1 :
uaa:
2 :
霧板:2007/11/23(金) 03:42:19 ID:YgXqG8Vx
2なら木内梨生奈とセックスできる。
2なら05年度の天てれの魔法少女姿の木内梨生奈とセックスできる。
2なら競泳水着姿の木内梨生奈とセックスできる。
2ならメイドさんの木内梨生奈とセックスできる。
2なら秘書スーツ姿の木内梨生奈とセックスできる。
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2ならセーラー戦士のコスプレを一通りした木内梨生奈がディープキスをしながら手コキしてくれる。
2なら透け透けピッチリ胸あきブラウスにタイトミニの女教師ルックの木内梨生奈が生姦&膣内射精させてくれる。
2なら木内梨生奈が結婚してしてくれて、四六時中、淫らなセックスで俺様に御奉仕してくれる。
そして俺様の遺伝子で木内梨生奈が孕んでくれる!
2ならJSFに法則発動
2なら空自の次期F-Xはライノ
※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません。
惨状!↑死ね。
4 :
名無し三等兵:2007/11/24(土) 00:56:44 ID:???
激しく頼む
5 :
名無し三等兵:2007/11/24(土) 12:51:07 ID:???
6 :
名無し三等兵:2007/11/24(土) 20:35:35 ID:???
7 :
名無し三等兵:2007/11/25(日) 14:39:19 ID:W3Gt45lq
>>1 おつ
前スレDat落ち、ではハリキって参りましょう!
8 :
名無し三等兵:2007/11/25(日) 20:38:53 ID:???
誰かネタ投下宜しく
9 :
名無し三等兵:2007/11/25(日) 22:43:20 ID:WR7eYgaP
ズレちゃうけど・・・・・・
私の母の叔父が、第二次世界大戦で兵士として参戦したんだ。
「無事に帰ってこれた」って母が語っていた。東南アジアのどこかの島に
いたのだか、国内にいたのかは分からないが・・・・・・
たくさんの戦死者の中、無事に帰ってこれた母の叔父。
しかし、終戦後、結核で死亡。
それを聞いたとき、何となく寂しくなったよ。
10 :
uaa:2007/11/26(月) 02:12:52 ID:Hm33V4QV
家族を車に乗せてデコボコ道を通った時、母と祖母ちゃんが文句を言った。
その時祖父さんは「ビルマはこんなもんじゃなかった!」と言った。
戦前は日産自動車、戦争中は自動車部隊にいた祖父さんは、昔の車の扱いを教えてくれた。
・減速チェンジ(今の車より複雑な手順が必要)
・普通の(特別仕様でない)車による渡河の方法。(布シート1枚を使ってプラグに水がかぶらないようにする)
・エンジンを手回しでスタートする時の注意。(クランクを握る時は親指を掛けてはいけない)
今の車にも非常用に手回しスタート用のクランクがあったらいいなと思うんだが・・・・
11 :
名無し三等兵:2007/11/26(月) 18:00:17 ID:???
確か2CVには手回しクランクついてたな
1980年ごろまで生産していた筈
12 :
名無し三等兵:2007/11/26(月) 20:46:47 ID:BETViQwh
祖父の戦争体験を調べていたら、松平永芳 靖国神社宮司 に情報隠蔽されました。
祖父はウォッジェ島で戦死(実は餓死?)したらしい。
そこで、ウォッジェ島に関する戦記を検索していたら
こんな記事にぶち当たった。
http://www.juno.dti.ne.jp/~toyster/roujou600/kaidai.htm 戦後60年を経て、かつて兵卒による戦地での身辺雑記的な体験談や、
将官による大所高所からの戦史観の書物は多く目にすることはできたが、
<中間管理職>ともいえる若き尉官による、戦時下の一島嶼での生活全般に
わたる客観的な記録は稀有なものと考え、老父を説いて平成7年上梓させていただいた。
献本をうけた父の友人の松平永芳氏(靖国神社宮司・当時)は、
今さら英霊の御霊を騒がし遺族感情を害するものとして、
読後出版社の在庫を一括買い入れ、処分した。
平成17年12月、父は89歳で他界した。
松平永芳・宮司ってのは、A級戦犯を合祀した宮司らしい。
13 :
名無し三等兵:2007/11/27(火) 00:26:07 ID:???
>>11 うちの納屋にある
リペアがあったとしても絶対に動かないな
鉄の固まりた゛から
14 :
名無し三等兵:2007/11/27(火) 02:45:39 ID:IAIKtPTN
>>10 いいなぁ、 色々話聴けて。
ウチの爺さんは工兵で佐世保の海軍工廠にいた位しか知らない・・・
15 :
名無し三等兵:2007/11/27(火) 10:06:49 ID:AeVvkQu2
何がかったかの聞き書きとしてネツトでウプすべきだな。
16 :
名無し三等兵:2007/11/27(火) 10:42:59 ID:AeVvkQu2
つーかさ12の靖国神社の宮司みたいなーが卒倒するような事実の聞き書きとかはネットで公開するとかnyで情報公開すべきなんだよ。後世の為にな。
17 :
名無し三等兵:2007/11/27(火) 10:52:44 ID:???
権力で出版停止するとかじゃなく、全部買い入れて処分してくれるなら、
どんどん増刷して破産するまで買ってもらえばいいんじゃないかと思ったのは俺だけか。
18 :
名無し三等兵:2007/11/27(火) 11:54:42 ID:???
出征はしていないが、東京は国分寺に住んでいた頃、B29が近所に墜落したと聞きました。
今は死んじゃってるから真偽の程はわかりません。もっとちゃんと聞いとけば良かった。
(その頃は小学生だったので、「ふーん」で済ましてしまった)
19 :
情報隠蔽だろ:2007/11/27(火) 12:15:21 ID:Q98u9zC8
(ウォッジェ島戦記の)献本をうけた父の友人の松平永芳氏(靖国神社宮司・当時)は、
今さら英霊の御霊を騒がし遺族感情を害するものとして、読後出版社の在庫を一括買い入れ、処分した。
今さら英霊の御霊を騒がし遺族感情を害するものとして、読後出版社の在庫を一括買い入れ、処分した。
今さら英霊の御霊を騒がし遺族感情を害するものとして、読後出版社の在庫を一括買い入れ、処分した。
今さら英霊の御霊を騒がし遺族感情を害するものとして、読後出版社の在庫を一括買い入れ、処分した。
松平永芳・宮司ってのは、A級戦犯を合祀した宮司らしい。
20 :
名無し三等兵:2007/11/27(火) 17:23:03 ID:???
>>在庫を一括買い入れ、処分
この行為が一番英霊を馬鹿にしているというのがわからんのかね。
彼らは本当のことを知って欲しいだろうに。
21 :
情報隠蔽だろ:2007/11/27(火) 20:56:33 ID:Q98u9zC8
松平永芳・靖国神社宮司が戦争の実像を隠蔽し、偏ったイメージを
後世に残そうとするのなら、これは歴史の改ざんであり、
再び日本を負け戦に導く国賊である。
戦争はなるべくなら避けたほうが良いし、どうしても戦争せざるを得ないなら
勝たねばならぬ。勝つためには冷静な分析が不可欠。
松平は情報を歪曲し、英霊を手前勝手な理屈で貶め、日本を破滅に導く国賊である。
私は怒りを禁じえない。
22 :
名無し三等兵:2007/11/27(火) 23:57:25 ID:???
会社の先輩と飲んでいたら「俺のオヤジは近衛師団でガタルカナル戦に行って負傷し
た」と話していました。その方は江戸っ子なんで、東京編成の部隊はガ島に行ってな
いし、また近衛師団であればガ島にいくはずは無いと思いましたが大人なんで
黙って聞いていました。おまけに召集兵で。。。
この誤りは正すべきですかね?
23 :
名無し三等兵:2007/11/28(水) 01:46:57 ID:Be8MREn7
汗だくでクランク回したな友達の親父さん、
40年前の友達の親父で空自の2曹
隊員送迎バスの運転手
スレ違い失礼しました。
24 :
名無し三等兵:2007/11/28(水) 14:09:19 ID:???
実家の町に空自の基地があって
官舎からベースまでバスが出ていたんだけど
それが物凄く古いバスで
少し寒くなるとエンジンはクランク回さないとかからなかった
かかかりにくく、真冬に汗だくで回していた
その人は二曹で同級生の親父さんだった
35年前の話し
25 :
名無し三等兵:2007/11/28(水) 20:32:50 ID:???
すると、1970年代か。
そんな時代までクランク回してスタートしていたのか。
26 :
uaa:2007/11/29(木) 02:11:03 ID:s4e8SrpA
どんなバスか見たいんだが、1970年代の空自の業務車両・・・・・資料が無い・・・・
27 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 03:33:08 ID:eNcjmB1j
おれの爺さんはもうすぐで特攻隊に行くところだったがその前に終戦がきて行かずにすんだ。
その後、当時商業学校に通っていた爺さんのノートが2冊出てきて全ページびっしりと
「御国の為に」とか「○○君万歳」
っていうのが同級生や先生に書いてもらってた。
28 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 04:33:11 ID:???
市川市の埋め立て部落在住のこじきコテ「防人」は死ね!
了見の狭いキチガイのくせに、戦艦のゴミ拾いして転売するためにダイバーしたり、
日本刀振り回した写真貼り付けて自己満足してんじゃねーよカス。
テメェのせいで某サイトから貴重な証人がどんどん去ってんのが気付かないのかよ!
29 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 05:30:50 ID:???
10年程前に死んだうちの祖父。うろ覚えだけど。
農家の次男坊として出生。出生地のすぐ近くには後にバロン西が配属される軍馬補給所。
農業学校(某自殺代議士の先輩)卒業後、満蒙開拓団参加、ハルビンで官吏。
んで何故か東京で召集。陸軍独立高射砲54大隊?で曹長として機関銃分隊を率いニューギニアに殴り込み。
高射砲撃の際に耳栓忘れて片耳失聴したり、飢えで蛆虫や大トカゲ(本人談)を喰らうも終戦で無事帰国。当時24歳。
帰国後、農業を始めるも肺結核で2年入院。農業ができない体に。山を売った金でタバコ屋を始め、その後の活躍は割愛。
奇しくも今の自分と同じ年齢で終戦を迎えた爺さんだが、もう少しいろんなこと聞きたかったな。
30 :
?:2007/11/29(木) 17:44:50 ID:???
昔住んでいた町に空自の基地があった
官舎からベースまでバスなんだけど
それがメチャクチ旧式のボンネットバス
少し寒いだけでクランクを回さないと始動しない
真冬に汗だくになって回していたのは
二等空曹だった同級生のお父さん
35年前の事だけど
31 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 20:05:42 ID:???
>>18 中島飛行機武蔵野製作所が保谷にあった
吉祥寺上空でB29が撃墜された記録があるのでありうるね。
>>22 近衛って時点で有り得ないが、それが勘違いとすると、
先輩の父が江戸者(東京府民)であっても本籍地が田舎であれば
召集はそこで受けるから有り得たかも。それなら先輩が江戸っ子
であることとも矛盾しないんだけどね。
本人が作り話するつもりじゃなくても、伝聞には間違いが生じやすいし、
ここの板の住人みたいに軍事に関心持ってる訳じゃないからねえ
そういうことってたまにあるけど流してるな〜
32 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 21:31:12 ID:???
『近衛師団ガダルカナル投入説』は今でも時々チラホラ出て来るね
実際、 “ 公式には ” 行ってない訳だが、
御上の強い意思により投入される直前までいったという説もある
( “ つじーん ” こと大本営派遣参謀・辻政信が『個人的な護衛で1個分隊連れて行った』というトンデモも)
33 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 02:18:59 ID:7SXa/uIB
祖父の戦争体験。
「食料自活ということでラバウルでは必死に芋掘りをした。」
「定期便の空襲は怖かった。」
ほかの戦争体験を聞く前に祖父は逝った。
34 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 15:24:24 ID:lNZ1AnrD
横道だけど、たしか60年代終りまでは戦前の車が生きていた。
省庁などで使用してたのが50〜60年代に入った頃、払い下げで民間に流れたし。
戦前製造の日産180型トラックが50年代終りに払い下げられて運送会社で購入したりと。
以前、雑誌で戦前グラハム設計の日産80型パネルトラックが1950年代後期まで使用されて以後、
ずっと倉庫で保管されていたのが21世紀に入って発見されて日産でレストアされたのが載せられていた。
これもクランク始動させていたな。
戦前では無いが関東武蔵野の病院で朝鮮戦争前に生産した日産180型バスが
1970年頃まで普通に病院送迎用として使われていたと書いてあった。
何年か前に病院車庫から出してレストア後、雑誌に載っていたし。
35 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 15:38:05 ID:ivrrMbIy
装軌車も雪国じゃ使われて若干使われてたね
バス会社とかで
36 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 18:18:40 ID:???
うちのじいちゃんは三宅という海防艦に乗ってたらしい
んで、その証拠に三宅戦友会という所から貰った非売品の本がうちの家にある
37 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 19:11:15 ID:R5EiyASj
原隊が近衛の連隊の兵隊が応召や学校出あと配属になった隊でガダル送りはありうるよ。
38 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 19:49:32 ID:???
日本語でおk
39 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 21:39:55 ID:???
訳分からん
40 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 23:06:20 ID:gf42Aesv
41 :
名無し三等兵:2007/12/01(土) 10:24:51 ID:???
オレの記憶では310型のブルーバードには始動用のクランク棒穴があった気がする。
42 :
名無し三等兵:2007/12/01(土) 13:07:22 ID:???
身内ではないのだが,
職場の飲み会で,同僚から聞いた話。
ご主人の伯父さんが,神風特攻隊の敷島隊員として
出撃・戦死されたとのこと。
戦後しばらくは,家の前を通る際に敬礼をする人が
少なくなかったそうだ。
昨夜の飲み会で聞いた話ね。
43 :
名無し三等兵:2007/12/01(土) 18:12:09 ID:???
生まれて初めて乗った飛行機がカタパルト発射
44 :
名無し三等兵:2007/12/01(土) 20:29:36 ID:???
>>43 『搭乗員』ではないwんだろうけど、
便乗者か報道班員かですかね?
45 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 00:22:00 ID:???
>>44 その人は私の親族なのですが、某巡洋艦のぺーぺーの整備兵だったそうです。
だいぶ以前にこの板での微妙な問題に関する書き込みで顰蹙を買ってしまった者ですが、この前思いがけなく初めて聞き、驚きかつ笑ってしまったので思わず書いてしまいました。
以下はその時の話です。
ある時エンジン整備後の試験飛行で、おもり(バランスウェイト)の代わりなのか、はたまたちょっとしたサービスのつもりだったのか、零式水偵の後ろの席に乗せられる羽目になった。
で、怖かったのでしっかりとつかまって、ばっちり(しっかり)目をつぶった。
いざ射出されてみるとあんがい大した事はなくて、飛んでる最中はたまにふわっと上下に揺れるくらいだった。
それよりもむしろ降りる時(着水する時)の方が危なかった。
まあ自分の様な下っ端の者ならもし落ちても惜しくはないから選ばれたのだろう。
その後、着水後のクレーンでの収容作業やその他細々としたエピソードなどについて話してくれました。
46 :
36:2007/12/02(日) 14:00:47 ID:???
47 :
uaa:2007/12/02(日) 16:45:36 ID:g8wsdfBu
>>46 そういえば、戦地での性欲処理の話は祖父さんから聞いたこと無かったな。
俺の祖父さんだし、祖母さん不細工なくせに束縛するタイプだから、自由を満喫しないなんて有り得ないはずなんだが・・・
48 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 17:23:29 ID:hnpToWm1
あげ
49 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 17:26:13 ID:A0xJ2NNv
>>46 海防艦・三宅の戦歴は洋上ではなく、寄港地での奮戦ばかりだったのか?
50 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 18:26:20 ID:???
:名無し三等兵:2007/11/30(金) 19:11:15 ID:R5EiyASj
原隊が近衛の連隊の兵隊が応召や学校出あと配属になった隊でガダル送りはありうるよ
これだ!
51 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 19:49:29 ID:9F8UFr/S
近衛師団でガ島・・・ありえるのは福岡124連隊が一時近衛師団になった時があった
ただしガ島のあとに補充兵を入れてインパール作戦に従事した時だけどね。
関東の補充兵を124連隊や菊部隊や竜部隊に編入された時がある。
52 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 19:58:48 ID:???
近衛の捜索連隊が分派されるってのは、けっこうあったと思ったが。
ガダルカナルはわからん
53 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 20:11:43 ID:???
家の爺さん駆逐艦から海に転落して内火艇で救助され、上官にしこたまシバかれたらしい。ちなみにその上官はその晩の海戦で死んだらしい。
54 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 20:33:55 ID:???
>>53 救助されて助かったってほうが異例だし、シバかれても不思議ではないよ。
航行中転落したら見つけるのは至難だし、艦か戦隊が停止するわけで多数を
危険に晒してるわけだから。
55 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 20:53:48 ID:9F8UFr/S
近衛ならばジャワかスマトラかマレーだと思うのだけどね。
56 :
53:2007/12/02(日) 21:02:09 ID:eRIDN+n4
ちなみに爺さんは掃除の時間に同期のSと海を見ている時に同じく同期のEに肩を叩かれたはずみで落ちたらしい
57 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 21:12:47 ID:???
>>53 ふうむ。その晩に海戦があったってことは、作戦行動中だったのだろうね。
そいった場合、普通は見捨てられるんだけどね。
身軽な駆逐艦だから出来たのかも?それにしたって駆逐艦自体も護衛すべき
船があったり(輪形陣を崩さねばならない)、鼠輸送でもタイトなタイムテーブルがあるわけだから
一兵士のためにすることとしては異例中の異例なんじゃないかな。
近衛のガダル参戦って聞いたこと無いな。誰かソース示してくれるといいんんだが。
興味深々
58 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 21:14:01 ID:???
あれじゃないか?何かの理由で内火艇を出したとき、乗り降りの途中で海中に落ちたとか。
59 :
53:2007/12/02(日) 21:56:01 ID:eRIDN+n4
偶然お偉いさんに見られたから助かったとか言ってたな。
あと、爺さんの話によるとその晩、月明かりに照らされて数十機の黒光りする米軍機が襲ってきて、同期のSの上半身が機銃で吹き飛んだって話だった、爺さんは艦橋近くの機銃手だったらしい。
あと探照灯係のEも機銃掃射の餌食になったとかなんとか
60 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 22:04:35 ID:???
>>57 おいらも気になったんで調べたんだが
ttp://www.kanda-zatsugaku.com/040827/0827.htm 「私は昭和17年近衛歩兵連隊第一連隊に入隊して、約5年間師団司令部におりました。
この司令部は大東亜戦争がはじまって、いわゆるマレー作戦の山下兵団(第16軍)が
ガダルカナルで負けてきたので近衛も出征しろということになりました。
近衛は本来皇居を守る軍隊ですが昭和17年2月、皇居の中から留守部隊に送られて出
征しました。」
こんなのはあった、まあ裏取れないのでなんともいえないが。
61 :
名無し三等兵:2007/12/02(日) 22:11:31 ID:???
書き込んでから気づいたが二月ってガダルカナル戦始まってないやんorz
62 :
名無し三等兵:2007/12/03(月) 02:37:44 ID:???
>>60 へええー!超GJ!!
さらに興味深いことになってきたな!やっぱなんだかんだ言って軍板健在だね。
63 :
名無し三等兵:2007/12/04(火) 04:09:17 ID:???
祖父ではなく大叔父の話です。
祖母の家は金沢の鋳物屋で、大叔父は昭和18年に川口の専門学校に入学、
家業を継ぐべく勉強に励んでいました。そんな中予科練に志願し、三重空に
配属されたのですが、その3日後に東南海地震が発生、兵舎が倒壊したとの
こと。総出で市街の復旧に当たっていたが、とにかく食べるものがない、乾
パンを齧って耐えていたそうな。
そんな状況だから当然乗る飛行機なんてあるはずもない。暫くして船に乗せ
られ、どこだかの島に着いた。そこで毎日穴掘り、震洋の格納庫を作るため
の作業だったそうだ。所謂どか練というやつだ、土木作業用の機械なんて存
在しないので全てスコップで掘り起こす。時折艦上機がやってきて機銃掃射
をしていく、それで戦友が何人かやられた。この時ほど悔しかったことはな
いとのこと。
7月になって、土木作業も一段落し、また艦上機の襲撃にも慣れてきた頃、
新たな命令が下る。新たな任地は長野県南部は野辺山。大叔父は残務整理で
25日になってようやく島を後にする。野辺山では小型のグライダーでの滑
空訓練をしていた、無論それは桜花43型の操縦訓練に他ならない。本土決
戦ともなれば真っ先に敵艦に突っ込んでいたろうな、とのこと。今思えばあ
の頃は無茶したもんだとも思うが、当時はそれで当然と思っていたそうな。
終戦後は一度金沢へと戻った後、川口の専門学校に戻って勉強を再会したそ
うな。修了後、家業の鋳物を継いで未だに現役。鋳物といったら斜陽の産業
だが、最近は中国のモノが多くて値段は3分の1、こっちは質で勝負よ、と
のこと。何でも大叔父しか出来ない技があるとかないとか。
他にもこんなことも。ちょっと真偽が判りかねますが。
・野中五郎は下駄履いて陸攻に乗っていた
・予科練卒は中学校卒と同等の資格としてくれたのは源田実
64 :
名無し三等兵:2007/12/04(火) 17:16:50 ID:???
>齧って
なんて読むの?
65 :
名無し三等兵:2007/12/04(火) 18:38:57 ID:???
齧り付く⇒かじりつく
66 :
名無し三等兵:2007/12/04(火) 19:31:38 ID:???
「お尻齧り虫」って書くと味気ないな。
67 :
名無し三等兵:2007/12/04(火) 20:48:48 ID:???
むしろ百鬼夜行絵巻や怪奇草双紙画譜に出てきそうで怖いわw
68 :
名無し三等兵:2007/12/07(金) 00:27:33 ID:???
母方の爺ちゃんの話
戦争中にソ連?の捕虜になった爺ちゃんが終戦を迎て日本に帰ることになった時の話
そこには軍人じゃない日本人も多くいて、まずその人たちが帰ることになっていたのだが
それには船のスペースが足りなかった。
そこでソ連の軍人さんは爺ちゃんの部隊に、日本人が全員乗れるスペースを作れたら
お前らも一緒に日本に返してやると約束したらしい
で爺ちゃんの部隊は乗員のリスト作って、二段ベット?作ったりして
民間人と自分達全員が船に乗れるよう調整して、約束どおり最初の船団で日本に帰ってこれた
今日母親から聞いた話だから細部が怪しい
明日詳しい話を聞きに行こう
69 :
名無し三等兵:2007/12/07(金) 06:12:19 ID:???
有名な俳優さん(名前忘れた・・・)が語っていた話。
シベリアに抑留されていたとき、ソ連兵の兵舎を建てろ!って命令された。
だが、木を削ったり、カンナをかけたりはするものの、一向に建物になる気配がない。
ソ連兵は怒って「オマエらサボってるんじゃない!!」
そこを何とかなだめて、「まぁ、見ててくださいな」。
ある日、半日で建物が出来上がった。
日本式の家屋って、半日で棟上げするから・・・。
ソ連兵は、ビックリしたって。
スレ汚しスマソ。
70 :
名無し三等兵:2007/12/07(金) 20:16:40 ID:???
いやいや貴重なお話乙です
71 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 00:03:25 ID:???
>>69 思い出しました! 三橋達也さんでした。
ソ連兵にトイレットペーパーを要求したら、「何だそれ???」みたいなことを言われたとか。
ソ連人は、用を足した後にケツは拭かないらしい。
72 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 00:15:19 ID:???
余程キレがいいのか
73 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 00:26:43 ID:???
手で水すくってケツ洗うってとこあるよね。
アラブ圏とか。
74 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 00:48:13 ID:???
東南アジアの田舎では今もだが
75 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 00:49:55 ID:???
不浄の左手ってやつね
76 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 10:36:27 ID:BFQgtn1X
俺のじい様は、木の枝や葉っぱでふいたと言っていた
77 :
名無し三等兵:2007/12/09(日) 16:26:18 ID:Af6hgF11
痔になったろうに
78 :
名無し三等兵:2007/12/09(日) 23:48:00 ID:irf1ro93
戦地では食い物の都合や葉っぱで拭くこともあって、案外痔の患者が多い。
うちの親戚の爺さんも痔になったが、立派な公務傷病で今年金を貰っているぞ。
一度現認証明書を見せてもらったが、最初に「公務傷病名 痔婁」とあり、
「劣悪なる勤務環境の下で職務に精励し、・・・」で、最後に中隊長と隊附軍医の
印鑑が押してあった。
79 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 00:08:43 ID:???
>>78 へー
面白い話と言っちゃ失礼だけど興味深い話だな
80 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 00:22:57 ID:???
床屋のおばちゃんの話だけど
船が沈んだから島に逃げて
捕虜になってジープで脱走しようとしたら
走行中ひっくり返って
その下に隠れていて殺されずに済んだそうな
記憶が曖昧でスマソ
81 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 00:46:52 ID:???
おばあちゃんだろ
82 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 00:53:00 ID:???
>>77 尻から血を流して
四つん這いになりながら追及した兵士がいたと
ある戦記で読んだ
そこまでして隊に戻る事が唯一生き残る手段だったのか
はたまた規律だったのか
83 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 01:02:08 ID:???
>>82 原隊から離れることは本人の死と家族の不幸に直結したらしい。
本人の死に繋がる理由は、一人じゃまず野垂れ死ぬから。
また、もし運良く他の部隊に合流できたとしても、
余所者なので酷い扱いを受ける破目になる。
家族の不幸となるのは、原隊に死亡を確認されないと、
脱走兵として扱われるから。身内から脱走兵が出るというのは
非常に世間体の悪いことで、村八分もあり得たんだそうだ。
84 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 01:09:23 ID:Bd4PFxc9
グァム島で、巡検に乗用車を使ってたらしい、たぶん高級アメ車。
85 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 01:09:27 ID:???
昨日、母方の祖父母の墓参りがあったときに、俺がガキの時に爺さんからもらった勲章を親族で分けたんだ。
そんときに昔話があったんで、いろいろ聞けた。
爺さんは関東軍で軍医だったらしく、ずいぶんリッチな生活をしてたらしい。道ですれ違うと兵隊が祖母と叔父に敬礼とかしたそうな。
戦争体験について詳しくは聞けなかったが、伯父などはあわや中国残留孤児になりかけたものの、爺さんが「将校」だけが知りえる情報でソ連が攻めてくる前に家族を逃がしたらしく。
そういう負い目があったのか、戦時中の話は詳しく爺さんから直接聞けなかったんだが、戦後はシベリア抑留ののち空港・湾港で検疫の仕事をやっていた。
これは叔父の推測のはなしなんだが、
「親父は石井ぶ…ゴニョゴニョ」
だそうですな。かなり眉唾。
戦後しばらくして爺さんはクリスチャンに改宗、熱心な信者になったそうだよ。
父方の祖父は専門学校卒業後に兵隊にとられて、大陸で戦闘機いじってたらしい。
戦後は電電公社に、岩国基地で勤務してた。
我が家に最初にあったテレビと扇風機は、爺さんがジャンクで組み立てた代物。
俺がプラモいじってたら、
「ハヤブサの細部はここが違う」と聞かされたのを覚えてる。
葬式には米軍将校が来てた。
うーん、戦争体験とずれてるな…。
86 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 01:17:18 ID:???
部品交換が面倒だからな、水を吹き付ければ終了だぞ
87 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 01:17:48 ID:???
まあ、燃料は補給が必要だが
88 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 01:42:16 ID:iU4/LdPi
母方のお爺ちゃんは屠龍を作ってました
〜おわり〜
89 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 10:29:35 ID:???
俺の母方の親戚の爺さんは満蒙開拓義勇団でした。当時14歳くらい。
ソ連の捕虜になったときほど恐ろしい思いは無かったと言っていたが、抑留もされず無事日本に戻ってきた。
90 :
uaa:2007/12/10(月) 13:03:02 ID:pmVq0t1y
>>78 パイロットは痔になると飛行機に乗れないんだよね。
気圧が下がると・・・
91 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 16:53:05 ID:Hq2v4i6a
戦中の米軍の詳しい戦闘記録ってのはやっぱりアメリカ行かなきゃ見れないのかな?
戦中に俺の地元を機銃掃射した三機のグラマンの詳細を知りたくなってさ。
郷土史じゃ沖合の空母機動部隊から発進した三機のグラマン(たぶんF6F)が空襲して一人負傷って話のみ。
ちなみに空襲はそれが最初で最後で、祖母さんは屋根の上で見物してたとのこと。
搭載艦やらマーキングやらが分かったらプラモ作ってみたいな。
92 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 18:48:40 ID:???
俺の婆ちゃんは、勤労奉仕で畑仕事をしてた時、グラマンに機銃掃射で襲われて、恐怖で逃げ惑っていたところに、緑色の飛行機三機が凄い速さで飛んで来て、グラマンを蹴散らして追い払ってくれたと言っていた。
しばらくして緑色の飛行機が戻って来た時に、ありがとーって皆で手を振ったら、真っ白いマフラーをしたパイロットも、手を振り返してくれたのが今でも忘れられないとさ。
93 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 19:33:22 ID:???
>>91 いや、アメリカでも難しいだろう。
日本の資料調べるのでも難しいから。
ばあちゃんが死ぬ間際、「満州で世話になった人にお礼が言いたい」と言っていた。
大抵のやりたい事はやらせてあげたけど、これだけは出来なかった。
94 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 19:45:04 ID:???
空母航空団のログは比較的調査しやすいよ。何日にどこを空襲したかも書かれているし。母艦と艦載機のマーキングを知りたいだけなら、そういう本も出ているかもしれない。調べてないけど。
95 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 21:08:47 ID:???
すまん・・・どうしても言わずにおれなくて・・・
軍医なのに将校だけが知りえる情報をどうやって入手したのかな?
96 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 21:38:48 ID:???
>>91 俺の地元じゃP-38が機銃掃射だぜ?
じいちゃんが言うには・・・
97 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 21:40:20 ID:???
まず軍医でググれ
98 :
名無し三等兵:2007/12/11(火) 01:26:55 ID:???
俺のひい爺ちゃんは、台湾の学校で日本語を教えてました。
99 :
名無し三等兵:2007/12/11(火) 04:49:31 ID:???
うちのじいちゃんはライト兄弟に銃撃されたって言ってたぜ。
>>95 陸軍の軍医は全員将校だが?
