1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 03:55:55.98 ID:???
>>1さん超乙
しかし6スレ目とかみんな余程国軍火砲、砲兵科話に餓えてたんだなw
3 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 04:36:02.12 ID:???
4 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 04:47:17.51 ID:???
佐山さんの労作群も評価に値する良著だし、何より旧軍の砲兵は旧軍が力を注いでいた部分でもあって、掘れば掘るほどおもしれーからな
5 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 05:10:38.63 ID:???
一度で良いから国軍に橋頭堡破砕射撃をさせて上げたかったな
サイパンは兵力投入スケジュールがもう少し上手く行ってたら
初期の上陸部隊位は破砕出来たかもしろんのに
まあ、史実の戦果でも中々だけど
6 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 06:09:22.19 ID:???
もっと早くから上陸して築城や機材を充実させていればというのは
サイパンに限らず、ほぼ全ての島嶼戦に当てはまると思う
7 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 06:13:57.16 ID:???
いや、まあ一番出来そうな場所と言う事で
他はサイパン以上に無理があるので
8 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 07:02:12.94 ID:???
>>1 武功抜群殊勲甲なり
>>2 小火器、機甲にくらべていちばん研究が遅れていた分野だったからね
(特種装備除く)
佐山さんの本でこの十年で研究が急速にそれらにキャッチアップした感じ
改造十四年式のオリジナル砲が特定できたんで、俺の次の目標は鹵獲して
大陸で使った十糎加農の詳細解明かな
9 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 07:16:49.40 ID:???
>>5 四年式十五榴が猛威を奮った戦いだね
射程の短かい旧式砲でも、うまく使えば砲弾威力で馬鹿にならないという好例
10 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 07:31:53.30 ID:???
>>8 十四年式十糎榴弾砲のオリジナル砲が特定されたのはびっくりしたw
十糎加農といやぁ戦間期の各国の10cm級加農ってどんなのなんだろうな
マイナーなクラスだけど
>>9 サイパンの黒木大隊の四年式十五糎榴弾砲の活躍は神
渓谷に艦砲射撃と空襲から避ける為に徹底的に擬装して放列しいて
12門全力で上陸初期の敵部隊に十五榴を叩き込んでるからな
さすがに上陸作戦開始後は空襲の餌食になり始めるが
それを切り抜けた砲は故障するまで撃ち続けたりして
更に生き残った砲には水平射撃で対戦車戦闘した物もあるらしい
11 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 07:36:01.90 ID:???
11
12 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 08:04:36.42 ID:???
>>10 シュコダの10cmカノンもあるんだけどね。ドイツのK17に似たやつ
でも、鹵獲砲の写真が公表されんことにはどうにもならんわ!なんだね…
13 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 08:06:11.65 ID:???
>>1乙であります
しかししょっぱなから効力射な勢いですなw
14 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 08:25:24.04 ID:???
>>12 支那側はシュコダの10cm加農も買ってるんだっけ?そういや
前々スレ辺りで出てきた大陸打通作戦に投入された鹵獲十加はソ連の107mmじゃないかって説が出てたけど
実際は写真なり資料、史料なりが出んと不明だろうね
15 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 08:27:20.13 ID:???
四年式十五糎榴弾砲に水平射されるM4中戦車……
装甲叩き割られたんだろうなやっぱり
16 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 09:06:17.59 ID:???
一次大戦敗戦のドイツ兵器が廉価で大量に支那に流れ込んでる
マウザー小銃、MG08とか、そのノリでK17あたりが入っててもおかしくない。場合によっては最新のK18も。FH18買ってるくらいだし
日本陸軍はFH18を弾薬込みで見積りをドイツ側に打診したが高すぎて買えなかったorz…
あとソ連の107mmカノン、シュコダ10cmカノンなど捕獲砲候補はいくつかあるんだけどね
やはり、中華本とサイトを虱潰しするしかないのかな
17 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 09:37:43.54 ID:???
国府と支那軍閥って民衆をよそに自分等は金持ちだから
金にあかせて戦間期に出回ってた各種武器を買い漁ってるからな
18 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 11:43:56.44 ID:???
国府軍は大陸のめぼしい宝物もほとんど台湾に運びこんだからね
北京の博物館よりよほどブツがいいと聞くね
奨なんか大金持ちだろ?
張学良の東北軍閥も
ただ、それぞれ手当たり次第に各国装備買ってるから、てんで弾薬補給が無理なんだよ
そもそも連中には段列などの概念のない、もはや軍隊とはいえない組織だったらしい
戦争末期に米式装備に改編されるまでは
それでそれまで連勝の日本軍も補給と装備の充実した雲南遠征軍などに敗れてしまう
19 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 15:30:47.72 ID:???
20 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 15:55:23.57 ID:???
二十榴、二十加
21 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 16:27:51.07 ID:???
>>8 あの鹵獲十糎加農って佐山さん含めて詳細に触れてる人って見た事無いから
現場の将兵とか関わった人しかしらなさそう
部隊史にも乗ってないんだよね?
22 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 18:12:46.43 ID:???
23 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 22:38:08.95 ID:???
>>22 長距離移動にお荷物引っ張っていくなんてイヤぽ
火力は山砲だけで十分です
航空隊さんよろしく願います
って現地軍の声が聞こえた気がす
24 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 23:10:44.67 ID:???
まあ、自動車化機械化率が残念で馬匹の体格も残念だからな
後、鹵獲十加だけどソ連の107mm加農、チェコの105mm加農だけでなく
スウェーデンの105mm加農って線もありそう
とりあえず取引してないようなんでドイツの105mm加農は除外か
25 :
名無し三等兵 :2012/01/27(金) 23:33:29.33 ID:TfnLRrd7
>>15 十五榴の破壊力は凄まじいからねww
ビルマの戦記「最悪の戦場・・・」には、勝ち誇って日本軍を撃ちまくってる
約5m間隔で並んだM3中戦車のど真ん中に十五榴弾が炸裂して、一発で3両が
破壊炎上!!!なんて話もある。
炸裂側に面した装甲板はバラバラに吹き飛んだらしい。
M3はリベット留めだから特に榴弾に弱そうだしな。
26 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 23:43:16.88 ID:???
真横や真後ろに文字通りの至近弾炸裂って最悪だろうな
真後ろだと最悪燃料に引火しかねないだろうし
27 :
名無し三等兵:2012/01/27(金) 23:57:34.73 ID:???
28 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 00:06:56.15 ID:???
砲兵戦術講授録以外に砲兵基礎みたいな良い文書、書籍って知りませんか?
29 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 00:41:16.05 ID:???
在ルソンの重砲部隊
野戦重砲兵第12連隊 三八式十五榴 24門
野戦重砲兵第22連隊(1個中隊欠) 九二式十加 5門(1門海没?)、鹵獲十五榴 2門(現地で増加装備?)
独立重砲兵第4大隊 七年式短三十榴 3門
独立重砲兵第20大隊 押収十五加 8門 ※現地編成部隊
野砲兵第8連隊第4大隊(第8師団) 四年式十五榴 9門?
野砲兵第10連隊第4大隊(第10師団) 四年式十五榴 9門?
在レイテの重砲部隊
野戦重砲兵第22連隊の1個中隊 九二式十加 2門?(海没?)
野砲兵第1連隊第4大隊(第1師団) 四年式十五榴 9門
30 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 00:53:06.83 ID:???
>>19 独立野砲兵第11連隊は第26師団の師団砲兵(レイテで玉砕)
独立野砲兵第13大隊は師団砲兵(野砲兵第17連隊)が海没した第23師団に編合
31 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 00:57:32.44 ID:???
押収十五加は仏GPFのライセンス生産のやつかねぇ?
十五榴はこれまたライセンスのM1918で
32 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 01:01:36.67 ID:???
>>28 講授録は応用編という後半があるんだがネットでは読めないね
あとはアジ歴で砲兵射撃教範が読めたと思う
砲と砲弾の基本部分は全部出てるから押さえておくべきかも
33 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 01:09:52.49 ID:???
34 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 01:10:56.84 ID:???
>>29 押収十五加は
>>31の推測通りか
或いはバターン、コレヒドールで捕獲した別の火砲か気になるなぁ
35 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 02:09:28.79 ID:???
>>29 野戦重砲兵第12連隊は三八式十五榴で野戦重砲兵第22連隊も内実はgdgd
独立重砲兵第4大隊はともかく独立重砲兵第20大隊は八九式十五加ではなく押収十五加で
それだけなら数が……
中身は結構悲惨だったんですね
36 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 02:36:47.39 ID:???
>>30 独立野砲兵第11連隊と独立野砲兵第13大隊は師団砲兵だったんですか
気付かなかった
有難うございます
37 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 02:51:49.26 ID:???
>>32 講授録の後半は読みたいですね
アジ歴のそれは知らなかった
ちょっと見てきます
38 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 03:05:58.72 ID:ctgj5QJF
>>29 あの生産数でよく四年式十五糎榴弾砲は師団砲兵に回ってるなあ
やっぱり奉天兵工廠での生産分なんかが上乗せされてるのか?
39 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 03:29:39.82 ID:???
>>35 押収火砲の原型GPFは一次大戦の最優秀加農といわれた砲だよ
射程も八九式よりながいし、ロングトムの前身といっていいほど
十五榴も九六式と大して射程は変わらんし
40 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 03:53:33.45 ID:???
鹵獲十五榴ってやっぱりM1918なの?
41 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 04:02:08.85 ID:???
試製四十一糎榴弾砲
42 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 04:55:48.45 ID:???
独立重砲兵大隊の場合八九式十五糎加農を装備している場合8門だけど
八九式十五糎加農装備の重砲兵連隊の場合何門?
43 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 05:25:08.39 ID:???
前スレで野重七連隊史持ってるって書いたけれども、
せっかくだからノモンハンの部分だけでも概要を書いておこうと思います。
皆さんの議論の種になれば幸いです。ゆっくり書くのであんまり期待しないでください。
最初に「聯隊歴史」から野戦重砲兵第七聯隊の概要を書いておきます。
1922年8月15日に野砲兵第十六聯隊を引き継ぐ形で自動車化砲兵隊として国府台に創設
三八式十珊加農砲を装備し牽引車はホルト5トン牽引車(1923年受領)、のちにホルト30型牽引車
基本編制は2個大隊4個中隊8個小隊の計16門
ちなみにこの時一緒にできたのが野戦重砲兵第八聯隊と騎砲兵大隊、野砲学校教導聯隊など。
代わりに野砲兵第十三から十八聯隊が廃止
創設翌年の関東大震災では救援・警備部隊として出動
装備火砲は1925年より十四年式十糎加農へと順次更新、牽引車は五〇馬力牽引自動車(三屯牽引車)、のちに九二式軽牽引車(九二式五屯牽引車)
さらに1936年には九二式十糎加農砲を受領、牽引車は後に九八式六屯牽引車へ順次更新
同年には2・26事件で反乱側参加者を出し、部隊の自動車を使用される。
1939年6月に動員して独立野戦重砲兵第七聯隊に、同年7月から9月までノモンハンで戦闘参加
詳細は後述するが最終的に戦死者100名以上を出し第2大隊は火砲全喪失、九五式野砲で代替訓練中に停戦。
以降は満州の斐徳に駐屯
1942年9月に第2中隊154名をガダルカナルへ派遣
同中隊は10月より戦闘に参加したが11月には火砲がすべて使用不能となる。以降補給も続かず多くの餓死者や病死者を出し、1943年1月の撤退地集結時点で中隊長以下29名まで激減
聯隊主力は同年11月に斐徳を出発し、12月末のラバウルに到着時に空襲を受け、車両その他に損害を受ける
1943年3月、第2中隊長以下16名(ラバウル残置者8名を含む、このほか入院中2名)が主力に合流
同年11月には第1中隊がニューアイルランド島へ派遣
さらに臨時編成用として四年式十五糎榴弾砲6門と九八式六屯牽引車を受領、1944年1月にはこれを利用し十五榴2個中隊を編成、うち1個中隊は同年5月にヨーク島へ派遣
6月には九二式十加1個分隊をワトム島へ派遣
聯隊主力はラバウルで空襲を受けつつ防御陣地構築に励むうちに終戦、1946年5月に復員
戦死者は聯隊全期間を通じて約300名
44 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 05:41:04.33 ID:???
>>38 製造図面下付したら、フツー造るだろ?ってのはあるね
日本軍が奉天兵工廠を接収して更に増産モードに入っただろうし
満州事変まえに大阪砲兵工廠火薬製造の要職だった人間が招聘されてるんだよねぇ
何やら黒歴史らしきキナ臭さは半端ない。工廠をなるべく無傷で手にしようと関東軍ともども画策してたんでないか?
四年式十五榴は奉天で製造した可能性がかなり高いと思うよ
自緊製法でなく短砲身で低初速だから、極端に技術ハードルも高くないしね
45 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 05:47:51.72 ID:???
>>43 書き込みありがとう、待ってましただよ
ノモンハンももちろんだけど、ガ島の揚陸門数とハラスメント射撃の様子も宜しく頼むよ
46 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 07:11:43.14 ID:???
>>42 ムーリン重砲兵連隊がノモンハンに参加のとき八九式4門参加とは
佐山本「要塞砲」でなってるんだけど、大日本絵画の「ノモンハン戦車戦」では
6門、新刊の森山康平「はじめてのノモンハン事件」ではムーリン重砲兵連隊
の4門と旅順砲兵連隊の一個中隊が配属され6門となったとある
いちばん丁寧な解説は三番目。あと、連隊の全門でないかもしれないし
山本七平の云う「欠、欠、欠・・・」の欠編成かも
独立大隊で8門、連隊で正規は何門なのか?おれも知りたいぐらい
本土決戦控えた内地配備だとおなじ場所で8門以上配備した土地はないね
敵上陸にそなえ重砲兵学校富士分教所から16門を出撃させる予定だった
と「要塞砲」にある
47 :
46:2012/01/28(土) 07:33:25.86 ID:???
訂正
緊急編成された染谷義雄中佐を長とする穆稜自動車化重砲兵連隊もノモンハン
地区に送り出された(兵600名、八九式15cm砲4門、関東軍司令部の命令で旅順
要塞から取り外された沿岸砲2門)。
と正確なんだが、原著がロシア本なんで訳書チックな記述が「ノモンハン戦車戦」
48 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 07:38:52.92 ID:???
>>43 乙です
こう見ると立派に機械化砲兵部隊すなあ
>>44 とりあえず四年式十五糎榴弾砲の生産数は約280門は下方向にふかしとしか思えないよね
そこ等中に姿を見せて師団砲兵にも回り
海没含めて喪失したり鹵獲されたのも多い筈で
野戦重砲兵部隊の数を考えても四年式十五糎榴弾砲、九六式十五糎榴弾砲
十四年式十糎加農、九二式十糎加農、少数の鹵獲、押収火砲だけだと足りないだろうし
それに
>>43さんの書き込みの臨時編成用に6門とか
なんでそんなに四年式十五榴が沸いてくるwみたいな
奉天兵工廠は丸々接収されて陸軍工廠化
南満州工廠の施設になってるし
やっぱり作ってそう
49 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 07:44:55.61 ID:???
大阪砲兵工廠のみの生産門数280が濃厚と思われ
50 :
49:2012/01/28(土) 07:47:32.75 ID:???
おそらく奉天でも造ってるだろうって意味ね
51 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 07:55:41.31 ID:???
>>46-47 とりあえず重砲兵連隊の内、地名が部隊名になってるのが
穆稜(ムーリン)重砲兵連隊、東寧重砲兵連隊、牡丹江重砲兵連隊、阿城重砲兵連隊で
こいつ等は八九式十五糎加農以外に四五式二十四榴なんかも所持していて
ナンバー重砲兵連隊も要塞砲兵がナンバー重砲兵連隊になった部隊以外は
八九式十五加+α他の火砲か四五式二十四榴+α他の火砲って感じだから
基本的に重砲兵連隊は2種類以外の火砲を所持してるし
要塞砲兵を野戦向けに改編して番号を付けた部隊も大量に存在するので
案外重砲兵連隊の装備を単一火砲で固めた場合の定数なんてちゃんと定めてないってオチかもしれん
52 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 08:22:44.06 ID:???
奉天兵工廠は日本版シュコダだったわけだね
ドイツが併合したチェコスロバキアが日本にとっては満州であり
実際、奉天でシュコダ砲生産もしていたし、チェコ軽機は太瑚のほか奉天
でも生産してたのかな?
53 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 11:05:22.80 ID:???
54 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 11:24:51.73 ID:???
55 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 14:40:57.39 ID:???
重砲兵連隊リスト@日本陸軍機械化部隊総覧(別冊歴史読本1991春号特別増刊)ほか
穆稜重砲兵連隊 関特演で独立重砲兵第6大隊を編成して廃止
東寧重砲兵連隊 四五式二十四榴 2個大隊(4個中隊8門)、七年式三十榴 1個大隊(2個中隊4門)
牡丹江重砲兵連隊 四五式二十四榴 2個大隊(4個中隊8門)
阿城重砲兵連隊 関特演で重砲兵第2連隊・重砲兵第3連隊・独立重砲兵第4大隊・独立重砲兵第5大隊を編成して廃止
舞鶴重砲兵連隊 要塞砲兵部隊、平時編制(終戦時未動員)
佐世保重砲兵連隊 要塞砲兵部隊、昭和16年10月に佐世保重砲兵連隊補充隊を編成して廃止
旅順重砲兵連隊 要塞砲兵部隊、昭和19年10月に独立第61要塞砲兵隊を編成して廃止
重砲兵第1連隊 関特演で編成 四五式二十四榴 2個大隊(4個中隊8門)
重砲兵第2連隊 関特演で編成 四五式二十四榴 2個大隊(4個中隊8門)
重砲兵第3連隊 関特演で編成 四五式二十四榴 2個大隊(4個中隊8門)
重砲兵第5連隊 要塞砲兵部隊(和歌山県加太地区所在)、平時編制(終戦時未動員)
重砲兵第6連隊 昭和19年に奄美大島要塞重砲兵連隊を改編
重砲兵第7連隊 昭和19年に中城湾要塞重砲兵連隊を改編
重砲兵第8連隊 昭和19年に船浮要塞重砲兵連隊を改編
重砲兵第9連隊 昭和19年に父島要塞重砲兵連隊を改編
重砲兵第12連隊 昭和20年に澎湖島要塞重砲兵連隊を改編
重砲兵第13連隊 昭和20年に基隆要塞重砲兵連隊を改編
重砲兵第14連隊 昭和20年に羅津要塞重砲兵連隊を改編、本土転用(九十九里浜配備)
重砲兵第15連隊 昭和20年に永興湾要塞重砲兵連隊を改編、本土転用(志布志湾配備)
重砲兵第16連隊 昭和20年に高雄要塞重砲兵連隊を改編
重砲兵第17連隊 昭和20年に長崎要塞重砲兵連隊を改編
重砲兵第18連隊 昭和20年に豊予要塞重砲兵連隊を改編
重砲兵第19連隊 昭和20年7月の満州根こそぎ動員部隊、四五式二十四榴 2個大隊(4個中隊8門)、火砲未装備
56 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 14:49:22.94 ID:???
>>55 四五式二十四榴を当時よく作ったと思うが、それがそのまんまなのがなぁ…
57 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 15:06:58.96 ID:???
穆稜重砲兵連隊、阿城重砲兵連隊、牡丹江重砲兵連隊、東寧重砲兵連隊の編制、編成と装備ってわかりますか?
58 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 15:20:25.52 ID:???
>>55追加
独立重砲兵第13連隊 昭和20年に独立重砲兵第2大隊ほかを基幹に昭南で編成 3個大隊 装備火砲は山砲〜十五加までの4種類
59 :
57:2012/01/28(土) 15:24:51.33 ID:???
60 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 15:30:23.96 ID:???
>>58 シンガポールで鹵獲した火砲も含んでいるのかな?
そういうシンガポールで鹵獲した火砲をタラワかパラオかに送ったって話は本当なんだろうか?
61 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 17:06:38.02 ID:???
奉天兵工廠は日本に接収される前の生産状況は中共や台湾が纏めてるみたいだが
国軍がゲットしてからの動向はよくわからんね
62 :
43:2012/01/28(土) 17:49:05.79 ID:???
それでは野戦重砲兵第七聯隊のノモンハン事件について書いていきます。
聯隊史は「聯隊歴史」と個々の方々の回想からなっていますが、日付などについては「聯隊歴史」に準拠しています。
出征
1939年6月24日、第1師団下にあった当聯隊は第十動員一号及び三号を下令される。
第十動員三号に基づき聯隊補充隊が、第十動員一号に基づき聯隊本体がそれぞれ動員。
今回は2個大隊、計4個中隊の全力出動であり、装備火砲は九二式十糎加農砲16門、
連隊長は鷹司信煕大佐、第1大隊長は佐久間義雄少佐、第2大隊長は近藤虎之助少佐である。
聯隊は7月4から5日にかけて声援の中松戸駅を出発、大阪、釜山を経て7月14日にハイラルに到着、さらに17日には将軍廟に集結完了。
道中では野戦重砲兵第3旅団(司令官林少将)の隷下にあり(動員で独立扱いとなり正規編制からは外れている)、日満国境を越えた時点で関東軍配属となる。
聯隊は野戦重砲兵第一連隊(九六式十五糎榴弾砲)やムーリン重砲兵聯隊(八九式十五糎加農砲)とともに第一砲兵群の一部となり、
主に遠距離の対砲兵射撃が任務とされた。
>>45 ガ島の話は生存者が少なすぎて沢山は載ってないけど、
とりあえず1個中隊4門の九二式十加は揚陸中に空襲を受けたが損害なく揚陸できたと先任小隊長の回想に書いてある。
ただ射撃開始後ほどなくして1門は脚が折れて修理不能になったそうだ。
63 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 17:54:04.49 ID:???
>>62 >ただ射撃開始後ほどなくして1門は脚が折れて修理不能
あーあ
64 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 18:02:39.53 ID:???
>>61 接収前のものだが
奉天兵工廠作業計画表送付の件
C01003945400
1929年度と30年度の生産計画はこんな感じだね。
100から150ミリ程度の口径の榴弾砲なら1930年度には10門単位で作れると考えていたようだ。
なんか正規の手段で得たものじゃない気が多分にするから、あるいは不正確かもしれないけど…。
65 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 18:09:12.49 ID:???
>>62 九二式十糎加農らしいエピソードで泣ける……
66 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 18:11:46.96 ID:???
>>64 おもいっきり国府から掻っ払ったみたいな資料だなあ
ただ最低限この程度の能力があるのはわかるね
67 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 18:46:10.46 ID:???
国軍の陸戦スレが新スレに移行しました
68 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 19:12:29.26 ID:???
69 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 19:33:57.56 ID:???
70 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 19:45:15.26 ID:???
>>64>>66 各国の技師もそうだけど日本人技師が招聘されてんだよね…
潜入諜報の役目も当然してたと思う
黒歴史だなぁ
71 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 20:03:24.73 ID:???
>>68 水上機母艦で運んだなら揚げれてそう
上手いタイミングなら門橋設定してとかだろうか?
72 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 20:07:25.65 ID:???
73 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 20:12:18.88 ID:???
スパイやってたなんて大っぴらに公表できないことだろう?
汚い手段も当然使ってるはずだし
74 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 20:14:09.04 ID:???
>>70 何にせよ南満州工廠として日本陸軍が実働させてるから
大阪砲兵工廠、名古屋工廠、小倉工廠辺りとは交流があって
それなりの生産活動はあったんだろうけどね
75 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 20:14:46.72 ID:???
黒歴史と言うか裏面史だな
76 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 20:31:15.65 ID:???
とりあえず「黒歴史」でググった方がいいな
77 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 20:33:32.71 ID:???
少なくとも島内を九二式10Kや九六式15Hがそれなりに移動した形跡があるから
牽引車輌も何輌かは上陸出来たのでは?
78 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 20:35:58.70 ID:???
ガンダム項目を除けば「なかったことにしたい事象」「おおっぴらにするには不都合な事象」
って派生使用法でそんなにおかしくもないんじゃね?
79 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 20:40:29.38 ID:???
>>55 阿城重砲兵連隊の解体分割後の後進にあたる
独立重砲兵大隊って七年式三十糎榴弾砲装備部隊?
80 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 20:45:02.66 ID:???
ルソンに派遣された七年式が満州から転用された部隊だったよな
81 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 21:00:00.60 ID:???
>>69 本当にスレ内で陸戦してて、読んでるだけでキツイ部分はある
82 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 21:00:08.44 ID:???
83 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 21:08:59.91 ID:???
四年式十五糎榴弾砲は野戦重砲兵部隊の数と
四年式15Hが回された野砲兵部隊(一部は山砲兵部隊)の数数えたら大体の大枠はわかりそうだね
かなり大変そうだが
ただ他の野戦重砲兵向け火砲を考えると感触的には280門では足りないかもしれないが
意外と多少足りない程度かも?って希ガス
84 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 21:19:00.27 ID:???
例の鹵獲十加だけどボフォース M1927型 105mmではないの?
確か国民党が買ってるんだよね
85 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 21:19:44.42 ID:???
奉天兵工廠は大阪の生産能力の十分の一程度と当時は見積もられてるね
四年式を生産してたとしても、20〜30門ほどだったと思う
なにより九六式十五榴の配備を野戦重砲兵連隊は切望してたわけで、生産優先
順位としては九六式が筆頭
ただ自緊砲身でない、ローテク製法で造れる四年式の生産も意味あることで
86 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 21:21:20.06 ID:???
奉天兵工廠って自緊砲身作れたのかな?
87 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 21:30:25.77 ID:???
自緊砲身は1920年代の最新技術だからね
シュナイダーに続きシュコダでもvz28くらいから採用してるみたい
シュナイダーの子会社みたいなもんだから
十四式野砲、榴弾砲はそれ以前の技術だから、奉天では自緊砲身生産は
できなかったと思われる。可能なら九○式以降の制式砲も造ってるはず
88 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 21:36:51.93 ID:???
>>84 タイ軍も買ってたね。タイはボフォース15榴も買ってる
89 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 21:47:32.88 ID:???
>>40 米軍がM1918をフィリピン、ガ島、ニューギニアでも使ってる
15cm榴弾砲新型が写真で確認できるのが、サイパン戦頃からなんでね
太平洋戦線の装備更新はヨーロッパより後廻しにされたから、
砲種はM1918が妥当だろうね
90 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 21:52:52.34 ID:???
wikipe記事(コモンズ)にも載ってる九二式10Kの有名な画像はガ島でメリケンに鹵獲されたやつだな
91 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 22:01:31.33 ID:???
>>90 背景にテント張ってるやつだよね
ガ島の鹵獲砲写真はほかに四年式十五榴弾砲、ボ式40mm機関砲、四一式山砲、
海軍八糎高角砲がある
九六式は戦後の現存砲展示のやつしかないな
アメリカの国立公文書館あたりでの発掘を望みたいが…
グランパでスポークが折れた迷彩塗装の九六式写真はあるが、鹵獲場所は不明
92 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 22:02:00.44 ID:???
鹵獲十五榴とか十五加の鹵獲砲弾使いきったらどうすんだろ?
幸いなのかこちらの方が同級火砲でも多少口径小さいから
現地の工廠で自軍砲弾に銅製リングでも巻き付けて使うのかしら?
93 :
名無し三等兵 :2012/01/28(土) 22:07:03.59 ID:???
>>47 >旅順要塞から取り外された沿岸砲2門
これは実際の所、89式十五加だね。
同本の写真で、鹵獲された89式十五加6門が確認できる。
94 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 22:09:22.83 ID:???
以前にノモンハンの本か何かで旅順に据え付けてた八九式15Kを引っ剥がしたとか書いてた
95 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 22:11:47.72 ID:???
あれ、銅帯も厚さが適合してないと装薬の発射ガスが漏れるわけだろ?
銅帯で寸法あわせしても軟らかいから、砲弾が砲身内で首ふりしそうだし…
5mm以上の口径差はキツイ気がするけど
96 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 22:12:48.50 ID:???
>>91 世界最高の皇軍火砲のメッカ、中国の革命軍事博物館にも九六式15Hあるとか
防楯や車輪がソ連砲の流用だけど
過去スレでポルトガル?だかの軍事博物館に何故か九六式15Hがあると聞いたけどどうだろう
97 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 22:18:59.09 ID:???
ポルトガルにあるらしいね
多分だけどチモールにあったんじゃね?>九六式十五糎榴弾砲
98 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 22:26:32.56 ID:???
佐山本、アジ暦除いて当スレが旧軍火砲の情報サイトで世界一と化してる件
99 :
名無し三等兵:2012/01/28(土) 22:34:05.85 ID:???
沖縄の航空自衛隊だかに展示の九六式の防盾ついた写真が兵頭さんの本にあったよ
公民館だかに八九式加農も展示してるし
沖縄在住のスレ民は画像を当スレにUPすべし!
十四年式十糎榴弾砲だけなら世界一位の謙虚さで
沖縄は九糎、十五糎鋼製臼砲も返還されて展示してるよね
>>93 「ノモンハン戦車戦」は七糎七野砲の写真が九四式山砲と誤って解説
されてたりするんだけど、貴重な同砲の写真が二枚も掲載されてる
満州国軍兵の捕虜写真が日本兵と解説されてたり、写真解説が甘いのは
汚点なんだけど、資料としてはいい本
>>92 152と155を海軍は持ってるから製造してもらうでも
現地軍で融通するでも不可能ではないかもしれない
ただ155積んでた軽巡大淀は比島戦で
主砲弾がどこにもなくて補給できなくて苦労したらしい
(最後に大和から少し分けてもらった)
>>102 十四年式十糎榴弾砲と奉天兵工廠の話が出てるので便乗して聞きたいんだけど
77mm野砲って七糎七野砲として準制式化されて日本陸軍に使用されたのって何門位あるのかな?
大半は満州国軍に引き渡されるか関東軍の兵器庫にしまわれたの?
>>104 やはり口径がネックだったんだろうね
ドイツ軍がF-22師団砲鹵獲して薬室削りPAK40の薬莢が嵌まるようにしたん
だけど、正規の弾薬は7.62cm口径にPAK40の薬莢を合体させたもの
7.5cmのドイツオリジナル弾薬でも撃てるけど、命中精度が著しく落ちた
対戦車砲では致命的だよねぇ
七糎七野砲が配備された日本軍部隊はおれも聞いたことがないし、ノモンハン
でソ連軍に鹵獲された写真からみて、おもに満州国軍むけに交付したのが
妥当だと思うよ
>>103 弾頭だけ流用して薬嚢は現地工作でいけそうだね
ちなみにボフォースの十糎加農はオランダも持ってるんだな
蘭印でも見掛けてそう
>>107 蘭印の鹵獲集積写真で75mm野砲か105mm加農のがあるんだよね
日本兵も写ってる写真
防盾が米軍の3インチ対戦車砲の形そっくりだったんだけどボフォース製だと
思う。転輪がゴムタイヤでね
あの写真は最近の学研ムックに載ってたんだっけか?
