1 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :
2006/12/20(水) 23:05:22 ID:7fpzzycD 満州事変、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、南京陥落、徐州作戦、 武漢攻略作戦、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉砕、大陸打通作戦等……。 日中戦争を軍事的に語るスレッド。帝国陸海軍の内情も可。 前スレは「容量オーバー」のため、876でお亡くなりになりました。合掌w。 まだまだ語るべきことは尽きません。引き続きマイペースで進行していきます。
,r---、. _ソヽ/`、シi. _>=ヘ 山/=<, . ((ん'ノノルレム)) _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ 状況開始! ),k'ヲ:::::::::つ (ン::::/:::l::ヽ `~i,ンT,ノ~´.
4 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/20(水) 23:27:57 ID:7fpzzycD
>●30番ナンバー師団=支那占領地の「治安」師団 >主に1939年に編成され、支那各地の占領地の治安維持を任務としていました。 >師団の人員は常設師団より少なく、1万4千人程度。装備もやや劣ります。 さて山西省に配備された「第37師団」を簡単に検証しますが、1939年に 編成された典型的な「治安(警備用)師団」であることは先に述べた通りです。 それ以前のいわゆる通常師団が、4個歩兵連隊と4個砲兵大隊を保有して、 兵員数の合計が約3万人なのに対して、第37師団はそれらが3個ずつで (3単位編成)、合計兵員数が1万4000余人に過ぎませんでした。 要するに『半減』している訳です。
5 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/20(水) 23:48:33 ID:7fpzzycD
もっと詳しく比較してみましょう。第37師団は1939年5月に山西省 運城にあった第20師団(龍山)と「晋南地区」(山西省西南部)の警備 任務を交代しています。 この第20師団は「甲編成」の常設師団で、4単位編制(4個歩兵連隊・ 4個砲兵大隊)で兵員数が2万8千959人です。第37師団は3単位編制で 1万4404人でした。やはり兵員数は『半減』しています。火力ベースで 言うなら、第37師団のそれは第20師団の「44%程度」とされます。 また「高度分散配置」を前提としているため、機動力と兵站能力においても 著しく劣ることになりました。兵站能力については後で触れるとして、機動力 云々は前スレでも少し揉めていましたが、数字を挙げれば一目瞭然です。 第20師団の保有していた馬匹は7800頭・自動車300台。それに対して 第37師団は馬匹2640頭・自動車89台で、「約3分の1の機動力」です。 これは要するに、治安任務なので一度に大兵を動かすことが無いという訳です。
6 :
質問 :2006/12/20(水) 23:56:37 ID:sLFh3UQE
ちょっと質問させてください。 中国大陸で行動していた独立歩兵大隊の部隊暦をできるだけ網羅的に 知りたいのですが、おすすめの参考文献はありますか? 亡くなった祖父がどの部隊に所属していたのかを知りたいのです。 祖父は「独立歩兵第一(ないし十一)連隊(!?)」と言っていたような気が するのですが、かなりうろ覚えなので他の情報をもとに絞込めればと思っています。 断片的な話を並べると、揚子江をさかのぼって移動していったことがある、 元日銀仙台支店長が召集されて主計をしていた、と言ってました。 祖父は戦争中のことをほとんど語らず、軍隊手帳も自分で焼いてしまったので 多少でも手がかりになる文献があれば助かります。
7 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 00:07:56 ID:EVt6+nxd
このように書くと第37師団が「弱小」のように思えますが、決して そうではありません。1939年以降、新たに編制されて支那戦線に 動員される部隊は、第37師団のような「3単位編制師団」や前スレで 先に取り上げたような「独立混成旅団」が主流になる訳です。 そういう意味で「第37師団」は北支の治安戦や、日中戦争全体を語る うえでも1つの典型的な部隊であると言えます。 また第37師団は「大陸打通作戦」にも参加し、終戦時には歴戦の部隊と 謳われ、一部の先頭部隊はシンガポールにまで達しています(主力はタイで 終戦を迎えた)。この辺のくだりは『歴戦1万5000キロ 大陸縦断一号 作戦従軍記』(藤崎武男著、中公文庫)が詳しく、前スレでも少し取り上げ ましたが、ここではひとまず置いておきます。 まあ、師団戦記には「部隊標識である青三角マークを見ると、支那兵が逃げて いく」と吹聴される程で、百戦錬磨の兵士達の名誉と誇りの象徴だったと言います。
8 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 00:22:53 ID:EVt6+nxd
まあ第37師団の部隊は、多くの「苦力」(その辺の支那人を徴発)を
連れて行軍していたということで、『苦力部隊』というありがたくない
名称も持っていますがw。
例えば、一個中隊50人(消耗してこれだけ)の日本兵が「苦力50人」を
荷物持ちなどに使っていたという話があります。下手したら苦力の方が多い
くらいです。お役御免の時には、ちゃんと日当分を計算し給料を払って解放
していたようですけど。
>>6 >>中国大陸で行動していた独立歩兵大隊の部隊暦をできるだけ
>>網羅的に知りたいのですが 祖父は「独立歩兵第一(ないし十一)
>>連隊(!?)」と言っていたような気がする
大隊なのか連隊なのか分からないのが致命的ですw。
9 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 00:53:51 ID:EVt6+nxd
仮に「独立歩兵第1連隊」であれば、「独立混成第1旅団」(東京)が 当てはまります。しかし日中戦争の初期に「チャハル作戦」などに参加した 後で1938年8月に廃止されてしまいます。その後、旅団自体は1939年 3月に再編制されますが、補充地は金沢ですし、独立歩兵第1連隊はその中に 含まれません。 また「独立歩兵第1大隊」であれば、「独立混成第2旅団」(大阪)に 含まれますが、ずっと駐蒙軍に配属されていますから、揚子江とは関係 がないでしょう。「独立歩兵第11大隊」であれば、「独立混成第4旅団」 (京都)ですが、こちらは第1軍に所属して北支で治安任務に就いています。 その後、1943年5月に一部が第62師団に改編されて沖縄戦逝きですw。 「独立歩兵第11連隊」なら「独立混成第11旅団」ですが、これも チャハル作戦後に改編されて第26師団(1937年9月)になります。 その後は駐蒙軍に配属されて、太平洋戦争末期にフィリピンに転用されました。
10 :
名無し三等兵 :2006/12/21(木) 00:56:19 ID:VhGPHsXq
>>8 連隊といっていたような記憶はあるんですが、なにぶん素人なもんで。
それを独立歩兵大隊のことではないかと考えたのは、前スレでその話が
出ていたのと、ネットで調べても「独立歩兵」に「連隊」がついて名前が近いのは
ルソン島で終戦を迎えた独立歩兵第十一連隊とか、廃止された独立混成
第1旅団(第1次)の独立歩兵第一連隊あたりで、何か違うなと思ったからです。
ちなみに祖父の出生地、住所は新潟県の高田でした。
調べるのはどうも難しそうですね…
11 :
10 :2006/12/21(木) 01:01:04 ID:VhGPHsXq
あ、すいません。かぶりました。情報ありがとうございます。 教えていただいた情報によると、どうも記憶が違っている可能性大ですね。 部隊名の記憶から辿るのはとりあえずあきらめます。 一般的にいって、この辺の話で入門的・概説的に読める本を 紹介していただけるとありがたいです。 まずは知識を深めたいと思います。
12 :
10 :2006/12/21(木) 01:06:16 ID:VhGPHsXq
あと、余談みたいな追加情報で申し訳ありませんが、終戦時に祖父は どうやら中国の北の方にいたらしいです。満州かどうかは分かりません。 それから舞鶴に帰ってきて、コレラ流行のため隔離されていたそうです。 まあ、こんな少ない情報なので調べるのは無理かもしれませんね。
13 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 01:07:28 ID:EVt6+nxd
>>9 は、ちょっと「うる覚え」かつ急いで書いたので間違っていたらスマンスw。
どちらにしても揚子江(中支の部隊)には関係ないですねえ。
どこの部隊がどこに所属していたか、というのは「帝国陸軍〜その制度と人事〜」
というサイトが一覧にまとめてあって死ぬほど詳しいので、そこを参照するのが
手っ取り早いでしょう。
>>中国大陸で行動していた独立歩兵大隊の部隊暦をできるだけ網羅的に
>>知りたいのですが、
ちょっと自分の手に余りますw。秋田書店の「歴史と旅 特別増刊」や
新人物往来社の「別冊 歴史読本」の総覧系の本をまずは覗いてみては
いかがでしょうか?
>>6 だけの情報だけでは残念ながら見当がつきません。
誰か他に詳しい方がいらっしゃいましたら情報プリーズ。
14 :
10 :2006/12/21(木) 01:10:22 ID:???
>>13 ありがとうございます。参考にさせていただきます。
>>12 >>どうやら中国の北の方にいたらしいです。満州かどうかは分かりません。
これまたアバウトな……orz. 舞鶴に帰還してコレラで隔離というのは
何かの戦記本で自分も読んだ記憶がありますが、伝染病の持ち込みを
防ぐべく検査が厳しかったのは、どこでも一緒ですからねえ。
う〜ん。やっぱり無理です。スマンかったw。まあ、支那事変がらみの
戦記本を手当たり次第に読むというのも迂遠なようで近道かもしれません。
あとは出征された地元(高田?)の図書館で資料を探してみては、という
ぐらいしか思いつきません。過去スレでも、地場の図書館などで連隊の
動向の資料を探している人がいらっしゃいました。確か上海・初期上陸戦
についてだったと思います。戦史叢書などでは記述がごく僅かなためです。
16 :
名無し三等兵 :2006/12/21(木) 01:38:09 ID:VhGPHsXq
>>15 図書館という手には気づきませんでした。ありがとうございます。
そういえば上越市の図書館にも郷土史コーナーがありました。
アバウトですいません。何しろ祖父は外地での数年間のことについては
語るのをほとんど拒絶していて、わたしたち親族にとっては謎のままなのです。
きっと嫌な経験だったのでしょう。
17 :
名無し三等兵 :2006/12/21(木) 01:45:45 ID:???
質問スレいきなよ
>>13 >>どこの部隊がどこに所属していたか、というのは「帝国陸軍〜その制度と人事〜」
>>というサイトが一覧にまとめてあって死ぬほど詳しいので
ttp://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/ 一応、ここです。まあ、自分の祖父もシベリアに抑留していたのですが、
親族間では「タブーの話」になっていまして、自分も何かしら聞きたいと
思っていたのですが、その機会もないうちに亡くなってしまいました。
宮沢首相時代に一枚の賞状というか慰労状のようなものを貰って、額縁に
飾ってあったのだけが今も記憶に残っています。
19 :
名無し三等兵 :2006/12/21(木) 11:05:11 ID:???
>>13 うる覚えじゃなくてうろ覚えですね
木のうろ、とか町をうろつくとかの「うろ」です
ぼんやりとして定まっていない状態を指す言葉です
20 :
名無し三等兵 :2006/12/21(木) 12:59:15 ID:???
そりゃ「人肉食った」とか、「女犯し捲くりました」、「無抵抗の捕虜を刺殺した」というのは語りたくないはず。 大活躍話が聞きたくても傷をえぐるようなことをしちゃマズイだろ。 孫に過去をほじくり返される爺さんの立場に立ってみろよ。
21 :
名無し三等兵 :2006/12/21(木) 13:21:26 ID:???
>>20 そんな事ばかり言ってるから
サヨとか在日呼ばわりされるんだよ。
ほのぼのスレにそう言った話いつも持ち込んで来るのお前だろ?
確かおじいさんの戦争体験スレに、お祖父さんの出身地の役場か、厚生省に照会すれば所属部隊が分かると書いてあったから見てみるといいよ。
22 :
名無し三等兵 :2006/12/21(木) 14:24:57 ID:???
極限状態で他に食い物無くなったら人肉も食うだろ 捕虜を殺した云々とかも、だからどうしたというレベルの話。
r,ヘ──-ヘ_ rγー=ー=ノ)yン´ `i Lノノハノ」_〉 ずっと探していた佐々木春隆氏(元防衛大学校教授・ |l |i| ゚ ヮ゚ノi| 陸相補)の『華中作戦』と『長沙作戦』がついに私の !γリi.ハiリつ 「ヴワル魔法図書館」に入荷したわ。以前、読んだ |,( ll」i l i_|」 同じ著者の『桂林作戦』がかなり良著だったので └'i,_ィ_ァ┘ 読むのが今から楽しみね。ちなみに通販で入手した のだけど、送ってきたのが「佐川急便」なのが玉に瑕w。 佐川急便は生理的に嫌いなの。むきゅぅ。
24 :
名無し三等兵 :2006/12/21(木) 22:43:21 ID:???
長沙の方は持ってるけど、Aさんにかなり厳しかったな。
25 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 23:00:30 ID:e7bUMDLn
前スレから引続き「北支の治安戦」をまとめています。つー訳で
>>8 の続き。
>第20師団の保有していた馬匹は7800頭・自動車300台。それに対して
>第37師団は馬匹2640頭・自動車89台で、「約3分の1の機動力」です。
兵数は『半減』なのに、機動力が『3分の1』とはこれいかに?という訳です。
まあ「高度分散配置」の話が続くのですが、とりあえず「前スレの復習」です。
実際の「部隊設置法」は、まず大隊本部や中隊本部がある県城や街を中心にして
「衛星」のように小部隊(分遣隊)を配置していきます。次に本部と分遣隊を
結ぶ道路を建設して「タコ足」のように延ばしていきます。更に分遣隊の駐屯地
同士を繋ぐ道路が作られていく訳です。
記号で表すと『*』『米』がイメージし易いですかね。線が交差する中心が本部で、
1本1本の線が分遣隊を結ぶ道路です。これが第1段階で、次に分遣隊同士を結ぶ
道路『○』『◎』などが作られるのが第2段階な訳ですが、第1段階の『*』と
合体させた図をイメージして下さい。それが高度分散配置の1つの完成形です。
26 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 23:29:13 ID:e7bUMDLn
>>25 >>第1段階の『*』と合体させた図をイメージして下さい。
>>それが高度分散配置の1つの完成形です。
頭でイメージしてみましたか? そうすると『*』『◎』を結ぶ道路に
囲まれた地域ができるはずです。「治安戦の理論」とは道路に囲まれた
エリアを中心に日本軍が討伐を行ない「抗日勢力」を平定していきます。
治安が確立されましたら、更に分遣隊の外周「*」を延長して道路を結び、
日本軍の支配地域を徐々に拡大させていくのです。まあ、これはあくまで
理論的モデルですがね。当然、その日本軍の兵力は薄く広げられる状態に
あります。
第37師団(山西省)を例に取りますと、その兵力は1万8000平方キロ
メートルの面積に分散されました。具体的には105の主要根拠地と129の
駐屯地(分遣隊)に配備され、約8万9000の支那軍兵力と対峙していました。
27 :
名無し三等兵 :2006/12/21(木) 23:32:26 ID:???
内蒙絡みのハナシが纏まってる本を探してるのですが、オススメの内蒙関係の本ってないでしょうか 1930年代の内蒙が特に詳しく知りたいのですが
28 :
名無し三等兵 :2006/12/21(木) 23:33:46 ID:???
