1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2009/02/28(土) 14:38:36 ID:???
3 :
名無し三等兵:2009/02/28(土) 21:39:11 ID:???
4 :
名無し三等兵:2009/03/01(日) 00:49:07 ID:bOsLGMrY
5 :
名無し三等兵:2009/03/01(日) 04:14:13 ID:0HdX/PzN
/} ))
/ !____
| ̄`ヽ、_/ 〈: : : : : : `: . 、 )) 。
(( | - Y }ニニ=、: : : : : \ ・ o っ o _____
, オ r'`t---': : : :.ヽヽ: : ヽ/〃/ , " ==- ____
//{ /:∧:ヽ: :ヽ: : : : : : ! : :.:.l. . :;ゞ______________,.へ ____
/ /:/: :レ': : /| ヽ:.{\:.\: : : :|: : :.:|. . l:ミ::::::::::::::::::::::::::| |////////| ヽ ==−
. /:/: : : : {: :l ヽ \ `ニ弌ヾ| : :.:.|::./::《〜〜〜〜〜| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ア / ──
/:,イ: : : : :.l: :|/ l: : : |/ :.:ミ` ────┘____ / /
|/ {: : : : : |X| / |: : :.|⌒i : ` 、ヾ・、 ==- / /
| : :l : : |. ≠─┼: : |_ノ :.\ っ o / / |\
| : :l : : |ヽ -─‐ァ |: : :.|x: :∧ 。 ゚ | { j ヽ
((.. |: /l : : |::.ヽ / xx|: : :.l^}/ ', `ー――‐" ノ
|/ !: :ト:.::八 xxx o .ィ'´|: :./ ̄歹 ` ----------‐´ ____
. c ヽ|:.:.:∧`:.ーr:t.7T 「/ ノ/ <__}{.| ==─
. |:.:/ V:.:∧l./ | / / | , -‐┐
. ((. ∨ ∨ / / l |'´ : : :.:} これは刺さってるんじゃなくて
/) V ! / , '´ ! : : : : :|
>>1 乙なんだからねっ!
〈¨ / | // |: : : : : }
/ ヽ|──┴.ァ |: : : : ./
/ !: : : : : / ! : : :.〈
/ l: : : : ./ |ヽ、: :.',
/ !: : : / _ \_ノ
lヽ |─/ く } { ノ ヽ
6 :
3:2009/03/01(日) 21:25:21 ID:???
7 :
名無し三等兵:2009/03/02(月) 11:37:23 ID:j6JgIniW
6年間にわたりホンダの社長を務め、先週退任した福井威夫の父上は、
元海軍の技術将校であり、戦艦大和の設計にも関わったことがある。
戦後、帝国海軍艦船資料の収集公開に生涯をかけ、
艦船写真資料の多くの著作を遺した。
その父の名は、福井静夫である。
8 :
名無し三等兵:2009/03/02(月) 14:42:15 ID:???
父方の祖父は「恥ずかしながら・・・」の横井庄一伍長と同部隊だった
母方の祖父はルパング島の小野田寛郎少尉と同部隊だった
偶然とはいえ、出来すぎだろう
9 :
名無し三等兵:2009/03/03(火) 17:17:15 ID:???
味方の戦闘機だと思ってみんなで手を振ったら敵で銃撃されたって
ありそうな話だよな
10 :
名無し三等兵:2009/03/03(火) 19:35:52 ID:???
それで回避した有名な艦長さんがいるやん
11 :
名無し三等兵:2009/03/03(火) 21:20:18 ID:???
潜水艦の艦長さんだっけ?
12 :
uaa:2009/03/04(水) 04:05:38 ID:zTFYOYuv
>>9 「丸」で読んだことがある。
敵機だと分かっていたが、逃げられないから一か八かやったそうだ。
真上を通り過ぎるとき敵機の乗組員が笑いながら拳を振り上げているのが見えたそうだ。
旋回して戻ってくる前に急速潜行して助かったそうだ。
13 :
名無し三等兵:2009/03/04(水) 10:29:14 ID:???
>>12 ワロタw
ちなみに場所はドコらで? 南太平洋?
14 :
名無し三等兵:2009/03/04(水) 10:57:56 ID:???
15 :
名無し三等兵:2009/03/04(水) 21:25:16 ID:???
16 :
名無し三等兵:2009/03/07(土) 19:37:11 ID:bpQoX7EQ
自分の爺さんじゃないけど、浜名湖にある釣り宿の親父さん もういい年
だったけどまだ元気にしてるかな?少年兵でラバウルにいたと話してくれた
キレイな島で温泉もあったと話してくれた、B17が、よく爆撃に来てたと
零戦がたまに撃墜するとみなで歓声あげてたとでも幸いなことに米軍との交戦
はなく無事帰ってきたともう一度ラバウルへ帰りたい(?)と遠い目をしてたな
もっと話し聞いとけばよかった。
17 :
名無し三等兵:2009/03/07(土) 19:38:17 ID:???
うちのばーちゃん口癖が憲兵を呼ぶぞ!
なんか戦争中に空き巣を憲兵が掴まえてくれたことがあるらしい
しかし、どうやって呼ぶんだ?w
18 :
名無し三等兵:2009/03/07(土) 19:41:23 ID:???
>>17 呼ぶだけなら幾らでも呼べる
ただ、来ないだけ
19 :
名無し三等兵:2009/03/07(土) 20:08:18 ID:J3Pxm5wt
赤がとかスパイがとか奪走兵がいると言えばいちらさんからくるんじやまいか。
20 :
名無し三等兵:2009/03/08(日) 03:20:57 ID:???
21 :
名無し三等兵:2009/03/08(日) 05:15:23 ID:YOF+CeUP
昔満州で、石炭を掘っていた爺さんは多国籍坑夫の班長。
坑内ではタバコを吸うなと言っていたのに満助がマッチを擦って粉塵大爆発。
死にかけたらしい。「これだから満助は 」と言っていた。
22 :
名無し三等兵:2009/03/08(日) 12:30:40 ID:???
うちのお祖母ちゃんは、山肌を沿うように降下してきた
米軍機に機銃掃射されたと言ってた。
銀色の鰹節が光りながら撃ってきたって話だが、鰹節ってぇとマスタングかな?
ばあちゃんが銃弾をかわしてくれなければ、このレスも
書き込まれなかったかもしれないんだな・・・。
ばあちゃん、有難う。
23 :
名無し三等兵:2009/03/08(日) 16:09:38 ID:???
ここは大分県のど田舎なんだけど、
近所の知り合いのおっちゃんの妹さんが、
数キロはなれた鉄道の駅を降りた時に戦闘機から機銃掃射をうけたって言ってたな。
ふくらはぎに当たったが、奇跡的にびっこにならなかったていってた。
ど田舎を歩いてる女学生を戦闘機で襲うんだから、
そんなのが上陸してきたら皆殺しになると思うのも当たり前の話だな。
24 :
名無し三等兵:2009/03/08(日) 20:23:28 ID:???
>>23 福岡県・甘木市、太刀洗飛行場か、西鉄電車銃撃かな?
25 :
名無し三等兵:2009/03/08(日) 21:51:56 ID:???
>23 セーラー服(水兵服)着てるのは兵隊だろJk、と米「海軍」パイロットがゆーてたよ。
26 :
名無し三等兵:2009/03/08(日) 22:33:16 ID:???
以前祖父が海軍の高射砲部隊の指揮官をしていたと書いた者だが…
去年の五月に亡くなったよ
86歳の大往生だった
大分会っていなかったから、せめて亡くなる前に一回でも会っておけばよかった
祖父も「○○(おれの名前)に会いたい」と口癖のように言っていたらしいし…
後悔してもしきれない
遺産や死亡届やら色々ごたごたがあって暫く書き込めなかったが報告しておきます
それと、いい機会なので家の掃除をしていたら遺書と写真が出てきた
写真には単座の飛行機(たぶん零戦)と周りで帽子や旗を振る人々
叔父さんに聞いてみると祖父のいとこが海軍の特攻隊だったそうで6月4日に沖縄方面で戦死
家の年頃の男は全員出征したが航空関係だったのはそれだけなのでたぶん彼だろうとのこと
遺書に書いてあった名前も同じ
あと、写真には薄く「菊水…」(それ以降は判別不能)と書いてあった
また時間があったら調べてみます
27 :
名無し三等兵:2009/03/08(日) 22:46:08 ID:???
28 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 16:25:46 ID:???
>>23 「びっこ」は差別用語ですよ。
「ちんば」と言いなさい。
29 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 17:07:19 ID:???
しゃっこ
30 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 17:43:50 ID:???
31 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 18:35:25 ID:p3vj7vj3
俺が小学生の頃に亡くなった祖父から聞いた話だが、若い頃は潜水艦乗りで、アフリカのマダガスカル島まで行って英軍を攻撃した事もあると言っていた。
32 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 18:50:05 ID:???
>>31 多分、第一航空艦隊がインド洋侵攻した時に付属作戦で参加したんじゃないかな?
33 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 20:10:52 ID:???
いやいや高空精神病だろ
34 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 20:52:34 ID:???
>>33 パンパンパーン
∧__∧ ∩
(,,`・ω・´)彡☆
⊂彡☆))Д´)
☆
35 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 21:48:49 ID:???
>>31 >マダガスカル
なら、第八潜水戦隊だろう
さらに “ 甲先遣隊 ” なら、甲標的をもって直接マダガスカル港に突入してる
(英戦艦ラミリーズ大破、タンカー1隻撃沈
ちなみに、第八潜水戦隊には、
『インド洋のシマウマ』と恐れられた特設巡洋艦・愛国丸/報国丸もいた
36 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 22:20:29 ID:???
戦争経験者はあまりの悲惨さゆえになかなか語りたがらない人もいるだろうが、そういう経験談こそ語り継がなきゃならない。
あの戦争はそれだけこの国にとって巨大な業だ。血生臭い話でもいい、
空襲に怯えた話でもいい、生きる為に言えない事をやったという話でもいい、戦中や終戦直後の生活話でもいい。
あの戦争で各々が経験した事をありのままに話してほしいし、
我々戦後世代はそれを現代の価値判断で批評せず受容して聞かなきゃならない。
戦争経験者も大分減ってきた。完全に風格してしまう前に、生証人が語り続けてほしい。
でないと、こういう馬鹿が益々増えてしまう↓↓↓
97:名無しさん@九周年 :2009/03/09(月) 16:36:39 ID:ffAMD3bd0
>>95 バカだな、水木のような中国の収容所に入れられた奴の証言が信用できるかっつのw
「洗脳」って知ってるか?w
東亜+のコテハンのほうが、戦争の現実ってのをずっとわかってるよ。
58:名無しさん@九周年 :2009/03/09(月) 16:16:02 ID:kuJM4zRQ0
水木しげるが、南方戦線で日本軍兵士は、瀕死の味方の指をスコップで切り取ったとか書いてるが、
もちろんデタラメなw
日本軍がそんな残酷なことをやるはずがないのは、子供が考えてもわかることだ。
水木は一丁前に軍隊生活のことも書いてるが、戦争というものを全然わかってない。
ちょっとは2ちゃんの東亜+や軍板で、戦争のことを勉強しろ、水木。
↑↑↑まあ、こういう馬鹿はこのスレには来ないだろうけど。
37 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 23:24:27 ID:???
私ががきんちょの時、爺ちゃんが「自分の真上で投下された爆弾は当たらんから平気」
みたいな事言ってたな−。当時の自分にとっては???な言葉だった。
38 :
名無し三等兵:2009/03/10(火) 13:49:54 ID:???
うちの爺さん、ニューギニアから生還したが、転進命令が出て富士山くらいの高い山脈を越えたとか言ってたなぁ
みんなボロボロの夏服だったし、弱った身体で強行軍したもんだから、途中で動けなくなって凍死者が続出したらしい
39 :
名無し三等兵:2009/03/10(火) 14:31:01 ID:???
>>38 ニューギニアにはスタンレー山脈があるな、4000m級の山脈。
40 :
名無し三等兵:2009/03/10(火) 19:58:38 ID:???
41 :
名無し三等兵:2009/03/10(火) 20:11:35 ID:???
夏服で体弱ってて強行軍で富士山↑の山越えで生きてるって凄すぎだろ・・・
42 :
名無し三等兵:2009/03/10(火) 20:42:54 ID:???
>>38 お爺様はもしかして、サワラケット山を越えた部隊の生き残りでしょうか
43 :
名無し三等兵:2009/03/11(水) 04:21:04 ID:???
>>36 この手のは季節の変わり目になると涌くんだよな。
44 :
名無し三等兵:2009/03/11(水) 04:24:06 ID:???
45 :
名無し三等兵:2009/03/11(水) 05:50:09 ID:t2b91ZjC
比較対象としておかしいかも知れないがゴキブリでも
ほとんど飲まず食わずで雪山越えるなんて無理だろうな
人類の生命力侮るべからず
46 :
名無し三等兵:2009/03/11(水) 06:02:55 ID:???
実際、ニューギニアの生還率は一桁で、人肉食が横行したっていうから。
「生きて還れぬニューギニア」つーくらい。
47 :
名無し三等兵:2009/03/11(水) 07:37:15 ID:9OQd3NjS
48 :
uaa:2009/03/12(木) 03:20:55 ID:TG9mKTzD
>>37 そりゃそうだろう。物理の常識。
うちに祖父さんも飛行機の爆弾は怖くないって言ってた。
落ちてくるのを見ながら伏せれば大丈夫だって。
砲弾は怖かったそうだ。
その話を聞いてたから、AC130の攻撃は心理的な効果もあるって書いてあったのを理解できた。
49 :
名無し三等兵:2009/03/12(木) 03:34:27 ID:???
ウチの曾祖父さんは戦地で死んだ。東南アジアで病気にかかったらしい
オレはどんな人か知らないし骨もない
これ程リアルな話なんてないだろ。雑兵はこうやって使い古されて捨てられて忘れられるのさ
50 :
名無し三等兵:2009/03/12(木) 04:31:02 ID:???
うちはじいちゃんが長男だったんで徴兵免除になったけど、親戚の
おじさんが2人とも戦死なさった。
どちらも大変頭のいい方で、陸軍の航空兵で転戦なさったそうです。
ですが、お一人は中国戦線で、もう一人はニューギニア戦線で亡く
なられました。
どちらも、墓碑にある程度の経緯と、勲何等だったかな?いただいて
おりました。
これは母から聞いた話ですが、そのおじさんのお母さん、母方の祖母
の姉妹だそうですが、勲章をもらったあと、ぽつりと
「あの子達(亡くなったおじさん)は元気に帰ってきて、家を建て直して
くれると約束したのに。」
と、寂しそうに話していたそうです。
今年のお盆も、おじさんのお墓にお参りして、きちんとおじさん達の命
の軌跡を読んでくるつもりです。
51 :
名無し三等兵:2009/03/12(木) 04:39:06 ID:2qLq1mwM
兵卒の命なんてそんなもんだろ
うちは祖父、曾祖父、親戚みんな陸士卒のエリート職業軍人だから戦死なんて惨めな死にかたしなかったよ
戦後は大学教授やったり大手ゼネコンの重役やったり運輸官僚やったり
なーんかスレ見てるとゴミみたいな一般兵の下らねえ体験記ばっか
格差ってのは何世代経ても変わらないもんなんだねぇ可哀想に
52 :
名無し三等兵:2009/03/12(木) 05:28:40 ID:???
>>51 突っ込まれるの覚悟で書いてる貴様はある意味立派な玉砕精神だな。
53 :
名無し三等兵:2009/03/12(木) 06:42:25 ID:???
>>50 うちの爺様(故人)、長男だったけど徴兵免除どころか
2回も召集されたぞ。
1回目、満州
2回目、桂林方面
54 :
名無し三等兵:2009/03/12(木) 09:24:08 ID:W8OQQ+03
>>51 エリート職業軍人なら、なんで終戦時に腹切らなかったの?
数百万の一般兵を見殺しにしといて、何の責任も取らずに、戦後ものうのうと生きてる貴様のジジイ達の事をゴミと呼ぶんだよ
55 :
名無し三等兵:2009/03/12(木) 13:08:56 ID:???
戦後牢獄の中で、明日殺されるんじゃないかとガタガタ震えてた職業軍人だろw
命乞いをして生かされた類い。
56 :
名無し三等兵:2009/03/12(木) 21:15:28 ID:???
埼玉だが、ウチの爺さんに子供の頃川越に住んでいて空襲にあった話を昔聞いた。
丁度そのとき駅にいて、とっさに列車の下に潜り込んだらしいのだが、
その列車が運悪く爆風で動いて一緒に隠れていた人が潰された、という話。
今考えてみるとあり得るのか?こんなこと
57 :
名無し三等兵:2009/03/13(金) 00:10:43 ID:???
>>56 そう言う時は県民全員で”ええじゃないか”を踊れば良かったのだ
58 :
名無し三等兵:2009/03/13(金) 21:55:11 ID:???
>>54 はぁ?省庁勤めの官僚ならまだしも
なんで前線に出てる参謀や体長クラスの人間が切らなきゃいけないの?馬鹿なの?死ぬの?
59 :
名無し三等兵:2009/03/13(金) 22:42:57 ID:???
>>51 君が落ちこぼれたのはあくまで自分のせいだと、自覚しているわけだね? 惨めな奴。
60 :
名無し三等兵:2009/03/13(金) 22:50:12 ID:wWXXXtdZ
>>59 >格差ってのは何世代経ても変わらないもんなんだねぇ可哀想に
ん?最後の行読めないの?
んで
>>54のじーさんは陸士、海兵または旧帝くらい出たのかねぇ?
まさか召集兵の一般兵程度のクズの子孫が職業軍人をゴミ扱いしてんじゃねーだろな?
61 :
名無し三等兵:2009/03/13(金) 22:55:15 ID:???
なんか面白い蟲が沸いてるw
62 :
名無し三等兵:2009/03/13(金) 23:09:37 ID:???
63 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 00:16:47 ID:???
啓蟄
64 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 00:37:35 ID:???
>>60 23歳で戦死した神風特別攻撃隊員の子孫だよ
65 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 01:05:28 ID:???
下士官の分際で士官様をゴミ扱いかw
笑えるわw
66 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 08:14:58 ID:???
このまえ、未だに駅前で白い浴衣着て略帽かぶって黒眼鏡かけて
アコーディオン弾いてたアホがいたけど>65だよね?
67 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 10:44:37 ID:???
>>60 俺、陸大卒の元少将の子孫だけどお前のことゴミだと思うよ。
68 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 10:49:20 ID:oQE374ow
>>67 ん?恩賜組なの?
曽祖父は陸大恩賜組だけど?
69 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 10:50:12 ID:oQE374ow
あぁ少将で退役するくらいなら恩賜組じゃねーかw
すまんw
70 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 11:04:36 ID:???
>下士官の分際で士官様をゴミ扱いかw
>笑えるわw
どこの書き込みに下士官が士官をゴミ扱いしてるんだ?
見えないものが見える症状の持ち主か
日本語が不自由な三国人の第五列かね?
71 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 11:13:13 ID:???
海兵?
うちのじいさんマリンコだったよ。
72 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 11:43:04 ID:???
>>70 >数百万の一般兵を見殺しにしといて、何の責任も取らずに、戦後ものうのうと生きてる貴様のジジイ達の事をゴミと呼ぶんだよ
自分の書いたことも忘れるのか?池沼は
73 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 13:22:13 ID:Spus491T
春休みだねぇ
74 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 13:40:26 ID:???
ゴミ士官の子孫も下士官の子孫もゴミ屑ってのがよー解るな
遺伝ってのは怖いねー、やっぱ日本に軍隊は要らないな
75 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 13:45:46 ID:???
>72
だから「下士官」はどこから出てきてるんだよ?不逞鮮人
76 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 13:51:36 ID:???
>>75 ん?お前の先祖ってアホみたいに特攻して戦死したパイロットなんだろ?
77 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 13:52:54 ID:???
私の祖父は、造船技師だったので、太平洋戦争時代は徴兵を免除された
アメリカと戦争するには、船がなければどうにもならない
日本の船は次々と沈められているから、幾ら作っても足りない状況だったからね
そんなわけで、造船技師は徴兵免除されていたらしい。
ただ、祖父の従兄は、翔鶴のゼロ戦に乗っていたそうだ
ミッドウェーの前に交代要員として陸に上がったから生き残ったそうだけどね
78 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 14:04:32 ID:???
>>76 ハッタリで特攻隊員って書いてパイロットは下士官だって事も理解してないんじゃ・・・
79 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 14:11:20 ID:???
ふむふむ・・・ 特攻隊搭乗員に士官は存在しなかったわけですな。
関大尉って下士官ですかい。
80 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 14:12:59 ID:???
うちの爺さん、学校の先生やってて徴兵されなかった。
(教員も兵役免除されるの?)
81 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 16:27:42 ID:???
>>60 俺
>>54だけど、うちの曾祖父は帝國海軍某重巡洋艦の艦長だよ。
今も南洋の海底に艦と共に沈んでる。
特攻隊員じゃないから。
82 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 16:49:31 ID:???
まずは戦死者の方々を侮辱するのは止めましょうよ。
何よりもこのスレを見ている他の方々が気持ち良くないと思います。
駄文、失礼いたしました。
83 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 17:49:32 ID:???
そうだよ。英霊を見下すような者がこのスレで語るべきではない。
84 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 19:30:27 ID:???
親戚諸々含めて3名が徴兵されたんだが、一人が中国戦線でもう一人がラバウル
んで家のじっちゃは神風特別攻撃隊でした。
終戦後全員が無傷で復員してきたそうです。
85 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 20:17:41 ID:???
爺様→終戦間際、国民義勇戦闘隊に徴兵。
親戚1→予科練から海軍航空隊で訓練中終戦
親戚2→海軍に志願(?)して病気でダウン、広島付近の山で軽作業中にきのこ雲視認。
親戚3→召集されて陸軍、フィリピン方面で戦死(それ以外不明
86 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 20:37:04 ID:???
小学校の校長先生→陸軍の重爆搭乗員(機銃手)
小学校の時の担任→「鬼畜米英」から戦後は「ぎぶみーちょこれーと」
87 :
通りすがり:2009/03/14(土) 21:26:55 ID:WEofQUmG
母方の祖父中国で軍医 弟は硫黄島
父方の祖父長門の主砲測距員 兄は雪風
88 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 21:29:26 ID:7cvq9JSw
つーか特攻隊で生き残った爺の一族は恥を偲んで生きてないのか?
89 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 21:54:35 ID:???
九州の者だが、
婆さんが住んでた村の上空で、16〜20機のグラマン機にたった1機で突っ込んで行って、空中戦を繰り広げた友軍機を見たと言っていた。
しばらくして、1機が山に墜ちて行くのが見えたので、敵機かもしれんと村の男衆が猟銃やら鎌で武装して駆け付けたらしいが、
散らばってたのは友軍機の残骸と搭乗員の肉片だったらしい
90 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 21:56:03 ID:???
母方の祖父(たぶん陸軍兵)は中国に行ったが、
戦闘では空に向けて一発撃ち、
あとはずっと物陰に隠れていたそうだ
神聖喜劇を地で行くような話だ
91 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 22:00:33 ID:???
>>88 余り言いたくないのだが、終戦直後からしばらく特攻隊関係者だったのが
「恥」とされた時代がある。
関大尉のご母堂もずいぶんと心無いことを言われたそうだが。
92 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 22:52:38 ID:???
三度招集
一度目 内地で満期除隊 一等兵
二度目 満州の駐屯地で除隊 上等兵
三度目 根こそぎ招集で大陸に。本土決戦に備え、移動中、釜山で敗戦。引き揚げ船の第一便で帰国。 伍長
三度も招集されながら、一度も実戦を経験しなかった非常にラッキーな男だった
93 :
名無し三等兵:2009/03/14(土) 23:17:09 ID:???
ウチの母方の祖父は元々商船乗りだったから南方に行っていた(25年位前に無くなった)。
予備役少尉だったらしい。最後は駆潜艇の艇長だったらしいが、米軍機に撃たれて入院。
ラバウルから着いた最後の病院船で帰って来たらしい。
今更ながら華々しくない話を無理矢理でも聞いておけば良かったと激しく後悔している。
ちなみに、戦後は掃海艇に乗って掃海作業をしていたらしい。
お袋によるとその頃は時々しか帰って来ず、
帰って来るときはチョコレートやビスケット等を持って帰ったそうだ(戦後、米軍指揮下のの掃海部隊に板らしい)。
お袋は兄貴(伯父)とチョコレートを食べた後の包み紙が当時宝ものだったそうだ。
戦後、お袋が祖母の庭先で従姉妹と遊んでいると日に焼けたオッサンが「ただいま」と帰って来たそうだ。
(お袋の)叔父でルソンの部隊から復員してきたとのこと。
祖父からしてみれば、商船乗りになったのに孫が軍が格好いいと思っていた事に複雑な気持ちだっただろう
(ちなみに祖父は中東戦争勃発時にも現役船乗りだったため決死の覚悟でオイルタンカーに乗っていたとのこと)。
94 :
古兵殿:2009/03/15(日) 05:11:22 ID:???
>>65 なにィ? 新米のくせに上官風吹かしやがると ぶちのめすぞ!
95 :
名無し三等兵:2009/03/15(日) 05:12:10 ID:???
96 :
名無し三等兵:2009/03/15(日) 06:50:07 ID:???
知り合いの爺さん、
二三年前になくなったけど
彼は陸軍の輸送船に乗っていたと答えていたな
それでアメリカの潜水艦の魚雷を受けてしまい
片足をなくしていたよ
運良く命は取り留めて帰国後は皇后つまりいまの皇太后だな
より、義足を賜ったそうだ。
負傷した帰還兵への温情って事だ
97 :
名無し三等兵:2009/03/15(日) 08:00:18 ID:???
98 :
名無し三等兵:2009/03/15(日) 08:05:42 ID:???
>>94 曹長どの頼みます。
あんな新品士官よりも、百戦錬磨の曹長殿のほうが遥かに頼もしいであります。
99 :
名無し三等兵:2009/03/15(日) 10:10:12 ID:???
うちの爺さんには海軍パイロットだった兄貴がいたらしいんだが、
休暇で帰省した田舎から基地へ戻る時に、いつもは言わなかった、
「さようなら」って一言で、兄ちゃんはもう帰って来ない。特攻隊に選ばれたんだって事を、家族みんなが悟ったらしい。
>>98 ・・・そうやって、伊-33潜海没事故の時は犠牲者が増えたんだよなー
102 :
名無し三等兵:2009/03/15(日) 13:27:52 ID:rZWiT14a
祖父や親戚が所属していた部隊をネットとかで調べる事は出来るかな?
祖父や親戚が出征してるんだけど、故人になったり忘れたりで解らないんだよね。
祖父はよく戦時の話をしてくれるけど、
部隊名を忘れてしまったのが本人としても気掛かりみたい。
>>97 恩賜の義足そのものは見たことないが、それを納めている箱なら見たことある
箱の方には菊のご紋がついていたと思うよ
>>102 有名な部隊や関係者がサイトを開設しているとかなら
普通に検索すれば解説等が見つかると思うが、
そうでない部隊の場合は防衛省とか郷土史家とか研究者に問い合わせた方が早いと思う。
>>102 ああ、部隊の概要じゃなくて、
「所属していた部隊は何部隊か?」か。
それだったら個人情報とかの問題もあるから
当局か故人の友人知人等に問い合わせるしかないかもしれん。
部隊長や将校、ある程度功績のある軍人なら名前で検索すれば出てくるが、
そうでない場合は問い合わせるしかない。
106 :
sage:2009/03/15(日) 15:31:36 ID:RGypcTax
うちの先祖大坂夏の陣に出てたらしい
それだけしか伝えられてないけど
うちは幕末、今の埼玉あたりで官軍相手に鉄砲隊やって抵抗したと聞いた。
>>102 該当する人の本籍のある県庁とかで軍歴照会できるよ。
ただし終戦時にGHQが来る前に記録を処分されてる場合もあるからその場合は無理。
(記録の有無程度なら電話でも教えてくれる)
本人以外なら、家族であることを証明できる戸籍謄本とかを添えて請求できると思った。
俺も近々、戸籍謄本を取り寄せて照会するつもり。
109 :
名無し三等兵:2009/03/15(日) 17:25:53 ID:XQJvDb7L
>>99 厨房の時、床屋のお婆さんから同じ様な話を聞いたことある。
年の頃は20歳そこそこの若い海軍さんを、丸坊主にした時、直感で特攻だなと分かり涙が止まらなかったらしい。
俺の出身校は丸刈り義務だったので、床屋の婆さんは学ラン丸刈りで思い出してしまう等の話を聞いた。
うちの地元じゃ前の戦争といえば秩父の山奥に竹槍持って籠って官軍と闘ったヤツなんだが
>>111 アレだな、
二十年くらい前?京都の100歳越えたおばあさんにインタビューしてたTVの番組で、
そのおばあさん:「 “ 前の ” 戦争の時は大変どしたなぁ。」
インタビュアー:「え?京都は空襲とか無かったのでは?」
そのおばあさん:「いや、鳥羽伏見の戦いどす。えらいケガされた幕府側の侍さんがぎょうさん淀川沿いに逃げて行きやして・・・」
吹いた
>>111 うちの田舎でも、前の戦争つったら、目の前の港で官軍と幕府軍が海戦を繰り広げた話だぞw
周りにまともな教育受けたやついないんだな
旧制中学への入学率が10〜20%だもんな
それをうれしそうに言う子孫もこれまたまともな教育受けてないんだろ
>>110 うちの先祖は源平合戦に参加してる。平家方で。「平家物語」にもほんのちょっとだけ出てる。
つまらんことで奇襲の機会を失うとかつまらんことをした。生死はわからない。
母と兄弟同然だった母の従兄は中国戦線で苦労した。
ときどき戦場や、中国人(満州人?)の生活のようすとか話してくれた。
末期の新兵の装備は酷く、水筒が竹筒、銃剣の鞘も竹。小銃もろくに弾が出なかったとか。
とにかく歩きの行軍が辛く戦闘が始まると横になれるんでやれやれと思ったそうだ。
命からがらの復員後は何かの手違いで恩給がちゃんと貰えなかったようだった。
元気だったときはとてもかわいがってくれてたのだが、10年ほど前に喉頭ガンで声を失い、
ここ数年は他の病気もあってもう寝たきりで話もできない。
もう少しちゃんと戦時中の話も聞いておきたかった…。
>>108 些細なことだが、(陸軍からの)「退職時の」本籍地都道府県ね。
GHQからは逃れても、その後県庁の火事で燃えましたのでありません、ってな県もある。
もとの海軍の場合は都道府県ではなく厚生労働省が軍歴を保管している。
>>114 自らの学歴を誇るならともかく、
爺さんの学歴を誇るとかどんだけ?
