【弓・トラップ】土人vs西洋人【機関銃・ライフル】
1 :
名無し三等兵 :
2007/03/28(水) 16:10:48 ID:zc5tCIIz どういう戦いだったのか知りたいです ただしベトナム戦争など原住民側もかなりハイテク装備しているような戦いは除きます 具体的にはアフリカの原住民が西洋列強の軍とどう戦ったのか
2 :
名無し三等兵 :2007/03/28(水) 16:15:38 ID:???
2
3 :
名無し三等兵 :2007/03/28(水) 16:40:04 ID:???
>>1 どじん【土人】
〔「土着の人」の意〕その土地に住みついて、
現代文明とは掛け離れた昔ながらの生活を続けている人。
〔未開・野蛮などの意が伴う差別表現〕
(三省堂 新明解国語辞典)
4 :
名無し三等兵 :2007/03/28(水) 16:49:54 ID:???
ほとんどアメリカ大陸じゃん。 アフリカはなんか逆らってそうなイメージがない。
5 :
名無し三等兵 :2007/03/28(水) 16:56:39 ID:???
まず自分で本でも読んで調べろと言いたい。
6 :
名無し三等兵 :2007/03/28(水) 17:26:35 ID:wKKYPqud
バスコダカマやコロンブスは剣と単発銃で膨大な先住民を支配した…考えたら凄い!
7 :
名無し三等兵 :2007/03/28(水) 23:26:00 ID:2DSV8YmE
>>6 コロンブスはともかく、バスコ・ダ・ガマ?
なんか勘違いしてないか?
8 :
名無し三等兵 :2007/03/28(水) 23:47:56 ID:zQ4XUoZA
バスコダガマはフィリピンの先住民との戦闘で旅の途中半ばで死亡してしまったわけだが・・・。
9 :
名無し三等兵 :2007/03/28(水) 23:54:44 ID:1TxuNHQu
確か毒矢を受けてあぼーんだったっけ? で、弟子がフィリピンを皆殺し・・・
10 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 00:06:43 ID:???
11 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 00:15:48 ID:e7ejv3Ib
>>10 あっ、そういやそうだね。勘違いしとりましたわ。
ガマは南アの喜望峰だっけ。
12 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 00:19:05 ID:BWK3p02E
うろ覚えで自爆…恥ずかしいです。失礼しました(赤っ恥 でした
13 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 00:29:45 ID:???
ゆとり教育世代以降の日本人も土人同然だな
14 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 00:33:32 ID:eZBFsYr4
日本人は全部ドジンだろ。北海道ではアイヌがドジンだが。
15 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 00:41:44 ID:???
東ティモールでオーストラリア軍が住民から弓攻撃を受たらしいがな。(死者なし。逆に反撃されて住民数人志望)
16 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 01:32:41 ID:???
17 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 08:27:43 ID:???
【弓・トラップ】土人vsDQN【スタンガソ・エアガン】
18 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 11:00:35 ID:???
1879 ズールー戦争 槍とわずかな火縄銃で武装したズールー王国の大軍が英国軍を イサンドルワナで破るが、英国は面子を潰されて必死になり、その後2敗5勝して シャカ王朝を廃した 1881-99 マフディー戦争 スーダン人がイスラム聖戦を唱えて英国・エジプト共同 支配に叛乱を起こした。英国は清国軍を率いて太平天国を破ったゴードンを派遣したが、 1884-85年のハルツーム籠城戦で戦死。列強のアフリカ分割が盛んになると英国軍と エジプト軍は再びスーダンを攻め、マフディー軍を機銃掃射して勝った 1882-98 サモリ戦争 ニジェール川上流域のイスラム教国が歩兵3万と騎兵3000で いったんフランスを撃退したが、1890年のブリュッセル協定(独立国以外のアフリカ 人への近代兵器販売を禁止)によって英国人から弾倉式小銃を買えなくなり、また、 フランスが砲兵部隊を送ったので敗北、併合 1895-96 第1次イタリア・エチオピア戦争 エリトリアから侵攻したイタリア軍を、 野砲と機関銃で武装したエチオピア軍が迎え撃ってアドワで圧勝、独立を認めさせる (根に持ったイタリアは40年後に再び侵攻、毒ガス戦でエチオピアを占領・併合) さて、当時の英国系米国人は南イタリアから来た移民を土人同然にみなしていたわけだが
19 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 15:14:18 ID:???
薩英戦争 オランダとかから大砲買った土人軍相手にイギリス軍が苦戦。 賠償金貰って講和する。 土人って先住民とか原住民って意味だよな?
20 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 15:40:57 ID:???
鄭成功は台湾に浸出していたポルトガル軍を破って 以後台湾を支配、ポルトガルは台湾経営を諦めた。
21 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 15:48:14 ID:???
阿片戦争で英仏に敗れ、甲午戦役で日本に敗れ いいとこなしの末期清軍だが 新疆の伊寧にロシアが侵攻したときは左宗堂の清軍がこれを破り 潰走させた。
22 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 18:56:34 ID:???
23 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 19:56:23 ID:xJaX5itj
正式には「オランダ東インド会社軍」だっけ?
24 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 20:09:03 ID:54n9GhPF
人民解放軍のチベット解放
25 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 21:24:42 ID:Z/fVSVF9
昔見た「ズール戦争」は面白かった 山ほど出てきた土人が英国軍を皆殺しにするところが好き DVDでてないのかな?
26 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 21:44:32 ID:???
「闘神伝説シャカ・ズールー」だっけ?。
27 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 22:10:55 ID:46HEwEYX
>>25 でも結局英国が買ってしまうんじゃなかった?
28 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 22:53:47 ID:???
食人族の白人女輪姦シーンは抜けるな
29 :
名無し三等兵 :2007/03/29(木) 23:41:30 ID:xdP799Dr
そういやオーストラリアのアボリジニーは入植者たちにゲーム感覚で殺されたんだよな。 タスマニア人にいたっては皆殺しにされて絶滅してるし。 だれか映画化してくれないかな。
30 :
名無し三等兵 :2007/03/30(金) 09:04:47 ID:???
マスケット銃とサーベルで何百万人も殺せるなら 日本軍の中国人殺し3000万人もきっと真実ですね
31 :
名無し三等兵 :2007/03/30(金) 12:55:22 ID:???
フランスがヴェトナムに侵攻したとき、清朝のはみ出し武将、 劉永福は黒旗軍を率いてフランス軍に抗戦した。 フランスは、光緒八年(1882)、砲艦と陸戦隊を派遣、 リヴィエール海軍大佐に黒旗軍の討伐を命じ、河内(ハノイ)に進駐させた。 僅かな旧式先込め銃以外には大刀とか槍主体の黒旗軍であるが巧みな戦術で フランス軍をジャングル奥深くに誘引し指揮官リヴィエール大佐を戦死させ、 仏軍を敗走させる。 しかし黒旗軍の奮戦の甲斐なく 肝心の清朝政府の弱腰とヴェトナム王朝の内紛に乗じられ 結果、フランスの支配が始まった・・・
32 :
名無し三等兵 :2007/03/31(土) 00:34:00 ID:oK3y2qlB
>>31 ベトナムは今も昔も強いな。アジア人の鑑だ
33 :
名無し三等兵 :2007/03/31(土) 06:18:52 ID:???
34 :
名無し三等兵 :2007/03/31(土) 08:27:11 ID:???
>>32 なんせ元寇だって神風無しで3回撃退したからな
35 :
名無し三等兵 :2007/03/31(土) 11:33:23 ID:???
黒旗軍は、ヴェトナムの軍隊というよりも太平天国の残党がヴェトナムに 脱出して作り上げた勢力であり、国共内戦に敗北した雲南方面の国民政 府軍がビルマに脱出して国境地帯に勢力圏を作った事例に近い そのため、ヴェトナムのグェン朝にとっては国の中の国というような存在 であり、ほとんどコントロールが及ばなかったとの事
36 :
名無し三等兵 :2007/03/31(土) 11:39:38 ID:???
37 :
名無し三等兵 :2007/03/31(土) 11:40:20 ID:???
訂正 清松→清末
38 :
名無し三等兵 :2007/03/31(土) 11:56:07 ID:???
39 :
名無し三等兵 :2007/03/31(土) 12:07:10 ID:???
フィリピンのモロ族相手に日本軍は無茶苦茶苦戦したと聞く。なにせ相手がどこに居るのかすら判らない。
40 :
名無し三等兵 :2007/03/31(土) 12:43:52 ID:BODDFzjx
イタリア王国対エチオピア帝国の戦いか? でもエチオピアも結構近代兵器を使用していたか・・・
41 :
名無し三等兵 :2007/04/01(日) 08:40:36 ID:XXue9Y50
エチオピアは強国だし そもそも土人とは定義が違うな
42 :
名無し三等兵 :2007/04/01(日) 12:26:35 ID:rWEGgeC5
>>39 モロ族って先住民?なんでアメ公に協力したんだろ?日本軍が食料でも掠奪してたのかな
43 :
名無し三等兵 :2007/04/01(日) 14:32:48 ID:qVBXw1a9
日本の武士も土人の部類なの? 未開―半開―文明の基準だと日本の封建社会は 半開で、サムライは土人ではないはず。
44 :
名無し三等兵 :2007/04/01(日) 16:44:22 ID:kd8DDtSF
ドジン=土民=土着民=原住民 よって、北海道や沖縄の倭人や、在日外国人以外の日本列島に住む日本人は全てドジン。
45 :
名無し三等兵 :2007/04/01(日) 17:08:37 ID:???
エチオピア シンガポール ディエンビエンフー 西洋列強が土人に負けた屈辱の歴史
46 :
名無し三等兵 :2007/04/01(日) 17:17:50 ID:kd8DDtSF
シンガポール?何かあったっけ?
47 :
名無し三等兵 :2007/04/01(日) 17:25:14 ID:???
極東の黄色猿に追い出された
48 :
名無し三等兵 :2007/04/01(日) 17:28:14 ID:kd8DDtSF
でもあっちのドジンは日本人じゃなくてマライ人だろ?
49 :
名無し三等兵 :2007/04/01(日) 21:45:06 ID:???
>西洋列強が土人に負けた屈辱の歴史 マゼランが討ち死にしたときのフィリピン インドネシア独立軍VSオランダ軍
50 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 02:11:03 ID:3TyY/qEk
皇帝とか国の制度みたいのがあるような国は土人じゃないだろ 江戸時代の日本や清もまた近代国家としての枠組みは無くても一往国家社会を成立させていた訳で エチオピアについてみ誤解が多くないかな あの国はアフリカのにおける帝国主義国家で 攻められるどころか逆に 周辺諸国を逆に植民地化していった国だぞ
51 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 02:16:07 ID:???
土人というとアフリカの部族とか、アメリカの先住民とかか。 ニューギニアの部族とか台湾の部族とかも。
52 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 18:00:44 ID:k1g5B+6v
>>50 エチオピアは日本に似てるな。でも、何処を植民地にしていたんだ?
53 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 18:30:14 ID:???
エリトリアの事じゃね?
54 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 20:25:46 ID:k1g5B+6v
エリトリアは伊太利の植民地じゃなかった?
55 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 21:40:39 ID:???
>>52 エチオピアのもともとの領域はアムハラ人の居住地であったエチオピア高地
を中心とした地域
この地域を統一したメネリク二世は、近代化政策を推進すると共に西欧から調
達したライフル銃などの火器の力により、それまでエチオピアの支配領域では
なかった南部のオモロ、ソマリ系諸民族の領域への領土拡大を行っている
この結果、エチオピアの領域はメネリク二世即位時に比べて2〜3倍近く拡大
し、エチオピアを多民族「帝国」へと変身させることになった
現在のエチオピアの領域はこの時期に確定している
このあたりの展開は
岡倉 登志『二つの黒人帝国』東京大学出版会 でくわしく叙述されている
56 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 21:43:56 ID:k1g5B+6v
>>55 ほう・・・大日本帝国と同じようなことをやってたんだね。同じ帝国として誇りに思う。
当時の日エチオピア関係はどうだったんだろうか?国家としてお互いに承認して他のかな?
57 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 22:41:05 ID:???
まあ、エチオピアは他のアフリカ諸国と違って、紀元前から文明国だったし。 歴史の古さからいえば、ローマなどと比べても遜色ない。
58 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 22:46:19 ID:6zwypCX1
>>50 グレーゾーンが多数発生してしまうよ。アフリカの人口数十万の小部族ですら
王政を持っていたりするんだから。その考えで言うと前出のサモリ軍だのマフディー
軍だの、ズールー戦争すら対土人ではなくなる。
土人=ヨーロッパから土人扱いされてた人々、で良いじゃないか。そうでないと話が進まない。
あ、日本人ももしかして・・・
59 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 23:31:51 ID:???
>>58 文明人と土人の区別が問題って事か・・・・。
それだったら、文字文明を持っているかどうかでいいんじゃね?
エチオピアにあって、ズールーやフィリピンにはないもの、それは文字。
文字のないところ、文学も科学も起こらない。
60 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 23:45:48 ID:???
オスマントルコ軍やその自治領エジプト軍は近代国家だよ。 エチオピア、イラン、アラビア部族より上だよ。
61 :
名無し三等兵 :2007/04/02(月) 23:50:59 ID:???
オスマントルコは土人じゃない!。 イスラムのリーダー、 大日本帝国と比較するならオスマントルコ帝国だろが!。 エチオピアごときと一緒にするな!。
62 :
名無し三等兵 :2007/04/03(火) 04:47:18 ID:???
>>1 人類学の先生がこんな事を書いていた。
「日本の原住民は?」と質問すると生徒達は
「縄文人かな〜」「アイヌかな〜」などと答える。
そこで「日本の原住民とはわれわれ日本人の事です」と説明する。と
単に土着の民を表す「土民」「土人」「原住民」という言葉に
我々はいろいろ偏ったイメージをまぶせすぎだよね。
モンゴルやトルコ人が西洋の土人どもを相手にどう戦ったか?
みたいな視点はどう?
63 :
名無し三等兵 :2007/04/03(火) 10:38:27 ID:???
お前のような朝鮮人と戦った事はどう?
64 :
名無し三等兵 :2007/04/03(火) 16:07:31 ID:???
土民の大群を機関銃で撃退・・・は不可能です。 いずれ銃身が加熱→ションベンをかけて冷却する暇もなく接近されて串刺しです。
65 :
名無し三等兵 :2007/04/03(火) 21:09:19 ID:SC+pOyEa
文明化された日本人VS台湾の先住民 の戦いもこのスレでOK?
66 :
名無し三等兵 :2007/04/03(火) 21:49:30 ID:???
アメリカ大陸は先住民少なかったから、うまくいっただけですよ。
67 :
名無し三等兵 :2007/04/03(火) 21:50:16 ID:???
ユーラシアと比べて広さが段違いですから。 ま、大陸として見れば小物ですな。
68 :
名無し三等兵 :2007/04/03(火) 21:58:17 ID:???
>>59 インカもアステカも土人ですか?後、ロンゴロンゴ文字を持ってたイースター島原住民は?
自前の言語ではないけど、支配階級にはアラブ語が広く普及していた西アフリカのような所はどう扱うべきか?
ウーム、土人かどうかを決めるのは難しいですな。
>>64 ズールー戦争でのイサンドルワナの戦いでは実際そうなったらしい。
嘘みたいだけど本当の話のようだ。単発銃の話だけど。
まあ、ズールーの精強果敢さは異常だけどもね。
69 :
名無し三等兵 :2007/04/03(火) 22:10:14 ID:???
>66-67 they made serfs of the conquered― there ware too many of them to exterminate the way the Yanks did to their aborigines ,so-serfdom.
70 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 00:31:30 ID:IH5bndFj
ズールー族はマジでかっこいいよな。
71 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 01:23:35 ID:???
>>63 ここにも「原住民」=「そこに住んでる住民」の意味を理解できないゆとり世代がw
72 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 05:16:27 ID:UIBjhGx0
>>56 エチオピアと日本の皇室はとても親密だった
戦前戦後を問わずね
戦前はイタリアのエチオピア侵攻の時は
エチオピアの皇室と日本の皇室がなかよかったもんだから、日本はエチオピア支持国だったんだよ
もちろん三国同盟以後はイタリア支持に変わるけどね
戦後は世界に皇室自体がエチオピアと日本だけになっちゃった物だから
お互いに仲良くやっていこうという感じでやはり親密だったそうです
日本もエチオピアもそのエリアで唯一近代化に成功して
帝国主義にはしった点は似ているな
73 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 14:38:30 ID:mBAJuck1
>>72 エチオピア人と結婚したくなってきたぞ(w。
そういや、イタリーが無駄な干渉しなければ、日本人女性がエチオピア帝国皇太子様と
結婚するという話しも上がってたんだっけ?
どうせならタイ国やリベリアも拡大政策取れば面白かったのにな。
74 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 14:50:46 ID:???
アフリカの角諸国(エチオピア、エリトリア、ソマリア)は美人国。
>>59 フィリピン諸島にはインド系文字が何種類かあったよ
75 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 15:01:44 ID:???
>>68 ロンゴロンゴ文字って発生に疑問符がついてなかった?
西洋人と交流を持ってからの開発っぽいとか
76 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 19:57:30 ID:zQMmlP2I
にしても、伊太利を撃退したエチオピア大帝国の根性には敬服するよ。
77 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 20:10:55 ID:???
最後は毒ガスにやられたわけだけど 土人相手だから国際法なんて関係ないもんね
78 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 20:55:23 ID:???
世界最凶最悪の野蛮人種 それは・・・ アングロサクソン(暗黒搾損)
79 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 21:22:23 ID:???
>>77 実際に、エチオピア戦争で毒ガスを使用したことが発覚したときのイタリアの言い訳がそうでした。
当時、既に国際法上毒ガスは使用禁止兵器でしたが、国際法は文明諸国間で適用される、と言い逃れしたとかなんとか。
当時のイタリアにとってエチオピアは文明国ではなかったようです。
イタリアって陽気で無害な人々に見えるけど、実は結構暗黒の歴史を持ってますね。
>>59 ボルネオ島内陸部に住み、人喰い人種として恐れられてきたバタク族は独自の文字を持っていたようです。
文明国だったブルネイ王国のことじゃないよ。ブルネイ王国人にも恐れられ、マルコポーロも報告してる
人喰いの風習が実際にあった人々です。
80 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 22:02:01 ID:???
81 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 22:42:32 ID:zQMmlP2I
>>77 その理由むかつよくな。欧米人の独善的な理屈だと思う。
82 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 22:43:46 ID:???
奇麗事でこの世が動くなんて思ってるなよ。
83 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 22:53:23 ID:zQMmlP2I
>>82 まあそうだけど、もう欧米人共がつくりあげた独善的なシステムにはうんざりしてるんじゃないか?
ブラック・アフリカを中心に。
84 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 22:55:29 ID:???
すでに独立を果たしているんですが
85 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 22:57:51 ID:zQMmlP2I
ブラック・アフリカなんか欧米人が勝手に決めた国境線と分離統治のせいで、内戦がずっと続いてるじゃないか。 ジンバブエや南アフリカなんて最近まで白人の植民地同然だったし。
86 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 23:01:53 ID:???
で?どうして欲しいんだ?
87 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 23:04:14 ID:zQMmlP2I
欧米が責任をもって賠償し、国連、AUを中心に、アフリカを平和な大陸に換えたい。、
88 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 23:06:16 ID:???
ウリも謝罪と賠償を請求するニダ
89 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 23:07:09 ID:zQMmlP2I
>>88 もう充分にしているだろ、常識的に考えて・・・・
90 :
名無し三等兵 :2007/04/04(水) 23:09:58 ID:???
平和とかね 蕁麻疹が出そう
91 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 00:04:03 ID:???
原子爆弾なんて毒ガス以上の残虐兵器じゃん 飴公も暗黒 ナチスも暗黒 やっぱ暗グロ最凶
92 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 00:13:53 ID:eqawiBz6
勝てば官軍、フセイン、東条はどうなった?原爆やクラスター、劣化ウラン、枯葉剤使ったヤンキーは何故裁かれない?戦争は勝たなくちゃ立場が逆転する。
93 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 00:16:13 ID:IkuF7NSs
日本もクラスター爆弾持ってるという罠
94 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 00:40:09 ID:???
95 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 00:44:29 ID:IkuF7NSs
フィリピン人はがんがったんだな
96 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 01:02:49 ID:???
歴史は勝者のものだしね イギリス人が 遊び でやったタスマニア人絶滅は話題にならんが ナチスのホロコーストは世界中で有名
97 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 01:16:50 ID:???
98 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 02:05:09 ID:u78Hzyv6
>>94 前線の兵士は必ずいう
「銃口が小さいとあたっても敵が突っ込んでくるんだが」
実際は当たってないだけ
戦場では銃口が小さい方がなにかと便利なんだけどね
99 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 02:31:51 ID:???
そもそも日本自体がアメリカに一瞬にして何十万人とチリにされてるやんけ
100 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 03:06:31 ID:u78Hzyv6
オムドルマンの戦い ハーバート・キッチナー率いるイギリス軍(野戦陣地守備側)(2万5千名) 対 ハリーファ率いるスーダンのダルウィーシュ軍(攻撃側)(約5万名) ■イギリス軍について イギリス軍には、イギリス人が訓練して指揮をとるエジプト人で構成された部隊がありました。 またこのようなエジプト人部隊の中には、ダルウィーシュに敵対するスーダンの原住民で編成された歩兵大隊があり、 士気の高い優秀な部隊として知られていました。戦闘に備えてイギリス軍は、46門の大砲と多数のマキシム機関銃を用意し ナイル川には重武装の砲艦10隻を浮かべました。 ■ダルウィーシュ軍について ダルウィーシュとは、スーダンの熱狂的なイスラム教徒(神秘主義的修道僧)のことです。 イギリスの息のかかったエジプトの支配を嫌って反乱を起こし、スーダンの大部分を占領していました。 ハリーファ(後継者)と呼ばれる好戦的な指揮官に率いられたダルウィーシュ軍は、エジプトとの国境付近で、 イギリス軍と小競り合いを繰り返します。業を煮やしたイギリス軍は、遂に反抗的なスーダン地域の鎮圧に乗り出しました。 イギリス軍の死傷者は5百名以下 ダルウィーシュ軍の戦死者は1万1千名、負傷者は1万5千名程度でした。 ロンドンの新聞「デイリー・メイル」は、この戦闘について「戦いというよりは、むしろ処刑である。」
101 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 03:19:58 ID:u78Hzyv6
102 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 03:48:30 ID:u78Hzyv6
>>98 「当たっても敵が突っ込んでくる」のは本当。ただし口径は関係ない。
ライフル用の.45-70や、ライフル並のエネルギーの.44Magnumは別だが、
拳銃弾は何発か撃ち込んで初めて相手を無力化できるもので、
1、2発じゃ突進してくる敵を止める事は出来ない。
拳銃弾に「ストッピングパワー」が存在するというのは迷信。
実際に拳銃1、2発で人が死んでいるではないか、と言うかもしれないが、
その多くは出血多量により死ぬケースで、無力化まで時間がかかる。
降参する可能性がほとんど無いモロ族のような連中を相手にする場合、
脳・脊髄・心臓・大血管などの急所を破壊しないと「敵を倒した」事にならない。
何発か撃ってるうちにやっと急所に当たって倒れてくれる。
だから人体組織を破壊する半径が大きい弾ほど優れているって事になるが、
この意味でポピュラーな、9mm Luger、.40S&W、.45ACPの
三種類の拳銃弾はドングリの背比べで大きな違いは無い。
贔屓目に見ても9mm Lugerの5発が.45ACPの4発に相当するくらいか。
もちろんこの違いを大きいと見る人も多い。
ところで.38Long Coltは現在ではどこも製造していないけれど、
ニューナンブの.38Specialよりやや弱く.45ACPの半分のエネルギー。
工夫の無い鉛弾で変型しないから急所に当たらないと倒せないのに、
銃は数発しか弾をこめられないリボルバー。
当時の兵士が火力不足を訴えたとしても責めることは出来ない。
セミノール族のゲリラ作戦
>>4 諍いはあったらしい。
が、大組織で行動する人々ではないみたいだから。
たけしか誰かのバラエティ番組の中でのどっかのアフリカ人の発言
だから話半分以下だけど、
素焼きの壺に小便を入れておくと、ナントカという蚊(マラリア蚊か?)
