近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代6
1 :
名無し三等兵 :
2012/12/30(日) 15:50:27.69 ID:??? 軍事板の近世総合スレです。
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。
国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、
築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。
中世以前の話題については、古代・中世総合スレへ。
1850年以降の話題は19世紀後半軍事考察スレへ。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
900踏んだ人は1000までに次スレを立てて、次スレへ誘導すること。
関連スレなどは
>>2 以降参照
前スレ
近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代5
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1342678782/ 参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm
2 :
名無し三等兵 :2012/12/30(日) 15:52:48.36 ID:???
3 :
名無し三等兵 :2012/12/30(日) 16:47:11.95 ID:???
4 :
名無し三等兵 :2012/12/30(日) 17:01:44.06 ID:C3IzjEvK
>>982 リトルラウンドトップで戦ったメーン州第20連隊も、戦闘時弾薬盒の定数60発
を撃ちつくして弾薬不足になったから、仕方なく銃剣突撃したんだよな。
5 :
名無し三等兵 :2012/12/30(日) 18:58:02.20 ID:???
いちおつ
6 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 01:30:08.35 ID:???
このスレでは騎兵突撃の話は禁止です
7 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 01:30:46.20 ID:???
そもそも口径もボルトアクションとかより大口径で重いし、装薬も黒色火薬で無煙火薬より質低いからかさばってあまり持てない。 小銃で銃撃するのは、野砲の砲撃と同じで密集銃列崩壊させるのが目的で、あとは銃剣突撃や騎兵の突撃で殺戮するか降伏させる。
8 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 10:42:44.08 ID:???
9 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 12:23:50.53 ID:???
ナポレオン戦争の頃だと弾薬盒に予備の火打石や交換用のスパナ?を入れていたから、携行カートリッジは40発位でしたね。 その頃は、銃砲撃も騎兵突撃を含む白兵戦も敵の士気を砕く為の手段かな? 騎兵が視野に入ったので、念のため横隊から方陣に隊形変換運動をはじめたら、そのまま兵士が逃げ出したりとか。 騎兵は何もしていないのに・・・
10 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 14:31:36.34 ID:???
11 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 14:35:28.78 ID:???
これだと一人だけ早く弾込めできても撃てないよね。一番遅い奴に合わせないといけないから。 戦場では実際は日教組教育の方が有効かもね。
12 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 15:22:20.90 ID:???
準備の出来た小隊から勝手に射撃をしていた訳では無いから、余り関係無いかも? 装填が早いに越した事は無いけど。 小隊射撃戦術なら、第一小隊から5秒間隔で射撃を始めて一巡するのが大体20〜30秒。 その間に装填が完了していれば、多少の早い遅いは関係無いみたい。 横隊でも各個射撃は有るから、その時は関係するだろうけど。 それはそれで3列目の扱いとか、また別の問題が ・・・
13 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 16:23:43.00 ID:???
せっかく下っ端が速く装填してもアホなボンボン将校が指揮官だと、 「君たちが先に撃ちたまえ」 「いやいやそちらが先に撃ちたまえ」 「いやいやそちらこそ」 「いやいやお先にどうぞ」 「・・え、じゃあ先に撃ちますよ・・。」 とかなるんだよな。
14 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 17:14:32.79 ID:???
18世紀には「後から射撃した方が有利」とまじめに信じられていたからね。
15 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 18:08:37.70 ID:???
実際、先に撃った英軍が負けちゃってるからなあ
16 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 19:57:56.17 ID:???
子どもの頃に見たビデオアニメでもあったな。 先に撃った方が負けだと宇宙戦闘でにらみ合うという。 結局は地球に侵略してきた宇宙人が先に撃って 地球側がそれをかわして逆襲して先に撃った宇宙人がエネルギー切れで全滅させられた。 地球側司令官が「宇宙人は辛抱が足りん。先に撃った方が負けなのは歴史的にも証明されている」 と高笑いしていた覚えが。スレ違いですみません。
17 :
名無し三等兵 :2012/12/31(月) 20:41:23.72 ID:???
先に前スレ埋めようぜ
18 :
名無し三等兵 :2013/01/02(水) 21:56:00.96 ID:???
先に撃たれた側は、 射撃した戦列歩兵が再装填している間に 前進して命中率を高めることができるから有利(もしくはそう考えられていた) っていうのは本当?
19 :
名無し三等兵 :2013/01/03(木) 13:02:40.82 ID:tjzm8HDw
この期間の前半部分はポーランドが欧州最強だった時代なのにポーランドが一度も言及されてない。
20 :
名無し三等兵 :2013/01/03(木) 19:02:12.56 ID:???
ポーランド最強! という話をしたいなら自分で根拠出すなりしてアピールすべき
21 :
名無し三等兵 :2013/01/03(木) 20:49:13.10 ID:???
第二次ウィーン包囲のときはロートリンゲン公率いるオーストリア重騎兵も相当活躍してるんだよな。
22 :
名無し三等兵 :2013/01/03(木) 20:51:46.91 ID:???
>>20 ポーランドが最強なのを知らないもまえらは知識が無い。ふふん。
こういうことです( ー`дー´)キリッ
23 :
名無し三等兵 :2013/01/03(木) 21:55:42.14 ID:???
カール・シュヴァルツェンベルク元帥の軍歴を見ると、 名指揮官に指揮されたオーストリア胸甲騎兵は破壊力十分なのがわかる。
24 :
名無し三等兵 :2013/01/04(金) 15:11:40.59 ID:???
>>18 ハイランダーチャージ!
とかやってると二列目が発砲してきてひどい目にあったりする
怖いね!
25 :
名無し三等兵 :2013/01/04(金) 17:57:12.17 ID:???
オーストリアは立地的な理由もあって 欧州の中でも軽歩兵が取り入れられていた素敵な国家 取り入れたというよりは自然と取り入れていたって感じだけど
26 :
名無し三等兵 :2013/01/04(金) 18:13:18.87 ID:???
>>18 接近してから射撃した方が有利だけど、装填の隙を突き、間合いを詰めてから射撃する戦術って有ったのかな?
ナポレオン戦争中のプロシア軍に、射撃と行進を繰返しながら前進する前進射撃システムが有ったけれど、発砲後に再装填せずに前進し、次の位置で停止てから再装填していた位だし・・・
27 :
名無し三等兵 :2013/01/05(土) 14:51:26.06 ID:???
大河ドラマの予告で綾瀬はるかがレバーアクションライフルぶっ放してたけど、 どういう経路で幕末の日本に入ってきたんだろう。
28 :
名無し三等兵 :2013/01/05(土) 16:02:45.08 ID:???
>>27 南北戦争の余剰品じゃないの
末期の南軍ってフリントロック銃すら引っ張り出してた始末だし、レバーアクションくらいは当然使用してるわけで
戦争終結で用済みになったのを二束三文で武器商が買い上げたんだろ
つうか、あの時期の日本にはどんな銃火器が流れ込んでてもおかしくない
29 :
名無し三等兵 :2013/01/05(土) 16:29:19.04 ID:???
また知事に言い掛かりつけられなきゃ良いね
30 :
名無し三等兵 :2013/01/05(土) 16:44:59.17 ID:???
19世紀後半を扱うスレが別にあるから 大河ドラマに関する話題はそちらですべきだと思う
31 :
名無し三等兵 :2013/01/05(土) 18:47:41.19 ID:???
32 :
名無し三等兵 :2013/01/05(土) 21:18:52.22 ID:???
そのスネル兄弟について詳しく書かれた伝記か何かはないものかね?
33 :
名無し三等兵 :2013/01/06(日) 05:36:49.14 ID:???
34 :
名無し三等兵 :2013/01/06(日) 14:06:40.28 ID:???
間違いなく商人だけど、登用して苗字帯刀を許し、屋敷を与えたなら、普通は藩士と考えて良いし、日本人商人でもそんなのはいたさ。 これを本人がどう考えていたかは知らないが、会津のためあれだけ奔走したところを見ると、まんざらでもなかったんだろ。
35 :
名無し三等兵 :2013/01/06(日) 14:22:11.38 ID:???
会津にも金が無かったから藩士に登用することで、分割払いを目論んだんじゃ?
36 :
名無し三等兵 :2013/01/06(日) 21:08:36.85 ID:???
37 :
名無し三等兵 :2013/01/06(日) 21:12:54.10 ID:???
大島高任は、安政4(1857)年12月1日(鉄の記念日)に釜石の洋式高炉で銑鉄製造に成功、藩の大砲方に任ぜられた人物で、 明治元(1868)年4月からは主に箱館にあってフランス商人ファブルと南部産青銅と鉄砲の交換交渉を行っており、 6月19日にはイギリス商人デュースを通じて鉄砲500挺(代金1万274両1分)を銅10万斤および金子1000両で入手していた。 手に入れた鉄砲の内訳は次の通りである。 シュナイダーライフル(釼付後装式施条銃)100挺(1挺ニ付金28両2分1朱銭136文)計 金2858両1分 インフィールドライフル(釼付前装式施条銃)400挺(1挺ニ付金18両2分銭272文) 計 金7416両 盛岡藩は銃剣付シュナイダーライフルも100丁持ってたんだな。他にもファーブルから中古ライフルを大量に購入していた。
38 :
名無し三等兵 :2013/01/07(月) 17:39:31.81 ID:???
幕末、しかも後半になってくると出てくる商人はフランスイギリスプロイセンとか 欧州の商人ばかりなんだが、アメリカの銃はどういう経路で入ってきたんだろう。 アメリカの商人が上海や香港に運んできて、それを買い付けて日本に持ち込んだんだろうか。
39 :
名無し三等兵 :2013/01/07(月) 19:35:48.23 ID:JSIetTCt
太平天国の乱をあてこんで余剰武器が上海に流れ込んだという話は聞いた事が有る。 ソースは忘れてしまったのでどこの商人かはわからない。 つうかそろそろ19世紀後半スレに移動した方が。
40 :
裁判負一声会さくら接骨院親分歌代英二 :2013/01/07(月) 20:07:01.75 ID:ZH2GufO5
zxc
41 :
名無し三等兵 :2013/01/07(月) 20:24:24.40 ID:???
>>39 のいうとおり
幕末の話題は19世紀後半スレですべきだな
42 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 09:09:31.76 ID:???
中世の文明レベルで敵が領内を侵攻して辺境領民を虐殺してきた場合、 なにかよい報復手段ってありますか?非人道的手段もありで。
43 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 12:29:55.00 ID:???
相手国がカトリックなら法王にチクって破門してもらう。
44 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 12:58:28.13 ID:???
彼我の実力差、政治状況、社会文化背景が分かんないと答えようがないが とりあえずやり返さないとあかんで この稼業舐められたらしまいや
45 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 13:15:37.21 ID:???
>>42 同じ方法でやり返すのでは駄目なのかな?
倍返しは基本で。
後は錬金術士に頼むとか・・・
一番えげつない方法は
>>43 だと思うけどね。
46 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 13:54:22.47 ID:???
位置的に上流なら水をせき止めれば大打撃を与えることができるし、 死んだ動物の死体を大量において水を汚染させたれば疫病が蔓延する。
47 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 13:57:35.92 ID:???
いきなり虐殺から入るようなのは異文化圏なんじゃね
48 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 15:38:34.56 ID:???
>>44 の言うように設問の状況不明というのが問題だが
一番問題なのはここが近世スレだということ
49 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 16:27:12.13 ID:???
モンゴル帝国を連想してみた ああいう見せしめ的な殺戮をする連中はやりにくいよね
50 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 16:34:20.35 ID:???
その当たりが、近世と中世の違いかな。 見せしめのための殺戮の政治的に十分効果的だった。 (メリットがデメリットを十分上回っていた)
51 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 18:46:55.93 ID:???
| \ __ / _ (m) _ピコーン |ミ| / .`´ \ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (・∀・∩< そうだ!国境沿いに壁を作ればいいんだ! (つ 丿 \_________ ⊂_ ノ (_)
52 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 19:10:06.17 ID:???
>>51 それは古代に終わった発想・・・のはずだったが、
20世紀に入ってからそれをやって結局占領されちゃった国があったなあ。
53 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 19:16:51.16 ID:???
万里の長城も古代じゃないぞw
54 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 20:38:35.87 ID:???
モンゴル帝国成立時の虐殺については かなり割り引いて考えるべきだと思う。 本当に史書が伝える通りの虐殺をモンゴルがしていたら トルコ民族等は欠片も残っていない。 中央アジアの乾燥地帯で1億人以上もチンギス汗の時代に遊牧で養えていたというのは どう考えても無理だろう。 単純に積算するとモンゴルの宣伝によると1億人以上中央アジアで虐殺したそうな。 時代が違う話をしてすみません。
55 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 21:27:42.80 ID:???
56 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 22:28:13.37 ID:???
都市を囲う城壁ならカルカッソンヌのそれが見事だな
57 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 22:52:37.90 ID:???
鉄のカーテン(震え声)
58 :
名無し三等兵 :2013/01/11(金) 23:01:01.84 ID:???
近世を通じて、火砲の進化等によって、 物理的障壁の戦略的価値は低下してるよな。 それが決定的になるのは近代に入ってからだけど。
59 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 02:46:13.96 ID:???
塹壕が万里の長城の代用品さ。スコップと ボルトアクション式ライフルさえあれば 戦列歩兵や騎兵の突撃を防ぐに十分な要塞が一日で作れるんだから
60 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 02:57:24.93 ID:???
塹壕が敵の突撃を阻止できるのは機関銃と強力な野砲があるから。 それらが出現する前の時代でjは敵の進撃を阻止できない。
61 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 03:08:31.79 ID:???
野戦で叩き合って身動きとれないから塹壕戦になったのであってだな。
62 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 05:09:49.77 ID:???
WW1でも広過ぎて端から端まで塹壕を掘り抜くなんて不可能だった東部戦線じゃ 西部戦線のように膠着しなかったし戦力の均衡とは違うだろ
63 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 09:12:47.60 ID:???
>>47 中世欧州では「相手の財産を破壊する」という形で
しばしば史料に現れるそうな
財産には普通に農奴やインフラが含まれるというだけで
64 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 09:35:40.51 ID:???
WW1でも初期の某国の陸軍は攻撃精神に欠けるという理由で 塹壕を掘らなかった
65 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 11:12:49.81 ID:???
66 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 11:23:04.62 ID:???
ロマン
67 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 12:38:37.62 ID:???
噛ませ犬
68 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 12:39:31.26 ID:???
世界史板より転載
世界史上最高の軍事的名将part4
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1349421271/ 261 名前:世界@名無史さん [sage] :2012/11/23(金) 01:26:54.82 0
A:アレクサンドロス3世、チンギスハン、ティムール
B:冒頓単于、光武帝、李世民、李靖、スブタイ、永楽帝、カエサル、シャープール1世、アッティラ、ベリサリウス、セリム1世、ナーディル・シャー、ナポレオン
C東:項羽、韓信、蘇定方、耶律堯骨(耶律徳光)、趙匡胤、洪武帝、徐達、康熙帝
C西1:エサルハドン、キュロス2世、チャンドラグプタ、ハンニバル、大スキピオ、セプティミウス・セウェルス、アルダシール1世、シャープール2世、バランベル、ハーリド・イブン・アル・ワリード、アブドゥルマリク、アル・ハッジャージ
C西2:カール・マルテル、トゥグリル・ベグ、バイバルス、メフメト2世、スレイマン1世、スヴォーロフ
D東:王翦、檀石槐、曹操、石勒、桓温、劉裕、太武帝、李勣、李存勗、耶律阿保機、阿骨打、常遇春、ドルゴン
D西1:ティグラト・ピレセル3世、エパミノンダス、フィリッポス2世、アショーカ王、大マリウス、アグリッパ、トラヤヌス、ガイセリック、カール大帝、アルプ・アルスラーン、ウィリアム1世、ヘンリー5世、ヤン・ジシュカ
D西2:ゴンサロ・フェルナンデス、バーブル、アクバル、ピョートル1世、オイゲン公、フリードリヒ大王、アーサー・ウェルズリー
69 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 12:39:58.45 ID:???
262 名前:世界@名無史さん [sage] :2012/11/23(金) 01:27:38.09 0 E東:姫昌、姫発、呂尚、孫武、白起、劉邦、衛青、霍去病、陳湯、班超、ケ艾、拓跋珪、楊素、斡魯補(斡離不)、斡里衍、耶律大石、ジャムカ、トルイ、バトゥ、モンケ、フビライ、フレグ、郭侃、トゥグルク・ティムール、ヌルハチ、李自成、多鐸 E西1:ナボポラッサル、ネブカドネザル2世、テミストクレス、スッラ、ポンペイウス、アラリック1世、アエティウス、クロヴィス、ロベール・ギスカール、エンリコ・ダンドロ、ヌールッディーン、サラディン、エドワード黒太子、イスマーイール1世 E西2:バルバロス・ハイレッディン、フランシス・ドレーク、グスタフ・アドルフ、ヴァレンシュタイン、大コンデ、アウラングゼーブ F東1:重耳、范蠡、呉起、孫ピン、田単、英布、周亜夫、樊崇、呉漢、竇憲、皇甫嵩、袁紹、周瑜、諸葛亮、王濬、劉淵、劉曜、王猛、陳慶之、楊堅、高ケイ、賀若弼、李淵、王世充、劉黒闥、安禄山、黄巣、李克用、粘没喝、ジェベ、ムカリ、オゴデイ、バヤン F東2:陳友諒、馮勝、エセン・ハーン、ホンタイジ、呉三桂 F西1:サルゴン2世、ダレイオス1世、カミルス、スピタメネス、ピュロス、マルケッルス、スレナス、テオドリック、ムーサー・イブン・ヌサイル、ターリク・イブン・ズィヤード、ゴドフロワ・ド・ブイヨン、アイバク(奴隷王朝)、アルテュール3世 F西2:フルンツベルク、アッバース1世、イェルマーク、マウリッツ、コニェツポルスキ、クロムウェル、ヤン3世、ティープー・スルタン、ネルソン、ダヴー
70 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 14:13:34.99 ID:orxSfw33
ネルソンやダヴーが袁紹よりも下なのかよ
71 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 14:32:26.90 ID:???
ベリサリウスがナポレオン・カエサルと並んでるあたり分かってるな
72 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 18:46:04.52 ID:???
まあぶっちゃけ意味のない序列。
73 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 20:11:29.50 ID:???
世界史板の程度が知れる
74 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 20:30:56.12 ID:???
75 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 20:33:59.87 ID:???
ランク自体は一部が騒いでるだけで雑談メインよ
76 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 20:48:26.87 ID:???
前スレの最後の方にいたあいつみたいなのが定期的に湧くからな、そのスレは
77 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 22:26:36.51 ID:???
ナポレオンの将軍たちをランク付けするならとかのがこのスレに合ってる 1位がダヴーなのはいいとしてベルティエの評価はどうだろ
78 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 22:33:46.85 ID:???
セントヘレナ島のナポレオンですら(かつての)部下の評価は一定じゃないしなー 同じ時代の指揮官比べても職責や状況(+好悪)によって評価が変るもんだ こういう番付に注文付けるのは野暮だが
79 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 23:11:17.95 ID:???
昭和陸軍の暴走参謀どもに比べるとベルティエは実に模範的な参謀総長帝国元帥である。 ダヴーは確かに非の打ち所がない帝国元帥だが、いかにも帝国元帥なのはやはりネイやミュラーだな。 関係ないけど今日、オスプレイのメンアットアームズ、ウェリントンの半島連隊(2)軽歩兵読んだら、 1/43軽歩兵大隊の歩哨二人が立哨中、突然フランス軽騎兵に襲われて、 一人は一瞬で全身に14カ所の刀傷を負って重傷、もう一人は銃剣で必死に防御するが、 帽子、背嚢、ベルト、小銃に20カ所の刀痕が残って、小銃は銃口から撃鉄までがノコギリのようになったという。 ・・・騎兵は恐ろしいわ。
80 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 23:20:44.75 ID:???
ナポレオン、どうせ失敗するにしても英国殴り込みして欲しかったな
81 :
名無し三等兵 :2013/01/12(土) 23:23:37.79 ID:???
上陸しようと思えば出来たからな その後の事は知らんが
82 :
名無し三等兵 :2013/01/13(日) 00:13:29.65 ID:???
83 :
名無し三等兵 :2013/01/13(日) 12:51:38.03 ID:???
84 :
名無し三等兵 :2013/01/13(日) 22:50:44.93 ID:???
自分や関係ないとこまで被災するだろそれ
85 :
名無し三等兵 :2013/01/13(日) 23:19:15.19 ID:???
というかどうやって育てるんだよw
86 :
名無し三等兵 :2013/01/14(月) 00:57:18.93 ID:???
ウェリントンの半島連隊(2)軽歩兵はアマゾンで買いまちた
87 :
名無し三等兵 :2013/01/14(月) 07:50:21.96 ID:???
なんだブラジルか
88 :
名無し三等兵 :2013/01/15(火) 21:21:16.93 ID:???
>>84 そこで自分の領内に蝗害&疫病発生させてメガンテですよ
89 :
ナポ :2013/01/17(木) 21:03:48.24 ID:???
安心しろ フランスは最初から不作だ
90 :
名無し三等兵 :2013/01/18(金) 19:07:50.20 ID:???
大陸軍戦列歩兵 「ひょっとして、イナゴって俺らのこと……?」
91 :
名無し三等兵 :2013/01/18(金) 20:49:56.42 ID:???
皇軍ではなく蝗軍というのだ
92 :
名無し三等兵 :2013/01/19(土) 00:01:51.55 ID:???
蝗害の蝗は本当はイナゴじゃないらしいな。
93 :
名無し三等兵 :2013/01/19(土) 08:16:24.97 ID:???
イナゴの大群も冬は越せなかったがな
94 :
名無し三等兵 :2013/01/19(土) 12:02:50.38 ID:???
人工的に災害を発生させられたら これほど恐ろしいものはないね。
95 :
名無し三等兵 :2013/01/19(土) 12:40:51.98 ID:???
英国は天然痘患者が寝た毛布をインディアンに送ったりしたな 災害とはちと違うが一種のバイオテロだ
96 :
名無し三等兵 :2013/01/19(土) 16:52:06.91 ID:???
その手があったか!
97 :
名無し三等兵 :2013/01/19(土) 21:15:15.51 ID:???
古代からおこなわれてきた手口らしいけどな ペロポネソス戦争のアテナイの疫病もスパルタがやったという説があるらしい。 もう少し近い話になるとペストで死んだ死体を投石機を使ってモンゴルは攻囲した都市に撃ち込んでいた それがきっかけになって中世欧州にペストは広まったらしい。
98 :
名無し三等兵 :2013/01/20(日) 10:57:42.21 ID:???
そういう話があったとは。本当に恐ろしいね。 現在だとペストの原因がネズミ(のダニ)と判明しているから 俺らがその作戦をやる場合もっと効率良くネズミを撃ちこんで伝染させることができそう。
99 :
名無し三等兵 :2013/01/20(日) 15:46:27.98 ID:???
BC兵器は被害の制御が難しい。 城塞都市の攻略では、略奪目的の兵士が、 まだ病気が蔓延している状態で乱入してしまって 自分も感染して死ぬということがあったらしい。 医学的知識が無い上に、略奪が兵士への報酬として認められていた時代では、 使い方が難しい戦術だったろう。
モンゴル軍とかスパルタ軍の話とかになってくると、どこまで信用できるか悩ましいけどな
スパルタ軍って SM好きには天国っぽいよな
相手がガス兵器や防毒面を持っていないから、 日本軍は中国で毒ガスを使い放題だった 両軍の損害比率に著しい隔たりがあるのも日本軍による毒ガス攻撃に よる所が少なくない
日本軍が使ったのは「くしゃみ剤」すなわち催涙ガスだ、寝言は寝ていう。
ガス兵器じゃん
少なくとも『毒ガス』ではないよな? だいたい催涙ガスも兵器なら、世界中の警察が戦争犯罪になっちゃうよ。 天安門では中国もバラまいてたじゃん、あれはケミカル白色テロですか? >日本軍は中国で毒ガスを使い放題だった 間違いなのは認めよう協力同志。 中共さんなんだろw?
大量殺戮兵器ではないけど 地雷を昔ながらのモノを工夫して上手く信管代わりにして作れないものか? 地雷があればアウステルリッツみたいな誘い込んで一網打尽みたいな大勝も可能だよね。
17世紀位からはminer/地雷工兵とか火工兵と呼ばれる兵科が有ったよ。 地雷とは言っても火縄の導火線式で地中に埋めた爆弾みたいな物だけど。 兵科としても攻城戦での城壁破壊とか爆破関係に従事したとか。
欧州の戦争ではめったに落とし穴って聞かないけど 遭遇戦ばかりだったとかそういう事情なんだろうか
>>108 落とし穴を掘る手間暇を考えたら、他のこと
例えば、柵を巡らすとか、堀を掘った方がマシという判断では?
