大坂の陣への軍事考察 その2

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1名無し三等兵
大坂の陣について、軍事考察を行おう!

・豊臣方が徳川方に勝利する戦略・戦術
・各武将の軍事動向
・大坂城の縄張り

など議題があります。

大坂の陣
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E5%BD%B9#.E5.A4.A7.E5.9D.82.E5.86.AC.E3.81.AE.E9.99.A3

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2名無し三等兵:2009/08/24(月) 20:36:57 ID:???
全国全ての大名が敵って時点で完全に豊臣方の詰み。
家康の最後通告に従って浪人全部追い出して大阪城を明け渡せば、
家柄から言っても国主扱いはしてもらえたろうに。
3名無し三等兵:2009/08/25(火) 04:39:39 ID:???
>>2
いや、徳川家の面子の問題があるから早晩改易だろ。
それが予想出来たからの徹底抗戦じゃないか。
4名無し三等兵:2009/08/25(火) 14:12:49 ID:???
>>2
家柄ってどこの?
血の濃さなら尾張織田家。
一応藤原氏の養子で豊臣性。
秀吉自身は尾張の農民の子倅。
5名無し三等兵:2009/08/25(火) 21:23:52 ID:???
>>4
秀吉は太閣になり姓(豊臣)も拝領したし、秀頼には織田や
浅井の血も流れている。
6名無し三等兵:2009/08/25(火) 22:26:49 ID:???
市の長女の茶々は連れ子。「茶々」って当時の言葉で「邪魔」って意味だったよね。
それに次女の名前が「初」だから「茶々」はどう考えても異母兄信長と市の庶子。
秀吉が三姉妹の中で茶々だけを側室にしたのは主君信長の娘だからとすれば納得。
当時の常識だと厳密に兄弟とは同母系のみだから肉体関係があっても不思議はない。



7名無し三等兵:2009/08/25(火) 22:56:04 ID:???
>>3
名目上とはいえ一応元主君、しかも自分から降るように言った相手を、そうあからさまに改易は出来ないだろ。
まあ二度と刃向かえないよう僻地に数万石程度与えて飼い殺しだろうがな。
その後数十年の大名リストラ地獄を上手く切り抜けられれば、そこそこ大事に扱われると思われ。
8名無し三等兵:2009/08/25(火) 23:11:19 ID:???
>>7 俗に言う江戸時代の高家だね。儀礼や典礼を大名に教える係り。有名なのが吉良家や織田家。
9名無し三等兵:2009/08/25(火) 23:16:55 ID:???
あとメンツに拘るのなら、なおさら豊臣家は改易できないよ。
徳川はもう三河の田舎大名じゃなくて武士の頭領なんだから、建前上それにふさわしい”徳”があるのを示さないとならない。
天下万民と全国全ての大名が頭を下げた元主君をどう扱うのか見ている中、
改易なんてしたら、それこそ徳川のメンツが潰れる。
10名無し三等兵:2009/08/26(水) 00:46:45 ID:???
とりあえず、前スレ埋めようぜ
11名無し三等兵:2009/08/26(水) 04:21:59 ID:???
豊臣家が「高家」の扱いを拒否したら?
実際夏の陣に至るまでにはそういう交渉もあったはずだと思うんだが。

「天下人の子孫に相応しい扱いをせよ」って要求されたら将軍家としては戦火の中で滅んで貰うしかないだろ。
12名無し三等兵:2009/08/26(水) 13:12:52 ID:???
>>11
残忍な信長でさえ足利将軍を放逐したんだぞ。
別に秀頼母子を殺さなくてもいいような気がするが?
13名無し三等兵:2009/08/26(水) 20:32:27 ID:???
>>11
豊臣自身、三法師や信雄の例があるし、そんな道理の通らない事は言わないでしょ。
結局、ギリギリのところで徳川を信用できなかったんだとおもうよ。
14名無し三等兵:2009/08/26(水) 21:57:00 ID:wNzspKnj
まった、おめー、マイナーな合戦のスレ立てたな。
15名無し三等兵:2009/08/26(水) 21:58:45 ID:???
大坂の陣は有名だろ
16名無し三等兵:2009/08/26(水) 22:22:16 ID:H0wEmFya
>>13

ただの大名になるより、滅びを選んだ気概は褒めてやろう。
17名無し三等兵:2009/08/27(木) 01:09:46 ID:???
>>13 三法師は立派に岐阜城で西軍として頑張ったじゃないか。養父秀吉の恩に報いたよ。
18名無し三等兵:2009/08/27(木) 19:36:31 ID:???
人質に行った幼君竹千代君を待ち続け、松平家を誰も
乗っ取ろうとしなかった三河の連中は凄いな。
19名無し三等兵:2009/08/27(木) 20:33:06 ID:???
前スレ終了age
20名無し三等兵:2009/08/27(木) 21:44:04 ID:???
>>18
親父さん、頃されなかった?
21名無し三等兵:2009/08/27(木) 22:16:28 ID:???
22名無し三等兵:2009/08/27(木) 23:15:46 ID:???
流れ弾が家康直撃とか、ラッキーがあれば勝てた。
23名無し三等兵:2009/08/28(金) 03:26:19 ID:???
小牧長久手をもっと一生懸命に戦っておけばよかった。
24名無し三等兵:2009/08/28(金) 11:41:41 ID:???
>>23
旧織田軍の統率がいまいちだったんじゃないの?秀吉が。
25名無し三等兵:2009/08/28(金) 12:40:27 ID:???
>>24 越中の佐々を前田、上杉で攻略したのちに信濃経由で駿府や浜松を突けば勝てる。
長宗我部と島津へは秀長の指揮の下毛利勢と宇喜多勢で対応できただろうし。
26名無し三等兵:2009/08/28(金) 13:04:03 ID:???
全然おかしい。
茶々が生まれる二年前に市は浅井長政に嫁いでいる。

100歩譲って信長が嫁ぎ先にまで夜這いに行っていたとしても
長政の子である可能性の方が高い。
27名無し三等兵:2009/08/28(金) 13:05:06 ID:???
↑のアンカーは>>6だ
28名無し三等兵:2009/08/28(金) 14:11:40 ID:???
>>26 信長公記嫁
29名無し三等兵:2009/08/28(金) 14:33:39 ID:???
憶測全開だし。
30名無し三等兵:2009/08/29(土) 16:28:23 ID:???
信長の朝鮮出兵だったらいつ頃だろう?
本能寺が無ければ秀吉より8年は早く統一できているだろうし。
北条も伊達も島津も早期に帰順しているだろう。
31名無し三等兵:2009/08/29(土) 17:43:47 ID:???
無駄なことはしないと思う。
南蛮貿易に力入れてそう。
32名無し三等兵:2009/08/29(土) 18:30:58 ID:???
蝦夷地開発もないな。
寒いし。
33名無し三等兵:2009/08/30(日) 21:32:50 ID:???
豊臣軍と徳川軍の軍勢の配置はどうなってたの?
34名無し三等兵:2009/08/31(月) 15:19:42 ID:???

 
○○○○○○○○
○         ○
○    ■    ○
○         ○
○○○○○○○○
35名無し三等兵:2009/08/31(月) 19:31:23 ID:???
>>34
サンクス
家康隊に迫った豊臣方の隊っていなかったっけ
36名無し三等兵:2009/08/31(月) 19:33:21 ID:???
真田信繁だな
37名無し三等兵:2009/08/31(月) 22:44:54 ID:???
毛利勝永だな
38名無し三等兵:2009/09/01(火) 00:39:25 ID:???
冬の陣と夏の陣区別せんといみないぞ
>>34は冬の陣? それもと夏の陣の落城寸前?
39名無し三等兵:2009/09/01(火) 01:20:05 ID:???
区別なんてする必要ないだろ
冬の陣で誰が家康本陣なんかに迫る要素が無い
40名無し三等兵:2009/09/01(火) 04:32:58 ID:???
右府は激情で人を殺す印象だけど、内府は微笑みながら自分は関わってませんって顔して人を殺す印象。
あれを信用出来るかと訊かれたら「否」だろ。

大坂方の勝機はピンポイントで大御所と公方を一気に葬り去ることしかない。
ただそうやって豊家が生き残ったら太閤恩顧の西日本と徳川将軍家を傀儡に伊達政宗辺りが実権を握る東日本に分裂したかもね。
関ヶ原から琵琶湖を通って若狭に至る線で。

商業の盛んな西日本と農業に徹する東日本みたいな。
そうなると上杉とか佐竹の立場はどうなるんだろう?
アンタッチャブルな領域として残るのか、幕府に帰順するのか。
読めないねえ。
41名無し三等兵:2009/09/01(火) 13:31:56 ID:???
>>39
在日の方ですか? 日本語が不自由な邦人の方ですか?
良く読みましょうね
42名無し三等兵:2009/09/05(土) 07:13:29 ID:???
関が原で西軍が負けるのがそもそも信じがたい。
43名無し三等兵:2009/09/05(土) 07:37:23 ID:???
内通を考慮してなのか?
44名無し三等兵:2009/09/05(土) 07:53:17 ID:???
関ケ原で西軍が勝つには愛の人と歌舞伎者が最上&伊達を潰し、景勝が関東に肉迫し、裏切り者が出ないようにしないと勝てない。
45名無し三等兵:2009/09/05(土) 09:32:18 ID:???
>>40
家康・秀忠の首を取れれば豊臣存続は可能かもしれないが
今さら西国大名が豊臣に臣従するとも
陰謀を巡らしては失敗ばかりの伊達が幕府勢力を掌握できるとも思えん

もちろん、豊臣・伊達は地域大国として勢力を伸ばすだろうけど
日本の半分を治めるような器量は無いんじゃないかな
46名無し三等兵:2009/09/05(土) 10:04:09 ID:???
最上を攻めずに予定通り越後奪還作戦をとれば西軍の勝利
47名無し三等兵:2009/09/05(土) 10:13:27 ID:NOqj9IMe
>>45
家康・秀忠が討ち死にすれば、徳川は何が何でも弔い合戦仕掛けてくるでしょう。
その時が東西の決戦になると思います。負ければ豊臣は滅亡、勝てば天下人でしょう。
48名無し三等兵:2009/09/05(土) 11:26:21 ID:???
>>44
愛の人の部隊だけで伊達と最上を防げてたのだから景勝本隊が関東に南下すれば
東軍挟撃されて西軍の勝ちだよ。
49名無し三等兵:2009/09/05(土) 17:37:44 ID:???
東軍壊滅寸前に、どこからともなく現れた4万もの大軍。
MVPは徳川秀忠に。歴史の教科書には中国大返しと並んで記載。
50名無し三等兵:2009/09/05(土) 19:47:33 ID:???
>>49
後背から六文銭2000人がきて、20倍の敵を撃破した戦史に残る記録になるかと
51名無し三等兵:2009/09/06(日) 02:40:50 ID:???
関が原で野戦するなら佐和山で篭城戦するほうがまだ勝ちが望めたと思うけど。
佐和山でこらえ切れなければ観音寺城なら先ず1年は篭城できるだろうし。
52名無し三等兵:2009/09/06(日) 05:53:44 ID:???
>>47
その時の徳川勢の総大将は誰になると思う?
軍隊の指揮を執れるのは忠輝くらいだけど、正にそいつが家康や秀忠に嫌われてた。
恐らく器じゃなかったんだろ。

成長して分別がついた秀頼と、指揮系統に不安がある徳川家だったら大坂までの遠征は流石に幕閣が諌めたんじゃないかね。
将軍家の家督争いも起こり得るし、征西どころじゃなくなるかも。

だからこそ豊・徳の東西割拠が起こる可能性があると思うんだが。
53名無し三等兵:2009/09/06(日) 09:39:03 ID:UAnhik6e
>>52
弔い合戦やらないと、桶狭間後の今川家と同様徐々に衰退の運命をたどると
思います。
54名無し三等兵:2009/09/06(日) 12:50:30 ID:???
弔い合戦だの徳川宗家の跡継ぎ問題やらを関東で論じている間に
彦根の井伊が大変なことになりそうだ
55名無し三等兵:2009/09/06(日) 12:57:25 ID:???
井伊は見殺し見殺し
もう井伊、なんちて
56名無し三等兵:2009/09/06(日) 18:08:15 ID:???
>豊・徳の東西割拠
そのまま20世紀を迎えると、西が日本帝国、東が日本民主主義人民共和国か。
まあこの時期になってまだ群雄割拠が続くなら、外国の植民地になってたかも
(陸軍兵力のため日本を支配できる外国がないという意見もあるけど)
57名無し三等兵:2009/09/06(日) 19:27:32 ID:???
平安末期には平氏、木曾、源氏、藤原と4者で分割統治できていた。
58名無し三等兵:2009/09/06(日) 19:36:31 ID:???
>>56
山多田先生みたいだな
59名無し三等兵:2009/09/07(月) 02:21:40 ID:???
上杉の国替えは奥州仕置きのときにしておくなら効果も大きかった。
会津、庄内、米沢、揚北、佐渡、郡山、福島の120万石程度にする。
60先生:2009/09/09(水) 12:14:24 ID:0hMxcYqA
家康の首をはねることができなかったのは
前面にいた渡辺糺が毛利勝永の下知に従うことができなかったから。
幸村の計略が成功していたら、明石全登率いる軽騎兵団によって家康は首をはねられていたらしい。
それでも秀頼の死は避けられないらしいが。
61名無し三等兵:2009/09/09(水) 23:49:39 ID:???
> それでも秀頼の死は避けられないらしいが。

家康が討たれたあと、現将軍職である秀忠が軍の混乱を収め直ちに総攻め?
62名無し三等兵:2009/09/10(木) 05:45:51 ID:???
秀忠も将器ではなかったらしいが。
征夷大将軍が正面から城攻めして返り討ちに遭ったら愉快だな。
63名無し三等兵:2009/09/10(木) 15:07:26 ID:???
幽閉される征夷大将軍とかの例もあるし大丈夫。
64先生:2009/09/10(木) 16:33:33 ID:fSfbBlHq
>61 おそらくそういうことになるでしょう。
秀忠は6万の兵を率い、 岡山口の大野主馬率いる2万余の兵と戦った。
ここでも大坂勢の戦意は盛んで大野主馬自ら秀忠本営に軽兵を率いて斬り込みをかけ、
本営を混乱に陥れたが、後続軍を持たないため、引き上げざるを得ず、
その後立ち直った東軍を4度も押し返しはしたが、味方がわずかになったので城に退却した。
そのご、大野主馬は行方不明になっており、18年後ぐらいに目撃され幕府から捜索状が出たらしい。




65名無し三等兵:2009/09/10(木) 16:51:05 ID:XwGralk1
大坂城には高虎による伊賀上野城の大改修(1608年)を見抜けたものはいなかった
わりと大坂と伊賀は近いのに、
66名無し三等兵:2009/09/11(金) 04:48:06 ID:???
想定として勝機は大御所と公方の両者が一度に死ぬことだって限定されてるんだから、家康若しくは秀忠が行き残るって想定だとゲームオーヴァーだろ。
67名無し三等兵:2009/09/12(土) 11:06:07 ID:???
すくなくとも大坂城に篭城するだけでなく5千程度の軍を天王山、信貴山とかに配置して孤立を避けるべきだね。
68名無し三等兵:2009/09/12(土) 11:24:08 ID:???
秀忠が死んでも家康は混乱を収めれそうだが
家康が討たれると秀忠クンでは混乱に巻き込まれて死にそうな気がするw
69名無し三等兵:2009/09/12(土) 12:27:50 ID:???
能力的にはそうだけど
将軍の討ち死に+総大将の不在では家康もそう簡単には立て直せない
下手すりゃ後継問題で大坂攻めどころじゃなくなる
70名無し三等兵:2009/09/12(土) 20:25:58 ID:WI1HLG/p
>>68
秀忠が死んでも家康死んでも、混乱必至だから
一旦兵を引いて態勢整えてから再度決戦挑むだろう。
71名無し三等兵:2009/09/12(土) 22:45:40 ID:???
それだと家康の寿命がネックになる、本人もそれを意識していたからこそ決戦を急いだ訳だし。
豊臣方としては、実は決戦を回避した方が、色々と利点は大きかったのでは無いかな?
72名無し三等兵:2009/09/12(土) 22:48:20 ID:???
>>71
それは片桐勝旦がそう進言している。拒否されたがなw
73名無し三等兵:2009/09/13(日) 03:51:25 ID:???
戦争になっても各所に砦や支城を築き決戦を避けて持久戦をすれば豊臣の勝ちもある。
徳川方の補給が万全とも思えないし、外様にすれば長対陣はすごい負担だ。
74名無し三等兵:2009/09/13(日) 04:07:27 ID:???
信輝の下の弟は水戸徳川家の祖になる義直だけど、大坂の陣当時は15〜16歳。
幾ら何でも総大将は務まらない。
結城秀康の息子松平忠直は二十歳前後だけど、ここの家系はとにかく信用されてない。
絶対に本家筋が猛反対するだろ。

家康・秀忠が同時に死んだ場合、仇討ちどころか将軍位を巡っての抗争が始まるぞ。
それを収められる人間は限られてる。
お万の方他数名しか口出し出来ないんじゃないか?
75名無し三等兵:2009/09/13(日) 10:27:22 ID:???
家光(竹千代)がいるなら家光でよくね?
有力譜代と外様の伊達、前田、藤堂、浅野、細川、黒田、上杉で固めて。
76名無し三等兵:2009/09/13(日) 13:14:41 ID:???
>>75
切り取った所領没収されたり、難癖つけられて親を人質にされたり
(表面上)同盟軍で北九州平定してやったのに謀反だといびられたり、
所領1/4にされたりした連中がなぜに家光を担いで一致団結しなきゃならん
77名無し三等兵:2009/09/13(日) 18:58:12 ID:5MVdy7Oj
>>74
家康・秀忠が同時に死んだ場合、朝廷は徳川の言いなりにならないから
将軍宣下なんて無理、都も豊臣方が占領してるよ。
78名無し三等兵:2009/09/13(日) 20:31:34 ID:???
家康は長期化したときの外様の裏切りもあり得るからと
いったん講話したんだっけ。
学生の時は徳川にこの時点で逆らう大名なんてあるのかと思っていたけど
まだそんなに盤石ではなかったということか。
79名無し三等兵:2009/09/13(日) 21:00:48 ID:???
全員徳川が強いからしたがってるだけだよ。
80名無し三等兵:2009/09/13(日) 21:49:35 ID:???
まず、ドコで家康、秀忠を撃滅したかと、連合が崩壊した時に京都は北国に撤退する結城、前田が占拠するんじゃない?
近江には井伊、東北へ撤退する伊達、上杉がいる。
黒田や島津等の九州勢が撤退する為に堺や姫路を占拠する場合もある。
81名無し三等兵:2009/09/13(日) 22:02:41 ID:???
>>78
秀吉は専制君主ではあったけど、
日本中の大名は豊臣家臣団の一員だった。
徳川政権下では、譜代と外様が分けられて徳川家臣団以外は政権に関われなくなり
諸大名は多田野地方領主扱い。

こんなだから、この状況を作った本人が不安になるのは分る。
82名無し三等兵:2009/09/14(月) 13:14:45 ID:???
>>81
藤堂高虎とか前田利常とかは幕府の扱いが準譜代のような気がするが
それに前田家の筆頭家老の本多政重は本多正信の次男
政重が前田家に仕官するまで仕えた福島、宇喜多、上杉は全て改易又は減封処分を受けているな
83名無し三等兵:2009/09/14(月) 14:49:52 ID:G3Aft9GY
夏の陣は史上空前なくらい愚かでみっともない。
徳川のスパイである小幡勘兵衛を自分のブレインにする修理、
奈良焼き討ち、大坂南部での愚戦、一ヶ月以上にも及ぶ軍議、
生駒山脈への出戦で三軍団が何の連携もなく各個に撃破された
(修理が軍事的無能さから又兵衛の小松山案と幸村の四天王寺決戦案の2つを折衷したため)
七手組みの将ら豊臣譜代衆が有能な浪人衆の案に従いたくない気持ちから
幸村の最後の戦術が崩れたため船場の全登が取り残され、
家康本営に対する奇襲性が薄れ家康逃走、
決戦直前に家康の和議の使者の発言をまんまと信じる淀らと、遠慮してそれに意見もできない譜代衆
人形同然の人間に成長させられた秀頼、大坂城内の有り余る金銀



84名無し三等兵:2009/09/14(月) 16:55:00 ID:???
>>82
準譜代だと真田、相談役は伊達もいるし、上杉は直江の跡取りとして本多から婿を取ろうとしてるしな。
85名無し三等兵:2009/09/14(月) 17:55:23 ID:???
三成がKYすぎるのが豊臣の不幸。関が原の時も最低でも上杉軍と討伐軍が会戦したあと挙兵すれば楽勝だったものを
86名無し三等兵:2009/09/14(月) 20:37:00 ID:???
>>84
相談役といっても御伽衆と一緒だろ
87名無し三等兵:2009/09/14(月) 20:44:23 ID:???
だが大藩で相談役だからねぇ。
家康が死ぬ前でなく大坂以前に家光と引き合わせてたら違うかもよ。
88名無し三等兵:2009/09/15(火) 03:41:22 ID:???
夏の陣でも信貴山や比叡山とかに後藤や木村を篭らせて揺動すれば勝機もあっただろう。
89名無し三等兵:2009/09/15(火) 05:12:14 ID:???
>>85
あれは上杉対策のために関東に兵力を割かれるって計算だったんだろ。
三成の誤算はむしろ東海道沿いに配置された豊臣恩顧の大名が悉く家康側についちゃったことだと思うぞ。
福島正則が「家康の味方をすることはいつか豊家の禍になる」ことすら思い付かないほどの阿呆だとは想定しなかったんだろ。
大坂の陣に三成と大谷刑部が生き延びて参戦してたらもし負けたとしても徳川方はもっと手こずったんじゃないか。

もし家康・秀忠父子が戦死してたら江戸に留め置かれた福島正則は真っ先に血祭りに挙げられただろうね。
本能寺の変の後の津田信澄みたいに。
90名無し三等兵:2009/09/15(火) 10:25:21 ID:???
三成が中立を宣言していれば関が原は西軍の勝利。
少なくとも福島、加藤は100%西軍だろう。
黒田、山内、堀、浅野、蜂須賀は東軍のままでも。
91名無し三等兵:2009/09/15(火) 11:36:11 ID:???
>>90
親友の大谷吉継にもでしゃばるなといわれてたっけ。
92名無し三等兵:2009/09/15(火) 17:18:29 ID:pMwl3tc/
>>88
危険な兵力の分散だろう。やるなら機動部隊編成して、徳川勢各個撃破。
93名無し三等兵:2009/09/15(火) 22:10:22 ID:???
>>86
御伽衆と聞いて大賀1曹と三田村海曹が(ry
94名無し三等兵:2009/09/15(火) 22:28:52 ID:???
>>90
いや、三成が中立宣言しちゃったら、そもそも西軍の挙兵が成り立たないのでは?w
95名無し三等兵:2009/09/15(火) 22:30:11 ID:???
三成が東軍になれば西軍は一致団結だ
96名無し三等兵:2009/09/15(火) 23:00:35 ID:???
>>95
天才現る!
三成嫌いの福島、黒田、細川やらの武断派も上杉討伐軍から離反濃厚だしこれで勝つる
97名無し三等兵:2009/09/16(水) 04:59:53 ID:???
>>90
三成が外れたら誰が西軍の面子集めるんだよ。
1600年の時点で大坂城が本気になってれば三成は悠々と裏方の仕事してられただろうけどな。
秀頼なりその側近なりが「家康の行動は故太閤の遺訓に叛くものだ」って弾劾してたら一気に形勢逆転してたかもなのに。
98名無し三等兵:2009/09/16(水) 09:57:05 ID:???
>>97
豊臣秀家さまが居るじゃ無いか!
99名無し三等兵:2009/09/16(水) 17:23:24 ID:???
>>98
秀家首謀者説もあるくらいだから。
しかし、今年の秀家公は泳がなくても鏡の中を通り抜けて八丈島から大坂に来ちゃいそうな気がするのは気のせいか。
100名無し三等兵:2009/09/16(水) 18:26:37 ID:???
秀家って本当に直家の息子?
101名無し三等兵:2009/09/17(木) 14:04:01 ID:???
ここで勝つとか考えられないから改変はもっと前から始めたほうが・・・
102名無し三等兵:2009/09/17(木) 21:24:08 ID:???
とりあえず、西軍がほぼ確実に勝てるとしたら秀吉が死ぬ前に家康、利家が同時に死去すれば勝てるんじゃなあ?
103名無し三等兵:2009/09/18(金) 11:34:19 ID:???
蒲生氏郷が早死にした時点で豊臣に勝ちは無い。
104名無し三等兵:2009/09/18(金) 14:18:58 ID:???
秀次を殺さないだけで豊臣の天下は続いたよ。
105名無し三等兵:2009/09/18(金) 15:12:24 ID:???
一番痛いのが秀長が秀吉より先に死んだこと。
秀長が生きてれば三成があれほど嫌われることも無い。
106名無し三等兵:2009/09/19(土) 15:30:27 ID:???
>>104 秀次ってどんな性格してたか知ってていってるの?秀俊、秀保の3バカ鬼畜兄弟。
107名無し三等兵:2009/09/19(土) 15:51:52 ID:???
野放ししておいたらヤバイ
108名無し三等兵:2009/09/19(土) 17:56:59 ID:???
>>106
鬼畜馬鹿じゃないし、自ら政務を取れる成人男子というだけで十分だよ。
それだけで徳川が豊臣政権をのっとる事が出来なくなる。
109名無し三等兵:2009/09/19(土) 20:48:50 ID:???
秀次は正宗を舎弟にしてるし若手大名に結構人気あったから大丈夫かな
110名無し三等兵:2009/09/19(土) 23:29:57 ID:???
朝鮮出兵で金欠の大名に金貸してたんだろ
111名無し三等兵:2009/09/20(日) 13:12:14 ID:???
朝鮮出兵後で豊臣以外で金があったのは徳川、前田が有名だが他にも誰かいた?
112名無し三等兵:2009/09/20(日) 14:22:00 ID:???
>>106
秀吉信者乙。秀次が鬼畜で愚かだということにしておかないと、秀次一族皆殺しの大義名分が立たないからそういうことになってるんだよ。
もし仮にそのとおりだったとしても、甥の中では一番マシだと思ったから二代目関白にしたんだろ。それをあっさり葬ってどうすんだよ。
どっちにしてもこの時期の秀吉が耄碌していたという話にしかならんじゃないか。
秀次が鬼畜で愚かじゃないとすれば罪を着せて殺した秀吉の方が鬼畜で愚か。
秀次が鬼畜で愚かだったとすればそんな愚物に関白を選んだ秀吉の人物鑑定眼がダメダメ。

結局豊臣家を家康に滅ぼさせたのは淀殿でも北政所でも秀頼でも大野治長でも石田三成でもなく秀吉本人。
113名無し三等兵:2009/09/20(日) 15:24:23 ID:???
秀吉もその時は秀頼が成人するまでは生きてるつもりだったんだろうな
114名無し三等兵:2009/09/21(月) 00:41:46 ID:???
>>111 上杉は金持ち
115名無し三等兵:2009/09/21(月) 00:50:38 ID:???
関ケ原以前では、金持ちと大兵力が2対1か…
徳川を家康が秀吉、利家より先にポックリ逝って北海道とかに飛ばして力削がない限り無理だな。
116名無し三等兵:2009/09/21(月) 00:52:22 ID:???
ヒストリカルドキュメント
117名無し三等兵:2009/09/21(月) 05:36:47 ID:???
秀次は事前の予想よりやり過ぎたんだろ。
で、太閤も庇い切れなくなって誅殺。
それこそ宇喜多秀家とか、実権は全くないけど秀頼を関白にしとけばまだ…。
118名無し三等兵:2009/09/21(月) 07:36:57 ID:???
>太閤も庇い切れなくなって誅殺。

一族は無関係だろうに
119名無し三等兵:2009/09/21(月) 10:05:56 ID:???
遠縁の福島や加藤と側近の石田や長束とを反目させてバランスをとったりする時点で秀吉の負け。
120名無し三等兵:2009/09/21(月) 12:17:28 ID:???
てゆか文治派と武断派の対立って徳川幕府でも起きてるんだからしょうがなくね?
121名無し三等兵:2009/09/22(火) 02:00:40 ID:???
朝鮮征伐を早くから考えているのなら、小田原攻めの後の仕置きが間違い。
後北条家は上総下総の2ヶ国に減封するに留めるべき、徳川には伊豆を加増。
その後に朝鮮征伐へ向かい、徳川に先鋒を命じるのが一番いい。
うまく朝鮮を平定すれば徳川に朝鮮の北半分をくれてやれば良い。
122名無し三等兵:2009/09/22(火) 17:08:49 ID:6SsOEZxF
>>121
朝鮮征伐なんてただの思いつきでしょう、配下の武将に与える領地
なくなったんで、中国本土に領土求めただけ、日本帝国と同じ、成り行き
で行動してるだけ。
123名無し三等兵:2009/09/22(火) 17:36:19 ID:???
信長様の遺志を継いでるだけですよ。
124名無し三等兵:2009/09/23(水) 09:33:13 ID:???
朝鮮出兵はイスパニアにたいする牽制。
125名無し三等兵:2009/09/23(水) 18:30:07 ID:???
>>112
全然的外れな指摘だな。おまいは何一つわかってない。
もういいから、一生ロムってろよ。
126名無し三等兵:2009/09/23(水) 22:28:44 ID:???
朝鮮征伐は海賊衆、一両具足などの野武士への失業対策だろう。
127名無し三等兵:2009/09/24(木) 01:30:56 ID:???
イギリスみたいな雑魚でも北米植民ができたのだから、秀吉もやればよかったのに。
128名無し三等兵:2009/09/24(木) 10:13:59 ID:???
>>127
北米大陸は無人の野のような環境。ネイティヴアメリカン(インディアン)なんて人口は僅かだ。
同じことをアジアでするなら北海道からシベリアへ懸けてかフィリピンやボルネオとかだろう。
129名無し三等兵:2009/09/26(土) 15:45:15 ID:???
徳川家康を漢城400万石に転封、伊達政宗を平壌150万石に転封すれば一安心。
念のため小早川隆景を釜山100万石に配置、小西行長には済州島3万石を加増。
130名無し三等兵:2009/09/26(土) 16:26:19 ID:???
従わないぞw
131名無し三等兵:2009/09/26(土) 17:57:51 ID:???
>>130
朝廷より徳川家康に朝鮮征夷大将軍に任じ朝鮮幕府の開府の詔を出させればいい。
伊達政宗にも高句麗探題、小早川隆景には新羅管領、小西行長にも済州探題とかに任じてさ。
132名無し三等兵:2009/09/26(土) 21:01:43 ID:???
>>129
朝鮮官兵ですら普通に伊達家より強いので政宗は平壌で包囲されて切腹。
最期に「やはり主計頭が言うように後方に引っ込んでればよかった」と言い残す。
結局家康が日朝の最前線に位置することになる。
133名無し三等兵:2009/09/27(日) 00:48:40 ID:???
>>132
釣り?
134名無し三等兵:2009/09/27(日) 15:41:29 ID:LwUcxBR9
>>129
架空戦記のもとねたになるんじゃないかな。結構面白そう。
135名無し三等兵:2009/09/27(日) 16:22:59 ID:???
結城秀康には百済探題として光州30万石。
136名無し三等兵:2009/09/28(月) 00:37:31 ID:???
>>133
いや、日本史板や戦国板では伊達家がこういう扱いなのはごくスタンダード。
137名無し三等兵:2009/09/28(月) 14:54:04 ID:???
>>132
平壌まで伊達が封地されているなら既に朝鮮王国滅亡してるでしょ。
まあ残党が満州で再起を目論んでいるかもしれないけれど。

大明、後金、朝鮮が鴨緑江付近を扼して来る程度だろ。
138名無し三等兵:2009/09/28(月) 18:56:12 ID:RpSHMWVJ
慶長16年(1611年)の時点で秀頼は18歳、すでに成人、加藤清正、浅野幸長も健在
秀頼上洛時点で、三万の兵が動かせた、会見後全軍で二条城に奇襲をかければ
勝機あったろうか。
139名無し三等兵:2009/09/29(火) 03:23:11 ID:???
>>138 3万もの兵をどうやって気付かれずに臨戦態勢にもって行くかだろう。
140名無し三等兵:2009/09/29(火) 09:00:42 ID:???
>>136
>>いや、日本史板や戦国板では伊達家がこういう扱いなのはごくスタンダード。