が発生するそうなのだが、彼らは刺されても痒い程度なのが、西洋人
が刺されると高熱を出したんだそうだ。
ある意味細菌兵器
108 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 20:01:04 ID:rvbBtv0l
まあ世界史はイギリス史だし
110 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 20:33:31 ID:rvbBtv0l
中世はイスラムが文明の中心だぞ
111 :
名無し三等兵 :2007/04/05(木) 20:34:47 ID:eHQVg7iV
111なら木内梨生奈とセックスできる。 111なら05年度の天てれの魔法少女姿の木内梨生奈とセックスできる。 111なら競泳水着姿の木内梨生奈とセックスできる。 111ならメイドさんの木内梨生奈とセックスできる。 111なら秘書スーツ姿の木内梨生奈とセックスできる。 111ならブルマー姿の木内梨生奈とセックスできる。 111ならスクール水着姿の木内梨生奈とセックスできる。 111ならバニーのコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。 111ならハイレグレオタード姿の木内梨生奈とセックスできる。 111ならセーラ服のコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。 111ならスチュワーデスのコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。 111なら不知火舞のコスプレをした木内梨生奈が俺の乳首を弄りながらフェラしてくれる。 111ならセーラー戦士のコスプレを一通りした木内梨生奈がディープキスをしながら手コキしてくれる。 111なら透け透けピッチリ胸あきブラウスにタイトミニの女教師ルックの木内梨生奈が生姦&膣内射精させてくれる。 111なら木内梨生奈が結婚してしてくれて、四六時中、淫らなセックスで俺様に御奉仕してくれる。 そして俺様の遺伝子で木内梨生奈が孕んでくれる! 111ならJSFに法則発動 111なら空自の次期F-Xはライノ ※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません。
新大陸ハケーンこそ最高のおごりだな。 土人からすれば「はぁ?元々ありましたけど?」
驕っていたのはどこぞの島民も同じだ。 土人の縮地法で大損害を出したって、教科書にも載ってるだろ。
世界史は中国史アルよwwwww
>>103 むかーしのGUN(雑誌)にこんな記事があったな。
アメリカで、確かに犯人の急所に当たってるのはずなのに返り討ちで
警官が殺されるケースが結構あるから、1発ではなく2〜3発バースト
させて撃てと教えられてる。
セミやフルオートで湯水のように弾を使える今の米軍と違って
補給心細いアフリカの奥地とかで、暗視装置無し探照灯も無し
みたいな昔装備の兵隊はさぞかし嫌だったろうな。
116 :
名無し三等兵 :2007/04/07(土) 01:32:40 ID:RV9GrpOf
ほんと、歴史ってのは勝った方の歴史だよな。 もし世界大戦で日本や中国などの大国が有色人種やアラブを開放していたら、 世界史は全く違った者になっていたはずだ。
近衛がアホじゃなければ日華同盟と言う萌える展開もあったかも知れんね。
118 :
名無し三等兵 :2007/04/09(月) 06:51:18 ID:h72WAbfq
>>68 亀レスだけど、インカ・アステカは文化的には土人ではないけど、戦力的には
土人以下で、このスレで語られても良いと思う。
何しろ、鉄器を知らないし、棍棒やら投石機で戦ってたんだから。ズールーですら
鉄器を使用していた。
119 :
名無し三等兵 :2007/04/09(月) 07:57:36 ID:ZtoM+erf
火薬の有無で土人って考えるのは?
>>116 今頃アジアはアフリカ以下の暗黒地方になっていただろうな。
>>117 主導権争いで疲弊して欧米に漁夫の利されそうだ
中国は今も昔も大国意識持ちすぎ
中原守る必要ないから割れてしまえばいいのに
>>118 君たち、農民の弓兵の実力を舐めてるね?
原始的な武器を用いた戦い(統率だったモノは除く)と、 現代の正規軍の戦いでは求められる資質が随分違うよな?
土人のがつよい。はだしでいられるから
126 :
名無し三等兵 :2007/04/11(水) 21:09:36 ID:FRtO7lDM
戦国自衛隊
大日本帝国の定義によればフィリピン人・マレー人・インドネシア人・ミャンマー人は土人。 ニューギニア人ポリネシア人も勿論土人です。
129 :
名無し三等兵 :2007/04/14(土) 00:48:48 ID:i2Pjsm+H
そこに住んでる土着民=ドジンっていう定義だもんな
土人つってもさ、アフリカと東南アジアでは大分違うよなぁ ベトナム人とかは巧みにゲリラ戦してそうなイメージだが、 アフリカ人はハタキ片手にUZI持ってるイメージが強烈に残ってる 誰か持ってないかなぁ、ハタキとUZI持って走ってる奴や子どもがプールで付けてるような腕用浮き輪 みたいなのを付けてマシンガン撃ってる奴
131 :
名無し三等兵 :2007/04/15(日) 22:40:11 ID:kwpmy7Dk
ブラックホークダウンみてるけど、 ソマリヤのイスラムドジンは狂信的だな。トランス状態の蛮族ってこえーよ。
132 :
名無し三等兵 :2007/04/15(日) 23:37:01 ID:EaKcTalA
いくら優秀な装備でも数で押し切られたら駄目×捕虜になったらなぶり殺しだ。
133 :
名無し三等兵 :2007/04/16(月) 04:22:51 ID:dEVAqeiW
エチオピア軍に捕われたイタリー兵は命までは奪われなかったが 去勢された
誰にとっても辛いだろうがイタリア人にとってはもう処刑より辛いだろうな
でも相手がイタリー兵だとギャグに見えるから不思議
136 :
名無し三等兵 :2007/04/16(月) 21:19:36 ID:dWUuTcXp
エチオピア帝国=アフリカの大日本帝国。 なめてかかったイタリーが悪い(w
137 :
名無し三等兵 :2007/04/16(月) 21:40:31 ID:7Wugdgh8
>>128 ミャンマーも土人扱いだったの?コンバウン朝とかを?
仏教国だったのに?
タイと大差ないじゃん。
インドネシアもかなーり微妙なんだけどなー。バリとかジャワとか誰が見ても
土人というレベルでないのに。
138 :
名無し三等兵 :2007/04/16(月) 21:54:17 ID:dWUuTcXp
ニューギニヤ、アフリカ奥地、アマゾンとかはおもいっきり「ドジン」だけどなあ
139 :
名無し三等兵 :2007/04/17(火) 01:12:20 ID:rgmOi7Bc
>>137 基本的に当時の日本型中華主義の立場では
ちょっとでも色ついてればみんな土人。
研究自体が遅れてたこともあって現地人にどんな文化文明があったかなんて関係ない
>>139 日本型中華主義
詳しく聞きたいなwお兄さんは
141 :
名無し三等兵 :2007/04/17(火) 04:24:11 ID:1W2hmUmR
ネトウヨのことだろ
142 :
朱子学万歳 :2007/04/18(水) 00:19:45 ID:???
日本型中華主義 = 皇国思想 じゃねーの? 朝鮮型中華主義 = 小中華思想 ベトナム型中華主義 = 南国思想 とか他にも色々あるけど
143 :
名無し三等兵 :2007/04/19(木) 03:15:21 ID:RpjJYbx3
17世紀、ジンバブエ高原は産出される金や象牙を狙ってポルトガルが侵出し、ムニュムタパ国の 国王もその傀儡と化していた。 ムニュムタパ王の牛の監督係だったドンボは、牛の群れをウロジの土地に移動させると、 それを元手にチャンガミレ国を建国する。 ドンボは、若者たちを集めて常備軍を創設し、弓と槍といった伝統的装備に牛革張りの円盾を 加えることで接近戦を可能とさせた。 ドンボに従う者たちは、ロジ(破壊者)と呼ばれて恐れられ、1879年にイサンドルワナの戦いで ズールー王国軍によって用いられ、近代装備のイギリス軍を壊滅させた「胸と角」戦法もドンボの 考案したものと言われている。 1684年、チャンガミレ・ドンボは納税を拒否するポルトガル人を攻撃。 これに対し、モザンビーク総督もポルトガル勢力を総動員し、両軍はマウングウェで激突した。 弓矢対マスケット銃の激戦は丸一日続いたが、夜になってチャンガミレ軍が多数の松明で、 敵を包囲する陽動作戦をとると、混乱したポルトガル軍は後退した。 1693年、新たにムニュムタパ王位に就いたニャクネムビレから援助を求められたチャンガミレ軍は、 ポルトガルの交易拠点を次々に襲撃し、ポルトガル人をジンバブエ高原から一掃した。
144 :
名無し三等兵 :2007/04/19(木) 09:02:16 ID:ZTJDFGiX
ジンバブエ人乙!! なんでアングロサクソンは追い出せなかったんだろう・・・。 ジンバブウェが独立したのって1980年だっけ?
土人土人ってバカにするけど、体系だった訓練が提供されてないだけで 知能とかが劣るって訳じゃないんだよね、当然だが
146 :
名無し三等兵 :2007/04/19(木) 12:01:46 ID:cMiXSxEx
現地人との戦いと言えば 日本軍とフィリピン南部のモロ族との戦いは凄惨を極めたらしいな
米軍は敵対していたモロ族に武器を渡してから日本軍に降伏した
148 :
名無し三等兵 :2007/04/19(木) 21:05:45 ID:FzcwrsAP
モロ族はいまもフィリピン軍と壮絶なゲリラ戦をしているね。 イスラム教徒の根性は凄すぎる。一昨日もイラクで自爆テロあったしなあ
149 :
名無し三等兵 :2007/04/19(木) 22:20:57 ID:GVi8Gb0H
>>143 実はポルトガルってあちこちで負けっぱなし。
広東では明に負け、タイ国に押し入った海賊連中は日本人傭兵部隊に一蹴され、
インド洋ではオマーンに完敗して制海権を奪回され、目と鼻の先のモロッコでは
アルカビル・キビールの戦いで惨敗を喫して国王をぶっ殺される始末。ちなみに
この戦いで国内の精鋭兵力のほとんどを失ってしまった。
まともに勝てたのは鉄器も騎乗動物もいない新大陸でのみ。弱い者いじめだけが取り得。
後のアングロサクソンなどとは到底比較できるものではない。国内経済もボロボロだったし。
なんで大航海時代が彼らに先導されたのか正直なぞ。
150 :
名無し三等兵 :2007/04/19(木) 22:53:58 ID:qzfQfM6A
>140 確か、 中国はこんなに乱れているのに、日本は平和だ →徳の有る統治者は日本の統治者なんだ!つまり、日本こそ本当の中国だったんだよ!! な、なんだって(AA略 みたいな思想があったらしい
151 :
名無し三等兵 :2007/04/19(木) 23:03:16 ID:FzcwrsAP
>>149 ポルトガル人は白人ではない(と多くの白人は判断しているらしいな)。
↑
「白人とは何か」より。
イスラム系やラテン系の奴らって一人一人は強いかもしれないが 規律とか従えなそう。 時間もルーズだしw
153 :
名無し三等兵 :2007/04/19(木) 23:11:49 ID:FzcwrsAP
ラテン系・・・ローマ帝国 イスラム・・・イスラム帝国、トルコ帝国 充分強かった時代もあったんだけどなあ。
>>150 それは水戸光圀公が考えた思想だろ?
中国大陸の王朝は秦朝以来幾度となく
その時代に蛮族と呼ばれた民族に王朝引っくり返されて来たから、
はるか昔に中国大陸より日本に移住した漢民族の末裔である日本人、天皇家こそが正統な中国の王朝だと・・・
ん?どこかの土人が騒いでる説?
民族や宗教が共通してても、南方性の性格と北方性の性格、とか結構違いがあると思うんだが・・・ あと、一人一人や少数で強いかどうかと、軍隊全体で強いかどうかってベクトル違うよな?
156 :
名無し三等兵 :2007/04/20(金) 06:51:38 ID:HS4Lj3Oo
>>149 ちゃんとフィリピンとかマラッカとか占領してるし、あの時代に世界中の端から
端までの行動圏を造り上げたのは事実。当時のどの国にも真似できないことだとは思うけど。
時代を考えればやっぱり凄くね?当時の日本が同じこと真似ようとしても絶対に無理。
157 :
名無し三等兵 :2007/04/20(金) 09:13:57 ID:QGhC2VUX
フィリピンは西班牙の植民地だろ、常識的に考えて・・・。
158 :
名無し三等兵 :2007/04/21(土) 12:24:18 ID:XxXSVV9c
>>149 負け戦ばかり取り上げれば後の大英帝国だって
しょぼく見えます。マムルーク朝の崩壊につな
がったディウの海戦。他にインドのゴア占領、
モロッコのセウタ占領。また、東南アジアの覇
者であったマラッカ王国の征服など勝利も限り
なくあります。100人ちょっとの兵力でインカ
帝国やアステカ帝国を占領するのはいくらテク
ノロジーに違いがあっても困難な事です。個々の
兵士の勇猛果敢さでも知られていたのです。あ
まり知られていませんが、南米ではほかにチムー
王国の占領など、インカ・アステカに限らず多
数の王国を少人数で征服しています。良い事で
はないですが。やっぱり当時は世界きっての強
国ですよ。
フィリピンといいアステカといいスペインの手柄を自分達のものとして吹聴する ポルトガルのチョンっぷりには辟易ですよ
でも、コステロたピサロは漢の夢なんだなぁw
訂正、訂正 「た」→「や」 XOは美味しい
162 :
名無し三等兵 :2007/04/23(月) 01:24:46 ID:hZGuIDxn
セバスチャンが無理しなけりゃずっとブラジルからの上がりで食えてただろうに
163 :
名無し三等兵 :2007/05/01(火) 00:28:24 ID:4elvJ/5z
>>158 同時代の日本が南米に上陸していたらどうなったんだろう。戦国時代最初期あたりかな。
まだ弓しかないから、スペイン・ポルトガルのようにはいかないか?
164 :
名無し三等兵 :2007/05/01(火) 01:37:46 ID:gorXX6jQ
グアラニーと仲良くなって終り
>>149 挙句の果てに、スペインと連合王国にされちまったしな。
>>163 ケツアルコアトル扱いもされないしね。
日本産の疫病を持ち込めるかどうかが、重要な鍵か。
167 :
名無し三等兵 :2007/05/05(土) 00:29:36 ID:p4g7L6ae
スペインは友好的に上陸した後 天然痘患者を置いて逃走 その後ほとぼりが冷めて天然痘で1/10くらいに人口が堕ちた時に 占領という技を使ったらしい
エコロジカル・インペリアリズムの話なら少し違う。意識的な手段としての天然痘という話では流石にスペインは無実だ。 ユーラシア・アフリカ大陸で錬成された鼻かぜやちょっと不快な熱病、麻疹、風疹その他が、その手の病気に接したことがない新大陸の人々には致命的だったの。 意識的にやらかしたのはイギリス軍。天然痘患者の使っていた毛布をアメリカ先住民に与えた。もう乾いていたんで効果は定かではない。
169 :
名無し三等兵 :2007/05/06(日) 15:54:47 ID:8cWFR5/L
鬼畜米英とは当を得ているな
仏、ポルトガル、ベルギー、ロシヤも追加
>>163 さすがにコルテス、ピサロ級の征服は無理だと思う。同時代の日本と限定するなら、
当然火器がないから。日本でも単騎の一騎打ちが主流で集団戦法は未発達だったんじゃないかな(良く知らない?)
槍兵が組織されたりしたのは確か戦国期半ばではなかったか?
インカ帝国やアステカ帝国の版図もえげつない位広いよ。まず、物量で及ばない危険がある。それに日本人も
熱帯性の疾病には強くないから、病気で行動不能に陥る兵が多発する危険性がある。
この点では、伝染病多発の中世暗黒時代をくぐり抜けたヨーロッパの方が皮肉にも有利。
まあ、日本が南米を征服してれば面白いとは、微塵も思わないけど。
しかし、豊臣政権時代に 「海(太平洋)の向こうには手付かずの広大な土地がありますよ」 と、だれか秀吉に吹き込んでみたら・・・ 朝鮮征伐の代わりに北米大陸に殖民してくれるかもww 太平洋を越えられるかは甚だ疑問だけれどさ
>>172 ウィリアム・マクニール読むと日本の疫病もそう捨てたもんじゃないぞ。
欧州並みの破壊力とは行かないかもしれないが、インカ・アステカを倒す程度の能力はある。
あと両国とも高地国家だから、熱帯性の病気とはあまり縁がない。
テノチティトラン(現メキシコシティー)で標高2240m、クスコは3360mだ。
175 :
名無し三等兵 :2007/05/07(月) 21:10:44 ID:jS2wfX+5
>>174 梅毒とか 当時もう日本にあったよね・・?
家康の息子の結城秀康?なんか梅毒でアボーンしてたし。
伝染すのが大変ですよう。 こっちが死んじまう。
177 :
名無し三等兵 :2007/05/08(火) 10:05:32 ID:csdJ/Rrr
日本人は騎兵を運用しないから中南米征服なんて無理ぽ
食尽族という映画では、ゲリラが食尽族にやられるシーンがある。 吹き矢で
179 :
名無し三等兵 :2007/05/08(火) 23:58:19 ID:Ck7hidmY
インカやアステカの武装レベルがどれくらいだったかを一度調べてみることをお奨めする。 日本がインカ・アステカに勝てない、なんて意見はネタとしか思えない。 国土が広大といっても各地の在地勢力を服属させているだけで、動員可能な兵力は実はそれほどでもない。 兵力の動員能力なら室町期の日本の方が確実に優れている。 石の鏃の矢、黒曜石の刃先の槍、投石が主要な飛び道具の一種、鉄器なし、棍棒が主力兵器の一種、馬なし、貧弱な鎧。 集団戦術も未熟、統率力の弱い中央政府。(馬を知らないから)相手が落馬したら逆に逃げ出す兵士達。 こんな相手に当時の日本が劣るとは思えない。いや日本だけでなく、これより弱い勢力を探す方が難しい。 確実に(当時の)アフリカ人勢力よりも弱小レベル。
180 :
名無し三等兵 :2007/05/09(水) 01:37:12 ID:V9R+bs6o
ハオ! インディアン、いきなりよそ者襲ったりしない。
182 :
名無し三等兵 :2007/05/09(水) 22:27:18 ID:xSqWuDTD
>>179 ハァ?知ってるよそんなことは
騎兵を使わないのは日本も同じだろうが
まさか室町時代の日本が動員した全兵力太平洋を渡れると思ってんのか?
中世なら万単位の動員ができるだけ十分強力な方だぞ
中南米の国家があっさりやられたのは旧大陸の疫病に加えて、
インカの場合は中央集権の官僚機構ががしっかりしすぎてたから
逆にトップがやられてにっちもさっちも行かなくなったというのと
アステカの場合はクワウテモックが無能だったのと、アステカ神話がスペイン人の味方をしたからであって
史実でもインカ亡命政権は八十年生き残ったが、もっと長く生き延びさえすれば
マプーチェやパンパ先住民のようにスペイン人から鉄器と馬を手に入れて
十九世紀まで抵抗するって可能性もあったんだからな
奇跡的な幸運が征服者の味方をしたからあっさりと征服されたと考える方が妥当で
船で一度にやって来れるぐらいの兵力で史実通り確実に征服できると考えるのは乱暴を通り越して無知の極み
今の日本も東京がやられたらにっちもさっちもいかないな
>>159 ポルトガルのブラジル征服は現地人との混血や同化を繰り返して緩やかに行われたから
スペイン人の征服が残したような武訓伝はないが、
ポルトガル人の、思想やイデオロギーよりも現実の利益を重視する姿勢(いわゆるジェイト、ジェイティーニョ)
がこの傾向を助け、ブラジルやマカオなどでもスペイン植民地に比べれば悲惨な統治とはならず
ブラジルが独立のした際、こういったポルトガル人の気質があったからこそ
スペイン植民地のように細切れになって独立するということがなかったという説がある
日本も韓国を一時期占領し、植民地化したけど 韓国人の激しい抵抗のせいで、撤退を余儀なくされた。 それと同じ。
>>185 釣られてやるよ
日韓併合は向うが頼んできたのだよ。
結果的に日本に併合された事により、
大韓帝国はロシアや清の植民地にならずに済んだんだから
感謝されても良いくらいだよ。
欧米諸国の植民地支配は相手国からは搾取しかしないが、
日本は自国の持ち出しで朝鮮半島のインフラを整えたりとした。
日本が朝鮮半島から撤退したのは、朝鮮人の激しい抵抗のせいでは無いよ。
というか持ち出しにならなかった植民地ってどれくらいあるんだろう? ロシアの中央アジア支配あたりは「費用ばかり掛かって不経済極まりない!さっさと独立させろ!」 とソルジェニーツィンが怒っていたのう。 イギリスのインド支配もポール・ジョンソンあたりを読むと 『イギリス人がいかに献身的に無知蒙昧なインド人への教育とインフラ整備に尽力したか』 と自慢話が延々と続いていてワロタ。
イギリスのインドとオランダ領のインドネシアは儲かったんじゃないか。
総督府を立てた政府は赤字でも進出した企業がぼろ儲けするから無問題です(^^)
190 :
名無し三等兵 :2007/05/11(金) 21:56:21 ID:RdFX6/ls
191 :
↑ :2007/05/11(金) 22:16:52 ID:cHyEMfv3
これは異例でしょうね? 朝鮮半島統治はお荷物でしたねぇ〜 ツァーか華王にくれてやるべきでした。 彼等の統治は、日本よりマシなんですか?
ソ連から格安の『友好価格』で資源を輸出する ↓ 従属国から代わりに現地の(西側には輸出不可能な品質の)工業製品・特産品を受け取る ミ,, >_< 彡 誰か何とかしてください!
>>184 スペイン領が分裂したのは、地形の理由が大きいだろうなあ
それにしても中米は細かすぎ
大コロンビア分裂の様相を見れば地形要因よりも人的要因の方が大きいと思うけど ベネズエラとコロンビアの独立前のいざこざや、 あるいは百年近く散発的に続いてるコロンビア人同士の内戦からも伺えるように 主義、主張に命をかけることをいとわないのがスペイン系 なんだかんだいって仲が悪くても、現実の利益を前にすれば妥協できるのがポルトガル系(ここらへんは日本人と似てる) 中米にやってきたのがポルトガル人だったらグアテマラ共和国で独立できただろう
>>187 タイトル忘れたけど、第一次大戦を中心に幅広く戦争紹介してるページに確か書いてあった(正確じゃないけど)。
「日本の北海道・沖縄、アメリカのアラスカ・ハワイも含めて、かつて持ち出しにならなかった植民地は
イギリスのインド以外に存在しない」
197 :
名無し三等兵 :2007/05/24(木) 04:36:59 ID:hLJbPAnM
意外と火縄銃のマフディー軍みたいなのにあっけなくやられるイギリス軍
198 :
名無し三等兵 :2007/05/24(木) 12:35:07 ID:ycLSWd5c
>>196 インドは偉大。
さすがは4大文明圏の一つ。
軍事的には強くなかったのが惜しまれる。
新大陸で奴隷を使ってプランテーション農場を経営してた植民地は儲かったよ。
カリブ海とブラジルの砂糖、今年400周年のバージニアやノースカロライナの煙草。
フランスは七年戦争でカナダを失ってもグアドループとマルティニクの回復にはこだわった。
新スペイン(メキシコ)やペルーの銀山は、あまりに儲かるのでスペイン経済の
近代化を妨げた
>>198 武器では18世紀半ばでも英国に負けなかったが、カースト制が軍隊組織の合理化を妨げた
矢とマスケットってどっちが強いんだろうな
201 :
名無し三等兵 :2007/05/24(木) 15:51:16 ID:tT3goeq4
アメリカの作家ワイルダーの「小さな家シリーズ」では、作中で先住民族が、獣と同じように描かれている 主人公の父親は、逞しく気のいい男性として描かれているが、先住民族に対しては、獣と同様の扱いで発言し 獣を狩るように先住民族を狩っていったことを話している。 ワイルダーの時代、つまり1900年代初頭のアメリカ人の先住民族への意識なんてこんなものだったのだろうな 主人公の父親が特別残忍な人間でなくとも、先住民族を狩る話が描かれているのだから これは当時の人たちには当然の感覚だったってことだ
文明兵器>>>非文明兵器>>><超えられない壁>>>ハイテク兵器
204 :
名無し三等兵 :2007/05/25(金) 07:05:47 ID:7CFKMuTa
太陽神に生きたまま抉り出した心臓をささげるような文明だったら、皆殺しにしてもかまわないってのは理解できるような気もする。
205 :
名無し三等兵 :2007/05/25(金) 22:07:26 ID:LC9VffDe
>>199 >武器では18世紀半ばでも英国に負けなかったが
さすがにそれはない。既にこの頃にはケンタッキー・ライフルなどの前装式
ライフル銃が登場していたし、発射機構は全てフリントロック式になっていた。
そもそもインドには火器がなかった。
もう弓矢で銃砲に対抗できる時代ではなくなっていた(火縄銃の時代なら弓矢
だけでも互角に戦うことも可能だったとは思う)。
>>205 お前ムガール帝国なめてんのか
象で大砲を牽引する国だぞ
実に合理的じゃないか
>>207 いや、
>インドには火器がなかった
に対して、つっこみいれてるんだろ。
インドはロケット弾も持ってたな。
インド製大砲の冶金技術は英国製より優れていた
(Stephen Peter Rosen, Society and Military Power: India and Its Armies.
Cornell, 1996)
18世紀前半のイングランド、オランダ、グジャラート(北西インド)、揚子江デルタ、
関東平野の生活水準や生産性に有意な差は無かったという議論もある
(Kenneth Pomeranz, Great Divergence: China, Europe, and the Making of the
Modern World Economy. Princeton, 2000)
>>200 司馬遼太郎が『韃靼疾風録』で描写してた。近間では満洲人の矢のほうが強い、と。
だが、農耕社会では強力な弓矢を扱う訓練をできる人数は限られる。
マスケットは弓矢に比べてわずかな訓練で使えるようになるので、
騎馬と弓矢で農民の上に君臨してきた領主階層は軍制と政治の改革を迫られた。
一方、日本の領主階層は刀狩をして国を閉ざした
司馬か
211 :
名無し三等兵 :2007/05/31(木) 04:16:03 ID:vpAu4Zgb
英国厨の反論マダー?
弓とライフルって当たったときの威力はどっちの方が高いのかな?