欧州の戦争でも結構、工兵は作業をしている。
近世総合以降の頃だとイタリア戦争のラヴェンナの戦いとか。
落とし穴をよく聞くっていつの時代のどこの国の話だ?
ワーテルローでフランス胸甲騎兵が谷に自爆したとかいう話はあるけど イギリス軍が意図的に掘った落とし穴じゃないし そもそも『レ・ミゼラブル』の創作だよなぁ
旅順のカポニエールとかか
防御用兵器として、掘った穴に火薬を詰めて、上に瓦礫を詰めた、何とか地雷ってのがあったよ。 即席の葡萄弾と言うか、原始的な指向性地雷みたいなもので、余り効果がなかったようだけど。 導火線じゃ瞬発とはいかないし、何らかの信管や機械仕掛けを用いるか、よほど上手く狙撃しないと、タイミングが合わないだろうね。 信頼のおける信管が作れれば、ブービートラップ程度でも、かなり役に立つのは間違いないが、時代はまだ雷管を生んでいなかった。
よく三国志の漫画の待ちぶせに出てくる計略で 切り立つ崖の間の通路に相手を誘い出して 崖を崩落させて退路を断つとか実際に可能なのだろうか?
ジャーンジャーンの世界
>>115 崖をいきなり崩落させるのは火薬の無い時代だと無理だと思うな。
更にいうと火薬が登場したら大砲とかが登場しだす。
そうなると軍隊も重装備になるから崖の間の桟道とかの通行は困難になるし。
物語の中の話だと思う。
そんな隘路なんてそう都合良くないし、ヤバイ地形には斥候なり威力偵察なり出すのが当たり前 道路遮断できるほどの兵力伏せて完全に隠蔽するのも困難だし まあ劇作のご都合主義だろ
漫画とかの絵を見る限りでは、崖そのものを崩すんじゃなくて、 土や石を崖の上に運んでおいて、いきなり支えを外して落とす みたいなことしてないか。
まあ無理だ 上流で堰を切って水攻めくらいなら可能だろうけど 崖崩しは現場でやる必要があるから秘匿できん
(´-`).。oO(関羽に奇襲されている軍隊っていつも100人くらいの少数ユニットなのはなぜだろう・・・)
あまり多くちゃ作者も描写しにくいだろ
武将一人の活躍で形勢がひっくり返る演義だし
新事実!関羽は中隊長だった! ナンダッテー
関羽は大尉だったんだよ
たしか中国の大尉は相当エライ階級だったような
国家の中枢だからな
スペイン継承戦争のことが分かる書籍としてお勧めのものは無いかな この頃の戦術等を調べたいのだけど
そのもの『スペイン継承戦争』(友清理士著)って本があるけど。 部隊移動の流れがわかる作戦図がかなり入ってるし、当時の部隊編成とかも説明があるよ。
M文庫の独立戦争以外にも書いてたんだw
軍事専門では無いけれど、 「ルイ14世の世紀 1〜4巻/ヴォルテール/岩波文庫」
>>129 どうもありがとうございます。
早速注文したいと思います。
>>94 からの流れと
>>129 を見てスペイン風邪が第一次大戦にも影響したことを思い出した。
近代ですらこのザマだし、昔から疫病(インフルエンザ)という要素が
戦略・戦術の優劣を根底からひっくり返すこともありえたんだろうな。
軍隊と疫病は結構関係が深いからな 発疹チフスとか、ペストとか、マラリアとか等々 語り出したら、とんでもないことになる。 三十年戦争では発疹チフスが蔓延したし。 ナポレオンのロシア遠征の失敗も疫病が一因だった
十字軍とか遠征しては誰か病気で死んでるような印象がある
戦場で衛生面を改善するにはなにか工夫しているのかな? 酒(アルコール)を携帯させて食事前に手を消毒させたりうがいさせてもあまり意味無さそう
酒はどっちかといえば兵士のガソリン兼麻酔だしな
梅毒が広まったのって、コロンブスの新大陸発見 →船乗りがイタリアに持ってくる。→丁度イタリア遠征中だった フランスのシャルル8世の軍がヨーロッパに広める じゃなかった?
>>138 ほぼ正解
シャルル8世の軍が西欧全体に広めたのは間違いないみたい。
その後、日本にまで梅毒がやってきて、名だたる戦国末期の武将にまで猛威を振るっている。
加藤清正とか、黒田官兵衛とか、松平秀康とか、他にも多々いるはず。
梅毒が無かったら、日本史も変わっていたかも
梅毒がミラノやナポリで大流行しなかったら、イタリア戦争はシャルル8世が勝利者になっていたって説があるなぁ。
宦官を兵士にすれば梅毒に負けない軍隊が……と思ったけど おとなしくなっちゃうから駄目か
宦官って陰湿なことするイメージあるからなんか内部でグダグダしそうw
イエニチェリがなんか興奮しています
イエニチェリは妻帯が禁じられてたように去勢はされてない 大体去勢すると筋肉がつかないから兵隊としてつかえない
疫病の効果が最大の猛威を振るったのはやはり スペイン人の新大陸征服時だろうな
短期間でいうなら、WWTのスペイン風邪もバカにできない スペイン風邪が無かったら、ドイツの講和締結は1919年にまで延びたかも 何しろスペイン風邪のために1918年10月15日ベルリン市だけで1700人以上が死亡。 ドイツ陸軍の補給線はスペイン風邪患者のために完全に崩壊、連合軍の攻勢阻止は絶望と化したのだから
スペイン風邪は4000〜5000万人死亡だから数字の上では第二次世界大戦の犠牲者数に匹敵するな WW1が2000万人死亡で、その次に犠牲者の多い戦争はナポレオン戦争の500万人ってとこか
ちなみにWWTでも猛威を振るった発疹チフスは15世紀以降の西洋史で大きな爪痕を残している。 三十年戦争からナポレオン戦争まで枚挙にいとまがない。 一応、統計が信頼できそうなWWTに限っても発疹チフスはセルビアだけで国民300万人の内で半年で50万人が感染し 20万人が死亡する惨状。そのためにセルビアや周辺国では発疹チフスは中世のペスト並みに怖れられ、同盟軍はセルビアに侵攻できなかった。 確かに現代日本に置き換えれば半年間で2000万人が感染して800万人が死亡したことになる。 そんなことが現代日本に起きたら社会インフラが半分崩壊するだろう。
現代だと水道関係のインフラを攻撃したらエライ事になりそうだな
ダムに毒って特撮の悪役の作戦の定番じゃあないですかぁ
浄水場や下水処理施設の破壊という手もある アメリカがイラクでそれやったんだっけ
攻城戦とかだと水源をめぐる争いは紀元前からの定番だな。
>>147 死者がそれだけもいるってことは病気で寝込んだ人はその何倍もいるんだろうな。凄まじい破壊力。
中国みたいな衛生レベルの低い国ほど効果が甚大なのかな 日本だとあまりバイオ兵器は通じなさそうだ
民間の保健衛生インフラはあくまでも自然発生する疫病前提だからなぁ。 兵器として開発された細菌やウィルス相手だとあんまり変わらないのでは。
欧米の新型インフルエンザ等の対策を少しでも調べたら、バイオ兵器が以下に現代でも恐ろしいか 想像できると思うな。そして、以下に日本が対策をできていないかも。 例えば、インフルエンザの予防接種の有効性に疑義を呈している医療先進国は日本だけ。 欧米で有効性が統計資料で証明されているのに日本の医療界では未だに統計資料は信用できない という論理が横行している。統計資料が信用できないと言い出したら、新薬の治験等は意味がなくなるのだが。 日本の医療界に不信感を覚えて仕方がない。 新型インフルエンザ対策1つ取ってもこの有様。まともなバイオ兵器対策なんて日本政府は考えもしていない。
IMEの変換を鵜呑みにすることが如何に恐ろしいか
日本の水はそのまま飲めるほどきれいで外国に行くとお腹をこわすといいます。 衛生面では日本は有利だけどそのせいで免疫というか耐性というか日本人の体が弱いってことかな?
外国はたんに河の生水を飲む習慣がなかった 日本では茶は嗜好品でしかないが水が汚い国では 浄水剤として必需品だったように伝統的な方法というもんがある
ドイツ人にとってのビールやフランス人にとってのワインもその類だな
アイルランド人にとってのウィスキーは?
イングランド人にとっての紅茶はまさにそれだな
船乗りのラム酒もそんな感じ?
ビールやらワインやら紅茶やらが無かった時代には水を飲まなかったのか連中は
そういう時代には、川の水は汚れてなかったし、遠洋航海もしなかった。
>>164 当然だろう。水を飲む連中をカエル野郎とか罵るくらいだから
水を飲むと溶けて死んだんじゃないか?
アメリカ人にとってのバーベ・・・もとい・・・ アメリカンコーヒーは和製英語なんだな。
アメリカン付ける必要は無いのかな
ちなみに、インスタントコーヒを発明したのはジョージワシントン
ホワイトソックスで外野も守ってたジョージ・ワシントン
缶詰を発明したのはナポレオンだっけ
そんな暇あるかよ
軍隊向けの保存食をナポレオンが懸賞金付きで募集した時に応募して来たアイデアの一つ。 缶では無く、熱殺菌されたビン詰めだったけれどね。 金属製の缶を使うのは、数年後にイギリス人が考え付いた。
缶切りが発明されたのは50年近くもあと その間何十年も銃剣とハンマーで缶を開けていた
銃剣は大活躍だね。 パンを刺して運んだり、串焼きの串として使われたり。 アウステルリッツ会戦の前夜、ある兵士がナポレオンに言った台詞、 「銃剣が有れば充分でさぁ」 は、真実だったと。 意味が違うけどw
銃剣の発明は17世紀後半のフランスだっけ 銃兵が槍兵の機能も兼ねるようになって騎兵への対応力が増した
と言っても初期のプラグ式では実用性がないようなもんだけどな
プラグ式は着剣のタイミングが難しかったみたいですね。 対騎兵を含めた防御時は、最前列のみ着剣して折敷、それ以外は立って射撃する事で対処していたけれど、攻撃前進時は難しかったと。 どうしてもと言う時は、装填―射撃―前進の度に銃剣を脱着する事に。 1689年のKillikrankieの戦いでは、装填済みのマスケットにプラグ式銃剣を装着、そのまま射撃した為、射手に死傷者の出る事故が・・・
前装式で銃剣が取れなくなると取り扱いキツそう。
日本軍は白兵戦は不得手だったな
白兵戦と言えば、ウラー!のロシア軍
今の自衛隊のほうが明治陸軍よりも白兵重視なイメージ
ロシア軍の銃剣は槍みたいなやつだな・・・ ロシア軍は行軍中も戦闘中もずっとつけっぱなしだと聞いたんだけどどうなの?
別宮暖朗氏の本によると 日露戦争中はモシンナガン銃に銃剣付けっぱなしだったようだ
「坂の上の雲」5つの疑問だったかな 今、手元にないので、別の本での記憶だったら、申し訳ないが。 日露戦争の際に、白兵戦となると体格や訓練の差からロシア兵が強かったらしい。 日本兵の方が射撃に頼っていて、白兵戦は回避していたとか。 太平洋戦争時のイメージから日本兵と言えば白兵戦と思っていたので意外だった。
何かで読んだ記憶だが 旧日本陸軍は最初火力重視だったが 日露戦争で、弾薬の備蓄が底を尽きそうになって びびり始め、第一次大戦の欧州各国の弾薬消費量を 見て、とても自分たちの工業力では、賄いきれない となって白兵戦重視になった
ちゃっかり浸透戦術もマスターしてるしね 第一次世界大戦をよく観察して自分達なりに教訓は引き出してるんだよね
>>189 ちょおまそれ浸透戦術の肝のところじゃないから
>>187 ライフル銃は速射化する前の野砲と撃ち合って勝てるんだぞ。
そりゃ頼る。
そのあたりの流れを知らないと速射砲って言葉の当時のニュアンスがピンとこないよな。
体格や訓練じゃなくて、日本側がロシアの銃剣突撃に対して「精神的に」脆かった っていうのが参謀本部の分析じゃなかったっけ?
ロシア兵の突撃に対して動揺せずに踏みとどまれたのは 武家出身の仕官だけだったとか そういや西南戦争でも日本軍は白兵戦でコテンパンにやられてるね
考えてみればもとは百姓町人だし、体格も白人に比べれば甚だ貧弱だし白兵戦に強いわけはないな。
西南戦争で抜刀隊にびびったのを繰り返してるだけとも言えそうな
抜刀はほぼ壊滅していなかったっけ?
政府軍も元新撰組とか士族呼んできて西郷軍の近接戦闘に対抗した あの戦争では熊本城が意外と頑張った
>>198 意外とってレベルじゃなくて大奮戦だろw
鳴り物入りで始まって、最初の重要拠点で食い止められてそこで西郷軍瓦解だもん
戦国でも足軽の武器はなるべく長い方が良かったしね なるべく鉄砲、無ければ弓は難しいから長槍
忍玉乱太郎で野戦砲のラウンドショットが再現されてたので驚いた 攻城戦のシーンだったが
大河ドラマ「毛利元就」の初戦闘シーンが戦列歩兵ぽかったのを 思い出した。当時はなんでこんなマッタリした馬鹿な演出するのかと思っていた 戦国の合戦といえば大声出して突進するだけで映像的には事は足りるからな
熊本城についで頑張ったのが実は鶴ヶ城。
日本式の城郭は朝鮮の役でも明朝鮮連合軍に攻め落とされなかった実績がある 曲輪が何重にもあって一箇所破られても大丈夫な点が 近代要塞の思想に似ているが、実際近代戦でも結構いけるんだな
>>198 警視庁抜刀隊が編成されていたのは田原坂戦の2週間程度じゃなかったっけ?
それ以降、薩軍の抜刀攻撃には鎮台兵が対応していたと思った。
警視隊からなる別動第三旅団も基本は小銃装備の歩兵だし。
下手に籠城するよりも討って出た長州征伐は凄いよな 渡航とか普通無謀だろうに
まぁ応急的に再建した砲台があるとはいえ、海軍で劣ってるんだから無謀だよな 初日は流石に警戒して引き上げたらしいけど
幕府海軍なんて長州男児の肝っ玉をもってすれば張子の虎 必勝の精神を持てば絶対不敗と高杉晋作は長州征伐の際に呼号して開戦論を主導して渡海も行ったらしいけど 実際に功山寺挙兵に参加したのは84名なのにその後は賛同者が続出して長州藩の主導権を奪い返しているから 高杉晋作が断じて行えば鬼神もこれを避けてなんでもできると思い込んでも仕方ないけど それで勝てるのだから信じられない
クーデター失敗したり、渡岸作戦に失敗していた場合 ただの無謀なお馬鹿さんになってたろうな。 俺が同じ事を真似していてもほぼ100%失敗していたと思う。
歴史に残る英雄はどこでもそうだよ 常人なら無謀としか思えないことを実現させせしまう
第一次世界大戦の頃のヨーロッパに旅順クラスの要塞はいくつあったのだろう 戦争序盤から結構簡単にブリアルモン式要塞が陥落してるが 粘ったのはヴェルダンくらいか
東部戦線だとプシェムイシル要塞とか。アジアだと青島要塞とかがあるな。 後、ワルシャワやブカレストにもあったと思うけど、このスレだとちょっと時代がずれるか 第一次世界大戦のスレで聞くべきだな
>>209 漁師に対岸を調査させて幕府側の攻撃スケジュールを調べていたらしい。
漁師を警戒せず、相手が攻撃して来ないだろうと慢心していた幕府の隙をついたのが勝因。
情報戦の重要さを理解していたようだね。
>>211 212 っていうか、西部戦線の塹壕は、要塞みたいな
ものじゃない?
『要塞』の定義をどうとるかだな。 ベトンで固め、地下深くに退避壕を掘った、恒久的な塹壕なら、要塞としても構わないかも。
函館の五稜郭はヴォーバン式要塞だったけど 本当はアレをいくつも作って町を取り囲む形式なんだよな しかも建造した時にはもう旧式化していたと
イタリア式の☆型要塞ってどうやって攻略してたのかよくわからん 十字砲火浴びるのを許容して直角方向から砲撃なのか それとも効率悪いのは気にせず☆の尖った先端を潰していく感じなのか
昔から言われてるように城を無理攻めするのはあほのやることで包囲して兵糧攻めだよ
大砲で叩き潰すか 大軍で強襲して敵兵力をすり潰すという手段もある 前者はリエージュで、後者は旅順でやった
旅順は一世代後の要塞のような
あとは塹壕を掘って前進していく みたいなのが、学研の本に書いてあった記憶が
これだけやって適正兵力置いてないときに攻撃されて落とされたりしたら哀しいな
グライダーみたいなので奇襲できたらいいのになあ。
星型というかM型の突部を全方位につけてどこから来ても十字砲火ってのは 弓と投石機の時代でも有効そうなんだが、実際出てくるのは大砲以降なのはなんでだろう
敵の隊列を何列も貫通し、援体なんて簡単に壊せ、少なくとも星の角まで届くようでなきゃ、意味がないからな。 ヴォーバンは稜堡式城郭(星型要塞)を体系だてただけでなく、その攻略方法についても研究し、「どんな要塞だって落とせる」と発表している。 そもそも稜堡式城郭は、ヴォーバン以前からイタリア式築城として、初歩的なものが使われていた(日本では天草の乱ごろだった) そもそも稜堡式城郭は、大砲の数が揃わぬ時代、壁から垂直に敵陣中へ撃ち込むより、壁沿いに撃って、近寄る敵をなぎ倒す発想で作られた。 大砲の射程が伸び、数と破壊力を増した南北戦争のころには、既に時代遅れなもので、日本の五稜郭も活躍していない。
高い壁が有効な間は総延長が増えて工費がかさむM型突部は要らんか
>>226 突確部どうし援護できる射程がないと
設ける意味がないからじゃね
誤爆発見w 649 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/02/14(木) 14:54:47.34 ID:??? 日本の城だって横矢掛けがあったし、必ずしも、大砲がなくては無意味という訳ではない。 650 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/02/14(木) 14:57:52.37 ID:??? すまん、近世スレと間違えた。
それ俺だ! 挫けて放置してたんだが、わざわざありがとな。
その程度でくじけんなよw
日本の城は呼び込んでからはフルボッコ体制だけど、外周は素直な感じだな 馬出しは早くから進化してて逆襲重視で
つかヴォーバンの要塞って何人ぐらいで守ること想定してんだ? なんとなく万単位で人が必要な気がするんだが
>>234 要塞のサイズによるとしか。
日本だって、大坂城といわゆる地方の山城では守備兵の数が全く変わってくる。
そりゃそうだが大阪城と山城だと作りが違うわ ある程度規格化して作られた要塞でないの?
一つ一つの三角形の大きさはマスケットの射程からだいたい決まるけど 全周の大きさは決まってないだろう
要塞攻防戦はヴォーバンで決まったというのを以前、ネットで見たな。 司馬遼太郎も乃木は2世紀も前のヴォーバンによる要塞攻略戦闘すら勉強しなかった 旅順要塞は1月もあれば数千の損害で攻略できた、乃木の無能は目に余ると暗に書いているし。 こういう人はWWUのマンシュタインのセヴァストポリ要塞攻防戦をどう評価するのだろう。 マンシュタインは乃木以下の無能なバカ将軍と評価するのだろうか。
>司馬遼太郎も乃木は2世紀も前のヴォーバンによる要塞攻略戦闘すら勉強しなかった >旅順要塞は1月もあれば数千の損害で攻略できた、乃木の無能は目に余ると暗に書いているし。 それ、何に書いてあるんだ。 「坂の上の雲」には書いてなかったような。
他にあるとしたら「殉死」だろうな あれ「翔ぶが如く」や「坂の上の雲」なんて目じゃないほど乃木に対する悪意丸出しの作品だったけど
後は対談とかかな?