んなわけないだろ。半島人(・∀・)カエレ!!
141名無し三等兵:2009/09/29(火) 09:33:21 ID:C9y1Vf08
>>139
当時家康は5万の兵を率いて上洛していたから、豊臣方が臨戦態勢であっても
何の不思議もない。会見が無事終了し、家康が帰国するとき、徳川方の将兵は
気が緩んでいるだろうから、奇襲可能と思う。
142名無し三等兵:2009/09/29(火) 10:00:57 ID:???
家康軍って実は戦に弱いんだよなぁ
それが分かってたからこそ四天王とか強がってネーミングしたわけだが
たいした戦果ってないし
143名無し三等兵:2009/09/29(火) 13:17:31 ID:???
>>140
んなわけあるよ。政宗は奥州最大の大名だった先祖の遺産を60万石にまで減らした馬鹿大名だとか、得意技は命乞いの土下座な土下
座大名だとか、家臣もろくなのいなくて伊達成実なんて伊達でこそ一手の将として威張ってるけど出奔中に徳川から足軽大将並みの禄高
でしか誘われなかったとか、伊達家の記録は全部捏造で価値が「武功」以下だとか、とにかく戦国板ではそういうことになってる。
他にも半島つながりで本名は尹政宗で朝鮮人だとか色々言われ放題。
144名無し三等兵:2009/09/29(火) 13:39:18 ID:???
天下取るぞという野心だけは凄いけどすべてから回りだしねw
145名無し三等兵:2009/09/29(火) 13:48:07 ID:???
軍事板・「大坂の陣への軍事考察 その2」スレにいるのもヤツかね
146名無し三等兵:2009/09/30(水) 15:24:43 ID:???
明の増援が来た時点で徳川軍を渡海させておけば日本軍が明朝連合軍を破り勝利し、
褒美に朝鮮を家康に与えて関東を召し上げれたのにな。
147名無し三等兵:2009/09/30(水) 15:36:27 ID:???
諸将がみんな淀殿の穴兄弟になったら大坂ノ陣は勝てたかもしれないな。
148名無し三等兵:2009/09/30(水) 19:56:30 ID:n01mVqiX
>>147
淀殿って1969年生まれだから大阪の陣(1614年)当時は45歳。
当時は老けるのも早いから、今なら60歳ぐらいに相当。
諸将もカンニンってレベル。
149名無し三等兵:2009/09/30(水) 20:27:29 ID:???
それを深キョンが演じるのね。
まあ、松を少女〜老女まで一人で演じた方もいるからまだマシか…
150名無し三等兵:2009/09/30(水) 20:33:43 ID:???
>>148 栄養が足りている支配層はむしろ今より老けるのは遅いぞ。
151名無し三等兵:2009/09/30(水) 20:35:09 ID:???
>>147
憎っくき家康の孫娘である千姫を全員で輪姦すればおk。
152名無し三等兵:2009/09/30(水) 22:55:18 ID:???
深キョンはいい感じにヒスババァという淀殿のイメージを壊してくれたのでおk
153名無し三等兵:2009/10/01(木) 02:01:35 ID:???
深キョンは是非次々期大河お江では宇喜多秀家の母をして欲しい。
お家存続と息子の立身出世の為に秀吉の愛人になる母の姿が合いそう。
154名無し三等兵:2009/10/02(金) 12:06:40 ID:???
>>148
1969年生まれなら-355歳では
155名無し三等兵:2009/10/02(金) 13:06:48 ID:???
淀殿って俺と350歳くらいしか違わないのか・・・
156名無し三等兵:2009/10/03(土) 22:07:08 ID:???
>>142
いや強いよw
157名無し三等兵:2009/10/04(日) 08:13:47 ID:???
>>155 ウルトラマンみたいな寿命か!
158名無し三等兵:2009/10/04(日) 18:57:59 ID:???
しかしまぁ、夏の陣で家康を蹴散らして秀忠の本陣近くまでよく攻め寄せたな…
布陣図を見ると信じられないぜ
159名無し三等兵:2009/10/05(月) 03:14:12 ID:???
>>158 大坂方の決死の突撃に恩賞も見込めない戦いではだれも積極的に戦いたくはないだろ。
160名無し三等兵:2009/10/05(月) 10:34:51 ID:???
積極的に戦わざるを得ないように追い込まれた奴らもいたな。
一人は本多忠朝(本多忠勝の息子)、一人は松平忠直(結城秀康の息子,家康の孫)。
どちらも決戦前日の不完全燃焼な戦いぶりに大して,軍議において、家康自ら面罵に近い叱責を食らっていた。

忠朝の方は,先鋒軍の指揮を任されて勇戦。
あほあほみたいに強烈な毛利勝永の一撃をまともに受け止めながら戦い続け,
徳川恩顧大名で唯一、討ち死に。

忠直の方は,忠朝のグループを抜け駆けして,真田勢と正面衝突。
浅野幸長裏切りの誤報に,陣をすり抜けられ,真田勢の家康本陣直撃を許すハメになったが,
「命知らずの褄黒の旗」と歌に詠まれるほどの力戦奮闘ぶり。
真田信繁(幸村)の首級をあげたのも、忠直の配下の者だった。
結局,恩賞は茶器のみで、それを砕いて家臣に分配したと言われている。

『真田太平記』では、家康が,功抜群の重臣の息子と悍馬のような孫の尻を叩いておけば,この方面は大丈夫という計算の元での叱責と描いているが……
戦況の推移を見る限りでは,今一歩、本気出させるための工夫が足りなかったんではないかなと。
161名無し三等兵:2009/10/05(月) 12:21:09 ID:???
大坂方がもう少し組織的に戦えれば徳川方を敗走させれたと思う。
後藤又兵衛や明石全澄などを見殺しにしていてこの戦果だし。
162名無し三等兵:2009/10/05(月) 23:06:58 ID:???
それをいうと、冬の陣の時点で地方勢力の連合軍だった東軍を一本化された大阪方は撃破できてしまうからなぁ

大阪方の組織化一本化がが逆転の鍵であると同時に、出来てたらこうはなっていないというループに入ってしまう
163名無し三等兵:2009/10/05(月) 23:09:14 ID:???
盛ちゃん…。
164名無し三等兵:2009/10/06(火) 00:49:34 ID:???
>>160
>結局,恩賞は茶器のみで、それを砕いて家臣に分配したと言われている。
その手の茶器って然るべきところで売れば結構な金に換えられたと思うんだけどな
家康もそれは織り込み済みだろうし、信長からの伝統だから砕いたりしなくてもいいのにね
165名無し三等兵:2009/10/06(火) 04:33:33 ID:???
>>162 冬の陣は豊臣側の戦力半数が城外で遊撃活動すれば勝てた戦だからね。
166名無し三等兵:2009/10/06(火) 05:32:57 ID:???
>>164
茶入れの「初花肩付」だっけな。
確か「へうげもの」によると、3大肩付きのひとつで,
国一個と引き換えにできるくらいの名器だったかと。
167名無し三等兵:2009/10/06(火) 06:07:47 ID:???
>>166
あの漫画だと、徳川家中全体が、侘び数寄を一切解さない朴念仁集団なんだよなw
まあ,話半分に見ないといけないけど…。
松平忠直はその朴念仁集団の伝統(?)をそっくり引き継いだ正統派なんだろうよww
168名無し三等兵:2009/10/06(火) 07:57:23 ID:???
>>162
>>165

結局は宇治川防衛策が妥当だったわけだよ。
これは宇治川で完全に敵を食い止めるのを前提にしているのではなく、
縦深防御に徹して、遅滞戦闘を行って徳川方に出血を強いる策。
遅滞戦闘に陥ると遠征している徳川方には不利になる。
(遠征している戦線の維持コストなど)
169名無し三等兵:2009/10/06(火) 08:36:16 ID:???
まあ、そうやって東面からの侵攻を防ぎながら、西国大名の中立化…あわよくば幕府からの離反が出るのを期待するのかね。
つか、そうなるべく、外交も展開しなきゃか…それができる人が思いつかないけど。
真田昌幸や加藤清正が存命ならねえ。
昌幸に前線の指揮を委任し、清正の決起を待つみたいな絵が描けて面白いんだが。
170名無し三等兵:2009/10/06(火) 10:16:47 ID:drIeKR6P
そんな外交手段出来るような頭持ってたら、あんな鐘造ったりしないし戦になることもなかった
171名無し三等兵:2009/10/06(火) 10:54:30 ID:???
>>164
初花を砕いたってのは作り話で、実物が現存してますよ。
実際問題として、恩賞として与えられたものを換金したり砕いたりできるんでしょうか?
あの時期にそんなことしたら、言いがかりつけられて改易や減封されそうな…
172名無し三等兵:2009/10/06(火) 11:18:55 ID:???
>>171
松平忠直は、夏の陣の決戦前夜の「昼寝でもしていたのか」という家康の叱責以降、
言いがかり付けまくられな男だから無問題。
173名無し三等兵:2009/10/06(火) 14:25:11 ID:???
>>169 清正が存命なら家康は仕掛けないだろう。
清正が決起するなら大坂から西は全て豊家のお味方になりかねない。
174名無し三等兵:2009/10/06(火) 14:48:47 ID:???
黒田島津池田細川は加藤の味方しそうにないでござる
毛利も今更博打打つかどうか
175名無し三等兵:2009/10/06(火) 17:49:08 ID:???
>>174
遅参や隠密裏に武将を派遣といったくらいはするだろ。
むしろ、東軍で積極的に功を上げることはしないだろ。
得をしないしな。適当なこ理をつけて遅参くらいはした方が合理的だろ。
コストが一番少なくて済む。
176名無し三等兵:2009/10/06(火) 18:17:50 ID:???
いや豊臣に協力する、もしくは徳川に協力しない方が明らかにメリットないし
特に黒田長政、細川忠興あたりは天下に野心もないしな、奥州仕置きの二の舞は避けたかろう
177名無し三等兵:2009/10/06(火) 19:37:47 ID:???
>>176
だから>>175なんだろう。
178名無し三等兵:2009/10/06(火) 20:37:22 ID:???
>>175
>>177
それが一番妥当な考察だろうね。
福島のように兵糧物資の豊臣方による接収を黙認している場合もあるから、
その辺をうまく交渉していればいいかも。
諸大名が公然と大坂城に入城して参戦することは、
事実上無理だろうから。
179名無し三等兵:2009/10/06(火) 21:18:59 ID:???
天下分け目の決戦に際しての日より見がお取り潰しに繋がる可能性を目の当たりにしてる諸大名が、
安易に日より見を選ぶかなぁ

西国大名が動かなくても大阪方に分がないのに
180名無し三等兵:2009/10/06(火) 21:52:18 ID:???
徳川恩顧の大名が勝手に衰弱してくれる方が、
西国大名にとっては好都合。
そもそも、豊臣を滅ぼして且つ毛利や島津と戦って滅ぼせるほどの
体力が徳川恩顧の大名に存在するかな?w
181名無し三等兵:2009/10/06(火) 23:37:22 ID:???
>>175
実際に毛利は隠居宗瑞の一存で家臣派遣してるけどな。
182名無し三等兵:2009/10/07(水) 02:46:02 ID:???
タダの寺ですら全盛期の織田軍団の猛攻に耐えた立地に天下無双の名城がある。
大坂冬の陣では徳川方には万に一つも勝ちは無いだろう。
183名無し三等兵:2009/10/07(水) 07:53:51 ID:???
>>182
そのためには、城から打って出て、
支城的に陣地構築して縦深防御に徹しないと。
184名無し三等兵:2009/10/08(木) 06:22:27 ID:???
>>183
西国口は尼崎⇔池田で防衛ラインを築き、京都口は高槻⇔四条畷で防衛ラインを敷き、
大和口は信貴山⇔二上山で防衛ラインを死守し、熊野口は佐野⇔岸和田で防衛戦を展開する。
185名無し三等兵:2009/10/08(木) 06:39:45 ID:???
>>181
みんな判ってたって話が…

つか内藤カワイソス
186名無し三等兵:2009/10/11(日) 17:35:43 ID:V7Q0LyAy
>>184
黒田如水あたりが軍師だったらできただろうでしょうがねー。
187名無し三等兵:2009/10/11(日) 20:54:47 ID:???
>>182
全盛期の織田軍には攻城用の大筒が無いんで寺だろうが小屋だろうが、土塀に鉄砲があれば防衛できたんだよ
冬の陣の時代の火力なら、本丸を焼却してトーチカ作れってな話になってしまう。淀殿初めとして上層部にその胆力は無いだろうが
188名無し三等兵:2009/10/12(月) 03:00:43 ID:???
京橋口から都島一帯を城郭内に取り込めば大筒の本丸攻撃を防げる。
189名無し三等兵:2009/10/12(月) 04:41:50 ID:???
当時は既に仕寄せ(攻城用野戦築城)の概念が出来てたし、縦深を広げてもその先端から逐次に攻略するだけだろ。
もちろん敵に「きつく」する効果はあるが、それは味方にそうするだけの数と時間、技術や資金があればの話だ。
敵味方が知略を尽くした結果が、現在の「大坂の陣」で、無理に戦線を広げれば、別の場所にしわ寄せが出るだけだろ。
総体としての意識統一や、政治と戦闘行為全般に渡る意志伝達の不備、それが後藤又兵衛なり赤石全登の敗因となった。
有名な真田丸の防衛戦だって、真田幸村の独断と孤軍奮闘によるもので、これとて一歩間違えれば危険な局面を迎えている。

大坂方に本当に必要だったのは、当事者意識であり危機意識であり、その結果としての体制の構築だったはず。
大野治房による、西軍総大将だった兄、治長の暗殺未遂などは、正にこれを象徴する出来事だっただろう。
190名無し三等兵:2009/10/12(月) 08:57:11 ID:???
http://www.buffaloes.co.jp/news/detail/661.html

大阪を本拠地とするぷろ野球のオリックスバファローズが
「大坂夏の陣」というイベントをを企画したのは何か間違ってると思うw
191名無し三等兵:2009/10/12(月) 09:10:07 ID:???
>>189
縦深防御という戦略・戦術思想は、
現代戦でも有効で重要な概念だぞ。
後藤又兵衛なり赤石全登の敗因と言っても、
郡山城を攻める時点で、
後続部隊を派遣していれば、充分だったわけだ。
つまり、当初の不手際だろう。
縦深防御の考えが間違ってたわけではない。
192名無し三等兵:2009/10/12(月) 11:29:22 ID:a2EOSPqJ
>>191
ハンニバル級の名将が大阪城にいて、指揮権握ってれば、どういった戦法
採っただろうか。
193名無し三等兵:2009/10/12(月) 12:30:31 ID:???
当時は近代のように組織化が徹底されておらず、
多部隊間の連携も難しいので縦深防御という考えはかなり危険。

完全に意思統一が出来ていて、とんでもない名将が揃っている軍なら出来るかもしれないが、
基本的に縦深を確保しても後続との連携がとれず小部隊を各個撃破されていくだけだったり、
次の陣地に撤退するときに隊列が崩壊してアボーンする確率が高い。
194名無し三等兵:2009/10/12(月) 13:35:07 ID:???
ハンニバル辺りだったら、
孤軍ではだめ、大坂方は強いと言うのを実力を持って知らしめるべき!と言って
藤堂か池田を攻略しようとするかのぅ
んで、慌ててやって来た救援軍を野戦で粉砕して周辺諸国の動揺をもくろむ
               ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
                    ↑
                実際の主目的
 
まぁ浪人衆の案とあまり変わらんけども
人類史上トップテン級の将ならより高い位置から見れるだろうからいけるんじゃないかと
195名無し三等兵:2009/10/12(月) 13:39:25 ID:???
>>191
構想の是非では無く実現性の問題だろ?
正にその不手際が続出したのが西軍だったのだし……
最初から自軍を分割してたらもっと悲惨なことになる
それにかなりの遊兵も出るだろうね
196名無し三等兵:2009/10/12(月) 15:28:08 ID:???
>191
フクロにしてるみたいで悪いけど、その郡山城にせよその他にせよ、大坂方は後詰めや合流の失敗が多すぎやしないか?
防衛戦だって、薄田兼相や大野治胤のように、知勇は持っていてもそれを生かせぬ武将のせいで、つまらない失敗が多い。

大坂方は全体として達成力が低いから、広く分散させると、各個撃破される機会を増やすだけではないかと……
197名無し三等兵:2009/10/12(月) 18:31:06 ID:a2EOSPqJ
ハンニバルだったら徳川方と険悪な関係になる前に、精鋭な機動部隊を編成し、
いざ開戦になれば、この部隊で徳川方の部隊を各個撃破、
主導権握った上で、主力軍引っ張り出して、自軍に有利な戦場
で決戦と思いますが。
198名無し三等兵:2009/10/12(月) 19:08:14 ID:???
ハンニバルだったら
↑の人が言ってる事をやりながら徳川方に造反工作を仕掛ける。
199名無し三等兵:2009/10/12(月) 19:34:30 ID:a2EOSPqJ
>>198
ハンニバルは謀反工作失敗したんです。成功していたら、フェニキア語が
国際語になっていたらしいですよ。
200名無し三等兵:2009/10/12(月) 20:12:43 ID:???
大坂本営が頼れないのも、カルタゴ本国が頼れないのも一緒。
各個の戦闘では活躍しても、最終的な勝利は得られないんじゃないか?
201名無し三等兵:2009/10/12(月) 20:32:32 ID:???
カルタゴ本国と違いヤル気だけは満点だぜ!
202名無し三等兵:2009/10/12(月) 20:57:57 ID:???
スペイン上陸さえ許されず(当然アルプス越えとか無し)、ローマ軍が渡海してくるまで
待ってから迎撃するハンニバル みたいな
203名無し三等兵:2009/10/12(月) 21:00:13 ID:???
>>193
そもそも日本は南北朝期より、城塞も縦深防御設計なんだが。
それに戦国期には支城という存在がデフォ的に存在しているわけだから、
それは縦深防御自体が当時の戦争では前提事項にはなっている。
204名無し三等兵:2009/10/12(月) 21:13:48 ID:???
>>195-196
>正にその不手際が続出したのが西軍だったのだし……
最初から自軍を分割してたらもっと悲惨なことになる
それにかなりの遊兵も出るだろうね
>大坂方は全体として達成力が低いから、広く分散させると、各個撃破される機会を増やすだけではないかと……

それは有り得ないだろ。史実から考えて。
東軍側も抜け駆けなど不手際が多いし、
夏の陣での西軍の撤退戦を見ると、
むしろ西軍側の方が首尾手際よく達成して、
洗練されているくらいだが。
夏の陣でも西軍は各個撃破されているとは言い難い。
205名無し三等兵:2009/10/12(月) 21:17:56 ID:???
冬の陣で、まともに行軍も出来ないと、後藤又兵衛が嘆くような大坂方に期待できるか?
206名無し三等兵:2009/10/12(月) 21:21:55 ID:???
家康が征夷大将軍じゃなければ、外様大名が出陣するいわれは無くなって
徳川方の兵力は半減するので勝てた。
207名無し三等兵:2009/10/12(月) 21:29:58 ID:???
>>195-196は前スレッドを含めて
議論した流れを全く把握していないのが問題だな。
208名無し三等兵:2009/10/13(火) 00:46:44 ID:???
把握してると、西軍は無駄なくシステマチックな用兵で、縦横無尽に戦力を動かし、効率よく戦闘出来たことになるのか!
東西どちらにも失敗や不手際、間違いはあったにせよ、東軍には相対的に少なく、かつそれを吸収できる体制が整ってただけ訳だろ。
どんなに優れた政治・戦略・戦術・戦法があろうと、それを実行出来なきゃ意味は無いわな……
それとも過去の議論は、取り敢えずそれは無視して、全て都合良く実行出来るって、暗黙の了解のすり合わせか?
209名無し三等兵:2009/10/13(火) 02:19:14 ID:???
大坂城という防御は安心できる策源地があるのだから、
主力部隊は外征に出して長駆彦根あたりまで進出すべきだ。
210名無し三等兵:2009/10/13(火) 04:21:58 ID:???
どうせ防戦派と主戦派が噛み合わないなら、大胆な策としてそれもありかもな・・・
211名無し三等兵:2009/10/13(火) 04:24:18 ID:???
>>202
ハンニバルはハミルカル・バルカスの息子としてヒスパニアで産まれたはずだが。

状況的にはワーテルローのナポレオンみたいなもんじゃね?
212名無し三等兵:2009/10/13(火) 07:33:04 ID:???
1945年 日本夏の陣で日本人が滅びていたら、日本はネオコリアの時代だったのね。
213名無し三等兵:2009/10/13(火) 07:58:57 ID:???
>東軍には相対的に少なく、かつそれを吸収できる体制が整ってただけ訳だろ。

これ自体が否定されているわけなんだがな。
まあ、過去ログ読まずに半年ROMもせずに書き込む馬鹿は、
これだから始末に悪い。
214名無し三等兵:2009/10/13(火) 11:02:26 ID:???
ハイハイ縦深防御
215名無し三等兵:2009/10/13(火) 18:23:53 ID:???
ハイハイ篭城防御
216名無し三等兵:2009/10/13(火) 22:43:47 ID:???
>>203
確かに永久要塞つうか城の構造自体は多重化されていて縦深防御になってるね。
でも大阪の陣では大阪城に引きこもる事は出来ないから、
野戦か応急の野戦築城で縦深防御を行わなきゃいけない。だから難しいって言ってるの。
あとこの時代の支城は火器の射程が短い事もあって相互支援が難しいから縦深防御とはいえないんじゃない?
217名無し三等兵:2009/10/13(火) 22:49:14 ID:???
>>216
当時の縦深防御と現代の縦深防御をダイレクトに比較するのは無理があるんじゃね?
218名無し三等兵:2009/10/14(水) 01:44:35 ID:???
意見するとまたムキになるから止めとけ
219俺モナァ〜:2009/10/14(水) 02:27:22 ID:???
>>1-219
お前ら全員判ってない
半年ROMってろ
220名無し三等兵:2009/10/14(水) 08:05:10 ID:???
>>216
当時の野戦築城は天然の地形を利用して行う。
掻揚げ式の土塁程度なら、1日でも可能。

また、大阪は天然の地形によって、良好な要害がある。
宇治川(瀬田川)、湊川、亀の瀬など。
221名無し三等兵:2009/10/14(水) 09:12:07 ID:???
大阪冬の陣の講和条件の「浪人の追放」とか「外堀の埋め立て」とかしたら
内堀あっても大阪方の抵抗なんて無理になるよね。大阪城が難攻不落なのは町全体を城にしてる総構えだからだし、
内堀だけ残ってても仕方ないじゃん。
何でそんな降伏みたいな条件受けちゃったの、その時点で夏の陣は必敗じゃん。
222名無し三等兵:2009/10/14(水) 13:39:03 ID:???
講和で掘を埋めるのとか石垣崩すとかってやつは、、
ちょこっとだけ埋めるとか儀礼的な物だったから、と前に書かれていたかな。

ところが徳川は人員を動員してマジで埋めてしまった。
223名無し三等兵:2009/10/14(水) 14:33:00 ID:U2y1G1kT
>>222
狸親父のペテンにひっかっかったってことですか。
224名無し三等兵:2009/10/14(水) 18:08:27 ID:???
>>221
「家康が死ぬのを待ちましょう」と大野が進言したようだ。
「それでは勝旦の言ったこととおなじではないか!」と秀頼は怒ったがw
225名無し三等兵:2009/10/14(水) 18:27:11 ID:???
大前提として、武家は既に徳川家を中心に固まっており、豊臣家は名目上の主家に過ぎなかった。
家康は秀頼に上洛を求め実現させており、これはちょうど秀吉が伊達正宗に対してしたことに似ている。
豊臣家はこれが判らなかった、判っていたとしても、立身出世を求める家臣たちは、それを受け入れる訳にはいかなかった。
主家を立てるのが家臣の勤めであり、それが自分の栄達にもつながるのに、格上とはいえ同僚の徳川の風下に立たねばならない……
これは受け入れられないだろう? 何も淀君とその周辺だけが、反対してた訳では無いんだな。
まして豊臣家、と言うより秀吉は、下克上と成り上がりの象徴だったし、家臣も浪人もそんなのが集まる。

時代の趨勢を読んでへりくだり、あくまで有力大名として家臣の座に甘んじるなら、族滅の危機はさけられただろう。
それが嫌なら、それこそ秀吉が存命の内に、家康がやったように手段を選ばず、徳川家を叩き潰しておくべきであった。
方広寺鐘銘事件の露骨悪辣さで、朝鮮征伐規模の軍を動かせば可能だったし、規模だけなら北条氏に対して行っている。

政治的には既に失敗していた訳だが、続く大坂の陣においても、豊臣方は政治見通しの甘さが見られる。
つまるところ、本来が下克上で成り立っていた豊臣家が、それを忘れて、名家意識に溺れていたのが最大の敗因。
織田家という反面教師が、身近に居たというのに……って淀君に至っては当事者だ!
226名無し三等兵:2009/10/14(水) 20:53:07 ID:???
小牧・長久手戦役の時に、
講和条件として家康の石高くらいは減俸させておくべきだった。
戦略レベルでは小牧・長久手戦役では秀吉側が優勢な戦況だった。
(長久手での敗北は、戦役の一局面でしかない)
227名無し三等兵:2009/10/14(水) 22:59:38 ID:???
敵対行為に対して減俸せずに、度量の大きいのを見せて
「敵ながらさすがは秀吉!そこにシビれる!あこがれるゥ!」となって
自ら頭を下げにくると思った、に三千石
228名無し三等兵:2009/10/15(木) 00:16:52 ID:???
人たらしの秀吉ならある程度の効果があったろうが、それは中世から近世に入りつつあった安土桃山では時代遅れの発想だ。

戦争も同様。
たまに抜け駆けや逸脱はあっても、総体としてはシステムの一部として機能し、与えられた任務を粛々とこなして戦略目標を達成したのが東軍。
個々が集まって、それぞれががむしゃらに武勇を振るい、結果として何らかの成果が上がる西軍では、全体としての達成力が見劣りする。

東軍なら縦深防御を遂行できるだろうが、西軍では困難以前に、そのような策に一本化することはできなかっただろう。
無事防衛に成功しても武功を上げ難く、また功績を上げても、領地を手にして大名になれる訳では無いからだ。
「淡々と守り抜くのが最大の功績」とは受け入れまいし、またそれでは敵武将の攻略につながらない。

西軍における主戦派と籠城派の意見の相違は、そうした立場や思惑の違いもあった訳だ。

つまるところ、武装が同程度でも中世軍は近世軍に勝てない、それを証明したのが関ヶ原であり大坂の陣だった。
229名無し三等兵:2009/10/15(木) 05:41:37 ID:???
>>226
北条攻めのあと関東へ国替えせず、朝鮮出兵の先鋒を命じるのが一番簡単。
尾張、伊勢に前田を国替えし徳川を牽制すればいい。
首尾よく朝鮮を平定すれば徳川を朝鮮管領に任じて朝鮮に国替えさせる。
230名無し三等兵:2009/10/15(木) 05:46:49 ID:???
秀吉が死ぬ前の家康を危険視する必要がどこにあるのか?
231名無し三等兵:2009/10/15(木) 07:58:53 ID:???
>体としてはシステムの一部として機能し、与えられた任務を粛々とこなして戦略目標を達成したのが東軍


全く過去ログを読んでいない。厨房の論説だwwwwwwwwwwww
232名無し三等兵:2009/10/15(木) 10:40:54 ID:???
半年ロムれってんだろ? それはもう良いよ。
233名無し三等兵:2009/10/15(木) 13:02:26 ID:???
234名無し三等兵:2009/10/15(木) 18:04:50 ID:???
政略的に見れば京都と朝廷を勢力下に置くというのは源平以来の定石ともいえる。
徳川追討の宣旨が出ればさすがに東軍諸大名も動揺し、徳川方への参陣を拒む者
も出る。なにしろ朝敵になるのは戦国大名といえどもこの国では最悪である。
235名無し三等兵:2009/10/15(木) 20:25:45 ID:???
豊臣の浪人軍の方が、
近代軍化しているからなあ。
志願兵だし。
236名無し三等兵:2009/10/15(木) 20:44:06 ID:???
餌がマズ過ぎないか?
237名無し三等兵:2009/10/15(木) 21:09:42 ID:???
>>228のような腐敗した粗悪な餌よりは良質だ。
238名無し三等兵:2009/10/15(木) 21:32:14 ID:???
レス、サンキュー
君が縦深防御?
239名無し三等兵:2009/10/15(木) 21:33:54 ID:???
レス、サンキュー
君が篭城防御?
240名無し三等兵:2009/10/15(木) 21:57:55 ID:???
常駐してんのか?
少し落ち着けよ

城でも要塞でも
普通は地積と縦深を考えて作るし
その意味じゃ実際に縦深防御は実行してんだろ?
規模の問題で不満らしいが・・・
241名無し三等兵:2009/10/16(金) 05:23:02 ID:???
真田のくのいち部隊を駆使して福島正則を江戸から脱出させ
広島から3万人くらい連れて来させれば西国大名大動揺して勝てた。
242名無し三等兵:2009/10/16(金) 18:57:04 ID:???
>規模の問題で不満らしいが・・・

厨房、マジで半年ロムれ!
243名無し三等兵:2009/10/16(金) 21:58:34 ID:???
変なのが暴れてるなぁ
244名無し三等兵:2009/10/16(金) 22:00:17 ID:???
篭城防御厨がねw
245名無し三等兵:2009/10/17(土) 02:38:15 ID:???
まぁ史実の最初から篭城するよ作戦は、ちょっと消極的過ぎるよなぁ。
246名無し三等兵:2009/10/17(土) 05:23:53 ID:???
スレッドの主を気取ってるようだが
自分がみっともない振る舞いしてると
早く気付けよ
247名無し三等兵:2009/10/17(土) 08:13:47 ID:???
>>245
浪人衆からは出撃策が意見具申されたが、大坂の連中が
不安だから嫌、だもんねw
248名無し三等兵:2009/10/17(土) 08:27:56 ID:???
冬の陣で出撃した軍勢の経過を見ると、無理もないように思える。
249名無し三等兵:2009/10/17(土) 11:36:08 ID:???
関が原で一発勝負の会戦に懲りてたのもあるだろう
250名無し三等兵:2009/10/17(土) 15:19:08 ID:???
関ヶ原と違って総大将が居ないしね
251名無し三等兵:2009/10/17(土) 15:22:29 ID:???
関が原の時も総大将の毛利輝元は大阪城でのんびりしてたよ。
252名無し三等兵:2009/10/17(土) 16:29:36 ID:???
結局のところ、
宇治川防衛案が最善って結論になるね。
253名無し三等兵:2009/10/17(土) 21:05:16 ID:???
取り敢えずまた貼っておく。
別に宇治川防衛に反対な訳じゃ無い。
最善かどうかはともかく、有力な案だとは俺も思うよ。