私の先祖は西南戦争では西郷方で勇敢に戦い。
日露戦争、日清戦争の何れでも、堂々と戦った
太平洋戦争では、敗れはしたが、レイテ戦までの激戦を生き抜いてきた
まことに誇り高い先祖を持ったものだと思うよ。
って、これくらい語れる環境にするべきだと思うけどね。
しかしある種の左派の皆さんは、フランス人がナチスと戦った先祖を誇りに思うとの言葉は賞賛するクセに
日本人が、先祖が偉大だったと讃える事は絶対に認めない
そのことに違和感を物凄く感じるのだけど
>>117 別に学歴なんか誇ってなんかいないが
近代史、特に日本史のターニングポイントである大東亜戦争を知らないなんて
マトモな教育受けてないんだろうなって。あれほど皇民化教育が行われてたのに
それを恥ずかしげもなくネタにする子孫も同じ
死んだ爺さんから聞いた話
詳しくは知らないが、米軍に奪われたサイパンに、千人近くの空挺部隊が殴り込みをかけて奪還する作戦?の訓練を東北のどっかの基地でしていたと聞いた。
沖縄に逝った義烈空挺隊みたいなもんかな?
出撃前日だかに空襲に遭って、輸送機だか爆撃機が破壊され作戦は延期、待機してる間に終戦になったらしい。
>>120 いや、その『義烈空挺隊』そのものですよ
当初は、サイパン島攻撃が目標でしたから
(操縦のほうの三独飛は、帰りの為にB-29の操縦訓練もやってましたから
122 :
名無し三等兵:2009/03/16(月) 19:11:05 ID:aItDFwfP
祖父は秋水の墜落を目撃したそうな。
実家は横須賀の航空技術廠の目と鼻の先だったから偶然見たそうだよ。
朱色?(色はなんて聞いたか曖昧)の航空機が急角度で上昇していて
「すげぇなぁ…」って空を見てたら突然エンジン音がポッポッポッってなって止まったらしい。
それから緩やかに滑空してたけど低空に消えてったってさ。
真っ逆さまに墜落じゃなかったらしい。
飛行実験も頻繁にしてる土地だから墜落を目撃するのは珍しくなかったって言ってたけど
見たこともない形だったから印象に残ってるって言ってた。
そんで墜落した現場の傍に友達が住んでて聞いた話では
滑空して、その友達の家の近くを流れてた川に落ちたと思ったら水面で跳ねてから地面に衝突したらしい。
後は動員で横須賀の造船所で信濃を作ったって言ってた。
祖父は昭和一桁生まれの当時中学生ぐらいだったから雑用みたいなもんだと思うけど。
でも、中学生が作ったと思えば信濃も魚雷一発で沈んでも不思議じゃないなwなんて思ったけど。
ほかにもいろいろ聞いたけど、こんなところで。
123 :
名無し三等兵:2009/03/16(月) 19:43:50 ID:ljQg48Nk
>>122 信濃が沈んだのは、水木しげるが乗ってたからだよ。
>>112 “ その前の ” 戦争は、応仁の乱なんですね。
>>101 バカヤロー ウミガメなんぞと一緒にするな!
128 :
名無し三等兵:2009/03/19(木) 09:39:48 ID:bILsrN3d
南海の
彼方に送る
鎮魂歌
>>112 比丘尼だったんじゃねえのwwwwwww
>>125 近衛文麿が、誰かにお宅には貴重な文物があるでしょうね?と聞かれて
前の戦で焼けまして・・と言った。幕末の戦ですか?と聞くと「いえ、応仁の乱です。」
うちの曽祖父は陸軍幼年学校を出て士官学校卒と相当優秀だったらしいが
終戦まで国内を出ることは一度も無く、最後は近衛師団勤務で少佐で終わったらしい
終戦後も自衛隊(当時は警察予備隊か)から声が掛かったらしいが
一度も戦地に出向く事無く生き残った士官なぞ新たな軍には必要無いだろうと断ったらしい
それでも親戚の叔父(曽祖父の長男)の家には勲章と感謝状が有る
東京大空襲頃の疎開や非難場所併設
戦後撤収に尽力を尽くした感謝状など直接の戦争とは関係無い物が大半を占めるらしいが
結局戦後は国土交通省勤務となりそこで定年を迎えた
叔父は周りから戦地に出向く事無く、その後も国土交通省勤務となった事で
周りから白い目でよく見られたと言っていたが
ここの書き込みみると、戦死したり、体の一部を失い不自由な後世を送った人の話ばかり見ると
そう見られるのも仕方ないかと思ってしまう・・・
そんな事はない。
男が皆死んだら国は作れない。
>>131 そういう生き残ったじいさんたちががんばったから今の一等国日本があるんだよ。
じいちゃんに感謝しようぜ、よく生き残ってがんばってくれた、って。
戦死した兵隊さんの遺骨は、数十年もジャングルに放置しとく一等国日本w
朝鮮人乙
>>134 どこの先進国でもクズはクズなりの人生しか送れないだろ。格差のない国なんてない
戦場における戦死者の火葬も将校は個別に行ったけど
下士兵卒は一括して火葬にすることが認められていたし
遺髪や爪なども一か所にまとめて雑におかれる
将校なんて身分に関係なく死ぬほど勉強すればだれでもなれたんだし
努力を怠った結果を国家のせいにするなよクズ
戦死者をクズ呼ばわりするのはやめろよ
また面白い蟲が沸いてるw
139 :
名無し三等兵:2009/03/24(火) 23:19:10 ID:aK2NDhQI
厳しい試験を通り抜けた陸士、海兵卒の将校と
その辺の下士兵卒の命の重さが同じだとでも思ってるの?
馬鹿なの死ぬの?
世襲の職業軍人は?
孫はおろか家族にも余り話さなかったらしいが、
飛行機乗り(末期はおそらく特攻兵)の教育に従事していたらしい。
師範学校卒の為、兵卒に採られる事はなく戦場は知らないはず。
戦前・戦中から根っからの教育者で、戦後は高等学校の校長から、私大の学長他、
教育委員会の会報もたくさん来てたし、何より、定年退職後にも
教え子らからの年賀状の数が相当数あった事思うと、人格者に違いないと思う。
ここで思うのは、戦中、若者らに特攻を命じていた人格者達が、
戦後、かつての敵国の正義を同じ教壇に立ち、
打算なきかのうように子供らに教育し続けた事。
彼らのこの後ろめたさに、左翼が幅をきかす土壌があるかと。
>>141 帝国軍に世襲制なんてものはない
陸軍創始者の大村益次郎は世襲制の武士軍団とは違うものを作りたかったからだ
有名将校の子息だからといって試験受けないで入れるなんてことはない
華族には帝大や陸士、海兵に優先的に入れる制度があったが
>>140 おまえみたいなのがいると、スレが荒れる原因になるからもう来なくていいぞ
うちの祖父。
鹿児島だったと思うが、
16歳の時、特攻隊志願で海軍の予科練に入団。
しかし特攻機が一機もなく、訓練だけ(地上訓練?)の生活であった。
体罰で、バットで顔をやお尻を殴られて痛かったと言っていた。
お尻を叩く時にバッシーン!っと強烈な音がするらしいが、
叩かれるのに我慢できない人が、お尻の所に布か何かを仕込ませていて、
叩かれた時に「ボフッ!」と鈍い音がしてばれて、泣くまで叩かれたらしい・・・。
ご飯を食べる時。
ご飯を用意する当番がどの席に自分のが回ってくるかを計算して、
自分の分のお米(麦かな?)ぎゅうぎゅうに詰めていざ食べようとすると、
士官か上官の人が「右に〜回、回せ」「左に〜回、回せ」と言って、
そういう食事当番は悔しい思いをしたとか。
そして、一人が食事に遅れて入って来て
「便所に行っており、遅れました!」と言うと殴られたらしい。
そして空襲時。
撃つ弾は何も無く、少しでも町の被害を食い止めるために
訓練場の広場に偽物の高射砲か対空機銃を設置したらしい。、
丸太を切断して、それを墨で黒く塗ってこれらの武器に見立てたそう。
空襲が来たらその近くに人が数人集って、あたかも本物の様に偽装していたが、
空襲が終わるとそこは死体と血が飛び散っていて、地獄だったそう・・・。
敵機から銃撃を受けて数m先を銃弾がぴょんぴょん着弾した時は
もう駄目かと思ったと言っていた。
B29を見た時はかなり上空を4本の線を描いて飛んでいて、歯がゆかったとか。
146 :
名無し三等兵:2009/03/25(水) 11:15:33 ID:EMotfFHl
先日旅立たれた隣のお爺様は、連れ合いと
半世紀にわたり戦争状態だったそうな。合掌…
147 :
名無し三等兵:2009/03/25(水) 11:19:36 ID:y4Ae3du4
B公より、グラマンやムスタングが怖いっていってた。
149 :
名無し三等兵:2009/03/25(水) 18:07:31 ID:Lwm6hjAa
ちょっと知りたいのですが
家の爺様、わしは上等兵だったんじゃと言ってたんですけれど
上等兵って偉い階級なの?
>>149 下から3番目の階級
(二等兵→一等兵→上等兵
二等兵で入って、普通の人は義務兵役2年間でその上等兵で除隊する
151 :
名無し三等兵:2009/03/25(水) 20:08:25 ID:GA5sd6i1
三等兵という階級は無かったの?
ロボット三等兵という漫画が懐かしい。
>>150 戦時は別として、平時(2年で除隊)の軍隊では上等兵で除隊するのは、ほんの一握り。
以下「兵隊たちの陸軍史」(伊藤桂一著)から転載
平時の軍隊では上等兵になるというのは容易でなく、農漁村では上等兵で除隊してくると、村長や(村の)顔役が一席設けてほめてくれたものである。
大田天橋のペン画集『軍隊内務班』中に大正2年の例で「70余名の初年兵の中から、20数名が選ばれ、その中で上等兵に昇進するのは16名。従って修業も大変で、候補者も真剣になる」と記してある。
153 :
名無し三等兵:2009/03/25(水) 20:37:52 ID:LzxjG025
三等は海軍だね
兵長ってどのくらいの階級なの?
ニューギニアで死んだひい爺さんが兵長だった
あたしネカマだけど
ぐぐりゃすぐ分かる事を聞く奴って本当にバカなんだなぁって思う
┏━━━┳━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃大元帥┃最高指揮官として天皇のみに与えられる大元帥という称号。大元帥陛下
┃ 元帥 ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃ 元帥 ┃大将勤務者で偉業のあった者に与える称号。神社とか作られて神扱いに
┠―――╂―――╂― ― ― ― ― ― ― ― 人間の壁― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
┃ ┃ 大将 ┃参謀総長、軍令部総長、陸軍大臣、軍司令官などを務める。
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ 将官 ┃ 中将 ┃師団長を務める。大学校卒でも大抵ここで退役。なのでやりたい放題できる
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃ 少将 ┃旅団長や陸軍省局長・参謀本部部長等を務める。これ以上は大学校卒
┠―┬―╂―――╂― ― ― ― ― ― ― ― 士官学校卒の壁― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
┃高│ ┃ 大佐 ┃連隊長として現場にて掌握する立場。支持者も多くクーデターの首謀者にも
┃級│佐┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ │ ┃ 中佐 ┃大隊長、副連隊長等を務める。ここで終わる人と上に行く人に別れる
┃将│官┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃校│ ┃ 少佐 ┃大隊長として作戦単位の指揮官となる。士官学校卒の出世の別れ道
┠―┼―╂―――╂― ― ― ― ― ― ― ― 旧制中学卒の壁― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
┃ │ ┃ 大尉 ┃中隊長として戦闘を指揮。最前線に立つ最高位の人ともいえる。
┃将│尉┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ │ ┃ 中尉 ┃中隊付きとして中隊長たる大尉の補佐。使う側としては都合の良い位である
┃校│官┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ │ ┃ 少尉 ┃小隊長として戦闘を指揮。士官学校卒はここから。下士官から選抜された者
┠―┴―╂―――╂― ― ― ― ― ― ― ― 志願兵の壁― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
┃ ┃ 准尉 ┃少尉以上と同じ軍服が着れ、叩き上げでここまできた人は、相当尊敬される
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃ 曹長 ┃小隊の取り取締役。大抵が叩き上げで、一般兵の日常の人間関係の範囲
┃下士官┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃ 軍曹 ┃一分隊の長として部下を徹底して鍛え上げる。所謂「鬼軍曹」
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃ 伍長 ┃ここからは任期に縛られない、所謂「職業軍人」に区分が変わる
┠―――╂―――╂― ― ― ― ― ― ― ― ― 召集兵の壁― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
┃ ┃ 兵長 ┃下士官昇進試験を受け、晴れて候補生になると自動的にこの位に
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃上等兵┃一般兵にとっては一挙手一投足を見習わなければならない最古参の先輩
┃ 兵 ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃一等兵┃そこそこに活躍をして2年間を勤め上げればこれに昇進
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃二等兵┃通常の徴兵によって軍隊に入るとまず頂く階級がこれ
┗━━━┻━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
どう頑張ってもズレが直らなかったのでそのまま
160 :
名無し三等兵:2009/03/26(木) 15:27:39 ID:IM+G+Xj5
うちのじいさま(80歳存命)は立川の飛行機工場で営繕やってたよ。
エンジン輸送にくっついていって、伊丹まで輸送機に乗ったこともあったんだと。
じいさまの兄貴は徴兵されて帰ってきて、今度は志願して軍属になって、今はマニラ沖で眠ってる。
昭和19年11月27日、輸送船ごとボカ沈だそうだ。
おととし靖国で調べてもらって、兄貴が祀られてることを確認。
じいさま連れてって、参拝してきたよ。
前に来たのが昭和18年頃だというから、60年以上経ってる・・・
じいさまはどんな気持ちだったのかなあ
おせっかいでズレ直し
┏━━━┳━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃大元帥┃最高指揮官として天皇のみに与えられる大元帥という称号。大元帥陛下
┃ 元帥 ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃ 元帥 ┃大将勤務者で偉業のあった者に与える称号。神社とか作られて神扱いに
┠―――╂―――╂― ― ― ― ― ― ― ― 人間の壁― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
┃ ┃ 大将 ┃参謀総長、軍令部総長、陸軍大臣、軍司令官などを務める。
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ 将官 ┃ 中将 ┃師団長を務める。大学校卒でも大抵ここで退役。なのでやりたい放題できる
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃ 少将 ┃旅団長や陸軍省局長・参謀本部部長等を務める。これ以上は大学校卒
┠―┬―╂―――╂― ― ― ― ― ― ― ― 士官学校卒の壁― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
┃高│ ┃ 大佐 ┃連隊長として現場にて掌握する立場。支持者も多くクーデターの首謀者にも
┃級│佐┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ │ ┃ 中佐 ┃大隊長、副連隊長等を務める。ここで終わる人と上に行く人に別れる
┃将│官┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃校│ ┃ 少佐 ┃大隊長として作戦単位の指揮官となる。士官学校卒の出世の別れ道
┠―┼―╂―――╂― ― ― ― ― ― ― ― 旧制中学卒の壁― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
┃ │ ┃ 大尉 ┃中隊長として戦闘を指揮。最前線に立つ最高位の人ともいえる。
┃将│尉┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ │ ┃ 中尉 ┃中隊付きとして中隊長たる大尉の補佐。使う側としては都合の良い位である
┃校│官┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ │ ┃ 少尉 ┃小隊長として戦闘を指揮。士官学校卒はここから。下士官から選抜された者
┠―┴―╂―――╂― ― ― ― ― ― ― ― 志願兵の壁― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
┃ ┃ 准尉 ┃少尉以上と同じ軍服が着れ、叩き上げでここまできた人は、相当尊敬される
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃ 曹長 ┃小隊の取り取締役。大抵が叩き上げで、一般兵の日常の人間関係の範囲
┃下士官┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃ 軍曹 ┃一分隊の長として部下を徹底して鍛え上げる。所謂「鬼軍曹」
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃ 伍長 ┃ここからは任期に縛られない、所謂「職業軍人」に区分が変わる
┠―――╂―――╂― ― ― ― ― ― ― ― ― 召集兵の壁― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
┃ ┃ 兵長 ┃下士官昇進試験を受け、晴れて候補生になると自動的にこの位に
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃上等兵┃一般兵にとっては一挙手一投足を見習わなければならない最古参の先輩
┃ 兵 ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃一等兵┃そこそこに活躍をして2年間を勤め上げればこれに昇進
┃ ┣━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ┃二等兵┃通常の徴兵によって軍隊に入るとまず頂く階級がこれ
┗━━━┻━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
以上 内容はいじってません
表作成者ですがズレ直しサンクスです
内容に関しても間違いがあればどんどん修正してください
もう亡くなったひいじいちゃんは南京攻略での川の爆雷除去で勲章と賞状貰った。
川は泥沼みたいで水の中が殆ど見れなかったらしい
その後も田舎百姓でお金が無かったから何回か出兵して十三人の家族を養った
戦死することは無く末期は寝たきりだったけど老衰で亡くなった
その弟さんは学校の教師を薦められる程頭が良かったけどお金が無くて学校に行けなかった
その後フィリピンに出征してそして戦死した。優しい青年だったらしい。
左寄りの考えでは無いけど、彼のことを考えると本当に悲しくなってくる
あともう一人の弟さんも南方に行って戦死なさってるけど彼はよく分からない
母方の祖父は乙種だったのに召集されて大陸へ。
船で釜山へ行ってそこからひたすら鉄道の旅。
トラック?の陰で爆撃を避けながら終戦を迎え、飢えと下痢で仲間が死んでいく中
ネコを喰って飢えを凌いだそうです(茹でるとめっちゃ泡ふくらしい)
因みに何故ネコかというと、イヌは吠えるので中国人に見付かるから。
詳しくは聞かなかったけど、報復とかあったんですかね。
大陸でも、船が着いた港の病院でもたくさんの仲間が死んだらしい。
祖父も30kg台まで体重が落ちたけど、なんとか回復して帰郷。
その後大空襲を生き延びた祖母と結婚して…おかげで今の自分がいます。
おじいちゃんおばあちゃん生きてくれてありがとう!
>報復とかあったんですかね。
どこでもだれでもという訳ではないのだが、
満州ではロスケ参戦以降、満人や中国人の日本人への報復が始まった。
日本人の使用人などになって、日本人が家族同様に思っていたような人も
満州事変以来抑えてきた不満を爆発させ報復者になった例も多い。
勿論こっそり助けてくれたという話もあるのだが。
逃げ遅れた開拓団の村人など監禁され老若男女関係無しに
一人ずつ引き出され集団に撲殺された話とかもあるようだ。
敗残兵など少数で居たら何をされるか…というのはあったでしょうね。
曽祖父 陸大卒の陸軍中将
祖父 陸士卒の陸軍少佐→戦後、京大卒→京大法学部教授
祖父の妹婿 陸士卒の陸軍少佐→戦後、東大卒→スーパーゼネコンの重役
祖父の弟 陸士在学中に終戦→戦後、山大卒→運輸省官僚→天下りで茨城県庁勤務
勝ち組すぎワロタ
うちのじいちゃん(大正13年生まれ)は中国へ出兵したそうな。
体格が大きかったから大砲係だったとのこと。
時期が時期なため、行ってすぐに戻ってきたそうです。
現地ではメシマズ(食べ物的な意味で)体験をいっぱいしたらしい。
なにしろご飯が真っ黒(ハエ的な意味で)
ハエがいない飯はない!byじいちゃん
今でも中華料理=ハエになっています。
一緒に戦地に向かった方の記録。
電車で移動中、窓の外にはおなかをすかせた現地の方がいっぱい。
もしかしたら、戦争中って知らない人もいたのでは?
食事で支給されたパン?がまずくて食べられず、窓の外に投げ捨てたら、取りあいも見合いになってたそうな。
そんなじいちゃん、現在普通に農業やってます。
数年前、陛下から菊の模様の入った懐中時計やらなにやら送られて嬉しそうに見せてくれました。
170 :
169:2009/03/27(金) 20:30:55 ID:???
×も見合い
○揉み合い
×送られて
○贈られて
チェック前に送信押しちまったよ…OTL
戦争というようり食べ物に偏った内容ですまんかった
171 :
名無し三等兵:2009/03/27(金) 23:08:19 ID:h00U22/u
俺の爺ちゃん(大正6年生まれ)も大陸に出征していた。
馬産地で有名だった岩手県の出身で、馬に慣れ親しんで育った事もあり、
軍隊でも野砲や物資を運ぶ軍馬の世話係をしてたそうで、苦楽を共にした沢山の馬の話を聞いた。
ある馬は行軍中に泥にはまってしまい、救出しようとしたがもはやどうする事もできない。仕方なく荒野に置き去りにしなくてはならなかったそうだ。
祖父は、「置き去りにされた馬の悲しいいななきが、今でも耳に残ってる。ほんとに可哀相だった」と言って泣いていた。
終戦までに、部隊にいたほとんどの軍馬が死んだ。
祖父は死んだ馬達のたてがみを切り取り、日本に持ち帰って供養したそうだ。
>>169 陛下から時計頂けたのはやっぱり出征したことが関係あるの?
軍馬の供養塔はときどき見るね。
ああいうのは海外でもあるのかな。それとも日本人独特のものかなぁ。
うちの祖父が土建屋やっているときに
雇っていました近所の大垣市出身のおじさん
私に「ゼロ戦と戦艦大和」って本を買ってくれたことや
「軍艦は艦橋を狙うといいんだ!」などなど戦記話してくれて
私は軍ヲタ少年になってしまいました。
満州のハイラルに配備されて
軍曹までいって
戦車の上にも乗せてもらったらしい
(八九式?)
その前は、名古屋かどこかで航空機の試作を
手伝っていたらしい
その航空機の渾名・略称も話してくれたんですが
忘れました。
こんな話を度々聞いていいたのですが、
結局、そのおじさん、20年ほど前に
内臓疾患(肝炎から発症した肝硬変)で死んでしまったんですが。
一人暮らしで近くに親戚もいないので、
大垣にも身元を確認したんですが不明で
名前も嘘だったらしい。警察も来て指紋とってました。
何年かあとに、そのおじさんの話題になって
「満州に行ったんですよね〜あのおじさん!」って
近所のおばあさんに話したら
「あの人、中学出てからずっと内地にいたよ!
あの人、時々ウソつくから!」
あ…
結局、満州の話はナンだったんだろう。
それにしては、見事な嘘。
今日、靖国神社で祭りやってて水兵帽かぶったじーちゃんが樽酒をがぶ飲みして卒倒して救急車で運ばれてた。
随分昔(20年以上前)にば〜ちゃんに聞いた話。
終戦後、進駐軍がジープに乗って野菜の買い出しに来たらしい
何せ、「B(ば〜ちゃん談)にめぼしいところは全部焼かれた」そうなので
田舎にしか物資がなかったらしい。(ちなみに343の本拠地)
タマネギを大量に購入していったとの事
「タバコとチョコを貰ったけど、チョコは甘くなかった」
と文句を言っていた。
ば〜ちゃんも鬼籍に入って久しいが…
米軍のチョコって甘くないのかな…
ちなみに、親父は「米軍が来た!!!!」と逃げ回っていたらしい
このヘタレが!!
178 :
名無し三等兵:2009/03/28(土) 23:57:51 ID:WFFq92hQ
>>177 いつの世も女が強いのは知っているかい?
男なんて所詮は元『男の子』だ。
若い頃に分家してメリケン行った大叔父さんとこの従兄弟が
戦後早々にジープで戻ってきた
ばあちゃんが大病したときには米軍の病院にも入れてくれた。
親父は留学したときに世話になったしもう我が家はアメリカには頭が上がらん。
米軍のチョコって基本ハーシーズだろう
今のハーシーズしか知らないがあんまり美味くないよな
俺の父ちゃんは終戦時7歳くらいだった
かなりの田舎だが鉱山が有った関係と、
陸軍がその鉱山の坑道にやたら兵器を隠していたこともあってか
米兵がたくさんいてギブミーをやってたそうだ
逆に工業地域に住んでた母は
滅多に米兵を見た記憶がないそうだ
ハーシーズの板チョコは軍用保存食だからカロリーはパネえけど甘くはない。
でも米兵にも不評だったらしくM&Mチョコなんかはだいぶましになった。
ハーシーズでもキスチョコは甘いよ。
182 :
名無し三等兵:2009/03/31(火) 08:19:11 ID:0LJCn9Ay
死守
>>175 祖父ちゃんとかの話を覚えている人は羨ましいな。
俺も伯父が駆逐艦に乗ってマレー方面で戦ったらしいが
当時、俺は幼すぎて伯父の話をまったく覚えておらず
母ちゃん達も事あるごとに出てくる伯父の戦争の話をうざがって
殆ど覚えていなかった。
俺がもう少し大きければたっぷり聞いてやれたのに・・・
父方の爺さんはドゥーリトルのB25を目撃してる
爺さんのは割りと裕福な家だったので、開戦前から航空雑誌を読んでいて近所の子供達から飛行機博士として慕われてた
なので、上空を飛ぶ航空機が直ぐにB25である事に気づいた…が
この当時いろいろな雑誌に日本兵と共に写る敵国の兵器の写真が溢れていた事もあって、
爺さんは「あ、とうとうB25も鹵獲したんだぁ」位にしか思わなかったそうだ
遠くから雷みたいな音がして煙が上がった時は心底びっくりしたらしい
185 :
名無し三等兵:2009/03/31(火) 22:35:55 ID:ybhgBKQF
186 :
名無し三等兵:2009/04/01(水) 00:04:17 ID:AwuGlvdd
俺の死んだジーサンも出征してたらしいが軍服姿が想像つかないな、なんせ孫のお下がりの名札縫い付けた中学ジャージ着てヨダレて徘徊してる姿しか記憶にないし。
心配しなくてもおまえもいずれそうなるから
188 :
名無し三等兵:2009/04/01(水) 02:13:54 ID:BrshMyCw
南洋の孤島エロマンガ島で@元日本兵という老人が発見された。
第二次大戦中に乗り組んでいた駆逐艦が撃沈され一カ月漂流の末、
ここに流れ着き、ジャングルに隠れ潜んでたとのこと。
日本語しか話せず「万愚節」を機に日本へ還りたがっている模様。
189 :
名無し三等兵:2009/04/01(水) 11:08:40 ID:KXtXq20A
4月1日だもんね
燃料が底をついてきた頃
空母から飛び立つ飛行機にぎりぎりの燃料しか積めなくて
空母がちょっと移動したらガス欠の飛行機が帰りつけなくて
海に落ちていったのを見たって
それを見て日本はダメなんだなと思ったって
ある禅寺の住職
「ワシね、当時特務機関におったんよ…」
「……」(驚きのあまり口パク)「あ?いや、映画みたいに派手な銃撃戦とかしていたもんかよw
諜報っうても、地ィ味ィな情報収集でな…」
某整骨院で隣会った老人
「いやぁ、今日は雪がつもりましたなぁ
こういう時は、二二六事件を思い出しますよ…」
「はいっ!?…ま、まぁ、良く生きて…」
「あ、いやいや。鎮圧する方、鎮圧する方w」
ふっと思い出話みたいに断片的に語るからなぁ。
姿勢を正してお伺いじゃ、中々話してくれませんね。
192 :
uaa:2009/04/03(金) 03:57:27 ID:lDOJtpFL
>>184 うちの親父と一緒だwww
友達と下校中で、「最初に米軍機だと気が付いたのは俺だった」と自慢している。
飛行機博士だった親父も最近ボケが入ったのか、
この前テレビに出てきたB-24とB-25を間違えた。
193 :
名無し三等兵:2009/04/03(金) 04:12:25 ID:KF6aerFo
爺さんが満州で97のパイロットだったよ
田舎に行けば勲章・賞状・写真がたくさんある
>193
満州のみで? その後の戦歴・武運を訊きたい。
天寿を全うされた?
なんだろう・・・
97戦なのか97重爆なのか気になる。
まさか97艦攻とかはないだろうし・・。
196 :
名無し三等兵:2009/04/04(土) 16:24:23 ID:Q2jl56o0
三菱四式重爆撃機「飛龍」の 輸送機型、キ97の試作機ぢゃろ〜q
197 :
名無し三等兵:2009/04/04(土) 17:29:24 ID:3ImT9KIm
ひい爺さんは陸軍伍長で、中国にいたらしい。
幸いにして抑留されることなく帰還できたが、日本までの旅路で役に立ったのは
軍隊で使ってた毛布だったそうな。
現地の人と物々交換するときにはそれが大変に喜ばれたらしい。
うちの爺は無人島に派兵されて米兵こないまま終戦して帰還。
島にいる色々な野生動物を捕まえて食べたり、
上官が連れてきた馬をバラして食べて、その皮で財布を作ったりしたそうな。
学校のキャンプみたいなノリだったらしく、楽しそうに話してたw
どんな野生動物を食べたか興味が有りマス
蛇とか鳥とか、食えるものならなんでも捕まえて食ったと言ってた。
俺のじっちゃんは、ボルネオで猿を喰ったらしいけど、臭くてあんまり美味くはないらすい。
それに何か得体の知れない病原菌を持ち帰ってないか不安
じいさんじゃないが、俺のばあさんはグラマンヘルキャットの機銃掃射をくらいかけたらしい。弾を喰らう寸前に国道のガード下に入り難を逃れたそうな。
それから、戦後になるが、俺の親父はGHQのジープに跳ねられかけたところをGIどもに保護されてジープで家まで送ってくれたそうな。
>201
「猿」の種類ちゃんと効いておけよ(W
204 :
名無し三等兵:2009/04/04(土) 22:34:54 ID:UAvFhLj0
うちの祖母は農作業中に艦上機に機銃掃射されて、必死に逃げ回った挙句にわら山に隠れて助かったそうだ
まあ、面白半分で狙ったんだろうな
爺さんは、戦争中は二度目のご奉公で北方領土。戦後はながらく、強制収容所
なんだか俺って、米露を憎む理由がある気がしてきた
親米保守だけどw
人間は感情の生き物だが、感情を制御しなけりゃ生きていけないし、それでいいんじゃね?
そういううちの母方の実家は、村ぐるみで供出米軍からかくしてたとさ。
>>201 「原住民」という名前の猿ですね。分かります。
208 :
名無し三等兵:2009/04/04(土) 23:23:38 ID:2iwrvPLk
戦犯国家日本はもっと反省すべきだろうね
日本の歴史は侵略と虐殺と犯罪の繰り返しだ
素直に反省し謝罪すべきじゃないの
最悪だよ, 犯罪国家日本は
209 :
名無し三等兵:2009/04/04(土) 23:31:34 ID:DatubgtD
>>208 現代の朝鮮人も旧日本人として反省しようね。
反省すべき点は
>>208のご先祖の国を日本に併合したことだな。
勿論戦争に負けてしまった要因も反省せねばなるまい。
212 :
名無し三等兵:2009/04/05(日) 00:53:48 ID:5pKpvhE+
>>201 もちろん「白豚」「黒豚」も食ったんだよな?
糞じじいに聞いてみろよ
和歌山出身で昭和元年生まれの祖父が中学卒業後、大戦末期に大阪にある軍の学校に通っていた
とたまたま今日母から聞いたのですが、陸軍か海軍かもよくわからないそうですが
可能性としてはどんな学校(?)があるのでしょうか。
ちなみに祖父は実際の軍務は経験していないそうです
大阪の陸軍幼年学校なら昭和15年に復活したけど
13歳からとかじゃなかったけ?