ジャカルタの博物館にボフォースM1934山砲もおそらくオリジナルのゴムタイヤ
オランダ向け仕様らしい
この展示砲は鹵獲した日本軍から、さらにインドネシア軍が使ったと解説がある
109 :
名無し三等兵:2012/01/29(日) 00:36:16.18 ID:QQVpxvtj
あー確かにどっかで写真みたな
蘭印の奴は多分M1927だろう
数々の鹵獲装備の最前列に二門がある構図の写真だった気がするな
アングルが真正面で
111
>>104 7糎7野砲取扱法制定方の件
C01001519900
書類の下の追記によると、とりあえず関東軍以外の日本軍部隊での使用予定はなかったようだね。
野戦重砲兵連隊の装備@日本陸軍機械化部隊総覧(別冊歴史読本1991春号特別増刊)ほか
甲連隊=十五榴
九六式
1,3,4,17,20,23,26,27
四年式
2,5,6,9,10,13,14,15,25,28,29,52,53,54
三八式
11,12
乙連隊=十加
九二式
7,8,18,22,30,独立15
一四年式
16,19
参考
野重3:昭和20年2月に野重第11大隊(ビルマ)・野重第12大隊に改編され解隊
野重9:昭和19年2月に第2大隊を独立山砲兵第3連隊(サイパン派遣)に転属,第2大隊は再編
野重13:昭和19年7月に第1大隊を中支に派遣(後,野重第10大隊に改称),釜山滞留中の野砲兵第17連隊第2大隊(比島派遣の第23師団所属,四年式十五榴装備)を編入再編
野重25:昭和18年5月に近衛野砲兵第1連隊に改編され解隊
野重30:昭和20年7月の満州根こそぎ動員部隊,火砲未装備
鹵獲砲といったら、アジ歴にある帝国陸軍編纂の米軍銃砲集はカタログみたいで面白いね
鹵獲した米軍資料使ってるみたいで写真にスペック表という分かり易さ
何よりも火砲に詳しい
ロングトムやボフォース40mmはもちろん、ジープにM3 37mm対戦車砲を乗っけた「37粍自走対戦車砲」とかレアすぎる
115 :
名無し三等兵:2012/01/29(日) 01:16:19.15 ID:zCLeMTzR
タイ軍なんかもフランスやスウェーデンから兵器を購入しているのは興味深いよね
>>113 乙
四年式云々の生産数・配備数の次は、(皇軍基準では)そこそこ量産された重砲の
筈な九六式十五榴の部隊配備数が少ないのが気になる…
十五加と違って前線でない要塞に置いとくもんでもないし
>>112 有難う
やっぱり口径が完全にネックなんだろうなぁ
>>115 むしろタイみたいな国の方が売りに出されてる中で最新の兵器を物色して揃えやすい
日本みたいに規模が大きすぎたり国内産業との兼ね合いなんかを考えなくとも良いし
>>113追加
野重18:昭和19年12月に野重第9大隊に改編され解隊
>>113 これは貴重
該当書籍を持ってないから嬉しいです
とりあえず個々事情は勘案せずに甲連隊定数24門、乙連隊定数16門として
九六式15H×8個連隊=192門
四年式15H×14個連隊=336門
三八式15H×2個連隊=48門
九二式10K×6個連隊=96門
十四年式10K×2個連隊=32門
とりあえず九六式十五糎榴弾砲は2スレ目で生産数がMAXで600門に達する可能性が指摘されているから少なすぎだねやっぱり
四年式十五糎榴弾砲部隊の幾つかが戦時中に改編されたのか?
そして話題の四年式十五糎榴弾砲だが各連隊にたった1回だけでも24門を渡すのは無理w
280門って数字はやっぱり怪しい
そして未だに残ってる三八式十五糎榴弾砲部隊は
装備改編部隊候補か?
加農装備の乙連隊はまあ、こんなもんかなっていう数ですね。
121 :
43:2012/01/29(日) 02:23:44.96 ID:???
イリンギンブルードロ付近での第1次戦闘(7月17日〜28日)
野戦重砲兵第七聯隊はハルハ河東岸、ホルステン河南北地区に陣地を占領した。
第2大隊はホルステン河北岸バルシャガル高地、砲兵隊南端に陣地を占領、野重一、ムーリン重砲兵聯隊が北隣に配置。
第1大隊はホルステン河南岸のノロ高地東に陣地を占領。
また野砲兵第13連隊第1大隊(第3中隊欠)をその指揮下に入れた。
7月17日から22日にかけては、敵砲火や戦闘機の機銃掃射の中射撃・観測準備を実施。
7月23日朝より、他隊を含む総攻撃開始。
7時半より効力射準備射撃30分ののち効力射開始。
8時より攻撃準備射撃を実施したほか、11時までは対砲兵射撃を実施しした。
25日まで対砲兵射撃のほか、攻撃支援射撃、対戦車射撃などを実施。観測は地上並びに航空機、気球による。
敵砲兵による反撃のほか、敵戦闘機による機銃掃射や空中観測妨害を受けた。
23日から25日までの弾薬消費量は(おそらく第4中隊で)約850発。
しかし敵砲兵の撲滅、敵地上部隊の撃退は達成できず。
以降27日まで主に対砲兵射撃を実施。
この期間の戦死者は12名、戦傷者は15名
ちなみに第4中隊の観測所にいた方は、ホルステン河北岸からの23日の射撃について、
十加8門、十五榴1個大隊、十五加2個大隊による射撃だったと書いている。
122 :
43:2012/01/29(日) 02:29:32.23 ID:???
>>68 損失はなかったとしか書いてないが、米1粒まで無事揚陸できたと書いてあるから多分できたんじゃないかなあ。
1943年1月の撤退命令時には牽引車、トラックとも何台か残存していたらしく、このうちトラック2台を処分せず残して途中までの撤退に使ってる。
>>113 その本持ってるけど便利だよね。
各種砲兵のほか、戦車兵や輜重兵、工兵の部隊一覧と主要部隊略歴が掲載されてる。
>>121-122 こう見ると意外に善戦してるように見えますね
ノモンハン、ガダルカナルと悲惨な筈なのに
生産数といやあ四一式山砲も幾らなんでもよく言われている生産数は少なすぎって言われてるね
確かに550門とか有り得ないと思う
野戦重砲兵大隊@戦史叢書ほか
甲(十五榴)
九六式
11,12,16,17,独立100
四年式
10,19,20,21
三八式
18
不明
6,7
乙(十加)
9
不明
5 ← ダンピールで海没した独立混成第21旅団砲兵隊(十五榴1個中隊,十加1個中隊)を改編
四年式十五糎榴弾砲の生産数に関する謎が深まるばかりな件
四年式十五糎榴弾砲は輸出商社である陸軍の息がかかった泰平商会の
カタログに載ってるんだよ(並木書房の本で復刻版が読める)
支那にもいくらか売った
毎日新聞社の「日本の戦史」で鹵獲遺棄された中国軍砲というキャプションで
たしかに、いかにも捨てられた四年式の横を通過している日本兵の写真がある
欠編成も多かったとはいえ、生産門数280では確実に装備数には足りないようだ
そもそも四年式15Hの生産門数280門の数字の出所ってどこなんだ……
終戦50年にちなみ発行した丸別冊での冒頭火砲特集、佐山解説だね
おれは持ってないけど、グランパの二、三年まえの佐山連載でも触れてるはず
グランドパワー2009年9月号で佐山さんが四年式十五糎榴弾砲を解説してるんで、そこに載ってるかもしれない。
じゃあ、280門って佐山さんが生産確定分を暫定的に足しただけの数字なのかなぁ?
奉天で九七式チハも若干数生産してたらしいじゃない?
土浦かどこかに現存の九二式重機も南満州工廠製だし
あっちで造ったぶんは日本国内生産より不明だろうね
ソ連の侵攻で大混乱だったから
四年式が大陸で生産されてたとしても、数がカウントされてるとは思い難い
関東軍とか北支方面の野戦重砲兵連隊、大隊の内幾つかは奉天で生産した分を受領したんでないか?
後、大東亜戦争中もあれだけ四年式十五糎榴弾砲は使われてるんだし
補充用の部品とかも入り用だったろうし
そういうのも奉天で作ってたのかもね
>>133 兵器整理に関する件
C04123081400
標題は電子化に際して誤ってつけられたようで、史料の表題は「兵器修理に関する件」
無料で公開してもらってるから言いにくいけど、せめて標題は正しくつけてほしい…というわけで不具合情報に送っておいた。
ここを見ると四年式十五糎榴弾砲8門を奉天造兵所で修理しろと書いてあるから、
少なくとも補充部品くらいは作ってたんじゃないかなあ。
修理能力だけあって部品は全部本土から送ってる可能性もないわけじゃないけど。
>>134 よく見つけられたねw
しかし日本軍の下で部品を製造してるのは確定か
何気に生産数が一番謎めいてるのは三八式野砲
このスレでも何度か話題になったけど不明だし
改造三八式野砲ってそこそこ生産(改造)されてそうで、実はそんなことはないとかかんとか
土浦で三八と改造三八の実物をみると砲架だけでなく、駐退復座機やらまったく
別の砲といっていいくらい違う
その改修と新規生産の手間を考えると、新式を採用したほうがいい、で実際の
製造門数はすくなそうだね
三八でバランスとれてるものを射程のばすために無理にいじったから、
耐久性にも問題あったし
これは四年式十五榴もそう
>>135 キーワード検索は内容の一部からも検索できるから、割と広く拾える。
っていうわけでこんなのも見つけた
兵器払下の件
C01002077600
1935年、奉天造兵所が野戦重砲兵第九連隊の十五榴用の大架側板を修理してほしいとの依頼を受けたが、
納期がきついので本土から半製品を送ってくれという要請。
>>113によると野戦重砲兵第九連隊は四年式十五糎榴弾砲装備なので、
納期がきつくなければ修理用部品を奉天で作っていたということだろう。
ただ、1936年の兵器改修の件
C04012197000
ではわざわざ四年式十五榴の砲車だけが奉天で回収となっている。
火砲(半製品)還送の件
C04012645800
これによれば1938年時点で奉天造兵所には二四榴用の砲身他半製品が2門分、十五榴用砲身他半製品が10門分保管されていたようだ。
還送なんであらかじめ送っておいてもらったものだろうな。
微妙なところだけど、他の史料とかも突き合せてみると、どうも1938年あたりから火砲の生産能力がきちんと出てきてる気がする。
それ以降になると九二式歩兵砲とか九四式速射砲とか四一式山砲とか作りだそうとするし。
ただその完成品を作るのにどれくらい本土の部品に依存してるかはわからん。
>>87 兵器払下の件
C01006865700
C01007019200
C01007051700
これらを見る限り自緊砲身を作ることはできなかったか得意ではなかった模様。
あと調べていて疑問だったのが
火砲製造作業指導者派遣方の件
C01002455900
火砲製造技術と作業能率の向上のため、職員を派遣してほしいというお願い。
88/7YCHとか41/SHを製造する工場を1940年に新設したらしいんだが、
これは八八式野戦高射砲と四一式のどれかの砲のことかな?
おまけ
押収山砲改修の件
C04122161000
この改修は奉天造兵所で行われることになっているが、1940年に捕獲した克式山砲って何だろうなあ。
19世紀のあれだろうか…
調べれば調べるほどいろいろ出てくるけど、眠いから寝る。
アジ暦検索乙
奉天南満州工廠の知見がおかげで広がりましたわ
現時点で佐山本でも触れられてない未知の事象は推論だして、その項目を徹底的
にアジ暦で検索して洗う作業が有効みたいだね
十四年式十糎といい四年式十五榴といい
十四年式のときはチェコ製というスレの書き込みで画像検索してみたんだけどね
シュコダ砲は前から興味あったし、当該砲も知ってはいたんだけど
それまで「日本の大砲」のドイツ式という記述にとらわれすぎていたよ
支那がFH18を48門買ったとか、三八式野砲、三八と四年式十五糎榴弾砲を
満州でコピー生産してたとか書いてある
forum.axishistory.com/viewtopic.php?f=101&t=162448
>>140 クルップ山砲ですか、写真さえあれば捜すのは得意ですぜ
>>142 >それまで「日本の大砲」のドイツ式という記述にとらわれすぎていたよ
「日本の大砲」も絶対ではないんだな。当たり前だけど。
しかし、これからは本を書く人は大変だな。
得意になって揚げ足取りするするバカとかぜったいいるだろうし。
>>145 >得意になって揚げ足取りするするバカとかぜったいいるだろうし。
論文とか書くんだったら、突っ込みあるは当然だろ?
要は、そういう感覚で書く必要があるってこと。
これからのレファレンス(何度もネットで被引用)化なのは必須だし
いままでミリタリーの世界で中国、台湾の文献にあたることがほとんど
なかったじゃない?
あっち方面から切り口いれれば、もっとはやくに判明したであろうことなん
だよね
当該シュコダ砲だって西洋人にはたいして珍しくない砲なんだし
ただ、現存してるのがイタリア仕様の車輌牽引タイプ転輪だったりするんで、
とてもおなじ砲とは思えない
英25ポンド風の小口径ゴムタイヤ履いて、ドイツ式マズルブレーキつけた
やつなんか特にそう。防盾もちがうし
台湾版グランドパワーみたいな濃ィ〜〜いのがあるんだろうな
使用兵器の経緯からして、ドイツ厨の比率は日本より多いのかもしれないな
知恵ッ涸厨必死棚(藁藁藁藁藁藁
とか罵倒し合ってるんだろうか
台湾の金門島は大陸との砲撃戦で有名なんだが、砲兵陣地が観光名所で
砲弾溶かしてこさえた包丁が名産品とか、知人が云ってたよ
金門包丁
それはともかく未だにM1 24cm榴弾砲が現役なんだよね
後、金門の砲兵陣地って凄い
大陸側には砲撃用の開口部が開いてて
後方から引き出したら島内に敵が侵入した時にスムーズに全週を撃てるよう
円形の設置台があるんだよね
押収火砲(弾薬)試験報告提出の件
C04121109500
1939年の史料だが、日中戦争でどんな火砲を捕獲していたのかがわかる。
ボ式山砲やボフォース十五糎長榴弾砲など、このスレで見たような名前もちらほら出てくるけど、
斯式は歩兵砲やら山砲やら山地榴弾砲やらいろんなのがいてよくわからんし、
パ式44o速射砲至っては後ろの方でパアツロツW型四十四粍歩兵砲って書いてあるけどこう書かれてもわからないw
ラ式歩兵砲とか独式ホツホース十五糎長榴弾砲とかも何なんだろうなあ。
154 :
43:2012/01/29(日) 15:59:28.40 ID:???
イリンギンブルードロ付近での第2次戦闘(7月29日〜8月22日)
大規模な戦闘はなくこう着状態。主に対砲兵射撃を実施。
8月初旬ごろより弾薬節約のため射撃制限。
この射撃制限については、前に書いた第4中隊観測班の人は1日0.1基数と書いてる。
一方第2大隊本部にいた人は1基数1門25発と書いているから1門1日2.5発となるが、
その基数を書いている人や第1中隊長はおおよそ1日1門6発程度の割り振りだったと書いているからこちらの方が正しそう。
いずれにせよ潤沢とはとても言い難く、敵は1発撃つと数倍の砲弾を撃ち込んでくることから、数日分蓄積してまとめて打ち込むことが多かった。
8月9日と10日には、十加や十五榴の脚折損問題の調査のため、技術本部から現地に職員が派遣される。
脚の折損は敵から捕獲した材料などを再処理して修理にあたっていたようだ。
その間の面白エピソードとしては、第2大隊本部がどこかから山砲を調達して気球隊の対空防護任務に就き、試射したところ山砲の砲身が落下したなんていう話もある。
8月16日、敵砲兵弱体化に伴い旅団は前進したが、聯隊は現陣地で引き続き射撃を実施。
18日、第4中隊観測所が敵砲撃の直撃を受け、中隊長渡辺中尉が戦死。
同日ソ連軍は大規模な爆撃ののち、戦車を含む機械化部隊が前進を開始したのが確認された。
21日、敵戦車が第2大隊左後方に出現、段列や聯隊本部を襲撃。対戦車射撃と肉薄攻撃(おもに火炎瓶)を実施する。
このころより所在不明の敵砲兵から攻撃を受け続ける。
22日、引き続き敵戦車や機械化部隊から攻撃を受け続ける。対戦車射撃と肉薄攻撃でこれを撃退。
聯隊は敵がハルハ河を本格的に渡河して前進中と判断、第2大隊は隷下2個中隊を背面配置し対包囲防御に入る。
同日野砲兵野砲兵第13連隊第1大隊(第3中隊欠)が隷下から離脱。
この期間の戦死者は第4中隊長を含む15名、戦傷者は28名
また8月上旬には第1大隊長が菅野良少佐に交代。
>>153 斯式山砲は九九式のオリジナル砲として
歩兵砲とか山岳榴弾砲はなんだろうね?
そういやフランスは戦間期に105mm加農なかったっけ?
ラ式歩兵砲は7.5cmか15cmの奴だろう多分
ただパアツロツ式とか独式ホツホースとか全くわからんw
>>154 四年式十五糎榴弾砲の直射でBT戦車が面白いように宙を舞ったってこの時のエピソードかなぁ
156 :
暫編第一軍:2012/01/29(日) 17:34:03.32 ID:???
>>140 滬造克式75mm山砲のことかも知れませんね。
1905年に清国が採用したクルップ式山砲で、1930年代前半になっても中国軍野戦砲兵部隊の主力だったとか。
その後ボフォース山砲の購入で更新されますが若干数は抗日戦争にも継続使用されたとのことです。
滬造というからには中国で国産化していたことになりますね。
大東亜戦争中の独立重砲兵第2中隊と独立重迫撃砲第1中隊の動向と
編制、編成と装備の変遷について知ってる人居ます?
>>156 相当旧式ですよね
結構後まで国内で生産してたんかなぁ?
159 :
名無し三等兵:2012/01/29(日) 17:47:39.89 ID:vVo2VGnc
こう見ると支那諸勢力もなんだかんだで火砲の内製化してるね
>>153 斯式の山地榴弾砲は75mmか105mm(九九式十糎山砲の原型)と思われる
両者はスタイルが酷似して単脚を折畳めるが、ヒンジの位置が違う
ラ式ホ兵砲はIG18だろう
写真がないのであとはわからん
161 :
暫編第一軍:2012/01/29(日) 17:48:50.32 ID:???
>>153 le IG 18軽歩兵砲か、それとは別の独製75mmL13山砲を装備していますからそのどちらかでしょう。
調整師に装備させる歩兵砲としての導入です。
>>162 やっぱりシュナイダー含めて40口径以上の十加って戦間期のフランスは作ってないよね
クルップのそれ三八式野砲より古そうだなw
>>155 mle1936 105mmというのがあるよ
支那の重工業系の工場、製造所は大体南満州、北京〜天津〜山東半島辺り、上海〜武漢三鎮辺りの長江流域に集中してるけど
満州事変で南満州はおじゃん
北支と中支も支那事変で速攻おじゃんだから厳しいな
そういや長江流域の造船設備と兵器工廠も日本軍が使ったのかな?
特に上海〜武漢辺りに複数現地工廠を開設したようだが
野戦工廠ではなく現地設備を流用した割りと本格的な奴なのかねぇ?
>>162 それが九九式十糎山砲のオリジナル火砲なのか
>>155 カノンはmle1936 105mmというのがあるよ
九九式山砲の原型はmle1928 L12.5 105mmだったはず
>>171 えっ!?
これって砲その物は十四年式十糎榴弾砲と一緒なん?
しかも61w
>>169 mle1928 L12.5 105mmはCanon Court de 105 M(montagne) mode`le 1919の改良型だと書いてあるなあ。
しかしこの辺は英語wikiも要出典連発で正直怪しいw
本国たるフランス語版Wikipediaではどうなってるんだろ?
今携帯だからまともに見れないけど
そういえば九九式十糎山砲もオリジナル、生産数共に不明なんだっけ?
オリジナル砲はだいたい目星がついてるmle1919か1928のどちらか
九九式の生産門数はそういや不明だな
九九式は100門は作ったとかきいたけどどうなんだろうね?
ボ式山砲は幾つかの独立山砲兵大隊が分けあって配備されたらしいけど
九九式十糎山砲はどの部隊に配備されたの?
>>157 独立重砲兵第2中隊はコレヒドールで九六式二十四糎榴弾砲と九六式十五糎加農を運用した部隊だよね
その後ソ連の満州侵攻にも直面している
180 :
名無し三等兵:2012/01/29(日) 23:40:31.03 ID:vVo2VGnc
奉天、北京、上海と主要生産拠点を完全に取られて
国府は完全に輸入頼りに逆戻りってあのショボい戦闘能力に更に悪影響を……
>>154 毎度乙
ノモンハンの帝国陸軍砲兵部隊もなんだかんだいって3万発近く砲撃してるんだよなぁ
比島の十五加とまではいかなくとも、九二式十加で対戦車射撃とはすさまじい
>>154 この山砲の砲身が落下したってあまりに仰角付けて撃ったから?
>>181 九二式十加の直接照準って如何やったんだろ?
直接照準器ついてたっけ?
>>184 ありがとう
まあ、切羽詰まったら何でもやるか…
関係ないけど、この映像は北辺の千島守備スキー隊の映像も交じってるんだけど、
斜面が45°以上あるところを滑走してて吹いた。皇軍すげぇわ…
「士」の部隊マークを描いた伝説の11TK所属のチハ車も出てくるし
>>185 ただ15cmの加農だし、たとえM4相手でも至近弾で致命傷にはなりそうだしね
使用砲弾も破甲榴弾や榴弾だろうし
>>25みたいな事例もあるし
九二式10Kと八九式15Kってそんなに直射の性能悪いの?
自衛用に最低限の直射用の照準器位ついてそうだけど違ったのか?
188 :
名無し三等兵:2012/01/30(月) 00:24:13.10 ID:NWU74kTk
>>184すごいな。BT7とかには明らかにオーバーキルだろうに。M4に丁度良いかも
>>186 国軍スキー部隊スゲー
陸自の冬季戦技にも影響をあたえてるのかなやはり
>>188 15榴に撃たれたBT戦車は面白いように宙を舞ったそうだし
191 :
名無し三等兵:2012/01/30(月) 00:52:53.36 ID:KJrTiVUw
>>113 野戦重砲兵第17連隊って緒戦の蘭印作戦に投入後満州に引きこもったみたいだけど
端から九六式十五糎榴弾砲装備部隊だったからか?
しかし九六式15Hで蘭印に乗り込んでたんだな
ますます蘭印での動向が知りたくなったが
緒戦の蘭印作戦って勝った勝ったで砲兵の活躍っぷりとかまるでわからん
>>187 もちろん普通に照準器ついてる
10Kは対戦車とか直射は想定任務にあるしね
ただ移動目標に対するリードとかは怪しいのと
旋回と俯仰のハンドルが左右に分かれてるんで対戦車砲よりは面倒
まあ俯仰(距離)なんて1000内外なら固定でよいんで大した問題じゃないけど
>>25 ビルマに居た野戦重砲兵連隊、大隊は第3連隊と第21大隊と第18連隊で第18連隊は九二式十糎加農だから
野戦重砲兵第3連隊か第21大隊に所属していた四年式十五糎榴弾砲の戦果か
まあ、第3連隊は1945年2月に野戦重砲兵第11大隊と第12大隊に分割改編されたそうだから
この3つの大隊が候補かぁ、どの部隊なんだろ?
10K・15Kなら謎の米軍新鋭重戦車M1相手でも怖くないな
ただ防楯のない15Kだと…
おっと長十二糎自走砲の悪口はそこまでだ
謎の米陸軍重戦車M1とやらに十五糎破甲榴弾を叩き込んでやりたいな
データ見てたらイタリアの210/22 mod35と149/40 mod35
ドイツの21cm K38と24cm K3がやっぱり欲しいってなる
試製二十糎臼砲とか見るに大口径機動砲欲しかったんだろうなぁ
大口径砲といったら、一式二十四糎列車加農って結局どうなったんだろ
佐山さん本には部品単位で生産や組み立てはされたっぽい的な事を匂わしているけど
>>171 画像ありがとう
俺のみたのはこっちだったよ。たしかにブリテンっぽいね
そっちの写真は回転盤までついてたし、25ポンド砲よりこっちのほうが
砲弾威力があっていいような気がする。ともに単脚砲架だしね
www.network54.com/Forum/47208/thread/1306092269/world+you+ID+this+please-
写真みるとM14/61はさらに長砲身みたいだね
>>196 日本軍はM6重戦車を誤った情報でM1と記録したらしいね
沖縄、硫黄島で米軍の新型重戦車出現の日本軍報告があるけど、
T26は実際に投入されてたのか?
M4にバカみたいにスカートやら増加装甲つけた姿を誤認したとか以前は
読んだが
九九式十糎山砲の原型は1928年型だと思う
Forum.axishistory.com/viewtopic.php?f=85&t=144817
>>201 沖縄にM26が居たのは確か
写真が残ってた
>>202 これ見る限り確かにオリジナルは1928年型かな?
鯖不安定?
テスト
しかし国軍は大東亜戦争でも三一式使いすぎだろ
支那、ビルマ、フィリピンって……
フィリピン決戦で三一式なんかあてがわれた砲兵は悪夢だろう
南方では軽くてよかったって局面も多かったとは思う
あれだけ保管砲があちこちで使かわれたってことは、廃砲にあまり
ならないくらい耐久性があったのでは?
ドイツ、フランスの部品のおかげで
速攻で三八式が出て一気に置き換えされちゃったから
大半の砲はずっと倉庫で寝てたんだろうよ
こんな時もあろうかと
駐退復座は装備してないけど、砲がないよりはずっとマシなはずだからね
交付されたのが新品デッドストック状態のやつとかあったんでないか?
マニア狂喜の
>>207 しかし駐退復座機がないのはきっついわw
>>210 まあ、火砲がないよりはマシだけどね
仮に新古品の三一式があったとして
新古品状態の三一式を見た砲兵ってかなり微妙な内心だろうなw
イタリアは二次大戦で駐退復座機構のない15cmカノンまで配備してるんで
野砲で軽量なぶん、日本のほうがはるかにマシだと思う
かの国の砲兵装備を調べると、「お互い大変だったんですね…」なんて慰め
たくなるよ
北支に居た3TKDに一式七糎半自走砲が配備されてたって本当なんだろうか?
>>213 がちんこでアメリカとやるのと、まきこまれてやっぱり
がちんこでソ連とやるのと、どっちがマシ?みたいな
>>213 このカノンは射程23kmもあるんだよな
映像のFlak18系列をイタリア軍が使ってるのは昔から知られているね
兵士が写ってないときのドイツ軍使用砲との識別点は、大抵タイヤの
トレッドパターンがイタリア仕様に換えられてることだね
八九式十五糎加農があるとは言え
やはり一部の先進性では149/40 M35に負けてる気がするな
まあ、あの手の火砲はイタリアのお家芸だし
あの時期の日本に出来で負けたらイタリアがなんなんだって話になるけどw
フランスのmle1932 15cmカノンなんかも牽引式で射程26kmあるし、
同射程の九六式よりずっと軽いだろ、の世界だしね
M35は口径比砲身長38.4なんだが、イタリアの計測法はライフリングからで
他国より短くなるんだってね
40口径の八九式と同等の砲身長で射程が5km以上ちがうのは…
八九式は実質九二式といっていいほど改修繰り返しで実用化がおくれてる
わけだが、同時期でこの差はきつい
220 :
219:2012/01/30(月) 22:12:03.58 ID:???
訂正
wikiによるとM35の口径比は38.7だそう
たしか仏GPF 155mmもそのあたりの数値でなかったかな?
221 :
名無し三等兵:2012/01/30(月) 22:27:59.78 ID:NWU74kTk
ドイツの野砲も1918年ころの奴ばかりだし
>>29 この押収十五加ってGPFなんだろうけど
やっぱり本土から技本とか大阪砲兵工廠とかから
職員要員が派遣されて徹底的に調査されたのかな?
後はコレヒドールの要塞や重砲もかなり徹底的に調査したのだろうか?
>>33 フランスって149.1mm口径の加農も造ってたの?
いや、leIG18、leFH18、FH18、K18、FLAK18という欺瞞名称だよ
ベルサイユ条約の連合国監視から「いや、これは一次大戦時の砲ですう…テヘッ!」
な感じで
実際は1920年代後半に開発がスタートしてる
戦間期にボフォース社やソ連に技師を派遣してゲリラ開発してた成果をベースにね
>>222 駐仏武官で四年式十五榴を設計したり、シュナイダーの75mm105mmを導入した
緒方中将がずっと前に確認してるはずだが、比島鹵獲後に詳細調査もしてるだろう
>>224 俺もおっさんで、若いギャルもまんざらでないもんでねぇ
裏面史としては、日本陸海軍の在独武官はもれなくメイド名目のドイツ娘をあてがわ
られて骨抜きにされてたらしいよ
渋る、当時のドイツ駐留経験のある旧軍人に尋ねると、皆そうだったらしい…
フランス側はイメージと異なり堅かったとか
急激なドイツ兵器シフトもさもありなんで
228 :
221:2012/01/30(月) 23:03:14.58 ID:NWU74kTk
>>224 223は俺宛のレスだろう。俺はドイツの野砲が1918年製のが多いと書いたからさ
大砲を調査しに逝ったつもりがこっちの砲もしっかりと調べられていたという訳だな(爆)
PAK35/36 3.7cmの原型3.7cmTak28/45で1928年末に配備されてる
panzerの表現がつかわれるのはより後の時期とか
大日本絵画「ドイツ国防軍の対戦車砲 1939-1945」の記述だけど
さらに「赤軍の対戦車砲」原著がロシアにあるんだが、是非邦訳してほしい
>>230 おれも男だから、事情はよくわかる
当時の陸海軍将校を責められん
>>19 >>23 独立山砲兵連隊は本土決戦に備えてか最終位置を見ると
本土や朝鮮に多いんだが南支には第2、第5の2個連隊が居るんだよね
第11軍には独立山砲兵第2連隊に加えて独立山砲兵第52大隊が配属されていて
次いでに迫撃第1大隊と迫撃第4大隊が配属
確かに長距離行軍のお供は山砲に限る!!って話かも知れんw
メイドではあるんだけど、当然諜報活動してたプロでもある
ピロートークはいちばん無防備な部分だから
日本の機密なんかドイツ側に筒抜けだったろうな
やつらは侮れん、日本人のメイド好きを70年まえに察知してたんだからなぁ
236 :
43:2012/01/30(月) 23:45:12.67 ID:???
まず
>>154の訂正から、
ソ連軍が爆撃ののち前進を開始したのは8月18日ではなく20日です。お詫びして訂正します。
・23日〜28日
ホルステン河両岸地区での戦闘@(第1大隊)
第6軍は日本軍右翼(ハルハ河東岸)においてソ連軍左翼を拘束する一方、日本軍左翼(ノモンハン・モホレヒ湖南方)においてソ連軍右翼を攻撃することを決定、
それぞれの支援火力として砲兵旅団をほぼ2分割することとし、ノロ高地東側(ホルステン河南岸)に位置した第1大隊にホルステン河北岸への転進命令を出した。
すでに前日の戦車の襲撃により段列は後方に引き上げており、22日から23日にかけて第1大隊本隊もホルステン河にかかる工兵橋を渡河し、転進を完了した。
続いて旅団司令部からさらに東方のモホレヒ湖南方への転進命令を受け、翌24日払暁に転進、陣地を占領した。
この間隊列後方が戦車の妨害を受けて損害を出したものの、火砲ほか主要装備はすべて保持されていた。
同日10時より開始された歩兵第71・72聯隊の攻撃を支援して、直接射撃、対戦車射撃、対砲兵射撃などを実施した。
以降26日まで支援射撃を行ったものの攻撃は成功せず、同日攻撃は中止、防御戦闘に入る。
なお、この24日からの攻撃に参加した砲兵部隊は第1大隊のほか、野重一の1個大隊、九〇式野砲1個中隊、三八式野砲2個大隊であった。
また、対戦車戦闘は主に1キロから2キロの射距離で行われた。1、2発程度の射撃で有効弾を得られたという。
一方、聯隊本部は防御戦闘のため24日に第2大隊の陣地に合流した。
聯隊を含む砲兵旅団の後方を守っていた歩兵第26連隊は、上述の攻撃のため引き抜かれて転進していた。
戦前の文化人がやたらとパリ行きたがったのもパリの娼婦目当てだったとかいう話もあるしねえ
奉天兵工廠接収と満州事変の謀略には、この種の手練手管はデフォだろう
何時の世も男はエロネタには弱いのよ・・・。
>>33 >>222 イタリアむけの輸出仕様でないのか?
