飼い馬の食い物と飲み水を争って起きた戦争もあるし。
現在の国家が石油で戦争してんのと同じだよ。たかが草と言っても遊牧民とか
には命に関わる。朝青竜に謝ってこい。
よく日本刀で胴体を鎧ごと真っ二つにしたり、
槍で人間の頭を幾つも貫くってのがフィクションの世界であるが、
あんなことは現実に可能なのか?
前者は骨で刃が止まりそうなもんだし、
後者は頭蓋骨を貫き切れないんじゃないかって思うんだが
人骨の強度は強化プラスチックくらい?
>>947 必要な運動エネルギーが得られれば可能だが、まあ無理だろうな。
とはいえ、色んな条件がそろった上で例外的に発生する可能性だけはなくもない。
例えば人間単体の筋力で、槍で止まってる相手の胴体を貫通というのも
少し無理があるが、お互い向き合って走ってきてその勢いでぶつかったら
槍の先は鎧と胴体を貫通して背中側に突き抜けるかもしれない。
そういう程度には。
胴体切るくらいならどうにかなるんじゃね?
食うに困るようなひょろひょろ足軽とそいつが着てる粗末な鎧なら
(最終的には刀によるところが大きいとはいえ)エネルギー的にはどうにかなるイメージがある
馬にかけるコストは身分や財力に応じて異なるんだよ。
旗本が高いコスト払って飼育してるからって
同じコストで農民が飼育してるわ訳じゃない。
農民が払えるのは馬が労役で上げる収益より低くなければ馬は飼っていけない
大名クラスの持ち馬だと、旗本よりもっと高いコストかけてるはずだ。
>>944 狭い範囲に大量の馬が密集する戦場と、馬が農村で散らばって飼われている状況とは異なるけどな。
>>941 俺が年寄りに聞いた話では、昔は農村で馬は一般的で、馬は各家で大切に育てられて
餌は馬を田んぼの畦に連れて行って草を食わせてたって聞いた。
その仕事は大抵子供の役目だったそうだ。
山だけど俺の近辺の山は木が生い茂っていて馬が食えそうな草地は殆ど無い。
農村も牧場ってわけじゃあないけどな。
畦のレンゲは植えたりしてる場合もある。
>>951 まあうちは県内全体、山のほうが多いからね。
山に畑もってる所は畑にいく時に馬も連れて行って、
その辺の木に繋いでおき、動ける範囲の草を食わせて
仕事が終わると馬を連れて帰る。 という感じだった。
(農耕馬は仕事に参加することもあるのはいわずもがなとして)
畦の面積が十分なくらいあるんだったら可能といえば可能。
広範囲を食わせて歩くんだったらそれも十分ありなんじゃないかな?
そういやスレ違いのどうでもいい話になるが、馬に草を食わせてて自分は
ちょっと休憩、と昼寝してたら何時の間にか夕方で、馬がいなくなってる。
怒られる、と探し回ったがどこにもいない…仕方なくトボトボ帰ったら
馬が先に帰ってきてて、「おめえ馬っこほっだらかしてどこほっつき歩いてた」
と言われたという類の話が伝わっている。
そういやさ、日本には猛獣部隊ってなかったの?
>>954 いくさに使えるような動物が馬と、せいぜい牛ぐらいしかいないじゃない。
>>954 そんな物世界中どこを見渡しても成功した試しが無い。
精々が戦象くらい。
>>949 カブトを切るという一種の芸はある。
明治初めとかにも有名な剣客の榊原鍵吉とかが実際にやってみせていたはず。
無論、使い手の腕前もいるし、刀も吟味してよいものを使っているだろうけど。
他の人も書いているけど、戦場だと相手も動くからカウンターみたいにうまく力が加わったら鎧を着た胴体も切れるかも。
>>951 >俺が年寄りに聞いた話では、昔は農村で馬は一般的で、馬は各家で大切に育てられて
>餌は馬を田んぼの畦に連れて行って草を食わせてたって聞いた。
昔は畦にも大豆とか、田んぼの肥料用の植物(レンゲとか)を植えて生産に利用していたから
普通に畦の雑草で馬が飼えたと考えるのはどうかと。
それなりに手を加えた上で、畦の植物を利用していたと思います。
つか、数頭の馬ならともかく、ある程度の数の軍勢の馬を喰わせるのに、その辺の草じゃ足りないでしょ。
モンゴル軍が遠征するときは馬のエサどうしてたのかな。
据物斬りって言う、罪人の死体で試し切りした場合、1度に2・3人胴ごと切った
なんて言って売ってたみたいだけど実際できるもんかね。個人的には一人でも無理だと
思うんだけどね。
モンゴル軍は千人一単位で構成されるが、戦略単位としては先鋒・中軍・後方に
別れる。モンゴル軍は先鋒が敵野戦軍の撃破や哨戒撃破を行い、中軍が略奪や拠点占拠
を行い、後方が家族なんかも伴いながら遊牧しながら前線に必要な物資や補充要員を提供
した。
「遊牧しながら」だから生えてる草で馬のエサを賄ってたんだろうけど
草原地帯だとそれで賄えるとして、中国なんかの農耕地帯に大軍で侵攻したと
きでも生えてる草で賄えたのかな?