幼年学校→士官学校在学中に終戦とか考えたんだが
ていうか中学卒業後なら幼年学校ちがうわw
見過ごしてたすまん
216 :
uaa:2009/04/05(日) 01:56:54 ID:T8OZF4ml
>>214 幼年学校は中学(5年制)中退で入る。
卒業なら士官学校だろう。
でも、大阪って幼年学校以外何かあったっけ?
217 :
uaa:2009/04/05(日) 01:59:27 ID:T8OZF4ml
>>213 今気付いたんだが、昭和元年って一週間しかないんだよな。
かなりの少数派。
・シベリア抑留
・重機だか軽機だかに敵の弾が当たって命拾い→鉄くず担いで退避
・新兵と行動を共にして戦車に襲われる
新兵は丘へ、爺ちゃんは湿地帯へ退避→新兵全滅
・皆、弓折れ矢尽きて食料も無いって状態で大規模な撤退してたら
「ヘイタイサン、タスケテクダサイ」って満州人の女性らが言ってくる
こっちも助けたいけど無理だからって事で後続の人らに任せたけど・・・
(結局これ以上先は最後まで話してくれなかった。手記を読む限り、ソ連軍にやられたらしい)
・ヘビ美味い
・カエル美味い
・新兵が遊びのつもりで銃に唇くっ付けたら凍って取れなくなる
呼ばれた新兵、無理に引っぺがしたらしく唇から大出血
・マンドリン(ペペーシャ)でバババババ→うん、ボルトアクションじゃ無理!
・同僚が馬鈴薯ゲット→夜中にこっそり煮る→馬糞でしたーあばばばば
219 :
名無し三等兵:2009/04/05(日) 19:40:54 ID:bJTQDBJ1
じいちゃんは出征したにはしたらしいんだけど、「戦地へ輸送中に終戦を迎えたらしい。」と父が言ってた。
そんなじいちゃんも戦後の復興の中で名古屋に出稼ぎに行ったまま、父が中学生のときに過労死したそうだ。
ばあちゃんは畑仕事中に銃撃にあって、命からがら防空壕に逃げ込んだって以前言ってた。
後は、母方のばあちゃんは原爆が落ちる1日前まで広島にいたらしい。後1日長く滞在していたら自分存在してなかったんだな・・・。
聴いてみると結構きける。
俺の爺さんはもう死んだけど、若かりし時は四国の松山だかそこらの震洋隊?にいて、
例の大爆発事故に遭遇したけど、運良く助かったと言っていた。
221 :
名無し三等兵:2009/04/05(日) 20:50:32 ID:LORct1ka
〉213
宝塚の予科練だろうなあ。通学は無理だか。
大阪造兵局の技手養成学校もあるうるな。
223 :
名無し三等兵:2009/04/05(日) 22:27:18 ID:k6qxCk9Q
>>211 こういう時にこの言葉を使うんだろね
ちょっと待て
その書き込みは
朝日かも
224 :
218:2009/04/06(月) 01:41:19 ID:???
他の話も思い出した
爺ちゃんは上からの命令で満州の村を統治(だか何だか)させなきゃならんかったらしく、
村に向かったは良いけど銃を持ってたら怖がられるし、最悪殺されるって事で
匕首一本だけ持って行ったらしい
色々指示しなきゃならないのに言葉も禄に通じないし、
殺されるかもって思うと生きた心地がしなかったって言ってたな
でも段々打ち解けてきて、麻雀やら何やらやったらしい
大勢の村人の中にポツンといる爺ちゃんを想像したら今になって何だか可哀想になったw
それとは別に爺ちゃんは学校なんて行ってないから
親切な上官(元教師?)だかに読み書きやら計算やらを習ったとも言ってた
酒好きな人で、勉強教えてもらう代わりに酒をあげてたって
銃剣術じゃ俺が一番強かっただの煙草は戦争で覚えただの・・・
メッチャ会いたい
会ってまた話がしたい
駄文スマンコ
>>223 その朝日って、自分で傷つけたサンゴをネタにしようとした薄汚いマッチポンプのことかな?
俺の爺さんは徴兵されなかったので、男が戦地に行って男日照りが続く村で重宝がられたらしい。
夜這いが日本の美しい伝統として残っていた時代だったこともあって、毎日ハメまくり。
チンポの乾く暇もないほどだったそうだ。
銃後では影で「足らぬ、足らぬ、工夫が足らぬ」じゃなくて「足らぬ足らぬ男が足らぬ」といわれていたとか。
昨夜見たNHK特集で(日台戦争)なる戦争があったことを始めて知りました。
どなたかの爺様、参戦された方いらっしゃる?
わしか!
無敵皇軍大活躍じゃったよ
死んだじいちゃんから子供の頃に聞いた話なんでうろ覚えだが
上司に「この肉食べてみろ」って言われて食ったら
後から人肉だったって聞かされたとか
(どんな味だったか聞いたと思うけど忘れた…不味かったとは言ってなかったと思う)
じいちゃんだったかばあちゃんだったか忘れたけど
布団干してる時に雨が降ってきたなと思ったら実は油?灯油?の雨で
焼かれてしまうって逃げた話とか
このスレ見てもっと色々聞いておけばよかったなと思った
>>227 プロローグでは「憲法九条教」布教。
昨日の第一回では「日台戦争」なる奇妙な新語。
酷いシリーズだ・・・
>>231 >日台戦争
野球放送終わった後チラ見してたらいきなりその単語、
んん〜?明治七年の台湾出兵の事か?(1874年/事件の地名を取って牡丹社事件とも)と思ったら、
『新しい歴史認識』の作成とはねw
にいちゃん、なんで日本の報道機関「昭和戦争」とか「日台戦争」とか勝手に歴史用語つくるん?
情けない。
ご先祖様は現状をみてどう思うだろうか
なんか泣けてきたよ
「日台戦争」 「人間動物園」 ・・・
NHK特集は勉強になります。
「人間動物園」という見せモノは、植民地経営をしている国々は競ってやった。
様々な民族を揃えることで、いかに広い地域を、いかに多様な地域を手に入れているか
示した。
それを日本は真似をしたんだ。
決して褒められた事じゃない。
でも、それは当時は当たり前だった。
しかも、この番組では全くそれらには触れてない。
こういうのを偏向と言うんだね。
抗議のメールを出しましたよ。
>>233 根性が腐った連中がのさばっているせいでしょ。
238 :
uaa:2009/04/07(火) 02:38:50 ID:HaIJ0ECk
>>236 土人の剥製を最近まで博物館で展示してた国もあるもんな。
日台戦争って…
当時の台湾は統一した政府なんか無くて少数部族が乱立してそれぞれ言葉も違うのに、
何を不正確な情報垂れ流してるんだNHKは、放送免許剥奪物だな。
241 :
名無し三等兵:2009/04/07(火) 07:16:37 ID:G+aaJ4eC
スレチだろ
242 :
名無し三等兵:2009/04/07(火) 08:07:14 ID:EBGxIXj5
俺も小学生の頃に一度じじいに
戦争体験(中国戦線)聞いたな。
自主的ではなく、学校の宿題の一環やったけど。
歩いても歩いても誰もおらんかった
昼はそれなりにきちんと歩いてたが
夜の行軍は暗いので、服のボタン全開にしてダレた格好して歩いてた
これくらいしか話して無かった。
当時、聞きながら「な〜んや」
と思ってた。
しかし、自分自身が三十代になり
大したものではないが、色々な経験を積んで大人になると
仮にじしいが中国でシビアな状況に遇ってても
小学生に対し、言わない判断はあったかもと思う。
多分、正規軍との会敵は本当に無かったんやろう。
そういうのは、話したくなる要素。
ただ、会敵自体はあり、それはそれは悲惨な敵(明らかに昨日今日、無理やり駆り出された、戦う気ゼロの農民)
を殺したり、道端のもの請いの子供を助けず無視したり
といった、細かな心象に残る経験はしたかもしれんし、
俺には敢えて話さなかったかも。
そういうのは、疲れるやろうな。
243 :
名無し三等兵:2009/04/07(火) 08:37:55 ID:FvUxpHLF
知り合いの爺さんから聞い話しだが、旧海軍戦艦榛名に乗船。 ミッドウェイ レイテ 戦艦金剛とのヘンダーソン基地への艦砲射撃は凄まじかった話し等々、本当にリアルで本物のだと感激したよ!
あの番組は東京裁判史観に汚染された9条教布教番組
245 :
名無し三等兵:2009/04/07(火) 08:49:42 ID:FvUxpHLF
>>243です。
シブヤン湾で榛名から武蔵が撃沈される所まで目撃!不沈艦と思っていたが、一番 ショックだった思い出だとか…
>243
重箱の隅をつつくようで恐縮だが・・・
変だーソン基地への艦砲射撃は、霧島・比叡ユニットのはず。
248 :
名無し三等兵:2009/04/07(火) 11:52:53 ID:1XXn0OZ/
うちの爺さんラバウルの戦闘機乗りだった
末期は343空の隊員で数少ない生き残り
ほとんどの友達を失ったらしくて戦争の話をすると悲しそうだった
母方の爺さんが機関銃中隊の伍長だった
地域的に歩兵第65連隊だと思うんだが・・・
子供ながらに時々戦闘の様子を聞かされたりしたんだが殆ど覚えてない
印象深く唯一覚えていたのが夜戦の際の曳光弾がらみの事だったような
当時の陸軍で曳光弾使用してたかどうかはちょっと分からないけど
それについて話してくれたことがあった記憶がおぼろげにある。
10年前までは生きてたんだがもっと色々話聞いておくべきだったなー
当時はハードとしての現代兵器が好きっていう程度で戦史とかにも
まるで興味がない単なる兵器厨だったしな
>>227 なんだそりゃwwwwwwwwまた捏造かw
251 :
名無し三等兵:2009/04/07(火) 15:28:24 ID:FtGM63RW
うちの母方の祖父はニューギニアに行ったらしい
44年にマラリアかなんかで病気になって帰還したんだと
日本に戻っても高熱が出て死にかけたらしい
俺が生まれる前に死んだから話したことはないが
母に聞いたら、戦闘はそんなにしなかった、料理を作る係だったって言ってた
料理を作る係ってどういう立場なの?他のひとより戦う機会は少ないのかな?
詳しい方いませんか?
とにかく食料がなかったらしく、祖父がなんとか食事を用意したら
みんなめっちゃ喜んだらしい
でも栄養失調とかで凄い仲間が死んで
戦後生まれた母はとにかく飯を残すと
ニューギニアの話しを延々と話して怒られたって言ってた。
252 :
名無し三等兵:2009/04/07(火) 17:42:17 ID:e0J/YzZK
僕の祖父は亡くなるまで赤褌に着物に下駄という爺さんだった。
戦争の事はあまり語らなかったが、一度だけ満州で燃料のない戦車を
埋めて砲台にしたって話をしてくれた。わき腹に貫通銃創がありすごい傷跡だった。
その怪我の治療中に終戦を迎えたとのこと。頑固一徹で口癖が「早く死にたい」
だった。病を患った後ひっそりとまるで待っていたかのように亡くなった。
死後、家を建て直す時に、天井裏から軍刀が出てきた。歯は錆びて駄目になっていた。
あとは大量の手紙と軍票や満州の株券。戦友会の方の字は達筆すぎて僕には
読めなかった。
本当に無口な祖父だったので、戦友会に参加していた事に驚き、戦争に本当に
行っていたんだなって実感した。ただ親戚はかなり戦死していて墓標に刻まれている。
その事が生き残った祖父に苦痛を与えていたのかと思うと切ない。
>>251 詳細は知らないけど、「料理を作る係」ってのは文字通りで、大人数の食事を、しかも移動とか戦闘とかの最中にも用意する必要があるのだから、
片手間にできることではないから、ある程度の人数が専門の担当に回っていたということらしいですね。
基本的には、材料は専門の部隊があって、そこから送られてきたのを調理する担当ということになるけど、補給が途絶えがちになったときに、
材料の調達を担当させられたはず。
ニューギニアというのが、正にそれだから、「みんなめっちゃ喜んだ」というのは、何とかして食えるものを掻き集めてきたので、という話ですね。
炊事手って言って上等兵相当で召集されるはず
255 :
名無し三等兵:2009/04/07(火) 23:56:09 ID:FtGM63RW
>>253>>254 ありがとうー、少しでも祖父の事わかってよかったです。
ちなみに祖父は明治終わりの生まれでニューギニアに行った頃は
既に30代半ばくらいだったらしい
話しは少し変わるけど、その祖父が戦前朝鮮に行って(旅行なのか行った理由は不明)朝鮮人についての感想
膝を立てて飯を食う
男も女も怒ると顔を真っ赤にして凄い癇癪をおこして怒鳴り散らす
だそうです。
>>254 よく知らんけど、それは「班長」とか呼ばれる責任者じゃないかな?
257 :
名無し三等兵:2009/04/08(水) 01:00:14 ID:2DAPlsm1
五航艦721航空隊所属の一式陸攻の搭乗員でした。鹿屋配備のいわゆる神雷部隊です。
うちの母方の祖父は大正3年生まれで、中国(満州?)方面に居たらしいけど、
その時に原住民に色々と良くしてもらったと言っていたが当時の原住民の
全員が全員、反日感情を持っていたというわけじゃないんですかね?
祖父はタバコを吸わないから原住民にあげると、腕の軽傷に現地の娘さんが
手当てをしてくれたり、要らなくなった裁縫用の布切れを渡してやると、その
お礼としてアヒルの料理を食わせてくれたとか聞きましたが。記憶ではシナ人と
言ったたので(差別的な意図はなく)中国には間違いないと思うんですが。
259 :
218:2009/04/08(水) 01:49:33 ID:???
>>258 うちの爺ちゃんと一緒だな
爺ちゃんは反日云々は言ってなかったな
色々差し入れとかくれたらしいし、一緒に宴会して麻雀もしたって言ってたから、
今みたいな感情では無かった事は確かだと思う
260 :
258:2009/04/08(水) 01:53:23 ID:???
続き〜
その後、部隊移動で南方の島に輸送船で移動中に潜水艦の魚雷を受けて撃沈され、
板切れに捕まって漂流している所を潜水艦が浮上、救命ボートに群がっていた士官や
古参のベテラン兵たちは潜水艦の機銃掃射で殆どが亡くなって海面が血の海のように
真っ赤になってたと言ってました。ところが潜水艦の乗員が突然慌てふためいて急潜行したので
意外に思ったそうですが、水平線の彼方に黒煙を上げながら近づいてくる味方海軍の
護衛艦(駆逐艦?)が近づいてきて、マイクで「全員その位置で腹を上に泳げ」との指示が
あり、爆雷を投下して潜水艦を攻撃する事数十分。海面に敵潜水艦に搭載していたらしき
物資が次々に浮上し、撃沈と判断してから縄梯子で救助されたって言ってました。
ちょうど大晦日だったので覚えているたそうですが、正月用のご馳走を海軍さんから
食べさせてもらい、その時に食った最中とか羊羹、巻き寿司、五目ご飯の味は
今まで食った何よりも美味しかったらしいです。護衛艦上で海軍さんの下士官から
お前らの戦友の仇は討ったよ、と強く肩を叩かれて激励された時には生まれてはじめて
涙が出たそう・・。
この小海戦を色んな資料を読み漁りましたが、判明している事が大晦日である事と
クサイエ島って島の付近という事の2つ以外は情報無いので断念しました。
そんな祖父も近年、安らかな眠りにつきました。
261 :
258:2009/04/08(水) 01:56:31 ID:???
>>259 そちらのお爺様もでしたか、やはり本当に体験してきた人からの話が一番ですねえ。
それにしても麻雀まで・・w(何か賭けてたんだろうか?)
多分、同じような体験をされた方が結構いると思いますね。
262 :
218:2009/04/08(水) 02:04:29 ID:???
>>261 まあ麻雀はさっぱり分からんかったって言ってたけどねw
クサイエ島ってコスラエ島の事だと思うけど・・・
部隊名とかは分からないの?
263 :
258:2009/04/08(水) 02:12:08 ID:???
>>262 部隊名は残念ながら不明なんですよ。クサイエ島は仰るとおりコスラエ島です。
祖父の持っていた地図が旧陸軍の作戦地図のようなもので相当古いらしく、
「クサイ島」となっていましたが、位置がコスラエ島と全く変わりません。
遺品がその旧陸軍の地図と軍靴とゲートルしかないし、当時を知る関係者も
亡くなっているので、私があと数十年して逝ったら祖父に聞いてみますです。
264 :
218:2009/04/08(水) 02:17:59 ID:???
>>263 お爺さんは戦争経験者が部隊ごとに書いた手記みたいな本持ってなかった?
それにうちの爺ちゃんの手記は載ってたよ
265 :
名無し三等兵:2009/04/08(水) 02:30:31 ID:V/nziRrD
>>260 >「全員その位置で腹を上に泳げ」
これ、爆雷攻撃の水圧で内臓損傷とかの防止なんかな?近所に住む老人もWW2では
水雷戦隊で駆逐艦の乗組員だった人がいるけど彼もそんなこと言ってた。
爆雷攻撃なんて映画でしか見たこと無いが本当にあんなに水柱があがるようでは水圧は
相当すごい物があるだろうから人体には優しくなさそうだ。
>>264 比較的有名な部隊や会戦を経験した部隊に属した人だったら戦後に結成された
○○会みたいな団体からの出版なんかがあるけど、数的にはむしろそういう本は
少ないよ。264のお爺さんは几帳面な人で体験記を記しておいたから、掲載された
のかもしれないが、うちのじい様のノートなんて、毛筆で書いた住所録のみだったんだぜ?
聞けば、仲の良かった戦友の住所で、戦争が終わったら遊びに来てくれ、歓迎するからと
言われて書き留めて置いたもののようだ。実際に行ったのかは知らないけど。
266 :
218:2009/04/08(水) 02:35:04 ID:???
>>265 戦友会の発行だったのかも知れないなー
俺が見たの本は満州方面のばっかりだったし
爺ちゃん結構几帳面で毎日一言日記みたいのつけてたし
戦友で親しい人とか分かれば、それ繋がりで聞けるかもしれないけど・・・
267 :
名無し三等兵:2009/04/08(水) 03:37:02 ID:Hi01GTUe
このスレ読んでると、みなさんのお爺様は、かの大戦をよくぞご無事で生還されたなって尊敬致します
うちの母方のひい爺さんは拉孟で玉砕、父方のひい爺さんはルソンで戦死ですから…
>>267 貴方のひいお爺様方も充分尊敬に値しますよ。合掌。
269 :
名無し三等兵:2009/04/08(水) 05:56:54 ID:uTE6njjc
ワタシノチチハ ゼロファイターニ カモニサレマシタ
270 :
名無し三等兵:2009/04/08(水) 06:14:19 ID:H3DjuYjt
今日は4.8鹿児島空襲。俺の母方の爺さん+叔父さん(小学生二人)合計三人の命日だ。
防空壕を掘りに行って、叔父さん達はそこに弁当を届けたところに直撃弾。皮肉だよね。
ただし、生き残った母方の兄弟は自衛官になったからうちの家族には反戦感情
はない。戦争だから仕方なかったとしかいえないようだ。ただ、母も自衛官になった叔父も
グラマンの機銃掃射に追っかけられて橋の下に逃げ込んだらしい。
母は今でもイラク戦争のニュースとかになると「誤爆とか言ってるけど絶対面白半分に子供とかを狙ってるよ」
と言ってチャンネル変えちゃうね。80才になる今でもトラウマは消えないようだ。
機銃掃射ってのはどんな気分なんだろうか
コンビニで立ち読みした坂井三郎の本だと、
塹壕を機銃掃射したら人がバタバタ倒れていっていやな気分になったとかあったけど
楽しくなったりもするんだろうか
>>271 その坂井三郎さんですが、当方が読んだか聞いたかの別の機会では、
・敵飛行場を空戦後機銃掃射した時は、「やった!」とまでは思わなかったが “ 敵 ” を倒したので達成感はあった
・後日、その飛行場が友軍により占領された為進出して見たところ、自分が銃撃したと思われる腐乱死体がそこにそのままあったのでさすがに嫌な気分がした
(死体の内の一体は、先に負傷した戦友を救助しようとしたのだろう、その戦友を背負ったまま事切れていたそうです)
それそれ
多分中国のころの話だったと思う
一応、この場合の機銃掃射は戦場でやったことだけど、グラマンのそれは市街地なんだよなぁ…
本当に生死をさまよって、ひどい経験をした兵士
特に職業軍人は絶対に語ることはないだろう。
敗軍の将語らず だ。ぺらぺらしゃべるのは職業
軍人でもない中途半端に苦労した兵士たちだけだろう。
小野田少尉を見るがよい。決して語ることはないだろう。
本心を語るのは戦友とか本当に信頼できるひとたちだけにだろう。
出版されて多くの人の目にさらされて、それでも
語るというのは軍人としては失格だと思う。
もっともこれらの人々は赤紙で戦場にいった一般人の
兵隊さんだろうとは思うが。
なにか思想を持っておられる方は所定の板でお願いします
>>273 >グラマンのそれは市街地なんだよなぁ…
原爆とかB29による市民無差別爆撃はよく取り沙汰されるのに、こういう艦載機による
被害はあまり皆に広く知れ渡ってないようだよね。地域にもよるんだろうけど、昭和20年ごろの
沿岸部とかは相当機銃による被害はあったと思うが、国家レベルで損害軽微なので
あまり取り上げられる事はないんだろうか?
運良く人の死傷はなくても打ち抜かれた民家とか工場とか、たまったもんじゃなさそうだし
>>270の
お母さんと叔父さんも一歩間違えたら亡くなってただろう。
記憶が薄いので間違ってるかもしれないが、爆撃以外の慰霊碑を見たのって大阪のどこかの駅の隅に
あった石碑に昭和20年、6月(7月かも)某日にグラマンによる被害がちょこっと書かれてたのを思い出した。
ほたるの墓でもなかったっけ、機銃掃射のシーン
掃射避けようとして路肩につっこんだら偶然畑で…っていう
あと大和沈没時の脱出者に対する機銃掃射も…って、一応こっちは戦場か
>>271 戦場でってことなら、楽しくはならんだろ。
自分が死ぬかもしれない中、友軍を守るために掃射するわけだし。
中の人は必死だと思われ。
米の艦載機が畑とか撃って遊んでたのは楽しかったろうな。
(その後、落ちてる薬莢を集めるのが日本の悪ガキ達の楽しみでもあったらしいwww)
45年段階だと、もう市街地機銃掃射は「安全」な任務になってたのかね
対空砲火も迎撃機も出せないような
あるいは、そういうものがない場所を選んで機銃掃射してたんだろうか
うちの祖父はド田舎に居たからそういうのとは無縁だったみたいだった
父からの又聞きでも、グラマンもB-29の話もでない
かわりにソ連軍の話になったけど
280 :
218:2009/04/08(水) 14:47:34 ID:???
爺ちゃんの記録?が載ってる本見つけた
思い出総集編 独立守備歩兵隊第二十六大隊第三中隊誌
ってやつだった
爺ちゃんは北満延吉第一二七師団挺身隊の一人で、上等兵だったらしい
281 :
218:2009/04/08(水) 14:50:58 ID:???
挺進の字が間違ってた(´・ω・`)
独立守備隊といえば関東軍のあれかな?
関東軍、戦争が進むにつれてガンガン引き抜かれていったっていうけど、
>>218のおじいさんは数少ない居残り組だったのかな
で、補充された新兵達がバタバタと…切ない
284 :
218:2009/04/08(水) 15:16:23 ID:???
>>282 七月上旬から下旬にかけて関特演なるものがあって、
部隊師団にして20個師団を関東軍の指揮下に入れたって記述があったわ
>>283 陣地構築中に戦闘になって、いよいよかと腹括ったら味方砲兵の援護射撃
爺ちゃんのいた中隊は撤退命令があってその場から撤退したみたい
この戦闘で生存者は三分の二にまで減っていたらしい
285 :
218:2009/04/08(水) 15:21:33 ID:???
>>284 続き
で、大隊と合流しようって事になって移動中に敵戦車と遭遇
招集兵ばかりの部隊だったからパニック発生
爺ちゃん含む五、六人が湿地帯に逃げ込むも、大多数が丘に逃げる
草の陰から覗いてたけど、どうする事もできなかったって
恐らくは全滅したように思ったが、その後のことは不明って書いてあった
湿地帯から出たときには中隊の生存者16名だったそうだ
じーちゃんの名前ググったら第12方面軍直轄独立混成第67旅団参謀と書いてあった
終戦地は八丈島と。八丈島では戦闘はなかったはずだけど米軍に備えててそのまま終戦かな
誰か詳しい人解説たのむ
あと最古参の先輩として靖国神社の会の乾杯の音頭をとってる写真があったw
戦時は少佐だったけどもう90代だから他の偉い人はみんな亡くなってるのね
あと自衛隊には入隊してないけど陸軍士官の先輩ということで自衛隊の報告会みたいなのも出てるみたいw
287 :
名無し三等兵:2009/04/08(水) 16:08:31 ID:O3QZTBDs
>>286 うーん、全然詳しくないけど八丈島の面積、地形などから考えてさらに南部の
小笠原、硫黄島が陥落すれば連合軍の北上を阻止する防衛拠点、更には監視、通信の
中継拠点とかの役割があったのかも?あくまで推測だけど。硫黄島占領で、とりあえずは
B29の行動半径内に日本全国がスッポリ入ったとしても、爆弾搭載量とか燃料とかでもしかしたら
八丈島占領も連合軍が画策してる、と判断した日本側が重要防衛拠点にリストアップしたとか。
それにしてもお爺さん、参謀ってそれはそれで凄いなあ・・陸大出身か?
先日祖父の軍歴証明書を見た所、高射砲第七聯隊に召集され大連(?)で国境警備にあたり
ソロモン方面に転戦してニュージョージア島ムンダ飛行場で防衛任務につき、同島の戦いに参加後コロンバンガラ島に移動してすぐにセ号作戦にてバウルに撤収したとの事でした。
ラバウルに撤収後は第三十八師団第三混成聯隊なる部隊に所属し、最後は独立爆弾砲中隊(?)に所属していたようなのですが、
これら部隊もしくは戦闘に詳しい方がいたら是非ご教授願います。
詳しい部隊名分かってんならググレば良い事だろ
いや、戦後に大学出てるんで陸大卒じゃないよ
参謀本部や方面軍の作戦参謀あたりは陸大卒やないとなれないけど
大隊や旅団の参謀だと無天でもなれないみたい
>>289 ググッてもあまり情報が得られなかったので・・・
スレ汚しなら申し訳ありません
>>289 ググっても一般兵なんて普通出ないんだよ
293 :
名無し三等兵:2009/04/08(水) 19:03:34 ID:bwzg+wb5
本当に生死をさまよって酷い経験をした兵士、特に職業軍人は絶対に語ることはないだろう。
敗軍の将語らず だ。
ぺらぺらしゃべるのは職業軍人でもない中途半端な苦労しかしていない兵士だけだろう。
小野田少尉を見るがよい。決して語ることはなかったはず。
本心を語るのは戦友とか本当に信頼できるひとたちだけにだろうと思う。
それがなんだ、語るどころか本まで出版する?
恥ずべき敗戦の顛末を売名行為のために語るなどというのは軍人としては失格だと自分は考える。
もっともこれらの人々は赤紙で戦場にいった一般人の兵隊さんだろうとは思うが。
出版って坂井三郎?
やっぱりクソだったんだ
>>292 個人じゃなくて部隊や戦闘についてだったらぐぐりゃ出てくるだろ。
>>279 >そういうものがない場所を選んで機銃掃射
アメリカ軍は、陸軍機でも海軍機でも、基本的に
『爆弾は必ず全弾投下、ロケット弾も必ず全弾発射、機銃弾も出来るだけ撃っておいて残さない事』
にしていました
着陸時や着艦時の事故誘爆を防ぐ事を考えると、当然の処置ですね
その為、
それら “ 荷物 ” を捨てて来れそうな場所をあらかじめ決めていました
当然、そういった場所は
>対空砲火も迎撃機も
>そういうものがない場所
だったという事です
298 :
名無し三等兵:2009/04/08(水) 21:41:10 ID:C0T/3iX0
昭和19年某月某日新婚まもない私の母は中島飛行機武蔵野製作所の家族寮を
後にして久しぶりに買い物に出かけたという。用事を済んでさあ帰宅という昼下がり
警戒警報がけたたましく鳴った。日頃から夫に「昼間の警戒警報は注意しろよ」
と言われたことをふと思い出したそうだ。恐ろしい予感を押さえながら
三鷹駅に着き工場の方向に目をやると一本の大きな黒い煙が不気味に立ち上がっていた。
恐ろしい予感は的中した。軍需工場を狙った米軍機の空襲であった。爆弾は
12寮と13寮のちょうど中間に落ちた。爆風、圧力により地面は大きくめくり
上がり土砂が工場に併設されていた防空壕に覆い被さり出口を塞ぐ形となり、多くの従業員
家族が生き埋めになった。「防空壕は海軍さんが作って下さったんだよ」
「小さい子供がかわいそうだったたね」「お父さんはね別の所にいたから大丈夫だったみたいだよ」
299 :
名無し三等兵:2009/04/08(水) 22:32:18 ID:Hi01GTUe
>>297 うちの田舎でも何も無い山や墓地に爆弾落ちたらしいけど、そんな理由があったんですねぇ
勉強になりますなぁ
>>260 「クサイ島付近」「大晦日」「潜水艦により輸送船が沈没」
海軍部隊なら第68防空隊というのがあるんだが…。
昭和18年10月15日編成・訓練終了(横須賀鎮守府所属)
同11月15日第4艦隊に編入(ナウル島に配備予定)
同11月28日加藤泰二中尉以下300名が昌寶丸で横須賀を出港
同12月13日トラック島着
同12月28日トラック島出発
同12月31日クサイ島とポナペ島の中間海域で敵潜水艦の雷撃を受け沈没(約190名海没)
昭和19年1月1日生存者111名がクサイ島に上陸(トラック島の第41警備隊から分派された25粍機銃6を引き継ぐ)
同年1月3日陸軍南洋第3支隊の進出に伴い、その指揮下に入る
クサイ島東端の168高地に配備され、終戦までレロ港(クサイ港)及び同高地南側地区の防空に任ずる
戦史叢書「中部太平洋方面陸軍作戦<2>」から転載
301 :
300:2009/04/08(水) 23:08:11 ID:???