詭弁の特徴のガイドライン
 http://www.google.co.jp/gwt/x?q=%E8%A9%AD%E5%BC%81+2CH&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=NbLZSuCpO4aE7AOVq8B7&cd=1&resnum=1&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fton.2ch.net%2Fgline%2Fkako%2F1028%2F10288%2F1028811653.html
254名無し三等兵:2009/10/17(土) 21:32:29 ID:???
宇治川防衛が最善なことには、
変わりが無い。
255名無し三等兵:2009/10/17(土) 22:14:52 ID:???
縦深君の次は詭弁君か
256名無し三等兵:2009/10/17(土) 22:26:21 ID:???
籠城君の次は詭弁君か
257名無し三等兵:2009/10/17(土) 23:56:53 ID:???
何この流れ
258名無し三等兵:2009/10/18(日) 01:10:43 ID:???
縦深君→宇治川君
259名無し三等兵:2009/10/18(日) 02:34:43 ID:???
瀬田で防衛戦をやってるときに加太超えで笠置から伏見へ侵攻されたら瀬田の部隊は挟み撃ちに遭う
260名無し三等兵:2009/10/18(日) 02:43:04 ID:???
加藤と福島と浅野が5万くらいつれて来いよ
261名無し三等兵:2009/10/18(日) 08:51:49 ID:???
篭城君→DQN君
262名無し三等兵:2009/10/18(日) 14:48:29 ID:???
それ以前に例え豊臣勢が勝利していたとしても、国内はまとまったんだろうか?
もし豊臣勝利したりしたら淀殿の権勢は間違いなく強まっただろうし
淀殿の顔をうかがいながら国内がまとまるはずがないように感じる
今度は文治派(実質三成派)と武断派とでさらに戦国時代が続いてそうな気がするんだが
263名無し三等兵:2009/10/18(日) 15:45:16 ID:???
江戸まで逝って征夷大将軍家を完全につぶさない限り国内を纏めるなんて無理だよ。
この時点じゃ、もう豊臣は貯金と城が立派なだけの60万石ちょっとしかない一大名だし。
よくて一部の豊臣恩顧大名が協力的な行動を取ってくれるぐらいじゃね。
264名無し三等兵:2009/10/18(日) 16:00:02 ID:???
徳川軍を撃退して京都を押さえて関白になれば一大名から天下人にランクアップだよ!
265名無し三等兵:2009/10/18(日) 22:27:33 ID:???
徳川方にも文治派と武断派の対立はあったが、豊臣方と違ってこちらは大過なく乗り越えてる。
諸大名を閣僚に据えざるを得なかった豊臣秀吉と、譜代の家臣が多かった徳川家康との違いだろ。
豊臣方と言うか秀吉の誤算は、己の築いた体制が、自らの死後も成立すると考えていた点にある。
或いは信じてはいなかったのかも知れないが、それならそれで生前に将来出るだろう釘を討つべきだった。
266名無し三等兵:2009/10/19(月) 01:18:44 ID:???
石田も小西も既に死んでるだろ
267名無し三等兵:2009/10/19(月) 09:43:05 ID:???
淡路島を占領し亡命豊臣政権をつくる。その後各地でゲリラ戦を展開。日本のアイルランドとなる。
268名無し三等兵:2009/10/19(月) 11:23:23 ID:???
信長の野望の十河家より絶望的w
269名無し三等兵:2009/10/19(月) 14:40:56 ID:???
>>263
200万石あった秀吉領がどうして減ったの?
でもよく考えたら徳川250万石って秀吉より多いんだ。
270名無し三等兵:2009/10/19(月) 14:55:10 ID:???
家康は家臣込みの石高に対して
秀吉は側近連中に独立した領土を与えているから

つうか飛び地の蔵入地は秀頼の時でも結構残っている
271名無し三等兵:2009/10/19(月) 16:10:23 ID:???
近畿の200万石と関東の250万石じゃ、近畿の200万石の方がずっと価値あるよ。
米の収穫高以外のスペックが違いすぎる。
272名無し三等兵:2009/10/19(月) 16:22:59 ID:???
近畿のコメのほうがおいしいとか?
273名無し三等兵:2009/10/19(月) 17:46:59 ID:vWnvulkn
>>272
米以外の収入が結構あったんじゃないの。なんせ商業地だし。
関が原以後も、豊臣家は一定の諸国への支配権もってたようだよ。
大和の寺社の揉め事の裁定やってたようだし。蔵入り地からの収入もあったようだし。
潰さないと幕府の支配権やばかったようよ。
274名無し三等兵:2009/10/19(月) 18:53:44 ID:???
>>269
秀吉は直轄領から家臣に蔵入地として
貸し与えていた。
本来それは秀吉直轄領(豊臣家所領)なのだが、
関が原の論功行賞で家康が勝手にそれを
その当該家臣の所領として計上して削って、
東軍の大名達に与えたため。
275名無し三等兵:2009/10/19(月) 19:42:34 ID:+OoIoT98
徳川領255万石
豊臣領222万石

と、表面的には徳川のほうが多い。
ただし豊臣の場合、天下すべてが自分の領地と言ってもよく、
加藤清正、福島正則ら直参の家来は、大名にして領地を分け与えていた。
だから、豊臣222万石は純粋に豊臣の取り分になる。

それに対して徳川は、本多正純、井伊直政らの家来の分を、255万石の
中から分けていたので、徳川家の直接の取り分は百万石程度だったらしい。
276名無し三等兵:2009/10/19(月) 19:48:05 ID:+OoIoT98
>>269
そりゃ関ヶ原で負けたからな。

関ヶ原で負けても豊臣家はまだ潰れていなかった。
それで、徐々に勢力を削って、最後には豊臣家を潰すつもりで
徳川家康は豊臣の石高を一気に222万石→65万石にした。
277名無し三等兵:2009/10/19(月) 21:03:38 ID:???
東海の旧徳川領150万石くらいは全部豊臣恩顧大名、あと北九州とかも。
岡山57万石や会津92万石は豊臣一門扱いの蒲生さんや宇喜多さんの領土。
圧倒的じゃ無いか、豊臣家は!
278名無し三等兵:2009/10/19(月) 21:16:58 ID:???
ありがとう、勉強になりました。
279名無し三等兵:2009/10/19(月) 22:34:55 ID:???
>>277
しかし大阪の陣では恩顧大名ですら助けに来ないという罠
つうか宇喜多って関ヶ原で取りつぶされてるだろ。
280名無し三等兵:2009/10/19(月) 23:01:59 ID:???
慶長14年、関ヶ原の勝者家康は天下統一の仕上げとして豊臣に戦を仕掛ける
太閤秀吉がその力を全て込めた居城大坂城
そこにはかっての栄光を取り戻すため、豊臣のため多くの浪人、武将が集まっていた
かっては土佐22万石の主 長曾我部盛親
秀忠3万を足止めした昌幸の子 真田信繁
宇喜多家57万石の筆頭家老であった 明石全登
黒田家では1万6千石を拝領した男 後藤基次
豊臣へ為、1千石をなげうち馳せんじた 毛利勝永
豊臣家臣筆頭大野治長の弟 大野治房
秀頼の乳兄弟、弱冠22の美男子 木村重成
かれら七将の他、薄田兼相、塙直之等の歴戦の強者達
しかし、大坂城の最高権力者は秀頼の母淀とその取り巻き達であり、七将らの発言力は弱かった
又、この七将達も思惑はそれぞれ。真に豊臣の為に戦うは毛利、木村、大野くらいか…
その時、浪人で溢れかえる大坂城の人だかりを掻き分けて本丸に向かう男が一人
全身に水を滴らせ、息も絶え絶えだが、眼光鋭く人々は気押され、彼のために自然と道が出来ていた
しかし、一介の城兵を城内に入れるわけにはいかぬと彼を遮る門番。しかし、そのずぶ濡れの男は一喝した
その頃、殿中では真田、後藤らの野戦出兵策は退けられ、籠城と戦いの方針は決まっていた
「真田殿、後藤殿の策を取れば勝てようものを……」
歴戦の武将達はこの大坂城の首脳陣を嘆くと共に、彼等を押さえ、七将すら束ねる強い指導力と実績を持つ男が居れば…と思わずにはいられない
初めはそれを、秀吉の遺児、秀頼に期待したものだが、もはや望むべくもない…そんな時だった
――バタン!!
ふすまを開き、ずんずんと上座に進む男。それはさっき、大坂城に現れたずぶ濡れの男だった
「何者ぞ!!」
叫んだのは若き秀頼の忠臣、木村重成
しかし、彼の後ろの淀殿や治長、いや、彼らだけでなく後藤や真田ですらその顔に驚きを浮かべ、ただ呆然とその闖入者の顔を見ていた
「殿……」
明石全登がようやくといった感じで放った言葉に、重成を初め、その場に居た武将達は皆、驚きの声をあげた
「宇喜多備前中納言八郎秀家、豊臣家の御危機を聞き、八丈島より  泳  い  で  参  っ  た  !!!」
秀吉に実の子、いやそれ以上の愛情を受け育ち、豊臣政権の五大老であった男が再び豊臣の為に戦うため帰った来た…
281名無し三等兵:2009/10/20(火) 01:43:31 ID:???
ちょwwwwおまwwww泳いでwwwww無理ぽwwwww
282名無し三等兵:2009/10/20(火) 03:58:36 ID:???
本拠地、大阪城で迎えた夏の陣
先鋒木村が討ち死に、後詰も勢いを見せず旗色は明らかに敗勢だった
大阪城天守閣に響く淀殿のため息、どこからか聞こえる「最早、腹を切るしかない!」の声
無言で陣地に押し戻される足軽達の中、真田信繁は独り本陣で泣いていた
信濃の国で手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できるあの・・・
それを今の大阪城で得ることは殆ど不可能と言ってよかった
「この情勢如何する・・・」信繁は悔し涙を流し続けた
どれくらい経ったろうか、信繁ははっと目覚めた
どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たい床机の感覚が現実に引き戻した
「おお、戦さ場に戻らねば」信繁は苦笑しながら呟いた
立ち上がって伸びをした時、信繁はふと気付いた

「む・・・?旗印が・・・?」
本陣から飛び出した幸村が目にしたのは、埋め尽くさんばかりの兵士が掲げる六文銭とそれに混じった武田菱だった
千切れそうなほどに槍が突き上げられ、地鳴りのようにときの声が響いていた
どういうことか分からずに呆然とする信繁の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた
「源次郎、何をしておる、早く行くぞ」声の方に振り返った信繁は目を疑った
「お・・・親父殿?」  「なんだ源次郎、まだ日は高いぞ?」
「さ・・・左衛門尉殿?設楽が原で討ち死にされたはず…」  「如何した源次郎、いつ兄上が討ち死にしたと?」
「兵部丞殿・・・」  信繁は半分パニックになりながら陣地を見下ろした
右翼に陣取る真田信綱 左翼には真田昌輝、後詰に控えるのは馬場信春に内藤昌豊、本陣に控えるのは父、真田昌幸と武田信玄!
暫時、唖然としていた信繁だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった
「勝てる・・・勝てるのだ…徳川めが目に物見せてくれる!」
高坂弾正から兜を受け取り、山県昌景と競うように先駆けに走る信繁、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった・・・

翌日、本陣で冷たくなっている信繁が発見され、秀頼は静かに自刃した。
283名無し三等兵:2009/10/20(火) 10:47:02 ID:???
>>280
豊臣始まったなwwww
284名無し三等兵:2009/10/20(火) 12:12:05 ID:???
バテレンの魔術で秀吉を生き返らせるが‥すでに耄碌しちゃったあとの秀吉で
どーなるんだかと諸将が頭を抱える
285名無し三等兵:2009/10/20(火) 19:43:32 ID:???
泳  い  で  参  っ  た  !!!
286名無し三等兵:2009/10/21(水) 02:32:23 ID:???
秀家の嫁は前田の娘。秀家参戦なら前田も島津も毛利も味方に付くぞ!
287名無し三等兵:2009/10/21(水) 04:22:08 ID:???
豊 臣 始 ま っ た な
288名無し三等兵:2009/10/26(月) 11:31:03 ID:???
毛利勝永さんが3万くらい指揮してたら徳川本隊が壊滅して勝てた。
289名無し三等兵:2009/10/26(月) 12:52:47 ID:Y7TZci1g
>>288
負けてモトモトなんだから、思い切った博打打ったら勝機あったかもしれませんね。
なんせ東軍は、骨折り損のくたびれもうけ、だからやる気なかったでしょうし。
290名無し三等兵:2009/10/26(月) 13:47:10 ID:???
まあ、だから家康も「孫」と「忠勝の息子」くらいには、ケツに鞭入れておいたんだろうけどね。
ああ、あと一人、やる気満々の東軍武将があと一人いるぢゃないか。
関ヶ原の戦いで大遅刻をやらかした、現役征夷大将軍が。
大阪への行軍途中、自分の到着まで先端を開かないように、書状で何度も要請した挙げ句、
行軍序列を乱すなと嗜められるほどの強行軍、
しかも、自分の本陣に大野治房以下が突入してきたときは、
我を忘れて自ら槍を手に突入しようとしたほど。
やる気度では、西軍武将たちよりも高かったんでねえの。
291名無し三等兵:2009/10/26(月) 19:05:21 ID:Y7TZci1g
>>290
現役征夷大将軍様はやる気マンマンでも配下は怪我しないように必死だった、
と思いますが。
292名無し三等兵:2009/10/26(月) 19:35:44 ID:???
293名無し三等兵:2009/10/26(月) 21:59:03 ID:???
>>290
徳川軍主力は、万一西軍に敗れたときの隠し兵力だったのです。
決して秀忠が無能であったのではありません。
294名無し三等兵:2009/10/27(火) 10:52:21 ID:z+jClRsj
>>293
関が原で東軍敗れていたら、徳川軍主力は江戸に撤退し、西軍主力と上杉軍
に挟撃され、壊滅でしょう。戦場に遅参は取り返しの出来ない結果もたらした
可能性あったと思います。
295名無し三等兵:2009/10/27(火) 11:31:47 ID:???
別に江戸まで撤退する必要なくね?
296名無し三等兵:2009/10/27(火) 11:49:38 ID:???
まぁもう一勝負できたかな
297名無し三等兵:2009/10/27(火) 12:53:23 ID:???
そこに無傷の輝元軍が!
298名無し三等兵:2009/10/27(火) 13:26:17 ID:???
輝元さんはやる気ないからなぁ
299名無し三等兵:2009/10/27(火) 18:53:50 ID:1AEngbjf
ま、家康は秀忠待とうと思えば待てたわけで
いざって時には秀忠軍は最後の切り札になるな、くらいには思ったろうな
300名無し三等兵:2009/10/27(火) 18:57:08 ID:???
宇喜多中納言の略歴

1572年 岡山で誕生
1573年 近所の小川で泳いでいるところを家臣に目撃される。
1576年 旭川を泳いで渡る
1577年 大雨で水嵩の増した吉井川を渡っているところを領民に目撃される
1579年 児島湾横断に挑戦し成功する
1580年 岡山の燈籠崎から櫃石島、岩黒島、与島を経て宇多津へ遠泳するところを村上水軍に目撃される
1582年 瀬戸内海を泳いで東上し、本能寺の変を見物。即日泳いで帰郷する
1586年 前田家の姫君と結婚する。前田利家に挨拶するため、敦賀から金沢まで泳いでいるところを漁民に目撃される
1590年 小田原の役で伊勢から泳いで参戦
1592年 名護屋から釜山の近郊東莱まで泳いでいるところを小西行長に目撃される
1597年 再度朝鮮へ泳いで渡る
1598年 朝鮮から泳いで帰国するところを島津義弘に目撃される
1600年 関が原で敗北、大坂から泳いで薩摩に逃亡
1603年 島津忠恒によって徳川家康に引き渡される。大阪まで瀬戸内海を泳いで渡るところを淀君に目撃される
1606年 八丈島へ流罪が決まり、逃亡を恐れた幕府により、船で八丈島まで送られる
1614年 島流しになっていた八丈島から大阪城に出陣。徳川勢に苦汁をなめさせる
1615年 またも島流しになっていた八丈島から大阪城に出陣。敗北し泳いで八丈島へ逃亡

八丈島にいたらしいが、大坂や岡山での目撃証言や、江戸城の御堀で泳いでいたのを目撃したという証言もある

1655年 八丈島で逝去。享年83
301名無し三等兵:2009/10/27(火) 19:06:32 ID:???
なにしてんだ秀家w
302名無し三等兵:2009/10/27(火) 19:13:09 ID:???
本多忠勝がロボになる時代だ
宇喜多秀家が河童になった所で何の不思議もない
303名無し三等兵:2009/10/27(火) 19:14:29 ID:???
戦国の貴公子
  宇喜多秀家☆フェス
 
〜 宇喜☆宇喜フェスティバル 〜

   戦国時代、備前を統一した宇喜多直家。26歳で豊臣政権の五大老に任じられた
 貴公子の秀家。
  岡山市の発展の礎を築いた宇喜多父子について学ぶとともに、戦国武将について、
 おもしろく学び、楽しく語り、そしてわいわい交流する集いを開催します。
      戦国武将が好きな皆さん、「いざ、出陣〜!!」

 ○と き  平成21年11月21日(土) 午後1時から午後4時

 ○ところ  岡山城天守閣前広場(雨の場合は、不明門)
       (岡山市北区丸の内2−3−1)
http://www.okayama-cci.or.jp/ukita/
304名無し三等兵:2009/10/27(火) 20:47:45 ID:???
>>299
西軍にも、遊軍化した大津と田辺の攻城軍がいたからなあ
本戦であそこまで酷い負け方しなけりゃ、お互いあと一戦、山崎や将軍山あたりであったかも知れない
305名無し三等兵:2009/11/02(月) 11:36:18 ID:LT0pl75w
NHK大河ドラマ「天地人」。いよいよクライマックス、大阪の陣です!
306名無し三等兵:2009/11/03(火) 15:55:44 ID:???
あっぱれ戦国自衛隊in大阪の陣
307名無し三等兵:2009/11/04(水) 19:26:03 ID:???
シンケンジャーが家康を成敗
308名無し三等兵:2009/11/05(木) 22:46:08 ID:???
大阪の陣2 〜暗黒太閤秀吉復活編〜
309名無し三等兵:2009/11/06(金) 16:07:10 ID:???
味方を容赦なく射殺するMASAMUNE
太平洋を泳いできたHIDEIE
敵に兵糧米を送ったMASANORI
310名無し三等兵:2009/11/06(金) 20:37:28 ID:???
大阪の陣3 〜第六天魔王信長再臨編〜
311名無し三等兵:2009/11/09(月) 21:29:53 ID:mUPr9yEK
大坂の陣で、徳川軍が使用した国産大砲の構造や性能は、
どんなものだったのでしょうか?
312名無し三等兵:2009/11/10(火) 03:17:37 ID:???
>>311靖国参拝しろ
313名無し三等兵:2009/11/10(火) 06:04:13 ID:Ea0NxFu9
宇喜多直家の八丈島での生活ってのはどうだったんだろう。

元大名中納言ってことで、家屋敷を与えられてそれなりの生活を
営んでいたんだろうか。
前に読んだ文章では、八丈島周辺の離れ小島に一族郎党ともども
家もなく放り出され、もはや主君も家来もなく全員野生化して、みんなで
側室とズバズバやりまくってた、てのもあったんだが。
314名無し三等兵:2009/11/10(火) 21:27:34 ID:???
このスレ面白すぎw
315名無し三等兵:2009/11/12(木) 21:13:15 ID:???
妻の実家の前田家から米や味噌を送ってもらって
ようやく生活できたらしい

八丈島一の名士だったのは間違いなく
明治維新後に我こそ宇喜多直家が子孫と名乗る人がいっぱいいたとか
316名無し三等兵:2009/11/13(金) 23:13:14 ID:jPACNH7b
かなり以前の新聞で、関ヶ原の合戦に参加した大名家の子孫が集合したと言う記事があった。
その中で宇喜多秀家の子孫は姓を浮田に改姓していたと書いてあった。
317名無し三等兵:2009/11/15(日) 22:48:32 ID:???
今日の大河ドラマの大阪の陣はCGもあってよかったけど
尺の関係か冬夏あっけなかったぞい
真田出丸のCGがなかった
318名無し三等兵:2009/11/15(日) 23:05:55 ID:9yktUE4K
>>316
小早川さんが可哀想です(´・ω・`)
319名無し三等兵:2009/11/16(月) 03:19:26 ID:???
今年の大河はそういうものだと諦めてたので平気だったぜ。
320名無し三等兵:2009/11/16(月) 10:56:10 ID:hTQyi62K
大河ドラマ、1回こっきりでえらいあっさりした大阪の陣だな。

不満でつ。
321名無し三等兵:2009/11/16(月) 16:07:27 ID:wy+yvnMT
<鳥取市の大手企業リコーマイクロエレクトロニクスは馬鹿だ>

-----「休みが多い!」という週刊誌報道が関係があるのか?------

鳥取市のリコーマイクロエレクトロニクスは「週休4日制」つまり「休みが多い!」
ことで週刊誌で騒がれた会社だ。

僕はリコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行っていた。
サボっていたら「休みが多い!」と激怒されリコーのアルバイトをクビ同然で辞めた。

週刊誌が「休みが多い!」と話題にした会社から「休みが多い!」と激怒されたのである。

その後、鳥取三洋の構内にあるテスコという工場に勤め一年半休まずに働いていた。

「休まずに働いているのはリコーに対する報復」という噂でテスコをクビになった。

世の中には馬鹿馬鹿しい噂を流し、信じる人もいるものだ。
 
リコーマイクロエレクトロニクスはこの馬鹿馬鹿しい人権侵害に弁護士までつけて揉み消し。

現時点で「リコーマイクロエレクトロニクス」検索結果に告発サイトが
上位表示されているのに、今のところリコーは何も言ってこない。
322名無し三等兵:2009/11/16(月) 20:49:54 ID:???
>>321
しっしっしっ

統失ちゃんはあっちにお行き
323名無し三等兵:2009/11/18(水) 15:57:16 ID:PbOnWqsh
>>313
江戸時代、八丈島の女性は美人が多くて島流しの罪人は八丈島の女性と結婚して島流しが解かれてからも島に残った人が多かったらしいね。
宇喜多家の側室たちの血が残ったのかな?
324名無し三等兵:2009/11/21(土) 12:15:40 ID:???
天王寺・岡山の戦いでの豊臣軍5万の内戦死者1万5千って戦国時代の他の戦いに比べて多すぎないか?
なんでこんなに死んだの?
325名無し三等兵:2009/11/21(土) 17:30:43 ID:???
戦国最大の大決戦ですから。
326名無し三等兵:2009/11/21(土) 18:59:17 ID:???
生き残っても凄惨な落人狩りが待ってる
それも全国規模で逃げるところも無い
となれば、こここそが死に場所だと思い踏みとどまったんじゃないかな?
327名無し三等兵:2009/11/22(日) 00:09:27 ID:???
真田幸村「華々しく戦死しに来ますた!」
豊臣恩顧武将「来ますた!!」
328名無し三等兵:2009/11/23(月) 22:34:39 ID:???
他の合戦と違って簡単に投降、寝返りが出来なかった
329名無し三等兵:2009/11/23(月) 22:54:51 ID:???
盛ちゃんはそれでも再起を賭けて脱出したな。
330名無し三等兵:2009/11/24(火) 21:13:28 ID:???
まあ千人単位を指揮した将領クラスでも、
落城直後さえ切り抜けたら後で赦されてどこぞに仕官してる武将も意外に多いしな

でも盛親クラスになると流石に時効で赦免はないかなぁ
331名無し三等兵:2009/11/25(水) 13:40:57 ID:6Ls/fXCL
秀頼、家康の二条城での会見の日の夜間に、秀頼が精鋭2万を率い、大和より
京に攻め込み、二条城に夜襲を掛ければ結果はどうなったろうか。この時点なら
清正、正則、幸長の手勢が利用可能、正則は一万の兵を率いていたようだが。
332名無し三等兵:2009/11/25(水) 14:27:38 ID:3SYXyHaw
その場で家康を切り捨てて大阪まで戻る方が可能性ありそうだな
333名無し三等兵:2009/11/25(水) 14:56:28 ID:???
堺の鉄砲鍛冶が機関銃の開発に成功してたら勝てた
334名無し三等兵:2009/11/25(水) 17:28:54 ID:???
万単位の兵動かした時点で夜襲は無理。
万が一運よく事前に察知されずに出撃準備を完了できても、
夜間行軍にゃ兵力規模大きすぎて大混乱になるぞ。

ましてや大坂から伏見は遠すぎる……。
335名無し三等兵:2009/11/25(水) 18:12:48 ID:6Ls/fXCL
会見当日、福島正則は一万の兵を率いて街道の警備に当たっていた、大阪城
の部隊も出撃準備していても怪しまれないと思う。そのままこっそりと片桐且元
の領地大和竜田に集結し、馬匹を揃えて機動力つけ、一気に京に攻め入る。
事前に豊臣領内で夜間行動の訓練をしておく。この手は使えないだろうか。
336名無し三等兵:2009/11/25(水) 19:17:05 ID:???
片桐に諮る=徳川にバレる
337名無し三等兵:2009/11/25(水) 20:08:57 ID:???
やっぱ徳川に叛意ありで切り捨てが一番安全な気がするなぁ・・・
家康死んだら徳川家にそれほど力ないし(国土は広いけど諸将への影響力がない)
338名無し三等兵:2009/11/25(水) 21:48:52 ID:???
開戦直前の時点でスパイが大量に入り込んでるし、
情報戦で最初から負けてるからな

開戦したら大坂方の総大将になると見られてた織田信包とか、
冬の陣直前に不審死してて弟の織田有楽斎か片桐による暗殺じゃないかとか言われてたし
339名無し三等兵:2009/11/26(木) 03:28:08 ID:???
イメージ的には織田有楽斎の犯行だよなw
あくまで後世のイメージだが消極的な松永久秀という感じがww
340名無し三等兵:2009/11/26(木) 10:12:17 ID:VVQUwJ9W
>>336 >>338
片桐且元も七本槍衆、徳川に通報すれば、武家社会では生きていけない。
スパイは城内を含めて多量に入り込んでいるだろうが、秀頼が攝津に入り次第
兵を龍田に集結、国境を封鎖、夜七時頃に先ず千名の軽騎兵を先発、京へのルート
を確保、ついで全員乗馬の4000の軍団が二組京にはせ向かう。
残りの兵は装備を馬に積み、軽装で京に向かう。先発の部隊9000は二条城に
乱入。摂津より福島隊、加藤隊、池田隊、大阪城本隊合わせて二万四千京に攻め上がり
徳川本隊殲滅。どうだろう。
341名無し三等兵:2009/11/27(金) 13:20:39 ID:???
騎兵多すぎワロタ
342名無し三等兵:2009/11/27(金) 18:15:27 ID:231iElgu
>>341
戦国時代の編成(備)は将校35名、兵141名、非戦闘員178名
乗馬32頭、駄馬22頭です。駄馬を120頭補充すれば、戦闘員全員
乗馬可能です。こうすれば、行軍速度は時速10キロ程度は可能と思います。
大和より京まで約50キロ、五時間で到達可能でしょう。夜間七時頃に
出撃すれば夜半には京です。熟眠中の部隊では充分な戦闘不能と思います。
343名無し三等兵:2009/11/27(金) 22:50:04 ID:???
なにそれこわい

本気で言ってるのか、ネタなのか・・・
344名無し三等兵:2009/11/28(土) 09:41:23 ID:VgxyPDoJ
>>343
駄馬なら農家などに多数存在し、安価に入手可能です。これを使って
戦国機動部隊編成し、敵の予期せぬ場所に、予期せぬ時刻に武装部隊
送り込めば勝利は容易ではないでしょうか。
345名無し三等兵:2009/11/28(土) 10:55:14 ID:???
馬かき集める時点で企図を疑われてアウトだし、
幾ら農耕用の駄馬がいるつっても和泉河内の内で万余の数を集められるかつったらノーだし、
豊家領内以外から集めるならさらに時間掛かるわ、確実に阻止されるわでもうね……

つか馬に乗りなれてない徒士分の連中を、人を乗せなれてない駄馬に載せて、
数十キロ行軍させるとか戦場につく前に人馬一体で潰れるわ。
346名無し三等兵:2009/11/28(土) 13:37:58 ID:VgxyPDoJ
>>345
二条城会見当時の大阪城の兵力は3万です、対する徳川方は5万です。
>>344の通り戦闘員数はその半数です。そして大阪城の所有する乗馬は3000頭
騎兵ですね。駄馬は2000頭。機動部隊の編成は戦闘員数、各2000の
2隊、必要な駄馬は3400、1500頭程度の駄馬購入ですみます。
この程度だと誰も怪しまないと思います。駄馬は120キロ程度の重量の荷物
運搬が普通だったようです。一番重量のあると推定できる鉄砲足軽で武装兵員約70キロ
鉄砲8キロ、荷物15キロとして93キロ、充分運搬可能でしょう、仮に重量オーバー
なら武装(鎧等)や荷物を軽減すれば対応可能でしょう。兵(足軽)は職業軍人ですから
あらかじめ訓練可能です、単に移動手段としての乗馬ですから、高度の技術は
不要であり、6ケ月程度の訓練で充分と思います。
347名無し三等兵:2009/11/28(土) 20:12:46 ID:???
馬に与える飼い葉の量や質を知って書いてるのか? 酒粕を加えたりして足軽より贅沢なんだぞ。
そもそも当時の農民が、駄馬とはいえ潤沢に保有してる筈が無いし、あっても集まる訳ないじゃん。
武将や兵員にせよ、鉄砲・大砲や軍船にせよ、史実より持ってたらそりゃ有利なのは当たり前。
問題はそれが可能かどうかと、可能ならなぜ大坂方はそうしなかったかの考察をしなきゃ。
348名無し三等兵:2009/11/28(土) 21:06:08 ID:???
>>346
> あらかじめ訓練可能です、単に移動手段としての乗馬ですから、高度の技術は
> 不要であり、6ケ月程度の訓練で充分と思います。

そうゆーことするとバレバレになるんだけどw
万単位の人間に特別なことして秘密にしておけるとおもってんだね。
349名無し三等兵:2009/11/28(土) 23:49:09 ID:???
もっと前から高名な浪人をスカウトして、
気位だけ高い譜代衆を普段から鍛えてもらってたらよかったのに。
上手くいったらマウリッツの仕官学校のように後世に名が残ったかも。
350名無し三等兵:2009/11/29(日) 10:44:13 ID:0c1XLagR
秀頼が切腹したあと徳川を呪い殺せばいい
351名無し三等兵:2009/11/29(日) 12:22:41 ID:???
金正日でさえ呪い殺されて無いのに・・・・
352名無し三等兵:2009/11/29(日) 14:21:54 ID:???
結局、関ヶ原、ひいては小牧長久手からの文脈があるからな。
三河以来の家臣団が完成されてる徳川に、三百万石の突出ぶりが不味すぎた。

揺さぶり掛けて突っつく隙もありゃしない。
353名無し三等兵:2009/11/29(日) 19:55:04 ID:???
>>349
その譜代衆は、余所者にデカい面させたくない、風下に立ちたく無いと考えてるだろうな。
一方で豊臣家の陪臣風情が、合議の上とはいえ大名クラスに命令したって、思い通り動く訳ない。
つまる所、関ヶ原いらい延々と続いてる問題が、大坂方には常に付きまとってる訳だ。
354名無し三等兵:2009/11/30(月) 01:08:52 ID:???
秀頼様がリーダーシップを取れば解決する程度の問題だよね!ね!
355名無し三等兵:2009/11/30(月) 03:23:30 ID:???
秀吉死亡直後から取れればな?
結局秀次殺しが痛すぎる

徳川の陰謀じゃないかと思うくらい
356名無し三等兵:2009/11/30(月) 03:55:41 ID:???
>>354-355
実は全くもってその通りなんだ……
357名無し三等兵:2009/11/30(月) 08:18:10 ID:???
二条城会見前後に家康が急死してたら何とかなったのかな?
358名無し三等兵:2009/11/30(月) 10:49:56 ID:+ga3YjhQ
>>347
http://www6.ocn.ne.jp/~kanpanda/usiuma.html
http://homepage3.nifty.com/ksatake/fkunu1.html
明治初期(明治13年)の統計によれば馬150万頭、内農耕馬120万頭
とあります。ここから推計するに1600年頃の農耕馬数100万頭くらいですかね。
一方太閤検地(1582年)によれば、全国の石高1840万石、摂津35万石
河内24万石、和泉14万石、計73万石。全国の4%に当たります、石高と農耕馬数
が比例するとすれば、大阪城の勢力圏の駄馬4万頭です。
飼葉に金かけるのは乗馬用の馬でしょう。駄馬の飼料に金かければ、農家や
運送業者は赤字になっちゃいますよ。
>>348
武士は出世すると徒歩身分から乗馬身分になります。徒歩身分の兵士が乗馬訓練
行っても特に奇異に思われないと思います。
359名無し三等兵:2009/11/30(月) 18:16:36 ID:???
まだ言ってるのかよw
360名無し三等兵:2009/11/30(月) 18:45:40 ID:???
秀頼様が
「二条城まで来いとか臣下の癖にふざけんな。徳川のやろうぶっ潰す、浅野、加藤、福島、お前ら俺について来い」
って言って大阪から押し出せば良いよ。300年早く鳥羽伏見の戦いだよ!
361名無し三等兵:2009/11/30(月) 18:58:46 ID:???
秀次が生きてて豊臣政権の権力継承に穴が開いてなければ徳川は豊臣一門にでもなってただろう。
まあ、秀頼の代になった時点で>>360→関白が前線に出てきません><→敗北になるかも試練がw
362名無し三等兵:2009/11/30(月) 19:00:53 ID:???
長々と準備期間掛けて何で企図を察知されずに済むと思ってんのかね、馬の人は。
彼のいうところの『奇襲』案は、
徳川方がプロレスラーみたいに敢えて技を受けてくれると言う前提がなきゃ成立しないわ。
363名無し三等兵:2009/11/30(月) 19:17:19 ID:+ga3YjhQ
>>362
斬新な戦術は、あらかじめ察知できない、ドイツ軍のブリーフクリーク、
日本海軍の航空機による戦闘艦攻撃。フランスもイギリスもアメリカも
戦闘終了後にこういった戦闘方法の優秀さに気付いた。この場合徳川方
は妙なことをしていると思っても、奇襲戦法の準備とは思わない。
364名無し三等兵:2009/11/30(月) 19:21:43 ID:???
>>360
見える、見えるぞ!
秀頼がフリードリヒ大王のように四方の敵相手に
七手組みや味方する大名を手足のように自在に采配し撃破するのが!
365名無し三等兵:2009/11/30(月) 19:33:33 ID:???
>>363
兵力集積の時点で武力衝突の意図は鮮明だろ……
しかも家康が伏見にいる時期狙うなら尚更だわ。