29 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/22(金) 00:02:33 ID:MiG/WE1v
単純計算しますと、日本兵1名が39人の支那住民が住む1平方キロ メートルを、6人の中国兵を相手に警備していたことになります。 まあ「治安戦」とは要するに『人数勝負』なところがありますから、 いくら「高度分散配置」を前提に編制されたとはいえ、兵力が半減 しているのは大きなマイナス点です。 また北支那方面軍は、太平洋戦争が始まると師団を引き抜かれたり 二線級、三線級の新編部隊に置き換えられたりで、どんどん治安を 悪化させていますが同じような理由です。要するに兵力が足らんw。 同じころ蒋介石の側で顧問をしていたオランダ軍将校が、「対ゲリラ戦 ではゲリラに対抗する兵士の数を増やすしか解決法はない」と観察して いるのと奇妙な一致をしています。 とはいえ、日本軍が取った『高度分散配置』とは限られた兵力でいかに治安を 維持するかの1つの答えであり、それなりの効果を上げたのも事実でしょう。
30 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/22(金) 00:13:40 ID:MiG/WE1v
>>24 >>長沙の方は持ってるけど、Aさんにかなり厳しかったな。
まあ、後書きを読んだだけでも、
「第一次長沙作戦は練りに練った作戦で、後方も機に応じて追随し得た。
しかし第二次長沙作戦は思いつき作戦のために情報、後方ともに伴わず
苦闘を余儀なくされた直接の原因はタマの欠乏にあったのは明らかである。
タマ無しの恐ろしさが身に染みた。
無理と知りつつ作戦を指導した人の責任は重い。作戦好きだが作戦下手、と
言われても仕方ないであろう。ものの限界を弁えねばならぬ。これは結果論
ではない。見通しの問題である。従って作戦終了直後、これで阿南軍司令官
は終わりか、と噂した。しかし昭和17年7月に第二方面軍司令官に栄転
されたのだから、何をかを言わんやであった」
と散々な評価です。まあ、実際に指揮下で戦われた人の話ですからねえw。
ちなみに「インパール作戦か、第二次長沙作戦の二の舞になる」という表現が
あるほど酷い悪戦だったのは事実です(桂林攻略戦続行の可否論争において)。
31 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/22(金) 00:25:09 ID:MiG/WE1v
>>28 >>アク禁で出遅れましたが、新スレ乙。
毎度どうもでございます。引続きマイペースで進行したいと思いまふ。
>>27 >>内蒙絡みのハナシが纏まってる本を探してるのですが、オススメの
>>内蒙関係の本ってないでしょうか 1930年代の内蒙が特に詳しく知りたい
内蒙関係は微妙に「専門が外れている」のですがw、慶応義塾大学出版会の
『中国の地域政権と日本の統治』(日中戦争の国際的共同研究1)に収められ
ている「第7章:日本軍の内モンゴル占領と『蒙古連合自治政府』の本質」
(盧明輝著)の研究論文(約20ページ)は割りと上手くまとまっていた
覚えがあります。ただし――、
著者は支那人(内蒙古社会科学院歴史学教授)なので、見出しに「日本の満蒙
政策――侵略計画の推進」なんて言葉がバシバシ出てきますが、支那側の視点で
20ページぐらいの文量でそれなりにまとまっていますから、何かの機会に立ち
読みしてみると良いかもしれません。ちょっと新鮮に感じるかも。
32 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/22(金) 00:33:45 ID:MiG/WE1v
ただし、『中国の地域政権と日本の統治』は新品価格で5670円も しますし、アマゾンのユーズドマーケットでも3990円が最安値です。 また新刊書店では、都内のジュンク堂書店でも置いてあるか微妙でしょう。 地方では取り寄せしない限り、絶望的かもしれません。ただ自分はアマゾンで 新品を買いましたが、わりと直ぐに届いた記憶があります。 ただ全部読んだ感想は、とても5670円の価値は無かったというもので、 せいぜい2〜3千円がいいところです。決してお勧めはしません。立ち読み で判断できれば一番いいのですが、先に述べた通り、普通に書店の棚で発見 するのはまず不可能でしょうw。 図書館で読めれば(必要なところはコピー)ベストですが。
33 :
名無し三等兵 :2006/12/22(金) 08:04:37 ID:???
>>27 内蒙三国志
徳王自伝
蒙塵
あたりかな
内蒙三国志は実際内蒙工作に関わった松井忠雄少佐の本。
徳王自伝はそのまま。
蒙塵は綏遠事件で死んだ小浜大佐の伝記。
34 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/23(土) 00:37:46 ID:SEkJ71SG
>>29 >>日本軍が取った『高度分散配置』とは、限られた兵力でいかに治安を
>>維持するかの1つの答えであり、それなりの効果を上げたのも事実でしょう。
実際に1941年〜42年ごろは、北支の治安がかなり良化していますので
『高度分散配置』が効果を上げたのは事実です。しかし、当然のことながら
弊害もあった訳です。以下、いくつか例を挙げてみましょう。
第1に、少数の兵力で駐屯していますので「八路軍の大兵力」に襲われたときに
対応が困難です。とはいっても太平洋戦争後半になるまでは、日本軍トーチカに
嫌がらせの「擾乱射撃」を夜中に浴びせてくるのがせいぜいでしたが。それでも
「百団大戦」(1940年:支那版テト攻勢)は言うに及ばず、支那事変初期にも
八路軍の大規模な攻撃を受けて全滅した分遣隊の例はあります。
また1つの分遣隊が危機に陥っても、中隊本部や他の分遣隊からは10〜20キロ
離れていますので、救援や増援部隊を送るのに時間がかかるという欠点があります。
35 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/23(土) 01:06:45 ID:SEkJ71SG
第2に「兵力を分散配置」していますから、当然のことながら兵力を集中 させるのが難しい訳です。例えば、山東半島の警備任務に付いていた独立 混成第5旅団のある中隊は、1942年初頭の『中隊討伐』(対ゲリラ討伐 作戦)で109名を出動させるのが精一杯でした。中隊の約半数の兵力を 分散した駐屯地の「留守任務」に割かざるを得なかった訳です。 これが1ヵ所に駐屯している中隊であれば150名以上は動員できたでしょう。 第3に、北支那方面軍の「後方関係」の文書が報告していますが、部隊が 広範囲に散らばっているため補給物資が膨大になってしまうことです。 中隊本部から各分遣隊にトラック輸送することを考えただけでも嫌になる でしょう。また、この輸送部隊がよく八路軍の待ち伏せ攻撃に遭って多くの 戦死傷者を出しました。討伐などの通常の戦闘よりも余程多いくらいです。 道路に障害物が置いてあるからといって、トラックを止めたら警護の 小隊ごと集中射撃を喰らいます。運転席は真っ先に狙われますw。
36 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/23(土) 01:31:34 ID:SEkJ71SG
第4に、部隊の「訓練や教育」が困難だということです。これも広範囲に 兵力が分散している理由に拠ります。民間企業を思い浮かべてみれば話が 早いでしょう。多くの支店や営業所に新入社員が少人数で配属されれば、 統一的な研修や訓練は難しいです。 1939年9月から1941年7月まで北支那方面軍司令官だった多田駿 中将は、1940年3月19日の訓示で「高度分散配置の現態勢は軍隊の 教育訓練上、まことに憂慮に堪えない」と述べています。 この教育上の問題は、下部の司令部ではもっと早期に痛感されていて、 例えば「独立混成第3旅団(山西省で治安任務)」は1938年7月の 時点で既に「301箇所の地域」に兵力が分散配置されていました。 このため上級司令部の第1軍に「到底初年兵教育を現地において行なう に能わず」と、その悲惨な状況を報告しています。
ここでちょっと話を中座して、北支那方面軍の歴代司令官をまとめて おきます。 ●寺内寿一:1937年8月26日〜。教育総監からの転出です。 ●杉山元 :1938年12月9日〜。近衛とケンカして陸相を辞めました。 ●多田駿 :1939年9月12日〜。良識的な「支那通」軍人の代表です。 ●岡村寧次:1941年7月7日〜。説明不要。最もメジャーな支那通軍人。 ●岡部直三郎:1944年8月25日〜。初代・北支那方面軍参謀長でもあります。 ●下村定:1944年11月22日〜。カンジの後に作戦部長を務めました。 ●根本博:1945年8月19日〜。終戦後のバタバタで駐蒙軍司令官と兼任に。
>>39 >>乙であります。
毎度どうもでございます。前スレの最後の方では醜態を晒して恐縮ですw。
>>38 >>つい先週発売された某ゲームにはまっててすっかり過去ログ編集作業を
>>忘れてました。何かは御察し下さい(w
毎度どうもでございます。ue少将閣下のご好意には「感謝感激」でございます。
さて某ゲームとは何でしょう? 自分は家庭用ゲーム機はとんとご無沙汰いたして
おりまして、プレステやサターンで時間が止まっていますw。まあ、ゲーセンで
ガンダム(連ザ)の対戦はやりますが…。正月には実家でストライクフリーダムの
MGプラモを作る予定で楽しみです(笑)。
41 :
名無し三等兵 :2006/12/24(日) 21:07:54 ID:???
戦国ラ
>>40 >>正月には実家でストライクフリーダムのMGプラモを作る予定で楽しみです(笑)。
r,ヘ──-ヘ_
rγー=ー=ノ)yン´
`i Lノノハノ」_〉 てめえ何余裕かましてんだコラ? 正月にはMGプラモを
|l |i| ゚ ヮ゚ノi| 作るだ? その前にもっと大事なものがあるだろうがよ?
!γリi.ハiリつ 大体てめえ、年末進行でカタログもまだ買ってないとは
|,( ll」i l i_|」 どういう了見だ? ダッシュで今すぐ書店逝って買って
└'i,_ィ_ァ┘ 来い! 「忙しい」なんて理由になんねえんだよ! 一体
何のために生きてんだコラ!?
>>41 >>戦国ラ
r,ヘ──-ヘ_
rγー=ー=ノ)yン´
`i Lノノハノ」_〉
|l |i| ゚ ヮ゚ノi| 『戦国ランス』ね!? こあ、買って来なさい!
!γリi.ハiリつ
|,( ll」i l i_|」
└'i,_ィ_ァ┘
,. -- 、 ,ヘ,´,.、 , ヽヘ ^Y ルレハ)ノリ^ はい、はーい。ヴワル魔法図書館でパチュリー様に仕えて /イリ;゚ ヮ゚ノi います司書の「こあ」こと、小悪魔です(わーい、初登場w)。 ,へk_〉`λiつ アレですよ中佐、年末進行でお忙しいのでしょうけど、パチュリー様 ⌒く_ノ/`i´lj⌒ が不機嫌なのは、例のごとく「マリみて」の最新刊で激変があった ゙'ーi_'ォ_ァ" からですよ。まさか、いきなり瞳子が(ネタバレw)……。コミケの 1週間前に発売してコレじゃあ、一体どうしろって言うんですかねえ。 毎年恒例のことで慣れましたけど、パチュリー様はサークル参加ですからー。ああ、もちろん パチュリー様ご所望の本は、私たち司書部隊が買いに走るんですけどー。下手にパチュリー様の ご機嫌を損ねると、『日符 ロイヤルフレア』をかまされますよ。うーん、冬コミも灼熱地獄で暖かいw。
45 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/24(日) 22:37:18 ID:aTgY0PEt
>>36 の続き。
「高度分散配置」の弊害ですが、第5に分遣隊での「風紀びん乱」がよく挙げ
られます。なにぶん中隊本部からも遠く離れた目の届かない場所です。監視の
目が届かないため、士気が緩み、軍紀も乱れがちだったと言います。
「とされます」が、紋切り型の説明ではなくもう少し詳しく検証してみましょう。
分遣隊の勤務とは、言ってしまえば『島流し』に近いものです。娯楽も乏しく
(支那人の集落が近くあれば、また別ですが)十数人の隊員だけで密室に近い
勤務状態です。長が下士官であったり、また少尉1人(幹候出の新米)がポツネン
と混じっていることが「上官暴行」や「風紀紊乱」の原因となることは前スレの
『上官殺害』のテーマでも少し述べました。
また本部から分遣隊の連絡(少人数での移動は待ち伏せ攻撃に遭って危険)も
週に1回であったり、ひどい遠隔地の駐屯地では月に1回程度だったことが
分遣隊勤務者の「疎外感」を強めました。
>>40 ご苦労様です。
普段、スレに貢献できないので関連情報を。
ご存じかもしれませんが、
森本賢吉『憲兵物語』構成三宅一志、光文社文庫という本があり、
北支の治安戦について、とてもおもしろい記述があります。
もともと『朝日新聞』地方版の連載だったようなので。
それらしい(笑)文章もあるのですが、
元憲兵の森本さん自身が淡々と語る治安戦の実情には、
他の本にあまりないリアリティがあって興味深いです。
47 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/24(日) 23:17:48 ID:aTgY0PEt
そのような任務ですから、分遣隊勤務というのは中隊本部から適宜交代 要員を出さなければなりません。これは士気の面からも必要とされる事です。 誰しも「辺鄙な場所」に長期間(事実上)閉じ込められていたら気が滅入って しまうでしょう。これは中隊長がきちんと差配しなければならないことです。 ところが日本軍には「悪兵は他所に出す」という共通の慣習がありましたから、 粗暴であったり上官に反抗的であったり、とかく問題を起こしがちないわゆる 「悪兵」とされる者は、ずっと分遣隊勤務を余儀なくされる訳です。これでは 文字通り「島流し」です。 例えば1つの分遣隊から交代で中隊本部に戻ってくると、1週間かそこらで また別の分遣隊勤務に飛ばされてしまう。これは堪らない。まあ、これは 極端な話ですが、中隊長の顔を見るのが年に数える程度しかないケースだって あったのです。こうなって来ると更なる悪循環で、悪兵と見なされた者は 自暴自棄になり、余計に悪兵になっていく訳です。
48 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/24(日) 23:48:49 ID:aTgY0PEt
この辺は中隊長の「器量次第」と言えるでしょう。まあ、人事係准尉にも よりますが、気がきく中隊長ですと、分遣隊勤務のルーティーンにも配慮 しますし、交代で兵を「大隊本部」の連絡任務にも送ります。 大隊本部はそれなりの大きさの街に位置しますから、「ピー屋」(慰安所) だってある訳です。ですから分遣隊勤務が長かった兵などをねぎらう意味も あります。やはり「中隊長の人物」が兵に与える影響というのは大きいです。 また少し話が飛びますが「懲罰人事的」に、一等兵から上等兵に何年たっても 悪兵を進級させないというケースもよくあります。当然、同年兵(同期)は おろか後輩にも階級で続々と抜かれていきます。しかも分遣隊勤務w。 こうなって来ると「星の数よりもメシの数」と言う典型的な悪質古兵が 出来上がるのが目に見えていますし、本人も出世や上官から何を思われ ても構わんとヤケクソになると、分遣隊勤務もやりたい放題ができて 良いものだとなってきますw。
49 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/25(月) 00:04:22 ID:aTgY0PEt
まあ、例のごとく「民間企業」でイメージしてみると早いでしょう。 ずっと地方の出張所勤務でいつまでたっても懲罰的に平社員のママ。 民間なら「とっとと首」でしょうが、軍隊の場合、悪兵だからといって 勝手に「首」にすることは出来ません。まあ、逆説的な皮肉ですがw。 その代わり、積極的に「他部隊に転出させる」などする訳です。まあ、 「悪兵は他所に飛ばす」の原則です。 個人的に言うなら、懲罰的に上等兵に進級させないというのは、どうかと 感じます。人間「現金なもので」昇進などがあると、「アレ。俺、心を入れ 換えて頑張ってみちゃおうかな?」と少しは思う訳です。少しは、ですがw。 札付きの「悪兵」と呼ばれた古年兵が、新しく赴任してきた中隊長に 「もう分遣隊勤務は飽きただろうし、同年兵たちにも会いたいだろう。俺と 一緒に中隊本部に帰らんか?」と言われて感激し、見違えるような模範兵に なってその後、下士官として中隊の先頭に立って戦った話もある訳です。
50 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/25(月) 00:21:39 ID:8BjvBs8i
>>46 >>森本賢吉『憲兵物語』構成三宅一志、光文社文庫という本があり、
>>北支の治安戦について、とてもおもしろい記述があります。
どうもでございます。それは未読でしたので今度入手して読んでみます。
まあ、このスレを続けていると、色んな推薦図書を紹介して貰えるので
大変勉強になります。ちなみに今、自分が読んでいるのは少し前に取り
上げた、佐々木春隆著の『長沙作戦』と『華中作戦』です。さすがに
防衛大の元教授だけあって、若年のころの小さな中隊討伐についても
わざわざ戦場図を作って説明しているので、非常に理解しやすいです。
>>44 >>アレですよ中佐、年末進行でお忙しいのでしょうけど、
ハイ。仕事が溜まりまくりです。何やかや心配事を抱えたまま正月を
「まんじりとせず」過ごすのだけは回避したい訳ですw。超時空要塞
ビグザイトにも逝きたいですし。
「まだだ! まだ終わらんよ!!」(色々藁)
51 :
名無し三等兵 :2006/12/25(月) 14:15:54 ID:???
