もし日本が勝っていたなら 再び

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1名無し三等兵
昔こんな感じのスレがあったよね
2名無し三等兵:2011/05/01(日) 14:00:10.39 ID:???
3名無し三等兵:2011/05/01(日) 15:14:49.74 ID:OIM0SIuB
どうやっても勝てないし
4名無し三等兵:2011/05/01(日) 15:18:25.43 ID:???
つか太平洋戦争ってどうなったら日本の勝ちだったの?
ホワイトハウスに爆弾落としたって日本の勝ちにはなんなかったでしょ?
5名無し三等兵:2011/05/01(日) 15:28:58.02 ID:???
さて日本の食文化と欧米の食文化対比スレか。


確かに現代において日本食が破れたことは自明。だが、日本食は欧米の食文化をも内包しいき続けている思う。
6名無し三等兵:2011/05/01(日) 15:59:24.80 ID:???
>>4
ドイツが英国を占領して、ソ連とも適当なところで講和して、アメリカがうんざりして日本とも講和
というのが日本の勝ちのシナリオ。

個人的には、そもそもドイツがソ連と戦争を始めなかったら日本もアメリカと戦争することもなかった
と思っているが。
7名無し三等兵:2011/05/01(日) 18:01:07.28 ID:???
アメちゃんがやる気満々だったので不可避でしょう
8名無し三等兵:2011/05/01(日) 20:59:50.58 ID:OIM0SIuB
やらなくてもABCD包囲網で日本が干からびるだけ
9名無し三等兵:2011/05/01(日) 21:19:32.25 ID:???
鉄とか石油とか天然ゴムとかの軍需品が不足してる状態で開戦した時点で勝ちは無い
アメリカとやるなら最低でも五年は物資を外地から運ばなくても戦える程度の備蓄をしてからやるべきだった
まんまと策略通りにABCDラインで干上がる寸前で開戦とかどうやったって無理
むしろ四年もよく戦えたもんだ
10名無し三等兵:2011/05/01(日) 21:29:00.24 ID:???
>>4
イギリスと組んでドイツと開戦(マテ
11名無し三等兵:2011/05/01(日) 21:35:59.35 ID:???
米帝の犬になって連合国側として参戦すれば・・・・
12名無し三等兵:2011/05/01(日) 22:18:30.52 ID:???
相手はどこだよwwww
13名無し三等兵:2011/05/01(日) 22:30:00.75 ID:???
アメリカイギリスと一緒になってノルマンディー上陸作戦か
どう考えても一番ひどい所に行かされるな
14名無し三等兵:2011/05/02(月) 00:09:23.10 ID:???
>>13
連合艦隊が行くならば大和、武蔵、長門、陸奥、山城、伊勢が恐怖の艦砲射撃やるんじゃね?
15名無し三等兵:2011/05/02(月) 05:28:56.31 ID:???
戦前日本の体制が戦後も続くなんて、まっぴら御免こうむる。
軍隊や特高がなくなってせいせいするし、負けて良かった。
基本的人権バンザイ
戦後日本がミャンマーや北朝鮮みたいな軍事政権にならんで良かった。
16名無し三等兵:2011/05/02(月) 05:51:52.62 ID:D6VD0bqb
>>15
ご維新のあと敗戦まで、軍事政権だった時期などないのだが
17名無し三等兵:2011/05/02(月) 09:16:51.44 ID:???
>>9
それはネトウヨ的な発想だな。
時間が経てば相手の戦争準備が日本以上に整うことを全く理解していない。
対米開戦のタイミングとしてはベストだった。
ドイツが欧州を征服するという前提に立つなら。
18名無し三等兵:2011/05/02(月) 13:39:04.85 ID:???
足りないから資源を得る為に戦争したんであって、備蓄で賄えるならむしろアメリカと戦争する理由がないわな。
19名無し三等兵:2011/05/02(月) 14:03:41.83 ID:aPH/NnF+
現在のマックのように世界中に吉野家があるんだろうな
20名無し三等兵:2011/05/02(月) 14:40:19.69 ID:???
学校制度が戦前のままだと、漫画ラノベの舞台設定も現実とだいぶ違ってそうだ
21名無し三等兵:2011/05/02(月) 14:49:27.12 ID:???
5年制中学が舞台になるかな。高野連も中野連に
22名無し三等兵:2011/05/02(月) 15:00:48.83 ID:???
過去ログと避難所をサルベージしてみた
やっぱ1スレの>>1は秀逸だw

もし日本が勝っていたなら
http://mimizun.com/log/2ch/army/1042735973/
もし日本が勝っていたなら Part3
http://mimizun.com/log/2ch/army/1066624081/
もし日本が勝っていたなら Part4
http://mimizun.com/log/2ch/army/1088262748/
もし、日本が勝っていたなら Part5
http://mimizun.com/log/2ch/army/1105955059/
もし、日本が勝っていたなら Part6
http://mimizun.com/log/2ch/army/1113492983/
もし、日本が勝っていたなら Part7
http://mimizun.com/log/2ch/army/1127985442/
もし日本が勝っていたなら@避難所
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/5909/1112255559/l50
23名無し三等兵:2011/05/02(月) 15:02:32.87 ID:???
敗戦がなけりゃサブカルもHENTAIもあまり発展しなかったんじゃないか
そして帝國国際電子通信網で細々と洋ポルノの授受が行われて非国民呼ばわりされたりする
24名無し三等兵:2011/05/02(月) 18:25:14.14 ID:???
過去スレ2.1の700前後にある、米海軍の急降下爆撃機の開発の行く末をもう少し教えてください。
SBD-6とかSB2Aについて調べてる物好きなのですが。
25名無し三等兵:2011/05/02(月) 19:34:56.19 ID:???
>>23
1933年の時点でも米帝様の影響どっぷりのアニメが作られていたわけだが?
http://www.youtube.com/watch?v=WyGvGMa2RFg
26名無し三等兵:2011/05/02(月) 19:57:40.53 ID:???
>>25
それついさっき海外反応系ブログで見たわ
27名無し三等兵:2011/05/02(月) 20:03:23.44 ID:???
戦前もエロ・グロ・ナンセンスみたいな文化もあったわけだし
意外と史実と変わらなかったりして
28名無し三等兵:2011/05/03(火) 03:52:03.27 ID:???
引きこもりの起源は天照大神だ!
部屋住みの侍は自宅警備員の元祖だ!
29名無し三等兵:2011/05/04(水) 11:11:46.09 ID:???
日本が勝っていたらここを覗いてるヤツの殆どが
小作人の倅で不作だったら娘を差し出さなければならなかったろ

近代化なんか夢のまた夢w
30名無し三等兵:2011/05/04(水) 16:26:17.69 ID:FSrPm+LI
過去スレの人とか残ってるかな
31名無し三等兵:2011/05/05(木) 01:00:11.76 ID:???
>>29
日本が勝っていたら満州は日本のものだっただろ。
満州どころか華北全域が東北農民の移住先になっていたはず。
32名無し三等兵:2011/05/05(木) 10:26:04.81 ID:???
でもたとえばアメリカに勝って中国のほとんどを領有した場合、今度は露助と正面対峙する羽目になるからなぁ
日本・アメリカ・ソ連の三つ巴冷戦とか怖すぎる
33名無し三等兵:2011/05/05(木) 13:19:40.73 ID:???
そもそも日本はアメリカだけでなく中国にも勝てなかったわけだが。
結局最後まで重慶を落とせなかったわけで、独英戦→独ソ戦と似たような感じだ。

アメリカに勝っていたらとか無理すぎるIFは荒唐無稽すぎて話にならんから
中国に勝っていたらのIFの方がまだマシ。
34名無し三等兵:2011/05/05(木) 15:41:25.45 ID:???
>>33
南京なら落としてるよ
35名無し三等兵:2011/05/06(金) 16:29:29.95 ID:???
もし日本が勝っていたら…
女性の社会進出が史実よりも大きく遅れて男尊女卑の社会が続き
ブルマが21世紀になっても現役!
36名無し三等兵:2011/05/06(金) 19:33:17.86 ID:???
女の子と話しただけで特高に捕まって拷問だろJK
37名無し三等兵:2011/05/14(土) 09:54:44.33 ID:Ot/VLHZ3
age
38名無し三等兵:2011/05/15(日) 02:36:27.38 ID:???
>>33
日本が総力戦を展開したら落とせる。
更に言えばソ連等の支援等が無ければ落ちてる。

歴史では勝てなかったが押してる状況だった
39名無し三等兵:2011/05/21(土) 06:43:06.91 ID:l5irBfCW
>>38
総力戦だったら
アメリカはベトナムに勝てたし
ソ連はアフガンで勝てたな
でも総力戦にならないの
40名無し三等兵:2011/05/21(土) 06:43:28.77 ID:l5irBfCW
>>38
総力戦だったら
アメリカはベトナムに勝てたし
ソ連はアフガンで勝てたな
でも総力戦にならないのは何故か考えた方がいい
41名無し三等兵:2011/06/01(水) 15:27:06.03 ID:???
過去スレより面白い書き込みをサルベージ
42名無し三等兵:2011/06/01(水) 15:28:22.65 ID:???
97 :名無し三等兵:03/01/17 20:21 ID:???
>>89

合衆国第5艦隊
 戦艦 アイオワ
 軽巡 アトランタ
 駆逐艦
  ギアリング型×3
  ファラガット型×2
  平甲板型×1

大日本帝国第2艦隊
 戦艦 長門 陸奥 金剛 榛名
 空母 信濃 大鳳 伊勢 日向 翔鶴 瑞鶴 飛龍 瑞鳳 雲龍 葛城
 重巡 利根 筑摩 古鷹 青葉 加古 衣笠 最上 摩耶
 軽巡 五十鈴 大淀 夕張 長良 名取 鬼怒 阿武隈 天龍 龍田 香椎
 駆逐艦 約60隻

 キングが作戦を強行したのは、第2艦隊に大和級が不在と言う情報からだ
った。だが、いかに防空性能に優れた2隻がいようとも、延べ600機に及ぶ
攻撃隊から耐え切る事は出来なかった。

 第5艦隊の生き残りはわずか1隻。
 艦隊の中でもっとも小柄で旧型の駆逐艦ジョン・D・フォードだった。
 急降下爆撃によって艦首切断の損害を受けながら日本潜水艦の遊弋する海
域を一昼夜後進で脱出してきたのだった。同艦は、ノーフォークに帰着後着
底し、終戦を迎える。
 戦後、日本海軍の一部に同艦を記念保存すべきとの声も上がったが、結局
解体処分されてしまった。
43名無し三等兵:2011/06/01(水) 15:29:06.02 ID:KVMZ03yD
98 :名無し三等兵:03/01/17 20:24 ID:???
戦艦アイオワ>フロリダ沖で戦没>21世紀に回収され戦籍復帰、地球防衛艦隊に編入
戦艦ニュージャージー>パナマ沖会戦で被害担当艦として戦没
戦艦ウィスコンシン>空母に改装するも、チャールストン港に回航中被雷戦没
戦艦ミズーリ>船台上で富岳の1t爆弾を受け建造中止

100 :名無し三等兵:03/01/17 20:29 ID:???
戦艦モンタナ
 進水直前に工事中止。船台上で存知されていた所を、武蔵の対地砲撃を受け
破壊され放棄される。
 モンタナ建造に携わった人間の間では「モンタナはヤマト級と戦った」と言
うのが後々まで語り種になったとか……

104 :名無し三等兵:03/01/17 20:51 ID:???
パルミラ沖海戦。
 日本は「烈風」の開発の遅れを埋める為、局地戦「紫電改」の艦上型を
投入。零戦六四型と混成。
 迎え撃つアメリカはF6F、そして陸上基地から直掩としてP−38を
最大限投入した。数と性能ではむしろアメリカ側に部があった。しかし、
本土攻撃を受ける段階にあって米陸海軍の戦闘機パイロットの練度は開戦
後最悪の状態に陥っており、また、日本側の機種更新により米軍機装備の
主力であった12.7mm機銃の能力が相対的に低下していた。
 結果、絶対数では劣る日本艦隊に対し航空部隊を順次投入する愚を犯し、
相対的優位を失っていたF6Fは参加機の9割を喪失。米海軍の中ではこの事を「パルミラの七面鳥撃ち」と呼んで自嘲した。
44名無し三等兵:2011/06/01(水) 15:29:31.91 ID:KVMZ03yD
107 :漏れはアホか?:03/01/17 21:12 ID:givLvNd8
北米国際軍事裁判 判決一覧

H.トルーマン 大統領 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36/54/55
W.レイヒ 海軍大将 大統領首席補佐官 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36
S.ホーンベック 元国務省極東部長 絞首刑 訴因 1/27/29/31
H.モーゲンソー 財務長官 絞首刑 訴因 1/27/29/31
H.スチムソン 陸軍長官 絞首刑 訴因 1/27/29/31
F.ノックス 海軍長官 絞首刑 訴因 1/27/29/31
C.ビンソン 下院軍事委員会委員長 絞首刑 訴因 1/27
G.マーシャル 陸軍大将 陸軍参謀総長 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36/54/55
E.キング 海軍大将 米国艦隊司令長官 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36/54/55
C.ニミッツ 海軍大将 太平洋艦隊司令長官 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/54/55
W.ハルゼー 海軍大将 第3艦隊司令官 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/54
C.ロックウッド 海軍中将 太平洋艦隊潜水艦部隊司令官 絞首刑 訴因 27/54
C.ルメイ 陸軍少将 第20航空軍司令官 絞首刑 訴因 27/54

C.ハル 国務長官 終身禁固 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36
F.ノックス 海軍長官 終審禁固 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36/54/55
H.アーノルド 陸軍大将 陸軍航空隊司令官 終身禁固 訴因 27/29/31/32/33/35/36/54/55
D.マッカーサ- 陸軍大将 西部陸軍総司令官 終身禁固 訴因 27/29/31/32/33/35/36/54/55
D.アイゼンハワー 陸軍大将 東部陸軍総司令官 終身禁固 訴因 27/29/55

訴因 1:共同謀議 27:対日侵略戦争実行 29:対満州 31:対中国 32:対秦 33:対インドネシア 
35:対ビルマ 36:対インド 54:残虐行為の命令授権 55:故意又は不注意による防止の怠慢 

英国関係者についてはウエストミンスター国際軍事裁判の項を参照のこと。
45名無し三等兵:2011/06/01(水) 15:30:06.54 ID:KVMZ03yD
108 :名無し三等兵:03/01/17 21:14 ID:???
第2次パナマ海々戦。
 パナマ沖での最大の戦い、日米の他、枢軸2カ国の艦隊も参加した。

ドイツ第三帝国海軍から
 戦艦 ティルピッツ
 ポケット戦艦 グラーフシュペー
 巡洋戦艦 グナイゼナウ
 巡洋艦3隻
 駆逐艦6隻

イタリア王立海軍から
 戦艦 リットリオ ローマ
 空母 アキラ スパルヴィェロ
 重巡2隻
 軽巡6隻
 駆逐艦12隻

 この海戦で、空母を帯同しないドイツ海軍はほとんど戦局に寄与しな
かった。一方、イタリア海軍は戦艦部隊で強行突入を計る米海軍に対し
航空攻撃と砲撃で米海軍陽動部隊を牽制、戦艦「ローマ」を喪失するも
その後戦艦を「リットリオ」1隻の状態で米軍の旧式戦艦4隻を撃沈し
た。
 しかし、この海戦の勝利が終戦に向けての枢軸国同士の不和の要因の
1つになってしまう。

109 :名無し三等兵:03/01/17 21:18 ID:???
>>107
ハルゼーの有罪理由が不明
46名無し三等兵:2011/06/01(水) 15:30:32.45 ID:KVMZ03yD
110 :名無し三等兵:03/01/17 21:22 ID:???
北米国際軍事裁判・補填

富永恭次 終身禁固・懲戒免職 訴因 54/61
牟田口廉也 終身禁固・懲戒免職 訴因 54/61/62
辻正信 禁固15年・懲戒免職 訴因 62

訴因 54:残虐行為の命令授権 61:敵前逃亡 62:命令不服従

111 :名無し三等兵:03/01/17 21:25 ID:???
大戦後半に投入された陸軍式戦「疾風」は、
陸海軍共同で開発した戦略重攻「富嶽」の護衛を行ない
アメリカ東海岸爆撃行で活躍した。

パナマから東海岸に戦略爆撃を行う富岳は、迎撃に向かった
P51や、P47、F8Fに多大な損害を受けたため
急遽キューバ攻略が行われた

サイモン・バックナーJr中将以下のキューバ防衛軍は
圧倒的な日本軍を相手に奮戦したが、島南部に押し込められ降伏

日本軍の死傷者が、アメリカ軍の死傷者を唯一上回った陸戦として
知られたキューバ戦であった。

116 :名無し三等兵:03/01/17 21:36 ID:???
モンタナ級

戦艦モンタナ>建造中、戦艦武蔵の攻撃により破壊
戦艦オハイオ>日本軍の手により建造されるも、ドイツ海軍に譲渡、戦艦「フォン・モルトケ」となる
戦艦メイン>日本軍の手により建造されるも、タイ海軍に譲渡後、戦艦「バンコク」となる
戦艦ニューハンプシャー>解体
戦艦ルイジアナ>解体
47名無し三等兵:2011/06/01(水) 15:31:06.03 ID:KVMZ03yD
117 :名無し三等兵:03/01/17 21:39 ID:???
 敗戦直前、英雄にまで祭り上げられていた1人の男がいた。
 だが、男は戦後になると、アメリカ人には忘れ去られた。
 挙げ句、日本人に集団暴行を受け絶命した。

 悲劇の英雄、その名をトーマス・ランファイアという。
 山本五十六機をソロモンで撃墜した男の末路だった。

125 :名無し三等兵:03/01/17 22:17 ID:???
 敗戦間際の米陸海軍は、日本海軍に局所的な打撃を与え継戦意欲を失わ
せる方法として、旧式化したB−17EやB−24Cの防御火器その他を
全て取り外し、2トンの爆薬を搭載して操縦士1名のみが搭乗し、日本の
大型艦に体当たり攻撃をかける……という戦法が発案され、実行された。

 乗員は一応、突入前に脱出する事になっていたが、文字どおり爆弾に翼
をつけて飛ばせているような状態では日本軍戦闘機の格好の餌食でしかな
く、あるいは自らの意志で搭乗したまま突入した搭乗員も少なくなかっ
た。

 空母機動部隊への攻撃は途中で断念され、アメリカ近海で行われている輸送線攻撃に参加している大型艦を狙った。もっとも大きな被害では戦艦「扶桑」がB−17改造の体当たり機に突入され、ものの数分で轟沈して
しまったと言う記録もある。

 この「扶桑」撃沈の一件がますます体当たり作戦への期待をエスカレー
トさせてしまい、B−25、B−26、果ては新型のB−17HやB−2
4Gまでが体当たり機に改造された。しかし、この頃になると日本側も重
武装の紫電改五四型丙(30mm機銃装備)や鍾馗二型丙(40mm機関砲装備)など
を配備してこれらに備えるようになってしまい、戦果は上げられなくなっ
ていた。

 この、日本側の体当たり機対策の名称は「馬鹿爆弾迎撃要項」。
 信じられないかも知れないが、公文書での正式名である。
48名無し三等兵:2011/06/01(水) 15:31:32.86 ID:KVMZ03yD
126 :名無し三等兵:03/01/17 22:22 ID:???
>>125補填。

 終戦後、日本軍によって接収された機体の中に、B−29ベースの体当
たり機が存在していた。改造ではなく、当初から体当たり機としての仕様
で製造されたそれは、搭載爆薬は15トンとも20トンとも言われていた。し
かし、部下たる将兵に、実質上自殺を強いるこの作戦に嫌悪感を抱いた日
本軍将官の手によって、この体当たり用B−29はその資料もろともク
ラーク・フィールドで戦車で踏みつぶされ処分された。故に、現在ではそ
の正式名称さえ知る事は出来なくなってしまったのである。

127 :名無し三等兵:03/01/17 22:28 ID:???
体当たり機の自殺攻撃は、一般的にアメリカ人のお家芸として知られており
馬鹿爆弾が、自殺攻撃の代名詞になったほどである
一昨年のユダヤ人による、記念艦戦艦大和にたいする航空機自殺攻撃は
いまだに吾々の記憶に新しい。

しかし実は我が日本軍も1時期航空機特攻を計画した事実があったことは知られていない。
開戦初頭の敗北で、わが軍が混乱した際に
得留部大佐による航空機体当たり部隊が”得留部特別攻撃隊”として発案された。
しかし、その後の戦局の好転により、部隊は解散された。
49名無し三等兵:2011/06/01(水) 15:32:00.96 ID:KVMZ03yD
128 :名無し三等兵:03/01/17 22:42 ID:???
127の続き
アメリカ政府の戦果発表は、戦争末期には無茶苦茶であり
第2次パナマ海々戦では、枢軸国海軍の内、戦艦12隻空母10隻その他36隻が
撃沈されたと報道されたほどであった。

もちろん歴史を知る我々にとっては、第2次パナマ海々戦で消滅したのが
アメリカ大西洋艦隊であったことは周知の事実である。

しかし、我が海軍も戦闘初頭においては、虚偽の戦果発表をしていた
戦艦ルーズベルト撃沈発表がそれである
もちろんそのような戦艦は存在しない、アメリカ戦艦の命名基準が州名であったことは
よく知られている。
しかし、米軍による同盟国ハワイ攻撃で、駐ハワイ帝国海軍の7割を失った
我が国は、虚偽の戦果でも必要であった。
ハワイ上空で失われた駐ハワイ陸軍航空隊の97式重爆が、戦艦ルーズベルトに突入
撃沈したと報道されたのは、当時の我が国の混乱を示していた。
50名無し三等兵:2011/06/01(水) 15:32:18.01 ID:KVMZ03yD
129 :名無し三等兵:03/01/17 22:46 ID:???
第一次ミッドウェイ海戦
 真珠湾作戦以降、進撃を続けていた日本海軍が中部太平洋方面への進出
を狙って実施した作戦。しかし、真珠湾作戦以降の快進撃に浮かれた杜撰
な作戦は米軍側に悟られる結果となってしまう。
 米軍はミッドウェイ近海で待ち伏せ攻撃を行い、空母「赤城」「蒼龍」
の撃沈、および機動部隊指揮官南雲忠一の殺害に成功する。日本側は大混
乱の末、事故で重巡「三隈」を失うという失態を見せた。
 しかし、この混乱が闘将山口多門をして慎重を期させ、ミッドウェイ作
戦は中止され、残る「加賀」「飛龍」を救う結果になった。

 圧倒的兵力を撃退したという自信が逆に後に米軍を慢心させてしまった。
さらに17年には日本軍がソロモン・ニューギニア方面で戦線の圧縮を計っ
たが、これを日本の国力衰退と誤判断してしまう。
 その為、アメリカ本土では混乱期にあった戦時経済への以降がさらに遅
れてしまう事になった。

 一方、日本国内では南雲中将(死後元帥)に続いて山本五十六大将も米軍
の待ち伏せ攻撃により死亡すると言う事態に、国民は「卑怯者アメリカ許
すまじ!」「二軍神に続け!」をスローガンに一挙団結、乏しいとされて
いた工業力はしかし、17年度後半には「隔月刊空母」雲龍型を続々と送り
だすまでになる。

 昭和18年、日本海軍はふたたび中部太平洋に進出を計り、第二次ミッド
ウェイ海戦が勃発する。
 その時、米軍が立ち向かった相手は、開戦時の倍以上に膨れ上がった日
本海軍機動部隊だった。
51名無し三等兵:2011/06/01(水) 22:32:26.81 ID:???
52名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:02:18.32 ID:???
145 :名無し三等兵:03/01/18 14:08 ID:???
>>144
 クレムリンの共産党政権は解体され、スターリン以下の幹部は「ソビエト
国民を破滅へと導いた大罪人」として処刑される。
 その後、ポツダム宣言に基づきシベリア極東域のごく一部のみが日本側支
配圏となる。
 ドイツ側支配圏は「ロシア社会主義共和国」として再建される。もちろん
ナチスの傀儡政権である事は言うまでもない。
 一方、日本側支配権は一部が満州国に併合され、一部は枢軸同盟によって
一度計画が破棄されたユダヤ人国家「東イスラエル聖教国」領土に当てられ
る。もちろん、ドイツに対する挑発以外の何者でもないが、この事が反ナチ
ス国家を親日化を促進させ、その後の二極対立構造形成の重要なファクター
の1つとなった。

146 :名無し三等兵:03/01/18 14:28 ID:???
 旧アメリカ合衆国は東西に分断される。1951年に日本側支配領域のシカゴ
に「アメリカ合衆国」が成立(再建)し、星条旗を受け継ぐ。ドイツ側はそれ
に対抗し、あくまでアメリカの首都はワシントンD.C.である主張し、そのワ
シントンD.C.のドイツ占領機構を引き継ぐ形で「アメリカ共和国」の建国を
宣言する。西海岸油田地区のみはその後も日本直轄領として残った。

 分断された東西のアメリカ。
 ドイツはこの大国が二度と軍事大国として復活しないよう、工業生産力そ
のものに有形無形の制限を課した。
 一方、日本はもともと自国の生産力が少ない事から、占領域の維持を計る
為、新政府成立前から工業力の再建・拡大につとめていた。
 戦前はアメリカの主要工業はワシントンD.C.およびニューヨークを中心と
して東海岸に集中していた。しかし、1960年代にはそれは完全に逆転した。
53名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:02:57.68 ID:???
190 :129:03/01/18 19:19 ID:???
 第一次ミッドウェイ海戦の大敗後、航空母艦2隻とともに多数のベテラ
ン搭乗員を失った日本帝国海軍は、登場から2年を経過した零戦にかわる
高性能戦闘機の確保が不可欠との認識をもった。
 しかし、一七試で発注されたばかりの次期艦戦は実用化にはあと2年以
上が必要で、登場してくるであろう米新鋭機への対応は無理との結論が出
た。
 海軍航空本部は一四試局戦を中止とし一七試艦戦の開発と、零戦の発動
機・防弾のステップアップに専念する一方、16年末に初飛行し陸軍がその
高性能をさんざん吹聴していた川崎キ−61(後の三式戦)に目を付け、海軍
艦上機向けの生産を「恥をしのんで」打診したと言う。

 陸軍はこの海軍の打診に対し、「武装他ギ装仕様ハ陸軍型ヲ基本トシ、
海軍独自ノ装備施セル場合ハ即ニ陸軍型ヘノ復旧可能ナル事」を条件に受
諾。発動機についてはキ−61の川崎ハ−40と同じくドイツ製DB601を祖と
し、艦上爆撃機に搭載予定の愛知「熱田」があった為これを採用、その関
係から機体の製造も当初愛知時計電気が担当する事になった。
 こうして川崎初の海軍機となる二式艦上戦闘機(AXS1)が誕生することに
なる。皮肉なのは本家陸軍の三式戦がハ−40の製造数確保をまってゆっく
りとすすめられたのに対し、二式艦戦は海軍の過剰な期待から昭和17年後
半には部隊配備が始められた。
54名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:03:17.03 ID:???

191 :129:03/01/18 19:19 ID:???
 なれない液冷発動機の期待を相応に実戦投入した弊害は大きく、またい
かに降着性能が良いと言っても基本的に陸上機のため艦上運用での扱いは
お世辞にも良好とは言い難かった。

 しかし、扱いやすい零戦五四型(金星零戦)とのハイローミックスでその
弊害を補い、栄零戦の神通力が失われつつあった時期に登場して再度優位
を取り戻した功績は大きく、液冷発動機の生産の遅延から、途中から空冷
の「金星」発動機搭載機も採用した海軍の柔軟性も有り、戦勝への重要な
要因であった事は疑うべくもない。
 
 ただ1つ汚点があるとすれば、本命の一七試艦上戦闘機「烈風」が搭載
発動機が二転三転し、その他克服すべき問題を多々抱えたまま結局完成し
なかったことだ。帝国海軍は「つなぎ」のはずの二式艦戦と金星零戦にお
んぶにだっこの状態で、「薄氷の勝利」を得たのである。
55名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:03:36.62 ID:???
330 :名無し三等兵:03/01/21 20:29 ID:???
2633年、ザ・ドリフターズ訪英

 皇紀2633年(西暦1973年)10月、当時帝国内で。社会風刺を主題とした曲
と、「8時だヨ!全員集合」などのコント番組で歴史的人気を呼んでいた、
「ザ・ドリフターズ」が突然の英国公演を決行した。
 世界中継技術が未だ未熟で、帝国と英国での24時間中継放送が無理だっ
た時代にもかかわらず、「8時だヨ!〜」の録画放送が英国でも社会現象
になる程の人気であり、英国当局はスコットランドヤード200名体制で対
応したが、ヒースロー空港到着時にはゲートが押し掛けた観衆の圧力で破
壊される等のハプニングはさけ得なかった。
 さらに特筆すべきは、荒井注が引退し志村けんと交代する半年前の公演
であり、氏にとっては最初で最後の海外公演となった事である。

 なお、前座は英国の代表的音楽バンド「ビートルズ」の演奏であった。

388 :名無し三等兵:03/01/23 09:48 ID:???
そういえばフロリダ返還の際の西米大統領ケネディって、大東亜戦争中は
魚雷艇乗りやって捕虜になってたんだね。そのせいで一族が東米にいる中、
一人西米に残されたらしいが。
親子で東西の大統領になるなんてのも珍しいもんだな。

「フロリダは祖国に復帰した。しかし東西統合が成しえるまで合衆国の戦後は終らない」だったか。
あの州まだ在米皇軍の大半が駐屯してるが。
56名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:03:51.05 ID:???
389 :名無し三等兵:03/01/23 12:32 ID:???
>>388
 でも米国に復帰したからいいじゃねーか。
 カリフォルニアなんか未だに帝国領だぞ。石油出るから。

 ところで、この前米国で幼女暴行を働いた、
 陛下の顔に泥を塗った在米陸戦隊のドキュソ軍曹はその後、どうなった?

431 :名無し三等兵:03/01/24 11:28 ID:???
富嶽っていったらまず沖縄の統合空軍博物館を忘れてないか?
羽田の航空記念博物館もすごいけど、軍用機じゃ沖縄が世界一。
まあ、確かにあそこじゃ八発の富嶽改の方が目立ってるけどさ。
(噴進式以前の飛行機としては世界最大なんだよな)

初めていったのはずいぶん前だったけど、あのときの感激は
忘れられない。大東亜戦争時代の飛行機狂としては九六艦戦〜旋風
までの海軍機とか九七戦〜七式戦までの陸軍機が各型ずらっと並んでいる
のも涙モノだっだけど、旧米軍のベアキャットとかXP−79、英軍の
シーフュリーとかホーネットみたいに、世界中でここにしかない機種を
ナマで見て思わず叫び声をあげちゃったよ。独軍機が好きなら北米で鹵獲
したタンク183とかハインケル343もある。

入場は無料だし館内の写真撮影も自由だ。内地からは少し遠いけど、
一度行ってみるのをおすすめする。
57名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:04:07.55 ID:???
439 :名無し三等兵:03/01/24 13:53 ID:???
>433
そういえば、映画出演用に「飛燕」練戦型を改造したP−51もどきも
あそこが保有してたんだっけ。あー、タイトルどわすれした。円谷英二が
監督したやつ。

あと映画といえば、漫画映画の宮崎監督の出世作「未来少年冒険記」に
出てくる、悪役の巨人機のモデルはコンソリのB−36っていうペーパー
プランが元ネタだというのは航空機狂には有名な話。

そういえば、戦時中ボーイングって会社があったんだけど、四発重爆を
開発してたんだよ。B−17とB−29。どっちも試作機がぼろぼろ墜落して
開発が遅れて少数生産しかできなかったわけだけど。で、本国に残った
機体を空母「伊吹」で日本に運ぼうとしたそうだ。それがあいにく暴風に
出くわして、露天繋止してた大型機は海中投棄したとか。
クラークで廃棄された体当たり型はともかく、かつては航空大国だった
旧米国の大型機が一機も現存してないってのは、ちょっともったいない。


440 :名無し三等兵:03/01/24 14:34 ID:???
>>439
 B−17は結構つくられてたんだよ。
 欧州戦争介入の為に大半が使われたから日本人にはなじみが薄いけどな。
 でも、連合艦隊も結構アレに苦しめられたんだぜ。

 ただ、最後のバクチでB−29をボーイングで生産する為に、B−17
の生産ラインを東海岸のメーカーに移してたせいで、終戦直後に工場に残
っていた機体は根こそぎドイツが持って行っちまった。
 上野博物館に保存されている「Shoo Shoo Shoo Baby」はカリフォルニ
アで鹵獲去れた、対日戦参加き、それも凄く貴重なG型だ。
 飛行可能でコンフィデレート・エア・フォースの保有だったんだが、壊
れた発動機の代品がなくて、上野博物館に譲渡されたんだ。
58名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:04:27.53 ID:???
441 :kopipe:03/01/24 14:35 ID:???
 西暦1945年8月3日、ウィスコンシン州のライスレイク飛行場から今までにない前翼型の機体が
右側に傾きながら上昇していきました。カーチス社と陸軍航空工廠のジャスティ・クレインフィールド
大尉が心血を注いで作り上げたアセンダーの初飛行です。

 西暦1944年5月陸軍は敵の長距離爆撃機に対する迎撃用として、XP−55の試作を
カーチス社に命じました。当時富嶽による空襲は激しさを増し、戦局の切迫などの理由から
カーチス社では試作機専門の第一設計課を新設し作業を進めました。

 XP−55は通常形式の飛行機を逆向きにした前翼型を取り入れ、機首部に小さい前翼が
あり、主翼は後部につき最後端にプロぺラがあります。胴体には装備器具が充実し、無駄な
空間もなく、機種にプロペラがないため武装を胴体中心付近に集中することで命中率を向上
させました。機体、発動機、武装のいずれも当時の最高水準のもので、高度8,700mで
最高速度628km/hという画期的な高速戦闘機の開発に成功しました。

 設計開始から1年、西暦1945年6月1号機が完成しました。テスト飛行は7月下旬に
行う予定でしたが滑走後、機首を上げた途端にプロペラを滑走路にこすって失敗しました。
8月3日、プロペラを交換し、垂直尾翼の下に補助車輪を付けたアセンダーは脚を出したまま、
水平飛行中に293.5Km/hの最高速度を記録し、初飛行に成功しました。その後8月6日、
8日とテスト飛行は行われ、合計45分間の飛行に成功しましたが15日に終戦を迎え、
その実力を発揮することはありませんでした。
59名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:04:49.19 ID:???
442 :名無し三等兵:03/01/24 14:43 ID:???
>>439
「ミッドウェイ」だろ?
 大東亜戦争の帝国の運命を変えた「栄光の敗北」を描いたスペクタクル
だ。
 もしあそこで負けを認めていなかったら、陸海軍のいがみ合いは更に続
いて、支那戦線はさらに泥沼化し、帝国は敗北していたかも知れないって
言うからな。

 ただ、あの卑劣な待ち伏せ作戦を決定するのが、ホワイトハウスでも海
軍省でもなくてリンカーン像前ってのはいただけなかったな。
 円谷監督らしくないって一般評価だが、アレ、実は円谷監督の反対を押
し切って入れたシーンらしいぜ。

443 :☆☆:03/01/24 14:59 ID:???
鈴谷(SUZUYA)
最上型三番艦。昭和12年10月31日竣工。
大東亜戦争終結直前の悲劇的な最後まで数々のエピソードを残した
帝国海軍の重巡洋艦が鈴屋です。バタビア沖作戦、ミッドウェー海戦、
第二次珊瑚海海戦、中部太平洋海戦、カリフォルニア半島攻略戦など
数々の作戦に出撃しました。
そして1945年7月16日には、後にシカゴに投下される原子爆弾の重要部品を
富嶽爆撃機基地のあるシアトルまで輸送する極秘任務を帯びて真珠湾を出港。
任務を無事終えてサンフランシスコに向かう途中の7月30日深夜、
米国海軍のアーチャーフィッシュ潜水艦が放った魚雷2本により沈没、
乗員1199名のうち生存者はわずか316名でした。
60名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:05:02.50 ID:???
445 :名無し三等兵:03/01/24 15:02 ID:???
 「アセンダー」伝説は一般にかなり知られているが、
 帝国海軍が似たような機体を計画していたのはあまり知られていない。

 J7W、一八試局地戦闘機「震電」。
 昭和17年、ニューギニア撤収戦で、米陸軍のB−17やB−24に悩ま
された帝国海軍は、対重爆専用の高々度高速戦闘機を計画した。
 スタイルはアセンダーを更に鋭利にしたような感じだが、発動機は空冷
を選択した。これが「震電」のアキレス腱となり、その後の運命を決して
しまう。
 昭和18年4月には試作1号機が完成すると言う速成開発ぶりだったが、
アセンダー同様プロペラのクリアランス不良等が発覚し、その改良に手が
かかってしまう。
 初飛行は昭和18年6月。水平飛行は難無くこなしたが、発動機の冷却不
足にくわえて、主脚格納機構の強度不足等が明らかになり、さらに改修に
時間を要する。
 その問題をあらかた片付けて、量産段階にまで進んだのは昭和19年2月。
しかし、その時には大東亜戦争の趨勢はほとんど決していた上、艦上「飛
燕」二二型丁(30mm機銃装備)や「鍾馗」二型乙(40mm機関砲装備)等、既存
機改修の対重爆機が充分以上の戦果を上げていた為、「震電」は量産され
る事無く計画中止となった。
61名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:05:36.30 ID:4Mra0wfn
483 :名無し三等兵:03/01/24 22:55 ID:???
ペンシルベニアが米海軍で最後まで残存していた唯一の戦艦であり、
英海軍のキングジョージ五世などといっしょに水爆実験の標的艦と
なったのはよく知られている。
しかし、戦後すぐ、自国の広大な農業地帯を自らの焦土作戦により
失った米国の、深刻な食糧難をしのぐ手段として捕鯨母船に使われた
ことはあまり知られていない。
もっとも大きすぎて使いにくかったらしく、短期間の使用で捕鯨母船
のノウハウが得られたのちに、造船所で建造途中で放棄されていた
クリーブランド級やアトランタ級の艦艇が捕鯨母船として完成してから
はほとんど運用されなくなった。
もともとエスキモーなどをのぞいて鯨肉を食べる習慣のなかった米国
では、これを機にふたたび大規模な捕鯨が行われるようになり、
19世紀に北太平洋の鯨を絶滅寸前においやったのに続いて南太平洋や
南氷洋の鯨にも危機的な状況をもたらした。このため、現在では東西米国
に対する商業捕鯨の割り当ては停止されている。
わが国では庶民の味である鯨肉であるが、米国ではエスキモーにのみ
認められた生存捕鯨で得られた鯨肉が、高級食材として高価で取引されて
いるという。


551 :名無し三等兵:03/01/25 19:40 ID:???
そういやスターリンって何時死んだんだっけ。
どうも虎戦車を主力とする機甲部隊がT34を粉砕してモスクワ
になだれ込んだあたりから記憶が曖昧で
62名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:05:59.54 ID:4Mra0wfn
552 :名無し三等兵:03/01/25 19:48 ID:???
スターリンはカフカス戦車戦において、スターリンを連れてシベリア方面に脱出中の
178狙撃兵師団がSS機甲師団に包囲され、SSの独立重戦車大隊のタイガーUに車輌ごと
踏み潰されたって聞いたけど
独軍の諜報能力には恐れいるぜ、完全に網張ってやがった

684 :別スレのコピペ:03/01/29 14:19 ID:???
皇紀2605(1945)、9月30日 某仕官の

我々は米国の復興状態を調査する為
サンフランシスコ近郊の農村部へ向かった。「この凄惨な破壊を我々がやってしまったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上官に憲兵隊に聞かれると咎められた。
完全に焦土と化した町、茫然自失の米国人達、そして
彼等は征服者である我々を怯えた表情で見詰めている。
和平達成だの、東亜新秩序だの、日本は神の国だので浮かれていた我々は改めて
米国の惨状を噛み締めていた。破壊された駅舎に群がっていた子供達は
我々を見るなり涙ながらに拙い日本語で、「ANPAN−KUDASAI!」と
その可愛い小さい手を差し伸べてきた、我々はこの時初めて米国人を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、全ては戦争が悪かったのだ。
我々は媚を売るヤンキーガールの肩に手を乗せて特殊小型自動車に乗り込み。
胸をワクワクさせながら、駐屯地へ帰ることにした。
63名無し三等兵:2011/06/03(金) 09:06:45.63 ID:4Mra0wfn

685 :名無し三等兵:03/01/29 15:16 ID:???
皇紀2605(1945年)9月2日 
サンフランシスコ沖の大和型改戦艦『紀伊』の甲板上において降伏文書の調印が行われた。
アメリカ側は全権大使アイゼンハワー元陸軍大将、日本側は連合艦隊司令長官小澤治三郎元帥。
アイゼンハワーは緊張の余りに近くにいた兵士に水を求めるが「あなたは敗戦国の全権大使なのですよ」
と、流暢な英語で返された。彼は改めて戦争に負けたことを思い知らされた。

西海岸文庫 ジョージ・A・レイモンド〜敗戦と分裂 戦後アメリカ史(上) P349より抜粋
64名無し三等兵:2011/06/03(金) 22:53:33.64 ID:pHeklI9q
>日本が勝っていたらここを覗いてるヤツの殆どが
>小作人の倅で不作だったら娘を差し出さなければならなかったろ

つまりここの住人みなに嫁がいると?
65名無し三等兵:2011/06/04(土) 13:02:53.02 ID:???
>>64
嫁はいたろw 親が勝手に決めた嫁がw

小作人の倅だから先生に満蒙開拓団はどうだ?って勧められてるハズww
66名無し三等兵:2011/06/06(月) 01:38:49.02 ID:???
舞蹴弱損
馬楽小浜てーとこかな
67名無し三等兵:2011/06/06(月) 09:23:34.41 ID:???
各国概略史

各国概略史その1・アメリカ共和国連合(別名南部連合)

フロリダ・テキサス他旧米南部諸州により結成。
伝統的に保守の気質に富む彼らは東西対立に巻き込まれることを好まず、
冷戦時代からすでに独自の交流を続け、隠然たる勢力を築いていた。
(アメリカ問題は表面に出ていた東西対立だけでなく、隠れた南北対立も存在し、
 これが問題を複雑でややこしいものにしていた)
冷戦終結を機に独立・南部連合を結成する。
歴史的・地理的にメキシコやカリブ海諸国と関係が深く、今や彼らを巻き込み中米に一大勢力を築き上げている。
先の日墨貿易協定交渉決裂の陰にも、南部連合の影響力が強く関係しているとされる。

各国概略史その3・ペルー

南米大陸でも、ABC三国に次ぐ有力国。
かつて日本人移民を大量に受け入れた歴史をもち、そのため南米ではパナマ・ブラジルと並んで
日本が一定の影響力を発揮できる数少ない地域である。
(南米では他にアルゼンチン・ウルグアイが欧州連合の影響下にあり、
 その他諸国は明確に東西両陣営のどちらかに属しているとはいえない)
パナマの隣に潜在的敵国・コロンビア(パナマはコロンビアのもの、という気風が強い)を抱える日本にとっては
貴重な味方といえる。
先年は日系人大統領・フジモリが登場し、脚光を浴びた。

ちなみに南米諸国では先の五国以外は東西どちらにも属さないと記したが、
実際には東西両陣営が自方に取り込もうと冷戦時代激しい干渉を繰り広げた。
このため南米は中東と並ぶ不安定地域と化し、
これら諸国の民衆は東西双方に対して極めて強い、憎悪に近い反発を持つに至っている。
日独双方にとって手痛い外交政策の汚点となってしまったといえよう。

68名無し三等兵:2011/06/06(月) 09:32:31.33 ID:???
各国概略史その4・インドネシア連邦

大東亜戦争中、日本が占領した蘭印を独立させた。
このとき民族自決の精神に基づき、多数の独立国をゆるやかにまとめる形式を取ったのが成功し、
民意は極めて安定、日本の有力な同盟国に成長する。
ただし所属各国間に対立がないわけではなく、特に宗教上の問題は軽視できない程度には深刻である。
またこの対立につけこむ形で欧州連合の介入もあり(特にかつての宗主国オランダの影響力は無視できない)、
親日という立場は同じであるものの、その度合いにはかなりの差がある。

69名無し三等兵:2011/06/06(月) 09:33:52.62 ID:???
各国概略史その5・フィリピン共和国

大東亜戦争中、日本が占領したフィリピンを独立させたもの。
しかし戦前から独立を約束されていたところを戦乱に巻き込まれた形であり、
民衆にとってはありがた迷惑とでも形容できる独立劇となった。

そのため戦後も日本とはやや距離を置いた、中立国に近い付き合い方になっている。
また日本も周囲が完全に日本の勢力下にあるため、敵対しなければそれでよしとして、半ば放任したかたちとなっており、
アジア諸国の中ではかなり特異な立場にいる国である。
この立場にまず欧州連合が着目し、ついで日本も利用価値に気づく。
つまりフィリピンは日本勢力圏下にぽつんと浮かんだ中立地域のようなものであり、欧州におけるスイスの立場に期せずして立ったのである。
この結果、フィリピンはアジアにおける外交・諜報拠点となり、ますます不可侵の存在となった。
東西双方ともそういう利用法である以上、周辺で波風を立てるのは好ましくなく、
冷戦も中盤に入ると、政治的・外交的な一切の干渉が行われなくなった。
フィリピン自身も自らが置かれた立場を理解し、アジアにおける信用ある金融・情報拠点たるべく努力している。

将来的に「欧州のジュネーブ、亜細亜のマニラ」と並び称されることがフィリピン国民の宿望である。
70名無し三等兵:2011/06/06(月) 09:35:24.86 ID:???
各国概略史その6・パキスタン

世界大戦終結後、印度から分離独立。
伝統的に宗教上の問題で印度とは関係が悪く、結果として印度とつながっている日本とも仲が悪い。
その結果、欧州連合の介入を許し、南亜では屈指の反日国である。
隣国アフガニスタンとは宗主国に近い関係にあり、また欧州の指導で核兵器を開発・保有している。

近年ではこのアフガンとの関係が災いし、同時多発テロ後のアフガン攻撃に巻き込まれる形で
日欧双方から見捨てられる結果となるが、核兵器を保有していたことから直接攻撃だけはまぬがれた。
現在では未だ残されているアフガンへの影響力共々、亜細亜の危険国家に位置づけられている。

各国概略史その7・エチオピア

世界大戦勃発直前、イタリアによって征服される。
その後、民衆の独立運動が活発化するも、ドイツの援助によってことごとく鎮圧され、
最終的にはムッソリーニの死後、イタリアの保護国に近い扱いでようやく名目上の独立を認められる。

紅海の出口を扼すという地政学上の重要性から欧州連合のインド洋における重要な軍事拠点となっている。

各国概略史その8・マダガスカル共和国

旧・仏領マダガスカル。
世界大戦中に日本軍に占領され、戦後独立。
エチオピアの頭を抑えられる位置にあることから重要視され、日本の第8艦隊以下が駐留している。
南アフリカ共和国と並び、日欧の最前線とも言える場所。
それだけに欧州連合の妨害活動も激しいが、島国であることから容易には工作員の浸透を許さない。
71名無し三等兵:2011/06/06(月) 09:36:04.21 ID:???
各国概略史その9・自治領・南洋王国連合

旧日本委任統治領・南洋群島。
各国とも酋長を頂点とした王国形態をとっているが、経済規模が小さく、
また隣接諸島との交流以外は基本的に外交への関心もない。
日本の統治政策の成功を体現するかのように日本への帰属意識が高く(というか「面倒ごとは日本に任せたい」)、
結果、「自治領」というかたちで日本領土として残っている。

トラック諸島など、一部の島は日本が直接統治している。

各国概略史その10・中華人民共和国

中国の北方・黄河流域地帯を領有する、世界唯一の共産主義大国。
その実汪兆銘の北伐に圧迫され、極めて東西に細長い奇妙な国土形態となっている。
黄河流域を制しているため、農業生産力は高く、毛沢東の農民懐柔が成功していたからこそ
かろうじて北伐をこらえきったとも言える。
国家の上層部には、亡命してきた旧ソ連系の共産主義者が一定の勢力を保持しており、
中国系指導者との間で緊張を伴った連立政権となっている。
彼らがいたからこそ毛沢東は終生独裁体勢は確立できず、「文化大革命」構想を実行できなかったのは
一般民衆にとっては幸いなことであったろう。

