか。第一旋回と俯仰が合わないんだw」
って機銃員の話もあるで
>>243 日本の三連装も指揮装置つきが基本、指揮装置無くても指揮官はつく
陸戦用のなんか普通に指揮装置無し
そして各艦の戦闘詳報の所見に単装当たらない役に立たないてのも多々ある
てかね単装で一人操作で体使って動かすやつって全く当たらないんだよ
あんな大口径を連射したらそりゃ当然てなもんで
近距離で連射速度の高い機銃でばら撒くように使わないといかんわけ
金剛は単装機銃の方が良かったなんて話もあった。
日本機の空襲に対する米艦の40mm20mm砲の射撃ムービーを見ると目標に追従 せず仰角、方向固定で撃ち上げているだけに見えるがこれが通常の射撃方? てかレイテの大淀?の25mmも同様の射撃スタイルだったが当時の海軍は「公算 射撃方」を採用していたが・・・
アメは照準射撃じゃなくて弾幕方式だって最近どっかで見た
>247 単装は軽快だが連装、三連装ともなると重くてまともに追従するのは無理 なので必然的に弾幕射撃になる ちなみにどっちを取るかは艦長の好みもあり レイテ沖時の金剛と榛名は如実に装備状況が違う(つまり艦側からの希望が通ってる)
エンガノ岬えは伊勢が弾幕射撃採用していたような
ていうか、弾倉の関係で追随射撃なんて出来ないので 指揮官が敵機の動きを見て予め「あのへん」に指向させ だいたい入ってきたなってとこで射撃開始、弾幕というか待ちぶせ連射なのさ ちなみに単装の照準環は狂って作られてたりするんで、それも加味すると泣けることになる
高射装置による射撃も、一定距離で炸裂するように調停して、 敵機がそこに来る前から射撃を開始して、通過するまで続けるっていう撃ち方 があるよね。交差する瞬間が必ずあるわけだからそれを待つ。これを繰り返す。
そこは流石に曳光弾見ながらの修正はしてるだろ
>>253 弾倉が20発とか30発のレベルなので、入替、装填するタイムラグが出てくるのでそこまで追従しきれない部分がある
3連装の場合は3門が順番に撃つので3倍射撃時間が続くって感じなわけだな
>>253 帝国海軍ではそう言う教育は不徹底だったかも?
厚木基地の戦闘部隊が居る方の飛行場では無い飛行場(整備専用)がグラマンの
機銃掃射を受けた時、機銃陣地の弾は後方外れっぱなしだったらしい。
佐世保で長10サンチの見学時、丁度水平付近に見えるB29への射撃に遭遇できた
んだけど、高射装置側でなにやら数字を読み上げながらの照準に同調した高角砲
の弾着は、B29の後方に流れ続けてたらしいよ。
曳光弾は銃側からの観測じゃ遠近がよくわかんないそうな だから指揮官が見て指示する必要が有るんだそうで これも単装が気分はともかく役立たずと報告される所以だったりする
弾頭重量が違うから遠距離だと弾道が変わってくることもあるんだよね
海防艦戦記に対空戦闘で重油タンクに穴があいて機関員が頭から重油被って でもその場を動けないからずっと被り続けたって話が載ってたんですが、 ディーゼルエンジンの燃料って重油でしたっけ?
日本艦のディーゼルは重油だよ ドイツは軽油なんだっけかな
銃撃食らったぐらいで燃料が漏れるんじゃ砲弾なんか食らったらどうなんねん
戦艦でも巡洋艦でも至近弾で燃料漏れたりするけど
>>261 燃料タンクだけでなくて、機関室のエンジンの横にサービスタンクってすぐに使えるような車でいう燃料たまりみたいな小さなタンクだとか、
そこまでのパイプの継ぎ目なんかが機銃弾でダメージ受けて漏れるのよ
むろん、至近弾の衝撃でパイプの継ぎ目が撓んで漏れるってのも多い
あとは潤滑油系のパイプがやられるのもね
A重油の成分は軽油と殆ど変わらんよ 不純物で煙が多く出る位
時々警察が取り締まりやっている不正軽油もA重油ベースだったか?
日露戦争時の駆逐艦や水雷艇の戦記出ないかなぁ…
ちょいと無茶振りがすぎやしませんかねえ
ライターがノってきたからこれから海防艦戦記ばかりになります
海防艦とかって不思議と艦長クラスの本がないよな あっても兵員、下士官の本で、士官クラスの本も数えるほど 隻数的には駆逐艦と同数になってもいいはずなんだが、なぜか上級者の記録がないってのは予備士官が多数派ってのが影響しているのかな?
さすがに艦長を捏造するのは…
海防艦の戦記に輸送船団護衛航海中に水偵が飛んできて 海防艦4隻が輪になってぐるぐる回って中の海面静かにして 着水して横付けしてパイロットが上がってきて命令書を艦長に手渡して 離水して去っていった、てゆう話が載ってたけど、 輸送船程度の速度しか出ない海防艦がそんなことしてたら追いてけぼりだよね? 船団停船させるはずもないし。 やっぱお約束のライター捏造話なんだろうか
輸送船団の方が10ノットぐらいしか出ないボロ船の集まりだったのかもしれんぞ。
之字運動とか知らないのかな
>>272 そういった船団追跡が発生するから20ノット以上だせる旧式駆逐艦の配属が要望されるのだが、
海防艦の排水量で航跡静波は形成しにくい(喫水と排水量が足りない)ので、気持ちやってみたのか、波間を見て風上、風下に占位しようとしたのかって話じゃないかな
ただ、水偵からパイロットが上がってくるにはカッターか何かで収容に行くのが通例、もしくは重巡とあだとデリックで機体を確保してからの話になるのでちょいと眉唾
普通なら通信筒を2、3回投下して、回収確認の合図をするまで上空で旋回というパターンをとるはず
洋上で単身乗り移れる間隔で横付けって、操縦技量は神の域じゃねえの? ちょっと揺れたり波受けたり風受けたりしたら、舷側にぶつかって壊れるか乗艦中に離されて戻れなくなるかじゃねえか? 本当かどうか怪しい気がする
パイロットが命令書ではなくて、後席の搭乗員じゃないのかなあ?。 大和が出撃する前にも、 聯合艦隊の司令部から零式水偵で飛んできて打ち合わせをしたというし。
それ瀬戸内の泊地の話だからなあ 外洋で水偵が着水って艦に揚収する時か救助の時ぐらいだぞ 湾内の静穏な水面でなくうねりがある海面だと滑走離水もできないし
外洋でも着水している写真あるし、 天候が良くてパイロットが熟練していたら、 なんとかなると思うけどなあ。 それ程無茶な話じゃないように思うけどなあ。
着水はともかく、外洋で接舷は無理だろ。
>>278 いや、できないとは言ってないのよ
ただ先にも書いたけど、ふつうはカッターを出す(それも慣れた特艇員選抜で)な話だし、再離水できない場合も多い
そんな状況でわざわざ護衛隊に搭乗員が手交せにゃならんほどの要件なんかあるのかなって事 <通常は通信筒の投下で済ませる
強いていうなら、香椎あたりの101戦隊旗艦とかの旗艦になった練巡は水偵の発進、収容をやっているので、
戦隊内の主隊を船団に、随伴艦1,2隻を収容時の警戒に残したって可能性はあるんだが
やはり時が経つにつれ戦記の嘘はエスカレートしていくんだろうな… 生き証人ほとんど居ないのをいいことに
とはいってもよその部隊の事なんかの記憶はええ加減だし、聞き取りしたライターや編集がある程度の知識を持っていないとなあ 嘘とまでは言わないけど、思い違い、勘違いはあること前提で読むべきって事だね
否定をしだしたら限りがなくなると思うけどなあ…。 接舷といけど実際にどういう位置関係になったのかわからん訳だし、 カッターを降ろしているのかもしれないし。
>>282 この本が出たのは30年近く前のことだから、
> 生き証人ほとんど居ないのをいいことに
ではないと思うが。
>>272 > 輸送船程度の速度しか出ない海防艦がそんなことしてたら追いてけぼりだよね?
海防艦より速い輸送船はそう多くないし、船団の速度がそこまで高い
ケースも日本ではそうそうないのでは?
そもそも、敵潜攻撃やら救助で残った海防艦が船団を追いかけるな
んていう話は、三宅の戦記以外でもちょくちょく目にする話だし。
当時の関係者の証言と現代の人間の後付けの理屈どっちが信用できるかだな
>>287 速力差が何ノットではなく、護衛がいなくなる時間が問題なんだって
末期の8ノット船団であっても、対潜制圧で4時間+船団追及となると概算でも7,8時間は護衛できない時間が出てくるのが問題
大型船団だと護衛指揮官クラスが2名(特設船団指揮官+護衛隊司令とか)ぐらいいるけど、そこまででない船団だと制圧に2隻も裂いたら直衛艦1隻で先行警戒もできないレベル
だから記述がすべてウソだと決めつけているのではなく、当時の護衛体制とか機材の能力を考えると考えにくい回想だって事よ
輸送船団は一番足の遅い船に合わせちゃうからな。 10ノットくらいというのを何かの本で読んだ記憶があるけど…。
はっきり言って回顧録、回想録ってその人がそのように覚えている事そのまま書き残すことで雰囲気を読むためのものって部分があるからなあ それが戦術運動とか、再検証した部隊史や戦史と整合性とれないところで何か問題があるわけでない 爺さまの思い出話の中に正規の記録に残っていない面白い話もあれば、勘違いや思い込みとして記憶してる部分があるって事よ そこを読者が理解していないで、当事者が言っているから内容は絶対正しいだとか、逆にこの著者・ライターは大ウソつきだ、としか言わないのはセンスがないだけだよ
>>290 10ノットだと一番早いフネの可能性が・・・。
>>290 10ノット船団だと、船団構成船の巡航速力12ノットくらいの船での構成するはず
そこから基準の10ノットで之の字運動すると2割減くらいになるので、進路に対しては8ノット
ここに敵信情報とかで迂回航路とったり速力調整・減速したり夜間避泊するとさらに遅くなる
末期でE型や1000トン級を含む船団だと10ノット船団の構成も難しいよ
>>289 この時のヒ七五船団は、神鷹を除いても8隻の護衛艦がついていますね。駆逐艦2隻に
水雷艇1隻、海防艦が4隻、掃海艇1隻という具合で。
それに、
> そこまででない船団だと制圧に2隻も裂いたら直衛艦1隻で先行警戒もできないレベル
の船団でも実際に制圧なり救助に数隻割いている事例はいろいろあるようだけど。
そもそも初期には護衛艦が1隻だけで、救助なり威嚇に当たっている間は
丸裸なんて言う状況は普通に発生しているのは、ご承知のとおり。
戦記読んでると護衛艦艇側でも輸送船側でも 護衛とはぐれて翌朝合流したとか結構出てくるよね
>>294 だから、その丸裸になるという状態が護衛艦1隻しか配置できない体制だからやむを得ず無傷の船を避退させるのかって話と、
何隻か護衛艦がいても制圧の為に分離しちゃうと船団の護衛が手すきになる時間が発生するのでヤバいって話を同一視するんだ?
>>296 意味が分からん。護衛艦が何隻いようが、制圧のために分離するなんていう行動は
ナンセンスだと言いたいのか?仮に丸裸になるわけではないとしても。
そもそもの話自体が、当時の基準としては非常に手厚い護衛がついた大船団での
話なんだが、それを無視してどうするんだ。
おまいら落ち着け 片方は一般的な話をしているのに片方は神鷹がついている大船団の話をしているからゴチャゴチャしてんだよ そこに海防艦の足の方が輸送船より早いから問題ないんじゃね?とかの疑問が挟まっているのに対するレスとかを自分のレスと思って反応してるんだろ
なもんでおまいらはレスに過剰反応せずに落ち着いてレス読み直しとけ >289なんかでも指揮官クラスが2人いれば分離しても対応できるって書いているのに、護衛艦1隻とかレスするから変な話になるんだ
モマ船団の大きいヤツだと船団護衛隊+対潜掃討隊の組み合わせになるから積極的な制圧戦闘にうつるけど、それ以外の船団はねぇ
>>300 普通の本だと護衛艦が何隻いたかしか触れてなくて部隊の構成とか指揮系統まで書いてないものな
ほんと日本軍にとって欲張りな話なのだろうけど、船団に直接護衛隊があって、 前路警戒の基地哨戒機がいて、掃討用に別の間接護衛隊が揃わないと合格点が取れないのだろうね
大井篤の海上護衛戦で言う所の航路帯確保の自由航行でいくか、稼働率さげても大船団でいくかって話
これも間接護衛でがっちり航路はカバーなのか、そこまで哨戒網作れないから重要船団だけでも護衛をって話なのね
で、それを突き詰めていくと
>>302 になって大西洋の米英軍並みの戦力が必要と orz
艦隊が敗れても負け 護衛が失敗しても負け そのどちらにも不十分な戦力しかないのが日本
まぁ相手が悪すぎるわなぁ
日本海軍が大好きなビックリドッキリメカじゃなくてまともな護衛艦艇を作っていれば・・・。 エロい人の思いつきが止められない馬鹿の集団に戦争させるべきじゃなかったなあ・・・。
信濃だって駆逐艦が護衛してたのに潜水艦にやられちゃってるし
その「まともな護衛艦艇を作っていれば」ってぇのでもねえ ハードウェア的にはフネの数もだけど、それに載せるモノのウェイトも大きいわけで 護衛重視にしたifでも三式が一式か二式に繰り上がる程度で終わっちゃう気が で、どう足掻いても結局アメリカの物量スチームローラーが押し寄せて来るんだよな、物量っても水準以上のモノを備えた奴が・・・
そして物量で劣る日本には一発勝負の艦隊決戦特化しかなかったという順繰り理論に・・・
逆に言えば大兵力を準備できる方は、勝てそうなところから攻めていけばいいものな フィリピンのキャビテにせよ、豪北のアンボンにでも使用可能な泊地と1個巡洋艦戦隊が存在すれば、それこそ1個艦隊をシンガポールに置いても対応可能かどうかわからないくらい
>>308 スチームローラがイヤなら意地でも軍縮条約を継続するしか無い。
にもかかわらず、こっちから軍縮条約を破棄している。
こーゆー馬鹿ばっかりだったんだろうなあ。
かといって軍縮条約が史実のままで維持できてたかとなるとなぁ ワシントンはなんとか我慢できたけど、ロンドンの条約で犬養毅が統帥権干犯なんてぶち上げたせいで不満を表面化する事になったから 不平等条約再びとなってしまったからね 交渉団随員が万全であったとは言わないけど、もう少し納得できる着陸点(言い換えたら海軍交渉団の手柄)がなければ継続する利点ってのあったのかなと思うな
護衛艦作るって言っても海軍航空隊作り上げる方が優先だったしのう 予備員予備役だって支那方面艦隊作って開戦前の段階で平時の3倍の規模、充足率が上がっていたこと考えるともっと大きくなっていたわけだしな
>>315 なんか星2つの評価つけてる人の方がいい本を書けそうなコメントだな
情報ダダ漏れで会敵率100%な時点でどうにもならんよ 海上護衛総司令部は情報統制の部分を見なおせと 他者に油使うな兵力寄越せと噛み付くのが仕事じゃねえぞ
大西洋でも連合軍側の船団用暗号ってドイツに解読されてたよね?
>>318 ある程度解読されてたけど
連合軍は毎日「何処に居ます、予定はこうです」なんて流してないからな
護衛作戦の時は峯風型みたいな旧式駆逐艦が旗艦を務めてたんだな。 司令官は新型の海防艦に将旗を掲げてたんだと思ってたよ。
海防艦だけだと、甲型や乙型が旗艦運用の前提で、 丙型や丁型が子分になる編成をするつもりだったけど…詳しくしらべていない。
>>317 その辺の自分に都合の良い所は声を大にして喧伝し、
都合の悪い所はスルーって点では
大井氏も自著でこき下ろしてるGF幕僚と五十歩百歩なんだよなぁ
>>322 わざわざ戦後に大和の戦友会に乗り込んで
やーいばーかと言う時点で50歩1億歩じゃね?
復讐は精神衛生的に良いものだそうだから、それくらいはいいじゃないか。 米軍に復讐出来ない分をウザかったGF主力の連中に少しでもぶつけたかったのだろう。
>>324 輸送船団が壊滅したのは私のせいですと宣言して
私は誰の復讐も受けるとしてるなら、それも通るんじゃね?
まあそういうメンタルの人間だと理解してから著書読むと面白いよね
>>320 海防艦は艦体が小さすぎて護衛隊司令部のスタッフ収容できないから
旧式とはいえ駆逐艦の方がまだ居住スペース的にマシだったと
海防隊はともかく、護衛部隊の旗艦とするのは松型ぐらいないと苦しいって話は聞くけどなあ
終戦まで暗号解読されてるのに気づかなかったって頭悪すぎだろ
>>322 昭和28年3月に出版された本なんだが、執筆時点で
明らかになっていた話なのか?スルー云々という話
ではないと思うんだが。
>>327 ドイツもイタリアも頭が悪すぎたということだな。
後知恵ならなんとでも言える、の典型だな。
Wikipediaによると 海上護衛を指導する日本の幕僚が 広大な太平洋で幸運や好判断だけで撃沈されていると考え、 通信情報なしにそのような撃沈結果を出すには アメリカの資源でもまかなえないほどの潜水艦が必要であるという 計算をしなかったことは信じられないという指摘もある 何かがおかしいと思えば気がつく余地はあっただろうね スパイによるものではないかと疑うところまでは行ったわけだが 逆に言えばスパイの仕業ということにして それ以上考えるとか工夫することを放置したとも言える スパイを捕まえられないのが悪いんで僕らのせいじゃありませんてかw
対米戦と言いつつ陸軍追い落としのための内戦だからな。 米軍より陸軍が憎いといった海軍のエロい人もいるだろ。
かといって実際問題商船暗号を更新できたかとなると難しかったしなぁ 通常の軍用の暗号だって暗号書を入れ替えるのに手間取って理論値?の期間で定期的な入れ替えできなかったわけで、 あれだけ補給線がマヒした状態で全船に新規の暗号書を配布したり、古い暗号書を併用してしまって解析されたりすまいとする事ができたのかなあ
暗号の強度自体の問題というより船団の位置も規模も航路も バレるような内容の通信を必要以上に送りすぎって話では
>>330 原文を読んでいないからなんとも言えないが、
> 広大な太平洋で幸運や好判断だけで撃沈されていると考え、
> 通信情報なしにそのような撃沈結果を出すには
本当にこんな間抜けな「指摘」があるのかな?