海軍の場合は将校相当官だが、これだって階級は少尉以上。
うちの爺さんは支那でチハの整備をしていたそうな。
なんか書類が残っているから調べれば出る。
婆さんは山梨の富士山の足元で育ったが、
兄弟は、長男が支那に、三男が南方に、四男も南方にいった。
だが、次男だけは山城に乗っていた。
軍艦山城の帽子をかぶった写真が残っている。
婆さんの父(曾祖父)は日露従軍組らしい。
105歳で死んだ爺さんが昔よく歌ってくれた子守唄
一列談判破裂して
日露戦争はじまった
さっさと逃げるはロシアの兵
死んでも尽くすは日本の兵
五万の兵を引き連れて
六人残して皆殺し・・・
意味も分からずに幼稚園で歌った記憶があるが、
あんまり教育上よろしくなかったのではないかと思う
104 :
uaa:2007/12/11(火) 16:54:34 ID:RKs36TBB
少女時代”のらくろ”を読んでた母は「最近の漫画は残酷な描写が多くて嫌だ」と言うが、
敵の首をちょん切って腰にたくさんぶら下げるなんてグロな描写、
今でも子供向け漫画ではあまりないと思うんだが・・・
30代も後半に入り、ようやく旧軍が楽しくなってきた。
んで、爺の遺影見てたら、「おお!伍長勤務上等兵だわ。スゲ−」
とまぁ、兵隊としては、結構優秀だったので、嬉しくなる。
しかし、再召集で所属した連隊は、悪名高き221連隊らしくジャングルを
右往左往したあげく、戦病死とな。爺の気持ちを考えると、マジ泣けてくる。
今年の夏にNHKで、221連隊取上げたらしく、コイツを見逃したのも痛すぎる orz
もう一人の爺は、南方はハルマヘラ島。聞いたこと無い島だが
一発で名前は覚えたw 対空戦闘のみが展開されたようだ。
こちらも戦死。もう少し突っ込んだ話が知りたい所ではある。
婆さんはボケ気味だし、親父は興味無しだし、今となっては自分で
調べるしかねぇもんなー今聞ける人はしっかり聞いといた方が良いね。
ま、人外は皮膚の分泌液を調べればだいたいわかる
獣臭いか虫臭いか魚臭いかモンスター臭いかどれかだからな
母方の伯父は20才で戦死@満州
婆ちゃんが生きていた頃の話では、伯父を陸軍士官学校に入れてたかなんとかかんとか。
婆ちゃんは20年前に死ぬまで軍国の母で、岸壁の母を聞くと泣いていた。
祖父母は一旗揚げるために何もない対馬から朝鮮に入植していた。
使用人の朝鮮人が終戦と同時に店(洋品店)に汚物を撒いて逃げたとかで、
「朝鮮人に関わるな」は我が家の家訓。
蛍の墓の節子と同世代のママンは、終戦後に進駐してきた米兵に遊んでもらっていたらしい。
>>91 空母からのって言うからにはF6の可能性高いけど当時は米軍戦闘機の総称がグラマン
民間人やら歩兵にしてみりゃP51もグラマンということになる
>>100 陸軍の場合も将校相当官(もしくは士官)との記述だけど?
少尉でも中尉でも将校たる士官は将校たる士官、その他の士官はその他の士官。
>>109 日中戦争中に規則が改定されて、将校相当官は各部将校に改められてる。
陸軍の場合、海軍ほど兵科将校優先にこだわっていない。
だから、将校のみ閲覧可の文書を、軍医部将校も閲覧できたとしても不思議はない。
>>102 オイラが40年近く前に、バァさんに教えてもらった歌は尻取り歌で
日本の・乃木さんが・凱旋す・雀。メジロ・ロシヤ・野蛮国・クロパトキン・
金の玉・負けて逃げるはチャンチャン坊・棒で叩くは犬殺し・シベリア鉄道長けれど・
土瓶(土人?)の口から噴出せば・ばぁちゃんの年は82・仁徳天皇拝みます・
水雷艇を追いかけて・天皇陛下萬々歳!
であった。
幼稚園だったから、意味もわからずに歌って、かぁちゃんにエラい叱られた(笑)
今思い出してみると、日露戦争の歌だったんだなぁ。
良くわかんないけど、「ロシヤ」に「野蛮国」と続けるとことか、「負けて逃げるは
チャンチャン坊」とか、当時の気分はそんな感じだったんだろうなぁ。
>>105 爺さん明治か大正初め生まれだよな
で、それは昭和16年以前だね、だとしたら確かに自慢だね
なんと言っても伍勤上等兵は兵卒の最高峰だからね
俺のじいちゃんは大陸へ送られる前日に当時12歳のばあちゃんをレイプ?したらしい。
戦争から帰ってくると、実家のじいちゃんの部屋はすべて片付けられていたので、
じいちゃんはひいじいちゃんに
「俺は生きとるぞ!布団がなきゃ寝れん!」
と文句を言ったが、ひいじいちゃんはじいちゃんを張り手でぶっ飛ばした。
痛みで引きつる顔を上げると、そこには14歳になったばあちゃんがニヤニヤしながら立っていた、とのこと。
114 :
名無し三等兵:2007/12/11(火) 22:53:43 ID:xQGHhjQB
115 :
名無し三等兵:2007/12/12(水) 00:09:20 ID:vwc4Ts5z
302空にじいちゃんはいました
116 :
uaa:2007/12/12(水) 00:29:22 ID:fyqaQVeU
>>111 母が今でも口ずさむのは、
陸軍の・乃木さんが・凱旋す・雀。メジロ・ロシヤ・野蛮国・クロパトキン・金の玉・まり・陸軍の・・・・・・
とぐるぐる回るやつ。
「差別はいけない」と言いながら、「ロスケ」「シナポコペン」という言葉が自然に出て来る年代。
テレビで韓国・朝鮮のニュースがあると、「朝鮮朝鮮パーカにするな〜日本人とど〜こが違う〜」
と歌い出す。
>>114 あの石原知事も、グラマンに機銃掃射されてもう死ぬかと思った時に、グラマンを追っかけて来た日本軍機が助けてくれたらしいね。
その時に見た機体の鮮やかな日の丸が印象に残ってるって言ってたな。
てか、遊び半分で民間人を殺しまくった米軍パイロットは氏ね
>>116 可愛らしい母堂様ですなw
きっと皆に大事にされてきたのでしょう
>>117 栗田ゆう子「でも、日本人も悪いんですよ」
>105
ハル島はかなり前のスレでも見たよ
漏れは保阪氏の昭和陸軍の研究を読んで知った
絵日記を書いた人がいて
その絵で暫し呆然となった
私の父はヴェトナム戦争にヘリコプター乗員(米国人)として参加したのですけど
ヘリコプターが撃墜されて足に障害を負ってしまいました。
123 :
名無し三等兵:2007/12/12(水) 21:09:30 ID:0eVEmlsl
詳しく
>>105 池部良のハルマヘラ・メモリーなんか手に入りやすいから良いんじゃないか?
倉庫整理してたらひい爺さんの勲章がでてきたんだ
会ったことないから戦地の話しを聞ける人がうらやましいよ
127 :
uaa:2007/12/15(土) 02:29:58 ID:ynOQobKa
デスラー勲章
母方のジイサンは済州島に行ってブタになって帰ってきました。
うちの爺さんはペリーに艦砲射撃されたって言ってる。
高校時代に授業サボって会ってた爺さんは、支那で特務機関の人やってて、
軍服なぞ滅多に着なかったし、ライチ農園にいたからライチばっかり喰ってた、
って言ってたな。
視界のかぎりライチ畑が続く大地は見て壮観とのこと。
俺も高校の時にそういう爺さんと話をしてたら内容がホモ話になってきてあわてて逃げたことがあったなw
今なら笑い飛ばせるが工房の俺にはムリでした
うちの祖父は俺の生まれる前に亡くなったから、父から聞いた話だが
祖父は視力が悪くて一度徴兵対象から外されたが、車が運転できたため、結局戦地に行くことになった
真珠湾攻撃の報は東南アジアへ向かう船の中で聞いたという
担当は、車での物資輸送。東南アジア各地を車で駆け回ってた
インパール作戦にも参加したが、佐藤中将の師団にいて生き延びた。物凄い感謝してたとか
戦地ではマラリアにかかったりもして、戦後も後遺症に苦しんで過ごしたが、
祖父にとって東南アジアで過ごした日々は悪い思い出ではなく、辛いことも沢山あったが楽しいものだったそうだ
戦争終結時にイギリスの捕虜になったそうだが、イギリス軍との生活も楽しかったと
戦地駆け回ってたのに楽しかった、と話した祖父から直接詳しい話が聞けないのが残念だ・・・
134 :
uaa:2007/12/17(月) 01:29:58 ID:1/r05rLO
>>133 自動車部隊で
海南島出港→洋上で開戦→マレー→シンガポール→ビルマ→インパール作戦の支援
だったらうちの祖父さんと同じ部隊かも知れん。
番号は不明だが、独立自動車大隊。
135 :
91:2007/12/17(月) 03:17:36 ID:YAtHdEI1
>>108 亀だが、郷土史じゃP51とF6Fの写真付で解説されてたんだが、
地元は北海道の真ん中辺りなんでさすがにP51ないかなと
>>134 出港場所とかの詳細までは全然知らないんだよな
大阪の運送会社で働いてたときに徴兵されたらしいが
でも、マレーシア、ビルマ、インパールって流れは同じだわ
もしかしたら同じ部隊だったのかもなぁ
137 :
名無し三等兵:2007/12/17(月) 23:30:15 ID:KralpUp/
特別養護老人ホームのある利用者の話
丘珠に配属になっていたけれど、オレが配属になった時はまともに飛べる戦闘機なんて無かったからな。江別に基地を作ってたな。掩体もあったよ。
軍艦だってろくなものなかったよ。じきに戦争は日本が負けて終わるってわかってたよ。
稚内?ああ、ソ連の軍艦が沖合を結構ウロウロしてたぞ。
138 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 02:00:32 ID:jpQhyfMW
F6Fに機銃掃射なんて、日常的でよくあった、と呉にいた死んだオヤジ
は言ってたなあ。爆撃で死んだ魚一杯取ったとか、叔父は台湾にいて、内地
に帰って来るときには大丈夫だったが、瀬戸内海で爆撃されて死にそうだった
とか、言ってたなあ。そういやあ、343空関係だと思うんだが、俺のつれ
の故郷の山に、米軍機が落ちて、破片持ってたって言ってた。まあ、可能性
ないとは言えない。旧中山町の山奥だから、松山郊外だからなあ。
139 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 04:20:22 ID:bU4LqYhJ
>>92とかってネタだろ。
いくらなんでも、女子供を狙って撃つ訳無いだろ。
それじゃ戦争じゃなくて、ただの殺戮だろ。
141 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 04:33:34 ID:bU4LqYhJ
こうやって歴史は捏造されて行く訳だ。
そもそも、無抵抗の女や子供、民間人を殺して何になる?
米軍では勲章でも貰えるのか?
大体、戦場ですら殺すのを躊躇う兵隊が多いのに有り得ない。
撃つのを躊躇して、逆に撃たれたなんてのもよくある話。
>>141 それこそゲーム感覚でやったんだろ
あと、ガラスのうさぎぐらい読めよ
143 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 04:51:23 ID:bU4LqYhJ
ゲームでそんな事するかよ。
そもそも、そんな低空飛行をする訳が無い。
最近の若者はガラスのうさぎを読まないのか・・・・
146 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 05:12:39 ID:bU4LqYhJ
>>144 その写真は海ですね。
夜中に上空10000メートルを飛ぶB29ですら、対空射撃で一機撃墜されてから
危険だからって、撃墜された場所は飛ばなくなったんだけど。
どういう理由で戦闘機が真っ昼間から市街地を低空飛行する訳?
戦争末期でも有り得ない。
俺の地元ですら艦載機に銃撃されてるというのに
149 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 05:23:39 ID:bU4LqYhJ
>>147 耕すでしょう。
大体、畑で民間人に向けて銃掃射って弾薬が勿体無いだろ(笑)
そんな馬鹿なパイロットがいるかよ。
弾薬有り余るほどあるし
空襲でググれカス
151 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 05:37:27 ID:bU4LqYhJ
馬鹿か。
有り余ってても帰らなきゃ意味ねえだろ。
ここでグダグタ言ってるより
ググれ
153 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 05:44:28 ID:bU4LqYhJ
だから、そんな公式記録は無い訳だけど。
尼崎
3月19日に第5艦隊第58機動部隊の艦載機により機銃掃射をうけてます
ググれば一番上にでますた
冬休み・・・・・か
>>139 とりあえずフルメタルジャケット見て来い、話はそれからだ。
今朝の日経「私の履歴書」に森光子が疎開先で8月14日に空襲受けたって話を書いていた。
フゥーハハー
機銃掃射空襲の話なんてじっちゃんばっちゃんの体験談で普通に見るがな
沖縄じゃ市街地を執拗に機銃掃射してた戦闘機が2機撃墜されてるよね。
捕虜になって、当然処刑されてるけど。
でも、なぜか、戦争犯罪のはずが慰霊碑までたちゃってる。
161 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 07:15:28 ID:6p1hsvy0
米軍は解放軍です。
>>141 歴史の捏造というが、朝鮮やら中国やらの捏造とは全く違うものだぞ
民間人への爆撃は無数の民間人がきちんと証言をし、史実として残っているものだ
こういうことを言うと、その民間人も偽証だろとか言いそうだが、そもそも偽証するメリットがどこにある?
まぁ、釣りなんだろうが釣られとくわ
>>139 ベトナム戦争時に韓国軍がした事は正にそれなのだが。
普通にアメリカもしたけどね
フゥーハハー
じっちゃんが靖国で撮った写真なら残ってる
167 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 11:21:22 ID:g4oRXyJz
前にアメリカ行ったとき向こうの爺さんがパイロットで、ゼロ戦はヒラヒラ逃げるけど当たるとすぐ落ちたって言ってた。恥ずかしくてその場からコソコソ逃げたよ。
>>167 喧嘩売ってんのか、ジジイ!
くらい言えよ
おまえがおちょくられただけw
こういうヘタレが多いから、外国に行くとガキやらジジイごときに
日本人がなめられるんだよ
169 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 12:36:59 ID:g4oRXyJz
>>168 知り合いの爺さんだったしなー。この板の住人として持てる知識を存分に振る舞ったけど、向こうもホントに簡単に落とせたって言い張るんだよ。知り合いだったし殴るわけにもいかず実際そのとうりなんでコソコソ逃げたんだよ。あんまり言い張ると可笑しいだろ?
そんな気配りの出来ないジジイに配慮してやる必要はない
>>153 静岡 I市
空襲警報が発令されて退避中の学生に米軍戦闘機が機銃掃射
2人死亡
数年前にNHKのBSで「カラー映像で見る昭和」みたいな
感じの番組が放送されてた。
その番組の中に民間人に機銃掃射する様子をとらえた
機載カメラの映像があったぞ
./ ;ヽ
l _,,,,,,,,_,;;;;i <いいぞ ベイべー!
l l''|~___;;、_y__ lミ;l 漁船に見えるのは敵の新型魚雷艇だ!
゙l;| | `'",;_,i`'"|;i | 民家に見えるのは敵の仮設司令室だ!!
,r''i ヽ, '~rーj`c=/
,/ ヽ ヽ`ー"/:: `ヽ
/ ゙ヽ  ̄、::::: ゙l, ホント 地上掃射は地獄だぜ! フゥハハハーハァー
|;/"⌒ヽ, \ ヽ: _l_ ri ri
l l ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| | / |
゙l゙l, l,|`゙゙゙''―ll___l,,l,|,iノ二二二二│`""""""""""""|二;;二二;;二二二i≡二三三l
| ヽ ヽ _|_ _ "l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |二;;二二;;二=''''''''''' ̄ノ
/"ヽ 'j_/ヽヽ, ̄ ,,,/"''''''''''''⊃r‐l'二二二T ̄ ̄ ̄ [i゙''''''''''''''''"゙゙゙ ̄`"
/ ヽ ー──''''''""(;;) `゙,j" | | |
ttp://jp.youtube.com/watch?v=7x13uGSD-5k&feature=related ttp://jp.youtube.com/watch?v=MdAtIRef7I0&feature=related ttp://jp.youtube.com/watch?v=shsxuauQA3w ttp://jp.youtube.com/watch?v=tjr8ZtEcrtE&feature=related
>>169 今頃は「ジャップのガキはボソボソ反論するけどこっちが少し強気に言い張るとロクにディベートもせずコソコソ逃げた」と言ってんだろうな。
>>174 マジでそれに近い事をアメ公は言ってやがったな
あの世界の小澤も子供の頃、空襲で弟と防空豪に逃げて、まだ警戒警報中だったけど
あんまり喉が渇いたから弟と水を飲みに豪から出たら機銃掃射受けて間一髪だったらしい。
パイロットの笑ってる顔まで見えたとか。弟さんの小澤幹雄さん談だけど。
ところで「ごう」ってこの漢字でよかったっけ?
変換できないんだが…土偏がついてたよな正しくは。
179 :
名無し三等兵:2007/12/18(火) 14:33:05 ID:g4oRXyJz
>>176 空戦やったジジイの前でボソボソくらいしか言えないよorz 言い方がちょっと悪かったな。俺の中では零達は世界で二番目に美しいし好きだ!誇りにも思ってるよ。おまえ等と一緒だよw来年夏に行くから暇ならアメリカジジイをボコボコに出来る話しおしえてくれな!
>>179 つ通信空手
なんてなw
零戦が弱いという印象しかないんなら爺さんが落としたのは戦争末期なんだろう
当時の状況を話してやればいいんじゃね
ガンガレ!
ふひひwwwwwwwあと一年経ったらアメ公ぶっころせるぜええwwwwwwwwwwwwww
とか思ってたら、終戦迎えたとか言ってたな。じいちゃん
>>179 戦力になるかはわからんが…
・大戦末期の日本軍機はヒヨッコ&特攻機が多かったから、落とせても当然
・実際に米軍がカウントしている数はかなり水増しされている(ヘルキャット
のキルレイトなんか良い例)
・自軍機が全損してもパイロットが生きてれば非撃墜にカウントしない米軍
・実際に米軍機が撃墜したと主張する日本軍機の数を合計すると当時の日本の
全航空機を上回ってしまう
・当然米軍の主張する全戦果は全日本機のトータルのウン倍になる
くらい言わないと…
外国では沈黙は相手の主張を認めることになるぞ!
>非撃墜にカウントしない米軍
というのは間違いだよな?
そんなコトで揉めるのもいいけど
米軍側の大戦中の話とかその方に聞いてきてくれw
俺、今度、出張でドイツに行くんだ。
そのついでに向こうの友人に会いに行くつもりなんだけど、
その友人の祖父がまだ健在で、何でも元LAHの下士官なんだそうだ。
何か訊いてきて欲しいこととかあったら訊いてくるよ。
英検二級と独検三級の語学力で頑張ってみる。
187 :
185:2007/12/18(火) 18:59:16 ID:???
>>186 向こうの友人が軍オタだからその辺りは何とかなると思う。
>>187 「今度はイタリア抜きでやろう!」って言ってきてくれw
>188
戦後60年経ってもそれは通じるんだろうか
>>179 日本側が挙げた戦果を教えた上で、「そりゃあ日本機が弱かったんじゃなくて、あんたが強かったんだ」
と締めくくれば色々角が立たなくていいんじゃなかろうか。
実際その爺さんは空中戦を戦果をあげて生き残ってるわけだしな。
そういう爺さんが実は戦闘機乗りじゃないってのもよくある話で。。。
>>183 『ウィキペディア(Wikipedia)』の「エースパイロット」より…
>第二次大戦アメリカ空軍は、戦闘空域で撃墜されたと認定した機を被撃墜
>(loss)とカウントし、帰途に不時着と認定された機や修復不能大破機で
>あっても帰着すれば被撃墜数にカウントしなかった。
やけにスレ伸びてると思ったらこれか
暇だからって甘やかすのは良くないぞ
194 :
185:2007/12/18(火) 23:48:53 ID:???
>>188 わかった。
相手に不快な思いをさせないように気をつけながら言ってみる。
ちなみに出発は今週で帰国が来週だ。
>>185 >元LAHの下士官
カッコいい!!
くれぐれもご無礼のないように…
196 :
uaa:2007/12/19(水) 03:32:24 ID:vgDMi57w
>>185 >元LAHの下士官
背が高そうだな。
とりあえず、階級、所属部隊(兵科)、参加した作戦、受章歴あたりは押さえてほしい。
入れ墨を見せてもらえたらすごいと思うけど、さすがに無理かな?
197 :
名無し三等兵:2007/12/19(水) 05:52:49 ID:efAYvZai
昔の軍装とか置いてないかな?あったら着てもらって写メうp!
楽しみにしてるぜww
ピー屋でのハメ撮り写真がでてきますた。
>>185 スティーブンキングのゴールデンボーイみたいにならなきゃいいがw
>>200 「次はイタリア抜きでな!」と意気投合してくれることを願う。
202 :
名無し三等兵:2007/12/20(木) 11:18:42 ID:uYocnKS2
うちの爺さんの中国での話。
うちの爺さんの部隊は補給が全く期待できず
食料などは全て現地調達が基本だったらしい。
そこで集落を襲いに行く度に楽しみがあったそうな。
その楽しみはというと、食料調達は一軒、一軒しらみ潰しに民間を襲うんだが
そこでそこの母親に子供と旦那のどっちを殺すか聞くらしい。
子供と答えたら母親を殺して、旦那と答えれば旦那を殺すらしい。
旦那と答えた場合、次は兄弟の誰を殺すかと聞くらしい。
そうやって行くと母親は気が狂うらしい。
その気が狂った姿を見て楽しんでいたみたい。
娯楽の無い戦場では、それが唯一の楽しみだったとか。
結局は、旦那も母親も子供も女の子以外は全員殺すんだとか。
残った女の子は皆でレイプしたって。
ちょっと中国行ってくる
205 :
名無し三等兵:2007/12/20(木) 13:26:13 ID:vWYQDrJs
昨日の読売夕刊に宗谷の元操舵長の人のインタビューが
載っていたが、戦時中海軍パイロットって書いてあった。
パイロットが船の操船ってできるものなのか?
↑こいつ馬鹿だなw
>>205 記事を見てないから詳細はわからないが、
終戦によって「海軍パイロット」はあらかた失業したわけで、
海保に転身して操船部門を学び直してもおかしくないとは思う。
逆に船のパイロットが飛行機を操縦したら驚く・・
船舶の場合、パイロットと言ったら水先案内人の事。
飛行機の操縦をやってた人が船舶の操舵をやってもなんの不思議も
無いと思うけど。
>>202 てか、わざわざレイプ話を孫に話さんだろw明らかに作り話。
という事で、チョン乙!!
「着剣ボボ」でググってみ
徴発を略奪と思ってるんだもんね。
こまったちゃんですね。
違いは?
略奪:奪い取る。
徴発:(形の上では)購入。
祖母から聞いた話だと、終戦後、街に進駐して来たアメ兵達に、一人で喧嘩を売ってボコボコにされて死んだ人がいたらしい。
後から聞いた噂だと、近くの飛行場にいた特攻隊の生き残りの人だったとか。当時はやけくそになって無茶な事をする元軍人も多かったそうだ。
当時の日本人と白人じゃ体格差は大人と子供だったからな
アメ兵達VS一人
体格差の話じゃないだろ
俺の知り合いの爺さん(大正5年生まれ)
ちょっとした会話から 戦時中重巡青葉の見張り員やってたことが分かった
先任下士官(兵曹長)で配置上 戦況がよく分かる所だったんで
詳しく話しを聞けた
特に第一次ソロモン海戦を含む
その後の複数の海戦は手に汗握る話で
僚艦が敵潜水艦の攻撃を受けて船首切断 後進いっぱいでラバウルに帰島したとか
敵急降下爆撃機からの攻撃を受けて見張り台の囲いをかすって船体を直撃
(その時の怪我で片目は義眼)
の話しは興奮した
他にも色々聞けたんで暇を見ておいおい書き込んでいくな
>>219 書き込む合間合間に仕事なり何なりしたらどうだ?
お前さんが明日も生きてる保障はどこにも無いんだぜ?
命は明日枯れるかもしれないと思えば今という瞬間の重みを知るだろう
>>219 お手すきの時にでも、聞かせていただければありがたいです。
ゆったりお待ちしておりますね(・∀・)ノシ
>>216 「人間の証明」とかにそんな話が出てくるな
因みに喧嘩を売ってなくても米兵がいきなり面白半分にボコボコなんて
のがかなりあったらしいから、その死んだ人が本当に元特攻隊だったか
どうかすら怪しいけどね
>>222 どうもです
ソロモン戦のサボ島沖海戦(夜戦)では
「こちらが敵艦位置を正確に確認出来ないうちから敵艦の砲弾が飛んできた」
っていってました
おそらく敵艦隊はレーダーによる射撃を行なってるんだろうって
そりゃ恐かったよ、弾がピュンピュン飛んでいるところを走り抜けるんだから。だいたい四年ぐらいだったかな?中国に「留学」してきたよ。
祖父の話。留学ってのは比喩かと。
うちのじい様は南の島に設営部隊として言ったけど
マラリアにかかってまだ帰れる時だったから帰ってきたからお前たちが居るんだよっていわれたなぁ
俺のひい爺さんは、サイパン・マニャガハ島で戦死。
聞いた噂だと、その島のビーチでバンザイ突撃を敢行して玉砕した、沢山の日本兵の幽霊が出ると有名らしい。
その中に、ひい爺さんもいるかもしれんと思うと、何だか怖いけど一度訪れてみたいと思ってます。
そんなとこで撮ったグラビア写真で今日も一発抜くのか
231 :
uaa:2007/12/23(日) 15:03:33 ID:4cevgbiM
霊感のある女が、行く度に帰れない日本兵の霊を背負って帰国するという話を聞いたことがある。
もう98のじいちゃん。
中国で敵が撃ってくる中を逃げる時に、先に安全地帯まで逃げた上官が
〇〇!左だ!右だ!と指示を出してくれて一発も喰らわずに済んだらしい。
徴発は確かにあったらしいが、村人はもう逃げて、いない家が大半だったとか。
たまたまじいさんが残ってて、向かってきたから
突き飛ばしたら動かなくなったのが今もわすられん、殺したかと思うと…。
じいちゃんにはそんな簡単に人は死なんよと言っといた。
泥道の行軍が酷かったらしい。戦友が描いてくれたボール紙に木の下で休むじいちゃんを描いた絵を今も大事にしてる
>>229 マニャガハはマジでやばいらしいよ
飯島直子もサイパンの英霊達に裸踊り見せてあげて、日本まで連れ帰ったらしいよな
235 :
名無し三等兵:2007/12/23(日) 18:12:35 ID:atrx5QeZ
>>234 イイハナシダナー
どうもです
宇都宮戦のサポ戦線(夜戦)では
「こちらが敵艦(女子高生)位置を正確に確認出来ないうちから敵艦の砲弾(メール)が飛んできた」
っていってました
スレ違いだがこの人の祖父は有名人なのでw
今日民主党の山本孝史参議院議員が死亡した。
この人は比例区だったので補欠で大石尚子氏が繰り上げ当選する。
この人の父は大石宗次海軍中佐、そして祖父は秋山真之海軍中将。
立派な由緒正しい家系だ。でも何で民主党なんだろう_ト ̄|○
旧民社系はそういう右翼系、軍系も多い。
238 :
名無し三等兵:2007/12/23(日) 23:38:31 ID:BYQH/KIo
ふと気づけば秋山兄弟の兄好古は世界最強のコサック騎兵を破るし弟真之はバルチック艦隊を壊滅させるしなにげにスゲェな。 人外兄弟なんて。
もうすぐ(もう既にかもしれないが)祖父母が戦争を体験していない世代が出てくるんだろうな。
自分の世代では祖父母と言えば戦争に行ったか、工場で働いていたか、もしくは当時子供で
疎開していたにしろ、戦争にかかわりがあったんだが..
「懐かしのメロディー」や「年忘れ日本の歌」で戦前戦中戦後の歌
がなくなっている。 藤山一郎先生、淡谷のり子先生も逝っちゃった。
半立ちだな
帰国したから報告するぜ。
>>188 マジな感じで言うのもあれだったから、
「今度はイタリア抜きで、っていうジョークがありますけど、どう思います?」
という感じに聞いてみた。
回答。
「そういうことはあまり大っぴらに言ってはいけないよ。
ナチだと思われるかもしれないから。
まあ、私個人としては、『サムライ』の国だった昔の日本となら、
もう一度肩を並べて戦ってもいいかもしれないとは思う。
でも、君には悪いが、今の日本とは組みたくない。
敵対的な隣国が領海に侵入してきても、海軍を出動させるどころか、
その国の法外な要求を受け入れてしまったり、軍事機密が簡単に漏洩したりする
ような信頼できない国家と組むのは御免だよ」
>>196 身長は俺(173cm)よりも高かった。190cmくらいあるかもしれない。
詳細は身元特定に繋がるとまずいから省くが、
最終階級:SS曹長(ドイツ降伏の三ヶ月くらい前に昇任したらしい)
所属部隊:オートバイ中隊から偵察大隊で、ずっとオートバイに乗っていたらしい。
参加した作戦:ポーランドからアルデンヌまでらしい。
負傷して後送されていた期間が合計で半年ほどあるらしいが。
受章歴:一級、二級鉄十字章、戦傷章がいくらかと、東部戦線従軍記章。
騎士鉄十字章は貰えなかったらしい。
刺青:頼んだら見せてくれた。AB型だった。
>>197 全部売り払ったらしい。
戦後、しばらくしてから、アメリカ人の業者が訪ねてきたんだそうだ。
「勲章、軍服、その他、全部合わせて五千マルクで買ってやる」
と言われて、「アメ公が、馬鹿にしやがって!」と思ったらしいが、
今日死ぬか明日死ぬか、という極貧状態だったこともあって、
泣く泣く手放してしまったんだそうだ。
「十字章だけは取っておけばよかった」と語っていた。
以下、個人的な質問。
俺「パンツァーマイヤーってご存じですか?」
曹長「私の上官だったことがある」
俺「どういう人でしたか?」
曹長「新兵だった当時は嫌な奴だと思っていた。
寝ても醒めても訓練訓練で、独善的で……
戦死してくれないものか、と仲間達と半ば本気で陰口を言っていたよ。
でも、段々と戦争というものがわかってきた頃には、
いい上官だったということが理解できた。
彼にしごかれなかったら、私はとても生き残ることなどできなかっただろう」
俺「マイヤーのことで何か面白い話をご存じありませんか?」
曹長「……そうだな、私が直接見たのは、フランスの時、
彼がオートバイ事故を起こしたところだ。石ころでも踏んだんだろうが、
派手に転がっていたよ。ぐったりとして動かないから、○○達が運んだ。
当分戻ってこないだろうと思っていたんだが、すぐに戻ってきて、
いつの間にか先頭にいたよ、マイヤーは」
俺「戦傷章を受けられたそうですが、どういった怪我をなさったんですか?」
曹長「よく聞いてくれた。今見せるからちょっと待ってくれ(嬉しそうにズボンを下ろし始めた)。
ほら、この尻のところ、抉れたような痕があるだろう。
匍匐の時、尻を上げ過ぎたせいで、機関銃を一発喰らったんだ。
痛いやら情けないやらで涙が止まらなかった」
俺「差し支えなければ、実際に戦闘に参加してみた感想をお聞かせ願えませんか?」
曹長「……怖かった。ドイツ人も、ロシア人も、ポーランド人も、イタリア人も、フランス人も、
イギリス人も、アメリカ人も、みんな怖かった。
でも、私にとっては、決してマイナスの経験ではなかった。
私は戦場で、平和や小さな幸福、そして気の合う仲間がいるということの素晴らしさ、
創意工夫の方法を学ぶことができた」
ざっとこんなところだったよ。
ありがとう。
曹長の話の重みと深みと締めくくり方の上手さと私の名インタビュアーぶりに感激
私の?
>>244 ありがとう!
>信頼できない国家と組むのは御免だよ
は、恥ずかしいよ…
冗談でもイタリア云々は言わん方がいいな。
>>244には悪いが、こっちが恥をかくことがわかった。
ご苦労さまでした
しかし言いたいこと言う爺さんだな
バンドオブブラザーズ思い出した
尻に喰らったってやっぱそういうのもあるんだな
258 :
uaa:2007/12/25(火) 02:59:35 ID:zNptL96S
>>244 お疲れ様
>>刺青:頼んだら見せてくれた。
焼いてなかったんだ。生で見れるとは貴重な体験だ。
いつまでも、くだらんお遊びを続けるなら、即刻皆殺しだが
死ぬ程度ではおもしろくないな
261 :
名無し三等兵:2007/12/25(火) 16:40:40 ID:FZlOyz9Y
爺ちゃんの軍歴を調べる方法をご存じの方がいたら教えてください。
>>261 もとの軍人の軍歴に関する資料は、
もとの陸軍なら、(軍人の)退職時の本籍地を管轄する都道府県庁の援護主管課、
もとの海軍なら、厚生労働省社会・援護局業務課が(資料が現存する限り)保管しています。
母方の祖父の話。
17か8で佐世保に志願。
巡洋艦龍田に搭乗。
終戦はセブ島で迎えたげな。
海軍上等主計兵曹。
んで、その弟、大叔父さんは
飛龍第二航空戦隊所属。
真珠湾攻撃において第四攻撃隊(飛龍艦載機)、第一次攻撃隊として水平爆撃に参加。
ミッドウェー海戦において最後の攻撃隊、飛龍第二次攻撃隊として九七式艦攻で出撃、
空母ヨークタウンを相手に奮闘。
散華しました。二階級特進。一飛曹。
実家に靖国神社with大叔父さんの額縁が飾ってある。
265 :
名無し三等兵:2007/12/25(火) 21:09:00 ID:RS4jayov
>>264 大叔父さんはほぼ特定できちゃうぞ。なんかお話伺ってないですか?
