1 :
名無し三等兵:
>あまりに南ベトナム政府・軍がダメダメだったから・・・
なんて単純な理由か?
2 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 09:00:04 ID:???
共産革命の正しさの証明
3 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 09:03:29 ID:???
でもさー
今のベトナムなんて資本主義じゃんw
4 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 09:46:37 ID:???
>3
なら中国も資本主義ということで。
5 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 11:01:51 ID:???
つまり資本主義Aと資本主義Bが対決して
片側が負けた訳だw
6 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 11:09:22 ID:???
A出来たか
7 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 11:12:43 ID:???
8 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 11:16:20 ID:Fi9SjZRN
>>1 単純な理由?
もっとも根本的な理由じゃないの?
9 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 11:27:38 ID:J/VJRmWc
当時の南越政権は、軍事独裁政権で国民の支持もなかった事が背景として確かにあるようだな。
それをアメリカが支えていたに過ぎない
10 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 11:40:30 ID:???
その教訓がニクソンドクトリンになったわけですよ
11 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 11:44:56 ID:???
ドミノを使って国際政治を理論化し、戦略を決定しようとしたのがそもそものあやまり。
ドミノではなく、モノポリーさえ使って入れば・・・・
12 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 12:12:09 ID:???
朝鮮半島の話を持ち出すとすぐ嫌われるが、李承晩vs金日成と
バオダイ/ゴジンジエムvsホーチミンのどこが違ったのかってのは
興味深いテーマだと思う。
第二次大戦後で日本軍の降伏を受理した担当国が朝鮮半島の南北では
アメリカvsソ連で、ベトナムの南北ではイギリスvs中国国民党だったけど
この差がその後に効いたのだろうか。
13 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 12:24:24 ID:???
金日成て中国ベッタリだったけどホーチミンは中国嫌いじゃなかったけ
なんか一生中国人の糞を嗅ぐより
一度フランス人の糞を食った方がマシとかいったらしいね。
14 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 12:32:41 ID:???
>>13 有名な話ですね。ベトナム戦争(松岡完)にも出てるのですが、ホーチミンが
言ったとしても今に残っているのはベトナム人の共感を得る発言だったから
でしょうね。
金日成とホーチミン個人の中国への志向でなく、朝鮮とベトナムそれぞれの
中国に対する歴史的政治的背景そのものに思えます。
15 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 12:47:12 ID:???
タイミングもよかったんだろうな。
8月革命の総蜂起が成功し、9月にはハノイを占領して、ベトナム民主共和国の独立宣言をやってる。
日本軍の武装解除のために国民党軍と英軍が進駐してくるより早く、
フランスの復帰はさらにそこから時間が掛かった。
ベトナム全域にそれなりに地歩を固める時間的な余裕があったのがでかいと思う。
16 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 12:47:51 ID:???
ていうか白人に対する感情と自分らと同じ黄色人種に対する
感情の違いもあるんじゃないかな。
同じ事されても同じ黄色人種だと根にもってしまうってのは
あると思う。中国人だってイギリスはじめ列強には言わなくても日本に言ってくるでしょ。
17 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 13:24:48 ID:???
>>15 地歩を固める時間ならそれこそ抗仏戦の間にいくらでもあったと思うけど。
18 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 16:25:44 ID:???
ジェムみたいな強権的独裁者タイプとか軍事独裁政府より毒にも薬にもならない文人政治家トップにおいて
国内改革させればよかったんじゃないの。
まあ援助漬けが腐敗につながらないという保障はないけど。
19 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 17:44:15 ID:???
>>18 バオダイはその条件をそれなりに満たすと思うが、ぜんぜんうまく
いかなかったぞ。
だからアメリカはゴジンジエムを引っ張り出して来たのだが。
20 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 18:03:58 ID:???
ホー・チ・ミンのカリスマ性がすでに確立してしまってたのが
南で誰を傀儡に立てても北に見劣りしちゃった原因だな。
ぶっちゃけホー・チ・ミン暗殺も真剣に検討してよかったんじゃないか?
道義的にどうこうは別問題として。
21 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 18:16:01 ID:???
ルーズベルトはヨーロッパ植民地主義を死ぬほど嫌っていたから、ルーズベルト
がポツダムまで生きていたらイギリス主張の北緯16度線での分割なんてなかった
だろう。結果としてホーチミンは米ソ両方からベトナム全土の指導者として
めでたく承認されていただろうな。
トルーマンが英仏蘭のアジア植民地復旧を中途半端に認めてしまったから
ぐだぐだになってしまった。
22 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 20:49:52 ID:???
ホーおじさんはアメリカとも仲良くしたがっていたのに
共産ということだけで非妥協的態度を取ったアメ公がオワットル。
戦略戦術言う前に、糞汚い戦争に狩り出される米兵にしたら士気も上がる訳がない。
まあ、アメ公というよりアメリカの支配層が糞汚いんだが。
23 :
名無し三等兵:2007/04/06(金) 07:06:21 ID:???
第二次大戦中アメリカはOSSを通じてホーチミンに軍事援助していたのだから
まんざら知らない仲でもなかった。
第二次大戦直後アメリカは英仏蘭との友好関係の立場から植民地の復旧を
認めてしまった。反共はその後出てきた理屈だけど、東欧でむちゃむちゃ
やったソ連を信用できなかったアメリカの立場も理解できる。結局ベトナムは
先進国の対立の構図に意図せず巻き込まれてしまったのかな。
24 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 06:42:03 ID:???
軍事版なので、こりゃそういう展開になるだろうなと予測はつくのですが、
ベトナム戦争はたとえば「ハノイの飛行禁止空域を爆撃できたら勝てた」とか
「ホーチミンルートの聖域をつぶせたら勝てた」という軍事的なものじゃなくて、
政治的な、むしろ農地改革をやったほうが勝ち、という中国革命と同様の戦争だったと
ハルバースタイム、シーハン、そして開高健は、なんと1964年の段階で予測しています。
上記3名の60年代の著作について共通して言えることは、
「アメリカは無駄な戦争をしている。南ベトナム政府の腐敗をとめ、農地改革をやらないかぎり
農民は北や解放戦線にはしり、農村出身の国軍兵士は、北ベトナムとは戦わぬだろう」
と見取っていることです。
これは、彼ら3人が、べつに天才だからというわけでなく、
当時、サイゴンにいた人たちの共通の認識らしいですね。
25 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 08:58:40 ID:???
農地改革さえすれば大丈夫みたいな箇所はなかったよ。
ハルバスタムにしろシーハンにしろベトミン弾圧にも触れてるし。
1970年には農地改革してるけど、その時点ではもう田畑荒らした後だから
あんま実効なかったみたいだね。
他にキリスト教優遇とかいろいろ因はあると思う。
26 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 09:42:18 ID:???
>>24 ハルバースタムもシーハンも開高健も左翼ジャーナリスト的バイアスかかりまくり
で、たかが戦争に勝っただけの北ベトナムを道徳的にも正しかったように言い立てる
彼らの論調はいかがなものかと思います。
彼らの観点に正しい面はあるにしても、土地改革は彼らの言うように簡単には
いかなかったのでは?北ベトナムが強行していた中共式の土地改革も今あれは
正しかったと言う人はいないでしょうし。
ゴジンジエム政権も小作料の上限を制限するなど努力はしていました。地主が
地方の省長にワイロを贈ったりして有名無実にしていましたが。
27 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 11:29:58 ID:???
土地改革が出来ないと共産化しなくてもフィリピンや南米と同じ結末だからな・・・
28 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 15:14:29 ID:wuPjgiMY
開戦当初、アメリカが北越軍を甘く見すぎたのが原因
過小評価の結果、悪戯に犠牲を費やした上に長期化して
国内外で批判が高まったために講和するしか道がなくなってしまった。
世論がアメリカに傾いているときにラインバッカーII作戦を発動していたら
間違いなくアメリカの勝利だった
29 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 15:18:55 ID:???
まあアメリカにしたら軍事費を使い込みたいだけだから
負けてもいいんだけどね
ベトナムは良い面の皮だが・・
アメリカに勝った国と歴史はたたえるだろう
30 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 17:02:53 ID:???
また、北ベトナムがアメリカに勝ったと思い込んでる低能が大量発生してるな。
×北ベトナムがアメリカに勝った
○北ベトナムが南ベトナムに勝った
31 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 17:06:55 ID:???
は?
32 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 02:26:00 ID:UBwLemsN
単純に兵士の士気だろ…韓国軍みたいに虐殺とレイプしてれば勝ったよ
33 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 06:57:43 ID:???
は?
34 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 17:21:54 ID:???
>>28 指導層の命が防空壕で助かっている間は、兵隊や市民が何人死んでも北ベトナム
が屈服したとは思えない。
もちろん北ベトナムのやり方が正しいというつもりはない。戦争を極力避けて
簡単に中立化を受け入れたパテト・ラオとプーマ殿下は当時バカにされたけど、
結果的には国民に優しく身の程を知っていたラオスがいちばん正しい道を選んだ
と思う。
35 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 21:27:31 ID:???
ここで北爆全能論いう人は南爆はなかった事を前提としてるの?
南部の人口密集地も思いっきり爆撃されてたのに。
36 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 22:21:07 ID:???
北爆で武器人員の浸透に打撃をねらうも
南爆でベトコン予備軍増やす。
37 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 22:26:23 ID:???
そもそも中立化という選択肢をアメリカがベトナムに迫った事ってなかったと思うが。
選挙で勝ったパテトラオも政府から追い出しちゃったし。
38 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 22:27:23 ID:???
むしろ、米はフランスの中立化提案否定して無視してたような
39 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 22:32:27 ID:???
東西冷戦で東か西かしか選択肢がなかった。
第三世界という概念がなかった。
ベトナム戦争を契機にしてアメリカは第三世界という概念を理解しはじめたのではなかろうか。
40 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 22:39:26 ID:???
最初に送り込んだ特殊部隊ってのがダメダメだったんでしょ?
当時のアメリカ軍のグリーンベレーてのが、日本自衛隊のレンジャーみたく
数日の特別訓練を経たら、誰でも特殊部隊になれるってのが。
ちゃんと特殊部隊として専門の訓練してなかった。しっかり特殊部隊を育成しとけば良かった。
41 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 22:55:37 ID:???
ていうか南べ軍を鍛えなおすのなんかいい策なかったかな
敵兵1人殺したら田んぼ一枚とか
42 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 14:49:31 ID:???
>>41 軍隊の評価で、殺傷数を評価の指標にしたらエライことになるわけだが。
43 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 17:23:07 ID:???
むしろそれで罪のない民間人まで殺された
44 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 18:23:48 ID:???
確か、マクナマラが予算システムにPPBSを採用した際に、
効率性の指標に敵の殺傷数も入れていたはず。
特にベトコンとの戦闘において捕虜をとらない傾向があったり、
果てはソンミ村の虐殺などの暴挙におよんだりしたことの
遠因とも言われてると記憶してるんだが・・・
45 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 19:15:37 ID:???
南爆ではベトコン1人殺すのに一般人4人が巻き添えで死んだが、その補償金
は1人34ドルだった。
46 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 20:25:50 ID:???
WWUのドイツと日本ではああいった戦略爆撃は非常に有効だったから
ベトナムでも、と思ったんじゃないのかな。
大戦時の戦い方をひきづってた部分てかなり大きいと思う。
47 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 21:28:24 ID:???
潜水艦使って北ベトナムに物資を運び込む輸送船を撃沈しまくればよかったのに。
「潜水艦を使えばバレることはありませんぜ」と言えば、軍事素人の政治家などコロッと賛成したろうに。
48 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 01:02:00 ID:???
どうだろ…
イメージ的にはホーチミンルートみたいな陸路の方が重要っぽいんだけど
実際は海上輸送のシェアが高かったのかな。そうならたしかにそれは有効。
49 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 15:00:39 ID:???
>>48 ベトナム戦争は支那事変と同じく宣戦布告がなかったから、第三国の船を臨検
できないし、まして撃沈したら国際法違反。
だからハイフォン港のソ連や東欧や中国の船舶にアメリカはいっさい手出し
できなかった。
>>47 ばれたらアメリカがソ連を先制攻撃したことになる。不戦条約に違反。
50 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 21:27:08 ID:???
∧_∧ まずは狙いやすいガキとクソ女と老害からだ
(,, ゚Д゚)((ニ(ニ(l , ''"´"''': ; . ,
/ヽヽ|三三二弌ll============lニlll),,' . : ; _,; "
ヽ( ゝつニ〃l,=l┘ "'' -''''"´
(,__)-つ ドゥンッ!
51 :
名無し三等兵:2007/04/11(水) 01:00:08 ID:TdgDdmNe
>>44 ベトコンになりうる人数は有限で、ベトコンの殺戮を続ければ最終的に戦争に勝てるというものらしい。
実際はこんなことしようとしたらベトナムを無人地帯にするまでやるハメになるがww
52 :
名無し三等兵:2007/04/11(水) 10:13:50 ID:???
>40 軍板にレンジャーが部隊名称だと思っているやつがいるとは…
レンジャー課程であって部隊じゃねえよ!しかも数か月の訓練期間があるのに数日って、もうね、
53 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 00:20:34 ID:dOk59sLL
なんで南朝鮮は虐殺や組織的とも云える強姦をやったんだろう。
米軍の虐殺には、それなりの理由(便意兵をつぶすためとか)があっただろうけどさ。
54 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 00:58:48 ID:???
かの国では戦闘=虐殺だからだろ
また北韓の共産主義者か・・・
虐殺 = ハンギョレ新聞や金大中といった北韓の手先による捏造
強姦 = 同じく北韓の捏造。混血児は売春宿の利用によるもの。
共産主義が大好きで、北韓の共産主義者の言うことは全て信用したいという願望は
ともかく、事実を冷静に見つめることが軍事を語るということだったはずだが?
56 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 18:05:22 ID:???
↑なりきり馬鹿、格好悪いというか滑稽wwwww
57 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 18:13:16 ID:???
ベトナムでアメリカ軍兵士1人あたり4人のベトコンを殺している間に
韓国軍兵士1人は36人のベトコンを殺している。
ベトナムで韓国軍の兵士はアメリカ以上にまじめに戦っている。朝鮮戦争の
記憶が新しかったにしても、なにがそこまで韓国を駆り立てたのだろう。
今の韓国を見ていたら想像できないな。
58 :
名無し三等兵:2007/04/17(火) 00:38:53 ID:???
ベトナム戦当時、朝日のホンカツが朴政権の韓国軍を米軍より遥かに軍紀厳正で精強だと
賞賛していたのも今は昔か・・・
59 :
名無し三等兵:2007/04/17(火) 02:35:00 ID:???
米軍は住民対策に現地の通訳や有力者を使ったので途中でピンハネされまくりで効果をあげることが
できなかったが、韓国軍は自軍の若い兵士にベトナム語を叩き込んで通訳を養成し効果をあげた、
というのは聞いたことがあるな。
60 :
えICBM:2007/04/18(水) 23:42:32 ID:???
>>44 マクナマラは戦線が無いベトナム戦争において、戦果を評価する適切な指標が見当たらず、ベトコン、
北ベトナム兵の死体、捕虜や鹵獲武器を戦果の指標とした。
>>47 政府側は共産圏との戦争になるのを最も恐れていたから、そんなんは無理ぽ。
61 :
名無し三等兵:2007/04/19(木) 23:08:12 ID:FzcwrsAP
南朝鮮は北朝鮮&中国&ソ連という社会主義の脅威に囲まれていたから必死だったんだろうな。
62 :
名無し三等兵:2007/04/19(木) 23:31:37 ID:???
共産主義は結局のところ敗北したけど
ホーチミンってまだ現地では神扱いされてんのかな
63 :
名無し三等兵:2007/04/19(木) 23:43:26 ID:???
>>62 神とはいかなくとも、それなりに尊敬されてるのじゃないのかね。
共産主義者であると同時に、植民地支配からの解放者であり、
建国の父、建国の英雄には違いないんだし。
64 :
名無し三等兵:2007/04/20(金) 01:54:01 ID:fxqo/qPU
>>1-2 あまりにも
反共産の連中がダメなやつらだった
65 :
名無し三等兵:2007/04/20(金) 02:10:11 ID:fxqo/qPU
中国では孫文と毛沢東は別人だけど
ホーチミンは孫文で毛沢東だからな
66 :
名無し三等兵:2007/04/20(金) 02:37:29 ID:???
>>62-63 ギャグじゃなくて、北部だと本当に神様になってて、それについての研究論文もある。
地方の寺とかにホーチミンの胸像があって、その前に線香鉢が置いてあるw
楠公とか菅公とかと同じようなノリだな。
南部じゃ嫌ってる人も多いみたいだけど。いまだに役人とかはハノイから占領軍が来るからね。
67 :
名無し三等兵:2007/04/20(金) 15:08:03 ID:???
ホーチミン像は南部にもあるよ。サイゴンの通りの像の前で結婚式の後らしい集団が
写真撮ってるの何回かみた
68 :
名無し三等兵:2007/04/20(金) 15:14:55 ID:???
なるほど、中国で言えば、孫文で毛沢東で、しかも関羽かw
いやまあ、関羽のような剛勇ではないだろうがw
69 :
名無し三等兵:2007/04/20(金) 18:52:12 ID:???
ホー・チ・ミンはあの仙人みたいな容姿で得してるよな。
(まあ、実際に偉人だけどさ)
なんつーか無条件にありがたがりたい感じ。
70 :
名無し三等兵:2007/04/20(金) 20:37:07 ID:???
71 :
名無し三等兵:2007/04/20(金) 23:22:59 ID:???
産経のサイゴン支局長だった故・近藤紘一氏も
「何だかんだ言っても南ベトナムで最も尊敬されているのはホーチミンだ」
と書いていたな。
あの風貌と言動はやはり東洋人の心の琴線に触れるのか。
72 :
名無し三等兵:2007/04/20(金) 23:48:08 ID:???
水戸黄門系?
73 :
えICBM:2007/04/20(金) 23:54:19 ID:???
南北に分かれるずっと前から民族解放闘争のリーダーだからね。
ホーチミンの評価は南北ベトナムが生まれる前に確立していた。
74 :
名無し三等兵:2007/04/21(土) 01:55:09 ID:hkcShxRY
孫文死なないで 毛沢東VS蒋介石にならなければ
中国変わってたかもな
ホーチミンはインドのガンジーにも近いものがあるな
75 :
名無し三等兵:2007/04/21(土) 18:39:11 ID:Uu8jnCQ3
ホーチミンやガンジーを見ると政治家の容貌は大きな武器だと思うよね。
国際世論への影響は計り知れない。
新聞にホーチミンとニクソンが並んで載ると、やっぱホーおじさんを虐める
悪いニクソンって感じだもん。
ゴルバチョフも訪米したときメディアのまえではいつもニコニコ笑っていたから、
ゴルビーなんて愛称で呼ばれるようになっちゃったし。
キム王朝も一家揃って太っていなければ、もうちっと同情されるんだけどな。
76 :
名無し三等兵:2007/04/21(土) 19:40:49 ID:B25KSAmp
ホーチミンは、生活苦で蜂起した農民を一万人虐殺した極悪人。
そのあとで
「取り返しがつかないことをしてしまった」
とソラ涙したところがアジア的な優しさだよね。
77 :
名無し三等兵:2007/04/21(土) 20:23:50 ID:???
ま、フランス、日本、アメリカ、中国とベトナムを支配下に置こうとした大国と戦争を
やって、独立と統一を果たしたんだから、大した指導者だよ。
大国の物量攻撃に抵抗する草履とスゲ笠の民衆軍隊という印象操作が成功して
各国からの支援を引き出し、相手国には反戦活動を巻き起こすことになったわけで
つまりは情報戦に長けていたから、ベトナムは勝てたんだと思うなあ。
統一後は大量に難民が発生したけど、国際世論はその責任を北の政権に向けず
アメリカにおっかぶせたし、その後のカンボジア侵攻にも大目に見てあげたし。
ベトナムに善人のイメージが無ければ、ありえねえよなあ。
中国やソ連、北朝鮮みたいに金をばらまいて宣撫したり、在外同胞を動員して
裏工作に利用したわけでもないのに、この国際的な好イメージはなんなんだろ。
共産主義者じゃなかったらホーチミンは世界中の教科書に載っているでしょ。
78 :
名無し中国兵:2007/04/21(土) 20:59:29 ID:???
>>77 >その後のカンボジア侵攻にも大目に見てあげたし。
大目に見てあげていないが?
世界の指導国家である中国と美国が手を取り合って忘恩の徒であるベトナムに
懲罰を加えたというのが歴史的事実だ。
79 :
名無し三等兵:2007/04/21(土) 21:18:14 ID:???
世論が「大目に見ていた」ってこと。
毛派に牛耳られたポルポトがひどい内政をしていたとはいえ、傀儡政権まで作って
あの甘さには、ちょっとビックリ。
中国も「膺懲」なんて言葉を使うから反感を買ったこともあるが、メディアや知識人は
右も左もおよそベトナム支持だった。
ベトナムの西側諸国との関係復帰の条件となったカンボジア民主選挙でも
ヘンサムリン派は国政から排除されずに残ったし。
80 :
名無し三等兵:2007/04/21(土) 23:47:10 ID:???
排除といっても民主選挙でヘンサムリン派は120議席のうち58を取ったんだから
排除しようがなかろ。
81 :
名無し三等兵:2007/04/22(日) 00:38:34 ID:???
そういやポル・ポトも革命の志に燃える中学教師って感じで
当初の対外イメージはよかったんだよね。
その後のアレでなにもかも台なしだが。
ホー・チ・ミンは笠智衆風の欲望をすべてそぎ落としたっぽいルックスが
七難隠してて素敵だ。清貧イメージの指導者のロール・モデル。
82 :
名無し三等兵:2007/04/22(日) 01:44:01 ID:???
厚生省の研究者の書いた本で「中国人口超大国のゆくえ」てのを読むと
ベトナム難民て実際は八割ちかくが華僑らしい
83 :
名無し三等兵:2007/04/22(日) 03:07:26 ID:???
ホーチミンはベトナム戦争が終わる前にあの世に旅立ったわけだが。
84 :
名無し三等兵:2007/04/22(日) 14:23:50 ID:???
>>82 旧サイゴン政権に関係していた人間や単に共産主義を嫌ったベトナム人はかなり
の数が合法的にアメリカや豪州あたりに移住しているから、残された華僑が難民と
なったという感じかも。サイゴン陥落前にも移住受け入れしていたし。
ボートピープルで話題になった初期の政治難民はベトナム人、後半の経済難民は
華僑だったという線かと思う。華僑なんてのは稼げるところ・迫害のないところに
移住するという生き方なんだから、彼らにとってはあたりまえの行動だし。
中国批判のために「ベトナム難民の多くが華僑」という言質をよく聞くけど
やっぱりハノイ政権がイヤで逃げたベトナム人も多かったはず。
85 :
名無し三等兵:2007/04/23(月) 00:00:50 ID:???
難民流出は三回くらい波があって
75年陥落前後の時期に集中して客船や飛行機で出てったのはサイゴン政府系
中越戦争時期に大量発生したボートピープルは華僑が多い。
以後は身内頼りで合法出国して米で難民認定受けたりとか経済難民みたいなの。
86 :
名無し三等兵:2007/04/24(火) 23:08:55 ID:???
ちょくちょくこのスレでも言及されてたハルバースタム死んじゃったねえ。
87 :
名無し三等兵:2007/04/25(水) 10:36:28 ID:???
海外に移住したベトナム人150万のうち110万は華僑と聞いた事ある
88 :
名無し三等兵:2007/04/25(水) 18:10:21 ID:???
今日の朝日でベトナム戦争時「ワシントンは楽観的すぎる」って記事にニュー夫人が
「あの男(記者)をバーベキューにして食べてしまいたい」と語ったって話が載ってた。
ホントにバーベキューが好きなんだなw
89 :
名無し三等兵:2007/04/26(木) 17:50:26 ID:???
90 :
名無し三等兵:2007/04/27(金) 22:38:07 ID:7MD5eDZc
やる気、本気度の問題だろうな。
91 :
名無し三等兵:2007/04/27(金) 23:38:11 ID:???
とりあえず百年戦ってればあちらさん音を上げるんじゃね? くらいのノリだからな北は。
92 :
名無し三等兵:2007/05/01(火) 22:38:44 ID:???
ベトコンについて、かなりの恐怖心があったからじゃない?
なんかの本で読んだんだけど、ベトナムに行く前の新兵達はみんな、
ベトコンについて嘘みたいな情報を聞いていたそうな。
ベトコンは不死身だとか、その手の脅しに似たウワサでもきいてたんだろうな
93 :
名無し三等兵:2007/05/05(土) 18:25:29 ID:???
ようは本格的に軍事侵攻して中国参戦、ソ連介入を恐れた米軍がヘタレでOK?
朝鮮戦争の二の舞は避けたかったんだろうな
結局グダグダになったけど
イラクもグダグダだしな
米軍って結構アホだな
94 :
名無し三等兵:2007/05/07(月) 12:20:39 ID:???
避けたかったのは朝鮮戦争の二の舞ではなく全面核戦争。
中国、ソ連が核を使わない確証があったらがっつりやっちまったと思われ。
95 :
名無し三等兵:2007/05/08(火) 05:13:38 ID:???
これは逆も言えるよな。
アメリカが核を使わない確証があったら、中国もソ連もがっつりやっちまったと思われ。
96 :
名無し三等兵:2007/05/08(火) 18:27:17 ID:???
>>93 >>94 いや両方じゃないの?。
朝鮮戦争みたいになっちゃったらそれはそれで面倒だし、
全面核戦争なんて事になったらなお悪い。
要は南越を確保出来れば良いと思っていたんじゃないの?
97 :
名無し三等兵:2007/05/08(火) 21:19:27 ID:???
1956年にジェムを全面支持していたマンスフィールド議員(後の駐日大使)が
1961年には、ジェムはいいが弟のヌーとその女房(バーベQ発言の御仁)が駄目駄目、
南ベトナム政府も全般的にやる気ナッシング、うちらの勝ち目無いから手を引こうって言ってるんだな。
開戦前に既に敗北する事大東亜戦争の如し。どうにもならん。
98 :
アシャウ渓谷:2007/05/09(水) 11:26:38 ID:rf7HGPvY
>>74-
>>77さん
ホーチミンは、やはりベトナム人一般の心を引きつける要素があるな。
公式には、バック・ホー(ホーおじさん)は、生涯結婚せず、童貞だったと言われている。
これも、ベトナム人がホーチミンを尊敬する大きな理由の一つ。
ベトナムは大乗仏教だが、坊さんは肉食妻帯をしない。
反面、庶民のうわさ話では、
「ホーおじさんは、愛人が○人にて、あの政府の偉い人は実は息子だ」
といったことが、語られていて、それがまた逆に親しみを増しているところが、
不思議なところ。
ベトナム人は、修行僧のようなホーと、人間味のあるホーの両方が好きなんだろう。
実際のホーチミンは、妻も愛人もいたわけだがww
99 :
えICBM:2007/05/09(水) 11:28:38 ID:???
アメリカは結局、最後まで彼等(南ベトナム)の戦争と位置づけて自分達の戦争にはしなかったからな。
賢明の判断ではあっただろうが、やってる事が中途半端で長引いたってとこか。
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100なら遠坂凛のコスプレをした柏原芳恵が触手プレイさせてくれる。
100なら柏原芳恵が結婚してしてくれて、四六時中、淫らなセックスで俺様に御奉仕してくれる。
そして俺様の遺伝子で柏原芳恵が孕んでくれる!