その口径はトルコ、東欧でも需要はあるよね
>>240 あぁ、イタリア東欧トルコ向けか
ありそうですね
イタリアに鹵獲以外でフランスの15cm砲って何かあったっけ
ドイツ軍が工場接収後に生産させるなら、口径149.1mmが砲弾補給で
便利だったろうね
たしかGPF155mmカノンは本来シュナイダー製ではないんだったか?
一次大戦で別のシュナイダー155mmがあるし、サンシャモン製も
サンシャモンやらを吸収合併くりかえしてシュナイダーが75mm口径以上を独占状態
になったから結果的にのはず
>>242 145mm海軍砲を155mmにボア・アップしたサンシャモン加農のやつはイタリア軍
であるね。これは正規購入のはず。さらにドイツ軍が捕獲の写真あり
口径は149.1mmだったかは不明
ルノーR35、ソミュア35もフランスから接収してるし、正規ライセンス生産
のM1913 105mmもある
イタリア戦線で泥濘のなかGPF155mmの放棄された写真があるが、
ドイツ軍がフランスで接収してイタリアにもちこんだものなのか、イタリア
軍から再捕獲したものかは不明
245 :
242:2012/01/31(火) 00:50:40.25 ID:???
訂正
サン・シャモン製155mm?をドイツ兵が使用してる写真はあるが
元の持ち主がフランス、イタリアのどちらかだったかは不明
同砲がイタリア軍も使用してたことが判明してるだけで
246 :
245:2012/01/31(火) 00:52:28.16 ID:???
ごめん242でなく、おれは244だ
GPFって確か本来は国営工廠製じゃなかったか?
75mm野砲と出所は一緒だったような
>>245 それもおそらくフランスから接収したものではないでしょうか
フランス軍からイタリア軍はかなりの数の火砲を接収しています
その際GPFの155mmカノンもいくらか接収していたようです
あとフランス製戦車はドイツ経由で入手しており直接接収したわけではなかったはず
>>247 プリンス自動車のスカイラインみたいな存在だと思う
喩えが若い人にはわからないかな…
>>243 本来も何もGPFはGrande Puissance Fillouxの略で
Filloux(大佐)の大威力砲って意味でプトー工廠で開発されたもの
初期の製造はプトーと自動車会社のルノーで行われたそうな
>>244-246 落ち着けw
イタリア軍はWW1で155mmをフランスから供給してもらってるけど
こいつはシュナイダーの1917でサンシャモンのじゃない
>>253 えっ?おれのソースのグランパのドイツ砲特集ではそう書いてあったよ
90年代の本だから内容が旧すぎるのか…
フランスはあのクラスの火砲が多くてよくわからんw
列車砲程カオスではないが
>>236 乙です
BTを相手に75mm以上の火砲を有する砲兵部隊で
対戦車戦闘したら当然の結果ですね
>>254 イタリア軍もフランス軍から同じ砲を接収して使ってたんじゃないの?
イタリア軍は鹵獲したML-20なんかも沿岸砲として使ってたりするし
>>254 ああごめん、調べなおしたらややこしかった
145/155の原型たる145は多くが155に改造され
無改造のは1920年にルーマニアに売り飛ばされたのが確定らしい
んで155/145はGPFより射程有るけど重たいことが嫌われて
WW1後に捨てられたらしい(どうなったかは不明、売られた可能性は高い)
だからWW1中にシュナイダーの155を供給してもらってたイタリアが
捨てるならくれって購入した可能性は勿論あると思うし
フランスが戦間期に145/155を捨ててるならWW2序盤に枢軸が鹵獲することもないから
イタリアが使ってたサンシャモン砲は恐らくWW1後に廃物を貰ってきたものだろう
つまり俺が間違ってたスマヌ
ソ連の152mm加農榴弾砲をねえ。ドイツ軍が大西洋城砦に据えつけてる写真の本は
もってるけど、イタリアのやつも是非とも拝みたいもんだ
イタリアも沿岸砲大好きよね
国軍の沿岸砲、要塞砲の師匠でもあるし
>>258 つまりイタリア人は蚤の市とかリサイクルショップの買い物が得意という
ことですね。解ります。
日本陸軍が興味持ってた24cmK3ってなんか凄い仰角を掛けてる写真が残ってるが
あんなのが撃ち出した砲弾がほぼ垂直に降ってくるとか最悪だね
>>263 122mmのほうだね。ありがとう。イタリアがらみだとスレが伸びるのは、
やはり本スレが荒れてるからなのでせうか?
と言うかなんだかんだで国軍砲兵科とイタリアは縁深いからねぇ
グリロー少佐とかね
逆にチェコとはびっくりする程縁が薄い我が家の砲兵
スウェーデンともあまり深い仲じゃないよなあ
繋がりは鹵獲でみたいな感じだし
改造十四年と七糎七があるでないのよ、って充分マイナーだよな
チェコ軽機は有名だけど
大砲入門にイタリアから四メートル基線測高機を購入したことがタ弾や電波標定機と並んで書かれている
四十年代になってもこの分野ではイタリアの方が進んでいたんだろうな
黎明期で無線の技術はマルコーニ技師だったか
戦後もイタリアは幾つか傑作火砲を産み出してるし
防衛産業でもデカい輸出企業があるし得意な分野はさすがって感じ
三菱東京製作所は魚雷艇のディーゼルエンジンにイタリアの920馬力
イソタ・フラスキーニ社製のエンジンを模して71号6型を製造しようとしたが、
うまくいかなかった
さらに2000馬力のダイムラーベンツMB501をライセンス生産すべく購入し調査
すると、3m半のクランクシャフトとクランクケースに一万分の1mmの精度が
要求され、さらには20気筒のピストンを高速で回転させるのは至難の技だった
もし、一箇所でもうまく作動しなければ、ものすごい振動でエンジンが
自壊してしまう
それでUボートで製造技術を会得させようと技師を送ったが、イ52は撃沈されて
しまった
ごめん、イタリア製エンジンはガソリンだ
すまん、さらにはイ52はUボートでない日本海軍の大型潜水艦だ
>>113 >>125 これ四年式十五糎榴弾砲と三八式十五糎榴弾砲装備部隊の内幾つかは九六式十五糎榴弾砲に装備改編されたのかな?
明らかに生産数と合致しないしなぁ
>>272 71号6型は上手く行かなかったんじゃなくて
航空エンジンと同様に素材制限のせいで生産速度が上がらなかっただけ
(それも数百隻の魚雷艇を一気に作ろうという大量製造に追いつかなかっただけ)
作れた分は相応にちゃんと動いてるし比較的短期間に200基以上製造されてる
あれを「上手く行かなかった」とするのは少し疑問符が付く
日本の魚雷艇建造計画は無茶言い過ぎ
それでもミッドウェー占領に成功してたら
持ち込む予定でこれはマーシャルに転用されてるから
俗説とは違いそれなりの出来の物をそれなりのペースで送り出してたようだが
>>276 生産技術にハードル高かったのは、たしかなんだよ
昭和十五年にエンジン買って、ようやく生産の目処がつくのが十八年末だから
日本舟艇協会の会長 丹羽誠一氏は、当時海軍横須賀工廠で魚雷艇の
開発をしていた
「当時、イタリアのエンジンをコピーした71号6型というエンジンを製造
していましたが、求められる部品の精度が高くて、日本では量産できませんでした」
と「消えた潜水艦イ52」にある
>>258 当該砲のドイツ軍名称は155mm K 420(f)もしくは155mm K 420(i)
戦前にイタリアに輸出してるそうだ
グランド・パワー96/1より
火砲のドイツ軍捕獲コードは製造国でなく使用国でつけているね
おなじ砲でも()内が異なるものがいくつもある
47mmベーラー砲とか、これはイタリアでも製造してるけど
>>275 ごめん、平成7年刊 丸別冊「本土決戦と終戦」の写真総集 日本陸軍の火砲
佐山解説には四年式の生産門数は記述がないね
wikiの280門は新人物往来社本からの由来だろう
>>278 だからそれが一面しかものを見ないでの言葉な
日本でマトモなエンジン製造できる工場や工作機や人間は飛行機に取られたので
魚雷艇用エンジンに回せる人材や設備では苦労があったというだけ
そして製品が出せる様になったら一年で200以上完成してるので
これは同時期の艦爆撃彗星のアツタや三式戦2型のエンジンと比べても多いペース
現実として71号を搭載した船舶が何十隻もあるんだよ
>苦労があったというだけ
問題大ありだろう、その内容は
>>282 舶用低速ディーゼルしか経験の無い工場に
いきなり航空機並みの高速ガソリンやれといわれたら苦労するのは当然で
「日本じゃ避けられない」のか「この工場が足りなかった」のかは別なんだわ
ちなみにP-51のエンジンもパッカード社がライセンス品を送り出すのに2年かかってる
エンジンのライセンス生産ってな手間取るもんなんだよ
グランパを三冊買ったんで、いくつかの砲の生産数が判明したよ
まず立ち読みなんで忘れぬうちに三八式野砲2599門
つぎに2009/9号 四年式十五糎榴弾砲は大正末には年産20〜30門のペースで
製造を続け、昭和3年までに約300門製造した。
その後も昭和11年から13年にかけて約35門、太平洋戦争に入ってからも約80門
製造した。大阪造兵廠第一製造所が調査した火砲製造完成数には、本砲は
414門製造とある
とまあ佐山解説。あとふたつの砲はみんなが知りたがってるヤツだ
リクエストあればupするよ
陸軍の最後の大拡張の遥か前に生産停止してるのに2600門とは凄いな
一個師団に36門ずつ配っても60個師団以上武装できるとは(当然減耗補充とかも大いにされてるんだろうけど)
そりゃ、更新も進まんわけだよね・・・
これも立ち読みだったんで忘れぬうちに、九九式十糎山砲はたしか104門
>>272 >>276 この経験が奇跡のZC707につながるわけですよコレが。
戦後米海軍学校で5年間性能試験されるくらいの出来。
>>280 書き方が悪かったです
九六式十五糎榴弾砲の生産数を考えると海没分や補充分、本土に残置された分を考慮しても
本来もう少し行き渡ってもよさそうだから
幾つかの野戦重砲兵部隊は九六式十五糎榴弾砲に改編されたのかなと
>>284 >>286 三八式野砲は直輸入400門、ノックダウン生産400門はよく見る数字なので
ライセンス生産分は1800門近いのか
四年式十五糎榴弾砲のこの昭和11年からの分は支那方面や満ソ国境方面への緊張対応と
九六式の遅れに対応した再生産かな?
大東亜戦争中の分も含めて何処で造ったのか気になる
意外に名古屋工廠とかでも作れそうなんだけどなぁ
九九式十糎山砲はやっぱり100門は作ってたのか
残りも気になる
>>287 ZC707を造った経験を本当に戦後の血肉になったみたいね
アメリカもびっくりだし
今ある方ではなくちょっと前のチトスレでも話題になってたな
後、魚雷艇ってスラバヤの現地工廠でも試しに造らせたんだね
お次は四一式山砲
大阪造兵廠第一製造所が昭和17年10月末(おきまりのフレーズだな、書き込み者注)
に調査した火砲製造完成数には、本砲は1868門製造とある。
また、昭和18年3月末における整備状況調査によると17年度に四一式山砲(歩兵用)
を601門製造している。本土決戦に備えた昭和20年度火砲調達計画に四一式山砲
(歩兵用)300門がある。
7月までに名古屋造兵廠熱田兵器製造所で70門製造した。終戦時に四一式山砲(歩兵用)
の完成品24門、半途品25門、砲身の半途品122門分が熱田製造所にあった。
・・・昼夜連勤なんで、いちど寝るよ
>>290 乙
この記述を見るに17年度末の段階で最大2300門近くあったのか
ただそれでも三八式野砲より少ないしほぼ全戦線で連隊や独立混成旅団が所持してた事を考えると
少し少ないような気がする
毎度お馴染み昭和17年10月末の大阪砲兵工廠の製造数調査って
他の工廠、工場、製造所での製造分も込みなのかなぁ?
292 :
名無し三等兵:2012/01/31(火) 20:41:59.98 ID:zYFSi3GQ
九四式山砲は大阪砲兵工廠と名古屋工廠合わせて1600門近く造ったらしい
寝てるうちに292に先を越されてしまったかな。まぁいいや詳細を書くよ
で九四式山砲グランパ2008/12号
本砲は大阪陸軍造兵廠および名古屋陸軍造兵廠で、昭和10年度から20年度までに
約1500門製造したと推定される。昭和20年度にも4月から7月までに名古屋陸軍
造兵廠は豊和重工業に注文して32門、大阪造兵廠は神戸製鋼所に注文して10門
を製作した。
終戦時に本砲の完成品41門が熱田製造所に、半途品30門が神戸製鋼所にあった
ほか、砲身の半途品66門分が豊和重工業西春工場にあった。
グランパ買ってりゃ、1スレ目から判明してることだったな。
あと、今日は神保町で虎頭要塞の調査研究報告書も買った。それはのちのち
のupということで
あちこちの店覗いて、前にでてる野重七連隊史もあったし、砲兵沿革史も二冊分あったよ。
294 :
293:2012/01/31(火) 21:45:45.62 ID:???
睡魔に負けて抜けてたが、四年式の補遺
414門はお約束の昭和17年10月末の数字。奉天ほかで生産してたとすると
500門越えは夢でないかも
295 :
名無し三等兵:2012/01/31(火) 22:24:30.37 ID:tf3TpNlx
四式十五榴の生産が大阪以外の奉天なんかで昭和20年度まで作られたのなら
本当に500門の大台に乗ってるかもね
これだけいままでの数と違ってくるとショックだよな
おそらく以前の生産数は大阪造兵廠のみの生産数だったんだよ
しかも昭和17年10月末のディフォで
ただ四年式15Hは本来昭和17年10月末の数字でも400門越えだし
野戦重砲兵連隊、大隊の部隊数を見れば不自然なの丸わかりだった筈なのにね
人間思い込みの作用は怖いね
こうなると九二式十糎加農の生産数も気になる
グランドパワー買う人間が圧倒的少数派なんだろうな
値段が高めなのはあるけど、洋書よりはずっと安くて日本語で読めるのが
多大のメリットなんだが
おれも特集でよほど興味ある号か、再編集の合本化したやつしか買わないし
情報の精度が玉石混交の無料のネットかNF文庫ぐらいになってしまう
やはり趣味の世界も実力がおなじなら、熱意があってカネもそそげるやつ
が有利なんだろう
情報の精度の見極め、ネットの検索スキルなんかも関係するだろうが
ちなみに十四年式十糎加農も実は確定数ではないかも?って話を聞いた事がある
>>298 その号はもってるけど、生産門数には進展ないよ
なら九二式十糎加農の180門って昭和17年10月末の大阪砲兵工廠の調査ではなく
昭和20年度分まで上乗せしてる数字なのか?
>>302 部屋に埋もれていて当該号がみつからないんだけど、そういった年月ごと
の生産門数は記載はまったくなくて推定180門のはず
九六式十五榴の記述は初代スレのとおりだね
>>303 九二式十加については推定なんですね
九六式十五榴は2スレ目で600門に達してるかもとか書かれていたけど
後、九六式十五榴って弾帯を変えたら九二式十加の弾丸も撃てるんだね
>>284 乙乙
これまた皇軍基準では大量だね
大変恐縮だけど、改造三八式野砲はどれくらいだったんだろ
新規製造と文字通りの改造分とで…
改造三八式野砲ってみんな三八式野砲からの改修でないの?
改造三八式野砲として新造された分ってあるのかな?
>>305 土曜日でも神保町いって、またバックナンバー買ってきますよ
今度は新本割引で号がなかったら古本かも…
あまり期待しないで待っててくだされ
九二式10Kの180門って九六式15Hの440門とセットで雑誌とかでもよく見るし
九二式10Kの数字も17年10月時点での数字でないかなあ?
309 :
43:2012/02/01(水) 00:17:22.74 ID:???
ホルステン河両岸地区での戦闘A(第2大隊・聯隊本部)
防御態勢に入った第2大隊と聯隊本部は、引き続き戦車と歩兵による包囲攻撃を受け続けていた。
砲を壕に入れ、射撃の時のみ牽引して引き出し射撃、またすぐに壕に入れるという形で、
場合によっては射距離数百から数十メートルの水平射撃により対戦車・対歩兵射撃を行った。
榴散弾を使ったという回想もある。
また隣接する野重一と連絡を取り、十加の死角範囲を十五榴で射撃するという協定を締結している。
激しい戦闘の中で火砲や戦車による攻撃により多数の死傷者を出し、火砲には損害が出た。
当初大隊・聯隊本部は同一陣地にあったが、第3・第4中隊はそれぞれ別の陣地にあって戦闘を展開していたが、
23日夜に第3中隊が戦車の包囲攻撃を受けたため本部から救援部隊を出し、両者は本部陣地に合流した。
25日ごろまではまだそこまで敵の攻撃は苛烈ではなかったようで、例えば25日には負傷兵をトラックによりノモンハンへ後送、
途中戦車の追撃を受けたがこれを振り切り野戦病院へと無事到着しているほか、野重一に伝令を送り爾後の戦闘について調整を行っている。
しかしノモンハンにあった段列への連絡線は事実上遮断されており、継続的な補給は不可能、通信は無線により行っていた。
もっとも、ノモンハンにも残弾は殆どなかったようであるが。
22日から24日までの射撃弾数は、大隊全体で1日100発前後だった。
九二式10Kって太平洋だと緒戦(第1砲兵隊)とガ島以外あんまパッとせんな
>>310 これこれ、せっかく43が装備連隊の戦史を書いているのに
>>309 >大隊全体で1日100発前後だった
うーむ…
ただ「ノモンハンで日本軍砲兵部隊は一方的に壊滅」って従来の定説で片付けるのはダメだよね
対砲兵戦はともかく、火砲の白兵戦とでも言うべきなこの対戦車対歩兵戦は凄い
>>311 あくまで「太平洋(大東亜戦争)」ではって意味ね
まあ、WW1後の砲兵としては対砲兵戦で圧倒され大敗すると
ぼろ負けと言われても仕方ないかと
唯でさえ「九四式三十七粍砲はノモンハンでは役立たずだった」なんていう
トンデモ話が定説だったくらい不遇だからな皇軍砲兵は
九四式三十七粍速射砲は対砲兵戦の不振を尻目にむしろ無双だからな
おかげでやっぱり対戦車は速射砲だろいょっしゃーって感じになったがw
>>309 >場合によっては射距離数百から数十メートルの水平射撃により対戦車・対歩兵射撃を行った。
ここまで踏み込まれちゃってたのか
海軍を尻目に陸軍砲兵が再評価されてるのはいいことだ
>>317 いい戦果だ。感動的だな。だが歩兵科だ。
一式四十七粍速射砲も製造は大阪砲兵工廠と名古屋工廠で良いのかな?
後、一式四十七粍速射砲の初陣は多分47mmチハ同様緒戦のフィリピンなのだろうけど
次の投入地って何処なんでしょうか?
なんか記録見てもよく見掛けるのは44年辺りまで一気に飛ぶような
47mmチハにしてもそうですが
九二式10K装備の独立野戦重砲兵第15連隊って中支に居たのか
てか野戦重砲兵連隊なのに独立を関してるのはなんでだろ?
第8連隊は飯能だし
確かに九二式10K装備部隊は数も相まって地味になるのはわかる気がする
陸大のあの文書だと、10Kを装備するのが「独立野重」で15Hが通常の「野重」って
住み分けしてるっぽい事書いてるけど実際は違うよね
単に野戦重砲兵旅団があった頃(野重連隊が師団砲兵)の名残?
ただ大東亜戦争後やそれこそ本土決戦準備で編んだ部隊も
特に独立とか付いてないし、なんで思い出したように独立が付くのかわからない
326 :
名無し三等兵:2012/02/01(水) 04:01:49.50 ID:NiKaSSla
国軍の部隊命名にはいまいち統一性に欠けると言うか唐突感を感じるものが割りとあるね
迫撃砲(大隊)と迫撃(大隊)ってどう違うんでしょうか中隊長殿
野戦重砲兵第21大隊って18D"菊"に編合されていれけど
山砲兵第18連隊と一体運用されていたの?
ビルマの山砲なら対戦車戦闘で大活躍って過去スレでも出てたね
タ弾萌え
九二式十糎加農装備部隊の内野戦重砲兵第7連隊が南東方面に転出
野戦重砲兵第8連隊が本土に残置、野戦重砲兵第22連隊がフィリピン、独立野戦重砲兵第15連隊が中支、野戦重砲兵第9大隊がビルマ
調べたら意外に武勇伝がある気がしないでもないなぁ
特に中支の独立第15連隊とビルマの第9大隊
後、野戦重砲兵第18連隊って満州に居たみたいだが終戦時は何処に居たの?関東軍に見当たらないが……
>>331 野戦重砲兵第18連隊
昭和14年11月 野戦重砲兵第17連隊補充隊(国府台)で編成
昭和16年7月 関東軍(関特演)
昭和16年11月 第25軍(マレー〜シンガポール)
昭和17年3月 第15軍(ビルマ)
昭和19年12月 野重第9大隊に改編され解隊(
>>119)
戦史叢書昭和二十年の支那派遣軍〈1〉の462p〜465pに香港砲兵隊の記述あり
装備は第1中隊に10吋K砲塔(ただ記述を読むに実口径は二十四加臭い)が2、6吋(十五加)砲塔が4
増加装備に3吋A×4
第2中隊が10H×4、増加装備に3吋A×4
第3中隊に軽迫×8、増加装備に三一式山砲×4と後BAとあるが詳細不明
第4中隊は88AA×6の高射砲部隊
二十四加砲塔は約三吋の鋼製掩蓋有り、砲床はコンクリートで
地下弾薬庫、地下動力室有り、圧縮空気作動
コンクリート掩蓋も追加されたらしい
十五加の内2門は簡易砲台、2門は洞窟陣地
更に野砲2門分の洞窟陣地有り、砲爆撃への抗堪力は大
第4中隊は現陣地で防空に専念
果たせなくなれば徒歩部隊となり洞窟陣地を死守すべし
第2、3中隊は地形と火砲が雑多な影響で火力の統一困難な為
歩兵砲的運用を行い訓練準備する
次いでに第2、3中隊の増加装備の野砲(3吋らしいが種類不明)、三一式山砲は当初保管装備扱いだったらしいが
現地召集(以前から在郷軍人の教育召集は数回していた模様)で部隊を編成してこれらの装備に
更に九糎臼砲も保管していたらしく九臼4門で新たに中隊編成
後、463pの地図を見る限り種類不明だが10K〜36Kまでの加農を有する砲台が追加で各所にあるみたい
多分鹵獲火砲でしょうね
334 :
333:2012/02/01(水) 21:32:16.61 ID:???
ああ、書き方的に第3中隊三一式山砲とBAは別かと思ったが三一式BAって事なのかな
鹵獲山砲でも別にあるのかと思ったが
335 :
43:2012/02/01(水) 21:32:58.34 ID:???
>>323 今書いてるノモンハン前後の野重七の場合、動員前までは野戦重砲兵第七聯隊だけど、
6月に動員がかかると「独立」が冠せられ(動員完結の件:C04121208100)、
戦闘後の12月には戦時編制が改編されて「独立」が外れてるね(編制完結の件:C01005952700)。
野重七には「独立」がつくのに、野重一は動員しても「独立」がついてない不思議。
平時の編制関係から外れて直属の上級部隊が無くなると「独立」が付くのかなあ。
あと面白そうなサイト
ttp://tose.sadao310.com/ 九二式十加を装備していた、独立野戦重砲兵第十五聯隊段列に所属していた人の息子さんが作ったページ。
>>332 野戦重砲兵第9大隊が後身だったのですね
てか、最初から南方に居たのに気付かなかったw
マレー、シンガポール、ビルマと存分に活躍してそう
337 :
43:2012/02/01(水) 22:10:24.43 ID:???
ホルステン河両岸地区での戦闘B(第2大隊・聯隊本部)
8月25日から26日にかけて、敵の攻撃が次第に活発化するとともに、弾薬その他物資の欠乏が深刻となっていった。
特に真水は数日前に河川からの取水部隊が撤退したため、調達が非常に困難になっていた。
本部陣地では第3中隊の火砲により直接射撃を行う一方、25日前後に小火器や敵戦車から捕獲した機関銃による自衛部隊を編成、敵歩兵と戦闘を展開した。
一方第4中隊は放列前方(ノモンハン方向)に弾薬を集積していたが、26日夕方、
攻撃が緩んだ時期を見計らって補給を行おうとしたもののソ連軍の攻撃にあいトラックは炎上、乗員3名が戦死した。
深刻な弾薬不足のため、中隊は本部陣地に救援を求める伝令を派遣、近辺で戦車や歩兵がうごめく中、気配を押し殺して過ごした。
27日、本部からの救援部隊が到着、誘導に従い第4中隊も本部陣地へ合流。
移動中に戦車から攻撃を受けたが、その場で砲を展開してこれを撃退した。
すでに使用可能な火砲は大幅に減少しており、これを背面配置するとともに自衛部隊を全周に配置し、敵を制圧し続けた。
昼ごろには書類のほか残存火砲を含む各種装備の処分を実施した。
火砲1門と弾薬車1両以外のほぼ全ての火砲・車両が処分された。焼却の火炎に対して敵砲兵から集中砲火が加えられた。
なお、聯隊長は戦後のインタビューにおいて、「書類焼却を車両焼却と聞き間違えた」と述べたという(
ttp://d.hatena.ne.jp/maroon_lance/20090610/1244634237)。
しかし完全にすべての車両を処分したわけではなかったらしく、少数はその後の撤退に際し使用されている。
同日午後、壕の上部で敵情を監視していた第2大隊長近藤少佐は、頭部を銃撃されて戦死した。
338 :
43:2012/02/01(水) 22:11:11.21 ID:???
ホルステン河両岸地区での戦闘C(第2大隊・聯隊本部)
大隊長や中隊長は玉砕覚悟の訓示を行ったが、翌28日、聯隊長はノモンハン方面への転進命令を発令、弾薬車と火砲は人力牽引された。
しかし旧段列陣地付近で敵戦車多数に遭遇、軽い弾薬車が先行していたため弾薬が続かず、直後に戦車に向けて突撃した十数名は戦死した。
それ以外の将兵は周囲の隠匿された横穴(段列用に構築したもの)に避難した。
こうして、第2大隊最後の十加は失われた。
以降は小グループに分かれ、各自が自力でノモンハンを目指した。多くの将兵はおおよそ9月1日前後には友軍の線に到達したようである。
なお、あまり果敢に陣地攻撃を仕掛けないなど、ソ連軍の攻撃は全体的に積極性を欠いていたようだ。
もっとも物資弾薬が欠乏状態なのは明らかだったし、撤退した陣地を次々と占領していたから、戦闘不能になるのを待っていたのかもしれない。
また、この撤退の際聯隊長が兵服を着用していたとする数人の回想がある。
@からCの期間における戦死者は第2大隊長、聯隊副官を含め78名、戦傷者は73名、
装備の損失は火砲8門牽引車16両のほか各種車両。
>>335 >>337-338 乙です
どういう基準で独立を冠するかよくわからないなぁ
そのサイトは中々興味深い
ノモンハン戦もこの時期になると悲惨だなぁ
完全に砲兵としては活動停止状態に
破甲榴弾=通常の榴弾より弾殻が厚めの榴弾
尖鋭弾=弾丸の先が鉛筆みたいに尖ってる長距離射撃用の榴弾。そのため炸薬量は減る
っていう認識でいいでしょうか古兵殿
唐突ではあるが六年式山砲というのがある
大正6(1917)年11月、大阪砲兵工廠は六年式山砲と称する新型山砲の試験を
陸軍大臣に申請し、許可を得た。その目的は外国に売り渡す兵器の見本品
とするためで、同時に工廠の稼動率をあげるとともに兵器の進歩を計ることに
あった。六年式山砲の構造の特徴は、四一式山砲と同じ砲腔内径始と閉鎖機を
もち、砲架以下もほとんど四一山砲と同じである。
泰平組合を通して蒋介石軍に売り渡したが、これを鹵獲し、支那事変の際新設
された師団の山砲部隊が四一山砲を支給されるまでの間使用した。
グランドパワー2008/11号佐山解説より
342 :
巨砲曹長:2012/02/02(木) 01:18:09.97 ID:???
>>340 概ねよろしい
が、破甲榴弾は堅目標対象の砲弾であることを忘れるでないゾ
>>341 割りと儲けたのかなあ?
意外に武器輸出で儲けたとか聞いたけど
モーゼル小銃にならび、三十年/三八式歩兵銃は大陸で主力小銃と化してたけどね。
三八式野砲も。
対華二十一ヶ条とか不平等な内容を押し付けてたし。内容に日本製武器購入の
特約もあったはず。
一次大戦で負けたドイツ兵器独占状態の牙城を崩したかったんだろうけど、
戦間期の各国兵器売り込みも熾烈をきわめたという感じだと思う。
不景気で
泰平組合の兵器カタログは並木書房で復刻版が読める
写真を見やすくするため、修正かけまくりでイラストぽくなってるが
旧軍火砲ディティールが細部まで拝めるよ
解説は宗像さんと二十八さん
二十一ヶ条要求第五号に
一定の数量(中国政府所有の半数)以上の兵器の供給を日本より行い、あるいは
中国国内に日中合弁の兵器廠を設立し、日本より技師、材料の供給を仰ぐこと
とあるね
347 :
名無し三等兵:2012/02/02(木) 04:07:34.85 ID:ro0Fw2CO
独立重砲兵大隊って響きに浪漫を感じる
凄く大好きです
八九式十五糎加農とか七年式三十糎榴弾砲とか
ところで野砲兵連隊、山砲兵連隊の火砲定数って一応36門で良いんだよね?
現役師団の定数はそうでない?
数字の多い新設だと欠編成ばかりだろう
インパール山岳踏破のため、三十一年式山砲を定数みたずに野砲編成から改編
装備した京都師団の例とかもあるしi
欠編成と言えば独立重砲兵第6大隊は6門なんだよなぁ
満州から支那に転出した時に2門置いてきたのか?
八九式は大阪造兵廠の十七年十月末の調査からみても
実際、終戦までの生産門数が150くらいっぽい
到底、独立重砲兵大隊の装備充足できたとは思わない
同口径でも低初速で短砲身の榴弾砲と高初速、長砲身の加農では
生産の難易度 がまるでちがうのは容易に想像できる
九二式十加も実際の生産門数は公称180を大きく越えないと思う
高射砲と速射砲を傾斜生産するため、陸軍の重砲は九六式十五糎榴弾砲を
のぞき減産の対象になったからね
山砲は民間で生産できても、重砲は大阪造兵廠ほか日本製鋼くらいしか
造れなかった
海軍工廠から重砲砲身だけでも供給できてれば・・とは思うが、陸海軍は
完全に別の社会で他国以上に仲がわるかったんで無理だったろう
要塞砲の海軍よりの保管転換と短12cmと20cm砲、25mm機銃の譲渡、
12cm級高角砲の技術譲渡ぐらいで終わってしまったのは残念ではある
豊川工廠なんて名古屋の出店みたいなもんだし
日本製鋼所って海軍そのものだし
仲が悪くて供給してないわけでもなかろう
主砲製造が間に合わず修理されなかった重巡も複数あるんだから
海軍側だって高威力砲の製造余力はないよ
10〜15cm級ならなんとか海軍から融通できた気もするけどね
ドイツは海軍管轄の沿岸砲を陸軍兵に操作させてたり、海軍の訓練施設で
陸軍砲兵に対艦艇の動目標射撃を教育させたりした
日本陸海軍15cmは陸海軍で口径が異なるのが痛い点だろう
独立重砲兵大隊って結構数字の大きい部隊も居るけど
何個あったの?
