あなたのおじい様の戦争体験を教えて その19

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1uaa
前スレ
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その18
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1205645942/l50

2名無し三等兵:2008/06/29(日) 02:24:21 ID:???
2奪還
3名無し三等兵:2008/06/29(日) 10:39:25 ID:???


母方の祖父は戦前からの単車乗りで、中国大陸で陸軍のお偉いさんを
サイドカーに乗せていたと聞いたことがある。
敵の基地付近を抜ける時は深夜エンジンを切って押して、
ある程度離れてからエンジンをかけて全速で走ったとかいろいろ聞いた。

父方の祖父は蒼龍乗組員で、小さい頃に白や黒の制服も見せてもらったことがある。
航空機の整備をしていたらしいが、航空服を着て中島九〇式二号偵察機三型の
前で写っている写真も残っていたから操縦もしていたのかもしれない。
真珠湾以前から乗組員だったらしく、大和にも乗艦していたことがあるとも聞いた。
大和の零式水上観測機の整備をやっていたのかもしれない。
ミッドウェーでは飛行甲板にいたらしく、目の前に爆弾が落ちてきて
その破片と銃撃された弾などが身体に残っていた。
(戦傷者なんとかっていう表が玄関外に貼り付けてあった。)
とにかく辺り一面火の海だったらしく、退去時は飛行甲板から
海へ飛び込んだらしい。
その後は、流血しながらサメに怯えつつ1日漂い泳いでいたところを
駆逐艦に助けられたとのこと。

父方の祖父の思い出は、戦争中に吹いていたハーモニカを
よく聴かせてもらったことが印象に残っている。
今思えば曲は軍歌だったな。
父は戦争の話をほとんど聞いたことがないらしくて、小さい頃自分で聞いた記憶が
ほとんど。
あとは本家の居間に勲章付きの賞状みたいのも飾ってあったけど、
内容は覚えていないな。
もっと細かく聞いたこと覚えているけど、長くなるから抜粋した。
4名無し三等兵:2008/06/29(日) 14:13:16 ID:???
戦艦のプラモデルあるでしょ?色が一色でとても精巧とは言い難い陳腐なプラモデル。
じいちゃん家の棚に着色して綺麗に飾ってあった。
孫には甘過ぎるじいちゃんだったけど、そのプラモデルにだけは絶対触らせてもらえなかった。
その代わりに話を聞かせてくれたことを覚えてる。


戦争中補給するために港へ寄ったが、じいちゃん以下数十名が下船してる最中に敵戦闘機に攻撃を受けた
港に被害が及ぶのを恐れ補給部隊を置き去りにしたまま緊急に港を離れた
急ぎ港へ戻ったじいちゃん達は船がないことに気付く。その後船は撃沈、仲間達の多くが海へ消えていった


じいちゃんプラモデルの船を見ながら思い出してたんだな。
そういやじいちゃんの口から乗ってなくて良かったとか、船下りてて助かったとか聞いたことがない。
じいちゃん死んで二十数年。古びた家の棚に陳腐なプラモデルがいまだに堂々と鎮座してる
5名無し三等兵:2008/06/29(日) 15:10:52 ID:???
>>4
うp
6名無し三等兵:2008/06/29(日) 17:30:00 ID:???
トラック空襲?
乗っていた可能性あるのは・・。
プラモ有りつーと 阿賀野 那珂 香取 平安丸
のどれか?


オルモックの鬼怒ではなさそうだし・・。

7名無し三等兵:2008/06/29(日) 18:31:53 ID:???
うちのお爺さん15年ぐらい前に、戦争に参加した記念品?時計かメダルみたいなのが
国から郵送されて、誇らしそうにだった。
でもどんな戦争体験だったか聞いたら話してくれなかった。
8名無し三等兵:2008/06/29(日) 21:19:14 ID:B7E/UoMF
恩給欠格者慰労品?
うちの叔父は生存者叙勲の正何位かが負けて何年もさてから届いたが
9名無し三等兵:2008/06/29(日) 21:47:28 ID:???
爺さんの体験談代筆スレッド 巻の二
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1203163779/

こちらもよろしく。
10名無し三等兵:2008/06/29(日) 22:11:18 ID:???
>>4
肝心の、その戦艦?のプラモは何の?

上記の文面読むに、戦艦榛名かなと思ったんだが。   >大破着底
11名無し三等兵:2008/06/30(月) 14:00:19 ID:???
>>10
4だけどレスありがとう。戦艦とか戦争の内容とか一切興味ない俺だけど。
じいちゃんが乗っていたのはたしか重巡なんとか鑑「那智丸」だったと思う
プラモデルはその船かどうかはわからないけど今のプラモ屋にもありそうな感じ(俺には全部同じに見えるorz)
12名無し三等兵:2008/06/30(月) 16:25:43 ID:???
母方の曾祖父は、岩手県の小さな山里から召集され、歩兵第222連隊に入隊。

ニューギニア近くのビアク島に送られ、数ヶ月の死闘の後、部隊は玉砕。曾祖父も還って来なかった。

当時、まだ国民学校一年だった祖父は、出征前夜に一緒の布団で寝たのを、忘れずに覚えてるらしい。
祖父は、会社員時代から70歳になった今も、度々ビアクを訪ね、慰霊祭や遺骨収集に参加している。
13名無し三等兵:2008/06/30(月) 16:45:41 ID:???
http://www.asahi.com/culture/update/0628/OSK200806280087.html
祖父(当時上等兵)がこの要塞群に終戦前いたことがあるというので話を聞いた

要塞の外には敵に備えた塹壕が大量に掘られていて、
バンガロー爆弾を使った対戦車戦の訓練もしたことがあるとのこと。
「マッチで導火線に火を付ける」そうだが、それでも一応逃げないと
爆発が凄いため土をかぶって埋まってしまうらしい。
また屋上には高射砲があって見張りをしていたことがあるが、
日差しが強く暑いので20分おきに交代をしていた。

あとソ連軍との戦いだと
「ソ連兵の銃」は60発以上弾が入るが(PPSh)長いの(箱形弾倉?)は少ない
「ソ連の戦車」が真っ直ぐ走るので自分たちの脇を通り越して行ったことがある
川が多い地域なのでソ連軍は「水陸両用車」を使って攻めてきた
「アメリカ製の機関銃」を使っているソ連兵もいた(詳細不明、供与品?)
なんて話が興味深かったです。
14名無し三等兵:2008/06/30(月) 21:12:04 ID:???
うちのじいちゃんの従軍記録みたいなものがあったのでうpさせてもらいます。
戦争から帰ってきて忘れないうちにと書いたものらしい。
ばあちゃんの耳が遠くてあまり会話にならないので詳しいことは不明w
筆で書いてあり達筆すぎてよくわからない字もあったのでわからないとこは推測して書き写しました。

この記録からわかることがあったら教えて下さい。
15名無し三等兵:2008/06/30(月) 21:15:02 ID:???
昭和14. 5. 1 大分歩兵第47連隊補充隊第8中隊に入隊
   10月  第1期検閲終了
     11. 1 一等兵に進級

昭和15. 3. 1 上等兵に進級
   同月   下士官候補者隊に編入
    7. 1 伍長勤務 同日熊本陸軍教導学隊に入校
   12月  同校卒業 所属第8中隊に復帰

昭和16. 3. 1 任陸軍伍長同日第4内務班長
     3月  第1内務班長
同年      支那事変従軍記章
    10月  野戦特出を命ぜられる
    10.19 大分発
    10.20 門司港出帆
     10.23 台湾高尾に上陸同日第8中隊に編入指揮班附連絡係
     12. 7 輸送船ゑり丸に乗船
    12. 8 大召換発高尾港出帆
    12.○ 比島「リンガエン」湾敵前上陸
    12.○ 「シソン」高地戦斗に於いて分隊長拝命
昭和17. 1. 2 「マニラ」入城同地警備
     2月  「マニラ」出発「リンガエン」港待機楽洋丸に乗船
     2.28 「ジャワ」島「クラガン」に敵前上陸
     3. 1 任陸軍軍曹2等級
     3.10 「スラバヤ」入城同地警備
     7月  「スラバヤ」港出帆「チモール」島「デリー」に上陸
        小スンダ列島カン定作戦に参加同島警備授勲8等
     8. 1 1等級
16名無し三等兵:2008/06/30(月) 21:16:27 ID:???
昭和18. 5月  「チモール」島「デリー」野戦病院に入院同日「クーパン」野戦病院移送
         翌「ジャバ」島「スラバヤ」陸軍病院に移送同日「マラン」「ソンゴリチ」療養所に転送
    10月  退院海兵団連絡所に勤務
    11月  原隊復帰同島「ラウテン」陣地構築に従事
    11月  特設自動車隊に転属第16軍隷下にて「チモール」島東部地方の輸送及警備
         特設自動車第34中隊庶務係
昭和19. 3. 1  任陸軍曹長4等級
    6月   3等級
   10月   2等級営外加俸ヲウリ
昭和20. 3. 1  1等級勲7等
    7月   新作戦の為「ロスパルス」に出発
    8.15  「チモール」島「マナット」に於いて終戦

同年末迄  連合軍の指示に依り輸送に従事
        設営の為「スンバ」島「ロンボック」に上陸「タロス」に於いて設営に従事
        逐次師団集合同地に於いて農耕作業編成
        自動車第7連隊第3中隊庶務係
昭和21. 5.15 「スンバ」島「ロンボック」港連合軍輸送船に依り内地帰還
      5.28 名古屋港に入港
      5.29 上陸
      5.30 名古屋発
      6.1 帰省
以上

南十字の大洋で静に眠る戦友に無言に告げる惜別の涙
                                     船中にて
17名無し三等兵:2008/06/30(月) 21:51:42 ID:???
まさにジャワの極楽満喫ですなぁ・・・。
18名無し三等兵:2008/06/30(月) 22:01:56 ID:pZoRvELY
銃剣で子供を刺し殺した話、家族3人が隠れる井戸に手榴弾を投げた話、本当にうちのじいさんの戦争体験談は恐かった・・
1914:2008/06/30(月) 22:14:02 ID:???
>>17
ジャワの極楽でググってみました。
ばあちゃんがじいちゃんは送られた場所が良かったから生きて帰ってこれたって意味がわかりました。
「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」というのがあったんですね。
食べ物はバナナだけはいっぱいあって毎日バナナばかり食べてたと聞きました。
20名無し三等兵:2008/06/30(月) 22:31:27 ID:???
>>11
那智て事は、マニラ湾でレキシントンの艦載機に攻撃受けて沈んだ際の前後かいな?
21名無し三等兵:2008/07/01(火) 01:11:50 ID:???
>>12
米軍がビアクで行った日本兵への残虐行為を、あのリンドバーグが目撃して本に書き残してますよね
22名無し三等兵:2008/07/01(火) 12:31:51 ID:???
助けて
HDDの奥から高校の時に焼いて文化祭に展示した
流石兄弟のホモ絵皿の写真が出てきた
死にたい
23名無し三等兵:2008/07/01(火) 21:02:49 ID:???
>18

同志あなたの祖父の地主と富農の華族にの英雄的革命行動には
感謝しておりますよ。
24名無し三等兵:2008/07/01(火) 21:07:21 ID:???
>>23
どこからツッコミ入れて欲しい?
25名無し三等兵:2008/07/01(火) 23:00:35 ID:???
>>24
ケツの穴からがいいんじゃね?
26名無し三等兵:2008/07/02(水) 03:05:54 ID:???
>>22
うpしろ、笑ってやる。
手の込んだネタだと思えばいいじゃないか。
27名無し三等兵:2008/07/02(水) 07:54:38 ID:???
>>18
あれ、おまえのじいさん障害者を真似する踊りがメインの人生じゃなかったっけ?
28名無し三等兵:2008/07/03(木) 12:18:31 ID:???
嫁の爺さんは、中国戦線で陸軍中尉として勇戦したそうだ。 終戦後
も非武装の官兵として遇され翌年4月に復員。
因みに110師団所属で、終戦時は115師団に隷属。

冊子を自費で発行し、そのおすそ分けに預かった。個人記録に近い物
なので、UPは出来ないが、終戦時の無念さが偲ばれる。

家にお邪魔したときに恩賜の煙草やおばあさんが送った手紙などを見
せていただいた。

元気なうちにもっと話を聞いておきたいと思います。
29名無し三等兵:2008/07/03(木) 17:37:57 ID:AoetIjBL
私の祖父が戦時中中国にいた時、夜間に敵の奇襲を受けて迫撃砲で応戦しょうと
したら弾が砲から転げ落ちた。おかしいなと思って調べたら砲の中に二発ほど弾が不発の状態で
入ったままだったそうな。もし爆発していたら自分は生まれてきていなかったと思うと
ぞっとした。
30名無し三等兵:2008/07/04(金) 10:07:58 ID:???
俺の嫁のお爺様は、陸軍中野学校時代に小野田寛朗さんと同期だった。
始めはまさかと思って信じてなかったが、当時の集合写真を見せてもらったら、たしかに本当だった。
31名無し三等兵:2008/07/04(金) 12:43:14 ID:FLcFvtQP
うちの祖父の話では満州建国に際して関東軍に派遣?され対ソ用の
大規模な地下要塞の構築にあたっていたらしい。
関東軍の高級参謀も視察に来た時、士官学校の同期?がいて軍人の写真と
家族に宛てた手紙があった。敗戦の直前に軍用機で○○飛行場から
脱出に成功して無事生還できた。トーチカ?地下壕?らしき見取り図
遺品にあったけど親父が全て焼却してしまったとの事。
地下要塞ってのはフランスの模倣したとか失念。
32名無し三等兵:2008/07/04(金) 22:50:55 ID:???
>>31
マジノ線のことか?
33名無し三等兵:2008/07/05(土) 00:08:15 ID:???
虎頭要塞?
34名無し三等兵:2008/07/05(土) 11:12:58 ID:j/tdJf1/
曾祖父が台湾で何かして貰った、菊のゴモン表彰状があるけど
陸軍の兵隊て台湾で何したんだろう…
35名無し三等兵:2008/07/05(土) 19:24:57 ID:H4gM/Vo7
>>34
機銃か高射砲で米軍の航空機を撃ち落したのかも。
戦時中の台北は凄まじく爆撃を受けたらしい。
36名無し三等兵:2008/07/06(日) 04:23:57 ID:MYV7RbyB
太平洋戦争より前に行ってたから、
米軍相手ではないみたい
37名無し三等兵:2008/07/06(日) 05:43:46 ID:+gmtR57X
そうするとシナ事変での功績かな。
それとも平時で表彰状を頂いたのか。
38名無し三等兵:2008/07/06(日) 06:04:34 ID:fJUEfau7
父方の祖父は空母「加賀」の飛行機整備員で真珠湾攻撃に参加したのが
自慢だった。祖父の弟(当時、陸軍士官学校在学)が昭和18年の正月
帰郷したとき、村の役場で「時局報告会」があり、ジーさんが自分が
パイロットになったような臨場感ある報告をしていて、「思わずたかが
整備員でーーー」と笑ったそうな。ジーさんが死んだ10年前の葬儀の席
で思い出して笑ってた。ジーさんの兄弟4人は最前線に行ったにも
関わらず全員生還しました。尚、ジーさんは真珠湾のあと国内の航空隊
、中国の航空隊勤務でした。   合掌
39名無し三等兵:2008/07/06(日) 07:41:30 ID:???
部隊名とか詳しくは知らないけど、うちの爺ちゃんは、ボーゲンビル?とゆう島で終戦を迎えたみたいだ。
腹が減って戦闘どころじゃなかったって話は良く聞いた。
先住民と仲良くやってたみたいで、日本式の畑作を教えてから作物が沢山採れるようになって、感謝されたみたいです。
40名無し三等兵:2008/07/06(日) 09:16:00 ID:???
>>39
ブーゲンビル島か、山本五十六長官戦死の地だな。
当時はボーゲンビル島とも呼ばれたらしい。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%AB%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
41名無し三等兵:2008/07/06(日) 09:39:08 ID:???
>>39
>腹が減って戦闘どころじゃなかった
ガダルカナル島が “ 餓島 ” なら、
ボーゲンビル(ブーゲンビル)島は “ 墓島 ” とあだ名され、
こちらもかなり厳しい戦場だったとの事
42名無し三等兵:2008/07/06(日) 10:02:35 ID:???
祖父は召集令状で仙台師団に配属され、ジャワ島そしてガダルカナル島へ
米軍と激戦だったらしく顔に手榴弾の破片で負傷。軍医と仲良くなった
らしく死ぬまで銀座のお菓子送られてきた。
 島では食べ物探しに奔走し、後に転進でフィリピンで敗戦降伏。
余談だが玉砕したはずの一木支隊には数名の生き残り(別任務?)がおり
隊に転属してきて、フィリピンまで同行したが強制的に?別隊に編成され
玉砕強いられ、その事を戦後の復員船内で知り同乗していた関係者を袋叩き
にしてやった。リンチや海中投棄はよくあったそうな


43名無し三等兵:2008/07/06(日) 11:21:06 ID:???
>>38
ミッドウェーからの奇跡の生還の話は?  >空母・加賀撃沈
44名無し三等兵:2008/07/06(日) 12:29:12 ID:???
>>43
>尚、ジーさんは真珠湾のあと国内の航空隊
>、中国の航空隊勤務でした。
45名無し三等兵:2008/07/06(日) 18:46:46 ID:???
俺の曾祖父(故人)は駆逐艦長だったらしい、という話を
知り合いにしたところ、そいつは「え、お前の曾爺さん、艦長だったの? 凄いなあ」
などと感心していた。
そこまではよかった。
問題はその後の知人の発言だった。
「うちのは下っ端の上等兵だからな、使えねえ使えねえ。
お前んとこのはいいよなあ、階級高くて」
お前の曾爺さんがどれだけ感状貰ったか知ってて言ってるのかボケ、
そんだけの感状貰った兵士がどれだけ必死で戦ったかわかってるのかボケ、
と怒鳴りつけてやりたくなったが、付き合いというものがあるのでできなかった。
怒鳴らなかったことが今でも悔やまれる。
46名無し三等兵:2008/07/09(水) 14:32:20 ID:cqRD8g23
うちの大おじいさんは、軍馬の医者をしていてサイパンで戦死になってる。
赴任途中の輸送船が沈んだのか、サイパンまで行き着いて戦死なのか両説があるが不詳のまま。
戸籍謄本によると名前は「七五三吉」。なんて読むんだろう?家族も知らない…
47名無し三等兵:2008/07/09(水) 14:51:34 ID:???
>>46
しめきちさんと読むのではないかな
うちの地元に七五三掛(しめかけ)って苗字の人がいたので
わたしはじいさんの生年月日がわからなくて軍歴証明がとれないorz
4846:2008/07/09(水) 15:01:13 ID:cqRD8g23
>>47 さっそくのコメント多謝です。

なるほど「しめきち」なら、違和感ない雰囲気。
ためしにググッてみたら昔は七五三吉という名前結構ありました。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E4%B8%83%E4%BA%94%E4%B8%89%E5%90%89&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

たぶん「しめきち」でOKということで、長年の謎が一気に氷解。
49名無し三等兵:2008/07/10(木) 01:55:39 ID:???
>>47
戸籍でちゃんと追っていけば生年月日がわからん、ってことはないだろ。
50名無し三等兵:2008/07/10(木) 02:05:41 ID:ARV/CpHI
うちの爺さんは中国で憲兵やってた。
51名無し三等兵:2008/07/10(木) 02:08:42 ID:PFUTryyQ
軍歴証明は取ると何か良いことあるの?
52名無し三等兵:2008/07/10(木) 10:52:02 ID:???
>>51
恩給
53名無し三等兵:2008/07/10(木) 11:03:31 ID:???
前のスレだったと思うが、ある海自士官の結婚式に 大和の乗員だった
お祖父様がいらして
それを知った出席者の
海自士官たちが
一斉に立ち上がり
敬礼をしたという
話があった。
なんかコピペぽかったけどひどく感動した。
54名無し三等兵:2008/07/10(木) 11:46:35 ID:???
>>53
なに
その
改行
55名無し三等兵:2008/07/10(木) 11:56:22 ID:hLaDPJeB
七五三は古来から縁起がよいとされる奇数並び。
「しめなわ」も、「注連縄」のほかに「七五三縄」とも書く。
「七五三吉」さんは「しめきち」さんで決まり。
56名無し三等兵:2008/07/10(木) 12:32:43 ID:YHNnPiU6
>>53
完全なるコピペです。

その話は、ただの軍ヲタが考えたネタなんです。
57名無し三等兵:2008/07/10(木) 12:36:42 ID:???
近衛兵でした
58名無し三等兵:2008/07/10(木) 16:44:07 ID:???
ええいっ。
御親兵の子孫はおらんのか!
59名無し三等兵:2008/07/10(木) 17:29:54 ID:IRPiEnNQ
もしかして、シベリアから帰ってくるのってものすごいこと?
詳しくは聞いてないし、本人も話してないから、
どんだけすごいことかよくわからないんだけど、
前に知ってるつもりって番組で見たときは、地獄だなこりゃって感想だった。
60名無し三等兵:2008/07/10(木) 18:00:43 ID:???
昔ガ島から帰還されたおじいさんと会った事があった。
ガ島で飢餓地獄をくぐり抜けて来た事を少しだけ話してくれた。
よくぞ生きて戻られた,と感激したよ。

シベリア帰りだって,永久凍土の下に眠られている方々が,それこそ万単位でおられるんだ。
自分が同じ条件に放り込まれた,と思えば,どのくらいの事か,おおよそ見当がつくかと。
61名無し三等兵:2008/07/10(木) 18:59:13 ID:PFUTryyQ
大陸で戦ってた人で衡陽作戦に参加した話を聞いた人いません?
祖父がその作戦に参加した話は聞いたのですが、残念ながら少し聞いた段階で亡くなってしまいました。
載ってる本の題名、小説でも構いません。宜しくお願いします
62名無し三等兵:2008/07/10(木) 19:51:14 ID:???
前スレに書いたフィリピン上陸時に戦死した大伯父(俺にそっくりらしい)のことなんだけど

栗田が謎の反転やらかしたのっていつ頃だっけ?
まさか大伯父もあれのせいで戦死するはめになったんだろうか?
(;・д・)
63名無し三等兵:2008/07/10(木) 20:32:02 ID:???
>>61 衡陽攻略そのものじゃないが支援作戦の話なら、佐々木春隆「華中作戦」に出てくる。
64名無し三等兵:2008/07/10(木) 20:33:48 ID:???
昭和十九年十月二五日は栗田ターンの日。
65島田戦車隊:2008/07/10(木) 20:50:27 ID:???
今でも元気で、大した認知症もない、かみさんの婆ちゃんが茨城県大津港に住んでいる。
婆ちゃんが若い頃はまさに戦時中。しかし銚子より北方面は、日立の工場群を除いて
空襲の危険も少なかったようで、戦争末期でものんびりとした雰囲気だったようだ。

大津港で揚がった海産物(鮑や昆布、塩、干物など)を30kgほど抱えて、数人のお運びさん(女)が、
山を越えて(花園渓谷越え)で茨城県大子町、福島県矢祭町へ。
帰りには大子、矢祭の産物「コンニャクイモ」を抱えて大津港、勿来におりる。
コンニャクイモを加工し強化糊に加工。和紙と張り合わせて、10〜20mの風船に加工。
まさに「ふ号作戦」に女工としても働いていた。風船爆弾ね。
水素注入のとき婆ちゃんの工場で爆発。同級生が6人死んだらしい。
こんにゃくの皮膚への腐食性はすざましく、86歳になった婆ちゃんの「指紋」はまだない。
今では幸せに家族に見守られながら隠居している。
66名無し三等兵:2008/07/10(木) 21:10:42 ID:PFUTryyQ
>63
ありがとうございます。
早速読ませて頂きます。
私はそこそこ本は読む方だとは思っているのですが、ガ島やインパールは読んだ事はあっても、衡陽は地名すら知らず、初めて聞いた時も、ハ?光陽?
その時の祖父の無念そうな顔が忘れられません
本当にありがとうございます
67名無し三等兵:2008/07/10(木) 21:30:23 ID:???
>>65
蒟蒻には蓚酸カルシウムが含まれるんで確かに余り触らない方が良いが、
指紋が消えたのは蒟蒻糊の強化剤として塗布された苛性ソーダの所為でないかな?
68島田戦車隊:2008/07/10(木) 21:39:43 ID:???
仕事が、老人介護で神奈川県横浜市青葉区藤が丘に勤めていました。
厚木の302にいた整備兵(今年お亡くなりになりましたが)とのやり取りを
ニュース速報軍スレにあげてきました。
需要がありましたら、過去スレ書き込みしてもよろしいでしょうか。

軍板に挙げろとか、ブログ作れとか言われましたが、そのそのスキルがないため、
軍板の誰かしらに302の現実をお話したいと思っています。
よろしいでしょうか?今日、軍板初日です。
ちなみに自分、海自で嘱託経験あり。靖国崇に入っています。
69島田戦車隊:2008/07/10(木) 21:41:06 ID:???
私、陸自のオピニオンリーダーとして、
富士火力にも参加させていただいております。
70名無し三等兵:2008/07/10(木) 22:01:30 ID:???
興味あるし書いたら良いんじゃないかな。
71名無し三等兵:2008/07/10(木) 22:43:43 ID:???
>>68
お願いします。
72名無し三等兵:2008/07/10(木) 23:47:33 ID:???
彼女の爺さんが憲兵で大陸にいたそうだ。
元々医者だったけどね。
壕を掘らされて、嫌われてる上官がまっさきにそこに飛び込んだら爆弾がそこに落ちて吹っ飛んだそうだ。

俺の爺さんは海軍だったけど、海軍の旗艦に乗っていてプラモデルの後部艦橋を指さして
ここにいたんだよとだけ。
その後サイレントネイビーらしく「戦争しちゃだめだよ」これだけしか話してくれなかった。
陸軍の空気と海軍の空気はまるで違うのだけは当時を知らない俺にでも十分わかったよ。
73名無し三等兵:2008/07/11(金) 09:14:08 ID:???
うちの会社にいる人(59歳)の話。
その人の親父さんは昨年他界してしまったが、シベリア生還組とのこと。
よく生きて帰れたなー、食うや食わずだったんじゃ?と聞くと、
木工職人だったので木で色々作って食べ物とと交換していたので
食うには困らなかったと言っていたそうだ。
飢えてる仲間にも食べ物をお裾分けしていたと言っていた。
74名無し三等兵:2008/07/11(金) 11:55:53 ID:Uc4si0Sb
シベリア帰りといえば、ソ連に抑留されていた当時に、
手先の器用さを生かして、たくさんのカメラ修理をやった日本人がいた。

時は流れて、近年のロシアカメラブームにより日本で修理に持ち込まれた
ソ連製のクラシックカメラを開けたところ、
カバー裏に自分が抑留時代に記した修理マークがあり、再会に感動したと。

こうしたロシアカメラのエピソードをまとめた本が出ていたが、書籍名失念。
75名無し三等兵:2008/07/11(金) 12:14:54 ID:LED1oADf
戦時中中国の洛陽に日本軍の下士官養成学校のような施設があったらしいのですが、どなたか情報ありませんか?
76名無し三等兵:2008/07/11(金) 12:38:10 ID:???
昔秋葉原で店頭販売していた時計屋のお爺さんに激安で電池交換を頼んだとき、
戦争の話になって、その人は時計屋だったから戦争には行かなかったって。
目が悪かったって事?たまにそんな戦争に行かなかったお爺さんと都内の店で出会って
話を聞くと、戦争に行った人とは対照的にあまり話したがらなかったっけよ。
77名無し三等兵:2008/07/11(金) 13:42:34 ID:???
オレの母方の爺さんも師範学校出て(うろ覚え)先生やってたおかげで
徴兵されなかったんだって
学校の宿題で「お爺ちゃんに戦争の話を聞こう」ってのがあったんだけど、
やっぱりあんまり話してくれなかったよ

酒がないから理科室のアルコールで酒盛りやった話とか、授業しないで
生徒達と防空壕やカボチャ畑作った話とか、生徒と先生合同で麻雀大会
開いた話とか、そんなことは話してくれたけど・・・
出征した知人の話とかは、ついぞ教えてくれなかった

婆さんは爺さんが戦争行かなかったことを、いつも自慢げに話してたけど、
爺さんは後ろめたく思ってたみたいだ

78名無し三等兵:2008/07/11(金) 15:44:37 ID:6nGBzSOc
うちの死んだ爺さんは師範学校卒業後、海軍に入隊してボートの特攻隊?にいたと聞いたなぁ。

戦後は教員として、校長まで勤め上げた立派な人だった。
79名無し三等兵:2008/07/11(金) 15:51:45 ID:???
そこから巨万の富を作り上げた右翼の親ダマが笹川某。
80名無し三等兵:2008/07/11(金) 16:48:31 ID:???
その売り上げを慈善事業に湯水のように使ったが、
ほしがっていたノーベル平和賞は結局取れなかった笹川某
81島田戦車隊:2008/07/11(金) 17:31:38 ID:???
俺の誕生日に16DDHが進水した。そのときのことから書きます。

414 : 名人(東京都):2007/08/24(金) 09:48:28 ID:7upj+i4m0
ええ。もうそりゃあ早速読売新聞もって隣の老人ホームに行きましたよ朝っぱらから。
厚木で整備兵していた爺さんに見せましたよ。感想を聞いたよ。
この爺さんは、終戦直前、本土防衛のため猛訓練をしていた部隊にいて、
「大鳳」や「信濃」に乗せる艦載機搭乗員訓練もリアルに経験していたらしい。
玉音放送を聴いて「反乱」を起こした部隊の生き証人。大西滝次郎の切腹も現場で経験。
玉音放送後、おめおめと生き恥さらすことは出来ないと次々に「彗星」に搭乗して行く将校の傍ら、
引きこもりでガクブルしていた「源田実」を心から軽蔑している。

「こんなフネがまた日本で造れる様になったのは嬉しい事だが・・・・・
美しいフネではないな・・・・神は宿らんよ・・・・

マジ?
82名無し三等兵:2008/07/11(金) 17:32:47 ID:cCcir52k
旧制高校を卒業して弁護士になろうとして大学に行こうとしたが
受験失敗でうろうろしてるところを徴兵されたらしい。
そしてビルマ戦線に送られた。
新兵なので陸軍の内務班?で殴る蹴るの虐待やリンチがすごくていつもトイレで
泣いていたらしい。
商家の坊ちゃん育ちで番頭や女中に身の周りの事はすべてしてもらってたから
軍隊生活に順応できなくてぐずでスリッパでビンタの嵐だったそうだ。
戦場では犬掻きで川を渡ったり病気と飢えがすごくて、みんな栄養失調で
盲腸になり麻酔なしで乱暴に手術したものすごい傷跡がお腹にある。
生還率がものすごく低いので生きて帰ったのが奇跡だそうだ。

83島田戦車隊:2008/07/11(金) 17:36:47 ID:???
485 : 名人(東京都):2007/08/24(金) 17:22:47 ID:7upj+i4m0
まあ、そんなこんなでいつもより興奮して血圧上昇気味の爺さんと話してたんだが・・・
俺:「やっぱ玉音放送聴いて辛かった?」
爺:「辛いとかそんなことより安堵とかそういったものもなく、ただ忙しかった。」
  「司令所に待機(前日から重大放送のお触れがあったそうだ)していた将校が正装し始めて
   彗星や97重爆に燃料入れてエンジンまわしてそりゃあ忙しかった。」
俺:「何で出撃なの?飛行停止指示が出なかったの?」
爺:「でた。けど処罰される事がないのでみんな自分の意思で動いてた」 
  「どこへ向かったかは後から聞いた。」
俺:「ソカー。辛くはなかったんだ・・・・」
爺:「負け戦だとは思っていたのでな。それより堪えた物があった。」
俺:「何?」
爺:「国際法にのっとって終戦連絡機を「一式陸攻」の程度の良いやつ選んできて
   総白色に塗装したとき。」
俺:「何が辛いの?怪我した?」
爺:「一機塗りきるだけの白ペンキがなかった。後部銃座から後ろがそのまま」
  「あの時精神的にキタ」
俺:「・・・・・・・・」
84島田戦車隊:2008/07/11(金) 17:37:31 ID:???
514 : 公務員(神奈川県):2007/08/24(金) 19:28:49 ID:cLou0bU20
俺:「従軍慰安婦について」
爺:「あちらさんからようきたよ。募集にのってな。わしらの月給の10倍以上稼ぎよる」
俺:「強制拉致じゃないんだ?」
爺:「大本営も戦後の風評被害を想定していたから全くなかった。」
  「実際拉致されて肉便器になって、飯が食えるか?基地外になって死ぬわな。」
俺:「なんで騒がれてんの?今になって・・・」
爺:「当時な、政府発行の日本銀行札に高額で換金できる軍隊だけの紙幣があってな、
   たいがいのジョロさんは戦争終了直前に換金したんだが、政府がなくなって
   紙屑になったんじゃ。換金できなかったジョロさんが騒いでおるんよ。
   ジョロさんとヤッたあとにはな、こう、チンポを皮で包んで小便するんじゃ。
   そうして洗わないと、膿が出て尿道が痛くなるんじゃが何の病気な?」
俺:「・・・・・なんだろう・・・・クラミは戦後だし梅は膿じゃないし淋・・・かな?」
爺:「ヤブめ!」
俺:「orz」
85島田戦車隊:2008/07/11(金) 17:46:29 ID:???
厚木の航空隊の整備兵は地域貢献もそつなくこなし、
基本何でも屋だったらしいから、近隣住民の家屋の修理、井戸掘りなんかもしたそうだ。
爺さんに聞いたことで覚えていることは、養豚場の柵を部隊が数キロに渡り作ったそうな。
それが今神奈川県で有名な「高座豚」の養豚場。
終戦後、多くの整備兵が再就職したそうです。
源田実は玉音放送後ガクブルで引きこもる傍ら、勝手に相模川上流の広大な土地を自分名義に書き換え、
おまけに空自の機種選考(利権ずぶずぶ)など、やりたい放題。
おまけにロック岩崎はワシが育てたなんてぬかすから、
爺さんにとって「カーチス・ルメイ」の次に嫌いな人間だそうだ。
86名無し三等兵:2008/07/11(金) 17:49:56 ID:???
そのルメイに勲章贈ろうと動いてたのも源田だしなぁ…
87名無し三等兵:2008/07/11(金) 17:57:12 ID:???
あれ? 淵田はどうしたんだっけ?
88島田戦車隊:2008/07/11(金) 18:13:51 ID:???
16DDHについての感想

420 : 名人(東京都):2007/08/24(金) 10:11:23 ID:7upj+i4m0
爺:「第一、これじゃあ復元せんじゃろ」
俺:「え?」
爺:「傾いても戻らんじゃろということじゃ」
俺:「トップヘビーってこと?」「これから兵装艤装するし・・・」
爺:「喫水は下がらんよ」「バランスが悪い」
  「やる気というか何かこう・・・漂ってくるものがない」
俺:「どゆこと?」
爺:「フネもな・・・生き物なんじゃよ。女としての色気がない。」

観るところが違う。俺なんかどこにVLSつくとか、バルカン付くとかしか考えないが

アーレイバーグ級イージス艦の感想も聞いたが、「いかに旧海軍の艦体構想がものすごいかわかっただろう。」
「まさに高雄級重巡じゃないか。」といわれたときには、感心した。
89島田戦車隊:2008/07/11(金) 18:14:36 ID:???
532 : 公務員(神奈川県):2007/08/24(金) 20:18:50 ID:cLou0bU20
俺:「実際日本軍で、どの飛行機が最強?」「五式戦?」「疾風?」
爺:「飛燕のエンジンを空冷にしたやつな。疾風も早かったが、本土の燃料は
   海軍航空隊が使うような力のある燃料じゃない(オクタン価ってこと?」
   もう力のある燃料がなかったからどっちもどっち。
   狭山に不時着したB-29の翼内燃料疾風に使ったら、馬力出すぎて前に突っ込んだ。」
俺:「何が最強?」
爺:「隼。後期型。馬力1300まで上げた3型。」「壊れない、軽い、すぐ飛べる。」
俺:「B-29落とせたの?」
爺:「無理無理」「あいつらな、富士山を目標にやってくるんじゃ」
  「大島(多分伊豆大島)の電探は基礎が木造だから風が出ると揺れて使えん」
  「それでも感あったら隼、雷電、飛燕の順番で上がる。でも冬場は偏西風が真上にあるから、
   8000m以上上がると風に流されて銚子の真上まで流される。もうそのときは爆撃が終わって
   全速離脱。追いつけないわな。銚子の利根川の延長線上には何がある?
   マリアナ諸島じゃ。人工衛星がなくても(多分GPSのこと)帰れるんじゃよ。」
90名無し三等兵:2008/07/11(金) 19:05:22 ID:???
本が出せそうな爺さんだ
91島田戦車隊:2008/07/11(金) 19:29:47 ID:???
491 : 名人(東京都):2007/08/24(金) 17:32:33 ID:7upj+i4m0
俺:「終戦連絡機を撃墜しようとしてたってホント?やっぱ都市伝説?」
爺:「うわさはあった」「横田・昭和(多分立川の昭和基地)の奴らがやると思ってた。」
俺:「ドコの部隊?」
爺:「自分のいた師団。空襲避難していた雷電部隊」
俺:「厚木に残った飛行機、どうしたの?」(認知があるか試してみた)
爺:「ボケ!前にも話したじゃろ!滑走路の南端に大穴掘って埋めたわ!お前掘ってくるって言ってたじゃろ!」
俺:「orz ボケてねえんだ(心の中で)」
498 : 名人(東京都):2007/08/24(金) 17:56:02 ID:7upj+i4m0
俺:「爺は何も持ってこなかったの?司令旗とか・・・・」
爺:「栄(多分零戦のエンジン)の真空管1個記念に持ってきたが割れてそのままどこかに行った。」
俺:「マッカーサーについて」
爺:「知らん。俺はそのとき鶴見川で鮎釣ってた。」
俺:「mgd?日本で3番目に汚い川だぜ?」
爺:「うなぎもいた。はや(多分ウグイ)なんて湧いてた。フツーに泳げた」
  「さて飯飯。」
俺:「サーセンwwww」
92島田戦車隊:2008/07/11(金) 19:31:24 ID:???
俺:「どんなとき負け戦だと思った?」
爺:「B-29に引っ付いてP公が来たときでも、しゃあねえなあ・・・
   としか、思わなんだ。だけどサンダーボルトが来るようになって
   ああこりゃだめだと思った。」
俺:「P-47?なんで?」
爺:「足(航続距離)が短い艦載機が陸上の動くもの何でも撃っていった。」
  「空母(敵機動部隊)が近い=制海権取られたと感じた」
俺:「動くもん?
爺:「汽車とか。12.7mm6つもついとる。機関車は跳ね返すが客車貨車はぼろぼろ」
俺:「物資なくてカウルを鍋にしたってホント?」
爺:「バカモン!油臭くて出来るわけなかろう!パッキンがゴムでなくなってから
   石綿になった時点で油漏れで難渋した。増槽つこうた。」
俺:「物資なかったんだ・・・・」
爺:「結構あったがモノを大事にした。何でも流用した。工夫した。
   増槽は航空燃料だからナタネ油でこすると落ちる。熱で気化する。
   増槽に鶏2〜5匹ぶち込んで、掃射されて使い物にならなくなった司令部の
   木材がたくさんあったから、焚き火してその中に突っ込んだ。」
俺:「食糧不足について」
爺:「当時ここいらは畑しかなかった。食い物には困らなんだ。」
俺:「よく着物と引き換えに食料と・・・・とか、農民に意地悪されたとか・・・・」
爺:「部落民がようやっとった。愚連隊に変わった三国人もな。普通の農家はタダで分けたよ。」

ちなみに爺は、苗字がここいらの地名になってるほどの大農家。
93島田戦車隊:2008/07/11(金) 19:34:02 ID:???
543 : 公務員(神奈川県):2007/08/24(金) 21:05:13 ID:cLou0bU20
俺:「爺の最大の誇りについて」
爺:「隼な、馬力が貧弱で翼に機銃が積めない。だから操縦席に突き出てる」
  「初弾は手動。7.7mmの豆鉄砲。」「で、馬力上げて1300ps積んだら12.7mmが積めた。でも操縦席。」
  「弾が多く積めないから命中率上げるしかない。当時隼は筒型スコープ。歩兵銃の改良版な」
  「これじゃあ当たらんと思って、ドイツの光学式照準器の設計図を参考に手作りで作って3型に付けた。」
  「早速、東京湾で哨戒中の偵察機落としてくれたのと、コルセアと対等に戦えたこと。」
俺:「mjk?あとは?」
爺:「零戦の20mm用の照準器かな。アレは山なりだから」
俺:「フーン、何でも作るんだ。」
爺:「お前のその聴診器だって、象牙があれば削りだしてやる。」
俺:「リアルじじいの形見wwwww」
爺:「そうやって作るんじゃ。」
94島田戦車隊:2008/07/11(金) 19:34:37 ID:???
104 : 味噌らーめん屋(東京都):2007/09/05(水) 17:36:56 ID:uwhB57QP0
俺:「部隊にいて鮮明に覚えている事について」
爺:「日本近海に敵さんの機動部隊があるときはな、毎日定期的にグラマンが飛んできて基地を掃射していくんじゃ。
だから、整備した機体は滑走路南端の中原街道使って、近辺の山林、谷に隠しておいたんじゃ。
45年の2月くらいからはもう302(爺の部隊)から知覧へ行かすことがなくなって、
  (大本営は本土決戦のときに厚木を首都防空に活用しようとしていたらしい)機体も数そろってきたし、パイロットも練度が上ってきた。
   定期的にやってくるグラマンにも、その部隊の「シフト」があることに気づいた。明らかに錬度の低い新米パイロットを
   戦場(厚木)で訓練させている日が、5日に一度くらいあったんじゃ。」
爺:「着陸に失敗して転覆した一式陸攻があった。使えなくなった機体、破壊された機体なんかは滑走路の端っこに放置されるんじゃ。
   エンジンや機銃は流用しておったからはずされてたんだが、陸攻を起こして外見だけ板金。エンジン付いていないけどカウルつけて、
   ペラもつけた。機銃なんて竹筒を黒ペンキで塗って・・・・なんとか外見は一人前にした。
   周囲に空のドラム缶と松根油や劣化した油、劣化して使えない燃料をちょっとだけいれて、いかにも出撃前の燃料補給中に仕立て上げた。
   司令機のマークも尾翼に書き込んだ。
俺:「ひょっとして、壮大なスケールの釣りですか?」
95島田戦車隊:2008/07/11(金) 19:35:27 ID:???
105 : 味噌らーめん屋(東京都):2007/09/05(水) 17:42:26 ID:uwhB57QP0
爺:「新米が来る予定の日、3機の零戦に教官クラスがニコニコしながら見事に飛び立っていった。
   その30分後、案の定きおったんじゃ。」
俺:「新米逃げてwwwww」
爺:「奴らは、2機、多分上官と新米じゃろうな・・・一掃射二掃射しても陸攻は火を吹かない。
   そりゃあ張りぼてじゃからな。周りのドラム缶が盛大に燃えるだけ。
   そこでやつらは低空低速侵入してきたんじゃ。狙いをつけてな・・・・・
   いくらグラマンでも、低空で低速のところを、百戦錬磨の教官クラスの乗ったゼロ戦に被られては、かなわなんだ。
   上から被って2機とも20mm一撃じゃよ。部隊は沸いた。
   その日は部隊で飼っているとっておきの豚を〆てお祝いじゃった。
   その夜からB-29の空襲が3日3晩続いて、防空壕でちびっとったがな。」
俺:「豚なんか飼ってたの?」
爺:「整備はな、電気屋水道屋ドカタ全部できんとイカン。
   民間の養豚場の柵を作ってやったお礼でな、何匹か飼っとった。
   ほれ、ここのところ有名な「高座豚」じゃよ」
96島田戦車隊:2008/07/11(金) 19:36:01 ID:???
117 : 副社長(神奈川県):2007/09/05(水) 19:34:15 ID:P92naFrm0
俺:「質問。増槽の仕組みについて」「どうやってガソリン入れ替えるの?」
爺:「操縦席にな、自転車の空気入れを改良したポンプを手動で動かす。こう、しゅこしゅことな」
  「後は、灯油のポンプの仕組み(多分しょうゆちゅるちゅるだと思う)」
  「グラマンはな、モーターなんじゃ。」「追浜にいたときにはよく拾いに行ったもんじゃ」
俺:「追浜?横須賀の?」
爺:「今の日産の工場の所。山肌は花崗岩。山くり貫いて工廠作った。」
俺:「mjk!」
爺:「そこでしばらく、キ試作「秋水」の設計計画に少しだけ携わった。」
  「グラマンは本土に来ると増槽落としていくからガソリンのいいやつが少しだけ手に入る。」
俺:「そこまでとはwwwwww」「うそはダメだぞ?」
爺:「それが目上の者にry)」
97島田戦車隊:2008/07/11(金) 19:37:04 ID:???
122 : 副社長(神奈川県):2007/09/05(水) 20:22:04 ID:P92naFrm0
俺:「秋水wwwwちょwwwww」
爺:「予科練上がって、火薬式射出器(多分水上機のカタパルト)の研究を命じられた。」
  「火薬式は出力は充分なんじゃが、機体に無理がかかる。」
  「加速度と、機体強度の研究実績があったから呼ばれた。44年後半の話な」
俺:「それ本気で言ってんの?」「確か潜水艦がフィリピンで沈められて、設計図だけで造ったって・・・・」
爺:「空気の壁の話はしたんじゃったけな」「翼端前下捻れを捨てたんじゃ」
俺:「捻れ?」
爺:「低速で機首上げすると翼端失速する。翼端を前に捻り込むと失速しない。その代わり抵抗が上がるんじゃ。」
  「32型や飛燕は突っ込み速度上げるため捻らんかった。」「女工さんが飛行機作るようになってからは、
   翼端加工は手作業。だから各機癖がある。」
俺:「秋水の翼作ってたって事でおk?」
爺:「ロケットの班は大変じゃったようじゃ。過酸化水素な。おまえさんらがよく使うオキシフルじゃ。」
俺:「ロケットの燃料に?」
爺:「過酸化水素とメチルアルコールとヒドラジンな。手探りで推力、探っとった。」
俺:「ふーん、何でもやったんだね。」
98島田戦車隊:2008/07/11(金) 20:34:41 ID:???
連投すみません。
今はもうお亡くなりになりましたが、まだまだ爺さんとの会話があります。
載せてもいいでしょうか?