>213、7.62で10g初速800、弓は100g初速50、 だいたい鉄砲のタマが3倍のエネルギーってことかな 今の小銃だとほとんど同じくらい、ゼロ距離なら弓のほうがやばいかもしれんが
そろそろageてみる。
216 :
名無し三等兵 :2007/06/21(木) 09:29:05 ID:JbE0PRQG
>>213 一応だけど、火器がでるはるか前の新石器時代の道具ですらやりようによれば凄まじい威力を発揮する。
投槍用と投擲道具アトゥラトゥル(矢を投げるときに用いられる棒状の道具)は、弓矢以前の道具だが、
アフリカで死んだ象さんで実験したら、皮膚を貫き、内臓まで達したという実験結果もある。
実際、新大陸へ、上陸したヨーロッパ人がアトゥラトゥルで殺された事実もある。
他にもスリングは人体を貫通したという信じられない報告もあったりする。
鉄砲は登場初期から結構な時間がたたないと弓などには圧倒的有利はもてなかった。
ちなみにコルテスはチノティラトン攻撃時に大砲だけではなく、現地で投石器をつくってるし、
ピサロはクロスボウ部隊もつれていってる。
>>172 >日本でも単騎の一騎打ちが主流で集団戦法は未発達だったんじゃないかな(良く知らない?)
鎌倉末〜南北朝時代以降集団戦法が発達して、15世紀後半には長い数鑓で足軽同士が
叩き合うお決まりのスタイルが確立されています。
>>174 日本に最初に梅毒が伝わったのは、なんと永正9年(1512)と言われています。
鉄炮伝来が1542年ないしは1543年なので、30年早い。
1494年には、スペイン経由でフランスやイタリアまで広がっていますし・・・。
中国では広東瘡、日本では唐瘡や琉球瘡と呼ばれました。
ドイツではポーランド病と呼ばれ、ポーランドではドイツ病と呼んだ。
イタリアではフランス病と呼ばれ、フランスではイタリア病と呼んだ。
ロシアではポーランド病と呼ばれたものです。
>>209 >一方、日本の領主階層は刀狩をして国を閉ざした
刀狩は武士・侍(騎乗できない足軽身分の呼称)の身分標識として刀を挿す
ことを確立させようとしたもので、実際には百姓でも刀・鑓・鉄炮は已然と
して所持していましたからね。武器を恐れて取り上げたというよりは、建前
上治まっていれば、文句はなかった。
それも、17世紀半ばに出された法令では、「町人の二本挿しはかまわない
が、目立つような格好はするな」というので、かなりゆるい。
(江戸時代といっても、時代劇に出てくる風俗は19世紀のもの)
17世紀中までは、武士も百姓(庶民の意)も武力に頼っていた。
権力者の側も、つつしめと言ってはいるものの、根絶は狙っていません。
鎖国というのも、順次段階的に行われた政策の結果を、ヨーロッパ人が呼称
したのが、幕末に翻訳された用語ですからね。近年は「 」付き。
国内の安定を志向したのは事実でしょうが、一行で言えるぐらいまとまった
意志が最初から存在したのかというと疑問です。
時代劇って文化文政の風俗で作られてるんだっけ。
寛政と書いているのもどこかで見たことがありますが、大体文化以降、元治
までの風俗が中心だと思います。
家康や秀忠や家光の時代が舞台でもそのままですからね。
寛文や元禄はそれなりに特色があるのに、やはり化政文化の写し。
信楽焼の狸酒買も幕末に始まったのに、寛永年間に出ていたりします。
ズールーあたりの話をするはずが、変な方向に向かってしまい、申し訳ない。
>>208 インドの大統領がインドの将来について書いた本の中で、「今はインド人で
すら昔から欧州に負けていたと思っている」と嘆いて、ある宴席でインドで
イギリス相手に最初に鉄筒式のロケットが使われたと言ったらインド人から
「フランスからの輸入品でしょう」と言われたので、欧州人の研究者が書い
た本を持ってきて説明したという逸話を紹介されていますね。
ロケットを製造・使用したのはマイソール藩王国でしたが、アウラングゼー
ヴの軍隊を見ても、火器はかなり充実していたようです。
同時代のフランス人からは、寄せ集めで統制がとれておらず、ヨーロッパ式
の軍隊で蹴散らせると踏まれていますが。
220 :
名無し三等兵 :2007/07/01(日) 17:14:05 ID:IuRx0UJC
久々に見たら山野が書き込んでてワラタ
222 :
名無し三等兵 :2007/07/05(木) 23:53:39 ID:vBUwWrwA
>>219 兵装が優れていた?としても、実際には負け続きだった。まあ、インドだから。
個人的に南方の国家はあまり強くないというイメージを持っている。気候が
温暖で食料が豊富だから、他人から略奪する必要性がなかった。
北方の人種は、歴史上何度も略奪合戦を繰り広げてきて、そういったことに適した
人間が生き残ってきた経緯がありそうだし。
歴史的に見てもインドはカイバル峠経由で良く侵略されてきたけど、逆に侵略し返し
たことは一度もないよね。個人的には良いことだと思っているが。
ブッダ、ガンジー、クリシュナムルティの国だし。インドの拠ってたつ所は知にあって
武ではない。
日本からするとチョン・チャンコロはマジで土人だった。
>個人的に南方の国家はあまり強くないというイメージを持っている。 同意w モスリムもしょぼいってイメージもあるけど、それはアフガンとかペルシアとかトルコじゃなくアラブかな? あと山岳民族はゲリラ戦というか歩兵の戦闘は強いってイメージあるけどどうよ? グルカ・チェチェン・アフガンとか
あー、でも雲南とかはよく南方から侵略されるな 正に南蛮
南インドのチョーラはさらに南のセイロン・モルジブ・マレー半島・スマトラを 征服した
>>223 米軍兵士から日本兵をみると、やっぱり同じ感想だろうな。
竹槍もって、喚声上げて突っ込んでくるんだぜ?
竹槍もって突撃のソースプリーズ
正確には、本物の竹槍ではなく、木の棒に斜め切りした鉄パイプを接いだものらしいが、 海軍の設営部隊中心に実際に使われたようです。 硫黄島に空中投下されたという話もありますが、真偽不明。 本土決戦用にも、本物の竹槍含め相当数が生産配備されたといいます。 陸軍部隊でも「愚者の棒」こと木の棒に銃剣結びつけた槍とか、ありますね。 ただ、喚声上げて突っ込むほど元気があったかどうか? まあ、英国だって、本土決戦用に槍とか棍棒作ってたんだから、本当です。
ホームガード・パイクは少し経てばステンガンを山ほど配れるのが判った上での繋ぎ武器だが、日本の竹槍には後がない。本質的な所が食い違ってるぞ。
敵さんの証言で日本軍が槍もって…というのは無いわけか。
愚者の棒なら、ロバート・シャーロッド「サイパン」に出てくる。 米軍の従軍記者の書いた本。 あと、日本軍の場合、将校はサムライサーベルかざして突っ込んでくるなw
結局刀と槍で闘うドキュソw 江戸時代と変わらん
>>231 日本を馬鹿にしてはならん。
近接戦闘用の竹やりの他に、中距離戦闘を予想して弓を配備していたぞ。
>>235 弓矢VS火砲・・・
蒙古襲来絵巻のパクリだなw
絵詞
競技用とはいえ弓道の弓でも充分な殺傷力があるらしいな。 俺は袴フェチなんで弓道の女の子に射られる場面を想像して抜いたら「死ぬぞ」「変態」といわれた。
弓道部の中で袴姿のおにゃのことB行為に及べた漏れは勝ち組。 そうなりたきゃ県で優勝できるくらいの実力付けないとな。
>>238 バカめ。俺なんか弓道の女子中高生の的になり(勿論全裸にされている)、股間を射抜かれる妄想をして居るぞ。
はっきり言って貴様はまだ甘い。
○シャカが死なないようにした方がいい。
中二病史観とでも名付けるか
これって中二病なんか?
>>235 対本土上陸に備えて投石器も海岸線に配備してたぞ。爆弾を投げつける予定だったらしい。
弓とPIAT、どっちもどっちだけどな
>>245 歴史的に考えて、日本に投石機なんかあったっけ?
昭和になってから発明したのか?
248 :
名無し三等兵 :2007/07/16(月) 00:15:59 ID:k3q5UDIv
チリのマプーチェ族、ウルグアイのチャルーア族は南米のインディオの中でもよく戦い それぞれコンセプシオン市とブエノスアイレス市を破壊してる
>>247 昔、丸だったかで読んだ話だが
50kgの爆薬をシャーマンに投げつけろと命令された予備役大尉、
娑婆じゃ考古学者やってたそうで、ローマ軍のカタパルト復元して投石器作ったそうな
さすがに使うことがなくてよかった、と感想が書いてあったはず
海岸線に並べるほど配備はしてないんじゃないかな
>>249 ちょw
2000年前にタイムスリップかよw
きっとその予備役大尉は、 揚子江近くの動物園では、ライオンがヒョウの檻に入り 出られなくなっています。 繰り返します・・・ というラジオ放送で召集されたのだろう。
252 :
名無し三等兵 :2007/07/21(土) 02:47:49 ID:EXnf+egi
>>145 劣ってるだろ
劣ってないとあんな野蛮な生活は続けられない
と、願望を書く厨房であった
土人は知能が劣ってるから文明的な生活もできないし文明的な体制を見いだすこともできない 奇麗事ではなくきちんと事実を認めるべきです これは差別ではありません
あと、アフリカ土人ふぜいのエチオピアと大日本帝國を一緒にするのは失礼極まりない レベルが違いすぎますよ
弓道やってた香具師が言った言葉。 「これほど役に立たない武道もない」 確かにそうだろう・・かつての主役も街中で撃つ訳には・・・・・
世紀末になればモヒカンの人とかを倒せて 頼りになると思うよ。
つ二指真空把
260 :
名無し三等兵 :2007/07/22(日) 08:27:57 ID:835Iu1XL
>>236 蒙古襲来は、弓矢VS弓矢の戦いだよ。
だから弓の性能で勝る日本軍が2回とも圧勝した。
「てつはう」は元軍が逃走する際に煙幕を張るための道具。
蒙古襲来絵詞で「てつはう」が炸裂しているのも、武士の弓攻撃によって血まみれになった元軍が
逃げ回っている場面。
元寇の時の弓の性能ってどんな感じだったの? 元の弓は短弓で騎射可能で連射は効くが射程は短い。 日本のは長弓で射程が長く命中率も良いが発射速度が遅い。 って感じでOK?
戦闘が集結した後に武功をアピールするために書かせた絵画なんだから、勝ってる所しか描かせないだろ常識的に考えて…
>>261 モンゴル研究者の杉山正明はそう書いてるね。
>>262 蒙古襲来絵詞は御恩奉行として恩賞の査定を行なった安達氏を追悼するために書かれた。
事実を歪曲して勝ってる所しか描かせないなんてことをしたら、亡き安達氏に対して
追悼どころか当て付けみたいじゃん・・・
>>222 以前、「中国は傲慢だ、中華思想だと言うが、仏教を受容し、学びにも行っ
た。一方、インドは中国から何を学んだのか」という記述を読んだことがあ
ります。
この意見に全面的に賛同する訳ではありませんが(仏教の立場から中国を辺
土とすることへの抵抗、インドの紙や火薬の受容など)、どうも外部の世界
は「ムレーッチャ(訳の分からぬ言葉を話す連中」扱いで、あまり関心を持
っていなかったというか、価値を認めていなかったようですね。
ギリシャ人が侵入してきた時、基本的には馬鹿にしていたものの、唯一驚愕
して学習に勤めたのが、当時の占星術だったそうで。
仏教で南瞻部州といえば、今我々がいる世界のことですが、元々はインド亞
大陸のことで、外部は人種も異なる異世界扱い(中国では南瞻部州が中国大
陸の呼称となっているのが、らしいと言えばらしい)。
>>247 『日本書紀』に朝鮮半島からの献上記事がありますし、十世紀までは知識人
なら心得ていたようですが、実態は伝わっていませんね。
前九年の役で、敵の籠もった柵に石で攻撃したということですし、かつて設
置されていたという大宰府と陸奥の内、緊張感の持続していた後者には長く
存続していたものかもしれませんが。
>>260 >「てつはう」が炸裂
傍にいる三人の元軍の兵もそうですが、炸裂している弾は、江戸時代に描き
加えられたもののようです。それに、血まみれにはなっていなかった筈。
>>261 かつて、モンゴル兵は騎乗用の短弓と下馬した際に用いる長弓を使い分けて
いたそうですが、この時期の混成軍は、何を使用していたのでしょうか。
日本側は多分三枚打弓を使用していたのだろうと思いますが、これも威力が
よく分かりません。そもそも、復元できるのかも。
刀伊の入寇時には、刀伊の方が優勢だったそうですが、あの時期は日本側も
せいぜい伏竹弓が出てきた頃でしたからね。
>>263 嘘をついたつもりはなかったでしょう。当時の歴史書には、平気で数十万の
兵力などと書かれていますし、記述も一次史料と比較すると大幅に偏ってい
ますが、嘘をついたという意識はなかった筈。
編纂された史書や縁起の大袈裟かつ有利な表現は、嘘とは別個の範疇で容認
されていたように思われます。
追悼で描かれたものであり、絵詞中で日本の神の加護を得て戦ったことが言
明されている以上、無様に描けたはずもありません。
>>265 江戸時代に描き加えられた元兵は血まみれにはなっていないけど、元々描かれていた
オリジナルの元兵は血まみれになってるじゃん。
日本の史書でも高麗の史書でも、元軍が戦って負けたと書いてあるのに、蒙古襲来絵詞
の内容が嘘だと疑う合理的な根拠なんか無いだろ。
スレタイトルに戻って。
>>248 で既出(マプーチェ族)でしたが、チリのアラ
ウカーノ族の抵抗というのがすさまじいものだったそうで、インカにも征服
されずにいた彼らは、1536年にスペイン人と初接触した後、1540年
にはマタカマ砂漠を越えてきたスペイン軍に敗北したものの、1550年に
はこれを撃退し、その後も数千人規模で抵抗を続け、植民市の破壊を繰り返
しています。
1553年には首長のラウタロが捕虜になっているものの、彼は馬丁となっ
てスペイン人を観察した上で戦術を練った上で、同年脱走・帰還しています。
やはりこの年には戦死してしまいましたが、勇猛果敢ぶりはスペイン側にも
驚かれ、「高貴なる野蛮人」として詩作の題材にまでなりました。
その後、1599年には一応休戦と境界線の確定が定められ、スペインと再
戦したり、スペインと手を組んでオランダと戦ったりしながら、チリに凄惨
な方法で鎮圧される1881〜1883年まで抵抗を続けています。
南方熊楠は、「アウカインジアン」が短兵をもってスペイン人の騎馬鉄砲に
勝利したは、敵も歌を作って賞賛したと『十二支考』で述べ、真田幸村(信
繁)の戦いぶりになぞらえています。
彼の生きた時代まで戦っていた訳ですし、興味も惹かれたでしょうね。
268 :
名無し三等兵 :2007/07/22(日) 13:28:42 ID:ut3DBlZa
>>266 これは失礼。盾の下になった人物と、矢を背に受けた人物、確かに流血して
おります。仰る通り。
>元軍が戦って負けたと
文永の役に関して言うと、『元史』には「官軍不整又矢盡惟虜掠四境而帰」
とあり、日本軍の精強に関わる文章はないようです。高麗側の記録を見ると、
「策痩兵戦大敵非完計也不若回軍」となっており、手ごわい印象を受けたと
いうようになっていますが。
ただ、それで
>だから弓の性能で勝る日本軍が2回とも圧勝した。
>「てつはう」は元軍が逃走する際に煙幕を張るための道具。
という結論に至る理由が分かりません。敵が撤退した=圧勝したというのも。
それに、『蒙古襲来絵詞』自体は、あくまで竹崎季長個人を中心に描いたも
のであって(そもそも、蒙古襲来だけがテーマではなく、後年付加されたと
おぼしき現行の名称が相応しくないとは、屋代弘賢も言っていることですが)
、戦場全体の様相を俯瞰できる訳でもありません。
それに、世界史上を見わたして見ても、外敵を撃退した後で描かれた絵画の
中で、主役となる人物や、自国の側を不利に描いた作品などなかったと思い
ます。苦戦は描かれますが、最終的に勝利することが前提でした。
>>269 文永の役にかんする高麗側の記録
「十月、金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壱岐戦敗、軍不還者萬三千五百餘人」。
戦って負けたと書いてあるじゃん。
「元高麗紀事」耽羅至元九年十一月十五日条によれば、元軍はあらかじめ大宰府到達には2〜3万の
兵力が必要との情報を得た上で、その通りの兵力を投入したにもかかわらず、文永の役で大宰府に
指1本触れることができずに敗退。
弘安の役では、更に14万もの大軍をつぎ込んだのに、またしても大宰府に到達できずに敗退。
これが日本の圧勝じゃなくて何さ?
あと、「てつはう」に使用法については、日本側の記録に「逃る時は鉄放を飛して暗く成し」と書かれている。
それから「敵を撃退した後で描かれた絵画」が「最終的に勝利することが前提」になるのは、現実の結果が
勝利なんだから当たり前だろ。
>>267 補足ですが、マプーチェ族は初代チリ総督ペドロ・デ・バルディビアをはじめとして、
多くのスペイン人総督(マプーチェはウィンカと呼んだ。ウィンカはインカの転訛)を打ち破りました。。
ラウタロの軍隊には既に3000人ほどの騎兵がいたらしく、
休戦後の17世紀から18世紀にかけてはビオビオ川を国境線にして
アルゼンチン側のパタゴニアに進出し、パタゴニア側の先住民を従えた大国となったようです。
マプーチェがインカ、マヤ、チブチャ、アステカのように文明的な
民族ではなく、部族国家だったのが逆に良かったらしいです
チリ独立の時に独立を目指す秘密結社ラウタロとかカウポリカンとかが
できますが、これもチリのアイデンティティをインカ、スペイン両帝国を破った
マプーチェ族を南米人のアイデンティティにしたかったからのようです。
なおアラウコ(アラウカーノ)はマプドゥングン語で「泥水」を表し
マプーチェ族が自称することはないようです。
272 :
あげ :2007/07/29(日) 23:28:43 ID:???O
あげ
273 :
名無し三等兵 :2007/08/02(木) 18:05:16 ID:oWgM2iKj
英国厨の反論マダ―?
人喰鉄道という本を読んでマサイ最強だと思った。
275 :
名無し三等兵 :2007/08/05(日) 20:32:13 ID:CYVJc7pO
同意。 きゃつらは槍1本でライオン1匹仕留める。 片やどっかの国のハンターは銃を持っていてもクマーの餌食。
276 :
名無し三等兵 :2007/08/06(月) 23:47:41 ID:mWVmTqXt
山野野衾逃亡age
277 :
名無し三等兵 :2007/08/09(木) 06:10:42 ID:tAoSAPIe
>>270 氏も書いてある通り、あれ程の大軍をつぎ込んでながら大宰府に指一本に触れる事すら出来なかった元軍は雑魚。
こんな奴らに征服されたアジア、中近東、ロシアの連中も弱すぎる。
当時の世界最強は日本でFAだろ。
元軍のメインは、手下の朝鮮人だろが・・・ そら弱い罠。
>>278 高麗史によれば元軍の構成は蒙漢軍2万5千と高麗軍8千
「手下の朝鮮人」は戦闘員の4分の1に過ぎない
どういう計算したら約1/4になるわけ? 元25000+朝鮮80000=105000 80000/105000=16/21≒76%
日本の精神力は世界一ィィィィィィィィィ!!!
282 :
名無し三等兵 :2007/08/09(木) 15:47:13 ID:qQA//Yln
どちらにしても元寇は神風抜きでも日本の完全な圧勝だろ
モンゴル人は指揮官だけで ほとんどは旧金や旧南宋の弱兵だよ 南宋の場合、戦闘に使えない病人や老人ばかり選抜して 棄兵として処分のために送り込んとのこと
285 :
名無し三等兵 :2007/08/09(木) 16:57:10 ID:qQA//Yln
satanpazuzuさんは何か勘違いしているようですね。 元寇は鎌倉武士が合戦で元軍に圧勝した出来事ですよ。 1回目の文永の役で元軍が博多を襲撃した旧暦10月20日は、新暦では11月26日で台風シーズンではありません。 実は、「文永の役は台風に救われた」などというデタラメが学校で教えられるようになったのは、戦後GHQのもとで作られた第七期国定教科書『くにのあゆみ』からなのです。 文永の役については日本の史書の『鎌倉年代記』にも、敵側の史書である『高麗史』にも、はっきりと「元軍が合戦で負けた」と明記してあります。 一方、2回目の弘安の役では、元軍は6月6日に博多を襲撃したもののあっさりと撃退され、それから7月30日に台風に遭遇するまでの約2ヶ月間、九州近海を鎌倉武士の猛攻から逃げ回っていました。 武士に連戦連敗の元軍の将軍たちは、顔をあわせる度に撤退の相談ばかりしていたと、敵側の史書である『高麗史』に書いてあります。 元寇の際、元軍は鎌倉武士の優れた戦術や武器に、手も足もでなかったのです。 >>>>>>>>>>>>>>> 追記させて頂くと元軍の大半が、「半島人」でした。 その為士気も落ちていました。 あのモンゴル兵が、あんなに弱いはずない。 日本を舐めていたんでしょうな。 鎌倉時代の日本人は、 平均身長も180センチを有に超えており、 体格的にも屈強な武士ばかり。 時は流れ、戦国時代のころは、 鎌倉時代に比べ20センチ近く平均身長は低くなった。 しかし秀吉の起こした朝鮮の役のとき、 日本の宣教師は、スペインの本国に、 「世界最強の軍団が動き出した。 防御の体制を」なる手紙が送られました。 家康が秀吉の事業を引き継いでいれば、 世界は一家人類はみな兄弟になったいた。
286 :
名無し三等兵 :2007/08/09(木) 16:58:36 ID:kuqxDPkj
とりあえずWikipediaでも見てみるわ
モンゴルも人材不足だよな。
>>287 そのサイトの数字には史料の裏付けがまったくないよ
諸説あるようだが、どんなもんだ
敵味方双方の史料に「元軍が戦って負けた」と書いてあるのに諸説あるのがおかしい。 戦後の歴史研究は日本が勝った戦争を負けたと伝える逆大本営発表。
モンゴル兵がほとんどいなかったってのは聞くが、その内訳のことだよ それはそうとWikiの元寇の説明は面白いな 矢がすぐに尽きたとか初めて知った
補給と兵站は重要だよな。
>>敵味方双方の史料に「元軍が戦って負けた」と書いてあるのに諸説あるのがおかしい。 高麗史以外、つまり元人自体によって書かれた元寇の史料って存在しますか?
高麗史が信用できないと?