編成解体を繰り返してるから、累積で数を述べるか、時期でも変わって
くるだろう
防諜のため、かならずしも部隊数字も連番でもないし
火砲の製造番号も昭和十七年の六月だったかな?から防諜の意味から連番廃止
してしまったので生産門数の目安にはならない
>>354 前スレかなんかで12糎を陸に提供した話しとかもあったし
海軍陸戦隊は陸軍に教育受けてるし
船舶砲兵等は海軍の教育と、出来る範囲はやってるよ
潜水艦用の運貨筒なんか陸海協同の訓練だったし
(陸軍の火砲を海軍の潜水艦で運ぶ道具だったので)
大分前に亡くなった大叔父は横須賀の特別陸戦隊の下士官だったけど
末期に南方に行くまでずっと関東周辺の陸軍基地で教育だったそうだ
>>357 陸戦隊の指揮官は陸軍歩兵学校で教育を受けたとか読むよね
乗馬を習ったとか
ところで陸軍で採用されなかった改造四年式十五榴
試製した若干数を満州事変に際し海軍に譲渡したとある
佐山解説にない、これら砲の詳細を知ってる人いる?
359 :
358:2012/02/02(木) 17:24:08.96 ID:???
海軍の四年式って意味ね
ルソンあたりでで海軍12cm砲が陸軍に配備されたとか、たしかに前スレであったな
あれは海軍砲のみの交付だったのか、海軍兵が操作してたのか知りたいところだ
>>358-359 陸戦隊の四年式十五糎榴弾砲はこのスレでしか聞いた事無いから俺も気になる
>>352 あれ山砲って民間で作ってたのかな?
九四式山砲はともかく四一式山砲は作れるか作れないかなら作れそうだが
佐山解説だと358の記述だけで、その先は…?なんだよね
>>362 大阪、名古屋造兵廠の下請けのかたちで造ってた事実がグランドパワー
に載ってるよ
スレで前に書いてある通り
ああ
>>293見ると九四式山砲の製造に神戸製鋼所や豊和が関わってるのか意外
でも神戸製鋼所ってチトの生産にも関わってたそうだしこんなもんなのか?
豊和が九四式山砲の砲身作ってたのは知らなかったけど
366 :
364:2012/02/02(木) 18:02:32.94 ID:???
ごめん、四一式は民間工場の記載がないね
九四式はガチ、グランパ写真に「民間工場で量産する九四式山砲」と
キャプションまで入っている
つか豊和さん九四式クラスとは言え自緊砲身量産出来たんだ
陸海協力と言えば
砲身内での砲弾の振る舞いとか火砲絡みの基礎研究も
陸海軍共同ではなかったかな?
大口径砲身もトライしてくれよ、だな
でも、相当設備も大がかりでないと・・・
鍛造に使うハンマーヘッドも日本は海軍が輸入した22tのものが最大だったそう
例の魚雷艇のドイツ製ディーゼルMB501クランクシャフト造るのに必要とされた
ハンマーヘッドの重さは40tとか
日本製鋼はともかく他の民間会社ではやはり75mm級が限界なのか?
>>368 砲身の自緊製造特許はシュナイダーから陸海軍共同で購入したよ
弾道学やらの研究も共同
>>343 ヒント : 相手は中国
対中兵器輸出は回収不能の売掛金が大量発生したみたい
大戦中のロシア相手もだが
窓口の泰平組合が素性の怪しげな商社だしな
トータルではとっても怪しい
>>372 たしか政治献金かなんかの不祥事もなかったかっけ?
>>358 砲の詳細はわからないけれど、アジ歴をあさった結果
兵器借用の件
C01002789500
海軍に至急売るから兵器廠にある弾薬その他を造兵廠に貸してくれという1932年3月の通達。
改造四年式十五榴4門と、破甲榴弾、榴弾各500発ずつを譲渡じゃなくて売却したらしい。
昭和8年度海軍依託軍需品に関する件
C01005318000
1933年度の陸軍造兵廠において整備すべき海軍委託軍需品の品目と生産計画数。
四年式十五榴用の榴弾と弾薬筒各5000が第12月、すなわち1934年3月に計上されている。
兵器の制式改修正等の場合通知方の件
C01004072200
陸軍が改修・修正した兵器は海軍もそうしたいから、今後改修・修正したら図表をくれという1934年1月のお願い。
それまでは改修を海軍側で察知して図表をくれと言っていたのかな?最初からもうちょっとうまくできなかったものか…。
もちろん改造四年式十五榴も入っている。
海軍へ売渡の為兵器借用の件
C01006914600
C01007243700
海軍に至急売るから兵器廠にある弾薬その他を造兵廠に貸してくれという1937年と1939年の通達。
四年式十五榴用の弾薬も含まれている。
ちなみに1937年が破甲榴弾、榴弾各2000発と読めない弾(榴散弾?)1000発、1939年が充填物なしの化学弾3種各10発。
>>372-373 色々真偽に議論があるWikipediaでは昭和通商のページに統合されてるが
なんだかんだで儲けていたようにも見える
まあ、高田商会が抜けた時期は低迷していたんだろうけど
一式四十七粍速射砲は名古屋工廠でも製造してるがあの短期間で異例の大増産が出来たのは名古屋工廠も参加したお陰だよね
後、九四式山砲もか
ついでに大阪砲兵工廠が九六式十五糎榴弾砲、九一式十糎榴弾砲、高射砲をあれだけ
造れたのも名古屋工廠との分担のお陰だよね
>>374 乙
四門を海軍に売ってるんだな。新事実が分かってうれしい
スレのありかたとして佐山補完計画で訓詁学として検証ももちろんだが、
佐山さんが触れてない部分の探求が有効だと思う
奉天兵工廠、改造十四年式十榴とかの調査ね
おれなんか、日当一万くらいで中国語堪能な人にアルバイトで奉天関連の
文献とかサイト検索させれないかなぁなんて思うもの
大陸での各種コピー生産兵器の実体とかね
>>374 乙です
陸海軍間でこういう商取引があったのか
他にもありそうですね
>>377 日当1万>日本語堪能な中国軍オタ雇うとか?w
380 :
名無し三等兵:2012/02/02(木) 20:01:14.46 ID:vtfpVx1z
探し方が悪いのかあまり支那戦線で九五式野砲が見付からない
むこうの人間が日本で発行してる新聞の求人欄みると淫売関係のやつばっかり
なんだよw
せっかく優秀な留学生を日本でむざむざ単純労働させたり、犯罪予備軍にするより、
まっとうな研究させたほうがはるかに双方に有益なんだけどね
よく見たら第11以降の独立重砲兵大隊って殆どが50番台の軍隷下なのな
本土決戦兵団じゃない、中身に不安ありまくりだ
そして羅津、永興湾の要塞砲兵は第14、15の重砲兵連隊として
九十九里、志布志湾に転用されているのですが
編成、装備ってわかるでしょうか?
高射砲って何種類位試作したんだろ?
なんか延々試作していた印象
47mm75mmの試製で悪役メカみたいなすごいデザインのと、10cm、75mmの試製
重高射砲のほかにあったっけ?
制式化、準制式化された高射砲とは別に10cm級の試製重高射砲が2種類位
75cm級の試製高射砲が4種類位、47mm試製高射機関砲が1種類だっけ?
試製高射砲の10.5cm砲身載せた砲架写真がある
試製二十四糎装輪式榴弾砲というのも気になる
写真二枚のみの木下式十榴とか
>>382 【加農・榴弾】旧日本軍の火砲を語る【高射・速射】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1314807489/l50 659 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2011/10/04(火) 22:41:09.65 ID:???
本土決戦用重砲兵部隊の編制・装備@戦史叢書
重砲兵第14聯隊 [6中隊] 長30榴(1),短30榴(4),28榴(3),96式15加(2),92式10加(2),38式10加(3),38式野砲(4)
重砲兵第15聯隊 [3大隊(10中隊)・1中隊・2小隊] 28榴(6),24榴(8),15加(7),野砲(4),12速射加(2),10加(2)
東京湾要塞重砲兵聯隊 [3大隊(10中隊)] 28榴(2),30加(2),25加(4),20加(4),96式15加(4),クルップ式15加(4),3年式15加(4),7年式10加(8)
独立重砲兵第33大隊 [4中隊] 28榴(8),89式15加(2),スコダ式12加(2)
独立重砲兵第34大隊 [4中隊] 28榴(6),38式10加(2),14年式10加(1),38式野砲(4)
独立重砲兵第35大隊 [5中隊] 28榴(4),96式15加(2),スコダ式12加(2),92式10加(1),38式10加(2),38式野砲(4)
独立重砲兵第36大隊 [2中隊] 45式24榴(8)
独立重砲兵第37大隊 [5中隊] 45式24榴(2),45式15加(2),スコダ式12加(8),38式野砲(4)
独立重砲兵第38大隊 [2中隊] 28榴(8)
660 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2011/10/04(火) 22:42:38.91 ID:???
独立重砲兵第39大隊 [3中隊] 28榴(6)
独立重砲兵第40大隊 [4中隊] 28榴(4),10加(2)
独立重砲兵第41大隊 [2中隊] 89式15加(4)
独立重砲兵第42大隊 [2中隊] 45式24榴(4)
独立重砲兵第43大隊 [2中隊] 7年式長30榴(2),7年式短30榴(2)
独立重砲兵第44大隊 [2中隊] 89式15加(4)
東京湾要塞第1砲兵隊 [4中隊] 28榴(8),89式15加(2),38式野砲(8)
東京湾要塞第2砲兵隊 [3中隊] 28榴(6),45式15加(2)
独立重砲兵第4中隊 28榴(4)
独立重砲兵第5中隊 12速射加(6)
388 :
名無し三等兵:2012/02/03(金) 00:14:47.02 ID:IrU3S8L+
661 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2011/10/04(火) 22:43:30.58 ID:???
野戦重砲兵第26聯隊 [2大隊(各3中隊・大隊段列)・聯隊段列] 96式15榴(24)
野戦重砲兵第27聯隊 [2大隊(各3中隊・大隊段列)・聯隊段列] 96式15榴(24)
野戦重砲兵第28聯隊 [2大隊(各3中隊・大隊段列)・聯隊段列] 4年式15榴(24)
野戦重砲兵第29聯隊 [2大隊(各3中隊・大隊段列)・聯隊段列] 4年式15榴(24)
野戦重砲兵第16大隊 [3中隊] 96式15榴(12)
野戦重砲兵第17大隊 [3中隊] 96式15榴(12)
野戦重砲兵第18大隊 [3中隊] 38式15榴(12)
野戦重砲兵第19大隊 [3中隊] 4年式15榴(12)
野戦重砲兵第20大隊 [3中隊] 4年式15榴(12)
独立臼砲第24大隊 [3中隊] 15臼(12)
独立臼砲第25大隊 [3中隊] 9臼(12)
独立臼砲第26大隊 [3中隊] 9臼(12)
389 :
49:2012/02/03(金) 00:20:19.37 ID:???
・9月1日〜15日
モホレヒ湖付近における攻撃準備
第1大隊が現陣地にて引き続き対砲兵射撃と歩兵直協支援を実施する一方で、
火砲をはじめとする装備をほぼすべて失った第2大隊は、モホレヒ湖付近に集結して95式野砲(車載野砲とする回想が複数ある)を受領、3個中隊を編成中に停戦した。
この期間の戦死者は2名、戦傷者は10名
戦闘期間中の戦死者は107名、うち戦場掃除などで回収し、本土に送られた遺骨は90柱である。
その後、聯隊は満州の斐徳に移駐、12月には戦時編制から改組されて「独立」が外れる。
人員の補充がすすめられるとともに、1940年1月30日には補充の火砲・装備を受領、聯隊は戦力を回復した。
一方で、9月30日付で聯隊長鷹司信煕大佐は停職となり、後任に竹本節大佐が着任した。
その後は複座器爆発事故や毒ガス事故を起こしながらも、対ソ戦に向けて演習による練度向上に努めていたが、
1942年9月にガダルカナルに第2中隊を派遣、その後11月には聯隊主力もラバウルへと異動することになる。
最後にいくつか細かいことを。
・重七補充隊について
補充隊は入野少佐を隊長とする2個中隊から構成され、その名の通り損失の補充を行うための訓練部隊だった。
聯隊の出征後はその兵営に入って訓練を実施、
7月末には人員増加に伴い九二式十加1門と十四年式十加2門を追加受領している(火砲特別支給の件:C01007238000)。
9月に入ると損害補充のための補充要員が順次満州に向けて出発、
また戦死者の慰霊祭・遺骨受領などを行った。
12月10日には復員が完結した。
・聯隊長について
男爵であった鷹司信煕大佐は、上述の通りノモンハン戦後に引責で停職、男爵礼遇停止となり、12月には論旨予備役編入となった。
その後1944年8月に召集、名古屋造兵廠監督官を務めたという。
兵服を着て逃げたこと、あるいは独断で撤退命令を出したことが問題になったのだろうか。
390 :
43:2012/02/03(金) 00:42:28.60 ID:???
以上長々と書いてきた記述の主要部分は、聯隊史の中の「聯隊歴史」(終戦時聯隊副官が秘密裏に持ち帰ったもの)と、
ノモンハン部分の回想のうち、第4中隊観測班の武田氏、第1中隊長の山田氏、第2大隊本部の岩瀬氏の記事を参考に書いております。
「後世にこの聯隊歴史を紐解かれる方々のために」と軍砲兵の基本事項を書く聯隊史執筆者の配慮にも感心致しました。
今回のを書くときに、概説として半藤氏が書いた『ノモンハンの夏』を改めて読んでみたけど、野重七に関する記述は殆どない。
隣接する野重一やムーリン重砲兵隊のように火砲を爆破して玉砕したわけでも、
さりとて前衛の歩兵部隊のように本当に最後まで戦い抜いたわけでもなかったので書くこともなかったのだろうか。
個人的には野重七は劣勢の中十二分に健闘したと思うし、
火砲を処分しろと言われつつ1門だけ残して部隊の支えとし、最後の局面で撤退を命令した聯隊長は(もし自分の命惜しさだったとしても)立派だと思う。
391 :
名無し三等兵:2012/02/03(金) 00:46:39.60 ID:xnZ8K7tM
そもそも速射砲ってなんだ?
皇軍だけの呼び方?
>>387-388 有難う
1スレ目にありましたか
やはり雑多だなぁ
言う程酷くはないか
部隊によってはむしろ優良かも
>>389-390 乙でした
まあ、あの状況では判断としては妥当っぽいですからね
ただ負けた以上責任取る人間は必要だったのでしょうね
>>391 本来は後装式のライフル火砲だけど時代が下ると
その時代時代の速射と関して違和感の無い火砲に付けられてるね
>>355 独立重砲兵大隊
開戦時 13個
丙(28榴) 1,10
丁(30榴) 4,5,7,8
戊(15加) 2,3,6,9,11,12,13
昭和19年編成 2個
戊(15加) 20→比島,独立100→沖縄
昭和20年編成(本土決戦) 13個(
>>387)
33〜45
394 :
名無し三等兵:2012/02/03(金) 01:19:12.49 ID:xnZ8K7tM
ドイツ軍では聞いたことないぞ>速射砲
>>348 4門×3個中隊×3個大隊=36門が基本だが
4門×3個中隊×4個大隊=48門(満州の15榴装備師団)や
4門×3個中隊×2個大隊=24門とか
3門×3個中隊×3個大隊=27門とか
3門×3個中隊×2個大隊=18門もある
>>391 一般的には薬莢式で発射速度の早い砲を速射砲と言う
だけど陸戦火砲だとそうした区分より加農、榴弾、高射というような区別の方がよくなされる
そして皇軍の場合、速射砲とは対戦車砲の言い換え表現になってる
何故そんな言い換え表現をしてたのかについては諸説あるので割愛
>>394 海軍の小〜中口径で水雷艇撃攘用や比較的発射速度の早い火砲なんかは速射砲って言ってたんでないかなぁ?
>>395 ありがとう。事変、戦争の拡大進展で色々増えた影響かなあ
>>393 合計28個大隊
本土決戦用を別にすれば15個大隊
数字見ると妥当ですね
疑問が解けたよ
インパール作戦時の師団砲兵
第15師団(野砲兵第21連隊)
本来の定数
[野砲2個中隊(8門)+十榴1個中隊(4門)]×2個大隊=24門
作戦時
[四一式山砲3個中隊(6門)×1個大隊]+[三一式山砲3個中隊(3門)]+1×1個大隊]+三一式山砲1門(左側支隊)=10門
※四一式山砲は歩兵連隊の装備(携行できずに残置するもの)、三一式山砲は支那派遣軍から供与されたもの、野砲・十榴は全部残置
第31師団(山砲兵第31連隊)
本来の定数
九四式山砲3個中隊(9門)×2個大隊+十榴3個中隊(9門)]×1個大隊=27門
作戦時
[九四式山砲3個中隊(6門)×2個大隊]+[九四式山砲3個中隊(5門)×1個大隊]=17門
※九四式山砲1門と十榴全部は残置
第33師団(山砲兵第33連隊)
本来の定数
九四式山砲3個中隊(12門)×3個大隊=36門
作戦時
九四式山砲3個中隊(6門)×3個大隊=18門
※各中隊は九四式山砲1門(連隊計9門)を携行、残り9門は山砲兵連隊長がまとめて後方から追送
>>396 サンシャモン社(フランス)製の参式砲塔十五加(剣崎砲台に配備)のことかな
ソースは戦史叢書とのことなので、戦史叢書の間違い?
南部粤漢鉄道打通作戦では第20軍の隷下に噴進砲第2大隊が配属されていたのか
>>347 「独立」ってだけでカッコよさ3割増なのに、それに「重砲」だもんね
「独立野戦重砲兵連隊」なんて濡れるわ
>>397 ただ当時の一次資料を読むと帝国陸軍内部でも普通に「対戦車砲」って使ってるんだよな
405 :
名無し三等兵:2012/02/03(金) 04:50:43.64 ID:3GtUzYkw
海軍の14サンチ砲は戦艦や軽巡から降ろした分は
有効活用されたのですか
あ、向こうで十糎臼砲の疑問書くの忘れてた
>>405 当時の写真でも沿岸砲で使ってる写真はあるね
パラオあたりの戦跡写真みると、現存して据えつけられてるのを見るね
>>406 鹵獲砲っぽいけど、写真がないことにはなんとも…だね
やっぱり現地で交付されたのかなあ>十糎臼砲
ただ戦史叢書の記述だから九糎臼砲か十五糎臼砲のミスってなオチかも知れないけどw
387の再録だが、クルップ式15加、スコダ式12加の正体だな
クルップ砲は東京湾要塞据付の「要塞砲」に載ってるやつなんだろうが、
スコダは元艦載砲かな?口径12cmだと、イタリア艦に搭載してたやつか、
やたら旧式の榴弾砲しかヒットしないからな
>>391 イギリス軍はクイックファイアなんて言い方してたな
4.5インチ榴弾砲とかね。現代の基準ではぜんぜん速射ではない
三十一年式速射野砲も
あくまで当時の感覚でだね
>>390 穆稜重砲兵連隊の八九式加農は移動中にソ連戦車に襲われたそう
「ノモンハン戦車戦」の写真でほとんど無傷で鹵獲されたのが何門もある
遠景に牽引状態の八九式が写っていて、十四年式拳銃サックつけた軍曹(おそらく重砲兵)
の遺体から書類回収するソ連兵の写真がある
検分するソ連兵とくらべても体格が大柄なんで、重砲兵軍曹だと思う
>>410 シュコダ12加って佐山さんの要塞砲にも詳細がなかったんだよね?
>>405 場所によると言いたいがあまり有効活用された事例は思い付かないね
南方の島々の沿岸砲台などに良く使われたらしいけど
攻めて来るアメリカ艦隊の火力が圧倒的すぎてねえ
戦車に小銃で立ち向かうよりはまだマシって程度だし
テニアンと沖縄で米軍艦艇に損害与えた海軍砲は14cmでないの?
それとも12cmの高角砲か平射砲だった?
硫黄島の擂鉢山のは14cm砲で、有名な失態をやらかした大阪山のほうは
アームストロング製15cm砲らしい
>>418 テニアンは6インチ砲らしい
沖縄の小禄地区からの砲撃で駆逐艦を仕止めた沿岸砲はわからない……
後、よく考えたら沖縄の沿岸砲ってあまり知らない……
421 :
419:2012/02/03(金) 12:09:11.34 ID:???
訂正
硫黄島海軍「勇み足砲台」は擂鉢山の14cm砲だったね
422 :
419:2012/02/03(金) 12:12:54.10 ID:???
硫黄島14cm砲に関しては有効活用どころか、却って防備の脚ひっぱった感じだな
ノモンハンの時の陸軍高射砲はどんな活動してたの?
>>396 >>402 七年式十五加のことかもしれない。東京湾要塞金谷砲台(浦賀海峡東岸)に大正十三年に
四門据えられているんで
参式砲塔も二基(四門)なんで、もちろんそちらの可能性もある
>>415 一次大戦の青島要塞にドイツ兵だけでなくオーストリア兵もいたから
そのときの鹵獲砲かもしれないね
>>402 >>424 どちらかの間違いかな?
戦史叢書もちょくちょくやらかしてるし
だからあれ程改訂版をと(ry
>>425 かもねぇ
なんか一番有り得そう
>>426 七年式も参式砲塔もどちらも終戦時東京湾要塞にあったらしい
「要塞砲」に撤去は書かれていないから
関東大震災で東京湾要塞第二海塁からク式砲塔は第一に移転、参式砲塔
は剣崎砲台(三浦半島東南端)に移転とある
>>427 参式と七年式を纏めて三年式と勘違いしたとかなんじゃ
謎の火砲
支那戦線の鹵獲十加
十糎臼砲
木下式十榴
試製二十四糎装輪式榴弾砲
三年式十五加(これは参式、七年式の勘違い?)
沖縄本島の海軍砲って高角機銃、高角砲を別にすれば
基本的に那覇、小禄方面に集中してたの?
スコダ式12加もだね
青島要塞に巡洋艦からシュコダ製15加と47mm速射砲は陸揚げして使ったと記述あるけどね
432 :
名無し三等兵:2012/02/03(金) 20:04:32.05 ID:QD4f5fpF
シュコダ式12加とか勘違いしようもない気がするから
実際にあったんだろうけど正体が気になるね
試製四十一糎榴弾砲
虎頭要塞の研究書買ったんでそのうち紹介するよ
まだ読んでないんで
435 :
43:2012/02/04(土) 00:10:35.15 ID:???
ガダルカナル戦はまた後で書きます。
>>413 そうだったのか。
野重七も移動中に何回か襲撃されてるからな。
十五加ではとっさの戦闘も難しかったんだろう。
てかその本前々からほしいと思ってたから買うか…。
>>423 砲兵隊の後方に布陣してたらしい。
対空射撃で少なくとも一機敵機を落としたのを見たという人が複数。
>>435 あの本はほかの媒体にない八九式の鮮明な写真が何枚もあるんで買いだね
七糎七野砲もあるし
>>436 今日の夕方にでもグランパ買って夜勤なんで、そっちの野砲関連upを優先に日曜の朝にでもしようかと
>>435 ノモンハン当時は単車十五糎加農もまだだしなぁ
>>438 あるいはノモンハンでの展開能力の低さとかが、単車式の開発の発端にはならなかったにしても後押ししたのかもね。
沖縄とガダルカナルが特に疑問なんだけど
九二式十糎加農、九六式十五糎榴弾砲、八九式十五糎加農って
何発か撃つ事に移動して陣地転換してたの?
国軍の砲兵は砲兵陣地を奪取した連合国軍将兵が驚く程擬装していたらしいし
数発撃って沈黙、また数発撃って沈黙の繰り返しみたいな運用も多かったみたいだけど
繰り返したら幾らなんでも大体の位置はバレそうだし
該当地域一体に砲爆撃てな事になりそうだから
ガダルカナルですら意外に生き残っていた野戦重砲がある辺り
定期的に移動していたようにも見えるが実際はどうなんでしょ?
>>122を読むとガダルカナルにも野戦重砲を牽引出来る牽引車輌が稼働状態で撤退時まで残存していたようだし
沖縄なら牽引車輌も砲兵科の馬匹が居ただろうから
ちゃんと移動用の準備陣地と経路が設定されてれば出来そうだけど
特に沖縄とかギリギリまで生き残ってた八九式15K、九六式15Hの運用方法が気になる
>>435 ガダルカナル戦楽しみにしてます
ここいらの事情が書いているようならお願いします
昭和十七年以降生産のやつは最初から単車牽引式みたいだね(沖縄産の二門)
以前の生産ぶんも平衡機のでかいやつに改修してるらしいし
駐鋤も打ち込み式に変更とか
沖縄の八九式は写真見ると凄い迫力だね
隠蔽壕の奥にあるし
小学生のとき、母方の実家に月刊沖縄社の「日本最後の戦い」があって
あの八九式の写真だよ…
不気味な迫力に押されて、いまの火砲趣味となっているんだな
スマホの待受けがその八九式15K in沖縄だな
>>439 おお、そうかも
1940年の開発だから時代も適当
>>440 沖縄の15H・15Kは土地由来の岩山を利用して要塞砲化してたと戦記に
バレて砲爆撃されても持ちこたえたし。これでバックナー中将の首を取ったんだなぁ
>>441 442も言ってる通り、大東亜戦争開戦以降製造のやつは全部単車だろうね
佐山さんも「相当数が整備された」っ大砲入門でわざわざ書いてるくらいだし
>>445 なら横穴壕に火砲を入れて砲撃時に引き出すか
或いは砲口側の開口部を上に拡げて壕内から砲撃していたのか
しかし位置暴露後も激しく砲撃って凄い
周囲に砲爆撃が降り注ぐ中で撃ってたのか
あの八九式15Kは洞窟陣地内で砂に埋もってたみたいだしな
写真でも構築に使った木材とかは比較的奇麗だし、持ちこたえたんだろうなぁ
「いろいろクドい話」でも触れられていたけど、
ただ地面に壕掘って置いた野砲一門を制圧するだけでも
>8インチ砲弾で80発、または9.2インチ砲弾で60発の射撃が人員殺傷用の60ポンド砲による榴霰弾射撃を伴って必要
らしいからね
岩石に掘った壕ならそれこそコンクリート築城並みに耐えるんでしょう
イタリア戦線でも同様な「防護された死なない火砲」が極めて多かったとか
壕に入った火砲なんて直撃でないと潰せんもんな
(壕のキワに着弾すれば大口径なら崩せるけど)
野砲級で壕の直径は10m程度、際に着弾して崩す等を加味しても20mぐらい
榴弾砲のCEP(半径)は射距離の1%ぐらいだから、まあ100mとして
100発撃って、50発が半径100mに入る、つまり直径200mの円
距離や精度でも違うけど約100発は欲しいってなるね
450 :
423:2012/02/04(土) 14:08:08.12 ID:???
>>435 ありがとうございます。
なんか質問スレみたいになってしまって
申しわけありませんでした。
451 :
名無し三等兵:2012/02/04(土) 17:39:51.18 ID:AtXFoqHg
150門作られたらしい八九式十五糎加農のうち結構な数が単車式で
既存の物でも単車式に改造されたのがあるのか
以前、記憶ちがいで書き込みしたが訂正
九二式十加の生産門数は昭和十七年十月末の調査で164完成してる
終戦までに200門製造と推定される
グランパ佐山記事より
九二式十糎加農は大体年に14〜17門程度のペースで作った計算だね
神保町でグランドパワーを三冊買った
野砲連載が一冊欠で改造三八式野砲を除き、砲の生産門数はだいたい判明するね
おなじ店で穆稜、旅順、阿城重砲兵連隊史が三冊も売ってたぞ
穆稜、阿城重砲兵連隊は凄く興味ある
東京に行きたい……
試製四十一糎榴弾砲って同じ正410mmの長門、陸奥と砲弾の基本部位は共用なんだよね?
破甲榴弾ではなく榴弾の零式弾も準備したら撃てるの?
>>456 開発経緯を考えるに共用はないと思う
径は合ってるはずだから装填できれば撃てると思うけど
このサイズの砲って弾丸を機械で装填するわけで
砲弾のバランスや長さが違うと使えない可能性がある
一般的に破甲榴弾って短い(3口径ぐらい)んで
ある程度長い零式を装填台に載せられるのかどうかが鍵になるかと
それさえクリアできれば初速800で撃てる弾だから問題は無いだろう
>>455 B華堂なんで興味があれば通販でどうぞ
好きな人に買ってもらうのがいちばんだと思うから
>>457 全然関係無かったのか
薬室なんかとの兼ね合いで大丈夫なら砲弾に所定の改修を施せば大丈夫なのか
試製四十一糎榴弾砲ってWikipediaによると機力装填と言うより
運搬車に砲弾を載せて付属のクレーンで持ち上げ
腔内に人力で撞入だって
体格の良い兵を回すわけだよな
しかし試製四十一糎榴弾砲に関するWikipediaのページってこのスレの歴戦の砲兵科オタの人達的に信頼出来る?
まあ、炸薬入りだから徹甲弾でも一式徹甲弾同様AP-HEだし
破甲榴弾扱いなのかな?
長門型と共用なのか
装填方法もWikipediaと一緒なのかわからんなぁ……
>>464 長門用っていうか、海軍でお蔵入りになった旧式弾
5号をベースに平頭の水中弾道対応になった6号が登場し
更にボートテイルになって多少重くなって射程が延びた九一式になって
染料つめて被帽を改良した一式(九一式から改造が多い)が戦争時の長門の砲弾
ちなみに6号は爆弾に改造されたのを別とすれば訓練で使い切ってるって話で
5号の行く末は聞いたことが無かったんだが、陸軍に回ってたとすれば納得かな
>>327 迫撃大隊は装備を見ると大体軽迫撃砲
迫撃砲大隊は基本的には本土決戦部隊か第17方面軍配属
迫撃砲大隊以外の「迫撃砲」と付いた大隊は中迫撃砲大隊か独立迫撃砲大隊で
こいつ等の装備は中迫撃砲
今手元に戦史叢書の本土決戦の巻がないから推測だけど
「迫撃砲大隊」は二式十二糎迫撃砲部隊なんじゃないの?
ちなみに迫撃大隊は編制上だと軽迫撃砲36門みたいね
以前、立ち読み記憶で書いた数は誤り
三八式野砲の製造は昭和十七年十月末で2559門
九五式野砲がおなじく318門、終戦時に本砲の砲身半途品15門が大阪造兵廠
第一製造所第三工場に砲架半途品18門が同第十工場にあった。
九一式十糎榴弾砲はシュナイダー社から300門購入あと、昭和十七年十月末
で1155門製造とある。
グランドパワー佐山記述より
いままでの公称より、火砲生産数がずっと多いのが実態のようだ
奉天兵工廠の生産状況が判明すれば、さらにおもしろくなるね
469 :
名無し三等兵:2012/02/05(日) 07:30:16.03 ID:/L/LInVl
九一式十榴の生産数が凄いな
まあ、本来なら野砲部隊の主力になるべきとされていて
割りとどの戦線でも見掛けるからこんなもんか
終戦時の累計では日本の生産分だけで1300門ほどだったんでは?