>>300続き
クサイ島配備部隊(昭和19年1月)
陸軍
南洋第3支隊 原田義和少将以下1901名
※満州鉄嶺で編成、本部(第4独立守備隊司令部改編)・3個大隊(独立守備歩兵第19〜21大隊改編)・戦車中隊(捜索第10連隊で編成)・工兵中隊(工兵第9・第25連隊で編成)
歩兵第107連隊主力 山中万次郎大佐以下1910名
※連隊本部、第1大隊、仮編成山砲兵大隊、仮編成歩兵砲中隊、仮編成曲射砲中隊、通信中隊主力、工兵中隊の一部
海軍
第42警備隊クサイ派遣隊[第68防空隊、クサイ(レロ)特設見張所] 119名
第4通信隊派遣隊 24名
第4施設部派遣隊 谷重幸大尉以下640名
>>80 徴兵は知らんけど。俺の婆ちゃんは徴用回避のために教員になった
>独立混成第67旅団参謀
昭和19年5月27日〜12月10日まで硫黄島の第109師団参謀(情報・通信)だった白方藤栄少佐(中佐)?
八丈島の状況なら、戦史叢書「本土決戦準備<1>関東の防衛」に載っている(絶版なので古書店か図書館にしか無いが)。
>>304 白方氏は存じ上げませんが別のかたかと・・・
軍人データベースっていうwikiに独立混成第67旅団参謀と記載されてました
陸軍士官学校52期で沖縄集団自決問題の梅澤少佐と同期だと言ってました
戦史の情報ありがとうございます!さっそく探します!
306 :
名無し三等兵:2009/04/09(木) 00:48:59 ID:kXrSMTbM
>>300-301 260ですが、すごい、、まさにコレだと思います!
辻褄が合うことが多すぎる。「クサイ島付近」「大晦日」「潜水艦により輸送船が沈没」
この3つだけで断定しても良いと思いますし、細かい考証を含めると間違いないと思う。
以下、細かい事だけど聞いた話の明確な記憶。
・トラック島で天ぷらを食べさせてもらった
・横須賀(出航前かな?)まで汽車で行った
・大型の飛行機を2台(何故か2機でなく2台と言ってたのが印象的)撃墜した、つまり「防空」と関係ありそう。
・ミッドウェイの敗戦を知っていたので少なくとも昭和17年以降
ほんとに驚きました。昌寶丸という船だったんですね。そこからぐぐったら色々と解りますが
撃沈した、仇は討ったと信じていた祖父やその戦友には気の毒ですがグリーンリングは無事だったんですね。
しかし長年気になっていたこの海戦が知れて嬉しいです、ほんと有難うございました!
>>258-259 規律が保たれていて、治安維持にかえって役だったとかで関係が良好だった場合には、先に進んでから終戦で引き揚げるときに、
わざわざ出迎えてくれた例もあったとか。
いかにも統一的な反日感情というものがあったように言われることが多いけど、実際には、具体的な個別の状況次第で全然別々だったもよう。
308 :
260:2009/04/09(木) 01:10:33 ID:kXrSMTbM
>>300-301 再び260です、何度も済みません。船の名前も一部記憶していたのですが、祖父本人が
「宝の字のある名前だが、思い出せない」と言っていたのを思い出しました。
昌寶丸の寶って、宝の昔の読み方だったんですね。これでもう、完々璧です。
クサイ島って言われると「臭いしま」と読んでしまう。
>>239 戦争=鉄砲の撃ちあい殺し合い
こういう定義なんだべ
312 :
名無し三等兵:2009/04/09(木) 17:59:33 ID:vQwFuXXi
大叔父さん、雪風乗組、本日通夜、棺に海軍旗、略帽、ベルト、絶えず軍歌が流れてる、遺言らしい、少尉で終戦、引き揚げ作業、皆さん敬礼宜しく、携帯からスマソ
>>312 大叔父上様のご冥福をお祈りいたします。(`・ω・´)ゝ
315 :
名無し三等兵:2009/04/09(木) 19:14:36 ID:UmPgyVlT
(-_-ゞ
>>312 最期まで帝國海軍の誇りを失わなかったのですね
心安らかにお眠りください
(`・ω・´)ゝ
いつまで軍人時代を引きずってんだ
よっぽど戦後マトモな人生遅れなかったんだろうなw
それも尉官程度でw
318 :
名無し三等兵:2009/04/09(木) 19:59:22 ID:W3ASpHMV
曽祖父は歩兵第三十連隊に所属し、昭和七年に北支に出動しました。
どのような作戦に従事したかは知りませんが、
山奥で抵抗を続ける匪賊に降伏を促すため
武装を解いて軍使として敵陣地に赴いたのですが
騙し討ちに遭い、捕らえられて生きながら焼き殺されたとの事。
満州国皇帝愛新覚羅溥儀陛下はこの事に大変心を痛め
我が家に見舞金を賜りました。我が家ではこの金で墓所を購入。
田舎には2chらーが入るには立派過ぎる墓所があります(w
今でも家には歩兵第三十連隊が動員兵に配布した
「満州出動記念写真帳」が残っています。
従軍アルバムを作れる、まだまだ余裕のあった頃なんですね。
こういうアルバムってやはり今では珍しいものなんでしょうか?
_____
ヽ==@=ノ __
>>312 大叔父上様のご冥福をお祈りいたします。
/( TдT)
私も、つい最近 もと陸軍軍人の祖父を見送ったばかりで他人事とは思えませぬorz
車を敬礼で見送ってあげました。
受付で飾る写真のひとつに軍服姿(昭五式に制帽)の写真をチョイスたりもしました。
320 :
名無し三等兵:2009/04/09(木) 21:18:48 ID:dPHu+UZi
>>312 雪風は死神とか呼ばれたけど、最期まで生き残った駆逐艦なんだよな。
(´〜`ゞ
国まで傾かせた・・・
322 :
名無し三等兵:2009/04/09(木) 22:14:19 ID:MWEfE2J/
雪風は沈まず いい本だよみんな機会があったら読んで。最後は敬礼したよ
>>317 まぁそんな三等兵程度の低い御託を並べるアナタよりかは、遥かに良い人生だったと思うよ。
>>312の大叔父様に合掌。
>>323 >>293の言うとおり敗軍の将語らずだな
>棺に海軍旗、略帽、ベルト、絶えず軍歌が流れてる
いつまで時代錯誤のことしてんだよ
そりゃ彼らにとってあの戦争は忘れられない出来事だし戦友も一生の友だろうが
敗戦から60年以上たってんのにいつまで引きずってんだよ
それも少尉程度の階級で
黙して語らずで、いい人ぶって俺かっこええな自己満足に浸ってる人のほうが余計たち悪い。
うちの祖父は田舎の農学校を卒業後仕事で台湾へ行き、現地で徴兵検査を受けて歩兵台湾第四部隊の第十中隊へ配属されたそうだ。海岸線?で台湾を守っていたらしい。終戦間近だったのと、アメリカが沖縄を攻めていたのでそれほど酷い場所ではなかったらしい。
結局そこで終戦を迎えて日本に戻って来た。その後警官になって、最後は署長になった(田舎の小さい署だけど) 今も元気。
小さい頃に聞いた時は「バナナが〜」とか言う話しかしなかった記憶があったので、ずっと兵隊には行っていないと思ってた。改めて聞いて良かったと思ったよ。でも「無事で良かったね」と言ったら複雑そうな顔をしてた。心の奥にはいろんな思いがあるんだろうな・・・
遺言どおりに死人を弔うのに文句のあるやつは日本の人間ではないようだな。
形だけは人間もどきのチャンコロかな?
はぁ?曽祖父は陸大卒の恩賜組の将官で陛下から恩賜の軍刀いただいてるし
祖父もその弟も陸士卒の佐官でお前らの先祖よりよっぽど日本人らしいんだが
ただ戦後60年もたってんのに当時の余韻にまだ浸って
葬式で軍歌流すような奴なんか時代錯誤もいとこだしよっぽど自己陶酔してると思うけど
>>312の大叔父様みたいな、立派な海軍さんだった方は職業軍人だし、
自分の乗ってた艦や経歴に誇りがあって、旧軍に対しての深い思い入れがあるのかもしれんけど、
うちの爺さんなんか、行きたくもねぇ戦争に召集兵として駆り出されたあげくに、フィリピンで地獄の様な酷い目に遭わされた。(無謀な突撃で部隊が壊滅、爺さんは負傷して右足切断)
俺が戦争の番組見てるとチャンネル変えろやボケって怒鳴られたし、とにかく旧軍の事を嫌ってた。
戦争に負けて清々したわ、皇族も全員処刑せいって言ってたくらいのサヨク爺だったし。
でも俺は旧軍が大好きw
>>329 >戦後60年もたってんのに当時の余韻にまだ浸って
先祖、先祖って自慢してるおまいも、当時の余韻に浸ってる訳じゃん?言ってる事が矛盾してますよ
荒れる原因になるから二度とこのスレに来んな
きっと親類達からも厄介者あつかいされてるんだろう
>>329 チョーセンジンでも陸士に行かれたからなw
日本人の証明にはならんよ、残念w
あんまり朝鮮朝鮮言わないで欲しいなぁこのスレでは
朝鮮半島であの時代を過ごした人の子孫もいる訳だし。いやオレみたいな
年寄りなのに肉が好きで、白菜の浅漬けにキムチの素をぶっかけ、
村の兄ちゃんたちのマージャンに混ざりに行ってたうちの爺さん
どれも半島時代に覚えたモノらしい
戦争の時代は生きたけど、太平洋戦争には従軍しなかったようだ
満州引き上げで半島がごった返すようになるまでは、割りと平和に過ごせてた様子
ただ戦争が進むに連れて半島の日本人労働力は不足していき、
現地の朝鮮人を臨時にやとって教育して急場を凌ぐ日々だったらしい
(鉱山町にいたとか)
満州からの南下組で街道が埼京線並みに混み合い「日本に帰らないとヤバいらしい」となったところで婆さんが臨月を向かえる
子供をどこで産めばいいのか、産んで連れ帰ることはできるのか、撤退行に赤ん坊は耐えられるのか
むちゃくちゃ悩んだとか
「あたしは向こうで捨てられててもおかしくなかった子だったねぇ」とはその赤ん坊が50過ぎたころに言ってたセリフ
貴殿の大叔父様の冥福を祈る。
もしかすると、菊水作戦で俺の爺様の末期を見守って下さったかもしれんなあ。
もう29年ほど前になくなってるけど、
召集されたけど背が高いと言う理由で帰されたそうな。
180そこそこだったらしいけど、
そんなのが理由で減らせるほど
日本軍に余裕があったのかな?
うちの爺さん(俺が小さいとき亡くなったので記憶が無い)
戦中は半島で学校の先生やってて、軍隊にはなぜか行かずに済んだ。
半島に住んでたのにニンニクが大嫌いで、食べるものに困ったとか。
でもリンゴは好物だったようで、そればっか食べたらしい。
341 :
名無し三等兵:2009/04/10(金) 21:04:31 ID:RCfc99v2
失敬なチョンだけど戦前は高等官だったんだぞ!
はぁ?曽祖父は陸大卒の恩賜組の将官で陛下から恩賜の軍刀いただいてるし
祖父もその弟も陸士卒の佐官でお前らの先祖よりよっぽど日本人らしいんだが
ただ戦後60年もたってんのに当時の余韻にまだ浸って
葬式で軍歌流すような奴なんか時代錯誤もいとこだしよっぽど自己陶酔してると思うけど
>>343 しらんよ。
それを自慢してるお前が一番痛くてウザい。
祖父さまがPCモニタの前で顔真っ赤にしてる貴殿をみたら、
さぞかしお嘆きになるだろうから、
さっさと回線切って氏ね
>>343 将軍閣下と佐官殿の墓前で土下座しろ二等兵。
>>343 ご先祖は、敗戦までは「日本人」だったんだね
って事は、お前はグリーンの表紙の旅券を持ってるんだねw
>>338 体格の良い子供をたくさん作れってことかな。
昔、そんな話を聞いたことがある。
>>324 生きるか死ぬかの狭間で青春を過ごしただけだから、
別に俺は引きずってるように見えないけどなぁ。
ま、特別想い入れはあったと思うけど。
ってか、いつまでも引きずってるって言ってるけど、
アンタこそ先の戦争の結果にえらく執着し、充分引きずってない?
しかも階級関係なくない?何故階級が関係するの?引きずる理由に。
その発想も充分気持ち悪い対象にも見えるけど。
少尉なんて海兵卒業してすぐだろ
どうせちょっとしか戦や海軍生活を経験してないのに
戦前の士官のエリート意識をいつまでも引きずってるように思える
しかしある程度、戦や軍隊生活を経験したものは
>>293のとおり敗軍の将語らずだろ
中途半端に経験した人間ほど戦前を引きずる
m9(`・ω・´) 左手で陸式敬礼すなやーーーっ!
>>324 中味がガランドウであればあるほど耳障りな音を立てる。
分際を弁えろ。
そんなに軍人を神格化したいのか?
軍人なんて神兵じゃねぇぞ
うちの母方の祖父がタラワにいたんだけど、タラワは玉砕したはず
だよね。おかしいよな。
玉砕の島で生き残るのはチョンだろ
気違い必死すぎワロタ
>>354 マジレスだけど、
“ 玉砕 ” したからといって本当に皆戦死したり自決する訳じゃないよ
生存者は必ず居る
タラワでも普通に生き残りいたし。
失神して人事不省になるとか、重傷で動けないってな状態になって、捕虜
というパターンも結構あるぞ。玉砕の島々で。
なんかこのスレずいぶん厨房が増えてきたな。
特攻隊搭乗員は全員が下士官とか
玉砕で生き残りが出るのはおかしいとか・・・
マジレスすると玉砕戦まえは普通の占領地だったんだし・
飴様が来る前にどこか転勤とか部隊ごと移動とか・・。
出張で行ったことがあるとか・・。
361 :
名無し三等兵:2009/04/11(土) 23:35:58 ID:gMeUBHWB
戦時は軍神と言われた特攻隊も終戦一夜にして、ヘタレ呼ばわりだからな。
しかもお前等のせいで戦争負けたんだとか、空襲で家を焼かれたのはお前等のせいだとかな。
そりゃ話せないわな下手すりゃアメにしょっぴかれて、絞首刑だぞ。
因みに戦後飛行服着て暴れたり、航空隊上がりだと言い、
駅前でパチンコ店開き軍艦マーチかけたのはチョンコだからな。
>>350 そりゃ大して長い軍隊生活を送ってないのかも知れないし、経験の長い・短いもその後を左右するのも
分かるが、その前に死ぬか生きるかの世界と体験した者に経験云々は別世界じゃないの?
そりゃ『現代の感覚で言えばの話』だと経験がものを言う場合が多々あるが、『その時代の感覚』で
殺るか殺られるかの経験を共にした者同士には単に経験の長い短い、だけで語れないものがあると思うぞ。
まぁそんなアナタの、現代で普通とされるその感覚と結果論だけで語るのはまだ勉強が足りないんじゃないか?
史料的な勉強と、人生的な勉強と。
そんな“今風な考え方”では、歴史を解釈するには不自由するぞ。
それとこれは個人的に引っ掛かった事だが、アンタの『どうせ』『してないのに』って言葉、
推測でしかものを言ってないのに決め付ける発言は、今後アンタの人生での可能性を妨げる
思考停止の早道の言葉でしかないぞ。
あまり解らない事を推測で話すと、何の説得力も持たない事をその内経験するかもだけど、
その時はくれぐれも『思考停止』をしないように。
>>363 個人的な憶測ではない
いままで存命でおられたってことは20代で戦争を経験した世代だろ
叩き上げじゃあ20代で少尉にはなれないから特務少尉ではない
海兵か商船学校を卒業された少尉候補生
と考えると戦争に出たのは末期も末期
現代的な考え方というか主観的な考え方しかできなかったのはすまない
>>312氏の大叔父どののご冥福をお祈りします
>>364 俺のじいちゃん下士官上がりの元将校で
ほぼ百歳だけど普通に今でも毎朝ラジオ体操やってるよ。
階級とか手柄とか戦場に何年いたとかは関係なしに、元少尉の大叔父さんにとっては、
青春時代という人生で最も貴重で濃密な時間をかけがえの無い人達と過ごしたのが
海軍だったからそういう遺言をしたわけだ。
それに共感できずに階級がどうとか物差し持ち出して測ろうとする感性ってのは本当に気の毒。
想像力の欠如した今の日本人にそれを求めるのは酷な話。
368 :
名無し三等兵:2009/04/12(日) 19:46:12 ID:ZXRaZXb6
なんで普通にご苦労様でした。と言えない人たちが居るんだろうね
ここに来ているだけで普通の人より過去の大戦のこと歴史のこと知ってる
ひとたちのはずなのにね。
他人の青春時代の思いいれに共感するためには
自分も青春時代に大切にしたい思い出がないとできないわけで
まあそういうことなんだよ可哀想だけど
370 :
名無し三等兵:2009/04/12(日) 20:44:36 ID:D/q1JUzA
大戦末期の頃は兵学校でも、戦後復興の為の教育してたというし、その戦いが今終わったとするなら、海軍式?で見送ってあげても良いジャマイカ?
まぁ、他人の家の葬式にケチつけるやつはキチガイもいいところ。
>>371 とはいえ、
お隣さんが突然に鳥葬始めたら困るけどな!
無知無恥って怖いね
平気で他人の事に自分の考えを押し付けるんだもの
そりゃあ戦争は無くならないわな
「女はやっぱりむちむちじゃないといかん」
先月逝った祖父の口癖でした。
先日、祖父に戦争の話を聞いたのですが、祖父は帝国陸軍で終戦時に輸送船に乗る為?に横浜にいたそうです
終戦になっていなかったら祖父はどこに行く予定だったのでしょう
大陸・半島でないのは確か
南方・北方に行くのも位置からして考えにくい
貴重な重油を使って米帝のバスタブと化した太平洋に漕ぎ出すってことは、なにか重要な任務が…
台湾でのんびりしてたらしいよ。
トラック島で餓死寸前だったらしいよ
トラックて今チューク諸島だよね?
あんなにキレイなところでも餓死するんだな、とかオモタ。
うちは朝鮮総督府の下の塩専売公社の小役人だったな。
田中角栄の戦後初の選挙資金もそうだけど
国家予算の4割だか6割を超える、昭和20年度軍事予算を
終戦直前や、直後、いわば投売り執行したんだよね。
どうせ国が潰れるし、米軍に没収されるくらいならって
ものすごいメクラ判で巨額予算を執行したの。
今時、国と契約していた業者はうはうはだったらしい
俺が小学生の時に祖父は他界したが、
「うちの爺ちゃんは、特攻隊の護衛だったんだよ。
仲間の最期を見届ける悲しい役目。
酒が入ると泣きながら当時を語ってたの」
と、祖母からチラッと聞いた事がある。
383 :
名無し三等兵:2009/04/16(木) 12:51:04 ID:tXmG7F+T
戦争には行ってないじいちゃんの話。
故人だけど、痴呆が入ったときに昔の話をし始めたからこれ幸いと聞き出した。
・226のときには千葉に行商しに行っていた。戒厳令で東京に戻れなっかった。
これしか聞き出せなかった・・・・。あとはひたすら戦争怖いと繰り返し(酷い孫だ)
母からの補足では、
従軍はしておらず、山で炭を作ってたとか。
ずいぶんと小柄な人だったから徴兵から弾かれたのかも?
戦後も、じいちゃんは菓子職人だったから、甘味に飢えた人たちが材料を持ち込んで加工してもらい、材料の一部は賃金代わりにもらう、てことをやってたらしい。
おかげで家族は食べ物には困らなかった。ラジオを流しながら、じいちゃんが飴を練ってたり仕事するのを見てたっていってたな。
そんな話をしてくれた母もじいちゃんももう居ない。
S16年生まれの母は小さいころ刑務所に居る特攻さんと文通してた。あの人たちは偉いのよー、とも行ってたよ。
多分、戦犯扱いにされた人だと思うけど良く判らない。
自虐史観はまったく持っていなかった人だったよ。それどころか物資が無くて負けたって。
一時期小林よしのりに嵌ったときも、当たり前のことがあるだけ、って興味も示さなかった。
そんで何気に嫌韓な人だったなー。何があったのやら。
スレチ、すまぬ。
書きたかったんだ・・・。
私のおじいさんから聞いた、初めての戦争体験談。
それは日露戦争で、私は25歳でした。
その話は日本海海戦で、こんな素晴らしい話を聞ける私は、きっと特別な存在なのだと感じました。
今では、私がおじいさん。
孫には話すのは、もちろん太平洋戦争体験談。
なぜなら、彼もまた特別な存在だからです。
そういや祖父の父(なんて言うんだろ?)が日露戦争で鎮海湾に行ってたと聞いたことがあるような
鎮海湾ってなにか戦闘とかあったんだろうか
曾祖父
ひいおじいちゃん
あれ、曾祖父だったら知ってるぞ?…なにを聞いてるんだオレは
曽祖父の上は高祖父ですね自己解決しました、マキシム機関銃の前に突撃してきます
祖母の叔父(なんて言うんだ?親戚に入るかな?w)が
昭和19年に30代後半で召集された際、ご近所さん一同から
「あんた、少しは軍隊で鍛えてもらいなさいよ!」
「少しは役に立ちなさいよwww」と、大爆笑で送り出されたそうだ。
田舎じゃ、あんまり緊張感は無かったようだぞ。
うちの田舎では出征兵士を見送る時、
集落総出で、万歳万歳言いながら日の丸の旗降って、駅のホームまで送ったと言ってたぞ。
大戦末期はもう戦況がやばい状況だって噂は、
とっくにド田舎にも広まってて、出征兵士も見送る側も、これが最後の別れになる事を覚悟していたそうだ。辛くて泣き出す人もいたと言ってた。
俺の田舎は
>>389みたいに冗談言って大爆笑で送り出すとか、そうゆう雰囲気の田舎じゃなかったのは確か
まさに地域によるんじゃないかな?
昔の部隊は地域単位だったので、中国方面に行く部隊の地域は比較的暢気で
南方へ行く部隊の地域は悲壮感漂っていたと思う。
南方はどこまでも青く美しい空と海だったのになぁ。
1/2
広島の母方の祖母が まだ存命中に話してくれた体験
祖母は 原爆投下地点より徒歩20分ほどの自宅で被爆
幸いにも屋内に居たためあの閃光には直接曝されなかったらしい
当時祖母には五人の子供がいたが 俺の母(長女)とその兄二人(長男 次男)は疎開しており
下の妹二人は祖母と広島に残っていた
完全に倒壊した建物の下から這い出した祖母は 二人の幼い女の子をさがした
二人は残念ながら外に出ていたらしく 祖母が見つけた時は 全身大やけどで
とても生きてるようには見えなかったらしい
それでも必死に声を掛けると 二人はかすかに反応した
祖母は二人を抱いて近所の学校へ避難した
394 :
名無し三等兵:2009/04/17(金) 05:20:03 ID:ZFHBPs8z
2/2
学校に着いた祖母は取り敢えず二人を寝かせ 水を飲ませた
すると二人のうちの姉が意識を取り戻し
「お母ちゃん もう人形で遊べんでもええけえぇ 手も足ももいでや」
(もう人形で遊べなくていいから 手も足も切り取って)
と泣き叫びだした
祖母はどうすることもできず ただ抱き締めたらしい
そのまま その姉(俺からみたら叔母さん)は息絶えた
妹の方は意識を取り戻さず やはりそのまま絶命
俺がガキの頃 たった一度だけ祖母から聞いた話しです
すまん sage忘れた
しかも スレタイ「おじい様の」じゃねぇか
甚だしくスレチのうえ 長文すんません
ご容赦下さい…
>>396 いやいや、おじい様でもおばあ様でもどちらでも結構なのです
貴重な証言ありがとう
過去に投稿された話も読みたいんだが
まとめサイトはなかとですか?
>>392 南方行くなら蘭印だよな。南方とか言われてニューギニアとか嫌すぎる。
白米の欠かせないオレとしては仏印だなやっぱ
たとえジャポニカ米でなくてもご飯食べたい
401 :
名無し三等兵:2009/04/17(金) 14:24:26 ID:f/H0XEW/
てめぇらは硫黄島送り
402 :
名無し三等兵:2009/04/17(金) 14:47:39 ID:zwDwJwMW
うちのばあちゃんは70半ば。終戦当時は12歳かそこらだったから、当時の話聞いてもあんまり逼迫した感じがないんだよな。
新潟が田舎だったからかもしれんが。
疎開してた家の蔵が火事になったとか、手旗信号を練習中の水兵さんが上官に殴られてるのを見て「かわいそう」って思ったとか。
懐かしむような雰囲気だった。
そんなばあちゃんは
>>160のじいちゃんと今も仲良く暮らしています。
じじばばのノロケですまん。
徴兵から帰ってきてまた志願して行く、か…
ウチの爺さんは志願せず朝鮮に働きに出たけど、どっちにしても家には居づらい時代だったんだろうな
農家でも街でも仕事ないから
404 :
名無し三等兵:2009/04/17(金) 18:42:08 ID:zwDwJwMW
160だが、マニラ沖で眠るじいさまの兄貴は次男坊だったし、当時27くらいのはずだから志願しなくても徴兵されてたかもしれないな。
兵隊じゃなくて軍属だったから、手に職があったのかもしれんし
今みたいにのほほんと暮らしてゆける時代じゃなかったんだなって、改めて思うよ
>>390 うちの田舎の集落だけで、100人くらい南方行ったけど、ほとんど帰って来なかったみたいだ。
墓石見てみると、ルソンとかミンダナオとかフィリピンが方面がかなり多い
爺ちゃんは数少ない生還者だったけど、
生き残った事を何だか申し訳なく感じて、しばらく肩身の狭い思いをしたらしい。
戦死の知らせが来たはずなのに、死ぬまで一人息子の帰還を信じてた近所の老夫婦もいたとか
代々、軍人の家系なので祖父もその流れで陸軍将校となり、少佐で終戦を迎えたようです
その後、京大に入りなおして、民間企業で定年を迎えました
軍人時代の功は隠すかのように、戦後はあまり多くを語らず
父の名前に、これからの時代、武ではなく文が必要だと文の字を与えました
陸士の入試に1回、体力試験で落ちたくらい体が大きいわけでも強いわけでもなく
父も怒ったところを見たことがないと言うくらい温厚な人だったので
本当に帝国軍人をしてたのかと疑いたくなるくらいなんですが
軍人時代の肖像写真だと、別人かと思うくらいキリっとした顔をされとりました
戦時はどっかの守備隊長をやってて現地の人と仲良くなったそうで
祖父が亡くなった今だに手紙が送られてくるそうです
全てを失い焼け野原になった日本に絶望しつつも、それでも生きて来れたのは
まだ見ぬ孫が温かい布団で眠れるように、自分の息子が家族を持った時、夕食のおかずが一品でも増えるように、
日本をそういう国にするという思いだけが俺達の生きる糧だったと言うとったそうです
漏れが就職したばかりの15年ほど前、職場に定年退職した後に再雇用された嘱託の爺ちゃんがいた。
飲み会の席で彼に呼び寄せられ、お話を後拝聴した。
彼は終戦時、航空機整備兵になったそうだ。彼の戦時中の想い出は、プロペラが後ろについた飛行機が飛ぶのを見たことだそうだ。
え?プロペラが後ろに着いた飛行機ってアレしかないんじゃねえか?
「で、その飛行機の色はどうでした?」
「忘れた。プロペラが後ろについていても飛行機は飛ぶんだな〜。」
>>406 いいお爺さんだなあ・・今でも手紙が来るなんざ、よほど人望ある人でないと無理だよ。
>>407 後ろにプロペラ・・・「震電」かな?
じいさんは徴兵で海軍。
愛宕と高雄の機関兵だったそうで、愛宕沈没の時には
病気で退艦していて乗り合わせなかったと言っていた。
その後は、話から推測すると、礼号作戦の「準備」に参加した模様。
あと、時系列は不明だが、霧島昇が徴兵されて同じ部隊にいた、とか言ってた。
(横須賀海兵団??)
本土に戻ってからは、大楠海軍機関学校高等科(10期生)ということころに
配属され、長男なのになぜか海龍操縦員に任命されてへこんでたいう。
じいさん本人は志願してないが、貼り紙に名前が載ってたそうな。
海龍乗組員は潜行訓練中の事故死も少なくなかったようで、相当気を使ったらしい。
終戦直前に米機動部隊接近で出撃準備命令。
で美味いもの食ってずーっと待機しているうちに、終戦を迎えたそうな。
玉音放送のときには、集合命令をサボって艦内で昼寝してたとか。
よく分からんが、「終戦一等兵曹」と言ってた。終戦前の階級は二等兵曹。
昭和17〜18年頃に徴兵されたのに、なぜこんな階級だったのかよく分からん。
離島輸送船の機関長だったからなのか?聞いておけばよかった。
もう潰れた前の仕事場に居た嘱託の爺さん 当時、今の小学生の年齢だった
仕事場の換気扇の音が「B-29の爆音みたいで嫌だな」とか言ってた。
他にも
「迎撃にあがった戦闘機が燃料タンク(増槽)落としてくるのがおっかなかった」
「ニオイガラス(飛行機の風防の破片)拾った」なんて言ってた。
>>409 大叔父が愛宕で戦死しとる。
409のおじいさんと会った事があったのかなぁ。
412 :
名無し三等兵:2009/04/20(月) 13:07:05 ID:JYwCLloP
四半世紀前の友人の母上様は戦時中、九州飛行機で「J7」を作ってたと仰られていた。
J7W1つまり震電ですね。
父上様は終戦間際に士官候補生で少尉になったのかどうかという話。
ポツダム少尉なのか、勝手に任官したと思いこんでるのかはっきりしないが。
414 :
名無し三等兵:2009/04/21(火) 10:38:48 ID:UrAkfkRg
母方の爺ちゃんのお兄さんが少年戦車兵?で、
サイパン島で戦死したと聞いた事がある。
以前、サイパンを訪れた時に、無数の弾痕が残ってて蜂の巣状態の日本軍戦車を見る機会があったけど、
銃弾すら貫通する貧弱な戦車で戦わされて死んだのかと思うと、何だか悔しくて泣けて来た
まして島嶼部の戦車は、輸送に便利な軽戦車だったしな。
95か…キャタピラの付いた機銃程度に思っておいたほうがいい代物だしなぁ…
417 :
名無し三等兵:2009/04/21(火) 12:13:53 ID:v63BhGFR
へたすりゃ装甲トラックの方がマシてレベルやし
418 :
名無し三等兵:2009/04/21(火) 12:50:45 ID:jYMQAM2k
昔近所の爺さんに聞いた話なんだが、その爺さんは陸軍に入ってインド方面に攻めていったらしい
全然食べ物がなかったのに指揮官はすげー贅沢してたらしくて、今でも酔っぱらうとその指揮官に恨み言言ってる
字は分からないんだが「むたぐち」とかなんとか……
>>407 恐らく震電ですね。
多分、雁ノ巣飛行場か板付飛行場で見たのでしょう。
地元の空をあの震電が飛んでいたと思うと、なんだか切ないなぁ。。
おめーの地元がどことかどうでもいいです^^
低学歴の兵卒ふぜいが陸大卒の牟田口さんと同じ待遇なワケないだろ
普通に考えてわからない?