267 :
264:2007/12/25(火) 23:28:32 ID:???
うん。おれも書いてから思った。
ググったら名前でてたよ。
じいちゃんは中学一年で死んじゃったから、あんま詳しい話は聞いとらんのです。
「風雪 この道に生きる」っていう、厚さ10センチ超で日中以降の戦闘記録と
南九州地方の千人くらいの軍人の経歴が載ってる本が床の間に飾ってあって、
それがソース。
じいちゃん達の詳細を知って、胸が熱くなった。散華って。
あと、若い頃のじいちゃん超ハンサムでびびった。
ということは1/4でおまいも超ハンサム
269 :
名無し三等兵:2007/12/26(水) 00:07:36 ID:B8Qmf3yy
263 ありがとうございます。祖父が他界して墓碑銘に軍歴を刻もうと親族会議で決定したのです。頑張って爺ちゃんにいい墓を作ってやれます。本当にありがとうございました。
>>264 おお飛龍ですか!!
私の祖父は飛龍で航空機の整備をしておりました。
もしかすると顔見知りだったかもしれませんな。
>>271 おそらくそうだったでしょうね。
特定覚悟で書くと、大叔父さんは友永中隊ではなく、橋本第二中隊だった模様。
この中隊は全機無事に攻撃完了したらしいが、
大叔父さんはいつ、どのような形で戦死してしまったのか知りたい。
>>272 証言ミッドウェー海戦に橋本大尉の話がありますよ
274 :
名無し三等兵:2007/12/26(水) 03:05:40 ID:OO0wjcfy
じいさまが死んでたらおれも生まれてないとすると
その偶然というか必然に驚かされるね
じいさまは西部ニューギニアサルミに上陸した、独立自動車第228中隊
にいました。車にひかれて、腰を痛め野戦病院などで療養していた
ところ、終戦となり帰還しました。ニューギニアにはつきものの、
トカゲやカエル、コオロギまで食ったという話や煙を気にして
火をおこすのに苦労したとかいう話を聞きました。そのじいさまも
亡くなって10年になります。もっといっぱい話聞いておきたかったです。
一小隊か。二小隊ならご存命の方もいる(ハズ)だから、なにか聞けるかもしれんね。
友永隊5機(すべて未帰還)
橋本隊5機(すべて帰還)
じゃなかったのか・・・
一中隊(友永隊) 全機自爆
二中隊(橋本隊) 全機帰還
だから、あってるよ。
帰還後、母艦と巻き添えかもしれんし、機上戦死というケースも。
>>274 サルミというと、有名どころでは第36師団(雪)がいたところですね。
私の祖父も、第51師団の工兵でニューギニア帰りでした。
ダンピール海峡で沈められて、駆逐艦に拾われてラバウルへ戻り、
出直してニューギニアに上がったようです。
敗戦後、どこかの小島の捕虜収容所を経由して帰ってきたそうです。
279 :
264:2007/12/26(水) 03:47:23 ID:???
でも事実「ミッドウェー海戦にて散華」と記録されてるんですよね(実家の本)。。
紹介いただいた本、奈良か広島かベルリン!の図書館にしかないようです。
卒論終わったら買いにいくか…
>>274 俺の祖父もニューギニアからの数少ない生還者だが、食い物、弾薬が無くて苦労した話をよく聞かされた。
1番衝撃的だった話は、同村出身の仲が良かった戦友が、栄養失調とマラリアで動けなくなったそうだが、ある日、弱った体でふらふらと歩き、数百メートル離れた所の木陰にしゃがみ込んだらしい。
野糞かなと思い気にしなかったが、次の瞬間、手榴弾で自決したと言ってた。
帰国してから、その戦友の両親に「息子はどんな風に戦死したのか?」と聞かれたらしいけど、
「重要な作戦中、敵陣に勇敢に切り込み、戦死されました。とても立派な死に様でありました」と答えたそうだ。
子供の頃、爺さんから聞いた話で、戦争のとき捕虜をやしの木に縛っておいて、
次の日の朝見たら虫に食べられて死んでたって聞いた。
子供の頃だったので、それ以上怖くて聞けなかった。
後でおいしくいt
283 :
273:2007/12/26(水) 21:45:53 ID:???
>>279 「証言ミッドウェー海戦」(光人社NF文庫)は、近くのブックオフで手に入れました。
>>283 横レス失礼 他県の図書館にある本でも貸出可になってたら
借りられますよ。貸出おkだったら、地元の公共図書館へ行って
窓口の人に聞いてみてください。
>>264 二階級特進てことはヨークタウン攻撃で散華だと思うのですが
あとミッドウェー関連だと
澤地久枝の滄海よ眠れと記録ミッドウェー海戦がおすすめ
記録〜の方は戦死した全搭乗員の名前階級乗機種などがわかる
わたしは中古で手に入れました
286 :
名無し三等兵:2007/12/28(金) 04:57:17 ID:RxWMA3Fb
>>278 そうです、今調べているところではおそらく
36師団の中隊だったんじゃないかなと思っています。
あ!ダンピール海峡ですか、あれは大変でしたね。読んでいる本に
その部分が出てきました。よく生きておられましたね。
>>280 それはそれは、おじい様辛い体験をされましたね。
そういう話を私も聞いたことがあります。
やはり本当の死に様は伝えられなかったと・・・
貴重な生存者の方の話を聞いてみたいですね、御存命中に・・。
287 :
名無し三等兵:2007/12/28(金) 07:09:48 ID:nMPWylvT
南京中山門一番乗り。門の上で万歳しとる写真が朝日新聞の一面に出た。曽祖母が大事にとっておいたボロボロの新聞が神棚にまだある。
>>287 あの写真は有名だな
俺もどっかの近代史の専門書で見た覚えある
あそこに写ってる兵隊さんが
>>287さんの曽祖父とは
>>287 よろしかったら新聞うpお願い出来ますか?
是非ともその雄姿を拝見させて頂きたい。
無理を承知でお願い致します。
父が昭和2年生まれで太平洋戦争に行った。
当時東京で奉公していたが、戦争になったので
どうしようもなく志願して輸送船に乗った。
フィリピンへ向かったが、東京湾の浦賀あたりから
潜水艦の魚雷攻撃があったそう。
フィリピンに行ってからは、夜に見張りに立つのが凄い怖かったと。
今でも俺が朝起きて物音を立てると、急に自分の部屋から戸を開けて出てくるのは
そのせいかもしれない。
また怪我をしようものなら、放っておくと傷口は膿んで、ウジが湧くそうだ。
マラリアに罹って、年に1度物凄い汗をかいて熱発する。
結局脛に2〜3発銃弾受けて、捕虜になって帰ってきた。
>>280 俺の曾祖父は、工兵部隊でニューギニアのゲニムって所にいたらしいけど、アイタベ?での戦闘の時、機銃射撃中に戦死したらしい。(工兵が機銃を撃つのか疑問だけど)
戦後、遺骨収集と慰霊祭に訪れた祖父が、現地の砂と貝殻を持ち帰り仏壇に供えてある。
俺の爺さんは長崎造船所の工員をしてて、当時とてつもなくでかい艦の製造に携わってた。
船首から船尾まで歩いて340歩もある巨大な艦なんて、信じられなかったと言ってた。
それが戦艦武蔵だったとのこと。
造船所勤務だった事が幸いし、陸軍に徴用される予定がいつまで経っても令状が来ず、忘れた頃に海軍から令状が届き、フィリピン〜内地の輸送船で通信兵をしていた。
終戦近くになると長崎の通信所で暗号要員として勤務してたが、特攻の為に長崎市内から転進、徒歩で多良の山越えをしてる最中に長崎に新型爆弾(原爆)が落ち、被爆せずに済んだ。
水上特攻の前日、僅かな時間を家族と過ごし、基地に集合した所で終戦を迎えた。
運が良かったんだな。
ちなみに造船所時代、500Vの電源に接触して感電したそうだが、火傷するどころか肩こりが治ったと言って喜んでた程だから、昔から悪運が強かったんだな(w
悪運っつーか…本当に人間か?w
そういえば、半身不随が住んでいる家に雷が直撃して電化製品の近くにいた半身不随が感電して歩き出したという話を聞いたことがある。
やっぱり超がつく幸運の持ち主っているもんだな。
>電源接触
297 :
uaa:2007/12/30(日) 18:55:03 ID:EPP5MIju
一説では400〜500Vまでなら人体は耐えるのだそうだ。むしろ感電に驚き心臓麻痺で死ぬ場合が多いんだと。
それでも爺様は強靱な心臓を持ってたんだな。
ところで武蔵建造中の四方山話に興味があるな。
299 :
名無し三等兵:2007/12/30(日) 19:38:43 ID:ZjkqqrzV
電圧が高くても流れる電流がマイクロアンペアなら大丈夫だろうが
人間の抵抗値ってどれくらいなんだろう
「今度生まれ変わったら、私は貝になりたい・・・」
が、じいさんの口癖だった。
加藤さんか
貝から生まれるのに?
304 :
uaa:2007/12/31(月) 01:42:31 ID:NKfS+nLO
305 :
uaa:2007/12/31(月) 02:02:28 ID:UPewVmpB
>>301 今思い出したんだけど、モデルになった人は結局死刑にならなかったんだよね。
306 :
名無し三等兵:2007/12/31(月) 06:30:02 ID:fAN0Oo28
今年92歳のうちの爺さんの話だけど、
博徒だった爺さんは、自分より5つ若い士官が気に入らず、戦闘の際に撃ち殺したそうだ。
戦前には稲川角二とつるんでいた事があったらしい。
昭和50年頃、小学生だった俺にじいさんが
1枚の写真を見せてくれた。
写っていたのはミクロネシアorポリネシア系の女性。
上半身裸だったので乳が見えてた。
いわゆる現地妻だったらしい。
大人になって親父にその事を話すと
「いつ死ぬか分からんのじゃけえ、仕方ないわい」
と、言っていた。
ちなみに、じいさんがいたのはニューギニア近くのタニンバル諸島。
310 :
名無し三等兵:2007/12/31(月) 16:31:28 ID:xteUWwXn
銀輪部隊の一兵だったとさ
ニューギニアの話が結構あって興味深い
312 :
uaa:2007/12/31(月) 17:01:47 ID:wWx3BZel
>>308 会った事無い従弟がたくさんいそうだな。
313 :
名無し三等兵:2007/12/31(月) 17:08:27 ID:2m6dTsqz
広島県海田町で被爆。
翌々日、広島市に入った。
黒こげの遺体多数。
赤十字病院は負傷した被爆者で溢れ
太田川には遺体がプカプカ浮いていたそうだ。
学徒で甲幹、陸軍の宇都宮で終戦
発砲したのは訓練の時だけで
初年兵の時が一番辛かったそうな
それよりも戦後の食料難の方が大変だったと。
この板では興味が湧かないような爺さんでスマソ
祖父は出征先の満州で終戦を迎え、シベリアに抑留された。
戦争で生き残ったのに、仲が良かった戦友は過酷な労働と寒さに耐えられず、収容所で死んでしてしまったのが悔しいと言っていた。
十年近く経ってやっと日本へ帰国。その後、結婚し実家を継いで漁業をしながら六人の子供を育て上げた。
昨年88歳で死去。
>>300 全く同じ疑問を持ちメガテスターを自分に当てたことがあります
目茶苦茶痛くて肝心の数値を読み損ないました
そういえば、本来のドラゴンハーフはあれだったな
じゃ、あれが真・水竜王か
火竜王はアンナあたりか
まあ、テストでわかる
>>294-300,316
テキストのコピペだが;
人体は、良導体の電解質で構成された実質部をやや絶縁性を持った皮膚で
包んだものである。
従って、感電時に人体に流れる電流値を左右する人体の電気抵抗は、ほとんど
皮膚の電気抵抗に依存すると言っても差し支えない。
その皮膚の抵抗は乾燥時には数十kΩ以上あるが、水や汗で湿ると数百Ω以下
にまで大幅に低下するので、100 V でも100 mA 以上の電流が流れ死に至る
こともある。また、高電圧になると皮膚が乾燥していても絶縁破壊による
導通を生じ、やはり生命の危機に瀕する。
ゴム性の絶縁靴や絶縁手袋の着用は、皮膚にかわって高い電気抵抗と絶縁性を
確保するものとして有効である。
そうはいうけど、静電気は数万Vあるぞ?
静電気の電流はナノアンペアだから心配するなよ
>>247 Hei, warum hast du dein Versprechen mit mir gebrochen?
Ja, du hast mir versprochen, dass du die Geschichte niemals weitererzaehlen wuerdest.
Ach, neee. Ich hab's ganz vergessen!
Du bist ja nur ein Japse!
Ja, Japsen sind doch alle Luegner! Gel?
Gerade DU bist ja ein ganz guter Beweis dafuer. Net wahr?
Egal, wie auch immer:
Die Tatsache ist: Du bist ein Luegner, nein, ein scheusslicher Vertreter!!
俺
第二外国語がフランス語だったから意味解らん
誰か訳して呉
Ach, was schreib ich denn!!
Was soll der VERTRETER? Ich meine, Verraeter! :-(
Trotz dessen: die Tatsache bleibt. Ja, die Tatsache, dass er ein Verraeter ist...
>>322 機械翻訳の結果そのままコピー
321
おい、なぜ、あなたは私とあなたの約束を破りましたか?
はい、あなたは私のために、あなたが歴史を決して繰り返さないだろうと約束しました。
ああ、neee。 i habのものは、完全に忘れます!
あなたは、1つのJapseだけです!
はい、しかし、Japsenはすべてのうそつきです! ジェル?
正確にYOUは、それのための全く良い証明です。 本当のネット?
問題でない、しかし:
実のところ: あなたは、恐ろしい代表です、いいえ、うそつき!!
323
ああ、どうですか、私は書きます!!
REPRESENTATIVEをすることは、そうします? 私(裏切り者)は、考えます! :−Defianceは、彼のものです: 事実は残ります。 はい、彼/それが裏切り者である事実...
何が言いたいのかよく分からん!
ちなみに独語だよな?
まずは英語にしてみた
Hei, why did you break your promise with me? Yes, you promised me that you never would pass on the story.
Alas, neee. I entirely forgot it!
You are would pant only a! Yes, panting all liars are yet! Gel? Straight YOU are yes an entire good proof for that. Net aware?
Equal, like also always: The fact is: You are a liar, no, an abominable representative!!
Alas, what I write then!!
What does the REPRESENTATIVE should? I mean, traitor! : - (
In spite of its: the fact remains. Yes, the fact, that it a traitor is...
>>293 アイタベの戦闘は、工兵・将兵構わずに銃をとり戦ったそうです。
山砲などは早いうちにダメになってしまったので、工兵の方も
白兵戦になったのではないでしょうか。ここのところを少し、
「ニューギニア軍医戦記―地獄の戦場を生きた一軍医の記録・鈴木正巳著」に
書いてありました。
正月にじいちゃんの家に行った。
酒を飲んでいい気分になって、じいちゃんが話の種にと、仏壇から古ぼけた一つの袋を取り出した。
茶色の、目の粗い布で出来ていて、「奉公袋」の文字が辛うじて読めた。じいちゃんは「これは曾じいちゃんのものだ」と言った。
曾じいちゃんは日露戦争に看護卒として従軍したそうだ。衛生兵ではなく、現地の病院勤務だったそうだが。
写真も見せてくれた。コートの上から赤十字の腕章を付けて、ウラジオストクの灯台を背景に写されていた。
中には軍隊手帳、勲章佩用心得などの書類等が入っていた。「第十二師団」と書かれたものがあったので、そこらの所属だったのだろう。
また勲章も入っていた。戦捷記章と、在郷軍人章。そして金鵄勲章の・・・箱。
彩りの綺麗な金鵄勲章は、小さな頃の父の目には非常に魅力的に映ったようで、身に着けて遊んでいるうちに、どっかに無くしてしまったと言う。
「無くしたと言っても何も言わなかった。じいちゃんは優しい人だったんだなあ」
親父はしみじみと語っていた。
・・・じいちゃんの戦争体験じゃないな。
ちなみにじいちゃんは昭和二十年の八月五日に入営して、すぐ終戦になったそうだ。
終戦の日、玉音放送を聴くために集合したが、放送は妨害があったとかなんとかで聴こえなかったそうだ(まあ長野松本のど田舎だから電波が届かなかったのかも)。
でも将校達は分かっていたようで、皆真っ赤な顔をしてたそうだ。復員するまで、将校は皆ヤケ酒を煽っていたらしい。
で、監視のためにグラマンが、パイロットの顔が見えるくらいの低空で飛んできたとか。
戦後は苦労したそうだが、勉強して村の役場に就職して、名士になったじいちゃんを俺は尊敬している。
330 :
uaa:2008/01/06(日) 13:30:03 ID:d7EsrT+n
>>329 >ウラジオストク
>戦捷記章
シベリア出兵に従軍したんだね。
331 :
名無し三等兵:2008/01/06(日) 13:37:11 ID:AmgNFs+k
俺のひいじいちゃんは陸軍中佐でシナ人に右肩打たれて本土に
戻ってきたと爺から聞いた
親戚の爺さん、先月初めまではピンピンしてたがクリスマスに癌で余命一か月宣言
びっくりして祖母と話してたら、その爺さん、戦中は近衛兵だったことが分かった
穏やかで気品漂ってたし(尺八奏者)祖母より年上なのに10歳は若く見えるし
やっぱり近衛兵は違うんだな
今更ながらいろいろと聞きたくなったが、遠隔地&病状で難しいのが悔やまれる
バカ!
ぐずぐずしとらんで行って来い
死んでしまったら永遠に会えないからな
永遠に
じいさんの貴重な体験を皆に伝えられるのはお前だけだ
電話にメール、方法は幾等でもあるぞ
手紙という古典的な方法も良いかも
話はともかく取りあえずすぐ見舞いに行けよ
338 :
名無し三等兵:2008/01/08(火) 03:06:02 ID:eWXnUjhe
とりあえず見舞いだよ
顔見せた喜ぶよ
339 :
名無し三等兵:2008/01/08(火) 09:35:00 ID:OnVKY5Ye
うちの母方のじい様が関東軍の食料倉庫の門番していたんだが、ソ連軍が満州に進攻して来た時に最前線で戦って戦死した。
と、いうわけで今日靖国逝ってくる。
今年から初詣は靖国神社にした
ウヨが多いと思ったらそうでもなかった
いいな靖国近い人
俺も来年度から都内勤務になるんで今から楽しみ
靖国は駄目だ、
行っただけで涙ぐんでしまう。遊就館前の妻への手紙とか、もう駄目。
現代の同じ年代に比べてなんと芯のあること。
>>342 どんな時代でも、昔の方が良く見える
at 明治時代:『 “ 古典厩より子息長老江意見九十九箇条の事 ” とか、もう駄目。
現代の同じ年代に比べてなんと芯のあること。』
>>342 辛いよな
俺も涙が収まるまで展示棚から離れてたよ
その時、歴史が動きます
はるか未来の人が2chの過去ログ読んで酷使様のレスを見つけて「なんと芯のあることだ」
348 :
名無し三等兵:2008/01/10(木) 21:48:00 ID:98o0AMQJ
昨日、爺ちゃん婆ちゃん連れて一泊温泉旅行行ったんだ
夕食時にお酒飲みながら話しをしたが、まさか孫と飲めるとは思わなかったみたい
戦場で戦友と酒を飲んで次の日には戦友が戦死したりとか
脱走した戦友が銃殺されて悲しかったとか色々な貴重な話しをしたな
一番心に残ったのは「戦友と酒を飲んだのもたのしかったが、お前と飲めたのが一番嬉しい」
と言ってくれた
また爺ちゃん婆ちゃん誘うか
349 :
名無し三等兵:2008/01/10(木) 22:37:49 ID:mzABnxX9
父方のは当時高校生だったんだが、優秀な工員だったので芝浦で零戦作ってたらしい
母方のは大連に住んでて終戦と同時に可愛がってた中国人の使用人に物を盗まれて悲しい思いをしたと…
うちの祖父は東北のマタギ出身の狙撃兵だった。
使い慣れた村田銃から、軍では三八式銃を使う事になって少し戸惑ったけど、狙撃用の銃としてはなかなか高性能だったと言ってたな。
戦場ではジャングルの木に上り葉っぱの影に隠れながらそこから狙撃、ゲリラみたいな戦い方をしていたそうだ。
352 :
名無し三等兵:2008/01/11(金) 18:32:04 ID:BbuABLR2
俺の爺ちゃんが南京の事は話したく無いって言ってた。三十万人も殺したの?って聞いたら馬鹿かって言われた。
本当は50万人だからな
354 :
名無し三等兵:2008/01/11(金) 19:31:44 ID:zrofo4fL
(神`α´風)親父方のじいちゃんなら、駆逐艦の艦長だったらしい。
それが嫌で口先使い逃れたんだとか言ってた。
まあうちはほとんど行き交いはなかったが人当たりのいいじいさんだった。
355 :
名無し三等兵:2008/01/11(金) 19:37:46 ID:c6xwDkIq
ひいじいさんは日清
じいさんは満州
じいさんの親戚が大和に乗ったことあるらしい
じいさんの兄弟はビルマで病死
戦争体験じゃないかもしらんが、数年前のお盆のこと。
母方の祖母宅(戦前に建てた文化住宅)に親戚が集まり居間でよもやま話をしていると、伯父が
神棚の下の食器棚を指して、
「あそこにさ、ラジオが置いてあったんだよ。昔のラジオだから大きいの。それで8月15日に、
大事な知らせがあるから聞けって言われて、それがあの玉音放送だけど、なに言ってるか
分かんなかったんだよね。それで放送が終わった後に今のは何だって言い合ってたら、外を
通った人たちが"戦争が終わった"って話してるのが聞こえてさ、あぁそうなのかぁ〜って、
やっと分かった。こういう良く晴れた暑い日だったんだよね。隣の部屋で○○(伯母)が腹壊して
寝てたんだ(笑)」
と話してくれた。
時期が時期だし、戦前から内装換えしたこともない古い部屋だしで、1945年8月15日の空気を
なんとなく感じられた気がした。
他に、伯母は女学校でナギナタやらされつつ「こんなもんでアメに勝てるかい!」と思ってたり
伯父が戦後に東京の墨田川高校に入学したら、教室の床板が焼けて無くなってて机がガタつくので
困ったりしたそうな。
あと身内じゃないけど、戦中戦後に空手部のバンカラ大学生だった知人のじいさま
MPと喧嘩になって階段から蹴り落としてやったと自慢してたが。殺されるんじゃないか?
・
>>356の知人のジジィは、愚連隊の用心棒となる。
・しかし、MPの追求は執拗であり、また、敵対組織の刺客が機関銃を
持っていると知り、しばらく、闇本屋に身を隠す。
・エロ本を薦められるが、バシっと叩き落す。
・なにげなく読んでみた吉k(ry
・山篭り中、片方の眉をry
>>357 マス大山じゃねえか・・・
後に愚連隊の抗争に巻き込まれ、人切り仁科と呼ばれるヤクザを殺した。
その後、償いと称し仁科家に入り込み、息子の雄一を手なずけた倍達は
夜な夜な仁科の妻の熟れた肉体を貪った。
畳をも突き破るほどに鍛え上げられた抜き手を
陰部に咥え込ませ、激しく出し入れすると
「ア〜ッ!大山さん〜!ソコがいいんだよ〜!」
と、あられもない淫声を発し、雄一の母親は何度も果てた。
襖一枚隔てた隣室で寝ていた雄一は、牝と化した母親の鳴き声で目覚めた。
まだ陰毛も生えていない雄一ではあったが、その股間のモノは
しっかり硬くなっていた。
その夜、雄一は生涯初の夢精をした。
>>350 「最後の弾丸」ってドラマの主人公乙!!
360 :
名無し三等兵:2008/01/12(土) 01:34:06 ID:EaWh3AmE
おじいちゃんは輸送潜水艦に乗ってたらしい
俺の曾爺さんなんだが、山梨開拓団のリーダーとして満州に行っていた。
よく知らないんだけど昔は名字帯刀が許された身分だったらしい。
村の大地主だったらしいんだが、大正のころに三回放火されて(隣村の若衆らしい)
没落してしまった。
んで満州開拓せよとのお触れが出る。曾祖父は若くして(40くらい?)助役だった。
山梨と長野が中心だったらしいんだけど、山梨側のリーダー格に。
ハルビンの北、ソ連との国境地帯に入植。
開拓は貧しく厳しい生活ながら成功、しかし曾祖父死亡。ほぼ同時に敗戦。
爺さんは当時16で男としては最年長だった。
敗戦の知らせを受けるや関東軍は逃げてしまい、満州人に村は包囲される。
病院と役場、学校の三角形に防塁を築いて戦う。銃どころか刀さえなく
箒に鎌をつけただけの武器しかなかった。ただし相手もほぼ同じ状況。
なにより食料がなかったらしい。満人(爺ちゃんはそう呼ぶ)も随分殺したし、
殺されもしたらしい。
籠城すること三ヶ月、ついにソ連軍がやってきて三角防塞は陥落。
爺ちゃんは早馬の名手だったとかで(大叔父-祖父よりやや年下-語る)関東軍に救援を求めに
走るも馬を撃たれる。裸足でハルビンにたどり着くも、そこはすでにソ連の占領下。
村に帰る途中、逃げる家族に出会う。他の日本人と違って現地民に親切していたらしく、
こっそり逃がしてくれたらしい。
ソ連軍から身を隠しながら逃避行。母、妹、従姉妹、弟は襲撃により死亡。
姉、爺ちゃん、大叔父のみ半年かけて平壌へ。
しかし祖父ソウルあたりでチフスにかかり倒れ、死線をさまよう。
なんとか平壌にたどり着くも、食べるものも着るものも満足になく冬がやってくる。
大叔父は祖父(本家跡取り)の骨だけでも日本に返したいと看病、姉は釜山行きの貨物船に紛れ込む。
現地に残った日本人軍医の治療をうけ祖父は三ヶ月後に回復(軍医病により死亡)。
大叔父と祖父、ソウルから釜山へ貨物列車、徒歩にて移動。釜山から関東軍引き上げ船
に乗せてもらい対馬へ。
姉を捜しながら歩いて長野に入る。松本にて姉と再会。しかし結核で重篤状態。
「友達に会いたい」という姉。
「最後に一目生まれ故郷を見せてあげなさい」と医師に言われ、大八車に乗せ帰郷。
松本の病院まで(注・甲府は焼け野原)再び姉を運ぶ。そこで姉死亡。
大叔父と祖父、家族六人の骨と共に本地に帰還。しかしすでに土地は祖父のものでは
なかった……。時に祖父19。
去年、祖父の枕元に姉が立ち「忘れないで」と泣き出すということがあった。
その年に限って祖父は姉の命日を忘れていたのだ。枕元に立ったのは命日の前日だった。
祖父は真っ青になって姉の(半分焼けた)写真を見つけ出し写真屋に持って行った。
引き延ばした写真が入った額を、大事に抱えている祖父が印象的だった。
365 :
uaa:2008/01/12(土) 02:29:54 ID:Z+ZXIkUx
>>350 昔テレビに出てたマタギは戦争中砲兵だったそうだ。
射撃の経験や技量は徴兵検査では見ないようだし。
ごめん、ソウルと平壌が逆だった。
[訂正]
しかし祖父平壌あたりでチフスにかかり倒れ、死線をさまよう。
なんとかソウルにたどり着くも、食べるものも着るものも満足になく冬がやってくる。
367 :
uaa:2008/01/12(土) 03:06:36 ID:NZIlXP/K
>>364 大正15年生まれ?
うちのお袋と同い年くらいだな。
>>356 お袋は銃剣訓練をいい加減にやってて配属将校に叩かれたそうだ。
>>366 大地の子見たとき、開拓団見てホントにこんなことあったのかと驚いたけど、
あれが本当に起こりうる状況だったんだな。感動した。
美味しんぼの副部長だって・・・・
>>361 少し脚色が入ってるのか、記憶が混乱したのか、敗戦から3ヶ月も篭城というのは変だね。
>>371 敗戦よりかなり先に関東軍は大連まで撤退しているから、たぶんそこの
記憶違いかうp主の勘違いだな。
373 :
名無し三等兵:2008/01/12(土) 20:28:54 ID:guvaCNKl
うちの爺さんは終戦間際、稚内の通信隊で対ソ暗号解読班の分隊長だった。昭和20年
7月あたりから、航空機、地上軍の移動が多数確認されていた事から、隊長にソ連参戦
間近と報告したが、「余計なことは言うな。無用の混乱を招く。」と握りつぶされたと
悔しそうに語っていた事があった。
また、海兵団で仲の良かった友人が戦艦山城に乗り組みレイテ湾で戦死したとも言って
いた。爺さん自身は、占守島に赴任する予定だったが船が無く、稚内へ行ったという
悪運の強い男。戦後も洞爺丸に乗り遅れて命拾いをしたり、自動車事故で大破した車から
かすり傷一つ無く出てきたりと強運ぶりを発揮していた。
>>350 三八式の6.5mm弾は小口径高速弾頭で弾道特性も低進性が高かった。
しかも各国の狙撃銃が炸薬を増量していたのに対し、6.5mm弾は炸薬を減らして、
完全燃焼させることでより性能を引き出していたので銃声も小さく優秀だった。
南方ではたった一人で米軍一個大隊を足止めして、自軍の撤退を成功させてのけた狙撃手もいる。
>>361 おお、ほぼ同郷。
ひょっとして入植村は黒竜江のあたりの「千山」だったらうちの地元の入植と一緒だ。
だが、75人入植したが生還者は2人のみ…。
大叔母一家は子供を絞め殺した後に、手榴弾で自決したらしい。
ウチのジイチャンとバアチャンは、夜になる空襲警報にウンザリ。
何度家を飛び出して防空壕に入っても実際に空襲はなし。
そこで、ある日ジイチャンとバアチャンは、空襲警報が鳴っても
セックルを辞めずにギシギシアンアンし続けることを決心したという。
しかし、それは米軍の巧妙な罠であった:
>>371 あ、そうなんですか。確か聞いた話では関東軍が逃げ出してから三ヶ月との
ことだったので、敗戦後三ヶ月と書いてしまいました。
ググってみたら別に逃げたわけではないみたいですね。まぁ祖父の視線から
すれば逃げたように見えても無理はないですが……。
>>374 な、なんだってー!お爺様はどこのご出身ですか?
地名ははっきり記憶にないのですが、黒竜江の国境沿いだったのは間違いありません。
チェンタン寺とかいうお寺に匿ってもらっていたそうです。
>>377 長野県北部。
身内からは祖父が行ったんじゃなくて、大叔母一家五人が行ったんよ。
なにしろ生還者のうち一名は8月9日以前に怪我をして、
偶然関東軍の引き揚げに連れてってもらい、
もう一名はソ連軍の砲弾破片を頭部に喰らって、
丸一日仮死状態になったおかげで助かったらしいから、情報が殆どない。
それ以外の男集は即席軍編成してソ連軍に向かい全滅、
女、子供、老人は集会所で集団自決したってことぐらいしか判らない。
>>379 長野ですか、それでは合同だったので近いはず……。
詳しい入植地は明日電話して聞いてみますwww
しかし頭部被弾で逆に助かるとは強運ですね。。。
うちの入植地も同じような状況だったようで、爺ちゃん達三人と他数人だけが
生きて日本にたどり着けたそうです。
ただ爺ちゃん曰く、帰ってきてからの方が辛かったとか。みんな死んだのに死に
損なったと泥酔したときに泣いていたとか誰かから聞いた覚えがあります。
山梨は韮崎?