非常に無口で堅固な方でしたが、秋月と雪風のWLを作ってあげたら、
それをTVの上に飾ってくれて、打ち解けました。
何でも、弟さまが、雪風に乗って大陸から帰還したようなのです。
99名無し三等兵:2008/07/11(金) 20:43:15 ID:???
もっとくれ。いや、ください。
100名無し三等兵:2008/07/11(金) 21:02:06 ID:???
読めば読むほどこの爺様は凄い体験をしてると同時に当時としてはなかなかの逸材だったのがよく分かるなぁ。
島田戦車長、貴重な話ありがとう。ってかレスご苦労様。
101島田戦車隊:2008/07/11(金) 21:29:44 ID:???
俺:「やっぱ特攻隊ってヒロポンつこうた?」
爺:「つこうたつこうた!ここ一番の注射な」「部隊では普通につこうた」「俺もつこうた」
俺:「クサ(大麻)は?」
爺:「南方からようけ入ったもんじゃ」
俺:「葉山でチハがでますた」
爺:「御用邸の近衛が捨てたんじゃろ」「猿島にはまだようけ埋っとるはず。」
最初はものすごくとっつきにくいジジイ。無口でつっけんどんだから
施設の中でも孤独にしていたが、孤独を楽しめる人。
でもWL「秋月」作ったのと靖国神社崇敬奉賛会の会員証と
硫黄島の慰霊祭の写真見せたら仲良くなって打ち解けた。
俺が行くといつも血圧高くするから困ってる。
102島田戦車隊:2008/07/11(金) 21:34:06 ID:???
151 : 副社長(神奈川県):2007/09/05(水) 22:17:01 ID:P92naFrm0
灯台下暗し。俺の母親もリアル被災者だた。
俺:「母ちゃん、戦時中について」
母:「あんた、どうかした?」
俺:「マジ。俺の就遊館関連。」
母:「横田基地の北にある「箱根ヶ崎」という町に住んでいた。」
  「横田基地から発進していく飛行機が、全く帰ってくることはなかったこと。」
  「私は昭和11年生まれだから、戦時中の空襲は母親の背中でしか薄ら覚えでしかない。」
  「その代わり、朝鮮戦争のことはよく覚えている。」
俺:「ギブミーチョコレートしたんか!!!!!!!111111!!!」
母:「した。した。」「ハーシーズギブミーした」
俺:「非国民め!!!!!」
母:「午前3時くらいにね、B-29 らが発進して爆撃に行くのよ。でもそのうちの何機かは、
   明らかに音がおかしいのよ。あんたのおじいさんは横田基地で歯医者やってたのは知ってるでしょ。
   おじいちゃんがね、「音がおかしい、みんな起きろ、防空壕へ行く」いうわけよ。」
  「防空壕に行くと間もなく爆発音。墜落。それもほぼ毎日」「朝鮮のスパイが工作してるんだって聞いた」
俺:「工作得意だし」
母:「箱根ヶ崎の森に墜落する。高度がないから落下傘もナシ。死体を見つけるとご褒美がもらえる。」
  「当時B-29はね、ガラスではなく、樹脂を使っていたから、飛散した樹脂を集めて宝物にした。」
俺:「非国民wwwww」
母:「それをこするとね、いいにおいがするのよ。匂いガラスといって、大事にしたものだわ。」
  「アメリカの兵隊さんが墜落してたくさん死んだけど、私たちは樹脂を集めてクラスで自慢したものだわ。」
103名無し三等兵:2008/07/11(金) 21:38:40 ID:???
匂いガラスか…
松本御大の「アクリルの柩」思い出したわ。
まぁ有機ガラスは日本でもキャノピーに使ってたけど。
104島田戦車隊:2008/07/11(金) 21:58:21 ID:???
仕事帰りました。続けます。
709 : ご意見番(東京都):2007/08/31(金) 12:19:17 ID:yiSJ/YJ00
先週は飯が来たんで追い払われた・・・・・
俺:「マッカーサーについて。」
爺:「知らん。武装解除でたから、鶴見川で鮎釣ってた」
俺:「mjd?」

昨日・・・・・
俺:「ジジイ、先週の続き教えれ!」
爺:「おまいさんも暇なんじゃな!仕事せい!!!」
俺:「いいから。それから何してたの?農家?」
爺:「朝鮮戦争が始まって整備部人員不足で嘱託依頼された。厚木と横田で働いた。」
  「アメリカの整備は俺たちからするとずさんで、すぐ新品に取り替えたがる。」
  「俺たちは重宝されたよ。工夫して何とかやりくりするから。」
俺:「何の整備?B-29?」
爺:「苦い思いがあるから近寄らなかった。セイバーって知っとるか?」
俺:「F-86でそ?航空自衛隊にも正式に採用されたよね?」
爺:「P公の液冷にも驚かされたが、セイバーの初期型・・・・いい飛行機じゃった。」
俺:「どこが?」
爺:「全体の形と言うか造形美。色気があるとおもった戦後最初の機体。」
俺:「色気ワロタ」
105島田戦車隊:2008/07/11(金) 21:59:32 ID:???
718 : ご意見番(東京都):2007/08/31(金) 12:54:37 ID:yiSJ/YJ00
俺:「いつまで働いたの?」
爺:「昭和25年から5年間くらい。働いちょらん時期もあった。警察予備隊に入った。空自の前身な。」
俺:「ふーん。カーチス=ルメイに指揮されたんだ・・・・・」
爺:(顔真っ赤にして・・・)「鬼畜じゃ。」
俺:「それから?」
爺:「 「輸送機設計研究協会」(通称「輸研」)の堀越さんのところに、入ってYS-11の計画に乗った。」
俺:「空自には、入らなかったんだ?」
爺:「源田がはばを聞かせてやりたい放題じゃったからな。。」
  「勝手に厚木の愛名地区に広大な敷地を所有(占拠)した。」
  「アメ公引き連れて厚木に降りてペンシル戦闘機(多分F-104)我が物顔で勝手に採用したりしておった。」
俺:「大西さんは英霊と特攻隊に申し訳ないって言って切腹したのにね。」
爺:「やっこさんは雲隠れ組じゃった。」「そんな奴がいるところで働きたくなかった。」
  「その後、輸研から東亜国内航空(今のJAS)で働いた。」
俺:「たしか平成に入って死んじゃったと思った。」
爺:「知っちょる。」「ワシのほうが長生きじゃな」
俺:「いい事。ネットに書き込んでもいい?」
爺:「いやじゃ!」
俺:(もう遅いわい!)

106島田戦車隊:2008/07/11(金) 22:00:26 ID:???
724 : ご意見番(東京都):2007/08/31(金) 13:04:07 ID:yiSJ/YJ00
俺:「今度セイバー作ってくる?秋月をTVの上に置いといてくれてるから嬉しい」
爺:「いらね。」「わしらの得意分野だった「沈下鋲」使われてたのをみた時、やられた!と思った」
俺:「爺さん、たまに関西弁入るよね?生まれは関西?」
爺:「奈良。」「八尾の航空隊予科練に入った」「入り婿でこっちに来た」
俺:「マスオさん状態?」
爺:「?????」
俺:「正直スマンかった」
107島田戦車隊:2008/07/11(金) 22:01:34 ID:???
738 : ご意見番(東京都):2007/08/31(金) 13:17:45 ID:yiSJ/YJ00
最後に先週の富士火力演習で撮ったDVDを見せた。
最初にF-2が飛んできて、スナップアップするんだけど・・・・・
爺:「・・・・・・・」
俺:「これ、最新鋭対地対艦戦闘機」
爺:「・・・・・・・」
俺:「どうしたの」
爺:「こりゃいかん。翼が弱すぎじゃわい!」
俺:「剛性足りないってこと?材質も進化してるし・・・・」
爺:「そういう問題じゃない。ダイブして引き上げ挙動で分解する。」
俺:「まさかあ」
爺:「華奢すぎる。」「イーグルってやつは安心して観ていられる。」
俺:「そんなもんなの?」
爺:「いつか分解事故起こすと思う。まあ爺のたわごとだがな・・・・・」

なんとなく怖かった。顔つきがもう現役で、今でもレンチもって行きそうなくらい
迫力のあるジジイ、血圧166/86 職人肌でわかるのかな。おしまい。
スレ汚しスマン。
108島田戦車隊:2008/07/11(金) 22:11:04 ID:???
俺:「終戦をむかえて、爺は何を思うとった?」
爺:「302ではな、各自が自分の意思で動いていた。
大西さんみたいに英霊とそのご遺族への謝罪の文と遺書を関係施設や個人に自書で書き終わった後、
割腹自殺するものもいれば、死んでいった部下に申し訳が立たないといって高官が正装して
「彗星」「零戦」「彩雲」「97軽爆」や訓練機まで乗り込んで
(本人は操縦できないから同じ志を持つ航空員の後部座席に乗る)戦地へ向かうもの。本土決戦を最後まで唱えるものと、
それを説得する外部隊長、玉音放送を聴いて泣き崩れて引きこもるもの。
トラックに金目のものになりそうな物資を積んで逃げ出すもの
(源田はこれをやって、相模川上流の広大な土地に居座り、事実上占有してしまった)、
高座養豚場に就職する整備科、俺みたいに畑に戻るもの、みなそれぞれの意思で動いていた。
俺は、ちょうど梨の種付けが実家で忙しかったのと、男衆が減った地区の修繕なんかをやっていた。」
俺:「小園さんは何してたの?」
爺:「徹底抗戦を叫んで陸さんを説得して周ってた。
騒ぎを聞きつけた米内さんや寺岡中将なぞに説得されても聞かなんで、
暴れまくったおかげで40度の熱を出した。
ふらふらになったところを軍医さんが鎮静剤を打って縛り上げられ、
久里浜の精神病院にぶち込まれてた。マッカーサーが来るまでの2週間は激動じゃった。
109島田戦車隊:2008/07/11(金) 22:15:14 ID:???
俺:「そのほかのおもろい事」
爺:「整備はな、前にも言ったかもしれんが、水道電気ドカタ全部出来んとイカン。
だから部隊が忙しくないときなんぞはよく周辺の家の修繕や工場の修理、橋の修復や道路工事などもやっとった。
じゃから地元衆にはようおもわれとってな。喰うものだけには困らなんだ。
戦争が終わってもそりゃぁ「手に職」があるもんだから重宝されたわい。自分の工場を作ったやつもいたな。
爺:「横須賀航空隊のな、ほれ、あの坂井さんがよ・・・
戦争も終わってひと段落して、俺たちも帰ろうかなんていっているそばから基地にやってきたんだ。
あの人は、ほれ片目がないじゃろ?でも空が大好きなんじゃ。空で富士山を見るのが好きだそうな。
横須賀からしょっちゅう飛んできて、わしらともようどぶろく飲んだ。どうしたんじゃろうと思っておると、
なんと一戦やってきたと言うんじゃ。戦争が終わってもふらふら飛んでおったらしいのじゃな。
そこに見たこともない爆撃機が横須賀の沖合いにいたもんだから近づいていったら一撃浴びたらしい。
頭に血が上ったやっこさんは、反撃した。しかし相手が速すぎて一掃射しかできなんだと笑っておった。
坂井さんの機体は零戦の新型で、52型よりすごいらしく(多分54型もしくは62型?)わしらも驚いた。
5式戦より大きいんじゃ。うわさの「キ87もしくはキ94戦」(後で調べたら多分烈風のことか?)かと思ったが、
やっこさんは「零戦だよ」と笑っておった。全くひょうきんな人だった。どうやら接収される前に遊んでいたらしい。
俺:「確か飛行禁止令が出てたはず。」
爺:「誰が処罰するんじゃ?」
俺:「そか・・・・・・」
爺:「本当の死線をくぐってきた人にはな、わしらにはわからん雰囲気があるんじゃ。」
俺:「つい最近お亡くなりに・・・・・・」
爺:「葬儀には行ってきた。」
俺:「長生きの秘訣」
爺:「歯。まだ自分の歯10本ある。何でも食べる事。肉が旨いと感じなくなったらイカン」
俺:「女は?」
爺:「わしゃあ連れが81のとき死んでから老けた。女なんぞどれも一緒じゃ。」

110名無し三等兵:2008/07/11(金) 22:18:27 ID:???
爺様奈良出身かよ。
同郷だと何か嬉しいものだな。
111名無し三等兵:2008/07/11(金) 22:29:55 ID:gCj/hx+1
ふむ、米軍てのは素人でもエンジン不調と判るB29を出撃させるのか
112島田戦車隊:2008/07/11(金) 22:37:42 ID:???
爺:「そりゃなんぞ?」
俺:「グーグルアース。人工衛星画像。爺さんの家の上観てみる?」
爺:「ほう・ほう」「ここいらが畑じゃな。」
俺:「ここの老人ホーム」・・・・・・「厚木基地観てみる?」
爺:「ほっ・ほっ・ほっ・ほっ・すごいもんじゃのう。」「基地がずいぶん大きくなったもんじゃな」
「だけど基地の周りは変わっとらんわい」「中原道なんぞはここ(基地の中)を通っておった。」
「(基地南の左側を観て)ほれ、ここが鎮守の森じゃわい。周りはぜんぜん変わっておらんの。ここの森に、機体や弾薬など隠した。
神様がおるでな、弾は当たらんかった。接収されるのが嫌だったからここいら辺かな埋めたの」
(俺、記し付ける)
俺:「行ってくる」
爺:「気をつけなされ・・・・・・でも行かんほうがいいかもしれん」
俺:「なんで?」
爺:「アメさんのことだからもう大丈夫だとは思うが・・・・・・」
「もし掘り起こされて研究されるような事でもあったらすべてを吹っ飛ばすつもりでな・・・・
だれからともなく80番も一緒に埋めた。」
俺:「80番?25番だったら250kgの普通の奴でしょ?爆弾は500kgが最大だったんじゃあ?
爺:「戦艦のな、弾薬砲弾がぎょうさん余っとってな・・・・・水平爆撃でも80番だったら一撃じゃわい。
本土決戦用に大量に保管しておった。」
(後で調べたら、長門の徹硬弾を流用した800kg航空爆弾で、彗星や銀河に1発搭載か)
俺:「イカネ。よしとく。」「でも光学式標準器ホスイ」
爺:「半径500が吹っ飛ぶぞ。」
俺:「じゃあ次は八尾の飛行場ね。」
爺:「ぜひ観てみたい。苦労したところじゃ。」
  「orz」
俺:「どうかした?」
爺:「全く変わっておらん。そのまんまじゃ。」「暑いときには大和川に飛び込んだりした。」
俺:「川で泳ぐの好きだねwwww。大和川も日本で1番汚いかwry」
爺:「当時はきれいじゃた


113島田戦車隊:2008/07/11(金) 22:47:00 ID:???
俺:「ずっと厚木にいたの?」
爺:「整備だけでなく設計や改良も手広くやっていたから、追浜によく呼ばれた。」
俺:「追浜?横須賀じゃあなくて?何しに?」
爺:「そうか、おまいさんは知らんのか・・・・」
  「追浜にも基地があったんじゃ・・・・・・そう、今の日産の工場のところじゃ。」
  「あそこらへんの山はな・・・花崗岩でな・・・掘りやすいんじゃ。」
俺:「掘る?山を?」
爺:制空権を完全に取られてしまって、定期的にグラマンがやってくるから、
山の中くりぬいて工廠を造ったんじゃ。」
俺:「mjd?」「何してたのそこで・・・」
爺:「試作機「秋水」じゃ。」「実機は潜水艦に載っていたんだがフィリピンで沈んだ。」
  「設計図と資料しかなかった。そこから試行錯誤で作り上げたんじゃ。
わしらは翼の構造をよく知っとったから試作機の翼設計に参加した。」
わしらは山の中の工廠で風洞実験やったり、別のトンネルではロケット推進の燃料混合比なんかを苦労してやっとった。」
俺:「公開されてる?そこ。俺初めて知った。」
爺:「戦後は米軍の弾薬庫になっとった。」
爺:「なあおまえさん、翼の端っこを・・こうな・・・前下方に捻りこんである事知ってるか?

114島田戦車隊:2008/07/11(金) 22:47:53 ID:???
俺:「捻じる?どして?」
爺:「翼端失速といってな・・・機体が低速で機首上げすると失速しやすいんじゃ。
  「翼の端っこを前下に捻るとな、機首を上げたときでもそこだけ水平になるから揚力が保てるんじゃ。
(しかし、水平飛行中は抵抗増になる。まして垂直降下では空中分解の危険もある。)そこで低速機動性を犠牲にして降下速度を上げたのが32型な。
俺:「端っこぶった切ったやつね。飛燕もそうだよね。」
爺:「零戦も工場から新品が来てもそのままではいかん。板金技術で一機一機手作業で翼端を加工したものよ。だから各機くせがある。」
爺:「秋水も低速機動を犠牲にして、捻りこみをやめたんじゃ。空気の壁を克服するために
後退翼も採用した。翼の前面の乱流が抵抗になって分解するから、後方へ受け流す仕組みにしたんじゃ。
しかし、強度のある鋼材がもうなかったから、上から3000機作れなんて訳わからんこといわれてたから強度が必要でないところには木材を多用した。
俺:「スピッツ時代に逆戻りですか?wwwwwwww帆布張りですか?」
爺:「竹もよく使ったぞ。直線配管なんて竹筒よ。もう、やけくそよのう。」
爺:「燃料なんかも消毒でおまいらがよく使うオキシフル(過酸化水素)とメタノールと
  オクタン価上げる可燃材のヒドラジンじゃ。」
115島田戦車隊:2008/07/11(金) 23:01:19 ID:???
この爺ちゃんは、間質性肺炎で、あっという間に靖国にいかれました。
人工呼吸器にも載せたのに、死に際まであっという間に逝かれてしまいました。

今は、霞ヶ浦の飛行隊「銀河」の上に37mm載せた奴で迎撃に挙がって、
片腕吹っ飛ばされた86歳の認知のある爺さんに情報収集しています。
116名無し三等兵:2008/07/11(金) 23:10:39 ID:???
爺さんの話オモロイ
117名無し三等兵:2008/07/11(金) 23:44:40 ID:???
>>111 戦時中でもB29は稼働率50%切ってる。戦後の兵の素質低下を考えればありそうな話だと思うな。
118名無し三等兵:2008/07/12(土) 00:00:37 ID:???
メモ帳にコピペした。
119名無し三等兵:2008/07/12(土) 01:01:06 ID:???
とりあえず零戦掘り起こしてくるわ。
120名無し三等兵:2008/07/12(土) 01:13:31 ID:??? BE:309099762-2BP(219)
ゴンタのオッサン大活躍中ワロタww
121名無し三等兵:2008/07/12(土) 04:58:20 ID:???
資料としても、単純な話としてもおもしろいよな。
戦闘機についての知識がほとんどない俺でも楽しめる。
122島田戦車隊:2008/07/12(土) 12:12:09 ID:???
母親の親父。俺の爺さんは結構長生きで、俺が27歳の時まで生きてた。
歯医者さんだったんで横田基地に出入りしていた。
戦争体験はなかったらしいが、朝鮮戦争のときの横田基地のことなんか教えてくれた。
「アカ」とか「パンパン」「ちょんの間」なんて言葉、よく聞いた。
意味はわからなかったが、いけないことなんだってことはわかった。
横田基地は結構な数の日本人が働いていた。その中に「アカ」とか
「在日」とか、「隠れ思想家」(太平洋戦争のとき空襲で親兄弟子供たちを焼かれた
積年の恨みを静かにしかもフツフツとたぎらせている)人なんかも多かったらしい。
そういう人たちが、整備の終わった半島空襲用B−29に細工するらしいんだ。
そのころ爺さんや母ちゃんは横田基地の北にある「箱根ヶ崎」という町に住んでいて、
夜中の3時くらいに出撃するB−29が家の真上を飛んでいくらしい。
20機くらい飛んでいくようだが、明らかに「音」の同調が違う機が1機2機あるんだ。
狭山のほうに旋回して戻れる機体もあったようだが、森の中に墜落し、
夜の森が真っ赤になって燃え上がっているのを防空壕の上から眺めていたようだ。
123島田戦車隊:2008/07/12(土) 12:22:15 ID:???
爺ちゃん、ここら辺は空襲なかったの?
「厚木の航空隊が守ってくれた。」
「狭山の高射砲群が優秀だったからうかつに近寄ってこなかった」
(後で調べてみたら、大和や大淀の15cm砲の試作型1門が10000m以上狙えたらしい)

宮崎死刑囚の親父さんと知り合いで(地元の豪氏らしい)宮崎勤も患者だった。

124島田戦車隊:2008/07/12(土) 12:24:23 ID:???
>>120
見つかったwwwww
125名無し三等兵:2008/07/12(土) 12:46:23 ID:???
>>123
新潮文庫から出てる宮崎勤事件の本から宮崎父のことがわかるかもね
126島田戦車隊:2008/07/12(土) 22:13:20 ID:???
俺:「86歳にしては矍鑠としておられますね。」
爺:「まあ、このとおり左腕がないおかげで難渋しましたがな・・・・」
俺:「お怪我でもされたのですか?」
爺:「いや、もう昔の話ですが・・・・戦争の時、機銃掃射で吹っ飛ばされましたわ。」
俺:(生き残り発見!!!111!!!)「戦地にいかれてたのですか?」
爺:「いやあ、内地勤務でしたわ。」
俺:「陸さんですか?どちらの部隊に・・・・」
爺:「霞ヶ浦と朝霞の航空隊でした。」
俺:「飛行機に乗っておられたんですか?」
爺:「ええ、飛龍に乗っておりましたわ」
俺:(ああ、ぼけてる。飛龍は空母だろJK)「友永隊長のところですか?」
爺:「おまいさんよう知っとるな」「わしは陸軍だった。飛龍にのっとった。」
  「機銃員だったが、上から被られて腕持っていかれた」
  「おかげで戦傷者身障者手帳があるからここにこれた」
俺:「飛龍は海軍の空母ですよね?」
爺:「最高の飛行機じゃ!!!!1111!」
俺:「わかりました。」「帰ります。またきます」(認知があるなと思って帰りました)
127島田戦車隊:2008/07/12(土) 22:22:00 ID:???
俺:(風呂入りながら)・飛龍は飛ばねえだろ・・・・
俺:PCで(霞ヶ浦、朝霞・・・・と。)ふうん。銀河の部隊ね・・・・・
  え?派生型?誉?重爆?一式陸攻の時期新鋭機?四式重爆?
        「飛龍」?
土曜日なのに飛んで行きましたよ。新川崎まで。
俺:「爺さん、飛龍?四式重爆?飛龍?」
爺:「後部機銃員でした」
俺:「正直スマンかった。」
128名無し三等兵:2008/07/12(土) 23:52:02 ID:???
厚木にいたというお爺さん、海軍の整備員だったのかな?
やたらと陸軍にも詳しいね。
129名無し三等兵:2008/07/13(日) 00:50:18 ID:???
前述の八尾の基地の目の前に住んでるんだけど、最近徐々に生き残ってた戦中の遺構が取り壊されてきてる。
航空廠の通用門も道路拡張工事でいつの間にかなくなったし、格納庫の基礎がある場所も再開発の噂がある。
まだ掩体壕は残ってるらしいけど。
130名無し三等兵:2008/07/13(日) 03:12:19 ID:???
爺ちゃん満州で喫茶店やってた、
中国人の娘を雇って使ってたけど、ソビエト軍が来るから引き揚げるっていう日の前日に
陸軍の軍曹が2〜3人の部下を連れてきて、その娘をレイプしにきたって。
じいちゃん銃剣突き付けられててなにもできなかったって。
銀歯を光らせてにやにや笑いながら娘を犯していた兵隊たちの顔は一生忘れないって涙を流して話してくれた。
131名無し三等兵:2008/07/13(日) 04:00:57 ID:???
皇軍のチンポだけは健在
132名無し三等兵:2008/07/13(日) 04:06:34 ID:???
下士官とか上等兵クラスが一番たち悪いのかなあ。
133名無し三等兵:2008/07/13(日) 05:48:12 ID:???
>>132
人によって全然違うのは当然として、いわゆる古年兵が「メンコの数(食器の数から転じて兵隊になってからの年数)」を笠に着て、
傍若無人に振る舞うことが「できた」というのは事実みたいですね。
134名無し三等兵:2008/07/13(日) 07:35:31 ID:6g/xV4pG
>>133
母方の爺ちゃんがそうだったらしい。
戦時中は宮城勤務。後ろからの一発に遭わなかったと思う。
だけど戦後は自腹を切って頻繁に部下を飲みに連れて行き面倒見が良かった。
135名無し三等兵:2008/07/13(日) 22:20:06 ID:uB4ZS6sq
>>134の補足。
戦時中は「東北」の宮城に位置する駐屯地に勤務。
母ちゃんに「経理担当か?」と聞くと「そんな頭無い」と言い
「憲兵か?」と聞くと「そんな能力が無い」と答えが返ってきた。
本土決戦に備えた塹壕掘削の担当だったのだろうか。
担当役所に聞けば所属部隊が分かるんだろうけど。
戦後は材木店や自動車整備を始めたけど業績が思うように
行かなかったらしい。
136名無し三等兵:2008/07/13(日) 23:21:21 ID:???
近衛兵だと思った
137名無し三等兵:2008/07/14(月) 00:14:49 ID:???
俺もだ、「後ろからの〜」を勝手に宮城事件だと解釈してた…
138名無し三等兵:2008/07/14(月) 01:16:04 ID:???
>>134
「傍若無人」を受けて「そう」といってるみたいに見えるけど、上官など屁とも思わないという意味かな?
でも、部下の面倒見がいい人ならそんな無茶はしないんじゃない? それなら「後ろ=部下」から撃たれるはずはないし。
139名無し三等兵:2008/07/14(月) 01:44:35 ID:???
前スレに書き込んだことがありますが、零観乗りだった祖父が亡くなりました。

丙種予科練・飛行訓練生出身で、2座水偵を専修していたようです。
航空隊に配属、水上機母艦に乗り込んだ当初は、95水偵に搭乗し、
後に零観に乗り換えたようです。

遺品整理のをしていたところ、従軍当時のメモやノート
写真などを大量に見つけ、狂喜乱舞しています。

中でも圧巻だったのは、「操縦員手帳」と書かれた黒表紙の分厚いノート。
手書きでビッシリと書き込まれた戦闘飛行整備マニュアルといった感じでした。
しかし、字が達筆すぎで読みづらい、おまけに送り仮名はカタカナだし。

ノートの後ろに、祖父と同期の訓練生と、乗り込んだ水上機母艦の搭乗員の
手書きの名簿があり、その過半数くらい名前の横に「戦死」「殉職」と書き加えられていた。
140名無し三等兵:2008/07/14(月) 02:31:41 ID:???
おま…爺さん死んで狂喜乱舞って…
軍オタの孫を持つと大変なんだな。
141名無し三等兵:2008/07/14(月) 02:35:11 ID:???
>>140
ま、孫ならいいんじゃない。
142名無し三等兵:2008/07/14(月) 08:35:38 ID:CqVjlgJ1
戦前の軍隊ではビーフステーキやトンカツなどの肉料理は食べられてたのでしょうか?
143名無し三等兵:2008/07/14(月) 08:53:00 ID:???
>>142
平時なら戦域・階級・時期によるが、野戦食に肉類は含まれたことがない。
ていうか、何が聞きたいんだ?
144名無し三等兵:2008/07/14(月) 09:33:49 ID:CqVjlgJ1
>>143
肉って美味しいでしょ?だから昔から食ってたのかなって思って
145名無し三等兵:2008/07/14(月) 09:54:17 ID:???
人肉は(ry
146名無し三等兵:2008/07/14(月) 11:30:35 ID:???
>>144
昭和東北大飢饉(1930〜1934年)なんてのがあったぐらいで
肉どころかコメすら食えない地域・階層は多かった
陸軍に入れば白米が食えるってだけで、貧農出身の兵隊さん達は
喜んでいたそうな(海軍は玄米)

基本、質よ量が喜ばれた時代
あと軍隊のメシってのは長時間の保存・輸送をするから、生肉みたいに
腐るものはNG。当時は欧米諸国でも缶詰が精一杯。
147uaa:2008/07/14(月) 14:30:49 ID:6+X0aXXK
>>139
こういうとき、ご愁傷様と言うべきかおめでとうと言うべきなのか・・・・

>>142
トンカツはレシピ集ににあったし、実際出されたようだ。

>>143
日清戦争から愛用され続けた牛肉の大和煮缶や今では高級食材になっている鯨のベーコン。
肉は加工すれば魚より日持ちするし、カロリーも高いから戦地でも多く食べられた(補給があればの話だが)。
大和煮や鯨のベーコンを米と一緒に飯盒に入れてれば炊き込みご飯になるから、戦地でも重宝されたようだ。

>>146
軍隊に入って初めて肉食ったって話はよく聞くよね。
148名無し三等兵:2008/07/14(月) 15:57:17 ID:???
フィリピンあたりで戦友の肉を食うことになるとは思わなかっただろうな。
149名無し三等兵:2008/07/14(月) 20:09:16 ID:???
>>142
「軍隊調理法(昭和12年改訂版)」には
『焼き肉』や『カツレツ』が載っており、実際に兵営で出されていた。
前者は、牛肉・鯨肉などのステーキ、後者は豚肉・牛肉・鮫などのカツらしい。
150名無し三等兵:2008/07/14(月) 22:36:19 ID:3fh9wTK5
もうずいぶん前に死んだじっちゃん、戦争の話なんて一切しなかった
でも子供のころよくじっちゃんとコンバット見てたなじっちゃん
コンバットは好きで見てた。風呂でよく軍歌歌ってた。
今思うとじっちゃんに孫らしいこと一切しなかったな。
そう思うと戦争経験されてるお年寄りみんなで大事にしなきゃ。
151名無し三等兵:2008/07/14(月) 23:53:52 ID:UCQ5EfwH
>>148

オ マ エ ?

馬鹿にしてんのか?

ウチの祖父はな?レイテで酷い目になったらしく絶対に戦場体験を話さなかったが…

その事と目の前で戦友が亡くなった事だけは、自分が亡くなるまで苦しんでたんだぞ?

152名無し三等兵:2008/07/15(火) 00:37:17 ID:lZb7ztLJ
>>150
普通のご老人にもね
153名無し三等兵:2008/07/15(火) 02:24:41 ID:Hy81nfWz
昨年亡くなった作家の城山三郎は晩年、茅ヶ崎に娘と住んでいたが、
夏に海岸でサザンオールスターズのコンサートが開かれる時期には箱根へ非難していた。

サーチライトが昔の空襲を思い出させて、辛くてたまらんかったと。
そこは戦時中に伏竜特攻兵として配備されていた場所でもあったのだ。
154名無し三等兵:2008/07/15(火) 06:19:13 ID:Ix938tTS
満州に出兵してたおいらのひいおじいちゃん。
初めての夜、表に立ってる夜勤が盛んに目をこすってる。
「眠いんだな」と思った。
自分が夜勤に立つ晩になった。
まつ毛が凍る。こすっても直ぐ凍る。
眠くて目をこすってたんじゃないと初めて分かった。
移動は凍った河の上。
障害物がなくてまっ平らだから距離が稼げる。
河を渡り終わったら、ダイナマイトで凍った河を爆破。
河の底のくぼみの凍った魚をゲット。
155島田戦車隊:2008/07/15(火) 14:26:01 ID:???
四式重爆「飛龍」の後部機銃員の生き残りのところに行ってきました。
体調を崩されており、1週間に2日から3日面倒見ています。
85歳という高齢の為、会話が聞き取りにくいのですが、
認知症の程度も年相応で、前の爺さんより滑舌は良くないので、
会話の要約を書き込みます。
記憶力抜群で、当時の写真等リアルに枕元に置いている様な状態なので、
質問等あれば聞いてみます。
「宇 一 紘 八」の色紙と「君が世」が書き込まれてある日本国国旗を
壁に飾ってあります。
俺:「飛龍の後部機銃員とお聞きしましたが・・・・」
爺:「学徒動員の召集令状が来て、呑龍の整備に廻されました。」
  「通信関係の技術に興味があったのでそのうち通信兵偵察兵として機乗する予定でした。」
  「銀河は誉の初期型を積んでいたので稼動効率が悪く、呑龍が本土防空にあたる予定でした。」
  「元々、これらの飛行機は艦爆艦攻様に設計されたのですが運用に難がありました。」
  「1000機以上の銀河が造られたようですが、程度のいいものは特攻に廻されました。」
  「設計思想が当時最新鋭だった四式重爆飛龍は発動機が優秀で、機体の数は及ばなかったが、
   稼動率では当時類を見ないくらい優秀で、発動機の出力や機体強度も申し分なかった。」様です。
156名無し三等兵:2008/07/15(火) 18:25:09 ID:???
お爺さまに「お疲れさまでした、ありがとうございました」とお伝えください
いまのオレのお気楽な生活は、みんなお爺様がたのお陰です
戦争に行かなかった(行けなかった)オレの爺様にも感謝してますが、
やっぱり体張って下さったお爺様方には頭が下がります

おかげさまで日本は呆れるぐらい平和です。
ホントありがとうございます、と。

平和の有り難みを忘れた現状には問題あるけど、それはオレ達の世代の問題
頑張ってなんとかしましょうや>皆の衆
157島田戦車隊:2008/07/15(火) 20:28:33 ID:???
>>156
いつも、それも戦争体験者に質問するたびに、くれぐれも御礼申し上げています。
また、お正月、8月15日に、必ず靖国参拝することをお伝えして、
息子の百日参りに子供を旭日旗に包んで参拝する写真を見させると、
「お前さんは何者か?」と不思議に思われながら、打ち解けていきます。
今回の爺さんには、飛龍のプラモがないため、前の爺さんにいただいた302写真集持って行くつもりです。
現代の人間も、靖国でお休みになられている方への感謝の気持ちがあるとお伝えすると、
「あいつらが喜ぶよ。気持ちだけでいいから、「日本」を残してくれた礎となったこと、感謝の気持ちを
盆暮れ正月に思い出しておくれよ」と、涙流しながら言っています。
あんまり興奮させるといけないんだけど、ある程度刺激加えないと老化が・・・って言ってます。
老人介護もこの10年くらいはやる価値あるよ。
158名無し三等兵:2008/07/15(火) 20:54:46 ID:I2OrPdOM
まあ 靖国神社に行くと 近くに飛島建設のデカイ建物あるが
飛島建設の株価とか 30円台だよ
まあ リアルで終戦直前状態だろうナ
今頃 飛島建設の作業着着て 本土決戦状態だろうナ
アメリカあたりも 大恐慌目前で住宅負債650兆円を公的救済するとか
だんだん 「昭和20年」に似てきた状態
ちなみに 連合軍の日本上陸作戦って「オリンピック作戦」と呼ばれていたらしい
159名無し三等兵:2008/07/15(火) 21:31:44 ID:???
>>158
日本本土上陸作戦そのものはダウンフォール作戦。
ダウンフォール作戦は二段階に分かれてて、第一段階の
南九州上陸作戦がオリンピック作戦。
第二段階の九十九里への上陸から関東制圧がコロネット作戦な。
平行してダウンフォール作戦の欺瞞として高知へ上陸して、
四国の航空兵力を殲滅するパステル作戦てのもあった。

オリンピック作戦では上陸前に原爆を使った事前攻撃も計画されてたらしいが。
160名無し三等兵:2008/07/15(火) 21:48:50 ID:UtaZoPy/
靖国の話が出たついで、数年前初めて靖国神社行かせてもらった時
チャラオと馬鹿っぽい女の子のカップルがいた。デレデレべたべた
しててこいつらと思ってたでも特攻隊の方々の遺書見てるとき女の子
の方が、もうだめと男の方を残して泣きながら出て行った。
そのあとトイレに行ったら男の方もトイレで泣いてた。
出るときは手も繋がず神妙そうに歩いてたなかなかいい子達だったんだな
とちょっと感心した。
161名無し三等兵:2008/07/15(火) 21:56:28 ID:7fO1L2K1
>>平行してダウンフォール作戦の欺瞞として高知へ上陸して、
>>四国の航空兵力を殲滅するパステル作戦てのもあった。
これは初耳だった。軍板住民に笑われるがな。
物量が豊富な米軍なら九州と四国を同時に攻撃出来ると思う。

しかし本土決戦が実行されたら日本軍と民間人の損害は甚大になるが
米軍の負傷者も甚大になったと思う。
当時の日本人は自分の命を平気で捨てたからね。
米軍が根を上げて日本に少しでも有利な和平交渉を引き出そうと
日本軍が計画していた話も耳にした記憶がある。

162名無し三等兵:2008/07/15(火) 23:28:58 ID:???
昭和20年の秋に関東には巨大台風が来てたみたいだね
神風は一応装填されてた
163名無し三等兵:2008/07/15(火) 23:42:57 ID:???
駆逐艦にダメージ与えたんじゃなかったっけ?
たしかダメコンで何とかなってしまったような。
164名無し三等兵:2008/07/15(火) 23:58:38 ID:???
>>163
駆逐艦3隻が転覆、他に損傷艦多数。ただ、昭和19年の話だけど。

昭和20年秋って、もう戦争終わってるってばw
もっとも、その時期も関東近辺に台風が来て、太平洋戦争をなんとか生き残びた日本軍艦が沈んでいたりする。
165名無し三等兵:2008/07/16(水) 00:21:47 ID:???
>>162
米軍より沿岸防備の張り付け部隊が大損害と試算されている
166名無し三等兵:2008/07/16(水) 02:45:08 ID:iVkTNNlT
富士山周辺で 群発地震発生してるが、ウチのバアさんは終戦直前の南海地震経験してる
たまたま 田舎の農家で風呂に入っていたら 揺れて 慌てて全裸で飛び出したらしいが
田舎の農家の建物が目の前で倒壊して、揺れが凄まじかったとか
電柱がスパークしてように 光がバチバチ
関西地方では、都市部の無差別空襲より、農村地区での地震の方が被害多かったらしい
また 戦後でも伊勢湾台風とかでも近所の神社や小学校が倒壊したりとか
女性で戦争には行っていないけど 凄まじい経験してる
田舎に空襲避けて都市から 疎開して来てた人間も多かったらしいが
唖然としてたらしい 日本中が、人災と天災で逃げ場のない状態だったようだ。
167名無し三等兵:2008/07/16(水) 02:51:11 ID:???
いやあ確かに間抜けじじいがが負けて御陀仏になったおかげで
えらそうで抑圧的でクソな軍部も解体し住みよい世の中になったよな
ありがとなじじい
168名無し三等兵:2008/07/16(水) 05:04:22 ID:???
国破れて惨馬鹿在り…か。
169名無し三等兵:2008/07/16(水) 06:02:22 ID:5jjZF9Qw
>>168
貴様がそうやって嘯けるのも間抜けじじいが遠い小島で飢え死んでクソ軍部が解体したおかげだぞ?
あんな軍政下で2ちゃんなんてありえませんから〜♪
感謝するんだぞ?
170名無し三等兵:2008/07/16(水) 06:43:25 ID:???
軍政下てお前…真性か。
171名無し三等兵:2008/07/16(水) 07:22:54 ID:???
>>170
感謝の祈りは済んだか?
172名無し三等兵:2008/07/16(水) 08:17:27 ID:???
じーちゃんが無事に戦地から帰還しなきゃ
おいらは存在しなかったんだ
サイパンでグラスボートってのに乗った
船の底がガラスになってて海底が見える
ゼロ戦が沈んでる、透明な浅い海の底、すぐそこに
パイロットの亡骸はどうなったんだろう
こんなの遊びで観光していいんだろうかとふと思った
南の島々ってそんなんばっかりなんだけどね。
173名無し三等兵:2008/07/16(水) 10:00:42 ID:iVkTNNlT
親戚の近くにも戦前から紡績工場とかあって、戦時中でも中学生とかが
勤労奉仕で働かされたらしいが、やっぱり辛くて逃げ出すヤツもいたらしく
工場の近くで警察に保護されても連れ戻されたりとか、まあ「女工哀史」の世界
戦後の一時期とかなんと寄宿所とかが、売春宿になって ガイジン相手に商売
戦後の高度経済成長時代とかには、今度は「金の卵」とかの中卒の人間が
大量採用されて、15過ぎの女性が工場労働で、いまの中国人の研修生みたいで
確かに 数年工場にいたらしいが、いつの間にか工場より稼ぎのいい
水商売のコンパニオンとかで 工場近くの飲み屋で夜の蝶とか転職
いつの間にか 工場も閉鎖されて生産拠点を中国に移転
ショッピングセンターとか マンション建って、昔の面影全然ないらしい
174名無し三等兵:2008/07/16(水) 10:15:31 ID:???
>>173
〜て、〜で、が多すぎて結局何が言いたいのかわからんよ。
175名無し三等兵:2008/07/16(水) 12:17:18 ID:HHawMd/V
とかとかばかりだな
176島田戦車隊:2008/07/16(水) 17:54:43 ID:???
>>159
>高知へ上陸して、 四国の航空兵力を殲滅するパステル作戦てのもあった。

上陸地点はまさに俺の実家の「大里松原」。
正確には高知ではなく徳島と高知の県境。「徳島県海部郡海南町」
四国にはあまり海岸がなく、海岸のすぐそばに山肌が軒を連ねている。
岩礁も多いので、完全にこの地点に上陸するつもりだった。
だから、海岸線に機雷、地雷なんかを設置する部隊が進出してた。
水深15mくらいのところからいきなり1mくらいの浅瀬になるので
海岸線際まで大型船舶が近づいてこれる。そんな海岸線が6km。
町の作りも複雑で道幅は2m。迷路のようになっている。縦列でしか進撃できないよう
工夫されている。内陸部に簡単に進行できないつくりで面白いよ。
177名無し三等兵:2008/07/16(水) 19:19:31 ID:???
>>176
確かに面白い
備えの貧弱さが
178名無し三等兵:2008/07/16(水) 19:49:25 ID:???
>水深15mくらいのところからいきなり1mくらいの浅瀬になる
釣りに絶好のポイントだな
179島田戦車隊:2008/07/16(水) 19:57:27 ID:???
これは俺の爺さんに聞いた話だが、大里松原から進入してきた敵に対して、
両脇の垣根から兵隊を竹やりで突き刺す訓練とか、木の棒の先に手榴弾つけて
相手に肉薄する訓練やらをやっていたそうだ。
俺の爺さんが医者で軍医だったモンで、家の離れが通信のために接収された。
今でも残っているが、戦時中のガラス製の薬剤入れたアンプルや得体の知れないものが
「蔵」に入っている。町役場に相談したが、自決用薬品とかがあるかもしれないから、
その蔵は封印してくださいって。なんという海南町役場。
一族の長になった今でも、爺さんの「開けちゃならぬ」の遺言を守る俺。
県庁からも、処分する際には「県主導」で行いますと、釘を刺されている。

リーマン、一緒に開けるか?
180名無し三等兵:2008/07/16(水) 20:43:25 ID:20X8EAlp

 昭和二十年八月十五日の正午に旧大日本帝国が連合国軍に白旗揚げた……
 と死んだ爺さんが言ってたよ!w
181名無し三等兵:2008/07/16(水) 20:49:34 ID:???
皇軍は無敗だぞ、非国民めが
182名無し三等兵:2008/07/16(水) 22:20:52 ID:6wte56t5
>>181
シナ戦線では無敵だったらしいね。
詳しくは「だつお氏」のコメントを読もう。
183名無し三等兵:2008/07/16(水) 22:26:48 ID:???
>>182
それどころかブラジルで受信された電波(むしろデムパ?)でも皇軍は負けてません
ttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%A1%A4%C1%C1%C8%A1%A6%C9%E9%A4%B1%C1%C8
184名無し三等兵:2008/07/16(水) 23:18:41 ID:???
爺さんも婆さんも死んで何年も経つがある年の終戦記念日に二人が喧嘩していたのを覚えている

婆「天皇陛下が戦争を始めたから沢山の人が死んだ」

爺「天皇陛下が戦争を終わらせてくれたから俺は生きて帰ってこれた」

二人は終戦の年の8月16日に第一子である長女を病気で亡くしている
婆さんは8月15日に数日前から容態が悪かった娘を一人で抱えて病院を回ったが玉音放送直後の混乱で
どこの病院でも見てもらえず翌日娘は亡くなった

爺さんはシナ事変から数えると3回目の徴兵で本土決戦に備え九州で待機中に終戦を迎えている

間接的にだが戦争によって娘を亡くした婆さんの悲しみ
流石に今度は生きて帰れないと死を覚悟していた爺さんの生への喜び

子供ながらに複雑な心境で二人の言い合いを聞いていた記憶がある
185名無し三等兵:2008/07/17(木) 01:20:15 ID:???
戦時中は男手が足りなくなったのはよく聞く話。
おおっぴらには語られないものの、
じつはそれで深刻な状況があった。

それは銃後の女の性欲解消が難しくなったのである。
田舎は夜這いの習慣があるので、残り少ない男が総動員され、
チンコの先が乾く暇もないほどヤリまくってなんとかなったのだが
問題は都市だった。
隣組の目もあり、女性は大変な苦労をしたという。
186名無し三等兵:2008/07/17(木) 02:44:14 ID:???
いまに見ておれでございますよ
187名無し三等兵:2008/07/17(木) 02:55:24 ID:xJaEWXxG
>>181
無敗の皇軍が何故武装解除されたんだ? と死んだ爺さんが言っていました。
188名無し三等兵:2008/07/17(木) 03:06:06 ID:???
終戦特番の取材でテレビ局の人が話を聞きに来てた関係で自分も少しだけ聞いてたけど
本を出せるんじゃないかと思うくらい当時の事を覚えててビックリした
ほんと人に人生ありだなと
189名無し三等兵:2008/07/17(木) 03:09:57 ID:xJaEWXxG
>>188 ……人に人生ありだなと

そりゃー生きているんだからその人には人生あるよな! と死んだ爺さんが言ってました。
190名無し三等兵:2008/07/17(木) 03:14:00 ID:???
面白いスレ
191名無し三等兵:2008/07/17(木) 16:45:39 ID:xJaEWXxG
>>173
時代と共にかわっていくんだね……そう死んだ爺さんが言ってました。
192名無し三等兵:2008/07/17(木) 17:46:41 ID:SBU21iSC
「城山三郎が娘に語った戦争」によると、氏は航空兵をめざしていたにもかかわらず機械音痴。
携帯電話を持っていてもかけたことはなく、枕元の時計として便利だと言っていたそうな。
193名無し三等兵:2008/07/17(木) 21:57:17 ID:???
>>185
その辺については、世界に誇る帝国海軍としては抜かりは無いんだぜ。
ちゃ〜んと「こんな事もあろうかと(By 真田志郎)」士官の婦人達の孤閨を慰めるために
(実際の所は、浮気の続発による士気の低下を恐れての事だったそうだが)バイブレーターを
開発したのだよ。
開発の詳細は忘れたが、それなりモノは出来たらしい。
ただ、一律に配給すれば『浮気を疑っている』と取られかねないし、一人々々に「要りませんか?」
と聞いて回るわけにも行かず、『トラブルを起こさない配布手段』がどうしても見つからず、結局
お蔵入りしたんだそうだ。
194名無し三等兵:2008/07/18(金) 00:35:40 ID:???
>193 …日本産が世界一っていう全世界一致の定評はそれ由来か!!
言っとくが毎日海外がどうこうじゃないぜ。ベトナム戦争下の米陸軍士官学校が舞台の翻訳ものエロ小説で日本産いいって書いてあった。
195名無し三等兵:2008/07/18(金) 00:40:49 ID:???
少なくとも日本の突撃一番は世界一ィィィィィッ
196名無し三等兵:2008/07/18(金) 00:43:50 ID:???
>195
     ヘ⌒ ⌒ ⌒ へ、           、、
   イ ""  ⌒ ) ヾ ヾ      ─|─  ヽ      /
  ( (  ミ ⌒ ,, ヽ )ヽ)    / | \  _/   ,
   (  イ  、;; ,ノ ヾ ) )
   ゞ (.  ミ  .  ノ. .ノノ...
   ::ゝ、、ゝ....'',,,,,....., , ノソ:::::

 次、どうぞ。
197名無し三等兵:2008/07/18(金) 00:57:37 ID:LBkTQ+S/

戦時中、空襲にやってきたP51やグラマン及びコルセア等のロケット弾攻撃を受け死ぬかと思った……と死んだ爺さんが言っていました。
198名無し三等兵:2008/07/18(金) 01:05:49 ID:???
>>197
どの辺の人? というか戦時中はどの辺にいたんすか?
199名無し三等兵:2008/07/18(金) 08:03:08 ID:???
爺ちゃんは伊丹空港に続く橋を敵の爆撃から守っていたらしい、が高射砲など全く当たらないと嘆いていた。
最近癌で死んだ。
200島田戦車隊:2008/07/18(金) 08:52:38 ID:???
>>199
八尾の航空隊に予科練で入ってた爺さんも、
基本、敵機は迎撃で落す事しか考えていなかったようで、
高射砲の整備は二の次だったそうです。
三式戦のダイムラーコピーの不調と(整備がキマったときには神になるらしい)と
雷電の低性能(一撃離脱を目的に開発されたが敵機の方が速かった)で
本土防空はgdgdに。
201島田戦車隊:2008/07/18(金) 09:47:13 ID:???
話はちとずれるが・・・・・
向ヶ丘遊園から俺の職場までバスが出ているんだが、
その途中に明治大学生田校がある。
そこは、長い間建物が建つ事もなく、グラウンドやらうっそうとした茂みになっていた。
地元住民ならみな知っていることなのだが、陸軍登戸があったところで、
なおかつ731部隊の実験施設があったところなんだ。
化学兵器なども研究開発していたので、跡地は「浄水場」になっている。
(みんなも一度は見たことがあるだろう。ウルトラマンの基地として撮影された場所だ)
大学の隣接に陸上自衛隊第5〜なんたらがあり、化学兵器の施設とされている。
地下鉄サリン事件のときにも報道ではうちの大学がサリンと同定したことになっているが、
実はその施設が深く関与している。なんで隣接しているかというと、
不要となった化学物質、有機物(動物とか細胞とか)を一緒に処理する施設を共有しているから。
まあ、話はそれたが、その731の跡地にものすごい豪華絢爛なマンションが出来た事。
地元のばあちゃんなんかは「たいそうなことしてくれたわ。」って言っている。
202名無し三等兵:2008/07/18(金) 09:54:24 ID:???
バルタン星人に占拠された「科学センター」だね>浄水場
203名無し三等兵:2008/07/18(金) 10:25:57 ID:mSHZCWr0
204名無し三等兵:2008/07/18(金) 12:29:53 ID:???
じゃ、山手通りから見える目黒の731部隊の建物は事務系の跡地?
都内じゃ幽霊スポットになってるが?
205名無し三等兵:2008/07/18(金) 12:42:27 ID:???
>>199
豊中住民だが多分軍行橋かな?
昔は伊丹には飛燕とか配備されてたんだよなぁ…今の家が飛行機の着陸していくとこが見えるとこにあるから「あれが飛燕とかならなぁ」と思うときがあるw
206名無し三等兵:2008/07/18(金) 13:40:14 ID:/hO09r8j
家の爺は京都伏見の連隊に居た。
元々、理容師で連隊でも、偉いさんの散髪(丸刈り)をしていたんだ。

その内沖縄行きの編成があって、爺さんの名も廊下の黒板に書かれていた。
それを見て覚悟を決め、友人達と抱負を語り合いながら出発用意をしていたんだと。

すると、若造の少尉がやって来て意味ありげなニヤリ顔で云うんだと。
「貴様、一体何をやっとるか???」「馬鹿か貴様は。黒板をよく見てこんか!!」

訝りながらも黒板を身に行くと、、、何と!! 
自分の名だけが黒板消しで消してある。 そこだけ行が抜けている!