>>424 お前がな
牟田口さんがどれほど努力して、辛い思いして
難関の陸士、陸大に入学して将官まで登りつめたと思っているんだ
努力もせずにその辺でへらへらしてた兵卒と同じ待遇なわけあるか
何だ、本当に分かってないのか・・・
じゃあ、あなたのその考えとやらを教えてもらおうかw
どうせただの煽りなんだろうけど
>>427 真性の馬鹿なの?
同じ待遇じゃないから愚痴こぼしてるんだろ
非日常時に食糧が無いなら尚更贅沢にも見えただろうよ
お前が誰をどれだけ崇拝してようが無関係なの
理解できる?出来ないだろ?
その程度の頭だから会話が噛み合わないんだよ
>>428 真性の馬鹿はお前だろ
士官教育を受けていない兵卒が、参謀教育を受けてない佐官以下が
将校と同じ待遇でいいわけないだろ、戦時なら尚更だ
兵卒の命なら替えがきくが、司令官の命は替えがきくか?
お前みたいな脳内お花畑は妄想でも語ってろ
その程度の頭だから、近所の爺さんの負け犬の遠吠えに同調しちゃうんだよ
どうでもいい。
見ていて気分悪いからやめてくれないか。
こんなところでののしりあいしてもしょうがないだろ。
気違いじみた思想持ってるやつはあれほど他所に行けって言われても理解できないんだね・・・
これは確かに会話が噛み合ってないもの
また気違い粘着が出たのか
>>429の馬鹿が完全に露呈してしまった訳だが・・・
お前どっか別の場所行け
>>429は精神論だけで勝てると思ってるんだろうな・・・
ジンギスカン作戦も良案とか思ってそうだ
はぁ?思想とか精神論とか本気で言ってるわけ?
司令官は何万ものの人間の命抱えて戦ってるんだぞ
いわば方面軍の父なわけ。それくらいの覚悟を持って胸に勲章つけてるわけよ
司令官が死んだら誰が指揮するの?
参謀教育を受けてない一士官や一兵卒が指揮できんの?
兵卒の命と将官の命が同じ重さであっていいわけがないんだよ
わかるか?
なんだやっぱりただの馬鹿か
確実に違う板に行くべきだなこの低脳は
本当に会話が出来ないのか・・・
ムッチーの事知っててこんな事言ってるなら真性のキチガイ
知らずに言ってるなら無知の上に恥知らず
まぁ将校が後方で指揮を執るのは当然だ。しかしそれは一般論。
ぼんくらや卑怯者にはあてはまらんよ。
牟田口なぞはむしろ前線で転んで破傷風にでもなってのたれ死ぬべきだった。
ヤツ以外ならそれこそ誰が指揮を執っても、数段ましな結果になったであろう。
作戦中、平時のように夜は指揮所を離れ飲んで芸者遊びは違うだろう。
それが何万もの命を預かる者の姿?
兵站軽視してン万人殺した挙句に連日豪遊する父親とか恨まれて当然よな
春休みの学生か中高生が暴れてるのかと思ってたが、
この時期になってもやってるってことはどうもそうじゃないっぽいな。
就活に失敗した毎日が日曜日くんが暴れてんのかな?
馬鹿の相手をする奴も馬鹿w
おまいらもいちいち相手すんなよ
これからはスルーしようぜ
おじい様の戦争体験読みたいです
キムチと焼肉覚えて帰ってきて痛風になった朝鮮組は居ませんか
国力が十倍以上の敵国に囲まれ、有色人種が動物あつかいされていた時代に
、資源も国土もない日本が生き残るには軍国主義しかなかった。
戦前の教育が洗脳とか言ってるやつが、半日朝鮮人に洗脳されてるだけ。
過去500年白人が世界で何をしてきたか、知ってれば、
大東亜戦争の歴史的な功績はゆるがない。捏造された
日本軍の悪行なんて、白人のクオリティに比べれば
問題にならないよ。朝鮮人や中国人など論外だしな。
>>421 おめーのそーゆーどーでもいい反応もどーでもいいです^^
>>447 おまえ、終戦後の朝鮮半島で何があったのかしらんのか?
日本人は殺されまくり、レイプされまくり、朝鮮人は人外の化生だよ。
詳しいことはあまり聞けなかったけどじい様は陸軍のパイロットだった
末期は疾風に乗ってたらしくB-29をなかなか落とせなくて悔しかったと言ってた
俺にパイロットを志すきっかけをくれた人
ウイングマークとれた時に「俺たちは日本を守れなかったが、(俺の名)、しっかり頼むぞ」と
言ってくれて、この身がもつ限り使命を果たしていこうと改めて思った
>>451 また自称自衛官か
その脳内おじい様()笑いは誰がモデルだ?ww
松本零士先生こんばんわ
うちの死んだじいさんは大地主の九人目にして初の長男なもんだから
甘やかされて育ち結婚してからも昼寝と芸者遊びばかりしてて
赤紙がきたらじいさんの親父が率先してじいさんを山に隠そうとするわで
渋々出兵し満州に行ったらしい。
内地で勤務してた時は館山から木更津の駐屯地まで大樽に入った酒
を運ぶ係りに就き道中その酒と肴をぶつぶつ交換しながら酔いどれ
道中みたいな事してたらしいw
満州では敵の玉から逃げまくってたらしく「お国のために死のうと思わなかったの?」
と聞いたら「なんで国のためにしなきゃならないんだよ」とぬかしてたw
植木等みたいな人で上官から下のものまでみんなに好かれてたらしく
上官から一度たりとも殴られた事がない帝国軍人はわしぐらいじゃと言ってたw
戦後は大地主だったから土地とられたりしたが食うに困らないわ
闇米目当ての都会人の持ってくる様々な物資でウホウホだわでこいつ
苦労したことないだろwと呆れるようなじいさんだったw
死ぬ間際まで同窓会?でも仲間達に囲まれて楽しそうに軍歌歌ってたw
真性のクズだな。売国奴が
大戦末期に士官候補生だった人の話だが。
候補生がいよいよ明日少尉任官という日の晩に
下士官連中がこれが最後だとボコボコにするんだと。
で、翌日からはちゃんと敬礼して命令を聞く。
457 :
名無し三等兵:2009/04/22(水) 23:27:30 ID:a4z+2MPz
うちの爺さんは半島北部から満洲にかけて匪賊掃討戦をしてたと聞いた。
時期的に1939年から1941年だと思う。機関銃を装備しない部隊
だけどシナ軍の機関銃を使ってたという。下士官の多くがシナの拳銃を
もっていたとも聞いた。下手すると金正日とやりあってたかもしれない。
お前んとこのジジイの職務怠慢が今の在日問題を生んでるんだな…
皆殺しにしなきゃいけないのを残しやがって
いつものバカが今日も来たか
まったくだ
半島行ったとか恥にしかならんことをぺちゃくちゃと
汚れるから帰ってくんなよな
>>458,460
お前らみたいなバカの遺伝子をこの世に持ち込んだお前らの親や祖先も職務怠慢だな
どっかでくたばってればお前らみたいなバカは生まれなかったのに
462 :
名無し三等兵:2009/04/22(水) 23:45:37 ID:YqaFCd50
463 :
名無し三等兵:2009/04/22(水) 23:47:45 ID:RykrL+Zy
正論で叩かれたのがよっぽど悔しかったのか…
まぁ朝鮮に関わったヤツ等なんかは袋だたきされて当然だわな
465の理解力のなさが哀れすぎる
さっきから必死なのは在日か?
残念、君達の汚れは未来永劫落ちません。日本は日本人の物なので、はやく半島に帰ってね
>>465 消えろよゴミクズ
リアルでもネットでも糞の役にも立ちやしねえ
>>467 おまえ、朝鮮人だろ。
日本人がこんな思考するわけないもん。
471 :
名無し三等兵:2009/04/23(木) 15:25:15 ID:kKFiNwfv
俺の爺さん神戸の港湾倉庫で博打をやっていたら、いきなり外に集合しろと言われて
ラジオを聞かされた。玉音放送だったそうです。
そして賭場に戻って、「戦争に負けたんか?」と周りの奴らに尋ねると「負けたようやな」
と返された。
そしてだんだんと無言になっていき、最後はみんな泣きながら博打をやっていたそうです。
うちは先祖伝来の日本刀をアメ公に持っていかれた
うちの爺様は技術屋で飛行機の設計に少なからず携わっていたらしい。
でも戦闘機じゃなくて偵察機や輸送機なんかが好きだったそうで、
ある日趣味で輸送機描いていたのを上司に見つかって「輸送機なんか描いてんじゃねーよ」と言われ喧嘩。
徴兵こそされなかったが干されたまま終戦を迎えた。
今年105で頭はしっかりしているんだが、今でも「あの時干さなければ講和ぐらいにはできた」と根拠もないのに言っている。
当時の設計図とかは当然だが手元に無いが、戦後に描いたという「俺の考えた輸送機」はC-1四発版としか思えない。さすがにパクッたんじゃないかと思う。
本当に生死をさまよって酷い経験をした兵士、特に職業軍人は絶対に語ることはないだろう。
敗軍の将語らず だ。
ぺらぺらしゃべるのは職業軍人でもない中途半端な苦労しかしていない兵士だけだろう。
小野田少尉を見るがよい。決して語ることはなかったはず。
本心を語るのは戦友とか本当に信頼できるひとたちだけにだろうと思う。
それがなんだ、語るどころか本まで出版する?
恥ずべき敗戦の顛末を売名行為のために語るなどというのは軍人としては失格だと自分は考える。
もっともこれらの人々は赤紙で戦場にいった一般人あがりのニワカ兵隊さんだろうとは思うが。
475 :
 ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ :2009/04/23(木) 20:10:49 ID:RwWyHrc9
/ ̄ ̄ ̄ ̄ \ =ャ=ャ =ャ=ャ
| (゚) (。) | =ャ=ャ
|┌ ⊂⊃ ┐| =ャ =ャ=ャ=ャ
| \___/ | =ャ=ャ =ャ =ャ
\ \|/ / ∧_∧
/ \ ( ) そうきたかwww
.__| | .| |/ ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | |
||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./
||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧
/ ヽ ワロス \| ( ) お前が言うと
| ヽ \/ ヽ. 説得力あるなぁwww
「特攻隊員は全員下士官」のあいつまだ粘着してたのかw
学校も仕事も無いんだな。
>465
↑
自分が討伐される側だったから涙目になってるんだな
「朝鮮に関わったヤツ等なんかは袋だたきされて当然だわな」というのは
「朝鮮を支配した日帝なんかは袋だたきされて当然だわな」
こう言いたいんだろう。
478 :
457:2009/04/24(金) 00:06:56 ID:ZPf6xyJ4
ちなみに部隊の1/3は半島人だったらしいよw敵の朝鮮人はロシアの機関銃をもってたらしい。
小学生のころ聞いた話で少し覚えているのは
駐酷戦線で列車に乗っていて敵戦闘機の機銃掃射に遭って
列車の下に隠れたが 弾丸が頭の上の車軸に当って助かったとか。
部隊の中で射撃の上手いやつが38式で敵戦闘機を打ち落として勲章をもらったとか。
捕虜はめんどくさいから逃がしたwとか言ってた。
480 :
名無し三等兵:2009/04/24(金) 03:29:34 ID:v4+QtEz3
犯罪者の子孫乙
チャンコロ逃がすとか悪事自慢死ねよ
最前線では、部隊に余裕がなかったり
後送できるような状態でないと捕虜なんか抱えてられないぞ。
そうやって捕虜をかかえさせて日本軍部隊を苦しめようとする>480は
チャソコロの便衣隊
なんでこんなひどい状態になっちゃってるの
旧軍関連スレはどこも酷い状態だからな
軍装スレなんか粘着基地外で壊滅状態だし
っていうか酷使様のにおいがぷんぷんします
485 :
名無し三等兵:2009/04/24(金) 16:56:51 ID:r8is6D0u
>>481 戦闘中は捕虜なんかとらないもんなあ。
大抵は捕虜になる前に射殺するけど、身柄を押さえてしまった
敵兵は武器や書類を奪って、戦闘以外で人殺しをしたくないのも
人情なんで、その場の空気が許せば開放してやっている。
そうやって生き延びた中国兵は多いよ。
対国民党に関しては軍民の区別が限りなくあいまいになっていくからなぁ
487 :
名無し三等兵:2009/04/24(金) 21:12:27 ID:A3XWFV8Y
アホども君タチはもうこないでいいから。
まあ失業中で暇なんだろうけど、常識のある人達、
過去の大戦の話きかせてください。
・朝鮮関連の書きこみは禁止
・戦局悪化につながるような利敵・犯罪行為の自慢禁止
・見分不相応な軍国賛美はなるべく自重(みっともないですよ)
まぁこの辺がガイドラインか
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応・「見分」不相応
>>381 三船敏郎も特攻隊の偵察員で
「戦果確認」をさせられて悔しい思いをしたらしい。
ばあさんは 神宮球場の学徒出陣式にスタンド側で見送ったとか。
ニュース映画に映っているはずと言ってた。
内心「かわいそう」と思っていたとか。
>>492 お祖母さまは当時、関係者枠(家族とか)で入場できたの?
それとも近隣の女学校の応援みたいな感じだったのでしょうか。
うちは代々農民
避難地に選ばれるくらいのど田舎
徴兵もほとんどなく、うちの村では17人しか戦争に行かなかった
空爆もなくひたすら平和に野菜を作り続けていたらしい
ある日、隣の村の畑の畔道に爆弾が一つ落ちたそうな
面白がってじいちゃんは徒歩で見に行ったんだって
地面がえぐれて穴の底に黒い塊が落ちてたんだって
じいちゃんから昔聞いた戦争話はそれだけ
こんな平和な戦争話もあるんだって知ってほしかっただけ
495 :
名無し三等兵:2009/04/25(土) 15:55:57 ID:Rku7+dWP
>491
その割に所属部隊、官等の情報が全然ないお。
おじいちゃんが戦後生まれなんだがどうしたらいい?
今日のAMに放送されてたNHK・Hiビジョン 「兵士達の記憶 〜重爆撃機特攻隊〜」、
見た方いらっしゃる? どないでした?
地上波でやらんのかな? 速くてまた8月ごろか。
平和な戦争話と言えば北海道のど田舎で畑を耕してた若き日のじいさんとばあさんが
空高く飛んでく飛行機「日本のものかもアメリカのものかも分からないらしいw」
を眺めながら「飛行機がとんでるねえ」「そうだねえ」
が我が家に伝わる唯一の戦争話です
結局、今の日本ってそういうクズ非国民の子孫しか生き残ってないんだよなぁ・・・
優秀な人は先の大戦でみんな死んだんだ・・・
>>501 なんだ。自分が屑府国民の子孫だって自覚してるのか。
>>502 先祖は陸軍将校だけど玉砕で亡くなったよ
ウチはたまたま嫡男がいたけど
子孫を残さずに死んでった優秀な軍人っていっぱいいたんだろうなぁ・・・
優秀な軍人が死んで、農家ようなのクズが生き残るとか非情だねぇ・・・
うちの死んだ爺さんはフィリピンにいたが、
米軍以上に、地元のゲリラが怖かったそうだ。
それは、捕まった時の殺され方があまりにも残虐だったから。
「奴らは日本兵を捕まえると、生きたまま山刀で喉を切り開いて、頭の皮を剥ぐ。
どんなに衰弱して弱々しい日本兵でも容赦しなかった。うちの隊でも大勢の戦友が捕まったが、大戦末期は助けたくても弾薬が無かったし、敗走するのがやっとで…」と言っていた。
逆に、日本軍に協力的でゲリラの村を密告してくれたりした住民も大勢いたそうだ。日本軍優勢の時期は、現地の女性と結婚して、子供も作って家庭を築いた上官もいたらしい。
そんな祖父はマラリアで動けなくなっていた所を運よく米軍に見つかり、捕虜になって生還した。
晩年は、酔っ払うと、
「戦友達の仇討ちに、ゲリラの村に行って死ぬ!土人共は皆殺しにしちゃるわ!」
と、家宝の日本刀を持ち出して、意気込んでいた危険な爺さんだったが。
そんな爺さん見てると、かつての敵への憎しみは、長年経っても消えないんもんなんだなと思った。
505 :
名無し三等兵:2009/04/26(日) 01:46:44 ID:MWhGb6UV
私の祖父は青森県大湊の海軍航空隊にいたそうです。主に三陸沖の偵察などが任務だったとか。
小さい頃、たまに一緒の布団で寝てたんですが、
米軍の潜水艦をやっつけた話などをしてくれて、ワクワクしながら聞いたもんです。
>>501 君が落ちこぼれて駄目人間になったのは、誰でもない、自分のせいだと素直に認めて改めたらどうかね?
国の為になくなった軍人さんを悪く言うつもりも毛頭ないが
食糧難を導いたのは何を隠そう軍人の戦が原因であって
農家がいなけりゃみな死んでしまうわけだから農家様々ですよ
戦闘だけに偏重し、輜重を軽視、輸送を軽視あげくの敗北。
農業をばかにするな
貧乏ったれの水呑百姓が湧いて土臭くなってきたな
そういうのいいから体験談を話してくれ
>>505 たしか大湊の航空隊はなかなか良い活躍してたハズ
511 :
名無し三等兵:2009/04/26(日) 05:16:22 ID:3INKER6C
孫子曰く
早朝の気は鋭く
昼間は停滞
夜間は鈍る
これを忠実に守ってたのがケザワヒガシ軍。
チャンコロ軍は日が暮れるとさっさと帰って言ったらしい。
三十八計に逃げるにしかずだっけ?
結果逃げ回ったすえ戦勝国。
ケザワヒガシは孫子の兵法の使い手だと爺さんが言ってました。
後、露助は基地害並みに時計が好き。
ただしネジ巻きを知らない。
満助は気さくで、日本人に生卵をくれた(日本では入手困難)
と言ってたな。
>511 八路軍の基本戦術は
敵進我退
敵駐我擾
敵疲我打
敵退我追
だからねえ。
縦深のある国はみんなそう動くよな
無理に踏みとどまる必要なんてこれっぽっちもない
とくに大都市のない中国内陸部は
>>504 そういえば以前フィリピンで地震かなにか大災害があった時に
日本から救助隊が行ったのだけど、
その部隊(消防?)の制帽が旧軍のと同じデザインだったので
向こうの新聞が「日本軍がキター!!」って大騒ぎだったらしいw
イイハナシダナー
そういや、ドイツの消防は今でも
WW1やWW2の頃のタイプのヘルメットを使ってるな。
伝統的なデザインって、消防とか警察に残りやすいのかな?
>>516 日本の警察が、行方不明者の捜索とかする時に着てる紺色の作業着みたいなのも、
旧軍のデザインに似てるよね。特に帽子とか
>>514 それ15〜18年位前に東京新聞で読んだな。
うちの爺ちゃんも陸軍でフィリピン行ってたみたいだけど
孫には日本軍が優勢の時の話しかしてくれなかったな。
戦友と何回かフィリピンの慰霊碑へ行ってたよ。
そんな爺ちゃんも10年以上前に病気で死んじゃったけど、死ぬ少し前に
戦地で食べたパパイヤやマンゴーをもう一回食べたいって言ってたのを覚えてる。
やっぱり若い時の壮絶な記憶っていうのは死ぬまで強烈に残るんだと思った。
もう一人の爺ちゃんは呉の海軍に所属してパイロットしてたわ。
輸入される奴と木で完熟させたマンゴーは味が違うらしい。
>>519 極限の精神状態、切迫する食糧事情。
灼熱の空の下で食べたマンゴーはどんな味だったのでしょうね・・・。
昔、パイナップルの木をもらって実を育てていたけど、
完熟するまで木に成っていた実は飛び上がるほど美味しかったよ。
家中が甘い香りに満ちて幸せな気分になった。
昔のパイナップルとかキウィとかってむちゃくちゃ酸っぱかった思い出が
砂糖掛けてまで食ってたけど甘味の意味無いじゃん
最近は甘くなったというか砂糖掛けなくても食えるようになったけど、品種改良なんだろうか
多分、ロジスティックの改善。
スレチな上、初心者丸出しの質問で申し訳無い。
士官学校の話しが良く出て来るけど何歳で入学して何年で卒業するの?
明治の頃から騎兵連隊で有名な場所に住んでいて
じいさん、ばあさんから良く将校さんの話を聞いていたから。
うちのじいさん、ばあさんの戦争話しは戦争には行っておらず
悲惨な孤児と貧乏話ししかありません…
16歳〜19歳で合格して入るか24歳までの下士官出身者か陸軍幼年学校出身者だね
だいたいは旧制中学卒業してから入るパターンだね
幼年学校出身者は中学段階から下宿して軍人の教えを叩き込まれたエリート中のエリートだから
旧制中学出身者と軋轢が生じたらしい
在学期間だけど時期によって違うから平時は2年くらい戦時は1年まで縮められた
入学した時点では隊付として一等兵として入隊だから叩き上げの下士官連中にシゴかれるらしい
けど、どんどん出世していって卒業時点では少尉になるから下士官の叩き上げのオッサンより偉くなって
愛と青春の旅立ちみたいに下士官のオッサンたちが、少尉殿おめでとうございますってなるらしいw
20そこそこで高等官になれるとはいえ青春を全部投げ出して寮生活で閉じ込められるのは辛かったろな
だからこそ団結感が生まれるというかウチのじーさんは何歳になっても○○期会とかいって
同期生と会うのを楽しみにしてたよ
本日をもって〜貴様らも永遠である!みたいなモンなのかなやっぱ
>>526 525です。スレチな質問なのにありがとうございます。
貧乏臭い話ししかありませんが、うちのじいさんは浅草近くの出身で
東京大空襲で父親(曽祖父)を失いました。
道を歩くよりも死体の上を歩いた方が早いほど悲惨な光景だったそうです。
曽祖父は鉄道員だったので亀戸駅で空襲を受けて亡くなったという情報だけで
遺骨も遺品も何も無く、東京都慰霊堂に名前があるだけです。
ばあさんは高級将校の話しを良くしてくれました。(現在の居住地)
戦争体験というより都市伝説に近いような軍の話しばかり。
サーベルを下げ馬に乗ったり軍用犬を連れた高級将校が素晴らしかったとか。
騎兵連隊の厩舎があった場所なので今でも軍馬慰霊碑や馬頭観音があちこちに見られます。
私の代でも破傷風の予防接種を受けさせられたりw
>>528 曽祖父様のご冥福をお祈りします
騎兵連隊で有名っつうと戸山とかあの辺かな
近衛兵とかイケメンが選ばれてたらしいし
騎兵将校とかだと街歩いてるとカッコよかったろなw
>>529 ありがとうございます。528です。
場所は習志野です。
地域の歴史となると軍事と切っても切れない場所です。
私が居住する地域は戦前から住む人が多く
近所のじいさん、ばあさんの戦争体験談はカッコイイ高級将校の話しか
人体実験だの化学兵器だの都市伝説みたいな話しばかりで…
今はデジカメの普及でことごとく潰れてしまいましたが
写真屋ばかりがずらりと並ぶ通りがありました。
戦時中、将校なりたての人が軍に入る前に家族と共に写真を撮ったからだそうです。
写真屋さんに行くとズラリと将校さんの写真が飾ってありました。
私の曽祖父も近衛兵だったけど、イケメンだったのだろうか。
新しもの好きで、東京ー北海道の長距離電話がつながると早速かけてきたとか。
曽祖父っつうと明治のころか?
明治くらいだと近衛兵は成績優秀かつ長身っで屈強なイケメンが起用されたらしい
534 :
532:2009/04/30(木) 01:44:29 ID:???
>>533 はい、曽祖父は旭川の第七師団からお馬番になったと聞きました。
92まで生きましたから体も丈夫だったと思います。
子孫の私達もかなりの長身家系です。遺伝ですね。
535 :
532:2009/04/30(木) 03:07:08 ID:???
あ、イケメンの遺伝子は伯父まででした・・・アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
>>535 なんだか素敵なカキコだな。
いい遺伝子を引き継いだんだろうね。
裏山。
537 :
名無し三等兵:2009/04/30(木) 19:54:42 ID:/o6TCgbY
自演乙
538 :
名無し三等兵:2009/04/30(木) 20:45:34 ID:m89RRzga
昔、社会科の授業でWW2の話になった時おじいさんが戦争に言った人は手を上げろと言われあげたことがあったな。
戦争末期に中国に言ってたと言ったらその先生は日本兵が中国で何をしてたかを延々と話しやがった。家でマジで泣い
たよ。爺さんにはとても話せない内容だった。
スレチだが、今年100歳の祖父はスペイン風邪を覚えているだろうか・・・
10歳くらいだから微妙だけど、全然ボケてないし聞いてみたい。
うちの死んだ婆さんは慶應年間のコレラの話とかしてた。
>>538 あなたは日教組の偏向教育によって洗脳されてますよ
このスレにも大陸にいたお爺様の体験談があると思いますので、参考に読んで見てください
俺の爺ちゃんは、
射撃の腕が隊で1番上手かったので、狙撃兵をしてたそうだ。
ジャングルの薮や物陰に潜み、敵の戦車が接近してくるのを待ち構えていて、
ハッチから顔を出してる戦車長を主に狙って撃ったとか。
戦車長がやられてパニクった敵戦車に、
戦友達が群がって、手榴弾を投げ込んで破壊する作戦を、ちょくちょくやったらしい。
543 :
名無し三等兵:2009/04/30(木) 23:30:56 ID:FbGfJtlz
>>542 それはどこの南方戦線?フィリピンとか?
うちのじいさんは特攻隊として出撃する3人前に終戦の知らせがきたと。
まさに今、滑走して飛び立つ瞬間の戦友にはそれを知らせるすべもなく
見送るしかなかったとか。
昔、現場の打ち上げの時、棒頭に「フィリピン戦線で狙撃兵だった」と告白された。
大勢で呑んでいたので詳しい話は聞けなかったが・・・
546 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 01:45:27 ID:jsiMWKZV
ウチのばあちゃんは東京都大田区の蒲田の人で
川の近くに防空壕があってそこには布団とか置いてあったから
盗まれないように毎日交代制で家族の一人が寝泊りしてたらしい
ばあちゃんが防空壕に泊まってる夜朝鮮人が来て布団を無理やりかっさらって行ったらしい
強姦されたがどうか知らないが、その影響でうちのばあちゃんは朝鮮人が大嫌いだった
よくチョンチョン言ってた
ちなみに東京大空襲の時は夜なのに空が真っ赤だったそうだ
まるでこの世の終わりみたいだったって
でもそんなことよりも朝鮮人を恨んでるらしい
そういうのを口に出しちゃあいかんよ。育ちの悪さがバレるよ
ウチのじーさん陸軍将校だけど温厚で怒ったとこみたことないし
人の悪口なんかも絶対いわないような人だったが
本棚にある数々の戦中の資料や歴史本の横に醜い韓国人という本があったなw
548 :
うさぎ:2009/05/01(金) 02:09:26 ID:8SQlUOB/
20年近く前に100歳越えでポックリ大往生したオイラの曾爺さんは帝国陸軍の退役伍長で、
かつてシベリア出兵した時に寒さと空腹で死ぬ思いをしたらしい。
何でも例の如く旧日本軍の輜重がいい加減なせいで碌な防寒具や食料がなく、
「腹が減ったから凍り付いた海水をガリガリと齧る→氷を齧ったせいで身体が更に冷え、
暖を取るために仲間と歩き回る→動いたせいでまた腹が減る」のループ状態。
しかし、そんな状態が1ヶ月以上続きながらも作戦行動を続け、最終的に敵兵18人を狙撃、
内12人を完全に射殺したとしんみり言っていた。
また、「自分が送られたのが沿岸部でよかった。人間が水と塩(海水の主成分)で
生きられるという実証だ」と息巻き、水と塩を物凄く大切にしていたのを覚えている。
オイラの曾爺さんのウソみたいなホントの話。
551 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 04:47:14 ID:B1hI0S4i
92歳で去年亡くなったけどじいちゃんがたまに戦争の話をしてくれてた
中国で部隊間で伝令役をいいわたされて敵陣ど真ん中の夜の真っ暗な森の中を走ってたら道に迷ったらしい
暗闇の中右も左もわからずいつどこから銃撃されるかもわからない恐怖で極限状態、そしたら目の前に飛石みたいに月の光が差して一本の道が見えた、その道を進んだら無事味方の元に辿り着けたって
> 暗闇の中右も左もわからずいつどこから銃撃されるかもわからない恐怖で極限状態
地域住民に遭遇してもアウトだと思うとホント人民の海
>>542 日本軍にも狙撃兵っていたんだね
たしか「最後の弾丸」ってゆう、狙撃兵の話を題材にしたNHKドラマがあった気がする
あれはなかなか良作だった
狙撃兵というより、選抜射手的なイメージが強いな
555 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 14:46:31 ID:VQWyt5Jt
556 :
1/2:2009/05/01(金) 15:31:56 ID:???
My 爺ちゃんのネタ(実は存命中)
食肉店でブッチャー修行に勤しむ爺ちゃんだったが徴兵検査で不合格でとってもラッキー
つぅ〜かぁ〜以前から醤油と生肉を食を食って準備してたというカミングアウト
よく死ななかったもんだw
その後もノホホンとブッチャー修行に励む爺ちゃんだったが
なぜか数年後に再検査の通知が届き見事に合格、泣く泣く旅立つことに
そして配属されたのが海軍だった
普通は陸軍へ引っ張られる人が多いんだが爺ちゃんは海軍だったらしい
なぜかは知らん、本人も希望をだした記憶は無いといってるし
曾爺ちゃんは陸軍だったし親戚も陸軍で縁者の誰かに引っ張られた様子もないとのこと
とにもかくにも水兵さんの生活が始まる、地獄の月月火水木金金
爺ちゃんの自慢のタネが真珠湾攻撃で有名な空母「ショウカク」に乗ったことがあるらしい
とはいっても暗い船底での釜焚作業員だったそうな
そして運命の1941/12/8の数ヶ月前に陸上勤務へ異動になり
海軍基地内の牧場で牛やら豚の世話係りというノンビリした御気楽極楽生活
557 :
2/2:2009/05/01(金) 15:33:06 ID:???
そんな感じで数年を過ごしているところへ異動の辞令が届く
港からボートの乗って何とかいう駆逐艦に乗り込もうとしたところへ米軍の飛行機が突っ込んでくる
機関銃で足を撃たれ血みどろの爺ちゃんは最寄の村へ
気がつくとベットの上に横たわる爺ちゃん
幸いにも弾は貫通してて筋肉やら神経やら骨は無事だったらしい
そして数ヵ月後に退院して元の基地内の牧場へでぼんやりと過ごしているうちに終戦
そして不思議な話がある
爺ちゃんは牧場で飼っていた牛に大八車をつけて即席牛車を製作
同じ方角の人を乗せて横須賀から自宅のある渋谷まで帰ってきたとのこと
その牛は解体して食べたのだそうな
はたして爺ちゃん何者?
