背負うのは絵巻などで確認できますか?
元寇からそう時代が離れていない足利尊氏が背負っておろうが。
なんでも根拠根拠とうぜえんだよ。いちいち話しの腰をおるな。
日本史板からデテクンナ
足利尊氏?まさかあの絵?
弓背負ってないよ。
つまり元寇から離れていない時代に馬上打ち物が行われていたことは認める、と。
何も不安定な馬上で闘う必要なんて無いと思うが
槍や薙刀で闘うなら馬上打ちも理解出来るが刀だと馬上は不利だろ
馬上打ち?
なにそれ?
>>919 坂の上の雲でも秋山好古が馬上で刀使ってるじゃん。
馬上で刀を使うことが有利なのではなく、馬の機動力によって有利な状況下で刀を使用できるってこと。
例えば、弓の攻撃に耐えかねて敵が陣形崩した隙にとか、味方の歩兵に捕捉されてる敵を側面からとか。
強固な陣形組んでる歩兵に何の工夫も無く正面から騎兵が抜刀突撃するのはNGだよ。
混乱に乗じて機動力を活かしての突撃なら確かに効果適面だけど
やはり馬上からは長尺の槍や薙刀でなければ意味無いと思う
まあ騎兵同士の闘いなら刀もありかもしれないが
騎兵は機動力を活かして後方へ回り込み弓矢を用いて混乱させるのが一番
923 :
名無し三等兵:2009/12/27(日) 13:14:22 ID:Sgk00Gp4
馬の持つ機動力の他にも、高い位置から刀剣を振り下ろすアドバンテージ、
馬の巨体と速度が敵歩兵に与える心理的動揺とそれにより惹起させる混乱、
も騎兵の利点だと思うよ。
>>923 刀で斬りあうなら低所からがむしろ有利
高所からだと標的に届きにくく射程が極端に減る
一方低所からは相手の下半身に近く、安全な距離から一方的に斬れる
「刀で斬りあうなら低所からがむしろ有利」
次の新説出ました
926 :
名無し三等兵:2009/12/27(日) 14:55:40 ID:u2gtSF9E
>>924 じゃあお前実際に
刀抜いて騎馬で突進してくる奴に
刀で対抗してみろよw
>>923 確かに二階くらいの高さから刀を振り下ろされる恐怖と自動車並に大きい塊が高速で突進してくる恐怖は凄まじい
歩兵は隊列を崩さず槍襖で防ぐしか無い
>>927 昔の馬は小型で鎧武者乗せたら平地でも100M20秒も出なかったのに・・
こういう人って武田騎馬軍団とかも信じちゃってるんだろうな
>>928 その小型の馬に乗って史上空前の大帝国築いたモンゴル軍についてはどう考えてるの?
930 :
名無し三等兵:2009/12/27(日) 16:21:28 ID:P24FkKZt
そうは言うがツキノワグマが体重60kg(つまり体重だけなら人間と同じ)でも普通の人は逃げる訳で。
ガチで殺し合いって事になれば頭一つ分背が高いってだけでもかなり辛い物があるのも事実かと。
>>927 そりゃ軍馬として訓練された馬じゃないだろ。
両方徒歩で坂道の場合ならば低い方が有利だとは一応剣術の伝書にもあるが
それは騎馬対徒歩のことを述べているのではない。
だいたい鎌倉時代の馬上打物の話なのに、なんで槍とか出てくるの?