司馬さんは乃木さんがよほど嫌いだったらしいから
長岡外史に騙されたんだけどなw
司馬の人物評に関する第三者の批判にバイアスかかってるのは 家康で経験済みだからどうも話半分に聞いてしまう。
司馬史観を捏造した産経新聞社・元記者の司馬遼太郎 会津観光史学を捏造した福島民報・元記者の星亮一 沖縄の集団自決が陸軍に強要されたとでっち上げた琉球新報&大江健三郎 ジャーナリストw
坂の上しか読んで無い人がドヤ顔で乃木批判してる事は多い 学校や予備校の教師にもこの類のが大勢居る
ただ、司馬氏が本当に調べて書くつもりがあったのと首をかしげるところが多々あるのも確かなんだよな。 司馬氏は日露戦争の公刊戦史を紙屑と評価しているけど、公刊戦史を紙屑だとしたら、 何が信用できるというのだろう。歴史事実を調査するのに、公刊戦史が当てにならないと言い出したら 信用できる資料なんて何があるのだろうか。大抵の事実は公刊戦史をもとに書かれているのだけど
歴史の議論に加わりたいなら、娯楽小説じゃなくて、 まともな史料にあたって勉強しろというのは正論だけど。 修身の教科書に出てくるような軍神乃木伝説よりは、 でたらめでも、司馬の小説のほうが面白いもんなぁ。 ずいぶん前から、司馬の問題を指摘する奴はいつでも、 こんなにたくさん湧いてくるのに、 俺が史実に忠実でより面白い乃木希典物語を書いてやる、 って奴はいっこうに出てこないんだよなぁ。
>>247 長岡や井口の話のほうが面白いからだろう。
長岡さんも何であんなに間違いが多いのだろう。 当事者の話が信用できない典型事例の気がして仕方がない。 伊地知第三軍参謀長から「28サンチ砲はその到着を待つ能わざるも、今後のために送られたし」 という電文が届いている(記録が残っている)のに、 「送るに及ばず」と伊地知から電文が届いた、と機密日露戦史によると長岡は言っている。 更に203高地攻略も陥落まで主張していなかった(長岡が言っていたのは西正面奇襲攻略説)のに 203高地陥落後は、わしは203高地を主攻撃すべきと言ってきたと言い出す。 本当に歴史の歪曲だと思う。
坂の上の雲の海戦部分についても、極秘明治三十七八年海戦史が公開される前に 執筆されているので封密命令に関する記述とかがやはり史実と違っている ちと秋山参謀が過大評価気味になってるね
司馬に関しては、本人がちゃんと「これは小説です」って断ってるのに、 鵜呑みにして、それを元に史実の人物を断罪する読者のほうが問題かと
そういや、史実としては疑わしいとか、 たぶん後世の創作だろうとか、わざわざ言ったうえで、 でもこうしたほうが面白いから本作ではこのままいく、 みたいなことを作中で書いちゃってることが結構あったな。
司馬さんは、私は事実のみを書くと言ってませんかね。 小説だと断っているのは事実だけど、事実のみを書くという割には 間違いが多すぎないと思わざるを得ない。 それなら、事実のみを書くというべきではないと思う。
およそ歴史小説家でそんなこと言ってる人は一人もいないと思うが・・・。 そんなこと言い出したら小説家じゃなくて歴史学者だよ。
ところが孫引きで司馬の書籍を文献代わりにしている物書きが結構多いから困る。
なのに批判の矛先を司馬に向ける連中がかなり多いから困る。
>>256 こういう奴だな
「東北は負けない」 歴史に見る「弱者の逆襲」 著者:星亮一 講談社
<「はじめに」より>
かつて作家の司馬遼太郎は「白河以北一山百文」という言葉をとりあげ、
もともと東北は明治政府に冷遇されてきたと言った。
戊辰戦争が原因だった。
会津藩を中心に反薩長同盟を結び、薩摩・長州軍と戦ったが敗れた。
勝利した薩摩・長州勢は、「東北の山は一山百文の値打ちしかない」
と蔑視したのである。日露戦争、日中戦争、太平洋戦争でも、
東北地方から召集された部隊は最前線に送られ、大きな痛手をこうむった。
それを乗り越えようと、東北人も戦ってきた。
薩長閥を打倒した岩手出身の平民宰相原敬は東北各地に鉄道網を広げた。
同じ岩手出身の鈴木善幸は三陸海岸の漁港整備に尽力し、
漁業を一大産業に育てた。
いまや仙台はプロ野球東北楽天の本拠地であり、
昨今、トヨタ自動車も主力工場を東北新幹線沿いにシフトし、
東北の発展はゆるぎないものになりつつあった。
その矢先の大震災だった。――
259 :
名無し三等兵 :2013/02/21(木) 20:20:14.40 ID:VyQ/yXVR
鈴木説もそうだけど、学会が歴史学者以外が何を言ってどれだけ大きく扱われても突っ込み入れないのはなんなんのよ
>>259 本職の学者先生は、ご自分の本来の研究が忙しいので、
プロから見れば一目で嘘とわかるような珍説を相手にする暇がない
歴史だけじゃなく、自然科学とか、他の分野でも同様
学者が一般向けの本書いてもいいはずだよな。 それがベストセラーになることだってある。 しかし、日本の歴史学に限っていうとそういう本ってないな。
>>261 啓蒙書だの大河の便乗本だのいろいろ書いてる人は多いじゃん
ベストセラーになることはまずなくても、ある程度のペースで刊行されてるんだからまあ一定の需要はあるんだろ
263 :
名無し三等兵 :2013/02/21(木) 22:09:05.97 ID:oSPUv1I3
史学分野の場合、作者が素人でもこれが史実です、常識ですって感じで断言すれば 読み手はそれを裏付ける史料もあるんだろうなくらいのノリで信じてしまいやすい 出典元が書いて無くても、書くまでもないくらいの常識なのかと 自然科学だとトンデモはトンデモ臭がどうしても消えずに残るが
前田慶次がどうのこうの〜とか、一夢庵風流記と花の慶次だけソースに堂々と書いてる本まで世間にはあるからな 著者はまあもうどうでもいいとして、んな本出版する出版社の見識を問いたくなるわw
>>262 そういう、出版社におんぶでだっこの企画本を
「学者が書いた本」っていうのはなんか違う気がする。
グールドとかホーキングとかジャレド・メイスン・ダイアモンドみたいな、
第一線の研究者ならではの、独自の視点や内容で、
知的興奮を味あわせてくれるようでなければ。
つまり、何を書くかという段階で、学者としての問題意識や識見が
働いてなきゃいかんわけで、そこんところを
他人任せにしてるのは、「書いた本」じゃなくて「書かされた本」だろうと。
史料から「断言」できることは実に限られてるので 一般受けするようなセンセーショナルな「歴史的真実」なんて極々々々々々々々々々々々々まれにしか出ない 逆に、『武士の家計簿』は売れたけど、史学的にコペルニクス的転換があったわけでもないし 史学に限らず、学問なんてそんなもんだが
「美濃の蝮」というフレーズは山岡荘八の創作なのに 「斎藤道三は当時から美濃の蝮と呼ばれており」 などと堂々と書かれているデタラメ歴史本が多いよね
司馬や山岡は小説だと銘打っているからまだいい 子母澤の新撰組三部作なんて、体裁が関係者の聞き書きだから、 鵜呑みにして孫引きしている本の多いこと
その割には事典や論文の体裁をとっている民名書房を 引用している本はあんまりないな。
民明だろうと…w さすがにアレを信じて許されるのは小学生までかとw
子母澤は大人が信じても許されるのか。 何が違うんだろうね。
>>271 新撰組研究の第一人者という名声と先入観によるものだろ
時代は異なるが大田牛一の信長公記だって初期の記述には明らかな間違いがあったのに
それが長らく史実として認識されていたわけだし
俺なんか小和田哲男にハマって鵜呑みにしていた時期があり 2ちゃんで織田を叩いたら逆にフルボッコにされた過去がある。
別に2ちゃんが正しいわけでもないぞw まあ個人的に小和田哲男はいまいち 二木謙一のほうが好き と言っても二冊持ってたかどうかだがw
三十年戦争の前半の頃だと騎兵戦術としてカラコール戦術が主流だと聞いたのですが。 これはスペイン以外のフランスやイギリスでも主流となっていたのでしょうか。 フランスというと騎兵は重騎兵による突撃戦術というイメージがあるもので。 知識が無くてすみません。
フランスの重曹騎兵がパヴィアの戦いで銃と槍に手ひどくやられたの契機で重騎兵の時代が終わって ヨーロッパ全土にカラコールというか旋回射撃戦術が広まったようだ(と言っても当時のことだからゆっくりの変化みたいだが 個別の国まで詳細に書いてなかった
フランスはアンリ大王のころには編み出された射撃後抜剣して突撃する戦術が主流だった
んでマウリッツがでてくるわけですね。
むしろアンリのあたりは短銃騎兵への過渡期のような…
火薬と火器の供給が安定したらピストル騎兵が一気に広まるのに 弓騎兵の自前配備が流行らなかったのはなんでだろう 飛び道具騎兵の需要はあったって事だと思うのだが
馬上で両手武器使えるようになる修練は大変過ぎるだろう
正確には歯輪銃が開発されてからだろ 修練もあるだろうけど銃を持つのがかっこよかったとかありそうな気がしてならない 弓だとイスラムとかモンゴルの真似事だし どれぐらい前か忘れたがイギリスの騎乗弓の実演動画貼られたな あれは中世スレだったか
弓騎兵の訓練は結構大変みたいですから、歯輪銃が出来たら馬上射撃できることで 弓騎兵が廃れるのはやむを得ないのではないでしょうか。それに銃声で相手方を威嚇できますし。 戦場での音というのは結構大事だと思うのですけど、どうなのでしょう。 私としては実際に自分に当たらないにしても何十、何百の銃声が響き渡ると自分に当たりそうな気がして怖いのですが
当時の銃は火線を集中させてなんぼだから 散発で敵の隊列に打撃を与えるような効果あったのかなあ?
ピストル騎兵は歩兵に対する打撃力がなくなったので射撃後剣で突撃し さらには射撃せずにそのまま突撃するようにと変化していった
要するにまるで役に立たなかったのだw 何ではやったんだか
騎兵とテルシオの構成変化、それに銃剣も交えた話は卵が先か鶏が先か的な問題になりそうだけど、 とりあえず昔の形に戻ることがないのは大砲の進化のせいだと思う パイクの槍衾でじっくり構えて身動きできないところをバカスカ砲撃されるのはきつすぎるだろうから マスケットの戦列歩兵なら銃剣突撃も含めてそこそこ動ける
ピストル騎兵は騎兵同士の戦いでは強かったからだよ 歩兵方陣のために重騎兵が歩兵に突撃するのは自殺行為だったからもある
クルシノの戦いでポーランド騎兵に切り込まれて大敗したそうだが ピストル騎兵が活躍した戦いってあるの?
>>289 遅レスになったが、私の知る限りではピストル騎兵が活躍した戦いはない。
騎兵の任務はいくつかあるが、ピストル騎兵では、会戦時で重要な騎兵の突撃衝力を生かせない。
それなら何で、と言われそうだけど、騎兵の任務として捜索や警戒、挺進攻撃といった任務もある。
ピストル騎兵はそういった任務に必要だから使われたのではないか
散兵線の破壊とかねえ。 会戦時には抜刀突撃の再評価という流れになったが
騎兵の突撃衝力を生かそうと思うと抜刀突撃なり、槍騎兵での突撃になるのは仕方ない。 砲兵と歩兵の攻撃で敵陣を混乱させ、そこに騎兵を突撃させる。 三兵戦術というのは結局こういう戦術だと思うのだけど違うかな。
現代でも警察が馬で市民を押さえつけてるからなあ 騎馬の重量というのは徒歩の人間にとっては相当な圧力なのだろう
ピストル騎兵とか言うと、役に立ちそうなのはテキサス・レンジャーとかの新大陸のインディアンいじめぐらいしか想像がつかない まあいつらだって、リボルバー持ってただけでそれメインで戦ったわけではなかろうが
>>293 精神的にも身体的にも騎兵の圧力はすさまじいよ
騎兵の体当たりを生身の人間が受けたらただではすまない。
それに騎兵の集団が突撃してくるのに生身の人間で立ち向かえる精神力の持ち主がどれくらいいる?
そんなの簡単にできるという方が絶対におかしい
>>295 確か「ワーテルロー」の撮影でエキストラのポーランド兵が組んでた方陣が
騎兵の突撃で本当に崩れたとかありましたね。
ピラミッドの戦いでは方陣が騎馬突撃を粉砕したよ
騎兵の体当りww そんな事したら馬が怪我するっつーの
チキンレース
大人が全力疾走して3歳児くらいの子供にぶつかって吹っ飛ばすようなもんだろ 子供は即死だけど大人が怪我なんてするか?
兵士は三歳児程度の質量じゃないです 車が人にぶつかったって車も凹むんです お馬さんはマシンじゃないんです
ロード・オブ・ザ・リング三作目の騎兵突撃で、馬がオークを体当たりでふっ飛ばしてた描写があったな ファンタジーとはいえ実際ああいう感じなのかとも思ったが、現実ではそうでもないのか
あの映画で使われてた槍は、長さが2m程度の物ばかりで、明らかに隊列を組んだ歩兵密集陣より、散兵による白兵戦を指向していた。 古代にだって歩兵密集陣は存在したのに、ファンタジー世界にあまり登場しないのは、たぶん中世がモチーフだからなんだろうね。
騎槍が一度廃れてから大きく分類すれば 剣かピストルか小銃を騎兵を持っていたわけで 胸甲騎兵とかそれぞれの名称はともかくピストル騎兵の比率は 非常に高かったと思われる
極論すると古典的槍騎兵にピストル配ってもいいしな
>>303 王の帰還の怪物の軍隊は攻城戦用の部隊じゃん。その前作の二つの塔だと、騎馬民族国家を攻撃するのに
ファランクスみたいな陣形くんだオーク軍が出てくるよ(やってることは攻城戦だったけど)。
刀剣、ピストル、小銃は複数種装備ももちろん可能なので 剣とピストル、 剣と小銃、 剣とピストルと小銃ぐらいの装備パターンだったろうか
ふと思ったのだけど、自転車と歩行者が事故でぶつかっても毎年のように歩行者側に複数の死者が出ているよね。 騎兵と歩兵がぶつかって騎兵が無傷とは思わないけど、歩兵はそんなに負傷しなくてすむものなのだろうか。 301とかを読むと、馬は機械じゃない、騎兵と歩兵がぶつかったら騎兵の方が大損害だ、と読めるもので。 歩兵の側が重大な損害を受けそうなのだけど、私の頭が悪いせいかな。
小銃ピストルというかカービン銃だろ いつごろからカービン銃と呼ばれ始めたか知らんが
>>308 298と301は別に歩兵がダメージ受けないと言ってる訳じゃなく、馬の方も怪我する(に決まってる、よって
騎兵が歩兵に体当たりなんて馬鹿げてる)と言ってるだけでは
自転車でいうなら、歩行者と衝突すれば壊れる可能性が高いから、意図的に歩行者を轢こうとする人など
いないっていうことかと(質量的には大型バイクあたりのほうが比較にふさわしいとかは置いといて)
車と人がぶつかる衝突試験の映像とかでも 運が悪けりゃフロントガラスが吹っ飛んだり大ダメージあるしなあ。
もちろん馬だって人だって怪我するさ、ランス・チャージなんて、充分な歩兵隊列が作れなかった、中世暗黒時代の話だよ。 近世になると大砲が発達してきたし、中世ほどの密集陣は作れなかった上に、武器もパイクじゃないから、サーベルでガンバ。 それに敢えて言うなら、騎士ならともかく、騎兵は歩兵と同じ消耗品なのだし、ましてや馬はなおさらだったから。 と言うか、近世の騎兵隊は、堅固な敵陣を、強襲して突き崩す兵科じゃないだろ? 少なくとも前段階の攻撃がなきゃ。 歩兵に対して、攻撃する時と場所を選べるのが、騎兵隊の強みなんだからさ。
パイクさえ消えれば、騎兵はおろか銃剣ですら突撃は決まる
>>312 天候も在るかと。
ナポレオン戦争中のフランス軍騎兵突撃で戦果の大きかった二つの会戦、アイラウとドレスデンは天候に助けられた面も。
アイラウは視界の限られた吹雪の中、ドレスデンはフリントロックマスケットが使用出来ない雨の中での突撃。
特にドレスデンの雨量はフリントロックマスケットは使用出来ないが、地面の泥濘具合は馬の移動に問題が出ないと言う絶妙さだったと。
奇襲、もしくは崩してからでなきゃ、柔道の技も、騎兵突撃も決まらないよ。
>>312 いまどき中世暗黒史観って・・・50年代の文壇思考かよ
重騎兵の突撃なんて100年戦争序盤で破綻してる
で、数百年後に復活? 戦術はともかく、装備は以前のレベルでは軽騎兵だけど。 プロシアの胸甲騎兵は7年戦争後、銃弾に耐えられないとの理由で白兵での効果を無視し胸甲を廃止。 ナポレオン戦争で胸甲を着けたフランス胸甲騎兵の活躍で誤りを悟る事に。
世紀末の世界でバギーのってヒャッハーしてる人は騎馬軍団みたいなものだな
トゲ付き肩パッドw
ボロジノの戦いでフランス胸甲騎兵がロシア軍の大稜堡に突撃かけて粉砕してなかったっけ
>>322 騎兵が直接堡塁に突撃した訳では無く、堡塁の背後と左翼に展開していた複数の歩兵連隊に向けて突撃。
(一部の騎兵は堡塁の端に掛かったので、そのまま馬で乗り越えたらしい)
その後、左旋回して背後から堡塁に突入。
堡塁正面には歩兵が突撃。
それでも、不利な登り勾配での突撃、堡塁背後に向かった連隊は一時的に3方向からの斉射を受けたり、第一次、第二次突撃共に指揮官が戦死したり。
特例と言うか、偉業と言うか。
>>318 七年戦争後ぐらいの時期にプロシア胸甲騎兵が廃止されたのは聞いたことあるけど、
銃弾に耐えられないから、なんて理由だったの?
当時の胸甲ってよっぽど至近距離でなければマスケット銃弾にも耐えられるイメージだったんだけど。
ナポレオン戦争で活躍した栄光の騎兵も普仏戦争の頃には 銃の性能の進化についていけなくなって悲惨な結果になった
馬は人乗せるよりも大砲引けやー
>>324 以前に借りたKnoetlの軍装史本には、そう書いてあったので・・・
正式な書名は覚えて無くて申し訳ない。
廃止されたのは胸甲(プロシアはブレストプレートのみ)だけで、胸甲騎兵自体は存続していました。
胸甲無しで・・・
フランスでも7年戦争後に重騎兵の胸甲(野戦時にブレストプレートのみ着用していた)を廃止。
胸甲騎兵の胸甲(ブレストプレートとバックプレートのセット)は廃止されませんでした。
ブレストプレート廃止の流れだったので、何か戦訓が有ったのかな?
プロシア胸甲騎兵の胸甲は1814ー15年にフランス胸甲騎兵式で復活、1821年にはイギリス近衛騎兵が同じく採用。
でもフッサールとかは、もともと胸甲なんて付けてないんでしょ? 『突入して白兵戦』なんて想定自体が、時代遅れだったのでは。
このスレの扱う時代の最後2世紀位では、時代遅れでは無かっただけでは? 突入の成功例が沢山有る時代だし。 損害と戦果を比べると、お得とは言えないケースが徐々に増え行くイメージは有るけど。 後、ある兵科が戦闘に破れた場合、それが兵力差や采配ミスなのか、戦術の限界なのかは分けて考えた方が良いかと。
騎兵突撃の成功例と、それが胸甲騎兵など重装甲の兵科か、より軽装の兵科か分かればなぁ……
ナポレオン戦争なら参加連隊名は割と解ると思うけど、大規模な突撃は複数兵科の騎兵が参加するからなぁ 旅団以下の例を上げるしかないかも。
鉄砲伝来後の侍は鉄板の鎧着てたけど!?
長篠合戦を語って欲しいのか?
当時でも畳は守備側のバリケードに活用されていたみたいだけど 布団みたいな生地の厚い布地を分厚くスマキ状に巻いて立てたら弓矢くらいならしばらく防げそうな気がする。 それに油を染み込ませた布団を着火して落としたら役に立ちそう。 ( ゚∀゚ ):. _ フトンサイコー!! r'⌒と、j ヽ ノ ,.ィ' `ヽ. / / i!./ (_,. // く.,_`^''ー-、_,,..ノ/
布団に矢が刺さったり燃えたりしたらその夜困るやん
むかしは布団は高級品だったんやで
うちのせんべいぶとんじゃあ全然役立ちそうにねえなw
我軍空母はハンモックを艦橋に付けてたな
>>330 歩兵に対する騎兵突撃の成功例を。
対騎兵戦では負けているけど・・・
アウステルリッツ会戦
プラッツェン高地付近
フランス軍
第4戦列歩兵連隊(2個大隊)
第24軽歩兵連隊(2個大隊)
ロシア軍
近衛騎兵連隊(5個大隊、本来は胸甲騎兵、当時、胸甲は未着用)
騎馬砲兵1個中隊
大隊毎に方陣を組んでいるフランス第4戦列歩兵連隊に対し、騎馬砲兵中隊の支援射撃後、近衛騎兵連隊の2個大隊が突撃を開始。
方陣からの斉射で第1大隊が壊滅的打撃を受けるも、第2大隊はそのまま突入。
第4戦列歩兵連隊の第1大隊は連隊旗を奪われ、連隊も撤退を始める。
支援の為に到着した第24軽歩兵連隊に対し、残り3個大隊が突撃。
やはり撤退させる。
この後、両軍共に近衛(親衛隊)の騎兵部隊を投入し、騎兵同士の白兵戦に。
最終的にロシア軍近衛は撤退。
何度か名前の上がっている戦例。 グアダラマ山脈ソモシエラ峠の戦い 1808年11月30日 フランス軍 戦列歩兵3個連隊(10個大隊) 親衛隊ポーランド軽騎兵連隊(4個大隊:約700名、当時は槍を未装備の為 lightーhorseと呼ばれていた) 親衛隊騎馬猟兵連隊(4個大隊) 合計兵力11,000名、大砲12門 スペイン軍 戦列歩兵3個連隊(6個大隊) 義勇兵3隊(5個大隊) 民兵2隊(2個大隊) 騎兵3個連隊(5個大隊) 合計兵力7,800名、大砲16門 スペイン軍は峠道の3ヶ所に大砲を2門づつ配置。 更に後方に10門を配置。 ポーランド軽騎兵連隊の第3大隊が峠道に突撃を実施。 損害を出しながら3ヶ所6門の大砲を含む峠道を制圧するも、後方の10門と戦列歩兵の射撃により突撃は停止。 第2波として、残りの3個大隊に親衛隊騎馬猟兵連隊の1個小隊を加えた兵力で突撃を再開。 さらにスペイン軍正面と両翼に対しフランス軍戦列歩兵3個連隊が攻撃を開始。 スペイン軍は全ての大砲を失い、約200名の戦死者と捕虜を出して峠から撤退。 マドリードへの道が開かれる フランス軍の損害は死傷約300名。 内、ポーランド軽騎兵連隊の損害は、 戦死:将校4名、下士官兵40名 負傷:将校4名、下士官兵12名 (死傷100名以上との説も)
>>339 銀英伝のビッテンフェルト提督のシュワルツ・ランツェンレイターみたいな使われ方だな
とおもってシュワルツ・ランツェンレイターの綴りを調べてみると「黒色槍騎兵艦隊」
なるほど。騎兵扱いなのなw
何を今さらw
欧州には竹束なかったの?
>>341 同じ黒色槍騎兵でもシュヴァルツ・ウーランだったら実在するけどw
他の木より竹な風潮なのは軽さのわりにつおいからってことでおk?
348 :
名無し三等兵 :2013/03/16(土) 13:56:36.87 ID:XsqsQQCq
>>347 加えて生育がくっそ早い、植樹しなくても次から次へと生えてくるし
太さが適度で束ねやすい、 曲率が大きいから避弾経始に期待 加工性も高いってのも追加で
しかもタケノコは食べられるからな
たけのこのうちに食っちゃったらダメだろw
たけのこの半分以上はとらなくても途中で枯れるからある程度は食っちゃっても手に入る竹の量は変わらんよ
たけのこ美味いよなー
やわらかい内に蒸してごはんに混ぜ混ぜ。 バターで炒めてもよし。
雑木林からうちの畑に侵略してきて困る
過疎地帯は竹の浸食がすごいらしいからな…
>>349 俺が知ってる竹束は半分土嚢だけどな
ぐぐったら国史大辞典にいろいろかいてあるのか
まったくたけのこ派の侵略行為には困ったもんだよな
現代の実験だと、直径一尺(30cm)ほどの竹束は、鳥銃やお貸し筒程度の、小口径の鉄砲弾しか止められなかったそうな。 具体的には八匁程度までで、十匁以上の士筒、個人所有の持筒だと、貫通してしまったとのこと。 なので、実際には竹束の中に土砂を詰め、ヘスコ防壁(サンドバック装甲)のようにしたのではないかと、言われている。 実際に土俵は使われていただろうしね。
>>358 ただしそれだと激烈に重くなって、拠点防御にはいいが機動戦で携帯盾として使うにはつらくなるな
かさばるしやっぱ重くなるけど、二列三列に重ねるか束ねたほうがまだマシだろ
盾って、完全に食い止めることはできなくてもある程度威力を減殺できるか、ある意味敵に直接姿を晒さないって心理的効果だけでも大きいし
当時の鉄砲の命中精度とか連射性能がダンチだから、 今の常識で考えるとおかしなことになるんじゃないのかな。 おそらく直撃弾を完全に防ぐことは今ほど真剣には考えられてないのでは。
というか戦場でどうやって持ち運ぶんだ 先頭一人が抱えて電車ごこか(ホライゾンであったな) 台車か それとも転がすのか
フォークリフトがないからどうするんだろうな
何だか微妙に話がかみ合っていない気がする。 火縄銃の口径も時代によって変わってきているのではないだろうか? 手元に歴史群像の該当記事が無いので間違っていたら申し訳ないが、 例えば、上杉家の軍役台帳等を調査すると関ヶ原の戦いと大坂の陣とでは 上杉家が装備していた火縄銃の口径は違う可能性が高いらしい。 関ヶ原の戦いの後、上杉家は大量の火縄銃を発注している。 関ヶ原の戦いの前後に上杉家は大規模な戦闘を行っておらず 火縄銃の大量注文は消耗から生じたのではなく更新の必要性から生じたらしい。 火縄銃の導入当初は機動性重視から小口径の火縄銃が好まれたが 竹束等で銃弾が防がれてしまうことから機動力よりも火力ということで 次第に大口径の火縄銃が採用されたのではないかとその記事では書いてあった。 そういった事情があるのではないかと私も思う。
その当たりが産業革命以前の戦争のやっかいなところだな。 近現代戦なら型式とスペックで威力が大体想像がつくが、 火縄銃は火縄銃でいっしょくただもんな。
んなこたあない 火縄銃は火縄銃で匁で区別されてる と思って宇田川さんの本を探したらまたどっかいってしまった あの人の本はどうも無味で面白くないのがなぁ
>>366 おっしゃるとおりなんだけど
例えば、実際に関ヶ原の戦いに参加した両軍の火縄銃の口径というか匁が幾らだったのか
は今一つ分からなかったと思うのだけど。
まさか火縄銃兵全員が三匁筒ということはないだろうし。
いろいろと複数の匁筒が混じっていたのではないだろうか。
朝鮮征伐の頃はまだ数が少なく、小口径の鳥銃が急いで作られたが、日本全土でも10万丁に届かなかったみたいだね。 その後、関ヶ原の戦いまでに大量に配備され、大坂の役でも猛威を振るうことになる。
初期の火縄銃は、銃腔がススやカスなどで 狭まってくるので、大きさの違う弾を携行してた と読んだことがある。ぶっちゃけ前装銃の特権で 弾が切れても、銃腔に入るものなら石でも使えるし
隅櫓なんかに備蓄してあったのはその通り。 あと備蓄の弾も、鉛に添加物を入れて、腐食や変形を防いでいたはず。 少なくとも江戸時代の初期には。
前装銃は同一口径じゃないと使えないというのが緩いから楽だよね。 火縄銃だと銃弾を自作するのも楽というのはどこまで本当なのだろう。 西洋だと籠城の際に備えて要塞には鉛板を備蓄していて、 スペイン継承戦争とかでは要塞の守備兵は銃弾を自作して応戦したそうだが 本当なのだろうか。
最初はいいが大量に作るとなると水に漬けながらやっても触れる火傷をするくらいに熱を持つ かなり大変な作業だった、と昔のNHKで見たな。
そりゃそうだろう 藤とかで手元巻きたいな
鉛弾でんのうて、まず鉛棒ば鋳込んで、ぶつ切りにすればよかよ。
「パトリオット」でもおもちゃの戦列歩兵融かして弾作ってたね
関係ないけどパイレーツオブカリビアンでは大砲の弾がないからナイフとかフォークとか詰めてた 砲身壊れないのかな?