本当に横須賀海軍基地内に牧場なんかあったのか?
そもそも、その牛は国有財産に該当するのではないか?
飛行機運搬用に飼われていた牛だったりする事はないか・・・
なるほど、牛にはそういう使い道もあるんだ
今日帰ったら本人もっと詳しく聞いてみる
つか、ここに書き込んだとか言ったら怒られるかも試練w
帰宅したけど爺ちゃん外出中
90過ぎて原チャリ乗り回す不良老人で困る
しかたないので色々ググったんですけど、やっぱ海軍は希望しなきゃ入れない&学歴も必須となってますね
軍属みたいな扱いだったのかな
どいつもこいつも嘘くせぇ
>>559 当時を知る方々は年齢的に他界されている事が多いので、
貴重な話を聞く機会を逃してはいけないですよ。
うちの爺様も婆様も既に他界しています
当時の話を聞く事が出来なかったのを私は凄く後悔してます・・・
>>559 失礼な質問ですが朝鮮や台湾の方が身内にいませんか?
だとしたらその軍歴はありえます
特に肉屋さんだったのならその可能性あります
知り合いの朝鮮系の人が言ってたけど戦後間もない頃日本人の
ごろつき集団に妹がレイプされて仕返しに刀で首叩ききったら
皮一枚繋がっていて首がぶらんぶらんしてたんだと。
ごろつき達は蜘蛛の子散るように逃げてったらしいけど
そんなことして逮捕されなかったの?不良三国人が暴れまわってたり
あまり知られてはいないがアメ公達もやりたい放題だったらしい
国全体がカオス状態だったのかな?
567 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 18:42:46 ID:PVvsH/AA
>>566 ヨタ話だろう。
強姦じゃ事件として扱わないのは今も昔も変わらんよ。
大山倍達の過去話にでてくるようなネタだなw
569 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 18:53:33 ID:VQWyt5Jt
>>27w
ハァw?
P38ライト二ングは、日本本土空襲に参加していない!
出鱈目を言うなwキモブサ童貞w
うちのじいちゃんは88歳で元気だが戦争の話は直接聞いたことないなー。
何スレか前に書いたけど郵政省勤めで沖縄にツートントンする役で行ったけど
指を怪我して打電できないとのことで返されたらしい。
その指の怪我がなければ私たちは生まれてないんだよって親に聞かされたことはあるが。
じーちゃん、子供のころからすごい怖くて聞き出せない・・・。聞いてみたいなぁ。
>>553 某・松○零士のマンガから色んなのを上手くツギハギした内容の作品だったが、
良作ではあると思った
572 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 21:48:16 ID:VQWyt5Jt
>>36 貴殿に(・∀・)
全面的に同意ですぞ(゚∀゚)
どっかの小学校の祖父母参観で戦争の話を聞こう!ってやったら全員戦後組でワロタとかあったな
もう10年もすれば全滅か?
今の小学生のじいさん世代なんて普通にわしらの若い頃はエレキギターが
流行ってのうなんて世代だからなw
>>569 俺の親父は外地で生まれ育った引き揚げ者で、P38の空襲は外地での話だ。
「日本本土で」とは一言も書いてないわ。
勝手な推測でデタラメ呼ばわりすんな! ○○!
576 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 23:30:33 ID:PVvsH/AA
まぁ、そう言うなよ。
私のオヤジ様も満州帰りだが、当時三歳だったので
ハルピンまで逃げる時に機銃掃射されたのと、
ロシアの女の子が道端で座り小便をして
「やはり野蛮人だ」と思ったことしか覚えていない。
ポツダム宣言の中継
お前らのところの爺さんが元気なら今のうちに話聞いとけよ。
ちゃんとノートとテープ取りながら聞きに行けば、あっちも真面目に話してくれるだろ
うちの爺さんは俺のだいぶ小さな頃に死んじゃったからなぁ
衛生兵(?)のようなものをしつつ、曹長までいったらしい
中国にいたんだが、太平洋の島に行けば士官にしてやると言われて、断ったらしい
大陸でも南太平洋の方に行けばまず生きては帰れないと知っていたらしい
戦争に負け、凶暴になる中国人や自暴自棄になる日本人達をとりまとめ励ましながら上海方面より帰国
……ここまでが又聞きその他で知ったこと。もちっと色々聞きたかった
じいさんに聞いた戦争体験なんてガキの頃だから戦争体験もくそもないが
いつもは牛をしめてステーキ食ってたのに戦時中は鳥しかくえなかったから腹が立った
とか大都市圏の住民に聞かせたら集団リンチにされるような内容だったw。
戦地行った今はなき曾祖父は満州の寒さはあまりに凄まじくスズメが
凍って落ちてきたと言うのと敵に遭遇したら逃げ回ってたと言う話し
だけ聞いた。
>538
となりに爺様は孫がそういうことやられたと聞いて教育委員会怒鳴り込んだな。
あとから校長、当の教員ガン首揃えて謝罪に来たとかなんとか・・。
ちなみに師範出の大尉殿。
校長や県の教育委員会の重職歴任、某県教育界の重鎮だそうな・・。
>>575w
自分の舌足らずをw
他人のせいにするなw
低能のキモブサ童貞w
>>580 金鵄勲章ものだな
今の大学生より戦前の中卒の方が価値があるからね、師範出なんて凄いな
583 :
名無し三等兵:2009/05/02(土) 11:40:21 ID:iaRPaB9S
584 :
名無し三等兵:2009/05/02(土) 11:55:53 ID:iaRPaB9S
>>168w
それが事実ならばw
名前とw陸士または陸大の何期卒かをw
キモブサ童貞の貴殿にw
お答え願いたいw
586 :
名無し三等兵:2009/05/02(土) 12:26:49 ID:iaRPaB9S
>>226w
ネタのコピペを丁稚上げるw
腐れ外道のw
キモブサ童貞乙w
荒れてるところにすまんが、ここまで読ましてもらったお礼も兼ねて
5年前に亡くなったうちのじいちゃんの話でも。
じいちゃんは3人兄弟の一番下だったのだが上二人が中国とニューギニアで戦死したので
跡取りになってる。
なんでも昭和10年頃の入隊検査の時にひっかっかって甲種じゃなくて乙だか丙だかで
ギリギリ入隊で、最初から衛生兵になったらしい。そして奉天だかペータイホーだかの
陸軍病院に勤務して曹長までなったそうな。良く鉛の重い前掛けを付けてレントゲン撮ってたそうな。
同期が食堂の責任者だったらしくいつ行っても腹いっぱい銀シャリ食えたと
言っていたw
なので直接戦闘には参加していないみたいだ。
ただ、中国で戦死した兄貴と会ったことを母親に「元気だったよ」と手紙を書いたそうだが
その船便の関係でその手紙と兄貴の戦死通知が同時に届いたらしい。・゚・(ノ∀`)・゚・。
>>317w
ハァw?
戦後の日本を駄目にしたのは↓
貴様のようなw腐れ外道のwキモブサ童貞だろw
>>587 普通にいい話なのにペータイホーで全部台無しwww
>ペータイホーで全部台無し
?意味が解らないのだが?
ペータイホーって「北載河」なんですね。すみませんでしたぁぁぁぁぁ
ここ見てると心が痛むな。
米やソ連なんかより、日本を誤った道に進めた馬鹿が憎い。
正しい道って何?
>>595 犠牲が最も少なく、世代間の歪みも少なく、
そして日本人が日本人らしくしていける道だろう。
>>596 じゃあどうすればよかったの?ハルノートの要求のめと?
ハルノート以降、何度も無条件降伏の機会はあった。
>>597 それ以前だなぁ。
恐れ多いが、陛下が大権を発動して陸軍の策動を抑えるほか無かった
600 :
名無し三等兵:2009/05/02(土) 17:58:13 ID:9S386v1Q
>>598 いや、無条件降伏ならば随時オッケーだと思うぞ。
多分、宣戦布告前でも受け入れてくれる。
ってか、日本って無条件降伏なんてしたっけ?
俺のじっちゃん
飛行機乗り目指したが適正とかで落ちたものの
諦めきれず山梨の逓信省航空学校で整備を学び
徴兵されないまま軍属で南九州の飛行場勤務
ボロボロの機体をかろうじて飛べるようにして
特攻を見送る毎日だったとか。
軍属だから恩給無しだけど、今も元気だ。
数年前に他界したヨメの爺さんは千葉の騎兵隊?で
満州で終戦。命からがら帰ってきたらしい。
遺品整理してたら、油紙に包んだ拳銃が出てきてたまげた。
>>602 届け出ないとダメだぞそれ
「故人の遺品だが本物かどうか判らんから見てくれ」とポリスにもってけや。
>>600 陛下でもあの当時の陸軍と大衆は押さえられなかっただろう
八月は日本中が焼かれて、原爆落とされて、さらにソ連が参戦したときだったから
その時におよんでようやく降伏という選択肢を取ることが出来た。
それでも八月十五日に宮城やNHKで放送させないようにクーデターらしきものが起こったわけだしね
少なくとも日本中が絨毯爆撃されて焼け野原になるまでは、誰も降伏なんて出来なかった
それを実行できる人間もいなかったし、やろうとしたら殺されていただろう
それ以前に降伏する良い手段があったのなら、本当に本気で知りたい
むかし渋谷にあったアルバンって軍服屋に金鵄勲章があってそこの社長が偽物だったら一億円くれる
って言うからうちのじーさんを連れて行って見せたら本物だ偽物だで大ゲンカして出禁になった。
606 :
602:2009/05/02(土) 22:02:41 ID:???
>>603 はい、その日のうちに近くの警察署に持っていきました。
書類も何枚か書かされたけど、その後のお咎め無し。
モノは本物で実弾5発付、ただし部品の一部は故人が捨てたらしく
「撃てない状態」で保管してたと、ばぁさんが言ってた。←知ってたら教えてくれんと・・・
あと、サーベルもありました。←これも警察に頼んで処分
607 :
名無し三等兵:2009/05/02(土) 22:10:46 ID:9S386v1Q
>>604 600は理論的に無条件降伏が出来るかどうかの話だから気にしないで。
一応、アメリカでも戦後のパワーバランスを考えて、
開戦前の状態で日本を停戦させるという意見は出ていたが、
ソ連と中国がそれを許さないので、難しいでしょう。
米内さんみたいに、停戦派は「いつ殺されてもおかしくない状態」だったので
世論を抑えて停戦というのは難しいと思いますよ。
陛下でさえ、時期を誤ったら殺されていたかもしれませんね。
ソクーロフの太陽って映画があってだな・・
興味が無い人が見るとコントにしか見えないかもしれない。
>607
参謀本部作戦課が陸軍大臣かついで宮城事件みたいなことを
起こすみたいなこともありうるからな。
610 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 00:06:32 ID:a4mxQOts
>>606 もったいない。 サーベルなら種類によっては所持できますよ?
個人的には拳銃のほうもw
611 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 00:33:06 ID:ZxRHUhf6
>>331 右足切断していながらw
何故結婚出来てw
子供を作れたんだよw?
612 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 00:38:29 ID:ZxRHUhf6
>>612 うちの爺さんはデカくて着れる軍服が無いから兵役免除になってるがなにか?
>>611 結婚して子供ができてから出征したとは考えられないの?
>>614 すると何かw
貴殿の御祖父はw
身長がジャイアント馬場並みだったのかw?
618 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 00:56:11 ID:ZxRHUhf6
>>389-391 大東亜戦争末期では!
防諜上の理由で、派手な見送りは出来なかったはずだが!!
「田舎では」って書いてあるじゃん。
それに学徒出陣壮行会だって派手な見送りだが?
日本語わからねえチョン野郎か?
620 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 01:40:15 ID:ZxRHUhf6
>>619w
日本の国内なら、田舎も都会も同じだろw
それと個人的な見送りと!政府主催の出陣学徒壮行会が、同じ扱いになるわけないだろ!!
貴様のようなw左巻きと同じw国賊売国奴のwキモブサ童貞がw
戦前の戦争体験をw風化させてるだろうがw
スルー推奨
何がしたいのかわからんが、相手にしないこと
623 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 05:18:32 ID:FyWA+r5d
日系人なんだけど、ひいじいさんヨーロッパでドイツ軍と戦い、機銃陣地や戦車をバズーカでやっつけたって、いつも自慢してた。
まさかパープルハート大隊ではないだろうなさすがに…
うちの祖母は岩手住みだが、釜石艦砲の時の音がものすごかったと言ってた。
同じ海岸沿いの街だけど、直線距離で100キロ近く離れてるのに、
地響きで硝子窓がガタガタ揺れたそうだ。
また、三陸沖の空母から艦載機のグラマンやアベンジャー?が発進して、
市街地や郊外の村々まで機銃掃射や爆撃をされた。
祖母の街も、釜石に次いで重工業が盛んだったので、鉱山や工場が集中的に襲われたらしい。
その時の弾痕跡が、今もJRの鉄橋や、民家の土蔵に残ってる。
あと、海岸で仕事してたら、友軍機が飛んで来て、逃げろと合図された漁師さん達もいた。
何事かと沖を見たら、グラマンの大編隊が接近して来て、岩陰に潜んだと聞いた。
友軍機の正体は不明だが、松島あたりから迎撃に上がった機体なのかもしれない
627 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 09:19:05 ID:ZxRHUhf6
>>409 畏れ多くも!玉音放送をバックレたw非国民でw国賊の爺いがいるw
キモブサ童貞乙w
>>626 艦砲の地鳴りが、秋田とか青森まで聞こえたらしいよな
どんだけ激しい艦砲射撃だったんだよ
>>454 国賊売国奴でw非国民なw爺いの孫でありw
同じく国賊売国奴でw非国民のwキモブサ童貞乙w
>>626 釜石艦砲射撃は、英海軍・戦艦キングジョージ5世主導だったな。
イギリスか…ドイツが死んだとたん元気になりやがって
>>479 ネタ乙w
土井全二郎氏の著作によれば!
旧陸軍の兵士が☆小銃で敵戦闘機を撃墜した例は☆☆ビルマとボルネオだけだぞ!!
勝手に丁稚上げるなwキモブサ童貞w
>>575 >俺の親父は外地で生まれ育った引き揚げ者で、P38の空襲は外地での話だ。
それが本当ならばwその外地とやらの場所をw
三百代言なw親父の息子であるw
キモブサ童貞の貴殿にwお答え願いたいw
曽祖父 陸大卒の陸軍中将
祖父 陸士卒の陸軍少佐→戦後、京大卒→京大法学部教授
祖父の妹婿 陸士卒の陸軍少佐→戦後、東大卒→スーパーゼネコンの重役
祖父の弟 陸士在学中に終戦→戦後、山大卒→運輸省官僚→天下りで県庁勤務
勝ち組すぎワロタ
>>635 コピペ厨でw
腐れ外道のw
キモブサ童貞乙w
>>637 自称日本人でw
実は在日半島人のw
キモブサ童貞乙w
>>638 先祖代々長州藩士ですけどwww
どん百姓の末裔乙wwww
>>639 なるほどw自称長州藩士の末裔ねw
それが本当ならばw名前とw陸士や陸大の何期卒業かをw
お答え願いたいw
>>640 梅沢裕や若林東一と同じ陸士52期ですが?
で?お前の祖父は戦時中何してたの?
>>641はw日本語が不自由な在日半島人かw
俺は全員の名前とw陸士や陸大が何期卒業かw尋ねたはずだぞw?
答えられなかった時点でwネタ確定だなw
>>642 特定されんのに2ちゃんに書けるわけねーだろクズ
んなのもわかんねーのかカス
さすが兵卒の子孫だな
子々孫々までクズ
>>643 ハァ?
誰も腐れ外道でw成り済まし日本人でwキモブサ童貞の貴様の事など聞いていないw
貴様のw糞曾祖父やw糞祖父がw何者かを聞いているんだがw?
阿呆同士なんだから
国の恥をこれ以上晒すことなく仲良くしておくれ。頼むから
このスレの二大巨頭が言い合いしてるwワロタw
>山大卒
これ↑どこの大学?山形?
>633
辻参謀殿が撃ち落とされたのはどちらの例ですかな。
>>168とw
>>635はw
形勢不利と見てw
敵前逃亡したようだなw
流石に日本を☆悲惨な敗戦に追い込んだ↓自称職業軍人はwやる事が違うなw
>>650 ネットに個人情報のせることの危険性を知らない馬鹿はこれだからww
さすが兵卒の子孫だなww
悔しかったら陸士、海兵や帝大受かってみろクズww
>>649 申し訳ないがm(__)m
私は、辻政信を↓蛇蝎のように嫌っているのでw詳細は存じ上げませんなw
辻に関する著作は多数出版されているので!そちらを参照されたらと、愚考しますぞ!!
>>651w
言いたい事はそれだけかw?
何等証拠も出さずw一方的に主張しても説得力は皆無だぞw
貴様のようなw盲目的職業軍人信者はw
陸士出身将校の!親睦団体も!!知らんだろうなw
>>653 偕行社にも入ってるが
同台経済懇話会っていう陸士出身者の経済人のクラブでも役員やってましたが何か?www
どうせお前は知らないだろうが
>>654w
ならば話が早いなw
では近々、財団法人 偕行社に出向いて↑、腐れ外道の貴様が主張するw自称山口県出身でw恩賜の軍刀組陸大卒陸軍中将の糞曾祖父とw、陸士卒の糞祖父とw同じく糞大叔父をw調べ上げてwこのスレに暴露するがw
首を洗って待ってろwキモブサ童貞w
このクズなんでこんな必死なの?
エリート陸軍一家のウチに嫉妬してんの?
さすがどん百姓の貧乏ったれは根性が捻じ曲がってるな
658 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 20:01:57 ID:ZxRHUhf6
>>658からは女の手すら握ったことのない奴の臭いがする
661 :
名無し三等兵:2009/05/03(日) 21:05:27 ID:C93Tzyky
軍板有数の良スレが何でこんな有様に・・・
>>657w
その言葉をw
キモブサ童貞の貴様にw
そっくり返してやろうw
そもそもw戦後の日本を駄目にしたのは↓貴様等みたいな腐れ外道のw国賊売国奴だろうがw
>>662 この世代が戦後、日本の復興にどんだけ尽力したと思ってるんだ
近代史と経済史も勉強してない低脳か
スルーしとけよ
>>663w
一般の日本人は☆確かにそうだが☆☆
しかし、少数の良識派@保阪正康氏を除く、大多数の職業軍人は↓日本を悲惨な敗戦に追い込んだ↓、亡国の国賊売国奴だろうが↓↓↓
>>665 戦前の軍部と
>そもそもw戦後の日本を駄目にしたのは↓貴様等みたいな腐れ外道のw国賊売国奴だろうがw
がどう繋がるの?馬鹿じゃねw
保阪みたいな蛸壺史観信じてる馬鹿だから仕方ないか
>>666w
関係大有りだろw
貴様のような腐れ外道はw高木俊朗『陸軍特別攻撃隊』文春文庫に出てくるが。第四航空軍司令官で↓部下を見捨てて↓フィリピンから台湾に敵前逃亡した↓、陸軍中将の冨永恭次に↓そっくりだなw
もうNGするわ。真面目に話すだけ無駄だったな
スレのみんなこんなゴミかまってスマン
>>668w
ハァ?どこが真面目だよw
三百代言野郎の貴様がw一般の出征兵士ならともかく!証拠もなくw身内に陸士や陸大出身者がいるとwほざいたのが原因だろうがw語るに落ちたなw
ただエリート将校を祖先に持つ俺様に嫉妬してただけかよ
くせーな
くせーからもうレスすんな
>>670w
だ〜か〜らぁ〜w
その証拠がどこにあるんだよw?
てめーらいい加減にしろや
無駄な煽りあいで無駄にレスを消費すんな
スレタイ1000000000000回読み直せ
>>671 証拠ってなんだよw
俺様の家がエリート陸軍一家だからさっきから粘着してんだろ?お前はよーww
>>673w
貴様はw小学生でも分かる日本語が分からないのかよw?
俺が『陸軍人国記』でググったら!山口県出身者で、元陸軍中将の、陸大恩賜の軍刀組は、該当者が2名だけだぞ!!
当然w平成の冨永恭次な貴様とはw赤の他人だがw
なんか大昔の2chみたいな荒れ方してるなあ
人の先祖を詮索して何がしたいの?
いやマジで
>>676w
事実ならばw
名前や経歴を出せるだろw?
それが出来ないのはw偽りだと疑惑の目で見られてもw仕方ないだろw
小学生でも分かる事がw分からない貴様はwどれだけ低能なんだよw
だーかーら
個人情報をネットで出すわけないだろ
こんなこともわからないの?馬鹿なの?
これ言ったの2回目ですよ
日本が嫌いならすがるのは止めて、北朝鮮に帰国して下さい。
止めませんから。
あと、キムチは世界一臭い食べ物です。
世の中から要りません。
半島に持って帰って下さい。
日本に居たいなら、税金払いなさい。
本名で生活して下さい。
強姦を止めなさい。
包茎チンポを高須クリニックに行って治療しなさい。
>>678w
だ〜か〜らぁ〜w
事実ならばw貴様の糞曾祖父やw糞祖父はwとっくに地獄に堕ちてるだろw
死んだ人間にw個人情報は問題にならないだろw
>>678w
貴様はw俺の
>>674のレスに反論出来なかっただろw
反論出来ない=俺の主張を認めたに他ならないだろ!
これが民事裁判なら!俺の勝ちだな!!
なんだお前は!部外者だな
まだやってんのか、飽きないなお前ら
清々しまでの気違いっぷりだなw
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
>>504 ネタ乙
フィリピンは、約52万人が戦死した(>_<)大東亜戦争最大の激戦地だが!
本当ならば、約7千のフィリピンのどの島で戦ったのか!!お答え願おうか?
連休になると変なのが湧くから困るね
>>542>>550 出鱈目を言うなw
沖縄戦に関するどの本にも、そんな話は出てこないぞw
もし本当ならw戦車に随伴する歩兵に射殺されるだろうなw
>>549 なるほどw
ホントみたいなwウソの話ですねw
わかりますw
691 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 12:02:41 ID:iZLksJ+o
>>688 本には書かれてない話も実際は沢山あるわけで…
693 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 15:15:53 ID:K7XpULNS
あーめん
陸士様とそれをあおるキチガイの2人が出てきてからこのスレは台無しになったな。。。
陸士への嫉妬が酷すぎるな
さすが兵卒の子孫
自演乙、というかなんつーか
俺は
>>698だから、少なくとも自演じゃないと思われ。
流れぶったぎてスマソ
先祖が長州藩士で山口出身のうちのじーさんは旧制小倉中学から陸士入学したらしく
何故かと聞くと陸軍士官のひいじいさんの仕事の関係で小倉に住んでたとのことなんですが
小倉だと小倉陸軍造兵廠で働いてた可能性が大きいですかね?
>>579 限りなくコピペに近いw
ネタを丁稚上げるw
キモブサ童貞乙w
704 :
699:2009/05/04(月) 20:03:16 ID:???
705 :
■■:2009/05/04(月) 20:19:24 ID:zPEEAdaV
爺さんの戦争体験というか、軍隊での写真があるんだが、北朝鮮の平壌の写真店で現像してるのがあるのな。
信じられんというかなんというか。
しかも昭和19年の時点で日本で山登りとかしてる写真まであるし。
まだ本土空襲がほとんど無かったころだからな。
いや朝鮮ってそのころは日本の植民地だし。
うちの父方の祖父は、曾祖父にならって兵学校を出て少尉任官。
砲術志望だったのに航空に回されて、南方に展開していた航空隊に配属、ガダルカ
ナル航空戦で負傷して内地に送還。その後はずっと中央官衙でデスクワーク。
戦後は京都帝大に入りなおして、教授の「今後の日本は、資本主義と社会主義の
融合による混合経済になる」という予言を真に受けて通産省に入ろうとしたが公務員
試験に落ちて日本興業銀行に入行。
「戦時中は社会のために何をするでもなく下を向いていた奴等が、自分たちより優秀な人
間がいなくなったのを見計らったかのようにしゃしゃり出てきた。GHQやコミンテルンの背
後に隠れてはあることないこと言って、さも自分たちは前々から間違いに気付いていた、
正しかったかのように主張するのは見るにたえない。そいつらの次の世代も同じだが、自
分たちが本来日陰者だという自覚もないからさらに始末が悪い。ちょっと前はべ平連、最近
は市民とか環境とか言ってワアワア騒いでる奴等のことだ。日本は、先進国に経済的に追
いついてみんなが飢えない社会を作るという第一目標を果たした1970年代に、第二の目標
として、こうした戦後政治の総括を行って真っ当な国家に『戻る』べきだった。それを強行し
なかったのが我々大正生まれの最大の怠慢だった。」
といったことを酒が入ると愚痴っていたなあ。
戦後に京都帝大に入学・・・?
戦後でも47年頃?に新学制が発布されるまでは帝大があったんじゃない?
知らないけど。詳細求む。
>>708 祖父が入学したときは「京都帝国大学」で、
>>709の言うとおり1947年に「帝国」がとれた。
当時の京大は左派が強かっただろうに、よく元軍人が凹られなかったもんだ。
うちの祖父も27のとき陸軍少佐で終戦して後に京大に入ったんだが
卒業後、教授になる誘いを蹴って民間に入社したって
理由が祖母と結婚してて食わさないといけないからって言ってたんだけど
民間より教授のほうが儲かるんじゃないの?それとも左派の多い京都だからその辺配慮したのかな?
27で陸軍少佐って凄いな。
終戦間際はそれだけ人材が枯渇してたのか
>>711の祖父がそれだけ優秀だったのか・・・。
いずれにしろ、凄い。
>>712 そうだね。大戦末期はみんな昇進早いよw優秀なわけじゃないw
うちの祖父の頃はまだだけど末期にもなると陸士は入学者数増やしたからね
>>713 うちの祖父は「ポツダム少佐」だって自嘲気味に言ってたなあ。
方や27で陸軍少佐
方や27で資格浪人・・・
>>714 ポツダム昇進ってみんな適用されたの?
祖父のwikiみると19年に少佐に任官されてそのまま最終階級少佐なんだが
>>716 在任年数によって可否が決まったというから、一選抜で出世した人には適用されなかったのでは?
復員遅れたら定時進級がアルというような話。
捕虜にはないけど・・。
でフィリピンやビルマなんかでは終戦前に捕虜になったか
降伏軍人で米軍に収容されたかで恩給にも差がついたとか。
>>716 よくは知らないけどうちの爺様がS18.6月に陸軍工兵中佐で以後終戦・復員するまで
階級は変わってないし、部下の中隊長をしていた中尉の方(存命中)は大尉に進級だったそうだ。
この人は陸士出じゃなく候補生(軍医)出身だったみたい。
どのあたりのラインから適用かは解らないけど尉官将校は結構多いみたいだけど少佐〜中佐以上の
人は確かにあんまり聞かないよね。
720 :
広島:2009/05/05(火) 03:25:34 ID:???
うちのかーちゃん、とーちゃんは
広島の原爆で黒い雨を浴びました
なので被爆者手帳を持っています
いまも医療費はタダです
>>711 それはおかしいだろw
陸大首席卒業でも!少佐昇進は34〜35才だぞ!!
中曽根さんって少佐待遇じゃなかったっけ?
あまり調べてないけど、士官の枯渇ってのはひどかったんじゃないかな?
馬鹿みたいな参謀はしぶとく生き残ったけどさ、師団長あたりは滅茶苦茶に足らなかったんじゃなかろうか?
>>721 おかしくないよ。大戦末期は士官不足でみんなすごい速さで昇進してる
祖父は大正7年生まれ昭和14年に士官学校卒業してる陸士52期
52期卒の名簿みたら天保銭、無天関係なくみんな少佐で終戦してる
724 :
706:2009/05/05(火) 14:07:19 ID:???
>>721 うちの祖父も昭和16年卒の海兵69期だけど、少尉任官から3年で大尉に昇進
してる。戦時中は(とくに陸軍で)部隊数増加による士官不足があったというし。
725 :
名無し三等兵:2009/05/05(火) 17:34:49 ID:affTAM3m
うちのじいちゃんは満州で通信兵やってたって、いつだかアンテナを飯食ったところに忘れてあわてて取りにいったそうで
暗号も扱ったらしいんだけど、2等兵(うちの賞状に書いてあった)でもそういうの扱うの?
あとばあちゃんは渤海湾の広い干潟で海老養殖してぼろもうけしたらしい、でもけっこう賊に盗られてしまったらしい
>>725 ネタ乙w
ブラックタイガーのw養殖でもしていたのか?w
ウンザリ
ネトウヨや軍ヲタって、旧軍や戦時中の話題になるとよく参謀や将校を称賛するけどさ、
何でその時、あたかも自分が参謀将校だったかの如く話すんだろ?
しかも将校と同じ高学歴ならともかく、低学歴が多そうだし。
参謀将校と自分自身を重ね合わせる必然性が全く無いと思うんだが…
不思議だ…
>>729 ここはおじいさまの戦争体験を話すスレなので
他いってください
>>729 おまいはチョンやチャンコロ海軍が来たとき奇妙な舞を踊って歓迎してた変な団体だろ?
>729 軍ヲタで旧軍の参謀一般を賞賛する奴なんて絶無に近いと思うが…
無論、八原や堀といった「例外的存在」たる特定個人数名は除くが。
八原は沖縄戦で叩かれるだろw
>>730 なるほどw
証拠や根拠を示さないw
捏造した戦争体験ですねw
わかりますw
>>734 歴史なんていつの時代も根拠のない口伝または書記だろ
何いってんだこのクズ
山本五十六が嫌っていた国士連中って、まさに今のネトウヨみたいな連中の事じゃないかな。
あのころは、チャンやチョンに媚び諂う理想を語るやつはいなかったからなw
738 :
名無し三等兵:2009/05/06(水) 08:32:04 ID:ZthduBbF
うちの母方の曾祖父は、昭和19年にニューギニアのアイタペ?で戦死したそうですが、
当時は、日本からニューギニアまで何ヶ月くらいかかって行ったんだろう?
地図見るとすごい距離がありますよね
739 :
名無し三等兵:2009/05/06(水) 08:36:50 ID:ApcZ6A4r
>>738 度裸絵門 技術大佐
『どこでも ドアぁぁ〜』
ホワイトハウスかクレムリンの執務室に空挺特攻させてと・・・。
伍長の巣なら意味あるかもしれないけど・・・
連中にはこの手は通用せんぞ。
かわりなんぞなんぼでもおるからな。
>>735 歴史とは、事実の積み重ねだろ¥このど阿呆www
事実と確認出来なければ★単なる神話だしwww
神話=歴史にならない事は当然だろうがwww低能野郎www
神話も歴史にとっての一側面だと思うけど。
GW中で暇なのか?