何処かのアジアで内戦の国が有ったとする
片方の側に英語ペラペラでクリスチャンの有力人物がいて
アメリカにやって来てロビー活動したとする。
飴公の御目出度いのは、この人物に1も2も無く肩入れしてしまうところ。
結果考えずw
102 :
アシャウ渓谷:2007/05/09(水) 18:49:26 ID:rf7HGPvY
>>101さん
それは、孫文、蒋介石(&栄美麗)のパターンと似てますな。
ホーチミンは、フランス撤退後、アメリカと国交を結んで近代化したかった。
中共党も、内戦勝利後、米ソを天秤に掛けていたときがあった。
今のイランも、アフマニネジャドの前は、対米国交正常化を狙っていた。
しかし、いずれもアメリカの敵対姿勢で敵に回してしまう。
軍産複合体の利益のために、わざと緊張状態を作り出しているのか、
それとも、単に外交が下手なのか、よく分からん。
>>102 蒋介石&宋美齢の再三の内戦介入哀願にも拘らず米国は最後まで
国共内戦に表向き中立だったからね。
ぶち壊したのは金日成(ニセ日成w)の南進
>>102 ハタミは改革路線でアメリカ接近を狙ったが、宗教勢力の前に空回りし続けてなんも改革できなかったろ。
こないだ「ブラックホークダウン」観てワロタ、ベトナム敗戦の教訓とかないんだな
ゲリラ戦には正規軍じゃ勝てないのになイラクからどうやって名誉ある撤退をする
のかが共和党の存亡を左右するな
>ゲリラ戦には正規軍じゃ勝てない
少し短絡しすぎ
ゲリラが正規軍に勝つ為の条件、
正規軍がゲリラを制圧しうる条件
戦史を注意深く眺めれば見えてくるよ
うむ・・・三等兵、では正規軍がゲリラ部隊を制圧できる条件を説明したまえ
住民の支持が正規軍>ゲリラになったとき
そこまでいかなくてももうゲリラには付いていけないと思われたとき
こうなるとゲリラは住民を脅迫して物資や兵員を強奪するようになり
グダグダスパイラル突入
他にもゲリラ戦を続けるにはゲリラを支援する組織なり国家なりが外部に必要。
兵員を訓練する「聖域」の存在も重要だね。
110 :
アシャウ渓谷:2007/05/11(金) 13:03:10 ID:V5Glbm/M
>>103さん
ソ連が金日成を使って、牽制したんでしょうね。
>>104さん
これもやりようによっては、宗教勢力を牽制できた可能性があると思いますね。
いまでも、一般国民は開放政策支持ではないか?
>>106ー
>>109 20世紀でもゲリラ戦は、失敗ている例が結構ありますね。
戦後、東南アジアで共産勢力がゲリラ活動をあちこちでしたけど、ベトナムを除いて失敗。
マレーシア、インドネシア、フィリピン、タイ、ビルマなどは、今は跡形もない。
タイ、ビルマのカレン族など少数民族問題も、ゲリラ問えいるものではないし。
ゲリラ戦成功の要諦は、
>>109さんのいう、支援国家の存在と、それへの補給線の確保でしょう。
ベトナムは、支援国に中ソがつき、補給線も中越国境越えの鉄道、
ハイフォン港への輸送船、聖域を通るホーチミンルートで確保されていた。
>>107 簡単な話だ。
「逃げるものはベトコンだ。逃げない奴はよく訓練されたベトコンだ」
>ベトナムを除いて失敗
あ、こたァ無い
ネパールの毛派はかなり強い
スリランカのタミル・イーラム解放のトラは既に政府軍では対処できない
存在に成長している。
113 :
112:2007/05/11(金) 19:22:48 ID:???
あ、それとね、「キューバ革命史」嫁屋
>支援国家の存在と、それへの補給線の確保でしょう
カストロは一体どうやって「補給」を受けていたか?
>>113 お馬鹿キューバ革命以前の中南米の地図を広げてみれw
あとキューバ危機も知らない世代か?
>>114 時代は変わっているのだよ。
今の小学生にとっては、阪神タイガースも浦和レッズも強いチームなのだw
116 :
名無し三等兵:2007/05/12(土) 12:55:41 ID:k8fwDGsF
>>108 正規軍じゃなく占領軍、または侵略軍を住民が支持するってことか?
そこまでいく場合ってのは、まるでWW2末期状態くらいだろうな。
もうゲリラする余裕すらないか、国家が降伏宣言した場合。
でもWW2後の世界では、もうそういったことがなくなったよな。
117 :
名無し三等兵:2007/05/12(土) 13:40:10 ID:UGx3K/ok
北が勝った?
アメリカが自己崩壊したんでしょ?
第三次覚悟でB52に水爆搭載すれば終わり。
>>115 キューバ危機くらい中学生でも知ってるぞ
>>117 核を使うと、映像が世界に発信されてしまうから米の立場がまずいことになる。
へたすりゃ北ベトナムが核搭載スカッドとかを使用する大義を得てしまう。
>>116 × 侵略軍を住民が支持する
○ 侵略軍が押し立てる傀儡政権を支持する
こんなのは侵略の常套手段だな
逆に言えば、効果あるから常套手段なんだ
>120
だけどうまくいった例はあまりないような
ベトナムのカンボジア侵攻はうまくいった方ですよね
>121 あれは元々の政権が正当性も正統性もゼロだっただけじゃないのか。
日本で言うならどさくさ紛れに永田洋子首相の連合赤軍政府が出来ちまったみたいなもんだろう。ありえねー。
軍事からはずれてわるいけど、当時日本政府はポルポト政権を承認したんだぜ
>>121 ソビエト連邦が版図や衛星国をどうやって増やしてったのかもうお忘れかい?
>>123 そしてカンボジア人留学生達が祖国の復興のために日本から帰国していったのさ…(´・ω・`)
当時の海兵隊がデブでノロマのおフェラ豚だったかららしいよ、べ平連のじいちゃんが言ってた
127 :
アシャウ渓谷:2007/05/15(火) 15:11:33 ID:1xJejQKE
インドシナ戦争の頃は、日本にも共産党による、
「山村工作対」というのがあって、毛沢東理論によるゲリラ戦をやるつもりだった。
当然、失敗したが、中国側とすれば、後背地を混乱させるだけでも、
一定の効果があったのではないか。
同時期、1950年代の東南アジアの「共産ゲリラ」工作」は似たようなものがある。
ベトナムの場合は、むしろ、非常にまれなケースといっていい。
地理的な条件、中ロの思惑、国民性など、たまたまヒットしたというところ。
農地解放しなかったからだよ。
南ベトナムにはGHQが必要だったのさ。
>>128 いや、ゴディンジェム政権時代から一応やってるのよ。
ただ、地主に配慮しすぎて逆に反発を喰らってしまった。
それに、農地解放(農地改革)しなかったフィリピンは
結局ずっと西側のままだよ。
東アジアで民主勢力と非民主勢力が軍事的に争った場合、常に非民主勢力が勝っている。
民主政権はアメリカの庇護下でしか成立しないものなのか。
サイゴン政府は政権掌握の障害になる旧ベトミンを農村レベルで徹底的に弾圧しまくり
50年代だけで九万人処刑した。はたして真に民主政権といえるのかどうか
フィリピンはアメリカ軍の直轄地だし、海に囲まれててゲリラの聖域が無いからな。
しかし、民主フィリピンよりも共産ベトナムやファシズムマレーシア・シンガポールの方が国としてマシだと思わないか?
133 :
アシャウ渓谷:2007/05/16(水) 17:47:19 ID:OIIF4DR/
>>130さん
おもしろ観点だと思うが、「民主勢力と非民主勢力」の分け方が難しい。
>>131さんの言うように、何をもって「民主勢力」というか。
単純に「自由陣営」「共産陣営」といった方がいいのではないか。
それとは別に、フィリピンのフクバラハップ=共産党系=非民主勢力?は、
アメリカに後押しされたマグサイサイ=民主勢力?にゲリラ戦でも敗れた。
マレーシアでも、共産党は武力闘争を行い、中国共産党の支援もあったが、
結局敗れている。
>>130 南ベトナムに民主勢力なんかあったっけ?
>>131 それを言い始めると、北側だって「真の」非民主的勢力なり「真の」共産主義勢力とは言い難くなる。
好き嫌いでレッテル貼りが横行するだけじゃないか。
カメラを持ったジャーナリストが同行する軍隊が圧倒的に不利になる。
並みの戦力差だったら、確実に負けるくらい。
ベトナムに行った時、あり得ないような長さのトンネルを見せられた……
長い長い……ベトコンの司令部ごと、全部トンネルの中に入っていたからね
サイゴンの横のジャングルから当時のアメリカ軍基地の中にまでがっちり掘ってある
全て考えると何百qというとんでもないトンネルで、爆撃でも全く大丈夫。
こんなもの掘られてたら、そりゃ苦戦するだろ。
いくら海兵隊が勇敢だと行っても、確実にトラップまみれのトンネルに拳銃とナイフだけ持って突っ込んでいくのは怖いだろ
手榴弾放り込んでも、入り近くしか吹っ飛ばないしね
138 :
アシャウ渓谷:2007/05/17(木) 14:33:11 ID:QBqCirFM
>>137さん
それは、クチトンネルのことでしょうかね?
あそこは、観光ルートになっていて、おれもいきました。
場所によっては狭くて、太った体型の外人は、通れなくて苦しんでいたな。
米軍がトンネルを制圧するときは、白燐弾で傷痍効果と酸欠にさせたり、
川の水をホースで注入して水攻めにしたり、
とか、現地の掲示板にかいてありました。
いずれにせよ、サイゴンまで40キロほどしかない地点を、戦争期間中、
守り通したというのは、すごいと思った。
139 :
137:2007/05/17(木) 15:03:08 ID:???
そうそう。クチトンネルだ
あと国境近くの村やホーチンミンルートの近くの村など、あっちこっちにもまだいっぱい残ってた
爆撃を喰らいまくっていた辺りはそれはそれは深いトンネルになっていたよ
140 :
えICBM:2007/05/17(木) 18:29:26 ID:???
私もベトナムに行ったときに見たよ。
特に作り方に驚いた。
トンネルの所在を極秘にする為に三人だけしか場所を知らずにトンネルを掘るそうだ。
そのため、爆撃でトンネルが崩れても他の人は助けに来る事は無く、そのまま生き埋めになる。
そんなトンネルがベトナムのあちこちにあるから、総延長はだれも知らない。
アメリカの勝利条件は
アメちゃんが戦線を支えている間に南ベトナム政権が国内の治安を掌握し、南北国境を固定する。
その後、軍を育成し、米軍撤退。
これでいいのかな?
それプラス南の政権にホーチミンとタメ張れるレヴェルのカリスマを担ぎ出せないとダメだな
>>136 北ベトナム軍側から随行取材したジャーナリストもごまんといるんだが?
被害も抑えるしすぐに終わらせるよ。だから国民の皆は安心して協力してほしい
と豪語したのに
長期化してしまった。
また、それに加えて雑誌が数々の残虐写真を公開し
それにより本国の住民感情が悪くなってしまった。
だからアメリカは撤退せざるをえなかった。
それ以降米軍は報道規制していて
実際湾岸辺りまではうまくいっていたという。
先のイラク戦ではメディアが発達しまくってしまい
インターネットを通じて米の数々のルール違反が露見してしまい
戦争が更に難しくなってしまった。
勝てば官軍な時代はとうに終了してしまった
145 :
名無し三等兵:2007/05/19(土) 01:38:48 ID:1T/Tvj/N
ジョンソン政権では地上軍投入して67年ぐらいから政権支持率
ジリ貧、68年2月のテト攻勢でジエンド。
それを見たニクソン政権は、“ベトナム化”の政策のモト地上軍を撤退させ
空爆をメインに戦争を継続、73年には地上軍は完全に撤退しパリ和平協定
でアメリカは撤退メデタシ、メデタシ
つか米軍の地上戦闘部隊は71年にはほとんど消えてる。
ベトナムにおける米空軍の最後の攻撃任務が73年の8月15日。
何かに書いてあったが、南ベトナムが北ベトナムに制圧され
た時に多数の将校が自決したそうだから、口で言うほど南ベ
トナムの政権は腐敗していなかったんじゃない。南ベトナム
が腐敗していた、とうのも北ベトナムの宣伝だったりして。
自決した将校は立派でも兵の脱走が多かったのは事実だからどうしようもない。
戦争前期の段階で一年間に十万くらい脱走していたから。
自殺者が多数でる職場がそんなに素晴らしいか?
>>147 そうだとしてもその宣伝戦で負けた時点で南は終わり
151 :
えICBM:2007/05/19(土) 17:54:05 ID:???
>>147 南ベトナム政府が腐敗していたのは、当時から世界中で知られていたよ。
一番困ってたのはアメリカ大統領だし。
北爆&カウンターテロ作戦(Phoenix Project)で息の根止められたのにね。
いいように遊んで飽きたらポイなアメリカにはかなわねえ。
>>147 そりゃまあノーマン・シュワルツコフが
「教科書が書ける人間」と言うような人もいたけどな。
だかこの手の国で出世するのは大体がくだらないおべっか使いばかりさ。
>>152 それは「まともに機能している国」ならばね。
所がいくらアメリカがテコ入れしてみても
肝心の南越が「ザル」だからねぇ。
154 :
名無し三等兵:2007/05/20(日) 00:59:21 ID:qKZHu3MS
それより何で旧フランス領のベトナムにでっちあげの軍事衝突事件までおこして
侵攻したのかを語るべきだろう、世界のどこかで戦争がないと困る国アメリカを
南越が落ちるとフィリピンへの脅威になるからね。
日本軍が南越進駐したのが経済完全封鎖の引き金になったのと同じだ。
無論単なる拡張主義的侵略者たる日本軍(実は底なし沼にはまっただけだが)と、
祖国統一に燃える民族主義者たるホーチミンは全く別物なんだけど、その辺全く判ってなかったな。
156 :
名無し三等兵:2007/05/21(月) 04:03:51 ID:3B/bUjwg
この当時のキューバのプロパガンダポスターを見てると
「ベトナムを10倍美しくするために」
「ベトナムのように」
といったポスターが山ほど出て来る。宣伝戦で負けてたんだろうな
有り得ない仮定だが、ゲバラがボリビアじゃなくインドシナに潜伏してたら
もっと大変なことになってただろう
157 :
アシャウ渓谷:2007/05/21(月) 12:03:22 ID:LwPqw1TW
>>147さん
類似した話はおれも聞いたことがありますね。
徹底抗戦して、ホーチミン陥落後も、ゲリラ戦をやった部隊もあったとか。
現地のうわさ話だと、そういう繊維の高かった将兵は、みなカトリックだそうです。
南ベトナムには、ジュネーブ協定後、北から逃げてきたカトリック信者がたくさんいて、
彼らは強い反共意識と団結力があった。
ゴ・ティン・ジェムもクリスチャンだったし。
「自殺」や徹底抗戦は、要するに負けて捕虜になると、処刑される、と言う面もある。
158 :
アシャウ渓谷:2007/05/21(月) 12:04:45 ID:LwPqw1TW
他の共産勢力が失敗したフィリピン、インドネシア、マレーシアの例を見ると、
(1) 共産国からの補給線を絶ち、
(2) 成長路線で人心を把握すれば、
国内の共産系ゲリラを抑えることは可能だと思う。
(1)については、地勢的な面で陸路の遮断は無理(実際にホーチミンルートは機能し続けた)。
陸路は中国を味方か、中立にさせるしかない(実際にニクソンがやった)。
海路は聖域を設けず、徹底した港湾破壊、機雷封鎖をすれば可能だろう。
(2)については、1990年以降、ベトナム政府自身がドイモイ(開放)政策をやっている。
1960年頃の時点で、アメリカが中ソ対立をあおり、米中国交回復と、ソ連の補給船の海上封鎖をする。
また、東南アジア全域にマーシャルプランのような経済開発計画を行い、ドルをばらまく。
1980年代から東南アジアがNIESとして経済発展し始めたような状況を、
1960代に行えれば、ベトナム共和国(南ベトナム)の存立は可能だったのではないか。
その逆を可能にしたので、北ベトナムは勝利した。
159 :
まにあ:2007/05/21(月) 15:16:07 ID:+MO7X5HL
自衛隊と韓国軍だけで戦えば余裕でかてたのに。(^−^
ニクソンは中国を訪問して北ベトナム支援による南ベトナム侵攻をやめさせたかったが中国に裏切られた。
敗戦寸前の南ベトナム軍の戦いは、実際は大変激しかった。
避難民を助けるため敵から取り返した攻撃機で自らオトリになり、民間人に扮した部隊の兵士は北ベトナム軍に逆にゲリラ戦を挑んだ。
あちこちで激しい戦闘があったが、殆ど共産政府による情報隠蔽、旧南ベトナム軍指揮官の処罰、粛正により外部には知られていない。
米軍撤退の最期まで見届けた米軍顧問は「彼らは、最期の瞬間に世界一強い軍隊となった」と、後で回想している。
>>157 クリスチャンに自殺はタブー
つまり自殺した連中はクリスチャン以外の何かかさもなくば背教者
アメリカに逃げたのが自分らを美化して書いてるような気がするけど。
産経の古森も政府軍はほとんど抗戦せずに降伏したって書いてるし
省都なんかもいっぺんも戦わずに手放したところもあるって
米の記者も書いてるよね。
163 :
アシャウ渓谷:2007/05/22(火) 11:53:00 ID:xhxbER9f
>>160さん
これは、大変面白い指摘ですね。
おれも、「南ベトナム軍の一部は強かった」という話を時々聞いたことがあります。
敗戦寸前の闘いの様子はよくしらないので、その奮戦の資料があったら、
ぜひ、教えてください。
まあ、米軍顧問の賛辞は、軍人同士のエールみたいなところもあるでしょうが。
>>162さん
そっちの情けない話の方が多く伝わっているのは、事実ですね。
>>161さん
その通りですが、
>>157の「自殺」は、全滅覚悟の「死闘」のことです。
164 :
名無し三等兵:2007/05/22(火) 11:59:30 ID:Ze4BJO0d
>自衛隊と韓国軍だけで戦えば余裕でかてたのに。(^−^
おまい、そんなことさせて、自衛隊の女性自衛官が強姦されまくったら
どないするんや? 日本のアホな憲法九条では・・・
米地上軍撤退後、南ベトナム軍を本格的に自立させるため米軍は彼等の訓練に本腰を入れ、兵士の質は上がった。
しかし北の大攻勢で軍は連携が崩れ敗走、兵力は分散し、そうなると兵士個人の戦意ではどうにもならなかっただろう。
それでも訓練を受けた部隊は進攻する敵をやり過ごし背後から奇襲して成功するなど、それまでは考えられない活躍をしたが、なにしろ国が崩壊する寸前の混乱、情報網も壊滅した為詳しい事は今となっては知る由もない。
サイゴン陥落寸前、首都上空で一部の空軍パイロット達が試みた敵への反撃作戦が伝説的。
敵の目を反らすためガンシップ機とスカイレーダーで敵部隊を攻撃したが、対空ミサイルによりガンシップは墜落、スカイレーダー2機は行方不明。
自分の帰る場所が無くなる事を知っての片道出撃は、大変な覚悟だったと思う。
米地上軍撤退は軍事顧問も含めた撤退ではないかと。
↑
>軍事顧問
一般歩兵等の戦闘部隊ではなく、アドバイザーとして南べ軍に派遣されてる米軍の連絡将校
しょせん代理戦争だったし、東南亜細亜じゃパン食うやつより米食う奴が強いよ
あの時代、それを知らしめたのが旧日本陸軍なのはヒニクだけどな
>>167 >アドバイザーとして南べ軍に派遣されてる米軍の連絡将校
その連絡将校が
>>165にあるようにダメダメ南ベトナム軍の質を向上させたと?
どれくらい組織的に投入できるんだ、その時期に?
ベトナム化といったって、完全に彼らが自立できたわけではないから。
むしろ今まで米地上軍がやってきた事を本格的に彼らに肩代わりさせるため、それなりのサポート、指導の負担が増えたわけだ。
作戦考案、強化された訓練の指導、メニューの相談役、助言、M48戦車など米撤退後に南べ軍が引き継いだ兵器の維持、メンテや各種援助のための本国との連絡・交渉、状況確認のため戦闘に同行したり。
これらMACVの軍事顧問は介入当初からサイゴン脱出までの間、ずっと南ベ軍に協力し続けた。
172 :
アシャウ渓谷:2007/05/23(水) 19:18:11 ID:k7yRVc7F
南ベトナム崩壊話で、思いついたが、今のイラクが崩壊する時はどうなるんだろう。
おれの印象では、イラクの反政府勢力は、イラン、シリア、サウジなどから援助を受けられる環境にあると思う。
アメリカがこれらの国や、国内部の勢力からの、イラクへの干渉を遮ることは難しいと思う。
また、イラク人の人心把握は、フセインを死刑にしたことでまず不可能になった。
これは、
>>158の2条件を満たすもので、ベトナムの経験によれば、アメリカはイラクを平定できない。
したがって、いずれアメリカは損害に絶えられなくなり、イラクを撤退する日が来るが、
その時、当然、現イラク政権関係者は、残れば殺されるから、米国に亡命するだろう。
残った国内では、激しい粛正が起こり、多分、イランが影響力を強める。
ベトナムと違って、アメリカ亡命イラク人(数万人以上だろう)の中には、
原理主義者や、アメリカに敵意を持つ人間も出てくると思う。
今、アメリカにいるベトナム人はおおむね「良き市民」だが、
亡命イラク人は、米国国内の治安悪化の原因になるかもしれない。
173 :
名無し三等兵:2007/05/23(水) 19:22:03 ID:cRjMaYw6
ソ連、中国が援助したから勝った。アメリカの反戦運動の影響とか。
174 :
名無し三等兵:2007/05/23(水) 19:27:32 ID:/NCjqgWL
175 :
名無し三等兵:2007/05/24(木) 00:01:31 ID:TKr8HhC9
>>172 俺もそう思うよ、てかペンタゴンでも折込ずみだろうなただ死んでいく米兵あわれ
でも自衛隊を撤収させてくれたから米に義理ができたな
しかし中東は難しいよ。なんも頑張る義理もなかったベトナムはあっさり撤収出来たけど
中東だからねぇ……あそこから撤退するということは、オイルビジネスに関するアメリカの影響力を決定的にマイナスにすることに繋がりかねない
何故、アメリカがイスラエルを支援し続けるのか? もちろん、アメリカ国内の協力なユダヤロビーもあるだろう。
しかし、今のアメリカの経済の為には中東の確保が必要なのだ
故に、どれだけの犠牲が出てもアメリカはイラクでねばるだろう。
あそこを放棄したら、反アメリカ勢力に呑み込まれることが目に見えている。
177 :
アシャウ渓谷:2007/05/24(木) 11:30:01 ID:n2GElNfW
>>176さん
なるほどね。石油があるな。
となると、イラク平定のためには、周辺国の協力(補給を絶つ)が不可欠だから、
アメリカは、イラン、シリアとある程度手を結ぶしかないな。
とすると、イスラエルを抑える必要がある。
イラク駐留がこのまま続板場合、戦況はどうなるんでしょうね。
今、アメリカは一部地域を壁で囲って掃討作戦をしていますが、これは、効果があると思う。
問題は米軍が損害の多くなる「市街戦」にどこまで耐えられるか。
WW2のワルシャワ掃討作戦みたいに、全部破壊、囚人部隊を使う、しかないのかw
178 :
名無し三等兵:2007/05/24(木) 11:49:29 ID:EFle5g0V
石油、石油ってい〜うが、一部投資家の間では、10年20年のスパンでは
1リットル¥3,000.-の可能性も出てくるといわれてるが・・・
例えばレアメタルみてみな、非鉄金属相場、現物は98年の3倍〜5倍
日本の非鉄金属企業の株価は10倍以上もある。20年くらい前からの
新日鐵だって7倍以上。
だから、石油の使い道が変わってくるのとちゃう? 第一、原油が
億年単位の化石燃料って定義も一部学者の間では妖しくなってきているしね。
しかし、とりあえず近々の利益として原油や天然ガス発掘地域を確保する
米国や支那、ロシアは極めて大国的動向ですなw
179 :
名無し三等兵:2007/05/24(木) 12:25:06 ID:mn5D66WF
>>108 典型的な例は日本赤軍とかか。
でもゲリラを正規軍が完全鎮圧するのって予想以上に難しいよな。
消耗戦になればゲリラ側の方が不利に思えるが・・・・
スイスみたいな国はゲリラ戦を禁止しているよ
ゲリラ戦は住民の大量虐殺を引き起こすからだと……
とても納得した
なんかアメリカの偉い人で「最初にフランスを黙らせて、統一国家を認めて
ある程度の経済援助してやってればユーゴのように社会主義国であっても
東側から切り離せてた」なんて言ってた人がいたと思うんですが
これやってたら成功したのでしょうか?
確実に成功するな。ベトナム最大の脅威は中国だから、アメリカが後ろ楯につくのは大歓迎だったろう。
181の「最初」が45年の建国を指していて政権取るのが越共系なら中国(PRCでもRoCでも)とは積極的には敵対しないだろ。
45年の時点で中国(もちろんRoC)を最大の驚異と捉えるなら戦うつもりならそれこそソ連の支援が必要だろ。
RoCが在越日本軍の武装解除のため派兵しようとした時にホーチミンが思い切り拒絶してるよ。
フランス人は叩き出せるが中国人は千年居座る、フランスの糞の匂いを嗅がされる方が中国の糞を食わされるよりマシだ、だったかな。
PRCとはしまいにゃ戦ってるしねえ。45年の時点での積極的敵対の愚はそりゃ犯さなくても、アメリカを背後につけておくのが越共としては一番の得策だろう。
…アメリカに蹴られたけど。
フランスを西側同盟の一員とするため媚売って、ベトナムを切り捨てたんだよなアメちゃんは
それなのに結局フランスにはNATO離脱され、ベトナムを共産陣営に走らせてりゃ世話ねーよ
普通に接してりゃ味方になったはずのものを、馬鹿かとアフォかと
186 :
183:2007/05/27(日) 00:06:02 ID:???
だから45年9月の建国の時点では中国=RoCでその主要援助国ってはアメリカなわけでしょ。
朝鮮戦争以後は、好き放題暴れた後はケアせずに放り投げて撤退、てな戦争ばっかりしているな。
当時統一ベトナムが成立していて、米、西側についていたらこれほど頼もしい事はなかったのにな…。
目的を持ったベトナム人のしたたかさ、粘り強さなら中国と真っ向に立ち向かえる気がするし、そんな国は中国周辺ではインドとベトナムくらいだろう。
その強さを実証したのが当のアメリカとはなんという皮肉だろう。
>>188 アメリカはその「頼もしさ」をベトナム共和国に期待したわけで。
同じベトナム人でもいろいろいるわけだ。最初っからベトミンを承認・支援してたら
ベトナム全土が南ベトナム化した可能性もあるぞ。
190 :
陽之介:2007/05/28(月) 19:26:13 ID:0nLhp6bY
>>181さん
ウォルト・ロストウだろうか?