>>467 この1155門って購入した300門は含まず
日本で生産した分だよね?
そうだよ。佐山さんが間違えてなけりゃ
冶金…もとい夜勤明けなんでとりあえず寝るよ
473 :
472:2012/02/05(日) 07:56:31.91 ID:???
つまり、三八式野砲はクルップに注文した400門プラス、国内生産分の2559門が
累計の数字ということ
>>472-473 ありがとう
三八式野砲は完成品400門購入に加えノックダウン生産分400門があるけど
これは国内生産分に含まれているのかなあ?
475 :
名無し三等兵:2012/02/05(日) 08:36:26.72 ID:TlYNP2X/
砲が仰角を上げたときに弾がずり落ちないように、弾の銅帯と薬室の前方の砲身内にギザギザがあってランマーで押し込む時に食い込ませる
人力装填でだいじょうぶなのか?
>41サンチ砲
>>467 九五式野砲の生産数があからさまによく言われる公称より多い
つか記述的に大東亜戦争開戦後どころか昭和20年度にも生産していたのか
>>475 Wikipediaさんいわく腔内に押し込む直前までクレーンで持ち上げるらしいから
いける気はする
>>476 考えてみりゃ三八式/改の更新砲だとすれば、減耗補充ってことで一定数生産され続けて当然だよな
改造三八式もほぼ全部が射程10000mちょいの甲だった訳で
弾薬筒も共通だし、どうしてもってことになれば混用も可能だろう
九五式野砲の末期生産分というか半途品は
補充・補修用部品として残ってただけかもしれん
九五式の昭和17年10月以降の生産実績って気になるね
しかし九五式野砲って南方に抽出された以外で
支那派遣軍隷下の部隊が持ってるのあまりみかけないけど
大半が支那戦線に投入って本当なんかなぁ?
前スレみたら実は結構関東軍に流れてるんじゃない?と思ったんだが
482 :
472:2012/02/05(日) 12:32:34.33 ID:???
>>474 三八式野砲は完成品400門と砲身素材の半製品400門をクルップより購入
砲身地金を海軍工廠に依頼して大阪工廠で392門の砲を製作する予定だったが、
叶わず、400門ぶんの砲身地金をふたたびクルップより購入することになった
大正八年三月時点の製造門数は1900門に達していたとある
483 :
名無し三等兵:2012/02/05(日) 12:35:09.72 ID:TlYNP2X/
88式7サンチ高射砲はどんだけ作ったの?
海軍の3年式8サンチの方が多いかも
>>483 完成品2092門、半途品とかはめんどくさいんで「高射砲」のP175以降を
参照してほしい
1000門超えるとものすごく大量な感じがするのはあれだな
ちなみに八八式七高は「昭和十七年十月末」の文句はない
三八式野砲は三千門くらい生産あったものだから、昭和に入って廃砲のぞき
余裕で二千門以上は装備、保管してたことと思う
軍縮時は維持保管だけでも経費がかかるので、泰平組合通して旧式砲は
支那に売却したかったのはよくわかる
三八式の在庫が多くて、更新用の野砲生産がすくないのは確かだし
しかし、支那事変の根こそぎ動員で予想がはずれ、三十一年式までひっぱり
だして使う羽目になるとは…
ごめん三千門の生産でなく、累計数字ね
>>481 配備先見るとなんかむしろ新鋭の輓馬野砲として扱われてる感じがするよ
九七式曲射歩兵砲と同じで、初期生産量が細いからって妙な俗説が出回ってるようにも見えてきた
>>481 >>488 九五式野砲を推した参謀本部としては、想定される戦場が満州中・西部
の平原から東部ソ満国境の錯雑地に変わったことと、ソ連の国境陣地の縦深
が大きくなったので、歩兵を中心とする戦力で攻撃するためには歩兵直協に
優れた機動性の良い火砲が必要になったということである
GP 2008/9号 P90 とあるね
兵器増加補給の件
C01000437700
第51、55、56、57の各歩兵師団の砲兵聯隊補充隊に対する1942年の火砲の増加支給について。
ただ横の注意書きを見ると、各部隊の保管庫にあるやつをベースに、定数に足りなかったら請求して余ったら返せと言っている。
このうち51師団(広東)の野砲第14聯隊と56師団(雲南)の野砲第56聯隊の補充隊が95式野砲を配備される予定。
てかみんな装備火砲が雑多だが、これは補充隊だからなのか聯隊主力もこんな感じなのか…。
57師団(満州)の野砲第57聯隊補充隊なんか四年式十五糎榴弾砲まで配備してるな。
四年式十五榴は師団砲兵に配備するプランもあったから別におかしくないのでは
>>489 敵陣地の縦深が大きくなったら、
射程を伸ばすのではなく機動性を上げる
ってのが、日本軍だよねぇ。
戦間期に射程増大の傾向とは別に、以前の型より射程みじかめ
軽量な機動戦重視砲のトレンドが存在した
ドイツのFK38、フランスmle1934(九一式と略同モデル)など
>>481 >>488-489 元来の整備目的を考えると満州東部正面に重点配備されるべきだし
東部正面かはともかく14D、24Dが持ってる辺り九五式野砲は殆ど支那戦線に送ったと言うのは怪しいですね
俗説を踏まえた上で冷静に考えるとなんで14D、24Dが持ってるんだwみたいな
>>490 24Dは四年式十五榴、九一式十榴、九五式野砲だから
陸軍的には装備の過渡期なのかも
砲兵科の将来展望を見てもWW2って過渡期なんだよね
出来れば九六式十五榴を装備したかったんだけどね
師団砲兵で装備実現したのはテストケースでノモンハン被害で機械化再編成の23Dだけだったらしいけど
対米英開戦しないで大陸の戦闘が続いてたら、機動十加なんて計画砲も実現したかもしれない
>>493 それ考えたら、機動性が上がって射程が更新前の砲と同一って95式はかなり魅力的な大砲だよな
みんなそう思ったんだが、いざ戦争が始まってみると、射程で負ければ近づけずに一方的に
撃たれて、ひどい目にあってあわてて射程重視に変わったという
自走砲ではなく牽引火砲同士であれば一定の機動性を確保出来れば
火砲自体の機動性より火力の機動性が勝るのは自明だと実地教育されてしまった
こうですか、わかりません><
まあ、前向けて撃てる軽量榴弾砲が歩兵連隊に4門ずつ配られた時点で
師団野砲兵には多少の陣地内移動能力の優劣より、射程と危害半径が重要になったってことだろうよ
連隊砲と野砲で弾の威力同じなんだもん
野砲が近距離で前向けて撃つ需要はあの時点で大分減ったんじゃないかねぇ
日露戦争で得られた貴重な戦訓として正しく理論化され
世界の軍人さん達に受容されるにはWW1を経る必要があるし
WW1で得られた貴重な戦訓がちゃんと共有され
更にネット上で軍オタのたまえるレベルまで落とし込むには
WW2前半の流血を待つ必要があった
人間って生き物は存外学習能力がないのかもしれないね
ミネルバのフクロウはw
一度目は悲劇として、二度目は笑劇としてww
日本の火砲牽引車輌だと九五式十三屯牽引車、九八式四屯牽引車、九八式六屯牽引車、九八式装甲運搬車の評判が良いみたいだけど
それぞれ最大牽引重量ってどんなもんなんですか?
特に九八式装甲運搬車の運用状況が気になる
>>502 車長トシテ牽引自動車ノ常識
A03032114400
ここにもっと古い奴(92式軽重牽引車、5トンホルト)ならあるが、
この辺の車両だとおおよそ定量の2倍程度は最大で引けるとみなされてたみたいだね。
アジ歴を漁ってて見つけた面白そうな史料
昭和16年12月 兵器臨時価格表(甲)
A03032157800
兵器臨時価格表(乙)
A03032158000
基本的に甲が兵器資材、乙が弾薬で分けてるようだ。
乙は1942年2月だから甲とあまり祖語は出てないはず。
火砲部門ではしぶとく調達される四年式十五糎榴弾砲が異彩を放つほか、
九七式曲射歩兵砲の九二式歩兵砲に対する安さが際立っている。
兵器臨時定価表送付の件
C01001350900
1935年のもので載ってる品数は少ない(砲関係は九二式歩兵砲だけ)が、ねじレベルで部品ごとの詳細な価格が出ている。
>>462 別に変なとこはないよ
佐山さんの「大砲入門」の試製41H欄をを抜粋して纏めてる感じだし
人力装填だってソースは佐山本だぜ
単に丸パクリするんじゃなくて、アジ歴の当該資料も乗っけてるのは見聞広める意味ではgoodだとおもう
>>463 佐山本では「破甲榴弾」しか弾種は書いてないからなぁ
>>502 あとは昔スレに出てた
火砲、牽引車体系
A03032095200
から推測する感じかなあ。
つか高すぎだろ大隊砲・・・軽迫撃砲の倍近いってどうなのよ
重さも似たようなもんなんだし、これなら軽迫もっと大量に作って歩兵に持たせたほうがよかったんじゃ・・・
>>495 九六式を入れるとなると牽引車を整備しないといけないしね…
そしてその牽引車を運用する基盤も整えないと…
508 :
名無し三等兵:2012/02/06(月) 01:10:20.73 ID:zcxJnnNr
>>465 なら砲塔四五口径四〇糎加農の砲弾も5号なのかな
殆ど無料で砲弾が送られたとか書いてるの読んだ事あるし
>>506 弾重い・砲細かく分解できない・精度&射程的に明らかにオーバースペック・墜発で平射不可
「要塞砲」本と謳っておきながら榴弾砲はあえてスルーされてたのは残念だったな。
次の佐山さんシリーズは何になるんだろ。
そういや、インドシナやフィリピンで手に入れた兵器はどしたんだろ?
戦車や小火器は有名だけど砲はあまり聞かないよね?
だから迫撃砲も九九式小迫撃砲やら二式十二糎迫撃砲みたいな方向性になったんだろうね
通常の大隊砲として見ると九七式曲射歩兵砲はご不満だったのだろう
>>513 >>29>>393を読むとフィリピンの十五榴は野戦重砲兵に
十五加は独立重砲兵第20大隊設立の基盤になったみたいね
とりあえず南方なら香港、シンガポールの重砲群が気になる
まあ、曲射歩兵砲ならぶっちゃけ蹴り飛ばして平射させられるからいいんでないの
どうしても撃発必要ならそういう風に作り直してたでしょ
九四式軽迫はね……寝かせて蹴るには後座力が強すぎるんよ、じゃなくて
弾丸の重量が1.3倍くらいあるのが最大のネックでしょ
弾薬分隊員がどんどん増えてしまう
>>503 四年式十五糎榴弾砲って上の方でも書いてたが大東亜戦争中も調達してるんだよね
ご長寿ヒット作だなw
弾薬運びガーと言うのは九七式曲射歩兵砲でも起きそうだから
馬匹、車輌不足がガンだな
弾薬の重量が多少増すだけで途端に運用に難がでちゃうって言うね……
パシフィックのペリリュー島の回で、皇軍の九五式軽戦車が接近して主人公ら
迫撃砲チームが応戦したが結局ダメだった(でも運よく友軍のM4が来て…)とか
速射砲が仕込まれた皇軍トーチカが無双してるのを観たらやっぱ平射って大事なんだなと実感
>>506 上に上がってる要因のほかに、弾薬の価格が高いのがある。
価格表乙にあるが、榴弾の弾丸で比べると1発当たりの値段が倍くらい高い。
装薬についてはよくわからんから何とも言えないけど、九二式榴弾とかを使うなら信管込でもかなり違いが出る。
>>520 ペリリューのハ号は変態染みてるけどなw
橋頭堡にかちこみ掛けた挙げ句何輌か生還してやがる
ハ号でM4の主砲基部に命中させて砲撃させたんだっけか。
「砲撃不能」だ
>>522 「事実は小説よりも奇なり」を地で行ってるのがペリリューの戦いだよな…
九五式軽戦車が1944年の米海兵隊の橋頭堡を蹂躙して稼働状態で複数輌生還とか
フィクションでやったら間違いなく叩かれるな
実際にあったって事実を知ってても信じられないwww
ザ・パシフィックではもっと皇軍火砲を出して欲しかったところ
ごまかしやすい・作りやすい複製車両と違って、火砲は造形的に作りづらかったり
わざわざ作っても気づく観客(ヲタ含む)が少ないせいもあるんだろうけど
ウィンドトーカーズとか気合はいってたなぁ
大口径の自緊砲身は量産のハードルが高いのだろう
とくに高腔圧の長砲身になると、とたんに生産門数が少なくなる
四年式は短砲身、低初速の自緊法なしのローテクで造れる重砲として捨てがたかったのだろう
牽引車の開発量産がネックの日本は馬も不足とはいえ、より現実味があったろう
ホロも比島でちょっとだけ無双出来たしな
しかもホロは三八式w
自緊と言えば上の方見るととりあえず神戸製鋼所と豊和は九四式山砲クラスまでなら造れたみたいね
後、一式四十七粍式速射砲が大阪砲兵工廠と名古屋工廠で
短期間に大量生産されてるが
大阪砲兵工廠以外も動員して量産するなら
自緊で陸戦用火砲の場合は一式四十七粍速射砲と九四式山砲位が限界なのかなあ?
>>529 単純に大口径長砲身腔圧が大変ってだけで
同じスペックの口径・砲身・腔圧なら自緊のほうが従来型より作りやすい
これが低スペックで砲身の強度そのものが要らないなら
単なる鋼管砲身で良くなるから自緊もクソもないが、15糎砲はそういうレベルでもないし
自緊製法は工場の設備に高度な水準が要求されるんだろ?
わざわざ特許を陸海軍共同で購入するぐらいで
生産効率は従来工法より高いのかもしれないが
自緊砲身は設備の整った工廠、工場、製造所なら従来型より効率良く造れるが
そもそも自緊砲身の製造設備が整ってなきゃ長所もブッ飛ぶ
>>286 九九式十糎山砲はこれで確定かな?
ただ本土決戦に備えて内地の九九式十糎山砲装備部隊向けに
補充、補修用や定数を満たす為の追加生産が行われた可能性もあると思うが
>>519 それはどうだろ?
弾薬自体の重さは九二式歩兵砲より九七式歩兵砲の方が軽い
弾薬の定数自体が同じなら弾薬の総重量は九二式>九七式
まさかまだ「面制圧兵器だから精度が云々」を信じてるわけじゃないよね
アジ歴漁りは楽しいが終わらない…。
兵器調弁の件
C04123054000
色々な史料のタイトルになっている「調弁」っていうのがいまいちよくわからんが、予算使う但し書きがあるあたり、
特記が無ければ生産のことなのかなあ。それとも単に支給準備のために完成品をどこかから調達しろという話なのか。
とりあえず車載用九八式高射機関砲100門とか、1941年になっても50門も調弁される四年式十五糎榴弾砲とか、
野戦兵器廠予備品で25門もあるけど試製な臼砲とか、そんなのが並んでいる。
兵器補給の件
C01000783200
フィリピン方面の第14軍が保有している十一年式曲射歩兵砲を九七式曲射歩兵砲に置き換えるため、
至急第22野戦兵器廠に同砲4門と弾薬を送れという1942年11月の通達。
九二式歩兵砲に更新されるよりは扱いやすかったろう。
砲塔動力機関増加補給並返納の件
C01000783500
壱岐要塞の的山大島砲台の砲塔動力機関を交換するという1942年11月の通達。
交換用の機関は豊予要塞の鶴見崎砲台から持ってきた分と他の未改修砲塔からの転用。
ちなみにwikiによると、的山大島砲台には戦艦鹿島の主砲塔が設置されていたらしい。
山砲兵第28連隊
C11110010300
戦史資料 山砲兵第28連隊(宮古島) 調整官 陸軍大佐 梶松次郎
C11110237900
宮古島に配備されていた山砲兵第28連隊の記録。
同連隊は
・連隊所属の3個大隊(九四式山砲12門×2、九九式十糎山砲14門×1)
・野戦重砲兵第1連隊第1大隊(九六式十五榴4門×3個中隊、段列欠)
・独混60旅団砲兵隊(軽迫撃砲6門×2個中隊、そのほか1個中隊が地区隊配属)
・特設迫撃隊(連隊の輜重兵で編成、三式八糎迫撃砲6門×2個中隊)
海軍砲台5隊(内訳は十五加2門×2、十二榴2門×2、短二十榴2門)
という大所帯で先島集団砲兵隊を構成した。
陣地構築の様子や作戦計画、細かい配備図も載っているから、
それぞれの種類の砲ごとの運用方針なんかも垣間見えるいい史料。
539 :
538:2012/02/06(月) 06:56:48.00 ID:???
訂正
九九式十糎山砲は12門
あと海軍砲台は本文と配置一覧で門数が食い違ってるのがいくつかある。
>>531 九九式八糎高射砲は大阪造兵廠ほか日本製鋼所広島、日立製作所、日立造兵、神戸製鋼所、
大阪機工猪名川で製造した
これは、すべての会社で自緊砲身を製造できたかは不明だけどね
三式十二糎高射砲だと大阪造兵廠ほか日本製鋼所の室蘭と広島が砲身を製造
できた。四式七糎半高射砲は大阪造兵廠と日本製鋼所武蔵が砲身製造
五式十五糎の砲身は大阪造兵廠と日本製鋼所広島だね
兵器調達の件
C01000579100
技本と一緒に作れと書いてある砲たちは聞かない名前も多いから試作かな?
1942年9月の通達。
兵器調達の件
C01000503600
タ弾を急いでたくさん作れという1942年9月のお達し。
このスレは神保町界隈や光人社、ガリレオ出版にさぞ感謝されていることであろう
個人的には佐山新刊 勝手に命名「日本陸軍の野戦砲」はグランドパワー
別冊で出してもらいたい!
戦記でないのなら、横書きが読みやすいし写真図面も文庫版では苦しいんでね
九○式野砲は昭和十七年十月末で82門製造
機動九○式は昭和十七年十月末で274門製造
昭和十八年三月末の整備状況調査によると十七年度に110門製造している
544 :
名無し三等兵:2012/02/06(月) 15:36:53.44 ID:JCZWxKJr
日清戦争で使った青銅砲は太平洋戦争でも使用したんだろうか
最後の根こそぎ動員では、火縄銃すら持ち出されたから、持ち出したんじゃない。
最新の研究であろうGPの佐山連載でも載ってないが、戦争末期には事例が
あったかもしれない
二十八サンチ砲が青銅製で一部要塞や大陸で使用してたくらいかな
旧式であるが、大口径の砲弾威力は捨てがたかったとみえる
日本の戦史別冊「兵器大図鑑」では奄美大島西方村西古見所在 球740部隊
に配備された二十八サンチ榴弾砲は戦争末期に四門、
旧要塞砲兵の記述がある
この時期でも砲は黒染めでカーキ色でなかった様子が書いてある
根こそぎ動員だと英独もしてるよね。
日本も英国みたいな簡易迫撃砲はあったのかな?
日露戦役で使った、木製で竹の箍巻いた花火筒みたいなもんを急造したかも
花火職人も軍のイベント以外は仕事が激減しただろうしね
>>482 ありがとうございます
って事は最初の内製化失敗
その後ノックダウン生産400門を行いますそれを加えて
国内生産分としているのですね
>>542 このスレ見てると光人社NF文庫やグランドパワー買いたくなるしねw
>>543 >>467の九五式野砲と見比べるとかなり生産に手間取っているよう見えるな
九一式十糎榴弾砲とは比べる事も出来ない
>>541 謎の火砲が多いのか……
色々気になるな
しかしこれなら通りでタ弾が意外に行き渡ってる筈だわ
>>512 インドシナは仏印政庁が残存してたしねぇ
昭和二十年までは仏印の全面武装解除はしてないみたいだし
師たるフランスに敬意の意も当然あるだろう
フランス植民地軍の武装蜂起でやむなくだろう
553 :
名無し三等兵:2012/02/06(月) 20:24:02.54 ID:pZFTYFr7
タ弾とか試製四式七糎噴進砲と試作九糎空挺隊用噴進砲とか
試製八十一粍無反動砲と試製五式四十五粍簡易無反動砲とか
色々頑張ってるだけに余計に本土決戦用簡易、急造兵器の悲惨さが際立つw
>>549 最初の完成砲400門輸入に加え、400門ぶんの砲身半製品、のちほどプラス追加の
砲身素材の輸入のかたちだそう
555
>>549 ていうか陸軍は高射砲、戦車砲、山砲、対戦車目的以外に7.5cm口径は
ほぼ見切りつけてるんだよ。三八式の在庫もわんさとあったし
十榴と十五榴に傾斜生産にシフトしてる
ドイツ、フランスに倣って
九○式の同系砲が仏本国で採用してないからね
フランスは大量在庫のmle1987のみで、
ドイツ7.5cm級は一次大戦FK16の改良版と本来はブラジル輸出用FK38のみ
557 :
556:2012/02/06(月) 20:50:51.97 ID:???
補足
フランス国営工廠製のmle1897以外にシュナイダー製野砲も若干数は整備してるが
>>543 なんか「使ってみたら射程の長さが重量増を補って余りあるから以後九〇式を整備」云々って俗説が白々しく聞こえるな
要するに九〇式は重いから整備取りやめ、改造三八式の減耗補充は九五式で、ってだけの話じゃないのか
機動化(自動車化)部隊中心に機動九〇式を整備しつつあるけどそっちは進んでないってことなんだろうな
そりゃ機械化部隊の数がそもそも全然無いわけだし
機械化できるなら加農や榴弾砲だって良いわけだし、九〇式に拘る必然が無いよね
>>556 いやそれはわかってるよ
ただ九五式野砲と比較しても大して変わらんかペース遅い位だから
俗説とはかなり様相が違うなぁと
>>558の推測に近いように思える
>>558 当時の高級将校も馬鹿でないから、限定目的以外は口径7.5cmより、砲弾
威力でそれ以上を欲しがったのは当然だと思うよ
九○式より生産が多いであろう九五式野砲の生産も、それほど重点おかれた
とは到底思えないし
つか九〇式野砲、機動九〇式野砲って他とは逆でWikipediaとかより生産数少なくない?
まあ、見切ってたとは言え軍の規模自体は拡大していて
目先の需要はあったから18、19、20年度生産分を足すと帳尻合うのか?
三式中戦車160輌程、三式砲戦車も100輌?位整備してるし
まあ、あんなもんかしら?
>>559 数がないのは同意だけど
九〇式は機械化部隊の主力牽引砲としては実に便利だったと思うよ
牽引速度が速い、射程が野戦重砲並みに長い、直射で重対戦車砲としての運用も可能
ひょっとしたら十榴の機動化したやつより使い勝手は良かったかも
まあ、輓馬・駄馬砲で言うと四一式/九四式山砲みたいな手頃さがあったと思うよ、機動九〇式には
十五榴や十加となると、砲弾の運搬やら布陣時間やら何やらもあるからねぇ
>>550 あのリストの中で個人的によくわからん火砲は
・一式七糎山砲
・二十一糎榴弾砲
・十糎要地高射砲
・二十一糎加農
かなあ。
あと九二式十加と九六式十五榴は改修型の生産が指示されてるけど、
脚の折損問題への対策かな?
>>563 どうなんだろ?
それなら機動九一式十糎榴弾砲のが良いってなるかもしれない
>>564 如何にもって火砲だなあ
国軍が欲しい物がわかる気がする
>>564 近年のグランドパワー佐山連載とNF文庫、昔の戦車マガジン「知られざる日本の兵器」
でおおかた解明するね
二十一糎加農はドイツ砲K18 検索で
568 :
567:2012/02/06(月) 21:25:25.02 ID:???
ごめん、21cmはK39か
>>563 砲の牽引速度は牽引車の問題なわけで単純に98式4トンが速いってだけのこと
6〜8トン牽引車で高速のものが作れないわけではない
実際火砲牽引車体系にも砲とは別に新型牽引車が提示されてるし
そこには機械化師団用の野砲はディスコンであることも触れられてる
速度があって布置が早くて、しかも直射できる「自走野砲」は続ける気だけどね
>>562 三式中戦車は新規生産砲身を使用しているから九〇式の製造数とは無関係
三式砲と一式砲T型は合計で150輌ほど
少なくとも一式砲T型の一部は新規製造の砲身を使ったみたいだけど、三式砲はわからん
他のチハ車台利用の砲戦車と同じく中古車台に中古砲のニコイチという可能性が高い
機動九〇式は試製五十七粍がコケたから対戦車砲としての需要もあったと思われ
>>563 どんなところが?
九一式十榴は射程は短いし、
>>550にある船載砲床について
14年式重迫撃砲試製船載砲床説明書
A03032123200
これは佐山さんの本に載ってるやつ
三八式野砲船載砲床取扱法送付の件
C01000997800
三八式野砲船載砲床の説明書と試験結果報告書。
>>550の生産リストと同じやつかはわからない。
佐山さんの本だと昭和6年以前のことが書いてないけど、この砲床の試験を行ったのは大正14年。
割と使いやすくてよかったらしい。
返還文書じゃないのに英語用語の併記がいろいろあって面白い。
機甲スレ大荒れで、難民大量流入の特需と思われ
>>570 別なのはわかってる
ただライン自体は動いてるし三式砲の生産ペースも割りと早いから
九〇式野砲もとりあえず目先の需要の為に
近いペースで作ってたのかなと
それならWikipediaとかで書かれている生産数を達成出来るし
実在はもちろんしてるんだろうが、国産なのか鹵獲砲なのかが判明してないだろ?
それはそうだけど鹵獲、謎の試製臼砲説に加えて戦史叢書の書き間違いwも疑ってたから
国産の可能性が高まったかなと
編成完結地が名古屋だし
聞き取り調査の責任者、元大本営参謀の服部さんは優秀なんだけど、
歩兵科エリートで、ノモンハンとガダルカナルの失敗で機甲と砲兵部隊に
負い目があって妙なバイアスがかかってるみたいだからな
>>565 >>569 素朴な疑問なんだけど、そんなら実際に機動91式の製造量が機動90式より少ない訳は何なんだ?
対戦車砲としての需要が切実だったんでしょ
>>577 改めて戦史叢書読むと痛感するけど
砲兵科や機甲科の話は編制、編成や装備の中身、実際戦闘するまでの準備段階のエピソードはそれなりに拾ってるが
戦闘経過における砲兵科、機甲科の活動、活躍はあんまり書いてない
部隊の説明でよく活躍したがとか書かれている具体的な事はサラっと流されていたり
九〇式、機動九〇式ってソ連の3吋野砲の一部みたいに
長距離砲兵の一部として独立野砲兵連隊、大隊専任にして
なおかつその連隊、大隊は師団に編合せずに軍直轄として野戦重砲兵と一緒に使用位で良かった気もするな
後知恵だけど
>>582 執筆者が元参謀だったりするので現場感覚には欠ける。
まぁ通史だから仕方がない面もあるが、もっと現場の戦術感覚を取り入れた戦史があるといいね。
>>580 牽引車輌と対戦車用途と思ったけど
四屯で九一式も牽けたか?
>>580 師団砲兵は野砲2:軽榴1ぐらいの比だから
普通に編成すれば10榴のほうが少なくなるもんだ
師団砲F=22は初速に比して長砲身で、過剰品質かつ高価なのがソ連軍では贅沢ないらない
子扱いまでされている
価値を見出したのが、鹵獲砲を対戦車砲PAK36に改造したドイツ軍であったわけで
日本の場合は十榴、十五榴の射程がどうも物足りないから九〇式に対戦車用途+αの用途が出てくる気がする
>>538-539 九九式十糎山砲こんなとこに居たのか
八重山の砲兵部隊意外に大きいね
やっぱり九九式十糎山砲は内地部隊に殆どが交付されていたのかねぇ?
本文と図面が違うのは香港砲兵隊もそうだったな
あきらかに図面の方が豪華な装備状況だった
590 :
名無し三等兵:2012/02/06(月) 23:21:20.58 ID:pZFTYFr7
九九式十糎山砲は本土決戦準備でも多少は製造されたのかね?
>>588 前から疑問だったんだけど、10H・15Hの独米師団砲兵で最大射程の問題って起こらなかったんだろうか
長距離戦や対砲兵戦は加農に任せる?
いざって時は10K、15Kがあるし米の場合は航空機もあるって話かも
主力は意外にあった10cm加農と15cm加農
それに17cm加農だろうしね
>>591 火力機動は着弾が前進する友軍を先導するのが理想なんだけど
知ってのようにドイツ軍の機動は速いわけで
特に戦車隊だと砲兵が届かない&追いつかないで苦労してる
(結局ドイツもアメリカも自走砲で対処してる)
戦史叢書に九九式十糎山砲装備と書かれているのは
山砲兵第28連隊(第28師団)満州→宮古島
山砲兵第93連隊(第93師団)本土
の2つ
満州からの転用師団でも第9師団や第11師団は九四式山砲だけ
>>596 九九式十糎山砲の配備先も謎だな
本来もう少し配備されててもおかしくないから
本土の独立山砲兵連隊か独立山砲兵大隊とどれかが持ってるのかしら
>>591 ドイツ師団砲兵は対ソ戦で射程不足を痛感
既存砲の装薬増加とマズルブレーキ導入で射程延伸を図り、
更に新型砲を開発してたけど間に合わなかった
ロケット推進弾まで作ってたね
600
>>540 ありがとう
日本製鋼所やっぱり強いな
広島はやはり軍都
日立と大阪機工が自緊砲身造れたか気になる
軍需品工場増産設備完成期日延期に関する件
C01001837000
軍需品工場増産設備完成期日延期に関する件
C01001837400
大阪機工猪名川工場の九一式十糎榴弾砲の生産能力増強(月産5門)に関する話。
この時期に増産するからには砲身のあてがあったんじゃないかという気もしないでもないがどうだろうなあ…。
増強完結が工作機械と工員の導入が遅れた結果どんどん遅れている。
現在の工作機械台数・工員と必要な台数・工員とかも載ってて面白い。
1940年の段階で熟練工が労働市場に足りないという状況が悲しい…。
アメリカみたいにうまくマニュアル化できなかったものか。
それもあるし工作機械も大半は輸入しないといけないのがね
それに純粋な物品購入に回せる外貨も国府やら支那軍閥やらに劣りそうなのが……
もう少しちゃんとした輸入品があって
ブロック経済にもある程度対抗出来る商品になってればねぇ
根本は金くい虫の戦争やめて軍縮しろってところに行き着くが。
605 :
名無し三等兵:2012/02/07(火) 12:00:14.58 ID:wifGi224
そう。戦争なんかしないで兵器を増産しろ。
というか軍備増強に走る前に基礎体力となる経済力と技術力を作らんと・・・
今の日本は戦前の日本より軍事費の対GDP比ははるかに低いが自衛隊は旧軍よりよほど大火力だし
>>606 今だって戦いながら数年で兵力10倍にしようぜってなったら酷いことになる
(良い例が戦費負担で装備更新に苦労してる今のアメリカ)
満州事変前後の日本軍の火力密度は列強標準から逸脱してるわけでもない
国力に見合わない兵力規模になっちゃってたのは戦争したからだし
戦争は相手があるからこっちの国力で対応できる範囲でってわけにもいかん
いかんといっても、太平洋戦争前で国家予算に占める借金の比率は6割と
アメリカと戦争しなくても遠からずデフォルトに陥って、戦争継続は不可能になってたがな
アメリカからの物資で戦争してたから、金が買えなくなったら戦争どころか近代国家としても
やっていけなくなって明治以前まで逆戻りだ
>>608 そりゃもう中国で戦争やってるんだから借金まみれになるのは必然で
英だってWW1もWW2もそんなもんだし戦争中のアメリカも凄い借金だった
日華事変中で青色吐息状態の日本に圧力かけたのはアメリカであって
(アメリカの立場からしたらチャンスなんで是非を問うつもりは無い)
まさしく相手があるのでしかたがないよねってことだわな
ちなみに某戦略ゲームでも兵器の改良には頭が悩まされる。
特に多数の兵力を有する米英仏日独ソは。
いやいや、戦争やるのに必要な物資を売ってくれる国と、軍拡して戦争するなんて
狂ってるだろ。アメリカ以外からは入手不可能な必須物資も多々あって
勝ち目なんてはじめからどこにもないんだから。
>>611 だからさ、その敵対はアメリカがしたものでしょ?