小学生の頃、教頭先生が従軍体験談を語ってくれましたね。
出征先とか詳しい内容はほとんど忘れてしまいましたが、覚えているのは、
戦地へ向かう輸送船が鈍速で(確か自転車を多少速くこぐくらいのスピードと言っていた)、
いつ敵潜にやられるかもうヒヤヒヤだった事と、
船内は大混雑でクソ暑かった事。
夜間に何かの用事で出た甲板で、見た事もない満天の星空に見とれてしまい、
古参兵からシバかれた事。
その星空の光景を、今でも忘れられない事。
いかにも子供好きな、いつも温和で優しい先生だった印象がありますが、おそらく性格的に兵隊には向いてなかったと思います。
ひいじいさんは陸軍大佐、じいさんは陸軍少佐
ひいじいさんは大戦のさなかに病死
軍事機密になるからじいさんがひいじいさんの死を知ったのは戦後
戦死でもなんでもない若くして病死したから将官になり損ねたし
ググっても出てこないような名もなき高級将校
なのに墓には正○位勲○等功○級とか彫ってあって恥ずかしい
750 :
名無し三等兵:2009/05/06(水) 14:29:59 ID:P2ljgklt
どなたか義号作戦の薫挺身隊や義烈挺身隊に参加した兵士のご家族ご遺族の方はいませんか?
>>746 いやいや、こいつは毎日がホリディですよ
753 :
名無し三等兵:2009/05/06(水) 15:43:39 ID:PiA5feGl
754 :
名無し三等兵:2009/05/06(水) 17:06:42 ID:P2ljgklt
≫751さん…
マ…マジっすか!? おやすみのところ真に失礼しました
755 :
名無し三等兵:2009/05/06(水) 17:45:01 ID:12Oe30Y8
>>635 大迫さんちの坊ちゃんか?それとも本城さんちの坊ちゃんか?
じいちゃんがどこかの特攻隊だった。飛び立つ前に終戦になって今俺生きてニートしてる。
大地主だったひいひいじいさん明治か大正か知らないが
小学校に刀さして行ってたらしいがこれはどう言う事なの?
ひいひいひいじいさんが爵位持ってたらしいんだけど
そんな特権かなんかあったの?
妹の嫁ぎ先のじい様が大陸に行っていた模様
詳しいこと不明だが、終戦間もないころに徴兵されたとのこと
今後調査予定
>>750 前スレに、義烈空挺隊生き残りの人の、お孫さんが書いたレスがあった気がする。たしか輸送機がエンジン不調で引き返して生還したらしい。
>>759 重箱スマンが
×終戦間もないころ
○開戦間もないころ
だよな?
終戦間際じゃね?
どうでもいいけど
>758
うちの、ひいばあちゃん
ひいじいちゃんが、薬問屋で大成功してから
出征したので、女一人で問屋守るため、
ボーチャード拳銃というのを持っていたらしい。
>>763 女手で振り回すのにはデカ過ぎるな
(大陸でバッタ屋から買ったのであろうか?
766 :
名無し三等兵:2009/05/07(木) 19:52:03 ID:ma4BKnzP
手に入る拳銃がそれだけしかなかったんじゃないかな?
>>766-767 ボーチャードC93、
当時としてはかなり高価な拳銃ですぞ。
戦前、実は拳銃などはコネさえあればかなり自由に手に入る。
(大きな銃砲店でならば普通に売っていた)
アストラとかコルト・ポケットとかブローニングM1910とか・・・
やっぱり“高価”だからボーチャードにしたんじゃありませんかね?w
コネがどうこうってか
敗戦までは許可さえあれば所持できたしな
大佐 大佐 少将
┃ ┏━━╋━━┓ ┏━┻━┓
中尉 少佐 少尉 妹┳少佐 少佐
┃ ┃
母┳父
俺(病弱貧弱低学歴クズニート)
>>770 負けてなかったら今頃豪邸に住めてたかもしれんね
惜しいことをした。次がんばろう!
曾曾祖父「西南戦争にて玉砕にて戦死」
↓
曾祖父「日露戦争に参戦無事帰還」
↓
祖父「大東亜戦争にて玉砕にて戦死」
↓
父「警官」
↓
自分「アマチュア武道家」
俺や親父の血の気が多いのも遺伝かね?
このスレには、
>>168↓
>>635↓のようにw
曾祖父がw陸大卒で恩賜の軍刀組やw、祖父がw陸士卒でw戦後東大卒wとほざきw
では、その証拠を示せと突っ込まれると!
個人情報だから答えられないwと逃げまくりw
すでに故人だからw個人情報を出しても、問題ないだろwと再度突っ込まれると!!
今度はwバックれてw姿を消すw
それらの鬼畜外道がw多数存在する件についてw
でも陸士、海兵卒の20代で終戦迎えた若手将校はみんなそれぞれ要職についてるよね
うちの家系にも戦後に東大や京大出て官僚や上場企業の幹部になった人いるし
改行多すぎだクズ
ツツガムシに刺されて死ね
何?今度は改行気違い?
本当に屑だな
ていうかここ数日、スレタイと関係ないお客さんが多かったのも
>>780のスレいにリンクはられたからだろ
まぁ陸士だの海士だのにいく人は優秀だから、平和になってもなんとでもやれたんだろう
横のつながりもあるだろうしね
ヒトラーユーゲント出身がなにげに出世してたと同じじゃないか
下士官くらいの人が敗戦では一番こまったんじゃないかな?
それなりに歳とった将校が1番辛いんじゃない?
今までエリートコースだと思って進んできた道が戦後いきなり天地逆転するんだもん
官僚化してたから彼らの中でもエリート意識すごかったろうに
それが後から出てきた若い自分より優秀じゃない人間の下で働くことになったりね
帝国軍人て明治の世になってスズメの涙程度の退職金であっさり首を切られ
それまでの価値観を全否定され自身の存在事態を過去の遺物として
否定された武士とおんなじ目にあってるよね。
武士は今や国内外とわず尊敬の念で語り継がれてるのに
弱肉強食の植民地時代に血を流して戦ってきた帝国軍人が
侵略国家エンパイアオブジャパンのブラックエンペラー
ヒロヒトの悪しき家臣達と言う扱いされてるのが不憫でならない
785 :
名無し三等兵:2009/05/08(金) 18:24:24 ID:MH0CIK9L
786 :
635:2009/05/08(金) 19:01:32 ID:???
ゴミがうるさいから本当のこと言うよ
曽祖父 陸大卒の陸軍少将(戦時中に病死)
祖父 陸士卒の陸軍少佐→戦後、京大卒→京大法学部教授の誘い蹴って東洋ゴム入社もパっとせず(2年前に病死)
祖父の妹婿 陸士卒の陸軍少佐→戦後、東大卒→清水建設の重役(91の今なお富士山登ってる ブルジョア)
祖父の弟 陸士在学中に終戦→戦後、山大卒→運輸省官僚→天下りで県庁勤務→退職して企業→失敗して借金まみれ→祖父の金食い虫(死に掛け)
微妙すぎワロタ
うちのじーさんは大連の中学だか高校?に通っていたらしい。
そんでその後大発の乗組員になって、内地で訓練中に戦争が終わったとか。
で、野営訓練中、上官の為に風呂を沸かす役を仰せつかった時の話。
あまりにも自分が沸かしたドラム缶風呂がいい湯加減になってしまったため、思わず自分で入ってしまったそうな。
で、当然バレて顔の形が変わるくらい殴られたらしい。
さらに別の話では、朝、兵舎の便所が激混みになるので、ついつい並ばないでも使える士官用の便所で糞をし、
当然の如くバレてボコボコにされたとか。
空襲の時に皆が防空壕に逃げた隙に上官が食ってた肉入りの弁当を盗み食いしたり、
引き上げ列車で故郷に帰る時、連結器の上で糞をしたのが気持ちよかったとか……
じーさんの話を聞いてると悲惨な筈の戦時の生活がすごくアホみたいに思えて困ったw
そんなじーさんは四年ほど前に死去。もっと話を聞いとけばよかったなぁ。
>>787 なんちゅーか、、兵隊さんにあるまじき行為だが何となく憎めないなあw
当然そんな事すれば殴られて当たり前だろうけど、それに懲りないお前の
お爺さんの不屈の精神にある意味で感服した。
789 :
787:2009/05/08(金) 23:33:05 ID:???
兵隊さんにあるまじきというか、なんというか、よく言えばお茶目な、悪く言えばふざけた人でした。
ただ、体が大きかったせいかダイハツの見張り員をやらされていたそうで、
よく「一番最初に死ぬ役目だった」と笑ってました。
それともうちょい終戦が遅ければ、知り合いから軍刀がもらえたかもしれなかったと話してました
戦後の後日談
電子ジャーの内釜ではなく本体に米と水を投入し「煙が出たぞ!」
クロワッサンがあるならシロワッサンもあると思ってる。
カリフラワーは「白ブロッコリー」
スヌーピーをスナッピー、スクルージーをスクールジーと呼ぶ
老人ホームに入所してた時、遊びに行った孫に対して「焼き魚が食えないんだわ……」。そして暫く経ってから「寿司食いに行かんか?」
……そりゃあんたただの好き嫌いだ。
こんなのが戦後、国語教師やって、定年後は幼稚園の園長先生やってたんだぜ……
母親の伯父貴(母と20くらい年上)が特攻隊員だった。
知覧で出撃日も決められ、銀シャリも喰った。
「いよいよお別れか」と覚悟を決めた時に終戦。
価値観が変わってしまい、伯父貴は酒浸りの日々。
大地主の長男だった伯父貴は見合いで伯母と結婚。
その後も生活態度は変わらず、給料のほとんどを呑みに使い、酒に酔っては暴力を振るう親戚の鼻つまみ者。
とうとうオヤジさんにも見放され、財産は伯父貴を飛び越えて従兄弟へ譲られた。
そんな従兄弟は相続したアパート、貸し家から上がってくる家賃だけで遊んで暮らせるいいご身分。伯父貴は老人ホームに押し込められてしまった。
この前の
>>780のスレのときも
特攻前に終戦になったって人、結構いたなぁ
本当に運命だよね。そこで散ってたら今の自分がいなかったかも知れないんだしね
うちのじーさん20代後半のとき陸軍砲兵少佐で終戦
陸士の同期の大叔父によると砲兵らしく理数は天才的だったらしい
語学にも堪能で数ヶ国語あやつってたらしい。戦後は京大入学
しかし俺ときたら、かけ算も怪しいわ、日本語すらまともに使えないわ
本当に血繋がってんのか疑いたくなるわw
792 :
名無し三等兵:2009/05/09(土) 08:10:08 ID:UTNErFUb
おかんの十八年上の兄は師範から予備学生の少尉。ホンマなら特効で今ごろは故海軍少佐のはずがB29のお蔭で足怪我して病院おくりで無事復員できたそうな。
戦後は普通に教員→校長→共同作業所の理事長。
一度、どこかの学校の平和学習に元特攻隊てコトで呼ばれてたが悲惨な話でわなく武勇伝で二度とお呼びがこなくなったそうな。
793 :
名無し三等兵:2009/05/09(土) 09:57:24 ID:dhC74MIS
終戦時の回想を聞いた人はおらんかな?
結構面白いものや緊迫感のあるもの、
悲劇から喜劇まで色々なエピソードがありそうだけど。
794 :
名無し三等兵:2009/05/09(土) 10:53:51 ID:TfLN4cCh
>>793 終戦時ってよく言われるけど、
当人達にしてみれば、終戦後の混乱の思い出はあるけど
終戦は「何か負けたって発表があったみたいだよ」程度しかないみたい。
ばあちゃんはその後の満州だったけど、
終戦後が本当の戦争という感じだったみたいです。
戦争中の方が馬賊とか出なくて安全だったみたいですし。
うちのじーさんの終戦といえば12方面軍隷下の旅団参謀してたらしく
ググったら終戦地 八丈島ってなってるんだけど
宮城事件の鎮圧軍に加わったとかどうとか言ってたんだけど
そんなすぐ応援に向かえるものなのか?12方面軍は全団応援に向かったのかな?
上官の田中大将は自決するわ、首謀の1人に陸士の同期の友人はいるわで大変だったとか
うちの死んだ爺さんは、満州から、北海道のさらに北にあるシュムシュ島?に進出してそこで終戦を迎えたそうだ。
たしか戦車隊だったそうで、「なんでか知らんけど、終戦直後の数日間、ソビエトとドンパチやった。戦争終わって、国に帰れると喜んでた戦友が沢山死んだ」と言っていた。
しばらくシベリア抑留されて多くの戦友達が命を落としたが、祖父は奇跡的に日本に生還。
生前はソビエトやロシアの悪口ばっかり言ってたから、よっぽど深い恨みでもあったのかもしれない
>>794よく阿鼻叫喚の満州から生きて帰れましたね。かなり強運な人ですね。
ウチの近所に、朝鮮からの引き揚げ者だったお婆さんがいましたが、
やはり終戦直後は朝鮮人が逃避行の先々で襲い掛かってきて、危機一髪で脱出したそうですよ。
>>797 ばあちゃん自身、「もう死ぬ。でも日本の土を踏んで死にたい」とだけで
逃げ延びてきたそうです。
一時、もう歩けなくて「頼むから置いていってくれ」と泣いて頼み込んだら、
同行していた兵隊さんに、「奥さん、日本の土踏んでから死のう」と言われて、
父をおぶさってもらって何とか助かったそうです。
この兵隊さんは近所に住んでいた方で、ばあちゃんは誰だったか忘れたていたが、
60歳で年金貰う時に、3人満州国に年金の支払っていたという証言が必要だと言う事で
全国をじいちゃんと満州から一緒に帰国した人を訪ね歩いていた時に
「あの時助けてもらわなければ死んでいました。誰だったか覚えていません」
「あっ、それは私です」と再会致しました。
開拓団先発組だったので、父が三歳、叔父が二歳で歯が生えていたので
助かったそうです。
他の歯の生えていない赤ん坊は皆栄養失調で死んでいったそうです。
一方、じいちゃんは終戦二週間前に兵隊に取られて、
(それまで満州開拓団員は兵役義務が無かった)
すぐに終戦になって、
上官から「オマエら兵隊もほとんどやっていないし、家族が近いから帰れ」と言われて
逃げる途中で「あー、流石にこの混乱では嫁さんも生きていないなー」と
ふらふらハルピンまで逃げてきたら、実はばあちゃん生きていると聞かされて、びっくり。
その上、息子二人も無事に生き延びている。
最開時はお互いがお互いを「幽霊だ」と思ったそうです。
うちの祖父は海軍で、エンガノ岬沖海戦で駆逐艦秋月に搭乗。終戦時大尉。
祖父の弟さんは陸軍で高崎15連隊の通信隊。パラオ本島で終戦。終戦時大尉。
父方の曾祖父が満州の新京に住んでいて
満鉄でお召し列車の機関士(溥儀帝や昭和天皇を乗せる専用の機関士)
をやっていたそうです。祖母(その曾祖父の娘)に渡された本にも確かに
そう書かれていました。しかし終戦による引揚げで財産は全て無くなってしまった
そうです。なんでも祖母が住んでいたその家にはピアノがありお手伝いさんが
居たといいます。俺の家は貧乏なのに。
母方の曾祖父はラバウルに行っていました。終戦までをラバウルですごし
本土に戻ってきたと同時にマラリアにおかされ高熱を出したそうです。
歌謡「月の沙漠」が好きだったそうです。
>>802 >>お召し列車の機関士
そりゃすごい。満鉄でのほとんどトップの機関士ってことじゃないか
お召し列車はほんの少し遅延させただけで機関士が自殺したりしてるくらいなものだからね
>>803 タブレット受け取り損ねた機関士とかもいたらしいね。
そのタブレット受け取り損ねても無視して通過していいみたいな決まりになったらしいけど。
805 :
801:2009/05/10(日) 09:03:22 ID:???
体験書くんでしたね。
祖父の弟さんのエピソード、
関東軍として中国で闘ってる最中南方への進出を命ぜられて
所属隊ごとパラオへ、しかし赤痢の疑いありということで、一人その船に乗れず後日出発。
一端サイパンへ向かい(燃料の問題とか)、サイパンから二式飛行艇でパラオ(コロール島へ)
自分の所属隊はペリリュー配属の為、自分もペリリューへ向かう予定でいたようですが。
移動するための船がなく、そのまま通信隊の仕官として本島に残ることになったそうです。
サイパンからパラオへ飛んだ翌日、パラオにアメリカ軍が攻勢を掛けたので、紙一重だったと仰ってました。
命は助かったものの、パラオ本島でも、終日頭上から爆弾なり機銃掃射を受けて沢山の仲間が死んだといってました。
武器という武器が無く対抗策が無かったそうです。
806 :
801:2009/05/10(日) 09:10:04 ID:???
訂正>攻勢掛けられたのはパラオにではなくサイパン。連投スミマセン
うちの祖母の、末の妹さんが対馬丸からの生還者だった。当時は8歳くらい。
聞いた話だと、沈没した後に一緒に漂流してた兵隊さんとか船員達から、
「もうじき救助が来るから頑張れ頑張れ」と励まされたり、
「眠ると死ぬぞ。絶対に眠るんじゃない」と言われてたけど、うっかり眠ろうとすると強烈なビンタされて目が覚めたり。
「もしあの時、兵隊さん達が一緒にいなかったら、私は死んでただろうね」って心から感謝していた。
本当はあの時の兵隊さん達を捜し当てて、直接感謝を伝えたかったらしいけど、若い頃から長年難病に苦しんだ人だったので、その夢は叶いませんでした。
はやくツツガムシに刺されて死ねデブ
うちのばっちゃんが9歳か10歳くらいのときに
戦闘機に狙われたっぽい。
機関銃を近くに受けたけど運良く当たらなかったとか云々。
じっちゃんは普通に年齢が足りなくて徴兵されなかった。
>>808 うっせーよww
将官って聞いてたからてっきり例のごとく中将で退役したのかと思ってたんだけど
この前ばーちゃんに聞いたら大戦の最中に戦地に出る前に少将で病死したっつううんだよw
そんなん知るかww
812 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 14:29:38 ID:BO3Zo7QN
まあそんな軍神サンの未亡人やムスメさんたちも、
戦後の闇市で朝鮮人に廻されてヒイヒイよがるとはねえ・・
イラマチオってコトバ、当時もあったのかなあ
まあ犬死、てヤツかな。靖国で歯軋りしとけってのw
814 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 16:34:31 ID:C3x2qFAm
うちは厚木基地の傍にいて双発機が落ちたと聞いた。たぶん月光だろう。
815 :
(@_@。:2009/05/10(日) 18:32:57 ID:???
空襲で焼け出されて妹と一緒に親戚のうちに居候したら
意地悪だったんで洞穴見つけてそこに住んでたらドロップ好きの妹が
病気か栄養失調になって「うんこびちびちやねん」と言われるわ
電気の代わりにほたる大量に捕まえたのはいいがすぐに
死んでしまって死骸の掃除が大変だったらしい
つまらん
前大戦はさすがに数が多いからなんだけど、日露戦争とかの話が伝わっているところなんてないかね?
曾祖父さんやら、曾々祖父さんくらいになるのかな?
司馬さんの街道を行くで、熊本あたりのお婆さんが「あの戦争の時……」って話しているのをよく聴いていたら
なんと西南戦争の田原坂の戦いだった……てのをよんだなぁ
日露戦争は聞きませんね。
流石に時代が離れてしまったのと、
限られた人しか参加していませんから。
819 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 21:23:27 ID:RGe2L0mJ
なんか偉い人ばかりだなー
うちのじいちゃんは終戦間際に兵学校に行ったらしい
タバコ吸わなかったから親戚のおじさんがタバコ目当てに面会に
良くきたらしい。
終戦の時に上官に「農家だから馬いるか?ウマ」と言われて
じゃあくださいなって感じで馬を引いてきて帰ってきたらしい。
鎌倉時代から続く苗字帯刀をを許された由緒正しき庄屋という
微妙なポジションだったらしく実家には日本刀が3振りあったのだが
全部ボッシューされたそうだ。
俺が剣道の段位をとった時、残ってたら1振りあげれたのになって
言ってた・・くやしいぜ
821 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 21:38:47 ID:DBG4uM+r
俺の祖父の父の兄は日露戦争に出たらしい。
なんでも、旅順に行ったって。
仲間はどんどん死んでいく上、食べ物もろくになくて餓死しそうになって相当大変だったらしい。
>>821 おおっ、居た。旅順に行ってて帰ってきたのはすごい
五体満足なら、そのあと奉天会戦にも行かされたんじゃなかろうか
823 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 21:52:15 ID:pnuSo0lL
ひいじいさんが日露戦争に出征したらしいが語りべが誰もおらん
爺さんは満州に出征したが手に職があるのを買われて後方勤務で一度も前線に出る事なく終戦
今は亡き祖父から、自分の曾祖父が日露戦争に従軍(第3軍11師44連隊)し、旅順で戦死したと聞いた。
曾祖父が亡くなってから祖父が生まれたので、
曾祖父を肖像画でしか見た事はない、と言っていたのを思い出した。
あれれ?
日露戦争って結構いますね。
曽祖父宛に、出征に際して、乃木保典さんから本人の写真が贈られてる。
幼年学校と陸士の同期だったらしい。
昔は、仲の良い仕官同士で、それぞれに写真を送る習慣があった模様??
曽祖父は騎兵少尉として出征。所属連隊は不明。
奉天会戦に参加、途中ロシアとの重要な交渉の席で成功収めたとかで
金鵄勲章とかいうのを貰ったそうな。
日露戦争後、シベリア出兵にも参加。実家にその時のシベリア土産がある。
曽祖父が日露に出生してる世代って親父が大正生まれとかの世代だろw
大正生まれは今九十歳くらいだべ
私の祖母がギリ、大正最終年だわ
いい歳こいたオッサンのくせに、皆さん文章力が無いですよねw
数年前に祖父が亡くなったとき、「太平洋戦争時には駆逐艦楡に乗艦し、沖縄へ出撃して右手を負傷した」ということを
故人の略歴紹介という形ではじめて知りました
そのことを思い出して検索してみたのですが、楡が沖縄へ出撃したかどうかということはよくわかりませんでした
載っていた艦の名前はおそらく間違えていないと思うのですが、なにかご存知の方はいらっしゃいますか?
そういや小沢やめちったじゃん
>>819 まぁ普通に飛んできてるからな
>終戦間近の1945年8月14日、米国第5空軍所属のP-38・6機が豊後水道上空において
>日本陸軍第47戦隊の疾風8機と空中戦を行なった。
>日本側の報告は「P-38を5機撃墜、疾風は2機喪失」、
>一方のアメリカ側は「疾風を5機撃墜・1機撃破、P-38は1機喪失」としていたが、
>互いに経験の浅いパイロット同士であったため戦果を誤認していた。
>現実には日本側が上空からの奇襲に成功しながらもP-38の喪失は1機のみ、
>反対に疾風2機を失っており、古い日本側の資料での
>最後の空戦での勝利という認識は誤りであったことが判明している。
>>791 事実無根のネタを捏造するw
自称日本人でw
実は在日半島人のw
キモブサ童貞乙w
>>836 事実無根のネタを捏造するw
自称日本人でw
実は在日半島人のw
キモブサ童貞乙w
祖父が、所属していた部隊番号を忘れて困っていたので、
今日祖父が覚えている断片的な情報を頼りにググってみたら判明しました。
しかし戦時中の全師団や旅団の情報をアップするとか、物好きな人もいるものですね。
よく調べたものだと感心しましたよ。
祖父も喜ぶと思います。感謝致します。
>>829いよー、日本一!
参りました、脳内高級参謀殿!!
840 :
名無し三等兵:2009/05/11(月) 22:43:07 ID:OXD43dgZ
どうでも良いが、こういうスレを荒らして楽しんでる奴って人間として
自分が恥ずかしくないのかな。
荒らしに反応しました皆さんごめんなさい。
逆に考えるんだ。
こういう行いが恥ずかしくない歴史と伝統を誇っておられる方々なんだよ。
居るでしょ? 近くの国に。大量に。
>>838 貴殿に(・∀・)
全面的に同意ですぞ(゚∀゚)
ここ荒らしてるチャンコロは
日本軍軍装スレを粘着荒らししまくって占領した基地外と同じ臭いがする。
もうネタ切れなんだろ
>>805 異議有り!
ペリュリュー島に配備されたのは☆
陸軍では、第14師団所属の、水戸歩兵第2連隊だが☆☆
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。
|| ○重複スレには誘導リンクを貼って放置。ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを
|| 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い、先生。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
>>812 自称日本人でw
実は在日半島人のw
キモブサ童貞乙w
852 :
名無し三等兵:2009/05/14(木) 00:46:13 ID:po1Eubr7
>>846 ペリリューに配備されたのは歩兵第2連隊だけではありません。
陸海合わせて1万以上が守備していました。
有名な軍人さんの子孫のかたとかの人いいなぁ
wikipediaとかにこと細かく出身地や経歴書いてんだろうなぁ
うちは高祖父から3代に渡って将校でそれなりの階級なのに
ググっても全く出て来やせん
マニアックな戦史なんかだと名前のってたりするのかなぁ?
陸軍士官学校って本で何万人の卒業生の中に小さく名前のってただけだw
>>826 捏造乙w
ウィキペディアによると!乃木保典は、成城学校(現成城中学・高等学校)から陸士へ入学、第15期卒となっているが!!
ならばw乃木保典は、いつ陸幼に入学したのか?お答え願いたいw
それと金鵄勲章は、戦闘で顕著な功績を☆収めた者に授与されるはずだが☆☆
どうしてw戦闘以外の功績に対してw授与されるのかw?
合わせてお答え願いたいw?
>>854 ごめん
>>826じゃないから横レスでスマンのだが
乃木保典は名古屋陸軍幼年学校1期卒業生で植樹もしてる
陸軍地方幼年学校条例が制定されて地方に幼年学校ができたのが明治30年
幼年学校の受験資格は15歳まで、保典は明治14年の12月生まれだから
9月の入校の際にはギリギリ15歳
成城出身者となってるが、中学入学が13歳だからたぶん成城は2年で退学してると思う
成城についてだけど元々、海軍における海兵予備校の海城とか攻玉社みたいに
陸士、陸幼入学のための予備校みたいなもんだったから
陸幼に合格した段階でたぶん中退してると思われる
金鵄勲章に関しては知らん
856 :
855:2009/05/14(木) 13:58:04 ID:???
wikipediaだけじゃなく
もっといろいろ勉強したほうがいいと思うよ
煽りがしたいならね
そうだな
勉強不足なのに無知な煽りしてるの見ると、かなり痛い奴だもんな
>>852 いかにもw
しかし、ペリリュー島で戦闘した☆陸軍部隊は☆
歩兵第2連隊と☆、歩兵第15連隊の☆、第2及び第3大隊だけですが☆。何か?
>>859↓↓↓
日本人から☆大東亜戦争の体験を☆☆風化させる↓↓↓
腐れ外道の↓↓↓
キモブサ童貞乙↓↓↓
>>858 >しかし、ペリリュー島で戦闘した☆陸軍部隊は☆
>
>
>歩兵第2連隊と☆、歩兵第15連隊の☆、第2及び第3大隊だけですが☆。何か?
>>846じゃないが、知らないようだから教えてあげる。
陸軍のペリリュー守備隊(パラオから増援の逆上陸部隊を含む)
第14師団関係
歩兵第2連隊(3588名)
歩兵第15連隊第2大隊・第3大隊(1590名)
第14師団戦車隊(122名)
第14師団通信隊の一部(39名)
第14師団経理勤務部の一部(46名)
第14師団野戦病院の一部(117名)
独立混成第53旅団関係
独立歩兵第346大隊(556名)
特設第33機関砲隊(85名)
特設第35機関砲隊(85名)
特設第38機関砲隊(85名)
海上機動第1旅団輸送隊の一部(86名)
第3船舶輸送司令部パラオ支部の一部(11名)
第23野戦防疫給水部の一部(37名)
>>861 なるほど!
貴殿は恐らく、防衛省戦史室『戦史叢書』を、参照されたようですな!!
しかしながら☆、ペリリュー島で戦った陸軍部隊では☆☆、規模も兵力数からも歩兵第2連隊が☆☆☆、最大のはずですぞ☆☆☆☆
終わりに、当方の説明不足については、お詫び申し上げるm(__)m
>>862 パンパンパーン
∧__∧ ∩
(,,`・ω・´)彡☆
⊂彡☆))Д´)
☆
>>863↓
>>864↓
>>859とw同じw
貴様等wキモブサ童貞共はw
日本人ならばw国賊売国奴でありw
在日特亜人ならばw長生きしたいのならw
直ちに日本から出て行け→→→w
866 :
名無し三等兵:2009/05/15(金) 04:22:37 ID:A9ayB+Cw
常時ageにするしかないんじゃないか?
>>865 コテつけろNGにするから
NGされるのがイヤなら無駄な改行いれんなゲロ野郎
868 :
名無し三等兵:2009/05/15(金) 12:26:58 ID:OKaC/UGZ
うちのじいさまは第一○六師團歩兵第一三六旅團歩兵第一四五聯隊だった。
杭州湾敵前上陸を敢行し先陣を切る。中支那派遣軍として武漢三鎭攻略戰に参加したあと
南昌作戰に参戦と記録がなっている。爺さんは片目失明に左わき腹銃弾痕あり。。。。
昭和十五年三月、復員、解隊したのち16年に再召集、鹿児島西部第十八部隊で満州へ・・・・
ちなみにこのとき中国に行かず予備役だったひとは。。。留守第六師團の豫備役・後備役の方々は、
第一○六師團歩兵第一三六旅團歩兵第一四五聯隊となり硫黄島守備唯一の歩兵聯隊として玉碎・・・
仙臺第二師團、廣島第五師團、旭川第七師團とともに 最精鋭・最強師團の名前を擅(ほしいまま)にした 熊本第六師團
の軌跡でした。・・・・
ここの板もID出せばいいのにね
昨日あれだけ無知を曝け出したのにまだ好戦的なんだなw
羞恥心がないというかなんというか
wikipediaの知識のくせにw
このスレにw
他人の尻馬に乗らないとw
自己主張出来ないw
臆病者のw
キモブサ童貞がw
多数存在する件についてw
朝鮮人暴れまくりだな
日本語が出来ないならハングルで書けば良いのに
見当違いさについては、ずっと言われ続けてると思うが・・・。
↑
↑
臆病者乙
面倒臭い
>>867 レス読み返して見てみな?よく発する好きな言葉があるらしいぞ
おいおい何でこんなに荒れてんの?
あんなに良スレだったのに久しぶりに来てガッカリした
歴史もプライドも恥もない奴が暴れてるとか何なの?
運営は?
NGワードが増えていくw
>>879 どこの誰が書いたか分からないからといって好き勝手なことをやる。
こういった卑しい屑のような物を野放しにするというのは不健全そのもの。
俺のじいちゃんは今年93歳くらい、当時は陸軍の爆撃機乗り
通信士?だったらしい
中国大陸、台湾、ジャワとか行ったらしい
今のジャカルタらへんで終戦を迎える
ボケてるからか、終戦前後の話は聞き出せなかった
敵の戦闘機が直進してくる時に機銃で打つと面白いように弾が当たると教えてくれた
当時の写真とか記録とかはちゃんとあるらしいから折りを見て封印を解くつもり
対進って敵にも当たるがこちらにもガンガン当たってる罠・・・オトロシス
詳しくないからわからんが、前方に撃てる席、陸軍爆撃機の通信士ってことで誰か機種分かんないかなぁ。
あるいは
>>884が聞いているか何かしませんか?