中国国家社会主義者達の「長征(実態は国内の日和見主義者たちが北伐に恐れをなした逃亡劇)」
のどさくさにウィグル族居住地域を征服し、世界の大顰蹙を買った。

南北を日本の勢力圏に挟まれた中、東西対立の冷戦構造を利用して生き残ってきた。
一説にはパキスタンとも繋がっているとされ、何かとキナ臭い風聞の絶えない国である。
72名無し三等兵:2011/06/06(月) 09:37:26.13 ID:???
各国概略史その11・エジプト・スーダン連合王国

世界大戦中、ドイツ・アフリカ軍団及びイタリア軍により征服。
ムッソリーニは領有を望んだが、スエズ運河を領有する重要地域の民衆感情を逆なでしたくないヒトラーの意向から、
枢軸陣営に加わることを条件に、完全な独立が認められる(ただしリビアとの国境地帯数十キロを伊領に割譲)。
成立の経緯上、親独・反伊であり、ドイツにとって手綱の繰り方が難しいじゃじゃ馬ではある。

各国概略史その12・フィンランド

第1次世界大戦後、ロシアより独立。
第2次世界大戦勃発直後、ソ連の侵略を受け、国土の1割を喪失。
そのため、独ソ戦勃発後はドイツ側につく。
最終的に、コラ半島〜オネガ湖に至る広大な地域を獲得して白海に臨む、戦前に倍する国土を手にした。
当然ながら極めて親独の傾向が強いが、トウゴウビールに代表されるように親日の度合いがそれに負けず劣らず強く、
西側勢力圏の中ではトルコと並ぶ二大親日国である(他には東欧諸国の中に親日傾向の国がぽつぽつとあり、ドイツは舵取りに苦労している)。

現在では東側陣営のシリコンバレーと並び称されるほどの、半導体大国である。
73名無し三等兵:2011/06/06(月) 09:38:46.93 ID:???
各国概略史その13・中華民国

第2次世界大戦中発足した汪兆銘政権を源流とする大国。
以前は日本の有力な同盟国だったが、チベット侵攻事件(世界の非難を受け撤兵)を引き起こしたことで関係がぎくしゃくしている。
南に海南島の中華民国正統政府、北に中華人民共和国という2つの敵を抱えている他、
東からは朝鮮民族の蔑視を受け、西にはかつて侵攻したチベットと、正に四面楚歌の状況にある。
自身は中華思想を頑固に保持しており、最近の経済発展を背景に、東側陣営から離脱を図る動きがある。
もともと華僑という形で世界各国にネットワークを有しており、仮に陣営離脱が実現した場合、
日欧双方にとって強力なライバルになる可能性を秘めている。

各国概略史その14・チベット法国

法皇ダライ=ラマによって治められる敬虔な仏教国。
東西どちらにも属さない中立国であったが、戦後中華民国の侵略を受け、3年にわたる辛酸を舐める。
あまりに理不尽な侵略行為は欧州連合のみならず亜細亜諸国からも非難を受け、
何の成果も得られぬまま撤退したが、この間失われた人命は全人口の1割を超えたという。

中国軍撤退後、ダライ=ラマが国連総会で発したメッセージは世界史に残る名演説として語り継がれており、
後にノーベル平和賞が授与されている。

現在も中立を維持し、東西両陣営の緩衝国としての役割を果たしており、
東西両陣営から好意的な目で見られる数少ない国の一つである。
74名無し三等兵:2011/06/06(月) 09:39:35.54 ID:???
各国概略史その15・バングラデシュ

大戦後、東パキスタンとしてインドより分離独立。
本家パキスタン同様、やはりインドに肩入れする日本を快くは思っていなかった。
しかしより日本に近い位置にある飛び地、ということが東パキスタンの運命を変えた。
独立後しばらくして、本国との確執が増してきたのである。
本国の統治方針は武力による弾圧だった。
欧州連合の介入によって亜細亜屈指の反日勢力に変貌したパキスタンにとって、
東の飛び地を日本勢力から守るにはその道しかなかったのであるが、多くの歴史が証明するように、いつか破局を迎える道だった。
ロシアのアフガン侵攻によって本国の注意が西に向いたその時、ついにたがは外れた。
本国からの独立を求める民衆が蜂起したのである。
そして力無き民衆が頼れる相手は好むと好まざるに関わらず、日本だけだった。

同胞亜細亜の援助を受けた民衆は数年に及ぶ長く苦しい内戦の末、ついに独立を勝ち取る。
ベンガル人の国、バングラデシュの誕生だった。

75名無し三等兵:2011/06/06(月) 09:40:06.17 ID:???
各国概略史その15・バングラデシュ(続き)

なお、この東パ内戦はアフガンの地にも重大な影響をもたらさずにはおかなかった。
亜細亜反日の砦パキスタンを見捨てるわけにはいかず、欧州連合は膨大な援助をパキスタンに送った。
当然そのツケはアフガンにまわってくる。
当初の「クリスマスまでには戦闘終結」という楽観的な予測はものの見事に裏切られ、ゲリラとの神経をすり減らす長期戦に移行した。
東西2箇所で泥沼の消耗戦が始まったのである(ただし欧州連合が介入した結果、パキスタンにはお目付け役がついたことになり、
「核の暴発」という最悪の事態だけは抑制された)。
結局、アフガニスタンはロシア軍を追い払うことに成功した。
だがこれでめでたしめでたしとはいかないのが国際政治の複雑怪奇たる所以である。
パキスタンは東パに注力した結果、アフガンに直接介入はしなかった(当初計画では露・パ二国の共同作戦だったらしい)。
それ故アフガン民衆の反発を受けることもなく、ロシア軍撤退後の群雄割拠状態だったアフガンにおいて諸勢力の間を上手く取り持ち、
最終的に彼らの盟主のような立場に収まることに成功したのである。

言わばパキスタンは「バングラを捨ててアフガンを獲った」のであった。結果としてアフガンは西側勢力の傘下に収まったのである。
もっともこれが最悪の未来を呼び込むとは、当時誰にも予測できなかったのだが。
(言うまでも無く同時多発テロとアフガン攻撃に伴う世界からの孤立である)
76名無し三等兵:2011/06/06(月) 09:40:45.34 ID:???
各国概略史16(便乗版):ポーランド

第二次世界大戦勃発の引き金になった国。大戦前は反ソ反共という点から親日満国家だったことは有名。
39年9月、独ソ両国の侵攻を受け三分割される(西部の独領と中央の総督府管区、東部のソ領)。
総督府管区では独に直接併合された地域から追放された大量の人口が流入したため食糧・治安・衛生事情が悪化。
特に40年夏〜秋はゲーリング失脚時の混乱がしわ寄せとなって押し寄せ、破滅的な状況を呈する。

さらに41年4月のソ連による侵攻〜5月の独軍による反攻と、ポーランドは再び二大陸軍によって蹂躙される。
このため、旧ポーランドの社会基盤は一時期完全に崩壊し「ワルシャワには死人と『もうすぐ死人』しかいない」と言われた。
あまりの悲惨さにグデーリアンが「後方がこれでは対ソ逆侵攻は無理。せいぜいミンスクまで」と直言したほど。
さすがに焦ったヒトラーが妥協的政策の採用を認めたため、大戦後半には一定の復興が見られた。

なお、ポーランドに対する政策変更の余波は東方省や親衛隊にも及び、
結果として東方占領政策の初期案(マイヤー=ヘトリング案)の緩和にも繋がっている。
対ソ戦における東方領土からの協力は独軍の勝利に大きな寄与があった点からすれば、
ポーランドの犠牲は決して無駄ではなかったとも言えよう。

ただし、大戦後も総督府管区はその他東方領土と違って自治権を与えられることはなく、
ようやく第三帝国崩壊後に欧州連合帝国内の一国として認められた。
長年の被支配状態からの反動か、非常に民族主義的傾向が目立ち、時には歴史を捏造するほどである。
なお、政府は「歴史的ポーランド領の回復」を主張しており、隣国全てと国境問題で係争中。
77名無し三等兵:2011/06/06(月) 09:41:35.16 ID:???
各国概略史その17・インドシナ連邦

旧仏領インドシナ。
戦後独立の際、旧領回復を図るタイによって武力侵攻を受ける。
後日本の仲介によってタイ軍は撤兵、国境地帯50kmの割譲で決着。

もともとベトナム・カンボジア・ラオスの三国による連邦形態をとっていたが、
しばらく後破綻、それぞれが独自路線を歩むことになる。
特にカンボジアは一時的に西側の干渉が成功し、ポル・ポト政権が成立。
民衆に辛酸を舐めさせる。

独立初期の混乱時、ベトナムは中華民国の侵攻を受け、これを撃退した経験を持つ。
(中国は治安維持のための進駐と強弁)
このときはタイも侵攻したことで日本が本格的な仲介に乗り出したため、小競り合い程度で終結したが、
この後しばらくして中国はチベット侵攻を引き起こし、亜細亜諸国との間に決定的な亀裂を生むのである。
78名無し三等兵:2011/06/06(月) 17:48:55.51 ID:???
各国概略史その18・クウェート

中東諸国の中でも数少ない親日国。
その理由は世界地図を広げればよくわかる。
パキスタンとエチオピアを抑えた欧州連合は、中東地域を完全に取り込んでしまっているのである。
中東は欧州の介入易く、日本の介入難い地域だったのだ。
そんな中、日本はせめてイギリスの旧支配地域を固めに乗り出し、その数少ない成功例の一つがクウェート、ということであった。

こうして一旦は過半がドイツのものとなった中東であったが、イスラエルの存在が全てをブチ壊した。
中東戦争は、日独どちらの陣営に属する国をも巻き込んだ。
世界的レベルで見れば、イスラエルは日独双方に承認された国である。
アラブ世界にとってはイスラエルを潰すことが正義であるのだが、
その他大勢の世界にとっては、イスラエルは存続させることが正義なのである。
結果、双方とも、影響下の国の手綱の引き絞りに懸命になった。

そしてその結果は致命的なものとなる。
大国のエゴを目の当たりにしたアラブの諸民族は第三の道を歩むことを決したのであった。
すなわち西亜連邦の成立である。
日独は名にこだわった結果、実を失ってしまったのだった。

その後、イスラエルは東西双方に張り巡らせたユダヤ・ネットワークを駆使して独自の武力を構築し、西亜連邦に対抗し続けている。
(どちらかと言えば、自らを追い出したドイツよりは日本に好意を寄せている)

79名無し三等兵:2011/06/06(月) 17:49:49.05 ID:???
各国概略史その18・クウェート(続き)

ちなみに西亜連邦のその後であるが、もともと反イスラエルという一点でのみ利害が一致するだけで、
シーア派とスンニ派の対立をはじめとする数々の矛盾を抱えており、中東戦争が一段落すると
(イスラエルや日独の活動により、有力参戦国の一部が「降りた」)、潜在していた対立が表面化した。
中東戦争の最中に採った石油戦略の有効性の体験から、連邦解体にまでは至っていないが、足並みはすでにバラバラである。
この過程でクウェートも再び親日の立場に舞い戻ってきたのだった。

先年、イラクにより武力占領を受け、これが湾岸戦争、さらには大西亜戦争の引き金となる。
80名無し三等兵:2011/06/06(月) 17:50:22.91 ID:???
各国概略史その19・コロンビア

もともとは南米の有力国。
パナマを抑えている日本への対抗上、まずドイツが介入、対抗して日本も軍事介入し、泥沼の内戦を引き起こす。
最盛期には両軍合わせて50万を超える大兵力が展開した(空・海軍含む)。
結局あまりの戦費に両国とも音を上げ、申し合わせて撤兵。コロンビアは完全な無政府状態に陥る。
大国のエゴが一国を潰してしまった好例である。
現在では何とか政府の形態を維持できる程度まで復興、
しかし両国への不信は根強く残っており、特に旧領パナマを抑えている日本への敵愾心は強い。

ちなみに日独両国はコロンビア戦役を教訓に、南米に大兵力を展開することは避け、
以後もっぱら政治・外交的な干渉により自陣営への取り込みを図るようになる
(連隊レベルの軍事介入はアリ。師団規模を派遣しないことがコロンビア戦役後の日独暗黙の了解になっている)。
しかしこれは対象国への抑えが効かないことをも意味し、南米諸国は対抗陣営のわずかな介入で簡単にその旗の色を変えるほどに支配力が弱まってしまう。
しかも旗の色を変える度に国内対立陣営の粛清や圧政が敷かれるため(内戦の勃発も珍しくない)、各国とも恐ろしく不安定な政治体制になってしまった。
もちろん一番犠牲になるのは民衆であり、今や南米の大部分の民衆は日独両国に対して、極めて強い敵愾心を持つに至ってしまっている。
2003年現在すでに日独の干渉は止んでいるにも関わらず、未だに各国の政権転覆が日常茶飯事と化しているのだからそれも当然とは言えよう。

数少ない例外が、比較的早期に足場を固め、対抗陣営の介入を許さない程に安定したペルーやアルゼンチンなどである。
81名無し三等兵:2011/06/06(月) 17:51:04.43 ID:???
各国概説史(便乗版):20 ノルウェー(=諾威)

いわゆる成り行き枢軸国。
40年4月、英仏は瑞典からの鉄鉱石供給遮断を目的としてナルヴィクに上陸。
驚くべき偶然だが独側でも諾威侵攻が計画されており、まさに出港直前のことであった。
思わぬ事態にヒトラーは一時作戦中止を考えたらしいが、
ヨードルの「あるものを諦めるのはそれが実際に失われてからにすべき」との進言に作戦は強行される。

結果としてこれが吉となった。諾威が英仏に対し徹底抗戦の構えを見せていたからである。
独軍は「英仏からの保護」を建前に迅速かつ無傷でオスロを早期に制圧することに成功、王室と政府を押えた。
南部の独諾と北部の英仏が睨み合う形になるも5月に西方攻勢が始まると英仏軍は撤退。
独は棚ボタ式に諾威全土を手に入れることに成功する。

諾威側の本音としては「独の保護なんて願い下げ」であったろうが、小国の悲しさと言えよう。
以後、諾威は正式に独との条約に調印(40年11月)、枢軸国となる。
大戦中はその船舶保有量を活かして欧州の海運に大きな貢献を果たした他、対ソ戦にも参加している。

大戦後も欧州の海運大国としての地位は揺らぐことはなかったが、
やはり時折本音が噴出するのか王室関係者に反独発言が見られたこともある。
第三帝国崩壊後は欧州連合帝国において一定の地位を占めているが、
北欧四国同盟を独自に構想しているという噂もあって対独関係は微妙な状況。
なお、日本とは捕鯨同盟国(w
82名無し三等兵:2011/06/06(月) 17:51:42.09 ID:???
各国概略史その21・インド

戦前は大英帝国最大にして最重要の植民地だったが、日本の手で独立。
この際、宗教への無理解などの諸問題が積み重なり、パキスタンを強烈な反日国として分離・成立させてしまうという大失敗を犯す。
この失敗は後々まで尾を引き、もともと反日傾向の強かったパキスタンは欧州連合の介入によって
文字通りの亜細亜反日の砦となってしまう。
このためインドは東西陣営の境界線に立つこととなる。
しかも国の東西を敵国に挟まれているようなもので、結果どうしても軍事力に傾注せざるを得なくなった。
インドの経済発展の遅れは亜細亜諸国の中でもかなり目立つ方なのだが、その理由の大半はパキスタンの存在に求められる。

先年、ロシアによるアフガン侵攻までに、印パ両国は少なからぬ回数の戦闘、
いくつかは「戦争」の名が冠せられるほどの大規模な衝突を繰り返す犬猿の仲であった。
だがアフガン侵攻に連動した形で東パキスタンの独立闘争が勃発し、バングラデシュが成立。
これでインドは二面作戦の心配がなくなり、軍事バランスは一気にインド側に傾く。

これでようやく息をついたインドは国内発展に目を向ける余裕ができ、
もともと中国に匹敵する大人口を生かした人材立国を目指して世界各国に留学生を派遣している。

なお、パキスタンが核配備国であるため、当然ながらインドも戦略原潜4隻を主体とした有力な核戦力を保有しているが、
前述したように国力にはまだ余裕がないため、かなり無理な運用をしているようである。
83名無し三等兵:2011/06/06(月) 17:52:18.89 ID:???
各国概略史(便乗の便乗)その22・スペイン

フランコ政権は第二次世界大戦末期まで内戦による疲弊を理由に中立を保っていた
(ただし東部戦線へ数万人の義勇軍を派遣)が、1945年2月、領内通過した独軍と共に
ジブラルタルへ侵攻、ほぼ無血でこれを占領した。以後ジブラルタルはスペイン領となり、
ドイツ海軍の基地が置かれる。

戦後はドイツの同盟国としてある程度の経済発展を果たすが、旧フランス領アフリカの植民地経営には
失敗しイタリアと共にドイツの足を引っ張る結果になった。
1975年11月、フランコ総統の死去にともなって旧王朝の血を引くファン・カルロス王子が即位する。
彼は凡庸な人物と思われていたが、玉座につくと短期間で旧体制の幹部を排除して民主化を進め、
ドイツに対しても軍の駐留こそ従来通り認めたものの、政治的には一歩引いた関係をとる事に成功した。
現在は欧州連合帝国の中でも有力国の一つ。
84名無し三等兵:2011/06/06(月) 17:52:53.72 ID:???
各国概略史(便乗版):23 デンマーク(=丁抹)

独軍の諾威進駐に際してついでに占領された。通り道だったので(w
しかし、40年夏以降は独本国の食糧事情を支える重要な供給国となる。
穀物・動物性油脂・肉類の供給に関し、丁抹の対独輸出量はソ連(占領後オストラント)・
仏蘭西に次ぐ第三位の地位を占めており(事実)、当然ながらこれは中欧諸国よりも上位である。
総力戦における丁抹の貢献は地味ながら大きいものがあると言えよう。

外交面ではグリーンランドおよびアイスランド問題が大戦中のトピックである。
本国占領後、駐米公使が独断でグリーンランドを米の保護下に置くことを申し入れたが、
ちょうど布哇事変で対日関係が悪化していた米側は大いに色気を示しつつも結局断念。
逆に独英両国がグリーンランド・アイスランドの重要性に着目する一端となった。
40年5月、英軍はアイスランドを占領。41年7月以降は米軍が占領を引き継ぎ、
44年2月の枢軸軍上陸まで北大西洋の重要拠点として確保し続けた。
なお、アイスランドは枢軸軍上陸後の44年7月に丁抹との同君連合を解消し独立を宣言。
グリーンランドも大戦後にドイツへと割譲された。

現在の丁抹は欧州連合帝国の内部においてやはり牧畜大国としての地位を占めつづけている。
諾威王家とは非常に近い間柄(大戦中の両国王は兄弟だった)であるが、
諾威が主張する北欧四国同盟にはは消極的。大戦中の占領政策が比較的寛容なものであり、
現在も対独輸出が経済を支えている同国にとっては独自路線がさほど魅力的でないのかもしれない。
85名無し三等兵:2011/06/06(月) 17:53:37.11 ID:???
各国概略史(便乗版):24 仏蘭西(=フランス)

WW1で国内に大きな被害を受けたことは仏に宥和外交と防御戦略という道を選択させたが、
その結末はWW2での敗北と占領、そして昨日までの同盟国による仏艦隊攻撃であった。
このため仏国内では極端な反動現象が生じ、独軍崇拝と反英反共を唱える一派が主導権を掌握する。

ヴィシー政府による積極的対独協力路線(コルポラシスム)は独にとって大きな意味があった。
政治的には中南欧諸国をなびかせる一助となり、経済的には資源・労働力の大きな供給源となり、
軍事的には占領負担の軽減や反共義勇軍の派遣へと繋がったからである。
一般的には経済・軍事面での意味合いが強調されるが、政治面でも西班牙(=スペイン)・
埃及(=エジプト)や中近東諸国と独との秘密交渉において一定のパイプ役を果たしているほか、
帝国との関連でも仏印交渉の早期妥結によって植民地解放への理解を示した点が評価される
(その一方で阿弗利加植民地への対応との温度差を指摘する声も大きい)。

ただ、これらの協力が戦後に北阿での伊との軋轢を生み、独が調停に悩むこととなった面もあるほか、
独ソ開戦後は共産主義者を中心とする反独テロが頻発するなど、決して問題がなかったわけではない。
エルザス・ロートリンゲンやコルシカ・チュニジアなどの帰属をめぐる独仏伊三国の対立、
倫敦のいわゆる自由仏蘭西政府などの問題があるが、
現代にまで尾を引いている問題と言えば「ケベック工作疑惑」である。
45年8月のケベック独立に際し、仏はその前段階でどこまで関わっていたのか。
ウィルソン・ゴールドが実は仏蘭西人だとする説は正しいのか。
その全貌はいまだ明らかになっていない。
86名無し三等兵:2011/06/06(月) 17:54:14.22 ID:???
各国概略史(便乗版):25 ユーゴスラビヤ

41年3月、摂政パヴレ公の政府は独との同盟を決断した。
これに対して空軍の一部には反独親英クーデターを目指す動きがあったものの、
予想される独伊の軍事介入に対抗することは不可能と判断し断念
(対希戦を中止した大量の伊軍が国境沿いに集結していた)、同盟は成立する。

しかし、直後の独ソ開戦に呼応する形で共産党の蜂起が各地で頻発。
ユーゴ軍はこれの鎮圧にかかりきりとなり、独伊がユーゴに期待した兵力の提供どころか、
逆に41年夏から秋にかけての大事な反攻時期に独伊軍をユーゴ国内に投入する羽目となる。

このため、独伊両国では「ユーゴお荷物論」が台頭、
特に伊はユーゴに対する領土的野心からその分割占領を熱心に独へと働きかける。
当初は兵力的に難色を示していた独も42年秋には中東作戦に一定の見極めがついたことから賛同に転じ、
43年1月20日、独伊両国によるユーゴ分割占領が行われた。

占領後のユーゴはクロアチアとセルビアの両王国がそれぞれに独立
(クロアチア王は伊王家より迎えられた)、その他国境地域は周辺諸国によって分割された。
しかし共産党の横行は収まらず、その完全な鎮圧は50年代に入ってからのことであった。

現在もなおセルビアには「ユーゴ復活」を唱える勢力が存在する他、
第三帝国という重石を失ったことによる国境紛争が頻発している。
21世紀になってなおバルカン半島が「欧州の火薬庫」たる所以である。
87名無し三等兵:2011/06/06(月) 18:21:08.91 ID:???
各国概略史(便乗版):26 希臘(=ギリシャ)

1939年4月の伊によるアルバニヤ併合は、それまで比較的親独伊的だった希の外交路線を転換させ、
伊希関係を緊張させた。
さらに伊側の「帝国復興」という野心がこれを助長し、40年夏には対希戦が噂に上るようになる。
希側ではこれを回避するため独英どちらに接近するかで路線対立があったが、
ダンケルクとメルス・エル・ケヴィルが対英不安と不信をもたらしたこと、
王家が独の出身で首相は第一次大戦で投獄までされた親独派であったことの二点が対独接近を決意させた。
独ソ関係の悪化に伴いバルカンの静謐を確保したい独も希側の接触を歓迎し、伊の説得を約束。
40年8〜9月にかけて独外交は日独伊満四国同盟と並行してバルカン問題に重点を置くことになる。

最終的に独伊バルカン交渉は「勝利の目途がつくまで諸問題を棚上げ」で妥協。
希は首の皮一枚で生き残ることができたかに見えた。
しかし、42年末になって東部・中東の両戦線が安定すると伊はバルカン問題を再度持ち出し。
バクー油田の確保によってバルカンに以前ほど神経を使わなくなったヒトラーの態度もあり、
43年に入るとまずユーゴスラビヤが分割される。

88名無し三等兵:2011/06/06(月) 18:21:51.83 ID:???
各国概略史(便乗版):25 ユーゴスラビヤ(続き)

そして43年4月に伊は希への事実上の属国化を要求。
国王が瑞西に亡命し政府も抵抗は不可能として要求を受諾する中、アテネでは市民が蜂起。
臨時政府を組織して伊軍の侵攻に対し一ヶ月以上も抵抗したが5月には鎮圧された。

以後、希は伊との同君連合という形で事実上の伊領となり、伊での王制崩壊後もなお衛星国扱いであった。
完全な独立の達成は第三帝国崩壊に連動する形でいわゆる「ローマ連合」が解消された後のことである。
現在の希は親英反伊(必ずしも反独ではないが)路線を指向しており、欧州連合帝国には参加していない。
ちなみに「親英路線を選択した希臘が侵攻する伊軍を撃退し、アルバニヤまで反撃する」という内容の仮想戦記小説がブームだという話。
89名無し三等兵:2011/06/06(月) 18:22:27.18 ID:???
各国概略史その27・ラオス王国

仏領インドシナよりインドシナ連邦の一国として独立。
その後しばらくは決して豊かとは言えないものの安定した小国として過ごしてきたが、
1960年代末〜70年代のインドシナ動乱と無縁ではいられなかった。

1970年のカンボジア・ポル=ポト政権樹立の影響はこの地域に激震を走らせる。
ポル=ポト政権の背後に西側陣営(特にフランス)の影があるのは自明だったが、
ポル=ポト自身は思想的には毛沢東の信奉者であった。
その結果・有識者層の大粛清が行われ(ポル=ポトは「農民さえいればいい」とまで考えていた節がある)、
最終的にカンボジア国民の4人に1人が政権下で虐殺されたと言われる。
一方で国粋主義を掲げるポル=ポトは、ベトナム・ラオス、そしてタイとの国境紛争を頻発させることとなった。
こんな無茶な政策がいつまでもまかり通るはずもなく、カンボジアの国力は坂道を転げ落ちるように衰退していった。

話をラオスに戻すが、この国境紛争に忙殺されるうち、致命的な介入を許してしまう。
なんと共産系クーデターが成功し、中華人民共和国に次いで二国目の共産主義国になってしまったのである。
(正確にはラオス南部が共産系国家として分離独立。
 カンボジアの侵攻に苦りきっていた南部住民はしぶしぶながらこれを受け入れ、
 南ラオスとカンボジアの同盟関係が成立してしまった)
90名無し三等兵:2011/06/06(月) 18:23:19.17 ID:???
各国概略史その27・ラオス王国(続き)

これがインドシナ動乱・第二幕の始まりだった。
隣国の赤化を防止するとの名目で、中華民国がラオスへの軍事介入に踏み切ったのである。
そして、一応は同じ陣営に属しつつも、中華民国を全く信用していないベトナムがこれに続いた。
本来、中越二国の軍事力ならカンボジア・南ラオスを撃破するなど容易だったはずなのだが、両国が牽制し合った結果、動乱は長引いた。
何しろ味方射ちが発生した、しないでもめた挙句、中国軍が懲罰行動と称して北越への侵攻まで行う始末であった。
それに乗じたカンボジア・南ラオス軍の反撃、それを受けてしぶしぶ停戦した中越両軍による再反撃の繰り返しである。
東亜の盟主たる日本が本格的な介入に踏み切れなかったことが動乱に拍車をかけた。
この時期日本は海南島や朝鮮にも火種を抱え、かつまたコロンビア戦争からドイツと申し合わせて手を退いたばかりであり、
あからさまな介入は西側陣営を刺激しすぎると判断されたのである。
やっかいなことに西側陣営はすでに仏印から手を退いており(ポル=ポトの過激な政権運営に仏は早々と匙を投げていた)、本格介入の名目も立たなかった。
すでに中越両国が介入しており、さらなる介入は「やり過ぎ」になる、ということである。
結果、日本は中・越、さらに北ラオスやタイ、カンボジアや南ラオスまで含めた外交活動に終始することになるが、
ここまでややこしくなった情勢が簡単にまとまるはずもなかった。
91名無し三等兵:2011/06/06(月) 18:23:52.20 ID:???
各国概略史その27・ラオス王国(さらに続き)

長きにわたったインドシナの動乱が終結したとき、この地域はもはや疲弊しきっていた。
東亜の盟主として日本は、仏印の復興に力を尽くす義務があったが、
それは他の地域に目を向ける余裕がなくなる、ということでもあった。
そしてドイツ以下西側陣営は極初期を除いてほとんどこの動乱に関与しておらず、力を蓄えていた。

そして、あのアフガン侵攻が勃発する。
さらに大西亜戦争の遠因ともなったイラン革命とイ・イ戦争にまでつながっていくのである。
閑話休題。

現在のラオスであるが、南北は再統一され、国家の再建に励んでいる。
しかし動乱の傷は深く、国内総生産は1970年当時の103%に留まっているばかりか
(2004年に至ってなお30年以上昔とほとんど生活水準が変わっていないということである)、
中越両国の駐留軍が現在も牽制し合いつつ対峙するという非常にややこしいことになっていたりする。

国王が動乱を生き延びたからこそ、そのカリスマでかろうじて国内がまとまっているというのが厳しい現状である。
92名無し三等兵:2011/06/06(月) 18:24:30.22 ID:???
各国概略史その28・イラン

大戦中ドイツの侵攻を受け、そのままドイツ第三帝国の影響下で独立。
以後ドイツの忠実な走狗と成り果てる(少なくとも政権上層部は)。

しばらくはそのまま比較的安定した政権の下にあったが、アフガン侵攻がとんだとばっちりをこの国にもたらした。
アフガン侵攻に呼応し、東パキスタン(後のバングラデシュ)が独立闘争を開始したのであるが、
はっきりいって当時の西側陣営は、インドシナ動乱の後始末に追われ、
アフガンだの東パキスタンだのに手を貸す余裕はなきに等しかった。
それでも東パキスタンには南亜細亜諸国を中心とした義勇軍が介入していたが、アフガンまではとても手が回らない。
そこで西側、正確には日本が打った起死回生の一手が、あのイラン革命だった。
イランのホメイニ師を援助し、クーデターを起こさせたのである。
ホメイニ師は強烈な民族主義者でもあり、日本になびく心算など一片たりとも持ち合わせていなかったが、日本としてはそれで一向に構わなかった。
とにかく、ドイツの手からイランが離れることが重要だったのである。
もともと民衆レベルでは「第三帝国の支配」に対する不満はかなり高く、クーデター成功の下地は十分に整っていた(政府上層部の腐敗ぶりがそれに拍車をかけた)。
結果、実にあっさりと、革命は成功した。
東側陣営はポル=ポトによってインドシナでやられたことを、ホメイニによってイランでやり返したわけである。
93名無し三等兵:2011/06/06(月) 18:25:07.99 ID:???
各国概略史その28・イラン(続き)

だが、これに危機感を抱いたのが隣国イラクであった。
イラクは西亜連邦の一国ではあったが、ドイツの友好国としての姿勢を失っていない希少な国だった。
(日本にとってはクウェート・サウジアラビア、さらにイスラエルが「やや日本寄り」という程度で、
 明確な友好国はこの時点で中東に存在しなかった)
さらにイラン・イラクは同じイスラム教国でありながら、その実宗派が異なる。
ドイツの友好国としての側面を併せ持っていたイラクは中東では一、二を争う軍事大国でもあり、
イランを西側陣営に取り戻すべく、軍事介入に踏み切った。
一方、イランもまたクーデター前は西側陣営から大量の兵器を購入しており、こちらも決して弱国ではなかった。
さらには両国とも石油大国であり、兵器購入の資金には困らなかった。
イラクの行動は西亜連邦としてのものではないため、完全に一対一の戦いとなったイ・イ戦争は、
力の均衡した国同士の戦いであるがため、凄惨なものとなる。

ちなみに戦争終結後、疲弊した国力を立て直すべくフセイン大統領が目をつけたのがあのクウェートであり、
これが今度は湾岸戦争、さらには大西亜戦争に繋がっていくのである。
94名無し三等兵:2011/06/06(月) 18:25:49.08 ID:???
各国概略史その26補講「イタリヤ動乱とローマ連合」
第二次大戦後、伊はその戦い振りには不相応な領土を獲得した。
仏伊国境地帯・コルシカ島・チュニジヤ・マルタ島・キプロス島・ダルマチヤ・モンテネグロ・
希臘(エーゲ海の一部の島は土耳古領、トラキヤ地方は勃牙利領)・リビヤと埃及の国境地帯・
埃及とのスーダンの共同統治権・ソマリヤ・ジブチなどである。
ヴィットリオ・エマヌエーレ三世の称号は
「イタリヤ・ギリシャ・アルバニヤおよびモンテネグロの国王にして大エチオピヤの皇帝、スーダンの共同統治者、地中海と紅海の守護者」
というエライ長いものになった(w

しかし国内王党派とファシスト党の競合がこれで解消されるわけでもなく、逆に植民地経営は弱体な伊経済の足を引っ張る。
国内矛盾は遂に56年のイタリヤ動乱となって爆発した。
発端はヒトラー批判に反応しての大衆暴動である。
これにファシスト大評議会でのムソリーニ批判決議の可決が続き、30年以上に渡るムソリーニ支配は遂に終焉を迎えた。
最後に伊軍内部の王党派が暴動鎮圧のためと称して戒厳令を発しファシスト党首脳部を一斉に逮捕、党の解散と国王親政を宣言する。
95名無し三等兵:2011/06/06(月) 21:19:33.78 ID:???
各国概略史その26補講「イタリヤ動乱とローマ連合」 (続き)

だが「独は政治路線変更に伴う混乱で介入できない」とする王党派の判断は甘かった。
隣国、それも(一応は)第一の同盟国である伊の自由化など、第三帝国が見過ごす筈はなく、
逆に対外危機が独の国内諸派を一時的団結に至らせてしまったのである。即時介入を行った独軍に対し伊軍はあっさりと潰走、
国王は葡萄牙(=ポルトガル)、後に伯剌西爾(=ブラジル)に亡命した。
独軍司令官をして「イタリヤでは軍人よりも女学生の方が勇敢に抵抗した」と言わしめたことは有名である。
動乱後、ムソリーニは復帰を拒んで引退。ボッターイを首班とする暫定政府が王制の廃止とイタリヤ・ファシスト共和国を宣言した。

ローマ連合とは共和制に伴う植民地の処遇(求心力としての君主不在)に苦慮した伊の妥協の産物である。
名目上の独立と引き換えに伊本国との政治的・経済的紐帯を維持させることを目的とした国際共同体なのであるが、
なんともイタリヤ的なことに結局は伊本国が参加諸国の問題に対処できず、一部の国を除いては有名無実化した存在であった。
結局、欧州連合帝国の成立に伴う形で解消されている。
「我らの海」と「新ローマ帝国」は実質1943〜56年あたりの10年ほどしか実現しなかったのであった。
96名無し三等兵:2011/06/06(月) 21:20:10.12 ID:???
各国概略史その29・リベリア共和国

名目は東西いずれにも属さないアフリカの一小国・リベリア共和国。
その実世界でも一、二を争う大海運国である。
東西世界が対立してはいても、各々必要とする民需はある。
例えば西側世界のワインや東側世界の香辛料などであるが、これらの品々を対立世界の船舶が運ぶのは何かと憚られる。
(特にパナマ・スエズの両運河の通航は問題になった)
そこで目がつけられたのがリベリア、というわけであった。
リベリアにはドイツやノルウェーをはじめとした、欧州各国で建造された大量の船舶が在籍している。
欧州発の貿易品はこのリベリアに一旦集積された後、パナマを通って東側世界に運ばれていったというわけである。
1970年代以降、欧州発・パナマを通航した船舶の7割以上はリベリア船籍だった。
97名無し三等兵:2011/06/06(月) 21:20:50.39 ID:???
各国概略史その30・アフガニスタン

東側世界にもリベリア共和国と同様の役割を負った国があった。それがアフガニスタンとセイロンである。
三方を西側勢力に囲まれながらもなんとか中立を保っていたのには、こういう理由があった。
西側世界にしてもセイロン・アフガンを経由し、スエズを通って流入する東側の商品は大きな魅力であったということである。

では何故アフガン侵攻が起きたのか?
まず明確に東側世界に属する国ではなかったため、侵攻の名目が立ちやすかったこと。
西側の中継国がリベリア一国であったのに対し東側は他にセイロンがあり、アフガンが失われても東側製品獲得の手段はあったこと。
特にアフガンでは宗教・部族対立が激化しつつあり(特に港のある沿岸部と内陸部の格差に起因する問題が深刻だった)、
アフガン経由の品は減少しつつあったことも大きい。
何よりも大きな理由はロシアがアフガンの富を欲したことであった。
対立が激しくなりつつある諸部族を抑え、この地域を安定させて以後引き続き貿易中継拠点の役割を果たし続ければ
東側も大きな文句は言うまい、いや属する旗が少々変わっても地域安定による利のほうが大きかろうとの判断も働いていた。

それが大きな認識の誤りであったことは歴史が示すとおりである。
確かに明確に東側所属を宣した国ではなかったが、だからといって簡単に見捨てるという道を日本が取ることもなかった。
東側所属の国ではなかったため(加えてインドシナ動乱の後始末や東パキスタン支援で手が回らなかったため)直接的な支援策は取れなかったが、
その代わりに日本が打った強烈な一手が、イラン革命だった。
ただでさえ東パキスタンの独立闘争で共同作戦を取る予定だったパキスタン本国が脱落したところにこの一手の影響は大きすぎた。
裏から密かにロシアにまわるはずだった西側各国の支援物資はイラン国内の旧勢力と隣国イラクに回されることになり、
(日本が直接支援できなかったのと同様、西側も明白に東側に属さないアフガンに連合軍を派遣するわけにはいかなかった。
 あくまでもロシアの独断+地域の混乱をのぞまないパキスタンの介入&仲介という形が望ましかったのである)
ロシアは完全に独力でアフガンを制圧しなければならなくなったのである。
98名無し三等兵:2011/06/06(月) 21:21:24.30 ID:???
各国概略史その30・アフガニスタン(続き)

結果、アフガン戦争は長期化し、最終的にロシアは撤退を余儀なくされる。
その後のアフガニスタンではロシアを押し返したことで埋もれていた各部族の対立が表面化し、泥沼の内戦に突入していく。
結局日本は貿易中継拠点としてのアフガンは見捨て、以後セイロンに機能の集中を図ることになる。
もっともその動きが本格化した頃には、冷戦の終結が見え始めていたが。

最終的にこの地を制したのは諸部族間をうまく取り持ち、巧みに日本やロシアの勢力を排除して
彼らの盟主ともいうべき立場に立ったパキスタンである。
しかしもはや貿易拠点としての旨みは消えうせ、残されたのは荒廃した大地のみという惨状であった。

20世紀末、この地に潜むテロ勢力が起こした同時多発テロは世界史に記録されるべき大事件として今も人々の記憶に新しい。
99名無し三等兵:2011/06/06(月) 21:22:16.49 ID:???
各国概略史(番外の1)

日清戦争のあと、国号を大韓、国王を皇帝と改め、甲申政変の中心人物だった
金玉均を、日清戦争後に首相に据えて大韓帝国が成立したわけだが、両班層を
中心とする守旧派の反発は根強かった。
そのため日露戦争を経て明治43年の日韓協約で二重帝国化したあと、
一般市民の多くはインフラの整備や生活水準の向上をよろこんで受け入れた
けれど、地理的に日本から離れた半島北部を中心に反日勢力は残った。

満州事変のおりには、在満米軍が反日派の手引きで半島北部を制圧。
昭和11年から17年まで、ほぼ6年間にわたって反政府勢力を育成して、
そのあとゲリラ化のお手本にまでなってしまった。
昭和46年に名実ともに独立したあと、調子にのって平壌蜂起をやらかした
ために徹底的に弾圧されて静かになったけど、いまでもときどき橋が落ちたり
地下鉄火災と大事故が多いのは、反政府ゲリラ残党のせいという噂も。

大韓帝国は当初から日本に習った政体をとっていて「君臨すれど統治せず」
という象徴としての皇帝を名目上の元首としていただく議会制民主主義を
とっている。首相は直接選挙というのも日本と同じ。
100名無し三等兵:2011/06/06(月) 21:22:49.00 ID:???
各国概略史(番外の2)・オランダ

歴史的背景としては、天保年間に蘭・仏・英と通商条約が締結されて、
さまざまな形で日本人の海外への進出が始まりました。蘭印はちょうど
ジャワ戦争がおわったばかりで、その後もアチェ戦争などオランダによる
征服戦争が続き、過酷な植民地政策がとられていくのを目の当たりに
していたわけです。中国のアヘン戦争、フランスの仏印侵略なども
同じように進行形で目にした日本は、欧州列強の脅威を実感して、天保の改革で
「富国強兵」を国是としたわけです。
植民地化された諸国は、宗主国に資源を供給し、同時に商品市場ともなった
わけですが、19世紀の半ばから貿易の構造がしだいに変化して行きました。
近代化を急ぐ日本は欧州から工作機械や製造技術など工業基盤の確立に必要な
物資を大量に輸入するようになりました。欧州各国は相対的に利益の高い対日
輸出に移行し、それにかわって日本は亜細亜各国に生活物資を中心とする軽工業
製品を輸出するようになります。その結果、各植民地において、日本は宗主国に
次ぐ貿易相手国となり、存在感を高めて行きました。
101名無し三等兵:2011/06/06(月) 21:23:20.87 ID:???
各国概略史(番外の2・続き)オランダ

昭和15年4月、ドイツが低地諸国やフランスに侵攻した際、第一次大戦で英国に
ウィルヘルミナ女王が亡命した前例を警戒したドイツ軍は、オランダやベルギーの
王室関係者の身柄を迅速に確保しました。これによりオランダは正統政権が降伏。
6月の戦後処理で、フランスは休戦協定により縮小しながらも一応独立国の座を
維持してたので、仏印進駐は「今は手が回らないから日本に預けるけど、戦後は
返してくれるよね?」という仏の意思がある程度あったのに比べ、蘭印は
「対英米戦上、フィリピンやシンガポールに対峙する日本の拠点がなくちゃ」と
いやおうなしに日本の支配下におかれることになりました。このときオランダ旧
政府に対して「まあ悪いようにはしないから」とささやきつつスカルノらに接触
した日本の外交は見事というほかありません。オランダ人の支配層は短期間に
公職や民間資本トップから追放され、日本人による暫定統治が始まりました。
もちろん英米は猛反発しましたが「関係各国が了解してるのに文句あるか、
だいたい在満米軍の暴虐を何とかするのが先決だろう」と日本側は主張。
英米両国は昭和の始めには日本の貿易の45%を占めていましたが、満州の
経済成長や汪兆銘政権との関係強化に伴い、この頃には30%程度にまで比率が
低下していました。このため昭和16年半ばに英米が対日禁輸、資産凍結などを
打ち出したのも、日本にとって予想の範囲であり対応可能な範囲であると認識
されていました。
対英米戦が始まる頃には、人的資源供給のため現地人の教育や軍事訓練が進め
られ、他の亜細亜諸国と同様に義勇軍を構成することになりました。これは当初
日本人が占めていた公職への現地人登用と並行して進められたため、義勇軍の
士気は大変高いものでした。戦後の日独冷戦まで見越していたのかどうかは明らか
ではありませんが、これらの経緯から、仏印も蘭印も宗主国に返還することなく、
日本の強い影響下で独立を果たすことになったわけです。
102名無し三等兵:2011/06/06(月) 21:23:53.04 ID:???
各国概略史(便乗版):31 リトワニヤ
波蘭崩壊と共に念願のヴィリニュス回復を果たしたのもつかの間、40年夏にはソ連へ併合されたリトワニヤだったが、
41年春の独ソ開戦と共に今度は独によって占領されることになった。
ラトビヤ・エストニヤと違い、カトリック色が非常に強い同国の扱いは占領政策を扱う諸官庁、
特に親衛隊において物議をかもす面もあったものの、41年9月のいわゆるローゼンベルク綱領によって
バルト三国における再私有化促進と自治政府組織が掲げられてからの状況は一定の改善を見せる。
42年12月には他の東方自治政府と共に「戦後の」独立を宣言するプラハ会議参加六政府に連なり、
さらには44年2月の事実上のソ連崩壊で独立準備が加速。9月の独ソ戦終結宣言を受けて正式に独立した。

とは言うものの、実質面において第三帝国の属領である点は否定できず、
特に大量植民政策によって移住してきたドイツ人が人口に比べて大きな権力を握っていた点は、
第三帝国崩壊後にまで尾を引く民族対立問題の原因となっている。
にもかかわらず、現在のリトワニヤは欧州連合帝国内の一国である。
これは波蘭とのヴィリニュス地域係争問題が決着していないので、いまだ独逸の保護を必要としているため。
103名無し三等兵:2011/06/06(月) 21:26:08.55 ID:???
各国概略史32(便乗の便乗版)・大韓帝国

いわゆる朝鮮。日清戦争終了後の明治30年に国号を大韓、国王を皇帝と改め、
甲申政変の中心人物だった金玉均を日清戦争後に首相に据えて成立した。
しかし、両班層を中心とする守旧派の反発は根強く、国内の情勢は非常に不安定で、
国内のインフラ・生活水準は極めて悪かった。
そのため、日露の両国が情勢安定を行おうとしたが対立。日露戦争の発端となる。

日露戦争後は、特殊権益を獲得した日本が情勢安定を図り、
保護国として統監府を設置した。(後の韓国総督府。現在の韓国国立博物館)
そして、明治43年に、日韓協約を結び二重帝国となる。これにより、日本の影響は強まり、
一般市民はインフラの整備や生活水準の向上を喜んで受け入れた。
しかし、半島北部を中心に反日勢力は残ってしまった。

昭和11年には満州事変が勃発し、在満米軍が反日派の手引きで半島北部を制圧。
在満米軍制圧作戦が行われ、組織的抵抗の終わる昭和17年まで、
ほぼ6年間にわたって占領して、反政府勢力を育成する。彼らの一部はゲリラ化。
この一連の行動は、後の軍のゲリラ化のお手本となる。
104名無し三等兵:2011/06/06(月) 21:26:51.39 ID:???
各国概略史32(便乗の便乗版)・大韓帝国(続き)

昭和46年には二重帝国は終了し、再独立。
しかし、韓国国内では独立派・存続派が真っ向から対立し、独立承認までにはかなりの時間がかかったようだ。
その後も、反日運動家金日成一派の同時蜂起、韓国版学生運動である光州事件など大きな事件が絶えない。
また、金日成一派の残党であり、半島北部を拠点としている反日・反政府組織は
イラク、パキスタン、ケベックに次いで危険視されている。

大韓帝国は当初から日本に習った政体をとっていて「君臨すれど統治せず」
という象徴としての皇帝を名目上の元首としていただく議会制民主主義をとっている。
首相は日本と同様に直接選挙。共産勢力と接していることもあり、平成5年までは軍事政権だった。
また、産業・気候の違いから、北緯38度を目安に南北に分けることができる。
南部は昭和30〜50年に大規模な経済成長を遂げ、大都市が数多く存在する。
朝鮮新幹線が開通しているため、本国との交流も盛ん。
北部は反政府組織の蜂起などで発展が遅れており、治安は悪い。
首都は京城。自治体の単位は道(南部9道、北部9道)。主な言語は朝鮮語・日本語。
105名無し三等兵:2011/06/07(火) 00:13:50.96 ID:???
各国概略史33・リビア

大戦前からのイタリア植民地。
大戦中はロンメル・アフリカ軍団の策源地ともなった。
戦後も長らく植民地のままだったが、しばらくして独立闘争が本格化する。
ここまではエチオピアと同様だったが、2つの事情によりエチオピアとは異なる道を歩むことになる。

1つはイタリアの面子の問題である。
戦前から確固たる地盤を築いてきたはずのリビアであり、エチオピアのように対連盟軍最前線に立つわけでもないため、
ムッソリーニはドイツの助けを借りることなく、独力で鎮圧の道を選んだのである。
しかしイタリア軍単独で相手取るにはいささか相手が悪かった。
それが第2の事情・カダフィの存在だった。
ゲリラ戦に天賦の才を持つ彼の存在はイタリア軍を大いにてこずらせ、内戦を泥沼化させたのである。
しかし周囲を欧州連合諸国に囲まれたリビアにおいて、何故彼が長年闘争を継続できたのかは現在に至るも謎とされている。
連盟諸国の援助が背後にあったことは確実なのだが、
真相は政府指定文書の機密指定解除がなされるまで明らかにされることはないだろう。