296 :
名無し三等兵 :2007/08/10(金) 21:58:27 ID:ODA4S7bw
山野野衾は本当に逃走したのかw 偉そうな割にショボすぎw
297 :
名無し三等兵 :2007/08/11(土) 07:24:41 ID:BBSWrpVy
>>285 日本の有史上、現代人がズバ抜けて高いのです。
もっとも日本に限った事ではありませんが、
中世のイギリスの雲つく大男と言われた王の身長が175cmで「少し小柄な女性」といわれたその妻は136cmであったと推定されてます。
なぜなら、豊富な食事や発達した栄養学などから身長が高くなるわけです。
近代以前は米が万能の食品として考えられ、乳幼児に重湯だけ飲ませるような恐ろしいことも行われてました。
あと「鎌倉時代や南北朝の武士が身長が高かった」という説はありますが
それもあくまで現代よりかなり低い数値です。
坂東武者や当時の人物が高身長だったとは言いますが、
180cmとかそこまではズバ抜けてはいません。
ちなみに源義経の身長は鎧から推定して150cm程度だったそうです。ただし彼は「小柄だった」といわれてはいますが。
日本人の平均身長移り変わり
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/sintyou.htm http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub201.htm http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/123.html 補足
ただし、武士階級の人物が経済的に裕福で食事の量質も優れていたので
他の階級に人間よりも幾分は大柄だったという事は考えられます。
昔の日本は現代のような総中流社会ではなく、食うや食わずの生活をしてきた
大多数の民と武士階級には身長差があるとも考えられます。
なんせ当時の日本の95%が農民だったわけですし、農民の中でも富農や半士半農の裕福な農民もいたでしょうが、
当時の記録では「毎年、農民が餓死したとか年貢が払えず処刑された」とかいう記述もあります。
ましてや経済的に最も裕福であると考えられる武将や有名人物をを基準に
全体を把握するのは少々、無理があるかもしれません。
ようするに有名人物より大多数の民の方がずっと身長は低かったと考えられます。
298 :
名無し三等兵 :2007/08/11(土) 07:27:11 ID:BBSWrpVy
>>285 氏は
あちこちで「鎌倉時代の日本人の平均身長が180cm」だったという
デンパを撒き散らしてますね。
ひょっとすると武士階級が少々、デカかったのは事実かもしれませんが、
それでも「平均180cm」って事はないでしょう。
299 :
名無し三等兵 :2007/08/11(土) 09:50:08 ID:w8J1dM+l
>>297 鎌倉時代の武士の鎧や刀から推測して身長が180ぐらいあるのは別に有名な話だし。
イギリスの貴族階級とかもっとでかい人いっぱいいるでしょ。
300なら能登麻美子がウィッチブレイドの天羽雅音のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら川澄綾子がFate/stay nightのセイバーのコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら折笠富美子がスクラップド・プリンセスのパシフィカのコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら柚木涼香がうたわれるもののエルルゥのコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら千葉紗子が舞-HiMEの玖我なつきのコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら田中理恵が機動戦士ガンダムSEEDのラクスのコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300ならゆかながコードギアスのC.C.のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら高橋美佳子がグレネーダーの天道琉朱菜のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら釘宮理恵がゼロの使い魔のルイズのコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら斎藤千和がARIAの藍華のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら中原麻衣が舞-HiMEの鴇羽舞衣のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら清水愛がおねがい☆ツインズの小野寺樺恋のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら森永理科が瀬戸の花嫁の銭形巡のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら植田佳奈がFate/stay nightの遠坂凛のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら生天目仁美が一騎当千の関羽雲長のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら伊藤静がゾイドジェネシスのコトナ・エレガンスのコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら佐藤利奈がギガンティック・フォーミュラの神代真名のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら下屋則子が神無月の巫女の来栖川姫子のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら大原さやかがARIAのアリシアさんのコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら佐久間紅美が極上生徒会の桂聖奈のコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら小林沙苗がエルフェンリートのにゅうのコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら清水香里がヒロイック・エイジのアネーシャのコスプレでアナルセックスさせてくれる。 300なら豊口めぐみがBLACK LAGOONのレヴィのコスプレでアナルセックスさせてくれる。
>>292 その「モンゴル兵がほとんどいなかった」ってのも酷い話なんだよ。
モンゴル軍はチンギス・ハンの時代から多民族混成軍。
だから、どの征服戦争でもモンゴル軍には「モンゴル兵がほとんどいなかった」。
戦後の研究者たちは、そういうモンゴル軍の知識の無い人たちに、あたかも元寇の
元軍が特殊な編成だったかのように「モンゴル兵がほとんどいなかった」を使う。
挙句に、「被征服民で構成されていたから元軍の士気が低かった」なんて、それが
敗因であるかのような言い方すらする。
実際には、モンゴル軍の征服戦争に参加することは義務というよりも、権利だと
考えられていた。
モンゴル軍の一員として征服戦争に参加すれば、勝利の後には大きな権益が手に
入るからね。
高麗が無理やり参加させられたなんてのも完全な嘘で、本当はむしろ高麗の方から
元に日本侵略をしつこく要求し続けていたのに。
302 :
名無し三等兵 :2007/08/11(土) 19:01:26 ID:BBSWrpVy
>>299 いや「昔としては高かった」「現代人なみに高かった」というくらいの説はありますが、
平均180cmってのはかなりデムパです。
あと欧州においても昔はイメージとは違い
非常に身長は低かったです。
近代に乳製品の普及で身長が伸びたそうです。
303 :
名無し三等兵 :2007/08/11(土) 19:02:39 ID:BBSWrpVy
304 :
名無し三等兵 :2007/08/11(土) 19:11:33 ID:BBSWrpVy
305 :
名無し三等兵 :2007/08/11(土) 23:38:44 ID:DtOlWjf2
>>301 日本の大勝利を貶めたいサヨ研究家の仕業だろ。
日本は当時世界最強のモンゴル軍とガチで戦って圧倒的な勝利を収めた。
これが真実だ。
上陸した数千のモンゴル兵と互角以上に戦い勝利した訳だから凄い 例えモンゴル側は騎馬抜きの状態だったとは言え。 でも、元寇が150年時代が早かったらあっけなく全土占領されただろうなぁ
馬が無いモンゴル兵なんて航空支援が無い米軍みたいな物。
その「モンゴル側は騎馬抜きの状態だった」というのも嘘。 八幡ノ蒙古記 「其中に、大宰少弐三郎左衛門尉景資殿を、日大将軍として待かけたるところ、 十月廿日未明より、蒙古陸地に、おしあかり、馬にのり、旗をあけて攻かかる」
>>306 150年早かったら、モンゴルは草原の弱小勢力にしか過ぎないので、その仮定は無意味
派生・・・じゃないのかな
311 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 06:08:01 ID:aH5FkIZs
>>308 騎馬隊があったとしても少数だろうし、
真価が発揮できる状況であったとも思えません。
少数とは? 真価が発揮できる状況とは? モンゴル・元軍の強さは騎馬兵のみではない。
>>311 元軍が上陸した博多湾の海岸から攻撃目標の水城・大宰府までは福岡平野が広がるオープンスペース。
騎馬隊が真価を発揮するのには正に理想の環境だな。。。
戦後の歴史研究者が元寇について書いてる本なんか内容がトンデモ過ぎて真面目に読むのが アホらしくなってくるぞ。 例えば今年4月に出版された新井孝重『戦争の日本史7 蒙古襲来』吉川弘文館。 P57 「弓は短弓で飛距離は200bもある。日本の長弓の二倍はあった。」 この記述の元ネタは1965年に出版された黒田俊雄『日本の歴史8 蒙古襲来』中央公論社。 文庫版P98〜99 「ところが、元軍の矢は二町(220メートルぐらい)ほども射程があるので、(日本側の矢は 有効射程100メートル以内とみてよい)、味方にたちまち二人手負いが出た。景隆らは城 (といっても簡単な館だが)にたてこもって防戦したが、衆寡敵すべくもなくついに城の内で 自害した。」 何故か日本の弓の「有効射程」と元軍の弓の「射程」を比較しているだろ。 「有効射程」が「射程」より短いのなんて当たり前なのに・・・ こんな当たり前のことに42年経っても気付かないのが戦後の元寇研究のレベル。
>>314 日本人なのになんでここまで当時の日本が世界最強だって認めたくないんだろう。
本当に日本人なのか?帰化した在日か何かじゃないかと勘繰りたくなる。
日本弓とモンゴル弓の射程についてバイアスがかかってない資料って何かある?
>>316 願望と現実を混同するのも困りものだけどね
319 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 16:10:26 ID:p/OHlcXc
>>318 日本は騎兵の機動力を最大限に発揮出来る福岡平野が広がるオープンスペースでモンゴル騎兵を叩き潰したんだが?
両方の史料にそう書いてあるんだから間違いないだろ。
321 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 17:36:13 ID:p/OHlcXc
>>320 そこでも鎌倉武士の最強が完全に証明され日本弱い派は完全に論破されてるな。
戦後の元寇の研究家は全員晒し者にしろ。
散々歴史を捏造した来たこれらの賊は歴史家と呼ぶに値しない。
元軍は海岸線に橋頭堡を確保後、内陸数百メートル〜数キロ程度まで進出したところで、日本側の部隊に足止め食らってるよ。 というか見渡す限りの平野で戦闘なんかしたら日本側が少数で伏撃して足止めなんか出来ませんがな。 で、そうこうしている内に夜になるん海岸に引き返すというパターンが延々と続いたあげく補給切れてアボーン。
323 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 18:03:34 ID:p/OHlcXc
モンゴル軍はいわば一般人しかいない世界でのヤムチャ。
ロシアや中東の雑魚を相手にイキがっていたが日本と言うベジータに粉々に粉砕されただけ。
当時の世界最強が日本なのはどう足掻いても認めざるを得ない真実。
13世紀における世界の軍事力のランキングはこうだろう。
日本武士>>>>>(やるせない壁)>>>>>モンゴル>>>>>(越えられない壁)>>>>>イスラムの雑魚>>>>>(文化の壁)>>>>>キリスト教の雑魚
>>322 なんでそこまでして日本の圧勝を認めたくないんだ?
3万3千のモンゴル騎兵を5千で正面からガチで戦い圧勝したのが事実。
戦後のエセ研究家じゃなく一次史料を読め。
3万3千のモンゴル騎兵(笑)
325 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 18:15:41 ID:p/OHlcXc
俺は教科書を監修する事になったGHQの人間は 「劣等人種のジャップが当時世界最強のモンゴル軍を打ち破った等あってはならない事だ。 モンゴル軍は世界最強なだけでなく中東やヨーロッパにまで攻め入り白人の宿敵イスラムを散々に負かした。 そんなモンゴル軍がジャップに負けたとあっては間接的に白人がジャップに劣ると認める事になる。 そんな事はあってはならない。」 この様に考えたと思う。 これが何故GHQがモンゴル軍大敗の真実を歪曲したか最もうまく説明出来る。 だが解せないのはなぜ日本人の歴史家までが占領が終わった後にまでこんな歪曲に加担し続けたのかと言う事だ。 おそらく左翼教育によって日本軍を賛美してはならないと言う意識が刷り込まれたのだろう。 こと元寇に関しては専門家は一切信用してはならない。 一次史料のみを見て判断を下すアマチュアだけが信頼に足るのだ。 この様な通常の歴史研究から見れば異常としか言えない事がまかり通る戦後の元寇研究はまさに異常だ。
326 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 18:18:59 ID:p/OHlcXc
>>324 八幡ノ蒙古記
「其中に、大宰少弐三郎左衛門尉景資殿を、日大将軍として待かけたるところ、
十月廿日未明より、蒙古陸地に、おしあかり、馬にのり、旗をあけて攻かかる」
そんなスリーハンドレッドの世界じゃあるめえし
とにかく、地元で守備について侵攻軍を追い返したからといって そこまで強いことになるのだろうか。
同時代の多くの国が出来なかったことであるのは確かだな
330 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 18:45:53 ID:p/OHlcXc
>>328 58 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2007/03/28(水) 05:24:34
>>56 対馬海峡を超えて戦力投入することなんか、大昔から誰も苦労なんかしていないぞ。
391年に日本から朝鮮半島に渡った軍勢は、新羅・百済を征服。
663年の白村江の戦いでも、日本から2万7千もの大軍が朝鮮半島に渡っているし。
現実に文永の役でも弘安の役でも、普通に万単位の元軍が渡航してるじゃん。
その結果、ヨーロッパで西欧騎士軍団を壊滅させた蒙古騎兵は、鎌倉武士に完敗したんだから、
鎌倉武士>蒙古騎兵>西欧騎士軍団。
91 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2007/04/02(月) 15:10:00
>>90 戦地図を見たんなら分かると思うが、元軍の上陸した志賀島に大軍を投入する
ことなんか出来ないよ。
日本軍は志賀島で迎撃態勢を整えたた元軍に対し、圧倒的に少ない兵力で攻撃
しながら連勝し、博多湾からの撤退に追い込んでいる。
武士の戦闘力が元軍を遥かに凌駕していた証拠。
204 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2007/05/05(土) 19:16:04
>>203 文永の役では蒙古33,000に対し日本5,000。
それだけの兵力差でたった1日で蒙古逃げ帰る。
撤退中に荒波に遭遇して更に惨めな姿に。
残された連中、皆殺し。
蒙古の戦術、鎌倉武士軍に通用せず。
-----------------------------------------------
なんでそこまで日本を貶めたいのか知らんが、兎に角残念でした。
お前は
「元軍は、渡海するのが大変だった。」
(日本弱かった派は、元軍が圧倒的に不利だったと言いたいらしい。4世紀ころからの軍団の渡海の歴史を知らず、無知をさらすばかり。
今日の定期航路のように随時渡海できるわけではない。しかし、それと軍団の渡海との区別がつかない馬鹿っぷり。)」派に相当するな。
331 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 18:47:21 ID:p/OHlcXc
「元寇の際に武士が一騎打ち戦法で戦っていたなんてことはあり得ない」 こんなちょっと考えれば誰でも分かることを、日本史研究者の誰も気が付かなかったはずがない。 気が付いていても真実を正直に言うことがタブーなんだと匂う本がたまにある。 例えば中世合戦についての著書を何冊か出している近藤好和。 治承・寿永期までの戦闘を扱った『弓矢と刀剣 中世合戦の実像』吉川弘文館のP175。 「『平家物語』の弓射の類型表現からも、それが騎馬であれば、馬静止で矢を前方に射る騎射がイメージ されるのである。仮に馬を馳せていたとしても、かかる表現の騎射は、『蒙古襲来絵詞』にみえるような 全軍が一団となって突進し、進行方向に矢を射る状態、いわば集団での追物射の状態をいうのであろう(図30)。」 この頁には図30として『蒙古襲来絵詞』の白石道泰率いる100余騎が突撃する場面が載せられている。 つまり、全ての元寇関連本で「一騎打ち戦法の武士が集団戦法の元軍に苦戦した」と書かれている中、 元寇以外の中世合戦を考察した本では、『蒙古襲来絵詞』が武士の集団戦法の史料として使われている・・・
332 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 18:48:27 ID:p/OHlcXc
更に、古代から治承・寿永期までと何故か元寇をとばして南北朝期を考察した『騎兵と歩兵の中世史』吉川弘文館の、 「中世前期戦闘考察の史料」の項目P8でも・・・ 「中世前期の戦闘考察には、『今昔』などの説話物語集や『平家』などの軍記物語のほかに、有力な文献史料が ないことは異論がないであろう。一方、絵画史料としては、『前九年』の他にも、『平治物語絵巻』や 『蒙古襲来絵詞』などがあり、合戦絵巻としてはむしろそれらのほうが有名で『前九年』はあまり注目されていない。」 『蒙古襲来絵詞』の名が挙がる一方で、元寇研究で武士の一騎打ち戦法の根拠とされている『八幡愚童訓』が、 中世前期の戦闘考察の史料としては見事にスルーされている・・・ 八幡神の霊験を述べた神道書の『八幡愚童訓』と、実戦に参加した武士の実録である『蒙古襲来絵詞』を、 戦闘考察の史料として同列には扱えないということ自体は当たり前なんだけどさぁ、何でその当たり前のことが 肝心の元寇研究では無視されているんだよ? 元寇研究とそれ以外の中世合戦の研究では整合性が皆無じゃん。 嘘を嘘と知りつつ放置する日本史研究者たちって、腐りきった人間の集団だよな。
333 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 18:51:35 ID:p/OHlcXc
54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 18:08:35
文永の役、モンゴル騎馬軍団は5分の1の兵力に過ぎない武士に歯が立たず、たった1日で敗退。
弘安の役、更に江南から10万もの大軍を送り込んだが、日本軍によって皆殺しにされ、僅か3名しか
生還できず。
この2つの戦いが、その後の日中関係に与えた影響は大きい。
実は明の朱元璋も、日本に対して武力侵攻をちらつかせ、脅迫をしてきたことがある。
しかし、それに対する日本からの返答は、
「天下は天下の天下であって誰か一人の天下ではないのです。我が国には、水沢の地や山海の洲にも
備えがあり、明の武力侵攻を恐れたりはしません」
という挑発的なものであった。
当然、朱元璋は激怒したが、あの強大なモンゴル帝国ですら完敗した日本に、自分が攻め込んでも
勝算は無いと考え、泣く泣く矛を収めるしかなかった。
57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 05:04:18
>>55 明史・卷三百二十二列傳第二百十外國三
「帝得表慍甚、終鑒蒙古之轍、不加兵也。」
335 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 18:58:16 ID:p/OHlcXc
>>334 文永の役の時の元軍の数。
言っとくが大部分が高麗人だと言うのは日本の大勝利を隠したい戦後の研究家の捏造だから。
なんだこのキチガイは。
>>335 貴方が信頼できる資料としてあげている蒙古襲来絵詞の中では元軍は騎兵よりも徒が多いのですがw
それと無知な私に捏造のソースプリーズ。
338 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 19:24:55 ID:p/OHlcXc
>>337 モンゴルについての先入観が皆無の当時の日本人が「蒙古人は馬に乗って攻めて来た」って
書いてるのに、騎兵が皆無なわけ無いだろ。
文永の役の元軍は、蒙古騎兵が主力。当然ながら。
歩兵ばかりだったのは8000人の高麗部隊。
その他の蒙漢軍が2万5000なんだから、どう考えてもそっちの方が主力だろ。
日本側の文献には、文永の役の元軍の特徴として「馬によく乗る」って書いて
あるのに、どこから「歩兵ばかり」なんて話が出て来るんだよ。
騎兵部隊の海上輸送なんか、ウィリアム征服王や十字軍だって普通にやっている。
大モンゴル帝国にできなかったとしたら、そっちの方が問題だろ。
それから、蒙古襲来絵詞に描かれているのが高麗部隊だっていうのは、ほぼ定説。
つーか日本は神風によって救われたってのは神国思想の強化のために使われたんだよな。 なんで戦後の歴史家がその考えを継承してるのか不思議。
八幡愚童訓という日本の元寇の記録が出典なんだよな<KAMIKAZE伝説
341 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 19:29:38 ID:p/OHlcXc
まあ33000が全員騎兵だと言うのは言いすぎかもしれんがわずか5000の日本軍が33000の内大部分が騎兵の元軍を平原で粉砕したのは紛れも無い事実。 この事から当時の世界最強が鎌倉武士だと言うのは明らかだ。 と言うか火器以前の軍隊なら全時代を通して最強なんじゃないか。 アッシリア軍もペルシア軍もマケドニア軍もローマ軍もアラブ軍も十字軍も勝てる筈が無いだろ。 そして火器時代の戦国期の日本が世界最強なのは言うまでも無い常識だ。 もし徳川幕府が鎖国をせずに海外へ領土を拡張してれば世界一の大帝国を築いても全くおかしくない。 本当に惜しい事をしてくれた物だ。 ひょっとすれば今の世界の超大国がアメリカではなく日本だったかもしれないのに。
342 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 19:31:08 ID:p/OHlcXc
>>339 「竜が元軍を追い払った」なんて妄想が書いてある本を当事者が書いた一次史料より優先するなんて正気の沙汰じゃないよな。
歴史上、戦後の元寇の研究家ほどデタラメな研究家は存在しないんじゃないか?
>>338 「三万三千(≒元軍の数)が騎兵」と言ってみたり、そうじゃないと即座に前言撤回したり節操がないな・・・。
書き込むのなら良く調べて書き込めよ。
鎌倉武士世界最強! はどうかなと思うが日本史の学者に思想的バイアスがかかってた のは事実だろ。網野善彦みたいに「論文書く前に必ずマルクス読む」みたいなのが 牛耳ってたんだから。
八幡愚童訓は神社関係者によって編纂されたんだよな。朝廷の権威復活の狙いがあったと考えるのが正しいような気がする。 「高麗史金方慶伝」にも「元史」にも陸上戦闘は蒙古軍の形勢不利であったことが記されている。
p/OHlcXcは陸自が書いた”元寇・本土防衛戦史”でも読んで赤面してなさい。
>>345 幕府も恩賞あげたくなかったから特に何も言わなかったんだろうね
>>345 それがどうして朝廷の影響があったことになるんだよアホウヨw
349 :
名無し三等兵 :2007/08/12(日) 20:03:23 ID:p/OHlcXc
>>343 細かい部分の指摘はいいから、モンゴル軍の大部分が騎兵でありそれを平原で圧倒的に数で劣る日本軍が圧勝したと言う骨子の部分への反論は?
>>348 あのね、八幡愚童訓を編纂させたのはね、高良大社っていうじんじゃなの。
元寇の時にね、ちょーていはね、せんしょー祈願の祈祷をしていたの。もちろん各地のはちまん宮にも祈祷させたんだよ。
もちろん高良大社もれいがいじゃないんだよ。
だからね、ちょーていの権威復活のためにね、元寇をのりきったのはちょーていや神社のおかげだ!と宣伝しようとしたんじゃないかと疑うんだね。
りかいできた?でもね、これぐらいね、少し調べればわかるんだよ?
いくらばかだからってね、すこしぐらいね、自分で調べようね?
つーか元寇台風勝利説が当時の神社勢力によって広められた物なのは常識だと思ってたぞ。
細かい部分の指摘はいいからってお前ww
八幡愚童訓ってのはその名の通り、八幡信仰を愚かな児童にもわかり易く訓示するための宗教書。 だから元寇は2回とも神様の奇跡で勝利したことになっているんだけど、「大風」が勝因なのは 弘安の役のみで、文永の役の勝因は「猛火」。 これは、八幡愚童訓の元々のストーリーでは、文永の役の最後は神社から神様が出てきて、 ナウシカの巨神兵のごとく元軍を焼き払ったことになっていたため。 だから「元寇台風勝利説が当時の神社勢力によって広められた」というのも誤解なの。 そもそも、元寇台風勝利説って昔は広まっていなかったし。 江戸時代の国学者とかは、戦後のインチキ研究者たちと違ってきちんと史料を調べているから、 北肥戦誌や日本外史みたいな江戸時代に書かれた史書には、文永の役はちゃんと合戦で元軍を 撃退したと書かれているんだよ。
355 :
名無し三等兵 :2007/08/13(月) 09:07:32 ID:9jgFLt0r
胡散臭いスレだなあ。
356 :
名無し三等兵 :2007/08/13(月) 11:12:34 ID:mRiku41b
結局重箱の隅をつつく揚げ足取りはあっても、数で劣勢の日本軍が圧倒的多数の「世界最強」のモンゴル騎兵を平原で叩き潰したと言う骨子の部分への反論は無いと見ていいんだな? 弘安の役に関しては言うまでも無い。元軍は上陸すら許されず無様に船で逃げ回った挙句嵐に巻き込まれて帰ったのは三人だけと言う醜態w
>>326 どの部分を意訳したら3万3千の騎馬になるの?
358 :
名無し三等兵 :2007/08/13(月) 16:33:38 ID:QYnpwFuR
第一回侵攻 陸上戦闘で形勢不利になり船へと撤退。暴風に合い壊滅状態に。 第二回侵攻 壱岐対馬は難なく占領。九州上陸は優勢な日本軍に撃退され失敗。 南宋軍と合流するために壱岐へと撤退するもこれを日本軍に追撃されじわじわと戦力を削られる。 その後南宋軍と合流し再度上陸作戦を敢行するも、あえなく撃退される。 そしてまた暴風にあい壊滅。 ソースは高麗史。 こんなところだろ。 弘安の役は日本軍の完勝だな。上陸すら許していない。
武士が精強だったとするまでならいいが、 たかが撃退した程度でなんで「日本最強」と断言できるんだ? なんか朝鮮人みたいな発想だな。 なら大都まで攻めてみろよw
シラネーよそんなもん。 ただ鎌倉武士が元軍の得意とする騎馬戦でも勝利したのは事実だけどな。 大陸で戦ったら勝てるわけないだろうけど。
文永の役の時にも元軍は橋頭堡の確保に失敗しているからなー
ま、台風がなくても日本軍は勝利したでしょ。
>>361 どーなんかねー。騎馬戦で勝利してると言っても相手は海を渡ってきたわけだからなー
やっぱ大陸でガチンコで戦ったら必敗かなあ?
帝国国防史論書いた佐藤鉄太郎は日本軍は集団戦法で戦ったと言ってるな。 それなら日本軍が元軍に効しえた理由も分からんでもない。
オレも世界史板の記述見たときにへーと思ったがそれは別人だw その佐藤さんは錦正社から本出してるよ。 まぎらわしいんだよなw国防史論の佐藤さんも軍事史研究では一目置かれていたからw
ヤフーで検索すると蒙古襲来の佐藤鉄太郎と国防史論の佐藤鉄太郎が一緒に出てくるw
366 :
名無し三等兵 :2007/08/13(月) 19:22:06 ID:QYnpwFuR
>>362 騎兵部隊の海上輸送なんか、ウィリアム征服王や十字軍だって普通にやっている。
大モンゴル帝国にできなかったとしたら、そっちの方が問題だろ。
対馬海峡を超えて戦力投入することなんか、大昔から誰も苦労なんかしていないぞ。
391年に日本から朝鮮半島に渡った軍勢は、新羅・百済を征服。
663年の白村江の戦いでも、日本から2万7千もの大軍が朝鮮半島に渡っているし。
現実に文永の役でも弘安の役でも、普通に万単位の元軍が渡航してるじゃん。
その結果、ヨーロッパで西欧騎士軍団を壊滅させた蒙古騎兵は、鎌倉武士に完敗したんだから、
鎌倉武士>蒙古騎兵>西欧騎士軍団。
文永の役はヒットエンドラン戦法だったと言われているけどそのへんはどうなの?
>>367 撤退するかどうか相談している時点で違う気がするが・・・
その撤退理由も兵の疲労がたまってるとか矢が尽きたとか言ってるんだから、余力があるなら戦って橋頭堡を築くつもりだったんじゃないの?
つか撤退に反対して船を焼いて断固戦うべきとしたのは高麗の金方慶なんだよね。
324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/29(日) 21:43:35 フメリニツキー反乱後の1667年にはタタール兵3万、コサック2万、イェニチェリ3千に24門の砲という大軍に 攻め込まれてるけど、ポーランド軍は2つの峡谷と森林、沼地に挟まれた場所(ウクライナのピドガイツェ)に 陣取っていたためタタール側は正面攻撃しかできず、結果9千しかいなかったポーランド軍に撃退されている。 真っ向からガチで戦ったらそんなもんです。
忽敦日、蒙人雖習戰何以加此、諸軍與戰及暮乃解。 方慶謂忽敦茶丘日、兵法千里縣軍其鋒不可當。 我師雖少巳入敵境人自爲戰、即孟明焚舩淮陰背水也。 請復戰。忽敦日、兵法小敵之堅大敵之擒、策疲乏之兵敵日滋之衆、非完計也。不若回軍。 復亨中流矢先登舟、遂引兵還。會夜大風雨戰艦觸岩崖多数
それでも大体の意味はなんとなく分かるのが漢文。
>>368 つーか威力偵察に何万もの兵を使うのが分からん。
それに偵察なのに本土上陸なんて日本軍の必死の抵抗が予想されることをわざわざやるの?