つか先手打ちたいならスパイ網なんとかしろよと。

片桐、有楽、伊東長次、政権中枢から軍首脳までグレー通り越して真っ黒なのが山ほどいるだろw
366名無し三等兵:2009/12/01(火) 18:17:45 ID:p6dloB1O
>>365

http://www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/masanorinenpyou.html
http://www006.upp.so-net.ne.jp/kawaraban/o-nenpyou.htm
兵力集積もなにも、家康は五万の兵を率いて上洛、秀忠も上洛してたらしいから
2万くらいは率いてたろう。一方豊臣方も福島正則は一万の兵を率いて
待機しており、清正、幸長もいくばくかの手勢を率いていたものと推測できる。
双方臨戦態勢。武力衝突の可能性は大阪の町人も察知していたらしい。
城内外のスパイはどうしょうもない、対策は明智光秀にならい、
腹心の部下にさえ決行直前まで計画を秘すしかない。
367名無し三等兵:2009/12/01(火) 20:29:39 ID:???
飼い葉には大量の穀物も必要で、草や藁ばかりだと消化不良を起こし易い。
旧日本軍の場合、馬の食事に立ち会い、水を飲む量を常に管理し、足りなければホースのような器具で飲ませた。
大量の馬には大量の飼い葉を必要とし、更に馬を管理する馬匹も必要とする。
フン族やモンゴルなど、馬の扱いに慣れた民族からなる軍隊でなければ、難しい条件だ。
368名無し三等兵:2009/12/01(火) 20:36:34 ID:???
戦略的機動なら豊臣家の十八番じゃ無いか。
馬なんかに乗らずとも、鎧脱いで走らせればいいのです。
369名無し三等兵:2009/12/01(火) 21:31:08 ID:???
秀頼公による軍事改革により
火力重視型斜行陣で徳川相手に連戦連勝ですね
370名無し三等兵:2009/12/02(水) 11:53:40 ID:???
鬼武蔵が長久手無双してれば大坂方は勝てた。
371名無し三等兵:2009/12/02(水) 15:26:54 ID:???
武蔵なんて石ころでいちころ
372名無し三等兵:2009/12/02(水) 15:32:45 ID:???
大阪方は兵力はあっても、
徳川方の昼夜を問わずの大砲打ち込みで
命中はしなくても音と恐怖感で眠れず
疲労が激しかったと聞いた。
大阪方は大砲もってなかったのだろうか。
373名無し三等兵:2009/12/03(木) 15:04:53 ID:???
大阪方も大鉄砲は持ってたし、当時の大筒の砲声がそんなに大きかったかも疑わしい
つか、敵味方が鉄砲つるべ撃ちにする方がよっぽど煩いと思う
374名無し三等兵:2009/12/04(金) 19:54:43 ID:???
配下の武将をもう少し固めとくだけでも大分違ったと思うんだよな権力移譲の空白
徳川が幾ら強大つっても、毛利(ガタガタだが)・上杉と近畿周辺の豊臣だけで十分押さえ込める
少なくとも片っ端から豊臣恩顧の武将が東軍に行っちゃったなんてアホなことにしなければ関が原自体起きないかも知れん。

まぁ総大将がバカボンで、実質的総大将が空気←読めない時点で無理かも試練が
375名無し三等兵:2009/12/04(金) 21:57:41 ID:???
そもそも徳川抑えの切り札である福島正則が東軍ですから
376名無し三等兵:2009/12/05(土) 02:38:12 ID:???
いっそ豊臣方の総大将を古田重然にでも投げるか
それなら細川忠興も離反しないだろう

つか離反者どころか茶で徳川を切り崩してきそうだが
377名無し三等兵:2009/12/05(土) 03:58:12 ID:???
多分だれを総大将にしても、その総大将が第二の家康になる危険があるよ。
豊臣上層部もそれを恐れて、裁量権を制限してたんだし。
378名無し三等兵:2009/12/05(土) 09:24:10 ID:Uxaz2ud9
>>377
秀長が健在で1610年まで生存していれば、豊家御安泰だったんでしょうがね。
379名無し三等兵:2009/12/05(土) 10:05:28 ID:???
秀吉・秀長兄弟がタネ無しインポ野郎だった時点で詰んでた
380名無し三等兵:2009/12/05(土) 12:32:39 ID:???
秀吉は長浜時代に子供作ったりしてるのでタネはあるよ。
381名無し三等兵:2009/12/06(日) 15:27:28 ID:???
>>380
貧乏だから堕ろして、後年悔やんだんだっけ?
382名無し三等兵:2009/12/07(月) 07:48:11 ID:???
>>381
6歳で死亡。不在説もあるけどな。
383名無し三等兵:2009/12/15(火) 12:03:24 ID:???
関ヶ原でもう西軍が粘るか東軍の関ヶ原への行軍がもたついて長期戦化してるうちに
黒田如水が西国制覇、西軍の残党と合流して徳川と決戦ってIFが一番面白そう
384名無し三等兵:2009/12/28(月) 17:38:35 ID:???
決戦って言うゲームにそんなシナリオあったなぁ、黒田が西軍大将になるの
385名無し三等兵:2009/12/29(火) 17:34:46 ID:DGbOxd09
>>383
徳川が東国を支配。黒田が西国を支配、豊臣が近畿地方を支配。三国志ですね。
家康が曹操、如水が孫権、秀頼が劉備、幸村が孔明でしょうか。
386名無し三等兵:2009/12/30(水) 23:30:49 ID:???
二正面作戦を強いられる近畿不利と見るが、
琉球だとど真ん中の中山が勝ってるんだよなぁ
387名無し三等兵:2010/01/20(水) 23:55:35 ID:???
結局、宇治川での防衛策が最善という結果となる。
388名無し三等兵:2010/01/21(木) 10:11:27 ID:???
逢坂関
389名無し三等兵:2010/01/21(木) 10:14:55 ID:???
>>385
もしそうなった場合、孔明は昌幸でしょ

それに黒田は西国の支配者として自立するのは不可能なので、
秀頼を傀儡にして西を支配することになる
三国じゃなくて二国になる

390名無し三等兵:2010/01/23(土) 15:04:43 ID:gr9BuH2Y
>>389
関が原の時点だと、毛利、上杉は120万石の大領地を抱えたまま無傷だから、
あっさり徳川や黒田の言いなりにはならんだろう。事態は複雑になりそう。
391名無し三等兵:2010/01/23(土) 15:52:46 ID:???
元々、上杉が関ヶ原の原因を作っとるわけだしな。
家康苦戦の図を作るとすれば、既に上杉との会敵状態で、三成挙兵の報が届くってIFになるのかね。
増田長盛の内通で、7月19日に家康は三成らの謀議を知り、それでも21日に小山へと進発。
24日に鳥居元忠からの使者で伏見城攻撃を知り、25日にいわゆる小山評定。
実際、三成が伏見城攻撃に着手したのは、7月19日。
伏見城陥落が8月1日で、後々の禍根となる田辺城制圧などのために諸方へ戦力分散が始まる…。

この流れを留めようとするならば、増田長盛の内通がないという条件を置いた上で、
三成の挙兵がむしろ1週間から数週間遅れた方が好都合ってことになるよな。
例えば、長盛の内通が露見して、すったもんだの混乱が起きて、毛利の担ぎだしに遅れるとか…。

小山に集結した諸将から、さっさと出陣しろという圧力が強まり、三成謀議の報を待たないまま、
家康が江戸から小山へ移動を開始した当たりに、挙兵が起きるのが好都合となる。
元忠からの報がX+6日で伝わるのが変わらないとすれば、8月1日にあたりに三成の挙兵が起きた方が、
家康の進退が窮まる可能性が高くなるのかな。
上杉と密約を結んでいた佐竹が、本気になって江戸と会津征討軍の連絡を断てばなお好都合。
態勢の立て直しのために江戸へ引き退く時間はさらに浪費され、
征討軍参加の諸将にも動揺が走り、離脱者が生じることも考えられるのかな。
392名無し三等兵:2010/02/13(土) 20:31:30 ID:???
宇治川防衛策
393名無し三等兵:2010/03/08(月) 21:53:10 ID:???
こいつらによる江戸・駿府急襲があれば、、何してたんだろう。
http://tenrin.hiciao.com/c_Xo3hUaAC.html
394名無し三等兵:2010/03/22(月) 22:20:35 ID:???
>>373
もちろんいた。桑山某とか難波某とかが指揮していたらしい。
あと大砲ではないと思うが、三輪頼母という石火矢の名手もいた。
395名無し三等兵:2010/03/22(月) 22:50:45 ID:IVdGiyZx
>>1
戦国板でやれやカス
396名無し三等兵:2010/03/22(月) 23:19:20 ID:???
>>395
石器時代から近未来
子供の喧嘩から対エイリアン戦争
それがこの板の範疇だボケ
397名無し三等兵:2010/03/22(月) 23:25:05 ID:???
>>373
当時の京の公家の日記に砲声が鳴り響き続けたと記録にある
関ヶ原の時も伏見の銃声が京まで鳴り響いたとある
398名無し三等兵:2010/03/23(火) 12:19:34 ID:Cwu0OPp/
>>1
戦国板でやれやボケ
399名無し三等兵:2010/03/23(火) 12:48:20 ID:???
ナポレオン戦争とか銃声や砲声が聞こえて
付近の味方が強行軍で駆けつけたりしてるよな
400名無し三等兵:2010/03/23(火) 14:55:35 ID:???
>>395
アニメオタから政治オタまで来るものは拒ばないのが、軍板のイタイところですよ。
401名無し三等兵:2010/03/24(水) 01:30:58 ID:uJjVVTpD
>>1
戦国板でやれやクズ
402名無し三等兵:2010/03/24(水) 22:30:42 ID:???
>>380
あれだけ沢山の女を相手して生まれたのは数人
どう考えても全部女側の謀りで、秀吉自身は種無しかと
403名無し三等兵:2010/03/25(木) 17:50:05 ID:ka6tGEVs
>>400
専用板があるのにこういうのをのさばらすと
やれ川中島だ関が原だって収拾つかなくなるぞ

>>1
戦国板でやれやダニ
404名無し三等兵:2010/03/27(土) 19:48:50 ID:???
ちなみに秀長には娘があった。毛利秀元室となった人である。
405名無し三等兵:2010/03/28(日) 02:49:49 ID:???
>>403
どうみても荒らしだ馬鹿者
戦国時代の軍事と言い訳できる分>>1のがマシじゃねーか
406名無し三等兵:2010/03/28(日) 05:38:14 ID:???
>>403
>>405
よく解らんのだが、いったいなぜお前らにこの板でどの時代の軍事までがOKなのかを決める権利があるんだ?
ローカルルールにはそんな事は何一つ書かれてないんだが。
407名無し三等兵:2010/04/11(日) 19:26:04 ID:???
瀬田川防衛策
408名無し三等兵:2010/04/14(水) 01:13:06 ID:YbWrQoR6
質問させてください。

なぜ、夏の陣で幸村は家康の陣を崩すことができたのでしょうか。
家康の陣構えの不備や兵力が少なかったとはおもえないのですが、
完全に陣が崩れ家康も自刀を覚悟したとか。

では、なぜ関が原の3万の家康軍を無敵の様に表現されているのでしょうか。
私は、関が原の家康軍はどこかの軍に突かれればすぐ崩れたのではないかと
思っております。
小牧長久手では、秀吉に一歩も引かなかったといわれていますが、あれは
奇襲の成功でしかありません。秀吉がなぜ家康を恐れたかも分かりませんが…
どうしても徳川隊が最強だと思えないのです。
ご指導の程お願いいたします。

もう一点は、1万の兵を容易に動かすのは無理との意見がありました。
確かに私もそう思いますが、光秀は1万以上を動かし、しかも狭い京都
に展開しました。

上記2点について、熱い討論とご指導お願いいたします。

409名無し三等兵:2010/04/15(木) 19:32:27 ID:???
最初の方だけ。
東軍の兵隊にとっちゃ、大阪の陣は、
大勢はすでに決しているし、兵力も大きく上回ってるし、適当にやってりゃいいんだろの戦い。
逆に西軍の方は窮鼠の戦い。特に、夏の陣の最終局面は、やけくその状態。
戦国時代も終わりかかり、東軍の方の大名召し抱えの連中は、
代がわりで戦場経験の浅い連中も東軍は多かったに違いない。
一方で西軍は、それよりは戦場経験のありそうな牢人衆を多数抱え込んでいた。
家康だけでなく、秀忠の陣も、大野治長などのさして有能とも思えない大将に切り崩されかかっている。
これが真田、毛利あたりの有能レベルの将なるともはやチート状態の連戦連勝モード。
というわけで、最後の最後の局面で、兵隊の士気や戦場経験の差がもろに出たんじゃないかね。
410名無し三等兵:2010/04/15(木) 20:27:31 ID:???
>>408
後者はこの時に光秀は軍勢を分散し、辻ごとに分けて本能寺に合流させました
相手にまともな戦力が無い事を知っているからこそできる行動です
411名無し三等兵:2010/04/16(金) 00:20:03 ID:???
> 小牧長久手では、秀吉に一歩も引かなかったといわれていますが、あれは

大坂の陣の何年前かよーく考えましょう。

1584年 小牧・長久手の戦い
1615年 大阪夏の陣

30年前だよぉ・・・兵士レベルは誰もいないだろ。
412名無し三等兵:2010/04/21(水) 21:08:14 ID:???
小牧長久手は、長久手の局地戦(と言っても大部隊が惨敗したわけだが)、
終始秀吉側が優位に立っていたし、
事実家康側(厳密に言うと信勝側)が折れる形で、
戦役が終結している。
とスレ違いだが述べてみる。

で、スレのテーマとの関連で言えば、
小牧長久手の戦後処理として、
家康の領地の減封(せめて120万石くらい)に処置しておけば、
家康の脅威はかなり減らせたとは思うのだが。
413名無し三等兵:2010/04/21(水) 21:57:20 ID:???
そして、関東に史実の石高で引越しさせるのか?
414名無し三等兵:2010/04/21(水) 22:00:22 ID:???
>>412
秀吉に家康を軍事的に屈服されられる自信がなかったということ
415名無し三等兵:2010/04/21(水) 22:26:01 ID:???
>>414
>秀吉に家康を軍事的に屈服されられる自信がなかったということ

実際に小牧・長久手で家康は秀吉に軍事的に屈服されられているのですがw
416名無し三等兵:2010/04/21(水) 22:55:12 ID:???
>>415
家康に対する具体的な勝利はなし
例え一戦でも勝利すれば話は別だったろうが
417名無し三等兵:2010/04/21(水) 22:56:13 ID:???
>>416は戦争と言うものを理解していないw
418名無し三等兵:2010/04/21(水) 23:01:24 ID:???
>>417
あなたに人の心は理解できない
419名無し三等兵:2010/04/22(木) 00:30:11 ID:???
秀吉は家康を軍事的に屈服させるよりは政治的に屈服させるほうが得だと思ったんだろ。
また家康もそれだけの軍事力があったということだろ。
420名無し三等兵:2010/04/22(木) 01:04:17 ID:???
戦争に勝利したのに、領土安堵の上
母親と妹を人質にだした秀吉は無能と言いたいんだよ
きっと
421名無し三等兵:2010/04/22(木) 07:58:00 ID:???
>>420
それが問題だな。
せっかく、小牧長久手で軍事的にも政治的にも
徳川方を圧倒したのに、その戦後処理がまずかったな。
やはり石高を減少くらいはさせないと。
422名無し三等兵:2010/04/22(木) 08:31:46 ID:???
>石高を減少くらいはさせないと。

後に関東の荒地に移封したろw
423名無し三等兵:2010/04/22(木) 09:01:35 ID:???
>>421
決戦でカタをつける自信がなかったということ
424名無し三等兵:2010/04/22(木) 10:26:11 ID:???
九州でイケイケだった島津の相手をせにゃならんかったからなぁ
425名無し三等兵:2010/04/22(木) 19:01:15 ID:???
>>422
分かっておらんようだな。
移封じゃなく減封をすべきだったと言われているんだろ。
426名無し三等兵:2010/04/22(木) 19:17:44 ID:???
>>425
荒地に移封されたら減封同様だろ。
427名無し三等兵:2010/04/22(木) 23:28:36 ID:???
秀吉は、後々のことを考えられない馬鹿だから
仕方ない
428名無し三等兵:2010/04/23(金) 00:00:57 ID:???
>>425
減封ってどのタイミング?

北条討伐の後?、小牧長久手の?
どっちとも無理無理。

その後10年ぐらい掛けてネチネチ嫌がらせすれば滅ぼすことも
出来たかもしれんけど・・・秀吉は海外に目が行っちゃったからね。
429名無し三等兵:2010/04/23(金) 00:06:49 ID:???
家康抑えを福島ではなく加藤に任せておけば・・・
430名無し三等兵:2010/04/23(金) 00:10:53 ID:???
九州の押さえを福島にさせるの?
431名無し三等兵:2010/04/23(金) 06:22:52 ID:???
豊臣政権は東海に家康の大領を抱えていた方が危険だろがよ?
432名無し三等兵:2010/04/23(金) 08:55:40 ID:???
小牧長久手の戦後処理には、
家康の減封すべきだったな。
荒地とはいえ事実上石高は高いままだし。
荒地でも収入規模は侮れない。
433名無し三等兵:2010/04/23(金) 09:09:17 ID:???
>>432
無理、結局秀吉は家康の領地に指一本、手を出せずに終わっている
434名無し三等兵:2010/04/23(金) 10:08:39 ID:???
>>433
だから批判されているんだろう。
スレの流れを読め。
435名無し三等兵:2010/04/23(金) 10:27:43 ID:???
>>434
軍事的にその領地を奪えなかったという意味だよ
436名無し三等兵:2010/04/23(金) 10:43:28 ID:???
>>435
だったら尚更スレの流れを、
お前さんは飲み込めていない。
437名無し三等兵:2010/04/23(金) 10:53:24 ID:???
家康の領地を制圧できない、つまり家康に対して軍事的に一方的な優位に立てず
そのままの関係で臣従がなされたということは秀吉は家康に対して、そういった
負い目を負い続けることになった

その様な関係で家康に減封を求めるとか、勢力を減退されるとかを秀吉の方から
仕掛けるなんざ、家康の方から失態でもしない限り不可能
438名無し三等兵:2010/04/23(金) 12:23:05 ID:???
小牧・長久手の後、四国の長宗我部、越中の佐々に紀州征伐と
敵対勢力をスチームローラーのように潰していったから
また仕掛けりゃ良かったのに
439名無し三等兵:2010/04/23(金) 12:23:37 ID:???
小牧長久手の時点では、
秀吉でも家康の減封は充分可能。
440名無し三等兵:2010/04/23(金) 12:48:42 ID:???
>>438
>>439
それで戦闘に至った場合、勝てる自信が秀吉にはなかった
441名無し三等兵:2010/04/23(金) 12:49:24 ID:???
豊臣秀吉の諸大名に対する扱いを見てみると、
徳川家康よりも九州の諸大名の方を脅威に感じている節があるから、
徳川への処置がツメの甘いものになっているような気もする。
442名無し三等兵:2010/04/23(金) 13:09:43 ID:???
島津が話し合いで引っ込む連中じゃなかったからな
443名無し三等兵:2010/04/23(金) 13:19:46 ID:???
小牧長久手では、単に早々に戦役を切り上げるつもりだったんだろう秀吉は。
>>441氏の言っているように、家康にはそんなに注意を払ってなかったので、
信勝とは講和したのでそれで充分と思ったのだろう。
>>440は間違いだ。
444名無し三等兵:2010/04/23(金) 14:58:24 ID:???
>>443
それは長久手で負けたから
それ以前は何度も書状で直ぐに討ち果たすと書いてある
その後も蟹江を攻めたりしているけど負けている
445名無し三等兵:2010/04/23(金) 19:06:39 ID:???
長久手は大局的に見れば、局地戦での敗北。
小牧・長久手の戦いを大局的に見れば、
秀吉側の圧勝に終わっている。
>>443が正しい。
446名無し三等兵:2010/04/23(金) 19:35:49 ID:???
>>445
当の秀吉はそう考えていなかったのでした
447名無し三等兵:2010/04/23(金) 19:38:34 ID:???
>>446
だから>>443が正しい。
448名無し三等兵:2010/04/24(土) 11:18:31 ID:???
やはり北条氏と家康が組むのを警戒したんだろうか。
449名無し三等兵:2010/04/24(土) 16:21:53 ID:???
伊達、徳川、北条が組めば羽柴と互角らしい>ByNHK
450名無し三等兵:2010/04/24(土) 16:54:10 ID:???
小田原征伐でも言える事だが、
北条方はやはり篭城策じゃなく出来るだけ出撃して、
敵軍に対して徹底とした遅滞戦術をとって出血を強いるべきであった。
451名無し三等兵:2010/04/24(土) 17:36:48 ID:???
箱根山中城は1日で落ちました。
本拠地小田原がすでに最前線なので縦深はゼロ。
遅滞防御は無理。
452名無し三等兵:2010/04/24(土) 18:44:02 ID:???
>>451の無知ぶりが笑えるw
453名無し三等兵:2010/05/08(土) 18:55:36 ID:???
大坂城
454名無し三等兵:2010/05/08(土) 20:00:16 ID:G8EY2Gj/
>>452は無知ってレベルですらないな
455名無し三等兵:2010/05/08(土) 20:44:43 ID:???
>>451=>>454は無知ってレベルですらないな
456名無し三等兵:2010/05/09(日) 18:53:06 ID:???
お前らどっちも馬鹿なのは分かった。
下らん煽りあいするなよ…落ち着いて話をしようぜ
457名無し三等兵:2010/05/09(日) 21:35:06 ID:???
>>451が馬鹿なのは、客観的に考えて分かる。
458名無し三等兵:2010/05/16(日) 16:53:25 ID:???
光秀が馬鹿なのは確かだ
459名無し三等兵:2010/05/28(金) 14:21:46 ID:???
その時は上手く行くと思った。細川も筒井も味方してくれないなんて酷い!
460名無し三等兵:2010/06/01(火) 21:04:48 ID:???
瀬田川防衛策が最善。
461名無し三等兵:2010/06/01(火) 21:50:47 ID:???
>>460
伏見城に大番が常時、詰めているので非現実的
462名無し三等兵:2010/06/02(水) 07:48:14 ID:???
伏見城に大番が常時詰めていても、
結果的には郡山城の末路と同じ。
極めて瀬田川防衛策は現実的。
463名無し三等兵:2010/06/02(水) 08:50:33 ID:???
>>462
数日持てば、周囲の大名が援軍に来る
第一、浪人衆が集まったばかりの状態でまともな作戦行動が
できるわけがない
464名無し三等兵:2010/06/02(水) 18:32:55 ID:???
数日持てば、周囲の大名が援軍に来るのは当たり前。
第一、夏の陣で諸大名の軍よりも、
浪人衆の方が集まったばかりの状態でまともな作戦行動している。
瀬田川防衛策は現実的でない筈が無い。
465名無し三等兵:2010/06/02(水) 18:51:00 ID:???
>>464
霧で後藤隊以外の全軍が遅れたり迷ったのに?
466名無し三等兵:2010/06/02(水) 20:25:59 ID:???
>>465
単に一部の部隊じゃないかwwwwwwwwwwwwwwwwwww
467名無し三等兵:2010/06/03(木) 04:44:44 ID:???
>>466
道明寺・誉田や八尾・若江の戦いに参加した豊臣方の部隊で迷わなかったのは
後藤隊だけなのに「一部の部隊」とは是如何
468名無し三等兵:2010/06/03(木) 07:55:33 ID:???
>>467
にしては、撤退戦等の手際など
豊臣方の全部隊の方が遥かに整然として行動出てきているのですがw
469名無し三等兵:2010/06/03(木) 08:43:44 ID:???
>>468
八尾・若江の豊臣方は壊乱
道明寺・誉田は相手が8時間以上も戦闘を続け、疲弊したからできた
470名無し三等兵:2010/06/03(木) 18:55:56 ID:???
八尾・若江の豊臣方は善戦、藤堂隊に甚大な被害が出ている。
道明寺・誉田は後藤隊が出血を強いるように頑強に抵抗し、
その後真田隊が巧みに撤退戦を行い善戦している。
471名無し三等兵:2010/06/03(木) 19:02:12 ID:???
>>470
井伊に木村が壊滅されられたり、長宗我部が後退中に壊滅したり
薄田らの部隊が壊滅しています
472名無し三等兵:2010/06/03(木) 19:19:06 ID:???
まぁ現代戦でも退却は難しい戦術の一つだからな。
473名無し三等兵:2010/06/03(木) 20:40:50 ID:???
>>471
あの兵力差では八尾・若江の豊臣方は充分善戦している。
それに壊滅と言っても、それらの豊臣方の諸部隊はうまく撤退戦をしていますがw
474名無し三等兵:2010/06/03(木) 20:45:44 ID:???
>>471
井伊勢は多大な出血を強いられて、
翌日の作戦行動に支障が出ているのですが?
475名無し三等兵:2010/06/03(木) 20:52:30 ID:???
八尾・若江の戦いで言えば、
豊臣軍では木村部隊しか完全に壊滅していないしな。
木村部隊も壊滅に引き換えて井伊勢も壊滅とはいえないまでも、
それに近いくらいの損害を与えているし。
また、長宗我部部隊は盛親が大坂城に帰還している以上、
損害はともかく撤退戦自体は良好だったのだろう。
476名無し三等兵:2010/06/03(木) 20:56:19 ID:???
>>474
そりゃ相手が優勢で、しかも伏撃の状態だったから
もっとも急襲で相手を圧倒したけど
>>475
長宗我部は翌日の戦いに出れなかったことから、壊滅状態と考えられる
477名無し三等兵:2010/06/03(木) 21:05:03 ID:???
>>476
それを壊滅状態とは言わない。
城に詰めていただけだろうに。
それに木村勢も後に小笠原勢を攻撃して、
大名の小笠原秀政を討ち取っているくらいだから、
前日は壊滅状態では無かったのだろう。
478名無し三等兵:2010/06/03(木) 21:06:20 ID:???
大坂の陣の経過を見てみると、
結果論だが>>464氏の主張は客観的に正論だな。
479名無し三等兵:2010/06/03(木) 21:17:26 ID:???
>>477
長宗我部の損害は確認戦死者が10%に達している
負傷者も含めれば、戦闘不能なレベル
なお、木村の戦死者も5%強
480名無し三等兵:2010/06/03(木) 21:31:51 ID:???
>>479
それでは壊滅とはならない。
また、木村隊は>>477氏の述べるように奮戦して
作戦行動できるくらいの部隊が残っている。
481名無し三等兵:2010/06/03(木) 21:36:53 ID:???
長宗我部盛親は、落城時には結果的に戦闘の無いところに配備されたからな。
徳川方がその方面に寄せてこなかったのは、
長宗我部盛親の兵力が侮れないほどの規模だったからだろ。
482名無し三等兵:2010/06/03(木) 21:41:43 ID:???
>>480
負傷者込みで三倍と計算すると損害三割なんだが
>>481
単に城の北は直接攻めにくいだけ
483名無し三等兵:2010/06/03(木) 21:47:13 ID:???
>>482
だから壊滅ではないなw
484名無し三等兵:2010/06/03(木) 21:49:18 ID:???
>>482
>>481が正しい。
485名無し三等兵:2010/06/03(木) 21:52:13 ID:???
>>484
簡単に迂回できるからね。
486名無し三等兵:2010/06/03(木) 22:40:02 ID:???
そう思うのならどうぞ
487名無し三等兵:2010/06/04(金) 01:34:00 ID:???
日本の城は中国のような地勢上の要衝を押さえる要塞ではなく、
単に一定期間城内に篭って敵が退却してくれるのを待つためのもの

だから援軍が望めないor敵軍の自主的撤退が望めない状態では抵抗することができない
そのため莫大な費用を投じて巨城を建設しても悉く無駄に終わっている
何故最後まで、要所を押さえる要塞という発想は生まれなかったのか。
488名無し三等兵:2010/06/04(金) 07:55:55 ID:???
>>487
戦略的見地からの日本の城の設計思想では、
本城を中心として、支城を周囲に配置して、
巧みにそれらの城網と連携して作戦運用をするというものだ。
そういう見地から見ても、大坂冬の陣では、
篭城策をとるのは明らかに間違っていた。
宇治川や湊川などでの防御策をとりながら、
遅滞戦略をとるべきであった。
489名無し三等兵:2010/06/04(金) 08:54:15 ID:???
>>487
篠山城とか名古屋城
490名無し三等兵:2010/06/04(金) 11:47:30 ID:???
>>487
大宰府守る為に作った水城とかは?
491名無し三等兵:2010/06/04(金) 17:52:55 ID:???
>>490
大宰府を考古学的に見ると、
水城は大宰府の羅城なんだよね。
大野城や小水城などを見ると、
城壁が大宰府を取り囲むように張り巡らされている。
492名無し三等兵:2010/06/05(土) 02:44:21 ID:???
京都なんて今でも東側から普通に入るには曲がりくねった上に狭いところでは
車1台が通過するのがやっとの山道をえんえん超えていくことになるんだぜ・・
トンネルが山を貫通しているせいでその不便を忘れているだけで。

なのにそういう峠道で防衛する戦略が取られる事が無かったのは何でなんだ
493名無し三等兵:2010/06/05(土) 05:54:24 ID:???
昔は、その曲がりくねった上に狭いところが街道だったんだよ
494名無し三等兵:2010/06/05(土) 08:41:44 ID:???
>>492
逆に言うと部隊を展開させる余地もないと言うことになる
495名無し三等兵:2010/06/05(土) 19:00:10 ID:???
キリシタン狩りをしていなければ今ごろ日本はスペインの植民地だった|朝鮮歴史館
http://ameblo.jp/campanera/entry-10130396102.html
1611(慶長11)年、に来日したスペイン使節が、諸港を測量した。
その目的を家康から訪ねられたアダムスは、
「エスパーニャ(スペイン)は、まずカトリック托鉢修道士たちを派遣し、彼らの後で兵士たちを送り込みます。
このようなやり方で外国を支配下に入れていきます。そのために各港にどの船が入港できるか知るためです」
と述べ、すべてのカトリック宣教師を国外に追放すべきであると進言した。
 
家康が、プロテスタント教徒アダムスを重用しスペイン、ポルトガルとの通商、国交を閉ざす意志を明確にするや、
カトリック側は、ついに、日本全国を、親カトリック陣営と、反カトリック=親プロテスタント陣営と、
真二つに分裂させ、反カトリックの徳川幕府政権を武力で転覆する大作戦構想を立てた。
親プロテスタントの徳川幕府政権はプロテスタント国家オランダ・英国を味方につけた。

カトリック信者に信仰を捨てるよう に命じ、従わない者は死刑にした。
家康が何よりも恐れていたのは、秀吉の遺児秀頼が大のキリシタンびいきで、
大阪城にこもって、スペインの支援を受けて徳川と戦うという事態であった。
当時の大阪城内には、宣教師までいた。

宣教師が本当に参戦?してたのかどうか気になるところ。
496名無し三等兵:2010/06/05(土) 19:11:47 ID:???
親プロテスタントの徳川幕府政権ってwwwwwwwwwwwwww
単にオランダ・イギリスは布教じゃなく交易重視だったから、
徳川幕府はそれらの国々と親しくしていただけだろwwwww
497名無し三等兵:2010/06/05(土) 19:23:05 ID:???
>>496
無意味にwwwwwwwwwwwwつけて喜ぶなよ、低脳w
カトリックから見た話で、日本から見た話ではないんだから。
498名無し三等兵:2010/06/06(日) 00:38:44 ID:???
日本の城はwwwwwwwwwwwwwww敵部隊を遅滞させてwwwwwww援軍到着まで持たせるための城だからなwwwwww
少なくともwwwww城の兵力よりwwwwwwwww兵力を割かないとwwwwwwwwww放置もできないwwwwwwwwwwwwwwww