>>380 たしか黒竜江近辺の「千山更科村」だったはず。
祖母も二年前に亡くなったから、又聞きでしか情報がないのが残念だ。
ぜひとも爺さんを大事にしてやってくれ…。
>>381 いや、韮崎より北で長野との国境だよ。俺は甲府生まれだけど。
そっかぁ
わざわざありがとう
>>384 いやいや。でも韮崎も近いよ。韮崎市民?
386 :
uaa:2008/01/13(日) 02:30:52 ID:PWx+MxV+
>>376 米軍が日本の狙撃兵に苦労したのは事実。
狙撃兵に足止めされるシーンがB級戦争映画で見られる。
(ヒーローの米兵に最後に倒されるが)
海兵隊狙撃兵はその戦訓から誕生した。
ちなみに米軍は、日本兵が着用していた蓑をカモフラージュジャケットと勘違いしてた。
387 :
384:2008/01/13(日) 02:36:04 ID:???
>>385 ばあちゃんがそこの出らしいけど
もうだいぶ前に死んじゃてね
今はあっちにはつきあいないんだけどね
いろいろありがとう
>>386 >米軍は、日本兵が着用していた蓑をカモフラージュジャケットと勘違い
なるほど。だからコンバットバイブルに蓑が出てくるのか。
俺は長坂に住んでた。んで、大泉→小淵沢→東京へと転居。
>>389 何でこんなに山梨県民ばっかなんだこのスレはwwww
しかも転居が隠者級の土地だww
俺も今は東京に住んでるけどね。
391 :
名無し三等兵:2008/01/13(日) 05:23:15 ID:zV668NGJ
いきなり真面目な話だけど、ウチの10年前亡くなった祖父は憲兵だったよ。
実際人をきった事があるみたいで、「時代劇の様に人は切れないよ」との事。
血糊や脂が付いて直ぐに切れなくなるみたい。
それにしても、よく戦犯にならかったもんだ。
尤も戦犯として処刑されてたら僕は居なかったわけだが^^;
ピー屋に出入りしていたら給料を使い果たしてしまったみたいだよ。
当時は息が詰まる軍隊生活でセックスが唯一の娯楽だったそうで。
で、戦後夜這いして未亡人を孕ませて子孫を作り今に至る。。。
>>390 満州開拓団は長野・山梨が多かったので。
静岡はあまりいないのか
東海道は工業が発達していたから。
開拓民は工業が未熟で農業色の強い地域出身が多い。
工業屋から見れば「雪=機械故障の原因=工場作りたくねぇ。」だから。
爺様は台湾で機械の整備やっていた。
曰く「ネジに互換性の無い国が勝てるわけが無い。本業(整備)よりも、
作った会社の寸法管理を調べることばかりに手間を取られて、時間の無駄。
互換性があれば、機械の何割かは動いたのに。上層部は既得権益があるから自力では無理だ。」
そりゃ開拓民は農業県の食料を自活できない地域から
出るわけなんじゃなかったん?
滋賀が一番少ないと聞いたけど
要は食料が豊富だったてことで
>>397 それと失業対策。
世界大恐慌で日本も国家的な大事業にて雇用を確保しようとした。
その一つが満州開拓団。
関東軍はひどいよな
国民の生命を守るべき軍隊が
開拓民より先に撤退してるんだから
何のための軍隊かわからん
大を生かすために小を切り捨てるのは普通のことです。
401 :
uaa:2008/01/14(月) 11:33:26 ID:bIgpumTD
ドイツ軍は東方からのドイツ系避難民を守りながら撤退した。
戦争が終わったからって家に帰った少年兵は連れ戻して銃殺。
武装解除まで規律を守った。
それに比べて日本軍は・・・・
はいはいチョンチョン
守りながら後退するだけの戦力・体制があればそうするべき。
当時の関東軍にソ連の進攻を支えつつ後退することができた
とは思えない。
一瞬で玉砕して朝鮮まで蹂躙されるよりも、後退・集結して迎
え撃つほうが全体としての損害が少なくなるとの判断でしょ。
正しいと思うが。
切捨てられるほうには悲惨な運命が待っていることには変わり
ないけどね。
どうかね、帝国陸海軍に「国民を守る」って意識がどの程度あったかね。
少なくとも、指導者層には希薄だったんじゃないの。
国民が居て国家が成立してるなんて今の政府だってきっと思ってないよ。
ある地域で軍は、「○○駅に○時に集合」と命令(集合まで
1、2時間の余裕しかなかったらしい)を出したが時間までに
集まったのは殆ど軍人の家族。最小限の荷物だけをもって
集まった。その他の住民の多くは家財道具をまとめたりで
集合時間を厳守しなかった。
列車を待たす訳にもいかず、かといってカラで出す訳にもいかず、
結局集まった者だけを乗せて出発。
この事が戦後になって軍人の家族だけを逃がしたと非難された。
軍人の家族は普段から命令厳守を徹底教育されてたようで、
その事が明暗を分けたようだ。
レアケースだろうがこんなケースもあったということで。
どの程度あったのかねって、調べなさいよ。
資料集めは歴史の基本だぞ。
関東軍は遅滞戦術をとって人口密集地帯を停戦まで守っているぞ。
長野北部はそれなりかも知れないけど、伊那や山梨は米を作りにくい土地だよね……。
懇意にしてもらっている教授は新潟出身だったけど、新潟人は甲信人みたいな
独創性と先進性、開拓精神に乏しいと言っていた。
この土地を守って米作ってさえいれば生きていけるという考えなんだってさ。
大凶作とかの「もしもの時どうするか」は甲信の人の方がはるかに深刻な問題
だったんだって。
何もしなければ座して死を待つ状況になってしまうから、それに備えて果樹を
栽培したり絹を作ったり、金属や水晶の採掘に力を入れたらしい。
自分のじいさん家の隣のおじいさんが
ポナペ島というところで戦っていて
そのときのことを5,6年位前に
自費出版で本を出して近所の人とかに配ったんだけども
興味ある人いたらところどころ抜粋して加工と思うのだけども
どうでしょう?
自費出版なんでたぶん100冊前後しか出回ってないと思うのですが
今も存命の方なので本に載ってないところで詳しく知りたいことがあれば
聞くこともできるので
ポナペ島は戦闘は無かったけど
完全に補給が立たれたあとなので
魚を取ったりジャングルで椰子の実とか野牛を捕まえて
結構自給自足できてたみたいです
ただ大戦末期になってくると
P51が飛んできて島の漁師を撃ち殺したり
仲間とジャングルに逃げ込んだら何往復も機銃掃射されたり
戦闘そのものは無いものの見つかった瞬間猛烈な勢いで
襲われたと書いてあります
興味あるな。できれば書き込んでもらえないか?
411 :
名無し三等兵:2008/01/14(月) 21:27:12 ID:MC/cavhb
曾祖母の戦争体験
「B29に日本の飛行機が体当たりするのを見た。当たった日本の飛行機は
パラパラッと落ちた。B29は煙を吹きながら逃げていった。
アメリカの飛行機は強いね。体当たりしたのは、たんげ中尉という人だった。」
「日本の男子はすごい、たんげ中尉の死を都民皆が悼んだ。」
記録によると昭和20年1月9日 丹下充之少尉(震天隊。中尉ではない)が
小平市上空でB29に体当たりし、戦死。この武功は陛下に報告されたとのこと。
>>408 生きてるんなら本人の許可を取ることを推奨する。
>>407 甲信域は米が無くなったときのために五穀を盛んに作ってた。
蕎麦、ほうとう、おやきなんかの粉食はその名残り。
>>405 満州は戦闘もなくずっと平和だったそうだから…
いきなり全財産捨てて逃げろ、って言われてもみんなどうもピンとこなかったらしい
どっかで読んだ話だと
どこぞの部隊だといきなり逃げろって伝えても色々持ち出そうとして
脱出に間に合わなくなることを予見した指揮官が機転を利かせて
なんだったかの名目(覚えてない、スマン)で住人全部集めて列車に乗せることに成功して
ほとんどの住人が無事脱出出来たらしい
みんな列車の中でようやくソ連の侵攻と自分たちの脱出作戦のこと知ったとか
線路が爆破されて手前の駅で足止め、
そこを襲撃してくる八路軍、脱出する住民を守って必死で防戦する日本軍部隊
(部隊は当然おいてけぼり)とか
熱くなる話も多いよ
葛根廟事件
終戦間際、満州では住人は行動隊を結成、婦女子供を含む
たくさんの人々が南下していったが、途中でソ連の軍隊に
襲撃され、民間人の死傷者1000人以上が出たというソ連の戦争犯罪は
なぜかあまり知られていない、伝えねばならない
>>413 そうそう。ほうとうは中国から伝わり、古代には日本中にあったらしいね。
「はくたく」が元の日本語で、山梨訛りで今の名前になったとか。
実際家庭のほうとうは、いまでも味噌にあり合わせの野菜を突っ込んだ
ドロドロの「ごった煮」だよ。
>>414 そんなこともあったのか。その指揮官は(言葉は悪いが)状況を分析して
損得をしっかり勘定できる人物だね。
私の街の、とある企業の敷地内に、明治時代に建築された旧日本陸軍の兵舎があります。
所々修復しながら、会社の事務所として今まで大事に使われていましたが、工場の拡張工事の為に、来週にも解体されます。
歴史的価値がある建物と言う事で、大勢の市民が保存を求めてきましたが、企業側に聞き入れて貰えず残念な結果です。
まあ残念だが仕方ないな。壁の一部もらったりできないかな?
日本は地震があるからなぁ……。古い建物残すのって金かかるんだよね。
逆にどこだかの工場にある建物は、太平洋戦争中、米軍の空襲に備えて思い切り頑丈に造ってしまったので、
老朽化したのに取り壊すには費用がかかりすぎるから、仕方なくそのまま使っているとか。
>>414 日本では戦争が始まったら田舎に逃げろと言われていたので、
祖母のいた開拓団は田舎に向かって逃げた。
けど、逆に無政府状態では田舎の方が危険だと解って
ハルピンに逃れたそうな。
都会に逃げて助かるという認識は少なかったそうな。
祖父を含めた男は兵隊に取られていて、
「逃げろ」と言われても、老人や赤ん坊を抱えた女ばかりだから
まさか赤ん坊や老人を捨てていくわけにも行かなかったって。
虐殺の噂が広まってきてから、逃げ始めたそうな。
>>420 知り合いがそこに勤めている。
IT関係なのに床が傾いていて、使いにくいが、壊すに壊せないって。
>414
蒙古軍だと思うたけど・・。
たしか、事前に蒋介石先生の手下とも党指導部とも話つけてたらすいけど。
漫画板よりコピペ
54 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[] 投稿日:2008/01/17(木) 21:37:31 ID:x5GagpgwO
いまだに震災の朝は覚えてる。
すんごい横ゆれのあと幸いにもウチは被害は少なかったが(風呂場のタイルが割れたくらい)
昨年(2007年)亡くなった高知のじいちゃんが乾パンと水筒とランタン、飯ごうとタクアン、生米入れたでっかいリュック背負って5日かけて神戸の自分ちまで歩いてきてくれた。
戦時中の鯨部隊の話ばかりするじいちゃんをバカにしていた親父が
ボロボロ涙を流して泣いた姿を初めてみた。
じいちゃんは信じられない距離を歩いてきたにも関わらず一泊しただけで帰って行った。
いまだにあのじいちゃんの姿は自分の脳裏に焼き付いて離れない。
チラシの裏スマン。
>>424 こ、高知から歩いてきたのかそのご老人は!?
さすがにいけるとこまでは電車なんかできたんじゃね?
おれがおなじことしたら道中で食料なんかを
すべて消費してしまうような機ガス。
>>424 (つд`)
震災直後に某会社の復興要員として神戸に行ったけど、
ひたすら歩いた記憶しかないなあ。
交通機関がズタズタだったから、目的地へ行くのが大変だった。
日本歩兵は世界最強だったからなあ
東京−仙台くらいの距離を何回も飢えと病気の中踏破した
しかし、飢えと病気に悩まされているにも関わらずそんな長い距離を
踏破しなくちゃならない部隊って一体・・・(汗
なんか間違ってないか?作戦とかさ。
しかも結構な重量の装備を担いでいたんだからな。
433 :
uaa:2008/01/19(土) 02:55:41 ID:bSpnZwYs
>>424 母方の祖父さんは関東大震災の時三里塚(今の成田空港)にいて、持てるだけのお握りを担いで皇居まで歩いた。
隅田川の橋が壊れていて、鉄骨を伝って橋を渡ったが、下を見ると死体が川上からたくさん流れて来たそうだ。
高知から陸路じゃ
姫路くらいから歩いたのかな?
空路じゃ伊丹から?
海路じゃ大阪からだね
それにしてもおじい様の行動力と優しさに敬服します
>>431 それは言わない約束だぜ
ところでうちの爺ちゃんは旧制中学を出ていたので、終戦後も数ヶ月しばらく憲兵として
治安維持にあたらされてたらしい
おまけに道なき道、運が悪いと未開の峠で山砲までかつがにゃならん。
牛や馬がカワイソス
438 :
uaa:2008/01/19(土) 04:13:36 ID:6E8qtNHv
旧軍施設と長距離行軍の話題が出てるんで・・・
俺の大学は千葉の騎兵連隊跡にあり、旧軍の石碑もあった。
隣の大学は旧軍の兵舎を部室に使っていた。
戦争中、東京の中学生は学校から徒歩で習志野演習場まで行って野営し、軍事教練をするのが必修だったそうで、
大正末〜昭和ヒトケタ前半生まれで東京の中学(旧制)出身の人と話すと必ずその当時の話になる。
(っていうか俺が話を持ってくんだが)
最後は「俺の青春はこんな事に明け暮れていた」ということになる。
あまり楽しい青春の思い出ではないようだ。
439 :
名無し三等兵:2008/01/19(土) 04:20:20 ID:pxdtphet
南京入場した伯父がいます。
城壁でぼーぜんと市内を見下ろしてる同僚のところにいってみたら
市内は中国兵による市民虐殺の修羅場だったそうです。
国際法においては便衣兵は違法で反撃しちゃっても問題ないんですが
大陸には征服着た兵隊なんてほとんどいなかった。
いたのは便衣兵だけだった。
と、語っていました。
関東大震災と東京大空襲を体験した俺の婆さんの話だと、地震の方がずっと怖かったそうだ
ああこれが世界の終わりなのか、と思ったらしい
その後東京の女学校で裁縫を教えていた婆さんは
東京大空襲の時、曾祖父に買ってもらった足踏みミシンを担ぎ、4人の子供を連れて火の海の中を逃げたそうだ
10年程前、足腰が弱った婆さんが伯父の家に引越す際、そのミシンはトラックに載せるのに男2人でフーフー言いながら運んだほど頑丈で重く、
身長140センチ程度の婆さんが、これを担いで走り回った話は引っ越し業者に信じてもらえなかった
今でも降ってきた火の粉でできた焦げ跡が所々残っている
>428
漏れもその口。
六甲山歩いて山越えしたよん。
>>440 まさに火事場のくそ力だな
今の若い奴らは行商の婆さんなんか見たことないんだろう
火事場の馬鹿力じゃ?
火事場の規模が段違いだからな・・・
>>440 何でそんな非常時に持ち出したのがミシンだったんだw
錯乱していたという事か。
ミシンは当時高級品だったんじゃない?
当時は仕立てでずいぶんと金が稼げた。
俺のババァですら戦後、古着をバラして洋服とか縫って売ってた(オーダーメイドでね)。
つまり、ミシンは非常に大切な商売道具。
裁縫の先生ならなおさらのこと。
449 :
uaa:2008/01/20(日) 02:11:38 ID:ITtEGyY3
戦後、叔母さんが祖父さんの大礼服をバラしてワンピース作っちゃったらしい。
勿体ないことしやがって・・・・
450 :
名無し三等兵:2008/01/20(日) 03:09:18 ID:EkIpjWa7
>>449 そういうの多かったみたいだよ。
軍服をスーツにしたりとか
451 :
440:2008/01/20(日) 06:32:16 ID:???
>>446 家が焼けても、戦争に行っている爺さんが帰ってこなくても、ミシンさえあれば子供らを食べさせていけると思ったらしい
事実、爺さんは戦死して帰ってこなかったけど、戦後すぐに夭折した末っ子以外の3人の子供はミシンを踏んで女手一つで大学まで行かせた
100歳の今でも杖はついているものの、出かける時は和服を着て背筋を伸ばしてシャンとしている
明治の女は凄いよ、現在の女と同じ女だとはとても思えない
ま、当然我々現在の男にも言えるんだろうけど
452 :
某学生:2008/01/20(日) 17:15:28 ID:???
JRでもね、
高尾から先の山梨県あたり行けば、マレに見れますぜ。
別に学生でなくても、富士山登山した人(18歳もいれば、30歳いるし、40歳もいるし)の間じゃ、こぼれこぼれ聞く話だし。
群馬県、山梨県、長野県、周辺の鉄道じゃチラチラ見るし。
このままじゃ、すれ違いなので
俺のジイ様は、台湾で陸軍関連の仕事やっとった。
無線機の整備とか電線の張り直しとか工具の運搬とか、
雑用っぽいからどういえばいいのか分からんが(軍人じゃなく、陸軍相手の企業社員っぽい)。
あまり話したがらないし生きている間は、俺小学生だったし。
祖父から聞いた話。
昭和8年の大津波で村が壊滅。
生き残りの村人全員で満州へ移住し、新しい村を作ろうとゆう話が村長から出たが、多くの人達が先祖伝来の土地をなかなか手放す事が出来ず、満州移住は断念。
防波堤建設など、津波対策に力を注いだ。
戦後、満州での悲惨な話をテレビなんかで見た祖父は、「やっぱりこの土地を捨てずに残ってよかったな…」と、しみじみと言っていた。
岩手の田老村か
うちのじいちゃん戦地で使ってた飯盒で時々ご飯炊いて食べてる
やっぱりおこげがおいしいってさ
>457
うちにもあるよ。
飯盒と水筒。
おじさいさん
もう寝たきりになってしまったおじさん。
いつか…と思いながら色々聞く機会を失ってしまった。
末期の中国戦線に居た。くわしい地名とかは分からない。
とにかく歩くばかりで戦闘が始まると寝っ転がれるのでほっとしたそう。
新兵の補充があっても装備が劣悪で情けなかったそうだ。
銃剣の鞘も竹なら水筒も時代劇のような竹筒。
小銃もボルトの操作こそできるがまともに撃てやしなかったらしい。
最後は包囲されてそろそろ玉砕だなと話し合っていたところで終戦。
おじさんが復員時持てるだけ持って帰った乾パンが
俺の母にはもの凄くごちそうに思えたのだとか。
そういうときには戦死した香具師の装備や敵さんの装備で・・・。
うちのじいさまも終戦まぎあの補充兵の装備は酷かった、可哀想だった。
っていってたな、飯盒を持たされなくて柳こおりの弁当箱しか持たせて
もらって無い、なんて言ってた。
うちの爺さん、近衛師団にいたが、シベリアから帰ってきたら人が
変わっていたらしい。
士族の出で財産もあったのに、博打にのめりこみ、婆さんは女中を
しながら子供を養った。
昭和50年に死去したが爺さんの話は一度も家族で聞いたことが無い。
残ったのは、書画と過去帳と仏壇とやたら広い墓だけ。
で、叔父さんが当主になるが子供がいないので断絶は時間の問題だ。
地元の郷土資料館に古い物を断絶したら寄贈したい、と話をしてあ
るのが唯一の救いだけど。それと墓地には断絶してしまった家の墓
が多くあり、虫食いのように墓石が撤去され荒地になっている。
時代の流れってヤツだけど、自分の家もこうなるのかな、と思うと
寂しくなるときがある。
スレ違いスマソ。
464 :
某学生:2008/01/26(土) 23:58:16 ID:???
別に兵隊いじめじゃないのよ。どうやったら伝わるかな・・・
「兵法」上の問題
「最初は、情報漏れしても困らない物品(錆びたナイフとか、布切れ)で試験」する。
いきなり最新戦車投入して、敵さんに「生産元」ばれて、「工場にスパイ」が来たらどうするよ。「手の内晒す」ってこと。つまり「利敵行為」
「敵の装備に対して高い品質、味方の後方の最新装備(高品質)よりは粗悪。敵に疑心暗鬼を植える」が、軍隊装備の抽象的概念
前線でひもじいおもいさせる埋め合わせに、後方で贅沢させているはず。
陸軍なら、後方の安全地帯で「お菓子大量(アイスとかカキ氷とか)、電話・手紙を無料で開放し家族と通信し放題、温泉入浴」
海軍なら、後方の病院船・糧食艦で「お菓子大量(ようかん・大福・もなか・果物とか)、電話・無線を無料で開放し家族と通信し放題」
って類の話が出てくるはず。(フォレストガンプ一期一会で、野戦病院でアイス食べるシーンがそれ)
465 :
464:2008/01/27(日) 00:01:06 ID:???
ゴミを削除し忘れたorz
464の名前欄は無視してください。
>460-462
に対して。
とにかく「利敵行為」を防ぐため。
「いい武器なり、工具なり、物資を」敵に鹵獲されたら今度は味方が危ない。
とても終戦間際の日本にそんな余裕があったとは思えないが…
ポカーン
そんなことやっている暇があったなら、
学徒出陣やら士官候補生で有能な学生を無益に最前線になど…。
>>465 何訳分からない事を!
末期の支那戦線への補給路は途絶えてるんだから、装備が貧弱になるのは当たり前。
おじさい
471 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 20:56:10 ID:aWUZWhp4
一昨年永眠した知り合いのお爺さんは
「軍隊ほど良いところは無かった。」と常々言っていた。
食事は出るし、行軍するにも足の一番遅い者に合わせるので、
先に着いたものはそれだけ休めるから、楽だったと言っていた。
本人は、中国戦線にいたそうで、一時期銃弾を受けて入院した後
戦線に復帰、現地で終戦を迎えた。
軍隊時代の名残か、カレーが嫌いだった。
871 名前:791 ◆9zatwGbxuw [sage] 投稿日:2008/01/29(火) 18:36:47 ID:VZUzqGpL
或るロスキー(ロシア人)家庭の思い出
雪解けの暖い或る日、兵隊三人でロスキーカピタン(大尉)の家へ使役に行った。屋敷
の廻りへ杭を打つ仕事で、出来るだけ広く、出来るだけ早く杭で囲むと其の一年間は自分
の屋敷となり、畑として野菜を作る事が出来るらしい。主人はそれほどでもないのに、
欲深いマダムは広く取ろうとして、私達に広く杭い打ちを指示した。五米おきに棒杭を立
ててバラ線を張る。植木一本、草花一本無い此の人達は趣味など全然無さそう、勤務時間
以外に馬鈴薯やトマトを作って食料不足を満たして居る様だった。
やがて昼となってヤポンスキー(日本人)に御馳走するつもりらしい、呼ばれた室内に
は机一基と腰掛け三ケ、トランク二つと粗末な食器棚、マンドリン一ケ、毛皮外套がつる
してあるだけ。隣りは寝室で二間しか無いらしく、表に飼い放しの豚二、三頭、これが夫
婦の全財産の様だった。机上には馬鈴薯のこふきへ玉葱のみじん切りをまぶした盛り皿と、
生の塩鮭の切身、五糎角の黒パンの揚げた物一ケずつで終り、「ヤポンスキー早く食え」
と生鮭の香が鼻について喉を通らない、目を白黒しながらやっと平らげた。例のマダムは
満足そうに見て居て「ヤポンスキーにはこんな料理ないだろう」と得意顔をしながら食べ
終わった皿を洗いもせず盛り付けて主人が食う。主人が食い終わった皿へ又盛り付けて
マダムが食う。終って洗うのかと思ったらマダムがペロペロなめ始め、隅から隅までなめ
終って布切れで拭いて食器棚へ仕舞ってしまった。「ああー」と言ったきり三人は唖然と
した。「あの食器で我々は食べさせられたのだなあー」と。「さあ食った後は直ぐ働け、
ブストライ、ブストライ」と。
隣家の妹マダムが「馬鈴薯を分けてくれ」と来たが絶対に与えなかった。床下の大きな
貯蔵庫には芽の出し始めた馬鈴薯が山程あるのに食う事には非常にケチだった。
戦に負けたが日本に生れ、此の豊かな水と風土、美しい人情の中に育ち、生き永らえた
事を心から感謝して居るのです。
靖国神社慰霊祭 「葉桜や 靖国戦車 擦る友」 箏葺
十二月戦友会忘年の宴「腰振って 老兵ダンス 冬うらら」
「葉桜や 靖国戦車 擦る友」
数少ない生き残りも年月を経て数えるほど・・。
474 :
名無し三等兵:2008/01/29(火) 21:46:11 ID:ar3FEU8L
海南島にいたらしいが果物が美味しかったしか教えてくれなかった
あんなとこ戦地じゃないのに何してたんだか・・・
>>396 ネジの規格からして各自が好き勝手に作っているようではどうもならんですな。
まあ、工業後進国のやることはそんなもの、というべきだけど。
477 :
uaa:2008/01/30(水) 02:15:45 ID:h6qhDiSc
>>474 シーレーンの要所だったようだ。
うちの祖父さんの部隊は海南島に集結し、船に乗って戦地に向かった。
どうもうちの爺さんは一式戦の設計に携わったらしい
そんな爺さんは14年も前に死去…
飛行機で鬼畜米英に突っ込む訓練してたけど行く前に戦争が終わったって言ってたお
先に逝った連中に申訳ないとか生恥をさらしてとか何とか
そんこと言っても爺っちゃが逝ったら俺は生まれてなかったと言ったら困った顔して頭を撫でてくれたお
そんな爺っちゃももういないお
おじさいさん
482 :
名無し三等兵:2008/02/01(金) 20:50:18 ID:+7HeijG1
>>477>>480 海南島は鉄採れシーレーンの要所だったのですね
配属されてもおかしくなかったのですね
しかし四国の師団があんなとこに配備されて
それこそあんまり意味ないような・・
反面、母方の祖父は昭和20年に40にして呉の陸戦隊に応召
学徒動員の士官だかにしばかれて悔しかったことと
広島原爆被災後の救護で入市したこと教えてもらえました
戦前、特高だか憲兵だかに睨まれてたとか
徴兵検査で乙種合格で徴兵忌避されたとか
一通りの戦前戦中戦後の話がきけて
こちらは有意義でしたね
俺のGさんはシベリア出兵〜抑留を耐えて帰ってきた。所属していた部隊の隊長に、離れた場所に構えている別の隊へ物資を届けるように命令され、完遂して戻ったが隊は全滅していたみたい。
484 :
名無し三等兵:2008/02/01(金) 23:22:27 ID:NVLqmZ+g
じいさんが言ってたがボーキサイトは結構余ってたらしい
486 :
名無し三等兵:2008/02/02(土) 19:43:34 ID:uDuD9o8E
自分の大叔父さんは、戦争当時旧制高校の学生で、ロケット弾の
研究の下働きをしていたという。
場所は鳥取砂丘、金属は貴重だったので、発射された試験弾を回収して、
使い回していたらしいw
当時はこれで、「何とかなる」と思っていたそうです。
>>486 「研究」なら回収のほうが当然ではあるけど・・・
ショボイ
研究ならば回収は大事だろう。
使いまわしはしないだろうけど。
>>484 『海上護衛戦』にウラミツラミが書いてあった・・・。
日本の工場へ運ぼうにも船がないんだって。
20年ほど前の学生時代の友人。両親がかなりの高齢になってからの生まれ。
両親って言われてもどちらも定年過ぎで、俺から見たらほとんどおじいさんおばあさん。
母さんは、九州飛行機に動員されていた。
何作ってたかというと「東海」「J7」とはっきり言ってた。
聞いた俺はびっくり、J7って「震電」じゃん、あんたちょと思ったよ。
またお父さんは終戦間際士官候補生をやっていた。
機動90式野砲を撃っていたそうだが内地で終戦。
終戦のどさくさで将校になったらしい。
極めて特殊な環境だったらしく、何か超おめでたい。一般的な話が通じない。
軍隊はすごく良いところ。戦争さえなけりゃ最高。
明日死ぬかも知れない兵士を殴ったり苛めたりなんてあり得ない。みんな大事にするよ。
ゲートルの端の細い紐を×の字状に結んだ兵士の写真を見てこんな結び方しないよ。
終戦後の列車で復員や買い出しで溢れるくらい乗ってる写真や映像を見ても
こんなの嘘、列車に乗って復員したけどまったくこんなの見たこと無いよ。
と仰ってた。
ちょうど20年お会いしていないがもう亡くなられたのだろうか。
491 :
uaa:2008/02/05(火) 03:11:55 ID:JybYSBYi
>>490 > 明日死ぬかも知れない兵士を殴ったり苛めたりなんてあり得ない。みんな大事にするよ。
苛めが一番酷かったのはノモンハン事変の頃だったらしい。
映画に出てくるのはその頃の兵営が多い。
戦線拡大で年長の応集兵が増えてくると、兵営内も穏やかになったそうだ。
終戦間際だと応集兵も年寄りになったし、もうすぐ終りだって皆思ってたろうし。
> 終戦後の列車で復員や買い出しで溢れるくらい乗ってる写真や映像を見ても
> こんなの嘘、列車に乗って復員したけどまったくこんなの見たこと無いよ。
ああいうのは一番込んでる時の映像が残るんだと思う。
492 :
名無し三等兵:2008/02/05(火) 03:30:59 ID:Q6bIQRYz
東海道線で通学していた、うちの婆さんの話では
人大杉でドアから乗れなくて窓から出入りしていたと聞いたよ。
女の子だと必ず男の人が手をかしてくれたらしい。
網棚で寝てる人もいたとか。それにドア付近でぶら下がってる人の
転落死も多かったそう。列車から転落の場合、なぜか
スピードが出てなくても簡単に死ぬとも聞いたよ。
路線によって大幅に込み方が違ったのでは。
妹が子供に日向って着けたんだけど旦那さんのお祖父ちゃんが戦艦日向に乗ってたそうだ。
これだけ聞くと戦艦日向に因んでつけたと思うだろうが実は全然そんなことは無い。
お祖父ちゃんが亡くなった後俺がミリヲタだと聞いて
「お祖父ちゃん戦艦日向に乗ってたんですよ〜全然知らなかったんですけどどんな船か知ってます?」
だってさw
なんだかな〜…w
>>493 キャプ翼好きなんだろ
ライバルの日向小次郎て人気キャラがいる
>>494 日向(ひゅうが)じゃなくて(ひなた)と読む子供もいるみたいね
まぁDQNネームの法則というのがあってだな
>491
そりゃ3年兵や4年兵がビシバシ新兵あいてにやりたい放題のところに
6年兵や10年兵殿が応召してこられたら自分らが新兵扱いで
そんな暇もなくなるからな。
「鉄の竜騎兵」思い出した
老 「階級は同じだが年は上…」
若 「いたわりますから安心してください」
>493
漏れが消防の時の先生も「日向」に乗っていた
日向乗っていた人の話は何回か見てるので、
生存率高いのね。 まあ当たり前の話か〜
>>498 潜水艦を主砲撃って追っ払う様なフネですからなw
500 :
名無し三等兵:2008/02/07(木) 02:28:31 ID:2RaPiTPO
当たる当たらないは別にして、
敵潜水艦をしつこく砲撃はオレもやってみたい。
おれ、フラストレーションたまり杉かも。
501 :
名無し三等兵:2008/02/07(木) 19:16:06 ID:O0489wBv
曽祖父になるのですが日本と満州の部隊行ったり来たりしてたそうです。
その後フィリピン方面の無人島に配属されましたが敵の上陸も無くなんとか
終戦の日を迎える事になりました
もっとこう、オーストラリア人の美人シスターをレイプしたとかいう
血湧き肉棒『ぺにす]勃起する戦争体験はないのか?