そんな事が2度あったらしい。

他にも、幾つか逸話がありますが、また書き込んでもよろしいか??
207名無し三等兵:2008/07/18(金) 13:49:26 ID:???
どうぞ。
と言うか、どんどん書き込んでくれ。
ここはそういうスレだ。
208名無し三等兵:2008/07/18(金) 14:01:22 ID:???
オレの親父側のじいちゃんは戦車に乗ってたって言ってたな
部下に打ち方とか手榴弾の投げ方とか教えたりしてたらしい
乗ってた船(輸送船かな)に乗ってた時奇襲を受けて泳いで逃げたとか笑いながら言ってたっけ

4年ほど前に亡くなってこの話聞いたのも10年以上も前のことだから間違ってるところあるかもしれん
209206:2008/07/18(金) 14:01:59 ID:/hO09r8j
ありがとう。では、遠慮なく。

結局、偉いさんが自分の理容師が行ってしまうと困るので止めたらしい、、
て言うか、それに決まってるんだけど言葉での説明はなかったらしい。

やはり、公言してしまうと問題になるのでしょうか。

散髪の褒美として、煙草は無制限に頂けたらしく、友人達の配って感謝され、
また、司令部に出入りしていると云うことで、苛められることもなかったらしい。
偉いさん達も、苛めその他については把握したがっていたらしい。

辛い教練のあるときに、散溌に呼んでくれたり、幕の内弁当や赤飯折なども
頂いたらしい。

グラマンの空襲についての話は、また書きます。
210名無し三等兵:2008/07/18(金) 16:32:39 ID:LBkTQ+S/

旧大日本帝国陸軍の戦車なぞ、あんなモノはブリキのオモチャとかわんねぇー……と死んだ爺さんが言ってました。
211名無し三等兵:2008/07/18(金) 16:35:31 ID:LBkTQ+S/

B29はスンゲェー飛行機だった!w 旧大日本帝国陸海軍の戦闘機が追い付けないだから……と死んだ爺さんが言ってました。
212名無し三等兵:2008/07/18(金) 16:43:34 ID:LBkTQ+S/

昭和20年8月のある日、中国大陸の戦線で中国軍と戦してたら停戦命令が出た。
暫くして旧大日本帝国が白旗を揚げたことを知らされた。
二等兵だったオレより先に大元帥陛下が白旗を揚げた!w と死んだ爺さんが言ってました。
213206:2008/07/18(金) 16:59:04 ID:/hO09r8j
爺さんは、対戦車砲(歩兵砲とも云ったらしい)と馬の兵隊で、ある日「グラマンの襲撃があるので
馬を退避させよ」との命令があり、加茂川の堤防を馬で駆けているとき、敵機につかまったらしい。

馬から飛び降り地に伏せているその当に真横を、一列の機銃弾の着弾が走って行ったらしい。
その時のグラマンの動きの速さと旋回の鋭さは、映画等で見るそれよりも遥かに凄かったと。

そして、後で馬の鞍を見ると機銃弾がかすめた痕が一条、紫色に焼け付いていたらしい、。

別の場面の話だけど。
空襲中は師団本部の屋根の上の監視台に、その日の当番の対空監視員が無防備で立つらしい。
その監視員がグラマンに撃たれて屋根から落ちるのも見たと。

爆弾の破片が馬の鼻に当たり、馬の鼻の骨が吹っ飛んだ。
馬の鼻は大きな空洞になっているらしい。(人間もそうか?)
その馬は皆の介抱も空しく何日も飲まず食わずで立ち続け、或る日倒れてそのまま死んだと。
214名無し三等兵:2008/07/18(金) 17:12:09 ID:???
>>209
うちの爺さんは仕立て職人で、やっぱり大隊長とかに気に入られてたんだが、
こんなことを言っていた。
「偉いさんに気に入られると楽だけど、周りに妬まれる。
だから偉いさんに貰ったもんは気前良く仲間に配らんと酷い目に遭わされる。
結局、隊長から貰った菓子とか煙草は全部仲間に取られちまった。
でも、そのおかげで誰からもいじめられずに過ごせたんだから安いもんよ」
215名無し三等兵:2008/07/18(金) 17:44:04 ID:???
スレ違いだが…
風俗のソープ板に元ゼロ戦パイロットがいる。
一緒に呑んだ時に写真見てわかった…
多くは語らない典型的むっつりスケベ叔父さんだった、写真には若い頃(16〜18)の爺さんが52型に座っている所。鹿児島か台湾?
特攻かな…
とにかく下は元気そうな…(笑)
216名無し三等兵:2008/07/18(金) 18:23:23 ID:???
>>213
実にどうでも良い事かとは思うが、対戦車砲の旧陸軍での通称は速射砲ね。
榴弾で歩兵の近接支援を行う歩兵砲同様、歩兵科が運用するのは同じだが。
217213:2008/07/18(金) 19:13:52 ID:/hO09r8j
>216

はい、そうでした。
速射砲と歩兵砲は別物ですか。 勉強になりました。

因みに、山河を越える時の 分解搬送 では、車輪を運ぶ役が最も辛いらしいです。
車軸の出っ張りが背中に食い込んでとても痛いそうです。

218名無し三等兵:2008/07/18(金) 19:22:24 ID:???
QFね♪
219島田戦車隊:2008/07/18(金) 20:49:20 ID:???
グラマンの機銃掃射うけた爺さんの弟。逃げ回って
1mくらい先に着弾したそうだが、左腕持って行かれた。
そのくらい、掃射ってすごいそうだ。子供のころ、
一緒にインディージョーンズのTV見たが、大笑いしてたのはそのせいか?
実際掃射に近づいただけで肉片切り刻まれるらしい。
220島田戦車隊:2008/07/18(金) 20:51:54 ID:???
俺の世代の一族で、一番お年玉やらお小遣いが多かった爺さんだから、
みんなに人気があった。
戦傷者遺族年金があったのね。と、後から教えられた。
221名無し三等兵:2008/07/18(金) 20:59:15 ID:???
>>199
関東者だからピンと来ないけど、地図を見ると、大阪平野の西北のほう、という感じかな。
ロケット弾はソ連の地対地くらいしか知らないけど、橋とかの破壊用に空対地のがあったのかな?

いずれにしても(ー人ー)なむー
222名無し三等兵:2008/07/18(金) 21:27:36 ID:???
F6Fが翼下にぶら下げてるのを見た
223名無し三等兵:2008/07/18(金) 21:49:58 ID:???
>>221
ハリケーンやサンダーボルトなんかのヤーボ(戦闘爆撃機)が翼下吊下してる
無誘導の対地ロケット弾。
多分5inchだと思うが、ヨーロッパの西部戦線でドイツの列車に
8発一斉発射してる記録映像を見た事はないかな?

橋などの建造物には爆弾の方が向いてるが、列車や戦車等の
機関砲では威力不足な動目標に低空からロケット弾を斉射してたんだ。
224名無し三等兵:2008/07/18(金) 21:50:49 ID:???
>>219
まあ戦闘機の機銃はもともと対空用で対人用じゃないからな
225名無し三等兵:2008/07/18(金) 22:10:40 ID:???
勤労動員で機銃掃射うけた親父の話だと命中しなくても跳弾が半端じゃないから
逃げずにその場で伏せるのがベストだそうだ。
226名無し三等兵:2008/07/18(金) 22:17:54 ID:???
>>225
着弾が縦に走るから、横切る様に逃げるのは如何なものだろうか?
227名無し三等兵:2008/07/18(金) 22:29:10 ID:???
鮮明な画像の弾丸の曳光見るとトグロ巻いてるな
228名無し三等兵:2008/07/18(金) 22:47:02 ID:???
>>223
ふーん。
229名無し三等兵:2008/07/19(土) 02:05:40 ID:???
ウチの爺さんは両方とも俺が生まれる前に死んだから話は聞けなかったよ。
だからここを見ると、爺さんの思い出がある皆がちょっと羨ましい。
230名無し三等兵:2008/07/19(土) 02:18:23 ID:???
それなりに活躍したり、無事だったりしたからここに書けていると思う。
ノタレ死にしたり、肉片となって散っていった人は書けないからな。
231uaa:2008/07/19(土) 02:52:35 ID:xKma10vZ
うちの祖父さんの場合、戦争に生き残ったことも大したものだが、”ビルマの竪琴”やらずにあの祖母さんの元へ帰って来たのも偉いと思う。
俺だったら現地妻もらって絶対帰らない。
232名無し三等兵:2008/07/19(土) 02:58:15 ID:EcMH3XMB
回天に二回乗ってます…今も生きてます。
233名無し三等兵:2008/07/19(土) 03:07:51 ID:Gpywyk/l
加藤隼戦闘隊訓練してたらしい
234名無し三等兵:2008/07/19(土) 03:24:11 ID:???
>>229
そうか。こちらは片方だけだけど、可愛がってくれたからね。

まあ、それも人生、ですか。
235名無し三等兵:2008/07/19(土) 03:55:12 ID:???
>>226
機銃はある距離で一点に集中するように角度付けてあるから
着弾は斜めに走るのでは?
236名無し三等兵:2008/07/19(土) 03:55:14 ID:Gpywyk/l
今思えば、花火遊びや動物園に連れて行ってもらうんじゃなく、
戦争の話きちんと聞いておけばと思った。
よく聞いたら、親父すら祖父が軍人だった頃の話内緒だったらしい。
10年位前、たまたま明野に仕事にいったとき色々あって、じーさまが
私に敢えて話さなかったのがなぜか、やっと気がついた。
じ〜様は飛行機教官だった。
教え子がことごとく戦争に取られてくのが耐えられなかったんだと思う。
237名無し三等兵:2008/07/19(土) 04:15:22 ID:Gpywyk/l
私が大学に入ったときに、何も知らず航空部に入るのを親戚一同命がけで
止めたのも、このせいかも・・・といったら、言いすぎなのかな?(^^ゞ
238名無し三等兵:2008/07/19(土) 09:07:52 ID:PaQjTOBg

戦争で悲惨な思いをした爺さん程、戦時中の話をしない……と死んだ爺さんが言ってました。
239206:2008/07/19(土) 12:51:44 ID:PKMuycRK
>235
成程。 撃たれる側から見ると、広い左右幅から始まって段々狭くなり1点に集まり、
また広がって行くんですね。 

実際に撃たれると、それはもう壮絶な恐怖らしい。
爆撃の恐怖とは桁違いに凄いらしいですね。

処で、よく聞くのは「ヒュ〜ンン」と云う音を聴いてそちらを見るともう危険な
距離に迫って来ていると云う話ですが。
昔の静かな環境で、敵機が近ずく音は分からないのでしょうか?

スロットルを絞って滑空に近い状態で来るのかな〜〜??
240名無し三等兵:2008/07/19(土) 13:09:40 ID:???
そういや、うちの爺さん、上空から聞こえて来るエンジン音で、グラマンか日本機か聞き分けたとか言ってたなぁ
241名無し三等兵:2008/07/19(土) 17:08:16 ID:???
エンジン音と言えばスバルの水平対向って栄エンジンに通ずるものがあるな。
やっぱ血を濃く引き継いでるんだろうか?
242名無し三等兵:2008/07/19(土) 17:43:08 ID:???
>>239
以前零戦とムスタングが来日したとき観にいった。
ムスタングが低空をけっこう高速(アナウンスは600キロと言っていた)で飛び去ったが
来るときはほとんど音がしなかったよ。
飛び去るとすごい爆音だけど。
昭和一桁の父が「ありゃあ機銃掃射の飛び方だわ」と言っていた。
243名無し三等兵:2008/07/19(土) 18:09:14 ID:???
>>241
中島の技術者はプリンスに行って日産に吸収されたんじゃなかったかな
244名無し三等兵:2008/07/19(土) 19:42:06 ID:PaQjTOBg
>>242
戦時中、P51の機銃掃射を何度か受けたことがあるが、低空で接近してくるとわからない……と死んだ爺さんが言ってました。
また、地方で周りが田圃や畑で身を隠す場所がないときなどに機銃掃射を受けると死ぬ程怖かった……と死んだ爺さんが言ってました。
245名無し三等兵:2008/07/19(土) 20:35:54 ID:???
まぁ、これからの時代は、お前等貧乏人が弾除けとして中国や朝鮮の
銃弾の前に立つことになるんだからな。そういうのにも慣れておく必要が
あるよな。
246名無し三等兵:2008/07/19(土) 20:57:36 ID:???
小金持ってりゃ矢面に立たずに済むと思ってるとはおめでたい…
次は「ヤバくなったら海外移住するもんね〜」か?W
247名無し三等兵:2008/07/19(土) 21:06:36 ID:???
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1203163779/
33 名前:マンセー名無しさん[sage] 投稿日:2008/03/09(日) 17:54:36 ID:OXZxfLw+
2,3年前、他の板でUPしたもの。半島ネタなし。
前回、割愛した部分はすべて追加するので結構長文になる。
それでもよかったら俺がやるけど。

ちなみに本はこれ↓
ttp://www.uploda.net/cgi/uploader4/index.php?file_id=0000028111.jpg

210 名前:33[sage] 投稿日:2008/07/19(土) 14:42:00 ID:00hSw8f1
機は早くも着陸コースに入り、高度を下げてゆく。広い飛行場の草がぐんぐん眼前に迫っ
たかと思うと、ゴツン、ガタガタと、ゆるい振動を残して接地した。準備線に戻り、次の搭乗者と交替。
「山中生徒、第八号機同乗終り、異常なし」
あまりに短い飛行で物足りない。ピストの記録版を見ると、なんと飛行時間は十六分と記
されてあった。私はその夜はじめて空を飛んだ感想を綴って母に送った。
(おわり)

本をスキャンしみた。興味のある人はどうぞ。
ttp://www.soutokufu.com/up/img/up548.lzh
ttp://www.soutokufu.com/up/img/up549.lzh

需要があれば残りもうpするけど。
248名無し三等兵:2008/07/19(土) 22:11:59 ID:kBHGO68p
なんか頭が良かったらしく、兵役免除で頭が良い人が集まるところで働いてたらしい
249名無し三等兵:2008/07/19(土) 23:22:29 ID:???
>>235
いや、飛行機は人間のスケールで見たらほとんど直線的に飛ぶのだから、来た方向とは直角に逃げるほうが生き残れる確率が高まるのではないか、という話でしょ。
>>225さんの紹介の話は、「下手に逃げ回ろうとしないほうがいい」という教訓のようだけど。
250名無し三等兵:2008/07/19(土) 23:23:44 ID:???
太平洋戦争当時で高周波の研究と言ったら何の目的でやってたのでしょうか?
近くの模型屋の店主さん(もう他界されましたが)が携わっていたらしいです。
神奈川県東部なので、研究してた場所はその近辺かもしれません。
251名無し三等兵:2008/07/19(土) 23:29:05 ID:???
>>250 レーダー…といいたい所だが殺人光線ですなorz 神奈川東部といやあれか。
登戸研究所 高周波 でぐぐってみて下さい。
252名無し三等兵:2008/07/19(土) 23:35:53 ID:TbqEwR7D
昨日のニュースで、広島の原爆投下後に救援で現地いりして
その後 残留放射能での原爆症の被害の認定が受けられない判決が出たが、
結構 当時でも救援で派遣された看護婦さんなんかも
9月ごろになって 急におかしくなって 死んだも例も多かったとも聞いている。
軍の命令で 広島入りして 戻ってきて 体調おかしくなり
女性なので 髪の毛が抜けて 過労だが 暑気あたりだかとか云ってるうちに
死亡したとか云う看護婦さん 当時でも残留放射能についてはあんまり知識が
無かったらしい。 応援に行った人間が、バタバタ死ぬので
やっと 放射能の恐怖を知ったらしい。
案外 当時は広島とか行くと 特別に物資の配給が貰えたりとかで
多少配給貰えるならと物資目当てで行った人間も多かったらしいが
広島出張みやげとか貰った人間なんかも放射能汚染されてた物とか土産で
貰ったとかで 結構感染したらしい
253名無し三等兵:2008/07/19(土) 23:45:51 ID:???
>>251
回答ありがとうございます。かなりヤバイシロモノですね…
ちなみに模型屋のほうは極々在り来たりな平凡な模型屋で、
戦争の面影なんて全くありませんでした。いや売り物はアレですがw
254名無し三等兵:2008/07/19(土) 23:53:25 ID:???
しかし、レーダーは研究せずに殺人光線は研究するのが日本ですねえ。
255名無し三等兵:2008/07/20(日) 01:27:02 ID:???
精神論が手段ではなく目的になってたからな
極度の攻撃偏重主義もそれだ
256名無し三等兵:2008/07/20(日) 01:31:31 ID:???
しまいにゃ、死ぬのが目的で大和を引っ張り出すし。
257名無し三等兵:2008/07/20(日) 01:54:43 ID:???
>>254
研究してないというわけではなかったそうだけど、焦って変なキワモノに手を出したりしたのは事実のようですな。
何にしても、「工業後進国」だったから、どうしようもなかったというのが真相 と。
258名無し三等兵:2008/07/20(日) 01:55:00 ID:???
>>252
細かいことだけど「感染」じゃなく「被曝」だろ。
259名無し三等兵:2008/07/20(日) 02:20:48 ID:???
>>256
あれはあれでいいんじゃね?
大和が残ってたら、現在のアホどもの「日本は沖縄を見捨てた!」論に拍車をかけちまう。
260名無し三等兵:2008/07/20(日) 03:03:05 ID:???
そりゃあ、国敗れて海軍ありじゃあなあ。

>>257
国ではまったく無名の八木博士かわいそ
261名無し三等兵:2008/07/20(日) 03:16:16 ID:???
>>260
チグハグでバラバラなんだよね。

それが即ち工業後進国の後進国たるゆえんなわけだけど。
262名無し三等兵:2008/07/20(日) 09:02:34 ID:UoZPgDxs
ジイサンは、終戦を内地で迎えて将校だったので残務処理で
数ヶ月駐屯地に残ったらしいが、9月には米軍が来たが
武装解除とかでも 凄い紳士的で流石だと思ったらしい。
驚いたのは、米軍には婦人部隊があって、ちゃんと将校 下士官 兵が
軍服着て進駐して来て 驚いたらしい
今で云うキャリアウーマンタイプの女性士官で、下っ端男性兵士も敬礼
事務的なことでも 男性の通訳の下士官従えて ビジネスライクの調子で
もっと高圧的なカンジかと警戒していたら 女性の校長先生みたいなカンジで
ただし 「我々は交渉しに来たのではなくGHQの指示で来た。」
「穏便に事務的に手続きを済ませたい」と 矢継ぎ早に男性の副官を通じて
事務手続きやらの指示出して 女性でも男性兵士使って
進駐にあたっての結構仕事熱心だったらしい。
副官の男性も通訳の男性も女性の上官だったのでピリピリしてたらしい。
初めのうち 日本側もピリピリしてたが だんだん通訳や副官とも仲良くなって
女性が上官だと大変ですネとかで 多少グチも聞いてあげたとか
263名無し三等兵:2008/07/20(日) 09:21:11 ID:adL0J41E
>>262
興味深いな。
264名無し三等兵:2008/07/20(日) 10:41:04 ID:???
>>246
どこの国でも最前線で惨めに死んでいくのは貧乏人だよ。お前等が嫌いな
中国人や韓国人と戦争できるんだからうれしいだろ?でも、あいつらの捕虜には
ならない方が良いぞ。米軍と違って、捕まったらとんでもない拷問が待ってる
だろうからな。ま、身体に気をつけて弾除けとしての責務を全うしてくれw
265名無し三等兵:2008/07/20(日) 13:05:25 ID:???
>>235
それはゼロ戦などのように機銃が左右に一門ずつしか付いてない機の場合。
F6FやP51のような多銃装備機の場合は弾幕を張ることが重要な為真っ直ぐ前に向けてある。
266名無し三等兵:2008/07/20(日) 14:57:11 ID:???
米軍から貰ったレモンティーが
あまりにもうまかったらしく、
70超えた今でも飲んでいる
孫が来た時にもお茶のかわりにレモンティー
267名無し三等兵:2008/07/20(日) 18:28:11 ID:adL0J41E
カウラに送られた日本兵捕虜が、捕まった時に与えられた豆入りの肉の缶詰が
とんでもなく美味かったと仰っていた。
268名無し三等兵:2008/07/20(日) 18:37:48 ID:UoZPgDxs
ジイサンが、進駐軍と残務処理やっていた時のカルチャーショックとか
色々あったらしいが、
・駐屯地の備品とか 装備品の目録とか 武装解除の際に作成したらしいが
 米軍は、日本の主要兵器も大体を把握していて コードネームやらアルファベット略語で識別
 日本の兵器も大体の型式も把握していて こういう兵器も在庫であるだろとか聞かれて
 コードネームやらアルファベット略語で聞かれて 知らないのでナニですか聞いたら どうも新兵器らしく
 軍の内部でも聞いたことないので そんな兵器知らないのかビックリした様子
 かなりの分野まで 情報収集して分類していたようだった。
・事務手続きとかは、すべて英語と日本語の両用だったが、公文書とか
 アメリカは、英文タイプの国だから 事務担当がタイプ打って 渡すが
 日本軍じゃ 和文タイプとかも大変で 苦労したらしい。
 重要な文章は、英文タイプと通訳用に和文タイプつけて 出したりするが
 アメリカは、英文タイプに オンリーで 通訳がカタコトの日本語で説明
 通訳の説明でも直訳やら意訳 誤訳も多いので 苦労したらしい
 まさに「言葉の戦争」だったようだ。
 特に 日本じゃ タイプ打ちでビジネス文章作成とか そういう文化も無かったから
 日本の漢字文化で 縦書きやら右開きの本とか 後は、印鑑押しての決済とか
 全然文化も違うし 戦後は 森鴎外のような文章は、古文のような扱いになったが
 あれも 米軍の通訳でも難しい漢字が、苦手で簡略文字を要求して
 日本側が 仕方なく、簡略文字使用して 判り易い日本語にしてあげたようだ。
 

 
269名無し三等兵:2008/07/20(日) 19:11:36 ID:XLzbRnAj
外国にいたもんで近所の日本人。満州か朝鮮半島引揚者、爺さんの方は
威張ってた話しかしなかったが、ばあちゃんの方は大変だったといつも
話してくれた。日本に引き上げてからも大変で海外移住へ。
たまにばあさんのほうが話ししてくれたこと。引き上げ船が日本に近づき
皆ないて喜んでいたとき妊婦さんが身投げしたそうだみんなにありがとう
と挨拶してから日本が見えてから...その話するときばあさんよく泣いてた
なにがあったか知らないが、やっと帰って来れたのにと。そのじいちゃん
とばあちゃんも移住先から一度も里帰りできず亡くなった。もう一度
日本見させたかった。
270名無し三等兵:2008/07/20(日) 19:47:06 ID:A/mlhi0/
>>265
ゼロ戦は4門あるだろ
そもそも真っ直ぐ着弾するほど集弾するんだろうか?
ばらつきがありそうなもんだが
271名無し三等兵:2008/07/20(日) 20:23:49 ID:???
>>270
『弾道交差点』というものがありまして、
理論的にはある一点に集弾する様に調整してます
272名無し三等兵:2008/07/20(日) 20:37:37 ID:???
>>265
多銃機でも照準サイトのレチクルと一致させるために現場ですり合わせて調整する。
273名無し三等兵:2008/07/20(日) 20:44:12 ID:pzVELaNe

爺さん元気?
274名無し三等兵:2008/07/20(日) 20:52:23 ID:???
死んだよ・・・
275名無し三等兵:2008/07/20(日) 20:52:55 ID:???
>267
ポークビーンズがうまかったって、相当飢えていたんだろうなあ。
276名無し三等兵:2008/07/20(日) 21:00:59 ID:???
>>268 図書館で、「日本陸軍便覧」って本を借りてみるんだ。

>>275 カウラの捕虜は大体ニューギニアで捕まってる。
日本軍の戦死率95%で、その大体は餓死の戦場だよ。
277名無し三等兵:2008/07/20(日) 21:03:04 ID:???
>>276
日本軍は兵隊は使い捨てだったからな。上層部の立身出世のためのコマ。
現代の派遣やらと同じ。
278名無し三等兵:2008/07/20(日) 21:05:08 ID:pzVELaNe

戦時中、「出て来い! ニミッツ・マックワァ〜サ〜!」なんて言ってたけど、ホントに出てこられて負けちゃった!……と死んだ爺さんが言ってました。
279名無し三等兵:2008/07/20(日) 21:24:55 ID:A/mlhi0/
>>271
その程度迄は知ってるんだが、集弾しても一点集中じゃなくて数メートル程度の誤差はあるんじゃなかろうか?
つまり、一直線に着弾じゃなくてそれなりの幅でばらまかれそうだが
集弾する2・3百メートルから外れると尚のこと広範囲に着弾しそう
280名無し三等兵:2008/07/20(日) 21:25:26 ID:???
母方爺ちゃん

陸軍で高射砲の部隊だったそうな。
(探照灯や空中聴音機の写真が残ってる)
最初は満州で真冬のハルピンの付近で砲の傍で待機してる時に
退屈からか「この寒空で金属の砲はどんだけ冷えてるのかな」と思った。
触ってみようと思ったけど、手袋を外すのが面倒で
舌で触ってみたら、張り付いてしまい大騒ぎになったとか。

また、自営業だったので経理の仕事が出来て
その手の事務仕事の手伝いによく呼ばれて、訓練をサボることができたとか。
仕事で車を運転してたので、現地で「くろがね四起」を運転してた。
また、士官相手に運転を教えたりもしてたらしい。

私物のカメラを持っていて
現地で現像、プリントできるぐらいマターリしてたらしい。
そのカメラは今でも残っていて、俺が譲ってもらった。


2度目の戦場は、同じ中国だけど今度は桂林の方面。(打通作戦の一環)
今度の戦場は過酷になると思い前述のカメラは内地に送り返した。
結構、何度も死にかけるような酷い目にあったらしく
この辺りから敗戦までは話してくれない。(終戦時 軍曹)
内地に復員する時に、せっかく貯金した金を全額持ち込めないと聞き
泣く泣く海に捨てた話も聞いた。 

俺が小さい時は、茶箱の中に階級章も何も無い98式らしき服があったけど
知らない間に捨てられたらしいorz
ただ、背嚢、水筒(ふた部分は腐食)、飯盒、雑嚢、巻き脚袢だけは残ってる。

あと、爺ちゃんの親は警防団らしく その時の鉄帽が残ってる。
爺ちゃんに言わせると「軍用のやつより重い」らしい。
281名無し三等兵:2008/07/20(日) 21:41:29 ID:???
零戦の20ミリ機関砲は撃つと反動で翼がたわみションベンみたいに飛散したとどっかで見た
282名無し三等兵:2008/07/20(日) 22:09:13 ID:???
>>280
> 結構、何度も死にかけるような酷い目にあったらしく
> この辺りから敗戦までは話してくれない。

底辺どもにとってはそこが一番重要なところんだから、ちゃんと聞いておく
べきだったな。
283名無し三等兵:2008/07/20(日) 22:29:54 ID:???
>>270
地上で静止状態での調整の話でしょ。各種の震動でばらつきは出るに決まってるけど。
284名無し三等兵:2008/07/20(日) 22:34:27 ID:???
>>281
そりゃ憶え間違いで、初速が低いせいで、縦横に逃げ回る敵機を追いながらだと、放物線を描くような具合に曲がってしか飛んでくれないように見えるという話。
285名無し三等兵:2008/07/20(日) 22:59:54 ID:???
>>278
出てくりゃ地獄に(こっちが)逆落とし〜
286名無し三等兵:2008/07/20(日) 23:22:44 ID:pzVELaNe

戦時中、「鬼畜米英!!」などとほざいていましたが、負けたらギブ・ミー・ガム!! になってしまった……と死んだ爺さんが言ってました。
287名無し三等兵:2008/07/21(月) 00:50:03 ID:+LNXlKlx
うちの父親の話ですが
満州で酔っ払ったソ連兵に拳銃突きつけられたとか。
288名無し三等兵:2008/07/21(月) 00:51:29 ID:???
すいませんageてしまいました・・・
289名無し三等兵:2008/07/21(月) 00:57:43 ID:???
ギブミートカレフ?
290名無し三等兵:2008/07/21(月) 01:29:58 ID:typrb/VW
>1

すばらしいスレ立てだと思います。
私ら、子や孫の世代に一言投げかけてくれたことに関して。
感謝&・・・私にはでけん。
291名無し三等兵:2008/07/21(月) 08:37:22 ID:4GodaIi5
>>289
それアフリカの話。あの銃は取り扱いが簡単で頑丈だからね。
つーかロシア語じゃねーと通じないと思うが。
292島田戦車隊:2008/07/21(月) 09:47:08 ID:???
老人ホームの爺さんの話では、零戦の照準器は7,7mm機銃をメインにしていた。(隼も同じ)
光学照準器が出来るまで、20mm機関砲の照準は3重輪の一個外側を狙うように指導されていたようだ。
7.7mmは、大陸での戦闘(中国機、スピットなど)には有効だったが、
頑丈なF4Fには難渋したそうだ。その代わり20mmが1発でもあたったら粉砕したそうです。
爺さんの手作り照準器を搭載した隼が東京湾でコンソリとコルセア叩き落したのが人生最大の自慢だった。

293名無し三等兵:2008/07/21(月) 10:02:09 ID:LZIMcyg2
ジイサンは、米軍の進駐する以前から 駐屯地の仕事していたらしいが
戦時中は、駐屯地に出入りする業者でも品不足で 物資調達大変だったらしいが
終戦後 米軍が進駐して 日本政府通じて 物資要請出してきたので
業者に指示したら 結構「隠匿物資」あったのか集まってきたらしいが
やたらと単価が高かったが、中にガイジンの米軍が使うかどうかよく判らない
日本人の向けの物資も多数あったらしいが
進駐軍物資と云うことで高値で購入
米軍に提供したが、直後に物資不足表面化
そうしたら 今度は、進駐軍放出物資とかで 出されたらしいが
米軍の高等戦術だったようで、隠匿物資とかを日本政府にムリに集めさせて
今度は、「正義の味方」のアメリカ軍とかで 放出物資やって
大衆を味方につけようとしたらしい 実際の米軍の放出物資なんか
服やら靴でも サイズもガイジン仕様でブカブカで 日本人向きじゃなくて
所謂「ミリメシ」とかの米軍仕様の携帯食料も大味で ガイジン向けで
とてもじゃないが 毎日喰えない代物だったとか
294名無し三等兵:2008/07/21(月) 12:29:15 ID:???
不要な「が」が多くて話の筋道が分かりにくいぉ。
295名無し三等兵:2008/07/21(月) 12:36:29 ID:???
>>292
20ミリは炸裂弾だから当たればスゴいと若大将が言ってました
296名無し三等兵:2008/07/21(月) 12:54:08 ID:JPNepktw
>>295
ソレは君が持つチンコの口径では?
297名無し三等兵:2008/07/21(月) 13:11:21 ID:???
>>296
そこで奴はこう言ったのさ、
「それじゃぁ炸裂弾でなくて暴発弾だな」てな!
A-HAHAHAHAHAHA
298名無し三等兵:2008/07/21(月) 13:14:15 ID:???
ハハハ・・・
299名無し三等兵:2008/07/21(月) 15:49:53 ID:VhxvH6AM
>>290さんに同感です。
当然あほもいらっしゃいますが、真面目に聞いたこと
書いてくださっている方たちがいる。
300名無し三等兵:2008/07/21(月) 16:15:10 ID:???
でもたまに日本語が不自由なやついるよな
同一人物か?
301名無し三等兵:2008/07/21(月) 17:43:30 ID:xTDur0IZ
ここは2ちゃんだ。
色んな意味で日本語が不自由な奴等が10人紛れ込んで当然。
彼ら(もしくは彼女ら)を温かく見守ろう。
つーか漏れの日本語が不自由だったりしてw。
302名無し三等兵:2008/07/21(月) 17:50:11 ID:HsxtG/rB
>>301
日本語でおK
303名無し三等兵:2008/07/21(月) 17:53:11 ID:???
高等教育を受けていない方はお引き取りください。
304名無し三等兵:2008/07/21(月) 18:29:39 ID:z2r708iz
母方の爺ちゃんは馬が大好きで馬に乗る仕事をしたかったらしいんだけど
近衛兵にはなれないから大砲を馬で引っ張る部隊に志願して満州にいってたみたい
ある日婆ちゃんの所に一通の郵便が来て中には馬に乗った爺ちゃんの写真が入ってたんだと、
なにやらむこうの女学生が爺ちゃんがカッコよかったから写真を撮って送った物だったそうだ。
婆ちゃんは爺ちゃんの話のたびにこの話をして「爺ちゃんは体も大きくて格好よかったんだよ」とよく言ってた。

あとロシアの捕虜になった事とかあるみたいだけど爺ちゃんは俺が物心つく前に死んじゃってるのであんまり詳しくは知らない(´・ω・`)
カーチャンが言うには「ロシアの女はすごく美人でびっくりした」とはよく言ってたらしい。
305名無し三等兵:2008/07/21(月) 19:28:56 ID:???
きっと爺ちゃんはやりまくりだったんだろうな。
306島田戦車隊:2008/07/21(月) 21:24:07 ID:???
自分が工夫して物を作り上げる。
それが「国益」になる。
なんてうらやましい人生だろうか。

爺さんが何それをしたかっていう武勇伝もいいが、
それを後押しした縁の下の力持ちのことも考えてください。
坂井にしろ樫村にしろ・・・・・活躍できたのは設計した整備の実績でもある。
307名無し三等兵:2008/07/21(月) 21:38:51 ID:???
設計した整備



????????
308名無し三等兵:2008/07/21(月) 22:13:58 ID:???
徹底した、の誤字では。
309名無し三等兵:2008/07/21(月) 22:15:39 ID:???
整備担当者が設計した…では?
310名無し三等兵:2008/07/21(月) 23:26:10 ID:???
坂井を整備が設計したの?
311名無し三等兵:2008/07/22(火) 20:43:32 ID:4T6zgnuA
鹿屋飛行場に行った町工場の親父の話。
少年兵として志願したが、既に乗る飛行機が無かった。
米軍に水平爆弾が開発されたという事で、来る日も来る日も上官の蛸壺堀だった。
上空で航空戦を見たが、日本軍機は敵機の高度まで到達できず、簡単に落とされいた。
312名無し三等兵:2008/07/22(火) 21:01:28 ID:???
見ろ!人がゴミのようだ!
313名無し三等兵:2008/07/22(火) 21:43:12 ID:???
陸軍で満州に赴いた祖父は
弾丸が飛び交う中、
先頭を突っ切って走っていたらしい。
そのとき弾丸が掠めた跡が体中に残っていた。
314名無し三等兵:2008/07/22(火) 21:47:04 ID:Pq+IwMb0
俺の疑問
日本は日清日露で勝ってるんだからその時点で中国及びソビエト全土を
占領してりゃあいいのに。そうすりゃあ満州みたいなもの作らなくても
よかったし、アメリカが口出しする余地もなくアメリカと戦争することのも
ならなかっただろうに。
315名無し三等兵:2008/07/22(火) 21:49:33 ID:???
どちらも判定勝ちだから無理だろう。
316名無し三等兵:2008/07/22(火) 21:49:44 ID:4T6zgnuA
>>314
答え
どっちもとてもでかい国なので無理でした。
317名無し三等兵:2008/07/22(火) 21:52:15 ID:???
>>314
そういう風に、国の大きさということを考えられないアホが戦線を拡大しまくって
補給が追いつかずに大量の兵隊が無駄死にしましたとさ。
318名無し三等兵:2008/07/22(火) 21:54:21 ID:9qS6Lyok

と死んだ爺さんが言ってました。
319島田戦車隊:2008/07/22(火) 22:25:19 ID:???
昔の陸戦では、銃弾100発に対し兵隊1人のキルレシオ。
一方現代は、弾幕を張る作戦で、小口径軽量弾のばら撒きのため
10000発対1人だそうな。
320名無し三等兵:2008/07/23(水) 02:12:12 ID:???
ポークビーンズの缶詰とスパゲティの缶詰をフライパンに空けて火にかけ、
温まったらトマトケチャップを垂らす。
パンを切り、熱々のスパゲティを食い、ケチャップをパンで拭いて食う。
ニックアダムズ物語の夜。
321名無し三等兵:2008/07/23(水) 03:36:12 ID:???
>>314
日露戦争ではもう一戦やったらこっちがもたないって山縣も伊藤も大山も児玉もピリピリしてたのにそんな景気のいい話があり得るか。

と思うんだが日比谷で焼き討ちやった連中はあると思ってたんだろな。
無知とは恐ろしい。
322名無し三等兵:2008/07/23(水) 03:48:55 ID:???
日清で清に勝っても、軍閥連中をどうするのよ
323名無し三等兵:2008/07/23(水) 05:26:38 ID:???
例え全土占領出来た所で、極限迄延び切った兵站線を維持出来る訳も無く…
自給自足の態勢が整う前にゲリラにズタズタにされるのがオチ。
ロジスティクス軽視して占領とか口にする点、>>314は牟田口と大して変わらん。
324名無し三等兵:2008/07/23(水) 08:35:45 ID:SNaLeDYc
ジイサンは、戦時中の軍隊と戦後の自衛隊を両方体験してるが
戦争映画などで 日本兵がやたらと民間人にいばる様子でてくると
あんなヤツいないと怒っていた。
戦後の自衛隊では、制服組と背広組の事務官 技官とかあるが
戦時中は、制服組以外にも 軍属 事務担当以外にも 多数の民間人が
軍隊や基地 駐屯地に入り込んでいて 軍服なら制服やら階級章で判断出来たが
民間人は、判別が難しく また 指揮命令系統も別
軍属とかも 所謂「右翼」から ただの寄生虫みたいに 軍を食い物にしてる連中もいて
なんか 問題起こしても「愛国」とか騒ぐ連中だったそうで
イラクの米軍が使ってる「戦争請負会社」のホワイトウオーター社のようなカンジ
退役軍人やら多数雇用して 兵站やら管理業務やらせていたらしいが
当時でもかなりの問題を抱えていた人種だったようだ。
325島田戦車隊:2008/07/23(水) 10:20:15 ID:???
326名無し三等兵:2008/07/23(水) 11:03:25 ID:HPMogd+F
日清日露は戦争ではなく「紛争事変」程度だったのか。
327名無し三等兵:2008/07/23(水) 11:23:54 ID:r38MfgoF
俺の親父は醤油弾で家三回焼かれたって言ってたな。
ある時は目が覚めると家が燃えてて火の海だったとかいう話は凄いと思ったね。
名古屋生まれだけど。
328名無し三等兵:2008/07/23(水) 11:28:45 ID:???
醤油ってそんなに発火性の高い危険物だったのか・・・
329名無し三等兵:2008/07/23(水) 11:48:50 ID:???
ニオイも凄そうだし後片付けも大変そうだな…>醤油弾
330名無し三等兵:2008/07/23(水) 12:07:04 ID:BzeCBVwG
醤油弾は和食用
ソース弾は洋食用

と、云う事で許してください。

つか〜 焼夷弾 位、上手く入力してヨ
331名無し三等兵:2008/07/23(水) 12:20:18 ID:???
おまえらそんな反応すんなよw
332名無し三等兵:2008/07/23(水) 12:29:31 ID:???
目が覚めたら家が燃えてたって、直撃じゃなくて類焼だよな?
直撃で屋根突き破った上に遅延信管の爆発でナパームぶちまけて
まだ寝てたら大したもんだが。
333名無し三等兵:2008/07/23(水) 12:40:29 ID:???
ポタポタ焼き
334名無し三等兵:2008/07/23(水) 14:00:59 ID:???
町中に香ばしい匂いが立ち込めそうだ
335uaa:2008/07/23(水) 16:46:58 ID:FpQ+aNen
>>332
太平洋戦争の焼夷弾はベトナム戦争のナパーム弾と違って、直撃でも屋根を突き破らない場合もある。
破片の代わりに火を噴くクラスター爆弾みたいなもので、子弾はそんなに大きくなかった。
子弾は発煙筒みたいな感じ
336名無し三等兵:2008/07/23(水) 17:04:00 ID:???
昨日葛飾の花火大会で松戸側から見てたんだが、風が強くちょうど風下で火の粉がヤバイ
ぐらいたくさん降ってきた。疑似東京大空襲体験できた。
337名無し三等兵:2008/07/23(水) 20:03:39 ID:wztA170v
日本家屋専用焼夷弾のゼリー状子弾は恐ろしい。
338名無し三等兵:2008/07/23(水) 20:09:43 ID:Qk5Icnl7
今でも十分通用しそうなのが怖い
339名無し三等兵:2008/07/23(水) 20:17:41 ID:???
エレクトロン弾だ!
340名無し三等兵:2008/07/23(水) 21:23:58 ID:???
>と思うんだが日比谷で焼き討ちやった連中はあると思ってたんだろな。
>無知とは恐ろしい。

一般市民には情報統制して景気のいい話しかしてない
ツケがまわった。
341名無し三等兵:2008/07/23(水) 22:01:19 ID:???
>>340
情報の統制をしていない現代において、2chの書込みを鵜呑みにしているような
国士様はリアルバカということでよろしいでしょうか?
342名無し三等兵:2008/07/23(水) 22:47:23 ID:???
戦争の実態を国民に知らせるとロシア初め各国に知られて足元見られるから勝報しか教えなかったんだもんな。
情報公開してもしなくても問題になるから困る。
343名無し三等兵:2008/07/23(水) 23:49:56 ID:???
むずかしいよな。民主主義って
344名無し三等兵:2008/07/23(水) 23:53:00 ID:???
>>341
情報統制するのが日本政府だけとは限らんよ。
345名無し三等兵:2008/07/24(木) 00:16:41 ID:???
>>321
いや、勝った勝ったで大騒ぎするほうが普通だったそうだし、状況が客観的に見えてる人は、
のぼせきってるのを相手に迂闊なことは言わなかったに決まってるし。
346uaa:2008/07/24(木) 04:45:22 ID:PjV2hCkF
>>340
太平洋戦争中のような情報統制はなかっただろう。
日露戦争で輸送船沈められた上村彦之丞の自宅に投石した馬鹿がいた。
そのことが作戦失敗を隠すようになった一因でもある。
そもそも、明治の日本人(今に至るまでそうだが)は戦争というものを理解していなかったんだと思う。
だから冷静な判断が出来なかった。
太平洋戦争中の軍部の問題の多くは日清・日露戦争が発端だと思う。

強制収用→ロシア艦隊に対する監視所を作る計画を知って、用地を買い占めて値段を吊り上げる馬鹿がいた。
生きて旅愁の辱めを受けず→日露戦争で捕虜になって、戦後帰還した兵士を田舎者達が村八分にした。

347uaa:2008/07/24(木) 04:46:28 ID:PjV2hCkF
>>346
旅愁×
虜囚○
348名無し三等兵:2008/07/24(木) 08:03:21 ID:???
うちのお爺ちゃんは葛城に乗って引き上げてきたんだぉ (^ω^)ノ
349名無し三等兵:2008/07/24(木) 10:14:57 ID:???
いいなぁ。
350名無し三等兵:2008/07/24(木) 13:27:38 ID:GUvI2Ff2
農作業中艦載機が爆弾落としてきた。慌てて逃げたら爆発しないんだと。しばらくして見にいったら燃料タンクだったんだと。

同じく農作業中機銃掃射くらった。慌てて用水路に飛び込み、コンクリート製の水門に隠れて助かったんだと。

近くに飛行場があり、日本軍機があんまり迎撃にでないせいで狙われたといってたそうだ。
351名無し三等兵:2008/07/24(木) 21:36:39 ID:IDCrx2zp
ドロップタンクの事だろうね。
迎撃しないでも基地ならば高射砲くらいあったろうね。
352名無し三等兵:2008/07/24(木) 23:01:41 ID:???
増槽投下は御褒美
353死んだ爺さんより!!www:2008/07/25(金) 00:28:22 ID:0A1rgD0N

上官の命令はこれ即ち“珍”の命令と心へよ!!www

旧大日本帝国陸軍の内務班は往復ビンタ!w
旧大日本帝国海軍の教班は精神注入棒にストッパー!w

どうして旧大日本帝国軍隊の古参兵はこうした“陰湿”な制裁を新兵にしたんだろう?www

と旧大日本帝国陸軍に召集されたことのある死んだ爺さんが言ってました!www
354名無し三等兵:2008/07/25(金) 00:39:21 ID:???
>>353
嘘くさい。
355名無し三等兵:2008/07/25(金) 00:39:40 ID:???
新大日本帝国もあるんだろうか…
俺は旧大日本帝国なんてのも知らんのだけどな。
356名無し三等兵:2008/07/25(金) 00:41:42 ID:???
あ、わかった。
大韓帝国の事か!
357名無し三等兵:2008/07/25(金) 11:04:57 ID:???
>>353
日本軍の程度が低かったから。日本軍が素晴らしい軍隊だったとか言うのは、
バカの右翼の脳内にだけ存在する妄想だし。
358名無し三等兵:2008/07/25(金) 16:09:08 ID:1zNMGUF1
んな事ないがな
359名無し三等兵:2008/07/25(金) 16:58:51 ID:???
んなもん世界中何処の軍隊でもそう変わるもんじゃなかろう。
軍隊をお上品なパブリックスクールと同じだと思ってるのか、この坊っちゃんは。

おっと、陰湿なイジメはパブリックスクールのお家芸でしたか。
360名無し三等兵:2008/07/25(金) 18:01:35 ID:???
>>359
>軍隊をお上品なパブリックスクール

    /ノ 0ヽ
   _|___|_
   ヽ( # ゚Д゚)ノ  < そんなんだったら俺の働く場がないぞゴルァ!
     | 个 |      
    ノ| ̄ ̄ヽ
     ∪⌒∪
361名無し三等兵:2008/07/25(金) 19:25:39 ID:???
>>359
> んなもん世界中何処の軍隊でもそう変わるもんじゃなかろう。

お前の妄想なんて誰も聞いてないよ。日本軍は無能な軍幹部に率いられた烏合の衆
でしかなかった。ガダルカナルとかインパールとか、あれが無能な軍隊で無くて何だと
言うんだ。やっぱりネット右翼ってバカだなぁ。根拠なく国をホルホルするところ
なんざ、朝鮮人どもとウリ2つだw
362民明書房:2008/07/25(金) 19:58:58 ID:???
『2chは己を写す鏡である』

けだし名言よのう
363名無し三等兵:2008/07/25(金) 20:00:17 ID:33xhTiU0

莫迦ネット右翼!!w
と死んだ爺さんが言ってます!!w
364名無し三等兵:2008/07/25(金) 20:02:52 ID:???
>>361
無能でない指揮官も少なからずいたぞ。
大損害を出した作戦では当然指揮官の名が知れ渡るから「有名なバカ」はいる。
それほど負けてないところの指揮官は問題にならないからみんな知らないだけ。

大日本帝国の問題点は意思決定の硬直性と極端な精神主義。
これが罷り通ってまともな人間が排除されたのが1930年代以降の失敗の原因。

旧軍については「兵士は勇敢、下士官は粘り強い」って評がある。
負けた作戦では上級将校が無能だっただけ。

で、一般論として「負けた軍隊はどこも似たり寄ったりじゃないの?」ってこと。
365名無し三等兵:2008/07/25(金) 20:13:33 ID:???
>>364
旧軍憎しの余り、ボクちゃんの意見を否定する奴は皆ネット右翼!
とか言い出しかねない子だから、真面目に相手すると夏バテしちゃうぞ。

ところで土用丑の鰻は食したかね?
366名無し三等兵:2008/07/25(金) 20:43:30 ID:???
>>364
>無能でない指揮官も少なからずいたぞ。

バーカ。100%無能だなんて誰が言ってる。そりゃ何人かは有能な人間が
いたのは確かだろう。山本五十六とかな。しかし、勝てない戦争を始める段階で
軍の無能は明らかだよw

> 負けた軍隊はどこも似たり寄ったりじゃないの?