広大な太平洋と言っても船が実際にとおる航路なんてそれなり
に限定されているし、当然ながら被害もそういうところで出ている。
全体にばらまくなんていうことを前提に考えるなんていう話は、
根本的におかしい。
実際は、原文のニュアンスを正しく伝えないような引用がされてい
るだけなんだろうけど。
>>318 英海軍の船団用暗号は、通常暗号より強度が緩くて、1943年ころには電文の8割が解読されてたそうな。
毎朝定時に本国の司令部で情報集約するために、位置や進路、編制を報告してたから、
当然、ドイツ側に船団の行動駄々漏れ。
おまけに、英海軍が本国から流してた敵潜水艦予報も暗号解読されてて、ドイツ側に逆手に取られてた。
>>334 同感。
地図を見れば、俺らみたいな素人でも本土と南方との資源還送ルートなんてだいたい把握できるわな。
そして、南方に広がる日本陸海軍基地への補給ルートも。
それに暗号を解読せずとも通信量などからそれなりに航路を絞れるというのは当の日本がやったことでもある。
航路は絞れても毎日船が通るわけじゃない ましてや船団はめったに通ることもない しかも航路たってここからここまでって線が引いてあるわけでもない 天候や海流でも大きな幅を持ってるし之字運動もしてる 潜水艦の低い視野で見られる範囲に偶々運よく遭遇する確率はそう高いものではない それは各所各国の通商破壊の実例を見れば分かるだろう 半年近く毎月100%が統計的にあり得るかっての
大井サンはそれを「米潜水艦の活動の活発化」片づけちゃってるんだよね 自分の想定の範囲を越えた現実に対して思考停止してしまってるあたり、 回想録で馬鹿にしていた源田や神と大差ないと思う
海防艦三宅戦記、面白いなあ。 海防艦での陸上支援の艦砲射撃があったとは。駆逐艦や軽巡はよくしていたようだが 海防艦も、12cm砲だし効果はあったのだろう
源田さんも神さんもそれなり以上の結果も出してるけど 大井さんは敵から馬鹿じゃねえの(意訳)と言われることしかしてない 大差ないなんて源田さんや神さんに失礼ではなかろうか
>>337 各所各国の通商破壊の実例で本土〜南方ほど潜水艦が潜伏しやすかった事例をどうぞ。
それができなければ、ただの妄想でしかない。
>>341 どっちかというと潜伏しがたい場所じゃね?
たぶんバレンツ海とかのほうがずっと潜伏しやすいかと
>>342 バレンツ海は頻繁に輸送船舶が航行し、日本海軍レベルの対潜護衛しかなかった場所・・・ではないな
潜水艦にとって南方航路の方がはるかに狩場としては楽だ。
>>343 バレンツ海はドイツ空軍が遊弋してて
流氷の関係で航路が限定され、さらには護衛艦の行動にも制約のある環境だが
米潜水艦はレーダーで船団を探知しているから待ち伏せさせるんだと信じられてたわけで
天地がひっくり返ってもないだろうけど 大井に代わって護衛参謀に源田や神が就いてたら史実と何か違いがあったんだろうか
>>337 之字運動って照準を困難にするための行動であって、発見そのものを避けるための技法ではないのでは?
>>347 回頭を繰り返すことで射点につかせないのが一義的なもの
普通というか公式な之ノ字運動は針路に対して左右の振り方が一定なのである程度観測できれば基本針路が読める
<右5度に10分+針路に10分+左5度に10分=基本針路に戻る など
これを発展させて、4時間(1当直)サイクルでの発展版や変形を独自に作る船なんかがあって、これはぐちゃぐちゃに舵を切るから、
進行方向=北に行こうとしているのか、西に行こうとしているのかぐらいのレベルで判らなくして先廻りさせないように頑張っているのもある
ただ、規則的に舵を切るわけでないので船団、無線封鎖&無灯火での航行時には使えない
何せ作った当人がサイクルを覚えきれないものだから、優速の独航船+急変針に追従できる高速の護衛艦の組み合わせで無いと使えなかったとの事
そもそも大井篤の海上護衛戦は名著とされる事があっても、あれが大井というか護衛関係者の本意を纏めたものではないだろ 時期的なものというかまえがき、あとがきを読むと気づくのだが、アレって世間に流布する戦記もの、私はこのように奮戦敢闘した式の回顧録だけで回っている事に対する 新聞報道や大本営発表、ニュース映画では一切触れられてこなかったけれども、日本の経戦能力にトドメをさした通商破壊戦というものを初めて紹介するという事が目的だったのじゃないかね だから、2つ目のまえがきに人名とか伏せただの、あたりさわりのないように通史として纏めたみたいな記述に手を加えていないのがそうで、 本格的な反省だとか、海上輸送のコントロール(運輸省との調整)とかに関してはまだ研究発表が出される前だし、 場合によってはGHQの海上交通線攻撃に関するレポートとダブる部分に関しては触れていない可能性がある だもんで、あれは戦時期に新聞報道などで戦況を時系列的に把握している人に違う視点を通史として提供するものであり、 戦術レポートや戦訓調査として書かれたものではないと思うんだな。 あくまで昭和23年、25年といった状況下での纏め書きであり、検証は後年の戦史叢書の海上護衛戦やY委員会の戦力検討などでなされたもので、 大井本に続く著作がないものだから未だに批判の対象になってしまっている状況じゃないのかな
>>315 所詮レビューというかコメントでしか無いがな
映画評論家がいい映画作れるのか、政治評論家がいい政治が出来るのかと一緒
著者は大学院生っぽいな。自分の存在意義を必死に主張したいさかり(まあそういうもんだろうが)で 内容のわりにかまびすしい書きぶりになっているから、それが鼻につくんだろう。 コメントしているのは同業者(史学関係)のセンパイだろ。
>>351 修士論文ベースに上梓した、らしい、、、
それなら多少割り引いてみないとな。 こういうのをテーマにするのも珍しいし。
修士論文は基本恥ずかしいもの。出版物の形にまでしたというのは エラいんじゃないかね。
そりゃ凄いだろうな 本を出版物として形にする事と、カスタマーレビューで書き込む事のどちらが難易度高いかなんて子供でもわかるしな
まあ難易度なんてどうでもよくて大切なのは中身なんだけどね。
>>355 カスタマーレビューではあるけど、内容的には論文のピアレビューの方が
近いな。それなりのレビューをするというのは、結構労力がかかるものだし。
修士論文であれば本来は審査委員の先生がつけるコメントだろうけど。
雑誌なんかの新刊紹介とか見る限りだとちょっと辛い評価が並んでいる感じだな でも、市販書籍ベースで考えるなら自己研究のたたき台として読むのはいいのじゃないかな
ぱらぱら立ち読みした感じでは、軍令部12課について言及がなかったような。 値段は一丁前に学術書なんで、買う気になれなかった。
>>357 そうそう。これは査読のコメント調だよね。学問の世界にいない人は
こんな書き方はしない。
し な の
むつごろう とびはぜ
うねび
ミサカ
駆逐艦や海防艦の復員船ってお客どこに乗せたんだろう? 兵器関係の乗員減ったんだろうけど兵員室なんて狭すぎるしベッドもないし。 甲板に建てた小屋? てかなんでもっと詰める船を使わなかったんだろう
船腹がほとんど残ってない
燃料がなくて動けないフネがそこそこあったような気がする。>終戦直後
普通に生活輸送等でも需要あるからじゃね? あとたぶん金の問題かと・・・
>>366 兵装関係の居住区と、上甲板に仮設した小屋などに詰め込んだ
搭載量の話だと、
>>369 氏の言うように、物資輸送にあてるべきなのと、国内貨客を砂漠関係で国内航路の船は裂けない状態だった
なもんで、大型艦の葛城や鳳翔、長鯨なんかは重宝されているし、大連航路向けで航続距離の短い筑紫丸、樺太千島を失ったことで担当航路のなくなった千歳丸あたりはフル稼働させられているね
ちなみに釜山佐世保間のような1日の航路だと一等・二等輸送艦の貨物室で雑魚寝でピストン輸送しているね
まァそれでも足りないから米軍からリバティ船100、近距離用にLST100隻を貸与されることになっている
復員艦といえば練習巡洋艦の鹿島も貴重な戦力
1000t以上の商船は1隻残らず全滅したんじゃなかったのか あれだけの船舶殲滅戦を受けてどうやって生き残ったのか謎だが・・・
>>372 元病院船、北日本側で活動中の特設艦船の何隻かが生き残っていたというレベル
貨物船を含めても20隻無いレベルだよ
戦争中に機雷で擱座した船を戦後になって浮揚、再利用するぐらいだもんな
さすがに潜水艦は復員事業には使わなかったみたいだな。
大内建二「戦時標準船入門」の記述からみると 終戦時、中・大型船では戦前型の貨物船・貨客船が10隻未満、戦時標準船が貨物船10隻程度っぽいな。 ちなみに中・大型タンカーは貨物船改造型を含めて30隻程度。うち戦前型は2隻。
へえ 小説不毛地帯で商社が戦標船争奪戦やってたのはフィクションなのかな
>>377 戦時標準船ってのは戦時中に稼働実績のある船という意味だけじゃないから
終戦時点でまだ完成していないけど、敗戦後に建造続行したものとか、
>>374 氏の触れたようにサルベージしたもの、小型のE型は量産が軌道に乗っていたので隻数はあるし、
乙造船の木造船(機帆船)も広い意味での戦標船だからね
こういった戦後の新造船でないものを戦標船(設計段階のもので分類)と言う場合もあるから
このスレ住人なら20年前に読んでるわって言いそうだけど 今やっと「艦長たちの太平洋戦争」読んでる(まだ途中) 朝風艦長の池田徳太大佐は、朝風1隻で輸送船団を護衛したことも多々あった ときには40隻の大船団のときも それでも1隻の撃沈も出さなかった って言ってるな
>>379 続編は小型艦の艦長の話が多くなるので、よかったら続けて読んでみてください。
ありゃ名著だな うちの弟の大学のある講義では全学生に読ませてレポート提出させるなんてことも 自分のを貸してやったよ
ここで勧められた25歳の艦長海戦記買って読んだけどつまんなかった 他人の手記や公式記録の引用で3分の1くらい潰れてるし戦闘経緯も分からないし評価は自画自賛
飢餓の島から潜水艦で兵員運んだら消化不良で下痢になって トイレが足りずに艦内ウンコまみれになった話ワロタ
>>382 うーん、天津風のヤツだよね
それって、初めて平社員じゃないポジションに敗訴呉れた若手社員がいきなり「明日からお前が艦長(代理)ね、ナニ内地に帰るだけの簡単なお仕事です」と無茶ぶりされたふいんきを楽しむ本だから、、、
フレッチャーのWLを買ったんだけど舟艇2隻なんだなぁ 日本の駆逐艦は4隻積みだけど、どういう思想の違いなのか
その分、筏を積んでいるから、人員の移動分の最小限だけじゃないかな。 大型艦も戦中にかけて、艦載艇が少なくなっているよね。 日本の駆逐艦も末期は機銃増設で艦載艇が減っている。
海防艦三宅戦記の艦長も大尉ってことは20代だよね
>>387 とも限らん
予備士官(高等商船出)で学校卒業後に召集でなければ、商船での乗船履歴の経歴反映は小さく評価されるので、30代半ばで大尉ってのはある
そもそも海兵出で量産型の海防艦の艦長務めた人って少なかったんじゃななかったか?
海軍では大尉がだいい、大佐がだいさって呼ばれてたってマジですか… ダサすぎると思うんですが…
それは戦後のよもやま話と言うか半分ネタ、半分本当って所でしょ 古い明治期だとそういった話はあるけど、昭和期ぐらいまで下がるとそこまで言われていない感じ 標準語の普及具合によって徐々に消滅していった部分だよ 内火艇みたく、時期によってウチビ艇だったりナイカ艇だったりするけど、同音意義語と区別する必要が薄れたら読みやすい方に収斂していくって事
大将は「だいしょう」じゃないから許してやってください
>>389 戦時中に昇進したが、一度もだいいとは呼ばれていない?って予備士官か何かの本に書いてあったなあ。
>>392 だいしょうじゃないと理屈が破綻してますやん…
>>393 大将がだいしょうだと代将と区別つかねえですが、それでも宜しいので?
日本に代将はないからおk そんなこと言い出したら海外の階級の方がややこしかろ なんで同じ名称なのに陸海軍で階級が異なるんだとか
captainが陸と海とで大違いの件ですか?
海:艦長 陸:浣腸 みたいな
親衛隊とか
ちょっと聞きたいんだけどどこに書いていいかわからないからここが違うなら誘導お願いしたい 内の祖父が戦中6〜7歳でその時にみた船の名前がどーしても知りたいって言っていまなんとか調べてるんだ 戦艦ほど大きな船ではないとは思うとは言ってたんだ わかっている情報が 千葉のナゴ〜千倉当たりに1942-43くらいに停泊していた(結構見に行ったらしいから1ヶ月くらいは停泊したのかも) 近くの旅館を貸し切って胸にたくさんの勲章をつけた人(祖父曰く船の一番えらい人)が2人ほどいた(艦長?) 対空装備みたいな機銃がかなりついていた 見上げる程度の大きさがあった(その当時120ちょっとの身長だったらしい) その後の話で生き残って日本に帰ってきた(どこの港かは不明) 不明瞭すぎるが少しでも知ってたら情報頼む
>>399 千倉は外房、太平洋側
ナゴが那古(JRだと那古船形)だと内房の館山湾の北側で全く逆方向だよ?
那古だと館山湾をベースにしていた船だとは思うが、もうちょっと情報が欲しいな
大淀は木更津沖(木更津空の陸攻用滑走路を利用した人員の連絡とのリンク)なので東京湾の内外なので離れすぎだと思う
いま聞いてきた 多分千倉では無くて館山〜ナゴあたりで間違いないらしい その船の船員に旅館でお茶を持って行ったなーとか語ってた あともしかしたらナゴはほぼ空襲が0(B29が素通りするのを見た)だったから補修してたのかな?とも言っていた、実際物資などを詰め込んだりしてたそう あとこんなのがあったらわかりやすいってことあれば聞いてくる
403 :
401 :2013/10/01(火) 21:35:53.49 ID:???
>>402 那古船形の辺であっているのなら、館山湾の北川には何か所か造船所があるね
子供の視線だと、造船所に上架(スロープで船体を陸上に引き上げる)した状態だと船底から見上げる形になるので、駆潜艇とかでもすっげえ大きくは見えると思う
震災で打ち上げられた気仙沼の第18共徳丸は330t(総トン?)だそうだが、写真見ると馬鹿でかいもんな
祖父がいうには船員が船にはいる時フラップじゃなくて梯子?なのかなよじ登ってたらしい ただそれが正式な乗り方なのか補修中だったからなのかは分からないそう 細かいところで申し訳ない
406 :
401 :2013/10/01(火) 22:21:44.88 ID:???
>>405 ちょいと悪いが、そのくらいの話だと船名までは絞り込みにくいわ
那古の港のサイズだと遠洋漁船が入れるくらいの造船所しかなかったはずだから正規の艦艇ではないと思う
館山湾に長期いるとしたら、湾内警備の特設駆潜艇や特設捕獲網艇、場合によっては飛行機救難艇(館山空付きの館空丸)とかがすぐに思いつくけど、
これだと子供の目からみたらデッカイ船にはなるかもしれないけど何ともいえない
それに館空丸とかの航空隊付属の舟艇だと那古ではなく、南側の航空隊の方にいると思うんだよな
旅館に居る時点で艤装員か修繕中の上陸という気もするので何とも絞り込めないところ
気になるフネだな 何なんだろう
>>399 うーん、ここの住民は、正確な日時か、不鮮明でもいいから写真の一枚でもあれば特定できるが
あまりに大雑把な話だと無理だと思う。
戦艦ではない、対空装備が充実というヒントでは
重巡・軽巡・駆逐艦・駆潜艇・特設何々といくらでもいるからな。
戦後、生き残った事が確実なら、酒匂かなとも思ったが、こちらは呉方面だし・・・
松型駆逐艦は、対空機銃がうじゃうじゃ付いているように見えただろうね
図書館から借りて艦艇写真集でも見ていただいては?
申し訳ないです明日祖父が起きてきたらもっと詳しく聞いて類推してきます
1942〜1943に内地でのんびりしてるんだから、兵学校の訓練艦になった八雲だと思う。
適当やな
わからないなりにエスパーしてみよう。 ・42〜43年だから、大戦末期の急造艦ではない。戦前〜43年までに完成した艦。 ただ、その年代で対空兵装が充実した巡洋艦があっただろうか?昭和18年ならあり得るか。 ・偉い人二人。艦長と司令だろう。 ・わざわざ何度も見に行くのだから、特設艦船ではなく、正規の軍艦だろう。
続き、名前を知りたいという事なのでリストを渡すだけで、これだ!と思い出す可能性がある。 まあ間違ってるかもしれないが、つっかえは取れるだろうな。 巡洋艦のリストでも紹介してはいかが。
梯子で昇り降りしてたってんなら何か背の高い特設艦船かね
鹿島もいいね。見上げるような立派な艦だったと思う。
>>413 生き残った艦なんだから残存艦艇のどれか。
勲章つけたエロい人が複数乗ってるから巡洋艦以上。
内地で艦のエロい人達が宿屋貸切とか実戦部隊の司令官はやらんだろうと思う。
予算なさそうだし。
生き残った船の中で一番可能性か高いのは八雲なんだな。
ちなみに鹿島は41年05月にトラックに進出してるから可能性は低いと思う。
アジ歴の呉練習戦隊戦時日誌とかを確認すればいいのか
「八雲」は昭和17年に巡洋艦籍に復帰して 主砲や副砲を撤去して対空浮き砲台に改装されてたらしいけど どこに居たのかはわからない
>>422 兵学校の練習艦だと半分宿泊船の運用術練習艦なので航海は普通しないぜ
動いている船は旧駆逐艦の類
まあ子どものみるデッカイ船が俺らがイメージする大型艦とは限らんでな
>>418 逆に生きている船の乗組員は旅館に上がらんぜ
それに勲章ったってメダルぶら下げているのではなくて、徽章や特技章なら実施学校出ていればいくつかつけているはずなのでそれを誤解した可能性もある
強いて言うなら館山砲術学校の練習艦だろうけど、館山は予備学生向けの陸戦と対空なんで大型艦の配属は無いんだよな
みなさんありがとうございます 上までの情報を祖父に聞いて見ます
>>425 とりあえず、那古というか船形漁港にあった造船所に入っていた船なのかどうかだけでも判れば船のサイズを絞り込めるのでヨロ
今の館山ドックサービスが戦時中も船台持っていた漁船向け造船所のはずなので、
岸壁に係留してデッカイ船だったのか、陸上に引き揚げて整備中だからタラップが届かずにハシゴをかけて登っていたのかぐらいは判るから
ちなココな
http://www.tds1999.co.jp/
>>423 鹿島型が連合艦隊にかっぱらわれたから、代艦で遠洋航海かわりに内地を
回ってたんでないの?