日本兵「この尻は誰のものだ?このでかくてまぁるいお尻はよ!」
シスター「アナタのものよ、アナタのものよ!」
>>502 そういう風に思うのはおまいの勝手だが、
おまいは
>>502のレスをおまいの爺さんに面と向かって言えるか?
>>490 > こんなの嘘、列車に乗って復員したけどまったくこんなの見たこと無いよ。
元々混雑している幹線の大都市の近くについてはその通りだったみたい。
切符が入手できなくて乗れない人のほうが多かったのも事実だそうだ。
見た事ないからって、こんなの嘘、とか言うのも痛いよなぁ
>>506 程度の差はあれ、みんなそんなもんだよ。
お前だって、自分が見たことないからって、
たとえば幽霊とか前世とかUFOとかを「あんなの実在するわけねえじゃん」
みたいに否定したことがあるだろ?
>>506 少なくとも「グチャ混みが当時の常態ではなかった」という重要な証言だね。
>>507 もうちょっと捻ること。
>502
ホントに半頭人はレイープが好きだね〜
半頭人はレイープのことしか頭にないのかね〜
てか、頭半分だからレイープのことしか入らないのかね〜
うちのおふくろ(70)も、電車ドアから降りれなくて
窓からだしてもらった、っていってたなぁ@東京
○ 列車
× 電車
満員電車での痴漢はこの時既にあったそうだ。
特に山手線で通勤・通学時の女学生が狙われたらしい。
うちのいとこのじいちゃんがジャワ島あたりの部隊の隊長だった(サーベルを持った写真があるっぽいから大尉〜少佐ぐらい?)
うちの別のいとこのじいちゃんが呉の造船所で働いていて戦艦の製造の仕事をしていたらしい
で父が小さい頃いとこの家で大量の戦艦の設計図があって何枚かもらって帰ったらしい(家探せばあるかも)
514 :
名無し三等兵:2008/02/08(金) 19:52:50 ID:A9pUxSdH
俺は“名無しの四等兵”だ!
>>510 列車の混雑も、東京辺が極端で、それが繰り返して喧伝されているという図式かな。
食糧難も大都市ローカルだったそうだし。
生産地からの移送が制限されたせいで、むしろ余っていたところもあるというし。
そういうところの人は、「食い物なんか余ってたぞ」なんてわざわざいわないと。
>>512 動けねえからやられるのはともかく、荒っぽいのにとっつかまったら逃げられねえんじゃねえか?
>>513 > 大量の戦艦の設計図
終戦のどさくさに紛れて持ってきたのかな?
> 家探せばあるかも
戦後の紙が貴重だった時代に使われちゃったんじゃない、メモとかトイレとか。
519 :
名無し三等兵:2008/02/08(金) 23:10:07 ID:0A8cKl6M
>>518 入り口を覗いてみた。思いっきり破壊力がありそうなHPだな。
今夜、落ち着いてからゆっくり見る。サンクス!
520 :
名無し三等兵:2008/02/09(土) 01:09:55 ID:51froNn4
>>515 俺のオヤジは終戦当時旧制中学。
帝都内の学校へ通っていたが、終戦間際&直後の省線はムチャ混みだったそうな。
連結器の突起に跨り落っこちてアボ〜ンとなった輩は数しれず。。。
俺の爺様は王子で町工場経営。3月10日の空襲で工場丸焼け。
中島飛行機の下請けで隼のコクピット部品作っていたそうだが、戦後は日立のTV
部品作ってました。そういえば日立工○って機関銃作ってたんだよなぁ〜。
(元営業先でした)
俺のおじいさんも中島飛行機で働いていますた。
んで、中島飛行機がGHQにのっとられ、その後ICUになったとき、
俺のおとうさんを入学させたそうです。
俺もICUです。俺の妹もICUです。
お兄ちゃんっっ、あたしっ、あたしっ、もうイックウゥウウッッッ!!
>>520 少なくとも「首都圏の混雑が文字通りに殺人的だった」のは事実と。
523 :
uaa:2008/02/09(土) 03:01:10 ID:X+wX8HBO
>>518 マリマリがかわいい
16歳になったばかりか・・・・
すごいおじい様だな。HPも凄い。先人の苦労話は聞いていて損はないな。
長生きしてください。
525 :
名無し三等兵:2008/02/09(土) 18:43:33 ID:cIG57IU/
祖父の軍歴証明を取り寄せてみたら、8ページもあった。
非常に詳しいのだが、読めない文字も多い。
あと、聞いていた等級より記録されているのが1段階低いのはなぜだろう。
大戦最終期に昇進したらしいが、記録漏れはありうる?
恩給申請時には認められたらしい。
>>525 終戦後の現場レベルでのお手盛り昇進でないの?
>>526 そういう例もあるの?40年以上前に亡くなっていて、会ったことはないので良くわからんが、
陸軍大佐との話なんだが、軍籍簿では陸軍中佐になってる。
辞令は届いていて、恩給申請時に提出したらしい。母方なので資料は手元にないので分からんが。
>>525 「嘘をいってる」
「サバをよんでる」
と考えるのが普通だな。申し訳ないけど。
ぢぢぃにはよくあること。
>>527 公務員が退職する前に1ランクあげてもらって「箔付け」(退職金などにも反映)
と批判されているでしょう?警官も退職前に1階級昇進とかは(巡査とか警部補クラスではなくて
キャリア組の警視長が警視監とかもあるよう)
それと同じことが行われたんでない?(退職か退職必至の情勢だったわけで)
現在の公務員叩きの論法ならケシカランということになるが。
また戦後の昇進は米軍でもあった、イノウエ元上院議員は少尉から大尉まで昇進してるし、
アイゼンハワーの女性副官も少尉から大尉になっている。
位階が21,7,20付けで字が汚いがたぶん正五位(前が従五位なのと字面から)
勲等功級が21,3,31付けでこれも字が汚いがたぶん旭三等になっている。
戦後に何か付け加えられているのは間違いないとは思う。
一番最後、予備役編入の後に「勲功特」とある。
輸送艦艦長だったらしい
艦隊への物質補給を終えて回航中に連合軍の'どーとす,(多分ドーントレス)なる攻撃機数機に見つかるが爆装備はしてなく機銃で撃たれたらしい
そんな爺ちゃんは去年の三月に家の風呂で他界しますた
海軍らしく水死ですた(熱いのはダメな人だったからぬるま湯だけど)
戦死したり殉職すると二階級特進するのは普通でも除隊(退職)するさいに一階級昇進する
(ことがあるから)戦死したり殉職するとそれ以上ということから。
海軍らしく最後は水中に散ったと
>530
予備役編入は何時でしょうか・・。
内地9月か10月に解員でなら予備役編入時に大佐もありえますです。
辞令だけつーのならシンガポールあたりで
抑留されていたらその間に昇級があつたような・・・。
>>534 予備役編入は21年7月です。終戦時はバンコクにいました。
終戦前に書類は貰っていたとの話なのですが、周囲を通してしか話を聞くことができないので。
一般的に終戦後の特進で上がった階級と現役時の階級はどちらを名乗るものなのでしょうか?
536 :
uaa:2008/02/10(日) 00:09:51 ID:rkzuoRjK
>>528 >ぢぢぃにはよくあること。
ねーよ!
それよりも考えやすいのは、ポツダム少尉とか呼ばれるケース。
終戦から軍隊解体までのどさくさに昇進。
営門将補とか言う呼び名で自衛隊に伝統が受け継がれてる。
うちの爺さんも終戦後に上等兵から伍長になったぜ。戦地ではよくある話。
坂井三郎氏なんかも20年の9月ごろ昇級してたと思う。
538 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 00:47:01 ID:Y8uf3um6
爺さんは、海軍で戦艦榛名の乗組員だった。レイテやミッドウェイ海戦の話しは、かなりリアル感ある。戦争映画なんてバカバカしい、あんなもんじゃないといつもの口癖!呉空襲でも運良く生き残り現在も元気です。
539 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 01:00:28 ID:MlGJUYVg
満州から妻と子供たち5人全員連れて必死で帰ってきた。
当日は金持ちだったらしく、中国人にちびちび金渡して生き残れたらしい。この話を叔母からきいた時、残留孤児って言葉がすっげ身近になった。
よく誰もおいて来なかったなぁ、会ったことないけど、見直したよじいちゃん。
541 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 03:29:20 ID:pCN7oOuF
おれの爺さんは陸軍曹長で中国にいた。
シンガポールで搭乗員の選抜試験があるってので急いでいったが間に合わず、
やむなく爆撃機の乗組員でフィリピンへ。出撃もないまま米軍上陸。
以後終戦までジャングルを逃げ回っていたそう。でもこれが解ったのは
つい数年前俺が聞いたから。シンガポールまでの話は親父もばあちゃんも知っていたが、
フィリピンで終戦を迎えたのは初めて判明した。でもそれ以上は何を聞いても「言えない。秘密。」
と絶対に口を割らなかった。フィリピンって確か一部の日本兵が人食をしていたというが、まさか・・・。
爺さん3年前に死去。真相は闇の中・・・。
542 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 04:00:22 ID:z3MuZtFC
>>541 フィリピン勤務を聞き出しただけ凄いと思う。
それ以上の事は必要ない。
ジャングルでの辛い体験はトラウマだったのでは?
543 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 04:12:14 ID:pCN7oOuF
>>542 かも。そういや食べるものが無くて困ったとも言ってたな。
あと、終戦後すぐにばあちゃんと結婚して、新居に拳銃持った強盗が
入ったらしい。沖縄だから拳銃とか手榴弾とかあちこちに落ちていたと。
じいさんどこからか拾ってきた日本刀で戦って撃退したんだって。
ヘタこいて撃たれてたら今頃オイラは居ないww
ちなみにきのうはじいちゃんの命日。ありがとうじいさん。
545 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 09:08:18 ID:NLsqcQC+
日本刀対拳銃って凄い・・。
尊敬しました。
日本刀でとんでくる拳銃弾を
叩きおとすじいちゃん萌え
547 :
uaa:2008/02/10(日) 14:40:03 ID:MVRnLt5E
>>545 安部譲二曰く、ヤクザの抗争では日本刀対拳銃となると、殆どの場合日本刀が勝つそうだ。
地元に彗星艦爆の残骸が展示されると聞いて、彗星のりだった
うちのじーさんと一緒に見てきた。
いやぁ、まぁ、ボロクソになってかすかな朱色の日の丸が残り、
自分が搭乗した機体ではないけど長年を経て目の前にしたじーさんは、機体の残骸をだまって
見入っておりました。
550 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 18:41:42 ID:3cPVfz/Z
海軍の飛行機乗り(以下、生前まとめて聞いた話)
昭和15年頃、 将来は海軍にいこうかなーと思い始める
(既に海軍に入隊していた兄の影響)
昭和16年12月 大東亜戦争始まる
昭和17年10月 予科練を受験(地元から3人受験)
一次試験は隣町でのペーパーテストと身体検査。 →合格
二次試験はまえずる(?)海軍の水上機の町にて
一週間、基地に泊まらせてもらい試験を受けた
まわる腰掛けにのせられたり、目の精密検査をした
→結局じいさんだけ不合格
合格した2人は台湾沖航空戦にて戦死
昭和18年 再度友人2人とで挑戦して全員合格
つづく
つづき
S18年4月 予科練入隊(入隊は2ヶ月おき)
三重で一年の基礎教育を受ける
7つボタンの制服は後ろ身ごろが短くて冬は寒く
ハンモックはとても寝心地が良かった
S19年4月 三重の航空隊で飛行機に乗る訓練を始める
無線、射撃、爆撃、位置をはかる事、飛行機に乗る事
訓練は6ヶ月行われ、成績によって分けられる
トップは教官
真ん中は戦争行き
ビリの方は教官の助手になるのだそう
(だから本当に技術の悪い人は死なないと言ってた、飛行機に乗せないから)
機種が決められて天山に乗る事になったが、本当は偵察機あたりを希望
しており、がっかりしてしまった。
つづく
つづき
S19年10月 錬成部隊に入る。
昼間の飛行や、薄暮飛行を十分に行い 夜間飛行を行う
天山は操縦、航空士、電信の三人乗りで、じいさんは電信の役となった
度々、北海道の千歳に飛行機を貰いにいった。
この錬成にいた頃、大きな地震があった。
搭乗員の食べ物は良く、ハム、バター、お菓子、飴、果物カン詰め
いくらでもありだった。
S20年3月9日 千葉のかとりに転勤となる
9日の晩は東京駒込のいとこの家に泊めてもらう事にした
いとこと酒をのんで就寝
が、
”ドカンドカンやかましぃそぃ、目ぇさめたら飛行機がいっぱい”
東京大空襲にあう
翌日、東京でかとり転勤組は集合したが、総武線は止まっていた。
死体がごろごろそこら中にあった。
つづく
俺の生まれる前にじいちゃんはもう亡くなったけど、じいちゃんは出征先で爆撃に遭い
片耳が聞こえなくなったそうだ。
防空壕に避難したとき、じいちゃんは出口で扉を押さえていたらしい。すると壕の真上
に爆弾が落ちて中の人は助からず、じいちゃんも生き埋めになったのを仲間に掘り出さ
て助かったんだとか。
ちなみにじいちゃんが写ってる写真には後ろにバナナが見えてるので、おそらく南方へ
行っていたのではないかと。
つづき じいさん達は郵便局のトラックをつかまえ、便乗したが
亀戸で道がぼろぼろになり、降ろされた。
市川までなら電車が動いているという情報を得、線路伝いに歩いて市川まで行った。
千葉かとり航空基地には部隊が多く、混み合って大変だったため
横芝の仮説飛行場へ行って訓練を行った。
雷撃訓練の様子
魚雷を抱いて艦を狙う。編隊は6機か8機 標的は巨大な筏を浮かべたもの
T1 (上から見た図、見にくいかも ズレたらごめん…)
T2 T3
T4 T5 ↑進行方向
高度4000メートルでこの編隊を解いて
T1
T2
T3
T4
T5
雷撃時にこうなる。(じいさんの図説による。ちょっと再現できてないけど)
↑上の隊形は各機ごとに高度差があって真っ正面から見るとこうなってる
=◯=5
=◯=4
=◯=3
=◯=2
=◯=1
そんな訓練をしつつ、海軍から沖縄に飛行機を出せといってくるので
上手い人と若い人を組ませて鹿児島の串良基地から沖縄に送り出した
つづく
つづき
やがて沖縄もだめだという事になり、
本土決戦のために飛行機を温存しろと言ってくるようになった。
じいさん達は鈴鹿の第二飛行場に集まり、飛行機を竹やぶの中に隠した。
S20年8月 じいさん達は全国に散り散りに帰っていった。
が、実家に帰ると海軍省から手紙がきており、戦後処理の手伝いを頼まれた
本土には飛行機が結構あり、天山は鈴鹿に集まっていた。
きちんとならべ、はじからプロペラをはずし米軍に引き渡した。
そのうちの3機は星マークに塗り替えられ、横須賀からアメリカに渡った。
終戦時点で天山があったのは、鹿屋、串良、佐伯、松山、碧南、木更津、かとり、横芝、大村。
天山は好きだった、当時としては速く、安定性があり頑丈。
爆装したまま着陸できた。
じいさんが憧れた兄は
>>548さんのおじいさんと同じ彗星乗りでしたが
南方で戦死しました。
以上、長くて読みにくくてすみませんでした。
乙
558 :
名無し三等兵:2008/02/10(日) 22:47:45 ID:NLsqcQC+
>>548 気持ちがわかる気がする。涙がでてきた。
オレのじいちゃんは戦艦大和で亡くなったから。
伯母の旦那さんは、南方の激戦地(どこだか忘れた)で壊滅した大隊?800人のうち
オランダ軍の捕虜になって生還できた約20人の中の1人で、
歩哨を次の兵と交代してその場を離れた途端、今まで立っていた所に
砲撃ドーン!交代した兵は死亡!なんてこともあったらしい。
捕虜生活はそれまでの先が見えない状況に比べればずっと気楽で、オランダ兵に
車の運転を教えてもらったとか。
復員した後はなぜか高天原信仰にハマったそうだ。
末期がんで余命3ヶ月と宣告されてから7年間普通に生活していたので、伯母や従兄弟は
「ありゃ戦地で亡くなった人の本来の寿命をぶんどったんじゃないか」と言っていた。
560 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 17:07:10 ID:NC4zQTBd
ポツダム昇進って公式に認められるというか、正規の昇進なの?
>>560 正式だよ。恩給その他もポツダム階級に基づいて支給される。
だから、ポツダム昇進のなかった終戦以前の捕虜の人たちなんかとの紛糾の種になったり。
>>560 正規の昇進
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」から引用
ある兵士の履歴書(作成者:水戸連隊区司令官)
昭和17年2月10日 現役兵として歩兵第66連隊補充隊に入隊
昭和17年2月24日 独立歩兵第19大隊に転属
昭和17年8月1日 陸軍衛生一等兵
昭和18年2月1日 陸軍衛生上等兵
昭和19年8月1日 陸軍衛生兵長
昭和20年3月1日 陸軍衛生伍長
昭和20年5月15日 独立警備歩兵歩兵第64大隊に転属
昭和20年8月20日 陸軍衛生軍曹
昭和21年2月9日 復員完結、現役満期除隊、予備役編入
563 :
名無し三等兵:2008/02/11(月) 17:47:02 ID:NC4zQTBd
じゃあ元○○とどんな場面でも堂々と言えるんだ。金も違う、と。
じいちゃん、満州国の課長だったからポツダム降格。
12年前に死んだ爺さんは大阪の砲兵工廠に勤めてたらしく、
例の終戦前日の空襲の日は、近くで住んでた家にお昼ご飯を食べに帰ってたら
警報が鳴り出して、
空襲が終わって砲兵工廠に向う最中に京橋の駅の横を通ったら
駅に爆弾が落ちててとんでもないことになってて、
見知らぬおっさんに「こら!ぼさっとしとらんと手をかさんかい!」
とか言われてゲロ吐きながら生きてる人の救出を手伝ったらしい
ある程度手伝って砲兵工廠に向かってみたらボコボコに潰されてて、
「弾が作れなければ日本が負けちゃう!」って嘆いたそうだけど、
そこでも上の人に「おう!○○は無事だったか!工場の片付けをするぞ!」とか言われて
不眠不休で仕事をさせられたらしい
翌日、くたくたになって寝てる時に婆さんにたたき起こされて終戦を聞かされたらしい
それを寝ぼけ眼で聞いてまた速攻で翌日まで眠り続けたらしい
566 :
名無し三等兵:2008/02/12(火) 01:04:35 ID:zA11xPXS
556は肥田真幸氏著の天山青春雷撃隊を読むといいよ。
おじいさんとゆかりのある人多数出でくるよ。
>>565 > 翌日まで眠り続けたらしい
なるほど。終戦で空襲の心配をしないで済むと安心した人が多かったとかいうけど、しっかり寝たという人もけっこういたんだろうね。
569 :
名無し三等兵:2008/02/12(火) 04:59:05 ID:JhRRTedc
大学の教授がニューギニア?か南方で戦ってたらしい たまに戦争の話がでるが
とても怖かった、飯も水も弾もなく突撃命令されてたそうな
同じ講義受けてる空気読めないやつが、人殺したの?質問するが笑って誤魔化してた
きっと苦しんで後悔しているんだろう。今の日本はこんな人の犠牲があて豊かに暮らして
いけるんだと尊敬している。 まぁレポート忘れるとすげーー怒られるんだけど
んんで 家のじいさまも中国に行ってたらしいが、教授とは正反対だ
食料がなかったらその辺の家に押し入って奪い 民間人見たら捕まえて金品奪って
抵抗するなら殺してたそうな
今も酒が入るとその話しを自慢げにするから家族は引いている。
私の祖父は呉にいたそうな
親は満州にいってた
海軍では飯の係りでよく上官に蹴飛ばされて「小さいから吹っ飛んだ」って笑ってました
数字に強かったらしく八百分之一だか何かで陛下から懐中時計を賜って一番頭が良かったそうな
いろいろお誘いがあったのに全部断って結局町役場の経理か何かで終わりました
酔ったら中曽根が鳩山がどうとかこうとか言ってたそうで今でも覚えてらっしゃるとか
571 :
uaa:2008/02/12(火) 06:24:13 ID:fP/C8Y2F
>>567 うちの母親がそうだった。
終戦の詔勅を聞いて思ったことは「これでゆっくり寝れる」しかなかったそうだ。
572 :
名無し三等兵:2008/02/12(火) 21:14:29 ID:cH0rOxez
>>571 父方の祖母も同じ。
玉音放送を聴いた後に「これでもう逃げ回る必要が無い」と安心した。
戦時中の都内で機銃掃射や空襲から逃げ回ってた。
疎開先の茨城で遙か頭上を飛んで行く軍艦の砲弾から逃げ回っていた。
うちの母親も、これで夜中に逃げなくていいと喜んだと言っていたな
俺のジイサンは台湾守備隊配備だったので、フィリピン陥落を聞いたときは死ぬ覚悟決めたそうだが、
その後アメリカ軍が台湾を無視して沖縄総攻撃に移ったので生き残れたと言っていた
575 :
名無し三等兵:2008/02/12(火) 21:41:31 ID:2lWdjauG
台湾に行ってた、うちの爺さんも同じ事を言ってた!
爺さんは日本語教師で台湾に行っていたけど、
数人の教え子が艦載機の機銃掃射でやられたと言って
死ぬまで悔やんでいたよ。
米軍機は女子供でも容赦なく撃ちまくっていたとか。。
知り合いのばあちゃんは、熊本空襲の後、破壊された軍の物資集積所の、焼かれた
砂糖を狙って夜に敷地進入を図ったそうだ。
不寝番の兵がいて、脅しで銃を発砲されたそうだ。
何も獲れずに逃げ帰ったあの頃の感想は・・・・・。
ばあちゃん曰く、「焼かれてしまった残骸なのに、兵隊さんはどんだけ
ケチなんだよ」。
577 :
名無し三等兵:2008/02/13(水) 00:24:03 ID:rvMPhtLX
>>577 何でって、「日本の領土」ではない「味方の中国の領土」だし、肝心の日本本土を目指すのに迂回にしかならないじゃない。
まあ、結果としてスルーされたから簡単にいうわけだけど、無理に「解放」しても、
沖縄や硫黄島と違って、中国を押しのけて基地を作ったりできないという含みもあったはず。
>>577 日本の占領した島々を一々全部取り返してたら何年かかるかわからんからのう、飛び石作戦にしたんじゃよ。
>>580 「損害が多そうだからフィリピンはスルー」
のつもりが、マッカーサーが泣いて頼んだからな
582 :
名無し三等兵:2008/02/13(水) 12:51:17 ID:Qy4rbWga
じぃさんから聞いた話なんだが、日頃、上官から虐められていた新兵が戦闘の際にどさくさに紛れて上官を後ろから撃ち殺したんだってさ。
上官、哀れじゃのぅ。
583 :
名無し三等兵:2008/02/13(水) 13:00:36 ID:sPwXUX31
爺さんから聞いたひい爺さんの話なんだが、まあ俺の地元の地区中隊の隊長に駆り出されたらしい。
まあ、人がいなかったらしいからな、んで結局生き残ったらしい。
そんで「自分の指示で部下を殺してしまった、余生を楽しむ事などとてもとても」と言ったらしい、まあもう亡くなってるが・。
でも、我が家の誇りだと思うぜ
584 :
uaa:2008/02/13(水) 15:16:07 ID:Pj9lZHp/
>>582 ベトナム戦争では、戦死した米軍将校の死体から摘出された弾丸の多くが5.56oや7.62_NATOだったそうだ。
米軍のイラクでの死者を見てると、高級将校や女性士官の死因欄には accident ではなく incident と書かれてるのが目に付く。
何が起こってるんだろう・・・・
585 :
翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/02/13(水) 15:23:24 ID:ZI5HlY7v
>>578 米海軍の提督たちの自伝を読んでみるといいですだよだよ。
台湾作戦より沖縄作戦の方が合理的だ、と言う判断が通ったのです・・
通りすがりスマソ・・・。
うちの爺さんはパプア・ニューギニアでの捕虜生活の話をよくしてくれたっけなぁ。
婆さんはパラオからの引き上げ途中に、サイパンだかグアムだかで武蔵に遭遇した話をよくしてた。
「こんな戦艦が日本にあるんだから絶対負けない。またパラオに戻れる」
「いまだに武蔵が沈んだなんて信じられない」とかよく言ってたよ。
因みに嫁の曾じいさんは関東軍参謀でした。
おじいさん(当時32)が引き揚げてきた晩、おばあさん(当時19)は寝かしてもらえなかったらしい。
>>584 ベトナムでは敵に武器が鹵獲されていた・・・が、それを勘定に入れても怪しすぎだなww
ストナーも北ベトに鹵獲されていたとか。
士官の死因の何割かは味方に‥‥ってのは本当なんだっけ?
命が掛かってる状況で無能な上官には色々と思う事がありそうだけど。
591 :
名無し三等兵:2008/02/13(水) 23:07:28 ID:tdpRcSRB
↑だから、軽々しくなろうとするなと…
>>585 だから、政治的な意味とかも含めて台湾はスルーが合理的、ということじゃないのかな?
台湾に航空隊が残っていたら横やりを入れられるから別だろうけど、既に壊滅状態でしょ?
>>590 いや、「上官」といっても、ぶん殴ったりするのは普通は下士官だから、少尉以上の士官ということはないと思う。
また、戦地では後ろから撃たれる危険があるからあんまり無茶はできなかったというし。
例外は当然あっただろうけど。
594 :
名無し三等兵:2008/02/13(水) 23:43:05 ID:FQH9wgiJ
しかし、敵ながら「飛び石作戦は」合理的な作戦だと思う。
爺ちゃんは台湾にいたけど、内地は砂糖不足だったが、
台湾では内地に送る予定だった砂糖や食料や石油があまりまくって
倉庫がいっぱいだったと言ってたよ。
時代は違うけど、日清戦争後の台湾での掃討戦中に分隊長の命令で
分隊員が一斉射撃して中隊長か小隊長を射殺した、ってのがあったな。
原因は、士官と下士官・兵の出身地がそれぞれ青森と鹿児島だった為に
言語による意思の疎通が不十分で、それが争いの元になった。
今と違って訛りが相当きついからね。当時は。
で、それ以後陸軍は将校を配置する時に出身地を考慮するようになったようだ。
台湾から本土爆撃は
沖縄がじゃまだからな
結局沖縄も取らないと
いけなくなるからジャマイカ
南九州上陸を考えると
親戚の爺様は満州で砲兵隊の隊長さんだったそうで
以前、遊びに行った時、TVニュースで毒ガス砲弾
の処理云々と偶然流れた。 それ見て・・・
爺様いわく、「そんなに弾があれば打ちまくってい
たよ!、最後の最後の1発まで打ちつくした」って
あと、「あの状況で毒ガス弾が残ったとしたら当時
の軍は、(毒ガス使用禁止という)交戦規定を最後
の最後まで遵守した証拠」だって。
ものすごく大きい砲隊鏡の横に立つ爺様の写真みて
感動したよ・・・かっこいい(戦争肯定じゃなく!)
爺さんが当時13歳?ころの話。
B−29が被弾して爺さんの村の近くに墜落した模様。
近くの警察が来て、近辺の村の消防団と共に
脱出した米軍パイロットの探索に狩り出されたそうだ。
爺さんは、近所の大人と4人組みになって山狩り。
竹やり握らされて、気分はイノシシ狩りやってるみたいだった
そうだ。
そしたら次の日に米軍パイロットの一人を村の者が捕まえて
帰ってきたそうだ。結構リンチにあって頭を怪我してたらしいが、
元中国戦線の兵士だった人が保護して家に連れ帰って手当てして
やったらしい。
爺さんは、他の子供達と珍しさ見たさに、その兵士の家の垣根に登って
見物してたそうだ。
その後、隣村の警察と英語話せるらしい医者がやってきて
連行していったのだが、爺さんと仲間の悪がき共は
「角も牙も生えてなかったね」と不思議がってた模様。
落ちた場所だけでも分かると
その米兵の名前やその後の状況が
わかるのにね。
「医師が通訳」から
「豊田市坂上町そだめ」かな??
601 :
名無し三等兵:2008/02/14(木) 17:46:34 ID:tCvvJkdr
豊田市は、当時はまだ挙母市だね。
挙母市には、当時東洋一と謳われたトヨタ自動車の新鋭工場があったが、
戦時中に空襲があったのは、
終戦間際のB29による超大型爆弾の試験的投下程度だから、
別の事例かもわからん。
そだめに墜落したB29は名古屋を爆撃した機で、墜落場所が豊田市だからトヨタ自動車が攻撃目標というほど単純なわけではないのね。
>>556 チャチャ入れるようで悪いが、かとり基地も香取と漢字で書いてくれ。
千葉県民としてはかなり寂しい・・・
608 :
名無し三等兵:2008/02/14(木) 23:46:30 ID:A1rB/f41
蚊取り基地とイヤガラセを言ってみる。
609 :
名無し三等兵:2008/02/15(金) 00:13:30 ID:WdCDN+pI
>>607 まぁ木更津は漢字変換してるから勘弁してやれww
ちなみに自分は元千葉県民。今日火事があった八幡宿に住んでた。
今は地元に引き上げてきたが。
>>594 そうなんだよね。南方の島でも、飛行場だけ叩かれてスルーされたのがいくつもあるし。
もっとも、食料はマトモになくて、ヘロヘロなのが普通だったそうですが。
>>606 そのまた原因は計器の問題だろうね。どこにいるか分からなくなって海にドボンとか。
てか
被弾
598です。
爺さんは阿蘇の小国町出身でした。
誇張されてる怪しい語り草かもしれないので、
暇な方は調査してください。
614 :
uaa:2008/02/15(金) 15:19:24 ID:BVi3b1Ii
>>598 当時のガキの中には、アメリカ人には角が生えてると本気で思ってた奴が結構いたようだ。
某大学教授も低空飛行してる戦闘機パイロットを見て、角がない事に驚いたと言ってた。
>>613 小国町の話なら、その捕虜は一番悲惨な最期を遂げてるね。
でも、あまりにも有名な話しなので・・・かも
フィリピンで戦ってた祖父から聞いた話だが、
日の丸をつけた飛行機が飛んで来たので、「友軍機だーバンザーイ」って部隊の皆で手を振ってたら、なぜか機銃掃射されて、仲の良かった戦友が死んだって言ってた。
その時の体験が、脳裏から離れないらしく、
「俺の戦友は友軍に殺された。日本軍はろくでなし」って色んな所で言いふらして歩く左翼ジジイで、俺はあまり好きじゃなかった。
>>609 ちょwwwww地元俺と同じwwwすごい偶然だなw
今は戻ったという事はもしかして宇部とか東北方面の人?