>>373 マラトンの戦いは敵の本土に数万の兵を送り込む威力偵察だと言われている。
なるほど。 大国のやることは違うね。 それにしても船焼き払って戦おうなんて無謀だねえ。
要するに背水の陣だろ。 それだけ切羽詰っていたということだろう。 日本軍との戦闘でかなりの損害をこうむっていた証左だな。
377 :
375 :2007/08/13(月) 21:32:22 ID:QgrboEic
>>376 実際元軍は日本軍とガチンコで戦えたの?
何の訓練も受けておらず適当に史料を斜め読みした素人が専門家より信頼出来るのは世界の常識
379 :
名無し三等兵 :2007/08/13(月) 22:31:53 ID:QgrboEic
訓練を受けていなければ史料は読めないんじゃないの?
佐藤鉄太郎 「軍事史学」特集・元寇(第38巻第4号) 【源平の争乱時代から合戦の通常の戦法は騎馬隊が集団で敵陣に突撃する戦法 であり、双方が合意して一騎打ちを申し合わせたというような特別な事情の場 合のみ一騎打ちが行われたのであり、合戦に於いて一騎打ちは通常の戦法では ない。 『八幡愚童記』に日本の武士達が一騎打ちの戦法をとったと記されているため に、その記述を真に受けて日本の武士達が蒙古軍に対して一騎打ちの戦法をと っていたかのように誤解されてしまっているが、日本の武士達は各武士団それ ぞれが騎馬隊を中心とする一団となって突撃する集団戦の戦法で蒙古軍と闘っ ている。絵五はそのような日本の武士達の戦法を描いている絵である】 専門家がこう言っています。 これは正しいのか?
381 :
名無し三等兵 :2007/08/13(月) 22:56:33 ID:QgrboEic
俺は漢文は苦手だからなんとも言えんが 元軍は日本軍との戦いでかなりの損害を被りる→撤退するか背水の陣をしいて決戦に挑むか相談する→撤退する →暴風雨であぼん ということでいいのか?
一応、専門教育は受けたが 史料操作の訓練って言うほど特殊なものかな 語学的なものはあるけどな
世界史が得意だという人は英語が読めなきゃいけない。 と高校の教師に言われた。 中国史が得意な人はやっぱ漢文を・・・
世界史だからとか関係なく、ほとんどの学問には必要だろ英語って。
当たり前だろ。 英語文献も読めないのに世界史が得意なんてジョーク以外のなにものでもない
まあ高校教師に言われたんなら多少意味合いが違ってきそうだけどな 学問としての世界史が得意、と中学高校の教科としての世界史が得意、ではぜんぜん別の話だし
英語が読めても、がつがつ読みこなせるとこまでいくハードルがたけえ
>>378 当然皮肉で言っているのだと思うが、今やネットでも貴重な史料が読める時代ですよ?
前述の高麗史だって読むことができる。
能力と意思さえあれば誰でも「専門家」になれると思うんだけどね。
少なくとも漢文史料を読むことができるのなら論じる資格は十分にあると思うんだが。
>>388 先行研究の把握と史料の読みこみをするならばね
つまみ食い+妄想だと始末に終えなくなるだけだと思う
そりゃあね。 成果を形にして発表する機会がなかなか無いだけで在野の研究者ってのは結構多くいると思うんだよね。 つまみ食いってのは良く分からんが、読めもしないのに云々やってるのはいかんよな。 まあ漢文読めなきゃ話にならんのだが。討論するにしても同じ土台にたたない限りどうにもならんからな。
受け取る側の人間(能力が無い)が発信しようとする人間にただケチをつけることに終始するってのは一番いけないことだとも思うが。
>>378 通常ならその皮肉は正しいが、戦後の元寇研究が異常なんだよ。
例えば古代エジプト史ならアマチュアがプロより信頼出来るなんてありえないが元寇研究についてはそれが成立してしまっている。
日本の弓の有効射程と元軍の弓の射程を並べて、「日本の矢は半分程度しか届かなかった」とか 平気で書いてる連中を「専門家だから信用しろ」と言われてもねぇ・・・
>>393 「元軍の弓の射程」に有効を書き忘れただけだと言う推測。
モンゴル弓と日本弓の有効射程が解れば全ては明らかになる。
「全身に矢を被い針鼠のようになっても鎌倉武士軍は元軍に斬り込んで行きました。 もう一つついでに。 鎌倉武士軍の日本刀の切味の凄さは元軍の武器の比ではなかった。 元軍の兜ごと真っ二つにしたり、また元軍の刀や楯さえ切り裂く威力で散々に蹴散らされたのは元軍です。 」 こんな事を書く奴を信用しろと言われても…
疑わしいものに信用できないものをぶつけてどうしようって感じがある
>>394 それは無い。
半月位待ってもらえれば、文献確認してもう少し詳しい事を書き込めるけど。
航空支援が無いアメリカ軍も普通にメチャ強そうだな。
『高麗史』巻八七 「十月、金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壹岐戰敗、軍不還者萬三千五百餘人」 文永の役について敵側の史書にはっきりと「戦いに敗れた」と書いてあるのに何故素直に それを認めることができないの?
>>397 横からだがぜひ頼む。
純粋に興味がある。
>>397 当時の文献だけじゃなく実際の実験結果も知りたいんだけど、そう言うのってあるの?
ヨーロッパじゃそう言うのは結構あるんだけど。
403 :
名無し三等兵 :2007/08/15(水) 00:53:58 ID:gHMHp9jy
モンゴルなんてベトナムで負け、チャンパで負け、ジャワで負け・・負けてばっかりだぞ。 弱いよ、弱すぎるよ。日本が世界最強なんじゃない。モンゴルがしょぼいだけ。 えっ、ヨーロッパ?あんな暗黒地帯が強いわけないよ。兵力なんかほとんど傭兵を調達していたよ。
404 :
名無し三等兵 :2007/08/15(水) 00:56:20 ID:X+QX+bGE
>>403 俺が323で書いたとおり、モンゴル軍はいわば一般人しかいない世界でのヤムチャ。
ロシアや中東やヨーロッパの雑魚を相手にイキがっていたが日本と言うベジータに粉々に粉砕されただけ。
当時の日本以外世界の軍隊は全体的な質が下がってたんだろう。
だからモンゴルの様な雑魚でも強いと錯覚してしまう。
……。 まあ、そういう主張もあるということは留意しておく。
中世ヨーロッパが暗黒地帯ってどれだけ認識が遅れてるんだよ(笑
>>403 モンゴル軍はベトナムでもチャンパでもジャワでも侵攻する度に首都占領を達成してるんだよ。
ジャワでは当時の国王が捕らえられて処刑されてるし。
ベトナムやチャンパも抵抗と並行して降伏交渉もおこない、貢物を送ったり、王族を人質に
差し出したりしている。
対日本戦みたいに取り付く島が全く無いという感じではなかった。
408 :
名無し三等兵 :2007/08/17(金) 10:02:43 ID:lN4483v+
>>407 やっぱり日本が当時の世界最強だって事だな
…。 まぁ信じるのは自由だ。
411 :
名無し三等兵 :2007/08/17(金) 16:16:36 ID:4EKOffuN
>>405 >>409 ヨーロッパで西欧騎士軍団を壊滅させた蒙古騎兵は、鎌倉武士に完敗したんだから、
鎌倉武士>蒙古騎兵>西欧騎士軍団。
反論は?
412 :
名無し三等兵 :2007/08/17(金) 20:08:05 ID:kqeO4BCw
>>403 マムルーク朝のバイバルスにもモンゴルは負けてるね。
414 :
名無し三等兵 :2007/08/17(金) 20:55:35 ID:KT9OVmpw
>>413 確かインドでも負けてなかったか?
ジャワでは相手に裏切り者がいたからある程度侵攻できただけだし、結局は叩き出されてるし、
チャンパの首都を攻略したってのはガセだろ。チャンパの首都は現在のミーソンだぞ。
ベトナムでも首都攻略なんか果たしてないはず。
ビルマでも負けてなかったか?
なんだ世界中で負けてるな、モンゴル。強い・・・のか?
415 :
名無し三等兵 :2007/08/17(金) 20:57:06 ID:b1ky6TWV
モンゴルは半島人に苦戦したようだけど
417 :
名無し三等兵 :2007/08/17(金) 22:41:36 ID:l/KmB8m0
この小学生は海の壁が最強って事が言いたいんだろ
海があると矢の補給に困るのかもな
>>413 マムルーク朝がアイン・ジャールートの戦いで勝ったモンゴル軍は1万をちょっと上回る程度。
文永の役で4万、弘安の役で14万の元軍に勝った日本とは比較にならん。
>>419 その通りだ。
14万の元軍がバイバルスとやらと戦っていたら粉々に打ち砕いていただろう。
それを全く寄せ付けず完勝した日本こそが最強なのは論理的に言っても明らか。
日本>>モンゴル>>イスラム>>ヨーロッパ
>>366 取り合えず馬がどれだけ神経質な動物かを理解しろ。
海を渡ってきた馬を弱っていると言うのは常識だ。
現在の競馬でも空輸した馬が全然調子が出ないなんてのは普通だ。
渡航できると言う事と渡航した軍がどんな状態なのかは別の話だ。
422 :
名無し三等兵 :2007/08/18(土) 11:50:11 ID:7vi+NVdu
>>421 見苦しい言い訳だな
三万三千の内大部分が騎兵の元軍を僅か五千の日本軍が叩き潰し、二回目は十四万の元軍を完膚なきまでに叩き潰し生存者僅か三名。
これが現実だ。
この現実から導き出される答えはただ一つ、鎌倉武士は世界最強だと言う事であり当時の世界の軍事力はカスだって事だ。
>>421 それは馬や軍の状態に関する史料が無いとな。
取り合えず、ノルマンディー公ウィリアムは成功しているし
騎馬の使用もタペストリーや史料で確認されている。
>>422-423 馬の使用と馬の調子は別の話だと理解出来ないのか?
>>それは馬や軍の状態に関する史料が無いとな。
必要ない。
船の様に揺れる狭い場所に馬を入れれば馬の調子が悪くなるなんて当たり前の話だ。
現代の空輸ですらそうなんだから。
>>419-424 が自作自演に見えるのは俺だけかな?
文体が全く一緒。
と言うかこのスレ自体自作自演が大半じゃないか?
>>424 だから、使用に関して問題が無かった例があると言ってるんだが?
断定するのなら、史料が前提なのは当然のことだろう?
まあWikipediaとかGoogleで引っかかるサイトを見ても ここまで極端なのはないな あとYahooで頑張ってる人も同一人物でしょ
>>426 騎馬が使用できた=騎馬の体調が良好だった言う事にはならない。
そもそもウィリアムの軍の上陸とヘースティングスの戦いまでは三週間近い間がある。
>>428 馬の海上輸送直後の戦闘で勝利した例だと、1565年のマルタ島包囲戦で救援のため
9月7日にマルタ島へ上陸したシチリア副王率いる1万6千が、翌8日の会戦でほぼ同数の
オスマン軍を騎兵突撃で蹴散らした例とかがあるな。
探せば、まだまだ見つかりそうな気もするが。
>>430 ちょっと待ってくれ。
既に大きな損害を受けており包囲を恐れたオスマン軍は戦わずに撤退したんじゃなかったか?
>>431 いや、上陸した救援部隊が予想よりも小規模だった事を知り、1度戦って大損害を受けてから撤退した。
>>429 ・正規のモンゴル軍が必ずしも強いわけではない事が
既に出た寡兵のポーランド軍の勝利などで確認されてる
で、文永の役では大半の兵は蒙古兵ですらなく
金等の寄せ集めであるという説が根強い
実際の編成と各人種の割合を教えてくれ
・生半可が「モンゴル軍は騎馬兵のみ中国朝鮮は歩兵のみ」という間違った理解をしているが
実際は中国朝鮮も騎兵は普通にいつの時代にも主力として存在する
日本側の記録でも敵は馬に乗って押し寄せたそうだが
これを蒙古騎兵のみとするには短絡的では?
正確な歩騎の割合と人種の割合はどうなっているのか
・「1日で矢が尽きた」という話が頻繁に見つかる
Wikiによればこれは日本側でも確認できたそうで
矢が主力の中世の軍隊ではまともな状態とはいえない
これなら防御側が圧倒的に有利なのは当然ではないか
ふと思ったんだけど、昔も現代も、個人として強いか否かと部隊として強いか否かって結構違いが有るよね? 個々の平均と指揮官の有能さが部隊の強さ?
>>433 1日で元軍の矢が尽きたなんてことは、日本側の史料には書いてないよ。
さらに高麗史にも書いてない。
モンゴル軍の史料を見ていると退却に際して「飼葉が尽きたため撤退した」とか
「秋の長雨もため撤退した」とか記述してあるが、モンゴル史の専門家によれば
都合の悪いできごとをこうした言い訳で誤魔化すことは、よくある事なんだとさ。
>>433 それからねぇ、元軍の民族構成にこだわる奴がよくいるけど、モンゴル軍はチンギス・ハンの
時代から多民族混成軍。
どの征服戦争でもモンゴル軍の中には少数のモンゴル騎兵しか含まれていないの。
例えば中東に侵攻したフレグの遠征で先鋒を務めたキドブハの部隊↓
岩村忍著『暗殺者教団 イスラム異端派の歴史』リブロボート
P132
「キドブハ麾下の二万の兵のうちには中核として少数のモンゴル兵のほかにはトルコマンと
タジークの兵が多かった。このうちトルコマンはモンゴルと同様な騎兵であったが、タジーク兵
はそうではなかった。タジーク人はペルシア系の民族であるが、早くから東方に移動したもの
である。中央アジアではトルコ人といえば遊牧民で、これに対する定着民の多くはタジーク人
であった。だからタジークは臆病といわれ、戦士ではなく農民や商工民として知られていた。」
ちなみにアイン・ジャールートの戦いでマムルーク朝に敗れたモンゴル軍もキドブハの部隊。
でも、「マムルーク朝に負けたのはモンゴル騎兵が少数だったから」なんて誰も言わないだろ。
何故なら、モンゴル軍にモンゴル騎兵が少数なのは、「当たり前のこと」だからなのさ。
>>436 その書き込みは日本史板でも世界史板でも見たな
でもそれだと「モンゴル騎兵の大軍」をやっつけたみたいなのとニュアンス違うな
一日で矢が尽きたというのは比喩でなく実際そうだったようです
>>437 通常ならトルコマンだろうが女真人だろうが、モンゴル軍の騎兵は立派に「モンゴル騎兵」だから
鎌倉武士はモンゴル軍の「モンゴル騎兵」に勝ったで何の問題もないんだよ
もうスレタイなんてしったこっちゃない
上もWIKIPEDIAと同じで矢は欠乏したと書いてるな
>>443 Wikiもそのサイトも、元史の同じ記述をもとにしてあるのであって、「矢が尽きた」
という記録が複数あるわけではない
矢が尽きてないという方のソースってありますか
金方慶は20日の戦闘の後も戦闘継続を主張しているじゃん
不足気味でも戦えるんでないかい
>>435 >モンゴル史の専門家によれば
専門家は信用できないんじゃないのか?
大体、元史の自体「矢が尽きた」を撤退理由の一番に挙げているわけではない。 撤退理由としては、まず「官軍整わず」があり、それに付加する要因として 「また、矢も尽きた」と書いているのに過ぎない。 唯一「矢が尽きた」と記述している元史ですらその程度なのに、それを撤退の 根本理由とするのは、あまりにもバランスを欠いてるだろ。
450 :
名無し三等兵 :2007/08/19(日) 00:09:17 ID:qSsS5aci
>>414 ミャンマー(ビルマ)では元軍が完全にパガン朝を滅亡させた。
負けたどころではない。
ジャワではクディリ朝が転覆させられた。もっともすぐマジャパヒト朝が興ったけど。
ベトナムでは既出のとおり、首都攻略までは成功している。ただ、ベトナムのお家芸である
ゲリラ戦に巻き込まれたのと、不慣れな海戦で敗北したんで敗退した。
インドでの事例は実は良く分かっていないはず。戦闘に負けて撤退とかそんなんでないはず。
東南アジアでの元の征討軍は緒戦ではある程度、勝利しているんだよね。
ただ、占領統治に至る前にいずれも失敗こいてる。ただ一応、ベトナムとチャンパ
から一時的に朝貢させる所まではやっている。
日本征討みたいに領土の一時的な占領すらできなかったというケースは確かにレア。
もっとも当時の鎌倉武士の戦法や装備を見て、強かったとはとても思えないけど。
やっぱりぶちぶちに殺しまくって無理やり征服した占領国の兵士を主力に仕立てた
のに無理があったと思うんだけど。朝鮮では出兵直前に三別渉の乱なんていう大規模
な反乱が起こったくらいなんだから。元軍への忠誠心なんてほとんどなかったろう。
が
>>もっとも当時の鎌倉武士の戦法や装備を見て、強かったとはとても思えないけど。 今時一騎打ちを信じてるのか。 >>やっぱりぶちぶちに殺しまくって無理やり征服した占領国の兵士を主力に仕立てた >>のに無理があったと思うんだけど。 >436
>>450 三別抄の乱についても誤解がある。
モンゴル侵攻前の朝鮮半島では、高麗王朝は傀儡に過ぎず、日本の武家政権みたいに
実権は武臣たちに握られていた。
それを高麗王朝は侵略してきたモンゴル軍と手を組む事で王政復古に成功。
一緒になって排除しようとした武臣たちの最後の抵抗が三別抄の乱なんだよ。
だから、三別抄の乱鎮圧にかんしては元軍と高麗王朝の利害関係は完全に一致していて、
三別抄の乱を理由に「元軍への忠誠心なんてほとんどなかったろう」なんて理屈は成立
しないの。
元寇だって、高麗王朝側からの積極参加の申請を受けておこなわれた訳だし。
あと、当時の鎌倉武士の戦法や装備が、元軍のそれより劣っていたと考える根拠は何?
>>452 >あと、当時の鎌倉武士の戦法や装備が、元軍のそれより劣っていたと考える根拠は何?
聞くだけ無駄だと思うよ。
山野野衾みたいに逃亡すると思うから。
454 :
名無し三等兵 :2007/08/19(日) 01:20:28 ID:ikHP6GYX
山野みたいなチキンが優良コテ扱いの世界史、日本史板ってどれだけレベルが低いんだ?
>モンゴル史の専門家によれば 専門家は信用できないんじゃないのか?
456 :
名無し三等兵 :2007/08/19(日) 01:41:38 ID:OYM50pYw
おまえら歴史板に逝けよ。
既に日本史と世界史と歴史難民にはあるみたいよ 自分は保留って感じだな もっと資料出てこねーかな
>455 俺自身は「専門家は信用できない」なんて書いた覚えはないぞ。 専門家が信用できないのではなく、戦後の日本史研究者が信用できない。 特に「戦争」「東アジア」が絡んだ場合な。 モンゴル史の専門家の著書を読めば「モンゴル寄りだな」と感じることはある。 でも研究対象に好意的な見解になるのは、どの研究者にもあることだし。 元寇に関して、むしろモンゴル史の専門家の方が鎌倉武士が強かった事を認めてるんだよ。 更に戦後の元寇研究に対しても「戦前の反動」だと非難している。
>>457 >日本史と世界史と歴史難民にはあるみたいよ
それ全部にこいつがコピペしていてワロタ
460 :
名無し三等兵 :2007/08/19(日) 02:55:03 ID:ikHP6GYX
>>455 信用できないのは458氏も言っている通り戦後の元寇の研究者。
無論通常専門家はおおむね信用できるが元寇に関してはそれが逆になっているという異常事態だから怖い。
461 :
名無し三等兵 :2007/08/19(日) 16:04:33 ID:Gz6pNmmC
当時の東南アジア諸国軍と鎌倉武士が戦えばどっちが強かったんだろう? 東南アジア、以外に強くないか?野蛮なイメージがある割りには
462 :
名無し三等兵 :2007/08/19(日) 16:35:07 ID:NCDSSBD9
>>461 どうやったら当時世界最強の鎌倉武士が東南アジアの、言っちゃ悪いが土人に苦戦するんだ?
>462 牟田口に作戦計画をつくらせる。
>>457 >もっと資料出てこねーかな
こんな資料もあるよ
金剛仏子叡尊感身学正記
「十月五日に蒙古人が対馬に着き、二十日、博多に着き、すぐ退散した(十月五日、蒙古人著対馬、廿日、着波加多、即退散畢)」
465 :
名無し三等兵 :2007/08/19(日) 20:42:31 ID:NCDSSBD9
結局プギャプギャ細かい所をつつくだけで鎌倉武士が世界最強だと言う骨子の部分には何一つ反論できないんだな。 450もまた逃走したし。 なんで日本弱い派って糞みたいな書き込みを一回したらすぐに逃げるの?
「勝手に話を作ってるから、放置しとこう」って事らしい
>>462 甘く見過ぎているようですが、ミャンマーはかつてアラカン山脈を超えてインドに
まで攻め込んだことがあります。かのインパール作戦で有名になった地域ですが、
ミャンマー軍の場合は見事に成功させてます。
ベトナムの精強ぶりは言うまでもないでしょう。得意の密林からのゲリラ戦に持ち込まれた
ら、勝てる軍隊が地球上にあるかどうか?熱帯地域に不慣れな日本人ではハンディが
有りすぎませんか。
ベトナムは別として、ミャンマーなどは主力が象部隊です。騎馬部隊とは破壊力が違いますよ。
軍隊も良く組織化されているし、歩兵が多かったようですが、騎馬部隊も保有してました。
ミャンマーなんか19世紀大英帝国軍を大いに手こずらせたぐらいです。これでも簡単に勝てる、
と言えますか?むしろ鎌倉時代なら、日本の方が劣っていたとしても不思議はない。
当時の日本軍は騎射戦術主体で、歩兵はあんまり組織化されてなかったみたいですから。
468 :
名無し三等兵 :2007/08/19(日) 22:01:05 ID:NCDSSBD9
>>467 >当時の日本軍は騎射戦術主体で、歩兵はあんまり組織化されてなかったみたいですから。
そして当時世界最強の元軍をオープンスペースで正面から叩き潰した訳だ。
いいかげん現実を受け止めたらどうだ?
数年前の阪神タイガースでも 海を渡ってきたメジャーリーガーと 互角以上の勝負をしたこともある でも当時阪神が強いなんて誰も言ってない
>>467 現実にビルマのパガン朝は騎射戦術主体のモンゴル軍によって滅ぼされたわけだろ
象部隊もモンゴル騎兵の騎射戦術に歯が立たなかった
そのモンゴル騎兵に騎射戦術で圧勝した鎌倉武士に、当時のビルマが勝てる要素なんか全く無いじゃん
つーか、中世の揚陸技術で14万もどうやって敵前上陸させんだよw 馬に乗ったまま沖から泳いで突撃でもしたのか?
>>471 フビライはまず平戸に拠点を造り、そこから大宰府に侵攻する作戦だったらしいぞ。
上陸すること自体は文永の役も、弘安の役の東路軍も、特に問題は無かったんだけどね。
その後の陸戦で鎌倉武士の集団戦法に歯が立たず、撤退に追い込まれただけで。
473 :
名無し三等兵 :2007/08/20(月) 10:29:39 ID:t+Rwvrwg
>>471 騎兵部隊の海上輸送なんか、ウィリアム征服王や十字軍だって普通にやっている。
大モンゴル帝国にできなかったとしたら、そっちの方が問題だろ。
対馬海峡を超えて戦力投入することなんか、大昔から誰も苦労なんかしていないぞ。
391年に日本から朝鮮半島に渡った軍勢は、新羅・百済を征服。
663年の白村江の戦いでも、日本から2万7千もの大軍が朝鮮半島に渡っているし。
現実に文永の役でも弘安の役でも、普通に万単位の元軍が渡航してるじゃん。
勝負というのは地の利相性時の運が大きいのであって よほどのことが無い限り最強だなんて厨臭い称号は与えれんもんだ
こうしてみると少数でモンゴル騎兵の大軍を破った ポーランドが異様だな 日本の場合はモンゴル兵は僅かだったわけだし
>>475 ポーランドの場合もモンゴル兵は僅かだったわけだが・・・
477 :
名無し三等兵 :2007/08/20(月) 16:11:06 ID:Usv3DyJJ
>>地の利相性時の運が大きいのであって 元軍が上陸した博多湾の海岸から攻撃目標の水城・大宰府までは福岡平野が広がるオープンスペース。 騎馬隊が真価を発揮するのには正に理想の環境だな。。。
海岸から博多までは実際に元軍が占拠しただろうが
>>478 そんなことを書いた信頼性の高い史料は無い
博多占拠は常識だろ
常識だっていうんなら史料のひとつくらいすぐ出せるんじゃね?