中国での戦争が気に入らないから圧力かけて
引くに引けない立場の日本がやけくそで喧嘩を買って以下略だったわけで
(中国での戦争の是非はまた別として)
そして60年代以降のソ連は希少金属の幾つかと食料を欧米に依存してた
面白いよねベトナム戦争中のソ連はアメリカから食い物と技術を得て
それでアメリカ兵をナムで殺してたわけ、世の中ってそんなもんだ
>>612 仏印進駐するまでは、普通に売ってたわけだけど。仏印進駐前には、米英はやるなら貿易制限すると
通告してるが無視して進駐してる。アメリカに依存しなきゃ生きていけない国だったのに、敵対する方向に
進んでたのは日本のほうだったわけだが。
仏印進駐で制限されたのはくず鉄だが
その前年にアメリカは通商条約を一方的に破棄してるんだ
この時点で実質売らなくなってた(過去から契約が残ってたものは継続だが)
だから進駐したら売らないよってのは、もう売ってくれないのに何を言うってもんだ
>>612 じゃあそれこそベトナムみたいに戦争止めればよかったんじゃね…?
予想外に長引いて泥沼化してたわけだし。
砲に関係ない話は余所でやれよ
>>615 まあ、あの戦争は形としては日本から仕掛けたものなんだけど
実際はするように仕向けられたものだし、適当な所で講和しようにも
相手はハナから日本帝国を滅ぼそうとしてるんだから妥協点が無い
>>605 ある意味スレ的にも正しい
閲兵式で並べられる国軍砲兵科の兵器達……
山砲ばっかズラッと並んでたら、先帝もトホホなお気持ちになられたろうな…
Wikipedia先生によると八九式十五糎加農は
香港、シンガポール、バターン、コレヒドールに投入された後も
貴重な大射程重砲として沖縄以外にも各方面に投入されたって書いてるが
支那方面に転出した独立重砲兵第6大隊位しか知らないんだがどこなんだ……
連合国軍によるフィリピン侵攻時に投入された独立重砲兵大隊の装備は
七年式三十糎榴弾砲とおそらくGPFであろう押収十五加だし
GP 2008/9号 機動九一式十糎榴弾砲解説
大阪造兵廠第一製造所が昭和17年10月末に調査した火砲製造完成数には、
本砲は17年度内に40門製造とある。その後も製造を続け、約100門完成
したと推定する。
すくないな。通常の九一式と較べても
牽引車の生産数に問題ありすぎなんだろう
>>621 昭和十九年以降だと大陸から虎の子十五加を抽出して南方に送ろう
としても、ボカ沈海没の数が半端ないだろう
フィリピンのルソン、レイテ戦に重火器は大陸と内地から相当送り出したはずだが、
届いたのは三割あるのか?
海没の日本兵死亡が五十万とか聞くぜ
ガ島も、送った砲のうち陸揚げできたのは半分以下のはずだから
砲の損失はノモンハン以上かも
>>620 土浦の武器学校で三八式野砲と四一式山砲みたら大きさの差に
愕然とするよ。おとなと小学校低学年の体格差くらい
>>622 いや、そういう話ではなく八九式十五糎加農がコレヒドールと沖縄の間で支那派遣軍の独立重砲兵第6大隊以外で投入されたのかな?と
まあ、ビルマやラバウルに投入されたとは聞いた事はあるが
装備部隊とか実績は知らないし
ラバウルの奴は幸か不幸か多分戦闘には参加してないだろうしなぁ
九一式十糎榴弾砲って九八式四屯牽引車で牽けないのかな?
>>597 本土の独立山砲兵連隊@戦史叢書
昭和20年2月編成 6個(6〜11)
6 3個大隊9個中隊 山砲(24),山地十榴(12)←おそらく九九式十糎山砲
7〜11 2個大隊6個中隊 九四式山砲(24)
※7,9,10,11は200番代師団の山砲兵連隊(206,209,212,202)に改編
昭和20年5月編成 9個(12〜20)
3個大隊9個中隊 山砲(32),十榴(3)←ひょっとしたら九九式十糎山砲?
なお、独立山砲兵大隊は本土決戦用部隊としては編成されていない
>>626 有難う
十榴は九九式十糎山砲かもしれないですね
後、独立山砲兵大隊居なかった?って思ったが
独立山砲兵第22、23大隊は端から独立混成第66、67旅団の隷下で
場所も伊豆諸島だしありゃ別枠か
>>624 八九式十五加装備の独立重砲兵大隊(戊)
>>393 独立重砲兵第2大隊
香港(開戦時)→シンガポール→スマトラ→シンガポール(独立重砲兵第13連隊に改編)(終戦)
独立重砲兵第3大隊
香港(開戦時)→南支→ラバウル(終戦)
独立重砲兵第6大隊
満州(開戦時)→中支(終戦)
独立重砲兵第9大隊
比島(開戦時)→満州→本土(終戦)
独立重砲兵第11大隊
満州(開戦時)→本土(終戦)
独立重砲兵第12大隊
満州(開戦時)→本土(終戦)
独立重砲兵第13大隊
満州(開戦時)→本土(終戦)
>>626 日本陸軍機械化部隊総覧(別冊歴史読本1991春号特別増刊)には
独立山砲兵連隊の12から20までの部隊は、九四式山砲2個大隊と、
九四式山砲と九九式十糎山砲の混成大隊1個で編成されたとしているね。
ただ充足率は5割未満だとも書いてあるが。
630 :
名無し三等兵:2012/02/07(火) 22:43:11.22 ID:pe6uWz3u
631 :
名無し三等兵:2012/02/07(火) 22:59:37.71 ID:liWqMYEw
冷戦期にアメリカは第三国のトンネル会社経由でソ連からチタンを買いまくっていた
日本も面の皮厚く密輸しまくれば…
>>628 やっぱり殆ど満州に居てたんですね
ビルマやニューギニアに居たとか言われてるのは
独立重砲兵第2大隊と独立重砲兵第3大隊の一部が分派されていた可能性もあるのか
後、ラバウルの部隊は独立重砲兵連隊になってるのか
重砲兵連隊で独立の名を冠しているのは初めて見たかも
ああ、ラバウルじゃないシンガポールだ
シンガポールの鹵獲重砲があったから?
634 :
名無し三等兵:2012/02/07(火) 23:40:09.33 ID:SVlwHXi7
九九式十糎山砲は殆ど本土と周辺部、満州に居たのか
生産数からすると妥当だけど
「横須賀重砲兵聯隊史」によれば独立重砲兵第13連隊は
第1大隊(2個中隊) チモールから転進した山砲兵第48連隊(第48師団)の一部で編成(山砲装備)
第2大隊(3個中隊) ジャワ、スンバワ島等から転進した10加,10榴,山砲で編成
第3大隊(2個中隊) スマトラから転進した独立重砲兵第2大隊第1中隊主力の八九式15加とジャワから転進した15榴中隊で編成
また、独立重砲兵第2大隊第2中隊と第1中隊の一部(15加5門)は、12榴2門と15臼2門を増加されスマトラに残留とある
>>630 編成発令が20年5月23日で、編成完結予定が早いので6月上旬、遅いのは8月中旬だからなあ
>>286 兵器調弁の件
C04121135800
1939年6月に4門
兵器調弁並改修の件
C04121536000
同じく1939年11月1日に50門
調弁命令の履歴はこんな感じか。
後の50門はどの段階で作ったんだろうなあ。
兵器調弁の件
C04123054000
これを見ると1941年6月には予備品が10門あったらしいが。
>>618 このスレで「歩兵科」「砲兵科」ってよく見かけるけど、帝国陸軍においては1940年に
そういうのは廃止されてるから単に「歩兵」「砲兵」でいいのよ
>>624 >>632 比島に送られた八九式15Kは陸揚げされて演習映像まで残ってるって何回か話題になったじゃん
>>571 十四年式重迫撃砲の海軍移管後の動向が気になる
本土決戦には引きずり出されたのか?
>>638 演習画像は知ってるけど八九式15Kは44年の連合国軍侵攻時には居なかったぽいからね
>>639 14年式重迫撃弾砲射表送付の件
C01003981600
弾薬調辨の件
C04120596900
1932年以降も射表を改正し、1939年になって計3000発以上の弾薬を陸軍が調達してるところを見ると、
船載火砲として試作された1門以外にも陸軍が持ってたか海軍に返してもらった(佐山さんの本には貸与と書いてある)可能性があるね。
1スレ目で比島決戦前の映像として八九式十五糎加農が映った映像元にリンク張ってたけど
このスレ読むと比島決戦と直前には八九式15K装備の大隊は居なかったようなんだよなぁ
どの部隊に配属されていたんだろうか
たとえ重砲といえど、必ずしも文書に記録されて残ってるとは限らないしね
比島決戦並の規模になると
宝石より貴重な国軍重砲なのにがっちり記録が残っていないのは哀しい
砲の腔発関係。
第1943号 17.4.21 渡集団司令官 秘電報訳
C06030063400
四五式二十四糎榴弾砲が4月19日の戦闘中に、弾を950発くらい撃ったところで腔発事故を起こしたらしい。
ちょうどコレヒドール島攻略戦の途中。
四五式24糎槽弾砲腔発の件 技本
C01004661600
1939年3月17日にも九六式二十四糎榴弾砲の腔発事故を検証しようとしたときに腔発したらしい。
まあこれは再現できたからいいのだろうか…。
十一年式曲射歩兵砲はやたらと腔発が多かったらしい。
人員派遣の件
C04011476300
職工満洲国へ出張の件
C04011499400
この辺は満州事変後の関東軍の話だが、日中戦争でもいろいろと報告されている。
11年式曲射歩兵砲腔発に関する件(歩兵第19連隊、1937年4月5日)
C04012492400
調べたが原因はいまいち不明な事例。
火砲腔発の件(歩兵第234連隊、1940年半ば)
C04122157900
火砲腔発の件(第13師団、1941年1月?)
C04122721400
この2つは通牒だけなので詳細不明。
火砲腔発の件報告(独混第18旅団独立歩兵第96大隊、1940年11月6日)
C07091757400
ねじが出てる方のキャリングハンドルで装填不良の弾薬を突いたらそりゃあ爆発するだろwという事例。
>>641 これを見ると第1次上海事変以降も陸軍も使う気まんまんだなw
1門だけの九六式重迫撃砲と違い十四年式重迫撃砲は数門造られたそうだし
ちなみに終戦時の第3軍に独立重迫撃砲第1中隊が存在しているが
ここに九六式重迫撃砲と一緒に配備されていたのかもね
>>645 いまいち不明というのはなんとなくだが火砲側ではなく
砲弾の方に見えていない不具合がありそうな気がする
どうせ炸薬は茶褐か黄色、たぶん黄色だろう
あれ保存状態次第でスが生じて、発射等の衝撃で自爆するんだよ
海軍でなんどかやらかして保存期限の厳密管理と
期限切れの奴の回収再生(ぶっちゃけ溶かして詰めなおし)が行われてる
そこらの技術情報の共有が無かったとしたら危ないよね
材料は大体どれもだが鬆って怖いね
その他の火砲
改造38式野砲補充の件(野砲兵第4連隊の改造三八式野砲、1937年8月12日
C01003292700
火砲腔発の件報告(通牒)(第33師団の九四式山砲2門、1941年4月?)
C07091887600
兵器交付の件(第27師団山砲兵第27連隊の九四式山砲、1941年6月26日)
C04123291000
火砲腔発に関する件報告(通牒)(第11軍、1941年7月から8月)
C07091980700
1か月ほどの間に5門の火砲が腔発した第11軍の報告。
第4師団野砲兵第4連隊(一三式山砲)、第13師団歩兵第58・65連隊(三一式山砲3門)、独混第18旅団(三一式山砲)のうち、
第4師団以外が腔発状況の報告書を写真と図面入りで送っており興味深い。
第11軍の兵器部は三一式山砲の腔発が頻発して、原因がいまいちわからず困っている。
一三式山砲は中国が四一式山砲をコピー生産した奴かな?
火砲腔発の件報告(支那派遣軍、1942年?)
C07092249400
第11軍の第6師団(九一式十榴)と、第13軍の第15師団(九五式野砲)、第116師団(三一式山砲)の腔発事故通牒。
>>647 報告書でも、使用弾薬は遠征でやたらと移動したときの残りだから、あるいはトラックの振動とかが悪かったのかもしれない、と言ってるね。
上述の第11軍兵器部は原因として
・長距離の悪路輸送の影響
・暑熱の影響
・発射時の装薬ガスの影響
これらによる信管への悪影響を推定している。
>>638 間違いではないんだ
砲兵工廠から、のちに造兵廠に名称変更になるように
時期でかわる
W号戦車F2型は一時的な書類上の名称で実際、長砲身はG型に統合されてるんだが、
F2型という呼称も現在の分類で間違いではない例もあるし
>>638 間違いではないんだ
砲兵工廠から、のちに造兵廠に名称変更になるように
時期でかわる
W号戦車F2型は一時的な書類上の名称で実際、長砲身はG型に統合されてるんだが、
F2型という呼称も現在の分類で間違いではない例もあるし
すまん重複した
まあ、原則的には兵科は廃止ですよと言っても
実質的には各兵種単位で動いてるし
砲兵の皆さんは砲兵科と言っても良い状態だね
>>650 支那軍は一三式、一四式と呼称に「年」が抜けてるのでおそらくそうだろう
中華民国暦が大正元号と一年しかズレを生じないため、混乱を防ぐ意味で数字を
踏襲して、日本軍は準制式化で改造十四年式などとと呼称しているものと
思われる
>>645 >まあこれは再現できたからいいのだろうか…
よくない!よくない!
24cm砲弾で腔発やらかしたら、当然殉職者がでてるだろ…
九六式は防盾ないし。あれは敵の弾片ふせぐのと、もしもの腔発から砲兵を
守るためだからね
射撃の砲口ブラストから砲兵を防護する意味もある
短砲身で大口径だととくにキツイらしい
>>650 三一式山砲の連続腔発はグランドパワー2008年11月号の佐山さんの記事に載ってるね。
他に独歩95でも腔発したらしい。
>>648 その記事によると火薬は初めて黄色を使ったらしいから、問題が出たのかもねえ。
しかしまあ今更だが、1930年代に駐退複座器もない砲とか大変だな…。
砲が無いよりはよほどましだろうが。
>>654 騎兵連隊が一部のぞき捜索連隊に改編されたとか戦車連隊に転属など近代化刷新の意味もあるし、
襟章の兵科色、兵科名称からの防諜目的も当然あるだろう
老河口の史上最後の騎兵部隊の勝利とかあるけど、おれのジイさんも騎兵で
終戦まで旭川市内を馬のって巡回パトロールしてたそうな
>>660 そこら辺はそうだけど
内部では兵科、兵種ごとに動いてるよねって話で
炸薬と言うと平寧薬は実際はどの程度使われたのか?
>>661 古兵や下士官でも軍隊のヌシ曹長殿や准尉殿が新米将校より幅きかす
社会なんで表面的な刷新改革より、従来の慣習のほうがタテマエとは別に
優先した部分は多かったろうね
わざと昔の呼称表現を頻発して、べテランぶりを誇示するとか
部隊の歴史と伝統は強さだし団結を生むとか言ってたしね
まあ、事実ではあるんだろうが
ごめん、准尉は下士官でなく准士官という士官と下士官の間の独自のクラスね
支那事変くらいでは特務曹長の呼称
さらに訂正
准尉は1932年制定だそう
グランドパワーの2008年9月号は買いだね
九五式野砲、九一式十榴、機動九一式、さらには「日本のに大砲」にない
レアな七糎七、改造十四年式十榴のそれまで未公開の写真、図面が載ってる
それまで木下式十榴とよばれていた試製砲も前号で未公開写真がある
野砲もシュナイダー製とは別の7.5cm試製砲が10月号で載ってる
668 :
667:2012/02/08(水) 08:15:09.96 ID:???
2008 8月号の間違いだった
試製速射野砲なんて四一式山砲のパイプ製砲架に三八野砲の砲身、揺架載せた
みたいなやつの写真もある
グランドパワーは今こそ過去の国軍火砲、砲兵連載、各種記事の纏め本を出すんだ!!
このスレの住民が買った挙げ句布教するぞ!!
670 :
667:2012/02/08(水) 08:25:21.61 ID:???
GP連載の歩兵砲と速射砲関連は立ち読みの範囲ではNF文庫にまんま再録してる
みたい
たしか記述がほとんど同じだったと記憶するもん
オリジナルのシュナイダー野砲が螺栓式の尾栓だったとか、開脚式の試製丙号野砲、
試製速射野砲とかみんな知りたいだろうな
グランドパワーのおもしろいところは三十年前の戦車マガジンの記事を
ポンと再録したりすること
2008/9だと、猪股 登さんの旧軍カタパルト式架橋戦車の記事
たしか、この人戦時中技官で伝説の大著「戦車」(山海堂)の著者のはず
大昔の文林堂「T34とスターリン戦車写真集」でこの古本を欲しがる
海外の研究者の話がでてくる
「知られざる日本の兵器」もグランドパワーですべての記事を合本化したわけ
でないんで、旧軍火砲の研究史として昔の戦車マガジンとPANZERを古本
で捜す意味もじゅうぶんあるかと
記述内容の精度とは別に当時の研究水準、解明度合いなんか伺われるし
673 :
名無し三等兵:2012/02/08(水) 14:06:10.94 ID:OMJFhaFW
出版共同社「陸戦兵器総覧」なんか資料的価値はどうなんでしょうか
>>673 古本屋で立ち読みしたことはあるな…
だって、高いでしょ?「日本の大砲」、原さんの「日本の戦車」は
持ってるけど
コレクターアイテムとしての価値と研究史としての価値はあるだろうね
むかしのライターは「砲兵沿革史」と併せ、ネタ本にしたくらいだし
最新の研究成果が何よりほしくて妙なバイアスかかりたくないなら、
グランドパワー佐山連載とNF文庫を若い人に勧めるけど
古本はあくまで、おっさんとジイさんの趣味で
「大砲入門」も最新の佐山さんの研究にくらべると、情報の精度は
怪しくなってきてるし
九一式十糎榴弾砲の原型シュナイダー試製砲もずっと長砲身でマズルブレーキ
がついていたりする
日本陸軍要求の最大射程11000mと放列重量1550kg、接続砲車重量2000kg
におさめるため、あえて砲身を切り詰めたらしい
オリジナル砲からの砲身短縮うんぬんはGP佐山記事にも触れていない
あと、弾薬を薬莢式にシュナイダー社に変更させた件も。こちらの経緯は「大砲
入門」のほうに詳しい
>>593 クルップから買ったんだけど、日本に届いてないんだよ
寅壱、もとい職人服でなくティーガーTと一緒で
予算にある程度余裕があったらティーガー1と違い大東亜戦争開戦前に運び込めただろうけどね
海路でね
シベリア鉄道ではさすがに軍需品や兵器輸送は無理
中立とはいえ、仮想敵国筆頭の露助にバレバレだもん
679 :
暫編第一軍:2012/02/08(水) 16:32:28.49 ID:???
>>673 「陸戦兵器の全貌」の完全版ですね。1977年の出版ですが内容自体はもっと昔のものを集めて編集しています。
出版時点で執筆者のうちかなりの人数が故人となっていたとか。
複数の関係者の執筆なので、各パートごとに情報の深度にかなりの違いがあるように感じます。
砲弾や爆弾については今でも充分参考になる貴重なデータを多く含んでいますが、火砲や戦車自体については図鑑レベルの紹介にとどまっています。
安ければ「買い」ですが、マケプレ価格を見ると図書館で閲覧で充分と思ってしまいます。
ドイツ兵器売り込み営業には件の名目メイド娘が活躍したと思われ
ピロートークで「ねェ、大佐ぁ、あたしすごい大砲をエッセンでみたんだけどぉ…」
とか
鴎外の舞姫劣化版でw
そんなもんそんなとこで目撃してる時点でただのメイドじゃないなw
682 :
名無し三等兵:2012/02/08(水) 18:45:39.85 ID:FEsjAR+b
>>675 九一式10Hのオリジナル砲の詳細って知りたいなあ
試製砲なんで、フランスの文献とサイト検索するしかないんでない?
おそらく、いちばん近い砲はベトナムに現存してるやつ。さらに長砲身
みたいだけど、mle1936という説明はまず疑わしい
九一式とほぼおなじMle1934はリトアニアに輸出されてるそうだけど
>>679 やたら高価な古本を買う行為は、カネと気持ちに余裕のある好事家の趣味だと思うんですよ
間違っても、食費を切り詰めて買うもんでなく
幾多の研究者の探索知識の累積された新刊のほうが大概は出来がいいし
古本趣味は記述の誤りや甘さをあえて愉しむみたいな感じで
ティーガーTて潜水艦で運んできたんじゃないの小林源文の漫画に描いてあったぞ
あれは創作なんで
崩壊したビルマ戦線に一輌でも投入できたなら、愉快だったろうけど
ティーガーに搭乗した日本陸軍将校の写真あるけど、得意満面なのな
あの写真滅茶嬉しそうだよなw
>>627 昭和19年7月編成なんで忘れてた
独立山砲兵第22大隊[新島,独立混成第66旅団隷下] 九四式山砲(4),九九式十糎山砲(4),九一式十糎榴弾砲(4)
独立山砲兵第23大隊[八丈島,独立混成第67旅団隷下] 九四式山砲(4),九九式十糎山砲(4),九一式十糎榴弾砲(4)
ついでに、本土決戦野砲部隊@戦史叢書
独立野砲兵連隊
昭和20年2月編成
3〜7 3大隊9中隊 野砲(24),十糎(12)
※3,4,5,7は200番代師団の野砲兵連隊(201,216,205,214)に改編
昭和20年5月編成
8〜10 3大隊9中隊 野砲(24),十糎(12)
独立野砲兵大隊
昭和19年7月編成
12[八丈島,独立混成第67旅団隷下] 3中隊 九〇式野砲(12)
昭和20年1月編成
26[種子島] 3中隊 三八式野砲(12)
昭和20年2月編成
28 3中隊 野砲(12)
昭和20年5月編成
31 3中隊 十糎(12)
32 3中隊 機動野砲(12)
33 3中隊 機動野砲(12)
34 3中隊 機動十糎(12)
童心にかえったって感じだよね
あの写真は大日本絵画の新刊でみれる
昔から将校制帽被った陸軍将校の別ショットは知られているけどね
>>688 ほほう、伊豆諸島に九九式山砲が配備されてたわけですか
釣りのついでに山の探索で埋もれたやつが発見できるかもしれないな
>>688 九九式十糎山砲は伊豆諸島にも送られていたのか
野砲兵部隊はちゃんと砲種が示されているのはともかく
野砲って書かれている物の中身が気になる
十榴は九一式として
試製野砲か七糎七野砲、それとも三十一年式速射野砲とかマニアックな
セレクトだったりしたりして…
そんなんだったら十榴が実は九一式ではなく改造十四年式
みたいな事にもなりかねんw
可能性がないわけでもないけどね
改造十四年式と七糎七野砲の配備先は判明しないの?
上の方とか前スレ読むと改造十四年式は基本的に関東軍
七糎七は口径の問題から満州国軍に回されたようだ
>>695 いまいちわからんねえ。
七糎七野砲については
>>112にあるように、
少なくとも1937年10月時点では関東軍以外の部隊に配備する予定はなかったようだけど。
兵器業務用図書送付の件(2)
C04122211400
南支那方面軍と第22軍あての図書送付だが、七糎七野砲と十四年式十糎榴弾砲については取扱法を送らず弾薬図面だけ送ってるんで、
配備砲ではなく捕獲砲対策かな。
陸軍秘密書類配布方の件
これを見るに少なくとも1941年の時点で関東軍は使う気は全然あったのだろう。
おまけ
兵器特別支給の件
C01007207900
なんとまあ多種多様な砲が存在することか!
>>696 >>697 ありがとう、アジ暦でも判明しない部分があるとすると
やはり謎が多い砲なんだな
七糎七野砲は口径77.7mmというのも不思議
シュコダ76.5mm、ドイツの75mm、77mmともちがうんだからね
700 :
名無し三等兵:2012/02/08(水) 23:46:17.15 ID:WICMccdW
確かに77.7mmとかこれ以外で見掛けんなぁ
701 :
名無し三等兵:2012/02/09(木) 01:05:43.76 ID:koNdzfmo
口径って、砲身の径じゃなく砲身長表すんじゃないの?
43口径7.5p砲は、7.5×43pの砲長とか
どちらの意味もあり
砲身の径を示す時もあれば砲身の径に対する
砲身長の長さを示す時もあり
>>698 ごめんレファレンスコード忘れてた
陸軍秘密書類配布方の件
C01003682700
十四年式重迫撃砲って何門作られたのですか?
>>701 砲身長は口径比といったほうがわかりやすいよ
>>704 本砲は射程の不足と、操用上の難点があり、1門しか生産しなかった。
と「迫撃砲 噴進砲 他」とあるね。制定兵器なのに。
九六式重迫撃砲も生産1門のみ
>>696 >>697 七糎七野砲はノモンハンの鹵獲写真で破壊されたのと、遠景なんで無傷そうなの
二門が確認できる
ノモンハン参加の日本軍編成装備では書面確認できないんで、この二門は
おそらく満州国軍の装備であろうという推定なんだけどね
708 :
名無し三等兵:2012/02/09(木) 08:47:24.25 ID:t/AqNKoC
七糎七はともかく改造十四年式十糎榴弾砲は内地に居てもおかしくない気はするが
どうなんだろうね?
709 :
706:2012/02/09(木) 08:58:36.39 ID:???
>>704 十四年式重迫撃砲続き
満州事変にあたり、海軍の上海陸戦隊に貸与したが、後に船載迫撃砲として
専用の船載砲床を整備した。
>>708 準制式するぐらいだから、サンプルで最低一門は内地に持ち込んでるよね
性能試験も内地の射撃場でしょうよ
ただ、改修は南満州造兵廠で実施と思われるし、補修部品なんかも専用で造った可能性
がたかいんで、メンテナンスの点で関東軍におおかた配備されたんではないかな
奉天兵工廠接収時に約50門の完成数で、昭和十七年十月末の調査で製造60門
だから、工廠接収後の新規生産ぶんが60門なのだろうな
>>706 帝国陸軍における制式制定ってそこまで深い意味ないもんね…
>>697を見るに支那戦線では定期的に七糎七野砲と十四年式十糎榴弾砲に当たる火砲の鹵獲はあったんだろうね
素の十四年式十糎相当の火砲だと九一式の弾が流用出来ないから
七糎七野砲同様鹵獲弾薬か南満州工廠からの補充頼りか
なんだかんだで南満州工廠でも七糎七と十四年式十糎の弾薬は細々と作り続けてたのかな?
とりあえずシベリア出兵の鹵穫砲というwikiは怪しすぎる件
シベリアに1922年に撤兵してるので、時期的にシュコダ原型砲を鹵穫しててもおかしくはないが
名称が奉天軍がすでに一四式と呼んでいたことと、
準制式の日時からみて満州事変の接収砲とする「日本の大砲」とGPの佐山記述が妥当と思われる
以前の書き込み訂正
西暦1912年=明治45年=大正元年=中華民国暦元年だね
大正15年までは支那製兵器の制定年と奇しくも一致する
>>706 >>641を見ると数門は作ってそうな感じだけどなあ。
1門のために弾薬3000発分以上も作らないと思うし。
>>710 前スレで書いたが、
押収兵器還送方の件
C04012435300
によれば押収十糎榴弾砲を伊良湖試験場へ送れという通達が出てるほか、
押収10糎榴弾砲還送の件
C01003404700
これによれば関東軍が保管している押収十糎榴弾砲9門を、
改造するため大阪の兵器支廠へ送れという通達が出たらしい。
wikiのシベリア云々や改造砲の弾種限定云々はどこに書いてあったんだろうなあ。
正しい記述も少なくないし、こんなマイナー火砲、どこかの記述を参考にしないと書けないと思うんだが。
改造砲の弾種については前スレであげた、
C01004544800
改造14年式10糎榴弾砲弾薬假制式制定の件
これを見るに強度云々はともかく一号装薬を使わず二号装薬のみを使ったというのは正しいが、
弾種の限定とかまではしていないはずだし。
実はネットで見れない史料を見たのだろうか…。
>>713 >>715 Wikipediaの記述は多分昔の雑誌か古本屋ででも見付けた資料、史料が元ネタなんじゅないかなあ?
スレ内での検証でアジ歴から出てきたような話も一部書いてた辺り
前スレでも書かれていたように端から吹かしって訳でも無さそうだし
Wikipediaのあのページの制作者に元ネタ書いて欲しいわ
十四年式十糎榴弾砲のページって参考書籍、資料を載せてないんだよね
>>715 すまぬ。見落としてたわw
書き込みのレファレンスコードで検索するんだが、肉筆資料が多くて読みにくい
ね。あなたを感心するよ
>>564 試製二十一糎榴弾砲なら、GP 2009/10号に載ってる。五式中戦車が特集でも
あるんでこの号はバックナンバー売り切れでなかったかな?
九六式十五糎加農の揺架以下を利用して、同砲と後坐抗力をほぼ同一とする
よう計画した
試製砲が一門、昭和十八年二月三日に伊良湖射場へ到着
九六式十五加を利用した研究と並行して、本来の目標である2車分解式式装輪
砲架の火砲についても昭和十六年四月に設計を開始した
これは開脚式装輪砲架を採用し、砲身車および砲架車に分解運搬するもので、
イタリアのアンサルド式に倣った。砲身は前記の試製火砲に比較し、やや
威力を減少させたものであった
昭和二十一年三月に竣工を予定していたが、昭和十八年七月十八日、不急
のものとして研究項目から削除、開発中止となった
・・・端折って書いたので、原本を参照してほしい
>>564 十糎要地高射砲って十四年式の後に一度試作されたらしい
十糎高射砲とはまた別なんだろか?
>>718 佐山さんの本に載ってる試製十糎高射砲は1935年に開発打ち切りになってるから、
1942年に作り直すことは無いんじゃないかなあ。
>>715 奉天兵工廠接収時に約50門完成してて、張作琳軍(奉天軍)にも当然配備
されてただろうから、大阪に送られた9門が鹵獲砲でかろうじて改修に堪える
程度だったのだろうか?
改修されたぶんとは別に最初から九一式の砲弾使える新造砲が製造60門なのか、
謎が多いね
GPの記述が七糎七野砲とおなじく、「日本の大砲」とほとんどかわらんのよ
昭和十七年十月末に60門の文句が追加だけで
野砲は製造門数の追加すらないし
なら試製十糎高射砲とは別枠なんですね
三式登場で意味なしになったのかな?