親戚のジイサンは特攻隊に志願したんだが
許婚がいるのに死ぬのが内心嫌やったから
実機訓練のときはワザとへたくそな着陸してたらしい。
上官に殴られすぎて片耳聞こえなくなって、歯も折れたそうだが
できたらこのまま体に障害が出て、特攻から外されてほしかった
と思ってたそうな。
おかげで、めでたく終戦迎えて、めでたく結婚できたようじゃ。
621 :
名無し三等兵:2008/02/15(金) 19:16:22 ID:W8Wysdgg
>>620 劣等生のふりを通すって、別の意味で根性あるな。
622 :
名無し三等兵:2008/02/15(金) 19:37:53 ID:WdCDN+pI
>>620 逆に言えばへたくそなふりをできるほど腕は確かってこと。
ちょっと尊敬☆☆☆ふりでもへたすりゃ墜ちて死ぬしね。
>>620 俺の爺様は航空隊の教官をやっていたそうな。
鬼教官として知られていて、そういう役者の実力を見抜いて
しっかりと戦場に送り出していたらしい。
戦後、家族が生活に困らないだけの金を稼いでから、
「自分があの時見逃していれば彼らは死なずに済んだ。
大変申し訳なく思う」
という趣旨の遺書を残して割腹自殺をしたらしい。
良くも悪くも真面目過ぎたんだろうなあ……
624 :
名無し三等兵:2008/02/15(金) 23:13:08 ID:2nB3q3xW
>>620 こういう話を聞くとクソ真面目に沖縄に突っ込んだ
俺の祖父なんて馬鹿みたいに思えるわ。
やっぱ、俺は国のためとか愛国心とかなんかに
騙されないようにするわ。
戦争体験の本で、飛行機の整備兵やってた著者が
仲の良い搭乗員を特攻で散らすのが惜しくて
その搭乗員が乗る特攻機のエンジンを
絶対怪しまれない方法でトラブル起こさせる細工を
何回かやってた。と言う話がありましたなぁ。
>>624 当時の若者も大概の人はそれを承知で突っ込んでたんじゃないのかな?
逃げるのはやっぱ卑怯者だよ。
そんな奴らばかりだったら今の日本民族は列強に分割されてたと思う。
何もなくなるまで徹底抗戦したからこそ先勝国も日本の尊厳を讃えて完全占領しなかったんだと思う。
半端に降参してたら今頃沖縄は中国、北海道でさえロシアになってたかもしれないよ。
627 :
uaa:2008/02/16(土) 02:32:06 ID:8jBGTWot
松本零士の「紫電」ではない。
中国での二式複戦の話だった。
終戦後に仲の良いその搭乗員にワザとエンジントラブル
起こした事を打ち明けたら、ビンタ食らったそうだ。
それなんて零戦燃ゆ
631 :
名無し三等兵:2008/02/16(土) 10:45:54 ID:Mt/T/Qfj
城山三郎の小説では、イヤな上官の機体に墜落するよう細工した整備兵の話がある。
>>625 うちの祖父、霞ヶ浦で飛行機いじってたらしいんだが、
生前うちの母に
「このネジを緩めておけばこのパイロットさんは今日は死ななくてすむのに」
と思いながら整備してた、って言ってたそうだ。
って、霞ヶ浦からは特攻出てないよな?
祖父は早くに亡くなったので、
子守唄に「同期の桜」を歌ってもらった記憶しかない。
〉629
それは「逃げだした兵隊」と言う本ではないかな?小生中房時代なぜか学校図書館にあった。
半島の基地で、着陸してきた屠龍が石につまづきでんぐり返り、風防が開かず、
パイロット達が生きたまま焼かれるのを何も出来ず只見てた地上員…みたいな話だった。昭和の名本。
>633
それだ!私も厨房の頃、図書館で借りて読んだ本だから
最後の章の内容しか覚えてなかったんだ。
思い出させてくれてサンクス。
うわっ、「逃げ出した兵隊」を読んでいた人が他にもいた。懐かしい。
高校の図書室にあって、学校での課題の読書感想文用に借りて読みました。
結構居るもんだね。俺が読んだのは小学生の時だったよw
夏休みの宿題に読書感想文てのがあって、その課題図書になってた。
エンジン部品のゴム管に針刺してエンジン不調、出撃停止。
絶対にバレない方法で、通称虫ピン!だったかな?
子供ながらにも、面白かったね。
南京攻略に参加したマイ爺
何度も何度もやってない、見てない、聞いたこともない、作り話だと言ってたね
何度も俺は信じてるよと言っても、何度でも繰り返したマイ爺
言いたくなる気持ちもまあわかるけどさ
死体鼻水&涙まみれにしたのは正直スマンカッタ
お願いだから祟らないでじいちゃん
>637
うちの爺様も同じ事言うてたなぁ・・。
上海を上陸してから南京辿り着くまでに
部隊の半分が靖国やら病院やらで・・。
捕虜撃つ弾があったら何人死ななくて良かったつー話ばかり。
自分もついに爺と呼ばれる事になってしもたが
私の爺様もおなじく、南京戦などで大量虐殺なんて
絶対無かったと言っていたね。
だれでも、わかると思うけど何十年も一緒にくらした
身内が、うそを言ってるか、真実を言っているかなんて
わかるからね。
よほどシナのウソが許せなかったのだと思うよ。
それ以上に日本人のウソつきには・・・
おじいさん「栄光ある日本陸軍将校であったボクには君達に話すこと、説明すること、ましてや弁解するようなことなんて
何一つない!だから、戦争のお話は一切しないよ、ボクは。もっと楽しいことをお話しよう」
おじいさんが少佐だったということはわかっている。
南京に関しては部隊…
>>640 まさに聡明・利口な、おじいさんだね。
キミに話しても無駄な事を、悟ってる。
644 :
名無し三等兵:2008/02/19(火) 16:46:09 ID:sHHbW/1g
上海敵前上陸といえば、名古屋に住んでた祖父が名古屋港を出撃する上陸部隊を見たと言ってたよ。
祖父の話によれば、夜間に港近くの通りを号令もなく静かに行軍する部隊がいて、こんな時間に一体どこに行くのかとついて行ったら港には照明を完全に落として闇と同化した数隻の軍艦。
号令も軍楽も見送りもないまま、兵達は静かに艦の闇の中へ消えて行った。乗船後、軍艦は汽笛も鳴らさず出港。その数日後、新聞には「上海敵前上陸」の文字が踊ったとか……
あまりに奇妙な光景だっため、出撃の様子は今でも鮮明に覚えてるってさ。
645 :
名無し三等兵:2008/02/19(火) 17:54:34 ID:WscpR1wG
うちのおじいちゃんが生前語っていた話
伏見工兵隊にいた
ビルマ・インパール作戦に参加して、橋とかをつくってた
悲惨な行軍だった
戦闘機に足を撃たれたとおもったら、薬莢だった
上官の命令で地中に埋めた酒を取りにいったら、敵に囲まれて死にそうになった
3000人の舞台で10%もたすからなかったが、たまたま祖父はマラリアで入院中だったため日本に帰ってこれたらしい
おじいさんが逝去した後、おばあさんがおじいさんの
武勇伝を語ってたりしますね。
うちのおばあさんの話では、おじいは満州の憲兵隊に
勤務してたようだが、病気で内地送還になって無事終戦を
迎えたそうです。
見たことない宝飾物を「恩賜の品だ」と言い張って
持ち帰ってきたと回顧しておったが・・・・。
もしかして横流しの品か、現地での略奪品?
647 :
名無し三等兵:2008/02/19(火) 19:03:04 ID:tYcbmoQZ
名誉の勲章じゃまいかな。
家の祖父ちゃんは、広島の原爆投下の数日後に救護に向かったと聞いている。
道に転がっていた馬を喰ったそうだ。
と言うことは俺もいつか・・・と
たまに不安になる。
いまのところ体には何の異変も無いがな
649 :
名無し三等兵:2008/02/19(火) 20:52:41 ID:39busLgM
うちの親戚のじいちゃんは東京の憲兵隊で中尉をしていて、
妹にあたる若いときのばあちゃんのとこに騎馬で遊びに来て
びっくりしたそうだ。
自分が小学校の時に近くまで来たから家族で家に遊びに行くと、
突然の訪問にびっくりしていたが、嬉しかったみたいで
満面の笑みで突然親父の頭をなでていた。親父苦笑いwww
50手前のおっさんが90過ぎのおじいちゃんに頭なでなでされてるのには
かなりワロタwwwww
650 :
名無し三等兵:2008/02/19(火) 21:25:28 ID:hWN63vIK
みなさん今日は、硫黄島に米軍が上陸した日ですよ
651 :
名無し三等兵:2008/02/19(火) 21:40:44 ID:39busLgM
>>650 我が友は2・26にコンパです。
失敗する気がします・・・。
653 :
名無し三等兵:2008/02/20(水) 01:09:04 ID:5JKou3AH
>>652オレはリアルで2・26産まれだぜ!いや、マジですから……
>>651謝罪と賠償を求める<丶`∀´>
ジーサマ、満州でロスケ侵攻、そんで
ジーサマの部隊は撤退してたんだが
敵の進軍遅らせるため、部下を
少数づつ退路に置いてきて、ロスケの追撃に玉砕遅滞戦させたそうだ。
ジーサマ曰く「戦国時代の兵法だ!」と呑むたんび赤ら顔で言ってた。
ジーサマは内地に帰還して、戦後は商売やって、
愛人外に作りまくりの絶倫ジジィやった。
655 :
名無し三等兵:2008/02/20(水) 01:26:08 ID:9DXPeFT+
残されて玉砕させられたヒト、
辛かっただろうな・・。
>>639 > それ以上に日本人のウソつきには・・・
その手の連中が一番悪質だね。外国の「国内の不満から目を逸らさせるための嘘」に便乗して騒ぎ立てる薄汚らしい連中。
>「戦国時代の兵法だ!」
捨てがまりという奴か
厳しいなぁ
島嶼戦を経験した米軍の指揮官は、こう語った。
「日本軍の兵士は、勇敢で不屈で尊敬に値するが、
日本軍の将官は、利己的で浅はかで世界で一番無能な指揮官であった」。
インパール、ビルマ戦と日本軍を押し返してきた英軍の指揮官は
こう語った。
「日本軍の指揮官は姑息で無意味な作戦しか立てられない。
無駄な作戦を忠実に実行する日本軍の兵士は、サル以下の知能しか
持ちあわせていない」。
ジューコフ、スターリンに曰く、
「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、
青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である。」
うちの曾爺ちゃんいわく
「シナに軍服着た敵兵なんていなかった、いたのはテコ銃(機関銃らしい)
や小銃持った平民、農民たちばかり。」
テコ銃>チェコの事だと思われ
おじいさん「くだらない雑兵、ただそこにいるだけ程度の存在価値しかなかった兵卒や
学徒出身の即席士官の生き残りほど、戦争体験とやらを話したがるんです。
やれ、誰それを見送った、やれ、中国兵はどうだった、なんてことばかり。
一番性質が悪いのが、自分たちは利用された、自分たちは使い捨てだった、
と今でも文句をいってる連中です。そんなことは当時からわかってたことです。
今更ギャーギャー騒いでもみっともないだけです。自分たちの努力と才覚が
足りなかったから使い捨ての兵なんかになったんです。日本が大きな戦争に
巻き込まれることなんて、ボクは子供の頃から判っていました。
だから、幼年学校に入って、その後ずうっと陸軍にいつづけたわけです。
床屋になったり教師になったり、そういう人生を歩んだバカどもが痛い目を
みただけなんです。あの戦争じゃ。結局、世の中強い権力の側についていた
ほうが、今で言う勝ち組なわけで、安全なわけです。
それいがいの連中は死んでしかるべきです。死ぬのが必然です。だって
弱いんですもの。
自分たちがたまたま生き延びたということを理解せず、まるで実力や幸運か
なにかで生き延びたかのように勘違いしてもいますね。そういうバカは戦後
60年以上たってるのに太平洋戦争だなんだっていってるわけです。しかも、
自分たちのわずかな経験を現代の戦争にあてはめようとしたり、本当に
恥ずかしいですね」
90過ぎ照るのに、カッコヨス
そりゃ、様々な意見があるさ。
どれも本当だよ。
>>663 当時の腐ったエリートたちの本音を見た気がする。
しかし、そういった連中ほど戦後も良い目みてるんだよね。
なんか理不尽。
10年ほど前、アメリカのデンバーに、ホームステイで社員留学にいった
会社の先輩は、ホームステイ先のグランドファーザーから
戦争体験を聞いたとの事。
輸送船の船員としてオキナワ戦から出陣し、
オキナワ沖で日本軍の航空機が艦隊に突撃する光景を
船上から何回か見たの事。
最後は、「イマはともだち」って
先輩の肩抱いてフォローはしてくれたそうだ。
>663
>くだらない雑兵、ただそこにいるだけ程度の存在価値しかなかった兵卒や
>学徒出身の即席士官の生き残りほど、戦争体験とやらを話したがるんです。
ここ数日では、あなたの御爺様が一番多くを語ってるよ。
別に嫌味ではなく、もっと聞きたいからカキコしてくれ。
669 :
名無し三等兵:2008/02/21(木) 13:04:28 ID:8EMv80YX
下がり過ぎ
670 :
名無し三等兵:2008/02/21(木) 13:27:27 ID:5Ggqj89h
その爺のは戦争体験っつーより人生論だろ
農民やら教師、技術者、商人がいなかったら戦争以前に国家すら維持出来ないから主張ありきの破綻した考えだが
671 :
名無し三等兵:2008/02/21(木) 13:53:22 ID:hUM7X48B
>>669 普通戦争体験者は戦争を語りたがらないからな
殆どネタだ
厨房の時行った老人ホームのじいさんは嬉々とした表情で語ってくれたがな。
673 :
uaa:2008/02/21(木) 16:43:43 ID:KmS1Pj/U
佐官クラスが軍隊に入った頃は軍縮の時代で、軍人になるとバカにされた時代だった。
士官学校に入る連中も一番質が悪かった頃。
その鬱憤が軍国主義になって吹き出した感じだな。
世代的には田中角栄とか後藤田正晴がそうじゃないかな?
二人とも職業軍人を蔑んでいた
外国でも、「ケイン号の反乱」にその世代の問題が出て来る。
うちのじいちゃん徴兵されなかったんだってさ。
よかったよかった。
675 :
名無し三等兵:2008/02/21(木) 18:29:38 ID:e2fj/yId
特幹か予科練に志願されたのか。エライな。
じいちゃんが満州に渡っていて徴兵さなかったのを聞いて、
一時、「徴兵逃れだ」と思っていた。
満州に渡ると、徴兵されない制度だったって後に知った。
ソ連が攻めてきて終戦一週間程前に徴兵されたけど、
終戦になったら隊長に
「オマエラほとんど兵隊やってないし、家も近いし帰れ」
と言われてポツダム除隊したって。
「ばあちゃんと息子(自分の父と叔父)は死んだだろうな」と諦めていたら、
奇跡的にハルピンで合流。
生きて帰れた。
弟が老人ホームで仕事してるけど
元軍人さんは、ほとんど戦時中のこと話してくれるそうだよ。
話したい、話したくないなんて次元ではなく
もう、その話しか記憶に無いんだ・・・って方も多いそうだ。
でも、みんな必ず・・・「戦争はしちゃいけない」って
俺「おじいさんおじいさん、おじいさんは普通の兵隊さんと仲良かったんですか?」
おじいさん「ボクはあまり戦争のことを話したくないんだけど、まあキミがどうしてもっていうなら(ry」
俺「で?っていう」
おじいさん「兵隊とはね、仲よくなかったですね。仲がいいとかそういうもんじゃないから。将校と兵卒の間は。
ボクは前線だー、南方だーなんてバカげたとこにはほとんどいったことないんだけど、一度だけ、くだらない
書類をとどけるってボクの上官がいうもんだから、ついてったことあるのね。
(上官についてのグチがつづく)
…で、船着場についたんだけど、そこがまあ臭いったらないんですよ。磯臭いっていうか、魚臭い?
すると、ぬぼーーっとした連中がでむかえてきて、本当にここが前線とやらなのかと笑っちゃったんですよ。
それをね、垢まみれのね、兵隊がでむかえの小隊長の後ろから睨んでるんです。
なにをまあ、そんなに気張ってるのかなあ、まあ、もうすぐ死んじゃうかもしれないから突っ張ってるのかな、
なぁんてその場は収まったわけ。
(中略)
(続く)
で、案内されたのが将校用の小屋、うん、ほんとうの小屋、椰子だか壊れたダイハツだかの板を組み合わせたような
トイレ小屋みたいなとこでね。ほんと、臭かったなあ。兵隊の手垢とか体臭とかが部屋にこもってるみたいでしたね。
(その側で沸かさせた風呂にはいって、自分が汗と垢でドロドロになっていることに気がついて、恥ずかしくなった云々)
小屋には警備の兵隊以外は近づかないように、って厳命してたんだけど、なんか、夜現れるんですよ、ぬ〜って」
俺「兵隊さんが?」
おじいさん「そう、なんかニョキッ、ニョキッって、茂みの中から顔をつきだして、こちらを窺ってるんですよ。
その目がいやらしくてね。上野にいた乞食、ルンペンの目そっくりだったんですよ。欠食児童みたいだったかもなあ。
とにかく、あの目じゃまともに敵さんと戦えない、冷静さをどこか失ってる目だったんです。
キサマナニヤットルカ、って警備の兵に怒鳴っても、カレラ、まったく反応しないんですよ。ちびくろサンボみたいな連中に。
そのとき、ボクは殺されるかと思いましたね、殺されるのが仕事の兵隊ゴロどもに。
だから、気がつかれないように軍刀を抜いて布団の間にはさんでおいて、一睡もしなかったんです。
でも、ハヤカワさんは間抜けだから「おさめとかんと(床の)泥がつくで〜」とかいいながら寝てるわけですよ。」
俺「今日はどうもありがとうございました」
>>661 > ブレン軽機関銃
> この時代の軽機関銃のひな形といえる。チェコスロバキアで設計され、英国が製作権を買い取り改良を加えた。
> 口径7・7ミリ。重量10キロ。発射速度毎分500発。日本兵は「チェコ銃」と呼ぶことが多かった。
「チェコ」→「チェッコ」とも呼び慣わされてますな。
>>664 ナニイ? ガキのくせに生意気なことを抜かすとぶちのめすぞ!!!
682 :
名無し三等兵:2008/02/21(木) 22:01:30 ID:Zr3IWBje
スレチですまん
爺様のアルバムから(見たくないから?)削除されて輪ゴムでまとめて押し入れにつめてあった
軍隊時代の写真で[1944.群馬.陸軍予?士官学校校長]
てのがでてきたんだが誰だか名前わかりますかね?
あと戦後の自衛隊の勲章とか杯って価値ありますかね?
前橋陸軍予備士官学校の校長なら
昭和18年6月10日〜 安部孝一少将(歩兵科、陸士26期、陸大39期)宮城県出身、功3級
昭和19年5月19日〜 横田豊一郎少将(歩兵科、陸士25期)徳島県出身
昭和19年7月18日〜 南部襄吉中将(歩兵科、陸士21期、予備役から召集)東京府出身、功4級
>>680 >661です。ググってわかりました、ありがとう。
もう、歯のほとんど無い曾爺ちゃんの発音は、そう聞こえるんですw
・・・で「テコ銃」について聞いたら
テコ銃は敵でも射撃のうまいヤツに持たせることが多い。
うまいヤツは「タタタ。タタ。」って2〜3発づつしか撃たない
へたなヤツは「タタタタタタタッ」って撃つので弾切れが早く
弾が切れると、直ぐに逃げて行ってしまう。
ある日、敵がそのテコ銃を置いて逃げたので手にとって見た
銃の上に太陽のマーク(○の周りにギザギザ)があって漢字が
書いてあったそうだ。
残弾が少なかったので、試し撃ちして川に沈めたと。
うちのボケ爺が、九九式小銃は折り畳めたとか言ってたけど本当?
敵の手榴弾が飛んで来たから、鉄兜かぶせて難を逃れたとか、小銃で飛行機撃ったらパイロットに命中したらしくフラフラと墜ちてったとか、ありえん話を自慢げにする爺だから信じられんw
九九式小銃で航空機落としたのは辻ーんだったな
690 :
名無し三等兵:2008/02/22(金) 16:35:31 ID:ZOrzRjhP
691 :
名無し三等兵:2008/02/22(金) 19:22:26 ID:bVSA//iQ
どうせ戦自慢のホラ武勇伝ばかり集まるんダろ。となりの爺様なんか厚木でマツカーサー元帥の護衛したそうな。
>>677 おれもお年寄り相手の仕事をしてるけど
爺ちゃんも婆ちゃんも戦争の話は必ず出てくるww
私が子供の頃は、夏休み子供平和教室ってなもんがあって、
原爆投下の日や、終戦日の近くには町の公民館に
召集されて、爺さんや婆さんや、戦争体験の親もつ息子娘が
招かれて講話しておった。
体験談は相変わらず悲惨なものばかりで、子供に戦争は
むごいものと教え込む情操教育としたおもえんかった。
どこぞの島の地下壕司令部で司令部付の給仕やってた爺さんが、
長官や参謀たちは、夜は麻雀やってたとか、飛行場設営に奉仕で
狩り出されたら、軍の設営隊に朝鮮人や中国人捕虜がいて
村の者が宿や飯を世話してやったら、逆に畑や民家の食糧庫が
荒らされ始めて一揆みたいなの起こしかけたとかの
ウラ話が面白くて印象に残っておる。
http://www.nhk.or.jp/premium10/ 「80歳・決着に挑む 〜元兵士たちの日米野球」
NHK 2月22日(金) よる 10:00 - 10:55
かつて太平洋戦争を戦った日本・アメリカの元兵士達が、ハワイ真珠湾近くの球場で再会し、野球の試合を行った。平均年齢80歳。人生の終盤戦を迎え「自分は誰と戦ったのか」「かつての敵と顔を合わせたい、語り合いたい」との思いで集まったのだ。
果たして、それぞれが戦後62年間抱えていた“憎しみ”や“わだかまり”を越え、心を通わせあうことは出来るのか。野球を通して元兵士達が交流した3日間、「自分の中の戦争」に決着をつけようと、「敵」と向き合った姿を見つめ、交わす言葉の一つ一つに耳を傾ける。
,,-――-ヘ 敗 戦 記 念 ♪
. /./~ ̄ ̄ヽ ミ
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d4/Macarthur_hirohito.jpg | | . | | マッカーサー元帥の下に呼び出され、戦犯ヒロヒト記念撮影
| |━- -━| |
http://en.wikipedia.org/wiki/Hirohito General . |/=・=| =・=ヽ|
(6| |__i . |9) / ̄ ̄~ ̄\
. MacArthur | ._, | /./ ̄ ̄ ̄\ |
\_____丿 |┏━ .━┓|
,--―|\ /|¬―、 . |/‐(◎)-(◎)‐|.|
/ .|/~\/\| \ (6| |_」 . |9)
/ __ /・ __| | 丶 ━━ /
/ /| | ・ | |・ | ・ | | \ ' ̄~ /
< .< |  ̄ ̄ |・  ̄ ̄~| . ) /| ̄ ̄ ̄|\
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.\ \|____回___| / / |\▲/| ヽ
. \ / \/ /.戦犯 | ▼ | ヒロヒト |
/ | . |  ̄~|~ ̄ |
| i | . | | | o . | |
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( ) ( ) (_丿 ヽ_)
`ー" `ー"
>>696 糞馬鹿が、お前こそスレタイをよく読め。
その発言、世が世なら不敬罪だぞ!
>>676 そりゃ傀儡国家とはいえ日本じゃないからだろ?
がいちがい?
>>700 え?
だって
>>695は「おじい様の戦争体験」として
あのリンクを貼ったんだろ?
リンク先のお方のお孫様相手にあんなこと言ったら、
戦前なら不敬罪の対象になるよ。
小学校の時に先生が話してくれた戦後体験だけど
陸橋がそばにある川で友達と泳いでいたら、米軍の飛行機がなぜか低空飛行で
陸橋の下をくぐり、断ち切られた電線が首に絡まって河原を引きずられ大怪我をした。
それで後遺症なく回復したというのが嘘みたいな話だが、
小学生相手にも丁寧で誠実な先生だったので事実だと思う。
先生の首にはたしかに横一文字の古い傷跡があったし
旅行に行って大浴場なんかに入ると、傷跡のせいで皮膚の色がまだらになっていて
他の客が驚くとも言っていた。
ちなみに飛行機はそのまま飛び去り、どこからも何の謝罪も補償も調査もなかったそうだ。
>>702 孫が自分の祖父の名前呼び捨てにするAA貼ると思って気違い乙
母親のしつけがなったらんよって。
このスレは祖父の戦争体験を語るスレであり、
したがってここに書き込まれるのは原則として投稿者の祖父その他の戦争体験である。
ゆえに
>>695は自分の祖父の戦争体験を語っていると見做すべきであり、
つまり
>>695は昭和天皇の孫であると推測するのが妥当である。
その昭和天皇のお孫様に文盲なんて言っちゃいーけないんだーいけないんだー、
特高警察に言いつけてやるからなー!
>>697はそういう ネ タ だと思うんだが、
どうしてネタをネタと理解できずに騒ぐ馬鹿がいるんだろう。
さっきからネタに噛み付いてる奴って
>>696かな。
レスの結びが「〜乙」で統一されてるし。
709 :
名無し三等兵:2008/02/24(日) 03:42:59 ID:BGbhzcDF
>>703 創生期の自衛隊パイロットでもメチャする人は多かったみたいだよな。
オレは地方育ちだけど、昭和40年代中半までスーパーソニックなんて
日本国中で当たり前に聞いてたし。
712 :
名無し三等兵:2008/02/24(日) 09:40:25 ID:xkRrAWH7
陸軍に行った祖父はシナに行ってトラを殺してきたと仰ってました。
シナトラ・・・いやなんでもない
うちのじいちゃんは、終戦時にロシア軍の捕虜になって、
その後中国に引き渡された後、人質をとられて中国の八路軍の林彪の軍団に、
技術系仕官として参加していたって言っていた。
朝鮮戦争の時まで居たって話。
国民党軍も八路軍も、人材不足で元日本兵をかなり組み込んでいて、
軍団の中枢にかなりの居たらしい。これって有名な話?
>>716 日本の心霊研究の草分け、
故・中岡俊哉センセも八路軍に長いことこき使われたってボヤいてたよ
>>718 そうなんだ。
じいちゃん口止めされてて長年話せなかったって言ってたから、
黒歴史なのかと思った。
>>715 ゴメン、ネタが何の事かさっぱり分からないんだ。。。
フランク・シナトラを知らなくてもそれは恥かしいことじゃない
シナトラにワロタ
>>716 毛沢東は基本的に「恭順すれば一度は許す」
というやり方で国民党軍将兵や日本将兵扱ったんでないの?
>716
うちの近所にもそういう爺様がいたよ。
あつらさんの司令部勤務の少佐位だったとか・・。
朝鮮戦争後に復員しもとの職場に再就職したけど、一時は赤扱いで苦労されたそうな・・。
で、角栄さんの国交回復のあとは市長だの県会議員だのが寄ってきて手の平返したような扱い。
終戦前に八路軍に入って日本兵を大量殺戮成功した
という武勇伝はないの?
あったとしても言えねぇーだろw
殺されちまうよw
俺のおじいさまは一度だけ、子供を軍刀で真っ二つにしたことがあったとか。
中国にいた時、ある夜のこと、孤児らしきみすぼらしい女の子をみつけた。
同情すればキリがないので、無視しようと通り過ぎた。
が、激しく咳き込み、苦しむ音が聞こえたので、振り向きざまに袈裟斬りにしてあげたらしい。
オーダーメイドの軍刀は見事に腹を切り抜け、
なんかの拍子で上半身と下半身がまっぷたつに分かれて地面にゴロリと転がったらしい。
>>723 で、使えるだけ使ったらテキトーな理由つけて粛清な。
これ、毛沢東が好んで使った手口ね。
補足すると、俺はたぶんホラだとおもってる。
だって、どうやれば袈裟で腹からまっぷたつにできるのか、って疑問に思うから。
>>727 >使えるだけ使ったらテキトーな理由つけて粛清
そうだとすると、三度失脚して三度とも返り咲いたケ小平って、
凄くね?
730 :
名無し三等兵:2008/02/26(火) 03:49:47 ID:8K4uj+Tl
>>728 うん、その話、絶対にホラだと信じたいよな。
それじゃ、痛快時代劇の悪人の死に方だもんよ・・。
ただでさえ不条理な苦労を味わってる子供が、そんな死に方では
神も仏もなくなってしまう・・。
〉633です。
感想には個人差があるので仕方ないですが、何せ二十年以上昔の事なので
思い出を美化してたのかもしれません。(でもサヨは少し入ってるかも)
針一本〜の話は『海軍よもやま物語』(小林孝裕・光人社)にも出てきますよ。
>727
シナ蓄教育の賜物だね
あなたがしっかりしないと、爺様がボケたら
本当の話になってしまう。
まさに、シナの思うツボ。
うーん。このスレでいいものか。
家の爺ちゃん(ひい爺ちゃん)?
体が弱いから、呉の海軍さんの基地で無線関係のお仕事を与えられていたらしい
んで大和沈没時の大和からの無線を聞いた・・・と家のおとんから最近聞いた。
爺ちゃん、二人とも故人だしなぁ。詳しく聞いてみたいけど、確かめようが無いし
おとんも真面目に聞いてなくて、うろ覚え状態。
一緒に酒飲んでたら、ふと思い出したらしく、急に話してくれた。
>>663 >学徒出身の即席士官の生き残り
うちの母方の爺、それですが、ちっとも話してくれませんでした。
戦争体験は全部墓までもっていきましたが・・・
>>728 袈裟切りでも浅い角度で入れば可能かも
多分子供を日常的に切り捨ててたんだろうねw
次は千人切ったって言い出すよ・・・きっと
咳が煩い子供にビンタくれた経験が戦後の飲み屋で袈裟切りに発展したのかも試練
>>738 それならありそうww
・・・というか、そうであってほしい
いくら職業軍人でも好き好んで人殺しはしないだろう。
普通は追い込まれないと人殺しって出来ない。
皆、本当に知らないのか???
子供を切ったの、赤ん坊を銃剣で串刺しにしたの、谷底に落としたの・・・
もう、はいて捨てるくらい沢山ある話。
でも、実際に見たりやったりした人がいないのよ。探しても。
しかもほとんどがシナでのおはなし・・・なんで同じ日本兵が他の戦場で
同じことをしないのか???
そろそろ、皆、気づかないのかな???
うちの爺ちゃん足に銃弾受けてここぞとばかりに死んだ振りをしたらしい。
その後リズミカルな射撃音が聞こえてきたので
(え?もしかして死んだ振りしてる奴いないか撃ってたしかめてんの?)
って思ったらしく、ばあちゃんが持たせてくれた白い布ブンブン振り回して降服したらしい
父ちゃんがまだ幼かったし、ばあちゃん大好きだったし死んでも死にきれなかったったんだってさ。
743 :
名無し三等兵:2008/02/26(火) 20:38:24 ID:B1c2y8ms
父ちゃんの先輩はシナ大陸に従軍した。
具体的な場所は不明。
日本兵は歩きまくり状態だったらしい。
「寝ながら歩くのが日常茶飯事。ノロノロ歩いていたら部隊から
置いてきぼりにされたので、慌てて走って部隊に追いついた」
「ションベンしながら歩いた」
こんな状態の兵隊に民間人を相手に悪い事をする暇が無いと思う。
744 :
名無し三等兵:2008/02/26(火) 21:14:57 ID:lArUkrdf
先祖伝来の大切な日本刀や、高価な軍刀で敵ならまだしも、わざわざ民間人を切り殺す馬鹿はいねぇと、
フィリピンで終戦を迎えて、軍刀を米軍将校に持ち去られた祖父が言ってたけどな。
745 :
727:2008/02/26(火) 21:25:47 ID:???