ググレカス
>>480 元寇にかんしては「常識」として嘘八百が広められているんだよ。
史料に無い以上博多占拠などという事実は無い。
そっちのほうが嘘くせえ
もう少し詳しく書くと、戦後の研究者たちが日本苦戦説の拠り所としているのは 「八幡愚童訓」という神道書。 神道書だから内容も荒唐無稽で、武士が苦戦した代わりに、最後は神社から神様が 出てきて元軍を焼き払い撃退したことになっている。 こんな文献を頼りに、その他の史料を一切無視して武士が苦戦したと言い張るのも 大問題なのだが、その「八幡愚童訓」ですら「博多・箱崎に元兵が乱れ入った」と 書いてるだけで、占拠したなどとは書いてない。 つまり、戦後の研究者たちは荒唐無稽な神道書の内容を更に誇張して吹聴してるんだよ。
文永の役や大宰府で検索すると 大宰府まで撤退したという記述が大量に出てくるし 実際学校の教科書もおおむねそういった内容で国民の認識もそのぐらい 確実な史料を出せといわれても歴史書の現物持ってるわけ無いし日本の史料とも限らない むしろこれだけ一般に浸透してる事柄を 史料が無いと言うからには自分で徹底的に調べたんだろうな? そりゃ歴史が間違って広まってるなんて良くあることだが 調べても無いのに1から10まで嘘扱いなんて どっちが嘘を広めているのやら
>>486 現物が手元にないのは当然として、どの史料が元かさえわからないの? つまり読んでないわけね?
そりゃあんた、語る資格がないってもんだよ。
>>485 朝鮮の歴史書には大宰府まで日本軍が撤退したとありますよ
真面目に占拠せずに海に帰ったけどな
>>485 八幡愚童訓を学者が本気で拠り所にしてるなんて
「2chのレス」以外に見たことが無いんですけど?
>>488 朝鮮の歴史書は、文永の役について「真面目に占拠せずに海に帰った」ではなく、はっきりと
「戦って負けた」と書いている。
『高麗史』巻八七
「十月、金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壹岐戰敗、軍不還者萬三千五百餘人」
>>490 だったら、その他の信頼性の高い文献を出してみろよ
>>492 だからそんなの学者じゃないから知るかよ
別に学者を鵜呑みにするわけじゃないけど
これだけ広まってることを嘘だというからには
この場合は嘘だと立証する側に責任があるんだぞ?
歴史ってのはそういうもんだ、一般人レベルでは特にな
それがネットのコピペとは何事だ
ウィキペディアとなんら変わりは無い
学者レベルの知識を最低限とするつもりはないけど せめて、学者が何を根拠にそれを主張してるかくらい知らないと、議論する場に立つ資格がないのと違う?
>>493 言っておくが、通常鎌倉時代を調べる際に真っ先に参照するような文献には、文永の役は
「合戦で元軍が撃退された」と書いてあるんだからな。
鎌倉年代記裏書
「十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北」
帝王編年記
「六日。飛脚到来。是去月廿日蒙古与武士合戦。賊船一艘取留之。於鹿嶋留抑之。其外皆以追返云々。」
その何を根拠に主張してるかってのが いかがわしいネットのコピペの奴に言われたくはないね 2chのレスがソースかよ 何も俺は議論がしたいわけじゃない、 むしろ「くだらないソース」で議論するなといいたいね それならまだ歴史の教科書鵜呑みにしてるほうがマシだからな
じゃあ一人で鵜呑みにしてればいいんじゃね?
>>495 はいはいコピペコピペ
歴史ってのは学者がいろんな本をいろんな方向から解読して
時間をかけて考えればいいんであって
一般人がその辺から一行二行だけ引用してあれこれいうなんて馬鹿らしい
昔の本だから強がりで嘘が混じってたり
真面目に書いても互いに認識が間違ってるとか色々あるのに
数行抜き出して何が分かるんだよ
>>498 じゃあ何を持ってくればいいわけ?
よーするに、一般人が学者の言うことにケチつけたらいけないということが言いたいの?
>>497 2chを鵜呑みにするのは恥ずかしくないの?
ちょっと目新しいことをホイホイ信じるぐらいなら
常識にこだわったほうがよっぽど無難だね
>>500 恥ずかしいとか知ったことじゃないよ。
君が「鵜呑みにしているほうがマシ」だというなら、そうしてればいいと言ったまでだ。
>>498 の態度からみるに、学者以外の人間があれこれいうこと自体を否定したいようだから、ここで語る意味もあるまい? 一人で鵜呑みにしていればいい。
>>496 歴史の教科書には大抵「蒙古襲来絵詞」が載ってるよな。
機会があったら一度「蒙古襲来絵詞」の全体を見てみろよ。
歴史の教科書は、「元軍が武士の集団戦法に苦戦する様子」を描いた「蒙古襲来絵詞」の
一部分だけくり貫いて、「武士が元軍の集団戦法に苦戦する様子」という全く正反対の
史料として使用していることが分かるから。
>>499 2chよりもう少しまともな根拠なら別に何を言っても良いよ
2ch以外見当たらない話なんて話すだけ無駄だ
そういう輩がアポロは捏造だのとか自分は今まで○○に洗脳されていただとか
そういうのに引っかかるんだ
>>503 2ちゃんねる以外見当たらない話なんて誰がしてるんだ?
今してるのは「蒙古襲来絵詞」と「鎌倉年代記裏書」と「帝王編年記」の話だろう? これらの史料は2ちゃんねるにしか存在しないのか?
>>501 「2chソース」が真面目な議論のうえで原則禁止だということも知らない人ですか
幸せな人ですね、詐欺師に気をつけてくださいね
>>502 別に武士が壊走を重ねたなんて思ってねえし
教科書にもそこまで酷評はされてねえよ
単に善戦した例なら普通に出てくる、あたりまえのことだ
>>504 歴史家が「八幡愚童訓」を本気で根拠にしてるって話が
完全に2chソース
おまえらIDも無いくせに別々の史料の話するなよ
>>505 歴史の教科書が歴史資料を歪曲して使用していることが問題なんだよ。
これが誠実な研究者のすることか?
>>506 IDが無いから同一人物ってかw 自分はどうなんだよw
で、その話以外はどうなの? 2ちゃんねるソースなの?
>>506 お前、元寇関連の本を一冊も読んだこと無いだろ?
全部「八幡愚童訓」を本気で根拠にしてるぞ。
>>509 当然だろ、彼は教科書しか読まないんだからw
>>507 何を持ってどう歪曲してるといいたいの?
お前がどっちのやつかわからないが
さっきから数行コピペしてるところのところを言いたいの?
そのコピペはどこから来たの?本当に正しいコピペなの?
その史料自体本当に正しいの?自分の目で調べたの?
史料ってのは常に正しいの?
互いの国の史料を出して両方とも間違ってるとかはありえないの?
コピペには大宰府の決戦に勝ったってなってるけど
それって博多は撤退したってことになるよね?
もともと博多の話だよね?
>>508 同一人物なんて微塵も思ってねえよ、お前本当に馬鹿だな
史料がどうのこうの以前に人として馬鹿だ、もう一人のほうとははっきり区別が付くよ
>>509 そんな極端な話あるわけないだろ
>>510 結局お前が恥ずかしい「2chソース」でしかないことは
微塵も反論できなかったよな?
本当に「全部」根拠にされてるんだったら
もっとその手の話が出てきそうなものなんだが
そのあたりはどうなんだよ?
史料だしても 史料ってのは常に正しいの? 互いの国の史料を出して両方とも間違ってるとかはありえないの? の一言で片づけられて、説明責任をぜんぶ史料出した側に求められるとなると、なんとも言いようがないなあ。
>>512 だから別人だっつーに。
なんで俺が他の奴がだしてきたソースのために反論してやらなきゃいけないんだ。
いいかげんにしろ。
なんかいつのまにか二人しかいないことにされてるな。 まあそういう俺も、実際に何人いるのかは知らないんだが(当然)
一次史料を二、三行読んですむなら歴史家なんていらねえよボケ。
>>516 じゃ、どれだけ読めばいいんだ?
それとも、どれだけ読み込んでも、しょせん「歴史家」にはかなわないからやるだけ無駄なのか?
という話になるわけだ。
別に煽りたいわけじゃないから、率直に聞かせてくれ
君が要求する、この問題を語るにあたっての最低条件はどこからだ?
>>513 source criticismって知ってるか?
一次史料を無条件に信じるって何時の時代の歴史学だ?
>>514 >>515 ID出せばいいんじゃないか。
「名無し三等兵」は同一人物だと考える理由のない限りすべて別人とみなすものだと思ってたが デフォルトで同一人物とみなすアルゴリズム持ってる人なのかな
>>509 通常そう言う本には巻末に使用した史料が記載されてるが、それしか書いてないと?
>>517 もし自説に説得力を持たせたいなら自説を纏めた論文を査読制度のある雑誌にでも送るんだな。
>>520 そこまでいかないと説得力を認めない、というスタンスなわけね。了解。
だとすると、君が2ちゃんねるのこんなスレで話をしている理由は何?
学会誌を読んでればそれで済む話だと思うんだが。
素人が適当に議論の端っこだけつかまえて,討議しようったって,水掛け論の信仰告白にしかなりゃしない. もし専門的に討議したいのだったら,BBSで不毛の論争を繰り返すよりも,大学の史学科に入るなど,相応しい場を求めた方がよろしい. まあ,人それぞれの人生だが….
>>522 この場の論争それ自体を否定するわけね。
それはそれでひとつのやり方だが、だったら「放っといてくれ」と言うよりほかないわなあ。
それを言うと、軍事板のみならず学問系の板のほとんどの話題を否定することになるからな。 好きでオタクやってんだから放っといてくれ、と言うしかないな。確かに。
525 :
名無し三等兵 :2007/08/20(月) 20:07:06 ID:YeDgzpzc
いつの間にかスレタイがどこかに消し飛んでるぞ。熱くなるなよ。 2CHに結論はない。常識。 そろそろどっかの土人を話に出してくれよ。
526 :
名無し三等兵 :2007/08/20(月) 20:09:36 ID:Xi2RpEuu
1930年代のエルサルバドルの軍vs農民の戦いとか 共産ゲリラの疑いをかけられマチェーテで軍と戦うエルサルバドル農民
528 :
名無し三等兵 :2007/08/20(月) 21:35:48 ID:McS/++1q
>>522 ちょwwwww麦茶吹いたじゃねーかwww
句読点があからさますぎwwww
>>622 のレス。大昔のどっかの陰謀論スレからのコピペだぞ。
スマン、アンカーでロングパスを出してしまった。
上、
>>522 の間違いなw
>>521 「この問題に関する専門家は全て間違っており、正しいのは俺。根拠はいくつかの史料にある二、三行の記述」なんて普通有りえんだろ。
どうしてもそれが正しいと主張したいならそれ相応の場所で発表しろって事だ。
>>531 だから、ようするに「専門家の意見に反することをこの場で主張するのは認めない」ってこったろ。
あんたがそういうスタンスなのは理解したから、同じこと難解も言わなくていいよ。
たまたま元寇の場合だけ専門家が信頼できないなんて不思議!どうして?
>>だから、ようするに「専門家の意見に反することをこの場で主張するのは認めない」ってこったろ。 それ相応の論拠があるのなら別に構わん。 だがお前さんのは話にならないってだけだ。
>>534 なんでもかんでも同一人物認定するのやめろよ。
俺の根拠って何の話?
それ相応の根拠ってのを
>>517 で聞いたら、
>もし自説に説得力を持たせたいなら自説を纏めた論文を査読制度のある雑誌にでも送るんだな。
と答が返ってきたんだ。それを前提に話をしてる。ループさせるな。それとも別人か?
「自分に反対する意見を持つ人はすべて同じ人」という人みたいですね たまにいるけどさ
538 :
518 :2007/08/20(月) 23:50:42 ID:???
>>535 すまん。
どこから書き込み始めたのか教えてくれないか。
俺の書き込みは518、520だ。
540 :
518 :2007/08/20(月) 23:58:45 ID:???
あと531、534。
戦前の「小學國史教師用書」には元寇について「我は武器・戦術に於て頗る不利なり」
「たまたま暴風俄に興りて、敵の艦隊はために大損害を蒙り、辛うじて逃れ去りぬ」とある訳だが
これは
>>325 によれば戦前よりGHQが教科書に監修を加えていたことになるな
>>542 戦後の日本史研究者が元寇について言っていることなんか全部捏造なのさ。
当時の史書に書かれた文永の役↓
【鎌倉年代記裏書】
『十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北』
江戸時代の史書に書かれた文永の役↓
頼山陽【日本外史】
『十一年(1274)十月、元兵一万可り、来つて対馬を攻む。地頭宗助国、これに死す。
転じて壱岐に至る。守護代平景高、これに死す。事六波羅に報ず。鎮西の諸将をして、
赴き拒がしむ。少弐景資力戦し、射て慮の将劉復亨を殪す。慮兵乱れ奔る。』
戦前の史書に書かれた文永の役↓
白鳥倉吉【国史】
『元はついに武力でわが国を屈服させようと、後宇多天皇即位の年に、高麗の兵を合わせ、
数百艘の船をつらねて、朝鮮海峡を渡り、まず対馬、壱岐をおかし、さらに博多地方に迫りました。
九州の豪族たちが奮戦してこれを防いだので、元軍は深く侵入できずに退却しました。文永末年の
ことでしたので、これを文永の役といいます。』
戦後、GHQ占領下の教科書に書かれた文永の役↓
第七期国定教科書【くにのあゆみ】
『すると忽必烈は、文永十一年(西暦一二七四年)十月、九百せきあまりの船に、およそ四万の
兵を乗せて、博多湾に攻めこませました。武士たちは、勇ましく戦ひましたが、敵が上陸してきたため、
大そうなんぎをしました。ところが、大風がおこつて、敵の船をくつがえしたので、これを退けることが
できました。』
小學國史教師用書 著作兼發行者 文部省 「然るに范文虎の率ゐる江南軍十餘萬は、期に遅れて七月やうやく来着し、まさに東路軍と合して我に迫らんとせしが、 たまたま晦日の夜半より吹きすさめる神風に、怒濤天を巻きて、幾千の艨艟秋の木の葉と散りみだれ、覆没するもの算なく、 僅かに肥前の鷹島に敗残せる兵士も皆我が軍に捕獲せられたり」 戦前の文部省をすでにコントロールしていたとはGHQ恐るべし。
>>511 史学科の知り合いが同じような主張をしていたから興味深く読ませてもらっていた。
君の意見のここの部分がマジで分からんから教えてくれ。
史料の読み方とか全然分からんからそのへんふまえて教えてもらえると有難い。
>史料ってのは常に正しいの?
>互いの国の史料を出して両方とも間違ってるとかはありえないの?
上段は別にいいんだけど、下段の場合はどうやって歴史を作り上げるんだ?
元となる史料が間違ってるのにどうやって通説を作り上げるの?
そもそも間違っているかどうかはどうやって調べるの?
仮に両方とも間違っている場合はどのように歴史を書けばいいの
中世なんてまだいいよ。 割合史料は豊富だから。 古代なんて悲惨だ。 ある事件に関する史料が一つしかないからそれに頼るしかないなんて珍しくない。
間違ってる間違っていないの基準が素人目には全然分からん。 ちなみに知り合いの主張は上のほうに貼られたサイトと同じ感じ。
両方の史料の記述が一致している場合は正しいんじゃないの? 分けが分からん。
パッと思いつく物で、 史料の書かれた時代と状況と場所、書いた人間にどれだけバイアスがかかっていたか、また書いた人間がどれ位資料を使ったのか、史料の記述と実際の考古学的資料の比較などだな。 一次史料を鵜呑みにするのは19世紀以前の歴史学。
元史や高麗史は信用できる? 日本側の史料はどのていど信頼できるの? 近世に書かれたものは信用できる? クレクレでスマソ
>>551 文永の役は
>>542 元軍の優秀さと暴風雨の下りは
>>285 や
>>325 の主張から見るかぎり
GHQによって付け加えたものであるから戦前からGHQが日本の教育に
影響を与えていたことは明らかだな
つまり文永の役について戦前からGHQが日本に影響を与えていたことは認めるんだな。
>>554 何で文永の役については全文UPしないの?
お互い様だろ
それに要点は「元軍と鎌倉武士団の武装の優劣」と「神風の有無」だ
>>556 お前のUPしなかった部分が戦後の『くにのあゆみ』では丸々削除されてるからだろ?
存在しないはずの文永の役の神風と弱いはずの元軍の武装の優秀さが戦前の本に載っているのは何故だい?
「元軍の武装の優秀さ」が戦前の本に存在していないとは書いてない。 日本側にはそれに対抗するだけの「武士の魂」があり、それが元軍の進軍を押し返したことになってるだろ。 それから実際「神風」なんて記述は存在していないし。
じゃあ季節外れの暴風ということで 兎も角文永の役の元軍は「たまたま暴風俄に興りて、敵の艦隊はために大損害を蒙り、辛うじて逃れ去りぬ」と 戦前から教科書に記述されていたわけだ
「たまたま暴風」自体は高麗史にもあるから問題は無い。 でも、それは「神風」認定されていなかった。 武士が押し返した部分を削除して、それだけ残したらまったく違う話だろ。
>>561 おいどうした、さっさと文永の役の全文をうpしてみろ。
それとも都合が悪いのか?
ただの威力偵察じゃん>文永
>>561 ああ、あと弘安の役も全文うpしろよ。
544は後半部分のみで東路軍相手への圧勝がかかれてない。
>>564 第二次大戦中に行なわれた史上最大&大失敗の威力偵察作戦『ディエップ上陸作戦』
参加兵力 カナダ第二師団(約6000名)、イギリス海兵隊三個コマンド大隊、アメリカ軍レンジャー部隊一個大隊
損害 カナダ軍 3363名 イギリス/アメリカ軍 247名
『文永の役』
参加兵力 蒙漢軍(約2万5000名)、高麗軍(約8000名)
損害 1万3500余名
>>533 そりゃ、「日本はモンゴル、朝鮮、中国といった東アジアの国々から侵略を受けましたが、日本の方が強かったので勝ちました」
なんて、戦後の左寄りの連中が死んでも口にしたくないストーリーだからな
569 :
名無し三等兵 :2007/08/23(木) 00:12:00 ID:U7us6Iwj
客観的に見て、日本最強派の勝ちだな。 日本雑魚派は何一つ骨子には反論出来ずに重箱の隅をつついてるだけ。
570 :
名無し三等兵 :2007/08/23(木) 00:36:34 ID:9ZtTkkO1
日本みたいな騎射戦術主体の軍にとって天敵ともいえるのはローマ軍のような 重装密集歩兵戦術。盾で隙間無く防護し、飛び道具をはじきながらジリジリと 進出して来られるとなすすべがない。大抵、プレッシャーだけで敵は敗走する。 また、このような相手には騎馬による突撃はあまり効果がない。 中世ヨーロッパでもスイス傭兵が最強を誇ったのはシールドウォールと槍の密集により、 騎士の突撃を止めることができたから。 馬が相手を攻撃するときは後ろ足で蹴飛ばすのが野生の習性であり、人を乗せながらでは このような動きはできない。前足で相手を踏んづけるなんて動きは野生の馬はしない。 そのため、騎兵部隊が敵を蹄で蹴散らす図は全くの空想。 密集部隊を前にすると馬はどうしても停止する。停止した状態で打ち合えば、足場が 不安定で自由に動けない馬上の人間の方が不利。 つまり、鎌倉時代の日本軍には致命的な弱点がある。最強なんていう奴は何も分かっていない
>>570 そのわりにはローマ軍って騎射戦術主体のパルティア軍との対戦成績が良くないな。
あと、13世紀にローマ軍みたいな重装密集歩兵戦術を採用していた国なんか存在するか?
>>570 で元軍は重装密集歩兵戦術やシールドウォールと槍の密集を使って、
日本に攻めてきたのか?
今話しているのは元軍と鎌倉時代の日本軍の話であって、
鎌倉時代の日本軍対中世ヨーロッパやローマ軍じゃないから、
そんな話をしても意味ないぞ。
だいたい、スイス傭兵がパイクを使用し始めたのは、 馬に蹴散らされるせいではなく、騎兵の用いるランスの普及に対抗するためだろう。
>>572 元軍に日本軍が勝った、というだけならわかるが、それをもって日本最強、とか言うから突っ込まれたわけだろ。
実際この時代に重装密集歩兵戦術なんか存在しないわけだし、重装密集歩兵戦術は 騎士のランス突撃に有効なだけで、弓騎兵との相性が良いわけでもない。 鎌倉武士最強で問題ないのでは?
日本に限らず、現代の戦争でも戦史でも、自国や自分が味方するモノを凄いと願うのは デフォルトと言ってイイくらい当たり前なのかね?
>>576 モンゴル軍に圧勝した鎌倉武士を凄いと言って何が問題?
戦後半世紀以上に渡って蔑んできたことの方が、あきらかに異常だと思うが
別に。 戦後半世紀、蔑んできた? オレの高校の日本史の教師は、元寇に勝利した要因に、 日本武士の精強も数え上げられるに違いないと、授業中に言い張っていたな。 ただ、勝因は一つではない。 勝利したという事実をもって、日本の武士が最強だ、というのは、 どう考えても過大評価だと思わないか?
重装密集歩兵戦術にとって天敵ともいえるのは、 機動力に優れた騎兵等による側面迂回攻撃。 ファランクスは、軍団としては小回りが効かず、側面から 回り込まれて攻撃されても、容易に向きを変えることもできない。 ハンニバルはヌミディア騎兵を用い、機動力を生かして、ローマ軍の両側面から 攻撃することにより連戦連勝だった。 つまり、重装密集歩兵戦術には致命的な欠陥がある。最強なんて言う奴は 何も分かっていない。
>>579 強さを評価する際に「勝利したという事実」以上に説得力のあるものはない。
これまでその他の勝因として挙げられていたものなんて、どれも言い掛かりとしか
言えないような些細なものばかり。
>>580 補足してやろう。
元々、ローマの重装歩兵は、長槍なんかは使わなかった。
槍は投擲に使い、白兵戦では普通に剣を使用していた。
それに改良を加えたのが、スピキオ・大アフリカヌス。
グラディウスという刺突にも斬撃にも使える幅広の剣を採用。
それまでの細身の剣よりも、打撃力がまし、戦列の使い方の洗練
(レギオンの完成)と相まって、地中海世界で猛威を振るう歩兵部隊が完成した。
これ以降、特にギリシャの密集歩兵戦術、ファランクスは、完全に歯が立たず、
中世に至るまで、ローマとその周辺で、歩兵が槍を使うことはなくなった。
ここに一旦、ギリシャ起源の、長槍を使う重装歩兵戦術は終焉を迎える。
一方の騎兵だが、これは一旦、中世に至る過程で、弓矢に完全に制圧されかかる。
だが、熟練の弓兵を育てるには時間もかかる。
さらに、クロスボウは連射が困難。
イングランドに代表されるロングボウは取り回しに長年の訓練が必要。
ショートボウは威力が不足。
弓兵で戦列を埋め尽くすのは難しく、やはり補助兵科に留まった。
そして、歩兵対騎兵に関しては、鐙が普及し、ランスが導入されることによって、
槍を持たない歩兵に対して、圧倒的に優位になり始める。
これに対抗したのが、スイス傭兵。彼らはランスよりも長大な、
パイクを導入。横隊もしくは方陣の密集だったが、盾は持たず、
パイクのリーチを巧みに使って、騎兵の突撃を退けた。
しかも、彼らは歩兵に追随する機動性も持ちあわせていた。
ギリシャ流の機動力のない重装歩兵戦術との大きな違いが、そこにある。
こうして、スイス傭兵の成功を見た他国の傭兵たちも、パイクを導入。
歩兵とパイク兵との組み合わせが、戦列の中心となっていく。
これはマスケット銃が登場してしばらくしても続き、
三十年戦争ではパイク&マスケットという言葉が、戦列の様態もしくは戦術を表現する呼び名として定着するようになる。
583 :
名無し三等兵 :2007/08/23(木) 10:48:37 ID:4p4MkwMs
>>579 下らん御託はいい。
さっさと反論しろ。
論理的具体的な物をだ。
モンゴル軍はいわば一般人しかいない世界でのヤムチャ。
ロシアや中東の雑魚を相手にイキがっていたが日本と言うベジータに粉々に粉砕されただけ。
当時の世界最強が日本なのはどう足掻いても認めざるを得ない真実。
13世紀における世界の軍事力のランキングはこうだろう。
日本武士>>>>>(やるせない壁)>>>>>モンゴル>>>>>(越えられない壁)>>>>>イスラムの雑魚>>>>>(文化の壁)>>>>>キリスト教の雑魚
これに反論してみろ。
584 :
名無し三等兵 :2007/08/23(木) 10:51:53 ID:4p4MkwMs
あと同一人物ならさっさと文永の役と弘安の役の全文をうpしてみろ。 それとも都合が悪いのか?