今古本屋で、「日中戦争―日・米・中報道カメラマンの記録」なる本をゲットしたんですが、写真も満載でお得なのかな? 文章にはまだ目を通してないですがw
52 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/25(月) 22:32:53 ID:yFYluOku
さて、分遣隊の具体的な「風紀紊乱」ですが、これは前スレの『上官殺害』の テーマでかなりやりましたので、そちらを参照して下さい。特に北支那方面軍 最大の不祥事とされた『館陶事件』については、Ctrl+Fのキーワード検索機能 を使うと手っ取り早いでしょう。 かといって全く触れないのもアレなので、新しいサンプルを少し挙げておきます。 例えば1939年12月、第1軍の指揮下にある鉄道警備隊のトーチカが支那軍に 襲われました。8名で守備していたのですが、兵士1人を除いて皆、上半身裸で 丸腰であったために、全員そのままトンズラすることを余儀なくされ、武器や装備 も奪われました。 また山西省で治安任務についていた第41師団(宇都宮)の話ですが、ある兵士が 分遣隊の駐屯地から夜な夜な飲酒のために抜け出します。ある日などは、近隣の 支那人の村で行なわれていた結婚式に酔っ払って乱入して無茶苦茶にした、という 話がありますが、まあこの程度は可愛いものですw。
53 :
名無し三等兵 :2006/12/25(月) 22:37:03 ID:???
54 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/25(月) 22:56:16 ID:yFYluOku
そして「高度分散配置」の弊害ですが、最後の第6に、分遣隊の日本軍が 少人数であるがために、地元・支那人を組織して「保安隊」を作ることを 余儀なくされました。もちろん「治安任務」の補助として用いるのですが、 これが使えないったらありゃしないw。 例えば「中隊討伐」などでも兵力が不足する時は、保安隊からも1個中隊 程度の人数を連れて行くこともあるのですが、これが本当に「いないより はマシ」という程度です。むしろ、いない方が良いかもしれませんw。 とにかく少し戦闘が激しくなると「逃げる・降伏する」などは当たり前です。 例えば、ある歩哨に日本兵1人と保安隊(支那人)5人を付けていましたら、 戦闘が始まると保安隊は真っ先に逃げ帰りました。その後は日本兵が1人で 持ち場を支えていたそうです。 また八路軍も「保安隊」の方が弱くて与し易しと集中攻撃を加えました。 日本軍に協力する『漢奸』ということで目の敵にされたこともありますが、 何より保安隊が所有している武器・弾薬の奪取を目的としていました。
>>53 >>頭髪ないじゃんw
元ネタは『蒋介石日記』ですが、真偽は不明w。写真を見ると頭頂部に
うっすらと毛が生えている気がしないか?(藁)むしろ、掻き毟った
後とかw。
56 :
名無し三等兵 :2006/12/25(月) 23:01:30 ID:???
>>53 中国のだめっぷりの為に頭髪が無くなったのでは・・・・。
57 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/25(月) 23:29:44 ID:yFYluOku
支那人の「保安隊」からは、隣接する日本軍に「八路軍から襲撃を受けるから 武器弾薬を援助して欲しい」とたびたび要請を受けます。しかし武器を与えても 中共に奪われるのが目に見えていますから、どうしても消極的にならざるを 得ません。しかし一応は味方ですから、無碍にもできない訳です。 保安隊に武器を与えると八路軍に奪われる、しかし保安隊に武器を与えないと なおさら八路軍にコテンパンにされて、地域住民の不信感が余計に強くなる。 この辺はジレンマ以外の何物でもありません。保安隊を訪れた際に手榴弾の 数発を置いて帰ると喜ばれたと言いますw。 過去スレで取り上げました『蟻の兵隊』で、主演の奥村が暴走するシーンが あります。とある保安隊が警備地を八路軍に攻められると、ろくすっぽ戦わずに 逃げたり降伏してしまいます。激怒した日本軍は、戻ってきた保安隊の支那人を 処刑してしまうのですが、奥村はインタビュー相手の支那人に対して「そりゃあ、 戻ってくる方が馬鹿だ。日本軍に処刑されて当然だ。どうしてそのまま逃げ続け なかったのか」と述べて、カメラを回している監督も含めて全員がドン引きして しまうのですが、このエピソードは「保安隊の性格」をよく表していますw。
58 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 00:14:10 ID:WqnACIGg
まあ、たまに土匪などが集団で日本軍に投降してくると、そのまま「保安隊」に 編入して使うなんてケースもありましたが……。 話が長くなりましたが、以上のように「高度分散配置」(分遣隊)には色々な 弊害もあった訳です。しかし、それでも占領地の「点から線の支配」「線から 面への支配」のためには必要とされた手段だったのです。 また日本軍を各地域に『常駐』(←ここ重要)させることが、占領地における 治安維持ならびに現地・支那人の協力を得るために有効と判断された訳です。 惜しむらくは兵力がまるで足りなったということに尽きますw。
59 :
だつお :2006/12/26(火) 02:45:35 ID:14SHFXer
>保安隊に武器を与えると八路軍に奪われる、しかし保安隊に武器を与えないと >なおさら八路軍にコテンパンにされて、地域住民の不信感が余計に強くなる。 これは要するに「満州帝国」と同じだな。そもそも満人や中国人が 自ら独立独歩で皇軍と共闘するのなら関東軍なんて必要ないんだから。 保安隊に武器を与えるのではなく、皇軍自らが出兵して中国人を 銃剣で支配するしかないというのが現実だった。 この地球上で、中国人ほどに反日でかつ拝金主義で事大主義の生き物 は存在しない。だから皇軍の97式中国チンピラゴロツキ大量殺戮 アウシュビッツ害虫駆除マシーンがやってくると降参するか逃げるかだが、 皇軍が去ってしまうと元の反日チンピラゴロツキに戻るということだ。 中国保安隊が日本人を惨殺した通州事件などはその良い例であろう。 チンピラゴロツキが沢山涌いてくる場所を指して「中国」、 そのひとつひとつを指して「中国人」と呼ぶのだ。
60 :
だつお :2006/12/26(火) 03:01:51 ID:14SHFXer
>八路軍から襲撃を受けるから武器弾薬を援助して欲しい 延安政権としては武器供給や重慶政権崩壊は政権奪取のきっかけになる。 やり方はマリアナ決戦を放棄し大陸打通作戦にすべての皇軍戦力を投入して、 延安政権に対しては物々交換と重慶攻略を条件に和平工作を進める。 要するに中国人は事大主義だから、皇軍が強ければよいということだ。 戦略拠点を満州に移し、そこで97式中国チンピラゴロツキ専門大量殺戮 アウシュビッツ地獄大車輪を大量生産すれば完璧。中共に与えてもいいし、 また皇軍自らが搭乗して中国人を締め上げるのもよし。幸い97式中戦車チハ は対戦車威力がなく中国人にしか通用しない兵器だから、これを与えた中国人 が牙をむいてきても恐ろしくはないはずだ。
61 :
だつお :2006/12/26(火) 03:17:02 ID:14SHFXer
>これも広範囲に兵力が分散している理由に拠ります。 そこで必要となるのが「97式中戦車チハ」。 97式中戦車チハは皇軍史上世界史上最も優れた自動車製造技術の白眉。 機械的信頼性と燃費効率と走行性を兼ね揃え、大陸打通3000キロ。 マリアナ決戦を放棄して97式中戦車チハを大量産すれば、重慶も含めて もっともっと広範囲に大勢の中国人を支配下に置けたはずだ。
62 :
名無し三等兵 :2006/12/26(火) 10:32:59 ID:???
すみません質問です。 私は数年前普通高を卒業しましたが、その際日本史の授業で日本軍の残虐ぶりを徹底的に 教師に教えられました。特に中国大陸各地で日本軍が行った重慶爆撃や三光作戦など事細かに テストされました。中国人女・子供を犯し、殺し、燃やし尽くしたってのは本当なんですか? 私は自分の祖父が中国戦線で戦ったと知っていたのですが、そんな事を祖父はしていたのでしょうか? 心優しい祖父がそんな事をしたとは信じられません。
63 :
名無し三等兵 :2006/12/26(火) 11:31:10 ID:7DdCZzdJ
>>62 スレ違い
釣りならよそでおやりなさい^^
64 :
名無し三等兵 :2006/12/26(火) 11:54:35 ID:???
M4より弱いチハタン
65 :
名無し三等兵 :2006/12/26(火) 15:25:15 ID:7yEdP+Pj
初年兵教育は、新兵教官が現役の新任少尉級である関係上、なるべく中隊、せめて小隊単位以上でないと苦しい。 尤も、支那軍ぢゃあるまいし全くの未教育兵が出征することは無いから、幾らなんでも一期の検閲は済んでゐる。 支那戦線では、三年兵以上が一人前と見られ、補充兵でも二年兵であった。 よって、初年兵教育が出來ない、といふ話自体が不可解である。 教育は留守部隊の任務である。
66 :
名無し三等兵 :2006/12/26(火) 19:11:21 ID:???
>>63 釣ではありません、本気です。
いろいろな人な意見を聞きたいです、ちなみに祖父に戦時中のこと聞くと学校で教わった事とは
全く逆の事を言ってました。ただ戦闘などの話になると口をつぐんで暗い顔になってしまいます。
67 :
名無し三等兵 :2006/12/26(火) 19:51:32 ID:???
>>66 日中戦争では、数年にわたって、広大な領域で、
数十万の大軍が戦争を続けました。
便衣兵、八路軍なども入り乱れる状況で、
さまざまなことがおこりました。
あなたがうけた授業は、現代の人が自分たちの好みで、
その特定の一面をひたすら強調したものです。
そんなこととはまったく無関係なところで、
まったく別のかたちで戦争を戦っていた兵士たちもいました。
ほとんど平和にすごした兵士だっているのです。
だから、あなたのおじいさんのいうことを信じて、
なんら問題はないと思います。
69 :
名無し三等兵 :2006/12/26(火) 20:06:23 ID:???
>>62 過去ログを丹念に読んで、自分の頭で考えてみることをお勧めします。
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/ 中国は広大で、膨大な数の日本兵が大陸に出征しました。
あの広大な中国に百万人を越える日本人がいたのですから、そこで起きた
ことは千差万別です。
部分の証言だけ取り上げれば、日本兵を鬼畜とも善人とも、どうとでも解
釈ができます。試験問題のように簡単に答が得られるものではありません。
お祖父様が語ったことと、語ろうとしないことの間に横たわるものが何な
のか、貴方自身が考えることが大事です。
元32さんが挙げられた森本賢吉『憲兵物語』(光文社文庫)は私もお勧めです。
>>62 >>中国人女・子供を犯し、殺し、燃やし尽くしたってのは本当なんですか?
一体どこの誰に話しかけているか判っているかね? 私がカーキ色の帝国陸軍軍装と
参謀肩章を吊っていれば良かったかな? 我々は参謀本部第二部支那課だぞ? 一体
何人*したと思っているのかね? 暴力と謀略を呼吸するかのように行なう『支那通』
の集団にかね? 三光作戦? 何を今更! 60年ほど言うのが遅いぞ!
よろしい! 結構だ! ならば私を止めてみろ、自称健常者諸君! しかし残念ながら
私の敵は君らなどではないね。少し黙っていてくれよ。私の敵は、重慶の国民党政府!
延安の中共政府! いや! そこに嬉しそうにたたずんでいるお前だ!!
まあ、真面目にレスすると「悲しいけど、これって戦争なのよねー」に 尽きるでしょうw。 まだ土台固めの段階ですが、もう少しスレが進めば「そういう話」も 取り上げる積もりですが。そして何度でも言いますが、 No One Trust.(誰も信じるな) そしてTruth is Out There.(真実はそこにある) 真実はあなたの頭の中にあります。要するに自分の頭で考えなさい、つーことですw。
>>51 >>今古本屋で、「日中戦争―日・米・中報道カメラマンの記録」なる本を
>>ゲットしたんですが、写真も満載でお得なのかな?
日中戦争関連の本は「星の数」ほど出ている訳ですから、個別の本をいきなり
「どう?」と聞かれても返答に窮しますw。
>>元32さんが挙げられた森本賢吉『憲兵物語』(光文社文庫)は私もお勧めです。
そんなに皆さんお勧めの本なら、ちょっと探してお正月にでも読ーもうっと。
73 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 23:05:48 ID:BMUwRpX6
>>58 の続き。>>また日本軍を各地域に『常駐』(←ここ重要)させることが、
>>占領地における治安維持ならびに現地・支那人の協力を得るために有効
「高度分散配置」をどう表現すればイメージし易いのか考えていましたが、
『交番』に喩えると良いかもしれません。といってもスラムや在日朝鮮人が
ウヨウヨしているような場所ですがw。当然、隙あらば交番も襲われますw。
「治安戦」の最初の方の話でも触れましたが、支那事変勃発当初、日本軍は地方の
小さな町や村を占領しても、作戦の用が済めば直ぐに撤退していく場合が多かった
訳です。あくまで「戦術的な撤退行動」だったのですが、この措置は「占領政策」に
おいて2つの大きなマイナス効果をもたらしました。
●支那側がそれ(日本軍部隊の自発的な撤退)をもって、自分達が日本軍を撃退した
のだと宣伝すること。
●日本軍が撤退した後、中共などの部隊が直ぐに進出してきて、日本軍に協力した
住民に対して報復行為を行なったこと。
74 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 23:23:43 ID:BMUwRpX6
特に後者は深刻です。おそらく日本軍に無理やり協力させられた場合でも、 八路軍に見せしめの『漢奸』として、報復された可能性も高いでしょう。 集団で生き埋めにされた事例は、スレの初めの方で既に述べました。 こうなってくると、一度占領して撤退した地域に再び日本軍が進出して きても、地域住民の協力はほとんど得られない事になります。消極的に なるどころか抗日感情に拍車をかけるでしょう。ハイ、ここで結論です。 ●北支那方面軍は、一旦占領した地域から兵力を引き上げるのは、 『治安維持』の観点から望ましくない、と判断したことです。 まあ、ここまで読んできた人の中には「治安維持とは何て面倒くさい」 と思った人もいるでしょうが、本当に面倒くさい訳ですw。いっそ だつお氏が述べるように、チンピラごろつきの支那人は皆殺しにして しまった方が手っ取り早くて後腐れがない、と思う時もありますw。
75 :
名無し三等兵 :2006/12/26(火) 23:27:13 ID:???
>>●日本軍が撤退した後、中共などの部隊が直ぐに進出してきて、日本軍に協力した >> 住民に対して報復行為を行なったこと。 国外には東洋鬼の蛮行と宣伝できてコストパフォーマンス抜群ですね!!!1!