ただwwwww大阪の陣の場合はwwwww引き伸ばせば引き伸ばすほどwwwww地方大名の叛意が高まると言うwwwww効果があるwwwwwwwww
大兵力を動員しておいてwwwww何時までも落とせないとwwwwwwwwwwwwww徳川の武威がガタオチwwwwwwになるwwwwwwwwww
499名無し三等兵:2010/06/06(日) 08:47:38 ID:???
まあ、最初から大坂城で篭城策をとるのは愚の骨頂だよな。
500名無し三等兵:2010/06/06(日) 16:50:21 ID:???
500get!
501名無し三等兵:2010/06/06(日) 17:41:44 ID:???
てか篭城策が愚策となるような城ばかり作る日本ってどうなのよ?
502名無し三等兵:2010/06/06(日) 17:48:13 ID:???
そもそも城郭というもの自体、
援軍が来るまで持ち堪えるための防御施設。
だから援軍が来る当てが無いのに、
最初から篭城すること自体が城郭本来の目的からして間違っている。
503名無し三等兵:2010/06/06(日) 17:49:52 ID:???
>>502
いや同時代でも中国の山海関とか、
単独で圧倒的大軍を撃退できる城もあったじゃん
504名無し三等兵:2010/06/06(日) 17:55:01 ID:???
>>503
つ 小田原城

日中ではそもそも動員できる労働力も
守らなければならない面積も違うわけで……
505名無し三等兵:2010/06/06(日) 18:49:19 ID:???
>>503
山海関なども基本的には、
周辺の部隊駐屯地や後方からの増援がくるまで食止めるための砦。
日本の小田原城も、総構になっているが、
単に食止める時間をより長く出来るためにしているだけに過ぎない。
506名無し三等兵:2010/06/06(日) 19:08:12 ID:???
>>505
山海関の守備軍は単独で清の大軍を阻止しているが・・・
そもそも明は城外では明国全軍で戦っても清には手も足も出なかった訳で。
明らかに城の防御力による撃退だよ
507名無し三等兵:2010/06/06(日) 19:35:47 ID:???
大坂城は砲撃戦に対応していない、旧時代の城郭ですしね
508名無し三等兵:2010/06/06(日) 21:21:25 ID:???
>>506
単に明の精鋭が山海関に集中していただけ。
509名無し三等兵:2010/06/06(日) 21:35:02 ID:???
>>508
そういう誤解は昔良く見られたが、
今では山海関に駐屯している部隊の規模はそう大きくなかったことが分かっている
清代の宣伝と異民族支配への恨みから、李自成を必要以上に悪く評価する事が行われており
その風評の1つとして「主力が山海関で戦っている時にガラ空きの背後を流賊が襲った」というものがあっただけ
510名無し三等兵:2010/06/06(日) 21:40:51 ID:???
山海関を含めて、万里の長城の構造では、
後方に大規模な兵の駐屯地が付属している。
つまり後方より増援が駆け付けることが前提になった構造になっている。

また、山海関が女真族の軍に陥落した(厳密には守将の呉三桂による投降)のは、
すでに後方(北京)が李自成によって陥落させられておりさらなる大兵力の増援が期待できず、
ドルゴンによる別働隊も迫ってきているため、
完全に包囲されて窮地に陥る危険性が明白であったからだ。
511名無し三等兵:2010/06/06(日) 21:44:02 ID:???
>>509
それは呉三桂が一時李自成対策のために、
帝都防衛の任に就いていたからだったからだ。
後に満州軍対策のために、
大軍を率いて山海関に戻っている。
512名無し三等兵:2010/06/07(月) 02:04:25 ID:???
>>501
攻城戦の場合、当然ながら攻撃側にイニシアチブがある。
城を落とせる自信があるから攻城軍は動く。
後詰が到着して解囲されるとか、情勢がとても攻城戦を続けられない状況になって撤退ということはあるが
単純な攻城戦で撃退する事例は攻撃側が攻略の見通しを誤るか戦場で下手を打たないと発生しない。
513名無し三等兵:2010/06/07(月) 02:43:30 ID:???
つ 上田城
514名無し三等兵:2010/06/07(月) 09:13:01 ID:???
>>513
それは上田城云々より真田昌幸の天才的戦術眼によるものだよ。
城自体は大したことないもの。
515名無し三等兵:2010/06/07(月) 22:09:30 ID:???
大阪城も秀頼がヘタレて堀埋めなきゃ後詰め無しでも年単位で持ったろうさ
長期間の篭城で家康の武威が持たずに地方大名が次々撤退→なし崩しに和睦を狙ったんだろうから
篭城自体は間違いではない。
秀頼が実は鬼島津とか上杉呂布並に強いとか言うなら話は別だが


>>507
あえてマジレスするが
当時の砲撃なんて威嚇レベルだからそもそも対応する必要すらない。
砲撃が要塞にとって驚異になったのは近代に榴弾が開発されてから
それより前はカタパルトのがよっぽど脅威
516名無し三等兵:2010/06/07(月) 23:06:19 ID:???
>>515
講和前に坑道が総構直下まで掘れていたから、そこに火薬置いて爆破させ、
突入口ができその年の内に、総構は陥落していたでしょうな

中枢部に砲弾が飛んでくる心理的衝撃は計り知れない
ああいうのは戦略爆撃の様なもので、篭城というストレスが溜まる中で、
ああいうことをされると士気に重大な影響を受ける

城郭の中でもっとも弱い箇所は人の心
517名無し三等兵:2010/06/08(火) 00:12:45 ID:???
>>516
隧道掘っても陥落しなかった城はいくらでもある。
隧道だけで陥落とか言うのはいくらなんでも暴論。

士気が多少下がっても籠城戦じゃあんまり意味ないべ
下手すりゃ壊れる大筒の分赤字。搦手であって主攻ではない。
大阪じゃ首脳陣の士気が下がるというしょうもない状態だったから効果あったが
518名無し三等兵:2010/06/08(火) 01:38:20 ID:???
つうか城攻めでの坑道作戦は古今まともに成功した試しがない
近代に入ってからでさえ殆ど成功していない
519名無し三等兵:2010/06/08(火) 08:42:29 ID:???
>>517
曲輪というのは一部が破られれば、全てが突破されるもの

何いってんの?
包囲戦で士気ほど重要なものはない

>>518
具体的な統計を教えてください
520名無し三等兵:2010/06/08(火) 10:29:30 ID:???
野田城は坑道作戦で水の手を断たれてしまったよね
火薬仕掛けるよりもこっちの方が現実的だね

水が豊富な大坂城には効かないだろうけど(´・ω・`)
521名無し三等兵:2010/06/08(火) 11:54:40 ID:???
>>518
古代ローマやギリシャでは結構成功しているんじゃないか?
522名無し三等兵:2010/06/08(火) 15:13:36 ID:???
昔はそういう点で探知技術とか未熟だったんだろうな……。
中世の頃は坑道を掘られても、防衛側も穴を掘って壁に
耳を押し付けたら、攻撃側の坑道掘ってる音が聞こえて
くるから、大体どこらへんから穴を掘ってるのかを判別して
撃退したなんて言うけれど。

最近ではペルーの大使館人質事件で坑道が活躍したけど、
あれももともとの火力は攻撃側が優勢で、ただの奇襲の手段と
して活用しただけだけど。それでも人質にほとんど死者が
出なかったのは犯人が人質に感化されて人質を殺すことを
ためらったからで、ペルーの事件が語源となってリマ症候群とも
言われているね。
523名無し三等兵:2010/06/08(火) 15:35:13 ID:???
毛利水軍みたいに川をさかのぼって兵糧を運び入れてくれる援軍が居れば大阪城は無敵だった。
524名無し三等兵:2010/06/08(火) 20:50:15 ID:???
>>519
そもそも坑道堀ったからって突破されるとは限らないわけだが・・・
位置ずれてたり気づかれて水流し込まれたり失敗例は枚挙に暇がない
だから暴論と言ってるわけだ。

>士気低下
おいおい
「長期間の篭城による士気低下」じゃなくて「大砲による士気低下」だろ今の話は。
525名無し三等兵:2010/06/08(火) 20:53:30 ID:???
>>523
毛利水軍が味方のままな程豊臣の武威が残ってれば
そもそも戦争にならんかったよーなw
526名無し三等兵:2010/06/08(火) 21:38:17 ID:???
>>524
既に後は火薬を積むだけの状態であったとある

そうだよ、大砲を一方的に中枢部に打ち込まれたら士気が低下するのは当然
人は仮にそこにいなくても、後方に安全な場所があるというだけで落ち着くもの
527名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:00:07 ID:???
>>526
その結果大阪城から10m横が吹き飛んでも不思議はないわけで
もしくは威力不足で何も起きない

今の工作技術なら兎も角戦国時代だぜ
坑道掘っただけで城が落ちるならみんな掘るよ
528名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:07:27 ID:???
>>526
大阪方にも大砲はあるんだが・・・
529名無し三等兵:2010/06/08(火) 23:51:54 ID:???
>>527
佐渡や甲斐から坑道掘りの専門家を呼び寄せています
>>528
数も性能も比較にならない
何しろ木砲を用いていた位だし
530名無し三等兵:2010/06/09(水) 00:56:08 ID:???
てかこの時代の坑道は爆破じゃなく石垣を崩すためじゃなかったっけ?
531名無し三等兵:2010/06/09(水) 09:02:02 ID:???
坑道に設置した火薬で櫓や塀を壊したり、石垣を崩すのが目的とある
532名無し三等兵:2010/06/09(水) 14:56:10 ID:???
爆破成功した例を聞いたことがないな
あるのか?
533名無し三等兵:2010/06/09(水) 15:37:05 ID:???
一発で大成功というのは無くても、砦の一部を壊したりとかはあるんじゃないのかな。
534名無し三等兵:2010/06/09(水) 16:44:36 ID:???
火薬を使わんでも基部を壊して倒壊させるのは可能だろ?
535名無し三等兵:2010/06/09(水) 17:23:42 ID:???
>>534
日本家屋は礎石の上に立っているだけだから、チト難しい
536名無し三等兵:2010/06/09(水) 17:30:20 ID:???
>>549
木製の砲だって安くて軽いから馬鹿にしたもんでもない

どうせ命中精度なにそれうまいのな時代だし
537名無し三等兵:2010/06/09(水) 18:35:25 ID:???
>>536
発射薬を少なめにしないといけないので威力も足りない
家康が大坂方から打ち込まれた砲弾を手に取って見て、この重さで土俵を貫通しなかったなら
これは木砲だと断じたという話がある
538名無し三等兵:2010/06/09(水) 19:48:15 ID:???
大阪城へ行ってきた。やけにジョギングしてる人が多いなあ。
ボランティアのガイドさんや各階の資料展では、
徳川側は外国から調達した大砲が100門ぐらいあって
炸薬が入ってないので砲の威力としてはあまりなかったけど
24時間うって大阪方を眠らせないという心理作戦だったそうで、
命中率悪すぎだけどたまたま淀君の近くに当たったのが幸いしたと。

疑問なのは大阪方も大砲を買い付け、米も何もかも日本中から根こそぎ買い占めて
徳川方が兵糧や暖房にすら苦労して裏切りがでないか心配するほどだったようだけど、
真田幸村とかの名将は大砲対策しなかったのかって事。
ほかにも大阪方が講話に乗った理由はあったけど、あの一撃が大きかったかなあと。

まあ2次元の戦いが3次元になって、急に対応も難しいとは思うんだけど。
539名無し三等兵:2010/06/09(水) 20:52:12 ID:???
>>532
そうなんだよな。聞いたことがない。
540名無し三等兵:2010/06/09(水) 22:16:11 ID:???
>>537
嘘くさい話だなw
というか撃たれることと音が問題だからあんまり威力は関係ない。
そもそも榴弾開発前じゃ実質的な攻撃力は鉄砲以下だしな
541名無し三等兵:2010/06/09(水) 23:36:51 ID:???
>>540
一級史料『駿府記』の記述です
後、木砲は一・二発撃ったら使い物にならなくなる
移動しなければならない攻撃側なら兎も角、防御側なら砲火力が貧弱な理由
に挙げられる(by宇田川氏)

人員殺傷と構造物破壊を何で同列に考えているの?
542名無し三等兵:2010/06/10(木) 02:09:33 ID:???
坑道爆破作戦は第二次大戦あたりでドイツが1回だけ食らった以外には
ちょっと成功例が記憶にないなぁ・・
それも通常の攻勢でドイツ軍がほぼ無力化されていたから防げなかっただけであって。
543名無し三等兵:2010/06/10(木) 10:14:40 ID:???
あと旅順要塞の攻略ぐらいかな。
544名無し三等兵:2010/06/10(木) 19:53:09 ID:???
>>541
大阪方の場合は木砲は数を用意しやすいと言う利点がある。
まぁ単に足りなくて急増したんじゃないかとおもうが

>人員殺傷
別に同列にしてないし構造物の破壊でも微妙なわけだが…
当たった場所は壊れるけど穴は小さいし、破壊力もない
大手門みたいな特に分厚い箇所じゃ壊れるかすら微妙って程度の存在なわけで
545名無し三等兵:2010/06/11(金) 00:15:18 ID:???
大阪方が講和に応じたのは兵糧が乏しくなったからじゃね?
546名無し三等兵:2010/06/11(金) 00:25:29 ID:???
そんな記述あったっけ?
事前に周辺地域の兵糧買い占めてたと思うけど・・・
547名無し三等兵:2010/06/11(金) 00:38:00 ID:???
>>545
家康が破格の条件で和睦を申し入れたからじゃね?
548名無し三等兵:2010/06/11(金) 01:31:01 ID:???
>>547
外堀を埋めるなんて条件、後から攻めるために決まっているのに何で受けたんだろうな。
秀吉も信長も律儀に約束を守るほうだったから、勝手に勘違いしていたのか。
天下人が嘘つかないだろうとか。
549名無し三等兵:2010/06/11(金) 07:19:53 ID:???
>>548
プロファイリング的に言えば、そもそも戦う前から圧倒的な戦力差なのに
それでもやってみなけりゃ分からないとにかく戦争だーとか言って強い方に
挑発的に仕掛ける人間は、戦略的な後先考えない講和に乗ってしまうもの。
牟田口みたいなもんだ。

大体そういう点で分からないという意味では、外堀を埋められた後も豊臣方は
浪人をかき集めたりして徳川側を刺激するようなことばかりやって、結局
大坂夏の陣を招いたりしていること。
550名無し三等兵:2010/06/11(金) 09:02:34 ID:???
>>548
埋められたら掘り返せばいいじゃないと考えた。
時間を稼げば家康は寿命に達すると考えたw
551名無し三等兵:2010/06/11(金) 18:05:44 ID:???
講和で堀を埋めるというのも儀式的なもので、
ほんのチョット埋めるのが恒例なのに徳川は人を動員して埋めちゃった

ちゅーか、豊臣がえっ、マジ!?って慌てて抗議して話し合いの間に
内堀の方まで埋めてなかったか?
552名無し三等兵:2010/06/11(金) 18:12:18 ID:???
>>551
内堀も埋めましたがなにか?w
553名無し三等兵:2010/06/12(土) 00:46:07 ID:???
そもそも大阪方は淀を人質として出しときゃそれでよかった話な訳で。
家康の寿命はもうあと僅かだったんだし
554名無し三等兵:2010/06/12(土) 02:42:23 ID:???
だからこそ徳川がそんなもんで手を止めるわけがないだろう
555名無し三等兵:2010/06/12(土) 03:06:31 ID:???
>>553
片桐且元がそう進言したら謀反の疑いをかけられた。
大野治長がそう進言したら「且元の言ったことと同じではないか!」と怒られたw
556名無し三等兵:2010/06/12(土) 08:48:03 ID:???
堀を埋められた後で恭順しておけば良かったのに、まだ戦う気満々でいたんだから、
夜郎自大としか言いようはなく。
557名無し三等兵:2010/06/12(土) 16:11:49 ID:???
恭順しても許す気は無いのが丸わかりだからだろ
徳川時代になってから潰された大名家を考えてみろよ


ただ味方が誰かすら分からないのに戦ったのは夜ry
558名無し三等兵:2010/06/12(土) 18:01:28 ID:???
穏便に恭順した元主君の家を取りつぶすのは流石にマズイので、
家自体は潰さずに石高削りまくって僻地へ転封と思われ。
559名無し三等兵:2010/06/12(土) 23:23:47 ID:???
福島家も結局残った激減だけどw
560名無し三等兵:2010/06/13(日) 00:03:57 ID:???
あの段階で穏便に恭順は無理でないか?w
豊臣家がそれなりの名家でもっと小さければ可能だろうけど…
561名無し三等兵:2010/06/13(日) 18:07:50 ID:???
大砲の一斉射撃が始まったその日から、正式な講和交渉が始まりました
562名無し三等兵:2010/06/13(日) 19:07:08 ID:???
>>560
家としての歴史は浅いが、官位は最強クラスだし前の天下人と織田家の血を引いているから相当な家柄じゃん。

まあ夏の陣の後に秀頼が臣下の礼を取って淀君を人質出し、浪人は追放、国替え&減封にも応じる
みたいに全面降伏すれば徳川のメンツも立つし、首洗って潔く従った相手にそれ以上やるのはどうよ?
って感じにもなったろうが、徳川に金玉握られるような選択肢はプライドと恐怖で飲めなかっただろうな。
563名無し三等兵:2010/06/13(日) 19:09:55 ID:???
すまん、夏じゃなくて冬の陣だった。
564名無し三等兵:2010/06/13(日) 20:53:41 ID:???
>>562
徳川の執拗さをなめちゃいかんw やりすぎな位だw
豊臣はどこまで行っても成り上がりだろう。当時の官位は金と力さえあればもらえたんでハク付けでしかない。関白じゃなくて将軍になってればまた違ったんだろうけど
仮にも主君だったので徳川も配下にもしにくい。
565名無し三等兵:2010/06/13(日) 22:04:57 ID:???
徳川が秀頼の転封がなって豊臣の大坂城を手に入ってたら誰が主になったのだろうか
やはり家康が、ヒャッハー、ついに豊臣も下して天下事業完成だぜ!って主になったのかな
566名無し三等兵:2010/06/13(日) 22:53:53 ID:???
豊臣家→四国2国に転封
島津→対馬に転封
毛利→松前に転封

コレくらいやらないと明治維新が怖いw
567名無し三等兵:2010/06/13(日) 22:54:04 ID:???
>>565
史実と同じ城代
568名無し三等兵:2010/06/13(日) 23:25:22 ID:???
>>567
城の格が豊臣の大坂城>>>徳川の大坂城だから
誰か入らざるえないんじゃね?
569名無し三等兵:2010/06/13(日) 23:32:06 ID:???
>>568
>城の格が豊臣の大坂城>>>徳川の大坂城
その根拠が解らない
570名無し三等兵:2010/06/14(月) 12:14:15 ID:???
>>566
減封は無理じゃね?
大阪65万石から転封するのだから僻地なら100万石は無いとつりあわない。
571名無し三等兵:2010/06/14(月) 14:22:43 ID:???
>>570
でも初期の頃はそういう減封とか当たり前のようにやってるだろ?
572名無し三等兵:2010/06/14(月) 20:33:08 ID:???
>>564
意外と元主君筋を配下にするってのは多いよ。
信長は斯波を家臣にしてるし、秀吉も秀信を傘下の大名として扱ってる。
元主家を厚遇するのは自身の度量の大きさを誇示するのにうってつけだからね。
573名無し三等兵:2010/06/15(火) 16:28:44 ID:???
豊臣家って織田家と違って官位的に厄介じゃね?
関白になれる家柄なので、なんかの拍子で関白になっちゃったら将軍より偉いことになっちゃう。
574名無し三等兵:2010/07/16(金) 21:11:05 ID:???
?
575名無し三等兵:2010/07/17(土) 19:34:40 ID:???
ID出さずに空揚げするチンカス
いい加減に消えねえかなあ
576名無し三等兵:2010/07/18(日) 04:47:53 ID:9l6VUEmL
大坂城に徳川家の者を入れるだけで、本拠地は動かさないでしょ。
そんな事やったら大坂>江戸と認める様なもので、体面がわるいし。
577名無し三等兵:2010/07/18(日) 10:11:47 ID:rJnSS2oy
>>573
官位昇任は家康秀頼秀忠の序列が守られていたから、厄介だな
秀忠が後から追いつくとしても秀頼と同格ということに。

仮に豊家が臣下の礼を執っても、客将の扱いで他の大名とは別格だったろうね。
578名無し三等兵:2010/07/18(日) 12:29:14 ID:???
その状態にするには影響力が大きすぎるな
天皇関連の予算を全部払うことにして実質天領にでもするとか
579名無し三等兵:2010/07/19(月) 13:54:38 ID:???
今年も7月16日〜18日に京セラドーム大阪を本拠地とする
オリックスバファローズが、福岡ソフトバンクホークス3連戦で
集客企画として「大坂夏の陣」を開催しました。

夏の陣は大坂城軍の負け戦やし、筑前福岡藩との戦いとなると
勝負は見えとるやないか、
大坂の一般住民に多大な犠牲者が出た「夏の陣」を
カネ儲けイベントとしてやるのはまずいのとちゃうか、
ちゃんと慰霊はしとるんか・・・

・・・というオリックスファンの懸念通り、
「大坂夏の陣」では甲冑風デザインのユニフォームを着た
オリックスが3連敗、予想通りの落城w
580名無し三等兵:2010/08/02(月) 11:09:52 ID:???
「大坂夏の陣」企画で3連敗したオリックスは
憑き物が落ちたようにw次の試合から8連勝。
581名無し三等兵:2010/08/02(月) 15:42:55 ID:???
宇治川防衛策
582名無し三等兵:2010/08/02(月) 16:58:11 ID:???
豊臣家は公家になって家名残しても苦労するだろうなあ

2万石のぐらいになって天皇より所領多いじゃねーかってのもおもしろいけど
583名無し三等兵:2010/08/02(月) 17:59:25 ID:???
高家じゃなく摂関家筆頭として、
豊臣家を残しておけばよいものを。
584名無し三等兵:2010/08/02(月) 18:12:48 ID:???
近衛家が死力を尽くして抵抗するだろうな
585名無し三等兵:2010/08/02(月) 18:44:16 ID:???
近衛前久が豊臣秀吉の父親ということになっているから、
豊臣家は近衛家一門になっているから、
別に近衛家が抵抗することはない。
(近衛前久の子になることによって、
豊臣秀吉は関白に就任できることになった。)
586名無し三等兵:2010/08/02(月) 19:41:43 ID:???
>>585
その後、摂関職を豊臣家の独占にされて前久の子、信尹は軽く気が触れて一時薩摩に配流されている
五摂家、特に原因を創った近衛家にとって摂関職の復帰は悲願であっただろう
587名無し三等兵:2010/08/02(月) 20:12:22 ID:???
>>586
しかし、家力としては九条家に圧され始めているのだから、
むしろ豊臣家を守り立てて牽制する方策も近衛家としてはあるわけだが。
588名無し三等兵:2010/08/02(月) 20:21:27 ID:???
近衛信尹が勅勘を蒙る羽目に陥ったのは、
朝鮮征伐の折に近衛信尹が渡海しようとしたからじゃなかったか?
589名無し三等兵:2010/08/02(月) 20:38:25 ID:???
>>587
近衛家は活動的な面が強い上に尊王の気質も強い、どちらかというと日和る九条家一党(二条・鷹司)が
豊臣家に近づいても、このままでは最大の汚点を残す近衛家がそっちへ行くとは思えない

>>588
その前に関白相論で秀吉を関白職を取られた上、豊臣家に摂関職を独占されたことによる精神的ショックが
其の様な行動に走らせたと思われる
590名無し三等兵:2010/08/02(月) 20:57:50 ID:???
>>589
根拠の無い強引な推論ですな。
>>587-588が客観的に見て妥当な推論。
591名無し三等兵:2010/08/10(火) 16:50:09 ID:???
易京の戦い>坑道
592名無し三等兵:2010/08/20(金) 23:39:44 ID:???
>>590
同意
593名無し三等兵:2010/09/03(金) 21:22:40 ID:???
瀬田川防衛
594名無し三等兵:2010/09/04(土) 14:16:33 ID:???
冬の陣で一旦講和をせずにいたとすれば、何日粘れたんだろうか
595名無し三等兵:2010/09/04(土) 15:18:37 ID:???
年内に総構を爆破されて陥落、そのまま落城か内郭で持ちこたえるかは微妙だけど
春を迎える前には落ちるかと
596名無し三等兵:2010/09/04(土) 17:42:55 ID:???
>>595
その前に寄せ手側の諸大名が破産すると思うが。
597名無し三等兵:2010/09/04(土) 17:50:18 ID:???
大阪方が買い占めて徳川方は食糧不足どころか、
寒くて燃料がなく、武器入れる箱まで燃やして暖をとっていた(NHK)ようだから、
どちらに転んでも分からんなあ。
598名無し三等兵:2010/09/04(土) 18:37:42 ID:???
女を城郭にいれてなければ
まだまだ大坂方も粘れただろうしなあ
599名無し三等兵:2010/09/04(土) 18:51:55 ID:???
>>597
その辺は大阪方が周辺の食料などをかき集めたからで、家康が兵糧の移送を命じているので
一時的なものと思われる、何しろ大坂を攻囲して半月程度の話しだし
600名無し三等兵:2010/09/04(土) 19:43:34 ID:???
>>599
お前は兵站の維持を軽く見すぎている。
そもそも「兵糧の移送を新たに命じている」ということ自体、
所定の作戦が狂って来ている事の証で、
兵站の維持から見て決して楽観できない現状である。
601名無し三等兵:2010/09/04(土) 19:57:23 ID:???
>>600
命じたのは11月28日なので事前の準備
602名無し三等兵:2010/09/04(土) 20:06:38 ID:???
>>60
そんなのは事前の準備ではない。
603名無し三等兵:2010/09/04(土) 20:19:55 ID:???
599はただの夏厨
604名無し三等兵:2010/09/04(土) 20:44:00 ID:???
>>602
問題が表面化してから慌てて指示したという話ではないという意味なのだが
605名無し三等兵:2010/09/04(土) 20:50:02 ID:???
11月28日なので問題が表面化してから慌てて指示したという話だ
606名無し三等兵:2010/09/04(土) 20:58:40 ID:???
>>605
兵隊を送るのにインフラが手一杯でできなかっただけかと
607名無し三等兵:2010/09/04(土) 21:00:40 ID:???
兵隊を送るのにインフラが手一杯でできなかったというだけで、
事前の準備に失敗している。
608名無し三等兵:2010/09/04(土) 21:03:07 ID:???
具体的には?
まだ兵が大坂に着陣してから1ヶ月もたっていない時点での話
普通は先に兵を送ってその後に、兵站というのが基本で、物資が不足というのは
その間の事なのでこれは基本的に不可避な出来事
609名無し三等兵:2010/09/04(土) 21:21:43 ID:???
「普通は先に兵を送ってその後に、兵站というのが基本」とは、
軍事的に根本的に間違っている。
610名無し三等兵:2010/09/04(土) 21:45:19 ID:???
まだ599が暴れてるのか
611名無し三等兵:2010/09/04(土) 22:53:55 ID:???
>>609
兵站部隊を先に送ってその後に戦闘部隊送るというのが論外
後方兵站司令部は既に京都所司代という形で常設だし
612名無し三等兵:2010/09/04(土) 23:38:39 ID:???
作戦的にはどっちも並行して進めていかないとダメだろ
ただ、家康は豊臣の軍を自由にさせず
大坂城に押し込める大軍を送り込むのを優先させたのかな

>>611
久々の戦、しかも大軍相手なので兵站司令部の処理能力がオーバーフローになったっぽいな
613名無し三等兵:2010/09/05(日) 02:07:18 ID:???
京都所司代は兵站司令部じゃありませんw
治安維持機構の一部です
614名無し三等兵:2010/09/05(日) 09:00:50 ID:???
戦闘部隊を先に送ってその後に兵站部隊送るというのが論外
後方兵站司令部は既に京都所司代という形で常設のくせに、
後から物資を新たに輸送している体たらく。
615名無し三等兵:2010/09/05(日) 09:50:48 ID:???
>>614
一応、軍需物資(大砲・鉛)を事前に購入してたとは言え、10月に交渉決裂で開戦、
11月半ばに戦闘が始まり、12月より攻囲戦、12月半ばに休戦というハイスピードな
展開なので一時的に兵站へ無理が生じるのは当然
616名無し三等兵:2010/09/05(日) 13:58:51 ID:???
「展開なので一時的に兵站へ無理が生じるのは当然」というレベルなのならば、
そもそも戦端を開くこと自体間違っている。
交渉の時点でかなりの譲歩をこちら側から打ち出して、
開戦を先延ばしにしておく必要がある。
617名無し三等兵:2010/09/05(日) 14:09:49 ID:???
そんな事したら更に浪人が流入したり、部隊訓練されたり、食料を買い占められたりと碌な事がない
この場合は拙速を感受しつつ、早期に包囲・封鎖する方が正しい
618名無し三等兵:2010/09/05(日) 15:12:21 ID:???
>>617
「金持ち喧嘩せず」の鉄則を理解せよ。
理解していれば、「更に浪人が流入したり、部隊訓練されたり、食料を買い占められたり」しても、
何ら問題が無い。
619名無し三等兵:2010/09/05(日) 16:44:30 ID:???
>>618
それは喧嘩ふっかけてきた大坂方に言って
620名無し三等兵:2010/09/05(日) 16:46:03 ID:???
>>619
お前は「金持ち喧嘩せず」の鉄則を
全く理解していない。
621名無し三等兵:2010/09/05(日) 18:57:04 ID:???
では説明していただけますでしょうか
622名無し三等兵:2010/09/05(日) 19:05:49 ID:???
>>621
自分で独学で学べ。
623名無し三等兵:2010/09/05(日) 19:12:45 ID:???
>>622
なんだ、ただのゴミか。
624名無し三等兵:2010/09/05(日) 20:09:42 ID:???
>>623
なんだ、ただのゴミか。
625名無し三等兵:2010/09/11(土) 20:50:48 ID:???
>>618-
みんな、ただのゴミだ。
626名無し三等兵:2010/09/13(月) 21:10:50 ID:???
>>625がもっともゴミ。
627名無し三等兵:2010/09/23(木) 18:33:11 ID:???
>>596
正論だね。
628名無し三等兵:2010/09/23(木) 18:55:30 ID:ZWtv2nYU
まるで人がなんたらかんたら
629名無し三等兵:2010/09/24(金) 02:16:32 ID:XGuRGBQy
冬の陣じゃ明らかに家康軍側は兵糧不足に陥っている
家康は秀吉信長ほど兵站を理解していなかった
和睦を急いだのが家康側なのも当然だろう
豊臣側重鎮にもうすこし知恵者がいれば和睦を拒否しただろう
家康側は撤退せざるをえなかった
その後の展開も変わっていただろう
630名無し三等兵:2010/09/24(金) 07:48:31 ID:???
>>629
一時的なもの以上
631名無し三等兵:2010/09/24(金) 07:55:45 ID:???
>>630
>>600以上。
632名無し三等兵:2010/09/24(金) 08:55:19 ID:???
>>631
軍とは巧遅より拙速をもってなるべし
633名無し三等兵:2010/09/24(金) 17:57:20 ID:???
>>632
軍(戦闘部隊と兵站)とは巧遅より拙速をもってなるべし
634名無し三等兵:2010/09/24(金) 18:50:14 ID:???
>>633
何が言いたいの?
635名無し三等兵:2010/09/24(金) 19:18:24 ID:???
>>599が池沼ってことだ。
636名無し三等兵:2010/09/24(金) 19:44:21 ID:???
お前らが豊臣の兵馬の全権持ったとして就任時期次第で勝てそう?
637名無し三等兵:2010/09/24(金) 19:46:32 ID:???
>>635
兵站大事と言って、それに少しでも外れるのは無知・無能というのは
形を変えた参謀本部作戦課参謀(硬直した思考)だよ
638名無し三等兵:2010/09/24(金) 19:47:26 ID:???
そもそも、まず豊臣方の勝利条件ってなんだ
どこまでやれば勝ちになるんだ

単純に大坂に寄せてきた敵勢を打ち破った程度じゃ終わらんはずだが
639名無し三等兵:2010/09/24(金) 20:01:26 ID:???
>>636
土下座外交する
640名無し三等兵:2010/09/24(金) 20:18:48 ID:???
>>638
取り敢えずお家滅亡危機である大坂に押し寄せる軍勢の撃破が第一の勝利条件で
641名無し三等兵:2010/09/24(金) 20:40:10 ID:???
>>637
一時的なものと言って、それに少しでも外れるのは無知・無能というのは
参謀本部作戦課参謀以上に遥かに硬直した思考だよ
642名無し三等兵:2010/09/24(金) 20:57:39 ID:???
>>641
つまらん
643名無し三等兵:2010/09/24(金) 21:19:22 ID:???
とにかく大坂方は徳川方を撃退して撤退させれば、
それで勝利条件が達成されるからねえ。
>>596氏の指摘は客観的にみて正しい。
644名無し三等兵:2010/09/24(金) 21:28:21 ID:???
>>640
とりあえずかぁ
夏の陣じゃどう転んでも史実以上の結果は出んだろうから冬の陣で考えるとしても
戦国全盛期ごろの軍と比べて両軍に共通する行軍能力の低下を見ると
たとえどんだけ練った作戦案があったとしても、それに沿って行動できるかっつーたら相当怪しいだろう
結局、双方共に予想しない地点・時間での遭遇戦が頻発しての消耗戦、って史実夏の展開そのままになる気がするなぁ

ひたすら篭城して寄せ手諸大名の動揺・破産を待つのがなんだかんだでベターだったんじゃないか?
史実ではそうなるまえに大坂が根負けしちまったけど
そこをどうにか乗り切って、強攻に1・2度耐えて見せれば粘りきる目も出てくるかも
645名無し三等兵:2010/09/24(金) 21:52:44 ID:???
>>644
>ひたすら篭城して寄せ手諸大名の動揺・破産を待つのがなんだかんだでベターだったんじゃないか?