>>580 >>582 横レスだが、幾つか間違いがあるから補足してやろう。
>ファランクスは、軍団としては小回りが効かず、側面から
>回り込まれて攻撃されても、容易に向きを変えることもできない。
ある程度はその通りだ。
その為にペルタスタイ、トゥレオフォロイ、ヒュパスピスタイなどの軽・重装歩兵やプロドロモイ、ヒッパコンティスタイ、ヘタイロイ、ヒッペイスなどの軽・重装騎兵などにより側面を防御する。
>ハンニバルはヌミディア騎兵を用い、機動力を生かして、ローマ軍の両側面から
>攻撃することにより連戦連勝だった。
もうこの時点でローマ軍はファランクスではない。
サムニウム人との戦争からマニプルス戦術を採用したのが80年以上前だ。
>元々、ローマの重装歩兵は、長槍なんかは使わなかった。
>槍は投擲に使い、白兵戦では普通に剣を使用していた。
>それに改良を加えたのが、スピキオ・大アフリカヌス。
>グラディウスという刺突にも斬撃にも使える幅広の剣を採用。
何時スペイン剣をローマ軍が使用し始めたのかは解っていない。
第一次ポエニ戦争直後から第二次戦争中まで様々な説がある。
>これ以降、特にギリシャの密集歩兵戦術、ファランクスは、完全に歯が立たず、
歯が立たないというのは誇張だ。
第一次マケドニア戦争中やペルセウスには何度か敗北を喫しているし例えばマグネシアの戦いではアンティオコスの重装騎兵による突撃で戦列の一部が崩壊している。
2世紀BCにおけるヘレニズム勢力の敗北はファランクス自体ではなく指揮官の無能や運による所が大きい(戦闘中に騎兵をつれて逃げ出したペルセウスなど)。
>中世に至るまで、ローマとその周辺で、歩兵が槍を使うことはなくなった。
完全な間違い。
3,4世紀以降ササン朝ペルシアが猛威を奮うにつれてローマ軍歩兵の装備は代わっていった。
それまでの短剣(グラディウス)・四角の大盾・二本の投槍(ピラ)から槍(ランケア)・長剣(スパタ)・数本のダート(プルムバタ)に変わる。
そして言うまでも無くゲルマン人の大部分は槍を使っていた。
その後中世が終わるまで槍は歩兵の主武器であり続けた。
一体どこからこんな情報を手に入れたんだ?
>>これに反論してみろ。 「論」じゃない物に反論は出来ない。 常識だろそんな事…(笑
防御は攻撃よりも強力な戦闘体系である 乱世に揉まれまくった秀吉軍ですら、揚陸作戦は完遂できず、 鎌倉幕府は、与える土地が無くても逆上陸作戦は行え無かった。 日本海は偉大だ
588 :
名無し三等兵 :2007/08/23(木) 11:38:44 ID:4p4MkwMs
>>586 モンゴル騎兵軍は当時世界最強だった。
そして日本はそのモンゴル騎兵軍をオープンスペースで叩き潰した。
よって当時の世界最強は日本である。
どう見ても完璧な論理だろうが。
何がおかしい?
589 :
名無し三等兵 :2007/08/23(木) 11:39:57 ID:4p4MkwMs
>>587 騎兵部隊の海上輸送なんか、ウィリアム征服王や十字軍だって普通にやっている。
大モンゴル帝国にできなかったとしたら、そっちの方が問題だろ。
対馬海峡を超えて戦力投入することなんか、大昔から誰も苦労なんかしていないぞ。
391年に日本から朝鮮半島に渡った軍勢は、新羅・百済を征服。
663年の白村江の戦いでも、日本から2万7千もの大軍が朝鮮半島に渡っているし。
現実に文永の役でも弘安の役でも、普通に万単位の元軍が渡航してるじゃん。
大体上陸「させた」後にきっちりオープンスペースで叩き潰してるだろ。
はい、論破完了。
防御と攻撃 上陸と迎撃 補給の問題 大陸国と海洋国 軍板住人なら説明イランと思うが
>>663 年の白村江の戦いでも、日本から2万7千もの大軍が朝鮮半島に渡っているし。
大敗じゃん。
十字軍も大敗喰らったな。 しかし、地中海辺りと日本海を比べるのは・・
>>590 戦争の勝敗≠兵士の質≠損害の数
だよな?
>>588 >モンゴル騎兵軍は当時世界最強だった。
>そして日本はそのモンゴル騎兵軍をオープンスペースで叩き潰した。
>よって当時の世界最強は日本である。
君の大好きな蒙古襲来絵詞には歩兵が沢山書かれてるが?
595 :
名無し三等兵 :2007/08/23(木) 11:53:51 ID:4p4MkwMs
>>594 蒙古襲来絵詞に描かれているのが高麗部隊だっていうのは、ほぼ定説。
>>595 だから何?
蒙古襲来絵詞のモンゴル軍に歩兵が多いと言うのは変わらない。
>>591 しかも朝鮮人に大敗すると言うこれ以上無く恥ずかしい物。
>>597 白村江で大敗したのは唐艦隊に対してで朝鮮人に負けたわけじゃないだろ
>>587 元寇の際の防御の有利さなんて、元軍の数的有利と奇襲効果で簡単に相殺されてしまう。
文永の役でも弘安の役でも元軍は揚陸には成功している。
その後の陸戦で負けただけ。
よって日本海は関係ない。
>>596 >蒙古襲来絵詞のモンゴル軍に歩兵が多いと言うのは変わらない。
それ普通のモンゴル軍だろ。
中東に遠征した時も、南宋を征服した時も、東南アジアに進行した時も、
モンゴル軍には歩兵が多かった。
>>598 お前本当に軍事板の住人なのか?
>>600 この日本の最強!の方は何回も「日本に上陸した元軍は大部分が騎兵だった」と仰せられてるんだよ。
602 :
601 :2007/08/23(木) 17:10:42 ID:???
598じゃなくて599
>>601 元寇はほぼ同時期の東南アジア侵攻と比較して、一桁多い兵力によって行なわれているが、
これは船舶の輸送力を利用できたから。
さらに鎌倉幕府は長門や京都でも万単位の兵力を動員しているが、これも元軍が日本海や
瀬戸内海を利用し、大宰府以外の場所を襲撃する可能性を捨て切れなかったから。
お陰で鎌倉幕府はその兵力を九州防衛に集中させることができなかった。
つまり鎌倉武士は日本海のせいで、より厳しい条件で元軍と戦わなければならなかったと
いうこと。
遅レスかもだが戦前にもGHQが〜とか書き込みがあったが それって単に戦前から「日本は苦戦した」という電波説はあって 戦後日本は強かったと強く言えなくなって苦戦した説が主流に なってしまっただけなんじゃないの? 歴史学では一定の電波な学説が一部で出てくるのはいつの時代もそうだし。
>>604 戦前の学校の教科書なんだが。
戦前と言うのは異端の電波説を教科書に載せる時代だったとでも?
>>603 話が全然噛み合ってないんだが。
と言うか答えてくれよ。
お前は本当に軍事板の住人なのか?
>文永の役でも弘安の役でも元軍は揚陸には成功している。
>その後の陸戦で負けただけ。
>よって日本海は関係ない。
なんて真顔で言う奴がそうだとは思えんのだが。
話がグダグダになって来てるから両方ともそろそろ論点をまとめてくれ。 まず日本最強派の根拠はなんだ?
>戦前と言うのは異端の電波説を教科書に載せる時代だったとでも? そだよ。だから負けた。
609 :
名無し三等兵 :2007/08/23(木) 22:18:04 ID:HT5hd56l
>>607 日本の武士の特徴は重装長弓騎兵にある。実はこれは世界に類を見ない兵科。
かつ、白兵戦の技術にも優れている。従って非常に柔軟な戦術を取ることができた。
歩兵相手にはアウトレンジから射撃できる。敵が盾を密にして防ぐなら、側面から挟撃する。
相手も騎射戦術なら重装と超ロングボウ(和弓は世界でも希に見る大型弓。大型化の秘密は
下1/3に握りを付けたこと)で優位に立つ。騎兵が突撃してくるなら、ヒットアンドアウェイ
で一定の距離を保ちつつ一方的に射撃するか、あるいは重装と白兵戦能力で迎撃する。
これだけ柔軟な戦術を取り得る兵科が他にあるか、ということ。
ちなみに象軍は弓に弱いです。的が大きくて当たりやすく、騎馬ほどの機動力もない。
>>607 野戦で元軍を完膚無きまでに叩きつぶしたってことが根拠では?
俺的には鎌倉武士は、野戦において世界最強だったでいいと思うが。
ただし、それが総合的な強さには必ずしも繋がらないけど。
鎌倉武士の攻城戦における能力がどれくらいだったか、未知数だし。
あと、日本側から攻めた場合、補給なども問題になってくるからね。
実際、野戦には滅法強かったハンニバル軍や秀吉軍は、この問題のおかげで最終的に敗北している。
食い物がなくなったら、どんなに強い軍隊でも終わりだからね。
>>日本の武士の特徴は重装長弓騎兵にある。実はこれは世界に類を見ない兵科。 実はそうでも無い。 パルティアもササン朝ペルシャも弓を使うカタフラクトを使用している。 ビザンツ帝国のクリバノフォロイも弓を使う装甲騎兵だった筈。
ドラゴンボールじゃないんだから同程度の技術を持つ軍隊同士を比べて「どっちが強いか」なんてランクづけ出来る物じゃない事くらい理解出来ないか? 元軍も最強じゃないし鎌倉武士軍も最強じゃない。そもそも「最強」なんて物は存在しない。これでFAだろ。
>>609 逆に言えば攻撃力では重装騎兵に劣り速度では軽騎兵に劣る中途半端な存在にならんか?
>>613 鎌倉武士の強さは、長射程・高威力の長弓を馬上からも扱えた点だと思う。
>>612 つまり同程度じゃないってことじゃないの?
>>612 だよな。米軍は最強だが米兵が最強かってーと怪しいとこだし
戦争は運と地形と戦術と兵力と補給
そうそう兵の強さで変わりはすまい
基礎的な訓練や知識が有れば、兵対兵の戦いなんてケースバイケースで、何が強いとかなくね? 殴り合いや斬り合いでも同じように、一人の優秀な人間が何人も相手にしてまっとうに戦えることはないしな
>>614 日本の弓は本当にでかいですね。人間の身長を超す弓なんて他の国には
ないでしょう。日本人の目から見れば、蒙古の弓は大分小さく見えますが、
むしろあれが世界標準ですもんね。
弓を握る部分が中央になくて、下側に付いてるのもすごく変わってる。
矢も長いし。実は日本を代表する武器は日本刀じゃなくて、和弓じゃないか
という気がするこのごろ。
>人間の身長を超す弓なんて他の国には >ないでしょう。 イングランドのロングボウは2メートルだぞ。
前にも書いたが… 和弓とモンゴル弓の射程距離を実際に実験で証明してるソースはあるのか?
>>619 和弓はもっとでかい。
標準で221cm。
鎌倉時代にはもっと大きいのもあったとか。
>>620 ようわからん。
ただ、弓の素材や矢の重量にもよるが、普通は短弓より長弓の方が射程は長い。
あと、威力に関しては、矢の重さがかなり重要みたい。
鎌倉武士はかなり重い矢を使っていたので、威力に関しては世界一だった可能性がある。
>>620 射程距離を実際に実験で証明してる弓なんて、ほとんどないと思う。
基本的には全部文献の中から数字拾って射程距離を推測しているだけなんじゃないの?
物心ついた時から弓兵としての訓練を積んでいた昔の人と、あくまで趣味の一つでしか
ない現代人とでは弓の技量に差があり過ぎて再現実験は無理だし。
昔、テレビの企画で現代の弓術の達人が、三十三間堂の通し矢に挑戦したことがあったが、
惨憺たる結果だった。
>>621 >和弓はもっとでかい。
どちらにせよ、重装弓騎兵が日本だけだというのと同じく人間の身長を超す弓が日本以外に無いと言うのは嘘。
>>622 >射程距離を実際に実験で証明してる弓なんて、ほとんどないと思う。
ヨーロッパ等ではその手の実験は盛んだよ。
>物心ついた時から弓兵としての訓練を積んでいた昔の人と、あくまで趣味の一つでしか
>ない現代人とでは弓の技量に差があり過ぎて再現実験は無理だし。
まあロングボウ兵みたく右腕が変形する程練習するなんて今じゃ不可能だろうな。
なんか専門家は日本の負けと吹聴しているって話しなんだけど 『元寇物語―博多湾頭攻防絵巻』を読んできたら 決してそうは書いてなかったぞ。 元の新戦術に苦戦はしたけど、寡兵で頑強に抵抗して損害を与えたとある。 抵抗の激しさと兵站の不安から元軍は戦略的撤退に追い込まれたほど。 しかも当時最精鋭と考えられていた関東勢は不参加だったとか ワンサイドゲームの解説にはなっていなかった。 あと弓に関しては モンゴルは短弓の威力を毒で補ったらしい。 狩猟民族おそろし。
短弓って言っても動物の骨と接着剤を使ったコンポジットボウなんだから射程と威力はかなり高い筈だぞ。
狩猟民族って反射神経みたいなもんで、実際にはそんなもんねーだろ
>>625 射程はともかく、威力は矢の重さでほぼ決まるみたいだよ。
軍板的に喩えれば、軽い砲弾よりも重い砲弾の方が高威力なのと理屈は同じかな?
ただし、矢を重くすると射程はそれほど伸びないようだが。
鎌倉武士の場合、長弓で重い矢を使用していた。
どの程度の威力かというと・・・・フライパンぐらいは容易にぶち抜くみたい。
ttp://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/kyuba.html で、鎌倉武士の鎧はこの矢に対応して作られていたわけで。
威力の低い(だろうと思われる)モンゴル弓では、貫通出来なかったのかも知れない。
鎌倉武士がハリネズミになっても突っ込んできたってのは、単に矢が貫通してなかったのかもね。
モンゴル自慢の毒矢も、相手の体に刺さらなければ意味ないわけで。
これまた軍板的に喩えるなら、チハvsT34の様な戦いだったのかも。
第一次十字軍の時もサラセン人の短弓では十字軍兵の鎖帷子の下に詰め物や皮服を着込んだ鎧を貫通出来ずハリネズミの様になっても全く効果が無かったらしい。
629 :
名無し三等兵 :2007/08/24(金) 22:44:59 ID:zJG+gw0S
>>623 長弓を扱うことは他の国にもあったが(遊牧民はほとんどが馬上で取り回しやすい短弓を使用。ただし、複合弓なので
長さの割りには威力がある)、そのほとんどが歩兵として運用された。ヨーロッパでは
弓兵と言えば軽装歩兵というのが定番(たいてい身分も低い)。イングランドのロングボウも例外ではない。
長弓に対して、騎兵として運用して機動力を与えることができたのはほとんど日本だけ。
和弓の、握りが弓の中心より下側に位置するという特殊な構造が馬上での取り扱いを可能とした(諸国の長弓は馬上で扱いにくい)。
さらにイングランドのロングボウは1.2m〜1.8mくらいで、素材も単一の木材(いわゆる丸木弓)なのに対し、
和弓は2.2m(7尺4寸)の長さを標準とし、竹と木材を組み合わせた合板弓であって、ロングボウより構造的にも進化している。
竹に火を通して炭化させ、カーボン素材としての特徴を強める工夫も古くからされていた。
もし、日本軍が強かったとしたら、それは多分和弓の強さなのだろうと思う。
実際、世界で知られている弓の中で、ダントツで大型なのが和弓です。諸国の弓と並べてみると、ちょっと異様ですよ。
>>629 話がかみ合ってない。
重装弓騎兵が日本だけだというのと同じく人間の身長を超す弓が日本以外に無いと言うのは嘘、と言う事には関係が無い。
イングリッシュロングボウの張力は40−80kg。
モンゴル弓は45−75kg。
和弓はどれ位?
>>627 >射程はともかく、威力は矢の重さでほぼ決まるみたいだよ。
>軍板的に喩えれば、軽い砲弾よりも重い砲弾の方が高威力なのと理屈は同じかな?
>ただし、矢を重くすると射程はそれほど伸びないようだが。
矢の重さだけで決まると言うは無い。
砲弾がいくら重くても肝心の砲身が駄目なら意味が無いのと同じで弓自体も重要でしょう。
具体的にどれ位の重さなんでしょう?また他の弓は?
>>どの程度の威力かというと・・・・フライパンぐらいは容易にぶち抜くみたい。 フライパンと言うのはチェインメイル+パディングより防御力があるのか?
>>631 騎乗での使用を前提にしていたモンゴル弓の張力が、ロングボウ並というのは考えられないんだが・・・・。
>戦前と言うのは異端の電波説を教科書に載せる時代だったとでも? 別な話だが根拠不明で科学的裏づけも取れてないのに 自分の学説を否定したくないが為に脚気の原因を栄養不足ではなく いるかいないかわかんない細菌の所為だと言う事に強引にした 医学者達のいる時代でもあったな
三人張りの弓がどの程度の張力なのかなんて、簡単に実験できそうなのに何で 今まで誰もやらなかったんだろう?
>>637 日本武士が弱いことにしたいGHQの策謀だったことにしとけばいいと思うよ
弩って日本人にいつ忘れられちゃったんだろ?
>>640 単一素材のロングボウが張力80キロが可能だったとされているのに、鉄じゃないと無理とか
こいつら馬鹿じゃないのか
>>634 現代の基準で考えてはいけない。
物心ついた時から馬に乗り弓を撃つ人間だ。
>>631 モンゴル弓の威力はイングリッシュ・ロングボウ並ということ?
凄く強力じゃないか。でも、ロングボウ兵の養成は極めて困難(体が変形する)で、そのため
イングランド以外では使いこなせなかったはずなんだが。
張力ってどういう風に測ってるのか知りたい。
>>イングランド以外では使いこなせなかったはずなんだが。 別にブリテン人が先天的に優れていた訳ではない。 様々な要因が重なって沢山の訓練された射手を生み出せたと言うだけだ。
ベルギーのマンガ「タンタンの冒険」はアフリカの土人を蔑視しているが同時代の わが国の「冒険ダン吉」は南洋の土人を啓蒙して動物兵器等で白人を撃退している。 よってスピルバーグは「冒険ダン吉」を映画化すべきである。
そんな威力あるんだったら毒つける必要ないんじゃないか?
複合弓はロングボウのようなまっすぐの弓より威力がでる。 最高の弓はオスマントルコで作られた複合弓で名人が売ったら900メートルとんだ? という嘘っぽい記録があったりする。
>>650 だが通常は複合弓>丸木弓と考えて問題無い。
>>647 モンゴル軍の矢に毒が塗ってあったという話は、元寇以外ではあまり聞かないな。
これって八幡愚童訓以外に書いてる史料ってあるのか?
>>543 の劉復亨だが
帰国した際は「倭兵10万と戦い勝利した」って皇帝に言ったらしい
中国の記録っていい加減なもんだな
中国の歴史書って勝ちも負けも整合性の合わないのが多そうだ
秀吉の朝鮮出兵の記録なんか見ても感じる
654 :
名無し三等兵 :2007/08/28(火) 18:33:35 ID:WYTRG5oz
>>652 常識だと思っていたが。モンゴルに行って調査すればすぐ確認できる。
>>649 900mの射程距離ってライフルなみ?戦前の村田銃とかでも900mは絶対届かないな。
>>644 むしろ、イングリッシュ・ロングボウが世界の弓の中でどの位の位置にいたのか?
ロングボウ(ブリテン基準では1.2m以上の弓)を扱う民族は、ヨーロッパ外ではそれなりにいたと思う。
嘘っぽいというか嘘だろ
>654 村田銃で飛ばすだけなら900は行くよ。斜め上に打ち上げるんだ。 狙い撃ちは出来ないが、面に対する公算射撃にはなるから、部隊が固まって行軍してる相手に撃ちかけると結構効く。
>>654 モンゴル軍が矢に塗っていた毒って、どんな種類の毒なの?
>>653 最前線で射られた立場なのに負けたっていう気分は持たなかったのだろうか
正直に言ったら命が危ない
>>653 逆だろ?
劉復亨は「倭兵10万と遭い、之と戦い敗れた」と報告した。
だから帰国後、降格処分になったんだろ。
661 :
名無し三等兵 :2007/08/31(金) 10:40:48 ID:nEa7hM3n
教科書の全文うpマダー?
西洋銃は火縄銃(マッチロック)→フリントロック→???→ボルトアクション の順に進化していったわけだけど、フリントロックからボルトアクションに 切り替わる過程がイマイチ良く分からない。 ミニエーとか前装式とか後装式とかいろいろあるけど
663 :
名無し三等兵 :2007/08/31(金) 11:41:36 ID:O+mSzDKm
664 :
名無し三等兵 :2007/08/31(金) 16:11:31 ID:zHajB6Qw
ちなみにトルコ人が900メートル近く複合弓で飛ばしたというレス書いたものだけど、
嘘っぽいなぁと思って検索してみたら海外でこんなサイトが・・・・。
http://www.atarn.org/islamic/akarpowicz/turkish_bow_tests.htm 930ヤードとばしたっていうんだから850メートルくらいだな。
マジだとしたら恐ろしいけれど、記録にはしっかり残ってるみたいだなぁ。
>合成弓がすべて丸木弓のもっとも強力なものより性能が高いとは限らない。
もちろんそうだけど合成弓は丸木弓よりも小さく取り回しがよくできることが最大の利点。
馬の上からうつ遊牧民にとっては最高の武器だろうね。ヨーロッパは以外と複合弓の技術がどとくのが遅かった。
>>660 いや捕虜200人を直接見せて
勝ったと報告したらしいよ
>>624 瀬戸内水軍の何兵衛かが小船に乗って斬り込んだとかの勇ましい話は記憶してたけど、
全体的に日本の武士団がコテンパンに負けた悲惨な印象しかなかったよ。ちょっぴり幸せ。
>モンゴルは短弓の威力を毒で補ったらしい。
日本には有名なトリカブトがありますが、その当時の武士団は毒を使用しなかったのかなあ?
>662 本当は日本の幕末銃砲史が最良のサンプルなんだが… 村田経芳の伝記小説「狙うて候」読んで欲しいが、短くまとめてみる。 まずフリントロックをパーカッション・キャップに置き換えて、不発なしで確実に発砲できるようになる。 次いでミニエー弾が発明されて、それまでえらく装填に手間がかかっていた前装ライフルが、 射程が短い前装マスケット(ゲベール銃)と同じく、タマを銃口から転がし入れればおkになって、歩兵銃の射程がいまと変わらなくなる。 そしてパーカッション・キャップを金属薬莢の底に取り付けたボクサー・カートリッジが出来て、 前装ライフルの底を切り欠いて開閉可能な機関部にした奴に、後ろから金属薬莢を込められるようになる。 で、この間紙薬莢+パーカッション・キャップで四苦八苦していたボルトアクション(ドライゼとかシャスポーとか)に金属薬莢を応用したのがパウル・モーゼル。後は知ってのとおり。 金属薬莢を使うレバーアクション・ライフルの流れも本当は大事なんだが、大威力歩兵銃のメインストリームを思い切り短く要約するとこんなもん。 なお、映画「ラスト・サムライ」じゃ、先込めエンフィールド⇒後装改造エンフィールド・シュナイダー⇒ボルトアクションライフル の流れの真ん中を豪快に省略することで、この間の根本的変革をくっきり写してる。 先込めエンフィールドを支援するレバーアクション(低威力だが連発式)の描写も良かったな。
>>666 152巻列伝第39劉通伝
「十年、遷征東左副都元帥、統軍四萬、戰船九百、征日本、與倭兵十萬遇、戰敗之。還、招降淮南諸郡邑。」
670 :
名無し三等兵 :2007/09/01(土) 12:57:32 ID:uSRX75qz
だから帰った時は本人はそう報告してるわけ 後から史書にどう書かれるかは関係ない
672 :
名無し三等兵 :2007/09/01(土) 15:45:36 ID:uSRX75qz
たまたま見た本だけど 他にも文永について高麗側の記録は個々の戦闘で勝った 報告だらけだと書いてあったな サヨっぽい本ではなかった 文永はどちらも一進一退、弘安は日本軍優勢と書いてたから
>>673 どうせチョンが誇張したんだろ、何時ものごとく。
チョンが鎌倉武士に勝つなんて物理法則に反してる。
>657 これは推論にすぎないけど トリカブトみたいなアルカロイド系は使っていたと思う。 紀元前から使うほど東南アジアでは一般的だし 短時間で死に至る描写になんかは最もあってる。 でも、気になるのは元寇だと 「毒矢の被害者は負傷箇所が壊死して死に至る」って描写もあって そこがちょっと引っかかる。 鉱物毒か腐敗した死体なんかで汚染させた矢でも使ったのかね?
ベトコンみたく人糞を(ry
ニュージーランドでのマオリとの英軍との戦いってどんなもんだったんだ?