俺のおじいちゃんは海軍で太平洋戦争とベトナム戦争に行ったらしい
この前久しぶりに会って聞いてみたら軍人になった事を後悔してるから
その頃の話はしたくないつってた
おばあちゃんは知ってるらしいが聞いても詳しくは教えてくれない
ベトナム戦争に行ったじーちゃんって
なに人ですか?
ハーフとかクオーターの子かもわからんね
そもそも
>>886が日本人であるとは
限らないでしょ。
891 :
885:2009/05/17(日) 17:14:29 ID:???
>>888 曾おじいちゃんがドイツからの亡命アメリカ人でおじいちゃんは
元アメリカ海軍、曾おばあちゃんはイタリア人らしい
嘘だと思うだろうけどガチだと思う
間違えたw891の名前は886ね
俺はクオーターです
へーあっちの軍の知識はないんだが
アメリカの陸士、海兵って議員の推薦ないと入れないんだっけ?
どうやっておばあちゃんと知り合ったのかも気になるなw
日本に常駐してたのかな?
>>893 おばあちゃんは終戦後に宮崎から横浜に来て看護婦やってたら
おじいちゃんと会ったて言ってた
関係ないけどおばあちゃんとおじいちゃんの身長差は51cmですww
鬼畜の子孫はひっこんでろや
>>895 おまい、生まれを責めても仕方ないだろ・・。
おれはクオーターとかいいと思うけど
>>895 書いていいことと悪いことの
区別つけたほうがいいぞ。
899 :
名無し三等兵:2009/05/18(月) 01:19:10 ID:GYyEcMRj
おう、座っちゃあかんか? 反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ
100人でも1000人でも同じ 父親を殺していれば・・・ 世の中のやつは全部敵や
不条理さを世の中に分からせたかった ダンプで大阪・戎橋に突っ込む/
拳銃で女子高を襲撃する/空港でスチュワーデスらを無差別に刺す 謝罪する気持ちもない
30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい 幼稚園ならもっと殺せた
死ぬことは全くびびっていない
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar2.html 宅間守資料2 事件後の宅間暴言集
いやぁ、ホント宅間守っていいこと言ってるよ。どうせ何をやっても死刑になる凶悪犯なら、
殺せるだけ殺してそれから死刑になったほうがスッキリするんじゃないかと。
皇軍だってどうせ全てが凶悪な侵略戦争として極刑になるのなら、もっともっと殺
900 :
名無し三等兵:2009/05/18(月) 01:20:30 ID:GYyEcMRj
おう、座っちゃあかんか? 反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ
100人でも1000人でも同じ 父親を殺していれば・・・ 世の中のやつは全部敵や
不条理さを世の中に分からせたかった ダンプで大阪・戎橋に突っ込む/
拳銃で女子高を襲撃する/空港でスチュワーデスらを無差別に刺す 謝罪する気持ちもない
30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい 幼稚園ならもっと殺せた
死ぬことは全くびびっていない
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar2.html 宅間守資料2 事件後の宅間暴言集
いやぁ、ホント宅間守っていいこと言ってるよ。どうせ何をやっても死刑になる凶悪犯なら、
殺せるだけ殺してそれから死刑になったほうがスッキリするんじゃないかと。
皇軍だってどうせ全てが凶悪な侵略戦争として極刑になるのなら、もっともっと殺せるだけ
の中国人を殺して、自分が死刑になるのはそれからでも遅くはなかったはずだ
大事なことだから2回コピペしました
>>886 やっぱ戦場にいれば誰しも語りたくない事は体験するものかも知れませんね
つか
>>894凸凹コンビと脊髄反射で浮かんでしまったどうすれば。
904 :
名無し三等兵:2009/05/18(月) 10:01:04 ID:cWDmu/a7
お前がチョンだろ
905 :
884:2009/05/18(月) 10:02:12 ID:???
>>884です。
>>885 じいちゃん自信満々に百式乗ってたって言ってた。
認知症だし、俺の知識にはそんな機体なかったから「ホントかよ?」
って思ってたけど、今ウィキったらあったw。
軍隊には10年ぐらい居たらしい。
機銃の話だけど、敵機がロール?(旋回)を終えて直進してくる瞬間を狙うんだと。
大勢に囲まれた時がしんどかったんだって。
敵機が複数で同一円上を旋回してて、隙を見て直進して来るらしい。
ただ、通信士のじいちゃん自身が機銃で応戦したのかはわからない。
隊長機乗ってたのが自慢だったって。
今91〜93歳で、日本に引き上げてきたのが31歳って言ってたから、絶対
捕虜収容所に入ってるよね?
あと、机とかを手のひらで断続的に叩くような音がダメらしい。怒りが
込み上げてくるんだと。
認知症でもうダメかもしれないが、死ぬ前に何か聞くべきことは無い?
無宗教だが死ぬ前とかあんま言わん方がいいと思う
小学生のころに学校の図書館にあった歴史の漫画を母方のじいちゃんに見せたら
「この日本兵の装備は上等兵の装備で〜」「これはアメリカ軍のグラマンって戦闘機で〜」といろいろ教えてくれた
「陸軍でトラックの運転手をやってた」「満州とカビエンに行った」「戦艦大和に10日くらい乗ったことがある」
「カビエンで食ったカタツムリとトカゲはうまかった」「大陸の飯はうまかった」と言ってた
じいちゃんは10年前に亡くなり、今年の2月にはインパール作戦から生還した親戚のおじさんも亡くなってしまい
こういう体験を聞ける人が1人だけ(母方のじいちゃんの弟。戦時中は横須賀の工廠で働いていて「信濃」を見たことがあるらしい)になってしまった
909 :
名無し三等兵:2009/05/18(月) 23:46:16 ID:SzYo6mnQ
>>908 親戚の方はインパール作戦の帰還兵ですか、、想像を絶するご苦労をされたと思います。
ご冥福をお祈りします。
910 :
884:2009/05/19(火) 00:03:57 ID:???
>>884です。
死ぬ前発言は不謹慎だったっすね撤回しますね。
だいたい親父が聞いとくべき体験談だと思うんだが仕方がないのかなぁ。
あと終戦時、じいちゃん准尉。
母方のじいちゃんもまだ生きてて、終戦時、ヨカレンの少年飛行兵。
ただ、終戦間近は訓練するための飛行機が無かったって。
飛行機乗りに飴玉もらって食べたら酔っ払ったんだと。でもじいちゃん
酒飲まないから真実は謎。この話聞いたときは「噂のアレは本当なの!?」
とか思った。
また何かあったら書きます。
>>908だが
>>909 所属部隊がインパール作戦に参加したが、緒戦の戦闘で膝を撃たれてそのまま後送となって日本に帰還したそうです
不謹慎だが撃たれるのがもう少し遅かったりしたら生き残れなかったんじゃないかと思います
ちなみにこれには後日談がある
終戦から1ヶ月経った頃、軍の病院で治療を受けていたおじさんが復員し実家に帰ってきた
そのおじさんの弟(父方の祖父)が友達と夜遊びをして自宅に戻る途中、前を軍服を着た男性が歩いていた
暗くてよく分からなかったが、じいちゃんは「出征してた近所の誰かが帰ってきたな」と思い、ちょっと脅かしてやろうと思い後ろからそっと近づいていった
そして「ワッ!」と脅かした。その男性はびっくりして振り返り「なんだこの野郎!」と怒鳴った
じいちゃんは「サーセンw」と言って自宅までダッシュで逃げた。そして家についてその事を親に話していたら玄関が開く音がした
見に行ってみると、そこには軍服を着た兄貴が立っていた。それはさっきからかった軍服の男性と同じ格好、同じ体格だった
「さっき脅かしたのは自分の兄貴だった」と気付いたじいちゃんはバツが悪くなってしばらくこの事を伏せていたそうだ
>あと少し
たった少しのifが生死を左右する、戦場は多分そーゆーものでしょう。あのとき機体が故障しなかったら、あのとき何気にかがむのが一秒遅かったら、あのとき、あのとき、・・・
結果論というわけでもないけど、そのイフを全て生存側にくぐり抜けた人だけが生き残った。
なんかまとまらないけど、巡り合わせっていうものはまぁ確かに人生をある部分で支配しているのでしょう。
生き残れなかった英霊の皆様、生き残り、世を去られたかつての戦士の皆様に、敬礼。
「軍人精神注入棒」というのは水兵さんにとってそんなに恐ろしい物だったん?
とっくにお爺ちゃん亡くなったけど横須賀海兵団に志願入隊した頃の話を聞かせて
くれた時、必ずと言っていいほど「軍人精神注入棒」の話が出てくるんだけど
殴りすぎで棒が折れたときが一番恐怖の瞬間だったとか。理由は棒の代わりに
何でもかんでもその辺にある物で殴られるからだって。志願と言えば聞こえはいいけど
貧乏農家で腹ペコで、海軍に志願したら給料くれるしそれなりにうまい物を食わせてくれると
聞いて入団したけど、後輩の志願兵の1人はトイレの汲み取り口から脱走して兵舎は
騒然となったって話も聞いたけど、脱走兵がその後どうなったかは戦後暫く妙に気になってた
ようだ。間もなく太平洋戦争で乗り込んだ巡洋艦(写真を見る限りでは羽黒、那智級)の厨房では
カンヅメなんかを盗んだりもしたっぽい。「あれが見つかったらブチ殺されてた」とよく話してた。
厳密に言えばバレた可能性もあったが、発見した上官は見て見ぬフリをしてくれたのかもって
名も知らぬ上官に長らく感謝してたな。
>>913 脱走兵は基本的に死刑だけど、公にすると上司も連座しちゃうから
リンチで片輪にして除隊扱いですな
精神注入棒については、今でも似たようなやつで
野球部なんかのケツバットがあるくらいだし
そんな耐えられないほどではないんじゃないかね?
耐えられはするだろうけど嫌だろ
>>913 元兵士の人の手記によく書かれているが、「叩かれすぎて尻の皮が剥けた」「座るときに激痛で座れなかった」らしい
戦地で逃げたか営戒地で逃げたかによるよん。
戦地でなら敵前逃亡で死刑。
ただし、前線の航空軍司令官で元陸軍次官の中将ともなると
予備役編入くらいで勘弁してもらえる。
兵隊〜大尉くらいまでは確実死刑または自殺強要。
内地の連隊や基地から逃げ出した程度なら重営倉。
憲兵沙汰になると陸軍刑務所&上官は古兵殿から大隊長殿までは出世のお先真っ暗。
>>918 富永恭次だな
あいつは地獄で閻魔様やオニさんに注入棒喰らわされてると思いたい
920 :
名無し三等兵:2009/05/19(火) 23:32:08 ID:MHnKO5Ff
うちのジサマは最初は金沢の部隊(歩兵第7連隊)でミッドウェーの少し前に
もう日本は勝つからお前ら帰って食糧生産しろと言われ除隊。
で昭和20年に再召集されて中国行。南方には船が沈められるので行かないって話だったらしい。
面白いのは上海に行ったら物資が豊富で初めてビールを飲んだとか、朝鮮では
男が余っていた、シナ人の村を通るとごま油で炒め物をしていて握り飯だけなのでうらやましかったのような
食い物の話が多い。
日本軍の支配地域は治安が良くて村人も豊かだったが共産軍の支配地域は貧乏で富農とみなされると略奪の
対象(取り上げたものを貧乏人に撒くらしい)にされてたそうだ。
共産軍の話は教科書に載ってるような話と違うので興味深い。
俺の祖父母は商売で満州に数年住んでいたらしい。
当時は地元の人を使用人として雇っていて
その待遇はあまりにも酷いものだったって言ってた。
祖父母も使用人として地元の一家族をまとめて雇っていたけど
住居、賃金の面でもきちんと世話して家族ぐるみで付き合っていたそうな。
そして日本人全体が満州から引き上げる際
逃げるように船に乗り込む日本人が多い中
祖父母は使用人の家族が港まで送ってくれたから安全に帰って来られたらしい。
ジイちゃんは死んじゃったけど、バアちゃんはまだ元気で
お土産持って帰ると、謝々謝々って言ってくる。
バアちゃんが唯一覚えている中国語で今でも使ってる。
飛行機の燃料にするからと、松の根っこを掘ったゆう話はよく聞いた
うちのじーちゃんは満州国で露助相手に戦った兵隊だったんだって。
そのじーちゃんに南京大虐殺があったかどうか聞いたんだ。はっきりと「ありゃ嘘だ」って言われた。その後、露助の収容所で少佐を殴った話しやら、危機一髪な状況の話題で盛り上がったんだけど、そん時、じーちゃん泣いてたんだ。
ごめんね、じーちゃん興味本意で戦争の事を聞いて。
>>923 抑留された人たちは辛かったらしいよね・・。
残酷な事を言ってスマンが、しっかり経験談を聞いておいてほしい。
戦争体験のある方々が、どんどん少なくなっているからね・・。
小学生の頃、南方に出征してたうちの爺ちゃんに戦争体験を聞いた事あるけど、
原住民と一緒に芋作りや野菜作りに励んだり、終戦で日本に帰る時は、原住民達が泣きながら見送ってくれたとか、とても平和な話ばっかりだった。
米軍に素通りされた島だったので戦闘が無かったらしい。
それを歴史の時間に発表したら、先生に
「それは嘘だ。日本軍は原住民を殺して食糧を奪ったんです!あなたのお爺さんは戦争犯罪者です!!」って完全否定された。
その先生が言った事を、家に帰って爺ちゃんに聞かせたら、翌日学校の職員室に怒鳴りこんだw
>>925 そんな絵に描いたような偏向教師っていたんだなぁ…
もちろん日本軍の残虐行為を全否定するつもりはないが
ありとあらゆるところでやってるわけがないのにね
パラオみたいに色んな国の支配や委任統治をうけながら
日本の委任統治時代が一番良かったといって
国旗も日の丸をもとにしたようなところだってある
白か黒かじゃないのにね…白も黒も灰色もあって当たり前
そうやって気軽に戦争体験話してくれるじーさんとか
と酒入ったら戦時を熱く語るようなじーさんならよかったな
ウチのじーさん軍人のくせに無口で部屋で黙々と本読んでるようなじーさんだったからな
典型的な核家族で同じ県に住んでても年に1回くらいしか会わなかったし
会っても「よく来たねぇ」って挨拶しにきたらすぐ部屋に戻ってそれ以外会話なし
軍人一家だったからじーさんも流れで士官になったけど
元々、体も丈夫なほうじゃないし無口であんまり怒らないような人だったし
軍人向いてなかったんじゃないかと思うw本人も自分でそう感じてたんじゃなかろうか
その割りには軍の同窓会とか顔出してるし戦史とか戦争に関する本たくさん持ってたけど
>>926 地域にもよるだろうがうちの社会科教師は特に極左だったな
戦場の写真みせてこれが戦争だ!日本軍が全て悪い!軍人は悪魔だ!
沖縄ではこういう悲しい歴史があった!だから沖縄県民は国歌も国旗も否定する!
だから君たちの中でも国歌を歌いたくないよと思うものは歌わなくてもよい!
済州島から朝鮮人が強制連行されて強制的に創氏改名、労働させられるビデオとかみせられたし
極めつけは卒業式での国歌斉唱の際、いきなり壇上にあがって
「国歌を歌いたくないものは歌わなくてもよい!」って叫んで教頭に連れて行かれた
>>928 俺が小学校の時の先生は、
天皇を槍玉に挙げていろいろ言ってたわ。
先の戦争についても然り。
930 :
■■■■■:2009/05/20(水) 22:30:20 ID:vX5vV9Js
うちの爺さんは、ある時期から戦争のことを殆ど話さなくなったらしい。
やっぱりね社会的なタブーになっちゃったんだね。
ちょっとはサヨクっぽい先生もいたがそこまで極端なのにはあたったことない
日教組も多かったけど式典では日の丸も揚がってたし国家もちゃんと斉唱してた
昭和30年代中頃は「戦争はバカ者の行為」と言う認識が強かったよ。
当時の日本人って純粋だったと思うわ。敵にも正義があるんだよな。
やっぱり社会的にも元軍人は虐げられてたんだろうな
梅沢裕なんかはずっと黙認してて最近になって大江に相手したし
それにしても身内にすら戦争体験を語りたがらないうちのじーさんって・・・
>933
これこれ、健三郎なんざは呼び捨てでかまわんが
梅沢元少佐には敬称をつけるのが礼儀というものですぞ。
>>925 それが事実ならばw
貴殿のw御祖父がw
南方のどこに出征されたのかw
お答え願いたいw
出た
>>934 あぁスマン
うちのじーさん梅沢元少佐と陸士の同期で住んでるところも近くて
じーさんの住んでる辺りの陸軍同窓会のまとめ役を梅沢元少佐がしてたらしい
仲良かったのか叔父さんの名前に梅沢さんから裕をもらってるし
じーさん自身は沖縄にはいってないけど沖縄戦の戦史や本がたくさんあった
まぁ俺は会ったことないんだけどねw
またNGワードが増えちゃったw
>>939 左様☆
しかしながら台湾以外にも☆☆
ラバウル、スマトラ、パラオ本島その他多数ありますぞ☆☆☆
>>820 捏造乙w
海軍に馬がいたと言うならw
証拠を出せw
スレチになるけど・・・
前に新聞社の近くに勤めていた。その新聞社のロビーにはゲーセンにあるような可愛い機械があって
そこにお金を入れて西暦と日付を押すと、指定した日の新聞をコピーしてくれる。
父親にあげようと思って、誕生日を出してみたら父親と同姓同名の人がドーンと出てきた。
祖父ちゃん、この人から名付けたんだなwとすぐわかった。
手元にないのでうろ覚えだけど、バレンバンとか落下傘とか、そんな字があった気がする。
父親はすごく喜んでいた。
NGワードにワイルドカード使える専ブラってあるんだっけ?
母方のじーさんが陸軍の中野学校に行ってたとのことだった。
父方のじーさんは、撃たれた上官担いで後方まで懸命に運んだら勲章だかなんだか貰ったそうだ。
荒らしにレスする奴も荒し
これ2chの基本な
俺の爺さんの兄は商社マンから関東軍の軍属になり、主に物資調達やってたんだが
戦争でボロ儲けして、大連に大豪邸建てて、自宅の使用人だけで20人いたそうだ。
さらに当時の金で2万円ぐらいの金があったらしいが、敗戦で何もかもなくして
トランク2個だけ抱えて帰ってきたそうだ。
まだ43才だったけど気力をなくしてしまって、翌年ポックリ亡くなった。
昭和60年に、その方の息子達(俺の親父の従兄弟)が、40年ぶりに故郷の大連に
行ったんだが、父親が建てた大豪邸は、地元の小学校として利用されていて健在で
父親を忍んで泣いたそうだ。
>949
失礼だが、一時とはいえ栄華を堪能したんだから悔いは無かろ。
>>791 講釈師 見てきたような 嘘を言い乙w
杉田一次元陸軍大佐の『情報なき戦争指導』原書房によれば(続く)
>>951より続き
『陸海軍における外国語教育
諸外国(特に敵性国家)の事情に通暁せしめ視野を広からしめるため、また必要に応じ情報勤務にも服務せしめ得られるよう外国語教育を重視した。続く
>>952より続き
『陸軍
(仙台、東京、名古屋、大阪、広島、熊本)各幼年学校においては独、仏語いずれかを学習するが、東京幼年学校のみロシア語を別に教えた。生徒数五十名中約二十名をこれに向けられた。続く
>>953より続き
『従って独、仏語修得するもの各々百五十名、露語を修得するもの約二十名であった。士官学校(予科)においては右の他、英、中国語が加えられた(中学出身者が英、中国語に二分された)。続く
>>954より続き
『(注)陸軍幼年学校での外国語を独、仏、露としたのは日清戦争で、わが国に干渉した三国に対する復讐を忘れないためであった。幼年学校の開校は明治三十年九月で日清戦争後であった。』続く
>>955より続き
『海軍
兵学校においては英語を第一語学とし、独仏語のいずれかを第二語学として学習せしめられた(露語・中国語はなかった)。』続く
>>956より続き
以上の通り!例え陸幼や陸士を卒業しても!!数ヵ国語が堪能になるわけないだろw
出鱈目をほざくなw
958 :
名無し三等兵:2009/05/23(土) 07:17:18 ID:ZRPt7Ccl
このスレ見てると戦後存命の方が多くて正直言えばうらやましい・・
俺のお爺さんは二人とも戦時中に亡くなった。父方は満州で戦闘中に敵弾が飛んできて
鉄兜を被ってたけど頭をうち抜かれて戦死、母方は沖縄決戦で玉砕、こちらは
死体も遺品も残ってないし最期を見た人も居ないから多分全員玉砕したんだろうな・・。
父方のお爺さんは「戦友」の歌詞のように腕時計が同じ部隊に居た郷土兵の方が
持っててくれて昭和22年に祖母に届けてくれたようだ(当時の地方紙に出てる)。
その腕時計も昭和40年ごろまで祖母が螺子を毎日巻いてコチコチと動いていたそうな。
祖母も亡くなり、その時計はもう螺子巻いても動かないけど見てたらなんだか悲しくなる。
皆さんもお爺さんが元気な時に大切にしてあげて下さいませ。
>>958 うちも両方戦死だよ
父方がフィリピン・ルソン島
母方がニューギニア・ビアク島
部隊ごと壊滅したから、遺骨はおろか遺品すら帰って来ない
オレの世代だと、教員の中にまだ軍隊経験のある人がけっこういた。
高校の校長先生もそのひとり。
3年の時、団塊世代のアホでアカな教師が転勤してきて、偏向教育を始めた。
交換留学で来ていたアメリカ人の父親が元軍人と知ると、「おまえの親はベトナムで何人殺した?」
とか言いだし、しかも自分が英語を話せないものだから、学生に通訳しろと強要する。
それを断ると「この程度の通訳もできないやつはオレの教科(地学)は1を付ける」とぬかす。
オレがいい加減嫌になって「そういう偏った言動や強要は教師失格、しかるべきところに訴えて教壇
から追放してやるからな」と、ぼそっと言ったらわめき散らしながら、オレの机を蹴る、ほうきで叩く
って、小学生かコイツの立ち振る舞い。
1学期の成績は見事に2(ちなみに10段階評価、期末試験の点数欄は数字はなく”評価外”と書き
殴ってあった)
流石にこちらも受験に影響するんで必死。
担任に窮状を訴えたが、これが腰も腑も抜けた役立たず。
しかし、同級生が校長先生へ直談判してくれた結果、期末試験の採点やりなおし、まっとうな評定へ
変更された。
卒業してから知ったのだが、校長先生がくだんのアカアホ教師を呼びつけたところ、組合の役員を
伴って現れたそうだ。
けどそういう恣意的行為に負けず「正当な評価に改めないならば、私は未来ある学生を守るため
差し違える覚悟でいるが、貴君はどうか」と、迫ったそうで、アホアカはその迫力にびびって逃げた
そうだ。
同行した組合役員は「本物の軍人経験者に勝てるはずがない」と愚痴っていたとか。
>>960 ネタ乙w
事実ならw
軍隊経験の内容がw出て来ないのはw
何故なんだw?
>>959 ビアク島守備隊って岩手の部隊でしたっけ?
オレがそれを知らないだけ。
>>962 >>959でなくて失礼m(__)m
ビアク島には!陸軍の第36師団(通称 雪)の歩兵第222連隊を中心に、配備されていますぞ!!
>>961 いや、960の話は意外に本当かもしれんぞ。
俺が学生時代にも暴走赤色教師の話は現実にあったし、
体験した本人しか書けないような文章に見えるんだが・。
966 :
名無し三等兵:2009/05/23(土) 21:45:51 ID:b9bB9GIZ
父ちゃんに聞いた話だからほんとかどうかわからんが南京の門をあけに行ったらしい
敵が銃撃ってくるより仲間の援護射撃のほうが怖かったらしいな で、南京大虐殺を体験したんだと
あと、進行中に中国軍と戦闘があって手榴弾をもろにくらって崖に転落 何とか生きてたらしく
近くの村に住む中国人に助けてもらいかくまってもらったそうだ その時食べた鼠がうまかったんだと
>>965 左様☆
しかしw肝心な戦争体験の話がw
出て来ませんからなw
>>726 家のじいちゃんは台湾あたりで伊勢海老みたいなデッカイ海老を養殖してたぞ。
羽振りも良かったらしい。
俺は貧乏だが。
なんか満州で酒屋やってたとか台湾で養殖やってたとかよく聞くよね。
>>966 すぐバレるような嘘をw
良くつけるなw
感心するよ(´艸`)w
あの世で祖父さんが泣いてるぞ
じいちゃんは雪の全く降らない土地の人間なんだけど
満州に出兵してたからスキーがかなり上手かったらしい(父親談)
そう言われてみれば冬季五輪のスキー競技とか興味ありげに見てたかな?
あと、白菜とかキュウリを唐辛子とニンニクとイカの塩辛なんかで漬け込んだ
“朝鮮漬け”なるものを作って酒のつまみに食べてたな
脳卒中で倒れてから作り方とか存在すらもキレイサッパリ忘れちゃったけど・・・
リアル厨房の頃、担任の先生が休みか何かで
校長先生か教頭先生が来て戦争中の話を
してくれた。
その先生はパイロット候補生で、複葉の訓練機で着陸時に
前のめりにひっくり返り、入院・終戦だったと話してくれた。
暴走赤教師には当った事はなかったから、ラッキーだった。
我が家のじいちゃんは、2歳の時に亡くなっている。
おばあちゃんが、じいちゃんの勲章とか見せてくれたが、
今どこにあるのか・・・。
レス汚しすまん。
私の祖母の叔父は、航空機の整備を国内の基地でやっていたらしい。
で、満州に向かう途中、船を撃沈されて戦死したとか。
後、祖父が戦時中に航空機の足を作ってたとか。
それくらいしかない・・・。
> あと、白菜とかキュウリを唐辛子とニンニクとイカの塩辛なんかで漬け込んだ
> “朝鮮漬け”なるもの
キムチだよ
あぁ、そういえばうちの婆ちゃんも、キムチの事を朝鮮漬けって言うなぁ。
うちの爺ちゃんは師範学校から、この国難を救う為に少しでも国に貢献したいと海軍に志願して入隊、
四国だか瀬戸内あたりの基地で、震洋だか回天だか忘れたけど、特攻隊員として出撃の時を待っていた。
戦後は小学校の教師として県内を周り、校長まで勤めあげた。
今の若い教師達が、変に偏った思想を持ってる事をずっと心配していたなぁ。
随伴歩兵やら騎兵で排除じゃまいか・・。
>>978 最近は国歌まで否定する教師まで居るんだもんな・・。
会社員が社歌斉唱の時に起立もせず斉唱も拒否したら、どうなる事やら・・。
教員採用試験の時にはヘコヘコして受かったんだろうに。
社歌と国歌は違うでしょ
較べること自体がおかしい
偏りでおかしいのは右も左も同じ
>>971 何がどう違っているというのか明確に書け。
遠回しで陰に籠もった女の腐ったようなことを書くな。馬鹿者。
>>980 要するにデフォルトで自分より偉いのがいるのが気にくわないということで、自己肥大に凝り固まった連中がよくそういうよね。
>>983 馬鹿者はw
レスを読んでもw
内容が嘘だと分からないw
キモブサ童貞のw
貴様だろw
状況が良く判った。相手は理性で話せる人間じゃないな。
スレを混乱させて、本当にすまんかった。
それにしても、ここまで酷いとは思わなかったワ・。
馬鹿の相手をする奴も馬鹿
988 :
名無し三等兵:2009/05/26(火) 07:30:12 ID:VWYvCt3d
戦場での体験ではないが…
祖父の小学生時代の同窓に あの軍神杉本中佐のご子息がおられる
戦時中は 教科書にも載るような人物の息子さんということで
かなりちやほやされたが 戦後は手の平を返すような仕打ちを受けたらしい
尚 ご本人の名誉の為に記しておくが
当時から それを鼻にかけるような息子さんではなかったらしい
切ない話だ
>>988 ハア?
誰だよw軍神杉本中佐ってw
なるほど!自称軍神ですねw分かりますw
990 :
名無し三等兵:2009/05/26(火) 14:56:44 ID:LO9dYvGW
神風特攻隊第一号となった関行男大尉の母上も、
戦中は軍神の母として崇められたが、
戦後は周囲が掌を返したような寂しい生活だったようだ。
991 :
名無し三等兵:2009/05/26(火) 16:10:04 ID:upAeBXVb
もう死んじゃったけど
俺の爺は、満州で敵から分捕ったテコ銃を使っていた。
・・・って以前書き込んだら、それはチェコ銃だと指摘された。
その後、爺の写真が出てきた。
結構長い機関銃を担ぐ勇姿にびっくり。
兵器に詳しい友人に見せたら・・・
その機関銃はドイツのMG13だって言われた。
私の地元の祖父さんたちの体験談から。
八代飛行場で特攻の訓練をしていた若い飛行訓練生を
由緒ある丸目家が下宿先として一部の訓練生の面倒を見ていた。
ところが、終戦の報を聞いた訓練生が丸目氏の家におしかけ、
生き恥さらすくらいなら自害する、介錯を頼みたい。と意気込んできた。
丸目家の主人が懇々と説得し、訓練生たちはシクシク泣きながら
自害を思いとどまった。
丸目家の家内は部屋の障子の外でこの説得する会話を聞きながら、
涙したという。
993 :
uaa:2009/05/26(火) 22:41:38 ID:oujuDK0e
>>990 元々関って海兵出の間でも好かれてなかったようだし。
(海兵の後輩や飛行学校教官時代の教え子の証言を読むとほとんどキチガイ)
特攻隊への選抜も嫌われもんの厄介払いだったんじゃないかと思う。
994 :
名無し三等兵:2009/05/27(水) 00:06:30 ID:fCSTZcu8
>>989 杉本中佐も知らないとは・・・
せめて自分で調べてみては。
>>994 >>994 調べたよw
しかし、加藤隼戦闘隊で有名な陸軍飛行第64戦隊長で☆戦死後2階級特進して軍から『軍神』の称号を贈られた☆☆加藤健男少将☆☆☆と違いw
杉本五郎の場合はw
信奉者達がw勝手に軍神と呼んでいるだけでw
軍に公認された☆軍神ではないから★
やはり自称軍神にw変わりはないだろw
>>986 貴殿がw
日本語の読解力がないのはw
やはり在日特亜人のw
キモブサ童貞だからwらしいなw
相手するだけ無駄。あぼ〜んしとけばいい。
なんかやたらレス番の飛ぶスレだな
次スレ頼む
1000なら就職決まる
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。