それは、日本軍=無能と言っているのと同じ。無能な軍幹部に率いられた烏合の衆
だから戦争に負ける。負けるような戦争を始めてしまう。
367名無し三等兵:2008/07/25(金) 21:01:16 ID:???
散々語りつくされたことを、何いまさら偉そうに語ってんだか・・・
夏だなぁ・・・
368名無し三等兵:2008/07/25(金) 21:03:51 ID:???
>>367
それすら理解できていない>>364に言ってくれw
369名無し三等兵:2008/07/25(金) 21:04:32 ID:???
山本五十六ね…フフン。(AA略)
370名無し三等兵:2008/07/25(金) 21:13:54 ID:???
>>367
本とかだけ読んでるとこうなるよね

最近、武田○矢とかも自分の番組や口演会でトンデモ歴史観振り撒いてるけど、
同じリクツだよな
(オハイオ州でおはいお・・・おはいぉ・・・おはぃぉ・・・おはよう!級のw
371名無し三等兵:2008/07/25(金) 21:14:38 ID:???
なんだ、新手の釣りかw
372名無し三等兵:2008/07/25(金) 21:24:13 ID:???
何本のもの釣り針を体に引っ掛けながら
悠然と泳ぐウミガメを思い出した
もう夏だからね・・・
373名無し三等兵:2008/07/25(金) 21:30:35 ID:???
>>372
釣り針には強いけど、
コンビニ袋で即死!orz
374名無し三等兵:2008/07/25(金) 21:32:13 ID:jmfTDGVk
60数年前戦中の兵士達たちが、2ちゃんねるというばで
あほな事を激論できるほど日本が平和になってるとどれだけの
方たちが思ったことだろう。
私たち後生のため亡くなられた英霊たちへ合掌。
良い意味悪い意味で日本は平和ですよ。
375名無し三等兵:2008/07/25(金) 21:36:43 ID:???
2ch情報を真に受けるアホが大量に湧くようになるとは想像もできんかっただろう。
376名無し三等兵:2008/07/25(金) 21:57:29 ID:???
かなり読み飛ばした。
377名無し三等兵:2008/07/25(金) 22:08:51 ID:???
>>376
ぶっちゃけ>>353-375は意味ないからおk

次の増槽投下まだですか
378名無し三等兵:2008/07/25(金) 23:02:03 ID:???
何だかんだと利いた風なことを言ってる阿呆はな、勝ってるときには自分の手柄のように騒ぎ立てて、
戦後になると手の平を返した連中の類似品だから、生態を観察しておくと為になるよ。
379名無し三等兵:2008/07/26(土) 00:06:43 ID:??? BE:2141069388-2BP(0)
無能・有能な指揮官と言うと、四年前に死んだ爺さんに聞いた話を思い出した。
場所は中国、ソ連との国境近辺で、爺さんは通信兵だったそうだが、
通信機の修理だかでアンテナの取り外し作業をしていた時の事。
アンテナといっても、支柱の上に取り付けてあったのは30センチほどの金属の棒。
その取り外し作業をしていた兵隊が、アンテナを上から落っことしてしまった。
380名無し三等兵:2008/07/26(土) 00:07:35 ID:??? BE:702539137-2BP(0)
周囲は草むらで、取り外したアンテナはそう遠くに落ちた筈は無いのだが、
その30センチほどの金属棒は、いくら探しても見つからない。
そうこうしているうちに、上官がやって来た。
「貴様ら、一体何を探して居るのか。」
その上官は日頃から、細かい事でグチグチとうるさい奴で、
「やべー・・・」と思いながらも「・・・いぇ、そのう・・・実は」と説明すると
「バカモーン!恐れ多くも陛下より賜った・・・」
ときた。
381名無し三等兵:2008/07/26(土) 00:08:24 ID:??? BE:602175863-2BP(0)
言っても無くしたのは、ただの金属の棒。
予備部品もある筈だが、上官の怒りは収まらない。
「部隊を全員集めろ!草むらに一列に並んで、隅から隅まで徹底的に探せ!」
そしてこう付け加えた。
「アンテナが見つかるまで、全員メシは抜きだ!」
部隊全員が集まり、言われたとおりに一列に並んで草むらを掻き分けたが、
いくら探しても見つからない。
382名無し三等兵:2008/07/26(土) 00:09:37 ID:??? BE:936717874-2BP(0)
で、そこに更に上の士官が来た。
「あー、貴様ら、一体何を探しているんだ?」
士官に答えたのはアンテナ探しを命じた、口うるさい例の上官。
後からやってきた士官は、事情を聞いて激怒。
「貴様は兵士に一体何をやらせておるか!何時戦闘が起こるか分からない部下に、
メシを食わさないとは何事か!
アンテナは新しいものに交換し、作業をやめて、すぐ兵に食事を与えよ!」

こうして爺さん達はその日の夕食にありついたそうだ。
有能・無能な指揮官と言うのとはちと違うかもしれんが、色々居たんだろうな。
ちなみに、なくしたアンテナはその後も見つからなかったそうだ。
383名無し三等兵:2008/07/26(土) 00:18:46 ID:???
>>361
>364がバカだったらあんたは中身のないことを吹いてるだけだよな。
人格低劣はやだね。
384名無し三等兵:2008/07/26(土) 00:32:24 ID:???
>>378
郵政選挙の時には大喜びして小泉を賛美してたのに、自分の給料が減ったら
手の平を返したように文句を言い出す国士様とかね。参考になるよね。
385名無し三等兵:2008/07/26(土) 00:34:33 ID:???
>>383
反論できなくなると「中身がない」とか言い出す負け犬の遠吠えは
もう聞き飽きましたよ。

> 人格低劣はやだね。

自己批判乙w
386名無し三等兵:2008/07/26(土) 01:47:33 ID:???
>>385
僕ちゃん早く寝なちゃいねぇ
387名無し三等兵:2008/07/26(土) 01:57:09 ID:???
ママン、もう夏休みだよ?
388名無し三等兵:2008/07/26(土) 02:10:23 ID:WQw/EhRT
おまいらスレ違いもいい加減にな
せっかく爺さんの話してくれた>>379が浮いとるがな

389名無し三等兵:2008/07/26(土) 02:37:26 ID:???
>>384
そりゃ単に現金なだけでしょ。
390名無し三等兵:2008/07/26(土) 05:59:03 ID:hQ+hUZS9
夏休みになると左翼教師が湧いてくるな・・・連日の猥褻行為乙
391名無し三等兵:2008/07/26(土) 08:08:29 ID:???
ウヨは童貞なの?
392名無し三等兵:2008/07/26(土) 09:41:53 ID:???
>>379
当時のどんなアンテナだろう
393名無し三等兵:2008/07/26(土) 10:07:00 ID:KdcKSpHQ
右も左も歴史なんだからしょうがない。
戦争に良い悪いは無い。

言える事は唯一つ、この国は60年以上他国と戦争をしていない。
他の国も見習えよ。
394名無し三等兵:2008/07/26(土) 10:11:39 ID:???
>>386 >>390
反論できなくなるとわけのわからんことを言い出す。社会の負犬ネット右翼
の典型例ですねw
395名無し三等兵:2008/07/26(土) 10:36:34 ID:???
>>392
ダイポールじゃないかな?
396名無し三等兵:2008/07/26(土) 10:43:34 ID:???
>>395
30cmの金属棒って波長は何MHzだ?UHFになるんじゃないの?
当時の日本にそんな技術があったのかな。
397名無し三等兵:2008/07/26(土) 10:55:41 ID:???
>>396
500MHz
この程度なら当時の技術でも何とかなる
398名無し三等兵:2008/07/26(土) 11:46:56 ID:???
>>389
おなじことさ
399名無し三等兵:2008/07/26(土) 12:10:46 ID:DECtVNP+

戦時中にも口先だけの愛国主義者は沢山存在していた!www と死んだ爺さん婆さんが云ってました!www
400名無し三等兵:2008/07/26(土) 12:13:01 ID:DECtVNP+

そして終戦直後にその人達は戦犯を恐れ親米派に早変わりした!www と死んだ爺さん婆さんが云ってました!www
401名無し三等兵:2008/07/26(土) 12:19:06 ID:DECtVNP+

口先だけのナショナリズムを声高に吹聴し、終戦となったトタンに戦犯になるのを恐れ一目散に雲隠れした偽愛国主義者が沢山居た!www と死んだ爺さん婆さんが云ってました!www
402名無し三等兵:2008/07/26(土) 12:23:11 ID:DECtVNP+

あの大東亜戦争は、日本人一人ひとりそして全体の性格を浮き彫りにした戦争だった!www と死んだ爺さん婆さんが云ってました!www
403名無し三等兵:2008/07/26(土) 12:27:22 ID:DECtVNP+

あの大東亜戦争は、他人に辛く自分には甘いと云ふ馬鹿右翼の性格を浮き彫りにした戦争だった!www と死んだ爺さん婆さんが云ってました!www
404名無し三等兵:2008/07/26(土) 12:29:00 ID:DECtVNP+

もう大東亜戦争は日本敗戦と云ふことで終わった!www浮き彫りにした戦争だった!www と死んだ爺さん婆さんが云ってました!www
405名無し三等兵:2008/07/26(土) 12:31:34 ID:DECtVNP+

死んだ爺さん婆さんが云ってました!www
406名無し三等兵:2008/07/26(土) 13:35:43 ID:BcUrbEDt
夏休みだもんなぁ…
407名無し三等兵:2008/07/26(土) 14:15:12 ID:???
ID:DECtVNP+の荒涼たる人生が伝わってきて、ちょっと涼しくなったよ。
408名無し三等兵:2008/07/26(土) 16:56:43 ID:RV5lzKOE
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/budou/1208652948/l50
で↓こんなことを書き込んでいるヤツがいるが・・・

325 :名無しさん@一本勝ち:2008/07/25(金) 09:37:40 ID:aQgprwEN0
沖縄戦で沖縄人がヌンチャクで米軍を苦しめたという史実を知らんのか

409名無し三等兵:2008/07/26(土) 17:09:33 ID:KdcKSpHQ
>>408
お互い弾薬尽きた白兵戦では、あったかもしれんぞ。
410島田戦車隊:2008/07/26(土) 17:57:25 ID:???
411名無し三等兵:2008/07/26(土) 18:08:50 ID:DECtVNP+
>>410
ブリキの戦車隊はM4シャーマン戦車の前に壊滅した……と死んだ爺さん婆さんが云ふてます!www
412名無し三等兵:2008/07/26(土) 18:15:20 ID:???
>>408
どう考えても着剣したガーランドの方が間合いが長いと思うんだが
413名無し三等兵:2008/07/26(土) 18:23:06 ID:DECtVNP+

今日本国内の自然界でも外来生物の襲来を受け、日本国内固有の生物が駆逐されようとしている。
前回の大東亜戦争はそれににている……と死んだ爺さん婆さんが云ふてます!www
414名無し三等兵:2008/07/26(土) 18:46:34 ID:KdcKSpHQ
>>410
森山の歌嫌い。
415名無し三等兵:2008/07/26(土) 18:54:47 ID:???
ID:DECtVNP+は今反抗期を迎えていおります。
人格形成に必要なステップですので生暖かく見守ってあげて下さい。
416名無し三等兵:2008/07/26(土) 22:09:37 ID:???
>>390
今どき左翼だなんて、動体保存されている「生きた化石・前世紀の遺物」の生態観察の絶好の機会じゃない。
417名無し三等兵:2008/07/26(土) 22:13:36 ID:???
>>414
なら誰がいいのかね? ぴんからトリオ?
418名無し三等兵:2008/07/26(土) 22:21:15 ID:???
>>416
今時、右とか左とか言ってるお前の頭も前世紀の遺物だな。
419名無し三等兵:2008/07/27(日) 01:12:20 ID:???
>>418
「生きた化石・前世紀の遺物」の常套句の一つ。
420名無し三等兵:2008/07/27(日) 01:39:17 ID:a5uy+NDZ
>>415
そう言えば俺んちの死んだ爺さんもこう言ってたよ。
あんな旧式のサンパチ式歩兵銃を後生大事にして戦場に行ったけど大して役に立たなかった。
敵の自動小銃には歯が立たなかった。
チャンコロ中国軍などと馬鹿にしてたが、それは支那事変初期の頃の話。
大東亜戦争後期頃になると、中国軍の装備も侮れないモノになっていた。

俺もキミのことを厳しく見守ってあげるよ。
421名無し三等兵:2008/07/27(日) 01:53:43 ID:???
大戦後半の中国戦線の日本軍て一部除いて南方に主力引き抜かれた後の独混組のイメージしかねぇな。
422名無し三等兵:2008/07/27(日) 08:46:28 ID:???
ウチのじい様もそんなところで戦ってたのか…

もう数年前に亡くなった爺ちゃん
中国の揚子江の上流あたりで戦ってたとか
相手勢力の中で一番怖いのは国民党軍…なんか日本で軍事訓練を受けたプロが多かったとかなんとか
共産党軍は力押しであんまり怖くなく、馬賊連中はやる気ゼロだったとか

オレが陸自に入って機関銃手をやるって言ったら
「遺書書けよ〜」って笑ってたっけな
423名無し三等兵:2008/07/27(日) 12:43:30 ID:NC0nPCmL
>>日本で軍事訓練を受けたプロが多かったとかなんとか
日本軍の凄さを知ったw。
寒い朝でも冷たい水を使って顔を洗う集団だったのかも。
424名無し三等兵:2008/07/27(日) 14:04:54 ID:???
それって陸士留学経験のある将校の話じゃないのか?
それよりもドイツからの軍事顧問団の方が影響大だと思うが…
425名無し三等兵:2008/07/27(日) 14:34:40 ID:???
>>424
無知な夏厨でしょ。馬鹿は放っておきなよ。
426名無し三等兵:2008/07/27(日) 14:47:52 ID:a5uy+NDZ

大東亜戦争後期になると米軍の武器貸与などにより中国軍の兵器装備が一新された。(全部じゃないけど)
また米軍の軍事顧問団による戦闘訓練により近代的戦闘法を身につけた。
以来、積極的に日本軍に対し攻撃を仕掛けるようになり日本軍は苦戦するようになった……。

終戦後、この事実を知った死んだMy爺さんは、敵を侮った結果がこのザマだ!w と云っていた。
427名無し三等兵:2008/07/27(日) 14:52:06 ID:a5uy+NDZ
>>421
それ満州国の関東軍じゃねぇ〜か?
428名無し三等兵:2008/07/27(日) 21:30:59 ID:???
祖父ではなく義父の話なんだが。

義父は戦争末期に徴兵された。
愛媛の人間だったが新兵訓練後、神戸に送られた。
船で戦地に向かう為、待機していて「生きては帰れまい」と考えていたそうだ。

で、何処へ向かうのかもわからん輸送船に乗り込み出航。
30分足らずで潜水艦の魚雷攻撃で撃沈、海に投げ出された。
海辺育ちの義父はなんとか泳いで帰り着いたが、ほとんどの人間は溺れたらしい。

そして次の船が来るまでまた待機。一週間ほども待たされ(輸送船が払底していたんだろう)
再び乗船、出航。またしても直後に魚雷で撃沈、またしても泳ぎ帰る。
そしてまたしても次の船が来るまで待機……してるうちに8月15日。
「もう帰っていいよ」と言われ帰宅。これが義父の戦争体験。

結婚して初めて嫁の実家に帰省した日の晩、義父が酒を飲みながら話してくれた。
「瀬戸内海の、あんな奥深くまで敵の潜水艦が来とったんじゃ勝ち目なんか無いわな」
「戦後結婚して娘が出来た。あん時死んどったら、こうして婿さんとも飲めんかったな」
義父の柔らかい笑顔が今も目に浮かぶ。その義父が亡くなってもう15年になる。
今年も嫁と盆に帰省して墓参りに行く予定だ。
429名無し三等兵:2008/07/27(日) 22:35:06 ID:???
一方、瀬戸内を抱える中国地方では、戦中にいつになく夜這いが活発になっていた。
男が戦地にかりだされるため、残された女の性欲処理が困難になり、希少な男が総動員されたという。
430都井睦夫:2008/07/27(日) 23:19:01 ID:???
>>429
「さて、そろそろブローニングに弾を込めようかのう」
431名無し三等兵:2008/07/28(月) 00:17:22 ID:5FAmareP
>>430
何とか村のタタリじゃ〜〜!w てぇか!ww
432名無し三等兵:2008/07/28(月) 00:26:11 ID:9esNqYpT
水中戦車って知ってますか?いやこれ以上言うのやめよう
433名無し三等兵:2008/07/28(月) 00:37:21 ID:5FAmareP
子供の頃、近所の爺様がよく話していた。
昔の軍隊なんざヒデェーもんだったよ!
俺達兵隊なんざあんな時代遅れのセコイ武器持って戦わされたあげく、
勝ち目がないとなりゃー銃剣着けて敵の銃口めがけて突撃だ!……。
誰が考えたか知らねぇーけど……。情けねぇー話だよ!……。
434名無し三等兵:2008/07/28(月) 01:00:23 ID:???
実家で古い書籍をなんとはなしに手に取ったら、
祖父が支那事変で、朝鮮丸3000噸で宇品から渡ったという手記が出てきた。
軍医で従軍して、踵打ちぬかれて、九死に一生を拾った男だった。

詳しい話は、また来週拾い読みしてくるので乞うご期待である。
435名無し三等兵:2008/07/28(月) 01:36:55 ID:???
>>429
聞いたことあるな
少ない男がフル稼働で死人が出たとか
436名無し三等兵:2008/07/28(月) 02:20:00 ID:???
>>427
全般にそうじゃない。
437名無し三等兵:2008/07/28(月) 04:07:32 ID:???
>>434
に期待。

ちなみに379〜382で書いた、ウチのじーさんだが
その後、じーさんの部隊は沖縄戦に移動するはずだったが
(多分行ってたら危なかったろうな)特命を受けてじーさんだけ除隊。
とあるものを探して、一人でモンゴルの草原を馬に乗って旅してた。
そのまま終戦。
438名無し三等兵:2008/07/28(月) 04:09:51 ID:???
>>437
ありゃ、「沖縄戦」になってる。
「沖縄」な。
439名無し三等兵:2008/07/28(月) 08:39:18 ID:???
るろ剣星霜編みたいですな。
440名無し三等兵:2008/07/28(月) 23:30:41 ID:???
ジーちゃんじゃなくてバーちゃん(存命)の話なんだが、
そん時はまだ8歳くらいで戦争が終わる数ヶ月前に戦車とトラックの車列が当時住んでた町の街道を
通った事があるそうな。同級生の皆で手を振ったら疲れた顔をして戦車から身を出してた兵隊さんが
笑って手を振ってくれたそうな。
ちなみにバーちゃんは新潟出身。
441名無し三等兵:2008/07/28(月) 23:37:41 ID:???
戦車第一師団が満州から内地に転進した時のお話じゃな。
442名無し三等兵:2008/07/28(月) 23:42:22 ID:???
俺の婆ちゃんも新潟出身だ。
戦争の話は俺が、保育園くらいの時、
昔、竹槍訓練したって事や、アメリカの戦闘機が低空飛行した時わらの中に隠れた話
長岡空襲を屋根から見たって話くらいしか聞いたことない

ちなみに爺さんも新潟出身で当時、舞鶴の海軍部隊(高射砲部隊?)に居たらしい
ちなみに当時の事は機銃掃射が怖かったって事くらいしか聞いたこと無い
443名無し三等兵:2008/07/28(月) 23:49:52 ID:5FAmareP
>>441
ブリキの戦車第一師団ですか?w
444名無し三等兵:2008/07/29(火) 08:13:16 ID:XwPfYQPp
>>440
その手を振ってくれた兵隊さんは、福田 定一少尉かもしれませんね。
445名無し三等兵:2008/07/29(火) 09:58:09 ID:iO4IQqMW
うちの祖父の叔父の話。

明治大学卒だが語学堪能だったために陸軍中野学校に入る。

大陸戦線で中国人に化けていたが、水の使い方で日本人とバレた(「日本人は大体これでバレた」とのこと。中国人は水を大事に使うが日本人は水に恵まれているからな)。

処刑されることになったが顔が美男子なために現地人のクーニャンに助けてて貰って逃げることが出来た。ちなみにその時にクーニャンに対して「結婚しよう」と言って騙したらしい。

その後、そのクーニャンが隊か戦後日本に渡って来て結婚を迫ったらしいが「あれは緊急時のこと」と追い返したと聞いた(多分隊だろうな)。

残念なことは俺には語学の才野も美男子な遺伝子も受け継がれなかったことだ。
446名無し三等兵:2008/07/29(火) 11:13:48 ID:???
>>445
全部魂とともに中国大陸においてきてしまったに違いない。
惜しいことだ。
447島田戦車隊:2008/07/29(火) 12:12:59 ID:???
読売新聞広告やケーブルTVの宣伝で頻繁だが、
「太平洋戦争」DVD全10巻38000円を買おうか買うまいか考えてる。
448名無し三等兵:2008/07/29(火) 14:47:11 ID:???
>>447
その金でZARD SingleBOX¥38000を買え
449名無し三等兵:2008/07/29(火) 18:19:36 ID:???
>>447
その金でウォン現物を全力買い
450名無し三等兵:2008/07/29(火) 20:38:48 ID:???
>>428
バシー海峡の話を思い出した。
大戦末期、ろくな装備も無いまま頭数だけ揃えて貨物船に乗せるが、到着前にバシーで撃沈される。
するとまた同じように次の兵員を船に乗せ、またバシーで撃沈。また出す。また撃沈。
その精神性と絶望感を以って日本の敗因と山本七平か誰かが考察してた。
451名無し三等兵:2008/07/29(火) 22:36:01 ID:0VBSKVfp
mm
452名無し三等兵:2008/07/29(火) 23:00:22 ID:???
>>447
>>448-449も買っちまえw
453名無し三等兵:2008/07/29(火) 23:37:45 ID:???
2人の息子を両方とも南方の前線で亡くした人の話を聞いた事がある。
さぞ辛かっただろう。そういった人たちのことを考えられないバカが安易に
暴力を肯定するわけだな。
454名無し三等兵:2008/07/30(水) 00:27:10 ID:jTS7nYLu
私の曾祖父はWW1に陸軍下士官として参戦した。ところが、どう考えても独墺に敵愾心が湧かず、
兵卒の雰囲気もなんかダルダルだったらしい。「なんで僕らの先生である独墺と戦争するんだろう?」
というのが本音だったそうな。

 後年、日中戦争に将校として参戦。その時はドイツとの戦争よりは戦意が湧いたものの、
「こんな泥仕合するのも意味無いような?」と考えていたそう。
 初めて敵愾心や戦意がめらめらと燃えたのは対米英に宣戦したあとだったそうで。
中国で戦争していたけれど、マレーと真珠湾があってから部隊のテンションも上がったみたい。
「いつかはアメリカやイギリスとガチで戦うぞ!」との気合いが漲っていたものの、結局
最後まで中国でパーロ軍や匪賊を追い回す日々。そのお陰で生き残れたけど、「戦争に敗れた」
という実感が無く、戦闘停止命令に愕然。その後引き上げて、焼け野原になった郷土をみて、
やっと「敗戦」を実感したそうです。
455名無し三等兵:2008/07/30(水) 00:54:53 ID:0hEpa9OY
>>444
福田さんはその頃の話になると人が変わったと思うほど怒ってたな。
456名無し三等兵:2008/07/30(水) 01:51:10 ID:7PoXcqQ3
>>447
すでに申し込みました。

今NHKのやつ観たけど・・・自分の爺さん世代があんな地獄を・・・
もう、言葉がでない。
今、こうして平和ボケするくらい平和で豊かな毎日を
送らせて貰っていることに、心から感謝しています。
戦没者と戦争犠牲者全ての皆さん、どうか安らかにお眠り下さい。

戦争程、無意味なものはないですね。戦争なんで二度とするもんじゃない。
457名無し三等兵:2008/07/30(水) 01:59:13 ID:???
うちの爺は満州から内地に戻されて中佐に昇進した時点で日本の負けを自覚したらしい
次は南方に移動かと思ってたら何か知らんがずっと東京にいたそうだ
1942年11月の時点で敗北を認めてた爺は凄いと思う
458大空の偽サムライ!w:2008/07/30(水) 02:00:56 ID:ipGI7YxE
>>456
二度あることは三度ある……!w 昔から云ふでしょ!w
歴史は繰り返す……で仕方ない……処置ナシ!www
乙!www
459曇り空のニセサムライ!w:2008/07/30(水) 02:09:36 ID:ipGI7YxE
>>456
大空の偽サムライ!w 改め 曇り空のニセサムライ!w。

NHKのやつワシも観たよ!w
460名無し三等兵:2008/07/30(水) 03:18:34 ID:???
痛いから消えれ
461名無し三等兵:2008/07/30(水) 06:03:27 ID:7PoXcqQ3
>>458
はいはい。さっさと半島に帰れww
462名無し三等兵:2008/07/30(水) 10:24:57 ID:???
まあ『軍需』がある限り戦争はなくなんないだろうな。日本もそれで復活したわけだし、
今のアメリカも世界の警察にかこつけて結局はそれ目当てだし。
463名無し三等兵:2008/07/30(水) 11:33:23 ID:???
うちの爺さんは東京の大田付近の軍需工場で働いていたときにB29の空襲にあったと。
高射砲の弾はなかなか当たらなくて、B29か迎撃機の機銃弾は、実に綺麗だったと
で・・堕ちたB29を見に行ったら、搭乗員の死体をみんなで蹴ってたそうです。
464名無し三等兵:2008/07/30(水) 13:36:50 ID:???
ちょっとチラシの裏っぽい話で恐縮なんだが

俺の祖父は当時のエリートコースである旧制一高から東京帝大に進学した程優秀だったのだが
小学生だか中学校の時はもっと優秀な人がいて、その人が常に主席で祖父はいつも次席だったそうだ。
だけどその人はその後陸軍幼年学校へ進学して、最後は南方(多分ガダルカナルらしい)で戦死したそうだ。
祖父もその後学徒出陣で出征したけど軍隊は好きになれなかったらしい。
本人曰く「軍隊じゃあ帝大だからといって通用する訳じゃない。いろんな学校を出た士官がいたよ。」

あの戦争でなくなった多くの人達が生きていたら今とは全く違う世の中になってたんだろうなぁ・・・と思った。


465名無し三等兵:2008/07/30(水) 15:58:21 ID:???
こういう昔話になると『帝大出』ばかりが頻出するのはなぜなんだ?
二流三流大出の話なんか見たことねぇ。
466名無し三等兵:2008/07/30(水) 16:55:19 ID:???
>>465
ウチの爺さんは京都の某私大だわ。
召集受けて初年兵として入営、除隊後に家業継ぐ為
腰掛けのつもりでいたら当然シゴキまくられて、
耐えかねた挙げ句に幹候試験受けて甲種合格。
見習士官として本土決戦に備えてたが少尉任官前に終戦、
前倒しで少尉になって復員したらしい。
所謂ポツダム少尉だな。
467名無し三等兵:2008/07/30(水) 18:21:10 ID:???
>>465
二流三流大の名を孫に話すか?
468名無し三等兵:2008/07/30(水) 20:02:16 ID:???
>>467
うちの大伯父さんは、普通に
「頭も良くなかったし、貧乏だったから大学なんて行けなかった、軍隊はそれでも一人前に扱ってくれた」
みたいなことを言っていたが
469名無し三等兵:2008/07/30(水) 20:28:48 ID:???
>>465
当時は二流三流大行くぐらいなら義務教育終えてそのまま農家じゃね?
470名無し三等兵:2008/07/30(水) 21:18:42 ID:???
俺のじーさんによると帝大出ていると初年兵でも無理やり幹候志願させられて
すぐに将校だそうだ。

つかえない奴でも漢字が書ければ部隊付きの将校で勤まるのがデフォ。
471名無し三等兵:2008/07/30(水) 21:53:56 ID:???
スレ違いなのかも知れんが、中学の時の科学の教師が特攻隊の生き残りだった。
出撃準備で搭乗したら機上待機を命じられ、しばらくして終戦を知らされたそうな。
数日前に出撃した同期を思ってしばし動けなかったと言っていた。
472名無し三等兵:2008/07/30(水) 23:37:19 ID:???
>>469
てか、当時の基準だと、大学に行けるだけでエリート中のエリート。
473uaa:2008/07/31(木) 00:12:23 ID:bOveT3UD
大学どころか、中学(旧制)出てれば士官候補生。
今の自衛隊は大卒二士がゴロゴロいるそうだが・・・・
474名無し三等兵:2008/07/31(木) 00:43:29 ID:???
うちの爺さんって両方とも徴兵された軍人じゃないんだよね
だから赤紙とは無縁なのよ ようするに職業軍人だわな
終戦後は母方の爺さんは海上自衛隊に入隊
父方の爺さんは2年程度、普通の仕事したが合わなかったらしく陸上自衛隊に入隊
両方とも戦争の事は俺にはまったく話してくれなかった
母と父にもほとんど話す事はなかったらしい
ただTVで赤紙一枚でryってネタが出ると全否定してた
ワシは赤紙など送ってこられた事がない!と猛烈な勢いで怒っていた
唯一戦争の話をしてくれたのは、刀や銃剣で人を殺すと心に傷が残るから
これだけは覚えておけだった
 
475名無し三等兵:2008/07/31(木) 01:26:29 ID:???
>>474
俺の伯父が経験が有ると洩らした事があった。どんな意味だったか想像がつくよ。

その話とは別だが、伯父が居たのは精鋭部隊で常に進軍の先頭に置かれたらしい。
疲労困ぱいと精神的限界で夜間の行軍中に自決する兵もいたそうだ。
突撃時には左右の戦友がばたばた倒れるのに不思議と自分には当たらなかったと。
今の俺たちから見れば悪夢のような経験だな。
476名無し三等兵:2008/07/31(木) 01:34:00 ID:My/NOb+o
元々職業軍人だった祖父
戦争の事は家の中でも聞くと辛い記憶が蘇るからと
家族でも聞くのを控えてた。
でも、聞いてみたいと緊張しながら聞いてみた。

断片的に思い出される戦時中の事

歩兵第一聯隊の時、赤坂を軍服で歩いてると芸者さんからマッチを貰った事

塹壕で戦友と冗談を言いつつ、着弾する玉をひやひやしながらやりすごした事

インパール作戦では、山の中腹で交戦している友軍の曳光弾が綺麗で見入ってしまってた事

深夜、敵の宿舎を奇襲した際、敵がポーカーをやってた事
殺めた後、寄宿舎のドアから出たところ、初年兵が敵と勘違いして撃たれた弾が耳元を擦った事

など、楽しい事や残忍な事まで訥々と語ってくれました。
数日後、今度は自分の従軍記を完成させて手紙でいただきました。
手紙はすべての戦いを日付と簡単な感想を書いた物ですが、壮絶な戦いを続けてました。
最後に
昭和15年2月1日より21年6月6日。6年5月の軍隊生活が終った
の一行が印象的でした。
477464:2008/07/31(木) 02:21:43 ID:mvTmd9wI
>>465
いや本当の話だよ。
帝大って台湾、朝鮮も含めたら九校もあったわけだし、卒業生はかなりの数いるでしょ。

まぁ俺は低脳私文だがwwww
478名無し三等兵:2008/07/31(木) 06:35:28 ID:???
景気の言い話はみんなしたがるし、よくない話はしたがらない。
名の通った私大はみんな1920年ごろに学位授与資格を持つ旧制大学に昇格。
兵卒で野垂れ死にしそうになった話はここにはめったに出てこない。
逆に加害体験も出てこない。
ピー屋でハメまくったなんて話もでてこない。
そんなもんだ。
479名無し三等兵:2008/07/31(木) 07:13:23 ID:???
戦争後期の陸軍は将校や下士官が不足したからね。
ドイツみたいに将校訓練キャンプなんて作って古参下士官を短期間の研修で将校に仕立て
上げればよかったのに変な伝統が邪魔をした。

かたや、俺のじーさんのように帝大出て就職してから一兵卒として徴兵されて、部隊推薦の
情実で軍隊要務令の丸暗記だけで将校になれたなんて人もいる。
まあ、幸か不幸か、本土決戦用の貼り付け師団配属だけどね。

当然に前線出てないから、軍隊では食い物が悪かった話しかしてないw

480信濃:2008/07/31(木) 08:49:49 ID:y44CCnS2
 恐れ入ります 。空母 信濃の建造に携わった方の 話を聞きたいのですが。
481国語教師:2008/07/31(木) 10:37:35 ID:???
>>480
聞きたいのですが 何だね?
君も永眠したとはいえ日本男児ならちゃんとした日本語使いなさい
482名無し三等兵:2008/07/31(木) 14:39:02 ID:???
俺のダチでジーさまが陸軍で爆撃機の整備士をやってたって奴がいる。
そいつが持ってきた写真に爆撃機をバックにそいつのジーさまとジーさまと同期の操縦士が一緒に写ってるのがあってな、
なんでも「当時の爆撃機は軍事機密だったから勝手に撮ると処罰されるからってヒヤヒヤしながら撮った。」とそいつの
ジーさまが笑いながら言ってたらしい。
483名無し三等兵:2008/07/31(木) 14:52:31 ID:???
ひい爺さん→日露戦争で中国に出兵、尻に被弾して帰国。

爺さん→少年航空兵に志願、各務原飛行場あたりに勤務してたらしい。
戦中は南方に出向いて輸送艦を沈められたりリンパ節を痛めたり散々だったそうな。
戦後は神社?に婿入りしたらその家があまりに変な所だったもんで離婚、跡継ぎを失ってた親戚の養子になった。
えらく寒い所に行ったようなことも言ってたけどシベリアに抑留されたのかは不明。
3年前に亡くなったがもっと色んなこと聞いておけばよかったと後悔…
484名無し三等兵:2008/07/31(木) 15:48:14 ID:rTV/V+s4

昔の軍隊は「早飯・早糞」が芸のウチ!w と死んだ爺さんが云ふてました!www
485名無し三等兵:2008/07/31(木) 20:16:06 ID:???
>>484
俺は合格だな?
486名無し三等兵:2008/07/31(木) 20:54:31 ID:???
ノモンハンではケツにバケモノみたいな蚊がたかったらしい
487名無し三等兵:2008/07/31(木) 20:56:55 ID:???
親父が、近所で中国行った人って、あっちで何したか、見たか殆ど語らないと言ってた。
488名無し三等兵:2008/07/31(木) 21:24:21 ID:5+xNKziw
>>484
亡くなった婆ちゃんの親戚の話。
兵役の前は動作がノロノロだった。
しかし兵役から帰ってきたら動作が機敏になり食事をする時は
背筋をピンと伸ばして速攻で済ませるようになった。
しかし左手で箸を使う行為は何故か許されていた。
489名無し三等兵:2008/07/31(木) 21:58:36 ID:???
うちのじーちゃん、台湾で先生していて戦争の時には逓信隊に居たそうだ
リア厨の時に「家族の戦争体験を話そう」みたいな時間があってそれをいったら
挺身隊と間違われ、ブサヨだらけの学校だったので「挺身隊=慰安婦キーーッ」となり
ものすごくいたたまれない空気になった orz
490名無し三等兵:2008/07/31(木) 22:15:05 ID:???
>>489
女子挺身隊か…だとしても勤労動員か看護婦だよなぁ普通は。
まぁ俺は「女子」よりも「空中」を連想して、「パレンバン=空の神兵バンジャーイ」だったが。
491名無し三等兵:2008/07/31(木) 22:36:34 ID:???
>>487
その人が実際何をしたか、あるいはしてないかは別として、
「日本軍が中国で行ったといわれる行為」を世間が信じてるうちは
語りたくても語れないだろうな。
戦争で全く苦労してない人、いい目見た人たちも同様。
都合のいい証言だけを嬉々として垂れ流すマスコミは百害あって一利なし。
492名無し三等兵:2008/07/31(木) 23:06:52 ID:???
>>491
戦争なんでそこそこ色々やったとは思うがね。

100人斬り南京30万人はネタだろうが。
493島田戦車隊:2008/08/01(金) 09:52:49 ID:???
田舎の家のお隣さん。大正15年生まれ。農協の職員だったそうで、
戦前から台湾入植者の指導(なにやらゴムの木などの栽培関係)で
台湾行き来していたそうだ。

台湾では味方の飛行機が活躍してたから、あまり空襲等の脅威はなかったようだが
(戦争終了後すぐに帰ってこられたらしい)
日本へ行き来する道中が一番怖かったらしい。
乗客総出で、海面を注視し、雷跡見つけるよう船長から言われるんだと。
494名無し三等兵:2008/08/01(金) 11:03:11 ID:8yrjIJaW
>>493
そりゃテェーヘんだ!
495名無し三等兵:2008/08/01(金) 11:10:16 ID:???
雷跡見つけてしまっても大変だね
496名無し三等兵:2008/08/01(金) 11:17:47 ID:???
今年死んだ祖父の遺品整理していたら「軍隊手帳」が出てきた。
履歴書みたいな経歴欄もあって、はじめて祖父の戦争の行路を知った。
生前は全く話したがらなかったからね。
傷痍軍人だったけど、どういう場面で傷を負ったのかも書かれていた。
その後の病院を転々としている病院名も記入されていた。
いつか辿ってみたい。
497島田戦車隊:2008/08/01(金) 15:48:42 ID:???
輸送艦や商船なんかは魚雷1発で即沈だから、魚雷当たったらすぐに海に飛び込むんだろう。
もちろんカッターなんて下ろしている暇なんかなかっただろうし、
船倉の下のほうにいるとかなりやばいんじゃあないかなあ。
実際、このスレでも飛び込んで助かったってのがあるし、
甲板にいたほうが生存率高かったんだろうな。機銃掃射はあぶないが。
498名無し三等兵:2008/08/01(金) 16:21:03 ID:???
うちのじーさん、戦時中は陸軍にて満州に出征してたそうで
よく「満州はとても寒かった」っていってた
沖縄出身なもんで、氷点下で金属に触れたら危険だってことが
いまいち把握できてなかったらしく、試しに目の前の戦車を素手で触れてみたら
皮をもってかれそうになってとてもあせったらしいw

終戦で復員するときは、小銃などの装備は全部土中に埋めて
みんなで歩いて帰って来たとしか話してくれなかったが
ここの過去スレとかも読んでどんだけ大変だったかわかったよ
もっと話を聞いとくんだった…
499名無し三等兵:2008/08/01(金) 20:38:19 ID:1neC/F8B
子供のころじいさまから聞いたもうずいぶん昔の話、ほかの戦争体験者と同じように
あまり話さなかったけど、ずっとトラウマになってた話。じいさまいわく
人間すぐ死ぬやつと死なないやつがいたと話してくれた。撃たれて致命傷
ではないなと思ってたのが、すぐに死んだり砲撃くらって内臓はみ出し水
で洗い簡単に手当されただけの人が助かったりと。やだね子供のころ
ずーっとそのことが気になってやだった。
500名無し三等兵:2008/08/01(金) 21:06:55 ID:4WwQtNsJ
 海軍だったので、戦死した場所は教えられたけれど、乗っていた艦の名前は教えてもらえなかった。
 どの戦艦がどのルートでどこに行くのかは国家機密だとかで。
 「たぶん今回は生きて戻れない」(WWW1は生還。出かける時も「行ってくる」とあっさりしていた)
と、髪を切り、墓にはそれを埋めるように家族に言ったので、たぶん敗戦することは分かっていたようです。
 
 
501名無し三等兵:2008/08/01(金) 21:12:12 ID:???
うちの曾祖父さんの話。
残念ながら生きてあったことはないので曾祖母や祖母からの伝聞になる。(現在は両人とも故人)

曾祖父さんは長崎の三菱造船所、おそらく当時の兵器製作所の方に居たと思われる。
技師でちょっとエライ人だったらしい。で、そこで何をしていたかというと、酸素魚雷に関わっていたと。

酸素魚雷って呉で開発していたような記録があったので、どういうことだろうと
色々聞いたり調べたりしてみたら、どうも酸素魚雷の技術を応用した新型機関
(回天用だったらしい・・・)を開発していたようで、それが秋水に流用されたと。

戦後見事に戦犯になってしまい、長崎に島流し状態になったものの、
英語はペラペラだったので、外人が家にまで押しかけて来て何かの資料を広げて討論会。
かなりのロケットマニアだったそうです。

祖母が言うには、図面はものすごく上手いが実物は作れない。
私の勉強机は、図面だけなら10種類はあったと言ってました(笑)

会いたかったなぁ。
502名無し三等兵:2008/08/01(金) 21:16:05 ID:???
>>268
> 金(キム)なんかちょっとでいいんですよ。
>
>
>
>
> 申し訳ありません、わたくし、今、嘘をついておりました
503名無し三等兵:2008/08/01(金) 21:30:51 ID:cUU+rLc0
もうとっくに亡くなっているじいさんは中学校の教師だった。
教育関係者は大事にされていたと言っていた。
招集されたのは終戦3日前とのこと。

そのじいさんの近所にテストパイロットが住んでいたそうだ。
その人や他の技師などがOKしないと、試作機が没になる。
んで、ベニヤ板だか段ボールだかの飛行機のテストやらされて、
「こんなもん認めるわけにはいかない!」と怒り狂ったんだそうだ。
そしたら軍関係者があっさり引き下がって、お土産のお菓子を渡してきた。
その箱の底にぎっしり札束が敷いてあったとのこと。
それを見てテストパイロットは「仲間の命を売るつもりはない!」と突き返したそうだ。

戦後、その人は焼き鳥屋をはじめたんだが、経営が思わしくなく、
「あの金を受け取ってればもっと楽な生活できたのになぁ」
と笑いながら言っていた。



いや、別にオチはないよ。
504名無し三等兵:2008/08/01(金) 21:31:46 ID:???
>>493
>田舎の家のお隣さん。大正15年生まれ。農協の職員だったそうで、
大正15年=昭和元年
505名無し三等兵:2008/08/01(金) 21:41:06 ID:???
>>503
それがかっこいいんじゃないか。
506名無し三等兵:2008/08/01(金) 21:51:03 ID:ubMRsAPN
ジイさんも中国と満州にいたらしいが 満州なんか 結構白系ロシア人も多数いて
しかも美人が多かったらしい。
満州では、軍票とか使っていたが 一応日本の占領地は、軍票で決済とかが
決まりだったらしいが 実際は、ウラで各国通貨でのヤミ決済とかで
ドル札もウラでは流通して ソ連の通貨やらも流通していたらしい。
終戦直前になると、現地人の中国人でも露骨に 軍票での決済拒否して
物資売らないとかで 戦後は軍票も使えず 物々交換のようなこともしたとか
507名無し三等兵:2008/08/01(金) 21:54:19 ID:???
中国東北部って、今でも美人の産地らしいじゃん。
508名無し三等兵:2008/08/01(金) 22:39:35 ID:???
>>503 キー115「剣」の首席審査官、高島亮一少佐ですな。
材質以前の問題として、まっすぐ前に飛ぶ性能がなかったと回想録で書いてましたよ。
509名無し三等兵:2008/08/01(金) 22:56:23 ID:Vtf6auN2
うちのじい様は大陸で戦ってたらしい
13聯隊入隊渡支前って裏に書いた軍服の写真があった
たしか37年とか書いてあった
地元で13聯隊っていったらおそらく13師団だろうから、ちょうど2師団の留守師団編成時のだと思う
今は思い出せないほど昔には戦争の話も聞いたりしたけど、去年死んじまった

おそらく13師団だろうとあたりはつけたけど
輜重13聯隊と工兵13聯隊どっちの聯隊か不明
復員してから工場経営したからおそらく工兵
それ以上はよく分からん
510名無し三等兵:2008/08/01(金) 23:52:24 ID:???
すまん、ずぅ〜っと前に
友人に石原莞爾のひ孫がいると書いたモノだが
本人に当スレについて尋ねたところ、丁重に断られた。

まず、友人が莞爾本人から直接聞いた話ではなく、
莞爾の娘(友人の婆ちゃん)からの話になるため伝聞になってしまうこと
伝聞のため歴史を歪曲して伝えてしまう可能性があり、
問題となってしまうのを避けたいとのことでした。

ただ、日本に戻ってからは生活面を含め大変苦労したそうです。

昔、一度書いてしまったため気になってました。
この場をお借りしてお詫びいたします。
511名無し三等兵:2008/08/02(土) 00:41:35 ID:???
うちの爺さんには歳の離れた兄貴が居て、海軍の士官だった。