ホーチミンは、民族主義者で党員だったが、最大目標はベトナムの独立、近代化。
ジュネーブ後にアメリカと国交を結び、援助を受ける、といった可能性はあったとおもう。
フランスから引き継いだ手前、あしたからホーおじさんと
仲良くしますッてのも、なんだかねえ。
ベトミンのゲリラ戦術に陸軍中野学校がからんでいた話は既出でしょうか。
じきに剣匪・赤匪の戦術に変わったでしょ。
無差別テロで翻弄、攻勢時にはあらかじめ手脚の付け根を縛って止血し、大麻で感覚を麻痺させて突撃。
194 :
名無し三等兵:2007/05/29(火) 02:13:59 ID:gFVdv3+g
結局ベトナムは市場開放して資本主義陣営に取り込まれた
勝者の戦後とかの歴史もあるんだろう
あそこはずーっと戦争してたからさ、北から南へ送り込まれてきた北の特殊部隊なんて
かなりレベルが高かったんじゃないかな
>>196 信じるなよw 攻勢時に止血ってそんなことしてたら壊死して本当に感覚がなくなるぞ。
それが2chクオリ(ry
いや、太手のゴムひも(日中戦争時には普通のヒモ)で止血してから突撃してた。
てか完全に血流が止まるほど固く縛るわけなかろう(苦笑)
失血(≒出血性ショック死)を抑えて長く戦ってから死ぬようにするのが目的なんだから。
201 :
アシャウ渓谷:2007/05/29(火) 11:16:33 ID:dE1nBQH8
>>192さん
終戦時、仏印で降伏した日本軍から、かなりの脱走者が出て、
それがベトミン側で闘ったり、訓練・指揮にあたったのは事実だそうですね。
また、戦後、再びベトナムに戻ってきたフランス軍には外人部隊がいて、
その中には、戦後逃亡して外人部隊に入隊したドイツ人がかなりいたようです。
武装親衛隊は、国防軍と区別されるので、戦犯を恐れた親衛隊員は、
前科、国籍を問わないフランス外人部隊に大挙入隊、インドシナ派遣。
もちろん、フランジ政府もある程度は承知の訳です。
初期のインドシナ戦争では、38式歩兵銃、41式山砲装備のベトミン軍と旧日本兵、
フランス外人部隊の旧武装親衛隊員が、相まみえた可能性もあるわけです。
やりい。インドネシアと並んで一矢報いてやった事になるな
203 :
アシャウ渓谷:2007/05/29(火) 11:28:28 ID:dE1nBQH8
北ベトナム軍の「戦意」だが、基本的には高かったと見ていいと思うが、
一部には、練度の低い部隊も相当いたようだ。
クアンチ付近で、B-52の住宅爆撃で大隊規模の部隊が恐怖のあまり、壊乱状態になったり、
逃亡を防ぐために、PT-76のハッチを外側から鎖で閉鎖していた等の例がある。
まあ、北ベトナム軍と言っても、徴兵で集められた兵士が基本なので、
全部に精兵を期待するのは難しい。
ただ、北ベトナム軍は、、兵力や補給能力に限りがあり、
特別な場合を除いて犠牲を顧みない力押しの突撃戦法などは行わず、
ヒットエンドラン、囮で包囲逆襲するといった短期戦、犠牲を避ける戦法を多用した。
その辺は、近代国家を背負った帝国陸軍とは、全く事情が違っていたのだろう。
>>203 おいおい、それじゃ近代国家を背負った軍隊が
見境無く突撃する軍隊みたいじゃないか。
205 :
名無し三等兵:2007/05/29(火) 13:29:23 ID:m5RFSDha
>>201 ・・さしあたっての敵はフランス軍だが、その背後には英印軍がいる・・
山田隆一大尉(中野三丙)らは幹部学校を開くことにしたのである。
・・幾年か前、ゲリラ部隊が米大使館を襲って、爆破したことがある。
あれなどは、我々が教えた通りで、一時米大使館を占拠した時のやり方なども
我々が教えた通り実行していた。(譜久村正吉曹長・中野戊二)談
畠山清行著 陸軍中野学校 第6巻 続ゲリラ戦史より抜粋
その他 資料↓
ttp://72.14.235.104/search?q=cache:Cv-V3PtytYYJ:www. tkfd.or.jp/publication/reserch/2005-14.pdf+%E3%83%99%
E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%80%80%E3%80%80%E4%B8%AD%
E9%87%8E%E5%AD%A6%E6%A0%A1&hl=en&ct=clnk&cd=9
>206
井川一久氏がこんな研究報告書を書いていたとは驚き
208 :
アシャウ渓谷:2007/05/29(火) 15:31:50 ID:dE1nBQH8
>>206さん
「独立戦争参加日本兵」の報告書を読んでます。
日本軍将校が教官となった士官学校まであったとは知りませんでした。
想像以上に影響力は大きかったようですね。
いい資料を教えていただいて、感謝。
日本軍の山砲はベトミンの能力や戦法にピッタリはまって重宝したらしいね
あとアメリカ軍のパックハウザーも。
210 :
アシャウ渓谷:2007/05/30(水) 10:37:55 ID:OmwEkJkn
>>209さん
四一式山砲は、日本軍の戦闘には、良く出てきますね。
パックハウザーも軽くて使いやすそう。
ホーチミン市の革命博物館(軍事博物館?)の展示で見たことがあります。
ただ、小柄なベトナム人が、山砲を肩に担いで、分解搬送しているところを
想像すると、かわいそう。
211 :
名無し三等兵:2007/05/30(水) 11:27:01 ID:Qz3479R5
213 :
えICBM:2007/05/30(水) 13:25:04 ID:???
安彦良和あたりが>206の資料を基に漫画を描いてくれないかなぁ
215 :
アシャウ渓谷:2007/05/30(水) 17:35:24 ID:OmwEkJkn
>>206さん
ご教示の日本財団の調査を読了。
中でも、迫り来る決戦を目前にして、
限られた時間で日本軍人から戦闘・式のノウハウを必死で学び、
祖国解放のための総力戦に命をかけている士官学校生徒の姿には、
心打たれるものがありました。
>>213さん
余談ですが、ベトナム女性は、小柄で華奢、腰など少年みたいですが、
重たい荷物を担いで売り歩いたり、本当によく働く。
216 :
アシャウ渓谷:2007/05/30(水) 17:36:36 ID:OmwEkJkn
×式 ○指揮
>>213 「鉄の足」と自称してたくらいだからなぁ
道なき道をチャリンコで100kg以上の荷物運んだらしいね
218 :
えICBM:2007/05/30(水) 19:49:12 ID:???
この件に関しては、突っ込んだ継続調査の必要性がある。
つまり邪悪な日本帝国が民主国家フランスを侵略したことが全ての原因なわけだね。
そう。
エマニュエル夫人を原告にチャタレイ裁判をやったのが猥褻でフランス書院。
ホーチミンルートについて誰かたのむ
パックハウザーって700キロもあんのね。
7分割で一部品100キロとして、これ何人で運ぶの?
俺だったら10人でもへばるお。
224 :
アシャウ渓谷:2007/05/31(木) 12:06:55 ID:ZX8GCu9+
>>223 まあ、アメリカのことですから、パックハウザーは、車で運んだんじゃないですか?
四一式山砲は、重量540キロ、分解して6頭の馬に運ぶのが通常。
日本軍は、これをしばしば、「肩に担いで山道を」搬送。
山本七平は、連隊砲部隊の兵士を、
「史上、もっとも過酷な任務を負わされた人々」と評してます。
ちなみに、山本本人は、師団砲兵部隊にいたらしい。
いやあ、山砲はたいへん。
225 :
名無し三等兵:2007/05/31(木) 12:39:01 ID:6r12cjPF
>四一式山砲は、重量540キロ、分解して6頭の馬に運ぶのが
これで、思い出すのがアフガン攻略の際、援助物資をトラックで運んだあと
道のないところは5000頭のロバを使って運んだっていう。
イスラエルに行ったときオールドcityでロバがミルク缶運ばされて
いるのを見たが、あれが5000頭とは・・・この日本では考えられんw
>>224 75mmパックハウザーは空挺部隊用の装備ですよ。本来の使い方なら人力搬送前提です。
…まあ、アメさんなら適当な車すぐ鹵獲しちまうんでしょうけど。
227 :
アシャウ渓谷:2007/06/01(金) 10:12:52 ID:Sdj5i5nz
>>225さん
へーえ、イスラエルにいったことがあるんですか、うらやましい。
おれも、ぜひ、マサダに行ってみたいw
>>226さん
パックハウザーを、ミュール?(変な形の四輪車)で引いている写真を
見たことがあるけど。
重要650キロだから、四一式よりも厳しいと思う。
>>181-182 ホーチミンはアメリカと組んで中国からの侵略に備えたかった
でもなってたらなってたで
アフガンタリバンやイラクフセインみたいに使い捨てにされてたから
かえって良かったかもね
>>184 蒋介石も日本軍は追い払えるけど共産党はうんたらかんたら って言ってたな
意味の無い戦争だ
232 :
アシャウ渓谷:2007/06/04(月) 14:20:58 ID:cEP7CX+I
>>229さん
たしかに、アメリカは便利な道具として、ベトナムを使ったかも知れないな。
でも、使い勝手としては、勤勉で、戦争に強く、団結心があり、
日本と並んで、便利なコマになったかもしれない(アメリカ側の観点)。
今、ベトナムは経済成長がすごいが、仮にこれが1960年から始まっていたとすると、
冷戦崩壊は、もっと早かったかも。
>>230さん
おれの記憶だと、
「日本兵は、30年、100年後には、いずれ出て行くが、共匪は、中国を食べてしまう」
と言った内容だったと思う。
蒋介石自身、国民党の力で日本軍を「追い払える」とは思っていなかった。
そのため、アメリカを巻き込み、是が非でも日本対アメリカ・中国の闘いにする必要があった。
冷戦が終わって西側に門戸を開いたから経済発展
したのであって、その逆なんて本末転倒でしょ。
234 :
アシャウ渓谷:2007/06/04(月) 17:51:35 ID:cEP7CX+I
>>233さん
冷戦が始まる前に、ホーチミンがアメリカと国交を結び、
自由主義陣営の1国となる。
……という可能性があったのでは、と想定した。
235 :
名無し三等兵:2007/06/04(月) 18:10:18 ID:NJ2GFwLB
「丸」の”失敗の研究”でやってたと思うが、ソ連からの海上補給路を
何故かアメリカは封鎖しなかったことが、大きな要因として上げられてたな。
日本にアメリカが勝ったのも、海上補給路を潜水艦で封鎖したことが大きかったことを、
忘れてしまったとしか思えない。
まあ、ソ連を刺激することを何より恐れてたことが、遠因なんだろうがね。
236 :
えICBM:2007/06/04(月) 18:40:25 ID:???
>>235 マクナマラ回顧録をを読むとその理由は以下の3つがある。
・ソ連との衝突を避ける
・ベトナムの長大な沿岸での海上補給路遮断は困難
・外からの補給を断つことの効果はそれほど大きくはない
まあ、最大の理由は対ソ関係なのは間違いない。
世界中で対立をしていたから、ベトナムのためにバランスを壊すわけにはいかなかったんだよ。
ソ連のアフガン侵攻のときのアフガン
にベトナムがなれば 救出目的で派兵出来た
238 :
アシャウ渓谷:2007/06/05(火) 17:12:42 ID:DWSDjYZw
>>235さん
1972年、戦争末期に、和平協定に北を引っ張り出すため、
アメリカは政治的な制約を取り払い、戦力を集中投入した、
ラインバッカー作戦をおこなった。
これは、大きな成果を収め、北ベトナムは崩壊寸前にまで陥った。
中越国境、ホーチミンルート爆撃、ハイフォン港の機雷封鎖は、特に打撃が大きかった。
しかし、国際世論の反発で中止。
北は命拾いし、パリ協定で和平が結ばれた。
>>236さん
あたってますね。
しかし「外からの補給を断つことの効果はそれほど大きくはない 」はどうか。
北ベトナムは、基本的に農業国で、外からの補給がないと、近代戦の継戦能力はない。
やはり、北爆再開(ラインバッカー作戦)は、大きな効果があったと思う。
その証拠に、北は米国と交渉の席に着き、米軍は撤退できた。
>>238 ただアメリカもラインバッカーが道徳的に許されない所業であったことは認識
していたため、その後なかば公然の北ベトナムのパリ協定破りに対して
強く言えなかったですね。
240 :
アシャウ渓谷:2007/06/05(火) 17:33:39 ID:DWSDjYZw
>>239さん
まあ、どっちもどっち。
「戦闘」としてみると、それまでの政治的なしばりで
戦力の逐次投入や、戦闘区域の制限などで、手足を縛られていた米軍が、
ラインバッカーでは、巨大な兵力を集中投入して、
北ベトナムを徹底的に叩きのめした、という「教訓」は残りますね。
たとえて言うと、軍人が作戦を立てて正攻法をとり、成功した湾岸戦争。
政治家がプランを立て、奇策を採り、失敗しつつあるイラク戦争。
といった類比はできるのではないか。
イラク戦争の現状の問題はイラクに内包する政治問題であるから
アメリカの軍政の比較の例えとしてはよろしくない
>>240 軍事的には北ベトナムがアメリカにとって敵ではないことは当たり前の話で
アメリカにそこまで本気を出させた時点で、政治的には北ベトナムの勝ちでは
ないでしょうか。
ジュネーブ協定でアメリカも認めた北ベトナムの領土を、圧倒的な武力で
侵していると言われれば、そのとおりなのだから。
ニクソンはベトナム戦争を「解決する」とか言って当選しましたが、ニクソン
に投票した有権者がラインバッカーみたいなのを期待していたとは思えないし。
たとえて言うと、軍人が作戦を立てて正攻法をとり、成功した湾岸戦争。
政治家がプランを立て、奇策を採り、失敗しつつあるイラク戦争。
といった類比はできるのではないか。
警備部が作戦を立てて 正攻法を取り 成功した函館ハイジャック事件 佐賀バスジャック事件
警備部がプランを立て 奇策を採り 失敗しまくりの 最近立てこもり事件
何か似てるな
警備部が〜
刑事部がプランを〜
に修正
でもあのジェラルミン盾を持った機動隊員で「移動壁」をつくって
滑車で救出〜ってのは説明とテストを見る分には中々上手い作戦だと
素人目には思ったものさ…
あの場合の正攻法ってのはアウトレンジから犯人を狙撃ってのなんでしょうか?
246 :
えICBM:2007/06/05(火) 21:56:32 ID:???
>>238 マクナマラによると、北から南へ浸透する物資の大半は北の国内生産が可能なもの。
しかも大半が食料等で武器の類はわずか。
そのため、外からの流入を抑えるためのコストとリスク、つまり長大な中越国境や海岸線の封鎖、
ソ連との対立のエスカレート等に見合う効果は無いと判断。
基本的に農業国であるベトナムは、自分の身の丈に合った戦術をとったと言える。
ただ、もし全面封鎖をされたら対空兵器が入ってこなくなり、それはそれで厳しい事になっただろ。
こうなると、米軍の輸送路空爆力とベトナム人民の復旧力の戦いになる。
ラインバッカーは交渉を渋る北ベトナムを交渉に引きずり出すことには成功している。
しかし、その結果アメリカは撤退し数年後には北は南を占領、統一を果たしてる。
この遠因は、ホーチミンルート爆撃や、ローリングサンダー作戦による爆撃でも北による南への浸透
を阻止できず、にっちもさっちもいかなくなった点にある。
北爆再開は効果があったとも言えるが、効果が無かったとも言える。
大勢を変えるには遅すぎた。
>>245 そっちはいい作戦
後ろの銃持って立ってた林隊員達のほうが
何のためにいるのかわからない部隊
刑事部はSAT使いたくないなら 引っ込めておけば良かったのに
何か いるからとりあえず立たせておきました な結果 殉職と
なんかベトナムあたりで似たような話あったな
射殺許可無しのSAT出動だもんな。
ひょっとしたら銃を向けておいて威嚇の意味もあったのかもしれんが、
日本のこの手の犯罪者ってブチギレ型が多いから意味がほとんどない。
249 :
アシャウ渓谷:2007/06/06(水) 11:03:42 ID:SV3E6EWz
>>242さん
孫子が言うように、戦争は国の目的達成の一つの手段なのだから、
国際世論や政治力も動員して、最終的に目的を貫徹した来てベトナムの方が、
「強かった」と言えると思いますね。
ニクソンは憎まれ役ですが、「名誉ある撤退」のために、ラインバッカーやったり、
やはり、アメリカのためを考えた、有能な政治家だったと思います。
>>243さん
立てこもり事件については、ほんとにいえますねえ。
だいたい、ラムズフェルドみたいなキャリアが、介入すると、ろくなことはない。
>>245さん
奥さんが出てきた段階で、閃光爆弾か、催涙ガス打ち込んで、強行突入でしょうかね。
250 :
アシャウ渓谷:2007/06/06(水) 11:07:23 ID:SV3E6EWz
>>246 :えICBMさん
「武器がわずか」とは初耳でした。
聞いた話だと、1975年の段階では、ホーチミンルートに燃料用のパイプラインも
敷設されていたとか。
アメリカは、テト攻勢の段階で、軍事力による勝利は難しいと判断したと思う。
あとは手を引くために、中国カードをつかった。
ラインバッカーは、いわゆる後退作戦時の殿軍みたいなものではないか。
円滑な撤退のために敵を交渉の場に引き出す役割だから、作戦自体としては成功か。
例えば、二次大戦末期のイタリア戦線で、アフリカを取られ、シチリアからイタリアに
入ってきた連合軍を、劣勢のドイツ軍は、じりじりと引きながら後退作戦を行った。
結果として負ける戦であるにもかかわらず、貴重な時間稼ぎをした点では、
ドイツ軍の作戦のほうが、優っていた、ともいえる。
いくら北爆してもトンネル持久戦やられたら「勝ち」はないんじゃないの。
捨て駒のベトコンと違って、あちらの首脳はトンネル持久戦に
長く耐えられないし、補充も効かない。
253 :
えICBM:2007/06/06(水) 17:17:34 ID:???
>>250 >聞いた話だと、1975年の段階では、ホーチミンルートに燃料用のパイプラインも
>敷設されていたとか。
物資の輸送には燃料がいる。
それよりも、ホーチミンルートへの爆撃は一度も中断されること無くおこなわれてきた。
それにもかかわらずパイプラインが作られてしまったことが重要だろう。
いかにベトナムでの空爆任務が困難であったかを如実に物語る。
>アメリカは、テト攻勢の段階で、軍事力による勝利は難しいと判断したと思う。
>あとは手を引くために、中国カードをつかった。
マクナマラ回顧録なんかを読むと政府は最初から難しいと判断していたようだ。
あと、テト攻勢は1968年1月末、ニクソンの中国訪問は1972年2月。
テト攻勢後、撤退に傾いたアメリカのベトナム政策だが、数年間迷走を続けている。
>ラインバッカーは、いわゆる後退作戦時の殿軍みたいなものではないか。
>円滑な撤退のために敵を交渉の場に引き出す役割だから、作戦自体としては成功か。
ラインバッカー作戦により北を交渉に引きずり出し、停戦、撤退に成功したのはたしか。
しかし、アメリカの本当の狙いは和平交渉による南ベトナムの体勢保証。
これは数年後に北の南への進軍であっという間に保護にされる。
作戦自体は成功だけど、その結果撤退して、南ベトナムをとられたわけだ。
>例えば、二次大戦末期の・・・
それはどちらかと言うと北ベトナムの戦略ではないか。
空爆で体力が落ちると交渉して時間稼ぎをして、回復したら再び攻勢の連続。
254 :
アシャウ渓谷:2007/06/07(木) 11:26:35 ID:oStmT9GB
>>253さん
今年初め?か,BSで「歴史に残る戦争」というシリーズでベトナム戦争を取り上げたことがありましたね。ごらんになりましたか?
。
当時の北の作戦本部が映されたり(小学校の会議室みたいな粗末なもの)、
幕僚の生き残りなどの証言もあり、非常に資料性の高いもの。
そのなかでボー・グェン・ジャップの部下という人が、アメリカ軍撤退後について、
次のように語っていたな(記憶なのでまちがいがあるかも)
○ 北ベトナム統帥部は、撤退したアメリカの意図が、どの辺にあるか、判断に迷っていた。
○ 特に、アメリカ軍が再び介入するかどうか、真剣に討議、調査され、威力偵察の形で、
アメリカの反応をうかがった。
○ 最初は小さく、だんだん大きな攻撃をしても、アメリカの介入がないので全面攻勢を決意。
○ 北統帥部は、当初、南の解放は数年かかると予想し、軍需物資などを備蓄。しかし、2か月で決着し、あっけにとられた。
○ 南の早期崩壊の大きな原因は、バンメトートの攻略成功と、それを受けた南の作戦変更にある。
といった内容。
出てきた参謀や将軍たちは、皆胸一杯の勲章を付けて語ってましたが、それがおわると、
よれよれのTシャツ、短パンで庭のヘチマに水をやっていたり。
自宅も、小さなもので、生活も質素。
かつての将軍というわりには、普通の庶民的な生活だという印象。
多分、庭で家庭菜園をいじりながら、かつての戦闘の日々を思い起こしているのだろうか。
アシャウ渓谷様、横から失礼致します。
米ボストン公共TV(WGBH)が制作した「ベトナム戦争」
(20年ほど前にNHK教育で放映されましたが)や、
元読売新聞記者の小倉貞男氏などによると
北ベトナムは74年末の総参謀部会議、続く党政治局会議でも、米の出方が分からず、
2年計画で南部攻略を決定したそうですね。
75年1月に南部の「オウムのくちばし」から出撃した北第7師団が、
威力偵察として攻略したフォクビン市(フォクロン省都、サイゴンの北130キロ)
があっけなく陥落したあたりから、南ベトナム軍の弱体化に驚きだしたそうです。
次に中部高原作戦で、ダクラク省都のバンメトート市を包囲した際、
プレイク市への陽動作戦にあっけなく引っかかったこと。
さらにバンメトート陥落後、チュー大統領ががろくな抵抗を試みず、
軍幹部にも知らせないまま中部各省を放棄したあたりが決定的だったのことでした。
ちなみにこのインタビューに答えていたのは、当時の総参謀長(後に妻の不正に連座し失脚)
バン・ティエン・ズン大将でした。
この人はザップ国防相の人民戦争とは一線を画するソ連式の軍人でしたが、
貧相な農夫風おじさんという点では彼と変わりませんでしたw
256 :
えICBM:2007/06/08(金) 00:57:10 ID:???
>>254 その二年間が二ヶ月と言うのはとても有名ですね。
この短期間の崩壊の理由は、戦術と言うよりもパリ和平協定が北に有利に結ばれたからでしょう。
北の正規軍は72年の春季大攻勢で南ベトナム内の軍事要衝を確保している。
そして、協定では南ベトナム内に「二つの政府と二つの軍隊」と「三つの政治勢力」の存在を認めさせた。
あと、アメリカの国内事情もあります。
パリ和平後アメリカでは政府の東南アジア政策が批判され、議会での軍事作戦への財政打ち切り、
戦争権限法の成立や、ウオーターゲート事件があり、ベトナムどころではない。
南ベトナム軍は北ベトナムの総攻撃に対して、緒戦さえ食い止めればあとは米軍の介入で持ちこたえる
腹積もりであったがこれが無くなる。
とまあ、いくつかの理由があり2ヶ月の短期崩壊へと繋がったのでしょう。
第一次オイルショックの影響も無視できないと思うが。
今から見れば、よく74年の間に崩壊しなかったもんだ。
258 :
256:2007/06/08(金) 10:29:03 ID:???
えICBM様
WGBHの番組でキッシンジャー補佐官がインタビューに答えてましたが、
パリ協定締結後彼は常に、北ベトナムに対して「いつでも米軍の介入(特に空爆)があり得る」という、
実際とは真逆のディスインフォメーションを続けていたそうです。
北ベトナム側が有利な条件でパリ協定を勝ち取ったにもかかわらず
慎重姿勢から2年間も脱せなかったのは、彼の情報攪乱が功を奏したというのもあるのでは?
特に72年の攻勢は北にとってトラウマになっていたでしょうし。
問題は、同盟国である南も、米軍介入を真剣に信じてしまったというあたり。
北はウオーターゲートで、当初の慎重姿勢をかなり下方修正したようですが、
南が同じように政治情勢を読みとるのは、それより遅れたようです
259 :
アシャウ渓谷:2007/06/08(金) 15:41:46 ID:5jimgYv5
>>255さん
正確なご記憶と的確なご指摘、ありがとうございます。
たしかに、その通りですw
ズン大将でしたが、素朴な農家のオッサンという感じでしたね。
その番組だったか、ディエンビエンフー攻撃に加わった兵士(将校?)のインタビューも印象的。
その爺さんも農民風のスタイルで、今は木に覆われた山道を案内し、
「そう、この丘の攻め取る時、おれの仲間は半分死んだ」
といったことを、淡々とかたり、あたりの雑草をかき分けて、
薬篋か何かを拾い上げて見せていました。
ベトナム戦争を厚かった映画は色々ありますが、おれはメル・ギブソンの
「ワンス・アンド・フォーエバー」がもっとも好きです。
北ベトナム軍は戦死した仲間の死体を積み上げ(多分、埋葬する時間がないのでしょう)、
兵士は、一人ひとり、死体の山に向かって合掌しながら、撤収していきました。
そこには、線香が数本地面にさされ、煙が立ち上っていました。
こういう演出は、他のベトナム映画では見たことがなく、
メル・ギブソンという人の人間性をよく表しているな。
260 :
アシャウ渓谷:2007/06/08(金) 15:43:50 ID:5jimgYv5
>>256さん
政治的な背景としては、その通りでしょうね。
しかし、北ベトナムの外交の巧みさは、ちょっと驚きます。
諸外国、特にフランスの影響力の使い方や、中国カードなど、
恐るべき手練れ、という感じ。
>>258さん
ソースが思い出せないのですが、パリ以後、米国国内で、
ベトナムへの再介入の声があったという話をどこかで読んだことがあります。
もちろん、地上部隊でなく、空爆中止ですが、
ラインバッカーVのような計画が、あったというような……
もしかしたら、これも256さんが指摘するような
南北双方に対する、撹乱戦術だったのか?
南政府内には、かなりの高官まで、北のスパイが入っていましたから、
敵をだますには、「味方」からというわけか。
あるいは、軍部中心に、本気だったのか。
>>258のHN欄は間違いです。アンカーつけるつもりがHN欄にしてしまいました
えICBM様にお詫び申し上げます。
>>アシャウ渓谷様
ベトナム再介入を主張してたのは、マーチン在南越大使なんかがそうですね。
ただ、議会がすでに軍に足かせはめてましたから、実現はいずれにせよ困難だったのでは。
パリ協定後の対応は、北首脳部が過剰に慎重すぎるのに対し、
南首脳部は犯罪的に楽観視してたようですね。
北の戦略は、敵が最強のカードを切るのに備えてたのに対し、
南のそれは、敵の過失を前提にしてたとしか思えません。
人材の差ですかね。
262 :
えICBM:2007/06/08(金) 20:43:38 ID:???
>>257 オイルショックも大きな要因らしい。
石油価格の高騰はアメリカの支援の下で近代化された南ベトナム政府軍には大きな痛手。
それに世界的な経済不況やアメリカの援助削減が、莫大な軍を持つ南の政府を財政的に追い詰めた。
>>258 どうなんだろね。
米国内の世論の混乱って傍から見たらどう転ぶかわからないんじゃないの?
キッシンジャーのブラフも、この米本国の混乱した状況があるからこそ効いたんじゃない?