>>424 わざわざ見に行くんだから珍しい船だろう。
近所の部隊にいる船ならわざわざ見に行ったりしないんじゃないかな。
祖父が敬老会に行ってしまったので聞いてきたことを少しずつ
祖父に船の写真を見せたところ駆逐艦ではなく多分巡洋艦かな?と言っていました
理由は「尻がこんなに低くは無かった」だそうですただそれだけなのでもしかしたら駆逐艦なのかも
そして梯子ですが船は引き上げというよりは着艦して係留しながらの補修だったそうですが
フラップ部分が使えなく(修理?)しょうがなくえっちらおっちら登っていたそうです
>>427 今まで見たことがなかったと言っていました
>>418 祖父が思い出したのは祖父の隣の商家に
に一番えらい人が泊まったそうです(旅館ではあまり綺麗な部屋がなかったため)
旅館に止まったのはNO.2だったと言っていました
あと対空装備に関しては祖父に改めて聞いたところ「修理中だったし多分対空装備だとおもったんだが今思うとただの機銃だったかもしれないしちょっと分からない」そうです
>>427 いや、だから運用術練習艦は乗船はするけれども実際に航海する事はないんだ
つまり船内生活や甲板運用の定係状態での訓練であって、国内航海をやる船って意味じゃない
動いている船も無い事はないけど、これらも旧駆逐艦で旧装甲巡洋艦の運航例ってのはまずないよ
それに、今の俺らマニア的な知識を持っていて「見に行きたい船」ではなく、子どもが消防車やパトカーを見に行く感覚で考えないと話をややこしく理解してしまわないか?
那古から館山の海岸・道路から錨泊している船として理解すると、松輸送(東松船団)なんかの護衛艦が先行して集結していた方が可能性もあるけど、
この場合も船団護衛司令部や運航指揮官が館山で上陸するとは考えにくいんだよね
館山湾で集結、出港前に訓練、速力調整などはやっているけど、それも1、2日の話だからエライ人がのんびり上がれるようなスケジュールじゃない
>>428 度々スマソ
それは岸壁に係留して修繕していたって事でおk?
係留していた場所が判ればあとは港のサイズから艦のサイズも逆算できるとは思う
ただ尻が高い(乾舷が高い)となると艦艇では無く、対空火器を強化した小型の輸送船の可能性もありますな
>>430 そういうことだと思われます
荷物を詰め込んでいた〜という祖父の話もありますし輸送艦の線もあるのでしょうか?
勲章つけた偉い人ってことだし陸軍さんかも
小笠原方面への輸送部隊ならあり得るかもな
なるほど
しかし、普通の業務中に勲章は下げないものじゃないのか? 布製の徽章か参謀飾緒なら尉官レベルの副官でも付けるから運航指揮官や連絡将校の可能性もあるが
館山湾で岸壁につないでたとなると大型船の線はなさそうだな
第一大泊とかの類の可能性もあるんじゃかなろうか? あの手の旧駆逐艦、実はかなり後期になるまで砲乗せたままだったりするし。
大泊じゃなくて泊浦か? あれらは江田島の兵学校付きで大竹の潜水学校にまわっていたので横須賀方面には来てなかったような てかさ、とりあえず館山の港の構造をちゃんと見ろって 駆逐艦でもつなぐのシンドイくらいの構造だぞ
当時は沖止めが普通じゃないのかな
岸壁につけて補修?タラップがかからなくて梯子欠けてたっぽいと言っているだろ、、、
カッターで乗り付けてハシゴで登ってりゃ、素人にはわからんさ
補修もちょっとありえない。ドック空き待ちか、単なる作戦の合間の休養だと思う。
そもそも館山には漁船向けの造船所しかなかったしなあ 駆逐艦以上は東京湾内にいくから館山湾で何かする必要はないし 駆潜特務艇レベルとかも作っていないはずだから精々機帆船とか1000トン未満の船だろうなあ
>>443 なにせ小学一年生くらいの子供の思い出話だもんな。
その子がみたデケエ、カッケーをイメージせずに練習艦だの正規艦艇だの言ってもおかしな話になるよ。
俺らだって大人になったら、この公園のジャングルジムってこんなに小さかったっけ?と思うのと一緒だろうな
作戦の合間の休養とか横須賀か横浜まで帰りそうだよな やっぱ離島向けの小型船とかそんな感じじゃね?
遅くなって申し訳ありません 輸送船の線で少し祖父と話していましたが新しい情報は特にありませんでした 陸軍のお偉いさんかも?という話にはなんとも言えないなぁとあいまいな回答でした ただやっぱり今思うと想像の中のものより実際は小さいんじゃない?という話をすると それはそうかもしれないという回答でした
>>446 乙
ここの住人もクイズ解くのに夢中になってお役にたててないようで申し訳ない
あと軍艦の写真を見せても、船体全体がキレイに写るように撮るから(上空方向からだと特に)どうしても小さく見えたり
サイズがイメージと違ったりするらしいですね
特設哨戒艇だって最末期には機関砲を5,6門積んでいるヤツだっているからねえ 25ミリが2基ぐらい上を向いてたら結構ゴツく見えるだろうよ
>>448 42年から43年の話だから、艦艇に機銃のてんこ盛りには始まっていない。
これ以上は、写真集やインターネットの画像を見せて、おおよその規模を教えてもらないとな。 絞り込めれば、戦記や行動記録から調べることもできる。
25mmなんて積んでも玉がでかくてたくさん積めないから意味なくね? 7.7mmをいっぱい積んだほうが良かった
で、そのいっぱい積んだ7.7mmでは敵機に届かない、というオチは考えてないのかい
20mmにしとけばって意見はたまに聞くね。一式陸攻の銃座のとかあったじゃんと。 個人的には初速が足りなくて微妙だと思うが
25mmでも補給さえ十分にされれば良かったんだよ。 海防艦クラスだと、入港しても弾薬の補給が連合艦隊優先で、全くされないので、 敵機が射程距離に入っていても、目標が自艦でなければ使えなかったという話がある。 連合艦隊所属艦でも、艦長のランクで補給数が決まるような逼迫状態。 持っててももったいなくて使えないエリクサーみたいな存在だったのかもな
いやいや 25mmですら個艦防御にはいいけど僚艦防御はできなかったんじゃん 射程足りなくて
>>455 おいおいw
アメだって40mmを「僚艦防御」には使ってないぞw
僚艦防空ってSAM登場後の概念じゃないの
秋月「」
>457 高角砲は当然だし、大口径機銃最大の意義は僚艦防空 40mm機銃ともなれば有効射程は3000メートル以上あるんで、輪形陣で隣の艦くらいはカバーできる
ちなみに機銃の射程は口径(mm)に100メートルをかければだいたいわかる 20mm機銃なら2000メートルってこと 有効射程はその半分くらいだが つまり25mm機銃は僚艦防御なんてやりたくてもできない もちろん、僚艦防御ってなまともに僚艦の上空を狙うわけじゃなく、その手前の空間に砲火を浴びせるわけだ いわゆる十字砲火というやつ ざっと計算すればわかるけど、例えば僚艦との距離が1000メートル離れてるとして その僚艦に向かって突撃してくる敵機に対空砲火を浴びせるなら 有効射程1500メートルあっても僚艦の手前600メートルのところに届くのが精一杯 ピタゴラスの定理x^2+y~2=z~2、というやつだ だからこそ有効射程千メートルくらいじゃ役に立たない、二千メートル以上欲しいわけよ
普通、隣の船とは1〜2海里離れてるだろ 米の40mmが3〜4kmで自爆する信管なのは僚艦撃っちゃう事故を避けるため 実際レイテ沖海戦では秋月が予備魚雷に、大淀がトップに味方の25mm食らってるわけで
艦隊の陣形の距離と、輸送船団での距離感覚とを一緒にするなよ ただ、25ミリを10門くらい打ち続ければ曳光弾とかが派手に見えるのもあって航空機の攻撃が腰が引けた漢字にはなるって話は多いのよね 陸軍の輸送船だって20ミリ高射機関砲じゃイカン、海式25ミリのできれば双連を何基かつむべきって意見は意外と多い
>461 坊の岬沖の大和艦隊の輪形陣は半径1500メートル この外周を9隻でカバーしたので、円周約9400メートルに9隻、つまり相互間隔は1000メートル強 アメリカの大規模な機動部隊でも外周部隊の相互間隔は2000メートルもないことが多い 対空戦闘時の艦隊ってな想像以上に密なのよ ま、1浬=1852メートルだからそのくらいではある
>461 3〜4kmで自爆するなら、1〜2海里=1.8〜3.7km離れている隣の船には余裕で届いちゃうのだがw
アメリカも実際に対空砲火で味方の艦艇を撃って損害与えてるよね
25mmの話に戻ると個艦防御にすら力不足と猪口艦長も言ってるがな
大和の25mmには照準器がなかったというのはマジなんだろうか
普通の航空攻撃は1km前後離れたところで投下するから 有効射程1500mじゃ投下阻止に使える距離は500mしかない それに対空砲火を嫌って米軍は遠めで落とすし これはこれで効果出てるということだが攻撃されてる側には実感できんしね
一応25mmも自身に向かってくる敵機には3000〜3500メートルの有効射程だそうで
3000mぐらいから射撃開始すると 敵機は秒速100mぐらいとして、約20秒ちょっとの射撃機会が得られるが しかし毎分250発の銃で20〜30秒だから100発前後の弾数が欲しい 15発弾倉x3でも少し足りない、上手く弾倉交換できればなんとかなるかな? 遠距離でちゃんと照準できる射撃装置で複数の多連装を管制できれば 数字的にはなんとかなるかもしれんというレベルだね
敵機をまともに落とせない25mm機銃を装備するのなら 徹底的に爆弾魚雷への防御力を強化した方が有利じゃないのか?
詭弁のガイドラインみたいなやつまで来たなw
>>472 知ってるか?大和と武蔵は航空攻撃で沈んだんだぞ
あれより重防御の艦なんてどこにあるんだとw
不沈艦なんてもんは無かったんだな
小艦艇で対爆弾対魚雷防御をどう徹底的に強化するのか、方策を詳しく聞かせて欲しいものです 徹底的にやったら『小』艦艇では纏まらなくなりそうですが
WW2の結果戦後の艦艇は矛>盾の結論に至ったのでは
>>476 小型で喫水が浅いだけで、十分対策になってる。
要は制空権下で行動すればいいんじゃないかな。
命令で突入する時は沈んでもしゃーない。
>>478 とはいえ対水上艦航空雷撃をすたれさせるほどには盾も強くなった
>>474 大和級の防水区画防御が最上とする考えは棄てたほうがいい
複数被雷後に自航速力の水圧に耐えられず隔壁が次々というのだから
それに比べて長門級と伊勢級の旧舷側鋼板がそのままインナーアーマーとなって
その外を水密鋼管の束と新艦舷が守る
結果的にこのクラスの4隻が魚雷飽和攻撃を受けることなく終戦なので証拠はないが
対魚雷防御力は大和級より上だと思われる
小艦艇スレで戦艦の水雷防御を語るのは筋違いだけど 長門型の舷側装甲板って水線下はそんな深くまでないよ、土佐の実艦的実験以前の設計だし それに大和型の水密隔壁は航行水圧で破れても長門型伊勢型のは破れないという保障はないんでしょ
そもそも呉で着底してるしな
原爆で沈んだ長門より生き残ったネバダのが防御は上!
商船のデッキに13ミリ対空機銃装備して もっぱら魚雷に向けて射撃していた記述があるけど どの程度効果あるんだろ 魚雷って完全に浮上して走航してるわけじゃないから まず魚雷が被っている水流で威力が落ちて それでも命中したとして破壊に至ることなんてあるんだろうか 架設山砲を魚雷めがけて撃ち込むとかの話だと今度は命中の記録がないしな
普通に考えて水深2m以上にセットしてあるはずだから まず弾が届かないだろうし、見えてる排気よりだいぶ先に魚雷本体あるしで 13mmじゃ効果が出る可能性は殆どないんじゃね? 運良くスクリューにでも引っかかれば大勝利だろうけどさ 25mmなら運が良ければあたって炸裂すればなんか起きる可能性はあるかもしれんが
ちょっとは気休めになるくらいは効果あるんじゃね? 危機が迫っているのに何もしてない・手持ち無沙汰なのは結構クルものあるだろうから、精神衛生上の効果はあると思われ
怪しい伝説って科学娯楽番組で、銃撃された時水中に逃げれば助かるか検証してて、 実験して見ると弾丸の速度の速いものは、水中に入った時に衝撃で砕けて、水の中なら安全って結果だったな。
普通、水面の圧力が高いので急減速するか、跳弾になるわな
ただ、魚雷も水深を2〜5mに設定していても舵の調整が上手くいかずイルカのように飛び跳ねて水面から出る場合とかあるから、
風防開けていたパイロットが狙撃される程度の確率で破壊はできるんじゃないかな(出来るとは言っていない
まあ、
>>488 の言うように何もせんよりラッキーストライク狙いに行くしかないだろうな
実例皆無じゃないから効果はある まあやらないよりはマシ、程度の話だね
まあ、普通は15センチ級の砲弾の着弾の衝撃での針路狂わしたり、や瞬発・着発信管での誘爆狙いだもんね
>>491 実例あったか?
機銃のよる撃破だ魚雷の自爆の可能性は無い、と言える実例が
菊水作戦時の涼月が、魚雷を射撃して機能停止させた 爆発ではなく停止・沈降なので、本当に機銃の戦果であるかは厳密には不明 他には海防艦で確か戦例があったと思う
防護巡洋艦が沿岸を防護するんじゃなくて 自分を防護する/(^o^)\の意味だと知った漏れが通りますよ
protected cruiserだから「(舷側石炭庫と防御甲板に)防護された巡洋艦」だわな
装甲巡洋艦の対比的な意味合いに気づかないと、海防戦艦的な理解になっちゃうかもね
>>489 >実験して見ると弾丸の速度の速いものは、水中に入った時に衝撃で砕けて、水の中なら安全って結果だったな。
スピルバーグのSPR冒頭にあるノルマンディ上陸シーンの有名なウソだよね
水中を機関銃の弾が直進して米兵士が撃たれるというシーン
>>498 なのめ45℃で入った重機関銃弾なら殺傷力あるんでないか
でも怪しい伝説は拳銃やライフル弾で鉛だもん 鋼質弾なら戦艦の水中弾みたいに浸透するんじゃね
平頭弾かそうでないかは重大
>>500 日本軍の実験だと平頭じゃないと100口径ぐらいで横弾になる
13mmならx100で1m前後までなら水中をすすめる
ただし略水平で走るんであって、潜るわけじゃないから
深度2mの魚雷撃つのには向いてない
なお日本軍は対潜砲弾も作ってるけど平頭じゃない
>>496 英語だとそのまんまですやんw
なんで素直に装甲巡洋艦にしなかったのかw
アーマードクルーザーってのがあるから
なんで素直に防護巡洋艦にs(以下ループ)
積極的に装甲化されていると、必要な所を(受動的に)保護している=防護、の違いだろ
>>504 まじかw
それってネイティブ的にべったべたなかなり恥ずかしい響きなんじゃないのww
装甲なんて魚雷には意味ないんや(´;ω;`)
>509 モノコック構造っていうか、シームレスで継ぎ目のような構造的弱点がなければまだしも、ね・・・ 現実には無理だからな 舵やスクリューシャフトのように可動部もあるし
スレチになってまいますが大和の厚さ40cmの装甲板って一体1枚どんくらいの大きさで 一体全体どうやって繋いでたのか子供の頃から疑問だったのですが 知ってる椰子いますか
>>511 でかいところで高さ3.6x幅5.9mだそうな
繋ぐのはテーパー状に薄くして重ねる
単純なテーパーじゃなくて鉤爪状とでもいうか
そんな感じで簡単にはズレないようにしてる
溶接は当時なかったとしてもボルトとか鋲とかで繋ぐんじゃないんだ… あきませんやん…魚雷くらったらズレて浸水しますやん(´・ω・`)
>>513 装甲同士の繋ぎを聞かれたから重ねあわせだと
装甲はそれぞれ船体にボルトで装着されてるよ
ズレたりハズレても船体には直接影響はない(ボルトちぎれて破損とかはあるが)
>>513 シビアな熱処理が必要な鋼材は、今でも溶接しない(できない)でしょう。
おー
魚雷食らってずれると浸水するから無駄じゃんw と思うけど、装甲内側への爆発破壊は食い止める、と思うと やっぱ魚雷にも効果はあったということなんだろうか…
絶対にありえないとは思うけど、日本海軍が駆逐艦の思想を 質より量と早めに自覚して、松型のような駆逐艦を大量に生産して ソロモン海域に投入してたら、海戦はどうなったかね? 竹がアレン・M・サムナー級を撃沈しているから、意外と善戦できたかも? そもそも至近弾で釜室やられてポコポコ航行不能になってる艦隊型 駆逐艦より消耗も避けれたかも? まあ、DDEを大戦中に300隻以上作ってしまう米軍には何やったって 物量で押し潰されることになりそうだが
あいたたた・・・ 艦これあたりから来たにわかだろうか
ここ20レスぐらいのなかで一番にわかっぽいのが520な件
>>519 このテの話は、こうしていたらどうなっていたかより、何故こうしなかったのか、と考えた方がいいと思うけどなあ
むしろ島風を300隻作るべきだった 艦隊駆逐艦に護衛駆逐艦の役割はつとまるが護衛駆逐艦に艦隊駆逐艦の役割はつとまらないのだから
うわーおもしろい(棒
大発に頼り切ってて魚雷艇が全然なかったのが南方での苦戦理由でもあると思う。 速度遅くてもいいから強武装の小型艇が欲しかっただろうね。
根本的に、駆逐艦の絶対数が足りないので二等駆逐艦クラスでいいから数をそろえたいって事よ 缶室のシフト配置とかは艦型の特徴であっても、絶対的な採用理由にはならんで
竹がクーパーを屠ることが出来たのは、一緒に居た桑がサモナー、モアレ、クーパー3隻の集中砲火を受けて竹は冷静に狙えたってのもある 松型を大幅前倒ししてたとして、27.8ノットでソロモンのネズミ輸送が務まったんだろうか 松型しか居なければネズミ輸送が存在しない(発案すらされない)気もするけど
鼠輸送などに必要なのは半日ほどその速度で駆け続けられる平均速度の高さと その速度での燃費の良さではないか トップスピードはそこまで関係ないでしょ
>>527 最近じゃ、オルモック海戦では航空援護が得られていたって話も出てるな。
瑞雲か月光が上空にいたんだと
魚雷艇狩りの月光が敵を攻撃してくれた、という話じゃなかったかな。 「航空援護が得られていた」というほど組織だったものではなかった ように思うけど。
確か竹は魚雷1発が故障だか誤発射で使用できなくて クーパー目掛けて発射したのは3発だけだったんだっけ
>>531 1本は訓練中に流してしまっていて、その時は3本しか持ち合わせていなかった。
海戦時は電気系統のトラブルで不発。
やり直して手動発射で3本中の2本が発射できてそのうちの1本が当った。それで轟沈。
駆逐艦の雷撃戦としては奇跡的だな。さらに戦況が悪化すると、魚雷を陸揚げして出撃するような有様だった・・・
>>528 ラバウルで補給してショートランドに進出、行き半日と帰り半日を基本20ノット越えで隊形組んで航行
さらにラバウルまで帰還して補給
ここに天候判断や戦況判断による退避待機が加わると既存の水雷戦隊として使うなら松型だとちょい苦しい
18ノットに落とせば航続距離あるけれども、水雷戦隊が松型にあわせて航海計画を立てるから極力使いたくないって話になる
これは水雷戦隊の戦術や進出計画の縛り(低速艦、燃費の悪い艦の手持ち燃料にあわせて計画を立てる)だから、どうしようもない
輸送隊で一瞬のタイミングで使うなら一等輸送艦の速力、航続距離があれば間に合うので問題は無いだろ
>>532 凄い確率だよね。駆逐隊が一斉に雷撃しても1本も当たらないことも
多かったのに。
松型って、英米の護衛駆逐艦ほどショボイ装備ではないし、速力も
それなりだから、主力に使うのは別としても、小発積んでるしネズミ輸送
は松型のみの構成だったらできたんではないのか
>>532 魚雷紛失したの?