76 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 23:40:23 ID:BMUwRpX6
とは言うものの、日本軍は「占領地下」の支那人住民を手なづける必要が どうしてもあった訳です。これを当時の言葉では『民心を把握する』と 言います。「宣撫」でもいいですし、「歓心を買う」でもいいでしょう。 何にせよ北支那方面軍に限らず、支那派遣軍全体は可能な限り、現地で 自活することを求められましたし、鉱物資源や食料など「戦略物資」を 日本内地に送り込むことも重要な任務とされました。 また道路や陣地(トーチカや濠)の構築も、日本兵だけではとても手が 回りませんから、地元の支那住民を徴発して労働力としました。また 八路軍との戦いでも敵情を把握するため、また少しでも活動地域を削ぐ ためにも「民心の把握」は最重要とされました。
77 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 23:51:50 ID:BMUwRpX6
>>支那派遣軍全体は可能な限り、現地で自活することを求められました 参考までに日本の第13軍(上海・南京)を例にあげてみましょう。 1941年当時、兵数10万人・軍馬1万2千頭の戦力を保有して いましたが、現地自活率は以下の通り。 ●米・乾燥藁100% ●味噌・茶90% ●馬糧用麦・漬物85% ●肉類80% ●甘味品70% ●生野菜・醤油60% 恐るべきことに翌1942年には、上記の全品種すべての現地自活率が 100%となっていますw。 まあ、第13軍は上海・南京という物資が非常に豊かな地域だったために 特別なケースですが、支那派遣総軍は全軍のために、第13軍管内において 米・麦・卵・皮革・綿花・豚毛・建築資材などを大量に買い付けています。
78 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/27(水) 00:11:52 ID:3CbNBhjC
この一事をもってしても、 >>チンピラごろつきの支那人は皆殺しにした方が手っ取り早くて後腐れない とは言えない事が理解できるでしょう。ある意味、自分で自分の首を絞める ようなものです。いや、食い扶持をかw。「治安戦」は本当にジレンマです。 日本軍の占領を円滑にするためにも、支那民心を把握することは必須とされた 訳ですが、実は「高度分散配置」とは住民を宣撫するためにも都合のよい部隊 配置だったのです。つーか、それゆえの「分散常置」であり「地域密着」ですw。 「宣撫」とは政治活動を意味しますが、ダイレクトに八路軍対策です。北支那 方面軍は「華北の政務」に携わる権限を認められていましたので、純軍事行動 以外でも対ゲリラ活動を行なうことが可能でした。要するに「切った張った」に 止まらず、他のことも出来た訳です。
79 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/27(水) 00:18:27 ID:3CbNBhjC
1939年1月20日の北支那方面軍の文書に、 ●華北での戦いを『長期思想戦』と捉え、●それにおける勝利は「武力による ある地点の獲得をもって終わる」のではなく、●完全な地域の占領は「民心を 把握」したことによって達成される とあることが全体の状況を物語っています。 *「長期思想戦を認識しての占領地域の科学的経営の概観」 (北支那方面軍参謀部)より 具体的な方策については、また続くw。
80 :
名無し三等兵 :2006/12/27(水) 08:59:36 ID:hfxKpV8p
西暦きもい。
81 :
名無し三等兵 :2006/12/27(水) 12:53:59 ID:???
さうだ!西暦はキモイ 此處は當然、皇紀を使ふべきである!
82 :
名無し三等兵 :2006/12/27(水) 18:05:28 ID:???
83 :
だつお :2006/12/27(水) 18:42:40 ID:QhGLmHwa
>米・麦・卵・皮革・綿花・豚毛・建築資材などを大量に買い付けています。 そこで日本側から売る物は、やはり「97式中戦車チハ」しかあるまい。 97式中戦車チハを満州で大量生産してそれを中国人に売りまくる、 中国人は抗日戦争よりも中国人同士の内戦のために皇軍の97式中国 チンピラゴロツキ専用害虫駆除マシーンを沢山必要としていたであろう。 97式中戦車チハの大量生産こそが大東亜戦争勝利の鍵だったと思うと、 マリアナ決戦なんてなんともったいないことをしたのかと口惜しく思う。
84 :
八拾壱 :2006/12/27(水) 22:21:16 ID:???
>>82 馬鹿野郎!ワシは八〇と違ふぞ!
貴樣のやうに偏向ヘ育とゆとりヘ育にドップリ漬かつた
無知蒙昧・無學文盲には判るまいがな(笑
85 :
名無し三等兵 :2006/12/27(水) 23:41:33 ID:???
ポッポー(笑)
86 :
名無し三等兵 :2006/12/30(土) 04:20:53 ID:WhGpxYHU
保守age
87 :
名無し三等兵 :2006/12/30(土) 05:24:21 ID:hMfDnrKi
蒋介石ですぅ
88 :
名無し三等兵 :2006/12/31(日) 09:46:54 ID:xYRgpFrR
イナゾウ中佐コミケ戦線視察中行方不明
89 :
名無し三等兵 :2006/12/31(日) 10:53:41 ID:???
辻と同じ運命を辿ったか
90 :
だつお :2006/12/31(日) 16:07:38 ID:zRU39VFs
それにしても保守系文化人のなかには、あたかも中華民国が国民国家 で蒋介石がその元首であったかのような認識の人も少なくないよな。 思い入れということもあるのかもしれないが、何でわずか2万の 中共軍ごときに転覆させられたかということが伝わってこない。 蒋介石・汪精衛・張学良・毛沢東、これらはすべて軍閥の親方 であって何も国を代表する人物というわけではない。いわば戦国 大名がどこどこの地域の何万石を支配してたかという程度だ。 そんなものを相手に侵略がどうしたこうしたを論じても無意味だ。 シナとは何ぞや、って確かフランスのブリアン代表がそう言ってたな。 中国が国家だなどという中国人のホラ話は、皇軍の大陸打通で木っ端 微塵に粉砕されたはずだ。
91 :
名無し三等兵 :2006/12/31(日) 16:49:00 ID:???
チハで慢心したのがある意味今の世にも通じる日本の限界 チハは軽自動車 チハはダイハツミラ 零戦も軽戦闘機 零戦はセスナ 狭い日本なら快適だが そこまでやるならソ連のT34、アメリカのPD51くらいのを 作らなければ真の強国とはいえない。
92 :
名無し三等兵 :2006/12/31(日) 18:41:00 ID:???
明けましておめでとうございます。
>>90 しかし中華民国が国際連盟に加盟し国際的に孤立していない以上、国家として対処するしかないのでは。
民族主義も加味すると軍閥相手の戦争では済まなくなります。
だつおさん的には中国人を掃討できればいいのかもしれませんが……
国際上、日本の信頼度を中国より上げるには満州を潤わし、中国を痩せさせることだったのではないでしょうか。
欧米側に国民党の政治能力に疑問が生まれ、満州が魅力的な市場となれば、国際連盟は日本を満州の宗主国と認めたかもしれません。
そのかわり日本が欧米の帝国主義に打撃を与えることがなくなるので、それはそれでマイナスでしょうか。
94 :
だつお :2007/01/01(月) 12:10:22 ID:GGB81kkP
>民族主義も加味すると軍閥相手の戦争では済まなくなります。 当時の中国人口は「支那四億の民」と表現されることが多かったが、 満州その他皇軍傀儡政権下もすべて含めればもっと多かったのではないか。 日本はアメリカと太平洋戦争をしながら日中戦争もやって大陸打通だ。 だが別に日本空軍がドイツのMe262さえオモチャにみえるほど米陸空軍を 撃墜しまくるほどに優れたものだったというわけでもあるまい。 所詮中国の抗日戦争なんてチンピラのアジ演説みたいなものだった。 そうでなければ1944年にもなってあの敗退ぶりはどう説明するのか。 そしてT・アレン&N・ボーマー「日本殲滅」によれば、皇軍の大陸打通 作戦でさらに一億人がその支配下に入ったという。旧日本軍弱小列伝 の信者がなんと言おうと、日本が軍事的経済的工業力的に弱小だった とは思えないのだ。戦前戦後ともアジア・アフリカから追い出された イギリスフランスオランダと比べてみれば。いや皇軍はともかくナセル なんて北アフリカの土人にさえも敗退してる。 英国は電波探知機が発達していたというが、ならばその電子技術で もってアジアアフリカの国々を支配し続けることは不可能だったのかと。
あけましておめでとうございます。皆さま、今年もどうぞよろしく。 年末の忘年会で調子に乗って「生カキ」を10個ほど食しましたら、思い切り 『ノロウィルス』に感染しまして、吐き気と下痢で「七転八倒」しておりました。 お陰で予定の仕事が滞って被害甚大です。ノロとは食中毒に近い病気ですw。 病状が回復してきて手慰みに2chを開こうとしたら『アクセス規制』の巻き添え を喰らうダブルパンチ。年末ギリギリに規制されましたから、解除は年明け以降に ならないと無理という感じです。あ、今は帰省先から書き込んでいます。 そんな訳で、少し戦線離脱しておりました。『超時空要塞ビグザイト』に逝って いたのは言うまでもない事です。3日目は帰省しないとダメなので、少しでも早くと 夜中3時ぐらいに要塞入りしたのですが、風が冷たくて死にそうでしたw。
96 :
名無し三等兵 :2007/01/01(月) 17:10:31 ID:???
>>95 ノロに感染したまま3日目行ってないよな?
>>96 >>ノロに感染したまま3日目行ってないよな?
_,,...,_
r'" 〈╋〉`!
,'ゝ,,..-─-イ
i ノ レイ^iル〉 中佐には私が薬を出しておいたから心配ないわ。
λイi ゚ - ゚ノリ 「コミケに逝くなら念のためにオムツもして逝ったら?」
(ゝy´`Ξ`Tつ と聞いたんだけど、さすがに遠慮してたわw。でも殿方は
)ノiJ'´ T.´!´ まだ良いけれど、女でノロウィルスに感染すると本当に
レン'r_,ri_;┘ コミケに逝くのが大変になるのよ? まあ、無理して逝った
人も多いでしょうし、仮設トイレの汚染は凄いでしょうね。
ちなみにノロは糞便を介しても感染するわ。仮設トイレだからといって手を洗わないと、
さあ大変!w 会場中に…って、初登場なのになんで下の話題なのかしら?w ちなみに私は
八意永琳。「あらゆる薬を作る程度の能力」よ。中佐も軍人なら体調管理に気をつけなさい。
「自分にだけは当たらない」と思って痛い目に遭うのは、病気も弾丸も同じことよ? それに
戦場では胃腸が弱い兵から脱落する、のではなかったかしら?
>>80 >>西暦きもい。
,r---、.
_ソヽ/`、シi.
_>=ヘ 山/=<,
. ((ん'ノノルレム))
_ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ 中佐もごく初期には「明治」や「昭和」の年号を
),k'ヲ:::::::::つ 使って記述していましたが、西暦に統一した方が
(ン::::/:::l::ヽ 読者にとって理解しやすいでしょう、という事を
`~i,ンT,ノ~´. 私が助言しました(過去スレ)。何か文句ありますか?
99 :
名無し三等兵 :2007/01/01(月) 19:52:54 ID:???
イナゾウたんはどうなところに買いに逝くの?
_、,、,、_ `、r`=Y , ' `ー '´ヽ i. ,'ノノ ))) 〉 四季映姫殿の補足を私からしておこう。例えば、大正13年 | ii;゚ - ゚ノ|! と昭和2年はどのくらい離れているか、パッと理解できる人は ||kリ,_\_リiつ どの程度いるかな? 西暦に直すと、1924年と1927年で !k'J,、,、>、 ほとんど時代の差は無い。だが年号が違ってしまうと何か断絶 ´' "i,ンイノ~` しているような気がして、当時を生きていた人間ならともかく 現代人には感覚が掴みにくいということだよ。 例えば、山県有朋が大正11年に死んだと聞けば何とも思わないかもしれないが、 1922年に死んだと聞くと受けるイメージが異なるだろう? 存外に長生きした というのが普通の感想だろう。 まあ、明治なら67(明治5年+67=1872年)、大正なら11(大正3年+11= 1914年)、昭和なら25(昭和12年+25=1937年)を足せば簡単に頭の中で 計算できるのだが、イチイチやるのは面倒臭いことだし誰でも出来ることではない。中佐が 西暦を使っているのは、時代の流れを容易に理解できるようにするためさ。
>>99 >>イナゾウたんはどうなところに買いに逝くの?
見たまんまですけどw。3日目は、ほとんど西館にいました。まあ、最初に
FLIPFLOPs に逝きまして、葉庭の出店、さくSaku亭、個人的にはまりおねっと
装甲猟兵のノリが大好きですが……。
歴史系ですと、えげつないやん家と太陽帝国とか……。ちなみに駅のロッカーに
全部置いて帰ってきたので未だに一冊も読めていません(核藁)。
徹夜組は(・∀・)氏ね
要塞に到着したのが午前3時ごろですから、徹夜というか「半徹」ですけどね。
『真の意味』での徹夜組は、いろいろ面倒な手続きがありまふw。つーか、4時
ごろでも西館の階段上には余裕で並べました。まあ、正月早々こんな話ばかり
というか、帰省先から戻っても「アクセス規制」が解除されていない可能性が
非常に高いので「治安戦」の話を少し進めておきます。
>>90 >>それにしても保守系文化人のなかには、あたかも中華民国が国民国家
>>で蒋介石がその元首であったかのような認識の人も少なくないよな。
一連のお話ですが、やはり支那は前スレで述べたように『前近代』(プレモダン)
という事に尽きるでしょう。そして現在に至るもです。
104 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/01(月) 23:41:41 ID:NHJBmS9h
>>79 の続き。>>●華北での戦いを『長期思想戦』と捉え、●それにおける勝利は
>>「武力によるある地点の獲得をもって終わる」のではなく、●完全な地域の占領は
>>『民心を把握』したことによって達成される
そのために取られた方策は、簡単に言えば『アメと鞭』の併用です。至極単純な話
ですが、北支那方面軍司令部は民心把握のためには、まず占領地住民に充分な食料
供給を確保することが「第一義」と考えたのでした。
当時の日本軍の典型的な考え方としては、●「中国一般農民は思想的に見て誠に低級
至極にして……ただ彼等は一食を得てその日を過ごしうる事により満足せるもの」と
散々な評価をしています。
このような見解は、当時の日本人が抱いていた支那人に対する偏見の最たるものの
ように思えるかもしれませんが、ある程度、現実を言い当てていたものです。
>夜中3時ぐらいに要塞入りしたのですが、風が冷たくて死にそうでしたw。 そのまま凍死しろ
106 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/02(火) 00:17:56 ID:dhBQX3xJ
『山砲兵第51連隊第9中隊史』(松本弥助編、私家版)によれば、
ある日本軍兵士が駐屯地の支那人に話してみたところ、無学の者は
現在行われている戦争(支那事変)が何のために戦われているかに
無関心で「どちらでも食う心配が無い方に従う」と答えたそうです。
>>59 >>これは要するに「満州帝国」と同じだな。そもそも満人や中国人が
>>自ら独立独歩で皇軍と共闘するのなら関東軍なんて必要ないんだから。
極論を言えば、それに近いでしょう。支那本土と満州国、場所は全く異なり
ますが、満州国での『農村工作の問答』が参考になるかもしれません。満州国は
(日本の)太平洋戦争勝利のために、農産物や労働力の供出を漢人農民たちにも
求めました(つーか、行政指導)が、試しに取り上げてみましょう。
「次に農村の人々が如何様に時局を解して、そして協力しつつあるか、屯子に
於ける話合ひの模様を記さう」
107 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/02(火) 00:44:23 ID:dhBQX3xJ
Q.「貴方々が自分の土地に自分で収穫した農産物を刈取り後、野積みの暇なく 早く、多く、出荷、出荷とせきたてているが、これはどうした事と思うか?」 (しばらく黙って顔を見合わせている) A.「綿布をもらうためだ」と言う者がある。 Q.「その他に?」(黙っている、ようやくにして) A.「国家の関係だ」と言う者がある。 Q.「その通りだ。しかし私達は生まれながらにして国家と国民という関係に おいて切り離すことの出来ない間柄にあり、国家からの種々な御恩に報いる ために、お互いの職場を通じて御奉公しなければならないことは当たり前の ことである。だが、この2,3年殊にやかましく増産だ、出荷だとせき立てる が、これには直接的な原因が何かあるはずだが…?」と重ねて聞く。 (誰も答えない。1,2分後小声で) A.「戦争のためだ」と云う。