モンゴル馬と木曽馬は非常に近い種で大きさも同じ。
モンゴル馬はあらゆる意味で乗り手と同様にタフだった。この馬は当時、そして現在も4フィート4インチから
8インチ(約131〜142cm)ぐらいの背丈が低い頑丈な種である。《中略》ポニー(小型の馬)に乗った
モンゴル軍は単騎なら9日間に600マイル(約965km)を走破できたと記録されており、上記の替え馬
システムを使ったチンギス・ハーンの軍団は1221年9月に食事休憩なしで130マイル(約210km)を
2日間で走った。1241年にはスブタイの軍団が深雪の中を3日で180マイル(約290km)行軍している。
『モンゴル軍』(オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ) S.R. ターンブル著
>>919 鎌倉時代の話だから槍は論外。
鎌倉武士は不安定な馬上での射撃技術を習得していた。鎌倉時代は薙刀をもった騎兵は極めてまれ。
つか、騎兵の抜刀突撃なんて日本だけの話じゃないからw
936 :
名無し三等兵:2009/12/27(日) 22:13:34 ID:MpPuuEb7
高低差のある白兵戦では高所側有利ってのは常識だろ
(射撃戦でも同様だが)
それと得物が何にせよ、陣形を保って敵騎兵を阻止するなんて芸当は
集団戦の訓練をかなり受けた歩兵でないと無理。
鎌倉時代の徒にそれは不可能だ。
モンゴル軍も決戦時の主力はあくまで歩兵であって、
しばしば弓騎兵で敵をつり出してから歩兵で包囲殲滅する戦術を取った訳だが・・
ヨーロッパ勢なんて"脆い重装騎兵"がこの戦法でモンゴル歩兵にフルボッコされてる
小型の馬で100m20秒以上かかると言うけど、
その馬に人が乗れば、身長2mオーバー、体重
120kg以上の大男が、武装した人間の2倍近い
速度で迫ってくるって状況だから、その威圧感は
相当の物だろ。
現代戦では、武装した兵士は(てか自衛隊では)
早駆け4秒10mぐらいが基準だからな。伏せる・
起き上がるの動作があるから単純には言えない
けど。
尊氏の肖像画の後ろにある4本突き出た代物は弓矢だろ背負ってるじゃん
そして4本つきでたものの手前で顔の後ろにのびているのはどうみても弓そのもじゃん
>>940 それ刀だろ?尊氏の右手と頬の間にあるのは刀の鍔で、あなたが言っている物はその鍔から
後ろに伸びているようにしか見えない。これは馬上の尊氏が抜き身の刀を右肩に担いでいる図。
>>940 お前のことを嘘ばかり吹く奴だと思っていたことは素直に謝ろう。
お前は本当に何もわからん大馬鹿だったんだな。あれが弓?
弓じゃないし、背負ってないし。
>>942 つまり騎射のあとに刀で馬上打物をしていたことを認める、と
945 :
942:2009/12/28(月) 09:34:02 ID:???
946 :
名無し三等兵:2009/12/28(月) 10:30:40 ID:PBVPC7wK
それ以前にあの肖像画は尊氏じゃなくて
高師直ってツッコミは誰もしないのか?
師直説も確定じゃないよ。
モンゴルを含め世界中の馬具ってそれ程大きな差はないけど、実は日本の馬具だけ更に馬上戦闘用に
進化してるんだよね。
鐙の形が全く違う。
日本の鐙は安定性が格段に向上してるから、騎射にしろ馬上打ちものにしろ他の騎兵は勝てないよね。
949 :
942:2009/12/28(月) 14:50:06 ID:???
立った姿勢とほぼ同じってやつか
全然関係ないって程でもない程度の話だが、米軍のときも一応神風吹いたよな。
近代艦艇が沈んだりはしなかったが。
流れに関係ないし、今更神風とか信じてるのもどうか?
952 :
名無し三等兵:2009/12/28(月) 22:13:27 ID:vdWkjalT
日本って集団戦法をとらなかったとかいう記述がみられるが源平合戦のころにすでに「やあやあ我こそは」
なんてやってないだろ?義経なんて明らかにやってないぞ
馬なんてのは足に軽い怪我1つ負ったらもう殺処分するしかない代物
漫画みたく敵陣に騎馬で猪突猛進に突入して蹴散らすなんて運用はまかり間違ってもあり得ない
あくまでも機動力の確保のために使用されるもので突破力を期待して運用されるものではない
古来ハンニバルからモンゴル軍まで騎兵を歩兵に正面から当てるような愚は犯していない
>>952 日本が集団戦法をとらなかったなどという記録はない。
学校で嘘っぱちを教えてるだけ。
元寇だって記録では武士が集団戦法で元軍を圧倒してる。
>漫画みたく敵陣に騎馬で猪突猛進に突入して蹴散らすなんて運用はまかり間違ってもあり得ない
戦況次第です。
刀の後ろにある5つの突起は弓だろ俺には由美にみえるぜ。
こいつ日本語理解してないのか?弓という言葉を辞書で調べてごらん。
>>939>>957 なぜお前は「箙におさめられた矢」を弓だ弓だと連呼してるの?