でも、おじいちゃん、15年前に刃物もった強盗に入られたとき、
後ろからそ〜っと忍び寄って消防用のデカい斧でバッサリ切りつけた人だから…。
今度はまじで袈裟切りで。肩甲骨が割れた上に、斧が肺まで届いてたってさ。
犯人は意識不明の重態になったにも関わらず、おじいちゃん、書類送検だけで不起訴だったけどね。
多分、犯人は一生障害かなにかが残ったんじゃないのかな。
すごい血痕だったし(畳だったので最終的に張り替えたらしい)
昔からシナ人はウソツキだったんですね。
今も昔も変わりはないということか。
仕事で何年かシナに駐在してたお客に聞いたんだがシナは侵略や内紛が常にあり政局も
安定しないから後先のことは考えず今が良ければウソでも自分さえ良ければなんでもあり
というのが国民感情の根本にあるんだと聞いて妙に納得したな。
747 :
厨房:2008/02/26(火) 21:32:33 ID:???
俺としては別に浮浪児の一人や二人辻斬りしても問題ないと思うんだが。
ましてや、戦時だろうが。
何故そこまで嫌がるのかわからん。
ここの住人の偽善者っぷりには吐き気がするわな。
戦争で死ぬのは罪の有無でも年齢でもないだろ?弱いから死ぬだけじゃん。
>>745 そんなじいさん放し飼いにしておくなよ。
ちゃんと檻に入れて飼いなさい。
749 :
名無し三等兵:2008/02/26(火) 21:49:09 ID:rH6LGmzB
750 :
名無し三等兵:2008/02/26(火) 21:51:36 ID:AHBrBWWZ
>>105 ハルマヘラ島はうちのジイサンも行ってた。
楓4256部隊だといってた。
>>747 戦時だろうが平時だろうが、軍人でない者一般人を軍人が殺すのは認められておりませんよ。
・・・と、釣られてみる
>>750 >>楓4256部隊
第32師団の歩兵第212聯隊ですか。
ハル島は上陸されなかったからか
復員した人は多いんだろね
>>691 厚木街道とか、沿道の警備に警官が総動員されたとかいうじゃない。
警官だけじゃ足りそうにないから、案外、その関係で駆り出されたとかが事実ではあったりするかもしれないよ?
ほっしゅっしゅっ
>>754 「マッカーサー元帥の護衛」とひとくちに言っても、
マッカーサーに付き従っていつもそばで警護していた人から
マッカーサーが通る沿道に立っていた人まで、色んな人がいそうだなw
757 :
uaa:2008/02/27(水) 02:48:14 ID:U+1xMp9Y
>>691 マッカーサーが厚木から車で東京へ向かう途中の風景がフィルムに残ってるよ。
沿道警備の兵隊も写ってるから、祖父さんもいるかも。
758 :
名無し三等兵:2008/02/27(水) 04:57:35 ID:lTHW4LmI
武士の魂である刀で、そんな外道はありえんと思うよ。
まして、相手は全く罪のない子供だぜ。
刀に邪気が宿ってしまう。
759 :
名無し三等兵:2008/02/27(水) 06:31:52 ID:eDv85WlE
だな
そのじいちゃん有段者?
何人も切った経験がないとそこまでできん
といか うそ臭
誰がうそついてるか知らんがね
人きると歯が毀れて、手入れも大変だしね。
こういうスレあったんだね。
亡くなった俺の母方の爺さんはドン亀のりで衛生兵をやらされてたみたい。
台湾の女性は綺麗で嫁にもらうならああいうのだなぁとか俺にも言ってました
勝新の兵隊やくざの主人公みたいな人だったけど当時は
上官には絶対だったみたいで事あるごとに殴られてたみたいだった。
サイパンで玉砕するはずがその前に終戦を迎えたそうな。
そんで、終戦後階級が関係なくなったので今まで爺さんを散々いじめてきた上官を潜水艦からたたき出して、
鱶やら鮫の餌にしてやると先頭きって潜水艦に戻ったら上官たちが船内に隠れてたからバールとかでドアをぶっ壊して
今まで悪態ついてきた上官を全部海に全員放り込んできた
その後は正に今の日本の礎となるように、毎日朝方から働きに行っていた姿を思い出しました。
1日で1升瓶を1本〜2本開けていたと最近知ってスゲーなと思いました。
駄文を失礼
まあ、米の基地外なんぞは何の罪も無い子供や女性、老人にいたるまで
何十万人も焼き殺して、その事実を正当化してるんだからね。
イラクでの犯罪見ても・・・
日本人にも同様の基地外の1人や2人いてもおかしくない。
ただ、事実はすでにみなが書いてるように、当時ほとんどの将校は
そんなことしてないのよ。
うちの曾爺ちゃんに言わせれば、
軍刀も陛下から御預かりしたもの、犬とか動物切るのも汚らわしい。
それを、子供など言語道断というか「考えもつかない行為」だそうだ。
ましてや、それを自身の子や孫にはなすとなると
「当時から気を病んでいる」にちがいないと・・・
当時でも部隊に幾人かは武士道や神道を非常に重んずる上官がおり
耳に入れば、ただではすまなかったそうだよ。
>>757 あの時、背を向けたまま直立不動でビシッと立ってた兵隊さん達は、どんな気持ちだったんだろなぁ…
うちの実家に、祖父の軍服姿の肖像写真があった。
祖父は俺が生まれる前に事故で他界してるし、親父からも祖父の軍人時代の話は聞いたことがなかった。
祖父が戦争については一切語らなかったかららしい。
写真の階級章は少尉、祖父が軍人だったことは知ってたが、まさか将校だったとは…
親父にもう一度聞いてみて分かったことは…
職業軍人だった。
鬼軍曹と恐れられたとの逸話がある。
25歳で南方(詳細地不明)で終戦。
都城の連隊だった。終戦時の階級は陸軍少尉。
マラリアに罹患した状態で家に帰ってきた。
祖父の戦歴を調べてみたい。都城の連隊の記録や、実家を家探しして、記録などが残ってないか調べてみる
>>764 都城と言う事は歩兵23連隊かな?
都城で終戦した連隊は別にあったみたいだけど、南方で終戦した都城の連隊は、手元の資料では歩兵第23連隊しか見当たりませんしね。
>>765 俺もたぶん23連隊だと思うんですが、確証が得られず難儀しています。
まだ調査に手を着けたばかりなんで、おいおいとわかってくると思いますが…
レスどうもです
767 :
名無し三等兵:2008/02/27(水) 12:29:50 ID:YrGD/Cu0
うちの親父70歳代なんだがこの前俺がモーゼルkarのモデルガン買って部屋に置いといたら三八式だとか言って興味示してた。
なんでも中学時代に三八式の操作方法を習ったらしい。親父のなかじゃボルトアクション=三八式なんだろうな。
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
770 :
名無し三等兵:2008/02/27(水) 14:10:06 ID:lxhWx0dV
去年、うちの前で合掌しょうる爺さんがいた
「なんつーことをしょんならww」
と思って、なんで合掌するのかと聞いてみると…
「戦時中この辺(現在は桜の名所、今も戦争遺跡が残る)は高射砲陣地でのう、わしゃあ弾薬運びよった。
7月の空襲で陣地が焼夷弾喰ろうてな、上官の人がとっさに避難壕に落としてくれたんじゃ。ほいで気絶したんじゃが、目覚めたら、その上官は炭屑になっちょった。
ほじゃけぇ、その上官の慰霊のために15年ぶりに来たんじゃがマンションが建っちょるけん驚いたわ。すまんけど、合掌させてくれや。
ちょうどあの車の辺りで上官は戦死したんじゃ」
そういって、指したるは我が愛車ww
シャレんならんが、戦士のために冥福を祈った
ちなみに場所は今も昔も軍港都市の呉。
俺の曾祖父は、基地外司令官のどう考えても無謀な作戦命令に反発して、抗議の電文を送ったら師団長を解任された。
772 :
名無し三等兵:2008/02/27(水) 15:30:30 ID:X2d1w1Nw
俺は某被爆市に住んでんだけど
爆風で吹き溜まった沢山の真っ黒こげの死体の写真。
その場所が今でもある、石垣とかそのまま・・
ここは60年前地獄だったんだなと
スレチスマソ
うP汁
774 :
名無し三等兵:2008/02/27(水) 16:27:22 ID:0MWXhmld
>>729 期間的には寛大な時期のほうが長い
ある時期に集中的にそういった旧悪を大量粛清というパターン
日本兵の場合 戦後の国共内戦時には公開処刑で 人民の支持獲得
対日協力者の同じ しかしそこを生き延びれば 過去反省して共産党に忠誠示せば
寛大に 文化大革命はそういった対日協力者や旧支配層(地主 資本家)への
粛清と捉えることもできる
共産党は日本人に残酷だった,というのも寛大だったというのも
両方ともウソではない 時期や場所の違いだけ
776 :
サンエー:2008/02/27(水) 19:00:06 ID:gnzE187/
>>774 ナイスつっこみwww
>>771 その節は曽祖父大変でしたね。。。でも
佐藤さんの判断が正しかったのは歴史が証明してます!!!
胸張って生きろ子孫よ!!!!!
勉強になります
>>756 うむ、駆り出された「青年団」とかもいたかもしれんのう。
いや、そんな年格好の人はみんな兵隊に取られてたかな。
>>757 あ それで思い出したけど、警官じゃなくて兵隊だったかな。
歩兵銃を持ってるなら兵隊だろうけど。
>>745 強盗なら返り討ちにしても正当行為だからね。
>>746 うむ。国民党と共産党の暗闘の犠牲者を、どさくさに紛れて国軍のせいにするくらい朝飯前だろうな。
母方は彦根藩に仕えた武士の家系で、維新後もわりと職業軍人が多かったとかで、爺様も
下士官として満州に赴いていたそうです。
嘘か誠か子供(母)向けの物語かは今となってはもはや判別つきませんが、辺境部に赴任して
戦争らしいことをほとんどしないまま終戦を迎えたとか言う話で、終戦後も虜囚となることなく帰国
が叶い、しかも五体満足で病を得ることも無く、80歳近くまで実に健康そのものでした。
物資が欠乏する本土の家族に色んな貴重品(食物)をちょくちょく送ってきたので、支那の最前線
という訳ではないのは確かっぽいです。
まぁガキンチョだった自分が爺様相手に戦争談義をするはずもなく、また、母もほとんど戦争のことは
触れなかったので細かなことは判らずじまい...
正月にWW2の独軍戦車や日本海軍艦艇のプラモをねだったガキ(自分)視点では、当時の日本人
としてはかなり背が高く口数が少ないものの、優しい爺様であったことしか覚えてないし。
あと若い頃の趣味であったらしい昭和初期のカメラが何台かあったことぐらいか。
ただ一つ言えることは、身長170代止まりの兄弟親族から突出して、自分だけが180半ばになったのは
間違いなくあの大柄な爺様の遺伝だということと、もし自分が80まで生きても髪はフサフサだろうということ。
ちっとも戦争体験じゃないですね・・・ゴメンナサイ。
>764
海軍甲事件の真実に関わりあった方とか・・。
親父殿をつついたら何かご存じかも。
冗談はさておき墓島で苦労されたことと思います。
784 :
名無し三等兵:2008/02/28(木) 00:34:54 ID:OE5Qx5NS
曽祖父の代まで遡って、知る限り終戦時軍人は、父方祖父の長兄が予備士官学校?学生のみ
祖父は旧制中学、4曽祖父は30後半から45前後だったらしい。
役人、科学者、不適格者だったとかではなく、ただ召集されなかったそうな。
母方の曽祖父は、町内会の班長?だったらしいが、あと3人は不明。
親族の戦闘体験を聞けないのが残念なような、曽祖父の幸運を喜ぶべきなのか
786 :
名無し三等兵:2008/02/28(木) 02:24:29 ID:+tRaZYlJ
戦争体験ではありませんが、少し不思議な話をさせて下さい。
田舎からうちに訪ねてきた父方の爺さま夫婦を連れて近所の海軍墓地に行ったときのこと。桜が散り始めていたころの季節でした…
大叔父(爺さまの兄)が乗っていた駆逐艦の墓参り(?)を済ませ、車に乗り込むと爺さまのポケットから見慣れぬマッチが…
ろうそくや線香の着火にはいつもの墓参りセットの着火マンしか使っておらず、マッチを使うはずがありません
第一、マッチは地元漁協関連のもので他所の山奥の者が持っているわけがありません。うちも当時はケーキのろうそくを灯もすことさえ大変だったぐらい着火具がありませんでした
なにか不思議な印象も感じ、親族内では大叔父が帰郷するためにマッチに憑いてきたということになっており、マッチは父の実家の仏壇に桐箱入りで置いてあります
爺さまの兄貴の遺体は船と一緒に台湾海峡の底に…
せめて魂だけでも帰りたい、と思ったのかもしれません。
祖父も昨年他界いたしました。
向こうで兄弟水入らずの酒盛をしてくれていることを願っています
手癖の悪い爺だこと
>786
す・・すいません
オチがわかりません
こちらからも見えるよピンキー。
>>750 爺さんハル島から生還したんだな。よかったな。
戦死した、うちの爺も楓の歩兵212連隊のハズ。
学生時代、カリフォルニアにホームステイした時そこの家のじじいが
「俺は昔飛行艇に乗ってヨーロッパのナチの潜水艦ガンガン沈めてたよHAHAHA」
って言ってたんだがカタリナってあっちにも派遣されたの?
【父方のおじーちゃんの話】
三重県鈴鹿市出身。陸軍だったはず。
フィリピンへ向かう船に乗ってる時、敵の攻撃を受けて船が沈没したらしい。
その船には目的地の仲間に届ける、大事な書類も運んでいたんだとか。
海に投げ出された時、自分の目の前を書類の箱がプカプカ浮かんでいたから
「これは大事な書類だ!絶対に守らなきゃ!」と、箱を体に縛りつけ泳いだらしい。
泳いだり浮かんでた物につかまったりで数時間後、仲間の船に助けられた。
おじーちゃんは「とにかく書類を!」と、その船の偉い人に無事書類を届けたそうな。
漂流時に怪我もしていたため、おじーちゃんはそのまま日本に帰された。
書類もやっぱり重要なモノだったらしく、それを守った功績を讃えられ表彰されたらしい。
その賞状はボロボロに色褪せつつも、おじーちゃんの家の居間に飾られている。
毎年正月におじーちゃんの家にすきやきを食べに行くと、
「あの賞状はな・・・」と話が始まり、それが終わるとお年玉タイムだったwww
私は高校〜大学とアメリカに留学してたんだが、
夏休みで帰省した時、おじーちゃんは笑いながら言った。
「おぅ、帰ってきたんか。アメリカ人はデカかったやろ?
おじーさんはこんに体がちっさいのにやな、あんなでっかいのと戦わされたんや。
そりゃ戦争にも負けるわ」とwww(ちなみにおじーちゃん、身長160以下)
そしてまた、賞状の話となる。
子供の頃の正月と違ったのは、表彰された「その後」をおじーちゃんが話したことだ。
「おじーさんは日本に帰ってこれたけどな、
沈没してみんなようけ死んでしもたわ。仲間の船に助けられた人らもな、
そのままフィリピン行って、みんな死んでしもたわ。おじーさんは運がええのやな」
笑いながら大好きな酒を飲んだおじーちゃんは、
生還したことが誇らしげにも、ちょっと寂しそうにも見えた。
おじーちゃんは、3年前に他界した。
おばーちゃんが手入れをもてあましているあの賞状は、是非私がもらいたいもんだ。
>>793是非後世に伝えて欲しい。
うちの親父は大東亜戦時中まだ消防だったのだが
敵が上陸するような海岸からは50キロもありそうな所なのに
戦車を沢山見たそうだ。
どうやら近くの鉱山の坑道に隠そうとしていたらしい。
だからかド田舎にもかかわらず占領軍が調べにも来たそうな。
795 :
793:2008/03/02(日) 00:39:14 ID:???
父方のおばーちゃんも、同じく鈴鹿市民。
戦争で亡くした兄弟がいるためか、おばーちゃんから戦争の話を聞いたことがない。
いつも、おじーちゃんの賞状の話を頷いて聞いているだけだった。
軍事のことには詳しくないのだけど、おじーちゃんの賞状には、
将来私の子供にも語り継ぐファミリー的歴史価値があるんじゃないかと思って。
父は戦後しばらくして生まれたので、おじーちゃんがあの時あぼんしてたら
今の私は当然いないわけで・・・。そう思うと、今更ながら、なんだかすごい感動が。
そんなわけで、最近ちょっとおじーちゃんの戦争体験に興味がでてきた。
おじーちゃんが行くハズだったのはフィリピンのどこだったんだろう?とか。
ちなみに、鈴鹿にはいっぱい戦争中の名残があります。
防空壕がいまだに残ってたり、鈴鹿自体が軍と一緒に発展した町らしく。
市内にはまっすぐな道路が、東西南北にわたり何本か走っています>元滑走路。
近所の丘の公園に、沖縄戦の時に日本軍の部隊が全滅したというトーチカ跡が残っているんですが、
空き缶やらゴミが投げ込まれててあまりにも酷い状態です。
うちの祖父(元鉄血勤皇隊員)と俺は、兵隊さんが大勢亡くなった場所を汚くしておくのは忍びないという事で、毎週日曜日の早朝に掃除に出かけてます。
しかし掃除をしてもいっこうにゴミが減らず、何者かがわざと投げ入れてるとしか思えません。
近所の住民にゴミ捨て場にされてるんだろうよ
798 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 06:28:05 ID:uWa8OZwm
このところ、いい話が多いよな・・。
オレの爺さんも、戦地に行ってたから、もっと話を聞きたかった。
自分が小学校低学年の時に亡くなってしまったけど。
当時、爺さんから戦争中の話を数回だけ聞かされた事があるが、
○○作戦で見方全滅なんて言われても子供にはわからない。
爺さんがとても悲しい表情だったのだけが印象に残ってる・・。
799 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 06:33:08 ID:QrYJzFTR
>>796 ゴミ埋めるための唯の穴としか思ってない奴がいるんじゃないか?
看板たてて、どういった歴史のあるどういった場所なのか、ちょい知らせてやりゃ綺麗に解決できるかもよ。
ただ、そうやっても続く場合はなにか別な感情が入ってそうだな。
ジャップめ手こずらせやがって!とか
その穴で身内が死んだことが憎い!とか
800 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 06:36:07 ID:QrYJzFTR
>>798 立派に軍オタに成長した今のおまいに聞かせれば、
目をらんらんと輝かせて聞くことだろう。
○○作戦について批評をおっぱじめて爺さんを関心させることもできることだろう。
>>799 数年前まで、ちゃんと看板や小さな慰霊碑が建っていたんですが、幾度もスプレーで落書きされたり、慰霊碑が破壊されて、今は全て撤去されています。
やはりその場所に何かしらの、特別な感情を抱いてる人がいるのでしょうか。
若者達の単なるイタズラかもしれませんが…。
802 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 07:05:17 ID:uWa8OZwm
>>800 なんか、涙がでてきそうになった。
爺ちゃんには長生きしてほしかった。
かなり重たい人生だったみたいだし。
歴史の伝承って本当に大切なことかもな。
803 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 07:13:32 ID:QrYJzFTR
>>801 んー、徹底してるなw
落書きの内容はどう?
暴走族が書くようなものなら、ただの無神経かつ無関心な若者だろな。
落ちてるゴミもスナック菓子の袋とかタバコの吸殻だったら裏付けになるわ。
んー、だけど沖縄地元の子で、無神経無関心のいるのかー。
まともに戦場になったところだから、自分らの家もなんらかに関わってて、思いのある人らとばかり思ってたのに。
引っ越してきたよそ者の子の族とかかな?
804 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 07:17:36 ID:QrYJzFTR
>>802 戦死なさらんかっただけでも、よきことだよ。
戦死なだってたら、歴史の伝承どころか、おまいん家の伝承が途絶えちゃったかも。
戦争経験世代はそろそろ乏しくなる。ちゃんと、お話を蓄積しときたいもんだ。
805 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 07:40:53 ID:uGAq4CNO
うちの親戚。逃避行の最中に重い物を捨てながら逃げたらしいんだが、
最後にはちり紙でさえ重く感じてそれすらも捨てたらしい。
残念ながらどこでの事かは分からず。最終軍歴は中尉。
ところで軍歴証明って簡単に取れるんだろうか。どんな情報が得られるんだろ?
ウチは父方祖父が中国大陸転戦ー九州で塹壕堀をしてる最中に終戦、
母方祖父が被爆後の広島に救護兵として入って戦病死(多分)してるんだが
もう少し詳しく知りたいので・・・。
兵隊が沢山死んだ場所?
つか、ゴミ以上に穢れてんじゃん…。
神道的に最高度にケガレた場所かと思われ。
「お払いしたから大丈夫」
なんてのは葬式仏教or冠婚神道的なご都合主義だし。
まだ、ゴミのほうがキレイなくらい。
キレイなゴミで覆い隠してあげたほうが死者のためかと…。
>>796 地元に紛れ込んでるチョンの仕業じゃねーの??w
そういえば、沖縄のどっかの丘で、戦没者の慰霊祭が行われてたんだけど、それを撮影していたテレビカメラに、日本軍の将校らしき軍服を来た白髪頭の人と、他に二人の人影が、暗闇に浮かび上がってクッキリと映り込んでいたという話を聞いた事がある。
その動画があるらしいが、まだ見てない。
↑サヨの仕込みじゃね?
>>805 軍歴を保管してる都道府県なら、本人の本籍と請求者が親族であることの確認ができれば簡単に出すが、
戦後に処分しました、とか、火事で燃えました、とかでそもそも持ってない県ってのが意外とあるのよ。
うちの爺さんは関東軍の輜重兵でした。
物資をハルピンに取りに行ってる時にソ連参戦で、ついに原隊復帰できず
見知らぬ部隊と一緒に抑留生活するのが辛かった、
原隊にいればもっと助け合って、仲間も沢山死なずにすんだ、と嘆いている。
輜重兵って、日本軍じゃ馬鹿にされる存在だったから、
他の部隊の中じゃ一層肩身狭かったんだろうね。
俺の親父は戦時中、勤労奉仕で富山の呉羽というところで働いていたんだが、
近くの飛行場に四発の大型機が飛んでくるのを見たことがあるという。当時は
試作の爆撃機で四発機はあったのは知っているが、試作機が富山に来るとは思
えないので勘違いではないかと思う。
輜重輸卒が兵ならば、蝶々蜻蛉も鳥のうち・・・ですか。
輜重がなければ食料も弾も燃料も届かないというのにね。
そんな俺は衛生兵や工兵やCASなんかのサポート役に萌。
814 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 15:22:19 ID:GZqTWuB1
>764
兵隊から叩き上げて少尉任官したんだね。
多くの人々から尊敬されてた筈だ。
ではうちの祖父から聞いた話を
うちの母方の祖父は二回戦争に行ってたと聞いた
初めの召集では満州に送られ、満期除隊になるまで
>>810のお祖父さんと同じようにトラックで物資の輸送をしていた。
満期除隊で日本に帰国するが、満州にいるときに太平洋戦争が勃発したために
昭和18年に再召集ががかかり、今度は独立混成第一連隊に入隊。
横須賀から戦艦大和に乗ってトラック諸島へ、そこから別の艦でカビエンに送られる。
昭和19年くらいから米軍の攻撃が強まり、島への補給物資が少なくなったため
仲間とカタツムリやトカゲ、木の実を採って食べていたらしい。
終戦後はラバウルの収容所に送られ、昭和21年に復員船の空母葛城に乗って日本に帰還した。
祖父は生前に「徴兵される前はトラックで石炭を運ぶ仕事をしていて、戦場でも後方での物資輸送を担当していたから
生き残れたんだよ」と言っていた。
じいちゃん入院してて、よく軍歌のCD聞いてるんだが
同室の向かいのじいさんが、それに合わせて小声で歌っては涙ぐんでるそうだ
詳しくは聞いてないそうだがそれぞれ戦争中の思い出があるんだろう
>>809 戦後軍は焼却命令出した
残っているのは軍の命令無視して守った勇敢な人たちがいたところ
資料として貸したらそのまま紛失ってのも多かったらしいが…
819 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 17:19:38 ID:M30XiJnv
自分の悪行(連合軍から見て東京裁判にかけられそーなやつとか、日本から見て敗戦の責任とらされそーなやつとか遺族から責められそーなやつ)
をかくすために工作した馬鹿がいる悪寒がするんだがな
820 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 17:46:30 ID:30DmhZv+
俺の父方の祖父は陸軍中野学校1期生でスパイだったとのこと
俺が生まれた頃にはもう亡くなってるので
情報がさすがに少ないが親父の話やアルバム等から分かってる範囲で
盛岡陸軍予備士官学校出て、支那事変従軍記章が
残ってることから、日中戦争に従軍した後、
その功績?から中野学校行きになったのかと
大戦中は神戸独領事館に潜入、ドイツが日本を
裏切らないかどうか監視してたとのこと
日本語、英語、ドイツ語、ロシア語の計4カ国語がしゃべれた
ドイツ人一家との写真も残っており、いいもん食ってウハウハだったらしい
最終階級は准尉
終戦後は南方から復員したと思わせるためにボロボロの復員服?着て
北海道の実家に帰った
その後は警察予備隊の小隊長を経て、
陸自、と3佐で退官した
年金もらうとき、軍人であったこと証明するのに
九州のかつての上官に会いに行ったとか
>>814 いや、兵隊から叩き上げで25歳少尉は無理でしょ。
822 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 17:52:42 ID:AREs/B5w
うちのじいちゃんは航空機の整備をしてたんだけど毎日のようにプロペラが回転した飛行機で追いかけ回されて友達は殺されたって。
823 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 17:58:09 ID:M30XiJnv
???
整備兵がイジメ受けてたんか???
825 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 18:37:07 ID:uGAq4CNO
軍歴証明の件、ありがとう。いつか取ってみるわ。
お礼がてらにもう一人のおじの話。
駆逐艦(船名不明)で対空機銃を撃ってたらしい。戦闘の最中に逃げ出した
兵隊が逆に弾にあったって死んだ。「ああいう時は逃げるヤツが死ぬんじゃ」。
志願した理由は「天皇陛下万歳とかじゃなくて、中国で死んだ兄貴の仇撃ち
じゃな」。後にその船は敵の攻撃で沈み、叔父は何とか近くの島に泳ぎ着いて助かった。
826 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 18:38:48 ID:30DmhZv+
>>824 いや、親父は一期って言ってたけど
同期が五〇名くらいいたっていうから
たぶん違うと思う
一期生は一九名だから
仲間達が暇つぶしに、中国人捕虜の首を日本刀で切り落としてたらしい。
首落としても数秒間体は生きてて、よろよろと歩くらしい。
それが面白くてやってたみたい。
自分も無理矢理やらされたって。
>>826 中野関係の人の本読むと、
どんどん線香が増えていくって描写がありました。
ガンガン氏んでいったみたいですね。
830 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 20:12:25 ID:30DmhZv+
>>828 関東軍とかの特務機関勤務が多かったみたいですからね
あと、遊撃戦要員として派遣されたり
まぁ、後者は二俣分校卒の人が主ですが
祖父は公館勤務で良かったですよ
でないと今の自分はいなかったかもしれない
昭和20年、田舎の祖母のところに疎開していた祖母妹一家
留守宅の様子を見てくると東京は墨田区の自宅にいったん戻ったのが
よりによって3月9日
いまだに行方不明
お前ら、じいちゃん、ばあちゃんを大事にしてるか?
息子、嫁、孫に相手にされず、口もきいて貰えない年寄りが多い。
年寄りが、悪い奴につけ込まれるのは、寂しいからだ。
一緒に住んでいる奴はめんどくさいと思っても話を聞いてやってくれ。
身内から酷い扱いを受けてる年寄りが多すぎる。。
>>832 そうは言っても小さいころから母親を虐め抜いてきたのを見てるからね
834 :
名無し三等兵:2008/03/02(日) 23:51:30 ID:b68ivu/6
>>832 過去のシガラミが無い第三者がボランティアで
お年寄りの話を1時間でも2時間でも聴いて
あげるのがイイかもしれない。
835 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 00:02:05 ID:iActblfd
うちの爺さまは近衛兵でごちょうだったらしいのだが詳しい人どんなんか教えて。
婆さんは山梨からでたんわそん時は爺さまだけだといってたが近衛兵ってそんななるん難しいんかい?
ってごちょうって下っぱやんね?詳しい人教えてください。
まずはちゃんとした日本語で書いてくれないか
>>835 戦功を上げて近衛兵に抜擢されたら、親戚の誇りどころか郷土の誇りだそうだ。
位としては上はいくらでもあるけど、士官とそれ未満が画然と分かれていたそうだから、
たたき上げの兵隊としてはトップクラス。実質、国軍の中核といったところじゃないかな。
詳しい人 どんなもんでしょうか?
>>836 意味が分かればいいへら(←なんだこりゃ?)
839 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 00:43:00 ID:iActblfd
>>836 俺は835だが日本語じゃないかこれ。ただ聞きたいだけなんだが。
なんかちがったらすまん。
俺はその爺さんも俺が生まれたときおらんでしらんし婆さんももう死にそうなんで昔の婆さんの話がほんまか知りたいだけなんだが。
ただ親父いわく学校の送り迎えにキャデラックだったとかボンボンだったみたいなこと言ってたから爺さんの軍歴が関係あるのか最近気になったもんで
840 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 00:49:02 ID:YUio3j5t
戦時中にキャデラックなんか将クラスでも乗っとらん。てかあったか?
戦後の話か?なら復員してからよい地位に就かれたってことだろう。
841 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 00:50:48 ID:gje92mPJ
近衛兵の漢字がわかるなら伍長ぐらいわかるだろ
842 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 00:53:09 ID:iActblfd
>>837 そうなんですか。
なんか婆さんが自慢してたわけがわかったきが。
まぁよく考えたら人物ばれる恐れありますが確かにその地方の誇りっていってたような。
でも近衛兵って全線には行かず天皇のそばにいて安全なきがして気が引けます。
母方の曾祖父は海軍でバリバリ駆逐艦乗りと言うのを本人から聞いていたんで。
843 :
836:2008/03/03(月) 00:55:46 ID:???
>>836 >俺は835だが日本語じゃないかこれ。
だったら漢字で書ける所はしっかり書けいてくれよ。
>婆さんは山梨からでたんわ
>なんかちがったらすまん。
とかお前は厨房以下かよ!!
重箱の隅つつく様で悪いが読みづらいよ。
もうこれ以上は突っ込まんけど。
845 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 01:00:52 ID:iActblfd
>>841 変換で出なかったんでものぐさなおれがわるいね。伍長変換できるよな…
親父のは今52なんで戦後の話しです。ただほんまに山梨のド田舎で車はしれたんかよとか思うけど。その爺さまは戦後は土建屋やってたらしいけど詳しくわわかりません
846 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 01:07:36 ID:iActblfd
>>843 835ですがすいません。
今後はちゃんと変換とか気を付けます。気分を害し申し訳ない。
>>845 山梨は名古屋弁みたいな喋り方するのか?
848 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 01:16:33 ID:iActblfd
俺は名古屋生まれ三重育ちです。
うちのじい様が、東北と九州の兵隊は勇猛で強かったと言ってたなぁ。
オレの爺さまはとっくに天に召されているが、消防だったオレによく言っていたのは
「勉強はしておけ、借金で身ぐるみはがされても、空襲で家を焼かれても、頭の中のモノはなくならない」
「子供をこさえたら貧乏はさせるな、ちゃんと学校に行かせろ。そうすれば軍隊に入れんでも済む」
親父はぎりぎり昭和一桁で従軍経験はないが、伯父はみな職業軍人。
4人行って生還は一人だけ。
自分が貧乏しなければ、軍にじゃなく大学へ行かせたかった、ということらしい。
851 :
uaa:2008/03/03(月) 01:49:20 ID:dCfINTMa
>>835 近衛兵になるには家柄が重視されたから、田舎でもかなりの名家だったんだろうな。
>>842 近衛兵も前線で苦労してるよ。宮城警備の部隊もあったけど。
俺のじいちゃんはよく「字を丁寧に書け」って言ってたなぁ
未だにあんまりキレイに書けなくてスマンじいちゃん
軍に居たときは満州で補給部隊にいた…とか
内地でB29の監視??してたとか何とか言ってたが
昔の俺はそんなことに興味もなく…
ばあちゃんは看護婦やってて
空襲で街が火の海の中怪我人助けてかけずり回ったとか
853 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 02:04:12 ID:Z+qoTxpT
>>852 そんなおまいは、じいちゃんになったら「レスを丁寧に書け」って孫に言うんだぞ。
>>850 はて?貧乏人でもいける学校として軍の学校へ行ってたみたいだお、当時の貧乏人さんちの優秀な子は
>>851 割り込みだけど、体格や容貌に加えて、考えてみれば当たり前ではあるけど出自もチェックされたということですか。なるほど。
>>853 なにを疑問に思っているのか意味不明。
「5人いた息子の3人まで戦死した親」の述懐であるということが分かってないのでは?