結局10数年にもわたる抵抗運動はイタリアを疲弊させ、再三にわたるドイツの勧告をついに受け入れ、リビアは独立を果たした。
その後大規模な油田が発見され、その衝撃がムッソリーニの直接の死因であろうと
ブラックジョーク気味に語られているが、案外真実を突いているかもしれない。
現在では一応欧州連合の影響下にあるものの、反伊傾向を隠そうともせず、東亜連盟とも一定の交流を続けるしたたかな外交を展開している。

なお、北アフリカではエジプトがドイツ、リビアがイタリア、アルジェリアがフランスと欧州連合有力国が三者三様に影響を及ぼしていたが、
その後もエジプトは親独国として独立、リビアは反伊国として独立、アルジェリアはフランスが完全に独立闘争を抑え込む、と
見事に三者三様の展開を見せている。
106名無し三等兵:2011/06/07(火) 00:14:34.12 ID:???
各国概略史34(便乗の便乗版)・アイヌ首長国連邦(大日本連合帝国に含まれる)

大日本国の北部に位置し、
アイヌモシリ本島、樺太、千島、カムチャッカ、アリューシャン列島、アラスカを領有している国。
先住民族であるアイヌ民族・サハ人が多く、長い歴史があるように見えるが、
歴史は意外と浅く、首長国の成立は明治2年である。
ただし、建国まで被占領下にあったわけではなく、
小・中規模の部族による古来の生活を何百年もの間、保持していただけである。

江戸幕府が自治を認めた寛政2年(皇紀2450年)からは、本国の文化を吸収し、発展。
明治政府から逃れ、徳川慶喜がアイヌ首長国を建国すると、成長に拍車がかかる。
さらに、琉球王国・大日本国と連合帝国になった後は
石狩炭田を中心とした様々な炭鉱・鉱山が発見され、本国の援助の下、開発が急速に行われる。
大正末期には、本国と対等になるまで成長。
その150年前には弥生時代と同じ生活水準だったとは思えないほどの成長ぶりだった。

さらに、現在の護衛艦・巡視艦の原型ともなる海防艦を中心とした艦隊を編成
昭和12年には日本海軍からの購入艦と共にオホーツク海を封鎖。
さらに昭和18年9月には日本国を説得する形で
ベーリング海峡「北方飛び石作戦」アラスカ上陸戦を実施。
北米原住民(イヌイット)の支持もあり、上陸作戦は成功。アラスカは後に独立の後、降伏。
終戦後はアリューシャン列島を得、アラスカは委任統治領となる(現在は自治州)。
107名無し三等兵:2011/06/07(火) 00:15:05.99 ID:???
各国概略史34(便乗の便乗版)・アイヌ首長国連邦【続き】

こうして、領地を広げ、発展していったアイヌ首長国連邦だが、
その分、イヌイット、エヴェン、オロッコなどの少数民族が増え、
「少数民族による共同体」を作ろうという思想が現れてくる。
昭和30年、ベーリンジア宣言発表。それは多民族国家5ヶ国による多民族超国家共同体の結成を意味していた。
これは、国家の定義について論争を呼び、首長国と帝国の対立も引き起こすが、
現在もベーリンジア共同体(西洋名CMB)として存続されている。

各部族が治める数百の小国家による連邦国家で、
それをまとめる大首長は徳川松前酋長家が世襲している。
ただし、交通・鉱山・軍隊などは連邦が一括して管理している。
また、本土から津軽海峡・宗谷海峡・間宮海峡を鉄道が通じている為
本土、アイヌモシリ、樺太、沿海州は行き来が多い。
主な産業は漁業・鉱業。特に石狩炭田・津江(ズエ)炭田・奥端油田は有名。
最近は土地の安さから、工場の誘致も積極的の行われている。
公用語は日本語だが、アイヌモシリ本島・千島ではアイヌ語、樺太ではロシア語など、
地域によって様々な言語が使われる多民族・多言語国家。
ちなみに、首長国諜報部は忍者の流れを引き継いでおり、現在も世界各地で暗躍している。
108名無し三等兵:2011/06/07(火) 00:16:05.19 ID:???
各国概略史35(便乗の便乗の便乗版)・布哇王国

19世紀初頭にカメハメハ1世により統一国家となったハワイ王国は、
米国の干渉を受けつづけた。米国人から伝染した疫病は人口を激減
させ、この結果、江戸時代末期より日本人の移民を受け入れた。
米国人の農場主、現地人と日系人の農民と労働者、日本人の商工業者と
いう役割分担が明治期までに成立、日米のバランス下で生き残るのを
基本戦略とした。明治9年に米国・ハワイ互恵条約締結により米軍基地を
設けるのを認める一方、明治13年には国家元首として始めて日本を訪問
したカラカウア王の行動は、その典型である。
翌年にはカイウラニ王女と山階宮が結婚し、欧州流の王族の血縁関係に
よる外交関係の強化も図られた。その後、日本はハワイが独立国である
ことを折りに触れて列強の間で主張し、これに対して、米国は明治26年に
王制転覆・米国への併合を目論むクーデターを計画した。これは日系人を
中心とする反撃に遭って失敗し、ハワイは米国との条約を破棄、日本の
庇護下に入った。米国は、日清戦争の際に日本海軍の余力がないと見て
艦隊を派遣するなど、その後もハワイへの野望を隠さなかった。
109名無し三等兵:2011/06/07(火) 00:16:35.98 ID:???
各国概略史35(便乗の便乗の便乗版)・布哇王国(続き)

昭和に入り、布哇事変により米国の支配下となるが、王室は日本軍により
救出され亡命政権が成立した。戦後、ポトマック条約で米国は領有権を
放棄、暫定的に日本「布哇県」となったが昭和23年に再独立を果たした。
この間、主のいなくなった米系大農場は農地解放の対象となり多数の
小規模農園に分裂したが、生産性の点で東南アジア諸国産品に劣るように
なったため、多くは再度集約され株式会社化して今日に至っている。
昭和35年、辻政権の最大の業績と言われる連邦制度が提案され、第一弾と
して布哇総督府が廃止された。これにより名実ともに独立国となった。
もっとも、政治的には大日本国連合帝国の一国といっても差し支えない
ほど日本寄りであり、日本海軍・空軍の太平洋での最大の基地も設け
られている。日本・西米・オセアニアを結ぶ交通・貿易拠点としての
役割は、近年の航空機や船舶の大型化・長距離化に伴い低下している
ものの、東側各国を結ぶ太平洋の交通の要所としての地位は不動である。
観光地・保養地としても有名であり、新婚旅行の行先ベストテン内の地位も不動である。
110名無し三等兵:2011/06/07(火) 00:17:13.61 ID:???
各国概略史(番外の3)・欧州連合帝国(ユーロ・ライヒス・ウニオン、ERU)

ドイツ第三帝国が保守派クーデターをきっかけに実質的に崩壊した後、
混乱を収拾すべく欧州の関係各国による調整の末、1993年に発足した。
設立時の加盟国は、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、オランダ、
フラマン、ワローン、デンマーク、ルクセンブルグ、ポーランド、
スウェーデン、ノルウェーの12カ国。その後、ドイツ系住民問題と
経済格差の点から設立時の加入をためらっていたリトアニア、
エストニア、ラトビアのバルト3国も、周辺諸国の政治圧力に対抗する
ため、やや遅れて参加した。
つい最近には、ポルトガル、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、
エストニア、ラトビア、ウクライナ、アイルランド、ブルガリア、
ウクライナが拡大ERU参加国となり、現在25カ国が加入している。
加盟希望を表明していた国々のうち、ロシアは主導権を失いたくない
独仏の意向(+いまだ根強い周辺諸国の反感)が、バルカン諸国は地域の
不安定性が、トルコは中東との関係をこれ以上ややこしくしたくない
という点が、それぞれネックとなって、将来の参加可能性を匂わす
にとどまっている。

政治的バランスへの配慮から、首都は主要国を避けてルクセンブルクに
置かれている。
ドイツと友好国、および経済的・政治的理由からドイツとの関係を
強化したい小国による寄り合い所帯との見方が当初強かったが、現在は
ドイツ・フランス(一歩下がってイタリアが続く)主導となっており、
歴史家には「フランク王国の再来」と呼ぶ向きもある。
経済的には共通通貨「ユーロ」の導入により実質的に一体化しており、
また最近ERU憲法が公布され、各国の批准待ちの状態にある。政治的統合
については、各国の主導権と主要役職をめぐる争いが予断を許さない
ものの、長期的には欧州の一体化は今後も進むと見られている。
111名無し三等兵:2011/06/07(火) 00:17:46.94 ID:???
各国概略史(便乗版):37 エストニヤ

バルト三国の中では最小国(平成十年の人口が145万人)のエストニヤであるが、
自治権獲得と再独立への動きは最も早かった。
元首相であるイェリ・ウルオッツを指導者とする自治組織が比較的早い段階で成立したこと
(独軍の占領がバルト三国では最も遅かったのでエストニヤ側にも対応する時間的余裕があった)、
東方相ローゼンベルクがエストニヤ生まれのバルト=ドイツ人だったことの二点が幸いしたと言える。

ウルオッツは早くも41年8月に独立回復要求を行ったが、これはさすがに拒絶された。
しかし、エストニヤを「東方占領政策の模範例とする」との基本政策が東方省=軍需省=国防軍の三者間で合意されると、
42年には自治政府の陣容も急速に発展。12月のプラハ会議では出席政府中最小ながら意見調整や対独交渉等の面において主導的役割を務めている。
対独協力と独立回復の均衡を保つ点ではどの自治政府も少なからぬ苦労を強いられているが、
エストニヤはその点最も楽をした国と言えるかもしれない。

44年9月の独立回復後も頁岩油の対独輸出が好調で経済的にも安定していた同国だったが、
現在一番の問題とされているのは皮肉にもその頁岩油採掘に伴う深刻な環境破壊である。
エストニヤ国内での扱いは独系移民問題よりも大きく、芬蘭や露西亜との外交問題にまで発展している。
112名無し三等兵:2011/06/07(火) 00:18:20.43 ID:???
各国概略史その38・南アフリカ共和国+ナミビア共和国

1910年、イギリスより独立。
世界大戦では英連邦の一員として大戦を戦ったが、大戦末期にドイツ軍によって占領される。
豊富な鉱物資源が目をつけられた結果であった。
戦後すぐ、ドイツの傀儡国家として再独立。
しかしアパルトヘイトの名で一般に知られる極端な人種隔離政策を採用したことが
東亜連盟に付け入る隙を与えることになった。
1951年、アメリカ動乱の隙を突く形で帝国海軍の誇る海兵隊が黒人解放を旗印に奇襲上陸・政権打倒を果たす。
旧政府軍は南ア北西部〜ナミビアに追い払われ、南アフリカ共和国の大半は東側陣営のものとなった。
アメリカ動乱は陸空軍の戦いであって海軍は出番がなく、暇を囲っていた部隊に活躍の場を与えてみたら
予想以上の成功を収めてしまったのであるw

ちなみにこのとき、急派された欧州艦隊との間で海戦が勃発。
これが戦後初めて、いや大日本帝国とドイツ第三帝国が初めて行った海戦となった。
そしてこの海戦が史上最後の戦艦同士の砲撃戦となる。
空母部隊は艦載機の大半をアメリカ動乱に陸上機として派遣されたため
母艦兵力は(上陸支援用の部隊を除いて)ほとんどなかったためである。

その後は東側陣営の最前線を担う国として立っている。
さらに南ア北西部を加えて旧政府によって成立したナミビア共和国は
未だ白人至上主義によるアパルトヘイトを継続する不倶戴天の敵であり、幾度となく戦火を交える間柄である。
(ドイツ崩壊後、後ろ盾がなくなったことから穏健派が勢力を増しつつあるようではある)

ケープタウンには帝国第7艦隊が駐屯し、大西洋に向けて睨みをきかせている。
113名無し三等兵:2011/06/07(火) 00:18:58.51 ID:???
各国概略史その39・サハラ連合

1960年、フランスから一斉に独立した
モーリタニア・イスラム共和国(11月)、マリ共和国(9月)、ニジェール共和国(8月)、チャド共和国(8月)、
ブルキナファソ(8月)、セネガル共和国(8月)、ギニア共和国(58年10月)、コートジボワール共和国(8月)、
中央アフリカ共和国(8月)、カメルーン共和国(1月)、ベナン共和国(8月)、トーゴ共和国(4月)、
ガボン共和国(8月)、コンゴ共和国(8月)
の諸国により結成されたアフリカ最大級の大連合。
実態は当然ながらフランスの影響力が極めて強い傀儡政権であるが、アルジェリアの独立運動抑圧の経験から学んだ
硬軟両面の巧妙な政策の結果、現在でもかなりの程度までフランスの力が及んでいる地域であり、
フランスがドイツに次ぐ欧州第二位の地位を保つ原動力となっている。
しかしながら部族単位の抗争が激しく、内政は決して安定しているとは言い難い。
これもまた、統一された抵抗勢力の台頭を嫌ったフランス政策の産物であるあたりはなんとも皮肉である。

ギニア湾周辺諸国は英連邦諸国(ナイジェリア・シェラレオネ・ガンビア・ガーナの四国。
世界大戦で英国旗色悪しと見るや、いち早く戦線離脱・中立を宣した状況判断の的確さで枢軸陣営の占領を免れた。
一説にはアフリカに影響力を残すべく、戦後を視野に入れた英本国の指示によるとも)や
中立国に近いリベリア共和国の影響からか、より独立色が強く、フランスは舵取りに必死になっている。

その38訂正・ナミビア共和国
領域に旧英領ザンビア・ジンバブエ・ボツワナ・マラウイも含む巨大国家「アフリカ国家社会主義共和国連合」に訂正。
南アフリカ共和国はスワジランド王国・レソト王国も自治領として含めた「南アフリカ連邦共和国」に訂正。
114名無し三等兵:2011/06/07(火) 00:19:31.60 ID:???
各国概略史(便乗版):40 白露西亜(=白ロシヤ)

独軍により占領された白露で最終的に権力を握ったのはオストロフスキー教授率いる白露西亜亡命政府だった。
彼らは長きに渡るベルリンでの亡命生活から復帰すると、そのまま東方省によって自治政府として認められたのである。
実力も知名度も低い彼らが自治政府と認められた理由は正にその弱体性にこそあった。
国防軍は中央軍集団への補給の関係上から白露での発言力を長期に渡って保持したいと願っており、
これに国防軍との協力を必要とした東方省が妥協した結果の産物なのだった(ローゼンベルクの亡命者好きも理由の一つだったが)。

結局、白露自治政府は期待?通りの弱体振りを発揮して対独依存を強めていくことになる。
大戦後も強大な独軍の駐留が目立っており、これにはバルト三国やウクライナの民族感情に伴い、
あまり大きな兵力を置けなかった事情や地理的・交通的環境も影響している。要するに、
白露は他の東方諸国が大きな自治権を獲得した代償を一手に引き受けたようなものなのであった。

これらの問題点は第三帝国崩壊後、駐留独軍の撤兵と共に一挙に噴出する。
他の東方諸国では比較的穏健な形での権力後退が行われたのに対し、
白露ではミンスクでの市街戦や大統領夫妻の処刑など流血の惨事を招いたのがそれである。
しかし、政治的にはともかく白露経済の現実は全面的に独露両国に依存しており、
結局は欧州連合帝国と露西亜との間で天秤外交を余儀なくされているのがこの国の現実である。
115名無し三等兵:2011/06/07(火) 03:28:44.07 ID:wsdSCsLE
やだこのキショいコピペ。
116名無し三等兵:2011/06/07(火) 05:33:29.15 ID:WTBIq+Q9
勝つという選択が不可能。負けないという選択ならありえるが
117名無し三等兵:2011/06/07(火) 08:17:59.34 ID:N7mlZWyX
ネトウヨとかチョンとか言い合うよりはずっといいと思うが。


アメリカの追い込まれ方が良かった。
R2600ムスタングとか
118名無し三等兵:2011/06/07(火) 08:48:49.89 ID:???
各国概略史(便乗版):41 ウクライナ

第一次大戦中のウクライナ独立が最終的に失敗した後、ペトリュラ亡命政権はバンデラ、メルニク両派に分裂、
内部抗争に明け暮れていた。東方省は一時バンデラ派に接近、ウクライナ人部隊の編制を援助したが、
彼らが41年6月に性急なウクライナ独立宣言を行ったことを危惧してこれを切り捨てる。
しかし、メルニク派も広範な支持を得られないことが明白であったため、第三の候補探しが行われた。

結局、亡命政権からの推薦でウクライナ自警団(後のウクライナ義勇軍)指導者に選ばれていた
パヴロ・ジャンドルク将軍が初代ウクライナ自治政府首班となる。しかし、ウクライナの領土は第三帝国によって大きく変貌した。
ガリツィエン(=西部ウクライナ)とゴーテンラント(=クリミヤ)の第三帝国編入、
そしてトランスリスアニアのルーマニヤ編入がそれである。その代償としてヴォルガ川までの東方領土が与えられ、
ウクライナは全体として大きく東方へ移動する形となることが42年12月のプラハ会議で決定された。

領土的には補償を受けたものの決定を伝えられたウクライナ人の不満は大きく、43年には共産派・民族派パルチザンが跳梁した。
44年に入ってソ連の敗勢が明らかになるとこれらパルチザンも下火になっていくが、
一時は親衛隊が「東方省と国防軍の妥協政策の失敗」を言い立て、東方政策全体の再検討すら俎上に上るほどであった。
119名無し三等兵:2011/06/07(火) 08:49:27.69 ID:???
各国概略史(便乗版):41 ウクライナ(続き)

それでも冷戦期、ウクライナは民族・領土問題を抱えながらも対露警戒心から第三帝国との連携を崩すことはなかった。
また、第三帝国の技術と資本の導入によって「欧州の穀倉」として発展。経済的にも東方諸国随一となる。
このためか、第三帝国崩壊後のクリミヤ返還合意後はむしろ親独的傾向が強く、欧州連合帝国への加盟にも積極的だった。
これには東部国境地帯を巡る露西亜との対立、西部国境地帯を巡る波蘭との対立が背景にあり、
民族感情と政治現実との狭間を示すものと言えるかもしれない。
120名無し三等兵:2011/06/07(火) 08:50:09.19 ID:???
各国概略史(便乗の便乗版)番外の4・ロシア国家社会主義共和国 カフカス地区

ソ連初期に採用された経済地区はロシア共和国となった後も受け継がれ、現在は中央・中央黒土・北西・北・カフカス・
中下流ヴォルガ・ヴォルガ/ビャトカ・カザフの8地区が使われている。

 今回説明するのは黒海とカスピ海に挟まれたカフカス地区で、12の地方・自治州によって構成されている。
この地域はロシア帝国の南下により併合された地域で、それ以来何度も抵抗を繰り返してきた。
そして、第二次世界大戦がそこに更なる混乱を巻き起こしてしまう。
 継戦能力を喪失し、シベリアへの敗走が始まっていた昭和19年2月、
スターリンは前線だったカフカス地区の人間を兵士・民間人を問わず強制的に移動させた。
この、ソ連最期の抵抗は、蓄積された疲労と強制移動中の劣悪な環境のために4分の3が死亡したといわれている。
 その後、昭和23年にロシア国家社会主義共和国が成立。これにより住民は帰還するが、
その間にロシア人など他民族が多数入植していたため、現在のような入り組んだ民族構成になってしまった。
戦後は、ドイツなど欧州諸国の助けも得て軍事力で独立を封じ込めていたが、第三帝国の崩壊に伴い数ヶ国が独立を宣言。
しかし、ロシアはこれを認めず、とうとう平成6年には紛争が勃発した。紛争は泥沼化し現在も続いている。
旧東側陣営が大西亜戦争でテロと戦っているとすると、旧西側陣営はこの地でテロと戦っているといって良い。
 ただでなくても、多数の民族と小さな自治州が混在して統制が難しいこの地域をロシアが手放さないのは
西亜に匹敵する埋蔵量を持ったカスピ海付近の油田及びそのパイプラインが多数通っているためである。
また、多民族国家で、多くの自治州を持つロシアがこの地の独立を認めると、解体に向かうという懸念も大きい。
紛争以外でも入り組んだ民族構成から独立を宣言した自治州同士の国境紛争や、
州内の残留希望勢力など問題は山積みで混乱は当分続きそうだ。
121名無し三等兵:2011/06/07(火) 08:50:43.82 ID:???
各国概略史(便乗版):42 露西亜(=ロシヤ)

スターリンによる41年4月の無謀な対独侵攻は大失敗に終わり、42年5月にはモスクワが包囲され陥落する。
この頃、バルト三国・白ロシヤ・ウクライナでは次々と自治政府が成立し、第三帝国との間にそれなりの協力関係が生まれていた。
こうした背景の中、東方省はいよいよ露本国の占領政策に取り組むことになる。
国家行政管区『モスクワ』がジークフリート・カッシェSA大将の下で成立すると共に、
自治政府の樹立が急がれることになったが、ここでこれまで協力してきた東方省・国防軍の間に亀裂が生じる。
東方省ではかねてより保護してきたダヴィシュカ・ゴトロマニクス公を戴くロシヤ国家社会主義党を、
国防軍は北方軍集団が捕虜にしたアンドレイ・ヴラソフ将軍を戴く国家労働同盟をそれぞれ自治政府の中核に推したからである。
さらに外務省と親衛隊がアナスタシ・フォンシアツキーなる人物の汎露革命国民党なる団体を国外(なんと米が発祥地だった)
から引っ張ってくるに及び、未来の露西亜元首(とその後援者)を巡る争いが42年夏の伯林で繰り広げられた。

結局この問題は東方省が長年保護してきたロシヤ国家社会主義党が名目上の中核となり、
実際の武力(=露西亜義勇軍)を握っているヴラソフ将軍が実権を掌握する形で決着するのだが、
またも東方占領政策の主流から外される形となった親衛隊の妨害は凄まじかった。
ロシヤ解放委員会の名で暫定的にスモレンスクに置かれていた準備組織の重要な構成員が次々と拘留・行方不明になるに至り、
遂に42年秋、東方省・国防軍・親衛隊はマイヤー・オットー街のロシヤ国家社会主義党本部で一個の協定を結んだのである。
122名無し三等兵:2011/06/07(火) 08:51:20.06 ID:???
各国概略史(便乗版):42 露西亜(=ロシヤ) 続き

1.国家行政管区『モスクワ』におけるロシヤ自治政府はロシヤ国家社会主義党をその基盤とする。
2.ロシヤ自治政府首班はダヴィシュカ公とし、義勇軍司令官はヴラソフ将軍とする。
3.ロシヤ義勇軍は戦闘地域では国防軍の、後方地域ではSS=警察長官の指揮下に置かれる。
4.親衛隊は特別入植地域『インゲルマンラント』をサンクトペテルスブルク周辺に与えられる。
5.国家行政管区『コーカシエン』は当面ロシヤ自治政府の権限外とする。
6.親衛隊は国家行政管区『コーカシエン』でのヴォルガ・ドイツ人に関する全権を委ねられる。

概ねこの六項目からなる協定はその後の展開に大きな影響を与えた。特別入植地域の設定はともかく、
コーカシエンを(当面は)ロシヤ自治政府の権限外に置いたことで当時進行中だった「青」「緑」作戦の後方地域に
満足な自治政府を樹立することができなかったのである。特に石油を重視するヒトラーがコーカシエンの直接支配に積極的だったこともあり、
国家行政管区『コーカシエン』では国家行政委員アルネ・シッケダンツによる無定見な統治が48年のロシヤ復帰まで続くことになる。
しかもカフカズ諸民族はロシヤ復帰に猛反対であり、同地に今なお燻っている大きな禍根を残すことになってしまった。

ロシヤ本国に関しては、42年12月のプラハ会議におけるロシヤ国家社会主義共和国宣言、44年9月の正式独立に至っている。
この間、ロシヤ義勇軍(後にロシヤ解放軍)は国防軍と共に前線で戦って大きな犠牲を出している他、
後方地域ではSS=警察長官によるパルチザン掃討作戦に従事させられ、ロシヤ人同志が相撃つ光景が各地で見られた。

冷戦期、ロシヤは東方の最前線国家として、また終わりなきパルチザン掃討戦の国であり続けた。
この為か現在もロシヤは軍国主義的色彩が強く、地方の民族紛争がさらにその傾向を助長している。
さらに冷戦終結後は経済的困難を「ロシヤ固有の領土回復」で国民の目から逸らそうという傾向が見られ、
欧州最大の不安定要因となっているのが実情である。
123名無し三等兵:2011/06/07(火) 08:51:52.65 ID:???
各国概略史33(二訂版)・アイヌ首長国連邦(大日本連合帝国に含まれる)

大日本国の北部に位置し、 アイヌモシリ本島、樺太、千島、カムチャッカ、アリューシャン列島、アラスカを領有している国。
先住民族であるアイヌ民族・サハ人が多く長い歴史があるように見えるが、 歴史は意外と浅く
首長国の成立は明治2年である。
ただし、これは古来からの小・中規模の部族による生活を何百年もの間保持しており、
国家という集合体を必要とする生活ではなかっただけであって、建国まで被占領下にあったわけではない。

江戸幕府が自治を認めた寛政2年(皇紀2450年)からは本国からの移民が始まり、その文化を吸収し急速に発展。
そして慶應3年、上様御謀反が起きる。第十五代将軍徳川慶喜は入札(選挙)により政体を決めることを提案し
朝廷に政権を返還。その代わりに松前へ旧幕臣などを連れて移転。アイヌ首長国連邦を建国する。
これは結果として議会制を促進することとなり、明治政府・アイヌ首長国が近代国家となる大きな要因となった。
この時、アイヌを同列に扱うことや政府と連合を組むことに反対した者が各地で紛争を起こしたのが第一次統合戦争である。

 琉球王国・大日本国と連合帝国になった後は石狩炭田を中心とした様々な炭鉱・鉱山が発見され、
本国の援助の下、開発が急速に行われ、大正末期には本国と対等になるまで成長。
150年前には弥生時代と同じ生活水準だったとは思えないほどの成長ぶりだった。

 当時、首長国は大国ロシアと接していた為、軍隊は防衛に重点を置いたものとなった。
そこで、軍が自国の軍艦を作る時、対潜・護衛に重点を置いた「海防艦」という新種別の艦を作ることとなる。
(それまで日本軍は旧式化した艦を海防任務に充てていた)
この海防艦は、現在の護衛艦・巡視艦の原型となる。
 昭和12年には日本海軍と共同でオホーツク海を封鎖。
大東亜戦争中は自慢の海防艦を護衛艦隊に付ける事で、弱かった日本の補給線の増強に大きく貢献する。
124名無し三等兵:2011/06/07(火) 08:52:29.38 ID:???
さらに、昭和18年9月には日本国を説得する形でベーリング海峡「北方飛び石作戦」・アラスカ上陸戦を実施。
北米原住民(イヌイット)の支持もあり、上陸作戦は成功。アラスカを降伏に追い込む。
終戦後はアリューシャン列島を得、アラスカは委任統治領となる(現在は自治州)。
 こうして、文化・技術を吸収し、領地を広げ、類を見ない勢いで発展していったアイヌ首長国連邦だが、
その分、イヌイット、エヴェン、オロッコなどの少数民族が増え、「少数民族による共同体」を作ろうという思想が現れてくる。
昭和30年、ベーリンジア宣言発表。それは多民族国家5ヶ国による多民族超国家共同体の結成を意味していた。
これは、国家の定義について論争を呼び、首長国と帝国の対立も引き起こすが、
現在もベーリンジア共同体(西洋名CMB)として存続されている。

 アイヌ首長国連邦は17の有力な酋長家からなる連邦国家で、
建国のきっかけとなった徳川松前首長国の首都函館が連邦全体の首都として機能している。
(函館はアイヌの名称ではないので、地元では臼岸(ウスキシ)と呼ぶ人もいる)
ただし、交通・鉱山・軍隊などは連邦が一括して管理している。
各国概略史34(二訂版)・アイヌ首長国連邦(大日本連合帝国に含まれる) 続き

また、本土から津軽海峡・宗谷海峡・間宮海峡を鉄道が通じている為
本土、アイヌモシリ、樺太、沿海州は人・貨物共に行き来が多い。
主な産業は農業・漁業・鉱業。特に十勝の大農地や釧路漁港、石狩炭田・津江(ズエ)炭田・奥端油田は有名。
最近は土地の安さから、工場の誘致も積極的の行われており、これからも更なる成長が予測される。
 徳川幕府を起源としている為、行政区分は国-郡/市-町/村であり、
本島11国、樺太6国、千島、古里役、加莫察加の21国がある。
公用語は日本語・アイヌ語だが、 アイヌ語は定まった表記方法が無い為、第二公用語のような扱いになっている。
また、樺太ではロシア語が使われる地域もある。地域によって様々な言語が使われる多民族・多言語国家。
ちなみに、首長国諜報部は忍者の流れを引き継いでおり、現在も世界各地で暗躍している。
125名無し三等兵:2011/06/07(火) 08:53:35.78 ID:???
アイヌ連邦海軍構成は、基本的には本土と共通の中・小型艦に北洋用装備を取り付けたもの。

初期においては本土からの艦隊派遣。
日清戦争後、ロシアの脅威を肌で感じるようになって艦隊整備を本格的に開始。
防護巡洋艦1〜2隻と二等駆逐艦4〜6隻程度の、連邦にとっては結構な出費の艦隊整備計画発動。
日露戦争後、ロシアの戦利艦を受領。史実の「見島」「沖島」が新たな主力に。
また戦時計画で建造した駆逐艦6〜8隻が相次いで竣工、勢力が一挙に倍増する。

八八艦隊計画が本土でスタートすると、連邦においても函館ドックで巡洋艦級程度は自力建造可能なよう、
かなり大規模な整備計画がスタート。
このとき、5500t級軽巡2を新規建造すると共に、本土から天龍級巡洋艦を購入、改装により高速敷設艦とする。
また古鷹級巡洋艦の購入計画もあったが、終戦後の不況や海軍軍縮条約締結により沙汰止みとなる。

条約時代はアイヌ連邦の戦力も日本所属として勘定されることから建造計画はかなり縮小され、
止むを得ず史実の占守に相当する小型海防艦(当然排水量が制限内に収められ、はるかに小型)の整備が行われる。
このとき、乏しい財政事情もあって船体・機関を共通化し、その他装備を必要に応じて転換する
革命的な設計手法が確立。
アイヌ連邦の600tシリーズはファミリー化の起源とも伝えられる(海防艦の他、敷設艦や潜水艦母艦、輸送艦などが誕生)
設備面では後々のため、中型空母や重巡程度は整備可能なよう、函館ドックの拡張が行われ、1万5000t程度の艦艇が補修・整備可能となる。

無条約時代に入ると函館ドックにも活況が戻り、ついに自力で重巡・空母の建造を開始する。
戦時中、函館からは雲龍級空母2、重巡2が戦列に加わった。
126名無し三等兵:2011/06/07(火) 10:05:01.18 ID:N7mlZWyX
アメリカの軍用機開発史もお願いできませんか?
127名無し三等兵:2011/06/07(火) 11:35:41.89 ID:???
各国概略史・琉球王国(番号なし)・1

17世紀初頭、事実上軍備を全廃していた琉球王国は、島津家の
兵およそ3000名の進攻を受け、薩摩藩の傘下となった。
明に対する朝貢貿易の窓口として、形式上は独立国であったが、
砂糖栽培の利益を薩摩に吸い上げられるという形態は、欧州諸国の
植民地におけるプランテーションとの類似のものだった。
江戸幕府は、諸藩の参勤交代のかわりに、見世物的な意味合いの
強い慶賀使・謝恩使の派遣を求めたが、琉球王国に対する直接的な
経済的・軍事的支配は行わず、島津による支配を黙認した。
寛永年間に幕府が「大船建造の禁」を定め、大型の軍船の建造を
禁止したが、民間用の輸送船については制約されず、和船では
菱垣廻船や北前船などが次第に大型化したが、琉球では中国の
ジャンクに近い独特の構造の船型が発展した。
18世紀初期に、建材・船舶資材としての木材の需要が増大したのに
応じて、杣山政策と呼ばれる山林資源の保全・振興政策がとられ、
その後も木造船については琉球での自給が可能であった。
128名無し三等兵:2011/06/07(火) 11:36:48.53 ID:???
各国概略史・琉球王国(番号なし)・2

18世紀後半、田沼親子による天明の改革では、蝦夷地の開発により、
後のアイヌ首長国の基礎が固められたが、それが一段落し、さらに
欧州・露西亜派遣団が海路で日欧を行き来するに至り、幕府は海上
交通における琉球の重要性を認識した。
また、琉球を介した貿易による薩摩の利益は莫大なもので、
宝暦治水工事などの大規模な普請により薩摩の経済力を削ごうと
する幕府の目論見にもかかわらず、資本を蓄積し続けた。
(これが後に幕末から明治にかけての活動資金となった)
19世紀に入り、長崎で発生したフェートン号事件をはじめとする
欧州諸国との紛争や領海侵犯事件が相次ぐ。このため、文政はじめ
幕府はいわば外郭陣地として琉球を直接管理すべく、南方奉行所
を設立。港湾機能・流通機能を拡充して欧州・アジアとの交易拠点
としての機能も目指した点では、長崎奉行所の機能拡張版といえる。
また、長崎に続いて大型軍船の建造施設も着工した。現在の那覇港・
運天港・金武湾港・中城湾港の大規模な港湾施設の原型がこの時期
整えられた。必要な資金は、将来の貿易の利益により返済される
こととなり、琉球王国は巨額の借金をかかえることになったものの、
貿易の利益を薩摩に一方的に巻き上げられる状況が終焉を迎え、
自国における資本の蓄積が可能となった。
129名無し三等兵:2011/06/07(火) 11:37:21.66 ID:???
各国概略史・琉球王国(番号なし)・3

薩摩藩にも引き続き交易は認められたが、南方奉行所との競合、
琉球への資金還流要求など、利権を奪われ、摩擦の原因となった。
資本の蓄積と近代造船・航海技術を手にした「海の民」の中から、
新世代の海運業者が現れはじめた。欧州・東南アジア航路の
多くは、欧州諸国の船舶が担っていたが、天保年間の通商条約締結
以降、貿易が急速に拡大したのに乗じて、琉球の海運業者は着実に
シェアを伸ばした。並行して、アジアや南洋諸島への移民が現れた。
幕末から明治初期のハワイ移民には琉球出身者が多数含まれている。
天保12年、アヘン戦争に派遣された視察団は、欧州諸国の軍事力の
脅威を詳細に報告し、国防の重要性を幕府に再認識させた。これが
きっかけとなり「富国強兵」を唄った天保の改革が進められた。
嘉永6年、ペリー艦隊による伊豆沖海戦が起こったが、ペリーは途中
琉球に寄航している。南方奉行所は情報収集に努め勝利に貢献した。
ペリーは琉球占領も考えていたと伝えられるが、南方奉行所は各島に
分散されていた軍船をかきあつめ、帰路の艦隊の寄航を拒否。
ミシシッピ号、サラトガ号を失い、サスケハナ号を損傷したペリー
艦隊は、香港まで後退して艦隊を再編し、再来日に備えた。
130名無し三等兵:2011/06/07(火) 11:38:03.15 ID:???
各国概略史・琉球王国(番号なし)・4

19世紀後半、日本本土の政変は琉球も激変させた。国際情勢と
地政学的条件から、琉球を日本の一部に組み込むことが必須と
新政府は認識していた。しかし、それまで名目上は「異国」とする
ことで旧幕府・薩摩・琉球の三者が利益を得ていた経緯があり、
また統合戦争でアイヌ首長国が成立したため、明治4年の廃藩置県
では内地だけでも中央集権化を急ぐ方針となり、琉球王国の解体・
統合案は採られなかった。
この年、琉球人66名が台湾に漂着し、54名が殺害されるという
牡丹社事件が発生、琉球王国と明治政府は連名で清国政府と交渉、
清国側は責任回避のため台湾は清国の統治対象外と主張した。
明治6年、台湾出兵が行われ、欧州諸国の後押しもあり北京専約で
台湾は清国と日本の共同統治となった。一方、琉球は日本の一部
と認められたため、清国側では不満が残った。
この出兵と同時期、明治政府に対する不平士族の騒乱(後に
第二次統合戦争と呼ばれる)が相次いだ。その中でも最大で
最後のものとなった西南の役を収めるのにあたって、西郷隆盛は
旧幕臣の反対勢力をアイヌ首長国に移民させた前例にならい、
琉球王国と台湾に旧倒幕派の反対勢力を移民させて、内地の安定を
図ることで、政府首脳部と合意した。
131名無し三等兵:2011/06/07(火) 11:41:32.38 ID:N7mlZWyX
ありがd
132名無し三等兵:2011/06/07(火) 11:43:36.89 ID:???
各国概略史・琉球王国(番号なし)・5

琉球側は薩摩藩士の受け入れに反発したものの、以前からの薩摩・
幕府支配時代に比べて自治権が拡大したこと、経済面での独立が
認められたこと、受け入れ人数の上限が定められたことなど、
条件交渉により一定の成果が得られたことでよしとした。
社会の中核となっていた交易商人たちのバランス感覚は、人口
100万足らずの小国が、政治・軍事的に独立国として存続する
よりも、日本の傘下で自由に貿易・取引できるほうが有利であると
判断した。また移民による生産年齢人口の流出がいずれ問題になる
と見込まれており、その対策にもなると考えられた。明治8年、
アイヌ首長国・琉球王国・大日本国連合帝国が成立した。
(一方、台湾では土着の高山族、半ば同化されていた平埔族、
漢民族と、新参の日系・琉球系移民は、摩擦を繰り返しながら
徐々に独自の社会を築き上げた。日清戦争後に日本領となり、
第二次大戦後に独立国となるが、それはまた別の話)
133名無し三等兵:2011/06/07(火) 11:44:10.15 ID:???
各国概略史・琉球王国(番号なし)・6

明治から大正にかけて、木造船の時代が去り、鉄船・鋼船が主体
となると、琉球国内では鉄や石炭などの資源を産出せず、また
対規模な重工業を支えるには人口が限られていることから、
造船業は修繕船と比較的小型の新造船が主体となった。その後、
琉球王国の製造業は、船舶装備品の製造から発展した精密機械
や電気・通信機器などが中心となった。
第一次大戦後、南洋諸島の権益を日本が得てからは、琉球王国民
の南方進出が加速された。同時に戦訓から船団護衛の研究や海底
地形の調査が精力的に進められ、その結果は昭和のはじめに創立
された海上護衛部隊に生かされた。音波探知機による調査の際、
変温層による音響チャンネル現象などもこの頃に明らかにされた
ともいわれているが、詳細は今日も公表されていない。
第二次大戦では、琉球王国海軍の保有艦船(大半は日本海軍から
譲渡された海防艦、旧式の駆逐艦・軽巡洋艦)は海上護衛総司令部
の指揮下におかれ、南太平洋、インド洋などで活躍した。
軍事小国の船団が生き残るための方策として考案された戦略・
戦術・装備などは、対米戦に大きく貢献したのである。
134名無し三等兵:2011/06/07(火) 11:44:45.26 ID:???
各国概略史・琉球王国(番号なし)・7

現在に至るまで、軍事小国であるが、海運・通商面では
アジア太平洋地域で有数の存在であり、経済大国のひとつである。
琉球本国の人口は約300万人だが、海外の移民やその家族を含める
と7〜800万人になると見られる。昭南島や布哇、南洋王国、
豪州、西米加州などで活躍する琉球系住民は多い。たとえば
西米では、ちょっとした宴会など、気の利いたうまい食事をする
場合、琉球料理か中華料理が定番。(暗黙の了解で街区ごとに
琉球料理店と中華料理店が住み分けられている)
尚氏王家を象徴的な元首としていただくが、実態は議員内閣制。
ただし「内閣」は、「アイヌモシリ・琉球開発庁」の下部組織に
近い。政策を表明するよりも、法に基づき手続きを執行する組織と
して機能している。自治の主体は議会で、重要な議題は国民投票
で法案を議決するという、直接民主制に近い方式をとっている。
人口が少ないこともあるが、最近では電算網投票の採用など
先駆的な試みを行っている。
教育水準の高さはよく知られており、電子部品や電算機技術など
特定分野での技術力では定評がある。
135名無し三等兵:2011/06/07(火) 11:45:17.61 ID:???
便乗各国人物伝・ベニート・ムッソリーニ(1)

「イタリアの男が真面目に働いた時代は4つある、古代ローマ帝国、ルネサンス、
サルディニアのイタリア統一、そしてムソリーニの統治時代だ。」

 全体主義とはいえ無政府状態のイタリアをムソリーニは意識改革で数年のうちに立て直した。
ただ機会主義的に始まったエチオピア侵攻とスペイン紛争介入で国力は想像以上に疲弊、
独逸との相乗りで英仏に宣戦布告したものの近代戦遂行のための準備はゼロに等しかった。
ヒトラーにとって「ローマ帝国の再興」というのはどうでもよくイタリアには地中海と独逸にとって
弱点であったフランス南東部の防衛以上の価値を期待していなかった。
昭和15年9月上旬の会談でヒトラーは近く東欧で大規模な軍事行動が予定されている事を告げ

共産主義の脅威に対抗するためには同盟国であるイタリアの協力が不可欠であるとして。

・バルカン半島に関する諸問題は「一定の目処が立つまで」棚上げとする
・北アフリカの伊軍は「一定の目処が立つまで」積極的な攻勢を控える。
・東欧で独軍の安全が脅かされた場合の伊軍の協力。
を要求した。
この代価として物資や技術援助と北アフリカにおける軍事行動にの独の支持と支援を約束したが
要するに「戦争の主導権はこちらが貰う、戦線を広げて余計な手間を取らすな」という意味だった。

 ムソリーニは9月の中旬には伊軍の英領エジプト侵攻を考えていたがこの協定でご破算になり
在リビアの伊軍25万は宣戦布告はしたものの足止めされ、いつ出るとも知れない攻撃命令を
リビア派遣の独軍(この頃にはロンメルはいなかった)の監視の下ひたすら待つことになる。

 格下に見ていた同盟国に手足を縛られたも同然の協定に憤慨したがパドリオら軍首脳は
戦争準備も十分でないのに軍を動かす我儘な独裁者を止めたとしてこれを密かに歓迎していた。
136名無し三等兵:2011/06/07(火) 11:45:50.41 ID:???
便乗各国人物伝・ベニート・ムッソリーニ(2)

 こうしてまごつくイタリアに対し先に動いたのはイギリスだった、艦艇が集結していたタラント港に
英海軍の航空機が奇襲を仕掛けたのだ、戦艦1隻沈没2隻大破という損害を受け伊海軍はナポリに退避した。
 これに衝撃を受けたムッソリーニは地中海の確保が急務であると海空軍の再建と拡張に全力を注ぐようになる。

 翌昭和16年のソ連の欧州侵攻と独ソの開戦ではイタリアは直接的な影響を受けなかったが、
同盟の建前上陸軍第8軍を送ったもののムッソリーニは自ら提唱した航空機動部隊の編成に熱中していた。
 この時期のムッソリーニは週の予定に必ず複数の造船所や飛行訓練の視察を予定に組み込んでいる、
着々と完成する空母や航空機を眺めている時が自らの野望に酔いしれられる唯一の時間だったのだろう。

 伊軍首脳、特に東部戦線の装備改善を要求する陸軍からは不満が続出したが。同年末の日本の真珠湾攻撃と
その後の快進撃はムソリーニに大きな自信を与え翌年からは待望の空母「アクィラ」をはじめ昭和18年までに
新生伊海軍の中核をなす艦船が続々と戦力化された。


 英海軍は当初タラント海戦をはじめ伊海軍に連戦連勝であったため伊海空軍の戦力を軽く見ていたが
昭和18年5月の希臘侵攻に対しクレタ島に篭る希海軍を航空攻撃をもって数日で沈黙せしめたのを見て
方針を転換、伊海軍機動部隊殲滅のため総力を挙げてジブラルタル沖海戦に臨んだが独伊海軍の圧勝に終わった。
 この頃になるとヒトラーもイタリアの海軍力を無視できなくなり昭和19年6月のパナマ上陸戦ではヒトラーは
直接ムッソリーニに伊海軍の支援を要請した、三年半の歳月を経て”ヒトラーがドゥーチェに頭を下げた”のだ、
ムッソリーニの得意ぶりは想像して余りある。

 伊海軍は土壇場で間に合った「グラーフ・ツェッペリン」を横目に米本土上陸作戦でも露払いを務め
こちらも戦中に増強されたサン・マルコ海兵隊の上陸作戦支援など華々しい活躍を見せた。
137名無し三等兵:2011/06/07(火) 11:46:21.78 ID:???
便乗各国人物伝・ベニート・ムッソリーニ(3)

 結果仏伊国境地帯・コルシカ島・チュニジヤ・マルタ島・キプロス島・ダルマチヤ
・モンテネグロ・希臘(エーゲ海の一部の島は土耳古領、トラキヤ地方は勃牙利領)
・リビヤと埃及の国境地帯・埃及とのスーダンの共同統治権・ソマリヤ・ジブチを
国王に献上しさらに米本土の一部を占領するなどこれがムッソリーニの絶頂であった
しかし転落は早くに訪れる。
 エジプト・スーダンの領有を巡り独逸と不和を起こし、新米本土占領協定をうけ
ほとんどの駐留軍を米本土から撤退させる羽目になった。
さらに阿弗利加の独立抵抗運動にかかる戦費は馴れない植民地経営による収益を遥かに越え
元々弱体だった伊経済の足を引っ張った、ムソリーニ自身は表舞台では常に強気であったが
私生活では愛人クララが後に「演説とはまるで別人のように弱音を吐いていた」と述懐するなど
内政と外交の失敗は次第にムッソリーニを追い詰めていった。
 昭和31年ヒトラーが死去し後を継いだゲッベルスと国防軍によるヒトラー批判が行われるようになると
王党派を中心にムソリーニ排除が画策されることになる。
 この頃のムソリーニは健康不安を理由に静養中であったがある日ローマでの大規模な暴動と
国王による自分の解任をラジオの緊急放送でで聞くことになった、
34年前に国王がファクタ首相に換え自分に祖国を託したように今度は自分が国王から解任されたのだ。
急ぎローマに向かおうとしたが王党派の多数派工作で寝返った大評議会でのムソリーニ批判決議の可決と
同時に発令された戒厳令によりムソリーニは駅で逮捕、グラン=サッソ山荘に軟禁されてしまう。
 しかし王党派の見通しの甘さから独軍の即時介入を招きこの政変はあっさりと潰れ独軍特殊部隊により
ムソリーニは救出、国王のいなくなったローマに再び舞い戻ることも出来たがムソリーニにはその体力も無く
独逸に亡命、後継には独の肝煎のボッターイを首班とするイタリヤ・ファシスト共和政権が成立した。
 その数年後ヒトラーの盟友を自認し結果ヒトラーの野望に翻弄されつづけた独裁者は
皮肉にもヒトラーの出発点であったミュンヘンでリビア独立戦争の報道を聞きながら病に倒れ
家族に見守られつつひっそりと息を引き取った。
138名無し三等兵:2011/06/07(火) 14:04:36.11 ID:???
海軍艦上戦闘機
                 九六式(三菱A5M)
                   ↓
                 零式 一一型〜一二型(発動機中島『栄』 三菱A6M1) ……→二式水戦
                   ↓
                 零式 三五型(発動機三菱『金星』 三菱A6M2)
陸軍キ-61(後三式)……→二式艦上戦闘機(川崎 AXKs1〜3 高圧水冷型)
                   ↓
                 二式艦上戦闘機(川崎 AXKs5〜 空冷型)
                 (水冷型も並行生産)
                   ↓
                 艦上戦闘機「陣風」(川西A8K)
                 艦上戦闘機「震電改」(九州 J9W-A)