108 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/02(火) 01:06:11 ID:dhBQX3xJ
Q.「そうだ、君はよく気がついた。他の者は知らなかったかね?」と問う。 皆いっせいに、 A.「知っている」と答える。 Q.「では、どことどことが戦争しているのか?」また、しばし声も無い。 A.「ヘンダリだ」 はて、おかしな事を言う。そんな国はどこにあったかと 通訳に確かめさすと伊太利(イタリア)のことである。またある一人が A.「満州国が今戦争している」と答える。 遂にそれ以外の国の名を聞くことが出来なかった。(以降、筆者所感)自分は 満州国の農業政策浸透というものが、他の工業政策に比しいかに困難なもので あるかを痛感した。おそらくこんな事については、過去何回となく彼らは耳に して或いは目にしただろうに、現に1月前にも県行政科長が巡回して話をした 筈なのに。
109 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/02(火) 01:36:44 ID:dhBQX3xJ
筆者が不快に思った満州国・漢人農民の「国家意識」は、未熟というより
日本人がイメージする国家意識とは根本的に違うとした方がよいでしょう。
要するに国家を、意識も信用もしていない訳です。
これは敵国・日本だからと思いきや、支那は国民政府・八路軍・汪兆銘
南京政府、地方軍閥など支配者がさまざまですから、似たようなもので
しょうw。
>>104 >>「中国一般農民は思想的に見て誠に低級至極にして……ただ彼等は
>>一食を得てその日を過ごしうる事により満足せるもの」
この考えに基づいて、日本軍が実施した占領地の『宣撫工作』の内容は、
支那住民に対して食料や日用品、医薬品や医療活動を供与することでした。
その実施は戦闘部隊に随行する『宣撫機関』に委ねられましたが、現実は
通常の作戦部隊も、宣撫工作まがいのことをしていました。まあ、特に
効果的だったのは医療行為ですかね。
日本だって戊辰戦争では官軍が会津を攻めてる時に官軍陣地に地元の農民が行商に来ていた。 彼らにとって会津藩だろうが官軍だろうが関係なかったんだな。 日本で国家帰属意識が生まれたのは明治以降。
>>109 「帝力いずくんぞ我にあらんや」
ですな
112 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/02(火) 23:30:45 ID:dhBQX3xJ
>>109 >>この考えに基づいて、日本軍が実施した占領地の『宣撫工作』の内容は、
このような『宣撫活動』を行なう前提として、北支(占領地)の経済状況が改善
することが必要とされました。支那派遣軍総司令部は1940年3月12日付の
陸軍省宛の電報で、
●中支から日本本土への米・小麦粉などの輸出を削減してでも、北支方面への輸送を
増加して欲しい
と要請しています。(総参4電第211号:陸軍次官宛←支那派遣軍総参謀長発)
これは「宣撫活動」で必要とされる物資を指しています。ですから太平洋戦争が
始まるまでは、日本もまだ余裕があったというか、占領地住民から一方的に収奪
していたのではなく、与える物もそれなりにあった訳です。太平洋戦争が始まる
までは、ですけどw。
113 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/03(水) 00:01:28 ID:Iv879Hxe
>>104 >>そのために取られた方策は、簡単に言えば『アメと鞭』の併用です。
もちろん、このような『アメ』ばかりでなく『鞭』も数多く存在していました。
「高度分散配置」において中隊長や分遣隊長は、八路軍を筆頭に抗日勢力の
動向について「情報提供」する義務を「地域住民」たちに負わせていましたし、
道路や通信線の保護について連帯責任も課しました。もちろん違反があれば
厳罰に処されます。牢獄に繋ぐなどはごく普通です。
また「小隊討伐」や「中隊討伐」を行なう際には、占領地の住民を抗日勢力の
根拠地に向けて道案内に使うことも非常に多かった訳です。とはいえ、八路軍
などの内通者(工作員)が駐屯地に混じっているのは日常茶飯事ですがw。
そして北支那方面軍司令部は、「高度分散配置」が決して亀が甲羅に頭を突っ込む
ような『静的防御』のための態勢であってはならない、と強調していました。ここ
から上記で述べたような「小隊討伐」や「中隊討伐」(以下、大隊、連隊…)が
不断に行われていく訳です。
114 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/03(水) 00:24:18 ID:Iv879Hxe
北支那方面軍の言葉をそのまま使うと、「飽く迄積極的にその所在に 討伐粛清を反復」することを指示していた訳です。 一例として第110師団(姫路)を挙げますと、河北省北部に展開して いたこの部隊は、1938年7月〜1939年10月中旬の1年余りの 間に2250回の交戦を数えました。1日平均5回のペースとなっており、 師団全体の戦果として敵の遺棄死体3万6260人、鹵獲兵器1万1870 を数えました。まあ、鹵獲兵器は小銃などが中心でしょうけどw。 そして同師団の損害は、戦死者が533人(士官32人含む)、負傷者が 1327人(士官60人含む)です。この頃の第110師団は「4単位制」 師団ですから、全体の10%内外の兵員が死傷したことになります。 ただ遺棄死体というのは「討伐作戦」において、なかなか獲得できるもの ではありません。日本軍と同様に、八路軍とて仲間が戦死すれば可能な限り 回収して撤退しようとするでしょう。一度に3、4体もあれば結構な話です。
115 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/03(水) 00:58:11 ID:Iv879Hxe
というのも、八路軍などの部隊を捕捉すること自体がかなりの困難であり、 日本軍の討伐部隊が来ることが分かれば、衝突を避けて住民ごと一時的に 村から姿を消して「もぬけの殻」というケースが非常に多かった訳です。 日本軍も目立たないように、支那人の『密偵』を放って八路軍の動向を探る訳 ですが、なかなか上手くいきません。密偵自体が頼りになりませんし、そもそも 「ダブルスパイ」なのではないかとw。 八路軍に限らず単なる匪賊の場合でも、根拠地を奇襲したつもりが街の入り口に 「日軍歓迎、辛苦多々的(ご苦労さん)」などの張り紙がしてあって、人っ子 ひとりいない事もありますw。こういうのを「企図の秘匿は難しい」と言います。 八路軍については上記のような戦術を「空室清野」と表現することがありますが、 侵攻してくる部隊に何も残さない『焦土戦術』とは、また別の意味を指します。
116 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/03(水) 01:22:41 ID:Iv879Hxe
もちろん「治安戦」に対する北支那方面軍の対応は、どこも一律同じという 訳ではなく、八路軍など抗日ゲリラ勢力の強弱に応じて異なった作戦が取ら れていました。最も代表的かつ典型的だった『山西省』を検証してみましょう。 山西省に展開していた第1軍は、その占領地を「優良村」「普通村」「不良村」 の3つに分けて、それぞれ異なった対応を実施していました。これは後に北支那 方面軍が占領地全体を「治安地区」「准治安地区」「未治安地区」に分類したもの の雛形となるものです。 「優良村」は、「宣撫の行き届き、日本軍および新政府を絶対的に信用」している 地域で「種々援助保護」すべき対象とされます。「普通村」は「梢々宣撫の行き 届けるもの」で更なる宣撫が必要とされる場所であり、最後の「不良村」は、 「敵の勢力下にあるもの、または我に反対気分を有するもの等」であり、そこでは 『討伐を主とす』こととされました。ハイ、段々「キナ臭く」なってきましたよw。
南京大虐殺
日本軍最強
119 :
名無し三等兵 :2007/01/04(木) 20:35:25 ID:qeq7kGBg
満州国の新京から日本に向かう機上でのこと。 50歳ほどの日本人女性が、朝鮮人男性の隣に座ることになった。 彼女は、信じられない、とばかりに憤然と立ち上がると その場で係員を呼び出してこう言った。 「これはいったい何なの!」 「はい、お客さま、どういうことでしょう?」 係員は彼女に丁寧に聞いた。 「見ればわかるでしょ? 私を黒人の横の席にしているのよ! こんな忌まわしい人の横に座るなんて、私は到底、承服できません。 すぐにほかの席に変えてちょうだい!」 「お静かにお願いします」
120 :
名無し三等兵 :2007/01/04(木) 20:36:14 ID:qeq7kGBg
係員はこたえた。 「ただいま席があるかどうか確かめてまいりますので」 彼女はいったん引き、しばらくして戻ってきた。 「お客様、あいにく席に空席がございません。機長にも相談しましたが、 空きはないとのことでした。ただ、一席だけ空きがございます」 その女性客は一瞬、安心したような顔を見せたが 係員はそれに構わず話を続けた。 「私どもの会社では、通常席のお客様に特別席へ お移り願うことは滅多にいたしません。 けれども、状況を考えますと、こんな方の隣に お客様がお座りになるということは、 言語道断であると、機長が申しております」 そして、彼女は、おもむろに朝鮮人の紳士の方に向き直り、こう言った。 「お客さま。というわけですので、もしよろしければ、どうかお手荷物をおまとめください。 特別席にお席をご用意してお待ちしております」 次の瞬間、ずっとこのやりとりに心を痛めていた周りの乗客が 一斉に立ち上がり拍手喝采の音がそれに続いた。 だが、朝鮮人紳士は落ち着いた声で、こう制したという。 「お気遣いありがとう。しかし、私はこの席で結構だ。 横に誰が座っていたところで、私の誇り高い民族の血が 汚れてしまうとでもいうのかね」 日本人女性は恥じて朝鮮人紳士に涙を流して詫び 朝鮮人紳士も大慈悲の心で彼女を許してやりました そして1945年日本は降伏し朝鮮はついに戦勝しました
>119 朝鮮人らしい嘘。 ま、日本人と同じ学校で、同じ教室で同じ教育を受けていたのが朝鮮人。 当時、飛行機に乗る朝鮮人は上流階級だし、日本人女性で飛行機に乗れる人は少なかった。 飛行機に乗れるくらい上流の日本人女性なら、内鮮一体のスローガンに従うでしょ。 ま、いずれ、南鮮も滅ぶし、あほな反日が自ら滅ぼしたことを知る日ももうすぐだw
>>120 最後の3行がウソ臭いというか、紋切り型の話。そこさえなければ、まあ面白い
かもしれない。ついでに元防大教授の佐々木春隆氏が陸士を卒業して満州の部隊に赴任
する際に、朝鮮を列車で移動したときの感想を要約すると以下の通り(1938年)。
●朝鮮の山々は残らず赤土の禿山で、土壁と藁の見るからに貧しい農家が大地に
這いつくばっていた。同じ皇土と言いながら、余りにも貧富の差が激しいのに驚き、
「これでは天皇陛下に忠誠を尽くせ」と言ってもどうかなあ、と考え込んだ。
●満州行きは秘密であると聞いたが、停車駅ごとに動員された女学生達が見送りに
来ていて、特産の青いリンゴなどを差し入れてくれた。しかも民族服が綺麗で美しく、
北上するにしたがって美人が多くなったことである。今でも「平壌美人」と言うし、
美人は北に多いと韓国人も言うから、その頃から目が肥えていたのだろう。
お礼と好奇心から言葉をかけると綺麗な標準語なので驚いた。「日本語がお上手
ですね…」と感心すると、「日本人ですから当然でしょう…」という返事に戸惑った。
そう言わねばならない時代であったのだろう。
, ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) ヤッホー。イナゾウ大尉、お久しぶりー。何か少し || メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) 見ない間に、人様に講釈垂れてるなんて随分偉く ヽ. _Q)#」ネl」)つ なったのねー。肩にヘンな紐をぶら下げてるけど、  ̄ ,<´_#,#ハ それは何? お姉さん、支那人の生首をぶら下げて ` "i_フ_フ" いた中隊長時代のイナゾウ大尉の方が好きかなー。
ゲゲッ。幽香さん…。お久しぶりですというか、いつの間にこちらに…。つーか 戊辰戦争じゃあるまいし、人の生首をぶら下げていた覚えはありませんよ。まあ、 処刑は散々やりましたけど…。あと、これは参謀肩章です。ついでに今は中佐です! ちょうど「北支の治安戦」の話をしてまして、幽香さんに初めて「遭遇」したのは 山西省の僻地でしたかね?
, ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) 「遭遇」って何よ…。プンプン。北支…? || メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) ああ、汚らしい人間がウヨウヨいた場所の ヽ. _Q)#」ネl」)つ ことね? 大尉と会った村がサンセーショーと  ̄ ,<´_#,#ハ いう名前なのかしら。でも大尉も昔の方が面白 ` "i_フ_フ" かったのになー。今は何か「守り」に入っている 感じー。来る日も来る日も「チュータイトーバツ」 に明け暮れていた時の方がずっと魅力的だったわ。支那の土人をちぎっては投げ、 ちぎっては投げ……。辺りには血塗れの人肉が散乱しているの。ああ、身悶えしそう!
「ちぎっては投げ」の意味が違う!w 「千切る」でも「人体16分割」でもないです! 嗚呼、今でもはっきり思い出せますよ。自分が中隊長時代、担当の警備地区(優良村)で 支那人の体に「花を生やして」遊んでいたのがアンタじゃないですか。全身にビッシリ、 ヒマワリが根付いて死んだ支那人が5、6人転がっていて……。アレで初年兵がトラウマ になって、後で離隊逃亡する原因になったんですから! あと「不良村」「優良村」問わず、『元祖・マスタースパーク』とか言って村ごと 焼き払ったり……w。
, ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) ああ、何か思い出してきたわ。私が「暇つぶし」で || メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) 遊んでいたら、大尉が何人か引き連れて文句を言って ヽ. _Q)#」ネl」)つ きたのよね。明らかによそ者のくせして(私もだけど)、  ̄ ,<´_#,#ハ 他人の村を「優良だの、普通だの、不良だの」といって ` "i_フ_フ" 別扱いするのがおかしかったんだっけ。そうそう、それで 「じゃあ、どこでなら遊んでいいわけよ?」と返したのが 大尉との出会いだったかしら。本当はムカついていたから、速攻で殺そうと思っていたのよ? 運が良かったわね。でも、それから「チュータイトーバツ」なんかに同行するようになって、 「人間ってこういうふうにするんだー」ってなかなか面白かったわ。焦れったかったけど。
あの「優良・普通・不良村」の説明をしていなかったら、中隊丸ごと生きた 『腐葉土』として全滅していた訳か……(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル. 「ひと言」が運命を分けるってあるもんですねえw。 まあ、幽香姉さん。血生臭い話はまだ先ですから、好きそうな話になったら 呼びますから、ひとまずお引取りくださいよw。
ああ、あと自分は「中佐」ですw。
, ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) 昔から言う事もやる事も回りくどいのは、「大尉」 || メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) の良くない癖よ。じゃあ、今日は帰ってあげますか。 ヽ. _Q)#」ネl」)つ 皆さん、初めまして。私は『四季のフラワーマスター』  ̄ ,<´_#,#ハ こと、風見幽香。趣味は人妖かまわず殺しまくること ` "i_フ_フ" ですわ。「非常に短い付き合い」になると思いますが、 どうぞよろしくお願いします。ペコ。また血生臭い話に なったら顔を出しますから。
何がしたいの(;´Д`) これはついていけない(´・ω・)
気にするな。中佐の持病だよ。 こうしないと精神の安定が図れないんだ。
荒れそうな話題を振る前にスレのふいんき(←何故か変換できない)を 和ませようと努力しているのなの。 そういえばイナゾウ中佐はリリカルなのはって観てましたっけ。
134 :
名無し三等兵 :2007/01/05(金) 13:05:11 ID:/MYfnbR+
>>133 そんな事は絶対オブウルコと思います
あなたたちのそんな偽りされた発言は
シェギェインドルのコメディーで外に思わないです
ただ !日本の人々がパルリダルンタングを捜して
大陸に行こうとする足掻きですよ!!!!!!
イナゾウたんはアイマスとかってしないの?