61cm酸素魚雷の1本のお値段が当時で6万円程度。
2012年の物価指数基準だと、大体だが1本で1千4〜5百万円。
魚雷1本家1件、といわれるくらい高価な魚雷をロスト
これ始末書で済まないんでは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9_ (%E6%9D%BE%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)
竹の戦歴、参考にどうぞ。学研松型駆逐艦にも詳細が載ってます
Wikipedia読むと、命中後、3本目も発射していたんですね。これは知りませんでした。
>>530 月光の攻撃だけで死傷者24名。他の駆逐艦も損傷。これで不服では月光も報われない。
竹自体も相当に戦死者を出した後でオルモックに突入しているから条件は似たようなものかと
>>534 実際に睦月型なんかは輸送隊として色々動き回っているから、松型も輸送隊なら十字できたでしょ
ただ水雷戦隊として使うには航続距離(補給のタイミング)や最高速力が足りない事に依る運動(迂回範囲や日没時=突入開始位置の選択)の制限が大きすぎるって事
これがレイテ戦後ぐらいに戦力が枯渇したら何も問題視されないだろうけど、、、orz
マニラからオルモックだからな ある程度は味方航空兵力もあるし
日進や沖島なども強行輸送向きの艦 こいつらが突入して、阻止にきた米駆逐艦を14cm砲で滅多打ちにするのを妄想
ぶっちゃけそこまで言うなら一等、二等輸があれば一番いいじゃん
>>537 松型がオルモック輸送に従事出来たのはマニラ湾の支援能力が
それなりにあったから、と言うのは忘れてはならない。
ソロモン戦の時だと出発はショートランドだし、全速でガ島に進んでも
航続距離的に微妙。
何せ第一機動艦隊の護衛に付いた側は中城湾から出ても航続距離が
足りてないんだぜ。
これは敵に発見されて回避運動や偽装を行った場合、足の短さ由来で
作戦に支障をきたす、という事を示す。
>>541 だから本隊ではなく、よく別行動をとる輸送隊、睦月型と同じくらいと断りいれているのだが。。。
>>542 睦月型はあれでも元艦隊駆逐艦で、航続力は松型よりははるかに勝ってるんだが。
14ノット4000海里と18ノット3500海里、同じ速度だとどっちのほうが長いかね・・・
睦月型が重油442トンで14ノット4000浬 松型が重油370トンで18ノット3500浬 睦月型を18ノットで換算したら当然4000浬とは行かないだろうけど さて、20ノット台後半で走った場合、速力上限に近い松型と、竣工時上限37ノットの睦月型とでは差がどれほどになるか 重油積載量も勘案しないといな
機関の熱効率も進歩してるしそれほど差はないんじゃね
あと睦月型が機関衰耗や装備追加で性能低下してるであろう点も考えないと
卯月が四番缶を撤去した際は4缶34.1ノットが3缶だと29.5ノットだったそうで まあ戦時の睦月型が缶撤去なしだと30ノット以上出せてた傍証ではある
問題はむしろ最高速力よりも燃費では
速度低下が重量によるものなら、その分燃費も悪化してるだろうけどね
>>543 >544-550で触れているけど、甲型以降(できれば朝潮型以降)で編成された水雷戦隊の脚を引っ張るって意味では松と睦月の極端な差はないのよ
14ノットで4000海里の足よりも、泊地まで18ノット+、日没まで20ノット+、日没から目的地まで22ノット+の体型組んだ行動をとれるか&地中で補給は無しで、
って考え方で行くと、水雷戦隊が睦月型の燃料と脚に縛られて迂回航路も、日没からの突入ルートも縛られてくる
甲型駆逐艦の隻数が揃うなら入れたくはないし、絶対的に席数が不足するならそれに合わせた運用に変わるってだけの話よ
松型の航続距離短めってのはやっぱり船体が小型のためかな? それとも建造年代が護衛対象となる航路が南方航路にほぼ限定さ てしまったので、長大な航続距離はいらないという判断からかな?
主な護衛対象は南方航路船団じゃなくてネズミ輸送の前線任務だよ そしてその任務を18ノットで4000海里の白露型が難なくこなしてる 18ノット基準で建造されてる艦は巡航タービン出力が大きいのでは無いかな
>>544 松型が14ノットに速度を落とす、睦月を18ノットに速度を増す
この時でも睦月の方が大きいのかなあ?
3500浬とか4000浬は基準としている速度が違うのだから、そのままの比較はできないし
>>554 機関と図体がほぼ同じ初春と白露で比べると
同じ4000海里で14ノットと18ノット、燃料は458トンと540トン
1時間あたり1.6トンと2.4トンの消費量ってことになる、1.5倍だな
これがそのまま適用されると14ノット4000と18ノット3500はほぼ同じ
>>552 基本的に量産可能なサイズの二等駆逐艦相当、対空砲火を強化した峯風クラスが当初のコンセプトだよ
だから護衛任務云々ってのは後付けの理由というか、戦後の一時期に護衛駆逐艦、護送駆逐艦のカテゴライズされた事に依る誤解だろ
なもんで航続距離も燃料タンク容量の制限というよりも、艦隊に配属する艦艇の最低限度の要求値が「18ノット」で「3500〜4000海里」って事だよ
おそらく4000海里の要求から船体設計を絞り込んでいって3500海里に妥協していったのだと思われ
主機関に関して新規開発案と甲型?の一軸分流用案が消えて鴻型流用案になったのも恐らく航続距離に影響したはずではあるよね
F55策定時の各案比較表が学研本に載っているけど、最初の3案(A〜C案)は夕雲・朝潮・白露各型を参考として作られていて、 基準排水量1,680〜2,100t、最高速度29.5〜32kt、航続力は一律に18kt-6000海里(重油588〜634t) で考えられていたようだ。機関は秋月型(1軸 26,000hp)、V7型(1軸 37,500hp)、新設計(2軸 35,000hp)とある。(V7型ってなんだ?) D案以降は睦月型・鴻型を参考として、航続力は一律18kt 3,000海里、機関は秋月型(1軸 26,000hp)か鴻型(2軸 19,000hp)。 興味深いのは重油搭載量で、一番排水量が大きいD案(秋月型の機関)では285t、より艦型が小さい他の案 (E〜I案: いずれも鴻型機関)では360t前後になっている。 蒸気性状はどちらも350度なので巡航タービンの効率が秋月型>鴻型なんだろう
V7型の一軸37500hpって、二軸だと75000hp・・・・まさか丙型の片舷分かね?
基本計画番号V7 年度計画 5計画案 秋月型(乙型) 770号艦〜785号艦
基本計画番号の記号、駆逐艦はFで秋月型はF51、満月型がF55 Vって、艦種別は何だろう?超島風型がV6になってるみたいだが、Vは新機軸計画の駆逐艦か? 蛇足だけど、この種別記号?のアルファベットについて A 戦艦 B 巡洋戦艦 C 巡洋艦 E 砲艦・海防艦 F 駆逐艦 G 航空母艦 H 敷設艦艇 I 掃海艇 J 特務艦艇 K 駆潜艇 S 潜水艦 だと思ってるんだが、ここまで合ってるかな 穴埋めや間違い指摘を頼む 並び順から基幹艦種と思われるDが何か分からんのが歯痒い
>>562 810〜814号艦 巡洋艦にはV17
815〜818号艦 巡洋艦にはV18
水上機母艦や潜水母艦にJ 131号艦秋津洲はJ18
T魚雷艇
隼艇はH
給油艦も給糧艦も砕氷艦も標的艦も輸送艦もJなんで特務艦艇で一括り 魚雷艇の艇型T○○の数字は計画順を示すものじゃないね 隼艇のHってHayabusaの頭文字からじゃなかろうな・・・いやでも
隼艇は雑役船(雷艇)扱いじゃなくね?
567 :
ゆうか("”復帰”"リハビリ中) ◆BfDXjJtUZv6q :2013/10/16(水) 23:56:51.33 ID:OuBY9mB6
>562 Vはブイ、ではなくローマ数字の5です D計画以降、計画毎の番号が振られることになり、 つまりE計画ではY○○、となるはずだったわけです Dですが、なぜか防護巡洋艦新高・対馬(D1)と音羽(D2)に振られてます 面白いところでは、Mが満州軍の砲艦として、Rは陸軍運送船神州丸に振られてることですね つまり帝国陸軍が誇る強襲揚陸艦のパイオニア「神州丸」の建造には、海軍もかなり関与していたと推測できる傍証となります この辺の事情は福井静夫著作集第十二巻「日本軍艦建造史」巻末に記載されてます
>D計画以降、計画毎の番号が振られることになり、 マル5計画以降の新設計艦艇でもEやJや居ますけど 軍備計画と戦時計画とでは扱いが違うんでしょうかね
マル5計画前に叩き台が下案があったり予算確保の面から番号抑えていた分とかありそうだよな <計画成立前の予算折衝段階でラフな計画を引いているとか
あの辺、マル4、マル5、戦、急が混じっているからなあ 本当なら前の計画で作りたかった分ならマル4くらいでの分類のママかもね
二等駆逐艦の栗(樅型)は二番砲を撤去して、楯付き8cm高角砲に換装していた らしいんだけど、なかなかサマになっている
>>571 「らしい」じゃなくて、確定。
写真も出ている。
学研本だね
574 :
571 :2013/10/20(日) 18:16:02.37 ID:???
あ、いや、学研本見てWLの樅型の二番砲を、フジミの川崎型タンカーのランナー に付いていた8cm高角砲にしてみたところ、なかなか良かった、という感想でした。
夕張の一番砲も8cm高角砲への換装なんだよな。 この割りに合わなさ。
>>575 夕張の一番砲は12cm高角砲への換装だけど。
ありゃ、勘違いでした WLの夕張のキット(1944年の状態)の説明書に8cm高角砲とあったと思って 今見たら竣工時の要目だったorz
モデルグラフィックス 小艦艇好きなもまいらにとってネ申特集キタ――(゚∀゚)――!!
本当にだれもいないんだなぁ
雑誌はめっきり買わなくなったな。最後に買ったのはいつかなあ。数年前までは毎月3冊くらい買ってたが。
今月のMG誌はてんこ盛りですなあ。 岩重さんの「特型と海外の駆逐艦」が良いね。
編集部の中の人自画自賛キタ――(゚∀゚)――!!
自画自賛でも質がいいなら許す
という事で
>>581 はお勧めポイントを3行で
艦これ特集で、岩重さんのページがいつもの倍。
特型とか海外駆逐艦の模型写真なんてあったっ毛?
>>585 海外の駆逐艦(独・仏・伊・英・米)の説明はテキストだけだったはず。
小艦艇でなくて恐縮なのですが、 モデグラの赤城の模型写真見たら煙突のすぐ後ろの飛行甲板脇に 副砲クラスくらいの2連装砲塔が2個並んでてどう見ても高角砲じゃなかったのですが あんなとこに対艦砲があったんでつか
赤城だけ、最後まで旧式の12cm高角砲(一〇式45口径っての)を積み続けてたから 八九式12.7cm高角砲じゃないんで見慣れないと思うけど あれも高角砲は高角砲
改装後の赤城の砲熕兵装は20センチ単装砲6、12センチ連装高角砲6だけど? 20センチ砲は船体後部両舷の中甲板砲郭に振り分けだからこれは関係ないし 飛行甲板の右舷、煙突より後部にあるのは12センチ連装高角砲3基ですが? 煤煙避けシールド付きを砲塔と誤認してるんじゃ?
スレに関連したコメントつけようとして途中送信してしまった で、赤城とほぼ同じ連装砲架のが(細かなサブタイプは違うみたいだが) 御蔵型・日振型・鵜来型海防艦の後部で使われてるよ 実艦か模型の写真探して見てみ
あんなどう見ても上向きそうもない高角砲なんか積んでたからミッドウエーで(´;ω;`)
真上から降ってくる急降下爆撃機って高角砲で狙えるもんなのか
日本海軍「あっ…」
>>592 当時の急降下爆撃はせいぜい60度だよ
真上からだと逆に命中率が落ちるという実験を海軍が戦前行っている。
実際に実験したのは奥宮正武少佐だったかな
空母スレが大破漂流状態なのはわかるけど、こっちで空母話されてもなあ。 どうして空母スレあんな事になっちゃったんだろ。
あのAA連投はアク禁した方がいいと思う。
十年式12センチ高角砲は、海防艦用の単装E型砲架(原型の原型は重巡用B型)の最大仰角75度 海防艦も連装は空母搭載型の系列でA型改3だけどこっちも75度じゃないかね スレ違いな空母の話をするのも何だけど 加賀、蒼龍、飛龍は最大90度の八九式12.7センチ載せててもあれだったから、赤城の高角砲が90度可能でも結果は変わらんでしょ
モデグラに駆逐艦とか5000t軽巡とかバリバリ載ってるのにこの惨状………… 確かに、いつもの3倍くらい山積みしてるのにあんま売れてなかったしなぁ…
模型誌とここってそもそも連動するようなものだっけか。 岩重氏の連載は興味深いけどね
>>598 何か新事実でも書いてあれば読むんだけど。
5000t軽巡?
602 :
名無し三等兵 :2013/10/28(月) 17:00:45.82 ID:P/NeUv8x
も少し書いてよ
>>600 赤城の煙突後方にどうみても高角砲に見えない変な砲塔が2個並んでる
事実は見れるけど…
ひょっとして改装前の20センチ砲連装砲塔の事じゃ…
赤城は相変わらずいい味だしてんな
20センチ連装は二段目甲板の艦橋両脇だ、煙突後方って言ってるから違うだろ 十年式は八九式と比べて砲側照準所が低くて砲耳より上に飛び出して見えないから煤煙避けシールドは平たい円盤状になって「砲塔」に見えるだけじゃね?
20cm砲のB型砲塔は赤城、加賀のやつだけだよな 仰角70°までとれるスグレモノ
大仰角取れても装填機構はどうだったっけ・・・・
高角砲が完全に真上に砲身向けて撃ってる時って装填とかどうしてるんだろうと常々思う
八九式は半自動装填なんで装填樋に弾薬包を乗せれば信管調定して薬室に蹴り込んでくれるよ 九八式もたぶん同じか、もっと自動化が進んでるかも(8センチはどうかなあ) それ以前は尾栓の閉鎖は自動でも装填は完全人力だと思う・・・・最大仰角が75度とかなのは人力ではこの辺が限界かも
>>606 プラモ作るとわかるけど12センチ連装高角砲の3基連設
左舷はシールド無し
右舷の煙突側が防煙シールド付
これが両舷でおよそ100トンずつの相対するカウンターウエイトになって重心を取ている
空母は敵機に対して射撃しやすい航行をしたひはしないから
艦隊防空弾幕としてもあまり有用じゃないと思うし
自艦防空にはもっと不適な装備だと思う
13か25ミリ機銃に変更し
護衛艦艇の搭載砲や陸上基地に移設したほうが役立ちそう
>>605 そんなんとちゃうぞ?
もっとふつうの高角砲に見えない砲塔だったよ
>>615 じゃあうp
それにしても並んでるのは「2個」なのかねえ
右舷煙突後方には3基あるはずなんだけど
>>617 すごく、おっきいです…
ぽまいらモデグラくらい買えよw
今月みたいな小艦艇天国号もう二度と出ないだろw
まあ漏れも買ってないんだが(´・ω・`)
モデグラ買って赤城のへんてこ砲塔見た椰子いないのかw ぽまいら酷ぇよ… 5000t軽巡が泣いてるよ…
> 5000t軽巡 > 5000t軽巡 > 5000t軽巡 かんこれニワカはお帰り下さい
5000tって重巡だったのか…
5000トンって球磨型長良型川内型じゃないよね いったい何かな、防護巡の筑摩型が4950トンで一番近いか あ、筑摩型の作例が載ってるなら俺は買うかな、あれ超好きなんだわ
普通は5500トン型ってひとまとめだよね
5500トン型を5000トンと書き込んだ初心者さんに粘着している阿呆に燃料をやらなくとも、、
>>624 氏
あんたも
500tなんて誤差の範囲じゃ…
固有名詞に誤差もくそもあるか。アホタレ
約1割まで誤差として許容するのか、スッゲェ丼勘定だね
1000と1500なら全然ちがうが5000と5500ならそれほどでもない 気がする
いい加減、帰りなよ
数字を丸めた「5000トン級の巡洋艦」と、固有名詞化している「5500トン型巡洋艦」はさすがに違うべ
しかし「5500トン型巡洋艦」っていつから誰が言い出したんだろうか 戦前から日本海軍で使用している言葉だったのか、それとも戦後の解説本で本書きが命名したのか、それ以外の何かなのか 誰か知っている人居る?