史実通りの最初からの篭城策は完全に否定されている。
やはり>>168さんの述べるように、
瀬田川防衛策をとって縦深防御に徹して遅滞戦術をとるべきであった。
646名無し三等兵:2010/09/24(金) 22:01:08 ID:???
瀬田川防衛策って良く聞くけどさ
それじゃ、真南にいる紀州浅野&姫路あたりに集結してから押し出してくるだろう西国諸大名に対する手当てはどーすんのって
ずっと疑問に思ってるんだが

最低でも背後の浅野をなんとかしてしまわんことには、落ち着いて京周辺を征圧しに行くことすらできんのじゃないか?
仮にも40万石近い大大名、本気で動員かけりゃ1万前後は集められるだろうし
これが周辺の小大名と合同して大坂城の背後で蠢動するようなことになれば目も当てられんことになると思うんだが

浅野や西国諸勢が積極的に動き出す前に家康本隊を叩けりゃいいが
そんな安易な決戦指向に家康が乗ってくるとも思えんしね
647名無し三等兵:2010/09/24(金) 22:14:16 ID:???
> 戦国全盛期ごろの軍と比べて両軍に共通する行軍能力の低下

ローマ軍ばりの猛訓練を施して何とかならんのか
648名無し三等兵:2010/09/24(金) 22:17:53 ID:???
>>647
徳川方諸大名=そんなことに使う金がもったいない
豊臣方=時間が無さ過ぎてどうにもならない
649名無し三等兵:2010/09/24(金) 22:27:08 ID:???
徳川方で遅いのは島津くらいなもんでしょう
650名無し三等兵:2010/09/24(金) 22:41:35 ID:???
紀州については、雑賀などの土豪を動かせば良いし、
西方面は湊川で防衛すれば良い。
何よりそこで完全に防ぎきれるのが前提ではなく、
あくまでも縦深防御による遅滞戦略の一環として行う戦略である。
651名無し三等兵:2010/09/24(金) 23:00:07 ID:???
でも冬のときは長晟本人が大坂に出張っている状態で一揆起きても普通に封殺されてたよね? >紀州
浅野全軍を張りつけにせざるを得ないほどの規模で動かせるのかどうかは、やってみんと分からんとしか言えないんじゃないか? そんなもん計算に入れて動いていいのか?
そもそも、どのタイミングで動かすのか? 動いたのを見てから京へ行くのか? 動いてくれるのを前提にして行動するのか?
どう転んでもギャンブルには違いなかろうし、外れたときのリスクがでかすぎるんじゃないか

でー……そもそも遅滞防御戦闘って、あの時点の豊臣軍の行動力で成立し得るのか?
半年後の夏の陣、しかも大坂近辺においてすら、豊臣軍は行軍関連で混乱しまくってるのに
京を確保して瀬田に布陣、その後遅滞防衛戦闘をしつつ機を覗うとか
どこでどんな齟齬を来たすか分かったもんじゃないだろう

湊川で守る、っつってもそれだけの兵力を分派したら、その分徳川本隊へ当たる数が少なくなるし
最悪、湊川・瀬田周辺で主力が拘束されているうちに、大和方面から一手に迂回されて紀州勢と合同し……なんて展開もありうるだろうし

出戦策は正味、ただでさえ博打なのにそれをさらに悪化させるだけとしか思えんのだわ
当たればリターンは大きいし、一気に家康を討ち取って大勝利という展開も、何か間違えば起こりえるかもしれないが
生き残るのを最優先にするなら採るべき策ではないと思うんだよなぁ
652名無し三等兵:2010/09/24(金) 23:22:31 ID:???
夏の陣を見てみると大坂方の動きの方が、
徳川方よりも手際がよく機動力がある。
やはり縦深防御による遅滞戦略が大坂方にとって最適。
653名無し三等兵:2010/09/24(金) 23:24:57 ID:???
ナム戦時の海兵隊のように八週間の即席訓練で
浪人共をシゴキ上げて殺人兵団を編成しよう!
654名無し三等兵:2010/09/24(金) 23:27:20 ID:???
>>652
天王寺・岡山を指しているならあれは後がないバンザイ突撃
655名無し三等兵:2010/09/24(金) 23:28:04 ID:???
徳川のどん百姓め!淀殿を敬うと言え!

こうですか?
656名無し三等兵:2010/09/24(金) 23:47:19 ID:???
>>654
それは違う、撤退戦をよく見てみろ。
657名無し三等兵:2010/09/25(土) 00:11:52 ID:???
>>656
道明寺・誉田の戦い?
あれは徳川方が疲労困憊して動かなかったから、
何しろ10時間も戦闘行動をしていたから
658名無し三等兵:2010/09/25(土) 08:24:12 ID:???
>>647
>>648
この時代の訓練が具体的にどんな物だったのかがよく解らん。
659名無し三等兵:2010/09/25(土) 08:51:30 ID:???
>>657
もっとよく夏の陣を考察しろ。
見当違いのことばっかり言っているぞ。
それ以前に日本語読解能力が、
お前にあるのか疑問だが。
660名無し三等兵:2010/09/25(土) 09:03:27 ID:???
>>659
単にお前が具体的に言わないのが悪い
661名無し三等兵:2010/09/25(土) 16:37:13 ID:???
>>660
つまり君は勉強不足というわけですねw
662名無し三等兵:2010/09/25(土) 16:39:45 ID:???
>>661
いいえ、あなたの説明不足が原因です
5W1H位はご存知でしょうに
663名無し三等兵:2010/09/25(土) 16:48:27 ID:???
>>662
いいえ、あなたの勉強不足が原因です
5W1H位はご存知でしょうに
664名無し三等兵:2010/09/25(土) 17:02:51 ID:???
>>663
だからそれを示してくださいと言っているのですが?
具体的にどこの戦場で、どの様な時に、豊臣方の誰が、何で、どの様に徳川方より優れた行軍の
撤退戦を行ったのですか?
665名無し三等兵:2010/09/25(土) 17:30:26 ID:???
>>664
だからそれを自分で勉強しろと言っているのですが?
具体的にどこの戦場で、どの様な時に、豊臣方の誰が、何で、どの様に徳川方より優れた行軍の
撤退戦を行ったかをね。
666名無し三等兵:2010/09/25(土) 17:33:20 ID:konVeAHJ
>>665
何だ知らないのか、相手して損した
667名無し三等兵:2010/09/25(土) 17:37:04 ID:???
>>666
何だ只の池沼か、相手して損した
668名無し三等兵:2010/09/25(土) 19:47:24 ID:???
たまにまともそうな流れになったと思ったら一晩でこれだ
669名無し三等兵:2010/09/25(土) 20:07:31 ID:???
>>653
家康の豊臣討伐令・片桐らの大坂退去が共に10月1日
それに前後して浪人衆が続々入城し、例えば真田は10月9日に九度山を脱出して大坂に向かっている
で、家康の駿府出発が10月11日
16日以降、近在の諸将が続々と伏見城に到着し
家康も23日に二条城入り
その後秀忠率いる本隊の到着を待って、11月15日に大坂へと向かっている

ちゅーわけで、8週間という時間すら大坂方には与えられておりましぇん
つーか、速攻出戦・宇治瀬田に出る策に決したとして
タイムスケジュール的にはむっちゃくちゃ厳しいような
伏見を攻囲しつつ宇治川沿いに防衛線を引いて家康を待ち受けるとかいくらなんでもジョークが過ぎるしな
670名無し三等兵:2010/09/25(土) 20:34:18 ID:???
>>669
いや充分だろ。
足りない兵力は現地の食い詰めたものを傭兵として雇えば良いし、
伏見城は要害ではなく、居館程度の防備だし。
(関が原前哨戦で簡単に落城しているし。)
大坂方は極少数の兵力で、
総構もある要害の郡山城を短期間に落城させている。
瀬田川での防衛が不可能という方がジョークに過ぎる。
671名無し三等兵:2010/09/25(土) 20:45:00 ID:???
>>668
それもこれも>>644があまりにもDQNだったのが元凶だ。
672名無し三等兵:2010/09/25(土) 20:52:04 ID:???
>>671
具体的用例を引いて答えろよと詰められて
それをせずに相手を馬鹿の勉強不足とののしるやつもDQNレベルでは全く劣ってないがな
673名無し三等兵:2010/09/25(土) 20:55:16 ID:???
>>672
要求されている具体的用例なんて予備知識として必要なものだと詰められて
それをせずに相手を馬鹿の説明不足とののしるやつはDQNレベルでは至高のものだ。
674名無し三等兵:2010/09/25(土) 20:57:05 ID:???
>>670
部隊単位の練兵がゼロの状態ではただの烏合の衆
後、伏見城が簡単に落城とはどういう認識?
675名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:00:01 ID:???
当時有り触れて食い詰めている浪人達を「練兵がゼロ」とはw
676名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:00:36 ID:???
>>670
史実から見ても妥当な考察ですな。
677名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:03:59 ID:???
>>670
簡単に、って2000で4万の攻撃に10日ちょい耐えてみせりゃ充分だろ……
関ヶ原当時よりはこじんまりとした形に再建されているとはいえ
数日持久すれば各地から続々と援軍が集まってくるのが見えている状態で簡単に落とせるもんか?
大坂方に大規模出戦の気配があるなら、当然伏見の防衛準備・兵力の集中も前倒しになるはずだし

つーか、真田の大坂入城から一週間足らず
開戦決定の日から考えても二週間ちょいの時間しか無いわけで
そんな短時間で寄せ集めも良いところの浪人衆をどの程度統制の取れた軍隊に化けさせられるもんかね?

個人戦〜小規模戦闘までならまだしも、全軍の統制だった行動が必須の長躯侵攻・攻城そして野戦陣地の構築と
そこまで手際よく寄せ集めの軍団が動けるとは到底思えんよ
678名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:07:10 ID:???
>>656の言っている様に豊臣方の諸部隊は手際の良い動きがしているからねえ。
諸部隊間の情報伝達に少々問題があるようだが、
それは徳川方も似たようなものだし。
679名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:10:03 ID:???
>>677
伏見なんかで篭城はしないだろう。
>>670氏の言ってるように篭城用の要害じゃないのだから。
武装が貧弱な民衆の暴動のような一揆勢じゃないのだから。
一旦近江へ撤退する方が最適。後からくる大軍に合流する方がよい。
680名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:15:44 ID:???
>>675
当然、個人の練度と部隊の練度は全く別次元の話
681名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:16:25 ID:???
瀬田川防衛策否定厨は、
何より瀬田川防衛そのものが成功することを
前提している点が問題だ。
真田信繁の「その見込みが無いときに初めて城に立て籠もって戦う」という
発言が示すように、あくまで防衛が失敗することが折込済みの
縦深防御による遅滞戦術をとるという案が実像だ。
682名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:17:38 ID:???
>>680
当然、個人の練度と部隊の練度は当時としては連関している話
683名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:19:49 ID:???
七手組やらから下士官クラスを送り込めば部隊は結構運用出来ただろうが
アイツら平時は城内で遊んでたから、人材もノウハウもなかったんだろうなぁ
684名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:24:34 ID:???
>>683
徳川方の動員された兵力なんて、
世代交代されていて実戦経験の無い連中の兵力になっていたんだっけ。
実戦経験の無い連中が馬をそのまま戦場に乗り入れようとして、
老兵に叱られたりとか。
豊臣方の場合は、腕の覚えのある熟練した浪人が中心だったから。
(そもそも実戦経験無い奴なんて、
後方任務ならともかく前線任務に雇われようとしないだろう)
685名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:25:05 ID:???
んーで、何よりも疑問なのは
とりあえず、紀州浅野は特大の一揆で動けず、寄せ集めの浪人衆もうまいこと統制取れた動きを見せ、伏見の防衛準備も整わず
初動はうまく運んで、家康の到着前に無事京周辺の制圧に成功、近在の敵勢を追っ払い
宇治・瀬田に出て防衛線を引くことができたとして、それからどうすんの? ってことなんだが

京を落とせたとなれば、そりゃあ政治的には大得点だが
家康・秀忠の率いる徳川の野戦軍は全く無傷で、遅くとも11月始めには近江に集結するという状況で、
名のある大名家が豊臣方に靡くかって言えば、そりゃいくらなんでも無理が過ぎるだろ?

宇治川沿いに両軍が睨み合い、戦線が膠着した状態になったとしても
西国諸大名の軍勢がいずれ集結して播磨から摂津へとやってくるわけで……
それが分かっている状態で、徳川本隊も宇治川防衛線を無理押しすることは無いだろう

東西2方向、悪くすれば紀州を入れて3、最悪徳川方が余剰兵力を用いて、大和方面に一手を裂いて4方向に有力な敵勢を抱えた状態で
縦深防御による遅滞戦術とやらがすんなり成立し得るのか?

それぞれの戦線に部隊を派遣して、地形と内線の利を活かすとしても
それってつまり夏の陣で敗退したのとまるで同じような展開じゃねーの?
686名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:31:32 ID:???
>>685
>それってつまり夏の陣で敗退したのとまるで同じような展開じゃねーの?

それは万歳突撃しか方策が無かったからだろう。
大坂城が丸裸で要害じゃなくなっているんだから。
そもそも縦深防御による遅滞戦術を理解しているのか?お前は。
縦深防御による遅滞戦術とは万歳突撃を否定するのも重要な要素だ。
687名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:33:24 ID:???
まあ、何より粘って長く抵抗して徳川方が兵站面で瓦解させて、
撤退させるのが縦深防御による遅滞戦略の最大の目的だからね。
688名無し三等兵:2010/09/25(土) 21:45:50 ID:???
>>687
発掘調査から豊臣時代の大坂城にはトーチカ城のものが
周辺に配置されていたりなど、かなり強固な縄張りで防御施設が作られていたらしい。
だから、より簡易的な防御施設を周辺に作る時間稼ぎをするためにも、
最初から篭城するのではなく、縦深防御による遅滞戦略をとるべきだったろうね。
また、大坂城の真骨頂は浮城化させることができる点もあるのだから、
早期に篭城して引きこもってしまっために、
その処置が不十分で後に徳川方による対策によって
浮城化が一定の効果しか発揮できなかった点もある。
689名無し三等兵:2010/09/25(土) 22:06:47 ID:???
冬の陣で現将軍による大坂城強襲案が採用されていたら
690名無し三等兵:2010/09/25(土) 22:07:25 ID:???
>>686
いや、だからさー

敵が一方向から来るのであれば理解できるんだ
河川・隘路等の地形障害、あるいは野戦陣地などを活かして、
決戦を急ぐのでなく粘り強く戦って時間を稼ぎ、
情勢の変化(この場合は徳川方諸大名の金蔵の底が見えるまで粘るか、有力大名家の心変わりを待つか……)を待つってのは
問題なく成立しうるとは思う

ただこの場合、最悪3方だの4方だのに有力な敵勢を抱え込む状態だぜ?
近江から進出してくるだろう徳川本隊以外の敵にどう対応するつもりなのか、あんたの言ってることが全く分からん
だいたい、まず直近の大敵になるはずの浅野に対してすら、土豪を扇動して云々なんて史実で失敗した策を持ち出されても正味納得のしようがない

例えば、徳川本隊と豊臣本隊が宇治川沿いににらみ合ってる状態で
秀忠にでも誰にでも良いけど5・6万の大軍を率いさせて、大和経由で大坂に流し込むとか、そういう手をとられた場合、
目の前に家康本隊を抱えた豊臣主力に、対応できるだけの手が果たしてあるんかいな

なんだかんだあって、最終的に、主力を温存したまま大坂城まで引くことができたとしても
後は史実の結末を少し時期遅らせてなぞるだけになるんじゃないのか?
仮に史実より一月二月敗戦を長らえさせ得たとしても、その程度の時間で徳川の金蔵が空になるとはとても……
兵站面での瓦解を狙うっつっても同様に
京という兵站ステーションを失ったとはいえ、何方向かに分散している軍を養うのは、一点に集中している大軍を養うよりずっと容易なわけでさ……
691名無し三等兵:2010/09/25(土) 22:12:20 ID:???
> 秀忠にでも
ダメ、絶対!
692名無し三等兵:2010/09/25(土) 22:15:41 ID:???
>>690
>大和経由で大坂に流し込むとか

基本的に隘路になりますし、
大坂方に有利な状況ですね。
693名無し三等兵:2010/09/25(土) 22:33:12 ID:???
>>692
いや……だから
基本的に隘路になるっつっても、その隘路で守る兵力をどっからどうやって捻出すんのか! って話だよこれは
5万6万に対して1万2万でも防げます、ってそんな無茶な話はない
また、3万4万と配置換えを行うのであれば今度は京方面の防衛線が怪しくなる
さらに言うなら、当然大和路方面の防衛準備は、京周辺におけるそれよりも手薄になっていなければおかしい

そもそも、遅滞戦術云々は、防衛線を敷いた地域・拠点に対して相手が押してきてくれなきゃ成立しないだろ
その地点へ、徳川側が全軍でもって攻撃を仕掛けなければならない、という状態ならばまだしも
徳川方には他に侵攻ルートがあり、他に行動している有力な友軍があり、総数でも倍かそこらの優位に立っている
ならば、一手をもって豊臣主力を瀬田の線で拘束、他方から一手を迂回させて大坂への進出を図る、ってのが徳川方の採りうる妥当な手段じゃないか?

大和路でなくとも、時間はかかるけども琵琶湖をぐるりと回って西岸から京を狙うか
戦後処理の問題は大きくなるだろうが、西国諸大名に対する動員を強化して播磨から摂津へ大部隊を送り込むか
もちろん兵力の分散は大きくなるけど、全部同時平行で行ってもいい

兵力の優越を活かした多正面作戦で攻められた場合に豊臣方にまともに対抗する手段はあるのか、って話
694名無し三等兵:2010/09/25(土) 22:38:58 ID:???
>>693
それくらいの充分な兵力はあっただろう。
雇った浪人の使える武将ですら何人も居ただろう。
695名無し三等兵:2010/09/25(土) 22:49:27 ID:???
>>694
だろうだろうっておい
総数10万VS20万ってのが冬の陣における共通認識じゃないのか?
3路4路から多正面作戦を仕掛けてくる20万相手に、10万でどう縦深防御を成立させるのか具体的に言ってみろよ

初動でそれぞれに兵を分散させ、各地で防衛線を引く、という手段もあるにはあるが、
その場合、紀州勢・西国勢それぞれが、対峙した豊臣勢を拘束しつつ
徳川本隊が大和路防衛線か瀬田の防衛線かのいずれかに兵力を集中、数任せにぶちぬきにかかってくるのも目に見えてるだろ
またそれやった場合、初動でうまいこと京周辺を制圧し得るのか、って新たな問題も孕んでくるし

まさかナポレオンよろしく、内線の利を活かした各個撃破戦術でとか言い出すなよ
いままでの防御的な主張から180度転換も良いとこだぞ
696名無し三等兵:2010/09/25(土) 22:55:14 ID:???
各個撃破戦術といっている時点で、
縦深防御による遅滞戦術を全く理解していないw
697名無し三等兵:2010/09/25(土) 22:56:34 ID:???
話すり替えんなよ
多正面から進出してくる20万を10万でどう防ぐのか具体的に言って見ろ、っつってんだよ
698名無し三等兵:2010/09/25(土) 23:00:28 ID:???
>>697
充分、人材と兵力がある。
それに攻撃側が守備側の二倍程度では心許無い。
699名無し三等兵:2010/09/25(土) 23:11:33 ID:???
だーからその充分とやらを具体的に、初動の動きから防衛線を張る大まかな地域と兵力くらい述べてみろっつってんだよ!!

総数では倍でも、局所的に3倍4倍の優位を作ることもそれこそ充分に可能だ
攻撃側は、防御側に対して戦略的イニシアチブを握ってるんだからな

例えば大和路から6万、播磨から7万で攻め入られたとして、
京周辺にいる主力・大坂の守りにいる残余をどう動かして縦深防御を成立させる?

例えば初動から大和路に3万程度、摂津・播磨国境の要地に2万程度の兵を配して守りを固めさせていたとして
ならば京付近にいるのは、大坂城の守りに1万程度は残したとして残り4万そこそこだ
家康率いる10万越えの大軍相手に、数任せに殴りかかられてどうにかできる兵力差か?
地形を利した遅滞防御をうたってみたところで、圧倒的多数の前に押しつぶされるのが関の山だろうに
700名無し三等兵:2010/09/25(土) 23:12:43 ID:???
>>697が話すり替えに必死w
701名無し三等兵:2010/09/25(土) 23:14:12 ID:???
>>699は地の利の脅威を甘くみて理解していないw
702名無し三等兵:2010/09/25(土) 23:25:24 ID:???
史実の大坂方の攻撃力と徳川勢のヘナチョコぶりを見ると
10万vs4万で決戦なら十分チャンスはありそうに見える
703名無し三等兵:2010/09/25(土) 23:36:10 ID:???
だーーーーーーーーーかーーーーーーーーらーーーーーーーーーーさーーーーーーーーー!

地の利を得、充分な兵力で守る堅固な縦深陣地を構築しえたとして
そこをスルーされて別方面からの進出を図られるか
あるいは地の利による優位を帳消しに出来るくらいの数的優位を徳川方に得られるか

そのような状態に陥った場合、どう行動して防御を成立させるんだ、っていうんだい!

>>702
つーてもさ、確かに兵力差の割には際どい局面になりつつも、最終的に豊臣方は総崩れになっとるわけだし
それにこの場合、決戦っていうよりも攻城戦だろ
豊臣方は川に沿って守る、それを準備万端整えて攻める徳川方という形勢で、
夏の陣最終局面であったような、真田隊による家康本陣への突撃だとか、それに類似したような状況が現出される余地は、
よっぽど徳川方の誰かがトンチンカンなことをしないかぎり起こり得無いだろう
704名無し三等兵:2010/09/26(日) 00:03:43 ID:???
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●淀殿不敵!007歓迎、信繁の弱点探して
705名無し三等兵:2010/09/26(日) 09:08:26 ID:???
豊臣方は総崩れの最大の原因が、
バンザイ突撃だというのが>>703には理解できていないらしい。
>>661氏、>>698氏達の言っていることが極めて正論である。
706名無し三等兵:2010/09/26(日) 09:57:30 ID:???
これほどあからさまな自演も久々に見た
707名無し三等兵:2010/09/26(日) 10:18:24 ID:???
とりあえず、大坂の陣について言いたいことがあるなら最初に、「大日本史料」の
対応箇所を読んでからにしろと言いたい
ネットがあれば無料で閲覧できるんだ、文句はあるまい
708名無し三等兵:2010/09/26(日) 13:45:04 ID:???
>>660=>>703のようなこれほどあからさまな自演も久々に見たねw
709660:2010/09/26(日) 13:58:22 ID:???
>>708
違うわ、この無知が
710名無し三等兵:2010/09/26(日) 14:22:22 ID:???
>>709
お前、もういいよw
711660:2010/09/26(日) 16:23:06 ID:???
なんだ、早速逃げたか
712名無し三等兵:2010/09/26(日) 16:32:15 ID:???
なんだ、早速>>660が糞無能レスしたか
713660:2010/09/26(日) 17:07:22 ID:???
お〜いお猿さん、同じこと何度もやって面白いかいw
714名無し三等兵:2010/09/26(日) 17:28:23 ID:???
お〜いお馬鹿さん、同じように何度も馬鹿にされて面白いかいw
715660:2010/09/26(日) 17:43:42 ID:???
>>714
今度はオウムか、動物園だなこりゃ
716名無し三等兵:2010/09/26(日) 17:50:24 ID:???
オウム返される池沼w
717660:2010/09/26(日) 18:06:18 ID:???
>>716
自分自身のことよく解っているじゃん
718名無し三等兵:2010/09/26(日) 18:33:35 ID:???
>>717
自分自身のことよく解っていないほどキチガイじゃん www
719660:2010/09/26(日) 18:55:13 ID:???
>>718
うん、良く御理解しておられる
720名無し三等兵:2010/09/26(日) 19:18:18 ID:???
>>719
うん、良く御理解しておられる
721660:2010/09/26(日) 19:47:30 ID:???
>>720
うんうん、良く御理解しておられる
722名無し三等兵:2010/09/26(日) 20:38:26 ID:???
>>721
w
723名無し三等兵:2010/09/27(月) 03:55:10 ID:???
もうウザイからどっちも消えろ
オウム返ししかできない低脳の煽り合いも見飽きたわ
724名無し三等兵:2010/09/27(月) 08:49:11 ID:???
どう考えても、オウム返されるやつの方が低脳w
725名無し三等兵:2010/09/29(水) 14:03:41 ID:???
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726名無し三等兵:2010/10/02(土) 06:03:11 ID:???
さーて次回の大阪の陣は

・秀頼、秀忠と小学生レベルの煽りあい
・家康、胃が痛む
・真田丸、シーシェパードを蹴散らす

の3本です。
727名無し三等兵:2010/10/02(土) 06:27:15 ID:???
もし家康が冬の陣前に死んでたらどうなってた?
728名無し三等兵:2010/10/02(土) 13:33:57 ID:???
だから最後は家康の命だけを狙ったわけで
729名無し三等兵:2010/10/18(月) 19:14:31 ID:???
宇治川での防衛が一番妥当だったわけだな。
730名無し三等兵:2010/10/18(月) 19:19:21 ID:???
>>704>>735
ゲキワロ
731名無し三等兵:2010/10/21(木) 00:59:24 ID:???
一条殿に匹敵する軍才のやつがいるな
732名無し三等兵:2010/11/04(木) 19:20:44 ID:???
?
733名無し三等兵:2010/11/04(木) 21:00:48 ID:???
軍とは巧遅より拙速をもってなるべし
734名無し三等兵:2010/11/04(木) 21:07:37 ID:???
会戦が開始される前に勝敗が決しているのが大規模戦闘の常
735名無し三等兵:2010/11/04(木) 21:23:44 ID:???
>>734は一件玄人っぽいが素人の見かただな
736名無し三等兵:2010/11/04(木) 22:32:10 ID:???
倍くらいの戦力差なら、戦術でそれを引っ繰り返した例は幾らでもある
737名無し三等兵:2010/11/04(木) 22:42:58 ID:???
タイムスケジュール考えたら
冬の陣で10月上旬に京〜宇治勢田へ出陣とか絵空事も良いとこにしか見えんがね
738名無し三等兵:2010/11/04(木) 23:08:38 ID:???
まぁ、でも俺らよりダンチで経験のある浪人集が主張してた訳だし
739名無し三等兵:2010/11/04(木) 23:19:16 ID:???
>>736
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
740名無し三等兵:2010/11/04(木) 23:48:37 ID:???
>>739
いやいや
下馬評不利の中で勝った将は勝つための手を打った上だからこそ
勝ち目が見えたときに逃さず勝利の女神が微笑んだのだよ
741名無し三等兵:2010/11/05(金) 00:55:22 ID:???
勝つ為の策を全く生み出せなかったのに
伝染病やらの発生で勝手に敵が自滅した例もあるけどな
742名無し三等兵:2010/11/05(金) 04:43:29 ID:???
>>740
敵失がない限りランチェスターは覆せない
743名無し三等兵:2010/11/05(金) 13:02:36 ID:???
>ランチェスター原則
敵失云々の事柄ではないんだが
744名無し三等兵:2010/11/05(金) 22:17:41 ID:???
同じスペックが前提だから脳みそに差があったら通用しない
745名無し三等兵:2010/11/16(火) 20:48:56 ID:???
大坂冬の陣で徳川方で出陣していたのに、
何故か大坂夏の陣では豊臣方で出陣するとは、
増田長盛父子は一体何がしたかったんだ?
746名無し三等兵:2010/11/16(火) 22:59:51 ID:???
やはり恩ある自分は豊臣の為に死ぬべきだ
って考えじゃなかろうか

こうゆうの結構あるよ
親子揃っては珍しいし、その結果は取り潰しじゃなかったかな
747名無し三等兵:2010/11/17(水) 08:02:31 ID:???
そもそも増田長盛の行動が、
関が原の西軍の敗因の遠因になっていたのではなかったか?
関が原で西軍が勝利していれば・・・
748名無し三等兵:2010/11/17(水) 12:56:42 ID:???
>>747
>関が原で西軍が勝利していれば・・・

ふっ、隠し兵力4万を忘れたのかね。
749名無し三等兵:2010/11/17(水) 17:38:02 ID:???
>>748
家康の屁タレ次男はどうなんだ?www
750名無し三等兵:2010/11/17(水) 22:05:57 ID:???
秀康がどうしたって?
751名無し三等兵:2010/11/18(木) 09:55:47 ID:???
まあ、家康の次男・三男は屁タレだがwwwww
752名無し三等兵:2010/11/18(木) 21:21:01 ID:???
>>749
いや、その、何と言いますか、背水の陣をひくため、わざと遅刻させたんですわ
753名無し三等兵:2010/11/20(土) 16:51:08 ID:???
スレ違いになるけど、秀康ってヘタレだったのか?
754名無し三等兵:2010/11/20(土) 17:27:33 ID:???
>>753
屁タレだろ、秀吉の息子だったくせに
豊臣の恩を忘れて徳川と豊臣の調整・執り成しすらやろうとすらしなかった。
755名無し三等兵:2010/11/21(日) 14:29:42 ID:???
真田丸
756名無し三等兵:2010/12/02(木) 16:24:38 ID:???
水野勝成のテンションの高さはガチ
757名無し三等兵:2010/12/05(日) 12:30:02 ID:???
会戦が開始される前に勝敗が決しているのが大規模戦闘の常
758名無し三等兵:2010/12/05(日) 13:13:01 ID:???
事前に勝敗が決しているなら
刻々と入る情報を処理する参謀本部は仕分け対象だなw
759名無し三等兵:2010/12/05(日) 17:32:12 ID:???
戦略で全てが終わるなら戦術なんか要らんじゃん
760名無し三等兵:2010/12/06(月) 17:54:23 ID:???
>>756
渡辺了もそうだな。
水野勝成の方は運良く敵を駆逐できる状況がそろっていたが、
渡辺了の八尾での戦闘以外は運に見放され、
手痛い被害を受けているね。
尤も、水野勝成も部隊としては甚大な被害を受けており、
伊達政宗から諌められてなかったら、
真田勢あたりに討ち取られていても可笑しくない。
761名無し三等兵:2010/12/11(土) 22:19:26 ID:???
宇治川防衛策が一番妥当。
762名無し三等兵:2010/12/12(日) 00:57:48 ID:???
>>761
実戦経験の無い連中が反対していますw
浪人は信用できないそうです。
(だったら呼ぶなよなぁw)
763名無し三等兵:2010/12/12(日) 14:45:28 ID:???
つうか、浪人側も「大将に積極性がない。これでは徳川と戦えぬ」
とか言って出てく振りして主導権を得るとかすればいいような気が
764名無し三等兵:2010/12/12(日) 14:48:41 ID:???
とにかく、淀君が問題。
秀頼さえ出陣してれば、かなり戦略に幅が出てくるのだが。
秀頼直属の優秀な旗本勢の大軍が使われず、
そのまま目立った動き無く壊滅してしまったし。
765名無し三等兵:2010/12/12(日) 14:52:30 ID:???
淀君は後世の後付だろう
所詮母親が戦に口出しすることはないと思う。
おそらく普代の連中が好き勝手言ってたんだろ。
766名無し三等兵:2010/12/13(月) 21:04:49 ID:???
>>764
夏の陣で七手組が信繁に続いて家康本陣を襲撃していれば、家康の首級挙げられたろうに。
そうなれば秀忠は戦場離脱し、引き分けにはこぎつけられたと思う。
767名無し三等兵:2010/12/13(月) 21:13:41 ID:???
片目の人の口元が歪むのが見える
768名無し三等兵:2010/12/13(月) 21:33:52 ID:???
翌年、そこには元気に秀頼に土下座する正宗の姿が!
769名無し三等兵:2010/12/14(火) 00:12:36 ID:???
会戦が開始される前に勝敗が決しているのが大規模戦闘の常
770名無し三等兵:2010/12/14(火) 11:13:28 ID:???
>>769
カンネーの戦いや赤壁の戦いは例外ですか。
771名無し三等兵:2010/12/14(火) 16:04:59 ID:???
カンネーはローマに対して兵力、練度、士気で劣勢
カルタゴが有利なのは左右の騎兵と己の知略のみ