当時は滑腔砲だし、もともと葡萄弾という散弾も撃ってたしな。
ナポレオンだって大砲にを釘詰め込んでパリ市民を砲撃したじゃん
葡萄弾は枠に嵌め込まれていたし、キャニスターは文字通り缶に入っていたので、思う程は砲身内を傷め難いのかも。
>>379 サン・ロック教会前の砲の配置図が本に載っていたけど、通りが射撃レーン状態だったよ。
反対勢力とは言え、少なからず市民が混じっていたのに良く射ったと思う。
リメイクされた方の「アラモ」だと布の袋みたいのにくず鉄みたいのを一杯入れて 大砲に装填してたな。その砲撃を浴びたメキシコ軍隊列が大変な事になってた。
大砲の弾が無くなったからといって、チーズで砲撃した例まで無かったか?
チキンを解凍してくださいのコピペみたいだな
>>382 ソースが見つからないけどラッパ銃での話じゃなかったかなあ
みんな一緒のこと書いてるから拡散(ぱくった)したんだろうけど 火元はなんなのやら
ttp://campus.murraystate.edu/academic/faculty/wrose/wub.htm MOST UNUSUAL CANNONBALLS.
During a naval battle between Brazil and Uruguay in the middle of the 19th century, the Uruguayan vessel ran out of shot.
Captain Coe, the commander of the ship, ordered the cannon loaded with Dutch cheeses.
“They were too old and hard to eat anyway,” he reasoned. In a few minutes Coe’s ship opened fire again.
According to William Walsh, the first two cheeses went sailing over the mark,
but finally one crashed into the main mast of the Brazilian ship,shattering it into thousands of pieces.
Cheese shrapnel killed two sailors standing near the Brazilian admiral.
After taking four or five more cheeses through the sails, the Brazilian admiral ordered his ship to retire from the engagement.
英語でググってでた記事だが、元ネタは書いてないな
”captain coe cheese cannon” でググりなおしてもこのサイトに行きつくし
しかし2人殺してんのかよ
>>387 右下にソースって書いてあるのは違うの?
>>388 そこ見落としてた
"William Walsh"の方ばかり探してた
ただ ”Required Extra Half Day”でググっても
書名なりサイト名なりに行きつかないんだが……
なんらかのジョークや成語?
英語詳しい人、もしくはウルグアイとブラジルの戦闘に詳しい人
あとは頼む
そうなんだよね アルゼンチン海軍じゃなかったのかよという 新たな謎
1841年8月という時期を考えると 387のブラジル海軍が相手というのは間違いで アルゼンチン海軍が相手の可能性が高そうだが。 1841年当時のウルグアイは自国の領土としたいアルゼンチンとの戦争中で ブラジルはウルグアイの味方のはずだから。
ウンコしている時にトイレットペーパーもない時代の戦場のトイレ処理ってどうやっていたのか気になった。 昔の家では穴にウンコしたらヘラとか石で拭いていたと聞きますが 戦場でも無数のウンコ処理用のヘラや石が準備されて使いまわされていたかと思うとなんか嫌な気分。
砂や草で拭くんじゃね?
手があるじゃないか
捕虜に舐めてもらうんじゃね
うれしくないお
ローマ兵はケツを拭くために海綿的なものを持たされていて どこぞのユダヤ人が押し付けられたのはそれだったって話は いったいどこからどこまでが本当なんだろうか
海綿体を主に押し付けたのか!
トイレットペーパーが怖くて戦場に行けるか!
この紙こわいな
大昔に見た本に、 川の中に立てた2本の杭に縄を結びつけて、 川の中で排便したらその縄でケツを拭く天然水洗便所が載ってたんだが、 これって絶対下流で疫病が発生するよな。 本見たのが大昔すぎていつの時代・どの地域の話なのかは不明。
適度な糞便は肥料になるかもw
だから生水は飲むな、煮沸して上澄みだけを掬って飲めという知恵があるんだよ
それを言ったら大陸の河なんて… ガンジスとか悪名高いが、どこも死体やら生活排水やらどんどん排出されて大河の下流に行ったらエライことになってるぞ 最近だ中国の虹色の河とかもうねw 日本だって公害問題が発生する以前はヒドイもんだった
山林ハイキングで山の湧き水そのまま飲んでたわ
滋賀の下水を大阪では上水につかってるみたいな
水があったり手頃な葉っぱがあったりするところならいいが 乾燥地帯とかはどうすんだ
何か近世総合スレの話ではない気が。
結局手にもつくんやろな
軍事的な側面で衛生関係がどのように改革されていったか調べてみたけど資料が少ないよな
このスレの時代だと軍の衛生関連はどの部隊が担当したのかな? 医療部隊かと思ったけれど、ナポレオン軍の軍医は、外科医、歯科医、獣医の3科だし。 ラレイ軍医総監は頑張ってそうな気がするけど・・・
クリミア戦争のころでも衛生なにそれ?でナイチンゲールが改革したくらいだし
ちなみにソ連は紙を使わない、ってかふかない シベリア抑留兵とか最初たいそう困ったとか
温暖湿潤じゃなければうんこつけたままでも問題無いのか?
どうだろうな 詳しいことは忘れたが穴にしたうんこが固まって詰まるとたたっくだいて始末せねばならん 外で作業してるうちは凍ってるから問題ないが 室内に来るとうんこがとけてものすごい臭いことになるそうだ
昔のモンゴル人も拭かなかったらしい。
水が貴重なステップ気候だと水を贅沢に使う水洗トイレなんてめったにないんだろうな。
寒冷すぎると付けたまままずいのか 気温そこそこで乾燥してれば干からびて勝手にぽろぽろ落ちそうだが
というか本邦でもいつからふいてたのか
近世江戸では紙で拭いてたし 藁(藁ひも)とか細い板(籌木)とかは遅くとも平安時代には使われてる
念のために付け加えておくと 一般的だったかどうかは保証できない
水が豊富なら手でこう……本場インドではそれ用のバケツまで完備 そういえば、手でケツ拭く為のトイレ用シャワーは、なぜか中東のトイレにも常備されてたな 昔から水は貴重品だったろうに
そういえば佐々淳行の本で浅間山荘事件の機動隊はバケツを持参して そこら辺の土を入れて簡易トイレにしたとか書いてたな。
話を変えるけど日本だと火縄銃が主流になったのはなぜだろう。 欧州だとマスケット銃が16世紀には主流になったみたいだけど。 やっぱり高温多湿のせい? それとも火打石の性能が日本では劣っていたせいなのだろうか?
>>426 火縄銃だってマスケットの一種なんだがw
ホイールロックは信頼性やコストでお里のヨーロッパでも主流にはならなかったし
フリントロックが発明されて普及するのは17世紀に入ってからだな
まあフリントロックが日本で普及しなかったのは諸説あるが、結局泰平の世じゃ需要がなかっただけだろ
ヨーロッパでフリントロックが主流になった頃、日本は天下太平の鎖国中。 日本が洋式軍隊を目指した頃、ヨーロッパではパーカッションが主流になりつつあったし。 何だかんだでフリントロックは飛び越えられてしまったかたちに。 まんまと売り付けられた藩も有ったみたいだけど。
フリントロックは強力なスプリングで火打石を鉄片に激突させるから火縄式に比べ振動がおおきい。 雷管で強制的に発射薬を燃焼させる方式と異なり、当時はいわば着火式なので弾が出るまでの時間=ロックタイムが長いから振動の命中率への影響は深刻。 フリントロック式が伝わった頃はすでに個人技能としての砲術として命中率を競う時代だったし。
>>429 その命中率の話し2chでよく見掛けるけど、具体的な命中率の差って分かりますか?
何冊か和洋書を見てみたけれど、具体例を見掛けないので凄く知りたい。
数値的なものは見つからないが傍証として 日本における前装銃射撃 (マズルローダーシューティング) 銃規制の厳しい日本でも、「日本前装銃射撃連盟」が日本ライフル射撃協会の下部組織として存在し、1976年以来その世界選手権大会に選手を派遣している。 日本では銃刀法の規制があるため、文化財登録されたオリジナルの古式銃しか使用することができないので、火縄銃と幕末に使用された一部の洋式銃しか使えない。 さらに日本で行われる競技は、千葉県営射場で競技会が開催される場合に限り行われる「ベッテリー競技」(競技規則上、燧石式・管打式も使用できる)を除き、火縄銃を使用するものに限られている。 従って前装銃射撃の国際大会で日本選手の出場は殆ど火縄銃種目に限られている。しかしながら江戸時代の匠の業はすばらしく、その匠の手になる「瞬発式メカ」を備えた銃を携えた日本選手は、 火縄銃競技に限れば毎回メダルを獲得するほどである。 また火縄銃競技に出場する欧米の選手の多くは、日本製または日本型レプリカの火縄銃を使用している。
うちの家にあった銃は戦時中に金属類回収令で家宝の鎧兜や殿から頂いた大判と一緒に国に差し出してしまった。 そしてその時に受け取ったお金も朝鮮半島から引き揚げた時に8000円以上の残高があった通帳ごと没収されたし・・・
フリントロックが普及しなかったのはフリントロックが普及するほど 日本では硝石が豊富に出ないから……と思ったが 火縄銃でも硝石は使うから見当はずれな意見だわな
まあ江戸時代が1750年くらいスタートならフリントロックも使ってたんじゃね
>>431 それはマッチロック式の中では日本の火縄銃の命中率が高い事の説明には成りますが、フリントロック式と火縄銃の命中率の優劣の説明には成らないのでは?
また実際の運用、当時の密集隊型同士の射撃戦の結果に影響を与える程の差なのか?と言う疑問も。
針穴を通そうが、たらいサイズにグルーピングが散らばろうが、想定される敵集団のどこかに当たれば良いとも考えられるし、その考え方でのテスト結果も残っています。
1810年、プロシア軍が新型フリントロック・マスケットの導入時に行ったテスト結果を書いておきます。
(同じ点火方式でも、けっこうな差が)
武術あるいは競技としての命中率云々の話しをしていたのなら野暮なレスに成りますが・・・
1810年、プロシア軍によるフリントロック・マスケットの命中率テスト 大標的:高さ1.88m、幅31.4m (3列横隊を組んだフランス軍1個小隊の正面を想定) 計測方法:75m、150m、225m、300mの大標的に対して200発射撃した時の命中数 プロシアM1780:92/64/64/42発 プロシアM1780改:150/100/68/42発 プロシアM1809:149/105/58/32発 オランダM1805:145/97/56/67発 フランスM1802(M1777の共和国版):151/99/53/55発 イギリス「ブラウン・ベス」:94/116/75/55発 ロシアM1809:104/74/51/49発 200発では少ないのか、必ずしも右肩下がりに成っていませんが・・・ 同時に小標的(直立した1人の兵士サイズ)でのテストも実施していますが、それはスムースボアとライフルの比較テストなので省きました。 色々な資料に掲載されているテストですが、今回は「German Napoleonic Armies」より引用しました。 メートル表記に換算されていたので。
マズルエナジーは3000Jくらいとして、50m、100m、200mあたりでどれくらい減ってるのかが知りたい
学術的な証拠の全くない素人丸出しの意見だけど 日本人って実用性よりも個人技を昇華させることを重視するイメージが有る 案外、流鏑馬やってた武士も火縄銃持ってた武士も 「的のど真ん中に5連続で当てたるわー」とか 「権兵衛のヘッドショット率たけー」とか言ってたんとちゃうか
封建制の軍隊なんて どれだけ個人が俺TUEEEEEEE!出来るか=軍隊の強さ みたいなもんだから
違うぞ
日本じゃ一斉射撃により弾幕を張るというより 武士の武術のひとつとしての「砲術」なので当然命中率にはこだわるわけだし あとは猟銃としての用途だが当然こちらも命中率が問題になる
戦乱が続く前提で、雨天での稼働率が目に見えて改善するなら日本もフリントロックが入り込むことはできただろう
火縄銃が雨や湿気に弱いと言うのは俗説で、硝塩を含ませた火縄なら、そこそこの雨でも簡単には消えないよ。 特に竹の繊維を使った物は、油分を含んでいるため、燃え尽き易いが消え難くかった。 それと火縄銃のカラクリだが、必ずしも、引き金を引くと撃鉄(火縄)が落ちる形式だけではない。 バネを挟んで火縄が浮いており、そっと引き金を引くと火縄が連動して下がる、引き金を放すと、また上がる形式もある。 これは明らかに精密射撃を指向した設計だが、当時としては一般的で、珍しいものではない。 バネ仕掛けで復元するサーペンタイン式マッチロックだが、狙撃ならある程度のアドバンテージがあった訳だ。 引き金を引くとハンマーがガチンッ!と落ちる、それを平然と受け入れられるのは、あくまで現代的な発想だ。
高島秋帆が輸入したゲベール銃はフリントロックなんだよな。 まあ欧州でもパーカッションロックに切り換わる直前のじきだけど。
フリントロックが火縄銃より雨に弱いって説だが、火縄銃は火蓋を事前に手で上げなきゃいけないだけだよ。 その点フリントロックは、引き金を引けば撃鉄が落ち、自動的に火蓋が開くからね。 しかも1000℃を超える火花は、点火薬を確実に着火させる。 ただ火縄銃は生火を使うから、極端な話し、着火するまで火縄を当ててれば…… ってな訳で、湿気った点火薬も自力で乾かして発火させる火縄は梅雨には強い。 何しろフリントロックの不発率は、ヨーロッパ大陸でも、実戦では一割にのぼったそうだから。
欧州は集団一斉射撃で、うち何割が敵に被害を与えるみたいな確率論的な考え方なんだろうな。 日本は個人技重視で、撃発時のブレが少なく不発率の少ない火縄銃の方が合ってたということかな。
弓と同じような感覚で取り込んだんだろうな
>>446 フリントロック式は雨や湿気に弱いみたいですよ。
移動中の歩兵はフリントロック・マスケットの発火機構を湿気や埃から守る為にボロ布を巻き付けていましたし。
ナポレオンのドレスデン会戦は雨の為、両軍の歩兵は銃剣で戦う事に。
不発の頻度が本に載っていたので、
U.S. M1822フリントロック・スムースボア・マスケット:6発に1発が不発
U.S. M1842パーカッション・スムースボア・マスケット:166発に1発が不発
テストなのか実戦での集計なのかは不明です。
塗れた火打石打ち付けても火花でるんかね知らんけど
まあ前装だと天下方式関係なくつつっぽがぬれたり湿気ると不発多そうだが
>>437 200発も連続してうつと赤熱化するから無理なんじゃないかなぁ
フリードリヒ大王の時代だと携行60発だぞたしか
ついでに言うと銃の多少の命中率うんぬん以前に心理的な作用が大きくて比較してもあまり意味がないような…
>>447 戦前だったか?日本は弾薬を節約して銃剣突撃を多用したとか聞いたこともある。
単に貴重な弾薬をケチったのかもw
最後は敵が引くかこっちが突撃するか二択だぞ?
フリードリッヒ大王も射撃せずに初手銃剣突撃も戦術に組み込んでたそうな
>>453 理由はわからんが、当時は先に射撃した方が不利と思われてたからじゃね?
お互いに射撃せず接近した結果そのまま白兵戦になった事もあるらしい。
>>454 再装填に時間が掛かるからそのあいだにやられるのがイヤとかか?
こっちはいつでも撃てるんだぞと北朝鮮みたいに脅しあってるうちに、なしくずしに白兵戦になだれこんだりして
敵をひきつけろ・・・まだだ・・・よーし 銃剣突撃! こうですか?
撃つためには一回足止める必要があるんだけどそうすると相手が足止めずに突撃して きた場合勢いの差で白兵戦では負けちゃうんだよ
狙って撃つなら足を止める必要があると思うが 北朝鮮の軍事パレードみたいに 腰だめで銃を前に突き出すような感じで、前進すれば 撃つだけなら出来るんじゃない?
ハイランダーチャージしたいんじゃないの
>>458 その一発撃ったら突撃しなきゃならないのに、そうやすやすと撃てるか?
ついでに、密集陣形組んで進んでいる状態で歩きながら撃つとか安全確認上無理だから
隣のやつとの位置関係確認しなきゃ火口からの噴き出しでカチカチ山だ
号令も足音で通らないかもしれないし、有効な斉射ができるかも怪しい
>>457 がネタなのかガチなのか判別できなくて困る
フリントロックだと燧石が当たり金に激突するまではスプリングの力で火蓋は閉じてるわけだから密集形態でもそう暴発は起きないのでは?
「戦闘技術の歴史4ナポレオンの時代」 の発売までもう1週間無いのか、たのしみだわ
おお、何年も待たせやがって
ついに出るのか!?
東京だと今日発売の店もあるらしいね 地方でもそこそこ大きい都市なら4月中には入荷する模様
やっとでるのか、 また食費と光熱費を切り詰める生活が始まる
いや、5000しないやんか…
戦闘技術の歴史4やっと手に入ったわ 忙しくてまだ読めてないんだけど、もう読んだ人的には内容どうよ 待った甲斐がある?
個人的には是非読み込んでもらって、ここで感想を書いてほしい
まぁお前らが支えきれずに手放した所で、俺がAmazonで安く拾うんだけどねw
古代中世フリードリヒ編も読まなくてはいけないという強迫観念にかられた ナポレオン編買う前に全部読むわ
今回、旅団とか近代以降の軍団単位と大尉とか中佐みたいな階級の上下を 理解してないと混乱するところがけっこう多いね ここから先の戦史は正直興味なかったけど、勉強せねば
余談だが、「ベルサイユのばら」のオスカルは 最初、近衛連隊長付き近衛兵の大尉で 連隊長になった時は大佐だったらしい。 因みに、オスカルの後に近衛連隊長になったジェローデルは少佐
尼でも、マケプレでもそんなに安く売ってるところあるかね? たいして変わらんような。駿河屋とかなら知らんけど
)
当時は男装した女を連れて勤務してる将軍が何人もいたみたいだね 戦場に子供連れて行く将校も珍しくなかった
「シャープス」とか観ると家族同伴の一般兵士もいる。
創作だからしょうがないけど 将軍の娘ということで、15歳の小娘が大尉なんだもんな〜 衛兵隊のアランがひがむ訳だ。
オスカルも衛兵隊では准将だった? うろ覚えだが副官が大佐だったような気がする。
ベルばらの漫画版は終盤でナポレオンがちょこっと出てくるね ナポもツーロン戦で大尉だったけど数年後には26歳でイタリア方面軍司令官だもんな 革命のドサクサで貴族の将校がごっそり抜けたのが大きいか
連隊長なら大佐クラスが自然だな 少佐だと大隊長にもなれるかどうか。 准将なら旅団長になれるくらいだと思う
>>482 終盤どころかその後の続編の「エロイカ」では最初ベルナールが主役と思わせといて、
途中からナポレオンの話になってる
この漫画家は、原作は違うが「女帝エカテリーナ」も 書いてる。
連隊付き大尉と言うと、adjutantーcapitaineかな? 連隊長の秘書的仕事や将校間の伝令等・・・凄い激務のはず。 でも、出世の近道だから良家の子弟が放り込まれても変では無いのかも。
連隊付大尉ということは連隊長の副官(つまり秘書的立場) 優秀な士官じゃないととても務まらない立場ではないだろうか
ベルばらにも出て来た、革命を弾圧したブイエ将軍が フランス国歌ラマルセイエーズの歌詞で名指しで非難されてて笑った そういやナポレオンもポーランド国歌の2番で賞賛されてる 憎き露・普・墺をやっつけた英雄だからポーランド人は親近感が沸くのだろう
ロシアをやっつけたって、深入りして散々な目にあって泣いて帰って来ましたヤン…w まあそこに至るまでに国中焦土にしたけどねw
ポーランド国歌に歌われているのは、ナポレオンでは無く、ボナパルトの方で・・・ ポーランド国歌「ドンブロフスキーのマズルカ」が、イタリア=ポーランド兵団の軍歌として作られたのは1797年。 第一次イタリア戦役でのオーストリアに対する度重なる勝利、イ タリア=ポーランド兵団創設に当たっての尽力等、歌詞にも有る様にボナパルト将軍が勝つ為の戦い方を教えてくれたと。 そんな期待や信頼もボナパルト→ナポレオンになると徐々に失望に。 それでもナポレオンに賭けるしかなく、ポーランド兵は大陸軍と共に転戦・・・
アンジェイ・ワイダ監督の「灰/Popioly」は、半島戦役に従軍したポーランド兵を描いた映画です。 ナポレオンのスペイン遠征に参加し、ソモシエラ峠では軍人としての栄光に輝いたポーランド兵達。 しかしサラゴサ包囲戦では、祖国復興や軍人としての栄光とは程遠い戦いと死が・・・ 日本未公開?なのかDVDも有りませんが、ソモシエラ峠のポーランド軽騎兵の突撃は後々と対比させる為か、かなり勇壮に描かれています。 字幕無しのポーランド語版しか観た事がないので、細かいストーリーはorz
全くの余談だけど今は亡きAH社の名作ボードウォーゲーム「戦争と平和」の中で 英仏露の陸軍正規兵と同様にポーランド(正確に言えばワルシャワ公国)陸軍の正規兵の士気がオプションルールで2だったのを思い出す。 墺普等の他の国々の正規兵は士気が1と評価されていたのに。 史実的には違和感があるかもしれないけれど、ポニャトフスキ元帥も高く評価されていて、AH社のスタッフはポーランドが好きなのだなとつくづく思った。
493 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 03:03:44.93 ID:4KcfPk5B
>>65 ナポレオン「われわれの部隊は好んで前進する。侵略戦争が好きなのである。
しかし一つのところに留まって防御態勢にあることはフランス人は不得手である。」
>>492 懐かしいゲームをw
指揮官ユニットの数値に突っ込み入れながらプレイするのが好きだったなぁ
ミニチュアウオーゲームでの
一般兵(戦列歩兵)の比較では、ポーランド兵の士気はフランス以上、機動力はフランス並でしたよ。
フランスには別格の老親衛隊がいたけど。
それと同格のイギリス近衛とライフル銃兵も凄かった。
スレ住人の造詣深さに脱帽 俺なんかせいぜいエポックの戦国大名止まりだぜ
ボードゲームの話とかしてると編制スレと間違えたっけと思っちまうぜい
ボードゲームとか意外と歴史知識がないとできないし また現実を反映するからな(違うとファンが簡単に修正ルールを自作するし) PCゲームとかとその点が異なるな。 SPIのナポレオニックゲームでフランス軍最良の指揮官がナポレオンではなくダヴー元帥だったのは本当に意外だった。
無敵なんだから仕方なかろうw 史実を反映させたら、スヴァーロフなんかも凄いことになる。
突貫じじいスヴァーロフと、地味に守りも強いダヴーが夢の対決って、胸アツじゃね?
年齢差があるから夢でしかないけどな。40歳ほど違うから。 スヴァーロフが鍛え上げたロシア軍があったからナポレオンの打倒が成ったことを思うと 本当にスヴァーロフがいなかったらロシア遠征等の結末も少しは変わっていたかも
銃剣は弾丸より頭がいいんだよ。
ロシアの強みは国土のデカさを活かして戦闘以外の面で相手に負担を強いる点でしょ 鍛え上げられた精強な軍隊があったとしても、オーストリアと同じくらいの広さの領土だったら 一ヶ月でナポレオンに征服されて終了だった
脇道に逸れるが、埼玉、寄居北条まつり。午後から合戦。
>>502 出先で戦った1805年と1807年戦役ではフランスに敗れていますからね。
それ以前、革命戦争中にもチューリッヒでマセナに敗れているし。
決して弱い軍では無かったけど。
細かいけどスヴァーロフじゃなくてスヴォーロフじゃないの?