アジ歴 C05034432600 昭和10年 那珂艦長名で出ている内火艇定数に関する要望 に5500トン級の表現が見える
だいたいこういうのって予算折衝段階でのイメージで○○トン級巡洋艦とか、××センチ砲搭載戦艦って表現されるのが始まりじゃないかな
初心者も間違ったならゴメンチャイ位言えばこんな荒れないのに
昔、99艦爆を97艦攻と混ぜて97艦爆と書き込み、しかも引き込み脚だと言い張るバカが模型板とおもちゃ板にいたな
湯婆婆「お前、名前はなんていうんだい?」 5500t型「5500t型といいます」 湯婆婆「フン、5500t型だなんて生意気な名前だね。お前は今日から5000t型だ」
艦これ豚が増えるとこんな事になるのか、悲しいなあ
>>639 アニメなどからの素人大量参戦というのは戦争末期に素人を大量に戦場へ投入するようなものだ。
そのほとんどは泡沫のように消え去り、残るのは極わずか
そもそも、たった一字違いだと打ち間違えの可能性もあって判別できないからなあ 誤字脱字は俺もよくやるから人の事言えないし
2chに書き込んでいる時点でじいさんばあさんみたいに 人差し指でポチポチって訳でもないだろうし0と5は間違えないと思うがな
5500t型を5000なんて打ち間違えるのは素人じゃなくてただのバカだよ
たまたま一度ならともかくわざわざ二度だからな
アメリカの装備のトンを直してない人はたまに居るな ショートトンとロングトンで一割くらいずれる そういうミスじゃないんだろうけど
>>635 なるほど。
学研本の遠藤昭の解説では大正7年度予算から5500トン型が見られるようだ。
もとの資料がどれなのかわからんし、参照文献リストも示されないのが
この手の読み物の欠点だ
647 :
635 :2013/11/01(金) 09:48:28.37 ID:???
>>646 今の海自の新造艦計画だって似たようなもので、今の船より大きいとか、特徴を一言で言おうとするとこういった表現になるわけですよね
なので、5500トン型の前後には、サイズアップした7000トン級軽巡洋艦案や、後に条約型にカテゴライズされるけど、7000トン級偵察巡洋艦(古鷹)、1万トン級偵察巡洋艦(妙高)という表現がありますね
似たような概念で一等駆逐艦、二等駆逐艦も1000トンで線引きされている事から、甲巡乙巡にならって、甲型駆逐艦、乙型駆逐艦と表現している文書もありますよ
>一等駆逐艦、二等駆逐艦も1000トンで線引きされている事から、甲巡乙巡にならって、甲型駆逐艦、乙型駆逐艦と表現している文書もありますよ そりゃまたややこしいな
水兵さんの手記だと初春型も白露型も連装砲積んでるから特型とかってノリだし そんなもんなんじゃね
650 :
635 :2013/11/01(金) 17:34:48.94 ID:???
それでも海軍の艦隊勤務以外の人にとっては、「そんな判り易いイメージ」での分け方がおかしいとも思えないのですね 睦月型だって一等駆逐艦ですけど、特型以降からすると旧式に見えますし、 聯合艦隊にいる新鋭艦が甲型、大陸方面とかでの警備や雑用、商船の護衛に来てくれる旧型艦が乙型といった表現はまぁ的外れとも言い難いです ただ、これも海軍の部内文書と言うより、部外者向けの説明文や、関係省庁・海運業界のものによく見られるので公式な分け方では無いと思います
39ノットの峯風型を量産し続けてればこんなことには
>>651 凌波性と航続力ガー
→結局特型を生み出す流れに
高速客船を改造した駆逐艦母艦が随伴すれば 燃料補給も風呂提供も出来たなぁ
日本が駆逐艦母艦or水雷母艦を重視しなかった(一応特設艦船で少数いた筈なので)のは少し不思議だが、直接的には戦力にならないものまで手を掛けてられなかった、ということでいいんだろうか
一時期だけど、揚子江方面の駆逐隊には特設水雷母艦が配属されていますな 配属が少ないのは、やはり水雷戦隊が制度や戦術的にはある程度完成し、機動力が高いがゆえに母船の行動力に足を引っ張られるという問題があるのと、 結局水雷戦隊が艦隊に付属するため、艦隊全体の補給体制に組み入れられるから戦隊単独での補給船を持つメリットがないのが大きいかと 逆に哨戒艇部隊や舟艇部隊に対しては特設砲艦が母船任務をこなしているので、無視していたわけではないかと
>>654 駆逐艦が大型化する事で継戦能力が昔より増していったからじゃないの
巡洋艦母艦が無いのと一緒
勿論あれば役には立つだろうけどリソースはどこの国でも有限だから
高速客船なんて輸送や空母改造で使っちゃうよね
特設巡洋艦や特設潜水母艦が融通きかせているからねえ わざわざ水雷母艦にしなければならないことは少ないし
>654 想像なのを前置きしておきますが。 やはり泊地から出撃して一戦したら終了と考えていた迎撃決戦型の海軍であることが大きいのかなぁとか。 損傷復旧のための工作艦は少ないとは言えど特設艦を投入していますし。 米軍は侵攻する以上、泊地機能が整備されるまでの期間を埋めるために母艦を考えていたのでは。
迎撃決戦になってない史実の戦いでは普通に特設艦艇を動員してる ガダルカナル戦酣のころはショートランドに敷設艦や水上機母艦(特設のね)が何隻も居て そいつらが戻ってくる駆逐艦の世話もやってた 手に負えない損傷だったらトラックまで下げて工作艦とか戦艦とかに直してもらうけど
戦艦についてる工場はそういう活躍をしてたんだな
戦艦の工場って工作室じゃ……
工作室だけど工作科が独立していますからね 駆逐艦よりかは道具や資材も揃っているので、多少なりとも大物の修繕はしやすい 駆逐艦雪風のボイラーの補修で大和の工作科が〜な話はあるけれども、やはり工作艦ほどではないので完全な修繕では無かった模様
工作室って艦内底の方なんだから大物作ったって外に持ち出しようがないじゃんw 通路とか甲板出入り口とか人一人通れるサイズしかないじゃん
帰れ
>>664 その考え方が違うのよ
工作室でなにがしかを作るだけでなくて、工作科・工作室の規模によって持っている道具が違うの
雪風の例だとボイラーが緩まないように外からバンドで締めつけ直しを試みた例だったと思うのだけど、こういった作業に使う計測用機械や、
締め付けの治具を自作するための旋盤の種類や、手持ちの材料規模が違ってくるって事
極端な例をあげれば、駆逐艦は機関部で使う資材の予備品を調整する程度のものしか持っていないけれども、戦艦だと飛行科も乗っているので、プロペラの歪み取りの機械を持っていたりするわけ
金剛型の図を見てたら上構に鋳物工場があった気がする
>667-668 まさに戦艦ではダメコンのためか木工室や鋳物、板金工作室に金属加工室。空母では発動機整備室が面積を取っていたようですね。 実際置いていた工作機械の精度はお察しだったと思いますが…。 ところで特設工作艦の工場にあったであろう工作機械はどこから調達したんでしょうね?
基本、工廠の備品扱いにして工作艦の工作部へ派遣という形じゃないかな 工作艦の編制って、艦固有の乗組員と、工作部長を長とする工作部(工廠などからの派遣)の構成になるから、艦固有の備品と工作部の部品とが混じっていると思う この形は空地分離後の空母(艦乗組員と飛行隊)、病院船(乗組員と軍医を長とする病院組織)と似ているな
>670さん ご意見ありがとうございます。 と、なると余剰か保管扱い、もしくは員数外の設備があったということになりますか。 組織編成も込みで調べてみたいところですね。
>>671 余剰じゃなくて、それに合わせて民間からの機械購入や組織拡充に合わせた準備がなされていると思います。
直接的な文書はないのですが、工作艦明石だと艤装員(乗組員)や工作部員の竣工前の慣熟期間には工廠から指導員がきて機材の使い方を指導していたり、
大陸方面で特設艦船へ接収機材を載せ替え工作艦任務につかせた事とかを考えると、工廠や工作部からの貸出にしないと書類処理ができない(民間資産を使うと使用料が発生するする、艦の備品を載せ替えるには大臣決裁が必要)ので、
人員と同時に機材も派遣する形だと移し替えが容易だってあたりが傍証ですね。
極論、双眼鏡ですら工学兵器となり、商船には信号旗などを含めて貸与としているので、工作機械も同じ扱いではないかと。
なるほどー。今日も勉強になるスレだ >艦の備品を載せ替えるには大臣決裁が必要 アジ歴に、兵器貸与の件みたいな書類が一杯あるのはこの辺の事情?
アジ歴の兵器貸与に関しては大臣決裁(ほとんどは大臣官房で処理できるだろうけど)とか海軍省の行政処理上の問題ですね。 ただ、海軍省で保管していた書類がそのまま残っているので、あて先が大臣官房とは限りませんが。 あと、備品というと予備錨や副錨を別用途に転用するとか、カッター(雑役船)が破損した、流失したので再交付希望とかいう話がメインかと。 面白いところだと、軍艦の何某が廃刊になると聞いたので、備品のラムネ製造機は捨てずにウチにくれとかいう電文は妙に多い気がしますねw
>672 重ね重ね深謝。 出師準備並みに事前から考えられていたであろうということですね。
戦中に特設潜母で靖国丸を徴用してる時には、
「多額の金払って徴用してるんだから、現地ではもっと活用汁!(大意)」
ってな「要請」が出てた、って話もある。
(元欧州客船だから、遣いでの有るフロアとかがたくさんあるんだから、
そういった場所を会議とかで使え、ってなことらしい)
>>673 そういう一面はもちろんある。
陸軍の話になってしまうが、連隊副官の綽名はしばしば「嫁」と言われる。
何でかと言うと、連隊長の公印の管理者が連隊副官で、正式の命令書には
副官の持つ印を押さないと効力を発揮しないから。
何かの母船だと、一等客室を提供したら、皆が畳の部屋キボンヌとか言って困らせたって事もあってだな
ほんとおまいらこういった情報を拾ってくるんだよ
過去スレから
>ラムネ製造機は捨てずにウチにくれ 実はこれすっげぇ大事な話じゃないのかw
海軍さんにとってカレーとラムネは必須なのだ
駆逐艦あたりでラムネ製造機を確保してきたら主計長の発言力が艦長に匹敵するかもなあ
半分沈んでる状態の涼月でも、ぬるいサイダーで一息つけたらしい。 おいしかっただろうな。
suzutukiで画像検索したらメイドのようなキャラが大量に引っかかったぞ。
駆逐艦にラムネ製造機持ち込んでラムネ作ろうにも炭酸ガスが無くね? 炭酸抜きラムネなら出来ただろうけど
少量ならボンベで持ち込めるんじゃないかな あとは機関室に不活性化ガス式の消火装置(炭酸ガスを部屋ごと充填で酸欠にする)を持っていれば、 そこからおこぼれ貰う例があった気がする
消火器からわざわざ炭酸ガスかっぱらってくるか? ラムネのためならやりかねないな
ラムネが兵に人気だったとかの話ってガセなんじゃないの 大型艦で売ってたのは間違いないんだろうけど、買い物って分隊代表一人が行くとかなのに あんな瓶持ち歩けないだろうし返却面倒だし ごく一部の古参下士官くらいしか飲めなかったんじゃないの
>>688 酒保の販売だけでなく、夜航海時での夜食や当直者への加給でも出てくるのよ
この時に薬缶に麦茶だけよこすのと、生ぬるくてもラムネやカルピスが出てくると「うちの主計はなかなかやるな」という評判になるわけね
今日の(バッカン一杯の)カルピスには氷が入っている!と戦闘配食で驚いた話もあるな
て優香ですね 駆逐艦に酒保なんて無くね?…… 酒保有無の境界って5000tくらい?
やっぱ軍艦、もしくは軍艦と同格の駆逐隊とか主計長がいるあたりからだろうね
>>691 そういった倉庫や設備の問題があるので潜水母艦や特設巡洋艦みたいに多少の余裕のある船に色々とおねだりするの
5500トン型の軽巡でも、予備学生あがりの主計長が「ラバウル入ったら駆逐艦に乗っている同期がいろいろ来るから、できるだけ玉ねぎ(唯一の生野菜)を分けてあげてくれ」と下士官に頼む話とかあるよ
春風の図面で酒保があったよ 艦尾の第三兵員室の後端左舷側、舵柄室・水雷科倉庫の前 まぁ規模が小さいだろうから酒保物資も大した量は持てないんだろうけど
酒保って食い物以外も扱ったりするし とりあえず便所紙は売ってくれないと非常にヤバい
便所の紙って備え付けじゃないの てか、紙なんか詰まっちゃうから使ってなかったんじゃね?
流すのはダメでも尻は拭くだろ。。。
拭いたあとの紙どうすんの…
甲板に出て海に投げ捨てるとか・・・?
ボットン便所だったら「落し紙」なのでそのまま糞壷にポイーなんだが水洗はどうなんだろうね 汚物入れにでもためておいて後から焼くか、破棄だと思う ちなみにロシアの作業船で仕事で乗った時は、紙は備え付けで無く古い雑誌が山積みされてて、好きなページを破って使えと言われた
乗員がお金を出し合って、酒保を設置したという話はありますね。 生協みたいな感じで、退艦時に出資金は返金してもらえる仕組み。
>>700 春風の図面は
>>119 以降ちょこちょこ引き合いに出してるけど大和ミュージアムのライブラリーで出してもらったよ
書籍だったら原書房の日本海軍艦艇図面集(日本造船学会編)あたりに載ってるかもね(入手できるかはさておき)
細かいものが描いてある図面は見てて面白いし色々な発見があるからお勧め
前部煙突の直後に金床と炉みたいなのが描いてある(文字が読めない・・・)からここで簡単な修理部品作成とかやったんだろうなぁ、とか
艦橋後方に測距儀格納箱があるから艦橋トップの2m測距儀は取り外し可能なのか、とか
>>702 逆、酒保は元々資金持ち寄りで設置するのが建前
ただし初期投資を艦長や隊司令の予算権限で回したり、士官室の手だしにしたり、主計が上手くやりくりしたりって事で、
途中から加わる艤装員や竣工後の乗組員だと払っている事に気付きにくいって事
さらに酒保は基本的にツケ払いの月給からの天引きなので、払い戻しなんかも転勤時の交通費や手当にまるまっちゃって目にしにくいって事だね
なお購入履歴がバッチリ残るので、買い食いが過ぎると主計科から所属上長に連絡が行く模様
今日も勉強になるなあ
>>704 お前、饅頭ばっかり食ってないで1円でも2円でも仕送りしたらどうなんだと怒られたという話とかあるけど
こういう親心?からの通報なのかな?