海軍陸上戦闘機
二式陸上偵察機→夜間戦闘機「月光」(中島J1N)
              ↓
            夜間戦闘機「電光」(横廠S1Y)

局地戦闘機「雷電」(J2M開発中止→九州J2Wとして制式化、少数生産)

水上戦闘機「強風」…→局地戦闘機「紫電」(中翼、N1K1-J、増加試作止まり)
                 ↓
                局地戦闘機「紫電」(低翼、N1K2-J、少数生産)……→一八試水上戦闘機「紫風」
139名無し三等兵:2011/06/07(火) 14:05:12.89 ID:???
海軍水上戦闘機
(九五式水上偵察機(中島E5K))
  ↓
(零式観測機(三菱F1M))

零戦……→二式水上戦闘機(中島A6M-N)
          ↓
        水上戦闘機「強風」(川西N1K)……→局地戦闘機「紫電」
          ↓                      ↓
        一八試水上戦闘機「紫風」(川西N2K 増加試作止まり)

陸軍
九七式戦闘機(中島キ-27)
  ↓
一式戦闘機「隼」(中島キ-43)
二式単座戦闘機「鐘馗」(中島キ-44)
二式複座戦闘機「屠龍」(川崎キ-45改)
三式戦闘機「飛燕」(川崎キ-61)←……………試製戦闘機キ-60(川崎)
  |             └───┐
  ↓                    |
四式戦闘機「疾風」(中島キ-84)   ↓
五式単発単座戦闘機(川崎キ-100・キ-61の空冷化)
五式双発単座戦闘機「火龍」(三菱キ-200)
五式双発複座戦闘機「黒龍」(川崎キ-96)
140名無し三等兵:2011/06/07(火) 14:05:45.75 ID:???
☆旧日本軍・海軍艦上戦闘機
●九六戦(三菱 A5M)
記載無し。史実通りか
●零戦(三菱 A6M)
「二式艦戦の登場により早期に第一線から退いた」「整備率が高く汎用性が高い為、改造を重ねて使われた」など
人によって意見が割れている
●二式艦戦(川崎 AXKs1〜6) 《≒陸軍三式戦・五式戦》
三式戦「飛燕」と五式戦の海軍版。2.2スレで各型まで解説有り。愛称は「飛燕」もしくは「海燕」
〔一一型(1)、一一型甲(1a)、二二型(2)、一二型(2a)、三二型(3)、三三型(3a)←これら高圧液冷型〕
〔六五型(5)、七五型(5a)、七六型(5b)、七六型甲(5c)、八七型(6)、五八型(11)、九九型(15)←これら空冷型〕
●烈風(三菱 A7M)
発動機の問題で計画が二転三転し、零戦後期型や二式艦戦が性能に追いついてしまった、いわゆる失敗作
試作機止まりで終わったという説とP47のような重戦として少数生産されたという説がある
●陣風(川西 A8K)
詳細不明。六七型が存在するらしい。強風の発展型なので「N8K-A」という説も
●震電改(九州 J9W-A)《≒陸軍六式戦「雷龍」》
戦後型。少数生産機の震電をジェット化したもの
141名無し三等兵:2011/06/07(火) 14:06:18.81 ID:???
☆旧日本軍・海軍陸上戦闘機
●月光(中島 J1N)
二式陸偵を改造したもの。記載無し。史実通りか?
●電光(横廠 S1Y)
形式名があるのみ。詳細不明
●雷電(三菱 J2M→九州 J2W)
三菱の開発中止機を九州飛行機が制式化した物。少数生産
●紫電(川西 N1K1-J)
水上戦闘機の強風を陸上戦闘機に改造したもの。増加試作止まり。中翼
●紫電改(川西 N1K2-J〜N1K5-J?)
前述の紫電を大幅に改造したもの。低翼。艦上型があるという説有り。
量産と少数生産の説有り。(ただ、流れを見ると少数生産の可能性大)
●閃電(三菱 J4M)
双胴の大口径砲搭載機。戦後墳進化され少数配備
●秋水(三菱 J8M)
詳細記載無し
●震電(九州 J9W)
二式艦戦の性能向上により少数生産に終わる。戦後ジェット化され震電改・雷龍に
142名無し三等兵:2011/06/07(火) 14:06:49.63 ID:???
☆旧日本軍・海軍水上戦闘機
●九五式水偵(中島 E5K)、零式観測機(三菱 F1M)
形式名があるのみ。史実通りか
●二式水戦(中島 A6M-N)
機体に関する解説無し。ただし戦況などを見ると史実よりかなり活躍している模様
●強風(川西 N1K)
機体に関する解説無し。二式水戦の後継としてかなり活躍している模様。三七型が存在するらしい
●紫風(川西 N2K)
水上機起源の紫電改を再度水上機化した物。戦局の変化により開発中止
●四式水戦(川西 N3K)
陣風の水上機版。強風の能力向上のため少数生産で終わる
●晴嵐(愛知 M6A)
言わずと知れた潜水艦搭載機。水上機としても使用された模様

☆旧日本軍・海軍艦上爆撃/攻撃機
●九七式艦攻(三菱 B5M、キ30)
初の機種統合機。天山登場まで活躍。六七型、七九型(出力向上・防弾強化型)を確認
●九九式艦爆(愛知 D3A1〜6)
二二型(2)までは史実通り。三五型(4)以降大幅改造。引込脚となり防弾・武装強化。流星登場まで活躍
●天山艦攻(三菱 B6M)
中島が発動機の開発に手間取っているうちに三菱が追い抜いて採用。昭和18年初頭より実戦配備
途中で発動機を金星から土星に変更し、大幅に性能向上
●流星艦攻(愛知 B7A)
雷撃機と急降下爆撃機を兼ねる機体。その上F6F、P47に匹敵する格闘性能を持つ。昭和19年末より実戦配備
戦後も活躍し、昭和41年リオ上空でTa283を撃墜した機体。六六型(応急型)五三型(リオ機)を確認
143名無し三等兵:2011/06/07(火) 14:07:21.26 ID:???
☆旧日本軍・海軍陸上爆撃/攻撃機
●九六式陸攻(三菱 G3M)
満州事変のときから活躍。三四型が存在。世界で最初に渡洋爆撃を行った機体。ただし、本来は雷撃主体
●一式陸攻(三菱 G5M)《≒陸軍二式重爆「蒼龍」》
双発機だった中型攻撃機を四発に大型化。搭載量は少なめだが防弾・防御火力は日本機では異例の高さを誇る
連合軍からはイエローフォートレスと呼ばれ恐れられる。終戦まで第一線で活躍
●二式爆撃機(中島 G6N)《≒陸軍一〇〇式重爆「呑龍」》
航続距離の不足から目立った活躍はせず。ただし、陸軍の呑龍は大成果を挙げている
●連山陸攻(中島 G8N)
本格的大型戦略爆撃機。機械式過給機使用。米本土戦略爆撃の始まりであるシアトル空襲を行った機体
●銀河爆撃機/陸攻(三菱 G11M)《≒四式重爆「飛龍」》
中型高速攻撃機。機種統合により誕生。採用後に雷撃性能が付加。南米動乱まで活躍
37粍機関砲搭載の対戦車攻撃型(G9M-M)が存在する《≒陸軍キ109》
●富嶽(中島 G10N)
空冷28気筒4800馬力の昴発動機を搭載した六発機。米本土の戦略爆撃で活躍する。原爆投下もこの機

☆旧日本軍・海軍その他の機体
●二式大艇(川西 H8K)
世界最高水準の高性能大型飛行艇。昭和40年代まで活躍。最近まで初代機が救難機として現役だった
●晴空(川西 H8K2-L)
詳細記載無し。二式大艇を元にした輸送機。史実と同じか
●桜花(空廠 MXY7)
詳細記載無し。重爆懸架式の護衛戦闘機。試作のみか
144名無し三等兵:2011/06/07(火) 14:07:52.73 ID:???
☆旧日本軍・陸軍戦闘機
●九七戦(中島 キ27)、隼(中島 キ43)、鐘馗(中島 キ44)、屠龍(川崎 キ45改)
史実通りか
●飛燕(川崎 キ61)《≒海軍二式艦戦》
二式艦戦と対応。対応機種は以下の通り
〔T甲〜T乙→一一型、T丙→一一型甲、T改→二二型、T丁→三二型、U→三三型〕
●疾風(中島 キ84)
機体に関する記載無し。富嶽の護衛など米本土戦で活躍
●五式戦(川崎 キ100)
飛燕の空冷版。二式艦戦と対応。対応機種は以下の通り
〔T甲→七六型、T乙→七六型甲、U→八七型〕
●キ94(立川)
試作高高度防空戦闘機。大口径砲搭載。発動機を串型配置している。戦後墳進化され少数配備
●火龍(三菱 キ200)
五式単戦。タンパ防空に使用されたらしい。詳細不明
●黒龍(川崎 キ96)
五式双戦。詳細不明
●雷龍(九州 キ201)《≒海軍震電改》
機体に関する記載無し。陸軍最後の戦闘機

145名無し三等兵:2011/06/07(火) 14:08:24.58 ID:???
☆旧日本軍・陸軍爆撃機
●九七式重爆(三菱 キ21)
ノモンハンからラバウル攻防戦まで活躍した双発快速爆撃機。四式重爆飛龍の量産により製造終了
●九九式軽爆(三菱 キ30改)《≒海軍九七式艦攻》
初の統合計画機。使用された期間はごく短い。
●九九式襲撃機/軍偵察機(三菱 キ51)
日本発の対戦車攻撃機。別名「空飛ぶ速射砲」。ラバウル後大規模改造
●一〇〇式重爆「呑龍」(中島 キ49)《≒海軍二式爆撃機》
九七式重爆と共にラエ・ラバウル空襲で活躍。陸軍機初の行動中の艦戦に対する成果を挙げる
●二式重爆「蒼龍」(三菱 キ120)《≒海軍一式陸攻》
12.7粍機銃を搭載。海軍の12.7粍機銃を触発する。終戦まで主力の一端として活躍
●四式重爆「飛龍」(三菱 キ67)《≒海軍銀河爆撃機/陸攻》
戦争末期、富嶽の補佐として高速低空侵入での精密爆撃や、急降下・反跳爆撃で対艦戦攻撃で活躍。
37粍機関砲搭載の対戦車攻撃型はキ109

☆日本空軍・戦闘機
●麗風(三菱)
米国名ファントム。機体に関する記載無し
●暴風(川西 A18K)
少し前に退役が決定。機体に関する詳しい記載無し
●飛鷲(三菱)
機体に関する詳しい記載無し。32式戦闘機。Ta1025に触発され開発。銀鷲は改良型
●銀鷲(三菱)
機体に関する詳しい記載無し。39式戦闘機。米国名イーグル
●隼【二代】(中島)
機体に関する詳しい記載無し。昭和50年選定
●天狼(川西・三菱 A6K/M)
機体に関する詳しい記載無し。昭和54年採用。隼(二代)との競争に負けた川西「蝮龍」を三菱と共同で再開発
●電光(三菱)
機体に関する詳しい記載無し。61式戦闘機。米国名ラプター
146名無し三等兵:2011/06/07(火) 14:08:59.23 ID:???
☆日本空軍・爆撃/攻撃機、その他の機体
●明星(川西)
機体に関する詳しい記載無し。輸出仕様機はスカイホークと呼ばれる

☆日本空軍・その他の機体
●蒼空(川西 H11K)
詳細記載無し。晴空の後継機
●暁空(川西 H13K)
詳細記載無し。蒼空を救難機に特化させた機体
●彩空(川西)
詳細記載無し。暁空の改良型
●黒鳥
戦略偵察機。詳細不明

☆旧米軍・海軍戦闘機
●ブリュースター F2A「バッファロー」
昭和14年に配備開始。日本機に全く歯が立たなかった。戦争末期に自爆攻撃に使用された
●グラマン F4F「ワイルドキャット」
大東亜戦争開戦時の主力。機体に関する記載無し
●グラマン F6F「ヘルキャット」
昭和18年配備開始。空的リファインが無く格闘性能は低い
●チャンス・ヴォート F4U「コルセア」
性能は優れていたが、不具合の修正や海兵隊とのイザコザにより配備が遅れ陸上機として使用される
●グラマン F8F「ベアキャット」
終戦間際に開発された機体。四式戦「疾風」と互角以上の戦いを繰り広げた
147名無し三等兵:2011/06/07(火) 14:09:34.38 ID:???
☆旧米軍・海軍爆撃/攻撃機
●ダグラス SBD「ドーントレス」
記載無し。史実通りか。ただしSBD−6以降は主力として増注された様子
●カーチス SB2C「ヘルダイバー」
海軍の無理な要求によって、安定性を欠いてしまった機体だが昭和19年まで改造、生産される
●ブリュースター SB2A「バッカニーア」
記載無し。SB2Cの失敗により昭和19年7月より開発が再開された機体
●グラマン TBF/TBM「アベンジャー」
雷撃機。飛行性能が悪く、味方から「座り込んだ七面鳥」と揶揄される
●チャンス・ヴォート TBU/TB2Y「シーウルフ」
TBF/TBMの失敗により主力に切り替えられた機体
●ブリュースター BTA「スカイレーダー」
SB2Aを独自に開発した雷撃・降爆両用機。少数が実戦配備される
148名無し三等兵:2011/06/07(火) 14:18:08.30 ID:N7mlZWyX
ありがとうございます。
開発経緯とかもお願いできませんか?(2.1にありました)
149名無し三等兵:2011/06/07(火) 20:29:41.28 ID:???
☆旧米軍・陸軍戦闘機
●ベル P−39「エアラコブラ」
●カーチス P−40「ウォーホーク」《≒英国キティーホーク》
共に記載無し。史実通りか
●リパブリック P−43「ランサー」
詳細記載無し。ただし失敗機
●リパブリック P−47「サンダーボルト」
当初は侵攻用戦闘機。性能付加や武装強化などで格闘性が極めて悪化
高高度迎撃機や対地攻撃機として使用。戦後、飛行可能機を西米に返還したら主翼を切断された機体でもある
●ノースアメリカン P−51「ムスタング」
独自設計を逆提案して採用された機体。爆撃機が優先されていた為、ハワイ攻略戦まで前線に投入されず
●ベル P−63「キングコブラ」
高高度戦闘機。主として対ソ・対英支援用に使用される。末期に少数が米本土防空戦に登場
●ロッキード P−38「ライトニング」
迎撃、護衛、戦術爆撃、偵察をこなす万能双発機。優れた上昇力を使い日本軍機と互角以上に戦う
戦後の評価はあまり高くないが、陸海軍にとって最も脅威となったと思われる機体
●ロッキード P−80「シューティングスター」
大戦末期の不利な状況下でF8Fと共に成果を挙げた墳進機
●カーチス・ライト XP−55「アセンダー」
詳細記載無し。量産配備中に終戦を迎えた後退翼機
●ノースロップ P−79「フライングラム」
詳細記載無し。非道の体当たり専用機
●ベル P−54
詳細不明
●ノースアメリカン P−82「ツインムスタング」
超長距離援護戦闘機。P−51ムスタングを2機繋げた珍機で日本機の届かない超高高度から爆撃。
ドゥーリットル・シャングリラの両作戦に使用された機体だが、配備数は極めて少ない
●チャンス・ヴォート XF5U「フライングパンケーキ」
詳細不明。量産には至らず
150名無し三等兵:2011/06/07(火) 20:30:28.78 ID:???
☆旧米軍、爆撃機
●ボーイング B−17「フライングフォートレス」
機体に関する詳細記載無し。大戦末期には単座の体当たり機が存在。扶桑・山城を体当たりで沈める
●コンソリデーテッド B−24「リベレーター」
機体に関する詳細記載無し。昭和17年のドゥーリットル爆撃はこの機体
●ボーイング B−29「スーパーフォートレス」
機体に関する詳細記載無し。戦争末期のアトゥーンメント作戦に使用される
●コンベア B−36「ピースメーカー」
機体に関する詳細記載無し。パナマ・ハワイ空襲に使用されたという説と、幻の超大型機という説がある

☆ドイツ空軍、戦闘機(大戦前)
●Bf109、Bf110、Me262、He280、He162
名前のみ。詳細不明
●Fw190
記載無し。1941年12月より配備
●Ta183
詳細記載無し。大戦中に開発された革新的な機体

☆ドイツ空軍、爆撃・攻撃機(大戦前)
●Ju87
記載無し。1942年には旧式化
●Fw200
詳細記載無し。英国本土の夜間爆撃に使用
●Ju90
詳細記載無し
●Ju290
詳細記載無し。Ju90の発展型。英国本土の夜間爆撃に使用
●Ju390
詳細記載無し。大型爆撃機。米本土への戦略爆撃に使用される
151名無し三等兵:2011/06/07(火) 20:31:04.00 ID:???
☆ドイツ空軍、戦闘機(戦後)
●Ta383《≒ロシア MiG15》
Ta183を大幅に改良した機体。北米戦争では飛行性能で日本機の機体を上回った。
●Ta283
ラムジェットを使用する予定だった計画機
●Ta483
1950年登場。Ta383拡大型の超高速戦闘機。戦闘爆撃機としても。南米紛争に登場
●Ta1021
1956年登場。尾翼付き三角翼のマッハ2級戦闘機。戦後ジェット戦闘機で最大の生産機を誇る
●Ta1025
1964年登場。偵察機「黒鳥」に対抗して開発されたマッハ3級戦闘機。「飛鷹」開発を促す
●Ta1023
1967年登場。可変後退翼を持つ。戦闘爆撃型はTa1027
●Ta1031
1975年登場。Ta1025の改良型。速度を落とす代わりに低空性能を向上
位相配列電探を 搭載して汎用性を高めている。
●Ta1029
1977年登場。小型軽量の高機動戦闘機。第三帝国崩壊に伴い、主に輸出用となる
●Me462
Me262の艦載型。空母の出遅れにより量産は中止される
●Me662
1955年登場。Me262Kを全面再設計した迎撃機
●Me1007
詳細不明
●Me2117
Me1007の離着陸性能を改善する為に可変後退翼を採用した型
●Me1017
詳細不明
●Me2122
Me1017の発展型。1981年に暴風と空中戦を繰り広げる
152名無し三等兵:2011/06/07(火) 20:31:40.30 ID:???
●Me1115
1962年登場。Me662の後継機。1983年に民間旅客機エア・カナダ機を撃墜した機体
●Me2125
1975年登場。直線翼の近接航空支援機
●Me1127
1977年登場。迎撃・制空戦闘機を兼ねる大型戦闘機。現在の主力。発展型は下記の通り
〔艦載型→1133、艦載攻撃機型→1132、複座戦闘爆撃型→1134、電子装備近代化型→1135推力変更発動機搭載型→1137〕
●Ju1328
1963年登場。全天候迎撃機。爆撃機並みの巨体で運動性能は悪く対爆撃機専用機となる
●He162
国民戦闘機。1950年頃まで生産されるが練習機や標的機として使用される
●He1525
1952年登場。大型の電探を搭載した双発長距離迎撃機。現在も現役
●He1536
世界初のジェット式垂直離着陸機。1963年に飛行に成功。ただし試験機のみで生産には至らず
●He1538
1975年登場。ドイツ空母艦隊の航空戦力となるが、性能は日本機よりあらゆる面で劣る
●He1541
1989年登場。完全に新世代の機体で垂直離着陸能力と戦闘機としての能力を両立できる機体
電子化、墳進弾搭載能力、超高速飛行可能。ただし予算の都合で制式採用のめどは立たず
●ミラージュ戦闘機
詳細不明。リピッシュ社製作の三角翼機
●ラファール戦闘機
詳細不明。リピッシュ社製作の先尾翼と三角翼を組み合わせた機体
153名無し三等兵:2011/06/07(火) 20:32:17.94 ID:???
☆ドイツ空軍、爆撃・攻撃機(戦後)
●Me2107
1955年登場。P.1100/W計画を基に開発された攻撃機
●Me2124
1970年登場。可変後退翼の戦術爆撃・攻撃機。電子戦機などのバリエーションもある
●Ar343《≒He343》
1945年登場。Ar234の発展型である戦術爆撃機。戦後も幅広く生産・使用される
●Ar4018
西側のベストセラーとなった輸送機
●Ar4038
対潜哨戒機
●Ju490
Ju390の改良型。北米戦争でジェット化の必要性を認識しジェット化。Ju590となる
●Ju595
1951年登場。Ju590の再設計型。機関を換装し長距離哨戒機などに今日も多数が使用されている
●Ju3322-U
1969年登場。航続距離の問題から少数生産に終わったJu3322-Tを再設計したも超高速爆撃・攻撃機
●Ju3360
1981年登場。Ju595に代わる本格的な爆撃機として開発。第三帝国崩壊により少数生産で終わる
●He1528
1962年登場。He1525に似た迎撃・爆撃機。ただし、実際には練習・偵察・電子戦機として使用される
●ミラージュ爆撃機
詳細不明。リピッシュ社製作の三角翼機

●アメリカ三国の詳細
アメリカ共和国連合(南部連合/CSA)・・・11州
(テキサス、アーカンソー、ルイジアナ、テネシー、ミシシッピ)
(アラバマ、ジョージア、フロリダ、ノースカロライナ、サウスカロライナ、バージニア)
アメリカ合衆国(西米/USA)・・・19州
(ミソネタ・アイオワ・ミズーリ以西)※南部連合成立前はアーカンソー、ルイジアナ以西が加わる
アメリカ国家社会主義連邦(東米/UNSA)・・・18州
(ウィスコンシン・イリノイ・ケンタッキー以東)※南部連合成立前はテネシー・ミシシッピー以東が加わる
154名無し三等兵:2011/06/07(火) 20:32:50.66 ID:???
戦時中主要喪失艦(年表記載あり)

昭和16年
喪失
米:戦艦3(ユタ、ネバダ、オクラホマ)
英:戦艦2(POW、レパルス)、空母1(インドミタブル)

昭和17年
日:戦艦1(比叡)、空母5(祥鳳、赤城、蒼龍、龍驤、瑞鳳)、重巡3(加古、最上、摩耶)
米:戦艦6(マサチューセッツ、アリゾナ、バーモント、ミネソタ、ワシントン、サウスダコタ)、
  空母5(サラトガ、レキシントン、ヨークタウン、ワスプ、ホーネット)、重巡1(ポートランド)、軽巡1(アトランタ)
英:戦艦2(ウォースパイト、レゾリューション)、空母2(ハーミス、フォーミタブル)、
  重巡3(コーンウォール、ドーセットシャー、ロンドン)

昭和18年
日:空母4(龍鳳、天城、千歳、千代田)、重巡7(足柄・羽黒、妙高、那智、愛宕、熊野、三隈(拿捕))
米:戦艦3(ニューメキシコ、アイダホ、テキサス)、空母3(エセックス、ヨークタウンU(拿捕)、レンジャー)

昭和19年
日:戦艦3(扶桑、山城、武蔵)、空母2(開聞、大鷹)
米:戦艦11(アーカンサス、メリーランド、ウェストバージニア、ニュージャージー、テネシー、カリフォルニア、コロラド、ワイオミング、ニューヨーク、アラバマ、ミシシッピ)、
  空母3(イントレピッド、ホーネットU、ミッドウェー)、重巡1(アラスカ(元「三隈」))

昭和20年
日:空母2(天鷹、阿蘇)、重巡1(鈴谷)
米:戦艦1(アイオワ)、重巡1(フィリピンズ)
155名無し三等兵:2011/06/07(火) 20:33:41.33 ID:???
終戦時残存主要艦(年表記載あり)

日:戦艦7(大和、信濃、長門、陸奥、金剛、榛名、紀伊)
  空母31(鳳翔、飛龍、翔鶴、瑞鶴、大鳳、瀧鳳、瑞鳳、隼鷹、伊勢、日向、冲鷹、海鷹、神鷹、葛城、雲龍、
      蛟龍、飛隼、蒼隼、身延、生駒、笠置、鞍馬、岩木、九重、妙義、雲仙、三瓶、那須、祥鷹、虹鷹、彩鷹)
  重巡12(高雄、鳥海、古鷹、青葉、衣笠、利根、筑摩、穂高、富士、蔵王、乗鞍、白根)
米:戦艦5(ペンシルベニア、モンタナ、オハイオ、イリノイ、メイン)
  空母8(ランドルフ、バンカーヒル、ワスプU、ベニントン、ボクサー、フランクリン・D・ルーズベルト、ボノム・リシャール、オリスカニー)
  重巡1(グァム)
156名無し三等兵:2011/06/07(火) 20:35:05.73 ID:???
北米戦争

昭和25年6月25日、ケベック共和国軍が突如オンタリオ州境を越境し、カナダ領内に侵攻した。
縦深となるカナダへの侵攻は当初無謀な暴発と思われ、英本国や大日本帝国は当初間接的な支援に限定した。
しかし、僅か2ヶ月で首都トロントが陥落し、 オンタリオ州併合宣言を出す事態に行き当たり、
背後に第三帝国の介在が明らかになるに至り、大日本帝国は駐米部隊をマニトバ州に進出させた。
北米戦争は両陣営の当初の想定を裏切った大規模戦争に発展したのである。

オンタリオ州併合宣言にともないマニトバ州チャーチルに遷都したカナダの支援要請により、
大東亜共栄圏各国は多国籍軍を編成し逆侵攻作戦が展開された。
第三帝国は共栄圏の介入を退けようと国際連盟にオンタリオ州併合宣言を正当化する採択を迫る。
当然のことながら、大日本帝国の拒否権行使により流案となった。

11月。共栄圏軍はオンタリオ州ほぼ全域を奪還しさらにモントリオールへと逆侵攻、ケベック・シティに迫りケベックに降伏を勧告した。
しかし、それまで北米武装SSに行動を任せ、沈黙を続けていたドイツ国防軍駐米部隊が突然オタワへと侵攻、トロントも再度陥落しオンタリオ州中部まで押し返した。

だが、ここで第三帝国部隊と、その装備品供与を受けるケベック軍を思わぬ敵が襲った。カナダの厳しい冬である。
シベリア戦や北海道を想定して厳冬に備えて来た大日本帝国部隊にとっては恵みの冬だった。
旧州境まで押し返し、さらにケベックへの戦略爆撃によってケベック側の逆侵攻能力を削いでいった。
しかし、強力な陸上兵器をそろえる国家社会陣営はこの強烈な空爆に耐えながら共栄圏陣営と一進一退の膠着状態を続けた。
157名無し三等兵:2011/06/07(火) 20:36:04.30 ID:???
この膠着状態は半年間にも渡った。
だが、昭和26年4月、それまで中立を守っていたパナマが対日協力を宣言、これにより日英の海軍がケベック東部に迫ったのである。
わずか2ヶ月でケベックはニュー・ブランスウィック州、ノバ・スコシア州、 ニュー・ファンドランド州を喪失。
第三帝国は逆上陸を企図したが、強力な日英泰海軍との正面衝突を恐れたイタリアが北米不介入を宣言、フランスがこれに続いた。
第三帝国は単独では充分な海軍戦力を確保できずこれを断念せざるを得なかった。

第三帝国は昭和26年末、北米戦争撤収を宣言。ズルズルと大西洋での日英の発言力拡大に繋がる事を恐れ、
対ケベック協力よりも旧合衆国領域においての権益保全を優先したのである。
しかし、武器供与は影に日向に続けられ、ケベックはゲリラ戦を中心に共栄圏陣営に抵抗した。
しかし、不利は拭えず、旧ケベック州本体の領有を条件にケベック共和国は停戦交渉を持ち出した。
共栄圏陣営もまた旧合衆国領での権益保全を考えなければならず、交渉に応じざるを得なかった。

昭和27年7月に休戦協定が発行。ケベック共和国は早くも建国時に保有していた東部3州を失った。
158名無し三等兵:2011/06/07(火) 21:21:24.92 ID:???
戦後(北米動乱)の日独の戦車

 昭和20年9月に大東亜戦争の終結を受けて晩秋に予定されていた米東海岸への侵攻に備え増産されていた
新砲塔四式中戦車は内地と満州・蒙古、そして独立を果たした多くの共栄圏各国に配備されることとなった。
 これに続く次期主力戦車は米戦線では限定的に投入された五式中戦車(チリ)と五式中戦車改(チリ改)が
有力視されたが親独派が依然大勢を占めていた陸軍では明らかに対独逸を意識した戦力整備は憚られる
雰囲気があった。しかし弱体化したとはいえ米軍を圧倒する独逸軍機甲部隊の快進撃を目の当たりにした
米戦線からの報告や、マルタ会談その他戦後処理をめぐる独逸との軋轢、国家社会主義国として成立した
ロシア国家社会主義共和国と満州の保護国となったシベリア共和国との国境問題などが危機感に拍車をかけ。
ひとまず内戦中であった汪兆銘政権支援を名目に五式中戦車の量産が決定し平行して大威力十加を搭載した
五式砲戦車「ホリ」「カト」の量産と配備も開始された。
 
 一方の独逸では停戦時四号、パンター中戦車、ティーガー重戦車を中心に米ソ最後の悪あがきとも言える
重戦車狩りに活躍したヤークトティーガーやモスクワ攻防戦や米東海岸の市街戦で威力を発揮したブルムベア・
シュトゥルムティーガーなど派生車輌を順調に生産していた、戦後もこのような強力な戦闘車両の傍らで旧式を
改造々々して運用するという万年戦車不足といえる状況を解消し国防軍と武装親衛隊の装備の統一と再編成のために
生産が続行された。
 また次期主力戦車として戦中から行われていた七号レーヴェ(獅子)中戦車、マウス超重戦車の試作と
「E計画」と呼ばれる中、重、超重戦車の開発計画が進められた。
 第三帝国の勢力圏各国では独逸からの譲渡兵器や米ソ軍からの鹵獲車輌の他、各国独自のものとしては仏蘭西の
ARL44戦車やAMX50戦車、洪牙利の44Mタス重戦車など雑多な車種が誕生した。
159名無し三等兵:2011/06/07(火) 21:22:05.05 ID:???
戦後(北米動乱)の日独の戦車 ・2
 
 日独戦車の対決の機会は意外と早く訪れた。独逸から援助されたケベックの150両とも言われる六号パンターF及び
G型の混成、そして多数の四号戦車、突撃砲などで編成された機甲部隊とSS仏義勇擲弾兵師団「シャルマーニュ」など
ケベックに駐留していた武装親衛隊がカナダに侵攻、装甲戦力が英国の旧式戦車の他M4やラム巡航戦車、その改造車の
カンガルー兵員輸送車程度のカナダ軍を各地で壊走させた。
 
これに対抗して帝国も開戦から2ヵ月後に四式中戦車を主力とした駐米部隊を進出させ、英国からの資料を元に
M4中戦車を改造し17ポンド砲を搭載したファイアフライ戦車や豪州から送られてきた同じ17ポンド砲搭載のACIV戦車、
米軍から鹵獲した九糎砲搭載の駆逐戦車、M26戦車を装備したカナダ軍とともにケベック軍の勢いを止め、続いて
五式中戦車の配備と日満蒙の戦車師団からなる増援が到着するとケベック軍は開戦当初保有していた戦車の過半を失い
共栄圏軍内にも「独戦車恐るるに足らず」との認識が生まれた、しかし昭和25年末第三帝国国防軍の介入開始により
これが慢心であった事に気付かされることになる。
 G型に比べ数段強力なパンターF型を主力とし更にティーガーII重戦車を擁する独軍に対し五式中戦車が配備されたとはいえ
共栄圏軍全体で見れば数で主力である四式中戦車や五式七糎半高射砲戦車(ナト車)では分が悪く四式十五糎自走砲(ホロ)が
大口径のタ弾を使用し敵戦車多数を撃破するなどの活躍を見せたが航空支援の呼べない冬期の悪天候下での日独の直接対決は
独逸の横綱相撲といえる展開となり戦車隊は各地で苦杯を舐めることとなった。
 
 昭和26年に入り主力が十糎加濃砲を搭載した五式砲戦車と九糎(八十八粍)戦車砲搭載のチリ改となり重装甲となったが
火力を誇る独戦車に対し皇軍を中心とする共栄圏陣営の戦車部隊は地形利用による待ち伏せや夜襲などあらゆる戦術を駆使し
熟練した戦車兵の戦いは決闘の様相を呈した。
160名無し三等兵:2011/06/07(火) 21:22:37.72 ID:???
戦後(北米動乱)の日独の戦車 ・3

 五式中戦車改の投入と平行して「現用のあらゆる戦車を撃破できる戦車」として新中戦車(チル)の開発が
推し進められた。砲は当初の計画の十糎加から海軍から提供された127粍高射砲改造の十三糎戦車砲に変更、
これによる車体の大型化と独戦車に対抗できる装甲重量を合わせると当初の要求では40屯以内とされた重量を
軽く越えてしまうこととなり最初からが大陸での使用を想定し内地本州での輸送、使用を考えないという
思い切った要求変更が行われた。昭和26年に試作車が完成(一部は実戦に投入されたともいう)、
翌年一ニ式戦車として採用され北米紛争の切り札となる筈だったが量産を前に休戦協定が成立した。

 第三帝国側も六号中戦車パンターの決定版というべきパンターII、105粍砲搭載の七号中戦車レーヴェの
試作車輌を投入されたとされている。
161名無し三等兵:2011/06/07(火) 21:22:52.80 ID:???
東西の主力戦車(北米戦争〜南米戦争間)

・五式中戦車改
 基本設計は大東亜戦争中に開発された長砲身七糎半搭載の五式中戦車。
大東亜戦争末期に九九式八糎高射砲を改良した五式戦車砲を搭載した本車が誕生した。
 戦後は北米戦争を経て発動機の換装や射撃装置、トランスミッションの改良、
長年の懸案であった砲手席砲塔固定の鋳造/溶接砲塔の採用等甲・乙・丙など各型が作られ
戦後砲の換装した四式中戦車改とともに共栄圏各国に供与され現在でも主力とする国は多い。

・一ニ式重戦車
大東亜戦争中に次期主力戦車の一つとして提案された「チル車」として開発が始められたが
クリスティー式懸架装置や加給器付高出力発動機など新機軸もたたり戦局の推移と共に凍結されていた。
北米戦争中に独軍戦車に対抗するための戦車として浮上、当初予定されていた十糎加濃砲よりも
高威力の砲として海軍から提供された八九式127粍高角砲を搭載した。
独軍戦車に対抗するためとはいえ当初の計画より重武装・重装甲となり要求を満たすために
「基より内地での移動・使用を想定せず」という思い切った決定がなされている。
しかし本格的な実戦投入開始前に北米戦争が終結、北米大陸や満州・蒙古・シベリアに配置され
鈍重で扱いにくいとの評判であったが卓越した攻撃力で対独の最前線を支えた。

・二○式戦車
一ニ式重戦車の採用に続き独戦車に対抗する五式中戦車の後継として「チカ車」として計画される。
搭載砲は十糎戦車砲の改良版が準備されたが開発は難航、英国王立兵器廠製51口径105粍施条砲L7A1が
低伸弾道性・装甲貫徹力に優れるとしてこれが導入された。
車体は開発期間短縮のために五式と一ニ式の折衷のような形状となり生産性は向上し
共栄圏各国向けや量産過程での改良形式各型合わせて昭和50年代末まで生産が続けられた。
162名無し三等兵:2011/06/07(火) 21:23:58.69 ID:???
・V号「パンター」2戦車
第二次世界大戦で独逸勝利に最も貢献したとされるV号パンター戦車の直系、
北米戦争時に試作車が登場し実戦に参加したとも言われる。
形状ではパンターF型と似ているが高性能のステレオ式照準器を備えるほか
戦中独逸になかった高出力ヂーゼル機関や初期型で85ミリ戦車砲を採用するなど不発に終わったソ連戦車T34の影響も見られる。
従来の独逸戦車にない高い生産力・整備能力を持ち西側の数多くの国で採用された。

・VII「レーヴェ」重戦車
戦中から開発されていたVI号「ティーガー」重戦車の後継車両、
105ミリ戦車砲を搭載し本来対ソ戦用であったが88ミリ砲搭載の「ティーガー2」の生産が優先され二次大戦末期に駆け込み式で採用後細々と生産された。
戦後は極東と西亜に配備、あるいは供与され中東戦争で東側戦車の脅威となった。

・「マウス」重戦車
『史上最強の戦車』とも『ヒトラーの道楽戦車』とも称される怪物戦車、
昭和19年に105ミリ砲+150mミリ砲連装旋回砲塔、装甲は平均200ミリを持つ常識を超えた超重量戦車として立案されたが
これにポルシェ博士の趣味とも言える電動駆動が採用されたため開発はその当初から茨の道になった。
国防軍はグデーリアンをはじめ全く期待していなかったばかりか「資源の無駄」と一貫して反対の方針だったが
無数の地雷と重戦車に守られウラル山中に篭るスターリンに止めを刺すには必要とヒトラーは強硬に主張し結局昭和19年に完成、
仮採用という形で武装親衛隊の重戦車大隊に配備された。
重量188トン、不整地で時速10数キロしか出ない巨漢が挙げた戦果は不明だが
当時のニュース映画では大口径砲の直撃を食らい地雷を踏んでもびくともせず
ソ連戦車を次々と吹き飛ばし踏み潰すマウスの姿を見る事ができるが
ゲッベルスは「宣伝では十分すぎる戦果を挙げた」とこの戦車について回想していることからヤラセであった可能性が高い。
武装親衛隊の縮小とともに早々にお払い箱となり国家社会主義各国に供与されたが戦車としての性能云々より「総統閣下のプレゼント」として宣伝的意味合いが強く
北米戦争でゴールド政権が大量に要求し実戦で使用した以外は2630年代まで西側の軍事パレードに登場するだけの兵器となっていた。
163名無し三等兵:2011/06/07(火) 21:25:08.44 ID:???
東西の主力戦車(現用戦車編)

第三世代主力戦車
・四〇式戦車(五〇式戦車)
我が国の主力戦車、それ以前は一八式(二〇式)戦車に改良を加えていたが2630年代に独逸が新型戦車(レオパルド2)を開発するに至り
新規の戦車開発を三菱と小松に命じ競作させた。
結果新型の発動機(ガスタービンエンジン)を搭載した小松製が採用され搭載砲は英国製51口径105粍施条砲L7A1を搭載したが
当時開発が進んでいた国産の十二糎滑腔砲を搭載するために砲塔や車体には余裕をもった作りになった。
5年後の昭和60年生産分から十二糎滑腔砲搭載に改められたが冷戦中ということもあり砲の換装は準軍機扱いとなり名称の変更は行われなかった。
これと同時に現代戦に対応する装甲の強化や電算機を中心に各種電装品の更新など四〇式戦車の改良版も登場、
イラクのクウェート侵攻が引き金となり湾岸危機が本格化すると四〇式戦車の大半にこの改修が施され昭和帝の喪が明けたこともあり
大々的に五〇式戦車として命名された。
その後の湾岸戦争で圧倒的な能力を見せ西亜など亜細亜各国向けにも生産されたが信頼性確保のため三菱製のエンジンに交換されているなど相違点が多い。

・ドラッヘン戦車(ドイツ共和国)
2630年代半ば開発された第三帝国最後の主力戦車、レオパルドの発展型に位置付けられ
決定版であるN(neue Typus:新式)型は反応装甲を持ちラインメタルRh120L50滑腔砲を搭載し通常弾の他対戦車噴進弾を発射することも可能。
同時期に量産された大量に生産、輸出されたレオパルド2に対しこのドラッヘン戦車こそ独逸第三帝国の切り札であり
配備は国内に限定され軍機の壁もあり冷戦中はなかなか実態がわからなかった。
第三帝国の崩壊に伴う経済混乱で新規の生産が停止し湾岸戦争で独逸製戦車の評判が急落したことで輸出は振るわず現在はドイツ共和国内と東欧、カナダが取得したのみである。
164名無し三等兵:2011/06/07(火) 21:26:24.57 ID:???
・M90戦車(アメリカ国家社会主義連邦)
東米が欧州の技術を導入し開発した戦車、砲は120ミリで独Rh120(44口径)、あるいは仏CN-120-26(52口径)とも言われる。
ポトマック事件の余波や第三帝国の崩壊により技術供与の中断があったが独自技術で2650年代始めには量産にこぎつけた。
複合装甲方式が採用されており、大きさに対する重量から特に砲塔正面の装甲には劣化ウラニウムが使用されているのではないかという説がある。

・Type-90戦車(M1戦車)(アメリカ合衆国)
西米が10年越しで完成させた第三世代戦車、東米の独逸式の戦車に対抗すべく強力な装備が要求され国内製と英国製との競作で120ミリ砲を採用した。
性能は独自に発展した電子技術を応用し姿勢制御・照準は列強戦車でも良好の部類であり「ハイテク・タンク」の異名をとる。
詳細は不明であるが複合装甲を用いた装甲を備えるが重量過多・あるいは装甲が薄過ぎて底部は川の底の石でも割れるという風説が広まり
性能の割には自国民から全く誉められない不幸な戦車である。

第三世代105粍砲級戦車

・五二式(装輪)装甲砲システム(大日本帝国)
2620年代に海軍陸戦隊で導入した満州製8輪装輪装甲車を湾岸戦争後に陸軍が採用した五二式装輪装甲車の一つ。
軽量十糎(105粍)砲を搭載し当初無かった対戦車能力を付加したが対戦車というより火力支援を目的としている。
後の西亜戦争においてその俊足を生かし活躍した。

・L7ルーイカット装輪戦車(南アフリカ共和国)
エラント(レイヨウ)装輪装甲車の後継として開発された装甲車
阿弗利加諸国ではパンターII・P40・モセベンテ等の独仏伊の骨董品が主力であり当初は防弾、対地雷を重視し76,2mm速射砲を採用していたが
後に輸出を視野に入れ英国製ヴィッカースL7(105ミリ戦車砲)搭載型が開発された。
165名無し三等兵:2011/06/07(火) 21:26:56.24 ID:???
120粍砲級戦車
・AMXー60(仏蘭西)
戦後黙々と開発・生産された仏蘭西戦車の最新型
砲は120ミリながら独自に52口径と長砲身で砲口初速では世界最速のCN-120-26戦車砲を使い
自動装填装置により毎分15発発射可能とされ命中率も95%としている。
冷戦の終結に伴い自国生産が大幅に削減されたため産油国を中心に売り込み中。

・C1アリエテ戦車(伊太利亜)
装備体系に関してはフランス以上に独自路線を採ったイタリアだったが。
肝心の戦車は大戦末期にやっとP40重戦車を溶接式にするのが精一杯で
戦後も西側では後塵を拝し国産の主力は一連のモセベンテ対戦車自走砲に留まり、
ようやく世界に先駆けて52口径105mm砲を搭載したセンタウロ装輪戦車を導入したが
主力戦車はドイツに頼る他無く国産戦車は長年の悲願であった。
2640年代にレオパルド戦車を自国生産した経験からOTOメララ社とフィアット社により
試作が行われ2650年に調達が決定にされたが時既に遅く冷戦が終結、
調達計画は遅延と縮小を余儀なくされたが主力戦車として現在も配備が進められている。
166名無し三等兵:2011/06/07(火) 21:28:42.47 ID:???
・「レオパルド」中戦車
「パンター2」という戦後第一世代の傑作を生み出した独逸では引き続き「E計画」と呼ばれた戦車開発計画が進められた。
しかし晩年のヒトラーが推進したのは重戦車ばかりで北米や中東で強力ながら鈍重な重戦車の限界を痛感していた国防軍とは溝が深まっていた。
 
ヒトラーの死後大統領に就任したロンメルは「E計画」のうち軽戦車と中戦車開発計画から新たな主力戦車の開発を命じ
2610年代末に各社で作られた試作車が登場、仏伊との「欧州標準戦車構想」頓挫後の2623年に
主砲のRh-105はラインメタル社、砲塔をヴェクマン社、発動機をMIU社、組み立ては一番低価格で生産できたクラウス・マッファイ社が抜擢された。
車体は圧延防弾鋼板の全溶接構造で防御力より攻撃力、機動力を重視し新型の105ミリ砲は東側の大半の戦車を撃破可能とされた。

採用後はその生産性を生かし大量生産され翌年にはロンメル前大統領を招いて挙行された国防軍軍事パレードに
数百両のレオパルド戦車が登場し東側の軍事関係者を驚かせた。
なお「レオパルド」を和訳すると「パンター」と同じ「豹」で混同する可能性があり当初「ロンメル戦車」と呼称されていた。

・「レオパルド2」戦車
レオパルド戦車は西側各国で大規模かつ大量に生産され中東・そして南米の戦場に送り込まれ西側を代表する戦車となったが
内実は新機軸を盛り込みすぎたため発動機を筆頭に不都合が続発、早くも改良を余儀なくされた。
しかし冷戦期の独の軍事戦略であった世界同時電撃戦構想には東側から一歩でも抜きん出た戦車が必要とされ、
「レオパルド」戦車開発と同時に進捗していたポルシェ社の開発していた戦車に白羽の矢が立てられた。
中東紛争や南米戦争での戦訓から成形炸薬弾にも対抗できる複合装甲が採用され、主砲もラインメタル社製44口径120ミリ戦車砲Rh-120となり攻撃力も増強した。
 
こうした野心作であり、生産性も更に向上したレオパルド2は本国の他旧式戦車の置換え需要で北欧そしてイラクなど中東の「お得意様」に大量に輸出され
悪化の一途であった国家財政にも寄与したが、輸出仕様は生産性重視のあまり装甲は圧延防弾鋼板のみの「フェアゴルデン(金メッキ)」と呼ばれた
廉価版が大半だったことが後にレオパルド2の命取りになることになる。
167名無し三等兵:2011/06/07(火) 22:26:09.21 ID:???
・アル・ハリド戦車(パキスタン)
パキスタンはインドという敵対国を持ち極東における西側の「出城」であったため
西側各国からの軍事援助には事欠かなかったがアフガン動乱で東西冷戦の終焉を予感し
自主防衛を掲げ核の保有とともに主力兵器である戦車の国産に乗り出すことになる。

中華人民共和国経由で東西の技術を仕入れ中国製レオパルドの改良を繰り返しながら
自国の工業力を段階的に上げてゆく方式で2650年代末に実用化された。
近年の経済の混乱に加え独逸のドラッヘン戦車導入が半ば強引に決定したことで
戦力化には至っていないが120ミリ滑腔砲を装備した西側主力戦車に匹敵する戦車である。

・レオパルド2 E型・F型
湾岸戦争で大きく評判を落とした独逸戦車の汚名返上を図り製作された主力戦車。
西側で最強の戦車であるドラッヘン戦車に匹敵する能力を目指し輸出型では省略された
複合装甲を基本に増加装甲の取り付けを行い見た目にも大きく変化した。
砲もラインメタル社120mm滑腔砲ながら44口径に代えて、長砲身55口径に変更した。
この砲は通常砲弾の他最新型の対戦車誘導弾の発射も可能で大半の東側装甲車輌をその射程外から撃破できるとされる。

現在独逸本国向けへの改修の他パキスタンにも2250年代半ばから制式戦車として続々と配備が進められている。
168名無し三等兵:2011/06/07(火) 22:26:45.05 ID:???
・アージュン戦車(インド)
英連邦と日本の援助のもとに開発されたビジャヤンタ戦車に続く国産戦車
複合装甲が用いられ全体的にはヴィッカーズ戦車の影響を受けている。
砲は英国製55口径120粍施条砲、装甲と電装品は国産のものを多用された。
量産先行車の登場以降2662年までに120両あまりが量産されたが
2661年に五〇式戦車の現地生産が決定されて以降量産は中止されるのものと思われる。


・三四式戦車
2620年代には日本が一八式、英国がチーフテンと戦後第二世代戦車を開発していたが、
一八式は入手した米国戦車を基本に製作された戦車で「車内で宴会が出来るほど広い」
と呼ばれる大柄な車体を持っており致命的な被弾面積が大きすぎるとの懸念があり
特に内地および南方各国では地理的条件にそぐわないとの意見から
昭和35年に「東亜標準戦車」構想が提唱され日中満など共栄圏各国に
英、米(西米)が共同で開発を行った。
 