スヴォーロフで正解
スワロフとずっと「坂の上の雲」で思い込んでいた。
クニャージ・スワロフ・・・国親父座ろう アレクサンドル三世・・・呆れ三太 ドミトリードンスコイ・・・ゴミ取り権助
ロシアが雄飛したのはやっぱり大北方戦争がきっかけかな。 そして、スウェーデンは没落してしまった。 大北方戦争を調べるのにいい資料はありませんかね。
宝島かよw
イギリス海軍には悪名高い強制徴募があり、船に連行されれば、過酷な労働と理不尽で残酷な罰則という、奴隷労働が待っていた。 長期航海の死亡率は高く、それ故に強制徴募が必要で、反抗的で志気の低い船員を、強権で支配せねばならない、悪循環が原因である。 民間商船も似たようなものだが、罰則が少しだけ緩く、途中で辞める権利があるだけマシだった。 ただし給料は航海が終わるまで支払われず、対して海軍では定期的な支払いがあり、港ごとの上陸でストレスを発散することが出来た。 海賊は、そうした制度に対するアンチテーゼといった側面があり、この時代としては珍しいことに、民主主義による合議制で運営された。 無能な船長や、有能でも残忍過ぎる船長は罷免されることがあったし、収入は地位に応じて公平に分配された。 また負傷や功績には特別手当てが支払われ、犯罪組織にも関わらず、船員にも人間としての尊厳が認められていた。 少なくとも、カリブの海賊については……彼らの根拠地はアメリカ大陸であり、名高い黒髭もアメリカに定住した時期がある。
勉強になります
黒丸渡されちゃうんですね
あの宝島の黒丸って本当に海賊の風習だったの?
知らね。でも、J・デップの海賊映画でも黒丸のくだりがでてくるね。
そういえばナポレオン戦争で死んだ英海軍の将兵の9割が病死だったとか いうのは本当なのだろうか。戦闘で亡くなるよりも病死の方が10倍近く多いなんて 幾ら時代とはいえひど過ぎる
当時の海軍の居住状態なんて不衛生極まりない奴隷船みたいなもんでしょ フランス海軍も停泊中に疫病にやられてトラファルガー開戦に臨む羽目になったし
昔ホーンブロワ―のTVドラマやってたけどまた再放送しないかな
コロンブスやフランシス・ドレーク並みの航海になると、戦死と病死の割合ではなく、単に死亡率が九割くらいになる。 つまり生還の見込みが一割。 といっても、いったん会戦になれば死傷率は凄まじいものになり、一時間もかけず、乗員400人の内300人死亡なんてことも…… 陸戦ではとうてい考えられない。
そらまあ乗り込んで白兵戦とか 船が沈んだりしたらすごいことになるわなぁ といっても魚雷で轟沈一発全滅とか船はいつまでたってもそうういうものでは
>>519 艦長がビスケットのうじ虫を叩き落としながら食べるシーンが秀逸
以前旅行でポーツマス軍港へ行きHMS「ヴィクトリー」を見学した。その隣に 海軍博物館があり、そこにトラファルガー海戦のコーナーがあるんだが、 最初の部屋がヴィクトリー号の甲板のセットっていうのはいいとして、次が ヴィクトリー号の医務室(最下層の船倉)のセットで手足を切断された負傷者の マネキンが転がり、バケツには切断されたマネキンの手足が沢山入っている セットだった。スピーカーから流れてくるのも負傷者の呻き声という懲りよう。
昔は麻酔なしでとにかく切断しかなかったからなぁ
スターリングラードでもかわらねえわ ノコギリでギコギコ 時代違うけど日本の戦記だとノコギリ読んだ記憶がないな 切ららなかったのかしらん
切ったらもうまともに戦えない→後送しても貴重な軍医・医薬品の無駄使い→だったら武士道見地で・・・
金創医でぐぐっても手足を落とすってのがでてこないから、江戸時代末期までは そういう発想がなかったのかも。 西南戦争では切断の記録があるみたいね。
映画ひめゆりの塔で 「麻酔が無いから我慢しろ」て事で足をギコギコやってた
>>528 昔の日本人って刑罰にしても家畜の去勢にしても
生きている体の一部を切り落とすってのを避ける傾向にあるよな
禁忌なのかしらね
>>521 当時の海戦は、船を沈めるのが目的ではなく
拿捕するのが目的。なので士官は殺すが下っ端は
殺さない。
>>530 鼻そぎ、耳そぎは刑罰としての意味の他に前科者の識別という役割があったが日本では江戸期に刺青を入れるのが一般化したせいで少なくなった。
刑罰以外では儒教の影響で親からもらい受けた体に傷を付けて変形させることはタブーだという暗黙のルールがあった。
(「身体(しんたい)髪膚(はっぷ)、之を父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは、考の始めなり」)
【入墨‖刺青】より
…古代には黥刑(げいけい)の例があるが,制度としては将軍徳川吉宗によって整えられた。
吉宗は1720年(享保5)耳そぎ,鼻そぎの刑に代えて採用したが,これには中国の明・清律の刺字(しじ)の影響がある。
同年に始められた敲(たたき)刑とともに,窃盗罪に対する刑罰として,《公事方御定書》以後,幕府法上最も用いられた刑種であった。…
身体刑・鼻耳そぎ
江戸時代の初期においては、キリシタンに対し、顔に焼印を押され、手の指を切断する刑が施行されていた。
他宗を罵った日蓮宗の僧侶に対して行なわれたこともあるという。
指切り、耳鼻削ぎ、という刑罰は、普通の犯罪にも用いられた。
寛文〜天和にかけて確認されている。
しかし、幕府は、宝永6年に、耳鼻そぎを廃止した。
ただ、享保三年に、密輸に対して復活させた。
>>520 トラファルガー海戦で見てみると、勝敗や艦の位置等によって死傷率もかなり
違う。
英軍で一番死傷率が高いのが「ベレロフォン」で乗員590人に対し戦死40、負傷160。
旗艦「ヴィクトリー」も先頭に位置していたからか英軍の中では案外高く、
乗員837に対し戦死57、負傷74。これはもう一つの戦列の先頭だった「R・ソヴリン」
と同じような感じ。
一番死傷率が低いのが戦列最後尾にいた「プリンス」で死傷者なし。
仏西連合軍では沈没艦は当然ながら死傷率が異常なほど高い。旗艦ヴューサントールは
乗員800に対し戦死197、負傷85。両軍通じ一番大きいスペインの「サンテシマ・トリニダ」が
乗員1200に対し戦死216、負傷116。「ヴィクトリー」に接舷した「ルドゥターブル」は
乗員700に対し戦死490、負傷81と凄まじいの一言。逆にスペイン軍の「サン・フスト」
なんかは「ルドゥターブル」のすぐ後ろに位置していたにもかかわらず、乗員700に対し
戦死0、負傷7と最初からやる気が無い艦では当然ながら死傷率が低い。
ちなみに「サン・フスト」は降伏後どさくさにまぎれ逃亡。
優秀な艦長だなw イギリス側で戦った半島戦役では陸軍が度々逃げ出しているけれど。 誰の戦争だと・・・ 民間人の闘志は凄いのにね。 サラゴサとか。
当時のフランス海軍は、ルイ16世の肝いりによる拡張後で、それなりにイギリス海軍と張り合えそうな気運になってたんだよ。 けど装備だけ整えても人が追いつかないから、連度が低く運用方針も曖昧なのに加えて、革命で士官が更迭されていたという。 ちょうど、スターリンが馬鹿やった赤軍のようなもので、革命委員という名の、政治将校も派遣されており、当然ながら弱かった。 なのにフランス軍人は、アンジャンレジームの伝統にのっとり、或いは革命の狂熱に当てられて、死ぬまで戦うんだから始末が悪い。 腕一本になるまで撃ち砕かれても、フスマ桶に入って絶命するまで指揮を続けたとか、両脚を吹き飛ばされてもへこたれず、 もう一度ど砲弾に吹き飛ばされて粉砕されたとか、まぁ……
米独立戦争中は小規模な海戦で英軍に勝ってるからな 新大陸で仏軍が活躍し米国が独立出来たのも海戦での勝利があればこそだ
そういえば、アメリカ独立戦争時に幻の英本土上陸作戦計画が立案されたらしいな 1783年にフランス、スペイン、オランダ、アメリカ等の海軍力を結集して、英本土に上陸。 ロンドンを占領することによって、戦争を終結させるという壮大な計画。 チェサピーク湾の海戦が史実と異なり、ヨークタウンの英軍に対する救援が成功していたら行われていたらしい。 史実では海戦の勝利によりヨークタウンの英軍は孤立して降伏へと至るのだが。 もし、行われていたら、星条旗がロンドンに翻ることになったかもと夢を見たくなる。
フランスが英国に復讐する為のダシに過ぎなかった程度の辺境国が 今や世界の覇権国だ
いま気がついたんだけどなんでハルバードみたいな万能武器が日本国内には無いんだ?
>>539 万能かはともかく、長柄に斧という組み合わせは日本じゃ少ないな
戈や戟も早々に廃れてしまうし
ハルバードは多彩な攻撃が出来るけどそれを使いこなせる人間は限られてたというし
「なんでも出来るは何も出来ないに等しい」を地で行く武器だな
槍と薙刀があるんだから、それで十分 ということじゃない?
ハルバードが実際に使われた時代って、けっこう短いよ? 製造にも使用にも技術力が要求される以上、ある程度の文化・文明が必然だしね。
武器術を含む中国拳法も、日本の諸流派も、体系化したのは中世末期だしね。 ハルバードのように、技術伝承が前提の武器は、どうしたって比較的に近年に発生する。 逆に槍や斧はもちろん、弓矢ですら、作られたのは石器時代まで遡れるし。
しかしゼッフル粒子の開発により銃が使えず白兵戦の時代に立ち返って大活躍するのは 石器時代の勇者こと装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将ですよ
用途の違いだよ。 スイス傭兵だって、祖国防衛のために戦っていた時代、つまり山岳戦ではハルバードを使っていた。 スペインのテルシオも、レコンキスタの時代は、城邑攻防戦が多かったので、円盾兵を抱えていた。 日本も足軽の時代に入るまでは、薙刀や長巻きが使われてたろ? 戦争が大規模なものになり、集団戦が主流になると、それに適した武器が使われるだけだ。 敢えて付け加えるなら、隊列に飛び込んで来た敵を倒すため、一定数はハルバード兵を抱えてたよ。 他にも剣を持ったブロードソードマンがいたし、ランツクネヒツにも、騎士の剣術を学び大剣を帯びた、倍給兵なんてのがいた。
やっぱり男ならランス持って騎乗突撃したいところだ
>>546 そのハルバードが
隊列に殴りこんできた徒歩の騎士が抱えた長い馬上槍に負けたわけだが
徒歩の馬上槍ってナニ?
ハルバードのレプリカもったことあるけど先っぽが重すぎてまともに扱えんかった 一見なんでもできる最強武器みたいに思ってたけどそこらの食い詰めものにいきなり もたせてもただの使えんくそ武器にしかならんな
槍は現代戦闘でも有用だからな 人類史通じて最強の武器の一つ 徴兵された一般人が持つ銃剣は、剣道有段者の振るう日本刀に勝るのだ
今戦場で槍持ってる奴なんていないぞ 対戦車ミサイルの事じゃないだろうし 剣道に慣れた人だと刀折らないか? 間違った持ち方で叩き付けるし
槍が銃剣として残ったという事じゃまいか?
少なくとも近代レベルの戦いなら槍はまだまだ使えるみたいね。 第二次エチオピア戦争でエチオピアが新兵に槍や弓持たせて圧倒的劣勢ながら善戦してる。
それは待ち伏せ攻撃で白兵戦なら戦えるんじゃない?
第二次エチオピア戦争では槍以外に刀や盾を持って戦う部隊まであったらしいが それは非正規師団に限られた話のはず。正規兵だとさすがに槍や弓は装備していない。 そんなことを言い出したら、日本だって国民義勇戦闘隊は竹槍が主武器で米国正規軍に勝つつもりだった。 あくまでも非常用。銃とかが不足している場合に止む無く槍を採用しているだけだろう。
槍は集団が使うには最も安上がりで簡単な武器なのがいい 軍隊のメインウェポンとしての地位を槍が完全に銃に明け渡したのはここ100年くらいだからな 槍の前では他の武器など端女同然 というのはいささか暴論かな
高い習熟度を要する長弓兵やハルバード部隊が国民国家時代に廃れたのは、 単に兵器として銃のほうが強力になったというだけでなく、 銃の扱いが簡単に習得(習熟ではなく)できるものであるという点が大きかったんだろうね。 徴兵されても数年で除隊して予備役になっちゃうような兵に特殊な兵器を扱わせたりできないもんね。 中世のイタリア都市国家群でも防衛戦に駆り出される市民兵は、扱いが容易で威力が強力なボウガン使ってたし。 職業軍人以外の兵にとっては武器の扱いやすさってのは重要よね。 徹夜明けのテンションで書いてるので変な事書いてるかもしれないが、自重しない。
長槍系統の武器は集団で戦列組むには良いってのは同意だけど、他の武器が端女同然はちょっと違わないか? 正面から突破されにくいのが強みとはいえ、状況や地形、もしくは損耗等で戦列に乱れや穴が生じる、 もしくは、機動力で側面や後背を突かれるってのは発生しうる状況だし、そうなると長槍は脆弱。 そういう自体に備えて、一定数の予備隊をそれらの状況に対応しうる剣や長柄で武装するのは意味がある。 要するに諸兵科連合で弱点なくすのが重要よ。 そして、長槍より長い射程を持つマスケットで、そして剣や長柄が銃剣で代用されると、両方姿を消すけど。
戦列歩兵が棒立ちなのはマスケットの命中率が余り脅威でないからというが 一度伏せると立ち上がろうとしない兵士の心理が最大の理由だろう
寝ると弾込めが出来ない その状態で相手が銃剣突撃してきたら非常にやばい
559はテルシオのこと知らないのか?
テルシオにも剣兵いたじゃん
>>563 クリックしたら「トロイの木馬が検出された」て出たんだけど・・・
>>558 よく訓練された専門職であるスイス傭兵がハルバード捨ててパイクにしてるんで
単純に長柄武器は長いほうが強いってことなんだけどさ
>>549 ランスを抱えた騎士が歩きで殴りこんできて
スイス傭兵のハルバード隊をフルボッコして勝ったんだよ
時期をおいた別の戦いでも再現されちゃって
長い槍はハルバードより強いと証明されちゃったわけ
ランツクネヒトにおいて、パイクを切り払って崩す役が両手剣だが あれはポールアックスじゃ無理なんかね
>>568 左右に縦横無尽に振り回せるかというと難しいんじゃないかな
斧系の武器は重心が先端にあるので、威力はあるが扱いが難しい 振り回すのは相当の膂力が必要
現在の技術の粋を集めて軽くて振り回しやすい金属を使って銃剣ならぬ銃斧みたいな打撃武器を作ったらどうか??と夢想してみたけど よく考えたら重量が減るとその分だけ叩きつけた威力が減るから本末転倒だった。
グラスファイバーとカーボンで釣竿みたいな槍とか 拳銃作ったほうが安いんじゃないかw
近接武器に技術をかけるよりも 射撃武器に技術をかけたほうがはるかに効率的なんだよなw
刃物なんて一回切りつけたら曲がったり破損したりするし 銃剣や槍なんておしくら饅頭を効率よく遂行する為の補助道具だよ 一番重要なのは人間集団や騎馬集団が突進する圧力なんだ
>>575 そこで出すなら大太刀か長巻だろう
騎馬武者を引きずり下ろすって用途を満たさないけど
>>571 ダンケルク撤退直後のイギリスが水道管使って鎗作ってたよな
そういえば、この時代ではオーストリアは軍事大国だったと思うけど 名将としてはプリンツオイゲンくらいしかいないよね。 これは私が無知なだけ? それともやっぱりハプスブルグは結婚せよで、結婚であれだけの大領土を確保するという 超幸運に恵まれていたのだろうか?
戦うハプスブルク家 (講談社現代新書): 菊池 良生 ハプスブルクとオスマン帝国 歴史を変えた〈政治〉の発明(講談社選書メチエ):河野淳 でハプスブルク家軍事力の変遷・概要がつかめるかな。 しかし戦史分析各スレ(幕末・中世)で同じ時刻くらいにアレなカキコをしたのは土鍋か? 隔離スレから出てこないように。
メラスはナポレオンに競り勝った名将だ
そういえば、七年戦争で活躍したラウドンやダウンは名将といえないかな。 特に私はダウン元帥が好きだ。WWUのモントゴメリー元帥や南北戦争のマクレラン将軍のように 必勝の体制を整えてから攻撃するという堅実さが玄人好みというか。 確かに少数で多数を破るのが名将というのは分かるけど、そういう賭博を総司令官は打つべきものじゃないと思う。
しかしカール大公にしてもナポレオン相手だと負け戦の方が多いような
大切なのは最後に勝つ事じゃないのかな? 軍事的才能を証明することと、政治的利益を得ることはイコールじゃないからね。 連戦連勝を続けても、何一つ利益を得ることなく、祖国と共に滅びたハンニバルだっている。
名将の定義問題になっちゃうなw
>>581 ゲームのランペルールで真っ先に潰される人のイメージが定着してる
連戦連敗で戦えば負けたけど最後の一回だけだまし打ちで勝ち 政治的にも勝利者になった劉邦を名将とは誰も呼ばない
そらまあ韓信がおるし…
>>588 劉邦の真価は張良・蕭何・韓信の例に代表されるように
優れた才能を信じ、それに仕事させることにあるから
仮に名君ではあっても名将ではない
カール大公の話をするけど 1809年の時にカール大公自身は開戦に反対していたからな。 オーストリア軍の再建ができていないと、でも皇帝は開戦を決断してしまった。 こういった経緯を見ると、1809年の敗戦の責任は皇帝が主じゃないか、と思ってしまう。
ハンニバルやナポレオンがスキピオやウェリントンに劣るということはあるまい 千代の富士が貴闘力に劣ることがないのと同じ事だ
>>582 玄人好みの堅実さといえばブラウン伯もなかなか。
こうしてみると七年戦争の頃はオーストリアとしては例外的に名将がいた頃だったんだな。 相手もフリードリヒ大王率いるプロイセン軍と決して弱軍ではない。 全く七年戦争当時のフランス陸軍がもう少しまともだったら。 あの頃は、ルイ14世とナポレオン1世に挟まれたフランス陸軍暗黒時代だからな。
多民族多言語でどうしようもない国家
>>594 オーストラリア史上名高い名君マリアテレジアが君臨した時代だからね
一方フランスはダメ君主ルイ15世だしw
オーストラリアとかいた オーストリアの間違いm(__)m
598 :
ルイ15世 :2013/06/11(火) 20:49:07.75 ID:???
>596 やだなぁ戦争なんて、世の中ラブ&ピースだぜっ! なぜ英語かって? 良いんだよ、細けぇことはどうだって……
全くこれだからルイ15世は 「大洪水よ、我に続け」だったかな ルイ16世が気の毒に思えてくる
それポンパドゥール夫人じゃね
ルイ15世のはずだが。 英空軍の617航空隊のモットーで そこで、ルイ15世の言葉が基と紹介されていたけど 間違いだったかな。英空軍当局がいい加減なことをいうとは思えないけど。
俺の持ってる高校の資料集だと 「われらの後は大洪水」ってポンパドゥール夫人の言葉になってるけどな wikのルイ15世に乗ってたけど伝説扱い >「朕の後には大洪水がくるであろう」(フランス語: Apres moi le deluge、「我が後に大洪水あれ」、 >後は野となれ山となれ)というルイ15世の有名な言葉がある。 >実際に言ったわけではないが、ルイ15世の晩年と将来の王政の終焉を象徴する言葉とされている。 じゃあ出典示せやって感じだが
マリア・テレジアの異名が軍母というのを どこかで見た覚えがあるのだが、これも間違いかな。 オーストリア軍の大改革を進め、それによって軍が精鋭化し 実力主義によって抜擢された将校から敬愛されて「軍母」と呼ばれたらしいのだけど
604 :
名無し三等兵 :2013/07/03(水) 19:09:33.90 ID:9uPSs3U5
何だか書き込みがずっと止まっているな マウリッツが創始したとされる士官学校を始めとする軍事革命だけど 参考にするのにはどんな本がお勧めですか
戦闘技術の歴史・近世編かな?
マクニールの『戦争の世界史』、ハワードの『ヨーロッパ史における戦争』 邦題タイトルがアレだけどパーカーの『長篠合戦の世界史―ヨーロッパ軍事 革命の衝撃1500〜1800年』も
安土桃山時代の島津氏の軍って、何であんなに精強で統率が取れてたんだろう。 信長の織田家と比べても、分家や家臣団の力が強くて主家集権が不十分だったのに、 実行には高い統率力の必要な釣り野伏せを多用したり、関ヶ原では捨て奸なんて決死戦術を採ってる。 どっちも少しのミスや戦の流れ次第で殲滅されることもありえるのに、 特に捨て奸に使い捨てられる兵たちをどうやって練成できたんだろう。
パーカーのアレの名前を見るたびに邦訳の人のあとがきを思い出す ちょっと織田家贔屓すぎるんとちゃうかってかんじ
意外と軍事革命を取り扱った日本語の本があるのですね。 1冊あればいいとこと思っていました。
全体的に大味でピンとこないけどな
軍事革命自体、日本ではなじみのない概念ですし どうしても専門的な内容になるので仕方ないのでは。 日本が鎖国していなかったら、軍事革命に対する評価もまた変わった気がしますが。
上で紹介されてない本だと、『火器の誕生とヨーロッパの戦争』(バート・S・ホール著) も良い本だよ。
最近読んだのではP・A・ロージーの『アジアの軍事革命』が軍事革命という概念を使って 東洋の歴史を分析する興味深い試みをしていた
プロシア軍が1806年戦役の敗北後に行った軍制改革も具体的に語られる事が少ない気が。 有ったとしても、参謀本部の創設や国民皆兵の話しだし。 連隊編成の見直し(中隊数の削減等)や、歩兵への標的射撃訓練の導入(新型マスケトの採用込み)とか、その手のベタな話しは滅多に無いよね。
19世紀だと、後半に英陸軍が後方支援体制なんかの改革をしたりしてるね(さすがにこれはこのスレの範疇から外れるか)。
>>614 そういうのは本当に詳しく知りたい人しか興味がないからな。
リシュリューが創設したフランス海兵隊のことを1度調べたことがあるけど
ネット情報しか見つからなかった覚えが。
県立図書館と市立中央図書館と2か所探し回ったのに1冊もそれに触れた本がないとは思わなかった。
>>616 司書さんに頼めば他の図書館の蔵書も調べてもらえるよ
可能であれば取り寄せも出来る
司書さんに尋ねたら 海兵隊なんてアメリカ以外にあるの知らなかったわレベルでした。 どういう本があるのか書名は自分で探すのね、と暗に言われた気がして。 それ以上聞く気が失せてしまいました。
>>618 そりゃまた無能にあたりましたね
最近流行りの司書資格持たないパートなのかもしれず
自分が知らない興味が無いものでも調べて探すのが司書の仕事だもの
フランス海兵隊の歴史の出ている書籍を探してください と言われて実際に探しても該当の書籍はありませんと言われるだけの気がする。 フランスならまた別だろうけど。
ある程度の規模以上の大学図書館オススメ けど、本当に知りたいなら本に頼るよりも論文検索とかした方がいい
和書でフランス海兵隊が出て来るとしたら横浜駐屯や下関戦争辺りの幕末関係? 実際に駐屯していたのは海兵隊/海軍歩兵(Infanterie de Marine)では無く、陸戦隊(Fusiliers Marine)だけど、何故か海兵隊と紹介される事が多いみたい。 フランスの広い意味での海兵隊(Troupes de Marine)の歴史は複雑で・・・
現代フランスの場合、海兵隊なのに陸軍の隷下にあるという分からない有様になるからな。 海兵隊なら海軍の隷下にあるべきだろうと言いたくなる。 陸戦隊ということは、軍艦に乗り組んでいる水兵から臨時に陸戦隊を編制していて 常時編制ではなかったということだろうか?