この状況で包囲殲滅のパーフェクトビクトリーだからハンニバルが凄すぎる
772名無し三等兵:2010/12/14(火) 16:09:48 ID:???
結局秀吉は無理に天下をとりすぎた(あそこでしか天下とれないけど)
家康を毒殺、謀殺なんでもいいからとりあえず殺す必要があったが
人が良かったというのもあるだろうし
世間体を考えると出来なかった

もうそこで決着はついてるよ

国を2分する戦いになったら戦術で戦略には勝てない
773名無し三等兵:2010/12/14(火) 17:49:30 ID:???
>>772
というか、秀吉の警戒の対象は家康よりも
九州・中国などの西国に重点的過ぎたということもあると思う。
事実、幕末・明治維新を考えれば結果的には秀吉の警戒の対象は
間違ってなかったと言えるかもしれないが。
774名無し三等兵:2010/12/14(火) 20:36:23 ID:???
蒲生氏郷が生きてたら、家康抑えとしても有効に機能したのかな・・・
775名無し三等兵:2010/12/16(木) 04:24:17 ID:???
日本史とかって勉強する意欲なくすよね


誰がチョンマゲハゲ共のことなんか知りたいんだよ


アタシは日本史なんて興味ねぇし、そんな知識を頭に詰め込んだって無駄だと思ってる


どうせ歴史勉強すんならアマゾネスのこととか勉強したい


アマゾネスってのは女戦士だけの国のことだよ


女の理想郷だよね


こういう国の勉強なら糞つまんねぇ授業もいくらか有意義になるよ
776名無し三等兵:2010/12/16(木) 22:00:34 ID:???
>>774
微妙な気が・・・
777名無し三等兵:2010/12/16(木) 22:31:22 ID:???
越後に上杉、会津に蒲生、常陸に佐竹
秀吉の構想どうりガッチリ対徳川包囲網に見える
778名無し三等兵:2010/12/17(金) 01:04:57 ID:???
全員が気づいたら徳川方に居そうだけどな
家康の黒い腹的に考えて
779名無し三等兵:2010/12/17(金) 16:36:53 ID:???
大阪城の浪人は士気が高いと言われながらも、
当たらんが音が大きい大砲を昼夜撃ち続けて眠らせないようにして
(あと、定期的に大声やのろしを上げさせたり)
浪人の士気は寝不足疲労で相当に低下していたとNHKではあった。
淀殿近くへの直撃は単なる講話のきっかけに過ぎず、
厭戦気分も相当なものだったらしい。

食料・燃料不足で窮地に立った家康の、頭の良さが分かるエピソードだった。
息子さんはまあ政治家としては立派なわけで・・・
780名無し三等兵:2010/12/17(金) 16:43:28 ID:???
浪人衆は篭城に反対だったからな。
譜代も篭城がこんなに大変だとは思わなかったんだろう。
781名無し三等兵:2010/12/17(金) 17:55:48 ID:???
つうか、普代が癌だな
内通者も浪人より多そうな勢いだし
782名無し三等兵:2010/12/17(金) 21:49:14 ID:???
>>779
>当たらんが音が大きい大砲を昼夜撃ち続けて眠らせないようにして
(あと、定期的に大声やのろしを上げさせたり)
浪人の士気は寝不足疲労で相当に低下していたとNHKではあった。

後付け設定のような気もするけどな。
当時の総構の縄張りを考えるとそんなに効果があるとは思えない。
何より定期的に大声やのろしを上げる方がまず疲労困憊するが。
783名無し三等兵:2010/12/18(土) 17:40:58 ID:???
宇治川防衛策
784名無し三等兵:2010/12/18(土) 19:16:19 ID:???
伏見城があるから無理
785名無し三等兵:2010/12/18(土) 19:20:29 ID:???
伏見城など軽く落とせる。
786名無し三等兵:2010/12/18(土) 19:53:43 ID:???
当時の伏見城城番
城代…松平定勝(五万石)
在番…大番二組(十万石換算)
その他定番多数

とするから、少なく見ても五千程にはなる
数日持てば近隣から大名が押し寄せるのでこの間に落とすのは先ず不可能
787名無し三等兵:2010/12/18(土) 20:45:49 ID:???
そもそも伏見城は篭城用の要塞ではなく、居館程度の縄張り。
そして当時の伏見城はかなり縮小されて丸裸同然の状態。

また、大坂方は総構のある堅城である郡山城を容易に落としている。

そもそも>>784=>>786が池沼なのは、この前スレッドから何度も議論され、
「大坂方によって容易に伏見城が落城する」ということが結論が出ているのに、
それを理解していないところから来ている。
788名無し三等兵:2010/12/18(土) 20:50:56 ID:???
>>787
正論ですな。
789名無し三等兵:2010/12/18(土) 21:28:20 ID:???
>>787
規模的には関ヶ原の時の籠城範囲と同じで、兵力はこちらの方が多い
後、郡山城は戦う前に逃げている
790名無し三等兵:2010/12/18(土) 21:32:12 ID:???
>>789
規模的には関ヶ原の時の籠城範囲から縮小され、兵力でも大坂側の方が多い
後、郡山城は士気の盛んな守備部隊が頑強に抵抗している。
791名無し三等兵:2010/12/18(土) 21:50:28 ID:???
>>790
大間違い

関ヶ原の時の籠城範囲は本丸、西丸、三の丸、治部少輔丸、名護屋丸、松丸、太鼓丸で
これはその後の伏見城とほぼ同じ
兵力って出陣もしていないのに、出撃可能な数がよく判るな

郡山城についてはそんな話は初耳だね
792名無し三等兵:2010/12/18(土) 22:04:27 ID:???
>>790
大間違い

関ヶ原の時の籠城範囲は本丸、西丸、三の丸、治部少輔丸、名護屋丸、松丸、太鼓丸で
これはその時に規模縮小され伏見城とほぼ同じではない。
兵力って出陣もしていないのに、出撃可能な数がよく判るな

郡山城について知らないとはそんな話は初耳だね
793名無し三等兵:2010/12/18(土) 22:09:36 ID:???
>>792
大間違い

関ヶ原の時の籠城範囲は本丸、西丸、三の丸、治部少輔丸、名護屋丸、松丸、太鼓丸で
これはその後の伏見城とほぼ同じ
兵力って出陣もしていないのに、出撃可能な数がよく判るな

郡山城についてはそんな話は初耳だね
794名無し三等兵:2010/12/18(土) 22:14:47 ID:???
>>793
大間違い

関ヶ原の時の籠城範囲は本丸、西丸、三の丸、治部少輔丸、名護屋丸、松丸、太鼓丸で
これはその時に規模縮小され伏見城とほぼ同じではない。
兵力って出陣もしていないのに、出撃可能な数がよく判るな

郡山城について知らないとはそんな話は初耳だね

795名無し三等兵:2010/12/18(土) 22:23:51 ID:???
>>794
縮小されたのは御花畑山荘・徳善丸・大蔵丸の部分
796名無し三等兵:2010/12/18(土) 22:40:00 ID:???
つまりもはや丸裸同然ってとこだな。
797名無し三等兵:2010/12/18(土) 22:48:51 ID:???
>>796
本丸、西丸、三の丸、松丸、名古屋丸、治部少輔丸、四の丸等があるのに?
798名無し三等兵:2010/12/19(日) 06:31:17 ID:???
というかだな。
大阪方に即出戦の気配があると分かった段階で
伏見には相応の増援が入って当たり前だし
周辺諸大名の動員も早まって当然
平時の在番衆しか入っていない想定で伏見の守りを云々するのは馬鹿げてる

京都所司代が数万の大兵団の出撃を察知できないレベルの低脳で
戦略奇襲に成功すると強弁するのか?

また奇跡的にそうなったとしても、2・3日も保てば城側には援軍が続々到着するわけで
伏見クラスの城が、その期間すら持ちこたえられないとか、常識で考えてまずあり得ん
2000そこらの兵力で4万の攻撃に2週間耐えた実績のある城だぞ
799名無し三等兵:2010/12/19(日) 09:19:42 ID:???
>>798
実質的には4万も無いだろ。
それに既に議論で何度も既出だが、
瀬田川防衛策というのはそこで完全に敵を食い止めることを前提にしているわけではないzp。
800名無し三等兵:2010/12/19(日) 14:02:52 ID:???
>>799
真田の発言からしても、確かにそうだよな。
まずそもそも、関が原の戦いの時点で、
伏見城は西軍によって徹底的に焼き払われ完全に焼失してしまっているのだが。
801名無し三等兵:2010/12/19(日) 14:46:03 ID:???
日本の城の場合、跡地に野戦築城すれば8割方城としての役目は果たせそう
802名無し三等兵:2010/12/19(日) 15:03:35 ID:???
野戦築城では逆茂木や掻揚げの土塁を作ることがせいぜいで、
木の柵程度では一度の攻撃にしか耐えられない。
803名無し三等兵:2010/12/19(日) 15:35:18 ID:???
>>800
その後に徳川家の天下普請で復興されているのも知らないのか
天守まで再築されているんだが(寛永度に二条城に移築)
804名無し三等兵:2010/12/19(日) 15:55:48 ID:???
>>803
知っているが、かなり規模が縮小され乱造な作りだ。
大体、家康から見て京都での宿舎以上の役割でしかないのだから、
小規模で手の込んでいない城郭で当然。
二条城のように一揆勢のような暴動や間者の侵入を防ぐことができる程度のレベルの城郭で充分。
805名無し三等兵:2010/12/19(日) 16:02:15 ID:???
家康による伏見城の再建は、
計画段階からして規模縮小されている。
尚且つ、しばらくして再建を放棄して、
残りの資材は駿府城築城に使用されているわけであって、
大坂の陣時にはほとんど完成されてなかったのだが。
806名無し三等兵:2010/12/19(日) 17:01:34 ID:???
>>804
全国各地に廃城後の建物を移築したという記録がある大城郭なんだけど
それに伏見城は大坂城を徳川が手に入れるまでの畿内における統治・軍事拠点

>>805
慶長7年より天下普請を行い、以後9年、10年、11年と工事を行っていますが
後、駿府城築城に資材を使ったなんて話はない
金銀・荷物を移動しただけ
807名無し三等兵:2010/12/19(日) 17:33:51 ID:???
>>802
何言ってんだ? 一度の攻撃に耐えられるなら充分だろ
その間に四方から援軍が来る

だいたい
10月1日に両陣営手切れ

10月8日に真田大阪入城

23日に家康京に到着

というタイムスケジュールだ。大坂方の出撃は、どう早く見積もっても10日。浪人衆の編成に要する時間を考えればもっと後になるかもしれん
京の守りに不安があり、なおかつ大坂から大規模出撃の気配があるなら
京の守備隊も全力で陣地を構築して当たり前。
いや、そもそも、時間的余裕があるならば伏見に篭城する必要すらないか。
山崎あたりに出張って防衛線を引けばいい。
伏見の守りが薄いとか厚いとかの議論は本質的ではない。
問題なのは、大坂方の出撃させうる兵力で、京の南に構築されるだろう防衛線を抜けるかどうかだ。
808名無し三等兵:2010/12/19(日) 18:58:10 ID:???
>>807
一度の攻撃に耐えるだけでは一蹴される。
そもそもそれなら大坂方の策にのって、
宇治川で対陣する方が東軍側としても安上がり。
809名無し三等兵:2010/12/19(日) 19:00:11 ID:???
WIKI伏見城項目より

>駿府城の改築の為、翌1606年(慶長11年)頃には伏見城の作事も停止され、器材や屋敷も駿府城へ運ばれていった。

810名無し三等兵:2010/12/19(日) 19:21:18 ID:???
伏見城再建は、大名屋敷などの各大名の宿泊所を築造することから
先に始められているので、要塞としての設備の築造は二の次のようなんだが。
811名無し三等兵:2010/12/19(日) 20:14:17 ID:???
>>809
それ間違い
「当代記」には「金銀、段子、金襴以下諸財貨共」
「慶長見聞録案紙」にも「荷物長持以下」
屋敷というのは「当代記」文中の近習が畳や戸まで持っていった事を誤認したのでしょう
812名無し三等兵:2010/12/19(日) 20:17:37 ID:???
>>810
五年もあれば両者とも十分復興しています
813名無し三等兵:2010/12/19(日) 20:56:02 ID:???
>>811
なら、先にWIKIの記述を訂正して来いw
814名無し三等兵:2010/12/19(日) 21:16:22 ID:???
>>812
5年だけでは復興できていませんw
815名無し三等兵:2010/12/19(日) 21:44:52 ID:???
>>813
自分にそんな義務はないんだが
>>814
へー、秀吉の時は1年少しで完成したのに?
816名無し三等兵:2010/12/19(日) 21:50:55 ID:???
>>815
財力が違うし、何より家康にとって必要なのは>>804>>810にある通り。
それにwikiの記述を訂正する義務がお前にある。
817名無し三等兵:2010/12/19(日) 22:16:39 ID:???
>>816
具体的にどう違うの?
それに家康の方は基本的に建物建て直すだけで良いんだけど
後、家康は駿府城に移るまでは江戸城より伏見城多くいたから
その意味でも防備を固めるのは当然

そんな義務はないがしたい奴がするのがウィキ
ヤレというなら金を出しな
818名無し三等兵:2010/12/19(日) 22:48:56 ID:???
>>817
>>804>>810参照。

又、
ウィキの記述が間違っていると思う奴に訂正する義務が発生するのがウィキ
819名無し三等兵:2010/12/19(日) 22:56:46 ID:???
いつからwikiは拘束力を持つ団体になったんだ・・・
820名無し三等兵:2010/12/19(日) 23:02:36 ID:???
>>818
間違い、リチャード・コックスによるとロチェスターの街より遥かに大きく、
その内部は非常に美しく、豪壮であるとある
821名無し三等兵:2010/12/19(日) 23:10:13 ID:???
>>820
つまり、城(要塞)ではなく家(居館)として凝った造りなんですね。
822名無し三等兵:2010/12/19(日) 23:14:07 ID:???
>>821
防御機能とは櫓と塀と門を建てることだから、城としても舘としても非常に美しく豪壮であるということ
城の石垣のみに館だけあってそんな感想抱くのはバカだけ
823名無し三等兵:2010/12/19(日) 23:30:28 ID:???
今の大阪城の話だが、欧米人が観光で訪れて
「これはCastleじゃなくてFortressだね」って結構言うらしい
824名無し三等兵:2010/12/19(日) 23:59:41 ID:???
単に西洋の城が要塞としての機能を持ってなかったってだけだけどな
日本の場合陣張りの概念を最初から持ち合わせていたので、わざわざ城と要塞を分ける必要がなかった
825名無し三等兵:2010/12/20(月) 17:53:17 ID:???
>>822
防御機能とは櫓と塀と門を建てることだから、城としてではなく舘としては非常に美しく豪壮であるということ
城の石垣のみに館だけあって防御機能があるそんな感想抱くのはバカだけ

826名無し三等兵:2010/12/21(火) 19:07:17 ID:???
伏見城:城主松平定勝、5万石 兵員 1300名。
二条城:大番組1組、兵員400名
程度と推測されますが、夜間勤務は当時の慣習で全兵員の一割程度と考えられます。
10月1日夜間奇襲をかければ130程度の兵員しかおらず、伏見城は城内進入路は五箇所、
守備兵は多くとも一箇所20名程度、手間取りもしないと思います。伏見城に大番組
が常駐していたと言う記録はないと思います。
827名無し三等兵:2010/12/21(火) 21:37:31 ID:???
伏見城は1606年以後再建中止されて、
事実上廃城化されているからな。
828名無し三等兵:2010/12/22(水) 14:57:24 ID:???
>翌慶長7年(1602年)6月には藤堂高虎が普請奉行に起用され、同年末頃にはほぼ再建がなり、

>その後も作事は続けられたが、駿府城の改築の為、翌1606年(慶長11年)頃には伏見城の作事も停止され

1602年の段階で基本完成し、その後4年間増改築が続いていたと書いてあるようですが。
829名無し三等兵:2010/12/22(水) 17:22:14 ID:???
基本完成=居住空間(大名屋敷など)完成
830名無し三等兵:2010/12/22(水) 21:22:34 ID:???
>このころより大坂城に移っていた大名屋敷が伏見城に戻ってきたが、関ヶ原の戦い直後に城下町は焼き払われており、跡地に東西両軍の大名に与えられたと考えられている。
大名屋敷は城下に作られたようですが

>同年御殿建設に伴い、徳川家康も本丸から西の丸に移り、更に二条城に移るが、本丸部分が完成する同年8月20日には伏見城に帰城する。新しくなった御殿で徳川秀忠の
>将軍宣下が執り行われた。
慶長10年(1605年)のことだそうですが、明らかに居住空間後回しにしてますが
831名無し三等兵:2010/12/23(木) 18:04:24 ID:???
>>830
居住空間が先のように見えるがwその記述ではw
832名無し三等兵:2010/12/23(木) 19:41:50 ID:???
>>831
1602年、(1年ほどの突貫工事で)城がほぼ再建
1605年、(将軍宣下のために)御殿建設
833名無し三等兵:2010/12/23(木) 22:18:38 ID:???
1602年、(1年ほどの突貫工事で)城がほぼ再建
      ↓
居住空間の再建w

1605年の御殿建設は豪華にしただけw
834名無し三等兵:2010/12/24(金) 06:31:24 ID:???
て言うか、
>再建は木幡山伏見城を踏襲されているが、弾正丸、大蔵丸、得善丸、御花畑山荘と呼ばれている北西部の曲輪群と
>それを取り巻く堀は放棄された
一部除いて元の城を再現しているようですが
835名無し三等兵:2010/12/24(金) 08:00:01 ID:???
突貫工事の意味が分かっておらんようだw
836名無し三等兵:2010/12/27(月) 00:38:22 ID:???
なんだかしらんが、突貫工事という言葉は城としての機能の有無に関係ないんじゃないか?
もう何が争点なのか俺には理解できん
837828:2010/12/27(月) 01:43:06 ID:???
>>836
828
御殿の整備を後回しにしていることからも、要塞としての城の機能を回復するために突貫工事を行ったのでは、ということです。
引用はすべてウィキペディアからですが、要するにウィキペを見た限りでも、伏見城が廃城同然なんてのは嘘っぱち、ただの大名屋敷だったというのも
嘘っぱちと言って差し支えないと言いたかっただけでして。
そこに居住空間太郎さんが絡んできていただけです。
838名無し三等兵:2010/12/27(月) 17:28:33 ID:???
>>836
御殿の整備を先にしていることからも、城館としての御殿の機能を回復するために突貫工事を行ったのでは、ということです。
引用はすべてウィキペディアからですが、要するにウィキペを見た限りでも、伏見城が要塞堅城同然なんてのは嘘っぱちであり、ただの大名屋敷だったというのも
正論と言って差し支えないと言いたかっただけでして。
そこに要塞堅城太郎さんが絡んできていただけです。

839名無し三等兵:2010/12/27(月) 18:08:26 ID:???
え、なにここ
840名無し三等兵:2010/12/27(月) 18:47:12 ID:???
低脳>>828を嘲笑するスレw
841名無し三等兵:2010/12/27(月) 23:39:59 ID:???
議論の内容は興味ないがレッテル張りは無能の証明だぞ
842名無し三等兵:2010/12/28(火) 08:43:55 ID:???
廃城後に福山城等に多数の櫓や門が移築されているから、伏見城は城郭として完工している
843名無し三等兵:2010/12/28(火) 15:18:12 ID:???
多数の櫓や門が移築されているからといって、
城郭として完工していたとは言えない。
ちゃちなものだから。
844名無し三等兵:2010/12/28(火) 15:27:10 ID:???
>>843
多数の櫓や門があるのにちゃちな城なのか
では後、何が必要なんだろうな
845名無し三等兵:2010/12/28(火) 15:57:15 ID:???
>>844
じっくり腰を据えた工事。
846名無し三等兵:2010/12/28(火) 16:09:09 ID:???
>>845
建築で抽象的な物言いは何も言っていないに等しい
847名無し三等兵:2010/12/28(火) 16:23:29 ID:???
>>845ほど具体的な指摘は無い。
848名無し三等兵:2010/12/28(火) 16:36:55 ID:???
>>847
固有名詞の無い文章が具体的とは笑わせる
849名無し三等兵:2010/12/28(火) 17:37:05 ID:???
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/20563/%93%F1%8F%F0%8F%E9/8/

家康自身二条城を堅固にするなと指示している、理由は敵に乗っ取られた場合落とすのにてこずるかららしい。
伏見城も同じ理屈で余り堅固にしてないと思う。
850名無し三等兵:2010/12/28(火) 17:42:28 ID:???
>>849
普通は京と伏見のどちらかを選択して守る為、二条城を簡易にして伏見城を堅固にするという
考えになると思うのだが…
851名無し三等兵:2010/12/28(火) 17:52:42 ID:???
>>850
伏見城再建のとき堅固にしたとの記録ないと思う。家康は最悪二条城落とされると考えていたようだ、伏見城の兵力も千数百のようだし、
余り強固にする気なかったように思う。西方からの敵には膳所城、彦根城での対応考えていたと思う。
852名無し三等兵:2010/12/28(火) 18:06:05 ID:???
このスレっていつもこんなにアレなの?
853名無し三等兵:2010/12/28(火) 18:50:36 ID:???
>>851
普通に伏見城は堅固ですが
後、その千数百というのは関ヶ原の話?
膳所城・彦根城は譜代大名の城、伏見城は幕府の城、立ち位置が根本的に違う

>>852
瀬田川防御策が可能だと頑なに信じているのがいるので
854名無し三等兵:2010/12/28(火) 19:48:53 ID:???
頭固てぇなぁー
瀬田川の方に打って出るのは局面を流動的にするためだろ
855名無し三等兵:2010/12/28(火) 19:59:11 ID:???
前提として京を焼き、伏見城を落とすことを前提としているが
856名無し三等兵:2010/12/28(火) 21:00:57 ID:???
>>852
>>853みたいな池沼がいるからだよ。
伏見城は簡単に既に証明されているのに認めようとしないし。
そもそも伏見城が堅固だという根拠が何一つ無い。
857名無し三等兵:2010/12/28(火) 21:11:02 ID:???
だいたい、伏見城を要害にする馬鹿はいないだろうw
二条城と同じように居館程度の防御能力で充分。
当時の感覚では、本格的に居館+要害の要素を共に持たせるならば、
総構にしている筈。
険しい山城ならばともかく、総構もないのに要害の設計する合理的根拠を持たない。
858名無し三等兵:2010/12/28(火) 21:29:39 ID:???
>>828=>>853=>>855のキチガイさに呆れ果てるw
859名無し三等兵:2010/12/29(水) 13:36:41 ID:???
まともな意見すら出せないのに延々とレッテル貼りしてるだけの馬鹿は何がしたいんだ?
はっきり言って邪魔なんだが
860名無し三等兵:2010/12/29(水) 14:02:35 ID:???
>>857
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E6%A7%8B%E3%81%88
「主な総構えの城」の項目を参照

>>859
話の通じる相手ではないので、専ブラあぼ〜んが吉かと
861名無し三等兵:2010/12/29(水) 15:51:48 ID:???
>>859
>>860みたいなキチガイだからじゃない?
>>860の自分の持ってきた史料でさえ、
むしろ伏見城は堅固でない事が伺えるのにw
862名無し三等兵:2010/12/29(水) 16:17:00 ID:???
そもそも大名屋敷などが既に廃止され取り壊されているのに、
当時も「総構」とは笑えるw
863名無し三等兵:2010/12/29(水) 18:27:41 ID:???
結局のところ、宇治川防衛策が妥当だったという証拠しか出てこないわけだ。
864名無し三等兵:2011/01/01(土) 11:04:55 ID:???
瀬田川防衛策が最強!
865名無し三等兵:2011/01/01(土) 15:11:29 ID:???
>>864
10万の豊臣軍の内7万で宇治川に陣を敷き、3万の部隊を大阪城に待機さす。こうすれば徳川軍の部隊は東西に二分され、西の部隊は
大阪城の部隊に側面を衝かれる恐れがあり、播磨より西には進軍できない、又家康の命令も西に伝わらなくなり、西の幕府軍は死兵と化す。
東の部隊は10万前後と予想される、事実将軍宣下や秀頼との会見時家康の動員した兵力は10万前後、宇治川で決戦を行えば勝敗の
帰趨は不明、ただ、夏の陣での徳川本隊や譜代衆の弱体振りを見れば豊臣軍の圧勝と考える。徳川軍本隊や譜代衆は小牧長久手以後
まともな実戦経験が無く、九州、朝鮮、関ヶ原で実戦経験豊富な浪人衆の相手では無いと思う。
866名無し三等兵:2011/01/01(土) 21:17:22 ID:???
>>865
それは幸村達が進言していたなw
867名無し三等兵:2011/01/01(土) 21:46:09 ID:???
伏見城堅城厨が必死に堅城だと妄想で語っているけど、
仮に堅城で伏見城を豊臣方が落とせなくても、
伏見城に押し込めておくだけでも充分だろうに。
その間に朝廷への工作や京の物資を接収して大阪に運んだり出来るのに。
もっとも、郡山城のように伏見城は豊臣方に落とされるだろうけどね。


>>865
宇治川で対陣している間に、
各地の既存の寺院などを利用して、
大坂全土を陣地構築させておく時間稼ぎにもなるからね。
真田信繁の「その見込みが無いときに初めて城に立て籠もって戦う」
という発言にあるように本来の目的は、
徳川方に出血を強いる遅滞戦略が狙いだからな。
868名無し三等兵:2011/01/01(土) 21:49:54 ID:???
>>867
最終的に篭城戦になるにしても緒戦における縦深の確保は必須だからね
869名無し三等兵:2011/01/02(日) 01:22:30 ID:???
 互いの意志疎通すら怪しい豊臣方が、C4I揃えた現在の軍事革命なみに効率良く戦力を運用出来る訳ない。
それが可能という前提であれば、あれこれ考えてみるのは楽しいし、実際に勝てる可能性も高かっただろうが。
870名無し三等兵:2011/01/02(日) 01:45:08 ID:???
関が原の頃なら、簡単に徳川を叩き潰せたのになぁ
871名無し三等兵:2011/01/02(日) 09:28:05 ID:???
夏の陣をみてると、少なくとも徳川軍より豊臣軍の方が効率良く戦力を運用出来ている。
まあ熟練した武将ぞろいだから。
872名無し三等兵:2011/01/02(日) 09:33:36 ID:???
天王寺の戦いはバンザイ突撃としか言えない
873名無し三等兵:2011/01/03(月) 22:23:43 ID:???
バンザイ突撃にしては、
非常に規律だって組織的な攻撃だな。
874名無し三等兵:2011/01/03(月) 22:49:18 ID:???
いや、単に相手が崩れたので、そのまま突撃
勢いに任せて突き進んで、徳川方が味方の壊乱に引きずられるのに乗じて
突っ込んだだけなんだが

因みに、幕府の直轄戦力である大番の中で戦死者を出したのは
例外として前田と井伊の間にいた高木正次組だけだったりする
これを見ても天王寺・岡山の豊臣方の「突撃」がどの程度か類推できるというもの
875名無し三等兵:2011/01/04(火) 00:45:52 ID:???
> いや、単に相手が崩れたので、そのまま突撃
> 勢いに任せて突き進んで、徳川方が味方の壊乱に引きずられるのに乗じて
> 突っ込んだだけなんだが

相手の陣が崩れたら体制を立て直すまで
待っとけとでも言うのかよ
876名無し三等兵:2011/01/04(火) 01:11:19 ID:???
あの福島正則でさえ、宇喜田如きの軍を突撃で崩せなかった
877名無し三等兵:2011/01/04(火) 05:42:37 ID:???
>>875
悪手とは言わないけど、長期戦に持ち込んだほうが良いんじゃないの
当時の幕府・藩財政は逼迫していたから
878名無し三等兵:2011/01/04(火) 19:01:14 ID:???
>>877
それが成立するのは冬の陣の話でのこと。
そもそも「幕府の直轄戦力である大番の中」という
非常に狭い限定を置いて逃げて、
豊臣方の突撃を否定する論拠のがどの程度か類推できるというもの 。
徳川方の諸部隊は軒並み甚大な被害を出している時点で、
豊臣方の「突撃」がどの程度か類推できるというもの
879名無し三等兵:2011/01/04(火) 19:51:47 ID:???
>>878
野戦築城でも防戦に徹すれば良い所まで行くと思うが
本多忠朝の徳川先手が崩れたのはそこら辺にあるだろうし

後、大番は旗本先手を担う連中だよ
こいつらが討死していないなら、先ず豊臣方はそこまで来ていないね
880名無し三等兵:2011/01/04(火) 21:55:15 ID:???
>>879