856 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 02:54:52 ID:Z+qoTxpT
>>855 あーすまない。息子さんなくしておられたのか。
軍の学校は金かからんでいいけど、それじゃ行かせたくないわな。
>>811 このスレ、朝鮮ヒトモドキが紛れてるからね
>>842 >でも近衛兵って全線には行かず
近衛師団も東南アジアへ出張ってますよ。
>>847 語尾が「〜ずら」、「ハイ」の代わりに「へぇ」、「ほー」
あとは標準語に近い。
>>807 子供の頃、特番の幽霊番組で見ました。
夜中に霊能者が呼んだそうですが、画面を見ても
軍服はおろかぜんぜん幽霊らしき姿に見えず、
出演者だけ怖がっているいつものパターンです・・・
逆にその番組見て、幽霊はいないんだなと思いました。
まあ本当に幽霊がいたら、沖縄、東京、京都、広島・・・
なんて住めないですから
岐阜 大垣の不発焼夷弾騒ぎはどうなったん?
862 :
uaa:2008/03/03(月) 15:15:40 ID:mGQIWKBh
>>854 家柄や容姿で候補者がリストアップされると、地元の警察が素行や思想信条を調べたそうだ。
担当する巡査が間抜けだと本人に気付かれたり、調べられてるという事で悪い噂が立つなんてこともあったそうだ。
863 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 17:25:06 ID:qUnATVdj
本来すごい名誉なことなのに、間抜け巡査のせいで悪評がたつなんて悲しいなw
特に戦前からの近衛だと、三親等内に右左にしろ極端な思想を持った人物がいないか調べたそうだ。
遺伝形質と人格形成環境の両方をチェックする為に。
平成時代に警察の事務員の採用試験受けたことがあるけど、
二次試験の面接の後にいきなり紙渡されて、
「三親等以内の親族全員の住所氏名生年月日を記載せよ。わからなければ電話貸してやるからこの場で電話して確認せよ。それもできないヤツには用はない」
というんで書かされたことがあるぞ。
その後にアルバイト先まで警察官が調査に来たと聞いた。
そこまでして結局落ちたからムカツク。
866 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 18:55:12 ID:A7U3Fkkp
高雄航空隊→鹿児島航空隊→最後は鹿児島の山の中で蛸壺掘って爆弾持って突撃準備してたらしい。航空基地だったから何回も凄まじい空襲受けたんだってさ。
>>865 まだ平成だから平成時代と言われても困るんだが。
>>865 三親等以内の親族の思想や前科を全部調べるんだよな。
いくら試験の成績がよくてもこれに引っかかるとだめ。
警察官や事務官になりたかったら、まずは身内のチェックを。
つーか、これスレチじゃね?
869 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 20:36:13 ID:8R/LjMB2
話しぶった切るけど、俺のじいちゃん(89)から聞いた話。
戦時中、満州に衛生兵として福岡から出兵。 前線で活動したのは、1年ちょいで、衛兵の傍ら事務的な仕事をしてたらしい。
朝鮮人は勝ってる時は、「俺は日本人だ!」っ言って現地の中国人の畑やら荒らして威張ってたらけど、日本が負けた途端、現地にいる朝鮮人の態度の変わり様にびっくりしたって、だかいまでも、ニュースで韓国、北朝鮮見ると「チョンコロとロシアは卑怯」って言ってる。
870 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 20:49:55 ID:8R/LjMB2
>>869の続き…
以外に中国人に対しては今みたいに悪い印象はないみたい。 毛沢東が日本人全員、本土に帰した事にかなり感謝してるって言ってた、 当時現地にいる人は、「もう日本には帰れんな…」って思ってたらしい
871 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 21:05:06 ID:A7U3Fkkp
大和に乗ったときは凄く感動したらしいよ。艦内に映画館もあったらしい。沈没するまえに鹿児島航空隊に移動になったらしいけど今でも大和話は自慢してる!内燃機関の開発でターボエンジンも作ったっていってた
うちの死んだ爺ちゃんが、戦争の末期(昭和20年)になると政府批判が街中でも結構されていたらしい。
警察も大きい声での批判とかで無い限りは聞かぬフリをしてたとか。そんな感じだったのかな全国的に。じいさんは
地方の田舎の町ですが
>>872 ×
> うちの死んだ爺ちゃんが、戦争の末期(昭和20年)になると政府批判が街中でも
> 結構されていたらしい。
◎
> うちの死んだ爺ちゃんが、戦争の末期(昭和20年)になると政府批判が街中でも
> 結構されていた、と言っていた。
※主語と述語が対応しているかどうか確認しようね!
×
> じいさんは地方の田舎の町ですが
◎
> 爺ちゃんは地方の田舎の出身だけど。
> 爺ちゃんは地方の小規模都市の出身だけど。
※「爺ちゃん」、「じいさん」という風に呼び方を何種類も使う表現は高等テクニックなんだよ!
呼び方は一種類にした方が無難だよ!
※あと、
「死んだ祖父が…と言っていました。…祖父は…出身ですが。」とか、
「死んだ爺ちゃんが…と言ってた。…爺ちゃんは…出身だけど。」という風に
全体的な雰囲気も考えようね!
>>862 戦後生まれの母親も就職時に探偵に調べられて、
逆に近所に「何したの?」と聞かれたそうな。
>>856 そういう話だけど、当時のことだから、大学に行ったとしてもどうなっていたかは分からないよね。 (ー人ー)なむー。
>>871 排気タービンは、作るには作れても、当時の工作精度や潤滑油では、すぐ焼き付いてまともに動かなかったんだそうです。
>>870 日本人を帰したのは、国民党の蒋介石じゃない。
879 :
名無し三等兵:2008/03/03(月) 23:47:54 ID:iActblfd
>>835ですが近衛兵ってなかなかなれんもんなんですね。
俺は生きてるときの爺様知らず写真でしかないがどことなくド真面目な感じでした。
戦火を生き延びてもらい感謝します。でなきゃ今の俺居ないな。
>>879 こういうと気分を害するかもしれんが、
お前の文はところどころ不自然だ。
爺様に感謝するなら勉強に励んだ方がいいぞ
うちの祖父様は、徴兵検査の結果が良く、「近衛兵に志願しないか」と
誘われた事を誇ってたからね。
近衛兵になると帰郷が遅くなるので志願しなかったと言ってた様に記憶
してる。
882 :
名無し三等兵:2008/03/04(火) 00:33:15 ID:tNT1WTGe
>>880言われんでも解りますが…
別に完璧になろうとは思いませんがなかなかシビアですね。
酒飲んでレスってわけにはいかない厳しい人が多いのかな。
気分を害し申し訳ありません。
俺は堕落してこんな感じなんですいません。
日本刀が押入れに入っていた。俺が子供の頃だな
それいじってたら、爺さんに
「それで、中国の人を1人殺したんだよ。だから触ってはいけない」
と言われた。
あれから20年位たつが、あのときの爺さんの顔は忘れられない。
と同時に、なぜその刀をあんな場所においていたのかも、判らない。
うちの親戚の爺さんは屠龍のパイロットだったらしく討ち漏らしたB29が市街地爆撃する度に「死ぬべきなのは俺達軍人なのに…」
と悔しがって言ってたそうな
885 :
名無し三等兵:2008/03/04(火) 01:10:00 ID:srGRKZ+B
>>877 じいちゃんが毛沢東を絶賛してたのと、本土に短期間で帰れた事がうれしかったってのをごっちゃにしたのかも。 間違ってたらすんまっせん、
俺の場合、父方の祖父も、母方の祖父も、それぞれミッドウェーとニューギニア島で若くして戦死してるから、戦争体験を聞かせてくれる人が身近にいなかったなぁ。
まぁ、出征前に子孫を残しておいてくれた事に心から感謝してますけどね。
887 :
名無し三等兵:2008/03/04(火) 06:26:24 ID:B0XnnD0T
話ではないが 家の倉には機関銃がある 処分に困ってる
戦時中の拳銃が出てきたので警察に届けた、という話ならよく聞くが…。
>>887 んなもん、最寄りの警察署に相談しなさい。
890 :
名無し三等兵:2008/03/04(火) 07:19:52 ID:B0XnnD0T
それもあったはず
891 :
名無し三等兵:2008/03/04(火) 07:21:47 ID:B0XnnD0T
今となっては亡き祖父の思い出という感じも少なくない
892 :
名無し三等兵:2008/03/04(火) 07:30:31 ID:4ZlGVU+1
俺の爺さんはA級戦犯で処刑された
>>892 日本人のために全ての“罪”を背負って処刑されたんだから、
別に恥じることではない。
イエス・キリストの磔刑と同じ。
はんにゃはらみたあーめんざーめんそーめんそーいそい
>887
警察に相談(発見報告)は、まずあたりまえとして
自衛隊にも連絡を取って、展示品(資料)として受け取ってもらうように
手配しておいてね・・・貴重な品なので。
・・・と吊られてみる
うちの蔵にも火縄銃の銃身だけあるよ。 もうサビサビ。
無可動のMG34と並べると、なんか味がある。
スレ地ごめん
895 :
名無し三等兵:2008/03/04(火) 11:50:55 ID:B0XnnD0T
釣り違うよ
896 :
名無し三等兵:2008/03/04(火) 12:40:22 ID:09rcx6Oq
俺のじいちゃんは
近所の基地で事務屋やってて
ずっと自宅通勤だったらしい。
空襲も無かったんで終戦するまで
敵の姿を見たことが無かっただと。
897 :
名無し三等兵:2008/03/04(火) 12:41:32 ID:ooGFAPl2
じいちゃんの小屋に米の20ミリ弾頭が鎖つけて
ペンダントみたいになってた。ほしいな。
祖父は玉砕の島・ペリリューからの生還者。
祖父達が、終戦後もしばらくゲリラ戦を展開していた事は知っていたが、
俺が戦史に興味を持ち始め、もっと詳しく話を聞こうとした頃には、とっくに痴呆症が悪化してしまい、本人からは体験談を聞く事が出来ないまま、永遠のお別れをしてしまった。
あまり体験を語るのが好きではなかったみたいで、一度取材に訪れた記者を、丁寧に追い返していたと、祖母から聞いた。
だが、死んで行った戦友達への想いは強く、痴呆症が悪化する前年まで、靖国神社への参拝は毎年欠かさずに行っていたそうです。
あなたのおじいさんあの三十四士の一人でしたか。ご冥福をお祈りします
特攻隊員だったらしい。
特攻前日に終戦したから特攻しないで生きて帰ってこれたんだって。
海軍で学び戦後、陸自、地域等に貢献し表彰を貰った叔父さん曰く
『俺は偉いことをしたんじゃない、任務を果たしただけだ』
902 :
750:2008/03/05(水) 00:39:51 ID:CnzSsDY/
>>752-753 靖国神社の扉の前で撮った戦友会の写真が残っていて、「楓4256部隊第4中隊 戦友会」とだけ書かれていたよ。
正式な連隊名は復員後も使わなかったのかも。
「敵の兵隊の顔は見たことあるか?」って聞いたら、「山の中逃げまわるのと、食料の調達でそれどころじゃない」と言ってた。
戦友会名簿(これは紛失した)に何十人載っていたか覚えてないけど、項目に2〜3人「戦死」の文字がある人が居た。
大体の戦友は生還できたんじゃないかね。
よく左派の言うような現地人からの略奪はなくて、タオルや石鹸とパパイヤを物々交換していたらしい。
ただ、タオルとの交換は「インフレ」をおこして、パパイヤとの交換レートが下がってしまったようだ。
それで「土人はケチでな」ってずっと言ってた。一回だけ現地語で「交換を要求する言葉」を教えてもらったんだが、流暢に話してた。
その現地語は俺は忘れてしまったが、すごく流暢だったのだけは覚えている。
903 :
名無し三等兵:2008/03/05(水) 00:52:41 ID:CnzSsDY/
>>790 あー、もし同じ中隊なら「戦死」の項目の人かもわからんね。
うちのジイサンは戦後暫く、現地人の身の回りの世話とかさせられたって言ってた。フンドシ洗わされた、とか。
904 :
名無し三等兵:2008/03/05(水) 11:55:02 ID:y6RhjiVA
17スレも続くってすごいね。
失礼だが嘘・妄想が大半でしょ?
昔、取引先でお世話になってた爺さんは、シベリアで木の数を
数えてたらしい。
ソ連人は数を数えられないから、その日の伐採のノルマは背の
高さまで積むとか、そんな方式だったらしい。だから、少ない
本数で高く積む方法を考えて楽になるように工夫してたんだとか。
まるで旅行にでも行った話のように、楽しい話でもするかのように
話してた。
俺は若かったせいか、年寄りの戦争話に興味なかったし、
シベリア抑留がどんなにつらいことか、まったく知らなかった
ので適当に聞き流してた。今から思うと、もっといろんなことを
聞いとくんだったと後悔してる。
>904
おっしゃる通リ
チャソ、チョソの書き込みは嘘・妄想が大半です。
俺の爺さんは鉄道関係だったり、炭鉱関係だったりして、
戦争には行かなかった。これが真実。
908 :
名無し三等兵:2008/03/05(水) 20:42:56 ID:lIwKIEO0
>>907 だけど機銃掃射や空襲が襲来しまくりで
戦場で勤務していた状態だったんじゃね?
炭鉱の方の爺さんは大陸勤務だったんで、 ←ここあやふやなんで嘘かも。
親父は敗戦と同時に(地元の子供に?)苛められッ子に。
無事日本に帰れたから良かったものの、
下手したら俺は今頃中国人だったかもなw ←ここは完全に妄想w
>>904 その前から似たようなスレがあるからもっと多いよ。
俺はじいちゃんの事を10回くらい書いたかな。
>>910 親父が満州帰還組。
祖父は満州国の土木課の課長。
満人を使って橋をかけていたそうな。
終戦時、叔父が二歳で、父が三歳。
祖父母は開拓団に初期から入っていたので
叔父は歯が生えていたから助かったそうな。
歯が生えていない他の団員の子は皆死んでしまったそうな。
祖母はハルピンまで逃げる途中、「置いていってくれ」と頼んだけど
同行していた兵隊さんが
「日本の地を踏むまでは」
と父を背負ってくれて、祖母は叔父を背負って、
なんとか落伍せずについていけた。
(この兵隊さんが誰だか解らなかったが、
後に国民年金の証人になって貰う時に
(年金を受け取るのに満州国で年金を払っていたと証人が必要な為)
この話を祖母がした所、「それは私です」と名乗り出て再開できた。)
ハルピンで奇跡的にポツダム平民となった祖父が祖母と再会、
土木課時代に仕事を回していた満人に匿ってもらって、
満州のロシア人相手に左官の様な仕事をして帰国まで一年ほどハルピンで過ごす。
祖母は収穫した後のとうもろこし畑に忍び込んで、
取り残したとうもろこしを噛み砕いて叔父と父に与えたと聞きました。
ちなみにその叔父が祖父母の会社つぶして、遺産を食いつぶしたので
葬式費用もろくにありませんでした。
父はロシア娘が道端で小便していたのと、
夜間に機関銃で掃射されたくらいしか覚えていないって。
>>911 不謹慎なのは重々承知だが・・・俺も見たいなそのロシア娘
洋炉野ションか
許容範囲だ
俺漏れも
917 :
名無し三等兵:2008/03/06(木) 18:25:21 ID:TAEBzX1O
夫の祖父の話。
戦争には行かず、神戸の工場で戦闘機(?)を作っていました。
神戸の空襲の時、妻と子供達の残る家に爆弾が落ち、自分の目の前で死んでいったそうです。
終戦後に再婚してその後 夫の親が生まれました。
私の方の祖父は戦中はまだ十代で、神戸や福山の軍需工場(たぶん三菱重工)で働いていました。
祖父の父(曽祖父)は朝鮮に出兵しており、終戦後に引き揚げで京都の舞鶴港に着きました。
それを迎えに行った祖父は、曽祖父の持っていた荷物をひとまず国鉄で実家へ送りましたが、戦後の混乱期に個人の荷物がちゃんと輸送される筈がない!と家族全員から非難轟々・・・
しかし数日後、荷物がちゃんと実家へ届けられた事に「国鉄すげー」と感じた祖父は、その後 国鉄に再就職。
定年まで勤め上げ、充実した隠居生活を過ごし昨年他界しました。
私の周りでは実際に戦地に赴いた方からの話はあまり聞けません。祖父母の兄弟で出兵した人は皆戦死しているので。
うちのばあ様が長崎の大村で前後逆に飛んでる飛行機を見たって言ってるんだが、これって震電?
てか震電って大村で試験飛行してたのか?
919 :
名無し三等兵:2008/03/06(木) 21:40:48 ID:ON1qQVUQ
小倉飛行場で数回だけタッチアンドゴーをやったと聞いたが、
ひょっとすると大村くらいまでは行ったかもな。
資料に飛行特性に関する記述もあるし、
飛行機なら隣の家に行くような距離だし。
福岡では逆向きに飛ぶ飛行機は噂になってたようだから
ばあ様が噂を聞いて、長い年月が経つうちに
見たつもりになってしまった可能性も考えられるが。
大村飛行場ではなかったと思ったが震電の試作一号機は福岡で飛行してる。
>914
, -‐- 、__ o
/ \ /ヽ −`/
/ / ,イ / ,、 ヽ
/ r'/ /l/ !-/レ' ヽ ', | | | <Расцветали яблони и груши
.! {/ / C' ゙ー‐l | l l l__ Поплыли туманы нал рекой
! / / _ C' l /'"ノ ノノ ` ‐ 、 ↑
.! ! lヽ、 /、/ // //_/,イ_∠ /| .,、ヽ、 (ロシア語でこのドすけべーーーっ!!! じゃなくてカチューシャの歌詞)
l | !´lii゙l>=-、-‐'/´_fノL_レ=o レ、_!l !l
| ∠| .l/,>fjとli ̄`i /! `ヽ / ノ、 _。ル'j
| V /'´ jノ `ー‐|′ ノ-‐i、r┐/ヽ/ /
| /\______| /,-ムrl='`ヽ/__,/
| / / / / l l | /  ̄「} \ |
ババァいわく、
ババァの娘(=俺のミニババ)が結核?にかかったので、
ペニシリンを米兵から買ったんだとさ。いわゆる闇ルートではなくて、
直接米軍の医者か看護兵かなにかと交渉して、流してもらったってさ。
米兵「やらないか?」
ババァ「裸になればクスリをくれるというのですね」
>>922 米兵と寝た事を、いくら孫にでも普通は話せんだろw
作り話もいい加減にしろw
924 :
名無し三等兵:2008/03/08(土) 00:26:11 ID:Z/bqIbsX
>>919 それ、整備兵が間違えてプロペラ逆付けした
普通のゼロ戦とかじゃね?
いろいろ頭の悪そうな書き込みですが、おそらく
>>924がこのスレの底でしょう。
>>924 =
>>925 ァ ∧_∧ ァ,、
,、'` 。゚( ゚^∀^゚)゚。,、'`
'` ( ⊃ ⊂) '`
∧_∧
( ;;;;;;)
. ∪ ;;;i. ふぅ〜、今日の仕事終わり。
i ;;oi.
(ノ''''''ヽノ, , , , ,
>>927 ∧_∧
( ・∀・;;;;;)
. | ∪ ;;;i. ん? 呼んだ?
i ;;oi.
(ノ''''''ヽノ
929 :
名無し三等兵:2008/03/08(土) 03:18:08 ID:Z/bqIbsX
神殿って、空中に上がればよかったらしいけど、
地上性能はクズだったと聞いた事がある。
垂直翼の下についてる車輪なんかは
離陸時に翼を地面にこする応急処置とか。
離陸時に機首が左右にブレまくったという話もあるよ。
もう少し、手を入れる時間さえあれば離陸特性なんて
簡単に解決していた話だけどな。
そんな餌で(AA略
931 :
名無し三等兵:2008/03/08(土) 21:18:33 ID:Ad3ZyvCR
父方の曾爺ちゃんのはなし。
日露戦争に工兵部隊として従軍した。
腰の周りに銃弾を巻き付け、塹壕を掘ったそうだ。
ある日、上官から「お前の肩の上に俺を乗せて泳いで川を渡れ」と命令された。
曾爺ちゃんは故意に川の中へ沈み、当然上官は水浸し。
川の両岸にいた兵隊全員が「○○(曾爺ちゃんの名前)よくやった!」と
騒ぎまくった。
この出来事で曾爺ちゃんは金鵄勲章を逃したそうだ。
水浸しになった上官は後に満州の高官になった。
俺のじいちゃんは志願して中国の支那兵と戦ったよ!
じいちゃんの階級は1ヶ月で上等兵になったそうで、一千発の上等兵と呼ばれたらしく勇敢に戦かった人しか1ヶ月でなれなかったみたいです\(^o^)/
支那兵はハチロ軍又はパロ軍って日本兵に呼ばれてたらしい。
後は、じいちゃんが捕虜にした支那兵を訓練で銃剣を突き刺したり、刀で首をはねたりしたって小さい頃から沢山戦争話を教えてくれました(^^ω)
じいちゃんはトラウマと言うか武勇伝みたいに喜んで話してました。ちなみにじいちゃんの足には銃弾をうけた痕がありました。
>>933 の続きですが、支那兵はかなり弱いらしく、じいちゃん達が一旦引く時にじいちゃんが川に落ち取り残され、その時後ろから支那兵が「ママデ×2」(笑)と呼びながら何十人もじいちゃんを追いかけ、その時はじいちゃんも死ぬと思った時
友軍の戦車一台が来て支那兵は退却したそうです。
八九式重テキ弾筒は強かったみたいです。
じいちゃんのお兄さんはフィリピンのルソン島で戦死し靖国にまつられています。
俺のじいさんは大正2年生まれだが、志願でもないのに海軍だった。
周囲はほとんど陸軍で、海軍行きは極めて珍らしかったらしい。
現役除隊後、終戦間際に30代半ばで応召されて「俺なんかを呼ぶようでは
日本はもう駄目だな」と思ったそうだ。
「戦争なんかやっちゃいかん。兵隊にとられるのはもう、こりごり。
だが、今の若い男がなっとらんのは兵隊に行かなくなったからかなあ。」
と言っとりましたがね。
祖母が硫黄島の戦没者慰霊祭に参加した時、
兄の部隊が全滅したと言われるトーチカと、壕跡を訪れる事が出来て、冷たい水を供えて静かに合掌していたら、
たしかにあの優しかった兄の声で、「ヤス子、ヤス子」と呼ばれたと言っていた。
その話をしながら祖母はいつも泣く。
実際にお兄さんが呼んだのかも知れない
おばあさんがそう聞こえたと信じたかっただけかも知れない
そこに行けてお供えできたこと
それだけで良かったじゃないか
938 :
名無し三等兵:2008/03/09(日) 01:18:49 ID:DZQij6c3
子供を失った母の話は辛いよな・・・。
しかも、日本国土でありながら自由に往来できない島だし・・。
>>936 お婆さんの兄さん?
うちの祖父の兄貴も、硫黄島の摺鉢山で25歳の若さで戦死してます。
あの島は、日本の領土なのに一万数千柱の遺骨がいまだに放置されたままらしいですね…
>>764です。
多数のレスいただきありがとう。
すみませんがまず訂正から…25歳ではなく、30代半ばで終戦だったようです。
実家の納屋を家捜ししたところ、意外とあっけなく、祖父の軍隊手帳などを始め、多数の資料が見つかりました。親父はこの資料の存在を知らなかったようです。
祖父は確かに都城23連隊だったようです。まだ、ざっと見ただけですが、殆どが満州事変〜日中戦時のものと思われ、太平洋戦時代のものは、先述の少尉時代の写真と、昭和18年の勲六等任命の賞状?のみだと思います。
手記などは見つかっていませんが、23連隊の満州事変・日中戦のアルバムや、数百点にもなる大量のスナップ写真などがありました。
素人な私には具体的な検証は無理かも知れませんが…祖父の軍歴をしのぶ貴重なものが見つかり、親父共々喜んでいます。
942 :
名無し三等兵:2008/03/11(火) 20:36:39 ID:+hyKrvBQ
>>941 侵略戦争の亡霊、いまなお健在ってところかな?>親父共々喜んで
阿呆にレスくれてやるのもアレだが
>>941は祖父御の足跡を知る手がかりが見つかったのを喜んでるんであって、侵略がどうとかの問題じゃないだろ
>>941 >数百点にもなる大量のスナップ写真
それ凄く興味があります。研究家などに鑑定してもらうのも手じゃないでしょうか?
もしかしたら未公開の貴重な写真があるかも・・・
いくら身内とはいえ、侵略戦争という世界的、歴史的な犯罪に加担した人の足跡をしる
手がかりが見つかった場合、素直に喜べないだろう。
定見と教養と歴史観を持った、まっとうな人間であれば。
945 :
名無し三等兵:2008/03/11(火) 21:19:24 ID:+hyKrvBQ
は い ! こ れ 以 上 か ま っ ち ゃ だ め で す よ ! ! !
いま、酷い自演を見た。
947 :
名無し三等兵:2008/03/11(火) 21:32:03 ID:ZhK50VDy
ドイツ兵全員がナチかい?
日本兵全員が天皇万歳か?
大日本帝国憲法で、兵役(徴兵)は国民の義務の一つだったんだよ?
誰も喜んで戦地に行った訳でも無いのに…
ヲ マ エ ?
毒 さ れ て る だ ろ ?
948 :
名無し三等兵:2008/03/11(火) 21:33:07 ID:dENm67mS
英霊を冒涜する輩は口を慎まれたい
余所のスレで吠えてろ
>>947 は い ! こ れ 以 上 か ま っ ち ゃ だ め で す よ ! ! !
> 英霊
御健在なおじい様も居るわけで…
951 :
>>941:2008/03/11(火) 21:52:00 ID:???
すみません、荒れてますね。
>喜んでいます
ってのは、
>>943氏の言われる通りの意味ですが、誤解されても仕方ない書き方でした。
すみません。
>>947 Q:ドイツ兵全員がナチかい?
A1:Of course!(アメリカ人男性34歳)
A2:フンババウガガ!(=もちろん!ユダヤ人男性22歳)
Q:日本兵全員が天皇万歳か?
A1:Kamikaze!Harakiri!lol(アメリカ人女性17歳)
A2:(両手を合わせ、ペコリとお辞儀をしながら)Mansai(=万歳の中国語読み。イギリス人男性49歳)
>>941 その資料も、誰かが見つけてくれるまでずっとそこで待ってたんだ
発掘してあげられて良かったな
そんな資料が出てくるなんて凄いな
>>943が言ってるように一度専門家に見て貰ったら?
歴史的資料だから
専門家に任すか
戦友会に話すか
国会図書館に寄付するか
957 :
uaa:2008/03/12(水) 03:31:06 ID:1MtDBD0B
>>941 専門家に見せなくても、写真に撮ってホームページで晒せば軍ヲタが群がって分析してくれると思う。
>昭和18年の勲六
その頃少尉任官かな?
958 :
名無し三等兵:2008/03/12(水) 06:26:13 ID:W/jxqq5U
昭和16年ごろじいちゃんの先輩が中国じんの親子のけつ穴に銃突きつけて乱射!四つん這いにされ、ズタズタになる子供。それをみてた若い母親きがふれて泣き叫ぶ。最後はじいちゃんの先輩が口に手榴弾まきつけて爆死させ、刀で腹さいて腸取り出して記念撮影
ただの釣りだろうけど。
そんなお話しを素直に信じてしまえた若かったあのころの私。
いまでは立派にそれは特亜人の文化?なのだと理解できるようになりました。
ありがとうございました。
>>957 ホムペはココみたいに変なのが居ついて収拾つかなくなるかもしれないから
どっかの画像掲示板に上げてみるのはどうだろう
まっとうな分析するならしかるべき研究者の方がいいだろうけど
司令部より、全将兵は釣りをスルーすべしとの命令であります。
964 :
名無し三等兵:2008/03/12(水) 13:28:06 ID:Xne2x9Pu
家のお爺ちゃんは南京に行ったと言っていた。虐殺は知らないけど沢山殺したとも言ってた。多感な時期に学校で虐殺の話を教わり、軽蔑した時もあった。今、自分で勉強し振り返って見るとあの時の教師が許せない。冷たくした僕を許してほしい。
>>958 38で乱射できるとか
流石日本兵は世界一だな
967 :
名無し三等兵:2008/03/12(水) 14:46:11 ID:S/kQx59I
じいちゃん、陸軍中佐だけど、三式を来て軍帽を被ってる写真がある。
でも帽子を脱いだら、30代なのに完璧なハゲだった。
俺にも遺伝くる。つらい。
やめて!カルカノ壊れちゃう><
>>969 シモ・ヘイヘ:「モシンナガンは壊れなかったぞ?」
>>941です。
写真については鑑定にだすかどうかしばらく検討します。
写真以外に、冊子なども複数出てきてます。資料価値があるかはわかりませんが。
一応列挙
軍隊手帳
従軍手帳
軍隊内務書(大正12年・軍令陸第2号)
軍隊内務書(昭和13年・軍令陸第9号)
作戦要務令第2部(昭和13年・軍令陸第19号)
衛生法及救急法(大正12年・陸普第377号)
通信教範第2部(昭和15年)
歩兵第53連隊将校住所録
歩兵第53連隊第1大隊住所録
南海派遣用第7384部隊川崎隊住所録
これらに祖父の名があり、太平洋戦終盤に23連隊から53連隊に異動したようです。
伍長・軍曹・兵曹長の各任命書
連隊特別射撃・大隊銃剣術競技・善行の各種賞状
勲八等・勲七等・勲六等・勲六級の各赦任状
などです。
そりゃ歴史的資料だわ
973 :
uaa:2008/03/13(木) 02:13:23 ID:f9mHTp6K
>>966 9センチは失礼だろうwww
俺だって18センチあるぞ
>>973 韓国人の平均サイズは9cmでだな
>18センチ
はいはいソースソース
>>971 すごいな。それだけ揃ってたら
>>941の爺さまだけでなく
よその爺さまの消息を辿る資料にもなりそうだね
父方の祖父は機械に強かったこともあり、潜水艦の機関部にて勤務していたとのこと。
多分、作り話だと思われるが、応召前に立ち往生していた、東條英機の車両を直したとか。
母方の祖父は高齢だったため、地元にて防空壕を造っていたそうだ。
977 :
名無し三等兵:2008/03/13(木) 05:35:19 ID:kF+F6Vyd
うちの祖父は、満州に通信兵?として行き、ニワトリ一羽殺したらしい
>>977 非戦闘鶏を殺しただとッ
戦場では交戦中の軍鶏しか殺してはいかんのだぞ!!
もちろん焼き鳥か水炊き以外は認めん。
我が祖父は、勤め先の軍需工場で日曜出勤をしていたら、東条首相がお忍びで
視察に来て、声を掛けられたと申していました。
軍隊時代の話も色々聞きましたが、航空整備兵のすちゃらか話ばかりです。
>>971 それに史料価値がなかったら世の中の大半の史料がゴミだわw
多分、尿道の口径
尿道バイブの使いすぎです
うわあ変態だ