>>625 安心しろ、私にも読めない。
現在のフランスでは海兵隊は外征用の部隊と植民地警備用の部隊とがあるみたいだな。
歴史的経緯から海兵隊の呼称を現代も残しているだけで普通の陸軍と同じみたいだ。
>>624 確か予算的に陸上兵力を維持する事が出来なくなったので陸軍に移管、みたいな経緯だったかと。
18世紀中頃には、艦上勤務を行わない陸上兵力の海軍独立中隊(Compagnies Franches de la Marine)を、カナダだけでも40中隊以上派遣していたのに・・・
陸戦隊は艦上勤務の水兵からの編成ですね。
但し、フランス海軍には常設の陸戦隊も有り、その一部は懲罰部隊でした。
特定の艦には所属せず、主に植民地の警備に充てられていた様です。
日本海軍の陸戦隊と同じですね。 懲罰部隊は無かったと思いますが。 ロシアの海軍歩兵もフランスと同じくらい古い歴史があるはずですが あっちの方はもっと詳細が分からない。 北方戦争や七年戦争、ナポレオン戦争にも参加しているらしいのですが。 詳しくわかる資料はやはりロシア語しかないのでしょうね。
海兵隊にも、強制徴募した水兵が反乱した時の鎮圧用とか、海戦時の接舷斬り込み用とか、植民地防衛用とか、国ごとに導入の理由が違うしな。 それだけに質の違いも大きく、例えばアメリカ海兵隊は大戦時から精強の代名詞だが、帝国海軍陸戦隊は、日本国内では弱兵呼ばわりされてた。
アメリカ海兵隊は第一次世界大戦で武名を挙げるまで 不要で廃止論が絶えない状況だったからな。 1909年の予算案可決まで国家予算上でも海兵隊は明確にされない存在だった。 今のアメリカ海兵隊を思うと隔世の思いがするな。
戦列歩兵がオワコン化した後の歩兵ってどんな風に戦ったの?
散らばったり塹壕掘ったりじゃね?
633 :
名無し三等兵 :2013/07/17(水) 19:14:30.05 ID:ZExqehjs
幕末スレで聞いたら、と思ったら 消えてるね
次スレも立てずにどうするつもりだろうと思って見てたら案の定消えた バカなんだろう
635 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) 11:52:01.65 ID:xk+4RijX!
ナポレオンのロシア遠征、大遠征の失敗例として有名だけど、あれだけ綺麗に焦土戦術されて スモレンスク時点で1/3になってるのにそのままモスクワ落とすとこまで持って行けたってのは凄い事だな 戦闘での損失じゃなければ損耗率70%とかでも耐えられるんだなと感心した 無駄だったけど
>>631 よみなはれ
南北戦争―49の作戦図で読む詳細戦記 (学研M文庫) クレイグ・L. シモンズ
手に入れるの難しいだろ それに戦い方については書いてなくね? 最初に 無謀な突撃を繰り返し死山血河→塹壕掘りまくり ぐらいは書いてあったけど
結局、肩と肩がくっつく程だった隣の兵士との距離が段々離れていっただけ なんじゃなかった?
>>635 復路の退却戦も凄いと思うよ。
烏合の衆と化した大部隊を、士気を維持した少数の部隊で守りつつの退却だったから。
特にベレジナ河の戦いでは退却の惨状の中、後衛、陽動、橋頭堡確保の部隊に別けて複雑な機動を行っているし。
ライプチィヒ会戦からの退却中に行ったハーナウの戦いも、烏合の衆の中で士気を維持していた少数部隊を率いて勝利している。
ナポレオンは、この手の戦いが得意なのかな?
南北戦争も基本は戦列歩兵戦術では? 横隊に先行する散兵の比率は増えたみたいだけど。 連隊レベルでは、 ナポレオン戦争:1大隊(6〜10中隊)の内、散兵中隊は1 南北戦争:1大隊(10中隊)の内、散兵中隊は2(明確に散兵中隊や軽歩兵中隊等、名付けられてはいませんでしたが) 両方共に、あくまでも一例ですが・・・ また、師団レベルでは話しは変わるかと。 南北戦争での戦列密度の具体例は解らない・・・ ナポレオン戦争中のフランス軍では、 前後方向(前列の背嚢後端から後列の胸まで)は13インチ、左右方向(基点不明)は26インチでした。
641 :
夢幻 :2013/07/19(金) 16:24:01.63 ID:???
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デブがいると隊列間隔はどう調整するんだろう と素朴な疑問
>>642 中隊の隊列には身長による振り分けが有ったけれど・・・
一列目:身長の高いグループ
二列目:身長の低いグループ
三列目:中間のグループ
各列共、右に行くほど身長が高くなる様に。
規格外は三列目が無難な気がする。
想像だけど。
俺は二列目か…あんまり安全じゃないな
646 :
夢幻 :2013/07/20(土) 18:47:08.02 ID:sr3VcQG0
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自衛隊でも基本身長高いのが前だよな
背が低いと理屈の上では弾が当たりにくいよね
何列にいても転がり続ける砲弾からは逃げられない・・・
戦列歩兵は所詮ボーリングのピン (。´Д⊂)
つまり背の高い奴は盾かい
保守がてら 1692年10月1日制定、フランス軍歩兵中隊の下士官兵士定数 2名 軍曹(ショートパイク、ハルベルド) 3名 伍長(フリントロック・マスケット) 5名 anspessade/兵長または上等兵(フリントロック・マスケット) 10名 槍兵(パイク) 13名 フュジリエ(フリントロック・マスケット) 21名 マスケッティア(マッチロック・マスケット) 1名 鼓手 合計55名、この内1〜2名にライフル・カービンを装備させ、カラビニエとする。 人数と人選は大尉の裁量で。 同年の末にはシュテインキルクの戦訓から、槍兵とマスケッティアが減らされ、フュジリエが増やされることに。
めんどくさい諸兵科連合だな しかし中隊で55名か
フリントロックとマッチロック混ぜてたのね
映画ワーテルロー見て思ったんだけど ワーテルローより前のアメリカ独立戦争や ワーテルローより後の南北戦争では 士官の号令で一斉に射撃してるのに なんでワーテルローではバラバラに撃ってるの??
映画だからじゃない?
>>654 中隊は兵を管理する為の単位で、戦闘時に大隊(13個中隊)を組む時には一旦バラされ、兵種毎に決められた配置に付きました。
大隊の中央から左右両翼に向かって、槍兵→マスケッティア→フュジリエみたいに。
5横列(rank)、130縦列(file)、合計650名。
1個中隊が50名の計算になりますが、将校と鼓手の全て、下士官の一部は隊列の外側に位置したのだと思います。
下士官兵卒の事を rank and file と言う位ですから。
>>656 各レベルの斉射だけではなく、各個射撃も制定されていましたし。
660 :
夢幻 :2013/08/12(月) 22:25:33.59 ID:???
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>>655 ニワカの思いつきで悪いが単純なとこコスト問題、深読みすると故障対策なんじゃないか?
仮にフリントロック組が火打ち石切らしたり機関部を破損しても、マッチロック組から予備の火種貰って火皿に突っ込めば取りあえずは撃てるみたいな。
幕末でも火縄銃とゲベール銃併用してる藩はあったからな。 秋田の久保田藩兵はちょうど1692年のフランス軍と同じレベル。
幕末でも火縄銃とゲベール銃併用してる藩 各藩の導入状態知りたいけど幕末(19世紀後半)スレが落ちてるな 建てられそうな方は [19世紀後半(幕末)総合]南北・普仏・西南・日清戦争 06 でお願いします
664 :
名無し三等兵 :2013/08/13(火) 19:06:17.52 ID:5di/eXjY
>>664 ありがとうございました・・08でした・・すまぬ、すまぬ・・
>>655 >>661 フリントロック式はマッチロック式と比べて特に故障が多かったと言う事は無かった様です。
不発率はフリントロック式の方が約50〜33%少なかったと。
両者の混在は予算的な物も有ったでしょうが、軽量なフリントロック式は口径も小さく押さえられていました。
その為、威力も低くなってしまい、全面的な切り替えとは成らなかったのかも?
ルイ14世はフリントロック式の低威力を嫌い、1653年、1656年、1665年と3回も全数破棄の命令を出した位ですから・・・
しかし、大口径フリントロック式の登場も有り、1670年より再び配備が始まり、マッチロック式は1699年12月に廃止されました。
667 :
ジコ坊 :2013/08/16(金) 04:30:12.34 ID:???
ルイ14世はん、石火矢(ハンドキャノン)は要らんかね?
17世紀中盤以降の英国辺りのマッチロック・マスケットって 種子島では何匁辺り?
「世界を変えた 火薬の歴史」 クライヴ・ポンティング 伊藤綾 訳 ISBN 9784562049127 上手く纏まった書物だった。
>>668 16世紀中頃、マッチロックの登場した当時は8番ゲージ(約21.2mm)でした。
同時期のアルクビューズが10番(約19.7mm)〜16番(約16.8mm)でしたので大口径と言えるかと。
16世紀末からマッチロックの軽量化が始まり、17世紀中頃には10番や12番(約18.5mm)の物が主流だったそうです。
初期のフランス軍フリントロックは約16mm(18番か20番)と伝わっていますから、ルイ14世が威力に不安を感じても仕方がないのかな?
ゲージ:1ポンドの鉛から何発丸弾を作れるか表した単位。
8番ゲージなら8発作れ、見方を変えると1発が1/8ポンド。
小口径の長銃身って技術的に難度高そうだな
ブラウン・ベスは人でなく馬を倒すための馬撃ち銃だからな。 しかも胸甲騎兵が乗るようなでっかい馬。 ワーテルローではそれが役に立った。
かなり昔の大河ドラマ「黄金の日々」で、川谷拓三扮する 善冶坊が助佐衛門に、竹製の火縄より木綿製の火縄のほうが 燃焼速度が遅いとかの 優位性を説いてたが その当時の火縄でコットン100%って かなり高価そう。
古着の木綿でええのじゃ。
676 :
名無し三等兵 :2013/08/18(日) 19:29:46.39 ID:ONpbG+VW
ふと思い出したのですが、火縄銃兵の場合、野戦の際の手持ちの銃弾は何発くらいだったのでしょうか。 まさか、2,3発? 秀吉の四国平定時に長宗我部兵に対し、秀吉軍が2発放って来たので、 長宗我部兵が秀吉軍が大量の銃弾を有しているのに驚愕したとか、 朝鮮征伐時に明軍の将軍が日本の鳥銃(火縄銃)は2発も撃てば弾切れになるので 野戦ならば明の大砲の前にはおそるるに足らずと豪語し、朝鮮の記録にも 火縄銃は野戦ではすぐに弾切れになるとあるそうなのですが、これって本当なのでしょうか?
早合を幾つかと玉入れ、火薬入れを持つので二発だけとかはちと考えづらいです ネットでチラリと見た話ですが武田家では一回の軍役に火縄銃一丁につき300発分の弾薬を用意するんだそうで 重量の関係もあるんで鉄砲足軽一人につき300発一度に持たせた訳ではないとは思う ・・・ソースが確認できていない所がアレですが
>>676 ヨーロッパのマスケッティアだと身に付けている弾薬は12発。
弾薬帯には、1発分の火薬を入れた木製容器が12本、弾丸の入った革袋、点火薬の入ったフラスコ等が付いていました。
この弾薬帯は十二使徒と呼ばれていました。
マッチロックの最末期には弾薬盒も使われる様になりましたが、収納数は不明です。
(小型の物で10発ですが)
予備の火薬や弾丸も持ち歩いていたとは思いますが携行方法は不明です。
服にポケットは殆ど無いし、雑嚢類も充実しているとは言えませんでしたし・・・
傭兵ブレーカーたんはもっとたくさん持ってたが 本がどこへ行った ちなみに本人は全弾撃ち尽くしたw
スイス人でプロシア兵士のブレーカーさんは7年戦争だからフリントロックかと。 ヴィルヘルム1世時代は30発だった弾薬盒の弾薬数を、フリードリヒ大王は即位の翌年には倍の60発に。 ブレーカーの本は面白いよね。 募兵将校の助手として契約したのに気が付けば戦列歩兵・・・ イメージ通りと言えば、それまでだけどw
300発というのは牛馬に運ばせる小荷駄も含めた分だろう。 玉薬はできるだけ用意したはず。 南部の武将の北信愛は、空砲でごまかして伊達の突撃を阻止したとか。
武器と防具幕末編には各国から丸パクリしたであろう洋式胴乱が数種類載っててなかなか面白い
683 :
名無し三等兵 :2013/08/19(月) 19:31:04.41 ID:/QRR68tx
さすがに300発もの銃弾を火縄銃兵が携帯して戦場に赴くのは無理の気が。 38式歩兵銃を主力にした日本軍の場合120発を携帯していたはず。 長篠を例にとれば織田軍は90万発もの銃弾を準備して携帯させていたことに。 武田軍1人当たり60発の銃弾がふりそそぐ。 散兵戦術を取れない武田軍は銃撃だけで消滅するな。
684 :
夢幻 :2013/08/19(月) 19:33:15.35 ID:???
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弾をいくら沢山もっていても、銃の方が耐えられない。
>>685 火縄銃はそんなに弾が撃てないものだったの?
まさか、数発で使用不能になったとか
>>686 ・ドカドカ間なしに連射すると銃身が加熱するパターン→水(小便)かけて冷やす
・火薬の成分の硫黄が多いと銃身に煤が貯まるパターン→径の異なる弾を複数用意しておく
どちらも数発撃っただけではならない
>径の異なる弾を複数用意しておく 補給担当泣かせだな。
ペンチの先をスプーンにしたみたいな奴で現場鋳造するのは日本ではなかったん?
>>688 戦闘では装填をスムーズに行う為に一回り小さい弾が初めから支給されていたけどね。
8番→10番みたいに。
>>688 封建時代だぞ、お貸し筒以外基本的に自前だろ
まあ名和弓雄がぶっ放した限りではカスとか煤がつまるなんてことはなかったらしい >・火薬の成分の硫黄が多いと銃身に煤が貯まるパターン→径の異なる弾を複数用意しておく 学者は文献をうのみにするんじゃなくて自分でも試してみろ とか何かに書いてた
複数のサイズの弾を用意するのはともかくとして、カスや煤は付着するのでは? 回想で読んだ気もするし(ナポレオン戦争従軍記?)。 薬室と火皿を繋ぐ火門もカスや煤で詰まるので、一定数射ったら針で清掃が必要だった位だし。 戦闘中は疎かになりがちで不発の原因にも。 古参兵などは針に細いチェーンと安全ピンを取り付け勲章の様に胸に着け、頻繁に清掃出来る様にしていたよ。
>>693 それ多分日本の火縄銃で使われていた調合の火薬だと思う
いわゆる黒色小粒火薬(硫黄8〜12%)。花火に使われる黒色火薬やね
一般にガンパウダーとして使われる黒色火薬は狩猟用黒色火薬(硫黄15〜20%)で
これは銃身の汚れが起こるために無煙火薬が登場するとそうそうに切り替えられている
これで連射すれば無視できない汚れが銃身内に貯まることになる
まあ火薬の違いかなぁとは俺も前々から思ってはいたが 読み返してみたら 硝石7、硫黄1.5、木炭1.5と書いてあるんでほぼ硫黄15%ですな 十発以上射囈すると、銃腔内に、焔硝の爆発時に生ずる硫黄化合物が、べっとりとこびりつき、 弾丸の通りが悪くなる。 その場合は、油や水をつけた紙玉を鉛弾丸の上につめて射撃して銃腔内をぬぐう(クリーンショットと呼ぶ)。 他にも方法書いてあるけど要するに清掃なので略す んで同氏の別の本によると 水や油をひたした紙を玉の上からこめたり、鉛玉に布をかぶせ貼り付けて撃ったりすれば、 三十発も四十発も撃てるのである。
「当時の」工作精度の低い火縄銃で試したのか 「当時の」不純物が多いであろう硝石、硫黄、木炭で試したのか その辺が疑問だがどうなの
火縄銃なんか法律で今更作れねえだろ 当時の火薬なんかあるわけないしあっても使えるわけもないだろ
現存するなるべく当時に近い火縄銃を使って 当時の火薬制作方法でやればいい 史料で詰まる詰まるって言われてんのに その辺も再現しないと片手落ち
>>699 >史料で詰まる詰まるって言われてんのに
何の史料?そんなに詰まった例たくさんあるの?
君を満足させるような統計資料もってないわ >史料で詰まる詰まるって言われてんのに はとりさげ >・火薬の成分の硫黄が多いと銃身に煤が貯まるパターン→径の異なる弾を複数用意しておく という説に対し >まあ名和弓雄がぶっ放した限りではカスとか煤がつまるなんてことはなかったらしい > >水や油をひたした紙を玉の上からこめたり、鉛玉に布をかぶせ貼り付けて撃ったりすれば、 >三十発も四十発も撃てるのである。 そういう再現実験したか聞きたかっただけなんだがな
『そういう再現実験』 じゃなくて 『どういう再現実験』 だな
今回の●個人情報流出騒動に絡み2ch閉鎖の噂もあるので念のため
2ちゃんねる 避難板一覧
http:// kisekiwo.com/hinan/
再現実験って、必要なら戦国時代〜江戸時代の鉄砲と武具を、アメリカに持って行って試射するほど本格的だよ? 日本国内では、実弾で的以外を撃つと違法だからね(火縄銃でハンティングは出来ない) ちなみに、空砲なら野外の演武などで発砲することもある。 逆に散弾銃やライフル、空気銃で狩猟をする時も、現場で試射して、照準を確かめることは許されない。 建て前だけでも、獲物にサイティングして、そのハズれ具合から照準のズレを調整するという…… 日本の法律・規則って、杓子定規すぎるよ。
>逆に散弾銃やライフル、空気銃で狩猟をする時も、現場で試射して、照準を確かめることは許されない。 当たり前だろ 照準調製は射撃場でやるものだよ。危ないだろう そもそも現場で照準合わせっていうのは、スコープがずれるほど銃を乱雑に扱ったって事で褒められることではない 現場でずれたら普通はそこで引き返すがな
杓子定規じゃない法律は嫌だなあ
戦国時代や江戸時代だと、女が使用する武器=長刀のイメージがあるけど、 1.何で槍じゃないのだろう? 2.他国でも長刀系なのか?
708 :
名無し三等兵 :2013/09/07(土) 09:02:25.68 ID:R4oB7aZx
>>707 槍は集団戦闘用、野戦用って区分はあったと思うけどね
僧兵なんかも長刀のイメージか
長刀だと刺突には使いにくい半面斬激には有利だから、護身用の長ものとしては使いやすいてのはあるかも
しかし江戸時代のなぎなたの各流派の伝承見ると、男ばっかりなんだよな。 揚心流:星野角右衛門・加藤田平八郎 直心影流:佐竹鑑柳斎 戸田派六甲流:強矢良輔 馬庭念流でもなぎなたは基本。
>>707 間合いが広くて、比較的軽く、振り回せばある程度の威力があるから
と私は考えます
>>709 長刀が刺突に使いにくい事はないんじゃないかなぁ
まぁ触ったことのない素人が言うのもアレだけど
長刀と祇鉈はよく混同されるけど、別の武器なのでは?
女性が戦うのは籠城戦ぐらい。 そう考えると長い柄の武器は使いにくい気がするけど。
鎧武者相手でも勢いで打撃与えられるからいいのかな
会津の中野竹子とか実戦で使ってるもんな。
僧兵や弁慶が持ってる薙刀と江戸時代の女子が使ってる のは少し違うみたい。柄は短いし刃は薄く 軽くなってる。 あとは、脛を薙ぎれるのが大きい
男性が使う大薙刀は江戸期に禁止されたのよ
>男性が使う大薙刀は江戸期に禁止されたのよ あからさまに適当なこと書くなよ
女性こそ弓みたいな支援武器を修練したほうがいいとおもった。
非力な奴が弓引いてどうするんだよ… まあそもそもなんで薙刀なんか習う必要があったのか謎だが
槍ではなくてなぜ薙刀なのかという明確な答えは今のところないね
一種の流行だよ 武士の婦女子は必ず薙刀を稽古しなくてはならないという風潮が生じ、いかなる微禄の家といえども、嫁入りの際には薙刀一枝は必ず持参した
ついでにいつごろからどの地方でどんな人が何のために女性がやってたのか全然分からん
そのソースが出てれば納得なんだがね その風潮がいつ始まったのかとか、文献上の初出とか
関が原の合戦のときの安濃津城で戦った富田信高夫人は「武功雑記」によると、 緋威の具足に中二段黒革威に半月を打った兜の緒を締め、片鎌の手槍を引っ提げて、瞬く間に5、6人を倒した。 「武功感状記」によると毛利の中川清左衛門を討ち取ってる。
そういうのだったら信長公記に高遠城の諏訪勝右衛門の女房が刀を抜いて切って回ったなんてのもある 「比類なき働き」「前代未聞」ってのは感状とかでもよく使われるやや誇張の入った定型表現だけど、いずれにしても 人目をひく戦いぶりだったのは間違いない ましてこれは同時代人の報告だし www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_16.pdf 信州高遠の城、中将信忠卿攻めらるゝの事 ・歴の上掾E子供、一に引き寄せ差し殺し(城内の将兵は、妻子を一人ずつ引き寄せて刺し殺し)、切つて出で、 働く事、申すに及ばず。爰に、諏訪勝右衛門女房、刀を披き切つて廻し、比類なき働き、前代未聞の次第なり。 又、十五、六のうつくしき若衆一人、弓を持ち、台所のつまりにて余多射倒し、 矢数射尽し、後には刀を抜き切りてまいり、 討死。手負・死人、上を下へと員を知らず。
>個人の護身用としては薙刀の方が適しているとから考えます だったら侍が部屋の鴨居にかけるのも手槍ではなくて薙刀になっていると思うんだがね
>>728 普段から槍の稽古をしていれば
薙刀ではなく槍を選択するでしょう
槍の稽古をしていれば護身には槍が向く、と つまり婦女子は薙刀の稽古をしているから薙刀を護身に用いるだけで 別に薙刀の方が護身に適しているってわけじゃないと自ら明らかにしたわけですね
名和弓雄氏によると敵討ちにおける女の得物はやっぱり刀が多かったみたいだな
否 侍は戦場で用いるから槍の訓練しているのであり、護身用ではない 普段から使い慣れている槍の方があまり触らない薙刀より良いでしょう
部屋の手槍は明らかに護身用ですが サイズ上護身にしか使えないというべきか
護身に最適じゃないという事実は明らかになったし別の理由からだろうな
>>718 幕府は刀身三尺以上の武器を"戦道具"と定めて士分であっても個人所有を禁じたんだよ
>>736 槍と薙刀のどっちが強いじゃなくてなぜ婦女子の武器になったのかだから
全然趣旨が違うだろ
>薙刀がいつの頃から女子のものと,言われるようになったか明らかではない。 >刀剣史によると,新刀期の慶長年間に武家婦女子用として,多く造られたといわれている あくまで「言われている」レベルだけど元和偃武以前からという説もあるわけか
慶長はもう鉄砲の時代ですけど 刀剣関係もそっちなの? じゃあ近世のサーベルチャージもわざわざそっちのスレでなんだね
>>358 至近弾の場合はって話も出てるね
その本読んでないんでわからないけど
http://paomaru.dousetsu.com/file/03_buki_015.html >さて、余談ですが私が昔読んだ長篠の戦を研究した本で面白いことを考え、実施した方が
おられました。あいまいな記憶で申し訳ないのですが、その作者は実際に竹束を前にして
火縄銃の射撃を行いましたが、至近距離で撃った弾丸が簡単に竹束を貫通したことに驚きます。
「竹束が簡単に貫通してしまうはずがない。何かおかしいぞ?」
そう思い、その作者は考え抜いた結果、竹の内部に土を入れて防御力を高めることに思い至ります。
そして至近距離で火縄銃を撃ってみると、竹束は見事に弾丸を受け止めて貫通しませんでした。
>>737 いやすまん言葉が足りなかったな
そのスレ読むと、そういう趣旨の論議してるレスもあるってこと
あっちでも結論は出てないから参考程度だけど
>>742 そのはなしはたぶん名和弓雄だろ
他にいるかもしれんが
なんかの戦国辞典立ち読みしてたら土嚢というかそういったものはそれで別にあったようで
結局何がどう使われてたのかよくわからなくなった
『懲録』見ると朝鮮側は急に日本側が竹の束を持ち出してきたのを驚く場面がある 間違いなく矢弾防ぎに使われてるよ
使ってはいたんだろうが中に土でも詰めてあるのか全部竹束なのかわからん まあ朝鮮、明も鉄砲はあまり使ってなかったようだし 直接関係ないけど朝鮮にも竹はいっぱい生えてるんだろうか それとも日本からはるばる持って行ったんだろうか
立ち読みした辞典の情報をよく吟味もせずに鵜呑みに出来るもんだと思うが
至近距離ではという情報が本当なら遠距離なら普通に防げたってこと?
火薬の調合が未熟で鉄砲自体の威力が低かったとか 口径が小さくて単純に破壊力が小さかったとかの理由で 慶長くらいまではただの竹束で充分防げたんだろう。 島原の乱では技術が進歩してたのか竹束がスパスパ抜かれるので 土をつめた俵を大量に調達して防壁に使ってる
「城に竹束にて寄る」というようなことは土嚢じゃできないし 用途に応じて使い分けたとかじゃないのかな?