あれ七糎七野砲って一応製造数の公称値出てるの?
>>722 それがねぇ、いまだ公称値すらないんですよぉ
十榴と砲架が共通で口径がアレなもんで工廠接収後に新規生産はしなかったかも
改造十四年式は自緊砲身でないローテクで生産できるメリットと、九一式の代用砲としての
意義があったと思うけど
>>723 あぁ、
>>720を読み違えた「日本の大砲」にも七糎七野砲の製造数はなく
グランドパワーでも追加無しって事ですね
確かに改造十四年式十糎榴弾砲は奉天の南満州工廠で九一式十糎榴弾砲を製造出来ないか難しいから
替わりに製造って意味は見出だせるけど七糎七野砲はわざわざ新規生産する意欲も沸かなさそうだからね
奉天兵工廠/南満造兵廠について学術論文がいくつかあるみたいだね
サイト覗くと十榴だけでなく十加も造ったとか記述がある
十四年式十加あたりか?
造兵廠がらみは責任者が賄賂で逮捕とか、とことん黒い世界だよねぇ
「日本の大砲」共著者の竹内昭さんって存命なのか?
最近著作をみないし、同姓同名のアニメーターばかり検索でヒットするんだが
727 :
暫編第一軍:2012/02/09(木) 20:52:26.35 ID:???
>>699 遼造一四式七七野砲だとしたらBohler M1918 7.7cm 30倍径野砲を国産化したものとのことです。
東北軍系独立砲兵第8旅の装備だったとか。
1931年5月1日現在、東北軍独立砲兵第8旅は砲兵第17〜20団の4個団を隷下に置いていました。
しかし満州事変の時期には実際には分割使用されていたようで、遼寧省に独立砲兵第8旅が重砲24門、
吉林省に砲兵第19団が野砲36門、黒龍江省には砲兵第20団が野砲36門をもって配備されています。
この野砲のどちらか又は両方が77mm野砲なのでしょう。
消去法で行くと所在不明の砲兵第17団か第18団のどちらかが重砲装備で独立砲兵第8旅に
直轄していたことになりますね。
以上は
「抗戦時期 陸軍武器装備 野戦砲兵編」
「張学良与東北軍」
に拠ります。但し旅長の名前が双方で異なっているなど信頼性は若干留保付きかなと。
第一総軍さん?
>>725 その場合だと十四年式十加の製造数が上乗せされるね
夢の総数100門越えがあるのか?w
>>727 77.7mmってベーラー社の口径なの?
検索方法が悪いのかオリジナル砲が出てこない
オリジナル砲は私もわかりません。簡単なデータは載っていますが。
口径:77.68公厘 砲身長:2320公厘 砲閂形式:水平滑楔式
制退復進形式:液体弾簧式 砲架式樣雙輪単脚式
高低射界:-8°〜+45° 方向射界:7° 弾重:新榴弾8公斤
初速:新榴弾528.5公尺/秒 最大射程:新榴弾11000公尺
放列重量:1350公斤 放列全長:4640公厘
行列全重:2300公斤 運動方式:六馬輓曳
とのことです。
>>727 wikiに載ってるM18は口径83.5mmで33口径で射程が12078mだね
重さも1400kg以上とかなり七糎七とスペックが異なるが、防盾はほとんど同じ、
シュコダのM17と共通部品が多いみたいだ。スペックはこちらが近い30口径で重さも
wikiではM17よりM18が進歩的設計とは書いてあるな
どうやら、オーストリアが戦後チェコスロバキアと分離した際にシュコダと
ボーラーで元設計から枝分かれしたものらしい
>>729 >>730 8cm FK 17と8cm FK 18で検索ででてくるよ
支那仕様は両砲の折衷モデルっぽい
クルップ原型の野砲も三八式とイタリア、トルコやら仕様地ごとでこまごまちがうからね
FK18はボーラー社でFK17の76.5mm口径を83.5mmにひろげて砲身長を伸ばしたタイプ
でないのか?
それ以外の目だった差異は判別できないが
>>706 >>709 >>571>>641とか書籍、雑誌等他を見ても船載床が準備されてる辺り
最低1門は海軍に移管されてずっと維持されてるようだが
>>641を見る限りどうも陸軍も第1次上海事変以降も保持してるっぽいんだよね
Wikipediaだけでなく他の書籍、雑誌なんたでも十四年式重迫撃砲は少数生産されたとか数門って書いてるのもあるし
最低2門はある気がするんだよね
それで少数生産されたとか数門みたいな記述をしてるサイト、書籍雑誌の元ネタはあるのかなと
>>641を見ると1門ってのも不自然な気がするし
佐山さんの記述もすべて事実どおりではないだろうね
ただ、それならこっちも証拠を掴まなければならんってのがある
改造十四年式十榴のシベリア出兵うんぬんも胡散臭いなぁ、とは思っても、
論破する決定打も今のところないわけで
このスレで外堀うめてって、wikiの胡散臭さは際立てたけどさ
十四年式十糎榴弾砲のWikipediaのページの厄介さは
特に出典も示していないのにアジ歴漁って出てきたような話もさらって書いてる事だろう
多分下敷きになってるそれなりに調べている資料はあるんだろうね
砲の形式間違いで印象を著しくわるくした部分はある
シベリア出兵鹵獲というのも事実かもしれないし
ここまで来るともうWikipediaのあのページを制作した当人に直接資料に関する質問をしたい所w
だったらwikiで要出典を付け加えておけばいい。
>>734 「船載」て名称である以上陸軍の船舶だと思うよ
船に積む砲で海軍が陸砲を必要とする要素は基本的に無いわけで
>>740 あああれは船舶工兵用か
ただどちらにせよ上のアジ歴見る限り32年以降に海軍からさっさと返還されたか
実質返還されたも同然の長期貸与された
違うなら2門は作られて1門は陸軍の手元にあったって事か
二十年まえなら火砲関連のライターが何人もいたんだけどね
いまは佐山さんと国本さんぐらいだからね
ベーラー製8cmFK18の情報もとむ
オーストリア・ハンガリー帝国内でシュコダとの関連がドイツのクルップとラインメタルのようであったのか?など
クルップ製の砲架にラインメタル製砲身の組み合わせがドイツでやたら多いんで
十四年式重迫撃砲はアジ歴の砲弾調達とか色々見ると2門以上あった可能性はあるが
真相は謎なんだろうか?
でも、本来は迫撃砲は精密射撃おかまいなくバカスカぶっぱなすもんだろ?
と書いてみる
日本軍だから、そのへんの認識が危うくなってくるんだよねぇ
749 :
743:2012/02/10(金) 18:54:18.16 ID:???
本邦でドイツ砲だと広田さん、稲田さんなんだけど
750 :
743:2012/02/10(金) 18:57:25.60 ID:???
国本さんも日本軍とドイツ砲のワープロ本だしてる
畏れ多くてグランデで立ち読みするだけの俺…
wikiって、好奇心と探求心のあるひとがどんどん記述を訂正していって、
情報の精度を縷々高めていく…な感じが本来の意図なんだけど
グータラでただ参照と引用するだけのやつばかりで、内容を検証することをスルー
してしまうと誤った知識が流布拡散するだけなんだよな
いったん、そうなってしまうと正しい知識で塗り替えるのに多大の労力を
要すると
考えさせられるな
>>751 そういうのに限って出所不明のおかしな情報でせっせと記事を塗り替えるのが大好きだったりする
FK17は砲架の耳部分に穴が開いてる、七糎七野砲とFK18にはないようだ
七糎七野砲、改造十四年式十榴の砲架の横についてるパイプはFK18にはある、
FK17にはない
駐鋤版など多くのパーツはシュコダFK17とベーラーFK18で共通
制転機ハンドルがFK18と七糎七と改造十四年式はむかって右、FK17は逆
結論として、FK18の砲架にFK17の砲身つけた姿が支那製十四式らしい
口径77.7mmに変更でね
>>748 十四年式重迫撃砲と九六式重迫撃砲は特殊重砲だぞw
ム弾もその範疇に入れていいのかね?
砲身ないけど
大威力奇襲兵器って奴だね
ただ運用の手間がかなり違う気がする
十四年式重迫撃砲はあのクラスとしてはかなりマシな気もするけど
試製四式重迫撃砲こそ浪漫
あの変態システムっぷりよ……
浪漫というより、「博士の異常な愛情」のストレンジ・ラブを彷彿させるね
あんなもん終戦辺りまで引っ張って弄くり回す所に
世間でよく言われるのと別の意味合いで国軍の狂気を感じる
簡便性が売りの兵器をなぜここまでやるのか
大口径通常火砲で、もっとましな自走砲造れといいたい
1944年〜1945年のフィリピン決戦時に八九式十五糎加農はあったのか?
あったとして第14方面軍か隷下の軍直轄だろうが独立重砲兵大隊に見当たらない以上
もし配備されていたなら特設部隊なり書類から漏れた独立重砲兵中隊なりがあったのか?
765 :
名無し三等兵:2012/02/11(土) 00:39:25.72 ID:EK0FtDhL
ドイツも大好きだよね
変態兵器に関しては英軍は言わずもがなだし、米軍もフライングパンケーキとか変なモノ作ってるぞ
日本陸軍も第2次上海事変や南京への追撃戦では効果的な移動弾幕射撃とか
攻勢時に上手く砲兵を使ったみたいだけど
他に日本陸軍が攻勢作戦で効果的に砲兵を使用した戦例ってありますか?
>>751-752 あんま上から目線でwikipeの悪口ばっかあげつらうのもどうかと思うがねぇ
770 :
名無し三等兵:2012/02/11(土) 03:55:21.80 ID:SUvlTVAS
まあ、調べる取っ掛かりとか興味を持つきっかけになるしね
もしかして九二式十加の弾薬車って1門1両ではない…?
編成定数だと、牽引車の数が砲門数より多いんでなかったかな?
出掛けに九六式十五榴の運行略図みたら、牽引車プラス砲プラス弾薬車一台、牽引車プラス弾薬車二台の二通り載ってる
家に帰ったら、九二式十加携帯のGPを確認してみるよ
773 :
名無し三等兵:2012/02/11(土) 11:50:32.26 ID:/BEDuHpX
話をぶった切るけど
亀が首射爆場の地中に旧海軍の砲身や弾薬は埋まってないの?
今なら地中レーダーとか超音波で捜索できないか
毒ガス弾みたいに遺棄されたヤバいモノなら日本近海とかにあるけどな。
とうとう旧ソ連製の高射砲のコピー生産まで始めたイラン・・
高射砲が21世紀の現代に使われる日がこようとは
高射砲って、対戦車用にも使えるじゃん!
米軍シャーマンが上陸して来た所を(ヲイ
無人機とかには効くのだろうか
KS-19だと……せめてKS-30とかのが良くないか?
>>768 やっぱり支那戦線と南方作戦か
第2次バターンもそういや砲撃で吹っ飛ばしつつ進出してたか
>>778 >KS-19だと……せめてKS-30とかのが良くないか?
いや…どちらで…
あえていおう、KSであると
まあ、どうあがいてもイランがアメリカにハイテクで勝てない以上
ローテクで対抗するしか無いのは事実だしなぁ
>>780 イランが現在生産してるのってKS-19のフルコピーじゃないの?
どちらでも似たようクソであると言いたいのかもね
…い、いやだからさ…ガンダムでたとえt
共産圏が連邦側とな
ボールを見ると確かにw
「圧倒的じゃないか、我が軍はwwwww」
多分これは、間違ってない。
>>767-768 >>779 攻勢とは言い難いけど盤作戦時のイラワジでは
夜襲時の支援で上手く野戦重砲の砲撃がはまれば英印軍を痛撃出来たらしいね
サイパン、沖縄でもそうだがやはり野戦重砲、重砲の効果的運用こそ
陸戦で効率良く敵将兵を抹殺する最良の手段か
790 :
名無し三等兵:2012/02/12(日) 00:27:18.29 ID:UOA3GROo
ビルマってそりなりに野戦重砲が投入されてるし
活躍してる時は中々良い感じ
中支、南支こそ日本の野戦重砲のメッカ
792 :
43:2012/02/12(日) 03:25:05.06 ID:???
>>772 弾薬車は牽引車で2台牽けるのか
各砲に砲車用と弾薬車用で牽引車2両いると思ってたわ(´・ω・`)
確かに牽引車少ないなあとは思ってたが…。
というわけで、野重七第二中隊のガダルカナルの戦いについて書いていきます。
参考にしたのはいつも通り聯隊歴史と、当時の先任小隊長だった村野氏の回想です。
聯隊史にはラバウルの回想は沢山ありますが、ガダルカナルの回想は村野氏のものだけ、そして回想集の紹介文には「貧乏くじを引いた第二中隊」とか書いてある。
まずは南方派遣から上陸まで。
1942年9月18日 安東作戦甲第二七号により、第二中隊を南方へ派遣
第二中隊:中隊長は谷晃夫中佐、九二式十加4門装備、牽引車は両数不明だが九二式5トン牽引車を装備していた。
またトラックが通常編制より3両増加配備されていた。
中隊員は計154名、軍医・主計はおらず衛生兵1名
9月19日 斐徳出発
21日 鮮満国境通過、第17軍の隷下に入る。
24日 釜山到着、三池丸に乗船、以降単独航行でラバウルへ向かう。
10月2日 無事にラバウル入港、中隊長を含め風土病が出始める。ここでガダルカナル島派遣を将校に通知。
10日 軍司令部から出動準備の命令を受ける。
先任小隊長が中隊長代理で参謀室へ出頭したが、「お前らが飛行場砲撃すれば戦闘は終わりだから食料は一週間分でいい」と気楽な感じで言われる。
しかしノモンハンの経験的にどう考えても不安だったため、自部隊のトラックに積めると主張して20日分を確保した。
また現地の地図も無く(オーストラリアの地図はいっぱいあったらしい)、海軍司令部に行って海図をもらう。
12日 佐渡丸に乗船しラバウル出航、中隊長の熱もおさまる。なおこの際8名をラバウルに残置。
14日夜 空襲を受けたが損害なくガダルカナル島のタサファロング泊地に到着、すぐに揚陸作業を開始する。
九八式装甲運搬車ってその名の通り自車の荷台に載せての運搬がどちらかと言うと主だったようですが
牽引はどれ位いけたんでしょうか?機動九〇式野砲や機動九一式十糎榴弾砲は牽けたんでしょうか?
後、機動九〇式野砲だけでなく機動九一式十糎榴弾砲も
主力牽引車は九八式四屯牽引車なんでしょうか?
>>792 乙
ノモンハンの経験がある将兵にしてみりゃ
初っぱなから不安極まり展開ですね
九八式装甲運搬車なら1式速射砲運んでるでしょ?
まあ先輩イギリスのユニバーサルキャリアー(20hp↑
では6ポンド砲運んでるし、その辺りが限界かと思う
(91式機動砲、と同じくらいの20ポンド砲は無理)
だから6ポンド砲と同等の95式を牽引させてだな
九五式野砲って別に車輌でも牽引は出来るだろうけど
かなり速力落とさないと駄目なんじゃないか?
796 :
名無し三等兵:2012/02/12(日) 11:56:23.85 ID:pUt5UIxA
国軍って牽引車輌何輌位保有してたの?
おれは持ってないんだが、
佐山さんの「機甲入門」あたりに牽引車の生産数書いてるんじゃね?
九六式二十四糎榴弾砲の腔発って結局解決せずじまいなん?
799 :
暫編第一軍:2012/02/12(日) 16:07:03.00 ID:???
一四式77mm野砲のノモンハンでの満洲国軍への装備について推測されている方が居られたので、手元資料からざっと調べて見ました。
まずは満洲国軍の野砲についての情報。
1.日付は特定されていないが、建軍当初野砲は一四式、それも靖安軍砲兵に1大隊3中隊と禁衛隊に儀杖用1中隊4門があった。弾薬は押収品を主とし、一部は日本軍から交付。
2.大同元年(1932年 昭和7年)11月現在、満洲国軍に装備された野砲は
奉天省警備軍 奉天省警備司令部 型式不明2
吉林省警備軍 吉林警備砲兵団 一四式8
黒龍江省警備軍 砲兵営 一四式21
?(さんずいに兆)遼省警備軍 野砲隊 一四式2
興安省警備軍 騎兵第一団 型式不明2
合計35門
3.大同二年(1933年 昭和8年)8月現在の野砲装備。
奉天軍5、吉林軍6、黒龍江軍28、熱河軍20、直属部隊11の計70門。
その他約1/2を予備兵器として奉天軍械本廠と吉林支廠に保管。
野砲は3種類ある。
4.昭和11年(1936年康徳3年)12月末現在、満洲国陸軍主要兵器中、野砲は三八式を制式兵器とし、
第四軍管区に2門の不制式(旧式)野砲があることが判明しており、
他に表からは※やや不明確ながら第五軍管区に16門、禁衛隊に4門の不制式野砲があった可能性がある。
この時点での野砲定数は40門、実際に装備されているのは32門、その他に各部隊保管兵器の約1/2と予備兵器が奉天軍械本廠や吉林、チチハル支廠に保管中。
グラフ上は制式兵器扱い、数字では不制式扱いになっている。
5.同じく海軍江防艦隊の77mm野砲装備。
司令部2、艦艇:利綏1(但し括弧書きで一文字書いてあるが文字が潰れて読み取れず)、補充隊4。
6.昭和12年(1937年康徳4年)現在、重火器その他は2/3が日本式に交換済み。
800 :
暫編第一軍:2012/02/12(日) 16:10:50.86 ID:???
ノモンハン参戦の満洲国軍部隊について。
ノモンハンの各戦史を見ているとよく思うのですが、参戦していた満洲国軍に関する部分が断片的で掴み難いことです。
今回も各種資料を参照しましたが私自身の資料の照合作業の不足もあり不充分なものとなっていることは認めねばなりません。
A.興安北省警備軍又は第十軍管区部隊
資料により両方の名称が出てきます。
但しある資料に拠れば第十軍管区は1940年春頃?興安東、北警備軍を改編したものの筈で、
ノモンハン戦当時は興安北省警備軍の呼称が正しいと思われます。
ノモンハン以前昭和11年の資料ですが、興安北省警備軍は興安騎兵第七、
第八団と興安山砲兵第一営を基幹としています。野砲が装備されていた可能性はこの時点では殆ど無いでしょう。
実際、第一次事件中に山砲が活躍した記録があります。
ノモンハン時には他に興安騎兵第一、第二団も参戦、興安師砲兵団からも1個連の増援を得ていますがこれも山砲だった筈です。
B.興安支隊
興安支隊は編成完了したばかりの興安師を中心に編成されました。
基幹部隊は(判明したもののみとされていますが)、興安騎兵第四、第五、第六、第十二団、
興安学校教導団、興安迫撃砲団、興安砲兵団、独立騎兵連、蒙古少年隊、山砲隊(連規模、2個?)、装甲車隊、その他。
中国側資料によれば砲兵団は山砲装備。迫撃砲団は当然迫撃砲装備として、両団とも各16門装備。
野砲の装備は確認できませんが、判明していない部隊の中に野砲装備部隊があったのか、或いは教導団が少数を持っていた可能性が残るのみです。
801 :
暫編第一軍:2012/02/12(日) 16:11:09.11 ID:???
C.石蘭支隊
興安支隊苦戦の為、第三軍管区で編成された派遣部隊。
第三教導隊を主力に編成したとの記述もある一方、独立混成第一旅(又は独立第一旅)基幹であるともされます。
部隊は教導歩兵第三団、教導騎兵第三団、砲兵団を基幹とします。
欠員は歩兵第十四団と騎兵第二十団から補充され充足していました。
砲兵団についてはその戦力(2個連)や指揮官の階級から実際には砲兵営だったのではないかと思わなくもありません。
四一式山砲8、予備としてクルップ式山砲4を装備していました。
異説となるか日本側資料の不足を補完してくれるものかは判断が分かれますが、
主力となった独立第一旅は第三軍管区の第三教導隊であったものが1938年に独立第一旅となり、
それまで混成第十三旅だったものが第三教導隊となったとされます。
独立第一旅は旧第三教導隊であった時期、砲兵営(野砲山砲各1個連)をもっていたので
、これがそのまま戦場に出たとすれば77mm野砲を戦場に持ち出している可能性もあるかもしれません。
D.鈴木支隊
第一教導隊をもって編成。教導歩兵第一団、教導騎兵第一団、砲兵連が基幹。砲兵連の装備は不明ですが、
この部隊は空襲を受けたり砲兵連で集団離脱があったものの本格的に地上戦に巻き込まれておらず、
集団離脱も兵器を放棄して行われているので、仮に野砲を装備していたとしてもソ連軍に鹵獲される可能性は無い筈です。
以上、長々と書いてきて結局正確なことはわからないという冴えないことになりましたが、上記から多少は可能性のありそうな部隊が見えてくるかも知れません。
>>800 騎兵部隊だからこそ、おれは野砲(騎砲)を装備してたんでないか?と思うんですが…
四一式騎砲は日本軍でもレア砲だし
41式騎砲はどうにもならないアレな砲だったからなあ
同じ41式でも山砲は素敵な成功作だったのに・・・
てか騎兵に普通の野砲や山砲を使わせるのは駄目だったのかね?
>>799 乙
まあ
>>64の生産計画でも一四式77mm野砲は順次生産をやめる感じだから、
満州国軍でも徐々に予備扱いになっていったのか。
正規編制じゃなくても補充兵器として入った可能性もあるからなあ。
十四年式十糎榴弾砲は満州国ではどんな感じだったんだろう?
アジ歴を漁って見つけた史料
14年式7糎7野砲及同弾薬下付の件
C01002143200
1936年9月19日付の、試験用に砲と弾薬を送付しろと言う通達。
押収兵器還送方の件
C04012316000
七糎七野砲一式50門を広島の兵器支廠へ送れという関東軍向け通知
50門も送ってどうするんだろう?
試験射撃用弾薬特別支給の件
C01003443900
陣地用の九六式砲塔ができたから、試験のため一四年十榴28門分の弾薬を送ってくれと言う関東軍発の通知。
十榴を陣地に据え付けたのか、砲塔の耐弾試験用かどっちだろう?
防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>支那>支那事変>全般>支那事変押収火砲に就て 昭和14年8月
このスレ向けの史料階層を見つけた!
既出だったらごめん。
日中戦争で捕獲した各種火砲の概要のほか、捕獲数一覧と写真もついてる。
写真は普通に取ったやつと明るさをあげたやつがついてて親切。
英国製四吋半榴弾砲みたいに、概要にも捕獲数一覧にもないのに写真だけある火砲もある。
「ボツホース」はボフォースで、ドイツ系でごっちゃになったりしてるらしい。
独乙式四十四粍歩兵砲はベーラー47mmっぽいがなぜ口径が違うんだろう。
2砲身式火砲は取り換え式と双連式が両方あって面白い。
押収兵器其他改修等に関する件
C04120830700
1938年9月19日付の火器改修に関する通達だが、
表中の○印は至急整備して今次の作戦に使うらしい。今次の作戦って何だろう?
ちゃっかり14年式重迫撃砲が船載砲床付きで至急整備するように書かれている。
その後1939年にはラ式十五糎加農を要塞に据え付けるための改修が指示されてる、
>>803 それは騎兵と歩兵と砲兵の縄張り争いというよくある話がからむんだよ。
>>803 軽減したはずの総重量がほとんど三八式とかわらず、
螺旋式尾栓までに変更したメリットあんのか?って?
試製騎砲もそういや不採算だったね
ああ、おれ4インチ半榴弾砲と日本軍将校のツーショット生写真持ってるよ
藤田さんの「もうひとつの陸軍兵器史」におなじの載ってるから意味ないんだが…
>>805 ベーラーのオリジナルよりマズルブレーキのないブレダのに近いかな?タイヤはオリジナルに近いが
しかしボフォース二砲身歩兵砲やらアンサルド十榴やらよくこれだけマイナーな砲を集められたと感心してしまう
>>809 陸軍の収集した中の人に火砲マニアとかいたのかしら・・・。
イランはKS-19をマジで量産して配備してるからな
第二次大戦の高射砲とステルス戦闘機が交戦する日が来るとか
いくら事実は小説より奇なりと言ってもやり過ぎだ・・
そういや四一式騎砲は最後の騎兵旅団である4KBや最後まで残ってた騎兵連隊の複数で最後まで使ってたらしいけど
解体された騎兵連隊の騎砲隊、騎砲兵連隊なんかから引き上げられた四一式騎砲って
やっぱり本土決戦準備で担ぎ出されたんだよね?
何処に配備されたんだろ?
814 :
暫編第一軍:2012/02/12(日) 19:23:26.65 ID:???
コピペする際に抜けてしまったので少しだけ補足します。
>>799 >グラフ上は制式兵器扱い、数字では不制式扱いになっている。
ここは※が抜けました。上記は第五軍管区部隊と禁衛隊の野砲についての言及です。
>>801 >異説となるか日本側資料の不足を補完してくれるものかは判断が分かれますが、
この部分は中国側資料に拠ります。
日本側資料、特に当事者のそれである蘭星会「満洲国軍」等にも記述が無い情報が、
中国側資料に出ている例も少なくありません。
それがどこまで正確かは微妙なところもあるのですが。
アンサルド十榴は19/100みたいだね。もとシュコダM16の
ボフォースの二重砲身歩兵砲はタイ軍が使ってる写真がある
>>810 大前肇さんあたりじゃね?
>>813 4KA(騎砲兵第4連隊)所属だった方の資料譲ってもらったなぁ俺
戦友会の写真とかある
時代的に当然だけど、えらい短砲身すな
>>817 すごいみじかーい。
歩兵砲みたいな短砲身。
821 :
815:2012/02/12(日) 21:29:36.57 ID:???
>>817 そっちっぽいね
防盾が湾曲してるし。この砲の前面ショットはかなりキテるねぇ
>>822 老河口戦後の戦死遺体収容行動過程とか、それに対する指揮官の回想(直筆手紙)とかで
作戦中に関する資料とかではないないんだけどね
でも貴重な資料だし、「4KA」って書いたのぼりを誇らしげに掲げ
記念写真に納まるかつての騎砲兵の強者達には頭が下がる
支那事変押収火砲に就て 昭和14年8月
C11110720600
簿冊のコード書き忘れてた
>>811 >>153でパ式速射砲(パアツロツW型四十四粍歩兵砲)とかいうよくわからん奴が出てきてるな
押収火砲下付の件
C01002448600
ここを見るとベーラー47oとは別にベーラー44o歩兵砲があげられてる。
しかし検索してもどんな砲か出てこない…
上の簿冊中の「押収兵器種別数量表目次」
C11110721800
スペックが詳細に載ってるんで実在しない砲ってことは無いと思うんだが
>>815,
>>817 同じ史料にはアンサルド十榴について1918年式と書いてあるね
WW2の日本でそれなり以上の口径の火砲を造れたのって
>>540のとこに
海軍工廠の呉、佐世保、横須賀、舞鶴、後はボ式40mm作れる豊川
陸軍工廠は名古屋、小倉、南満州(奉天)
民間は豊和
これ位?
民間は後中央工業とか大日本兵器とかあるけど
専用スレがあるから当然ちゃ当然だけど、あまり航空機関砲は話題にならないよね
装備機の生産数を元に適当に見積もっても
ホ103 十二・七粍は軽く2万5千門以上、ホ5 二十粍で軽く1万門以上作ってるんだなぁ
>>826 陸軍は肝心要の大阪工廠がぬけてるでないのよ
日本製鋼所、神戸製鋼とか
口径7.5cm以上の高射砲生産内訳ついて前で書いた
小倉は小火器と機関砲だけでなかったか?
奉天兵工廠での生産模様はここで触れてる
日式の十加を12門生産したとか
三八式か十四年式だろうが、新し物好きのチャイニーズが旧い三八式をわざわざコピーしたとも思えない
おそらく十四年式のはず
forum.axishistory.com.viewtopic.php?F=101&t=165848
前に大陸で鹵獲十加を装備したという部隊編成の書き込みがあったが、
ボフォース105mm、ソ連製107mm、はたまたドイツ砲の候補にくわえて、十四年式
十加のコピー砲であった可能性もあるね
個人的には、シュコダ10.4cm FK15を日本軍が鹵獲装備してればおもしろいかなと
833 :
828:2012/02/13(月) 11:49:07.42 ID:???
すまん、書き込みしたあとでそうだと思った
現在、当スレのキーワードが準備中なんだが、実質
鹵獲砲 奉天兵工廠 七糎七 改造十四年式 あたりでないのか?
レア砲ほどレスが伸びる不思議
まあ、有名どころは佐山さん記述でほとんど解明してるからね
未知の砲を解明する好奇心がそうさせているのだろうな
支那なら確かに10.4cmFK15とかあってもおかしくない
考えて吟味ってわけでなく、各軍閥が手当たり次第に砲を買ったって感じだよね
蒋介石の国府軍も例外でない
もしくは賄賂のメリット優先で導入というのも、偏見でなく連中の性癖で当然あるかと
いまの共産党王朝の中国みても、わかるように
△メリット
○リベート
◎メイドつき大盤振る舞い
>>804 当然、新設部隊に七糎七野砲を交付するんだろ?
7.5cm砲弾に厚い弾帯巻いたやつ支給して
「貴様らは栄えある稀少砲を扱うのであーる!各員奮励せよ」とか曹長が
のたまってだな…
陸軍の呼称・漢字表記で砲兵に関係しそうなものリストとかあったら便利かなあと思って作ってみた。
佐山さんの本とアジ歴の史料から見つけたもの。
外国・外国会社に関する呼称(表記ゆれを含む)。
・イギリス
アームストロング社:安式
マキシム社:馬式
・フランス
カネー社:加式
サンシャモン社:参式
シュナイダー社:斯式、斯社、シナイダなど
シュナイダー・カネー社:斯加式
ダルマンシェー社:達式
ホッチキス社:保式
・ドイツ
クルップ社:克式
ラインメタル社:ラ式、FE
ドイツ製:独乙製など
・その他
ボフォース社(スウェーデン):ボ式、ボホース、ボツホース、ホツホース、ボツホーズなど
マドセン社(デンマーク):マドゼンなど
・備考
各社の社名表記の「ッ」は大文字に表記ゆれする場合あり。
ドイツ系は戦間期に他国の会社で兵器を作ったりしていたため、会社名がごっちゃになることがある。
例えば
>>805には、ラ式十五糎単加農を以前はボ式十五糎長榴と呼称していたとか書いてある。
ボフォース社は同一史料の中でも表記ゆれしてたりする厄介な社名w
カタカナ単位の漢字表記
センチ:糎、珊
ミリ:粍、密
インチ:吋
重量ポンド;听
841 :
840:2012/02/13(月) 20:14:45.99 ID:???
書き忘れた。
社名表記は「ッ」が大文字になることもあれば、「ツ」が小文字になることもある。
ボフォース社の表記ゆれの山とかは代表例。
押収兵器下付の件
C01007034400
押収兵器の中にあるH.I.Hとは、オランダにあったラインメタル系の会社らしい。
ttp://www.overvalwagen.com/HIHSiderius.html 独立攻城重砲兵第2大隊 関係史料 −作戦の経験に基く89式15加大隊自衛装備に関する意見−
C11111906700
八九式十五加を装備する大隊が、自衛火器をもっと配備してくれと出した意見書。
842 :
840:2012/02/13(月) 20:29:23.56 ID:???
度々の書き忘れお詫びします。
会社の呼称
・イギリス
ヴィッカース社:毘式、ビッカース
単位
ポンド:封度
鹵獲兵器還送の件
C01000800000
これは南方軍あての、鹵獲兵器を本土に送れという1942年6月の通達。
鹵獲場所も書いてあって親切。
大概のものは現地軍が使う分を除いてるのに、なぜか25ポンド砲は86門全部送れと書いてる。
そんなに25ポンド砲が気になったのか?