勝 ち 戦 が 分 か っ て い る の に 討 ち 死 に し た い 馬 鹿 が ど こ い る ! w
881名無し三等兵:2011/01/04(火) 22:00:00 ID:???
>>880
突撃バカはたくさんいたよ
何しろこれが終わったら、次なんてあるとは思っていなかったから
882名無し三等兵:2011/01/04(火) 22:14:10 ID:???
なら、突撃バカじゃなく、冷静で的確な突撃だなw
883名無し三等兵:2011/01/04(火) 22:23:38 ID:???
>>882
いや、881は豊臣方でなく徳川方の事を言っているんだが
884名無し三等兵:2011/01/05(水) 07:30:10 ID:???
>>883
?。だから、冷静で的確な突撃なんだろ
885名無し三等兵:2011/01/05(水) 10:53:44 ID:???
>>884
??
後先考えず、孤立し殲滅されることを承知の上での突撃が
「冷静で的確な突撃」とは私は思えんな
886名無し三等兵:2011/01/05(水) 11:34:20 ID:???
突撃したからといって、
「孤立し殲滅される」とは限らない。
887名無し三等兵:2011/01/05(水) 12:11:38 ID:???
>>886
後続・後詰がいない突撃は孤立し殲滅される
しかも天王寺のは現場の判断によるとっさの判断
これに後詰が即座に反応するというのはご都合主義極まれり
888名無し三等兵:2011/01/05(水) 12:46:07 ID:???
結局のところ、宇治川防衛策が妥当だったという証拠しか出てこないわけだ。
889名無し三等兵:2011/01/05(水) 14:50:39 ID:???
>>887
戦場は予想通りには動かない、状況に応じて即座に判断できる指揮官が古来名将と称される。
後詰の指揮官に将才がなかっただけだろう。
890名無し三等兵:2011/01/05(水) 16:36:19 ID:???
>>889
無線がある時代でも難しいのに、伝令のみの当時では先ず無理
何しろ、開戦から総崩れまで僅か3時間、しかも酷い混戦なんだし
891名無し三等兵:2011/01/05(水) 16:43:16 ID:???
後詰が即座に反応するのは、
古今東西の戦の前提なのだが。
892名無し三等兵:2011/01/05(水) 16:57:18 ID:???
前提というより理想
そして理想は大抵、失敗する
893名無し三等兵:2011/01/19(水) 17:14:46 ID:k2rRXsqg
>>887 >>889-892
戦慣れした明石全登に兵3千ほど付けて、」後詰に配置しておけば、適切な時期に
突撃し家康の首はねられたのにと思う。
894名無し三等兵:2011/01/19(水) 17:19:15 ID:???
>>893
その「適切な時期」を見極めるなんて不可能と断言しても良い
895名無し三等兵:2011/01/19(水) 22:04:12 ID:???
そこは総指揮を下すはずの秀頼が歳が一つ違いのグスタフ・アドルフぐらいの指揮能力があれば…
896名無し三等兵:2011/01/19(水) 22:19:34 ID:???
>>805
グスタフは前線指揮だったし(それが故に死んだけど)、密集陣形が基本の西洋とは
指揮統制のレベルが全く異なる
897名無し三等兵:2011/01/19(水) 23:54:12 ID:???
明石は切り札だっから出番が少なかったのは分かるとして、
長宗我部をもっと活用すべきだったと思う
898名無し三等兵:2011/01/20(木) 09:22:32 ID:???
>>897
長宗我部は実は八尾・若江の戦いで壊滅している
899名無し三等兵:2011/01/20(木) 10:54:57 ID:zpvmV5WV
>>898
天王寺、岡山の戦い当時、長宗我部盛親、仙石秀範等は3000の兵を率い、
大阪城内で待機していた、八尾の戦いで藤堂隊を壊滅させた実績があるので、
出撃させればそれなりの活躍はしたと思う。
900名無し三等兵:2011/01/20(木) 11:18:01 ID:???
>>899
八尾・若江の戦いで長宗我部は5000の内、560が戦死している
死者だけで12%なのだから、負傷者を加えれば相当な数になり、壊滅と評せる
901名無し三等兵:2011/01/21(金) 19:48:20 ID:nrNDu7Lz
>>900
八幡原の戦いでは武田軍の戦死者は4,630人、負傷者は7,500人。
上杉軍の戦死者は3,470人、負傷者9,400人であったそうです。
この数字はにわかには信じがたいですが(これだと上杉軍1万三千は全滅
武田軍2万中損害が六割になり再起不能)しかし当時の戦闘では負傷者は
戦死者の2〜3倍というのが普通だったようです。そうすると長宗我部
の部隊の損害は2千以下、3千程度の戦闘要員は確保していたと思います。
現にこの戦闘では後藤、木村両部隊の残存兵力2千〜3千が毛利勝永指揮下で
戦闘に参加しています。
902名無し三等兵:2011/01/21(金) 20:06:36 ID:???
>>901
後藤、木村残兵が積極的に出戦していたかは大いに疑問。良くて、天王寺辺に固定配置が限界でしょう。
僅か一日の再編成で、使い物になるとは思えない。
また、大坂城北にも徳川方の将兵はいたのだがら、それの対処も必要。
十中八九来ないとしても備えは必要。
903名無し三等兵:2011/01/21(金) 20:52:50 ID:nrNDu7Lz
>>902
後藤、木村残兵を守備に使えたので、毛利(もり)は自己の手勢(4千)を
出撃できたんです。大阪城内には長宗我部勢以外に秀頼直属隊3千、その他諸部隊
3千が駐留していたので、長宗我部隊は出撃可能と思います、主将が健在なので
戦闘力保持していたと思います。
904名無し三等兵:2011/01/21(金) 21:28:23 ID:???
>>903
無理でしょうね。
長宗我部よりも損害が少なかった藤堂、井伊隊も天王寺・岡山合戦では再び多くの死傷者をだしています。
一度、損害を負うた部隊を再度、戦場の第一線に出しても役には立たないでしょう。

それに六割残ったと言っても、それは全体の数で、戦闘要員だけを見れば損害の割合は更に増加します。
905名無し三等兵:2011/01/21(金) 21:32:38 ID:???
後があるならともかく城に余力を残しても破滅が待ってるだけなのに
906名無し三等兵:2011/01/21(金) 22:22:12 ID:???
>>905
どのような場合でも後ろに部隊がいないと、戦う前から自壊する
907名無し三等兵:2011/01/22(土) 09:52:43 ID:PJzIKOhd
>>906
大阪城内に控えている部隊の規模など前線部隊が知りえようが無いと思います。
戦闘時城内の留守部隊は戦闘能力の低い高齢者等が多かったようです。
本能寺の変の時の長浜城、賤ヶ岳の戦いの時の北ノ庄城。
908名無し三等兵:2011/01/22(土) 12:40:19 ID:???
>>907
質よりも後ろに味方がいるという安心感が重要なわけで
909名無し三等兵:2011/01/22(土) 13:38:03 ID:PJzIKOhd
>>908
前線部隊には多数の遊軍が城内で待機中といっときゃいいだけと思いますよ。
どのみち確認できないんだから。
910名無し三等兵:2011/01/22(土) 14:20:49 ID:???
>>909
そんなあやふやな情報では、駄目ですね。
後方で少しでも怪しい動きがあったら裏崩れする。
911名無し三等兵:2011/01/23(日) 07:34:22 ID:???
やはり、後ろから銃を突きつける奴がいないと真面目に戦わないよなあ
912名無し三等兵:2011/01/23(日) 13:47:35 ID:???
異民族間の争いなら兎も角、同民族間の戦闘でそれやると寝返り者続出でしょ・・・
913名無し三等兵:2011/01/24(月) 17:27:58 ID:71JRiZm3
>>904
ハンニバルはアルプス超えで4万6千の部隊を2万6千まで減らしていますが
部隊の志気は衰えず、ローマ軍を破っています。兵の志気は指揮官次第。
硫黄島の日本軍は甚大なる損害蒙っても志気は盛んであった。
914名無し三等兵:2011/01/24(月) 17:35:11 ID:???
>>913
前者は損害の翌日に戦闘があったわけではなく
後者は近代の国民軍
915名無し三等兵:2011/01/24(月) 18:45:46 ID:71JRiZm3
>>914
貴方のご意見は、天王寺、岡山の戦い当時長宗我部部隊には戦闘力なかった
という結論が先ずあって、後はそれをこじつけるための理屈としか思えません。
五体健全な若い兵士は、一夜であれ休養さえ取れば体力は容易に回復します、
又後が無いことぐらい実感していたでしょうから(家康はこの戦い前に
大阪から逃亡してきた民間人をことごとく処刑しています。)戦闘意欲
衰えてないと思います。
916名無し三等兵:2011/01/24(月) 20:12:38 ID:???
>>915
一日で消耗した部隊を再編成するのは至難の業ですよ
頭数を埋めるとか、人員を異動されば良い問題ではありません
917名無し三等兵:2011/01/24(月) 23:29:40 ID:???
戦う分には幾らでも使えると言う意味で戦闘力はあったろうけど、
緻密な作戦計画に沿って行う予定だった道明寺合戦に、統制に難のある再生長宗我部隊は使い辛かったんじゃないかなぁ・・・
実際、割と統率が取れてた毛利の早撃ちで作戦は瓦解した(とされる)訳で。
秀頼出陣要請も、兵士の士気高揚は勿論だけど、比較的損耗していない七手組の統制力に期待した面もあるはず

関が原みたいなガチンコ突撃合戦だと福島隊くらい損耗してても使える、でも道明寺だとそれじゃダメなんでしょ
918917:2011/01/24(月) 23:31:54 ID:???
おっとごめん、>>917の道明寺を天王寺・岡山に置き換えといてw
やっぱあやふやな記憶で書いちゃダメだな
919名無し三等兵:2011/01/25(火) 13:10:29 ID:yjxBC/Om
>>917
長宗我部隊は急遽再編成され多少統制に不安が残るでしょうが、真田隊の後から
突撃していれば、真田部隊への直接の攻撃の盾にはなりえます、家康の首級を
挙げれば戦局は変化していたでしょう、この戦いでは前田隊に一時豊臣方に
寝返ろうとする動きがありました、前田隊、加藤隊、黒田隊、浅野隊は大阪方
に寝返り幕府は瓦解したと考えます。
920名無し三等兵:2011/01/25(火) 15:11:14 ID:???
>>919
本陣にすら届いていないから無理
921名無し三等兵:2011/01/25(火) 19:28:29 ID:yjxBC/Om
>>920

http://sanadasandai.gozaru.jp/itsuwa/yukimura/yukimura-07.htm
家康本陣が真田隊に蹂躙されたという記述は互いに関係の無い同時代人
によって記述されてますが(大久保忠教、島津忠恒)。
922名無し三等兵:2011/01/25(火) 20:14:59 ID:???
>>921
大久保のは旗が倒れたと言う記述のみ、それも後退中に旗を乱したという内容
島津は伝聞情報

現に徳川家直轄軍である大番で死者が出たのは、前田と井伊の間にいた高木正次組のみ
923名無し三等兵:2011/01/26(水) 02:02:53 ID:???
>>919
定説だと、真田と毛利は持久戦術を行って、その間に明石の精鋭300が家康本陣に突撃する予定だった訳で・・・
即ち真田(や毛利、大野兄弟)に求められたのは、はやる兵士を抑え付けて防戦に徹することで、
長宗我部が出戦しても同様の統制が求められたはず
(防諜上、兵士単位は分作戦は知らされてない)
どの部隊も絶対に早駆けしてはならない局面で、指揮系統に不安がある長宗我部は出せなかったんでしょ。

最初からガムシャラに突撃せよなんて話だったら、たぶん長宗我部も引っ張り出しただろうさ
924名無し三等兵:2011/01/26(水) 09:42:16 ID:ZzNSLeiZ
>>923
三河物語
 みかた原にて一度御旗の崩れ申すより外、あとさきの陣にも御旗の崩れ申す事なし。
いわんや七十に成らせられて、おさめの御ほうどうの崩れては、
何の世にはぢをすすぎ成さるべき
素直に読めば、「三方ケ原の敗北に匹敵する敗北で、家康公も70歳
になられておられるので、この恥はすすげない」となります。
925名無し三等兵:2011/01/26(水) 09:59:27 ID:???
>>924
その前の話を読んでみなさい
旗奉行が三河者でない愚痴が、ウザったくなるほど書いてあります
それにそこにあるのはあくまで旗奉行が、旗を乱した過失についてのみ記述してある
926名無し三等兵:2011/01/26(水) 10:44:25 ID:ZzNSLeiZ
>>925
[旗奉行が、旗を乱した過失]
「おさめの御ほうどうの崩れては、」
この部分を如何に解釈しても、旗奉行の過失という記載とは思えませんが。
素直に読めば、おさめ(もはや後最後)となっても不思議でないほどの敗北なので、
となりますが。
927名無し三等兵:2011/01/26(水) 11:08:21 ID:???
>>926
「おさめ之不うどうみ御旗がくずれてハ、」
「大日本史料」ではこうなっているが
928名無し三等兵:2011/01/26(水) 11:28:43 ID:ZzNSLeiZ
>>927
三河物語が原典です。
929名無し三等兵:2011/01/26(水) 11:34:53 ID:???
>>928
「大日本史料」にある「三河物語」では>>927となっています。
930名無し三等兵:2011/01/29(土) 09:46:21 ID:hMYyb+37
>>929
http://kindai.da.ndl.go.jp/JPEG/KZSY8.jpg
明治23年出版日本戦史材料では「おさめ之御不うどうの御旗がくずれてハ、」
となっています、注釈で 「御不うどうの御旗」とは浄土の御旗を云うかとなって
いて解釈が一定して無いようです。
http://papathana.la.coocan.jp/kawasen/part05/post_42.html
ここでは、『(箱に?)納めの御宝憧の御旗』と読んでいます。
「をさめのおんほうどうのみはたがくずれては」とよんでいたようですね。
「御旗の崩れ」とはなんでしょう、「三方原では一度御旗が崩れたが、それ以後
の戦では御旗が崩れることはなかった。」この文脈だとだと御旗の崩れとは
負け戦の事を婉曲に言ってるだけでしょう。そうすると
「おさめ之御不うどうの御旗がくずれてハ、」のおさめ之御不うどうは
御旗が崩れにかかり、おさめは家康の生涯が終わると解釈できます
(箱に納めるでは意味をなしません)、全体の意味は
「家康が敗死しても不思議で無いほどの負け戦なので」となります。
この負け戦の恥を晴らすことは出来ないので、徳川家の家臣は、
この戦が負け戦とは命に代えても言えない。となり文脈が整います。
旗奉行が過失で旗を乱した程度で家康が二度と晴らせないほどの恥辱を
蒙ったとは解釈できません。徳川譜代なら面と向かって
負け戦とは言えなかったでしょうが、島津家は遠慮なしに負け戦と
書いています。
931名無し三等兵:2011/01/29(土) 10:13:09 ID:???
いろいろ新解釈するのがさいきんのはやりなんだよ
932名無し三等兵:2011/01/29(土) 10:28:46 ID:hMYyb+37
>>931
「おさめ之御不うどうの御旗」の文言は、定説の解釈はありません。
933名無し三等兵:2011/01/29(土) 11:16:18 ID:hMYyb+37
天王寺、岡山の戦いで、真田3000、長宗我部3000を家康本陣に放ち、
二匹の猟犬が獲物を狩るがごとく、家康を追い立てていれば、血沸き肉踊る
戦国最大のドラマだったのに。
934名無し三等兵:2011/01/29(土) 16:33:03 ID:???
>>930
三河物語は早くから流布した影響で、諸本により細部が異なっています
旗は遠目にも目立つので、それがしっかりしているかは重要な名誉問題です
935名無し三等兵:2011/01/29(土) 16:35:24 ID:???
一方だけしか見てない奴が多過ぎ

1000人しかいなくて負けたけど3000人いたら勝てた、とかそんな馬鹿な事あるか
936名無し三等兵:2011/01/29(土) 18:20:17 ID:hMYyb+37
>>934
三方原を引用してる時点で最早単なる過失じゃ無いだろう、三方原は家康の
生死が係った負け戦、それと対比してんだから三方原に匹敵する負け戦と
解釈するのが素直、徳川家では必至で隠蔽しようとしたが隠しきれなかった
それで島津家の文書に残り、戦場往来の古強者、大久保忠教は、徳川譜代の
追従者が過失で旗ひっくり返したっていい加減な話作って取り繕うってやり口
気に入らなくて三河物語で暴露したんだろう。あの時家康は真田に首刎ねられた
って民間伝承すらあるんだから相当な負け戦は間違いないでしょう。
937名無し三等兵:2011/01/29(土) 18:22:22 ID:hMYyb+37
>>936
「1000人しかいなくて負けたけど3000人いたら勝てた」
戦争の常識ですよ。
938名無し三等兵:2011/01/29(土) 19:36:43 ID:???
>>936
大番に死人が出ていないという事実が遥かに重い
三方原を引用しているのは、それが代表的な家康の負け戦なだけ
後、徳川家が隠蔽とか、民間伝承は笑止

後、クドイが三河物語が触れているのは旗の落ち度のみ
939名無し三等兵:2011/01/29(土) 21:44:17 ID:???
1000人しかいないものを3000人に増やせる訳がない
仮に3000人いても、その数に対処出来るだけの兵を置くだろう
常識でっせ
940名無し三等兵:2011/01/30(日) 00:49:29 ID:???
>>939
> 1000人しかいないものを3000人に増やせる訳がない

最初から複雑な戦術を切り捨て、突撃に方針を振れば統率に不安がある長宗我部や木村の残存兵を使える。
撤収が上手く行かないだろうし、長宗我部勢の崩壊が他部隊に伝播する危険も覚悟の上で、一回限定だけども
つまり2000人程度なら人数は増やせる

> 仮に3000人いても、その数に対処出来るだけの兵を置くだろう

そのぶんだけ他の場所の徳川側の防御が薄くなる。
941名無し三等兵:2011/01/30(日) 09:38:09 ID:???
足りないなら予備を当てるんじゃないか
942名無し三等兵:2011/01/30(日) 19:13:20 ID:PnZ1zmae
>>938
譜代衆は毛利に叩かれて討ち死にかなり出てます、旗本クラスの大番は、
さっさととんずらしたんで戦死者一人も出なかったんでしょう。
>>941
徳川本隊は弱すぎて使い物にならない。
毛利勝永六千五百は第一陣本多忠朝五千五百、第二陣榊原康勝五千四百、
第三陣酒井家次五千三百を撃破、徳川家康本陣一万五千を襲撃。
真田信繁本隊三千五百、与力二千、計五千五百は松平忠直1万五千を蹴散らし
家康本陣を襲撃。大野治房四千六百は前田利常以下二万と交戦しつつ、
隷下千五百をもって徳川秀忠本陣二万三千を襲撃、わずか千五百の大野勢の襲撃に
二万三千の秀忠軍は大混乱、黒田長政・加藤嘉明勢の救援でどうにか
態勢を取り戻す始末。徳川本隊の弱兵ぶりを天下に轟かした戦であった。
予備の徳川義直一万五千はなんの役にも立っていない。
943名無し三等兵:2011/01/30(日) 19:34:01 ID:PnZ1zmae
>>942続き
外様衆の助力がなければ徳川軍は大敗北、家康、秀忠は斬首のうえ逆臣として
首を三条川原に晒されていたのは確実。
944名無し三等兵:2011/01/30(日) 19:55:15 ID:???
>>942
はい、ダウト
前田と井伊の間にいた大番や書院番、花畑番には戦死者がでています
945名無し三等兵:2011/01/31(月) 09:19:53 ID:DrBCN5pH
>>944 逃げ遅れたんだろう。
>>938に言ったら。しらねーよ。
946名無し三等兵:2011/01/31(月) 09:27:12 ID:VokB6W3L
>>945
岡山口先手の前田と井伊の間に当初からいた、大番・書院番・花畑番が戦死者を出している
その他の家康本陣にいた大番、秀忠本陣にいた大番・書院番・花畑番には戦死者は出ていない
947名無し三等兵:2011/01/31(月) 09:35:08 ID:DrBCN5pH
>>946
岡山口先手の前田と井伊の間に当初からいた、大番・書院番・花畑番は
逃げ遅れて討ち死に。大野治房の部隊がいたので逃げ道なかった。

家康本陣にいた大番、秀忠本陣にいた大番・書院番・花畑番はとんずら
成功。背後は敵部隊いなかった。
何が言いたいの?
948名無し三等兵:2011/01/31(月) 09:45:39 ID:DrBCN5pH
>>947に追加。
前田の部隊は崩されていないので、その背後にいた大番・書院番・花畑番
は戦闘なんてしていない。
こいつら恐怖に駆られて側方から逃走、大野の奇襲部隊に邪魔だってんで
ぶっ殺されたと考えるのが合理的。
949名無し三等兵:2011/01/31(月) 10:03:45 ID:VokB6W3L
勝手な願望を合理的と言われても
950名無し三等兵:2011/01/31(月) 10:17:48 ID:DrBCN5pH
>>949
健在だった前田部隊の背後にいた兵が何故戦死するの、説明がつかない。
ひょっとしたら恐怖のためのショック死。
951名無し三等兵:2011/01/31(月) 10:30:07 ID:t/2ktYH9
レッドクリフであったみたいな石を投げ飛ばす兵器でも使ったのだろう
952名無し三等兵:2011/01/31(月) 10:31:36 ID:VokB6W3L
>>950
前田は側面を突破されているが
953名無し三等兵:2011/01/31(月) 10:53:23 ID:???
>>952
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/b/be/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%A4%8F%E3%81%AE%E9%99%A3.png
上の陣形で、前田は二万、大野は四千六百、内千五百は秀忠本陣に強襲かけてるから、前田部隊と戦闘してたのは
三千百、如何考えたって前田の背後で戦闘あったとは思えない。
954名無し三等兵:2011/01/31(月) 11:01:49 ID:VokB6W3L
>>953
岡山口は湿地帯のワヤクチャな地勢なので、単純な兵の多寡では語れない
955名無し三等兵:2011/01/31(月) 11:15:01 ID:DrBCN5pH
>>954
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/b/be/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%A4%8F%E3%81%AE%E9%99%A3.png
大阪城の総構えは一辺約4キロ、前田部隊の正面は如何観てもその半分以下、
2キロの正面に二万、一メートル当たり20人、地形が如何あろうと
前田部隊の六分の一以下の大野部隊が前田部隊の背後にまわるのは
不可能。
956名無し三等兵:2011/01/31(月) 11:44:49 ID:VokB6W3L
>>955
当時の日本における隊形は横よりも縦に深い陣形ですが
後、その陣形図で解ったような気にならないほうが良いよ、赤っ恥かくから
957名無し三等兵:2011/01/31(月) 11:53:25 ID:DrBCN5pH
>>956
二キロの正面に二万の兵なら如何転んでも縦に深い陣形になる。
二万対三千だから前田が誘い込みでもしない限り、大野部隊は
前田の背後に出られない。
前田部隊の背後にいた徳川直属の大番・書院番・花畑番に死者が
出たとすれば、考えられるのは慌てて同士討ちでしょうね。
報告には同士討ちとかけないから戦死と書いて取り繕ったんだろう。
958名無し三等兵:2011/01/31(月) 12:32:56 ID:VokB6W3L
>>957
それ以前に、その2キロの根拠は何?
959名無し三等兵:2011/01/31(月) 12:41:05 ID:DrBCN5pH
>>958
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/b/be/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%A4%8F%E3%81%AE%E9%99%A3.png
大阪城の総構えは一辺約4キロ、前田部隊の正面は如何観てもその半分以下。二キロ以下。
960名無し三等兵:2011/01/31(月) 12:42:18 ID:VokB6W3L
後、前田は一万五千で他に本多康俊、本多康紀、片桐且元併せて二万
これも一万石に付二百という計算だから実際は不明
それにこの中には小荷駄などの後方要員も含まれるであろうから、当然
実戦力は少なくなる
961名無し三等兵:2011/01/31(月) 12:43:21 ID:VokB6W3L
>>959
しれっと典拠不明な図を出されても
962名無し三等兵:2011/01/31(月) 13:21:58 ID:DrBCN5pH
>>96
http://www.geocities.jp/senryusai/senryusai.gairyaku2.html0

当時の軍制だと戦闘員と非戦闘員はほぼ同数、この事情は両軍
余り変わらない、大阪城の兵員が戦闘員だけと仮定すると
大阪方戦闘員7万7千、徳川軍15万、その内戦闘員7万5千となって
両軍同数になってしまう。
963名無し三等兵:2011/01/31(月) 13:48:44 ID:VokB6W3L
>>962
徳川遠征側、豊臣防御側
よって豊臣方の方が戦闘要員の比率は大きいと考えられる
964名無し三等兵:2011/01/31(月) 15:14:06 ID:DrBCN5pH
>>963
編成上遠征に伴う部隊は小荷駄隊だけ、後は同一でしょう、しかも家康は
小荷駄隊不要と言う触れを出している。
どっちにしても前田隊と大野隊の兵力差は三倍以上、如何転んでも
前田隊の背後には大野勢はまわれない、ここで死者が出たとしたら
死因は戦闘以外のなにかでしょう。
965名無し三等兵:2011/01/31(月) 15:45:51 ID:VokB6W3L
>>964
不要といったのは自身の旗本のみ
後、食い物だけでなく鎧とかも運ぶ必要がある

三倍以上の前田が破れないのなら、それ以上の茶臼山方面や
天王寺口はなおさら無理でしょうな
ああ、徳川はカスだからとかそういうのはいらないから
966名無し三等兵:2011/01/31(月) 17:12:21 ID:DrBCN5pH
>>965
二万の秀忠本営が千五百程度の大野勢に切り込まれて大混乱、加藤、黒田両
部隊の介入でようやく態勢整えたってのは史実の教えるところ、兵力差は
13倍以上ですよ、徳川本隊の戦闘力って案山子以下、カス以外になんの
評価しろってんですか!
967名無し三等兵:2011/01/31(月) 17:23:08 ID:VokB6W3L
>>966
その「史実」の出典は?
968名無し三等兵:2011/01/31(月) 17:23:49 ID:???
時の勢いってやつだよ
969名無し三等兵:2011/02/01(火) 11:41:01 ID:K0ODLATP
>>966
ちなみに、加藤・黒田の活躍とか、徳川の旗本が真田に崩されたとか、
秀忠・家康が共に旗印を隠し、逃げぬものは無しとあるのは

総て、そこにはいない島津家の資料からだから「薩藩旧記」
970名無し三等兵:2011/02/01(火) 11:48:04 ID:O6wrlV9n
>>967
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5342980
黒田長政の描かせた大阪夏の陣屏風図に大野治房が秀忠本陣襲撃の
様子が描かれてます。
人数は以下を参照しました。
http://www.geocities.jp/senryusai/senryusai.tennoji.html
この文章自体は以下の書籍を参考にしたとの由です。
http://www.geocities.jp/senryusai/senryusai.sankobunken.htmlについては
971名無し三等兵:2011/02/01(火) 12:05:24 ID:K0ODLATP
>>970
図中で大野治房隊と戦っているのは前田利常隊

それら兵数は総て「日本戦史大坂役」からの引用
つまり百石当たり二百人という基準が殆ど
972名無し三等兵:2011/02/01(火) 12:47:36 ID:O6wrlV9n
>>969
薩藩旧記は同時代史料、一級の史料ですよ。第三者だから公平な
立場からの記述といえます。
同内容の記述が藤堂高虎「高山公実記」をはじめ「駿府記」「山下秘話」等
多くの同時代史料に観られます。神君家康公神話を信じたいのでしょうが
家康は裏に回っての陰謀は得意ですが、武将としての才能はありません。
973名無し三等兵:2011/02/01(火) 13:24:59 ID:K0ODLATP
>>972
「第三者の公平な立場」などというものはありません
大抵はそのものの贔屓目があることを認識するべき、それに当時と言っても「伝聞」としての価値しか無い

家康に真田が攻めたというのは「高山公実記」でなく「寛政重修諸家譜」それも近くまで迫ったという程度
「駿府記」は「関東勢少敗北」という程度で、その後に秀忠の指揮で持ち直したと続く
「山下物語」は講談のたぐい
974名無し三等兵:2011/02/01(火) 13:57:02 ID:O6wrlV9n
>>973
「駿府記」は徳川家記述の文書です史料としての客観性は割り引くのが
常道です、ここで「関東勢少敗北」と記したのは隠し切れないほどの
大敗北と読み取るのが正解です。
陰謀や薄汚い策謀しか操れない神君家康公をそんなに信奉したいんですか。
975名無し三等兵:2011/02/01(火) 14:51:13 ID:K0ODLATP
>>974
徳川だから怪しい、島津は信じれるという方がよっぽど恣意的ですな

第一、「家康はもう少しで死ぬところだった」なんてかいてあるのは家康を批判的に捉える
宣教師の伝聞や、講談物ばかり
976名無し三等兵:2011/02/01(火) 15:58:27 ID:???
真田の突撃はやっぱ戦術レベルで戦略を覆す最後の作戦だったの??
977名無し三等兵:2011/02/01(火) 16:06:35 ID:???
>>976
野戦築城で粘り続けるのも一つの手
978名無し三等兵:2011/02/01(火) 17:53:39 ID:O6wrlV9n
>>975
島津は豊臣とも徳川とも利害関係持っていません、勝ちそうな方につくだけです、
完全な第三者と言えます。
徳川は一方の当事者です、普通史料検討する時は、複数の史料があれば
対比し、一方の当事者からの史料を丸呑みにはしません。
この問題に関しては「徳川だから怪しい、島津は信じれる」が正解です。
979名無し三等兵:2011/02/01(火) 18:01:07 ID:???
>>978
伝聞である時点で信憑性は低くなります
そして伝聞は尾鰭が付くものです

実際は何人かが逃げたり、旗を乱した事で詮議の対象となり、
改易や閉門に処された事実があります
逆に言えばそこまでであって、全軍壊乱したなどということは
ありえないのです
980名無し三等兵:2011/02/01(火) 18:45:49 ID:O6wrlV9n
>>979
種々の史料(徳川家編纂「『朝野旧聞哀稿』も含めて)家康逃走、秀忠本陣大混乱
が定説ですがね。江戸時代から神君家康公が逃走するはずがないとか、
秀忠本陣は少し乱れただけ、とか血相変えて力説する人がいたんでしょうね。
柳生宗矩の武勇談(夏の陣では、大将・秀忠近くに迫った豊臣方の敵兵7名を、
新陰流の見事な腕前で、あっという間に斬り伏せた。)とか、「かかれ対馬、
に逃げ大炊、どっちつかずの雅楽頭」とはやされた俗謡も根も葉もないと
力説してたんでしょうかね。
以下の見解が一般的です。
”島津忠恒や大久保彦左衛門ら複数の人物がその件を紹介し、また「大坂御陣覚書」
「山下秘録」など複数の書物に家康本陣が潰走した様子が語られ、
さらにそれを徳川幕府が否定していないという点でも隠しようがない事実
だったと見ていいでしょう。
普通なら幕府に都合の悪いことはできるだけ隠すか矮小化したいと思った
でしょうが、もうそれができないくらい広まっちゃってたんだと思います。”
981名無し三等兵:2011/02/01(火) 19:09:03 ID:???
>>980
当時から、伝聞に基づいた講談ネタは量産され続け、後世でもよく分からなくなったのでしょう
島津は伝聞、大久保は旗の落ち度のみを語り、「大坂御陣覚書」 「山下秘録」は信用性が低い

講談の真田大活躍に未だに引きづられているのが実情
982名無し三等兵:2011/02/01(火) 20:03:27 ID:K0ODLATP
後、幕府は隠すも何も落ち度のあった旗本の詮議を行い、処罰をしています
勝利したのにしっかりと信賞必罰を行う幕府はむしろ賞賛に値する
983名無し三等兵:2011/02/01(火) 20:28:28 ID:???
関連スレ
【軍馬】古代・中世の戦闘技術【弓矢】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1293253477/
984名無し三等兵:2011/02/02(水) 13:30:46 ID:2ngSQgKj
この手の話では一人旗本が逃げれば百人逃げたことになり、
旗奉行が旗を乱せば、家康本隊が壊乱したことになるものです

デマゴーグの恐ろしさというべきか、雪だるま式の一例と言うべきか
985名無し三等兵:2011/02/02(水) 17:26:16 ID:5x552Idd
別に全員が逃げなくとも、要は家康の前にそこそこたどり着けばいい訳で。
986名無し三等兵:2011/02/02(水) 17:48:53 ID:2ngSQgKj
>>985
すいません、意味がちょっと掴めませんので
説明して戴けませんでしょうか
987名無し三等兵:2011/02/02(水) 18:52:22 ID:fYP5HRZ9
>>986
旗本が全員逃げなくても、(一部の旗本が逃げたため、
本陣の陣容が手薄になって、豊臣の兵が)家康の前にそこそこたどり着けばいい。
と言う意味じゃないでしょうか。
988名無し三等兵:2011/02/02(水) 20:37:45 ID:???
前田と井伊の間で戦った書院番2組で7人が改易、大番高木正次組に改易は無し
その他旗本の改易は20人(家康旗奉行含む)、閉門は3人(家康旗奉行含む)
家康槍奉行大久保忠教等が叱責、内一人は勘当
本多忠朝組と榊原康勝組の目付2人が改易

というのが、天王寺・岡山合戦における旗本への処分
この中には抜け駆けをした者も含まれている
書院番に逃亡者がいて、大番にいないのは流石というべきか
989名無し三等兵:2011/02/02(水) 21:09:34 ID:2ngSQgKj
家康麾下では鳥居成次の部下が死んだり、また何人か死んだりしているので、
おそらく家康本隊の先鋒までは豊臣方が到達したと思われる
そこが限界で、それより内側の大番などには届かなかったようだが
990名無し三等兵:2011/02/02(水) 22:49:22 ID:???
>>988
>抜け駆けをした者も含まれている

大権現さんも抜け駆けに寛容だったり厳しかったりで良く分からんなぁ
991名無し三等兵:2011/02/02(水) 23:16:22 ID:???
>>990
戦局的に必要ならOK
個人の功名が目的ならNO
992名無し三等兵:2011/02/02(水) 23:30:30 ID:???
うめ
993名無し三等兵:2011/02/02(水) 23:31:53 ID:???
994名無し三等兵:2011/02/02(水) 23:34:01 ID:???
次スレ
大坂の陣への軍事考察 その3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1296211705/
995名無し三等兵:2011/02/02(水) 23:37:30 ID:???
ume
996名無し三等兵:2011/02/02(水) 23:40:27 ID:???
梅梅
997名無し三等兵:2011/02/02(水) 23:41:30 ID:???
 
998名無し三等兵:2011/02/02(水) 23:43:19 ID:???
ウメ
999名無し三等兵:2011/02/02(水) 23:45:15 ID:???
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1000名無し三等兵:2011/02/02(水) 23:50:16 ID:???
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