びっくりするぐらい東方ですね。
_ ,.'´ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .!リノメハ〉)》 /ちょっとそこのイナゾウ Y(!゚ д゚ノ、 < どうせならマリ見てネタにしなさいよ!!こちとら (fスj水!ki) \ 東方ネタ振られたって、そんなマイナー作品一部しか知らないんだから!! '(!ノ/ |i y! \_____ `iララ′
>>132 >>気にするな。中佐の持病だよ。こうしないと精神の安定が図れないんだ。
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ 中佐は『東方ネタ』を思いつくと、後先かまわず書き込みたく
くi Lノノハノ)」 なる衝動に駆られるのよ。スレの人口が激減するのが分かって
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! いても無駄みたいw。「リリカルなのは」と「アイマス」は、
レ',ヘ.i`ム'」つ 名前を知っている程度かしら。「マリ見て」ならDVD全巻
,く_,//T.iλ 持っている程だけど、このスレでネタにするのは辛いそうよw。
"ーr_,t_ァ'" あと中佐が性懲りも無くAAを貼るのは、『魚雷は大人に
なってから』
ttp://www.warbirds.jp/truth/torpedo4.htmlや 『マリア様がみてる日本史 大東亜戦争編』
ttp://www.geocities.jp/kamisato_02/ nihonshi/nihonshi_daitoua_index.html の影響を受けているからね。まあ、中佐も
決して悪人ではないと思うから生暖かく見守ってあげましょうよw。とりあえず、
上海アリス幻樂団、万歳。
>>116 >>ハイ、段々「キナ臭く」なってきましたよw
幽香姉さんが「襲来」して来る前に、とっとと話を進めますw。山西省で
『優良村』『普通村』『不良村』という区分が発生したのは、既に述べた
とおりです。ここで注目すべきは『不良村』で、「敵の勢力下にあるもの、
または我に反対気分を有するもの等」とされ、そこでは『討伐を主とす』と
明確に定義されたことです。
「不良村」と聞くと、何となく更生させなければならない場所とイメージして
しまうかもしれませんが、そのような努力は「最初から放棄された」と考えた方が
正確でしょう。この点がいわば治安戦において「画期的」というか「分水嶺」に
なる訳ですが、要するに限られた兵力の中で『切るべき地区』は切り捨てたのです。
当然、『不良村』の多くが日本軍の「苛酷な作戦行動」に晒されることになります。
140 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/06(土) 00:57:10 ID:SQjvIPjB
この辺りは何と喩えたら理解しやすいでしょうか? 例えば、学級崩壊の原因と なっている『不良児童』が複数いたとします。本当なら先生が更生させるのが スジでしょうが「二度と教室に来るな!」と真剣に追い出したとします。ハイ、 これで不良児童はいなくなり、授業も再開することが出来ました。めでたし、 めでたし。 というのが近いでしょうかw。『不良村』も更生させる努力を放棄して極端な話、 人の住めない場所にする(不良児童を更生させる努力を放棄して、学校に二度と 来れないようにする)訳です。 先に取り上げました北支那方面軍参謀部の『長期思想戦を認識しての占領地域の 科学的経営の概観』には、以下のようにあります。 ●「一度討伐を行なう場合は徹底的に之を行ない、苟しくも排日抗日の色彩を 有する敵の一人に至るまではもちろん、一木一石と云うも仮借することなく、 根本的に『清掃』すべきなり」
>>140 まさに処置方法は『腐ったみかん』ですな。
142 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/06(土) 01:29:15 ID:SQjvIPjB
北支那方面軍の部隊のなかには、この方針を『字義通り』に実行して 農村地区の破壊・焼却を行なったものもありました。もちろん現場の 裁量というものがありますから、やるかやらないかはどんな場合でも 「中隊長次第」だったと補足しておきます。 さて、ここで1人の人物を登場させます。誰であろう、田中隆吉ですw。 田中隆吉(当時少将)は山西省に展開していた第1軍の参謀長でした (1940年3月9日〜同年12月1日)。在任時間は短いものの、 第1軍の占領政策に与えた影響は非常に大きなものがあります。 念のため、軍司令官とともに職歴をフォローしておくと以下の通り。 ●田中隆吉:陸軍省兵務課長→第1軍参謀長→陸軍省兵務局長 ●篠塚義男:第10師団長→第1軍司令官(1939年9月7日〜1941年6月19日) →軍事参議官兼陸士校長
143 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/06(土) 01:55:03 ID:SQjvIPjB
田中隆吉は第1軍参謀長時代に「灰燼作戦」を実行して、山西省における 中共系ゲリラの抵抗を制圧することを提案、実施しています。もちろん、 これは『不良村』を対象としている事は言うまでもありません。 >>●限られた兵力の中で『切るべき地区』は切り捨てよ。 田中自身は『灰燼作戦』について、支那の民衆を支配するには 「完全にぴしゃっと頭をぶっ叩いておいた後に、やおら頭を撫でて 徳政を施し味方にする」のがよいと説明したといいます。 これはまだ上品な方で、田中の発言の中には「中国人などは人間ではなく 豚である。なんでもやっちまえばいい」と放言したこともあるとされますw (『上海時代:中』松本重治著)。 田中の言には、実は理に適っている部分もあるのですが(後述)、この 「灰燼作戦」が程度の差こそあれ、不良村の至る所で行なわれたのは事実です。
まあ、山西省の田中隆吉の例を大きく取り上げましたが、北支那方面軍の 他の地域、例えば河北省などでも似たような「灰燼作戦」の例はありました。 1939年5月に、第10師団に所属するある部隊がゲリラの奇襲に遭って 中尉1人を含む11人の戦死者と、同数の戦傷者を出しました。このとき 直属の大隊長は「今後の戒めのために」と1つの部落全体を丸ごと焼き払う などしています。
145 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/07(日) 01:40:00 ID:KZxmLawU
また「北支那方面軍参謀長」から「駐蒙軍司令官」を務めた『岡部直三郎大将の 日記』という本がありますが、例えば1939年12月8日の項には部下(少将) の作戦報告として、 ●「兵器製造所、病院、印刷所等を滅燼する外、敵の宿営不可能の程度に村落を 焼却す」 という記述があります。また翌日には『討伐地』から帰還した部下(大佐)から ●「行動地域内の村落は『徹底的に焼却』す。(略)新品被服、未完成品600着、 その他弾薬等多数を集積する被服工場を発見し、焼却す。糧秣集積所に多数の 岩塩を発見し、これを河中に投入す。共産紙幣及び法幣の若干を押収す」 ともあり、八路軍の支配地区の『破壊・焼却』が日本軍の通常の作戦内容だった ことが分かります。
146 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/07(日) 02:21:24 ID:KZxmLawU
要するに、いわゆる「三光作戦」の中でも『燃光』(焼き尽くす)を日本軍が
行なっていたのは疑いの無い事実な訳ですが、あくまで八路軍など抗日ゲリラ
勢力の「根拠地」を削いで、弱体化させるためです。もちろん
>>144 のような
味方が大きな損害を受けた場合の、ダイレクトな報復目的もありますが……。
まあ、この辺は「爆撃と同じである」と捉えると分かり易いかもしれません。
敵の拠り所をなくすために、支那派遣軍は航空機の爆弾ではなく歩兵の行軍に
よって『焼却・破壊』を続けていった訳です。
しかし、それでも北支那方面軍などの軍上層部が、無差別な村落の焼却を
許可していた訳ではありません。むしろそれを統制化に置き、取り締まろう
としていたことが窺えます。
後に相当な長期間、北支那方面軍司令官だった岡村寧次(1941年7月〜1944年
8月)は戦後の回想で、三光作戦に言及して自分は部下に「焼くな、犯すな、
殺すな」の『三不政策』を標榜したと反論していますが、これもその1つです。
147 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/07(日) 02:40:38 ID:KZxmLawU
>>145 の補足。岡部直三郎は、岡村寧次の後の「北支那方面軍司令官」
ですね(1944年8月〜1945年11月)。参謀長から錦を飾った訳です。
また岡村寧次の『三不政策』が出される遥か以前の1938年5月の
時点で「方面軍部隊が行軍中に部落を焼き払うことを根絶する」旨の
通牒が出されています。
もちろん前述したように、あらゆる形態の村落・家屋の焼却を禁止した訳
ではなく「作戦として認可」することも確かにありました。その理由として、
>>143 >>田中の言には、実は理に適っている部分もあるのですが(後述)
例えば、山西省での田中隆吉の『灰燼作戦』については、仮借のない討伐作戦
(焼却・破壊)の後で初めて、宣撫工作が効果を発揮して『親日的態度』が
支那人住民に生まれる、という軍上層部の考えが反映されていた訳です。が
148 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/07(日) 03:09:11 ID:KZxmLawU
これが決して田中隆吉個人の発想ではなかった根拠として、例の『長期
思想戦を認識しての占領地域の科学的経営の概観』関連の文書に、
●「討伐の徹底主義は宣撫を徹底的に導き易く、また親日を実現し易し。
弾丸飛ばざる天津・北京に親日薄く、徹底的に戦火を受けたる僻遠地
都市の親日なるを見る」
とあるのを見ますと、「不良村の焼却」などの有効性も考慮せざるを得ない
でしょう。
>>147 >>「方面軍部隊が行軍中に部落を焼き払うことを根絶する」旨の通牒
とは言っても、現地軍が無秩序に「焼却」をやられると収拾がつかなくのも
事実でして、例えば一般兵士が露営地を出発する時に家屋をついでとばかりに
燃やしてしまうのを「悪い癖」として回想している戦記もあります。ちなみに
これは第21師団(金沢)歩兵第62連隊・第12中隊の回想録です。
149 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/08(月) 00:17:03 ID:8CmOIE8x
>>148 >>現地軍が無秩序に「焼却」をやられると収拾がつかなくなる
ある村落を再占領する可能性がある場合は、『焼却』してしまったら自分達が
後で困りますよね。また作戦で行軍中なら、先に進む部隊が村を勝手に焼いて
しまえば、後続の部隊が「マトモな宿営地」を失う事になり迷惑が掛かります。
>>146 >>いわゆる「三光作戦」の中でも『焼光』(焼き尽くす)を日本軍が
>>行なっていたのは疑いの無い事実
とは言っても『焼光』は八路軍の根拠地を奪うのが目的であり、ダイレクトに
住民の殺害を図ったものではありません。『槍光』(奪い尽くす)については
後述しますが、『殺光』(殺し尽くす)は無かったというのが1つの結論です。
>>145 >>「行動地域内の村落は『徹底的に焼却』す。(略)」
『岡部直三郎大将の日記』からの既述ですが、「略」の部分には以下の様に続きます。
150 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/08(月) 00:42:36 ID:8CmOIE8x
「行動地域内の村落は『徹底的に焼却』す。ただし老人婦女子のためには、 家と糧食を与えて保護せり。焼却せる村落は殆ど住民居らず」 とこう続きます。実際問題、日本軍が大規模な攻勢作戦を行なうにしても、 『中隊討伐』など八路軍の根拠地に向けて粛清作戦をするにしろ、その行動は 日本軍が駐屯地を出撃するそばから支那側に筒抜けであり、目的地の村落の 住民は全員逃げて「もぬけのカラ」という結果が多かったのです。 こういう情報は、日本軍の駐屯地に支那側の密偵がいたり、あるいは昼間なら 「のろし」、夜間であれば「松明」のようなリレーでいち早く八路軍勢力などに 日本軍の作戦が伝わります。つーか、戦国時代の話かw。 また「一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ」ではありませんが、支那の野犬は 日本軍が行軍しているとやたらに吠えます。それこそ百犬が山伝いに吠える 状態で「とても奇襲は無理だ」となるのがザラでした。
151 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/08(月) 01:03:48 ID:8CmOIE8x
よく参考文献に挙げる佐々木春隆氏(元防大教授)の著作(『長沙作戦』)にも、 「天明とともに掃討したが、敵は逃げた後だった。あの犬の吠え方で逃げたのだな、 犬対策が大切だなと思ったのを覚えている。けれども、終戦まで犬対策の妙案は 浮かばなかった。中国軍が通ってもあまり吠えないのに、日本軍が通ると気違い のように吠え立てるのは、やはり中華犬族の見識だったのであろう」 と、こう述べています。また「第一次長沙作戦」(1941年)を振り返って 「顧みれば『これまで住民の姿を見たことがない』。全員がどこかに退避して 雨露を凌いでいるかと思うと、戦場の民がいじらしくて仕方がなかった」と 回想しているのが興味深いです。 また『華北戦記』(桑島節郎著)の筆者は山東省で治安任務に就いていました が、終戦末期の1945年7月に「高家」という村で部隊の一兵士が行方不明 になります。そのため「高家」の徹底的な捜索が行なわれますが住民が逃げずに 自分の家で留まっているのを見て非常に驚いています。
152 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/08(月) 01:28:52 ID:8CmOIE8x
少し長くなりますが、要約すると以下の通り。 「『日本軍が来た!』と聞けば、ほとんどの村はいち早くいっせいに避難 して、村はたちまち『空室清野』となるはずなのに、どうしたわけか、 高家には多くの村民が逃げずに家の中にいた。私は従軍4年間に何百回 というほど討伐に出動して村々を通ったが、住民が逃げずに家の中に いたというのは、後にも先にもその村だけであった」 少し話が脱線しましたが何が言いたかったというと、『殺光』(殺し尽くす) しようにも、実は「住民の捕捉」自体が困難なことです。まあ、後で述べます が「人狩り」(労務者狩り)にも大規模な作戦行動が必要とされました。 まあ、『焼光』についてもう少し補足しますと、例の『岡部直三郎日記』の 別の項目(1941年3月31日)には、「軍隊の軍紀不良なり。五原撤退に際し、 『参謀の指定せる場所』以外、焼却を禁ぜしに拘わらず、勝手に放火せり」 と現地部隊を批判的に述べています。逆説的ではありますが、住民の殺害を 直接的にターゲットとしていない事が分かるでしょう。
>>152 >>逆説的ではありますが、住民の殺害を直接的なターゲットと
>>していない事が分かるでしょう。
, ‐‐-、___
/ ., '´⌒⌒ヽ
./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) でも『空室清野』で誰もいないはずの部落に
|| メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) 逃げ遅れた住民がいると「これは怪しい!」
ヽ. _Q)#」ネl」)つ ということで、「武器はどこに隠してある?」
 ̄ ,<´_#,#ハ 「八路軍の居場所は?」「お前は工作員じゃない
` "i_フ_フ" のか?」と思い切り拷問して責め殺してたよね?
『大尉』は?
多重人格なのか? キメェおっさんだなwww
>>154 夢がないね
私はお兄ちゃんと違って夢があるんだ♪
__,,.........,,,__ ,、 ‐ '": : : : : : : : : : :``ヽ、 ,、.:' : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : \ ,ィ' : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : \ -ッ´/ : : : : : : : : : : : : : : : : : : ; : : : : : : : : : : : : ヽ //:/ : : : : : : : ;ィ' : : : : ;、 '´/ : : : : : : : : : : : : : : '., //: : : : : ッ:.:// : : : / /.: : : : : : : : : : : : : : : : :', / /: :,ィ : : ://7゛: ;/ /: : : : : : : : : : : : : : : : : : : i /: :///: :/ _,,.イ;;_'゙´ / : : ;ィ : : : : ;ィy: : : : : .; : : : :l !//: : l: .;イ f'"´ ,.、-.、ヽ、 /: :/;.:、 ‐'"´/;、‐<ソ゛. : : : | /: : /|/ l i!;::(シ::) '、 // '´ _,._;ッ;,'、,_ /: : ;. : : :l l : :i 〈〈', ヽ ' ー ゛ , ´ /,、.-.、 ソrイッ' : :/ / ! :ハ :ヽ', `' ‐-ッツ i:::(シ::i! l〉/ :/: / '゛'; k : ', ´´ 、ト、`' - '゙ ,シ/: :/ ` ヽ:.', `ヾ``''ツ7゛:´: : : / ヽ rシ // : ; : / \ `ャx、..,,__ _,/'´:/'´/ \ ` ̄  ̄`フ/ィ / ヽ、 _ ,..、 -‐ ''"´ 夢が無いね
157 :
だつお :2007/01/08(月) 19:28:59 ID:IOtbBh9k
つか、「奪い尽くし、焼き尽くし、殺し尽くし」の三光作戦で大陸打通 3000キロを進軍したのだとしたら、むざむざ虐殺されってた中国人 のほうが知能障害のチンピラゴロツキに他ならないのだがな。 ロシア人ならナチスドイツの侵略をとっくに撃退してるばかりか、 「バグラチオン作戦」なんかで逆に返り討ちにしてる。
チンピラゴロツキ?ボコボコにしてやるよ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ つ =つ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ つ =つ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ∧_∧ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ つ =つ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ( ・ω・)=つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ つ =つ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ (っ ≡つ=つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ つ =つ≡つ =つ≡つ / ) =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つつ =つ≡つ =つ≡つ ( / ̄∪ ババババ ババババ ババババ ババババ ババババ ババババ ババババ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ つ =つ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ =つ≡つ つ =つ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ ≡つ =つ≡つ
∧_∧ ( ・ω・)っ うどん? (っ /´ 足踏みでシコシコにしてやるよ。 / '⌒) ,,( / ̄U 、、 ドコドコ (( (⌒ー'´〜) )) ヾ ``ー─´ 彡
>>154 >>多重人格なのか?キメェおっさんだなwww
_,........,_
, ´,.-== ,ヽ
i (ノノλノ)リ まあ、1人ボケ・ツッコミとも云うわ。『治安戦』という
ルイ);゚ -゚ ノ) テーマが大き過ぎるので、自分で合いの手を入れないと
`,く_,`ハ,イつ 場が持たないのよ。『幣制改革』のときは図らずも
,(,ノ┐ハゝ 俄将軍との「禅問答」になったけどねw。現時点で
`'-i'_ィ,ァ"´ 予定分量の4分の1か3分の1程度。まだまだ先が長いわ。
ここまで来ると「台本や脚本」を書いているのと変わらなく
なってくるわね。 あとオッサン呼ばわりされるには、まだ早いと中佐から抗議がw。
だから、東方ネタはわからんてw
162 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/08(月) 22:21:04 ID:pzE8vwpl
>>153 >>思い切り拷問して責め殺してたよね?『大尉』は?