>>260 多分彼等はやるときはやる民族なのでしょう。
けど、結構読みを外して失敗もしてますよ。
けど、やる気が勝ったんでしょうな。
263 :
えICBM:2007/06/08(金) 20:45:07 ID:???
まあ、けど、北もハノイ爆撃はもう勘弁って気持ちはあるだろね。
キッシンジャーもいいとこ突く。
264 :
M48:2007/06/08(金) 21:36:19 ID:4pztvW+6
あの戦争は資本主義御大の親方であるアメリカが直でやったことが大きな間違いだ。
本来は国府軍か韓国軍のような下請傀儡、もしくは正論ならばアジアのウォッチドッグの日本軍がやるべき戦争だったはずだ。
親方は軽々しく出て行っては駄目なのだよ。
何故なら当時のベトナム人とは歴史年齢的にもギャップがあり過ぎた。
老獪だが身動きが疎く要領の悪い力任せの爺さんと、よちよちだが小回りと目敏さだけはいっちょまぇの
小僧との戦争だ。
だいたい南ベトナム軍なんて体たらくでやる気が全然無かったのだし、
おんなじことが今のイラクだもんな。
北ベトナムにはアメリカ軍がいたしな。
当時の米軍採用ライフル
XM177Ez
M733コマンド
M16A1
M16A2
M16A3
などなど
最初に統一していれば戦争は防げた的なレスが多いがたぶん無理だと思う。
確かにイラン革命やベトナム戦争みたいな事はおきぬだろう。だが中国は全土の軍事占領目指して突撃あるのみ
北ベトナムが強かったのは
旧日本軍の兵隊たちが先生だったから
268 :
M48:2007/06/09(土) 00:49:54 ID:IK+UIA35
弾丸やナパーム弾をぶち込んどいて、
後からバンドエイドを投げ付けるようなことをしていたからだ、
>>264 面白い視点だと思うけど、東亜勢が主力を勤めるのは地理的に無理がありすぎ
開戦理由もないし、輸送能力も無い。そもそも本国が中共に直接圧力を受ける国ばっかり
近場の国は・・・・というと、ベトナム自体が地域大国だから周りに対抗できそうな国がない。
ただし、喧嘩やらせるなら下っ端にやらせるほうがいい、というのは同意。
お互いのバック同士で話つけてコントロールするのが一番話をまとめやすい
>>269 > ただし、喧嘩やらせるなら下っ端にやらせるほうがいい
現実にはその結末がジュネーブ協定とカンボジア紛争なわけだが。
271 :
名無し三等兵:2007/06/09(土) 12:21:34 ID:sDn5sEwC
中ソの膨大な支援、ソ連とのバランスを念頭においた米の作戦の制限。
それらは確かにあったが、北ベトナムが普通に戦争を遂行出来る国だったのも外せない。
工場の疎開、地下施設の建設、補給路の確保に向けた努力等、報道向けのアピール、
他の米国に戦争しかけられた国は完全に無策・無抵抗で蹂躙される駄目国家ばかりだったのとは違った。
大東亜戦争の直前に
大量のベトナム人の幹部をスカウトしてれば
アメリカに勝てたな
朝鮮人なんかスカウトしないでな。
ベトナム人は
中国という大陸軍と何千年もゲリラ戦をしてたんだ
経験が違う
確か蒙古も撃退してたよな?
日本のような島国補正も無かったのによくやるぜ
三国志で孔明の南方征伐に出てくるのがベトナムだっけ?
中国の柵封体制の中でもかなり上位じゃなかったかな
>>276 30年間以上の3度に渡る当時の世界最強国家元朝の侵攻を退け、その疲弊が元朝崩壊の一因となったわけで
13世紀のベトナム戦争と言ってもいいかもしれない。
279 :
名無し三等兵:2007/06/10(日) 03:40:23 ID:WP5KMjee
>>277 孔明の心服作戦は的確だったな
力押しなんてやってたら それこそベトナム戦争だよ
2007年のデータだけど、国土面積約33万平方キロ、人口8300万
「東南アジアの小国」みたいなイメージがあるけど、実は結構大きな国なわけだ。
281 :
名無し三等兵:2007/06/10(日) 06:32:30 ID:XN3utN9J
何か電波が湧いてきてるな。
孔明の南伐はベトナムじゃない。現在の四川南部〜雲南方面。
方向も違ってて、最大限に見積もってもせいぜいビルマ北部に達したかどうか。
>>278 確かに征服できなかったけど、モンゴル帝国の衰退には
ほとんど関係ない。タイムラグありすぎ。
>>280 東南アジア第2、インドシナ半島では最大の人口だし、カンボジアとラオスが
影響下にあって、両国に加えてタイにも越僑がいる。明らかに地域大国だよね。
>>281 >確かに征服できなかったけど、モンゴル帝国の衰退には
>ほとんど関係ない。タイムラグありすぎ。
日本の元寇が1274年と1281年、鎌倉幕府滅亡が1333年
だからと言って幕府滅亡と元寇は関係ない、とは言わないよね
それと一緒。
>>282 モンゴル帝国についてのまともな本を数冊でも読んだらベトナム(含チャンパ)遠征失敗と
元朝衰退の因果関係が無視して良い程度なのは明らかだとおもうが。加えて言えば、
大越もチャンパも遠征終結後は朝貢国としてモンゴルと関係を結んでいる。以来、南方は
たいした軍事的脅威にも経済的負担の源泉にもなってない。
元朝後半期における政治的動乱は後継者争いに端を発しており、
舞台は一貫して中央アジア〜モンゴリア〜河北。直接の引き金となった
紅巾の乱も華北がメイン。
鎌倉幕府の場合は、元寇後の恩賞給与問題や防衛負担などが一応あるけど、
それでも諸要素の一つに過ぎない。それに元寇のインパクトはやった側とやら
れた側で同じではないんだよ。
284 :
アシャウ渓谷:2007/06/11(月) 11:59:37 ID:rdFpos+N
>>261さん
「南首脳部は犯罪的に楽観視」
うまい表現で、思わず、笑ってしまいましたが、その通りですね。
バオダイからゴ・ジン・ジェム、チューなど、
南は、どうしてこれほど無能なのだろうかと、不思議に思うほど。
逆に言うと、コミュニズムは、人間を政治的に鍛えるいいトレーニングマシンなのでしょうかね?
>>264さん
「正論ならばアジアのウォッチドッグの日本軍がやるべき戦争」
まあ、仮想戦記っぽいけど、ちょっと面白いですね。
例えば、東ドイツ軍みたいに、戦後、アメリカは日本軍を再建。
朝鮮戦争、ベトナム戦争に投入し、旧帝国軍の戦意、訓練、とアメリカ軍の装備で、
新制日本軍の力によって、両者とも西側が勝利を収める。
自身を深めた日本は、自由陣営内で、イギリスと同様の地位を占めるにいたる。
というのは、どうでしょうね?
285 :
アシャウ渓谷:2007/06/11(月) 12:00:17 ID:rdFpos+N
>>280>>281さん
同じインドシナ半島でも、ベトナムと、ラオス、カンボジアは、かなり印象が違いますね。
おれの印象では、半島の脊梁山脈より西は、インドの影響が強い。
カンボジア、タイ、ビルマをみると、のんびり、時間のルーズさなど、インド文明に近い。
それに対し、ベトナムは中国の影響が強く、勤勉、家族制度、団結心、組織力など、
集団としては、強いと思う。
開放政策後、掲載は急成長しているし、人口もそのうち一億の大台に乗ると思う。
日本にとっては、ある意味、中国の「抑え」として、重要なパートナーとなりうる国。
北ベトナムは勝っちゃいない。ワシントンにベトナム国旗が翻ったのならわかるが。
287 :
アシャウ渓谷:2007/06/11(月) 14:08:24 ID:rdFpos+N
>>286さん
皆さん、ご承知で、今更ですが、戦争の「勝利」というのは、
相手の首都を占領することではない。
戦争目的を達成した方が勝ち。
アメリカの戦争目的は、南ベトナムの共産化を防ぎ、
インドシナ半島に共産化の影響が及ぶのを防ぐこと。
北ベトナムの戦争目的は、民族の独立と外国支配からの解放。
結果は、「北」は戦争目的を達成して、勝利した。
>>285 カンボジアの経済は越僑と華僑が握っているらしいからね。
カンボジアの越僑はカンボジアにベトナム軍が侵攻したときに移住した人たちかな?
289 :
名無し三等兵:2007/06/11(月) 17:16:36 ID:lQz7SiC3
クチトンネル辺りすら、なんで制圧できなかったんですか?
サイゴンの郊外というかんじだけど、これじゃあ,地方は全然ダメだと思ったが。
290 :
えICBM:2007/06/11(月) 17:34:52 ID:???
サイゴンがゲリラの供給地だから。
291 :
アシャウ渓谷:2007/06/11(月) 18:54:46 ID:rdFpos+N
>>288さん
その通りですね。
ベトナム人のことわざで、
「カンボジア人は、バカで、おつりの勘定が出来ない。
ラオス人は、大バカで、おつりをもらうことを、忘れる」
とか言うのがあります。
じゃあ、中国人は、どうなんだ?と聞きたくなりますが。
まあ、一般的に言って、ベトナム人は商売上手で、
のんびりしたカンボジア人、ラオス人の敵ではありませんね。
亡命やボートピープルの多い米国西海岸でも、
ベトナム人は、商売で成功しているのが多いし。
アシャウ渓谷様
ベトナム人とカンボジア人、ラオス人の気質の違いについては
現在のベトナム族の故地である北部ベトナムの気候にも要因があるようですね
一般的に、メコン川(ベトナムでは九龍河)の恵みを受け
温和で豊穣な大地というイメージの強いインドシナ半島ですが、
ベトナム北部の山地は、ヒマラヤ山系が延長したもので、同半島で最も険しい地です
標高3143メートルのインドシナ最高峰・ファンシーパンもここにあります
ベトナム北部の米作地帯、紅河デルタは、この山々に深い峡谷をうがち
流れ出す紅河によってつくられました
(雲南の地の鉄分を大量に含んで赤っぽい水なので「紅河」です)
南部のゆるやかなメコン河と違い、紅河は日本の川に似て流路が短く、傾斜が急で絶えず氾濫します。
このデルタでは、流れ来る土砂のため年々川床が上がり天井川になります。
東南アジアの雨季の洪水は、メコン河やメナム河のように
一般には稲と魚を育ててくれる恵みと歓迎されていますが、
ここ紅河で洪水は、日本と同様、恐怖の対象となっていました。
その結果、住民は古来より治水、築堤のために協力が不可欠となり、
インドシナの他の地と違い、かっちりとした共同体をつくりあげたそうです。
また、メコン沿岸ほど農産物の生産量が多くないため、
収穫物を管理、分配、防衛する土豪の出現もうながされたとのことです。
北ベトナム人が勤勉で我慢強く、集団行動が得意 といわれるのも、
この紅河に鍛えられた歴史が大きいようです。
同じベトナムでも、インド系文化のチャム人やクメール人の支配の歴史が長く、
気候も温暖、農産物も豊かな南部の人は、また違うそうですが。
>>284 >コミュニズムは、人間を政治的に鍛えるいいトレーニングマシン
どうでしょうかね
本邦のコミュニスト諸氏を見ているとそうでもない気がw
本家ソ連でも、1941年6月22日のカタストロフがあったわけですし。
むしろファン・バン・ドン ボー・グエン・ザップ レ・ドク・ト
チュオン・チン レ・ズアンといった首脳部に対する
ホー・チ・ミンの薫陶よろしきというところでは?
ホー翁死すとも…
>292 その辺の話については、マー・ヴァン・カーン「夏の雨」って傑作が邦訳されてる。未読なら是非お勧め。
>>283 日本とベトナムへの遠征に失敗したあとは対外膨張がとまっている。
その後は西方との交易で国を維持するようになる。
直接的な衰退の原因は内部紛争だというのには同意。
朝貢国になっているのは別におかしいことじゃない。
侵略を退けた後に改めて朝貢を行うのはよくあること。
柵封体制とは絶対的な支配被支配の関係を表すものじゃない
あと、滅亡との関連については、もともと一因としか言ってないよ。>278
遠征に失敗したから滅亡した、なんてことは言ってない。
受ける影響は国力によって大きさが違うというのは同意。
繰り返すけど、鎌倉幕府にしろ、元朝にしろ、原因の一つになった、としか言ってないよ
296 :
アシャウ渓谷:2007/06/12(火) 11:29:11 ID:MoRiiMXU
>>292 :255=258さん
なるほど、具体的で詳細名護説明で、説得力がありますね。
たしかにベトナムでも北と南はすごく違いますね。
ご紹介の赤河とちがって、メコン流域は、非常に農業に向いていると思います。
隣同士の田んぼで、あるところは稲刈り、あるところは田植えと同時にやっていて驚きました。
メコンあたりは、3から4期作か可能だそうです。
バナナ、パパイヤは、自然に実っているし、川は魚の宝庫、人が住むなら天国と言っていいような所です。
やはり、これでは、北の厳しい風土で鍛えられた連中に、負けそうですね。
297 :
アシャウ渓谷:2007/06/12(火) 11:40:18 ID:MoRiiMXU
>>293 :255=258さん
ホーチミンは、恐るべき政治家です。
「ホーおじさん」の演出を始め、中ソの間をうまくバランスを取り、
援助や政治力を引き出し、ろくな軍隊もないような所から、あそこまでやったのですから。
共産国家になってからは別ですが、途上国が独立する過程で、
自由主義よりも、コミュニズムの方が、
組織員の志気やモラルを高め、パワーを引き出す、といえるのではないでしょうか?
>>294さん
ご教示、ありがとうございます。
1992年に新宿書房という所からでていますね。
探していたら、こういうのがありました。
http://www.jpvn.org/text-j/literature/lit_list.html
メコンデルタ一帯は元々中央権力への抵抗が盛んなところで
ベトミン組織の中核があったのもそこだけどね。
戦争中も政府の支配力が及ばずに米が苦戦したところ。
土地は豊かでも小作制度のおかげでもともと小作人ばかりだから。
そもそも途上国では近代的な組織が軍と共産党だけだったりするから…
300 :
reika:2007/06/12(火) 21:46:16 ID:iz1pGn+5
イラク戦争とベトナム戦争の共通点と相違点って何かありますか?
共通点→親米政権がダメダメ
相違点→カリスマがいない、支えてくれる反米大国が無い
フセインも国内的にはそれなりにカリスマだったし信望も得てたんだが、
いかんせん国外でのイメージが悪すぎたな。そのへんがホーチミンに遠く及ばないところ。
>>301 アフガンもそうだけど旧の統治機構を破壊して外国帰りで地盤がない人間をトップに据えたがるよね。
で、米国の紐付きだということがバレバレで、民衆の怨嗟が米国に直接向かい、結局米軍が巻き込まれる。
日本を占領したときはトップを挿げ替えただけで統治機構そのものは破壊しなかった。
台湾は国家組織そのものが引っ越してきた。
韓国はどうだろう、トップは挿げ替えたものの、統治機構はどうしたんだっけ?
裏庭として経済的に影響を日常的に与え、常に見張ることが出来る中南米以外で
米国のトップも統治機構も全て挿げ替えるやり方が成功した国はあるんだろうか
>>295 > 日本とベトナムへの遠征に失敗したあとは対外膨張がとまっている
ビルマ遠征(-1300)とジャワ遠征(1292)とシップソンパンナー経略(1292-)は無視ですか?
> あと、滅亡との関連については、もともと一因としか言ってないよ
ですから、私は一因ですらないと主張しているのです。
年表に並べれば、1300年頃に東・南への拡大は終了しますが、
ほぼ同時期に反元朝の盟主カイドゥが中央アジアで滅ぼされます。
元朝(というか清中期以前の中国の諸王朝全部だけど)にとって
東南と西北、どっちが軍事的に大事かは自明のことでしょう。
戸次川での敗戦が豊臣政権崩壊の一因とか言われても納得
いかないのではありませんか?
>>299 近代化って難しいんだよね。
ネパールの毛系共産の成功は
多数を占める一般の百姓階層の人間が
「金持ちの財産が俺たちの物になる、賛同しとけば俺たち全てが金持ちになれる」
って感じでの拡大だし・・・。
教育って大事だし大切だよね・・・。
306 :
アシャウ渓谷:2007/06/13(水) 14:29:33 ID:A8vyo/ka
>>299さん
それは言えてますね。
さらに、軍隊にしても、途上国同士だと、コミュニストの方が、強いような?
>>305さん
共産党の「国有化」「平等」というのは、
結局「金持ちの金を貧乏人にわける」ということでしょうね。
307 :
アシャウ渓谷:2007/06/13(水) 14:31:25 ID:A8vyo/ka
>>300さん
>>302さんへの追加
○共通点=
(1) 兵力の逐次投入。
湾岸戦争のように、大兵力を一気に投入していたら、ここまで手こずらなかったかもしれない。
(2)援助国からの補給を遮断できない。
イラン、シリア、その他の国からの補給を遮るのは、相当難しい。
(3)民意は反米。
南ベトナムでも、体勢は「反米」だったのではないだろうか。
○相違点=
(1)反米勢力内に宗派対立がある。
シーア派、スンニ派、クルドで深刻な対立があり、反米以外では分裂する。
(2)アメリカ軍は志願制で上層白人の反対が少ない。
ベトナムは、エリート階層を徴兵で引っ張ったから反対が強くなった。
今イラク前線で闘っているのは、黒人、ヒスパニックなどが多いので、反対派少ない。
(3)ライバルはコミュニズムでなく、イスラム教
コミはせいぜい百数十年の歴史、しかし、イスラムは千数百年の歴史があり、より手強い。
308 :
名無し三等兵:2007/06/13(水) 14:51:26 ID:Oqpf/hEB
>>今イラク前線で闘っているのは、黒人、ヒスパニックなどが多いので、反対派少ない。
明らかな間違い。
負傷率から導き出される前線部隊の人種構成率はアメリカ全体の人種構成率とほぼ同じ。
調子に乗りすぎましたね(^^)
312 :
アシャウ渓谷:2007/06/13(水) 17:05:49 ID:A8vyo/ka
313 :
アシャウ渓谷:2007/06/13(水) 17:41:57 ID:A8vyo/ka
>>310さんのご指摘で、「米軍と人種」に興味を持って調べてみました。
いかに面白い統計があります。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Iraq/us_troops_crisis5.htm 上記の調査では、徴募の困難、州兵登録者の激減、など危機的な状況が述べられている
ポイントを示すと、
○ 従来米陸軍でアフリカ系は1/4を占めていたが(米社会では12%)、
イラク戦の影響で黒人の軍離れが進み、陸軍新兵で14%以下にまでなっている。
○ヒスパニックは、2000年10.4%、2004年で14%。白人は同61%から65%。
これは、黒人が減ったことによる割合の増加である。
さて、ご紹介の記事では、
http://www.afpbb.com/article/1198800 負傷者で白人が75% 黒人が9%、ヒスパニックが6%とある。
これだと、上記統計の陸軍の人種別の構成と、矛盾することになる。
つまり、イラクの前戦で闘い、負傷する兵士は、陸軍の人種別構成からすると、
白人が多く、黒人、ヒスパニックが少ないことになる。
ということは、イラク戦では、黒人兵、ヒスパニック兵を後方に、
白人兵を優先して前戦に送っているのだろうか。
314 :
えICBM:2007/06/13(水) 18:16:31 ID:???
米陸軍全体の人種構成と、イラクに派兵してる米軍の人種構成が違うってわけだろ?
相違点についてはこういうことも言えるのでは?
・戦争終結への交渉相手がいるか否か
(ベトナム)
確とした交渉相手(北ベトナム政府)や
それに圧力をかけうる援助国(中ソなど)がある
(イラク)
フセイン政権がそもそも、戦後処理に向けた講和の責任もとらずあっけなく解体。
フセイン政権崩壊後、そもそも統一した戦争相手はない。
国際テロ組織やらゲリラ集団やら宗教勢力やら山賊やら。
従って米にとっての戦争終結は、一方的撤退か敵の全滅しか無い。
・敵の「ならず者性」
(ベトナム)
カンボジア、ラオスへの浸透はさておくとして、
敵である北ベトナム、NLFはあくまで「受け身」でしか戦っていない。
(イラク)
フセイン政権は10年間に2か国(イラン、クウェート)を明らかに侵略している。
現在の米国の敵については、フセイン政権残党以外も雑多な勢力があり
そもそも定義不可能。
アルカイダのような国際テロ組織がいる一方、
純粋な反米民族主義者もいる。
>>313 差が出るのは引用統計があくまで「陸軍新兵」に関するもののせいでしょう。
イラク駐留米軍は陸軍だけではなく海兵隊もいるし、兵士だけではなく下士官、士官も負傷者が出ている。
人手不足で空軍の基地警備部隊が輸送部隊護衛にかりだされることもあるようだ。
だから「陸軍新兵の人種割合」と「イラク駐留米軍負傷者の人種割合」が合わなくても何も矛盾しない。
>>305 韓国の統治機構は朝鮮総督府をそのまま受け継いで要員から日本人排除してますよ。
> (3)ライバルはコミュニズムでなく、イスラム教
アメリカはコミュニズムと「だけ」戦ってたつもりだったけど、
実際はナショナリズムとも戦ってたってことですな。
グエン・カーンとか北伐を主張してたと記憶してるが、
既得権持った54年組の戯言くらいにしか思われなかったんだろう。
319 :
アシャウ渓谷:2007/06/14(木) 15:48:31 ID:lyPa9RAT
>>314さん
そう。
>>310さんご教示のサイトの記事だと、米国社会の人種構成、米軍の構成にくらべ、
イラクに派兵された陸軍のなかで、「白人」の比率が高すぎる。
まあ、おれはBSのドキュメンタリーで、イラン前戦は、
ヒスパニックと、カラードが多いというのをみて、
>>307の(2)を書いたんですが、
どうも違うらしい。
>>315 255=258さん
「敵」の姿が明確に見えないのは大きいですね。
何か、統一司令部、みたいのはあるんだろうか?
いろいろなニュースだと、イラン、シリアの外人部隊、
旧フセイン派の秘密警察、軍、バース党などの金剛勢力のみたいだが?
320 :
アシャウ渓谷:2007/06/14(木) 16:07:56 ID:lyPa9RAT
>>319 ×金剛勢力、○混合勢力。金剛の方が強そうだがw
>>318さん
カーンの「北伐」は、蒋介石をふまえた、良くない冗談、でしょう。
途上国のコミュニズムは、容易にナショナリズムと結合し、
この化学変化はすごく強力。
ロシアも、当初の内戦時代の苦闘、独ソ戦の土壇場は、ナショナリズム無くして、
切り抜けられなかったのではないか。
実際、ベトコンの主体は、民族主義者で、1975年以後、労働党に粛正されている。
>>320 > 実際、ベトコンの主体は、民族主義者で、1975年以後、労働党に粛正されている。
それじゃベトナム労働党あらためベトナム共産党首脳部が非ナショナリストみたいじゃないか。
彼らはまごうことなきナショナリストでしょ。詳しくは古田元夫氏の一連の著作参照。
旧政府・軍関係者ベトナムで普通に生き残ってるしね
>>320=322
「ベトコン民族主義者粛清」といっても、投獄や処刑、追放でなく
主には「政治・軍事の本流から外した=冷遇した」といったところでしょうね。
もっとも、チュオン・ニュー・タン氏のように亡命者も続出したわけですが。
それに、321様おっしゃるように、本流の共産党員も同時に民族主義者だったのですし。
戦後の非共産民族主義者は、リエン・ベト戦線(ベトミンの後身)を改編した
「祖国戦線」に糾合されています。これは共産中国の「民主諸派」のような扱いです。
実権はありません。
>>303 韓国も朴正煕がいなかったらどうなってたかわかったもんじゃない
それこそベトナム戦争状態になってたかも
まあ、金ちゃんにホー爺並みの人望とビジョンがあれば、の話だが。
>>323 祖国戦線は民主諸派とちょっと違うよ。
婦女会やらホーチミン共産青年団、各種翼賛宗教団体なども含んでおり、それなりに影響力がある。
旧南ベトナム系の人たちは祖国戦線に組み込まれてその中の新入り少数派にされちゃったわけ。
実際ベトナム戦争での人的消耗で南の民族主義者は少数派にならざるをえなかった。
日本軍に拘束されてた
インドネシア独立の父って誰だっけ?
328 :
名無し三等兵:2007/06/16(土) 18:16:11 ID:f+6pl4R0
でも数字で見ればベトナムの惨敗じゃん
↑
「ゆとり」教育の成果?
戦略的勝利と戦闘的勝利の区別できないの?
>>329 両手両足を縛られたどころか目隠しまでされた状態でも互角以上の戦いをしたアメリカ恐るべし、
って言いたいんじゃないのかな。
このスレ見に来る様な人が
「戦略的勝利と戦闘的勝利の区別できない」わけないだろ。
君の方こそ脊髄すぎるぜ
> 戦闘的勝利
ってのは戦術的勝利とはまた違うモノなのか?
332 :
アシャウ渓谷:2007/06/18(月) 11:16:09 ID:u6Oj6Ff2
>>321さん
共産党は、「自分たちと違う存在」をゆるさない。
コミュニストのいうナショナリズムと、ベトコンに参加した民族主義者たちの
ナショナリズムは、違う。
以下を参照のこと。
「裏切られたベトナム革命〜チュン・ニュー・タンの証言〜」
タンは、南ベトナム解放戦線に加わり、1975年後にも幹部になったが、
その後、コミュニズムの実態を目の辺りにした。
上記は、ベトナム戦争中のベトコン内部の様子を知るにも貴重なもの。
333 :
アシャウ渓谷:2007/06/18(月) 11:18:07 ID:u6Oj6Ff2
>>323 255=258さん
「政治・軍事の本流から外した=冷遇した」
この辺が難しいところで、おれも未だ結論が下せません。
ベトナム政府が出す「公開」資料だと255=258さんご指摘のように、「外された」わけです。
しかし、それは幹部、上級クラスで、中以下は、「労改」で酷使され、かなり悲惨なめに。
また、現地の噂では、旧公安関係、米軍軍属、カトリックなどは、「行方不明」が多いという。
まあ、元「南」の連中がいうことなので、真相は不明ですが、おれが直接知っている例でも、
南関係者で、「行方不明」のケースがあります。
>>328ー
>>330さん
いや、
>>328さんは、
>>330さん指摘のような、レベルには、
失礼ながら、達しているとは思えませんw。
334 :
名無し三等兵:2007/06/18(月) 12:16:12 ID:cjW/X8Nk
まあ、勝ったといえば勝ったが、南ベトナムの腐敗政権に勝ったってことじゃないの?
結局いまじゃ、ベトナムもアメリカの経済援助、技術援助を期待してるし、
ベトナムを引き入れることによって、東アジアの支那の覇権体制に楔の
一つじゃないの?
アジアのキリスト教とくに、カトリックを指導者にすると
DQNなると言うのをわからなかったから。
日本や韓国は敗戦後にどっとキリスト教宣教師がやってきて布教した
日本はそこそこだが韓国では中々成功してるという(功罪あるだろうけど)
仏の植民地だったベトナムではそれらより早くキリスト教の布教が進んでたろうに
なんで地元のキリスト教関係者に逸材がいなかったのか不思議ねぇ?