>>676 >朝鮮征伐時に明軍の将軍が日本の鳥銃(火縄銃)は2発も撃てば弾切れになるので
>野戦ならば明の大砲の前にはおそるるに足らずと豪語し、朝鮮の記録にも
それはなんて記録でしょうか?
鳥銃関係は結構見たと思うけどそんな弱点書かれてたかな?
番筒と士筒を使った竹束射撃実験は、最近でも歴史群像シリーズがやってるよ。 写真つきで解説してるし、実験結果には、まず間違いはないと思うよ。 他にも 「長大な長槍は、穂先が垂れて、狙いが定まらない」 とか 「精妙な手の内が求められる棒手裏剣と、フルパワーで打てる車手裏剣の威力は、実は同程度」 或いは 「クロスボウで矢を撃った時、先が尖っただけの矢だと、厚いナメシ革より、フライパンの方が射抜き易い」 なんて、興味深い内容が沢山ある。
>フライパンの方が射抜き易い 生鉄を鎧の材質のようにミスリードさせる定番のトリックきたな
一口に『鉄』っていってもいろいろあるからなぁ
雑誌の実験なんてのは人目を引く結果をわざわざ見せたがるもの
日本武器集成とか北条時宗あたりか?
江戸城よりも台場の方を何とかして欲しい。 訳のわからんコンクリート製の砲架が有るだけだし・・・
地元の台場は芝の植わった低い小山で 陶器製の大砲のイミテーションが置いてあるだけだぞ 史跡はそんなもの
確かに・・・ 神奈川の方に有った台場は小学校になっていて、史跡の立札が有るだけだそうだ。
764 :
名無し三等兵 :2013/09/21(土) 01:28:34.51 ID:Ua4CcvC3
台場の一つは野鳥保護のため立ち入り禁止だが 台場公園の方は人が立ち入れるのだから、時代考証忠実に昔の姿を再現させたら観光名所になると思うのだけどね いまのコンクリート製のおもちゃみたいな砲架なんて、あれじゃ観光客は集まらないわな
そんなマニア向けの地味な物より外国人向けに見栄えのする物が欲しいって事だろ、 天守閣を再建しなかった歴史を無視してでも。
そもそも、江戸城に天守閣を建てるって話になると、皇居に手を入れて、一部とはいえ皇居内部を観光名所化するって ことになるが、宮内庁等の許可は出るんじゃろか?
つまり、陛下には京都御所に帰っていただけと?
陛下はちょっと東京に外出してるだけだ
>>766 天守台は現在も無料開放されており誰でも入れる
陛下の仕事場と住まいは別の区画にあり、天守閣とは数百メートル距離がある
天守閣から皇居が見下ろされないように、皇居側の窓だけ閉めておけば問題ない
んで再建するにしても当時の工法って再現出来るのかしら? 地方都市のお城にあるコンクリ製のなんちゃって天守って訳にもいかんし
宮大工がいる
あくまでも法律上は東京は天皇にとって一時の行在所ということになっているはず。 だから、法律上は天皇は京都に住むのが本筋だと何かで読んだが。 スレ違い失礼。
別に幕府をつくればいいだろ。南北朝時代は天皇二人いたし。
そう言や、私と結婚して次の天皇になりませんかってメールが流れてるらしいな
世界史板で某研見かけてなんかワラタ まだ居たのか
武板になぜかいてツイッターもやってる あんなのをフォローしてるヤツが100人以上いるのが笑えるww
まじかーw でもあの口調は好きだったwww
しかしまあつぶやきというツイッターの基本設計からすると むしろ某研のそれが正しい使い方だろうか
Twitter登場以前からツイートしかしてこなかった姿勢は先駆者のそれと認定しても良い物だろうか
材木が調達できるレベルの小城ならともかく江戸城の天守閣はなあ
集成材で作ればいいだろ 要は見た目が同じならいいんだ
そういう即物的な発想はどうも… 長野だかの某城観光で行って登ったが、中に入るとそこらじゅうにボルトで補強してるのを見た時には激しく萎えた…
建築なんだから安全基準は満たさないとな
つまり鉄筋コンクリートで建てるべしと
建物はまだ良い方だと思うよ コンクリートの開陽丸は・・・ 確かにコンクリート船も有ったとは言えねぇ
そう言えば、『男たちの大和』に使われた実物大セットも、建築基準法に引っかかるので、てっぺんを省略してたとか。 何せ高射砲塔群を歩けば、都心のペンシルビルの間を歩いてるような感覚になる代物だから……ほとんど城だよ、あれ。
そりゃ黒鉄の浮かべる城と謳われるモノですし
建造するもんだしね
トラトラトラの撮影では実物大の長門を再現したそうな ちゃんと艦橋も付いてた
792 :
名無し三等兵 :2013/10/12(土) 19:56:36.14 ID:cwA8Kz94
マウリッツからグスタフ=アドルフへの軍事改革は結構有名ですが その後のナポレオンまでの戦列歩兵戦術の進歩はどんなものがあるのでしょうか。 うまくまとめてある資料を見かけないもので。 よろしくお願いします。
>>792 >うまくまとめてある資料を見かけないもので。
>よろしくお願いします。
そんな美味しい資料があるならこっちが教えて欲しいわ。
ルイ14世くらいで銃剣が普及してパイクマンが消滅して、
フーリドリヒ2世くらいで戦列歩兵と機動砲と軽騎兵が連動した
横隊戦術が確立されて、ナポレオンで火砲の統一運用が確立して
散兵の支援下に縦深突破するようになった、てとこで。
擲弾って何か道具使って飛ばす発想はなかったのだろうか? 構造的にムリ?
後の迫撃砲である
日本の焙烙火矢だと導火線式だけど船に備え付けた投擲装置で飛ばしてたような
モンゴルは間違いなくやってようだなそれ 爆発のタイミングとか飛ばす途中で消えないかとか考えると威嚇兵器 ドンピシャで炸裂すれば怖いけどな
でも船にはつけてなかったかモンゴル てか元
紐つけて円盤投げみたいにして投げた例なかったっけ?
クロスボウみたいな装置で遠投して敵戦列に投げ込めれば 擲弾兵として選抜されるような勇士をむやみに危険に晒すこともなかったのではと思うが やれない事情でもあったのか?
クロスボウは一発ごとに巻き上げが必要ですごくめんどくさいんだが
巻き上げ式のしかクロスボウを知らない人が現実にいたとは…
別にテコ式でも単に引っ張るタイプでもいいけど大してかわらんだろ…
元寇のてつはうはカタパルトじゃなかったか
震天雷は投石機で使ってるけど攻城戦だな
>>792 パイク廃止(スペイン継承戦争中)以降の流れで重要なのに余り触れられない物を。
Platoon(小隊)とdivision(師団とは別の物)の導入
兵を管理する為の単位company(中隊)は小兵力の方が都合が良いのか、60〜80名で編成されていました。
しかし中隊単位の射撃では小兵力の為、火力が小さくなってしまう。
そこで2中隊で1小隊とし、斉射はこの単位で行う事としました。
(今と両者の関係が逆)
この小隊毎に斉射をする事によって大隊が間断無く射撃を続ける戦術は小隊射撃システムと呼ばれました。
更に2小隊を1division(旧軍による訳語無し)とし、隊形変換等の機動単位としました。
時にはdivision毎の斉射も行われたそうです。
この二つの編制単位は横隊戦術とは切っても切れない物となり、大隊>division>小隊>中隊の規模や関係は国毎に変化して行き、ナポレオン戦争の頃には結構な差が有りました。
お薦めの資料は、
The Anatomy of Victory: Battle Tactics 1689ー1763
Brent Nosworthy著
Imperial Bayonets: Tactics of the Napoleonic Battery, Battalion and Brigade As Found in Contemporary Regulations
George Nafziger著
アメリカ独立戦争をカバー出来ていませんが・・・
この前nhkの忍玉乱太郎でカノン砲やら臼砲が登場する攻城戦シーンやってた・・・ 戦国時代にはあり得ない光景だけど、実態弾の跳弾効果やら、塹壕、それから臼砲の装填シーンがあって少しリアルでおもしろかった。
大砲の使用自体はあり得なくもないけどね 大阪城ぐらいしか実例は知らんけど
日本の城は山にあるから重い攻城兵器もっていけないからね
櫓や御殿を吹っ飛ばすには十分な破壊力があるだろう 石垣は崩せなさそう
表面崩れても壁じゃなくて丘みたいなもんだからなー 中身詰まってる
>>808 天正年間くらいだと大友や佐竹なんかが青銅砲使ってたそうだな
大友は当然だがなぜ佐竹がって思う
>>812 日立の鉱山があったから資源と加工技術の基盤があったんじゃね?
鉱山はあっても肝心の技術者はどういう伝手で連れてきたんだろうかねえ 鹿島城を攻め落とすのに大砲を使ったなんて話があるんだが とりあえず宇田川先生の「鉄砲と戦国合戦」にある「大砲術の流行」を見てみると 戦国時代だと豊後大友氏が義輝に石火矢を送ったのが初見で その大友氏と対立関係にあった毛利氏なんかもポルトガルから入手したらしい 信長の鉄甲船に搭載されていたものも有名 文禄慶長の役の準備のときは諸大名から石火矢を集めるとともに 播磨の鋳物師に鋳造させたらしい あとは関が原でも使われたしその後の国替えのときに接収した土佐浦戸城の武装を 記した文書には大小九門の石火矢がある 大阪の陣のときは上の佐竹氏は自前で鋳造した五百目玉の石火矢を使ったんだと 鉄砲ほどではないけどイメージよりは普及していたもんだと驚かされる
実際この時代の鉄砲じゃなく日本のて大砲の話なら 宇田川さんの本を読めで話が終わりそうな気がするw 個人的にはあまり面白く感じないから苦手な人なんだがw
日本の城は意外と大砲に対して抗堪できるのでは と最近思えだした。(特に安土・桃山時代以降なら) 大坂冬の陣にしても淀殿が怯えなければまだ抗戦できたように思えるし、 戊辰戦争における会津鶴ヶ城にしても 西南戦争における熊本城にしても砲撃を受けながらも耐久している。 日本の城は砲撃に意外と耐え抜けるのではないか?
いや、別に意外でもない
大砲は石や木で出来た壁を崩すには最適な兵器だよ ただ石垣のような土の塊に対しては力不足だった
というか大砲ってもともと西洋とか中国のバカでかい壁壊すために発達した武器なんじゃないの?
日本の城は堀も含めて地形で守ってるからな
大砲も十分に備えていて攻城兵器も充実しているはずの大陸の軍が ろくに大砲もなかったところで発達した日本式の倭城をまともに攻略できなかったというのが 興味深いな
あんま覚えてないがそんな長期間の籠城戦あったっけ
824 :
名無し三等兵 :2013/10/13(日) 22:46:39.48 ID:491WM3jU
そういや籠城の時の作法で天守閣を燃やすというのもあるらしいけど、 落下物とか戦闘時の火事を防ぐためで良いのかな?
>>816 いや、戊辰戦争では五稜郭まで攻城戦が沢山あったけど、結局敵の強襲に耐えたのは鶴ヶ城だけだよね?
鶴ヶ城でさえ砲撃に耐えられず開城したと考えれば、砲撃に耐え抜けるっていうのはちょっと違う
ように思える。
戦国期に作られた建造物と19世紀の兵器を対比させるのは卑怯だろ
念頭にあるのは順天城の戦いと予想
守備兵力というか守備側の火力が足りなければそりゃ落ちるぞ
>>825 戊辰戦争で本格的な攻城戦って、鶴ヶ城くらいでは?
五稜郭は攻城戦に突入する前の攻囲を始めた段階で開城している。
二本松城攻防戦や長岡城攻防戦にしても、守備側が守備兵力を集める前に攻め落としていたと思ったけど違ったかな。
日本の城が大砲に対応してると言うより、大砲が堀と石垣に対応してない 総合的に日本城が大砲時代の攻城戦に耐えられるかは他の要素が大きい
よくわからんのだが何で石垣の話がでてくるんだ? 大砲で狙うなら石垣の上の建築物で、当時の大砲にそれを狙う精度と射程がなかっただけじゃね?
日本の城の防御力の本質は堀と石垣だから そりゃ建物はあった方が便利だが
掘りは日本限定じゃないし石垣は織豊時代後期がメインだと思うんだが
何が言いたいのかわからん
>>826 どの戦いも何も落城した倭城なんかあったっけ?
>>836 横矢がけとかはあったが結局ここまで幾何学的なのはでなかったな
パクッて五稜郭作ったぐらいか
美学の違いかね
ところでこのイタリア式の壁(というか保塁)の大きさとか厚さとかわかる?
大砲が登場したのは戦国時代の終わりでそれから200年くらい軍事的には停滞してたから 大砲に対抗するなんて誰も発想するわけないじゃん
>大砲が登場したのは戦国時代の終わりで はて、宗麟が石火矢を送った足利義輝というのは戦国時代の終わりの人だったかの?
土塁だと角度きついと時間経過で勝手に崩れるから ある程度ゆるく分厚くなるのよね それが砲弾対策にそこそこいい感じに作用する もちろん意図したわけじゃないのだが まあ丘の上を削って段差付けて、縁だけ土が流れていかないように石垣で固めるのが一番だが
大昔だがケルト人の作った木と土を組み合わせた防壁がローマの攻城兵器に対して 効果を発揮していたことをカエサルが記していたし、クッションとしても作用する土の防御力ってのは バカにならんのだな
地下に穴掘って広く分散するのが一番 ってなるとつまらんな 燃えない
会津鶴ヶ城が落城したといっても 結局、奥羽越列藩同盟が崩壊し、援軍来援の望みが絶たれたのが最も大きく、 1か月に及ぶ籠城戦の末、落城するまで会津鶴ヶ城の一郭である西出丸や北出丸にさえ 官軍の侵入、制圧は許さなかったと覚えていたのだが違ったかな。 砲撃であっさり日本の城が落とせるなら、1か月どころか数日で鶴ヶ城を落城させれたのではないか? 15世紀の後期英仏百年戦争やイタリア戦争で大砲を駆使したフランス軍はあっさり城郭を落城させているらしいし。
戊辰戦争にしろ西南戦争にしろ、まともな攻城砲は使われていないと思いましたが・・・ 4ポンドや6ポンドクラスの野砲の砲撃になら、ある程度の損害は出るものの、耐えられて当たり前かと。 臼砲もさほど大口径ではなかった様ですし。 本格的な重砲の砲撃に晒されたのは甲鉄等からの艦砲射撃を受けた五稜郭位では? イタリア戦争では30〜40ポンドクラスの攻城砲が投入され、城塞の様式を変えなくてはならない程の打撃を与えています。 この二つの戦例から城塞の優劣を語るのは無理が有ると思うのですが・・・
優劣ってのもなんか被害妄想ぽい
>>830 それを言ったら鶴ヶ城も主力は各方面に出払っていたはず。
>>847 二本松城や長岡城は攻城戦以前に野戦であらかた決着が着いていたって意味では?
結局砲撃が原因で開城しちゃっているから、「砲撃に耐えられる」というのは 違うだろ。 強襲攻撃は防いだけど、薩長軍の大砲の射程が城を作った時の想定より長く 城の外郭よりさらに遠方からの砲撃を防ぐように作られていなかったという 事じゃね? その危険性は前から指摘されていたけど、対策を講じる前に戦闘になったと 何かで読んだ。
土盛りと堀が吹き飛ぶことは無いが、狭い範囲にぼかすか砲弾打ち込まれたら気持ちが萎えるわな 天下普請の馬鹿でかい城だと密度薄くなってだいぶ違うだろうけど
>>845 具体的にはどんな大砲が使われていたんでしょうか?
鶴ヶ城への砲撃は最初から城壁や楼閣を崩壊させることを目的とした砲撃でなく、 城内にいる人間を殺傷するための砲撃だからな。目的は達成している。 ベルダンの改良型稜堡みたいに砲弾に耐えるための盛土屋根のある地下掩蔽部でもないと、 石垣や土壁は耐えても城内の人間は耐えられない。 黄海海戦のときの鎮遠・定遠も装甲された船体は耐えたが、船上の水兵は「アームストロング砲」で皆殺しにされた。
>船上の水兵は「アームストロング砲」で皆殺しにされた。 船員はみんな甲板の上にでもいたのか?
>>852 300年近く前に縄張りされた遺物みたいな城に1ヶ月もかかるなんて
意外とその目的達成にも時間かかるんだな
西南戦争ではなぜ目的を達成できなかったのか?
>>851 イタリア戦争初期(シャルル8世時代)の物は門数のみで砲種や口径の詳細は不明でしたので後期の物を。
フランス
33ポンド・カノン砲:砲身長10フィート6インチ、牽引馬21頭
15ポンド・カルヴァリン砲:砲身長11フィート、牽引馬17頭
7ポンド・バスタードカルヴァリン砲:砲身長11フィート、牽引馬7頭
2ポンド・カルヴァリン:砲身長8フィート6インチ、牽引馬4頭
1ポンド・ファルコン砲:砲身長7フィート6インチ、牽引馬3頭
3/4ポンド・ファルコネ砲:砲身長7フィート、牽引馬2頭
ハプスブルク
40ポンド・カノン砲
24ポンド・カノン砲
12ポンド・カルヴァリン砲(砲身長の異なる2種類)
6ポンド・カルヴァリン砲(砲身長の異なる2種類)
3ポンド・ファルコン砲
>>855 薩軍の主力火砲は四斤山砲でしたから・・・
弾薬の補給も怪しかったし。
夜になら編制を書けるかも。
四斤山砲は小さいから戦国のフランキ以下の威力?
いやむしろたった1ヶ月で目標達成できたと考えるのが攻城戦。
300年前の過去の遺物相手だったらその攻城戦にすらならないと思うんだが
落城の何割が大砲の貢献の分によるかとか 難しい話してるなお前ら
いや別にヴォーバンが17世紀に築城した城でもパットンはなかなか攻略できなかったし、 モンテカッシーノの修道院でも十分要塞として使える。 別に鉄筋コンクリートでないと近代要塞として使えないということはない。 フィンランド軍は丸太と漂石の要塞でソ連戦車を食い止めた。
モンテカッシーンは要塞でも何でもない廃墟だぞ あそこに敵がいるぞ!って誰もいないモンテカッシーノぶっ壊したら 廃墟にドイツ軍があとから入ってきた
いや廃墟や瓦礫を利用して巧妙に防御工事がされた要塞だよ。 そもそも修道院のある場所自体が山と河川を利用して街道を制圧できる天然の要塞。
単なる野戦築城じゃん 何と比較して何が言いたいんだよ
古い城が次世代攻城軍にしばらく耐えても大した話じゃない よくあること って言いたいだけでは
>>860 300年前の物でも石垣は石垣だし。
300年経ていても、それを無効化するほどの兵器も無いし。
城よりも籠城軍の士気を崩壊させる方法を考えた方が早いかも。
薩軍に十分な兵力が有れば、フランス革命戦争でのフランス軍の様に要塞は囲むだけでスルーする戦略も取れただろうけどね。
まぁ、やるときはやったけど・・・革命戦争やナポレオン戦争でも。
熊本城を無視して進むべきって意見は当の薩軍にもなかったっけ 結局落とせる派の意見が通ったけど
ナポレオンも十字軍時代のアッコン要塞の攻略に失敗してるしな
>>856 30ポンドとか40ポンドの重砲って炸裂弾使用可能だったの?
十分な兵力と新兵器がある新政府軍相手に特に天然の要害というわけでもない300年前の城が 一ヶ月持つんだな
モンテカッシーノ→困難な地形と悪天候が攻撃側を阻んだ アッコン→二方を海に守られた天然の要塞+イギリス海軍の援護+悪天候 若松城→包囲の難しくない平城+攻撃側の十分な兵力 熊本城→賊軍でも包囲できる平山城 なかなか比較が難しいなあ
会津側の敗因はトイレ不足じゃなかったけ 城下町の住人を場内に向かい入れて衛生面で駄目になったとか
鶴ヶ城は十分に要害だろ。蒲生氏郷がつくった城だぞ。別に山の上だけが要害じゃない。 大坂城だって掘を埋めれば城として十分に機能しない。 オランダの要塞なんかほとんど水濠と土手だけでできてる。 堀と石垣、土塁だけでも防御力は発揮できる。塀や楼を破壊されたら防御力ゼロになるわけじゃない。
>>873 それってテレビ番組のねつ造で会津若松市から抗議された件では?
本題に話を戻すと、熊本城攻防戦は薩軍の対応が中途半端になったのが大きかった気が。
損害を度外視して強襲で落とすか、遠巻きに監視兵だけ残して小倉・長崎へと進軍するか、
どちらかを取ればまだしも、熊本城に対する攻囲戦をしつつ、熊本城救援の官軍を迎撃するというのは
どっちつかずの愚策だったと思います。
別に鶴ヶ城は急いで強襲して落とす必要もなかったからな。
>>870 イタリア戦争では、ほぼ鉄製砲丸になっていたそうです。
ただし、ファルコン系は石製も残っていたとか。
榴弾は15世紀にはオスマントルコで採用されていましたが、ヨーロッパでは1世紀程遅れ、イタリア戦争では使われませんでした。
>>877 会津攻略にあまり時間をかけ過ぎると、一旦は恭順した東北諸藩(特に
仙台)がまた敵対してくるかもしれない。
だから、会津に対してあれ程藩主切腹を要求していたにも関わらず、
最後には会津側の主張も受け入れて藩主切腹の要求を取り下げて開城に
応じた。
>>876 軍事無知のアホ丸出し
鎮台の主力がいるのに小兵力で包囲だけして通過なんてできるわけがないし、
敵の援軍を無視して攻城戦とかどんな冗談なの?w
熊本鎮台を潰さずに無理に北上したら補給線切られてそれで即終了だし、
援軍の到着前にと無理攻めすれば大損害確定だ
旧時代の遺物とはいえ清正と細川家が手塩にかけた城を舐めたらいかん
あそこはやっぱり決戦で、鎮台主力を開城というわかりやすいカタチで降して救援軍も撃退できたなら、それで九州を独立国状態に出来ただろうし
>>880 薩軍は四月十四日まで熊本城を包囲したまま別方面で戦闘繰り返してるわけだが
単に戊辰や西南戦争の話がしたいなら、19世紀後半スレで
欧州の攻城戦は中世から一定期間守ったら降伏していいみたいなルールでやってたらから 近世以降もなんとなくそんな感じだったイメージしか無い 砲撃なんて降伏受け入れのしるしみたいなもん
>>883 フランス革命中のマインツなんかもそうだよね。
城塞を明け渡すなら捕虜にもしないし、武器や軍旗も持ち帰って良い。
ただし、向こう1年間は外国軍との戦争には従軍しないと誓えと。
フランスに帰国したマインツ守備隊は国内の王党派の反乱鎮圧へ投入された。
>>875 つまり300年近く前の武将がただの平地に配置した堀や石垣がそれなりに充実した装備の
近代的軍隊相手に一月もったって理解していいんだね
>>885 古い城塞や城壁に籠った軍が善戦するケースはナポレオン戦争でも多いけどね。
攻城準備もそこそこに城壁に梯子を掛けて雪崩れ込み、一日で陥落した事も有れば、
数ヶ月の攻城戦の末に陥落、或いは持ちこたえた事も。
逆に攻城側と同時代の技術で造られたトレス・ヴェドラスは、その一角さえ明け渡す事は無かったと。
それだけ攻城戦は難しいって事でしょ。
籠もってるのも近代軍だからな
一定期間守ったら降伏していいって攻撃側が一方的に言ったって守備軍に降伏する気がなかったら意味ないからな。 百年戦争のオルレアンとかロードス島戦記とかマルタ攻防戦とかウィーン攻防戦とか、 必死で守りきるケースも多い。
西南戦争はともかく会津に関しては旧幕の近代軍と前代の遺物みたいな会津連中の 混在じゃないのかな?