まあ事実ですけど、幽香姉さんの「好きそうな話題」は後でまとめてやりますw。
>>146 >>いわゆる「三光作戦」の中でも『焼光』(焼き尽くす)を日本軍が
>>行なっていたのは疑いの無い事実
ここで一端「まとめ」をします。山西省の『灰燼作戦』など、いわゆる不良村の
破壊・焼却を行なった理由は、部隊が大きな損害を受けた際の「報復行為」なども
ありますが、最も根本的な目的は以下のように結論できます。
●日本軍の『高度分散配置が及ばない地域』において中共系抗日ゲリラ勢力から
軍事・政治活動の「根拠地」を奪うこと
な訳です。山西省に拠点を置いた第1軍の「機密作戦日誌」には、1939年5月に
行なわれる作戦開始の直前に、第109師団(金沢:後に硫黄島で栗林忠道が師団長
になった部隊)の参謀から、以下のような照会を受けています。
キモ
164 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/08(月) 22:42:14 ID:pzE8vwpl
「作戦地区は、『将来直ちに駐兵し得ざる地区』なるを以って徹底的に 破壊し来りて可なりや?」(一軍日誌:1939年5月7日) すなわち「三光」の内、『焼光』(焼き尽くす)は、討伐の徹底によって 将来の宣撫工作を容易にする目的だったにせよ、抗日ゲリラに協力した疑いの ある部落に対する報復行為であったにせよ、八路軍から根拠地・策動基地を 奪って「治安維持」を実現するための戦略行動と位置づけられていた訳です。 上記のように、敵の「抗戦能力を奪う」という意味では、都市に対する 『戦略爆撃』と同様に、『総力戦』特有の軍事作戦とも云えるでしょう。 また、もう1つ非常に重要な点を指摘して置かなければなりません。それは、 ●「高度分散配置」を以ってしても、北支全域をカバーするのは困難もしくは 不可能に近かったという現実的な問題です。
165 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/08(月) 23:09:48 ID:pzE8vwpl
>>●「対ゲリラ戦ではゲリラに対抗する兵士の数を増やすしか解決法はない」 >>●限られた兵力の中で『切るべき地区』は切り捨てよ。 広大な支那大陸を占領することを考えれば『当然の帰結』と云えるかも しれません。しかし、泣き言を云っても始まりません。限られた兵力で 何とか北支の「治安維持」を図るのが責務です。 このため北支那方面軍は、抗日ゲリラ勢力が「日本軍占領地区」に浸透 してくるのを未然に防ぐために、『無住地帯』の設定という更に苛酷な 政策を取ることになった訳です。文字通り人が住まない「真空地帯」ですが 当然の如く、従来そこに暮らしていた村民の「強制的移住」を伴います。 この『無住地帯』の設定は、炭鉱などに労働力を送り込む「強制連行」と 一石二鳥の政策ともなる訳ですが、脱線するのでひとまず話を置いておきます。 まあ、「労働力の決定的不足」という当時の日本が直面していた問題を認識 する必要があるとだけ述べておきます。
166 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/08(月) 23:55:14 ID:pzE8vwpl
北支那方面軍司令部では1939年末頃から『無住地帯』の設定を論議 していたようですが、後に山西省の五臺山付近と冀東道の長城線南に 幅4キロ・長さ100キロに及ぶ広大な『無住地帯』が作られています。 それと同時に、日本軍占領地区の住民を「八路軍の浸透」から隔離する ために、各所で塹壕が掘られました。当初の塹壕は、「主要鉄道路線」を 防御するため鉄道両側に掘られたものですが、次第に高度分散配置に おける駐屯部隊がそれぞれの「警備地区」の外周境界線に沿って掘り 進めた訳です。 とりわけ、河北省で旅団長、山東省で師団長などを務めていた石井嘉穂中将は、 塹壕を外周のみならず「警備地区の中」にも更に張り巡らして区分けをし、 抗日ゲリラを追い込み「袋の鼠」にするという『囚籠戦術』を実施したのは その極みでしょう。
167 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/09(火) 00:17:34 ID:4ZYyZyEa
しかし、こうした「塹壕堀り」を行なっていたのは日本軍だけでなく、 国府軍や八路軍も積極的に掘っていた訳です。これは主に「道路破壊」 など交通線に対する攻撃で、日本軍の進撃・補給を妨げるために各地で 塹壕を掘っていました。 さて、ここで勘の良い人は疑問が1つ思い浮かぶでしょう。このような 塹壕堀りのための「膨大な労働力」は一体誰が提供していたのでしょう。 日本軍の兵士? いえいえ、全くそうではありません(緊急の場合は除く)。 とばっちりを喰らうのは何時だって現地住民であり、日本軍だけでなく 共産党や国府軍など、どちらの側の塹壕を掘るにしても労働力として 動員されていた訳です。日本軍だけ取り上げれば、高度分散配置における 望楼(トーチカ)の建設なども、住民を労働力として使役しています。
ちょうどこんなニュースをやってましたね。
捕虜をとらずにてっきり刺殺するものとばかり。
賃金横領してますが、苦力として雇ったんですね。
旧満州・中国人捕虜強制労働、関東軍が賃金不払い明文化
http://www.asahi.com/national/update/0107/OSK200701070036.html 日中戦争で捕虜になった中国人兵士らを旧満州国(中国東北部)に連行し、
建設現場で「特種工人」として働かせるため、旧日本軍が1943年に作成した
極秘の取扱規定が見つかった。中国・吉林省の公文書館にあたる档案(とうあ
ん)館に残されていた関東憲兵隊の内部文書を、愛知県立大学の倉橋正直教
授(中国近現代史)らが入手した。賃金を各部隊が一括保管して本人に支払
わないことを明文化するなど、不明な点が多い中国大陸での中国人強制労働
の実態解明につながる内容になっている。
169 :
名無し三等兵 :2007/01/09(火) 14:40:51 ID:2w5Qh6y/
ほんとに近頃基地外が増えた・・・・・ 吾輩は81ではないが、笑わせちゃいかん。 悪菌はできない。 正規の法令たる「内閣告示」に旧字旧仮名尊重義務が明記されてる。 そーゆー花園主計大尉の電波本に出てくる無法者みたいな言い分は法治国家が赦さないよ。 誰が賛成してもできない。 プロバイダーにも出来ない。 出来ると思うなら試してみろアウトローw
171 :
だつお :2007/01/09(火) 22:57:38 ID:8kx4wdsu
WW2世界反ファシズム戦力比較で、ソ連と中国ってどう? 初期の見積もりでソ連>>>>>>>中国だったのが終盤では ソ連>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>中国 くらいになったんじゃないかな。 1944年半ば以降にもなって、アメリカ軍が提供した航空基地さえ も散々に蹂躙されるほど連戦連敗しかもドイツ軍より弱い皇軍にって、 そんなんだったら戦勝国はおろか独立国家としてさえ認められまい。 新生中国ナショナリズムだの統一国家だの、中国人のホラ話という のは実にトンデモな妄想だとつくづく思う。 チンピラゴロツキが沢山涌いてくる場所を指して「中国」、 そのひとつひとつを指して「中国人」と呼ぶ。
172 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/09(火) 23:15:21 ID:RlsB3W0Y
>>170 >>39 年の第109師団と小笠原の第109師団は事実上別物じゃないですかね。
スマン。第109師団は1939年12月24日に解隊して、父島要塞守備隊を
基幹として再編制されたのが1944年5月22日(補充地:甲府)ですから、
仰るとおり事実上別物です。ああ、そう言えば同じナンバーだと『脊髄反射』で
ボケておりましたw。
>>168 >>捕虜をとらずにてっきり刺殺するものとばかり。賃金横領してますが、
>>苦力として雇ったんですね。
自分も日中戦争を調べ始めてかなり経ちますが、今もって疑問に思っているのが
支那人捕虜の始末です。大作戦ともなれば結構な数の捕虜を取っているはずなの
ですが、その『行方』を分かり易くまとめた資料はトンと見たことがありません。
県政府などの「保安隊」に編入されたり、汪兆銘軍だったり、捕虜となった日本軍
部隊に苦力(運搬夫・担架夫・また他の苦力のまとめ役)として使役されたり、
「刺突訓練」の的にされたりw、あるいは解放されたりもあったでしょうが、日本
内地や満州国に連行して強制労働させたというケースも非常に多いでしょうね。
173 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/09(火) 23:28:50 ID:RlsB3W0Y
>>捕虜となった日本軍部隊に苦力(運搬夫・担架夫・また他の苦力のまとめ役) >>として使役されたり、 第37師団(熊本)・歩兵第227連隊のある中隊のケースを挙げてみましょう。 戦闘の結果、34、5歳の国府軍軍曹(分哨長)を捕虜にしたのですが、その 中隊長は、大隊本部には引き渡さずに中隊と行動を共にさせようと考えました。 この中隊は他にも苦力(その辺の単なる住民が主)を多数「運搬夫」として引き 連れており、苦力たちを指導監督する班長役に格好ではないかと思ったからです。 その時の口説き文句が以下のようなものです。 「どうかね、君を捕虜として私は上級部隊に引き渡したくないんだ。これからは 私の部隊の苦力たちの苦力頭として働いてくれないかね。むろん衣食住は責任を もつし、報酬も考えるが……」 この捕虜はしばらく考え込んでいましたが「是(はい)」と答え、以後「大政」と 名付けられて、この中隊の「苦力頭」として働きました。
174 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/09(火) 23:41:57 ID:RlsB3W0Y
まあ、この「大政」軍曹の場合、素性を聞いてみますと、江西省西部の貧しい
部落の出身で農家の三男です。20歳の時に、家に居ても食べられないからと
いって軍隊(国府軍)に入ったと云います。10年目に軍曹に昇進して分隊長
になった訳ですが、日本軍と戦ったのも、日本人を見たのも『今回が初めて』という
話です。支那奥地での作戦では、こういうケースが珍しくなかったかもしれません。
この中隊長は、「大政」がそんなに嫌がらずに、こうなることが自分の運命だと
考えている気配が垣間見られたと云います。恐らくは大方の支那人が抱く「没法子
(メイファーズ:仕方ない)的な思想から来た決心ではないかと想像したそうです。
まあ
>>165 で述べたとおり、単なる「道徳論」でスレを進める積もりはありません。
>>「労働力の決定的不足」という当時の日本が直面していた問題を認識
>>する必要があるとだけ述べておきます。
175 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/10(水) 00:12:13 ID:wlPQsDf3
>>167 の続き。
ハイ。ここまでで「北支の治安戦」の3分の1が終了です(補足・総論も
含めれば4分の1ぐらいw)。1937年〜1940年前半ぐらいまでを
述べてきましたが、この段階で「治安戦」の基本パターンは出来上がって
いたと言って良いでしょう。
この直後に中共軍による「百団大戦」(1940年8月〜1941年1月)という
一大転機が起こり、事態が大きく動いていく訳ですが、まあ「百団大戦」は
前スレの「治安戦テーマ冒頭」で先に触れましたので、今回はサラッと補足
する程度にします。
まあ、北支那方面軍からすれば完全に不意を突かれた形で「我が軍の全く
予期せざる所」(北支那方面軍作戦記録)と率直に記されていますね。少数
兵力を各地にバラ撒いて駐屯していた『高度分散配置』の弱点を突かれて、
八路軍に人海戦術で圧倒された訳ですが、もちろん全滅させられてしまった
駐屯地も少なくありません。(また続く)
176 :
旅姿三人男 :2007/01/10(水) 17:21:43 ID:MzvSluLT
「百團大戰」は紅匪の宣傳用語、基督暦も信教の自由を侵害し、敵の暦を奉ずる兇行です さて、當時日本放送協會のラジオ放送で廣澤寅藏の次郎長三國志が人氣を博してをり、支那人の兄いに次郎長一家の極道者の名を附けることがまま見られました 大政も大政翼賛會でなく「おほまさ」でせう 「武家え嫌つてやくざになつて」てふ語りが思ひ出されます
オット其處の若えの、一寸待ちな・・・ 「紅匪」の「紅」たあ支那語じやないかい? 此處は「赤匪」とか「共産匪」と書き込みねえ(笑
178 :
若い人 :2007/01/10(水) 19:01:26 ID:qdqFZlYU
恐れ入谷の鬼子母神
179 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/10(水) 22:34:37 ID:iXkusRyB
>>175 の続き。
さて『百団大戦』ですが、鉄道や電柱・炭鉱・飛行場など『インフラ面』を中心に
攻撃を受けたことは前スレで既に述べました。1940年8月20日に八路軍の一斉攻撃が
始まり、9月上旬までこれが続くのですが、これを便宜上「第一次攻勢」と呼びます。
もちろん日本軍の反撃が8月末から始まり、一端は八路軍が分散退避したことにより
事態は落ち着きますが、不意を突かれてインフラ面で大きな損害を受けた訳です。
この戦果に気を良くした八路軍が、今度は『日本軍陣地』に対して直接攻撃を
仕掛けてきたのが「第二次攻勢」にあたります(1940年9月22日〜10月上旬)。
先に述べた様に、少数兵力を各駐屯地に分散して配置する『高度分散配置』の
弱点を『人海戦術』で攻められたことにより(内蒙古のある駐屯地では41名の
日本軍守備隊に対して八路軍1000人が押し寄せた:つまり1個小隊に対して
1個大隊強の兵力差)、なかには玉砕を余儀なくされた部隊もあります。
180 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/10(水) 22:51:14 ID:iXkusRyB
>>179 >>なかには玉砕を余儀なくされた部隊もあります。
いずれも駐蒙軍の警備部隊であり、察南省?源県の東圏堡と三甲村の守備隊
です。『人海戦術』で攻める八路軍に対して、多数の戦死者を出しながらも
命からがら生き残りが落ち延びて「玉砕」を免れた部隊もあったのですが、
上記は「逃げるのを潔しとしなかった」か、脱出が困難だったからでしょう。
結果、最後まで戦って「玉砕」した訳です。
玉砕した東圏堡の部隊である独立混成第2旅団(大阪)独立歩兵第4大隊・
第2中隊の例を挙げれば、中隊長以下が玉砕し、ある兵士が壁面に遺書を
残しました。その文面は以下の通り。
「一死を以って共産第八路軍を殲滅し得ざりしことを遺憾に思う。
紀元ニ千六百年九月二十六日」
また「テンノウヘイカバンザイ」とも。
181 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/10(水) 23:14:46 ID:iXkusRyB
まあ、「テト攻勢」とも『ブラックホークダウンw』とも言いたい ところですが、中共軍が占領したその2箇所から立ち去る際に、 「当陣地の日本軍守備隊はよく敢闘せり」と壁書したと云いますから まあ、あまり過激な事を言うのは止めておきましょうw。 他にも山西省に展開していた第1軍内の独立混成第4旅団(京都)でも 出動した1個中隊が八路軍の待ち伏せにあって全滅するなど、ここに 挙げただけでも3個中隊が『玉砕』となった訳です。一連の八路軍攻勢 における日本軍の人的損害について公式な記録はありませんが、4千〜 5千名の死傷者が出たと見積もられています。 また比較的大きな都市でも、日本軍が支えきれるかどうかが危ぶまれて 在留邦人が晴着などを出して最期を迎えるのに見苦しくないように準備 していたケースもあります(山西省:独立混成第4旅団・独立歩兵第15 大隊長:徳江光中佐の回想)
182 :
名無し三等兵 :2007/01/10(水) 23:16:03 ID:eTa1TR/D
この元空士長なる人物、ドリームキャストやXBOX360を発売日に購入するなど、生活の