337 :
アシャウ渓谷:2007/06/18(月) 13:44:59 ID:u6Oj6Ff2
>>334さん
北ベトナムの戦争目的は、民族の独立と統一で、それを、
当時世界最強(と自称)の米軍+南ベトナム軍を相手に達成。
南ベトナム政権の維持、インドシナ半島の非共産化を目論んだ、
アメリカの意図は、達成できず、これは、つまり、「北が勝った」ということ。
現在のベトナム政府のアメリカとの付き合いは、
もちろん、越政府は近代化のために国際市場への参加が必要だから。
アメリカは、対中抑えの意図もあるが、それ以上にインドシナ半島の大国だから。
>>325さん
これは言えますな。
フィリピンとか、思い浮かぶ。
蒋介石、孫文は、プロテスタントだっけ?
338 :
アシャウ渓谷:2007/06/18(月) 13:52:47 ID:u6Oj6Ff2
>>336さん
ベトナムのクリスチャンは、戦争中、信頼できる士気の高い中堅将校として、
活躍したという話を聞きますね。
植民地時代は、フランスの中・下級官吏として重用されてたんじゃないでしょうか?
今、フランスにいる(亡命した?)ベトナム人で、古参の世代は、
「フランス語・クリスチャン」というのが、多いのでは?
年配のインテリは、フランス語を話す人が多いし、ホーチミンの古本屋にいったら、
ロシア語の教科書、マルクス・エンゲルス全集は、お笑いにしても、
サルトル、マルタン・デュ・ガールなど、フランス語の文学書がたくさんあって、
驚いたことがあります。
日本のドラえもんもあったww
アシャウの北労働党評は、コミュニストだったりナショナリストだったり、都合よく使い分けてる感がある。
340 :
アシャウ渓谷:2007/06/18(月) 18:02:37 ID:u6Oj6Ff2
>>339さん
どう「都合よく使い分けてる」のか教えてください。
>>332 >タンは、南ベトナム解放戦線に加わり、1975年後にも幹部になったが、
>その後、コミュニズムの実態を目の辺りにした。
解説きぼん
アシャウ渓谷様
なるほど、自分の把握も浅薄でしたね。
言い訳をすれば、「民族主義者=NLF内部の民族主義者」という文脈で書いてたもので、
旧サイゴン政権関係者(内部浸透していたシンパや秘密メンバーも含む)まで
考慮していませんでした。
一応、「労改」自体、北政府の建前上、「再教育による人間再生」のほかに
「破壊され疲弊した祖国再建のための重要な仕事」でした。
よってこの建前上、NLFの非共産メンバーが回されても、「虐待」でないと
北政府=現政府の記録ではなるでしょうね。
ただ、現実は悲惨な強制労働でしかない例がほとんどだったのは、理解しています。
北政府のやり口のえげつないところは、功績のあったNLFや人民軍幹部でさえ、
投獄や処刑まではいかなくても、明らかに懲罰的な人事や左遷にあったことですね
これは非常にソフトに行われたので、意外と気づかれてません。
戦後、有名どころでこれだけの失脚者が出ています
先述のバン・ティエン・ズン大将=政治局員、国防相解任
(妻の密輸蓄財容疑は、今では無実の可能性大と思われています)
チャン・バン・チャ上将(南部の人民軍総司令官 サイゴン・ザディン区軍事委員長)
=司令官職解任、閑職へ。政治局員への推薦取り消し
国民的英雄・ザップ大将でさえ政治局員を解任されています。
党南部中央局書記で、NLFをハノイの要求通りに動かした陰のリーダー
後にドイモイの中心人物となるグエン・バン・リンは
統一後の早い時期に実権を剥奪されています。
上の例は、いずれも、南部の経済的独自性や政治の多層性を生かした
戦後復興を主張したため、レ・ズアンら党主流はに排除されたと、観測筋ではみています。
南北統一における北の役割は非常に大きかった。
そのために統一後に北が主導権を握るのは当然の話だろう。
しかし、南の政府関係者はともかく解放軍関係者を組織的に追放等をしてたら問題だろう。
そういう事実はあるのかいな?
もっとも、統一後の権力争いの結果スポイルされたのなら論外だが。
新体制内での権力基盤が弱い元南側解放勢力が権力闘争で負けただけという図式も浮かんでくる。
テト攻勢で古参の南出身幹部が結構死んだから
そのあと北が主導権とるようなったんだよ。
戦争中に使いものになる人間を即座に育てる暇なんてなかなかないしな。
統一後もその流れで北主導の経済路線になったのはある意味無理もないと思う。
却ってテト攻勢が成功してたら(どのレベルかはアレだが)
戦後の統治体制がややこしいコトになってたんだろうね。
テト攻勢自体が、南出身の民族主義ベトコンを潰すために
ハノイが仕組んだ壮大な罠だという説が有力だ
テト攻勢での大敗北によってベトコンは事実上壊滅
生き残った南出身のベトコン幹部も責任を問われ片っ端から処刑され
以後、北ベトナム軍がベトコンの制服を着て戦ったという事実が物語っている
>>345 政治的、軍事的、戦略的、戦術的にあれだけ壮大な大失敗も珍しい
成功を仮想することすら困難だが、
それこそハノイの罠だったことの裏付けになっている
>>342 栄誉を得た軍人が発言権を伸ばさないうちに文民が芽を摘んだ、て側面はあるんですか?
確かジューコフも戦後すぐに左遷されてたような。あと朝鮮の方虎山とか。ゲバラは少し違うか。
共産国はとにかくボナパルティズムに過敏ですからね。厳格で控えめで御国に忠実そのもののヤルゼルスキでさえかなり揉めましたし。
…大日本帝国はその辺ものの見事に失敗したからな…
349 :
321:2007/06/19(火) 03:10:22 ID:GZT2HdV9
>>332 その本は読んでる。
> コミュニストのいうナショナリズムと、ベトコンに参加した民族主義者たちの
> ナショナリズムは、違う。
そりゃそうでしょ。で、コミュのナショナリズムは偽物だからレ・ズアンやチュオン・チン
はナショナリストじゃないとでも仰りたいのですか?「「自分たちと違う存在」をゆるさない」
のはかつてのインドネシアや韓国のようなあからさまな独裁国家だけでなく、「野党なんて
いらね〜」と公言してるシンガポールの人民行動党だってそうでしょ。
ナショナリズムとコミュニズムの結合はよくあること。
日本の社会党や共産党もその一種だと思うが。
>>349 日本の場合、寧ろ『反代々木』のヤングたちの方がその傾向が強かったかもね
ソースはオラの大学の左翼系組織の機関紙のバックナンバー
351 :
255:2007/06/19(火) 19:59:16 ID:???
>>325 ご指摘ありがとうございます。
相当の影響力を持った政治集団だったですね。
>>348 ベトナムの党・軍関係ですが、
軍総政治局のコントロールが非常にしっかりしているので
システム的にもパワーバランスが軍人>党幹部になりにくくなっています。
平時の軍総政治局長(階級は大将クラスですが主に政治畑から)は、総参謀長より権威があり、
ときには国防相さえしのぐこともありました。
また、対米戦争勝利についても、1に党の指導、2にホー翁の薫陶のおかげというのが
国民の間でも浸透してたようです。あまり軍の将軍たちへの崇拝にはつながりませんでした。
ズン大将、チャ上将、ザップ大将、リン書記の失脚は、
軍人や武装闘争指導者への予防措置というよりは
南部の立場を代弁しているか、南部の立場に理解を示したことへの懲罰のようです。
(もちろん党が公式にんなことは認めませんが)
ザップ大将の場合は、79年のカンボジア戦争に対する批判も「罪状」のようですが。
逆に言うと、軍人でも、イースター攻勢で手腕をふるい
75年のホーチミン作戦で総司令官を務め、
79年のカンボジア派遣軍司令官まで務めた実戦派のレ・ドク・アイン大将
(政治局員 のちにドイモイ体制下で国家主席)などは健在でした。
352 :
348:2007/06/19(火) 20:46:36 ID:???
>>351 なるほど、了解しました。
そこまで統制してるのか、流石だな…
353 :
アシャウ渓谷:2007/06/20(水) 11:18:34 ID:X+iz1jL/
>>342 255=258さん
ベトナム労働党のやりかたは、中国共産党にくらべると、たしかにソフトで、うまかったと思います。
その辺が、対米戦で国際世論やメディアの力を知り尽くした「北」の力量でしょう。
実際、ホーチミンの目抜き通りや一等地の「地主」は、北から来た人が多い。
これは、1975年後、「接収」した土地建物を、ドイモイ以降の開放政策で、
北幹部が優先的「所有」したためです。
NLFの悲劇は、共産主義に幻想を抱いた、20世紀全ての左翼の象徴でしょうね。
1975年以前、労働党が南の反政府分子や、独立派、反米派を取り込んでいった過程は、
コミュニストが良く打ち出す、「人民戦線」の理想もあったのではないでしょうか?
スペイン内戦など、人民戦線戦は、結局の所、進歩的分子を利用する、
共産党の「ネタ」でしかないことは、歴史的に証明済みです。
一方で、非常に厳しい条件の中で、独立、民族統一をやりとげた労働党の
政治的な判断力、組織力には、感嘆するしかありません。
354 :
アシャウ渓谷:2007/06/20(水) 11:19:15 ID:X+iz1jL/
>>345 >>346さん
テト攻勢が、ベトナム戦争でのエポックだったのは確か。
ただ「民族主義ベトコンを潰すために 」は疑問。
労働党のテト攻勢の目的の一つは、全面攻勢によって、南人民が「一斉蜂起」すること。
北首脳は、南人民の独立と反米感情で、攻勢時には、全土で人民が立ち上がると信じていたようだ。
その際、NLFは、一時的にせよ、南のリーダーになるので、「潰す」云々は、
後から出た、解釈だと思う。
>>349さん
「コミュのナショナリズムは偽物」
必ずしもそうとは思わない。
独ソ戦のときのロシアのがんばりや、戦後のアジア・アフリカの独立運動は、
ナショナリズムとコミュニズムのミックスがあると思う。
ただ、ベトナム労働党が、戦争中、南の人心をナショナリズムで収攬したのは、
あきらかに、政治的な手段だったと思う。
自国のコミュニズム/コミュニストがいくら嫌われても
他民族の侵略者/統治者の方がまだマシに思われるなんてことは余程じゃないと…
ちゅうことなんですかね。自国民の意識レベルも関係するんだろうけど
一斉蜂起期待説はよく聞くが実際に都市に住んでる人間が武器もなしにどう
蜂起すんの?と思うのだが。
米の国防省の役人書いた本ではベトコンが期待してたのは人口密集地に潜む事で
敵の追撃をかわす事だったがベトコンが潜んだ地区は空から重爆されて
都市部まで徹底的に空爆されてしまい、潜伏すらできず蜂起どころではないってのが事実だ
て書かれていた。
>>356 洒落じゃなく、ワルシャワ蜂起の再演だな…
358 :
255:2007/06/20(水) 17:06:13 ID:???
>>356 サイゴンなど都市での「蜂起」についてのその点ですが、
民衆と解放軍コマンドとの役割分担があったのだと思います
コマンドは、史実通り地下ルートで兵器を事前に集積、
あるいはサイゴンでやったように南政府軍内の内通者に用意させ、
実際に戦闘に入る「熱い蜂起」。
民衆については、浸透したアジテーターや工作員の扇動で、
南政府軍の輸送や補給を妨害するサボタージュを実施したり、
逆に南政府軍による橋や施設の爆破を防ぐ、といった形での「静かな蜂起」。
これは憶測に過ぎないのですが、1968年テトでの戦術的失敗を教訓にして、
75年の大攻勢での、側面での役割があったのではないでしょうか。
北側の進撃を食い止めるための南政府の組織的なインフラ破壊は、
実際この時、このような浸透工作員の手で実に巧妙に防がれていました。
>>353 ベトナム共産党(労働党)の、政治的手法のたくみさ
原則にこだわらない柔軟さ、党内権力抗争をソフトに収めるやり方について、
国際協力機構(JICA)が興味深い分析をしています。
ttp://www.jica.go.jp/branch/ific/jigyo/report/country/1995_01_14.html
359 :
アシャウ渓谷:2007/06/20(水) 18:35:17 ID:X+iz1jL/
>>356さん
「民衆一斉蜂起」というのは、コミュニストの見果てぬ夢ですね。
実際、蜂起は起こらず、逆にフエなどでは、北側が占領した地域の、
南関係者(役人、警官、教師、金持ち)などを、集団処刑して、
これが、南の北に対する潜在的な恐怖に繋がっていく。
テト攻勢についての余談
これは、聞いた話ですが、ベトナム人は、旧暦を使っていて、テトは旧正月ですね。
実は、北部と、南部の使っている暦が異なっていて、
北正規軍の攻撃開始時と、
NLFなど南部人の部隊の発起時が
「一日ずれて」しまった、というもの。
南政府と米軍は、そのずれを陽動作戦と勘違いしたとか。
しかし、そんなことってあるのか、未だに半信半疑です。
何人かから聞いたから、ベトナム人の間では、広まっている話みたい。
何かか詳しい情報を持っている人がいたら、教えてください。
>>359 その話、たしか読売で出したベトナム戦争の本の中にあった。
>「民衆一斉蜂起」というのは、コミュニストの見果てぬ夢ですね。
こいつの薄っぺらさが見えてきた。
>>358 「静かな蜂起」といってるものだが輸送補給の妨害、爆破阻止だなんて
訓練もしない丸腰の人間にそんな簡単に出来る事なのかな。
暦の違いで攻撃に一日ズレが出たのは知ってるが総攻撃さえそれだけ杜撰なのに
一般人多人数を確実に動かす計画があったとは疑わしい。
なにより空軍が出動してVCの潜伏先を空爆しまっくってる中
一般人にそんな事できるだろうか。
363 :
えICBM:2007/06/20(水) 21:39:43 ID:???
>>362 >なにより空軍が出動してVCの潜伏先を空爆しまっくってる中
そこまで情報が筒抜けだったら、そもそも南はベトコンの壊滅が可能だったのではないか?
実際にはベトコンの根拠地がサイゴン近くのカンボジア国境付近だったりしている。
都市部に潜伏したベトコンを空爆 ね。
テトの際はショロン地区やフエ市街はじめベンチェ、コンツムその他市街地に空爆してたからね。
365 :
えICBM:2007/06/21(木) 02:13:25 ID:???
>>364 その空爆の対象は都市部で放棄した武装勢力の陣地のことだね?
潜伏先は内偵等で察知されてないと爆撃は無理でしょ、都市部でも?
地上戦部隊は航空攻撃に曝露されるのは当然だけど、潜伏してるベトコンに空爆は無理でしょ。
一斉蜂起ってのはデモの拡大版みたいなもんでしょ。最初は市民デモだから
向こうも発砲を躊躇するし、数がおおけりゃ兵隊さんも無差別発砲でもしない
限りどうにもならん。
で、工作員がその間に隠してた武器を配っていつの間にか武装蜂起→都市制圧へと。
こんな感じのシナリオだったと記憶してる。実際にどうなったかは言うまでも無し。
サイゴンあたりでもデモ隊相手にCS催涙ガス使用してたんだよな。
しかしテトの際は攻防戦でデモどころではないだろう。
中国人街は政府軍の空軍が出動して家何万件か壊れたはず。
もっと酷いのは地方の小都市。
テト攻勢の際の都市部への空砲爆については
ランド研究所〜国防省〜国務省 と歴任してキッシンジャーの補佐やってた人物が
詳しく書いてるのだが(D・エルズバーグ「ベトナム戦争報告」筑摩書房)
VC陣地へのピンポイント爆撃ではなく事実上の無差別爆撃を都市でもやり始めた、と。
ユエ・サイゴンの大部分と、デルタ地帯のベンチェ・カントーをはじめとして
数ヶ月間の間ベトナム全土が無差別爆撃地帯になり、
1968年以前に比べてそれはずっと広範囲になった、と。
1968年というとテトを機にVCの活動が下火になってったような印象があるが
いわゆる「自由砲爆地帯」を人口密集地に拡大して火力で圧倒して
表面だけ沈静化していたのが実情だろう。
369 :
アシャウ渓谷:2007/06/21(木) 13:57:46 ID:CuIbSC7d
ベトナム戦争は、報道映像の影響が強かった。
その中で、アメリカ(と自由世界)の世論に影響与えたいくつかのショットがある。
その一つが、ベトコンを衆人環視の中で射殺したロアン南ベトナム国家警察長官の写真。
おれは、動画でも見たことがあるが、後ろ手に縛られた男を、あっさり射殺する瞬間は、
なんというか、人の命の運命を思い知らされたもの。
この写真は、南政府の非道さ、それに荷担する米政府への非難という効果をもたらした。
しかし、その背後には、全く別の事情があったようだ。
射殺されたのは、NLF将校のグェン・バン・レム。
テト攻勢の準備として、南政府関係者の殺害を行っていて、数時間前には、
射殺したロアン長官の部下の家族を皆殺しにしたという。
http://black.ap.teacup.com/fukashinogakuin/246.html これを撮影したエディー・T・アダムスも、「写真は半分しか説明しない」と言っている。
こうした背景が事実だとすると、戦争報道の微妙さがわかるというもの。
湾岸戦争の時は、原油まみれの海鳥の姿が何度もながされ、
フセインの野蛮さを象徴していたが、あれも、後にやらせだったと、わかったのではなかったか。
ロアンの処刑は、米政府の足を引っ張り、油の海鳥は後押しした。
イラク作戦での映像の少なさは、その辺の経験を学んだのだろうか。
ベンチェはベトコンの本拠の都市のひとつだがテトの時は徹底的に空爆されて
蜂の巣になったのよ。ファルージャみたいなものだね。
デルタは特に空爆の激しい地域だったみたいよ。
テトの時は国内難民200万で破壊家屋数も相当だからはっきり言ってデモどころではないよ。
格好の標的になるだけ。
371 :
えICBM:2007/06/21(木) 16:07:18 ID:???
国家警察長官ロアンというと、君が
>>332で紹介した「裏切られたベトナム革命〜チュン・
ニュー・タンの証言〜」 の著者をテト攻勢の前に投獄しさんざん拷問した当事者でもある。
国家警察長官の仕事は反乱分子である解放軍を捕まえること。
当然解放軍のメンバーの家族も惨禍を受けただろうし、無関係の人間も多数殺害されただろう。
テト攻勢時の復讐対象に真先に上げられる人物でもある。
撮影者は「写真は半分しか説明しない」と語ってるが、半分も説明していない。
ロアンは湾岸戦争時の海鳥のような被害者でもなんでもないよ。
まさに当事者中の当事者だろう。
アメリカが航空機の威力をよく知っていなかったから。 かも・・・
373 :
えICBM:2007/06/21(木) 16:18:43 ID:???
チュオン・ニュ・タンの著書によれば、テト攻勢では北の正規軍がケサンの米軍基地を包囲したが、
米軍の空爆で大打撃を受けて結局敗退した。
その結果、地上での正規戦では米軍・南ベトナム軍には勝ちようがない、圧倒的な空軍力の前で
は全く歯が立たないという認識が広まった。
そのため、南でのゲリラ活動・政治闘争の重要性が再認識され、解放軍の地位が高まったそうだ。
374 :
アシャウ渓谷:2007/06/22(金) 17:02:19 ID:9vtSE4jv
>>371さん
カメラマンのアダムスも、ロアンが「正義の人間」とは言っていない。
処刑されたレムを含め、誰の手も汚れていたが、
写真は、その一部しか写さず、それをある意図を持って使割れることがある、
という懸念を表明しているのだと思う。
>>373さん
「ゲリラ活動・政治闘争の重要性が再認識され、解放軍の地位が高まった」
これは、興味ある指摘ですね。
正規軍同士の闘いの限界を知ったと言うことか。
ケサン攻防戦の時の絨毯爆撃は効果があったらしい。
このナイアガラ作戦は、「第二のディエンビエンフー」を防ぐ、
政治的な意味もあったから、アメリカも意地で、落としまくった。
レスするのにいちいちへりくだって、「さん」づけしなくて宜しい。
支援基地からの距離。
航空機の爆弾等裁量。
輸送機の能力。
寝返る部隊が居ない。
このあたりが違うからな。
>>359 住民を一箇所に集めて、火炎放射器で皆殺しにするとかもやったからな。
377 :
えICBM:2007/06/22(金) 19:18:48 ID:???
>>374 カメラマンは半分しか説明してないと言ってるんだろ?
ロアンの家族や友人がテト攻勢でベトコンに虐殺された事を語って無いと。
だから、半分も説明してない、国家警察長官であるロアンの諸行も語ってないと言ってるんだ。
カメラマンの事後の説明も説明不足だし、ある意図をもって使ってるとも読み取れるんだよ。
>これは、興味ある指摘ですね。
チュオン・ニュ・タンの著書を読んだんだろ?
書いてないのか?
米軍の空爆はほぼ全ての正規戦でベトコン、北ベトナム軍を圧倒している。
テト攻勢でも72年の春季攻勢でも結局空爆でやられている。
しかし、ベトコン、北ベトナムが最終的に勝っている。
これは、ベトナム戦争が軍事面よりも重要な側面があったということだろう。
378 :
名無し三等兵:2007/06/23(土) 08:21:09 ID:4onxFkqn
>>377さん
きわめて興味深い推察ですね。
>住民を一箇所に集めて、火炎放射器で皆殺しにするとかもやったからな。
米軍の帰還兵士による調書ではフエの市街地の人ごみにナパームを投下して
ベトコンに責任転嫁した例があるそう
ハイフォンに海兵隊と陸軍第一機甲師団上陸、ハノイに82と101空挺を降下させ
ベトナム版マーケットガーデン作戦をやれば1975年からでも勝てる。
アメリカって北ベトナム・ソ連を締め上げるために当時、共産中国を国連に
引き入れて台湾を追放しちゃったけど、その詳しい経緯が知りたいな。
ググッてwikiとかも見たけど米政府内の共産中国に対する心情の変化とかが
いつ起きたのかは一切不明。共産ベトナムより共産中国の方が脅威だと思うんだが。
アメリカはやっぱ台湾を支持しつづけるべきだったと思う。
キッシンジャーと周恩来が個人的にかなり親しかったらしい
キッシンジャーが日本が核攻撃受けても米は報復しない、とかいって
中国が大喜びしたらしいよ
キッシンジャーって学生のデモに中指立てて挑発したりして
突然ぽーんとやらかす変な人ってイメージが…
ベトナム前後の中台って、中国の方は共産党随一の外交通の周恩来の全盛期で
文革後、開放政策をとって、ソ対立激化と合わせて、西側に柔軟化をアピールする一方、
台湾の方は国内で白色テロを繰り返し、外交でも相変わらずの中華思想丸出しで
自分から支持を失っていった印象があるな。
>>381 当時は中国よりソ連の方が脅威だろ。
敵の敵は味方だよ。
そーいや昔のゴルゴ13でソ連に対抗するために
日米中3国同盟を…って話があったような。
>>380 ベトナム版遠すぎた橋を演じて101空挺が壊滅するわけですか。
388 :
アシャウ渓谷:2007/06/25(月) 15:07:36 ID:2Aprmxe6
>>377 エディ・アダムスの「写真は半分しか説明しない」とは、
現実のある一部の局面だけで、全体を推測するのは誤りだ、ということだと思う。
もちろん、アダムスは、ロアンの「諸行」も知っていただろう。
かれが、ロアンを弁護したは、到底思えない。
カメラマンが提供するのは画像であり、それにコメントをつけ、編集するのは、
また別の人間だ。
そこにモンタージュのノウハウを使った政治的な作為が生まれる。
それをカメラマンの立場として批判したのではないか。
人間は人を殺した後に、教会に行って祈るという矛盾した存在でもある。
>>381 米中国交回復は、まず、ベトナム戦によるアメリカのへたりがある。
ソ連と対抗するには、すでに対立していた中露を分裂させるのが一番。
直接には、もちろん、ベトナムから手を引くために、中国から、
ベトナムに「後ろから」圧力をかけてもらうのが重要だった。
北ベトナムより中国、中国よりソ連が脅威だったというころではないか。
政治家的には、ニクソンのような反共イメージの強いタイプだから成功したと思う。
キッシンジャーの功績については、拡大評価されていると思う。
正常化に関しては、国務省ですでに道筋がつけられていたらしい。
389 :
えICBM:2007/06/25(月) 23:24:46 ID:???
>>388 >もちろん、アダムスは、ロアンの「諸行」も知っていただろう。
おいおい、何を根拠にそんなことを言えるのだ?
知ってるなら何故、ロアンの家族がベトコンに殺された点のみを言及したのだ?
わからんなぁ。
390 :
アシャウ渓谷:2007/06/26(火) 11:53:08 ID:lgMnnzB+
さんづけ止めろってーの、欝陶しい。
392 :
名無し三等兵:2007/06/26(火) 16:53:09 ID:e0YOgq37
そんなことより
>>300が
講義の課題レポート内容そのままなわけだがww
先生に報告しとくわww
omanko
394 :
えICBM:2007/06/27(水) 03:41:50 ID:???
>>390 >なぜ「殺された点のみを言及し」だと言えるのだろうか。
単純に君の
>>369のレスではロアンの部下の家族を皆殺しされた点のみ言及してるからだよ。
他意はない。
日本語HPもネットで。
395 :
えICBM:2007/06/28(木) 06:29:14 ID:???