 東側では多く用いられた十糎戦車砲装備、曲面構造で被弾径始に優れた鋳造砲塔、
油気圧懸架による射撃姿勢制御など画期的な戦車であったが国内の反対で西米が離脱、
英国も消極的になり日本も南米への介入による軍事費の増大で苦しくなったが
一八式の現地で使いにくいとの評判からその代価案として開発は続けられた。
(一説には試験と称して試作車を現地に持ち込み実戦にも投入したといわれる。)
そして2634年にようやく制式化され日本内地及びベーリンジア共和国、
東南亜細亜共同体や南洋諸島で採用されたが第二世代戦車としては
登場が遅い部類であり車体もギリギリで設計された車体のため改良の余地が少なく
改造、延命処置案も一八式に比べると少ないのが現状である。
なお西米も計画離脱後も独自に開発を進め装備している。
169名無し三等兵:2011/06/07(火) 22:27:53.10 ID:???
・三五式装甲車
長く帝国陸軍の「足」として活躍した十九式装甲車の海軍陸戦隊改良型。
南米での戦訓から”パンツァーファウスト”に代表される成形炸薬弾にも耐えられるべく装甲形状に工夫がなされている。
アルミニウム合金を多用し全体として軽量に纏められ浮航性も確保しており兵員輸送、指揮、捜索、救護に用いられる基本型と
無反動砲、迫撃砲を搭載した火力支援型が製造された。
生産は少数に留まったがこれを元に陸軍でも十九式装甲車を改造している。

・特四二式内火艇(カテ)
大東亜戦争中に魚雷艇だった特四式内火艇(カツ)を兵員輸送に仕様変更し布哇、米本土など常に先陣を切った通称「水牛」「陸(おか)の大発」の末裔。
南米戦争にも投入された特十六式内火艇(カメ)の後継として登場した
従来のスクリュー推進に代わり水流噴出式で高速を実現している
生産当初は三一式として海軍特別根拠地隊、特別陸戦隊、一部陸軍部隊に配備されその後大改装され改名し現在に至っている。

・二五式軽戦車
戦車を空挺運用した帝国陸軍の戦後開発した本格空挺戦車。
従来の二式軽戦車(ケト車) とこれをタネ車とした自走砲から大幅に向上し車体は軽金属を中心にした装甲で約16屯、
短砲身十五糎砲を搭載し同口径の対戦車誘導弾を発射可能だった。

陸軍挺進団など空挺部隊が装備し南米戦争にも初期の主力として投入され後に湾岸戦争にも展開したがこの時は既に二軍扱いであった。


・五五式軽戦車
南米戦争以降共栄圏各国で試作が行われた以外は帝国陸軍内において軽戦車は時代遅れという認識が強く二五式の後継は凍結されたが、
湾岸戦争でその即応性が再評価され満州陸軍の軽戦車を元に製作された。

105粍低反動施条砲ながら第三世代戦車を撃破できる能力を持ち空中投下後増加装甲を取り付ける方式で重量を25屯内に抑えた。
アフガニスタン・イラクに空挺部隊とともに投入された。
170名無し三等兵:2011/06/07(火) 22:28:25.61 ID:???
・オントス自走無反動砲(西米)
USSDF創立の際不足するであろう機甲対戦車車輌の埋め合わせのため作られる。
ただひたすら攻撃力を重視したため106粍無反動砲6門搭載と言う奇怪な姿になった
後継車両も無いまま対戦車および火力支援車輌として地味な立場に甘んじてきたが
USSDFのイラク派遣に際して重火器搭載車として派遣話が持ち上がった。

・M61中戦車(西米)
戦後新規の戦車開発を禁止され発足当初のUSSDFは返還されたM3、
M4A3E8、M26などを改造して装備していた。
2610年代に日本から一二式戦車の供与が持ちかけられたが乗組員の体格に合わず
車内の大改造が必要として国産戦車の開発に乗り出し2621年に完成した。
国産の90ミリ戦車砲を装備したこの戦車は攻撃力・防御力に一抹の不安を抱えながらも
西米戦車の主力となり現在では殆どが退役した。
171名無し三等兵:2011/06/07(火) 22:28:56.69 ID:???
欧州枢軸艦上機事始

地球の裏側ではわが大日本帝国が大空母機動部隊で真珠湾に奇襲攻撃をしている頃、
欧州枢軸では、ドイツ海軍は第一次大戦で海軍のほとんどを失っていた上、ナチスの空母に対する無理解から、
潜在的技術力を持つドイツでは「グラーフ・ツェッペリン」も建造半ばで休止され、終戦間際まで放置されてしまっていた。

したがって、空母とその搭載機開発はドイツよりも充実した海軍を持ち、
地中海をして「我々の庭」と呼んだイタリアの方が先んじていた。
1942年に竣工する空母「アクィラ」用の搭載機としては、専用機ではなく空軍機からの転用としていた。
戦闘機ではフィアットG50、マッキMC200、カプロニ・レッジアーネRe2000が候補に上がったが、
当初はG50が最有力とされていた。しかし、日本の零式戦と比べるとG50は性能不足すぎた。
また、Re2000は前方視界や失速速度など母艦運用には難ありと判断され、
もっとも無難な選択としてマッキMC200サエッタのペイロード強化形MC200CBをキャリアライズ、
さらに発動機をP19RC45に変更したMC201TBが用意された。
一方攻撃機はブレダBa65がベースとなった。空軍用としては既に生産の終わっていた機体だが、
ひとまず魚雷や対地爆弾を搭載して飛ぶには充分だった。
Ba65は元来単座機だが、イギリスや日本に倣って複座形のBis-L型がベース機となった。

イタリア空母部隊の初陣は「スパルヴィエロ」が戦力化した1943年6月、
クーデター未遂直後でイタリア上層部の政治的要求により実施されたジブラルタル上陸作戦だった。
このときは水上艦艇の露払い役だった。
だが、攻撃開始日の2日に、停泊していた巡洋艦、駆逐艦数隻を着底させた。
この中には空母「フューリアス」も含まれていた。
さらに、4日に勃発したジブラルタル沖海戦では駆けつけた「イラストリアス」や「フッド」「クィーン・エリザベス」に
魚雷を命中させ大破。このうち「フッド」と「クィーン・エリザベス」は
直後に「リットリオ」「ローマ」を主体とするイタリア水上艦艇群と撃ち合い撃沈、
「イラストリアス」は回航中の5日、Uボートからさらに1本を受け、横転した。
この戦果をファシスト等は「タラントの雪辱を果たした」と内外に大々的に喧伝した。
172名無し三等兵:2011/06/07(火) 22:29:33.71 ID:???
ジブラルタル占領後、イタリア海軍は封殺されたイギリス海軍を尻目に、
同様にパナマをこじ開けた日本海軍との接触作戦を実行した。
エア・カヴァーを提供する必要性から当然2隻の空母も同行した。

イタリア海軍としては日本海軍との連絡は看板であり、実態としては米英間の通商破壊が目的であったが、
イタリア側の索敵不手際と北大西洋の荒天により接触することができなかった。だが、これは米側にとっての不幸になる。
折りしも第二次パナマ沖海戦(米側呼称カリブ海海戦)の勃発中。
イタリア海軍は煮えたぎるカリブ海に突っ込むことになる。
もちろん、イタリア艦隊は承知の上での行動だったが、日本も行方をつかんでいなかったTF39との遭遇は完全に偶発戦だった。
この時、手数の多いTF39に一度は押されかけたイタリア艦隊を押し戻したのが、
海戦エリアからは離れた位置に存在した「アクィラ」「スパルヴィエロ」の搭載機だった。
48機の攻撃隊に対し、米側は11機のP-38で直掩を提供していたが、
24機のMC201を相手にしては高性能も生かせず追っ払われてしまった。
この攻撃による直接の撃沈艦はなかったが、満身創痍の米旧式戦艦群は
新鋭の「リットリオ」になす術もなくTF39は壊滅させられている。
173名無し三等兵:2011/06/07(火) 22:30:05.47 ID:???
1944年までには「アクィラ」ベースの急増中型母艦「ファルコ」「トリエステ」が戦列化、大西洋に放たれた。
一方、地中海の守りにはドイツの中古商船を購入して改造した特設空母が投入された。
これにはフィアットG55Tチェンタウロと複座方のG55BTが搭載されたが、
MC201に比べ性能は良かったが母艦運用での評判は悪かったという。

ドイツもイタリア空母の活躍を見てようやく「グラーフ・ツェッペリン」の工事を再開したが、
結局竣工したのは1945年4月のことで、ほとんど戦況には寄与しなかった。
しかも、ドイツの主力戦闘機はBf109・Fw190ともにキャリアライズには不適当で、
フランス製のブロックMB115を改造して使い、また攻撃機はJu87では低性能すぎ、
イタリアからBa65Cbis-Lを輸入する有様だった。
戦後、冷戦状況下においてもドイツ海軍は軽空母は多数保有するものの、
その規模では終始、イタリアの方が優勢であった。
そして、冷戦崩壊後の現在も、イタリア海軍はレッジアーネ型正規空母「レッジアーネ」「ジュリオ・ドゥーハ」を保有している。
174名無し三等兵:2011/06/07(火) 22:34:51.25 ID:???
第2次パナマ沖海戦は、別名カリブ海海戦とも呼ばれる。
連合艦隊は空母機動部隊の一部をパナマ運河より侵攻させ、
大和・大鳳以下主力部隊は南米大陸を大回りさせる大遠征を行い、
両者の連動によってカリブ海に大包囲網を形成、一気にカリブ海の制海権確立を図った。
しかしこれほどの大遠征が察知されないはずもなく、米海軍は残余の部隊を集結させ、各個撃破に討って出る。
米軍の機動部隊はキューバを離れ、日本主力部隊に先制奇襲をかけた。
米艦隊は陸上機の支援下で待ち構えていると油断していた日本艦隊は虚を衝かれ、『大鳳』・『海鳳』以下の空母部隊に大きな被害を出す。
日本艦隊のエアカバーを奪った米軍は得意のレーダー射撃に一縷の望みを託し、夜戦を挑んだ。
当日夜は天候悪く、米軍が完全に主導権を握ることになる。
日本艦隊がまだ敵影を確認できないうちからレーダー射撃が降り注いだ。

旗艦『武蔵』は味方に体勢を立て直させるため、探照灯を照射した。
当然ながら敵砲火は彼女に集中する。
だが、米軍にも誤算があった。『武蔵』の驚異的なタフさである。
彼女は16インチ砲弾実に30発以上をその身に受けながらも奮戦し、
逆に『メリーランド』ウェストバージニア』を葬ってみせたのである。
さらに水雷戦隊の雷撃すらその身に受け、総数17本もの魚雷を浴びつつなお沈まなかった。
そのタフさに恐怖し、半ば意地になって『武蔵』にトドメを刺そうと米軍が気を取られている隙に、
『大和』以下の艦隊がすぐ側まで忍び寄っていた。
絶対に外すことのない至近距離から砲撃を開始した日本艦隊は、ついに米軍最後の機動戦力を葬り去る。
だが最早『武蔵』を救う術は残されていなかった。
朝日が昇る中、艦隊総員の帽振れに見送られつつ、彼女は静かに永遠の安息についたのであった。。。
175名無し三等兵:2011/06/08(水) 08:23:03.22 ID:???
戦後艦船概略その1・独空母『アドルフ・ガーランド』級

基準排水量:4万8800トン、速力:32ノット強
主兵装:短SAM(形式不明)6連装発射機×4、対潜ロケット(形式不明)12連装発射機×2、37mmCIWS×4
搭載機:CTOL×38、ヘリ×4
同型艦:『ヴェルナー・メルダース』 『エーリッヒ・ハルトマン』 『ゲルハルト・バルクホルン』 『エーリッヒ・ルドルファー』 『ギュンター・ラール』
     (7番艦『ハンス・ヨアヒム・マルセイユ』は建造中止)

1960年代後半から登場した戦後型ドイツ空母第2世代艦。
未だ戦術空軍の範疇から抜け出せないドイツ軍らしく、搭載機の大半は戦闘機(戦闘爆撃機)である。
またドイツの整備方針に基づき、中型で手回しの良い直衛空母に仕上がっている。
(ドイツはこの時点でなお大型水上艦を重視しており、対艦戦闘の多くを水上艦並びにUボートに依存している)
1970年代一杯までかけ、ほぼ2〜4年おきに6隻が建造され、WWUの撃墜王たちの名が冠された。
また同型艦複数がフランス等でも採用されている。
現在では老齢の域に達しており、4隻はすでに予備役に編入されている。
176名無し三等兵:2011/06/08(水) 08:23:36.62 ID:???
戦後艦船概略その2(便乗)・伊潜『ナザリオ・サウロ』級

排水量:2250トン(水上)、速力:22ノット(水中)
主兵装:533mm魚雷発射管4門(USM、魚雷、機雷兼用)
同型艦:『サルヴァトーレ・ペロシ』他

イタリアの誇る浅海域用小型、軽快な潜水艦。
ドイツの潜水艦は大洋型が多く、地中海で運用するには不都合な点も少なくないため、
イタリアは独自仕様に基づき実用的な小型潜水艦を開発した。
中途よりフランス・スペイン、そしてドイツもバルト海など浅海域用として共同開発に参入。
80年代より就役を開始、6隻が完成。
その他フランスで6隻、スペインで2隻、ドイツで10隻が就役した他、輸出実績も好調である。
一部は近代化改装工事により、燃料電池を搭載している。

なお、欧州では現在、次期共同小型潜水艦として新動力潜水艦が開発中。
177名無し三等兵:2011/06/08(水) 08:24:09.13 ID:???
戦後艦船概略その3(便乗)・日原子力大型巡洋艦『富士』級

基準排水量:3万6400トン、速力:30ノット強、
主兵装:203mmレールキャノン単装×2、80式対地・対艦巡航ミサイル『轟雷』24発、
83式対空ミサイル『天弓』3型96発、76mm速射両用砲単装×4、30mm砲・短SAM複合型CIWS×6他
同型艦:『三笠』他

戦後日本が建造した最大・最強の水上戦闘艦。
核動力の巨大な出力を背景に、本格的レールキャノン(誘導砲弾発射可能)とレーザー防空システムを搭載する。
(2003年現在、レールキャノン搭載艦は東西通じて核動力艦に限られている)
95年に1番艦が就役したばかりの最新鋭艦であり、搭載するレールキャノンは世界最大口径である。
現在、2番艦『三笠』が完成、3番艦が建造中・4番艦が計画中である。
しかし冷戦終結から存在意義について議論があり、4番艦は建造中止の可能性もある。



戦後艦船概略その4(便乗)・独原子力大型巡洋戦艦『デアフリンガー』級

基準排水量:2万4800トン、速力:32ノット強、
主兵装:150mmレールキャノン単装×1、対艦巡航ミサイル『トール』16発、
SAM・SSM・SUM兼用多目的VLS128セル、88mm対空速射砲単装×3、37mmCIWS×8他
同型艦:『リュッツオウ』他

戦後ドイツ最強の水上戦闘艦(ドイツは50年代末に8万トン戦艦2隻を完成させており、最大ではない)。
本格的レールキャノンシステムを搭載しており、速射性・貫徹力は在来艦砲とは比較にならない。
80年代前半には1番艦の就役が確認されており、現在までに7隻が完成し、3隻が建造中という
主力艦級大型水上艦としては異例の量産が図られているが、冷戦終結と経済的問題から建造は事実上凍結されている。
178名無し三等兵:2011/06/08(水) 08:24:41.53 ID:???
戦後艦船概略その5・独原子力空母『マンフレート・フォン・リヒトホーフェン』級

基準排水量:8万6500トン、速力:32ノット強、
主兵装:短SAM用VLS16セル×4、短魚雷発射管×8、37mmCIWS×8、
搭載機:CTOL×84、ヘリ×10、

ドイツが建造した最大、そして現在のところ最後の空母である。
かつて8万トンの超戦艦『グロースドイッチュラント』を建造したヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠が
久しぶりに能力の限界に挑戦した大艦。
リニア・カタパルトやレーザー対空システムをはじめとする最新鋭の技術が惜しげもなく投入されており、
また直衛主体だったドイツ艦載航空隊編成から完全に脱皮した、バランスのとれた一個の完結した部隊編成となっている。
1989年に1番艦『リヒトホーフェン』が完成、以後92年に2番艦、99年に3番艦が完成したが、
建造中の4・5番艦の将来は明るくない(5番艦はすでに解体されたとの情報あり)。
80年代は『デアフリンガー』級巡洋戦艦や潜水戦艦とも形容できる超大型Uボート等の新型艦が相次いで出現しており、
この時期の大量建艦がドイツの経済を圧迫したとの説が有力である。

なお、3番艦『ヘルマン・ゲーリング』は、武装撤去し東米に売却され、テーマパークとして活用されたが、経営破綻した。
179名無し三等兵:2011/06/08(水) 08:25:16.45 ID:???
戦後艦船概略その6・独戦略原潜『提督』級

排水量:2万6600トン(水中)、速力:25ノット強(水中)
主兵装:650mm魚雷発射管4門、533mm魚雷発射管4門、弾道ミサイル『スレイプニール』×24

ドイツの潜水艦にしては珍しく固有名を与えられた世界最大の原潜。
弾道ミサイル『スレイプニール』は天駆ける8脚の馬の名に相応しく、最大8発の子弾(250キロトン相当)を搭載可能。
79年に建造が、82年には1番艦が戦略パトロール任務に就いたことが確認されたが
静粛性の大幅な向上に、東側諸国は大いに危機感を抱いたという。
少なくとも8隻の就役が確認済。
2番艦『エルヴィン・ヨハンネス・オイゲン・ロンメル』他、6隻は個艦名も判明している。

なお、ドイツが潜水艦に固有名を与えた例としては他に、
巡航ミサイル多数を搭載した潜水戦艦『カール・デーニッツ』級があるのみである。
こちらは海軍提督の名が与えられているようである。
180名無し三等兵:2011/06/08(水) 08:25:48.10 ID:???
戦後艦船概略その7・日御盾防空巡洋艦「足柄」型

基準排水量:1万2000トン 速力31ノット
主兵装:127ミリ砲×2門、 43式防空管制装置「御盾」、41式多目的垂直発射装置×128セル
     30o近接防空機関砲×3基、短魚雷発射管
同型艦:27隻

独逸海軍のカールデーニッツ級巡航誘導弾潜水艦や長距離爆撃機He-222Mなどから
発射される長距離誘導弾の飽和攻撃に対処するために建造された防空巡洋艦。
本艦の最大の特徴は艦橋に貼り付けられた位相配列電探でありこれにより200を超える
目標を同時に探知及び追尾が可能と言われとぃる。
また、本級は建造費の高騰を防ぐため「夕霧」型駆逐艦の船体を流用している

尚、御盾管制装置搭載艦は現在帝國海軍とアメリカ海上自衛隊、インドネシア海軍
のみが保有しているが、近年大韓自治帝国とオーストラリア海軍が保有を決定した
181名無し三等兵:2011/06/08(水) 08:26:31.85 ID:???
戦後艦船概略その8 日御盾防空駆逐艦「秋月」型

基準排水量:7250t 速力:30ノット
主兵装:127粍速射砲×1 43式防空管制装置「御盾」 41式多目的垂直発射装置×90セル(後期型は96セル)
     30粍近接機関砲×2(後期型は搭載せず) 4連装対艦誘導弾筒×2(後期型は搭載せず)
     短魚雷発射筒
同型艦:60隻以上(現在も建造中)
 世界初の御盾防空艦「足柄」型は、「夕霧」型駆逐艦の船体を流用するなどの価格高騰を防ぐ為の努力が尽くされた
が、それでもコストはかさみ、艦隊防空艦全てを代替する事は不可能であった。
 そこで、海軍は性能を「足柄」型の75%に抑えた廉価版御盾防空艦の開発に着手し、完成したのが「秋月」であった。
 現在、「秋月」級は60隻近く建造され、帝国海軍の主力艦となっており、回転翼機運用能力の付加などの改修を行い
建造が続けられている。最新の改「秋月」型は、冷戦の終結により必要性が薄れた対艦誘導弾や近接防御火器を下ろ
し、代わりに回転翼機運用能力の拡大や弾道弾迎撃能力が付加され、最近、1番艦「愛宕」が進水した。

 なお、改「秋月」型の艦名には、海軍が事実上「巡洋艦」であると見ているのか、それとも単純にネタ切れの為か、本来
なら巡洋艦に付けられる筈の山岳名が使われている。
182名無し三等兵:2011/06/08(水) 08:27:14.72 ID:???
『富士』級原子力打撃巡洋艦4番艦が中止され、代わりにより大型化した形で
艦隊総旗艦としての原子力戦艦が計画されているとの情報がある。
艦名は『大和』『扶桑』『瑞穂』などが挙がっているが
特攻で撃沈された『扶桑』や開戦早々潜水艦に撃沈された『瑞穂』の線は薄く、
『大和』が本命視されている。

船体は『富士』より2回り以上大きい5万トン級となり、
原子力機関採用による大電力を生かしたスーパーコンピュータクラスの指揮通信・情報処理能力を備える模様。
主砲は203mmレールキャノンが『富士』同様採用の見込みだが、
『富士』以上に強大な電力を生かし、より長射程・大威力化が図られると推測されている
(コスト的には『大和』専用砲をわざわざ開発するデメリットも伝えられ、予断を許さないところではある)。
VLSは200セル以上備える模様。

現在伝えられる想像図では艦前部に背負い式に2基の主砲塔を備え、後部をVLS甲板兼搭載機発着甲板とした
「航空戦艦」になる模様。
発着甲板はヘリ専用の小規模なものとする案と、上構脇まで伸ばしてスキー・ジャンプを備えた
V/STOL機の運用まで可能な大規模化案の2案ある。

完成すれば全海軍はおろか、同盟軍まで含めた3軍全ての統括指揮すら可能なほどの恐るべき指揮管制能力を備えた、
帝国海軍総旗艦にふさわしい能力を持った艦となりそうであるが、
原子力空母にひけをとらない建造コスト(最安の案でも原子力空母1隻分の45%以上)が悩みの種ではある。
183名無し三等兵:2011/06/08(水) 08:31:16.84 ID:???
治安組織概要史

内務省警察庁(旧警保局)

皇紀2628年西暦1968年昭和44年設立。
戦前から保持し続けた絶大な権限を背景にあらゆる国内治安問題に介入してきた警保局であったが、
陸軍憲兵隊(旧)や大蔵省主税局税関等の他の治安機関との対立、暴徒鎮圧時の過剰執行による障害事案(重度の身体障害を負う例もあり、
陸軍憲兵隊ですら「われわれでもここまではしない」といわせたほどである)
また「黒狩り」にたいする警保局に対する批判が方々からあり、当時の内閣による治安機関の民主的体制移行政策の総仕上げとして、
警保局の発展的解体を目的とした改正警察法が昭和43年に施行され、自治体警察の設立ならびにそれらの調整機関としての役割を持つ警察庁が設立。
黒狩りの終焉により国家警察としての警保局の役割は終えた様に見えたが、実態は新機関を複数創設しその頂点に立つ組織に衣替えしただけである。
平成13年の同時多発テロ以後、再編と権限強化が課題となっているが対症療法ばかりで遅々として進んでいないのが現状である。

内務省広域機動警備局(通称:機動隊)

警保局警備部門の機動隊と運輸通信省港湾空港警備部門から分離・統合。
昭和20年代後半から激化しつつあった学生運動や炭鉱や製鉄所での労働争議に対処するためにこれらの機関が設立したが、
慢性的な人員不足に黒狩りでの動員が休み無く続き又これにより良質な隊員が集まらず技術継承(特に対暴動活動)が儘ならず、機動隊員、学生・労働者双方に犠牲者を出し続けた。
事態を憂慮した警保局首脳部(!)が解決策として小規模ながらも常設警備警察部門として警保局内に警備・争議対策課を設けたが、限定的にしか運用できず然したる成果を上げることは出来なかった。
昭和34年、大久保武道君、愛親覚羅慧生の御成婚を前に従来の機動隊を拡大強化し無事に乗り切った警保局警備部は大胆な改革を内務省側に提示。
警保局から機動隊を分離し大都市圏のみで運用されていた機動隊を全国展開できるべく改革に着手。
翌35年広域機動警備局が設立された。これにより警保局長による恣意的運用が抑制され執行時の被害を減少させることができた。
現在、同時多発事件以降全国各地の原子力発電所や空港・港湾に大規模鉄道駅、指定軍需工場及び霞ヶ関一帯の警備を実施している。
184名無し三等兵:2011/06/08(水) 08:32:18.19 ID:???

内務省海上保安庁(通称:海上警備隊 別称:内務省海軍)

大戦後、拡大した帝国海上勢力圏を維持管理を目的として内務省内に海上警備隊を設立。
これは発言力を増す海軍に対抗するための省益第一を目的とした組織であった。
しかしその実態は水上警察に毛が生えただけの陣容であった。
また、海軍省及び陸軍省の圧力には抗しきれず、結局は本土沿岸部の刑事事件と海難事故対処、税関と共同しての密輸事件対処が主任務となった。
時代の変遷とともに保有船舶は増加・大型化し運輸通信省海運警備隊(事実上海軍の下部組織)の船舶と似てきている。
現在両組織の統合と船団護衛任務を海軍に返却する線で改革が始まろうとしている。

内務省広域捜査局

改正警察法の施行に伴い自治体警察の調整機関として登場した警察庁であったが
庁内には連絡調整部門は数あれど実行組織が無いことに不満をもった旧警保局幹部が自治体警察同士を繋ぐ手足としての部門創設を提案、
旧警保局内の派閥抗争が再燃した(国家警察機関維持:後藤田派 民主警察改革志向:新井派)
最終的に後藤田派が勝利し、新井派は当初問題となった新設組織を庁内では無く内務省内に設けることで命脈を維持することに成功した。
その後事あるごとに警察庁ろ対立しながらも広域捜査権(警察庁には司法警察機能のみ付与されているが、
広域捜査局は(限定的ではあるが)行政警察機能をも持ちその力関係は拮抗している。
近年は和解に向かい広域捜査に特化した組織に脱皮しようとしている。

185名無し三等兵:2011/06/08(水) 09:59:55.64 ID:???
●九式戦 旭光(川崎)

二式艦戦=三式戦の成功で三菱・中島に次ぐ陸海軍双方契約企業となった川崎がさらなる
受注を目指して開発した同社初の噴進式戦闘機。
大戦中のドイツとの技術協力による後退翼を採用した陸軍(と空軍)初の戦闘機でもある。

当初は陸海軍双方への売込みが計画されていたが、当時の海軍側が噴進式艦上機の実用化に対して
まだ懐疑的だったために陸軍型のみ開発が続行されることになった。
昭和二十二年十月初飛行。同二十四年に採用された本機は、翌二十五年に勃発した北米戦争で活躍。
Ta-183、Ta-383との空中戦を演じた。

陸軍航空隊(後の空軍)の主力戦闘機として大量生産されたほか、東側諸国にも数多く輸出された。
後に海軍航空隊でも改修・再設計した機体を一部採用しようとする計画があったが、
ごく少数の試作機が何種か製作されるに留まっている。
186名無し三等兵:2011/06/08(水) 10:00:27.66 ID:???
●十五式戦 栄光(三菱)

北米戦争での前線からの要望により開発が始められ、設計段階からマッハ2級を目指した三菱の(自社)自信作。
登場時は「究極の有人戦闘機」と宣伝された。しかし、速度と上昇性能を重視するあまりに
不具合も多発。最初の量産機による部隊配備も昭和三十四年になるまで遅れてしまった。

その特徴的な形状から「三菱鉛筆」と揶揄されたり、操縦性の問題から「後家づくり」と陰口を叩かれるなどしたが、
当時世界最高速の噴進式戦闘機として本機も東側諸国に広く輸出されている。
特に西米では戦闘機としてのみならず小型・高速を利用した対艦攻撃機としても利用、
日本以上に本機を活用した国である。

日本空軍では一部がコロンビア戦争に参加したものの、本機はあくまで北米分割線における迎撃任務が主体であり、
その性能が十分に生かされたとは言いにくい。とはいえ、東側諸国では一部が昭和六十年代まで運用されるなど、
息の長い機体であった。
187名無し三等兵:2011/06/08(水) 10:02:35.06 ID:???
震電改(九州 J9W-A)
少数生産に終わった震電を、戦後ジェット艦戦化したもの。
燃料搭載量を確保するため胴体は一回り大きく全面的に改められ、脚は短縮、垂直尾翼の配置変更などほとんど別物となった。
日本のジェット艦戦として、最初に後退翼、先尾翼、再熱装置を採用。
当初は大型化した機体に対してエンジンの出力不足、脚の破損、低速での安定性不足による事故などが問題となり、実戦配備は昭和20年代半ばとなった。
高高度性能と高速性能、高速での運動性は好評だった。
20ミリ4門を搭載するが、後期型では空対空電探を搭載し、日本最初の電探誘導飛翔体搭載艦戦となった。昭和30年に生産終了。

旋風(川西 七式艦戦 A9)
陣風で艦戦の実績の出来た川西は、終戦直後からジェット機の開発に取り組んだ。
発動機自体の開発までは手が廻らないと判断した川西は、英国のロールスロイス・ニーンを採用し、
昭和22年に初飛行、昭和24年に前線配備となり、震電改に先んじて最初のジェット艦戦となった。
直線翼の保守的な設計で、初期のジェット機としてさほど傑出した性能ではなく、北米動乱では主に対地攻撃に投入された。
後退翼とした「旋風改」は、制式化されたのが北米動乱の後、南米動乱に日本が本格介入する前だったため実戦には参加していない。
可変後退翼とした「旋風改二」は試作にとどまったが、その経験が後の「暴風」につながった。

蒼風(九州 十四式艦戦 A11)
最初の超音速艦戦であり、機銃を主武装とした最後の艦戦。
震電改の反省から、機体の強度、安定性と操縦性に優れた名機となった。
小型の空母にも搭載できるため輸出にもあてられ、現在もタイ王国の空母で運用されている。
南米動乱に活躍したが、中継基地となった西米で数回墜落事故を起こし、死傷者を出している。
頑丈な構造を生かして大幅な改設計を行った「蒼星」艦攻とともに、長く前線にあったが、三菱「麗風」に後を譲った。
なお、麗風の対抗馬の海風改が試作にとどまり、海山生産終了後に正式採用機が無くなった九飛は、三菱傘下となり、今日では航空機部品の製造を続けている。
188名無し三等兵:2011/06/08(水) 10:03:46.22 ID:???
瞬風(川西 十五式艦戦 A13)
旋風改の後継として開発された超音速艦戦。
予算獲得の都合上、計画時には「旋風改三」と呼ばれていた。
海軍の発注は蒼風の保険としての意味合いが強く、蒼風の成功と、小型軽量という特徴が好まれず、少数生産にとどまった。
発動機を換装した瞬風改は音速の2倍近い速度性能を示したが、海軍では採用されず、
西米向けのセールスでは一旦は採用が決まったものの政治問題を引き起こし白紙撤回されるなど、輸出にも失敗し、試作に終わった。

烈風(二代)(三菱 十六式艦戦 A14)
海軍が指定したネ40発動機は信頼性に欠けと出力も不足し、昭和26年の初飛行後、試作機が立て続けに墜落事故を起こした。
名前どおり、初代烈風が誉発動機の不具合で制式化されずに終わったのが再現されるところだったが、
発動機を換装して機体を再設計した結果、実用化のめどがつき昭和31年制式化された。
機銃も搭載したが、赤外線誘導および電探誘導飛翔体を主武装とする全天候艦戦で、昭和34年まで生産された。
いくつかの地域紛争で実戦に参加している。
本機を双発化して発展させたのが、東側最多生産機となった傑作機「麗風」であり、そのさきがけとしての役割は大きい。

※ 麗風ちょっと訂正
なお、麗風の対抗馬の蒼風改が試作にとどまり、蒼星生産終了後に正式採用機が無くなった九飛は、三菱傘下となり、今日では航空機部品の製造を続けている。
189名無し三等兵:2011/06/08(水) 10:05:20.54 ID:???
セ式七糎半砲戦車
セ式一〇糎半砲戦車
昭和19年の日豪講和の後、米本土決戦のため大量の装甲車両を必要とした日本帝国陸軍は、
オーストラリア陸軍で計画・生産されていたセンチネル巡航戦車に目をつけた。
AC3の車体に四式中戦車と同じ四式七五粍戦車砲II型を搭載し、発動機は九五式軽戦車の三菱製120馬力ディーゼルエンジンとして七糎半砲戦車と名付けられた。
全周砲塔で実質的には四式II型に匹敵する車両だったがあくまで砲戦車としたのは日本側のプライドによるものが大きい
(トランスミッションが壊れやすかったという事実はあるが)。
しかしこの車両は僅か50両ほどで生産中止となってしまう。
M26パーシング重戦車に対抗する為の車両として各種の長砲身自走砲が計画される中、
比較的車体に余裕があることから、AC3の車体に半固定で九一式一〇糎半榴弾砲を据えたセ式一〇糎半砲戦車がこれに替わって生産された。
700両あまりが日本側に引き渡されている。
これらセンチネル巡航戦車ベースのオーストラリア製車両は表向き輸入という形を取っていたが、実際には借款でまかなわれており実質的な貸与だった。
190名無し三等兵:2011/06/08(水) 10:06:49.61 ID:???
艦上戦闘機『旋風』(九州 A10W 昭和24年採用)
戦後の日本海空軍戦闘機開発はまず『震電改』に縛られ続けた。二〇試(A9)が水子に終わったのも、
『震電改』より有効なほど性能が向上させ得なかったためである。また同機の先進的なデザインはそれを助長した。
すでにA7で懲りていた海軍は二〇試と平行して、九州に『震電改』の大マイナー・チェンジとも言えるモデルの開発を要求した。
それがA10『旋風』である。
 『旋風』のデザインは『震電改』を基礎に一回り大型化し、
英国ロールス・ロイス『ニーン』をベースとしたネ四二ターボジェット発動機の搭載と航続力の強化に主題を置かれている。
後に機首部を再設計してレドームとし、全天候化した機体が開発された。
これは当初A11が予定されていたが計画途中でA10W4に落ち着いた。

艦上戦闘機『彩電』(川崎 J12Ks-A 昭和28年採用)
二四試特殊戦闘機の名で開発の始まった本機は、間に合わせのA10W4ではなく、まったく新規に全天候型戦闘機を要求するものだった。
独自色の強い案を押し出した他社に、本機の流産の危惧を抱いた海軍は、ジェット戦闘機としては堅実的なデザインの川崎機に軍配を上げた。
それでも開発は平坦ではなく、自社製ネ四〇発動機の出力不足に泣かされ、結局、三菱ネ七一の実用化を待って制式化された。
しかし間もなく後継機の『蒼電』が就役し、コロンビア戦争の最中だったこともありすぐに主力を明け渡している。

艦上戦闘機『旋風改』(九州 A13W 昭和30年採用)
日本初の超音速戦闘機。当初タンク・ショックを受けた日本海空軍は二八 試(A12)を提示するがやはりモノにならず、結局A10Wの改修型という形で進んでいた本機にA13を与えた。
しかしデザイン上は機首周りはまったく再設計となり、主翼もより超音速飛行に適した形へと変化しており、名残は名称のみで実際にはA10Wとは別物と言っていい。
191名無し三等兵:2011/06/08(水) 10:08:26.35 ID:???
艦上戦闘機『蒼電』(川崎 J13Ks-A 昭和36年採用)
ようやくJ12のめどが立った矢先、三三試特戦として川崎1社単独指名で試作要求されたJ13の骨子は、"誘導噴進弾を主武装とする複座全天候型戦闘機"である。
この要求に対し川崎はJ12をリファインしつつも、大東亜戦争当時の中型爆撃機並みに巨大化した機体を提示した。
しかし誘導弾搭載の邀撃戦闘機として望ましいと判断した統合航空政部はこの機体を採用した。
AXKs/キ−六一以来の万能戦主義によって設計された機体は大型ながらも良好な運動性能を示した。
軍はこれに満足し採用した。そして激戦のコロンビア戦争に投入されたのである。
ところが、実戦では機銃を持たない『蒼電』はAAMを撃ち尽くしたらすぐに逃げるしかなく、旧式のTa383に撃墜される事態に及び大改修を余儀なくされる。
20mm機銃を得た『蒼電』はその良好な性能とともに東側各国で長く使われ、現在も現役である。

陸上戦闘機『隼(2代)』(富士重 JXN 昭和48年採用)
英語圏では『フリーダムファイター』と呼ばれる本機は、その開発コードから解るとおり日本軍の正規の物ではない。
大成功した『蒼電』だったが反面、高価な機体だった。
その為、英本国のような最高性能を求める状況下か、泰、満州と言った比較的裕福な国家でなければ保有・運用は困難だった。
一方で『旋風』『旋風改』では旧式化しすぎ Ta1021やMe1007にも対抗できない。
その為英国がニュージーランドやオーストラリアに配備する為の戦闘機として富士重工業に設計を依頼したのが始まりである。これがジェット時代に軽戦を再来させた。
単発、軽量、高機動を売りとしており、形状もエンテ式機体としては比較的シンプルである。
当初は航法レーダーのみ搭載としていたが最廉価モデルの『Freedom Fighter』 Mk.I(『隼』JXN1)ではそれも省かれていた。
機体セールスの意味合いも込めて日本帝国空軍でも運用された。このモデルは全天候化を前提としたJXN3でRAFではMk.IIAと類別された。
この後発動機出力の向上と本格的な全天候化を行ったMk.IV(JXN4)以降となる。
その価格の安さと生存性の高さから大成功し東側各国に広まり、Mk.IV以降は現在も現役である。
192名無し三等兵:2011/06/08(水) 10:10:24.82 ID:???
艦上戦闘機『暴風』(新明和 A16K 昭和45年採用)
艦隊防空専門の戦闘機として四三試艦戦として提示された機体。後述のJ14とは対照的に、
中距離AAMの搭載をメインとしつつ、同時に格闘戦にも耐えられるもの、というものであった。
しかしTa1025との直接対決については明示されていなかったため、J14を望み薄と判断した各社が飛びついた。
その中で可変翼を採用し、誘導弾の為の要求する全ての電子装備の搭載を可能とした新明和A16Kにその栄冠は輝いた。
全翼機を彷彿とさせる姿から昆虫が羽根を開いたようなスタイルまで可変する主翼が特徴的である。
しかし、この機体の海外へのセールスの失敗が新明和の命取りとなった。
開発コストを回収できなかった新明和工業は飛行艇以外の航空機部門を三菱重工に売却せざるを得なくなってしまう。
三菱重工に移った後には、過剰とも言える対空電探装備を一部改修し、その搭載力を生かして対地攻撃にも就ける期待としてA16K3-m、通称『爆風』が開発されている。

陸上戦闘機『鷲電』(三菱 J14M 昭和47年採用)
『蒼電』の成功に気を良くした軍部は、さらに誘導弾に重きを置いた制空戦闘機として四〇試艦戦(A15)の試作を提示する。
ところが、その矢先、Ta1025がそのヴェールを脱いだ。
マッハ3級の速度と軽快な運動性を持ったTa1025は日本軍首脳部にタンク・ショックを再来させたのである。
統合航空政部はA15を放棄、全力を挙げて対Ta1025に取り組むべく四二試特戦、J14を三菱・富士・新明和・川崎・九州・愛知の主要航空機各社に提示した。
各社が混乱する中「全てにおいて最上級の戦闘機でなければならない」とする条件を満たしえたのは『組織の三菱』で、「一二試の再現」と言われた過酷な要求を克服しJ14Mは採用された。
デザイン上は、当時並行して進められていた戦闘機に比べ『堅実的』で、エアロダイナミクスの追求により平面的な形状をしているものの、翼配置はありふれていて可変翼も採用されていない。
しかし、内面では軽量化の為にチタン系合金が多用されるなど贅沢な戦闘機であった。ネ一〇〇ターボファン発動機を採用する。
それゆえ高額なため、輸出用戦闘機としては振るわなかった。

193名無し三等兵:2011/06/08(水) 10:11:32.90 ID:???
艦上戦闘機『鷹風』(川崎 A17Ks 昭和50年採用)
『蒼電』以降、大型化・高額化の一途をたどる艦上戦闘機群に一石を投じるべく、統合航空政部が提示した軽量戦闘攻撃機案から生まれた戦闘機。
単発軽量かつシンプルな構成としつつも、対地攻撃任務に必要な電子装備を搭載可能としている。
海外セールスも順調で、『隼』の後継機として受け入れられている。
194名無し三等兵:2011/06/08(水) 13:04:04.71 ID:???
大東亜戦争時の日本軍戦闘車両(改訂版)戦車編

九五式軽戦車(ハ号車)
機動性と信頼性に優れる日本戦車の礎を築いた、傑作機動戦闘車。だが、既に昭和14年のノモンハン事変でその装甲の弱さを露呈していた。
初期の南方作戦ではその機動性を活かして活躍したが、生産はすぐに縮小された。主砲は37mm。

九七式中戦車(チハ車)
九五式ハ号車とともに、大東亜戦争勃発時の日本の代表的戦車。
しかし、その際には、装甲は脆弱で、57mm戦車砲の能力も不足し、既に旧式化した戦車となっていた。
九五式と同様、南方作戦で活躍するが、その後は一部が弾薬輸送車等に改造された他は、内地で訓練用に使用されたのみだった。

九八式軽戦車(ケヌ車)/二式中戦車(ケト車)
九五式軽戦車の後継としてと同時に、帝国陸軍初の空挺戦車として開発された。
その為、極力外部装甲圧は若干厚くなった程度だが、被弾径始の改善がなされている。
主砲は九五式と同じものだが、砲塔は大型化された。
採用は昭和13年だが、生産が本格化したのはノモンハン事変後。
クリスティー式サスペンションのケニ車Bも試作されたが、結局純正のリンクアーム式の方が優れているとして本格採用はなされなかった。
九八式においては空挺戦車投入の機会がなく、またク−七滑空機の数が確保できていなかった為、実質九五式の後継車として使用されたのみにとどまった。また、各自走砲のタネ車となった。
二式ケト車は九八式ケニ車をより洗練させた車両で、主砲は同じ三七粍ながら砲身長が延長され貫通力を増している。
米本土作戦において、世界初の空挺戦車として運用された。

一式中戦車(チヘ車)
昭和12年に計画された九七式チハ車の後継案2種のうち、チハ車をベースに拡大改良型とした戦車。
チト車の「保険」として開発された。全溶接構造となっている。
しかし、多少対弾性は上がったものの、47mm戦車砲は九七式の57mm砲より高初速で高い貫通力を持っていたが、それでも既に世界の水準からは取り残されていた。
それでも昭和17年からチト車が完成するまでの短期間生産された。
米本土戦でも歩兵直協用や四式の補完用として相当数が使用された。
195名無し三等兵:2011/06/08(水) 13:05:07.71 ID:???
四式中戦車(チト車)
チヘ車とともに計画された、より大型の中戦車。
ノモンハン事変後に開発がはじめられ、大東亜戦争勃発後に本格化した。
八八式七糎半高射砲を小型軽量化した四式七五粍戦車砲II型を搭載し、装甲ともに世界水準に遜色ないものとなった。
昭和18年末に完成し、少数がパナマ上陸戦に参加した。

四式中戦車II型(チト車改)
チト車の砲塔は半鋳造構造であったが生産性が悪かった為、従来どおりの全溶接砲塔となった。
また日本戦車としては初めて同軸機銃を採用。またドイツ戦車の資料や鹵獲したM4戦車を参考に砲手席を砲塔側に固定した。
日本の戦車としては画期的だが、世界水準から見ればようやく追いつきかけたというレベルに過ぎない。
日本の戦車開発はここまでは完全に世界の後塵を拝していた。
ただし、信頼性や機動力、燃えにくい空冷ディーゼル発動機の採用など、部分的には高い水準を示している面もあった。
イスラエル軍のソルタムL33自走砲は本車がタネ車で、1980年代まで使用されていた。

五式中戦車(チリ車)
四式よりさらに重武装・重装甲を目指して、開発された戦車。
四式より一回り大きく、自動閉鎖器を備えた四式七五粍戦車砲I型を搭載し、装甲も強化されている。
一方で、チト車の量産準備・改修と並行作業で開発が進んだ為、砲手席付砲塔が未採用となっている他、
三七粍副砲の有効性の疑問や、ガソリン発動機の採用など、実用性に問題も多かった。
小数が生産され、その内一部が実戦に投入されたにとどまった。

五式中戦車II型(チリ車改)
拡大型。主砲は五式八八粍・砲手席付砲塔の採用・37粍副砲の廃止を行った五式チリ車の量産型。
しかし、試験中に終戦となり、大東亜戦争には投入されなかった。
戦後、中国や満州、カナダやタイ、インド、イスラエルに供与するための戦車として量産されている。
196名無し三等兵:2011/06/08(水) 13:07:03.01 ID:???
ホル車以前
日本の自走砲開発は、世界的にも早い大正13年に始まる。
技術陣は開発されたばかりの一一年式七糎半高射砲を標準型六輪自動貨車(トラック)に搭載した自走高射砲を開発。
これに対して運用側は日本の技術に懐疑的ではあったが、世界初のタイトルに酔って採用した。
これが「一三年式自動車高射砲(HT車)」である。
この世界初の自走高射砲にして日本軍最古の自走砲は太平洋戦争にも参加した。
車台は製造年次に合わせて順次変更されたが搭載砲はそのままという有様だったが、後継のないまま終戦まで活躍している。
なお、米側の評価は決して低くはなかった。
火力支援用の、装甲を持った本格的な自走砲は、昭和12年頃から進められていたが、なまじ本格的なものを求めた為に、大東亜戦争勃発時にも開発は遅々として進んではいなかった。
米本土決戦が叫ばれるようになると、これらの車台として想定されていた一式チヘ車の車体は1両でも多く主力戦車として完成させなければならず、
また四式チト車となれば設計から全て書き直さなければならない。その為これらの自走砲は全て放棄された。

三式七糎半自走砲(ホルI車/ホルII車)
中戦車のラインの混乱を避ける為に、九五式ハ号車・九八式ケニ車の軽戦車をベースとして新たに設計された。
時間がないため促成で、昭和17年8月設計要求に対し、ドイツ陸軍のII号7.62cm自走対戦車砲マルダーIIの影響を受けつつ、
車台に台形のオープントップ戦闘室を大雑把に取り付けただけで、車体は昭和17年末に完成。
砲は九〇式七糎半野砲をベースとしたが、これは以前から用意されていたもので、18年初頭に準備可能となった。
九五式ベースの車両をホルI、九八式/二式ベースの車両がホルIIとなる。

三式一〇糎半砲戦車/自走砲(ホワI車)
より大規模な火力支援車両として九一式一〇糎半榴弾砲を搭載した自走砲。設計のほとんどはホル車と共用である。
大口径砲を活かして対戦車戦闘を行う事が可能とされ、投入された。
その際には対戦車部隊(歩兵)が装備する為、『自走砲』が『砲戦車』になる。
しかし、本来対戦車戦闘を意識した設計ではなく、装甲が脆弱に過ぎただけではなく、水平射撃用の照準器も簡素なものでしかなかった。
197名無し三等兵:2011/06/08(水) 13:08:59.17 ID:???
四式一〇糎半砲戦車(ホワII車)
三式砲戦車のより本格的な対戦車車両。車体前面に増加装甲をボルト止めし、戦闘室前面に防盾を追加している。

五式二〇粍対空戦車(タキ車)
本車は本来九八式軽戦車の車体を流用することで計画されていた。
しかし九八式ケニ車の車体は火力支援車両に多用している為こちらはさらに格下の、装甲牽引/偵察車である九七式軽装甲車(テケ車)を基本にせざるを得なかった。
砲塔リングの小さなテケ車に合わせて砲塔を設計した結果、こちらは予期せずにもドイツ陸軍のIV号Flak43対空戦車オストヴィントの縮小版のような姿になってしまう。
低空から突っ込んでくるP-47に対し絶大な威力を発揮したとされている。