久しぶりに実家に帰郷した兄貴は、
長身に真っ白な軍服を着て従卒を連れていて、
若い娘はだれもが振り向くかっこよさだった。

しかし玄関で出迎えた父は、
息子の目を見るなり一言「軍人馬鹿になるでないぞ」と釘を刺した。
意気揚々と帰郷した兄貴ががっくりとしょげ返っている姿は随分印象的だったと言う。

父親の思い出話をすると、決まってそのときのことが話題になったそうだ。
「あれには参った。親というのはありがたいものだ」と兄貴は照れ笑いしながら語ったと言う。
512名無し三等兵:2008/08/02(土) 00:59:30 ID:QJVQKdcc
>>503
>>508

スミソニアン博物館で「剣」を復元してたらしく、
その時に「剣」の実戦投入を最後まで阻止したテストパイロットが訪ねてきたという話があります。
剣は、桜花のような特攻機だったとか。
その人が高橋亮一少佐でしょうかね。
剣復元スタッフから敬意をもって迎えられたと聞いております。
513名無し三等兵:2008/08/02(土) 01:01:37 ID:???
私は軍事・軍用語に詳しくないので間違い等あるかも知れません。
この点、ご了承下さい。

俺の爺さん、戦争に召集されていたことは知っていたが、
戦争体験は何一つ話すことは無かった。
(俺の母を含め家族全員にも話してなかったらしい)

俺は大学受験で、防大に合格してて(試験料無料だったから受験してた)
他の本命大学に落ちちゃってたので、防大に行こうと思っていた。

そのとき爺さんに呼び出され、戦争体験をシミジミと語ってくれた。

話によると通信兵として最初は満州に行ってたらしい。
が、急遽一人東南アジアへ行くことになったとのこと。
数人いる通信兵の内、誰を南方へ連れて行くか?という話になったとき
上官が「皆、指を伸ばして手を上へ挙げろ。最初に指先が凍傷になったやつは
寒さに耐えられないと判断し、南へ送り込む。」

真っ先に凍傷になってしまった俺の爺さん。
○○(←爺さんの名前)!お前が行け!
と言われ、船に乗って(何に乗って何処経由で行ったのか失念)
他の仲間と一緒に東南アジアに向かった。

514名無し三等兵:2008/08/02(土) 01:03:27 ID:???
乗船中も通信兵として働いていたところ、敵戦闘機に見つかり、攻撃を受ける。
その時、通信兵は部屋内の長い机(会議とかで使う長机)に機器を載せ
横一列に座って任務を行っていた。
戦闘機は一定速度?で弾を一定間隔で撃つため、着弾間隔は40cm〜50cm。
(位だったと言っていた)
両隣に座っていた通信兵仲間は運悪く弾に当たって死んで、爺さんだけが生き残った。

さらに魚雷攻撃を受ける。

傾く船体。沈みそうな状況だったらしい。
沈むと思った人達は皆、助かるために海へ飛び込んだそうだが、
爺さんは泳げないので船の高いところまで上がって船にしがみ付いていた。

ところが、沈むと思われた船は幸いなことに途中で沈下が止まり浮遊物状態。
海に飛び込んだ仲間を助けようと思ったときは既に一面暗黒世界の夜になっており、
何処に誰がいるのか検討が付かない状態に。

と、近海を泳いでいたフカの群れが現れ、何も見えない静まり返った海原の中で
「ガブン」「ガブン」と不気味な音だけを残して海に飛び込んでいた仲間を
海中へ連れ去っていく。
飛び込まずに船内で生き残った連中は、その音を聞き、恐怖で足がすくみあがったそうだ。
515名無し三等兵:2008/08/02(土) 01:04:02 ID:???
翌朝、海に漂っていた仲間は一人もいなかった。
そして、運よく?敵戦艦に発見され、陸地も近かったこともあり
東南アジアで捕虜としての生活を送ったとのこと。

通信兵は敵を直接殺していないこともあり通信兵の待遇は悪くなく、
さらに捕虜中に、沖合いで座礁した敵戦艦を見つけ、乗組員を助けたため
他日本兵に比して早く日本に帰ることが出来たそうです。

ただ、戦争中、仲間が死んだとき火葬をして弔っていたが
その臭いが卵を焼いた臭いにそっくりだそうで、
トラウマのため、死ぬまで卵焼き、目玉焼きは食べられませんでした。

暗に防大には行かないでくれと言った爺さんの言葉に従い、
俺は防大に行くのを諦めたのだが、今さらながら、
行っておけばとちょっと後悔気味。

そんな爺さんが他界してはや3年。
今年位は墓参りしておきたいと思います。
516名無し三等兵:2008/08/02(土) 01:32:02 ID:???
>>515
それは「行かないでくれ」じゃなくて
「それだけの覚悟がないなら行くな(=覚悟を決めろ)」と言いたかったんじゃないか?
「暗に」だったらその辺りの取り違えがある可能性もある。
お前が入学をやめた時、爺さんは喜んでいたか?
517名無し三等兵:2008/08/02(土) 01:52:46 ID:???
>>516
ぬぉ! 「行くなら覚悟を決めて行け」との想いがあった可能性は想定外だった。。。
人の意思は尊重するタイプだったが、めずらしくそんな話を出してきたもので、
あぁ、本心では行ってほしくないのかなぁ、と感じていた。
元々寡黙で表情を表に出さない人だったし、その想いを汲み取るのは難しかったなぁ。

婆さん経由の話だと俺が辞退したときはホッとしていたみたいだが、
それも覚悟無い状態で行こうとしていた俺を心配していただけかも。

>>516
改めてありがとう。
もう一度死んだ爺さんの言動や生き様を思い出して、当時の爺さんの気持ちを顧みるよ。

もうお盆か。
518uaa:2008/08/02(土) 02:11:26 ID:7tu0lhXf
>>504
昭和元年は1週間くらいしかなかった。
519島田戦車隊:2008/08/02(土) 07:58:29 ID:???
>>500
防衛省に行ってきな。
膨大な記録があるから徹底的に調べてくれる。
戦死者遺族年金は出ない代わりにきっちりやってくれるよ。

>>501
水化ヒドラジンと過酸化水素の混合燃料が秋水の外燃機関。
酸素魚雷でも過酸化水素使っていたのかなあ。H2O2だからいけるのかも。
520名無し三等兵:2008/08/02(土) 08:33:57 ID:Bue9knhE
ジイサンは、戦時中は若いけど将校やっていたらしいが
戦争末期になると かなりの高齢入隊者でしかも再応召組とかで
下士官 兵隊が入隊してきて
一応 中国戦線でも実戦経験もあったり 戦功あったりで勲章持ちで
古参兵もタジタジのベテラン兵
ただし かなり当時でも中国戦線の話なんか 昔のような話で
時代遅れの武勇伝ばかり聞かされたそうで
部隊でも扱いづらい兵隊ばかりで困ったらしい。
521名無し三等兵:2008/08/02(土) 10:01:35 ID:???
>>516
それはどうかな。いくら覚悟があっても、下手したら自分より悲惨な状況に
なるかもしれないような職業に自分の孫を就けたい祖父がこの世にいるものかね。
「覚悟があれば」とか言うのは平時の話で、それはフカの餌になる可能性がない
からこそ出て来る台詞だと思うね。
522名無し三等兵:2008/08/02(土) 11:10:53 ID:???
毎日、実に読み応えのあるスレだ・・・・。
523名無し三等兵:2008/08/02(土) 11:41:32 ID:???
>>515
寡黙な爺さんが態々呼びつけ、孫に今まで話さなかった戦争体験を話す位だから
行って欲しくはなかったんだろう。
「おめでとう、お前も国の為に奉仕しろ」とか言う爺さんより、より人間的
だと思うが。
524名無し三等兵:2008/08/02(土) 13:12:17 ID:???
新隊員教育隊で機関銃手に選ばれたオレに
「遺書書いとけよ」って笑ってたウチのじい様が非道な人に思えてきた…

いや、冗談だとは思うんだけどね
525名無し三等兵:2008/08/02(土) 14:08:21 ID:???
>「遺書書いとけよ」って笑ってたウチのじい様

もちろん冗談だろう。
その程度の冗談を「英霊に対して不謹慎だ」などと曲げて捉える人もいるが、
あれは偏狭に過ぎる。

可愛い孫にきわどい冗談をぶつけるのは、
それが絶対に現実にならないという確信と安心があるからだ。

平和な時代だからこそ言える冗談というのは存在する。
そんな冗談が言える平和を、あなたのおじいさんは愛しているのだろう。
526名無し三等兵:2008/08/02(土) 14:24:06 ID:???
英霊とか言い出す奴にロクな人間はいない。
527名無し三等兵:2008/08/02(土) 15:55:46 ID:CDAFPCXJ
8月に入りました。
自分は毎年8月15日正午に靖国に行くのですが、
皆様も甲子園の途中のように、英霊に対して黙祷お願い致します。
528名無し三等兵:2008/08/02(土) 16:22:52 ID:???
確かに軽々しく靖国で英霊ごっこしてるガキにろくなのはいない。
529名無し三等兵:2008/08/02(土) 17:17:35 ID:znL2FzlD

 武器も無く、弾薬、食糧、医療品もなく……あんな悲惨な餓死や戦病死、特攻体当たり攻撃するのが英霊か?

 本当の英霊と云ふのは、最後の最後までまともな武器を以て勇敢に戦ったが、不運にも戦死した方々のことを「英霊」と云ふ。
530名無し三等兵:2008/08/02(土) 17:58:46 ID:???
>>529
みんな英霊だよボケ。
531名無し三等兵:2008/08/02(土) 18:07:50 ID:???
英霊とか言い出す奴にロクな人間はいない。
532名無し三等兵:2008/08/02(土) 18:11:29 ID:???
若い奴が軽々しく口にしても、薄ら寒いんだよな。
533名無し三等兵:2008/08/02(土) 18:26:46 ID:???
一部金持ちの利権のために、貧乏人が使い捨てにされるのは良くあること。
日本でもそうだったし、アメリカでは今でもそうだ。イラクやらアフガニスタン
で死んでるのは貧乏人の子弟。「英霊」という言葉を使う奴が胡散臭いのは、
そういう背景を無視しておかしな美化をしようとしているから。最前線で戦った
連中が戦友を「英霊」と呼ぶのならまだ良いけどな。
534名無し三等兵:2008/08/02(土) 18:34:41 ID:???
>>533
そういう事だな。
535名無し三等兵:2008/08/02(土) 19:11:41 ID:???
>>529
シジフォスを英雄と認めないのか
536名無し三等兵:2008/08/02(土) 20:26:48 ID:???
>>512 そう。昔、航空ファンに連載していた高橋少佐の回顧録に出てましたよ。
537名無し三等兵:2008/08/02(土) 20:39:12 ID:UsCUV6uc
大叔父は若いときに招集されて、中国大陸で戦闘に明け暮れた。
敗戦後、復員し、思い出したように当時のことを話した。

そのひとつ:
 
功を焦って、無謀な作戦を企てる上官がいると、全滅を恐れる部下が密かに始末した。
そこはよくしたもので、たいていどこの部隊本部にもベテランの事務担当がいて、
てなれたやりかたで、「名誉の戦死」 にしたてて、内地へ報告した。
 
「どこそこの部隊で上官が戦死」 といううわさは、展開する各地の部隊にただちに伝わり、
「さては、やられたな」 と兵士同士でささやきあうものだった。
 
軍隊の裏のしきたりをよく知った上官は、無謀な戦闘は極力避けた。
強い敵には、遭遇せぬよう迂回し、
もっぱら、弱い敵だけを襲わせ、後方に戦果を誇大報告した。
 
日中戦争の戦史で 「一部隊全滅(玉砕)」 という事例が少ないのはこういう事情による。
538名無し三等兵:2008/08/02(土) 21:16:54 ID:UAcNLnL5
ではなぜ牟田口を始末しなかったのかとw
玉砕が少ないのは、海に比べると陸の撤退戦は容易だからという理由もあるね。
539名無し三等兵:2008/08/02(土) 21:40:36 ID:VrsOoAYl
>>537
上官の敵は内部にアリ状態だね。
国民党軍より皇軍が怖いのかw。
540島田戦車隊:2008/08/02(土) 21:41:16 ID:???
ああ、ダメだ。10ch観てるが、涙が止まんない。
破壊力は蛍の墓なみ。
541名無し三等兵:2008/08/02(土) 21:53:12 ID:???
中国戦線は上官への復習の話、かなり多いね。
よく苛める上官が戦闘始まると後方から自分の周りに弾が飛んでくるとか。
それ以来、虐めが収まったとか。
542名無し三等兵:2008/08/02(土) 22:10:19 ID:???
sage
543名無し三等兵:2008/08/02(土) 22:15:01 ID:VrsOoAYl
>>541
後ろからの一発だね。
漏れの父ちゃん(昭和10年代生まれ)は大陸から復員した先輩から
戦時中の話を散々聞いた。
だけど具体的な話を漏れにしてくれない。
凄い話が沢山あるらしい。
544名無し三等兵:2008/08/02(土) 22:53:58 ID:lQWHIu8k
具体的何して話しをしてくれないじやなくて具体的な話しがないと思われ

尾鰭がつきやすいからなあ
545名無し三等兵:2008/08/02(土) 23:23:01 ID:???
いや、引き揚げ方々は中国での日本軍の良い面、悪い面両方を見ている。
語りたくても語れない話もあるだろうよ。
546434:2008/08/02(土) 23:23:23 ID:???
434です。

実家で発掘してきた70年前の文書を公開します。

十二年十月の記事
-----

六日午后十一時八十島家より電話にて臨時召集令状に接す。
七日
八日午前九時頃 第一聯隊に入営
十三日十時出発 (午後)澁谷駅発
十四日早朝神戸着 一泊
十五日午後一時神戸発 朝鮮丸(三千噸)
   歩百一 歩百四十九
   僚船パナマ丸 歩百三 百五七
   コレラ第二次予防接種ヲ行フ
十六日  午後馬関海峡通過夕刻より風強し
十七日  風西強し
十八日  風西強し  船上寝て暮す
十九日  朝揚子江に入る 日之出を拝す.
     正午頃 呉淞砲台附近に上陸.
     三時頃出発. 楊庁鎮を通り十時頃銭家湾泊.
二十日  終日寝て暮らす.
二十一日 午前七時頃出発午前八時頃呉淞クリークを渉る。
547434:2008/08/02(土) 23:24:09 ID:???
546の続き

     第一線背後の聯隊本部附近の塹壕に入る。 松本軍醫少尉在り。
     夜より早暁にわたり敵の射撃猛烈を極め、第一線に迫撃砲弾の
     ため死傷者数名を出す。
二十二日 下痢患者夛シ。紹介状を頂イタ高橋機関銃隊長に御挨拶ス
二十三日 夜 大関軍医少尉 来着。
二十四日 敵の射撃全く止む 夕刻曹宅を占領 敵影なしと。
     第二大隊長 足立少佐殿来任
二十五日 午後一時出発命令下ル。
     二時頃塹壕ヲ出発し、西南第二向ヒ前進   (註:西南ニアル第二大隊)
     曹宅 ー 張沼 ー 李家樓 民家ニ泊ル。
     敵軍總退却ヲ開始ストノ情報アリ。
548434:2008/08/02(土) 23:25:00 ID:???
続き

二十六日 晝頃上田見習士官ニ逢フ
     午後第六中隊ニテ兵一人流弾ニテ腹部盲貫銃創
     ソノ後更ニモウ一人アリ。
     午後六時第二大隊ニ出発命令下ル。 目的ハ上海ニ向ヒ前進!!
     約一キロノ地点ニアル部落ヲコエ、更ニ畑ノ中ヲ粛々ト進ムニ
     約三十分ニシテ相当大ナル部落ニ入ル。 高橋大尉ハ
     廟行鎮ナラントイワル。 コノ附近ニテ 前方五六百米アタリニ暫時
     彼我ノ銃声ヒゞク ココヨリ三百米位前進シタル時大隊ハ集結第五中隊ヲ
     尖兵トシ次ニ大隊本部、第七中隊、大隊機関銃、衛生隊、担架隊の順ニ従フ。
     前方部落ニ人アリト何時デモ刺殺スルカ叩殺ス準備ニテ前進ス
     大概 敵の大部隊ハ既ニ退却セルトシテモ 
     ドコニ何が居ルカワカラヌ  殊ニ暗夜ナレバ
     危險コノ上ナシ。 間モナク広イ道路ニ出ル 之ヲ左ニ
     約一キロ歩ク。 ココデ左ニ行キ過ギタルコトニ気付キ逆行十二時頃? ネムイ.

・・・ 今回は此処迄
549434:2008/08/02(土) 23:27:47 ID:???
なお、この時期の戦況は

ttp://history.gr.jp/~koa_kan_non/4_all.html

に詳しい。
550名無し三等兵:2008/08/02(土) 23:33:23 ID:Bue9knhE
今から30年以上前だが、中学生の頃に産休の代用教員とかで来た
中高年のオジサンのセンセイが、学徒動員の経験者で
大学出てから軍隊に入隊したら、高等小学校卒程度の低学歴の古参兵に
教練でイジメられて、「貴様ら大学卒は、たらんどる!」とか
毎日のように鉄拳制裁受けて、酷い目に遭ったらしいが
終戦後 マジで集団で アノ上官だけは許せないとかで
持っていた銃で殺す計画立てたと、真顔で話していて
実際に 銃口を向けて相談したらしいが
実行できなかったとか言っていた。
実際 日本各地でも上官殺しとか結構あったらしく
集団リンチとかも結構あったらしい。
551434:2008/08/02(土) 23:34:46 ID:???
ちなみに祖父が臨時召集して編成されたのは
第101連隊(東京)であった。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC101%E5%B8%AB%E5%9B%A3_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%29
552434:2008/08/03(日) 00:01:51 ID:???
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/sosikizu/D101.htm#101i

第二大隊第二機関銃中隊隊長に高橋という人が居た。 手記の中の「高橋機関銃隊長」かもしらん。
553高山兵長の 「名誉の戦死」:2008/08/03(日) 01:40:49 ID:???
 
1945年 (昭和20年) 8月9日
 
壕に近づくと、突然、一人の兵士に銃を突きつけられ、「止まれ」 と言われたが、僕は焦っていたので
「伝令! 高山兵長殿」 と叫び通り過ぎようとすると、その兵士は血相を変え 「待て、撃つぞ」 と言いながら、銃を構えたので、
僕はびっくりして馬を止めた。
 
僕に銃を向けた兵士が、しきりに後ろを気にするので、その方向を窺うと,十メートルほど前方に、五、六人の兵士に囲まれ、
顔面を蒼白にした高山兵長の顔がちらっと見えた。
間もなく 「うっ」 という、呻きとも悲鳴ともつかぬ声が聞こえ、一発の銃声が聞こえたかと思うと 「高山班長戦死」 と叫ぶ声が聞こえた。
  
僕に銃を突きつけていた兵士は 「やったか」 と叫びながら、その場に駆け寄って行ったので、僕も一緒に行ってみると、
高山兵長の胸からおびただしい血が流れていた。
腹からも赤黒いペンキを流したような血糊がぬらぬらと流れ出ており、兵長は息果てていた。
僕も彼にはずいぶんしごかれていたが、あまりのことに動転して伝令の任務を忘れてしまい、
伝令用鞄を高山兵長のかたわらに投げ捨て、その場を去った。
 
あの兵士たちは兵長の日頃の酷い制裁やしごきに復讐したのだろうか。
それとも彼の無理な命令を聞いて、むざむざ死にたくはないと話し合って、先手を打ったのだろうか。
一人の兵士が高山兵長の屍に向かって 「やい、弾はな、前から飛んでくるとはかぎらねえぞっ」 と罵声を浴びせていたが、
この言葉が妙に僕の脳裡に刻み込まれ、味方に殺されても 「名誉の戦死か」 と思いながら馬を飛ばして帰った。
 
 山口盈文著 「僕は八路軍の少年兵だった、第一章 満蒙開拓少年義勇軍」 光文社NF文庫 (2006) より 
554名無し三等兵:2008/08/03(日) 01:53:37 ID:???
>>550や、>>537の様な話は、ウチのお祖父さんからも聞いたことがあるな。
これは酷いという上官の場合は、戦闘中に後ろから弾が飛んでくると。
で、士官の戦死の場合は憲兵が一応調査に来るという話だった。

で、死体の銃創を見れば後ろから撃たれたか前から撃たれたかは簡単に
判るらしいのだが、憲兵達も廻りの兵隊達の空気を読んで、「名誉の戦死」
という事で大抵は報告を済ませたそうだ。
下手に問い詰めると、自分たちもやられかねないと思ったのだろうと言って
いたが。。
555名無し三等兵:2008/08/03(日) 01:55:37 ID:???
 
おらの田舎では、集落の寄り合いの後、酒が出ると、日中戦争で出征した爺さまたちがこもごも戦の手柄を語り、
酔いがまわると、「戦地の村人からいかにしてブタやニワトリを略奪したか、いかにして支那女を強姦したか」、
身振り手振りで、自慢そうに若い衆に語って聞かせるものだった。
556名無し三等兵:2008/08/03(日) 03:03:52 ID:vBZ6mFi7
>>555
あちこちマルチすんな。
557あちこち:2008/08/03(日) 05:04:35 ID:???
558434:2008/08/03(日) 05:33:12 ID:???
>>548
松井大将の記録を読むに、昭和12年10月26日の夕刻に101師団は
大場鎮を占拠するべく前進したとある。 

廟行鎮
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode=&q=%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E3%80%80%E5%AE%9D%E5%B1%B1%E3%80%80%E5%BA%99%E8%A1%8C&ie=UTF8&ll=31.333112,121.436348&spn=0.087389,0.115871&z=13&iwloc=addr

大場鎮
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode=&q=%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E3%80%80%E5%AE%9D%E5%B1%B1%E3%80%80%E5%A4%A7%E5%9C%BA&ie=UTF8&ll=31.304552,121.41798&spn=0.021854,0.028968&z=15&iwloc=addr


廟行鎮は大場鎮より北北東2キロほどの場所にある。 どちらだったのだろうか。
廟行鎮は、当時爆弾三勇士の詩でかなり有名であった。
559名無し三等兵:2008/08/03(日) 07:37:53 ID:???
読売新聞のナベツネも高学歴だよな。しかも共産党員だったとか。
それでだろうか、軍隊ではめちゃくちゃイジメられたとか。
560名無し三等兵:2008/08/03(日) 08:37:05 ID:Rj9x3Y7F
ジイさんが、日本国内の駐屯地で米軍の武装解除受けて
そのあと 残務整理とかやって残っていたが、とにかくアメリカのやり方は
やたらと計画的で、戦時中もさかんに偵察写真とか撮っていたのかして
建物ごとの用途とか 中でやっていた作業とかもだいたい把握していたらしい。
進駐して来て 始めたのが駐屯地内の神社や慰霊碑とかは、軍国主義的なモノとかで撤去
そして いきなり改装とか 建築始めたのがキリスト教の教会だか礼拝所に
隊員の娯楽だとかで、映画館とか建て始めて 9月に進駐してきて
12月のクリスマスまでに間に合わせるとかで 突貫工事
確かに 日本人にはキリスト教徒少ないから 駐屯地のなかに教会なんか無かったし
わざわざ隊員の娯楽に、映画館も作るとかは、大日本帝国陸軍の発想にも無かったから
ビックリしたそうだ。しかも計画は戦時中からあったらしく 全て計画通りだったとかで
多分 イラクやアフガニスタンなどのイスラム教圏内でも、現在アメリカ軍の駐留してる駐屯地あたりにも
同様の施設もあるだろうから ホント基地のなかはアメリカ本土と変わらない生活環境らしい。
561名無し三等兵:2008/08/03(日) 08:45:51 ID:???
まぁ、無計画に戦争を始めちゃった国から見たら、アメリカはそう見えるんだろうな。
562名無し三等兵:2008/08/03(日) 10:51:02 ID:???
>>559
当時某早O田大学出の一人の上官がマジでナベツネをいじめて殴りまくってた
とナベツネ自身が語ってる。「僕は東京帝大出だったので早O田出の上官にひがまれた」
のような発言をしたこともある。

そのせいか(?)今の時代に某早O田大が不祥事を起こすと読売新聞の紙面が面白いことになるww
563名無し三等兵:2008/08/03(日) 11:02:44 ID:69HRNAz7
10Ch見た?よく出来てたよ。原爆くらって焼け野原の笑顔の美少女、よくぞ
探し当てた。教会に入ってくるとき泣けたね、さとみちゃん?の涙も
よかったけど、おばあちゃんになった笑顔の美少女(いまだに美人だった)
の目線より下で話をしてるのを見て偉い子だなと感心した。何だかんだ言っても
原爆投下した関係者たちもあるていど被害者、下手すりゃ日本が加害者だった。
564名無し三等兵:2008/08/03(日) 11:06:20 ID:???
>>560
日本だってブラジル移民の際は、日本を疑似体験できるようにムラを作ってある。
565名無し三等兵:2008/08/03(日) 11:24:04 ID:69HRNAz7
意味がよくわからないのですが?アマゾン移民80周年、一旗あげて帰る
その言葉を胸に二度と日本の地を踏めなかった人達の多かったこと。
日本に居る日本人よりもっと日本人らしい人達がいる。
566名無し三等兵:2008/08/03(日) 13:47:55 ID:???
>524
うちの爺様が南京で機関銃中隊だったけど・・
機関銃が真っ先に敵さんの目標になるつーて。


死ぬまで言うとった。

上海出たあとしばらくして補給が途絶えて
弾どころか米、味噌も届かん。
激戦に次ぐ激戦、戦死やら怪我人で中隊は半分に。

捕虜撃つような弾があつたらあんな苦労はせんわと。


567名無し三等兵:2008/08/03(日) 13:58:38 ID:???
よく一緒に「兵隊やくざ」の再放送見て(昔よくやってなかった?)
爺さんが「これほとんど実体験と重なる」とか言ってて引いた思い出が。
鉄拳制裁とか、いじめで逃亡自殺とか、戦友との関係とか。
後から味方に撃たれるってのもこの映画シリーズにも出てきたけど、
こういうことは当たり前とか言ってた。
さすがに、勝新太郎みたいな兵隊はいなかったみたいだけど。

568uaa:2008/08/03(日) 14:48:34 ID:87ppZ2Fe
>>567
ヤクザ上がりの兵隊はいたらしいよ。
配属先の部隊ではアカと同様に要注意人物として扱ったそうだ。
手下に軍事郵便で現金送らせて、脱走したやつもいたそうだ。
569名無し三等兵:2008/08/03(日) 15:42:29 ID:???
上官A:「貴様本当にバカだなw貴様軍隊ですら役にたたねーよwどうせ仕事にも就けないなw」
ヤクザ:「はい。ここに来る前は刑務所にいました。」
上官A:「やはりバカは盗みでもしないと暮らしていけないんだなw乞食w」
ヤクザ:「いや、殺しですよ」
上官:「はい。そうですか。さようなら。」
570名無し三等兵:2008/08/03(日) 21:15:27 ID:68CrHYuW
>>569
「日本陸軍は基本的に日本人なら誰でも入れます。
だから民間で箸にも棒にもかからない奴も混じります」
と元軍人が証言していたが具体的な話がコレか。
日本の娑婆で悪さをされるよりマシかもしれんが。

(注意)一部分の人間だけを述べている。
    組織全体の人間を述べた訳で無い。 
571名無し三等兵:2008/08/03(日) 21:24:24 ID:???
アウトローって、ガチ戦場だとあまり役に立たないのは定説なんだな。
572名無し三等兵:2008/08/03(日) 22:04:58 ID:???
近所の爺さん米兵だったらしい・・・・・
日本からは金貰えないって悔しがってた
573名無し三等兵:2008/08/03(日) 22:55:16 ID:???
日系部隊?
574名無し三等兵:2008/08/03(日) 23:26:30 ID:???
>アウトローって、ガチ戦場だとあまり役に立たないのは定説なんだな。

役に立たないだけならいいんだけどね。

元々「権力に取り締まられる側」だった人間が、
「権力を執行する側」に回ったわけで。
しかも、武器まで与えられて。

いろんな不正義が行われたであろうことは察しがつく。
徴兵制の暗黒面だ。
575名無し三等兵:2008/08/03(日) 23:46:51 ID:???
>>574
権力を執行する側?憲兵や特高じゃあるまいし
やくざ者は将校にはなれないし、下級兵として分散すれば隊内では大したことない。

ただし「虜人日記」にあったような、捕虜収容所で徒党を組むとか
そういう軍の規律がなくなった時にやくざ者が幅を利かすのは間違いないだろうが。
576434:2008/08/04(月) 00:31:59 ID:???
二十七日 約一キロ戻り更ニ三四百米行キ聯隊本部ニ逢フ
     コノ家ノ隣ノ暗夜為ヨクワカラヌが孔子廟トカへ泊ルコト
     ニナル、軍装ノママでゴロネ 一時間もネムツタカト思るノチ
     モウ出発三時頃だッタろウカ。
     コノ広イ街区の大場鎮ヘ。ココニハ第三師団の兵がイル。
     ココカラ上海へ向フ街道ヲ前進。先ニ歩三がイッタトノコト。
     所々ニ支那兵ノ屍体アリ。橋ハ何レモ落シテアリ砲兵ノ前進ヲ
     阻害ス。クリーク二つ渡ル。歩兵ハ渡レル、工兵ガ直チニ電信柱
     ヲ数本切り倒シテ橋ヲカケテイル。
     三キロ位歩イテ歩三トイッショニナル。歩三ノ兵デ
     手榴弾デ負傷セルもノアリ(一・二名) 多田軍医ニ
     逢フ。 ヤガテ夜ハ白々ト明ケ来ニ、六時頃?。
     歩三ノ石井君ニ逢フ。 直グ別レル。前面ニ閘北
     見エ来タ。約一キロ位手前デ歩三ハ右ニ街道ヲ
     歩一ハ左ニ小路ヲ入ル。コノ辺ニ敵ノ敗残兵約十名
     ヲ銃殺。畑ノ中デ大隊ハ散開シテ正ニ前面ノ敵
     ヲ掃蕩セントスル中、左前方(東南角)ヨリ一小銃弾
     飛ビ来リ畑ノ端ノ溝状ノ凹地ニ伏セシ小生ノ
     右踵ニ当ル。恰モ熱キ鐵棒ニ足ヲ殴ラレタル
     如キ感アリ。 直グ隣リニ当番幼年アリ

//

とうとう爺ちゃん、踵を打ち抜かれてしまいます。
577名無し三等兵:2008/08/04(月) 01:43:50 ID:31hBlsxP
バアさんは、昔海軍病院だかに勤務してたらしいが
戦争末期になると、軍艦乗りでも結核やら マラリアなどの伝染病が流行
南方に 哨戒任務とかで行っていて 大して戦闘とかもなく 帰還しても
乗組員に結核やら 伝染病の症状があって 半分近くが感染の疑いで隔離病棟送りとか
実際 乗組員の半分が交替したとしても カンタンに交替しても任務が遂行出来なくて
少なくとも3ヶ月くらいは、集団訓練しなおさないと使い物にならなかったようだが
そんな訓練の余裕も無くて 燃料も無いから港に放置された船も多かったらしい。
また タチが悪いのは 前線帰りの高級将校で
飛行機利用なので 病気の潜伏期間中でもカゼだとか云ってノコノコ海軍司令部とか
東京の海軍省とかに出向いて 会議に出たりとか人に会ったりして
廻りの部下とか 会議の出席者とかに 病気感染させて 知らん顔
本人症状とか出て慌てて 病院に入院したりしてきたそうだが
かなりの人間が、感染して入院してらしい。
まさに 生きた生物化学兵器のような存在で
その後 海軍じゃ 南方帰りの人間と会う時は気をつけるようにお達しとかでたらしいが
戦時中のドタバタでウヤムヤ
終戦当時に 厚木の海軍基地の小園とか云う司令官もマラリアでかなり苦しんでいたらしいが
海軍関係者でも日本国内にいても マラリアとか結核の集団感染の患者が多かったようだ。
 
578名無し三等兵:2008/08/04(月) 03:38:22 ID:4dt/Ui70
ウチの祖父は日中戦争で戦ったあと、フィリピンで米軍と戦い、その際砲弾で右脚の膝から下を吹き飛ばされて
帰還し、そのまま終戦だったらしいので勝ち戦しか経験してないそうだ。
中国軍と戦った場合、鹵獲品のチェコ軽機関銃のぶんどり合戦になったそうです。フィリピンでの戦いでは
鹵獲したトミーガンが非常に役だったようで、「こんな便利な自動小銃がうちらにもあったらなあ」と切実に感じたらしいです。
内地期間後は入院のあと義足を付け、本土決戦では後方部隊に配属されたようです。

結局今では脳梗塞で車いす生活ですけどね。しかし往年の気合いは衰えておらず、リハビリには非常に積極的に参戦してるらしい。
579uaa:2008/08/04(月) 04:18:26 ID:fZFbwF82
>>577
>小園

厚木基地で反乱起こしたけど、マラリアが発病してぶっ倒れたんだよなあの馬鹿。
580名無し三等兵:2008/08/04(月) 04:48:22 ID:???
>>579
 ↑
戦時中にヘイコラいっていて、終戦後にガラッと変わった連中の類似品。
珍しくもなくありふれてるけどね。
581名無し三等兵:2008/08/04(月) 06:36:29 ID:???
うちの爺ちゃんは部隊の中隊長ぐらいだったらしい。
大陸で占領後の都市に進駐したりしてたみたい。
部下が戦死すると、その状況などを遺族や軍に手紙書かなきゃならないのが辛かったらしい。
終戦後日本に帰ってくるとき、中国人に自分の息子だとかくまってもらってやっと帰ってこれたとか。
俺が小さいうちに亡くなっちゃったから詳しいことはもう聞けないなぁ…
582名無し三等兵:2008/08/04(月) 09:53:05 ID:O/76FYNN
>>530 >>531 >>532

英霊と呼ばれるようになるには、戦場で飢え死にしたり、その土地の風土病に罹って“野垂れ死に”しなきゃいけないのか?
583名無し三等兵:2008/08/04(月) 10:03:41 ID:O/76FYNN
>>533
一銭五厘の“赤紙”が英霊と呼ばれるようになる一里塚?
君も会社や世の中から“使い捨て”られたのか?
584名無し三等兵:2008/08/04(月) 11:43:23 ID:???
スレ違いだけど「兵隊やくざ」面白いよね
585名無し三等兵:2008/08/04(月) 16:53:41 ID:???
>>582
必要十分
586名無し三等兵:2008/08/04(月) 17:24:08 ID:???
一部金持ちの利権のために使い捨てにされた兵隊を英霊と呼ぶのである。
587名無し三等兵:2008/08/04(月) 18:25:31 ID:???
言われた関係者は悪い気はしなさそうだな。便利便利。
588名無し三等兵:2008/08/04(月) 20:38:18 ID:31hBlsxP
ジイさんの知り合い軍曹で、戦時中は工兵で兵舎の建設とかやっていたらしいが、
戦後 進駐軍の所謂「家族用住宅」とかの建設に従事して
戸山ハイツとか 光ハイツとかの米軍住宅建築したらしいが
昭和30年以前で、日本人なんかまだボロ屋に住んでた時代に
大きいアメ車を停められるガレージ 水洗トイレにアメリカ直輸入の巨大バスタブ
ダイニングキッチン クーラーやセントラルヒーティング
電話も各家庭に標準装備 冷蔵庫に 電気洗濯機とかの当時では豪華装備
どんな将官がお住まいになるかと思っていたら
なんと妻子持ちの若い下士官の軍曹とかで ビックリしたそうだ。
今でも 日本なんか「思いやり予算」とかで 米軍の家族住宅をせっせと
作ってやってるらしいが、もの凄く豪華なガイジン仕様らしく
自衛隊の官舎なんかより ハイグレードなセレブ仕様らしい
相変わらず住宅でも「敗戦国」扱いされてる日本
589名無し三等兵:2008/08/04(月) 21:14:11 ID:???
なんで思いやり予算を減らそうという議員は居ないのだろうか?
自衛隊予算は減らすという声は多いのに。
590島田戦車隊:2008/08/04(月) 21:26:48 ID:???
>>577
>小園の反乱についてもよく話してくれた。

玉音放送があった後、飛び立って行った隊員を除く、部隊員のほとんどが「意気消沈」する中、
ほんの一部だけが徹底抗戦を唱え、横田、昭和(多分、立川だと思う)と呼応していたようだ。

マラリアかどうかは後で分かったことらしいんだが、錯乱っぷりから、
「ああ、こりゃあいかん、いかれてもうた」ということで通常の病院ではなく
久里浜病院の閉鎖病室に入れられたそうな。
久里浜病院ってのは、日本でも有数の精神病棟で、「南の久里浜、北の生田」と
いわれるくらい、神奈川県では有名。
現在は日本最大最高の「アルコール依存者」に対する専門アルコール病棟を持つ
「久里浜アルコールセンター」になっている。
591名無し三等兵:2008/08/05(火) 00:19:07 ID:ZmliTZ/w

所詮日本は敗戦国だもんなぁー……
戦争布告しといてボロ負けの完敗……
あー……寝よ……
592名無し三等兵:2008/08/05(火) 00:29:33 ID:???
>>590 一応、立川飛行場とは別に昭和飛行場というのは存在した。昭和飛行機の付属施設。
いまは昭和の森ゴルフコースになってるが、当時の格納庫は室内テニス場に転用されて残ってる。
593名無し三等兵:2008/08/05(火) 00:51:06 ID:???
俺が小さい時に亡くなっているが、うちの爺ちゃんは流星に乗っていたらしい。
ふくらはぎを敵の銃弾が貫通したとかで、よく傷を見せてきた覚えがある。
旅行で飛行機に乗ったときにCAに「今の高度は?」とか聞いて困らせてたなぁ。
594名無し三等兵:2008/08/05(火) 02:00:31 ID:???
>>583
召集令状は役場職員が手交するから、「一銭五厘」というのが何のことか不明。
595名無し三等兵:2008/08/05(火) 07:25:21 ID:X8H+yrs3
じいちゃんの戦争体験

陸軍士官学校に入って訓練、勉強を死に物狂いでやってたら
戦争おわた 東京大空襲は学校から眺めてた

その後無条件で東大に移籍できると言われたけど金がないので諦め、
税理士になって戦後混乱に乗じてあれやこれやのうはうは・・・

壮絶な話を期待してた自分は、幸運のビッグウェーブに乗ってきたじじいに殺意がわきましたw
でも士官学校の入学試験とか、学校生活は聞いてて面白かった

あのころは入学する時に本格的な刀を持参しなくちゃならなかったんだな・・たった60年前のこととは思えん
596名無し三等兵:2008/08/05(火) 08:17:11 ID:???
「乗るしかない!このビッグウェーブに!」
でも士官学校ってやっぱりエリートやなあ
597名無し三等兵:2008/08/05(火) 08:18:01 ID:???
拳銃を私物で持てる時代だからな
598名無し三等兵:2008/08/05(火) 13:00:22 ID:???
津山三十人殺しの都井睦夫みたいな奴でも持てる時代だったしな。
599名無し三等兵:2008/08/05(火) 21:39:15 ID:???
>>598
いや、むっちゃん拳銃までは持ってないから
 
むっちゃんでさえも、正規のルートで手に入れた猟銃は一応取り上げられてたんだぜ?
600名無し三等兵:2008/08/05(火) 22:00:35 ID:???
>>584
俺もつい先日読んだ。
大宮と兵長は機関車に乗ってどこへ行くのか…
601名無し三等兵:2008/08/05(火) 22:22:05 ID:???
何だ、小説読んで無いじゃん。
602名無し三等兵:2008/08/05(火) 23:28:47 ID:der+oQ0f
ジイさんの知り合いで戦時中は軍隊にいて、戦後も警察予備隊から自衛隊に入った人がいて
米軍に「占領」されていた旧軍の駐屯地を自衛隊に移管する際にも立ち会ったらしいが
とにかく 旧軍の駐屯地も「米軍仕様」に様変わりしていたから 驚いたことばかりで
まあ当たり前だがトイレは全部水洗で、共同風呂じゃなくて共同シャワールーム
基地内の通行が、アメリカ式の右側通行仕様
基地内の食堂は、パン食文化だから、パン工場のような施設やら、ナイフとフォークの文化だから
おびただしい数のナイフとフォーク
基地の娯楽室なんか ダーツに ビリヤード場 ジュークボックス スロットマシン カジノ施設
運動場とかは アメリカンフットボール バスケット ゴルフ場
まさに アメリカン仕様でまるで当時のハリウッド映画のセットのようだったらしい。
この前 自衛隊基地内のゴルフ場問題とかが、問題になったが
自衛隊の基地とか駐屯地など 結構米軍の「駐留遺産」とかあるらしい
夏場とか 自衛隊の駐屯地とか基地なんかでもだいたい幽霊が出るのが
有名な場所もあるが、旧軍で終戦当時に自殺した帝國陸軍兵士の幽霊とか
進駐軍の米兵に連れ込まれて殺された日本人売春婦の幽霊とかあるが
実際 駐屯地とか見回り警戒中でも 既にいるわけもない首の無い米兵の軍服姿の幽霊も目撃されたりとか
結構 基地内のいたるところに「心霊スポット」があって
基地全体が、お化け屋敷状態みたいなカンジだったらしい。
603名無し三等兵:2008/08/06(水) 00:13:29 ID:???
俺の曾爺ちゃんは連合艦隊の巡洋艦の主砲の砲撃手をやっていて、どっかの南洋の海戦で
艦と一緒に運命を共にした。と言う話を曾婆ちゃんから聞いたことがある。
俺が「(曾爺ちゃんが)乗っていた艦の名前を教えてくれ」って頼み込んだら、
「話すことは何も・・・。それにあの人あまりそういう事を言わない人でしたから・・・。」
としか教えてくれなかった。
604名無し三等兵:2008/08/06(水) 00:26:35 ID:???
>>603
お祖父さんかお祖母さんの母親??? 話したことがある人ってかなり希じゃない。
605名無し三等兵:2008/08/06(水) 08:24:42 ID:???
>>600 >>601
「戦友」関係ってなんか同性愛っぽいことない?
兵隊やくざのDVD見たけど、二人の恋愛映画にしか見えなかった・・・
606名無し三等兵:2008/08/06(水) 09:00:05 ID:???
男だらけだからホモは相当いたんだろうな。
ノーマルだと抜く機会がなくて性欲処理に困るだろうが、
ホモだとパラダイスらしいし。
607名無し三等兵:2008/08/06(水) 09:34:37 ID:???
祖母が従軍看護師(日赤)だったんだけど、それはスレ違いですねそうですね。
病院船に乗っていたと聞いた。
608名無し三等兵:2008/08/06(水) 09:37:34 ID:???
早合点はよくない。かまわんからやれ
609名無し三等兵:2008/08/06(水) 11:10:01 ID:???
とりあえず黙祷ー。

610名無し三等兵:2008/08/06(水) 12:04:51 ID:???
うちの伍長殿、2,3年前から携帯持つようになって、家族ともメール
のやりとりするんだけど、
特に戦記物の趣味の合うオレ相手だとちょっと調子こいた文面になるw
件名「発:ジイ 宛:コウスケ」
本文「ワレ帰宅予定時刻1900 天候不良ニテ 徒歩ニヨル帰宅断念 
   自家用車ニヨル迎へノ用アリト認ム 1820」

こんなおちゃめな戦記大好きじーちゃんも徴兵後中国戦線を経て、ビルマ戦線へ、
そしてインパール作戦参加の生き残りです。

611名無し三等兵:2008/08/06(水) 12:49:51 ID:???
携帯のメール使えるなんざ、凄い爺さんじゃないか大事にしろよ
612名無し三等兵:2008/08/06(水) 13:12:35 ID:???
>>610
洒落がきいてるじゃん大事にしてや
613名無し三等兵:2008/08/06(水) 14:04:45 ID:???
若干スレ違いの感があるが、
昨年、フィリピン・イリガの農村に行ったとき、
その農村の長老の話。

アメリカの支配の下だったフィリピンに突然日本軍がやってきた。
そんで村に掲げられていた星条旗が日の丸に変わった。
学校ができたけど、家の畑仕事があったから、
生きるためには学校に行くより、家の手伝いをしたかったらしい。
そのとき覚えた日本の歌を上機嫌に歌ってくれた。
歌詞の意味は分からないらしいw

しばらくしたらアメリカ軍が帰ってきて日本軍がいなくなった。
日本軍が来る前の、ただ学校が無い生活に戻った。

戦争話の最後に長老が言った言葉が印象的だった。

「別に私たちを支配する国や人種なんてどうでもいい事なんだよ。
 私たちはただここで畑を耕し続ければいい。
 そしたら、たくさんの子供や孫に囲まれて生活できる。
 それが最高に幸せじゃないか。」


余談にはなるが、長老は「クサカさんは知っているか?」と我々にしきりに聞いてきた。
手品が得意な陽気な日本兵で、子供たちに人気があって、
ただそれだけの理由でアメリカ軍が来た時に村ぐるみでかくまった日本軍人らしいw
しばらく村で働いて、ほとぼりが冷めた頃に帰国して音沙汰が無いらしい。

長文になってスマン。
614名無し三等兵:2008/08/06(水) 14:27:47 ID:???
>>610
スゲー!
615名無し三等兵:2008/08/06(水) 14:30:33 ID:???
>>613
知ってる。
海軍少佐 草加拓海って有名。
616uaa:2008/08/06(水) 16:48:53 ID:ZweueiEq
>>606
旧軍関係者の回顧録は色々読んだけど、戦友とのアッー!な話って無いよな。
青江のママの戦争体験談でもですらそっち方面の話は無かった。

あと、戦争体験談では新兵時代殴られた話は必ずと言っていいほど出て来るが、
殴ったとか新兵をいじめて楽しんだって話は殆ど無いよな。
617島田戦車隊:2008/08/06(水) 16:56:37 ID:???
インパール作戦kwsk!
618名無し三等兵:2008/08/06(水) 19:05:50 ID:???
>>616
それっぽい記述が出てくる本あるよ。
619名無し三等兵:2008/08/06(水) 19:05:52 ID:???
>>615
小学生は書き込むな。
620島田戦車隊:2008/08/06(水) 19:22:55 ID:???
リーマンいるか?
621名無し三等兵:2008/08/06(水) 19:37:02 ID:???
>>620
何?
622名無し三等兵:2008/08/06(水) 22:02:05 ID:???
>>616
大叔父が軍曹だったが、殴れば殴る程強くなるらしく初年兵はシゴき倒したとか。
実際演習で強行軍の際もシャバでどれだけ鍛えていても大体脱落するのは初年兵で、
少々貧相な体格でも二年兵三年兵は滅多に脱落する事はないんだと。

>>620
呼んだ?
623名無し三等兵:2008/08/06(水) 22:24:19 ID:???
>>601
いや、南京の街にまぎれて、その後どうやって憲兵の目を逃れて逃亡生活を送るのだろうかって意味で書いたんだけど…
むしろ映画の方を見たことないんだけど、映画のラストシーンは機関車乗っ取って走っていくところで終わるの?
624名無し三等兵:2008/08/07(木) 05:10:20 ID:???
俺の爺さんの話を、も一つ。
中国で現地召集された爺さんだが、ある命令を受けて除隊になった。
荷物をまとめて、基地の門のところでバスを待って座っていたそうだが
バスは中々来ない。
そうしているうちに昼時になり、腹がすいて堪らなくなった。

そこに、部隊の隊長が外から帰ってきた。
門で座り込んでいる爺さんを見て、隊長は門の衛兵に言った。
「おい、何故この兵に(爺さんを指差して)飯を与えんのか」
「はぁ、彼は本日を持って除隊となりましたので、もう兵ではなく
飯を与える訳にはいかんのです。」