カフェーの店長さんから、おたくの船の若い〜さん結構来ているんですけど大丈夫なんですかねぇとか心配される話とかなw
若いのが何かに入れあげて路上強盗したり、隊内で窃盗したり、自殺図ったりと言うのは平時からあった事だからね 遊ぶのはホドホドにしろってのは陸軍海軍問わず周りの人がよく書き残しているよ
>>705 便所の落書きとして消えていくのが本当に惜しいですよね
でも便所の落書きだから気楽に書き込めるんだよね 記憶だけでレスしたりして間違えることもあるのは許してw
食い物の恨みは怖いという類の話は戦記読んでるとたいてい出てくるよね
しかし昭和20年に国民が飢えまくってる時に、余った食料を来年度予算削られると困るから廃棄したなんて話読むと軍隊なんてのは官僚組織の最たるものだと思わざるを得ない
民間だって似たようなものよ 多めに申請して、バーターに使ったりってのはザラ 逆に言うと、軍隊組織の帳簿付けがカッチリしている分、横流しもできないし、物々交換様に使ってもどこかでばれる 仕方がないので、ちゃんと消費したことにして闇で処分する事になるわな
まあ海の上だと麦飯捨ててもばれなかったけどな
戦時下の事案だと、配給制度は町内会・隣組を通してやる事が多いのだけど、 町内会長あたりが引っ越しによる転出者を届け出ないでうかした配給分を取りこむ刑事事件が目立つのね
多号作戦ではあんまり駆逐艦が多用されてないけど、もうソロモン 海域のように多用できるほと駆逐艦が無かったからかな? 浦浪 島風 浜波 長波 若月 夕月 卯月 桑 オルモックで損失は8隻 不知火とか直接オルモックに突入せず、沈没艦船 救助の時にやられたり、マニラに帰還して修理中に空襲された 曙 秋霜 とか参加した駆逐艦はかなりやられているが。 ソロモンで大量損失しなくても、この惨状を見ると、オルモックで損失したんではないかと ネズミ輸送以上に無茶な作戦だわね
>>717 他にマニラ空襲で初春、沖波が沈んで潮が損傷してるから
多号参加駆逐艦で残ってるの2隻か3隻なんだよ
ずばり駆逐艦が残ってない
末期には台湾から3隻、比島に取り残された搭乗員救出に向かったけど、返り討ちにあって引き返してるんだよな。 重要な搭乗員でさえそういう有様だから、その他大勢はどうなっただろうか。 興味を持たれたら「マ海防」をキーワードに調べられてください。
搭乗員の救出ならせめて飛行艇や潜水艦だよな
>719 救出される側の搭乗員たちから見た話しは、「彗星夜襲隊」渡辺洋二に出てきますね。 彼らは一式陸攻や零式輸送機で、台湾へ脱出してる。
土井 勤 「九九双軽空戦記―ある軽爆戦隊長の手記」にも 輸送機を確保して、ピストン輸送で脱出に努力した話が出てくる。地上員も含めて かなりの人数が脱出できたようだが、最後の組は間に合わず、 地上戦に参加したとか
>>720 マリアナ戦の時はそれやろうとしてダメだったろ。。。
動ける駆逐艦の半分は大型艦の護衛に回っているからね 17駆逐隊は金剛の護衛で内地に帰ったし、戦力を保って仏印に下がったのは礼号作戦に参加している 海防艦や掃海艇を駆逐艦並みに考えれば、オルモックでの護衛艦の喪失は倍になるよ
内地じゃなくてシンガポールに帰ってれば 終戦まで活動し放題だったのに
燃料はあっても玉が無い
オルモック作戦といえば、第3次が悲惨だよね。 早川少将が航空機護衛の無いことで猛反対したのに司令部のごり押し で輸送作戦決行。悪天候で航空機は飛べないという、単なる希望的 観測で突入とか酷過ぎる。 座礁して取り残された、せれべす丸も翌日沈没してるし、残ったのは 朝霜だけという文字通りの壊滅
ああいうのは陸軍の都合もあるからな 「艦長たちの太平洋戦争」で32dg司令の大島さんは 大河内長官は陸軍の山下大将に押し切られたんじゃないかと述べてる 命令書には長官の印がなく参謀長のしか無かったと
航空護衛無しの時の突入専用艦を戦前から用意していれば・・・
どこでつかう想定でそんな後ろ向きの装備を整備するんだよ
防御火器は限定的だが、そこを意図していたのが一等輸送艦なり新型の敷設艦だろ
>>729 二等輸送艦がまさに使い捨ての揚陸艦かと。
あまりに短い期間で消耗した為に、乗組員の名簿もはっきりしないとか。
狭いオルモック湾じゃなくて西側のまっすぐな海岸線のとこに行ってれば 全滅しなくてすんだんじゃないの…
ウルフパック「かもんかもーん」
>>733 そこに乗り上げた後どうなる
部隊の整列する場所も無く、自動車道の幅員によって輸送量は制限され、仕分けスペースがなければドコに何をあげればいいかわからんぞ
それに陸上の船舶工兵や輜重部隊の支援がうけられないので荷役作業がどれぐらいのびるか想像できんよ
船が助かる可能性は気持ちあがるのかもしれんが、揚げた後の荷物が届かない、大発が足りないので錨泊時間がのびて結局空襲をうける時間が倍加するんだよ
最善の策は米軍レイテ上陸後直ちにフィリピンから全力撤退
103号型輸送艦はチープだけどよく考えられたフネだお
1等輸送艦第9号のようにたびたびオルモックに突入して無事に 帰還している強運艦もあるけど、乗員の方の記事を読むと相当酷い 状況だったみたいだね。 沈まなかったけど、艦体に2百数十箇所の弾痕を受け戦死者・重傷者 多数。マニラ上空だろうと日本軍勢力圏内を航行中だろうと、整った 多数の飛行機の編隊を見たら、まず敵と思って対応したとか。
個人的にオススメの名作「われレイテに死せず」の神子清氏も 歩兵第57連隊の第3大隊の一員としてオルモック輸送の成功で上陸。 奇跡的に大成功した第二次作戦の第二次輸送部隊ですね。木村少将 が指揮されてますが、ショーフクさんの幸運が成功の1つにあったのかな? 神子氏は上陸後、凄絶な体験をされてますが。
俺もその本持ってるけど事実だったのかなと疑問に思う箇所多いんだよなー
陸軍Uボートですな
北極周りで密かに日本に来ていたUボートの話は本当だったのか
>>739-740 われレイテに死せず、って普通の戦記文学と違って
エンタテイメント小説のように展開が劇的なところが違和感あるって
ことかな?ここまでおおっぴらに敵前逃亡を出してるものはないよう
なところも独特。
自分は素直に楽しめたが。スレチスマンソ
しかし、若竹型で小型の2等駆逐艦の建造を止めて、艦体型駆逐艦 中心の個艦優秀主義に走ったのに、結局戦時で大量に必要になったのは 若竹クラスに近いサイズの海防艦ってのが皮肉というか一回りした 結果というか。 若竹型以降も小型駆逐艦の生産を続けていれば、深刻な護衛艦 不足は避けられたんではないか?主砲は対空砲にして爆雷の数を 増やさないと護衛艦としては足りない部分はあるけど。
そんなだから条約下型水雷艇の進化発展がなされていれば、って言われる訳でして
>>747 対英米開戦時で
貴重なソナー装備
型は色々だが開戦時に船団護衛が可能な掃海艇は19隻
機関が石油・石炭混合
航続距離が足りない
船団護衛には掃海具が邪魔というか死に装備
一長一短があるけど、一番の問題は建造が10ヶ月平均って量産性
がいまいちな点かと。19号掃海艇の後期型では8ヶ月で完成した艇
もあるんだが。
>>748 鴻型水雷艇がまさにその系譜だよね。量産性の高い小型護衛戦闘艦。
とはいえ、友鶴事件が起きるまでは、水雷艇も艦隊型駆逐艦の思想に
どっぷりで
600トンの艦体に
速力 34ノット
12.7cm砲 4門
61cm魚雷 6門
を詰め込むつもりでいたんだから、転覆必至だったな、そのまんまで
作れば。友鶴事件操艦ミスって説もあるから、トップヘビーだけが原因
ではないかもしれないつーのは別として。
まあ、松型の機関は鴻型のを概ね流用だから、鴻型は松型に発展したとも取れるかね
>>749 航続距離は短いとはいえ、佐世保〜台湾間の往復はなんとかなるし、
砲は艦隊型駆逐艦に一方的にやられない程度、潜水艦制圧には十分な口径と門数、
爆雷装備は1セット準備済み
速力も瞬間的には19ノット出して優速船団の外周警戒にも耐えられる
この辺は、平時の予算のバランスなどを考えると許容範囲じゃないかな。
建造期間に関しては平時に作るという意味合いで、どうしても基準トン数=値段という評価方法から対大蔵省折衝の絡みもあって、
あまり余裕のある=トン数の割には装備の少ない設計に入れなかっただろうとか、造船所のレイアウトの問題や、支給品(機関部など)も年度発注といった要素もあるので
一概に量産に向いた設計とかって話じゃないはずなんだよね
>>750 最悪の操艇だったというならともかく、多少の操艇ミスで転覆するという
時点でだめでしょう。荒天を理由に途中で中止したとはいえ、夜間の
襲撃演習の帰途での転覆であり、実戦でも遭遇する可能性がある気象
なんだから。
当時も操艦ミスの可能性は議論されたようではあるけれど、最終的には
大幅な性能低下を忍んででも安定性を優先させることにしたわけだし。
用兵側に非常に強い危機意識がなければ、あそこまでの性能低下は
飲めないでしょう。
>>750 それは同型艦が同行していたのに片方は問題なく帰還し、片方は沈没したから考えられた原因の1つ
だけど、同時に考えないといけないのは、隊列を組むという事は、同時に前行艦の運動に合わせて占位する必要があるって事で、
距離方位、隊列を解けとの指示を受けた後でも信号灯の見える距離は極力維持する必要があるんだわ
そのため多少の無理はしても前行艦に続行するため、艦長の判断ミスだけが問題であるとは断定できない部分はあるわな
ブローチング現象ってのは波の進行速度と方角が針路速力が合致する事で発生するわけだが、この速力の加減速や当て舵の取り方が隊形維持によって制限されると
もう操舵だけの問題ではないわ
吉村昭氏の「空白の戦記」でも第4艦隊事件と友鶴事件について 書かれていますが、特に「艦首切断」はかなりリアリティがあって 読み応えがありますよね。「顛覆」では友鶴転覆の原因はトップヘビー として結論されてますね。
>>753 多少どころか荒天時に一番やっちゃいけない操艦したんじゃなかったか
>>756 台風ならともかく、普通に戦闘行動中に遭遇しそうな海況で
転覆したから大問題になったんだろ?戦闘中に「転覆する
からそっちには撃たないでください」なんて言えるはずがない。
>>752 日本軍の悪癖というか貧乏国の宿命みたいなもんだけど、何でも
かんでも詰め込んで、万能艦にしようとして建造コストが上がって
コストパフォが落ちる典型だと思うけどねー、19号型掃海艇とかは。
対潜・対機雷・対艦と高いレベルで用途を求めすぎてる気がする。
結果、小艦艇なのに工数だけは相当高くなるという悪循環になった。
19号型も、開戦後の竣工艦には主砲を高角砲にすべきだったかと。
そうすれば日本の好きな万能艦として良い感じにw
丙型海防艦並みの開き直ったシンプルさにたどり着くには戦訓が
必要だったんだろうけどねえ。
軍縮で大量の職工解雇したりで苦労してるから 工数≒人員確保という側面は否定できんし ぶっちゃけブロック建造のノウハウが溜まるまではどうにもならんよ どうせ機関の製造がネックになるんだし
なお、米軍は旧式駆逐艦を万能補助艦として大量運用したし 軍縮時代までは日本も旧式駆逐艦をその用途に使っていた 旧式駆逐艦在庫が無いというのが日本軍の隠れた負担だったんじゃないかな
>>760 米軍は米軍で旧式駆逐艦がありすぎて更新が追いつかずフレッチャー級が揃ってくるまで
苦労してんじゃん
苦労たってあんな豪華な大型駆逐艦で更新できてるって点が凄いわw
>>758 でもよ、13号型7号型掃海艇の前は何かとなると、日露戦争世代の駆逐艦を転用した掃海艇で、
同時期の駆逐艦をみれば、特型の出始め、二等駆逐艦の半数は一次大戦世代なわけよ
隻数的にも事変での追加建造が決まるまでは、12隻(3隻1隊で4鎮守府分)しか作って無いわけだ
対潜艦艇のメインは対ソ連戦が念頭にあって駆潜艇を準備するつもりでいたし、
台湾までの外洋で使える艦は旧式駆逐艦の他には同クラスの船体を持つ新造掃海艇、敷設艇が20隻無い程度だよ
全体でみれば、聯合艦隊主力の1F2Fの4個水雷戦隊に新型艦を充足+旧式艦を外地警備に分派、
掃海艇や水雷艇の条約外で各鎮守府警備府の警備戦隊に充当くらいの数量でしかないって
その鎮守府につき1隊程度しかない艦で平時の定員の制限があるなら、一通りこなせる艦にしとかないと仕事ができなくなるよ
あと、平時の予算折衝や定員の問題もあって、融通のきく万能艦にして、目一杯装備を持つ形にしないと予算がつかないって面もある よく言われるのが、事変拡大前の海防艦や砲艦の建造予算が廃止されたり、トン数削減くらっている部分がそう。 単能の掃海艇なら、折衝段階で「旧式駆逐艦もパラベーン運用できるからやりくりできない?」と言われるし、爆雷投射装置だけ積めば「駆潜艇までサイズダウンしたら安くなりませんか?」と返される 場合によっては「漁業警備艦なら第一駆逐隊が横須賀から北洋漁場にいってますよね?」と返されて終了だな そういった中で、なぜ基排600トンクラスの船体が必要か、12センチ砲2門も持つ必要があるか、新造艦にするのはコレコレこれだけの装備を積まなければならないと仕事にならないという折衝の仕方をするのか、 といった面をみないと、個艦の設計の話に入り込んで、そもそも予算段階で廃案に追い込まれたり、サイズ過小で発展性がなくなったという面を見落すよ
765 :
名無し三等兵 :2013/11/09(土) 10:43:38.80 ID:sxCgJ0R+
日本も豪華。2軸5万馬力以上の艦ばかり
766 :
741 :2013/11/09(土) 11:14:41.81 ID:???
>>742 陸軍の潜水輸送船っぽいですね
ありがとうございました
>>750 南北戦争のモニターみたいな艦型にすればよかったんじゃないの
>>764 平時の優先順位が高い大型艦にしても、大鳳が当初は飛行甲板全体を装甲化する計画だったのが
予算が通らないという判断で一部のみの装甲化に変更したって経緯があるしな
結局貧乏が悪い
結局艦隊全体のバランスだからねえ 大鳳だって全装甲化に拘って、着工が遅れたら平時であっても旧式の赤城あたりの延命工事が必要になったりするから、 時期を間違えるよりかは妥協点を探る方が大事だったりするしね
>当初は飛行甲板全体を装甲化する計画 ソースは? イラストリアスもミッドウェーも装甲はエレベータ間のみで甲板全体ってことはないんだが
占守型 工数 90,000 建造平均 19ヶ月 択捉型 工数 75,000 建造平均 17ヶ月 御蔵型 工数57,000 建造平均 8ヶ月24日 日振型 工数42,000 建造平均 6ヶ月18日 鵜来型 工数30,000 建造平均 5ヶ月21日 丙型/丁型 工数24,000 建造平均 4ヶ月20日 ※最短 2ヶ月13日(第198号) ある程度工数が減ると、建造日数の平均は偏差が低くなりますね。 あくまで平均なので、建造先の技術や状況諸々がかかわってくるので なんともいえないところはありますが。 しかし198号の73日で完成は凄い。やればできるんですね。 しかも松型も丙型も粗製乱造になってなくて、用兵側の評価は悪くない ってのが戦後日本の造船技術の礎を感じます。
この手の連続建造って、資材の供給体制とか検査日程の調整とかの要素も大きいからなあ 同じ工廠で同じ船を作っても、前任者があまりに根回しが上手くて押しが強い人だと、 後任者の慣れてない人に替わった瞬間、工数3割増しって実例もあるし。。。 その前任者が資材なり検査官なり分捕ってワリ喰った可能性も捨てきれないのだが、、、orz
戦後の話だけど、切断用のガスをボンベで運んでいた所、工場内に配管(水道栓みたいにパイプ這わせて、必要な蛇口からつなぐ) 方式に替えたら作業量が5割増しになった例もあるらしいしね 量産体制にあわせた工場の改修とかも必要だから平時の設計がクソとだけいうのもおかしな話だよね
>>760 駆逐艦の名前で持っていると軍縮条約の対象となり、総枠で艦隊で使える新型艦を作れなくなる
条約対象外に転籍させようにも、その候補船が一次大戦クラスの船は少なくて外地警備には普通に使えるし、
その前の日露戦争世代だと話にならない
だからこそ条約の枠外で代用駆逐艦的なものをいくらか準備しようと言う話になる
>>771 >>しかも松型も丙型も粗製乱造になってなくて、用兵側の評価は悪くない
ってのが戦後日本の造船技術の礎を感じます。
一方飛行機は…(´;ω;`)
その分、戦標船の方がアレだけどな。。。
>>775 松型が丙型は粗製乱造できるほど生産力がなかった。
一方、粗製乱造できる生産力があった2E型はひどいことになった。
てか、松型にせよ量産型海防艦にせよ、元々戦時の代用的な「こんなものだろう」という評価点があるからね 平時に作っていたら色々不満はあるだろうけど、戦時下なら「意外といけるじゃん?」の形で高評価に替わるわ
>>778 平時に松型作るとしたら鴻型になるでそ。丙型、丁型は無理。
>>779 鴻型は浅喫水の船型なので直接的な発展型には難しいでしょ
あれはあくまで水雷艇というか沿海部での運用を考えた小型艦を武装にあわせて拡大した設計ですから
松型も直線で角ばったデザインであるため見目がぼろくみえるけど、艦首乾舷やLB比、Ld比を見ると峯風をリファインしているわけですな
主機は時系列的に鴻型と共有化しても設計的にはウェルデッキを潰し、船首楼型にした型になるかと
>>峯風をリファイン えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええっっっ?
あれ?白露型が元って聞いたことが有ったんだけど?
船体線図そのものよりも船体長からくる乾舷とかのバランスの話かなあ
三つのタイプシップのなかには睦月型があったはず。あとは白露型と鴻型だったか
砲力と射線数からいけば峯風のリファインと言えなくもないけどなあ 船体は睦月・特型の方が近いと思う
>>558 によれば
夕雲・朝潮・白露型からA-C案
睦月型・鴻型からD案以降を策定
>>780 >角ばったデザインであるため見目がぼろくみえる
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
あの直線的な量産性に適したシルエットの方が甲型駆逐艦とかより
全然格好エエと思うのはオレだけ?
あの当時の話だろ 今の視点で行けば普通だ
小型汎用艦を狙うか、あくまでも水雷戦隊に所属しての襲撃に使う駆逐艦かで条件が全然違ってくるのだろうなあ
そら最高速力が20ノットで良いのか、30ノット越えでないとマズイのかで機関選びが全然違うわ
小型艦の予算なんて機関の割合大きそうだもんな
>>788 ただ小型だと汎用になりづらいのがネックだけどな
航続力と速度の低下は艦隊の枷になりがちだしね
大型駆逐艦の方が汎用性は利くんだよ
>>792 エンガノ岬沖海戦に参加した杉、桐も大淀からの海上給油に
失敗して、航続距離の関係で機動部隊に随伴できなくなってるね。
>>792 戦時でないなら、小型凡レベル駆逐艦とかは軍事費を圧迫するだけ
になる傾向が強いとはいえ、消耗前提の駆逐艦に高級品ばかり揃えた
日本もどうかと思ったり。米国はまあ、フレッチャー級やアレン・M・サムナー
級を量産できる別次元レベルだから何作っても問題なさそうだがw
各国とも主力向けに高級大型の駆逐艦を量産してるだろ 補助任務には在庫の旧式艦を充当しつつ 廉価な補助小型艦を補助任務向けに建造してる 高級大型艦の建造を最終的に断念して松型にスイッチしてるのは日本の悲しさだが
でも下手に廉価な中型艦をそろえても
>>792 のような状況になると本末転倒だからなあ
真珠湾攻撃の時でさえ、一水戦の駆逐艦を入れ替え、洋上補給の失敗に備えて潜水艦まで配備しているからなあ
平甲板型駆逐艦を273隻も建造してしまうアメリカと戦争しても勝てる わきゃないよな。第二次世界大戦時には105隻廃艦、50隻が英領の 島と交換で英国に譲渡されてても、118隻も残ってるとか。 平甲板型を掃海艇や敷設艦や高速輸送艦に改装して使えるのだから 羨ましい国力だね。 高速輸送艦に改装 32 敷設艦に改装 8 掃海艇に改装 18
>>797 そもそも「特型」自体がフラッシュデッカーの砲力を優越するのが
目的だしな。
ま汎用艦が1隻でも欲しいから、機関が老朽化した駆逐艦でも哨戒艇に再整備して延命させたりしているからね
ロンドン条約の10.5万は厳しいからな。 あれで特型24隻以外は40〜50隻しか持てない アメは15万トンだから、大型12隻+1000t級120隻が保有できる 正面で殴りあう分はまだしも、補助的用途に使える量が倍以上ある
31号型哨戒艇ってガタルカナルへの増援に使われなかったの?
>>801 大発をスリップウェイ発進できるのは利点でも
18ノットではネズミ輸送やってる所には使えないよなあ
ああそっか、速力も下げてあるのか
神島型敷設艦に装備された5式40mm機関砲。 甲型海防艇にも装備予定だったみたい。 これのコピーを2年早くやれて量産出来てたら、航空機の被害を もう少し減らせたかも。
海防艇なら甲乙どっちも五式40mmを搭載予定 とはいえ完成し次第であって当座は25mm三連装を載せるつもりだった様子
五式ってなんだっけ 鹵獲したボフォースをコピー量産しようとしたやつ?
>>806 そう
オリジナルより砲身延ばしてたみたいだけど
あの40ミリ砲は、薬莢を製造するのが大変そうに思えますね。
>>804 当時の小艦艇は一度も実弾訓練できずいきなり対空戦に投入でしょうから、難しいでしょうね。
砲手も17歳くらいでしょう。
設置する際の試射が5発。それっきりですよ。弾薬の割当もないでしょう。
大戦初期に鹵獲したボフォース40mm機関砲を装備した日本の艦艇は存在してまして、真実の艦艇史に記述あります。
第何号だったかは忘れましたが参考にどうぞ。
シンガポール占領したときに鹵獲したヤツだよな? コピーにこれだけ時間が掛かったのは、前に導入した40mmの 印象が悪すぎて海軍が積極的じゃ無かったからかな?
でもM1小銃のコピーが四式で結局量産に至ってないのを見ると 印象や積極性よりも純粋に見取り能力の低さじゃないのかね
そもそもあの機銃は潜水艦対策として八センチ高角砲の代わりだろ? だから砲身長くして射程や貫通力アップ狙った訳で
813 :
名無し三等兵 :2013/11/12(火) 23:48:39.93 ID:XUFfRzvA
「神島型」を見てふと思ったのだが、 小艦艇の中でなぜ敷設艇だけはきちんと名前があるんだろう? あくまで敷設艦の仲間と見なされていたとか?