つ 雷管
>>673 「捕虜200人」って恐らく日本から拉致された童男童女200人の事だと思うぞ。
高麗史の記事では、高麗国王と后に奴隷として献上されたと書かれている。
でも、戦後の建前で高麗は無理やり元寇に参加させられたことになっていたから、
「高麗国王に献上」ではちょっとマズイということで、何の根拠もなく勝手に
「元の皇帝に献上」されたことにしてしまった本が幾つかあるんだよ。
だから、「捕虜200人を元の皇帝に直接見せた」とか書いてある時点で、その本には
かなり政治的バイアスが掛かっているってことになるな・・・・
じゃあ何故、事実と違うことを書くのかって話だな
>>674 そんな勢いだったら負けもあったんじゃないか。
敵を冷静に評価しないのは、戦いの主導権を渡したも同然。
元々の史料の記述を改竄すること
>>「捕虜200人」って恐らく日本から拉致された童男童女200人の事だと思うぞ。 ただの憶測。 >>でも、戦後の建前で高麗は無理やり元寇に参加させられたことになっていたから、 陰謀論。 >>「高麗国王に献上」ではちょっとマズイということで、何の根拠もなく勝手に >>「元の皇帝に献上」されたことにしてしまった本が幾つかあるんだよ。 陰謀論。 >>だから、「捕虜200人を元の皇帝に直接見せた」とか書いてある時点で、その本には >>かなり政治的バイアスが掛かっているってことになるな・・・・ 仮に上(何の根拠もなく勝手に「元の皇帝に献上」されたことにしてしまった本が幾つかある) が真でもこの本がそうだと言う証拠にならない。 政治的バイアスが掛かっていると言う証拠を出せ。 そもそもその本には劉復亨が「倭兵10万と戦い勝利した」と捕虜200人を直接見せて勝ったと報告したと書いてあるんだろう。 どこに日本から拉致された童男童女200人の事が書いてあるんだ? それともそう書いてあるのか? 665よ、答えなさい。
686 :
名無し三等兵 :2007/09/04(火) 03:09:39 ID:WmZX2Gh2
イギリス軍用銃 ブラウン・ベス(1722年制定、フリントロック式) ↓ エンフィールド(1853年制定、前装式マスケット) ↓ スナイドル(1866年制定、後装式) ↓ マルティニ・ヘンリー(1871年制定、レバーアクション式) ↓ リー・メトフォード(1888年制定、ボルトアクション式)
>>685 だから最初から童男童女200人の事だと「思う」と書いてるし。
それから何の根拠もなく勝手に 「元の皇帝に献上」されたことにした本なら
現実に存在する。
田中政喜著『元寇物語』青雲書房P159〜160
「だからいくら忠誠を励んだといっても、それだけでは軍功を立てたとはいい
難いので、命からがら逃げる途中に、またも壱岐や対馬に立ち寄って、罪もない
童男童女二百余人を捕虜にして、せめてもの功労として十二月下旬、高麗の都、
開京に帰ってきたのであった。そして高麗王に別れをつげると、元の大都に到着
した。捕虜二百余人を世祖の前に引き出して、その手柄のほどを誇ったのである。」
こういう本が存在し、元史にも高麗史にも他に「捕虜200人」に該当する記述がない
以上、「捕虜200人」=「日本から拉致された童男童女200人」と考えるのは当然だろ。
>>高麗史の記事では、高麗国王と后に奴隷として献上されたと書かれている。 その部分を求む。
あと、 >>捕虜二百余人を世祖の前に引き出して、その手柄のほどを誇ったのである。 どこに「元の皇帝に献上」とあるんだ?
>>688 「庚午、侍中金方慶等還師、忽敦以所俘童男女二百人、献王及公主」
>>689 世祖の前に引き出したんだから、普通そういう意味だろ。
問題なのは、史料では高麗国王と后に献上されたと書かれているのが、
理由もなく変更されている点だし。
>>世祖の前に引き出したんだから、普通そういう意味だろ。 なぜだ? 捕虜を見せて勝った証拠としたとしか見えないが。
わざわざクビライに見せる為に連れて行って、その後、高麗に戻って献上したってか。
693 :
687 :2007/09/04(火) 21:51:23 ID:???
>>691 >>687 の書き方が悪かったな。
「それから何の根拠もなく勝手に 「高麗国王に献上」を変更してしまった本なら
現実に存在する。」
これなら、何の不満もないだろ?
問題は、高麗の元寇への関与を故意に歪めている点なんだから。
>694 常識でおk 通常の日本語能力があれば、>690 を日本語に訳した物が >688 だと理解できるはずだ。
>>694 俺は漢文なんて全く解らんが子供200人を王に献上したと言う事は読み取れる。
公主というのは后の位の一種なんですね。年は庚午って部分で計算すると。
698 :
名無し三等兵 :2007/09/05(水) 00:51:06 ID:MHHBkAog
665は逃亡と。 山野もそうだが日本弱かった派はなんで反論につまるとすぐに逃亡するの?
699 :
名無し三等兵 :2007/09/05(水) 02:19:01 ID:MHHBkAog
日本の大鎧はとにかく頑丈で分厚く元軍の矢を針鼠のようになるまで受けたって鎧を貫くことはほとんど無かった。 大体時代劇では刀や槍、薙刀をやたら振り回しての白兵戦が展開されるけど人間あんな重いものつけてそんなに動きまわれるもんじゃない。 (ボクシングの1Rが3分でしかないように身軽になったって人間が激しく動き回るにはこれが限界) 矢合戦中心の戦で一方鎌倉武士の弓は大鎧を射抜くことを前提に作られているから動物の皮で作った機動性重視の元軍の鎧は容易く貫けた。 特に元軍の艦隊転覆後は全く一方的虐殺。 元寇って実のところ鎌倉武士軍のそれくらい一方的な大勝利だったってこと。 教科書に書いてあることなんかほとんど嘘っぱちで。 弘安の役のときなんか前の文永の役で手柄たてた武士たちが恩賞もらったもんだから全国の武士たちが じゃあ今度は自分もってばかりに意欲満々で九州まで行って敵を見たらそれっとばかりに襲い掛かり散々にやっつけた戦い。 国を守るための悲壮な決意なんて全然ないよ。 何たって相手の矢は大鎧が守ってくれて刀振りかざせば切れ味抜群の日本刀。 元軍の刀も兜も真っ二つ。 NHKの大河ドラマの北条時宗なんか全然史実を伝えてないから。 日本の製鉄技術って実は平安時代から結構高かった。だから鎧も頑丈だった。 元の弓は日本の武士が力振り絞って矢を放つ間に何本も放てたとか学校じゃ教えているが それだけ弱かったということ。鎌倉武士は体中がハリネズミのように矢を受けたけど鎧に守られていた。 いわゆる集団の毒矢戦法や鉄砲の最新兵器や戦術に散々やられっぱなしだったけど台風で勝てたなんて同時代の資料に一つも書いてない。 鎌倉時代の刀って江戸時代になっても武士が先を争って求めるほどの業物があるもんね。 支那では「倭刀」と呼ばれ「受けたら自分の刀が折れるから絶対に受けてはならない。」と言われてたとか。 事実江戸時代の主要な輸出品だったしね。
大鎧の防御力を示した同時代の資料ドゾー
大鎧って木で出来てるんだろwww
大鎧を着た鎌倉武士がそんなに素晴らしい物ならなんで戦闘が歩兵による集団に移行し、馬上で弓を撃つのが廃れ、武士は次第に胴丸や腹巻を着始めたんでしょう。
幕末、大和で挙兵した天誅組の吉村寅太郎って人の話しだけど、 その人が五條の代官所を襲撃したとき、大鎧着て行軍しようと したけど重すぎてまともに歩けないから、コケないように後から 従者が支えていたと何かの本で読んだ。 多分ネタかもしれない。
>>703 時代の流れとともに最強の武器や戦法が変化していくのは普通のことだろ。
6号戦車VSチハたんですか?
>>706 >>鎌倉武士は体中がハリネズミのように矢を受けたけど鎧に守られていた。
>>刀振りかざせば切れ味抜群の日本刀。 元軍の刀も兜も真っ二つ。
この妄想が本当なら変わる余地が無いだろ。
つーか「ハリネズミのように矢を受けたけど鎧に守られていた」なら少弐資時が戦死したのはなんで?
>>708 鎧を着てなかったか、元軍の中にゴルゴ13がいたか、或いは落馬か戦病死か。
そもそも源平の合戦での戦死者はどの程度が矢傷で、どの程度が刀や薙刀によるものなのかとか
そこらも不明だしなぁ。
鎌倉末期の戦死者ならでてきてるんでしたっけ。
>>693 「根拠無く」の根拠が不明。
そしてなぜそれが韓国への遠慮の為と言う陰謀論に発展するのかも不明。
>>711 根拠が書いてないから「根拠無く」で何が問題?
更に高麗国王へ献上された点を変更するのに、韓国への遠慮以外のどんな可能性がある?
例えばさ、今普通に書店で売られている元寇関連の本には、こういうことが書いて あるのだが、これってどうよ? 村井章介著『北条時宗と蒙古襲来』NHKブックス P128 「したがって、日本との戦争を避けることが、李蔵用以来の高麗の基本方針であり、 外交交渉で正面から日本遠征中止を訴えるほか、使者を抱きこんで日本国使を 仕立てるなどの工作もいとわなかった。 もちろん高麗の一部には、対日戦に勝利して有利な地位を確保しようとする 思惑もあり、忠烈王が、一ニ七八年に「日本は一島夷のみ、・・・願わくば更に 船を造り穀を積み、罪を声らして討を致さん」と元にもとめたり、一二九二年に、 三度目の日本征伐への助力を元使に申し出る、といった行動をした背景には、 そうした動向があるかもしれない」 忠烈王は高麗国王で、李蔵用は一介の役人だぜ。 何で忠烈王が「高麗の一部」で、李蔵用が「高麗の基本方針」なのさ? 現実に忠烈王の申し出の後で、それぞれ相当数の高麗軍が参加して日本侵略が行なわれて いるわけだよな。 普通に考えれば、あきらかに忠烈王の方が「「高麗の基本方針」だろ。 これって「韓国への遠慮」以外の何?
714 :
名無し三等兵 :2007/09/05(水) 14:20:07 ID:mWAOK8Ru
>鎌倉末期の戦死者ならでてきてるんでしたっけ。 応仁の乱の時の記録が残ってる。両軍1000人くらいの合戦で死者の死亡原因を記録した文献がのこってて、 たしか、投石四割、弓三割、槍二割、日本刀?刀は一割以下という結果に。 日本刀が強いから元軍に勝てたっていうのはかぎりなく怪しい。 鎧が強靭で弓も通さないってのは「弓の威力」を甘く見てる。 当時の製法で作った合成弓で実際実験した結果があるけど、かなりの分厚さの、 鉄板でも貫く。鎌倉武士が矢をガンガン跳ね返したなんてあきらかにおかしい。 ヨーロッパのプレートメイルすら貫いたという記録がヨーロッパ側にある以上、 鎌倉武士の鎧がすばぬけて強靭だったというのは無理だと思う。 それと元軍は混成軍なので遊牧民タイプの武器防具ばっかりもっているわけではない。 高麗軍も南宋の軍もいるし、元もモンゴル時代と違って武装は変化してるわけで。 遊牧民は軽装だから楽勝ってのは間違い。
>>712 >>713 本人独自の研究や別の史料を使ったとか単なるミスだとか色々可能性は考えられる。
少なくとも研究家達の間に「韓国への配慮」の為故意に史実を歪めてる陰謀がある等よりは現実的。
何人もが同じミスをして訂正もされないで引用され続けるという。
>716 それは元寇関連どころか、あらゆる学術分野で頻繁に起こっている罠。
>>716 最近まで「鐙が無ければ馬上戦闘は非常に難しい」と言う嘘が多くの研究者の間で信じられてたがそれが訂正されたのはつい最近の話。
ずっと長い間その説が採用されてたから未だに信じてる人間が多い。
>715 単なるミスが何で必ず韓国の関与を歪めようとするベクトルに働くのさ? 「韓国への配慮」の為故意に史実を歪めてると考える方が遥かに現実的。
つまり複数の研究家の間で「韓国への配慮」の為故意に史実を歪めてる陰謀が存在すると。
>>715 元側の史料から元寇を調べたモンゴル史の専門家は、日本史研究者たちが、
イデオロギー上の理由から元寇研究を歪めていることを匂わせて批判しているが。。。
杉山正明著『モンゴルが世界史を覆す』日経新聞社
P305
「蒙古襲来については、戦前・戦後の二重のタブーにさえぎられ、なにが、いつ、
いったいどうなったのか、筋みちの立った事実確認が定かになされていない。」
P306
「日本が蒙古襲来という「巨大な外圧」を撃退できたのは、朝鮮半島・中国大陸・
東南アジア各地の諸民族・諸国民の「モンゴルの圧政」に対する抵抗・反乱・連帯が
あったからだという議論がなされる。ただし、実証や事実の検討となると、
どうしょうもなく危うい面が多い。それについては、別の機会に詳述するが、
ひとつにはヴェトナム戦争時期の反米運動のアナロジーが投影されているようである。」
P307
「これまで無条件に善玉・英雄とされた高麗国の反モンゴル勢力の三別抄についても、
本当のところはモンゴルに直接臣従しようとする動きもあり、これまでいわれてきたように
一筋縄ではいかない。」
P332
「高麗や南中国で民衆を強制徴発して粗製・乱造させた手抜きの船だから、たちまち
覆没したという有名な話も、史料上いったいどこからくるのか。言いだしたら、
本当にきりがない。」
P333
「遼東方面から朝鮮半島に展開する諸軍は、高麗王朝もふくめて、遠征の成功後は
自分たちの権益を主張できる将来の新領土として日本列島を眺めていたこと、−これらは
モンゴル帝国の歴史を研究するものには「常識」といっていい。」
>高麗や南中国で民衆を強制徴発して粗製・乱造させた手抜きの船だから、たちまち >覆没したという有名な話も、史料上いったいどこからくるのか。言いだしたら、 >本当にきりがない。 近年に実際に沈んだ船団を調査した筈だ。 と言うか種本は何? これだけ多くの本や史料を暗記してるのか?
>>722 種本なんかないよ。
主な本や史料は手元にある。
そういうのはハングル板のenjoykoreaスレに行けば 詳しく聞けるよ。 一次資料が大好きだし
そりゃ史料を読めば誰だっておかしいと思うだろ
727 :
名無し三等兵 :2007/09/06(木) 23:05:31 ID:F6NLnw/A
>>714 西欧のプレートメイルが最強の鎧という通念を疑ってみる必要もあるんじゃないかな。
確かにプレートメイルは非常に堅固な装甲だったことは認める。
でも、大鎧も隙間だらけに見えるけど、小札を綴り合わせた柔構造が矢を弾くのに絶大
な効果を発揮した。柔構造だからこそ、矢のエネルギーをまともに受けずに、いわば受け
流してしまう。単純な強度では板金に劣っていても、小札を綴った構造だからこそ、小札
が自由に動いて、衝撃をまともに受けないし、左右に流れて結果的に矢の貫通力を逸らして
しまう。また、日本の鎧はいずれも漆を分厚く塗って表面が非常に滑りやすくなっている。
受け止めるだけならプレートメイルは最強だろうけど、大鎧は受け流すことで防御する。
そもそも発想が違う。しかも、あの大鎧の下に分厚く着衣を着込んでショックアブソーバー
にしていた。
実験的に固定された鉄を貫通できても、うごく大鎧について、理論通りに貫通できるかは
分からない。
>受け止めるだけならプレートメイルは最強だろうけど、大鎧は受け流すことで防御する。 >そもそも発想が違う。 プレートも(プレートメイルと言う言葉は間違い)も受け流す事によって防御するんだが。 実際に見れば解るがプレートと言うのは非常に滑らかな曲面を持ってるんだよ(ネットに転がってる画像を見るだけでも解るだろう)。 角度によっては弾丸もそのまま滑ってしまう。 >しかも、あの大鎧の下に分厚く着衣を着込んで そんな事当たり前。 プレートもメイルもラメラーも必ず下にパディングをつめる。 むしろそうしない鎧の方が珍しい。
>>714 >応仁の乱の時の記録が残ってる。両軍1000人くらいの合戦で死者の死亡原因を記録した文献がのこってて、
>たしか、投石四割、弓三割、槍二割、日本刀?刀は一割以下という結果に。
それ死亡原因じゃないから。
あくまで「負傷」の割合。
大鎧武者なら普通に和弓で射殺せるだろ
日本の装備に関してファンタジーじみた妄想入ってる奴がいるな・・・
以前読んだ中世軍事史関係の洋書では「小札を漆で塗り固めた日本の鎧は 小札鎧のフレキシビリティを犠牲にして防御力を高めたのが特徴」 とか書いてたけど。
>>677 マオリ族は戦争勃発よりかなり早い段階で銃を入手してたんで、英軍もかなり苦戦したらしい。
>>728 ずいぶん時代は下るが、徳川家康が着用してたジェノバ製の南蛮胴をTVで
見たんだけどでかい弾痕が残ってるね。
実際に戦場で撃たれた痕なのか実は箔を付けるのにその辺に置いて鉄砲で
撃ったのかは分からないけど。
たしかあの当時のブレストプレートは品質保証のために 製造業者が胸に弾痕をつけてあるはず。
>>735 司馬遼太郎の「関ヶ原」に家康が清正や正則の前で南蛮胴をさすりながら「これは姉川の合戦で受けた弾で」
とか語る場面があるけど、実はあれ品質保証マークかw
>>727 おめーさんファンタジーRPGのやりすぎかなんかかw
>>728 さんの言うとおりプレートメイルだろうが受け流して防御する。
ちなみに動こうが動かなかろうが、物理的に、合成弓は張力的に大鎧を貫けますよ。
100っ歩譲って動いていれば大丈夫だとしてもずーと動いているわけじゃないんだから。
いうかぶっちゃけ和弓ではあるが、大鎧を再現して弓うった再現実験もあるけど、十分貫けるという結果に。
モンゴルの合成弓の張力は和弓を上回っている部分もあるので、貫けないわけがない。
というか日本軍の鎧の堅固さっていうのが他国の史料に残っている例をしらない。
朝鮮出兵の時も日本刀の切れ味を絶賛した史料はあるけど、鎧に関してはさほど評価しとらん。
戦国後期の大名がこぞって南蛮胴を使ったってのは要するに彼ら自身が日本の鎧より西欧の鎧の方が優れていたと思ってたと言う事だよな。
鎧は想定する武器や戦術の変化によって流行り廃りをする。 大鎧と同時代の騎士の鎧は鎖帷子で、せいぜい一部をプレートで強化した程度。 全身を覆うようになったのは15世紀頃だろ。
そもそも当世具足自体が板金鎧…
>>736 ヨーロッパでの話。
日本でやってたのかは知らん。
>>739 プレートを組み込んだチェインメイルが広まったのは主にイスラム圏だろう。
チェインメイルと言う言葉は間違い。 メイルはフランス語で鎖帷子を意味するからチェインメイルじゃ鎖鎖帷子になってしまう。 同じ理由でプレートメイル(板金鎖帷子)も間違い。 これらの言葉が広まったのは出来の悪いD&D RPGのせい。
>>737 モンゴルの合成弓の張力が和弓を上回っているなどという事実は無い。
だいたい個々人で使う弓の張力は違うから、どの弓がどの弓より張力が高いなんて話は意味が無いだろう。 日本で言うと源為朝の弓と源義経の弓を一緒くたにするようなもの。
746 :
名無し三等兵 :2007/09/08(土) 11:44:07 ID:ebJkqqyN
>モンゴルの合成弓の張力が和弓を上回っているなどという事実は無い。 ないこともない。当時の製法の弓と和弓でどちから一方があきらかに上回っていた事実はない。 というか弓の張力って数学的にある程度まではかれるんだよ。 和弓がモンゴルの弓の2倍や3倍あれば話は違うけど、そこまでの差はない。 というか物理的にそこまで差がつかない。
747 :
名無し三等兵 :2007/09/08(土) 11:52:54 ID:ebJkqqyN
基本的に素材が同一ならば、弓ってのは、一本の線が弦を張っていない時に弓が描く線と、もうひとつの線は 矢を射る位置まで弓を引いたときに弦が描く線。この二つの線で囲まれた面積が大きければ大きいほど、矢の速度、 威力は上がる。これは物理的、数学的なお話。 となると遊牧民の使う弓が和弓より小さくとも威力がたもたれるのはわかるでしょ? そこまでめちゃめちゃ差がつかないよ。双方ともに。
>>基本的に素材が同一ならば、 和弓とモンゴル弓の素材は同一じゃないよ。
>>747 弦を張っていない時に弓が描く線と、矢を射る位置まで弓を引いたときに弦が描く線で
囲まれた面積は、あきらかに和弓の方が大きいだろ
世界最大のロングボウだからな 射点も真ん中じゃなくて下から1/3だし
751 :
名無し三等兵 :2007/09/08(土) 12:46:51 ID:SFx6IcpX
手紙のだろ>mail
モンゴルの話をしたいなら 某研のスレに合流すればいいと思うの
754 :
名無し三等兵 :2007/09/08(土) 15:57:23 ID:gYvSgvDU
>>747 だから同一素材で比べるなら、短弓より長弓の方が威力を高くできる。
和弓より大型の弓は多分地球上に存在しないと思う。
ヨーロッパのロングボウなんて日本に持ってきたら全然ロングじゃない。あちらでは
1.2m以上あればロング呼ばわりだから。最大でも2m行かない。日本じゃ小型弓扱い。鎌倉時代の
和弓の定寸は7尺5寸。もっと大きいものを使う人もいた。
ロングボウは小さい鏃だけを使っていたけど、日本の鏃はバラエティーに富んでいて、
目的によって使いわけていた。狩又や平根なんてナイフ並の大型の鏃もあったし、金神頭
なんていう置盾を砕くための鏃もあった。これらの矢は相当の重量があり、当たれば凄い
威力だったと思う。
>最大でも2m行かない。 >ロングボウは小さい鏃だけを使っていたけど、日本の鏃はバラエティーに富んでいて、 >目的によって使いわけていた。狩又や平根なんてナイフ並の大型の鏃もあったし、金神頭 >なんていう置盾を砕くための鏃もあった。これらの矢は相当の重量があり、当たれば凄い >威力だったと思う。 もうこれ以上無知を晒さない方がいいよ。 恥をかくだけだから。
756 :
名無し三等兵 :2007/09/08(土) 16:31:03 ID:6f474VQG
半円形の弓とW字型の弓があるがW字型の弓の方が威力が高い
博識な方、是非お願いします。
漫画と現実の区別の付かないキモオタがいるような気がする
760 :
名無し三等兵 :2007/09/08(土) 20:13:09 ID:ebJkqqyN
というかおんなじ大きさだったらW字型の弓のほうが強いんだか。
W字の分の隙間が
>>747 の公式の面積の追加されるわけ。合成弓ってのは、
別に素材を複数使うから強いわけじゃなくて、その複数の素材を作る過程で、
W字になって、直線的な和弓タイプよりはるかにしなるようになる。
和弓最高と思うのは勝手だが、君は少し逆反りの合成弓についてしったほうがいい。
上でだれかがあげていたが、逆反りの合成弓で、オスマントルコのセリム三世時代に、
遠矢競技で889メートルの飛距離をだしている。
普通の和弓をどれだけ大きくしても無理だろ。しかもこの弓は和弓よりはるかに小さかったんだぞ。
モンゴル弓はそちらのタイプのW字型の弓。だから半月タイプの和弓と比べても、
小型でも威力がでるわけだか。短弓、長弓なんて意味ないの。
短かくとも威力をあげれるのがW字タイプの合成弓なんだから。
>ロングボウは小さい鏃だけを使っていたけど、
モンゴル人も狩りはしますし、やじりはいろいろ種類をもってます。
889m飛んだとか未検証で信じるなよ…。
762 :
名無し三等兵 :2007/09/08(土) 20:24:29 ID:ebJkqqyN
>>761 競技の記録に残ってる物が信用出来ないなら三十三間堂の通し矢の記録も信用出来ない。
>>760 和弓のどこが直線的なんだよ。
ちゃんとW字になってるだろ。
握りが中心じゃないから変形W字だが。
765 :
名無し三等兵 :2007/09/09(日) 00:24:07 ID:IDCR2TEO
766 :
名無し三等兵 :2007/09/09(日) 00:33:06 ID:6ptpjkNo
どこにでも日本最弱厨っているんだなあ こんな所で電波飛ばしてないで、SMクラブとかででチマチョゴリとか 人民服着た嬢にいたぶって貰えばいいのに……
>>767 トルコ弓の形はマール社の「武器」に載ってるが、そんな極端なW字形ではないぞ。
今は亡きエンコリミリタリー板での和弓と朝鮮弓論争を思い出した
で、いつになったらスレタイから全くかけ離れた元寇の話題が終わって 本来の「土人vs西洋人」に戻るのかね?
>>760 > というかおんなじ大きさだったらW字型の弓のほうが強いんだか。
> W字の分の隙間が
>>747 の公式の面積の追加されるわけ。
747が言っているのは面積の「増分」。
「W字の分の隙間」云々は無関係。
槍と弓でライフルに戦いを挑んできたのが昔の土人なんだよな。 今はAKとRPGで武装しているから困る。
>>650 のスレより
18 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2007/05/02(水) 08:36:52 0
19世紀のインド大反乱、ラクナウでの戦闘の記録
「シャー・ナジャフを守備していた軍勢には、通常の部隊の他に、多数の弓兵が城壁にいて
弓矢をおそるべき威力と正確さで発射した。第93連隊のサージェントが壁から頭を上げると、
一本の矢が羽飾りをまっすぐ貫いた。一瞬だけ頭を壁の上に出したある者は矢に脳を貫通され、
箆が後頭部から1フィート以上も突き出していた。これに対して兵士たちは一斉射撃で応じた。
一人の不運な者は身を隠すのがわずかに遅れ、遮蔽物に伏せる前に矢が心臓を撃ち抜き、
そのまま体を貫通して数ヤード後方の地面に落ちた。彼は6フィートも宙を飛び、倒れ伏して
石のように動かなくなった」
でもさ、戦力になる位の弓矢や槍って相当訓練しなきゃダメじゃん。かつ、それを相当数揃えないと。 その点、AKだったら女子供でも扱えるわけで。
>>775 >その点、AKだったら女子供でも扱えるわけで。
ここのスレはいつの時代の話をしてるんだったっけか?
>>774 インドの弓は日本と同じく竹と木を使った複合弓だろ。
>>777 北インドで用いられていた合成弓は、中央アジア由来の動物の腱と角で強化した湾弓。
芯材は木だが竹を使うこともあったはず。
インド古来の武器では竹のみで作ったロングボウというのもあった。
ドラヴィダ系のビール族のハンターが使うやつは竹の弓身に竹の繊維の弦をかけたもので
かなり長かったらしく1ヤードもある矢を発射し、象の皮膚を打ち抜くくらいの威力だったそう。