ちなみに箙は「背中に背負うもの」ではないよ
正しくはどこにつけるものかは調べて御覧
もったいぶらずにおしえればいいじゃん小出しにしてうぜえよ
無知なおまえがウザがられているわけだが
>>960 自分で調べることもできないのか。
心底呆れるよ。
<わからない9大理由>
1.読まない …参考書などを読まない。読む気などさらさらない。
2.調べない …過去スレ、ググるなど最低限の内容も自分で調べようとしない。
3.試さない …めんどくさいなどの理由で実行しない。する気もない。
4.覚えない …人から聞いて、楽して得た答えは身に付かないから、すぐに忘れる。
5.説明できない …何に困っているのか、第三者に正確に伝わる文章が書けない。
6.理解力が足りない …理解力以前の問題で理解しようとしない。
7.人を利用することしか頭にない …甘え根性でその場を乗り切ろうとする。
8.感謝しない …教えてもらって当たり前。事がすんだらさようなら。
9.逆切れする …自分の思うようにならないと逆切れする。
尊氏の話などどうでもいいから次いこうぜ。
965 :
名無し三等兵:2009/12/30(水) 17:44:37 ID:k5OpWDoo
>>880 古今東西どんな戦でも総じて見れば、飛び道具による戦闘比率のほうが白兵戦を上回るのが当たり前。
どうしても『遠戦志向』かどうかを断じたいのならば、Aという国の白兵戦率とBという国の白兵戦率を比べるのが筋。
Aという国の『遠戦』率と、Aという国の『白兵戦』率を比較してどっちが大かを比べても、『遠戦志向』かどうかは断じられない。
そもそもどのような志向であろうが片方を無視できるような中世の戦は無い。
弓(射撃戦)がメインだから刀(白兵戦)は無視していいとかいう理屈は成り立たない。
なんでそんなに必死なの
確かに、どうしてろくな根拠もないのに刀を否定しようとするんだろうなアイツは。
しかも、形勢が悪くなると必死に話題を変えようとするし。
なぜあんなに必死に太刀を弓と言い張るんだ?
まあ刀や弓の話はスレ違いだし、そろそろモンゴルの話題に戻ろうや。
寄り道も良いが、本筋に戻ろうぜ!
刀や弓といった元寇で使われた武器がなんでスレ違いなんだ?
箙についてはまだ調べ終わらないのか?
971 :
名無し三等兵:2009/12/31(木) 01:14:09 ID:h10qG6e8
モンゴルの主要兵器と日本軍の主要兵器それの有効性を語ればいいんじゃね?
光栄のゲームなら南宋攻略どころかユーラシア大陸・アフリカ大陸北半分全制服余裕だろ。
武士はそのぐらい強い。
974 :
名無し三等兵:2009/12/31(木) 11:22:20 ID:KEFOzPeb
元軍に関しては博多湾のある福岡の公民館とか図書館とか地名とか名刹、いろんなところに資料がのこっている。
戦闘のはじまった最初の時はこんな感じ。
元軍は九州北部にたびたび上陸したため、そこかしこで野戦がはじまり伝説で語られるような一夜にして元軍敗北といったさまではなかった。
対馬で島民をあげて徹底抗戦したが惜しくも全滅、刈り取った人間を数珠繋ぎにして船べりに晒した船が博多湾に無数に現れ博多の街は騒然とした。古来から宗教は政権の統治機関として機能しており、このときも箱崎宮などは元軍と交戦、炎上し煌々と夜を照らした。
地元で信仰を集めた大社の燃える炎と、元軍によってくりひろげられる地獄絵図を前に絶望をひしひしと感じたことであろう。
迎え撃った武士団も元軍に対しては圧倒的に数の劣りたちどころに返り討ちにあい、筑紫野城まで逃げ帰っている。 筑紫野城は奈良時代から大陸に備え3方を山が囲む地の利を利用してつくった巨大な要塞である。
またそれほど遠く安全なところへ逃げなかった武士団も、丘や野にふせて博多の街を見るに、元軍が市民をほしいままにいたぶり殺すさまを見て、気が触れたように突撃をかけるものもいたりした。
っと、今日はここまで。
次回は、援軍の到着しやっと戦えるだけの大規模な武士団を形成した日本軍の鬼のような戦いっぷりです。
郷土史料には昔話レベルの信憑性のものが多数混入されているから当てにはならん。
ちゃんとした古文書から引いているなら出典も頼むわ。
当時の記録とかは参考になるが、郷土史家の書いた本はその人の
願望や根拠のない俗説も混ざることがあるからなあ。
いやまぁ確かに主観や願望が混ざるのは確かだけど
そこはそれ、事件の捜査と同じで、自供や証言だけじゃ