敷設艇は数が少ないのと、転用ではなく新規建造なのと、サイズ的に駆逐艦とさほど変わらないからだろうか。
96式25mm機銃は、1942年頃から前線部隊で
火力不足、射程不足、照準の不備等かなり不満と改善の意見具申が
されてたんだけど、それに代わる40mm機関砲はコピーが上手く行かず
結局何ともならなかった。やっぱり
>>811 さんの言うように基礎工業力が
低かったんではないかと。
>>813 同型艦が少ないからではないかと。
丙型・丁型海防艦も最初は名前をつける計画もあったらしいが、
相当多くの建造が見込まれ、名前のストックが厳しいという事情
があって、最終的には番号になったから。
名前の話しになるが、特型以降はやっぱり峯風のように名前統一して 欲しかったぜ。 睦月型まではまずまずだが、神無月と師走も入れて欲しかった。 師走は無理かw 神無月も縁起の関係上で駄目っぽいが 色々苦しい初春型はおいといて 特型 ネームシップが吹雪なので全部〜雪で統一 白露型 〜雨が多いので全部〜雨に 甲型 〜風で、1番艦が陽炎の時点であれだが… 夕雲型 〜雲で統一 無理っぽいのは重々承知 秋月型が量産されてたら、東風とか南風 「こち」や「はえ」が竣工 した可能性もあるんだろうが違和感バリバリだわw
甲型海防艦の名前も「これ、どこの島だ?」ってのがあるからね 艦名としては使い難い島嶼名(鳥島とか青ヶ島なんて艦名だと「鳥」「青」になる)も多いから 丙型丁型まで命名すると在庫払底でどマイナー島名の連発は確実だ 特型の艦名は4隻=一個駆逐隊単位で分けると面白いよね 話変わるけど、初質で出てたアメリカ潜が海防艦にボコられて辛うじて生還したケースって何があるかな
>>817 海防艦22号とクロスファイトして大破した「サーモン」とか。
>816 月名のネタがどんどん尽きてて初月とかどこの新婚さんだとかいわれたり 花月なぞどこの風俗店だよと言われてから・・・
>>817 >>819 色々と苦しくなるのは仕方ないよね、数が増えると。
しかし上でも書かれているが初春型は特に統一性が無い。
初春 子ノ日 若葉 有明 夕暮 初霜
ってバラバラ過ぎるw
xxくも、xxかぜ、xxつき、xxきり、xxしお、xxゆき など、組み合わせでやたら増やせるから便利
特急の名前と似ているな。ありあけ、さくら、つばめ・・・
>>821 せあかごけぐも、すぺいんかぜ、きつねつき、これっきり、ごましお、じゃぱゆき
艦名ジェネレーター作りたいな
まつ、たけ、うめ、はな、とり、かぜ、つき、やま、かわ、たに、の、はる、なつ、あき、ふゆ辺りを前に着ければ量産出来る
>>810 リバースエンジニアリングはただでさえ難しいのに、シンガポール設置のボフォースは恐らく英国内で自国向けの小修正を加えた上でライセンス生産されたものだろうから、ヤードポンド法とメートル法が混在しているであろう兵器の模倣は困難を極めたと推測される
ドイツのように生産設備ごと分捕れれば(ライセンス生産をしていたデンマークの工場)よかったんだけどね…
しかし敗戦間際まで駆逐艦なら建造し続けられる程度の国力は残っていたという事実に驚かざるを得ない なかなか一カ国の国力を奪うのは難しいという事だろうな
>>826 つうか、秋月を含めて大型艦建造中止は国力じゃなくて方針の話だからね
国力という曖昧で抽象的な言葉でラクしちゃ駄目よ
>>813 レス遅れたけど、敷設艇は隊編成運用ではなく、単艦運用ってのも影響しているかと
829 :
名無し三等兵 :2013/11/13(水) 23:14:56.51 ID:aJhXAKxP
813です。 828さんの意見になんとなく信憑性を感じました。 もちろん大戦後半は船団護衛等、容赦なく隊編成になっていきますけど、 本来は、その辺り、掃海艇や駆潜艇、哨戒艇と扱いが違う・・・
>>818 おおサンクス。サーモンね、調べたらこれはどっちも無茶苦茶だ
手持ちの或る本には日付が45年1月18日のグレーリングと海防艦22号の魚雷戦爆雷戦が載ってて、裏付け取ろうと調べたらグレーリングは43年に原因不明で喪失してたんで「?」ってなった
これは何の錯誤かしらん
>>830 それは海防艦8号対ハリバットじゃなかろうか?
海防艦22号はハーダー撃沈したり(最近の研究で、それまで哨戒艇102号が
仕留めたとされていた「ハーダー」撃沈は実は海防艦22号の戦果だったようだ)、
サーモンを撃破したりで中々の武勲艦だけど
(サーモンは何とかハワイまでたどり着きはしたが、そのまま繋留練習艦になり
戦後まもなく廃艦)。
ハリバットは海防艦8号の攻撃を受けて大破、何とか離脱した後に
浮上したら備砲の砲栓がもげ落ちてたり、不発の爆雷が艦上にあったりで
どえらい状態だったようだ。
>>820 きれいな日本語だぜ
初春と子日 正月
若葉と初霜 早春と晩秋
有明と夕暮 夜明けと日暮れ
ペアになってるんだよ
>>831 830だけど、日付が違うね(ハリバットは44年11月14日)
いったい何だろう、損害状況が妙に具体的で与太の類ではなさそうなんだが、何が違うのか・・・・
本は光人社NF文庫の「水雷兵器入門」(大内健二)、該当箇所はp215〜
余談だが
この著者は色々な艦船にまつわる話の本を出してるけど、ちょっと内容に引っ掛かるのもある
「特務艦艇入門」で軽質油給油艦の洲埼型について書いてる所の挿入写真が初代洲埼だとか
ハリファックス港輸送船爆発事故の話を載せた2冊の本で搭載してたピクリン酸の量が違ってるとか
大内氏は広く浅くいろいろなジャンルの入門書を書いてるから細かいところでは引用元の誤りをそのまま書いてることもあるね
大内さんの本は本文と添付の船図で武装の整合性が取れてなかったりするから スペック調べるのが好きな人はちょっと注意が必要だよね まぁ補助船舶の本はほとんどあの人しか書かないから買ってるけど
大内さんは繰り返しの表現が時々あるのが特徴かなあ…。 前後の文章で、文頭に同じような言葉や文が使われることがある。 NF文庫を結構もっているが、民間船の話は面白いな。
大内氏は他がやらないようなネタで本作ってくれるからありがたい存在なんだけど、確かに文章がこなれてないね NF文庫のカバー袖見たらこんなに本出してるのかと驚くんだが 既に読んだのを忘れて2冊目買っちまった事もある
>>833 グリーンリング (USS Greenling, SS-213)の誤りかと。
グレイリング (USS Grayling, SS-209) は1943年に喪失ですが、
グリーンリング(SS-213)は1945年1月25日に奄美大島近海で交戦、損傷しています。
木俣滋郎「敵潜水艦攻撃」(NF文庫版での改題「潜水艦攻撃 - 日本軍が撃沈破した連合軍潜水艦」)
に、22号海防艦仮説が載ってますね。同書によると1月18日は22号海防艦船団の出航日。
ただし、同書は22号海防艦仮説以外に、水雷艇「真鶴」船団との交戦仮説も有力としています。
Wikipediaのグリーンリングの項目にも検証されてますね。
なお、この2艦は米軍自身もたまに混同することがあったようでw
>>839 グリーンリング、こいつですね、大内本の被害状況とウィキでの状況が一致します
ただ、その後について大内本ではグアムに辿り着いた後は作戦行動不能として放置、戦後の詳細調査で修理不能判定で廃棄処分ってなってますが
ウィキはポーツマスで修理後一旦退役、現役復帰して予備役兵訓練用として使われ1960年退役と違ってますね
ここはまた何かとごっちゃなんでしょうか
海防艦22号はどんだけ激戦を戦い抜いてきたんですかねえ
いまスレに上がってる対潜戦だけでハーダーにサーモンにグリーンリング(仮説)でしょ
これは海防艦戦記を読みたくなる
>>840 海防艦22号はそれ以外にも潜水艦一隻撃沈してた筈
(調べてみないと確実には言えないが)
ただ、海防艦22号は艦歴を通じて、一度も海上護衛総隊への
所属は無いんだよね。
(サーモン撃破の頃は31戦隊の所属)
そりゃ海上護衛総隊は・・・ああいうウンコ組織だから・・・ 自由に狩りできる31戦隊のほうがずっとさ・・・
自由に狩りできる31戦隊て
海上護衛総隊よりは自由で内科医。
自由ってなんだ
統帥権を乾パンしない事だ。
いい加減にしろクズ野郎
日本もボフォース40mmを採用していたら〜ってif話が出ることあるけど 駆逐艦だと連装以上は載せるとこがないなぁ 甲型だと2番砲塔を下ろした跡地と、後部予備魚雷を下ろしてその跡地くらいか
そもそも照準できなきゃ射程が生かせないわけで・・・
捕獲したボフォース40ミリ機銃を、陸軍輸送船に装備してますね。 運用するのはインド国民軍のインド人兵士たち。
>>848 フレッチャー級だと艦橋前面に連装2 C砲塔とD砲塔の間の後部指揮所
に連装1、爆雷投射装置の手前に連装1または魚雷発射管の間に張り出し
作って連装1とか置いてるので、日本の駆逐艦も出来なくはないよね。
>>848 特型以降、2番砲塔降ろして、25mm連装を積んだけど、なんで夕雲型
にはそういう改装をしなかったのかが謎なんだよね。特に後半に竣工し
た艦なら、竣工前から2番砲塔イラネ、にできたような気がする。
夕雲型の射撃指揮装置には二式距離苗頭盤があるから、というのは答えにならないのかね?
>>852 と併せてだが夕雲型はD型砲塔ですし(仰角75度)
能力不足だとかはさておき、曲りなりにも対空射撃が出来る砲ですぜ
25mmや40mmよか長射程でね
>851 全幅12mのフレッチャーでも強引に積んだ感のある40mm連装の舷側装備を 幅が狭い日本艦で舷側にのっけるのはキツイんだよなぁ。 陽炎とかで10.8m、秋月で11.6m、その分長いんだけどさ。
嚢砲で対空戦闘きつそう。 お椀型の調停器で砲弾の時限信管を設定して、装填して発射薬押し込んで尾栓を閉めて俯仰して… こんなんでは、発射諸元を求めてから、実際に発砲するまでの時間が まちまちになってしまって有効な射撃がまったく出来ない気がする。
>>853 D型50口径12.7cm連装砲は、確かに高角射撃も「可能」だけど、高角
射撃をすると、主砲の仰角を水平に戻さないと次発装填ができないと
いう、なんちゃって両用砲だったから、実質的に対空戦闘に使うのは
装填速度が遅過ぎて不可能だったという戦訓が。
射撃距離をいくつか決めておいて、あらかじめ信管を調整済みの砲弾を並べてたって という話を過去スレで見かけたように記憶してるんだけど どれくらいの射撃間隔だったんだろうね。
>>857 毎分4発。高速で接近する攻撃機や爆撃機に対して弾幕を張るべき
5インチ砲がそんな頻度でしか撃てないので、敵機に対して有効な阻止
力にすらならなかったみたいだね。
秋月型は約3秒間隔で1発撃てたのに。
そこそこ効果があったから換装の対象にならなかった、ってなにかで読んだ覚えがある。
ソロモンで夜戦やってるあたりまでは悪くなかったんだけど。 米駆逐艦のアクションレポート読むと、 「ジャップの駆逐艦の方が遠くから撃ってくるぞ、ヤバス。 こっちの両用砲は射程短いじゃねーか。」 って意見具申が結構見られる。
1発/15秒だと、敵機が射程に入ってから自艦直上に来るまでに100秒程度と想定して 4回撃てるかどうかというところだろうな。6門が毎回撃てるような状況で3回として18発か。 松型の1番砲(単装)1基程度の戦力ではあるが、ないよりはいい。
>>857 手記によると5〜10秒間隔でやってた。意外に速いというか思ったより遅くない
教練だと15秒間隔てことだけど、練度や条件を考えた「大丈夫な目安」であって
実戦じゃ遠目間合いなら仰角そんなに要らんからボコスカ連射できてたみたい
>>858 3秒間隔なんて訓練でも出せなかったとか
揚弾がそんな速度で来ないとかで、4秒間隔がやっとというのが実際
どうせ船体揺れるし、そこまで追い込めないのが日本艦
連射できても、刻一刻と距離が変化するわけだから、FCS側で指示した信管秒時 のとおりに撃てなきゃ意味がない気がすんだけど。 信管切ってから発射するまでの時間が統一できるならいいんだけど
865 :
名無し三等兵 :2013/11/22(金) 18:39:21.04 ID:rV7t3Zbn
B24とかの爆撃機が、編隊組んだまま接近してくるなら、 なんちゃって高射砲でも、一応役立つのではないかと。
>>865 B-24が降下爆撃されると秋月型でもお手上げらしいよ
あの高角砲と高射装置を以ってしても高度変化には対応できないみたい
B24が急降下爆撃するとこ見てみたいな
緩降下爆撃ならできるだろ、とマジレスしてみる
>>860 日本の3年式が50口径、アメリカのMK15系列が38口径、射程距離の差はこのあたりの
違いだろうね。
B17、B18なんかの哨戒爆撃を想定していると役には立つのだろうけどなあ
>>864 だからアメちゃんはVTを作ったのさ
砲に自動信管調停装置付ける方向にいかなかったのは興味深い
>>869 夜戦だし、どうせ10kmとかで撃つわけでもないんで砲の差なんか無いだろ
ソロモン戦の頃なら駆逐艦に射撃レーダーとかないから、見えないってだけじゃねえかと
>>872 >「ジャップの駆逐艦の方が遠くから撃ってくるぞ、ヤバス。
こっちの両用砲は射程短いじゃねーか。」
見えてなきゃ遠いか近いかはワカランと思うが、もしも米軍が夜はレーダーがないと距離が分からない
ってんなら、レーダー登場以前は夜戦はしないことになってたのか?
夜戦をしない海軍なんて存在しないだろうよ 夜間に襲われたら一巻の終わりな海軍ならさぞ相手としては楽だろうな
>>872 日本じゃ評価が高い両用砲だが、当のアメじゃ射程不足と威力不足に
不満が出てる。
それが反映されたのがミッドウェー級に載せた54口径両用砲。
因みにアメじゃVTの評価もあまり高くない。
それが戦後すぐにミサイル開発にベクトルを変えた理由の一つでもある。
ミサイルも両用砲扱いだけどな、スタンダードSM-1あたりまでは対艦攻撃能力が付いてる。 最近になってシースパローなんか特攻ボート対策で対水上目標にも使えますよってアピール されている。 SM-2以降でも対艦能力が有るのかどうかは知らんが。
>>871 ん?信管調停装置付いてないの?アメ公の38口径
VT信管は充分に評価されてたよ。アメリカが防空システムでまず能力不足を痛感したのは対カミカゼでの機関砲 射程が短く、威力も足りない。だから自動3inch砲へ換装された 次に対ジェットでの防空を想定したら、どう考えても砲じゃ射程も対応能力も足りない。だからミサイルとなった
>>877 ついてないよ
お椀かぶせて調停してから装填だ
>>878 ところがそうではなかったりする。
ボフォースが下されたのと同じ理由で戦後直ぐにVTも降ろされてる。
要するに、キルレシオがあまりに悪い、という事だ。
寧ろ近接信管系として評価されているのは陸戦側で、だから今でも
榴弾砲にVTを使うところもある。
3インチはなあ、VTにすると炸薬2/3になっちゃうからな。小さい弾は大変だ
しかしその後、日本の駆逐艦に遭遇する場面と航空機に遭遇する場面とどちらが多かったかと言うと、
やっぱり、ちょっと旧式でも良いから、せめて甲型以降には高角砲を 積んでおけば、かなり艦隊防空に役立ったと思う。 D型砲塔はあくまでも対空射撃が可能な対艦砲であって、航空機用 ではないしね。 第3次ソロモン海戦では活躍したらしい、照月のように長10cm砲を 積めれば最高だけど、日本の国力では高価な10cm砲を駆逐艦全て に搭載するのはむりっぽ。
駆逐艦に対艦砲撃力がどれだけ必要だったかだね。 駆逐艦同士の砲撃戦はそこそこ発生したけど、砲撃だけで沈没 ってのはよっぽど戦力格差があって袋叩きにされた以外では殆ど ないし。15cm砲積んだ独のZ23級なんかも、砲が重過ぎて安定性 そのものに問題が出てるし。
昔の駆逐艦スレで、六門積むんだったら八九式は重いし生産力的にも 十年式かその改良型になるだろうって話になったな 当時の情勢を考えると十年式ををチョイスする理由付けがまるで無い事が欠点だったが。
>>884 駆逐艦は駆逐艦どうしで戦うより大型艦を含む敵艦隊に接近して雷撃を仕掛ける方が標準的な使い方じゃないかな
その場合砲撃戦に敵大型艦も加わるから「駆逐艦が駆逐艦を沈めた」という戦果記録になる可能性はあまりないかと
>>885 決戦の想定上で陸上航空基地の支援をあてにできた日本海軍が駆逐艦にまで高度な対空戦闘能力を求めるとは考えにくいから、わざわざ旧式砲を改良再生産するのはほぼ無理だろうね…
オルモックでもソロモンでも敵駆逐艦の砲撃にやられてますよ
エンドウ沖海戦とかバリ島沖海戦とか
松型駆逐艦の検討案(C案)には基準1,820t, 35,000馬力, 12.7連装高角2基、4連装発射管2基, 航続距離6,000海里というのがありますね。 ここから考えて、一線用の艦隊型駆逐艦として5万馬力、6門にしようとすると2,000tじゃ済まないだろうね。 基準で2300tとかになるんじゃないか。夕雲型より大きくなって、なかなか厳しい。
>>883 換装するだけの高射砲の生産数がありませんです。
甲型以降には高角砲を当初から載せるという案なら、当時はそこまで予見できたかどうか。
じゃぁ逆に12.7cmを薬莢式にして自由装填に出来なかったのって話になると それによって砲が重くなって積むのがしんどくなっちゃうんだよなぁ 50口径だから旋回も俯仰も遅いし苦労の割にあわないのよね。
・12.7cmを薬莢式にして自由装填 ・50口径だから旋回も俯仰も遅い 莢砲化&自由装填と併せて旋回俯仰の迅速化に砲身長詰めたら結局八九式ができちゃうんだよな
八九式って、松型駆逐艦に載せていたものだな。
陸軍用の高射砲をそのまま船に据え付けてしまえば良かったんじゃね? といったら、駆逐艦じゃなくて、輸送船レベルの話になってしまうが・・・。
大量生産された12cm高角砲の対空能力って実際どうなんですかね 一応高角砲だしたい航空機用の装備もついていただろうから 駆逐艦に載せてた12.7cm砲よりは上でないと困る
>>894 88式は海軍で言えば8cm高角砲だし、制御システムも全然違うんだがそれはw
>>895 上ではなかったから換装される話も出なかった。
>>895 対空戦闘能力に限れば50口径12.7センチ砲よりあるだろうが、いかんせん12センチ砲ゆえに対水上射撃時の威力に欠けるので両用砲としては使い難い
残存艦の砲塔を減らして対空火力強化の改造をする頃には海防艦量産計画が立ってたから駆逐艦に回す余裕はなかっただろうし
キスカの撤収作戦の時は陸軍の高射砲を巡洋艦に搭載したと言われているよね。
>>898 言われている、じゃなくて実際に載せてる。
阿武隈の艦尾に載せたのがそれ。
意外なところで役に立っていて、国後や若葉が霧中で逸れた時に、
陸軍の高射砲を試射したらその音を聞きつけて隊列を回復したりしてる。
10年式は手動装填だから高仰角で弾薬包を押し上げるように装填するのは厳しいし そもそも対空用の高射装置が無かったら役に立たないし、あるならそれで主砲使えば良い 秋月型にすら94式高射装置が一つしか回せないんだから隘路は高射装置じゃないかな
>>897 対水上能力なんて大して変わんないよ
徹甲弾使うわけでも遠距離射撃するわけでもないんだ
平射用の方位盤照準装置だってそれなりに高価なもんだと思うが、吹雪以降島風まで全艦に装備してるわけで、 高射装置も生産体制を整える上での、やる気の問題だという気がしないでもない。
高角砲の砲側照準はどの程度の能力だったんかな。見越し量の決定は勘に近かったんだろうか。 丁型搭載の四式射撃装置も、見越し量の決定に使う敵機の速度ベクトルについては、 追従により自動で計算する機能はなくて、(勘で?)手入力するタイプだったようだが。
満州の戦車部隊をマリアナ諸島へ転進したとき、輸送船の両舷に戦車を並べて、 対潜、対空の備えとした。戦車砲で潜水艦を射てと言われても、前代未聞だったそうだが、 輸送船の武器が何も無いよりはマシ。
CL五十鈴が12.7cm連装高角砲を6門しか搭載できず、列強防空巡洋艦 と比較すれば貧弱な装備だったが、九四式高射装置と機銃をそこそこ装備した のもあってか、結構敵機を落としてる。 初春型や白露型はともかくとして、朝潮型以降の駆逐艦になら高角砲に 換装して、高射指揮装置を付ければ、それなりに活躍できたんではないか?