>アシャウ渓谷氏
よく読むとロアンの家族が殺されたってわけじゃないですね。
勘違いしてました。
あの映像の裏には殺されらベトコンの功罪が無いって解釈は妥当でしょう。
申し訳ない。
396 :
アシャウ渓谷:2007/06/28(木) 11:32:10 ID:ZL79KOpx
>>394>>395 :えICBMさん
とんでもない、おれの引用の仕方も、曖昧な点がありました。
ロアンは、その後、米国に渡って、ピザ屋をやっていたそうですが、
「あのロアンだ」と話題になり、店を畳んで蟄居したとか。
http://amehare.lolipop.jp/quotes/2007/02/post_111.html によると、ベトコン側のバイ・ロップは、家族にもゲリラ活動を秘密にしていたようだ。
ロップの遺族は、解放後、「英雄の遺族」で大切にされたとある。
ベトナムの地方都市に行くと、目立つところに「独立烈士像」みたいのが、
飾ってあるところがよくあるが(記念碑みたいのある)、
おれが個人的に知っている範囲だと、解放戦線の兵士の遺族は、
ろくな「補償」はないようだ。
すくなくともNLFの補償(これも微々たるものだが)よりは、少ない。
ロップ遺族の場合、当然政治的な意図があると思う。
397 :
アシャウ渓谷:2007/06/28(木) 11:37:17 ID:ZL79KOpx
ベトナム人は、基本的に土葬で、先祖の墓地というのがあり、
そこは、一種「聖域」といっていいだろう。
日本人の目から見ると、遺骨が出ていたりして、かなりブキミだが。
戦争中のベトコン、NLFの戦死者は、アメリカのように持ち帰る能力がないせいもあり、
ほとんどが、そのままで現地に埋められたという。
ベトナムの家庭には、たいてい亡くなった人の写真を置いた仏壇?みたいのがあり、
お線香を毎日お供えする。
そこに、薄ぼけた若者の写真(写真は高価なもの)と、安っぽい勲章がおかれ、
家族が礼拝している光景を見ると、胸が痛む。
普通だと年に何回か、親族一同で墓地に行って、儀式をする。
多くの戦死者の遺族は、それも出来ないのだろう。
おれは、アーリントン墓地と、ベトナム戦死者の名を刻んだ石版を見ると、
つい、ベトナム側と対比したくなる。
398 :
名無し三等兵:2007/06/28(木) 13:13:29 ID:/65+wkCm
今のイラクの米兵と同じで、ベトナム派遣兵も頭では自由主義のためにと理解していても、
個人的にはイヤだっただろうね。イラクより自然環境悪いしね。
アメリカのヒッピー達がマリファナ吸ってピース、ピースと
ギターかき鳴らして反戦歌を歌ったから
400 :
名無し三等兵:2007/06/28(木) 14:17:25 ID:/65+wkCm
ベトナム戦争中は毎日のように福岡に死傷兵が送られてきてニュースにたびたびでていましたね、
>>398 それだけじゃなくて「自分達はあまり歓迎されていない」
というのが解って「何のために来たんだろう」という事になるらしい。
地上戦に行っていた連中の戦記なんか読むと大体そんな感じだ。
歓迎されていないというのも微妙で、本当のところベトコンなんてもっと歓迎されていなかった。
アメリカ軍が本当に村落守ってくれるのなら喜んで協力するが、作戦終わって撤収したらベトコンがやってきて村みな殺しになるのわかってるから歓迎したくてもできないわな。
>>402 たしかにそれもあると思うが
アメリカのやり方がそもそもベトナムに会わなかったんじゃないか
と思うんだよな。
歓迎したくてもできなかったというより
「やっぱりあんたらよそ者だ」て言う感覚だったんじゃないかな。
ま「ハンバーガーヒル」とか、「フルメタルジャケット」だけでなく、
たまには「グッドモーニング・ベトナム」でも見るこったな、と。
ベトコンは元はベトミン。
米CIAの指示でサイゴンの新聞は戦争初期にベトミンの呼称を一気にベトコンに切り替えた。
抗仏戦争時に各村落レベルで形成されたベトミン兵・人夫らが
そのネットワークと抗仏戦でのゲリラ戦法を引き継いだだけのこと。
ちなみに8年の抗仏戦では数十万〜100万のベトミンとシンパが死んでる。
その親戚知人らが南部でベトコンやその支持層になったと見ていいでしょう。
北部の元抗仏ヴェトミンだけど共産政権と合わなくて、南に流れて南政府軍の将校になったなんて人もいるけどね。
基本的に南政府軍はフランス植民地軍をそのまま引き継いでるのは事実。
イメージが悪いからかグエンバンチューしかりカーンしかり
ベトミン出身を自称する人間はいたが
米の報道関係者は信用してなかった。
実際のベトミン出身将校なんてのがいれば、あの当時敵との内通の横行していた
政府軍内ではかなりギチギチの監視対象になるだろうよ。
ズオン・バン・ミンも元ベトミンと言ってたが実際には植民地軍の隊長
410 :
名無し三等兵:2007/07/02(月) 20:19:05 ID:S5EDhzX9
例の捕虜を撃ち殺す写真は当時衝撃受けた。動画は最近まで知らなかった。
当時ニュース等で動画も流れたかなあ?記憶にないのだけど。
ハーツ・アンド・マインドっていうベトナム戦争のドキュメンタリーに出てきた
爆乳のベトナム人娼婦に勃ったことはあるが
他はパットン3世中佐?が出ていたのは覚えているが
>>408 情報流さないまでも、ベトナムは真田一族だらけだったからな。
親子兄弟が南北に別れてるなんてざらにあった。
彼ら流のリスクヘッジだったんだろう。実際、海外越僑の送金や手引きは
結構でかかったしな。
>>412 「小国の兵法大国を砕く」と言うわけかw
てかインドネシア独立と構図は同じダヨネ
日本軍に大東亜教育を強制された現地人がオランダ政府に真っ当な扱い求めたら
蘭軍が苛烈な虐殺と弾圧始めたおかげで内戦勃発。
普通に日本軍が来なきゃインドネシア人は独立できてもずっと土人だったであろう事は疑いようもない
415 :
名無し三等兵:2007/07/04(水) 14:28:18 ID:7blsAtl4
日本軍は良くも悪くも欧米人でなくても国を興すことできると知らしめたのは事実だよね。
416 :
アシャウ渓谷:2007/07/04(水) 17:23:39 ID:vnZvykNO
>>404さん
ロビン・ウィリアムズは、最高ですな。
微妙な背景としては、「静かなアメリカ人」がいいと思う。
グレアム・グリーン原作の映画化だが、妙な正義感に駆られて、
ベトナムに介入しようとするアメリカ人を、イギリス人らしい、
皮肉な態度で描写している。
>>412さん
横ですが、ベトナム人の「送金」は面白い。
フランスに住むAが、親族のBに金を送る場合、
現金を旅行する知人に託すことが多い。
ホーチミンに着いたその知人Pは、さらに知人Qに渡し、
Bとは面識のないQが金を届ける、と言ったことがよくある。
それも、1000ドル、2000ユーロといった金額が、
銀行システムの外でながれていく。
知人に「ちょっとした知り合いに頼んで、大丈夫なの?」と聞いたが、
「大丈夫、銀行送金よりも、金もかからず、安全だ」という。
モスリムも同様の「地下ルート」でやっていた。
統計に乗らない金の動きというのは、結構あると思う。
ロビンウィリアムズ大嫌い。
顔にこびりついた作り笑いが気持ち悪い。いい年こいてベトナム少女を追っかけてたのが気持ち悪かった。
あの映画のロビンの行為は一見紳士的に見えて、精神的にはベトナム女をレイプする兵士となんら変わらない傲慢さが感じられて鼻につく。
418 :
名無し三等兵:2007/07/05(木) 03:59:04 ID:LDu1AO/R
おっと、間違えたw
青年の誓いだ。
420 :
名無し三等兵:2007/07/05(木) 04:37:31 ID:kTK/Vs8/
>>418-419アフリカ暗黒大陸の実情を知らないからそう言える
明らかに大日本帝国のおせっかいが無ければ白人どもに騙されて永遠のカモだったとしか思えんのだが
アメリカがフィリピンに1949年に独立を確約し、独立を準備している段階で阻害
し再植民地化しようとしたのが日本による侵略
そのため、フィリピンでは中国に次ぐ坑日抵抗運動が勃発した
422 :
名無し三等兵:2007/07/05(木) 12:53:49 ID:WcLI4huW
ウエストモーランド在ヴェトナム司令官はまだご存命なのですか?
>>421で今のフィリピンは落ちぶれて臓器売買合法化まで来ましたね。
フィリピン人は民族自決の意味を理解できない愚か者。
パラオ人ですら理解できたというのに奴等ときたら
世界中の途上国の臓器移植を高値で買いあさる腐敗堕落した傲慢民族が日本人
425 :
名無し三等兵:2007/07/05(木) 20:42:03 ID:xSe5OJFV
独立国家たちが 「ニッポンありがとう おかげで目覚めました」 と言うのは自由だが
日本が 「ありがとうって言えよ独立に目覚めたのは俺達のおかげだろ?」 と言う権利は無い
向こうが感謝してなければ その程度
実際大して日本人って尊敬されてないよ。依然東南アジアで憧れの対象で見られているのはアメリカ。
日本人はいい金づる位には思われてるが、それ以上の事はないんだなと彼らと仕事して思った。
。日本がナショナリズムを叩き込んでやったとか、思い上がり。やつらは常に利益と強い者の為に動いてるだけ。
>>426日本がナショナリズムを叩き込んだおかげで真面目に考えるようになった事まで否定する事はなかろう
白人は何も教えないから大東亜共栄圏の戯言を聞くまでずっと土人体質。
自分勝手はウェルカムだがしみったれた部族意識で20世紀を生きられたら国なんて成立しない
>>427みたいなことを本気で思ってる連中がマジョリティを占めているうちは
日本の国際的地位は永遠に上昇しないだろうなあ。
てか、思っててもいいんだが冗談でも表に出しちゃいかんよな。
というか、
「日本人があれだけ出来るんだからわしらにも出来るんと違うか?」
と言うのが本当の所なんじゃないの?
ベトナムの場合だと
「フランス帰りのインテリが日本式の戦法に少し中華風味を加えて作り上げた」
という物なんじゃないのかな。
日本軍の影響を過大評価しすぎ。
431 :
名無し三等兵:2007/07/06(金) 00:38:39 ID:5Nnf6Y7p
>>427 >自分勝手はウェルカムだがしみったれた部族意識で20世紀を生きられたら国なんて成立しない
↑今の日本を皮肉っているのかと思ったよ、至言だな。
親日的って・・・・・
田中元首相がインドネシアを訪問した際の激しい反日暴動とかこの頃の世界史で
は教えないのか?
マハティールのような狂人は除いてはさほど金以外で親日的といえる政治家はい
ないだろう
現代のASEAN諸国は米日韓中に対しては外交的には等距離
経済的には日本は日本自身の保護主義的対応が阻害して、シンガポール以外とF
TA(自由貿易協定)を結べず、米中韓に引き離されているけど
行った人は知ってると思うけど、
インドネシアって思いっきり
『 親 韓 』
ですよ。
>>420 たしかにアフリカは言ったことないから皮膚感覚レベルでの実情は知らんよ。
で、それと大日本帝国のおせっかいは何の関係があるのかね?
インドネシアでもフィリピンでもベトナムでも日本が来るずいぶん前から
ナショナリズムが盛り上がってたじゃん。何を根拠に永遠のカモのだっただろう
とかいってんの?日本が華人大虐殺したからシンガポールが発展したとでも
言いたいのですか?
435 :
名無し三等兵:2007/07/06(金) 15:16:20 ID:eDTuiham
ベトナム人>>>日本人
と思っていて
あの日本人にも出来たのなら 自分たちにも出来るはず
と思った可能性はある
>>433 勇気あるなw
親韓の国なんて、世界中を探したって日本しかない。
韓国自身ですら、蔑韓だからなw
へー、そうか
ブラジルでははるかに日本製品より韓国製品が好まれているが
唯一、韓国製品に勝ってる日本製品はヤクルトだけ
438 :
名無し三等兵:2007/07/06(金) 19:10:28 ID:eDTuiham
しかし 現在の中韓のロビー活動は バカに出来ない次元に来てる
(アメリカ議会もすっかり買収されてるし)
下手すると 嫌韓厨のネトウヨすら在日工作員なんじゃないかと思うくらいだ
>ブラジルでははるかに日本製品より韓国製品が好まれているが
安いから、ね。
>>439 「安くて高品質」だった日本製が
「高品質だけど高い」になってシュア取られちゃってんのよ
ちょっと、アグラかきすぎちゃった感じだよ
441 :
名無し三等兵:2007/07/07(土) 16:35:17 ID:qQReqEYm
【前史】
ベトナム戦争の源流は実は、コミンテルンによる日本破壊作戦にあった。
昭和7年、ソ連の支配するコミンテルンは「32年テーゼ」を発表。
日本を貶めるための大作戦を開始した。
これは、東亜細亜において、
ソ連・共産主義の侵略を食い止められる唯一の国家が日本だったからだ。
亜細亜におけるモスクワの代理人は毛沢東率いる中共だった。
昭和12年、北支の蘆溝橋において、中共の謀略によって日支事変が始まった。
毛は、日支両国を戦火に陥れることによって、10億の支那のマンパワーをもろに
我が国にぶつけ滅ぼそうとしたのだ。
しかし、日本軍の前に支那軍は連戦連敗、毛は悪名高い
「便衣兵戦法」(今で言う無差別テロ)を繰り出すも、歯が立たなかった。
昭和14年。黒幕であるソ連は、壊滅寸前にあった中共を救うべく
正規軍による侵攻を図った(ノモンハン事件)。
20万の大兵力の機甲部隊による完全な奇襲にもかかわらず、
日本の関東軍はよく耐え、逆に敵に5万の人命と8百輌以上の戦車の損害を出させて敗走させた。
442 :
名無し三等兵:2007/07/07(土) 16:36:43 ID:qQReqEYm
【迫り来る嵐・序章】
ここにおいてあせったモスクワは、対日本の戦線を、
支那のさらに南、インドシナに置く事にした。
モスクワの指令により、延安から2人の中共工作員が派遣された。
胡志明と武元甲の2人である。
2人ともベトナム風の名前に変え、「ホー・チ・ミン」「ボー・グエン・ザップ」
と名乗り、ベトナム人に化けたのだ。
彼らの目的は、東南亜細亜における赤化勢力を育てること、
蒋介石への援助ルートを維持すること、
日本のみならずモスクワの邪魔になる政治勢力
(フランス、ベトナム民族主義者)を滅ぼすことであった。
彼らはコミンテルン東南亜細亜支部であるベトナム共産党(略称ベトコン)を結成、
日本が仏印進駐によって、多くのベトナム民族主義勢力を支援しても、ひたすら逆らい続けた。
大東亜共栄圏構想にのっとり、日本がベトナム帝国独立政府を復活させても、
ベトコンは逆に中共じこみの便衣兵戦法でこれに反対したのである。
あくまでベトナムに必要なのは「モスクワのロボットたるベトコン政府」だったからだ。
443 :
名無し三等兵:2007/07/07(土) 16:38:06 ID:qQReqEYm
【迫り来る嵐・間接侵略の章】
昭和20年。日本が敗戦。
しかし、日本が亜細亜各地に播いた「独立の種」は、
インドネシア、マレー、ビルマ、フィリピン、インドと少しずつ育っていた。
ここベトナムにおいても、宗主国フランスは、ベトナム帝国政府を無視できなかった。
これを気に入らないのがモスクワ、中共だ。
ベトコンに指令が下った。大日本帝国無き今、拠点を築くチャンスだ!
得意の便衣兵戦法でフランス、ベトナム両軍を苦しめる。
しかも、悪いことは重なるもので、昭和24年、中共がついに大陸を赤化。
余裕ができたため、朝鮮と同様に大量の中共義勇軍を派遣してきた。
この中共兵による人海戦術により、昭和29年、仏軍ディエンビエンフー基地が
陥落、仏軍の撤退が決まった。
444 :
名無し三等兵:2007/07/07(土) 16:39:51 ID:qQReqEYm
【謀略の章】
仏軍の撤退によって、ベトナムにはサイゴンのベトナム共和国政府、
ハノイのベトコン政府の2つの政府が並び立つことになった。
ハノイは国内で独裁政治を実施。宗教を禁止、秘密警察が国民を監視、
経済は共産主義化され多くの人が粛清された。
各地には胡の巨大な銅像や記念物が大量に建てられ、個人崇拝が強要され、
「偉大なる百戦百勝の首領ホーチミン様は20代のころから抵抗活動をしていた」との宣伝がされた。
一方、自由と民主主義を守る日本と同盟国の共和国政府統治下の南部には、
北の圧制を逃れて大量の難民が流入してきた。
この混乱をハノイが見逃すはずは無い。
ハノイにはソ連・中共から大量の兵器と、
両国正規軍からの兵員を受け取り、近代的な軍隊をつくるとともに、
南部ベトナム武力併合・赤化のための指令が下った。
すなわち。
第1段階・難民に化けた破壊工作員を南部に潜入させ、
無差別テロを実施。社会インフラを破壊し社会不安を煽る。
第2段階・スペツナズ部隊を派遣、共和国政府の要人を暗殺、政治混乱をつくる。
第3段階・ソ連・中共の大部隊がベトコン正規軍の制服を着て一気に南下。武力占領する。
445 :
名無し三等兵:2007/07/07(土) 16:41:31 ID:qQReqEYm
【地獄の戦場の章】
この計画にもとづき、南ベトナムでは連日爆弾テロが発生、
ガス、水道、電気、電話などインフラを破壊されたほか、
国会議員、医者や教師などインテリも無差別に暗殺された。
共和国政府はついに、米国と相互援助協定を結び、
軍事顧問を招くなど対テロ戦争に乗り出した。
米国の支援・参加によって、モスクワの計画は多いに狂った。
あせった彼らはそこで米兵や施設に対する無差別テロに乗り出した。
テロに屈しない米国は、逆にテロの策源地である北ベトナムを爆撃、
スカイホークやイントルーダー、B52が次々ベトコン基地を破壊した。
ファントム戦闘機はミグをバタバタ叩き落した
陸軍、海兵隊やグリーンベレー、シールズは、
麻薬で感覚を麻痺させる自爆便衣兵や、侵入してくる共産側正規兵を次々倒した。
そこで、ボーは一大反撃作戦「テト攻勢」を発動。
昭和43年1月の正月、南部の各都市に総攻撃をかけたが、
防衛の意思の硬いベトナム共和国、米両軍に大敗北をした。
>>444 >第3段階・ソ連・中共の大部隊がベトコン正規軍の制服を着て一気に南下。武力占領する。
何だ、この「ベトコン正規軍」ってのは?
何をソースにしてるか分からんが、用語法が正しくないぞ。
447 :
名無し三等兵:2007/07/07(土) 16:43:58 ID:qQReqEYm
【獅子身中の虫章】
この大敗北にあせったモスクワはそこで、宣伝戦に乗り出した。
日米両国のブサヨク、プロ市民、マスゴミに工作資金を渡し、
いわゆる「反戦活動」をさせたのだ。
マスゴミは、米軍が「無差別爆撃」「虐殺」「強姦」「略奪」「侵略」
をしていると宣伝、一方、テロリストや共産兵士のことを、
残虐行為を一切しない「天使」のように宣伝した。
(諸君はどこかでデジャピュを感じないだろうか。
そう。日教組の自虐歴史教科書と同じ手口である)
プロ市民は毎日毎日デモをし、
脱走させた米兵をソ連のスパイに引き渡して洗脳させたりした。
米国では国の為に戦って帰還兵士が空港でデモ隊から腐った卵をなげつけられ「ベイビー・キラー」とののしられた。
日教組教育によって育てられ、日教組の圧力によって大学に優先入学したブサヨ学生たちは、
鉄パイプを振りまわしたり火炎瓶を投げたりピース缶爆弾や腹腹時計(時限爆弾のこと)で爆弾テロをしたり、
ベトコンばりのテロをして社会を不安に陥れた。
ベトナム共和国の同盟国である日本・米国はこうしてブサヨクに乗っ取られたのだ
おお前スレでもあったコピペだな
>241 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2007/01/30(火) 10:56:52 ID:???
>
>>218-224 は、最近ベトナム戦争スレが立つ度に張られるコピペ
>張られるたびに袋叩きにされているのに、性懲りも無く張られ続けている
>一々訂正するのも面倒なくらい間違いが多いので、テンプレを作って欲しい
>くらいである
面倒だから今回の訂正箇所だけ教えてくれ
449 :
名無し三等兵:2007/07/07(土) 16:46:00 ID:qQReqEYm
【崩壊の章】
結局、自由民主主義陣営である米国や日本、ベトナム共和国では、
言論の自由が保障されスパイ防止法も共謀罪も無いために、
ブサヨクの工作で自由に国の足をひっぱる反戦活動ができ、
選挙権が保障されているために、軍事の素人(イージス艦からB52が飛んでいるwというような議員)
が国策に介入できるという弱点があったのだ。
これらの議員たちにより、愛国者は大学を不当に落とされ、
ネットでの愛国活動に専念する若者にはレッテルが張られる一方、
日教組の言うことをよく聞き女と遊んでばかりいるブサヨだけがいい思いをするのだ。
国の悪口をいうだけで秘密警察に拉致・粛清される共産主義国は、
このような心配をする必要は無かった。
「ノイジー・マイノリティー」の声によって米国は撤退。
ソ連・中共の強大な軍事力を持つベトコン・ハノイは昭和50年、
大戦車部隊をもって南を侵略して「統一」した。
勿論、その後には、ポルポトのような大虐殺、強制収容所、何百万人もが殺され、
さらに何百万人もがボートピープルとして自由世界に脱出するという悲劇があったのであるが…
この論文を、自由の為に報われない戦いを戦った愛国兵士と、
共産主義に殺戮されたすべての人々に捧げたい。
450 :
名無し三等兵:2007/07/07(土) 16:47:26 ID:qQReqEYm
>>446 ベトナム共産(コンサン)党軍の略称だろが
南北ベトナムを南北朝鮮に置きかえて人名と年号を変えるとアラ不思議、な文章?w
453 :
えICBM:2007/07/07(土) 19:14:56 ID:???
>>450 ベトナム共産党は南北統一後までない。
ベトナム戦争当時はベトナム労働党。
筑紫哲也がベトコンのテロを称賛してたな。
註もないクセに論文と称する帝脳さ加減にワロタw
日本も韓国も台湾もアメリカに解放されたおかげで先進国水準となった。
それを思うと、ベトナムに生まれなくて、本当に良かった。
フランスにもアメリカにも勝利したおかげで、貧乏な共産党独裁国家。
457 :
名無し三等兵:2007/07/08(日) 22:11:26 ID:22pZkukx
韓国に生まれるか、ベトナムに生まれるか、中国に生まれるか、インドに生まれるか
そう問われて、苦悶の末、韓国を選ぶのが、嫌韓の常識人。
嬉々としてベトナムか、インドを選ぶのが嫌韓厨房。
なのだろうか?
知らんかったわしゃ嫌韓厨だったんじゃ
2ちゃんが出来るまでは面白かったね。
嫌韓流も、2ちゃん知らない人には面白い本だと思う。
(自分にはスレのテンプレを再読させられてる気分だったが)
俺は右か左か最初から結論があってそのために弁明するというのは
ちっとも面白いと思わない。
歴史を見る喜びは細やかなニュアンスを拾い上げた時だと思うんだよね。
だから右も左もひっくるめてイデオロギー的なファルターを嫌う軍事板は
居心地が良いんだけど。
Zが勝ったわ
465 :
名無し三等兵:2007/07/16(月) 19:10:38 ID:wgOazPgv
>>458 事故死で神の御手に委ねられ
自己責任でインドは
不可触賤民の極貧層に生れ変わった
嫌韓厨とか見てみたいな(w
466 :
名無し三等兵:2007/07/16(月) 19:51:39 ID:5RAx25+Y
ベトナムは南部人は馬鹿で兵士としては最低だったらしいよ
アメリカだけで戦争してるのと大差なかった
サイゴン陥落の前日、北軍に包囲攻撃を受けるタンソンニュット空港に
最後まで単機のACガンシップで抵抗し撃墜されたた南ベ空軍のパイロットは漢!
スカイレイダーが2機随伴していたが、そいつらはタイまで逃げたそうだ。
最期になってやっと火がついたんだな。
ナム戦初期にはグエン・カオ・キとかA-1で北爆行ってたよね。
470 :
名無し三等兵:2007/07/16(月) 20:40:11 ID:PDIu/yDJ
471 :
名無し三等兵:2007/07/16(月) 20:44:43 ID:il0u1BIV
毎晩夜のニュースでベトナム戦報道見ながら晩飯食べていたな。
サイゴン陥落は衝撃だった。映像は2日遅れくらいじゃなかったかな?
>>467 タンソンニャット空港はその前に、
「北ベトナム軍の」A37の爆撃受けてますがね
それは南べの反乱者だね。その時にAC-119も壊された。残ったのが1機だけ。
汚いやつらだ。
管制官「所属部隊は?」
A37工作員パイロット「アメリカ製の飛行機さ」
ちなみにダナン陥落後にA37を使った北のいやがらせ攻撃は
二回あったはず・・・
スレッドタイトルに機種依存文字を使ってる時点で
スレ主の頭の悪さとスレッドのレベルの低さが知れる。
478 :
名無し三等兵:2007/07/17(火) 16:04:31 ID:cvO/85S5
ホーチミン(政治家) 93.6点
画数:ホ[4] ー[1] - チ[3] ミ[3] ン[2]
天画(家柄) 5画 大吉 粘り強く剛健な上、誠実なので、信頼を受けやすく成功する。
地画(個性) 8画 中吉 自分の信念に忠実で、他人に対しても誠実で社交的な人です。
人画(才能) 4画 凶 根気がなく短気で、グチっぽく孤立しがち。否定的でひがみっぽい。
外画(対人) 9画 凶 病弱・短命・逆境・破壊を暗示しており、他人にまで影響する。
総画(総合)13画 大吉 誰からも好かれて話し上手で社交上手、穏やかな性格で成功する。
評価 : 93.6点
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479 :
名無し三等兵:2007/07/17(火) 16:06:03 ID:cvO/85S5
リンドンジョンソン(政治家) 95.7点
画数:リ[2] ン[2] ド[4] ン[2] - ジ[5] ョ[3] ン[2] ソ[2] ン[2]
天画(家柄)10画 凶 空虚・破産・孤独などを暗示しており、絶望的な人生を送る。
地画(個性)14画 凶 対人関係がうまくいかず、精神的な悩みも多く抱え孤独感に悩む。
人画(才能) 7画 中吉 意志が強く目的を達成する運を備えているが、独善的で孤立する。
外画(対人)17画 中吉 強い意志と活発な行動力を持ち、希望を達成できる。負けず嫌い。
総画(総合)24画 大吉 環境に恵まれ頭脳明晰、友人にも仕事にも恵まれ、異性にもてる。
評価 : 95.7点
モバイル姓名判断
480 :
名無し三等兵:2007/07/17(火) 16:08:44 ID:cvO/85S5
ロバートマクナマラ(国防長官) 76.7点
画数:ロ[3] バ[4] ー[1] ト[2] - マ[2] ク[2] ナ[2] マ[2] ラ[2]
天画(家柄)10画 凶 空虚・破産・孤独などを暗示しており、絶望的な人生を送る。
地画(個性)10画 凶 空虚・破産・孤独などを暗示しており、絶望的な人生を送る。
人画(才能) 4画 凶 根気がなく短気で、グチっぽく孤立しがち。否定的でひがみっぽい。
外画(対人)16画 大吉 一本筋の通った信念を持つ人で、人身も掴み、リーダーとなれる。
総画(総合)20画 凶 意欲的だが実力が伴わず、破滅、短命、病気、別れ、不成功。
評価 : 76.7点
モバイル姓名判断
481 :
名無し三等兵:2007/07/17(火) 16:17:14 ID:cvO/85S5
リチャードニクソン(政治家) 79.3点
画数:リ[2] チ[3] ャ[2] ー[1] ド[4] - ニ[2] ク[2] ソ[2] ン[2]
天画(家柄)12画 凶 小心者で神経質、強引だが中途半端。孤独で家庭に恵まれない。
地画(個性) 8画 中吉 自分の信念に忠実で、他人に対しても誠実で社交的な人です。
人画(才能) 6画 大吉 愛情豊かで素直な性格で、人に慕われ、財産や名誉を得る。
外画(対人)14画 凶 対人関係がうまくいかず、精神的な悩みも多く抱え孤独感に悩む。
総画(総合)20画 凶 意欲的だが実力が伴わず、破滅、短命、病気、別れ、不成功。
評価 : 79.3点
モバイル姓名判断
>>473 南軍の大卒の空軍士官が厳しい監視をかいくぐりながら北側と連絡を取ってた。
サイゴンやダナンで空軍数機が反乱したのは報道でいくつか
書いてあるが他の場所でもあったのだろか。
483 :
名無し三等兵:2007/07/17(火) 18:13:58 ID:U03jDq0+
北は軍と民が一体で南と統一思想。
南は軍も民も米と協力してた訳ではない。
この差が勝敗の差。
後、ソ連は60年代に経済成長が高かったので援助物資が豊富に回せた。
それを証明するかのように北朝鮮も60年代に栄えた。
サイゴン陥落の時はまだ小学生だからぜんぜん記憶にないな。
翌年のMiG-25亡命事件はなぜか記憶にあるんだが。かなり騒いでたからか。
日本代表の次の試合会場はハノイですか? ホーチミン(サイゴン)ですか?