隊長は再び爺さんを見て、「ふーん、そうか・・・」と呟いたが
「貴様、ちょっと来い」
と爺さんを呼んだ。
625名無し三等兵:2008/08/07(木) 05:11:49 ID:???
除隊になって「もう戻る事は無いだろう」と思っていた基地内に
再び戻った爺さん。隊長は何も言わずに、爺さんを自分の隊長室に通した。
飯時だったので、隊長の机の上には昼食が用意されていた。
隊長はそれを指差して
「あー、俺は腹が減っとらん。残すのも勿体無いので、貴様が食え」
と言い残すと、バタンとドアを閉めて部屋を出て行った。
理不尽な事で怒られるばかりの兵隊生活だったので、
隊長の心遣いが、とても嬉しかったそうだ。

爺さんが死ぬ二年ほど前に、その話をしてくれた時
「下っ端は飯と味噌汁だけだったので、士官用の豪華な食事はうまかったなぁ。」
と、懐かしそうに言ってた。
626島田戦車隊:2008/08/07(木) 08:51:40 ID:???
WL扶桑作った。大阪港に回航すべきか。
627名無し三等兵:2008/08/07(木) 11:20:42 ID:???
ガキの頃に聞いたじいちゃんの話

じいちゃんはソ連方面に配置された新兵の戦車兵だったらしい(じいちゃんは身長160cm弱)
ただまあ戦車兵は居るけど戦車そのものは無い状態。
ソ連が攻めてきたら一網打尽にされることはもうわかりきっていたので
半分やけっぱちになりながらも陣地をしこしこ作りつつ毎日を過ごしていたそうな。
物資もろくに無かったんだけど、マイナス30度でも室内では薄着で居られるくらい慣れちゃったとか。

そしてソ連が不可侵条約を破り、いよいよ攻めてきたという情報が入った日。
今まで細々と溜め込んでいた食料で盛大に宴会をしたとか。
久々にたらふく食べてみんな元気になって、応戦>後退>陣地作る>応戦>後退>陣地作る
をひたすら繰り返してたんだって。
余り悲壮感は無くて、「やっと戦える(死ねる)時がきた」「飯いっぱい食える」という
妙な満足感のほうが大きかったと言ってた。
ソ連がいつ来るかいつ来るかと怯えてるうちに感覚が麻痺したのかもしれんなぁ……とか。

もと戦車兵なだけあってバイクとか車とか自転車は大好き。
今も年に1台くらいは新しい自転車買って、河原ツールを楽しんでいます。
628名無し三等兵:2008/08/07(木) 19:05:00 ID:???
俺高校野球部の監督
うちのグランドによく野球見にくる爺さんの話

学生時代に強肩の外野手でならしたその爺さんは召集され中国戦線に送られたらしい。
その部隊の隊長が野球好きでとても良く面倒を見てもらったそうだ。

ある日、斥候の際に奇襲を受け、その部隊がバラバラになってしまった。
銃弾が飛び交い地面に這いつくばってるのがやっとの状態の中でその部隊長は
「貴様はここで待ってろ」
と言うと銃弾の飛び交う戦場の中へ飛び出してしまった。
しばらく頭を上げる事さえできずに這っているとその部隊長が帰ってきた。
聞くとちりちりになってしまった仲間の元へ走り、手榴弾を集めてきたらしい。



629名無し三等兵:2008/08/07(木) 19:21:04 ID:???
すると
「いいか?あの木の下とあの茂みの中だ。お前なら届くだろう?」
と集めてきた手榴弾を全てその爺さんに渡した。
見ると肩に自信の有ったその爺さんにも届くか届かないかの距離だったらしい。
爺さんは力いっぱい立て続けに何個も投げつけた。
すると爆発と同時に何人も吹き飛ぶのが見えたらしい。

危機を脱した爺さんの部隊はその後にほぼ全滅。部隊長も戦死した。
爺さんだけ生き残って捕虜になった。
爺さんは右耳と頭の生え際あたりに玉を食らって瀕死の重傷だったらしい。
その爺さんのおでこには今でも弾丸の食らった後が残っている。左耳はない。

爺さんは今もグランドに来る度に自分の強肩を自慢してその話をする。


630名無し三等兵:2008/08/07(木) 19:32:28 ID:???
正直、今の高校生はそんな話を聞いても、
頭に鉄砲玉の跡がある爺さんの話は気味悪がって聞きやしない。
でも、野球の話をする爺さんの顔は生き生きしている。
俺は爺さんの話が好きだ。
今の高校生にこそ聞いて欲しい話だと思う。

余談だが赴任して、野球部監督に就任し始めてその爺さんに会った時にその爺さんは俺に敬礼をした。
何故かと聞いたら、あまりにもそのときの部隊長に俺がそっくりだったらしい。
今でも話をしていると俺の事を時々、隊長と呼び敬語になる。
爺さんには好きな野球をいつでも見に来てほしい。

でも差し入れにいつも持って来る、黒飴と塩飴は今の高校生は喜びません。


631名無し三等兵:2008/08/07(木) 20:58:53 ID:???
糖分と塩分の補給か。スポーツドリンクで事足りそうだけどw
632名無し三等兵:2008/08/07(木) 21:00:11 ID:hMLFi5EJ
あと何年実体験の話が聞けるのか、新聞の投稿欄見て涙するのは
おれだけか?
633名無し三等兵:2008/08/07(木) 21:26:11 ID:???
>>631
スポーツドリンクだとナトリウムが不足するらしい
634名無し三等兵:2008/08/07(木) 21:30:48 ID:???
最近はいい加減な作り話ばかりで涙する日々だ・・。
635名無し三等兵:2008/08/07(木) 21:58:22 ID:AJHjV5qO
女なので武器など詳しくはわかりませんが、祖父の話。
ニューギニアの東ブーゲンビル島で戦ってた祖父は、所属部隊も壊滅状態で、自分も両足に火傷を負い、生き残っていた一人も銃創でまともに動けなかったそう。
散弾銃なんて戦争に持っていくのかわかりませんが、その生き残ってた友人に「お前だけその傷で生き残ったら可哀想だ」と突然頭を撃たれたそう。
かろうじて助かったが、右目を失い、いまでも多くの銃弾が体内に残り、痛みやしびれ、麻痺がある。
義眼を眺めるたびに胸が苦しくなる。
636島田戦車隊:2008/08/07(木) 22:00:49 ID:???
>>634
歳を摂ると涙もろくてかなわんな。
637名無し三等兵:2008/08/07(木) 22:22:38 ID:/YkFRo1H
ひい爺さんはビルマから帰ってきたみたい。耳タブに弾が当たって耳タブが丸く穴空いてたな〜

638名無し三等兵:2008/08/08(金) 00:23:34 ID:???
>>635 先の見通しがきかなくて、敵と不意に出くわす可能性が高いジャングル戦(東ブーゲンヴィルなんていったら全部ジャングルだ)で、
軍隊が戦争に散弾銃持ち出す事はよくあります。出くわし様に引き金引けばとにかく敵に弾が当たるので。

…しかし今でも大量の銃弾がって、そりゃ細かい弾を撒く鳥撃ち弾ですね。戦争に使う弾じゃないです。
人を撃つ為に散弾銃を戦争に持ち出す場合は、鹿撃ち弾(拳銃弾サイズが9発同時に飛び出します)使うのが常道で、
鳥撃ち弾なら、戦争に散弾銃なんぞ持って行かない方がまだマシなんですが。
それとも場所柄、現地自活で鳥を撃って飯にするための弾で撃たれたのかも?ともあれ、お悔やみ申し上げます。
639名無し三等兵:2008/08/08(金) 01:41:02 ID:???
米軍?
連中、塹壕戦用に散弾銃使うからなぁ・・。
640名無し三等兵:2008/08/08(金) 01:44:51 ID:???
そりゃひでぇ
武士道、騎士道のないやつらのすることだな
641名無し三等兵:2008/08/08(金) 01:44:55 ID:???
散弾はフルメタルジャケットじゃないので戦闘に使うのは微妙なんだよなw
642名無し三等兵:2008/08/08(金) 01:51:56 ID:???
ブシドー?自分の国を守れない奴のモットーか
643名無し三等兵:2008/08/08(金) 01:57:02 ID:???
大丈夫、武士道の国も上官は出世にキュウウキュウとしてて、そんなこたドウデモいい連中ばかりだ。
644名無し三等兵:2008/08/08(金) 02:12:13 ID:PlAAKwlh
散弾銃を持ってた兵士はドイツ兵に虐殺されたらしいね・・・
645名無し三等兵:2008/08/08(金) 02:16:17 ID:???
>>642
 ↑
何もせんで隠れていた奴の常套句。
646名無し三等兵:2008/08/08(金) 08:42:22 ID:aapkwLwv
うちのジイさんの話
当時陸軍の上陸専門部隊で軍曹やってたうちのジイさん
軍曹ともなれば夜間に上陸船の甲板でウロウロしててもお咎めなかったらしい
んで、敵の潜水艦が多いような海域を通る日の夜はデッキで一晩過ごしたらしい
ある日も同じようにデッキで一夜を過ごしてたら突然轟音がして船が激震
すぐに雷撃されたと思ったうちのジイさんは「わー」って言いながら海に飛び込んだそうなw
身につけていた装備をすぐに取り外して海に捨て、
沈没した母艦から流れてきたドラム缶みたいなのにしがみ付いて助かったそうな
ちなみに「天皇陛下から頂いた銃を・・・」と言って最後まで装備を捨てなかった戦友は
案の定途中で力尽きて姿が見えなくなったとか
中には同じように流木につかまって助かったお偉いさんが
泳ぎの得意な水平に「泳いで助けを求めに行け」と命令して、
それに従った奴らもその後の消息は不明らしい
うちのジイさんも命令されたらしいけど無視って絶対に泳がなかったとか
その後補給部隊に回されたジイさんは
戦況悪化の中、後方でカンパンから砂糖の塊だけほじくって食べてたそうだ
砂糖の無くなったカンパンは海に捨てたとか

・・・とんでもねえジイさんだな
647名無し三等兵:2008/08/08(金) 10:18:46 ID:???
>>646
上陸専門部隊て、広島の第5師団か海上機動第2・3旅団辺りかな?
648名無し三等兵:2008/08/08(金) 11:41:41 ID:???
北陸の港町に住む曾祖父に聞いた話  聞いたのが幼い頃だったためうろ覚え

もともと耳が悪かったらしく、すぐには徴兵されなかったみたい
それで、周囲の人たちより少し遅れて出兵となった

田舎町で、遅れての出兵のためいい船(?)がなかったため結構古い船で出ていったのだが
その船が途中で故障してしまいなにもせず戻って来ることができたらしい。

「だからお前がいるんだよ」
という言葉だけはしっかり覚えてる
649名無し三等兵:2008/08/08(金) 12:23:07 ID:aapkwLwv
>>647 広島の人間だから第5師団かも
ちなみに3回輸送船が雷撃されたのに、この手法で生き延びたらしい
650名無し三等兵:2008/08/08(金) 13:48:58 ID:???
上官の命令に素直に従う人って大体戦死してるよね
651名無し三等兵:2008/08/08(金) 14:52:24 ID:???
上官が無能か兵卒の命を軽視していた場合はね。
652名無し三等兵:2008/08/08(金) 15:17:52 ID:???
うちの祖父は大阪の河内送信所で働いていた
職業柄、戦局は手に取るように分かったらしい
1944年12月、非番の人間もあつまってサイパンに向けて特別放送をした
軍歌や指揮官の地元の学童唱歌などを流して階級昇進者への通達などだったらしい
放送時間は日没とか明け方とか電波状況の悪い時間帯に放送された
放送が終わるとむこうから返答が返ってきて万歳三唱で終わったらしい
それから一週間後通信途絶し、間もなく玉砕が報道された
祖父の友人はサイパンに軍属として派遣されていて最後まで呼びかけていたそうな

ポツダム宣言受諾のときはマニラ、ジュネーブ経由の回線で行ったとか
陸軍は最後まで反対していたが、7月中に戦争は終わると思っていたので
原爆には驚いたそうだ


当時17歳の祖父はどんな青春だったのだろうか
653名無し三等兵:2008/08/08(金) 15:25:06 ID:???
>>595
陸士学校って灘高校より難しかったらしいな
654名無し三等兵:2008/08/08(金) 15:57:19 ID:???
>>652
参考になるかわからんが、元通信士の方の手記。

ttp://ohanashi.okigunnji.com/backnumber/index.html

こちらは機上通信士だった様だが、終戦間際の話を見ると
御爺様と交信していた方かもしれないな。
655名無し三等兵:2008/08/08(金) 15:58:27 ID:???
>>652
参考になるかわからんが、元通信士の方の手記。

ttp://ohanashi.okigunnji.com/backnumber/index.html

こちらは機上通信士だった様だが、終戦間際の話を見ると
御爺様と交信していた方かもしれないな。
656名無し三等兵:2008/08/08(金) 16:55:18 ID:???
>>595
じいちゃんの兄がビルマに行っていて、初めのころは手紙が家に来ていたんだが、その手紙に
「しっかり勉強して母や妹を守れ」って書いてあったから陸士学校を目指したんだそうだ

その手紙を見せてもらったんだけど、俺とほとんど変わらない年齢なのにすごく美しい字でゆっくりしたためられた手紙が、
時が経つにつれてだんだん荒れてくるんだよ・・・・

じいちゃんが陸士に合格した辺りで手紙がこなくなって、結局死んだと分かったのは終戦後だった
657名無し三等兵:2008/08/08(金) 18:57:06 ID:???
まさにムッチーの人徳が感じられるな。
658名無し三等兵:2008/08/08(金) 19:34:57 ID:???
>>647
素直に考えれば船舶工兵だと思う。
659名無し三等兵:2008/08/08(金) 20:03:49 ID:???
>>651
日本軍そのまんまじゃん。
660名無し三等兵:2008/08/08(金) 21:09:06 ID:???
散弾銃がハーグ陸戦条約で戦争利用が禁止されたのはいつからだっけ。
661名無し三等兵:2008/08/08(金) 22:29:11 ID:???
ハーグ陸戦条約が厳守されているとでも。
662名無し三等兵:2008/08/08(金) 23:30:49 ID:???
そもそも対物ライフルで狙撃が当たり前の世界だろ
663名無し三等兵:2008/08/08(金) 23:35:27 ID:???
対空機関砲で兵士を撃つのもハーグ陸戦条約違反
664名無し三等兵:2008/08/08(金) 23:44:01 ID:???
ミートチョッパー
665名無し三等兵:2008/08/08(金) 23:53:05 ID:???
「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること 」に
抵触するのを避けるため対物ライフルで即死させるわけですね!

(てか火炎放射器は駄目だろ…な
666名無し三等兵:2008/08/09(土) 00:15:09 ID:???
ガマに隠れて歩兵砲でアホみたいに正確に反撃してくる敵に出会ったら、おれも火炎放射器使うわ
667名無し三等兵:2008/08/09(土) 00:25:26 ID:???
つーか穴の奥にどれだけ残ってるか疑問だから、俺ならその上でガソリンも流し込むわ。
668名無し三等兵:2008/08/09(土) 01:34:30 ID:???
>>665 ガダルカナルに海兵隊が上陸した時、日本軍の火炎放射器で攻撃されたんで、火炎放射器の恐ろしさと使い勝手憶えたんだよ海兵隊…
669名無し三等兵:2008/08/09(土) 04:06:01 ID:???
子供の頃から、何故か太平洋戦争関連が大好きだったオイラ。
よく爺ちゃんに戦争に行った話をせがんで困らせたものです。

一番印象的だった話は、終戦時の話。

東チモールで武装解除になったが、アメリカ軍の命令で夜な夜な交替で武器の見張りをしなきゃいけなかったんだそうだ。

そうするとね、必ず「ギャー!」って悲鳴が聞えてくるらしい。

爺さん曰く「ドジンコが盗みに来て、電流が流れてる有刺鉄線に触れて感電した悲鳴だ。闇夜にヌッと目の前に現れた事もあった。戦争が終わったのに、こんな所で死ねるか!と、思った」そうな。
670名無し三等兵:2008/08/09(土) 09:14:34 ID:???
俺が生まれる前に亡くなったじいちゃんは、軍曹だったらしいが、
隊の移動時に、銃を置き忘れてしまい大目玉を喰らい、2階級落と
されたらしいw
銃が一番役に立ったのはひもじいときに野生動物を狩ったときと
笑っていたそうだ。

一方ばあちゃんは、俺の親父を含め、6人の子供を抱えて、毎日くうや
食わずの生活を送っていて、人に物乞いをしたことは無いが、市場で
乞食扱いされたことが一番悔しかったと、よく俺に話していた。
親父はその頃の経験で、野草や魚穫りの名人になっており、還暦を過ぎた
今でも、俺より体力も筋力もある。
671名無し三等兵:2008/08/09(土) 11:59:27 ID:EsADRLym
博徒(博打で生計を立てる)だった祖父は
陸軍の兵隊さんとして満州の部隊に配属されていた。
で、匪賊の討伐とかやってたらしいんだけど、元々は博徒。
満州で博打ばっかやってたら、憲兵に目をつけられ引っ張っていかれて…
なぜか、憲兵隊に転属させられた。
そこから先の話は、死ぬまで話してくれなかった。

俺は憲兵隊と特高警察の違いがあまりわからないんだが、
「憲兵ってのはMPでもあるが、特殊工作みたいなこともするんだ。
 だから、憲兵隊での任務については、墓まで持って行かなくちゃならん。
 ただ、中共の奴らだけは絶対に信じるな。
 お人好しの日本人じゃ、情報戦で中共に勝つのは本当に難しい。
 朝鮮人は馬鹿だから勝手に自滅するが、支那は恐ろしいぞ」

戦後すぐ進駐軍に引っ張って行かれ、半年ほど帰らなかったが、
半年振りに帰宅したら進駐軍の通訳になっていた祖父。
(祖母いわく「なんで、あんなヤクザモンが英語喋れたのかね?」)
進駐軍がいなくなってからは、やっぱり博徒に戻り、
晩年は博打でとった土地に家を建て、畑を耕しながら
自給自足の生活を送りました。
672名無し三等兵:2008/08/09(土) 13:21:15 ID:???
才能豊で博才にも恵まれた人っている。
そんな人で未来志向のタイプならば会社を設立して成功する事が多いが
今を生きる事に充実感を感じるタイプは孤独なギャンブラーになり勝ち。
どちらが上と言う訳では無い。それぞれの人生。ある意味羨ましい。
673名無し三等兵:2008/08/09(土) 13:42:19 ID:???
>>671
どお考えても間者やってましたね、おじいさん。
674名無し三等兵:2008/08/09(土) 13:54:29 ID:???
特別高等警察って軍じゃなくね

にしても爺さんいろんな方向に才能在りすぎ
675名無し三等兵:2008/08/09(土) 16:19:50 ID:???
>>674
よくアメリカが廃止させたと思うだが
NSAとかCIAとか現役だろ、あそこ
676名無し三等兵:2008/08/09(土) 17:10:13 ID:???
>>642
もとネタなんだっけ
677名無し三等兵:2008/08/09(土) 18:38:08 ID:bPKVi/GA
父方の爺さんの話
士官学校出で砲兵中尉だったそうだが、終戦間際に連隊長から
フィリピン行きを打診されたそうな
で、爺さんの答えは「えーと…フィリピンはちょっと…」
そうやって何度か声をかけられたが、はぐらかしてたそうなんだが
ある日、連隊長にフィリピン行きの件どうなりましたかと聞くと
「ああ、船が沈められたからナシ。代わりに台湾に行ってくれ」と
その時点でかなりラッキーなんだが、台湾全島要塞化済みというハッタリの
お陰で米軍がスルーしてくれるという奇跡にも助けられて
終戦まではごくごく平和に過ごせたそうな…バナナ食い放題とか
さとうきびで酒作りしてたとか、山砲の弾を請求したら榴弾が来ちゃって
水際地雷に改造してみたりとか(役には立たなかったそうだけど)
かなり好き勝手にやってたみたいだ
678名無し三等兵:2008/08/09(土) 18:40:27 ID:???
>>677
sage忘れもうしわけない
679名無し三等兵:2008/08/09(土) 19:10:52 ID:???
太平洋戦争って、米軍が来た所は激戦になったり悲惨な状況になったけれど、
無視された所は、食い物は無かったけど畑を作ったりしてのんびりやってたみたい
だな。
680名無し三等兵:2008/08/09(土) 22:21:44 ID:???
父方の爺さん
この前家の整理をしていたら、21と書かれたアルバムと
「昭和20年3月ポナペにて」と書かれた紙がはさまったア
ルバムが出てきた。
21は、爺さんが書いたと思う手書きの名前と隊員たちの
写真が、一緒に貼ってあった年表で昭和6年から昭和7年
に歩兵第21連隊で満州に行っていたときの写真だった。
ポナペにては、椰子にもたれていたり、船の砲に腰掛けている
などのんびりした姿が写っていた。こちらも手書きでいろいろな
人の名前が書かれていた。
681uaa:2008/08/10(日) 04:06:11 ID:9v/szteQ
>>663
明記はされてないはず。
具体的に駄目なのはダムダム弾だけだったと思う。

>>661
ダムダム弾に関しては守られてるよな。
理由は
1、機関銃に使うとジャムの原因になる。
2、貫通力がないから、車輌に乗った敵や防弾チョッキ着た奴に効果がない。

>>671
大陸にいた憲兵の回想にあったんだけど、
ある日、日本軍憲兵の検問を赤ん坊を背負った女が通った。
赤ん坊の顔色がおかしいので調べたら、
女は麻薬の運び屋で、赤ん坊の腹を裂いて麻薬を詰めていたそうだ。
682名無し三等兵:2008/08/10(日) 09:03:33 ID:IrXhglvI
ジイサンも内地の駐屯地にいたらしいが、駐屯地の中でも結構動物飼っていて
軍馬や通信用とかで伝書鳩 警備用の犬とか以外にも
食料不足だったから 鶏とかウサギ 牛も牛乳用とか荷物運搬用など
さながら 動物園のような状態だったとか
米軍なんかが 進駐してきたら大喜びしてたのが軍馬での乗馬で
軍馬とか元々旧軍では、将校しか乗れないような決まりだったらしいが
米兵なんかは、下っ端の兵隊やら軍曹なんかロデオ感覚で乗って大はしゃぎ
名前も以前は、日本名が付いていたのに アメちゃんらしく
テキサス号とか ジョージア号とか勝手に自分たち出身地の名前つけて
乗り回していたらしい
飼料なんかも特別にどこから持ってきて 戦時中で軍馬でもあんまり飼料無くて
痩せていたのが 数ヶ月もしたら太って毛並みもよくなって
軍馬にとって アメリカ様様だったようだ。
683名無し三等兵:2008/08/10(日) 09:16:16 ID:???
>>671
なんつー爺さんだw
映画化キボンヌ
684名無し三等兵:2008/08/10(日) 12:30:35 ID:mh1VihpZ
海軍に居たうちのじいちゃんの話。

ある日演習中に上官に肩を揉めって言われて肩揉みをしたんだが、
じいちゃんは空手をやってて握力が強かったらしく肩揉みも上手かったらしい。
そんで上官に気に入られて、その上官付きとなって戦艦から降ろされたらしいんだが、
その後戦艦は激戦の末沈んでしまったとか。

もしじいちゃんが空手をやってなかったらお前は生まれてないんだぞ。
って言われた事がある。
685名無し三等兵:2008/08/10(日) 14:03:15 ID:???
母方のお爺ちゃんは騎馬で朝鮮出兵したが、怪我をしたのは落馬した時だけで、そのまま帰ってきたらしい。
どこの国での事だったか忘れたが洞窟に篭ってた時は食料が無くてコウモリとかを喰ってしのいでたとか。
叔父に聞くと、お爺ちゃんはビールを飲む時も最後の一滴になるまで「まだ出る、まだ出る」と言いながら缶を振ってたそうな。
父方のお爺ちゃんは自分が生まれる前に亡くなっていたが、祖母に聞く限りでは、戦時中は戦争に関する何らかの責任者の立場にいたらしく、
また終戦後も「大石内蔵助のつもりでいてください!」とまあアメリカにあだ討ちするというニュアンスの主張を講演で行い、GHQにバレて連行、
東京裁判にて地元の県への強制送還を喰らったらしい。この辺りの詳細を調べようと思ったんだが、当時の資料っぽいのは見つからなかった。
墓石の経歴からも戦時中に関係ありそうな事は特に書いてなかったが、東大卒だった事だけは確認出来た。
どうも戦犯に指名された人の完全な資料とかも残ってないらしいから、そのうちに含まれてるのかもしれん。まあ死刑にならなかっただけ良かったという事か。
祖母はとりあえずアメリカだったからまだ良かった、ソ連に捕まっていたら・・・・としきりに言ってたな。
ちなみに祖母は自分と自民党の総裁選の番組を見てた時、公明党が話題に上がって、祖母が「も〜公明党はまっこと寄生虫じゃ!はっはっは!」
と言って、二人で爆笑してたわ。
686名無し三等兵:2008/08/10(日) 19:05:26 ID:???
うちのじいちゃんは自分から戦争の話をしてくれることは絶対になかった。
ただたまに断片的に話してくれるのを親父がつなげて、俺に話してくれた。
じいちゃんの軍経験の前半、中盤は省略する。
中国で特務部隊のようなことをしていた時期もあったらしいんだけど、俺が太平洋戦争について詳しくないうえに、そのへんは難しい人名やらが色々出てきて当時の俺には難しかったので記憶違いが起こっているかもしれないから。
687名無し三等兵:2008/08/10(日) 19:06:06 ID:???
じいちゃんは子どもの頃から地元でも有名な神童で、末は帝国大学にってところで戦争が激化、軍学校に入ったらしい。
そこでじいちゃんは航空機の飛行訓練を受けてパイロットになった。
今でもじいちゃんちの仏壇の部屋には白黒の飛行機の写真が飾られていて、幼き日の俺はそれが戦闘機だと疑ってなかったんだけど、実際は爆撃機のパイロットだったらしい。
じいちゃんは爆撃機で幾度も戦地に赴き、二三度撃墜されたりもしたけど強運の持ち主らしく、なんだかんだで大きな怪我をすることもなくいつも生き延びて帰ってきた。
そうこうしていると戦争も終盤。同期の戦闘機乗りもほとんど戦死しちゃった上に、爆撃機が活躍できるような状態でもなかったのでじいちゃんは爆撃機を降りてとある任務についた。
688名無し三等兵:2008/08/10(日) 19:06:50 ID:???
それは特別特攻隊の指導教官という仕事だった。そのころには数少ない古参の飛行機のりだったじいちゃんは日本各地から集まってくる若者に飛行機の乗り方を教えていった。
特攻の際にはじいちゃんも一緒についていった。
ただし自分の機だけは燃料満タンで武装もばっちりにしてあった。特攻機が逃げ出そうとしたら撃墜するために。
そして行程も半分になると引き返した。そこからならもう引き返す燃料もないから。
じいちゃんがどういう気持ちでその任務をこなしていたかは今となっては知るすべも無い。
そうしているうちに戦争が終わった。じいちゃんは故郷に帰ってきた。
故郷に帰ったじいちゃんは結婚して、実家の農業を継いだ。でも実はこのあたりで全日空から引き抜きの話があったらしい。
689名無し三等兵:2008/08/10(日) 19:11:49 ID:???
じいちゃん家のあるところは田舎で、じいちゃんはそこの分家の出だった。
守るものの少ないじいちゃんにとって、全日空の引き抜きはかなりいい話だったはずだが、じいちゃんはこれを固辞し続け、決して首を縦に振らなかった。
どうしてかじいちゃんは戦争が終わってから絶対に飛行機に関わろうとはしなかった。
690名無し三等兵:2008/08/10(日) 19:12:37 ID:???
じいちゃんはそれから農業のほうに専念した。
といっても普通の農業というわけじゃなく、農業の傍らいろんな事業を手がけた。
時にはしいたけ、時には養豚、時には山師。
時流にのって「これは儲かるな。」と思った事業を一気にやった。
それらが例外なく大儲けするので近所の人たちが毎回真似をするんだけど、近所の人たちが真似をし始めてしばらくするといきなり違う事業にうつったりした。
そしてじいちゃんが手を引いた事業は例外なくその後儲からないものになっていった。
691名無し三等兵:2008/08/10(日) 19:13:39 ID:???
親父がいうには「じいさんは時流を読む嗅覚が図抜けていた」らしい。
おかげでじいちゃんは儲かった金で近隣のかなりの土地と山を手に入れた。
でも幼き日の俺にとってはただもの静かで優しいじいちゃんだった。
そんなじいちゃんの過去の話を親父から聞いたのは俺が大学受験に失敗して地元で浪人生をしていたときだった。
そういう話が嫌いじゃない俺はじいちゃんにその頃の話を聞いてみたくて会いにいったんだけど、それは果たせなかった。
692名無し三等兵:2008/08/10(日) 19:14:41 ID:???
なぜならその頃にはじいちゃんの頭はアルツハイマーでぼろぼろで、入れ歯も外されて何を言ってるかわかんなかったから。
ばあちゃんが出してくれたもらい物の水羊羹を歯茎ですりつぶすように食っていたのが思い出される。
結局じいちゃんは俺の大学進学が決定するより先に死んだ。
693名無し三等兵:2008/08/10(日) 19:18:35 ID:???
以上。
俺はじいちゃんの戦争体験をきちんと整理しているわけじゃない。
ここに書いてあるのは思い出せる範囲でつらつらと書き綴ったものなので尻切れトンボなのはすみません。
いずれ親父にもう一度話を聞いて、前半中盤についても整理したいとは思っている。
694名無し三等兵:2008/08/10(日) 21:13:40 ID:???
>>686-693
長編だったが、読み応えあった。

また聞き出したらUP頼むわ。
695名無し三等兵:2008/08/11(月) 00:25:45 ID:sFRfhUWS
>>686-693

良い話だ…

うちのじいさんは
一緒に訓練受けた同期は皆沖縄で死んだが
爺さんは衛生兵として習志野へ
東京大空襲の時は空が赤かくて
そのあと大量の怪我人が運ばれて来たそうだ。
696名無し三等兵:2008/08/11(月) 02:01:57 ID:???
>ただし自分の機だけは燃料満タンで武装もばっちりにしてあった。特攻機が逃げ出そうとしたら撃墜するために。
そして行程も半分になると引き返した。そこからならもう引き返す燃料もないから

初めて聞いた話、全機満タンは標準なので発動機の調子が甲ならまだしも
引き返す燃料って?天候悪化で発見出来なければ帰って来てたので疑問
航続の短い局地戦闘機では巡航速度違いすぎで余計燃費悪くなる為、不可
25番抱いた飛行機の速度・・
戦果確認機なら判るが督戦隊は日本に無い為、悪いけど作文としか思えない
697名無し三等兵:2008/08/11(月) 02:07:34 ID:???
>>696
そこらへんのこと俺は詳しくないからなんともコメントできない。
ただ親父に聞いたことをそのまま書いてみただけなので、嘘っぽいと思ったら流してやってくれ。
698名無し三等兵:2008/08/11(月) 02:13:53 ID:???
>特攻機が逃げ出そうとしたら撃墜するために。
直援隊の戦闘機にはこのような任務が与えられていたと聞いているが
699696:2008/08/11(月) 02:15:52 ID:???
戦果確認機だと思います、他に随伴して必ず帰還する例を知りません
例外は教導機で長距離や夜間作戦ですが、隊はまるっきり別です
他に爆撃機乗りが戦闘機に転向する例も、普通は無いはずです
700通行人 うひょ:2008/08/11(月) 02:18:53 ID:???
696です
>>698さんへ、資料有ったら教えて下さい
701686-693:2008/08/11(月) 11:59:48 ID:???
作文だろといわれると今この場で証明できるものがないだけに困るけど、
今度墓参りに行くときに仏壇の部屋にある軍用機の写真くらいならUPできるかなぁとは思う。
702名無し三等兵:2008/08/11(月) 12:17:11 ID:???
>>699
>爆撃機乗りが戦闘機に転向する例も、普通は無い
例えば、六三四空はゲタ履きの瑞雲と彗星の部隊だけど、
となりの六五二空が解隊した時に零戦を譲り受けている
もちろん、
制空用ではなく爆戦や連絡用として使ったのだろうが・・・

あと、
>特攻機が逃げ
る事はまず、無い
この時期、飛行機に乗れた時点でもうエリートだからだ
(技量の面は、問わない

>>701
経験者が昔語りを面白く脚色してしまう事を責めるつもりはない
703名無し三等兵:2008/08/11(月) 13:06:41 ID:???
祖父の兄弟が特攻途中で不時着してしまって、その後、終戦まで
特攻途中で失敗した人の収容施設?のようなところに監禁されていたと
聞いたんですが、そんなことありえるんでしょうか?
飛行機乗れる人なんて貴重だし、再度特攻に出さなかったんですか?
704名無し三等兵:2008/08/11(月) 13:23:08 ID:???
しばらく前NHK?の特集で取り上げられていましたね。
要するに特攻は出撃したら靖国直行という事で、生きて帰ったという事は士気に
影響するから、というような解説だったと記憶しています。
705名無し三等兵:2008/08/11(月) 13:34:44 ID:???
>>703
戦死として発表されたら、そういう処置をされる可能性ありますな。
706名無し三等兵:2008/08/11(月) 13:40:19 ID:JcC6/DdM
うちの父方のじいちゃんに聞いた話
戦争の後半になると日本軍は石油が不足しまくって大変だった
燃料は「血の一滴」とまで言われて大事にされていた
じいちゃんが死ぬ思いで敵地にたどりつき偵察に行くと、米兵が
機械にガンガン石油くべてアイスクリームを作っていた

じいちゃんは「この戦争、勝てないな」と思ったそうだ
707名無し三等兵:2008/08/11(月) 14:35:27 ID:???
>>703
10年位前の映画「月光の夏」がそういう内容だったと思う。
まさにあなたのお祖父さんのご兄弟の話通りですよ。
不時着してしまった人が収容施設に入れられる、というエピソードが出てきました。
708名無し三等兵:2008/08/11(月) 14:41:12 ID:???
>>703
707ですが、思い出しました。振武寮というところです。
良かったら調べてみてください。
709名無し三等兵:2008/08/11(月) 14:53:32 ID:???
>>702
エリートと逃げる逃げないは関係ないだろ。旧軍に夢を見過ぎだよ。厨房君。
710名無し三等兵:2008/08/11(月) 15:05:23 ID:???
特攻機は片道燃料ってのは戦後に誇張された嘘ですね。
正式に燃料減らせ命令が出てたわけじゃないし、
バカ下士官にはそういうこと言う奴も一部いたらしいが
現場の整備員はそんなことが出来るかと聞かなかったとか。
711名無し三等兵:2008/08/11(月) 18:24:03 ID:???
>>710
特攻機には燃料満タン、
備蓄が各機満タンに足りなければ、入れられるだけ入れる
何故ならば、
その燃料で相手艦船が燃えてくれる事も考えているからだ
(実際には、燃えたのは搭乗員側だが・・・
712名無し三等兵:2008/08/11(月) 19:02:14 ID:???
ガソリンの火力は凄いね、この前の首都高の火事は橋桁が70cmも沈んだからね。
713名無し三等兵:2008/08/11(月) 20:22:03 ID:???
あのアメリカの貿易センタービルも、飛行機に燃料がたっぷり残ってたから火災が起きて鉄骨が溶けて崩れ落ちた。

あれほど見事にくずれるとは。すごい。
714名無し三等兵:2008/08/11(月) 21:17:16 ID:h+x87H4P
あれはアメリカ政府の陰謀で爆弾が、建物に仕掛けられてたんだよ。
715名無し三等兵:2008/08/11(月) 21:24:19 ID:RuG5wfrR
バアさんの親戚の人で、東北だがの海軍の航空基地で、整備関係の仕事していたらしいが
終戦末期になると 飛べる飛行機は 特攻か 首都防空用とかに引き抜かれて
なんとか基地防空用や連絡機程度は置いておいたが
航空機の部品工場とかは爆撃されたので 部品も欠品して整備不良続出
まともに飛べる飛行機は 基地でも3分の1くらいで 格納庫入りの飛行機続出
しかし ある日 東京から海軍省のエライ人が、現地視察に来るとかで
一応エンジンの廻る飛行機は、駐機場に置いてプロペラ回して待機して展示
なんとか飛べる飛行機は、上空に編隊組ませて デモ飛行
海軍省のエライ人も大喜びして 「まだ 日本は本土決戦できる!」と
感激して東京に帰ったらしいが、
実際に飛べる飛行機なんか ほんの数機しかないとか教えなかったそうだ。
また 最新鋭機なんかも少数機、一応配備されたらしいが
エンジントラブルや初期故障ばかりで 全然使えない乗り物で
整備以前の問題ばかり多かったので わざと滑走路付近に置いて
B−29の偵察機に撮影されてもいいように放置
最新鋭機が、本土決戦用に
こんな基地にも配備されているとか宣伝効果狙ったらしい。
716名無し三等兵:2008/08/11(月) 21:45:16 ID:???
>703

そうでもして保護しとかんと
死ぬまで特攻出撃繰りかえさせられるんだぞ。


もまえな、確実死ぬのと殴られたり作文、精神修養だけで済むのと
どちらが(W
717名無し三等兵:2008/08/11(月) 21:56:55 ID:???
我が家の爺さんは、陸軍航空隊の整備兵だったが、終戦に近い頃に
は、韓国の水原飛行場(基地)に新鋭機が集められ、本土決戦用に
温存されてたそうだ。8月15日を過ぎたら、武将解除って事で、
滑走路にずらっと4式重(飛竜)と4式戦(疾風)を並べて、
連合国側に引き渡したそうだ、「新鋭機ばかり勿体ない、こ
れだけどこに隠していたんだ」と思ったそうだ。

水原には、大陸に残存してた航空戦力が集められて、爺さんも
それまで居た漢口から転任したそうだ。
718名無し三等兵:2008/08/11(月) 22:23:35 ID:???
満州・北方の浸入にしても大陸・太平洋戦線にしても
つくづく半島は何の役にも立たなかったな・・・
719名無し三等兵:2008/08/12(火) 04:39:57 ID:???
あなたのおじい様の性交体験を教えて
720名無し三等兵:2008/08/12(火) 07:06:44 ID:???
>>719
  教えてやろう、ほれ
パンパンパーン
    ∧__∧ ∩
  (,, ゚ Д ゚)彡☆
   ⊂彡☆))∀´))) わ わーい うれしいな
       ☆
721通行人 うひょ:2008/08/12(火) 08:12:06 ID:???
>>717
陸軍の意地で、航空機の資材と予算を海軍と折半した為
海上攻撃向けで無い、陸軍機が無駄?に作られてました、航法や、水上に浮かないとか・・・、朝鮮にも置いてました
ちなみに、終戦時の残存機は陸海合わせて約一万機、殆ど特攻用で半分は九州上陸で使う予定
722名無し三等兵:2008/08/12(火) 09:56:00 ID:ckjzjlVY
昔 親戚のオジサンから聞いた話だが 千葉の房総半島でも外房あたりにいたらしいが
あの辺の海岸は、年中波高くて 遊泳禁止の海岸が多いが
戦時中などは 海戦で沈んだ船の漂流物とか 撃墜されたか海に不時着したような
飛行機の残骸など おびただしい数が朝になると海辺に打ち上げられていて
日本軍ばかりが 米軍の残骸やら 遺体の一部とか 不発弾のようなものまで
多数あって さながらスクラップ置き場状態だったとか
また 悪天候だと 米軍機なんか 目標地点にいけなかったけど
基地に帰還するのに 爆弾がジャマだとかで
大量の爆弾を沖合いに投棄して帰還していたらしいが
海底で爆発して 大量の魚が死んで浮かんで来たらしいが
それをめがけて 大量のサメも出没 沖合いを見たら
群れをなす大量のサメの背びれが見えて
気持ち悪かったらしい。
723名無し三等兵:2008/08/12(火) 10:45:44 ID:x4Wd5+k1
読みにくい
724名無し三等兵:2008/08/12(火) 11:23:33 ID:rxBFuKce

大日本帝国は「戦争」に「負けた!」と死んだ爺さん婆さんが云ふとりました!www
725通行人 うひょ:2008/08/12(火) 11:50:30 ID:???
>>701
明らかな間違いには突っ込み入れるけど、気にしないで下さい
辛い体験した人は語ってくれない為、どんな証言でも歓迎してます
>>709 716
朝鮮人は来ないで下さい
726名無し三等兵:2008/08/12(火) 11:57:11 ID:???
書き込みだけで人種を見抜くとは・・・流石ですね(笑)
727名無し三等兵:2008/08/12(火) 12:46:35 ID:???
やっぱり爺さんの話は聞いとかなくてはいかんな。
爺さん乗ってた艦の戦友会は3人しかいなくて80の家の爺さんが
一番若い。(沈んだ艦の戦友会だからもともと少ないのだけど)
こんど詳しく聞いてこよう。
728名無し三等兵:2008/08/12(火) 12:47:57 ID:0FLKCIQS
俺の母方の爺さんは三人兄弟で長男で硫黄島で戦死らしい。一応3月17日が命日らしいが遺留品も何もなし。
次男はニューギニアで戦死。遺留品なし。
戦後三男だけ生き残り(呉で駆逐艦に乗ってたらしい)三男と再婚して今の俺の爺さんになったらしい。婆さんから何も聞いたことないが壮絶な人生だったんだなと思う。
729名無し三等兵:2008/08/12(火) 15:46:11 ID:???
休みといえば、ピー屋に行列して5分ばかりのセックスするのが
身分の低い兵隊には唯一の楽しみだったそうです。
730名無し三等兵:2008/08/12(火) 15:56:56 ID:???
うちの爺様は、中国戦線中部〜南部で、軍馬の世話係兼気象観測係だったと言ってました。
家で馬飼ってたから、戦闘兵より、そっちの方が役に立つって事でしょう。
まあ、戦線と任務が恵まれていたおかげで何事もなく無事帰国できて良かったですよ。
戦艦大和が沈んだところを見たとも言ってましたが、多分に眉唾です。
731名無し三等兵:2008/08/12(火) 16:47:56 ID:???
うちの爺さんは衣兵団ってのの自動車化部隊に居たとか
杭州から黄河だか長江だか解らないけど川沿いに進軍したらしい
本人曰く兵站部隊じゃないとの事だけど戦闘は殆ど無かったそうな
石油が無くて人口石油じゃ間に合わずに全然前に進めなかったとか
あと炊事担当だったらしいけど料理がえらい下手で何度か殺されそうになった事がある
732名無し三等兵:2008/08/12(火) 19:00:42 ID:???
数年前、父方のじいちゃんが無くなって葬式した時、母方のじいちゃんが偶然、同じ隊にいた人と再会した。
その人は父方のじいちゃんの友達だったらしいが。
父方のじいちゃんと母方のじいちゃんは同じ県出身だけど、住んでる所は県内でも端と端に位置してて、共通の友人は皆無の筈なのにこんな偶然凄いと嬉しそうに談笑してた。
小さい頃から二人のじいちゃんから戦争の話は一度も聞いたことがなく、また聞いても話してくれなかったから、戦争とか映画の中の話のようだったけど、その葬式の時に父から「戦争中、同じ隊だったんだって」と聞かされて、急に身近に感じたのを今でも覚えてる。
49日でも、母方のじいちゃんとその人は隣に座って終始談笑。隊では同期?とのこと。
いつかじいちゃんから戦争の話、聞いてみたい。
長い上にスレチ気味すまん。
733名無し三等兵:2008/08/12(火) 19:40:25 ID:???
母方のじいちゃん、当日の階級で中尉だったとのこと。
葬式に当日の部下だった人が来てたらしいが、結構優秀な人だったのかな。
734名無し三等兵:2008/08/12(火) 23:41:13 ID:rxBFuKce

資源不足、機械工作技術が未熟な為に、まともな航空機用排気ガスタービンを量産する事ができなかった! と死んだ爺さんが嘆いてました。
735名無し三等兵:2008/08/13(水) 01:10:06 ID:dmDDGeoA
祖父は中国に出征。B29の基地を占領する作戦(湘桂作戦かな)に衛生兵として参加。
衛生兵は拳銃すら持たず、ヘルメットに赤十字、赤十字の腕章を着けて戦場を駆け回り、負傷者を治療、看護
する仕事で、なかなか忙しかったらしい。
あるとき、敵の奇襲で隊列がバラバラになり、自分自身も近くの田んぼに転落してしまった。
なんとか敵の奇襲を撃退し、本隊は敵を追撃。自分だけが取り残されてしまったらしい。
一緒に取り残された重傷者に応急処置を施し、周りを見渡すと、中国兵の屍体がゴロゴロ転がっていたらしい。
なにか鹵獲品はないかと屍体を調べてみると、一人だけナントカ生きている敵兵がいたそうな。
彼は肩と肘に貫通銃創を受けており、かなり出血していたので、応急処置を施してやったそうな。
そしたら彼が現地語で「あっちの方向にわが軍の機銃がまだ生きてるから注意していけ」
と説明してくれて、なんとか日本軍負傷者と共に、生きて本隊にたどり着いたらしい。
その時、トミーガン4丁、チェコ機銃3丁、小銃多数、手榴弾10発に食糧を鹵獲したが、自分以外はみな負傷兵で
持ち運びに困ったので、結局手榴弾とトミーガン、それに弾薬、食糧だけを持っていったんだって。
チェコ機銃は勿体なかった、と言っていた。
 終戦の日まで連戦連勝だったので、8月15日に停戦命令がでると、「漸く戦争に勝ったか。何処の領土を貰えるかな?」
と兵隊同士で盛り上がったらしい。敗戦の事実を知ってもピンと来なかったとか。

日中戦争に従軍した人って多いと思うけど、みんなそんな感じだったのかなあ。
736名無し三等兵:2008/08/13(水) 01:28:54 ID:???
衛生兵って真っ先に狙われるんだよね?
737名無し三等兵:2008/08/13(水) 08:29:53 ID:???
家のじっちゃは陸軍の歩兵になって友人達と共に
朝鮮、満州経由で中国の南方の戦線に行って戦ったって言ってた
南京陥落も居合せて「結構人が少なかったなぁ」って言ってた
そんで、中国軍を追っかけて戦ったらしい。
補給をする為に南京に戻っている時に、便衣兵(?)に右腕を
撃たれて死ぬまで動かなかった。
南京に戻ると途轍もなく人がふえてたらしい
「倍とか10倍とかじゃなく
 とにかくワラワラウジャウジャ」って身振り手振りを加えて
6歳の俺に教えてくれた
そのまま、南京で終戦を向かえて日本に帰ってきた
>>735と同じく最初は日本が勝ったと思ったんだって

738名無し三等兵:2008/08/13(水) 19:11:56 ID:???
母が可愛がってもらっていた隣の魚屋のおじさんは日華事変にも海軍陸戦隊として出動したことがあり
招集されてまた海軍の陸戦隊に行き、どこかへ移動する途中便乗していた潜水艦がやられてしまったと聞きました
739名無し三等兵:2008/08/13(水) 19:15:37 ID:???
>>737
「負けたちゅうばってん俺ら負けたことがなかったけんね、デマと思ったばい」
重慶作戦、桂林作戦などに参加した元陸軍曹長の祖父の言葉です
740名無し三等兵:2008/08/13(水) 19:32:41 ID:???
伯父も言っていた。
「ワ(我)の部隊は ”鏡兵団”つって連戦連勝で●●●コロの目の敵にされどった。
 んだがら負げでるどは思わんがった。武装解除されだどぎはがっかりすたなぁや」
741名無し三等兵:2008/08/13(水) 20:13:49 ID:???
>>740
第13師団(通称号:鏡)
編成地・留守担任:仙台
隷下歩兵連隊:104・仙台、65・会津若松、116・新発田、(58・高田)
終戦時長:吉田峯太郎
終戦地:長沙
師団号は軍縮廃止の復活 仙台師団として第2師団に代わって中支で活躍した精鋭不敗師団
上海・南京戦 徐州一番乗りは白虎部隊の両角連隊(65) 大別山の苦闘 襄東・宜昌の両戦
にも中核任務 敵の大反抗にも内山中将悠揚迫らず中国軍も恐れをなした 大陸打通作戦で
は常に根幹となり遠く独山に進出貴州省に踏入る 九か年の長期間常に軍旗は揚子江に映え
威は重慶を圧した