五式セ号一〇糎半砲戦車(ホリ車セ号)
ホリ車は新開発の一〇五粍対戦車砲(カト砲)を搭載する予定で開発されている砲戦車であった。
……が、実際にはカト砲自体昭和20年の段階でまだ実用化されていない。
ではホリ車セ号とは何なのかと言うと、まったくの間に合わせ兵器であった。
昭和19年、日豪単独講和が成立したが、これにより米国との経済的つながりが絶たれたオーストラリアと、
米本土決戦に向け1両でも多くの先頭車両を欲する日本の利害が一致した結果の産物である。
この頃米本土戦で戦線に出現しだしたM26パーシング重戦車には、四式チト改では歯が立たず、大口径砲搭載の対戦車兵器が待たれていた。
しかし、肝心の車台がない。チト車の車台は1両でも多く主力戦車として完成させる必要があった。
そこでオーストラリアが生産していたAC3センチネル巡航戦車に目をつけた。
一方の砲は、九一式一〇糎半榴弾砲を改造して当面を凌ぐことにする。
発動機は110馬力のガソリンからケト車と同じ三菱製130馬力ディーゼルに変更。
砲無しの固定戦闘室付車台をオーストラリアから輸送し、トラックやハワイで日本製の砲を取り付けるというヌエ的戦法で終戦までに600両を完成させた。
センチネルは元々3基の発動機を接続して必要な出力を稼いでいたが、簡単に想像出来る通りこれは年中故障した。
オーストラリアにとってこれは名目上『輸出』であったが、そのほとんどは借款によってまかなわれており実質的な武器貸与だった。
198名無し三等兵:2011/06/08(水) 13:11:24.33 ID:???
五式二四糎自走噴進砲
自走ロケット砲。照準面で不利だが1両に3基程度をまとめて搭載することにより、より多くの質量を投射できる歩兵支援兵器として、テケ車をベースとしてほとんど即興で製造された。
戦闘室等は防盾が申し訳程度にあるだけだったがそもそも射撃中には戦闘室内に居られないので充分だった。
米軍将兵はこれを「スミダの八尺玉」「バッヴリー・ワッヴリー(赤ん坊の癇癪)」 と呼んで恐れた。

特二式内火艇(カミ艇)
日本発の水陸両用戦車。海軍陸戦隊用の装備として、海軍が陸軍の協力を得て開発した車両。
九五式軽戦車がベースになっているが、浮揚のための構造や防水シール、キャタピラ接地面を増大させる為の接地誘導輪等が特徴。
潜水艦で輸送し、敵の虚を付く奇襲戦法の構想に基づいて設計されたが、大量消費の大東亜戦争ではそのような運用は現実的ではなく、「普通の水陸両用戦闘車」として使用された。

特三式内火艇(カチ艇)
一式中戦車をベースにしたより本格的な水陸両用戦車。
この艇も開発当初は潜水艦輸送での奇襲戦法を前提としていて、カミ艇よりより本格的に、発動機を防水耐圧塔に格納する構造になっていた。
しかし、実際にその設計どおり完成したのは僅か6両で、量産車は耐圧塔を簡素化していた。

特四式内火艇(カツ艇)
本車はカミ艇やカチ艇とともに運用する水陸両用装軌式輸送車である。
中央に小型の操縦室と13粍機銃を備えたものと、装甲それた操縦室を持つものとがある。
199名無し三等兵:2011/06/08(水) 19:59:23.75 ID:???
723 :名無し三等兵:03/01/31 00:34 ID:???
ニューギニア攻防戦

 ミッドウェイの敗北後、まず日本陸海軍はMO作戦の頓挫によって浮
いてしまっていたソロモン・ニューギニア方面の戦線の圧縮に乗り出
した。
 まずソロモン方面に陸軍が足掛かりをつくろうとしていたガダルカ
ナル島から撤収。さらに航空基地として整備中だったラエ・ラバウル
からの“転進”を実行した。

 ガダルカナル撤収戦では収容する陸軍工兵がわずかな為、夜間に駆
逐艦および巡洋艦で突入し収容、脱出する計画が立てられた。
 これに対し、米海軍は追撃部隊を送りだしたが、田中頼三少将(当
時)以下の奮闘により、日本軍駆逐艦1隻の戦果とひきかえに味方駆
逐艦2隻を撃沈、巡洋艦1隻を大破させられた。
 しかし日本側のソロモン撤退という事実の前に、この損害は重要視
されなかった。
 逆に日本軍はこの結果を重視し、ラエ・ラバウル撤収戦ではさらに
大掛かりな作戦を立てた。

 米側は「ウォッチタワー作戦(ニューギニア反攻作戦)」を発動、し
かしこの時既にラエにわずかな守備隊が残っているのみで、後は機雷
と地雷だけが米軍を待ち構えていた。川沿いに仕掛けられた巧妙な仕
掛け罠(英語で言うとブービートラップ)も米兵を消耗させた。
 さらに米軍が橋頭堡の整備を確保したのを見計らって、角田覚治中
将率いる第一航空艦隊約260機と陸軍航空隊約200機が波状空襲を続け、
輸送船や揚陸施設を壊滅させ、駆逐艦5隻と巡洋艦2隻を撃沈、新鋭
の戦艦「サウスダコタ」も中破させた。日本側は軽空母「龍驤」を喪
失したが、米軍はこれを「加賀」と誤認し、損害では同等、もしくは
日本側の方が大と言う謝った判断をしてしまう。
200名無し三等兵:2011/06/08(水) 19:59:38.41 ID:???
724 :ニューギニア攻防戦:03/01/31 00:35 ID:???
 米軍上層部はラエの奪還によりニューギニア全島での反攻が可能と
考えていたが、実際にはラエとウェワクの間にはウィルヘルム山脈が
横たわり、陸路からの進攻は事実上不可能だった。
 そこでニューギニア西部への進攻を画策し、米軍は大規模な海上戦
力を送り込んだ。一方日本側もその進攻に備えてトラックに大規模な
戦力を待機させており、直ちに南下を開始した。
 ここに南太平洋海戦が勃発する。
 この大規模な空海戦では日本側が空母「龍鳳」「飛鷹」「大鷹」、
および駆逐艦6隻を喪失。米側の損失は空母「ホーネット」、巡洋艦
「サンフランシスコ」、駆逐艦2隻のみであった。しかし、空母は搭
載航空機の過半数を失い、フランク・フレッチャー提督は作戦続行は
困難と報告し、米側はウェワク100kmの位置に橋頭堡を築きながら、
放棄せざるを得なかった。
 しかし、米軍上層部は日本海軍の“正規空母”3隻を撃沈したと報
道、この頃から米国内の戦況報道が正確さを欠きはじめる。

 南太平洋海戦では喪失こそ4隻に留まったが、多くの艦艇が要修理
状態となってしまった米海軍は、この方面での大規模作戦が数カ月に
渡って不可能となってしまった。
 その後もウェワクからラエ・ラバウルへの日本陸軍機による空襲は
続く。その被害に頭を痛めた米海軍は、竣工したばかりの「ノース・
カロライナ」「ワシントン」によってウェワク基地襲撃を敢行。これ
が成功し、3週間に渡って日本側の空襲を中断させた。
 しかし、日本側はすぐに逆襲に出た。戦艦「扶桑」「山城」を中核
とする部隊をラバウル近海に送り込み、空襲中断中を好機とやってき
た米側輸送部隊を波状的に叩いた。
 この作戦は米陸軍の航空攻撃により「山城」が中破し中止されたが、
米側の建て直しは中途のまま空襲が再開してしまう。
 米海軍は再び戦艦を送り込んでウェワク基地破壊を実行、しかしこ
れは日本側に察知され、警戒中の「武蔵」が接触。「ノース・カロラ
イナ」が大破し「ワシントン」は撃沈されてしまう。
201名無し三等兵:2011/06/08(水) 19:59:55.68 ID:???
725 :ニューギニア攻防戦:03/01/31 00:35 ID:???
 米海軍が攻めあぐねいている間、米陸軍は無謀とも言えるウィルヘ
ルム山ごしの進攻を計画、実行した。
 しかし米陸軍自慢の機械化部隊はニューギニアの熱帯雨林の中では
全く役に立たず、飲料水の不足と熱射病により兵員は損耗し、日本側
支配領域の最東端マダンに到着した時、兵員の規模は出発時の1/10を
割り込んでいた。
 事ここにいたって、指揮官ダグラス・マッカーサー大将は作戦中止
を下令したが、もはや自力で再度ウィルヘルム山を越す能力は残って
おらず、一部の健常者がゲリラに合流したのを除き、マダンの日本守
備隊に投降した。
 日本側は米軍兵士の余りに酷い状態に、病院船でトラックや本土に
後送せざるを得なかったと言う。

 八方ふさがりとなった米軍は、ウェワクへの連絡機に山本五十六連
合艦隊司令長官が同乗しているという情報を得ると、ポートダーウィ
ンにP−38を進出させ、連絡機を撃墜、山本提督の殺害に成功する。
 しかし――――

 昭和19年に入り、米海軍は兵力の再建を持って、新たに「アイラン
ド作戦(西部ニューギニア進攻作戦)を計画。
 しかし、発動直前になり、日本側が大規模兵力を結集して中部太平
洋を西進(第二次ミッドウェイ海戦)。アイランド作戦は放棄された。
 以降、この方面において米軍が攻勢に出る事は二度と出来なかった。
202名無し三等兵:2011/06/08(水) 20:00:08.44 ID:???
830 :名無し三等兵:03/02/10 01:26 ID:???
第2次パナマ海々戦

 第1次パナマ海々戦で事実上、太平洋艦隊を壊滅させられた米軍は、日
本占領下のパナマ運河を破壊すべく、大西洋艦隊の残存艦艇をかき集めて
突入を敢行したのである。
 しかし、第1次ミッドウェイ沖海戦での勝利以降、常に主役であった空
母機動部隊は開戦時に保有していた大形空母すべてを太平洋で失い、即時
動員可能な正規空母はエセックス級5隻のみとなっていた。
 しかし、それ以上に深刻だったのは搭乗員の不足で、太平洋での著しい
人的損失はアメリカを持ってしても補い難く、またハワイから飛来する西
海岸爆撃の迎撃の為に戦闘機パイロットは温存せねばならなかった。
 そこで米海軍は一計を案じた。空母は全て囮に使い、新鋭艦アイオワ級
2隻を加えた戦艦部隊でパナマを急襲・破壊すると言う作戦を立てたので
ある。

 はたして、ハルゼー率いる米空母部隊(TF32)がカリブ海を西進しはじめ
ると、角田覚治中将はこれに反応し、全力を持ってこれの追撃を開始して
しまった。
 一方、米海軍の“本命”戦艦部隊はアイオワ2隻を擁するキンケイドの
TF7と、旧式艦中心のオルデンドルフのTF34に分かれていた。オルデンド
ルフ隊は日本軍への陽動をより完全なものにする為、キューバ南側周りで
日本軍を牽制する計画になっていた。
 ところが、このオルデンドルフ隊がパナマでの日本軍との接触を目論見
て西進中だったイタリア艦隊に補足されてしまうのである。
 この後のオルデンドルフ隊の奮闘は賞賛に値し、イタリアの最新鋭戦艦
「ローマ」を撃沈するが、オルデンドルフ旗下のTF34は戦艦すべてを失い
壊滅した。
203名無し三等兵:2011/06/08(水) 20:00:21.29 ID:???
831 :名無し三等兵:03/02/10 01:26 ID:???
 この知らせを聞いたキンケイドは、パナマからの陸上機の攻撃によって
戦艦ニュージャージーを失っていたこともあり、突入を断念、反転を決定
してしまうのである。
 しかし、この時、彼が一番恐れていた日本の最新鋭戦艦、大和型2隻は
いずれもカリブにはいなかった。全幅の広い大和はパナマ運河を通過でき
なかったからだ。この時日本がカリブ側に送り込んでいた戦艦は、旧式の
長門型、金剛型各2隻ずつに過ぎなかったのである。

 後に角田中将は「明解な意図を持って進軍する水上部隊を、航空攻撃の
みで阻止するのは困難である」という談話を発表している。
 すべては「モンスター・ヤマト」の先行イメージが生み出した、日本軍
にとっては「謎の反転」だった。


845 :名無し三等兵:03/02/13 22:12 ID:???
実は第2次パナマ海々戦の>831でキンケイドが突入していた場合、合衆国海軍
最後の勝利となった可能性が高い。
小沢中将は隷下の第2艦隊からイタリア艦隊に合流せしめるべく猪口少将の
第13戦隊を分離していた。
キンケイドのTF7が小沢中将直率の第7戦隊か第13戦隊と遭遇した場合、その
いずれにも艦艇数、砲数で勝るTF7は米戦艦が日本戦艦を撃沈した唯一の
戦闘となったかもしれなかったのだ。
小沢中将の判断には後に批判もあったが、角田中将の第2航空艦隊や基地
航空隊のエアカバーにそれだけの信頼を寄せていたという見方もできる。
204名無し三等兵:2011/06/08(水) 20:00:51.63 ID:???
518 :ニューギニア攻防戦「もうひとつの戦い」:03/07/23 05:58 ID:???
 何故米合衆国陸海軍は伸びた輸送線を日本帝国海軍の前に晒し、有力な
戦力を徒に浪費する事になったのか。

 主力空母の2隻を失った結果、南部大平洋方面のみならず支那大陸にお
いても戦線の圧縮を余儀無くされた日本帝国陸海軍は、戦力の埋め合わせ
ができる迄の間、水上戦力と基地航空戦力で乗り切らねばならなくなった。
 そこで第八艦隊参謀だった神重徳大佐の発案で、報復作戦「Q作戦」が
実施された。これはいわゆる「一撃離脱戦法」である。「Q」は「急」に
なぞらえて山本五十六聯合艦隊司令長官(当時)が命名したものだ。
 昭和17年9月20日のダッジハーバー砲撃を皮切りに、9月下旬いっぱい、
戦艦金剛、榛名、重巡鳥海、青葉、加古、古鷹、衣笠、軽巡天龍、夕張を
西部太平洋に放ち、夜間闇にまぎれて接近、砲撃、離脱をくり返したので
ある。

 米海軍はこの時、ミッドウェイの帝国海軍の唯一の反撃である伊一六七
潜によるヨークタウン撃沈で、太平洋艦隊における即動可能な空母がホー
ネットとエンタープライズの2隻に減少してしまっており、思わぬ翻弄戦
法に追随できなかった。
 庭先であるパルミラ(9/25:古鷹・天龍・夕張隊)、ジョンストン(9/27:
金剛、榛名隊)の両島を砲撃されるにいたり、米軍の中に動揺が生じた。
 この時、米軍上層部では南部太平洋での反攻を強く称えたものがいた。
ダグラス=マッカーサー大将である。これは自分が権益をもっていたフィ
リピンへいち早く再侵攻する為の主張であったが、悲しいかな、合衆国陸
軍の中で彼の発言力はあまりに大きかった。

 米軍は日本軍が一度、放棄したラバウルに大型爆撃機用の飛行場の整備
を急ぐ一方、ニューギニアの兵站基地ポートモレスビーに大量の兵員を送
り込もうとした。しかし、これは帝国陸軍の誇る一〇〇式司令部偵察機に
よってたちまち日本側の察知するところとなり、帝国海軍はこれを阻止す
るべくソロモンを中心に伊号潜、巡航能力のある呂号潜などを送り込んだ
のである。
205名無し三等兵:2011/06/08(水) 20:01:03.98 ID:???
519 :ニューギニア攻防戦「もうひとつの戦い」:03/07/23 05:59 ID:???
 この時、米軍の補給路に対する警戒は皆無に等しかった。帝国海軍の潜
水艦の海中性能や、その戦略の拙さから、Uボート程の脅威ではないと判
断していた。自軍の潜水艦作戦が(その初期においては魚雷の欠陥から、
中期以降は帝国海軍の船団護衛が強化された事から)思うように戦果を上
げ得ていない事も手伝っていた。
 しかし、その代償は大きかった。昭和17年10月度の1ヵ月間だけで、合
衆国は米豪間の民間船も含め、なんと約200万トンという大量損失を被っ
てしまうのである(ただし、航空攻撃や水上艦による戦果も含む)。これは、
日本が保有する船腹の約1/4にも達しているのである。有力な地上兵力が、
海上で徒に失われたのである。

 それでも数字の上からでは合衆国にとってはさほどの痛痒ではなかった
が、軍がチャーターしていた民間船のストライキや、潜水艦などの建造差
し換えに繋がった。一方で、自軍の潜水艦搭乗員は、特に高性能高信頼性
の日本潜水艦魚雷に羨望し、士気を下げた。こうした事象によって、合衆
国は間接的に締め上げられたのである。だが、開戦時生産力で20:1以上の
較差をもっていた合衆国首脳部に、いまだ危機意識は生じていなかった。
 徐々に生産力を兵力に裂かれつつある合衆国の現状と、戦線圧縮で生産
力を復旧し始めた日本、という現状も正しく理解していなかったのである。
 一方、陸軍山下泰文中将からの異例の私的感謝文を受けた日本海軍は、
補給路寸断作戦に自信を着け、以降太平洋全域でこれを行うようになる。

 さぁこまったのは米海軍である。ノモンハン以前の日本帝国陸海軍同様、
米国にも陸海軍間に、お互い政治的優位をとろうとする動きがあったので
ある。まさか「フネが確保できないので作戦出来ません」とも言えない。
 やむを得ず始められたのが巡洋艦や駆逐艦による輸送、実際に従事した
将兵が「マウスキャリアー作戦」と揶揄した戦法である。しかしこれは、
当初は不効率ながらもそれなりの効果を上げていた。
206名無し三等兵:2011/06/09(木) 02:55:44.73 ID:zq31Yuel
まとめサイトでも作ってリンク貼れば終わることだろ。
なんで現行スレで延々とコピペするわけ?
207名無し三等兵:2011/06/09(木) 02:56:51.68 ID:???
歴史にもしはねーんだよ小僧
208名無し三等兵:2011/06/09(木) 07:58:23.48 ID:???
>>206
ageまでして言うこと?

>>207
はいはいわろすわろす。
209名無し三等兵:2011/06/09(木) 08:04:58.62 ID:???
正直なところ、あの時の住人って残ってるのかな。。。
210名無し三等兵:2011/06/09(木) 08:07:57.04 ID:???
連張厨乙
211名無し三等兵:2011/06/09(木) 08:10:52.37 ID:eyDjddKU
まぁそういうことです。連張厨です。
212名無し三等兵:2011/06/09(木) 08:15:47.22 ID:eyDjddKU
このまま行くのも、容量を喰うしまとめサイト作ってそれをダシにしようと思うが
如何だ?
213名無し三等兵:2011/06/09(木) 10:18:17.79 ID:???
1940年代のあの状況で
日本がアメリカに勝てると本気で思ってるバカは
世界地図を買ってきて
日本列島とカリフォルニア州の大きさを比べてみなよ

それから、一遍でいいからアメリカに旅行にでもいって来い

214名無し三等兵:2011/06/09(木) 11:13:20.08 ID:???
>>213
実は日本列島って何気にでかい。

http://www.3guozhi.com/d/jpm.jpg
215名無し三等兵:2011/06/09(木) 11:21:01.42 ID:???
ちいせぇじゃん?
何言ってんだこのバカは?
216名無し三等兵:2011/06/09(木) 11:26:25.36 ID:???
あんたの方がバカ
このスレはもともと日本の勝利ありきで歴史や兵器ネタを考察するのがテーマで
はるばる江戸時代までの大改変まで検討された
あんたがその辺の事情を知らんのはわかるが
かつて大真面目に楽しまれてたスレを安易に否定するような真似はやめてもらおうか
217名無し三等兵:2011/06/09(木) 12:21:48.51 ID:???
>>216
160レス以上張り付けてあるのにそういう事情が全く見えないけどな。

連張厨しねばいいのに。
218名無し三等兵:2011/06/09(木) 12:54:14.53 ID:71TDfS0e
あっそう。
とりあえずまとめサイト作るから待ってろ。
219名無し三等兵:2011/06/09(木) 13:00:11.49 ID:???
>日本の勝利ありきで歴史や兵器ネタを考察するのがテーマで

なんだ…
ただの妄想オナニーかw

暇なんだなw
220名無し三等兵:2011/06/09(木) 13:05:55.34 ID:71TDfS0e
私はアメリカの転落ぶりが、何処か切なくなってこのスレを立てましたが。

日本とかよりもアメリカ派です。

特にR2600積んだムスタングとかぬこに萌え
221名無し三等兵:2011/06/09(木) 13:11:08.52 ID:???
>>219
ここに書き込んでる時点でお前も暇人の仲間入りw
222名無し三等兵:2011/06/09(木) 13:11:39.90 ID:???
>R2600積んだムスタング

え?
223名無し三等兵:2011/06/09(木) 13:12:39.37 ID:71TDfS0e
暇だからこそやるんだ。
答えの見えない、ウヨサヨだかチョンだかネトウヨだかの論争よりはずっといい。
224名無し三等兵:2011/06/09(木) 13:23:14.65 ID:???
いってみればRPGみたいなもんだからな
他人と設定をつつき合いながら世界観を構築していく楽しみってのは、やったことある者にはすごく理解できるはず
ファンタジー世界の設定いじりも微に入り細に入り、と突き詰めていくことで説得力が増していく
このスレはもちろんファンタジーで、だが参加者はそれを百も承知で楽しんでたんだよ
225名無し三等兵:2011/06/09(木) 15:52:58.75 ID:???
とりあえずまとめサイト出来たら教えて。あと最初のスレの>>1の名文は忘れるな。
226名無し三等兵:2011/06/09(木) 18:45:22.43 ID:???
誰も待ってないだろ。
227名無し三等兵:2011/06/09(木) 18:59:10.59 ID:ODVkGqbn
まとめか
早めに作ってくれ
228名無し三等兵:2011/06/09(木) 19:09:58.58 ID:JcUoiekQ
作ってるから待っててね。

コピペしまくってごめんね。
229名無し三等兵:2011/06/09(木) 20:32:51.96 ID:???
そんな自演して悲しくならないか?
230fushianasan:2011/06/09(木) 20:35:01.53 ID:JcUoiekQ
自演でありませんので^^
231名無し三等兵:2011/06/09(木) 20:36:22.85 ID:Q1n8Jx1R
>>229
君が考えてるよりはこのスレの参加者は多かった
昔はTFRも参加してたし
232i114-180-34-228.s04.a001.ap.plala.or.jp:2011/06/09(木) 20:36:23.66 ID:JcUoiekQ
各国概略史はほとんど終わったから、兵器とかまとめたら
公開する。
233名無し三等兵:2011/06/09(木) 20:42:33.92 ID:???
コピペキチガイの上自演厨とはね。
234名無し三等兵:2011/06/09(木) 20:43:26.87 ID:???
うわ・・・
235名無し三等兵:2011/06/09(木) 20:47:24.44 ID:???
>>231
当時参加していたからこそ、今更キチガイのズリネタにされるのは腹立たしいわけだよ。
236234=232:2011/06/09(木) 20:49:26.39 ID:???
ズリネタにする奴も、煽る奴もキチガイ。
けっきょく五十歩百歩
237名無し三等兵:2011/06/09(木) 21:00:21.51 ID:???
うわ・・・
238234=232:2011/06/09(木) 21:07:32.59 ID:JcUoiekQ
こういう鸚鵡返し的レスって恥ずかしくないのかしら。

以下スルーね。
239234=232:2011/06/09(木) 21:34:10.59 ID:JcUoiekQ
ttp://www47.atwiki.jp/ifjpnvictory/pages/1.html

今日はここまで。
やっつけ仕事でごめん
240名無し三等兵:2011/06/10(金) 04:16:52.77 ID:???
まあ結局誰も待っていないわけですけどね。
241名無し三等兵:2011/06/10(金) 05:36:38.16 ID:MHuEjfCr
だから何?


じゃ削除依頼でもやっといて。
2421:2011/06/10(金) 05:40:03.10 ID:MHuEjfCr
ぶっちゃけ飽きたしこのスレ終了でいいよ。

こんな妄想しない奴は素晴らしいし、勝者だ。

本当はめんどくさいだけだが
243名無し三等兵:2011/06/10(金) 07:21:29.04 ID:MHuEjfCr
ああリア充ながらこんなスレたてた自分が憎い。

以下ここまで俺の自演(じゃなかったとしてもそういうことに)
244名無し三等兵:2011/06/10(金) 07:23:26.55 ID:llWMGl6l
変な粘着がついたなあ
245名無し三等兵:2011/06/10(金) 07:43:27.56 ID:???
そんな自演して楽しい?              
246名無し三等兵:2011/06/10(金) 08:05:22.99 ID:MHuEjfCr
楽しかったが、突然むなしくなった。
247i118-19-153-144.s04.a001.ap.plala.or.jp:2011/06/10(金) 08:13:20.42 ID:???
こんなクソスレたてて自演し続けたオレが憎たらしい!
ウィキはどうしたらいい!消すか?
248fushianasan:2011/06/10(金) 08:23:55.24 ID:mORX4ciI
誰か教えてくれ!
このクソスレの処遇と、妄想ネトウヨ敗北主義者の行く末を!
気になるニ・・・んで。
249名無し三等兵:2011/06/10(金) 08:41:22.27 ID:???
あーはいはい
すぐわかるようななりすまし乙>247
250i118-19-153-144.s04.a001.ap.plala.or.jp:2011/06/10(金) 08:48:09.48 ID:mORX4ciI
なりすましじゃないよ!
1=232=247=250だよ。

で、このスレがクソなのはわかったけど
それにかわる有意義な会話を誰か教えてください
251名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:10:08.22 ID:mORX4ciI
速く、このクソスレを落とすために
みんな書き込むんだ!
(でも昔、設定を考えた人には罪は無い筈。)
252名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:11:14.45 ID:???
人口動静

日本国(アイヌ、琉球などを除く) 10000万 ・・・史実より早く近代化したことによって、都市部が拡大してたり。海外移住者多し。少子高齢社会が現実に。
アイヌ(樺太、千島、カムチャツカ含む) 1000万 ・・・殆どがアイヌモシリ本島在住でしょうね。
琉球                    150万 ・・・史実より少し多め。もっと多くてもいいけど、あまり多すぎてもねえ。

台湾                   2000万 ・・・当然国民党は逃げてこないので、原住民や日本人が多いのでは。漢族も多いけど。
朝鮮                   8000万 ・・・在外国民もかなりの数かと。史実では増えすぎなので減った方がちょうど良いのに。
沿海州                  700万 ・・・浦塩を中心に発展。入植者を受け入れれば1000万いくかも。しかしそんなにあちこち入植してどうするんだか。
東シベリア               2000万 ・・・史実のモスクワへの人口移動がないうえ、満洲の恩恵で発展。 沿海州は含まず
大蒙古                  350万 ・・・史実と大差ないのでは。中華から蒙古族の流入が増えてこんなもんか。


満州(東シベリア等を除く)      30000万 ・・・満族はせいぜい5000万くらい? 内情は漢族だらけでしょう。
中華民国                60000万 ・・・なんだかんだで支那大陸の穀物庫だし。政治的にはうまく行ってるのかね。
中華人民共和国            25000万 ・・・共産党がうまく行ってなければこんなもんか。うまく行ってたら、支那の他の国から持ってこい。
253名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:12:42.88 ID:???
年表見ると第二次大戦後の中国関連は

1948年 満州、旧ソ連より改称したシベリア共和国を事実上保護国化。
1949年 汪・蒋内戦終結。汪兆銘派国民政府の勝利により蒋介石派は海南島へ脱出。
1950年 中華人民共和国、ウイグルへ侵攻。
1955年 満州と蒙古、シベリアを分割。旧ソ連の共産主義者は中華人民共和国へ脱出。
1959年 満州皇帝家へ日本華族?から婿入り。
1962年 海南島危機。独による海南島への核兵器持込と日本による海上封鎖。
1964年 満州で新京五輪。
1971年 台湾と大韓帝国が日本より独立。
1973年 中華人民共和国、金日成一派を援助して韓国で叛乱を起こさせる(失敗)。
1977年 国民政府軍がチベットへ侵攻。
1994年 満州で新皇帝即位。

やっぱり安定はしていないなw
254名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:13:48.63 ID:???
知られざる帝国陸軍アフリカ派遣

独コブレンツにある国防技術博物館の片隅に1両の古ぼけた戦車がある、
ティーガーやパンターを目当てに訪れるとその小ささが際立つが
『Pz.Kpfw.97(J)』と簡潔に説明された戦車が半世紀前はるばる海を越え
アフリカ戦線で戦った帝国陸軍中戦車チハの成れの果てである。

事の始まりは昭和19年7月、独軍南方軍集団のバクー到達を受けて当時18師団長の牟田口中将により
日独交流にとどまらず中東方面の石油権益を確保するためとして中東・アフリカ方面への実戦部隊の派遣を言い出したのが始まりと言われる。
しかし唯でさえ戦線整理・集中方針で陸軍部内がてんやわんやの頃に無い袖は振れるはずもなく
結局表向き自由インド仮政府の支援の増派を名目に牟田口中将を司令官に1個軍
(実態は97式中戦車(チハ)主力の戦車増強1個中隊、歩兵大隊の独立混成旅団)の派遣を決定
厄介払いも同然に送り出された。

派遣「軍」は8月に昭南島に進出後空しく日を過ごしたが同年11月にはテヘランが陥落、
ドイツの中東打通が完成すると牟田口中将は俄然やる気を出し部隊にイラン行きを命じ
海軍も遣独使節支援と時期を同じくしてこれを支援、まだ安全とはいえなかった
インド洋、アラビア海を越えオマーン湾に面したイラン・ジャースクに上陸した。
255名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:14:29.67 ID:???
ここからイラン高原を走破しようやく連絡のついた独軍の支援を受け昭和17年の大晦日には
鉄路でテヘランに到着した、ここまでに戦車部隊は数両落伍していたが
牟田口中将はあくまでアフリカ行きを希望、何と鉄道を使いトルコ・東欧・イタリアを経由して
「ロンメルが待っている」と先を急ぐ中将の意向もあり他の遣独使節が受けた華々しい歓迎もないまま
一路イタリアを目指した、しかし牟田口中将本人は「独軍との連絡調整のため」ベルリンへと向かい、
帝国陸軍アフリカ派遣部軍は昭和18年3月司令官不在のままトブルクに上陸した。

ロンメル元帥は当初この突然やってきた奇妙な軍隊に関してはトブルクからの補給物資以上の
価値を見出しはおらず、ようやくエル=アラメインに一段落が付き閲兵を行った時も下手をすると
この頃P40重戦車が配備されだした伊軍よりも劣悪ともいえる装備に一抹の不安を覚えたが、
同盟軍の手前無碍にはできずアレクサンドリア攻略の際司令部直轄の部隊として戦列に加えた、

その後アレクサンドリア攻防戦とカイロ入城には戦車及び歩兵部隊は偵察部隊として参加したが
アフリカ派遣部隊最大の戦果としては昭和18年5月のエジプト放棄の直前に決行された
英軍の最後の足掻きとも言うべきロンメル元帥暗殺作戦の際同行していた日本人将兵の活躍により
すんでのところでロンメル元帥を救出したことが挙げられる。
余談だがこの話を聞き今までベルリンに居座っていた牟田口中将がカイロに飛行機でやってきたが
自ら日本兵に対し殊勲するロンメルの前に現れたこのホコリ一つ無い軍服で固めた将官を見るなり
ロンメルが思わず報道班員に「彼は誰だ?」と聞いたという話が残されている。
256名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:15:03.19 ID:???
その後アフリカ派遣軍はアフリカでの残敵掃討に活躍、牟田口中将がアフリカ派遣成功を手土産に
早々にに帰国してしまうと日独連絡の確立とともに凱旋、あるいはロンメルの肝煎りで国防軍に志願し
東部戦線や北米上陸作戦に参加した日本人将兵もいたがそんな中派遣されたチハ車は大半が喪失、
あるいは改造されてほとんど当初の原形をとどめていなかったが2両が欧州本土へと送られ
このチハは昭和20年9月に盛大に執り行われた戦勝パレードでベルリンの中心街を走り抜けた

その後の日独冷戦の最中「日本はかような弱体な戦車を使用している」とプロパガンダ映画で
対戦車砲の的にされたりするなど受難にも逢ったが1両は先述のコブレンツ国防技術博物館、
もう1両の車体の一部がロンメル元帥の故郷ハイデンハイムにアフリカで日本軍戦車兵から送られた
戦車用の防塵眼鏡とともに保存されている。
257名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:16:11.28 ID:???
本世界版の北アフリカ年表・・・

40年9月 イタリア、アフリカでの攻勢計画を取りやめ。防衛戦略で臨むことを決定。
同 12月 駐エジプト英軍、リビアへの攻勢防御作戦「コンパス」発動。国境陣地帯を突破。
41年2月 英軍、トブルク攻略によりコンパス作戦終了。本格的なリビア侵攻を企図。
同  3月 英軍、リビア侵攻作戦「ブレヴィティ」発動。ベンガジを攻略。ドイツ、アフリカ軍団の派遣を決定。
同  4月 ロンメル、北アフリカに着任。
同  5月 英軍、トリポリ攻略作戦「バトルアクス」発動。ドイツ・アフリカ軍団により撃滅される。
       英軍シリア・イラク侵攻開始。ドイツ、ヴィシー・フランスに対英参戦要求。
同  6月 独軍、ベンガジ攻囲。しかし優勢な英軍は潤沢な補給により戦力を維持。
       ヴィシー・フランスは対英参戦拒否。反ソ義勇軍派遣と北アフリカ植民地での基地提供申し出。
同  7月 英軍、反攻作戦「クルセーダー」発動。ベンガジ解囲。ロンメル、トリポリを拠点とした持久戦略を決定。
       英軍シリア・イラク占領。ドイツ、ヴィシー・フランスの申し出受諾。
同  9月 英軍、トリポリ攻略作戦「フレイル」発動→失敗。しかしアフリカ軍団も消耗。
       ロンメル、補給線の維持のため、マルタ攻略を要請。
同 11月 ドイツ空軍、ロシア戦線より移動。マルタ空襲開始。
同 12月 英軍、マルタ補給を企図し、大船団を発進。阻止を図る枢軸軍との間で大海空戦が勃発。
       英軍は戦術的引き分け、戦略的には船団を阻止され敗北。
258名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:17:00.95 ID:???
42年2月 マルタ攻略作戦発動。空軍力の転用によりアフリカでは英軍の攻勢を支えきれず、チュニジアへの撤退を開始。
       同月末、英軍リビアを完全制圧。
同  3月 英軍、マルタ救援の第2次船団を発進。しかし情報漏洩のため潜水艦網の中にまともに突っ込んでしまい、船団の大半を喪失。
       同月、空軍のロシア戦線復帰が決定。その前にマルタ戦に決着をつけるべく、空挺団の大量投入が決定。
同  4月 ドイツ空挺部隊、マルタ島降下。要所を押さえられた英軍は抵抗力を失い、攻めあぐねていた枢軸軍は一挙に前線を突破。
       しかし空挺団は回復不能の大損害をこうむる。
同  5月 マルタ攻略戦終了。これを受けて在リビア英軍、チュニジア国境線での戦闘を中止。トリポリまで撤退。
同  8月 戦力を回復したアフリカ軍団による反攻開始。英軍、不用意に挑発に乗ってトリポリを出撃、戦車戦で大敗北を喫する。
同  9月 独軍、トリポリ攻略。同月中にベンガジも攻略。
同 10月 独軍、トブルク攻囲。英軍、反攻作戦「ライオン・ハーティド(獅子心王)」発動。
同 11月 独軍、ハルファヤ峠での戦闘に勝利。「ライオン・ハーティド」失敗。トブルク降伏。
同 12月 独軍、エジプトに侵攻開始。

43年1月 エル=アラメインの戦いはじまる。
同  4月 独軍、エル=アラメインを突破。
同  5月 独軍、アレクサンドリアを攻略、カイロで反英勢力蜂起。英国はエジプトの放棄を決定。
同  6月 独軍、戦後処理を終え、スエズ運河を越える(ただし運河の機能は英軍により破壊され、未だ復旧せず)。
同  9月 独軍、イラクを攻略。駐イランの友軍と合流し、中東制圧戦おおむね終了。
同 10月 スエズ運河復旧。日独連絡線本格稼動。
259名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:17:36.06 ID:???
ガングート級
ロシアの弩級艦。第一次大戦で一番艦ガングート、二番艦ペトロパヴロフスクが
参戦。リガ湾でドイツ艦隊と交戦した。(三番艦ポルタワ、四番艦セワストーポリ
は竣工が遅く、ロシア革命のため参戦せず)
独ソ戦が始まった1941年4月、オクチャブルスカヤ・レヴォルチャ及びマラートと
改名された両艦は、ケーニヒスベルグ、ダンチヒ攻略の支援砲撃に参加。5月に
ドイツ艦隊の進出が懸念されたため補給と整備のためリガまで後退しようとしたが、
ドイツの反抗でリトアニア、ラトヴィアが早々に陥落、エストニアのタリンに入港。
そこでドイツ空軍の空襲により共に浸水着底する羽目になった。特にマラートは、
ハンス・ルーデルのスツーカの投下した一発が致命傷となったため「スツーカで
戦艦を撃沈した男」と名声を上げることとなった。
応急処置で浮揚された二隻は、捕虜となった元乗員から選抜された「義勇兵」と、
監視役を兼ねたドイツ海軍軍人の混成部隊により8月末よりレニングラードを砲撃。
海陸を封鎖されていたレニングラードではこの砲撃を「鹵獲したドイツ軍のもの」
と見る一派と「積極的な反撃に出ないことに立腹したスターリンの督戦」と見る
一派の間で混乱が生じた。偵察により義勇兵を視認し「間違いなくロシア人が
運用している」との報告を受けたレニングラードの上層部は、後者と判断し、
ドイツへの降伏を決定。後に真実を知った関係者の一部は自分の頭を撃ち抜いた。
大戦間に火災で喪失したポルタワを除く三隻は、42年以降レニングラード(後に
サンクトベテルスブルク)とドイツ、ノルウェーなどを結ぶバルト航路の護衛に
従事し、東部戦線を支える大動脈の維持に地味ながらも大きな役割を果たした。
260名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:19:31.65 ID:???
51年時点では、日本の戦艦陣は
大和、武蔵(旧111号艦)、信濃、尾張、近江、旧モンタナ、長門、陸奥、金剛、榛名といったところ。
これに超甲巡数隻が加わる。

北米動乱もあり、最強の尾張と近江はパナマに配備。
南ア解放作戦には大和型3隻+旧モンタナ、超甲巡2隻が参戦。
旧式戦艦群は長門と陸奥がパナマに、金剛と榛名は本土でお留守番。
てぇかいい加減艦がポンコツになってるし。

ドイツの戦艦陣は
ティルピッツ、グナイゼナウの大戦生き残り組2隻に
39年度計画のH級戦艦1隻(Jはソビエツキー・ソユーズ型2隻完成のため部品取りにまわされた)。
フォン・モルトケ、旧ソビエツキー・ソユーズ、旧ソビエツカヤ・ウクライナ、
旧ジャン・バール、旧デューク・オブ・ヨーク、旧ハウ。
さらに44年度以降、資源事情が好転したことで新戦艦を計画。
44〜47年度にかけて毎年1隻を起工。51年時点で最初の2隻は完成。
さらに50年度、日本の尾張に対抗可能な次世代新戦艦2隻を建造、これがドイツ最後の戦艦になる。

51年の喜望峰海戦時点では
旧戦艦3隻+戦利戦艦6隻+戦後型新戦艦2隻が戦力化。
内2隻が北米動乱対応のため東米に配備され、本国への留守居を除き、6隻が南アに急行。
261名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:20:05.68 ID:???
喜望峰海戦では日独が共にアメリカから接収したモンタナ級戦艦が相討ちのかたちになって喪失。
この他にドイツは2隻を喪い、1隻が大破。大破した艦は日本が追撃を中止しなければまず間違いなく喪失艦の仲間入りをしていたと思われる。
無線装置を破壊され、連絡手段を失ったこの艦は這うような速度で帰投。
本隊に遅れること2週間でジブラルタルによろばい戻った。
日本側は海戦後数日はこの艦を捕捉していたが、政治的判断に基づき見逃すこととした。

一方の日本は、旧モンタナの喪失の他、信濃が大破。
さらに超甲巡1隻が沈没している。

なお、喜望峰海戦には日本の同盟軍として英が、ドイツの同盟軍として仏伊が参加していた。
262名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:20:48.12 ID:???
何?このキチガイ
263名無し三等兵:2011/06/10(金) 09:27:52.71 ID:mORX4ciI
こんな設定あったっけ。
まぁいいや、キチガイ言う前に単発投稿じゃなくて
大々的にこのクソスレを処理しようよ。

あと、まとめwikiは残しとく。
そっちに張ってね。
264名無し三等兵:2011/06/10(金) 11:52:10.27 ID:???
なんでこの流れでまたコピペ始めるんだよw
265名無し三等兵:2011/06/10(金) 11:55:44.29 ID:???
>>263
ひどい自作自演を見せられた。
お前が張ってるんだろうが。
266名無し三等兵:2011/06/10(金) 12:28:03.70 ID:MHuEjfCr
知らないよ!
確かにこのスレで俺が自演してたのは事実だけど、今日のコピペは知らないよ

それより早くコピペ以外でこのスレを終わらせるんだ。
267名無し三等兵:2011/06/10(金) 12:46:58.98 ID:???
おい、他のスレに出張してまで荒らすのは止めろよ
268名無し三等兵:2011/06/10(金) 12:50:08.22 ID:MHuEjfCr
すまぬ。
でもそこまでして、この自身の過ちであるオナニースレを撃滅したいんだ
269名無し三等兵:2011/06/10(金) 13:08:26.12 ID:MHuEjfCr
早くこのスレを葬ろう!
270名無し三等兵:2011/06/10(金) 13:23:53.75 ID:???
ちょっと考えれば解りそうなものだが
こういうスレの存在こそ
日本国の誇りや民度や徳を貶めてるってことに
気付かないのかね…。

余所の国から見たら「日本人てバカなの?」としか
思われないじゃんこんなの…。

ドイツの戦史フォーラムで、およそこの手のスレッドが伸びないのは
ドイツ人はそれをよく解ってるからだよ。

日本人として情けないし恥ずかしいから早く
消して無くなればいいのにと思う
271名無し三等兵:2011/06/10(金) 13:55:27.29 ID:MHuEjfCr
それだよそれ!!
こういうレスが欲しかったんだ。






もっとも、史実にはなかった、逼迫した米軍が見たかっただけだが。
272名無し三等兵:2011/06/10(金) 13:55:58.42 ID:MHuEjfCr
反省
273名無し三等兵:2011/06/10(金) 14:49:27.36 ID:MHuEjfCr
弾幕薄いよっ!
274名無し三等兵:2011/06/10(金) 14:50:42.70 ID:MHuEjfCr
俺だけじゃ限界だから一緒にスレ梅する人いる?
275名無し三等兵:2011/06/10(金) 17:31:41.14 ID:Puz5IVFe
投稿日: 2005/06/24(金) 20:27:45 ID:???
映画特集<恐怖の総和>
 麻生幾の同名小説を完全映画化
 <提督を追え><愛国者の遊戯><今そこにある危機>に続く乱橋純一シリーズ第4段
 日独激突!全面核戦争の恐怖を描く!