相手はオーストラリアらしいけど。
487 :
アシャウ渓谷:2007/07/18(水) 16:31:08 ID:+4CCT3Qc
同感しますね。
神は細部に宿る、というのは、歴史的事象を取り上げるときでも言えるのではないか。
カタログ的なデータにとらわれるのでは、こまるが、
見過ごされたような歴史の細部を取り上げ、その意義を話し合うのが面白い。
良い例かどうか分からないが、ハルバースタムの「ベスト・アンド・ブライテスト」は、
良い意味でのジャーナリストらしい細部がたくさんあり、おもしろかった。
ベトナム戦争の介入とエスカレーションは、ケネディ政権の「体質」が
かなり大きく影響していると思うが、ハルバースタムは、それを
あまり整理しないで、事実、エピソードを、そのまま出しているところがある。
例えば、東部のエスタブリッシュメントでアイビーリーグのエリートだったJFKが、
全能感、男性主義、スリルに生き甲斐を求めていたが、最初の上院議員選挙で、
「ボブ板選挙」をやって、いろいろな階層の人に触れ、人間が変わったとか、
ケネディ暗殺後、大統領になったジョンソンは、部下になったきら星のような
閣僚たちにびびって、低姿勢だったとか、興味深かった。
ただの法則発動
いままで朝鮮と組んだ国は全部戦争に負けてる
朝鮮戦争は両側にチョンがいたから引き分けになったが
北朝鮮も、北ヴェトナムを支援するために空軍部隊を派遣しているのだが?
ベトナム戦争中、中国領内に進入した米軍機に中国軍のMIGが撃墜されてる。
>>487>>見過ごされたような歴史の細部を取り上げ、その意義を話し合うのが面白い。
同感。
>>487 ベスト・アンド・ブライテストは確かに傑作だと思うけど、ニクソン政権時代
をほとんど無視しているのはなぜだろう。
ジョンソン時代以前の反省のなさといい、ラインバッカーの規模と無意味さと
いい、ニクソン時代がある意味いちばん書いておもしろいと思うのに。
>>490 そりゃ北ベ空軍の機体が中国領内で撃墜されたというだけだろう。
逆に米軍の機体が中国のミグに撃墜された例ならいくつかあるが。
493 :
アシャウ渓谷:2007/07/19(木) 11:49:42 ID:5M4RpuK2
>>490さん
「中国軍のMIG」
人民解放軍は、戦闘機、対空ミサイルなど、かなりの「義勇軍」を
北ベトナムに派遣していたみたいですね。
>>491さん
たぶん、ハルバースタムは、ベトナム戦争ではなく、
ケネディ政権を描きたかったので、
ニクソンは、テーマ外だったのでは?
ジョンソンは、ケネディ暗殺後、政権を引き継いだので、
準ケネディ政権として、取り上げられたと思う。
もちろん、「ベスト・アンド・ブライテスト」の直接の動機が
ベトナム戦争にあることは明白だが、彼はアメリカ人なのでw、
なでアメリカが戦争に「引き込まれ」ていったのか、を考え、
その最大の原因が、ケネディ政権の「ベストな人たち」の誤りにあると、
気づいたのではないだろうか。
おれも、政治家としてみれば、ニクソンの方が、面白いと思いますね。
494 :
えICBM:2007/07/19(木) 12:25:35 ID:???
>>491 それはケネディ、ジョンソン政権とニクソン政権の政策決定手法の違いによるんじゃないか。
ケネディとそれを引き継いだジョンソンは、閣僚との合議重視の政権運営を手法を用いた。
一方、ニクソンは特に外交では国務省、官僚を遠ざけ、ホワイトハウス主導の秘密外交主義の政権運用。
ベスト・アンド・ブライテストは政権の政治エリートを通じて、ベトナム戦争の政策決定を描いたもの。
この手法は、ケネディ、ジョンソン政権では使えるが、官僚を遠ざけたニクソン政権では無理。
もっとも、ベスト・アンド・ブライテストの米での刊行は1972年で、ニクソンが政権についたのは1970年。
だから、ニクソン政権のベトナム政策を書くには時期的に無理と言うのが本当のところだろう。
495 :
名無し三等兵:2007/07/19(木) 13:17:51 ID:gtjYGSds
いまNHKハイビジョンでやっているドラマスーパーストームではホーチミンルートに人工降雨で洪水を計画したという話していた。
マヤグエス号事件はスレ違い?
島に置き去りにされた米兵が三人もいたそうだけど・・・
それで、
日本代表とオーストラリアの試合会場は、
ハノイなの? ホーチミン(サイゴン)なの?
498 :
アシャウ渓谷:2007/07/20(金) 11:02:20 ID:0jAvl5VO
オーストラリア戦は、ハノイじゃないですかね?
余談ですが、日越戦で、「最初に一点を入れられたほうが、おごる」と
ベトナム人とかけをやって、見事負けました(;_;)
でも、あの一点は、ないよなあ。
>>499 三人の内二人は味方がヘリで撤収する際に森の両側に陣取って
最後まで援護してクメールルージュの捕虜になったらしい。
また、この三人の米兵はツールスレン収容所に収容されて処刑されたらしいです。
502 :
名無し三等兵:2007/07/20(金) 19:17:47 ID:CfyLOW5t
ほかのスレじゃ自称海兵出とか予備学生上がりでのが湧いてきよりますからのう。
503 :
名無し三等兵:2007/07/25(水) 04:09:55 ID:YYH4uESN
保守点検
>>501 「息子がまさか戦争に行くとは思わなかった」
なんて仰る御仁もいまして
>>504 どっちかというとUSプラトーンのが好き
507 :
アシャウ渓谷:2007/07/25(水) 13:34:24 ID:mZq1bmNJ
ベトナム戦争を同時代で体験した人がいれば、
ぜひ、いろいろ聞いてみたいですね。
歴史に書かれず、映像にも残らない、
時代の雰囲気みたいのに、興味があります。
おれの分からないのは、当時の日本人は、どっちの肩を持っていたのか?
デモとか、反戦運動が盛んだったようだが、
それは同じアジア人同士として、アメリカと闘おう、みたいなものなのか?
今の社民党みたいなものなのか。
よくわからん。
508 :
名無し三等兵:2007/07/25(水) 14:18:55 ID:X+FdQZNE
>歴史に書かれず、映像にも残らない
オレ、ジジイ。 米軍のロジの部隊でダナンと横田行ったり来たりしてたけど
当時働いていたが、大局的には
南ベトナム政府の腐敗と汚職まみれがドンナに米軍が後押ししても
ダメだったってゆ〜のが一義的かもしれません。 まあ、ちょうど
フィリッピンみたくね。もし、フィリッピンで内戦があったとしたら
第二のベトナムみたくなったかもしれんが、国民性がベトナムとフィリピン
じゃあ大きくちがいますね。
各米軍の部隊、南ベトナム軍の部隊ごとの戦意は、まあ見た範囲次の
機会に書き込ませてもらいまひょ。
>>507さん
私は実際米軍に志願してベトナムで戦っていました。あなたのお父さんお母さん世代だと思います。
日本は高度成長期で韓国に経済援助をする位立ち直っていましたが、庶民は貧しく多数の日本人が豊かなアメリカに憧れて市民権を得る為に従軍しました。
実際の配属はナトランの陸軍の補給施設だったので殆ど戦闘はありませんでしたが、69年の秋に大規模な奇襲がありその時はライフルで抗戦しました。
当時の事はとてもいろいろあって書ききれません。
はいはいよかったね
511 :
名無し三等兵:2007/07/26(木) 01:38:02 ID:2Upu+991
せめて‘ナトラング‘と書いてくれれば柘植先生が突っ込んでくれたのに…
日本がサウジアラビアに負けた〜
そういえばサイゴンが陥落した日の夜はまだサイゴン郊外に南ベトナム軍の敗残兵や抵抗分子がいたようで、砲撃や銃撃戦の音が聞こえたらしい。
>>472-476 北側飛行士によるサイゴン攻撃は、分かってるだけで2度ありますね。
ズン大将(
>>255に名前の出ている)の回想録から
……
四月八日の朝、私達が仕事をしていると一つのニュ−スがはいった。
それは一人の愛国的将校が傀儡空軍のF5Eを操縦し、”独立宮殿”を爆撃し、
その後解放区へ出て、無事フオック・ロン飛行場に着陸したというニュースであった。
実はこのパイロットはベンチェ出身の空軍中尉グエン・タイン・チュンで、
傀儡空軍の中で長く地下活動をしていたわが党の秘密党員であった。
彼は革命闘争の中で犠牲になったある県委員の同志の息子であった…。
(中略)
四月二五日午後(略)ダナン空軍基地のわが軍のパイロットと整備士が短期間の間に
敵から鹵獲したA37戦闘爆撃機の操縦法、整備技術を取得し終えたという報告を
聞いた上で、我々は我々の仲間に敵の飛行機に操縦させ、タンソンニュット空港を攻撃することを決定した...
四月二八日午後、グエン・タイン・チュンに率いられたわが軍兵士の操縦するA37攻撃機5機編隊が
タインソン飛行場から出撃し、タンソンニュットを攻撃したとのことであった。
(略)わが飛行機編隊がタンソンニュット上空にさしかかった時、敵の管制塔は突然のことにびっくりして応答を求めてきた。
「どの飛行団のA37か。どの飛行団か、どの飛行団か」
わが兵士は答えた。
「アメリカ製の飛行機だよ」
まず第一回、続いて第二回、そして何回にもわたって敵機の列を目がけて爆弾が投下された。
炸裂音はサイゴンを揺り動かし、もうもうたる煙が高い柱となってたちのぼった。
…
「赤旗」のベトナム特派員で、後にハノイ支局長になった木谷八士氏のルポ
「サイゴンは解放された」によると
4月28日の攻撃を実施したのは「必勝」飛行隊という名称の部隊だそうです。
赤旗はポルポト派の事も称賛していた。殺し合いの戦争で、どちらの勝利も喜ぶ事なんて出来ないのにな。
四月三十日の時点でサイゴン軍の飛行場はタンソンニャットのみ???
ウイグル モンゴル 満州
中華の国 朝鮮半島
東夷
南越(ベトナム
歴代中華王国を包囲する 周辺蛮族の方々
519 :
名無し三等兵:2007/07/27(金) 18:27:16 ID:adFp+pLz
>>521 ペルシャ(トルコ)
ちなみにタイはシャム
>>515 秘密党員の南軍パイロットは南部出身者なので正確には北側飛行士とは言わないでしょう
>522 ペルシャはイランだよ!
525 :
アシャウ渓谷:2007/07/30(月) 18:51:27 ID:m+0Gp0kd
「自衛隊員のベトナム秘密派兵」話だと、
小林原文のまんがにそういった話が時々出てくる。
まあ、
>>509さんの話が本当なら、「超」おもしろネタだが、
この「秘密任務」というのは、どのくらい信憑性があるのだろうか?
どなたか、確かな資料でもあれば、ご教示ください。
おれの個人的感じだと、民間人資格で「観戦」「研究」した可能性は、
十分にあると思うのだが。
526 :
509:2007/07/30(月) 19:17:06 ID:???
>>525さん、お察しの通り私も自衛官でした。
ただごめんなさい。それ以上の事は軍の最重要機密の為言えません。
CIAのファイルにも記録があるかさえわかりません。これ以上詮索するとあなたとそのご家族にも危険が及ぶでしょう。
だがいつか時が解決してくれるはずです。
夏だなぁ
サイゴン陥落後に反共ゲリラに参加した日本人はいたようだけど
これはそのうち友人のスーパーハカーが出て来ちゃうかもしれんね
モサドやらCIAやらKGBやら出てきて凄い事になります。
531 :
アシャウ渓谷:2007/07/31(火) 11:01:56 ID:ACBheNAi
落合信彦みたいだ。
532 :
名無し三等兵:2007/07/31(火) 13:52:05 ID:R2m0FAVw
元SS隊員age
533 :
509:2007/07/31(火) 15:59:40 ID:???
>>531さん
事実は小説より奇なり、と言いますからね。
私も帰還した時は誰からも信じてもらえず「俺もベトナムで戦ったんだ」
とサウスブロンクスの酒場で荒れてた時期がありました。
貴方が信じる信じないは構いません。いや、それは問題ではないのです。
ただ私は1969年、ベトナムを戦った、それを貴方だけには知って欲しいのです。
夏はこういうセンスもないガキが増えて困る
少しでもこれが面白いレスだと思ってるんだよなぁ、うぜえ
535 :
509:2007/07/31(火) 16:53:59 ID:???
そう、そういって皆笑い飛ばしてきた。自衛隊がベトナムで戦った事実を…。
本当は恐れに震えてるのだ。驚愕の事実の下に曝されるのを…
74式戦車のプロトタイプ
少なくとも厨房二匹が荒らしてるようだな
全角でさげ書いてるとか何が面白いんだろうか?
538 :
509:2007/07/31(火) 19:28:24 ID:???
オカ板からの宣戦布告です。
実は、モサドも関わってます…
レスを付けるから調子に乗るんだよ
以下放置で
540 :
名無し三等兵:2007/07/31(火) 21:54:30 ID:cwUkTztW
報知眠
F-4Jは立派な戦闘機である
最近 これを廃棄処分にして新しい戦闘機を配備しようとする、
不埒な輩が防衛省内に出てきたという噂がある。
何とも嘆かわしいことである。
>>541 F-4Jなんぞとっくに廃棄されて一機も残って無いぞ。
543 :
アシャウ渓谷:2007/08/01(水) 11:38:58 ID:t138XHDI
>540さん
ホーチミン=胡志明ですが、報知眠もおもしろい。
他のペンネームでも、グエン・アイ・クォック阮愛国など、
「漢字の意味」ありありの名前。
ベトナムでも、伝統的なインテリ階級(過去に科挙に受かったような家系)や、
エスタブリッシュメントでは、漢字で表記でき、かつ、意味の通る名前が多いようだ。
544 :
540:2007/08/01(水) 19:20:54 ID:???
>543氏その通りかも。チュオン チンは漢字ににすると「長征」だし…
546 :
司令長官:2007/08/02(木) 09:59:01 ID:???
韓国兵士が強姦ばかりして使えなかったとか?
フランス植民地以前ベトナムの書き言葉は字喃(チュノム)だったのだから
ベトナム語がすべて漢字で書けるのは当たり前。
もっとも読み書きできるのは知識人限定だったが。
今のベトナム語のローマ字表記は、宣教師が庶民向けに考案したものを
仏印政庁が広めた。それを中国から脱却したいホーチミンがそのまま
流用して今に至っている。
漢字で表記できない単語を新たに造語して国語(クォックグー)に加える
ようなことまでしている。
548 :
アシャウ渓谷:2007/08/06(月) 18:22:15 ID:UiaEtgEL
>>547さん
確かにその通りですが、ベトナム語にも漢語由来でない言葉はあります。
ベトナム語と中国語の関係は、日本語と似ていて、
日本語にも抽象語などは漢語が多いですが、
一方で、漢語以前からの和語も多く、両者の併用が基本。
例えば、「山に行く」は、ヤマ、も、イク、も和語
しかし、「山岳へ登山する」のサンガク、も、トザンの漢語由来。
同様な言語構成がベトナム語にもあると思います。
また、「ホーチミンがひろめた」というよりは、
すでに広まっていたので、それ以外選択の余地が無かった、というのが実情では。
>>548 ベトナム語にも漢語由来でない単語はありますね。ただ第二次大戦後に
ベトナム政府が民族の独自性を言うために新たに単語を造語したり、過去の
廃れた単語を無理やり発掘したものが多いと聞いています。
というか中国周辺国では日本語が異様に日本古来の和語を多く今に残している
のですが。
ベトナムの口語を字喃で表記できると言ったつもりはありません。漢文は
あくまで中華文化圏の知識人のためのメタ言語ですから。ヨーロッパの
ラテン語のようなものですね。
宣教師は口語をそのまま記述できるようローマ字表記を考案していますから、
庶民には字喃よりずっと学習しやすかったでしょう。ただ中国から離脱したい
ホーチミンにとって、ローマ字表記のベトナム語が好都合であったことも
事実でしょう。
550 :
アシャウ渓谷:2007/08/07(火) 10:29:44 ID:EZ6MyuBX
>>549さん
了解しました。
戦後の「造語」も正しい指摘だと思います。
喃語の問題の一つは、発音表記だということで、
地方語との方言の差をどのように取り入れるかがあります。
ご承知のように、ベトナムは大きく分けて南北が違い、
さらに、山岳(キン族ですら)、メコンなど、同じ言葉で発音が違います。
ベトナムのクォックゴゥ(国語?)は、北が標準になっているので、
南部の人は、表記を学ぶとき、やはり、新しい言葉を勉強する、
というニュアンスが強いのではないでしょうか。
これは、ピンインを導入した中国でも同じです。
パソコンでピンインを使って入力するとき、北京官話を知らない人は、
目的の漢字がうまく出てこない、ということがあります。
面白いのは、中国のテレビを見ていると、よく漢字の字幕付きの番組があること。
もちろん、中国製のドラマなどですが、俳優が中国語を話しても、
おそらく、広東、福建など理解できない人がいるので、字幕付きなるとか。
この場合、漢字が共通の理解の基礎になっているわけですが、
漢字を捨てたベトナムは、その辺で、一つの問題があると思います。
「中国周辺国では日本語が異様に日本古来の和語を多く今に残している」
これは、非常に興味深い指摘ですね。
お考えがあれば、ご教示ください。
自転車の神出鬼没ぶりもあったから?
ベトナム人最大の敵は、フランス植民地時代に改宗して
搾取の手先になったキリスト教のベトナム人らしいな。
辛亥革命の核になった滅満興漢主義者にとってベトナム(と朝鮮)は漢の領域
と当然のように思われていた。
共和主義者による秘密結社の機関誌「民報」に掲載された章炳麟の有名な
論文「中華民国解」にも下記のような一文がある。
量三荒服之後先、則西藏以宗教相同、猶為密邇。回部蒙古直無一与漢族相通。
故以中華民国之経界言之、越南朝鮮二郡必当恢復謝也。緬甸一司則稍次也。
西藏回部蒙古三荒服。則任其去来。
現在中国領のチベット、新疆ウイグル自治区、半分だけ中国領のモンゴルを
どうでもいい領域だとする一方で、ベトナムと朝鮮は必ず中国領として回復
すべき領域と言っている。
ホーチミンをはじめベトナムの主だった民族主義者が字喃でなくローマ字を
自ら学び一般への普及に努めたのも理解できる。
ベトナムが中国に回収された可能性も歴史の偶然で十分ありえたのだから。
554 :
アシャウ渓谷:2007/08/08(水) 11:08:58 ID:YoehznkE
>>553さん
非常に説得力のある指摘ですね。
(日本をよく知る)ベトナム人が日本人によく言う言葉に、
「元寇と闘って、これを破ったのは、世界でベトナムと日本だけだ」
というのがありますが、日本人の近いとはややずれがあり、
その辺に、ベトナム人の対中国感情の一端を見ることができます。
中国周辺の「国」は、中国との関係で自国の国の在り方を考えた。
直接的な影響を受けやすい近隣の国が、愛憎ともに強く、
逆に、やや距離を置いた国は、やや自由な受け止め方が出来たのではないか。
ベトナム、韓国とも国語に漢字を採用していないが、
それは、逆に両国への中国の影響力の強さを物語っている。
日本は、両国より距離があり、そのため独自文化を形成できた。
だから、漢字も平気で使うし、中国への思い入れも強くなるのかも知れない。
前、ホーチミンの伝記を読んでいて、革命家志願の若者が訪ねるシーンがあった。
若者の名前を聞いたホーチミンは、
「ほう、ゴック ngoc というのは、あなたのお家は、秀才か進士の先祖がいたのですか」
と聞き、若者はうれしそうに「そうだ」と答える。
2人は、しばし、漢籍について語り合い、その後、革命談義をはじめる、といったもの。
これは、科挙など中国の制度が、いかにベトナムにしみこんでいたか、
また、革命を担う層が、どのようなものだったを示していると思う。
555 :
北ベトナム:2007/08/08(水) 11:55:20 ID:???
>>アメリカ
たったひとつのシンプルな理由だ…
おめーはおれを怒らせた
556 :
名無し三等兵:2007/08/08(水) 21:43:45 ID:Jx/aarxO
何せ世界で一番最後の科挙は中国でも朝鮮でもなく、ベトナム開催(1919)だからな。
ベトナム。アメリカに唯一勝った国。
558 :
名無し三等兵:2007/08/09(木) 13:16:58 ID:evr0hped
非常にゆとりな質問で申し訳ないんだけど、アメリカはなぜベトナムで、
原爆を使わなかったのかな。
流石にベトナムに核を落としたら全世界から粛清される
561 :
えICBM:2007/08/09(木) 18:08:24 ID:???
ハノイにでっかいのを落としてたら、どうなってたでしょう?
>>554 ベトナム語の初等解説書では、字喃は不便だから廃れてローマ字表記が普及した
みたいな書き方をしています。Wikipediaのベトナム語の項目もそのような解説
をしていますが、漢字の廃れなかった日本人からはとても納得できる説明では
ありません。
森有礼の英語国語化論は日本では主流にはならず、明治維新では大量の和製漢語
が造語されました。第二次大戦後の志賀直哉のフランス語国語化論も無視され、
カナモジカイは敗戦のショックとアメリカ軍政当局の圧力で多少受け入れられ
ましたが、結局骨抜きにされて現在に至っています。
ベトナム民族主義者が抗仏運動とともに中国からの脱却を意識していたから、
多くの民族運動家が知識階級で漢文の読み書きに不自由がなかったにも
かかわらず、ローマ字表記にこだわったのでしょう。さもないとベトナム民族
は世界から認められず中華民族の一支流とみなされる可能性が大いにあったの
ですから。
ベトナム語のローマ字化によって、一般のベトナム人は歴史的文献にまったく
触れることができなくなりました。今では逆の意味でベトナム民族意識の形成に
大きなマイナスになっていると思います。
そう考えると日本は恵まれた国ですね。
563 :
アシャウ渓谷:2007/08/10(金) 17:13:28 ID:TOhvhxgw
>562さん
非常に示唆に富むご指摘ですね。
おれの個人的印象ですが、東南アジアの中で、ベトナム人は、やはり移植だと思います。
町で見る風景も、いくつか行ったことのある亜細亜の国としては、
勤勉性、社会の組織力、規範などが、強いように見える。
これは、ある意味、中国文化の影響を受けたためかと思います。
タイ、インドネシア、ビルマ、カンボジアは、インド文化の影響が強く、
日本から見ると、基本的なところで、時間の観念などが違うような感じ。
つまり、それほどベトナムは中国と近く、かつ、関係が深かった。
そのために、反発する力も強かったのでしょう。
564 :
アシャウ渓谷:2007/08/10(金) 17:14:47 ID:TOhvhxgw
>
漢字による造語について。
ローマ字化の影響は、ホーチミンやハノイの本屋に行くと分かります。
例えば、パソコンの本、Windowsの入門書、オフィスのマニュアル本などは、
大抵が英語です。
おれはベトナム語は分かりませんが、ざっとみても、生物学、エレクトロニクス、
天文学、社会学などの専門書でベトナム語は少なく、一般書ですら、英語の本が多い。
これは、外国文化を受け入れる際、日本のような「自分の国語」で
行う能力がなかったのかも知れません。
日本もお雇い外人や帝大の外国語の講義もあったでしょうが、
すぐに専門書を翻訳し、述語などを大量に造語して日本語化しました。
それが、ローマ字化したベトナム語では不可能であったこと、
また、植民地支配のもとでは、フランス語を学ばせ、ベトナム語化はしない、
という宗主国の方針もあったと思います。
日本を散々非難しつつも
世界で日本と一番近い国、韓国。
日本を非難することはないが
容姿も政治も生活水準も日本と離れた国、ベトナム。
生まれ変わるなら、韓国だろうか。
> パソコンの本、Windowsの入門書、オフィスのマニュアル本
いや、庶民はパソコン持ってないし、ベトナム語版のWindowsもオフィスもないから…。
高等教育を自国語で行える国の方が少数派。
>>567 フィリピンパブのねーちゃんもみんな英語を話せるものな。
母語はタガログ語のはずなんだが初等教育にすら使えない。
569 :
だつお:2007/08/12(日) 09:55:45 ID:IX5SOuuB
独断と私見。
戦争そのものの勝敗であれば、南ベトナム政権樹立という時点で米軍の圧勝。
国土を分割占領されておいて「負けてない」などと強弁はできないだろう。
米軍の敗退は専ら占領政策の失敗によるもので、これではプラハの春を
弾圧したソ連と何が違う、何が自由と民主主義だと嘲笑される。
なお列強の援助を受けても弱いものは弱い、南ベトナム軍もその一つにすぎない。
ベトナムて、自国の表音文字あるの?
一応チュノムってのがある。Unicodeじゃ漢字の一種扱いだけど。
クオックグーはラテン文字改造したものだから、あれはあれで自国の表音文字と言えると思うが。
573 :
アシャウ渓谷:2007/08/17(金) 11:51:32 ID:+S6QoVaF
>>569さん
「南ベトナム政権樹立という時点で米軍の圧勝」
南ベトナム(ベトナム共和国)は、二次大戦後のフランスの撤退後、
ジュネーブ条約で生まれた国で、アメリカが介入する以前から存在した。
アメリカの戦争目的は、ベトナムに関しては、南政権の維持だったから、これは失敗した。
「国土を分割占領されておいて」
これも事実認識の間違い。
ベトナムは、フランスの植民地から独立して、2つの国を建国した。
(ホーチミンは、本当は1つの国家にしたかったが、諸事情で2つに)
これは、インドシナ戦争でフランスに勝利した結果であり、
べつに、米軍に「占領」されたわけではないですぞ。
574 :
アシャウ渓谷:2007/08/17(金) 11:52:08 ID:+S6QoVaF
>>567さん
その通りで、タイなんかでも、大学以上だと、
教科書は、英語が多くなるのではないか。
>>568さん
これもその通りで、途上国の方が、英語を使う必要があり、
会話力が高いケースが多いですね。
「金」も同様。
フィリピンだと、田舎でもドルが使える。
タイ、インドネシア、中国は、都市部ならドルが使える。
しかし、日本のデパートでドルを受け取ることは、まずない。
これは、日本がアジア・アフリカで、珍しく独立した先進国である証拠。
>>570さん
>>571さん
>>572さん
チュノムは、日本の「かな」に似ていますね。
日本語の「音」に似た漢字(の一部)を利用して、
それを表音文字として使ったもの。
文字の形としては、万葉仮名を発展させたようなものかな。
私の見たのは、漢字とチュノムが混ざったような文章で、
最初は、見たこともない字形の文字が混じっているので、不思議に思った。
この場合、日本の漢字仮名交じり文のような感覚で使われたのでは?