兵隊たちの陸軍史(伊藤桂一)付録・主要部隊一覧から
742名無し三等兵:2008/08/13(水) 20:37:42 ID:???
>>741
へぇ…そんな部隊だったんですか。情報感謝します。
ちなみに伯父は捜索(偵察?)中隊所属だったそうです。
743名無し三等兵:2008/08/13(水) 20:46:16 ID:???
>>742
昭和天皇が側近に「3と13が居れば大丈夫」と言わしめたほどの歴戦師団だよ。
744名無し三等兵:2008/08/13(水) 21:17:14 ID:???
ウチの爺ちゃんが居たのは「またも負けたか〜」の連隊だからなぁ…
まぁ住んでた所が悪かったと。
いや、生きて帰ってきたから悪かねぇか?
745名無し三等兵:2008/08/13(水) 22:03:50 ID:???
>>743
そんな精鋭師団がなんで支那相手じゃなく米軍の相手をしなかったの?
746名無し三等兵:2008/08/13(水) 22:51:55 ID:???
打通に専念してたし、ボカチン食って全員水没じゃあ割りあわんだろ。
747名無し三等兵:2008/08/14(木) 00:00:35 ID:???
【皇国の興廃】マリアナ沖海戦5【この一戦にあり】
ttp://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1211013842/l50
724 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/06/20(金) 19:59:02 ID:???
一号作戦のためにマリアナ防備が遅れたことは事実

昭和18年10月14日 第13師団のマリアナ派遣決定
昭和18年10月23日 先遣隊が中支の沙市を出発
昭和18年12月6日 師団主力のサイパン転進準備発令
昭和18年12月12日 一号作戦のため師団主力のマリアナ転用延期(下旬に転用中止決定)
昭和19年1月11日 先遣隊がサイパン上陸(漢口、上海、門司、トラックを経由)
昭和19年1月24日 一号作戦の実施発令
昭和19年2月10日 第29師団のマリアナ転用発令
昭和19年2月19日 第29師団が満州の遼陽を出発
昭和19年3月4日 第29師団がマリアナ着(途中で歩兵第18連隊主力ほかが海没)
748名無し三等兵:2008/08/14(木) 02:37:49 ID:???
俺の祖父の弟が航空機(機種不明、零戦?)のパイロットだった。
最後はトラック諸島で撃墜されて戦死した。
母親(俺の曾祖母)は99歳まで長生きしたので俺が2歳ぐらいの頃まで健在だったのだが
戦争で亡くした息子のことをたいそう悼んでいたらしく、曾祖母の暮らしていた部屋には
戦後国からもらった勲六等、五等といった叙勲の賞状が遺影といっしょに大切に飾られていた。

去年、祖父母が亡くなられて家をたたむことになったのでいろいろと遺品を整理していたら
その叙勲の勲章などといっしょに祖父の弟が従軍中にとって母親に送ったとみられる
多くの写真が入ったアルバムが見つかった。
特に戦争に関係した風景はほとんどなく、基地での休暇中に温泉に行った写真とか
そういうものが多かったのだが、そのアルバムに本人が描いたと思われるミッキーマウスの
いたずら書きを見つけたときは思わず微笑んでしまった。
南方に回される前は中国戦線にいたらしく、上海作戦従軍章とかいうものも混じってた。

ただもっとも心を打たれたのは、そのアルバムに曾祖母が(おそらく満足に教育を受けられなかったため)
書き付けないタッチのよれたひらがなで「やさしかつた○○(名前)のおもひで」と小さく書いてあったことだ。
賞状など誇らしげに飾ってあったので、息子の戦死も名誉に思っていたんだろうと勝手に解釈していたのだが
愛する息子を戦争で失った深い悲しみをそこに見たような気がした。
(つづく)
749名無し三等兵:2008/08/14(木) 02:56:17 ID:???
(つづき)
祖父母の家の墓は、その弟さんの分だけ別に墓石がこしらえてあるのだが
まだ俺が子供だったある時、親戚一同で墓参りしたとき親類から
「○○さんの墓石の横を見てごらん」と言われてよく見てみると、零戦の絵が
墓石に刻んであった。だいぶ風化してきてはっきりとはしないものだったが
その絵も曾祖母が石屋にたのんで特別に彫ってもらったものだそうだ。
今にして思うと、墓石の零戦の絵も、きれいに飾られていた賞状も金庫に保管されていた
勲章も、そうやって「あの子は国のために戦って死んだんだ」と思うことで悲しみを
乗り越えるしか曾祖母にはなかったのかも知れない。

個人で店を開いていた関係で、祖父の家は貧しかったのだが商売道具をしまっておく
やたら大きな金庫があった。その金庫をどうやって処分しようかなどと話しながら
金庫の中を調べていたら、引き出しから換金せずじまいの軍票(あるいは物資の配給票?)が出てきた。
そして、金庫の中の引き出しの側面には曾祖母の署名とともに
「いざといふときのために、ここに弐十円しまっておく。昭和弐十年五月」(文面は正確には記憶してない)
などと書いてあった。戦争末期の切羽つまった感じが残っているのだが、20円という額が
果たして金庫にしまうほどの価値だったのかどうか、よくわからない。
(さらにつづく)
750名無し三等兵:2008/08/14(木) 03:17:48 ID:???
(つづき)
さて、これは祖父母の家をたたむ段になって初めて知った話なのだが
祖父の弟さんのアルバムには結婚記念写真も混じっていた。それで、「○○さんは
結婚していたの?」と親に聞いたのだ。なぜならその筋の親戚という人に会ったことがなかったので。
すると父が言うに、弟さんは戦争に行く直前(多分南方行きのこと)に「やっぱり結婚していない
のはよくない」ということで基地の近くに住んでいた女性と半ば駆け足のように式を挙げて
新婚生活もほどほどに前線に飛び立ち、そしてそのまま戦死されたのだそうだ。

その基地というのが祖父母の家とは全く離れた所にあったのだが、子供もなくあっという間に
未亡人になってしまわれたその女性は戦後たまに墓参りなどに来たようだ。
曾祖母はその未亡人のこともたいそう気の毒に思われたようで、「○○との結婚の事は
もう忘れていいから、新しい人をみつけて幸せになりなさい」と言ったそうだ。
そういう訳でその人とは縁が切れた、というか親戚一同これまで全くその話題に触れなかったのは
曾祖母とその未亡人の気持ちを踏んでのことだったのかも知れない。

俺の祖父の方はというと、太平洋戦争中は既に30後半で予備役だったため前線に行くことは
なかったらしい。なので戦争の話はほとんど聞かなかったが、俺が子供の頃、将来はパイロットに
なりたいと言っていたのを聞いて、お前は○○の生まれ変わりかも知れない、などと言っていたのは
覚えている。結局目が悪くてパイロットになるのは諦めたけどね。

そんな思い出の祖父母の家も、今では更地になってしまって思い出も風化してゆく一方なんだが
あのアルバムだけは大切に保管しなければと思ってる。
751名無し三等兵:2008/08/14(木) 08:42:56 ID:???
>>749
物価からの貨幣価値は、当時の2000倍。
平均給与からの換算だと5000倍。
752名無し三等兵:2008/08/14(木) 09:02:23 ID:???
私の場合は父方の祖父が戦闘機乗り(陸軍)であったことを祖母の亡くなったあとにはじめて知りました
呑気でひょうきんな父は、そのことだけは今も触れたがりません
祖母は戦後祖父の弟と結婚し二人の娘をもうけました、私の叔母たちです
父は飛行機嫌いで私も飛行機は嫌いです、とくに理由はありませんでしたが
このことを知ってはじめて少し納得しました、父は中学を卒業するときこのことを知らされ
一週間ほど家に帰ってこなかったといいます、小さい頃テレビで戦闘機が映るとすぐチャンネルをかえていたのをおぼえています
いつも五木ひろゆきばりの笑顔を見せている父の顔がそういうときだけ鬼のようになるのを不思議に思ってもいました
そういう思いがDNAに刻まれて息子である私に遺伝したのでしょうか
祖父(の弟)に言われます、おまえはあんちゃんによく似ている、と
顔かたちだけでなく性格や立ち居振る舞い、癖、歩き方までもが似ているそうです
いったいどんな人だったのか、知りたい知りたいと思いつつも知ることができないでいます
父は私がそれを調べることを嫌がっており
遺族年金から役所に問い合わせればわかるはずの情報もわかりません
仲間といっしょに乗機のそばで撮った一枚の写真が残っています
軍オタのはしくれとして(というより懸命に調べました)その戦闘機が97戦や疾風ではなく隼だということだけはわかりました
父は自分の父に頭をなでてもらったことさえありません、そのせいか祖父(の弟)を慕うことは尋常ではありません


753島田戦車隊:2008/08/14(木) 09:55:00 ID:???
たとえFS作戦やMO作戦が成立しなくても、
あれだけの数の空母を囮にしてまで米艦隊をおびき出したのに・・・・
丸裸の敵輸送船団を目の当たりにして反転した栗田・・・・
なにが「小生は少し疲れていたのかもしれない」だあ?
何人犠牲になったと思っているんだ!
そりゃあ神大佐が「そんなに命が惜しいのか」って叫んだ気持ちも分かる。
みなぎってきたので、明日靖国に行ってくる。
754名無し三等兵:2008/08/14(木) 10:01:13 ID:???
神大佐ってだれ?
755名無し三等兵:2008/08/14(木) 10:07:22 ID:???
>>754
神 重徳(かみ しげのり)
鹿児島県出身
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%87%8D%E5%BE%B3
756名無し三等兵:2008/08/14(木) 10:55:02 ID:???
レイテを目前にしていても、主力はもうボロボロだったから、
結果は変わらなかったとおもう。
武蔵も沈没、大和も中破。
結局、特攻隊を投入しても制空権を奪取できなかったのが勝敗を決定した。
757名無し三等兵:2008/08/14(木) 11:19:08 ID:ZNlNG4dH

日本軍は追い詰められると銃剣バンザイ突撃による玉砕か体当たり特攻攻撃……近代戦に参加する資格のナイ国家だったと死んだ爺さん婆さんが云ふとりました!w
758名無し三等兵:2008/08/14(木) 12:09:45 ID:???
太平洋戦争末期の軍部は決死と必死を意図的に混同していたと個人的に思う。
特攻作戦の採用時にはかなりの葛藤があったとは聞きましたが。

捕虜になった場合の心得に関する教育を行っていなかったので、捕虜となってしまった
将兵は重要な情報を簡単に漏らしてしまったとか…どこかで読んだ記憶が有ります。
759名無し三等兵:2008/08/14(木) 12:19:48 ID:???
隊や艦でもイジメが醜いためか、少し優しくしてやるともうこっちの言うことを何でも聞くようになって
聞きもしないことまでペラペラしゃべる者が多かったといいますね
760名無し三等兵:2008/08/14(木) 13:35:38 ID:???
>>759
イジメというより、捕虜になったら殺されると思い込んでいた日本兵。

しかし、つかまっても(相手が情報がほしい場合は)食事を与えられ、虐待もされず(負傷
していたら手当てもしてもらい)、戸惑っているところに日本語で情報将校から世間話
はじめられて・・・ってのが多かったはずだよ。

ああ。余談だけども。
情報がほしい情報部が、戦闘部隊に『情報ほしいから捕虜捕まえてくれ。捕まえた
ヤツには特別休暇だすぞ!』といった途端に捕虜の数が急増。
『もう情報は十分だから特別休暇は出さん』と告知したら捕虜の数ゼロ。

とか

後方に送らずに飛行機から突き落として、『ん?捕虜?ハラキリしちまったよ』と
いって何もとがめられなかったとか・・・・。

いろいろあるよね。

捕虜という存在に対する教育をしてこなかった日本軍の問題は確かにあるが・・・。
難しいな・・・。
761名無し三等兵:2008/08/14(木) 15:18:49 ID:???
漏れが生まれる20年も前に亡くなった母方の祖父の履歴書が押入れの奥から見つかりました。
母方の祖父は生前からの愛国者?というか、「国家のために戦うのは当然だ」といって、貧乏にもかかわらず、ついに最期まで恩給を受け取らなかったそうです。
そのため、祖父の死後、いよいよ暮らして行けなくなった祖母が、祖父の恩給を受け取るために上官に当たる人の所へ戦地やら所属を教えてもらい、それを基に恩給を受けた際につかったものでした。

昭和16年 臨時招集により中部第54部隊独立自動車第275中隊→宇品港出港→大連→ハルピン→海南島
昭和17年 海南島→バンコク→ビルマ・モールメン→ビルマ各地転進(おそらく敗走)
昭和20年 4月30日モールメン出発→バンコク→インドシナ・クラコールにて武装解除
昭和21年 5月10日サンジヤック出港→23日鹿児島港・24日復員

生存率が半分にも満たない中、よく生き残ってくれたものだとなぜか感動しました。
762名無し三等兵:2008/08/14(木) 16:24:27 ID:???
>>760
日本も落としたB-29の生き残りの機長は尋問の為に東京に連れて行き、残りの乗員は皆殺したからな。
763名無し三等兵:2008/08/14(木) 18:38:54 ID:ZNlNG4dH

 敗戦!w
764名無し三等兵:2008/08/14(木) 21:45:19 ID:M05NgHKJ
よそのおじい様の話だけど、今日の新潟日報の読者投稿コーナーの『窓』に
長岡市石○寅○さん(84)からの投稿があった。

石○さんは昭和19年5月に招集令状により陸軍二等兵で仙台の部隊に入隊。そして上海へ。
チャンワンまでの七ヶ月は野営で、食べ物は無く
中国人の民家に押し入り略奪する者が出て、また上官からは『度胸をつけさせる』と連日特訓させられた。
その特訓とは生身の人間を相手に銃撃指導であり、手を抜けば容赦なくビンタをされた。
同年12月ナンネンに到着、毎日毎日サトウキビ畑の中の行進で
インドシナについたのが翌年4月。ここで最後の決戦を迎える。
そしてハイフォンで終戦を迎えた。
『これで家に帰れる』と兵隊たちは喜んだ。しかしそれもつかの間敵国の捕虜となる。
どんな仕打ちが待っているのかと心配だったが、収容所は捕虜となった兵隊と
住人四千人が暮らし、食べ物に不自由しなかった。
それから八ヶ月。昭和21年4月に解放され6月4日に浦賀に戻る。
戦争では怖い上官や空腹との闘いで苦しい事ばかりだったが
収容所生活は楽しい思い出だ。
765名無し三等兵:2008/08/14(木) 21:48:39 ID:pF0XQe8d
昭和30年代の初期に入社した頃の父ちゃんは
中国大陸から帰ってきた先輩から戦場の話を沢山聞かされた。
激戦に投入された兵隊さんは戦死したかもしれんがと前置きしたが
これといった激戦を中国大陸で体験しなかった先輩が多かった。
その代わりションベンしながら歩いたとか眠りながら歩いたとか
歩きまくり状態だったらしい。
766名無し三等兵:2008/08/14(木) 21:59:43 ID:???
>760

東條のハゲが自分でも守れないようなおふれだすからだ。
767名無し三等兵:2008/08/14(木) 23:37:05 ID:???
>760
日露戦争で捕虜になった人たちは「勝ち戦なのに捕虜になんかになりやがって、この郷土の恥が!」となじられたそうです
そんだけいわれてれば捕虜になんてなりたくないだろうし、一生懸命戦った末での捕虜なのにな、そもそも日本人って
自分なりにがんばっても結局は結果でしか評価しないからなぁ
なんかオリンピックとかで期待した結果がでなかった選手を冷遇するマスコミに通ずるものがあるな
768名無し三等兵:2008/08/14(木) 23:51:32 ID:???
15日とは関係無いが。。。
仕事で地下鉄に乗っていたとき
靖国神社の紙袋(だったかな?)を持っていた、
歩くのも大変そうな腰の曲がった御婆さんが九段下で乗ってきた。

哀愁が漂っていて、色々想像すると涙が出たよ。
769名無し三等兵:2008/08/15(金) 00:27:04 ID:???
>>762
ただの皆殺しならまだよかったんだが、
九州大学で生体解剖した揚げ句、料理して食っちまうとかあったし。
770名無し三等兵:2008/08/15(金) 11:38:57 ID:???
>>767
>「勝ち戦なのに捕虜になんかになりやがって、この郷土の恥が!」となじられた
自分が読んだ日露戦争関係の本(桜井忠温の『肉弾』とかが一緒に載ってた)では、
逆に勝ち戦だったから『しょうがないねぇ(冷笑)』くらいで済んだと書いてありましたが・・・
まぁ、“ 何処で戦った捕虜か? ” によっても違うんでしょう

その捕虜だった人の体験記の冒頭は、
 当の本人:「まぁ(苦笑)、あまり景気の良い話ではありませんが、“ めずらしい異国体験記 ” を聞くつもりで・・・」
と、いたって呑気でしたが
 ・ロシアでの捕虜の扱いはだいたい良好だった
 ・けどやっぱり寒かった
 ・帰国はドイツ経由だったが、ドイツでは大歓迎(お互いにとって次の仮想敵国なのに
771名無し三等兵:2008/08/15(金) 12:24:21 ID:dpwO4t7H

 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
772名無し三等兵:2008/08/15(金) 13:25:32 ID:0QPIDB9E
orz orz orz
773名無し三等兵:2008/08/15(金) 14:40:51 ID:???
俺のじいちゃんは、元々器用だったから、大和級や零戦の製造に携わっていて、それゆえ前線に出なかったので、生き延びれたそうだ。
だけど、じいちゃんの兄弟二人は、それぞれ陸海軍に行って、片方はニューギニアで戦死して骨も帰ってこなかったらしい。
もう一人は戻って来れたが、まもなく病死したとの事。
774名無し三等兵:2008/08/15(金) 17:15:48 ID:???
嘘くせぇ
775760:2008/08/15(金) 17:51:09 ID:???
みんなの書き込みを見てほっと安堵しました。
変なバイアスはかかっていない意見ですので・・・。

アッチもやったがこっちもやったからなあ〜 とおもったので、最後は
難しい としめくくったのでした。

終戦記念日(敗戦記念日)の今日。
776名無し三等兵:2008/08/15(金) 21:28:59 ID:???
NHKとかでは戦陣訓批判のための「捕虜になってみたら扱いがきちんとしていて驚いた」
という話がよく出るけど、アーロン収容所みたいな話は全く放送されない。
まあ酷い収容所にいた人は死んでしまって証言が取れないというのもあるだろうが

変なバイアスというのはマスコミに言ってやりたい。
777名無し三等兵:2008/08/15(金) 21:30:21 ID:???
>>773
>大和級や零戦の製造
ネジかリベットでも作ってたんですか。
778名無し三等兵:2008/08/15(金) 22:07:56 ID:IHWf09FK
横浜の井土ケ谷に生まれ育った祖母は、
終戦の年の8月15日、市街地上空で、グラマンと友軍機が空中戦を演じたのを目撃していた。

奮戦虚しく、友軍機が火だるまになって墜落していったが、目をこらして探しても、パラシュートは見えなかったそうだ。
それから数時間後に玉音放送。

今日は、空中戦が行われた青空を仰ぎ、祖母と一緒にその時の搭乗員の冥福を祈った。
779名無し三等兵:2008/08/15(金) 22:11:08 ID:JpajCdON
今日初めて母から聞いた話なんだが、母方の祖母の親戚のお兄さんが
終戦の前年、8月20日に御前飛行かなにかで事故死して
とても不名誉な扱いになり恩給も貰えなかったとの事。
1944年8月20日霞ヶ浦だと何が考えられるだろうか。
桜花か秋水、キ109あたりか烈風かしら。
780名無し三等兵:2008/08/15(金) 22:15:20 ID:c+9Ou5cZ
>>779
取り敢えず、確実に全て違う。
万が一可能性があるとすれば、キ109。
781名無し三等兵:2008/08/15(金) 22:24:05 ID:+jvgjoXI
漏れのおじいは、新日鉄広畑(姫路)で働いていたんだが、
艦載機が来襲してきた時は、製鉄所防衛の高射砲が応戦したと聞いた。

嘘だろ・・・と思ったが、学研の本土決戦という本を見たら高射砲隊が配属されていた。
782名無し三等兵:2008/08/15(金) 22:33:56 ID:???
大阪大空襲の時に濡らした毛布を被って畑の真ん中に避難して座っていたら
真横に焼夷弾が落ちて転げるように逃げたらしい。
783名無し三等兵:2008/08/15(金) 23:03:07 ID:???
>>774
いや、マジな話。
父親から何度も聞いた
784名無し三等兵:2008/08/15(金) 23:05:11 ID:???
>>777
ごめん、書き方が悪かった
聞いた話だとメーター類を作ってたらしい

連レスすまん
785名無し三等兵:2008/08/16(土) 00:06:08 ID:KfQhYgUm
二人の息子が両方戦死したので、失意のあまり自殺した曽祖父。
786名無し三等兵:2008/08/16(土) 01:03:58 ID:???
727です。うちの爺様は大変に運が良い人らしい。
中学校(?)を出ていて計算ができたせいか海軍に配属されたそうだ。
駆逐艦などに乗ってきたが、沈没したりして最後は摩耶に配属された。
摩耶では機関員で、沖縄行きの日は当日腹を壊して上で煙の色を見る係(?)だったそうな。
魚雷を食らってみるみるうちに艦が傾いて逃げるよう命令がでて必死で逃げた。
あっという間に水が入ってきて命からがら海に出たがすぐに艦は見えなくなった(沈んでしまった)。
武蔵に拾ってもらったがもう傾いて片側が水に洗われるくらいで誰が見ても沈むとわかる状態。
軍服も無く靴もなく皆真っ黒(?)
拾われた人間の半分くらいは武蔵の兵員の補充として持って行かれて残りは駆逐艦に移動して日本に帰還。
機関員の爺様は帰還組に入って九州で終戦を迎えたとのこと。
現在摩耶の生き残りの摩耶会は3名しかいない。次の戦友会は無いかなぁと寂しそうに笑ってました。
?の部分は聞いたまま。良くわからんのでそのまま書きました。
787名無し三等兵:2008/08/16(土) 01:36:14 ID:???
>>786
>真っ黒(?)
海面に漏れた重油で真っ黒になったんじゃないか?

788名無し三等兵:2008/08/16(土) 03:16:06 ID:???
>>786
沖縄行きではなくレイテでは?
789名無し三等兵:2008/08/16(土) 03:57:20 ID:???
すれちだが
摩耶はレズだから男なんか乗せないぞ
790名無し三等兵:2008/08/16(土) 11:01:58 ID:???
曾祖母は大和沈没時の爆煙を水平線上に見たそうだ

場所は枕崎な
791島田戦車隊:2008/08/16(土) 11:07:01 ID:???
>>778
1945 8.15 終戦当日は相模湾の米機動部隊は稼働していないはず。
(たぶん玉音放送があるってわかってたはずだから)
だけど偵察目的(厚木の動きとか)で、F6Fあたりを単機で飛ばしていたのかも。
日本人が玉音放送聴いたあとも出撃するってわかっていたのかも知れない。
今は亡き厚木航空隊整備兵が申しておりましたが、彩雲やら彗星やら出撃で大変だったらしい。
792島田戦車隊:2008/08/16(土) 11:14:07 ID:???
爺さんの言うてることはほんとだったんだなあ。>>81以降参照されたし。

昨日は靖国に丁度12時に着くように出発したのですが、
要人警護のため大変混雑しており、大鳥居の真下で黙祷捧げました。
大変に暑かったのですが、ご老人もたくさん参られておりました。
それに今年は比較的若い方も多く参られておりました。日本国万歳。
793名無し三等兵:2008/08/16(土) 11:47:59 ID:???
祖父は当時熊大医学部の学生で長崎へ原爆投下一週間後に教授や九大の人たちと調査のために現地入り
救護所では白衣の裾を引っ張られて治療をせがまれ、中には拝みながらうめく重傷者もいたらしい
だが祖父は何もできず立って泣くしかできなかったそうだ
爆心付近は音が何も聞こえなかったそうだ
祖父は戦後医師になり、後に癌で死去。
祖父の死後生まれた私は祖母から話を聞いただけなのでこれ以上のことはわからないが
祖父の遺品の中に長崎でなく投下間もないヒロシマの街と終戦後の原爆ドームの写真があった
なぜヒロシマなのか未だにわからん
調査隊の資料でもあればもう少し祖父の気持ちもわかるんだろうがなぁ
794名無し三等兵:2008/08/16(土) 13:08:21 ID:+L/Bc6T5
俺の祖父は勉強がそれなりにできたから
大学の理系に進学して徴兵を免れたそうだ

でも叔父は大陸に徴兵されたあげくシベリアに連れていかれてしまった。
でも絵がすごく上手だったお陰でお偉方に優遇してもらえたんだそうだ。
体が丈夫じゃないから絵の才野がなかったら死んでたかもしれない
795名無し三等兵:2008/08/16(土) 14:27:44 ID:???
どこぞのちょび髭にも絵の才能が有ったらなぁ
796名無し三等兵:2008/08/16(土) 16:21:30 ID:???
いやww1で名誉の戦死を(w
797名無し三等兵:2008/08/16(土) 16:28:09 ID:???
同志スターリンは猟の話がお好きだ
798名無し三等兵:2008/08/16(土) 17:28:28 ID:???
>>788
調べてみたらレイテみたいです。すいません。
しっかりメモ取らないとだめですね。いろいろ聞いた話混ざったみたいで。
799名無し三等兵:2008/08/16(土) 23:06:58 ID:xTJYbto1
>>791
終戦の日、私の父親は金沢文庫から日本機と米軍機の戦闘を目撃したそうだ。
機種は失念してしまったが日本機が撃墜され搭乗員が脱出したはいいがパラシュートが開くこと無くそのまま落下してしまったそうだ。
あと数時間…
生きていればと父も悲しげに語っていた。
父の家には多数の兵隊さんが下宿していたらしく、まだ少年であった自分を可愛がってくれそして還らぬ人になった方々の遺書などは仏壇に大事にしまっていて時々、読み返したりしていたようだ。
800名無し三等兵:2008/08/16(土) 23:57:06 ID:???
>>778
>>791
8月15日の午前中にもグラマンによる空襲がありました。
厚木の302空は零戦と雷電で邀撃しています。
F6Fを一機撃墜しましたが、3名が戦死。
801名無し三等兵:2008/08/17(日) 00:34:02 ID:NN2FfXh+
>>799
ですがどうやら>>788さんのおばあ様と私の父は63年前に同じ空を見上げていたようですね。
なんたる奇遇。
これも2ちゃんならではですね。
どうぞおばあ様を大事にしてやって下さいね。
私は他界した父に対してなんとも親不孝な息子でしたが。
802名無し三等兵:2008/08/17(日) 00:38:43 ID:NN2FfXh+
連レススマソ
>>778さんでした。
>>800さんもありがとう。
803名無し三等兵:2008/08/17(日) 09:49:06 ID:???
摩耶というと清太のお父上が乗り組んでおられた・・・。
804名無し三等兵:2008/08/17(日) 12:27:41 ID:???
沢山の戦災孤児がいたはずなのに、このスレにはそういう体験談は
全く出てこないね。
やはり、結婚相手、子供や孫にはそういう自分のことは話さないんだろうね。
805名無し三等兵:2008/08/17(日) 14:43:11 ID:???
盆に母方の家に行ったら、総理大臣(村山)から貰った賞状が飾ってあった。
今まで飾ってなかったので、驚いて見てみるとなんと陸軍中尉だったようだ。
両祖父とも陸軍・海軍で参戦はしていたが、話してくれないので良い収穫となった。
祖母ちゃんの話によると父方も貰ってそうなので、こんど捜索してみようと思う

>>804
そういう話はしたがらないだろうね。うちの一族は地主で、教師・弁護士もやってたみたいだから
戦中・戦後も特に衣食住には困らなかったみたいだけど。(俺は中小リーマンと平凡)

特に食料は供出に割り当てられてる分量出せば他はバレ無ければどう扱っても大丈夫だったらしく
東京から買いに来る人の為に大量に作っていて、供出用に味は悪いが大量に作れる品種を作り
自分用・売る用には味の良いものを作っていたみたいだ。
これで稼いだお金が現在になって出てきたらしく「何で今頃・・・」って嘆いてた(家を建てられる金額らしい)
806名無し三等兵:2008/08/17(日) 16:20:13 ID:???
村山からというのがなんとも皮肉
807名無し三等兵:2008/08/17(日) 17:13:16 ID:???
>>806
村山はゆとり馬鹿と違い、軍経験者。
激動の1995年の政権を担った。
あれだけ戦後初が色々起きれば問題も残る。
それまで国民さえ自衛隊、警視庁機動隊さえ必要性を疑問視する声が多かった位。
808名無し三等兵:2008/08/17(日) 18:22:16 ID:???
>>807
>国民さえ自衛隊、警視庁機動隊さえ必要性を疑問視する声が多かった
ああ、キミだけ違う歴史を生きてきたんだ・・・
809名無し三等兵:2008/08/17(日) 19:07:37 ID:???
村山の地盤は大分県。
そりゃ教育委員会が汚職で腐敗しているから教育自体がねじ曲げられている。
810名無し三等兵:2008/08/17(日) 21:03:14 ID:???
>>808
ん?ゆとりは当時を知らないとか?
95年の事件が無ければ警視庁機動隊は縮小、解散予定だったのだが。
811名無し三等兵:2008/08/17(日) 21:10:34 ID:???
まぁ阪神淡路まで自衛隊の扱い(特に近畿)なんて酷いもんだった
その片棒を担いできた…っていうか主犯格が社会党ひいては村山や土井なんだけどな

まさか村山を評価するヤツが軍板にいるとは思わなんだ
革命に明け暮れた第1次ゆとり世代かね?
812名無し三等兵:2008/08/17(日) 21:11:44 ID:???
>>810
> '95年の事件
一連のオウム関連事件の事を言いたいのか?
警察の機動隊の存続とはほぼ関連が、無い
(NBCテロ対応専門部隊の創設とは多いに関連があるが

やっぱりお前だけ違う'90年代を生きてきたんだな
813名無し三等兵:2008/08/17(日) 21:16:41 ID:???
関西大震災だろ
814名無し三等兵:2008/08/17(日) 21:19:21 ID:???
え…警視庁…だけ!?

んで、>>807は軍隊経験者だからどうだと言うんだろうな?
牟田口だって軍隊経験者、しかも将官だぞ。
815名無し三等兵:2008/08/17(日) 21:33:05 ID:???
>>812
>警察の機動隊の存続とはほぼ関連が、無い
無知は恐いな。
816名無し三等兵:2008/08/17(日) 21:35:21 ID:???
>>811
まさか、小泉政権マンセーのB層2ch脳?
社会党というキーワードで脊髄反射するヲタってキモ。
817名無し三等兵:2008/08/17(日) 21:37:33 ID:???
ま、糞餓鬼のくせにやれ英霊だとか抜かすゆとりが、この板にはウヨウヨ居る訳で。

頭のソースは全て2ch。
相手にする事は無いわ。
818名無し三等兵:2008/08/17(日) 22:23:26 ID:???
ゆとりって言っておけば勝った気になる痛い団塊世代もウヨウヨいるわけで…
819名無し三等兵:2008/08/17(日) 22:57:42 ID:???
>>818
団塊ジュニア世代の俺には知った事ではない。
820名無し三等兵:2008/08/18(月) 12:01:02 ID:???
ゆとりはただのアホと、勉強できるアホの二極化が進んでるから侮れない
821名無し三等兵:2008/08/18(月) 12:01:39 ID:???
ただのアホはどうでもいいんだが、勉強のできるアホはなまじ
822名無し三等兵:2008/08/18(月) 12:10:50 ID:???
革命戦士気取りのインテリ   60s〜70s
オウムにひっかかる東大生  90s
嫌韓思想にはまったゆとり  new!

勉強できるアホってこんなかんじ?
823名無し三等兵:2008/08/18(月) 14:02:03 ID:???
なんかレベルの低下が著しい・・・
824名無し三等兵:2008/08/18(月) 15:46:42 ID:???
>95年の事件が無ければ警視庁機動隊は縮小、解散予定だったのだが。
ちなみに君は警察白書読んでる?
825名無し三等兵:2008/08/18(月) 16:35:04 ID:???
暑い夏の終わり、
大阪空襲のとき 高射砲陣地のそばにいた 我が祖父の話やけど
・・・聞きたい?
B29めがけて どーーん   どーーん ばぁーんてな具合にうつわけよ
でも これが当たらないわけ  当然、耳がキーンてな具合、(みみがへん?)
..........
ツクツクホウシの鳴き声が聞こえる?・・・・・・・ん?・・・・・・・・エェェッ?・・なに?
津・・着く・・・・・つくつく・・・・・ん?・・・・・・・・・
耳お澄まして聞くと?
つ・・・
つく・・・

ツクツクホウシの鳴き声が___



「突く突く奉仕!突く突く奉仕!とっても良いよぉ!とっても良いよぉ!あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」
って聞こえる

826名無し三等兵:2008/08/18(月) 21:16:45 ID:???
>>824
平日の昼間から2chかー。

827名無し三等兵:2008/08/19(火) 00:32:12 ID:???
>>819
バカ者、ゆとり教育はおまえの世代からだ
828名無し三等兵:2008/08/19(火) 00:45:17 ID:???
>>827
団塊ジュニア世代は、ゆとり世代ではない。もっと勉強が必要だな。
アホ世代君。

1970〜80年代の団塊ジュニア世代の詰め込み教育、管理教育、受験戦争
によって発生した[要出典]、校内暴力、いじめ、登校拒否、落ちこぼれ、
受験戦争など、学校教育や青少年に関わる数々の社会問題を背景に、
1996年7月19日の第15期中央教育審議会の第1次答申が発表された。
答申は、子供達の生活の現状として、ゆとりの無さ、社会性の不足と
倫理観の問題、自立の遅れ、健康・体力の問題と同時に、国際性や
社会参加・社会貢献の意識が高い積極面を指摘する。その上で答申は、
これからの社会に求められる教育の在り方の基本的な方向として、
全人的な「生きる力」の育成が必要であると結論付けた[1]。
この提言を受けて、週5日制など「ゆとりの教育」が始まったとされている。
具体的に週5日制に移行したのは、2002年4月である。

829名無し三等兵:2008/08/19(火) 00:57:09 ID:???
>>828
>>827では無いけど、強ち間違ってもいないと思うよ

1977年(昭和52年) 学習指導要領の全部改正 (1980年度〔昭和55年度〕から実施)・・・学習内容、授業時数の削減
1989年(平成元年) 学習指導要領の全部改正 (1992年度〔平成4年度〕から実施)・・・学習内容、授業時数の削減
1999年(平成11年) 学習指導要領の全部改正 (2002年度〔平成14年度〕から実施)・・・学習内容、授業時数の削減 ← ゆとり教育の実質的な開始

団塊ジュニアが小学生の頃には、最初のゆとり教育が開始されてる。
830名無し三等兵:2008/08/19(火) 01:01:44 ID:???
どうせwiki見たならちゃんと読めばいいのに。
1980年からが始まりとする見解もあるって書いてあるだろ?
直ぐにキレて適当にwikiみてそのままコピペなんてしてるから
バカにされる。
831名無し三等兵:2008/08/19(火) 01:03:41 ID:???
どっちもんなアホなことでもめるあたり軍事板だなあ
832名無し三等兵:2008/08/19(火) 01:08:22 ID:???
団塊ジュニア(だんかい-)は、日本において1970年代前半の第二次ベビーブーム
(1971年?年)に生まれた世代。
団塊ジュニア世代は、2002年には高校を卒業しているが?
833名無し三等兵:2008/08/19(火) 01:11:39 ID:???
>>832
1977年(昭和52年) 学習指導要領の全部改正 (1980年度〔昭和55年度〕から実施)・・・学習内容、授業時数の削減

↑これを広義のゆとり教育に含める見解もあるって事でしょ。

ちなみに、授業時間数のピークは70年代だっけ?
そうすると、団塊とそのジュニアのハザマの世代が、何気に苦労してるのかな?
834名無し三等兵:2008/08/19(火) 01:16:03 ID:???
アホみたいだからもうやめやめ
835名無し三等兵:2008/08/19(火) 01:39:00 ID:???
>>833
授業時間も長くテスト漬けだったが、部活も含めて毎日が充実していたぞ。
教師の権威もまだ生きていて宿題忘れりゃ拳骨や出席簿の角が飛んできたがな。
当時は当たり前の事で苦労と感じた事など無かったな。
836名無し三等兵:2008/08/19(火) 01:48:46 ID:???
体験談投下どぞー
837名無し三等兵:2008/08/19(火) 02:08:56 ID:???
スレ違いだし、エピソード多すぎだし、おぢさんはもう寝ないとまずいし、
悪いが勘弁しておくれ(苦笑
838名無し三等兵:2008/08/19(火) 02:14:51 ID:???
○:叔父さん=おじさん
×:おぢさん?
839名無し三等兵:2008/08/19(火) 02:59:40 ID:???
はいはい軍板軍板
840名無し三等兵:2008/08/19(火) 04:41:47 ID:???
あれほどメシの話しかするなと言っておいたのに!!!
841名無し三等兵:2008/08/19(火) 05:43:09 ID:???
昭和40年代半ばからの授業時間削減と学力テストの廃止を
広義のゆとり教育開始とする意見もある。

つまり昭和30年生まれ以降、今の50歳以下は全部ゆとり。
842名無し三等兵:2008/08/19(火) 05:55:15 ID:???
TVとかで団塊批判の話が出ると、60代の父は
「俺より下の世代だな、俺たちじゃない」
自分は違う、団塊じゃない、と弁明する。
70歳以下は戦後教育直撃でぶっちゃけ団塊と変わらんのだが。

「お前はゆとり」「俺はゆとりじゃない、お前からだ」
というのはそれと同じだな。
843名無し三等兵:2008/08/19(火) 06:59:30 ID:ncGhWf11
曾祖父さんの話
地元でも有名な大地主の家で9人兄弟の八男で姉が7人いて待望の男だったためとてつもなく甘やかされて育った為
戦後農作業中に昼寝やサボリ当たり前で妻子を置き去りにして町に遊びに行くほどのぐうたらな人だった
召集令状がきた時「くる前?」なんか曾祖父さんの父親が人里離れた裏の山ん中に絶対見つからないように細工した洞穴を堀り生活用品を完備し
隠そうとしたが結局満州へ配属されたそうな…
やはり地獄をみたのか知らないがその手の話は絶対に聞かせてくれなかったがひょうきんな体験は聞かせてくれたw
あまりの寒さに飛んでる最中に凍ったすずめが落ちてきた事と内地に配属になり千葉の木更津かどこかは忘れたがそのあたりの駐屯地から
市川まで酒を運ぶと言う訳の分からない任務を受け馬に酒を積み込み道中酒と物々交換した食い物をつまみに
酒をちびりちびりしつつ楽しい任務だったそうなw満州で戦闘になった時なんか銃弾飛び交うなか必死に逃げまどってたらしいw一度「お国の為に死のうと思わなかったの?」
と聞いたら「なんで国の為にしななきゃいけないんだ?」と言ってたw
とんでもないじじいだと思ってたが冷静に考えればこれが人間なんだなと思ったし正直軍国主義時代だったから表向きは
欲しがりません勝つまではなんていってたけど曾祖父さんみたいな奴もたくさんいたかも?
844名無し三等兵:2008/08/19(火) 07:40:08 ID:BVbKU0VQ
一杯居たと思うよ。
別に左翼とかアカって事じゃなしにさ…

うちのじいさんもそんな感じの事言ってたな。
845名無し三等兵:2008/08/19(火) 07:44:24 ID:RK20lF98
よくはしらんが、脱走兵は結構いたみたい。うちのおかん1945の9月生まれだが、疎開先で生まれた。で、産婦人科医を当時十歳の兄が一人で山越えて呼びにいったが、山で暮らしてた脱走兵に助けてもらったらしい。戦争が終わった直後だがしばらく逃げるとの事みたい。
846名無し三等兵:2008/08/19(火) 09:14:29 ID:???
>>803
摩耶というと清太のお父上が乗り組んでおられた・・・。





青葉じゃね?             ハッ
もしかして つられた?
847名無し三等兵:2008/08/19(火) 11:00:43 ID:???
>>845
終戦直後なら脱走兵と言うより戦犯訴追から逃げてた可能性も無きにしもあらず…
ウチの祖父も通信隊の将校だったが、米軍の通信傍受やらやってたんで
終戦と同時に隊を解散して各々しばらく地下に潜ってたらしい。

結局後で聞いたら米軍がそもそも知らなかったとかなんとか。
848名無し三等兵:2008/08/19(火) 12:08:13 ID:???
>>846
ンモーそうやってすぐ『やれば出来る子(やらないけど)』は自分の知ってる事だけで世の中を全て説明しようとするー

知識のある人の一般的な認識では、『麻耶』
849島田戦車隊:2008/08/19(火) 12:24:49 ID:???
昭和11年生まれの俺の親父(もう亡くなっているが)、
戦時中は大阪の八尾に住んでいた。
八尾の航空隊の訓練の音を聞きながらの幼少期だったそうだが、
祖父から「勉強しないと特攻隊にいけないぞ」と言われながら育ったらしい。
「特攻隊」に行くために勉強頑張ったって、そういう教育もあったわけね。
お国の為とかそういう考えは人それぞれというか・・・・
今では在日の巣窟になっている地域ではあるが、八尾中等部(今の八尾高校)に入れないと
立派な軍人さんにはなれないんだぞって教育を受けていた地域らしい。
850835のおぢさん:2008/08/19(火) 12:59:49 ID:???
俺の親父は大正14年生まれで、成績優秀ではあったが家が貧しくて満鉄に就職した。
得意の簿記で優遇されたらしいが終戦間際に召集されシベリア抑留になった。
運良く抑留地が奥地でなく2年程で帰れたが、ロシア兵の大雑把さが好印象だったらしい。
野菜が不足してると交渉したらリヤカー山盛を持ってきてくれたとかetc.
復員後警察予備隊の設立時に入隊し総務畑を歩んで定年を迎えた。今も何とか元気。

P.S.)メシの話だが、俺の頃の給食は脱脂粉乳と筋だらけの鯨肉がデー嫌いだった。
おっと、仕事にかからねば。
851名無し三等兵:2008/08/19(火) 13:04:15 ID:???
>>849
八尾中といえば宮野善治郎大尉が有名ですね

昼のニュースで八尾で飛行機が墜ちたとかやってたが
852名無し三等兵:2008/08/19(火) 13:29:29 ID:???
予科練は人気があって、難関だったからね。。

8月15日に戦争が終わって、陸士・海兵・陸海軍経理学校・予科練などが全部閉鎖されて
それらの軍関係学校に通ってた優秀な連中が、9月から中学5年生として
爺さんの通う中学校に編入されてきて(中学卒業資格を取るため)、
爺さん達の本当の地獄が始まったそうだ。当然だけど、彼らは敗戦で心がすさんでいて、
何かというと下級生に集合が掛かって「キサマら、気合いが入っとらん!」と言われて
連日ボッコボコにされて、氏ぬかと思ったって言ってた。
予科練の連中なんて、例の7つボタンに白マフラー姿で通学してくるから、姿が見えただけで
下級生はチビリそうだったそうです。昭和21年3月にようやく狂犬みたいな連中が卒業して、
爺さんの戦争が終わったとの事。爺さんは今でも元気です。
853名無し三等兵:2008/08/19(火) 18:30:37 ID:???
うちの爺さん、予科練の時に終戦を迎えたんだが、どうしても大空への憧れを捨てきれずに、戦後は航空自衛隊に入隊したよ。
854名無し三等兵:2008/08/19(火) 19:59:05 ID:???
>>853
子や孫から見たら大差ない近い年代でも、当時に、今でいう小中学生と高校大学の年代とかで、
戦争との関わりは全然違う、という面がありますね。

855名無し三等兵:2008/08/20(水) 01:03:21 ID:???
あなたのおじい様のゲイ体験を教えて
856uaa:2008/08/20(水) 04:03:42 ID:SxlZwSim
>>855
青江忠一少尉の部下だったとか?
857名無し三等兵:2008/08/20(水) 23:29:18 ID:k3QYMKuI
ウチの祖母は三重県の明野基地(陸軍)で事務員をやってたらしい。仕事は、航空機事故書類のまとめと原本作り
(鉄筆でガリ版というのをつくるらしい)、特攻隊名簿の作成。
同僚には尾崎行雄議員のお孫さんがいたんだって。彼女は印刷班にいたそうだが、とても聡明なヒトだったそうだ。

敵機が来襲したときも、書類はすべて革製のショルダーバッグに詰めて避難したらしい。
硫黄島が陥落したあたりからグラマンが来襲するようになり、いつも自分ばかりを狙って機銃掃射していったそうな。
B29については、「銀色で画になる機体だったので、夜間に焼夷弾を投下する様など、こちらのサーチライトと相まって
とても幻想的だった」と言っていた。焼夷弾がバラバラになり、花火みたいになるのがキレイだったとか。
美術学校卒なので、鉛筆やコンテでノートに画を書いたら、「これは情報になるぞ」と将校に褒められたらしい。
絵の具などは使ってないので白黒だけど、そのコントラストだけで今見てもすごいリアルなんだよなあ。
因みに祖母は当時23才。知覧や福岡の基地に飛び立つ特攻パイロットは全て自分より若かったそうだ。
どうしても好きな人がいたので告白しようと思ったとか言ってたなあ・・・。彼は沖縄戦で特攻して爆死したそうだけど。
その任務上名簿から外すことも出来たが、当時の特攻兵の純粋な気持ちは現代人には理解できないような愛国心
と自己犠牲心らしく、「自分の気持ちのためだけに彼を振り回す訳にはいかない」と涙を流しながら彼の名前を
ガリ版に彫ったと言ってた。
858名無し三等兵:2008/08/20(水) 23:30:28 ID:k3QYMKuI

 いっぽう、祖父は中国で普通に兵隊をやってたらしい。自動車の運転や機械操作、無線や電気関係の技術があったせいで
戦後の蒋介石軍に雇われてさんざんな目にあったらしい。同期の戦友が次々と帰国する中、蒋介石のために
軍務を遂行し、共産軍に破れて共産軍の捕虜になって帰国。
「ぼくのいた部隊は終戦まで負け知らずだった。国府軍の通信技師をやっていたころも最初は良かったんだ。でもパーロ軍に
やられてしまい、蒋介石は台湾に逃げてしまった。敗戦を感じたのはその時だったなあ」
と回想してた。
昨年の12月5日、祖父は脳梗塞で死亡。享年84。クリスチャンで、ピアノやギターをひきこなし、とくにモーツァルトの音楽を愛してた祖父が、
モーツァルトと同じ命日に無くなったのは、なにか神の導きのようなものを感じた。

「いままでありがとなぁ。あとは頼んだぞ・・・。」
其れが祖父の最期の言葉だった。あの笑顔は忘れられない。
859名無し三等兵:2008/08/20(水) 23:56:19 ID:???
>>855〜856
おれのじーさんの酒飲み話だったけど、軍隊の士官で明らかに声も高くオネエ言葉なそっち系の人がいたんだと。
普段の号令とかは甲高い声だけどぜんぜん問題なく、ほかの士官達も「あいつは...」といいながらも
特に問題視してなかったとか。あとで結構いい家の出身だったと聞いたが、その時は「軍隊って意外に寛大だ」
と思ったそうだ。

ちなみに新兵時代にも美男子で何故か古兵からぜんぜん苛められなかった同僚が居て、
「あいつは○○上等兵の稚児だから」
と噂になっていたそうだ。本当の所はしらんが。
以上、おじい様のウホッ体験でした。
860名無し三等兵:2008/08/21(木) 00:10:19 ID:???
俺の父方の爺さんは俺小さいとき亡くなってるけど日華事変のあたりに中国で輜重部隊のトラックの運転手してた
野営中狼襲って来たことあったとか寒くてトラックのオイル凍結しないように足まわりにハカマっていう布巻きつけて下で一晩中火焚いたらしい太平洋戦争時は内地の川崎で戦車?作ってたみたいだ(父親から聞いた)

母方の爺さんも亡くなってるけどベトナム(昔インドシナ?)で衛生兵やっててマラリアになって帰ってきたらしい
現地人から雛なりかけの卵?食べさせられて大変だったらしい
861名無し三等兵:2008/08/21(木) 01:56:06 ID:???
>>858
なるほど、引き揚げがスムーズに行った部分については、そういう人の貢献もあるだろうし、
国民党軍がそういう人が出てくれるのを期待した、という面もあるんでしょうね。
862名無し三等兵:2008/08/21(木) 02:26:58 ID:IBJdrl6Q
身内に元特攻隊
飛行訓練だけで出撃する前に終戦。

身内に陸軍兵
どこかの島で銃撃を受けて運良く帰還。風呂で銃撃の傷を見た事がある。

。おいらの誇りだ。
863名無し三等兵:2008/08/21(木) 17:02:13 ID:???
おれの爺さんは父方も母方も戦死しています。
母方の婆ちゃんから小さい頃に聞いた話だけど、爺ちゃんは硫黄島で戦死した。
生還した戦友が爺さんとの約束通り(米兵から盗まれる前に)金の結婚指輪と
金歯を遺体から取って届けに来たらしい。
指輪が抜けなかったのか、指を切断してそのまま渡しに来たそうで、墓に遺体の
一部を埋葬する事ができたそうだ。
864名無し三等兵:2008/08/21(木) 18:37:06 ID:???
>>863
戦後の混乱期にちゃんと届けに来るなんてのは
よっぽど信じ合い慕われていたと言うことだよ
おじいさまの生前の人柄がうかがえるね
865人穴:2008/08/21(木) 18:52:30 ID:???
>>863
生還した戦友さんが、捕虜時代に『それ』を何処に隠していたが気になるが・・・
866名無し三等兵:2008/08/21(木) 22:04:47 ID:???
>>860
>雛なりかけの卵?