それに対し25ポンド砲は総数も少ないし、島嶼防衛に必要だからもっと少ない数しか送れないという10月の返電が付いていて、
さらに11月には防衛に使用するため研究目的以外の火砲発送が中止されている。
でも
>>840 ブラントの迫撃砲について「ブ式」と言ったりもしてるな。
伊式はあたりはずれがはげしい
重爆、小銃は×
もっとも重爆は日本の規格に合わなかった理由が大きいが
M38サブマシンガンでも輸入してれば、もっと印象がよかったはず
弾倉も下にあるほうが使いやすいだろ、支那もベルグマンコピーで
してるくらいだし
>>845 三八式より上等の出来である。というオーストリアの支那への売り込み
文句だったそうな
射程がカタログデーターにてんでおよばず、「いやぁ、これは満州の寒冷気候
のせいですぅ」なんて言い訳あったとか
>>846 日本の機関短銃も審査の途中までは下方からの給弾だったんだけどな。
九六式軽機関銃の設計要領では上方からの給弾を指定しているし、
試製超軽機関銃の審査時にも「装脱ニ不便ナリ」「地物ノ利用等ニ不便」って言ってる位だから、
余程下方からの給弾にしたくなかったようだ。
850 :
暫編第一軍:2012/02/13(月) 21:32:54.30 ID:???
>>829 加農の資料は残念ながら持ち合わせていませんが、
榴弾砲の場合だと中国軍は
三八式十五榴 → 一四式
四年式十五榴 → 一九式
と両方作っていたりするので侮れません。
>>842 25ポンド砲は簡単に射角を変えられるから参考にしたかったのかな?
852 :
名無し三等兵:2012/02/13(月) 22:50:16.62 ID:7k01rAqB
853 :
名無し三等兵:2012/02/13(月) 23:09:55.57 ID:ADK0UZOI
観測技術とかはどうなんでしょう?
アメリカの砲兵と正面で砲撃戦できるくらいの力量はあったんでしょうか?
沖縄見る限り力量はあるだろ火砲も砲弾も火砲、砲弾以外の段列構成する各種機材、器材も航空優勢も足りてないけどな
よくWW2の記録フィルムで砲兵が煙突撃ってるシーンが見受けられますがああいうのは砲兵の力量示すプロパガンダとしてよく行われたんでしょうかね
856 :
名無し三等兵:2012/02/14(火) 03:12:23.96 ID:WT2qnlPW
見栄えが良いからでないかな?
敵戦車砲身への命中痕はよく記録写真でクローズアップしてるね
>>842 纏まった数で鹵獲された野砲、軽榴弾砲で手頃なものは25ポンド砲ぐらいしか
なかったのかな?
「ニューギニア砲兵戦記」では豪軍25ポンド砲弾の炸薬後進ぶりを記録してあるね
ダイエーの創業者が末期のフィリピン戦に軍曹で従軍して、米軍の砲弾も
粗製濫造だったらしく、不発が多くて助かったとか書いてる
アメリカも炸薬なんかは造り過ぎると粗製乱造になるのか
そして炸薬後進?
質が旧式、発展途上、後進的って意味じゃないの
作りすぎで旧式チックなのまで引きずりだしたって事か
英のHEはアマトールだからね・・・
日本では、無駄になる可能性が高く、また火薬量制限が無いも同然な地雷とか
数は必要だけど威力的には大して期待しない手榴弾で使う爆薬で
そもそもWW1の大量消費で登場した数合わせ火薬の一種で
資源が限られるTNTを節約するための代物だけど
節約に関してもRDXとかの資源問題を解消した爆薬に日本とかアメリカは進んでおり
恐ろしいことに英がRDX化するのは55年からだから日本から見ると20年近く遅れてる
もちろん数を揃えることが第一だから間違いではないんだけど
まともに作動する信管って要求される精度がめっちゃ厳しいのよ。敏感すぎて
腔発されるより、不発のほうがましだからな
ちゃんと爆発するのは戦争が始まってから供給される
大日本帝国陸軍のTNT代用は平寧薬か
865 :
名無し三等兵:2012/02/14(火) 06:58:09.49 ID:pRWwKKIs
硝安とアルミ粉、石油の混合物は火乍薬に使えますか
ひょっとして英軍って不発とか腔発とか半端なかったのか?
アメリカ軍の艦砲射撃でも多くの不発弾が報告されているし、
日本軍のそれも同様に多くの不発弾が報告されてるね。
俺のカノン砲
つ「短」
演習しかせずに旧式化した大砲に意味はない
高角取れんし
陸軍のTNT代用がトリニトロフェネトール
海軍はトリニトロアニソール
それぞれ海軍が使うには不都合が陸軍が使うには不都合があったのでしょうか?
でも弾道は低伸しなさそうだ
874 :
名無し三等兵:2012/02/14(火) 09:21:38.10 ID:75iWD5ky
>>867 その報告って、ほとんどてっこうだん(何故か変換出来ない)を勘違いしてんじゃないのかなぁ、まぁ不発弾もあるんだろうけど
艦砲なら徹甲弾でも炸裂するんじゃないか?
軟目標過ぎた?
徹甲弾で炸薬なしの実体弾って、英軍の戦車砲と対戦車砲弾くらいでないの?
大抵、弾底信管で装甲抜いたあとに炸裂する徹甲榴弾では?
英軍は腔発嫌ったのと、実体弾のほうが質量重くて貫徹性能は高いメリットで実体弾にしたそうだけど
信管もズブズブの軟弱土壌じゃ作動もしないだろう
艦砲弾は徹甲榴弾だよ。対戦車用の徹甲弾は、ほとんどの国が炸薬なし。
>>872 日本に於ける火薬開発と製造は陸軍のほうがずっと先を行ってたんです
陸軍だけで言うなら世界最先端に近いところにあり、海軍は後発なんですよ
下瀬火薬(ピクリン酸)の実用化に先駆けた時は先端グループだったけど
それに満足しちゃって以降の開発がずっと足踏みで止まってたんですな
ピクリン酸と同じ材料で作れるTNAはピクリン酸からの置き換えに適しており
更にこの置き換えを日華事変で大々的にやる必要が生じちゃったのが海軍なんです
海軍は徹甲弾以外はピクリン酸のままで
特に事変で需要が急増した爆弾がピクリン酸のままで
事変勃発でピクリン酸の製造設備を増強(多大な投資)した直後に
爆弾が敵機の銃撃や対空砲火で誘爆するという事件が発生し
爆弾にピクリン酸は使えないとなってしまい、無駄になってしまったピクリン酸製造設備と
莫大な爆弾需要に早急に応えられるのはTNAしかなかったんです
陸軍はもっと前から有事の火薬需要と性能を考えて
色んな火薬を研究しててピクリン酸やTNTの増量代替の一案として
ピクリン酸に以下略することで増量できるトリニトロフェネトールを開発してたわけです
ただしこれは本命ではなく、本命は石炭酸系から完全脱却を目指したRDXだったんです
海軍もRDXに手を出してますが、こっちは強力な威力を活用しようと考えてたんですが
陸軍は他のしょぼい火薬の増強用で考えてたあたりが考え方の違いですね
879 :
名無し三等兵:2012/02/14(火) 16:58:51.47 ID:8HexDwWa
>>876 戦中に英国は戦車砲や対戦車砲で送弾筒付轍甲弾を実用化してますが
この送弾筒は何でつくったんですか、鉄製ですかアルミ製ですか
>>877 ドイツ軍が徹甲榴弾だったもんで
「われわれの弾も炸裂させてください」
「いや、実体弾で充分だ」
という英軍の兵隊と将校のやりとりが源文さんの武器と爆薬で出てくるね
戦車は狭い車内を跳ね回ればただじゃすまないからな。
船とちがって隔壁のたぐいは機関室との間くらいしかねーし。
対戦車向け徹甲弾に炸薬入りを全く使わなかった国なんて英国くらいでは?
ドイツとソ連は基本的にAPHEですし、チェコもまた同様
米軍は57mmまでは無炸薬ですが75mm級は実体弾と併用で、90mmは炸薬入り
仏伊はよくわかりませんが
徹甲榴弾のが撃破率は高いだろうな
純粋な徹甲弾の方が同じ口径ならより厚い装甲を抜ける反面
徹甲榴弾の方が装甲を貫通した後の破壊効果が大きいのは自明の理だしね
装甲を抜けなかった場合でも徹甲榴弾の炸裂は内部装甲の剥離とか
脆弱な装備品に破片が命中して破壊する可能性とかも馬鹿に出来ないし
何より炸裂音が乗員に与えるストレスも馬鹿にならない
ただ、純粋な徹甲弾の方が生産性は高いから、ダンケルクで装備大量に失った
イギリスとしてはまず数揃える意味でそっちの方向になったんじゃないかな?
>>881 跳ね回らなくても、狭い車内で爆発があれば只じゃ済まないと思うw
イタリア軍の砲弾には炸薬でなく、きっとトマトソースが充填されてるんだよ!
徹甲榴弾でない徹甲弾で貫通後の「破壊力不足」を指摘された弾とかあるの?
「貫通力不足」なら腐るほど聞くが(というか徹甲弾への不満はほぼ全部これでは?)
>>887 イギリスでは炸薬入りじゃないのは嫌だと前線から不満でたと
何度か雑誌で出ていた気がする
源文さんの本でも出ていたらしいね上の人によると
2ポンド砲は貫徹性能はともかく、
破壊力が同クラスの徹甲弾にくらべても不利だったとか読むよ
どうせ不発とかもあっただろうし
貫徹さえ出来れば大した違いは無いんじゃないかな
ドイツ戦車が切り札にしてたPzgr40だって炸薬ないし
それに2ポンド砲は榴弾も用意されてなかったから、
敵の対戦車砲の制圧がむずかしかった
それでマチルダやクルセーダーではCS型だったかな?
の低初速75mm榴弾砲を載せた車両を編成に混ぜてる
>>887 炸薬の有無とは少しずれるけど、本邦の独国派遣調査団に
「二十粍級にて対戦車射撃せる効力実例及び将来に対する意見」
という調査依頼が昭和15年5月に与えられてるね
その結果がどうだったかは知らないけども
少なくとも「小口径砲の破壊力って実際どうなの?」という疑問はあった様子
いまのAPFSDPも炸薬入ってないしな
>>891 あったけど量産体制がなかなか立ち上がらず
前線に2ポンド砲用の榴弾が回り始めたのが1942年も後半か末になっちゃっただけですよ
失礼な事言わないで><
>>893 あそこまで行くとあんま関係無くなるなw
>>878 以下略がわからないけどトリニトロフェネトールもトリニトロアニソールも
ピクリン酸の設備流用出来るがトリニトロフェネトールの方は
ちゃんと準備してないと無理だから海軍はトリニトロアニソールにするしかなかったと
やっぱりトリニトロフェネトールの方が性能良いのか
>>891 チャーチルMk.Vとかは95mm砲だな。
成形炸薬弾でパンターとかかろうじて貫通できたらしいが、
ムクの徹甲弾に比べると貫通後の破壊力不足が問題になったそうな。
佐山さんの歩兵砲、戦車砲読んでて気付いたが
一式四十七粍速射砲にも四式徹甲弾が準備されてたのか
>>897 成形炸薬とかだと実際穴は空いたが本当にぎりぎり過ぎで撃破できなかった事例はあったみたいね
確か中東戦争でもHEATは小さな穴が開くだけで
徹甲弾に比べると当たり所が悪いと撃破できない
って戦訓をイスラエル軍が得てたと思う。
たぶん昔の戦車マガジンかなんかで読んだ記憶がある。
徹甲弾なら内部に飛び込めば損害を与えられるけど、HEATだと、浸透能力がかなり
残ってないと内部にダメージいかないからな。
メタルジェットの理屈から言っても、命中した場所から直線状にあるものしか被害受けないしね
創作物や映画のロケット兵器が派手な爆発してるから錯覚するけど
一応炸薬の燃焼ガスの流入による被害もあるんだろうが、口径が小さかったり装甲厚が厚かったりするとその効果は小さいんだろうなあ
高温のガスが吹き込まれて乗員は蒸し焼きになるんじゃないの?
ビロウな話でなんだが、日露戦争や一次大戦のとき空き缶に火薬詰めて釘しばりつけた
即席手榴弾、時には投石も
はたまた人糞など汚物を瓶に詰めて嫌がらせで敵陣になげつけたそうだが
迫撃砲に外装式のうんこ弾みたいなのを現地急造とかしなかったのだろうか?
敵の戦意を削ぐ意味で有効だと思うんだが
いかにも敵味方双方やっていそうだが、さすがに記録に残さなかったのか?
まさに究極の心理兵器
まさに糞食らえだな
頭から被ったら、敵愾心かりたてられるより
おれならココロが折れるなorz
そりゃ、おま、迫撃砲の不発ってよ、砲身を前に傾けて滑りださせて、
誰かが弾丸をゆっくり手でキャッチして取り出すわけよ
誰が志願するんだ、うんこ弾の不発
ところで28サンチ榴弾砲の実物があると聞いたのですが
那須の戦争博物館(笑)にあるのは偽物ですよね
会津藩が降伏したのも籠城戦で糞便の始末に困ったからだしな
ソロモンやニューギニアだと連合国軍は日本側のトイレの数やうんこの量なんかで
日本兵の数推測する材料にしてたんでしょ?
>>909 そりゃあ、世の中よくできたもんでその道のマニアも当然徴兵されてるわけでw
で、日本兵は米をいっぱい食ってたんで、米兵の標準よりウンコの量が多くて
守備隊の兵力を過大に見積もる一因になってたらすぃ
>914
日本人が大便は個室の造りにしちゃうから、ニーハオトイレなアメリカ人が倍の人員がいると判断したという話もあるな
四式徹甲弾使うとやはり貫徹力上がるよね
一式四十七粍速射砲だとどれ位向上したんだろ?
>>536 ああそういや軽かったか
でも九七式曲射歩兵砲ってまともな弾は一〇〇式だし
どうせ九二式歩兵砲のままなんでは
そうこうする内に平射可能にした迫撃砲は出るし
九二式歩兵砲は殆ど曲射と言っても実際タ弾をよく消費してるし
44年以降はあんなんでもトーチカに納めて平射させるからなあ
一次大戦で砲ではないが、投石器みたいなボウガンも使ってるんで、
迫撃砲だと発射音で敵が退避してしまうものでね
アセチレンガス利用の発射器とか
ふざけ半分で汚物も当然、敵に擲ったと思う
>>918 このデブ、ハートマン軍曹をはじめ同僚にいじめられてたやつだっけ?
銃に女の名前つけてて
>>920 >>920 海兵隊ではみんな、自分の銃にオマn
、女の子の名前をつけるのであります、
Sir!
ダイエーの中内功を調べていたら、ルソン島の大石正義中佐の独立重砲兵四大隊
所属だったことが判明したよ
前にたしか書いてあったけど、装備砲はなんだったかな…
923 :
922:2012/02/14(火) 22:23:08.63 ID:???
ああ判明した
七年式三十糎榴弾砲か
最後まで小屋で偽装してた一門を操作してたのかな?
巨砲は中内さんの商売拡大志向にも影響あったのかねぇ?
まずはそんなところから生きて帰ってこれたことが影響あるだろうな
ダイエーの創業者ってあのびっくりどっきりメカ的ギミックを駆使して
米軍に三十糎榴弾を叩き込んでたのか
ニューギニア砲兵戦記でも神保町行って買ってこようかなー
フィリピン決戦時の八九式十五糎加農の居場所がわからん
直前に映像が残ってるし居た筈なんだが
仮にも重砲兵と重砲の居場所がわからんとは
928 :
43:2012/02/15(水) 00:25:51.95 ID:???
このスレが終わるまでに終わらせたい…!
今回はガ島揚陸から総攻撃失敗までです。
10月14日より行っていた揚陸作業中に敵機の空襲を受けるが損害はなく、翌15日には揚陸完了、野重四の指揮下に入る。
海岸より約1キロ内陸のコカンボナに放列を敷き、15日午後には飛行場砲撃やルンガ岬付近への揚陸妨害射撃を開始した。配置は野砲兵第二連隊や野重四よりもさらに後方である。
放列付近の地面のすぐ下がサンゴ礁で砲床が掘れず、蛸壺壕も30cm位の深さにしかできなかったため、兵員生活用の天幕は500メートルほど後方にはらなければならなかったが、
周囲灌木のため擬装は容易だった。中隊段列は2キロ後方に布陣したほか、観測所は数キロ前方の九〇三高地に設けられ、
射撃に際しては同じ場所に観測所のある野重四の指揮班長のもとで射撃を行った。
飛行場砲撃については最大射程(1万8000メートル)ぎりぎりの1万7000メートルの射距離で行われ、高角射撃かつ1か月の間で射撃した砲弾約550発のうち9割が1号装薬という状況で、火砲の損傷が相次いだ。
その損傷原因については、聯隊歴史では駐退機緊塞環が損傷、駐退液や空気が漏えいし破損につながったとする一方、村野氏の回想では高角射撃による脚の折損とされている。
ともかく村野氏の回想によれば総攻撃予定日の20日を前に早くも1門が損傷、残り3門で射撃を続行した。
総攻撃予定日は20日から22日、24日となり、敵機による空襲も無かったため猛烈な射撃を行ったが火砲は逐次損傷、牽引車ウインチなどを駆使して2門を修理して射撃を継続した。
翌25日早朝、飛行場方面より日の丸の航空機が飛来し喜んだもの束の間、午前中には敵の飛行艇が飛来、加えて敵艦から艦砲射撃を受けた。
敵は放列を狙わなかったが兵士が木の下敷きとなり即死、最初の戦死者を出した。
この24日の総攻撃失敗以降、継続的に空襲と艦砲射撃を受けるようになる。
>>927 日本ニュースのやつは古い映像を転用してる可能性もあるからなあ。
火砲の補填並転送先に関する件
C01000348900
これ見るとフィリピンでの本格戦闘が終わってすぐに重砲を満州に送ってる感じだから、
引っ張られてさっさと転属した可能性もあると思う。
>>926 九四式山砲の精密射撃描写が多くて
おすすめだね
>>893 APFSDSとか、劣化ウラン弾芯に使ってると、劣化ウラン自体にものすごい焼夷効果があるんだけどね
だから炸薬仕込む必要薄いという
>>928 そういやガ島の米軍って小艦艇での艦砲射撃をよくやってるよね。
日本側が揚陸した物資を米駆逐艦が焼き払ったりしてるし。
日本が同じことすると小艦艇では効果が薄いとか低い評価をするのに。
タングステンでも貫徹の仕組みてか考えたら
相当凶悪だぞw
>>928 珊瑚礁の地盤だと本格的に築城しないと無理だな……
>>932 ただでさえ不足してる、日本軍のなけなしの物資を少し焼き払うのと
基本的に充足してる米軍の豊富な物資を少し焼き払うのでは違うさ
それでも砲撃部隊が無傷で帰れるなら多少なり意味もある訳だけど
有力な敵艦隊と遭遇して損害受ける事もあるなら、そりゃ酷評されるだろ
あくまでもたとえ話なので
「では、砲撃部隊が大損害を受けた戦いは?」
とか
「米軍の物資が充足しているとした根拠は?」
系の一次ソース要求は拒否するよ
>>935 そういう書き方だとタ弾使って夜間の米飛行場爆撃なんてのも酷評になってしまう。
リスクを負ってでも持ちうる戦力を使って戦果を挙げる、ということ自体を
批判するなら構わないが。
ただ日米だからという理由で分けるならダブルスタンダードだよね。
>>928 兵藤さんが、ガ島で九二式十加は米軍十五加に対抗して
規定外の強装薬で20km射程やって壊れたと書いてたけど、そんな記述ある?
日本軍は普段の訓練では最大射程で連続砲撃しないから、実戦で最大射程での
強度不足が判明するって例が多いな
ガ島戦は直接支援用ラバウルとか北中部ソロモン向けを含めた前線に送り込んだ
物量、人員だけなら実は大日本帝国もかなりな辺り(パッと見だと拮抗してすらいる)
結局体力差がもろに出た感じだな
つくづく8月〜2月までの長い決戦だったと痛感させられる
>>936 あくまでも例え話だよ
しかもどちらかと言えば後知恵満載のね
前線の立場からすれば現有戦力で出来る精一杯の行動な訳で
その姿勢自体は非常に立派だよ
ただ、米軍の迎撃態勢が確立してる中に少数の駆逐艦が突入しても
戦果僅少、損害多大になるだけって事で、どうせなら米軍の迎撃を
粉砕出来る戦力集めて一気に艦隊と物資集積地を破壊しろ、って事で
タ弾攻撃に関してはどうがんばっても正攻法は不可能な状況だし
実際の破壊効果よりはハラスメント効果狙いだろうし
まあ、
>>932的な評価も所詮は後知恵満載モードな訳さ
941 :
名無し三等兵:2012/02/15(水) 08:12:21.33 ID:Sc1h6tJ3
ガ島って日本がボ式山砲やボ式四十粍機関砲やラ式速射砲やら使ってて中々楽しいね
>>938 九二式十糎加農って大威力十糎加農の写真と見比べてもあからさまに華奢だからね……
大威力十加みたいに九六式十五榴の砲架にすればよかったのにな
大威力十加程本格的な改修ではなく途中で九六式十五榴の砲架に載せるだけの簡単な改修で41年か42年以降は生産出来なかったのかな?>九二式十加
より反動の強い大威力十加で替えたってことは、
九六式十五榴の砲架が九二式のより強度あるってことだよね?
ドイツとソ連が榴弾砲と一クラス小口径の加農で砲架を共通、標準化してよかったと思う
同じく大阪工廠で生産してるわけだから
訂正
ドイツとソ連のように
>>940 ガダルカナルでは9月中は輸送のついでに駆逐艦が射撃やってることが多いけど
この手の艦砲射撃は結果がやった側からは良く分からないので評価が出来ない
アメがやった奴は日本側から被害が分かるので「やられた」という印象になる
(というかガ島だと遠距離射撃してる加農だって戦果不明瞭なわけだし)
まあガダルカナルだと10月後半からは揚陸そのものが空襲下で危険になり
魚雷艇の襲撃があるので手空きの艦は魚雷艇警戒に回るという戦況の変化が大きいかと
輸送と海戦しながら陸戦までやれないし、優先順位は低くなるわな
>>945 九二式十加農 砲身重量1172kg、放列砲車重量3730kg、差引き2558kg
九六式十五榴 砲身重量1388kg、放列砲車重量4140kg、差引き2752kg
200kgぐらい九六式の砲架のほうが重いっぽいから、その分頑丈なんだろうな
榴弾砲は射程の関係で最大装薬での射撃機会も多いだろうから
色々と問題洗い出しもできただろうし、数年新しい分の進歩もあるだろうしね
>>945 40年代に入ってからはいろいろやってるよ
山砲や旧式野砲砲架に対戦車砲載せようとしてみたり
結局共用できたのは機動90式野砲と機動47mmの車輪くらいだったけど
砲作るときに、ぎりぎりまで最適化しちゃう癖があったからなぁ
>>941 泥縄式ではあるが、精強さで定評あった連隊を送りこんでいるし、
重砲も一定数揚陸してる。海没したのがおそらく半数以上あるんで
実際はかなりの数を投入しようとした。歩兵の急襲から火力制圧による正攻法に変換してね
おそらく、九九式小銃と九九式軽機の実戦参加はガ島戦がはじめてのはずだよ
砲種も注ぎこめるなかで、最良のセレクトではないか?
>>929 やはり比島決戦時のフィリピンには八九式十五糎加農は居なかったのかな?
一木支隊第二梯団、京都の独立速射砲中隊ラ式速射砲は揚陸したが、
重すぎて運べず砂浜に埋めた、と丸のガダルカナル別冊に載ってた
川口支隊攻撃でM3軽戦車を撃破したのは、おそらく九四式だろう
児島さんの戦史ではラインメタル速射砲となっていたが
ボ式山砲も支那事変で鹵獲して改修したもののほかに、蘭印で鹵獲したもの
を持ちこんでるはず
証言が載ってるNHKのガ島本もってるんだが、見つからない…
おなじ部隊が追加交付されたものか、別の部隊なのかはそれで不明
オランダ軍仕様はゴムタイヤ装着だったとボフォース記録にはある
ガ島で予想外の健闘したのが松田大隊
おっさんばかりの未教育補充兵で実戦経験もなく撤退援護で投入されたが、殿で後衛戦闘
をやってのけただけでなく、米軍を押しかえしたりする奮戦ぶり
本来、大本営も棄兵として見捨てるつもりだったが、戦果に鑑み、なくすには忍びずで残存兵力を
駆逐艦で収容させた
おっさん兵隊たちは頑張りで自ずの運命を切り拓いたのだ
陸戦スレは荒れすぎで落ちたのか?
第2次バターン戦とコレヒドールこそ国軍砲兵の華
バターンとか激しい砲撃の元前進してるし
まさにWW1以降の火力発揮と歩兵戦術って感じ
958 :
名無し三等兵:2012/02/15(水) 19:54:49.99 ID:N+ajtK5p
フィリピン侵攻のマイナーさは異常
南方作戦での国軍砲兵、火砲のマイナーさはもっと異常……
いや、比島侵攻での砲兵の活躍は事実なんだよ
ただ、バターン攻撃の歩兵が本来、警備部隊なもんで
南昌作戦と一緒で歩兵の能力に不安ありで支援の砲兵部隊を増強
上層の理想としては、できるなら師団砲兵だけでキメてほしいんだけどねぇ…
なんだよ!
歩兵の将校が多いもんで、多数決の力学で機甲、砲兵など特科の連中は手柄を譲る羽目になるんだよ
>>959 いや一般の知名度の話だろう
そういや歴史群像アーカイブの新しいのが南方作戦か
ただ書き下ろしではないからなぁ
結局、陸戦の出来はあまり関係なくて空戦と海戦をし続けることが出来たかどうかという勝負だしな
43のガ島砲兵戦はマダー?
>>878 こういうとこ大日本帝国陸軍は侮れないな
電探絡みも研究室レベルだと凄いみたいだし
防空システムも発想は素晴らしかったらしい、発想は……
予算と資材と製造設備が・・・
一般イメージの貧乏百姓あがりの刻苦勉励の苦労人将校だけでないわけだよ
上海租界のカフェーで女給(いまのキャバ嬢)とチーク踊ってた、坊ちゃん
将校もいた
馬鹿もいたけど賢いのもいた
いまの日本の比率とほとんど同じだろう
本当の貧乏人はそもそも旧制中学行けないから、陸士海兵に行くのは小地主のような下級中産階級が多かったとか
捕虜になったロシア兵が「日本軍は貧しい出身でも、意欲と能力があれば将校
になれるのが素晴らしい」と感嘆してたのが記録にあるね
夏冬の軍服、制帽と略帽、外套、長靴、将校マント、双眼鏡、軍刀、拳銃自弁で
いまの金額換算で将校の身支度だけで軽く100マソ要したわけだが
一応組合、共済みたいなのもあったけどね
楷(人偏だが、変換ででない)行社は月賦もやってたの?
sageてなかったな
>>959 いや、一般的な知名度がマイナーって事です
極力師団砲兵でってのはあると思うけど
支那事変最大の火力集中な南昌とはまた違うんじゃないかなあ?
相手の野戦築城も強固で事前に作ってた陣地もあるし
第2次バターン戦はこちらも4D丸々と21Dから支隊を追加投入してる
攻撃自体もかなり調整されて砲兵がなんとも砲兵っぽい火力投射をしつつ
前進してたみたいだし
それにある程度の規模だと何処でも野戦重砲兵連隊1個程度は付けようとしてるし
ああ見たら、陸戦スレ生きてたな
「ロシア兵は起き上がりこぼしか?」←ドイツ将校がKB重戦車に述べた感想
>>971 いっちゃあ悪いけど4Dはアレだろ?京都部隊も
合理主義がすぎるもんで、勝ち戦ならいいけど、分がわるい戦いだと
たちまち個人所帯になってしまう…
北海道、東北、九州部隊の負け戦でも奮戦する、いい意味での馬鹿さがない
>>974 でも4Dってそんなに悪い戦いぶりを見せた事無いし
現役師団だから十分精鋭じゃない?21Dも別に評判は悪くない筈
東京、大阪など、大都市の部隊は極力激戦地に投入しないよう陸軍上層部も
配慮してた
損害が多いと市民からの反発がすごいもんで
日露講和の日比谷焼き討ちなんかで懲りてるもんで
戦局が悪化して、やむなくフィリピン戦に投入したのが第一師団
都会出身者の多い要領のよさで戦闘がうまく、米軍からは「日本軍の最強師団ではないか?」
と評価されてる
どなたか次スレお願いします。
>>976 レイテでの奮戦は称えられてしかるべきだしね
>>963 東部軍管区司令部の防空指揮所はガチ
ドイツ軍のオペラハウスみたいな
名作映画「日本のいちばんながい日」でもチラっと映ってたね
というかあれだけの為にセット作ったてのが凄い
>>974 2012年の今でもそんなヨタ話を信じてるヲタが居るとは失望した…
>>979 京阪神在住のかたですか?泥試合は当方も望むところでないので、この辺でやめときます
岡本喜八監督ですね。汗まみれで陸軍将校が自転車漕ぐシーンが印象的ですね
独立愚連隊も必見です
都市出身者とはいっても徴兵されるのは職人や職工の子弟が多いので今風に言えば血の気の多いDQNが主体だった様だけどね第一連隊
他は山梨の山猿と千葉の百姓だからイメージほど都市出身者ばかいという感じではないんじゃ第一師団は
これこれ、たとえ事実だったとしても反発くうぞw
都市部の範囲も今より狭かったからねぇ
今は東京23区に入ってる杉並区や江戸川区あたりも戦前は田舎で田んぼが多かったそうだし
世田谷も田舎で林のなか陸軍のトラック走ってる写真がある
山本七平もそんな当時の状況を書いてる
>>985 南博の「県民性」という岩波文庫がソース
日本陸軍は特科をのぞき郷土連隊が基本なもんで、地域差が如実に部隊の性質に反映する
内容を書いてるね
8iだって、兵庫県の人間も多く入営してたもんね
面積が広くて聯隊区が唯一他県と異なる兵庫県が特種
聯隊史もってるけど大阪府知事と共に兵庫県知事が序文書いてるし
4Dの悪口を叫ぶすなわち4Dを西南役にて褒めた明治大帝を批判するようなもん…
地域差紛糾になってしまうので、もうこの話題はやめようぜ
>>983 第一師団の生き残りが祖父ですが、まったく反論のしようもございません
曾爺さんは侠客だったし、爺さん工場経営だから職工の親分で、まあそゆもんでして
婆さんいわく戦地からの手紙に、兵隊同士の賭けで取った金を誰々の実家から徴収してこいとあったそうな
さすがにそれはと思って婆さんは無視してたら相手側の奥さんから連絡が来て
自分の旦那から○○さんに負けた分をお支払いするようにと手紙来まして・・・と
なにをやってんだw
>>990 あなたも祖父に生き写しとか言わないよね?
>>987 その本少なくとも軍事方面の話は各所で実際の戦史をソースにして検証されて
こてんぱんに論破されて久しいが……
またも…
それでは…
の文句がですか?
おれは大学生のとき読んだんで、旧いかも
うめ
曹長どの、ただいま自分はウ弾を排出してる最中なのでありますッ
もうここは爆破処理スレだな
露天陣地
うんこ弾
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。