>>882 これまでの流れを見る限り、このスレで間違っていない気が。
結局のところ、近世総合時代に築かれた日本の城は大砲に耐えられるかどうかで論争になっているわけで。
日本の場合、大坂の陣からいきなり戊辰戦争まで攻城戦の歴史が飛んでしまうので、19世紀後半幕末総合スレとの
競合に結果的になってしまった気がする。
もし、日本が鎖国せずに海外へ積極的に進出し、日本式の城がアジアで建築されていたら、このスレでの雰囲気も変わった気が。
>日本式の城がアジアで建築されていたら 朝鮮出兵で倭城は落とされなかったがあちこちに進出して築きまくったら 攻略法とかも出てきただろうな
伝統の業トンネル工法が活躍の悪寒
攻略法つっても、結局守備側の銃兵を大砲で黙らせるしかないが 堀挟んで段差の上にいる敵を、炸裂しない砲弾ですり潰すのってかなり無茶だ とりあえず目立つ櫓とか潰せば火力集中度合いは落ちるが、 段差とがれきが残るだけでも撃ち合いは決定的に不利で
>>893 ですよね。
日本の城に関して大砲による砲撃を考慮していないという批判を度々見ましたが
それこそ第二次世界大戦で投入された日本海軍の三式弾ならともかく
近世総合時代なら単なる石弾や鉄弾で城攻めをしているわけで
そんな時代の砲撃による攻城戦は日本の城には余り効果を上げないと思います。
だって、日露戦争の旅順攻略戦でも実証されたように城や要塞を攻略するには歩兵を内部に突入させないといけないわけで
単なる石弾や鉄弾では櫓とかに穴をあけることはできますが、石垣を全面的に崩し、堀を埋め立てて
歩兵を城なり要塞内部に突入させるには威力不足だと思います。
複数の円柱塔を連結するための高い石積み城壁ならリッシュモンやフランソワ一世のようにカノン砲で崩して突入できるが、 石垣や漆喰壁は中が土だからガラガラ崩れ落ちるわけじゃない。 石垣の石だけ崩れても盛土が残れば障害になる。 あと江戸時代の城は火縄銃の火線は十分に考慮されている。 虎口や枡形だけでも攻撃側にとっては厄介だ。
>>873 民衆の入城は容認していたわりに
煙たい筆頭家老の一族は入城を拒絶して自殺に追い込んだ。
松平容保は屑。
>>888 異端や異教徒との戦闘ではルール云々は関係無くなるからなぁ
>>894 雨が多い日本では、石垣を作るときに表側の大きな石と突き固めた築土との間に
雨など水を吸った築土の膨らみを吸収と排水のめの裏込として、砕いた小さな石を入れている。
砲撃を受けた石垣がなかなか崩れないのは、ここの細かい小石が詰まった層が衝撃を吸収しているのかも知れないね。
石垣は土塁の耐久力を保ちつつ急傾斜がつけられて高さも30メートルくらいに 高く出来る優れものの防御施設だよ
ただし面倒
まあ石垣の上に高層建築物とか的になるだけで大砲のこと何も考えてないけどな 石垣の中に人が入れりゃ別だが
天守とかはいらんが、外郭の重層建築は火力を重ねる肝になってるから あれぶっ壊されると阻止火力が落ちるのが難点だな 虎口への通路に対する横矢とかは発達してるが、全体として星型要塞ほどには計算されてないから
石垣は元々は寺社建築の技法で信長の頃に城郭建築に取り入れられた
ちょうど本州最西端の櫛崎城(関見台公園)を見に行った時を思い出します。 古くは瀬戸内で猛威を振るった藤原純友の拠点の一つとも言われ、 戦国期には毛利傘下で長門守護代の内藤氏の居城、後に長州の支藩長府藩の居城。 その後は一国一城令で破棄されたので一般的にはマイナーだけど由緒ある要衝です。 戦国時代は指したる合戦経験もない城ですが、城南が関門海峡に接していたため 幕末は四国艦隊下関砲撃事件の戦闘で砲台として用いられたそうです。 少しは役にたったのかな?
交通の拠点は歴史の流れに関わらず重要ですからね。 ジブラルタルとか、マルタとか。、他にもいろいろ。
906 :
名無し三等兵 :2013/11/01(金) 16:57:45.55 ID:ITgJc5jT
保守がてら 戦列歩兵1個大隊の隊形変換の所要時間(単位は分) IMPERIAL BAYONET / George Nafziger より 1800ー1808年 隊形 仏軍 英軍 普軍 縦隊→横隊 1.9 3.9 3.9 縦隊→方陣 1.7 1.1 0.8 横隊→縦隊 1.3 1.7 3.9 横隊→方陣 4.7 1.8 3.8 1809ー1815年 隊形 仏軍 英軍 普軍 縦隊→横隊 1.5 3.9 1.1 縦隊→方陣 0.5 0.6 0.3 横隊→縦隊 1.5 1.7 0.7 横隊→方陣 1.6 1.8 1.0 ちょこちょこ手を入れているフランス軍、我が道を行くイギリス軍、シャルンホルスト等の改革目覚ましいプロシア軍と言った感じかな?
>>905 ジブラルタル行ってきたけど、小学生の頃考えた最強の要塞みたいな地形で草
特にロックの大陸側が浪漫すぎる
>>908 ジブラルタルはいろんな意味ですごいからな。
第二次世界大戦中にヒトラーがスペインのフランコ総統にジブラルタル攻略に手を貸せ、と要請した際に
必要な物資一覧をフランコに示され、こんなもの出せないと言ってスペイン参戦を断念したという怪しい話まである。
ロックオブジブラルタル
>>907 改革前のプ軍が酷いな。こりゃあ仮にフリードリヒ大王が指揮しても、
古い戦術のままではナポには勝てないなあ
>>911 フリードリッヒ大王も充分機動的だったのでょうが、その機動も半世紀も経たないうちに鈍亀に・・・
上辺だけが継承されたのかも。
大隊の隊形変換の時間短縮に効果的なのは、中隊数の削減(フランス、プロシア)と変換手順の見直し(三か国共)。
隊形変換で多用される中隊(小隊)の90度旋回にしても二通りの方法が。
揃い式:内側の縦列に行く程ゆっくりと旋回。
横列、縦列共に隊列を乱さずに旋回する。
流動式:各縦列が同じ速度で可能な限り直線的に旋回。
外側の縦列程遅れるが、旋回終了後に前進しながら横列を整える。
流動式の方が素早く旋回出来ますが、難易度が高く、一時的とは言え横列が乱れてしまいます。
士気、練度共に高くないと旋回中に隊形が崩壊・・・
流動式の導入は、フランスが1791年、イギリスが1804年、プロシアが1812年。
BSプレミアムで八時から鉄砲の番組 わざわざ新聞に紹介欄あったから見てみたが津本陽とかいる時点でお察しだった
914 :
名無し三等兵 :2013/11/20(水) 21:47:30.80 ID:svJfEwpw
方陣ってステキやん
英国軍の軍人シュラプネルが開発したという榴散弾はフランス革命戦争やナポレオン戦争にはどの程度配備・実用されてたの?
>>916 1784年に開発が始まり、1792年と1803年に軍のトライアルを受け、実戦での初使用は1804年4月。
その後は普通に使われていましたよ。
9ポンドカノンの弾薬定数と使用距離
軽キャニスター:8発/0〜250ヤード
重キャニスター:8発/250〜350ヤード
ラウンドショット:88発/350ヤード以上
シュラプネルケース:12発/600ヤード以上
(600ヤード以上では目標に応じてラウンドショットとシュラプネルケースを使い分けていた様です)
シュラプネルケースは弾薬ワゴンの本体のみに収納されていて、砲や弾薬ワゴンのリンバーには収納されていませんでした。
貴重品?
シュラプネルケースを使用する際は目標の真上では無く、手前上空で炸裂する様にヒューズを切ります。
早過ぎても遅過ぎても駄目ですが・・・器用だなぁとw
>>917 まあそれが調整しきれないから、結局榴弾に主流が移行したわけだしw
黒色火薬の前装砲じゃあ初速だって安定しないし
低仰角で砲弾を発射するなら、味方の上を飛び越して敵前面で炸裂してくれればいい、ぐらいの感覚だったんじゃないの?
>>917 なるほど
しかし当時の榴散弾は丸い形だから内部の子弾は四方八方に飛び散るんだろうな・・・
味方にも当たりそうだ・・・
だから味方に当たらないよう 距離600ヤード以上の時使用するんじゃないの
>>918 いや野戦で榴弾に移行するのは第一次大戦から
19世紀の球形弾だと着発で作動する信管がまず無いも同然で
時限信管で着弾してから炸裂だと野戦では使いにくい
そして炸薬が黒色火薬なので破片が対人向きじゃない
構築物破砕が榴弾の用途だったんだよ
>>919 慣性が働いているので結構前方に広がったみたいですよ。
慣性頼みなので遠距離程その広がりは小さくなりますが・・・
6ポンドカノン用シュラプネルケースの子弾拡散範囲は、至近距離では250ヤード、1000ヤードでは150ヤードでした。
至近距離の具体的距離は不明です。
多分常用している600ヤードよりも近距離かと。
>>921 榴弾が構築物粉砕用と言うのは余り聞かないのですが?
(目標物によっては有効でしょうが)
技術の進歩や、砲兵戦術がWW1で飛躍的に進歩した事を否定しませんが。
日露戦争で日本軍が榴散弾をメインで準備していて 旅順要塞攻略戦で榴弾をメインにすべきだったと後悔したというのは誤りでしょうか? 榴弾が要塞等の構築物粉砕に有用というのは否定できないと思うのですが。
『日本の戦史 日露戦争』上 第一次旅順攻略戦における砲弾使用状況(他の回は記載なし) 榴霰弾 64400 榴弾 53330 参加火砲 380門 結構榴霰弾使ってんだな
つか日露は榴散弾が役立たずで困った バカスカ使う癖に効果がない
>>923 20世紀の榴弾はそうかもしれないけれど、このスレの時代で榴弾が構造物粉砕用と言うのは?って事とかと。
要塞攻略に使っていた18ポンドや24ポンドクラスの攻城カノンに榴弾の用意が無い位だし・・・
攻城榴弾砲なら榴弾が使えたけれど。
第一次大戦のフランスの75mmも榴散弾メインだった。 つまり野砲、つまり野戦砲とは文字通り野戦で、整列行進中の人馬を榴散弾で砲撃するのがメインで、 散兵壕や堡塁を砲撃するのはメインじゃない。散開して伏せた敵には歩兵が銃剣突撃する。 散兵壕砲撃に特化したのが迫撃砲。野戦で榴弾を撃つのが野戦榴弾砲。ガチガチの堡塁砲撃するのが加農砲。
>>926 そりゃカノンはそういう道具だから榴弾なんか撃たんよ
撃ったらヘタしたら壊れてトウ発しちゃうもん
>>925 前線からは鋼製銑榴弾は糞の役にも立たないから
榴散弾の補充をお願いしますって要求が来てるんだけどな
日露っつったって旅順みたいな要塞戦と、 黒溝台みたいに槍持って突っ込んでくるコサック騎兵撃ちまくるのじゃ必要な弾種も違うだろ。
兵器って一次大戦の頃から急激に発展しているよね。 人間を効率的に殺すことを突き詰めた結果、 二次大戦では原子爆弾という万単位で殺戮する悪魔を生み出してしまった。 三次大戦が起きればそれ以上に凄惨な兵器が投入されるのだろうか? 最近は中国の雲行きが怪しくなっているし身震いしてきた。 戦争をサバゲみたいに考えるのは変だけど、容量と用法を守って殺し合いすべきだねえ。
勝った方も含めて誰得になっちまったな
WW1を境に戦争からナポレオン時代の頃のような華やかなイメージが消えてしまったな 日本人もヨーロッパ人も臆病風に吹かれて非戦主義者になっちまった
>>932 そりゃ、あれだけ被害が出ればね。
でも、30年もしないうちにそれ以上の惨禍が巻き起こされてしまった。
人間は物事を記憶しないのだろうか。
時代が欲したのだよ(運命論
イラク戦争も結局アメリカ儲かってないだろ 石油利権がーとかいっても国家全体としては
財産すって破れかぶれになった国家と 主戦場にならなかったせいで世界大戦の惨禍を甘く見ていた国家 ヨーロッパにしてみれば、WWUはこのゴロツキ共のせい
>ヨーロッパにしてみれば、WWUはこのゴロツキ共のせい 敗戦国だからって身ぐるみはぐようなことすればそりゃゴロツキになるわな もう一方は頭がお花畑なだけだ。ゴロツキじゃねぇ
何事も加減が大事なんだよ。大量破壊兵器の進歩も悲劇の元だが、 双方大やけどをしない程度に適当な所で戦争が終結できない点も 20世紀の戦争の難しさだ。中途半端な外国との妥協は大衆世論が納得しない。
英仏米と日独で共有できる反共というお題目があったのも大きい つまりソビエトが悪い つまりロシア革命が悪い つまりレーニン送り込んだドイツが悪い ……あれ?
共産主義の源流はフランス革命 つまり間接的にフランス人が世界を滅茶苦茶にしたんだよ
と言う事はフランス革命思想を全ヨーロッパに広めたナポレオンが一番悪い?
おふらんす人を焚き付けた植民地人が悪い
人間が組織的に全力で殺し合いをした結果が第二次大戦。 もう1回あの規模の殺し合いををやる根性が人類にはもうない。
でも第二次は第一次の延長戦でもある 第一次でアレだけの損害を出してなお世界大戦起こしたからなあ 世界人口も増えてるし将来1億人くらい死ぬような戦争が無いとは言い切れないだろう
日欧米はもうやらんよ。それ以外はやるだろうけど
世界大戦に次ぐ死者数を出した戦争の名称に個人名がついてるのが凄い
>>943 根性というか金がかかりすぎて国を傾けかねないとか
人権に対する国や国民のものの考え方の変化のせいで大量に人が死ぬような事を起こすが難しくなってるからなぁ
先進国クラブの連中にはもうできんだろうな
>>946 ナポレオン戦争って呼び方は何時頃から使われだしたのかね?
当時は単に戦役毎に呼んでいたみたいだけど。
950 :
名無し三等兵 :2013/12/18(水) 20:19:31.86 ID:bmJI6bWQ
>>898 人型に石を組んで噛み合わせ、全体で衝撃を吸収する様にも作ってる
地層の様に裏側は突き詰めているよ
砂利と土で何十にも層にもなってる
今ハリウッドでナポレオンの映画が2本作られてるらしいな 1本はスピルバーグ出資とか、時代考証しっかりやってほしい
オマハの再来のようなワーテルローとか。
最近だとボロジノやライプチヒでの200周年記念模擬戦イベントがあったな ヨーロッパにはあの時代の軍服や武器を持ってる市民が大勢居るのね
>>951 CG兵士バリバリの戦場になりそうだな。
なぜかうたわれるものを思い出した
皇帝と公爵、どうなんやろな〜 タイトルからして、いろいろ言いたくなるけどw ウェリントンはクリストファー・プラマーのイメージが強すぎる
この時代の戦闘シーン描写では『戦争と平和(ソ連版)』の第三部が至高
あれは戦闘シーンというより戦場シーンだからなあ・・・。「ワーテルロー」もこれに 同じような感じだ。 戦闘シーンだったら「パトリオット」や新しい方の「アラモ」、「ラスト オブ モヒカン」、日本未公開の「ゲティスバーグ」や「ゴッズ アンド ジェネラルズ」 の方がいいような気もする。
大砲の描写は現代のCG使った映画の方が良いな 砲弾食らって人体の一部がサクっと吹っ飛ばされるシーンとかは 昔の映画では表現出来なかった
少佐ェ・・・
映画戦争と平和の第三部なんだけど、アンドレイが負傷するシーンで、着弾したりゅう弾がくるくる回って爆発するんだけど、 あれはどういう仕組みなんだ?
ただの遅発か時限信管じゃないの? ナポレオン戦争当時に榴弾が一般的かどうかは別として
>>962 導火線突っ込んで、点火してから砲撃
空中で火が消えたり、導火線が外れて不発になったり、逆に短くしすぎて着弾前に炸裂したり、
なかなか大変だったらしい
>>959 ボロディノ村での市街戦、ゴローチャ河を渡ってのロシア軍の反撃と側面を突かれたフランス軍騎兵の敗走。
部分的には会戦のエピソードが再現されてはいましたけど、全体的にはイメージでまとめた感じでしたね。
大堡塁の陥落も間接的な表現だったし。
>>962 榴弾の信管の火薬が燃えている様子かと。
あんな風になるのかは分からないけど・・・
確かに、あれではまるで鼠花火
当時は既に擲弾兵がいたし、榴弾を作ろうと思えば作れたろうが、発砲の衝撃で爆発したりとか、かなり危険な代物だったはず。 まぁそれは、日本の打ち上げ花火だって同じことだから、臼砲などで、マイルドに打ち上げるのがデフォルト。 野戦ではそんなに使われていなかったろうし、隊列を組んだ歩兵には、何も榴弾を使う必要はなかった。
>>968 榴弾は16世紀にはオスマントルコで使用され始めて、17世紀にはヨーロッパでも一般的に。
当初は臼砲で、後には榴弾砲も出来たけど登場時期は17世紀?18世紀?
ナポレオン戦争の頃のバッテリー(砲兵中隊とも砲座とも)はカノン砲と榴弾砲の混成。
フランス軍徒歩砲兵1バッテリーは、
6又は8ポンドカノン砲×6
5.5又は6インチ榴弾砲×2
で編成されていたよ。
臼砲は野戦砲兵には配備されていなかったみたい。
この時代の戦いは動員力で決まったのではないかな? ろくな補給が無い時代だからナポレオンのロシア遠征のように行軍で死にまくっただろうし、敵の銃弾や榴散弾でも死傷しまくっただろう。 その死の過程を経て、生存者が長い銃剣や騎馬で敵陣に突入するという時代だから半分が突入までに死んで、残り半分が敵陣に突入できるという計算で どれだけの人間や馬を動員できるかで勝敗が決まったような気がする。 あとは敵陣で血まみれになって何時間も銃剣やサーベルを振るえる鬼神のような気合と体力な。
この時代の海戦は船で移動中に壊血病や嵐で死ぬリスクが高い。 また船による体当たりもまだ有効で、海上での砲撃戦もギリギリまで接近して行ったのだから勝っても負けても死傷率は高い。 スペインの無敵艦隊が敗れたアルマダの海戦もスペインが作戦を継続して後続艦隊を次々と送り込んでいたら、イギリス艦隊は疲労と死傷者の多さから抵抗を維持できなかったと思われる。
アルマダの海戦でスペインは4回も艦隊を送り込んではいるが、間隔が空きすぎており戦力の逐次投入になったのだよね
>>957 マルコヴィッチにはダヴーをやって欲しかった
それじゃ映画には出られないか
>>957 見てきたが、戦闘シーンとか期待していると失望する。
あと、ウェリントンはかなりの俗物に描かれてたな。
>>970 補給に関しては当時のフランスが世界最先進国だ
史上最大の補給部隊を三年がかりで整備して準備万端で臨んだのがロシア遠征だ
結果としては親衛隊をほぼ無傷でモスクワに入城させてるから、補給戦は成功したと言える。
ロシア側が講和に応じないのでモスクワに一ヶ月留まって時間を空費して、寒波がやってきて
馬が死んで兵站部隊も砲兵も騎兵も使い物にならなくなる事は想定外であり政治的な要因なんだよ。
少なくともモスクワ占領までの補給は悪くは無かった
>>977 往路でも補給は破綻していた、或いは破綻しかかっていたのでは?
ジュノー将軍(別の将官だったかも)の回想で、スモレンスクより手前で親衛隊からも餓死者が出ていたと。
馬に関しても馬事総監コランクールは回想で、スモレンスクの手前までに全体の1/3が失われ、使用に耐えられるのは当初の1/2程度と書いていたよ。
同時期にミュラの参謀長のベリァールが
「馬の数が減りすぎている。残った馬も疲れ過ぎていて言うこと聞かない。このままでは騎兵突撃は不可能になる。」
と、ナポレオンに報告している。
補給段列の馬が酷暑、秣の不足、数会わせの為に紛れ込んだ質の悪い秣等により数を減らし補給が滞り、それにより更に馬が失われ・・・
の、悪循環が遠征開始直後から始まっていた。
>>978 それらの話のソースについては置いとくとして、少なくとも
>>970 のような
>ろくな補給が無い時代だからナポレオンのロシア遠征のように行軍で死にまくっただろうし
と一般化できるような話ではないんじゃ
あとそもそも
>>970 の主張は
>この時代の戦いは動員力で決まったのではないかな?
>どれだけの人間や馬を動員できるかで勝敗が決まったような気がする。
て単細胞かつ「ろくな補給が〜」と矛盾した珍説がメインであって
彼は土鍋(他にも啓蒙太郎とか)って名だたる電波 勝手な条件を設定し、そこに居もしない珍論勢力を作り出して、それを「論破」するという 議論などする気のない自己完結型の妄想だから、相手をするだけ無駄
>>979 馬の損失のソースは、
ナポレオン1812年 ナイジェル・ニコルソン著
ナポレオン―ロシア大遠征軍潰走の記録 アルマン・オーギュスタン・コランクール著
質の悪い秣(未だ青々している)のソースは、
1812年の雪 両角良彦著
ナポレオンのモスクワ遠征 クラウゼヴィッツ著
遠征開始直後からの補給の滞りや馬の損害については、
ナポレオン自伝 ナポレオン・ボナパルト著 アンドレ・マルロー編
に収録されている1812年6月から7月に掛けてのナポレオンの書簡や命令書にも関係する記述が。
当事者の書いた物や、それらからの転載の多い本を中心にしました。
ジュノーの回想(書簡?)は海外サイトですが、ブックマークから洩れたみたいで不明です。
御免なさい。
>>970 は流石に極論(暴論?)ですが、革命戦争以来、フランス軍の優位の一つに、他国を凌駕する動員が有ったのも事実かと。
1812年の歩兵1個連隊平均5個大隊を頂点に下がり続け、1815年のワーテルロー戦役では平均2個大隊にまで減ってしまいましたが。
こっちにも土鍋来たのか 軍板も完全ID制にしてくれよ
若干ずれるけど、フランスの徴兵忌避って ロシア遠征以前から深刻化してたんじゃなかったっけ 資料手許にないからうろ覚えだが 量的・士気的な優位のピークはもう少し前じゃない?
フランスの徴兵忌避は早い時期から始まっていて、徴兵強化の力業で対応していたみたいですね。 戦役での損害補充の必要も有ったし。 フランスの徴兵については、 反ナポレオン考 両角良彦著 に載っていましたね。 他にも損害、兵士の気風、ナポレオンと兵士の関係等も。 兵員の量はロシア遠征が頂点ですが、士気は違うかな? 質ならば1805ー06年が頂点でしょう。 戦闘技術の歴史4等、多くが指摘していますし、1809年頃から会戦での力押しや火力頼みが増えて行きましたから。 徴兵忌避が増えるのに反比例して士気も下がって行ったと思いますが、1813ー14年の新兵の様に革命期を思わせる様な高い士気を示す事も有りますし・・・ 難しいですね。
>>985 乙
ナポレオンは人食い鬼だからな
一方でフランス国内でも人気があったりするからよくわからんのだがw
>>985 乙です。
>>986 本当に不思議ですよね。
ヴィクトル・ユーゴーなんか、ナポレオン3世の事を「弾圧者」「暴君」だと言いながら、その上を行くであろうナポレオンに対しては「フランスの栄光」ですからw
のどもと過ぎれば熱さを忘れる。 信長も秀吉も家康もかなり酷いことしてきたが人気あるし尊敬すらしている人がいる。 最近ではあの牟田口すら尊敬され始めているらしいが(苦笑
瞬間的であっても最大版図もたらしたんだからそりゃ誇らしいだろう ヒトラーみたいにその後のめんどくさい事情があるわけでもなく
尊敬されているとしても、 牟田口は田代まさしと同じ箱に入ってる気がする。
牟田口って後の大失敗の1/10でも戦果上げたことあったのか?
損害など大失敗には入らないらしいよw インド侵攻という構想が偉大なんだとかw あと100年くらい経つと本当に偉大な将軍とか言われるかもw
ムッチーの話題は召喚呪文だから><
994 :
http://earth1keion.blog.fc2.com/blog-entry-175.html :2014/01/06(月) 01:21:38.23 ID:2geQbwYN
たけしの番組で エジプト遠征とロゼッタストーンの特集が有ったな
一人を殺せば殺人だが、百人殺せば英雄だ。
一人殺すヤツはベトコンだ 百人殺すヤツはよく訓練されたベトコンだ
三十歳までに死ななかった軽騎兵はゲス野郎だ!
>>997 ラサール将軍、好きだなぁ
ユサールや騎馬猟兵として暴れ回り、最期は胸甲騎兵の楯として突撃の前衛を勤めて戦死。
長生きなんか出来ないと飲む打つ買うに金を注ぎ込み、挙げ句が借金まみれ。
ナポレオンが肩代わりする羽目に。
1000人隊長
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