ホビロンってやつだね。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88
867名無し三等兵:2008/08/22(金) 07:26:27 ID:???
現役漁師の親戚のじいさん、昭和二十年まで東京湾でポンポン船の機関士だった。
昭和二十年3月に、(本人曰わく)朝鮮どぶろくの飲み過ぎて正体不明のできものが出るなど具合が悪くなり、地元の静岡県に一週間帰って東京に戻ったのが東京大空襲の直後。
運河を船で進むと岸に人が仰向けで日向ぼっこしてるようなのが見えたが、全部死体だったとのこと。
そのあと赤紙が来て、訓練やらなにやらで国内移動中に敗戦。
親戚のじいさん曰わく「あのとき赤紙が来たのは村で俺一人だった。村役場の○○が俺を選びやがった。まあ戦争に行かなかったからいいけど。」
○○が私の祖父。役場に召集人数の割当が来ると、具体的な召集対象者は役場で決めていたはずだ、と親戚のじいさんは言っていた。
もしそうだとすると私の祖父は他にも何人かに赤紙を出したのだろうし、祖父自身は体が弱くて徴兵検査で落とされていたので村で結構恨まれてたかも。
あと親戚のじいさん、「朝鮮ぴーは基地周りにあった。これは下っ端向けで偉い人用に日本人ぴーもあった。
店だから当時の政府に責任はないと言う意見に嘘はないけど取締りは出来た訳で、(朝鮮人従軍慰安婦に)早めに謝っといたら今みたいにこじれなかっただろう」とのこと。
868島田戦車隊:2008/08/22(金) 11:46:59 ID:???
>>867
ぴーとやったあと、ちんぽを皮で包んでしょんべんして
洗浄しないといけないって教わった爺さんに聞いたんだが、
敗戦後、軍券を換金出来なかったじょろさんが騒いでおるとのコト。
懸命なじょろさんは、相手をした兵隊さんからの情報でこまめに換金していたらしい。
貯まりに貯まった軍券を換金しないで取っておいて、敗戦で無効になったんだから
自業自得というのもなんなんだが・・・・

日本人ぴーのほうがニーズが多くて人数も豊富だったようだね。
真珠湾の訓練で零戦が遊郭と遊郭の間の道路上を這うように飛んでる様子を
克明につづった本があった。
869名無し三等兵:2008/08/22(金) 13:05:18 ID:???
日本人のピー屋は外地に行きたがらないので、
いきおい戦地には鮮人ピー屋が多くなった。
輸送船なんかに便乗すると、兵隊も暇でセックスくらいしかやることない上に
女に飢えてるもんだから、ゴム装着前に暴発させる奴が多くて
マソコの周りは精液だらけだったりしたとか。
それでも行列がすごいので、兵は順番が来れば禄に拭きもせずバンザイアタック。
ある意味壮絶な戦場だったらしい。
870名無し三等兵:2008/08/22(金) 13:13:09 ID:???
あの時代はこんにゃくや片栗粉Xとかの発想はなかったのかな?
871名無し三等兵:2008/08/22(金) 15:46:49 ID:???
>>870
勿体ないだろうが。
872名無し三等兵:2008/08/22(金) 16:28:10 ID:???
たしかにw
873名無し三等兵:2008/08/22(金) 21:01:37 ID:???
>867
師団司令部からコレコレに該当する兵隊何人差し出せて
連隊区司令部に動員令。

連隊区司令部が役場に動員数を割り当てる訳。

で役場が人選。
はは・・ん。これは・・・・全滅予定部隊だわな。
じゃ、てんで兵籍簿開いてと・・・。

兵長が1人、これは○○はん。あ、○○はんは村長の息子だからやめとこ。
○■ならノモンハン帰りだし大丈夫だろ・・。
上等兵は○△はん、2.26の兵隊だしまっいいか。
一等兵は×○と○□、このまえワシのこと非国民いいおったし(W
補充兵と輸卒は・・。
うーんめんどくさいからここらへんのまとめてっと。

こんな感じですわな。



将校はともかく下士官あたりになるとコネで召集先選べたとか選べないとかありまっせ・。





874名無し三等兵:2008/08/22(金) 21:32:12 ID:???
>>870
ふ号作戦
875島田戦車隊:2008/08/22(金) 21:47:10 ID:???
>>874
だから俺の婆ちゃんがry)
明日実家帰るから、なんか聴いとく?
876名無し三等兵:2008/08/22(金) 21:55:39 ID:???
大叔父が長崎原爆爆心地付近で被曝して、ほぼ無傷で生き残ったことかな
問題はその後で、どうせピカの毒で死ぬから何やってもオッケーみたいな感じで酒煙草小学生からやりまくり

そんな大叔父も70を越えようとしております
877名無し三等兵:2008/08/22(金) 22:00:33 ID:???
どうやって生き残ったんだ?もしかして、おまえの大叔父は男塾の塾長か?
878名無し三等兵:2008/08/23(土) 04:42:16 ID:???
>>877
爆心地付近でも助かった人がいるという話は聞くな。広島だったか?
879名無し三等兵:2008/08/23(土) 05:25:36 ID:???
>>876
バラゴンと戦ったのはお前の大叔父か?
880名無し三等兵:2008/08/23(土) 07:04:41 ID:???
>>877
基本的には、はだしのゲン方式のもっと運のいいパターンで壁+地下がポイントの模様
さすがに本人もあんまり記憶に無くて、黒い雨ばかり強烈に覚えてるっぽい
だから、どうせピカの毒で、って発想になって、親からもすぐ死ぬと思われた
881名無し三等兵:2008/08/23(土) 15:32:42 ID:???
>>878
知人の父親が広島の爆心地付近で被爆されたらしいがまだお元気らしい。(歳相応の衰えはあるそうだけど)

なんでも、被爆したのは爆心地(島病院)から直線で200m程の場所。
といっても高度500m位で炸裂したらしいから、感覚としてはほぼ直上だよな。

ビルの中にいたらしいが、その人以外は全員死亡。
壁だの何だのの影になって奇跡的にって事らしい。

「原爆記念館の蝋人形?実際に比べるとずいぶん表現が優しいよ。あんなもんじゃない。」
だそうです。
882名無し三等兵:2008/08/25(月) 03:36:38 ID:???
ここマジ好きだ。
883名無し三等兵:2008/08/26(火) 09:46:56 ID:???
良スレだよなぁ
気づいたのが前スレ18からだから、1から読みたい・・・・・
884名無し三等兵:2008/08/26(火) 10:24:05 ID:???
●買え
885名無し三等兵:2008/08/26(火) 23:31:17 ID:QfLJJO9C
俺も好き。
886出征:2008/08/27(水) 19:42:09 ID:???
うちの爺様は、開戦時、30過ぎてたから終戦直前まで召集されなかったが
終戦1ヶ月前に朝鮮半島に行って軍事訓練を受けたらしい。
もっとも教官?からは、
偉い人が来たときだけ本気でやればいいと言われてたらしい。
帰国後は、小川町の山に非常時の航空司令部?を作る仕事をしていたが
すぐに終戦になり非常食のチョコレートなどをもらったそうだ。
で質問なんだけど
1・小川町の航空司令部計画の詳細
2・なんで、わざわざ朝鮮半島まで行って訓練?
軍事マニアの皆さん御存知の事があったら教えて下さい。
887名無し三等兵:2008/08/27(水) 20:08:10 ID:???
>>886
どこの小川町だよ
888名無し三等兵:2008/08/27(水) 21:04:13 ID:???
茨城じゃないか?今の百里基地。
だとすると海軍第721航空隊かな。
「神雷部隊」でググるといいだろうが、ここ桜花特攻部隊の様だな。
889名無し三等兵:2008/08/27(水) 22:11:27 ID:???
海軍は筑波山から鹿島灘あたりに航空基地ばらまいて敵機動部隊の餌。
海軍は埼玉〜群馬の奥地に飛行場ばらまいてP51の的。
890名無し三等兵:2008/08/27(水) 22:31:49 ID:???
そして>>889は駄文ばらまいて失笑の的…と。
891名無し三等兵:2008/08/28(木) 22:36:20 ID:???
俺のじいさんの話じゃないんだけど、俺の彼女の祖父が中国のほうに行ってたらしいんです。
それで1回日本に帰ってきたみたいなんだけど、向こうが相当楽しかったらしくてまた戦争に行ったとか言ってました。
そんなに楽しい事なんてあったのかな?
892名無し三等兵:2008/08/28(木) 23:11:50 ID:???
彼女は中国に親戚がいるね
893名無し三等兵:2008/08/28(木) 23:47:55 ID:???
>>892
一応聞いてみました。でも、親戚はいないらしいです。

話は変わるけど、彼女の母方の父が特攻隊で実際に出撃したらしいんです。でも途中で故障して引き返したとか。それでその体験談を本にして出したら、オークションで一万になったとかも言ってましたww
894名無し三等兵:2008/08/28(木) 23:54:22 ID:???
内緒で居るんだよ
895通行人 うひょ:2008/08/29(金) 06:47:01 ID:???
ジャワの極楽ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア
中国に配属された部隊は、距離も気候も日本に近く、農村部では食料も比較的豊富だった
キルレシオが100対1で負け知らずの戦場だし
896通行人 うひょ:2008/08/29(金) 06:49:15 ID:???
すまそ、よく読んだら最近ですね、誤爆
897名無し三等兵:2008/08/29(金) 07:59:50 ID:???
ゆきゆきて神軍とか見ると仲間の肉食ってたのが良くわかる。
普通の爺さんは墓まで持っていくような話を暴力沙汰で無理やり告白させる。
ニコ動にもあるから必見だ。
898名無し三等兵:2008/08/29(金) 12:25:11 ID:???
>>897
『ゆきゆきて、神軍』見ちゃうと、
ちょっとした事で精神に異常をきたして自殺する↓アメリカ軍・元兵士とかの話聞くとアフォらしくなる
ttp://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2008/07/post_fd2b.html
 
まったく日本人は “ 兵士 ” に向いてる
899軍医:2008/08/29(金) 13:55:12 ID:???
みなさんこんにちは。
私のお祖父さんに中学生に聞いた時の話しを書きます。なんせ20年前に聞いた話しですので・・・・間違いは申し訳ありません。

祖父は、軍医としてニューギニア付近に赴任したそうですが、戦闘が始まり最前線にて負傷兵の治療を行っている最中にアメリカ軍のスナイパーにより狙撃を受けたそうです。撃たれる直前に止血の為ガーゼを取ろうと身体をよじった為、弾丸は足に当たり貫通したそうです。
その怪我のおかげで、帰国出来たそうです。
しかし、帰国した後祖父には同じく軍医の兄がいましたが、呉に寄港していた駆逐艦の中で手術している最中に空爆を受け、そのまま船と共に沈んでしまったとの事。
更に、祖父の弟は特攻隊として知覧から沖縄方面へ出撃し行方不明になってしまったとの事。
兄弟二人を戦争で亡くし、お骨もなくつらそうでした。
祖父は生前、せめてお骨だけでも帰って来てくれたら・・・・と言ってました。

もう、亡くなってしまいましたが、もっと話しを聞けたらよかったと思います。
900名無し三等兵:2008/08/29(金) 17:59:13 ID:???
>>899
呉空襲で沈んだ駆逐艦て「梨」かな?
戦後引き上げて海自護衛艦「わかば」になってるけど。
901名無し三等兵:2008/08/29(金) 20:08:10 ID:???
戦争の話とはちょっと違うけど…
俺も爺様も軍艦乗りなんだ。
まあ勿論、海自と海軍の違いは有るけど、どっちも入隊最初は九州の田舎から横須賀での教育期間を経てる。
以前にも書き込んだことあるんだけど爺様とは仲が悪くて俺が入隊したばかりの頃ほんの数回、説明しずらいけど先輩後輩、俺お前、
表現は難しいけど血縁関係とは違う親しさが沸いて色々話すことができた。
で、本題
俺が好きになった「すき焼き」は砂糖と醤油で味付けしたやつで地元では食べないし母親も作れないものだった。
902名無し三等兵:2008/08/29(金) 20:16:07 ID:???
続き

母親なんかが作るのはタプタプのだし汁に色々入れて煮込むやつ。
久々に実家に帰ったとき醤油と砂糖で味付けした「すき焼き」の話をしたら
「そう言えばお爺ちゃんの作るすき焼きはそんな感じだったねぇ〜」って言われ何か、かなり驚いた。
爺様と一緒に飯を食った記憶がそもそも無いし、嫌いだったのに意外な共通点
何で生きてる時にもっと色々話せなかったんかな〜…
903名無し三等兵:2008/08/29(金) 20:38:02 ID:???
>>898
そりゃ時代性の問題だろう。
日本人が特に強靭なわけでも残虐なわけでもない。
904名無し三等兵:2008/08/29(金) 20:46:52 ID:???
>>891
中国戦線について書かれたものを見ると、だいたい2つに分けられる。
一つは「悪い事をしてすみませんすみません」というもので、もう一つは
「暴れられて結構楽しかったよ」というもの。
905名無し三等兵:2008/08/29(金) 21:57:15 ID:???
肉焼いて、砂糖バサッ、醤油ドバッ、白菜バサバサ以外のすき焼きってあるのか?
906名無し三等兵:2008/08/29(金) 22:25:56 ID:???
>904
もう二つあるぞ。
@何もせずに延々と歩き回って気が付いたら負けていた。
A田舎の警備でのんびり魚釣りや現地人と仲良くしてるうちに負けた。帰るまで前と同じ状態で・・。
907名無し三等兵:2008/08/29(金) 23:49:57 ID:???
たぷたぷのダシ汁で煮るって、関東風の割下で作るすき焼きでもなさそうだな。
関西在住の我が家では熱した鍋に牛脂を引き、軽く肉を焼いた所に
砂糖を加え、カラメル化する頃合いで醤油と野菜を入れている。
件のダシで煮るのはこの辺の手順を簡略化したすき焼き風のもの
(すき煮?)だろう。
908名無し三等兵:2008/08/30(土) 00:14:37 ID:???
>>906
買ったと思ってたら実は負けていたって言うのも結構聞くな
909名無し三等兵:2008/08/30(土) 00:22:07 ID:???
141 イラストに騙された名無しさん [sage] Date:2008/08/30(土) 00:14:55  ID:Q0eFQZeR Be:
オレはわりと詳しく聞いたことあるぞ。↓じいちゃん(故人)の太平洋戦争

シンガポール近くのどっかの航空基地に配属。空戦で搭乗機が傷付き、
基地に帰る途中で墜落するも、うまく木に引っかかって助かる。
3日かけて海沿いまで歩いて出たところで救出される。

フイリピンのどっかの基地に転属。出撃したが撃墜されて墜落。
海に落ち、13時間くらい漂流して無人島みたいなのに漂着。
通りかかった漁師に助けてもらい、陸路を辿って味方駐屯地に辿りつく。
基地に帰ろうと思ったらその基地は爆撃で壊滅してた。
パイロット仲間も基地の人員もほとんど戦死。
とりあえず駐屯地で指示を待つことにしてたらそこが爆撃。
なんか墜とされたパイロットめ負け犬めと嫌がらせ半分で、半地下の倉庫みたいなとこで寝させられてたらしいが、
それが幸いして倒壊、炎上した建物の下から2日後に救出される。

その後生き残りと4日間歩き続けたり山越えしたりして味方基地に到着。
台湾の基地に行くことになり船に乗るも。その船がたぶん潜水艦の攻撃で撃沈。
8時間の漂流の後救助され、台湾へ。

台湾の基地で出撃準備してたら、基地が爆撃されて持ち出してた弾薬が大爆発。
知り合ったばかりの同僚パイロットほとんど戦士。
トイレに行こうとちょっと離れたとこに居たじいちゃんは、
気がついたら基地横の草原まで吹っ飛ばされてて(無意識に走ったのかも)基地大炎上。

とりあえず帰国。、九州のどこぞ基地で搭乗機待ちしてたら終戦。
食堂で。徹底抗戦! 最後の一兵まで戦うべしと本土から出たこと無さそうな若い将校が叫び、
外地からの帰還兵がアホかみたいな事言ってつかみ合いの喧嘩に。
仲裁に入ったら突き飛ばされて机にぶつかり、腕を骨折。
ブランとなった腕を見てみんな青くなりつかみ合いも収まる。
じいさんは従軍して初めて打撲や擦り傷以上の負傷を負い、腕を吊って我が家に帰宅。
910名無し三等兵:2008/08/30(土) 00:33:22 ID:iJ+BHi0f
うちの爺さんも中国での戦闘は連戦連勝だったのに、停戦命令でいきなり武装解除させられて、兵士全員「!?」って顔だったらしい。

南方で米軍相手に戦った同じ村出身の人達は、ほとんどが戦死だったみたいで、中国へ送られた自分は幸運だったと言ってたな。
911名無し三等兵:2008/08/30(土) 02:05:22 ID:+5ZFuvAW
うちの爺さんは満州の豪邸に住み、召し使いも居たらしい。そのため、
未だに中国人や朝鮮人を見下している。
912名無し三等兵:2008/08/30(土) 09:45:33 ID:???
>>906
まぁ、それは太平洋戦線でも同じで、ガダルカナルとか硫黄島みたいな
激戦もあった一方で、カエルとびで米軍にスルーされちゃった島は実にのどかで
平和だったらしい。補給がないから食い物はないけど、畑を耕したりして
のんびり暮らしてたようだ。

>>911
植民地の支配層だったんだろうからそれはわからんでもないが、日本では最底辺
にいるニートとか派遣や底辺リーマンが中国人や朝鮮人を見下してるのって、
意味がわからんよね。ニートとか派遣や底辺リーマンなんて、せいぜいで同レベル。
下手すりゃ連中より下なのに。
913名無し三等兵:2008/08/30(土) 10:58:28 ID:???
まあ日本に働きに来てる中国人や朝鮮人も、日本語覚えてわざわざ働きにきてるんだから凄いよな。
ニートよりは尊敬出来るよ。
好きにはなれんけどw
914名無し三等兵:2008/08/30(土) 11:42:08 ID:???
結局金か
915名無し三等兵:2008/08/30(土) 12:18:52 ID:???
>>898
確かに日本人が戦争のPTSDで苦しんだっていう話は
聞いた事がないね。
話さないだけで本人は相当苦しんだかもしれないけど。
日本人は精神的に強い民族なのか、アメリカ人が弱すぎるのか
916名無し三等兵:2008/08/30(土) 13:02:37 ID:U+z2RCy2
>912
しかし、実際そういうものらしい。南アフリカでもアパルトヘイト廃止を
もっとも拒んだのはプアーホワイトと呼ばれる最下層の白人だったらしいから。
917名無し三等兵:2008/08/30(土) 14:30:05 ID:/8wYCAK6
>>915
毎晩夜中にうなされて飛び起きたじいちゃん、何て話はいくらでもあるが?
単に、『PTSD』という認識が無かっただけだよ。
918名無し三等兵:2008/08/30(土) 14:34:11 ID:???
日本もドイツも終戦直後しばらくは自殺者も多いよ。
そのすべてがPTSDとは言わないけど。
919名無し三等兵:2008/08/30(土) 14:41:53 ID:???
>>915
PTSD自体が、ベトナム戦争後に広く知られるようになった事例だから
あまり有名じゃないだけで、帰還兵の精神異常は洋の東西を問わず、昔からある

あと、ベトナム戦争の場合、復員兵士が飛行機ですぐ帰国できるので、
それ以前の戦争と違い、兵士同士でゆっくり輸送艦の中で語り合って、
お互いの心の傷を癒す期間が短くなったってのがあるらしい
920名無し三等兵:2008/08/30(土) 15:52:54 ID:???
>>878
確か燃料館(広島平和記念公園のレストハウス)の地下にいて助かった人が数人いたはず
野村英三さんという方が有名で手記もあった
921名無し三等兵:2008/08/30(土) 16:41:41 ID:y9+SCwd0
>>910
同じ村からでも行き先て違うんだね
まあ時期が違えば当然か

大叔父は中国からブーゲンビルにいかされた
922名無し三等兵:2008/08/30(土) 17:35:34 ID:???
核といえば複数の本で6日〜7日の夜に爆心地から紙屋町付近で白いニワトリを見たってエピソードがあるが原爆投下時の動物にまつわる話てあまり知らないなぁ
自分の知る限りニワトリと「屍の街」で犬が飼い主を探してさまよってた話ぐらい
923名無し三等兵:2008/08/30(土) 17:37:14 ID:???
>>915
WW2当時に比べて、PSDTは確実に増加している
>>919の書いてることのほかにも、訓練方法の変更による戦場での発砲率
の向上(殺人経験率の増加)、社会が兵士をが英雄ではなく「人殺し」と見
なすようになったことなど。

詳しい理由と数字は、「戦争における人殺しの心理学」を読むといいよ。名著。
924島田戦車隊:2008/08/30(土) 17:43:57 ID:???
軍国教育の賜物だよ。PTSD少ないのは。
死んだらそれは御国のための名誉な戦死であって、
虜囚の辱めを受けるなって教育だったし、
俺の親父みたいに「特攻隊に行くために勉強した」クチの多い時代、
「精神がたるんじょる!」で終了。
たぶん今の北朝鮮兵もPTSDにはなりにくいと思う。

アメリカや英兵がガダルカナルで金剛の砲撃食らってみんなPTSDになったんだが、
東京大空襲や広島長崎などでPTSDに苦しむ症例は聞いたことがない。

今の日本人だったら、大戦中のアメリカ兵のようにPTSDたくさん出ると思うが。
925名無し三等兵:2008/08/30(土) 17:48:06 ID:???
>>924
原爆や空襲関連なら「なんで俺(私)だけが」と生き残って負い目を感じる人間多数
ただ単にPTSDなんて言葉がないだけだと思う
926島田戦車隊:2008/08/30(土) 17:48:46 ID:???
実はPTSDって本当に身近に起こるモンなんだな。
事故後の後遺症でもよく認知されているが、
「トラウマ」の強力版と思ってもらっていい。
実は「腹腔鏡手術」で大出血(血管走行以上のレアケースだったんだが)起こしてしまって、
結局開腹に。開腹して簡単に終わったんだがDQN患者とDQN家族になじられて、
それからラパロに入るときはデパス飲んでいかないと震えるし、吐く。
927名無し三等兵:2008/08/30(土) 17:48:58 ID:???
>>924
PTSDって呼ばれてなかっただけで、日本でもたくさん実例はあるっての
手記や生存者へのインタビューを読めば、いくつも見つかるぞ
928島田戦車隊:2008/08/30(土) 17:56:31 ID:???
>>925
PTSDは短時間に強力な心因要素が働き、フラッシュバックで悩まされるという定義。
レイプ後自殺する症例なんかが相当。躁鬱とは異なる。

自分だけが生き残って・・・・というのは責任感というか他遺族への申し訳なさであって、
遺族が生還者を責めることはないよな。
いわゆる被害妄想として分類される。しかし病識は保たれているので
分裂病には該当せず、境界型神経障害に該当。
929名無し三等兵:2008/08/30(土) 18:10:12 ID:???
>>924 >>928
軍国教育を無理矢理美化しようとする酷使キモい。
930島田戦車隊:2008/08/30(土) 18:19:20 ID:???
美化はしない。人間の尊厳を限りなく無視した蛮行と思っている。
しかしながら、「ゆとり世代の蛮行」にも考慮しないといけない。

やりすぎもダメだがやらなさすぎもダメ。

教師が手を上げられない時代になってからおかしくなった。
俺なんて、中二病の時、低血糖になりやすい体質で、常に氷砂糖か飴を持ち歩かなきゃあいけなかったんだが、
それを体育教師に見つかってぶん殴られて吹っ飛ばされたが、親と一緒に謝りに行き、
頭下げながら携帯させてくださいって頼み込んだ思い出がある。
今だったら訴訟モンだがな。
931名無し三等兵:2008/08/30(土) 18:50:43 ID:???
教育でPTSDが減るならWW1の塹壕戦で多発したのはどういうこった?
そもそもPTSD研究自体、塹壕戦でのシェルショック発症者激増が契機だろ。
両陣営共、宣戦布告と同時に熱狂的に志願した様な兵士が多数居たにも関わらず、だ。
士気の差に関係無く発症するのもこの頃既に知られていた筈だぞ?
太平洋戦争中の日本軍でも、南方戦線で飢餓と絶え間無い米軍の砲爆撃で
発狂した兵士の話なんざ戦記物によく出てくる話じゃないか。

帰還兵にそういった問題が持ち上がらなかったのは単に激戦地では
生還者自体が少なかったのと、捕虜として収容されている間に
冷却期間として働いたのが原因じゃないか?
まぁそれでも愚連隊の類はある種のPTSDかとも思うが。
932名無し三等兵:2008/08/30(土) 18:57:21 ID:???
PTSDは自分と他人の、事件事故後の環境の差異が激しい時になるんだろうな。
先の戦争は皆悲惨なので、羨む対象が少ない。
933名無し三等兵:2008/08/30(土) 19:58:01 ID:???
・・・なるほど
>単に激戦地では生還者自体が少なかった
>羨む対象が少ない
辺りがポイントなんだな
934名無し三等兵:2008/08/30(土) 20:02:40 ID:???
終戦直後に買出しの女性を多数強姦して殺して死刑になった人が、
戦争中の中国大陸での行為をPTSDとして語ったらしいが。
935名無し三等兵:2008/08/30(土) 20:19:15 ID:???
>>930
単にお前が人間扱いされてなかっただけだろ。家畜扱いされて殴られて
喜んでるって、お前はあり得ないほどのマゾだなw
936923:2008/08/30(土) 20:52:19 ID:???
聞きかじりと想像と推測で声高に議論するのも楽しいだろうけど
恥ずかしげもなく無知を撒き散らすだけだよ

 思いて学ばざれば則ち殆し。

人前で語るより前に、せめて定番とされる名著には目を通そう。
一連の議論を見ても、読んでないヤツは一発で判る。

「補給戦」も読んだことないヤツが兵站語ってると苛つくだろ?
937名無し三等兵:2008/08/30(土) 21:02:02 ID:???
>>936
つーか、WW2と現在のPTSDについて資料が無くて
はっきりとした結論が無いのに、自分だけ判っている
ように大上段に振りかぶる神経はいかがなものかなw
938名無し三等兵:2008/08/30(土) 21:21:19 ID:???
>>936
で、その一発で判る奴は誰?
939923:2008/08/30(土) 21:28:01 ID:???
>>937
根拠レスなコト言ってないで、「戦争における人殺しの心理学」読め。
補給戦と同様に2次資料でしかないけど、数字も十分に載ってるし出典が明記
されてるものも多数。
結論がないどころか、研究も対策も進んでるし、それについても書かれてる。


>>938
>>937
940名無し三等兵:2008/08/30(土) 21:35:50 ID:???
敗戦国の日本とドイツのPTSDについての事も書いてあるの?
941名無し三等兵:2008/08/30(土) 21:47:53 ID:???
>>898
>彼を抱えて無事に連れ戻す者はいなかった
ヨアヒム・パイパーなら連れて帰って来ただろう

 パイパー少佐:「おい貴様、こんな所で何してる?戦死したのでないなら俺と一緒にさっさと前進しろ!」
 
orz
942名無し三等兵:2008/08/30(土) 22:02:49 ID:???
>>940
触れてないとは言わないけど、国ごとの事情については重視されていない。
どちらかというと技術的・社会的な要因のほうが重視されている。

書かれてることの一例を挙げると
・第二次大戦以前において、敵に向かって発砲率できた兵士は約20%
・研究により訓練方法が改良され、朝鮮戦争で55%、ベトナム戦争で90%にまで向上
「敵を撃てない、撃たない」というのが普通の人間だが、訓練によって条件反射を
たたき込み、ワケの判らないうちに人殺しをさせることが可能になった。
結果として、殺したあとで心に傷を負う兵士が増えた。

題名の悪さで損してる本だけど、米陸空軍の士官学校のテキストにもなってる。
軍ヲタなら、とくに戦史に興味があるなら、早めに読まないと大損だと断言。

>>931なんかよく勉強してるし考察も的確だと思うが、同著にはシェルショックに
ついてもより詳しい事例と分析がミッチリと書かれている。
読んで損はしないぞ。
943931:2008/08/30(土) 22:31:01 ID:???
>>942
ほー、その通り。俺は読んでないんだ、その本。
だが興味はあったんだ、秋の夜長に読んでみるとするか…

そろそろスレ違いなんで俺はここらにしておこう。
944島田戦車隊:2008/08/30(土) 23:26:28 ID:???
ああ、ほんとに軍スレが一般に通用しなのがわかったよ。
現代の医療現場のエビデンスが通用しない世界。
この板の「痛い」理由がわかったような気がする。

まあ、コアすぎて、グローバルスタンダードの感覚が欠落してるんだろうな。
ニュース速民がのこのこ来てしまってすみません。


最後に言わしてもらうが、日本国医師会国家試験受領後、精神医学協会および、
日本外科学会の専門医からしてみても、お前らの反論には歯がたたんわ。
PTSD専門家が頭を垂れました。お前らの知識に感服。すみません。
今後、PTSD患者はあんたたちにまかせますわ。お願いしますね。
医者16年やっていますし、80歳以上の戦後トラウマ症例300症例こなしていますが、
あんたたちには論破できませんわwwwwww
945名無し三等兵:2008/08/30(土) 23:29:45 ID:???
同著を読んでもキミの意見が変わらないというなら、潔く謝ろう。
946島田戦車隊:2008/08/30(土) 23:33:40 ID:???
>>923
PTSDだからね?
PSDTとは全く違うからね。
947ラベリング効果:2008/08/30(土) 23:34:23 ID:???
>PTSD
とりあえず博学な君らwのカキコを読んで判ったのは、
『PTSDは “ 病気 ” ではなくて分類の為だけの “ 病名 ” である』
と言う事かな

>>944
屁みたいなコテハン名のってくれてありがとう、
ローカルあぼ〜んするわww
948名無し三等兵:2008/08/30(土) 23:34:44 ID:???
>>946
最後じゃなかったのかよw
949名無し三等兵:2008/08/30(土) 23:35:59 ID:???
こんなのが医者面してるなんて、日本の医学会の現状がよく分ったよ
950名無し三等兵:2008/08/30(土) 23:37:56 ID:???
医師資格に人格は関係ないのは知ってたが
国外の研究成果に対する敬意まで必要ないとは知らなかった
951名無し三等兵:2008/08/30(土) 23:38:39 ID:???
「俺は専門家だ」って、2chで袋叩きにされた人がよく後出ししてくる設定だよね
952名無し三等兵:2008/08/30(土) 23:40:14 ID:???
>訓練によって条件反射をたたき込み、ワケの判らないうちに人殺しをさせることが可能
『ゲーム脳』と同じくらいのヨタ話だけどね。
953島田戦車隊:2008/08/30(土) 23:41:19 ID:???
wwwwwwwwwwwwwwww
戦後の局地を経験した人の、その報告をしたことに後悔したwwwww

954名無し三等兵:2008/08/30(土) 23:43:45 ID:???
>>953
知性のかけらも感じられない文章になってきているぞ、少しは落ち着け
955名無し三等兵:2008/08/30(土) 23:44:36 ID:???
             ._, ._
           ( ・ω・ )
           ○={=}〇,
            |:::::::::\, ', ´
wwwwwwwwwwし 、、、(((.@)wwww
956942:2008/08/30(土) 23:50:05 ID:???
>>952
条件反射はあくまで「一例」。

射撃訓練のターゲットを、丸型から人型に変えた。
これだけで発砲率の向上に十分な効果があったとされてる。
無論、これだけの工夫で20%の発砲率を90%まで向上させられたわけではない。
条件反射訓練の具体例や、その他の重要な要素については同著を読まれよ。

恥ずかしながら、オレはこの本読んで目から鱗だった。
手持ちの本の何冊かを読み直すことになったし、新しい視点が得られた。
読みたくないなら読まなきゃいいよ。
読むべき本を読まずに語る恥ずかしさの例を1つも知らないならね。
957島田戦車隊:2008/08/30(土) 23:53:46 ID:???
ゴメンな。いいスレを悪い流れにしてしまって・・・・・
ホントにスマン。みんなが好きなスレなのに。
でもこのスレの最初のほうに書き込んだ302厚木の整備兵の話は、
ブログも建てられないようなスキルしかない俺のまとめなんだ。
横浜市藤が丘の「梨園」で有名な、現地の小学校もその人の名前が付く位の
地元の名士なんだ。覚えていてくれたらうれしい。
958名無し三等兵:2008/08/30(土) 23:55:07 ID:???
亀仙人乙
959名無し三等兵:2008/08/30(土) 23:58:08 ID:???
>>956
「動く物はまず撃って、その後に誰何しろ」とかか?
960名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:07:18 ID:uFp9tXoo
>>956 西南戦争当時の日本陸軍は白黒のマン・ターゲットどころじゃなく、
錦絵の技術で量産した総天然色の兵士精密画像をターゲットに使ってるわな…
錦絵ターゲットのその後は知らんけど、山野の演習場に的置いて慎重接敵とか、
ポップアップ・ターゲットとか、訓練方法を色々工夫している。海兵の史家が書いた日本軍歩兵本にあったよ。
961名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:11:03 ID:Rq9XnkoF
うちの爺さんは日本陸軍で少尉。ガダルカナルで戦ったんだ。
その爺さんが、この本を誉めてたよ。

http://www.fusosha.co.jp/book/2008/05682.php

『日本陸軍に学ぶ「部下を本気にさせる」マネジメント』というんだが、
当時の士官学校で教わったことが活きていると絶賛。

オマエらも読んでみ?
962名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:13:19 ID:???
>>956
まず、
> 20%の発砲率を90%まで向上
に根拠が、ない
銃の数と消費弾薬、戦死者などから計算したらしいが、
弾薬の製造能力や補給数、そもそも銃の性能や“銃の目的”自体も違う
 
『○○によって□□は△△%向上した』は“死の商人”の常套句
奴らの言いなりで戦場には“傭兵”も復活した
確かに、費用対効果は上がる
しかし“戦争”は本来“ビジネス”には向かないハズだ
963奥崎謙三:2008/08/31(日) 00:16:03 ID:???
>>961
>日本陸軍に学ぶ
「上官は殴れ!」
(うしろだまはひきょうだからしちゃだめだよ
964名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:16:10 ID:???
>>944
これからしっかり勉強するように。
965名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:17:44 ID:???
>>962は恥の上塗り
966名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:25:56 ID:???
>>915
何しろ「神聖にして侵すべからざる神」の命令で闘っていたわけだからね。
967名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:31:55 ID:???
>>924
その辺が決め手でしょうな。要するに「天皇教団」で、戦士は聖人、戦死したら殉教者。
命令に従うのが当たり前で、悩んだりするほうがおかしい、といったところですか。
968名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:38:04 ID:???
>>919
利害得失を考えてみれば分かりきったことだけど、ベトナム戦で喧伝されるようになったのは、
「戦意を減殺させるための東側の謀略」という面もあるに決まってるな。
いるよね、そういうのにすぐ乗せられて悲憤慷慨する単純な奴。
「載せられる台に描いてある模様」が違うだけで、どこでもありふれてるわけだけど。
969名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:52:17 ID:???
>>962
>『○○によって□□は△△%向上した』は“死の商人”の常套句

「ゴキジェットProによって駆除率は30%向上した」
970名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:54:52 ID:???
>>962
オマエは同書を読んでないと1200%の自信を持って断言しよう
それにツッコミのパターンが軍板チックじゃない
971名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:59:13 ID:cEjn++ww
俺の死んだ爺さんは、関東軍で、高射砲部隊にいたらしい。軍曹を殴って営倉に入れられたり、自決した
将校の遺体を片付けたり(遺書で血糊を拭いた!)、爆撃で死にかけたりと、散々だったらしい。結局、
シベリア抑留を喰らって苦労したそうな。京大出のエリートを通訳を介して同じ牢屋のドイツ兵と「ロシア人
は馬鹿だ」と、愚痴ってたとか。もっと話を聞いとけばヨカタ
972名無し三等兵:2008/08/31(日) 03:12:01 ID:???
>遺書で血糊を拭いた!
ほかに何か拭えるようなものは無かったのかえ?
それとも嫌がらせで?
973名無し三等兵:2008/08/31(日) 03:15:00 ID:???
>>972
単なる「聞き間違い憶え間違い」じゃない。
974名無し三等兵:2008/08/31(日) 03:55:13 ID:???
本を読んでいる云々より、ここではレスに説得力が無いのが問題じゃないのか?
975通行人 うひょ:2008/08/31(日) 05:49:36 ID:???
説得力なんて、どうでも良いじゃないかと思います
激動の時代を生きた話を聞かせて貰えるだけで幸せです
少し位の着色や細かい間違いは聞き流しましょうよ
明らかな間違えは個々の判断ですがw(他の人達の為?)
一個人の経験を聞かせて頂ける時間は残り少ない
976通行人 うひょ:2008/08/31(日) 06:01:15 ID:???
追記
厳密な史実を知りたいなら図書館へどうぞ
但し発刊されている書籍も、間違い多過ぎですけどねw(公文書含む)w
977名無し三等兵:2008/08/31(日) 09:34:13 ID:0s9/Urur
>>961

具体性に欠けないか?

ところで、みなさんのおじいさんが所属していた師団、連隊の郷土部隊史関係の書籍は
読んだことありますか?
やはり、士官中心に書かれているものなんでしょうかね。
978名無し三等兵:2008/08/31(日) 09:43:42 ID:???
>>961
大和魂だの言ってボロ負けするような軍隊の話が役に立つのか?
979名無し三等兵:2008/08/31(日) 09:45:34 ID:???
>>962
> “戦争”は本来“ビジネス”には向かないハズだ

それこを何を根拠に言ってるのかわからんな。単なる君の願望でしょ?
980名無し三等兵:2008/08/31(日) 10:46:49 ID:???
>>978
ガ島帰りの爺様が絶賛してる本だろ
981980:2008/08/31(日) 10:49:26 ID:???
失礼。書きかけで送信してしまった。

ガ島帰りの爺様が絶賛してる本だろ
このスレ的には、役に立つか立たないかの次元を超えた価値が
あると言えるんじゃないだろうか

戦争指導はアホだし、組織もダメっぽかったらしいが、部下が心酔するような
指揮官が一定数いたのも事実だし。
982名無し三等兵:2008/08/31(日) 10:58:29 ID:???
辻とか?
983名無し三等兵:2008/08/31(日) 13:05:04 ID:???
>>981
このスレッド的価値はあるだろうが、それ以上の意味はないな。
ガダルカナル島なんて、古今の失敗事例の最たるものの一つだろう。
もっとも、その失敗に学ぶという意味はあるか。
984名無し三等兵:2008/08/31(日) 13:52:11 ID:???
何か方向を間違ってるな。
役に立つ話など誰も求めて居ない。
スレ違いもはなはだしいからもう辞めろ。
985名無し三等兵:2008/08/31(日) 14:01:41 ID:e18E1vs8
>>984
そうですよね〜。スレ違いも甚だしい。

俺達はお爺様、お婆様の戦争体験を聞きたい。
無駄な議論はいらないよ。他のスレでやって下さいね。
986名無し三等兵:2008/08/31(日) 20:46:01 ID:???
>>978
戦後の劇的な高度成長は、ボロ負けした敗因を徹底的に反省した上に初めて成り立ったという面はあるからね。
987名無し三等兵:2008/08/31(日) 21:08:47 ID:???
で、現状はレイテ戦が終わったあたりか・・。

小泉も結局、特攻戦常套化しただけの栗田だし。
経済敗戦も時間の問題だ。
988名無し三等兵:2008/08/31(日) 22:56:17 ID:???
>>987
郵便局を敵に差し出した所で前面降伏。
10年続いた金融戦争は首相が国を裏切り終了。
63年前より酷い負け方だな。
989名無し三等兵:2008/08/31(日) 23:05:34 ID:???
郵政省の敵とは…?
990名無し三等兵:2008/08/31(日) 23:11:02 ID:???
>>989
郵政省の敵とは…?

そんな事は書いてないでしょ。「郵政省を敵に差し出した…」としか書いてない。
991名無し三等兵:2008/08/31(日) 23:11:24 ID:???
ただのν速史観だよ
ν速民と、その眷属が紛れ込んでるらしい

特定の話題が大好きで、多少でも文脈が繋がるとみると見境無い
陰謀論者やオカルトマニアと同じ心理状態にある人種なので、説得は無意味。
ささやかな天災だと思ってスルーしなされ。
992通行人 うひょ:2008/08/31(日) 23:15:57 ID:???
>>992なら、
純粋に聞きたい人だけが集うスレに成る
9931/3:2008/09/01(月) 00:24:16 ID:E09Xvb3k
「噂の生死不明者生還」 母方祖父記す。
 突然召集令状を受け取った私が一番記憶に残るのは、生後一年半の三男が、
歌にもあるように妻の背に負われ小旗を持ったまゝ眠っているのを見たときだった。
生きて再び此の児を見られるか否か――M駅に送っていただいた方々にも
元気で挨拶を交わしていたものの、万感は胸一杯になっていた。
 一日入隊、八日野戦行きというあわたヾしさの後、二日後には釜山着、
現地の小学生が歌や踊を演じて吾々を慰問してくれたが、
故郷に残してきた子供に想いを馳せながら、感動して時の過ぎるのも忘れた。
それから貨車で出発、南京からは船で揚子江をさかのぼり、
十月下旬石首というところに着いた。ここは漢口から約六百キロ、
日本軍の第一線に近かった。南京からでは二千キロ、
つまり五百里も揚子江をさかのぼったのである。
それでも夜間だけの航行なので空襲もなく、
まるで現在の慰安旅行のような気分だった。
 
9942/3:2008/09/01(月) 00:27:49 ID:E09Xvb3k
石首上陸三日後、先輩たちは洞庭湖畔の常徳作戦に出動、
私ら補充兵は残留先輩の指導で馬手入などをしていた。
ところがある日、敵機の空襲を受け、馬六頭が爆死してしまった、
その後、雨が続いたが爆風で屋根が飛んでしまったので、
私達は立食で食事、夜は携帯天幕の下に寝た。
二ヵ月後、沙洋鎮飛行場の警備につきながら、約一ヶ月間、
本格的野戦教育を受け、一人前の兵隊になった。
 そのころ、私は故郷の妹の夢を三晩見た。不安に思っていたら、
「妹死す」の手紙が届いた。
U駅で、あんなに別れを惜しんだ妹を想い浮かべ、辺りに咲いている桃の花を
棚に飾ってヒッソリと妹の霊を慰めた。
それくらいしか、戦場の兄としてはしてやれない。
妹の霊が、この支那の奥地にまで飛んできたものと私は信じた、
9953/3:2008/09/01(月) 00:31:14 ID:E09Xvb3k
 戦局は急転する。私らは、中・南支貫通のエツ漢打通作戦に参加、
長沙を攻略して衡州に進軍、塩山の警備についた。
このとき私らと出会った桜兵団(第二十軍)の兵隊は、
全員下士官だったのに驚く。歴戦の部隊だったのだろう。
ところが間もなく、私ら二十八名は戦野にさまよってしまった、
本隊に帰ってみると、既に前線に出発してしまった後なのである。
毎日々々、あちらの部隊こちらの兵站に頭を下げて御厄介になり、
本隊いずこと捜し歩いた。いつの間にか、
かの有名な桂林という名勝地に来たが、風景を眺める余裕とてない。
仲間六人も死んでしまった。
こうしたハグレ鳥の状態で迎えたのが私らの終戦だった。
ときに八月十九日、内地に帰ることなど夢にも考えられず、
一同無念の涙で途方に暮れ、その地に骨を埋める決心をした。
そうこうしているうちに、私らにも復員命令が伝達され、
その後三ヶ月もかゝって揚子江岸の九江に辿り着き、
ヤッと本隊に合流して捕虜収容所に入った。食うや食わずのうちに年も明け、
内地帰還に希望の灯がともった。
どんなに苦しくとも「帰るまでは」を合言葉に戦友同士が励ましあい、
二十一年五月上海発、六月二十八日朝八時半I駅に着いた。
 陸橋より男体山を拝んだとき「あゝ故郷に来た」という
実感が胸の中で張りさけんばかりだった。暫く日光連山をみつめていた。

原文ママ。拾い物
996名無し三等兵:2008/09/01(月) 00:38:24 ID:???
ν即史観って、「日本軍はアジア解放に
立ち上がった正義の軍隊」「大日本帝国は
アジア民衆を救うために戦った正義の国」
ってアレか?
旧軍マンセーの俺でもヒクわw
997名無し三等兵:2008/09/01(月) 01:59:03 ID:UkVRuK5H
次スレ
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その20
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1220201919/
998名無し三等兵:2008/09/01(月) 02:56:04 ID:???
999名無し三等兵:2008/09/01(月) 02:58:46 ID:???
1000なら…



カチャ


  ;y=ー( ゚∀゚)    
  \/| h |)

1000名無し三等兵:2008/09/01(月) 02:59:51 ID:e8KSvLYJ

  ;y=ー( ゚д゚)・∵. ターン
  \/| h |)


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