また、チュノムのみで書かれた文章もある。
575 :
名無し三等兵:2007/08/17(金) 15:47:59 ID:L7N2wVL0
チューノムは起源的には万葉仮名と同じだけど、表音文字じゃないよ。
あくまで漢字の一種。国字のベトナム版。
>>573 ジュネーブ協定では17度線はあくまで「国境」ではなく
二年後の南北総選挙までの一時的な「暫定的な境界」とされている。
ベトミンはこの協定で17度線北部に引きあげる事を余儀なくされた。
だからジュネーブ協定でベトナムで「二つの国を建国した」のではないし
むしろ米が介入しジュネーブ条約で確約していた統一選挙を反故にし
「南ベトナム」という政体を「国」として既成事実化した、というのが正しい。
分割占領云々については北ベトミン、南仏軍撤退しばらくして米軍 という一連の流れの事を言ってるのだと思う
ベトナム戦争はアメリカの勝利だろ。
実際北ベトナムはすがる様にして休戦協定を求めたきたし、もし民主党のアホ共が怖気づかなければ南ベトナムが負ける事も無かった。
それにソ連は北ベトナムへの援助で経済に大損害を受け、ソ連崩壊の遠因となった。
戦略的に見れば大勝利だ。
なんか、歴史修正主義のにおいがしてきました。
ソ連崩壊を招いたのは何をどう見てもアフガニスタン侵攻だが。ベトナム勝利で第三世界は革命づいた。
南北ベトナム統一の1975年から、アフガニスタン侵攻の1979年までに一体いくつの"社会主義国"が出来たと思ってる?
> もし民主党のアホ共が怖気づかなければ
その民主党のアホ共が政権とってたのがアメリカじゃないのかね?
おまけにパリ会談時は共和党だし。
>>その民主党のアホ共が政権とってたのがアメリカじゃないのかね?
アメリカ人を破る事が出来るのはアメリカ人だけだって事さ。
実際の話1973年の時点でNVAはボロボロだった。
現に米軍撤退からサイゴン陥落まで二年もかかってる。
あのまま戦い続ければアメリカと南ベトナムの勝利は間違いなかった。
> 現に米軍撤退からサイゴン陥落まで二年もかかってる。
たった2年だろ。しかもスワンロク以外にろくな抵抗もできずに予想を超えてのあっという間の壊滅。
オイルショックは不運だったが、ベトナム共和国政府がどうしようもないボンクラで占められていた以上
どうにもならんよ。
しかも北側はまたアメリカが介入するのではないかと
石橋を叩きながらだったのに、二年しかもってないんだよな
>>582 >>583 南ベトナムの敗因は民主党員どもが議会で裏切ったからだろ。
上院がパリで約束した支援を、北ベトナムが75年に侵攻した途端に打ち切りやがった。
あのさー。73年に引揚げるまでに米軍は大量の装備を供与してて、
ベトナム共和国は帳簿の上ではアジア有数の軍事大国になってたんだよ。
それが、あんたがいうところの73年時点でボロボロだったNVAを相手に
たった2年しか持たなかった。アメリカ軍が駐留しててもダメだったのに、
海の彼方に去っていった米軍・米国がどんな支援すれば、勝てたのかね?
>>42について誰か詳しく説明きぼん
軍隊の評価・いわゆる強さの評価に、敵の殺傷数はほとんど関係ねーよ、って事でおk?
587 :
えICBM:2007/08/21(火) 20:28:01 ID:???
南ベトナム側の財政の多くはアメリカを中心とする対外援助で賄われていた。
72年の協定成立以降、アメリカは軍の手を引いたが、援助は続けるつもりだった。
しかし、オイルショックやアメリカの国内問題で援助額は先細りとなる。
そうなるとサイゴン政府はまともに軍も支配地も維持できなくなる。
軍の稼働状況は悪化し、サイゴンの失業率もうなぎ上り。
対外援助頼みの政府財政状況が南の崩壊を招いたと言うのが本当ではないかと。
援助がキッチリ続いたら、北ベトナムもおいそれとは手を出せないんじゃないかと。
解放戦線のシンパやスパイが大勢サイゴン政府内に巣食っていたからというのも原因の一つじゃないのかな?
>>587 概ね同意なんだが、一人で頑張っている方はそれではご不満のようで、
そのままいけば南・米側が勝ってたと仰るんだわ。
パリ会談はニクソンの所轄。ニクソン政権時に決められた援助が実行
された場合、「おいそれとは手を出せない」は十分あり得るが、勝ちは
ないでしょ。
北・解放戦線側としては、とりあえず百年も戦ってれば孫の頃にはアメリカも出て行くかな位のノリだからな。
今おいそれと手を出せなくても、いずれ崩壊するなら全然OK。
>>援助がキッチリ続いたら、北ベトナムもおいそれとは手を出せないんじゃないかと。
その通りだ。
そして民主党は北ベトナムが侵攻を開始したとたんに援助を打ち切った。
>591
矛盾してるぞ。
593 :
名無し三等兵:2007/08/22(水) 19:50:18 ID:RiSAsRwB
67年に議会が北ベトナムへ宣戦布告し、北ベトナムを直接侵略すれば良かった。
そうすれば北ベトナムはあっさりと倒れ、中国の攻撃もベトナムと中国の国境の複雑な地形を利用して簡単に撃退出来た筈だ。
ソ連もキューバ危機の時にアメリカを攻撃しなかったのと同じ理由で手を出さなかった筈だ。
だがアホの民主党とホワイトハウスに居座った民主党員に支配された議会は「複雑」で「高度」な道を取る事になった。
>>593 北ベトナムに直接兵を送り込んでも、あの広大な密林地帯は制圧不可能。
米軍50万でも都市と線くらいしか制圧できん。
その後中ソの援助を受けた精強なゲリラ兵による北ベトナム各地でテロ多発。
米国内での反戦運動激化。米軍は撤退せざる終えんな。
>>593 甘い!
労働党は中国を聖域として農村部に浸透して遊撃戦を展開し、
頃合を見計らって人民解放軍が大軍を送り込む。
解放軍も米軍が相手なら中越紛争とは比較にならないくらいの
大軍を送り込む事になると思うが、
米軍は欧州の兵力を割いてまで対応したとしても難しいんじゃないのかな?
それに南政府はカトリック中心で支持基盤が弱いし、
おまけに内通者だらけだからねぇ。
どう足掻いてもアメリカにとっては苦い結果になると思うよ。
いつの間にやら仮想戦記スレにw
人民解放軍なぞ機甲部隊で殲滅すればいい。奴らにはまともな対戦車兵器がないのだから。
あとコブラの援護もあれば完璧。
ベトナム北部は通行路が限られてるから長蛇の列になったところを横から攻撃される?
そんなこともあろうかと機甲部隊の後方に機械化歩兵を密かに配置し、
攻撃してきた敵主力部隊をなぎ倒す。で、機甲部隊が敵主力の背後を突き殲滅、一気に講和に持ち込む。
598 :
えICBM:2007/08/23(木) 13:23:23 ID:???
>>588 解放戦線の支持者は継続的に南政府内にいたのは確かだし、この影響は当然ある。
しかし、南政府の瓦解前二年ほどを見ると、外国からの援助の減少ろオイルショックが目立つ。
南政府軍の軍は当時東洋一の機械化された近代的な軍隊であった。
そのため維持費がかかり、燃料の消費も馬鹿にならない。
対外援助の減少とオイルショックは近代的南政府軍の稼動状態を極端に陥れた。
まあ、政府の規模と比べて分不相応の軍と装備が、状況の変化について来れなかったわけだ。
サイゴン政府側に浸透していたシンパやスパイだが、強力な摘発も当然あった。
なので、思ってるほどおおっぴらに活躍していたというほどでもないのでは?
599 :
えICBM:2007/08/23(木) 13:28:52 ID:???
>>589 北ベトナム側はベトナム戦争の本質は外交戦争であり、戦場は世界、敵はアメリカと見ていた。
対南ベトナム援助が地上戦でのカギになるから、アメリカの出方によって柔軟になるだろう。
勝つかどうかは、そのような状況に世界情勢をもっていけるかどうかだろうね。
史実では、アメリカ内政を勝てる状況に追い込んだってとこか。
オイルショックは当然予想外だが。
>>597 そんな理想どうりに上手く行くんだったら
アフガニスタンでソ連軍勝ってるわなw
ベトナム紛争(戦争にあらず)はアメリカ軍の勝利。
ベトナムの共産主義を防ぐと言う目的を達成したまま撤退したんだから。
その二年後に南ベトナムが陥落したがそれは民主党のせいであり軍は負けていない。
602 :
アシャウ渓谷:2007/08/23(木) 18:03:19 ID:cKjiPG2d
>>598さん
「ベトナムのスパイX−30」という小説を読んだことがある。
ダン・タインという人が書いた小説で、南政府に入り混んだスパイの描いたもの。
解放後に発表され、現地では、「実話」という感じで詠まれていたようだ。
スパイ工作も、華々しさはないが、実にリアル。
マダム・ニューなども出てきて、当時の南政府の首脳部の様子がおもしろい。
ゴ・ジン・ディエム政権が主な舞台だが、現実のモデルがいるとされ、
それは政権中枢部に入り込んでいたと思う。
>>601さん
戦後、ブラジル日系人に「本当は日本は勝ったのだ!」というグループがいたそうだが、
なんだか、それを思わせる。
「撤退したときまで南政府はあったのだから、負けていない」
というのは、すごい論法だな。
このスタイルで言うと、
「全滅するまで闘ったのだから、負けていない」
とかなるのだろうか。
603 :
kgv:2007/08/23(木) 18:13:11 ID:lpzRfB8x
ベトナムですら米軍に勝ったのに、我が国は負けた。どうすれば現代のポン人につめの垢を飲ませられるか、ついでにご検討頂きたい。
>>599 > 史実では、アメリカ内政を勝てる状況に追い込んだってとこか。
アメリカも、ニクソン訪中でベトナム側の肝を冷やすとこまでは行ったんだけどね。
国連からの中華民国放逐で南ベトナムは友好国を一つ失ったけど、ダメージが全然違う。
冷え切った中ソ関係が更にやばいことになれば、北越援助どころじゃなくなるし、
第2のジュネーブ協定飲まされる可能性を本気で心配してたと思う。
今の米軍なら死者もベトナム戦争の3割程度で済む
>>605 3割で済むどころか1割出したら撤退するはめになるな。
607 :
アシャウ渓谷:2007/08/24(金) 13:46:06 ID:V5KEdDuE
>>603さん
横レスというか、おれの意見ですが。
ここにいる人に改めて言うのも失礼だが、
戦争は軍備の優劣、戦力の大小、個々の戦闘の勝敗できまるのではなく、
「戦争目的」が達成できるかどうかが、本当の勝ち負けになる。
そのために、明確な目的をさだめ、そこにいたるには何か可能で、何が不可能か決める。
自国と敵国の条件、装備を比較し、自国に有利な戦場、時期、戦闘形態をえらび、
敵をそこに誘導して、「自分の相撲を取る」ことが出来れば勝ち。
北ベトナムは、「ベトナムの統一と民族の独立」を掲げ、政治、軍事など、
持てる資源の全てをそこに注ぎ込んだ。
もちろん、平原での正規軍同士の会戦など望むべくもないし、空海も圧倒的な差がある。
火力の差をカバーするために、接近戦をえらび、政治的に敵政府からの人心の離反をはかる。
608 :
アシャウ渓谷:2007/08/24(金) 13:47:21 ID:V5KEdDuE
こうした戦争指導力が、日本には決定的に欠けていた。
戦争目的は、「中国での利権」なのか、「西太平洋での米勢力の排除」なのか、
「欧米列強からの東亜の解放」なのか、「ソ連から満州を防衛する」なのか、
目的どころか、優劣順位すらも、曖昧で対立があった。
自国に有利な「1年か1年半」の間の海軍力の使用も、徹底を欠き、
いたずらにチャンスを逃し、苦手な島嶼の奪回戦に引き込まれた。
陸軍に至っては、戦争目的が明確でないため、戦勝を交渉に結びつけず、
いたずらに兵力と時間と資源を無駄遣いし、中国に引き込まれていった。
どの国にも強さと弱さがある。
達成可能な目的を明確に持ち、自分に有利な戦場に誘い込めれば、
一見、強大な敵に対しても、勝利を収めることが可能なことを、
北ベトナムは証明したのではないだろうか。
今のイラクでの戦闘も、それを暗示しているような気がする。
南北戦争なんて下手すりゃ半島戦役の時点で終わる。
アンティータムの戦い後では間違いなく世論が発狂する。
612 :
名無し三等兵:2007/08/27(月) 01:45:15 ID:08kk9VY3
>>611 スレチだが、おれはしたから二つめのリンクでの「民主党のヒラリー・クリントン上院議員は同日、イラクのマリキ
首相の罷免を要求。」の方がよっぽど驚いた。まさかブッシュに要求したのか?実態は傀儡でも、仮にも主権国
家の首相に対して「罷免」だぞ。ブッシュとなんも変わらんやん。
それとも翻訳マジック?
無差別爆撃で原爆使えなかったから
メディアの成長、対日本戦のように無茶出来ない
第二次世界大戦ほど民衆コントロールが上手くいかない
北ベトナムに援助する国があってベトナム自体焦土としても
兵器や人員が次から次へと補給される。
相手の補給を上手く絶てない戦争はあまり勝てない。
アメリカ空軍の総力を結集して思い当たる北ベトナムの全てに猛空爆を繰り返せば屈服しただろうが
生憎と上下院にもベトコンシンパが居たらしく数多の妨害工作の果てに手も足も出せない内に撤退
615 :
名無し三等兵:2007/08/27(月) 02:34:09 ID:LrvovaJB
空爆をやめなければアメリカ軍は勝利していた!?
>>615それは違う。最初から全力全開で何もかも吹き飛ばせばヨカッタだけ
例えばベトコンの渡し舟を襲撃して野砲で反撃された駆逐艦なども居たが
手を抜かずに戦艦で地形が変貌して跡形も無くなるまで殲滅するべきだった
>>612 スレ違いだけどイラク議会に呼びかける形をとったみたい。
ちなみに当の首相の反発。
ヒラリー議員ら名指し非難=「イラクを自国の村扱い」−マリキ首相
8月26日23時0分配信 時事通信
【カイロ26日時事】イラクのマリキ首相は26日の記者会見で、
同首相の更迭を主張している米民主党のヒラリー・クリントン上院議員やレビン上院軍事委員長を
「内政干渉だ」と名指しで非難した。ロイター通信などが伝えた。
同首相は「イラクを自国の村の一つであるかのように考えている米国の政治家がいる。
たとえばヒラリー・クリントンやカール・レビンだ」と批判。
さらに「これはわれわれの内政問題への深刻な干渉だ」と指摘、
「彼らが正気に返り、イラクについて敬意をもって語るよう求める」と述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070826-00000074-jij-int
CIAならクーデタ指示して途上国の元首追放・すげ替えとか朝飯前にやってるが。
619 :
アシャウ渓谷:2007/08/27(月) 12:01:16 ID:UdpEGPA2
>>612さん
「罷免」話は、おれも日本の新聞でよみましたが、びっくり。
でも、アメリカ人のこういう感覚は、むしろ、普通なのでは……。
>>617さん
それにしても、「内政干渉」ですなww
多分、アメリカ軍のイラク撤退は、時間の問題だと思うが、
「その後」は、どうなるのだろうか。
ベトナムとの連想では、大量の「親米イラク難民」がでるだろう。
イラクの場合、米国国内に「イラク亡命政府」を作るだろうから、
これも、アメリカにとって頭の痛い問題になる。
また、傀儡政権を追い出した後のイラクの反政府組織の戦後処理?は、
多分、ベトナムよりもハードになるだろう。
親米強力派への粛正、大量虐殺などが興可能性がある。
自由ベトナム政府はまだ何かやっているのか?
>>617 サンクス
>>614, 616
そんなご都合主義の陰謀論や「たら・れば」が通るんなら、
太平洋戦争で日本を勝たせることも、台湾の国府軍に大陸
反攻して北京奪回させることも可能になる。
仮想戦記スレででもやってくれ。
アメリカはゴジンジェム追放、シアヌーク追放とやっといて、今更なんだかな。
623 :
えICBM:2007/08/27(月) 23:39:04 ID:???
当時のベトナムは世界でも下から何番目までの後進国。
だから、空爆により与えれる打撃が極わずか。
国内で生産していた武器は迫撃砲ぐらいまでで、主だった兵器は輸入にたよった。
空爆効果が非常に小さい戦争ってことだろう。
>>621バカ乙。WW2後のアメリカに吹き荒れたアカ追放運動も知らんとはな
運良く生き延びた隠れ共産主義者が随分と残っていた時代に何を
625 :
名無し三等兵:2007/08/28(火) 04:21:30 ID:uJF5fWej
>>624 バカはお前だよ。
朝鮮戦争があって冷戦の緊張、そしてマッカーシズム。その後のキューバ危機。
こんだけあってあんたが言う所の隠れ共産主義者は根絶できなかったと言いたいん
だろ?
とすれば、反共主義者無能過ぎじゃんw
>>625無能だが何か。ウォルト・ディズニーの嘘八百でハリウッドから追放された業界人は数知れず
ベトコンシンパと言うかアカがウヨウヨしてなきゃ全米でソ連に扇動された反戦運動が起きるワケが無かろう
627 :
名無し三等兵:2007/08/28(火) 05:40:08 ID:uJF5fWej
>>626 なに脊髄反射してんの?
民主が売国で共和が無能ならどのみちベトナム戦争勝てないじゃん。
それとも何か、オレが大統領なら勝ったとでも言いたいのか?
それならなおさら仮想戦記スレに行けよ。
>>627無能だろ。有能なら和平交渉する前に陸海空で徹底的に叩きのめすからな
空軍の無差別空爆案を引っ込めたのは当の政府だろうに
無能同士の罵り合いは不毛だのう
>>630和平などと言う妄想を信じたアメリカ政府のがバカだろう。
ベトナムを石器時代に戻すべしとのたまった空軍の主張こそが正解
周辺国含めて実際に無差別空爆してたじゃん
ハノイ周辺、ダナン、サイゴン(ショロン地区除く)あたりは控えていたとしても
革命側の都市部農村部を
>>632そこ控えたら意味ないだろ。B-52で全部破壊して石器時代に戻さないと
何が「革命側」だ。
どうみても共産主義の南に対するずる賢い侵略だ。
>>1 ソビエトの後ろ盾があったから。
---------------------------- 終 了 -----------------------------
カンボジアの巻き込まれ方が最強だな
空爆受けるわ地上軍まで侵攻するわとどめはポルポト政権誕生
ベトナム戦「支持」へ踏み込む=沖縄返還へ−67年の佐藤首相訪米・外交文書公開
8月30日1時2分配信 時事通信
佐藤栄作首相(肩書はいずれも当時)が1967年11月に訪米し、
ジョンソン大統領と交わした日米共同声明の作成過程で、
米側の求めに応じる形でベトナム戦争支持の文言が盛り込まれたことが、
外務省が30日付で公開した外交文書で明らかになった。
東南アジアへの経済支援でも米国の意向でより具体的な記述に変更。
佐藤政権の最優先課題となった沖縄返還問題も絡み、米ソ対立の冷戦時代、
日本が自由主義陣営の盟主・米国に追随していく過程が浮き彫りとなっている。
外交文書の公開は20回目。佐藤首相の訪米に関しては、
共同声明作成に向けた日米外交当局間の調整作業を記録した公電などが中心だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070830-00000007-jij-pol
>>635 ではソビエトの後ろ盾があっても
潰れてしまったアフガンのパルチャミはどうなんでしょうか?
ストーン監督が再びベトナム戦映画=今回は「ソンミ虐殺」描く−米
8月30日15時1分配信 時事通信
【ロサンゼルス29日時事】米メディアによると、社会派のオリバー・ストーン監督が再び、
ベトナム戦争映画に取り組むことになった。同監督は一連のベトナム反戦作品で名高く、新作では、
ベトナム戦争時の1968年3月16日に起こったソンミの虐殺事件の実像に迫る。
新作の題名は「ピンクビル」で、人気俳優ブルース・ウィリスが同事件を調査する将軍役を演じる。
同事件では、米部隊が約500人に上る無抵抗のベトナム民間人を虐殺したとされ、発覚の後、
米国内でベトナム反戦運動が高まる契機となった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070830-00000095-jij-int
641 :
名無し三等兵:2007/09/02(日) 11:23:25 ID:YkyaT81n
ベトナム戦争は毎日TVで流れてて面白かったなぁ
当時の新聞とか見ると毎日ベトナムの記事出てるな
今のイラクよりは報道されてたな
>>641 40になりたてだが、幼少時、本当に毎日、何かの形でナム戦の報道はあったよな。
そのお陰で、少し成長して、模型屋でM48やM60やM113のプラモを見た時は、
「おーこれ、どこか見たことがある」とてな感じのデジャブがあった。
相当に刷り込まれてたんだろうな。
俺も40だけど、ナム戦はまったく記憶に無いな。
76年のMiG-25事件は記憶にあるけど。
ボートピープルのニュースはしっかり覚えてるけど、統一前の話は覚えてねぇ。
646 :
アシャウ渓谷:2007/09/10(月) 20:03:35 ID:ccc04r/k
時々、NHKがやる特番で、ベトナム戦争の映像はよくみる。
20世紀映像の世紀?や、歴史を変えた戦争?、ベトナム戦争事態の特集もあった。
ケーブルテレビ、スカパー!などでBBCやヒストリーチャンネルでも、
ベトナム戦争の映像は、しばしば放映している。
北爆、ラインバッカー作戦や、テト攻勢、ロアン朝刊の処刑シーンなど、
何度も見たことがある。
現場の生々しさ、戦場の奥深くまで入った映像としては、
湾岸戦争や、イラク戦争よりも、ベトナム戦争の方が、
ずっと多量に見られるのではないだろうか。
最近は報道管制が徹底されてるからじゃね
そりゃそうだ。現実の生々しさをお茶の間に無検閲で流しちまった結果反戦運動が勢いづきましたからな。
>646
YouTubeなんかに結構動画あるよ。
北爆の映像って、ガンカメラの記録映像じゃないやつはほとんどないぞ。
北爆に向かう途中の映像ならあるが。
撮影用の随伴機が飛べるような場所じゃないからな。
>>623 裏を返せば迫撃砲ぐらいまでしか作れないのに、それでも
アメリカ相手の戦争に勝てたってことだ。
(狂ってはいるが)一応ご機嫌とればそれなりに支援してくれる後ろ盾と、
>ソ連に扇動された反戦運動が起きるワケが無かろう
ソ連じゃなくて、キング牧師とビートルズとジミヘンとローリングストーンズとボブ・ディラン等
敵の内側の味方に助けられての勝利だった。
翻って太平洋戦争中の日本に何があったか。
合衆国の黒人やインディオやラテン系住人は60年代よりも遥かに強い統制を受け、
経済も大恐慌以降停滞していた。
少しつつけばどうなったかわからない問題は沢山あったのに、
どれ一つその問題を拡大することは出来なかった。
これで明石大佐に何を学んだというのだ
652 :
えICBM:2007/09/11(火) 22:09:38 ID:???
>>651 >裏を返せば迫撃砲ぐらいまでしか作れないのに、それでもアメリカ相手の戦争に勝てたってことだ。
ベトナム戦争は一言で言えば消耗戦であり、アメリカと北ベトナムの我慢比べ。
どちらが有利だったかというと、長期間戦うことが出来るベトナム側。
近代装備の米軍は費用もかかり、アメリカの国内的合意がなければ戦えない。
一方、ベトナム側の装備は低コストであり、なにより民族独立の名の元に国内的合意は問題なし。
なので、紛争が長引けば長引くほど、アメリカ側にほころびが出る可能性は大。
事実、アメリカは国内的合意を得ることが出来なくなり、軍事的、政治的に撤退し、北ベトナムが最後に勝っている。
アメリカ側はベトナムの驚異的な粘り強さに負けたと認識してる面もあるが、民族独立闘争とはそんなもんかもしれない。
>>651大戦中の世界の政治形態と、戦後のそれはまるで違うだろ。
単純比較できるわけない。
大戦中の日本は、自国民にさえ犠牲を強いてたのに、米の人種政策を批判出来るほど懐広い人権意識を持ってたと思うか?
>>653 大アジア主義で白人vs有色人種ってイデオロギーで戦ってたんだから
出来たに決まってる
黒人やインディアンは白人にいじめられている、八紘一宇の下に
解放されなければならない民族だぐらいは言っても良かったのにな
米国内の差別が酷くなりそうだが
657 :
えICBM:2007/09/13(木) 15:07:14 ID:???
>>656 アメリカ側はファシズムと自由民主主義との戦いと位置づけ、国民を引っ張り、国民もついていった。
人種対立という問題もアメリカ国内にあっただろうが、相対的に関心度は低かっただろう。
日本側がアメリカの国内事情を批判したところで、アメリカ国民の分裂までにはなりようが無い。
ソ連、中国が支援してなかったら北ベトナム勝てた?
北と中ソがベトナムと敵対せずジュネーブ協定後なら、北進はできないと思う。
ならば北ベトナムが勝つかはわからないがアメリカの目的が達成されることは無いんじゃないだろうか。
>>658 勝てない。てかバックに中ソがいたから北は頑張れた
662 :
えICBM:2007/09/18(火) 02:09:48 ID:???
つうか、アメはバックに中ソがいて北がその手先だからということで介入。
いわゆるドミノ理論を恐れた。
中ソが北を支援しないとなると、アメの戦争理由が無くなる。
インドシナ戦争は、フランス軍と手先を追い出す(半分成功)。
ベトナム戦争は、フランス人の手先になって現地住民を虐待したキリスト教徒を南から叩き出す。
南を牛耳ってたのはキリスト教徒、だから仏教僧の焼身自殺などが起きた。
>>663 キリスト教徒だったゴジンジエムも同じくキリスト教徒をえこひいきした。
ゴジンジエムに限らず亡命者を指導者に据えると、現地の一般人からは
どうしても浮いてしまう。
アメリカが懲りずに今でも同じことを繰り返しているのは笑えない。
じゃあ現地のボスを後押しすればいいかとなると、
パーレヴィー国王、ノリエガ、フセインとこっちはこっちで失敗例がたくさん。
そういえば、なんで日本の占領計画はうまくいったんだろ。
他を見るとアメリカって失敗ばかりしているのに
>666
・日本自前の、全臣民が服属する最高権威が占領を受け入れた。
・アメリカ陸軍は、日本帝国陸軍よりマシな日本占領軍だった
この二点じゃね。
・身の回りに米軍と戦えるような手頃な武器がなかった。
・周囲はみんな敵で、米軍に反抗しても助けてくれそうになかった
ってのもあると思う。
669 :
えICBM:2007/09/24(月) 07:48:25 ID:???
アメがホーチミンを捕まえる。
そして、ホー翁に「民族独立の為にアメリカに協力しろ」と人民に呼びかけさせる。
そうすればOK。
・そもそも、開国以来割と付き合いが長い
671 :
えICBM:2007/09/24(月) 10:40:30 ID:???
日本の場合は民族の分断も無く、将来の自立も約束されてたから占領の方が良いと考えたんだろう。
ベトナムの場合は、南北に分断され、南北政府とも自分等手動の統一を目指したからな。
出発点が全然違う。
まあ、ゴジンジェムが生き残ってれば、北と対話して南北統一って目もあったらしいが。
ゴはアメリカ軍の直接介入は断固反対だったし、受け入れるぐらいなら北との和睦もあっただろう。
いろいろ言われているが、ゴはゴなりに強烈な民族主義者ではあった。
672 :
名無し三等兵:2007/09/24(月) 19:01:19 ID:+3pcWfHm
ほしゅ
南ベトナムも亡命者を中心にゲリラ部隊を編成して
北ベトナムの中枢を攻撃するプランを立てたがアメリカに拒否されたらしいな。
age
>673 は? むしろアメリカ主導でジェム時代からどんどんやってるよ。
ことごとく北の公安機関に摘発されたけど。「謀略と紛争の世紀」って本に詳しい。
673が言ってるのはサイゴンが陥落してからの話だよ。