STORY
 ドイツ大統領が急死した。後任は、「ドイツ帝国の復活」を掲げ、強硬派とされているトムセンだった。
 核軍縮条約に基づく査察の為、ドイツを訪れた内閣情報室長の瀬川と乱橋は、ドイツの核の専門家3人が行方不明になったこと知り、
特情部の朝鮮系工作員朴・アンリーに調査を命じた。
 一方、紛争の絶えないセルビアで駐独軍が化学兵器を使用した。乱橋は、現地の部隊指揮官の独断によるものであると主張したが、
トムセン大統領が自分の命令によるものであると明言した為、日独関係は急速に冷え込み、乱橋も信頼を失った。
 しかし、乱橋の読みは外れていなかった。トムセンは、指導力の低さを暴露するのを恐れた為、敢えて攻撃は自分の命令によるもの
だと宣言したのである。
 その頃、モスクワではネオコミが中東で手に入れた核爆弾を行方不明になっていたドイツ人科学者3人を使って復活させ、日独衝突を
目論んでいた。乱橋と朴は、核爆弾の行方を追ったが、ときすでに遅く、諸橋総理が野球観戦を行なっていた福岡ドームで炸裂した。
 諸橋総理は無事だったが、福岡市民数万人が死亡し、爆発をドイツの攻撃と決め付けた日本首脳陣は、ドイツとの全面核戦争へと
突き進んでいた。
276名無し三等兵:2011/06/10(金) 17:33:57.03 ID:Puz5IVFe
ベスレヘムスティール/クィンシー(マサチューセッツ)造船所
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●●●竣工 BB57バーモント
●●●●●●●●●●●●竣工 BB61マサチューセッツ
○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●●中止 BB69モンタナ
○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●中止 BB70オハイオ
○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●竣工 CV16レキシントン(II)
○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●竣工 CV17バンカーヒル
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●中止 CV31ボンノムリチャード
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●中止 CV32キアサージ
ニューヨーク/ブルックリン工廠
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●竣工 BB55ノースカロライナ
○起工●●●●●●●●●●●●●竣工 BB63アイオワ
○起工●●●●●●●●●●●●●●●●●竣工 BB65ミズーリ
○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●中止 BB71メイン
○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●中止 BB72ニューハンプシャー
○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●竣工 CV18ワスプ(II)
○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●竣工 CV19ハンコック
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●中止 CV33オリスカニー
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●中止 CV34アンティータム
277名無し三等兵:2011/06/10(金) 17:34:28.94 ID:Puz5IVFe
ニューヨーク/キャムデン(ニュージャージー)造船所
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●●●●●竣工 BB59サウスダコタ
○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●竣工 CB1グアム(元アラスカ)
○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●竣工 CB2フィリピンズ
○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●竣工 CB3プエルトリコ
○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●中止 CB4サモア
○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●中止 CB5パナマ
フィラデルフィア(ペンシルヴァニア)工廠 42年1月大爆発(公式には隕石落下)で消滅
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●●竣工 BB56ワシントン
○○起工●●●●●▽事故により中断 BB64ニュージャージー
○○○起工●●●●▽事故により中断 BB66ウィスコンシン
278名無し三等兵:2011/06/10(金) 17:35:03.55 ID:Puz5IVFe
ニューポートニューズ(ヴァージニア)造船所
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●●●竣工 BB57ミネソタ
●●●●●●●●●●●竣工 BB60インディアナ
○○○○○○○再建開始▽●●●●●●●竣工 BB64ニュージャージー
○○○○○○○○再建開始▽●●▽中断 BB66ウィスコンシン
○○○○○○○○○○○○○○空母改装▽●●●回航中沈没 CVB41ミッドウェー
○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●●中止 BB67イリノイ
○○○○○起工●●●●●●●竣工 CV9エセックス
○○○○○○○起工●●●●●●竣工 CV10ヨークタウン(II)
○○○○○○○起工●●●●●●●●竣工 CV11イントレピッド
○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●竣工 CV12ホーネット(II)
○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●爆撃で喪失 CV13フランクリン
○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●爆撃で喪失 CV14タイコンデロガ
○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●中止 CV15ランドルフ
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●中止 CV20ベニントン
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●中止 CV21ボクサー
279名無し三等兵:2011/06/10(金) 17:35:42.27 ID:Puz5IVFe
米海軍の建造 [sage] 投稿日: 2005/06/16(木) 10:35:37 ID:???
ノーフォーク(ヴァージニア)工廠
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●●●●●●竣工 BB62アラバマ
○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●爆撃で喪失 BB68ケンタッキー
○○○○○○○○○○○○○○○○○●●●●●▽中断 BB73ルイジアナ
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○空母改装▽●中止 CVB42フランクリンDルーズベルト

投稿日: 2005/06/16(木) 10:45:41 ID:???
このとおり、月間エセックスの建造はフィラデルフィアが使えなく
なって、半年くらい繰り延べになりました。あとは史実にない戦艦が
存在してるのとモンタナ級が建造されてる(史実より明治大正の日本の
国力が大きいので、ロンドン/ワシントン会議で日米英とも戦艦の保有数や
排水量上限が大きくなったのかも)のが影響して、大量に竣工するころには
戦局が日本の優勢に決まってたという設定。
280名無し三等兵:2011/06/10(金) 17:37:01.21 ID:Puz5IVFe
投稿日: 2005/06/15(水) 14:39:45 ID:???
アメリカ共和国連合(南部連合)独立史

1989年
6/4:ポトマック事件。民主化要求を唱える民主主義活動家と、合衆国市民として最低限の権利の保障を求める公民権運動家による合同デモが軍に武力制圧される。
西米政府、ドイツ衰退に伴う東米の完全な瓦解を恐れて消極的対応。
西米テキサス州知事ブッシュ(父)、東米・西米両国政府を批難。これにルイジアナ・アーカンソーが賛同の意思を示す。
かねてより活動家達に同情的であったサウスカロライナ州知事、政府と軍の対応を激しく非難。
ミシシッピ・フロリダ・アラバマ・ジョージア州がこれに賛同。
南部5州、連邦政府の権限縮小と州政府の権限拡大を求める改憲案を発表。即刻廃案。
連邦政府、南部五州の一連の行動に不快感を表明、独自行動を自制するよう要請。南部諸州の反発高まる。
インディアナ州を中心に、KKK青年部主導による民主主義活動家・公民権運動家追放運動が始まる。
アラバマ州元知事ジョージ・ウォレス、連邦政府の対応と活動家への迫害の激化を非難。同時に南部5州を支持すると声明を発表。
公民権運動弾圧の旗手と目されていた人物の思わぬ行動に、連邦政府は狼狽。南部諸州は動きを加速。
南部五州にヴァージニア・テネシー・ノースカロライナ州が加わり、再度連邦政府に州政府の権限拡大を求める改憲案を提出。
その際、「最悪の場合連邦離脱も辞さず」と表明。
南部八州に続々と活動家達が移動を開始。
アラバマ州モントゴメリにおいて、南部八州代表団と連邦政府の間で「緩やかな連邦制」について最初の会談が行われる。
281名無し三等兵:2011/06/10(金) 17:37:33.81 ID:Puz5IVFe
投稿日: 2005/06/15(水) 14:40:37 ID:???
1990年
2月:水面下で行われていた南部八州の独立に向けた調整が大筋で纏まる。
テネシー州プラスキに集結していた公民権運動家をKKK青年団が襲撃。市内に戒厳令が敷かれる。
事態鎮圧の為に動員された州兵とKKK青年部・武装SSが一時交戦寸前に。
連邦政府、態度を硬化させ始める。南部八州に「連邦離脱やむなし」との気運高まる
ブッシュ(父)、独立記念日に「テキサスは常に自由と独立を求める同胞と共にある」と演説。
7/31:連邦政府と南部諸州との会談決裂。
8/1:南部八州、連邦からの離脱と独立を宣言。
8/2:東米と南部の戦闘が始まる。
ブッシュ(父)、テキサス州軍を動員。ルイジアナ・アーカンソー両州軍と共に国境へ集結。
10月、西米の中間選挙で対南部不介入派辛うじて勝利。合衆国政府と西米南部3州との対立高まる。
南部東米軍占領地域において、有色人種市民虐殺が発覚。ヒスパニック系を多数含んでいた事から西米南部三州の世論が沸騰。対東米強硬論が一気に加速。
12月:西米南部三州で連邦からの離脱と南部への介入の是非を問う投票を実施。圧倒的多数の支持を得る。
日独が首脳会談。第三帝国総統、「東米の国内問題」との見解示す。
独逸は同席で国内問題の悪化から介入せずと極秘に通達。
282名無し三等兵:2011/06/10(金) 17:38:06.96 ID:Puz5IVFe
投稿日: 2005/06/15(水) 14:40:59 ID:???
1991年
1/12:西米南部3州連邦からの離脱を宣言。
1/17:南部三州軍、ミシシッピ川を越え東米南部へ介入
東米、旧西米南部三州領へ断続的にミサイル攻撃。(全て通常弾頭)
EATO、旧西米三州への人道支援を海上ルートを使って行うと発表。合わせて、"船団の警備"の為に第三艦隊と第四艦隊を派遣とも発表。
第四艦隊、パナマへ移動。NuTOは一連の動きに大して取り立てて反応せず。
2/24:"人道支援物資輸送船団"、メキシコ湾へ入る。
2/26:東米大統領、26日中に南部八州より撤退を宣言
2/28、南部11州によるアメリカ連合国建国宣言。初代大統領にブッシュ(父)を選出。*国旗は旧南軍軍旗を使用。
南部、国連にて正式に承認される。東米は決議を棄権。日英西米と南部の四者協議始まる。
(最終的な国境線その他はいまだ未確定部分あり。南東休戦会議は断続的だが継続中)。
283名無し三等兵:2011/06/10(金) 18:03:37.67 ID:MHuEjfCr
Wiki作ったし、そっちにコピペしてくれないか?
284i114-183-38-182.s04.a001.ap.plala.or.jp:2011/06/10(金) 19:48:46.54 ID:???
がんばってこのスレを潰そうぜ。

忍法帳?だかのテストもおkだよ。
2851 i114-183-38-182.s04.a001.ap.plala.or.jp:2011/06/10(金) 19:49:21.34 ID:???
あ、スレ立てたの俺だから・・・。一応
286名無し三等兵:2011/06/13(月) 00:43:38.63 ID:???
佐藤大輔風味でやりたいなら、膨大な知識の裏付けが必要なのに、高校程度の一般常識もない。
だから文章が薄っぺらになるのに、そこに頓着せずに上から目線。読んでるほうが恥ずかしくなる。
2871:2011/06/13(月) 06:22:36.33 ID:ezOt0Tc7
な、な、だろ?
こんな出鱈目なクソスレなんか消そうぜ?

ニダ
288名無し三等兵:2011/06/13(月) 06:34:19.81 ID:ezOt0Tc7
この、病院船攻撃にも劣らない大犯罪(このスレを立てた行為)を償う方法を教えてください。

自分としては、日本をなじるスレを3つ立てるという案があるのですが。
削除依頼だけでは罪は消えないと感じています
289 忍法帖【Lv=8,xxxP】 :2011/06/13(月) 16:36:09.27 ID:???
o
2901 i114-183-43-210.s04.a001.ap.plala.or.jp:2011/06/14(火) 23:33:45.54 ID:dKpj8Nf1
こんな忌々しいスレを誰も攻撃しない。
おねがいします><
291名無し三等兵:2011/06/14(火) 23:39:20.52 ID:???
とっとと削除依頼出せ。
2921 i114-183-43-210.s04.a001.ap.plala.or.jp:2011/06/14(火) 23:39:38.12 ID:dKpj8Nf1
このスレにはもう書き込まないんで
物好きな方がこのスレを始末してください!
293名無し三等兵:2011/06/23(木) 10:27:49.68 ID:???
昭和37年10月に発生した、人類が核戦争の淵にたった13日間のことだ。

日付
16:大日本帝国特別高等警察外事部、蒋経国総統率いる反日軍閥が占有・
   独立政権を主張する海南島に、ドイツ第三帝国が核弾道弾を搬入すると
   の情報を入手。
   辻政信首相、緊急御前会議を召集。
19:村田重治空軍中将、キューバ空襲を辻首相に進言。
22:大日本帝国、珍宝島に第三帝国弾道弾基地が建設中であることを公表。
   中華民国政府対海南島海上封鎖を宣言。
24:聯合艦隊、太平洋上にて臨検を開始。
   「対核防衛基準二」を発令、大本営召集。
26:ゲッベルス第三帝国大統領、私信の形で辻首相に弾道弾撤去を提案。
   蒋総統日本機に対する攻撃許可を宣言。
27:「暗黒の土曜日」
   ゲッベルス、フランスに中距離弾道弾撤去を要請。
   海南島上空にて対核哨戒機「南海」被撃墜、搭乗員は死亡と判断。
   加藤建夫空軍相、29日の海南島空襲開始を提言。
   昭和帝陛下、空襲中止の御聖断を下される。
   中垣國男法務相、アナター・ドブラウス駐日ドイツ大使と接触。
28:「奇跡の日曜日」
   ゲッベルス、ベルリン中央放送にて海南島の弾道弾撤去を発表。
   大日本帝国、閣議にて海南島への即時攻撃体勢解除を決定。

 11/9、海南島から第三帝国の運搬船が弾道弾を搬出、聯合艦隊艦艇が併走
し、弾道弾撤去を確認。
 11/11、「対核防衛基準」解除、大本営解散。

最初の方の過去ログから引っ張ってきた。
村田重治は現場型でせいぜい佐官止まりで退役と思うから、そこは修正が必要だろうな。
294名無し三等兵:2011/06/24(金) 07:19:57.17 ID:???
>>293
そもそもなんで村田重治空軍中将は、キューバ空襲を辻首相に進言したんだ?
295名無し三等兵:2011/06/24(金) 15:05:44.57 ID:???
くだらね〜

妄想戦後史で「キューバ危機」の猿まねですか?

ホントつまらねー奴らだぜミリヲタってのは
2961:2011/06/24(金) 15:52:01.91 ID:dCu6QRjt
ごめんなさい。クソスレを立てたのは私ですが、キューバ危機もどきは知りません。
削除依頼も出しましたので書き込まないで下さい






今になってこのスレにある偽史を提督の決断で再現してる俺がいる。
ただし、アメリカ側だが。
297名無し三等兵:2011/06/24(金) 15:57:06.67 ID:???
NHK特集 映像の世紀

第1集 二〇世紀の幕開け
   19世紀に産業革命が起こり、ヨーロッパに近代国家が誕生。
  日本は開国しアジアの先進国となった。
  そして、二〇世紀の幕が開ける。

第2集 大量殺戮の完成
   サラエボの一発の銃声。それは第一次世界大戦の勃発の合図だった。
  毒ガス、機関銃、戦車……それは、今までの常識を覆す大量殺戮兵器の登場の場だった。

第3集 それはマンハッタンからはじまった
   アメリカ合衆国、ニューヨーク・マンハッタン。そこは20世紀社会の文化の発信地だった。
  だが、其処に後の最悪へのほころびが見え始める。

第4集 ルーズベルトの野望
   大恐慌から続く長い不況に悩まされるアメリカ。その時、彼は現れた。
  アメリカ経済の救世主となった彼の真意を、民衆はまだ計り知れないでいた。

第5集 世界は地獄を見た
   共産主義の大粛清、過激化する人種隔離政策、大規模無差別都市爆撃……
  そして……原子爆弾の登場……世界の終わりが見えた。
298名無し三等兵:2011/06/24(金) 15:57:38.39 ID:???
第6集 独立の旗の下に
   欧米のの「庇護」という名のもと、長年の実質的な植民支配に喘いできた南アメリカ。
  アメリカ合衆国というビッグパワーの喪失の後、権力の空白は長く苦しい独立闘争の始まりとなった。

第7集 勝者の世界分割
   地中海の島、マルタ。其処に終結した日本、ドイツ、イタリアの首脳たち。
  そこで、戦後世界の線引きが行なわれていく……

第8集 恐怖の中の平和
   日独両陣営の「冷戦」は世界中を二分し、国家や民族を引き裂いた。
  それは世界を壊滅させる「核戦争」の危機を高め、海南島でそれは頂点に達した。

第9集 コロンビアの衝撃
   南米大陸で影響力を強化しようとする欧州枢軸勢。パナマ・コロンビア国境周辺は戦場と化した。
  初めて戦場がテレビによって伝えられたその時、その支配力が揺らぐ瞬間となった。

第10集 民族の悲劇、果てしなく
   二〇世紀は難民の世紀でもあった。世界中で発生する民族対立、虐殺、そして大量の難民……
  それは人の心をも機械的に制御しようとしたドイツ人のもたらしたものであった
  それは大陸での民族対立を永遠に理解しきれない日本人のもたらしたものであった
299名無し三等兵:2011/06/24(金) 16:05:01.62 ID:dCu6QRjt
>>296



倭猿の哀れな敗北スレだと自分でも感じています
300名無し三等兵:2011/06/24(金) 17:19:39.79 ID:???
そうやって下らない自演をするなって言ってるんだよ。
はずかしくないの?
301名無し三等兵:2011/06/24(金) 17:35:20.73 ID:dCu6QRjt
297-298に言ったんですが。

このスレに誰も書き込まないでくれるか?
302名無し三等兵:2011/06/24(金) 17:41:47.53 ID:???
そういう恥ずかしい自演をするのはどうなのかと。
303名無し三等兵:2011/06/24(金) 17:43:36.01 ID:dCu6QRjt
ごめん302は自演。
304名無し三等兵:2011/06/24(金) 17:46:23.25 ID:???
日本の原子炉

1)重水減速軽水冷却型原子炉(NTR/Nishina-Type Reactor)
 別名、仁科式。減速材には重水、冷却材には軽水を使用する原子炉で、
その原型は昭和20年、プルトニウム生産用に建設された一号原子炉であ
る。(ただし、仁科式原子炉そのものの設計意図は動力炉だった)
 加圧重水タンクに制御棒チャネル、燃料棒チャネル、沸騰水チャネルを通
した構造になっており、沸騰水チャネルで発生した高圧蒸気によって二次
系冷却材を加熱し、複水した一次冷却水を再び沸騰水チャネルに戻す。発
電用原子炉の場合、二次冷却水の中圧蒸気でタービンを回し発電機を駆
動する。
 減速材の生産が思うに任せない戦中の日本で開発された苦肉の策だが、
なまじ安定していた為、昭和36年の清津一号炉以降、国内外で多数建設
された。しかし、規模の割に熱出力が小さいこと、減速材である加圧重水
の圧力補償系が必要なこと、同じく一次冷却水の複水補償系が必要なこと
など、不利な点が多い為、一時期コルダーホール式(マグノックス式)が東側
発電用原子炉の主流となった。だが、昭和54年3月の沿海州二号炉(コルダ
ーホール式)の事故をきっかけに、仁科式の再評価がなされた結果、改良
型仁科式(ANTR)の開発が推進されることとなった。
 ANTRでは冷却材チャネルの容積を拡大し、上部の膨張ドラムを設けて
いる。仁科式が沸騰水チャネルから直接高圧蒸気を取り出していたのに対
し、ANTRでは一次冷却水水位は常に燃料より上位になるように設定され
ている。これによって冷却効率を向上し、従来より大型だが、大出力の炉が
設計できるようになった。
305名無し三等兵:2011/06/24(金) 17:46:54.92 ID:???
2)日本型加圧軽水炉(PWR/Press Water Reactor)
 仁科式とは異なり、冷却水の軽水を直接減速材とする原子炉は、主に原
子力潜水艦用に研究・開発が進んだ。
 通称艦本式と呼ばれる日本型PWRは、発電用にPWRを多用した第三
帝国の物と、蒸気発生器が構造上大きく異なっている。曲げ細管の中を冷
却材(一次冷却水)が通過し、二次冷却水を加熱する第三帝国型に対し、日
本型は鋳物配管を二次冷却水が通過し、一次冷却水から加熱される構造
となっている。また、その方式も自然対流を用いる。その為、熱交換器の能
力はあまり高くなく、それが日本型PWRのボトルネックとなった。その為、
商業発電用には日本原子力発電において敦賀一号、東海三号炉が建設さ
れたのみである。

3)新型転換炉(ATR/Advanced Thermal Reactor)
 あらたな形式と位置付けられているが、構成は仁科式とほぼ同じである。
大きく異なるのは燃料及び制御棒の配置にもチャネル管を用いていた仁科
式に対し、それらは直接、重水中に置かれる。
 新型転換炉の目的は、従来炉で使用した後の核燃料をMOX化し、安定
して燃焼させること(そしてより濃度の高いプルトニウム239を取り出すこと)
であり、言わば使用済み燃料の処分先としての存在である。
306名無し三等兵:2011/06/24(金) 17:47:32.72 ID:???
4)慣性点火式固体増殖型核融合炉
  -(ICMR/Inertia-ignite Ceramics-Multiplication Reactor)
 日本が世界に誇る発電用核融合炉。従来、核融合においては第三帝国
がリードしていたのだが、超伝導の代わりにレーザー発光体を使用する慣
性核融合が発見されると、多くの先進技術同様、半導体技術に優れる日
本帝国があっさりと先行してしまった。
 とは言え、ICMRにはまだ、セラミックスブランケットの加速劣化という問
題を抱えている。セラミックスブランケットそのものは再利用可能なのだが、
放射化した高位汚染体である為、より超寿命の、液体ブランケットのを使
用したILMR(Inertia-ignite Liquefaction-metal Multiplication Reactor)の
開発が進められている。
 したがって、現在稼働しているICMRは、国策会社である日本原子力発
電の所有する東海五号炉(注:“東海四号炉”は存在しない)「大和」のみで
ある。仁科式以来の2循環系で、総電気出力は1.21Gwである。

307名無し三等兵:2011/06/24(金) 17:48:07.83 ID:dCu6QRjt
以下ここまで全部俺。
308302:2011/06/24(金) 17:50:10.61 ID:???
>>303
うわぁひでぇ。
309名無し三等兵:2011/06/24(金) 17:54:01.83 ID:dCu6QRjt
ついでに言うと、
最初のgdgdも、コピペ連張りも、荒れた具合も全部俺の自演。
茶番です
310名無し三等兵:2011/06/24(金) 17:58:39.45 ID:???
第三帝国における原子力政策あれこれ

第二次大戦勃発時、第三帝国における原子力研究は主として三つの中心が存在していた。
国防軍に接収されたカイザー・ヴィルヘルム研究所(以下KWI)、そして教育省と郵政省である。
組織・人材・資金の面で優位にあったのはKWIだが、所長のペーター・デバイがオランダ人であったこと、
いわゆる「ユダヤ物理学」排斥運動への反感などから、当の科学者たちに研究への熱意が見られなかった。

しかし、北欧・西欧の占領によって各国の技術的蓄積が入手されたこと(特に重要だったのは巴里の
キュリー研究所から接収されたサイクロトロンだった)、失脚直前のゲーリングが「一発で倫敦を
破壊できる爆弾」の噂に権力回復への夢をかけたことが第三帝国における実質的な原子力政策の始まりとなる。

40年夏、ゲーリングは四ヵ年計画担当帝国全権委員としてKWI、教育省、郵政省の原子力研究を
統合することを決定。同時にデバイを(既に米国へ脱出していたが)解任し、
国防軍との関係が深いクルト・ディープナーを原子力研究の統一責任者に任命した。
この決定直後にゲーリング自身は失脚するが、研究自体はこうして動き出したのである。

だが、ディープナーは数多い部下の科学者たちを上手くまとめ上げることができなかった。
加えて最も優秀な科学者と言われたヴェルナー・ハイゼンベルクがゲシュタポに告発されたことにより
(デンマークのニルス・ボーアとの不用意な会話が原因だった)、ディープナーは解任される。

責任者と最優秀研究者を失った原子力研究を救ったのはシュペーアと郵政相ヴィルヘルム・オーネゾルゲだった。
二人は、ディープナー失脚を機会に研究の主導権を奪おうとする教育相ベルンハルト・ルストに対して同盟し、
教育省系の研究者だったアブラハム・エサウを抱き込むことで勝利。41年夏には研究体制を再始動させる。

311名無し三等兵:2011/06/24(金) 17:59:22.70 ID:???
ここで問題となったのは最初の大規模な原子炉をどこに建設するかだった。
そして、保安・水利・交通などの面から白羽の矢が立ったのが総督府管区内のアウシュヴィッツだったのである。
アウシュヴィッツには既に強制収容所の建設が計画されていたが、シュペーアはこれを大規模に改定。
第一収容所を従来の強制収容所として、第二収容所ビルケナウを原子炉施設として建設することとした。
この改定の陰にはシュペーアとヒムラーの間で何らかの密約があったものと一般には考えられている。
原子炉建設に投入されたのが猶太人ばかりであり、彼らの多くが建設作業中にほとんど死亡しているという事実、
ビルケナウ原子炉警備隊でのガン発生率が異様に高く、同隊への配属が一種の死刑宣告と見なされていた事実、
おそらく、同原子炉において安全性といったものは(たぶん意図的に)考慮外であった点が疑われる。
その後も総督府管区内には四つの小規模原子炉(ベルゼック・クルムホーフ・ソビボル・トレブリンカ)が建設されたが、
これら全てにおいて建設労働者は猶太人であった(そして大部分が死亡した)事実も注目されてよいであろう。

第三帝国にとって原子炉とはまず何よりも「原爆を造るためのもの」であった(同時に厄介払いの手段でもあったようだ)。
海軍においてもヴァルター機関への執着が強かった点はこの証左と言えよう。
戦後でさえ「バクーの油田があるのに怪しげなユダヤ科学の産物に頼る必要があるのか」との意見は根強く、
原子力発電が脚光を浴びるのは50年からの亜米利加動乱の影響で欧州復興計画に陰りが見え始め、
採掘・輸送負担の大きいバクー油田への依存を軽減しようという動きが出て来てからのことである。
312302:2011/06/24(金) 18:26:46.46 ID:yYNG7pd8
だからもうコピペはもういらねぇよ。
313名無し三等兵:2011/06/24(金) 19:06:19.58 ID:???
大日本帝国の原子力

破格の予算を投入して行われた日本の原子力開発は、昭和20年満州における原爆の完成と
米本土への投下でその完成をみた。

この後も冷戦の開始と共に原爆の開発に成功した独逸への対抗上原子力利用は軍の独占で行われ
大陸、南洋の無人地帯で幾度となく大気中原爆・水爆実験が繰り返された。
原子力の人体への影響については終戦直後米国における原子爆弾の威力を調査するため
いくつかの軍、理化研などからなる特務機関が作られその報告の中に数多く挙げられたが
軍機により「効果絶大なる原子力爆弾」の実態は軍民共にその一部しか知られず
原子力に対する人々の意識は高くはなかった。

昭和29年南太平洋で最大規模の水爆実験が行われたがこの際放射能灰が飛散し
近海で操業中だった布哇・西米の合弁水産会社の漁船「ラッキードラゴン号」が被爆。
帰港後乗組員が死亡するという事件が発生。当初水爆実験との因果関係は否定されたが
我が国で原爆と放射能の人体への影響が注目された初めての事件だった。
(なおこれを含め数十回実施された南太平洋の核実験では軍関係者のべ10数万人が動員され
付近の海域には島民、船員も多数がいたが現在も実態は明らかになっていない。)
314名無し三等兵:2011/06/24(金) 19:06:52.50 ID:???
しかし翌30年には帝国戦略資源調査会電源開発分科会の第二回答申により
将来の電力需要の増加見込みから火力・水力に加え原子力の商業平和利用が提言され
「管理下であれば安全」との政府公式見解から電力資源として米大陸や本土、支那の各地に
原子力発電所の建設が計画され6年後の昭和36年には国内初の商業原発が運転を開始した。
当時の辻内閣では答申案として出された風力、地熱、潮汐、そして大気圏外太陽光発電の
研究開発も国会での昭和31年の所信表明演説で提唱された、これらの研究開発は同時期
提唱された月面着陸探査計画と並び「狂気の沙汰」と呼ばれ南米紛争介入の戦費増大から
予算状況は厳しいものがあったが辻首相の死後も続行され後年大きく実を結ぶことになる。

順調に推移するかに見えた原子力発電は20年後の昭和54年3月に日本領沿海州ウスリー川支流域の
原子力発電所が保守、保全の不備、ならびに運転員の操作ミスから給水ポンプが止まり
冷却水が流出し炉心上部がむき出しとなり燃料棒が破損、炉心溶融(メルトダウン)を起こす
大事故を起こした。
流出した放射性物質は盆地であったことから山脈でせき止められ日本海に直接降り注ぐことは
避けられたが。連絡の不備から避難の遅れた付近住民や在留邦人が被爆、そして救出と処理のため
現地に向かったウラジオストク、ナホトカ駐留の海軍部隊などにも犠牲者が出る事態となった。
315名無し三等兵:2011/06/24(金) 19:07:25.21 ID:???
 この最悪の原子力事故以降国内でも原子力発電への懸念の声が広がった。対馬・黒潮海流発電所
地熱発電所が昭和60年代に相次いで稼動すると原子力発電所の新規着工を含め核融合発電を除く
従来形の原子力事業の規模縮小、転換を決定。平成8年には軌道発電衛星が着工するが
平成10年茨城県東海村の内地では最古の部類に属する施設を利用したウラン加工工場で爆発、
臨界事故が発生、臨界状態が続き放射性物質が流出、微量ながら風で広範に広がり近隣の勝田
水戸市どころか一時は帝都まで汚染物質を検出など大騒動に発展した。
 風向きから推定被爆者数は多いが直接の健康被害はないとの公式発表ながら
事故の詳細が明らかなるにつれ管理のずさんさなど人災に近い状況に非難が集中した。

 現在は軌道発電衛星の竣工など我が国の電力事情は脱原子力の方向に進みつつあるが
依然全電力の1割以上は原子力発電で賄っておりしかも大半の原子炉の老朽化しつつあり
その処理など後世に残された問題は多い。
316名無し三等兵:2011/06/24(金) 19:07:59.74 ID:???
国鉄〜JR編
☆略史
 戦前、「国鉄」と呼ばれたそれは鉄道省が直接運営する正真正銘の“国有
鉄道”であったが、昭和21年“戦後大改革”により、鉄道省は急速に普及す
る自動車、航空路線を総合的に管理する「運輸省」となり、そのため組織が
肥大化したため、鉄道部門は昭和26年、NHKと同じく独立採算制の公的法
人「日本国有鉄道」として分離した。
 その後戦前に吸収した零細鉄道以外にも、末端地域まで路線を伸ばし、
昭和32年にデビューした101系通勤電車はそれまで“暗い、揺れる、うるさい”
「省線」のイメージを払拭し、地方の動力近代化の為に登場したキハ20系気
動車とともに爆発的に普及した。さらにその発展技術により初の世界にも類
を見ない「優等特急専用電車」151系、同じく気動車のキハ80系82型、動力
集中型ながら従来のシステムとは一線を画す全車冷房・軽量構造の豪華特
急専用客車20系と百花繚乱の装いを呈した。
 一方、大東亜戦争により中断された「弾丸列車計画」は、101系電車によっ
て究極を迎えた動力分散技術を基に「新幹線計画」として昭和26年、新たに
スタートした。台車共振問題やブースター式BT起電方式のトラブルに悩まさ
れながらも、その後首相となった辻正信の強力な後押しもあり、昭和38年、
最高速210km/hの「東海道新幹線」は完成した。その後、延長線である山陽、
そして、後に首相となった田中角栄の「東日本近代化」路線によって荒天に
対する重装備を持ち、かつ最高速240km/hの東北・上越新幹線が昭和62年
に開通する。
 JNRマークも華やかに、絶頂を迎えたかに見えた国鉄だが、昭和58年に
発覚した車両調達に関する不正疑惑(トラストにより東急車輛を故意に不利
にした)にはじまる国鉄不敗体質は高騰する急行料金とともに帝国臣民の
攻撃対象となった。ついに帝国議会で国鉄解体・完全民営化が叫ばれ、昭
和60年に分割法案が成立した。
317名無し三等兵:2011/06/24(金) 19:08:40.10 ID:???
 かくして昭和62年、「日本国有鉄道」は解体され、アイヌ鉄道、琉球鉄道は
各自治国政府に変換され、残る路線はJR東日本、JR東海、JR西日本、J
R九州四国、JR樺太の5社に分割された。
 その後、主要株主は国となるも、採算性改善の為さまざまなサービスが施
されるようになり、現在に至っている。

☆技術
概論:戦時体制化では陸軍の影響の強い政権が、攻撃に弱い電化を嫌った
が、戦後は技術志向の海軍の影響力が強い内閣がしばらく続いた為、急速
に動力近代化が推し進められることになった。
 昭和31年、東海道本線電化完成。この後も急速に電化地域を増やす予定
であったが、昭和36年、地上切替式の東北本線黒磯駅において、EF58 60
号機が交流起電中の構内に進入し、炎上する事故を起こした。原因は駅員
の切替ミスだったが、EF58 60号機が御召機として特に製造された機関車で
あったこともあり、大問題となった。交流電化は海峡で確実に仕切られる九
州とアイヌ、樺太のみで進められるとし、既に車上切替で完成している北陸
本線のみが本州で残り、一部開通している常磐線は工事中の区間も含め直
流に転換されることとなった。そして、これを転機とし、それまでの電化一辺
倒の近代化施策は大きく転換することになった。
318名無し三等兵:2011/06/24(金) 19:09:26.05 ID:???
新幹線:新幹線電車は従来の鉄道線とは隔離される路線である為、計画ど
おり交流25,000Vで進められた。欠陥が指摘されたブースターBT起電方式
は山陽新幹線開通以降、AT起電方式に順次変更された。国鉄時代にはさ
らに九州新幹線(博多〜熊本)山陰新幹線(京都〜松江)北海道新幹線(盛
岡〜札幌)が開通したが、このうち山陰新幹線と北海道新幹線は世界的に
も珍しい内燃機関(ディーゼル)型動力分散式新幹線となっている。北陸新
幹線はもともと技術的に困難が伴う上、国鉄分割により立ち消えとなった。
 車両も国鉄時代の0系電車・200系電車・1000系気動車から、VVVFインバ
ータ制御で最高速270km/hの300系、そして世界最高速315km/h営業運転
可能の500系・E2系、最高速はあまり向上しなかったがブレーキ装置の改善
により電車並みの急加減速が可能となった3000系・N1系気動車へと進化し
た。
 なお、JR東日本時代に入って建設された山形新幹線・秋田新幹線は、便
宜上の通称であり、この両者は正確には改軌在来線である。

電車:制御方式は世の流れを見切れず、電機子チョッパ制御の201系が実
質上失敗した後、界磁添加励磁制御で大成功を収め国鉄解体を迎えた。
現在の主流はVVVFインバータで画一化されているが、現在なお大量製造
された165系電車・101系電車の更新が進まず問題となっている。

気動車:国鉄時代の「負の遺産」は電車より大きく、フリークェンシーサービ
ス工場の為に大量製造されたキハ58・キロ28・キハ65の更新が滞っている。
(キハ28はキハ65に急速に置き換えが進み壊滅に近い)これらは機関換装
で性能寿命を延ばしている。
 これら旧型急行用気動車の置換え用として、アイヌ国鉄苗穂工場で製造さ
れたキハ261系が現在、注目されている。
 特急用でもキハ181系が大量に残っているが、こちらは元来DML30Hを搭
載する高性能車であるため、アコモデーション改善でなお使用されている。
319名無し三等兵:2011/06/24(金) 19:10:12.54 ID:???
機関車:動力分散化が進み旅客用からは急速に撤退した機関車だが、貨
物用としてはむしろ需要は拡大する一方である。
 クイル駆動で短命に終わったEF60、EF61の後、抵抗制御世代は碓氷峠
用のEF62・EF63が原点となり上越線用EF64、平坦線用EF65で基本形が
完成され、これに日本海縦貫線用のEF81を加え、JR時代に至るまで製造
が続いた。また、高速貨物のより効率化を目指し狭軌最大のモンスターロコ
EF66が登場する。JR化後、VVVF時代に入ってからEF200、EF500、
ED500が試作され、そのうちEF200はEF66並みのパワーで省電力のEF210
となり、ED500とともに各々量産された。
 DD54の大失敗でその後の量産機関車はDD51一辺倒となった。万能機DE
10の高速幹線用バージョンDE50は、DD54の経験から膾を吹いてしまい没と
なった。以降、DD51、DE10、DD13→DD16の3機種が固定されて製造されて
きた。現在も「必要にして充分」という意識が強く、後継機種は出ておらず、
先に製造されていたDF50の後期車とともに使用が続けられている。
 蒸気機関車は昭和56年、C63の製造をもって終了した。この背景には、西
側のフランスが電化施策を推し進め、その集大成であるTGVの運行を開始
したことに対する政治的対抗であった。しかし、後にも蒸気機関車の需要は
消えることはなく、大正年間のC51、D50以下大量に煙を上げつづけている。
明治の車体も名車8620や9600はかなり残っている。都内では非電化の山
手貨物船では帝国の鉄道黎明期に米スケネクダディー社で製造された、
5700型の姿さえ見ることができる。
320名無し三等兵:2011/06/24(金) 19:10:59.65 ID:???
大日本帝国鉄道概略
 日本はもともと石油輸入国であったため、自動車の普及には力が入らず、
山岳が多く、交通の整備には橋梁・隧道が多数必要だったため、
大量輸送の効く鉄道の整備に力が入った。
 半官半民の私鉄を作り、それに建設を担当させ、完成後買収するという手法は功を奏し、
鉄道は急激に発達。明治時代が終わる前は路線建設は一段落する。
 しかし、票集めのためか国会議員の鉄道の敷設欲は収まる所が無く、
大正6年に公布された鉄道敷設法には150以上の路線が建設計画として盛り込まれ、着工されることになった。
 昭和6年には飽和状態になりつつあった東海道・山陽本線に沿って高速線を建設する
「弾丸列車計画」の着工が決定される。(現在の東海道・山陽新幹線)
 こうして発達していった鉄道路線だが、予定線は多岐にわたり過ぎていた為、
予選が分散され、遅々として進まない線区が数多くあった。もちろん、軍用線もその中に含まれており、
軍の鉄道省に対する不満は次第に増えていく。
 終戦後、昭和21年に戦後大改革が行われ、鉄道省は運輸省に合併。
昭和26年には独立採算制の公的法人「日本国有鉄道」として再び分離した。
 その翌年の昭和27年、東北・北海道の両新幹線が開通するが、一番の期待だった津軽海峡隧道は
本坑の着工すらできていなかった。十年以上溜まっていた軍部の不満はここで一気に爆発する。
当時の貧弱な路線状況と多大な予定線の数を見て、軍部は絶句。その後、軍の説得(むしろ脅迫に近かった)
により、鉄道敷設法は一から見直され、建設予定も年毎の発表が義務付けられた。
321名無し三等兵:2011/06/24(金) 19:11:40.49 ID:???
以前からの軍部の希望もあり、この改正鉄道敷設法は複線化、高速化など輸送力増強が優先されており、
それにより、国鉄路線は量・質ともにいっそう充実していく。(※史実だと崩壊するまで国鉄は敷設法に苦しめられます)
 このように、路線網が順調に整備され、さらに、石油の次を見据えたクリーンエネルギーが重視されるようになり、
「欧州を走る線路の全てがちっぽけな4つの島に詰め込まれている」と言われるほどにまでになった。
絶頂に見えた国鉄だが、組織の巨大さからか
車両調達に関する不正疑惑事件や業務効率化による余剰人員、私鉄との競争など
様々な問題が表れ、抜本的な改革が求められた。その結果、中曽根内閣は
「国家の鉄道から国民の鉄道へ」を目標に、地方支社の集合体である旅客と
線路を借りて運用を行う貨物分野に分割のうえ専売公社、電電公社とともに民営化を指示した。
こうして、昭和62年、国鉄はアイヌ国鉄、琉球国鉄、日本貨物鉄道、東日本・東海・西日本・四国・九州の各旅客鉄道、
2国鉄6社1機構に分割される。(ただし、株式は半分以上国が保有)
その後は、採算性改善や私鉄との競争路線の強化、そして整備が始まった高速道路に勝利できるように、
様々なサービスが施されるようになり、現在に至っている。
 車両は大都市路線・主要幹線は電車、地方幹線・地方交通線は気動車、貨物は機関車が中心だが、
どれも新型車への更新が進んでおらず、あちこちで年季の入った車両を見ることができる。
特に貨物分野は乗り心地を考えなくてよいせいか平成に入ってから新型機が出ておらず、蒸気機関車も見られる。
322名無し三等兵:2011/06/24(金) 19:51:56.37 ID:???
昭和20年の段階で
日本に濃縮ウランの精製技術はないし
核物理学者も居ねぇよ…

何夢見てんだ?この恥ずかしいキチガイは
323名無し三等兵:2011/06/24(金) 22:21:50.22 ID:dCu6QRjt
そうだよな。
あと、18インチ砲戦艦も無いよな。
大和とかいってるのもキチガイ
324名無し三等兵:2011/06/27(月) 13:36:21.66 ID:???
東側経済概略

18世紀末に開国した日本は、アジアで唯一の工業国という立場を生かし貿易による利益を着実に得ていた。
また日本は世界有数の貴金属産出国であり、貿易初期にはレートの違いを利用されて国外に相当の貴金属が流出したものの、
通貨制度の整備と並行して主体的に貴金属の流通量をコントロールすることで、
金融面では間接的に欧州の相場すら左右するほどになった。
(もっとも相場に勝ち続けたわけではなく、19世紀末のバブルが崩壊が江戸幕府崩壊のきっかけとなった)
明治の新政権成立の時点で、国民総生産など主要経済指標の点で、ほぼ欧州列強に並ぶ国力を有していたと見られるが、
資本の蓄積の点では、列強の中でも上位に位置付けられるものであった。
日清・日露・第一次世界大戦で得た各種の権益と膨大な賠償金は、日本の近代化を一段と加速し、
これにより満州・韓国・台湾など新たな領土への投資も適正な余裕の範囲で可能となった。
中でも満州は、日本だけでなく欧米の投資も集中したこと、
移民国家であり生産年齢人口の比率が高かったことから長年2桁成長が続き、日本に次いでアジアの近代国家の形をなした。
世界恐慌の際、潜在成長力の大きさから金融緩和により欧米に先駆けて経済成長を回復した日本は、
沿海州事変を機に準戦時経済に移行したが、軍備の増強と経済成長を共に進めることができた。
325名無し三等兵:2011/06/27(月) 13:36:53.64 ID:???
第二次世界大戦は、経済面からは、独ソ英満は借金して戦争し、日本は手持ち資金で戦争し、
米国は貸し付けながら戦争したと言える。
講和条約により米国は対外債権を放棄することになった。
つまり、戦後、独は借金を踏み倒し、米は貸し付けが焦げ付き有り金を巻き上げられ、英満は借金がチャラになり、
日本は手持ち資金は底をついて家屋敷を抵当に入れたものの稼ぎ放題という地位を得たわけである。

もっとも、日本としては自国が生き残るために戦ったという意識であり世界の半分を支配することを戦前から計画していた節は見られない。
少なくとも戦後二、三十年は、計画的に戦後の世界経済を支配するというよりは、手にした広大な市場を食い散らかしながら、
行き当たりばったりにその時々の情勢に応じて政策を見直していたようである。

しかし、これは吉と出た。
東側は、日満などの近代工業国から植民地支配を脱したばかりの国まで、各国の国情や経済力の差が大きく、
画一的な支配や統一市場を最初から構築しようとしても失敗した可能性が高い。
「雁行体制」と呼ばれる、各国の経済成長に応じた緩やかな経済的連携により、東側全体としての安定成長が可能となった。
先進国では陳腐化した技術やコスト的に引き合わなくなった産業を、順番に追随する諸国に委譲し、
結果的に特定の国家が不安定となった場合でも、その国の産物は必ず他国で代替可能になるなど、多様性にもとづく安定性を得たのである。
326名無し三等兵:2011/06/27(月) 13:37:41.50 ID:???
新幹線について

 弾丸列車計画は昭和初期から抱かれ、昭和6年(2591)には軍と鉄道省が合意。東京から博多までが着工される。
完成したのは昭和15年(2600)。鉄道記念日に開業した。(これを便宜上第一期という。)
 翌年、鉄道省が発表した東京〜青森、函館〜札幌を着工。(第二期)
津軽海峡は当初、船で十分だと考えられていたが、津軽丸事故から海底遂道が着工された。
開通予定は全て昭和27年(2612)とされたが、これはかなり無謀で、
結局、東京〜青森、函館〜札幌は予定通り開通するが、津軽海峡遂道は工事が進まず、本坑が着工されたばかりだった。
(この件で、軍部は、予定線の遅れていた鉄道省に我慢が出来なくなり改革を行ったがそれはまた別の話)
 しかし、津軽海峡遂道の調査坑で開発された新技術は遠大な海底遂道を作るのに十分なもので、
国鉄は長期の工事を覚悟の上で、山陰新幹線と同時に博多〜釜山間の対馬海峡線を着工する。(第三期)
建設は順調に進み、昭和42年(2627)には山陰新幹線全通、朝鮮新幹線も博多〜壱岐が開通する。
 この成果に喜んだ国鉄は続いて宗谷新幹線(札幌〜豊原)九州新幹線(福岡〜鹿児島)の建設を決定する。
そして、昭和47年(2632)、津軽海峡線が開業。27年をかけ、本州と北海道は鉄路で繋がれた。
 その後、昭和48年に(2633)田中角栄首相が上越新幹線を半ば強引に着工させる。(第四期)
これらは比較的早く開通されると考えられていたが、石油危機の影響で工事は遅れた。九州・上越の開業は5年遅れの昭和53年(2638)。
 昭和50年代に入り、工事が続けられていた対馬・宗谷の両海底遂道も完成の目途が立ち、
国鉄は奥羽・秋田新幹線、樺太新幹線を着工する。(第五期)樺太新幹線は昭和60年(2645)宗谷新幹線と同時に開通した。
その前年には、対馬海峡線が開通。国鉄はにわかに活気立つが、これまでにかかった莫大な建設費が問題視され、
民営化と同時に新幹線の新規建設は当分見合わせられることとなった。建設途中の奥羽・秋田は一部在来線使用で昭和63年(2648)開業。
現在、運転系統が分断されないように列車の運行は新幹線鉄道保有機構が行っている。
327名無し三等兵:2011/06/27(月) 13:38:13.72 ID:???
西側経済概略

ベルサイユ条約で課せられた賠償金や世界恐慌などの影響で混乱したドイツ経済は、
ヒトラー政権下における各種の巨大な公共事業(ある意味第二次世界大戦もそれに含まれる)をテコとして回復を果たした。
これは膨大な債務と引き換えに可能としたものであり、
いわゆる「40年体制」は、総力戦に向けての組織再編であると共に、
国家経済を破綻させずにやりくりするための統制経済という側面が重要であった。

戦後、戦勝国となったドイツは、ソ連・米国・英国などに対する戦前の対外債務を事実上棒引きとした。
また国内向けの債務は膨大なマルクの発行により解消した。
欧州全域を含む西側の基準通貨となったマルクの需要はいくらでもあったため、当時は問題ないとみなされていた。

ドイツ傘下となった欧州各国に借金をツケ回すものと言えたが、事実上の戦後賠償として1947年に実施されたマーシャルプランにより
米国の金融・実物資産が次々に欧州に移転され、復興に当てられた。
本来であれば破綻状態であったドイツの経済は、借金を欧州各国に肩代わりさせ、
それを戦前は世界一豊かであった米国経済の負担で解消したのである。
この処置が米国の東西分断、東米資本の西米流出、東米経済の低迷の原因となったことを考えると、
ドイツは金の卵を産むガチョウを殺してしまったと言う向きもあるが、
それ以外の手段をとった場合はドイツ国内の悪性インフレやマルクの暴落、
欧州諸国の離反を引き起こした可能性が高く、一概に失敗とは言い切れない。
328名無し三等兵:2011/06/27(月) 13:38:46.22 ID:???
戦後のドイツの経済は、石油や食料を低コストで輸入し、兵器を始めとする工業製品を輸出することで成立していた。
問題は、その後の欧州・ロシア・東米などの経済の変化を無視して、40年体制そのままの統制経済を維持したことと、
政治的な要求から実態以上に基本的に「強いマルク」を維持していたことにある。
平成3年のドイツ第三帝国の終焉は、ナチスによるイデオロギー支配の終焉とみなされることが多いが、
ドイツ向けに輸出するよりも国際市場の方が利益が上げられる産油国や食料生産国、
ドイツ製よりも安価なアジア・東欧製品を購入したい第三世界、
実態に合わない通貨レートと貿易不均衡により国債の大量発行を強いられる欧州諸国、
さまざまな形で延々と国富を吸い上げられる東米との関係が、経済的に限界に達したと見ることができるだろう。
軍事評論家には、日本の唱えた「宇宙戦争」に経済的に対抗できなかった点を上げる向きがあるが、
それは単に象徴的な意味合いであって、それ以前に西側の実体経済は破綻寸前だったのである。

もっとも、西側の経済的低迷の主因は、いわば政治力と経済力の不均衡にあったのであり、
欧州連合帝国として両者のバランスが再構築され、さらに各国の経済力に応じた「通貨バスケット」を統合した形で
新たな共通通貨「ユーロ」の元に統合された(旧)西側は、
経済面では冷戦期間にも増して、手ごわい競争相手に変化しつつある。
また西側とは政治的にも経済的にも完全に一線を引いた東米は、本来の国力を取り戻すべく、
近年は過熱気味なほどの経済成長を遂げており、新たな経済的脅威となる可能性もあるが、
東米経済の活力を東側に取り込むことを重視する意見も多い。
329名無し三等兵:2011/06/27(月) 13:56:28.74 ID:zhcNf6aw
だから早く削除依頼出せよ。
330名無し三等兵:2011/06/28(火) 09:18:16.14 ID:???
つ http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku/1261556251/199
削除依頼したけどスルーされた。
331名無し三等兵:2011/06/28(火) 09:26:05.63 ID:???
・1853年の両戦争
アヘン戦争をきっかけとした富国強兵策により、洋式軍艦を保有した幕府海軍は、
領海侵犯して測量を始めたイギリス艦マリナー号を、江川太郎左衛門が艦隊の
示威行動を背景に退去させたことに大いに意を強くした。
アメリカは欧州諸国に比べ、日本との通商条約締結や中国への進出に出遅れており、
既に満杯状態の長崎では割り当てに多くは期待できず、また太平洋航路の中継地と
して、太平洋側を開港させることを目論んでいた。日本から欧州に出向いて条約を
締結した他国に対して、艦隊の圧力により実績を上げてみせて東アジアにおける
外交上のポイントを稼ごうとしたのである。
米議会は日本との戦争は考えておらず、フィルモア大統領はペリーに対して、
本格的な戦争を引き起こさないよう指示したものの、交渉材料として限定的な武力
行使や一部地域の占拠は認める方針で、ペリーは小笠原か琉球占領を考えていた。
ペリー艦隊は、伊豆沖で幕府艦隊と遭遇し、にらみ合いとなった。ビッドルに
ならって浦賀沖に停泊したペリー艦隊は測量を開始し、これを挑発行動と見た
幕府海軍は威嚇射撃。これが至近距離に着弾したことからペリー艦隊は応戦の
条件を満たしたと判断し、半ば偶発的に戦闘が発生した。

戦闘自体は限定的なもので、痛み分けに終わった。英仏蘭の仲介により、長崎での
日米和親条約締結交渉にあたり、日米双方とも賠償は請求しないこと、神奈川・
函館を各国に開港することなどが合意された。
米国は太平洋岸に寄港地を持つという目標を達成し、欧州諸国は仲介の手間だけで
新たな寄港地を獲得し、日本側もどのみち長崎が満杯で新たな貿易拠点は必要との
認識があったことから、交渉は順調に進んだという。
332名無し三等兵:2011/06/28(火) 09:28:51.13 ID:???
1853年10月、クリミア戦争中が始まり、樺太がイギリスに占領された場合には
アムール河口など極東ロシアの航路確保が危ういと、同年末にロシア皇帝は
サハリン占領命令を下した。ネヴェリスコイ海軍大佐は全島占領は現実的でなく、
実質的に必要なのは宗谷海峡の確保であることからクシュコタン(現在の大泊)
のすぐそばにムラヴィヨフ哨所を築いた。上陸の際に銃撃戦が発生し、その後
退去を要求する幕府軍とロシア側で軽度の戦闘が発生したため、後に樺太戦争と
呼ばれている。もっとも、半世紀にわたり極東ロシア―蝦夷地の通商や交流が
あったため、本格的な戦争というよりは、ニコライ1世の無理な命令を形式的に
遂行しようとしたロシア側と、事情を察した日本側との茶番と考えられており、
双方とも被害は軽微であった。
翌年早々、樺太と宗谷海峡の保全を日本側が保障するのと引換えに哨所から
ロシア軍が撤退することで双方が合意した。またクリミア戦争について日本は
中立を守るとの立場を明らかにした。
333名無し三等兵:2011/06/28(火) 09:29:23.93 ID:???
・内閣成立(明治3)、憲法発布(明治6)議会開設(明治10) →
史実だと内閣成立(明治18)、憲法発布(明治22)議会開設(明治23)ですね。
他のネタとのからみもなさそうだし史実通りに同意。
・隕石落下(昭和17年)
ハリファックス大爆発のような事故が、海軍の怠慢か日独の破壊活動で発生。
戦時中ということもあって「原因不明の爆発事故」を、当時は「隕石落下」と発表。
被害が大きすぎた&関係者のスキャンダルを恐れて真実は戦後も公開されず、ただし
知っている人は知っている、といった感じでしょうか。陸奥の爆発みたいに。
・アイスランド上陸戦(昭和19年)
日本が艦隊とか上陸部隊を派遣する余力はないでしょう。リエゾンオフィサーの
一団を派遣して、戦訓や情報を提供したり、アドバイスしたり程度。