真実と断定できないし、しない、物証で裏づけ取りながら
可能な限り客観性を高めていくというのが学問な訳で
しかもほら、事件と違って歴史に時効は無いからさ
慌てずじっくり時間かけて確実に調査できるもん
ローカルなものでも年代や出所の確かな史料で検証していくのは必要。
ただ、無理にまとめてしまうと、まとめ方でどうしても主観が入るからな。
wkiなんかそんな輩ばっかりじゃん。
で指摘されて気にいらないとIPブロックとかマジひどい。
>978
まとめとか、継続中の案件には不要な物でも
一般の人は兎に角オチを求めてくるもんだ品
まぁ売り物ならそれも仕方ないところもあるだろうが
それでもって幕引きされちゃたまらん
局面ごとに出典を明記して羅列していくだけで余計な解説やまとめなんてないのが
一番信頼できるんだが、それだとウケないのはわかる。一般層からは「で、何がいいたいの?」で終わり。
>一般層からは「で、何がいいたいの?」で終わり
当時の世情風俗からはありえないようなドラマチック展開とか
超絶的な結末でオチが付いてた方がウケるし売れる
販社も広告代理店もノリノリでCM打ってくれるし
出資者も増えてスポンサーもホクホク、研究者側もウハウハで
みんなが幸せになれる仕事をして何が悪い状態に
忠烈王は高麗民衆を元の横暴から守るため、不本意ながら日本侵略を進言。しかし仁の心にあふれた忠烈王は
敵国である日本にさえ情けをかけようとする。将軍兵卒にサボタージュ、船大工には軍船に細工をすることを秘密裏に指示したのだ。
そして、この忠烈王の英慮が日本侵略失敗後に元の海防の弱体化を招き、ついには元の滅亡にもつながる。
そう、大元帝国を滅ぼした者は高麗忠烈王だったのだ!
で、いいですか?
>>983 上手い小説家が書けばそれはそれで悪くはない仮想戦記になりそうな気もする
仮想戦記だったら、高麗王がクリルタイで大ハーンに選出
高麗軍リーグニッツで大勝、までやらなきゃ。
987 :
名無し三等兵:2010/01/01(金) 17:07:19 ID:JqTpzy3N
弓、槍>>>>>>>>>>>>刀だろ?
ローマ軍は長槍を擁する重装歩兵であるマケドニア軍に対して投槍で
牽制、隊列の乱れた敵軍に接近して剣で殺しまくりました。
話せば分かる蒙古の人々を受け入れる度胸が倭奴にない
少なくとも相撲は蒙古の血の方が強いしなぜ受け入れなかったのか。
ウェノム博士
991 :
名無し三等兵:2010/01/01(金) 20:51:14 ID:LJqTQh8Q
福岡の箱崎宮の楼門には敵国降伏とかそんな感じの言葉が大きく飾られてるね。
生け捕りにされた元軍を那珂川だったか、どっかの河原までつれていって首をはねたわけだけど
はねた首を河に落としこんでいるうちにあまりの数の多さに真っ赤に染まった川の水かさがましたらしい。
志賀島では元軍の指揮官クラスの舟が難破しているとて生け捕りにされたとも聞くし。
だいたい日本は元軍がどれほど強かったの知っていたのかどうなのか
再三おくられたきた死者を遠い地まで引き回していってずべて首をはねている。
戦争には素人じゃなかったしある程度の準備もあった武家の時代だったからそんなことできたのかね。
「俺も手荒な真似はしたくない」とか893丸だしな言い振りしといて
話せば分かるとな?
当時の超大国モンゴル様に逆らうとは幕府も身の程しらずよの
NHKの大河ドラマでも非戦の大切さを国民に説いていたね。
私たち日本人も武器をおいて話し合いに応じるべきだったと
深く反省しなければならない。
お行儀よくしなきゃならなかったのはどっちだったか
はっきりした役だったな
せめてきた人たちには家族がいるんだよね。
かわいそうに。
>>996 家でおとなしくしていれば良かったのでは?
勝てない戦に行かせる元の皇帝は本当に冷酷無慈悲ですね
それを吹き込む高麗王は卑怯千万ですね
>>991 『五代帝王物語』とか読むとわかるけど、当時の日本人はモンゴルについてかなり正確に理解してる。
だから文永の役で実際に戦うまでは、元軍は猛烈に強いと認識してた。
現実には元軍なんて雑魚で大宰府にも到達できないまま僅か1日の戦闘で逃げ帰っちゃったけどね。
『保暦間記』とかも文永の役については、「使者が来たときに大騒ぎしただけで、すぐに静かになったね」
みたいな感じ。
ume
1001 :
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