ここまでの議論をまったく無視かよ
>>895 12.7cm高角砲に交換できなかった赤城の対空砲火は他の5空母と
比べるとかなり弱いと言われてたけど、どのみち空母に多数の艦爆
が降って来る様な状況では12.7cmでも12cmでも大差ないっしょ。
御蔵や丙型海防艦もこの砲積んで善戦しておるし。
空襲よりも潜水艦の被害が・・・・
>>907 大差あるよw
12高じゃ急降下爆撃機に気がついても殆ど応戦できないけど
12.7高なら気がついてれば応戦は可能なわけで、これは大分違うと思うよ
ケースによって様々なのは承知だけど、降爆ってされる側から見たらどんぐらいの仰角で降ってくるんだろ 十年式12cm高角だと仰角75度だからそれ以上の仰角から降ってこられたら対処できないよね
射程に入ってから降爆に移るまでの間(この間、敵機は水平飛行している)に 落とそうというのが高角砲の射撃。 降爆に入られると機銃以外は無駄(VTがあるとまた違うが)
急降下爆撃は降下角度だいたい60度らしい それより深くすると操縦難易度が上がってかえって命中率が落ちるとかで
その降下に入る前の水平飛行段階で 急激に仰角が変わって照準諸元が変わるんで 自動調停がなく、手動装填な時点で対処が以下略になるわけ 逆に言えば、これに対応して開発されたのが89式12.7高であると
十年式も高射機の指示で撃ってるときは、有効かどうかはともかく 対処はできるだろ
有効でないものを対処と言って良いのか悩むところだな
そんなん言い出したら伊勢・日向・瑞鶴・瑞鳳・千歳・千代田なんかに積まれてた対空噴進砲はよ あれで直接敵攻撃機を撃墜する能力はなかったが パイロットをびびらせて攻撃を躊躇させる効果はあったんだろ
あれはある程度数揃えて撃つから意味がある訳で、機銃群の中に一基だけ積んでいた武蔵なんか、乗員からすら存在忘れられてた 駆逐艦では搭載出来ても一基か二基だし、こけおどしにもならないかと 仮に日本の駆逐艦に有効な対空火器搭載させるなら、やはり長十センチかと 島風の原案しかり、雪風の戦後しかりで普通に搭載出来ている ま、多数の駆逐艦に行き渡らせるだけの量産とか無理過ぎるし、対艦威力も低いけど
VT信管マンセーしてるけど信管の炸裂範囲に敵機を捕らえられないので時限信管と でも撃墜率は殆ど変わらないってのが米軍公式見解
いや、VT信管の砲弾は時限信管に比べて3倍の撃墜率になってるから
時限信管からVT信管までの間に高射指揮装置やその操作法が進化改良されている以上、VTそのものの能力を単純に算出するのは厳しいと思うぞ 併用してたにしても「この撃墜は時限」「この撃墜はVT」とか分けられないだろうし
>920 それがな、分けてるんだよアメリカ・・・wikipediaの「特別攻撃隊」の記事みてみ
VT信管マンセーではないが現実に機械式から高価なVT信管へ移行してるわけで これをどう説明する?
VT信管も量産体制が整うと大分安価になったようで、初期の1発732ドルから18ドルにまで価格は下がってる 1943年に使用された対空砲弾の内、時限信管が75%、VT信管が25%。これで撃墜された敵機の内、 49%が時限信管によるもの。51%がVT信管によるものになる。
大前提として、FCSが正確でないと弾は敵機の近くに行かない 信管自動調停のない米砲だと高性能FCSに砲が追従しても 弾の時限設定がアテにならんからVTの意味がある だけど日本みたいに自動調停できるなら FCS通りに時限設定されてるからVTである必要がない 必要なのはMk37GFCSと射撃レーダーであってVTのほうじゃないのさ
陸上で対V-1迎撃に使われた高射砲用VT信管の評価だと、時限信管に比べて5倍の効果があると評価されてたんだが VTが画期的な兵器としての実績と評価を受けていたのは間違いないだろ どこでも劇的な効果を上げてるんだから
>>926-927 軽量砲架は砲側でお椀、高級砲架は揚弾時に調停されるんよ
で、それを兵隊さんが持って、台において、装填して、発砲
じゃあ少なくとも給弾室付きの高級砲架は十分自動といえるのでは? 一方で、お椀式のほうはどうやってお椀に設定値を与えるのでしょうか? 知ってたらおしえてくだしあ
硫黄島の日本製高射砲で、砲の先端がラッパ状態に裂けたものが 米軍が占領後の写真にあったな。解説によると、筒内で砲弾が爆発したもので、砲弾が不良だということだ。 高射砲の弾で、時限式のものは、射ってももし不発?だったら、その場から総員退去!かな。
トウハツ?コウハツ? 撃ちすぎて砲身が過熱したときにもなるよ 砲弾は発射時にライフリングにより回転が与えられ、それを利用してネジ式のロックを外すことで 時限信管のクロックがスタートするので、砲身内で止まった場合は おそらくまだ信管は眠っているはず。
信管って普通は発射時の衝撃とかライフリングでの旋回で安全装置が解除される仕組みがあるはずだけど ?発(字出るかな)するのは信管の不良もだが装薬の装填状態が不良で発射時の衝撃で圧縮されて自燃するのが多いんじゃないかね
やっぱ出ないか・・・「月唐」発、ね
>>931 フレッチャー級とかは給弾室つきじゃないの?wikiで側面図みるとhandling room あるよ?
>>936 お椀タイプの例だからフレッチャー級とは関係ないが、フレッチャー級がどうしたの?
>当然だけどこんなの自動調停とはいわん。たいていの高射砲・高角砲はこれだけどな たいていのって言っているけど、アメ公の艦隊はそうじゃないんじゃないの?ってこと
>>924 単に弾が近くを通りさえすればいいというのと、通過時刻まで
調定したところに合わせなくてはならないというのは、やはり
違うでしょう?
時限信管の場合、敵機をかすめかねないほど近くに弾が
いったとしても、タイミングがあっていなければ無駄弾になる
わけだし。
>>939 敵機をかすめるほど近くに弾が行くような照準ができるなら
それは時限設定(距離)が適切ということだよ
>>940 それは距離を含む的針的角の算定は適切ではあるけど
信管の調定は上手く行ってないんじゃ?
信管調定がきちんとなってればかすめる前に炸裂してるような
>>932 故障繋がりというか、菊水特攻作戦で朝霜が機関故障で落伍。
後に袋叩きになって沈没したようだが、何とも不憫でならない。
最後まで残った夕雲型で、オルモックを生き残ってたのにあま
りにもツキがない。やはり日本の技術体制が末期だったせいか?
作戦中にこんなトラブル起こして後落した駆逐艦って他にあった
かな?
>>945 朝霜はずっと最前線にあって、就役以来一度もドック入りしてなくて
やっとドックに入ったら直後に沖縄行くから出ろだったんだよ
あ号で故障、レイテでも故障、マニラで至近弾で推進器不調と重整備したい状況だったわけで
なお作戦中の故障脱落はガダルカナル撤退の2度めで白雪が機関故障やってたな
海防艦戦記を読むと完成はしたものの、 機関の調子が悪く即修理という艦があったようだ。 末期は人も物も足りないし、作戦での故障は、 よくあるとは思わないがそんなことがあるのだなと
松型にもいたよな>機関故障で戦線離脱 しかも内地で
末期の日本でタービン機関をろくに整備できる余裕なんてあったんだろうか
ていうか合計150機以上相手に対空援護もクソもないよ
>>950 投弾シーンは訓練中のものだろ。
炎上している船は実戦のものだろうけど、ブツ切りで、他の映像と混ぜないでほしいわい。
沖縄特攻の予定の駆逐艦で、響も参加予定だったが、 損傷のため、参加中止。レイテ海戦も同じく参加中止して、助かっている。というか 終戦時にも生き残っており、ソ連に渡された次第。
外人は細切れにした複数の映像を繋げたがるから気をつけんとなあ…w
日本のニュース映画も実戦・訓練・修正なんでもありだったろ
隠したつもりが微妙にはみ出てる某航空戦艦の飛行甲板ェ…
ビスマルク海海戦の空撮の写真をみると、 駆逐艦の魚雷発射管の上に機銃を載せたり、 ボートダビットに強引に特型運荷艇を積んでいるよね。
鴻型機関の19000馬力と甲型機関の52000馬力の間くらいの手頃な機関があったら 松型はもうちょっと大きくなってたかねぇ
省スペースで燃費まあまあのいい機関だと思うけど、やはり小型艦用だよな 4軸用意しても38000馬力にしかならず、軽空母の機関にもならない。
俺の妄想としては天龍型と夕張(ともに3軸)の機関の更新を鴻型機関で行い、 空いたスペースを燃料の増載に充てて、27ノット前後の長距離護衛艦にするというものだ。
居住環境的に辛そうだな・・・
>>961 一体どういうドクトリンならそんな代物が整備されるんだい?
大和/白露系の缶二個で25000〜28000馬力になるから それに合う2軸機関を積んでる艦が戦前にあれば松型は1400-1500トンくらいになったか でも3万馬力弱でちょうどいい艦が思いつかないな ロンドン条約下で二等駆逐艦作ってもしゃーないしなー
水偵も積めない、対空火器搭載するスペースも足りない、ただの肥大した松型駆逐艦の出来損ないを三隻ばかり作ってどうするんだか? 護衛部隊の旗艦にするなら香取の方が何倍も有効だぞ
突然すまぬ。 竣工時の初春(一番艦/1933)の資料を探しているのですが、とにかく写真が欲しいんですよ どなたか、書籍かなにか知ってましたら教えていただきたいと
>>961 そんな中途半端な小型艦に改装の手間掛けるくらいなら、松型を
倍作ったほうが役に立つわw
>>966 竣工時の初春って艦首砲が背負い式配置のだね?
世艦の駆逐艦史(新版のほう)に写真が載ってるよ
>>968 ありがとう!
一応「陽炎型駆逐艦―究極の艦隊型駆逐艦が辿った栄光と悲劇の航跡」ってのはポチったのですが・・・
そのキーワードで探してみます。
世界の艦船増刊 日本駆逐艦史 2013年 01月号もポチりますた
あああ、もうポチったのか 載ってるっても1葉だけだがそれでも良かったのか・・・
いや、ほんと少ないんですよ。まぁ初春に限った事じゃないんでしょうけど 子日とかの同型艦でなくても、陽炎クラスでも多分共通部品じゃないかな〜って推測できる部分の 写真が欲しいんですよね 今、特に欲しいのは甲板のリノリウム抑えのパーツ。甲板って模型とかブループリントとかじゃ平面ですけど 響の大破した時の写真とかみると、アスファルト道路のように断面が蒲鉾型なんですよね 図面とかじゃわかんない所が多すぎるんですよね・・・
>>972 初春の新造時のまともな図面は実はない
(だからアオシマの新版初春新造時は「半分オレ艦」とも言われる)。
甲板にキャンバーが付いているのはごく普通の事。
図面を見る機会が有れば確認出来る。
小スケールではキャンバーを再現すると昔は組みにくかったからしなかっただけ。
最近のキットではキャンバーを再現するキットも出てきている
(アオシマの1/350長良型とか、タミヤ1/700のハムマンとか)。
そうなんですか・・・知りませんでした。 明日、模型屋にいってみてきます
初春型は友鶴事件前の船首楼に雛壇式に乗せてる型の方が格好良い
よね。第四艦隊事件等が起こらず、トップヘビーについて神経質になら
なかったとしたら、この形が多分甲型まで続いたのかもしれない。
自分もその2枚しか写真見たこと無い。
>>968 背負い式は妙高や高雄型のように配置されてる方式ね。
細かいけど
>>976 >背負い式は妙高や高雄型のように配置されてる方式ね。
?
新旧両方の版の駆逐艦史に背負式配置って書いてるけど間違いなの?
俺自身スーパーインポーズ式=背負い式って理解してたんだけど
俺も初春型竣工時は背負い式だと思うぜ
背負式で間違ってない 長門も金剛も背負式だ
甲板敷物(リノリウム)とその押さえ金具ってGP本か軍艦雑記帳くらいしか資料を思い当たらない (つーかGPも雑記帳も同じ人が書いたんだけど) 敷き方や金具の走り方は艦ごとに調べないと違いがあるらしい 甲板のキャンバーは駆逐艦だと改丁型でなくなってるね 海防艦は丙型丁型で廃止、日振・鵜來型は簡易船型だけどキャンバーはあるそうな
すいません、初歩的な質問ですけど砲撃戦をする場合、射撃指揮所で 諸元を計算して砲撃のコントロールをしますよね。駆逐艦の場合は指揮所は 艦橋にあるのかな。で、雷撃戦の場合なんですが、水雷指揮所のようなモノ がやはりあるんでしょうか? 指揮所がある場合は場所はどこになるんでしょう? それとも魚雷発射管個別でコントロールをしていたのか? 水雷長とかが戦闘不能になった場合は発射管個々での雷撃戦とかは可能な んでしょうか? この辺が砲と違って詳しくわかりません。
>>981 オルモックの竹の戦記を読めば解決するかな。
故障で思うように発射できなくて右往左往した海戦だったから
場所や装備を知りたかったら、やっぱりグランプリ出版の軍艦メカニズム図鑑かな 今、それを確認したけど、特型以降だと羅針艦橋の左舷側と右舷側にそれぞれ、 水雷戦用方位盤ってのが備え付けられてたらしい 水雷長が艦橋で健在なら、ここで発射諸元を指定して、艦長の号令で発射だね
射角方位盤と発射指揮盤のセットが艦橋の両舷にあり、そこで発射指揮を執る 特型II〜初春型には新造時は発射指揮所が艦橋上部にあったけど方位盤は羅針艦橋の両舷なので観測所的なものかも知れない 六年式発射管の絵では方位盤があるので発射管側でも測的しての発射は可能かと思われ 十二年式以降でも波除楯に観測窓や指揮官用観測塔らしいものが見られるので各連管で単独発射できるんじゃないかな 峯風型〜睦月型も艦橋両舷に方位盤があるよ
球磨や由良は、リノリウムの敷き方がかなり違っている写真が残っているよね。
> 艦長の号令で発射 発射のタイミングは方位盤覗いている水雷長が決めるんじゃないの?
>>986 ちょっと言い方が悪かったね、すまん
号令をかけるタイミングは水雷長になるが
艦長から「いつでも撃っていい」って命令されるまでは水雷長の独断では撃てんよ
現実的には艦長から命令が降る前からいつでも発射できるように諸元整えて待ち構えて
るだろうから、艦長から命令されれば即座に水雷長が撃てを出すんじゃないのかな?
>>983-984 丁寧な解説有難うございます。
羅針艦橋の両舷ってことは左右どちらかの雷撃戦によって、
使い分けるわけですね。結構面白いです。
発射管個別でも雷撃計算して単独発射可能なのも分かりました。
発射管別の雷撃とかになる状況だと艦そのものが相当ヤバそう
ですので、中々そういう状況は起こりえないっぽいですか。
ハントIII型は艦橋の魚雷戦方位盤が省略されてて発射管側で照準したと 大塚氏が解説してた。
ハント三型は発射管一基だし、その魚雷もお守り兼損傷船処理用だから、わざわざ高価な管制装置積む意味もないしね
>>986-987 水雷長は方位盤覗いてない
そして水雷長が暗算と艦と観測から開度決めるんで
これが場合によっては中々決まらないのよ
艦長から「まだか?」発射管から「まだか?」とかせっつかれたりも珍しくない
うめ
次スレ立てれなかった 誰かお願い
ちょっと次スレを試してみる
すまん「原因不明のエラー」でだめだった。誰か頼む
乙であります!
なぜ漏れには勃てられたのだろう まさか呪われた闇の力が
うめ
1000ならJシップスでメコン号トンブリ号大特集\(^ω^)/
1001 :
1001 :
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