無理、だから現地人の裏切りを蒙古側は大歓迎した。草原地帯から離れれば
離れる程、モンゴル人は指揮官クラスだけになり軍の主力は現地人になっていく。
まあ、そうでもしなければ200万程度の人口で当時の半分の人口を支配できな
いだろう。補給基地を設けて馬草や大麦なんかを設営しながら移動すれば騎馬隊の
運用はやろうと思えばできたんだろうけど騎馬隊より歩兵や水軍が優位の地形も多いしね。
金攻略のころの華北への遠征だったらモンゴル人騎馬主体じゃね。
まあ、鎌倉武士>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>モンゴル軍なんだがな。
鎌倉武士は6倍以上のモンゴル軍を完膚なきまでに叩き潰してる。
西夏や金を滅ぼした頃は蒙古軍主体だね。でも漢人世侯とか登用して多国籍化
が始まってる。南宋とかでも主軸は明らかに漢人主体だし、元寇なんて蒙古人いたか
どうかってレベルでしょう。モンゴルが大きな影響を与えたのはどっちかといえば
中東とかロシアのような草原地帯。一時はエジプトまで行ったんだからたいしたもんだ。
シリアまでだろ。
シリアだね。
>>947 ビルマ戦線での話だが、ある日本軍兵士が国民党軍の兵士と白兵戦になったとき、
無我夢中でスコップを振り回したら相手の頭蓋骨にサックリ刺さった事があるらしい。
やった本人はじめ仲間らもビックリしたとか。
>>969 スコップはドイツ軍の白兵戦装備として重宝されているんだぞ
>>966 モンゴル軍の中のモンゴル兵は常に少数。
何の言い訳にもならない。
ちなみに元寇の元軍は「馬に乗って」上陸して来たと評されており騎兵主体(即ち当時世界最強のモンゴル軍)だったのは明らか。
ロシア人なんか砥いでるもんな。あれは恐い。
>>971 何かがんばれ。良くわかんないけど強く生きろ。
ソロソロ次スレの季節ですね
テンプレ案
大河ドラマ・司馬歴史小説等、さまざまに流布している戦国時代合戦のイメージは、不正確極まりないものとされています。
真実はどうなんでしょうか?
軍事的な知識を多くお持ちの皆さんで論じ合いましょう。
・日本だけではなく、同時代の他国の状況との対比
・前史としての 律令制→室町中期 との比較
・後史としての 江戸時代と黒船来航以降の幕末戦争 との対比
など積極的に話題を提供してください。
次スレは980を踏んだ人が立ててください
※注意
荒らしは徹底スルー
荒らしに関わる奴は同類
975 :
テンプレ案:2007/10/04(木) 16:45:00 ID:???
上記ので良ければ
980を踏んだ方が次スレ立ててくださいね
>>971 なんでこう、数回勝った実績=日本武士最強みたいな厨が沸くのかね、夏休みでもないのに。
当時世界最多の鉄砲を持ち、長年の戦乱で鍛えられた豊臣政権の軍が勝てなかった朝鮮の義兵が真の世界最強ですね、判ります。
義兵が勝った?
>>978 >豊臣政権の軍が勝てなかった
脊髄反射せずに、ちゃんと読め。
義兵に勝てなかったのは義兵自身の力によるもの、というように読み取れるが。
誰か上のテンプレで次スレ宜しく
立てられなかった・・・・
982 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 22:34:07 ID:XSQXUYm/
琉球土人
逃げ回ってりゃ負けないわな
それで最強(pu
ファビウス最強てか
>>932 亀になったが、読んだ。
現名古屋市域で93戸平均で20匹、江戸後期には激減。
『国牛全図』はネタ用に秘蔵してたのに・・・そこに書かれてあるとはw
987 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 08:47:46 ID:vZRS9eSm
>>なんでこう、数回勝った実績=日本武士最強みたいな厨が沸くのかね、夏休みでもないのに。
モンゴル軍を二回完膚なきまでに叩き潰した=日本がモンゴルより強い=日本は世界最強
で何の問題がある?
>>当時世界最多の鉄砲を持ち、長年の戦乱で鍛えられた豊臣政権の軍が勝てなかった朝鮮の義兵が真の世界最強ですね、
自国民を襲って食料を調達してた盗賊がどうかしたか?
一体いつ「義兵」とやらが戦闘で日本軍を破った?
>>985 ファビウス最強だろ。
最後に戦場でハンニバルを打ち破ったのはスキピオだが、
イタリア半島の長靴の先っぽにハンニバルを追い詰めたのは、
ファビウスの戦略だった。
繰り返しになるが、これをもってすれば、ファビウス最強。
軍板で「逃げ回っただけで最強なのか?」なんて意見が出るとは・・・
最終的に勝ってれば逃げ回ろうと略奪しようと構わないのです。そして、勝てばその軍隊は強いのです。
スポーツじゃないので正々堂々戦って負けても、誰も誉めたりしません。
それなら冬将軍最強だろwww
気候や地の利を生かすのは戦争の基本。
楠正成指揮下 鎌倉武士を殲滅した河内のガ太郎どもが最強だなwww
煮えたぎった糞小便を浴びせ 討ち死にした武者から褌まで剥ぎ取る
河内のガ太郎が世界最強www
>>992 殲滅してないし。
最期は落城したとはいえ、圧倒的な大軍相手に持久戦を戦ったあとで戦力を保持したまま退却した。
そこが評価される(負けなかったことがすごい)んであって、勝ったわけじゃない。