・軌道発電衛星(平成8)
昭和58年の宇宙空間でのマイクロ波送電実験(史実)を元に、送電装置のついた
2トン級太陽光発電モジュールを打ち上げた。結果が良好であれば、同型の
モジュールを量産し、10〜20年かけて低軌道でモジュールを連結、静止軌道に
持ち上げる計画であったが、新戦略兵器禁止条約で出力が規制されたため、
コスト的に見合わなくなってしまった。
将来の再開を目指した技術デモンストレーター兼実証試験装置として細々と
予算がついて機能している。
・軌道エレベーター(平成14)
平成8年の軌道往還機によるテザー衛星実験(史実)は全長20キロのケーブルを
展開するものだった。軌道エレベーター実験用として、宇宙環境用炭素繊維
プラントが設計される予定だったが、同年、日本電気の飯島研究員の発見した
炭素微小線が有力な素材として見直されたため、現在は炭素微小線プラントの
開発が進められている。未だケーブルに編み上げられるほどの長さのものは
得られていないが、プラント本体の設計質量や炭素微小線ケーブルの設計密度
と同等のモックアップを利用した、静止軌道でのケーブル展開実験が行われた。
334名無し三等兵:2011/06/28(火) 09:31:54.00 ID:???
マダガスカル攻略(昭和17年)

第二段作戦の一環としてインド洋の確保を計画していた日本海軍は、昭和
17年4月のセイロン沖海戦での勝利を受けて、チャゴス諸島を攻略し、
ビシー政権についた仏領マダガスカルと結ぶ予定であった。これを恐れた
英軍は、アイアンクラッド作戦を発動、アフリカに退避した東洋艦隊の
残存勢力(ラミリーズ、イラストリアス、デボンシャー他)に支援された
3個歩兵旅団が、5月5日に北端部の要港ディエゴスアレスに上陸した。
占領したばかりのポートブレアにあった扶桑、山城、龍驤、隼鷹を基幹と
するチャゴス攻略艦隊は、急遽追加の補給を受けてマダガスカルに向かった。
それに先行して出動していた八潜戦甲先遣支隊は、上陸作戦を開始した
ばかりの英軍を捕捉、甲標的6隻はラミリーズ、デボンシャーを大破させ、
輸送艦多数に被害を与えた。伊号12隻は引き続き周辺海域で活動した。
戦力の追加投入か撤退か、方針を決める間もなく5月末に到着した日本軍の
攻撃により、6月いっぱいでマダガスカル北端部は日本が確保するところと
なった。なお、英軍はその後も南アフリカから南部への上陸を試みる
など抵抗を続け、全島が日本の勢力下となったのは同年8月となった。

ラミリーズは港湾防護用の浮砲台となり、小破したイラストリアスは
日本軍に鹵獲され、扶桑、山城とともにインド洋の船団護衛に投入された。
マダガスカルは英国の懸念どおり日独潜水艦拠点となり、オーストラリア、
インド、ビルマ方面と英本国の交通は、昭和17年後半より大きな被害を
受けるようになった。また日本で量産された呂号潜水艦は、マダガスカルを
中継し、平均してほぼ2日に1隻の割合で独海軍に供与され、英海軍の
船団護衛の努力を数で押し切ることに成功した。

このように戦略的には大きな役割を果たしたマダガスカル攻略であるが、
一方でミッドウェーの敗北の原因は、空母戦力の分散にあるとして、
同時に2方面で作戦を展開したことへの批判も存在する。
335名無し三等兵:2011/06/28(火) 09:33:26.65 ID:???
 1941年、ビスマルクが沈没して戦艦がティルピッツ1隻となったドイツは、
新造戦艦竣工には4年かかるという現実から、潜水艦に集中する方針を継続。
しかし8〜9月、建造が中断していたソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦を鹵獲。
 ドイツ本国のリソースをさほど必要とせずに戦艦保有という、ヒトラーの
希望とシュペーアの見積、東方省の配分を強化したいヒムラーの思惑から、
建造が再開された。政治的観点からロシア・ウクライナが各1隻、ドイツが
2隻を保有することとなった。
 ドイツ向けの2隻は、ソ連―ロシア製の406/50o砲身は精度が低いため、
H39主砲として製作されていた406mm/48.6砲身が転用された。またタービン・
エレクトリック機関はボイラー・タービンとディーゼルの併用に改められる
等、H39とのハイブリッドとも言える艦となった。

フリードリヒ・デア・グローセ(ソヴィエツキー・ソユーズ)
 1938/7 レニングラード/オルジョニキーゼ工廠で起工
 1941/5 建造中止 1941/8 建造再開 1942/10 進水 1943/11 竣工
 1944/6 ウィンドワード海峡海戦 1944/10〜米東海岸砲撃に従事
カイゼル・バルバロッサ(ソヴィエツカヤ・ベロルシア)
 1939/11 モロトフスク工廠で起工
 1941/5 建造中止 1941/12 建造再開 1943/2 進水 1944/1 竣工
 1944/12〜米東海岸砲撃に従事
ロシア(ソヴィエツカヤ・ウクライナ)
 1938/10 ニコライエフ/マルティ南工廠で起工
 1941/5 建造中止 1941/10 建造再開 1942/12 進水 1943/11 竣工
 1944/6 ウィンドワード海峡海戦 1944/10〜米東海岸砲撃に従事
ウクライナ(ソヴィエツカヤ・ロシア)
 1939/12 ニコライエフ/マルティ南工廠で起工
 1941/5 建造中止 1942/12 建造再開 1944/1 進水 1945/2 竣工
 1945/8〜米東海岸砲撃に従事
336名無し三等兵:2011/06/28(火) 09:34:06.20 ID:???
 1944年、カリブ海で日本艦隊と共同作戦をとったドイツ海軍は、大和型が
46cm主砲を搭載していることを知り、元ソ連製の戦艦を装備していることに
満足していなかったヒトラーは、より強力な砲戦力を持つ戦艦の開発を命令。
海軍側は、フリードリヒ級の性能は大和に引けをとらないと説得したが、
海軍予算の拡大と造修施設充実の口実になると考え直し、計画に着手した。
当時、ドイツで検討されていた艦型で大和以上の主砲口径を有していたのは
510o*8のH43、排水量は12万トンに達するというものがあったが、そのまま
では実現性がないと判断して再検討。とりあえずドイッチェヴェルケAGキール、
B&Vハンブルグ、ヴィルヘルムスハーフェン工廠の拡充を進めることとした。
当初、有力と考えられていたのは480o*8、排水量8万トンというものだったが
1947年、日本は510o*6の武蔵(II)、510o*8の尾張を竣工させたことから、
検討は振り出しに戻った。
 海軍やメーカーは、戦後の軍備縮小の流れの中で継続して予算確保できる
ように、だらだらと設計検討と造修施設の拡大・近代化を進めたが、1951年、
喜望峰沖海戦の結果、尾張型以上の砲戦力を有する戦艦2隻を緊急に完成させる
ようヒトラーは厳命。フリードリヒ級で実績を得た3連装砲塔を採用。
510o*9、装甲水線420-380傾斜120、甲板180+40o。機関27万馬力、
排水量9.8万トン、速力31.9kt。装甲厚や船体の構造などは、多分に米海軍の
1934年計画やモンタナ級を参考としている。
1953年、ヒトラーが死去、その後の政治的混乱もあって進水を目前に工事が中断。
しかし、1956年イタリアの「新ローマ帝国」解体の結果、地中海・大西洋の
水上兵力の拡充が必要となり、その一環として建造が再開された。その頃には、
尾張型の装甲厚などの情報も得られていたが、速力の優位と、SHSなら尾張の
装甲も抜けるとの見通しもあり、船体構造はそのままとされた。

ヒンデンブルグ
1951/9 ヴィルヘルムスハーフェン工廠で起工
1953/10 建造中断 1956/10 建造再開 1958/5 竣工 実戦参加なし
ザイドリッツ
1952/2 B&Vハンブルグで起工
1953/10 建造中断 1956/12 建造再開 1959/3 竣工 実戦参加なし
337名無し三等兵:2011/06/28(火) 19:34:33.38 ID:7l82R3u9
なぜ削除依頼したのに消されなかったのか。


もしやこれは・・・
3381 i121-116-254-70.s04.a001.ap.plala.or.jp:2011/06/30(木) 00:38:56.32 ID:RZnjUtuo
なぜ削除人は削除しなかったのか。
理由が気になる。
339名無し三等兵:2011/07/03(日) 19:42:11.71 ID:???
戦艦「武蔵」(旧111号艦)

全長263m、全幅38.9m、吃水10.8m
基準排水量6万6200トン
機関出力17万2000馬力、速力28.6ノット
主兵装:51cm45口径砲連装3基6門、10cm65口径高角砲連装12基24門、
     28cm噴進砲30連装4基+12連装6基192門、37mm機銃連装16基32丁、
     25mm機銃3連装20基+単装18基78丁
同型艦なし

戦後完成した、大日本帝国最後の戦艦。
元々はC計画で建造予定だった111号艦で、15年11月、呉海軍工廠で起工。
紀伊同様不急艦に指定された。
その後戦艦に割くリソースを局限し、51cm砲の紀伊を優先することとなったため建造ペースは遅れ、
紀伊の後塵を拝することとなった。
昭和19年4月進水。
6月に発生した第2次パナマ海戦において勇戦敢闘の末沈没した武蔵の名を襲名することが決定し、
進水時の名から改名された。
この頃にはすでに戦後を見据えた大戦略が必要になっており、紀伊よりもむしろ進捗が遅れていたことを幸い、
戦訓を大量に取り入れた新世代戦艦を目指すこととなる。
昭和22年10月、紀伊と同じ51cm連装砲を搭載した姿で竣工。
他にも機関出力の上昇によって紀伊と戦列を組める28.6ノットを発揮できるなど、
もはや大和級と同一視するのが困難なほど性能が向上している。
340名無し三等兵:2011/07/03(日) 19:43:03.98 ID:???
戦艦「紀伊」

全長295m、全幅42.9m、吃水11.2m
基準排水量8万3700トン
機関出力20万8000馬力、速力28.5ノット
主兵装:51cm45口径砲連装3基6門、15.5cm60口径砲3連装4基12門、10cm65口径高角砲連装12基24門、
     28cm噴進砲30連装6基+12連装6基252門、37mm機銃連装18基36丁、
     25mm機銃3連装22基+単装20基86丁
同型艦なし

大日本帝国が建造した最強の戦艦。
計画では同型3隻がD計画で建造予定だったが、1番艦を16年2月、大神海軍工廠で起工した後に開戦。
不急艦として建造ペースが大幅に落とされる。
その後ミッドウェー海戦に伴い空母緊急増勢計画の検討対象として挙げられ、
とにかく進水まで行った上で改めて戦艦にするか空母にするか決定するものとして再び建造ペースが上げられる。
18年12月進水。
この頃には日本軍はすでにハワイまで進出しており、空母も雲龍級が急速に充実していた現状から
戦艦としての建造が決定済となっていた。
竣工は20年8月。
その内実は降伏式典のための突貫工事による見せ掛けの就役で、実際的な戦力価値はまだ低かった。
本来の意味での戦力化は翌21年になってからで、新たに対立の舞台となったカリブ海を抑えるべくパナマに派遣され、
Z計画による戦艦多数を擁するドイツに対抗した。
世界最強の51cm砲が敵戦艦に対して火を吹いたことは(幸か不幸か)未だない。

副砲配置はイタリア戦艦ヴィットリオ・ヴェネトを想定してみました。
大和の本来の1番・4番副砲塔の位置には対空噴進砲を並列2基ずつ置いてます。
この対空噴進砲には近接信管装着。史実よりもはるかに直進性が改善しているため
恐るべき強力な対空火器になっているということでひとつ。
341名無し三等兵:2011/07/04(月) 13:05:30.94 ID:???
長文キチガイさんは
自分でブログ立ててやればいいのにwww
3421:2011/07/04(月) 14:13:48.20 ID:EYoorScG
削除依頼しても消されなかったのは何故か。
それが気になる。




あとコピペキチガイさんアメリカ側の設定も何が教えてください。
キモイ妄想よりも、負けた側の立場のほうが好きなので。
343名無し三等兵:2011/07/04(月) 14:15:08.27 ID:EYoorScG
ほんとに、どうして削除されなかったか考えたい。

こんなスレたてた自分が憎たらしい
344名無し三等兵:2011/07/04(月) 15:28:37.63 ID:???
小学生くらいの知的水準だと
誰でも思う妄想だから仕方がないが
これを20歳過ぎで真剣にやってたら
マジでアホだろうから、そういうアホを
「隔離する」という役には立ってるなw
3451:2011/07/04(月) 15:38:17.12 ID:EYoorScG
確かに。
最初のほうはニヤニヤできたんだが設定が広くなりすぎたんだ

こんなクソタワケスレでも、R2600ヘルキャットとかは面白かった。
3461:2011/07/05(火) 11:21:55.23 ID:gw6JQPAZ
もういっかい削除依頼する?
347名無し三等兵:2011/07/05(火) 11:36:18.03 ID:???
するだけ無駄
一度却下された依頼は同じ理由では審査さえされない
問答無用で却下確定
348名無し三等兵:2011/07/05(火) 11:38:27.14 ID:???
荒らしが暴れてる程度の理由ではスレ削除はされない
そのスレで解決汁、となる
目に余る荒らしレスを個別に削除するだけ

このスレは真っ当に成立する普通のスレである、と認定されたんだ
もう何言っても無駄だろうな
349名無し三等兵:2011/07/05(火) 11:39:15.19 ID:gw6JQPAZ
じゃあ削除人も、このスレの手先か?

奇怪、いや幼稚な妄想を削除人もしていたとか?
350名無し三等兵:2011/07/05(火) 11:41:01.32 ID:gw6JQPAZ
じゃあどうしたらいいんだ。

こういうa級戦犯並みのスレをたてた自分が憎い。

だれか償う方法を。
351名無し三等兵:2011/07/05(火) 11:45:08.48 ID:???
さあてね
ただ言えるのは「幼稚な妄想」は別に2ちゃんねるではどこでも見られるし運営レベルでは咎められることもない
運営が問題にするのは法的リスクとかよそへの波及とか
2ちゃんの運営に支障をきたしかねない案件だ
スレの内容になんていちいち口挟んでられないんだよ
削除人はこのスレだけに関わってるわけじゃなく他に膨大な案件を抱えてるんだから(そして私生活というものもあるんだから)

「幼稚な妄想」ならそっちで好きに楽しんでてくれ、よそ様に迷惑かけなきゃどうでもいいってことだ
352名無し三等兵:2011/07/05(火) 11:46:54.92 ID:gw6JQPAZ
じゃあこんな幼稚なスレで幼稚な連中をたたく奴はなんだったんだ?
353名無し三等兵:2011/07/05(火) 11:49:49.00 ID:???
考えるだけ無駄
そういう奴というだけのこと
スレをどうしても沈めたかったら削除依頼が通らなかった以上方法は一つしかない
今後一切書き込まず放置する
一定期間書き込みのないスレはdat落ちするから
354名無し三等兵:2011/07/05(火) 11:59:35.67 ID:gw6JQPAZ
でもコピペ厨ともう意味なんて無いのに茶々を入れる厨がいるんだ。
355名無し三等兵:2011/07/05(火) 21:21:44.02 ID:+9xaZJQi
勝ってたらという妄想でやるならハワイの真珠湾に連合艦隊主力が居並ぶのだろう
356名無し三等兵:2011/07/09(土) 22:09:58.64 ID:QRv/zZsx
奇跡の連勝が無限に続いてナチス戦を優先したアメリカが奇跡の講和してくれても、戦後はソビエト極東軍二百万と向き合わなくてはならん
経済破綻確定だわ。結局アメリカの属国に近い同盟国として生き残る感じになるんじゃね?
357名無し三等兵:2011/07/09(土) 23:17:43.61 ID:???
北米道の紐育神社へお参りですわ
太平洋湖越えて富嶽でね
358名無し三等兵:2011/07/12(火) 12:46:10.33 ID:???
>>356
「屋根裏の遠い旅」がそれに似た感じだったな。
ミッドウェーで米空母を潰滅させた時点(浮いているのはエンタープライズのみ)で
無駄に条件を吊り上げることなく米との講和に成功した日本だったが
独ソ戦が無く国力を温存しまくったソ連をバックとする中共や東南アジア共産勢力と
その後数十年にわたり延々と泥沼の戦いを続ける羽目に…
(ドイツはヒトラー暗殺後、独ソ戦止めてゼーレーヴェ作戦成功させてます。
日米講和が成功したのもドイツの西部戦線圧勝のおかげ)
空軍がUAVを実用化しつつある一方で民生はガタガタ、ガソリンの配給が無くて木炭車が走行。
最後には世界初の核の実戦使用(ハノイへ新型爆弾投下)とドツボのどん底へ…
359名無し三等兵:2011/07/13(水) 19:40:04.63 ID:???
政府の悪口言ったら特高に捕まる。
徴兵されたら根性ヲタな阿呆上官の指揮下。
3601 i114-183-37-117.s04.a001.ap.plala.or.jp:2011/07/14(木) 07:55:34.58 ID:???
ミッドウェーの黒歴史とか如何扱われたんだろうね。
361名無し三等兵:2011/07/22(金) 13:03:56.14 ID:???
『勝っていたならスレ』としては
あそこは大勝利収めてないと辻褄が合わないんだよな

あれ本史どおりで逆転勝利はかなり厳しいはず
362名無し三等兵:2011/07/30(土) 22:58:16.47 ID:???
363名無し三等兵:2011/08/07(日) 21:50:11.71 ID:???
>>361
どの程度かしらんが「戦術的敗北」という風になってたなー
3641 FkS2y7S:2011/08/07(日) 23:11:48.97 ID:???
設定ではあれで戦線圧縮ってなってたけど、そう簡単に日本軍の堅物が治るとは思えないでしょ。
しかも戦線圧縮ってどうみても負けフラグ。
3651:2011/08/07(日) 23:15:03.80 ID:???
でも負けた側の状況を多少詳しく書いた火葬戦記という点、『だけ』は評価したいな。


それ以外はみてるだけで虚しくなる。
366名無し三等兵:2011/08/08(月) 10:07:52.35 ID:???
火葬戦記か


悲しくなるな
3671:2011/08/08(月) 13:59:52.85 ID:???
たしかに虚しくなる。

でも少なくとも、火葬戦記にしては敗者(アメリカ軍)を詳しく描いていたり設定してるのは評価したい。フレッチャー提督の戦死はドラマチックだった。
それでもおかしい部分はあるけどね。クリーブランドが少ないとか。(巨大輸送船の建造でリソースを削がれた?)あ、無理やり日本を勝たせたいと言えばそれまでか
368名無し三等兵:2011/08/08(月) 16:22:44.47 ID:???
いや>>366は「火葬」に拘ってるんじゃないか?

土葬でも困るが…
3691:2011/08/08(月) 21:20:48.19 ID:???
水葬がふさわしいよね。
370名無し三等兵:2011/08/16(火) 13:19:08.07 ID:XsNKqR5V
真珠湾攻撃で空母探して全滅にした時点でアメリカが降伏

今の日本は軍事国家として一夫多妻となり中国漁船が進入したらその場で射殺

徴兵制度がありみんながんばった
371名無し三等兵:2011/08/16(火) 13:51:08.56 ID:???
中国なんか跡形もなし
372名無し三等兵:2011/08/16(火) 14:17:02.87 ID:???
四国の北にあるじゃない
373名無し三等兵:2011/08/22(月) 09:42:10.44 ID:???
>真珠湾攻撃で空母探して全滅にした時点でアメリカが降伏



甘い!甘すぎるw
一時的にカリフォルニア州を占領されたとしても
(面積で日本列島規模だから無理だけど)
徹底抗戦して巻き返すと思う。

あまりにもオコチャマ過ぎて話にならない。
374名無し三等兵:2011/09/13(火) 20:35:00.82 ID:???
日本はエネルギー政策一つ執ってみても戦略が無いしね、あれば使うし無ければ買うか奪うかが精一杯

勝つとしたら、アメ公を丸め込んで「日本を反共の盾に!!」と思わせる
コレ一択
375名無し三等兵:2011/09/14(水) 09:52:47.22 ID:???
じゃぁ今と同じか…
いや、あの糞陸軍が解体されていない分
悪化しとるがなw
376名無し三等兵:2011/09/14(水) 10:14:54.55 ID:???
保守
377名無し三等兵:2011/09/22(木) 09:53:29.00 ID:???
ヒロヒトはもし戦勝してたら自分の手柄にしただろうが
負けたら負けたで陸軍のせいにし生き延びた
戦後軍人や知識人も陸軍悪玉論にのっかって生き延び
後者は山本五十六英雄小説を生業にした
NHKも生き延びるためにヒロヒトを持ち上げ
陸軍悪玉番組をたまに放送している
また国民の多くもなかなか
皇室善玉洗脳から覚めることができないでいる

日本が良くなるためには国民が馬鹿正直を卒業して
まっとうな正直者に生まれ変わる必要があるでしょう
378名無し三等兵:2011/09/22(木) 17:58:18.13 ID:???
>>377
ぼくのかんがえた りくぐんはわるくなかった せつ

379名無し三等兵:2011/10/15(土) 10:11:45.64 ID:???
なぜ陸軍悪玉説があるかというと
海軍が処罰されずに占領軍に協力するという裏切り行為を正当化するため
海軍は海軍で国民によって裁かれなければならない
ところが国民のなかにも陸軍悪玉説にのせられて海軍賛美する者がいる
自分の立場を忘れて陸軍か海軍のどちらかに感情移入してしまう者が結構いて
これがまた事実認識を混乱へと導いている
自分が常にナンタラ派でないといけないと思っているらしい
380名無し三等兵:2011/10/17(月) 21:25:06.74 ID:???
こんなへんぴなスレにまでコピペ乙
381名無し三等兵:2011/10/22(土) 23:02:15.00 ID:???
保守
382名無し三等兵:2011/11/15(火) 23:19:54.03 ID:j/UJ0bhB
ageておく
383名無し三等兵:2011/11/23(水) 23:53:45.55 ID:???
保守
384名無し三等兵:2011/11/25(金) 16:41:13.71 ID:???
テスト
385 ◆JwKmRx0RHU :2011/12/05(月) 03:16:25.67 ID:ziHebXqA
>>377
将来的な天皇狩り政党「ダンガイ」政権は天皇に敗戦責任を取らせて処刑斬首するから宜しくねw^^

http://unkar.org/r/seiji/1308454458#l128
386名無し三等兵:2011/12/05(月) 06:59:25.04 ID:???
外人が日本人を蔑視してるってのは、自分の歴史少しでも知ってたら誰でも分かるだろ・・・
まず、すごいのは、1億人以上の人口に、わずかな領土で奴隷船状態。
その上ただでさえ極小の国土の7割が山、山、山。なーんにもない、山・・・
だから自給自足で食べていくことすらできない。条件からして絶対に住みたくない国。
そんな国が、100年ほど前ロシアとか清を自分の力で倒したと思い込んでホルホルして、
非白人国家の癖に普通に白人常任倶楽部の仲間入りした気になって、おまけに米国を敵に回して
バカな戦争して、若いパイロット特攻させて、南京の民衆を大虐殺して、
アジアを植民地にして、世界で唯一、原爆を落とされるほど残虐なことして。しかも二発だよ。二発。
考えられない。白人の植民地を消したとか言ってるけど日本のせいで人が何人も死んだし。
信じられないのは、世界の人々に残虐なことした国がさらにアメリカに尻尾振りまくって、
コバンザメみたいに後をついてまわるポチ国家になって、今度こそ数百年は生意気なイエローモンキーの
不細工な顔見ないで済むと思ってたのに、ヘラヘラしながら白人社会に入ってこようとして、
朝鮮戦争で人が死んで行くのを特需、特需と喜びながら自分だけ経済発展して。
東京の土地だけで米国全土が買えるほどの呆れた価値になっちゃう程の経済音痴で
世界中( ゚Д゚)ポカーン・・・状態。その後もずーっと無駄に高い物価を維持。日銀とか何もしない。
しかも経済の80%が内需。島国根性(笑)で英語を覚えようとしない。
金融とかで進出する実力がない。
車や家電、工業製品も全然進出できてない。もう池沼の域。
伸びしろなさすぎワロタ。戦後60年、軍事を捨てて経済だけに打ち込んでこれ。
何気に少子高齢化とかなってる。
んで今度は漫画・アニメ・ゲーム。気がつけばオタクだらけで気持ち悪い。
アメリカの検索で一位になってるのが日本のアニメの無料視聴サイトとか。
世界中で違法DLされて利益が生まれてないとか。
極めつけは天皇、朝鮮由来の王室を日本のものだと信じている。
その上事実を指摘したらファビョる。海外と関わりがないつまらない歴史。
普通の神経してたらこんな国と仲良くできない。
387名無し三等兵:2011/12/05(月) 07:05:56.14 ID:???
何マルチしてんだよおめえ
こういう反日がいるから憎しみで動くネトウヨの燃料は尽きないんだよ
板が汚れて困るのは反日でもネトウヨない軍オタなんだぞ
388名無し三等兵:2011/12/06(火) 23:17:07.39 ID:???
つか褒めてんのかけなしてんのかよくわからん。
389名無し三等兵:2012/04/17(火) 20:31:40.11 ID:???
基地なんだろ
390名無し三等兵:2012/06/04(月) 09:25:01.02 ID:t2SLtgHH
マレーでは、日本軍が来るまでの間、国民を縛っていた重要な法律があった。
それは当然イギリスによるものだ。日本はこれらを抑圧の象徴としてとらえ、マレー人に対し解放された後の自由を享受させるべく撤廃した。
例えばそれまで禁止されていた信仰の自由を認めること、第二の搾取者である華人の資産を差し押さえること、プランテーションの国営化などなど。

しかしそれらの行いは、短期的には「自由」の象徴であるかのように映ったが、しばらくたつとしっぺ返しをくらうことになる。
例えば宗教の禁止は、元々は民族対立の防止として機能していたため、マレーはたちまち民族対立が激化して暴動が頻発するようになってしまった。
華人の資産没収は、リーダー不在を生み経済は混乱し、プランテーションの国営化はたちまち飢餓を生み出した。
「宗主の法律」は、マレーの秩序を保つための管理の手法として機能していたため、それを破棄することはその機能すらも破棄することになってしまう。

イギリスの政策の中でも最も印象的なものが、マレー系、華人系、インド系と、それぞれの役割を分類したことだ。
「庶民」「貴族」「奴隷」など。日本はこれを、イギリスによる非人間的な管理の手法だと捉え、憤慨する。
それぞれの役割を持たせ、差別優遇することにより民族対立を生み出し怒りの矛先をイギリス人から逸らす野蛮な白人の典型的植民地支配だと思われたからだ。
しかし、実は秩序を保つためにあえてマレーの人々が守っていたことが分かる。
マレーでは、制度がただ漫然と続いていたわけではない。「自由や平等」よりも、植民地であるがゆえ、虐げられる立場であるがゆえの幸福を選択していたのだ。

「『自由や平等』よりも」と書いたが、これはいささか語弊を招く。
マレー人の一人が帝国陸軍将校に対し、「マレーは植民地とはいえ、豊富な武器をイギリス軍から与えられていた、いつでも独立のために発起できるに、自分達がそれをしなかったのは頭が悪かったからだとでも思っているのか?」
という趣旨のことを問う。独立の自由は実はあったのだが、彼らは「独立する」方がリスクだと考え(実際、植民地になる前は国家の体もない半島だった)、あえて「支配される」ことを選んでいたのだ。
391名無し三等兵:2012/06/06(水) 09:50:15.53 ID:???
そのマレー人の一人の名前ってのは未来永劫特定されないのはお約束ってことで
今のマレーシアの歴史の教科書に、戦中の日本がどう書かれているかも知らない奴が
見てきたようなことをww
392名無し三等兵:2012/06/07(木) 00:56:30.11 ID:???
日本は東南アジアを植民地化するつもりだったし、
収奪行為も過酷な統治もやっている。

日本人を最上位に置いて、他民族はその下に位置づけるってのはごく当たり前な感情。
国内ですら朝鮮人・アイヌ人・琉球人が常に平等・対等に扱われたわけではないのだから。
393名無し三等兵:2012/06/07(木) 13:55:28.88 ID:???
陸軍士官学校・海軍兵学校がかくちょうされて事実上の出世コースになって、旧帝大が縮小されるに1票
394名無し三等兵:2012/06/07(木) 18:31:49.82 ID:PBAx4Gvm
>>392
>国内ですら朝鮮人・アイヌ人・琉球人が常に平等・対等に扱われたわけではないのだから。

息を吐くように嘘をつくペクチョン。
戦前の日本では朝鮮人の国会議員や将官もいただろうが。しかも衆議院の東京四区から民族名で立候補して当選もしてる。
ちなみに外地(朝鮮・台湾)の在住者は生粋の日本人でも参政権は無かったことも付け加えておく。
395名無し三等兵:2012/06/07(木) 19:02:50.44 ID:???
>>392
日本はハートマン軍曹方式で人権後進国なだけ、
だってちょっと前まで首狩族の戦士たちが国を仕切っていて
「ハラキーリ ワ 名誉 アル 死!」とか言ってたんだよ。
差別もあったろうが現代の人権意識からすれば
「人権? ナンダ ソレワ? ウマイノカ?」みたいな時代。

「俺は厳しいが公平だ 人種差別は許さん
黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さん
すべて―――
       . .
  平等に価値がない!」
396名無し三等兵:2012/06/07(木) 19:45:20.70 ID:???
>>394
なんという無知w

アイヌの困窮が明治時代以降に更に深刻化したことや
必死に日本人になろうとした沖縄県人を結局は見捨てたことも無かったことか。
(当時の沖縄県令に、「内地よりも困窮してるのに、税収>交付金って酷くね?」と言われている)
ちなみに、戦前の外地で日本人がどれだけ傍若無人に振舞っていたか、
なんてのは戦前の事情に詳しい人には周知の事実だということも付け加えておく。

>>395
当時の人を馬鹿にし過ぎ。
ごく一部には日本の帝国主義がアメリカやイギリスよりも粗雑なものだという見方はあった。

あと、「差別と黒人が嫌い」が、現在進行系だってのは恥でしかないがね。
397名無し三等兵:2012/06/07(木) 23:18:22.74 ID:???
  ∧_∧
  <丶`∀´>   <ふぅー
  ( ̄ ⊃・∀・)
  | | ̄l ̄
  〈_フ__フ
398名無し三等兵:2012/06/08(金) 01:04:26.60 ID:???
本気で統治地域の住民を日本人にするなら時間も経験値も足りなかったな
399名無し三等兵:2012/06/08(金) 01:36:41.55 ID:???
沖縄県民や北海道明が二級市民扱いから脱したのはせいぜいバブルあたりから
400名無し三等兵:2012/06/08(金) 03:01:17.37 ID:w8jQVktR
>>396
なんという論理破綻w

で、参政権はどうだったの?これが一番差別されていたかどうかわかる事柄だろうがw
401名無し三等兵:2012/06/08(金) 03:22:59.63 ID:???
ネトウヨが良く「沖縄は同胞なのに〜」とか気安く言うが、
昔本土民がどんな扱いしてたか知ってたらとても「同じ」日本人なんだからわがまま言うな!
なんていえないわけだが

この辺こじらせるとマジで離脱しかねないぞ。
今は日本の経済力という金の力で繋ぎとめてる状態なのに。
402名無し三等兵:2012/06/08(金) 06:02:13.88 ID:w8jQVktR
>>401
ブサヨが良く「沖縄は独立したがっている〜」とか気安く言うが、
本土から来たキチガイ左翼が勝手に反日反米活動をして沖縄の地元民は皆迷惑している。
そろそろ沖縄県民のブサヨへの怒りが我慢の限界にきているわけだが。

この辺こじらせるとマジで離脱しかねないぞ。
今は自虐史観でどうにか繋ぎとめてる状態なのに。
403名無し三等兵:2012/06/08(金) 06:24:01.11 ID:???
>>400
論理破綻しているのはお前だw
アイヌや琉球を優遇していなかった事実を無視するな。

朝鮮半島で参政権が行使できるようになったのがどれだけの期間だったかを考えれば、
普通に「内鮮一体」が詭弁だというのはわかりそうなものだが。

>>401
日琉同祖論なんて昔から政治的なものでしかないし、
(そもそも、同民族が複数国家を構成することに何の問題があるのだろう?)
肝心の経済力でつなぎとめるのも、本土に還流しているのが事実だからね。

>>402
迷惑施設である米軍基地削減は全党一致の確定事項なので、左翼云々は間違い。
それと、県政は復帰前から革新派よりも保守派がイニシアチブを確保していた。
(本当に左派が強いならこうはならないw)
基地が無いほうが遥かに経済効果が高くて、本土が沖縄に依存していた構図が
見透かされるようになっただけだよ。
404名無し三等兵:2012/06/08(金) 06:52:14.38 ID:???
IFスレでなにを馬鹿げた論争やってんだお前ら?
わざわざこのスレ選ぶ意味あんのか?
ここは日本がアメリカとの戦争に勝った歴史を作って楽しむスレだぞ
405名無し三等兵:2012/06/08(金) 07:19:20.41 ID:6pzafXil
せっかく勝ったのに世界が平和になったやった\(^o^)/
とか言って軍備をなくしなのはいいが
武器が無い故過去に戻るのを止められず
勝った事実をタイムテロリストにパーにされたのがが
今の世界線ではないだろうか
406名無し三等兵:2012/06/08(金) 21:52:52.23 ID:???
ぶっちゃけ、うちのHoIUの日本だと満州の傀儡解体し仏印貰ってそして枢軸に宣戦布告だな。
407名無し三等兵:2012/06/09(土) 04:57:37.28 ID:???
>>403
いつから対等に扱う話が優遇する話にすり変わったんだ?w
併合していきなり参政権を与える方が無理な話だろ。特に朝鮮は識字率が低かったし、元の体制から徐々に近代制度に移行していかないと現地人が社会の変化に対応できない。
旧支配層の利権も解放しないといけないし、近代国家の国民として意識改革もしないといけない。参政権を与えるのが送れたのは併合以前の朝鮮が遅れていたせいだろ。
もし朝鮮が日本に併合されなかった場合、一体いつ朝鮮人は参政権を得られただろうね?当時のグダグダっぷりを見るに、朝鮮が独立を保った方が確実に遅れただろうがね。
あと、最終的には参政権を与えたのなら詭弁じゃないし、政府は対等に扱ってるじゃんw


>基地が無いほうが遥かに経済効果が高くて、本土が沖縄に依存していた構図が
>見透かされるようになっただけだよ。

その試算結果とかある?もちろん怪しいソースじゃなくてちゃんとした試算を見たい。
基地がない方が経済効果が高いって初耳なんだけど。一体どうやって経済を拡大するんだろうね?
あと基地が無くなって漁業権が脅かされることに対して漁師は不安を持たないのかな?
408名無し三等兵:2012/07/08(日) 09:04:38.48 ID:???
>>407
典型的な帝国主義的論法だな。
「収奪」や「搾取」がなけりゃ、そうかもねえw 残念ながら史実はそうではなかったんだよ。
(「日本だけではなかった」が、それで免責されるわけではない。)
お前の論法だと、日本の女性参政権も戦後に導入されたことでもって
日本人女性が遅れていたことになるなw

>基地がない方が経済効果が高いって初耳
おもろまちやアメリカンビレッジも知らんとはw 昭和時代からの書き込みですか?
基地の正しい経済効果については沖縄県や地元市町村が算出しているよ。
(そうでなきゃ、全党一致で普天間返還要求とかないだろう?)
ついでにいえば、基地使用料の平均は一件あたり年間200万円程なので
総じて軍用地主が裕福なわけでもなければ、
米軍調達費も約3分の1は本土企業に還流しているので
そのまま沖縄が潤っているわけでもない。
409名無し三等兵:2012/07/21(土) 00:00:09.98 ID:???
保守
410名無し三等兵:2012/08/05(日) 18:07:26.37 ID:???
まあ沖縄に基地おかないわけにもいかないしな。
その負担を減らしてやるべきだとは思うが。

鹿児島あたり母港にして正規空母運用するようにすればいくらか減るのだろうか。
411名無し三等兵:2012/08/20(月) 19:34:10.53 ID:???
>>410
沖縄でも主張は色々で、若者には
「絶対に基地をおかなければならないのなら、
 自衛隊の基地は引き受けるから米軍基地は内地に全部置いて」
というのもあるそうな。
戦争経験者は
「アメリカーでもヤマトでも、戦の時にはどうせ私らは助けてくれないさー」
が根底にあるので全面反対が多い。

どちらも、ネトウヨの妄言よりは「基地がある現実」に即してはいるね。
412名無し三等兵:2012/09/11(火) 18:33:26.76 ID:7WGOyN/k
昨今の政治情勢をこのスレ設定的に語るとどうなるんだろう?
413名無し三等兵:2012/10/14(日) 02:26:18.41 ID:???
皇国の温情で独立国家にしてやったのに大韓帝国って何度目のデフォルトだよ
いい加減にしろよ(´・ω・`)
414名無し三等兵:2012/10/16(火) 14:54:04.51 ID:???
だから、勝てないってw

いつまで夢見てんだよ皇国厨
415名無し三等兵:2012/11/17(土) 14:18:41.15 ID:???
>414
百年単位で歴史遡って日本が勝った世界を構築するifスレと現実を比較することに意味などあるわけがない
416757:2012/11/26(月) 21:29:07.76 ID:???
>>411
なんか沖縄の人ってあまりに中国に対する危機感が無さすぎるような。
1 「平和教育」による洗脳が徹底してる 例の 軍隊がいなければ攻められないとかのおとぎ話
2 沖縄の世論って要は本島の世論。彼らにしてみれば、離島が占拠されようが、
漁業権が侵害されようが他人事、
他になんかある?
417豊丸:2012/12/26(水) 05:15:58.47 ID:2YbAnSXC
かったらかったで違う煉獄が我々を悩ますだろう。たぶん自己責任となるので今以上に深刻なモノになる。
418名無し三等兵:2012/12/26(水) 09:18:14.76 ID:???
多分日本が勝っても佐藤大輔の新刊は出ない。
419名無し三等兵:2012/12/26(水) 12:22:28.00 ID:???
現状の日本に一定以上満足しているから文句は無いが、日本帝国の名前は残ってた方が良かったな
国防軍より帝国軍の方が響きが良いよね
420名無し三等兵:2012/12/31(月) 21:20:50.09 ID:???
>>416
3 身近に軍隊がいて百害あって一利無しだった
4 現在進行形の米軍被害が甚だしい

↑実際の体験と目の前の現実、これが一番大きい。

漁業被害も何も、尖閣諸島は竹島や北方領土ほど漁業資源が多いわけでもないし、
第一次産業(農林水産業)従事者の声なんて本土でも蔑ろにされるのが普通さね。
421名無し三等兵:2013/03/07(木) 09:05:28.33 ID:???
じゃあ帝國軍のお食事置いておきますね
http://pic1.dbw.cn/0/00/50/19/501933_737296.jpg
422名無し三等兵:2013/03/07(木) 18:40:19.38 ID:???
>>420
もっとひどい状態になることを想像すらしていないんだろうな
423名無し三等兵:2013/04/27(土) 11:16:47.78 ID:???
勝つ為には戦力が必要だ
原子力戦艦を量産しよう
424名無し三等兵:2013/04/27(土) 11:38:38.89 ID:???
ここは勝つための何かを考えるスレじゃないぞ
勝った世界がどうなっているか? どうやって勝ったのかを考えて遊ぶスレだ
そこんとこ勘違いしないようにな
425名無し三等兵:2013/04/27(土) 11:43:37.95 ID:???
かったら原子力戦艦量産されて海上移動要塞が建造されていた
426名無し三等兵:2013/04/27(土) 23:58:01.61 ID:???
民族独立運動の嵐に見舞われる。
台湾と南洋群島を維持できれば御の字。
427名無し三等兵:2013/04/28(日) 00:10:04.81 ID:???
>>385普通に考えればトップの責任として天皇はそうされるべきだった,殺されないにせよ天皇制度を廃止にするべきだったと思う
428名無し三等兵:2013/04/29(月) 08:20:53.16 ID:???
朝鮮半島から東シナ海、台湾海峡、南沙諸島を有している南シナ海まで一つの国に蓋されている形になって
中国にとっては嫌な国になっているだろうな。おまけに五指に入る海軍国で核武装済みだろうし。
429名無し三等兵:2013/04/29(月) 11:53:01.06 ID:???
戦前の社会習慣が維持されて、夜這いとか若衆宿があったんじゃね
430名無し三等兵:2013/04/29(月) 12:22:01.13 ID:???
>>429ありえるだろうね,
431名無し三等兵:2013/05/01(水) 00:30:05.33 ID:???
ジェンダーなんちゃらが伸張せず、女学生の運動着にブルマが現役
でも、男女共学じゃないので、男子学生はブルマを拝めない
432名無し三等兵:2013/05/01(水) 13:06:15.63 ID:???
貧乏人の子沢山が続く。
夜這いがあるので、どれが誰の子かわからない。
女は妊娠するとヤッた男の中からよさそうなのを指名して結婚する。
(なので初婚年齢はあまりかわらない)
童貞処女の喪失は村の儀式で行われる。
相手は村のオッサン・オバサン。
433名無し三等兵:2013/05/01(水) 20:56:02.52 ID:???
演習とか満州に赴いて国内の狭さに煩わされずに縦横無尽に暴れまわって、野砲も最大射程で撃ちまくってるんだろうなぁ
で、公主嶺学校が米軍のナショナル・トレーニング・センターみたいになってる
434名無し三等兵:2013/05/01(水) 22:24:47.70 ID:???
満州もそうだろうが
敗戦に伴う農地解放はないから、農民のほとんどは貧乏な水呑百姓のまま。
土地を求めて海外移民が続くのかね。
435名無し三等兵:2013/05/02(木) 00:48:25.18 ID:???
この世界だとガルパンの大洗チームは全部国産戦車になってそうだな
で、陸軍戦車学校が所蔵する鹵獲品やら輸入品やら含めた劇中登場戦車を展示とかしたり
436名無し三等兵:2013/05/07(火) 12:16:57.74 ID:???
何言ってんだ?

勝つわけないじゃんw
437名無し三等兵:2013/06/03(月) 21:04:12.91 ID:???
満映75周年記念作品【戦艦】
トラック諸島で開催された環太平洋多国間海軍演習を襲った宇宙人と日米海軍との戦いを描く
クライマックスはトラックで保管状態にあった戦艦尾張と宇宙人の侵略兵器との直接対決シーン
438名無し三等兵:2013/06/14(金) 21:32:06.37 ID:???
海軍空母「紀伊」退役 全11隻、原子力駆動体制に
 海軍広報室によると、西米ワシントン州の日本海軍シアトル基地に昨年まで配備されていた
通常型空母「紀伊」の退役式典が31日、呉軍港で行われ、約半世紀の活動歴に幕を閉じた。
これにより日本海軍は保有空母全11隻が原子力駆動となる新たな体制に移行する。
 「紀伊」は昨年5月、約10年に及ぶシアトルでの任務を原子力空母「飛竜」に譲り、布哇などに
立ち寄った後、内地に帰還していた。式典にはかつての乗員ら約2000人が出席。退役後も
当面は解体されず、緊急時の再就役に備え、呉鎮守府にとどまるという。
 「紀伊」は2605年に就役し、戦艦「大和」とともに米国の降伏文書調印式の舞台となり、その後に
北米動乱、コロンビア動乱、ソマリア、大西亜戦争などでの戦争や紛争に参加。2658年には艦齢
が既に50年以上に達していたにも関わらず、唯一の通常動力空母として非核三原則を掲げる西米
のシアトルに配備された。
 「紀伊」の退役による第二次世界大戦以前に就役した艦艇は全て第一線を離れ、経年劣化実証
試験艦として残る戦艦「榛名」を除き退役したことになる。
―2669/2/1 同盟通信社
439名無し三等兵:2013/06/19(水) 17:30:15.01 ID:???
虚しい

余りにも虚しすぎる
440名無し三等兵:2013/06/19(水) 17:55:25.30 ID:???
ネタスレにマジレスしてる奴が一番虚しい
441名無し三等兵:2013/06/20(木) 14:14:43.15 ID:???
オナニーしてる所見つかって
真っ赤な顔でオカンに逆切れしてるとき
そんな事を言う奴は多い
442名無し三等兵:2013/06/25(火) 23:00:32.48 ID:???
辛坊さんの事故、この世界だったら二式大艇が現役で(改良はされてるだろうけど)、出動してたりしたのかな…
443名無し三等兵:2013/06/25(火) 23:24:03.11 ID:???
飛行艇は着水の衝撃が大きいため機体寿命はどうしても短くなる
海水の塩害も深刻

現実世界で飛行艇がそうそう普及しないのは、高性能とひきかえの高コストゆえだ
444名無し三等兵:2013/06/25(火) 23:32:03.04 ID:???
インドが買うって>飛行艇
445名無し三等兵:2013/06/25(火) 23:43:24.48 ID:???
いや第二次大戦期に製造された機体が現役って意味じゃなくて
エンジンをターボプロップに換装したりして、今でも生産されてるんじゃないかなぁって話
446名無し三等兵:2013/06/26(水) 00:08:24.74 ID:???
飛行艇需要は当然あるだろうね
ただ救難オンリーで開発されてるとは思えない、哨戒機が飛行艇タイプになってるかもね
P-3Cの代わりに10式飛行艇とか・・・結構萌えるなw
447名無し三等兵:2013/07/02(火) 14:34:29.41 ID:???
飛行艇なんかは開発スパンが長そうだから、現時点の主力飛行艇が1997年正式採用の「97大艇」だったりして
448名無し三等兵:2013/07/06(土) 15:50:32.46 ID:???
高砂兵がイギリスのグルカ兵みたいな扱いになってそうだ
449名無し三等兵:2013/07/08(月) 08:15:25.49 ID:???
>>420
1、中国との最前線で、太平洋に進出する中国軍を抑えている。
2、しかし沖縄人は米軍による騒音被害より、中国軍による大量虐殺を望む

>>408
その資産には、米兵が飲食業に落した金や、米兵住宅の建築費用及び維持費、
そしてその他の基地関連の国家予算で作られた沖縄の公共建築物や、防音工事などを
含めていない。

特に沖縄にとって大事な収入が軍用地料850億だが、
この数字に固定資産税以外は入ってないから、それら含めたら結構な額になるぞ。


大体基地を撤退させてその後に商業施設云々って言ってるが、
沖縄県民の低い購買力で沖縄全体を発展させるなんて机上の空論もいい所だ。

成功している跡地利用でも20年以上の歳月と、
莫大な資本投下が必要だったことを思い知った方が良くない?

「約9000人前後の県民が基地施設に勤務していて、
県庁に次ぐ人気の高い就職先になっている」

と言う現実を無視してその発言は頂けないね。
450名無し三等兵:2013/07/08(月) 20:55:44.47 ID:???
一応、ネタスレなんで1年前の話題を蒸し返さないでくれません?
451名無し三等兵:2013/09/08(日) 11:25:04.23 ID:???
そんなに米軍基地による経済効果が魅力的なら、沖縄だけでなく日本全国に基地を分散移転させればいいじゃない
452名無し三等兵
そのコストをお前が面倒見てくれるならなw

経済効果ってのは、常にコストとのバランスを加味しての話だって、
発達障害でもなければ、>>451が屁理屈でしかないって
分かりそうなもんだけどなw

軍板って、マジ、脊髄反射みたいな幼稚な反論しか
書き込めない馬鹿が増えたよね