ほぼ全てをゲームに支配された当時30代半ばの中年引き篭もり童貞独身親父で、女児への
強制わいせつ未遂/女児の下着窃盗等の罪で懲戒免職されるまでは本物の自衛官を生業としていた
(※正確には元空士長はXBOX360を発売日延期となったデッドオアアライブと同時に購入したが
他人に知られると恥と思ったのだろうか、掲示板の連中にはこの事を内緒にし、
オーバーG発売後に「皆に勧められて仕方なく購入した」…という設定になっている)
戦闘機に強い興味を示すも、視力、知力、体力面で劣り、パイロットコースを断念。しかし
戦闘機乗りへの夢は捨てきれず、フライトゲームが発売されると見境いなく次々と購入し、
不幸なことに初代エアロダンシングも彼の照準に捕捉され、発売日を迎えるや否や瞬く間に
彼の手中に堕ちていった。こうして後のエアロダンシング全関係者、多くの他プレイヤー、
そして、自らの人生そのものを大きく狂わせ、尚も現在進行で悲劇は紡がれてゆく事になる
長身な体躯だが、顔は深海魚顔負けの秋葉系で、似た顔同士で仲間を募って肩を寄せ合い、
その連中とオフ会を催し、積極的なリーダーシップのアピールに利用して株を上げた
(※実際はオフ会の会場となった「ホテル山喜」に元空士長と仲間らは事前に許可も取らず
何かの機材を大量に搬入し、その不審な行動がパナウェーブのそれと酷似していた事から
従業員が訝り警察に通報しようとした。慌てた元空士長は、それらが21型テレビ数台と
DC本体である事を説明し、無実を証明する為にまるでニュースの大麻や拳銃密輸事件で
押収した物品をビニールシート上に羅列した映像さながらにテレビ数台とDC本体数台を
別室の畳の上にずらりと整列させ、ホテル側を必死に説得して何とか許しを得たのだ)
エアダンを潰滅した元空士長のHP閉鎖
http://game12.2ch.net/test/read.cgi/fly/1168430004/
183 :
名無し三等兵 :2007/01/10(水) 23:19:03 ID:eTa1TR/D
これを必死に流したいようだからharaないといけません
元空士長は軍ヲタ独自の偏狭的な価値観を人に押し付ける傾向が昔からあり、それが原因で
他者と口論になることがしばしばあった
彼は株投資とヤフオク出品/落札で生計を立てており競売価格の値を自作自演で吊り上げる目的で
複数の端末を所有していたが「自演で競売価格を操作する行為は掲示板の発言にも応用できる」…と
ふと閃くと、各々の端末で次々とIDを取得し「元空士長に必ず同意する自作自演のキャラ」を作成
各キャラごとに設定された出没時間、文章のクセ、性別の通りに振る舞い、それらによって異論を
唱える者たちを鎮圧する「勝つまで止めない独りで多数派工作戦法」を編み出した
以後、元空士長の偏狭的な書き込みにやたら不自然に同意するレスが幾つも付くのはその為である
また、まったく交流の無いサイトからバナーを拾ってきては自分のHPにベタベタ貼りつけて人望を装うなど
人望コンプレックスがあまりに強く、どれだけ友達に恵まれてなかったかがこのHPから推測する事ができる
エアダンを潰滅した元空士長のHP閉鎖
http://game12.2ch.net/test/read.cgi/fly/1168430004/
184 :
名無し三等兵 :2007/01/10(水) 23:25:35 ID:eTa1TR/D
この元空士長なる人物、ドリームキャストやXBOX360を発売日に購入するなど、生活の
ほぼ全てをゲームに支配された当時30代半ばの中年引き篭もり童貞独身親父で、女児への
強制わいせつ未遂/女児の下着窃盗等の罪で懲戒免職されるまでは本物の自衛官を生業としていた
(※正確には元空士長はXBOX360を発売日延期となったデッドオアアライブと同時に購入したが
他人に知られると恥と思ったのだろうか、掲示板の連中にはこの事を内緒にし、
オーバーG発売後に「皆に勧められて仕方なく購入した」…という設定になっている)
戦闘機に強い興味を示すも、視力、知力、体力面で劣り、パイロットコースを断念。しかし
戦闘機乗りへの夢は捨てきれず、フライトゲームが発売されると見境いなく次々と購入し、
不幸なことに初代エアロダンシングも彼の照準に捕捉され、発売日を迎えるや否や瞬く間に
彼の手中に堕ちていった。こうして後のエアロダンシング全関係者、多くの他プレイヤー、
そして、自らの人生そのものを大きく狂わせ、尚も現在進行で悲劇は紡がれてゆく事になる
長身な体躯だが、顔は深海魚顔負けの秋葉系で、似た顔同士で仲間を募って肩を寄せ合い、
その連中とオフ会を催し、積極的なリーダーシップのアピールに利用して株を上げた
(※実際はオフ会の会場となった「ホテル山喜」に元空士長と仲間らは事前に許可も取らず
何かの機材を大量に搬入し、その不審な行動がパナウェーブのそれと酷似していた事から
従業員が訝り警察に通報しようとした。慌てた元空士長は、それらが21型テレビ数台と
DC本体である事を説明し、無実を証明する為にまるでニュースの大麻や拳銃密輸事件で
押収した物品をビニールシート上に羅列した映像さながらにテレビ数台とDC本体数台を
別室の畳の上にずらりと整列させ、ホテル側を必死に説得して何とか許しを得たのだ)
エアダンを潰滅した元空士長のHP閉鎖
http://game12.2ch.net/test/read.cgi/fly/1168430004/
185 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/10(水) 23:43:00 ID:iXkusRyB
しかし「ここまで」です。 だつお氏の言を借りるならば、所詮八路軍は『チンピラゴロツキ』以外の 何物でもありません。いくら奇襲で不意を突かれたといっても、ロクに 重火器をもたない八路軍が数だけを頼りに、日本軍陣地に『人海戦術』で 攻めてきても、大きな損害を出すのは火を見るより明らかです。 この点、中支戦線などの国府軍は、チェコ軽機をバリバリ撃ちかけて来ますし、 手榴弾の投擲部隊がボコボコ、師団級が相手となれば「重迫」がバコンバコン 指揮班にも落ちてきますw。まあ、日本軍がこのような国府軍を撃破できたのは 常に攻勢作戦を取り続けたことと、戦術的には『山砲の優位』があった訳ですが、 国府軍に比べれば、やはり中共は『チンピラゴロツキ』に他なりません。 いくら少数兵力の『高度分散配置』でも、中隊長以下指揮官がよほどマヌケ+ 恥知らずなほど弛緩していない限り、自陣地において弾着測定はあらかじめ 済ましていますので、八路軍の多くが日本軍堡塁に足を踏み入れる前に砲弾や 擲弾になぎ倒されています。
186 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/11(木) 00:02:40 ID:1ArqPsUT
ちなみに赤土に石灰を混ぜて固めると、コンクリートの強度になります。 もちろん八路軍の奇襲攻撃を受けて、日本軍の「討伐作戦」がすぐに発動 される訳です。時系列を簡単にまとめますと、 ●中共軍の第一次攻勢(1940年8月20日〜9月上旬) ◎日本軍の第一次反撃(1940年9月1日〜9月18日) ●中共軍の第二次攻勢(1940年9月22日〜10月上旬) ◎日本軍の第二次反撃(1940年9月23日〜1941年1月) 具体的には、例えば山西省での「第一期晋中作戦」や「第二期晋中作戦」 などですが(晋=山西省・要するに山西省中部での作戦という意味) 少し長くなりそうなので、また続くw。
だから、「東方」はわからんって!w
細かい事ゴチャゴチャ言うなや 黙って見てろ
www
190 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/11(木) 22:37:24 ID:QUxyLiud
>>185 >>八路軍の多くが日本軍堡塁に足を踏み入れる前に砲弾や
>>擲弾になぎ倒されています。
分遣隊に『砲』はオーバーだったかもしれません。擲弾筒と重機になぎ倒される
に変更しますw。ただ、高度分散配置の脆弱性は日本軍でも充分想像していたこと
なので、例えば13名ほどの分遣隊のトーチカ(堡塁)でも火器は重機1・軽機1・
擲弾筒1・その他、小銃・手榴弾とそれなりの武装でした。
ただ「鉄道の路線警備」のような任務ですと、また話が違ってきます。例えば、
1個中隊が10キロ余りの警備を担当させられていたとします(実例)。この
場合、兵員の半分を常時10個の「鉄道分哨」に張り付けています。万一のための
警備演習を実施しても、まともに動かせる中隊主力は2〜30人という有り様です。
5〜8人で1週間の分哨勤務をつとめて、2〜3日休養してまた出かけるという
色んな意味で苛酷(無聊と倦怠)な勤務ですが、こういった分哨点は堡塁よりも
脆弱あり、実際に石太線(石家荘−太原)沿線の多くの小拠点が全滅しました。
191 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/11(木) 23:02:00 ID:QUxyLiud
いろいろ話が前後して恐縮ですが、まあ、警備線周辺の「無住地帯」などの 隔離政策を加味しますと、更にイメージが深まるでしょうか。 例えば、ある「警備線」を訪れた将校が周りを見渡すと「一面の原野」でした。 警備を容易にするためにあらゆる部落を焼き払い、水田の耕作を禁じ、住民の 立ち寄りを厳禁していた訳です。この将校は「かつて見たことがない風景だけに 異様であり、戦場の住民の悲惨さが偲ばれた」と回想していますが、 完全に周囲が丸見えで、身を隠す場所もほとんどない地点に攻勢をかけるのは 「射界の清掃」を済ませてあるのと同義であり、大きな損害を生むのは目に見えて います。もちろん八路軍が、ですw。 中共の公式発表では、百団大戦に参加した兵力は1940年8月〜12月で40万人と されます。その内、戦死傷者は2万2千人に及んだとしています。日本軍に与えた 損害は戦死傷2万人余と主張していますが、言うまでも無く「大本営発表」ですw。
192 :
大本營を侮辱するな! :2007/01/11(木) 23:10:46 ID:/RQuKz36
臆測で書いてはいけません。 そもそも戰時國際法適用以前、すなはち支那事變の過半期は「捕虜になる權利」がありません。 よつて假に捕へられても、それは法的概念に於る捕虜ではありません。 當然「捕虜としての權利」もありません。 なほ純然たる戰鬪捕虜を保安隊に編入するは暴舉、妄想の類にて、保安隊に採用する軍人は多く部隊ごと鞍替えした抑留軍人等です。
193 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/11(木) 23:25:25 ID:QUxyLiud
先にも述べたように、日本軍の損害の公式記録は無い訳ですが、戦死者
1千人、戦傷者がその数倍として「合計4千人前後」とする秦郁彦氏の
説が妥当でしょう(『日中戦争史』)。とすると中共は5倍程度サバを
読んでいる訳ですw。当然、味方の損害は過小に申告しているでしょう
から、八路軍の損害が2万2千人で済んでいるとは到底考えられません。
>>186 >>山西省での「第一期晋中作戦」や「第二期晋中作戦」など
日本軍の反撃ですが、例えば「第1期晋中作戦」は1940年8月30日〜9月18日
です。大きな損害を被った「石太線」沿線に出動した訳ですが、日本軍の
兵力は独立混成第4旅団(京都)や独立混成第9旅団(東京)などの部隊、
約5600人です。
まあ、この時は「不明だが、成果は大したことはなかった」(独混第4旅団長
片山省太郎少将の回想)とありますから、八路軍の第1次攻勢を追い散らした
だけでしょう。
194 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/11(木) 23:50:54 ID:QUxyLiud
次に「第2期晋中作戦」ですが、山西省の中部山岳地帯を中心に掃討が行な われました(1940年10月11日〜12月3日:作戦終了)。参加した主要部隊は、 ●独立混成第4旅団(京都) ●第36師団(弘前) ●第37師団(熊本) ●独立混成第16旅団(弘前) ●第41師団(宇都宮) などから部隊を抽出した「総兵力2万人超」です。その戦果ですが、全体の トータルは不明です。しかし最大の被害を出した独混第4旅団が得た遺棄 死体が1204人、また捕虜は240人で、後は想像してみて下さいw。 仮に全くの当てずっぽうで計算してみますと、全体で独混第4旅団の3倍の 戦果だったとして、遺棄死体が3600人、捕虜が720人、負傷者が 戦死者の3倍いるとして1万1800人となり、合計1万6千人強の損害を 与えたことになります。ただ、この「遺棄死体」というのが曲者で、自軍の 損害に「かけ算」した数字という話もありますから、鵜呑みには出来ませんw。
195 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/12(金) 00:05:58 ID:QUxyLiud
ちなみに最大の損害を出した、独混第4旅団で戦死71人、戦傷66人、 行方不明2人です。戦死の数が戦傷を上回っているのが気になりますが、 伏撃で全滅にでもあったのでしょうか。さすがに自軍の損害はウソを付け ませんからね、日本軍の場合は。 自軍の損害を多めに申告して、補給品などをチョロまかすのは支那軍だけの 芸当です(実際より多い兵員数を上層部に報告して、物資や給料を余分に 貰う。戦闘があったら戦死者を多めの数字にして、前の虚偽の報告と帳尻を 合わせる)w。 まあ、北支那方面軍は「百団大戦」に対する一連の反撃(討伐)作戦で、 「根拠地施設は大部を覆滅せられ、3年間蓄積せる戦闘資材を蕩尽し、 その幹部部隊また多大の損害を受け」と評価しています。 (国共相克に対する情勢判断:1940年12月、北支那方面軍参謀部)
>>「根拠地施設は大部を覆滅せられ、3年間蓄積せる戦闘資材を蕩尽し、 >>その幹部部隊また多大の損害を受け」 主語が抜けていましたが、もちろん「八路軍」の話ですw。 >>自軍の損害を多めに申告して、補給品などをチョロまかす ややこしい話なので補足しておきます。例えば、80人しかいない部隊が 100人いると上層部に虚偽の報告をします。すると補給物資や給料が 20人分余計に貰える訳です(単純計算で)。 そして日本軍との戦闘があって20人の損害が出たとします。すると残りは 80−20で60人です。しかし、虚偽報告の帳尻を合わせるために、上層部 には40人の損害が出たと申告して(100−40=60)上手く切り抜ける 訳です。ちなみにこれは日常茶飯事で、重慶も事実上の黙認状態でした。
上記は国府軍の話で、中共の話ではありません。中共にそんなチョロまかす だけの物資があったか、甚だ疑問ですw。
うどんげ
兵隊さんの水揩オですか? なーに、そんなこと何處の會社でもやつてますつて 兵隊さん=バイトでしよ、バイト五〇人雇いました(實員二五名) 五〇人分の日當をお願ひします・・・てな具合に 二五人分はその部課の裏金
ID出せよ 卑怯な糞野郎
今日の帰りに夕刊紙を見ましたら「2ch閉鎖騒動」が起きているのに驚きました。 この手の話には疎いので、どのぐらい現実性が高いのか分かりませんが、再来週なのか 15日なのか、本当にアクセスできなくなったら困るなあとw。 万々が一もしそうなったら、2chが復活するまで他所の掲示板にシコシコ移る かもしれません。でも自分は「苺」(昔の経済板つながり)ぐらいしか知りません。 軍事板の難民が流入しそうな所があったら教えて頂けると幸いです。 まあ、署名活動には「死んでも」名前を書かない性質ですが、何やかんや言って 2chは重宝していて無くなると困りますので、今度ばかりは名前を書いても 良いです。仮に明日2chが閉鎖になったとしたら、とりあえず「苺」に逝きますw。
,.-.、 / ./ _,..-、 i /__/,..--,i ., ' ` ´ヽ、 i <ノルレノル' i !i;゚ ヮ゚ノ!|. パソコンの使い過ぎで目が真っ赤ですw。 | /,リ_'Y_rつ 'i'<,_i__i_,」リ. .!,ンイノ
>>201 あけましておめでとうございます。
風邪で寝ている内に、新年早々の大騒動です。
この良スレが消えることになれば本当に残念ですね。
>>203 あけましておめでとうございます。もう1月13日ですがw。
まあ、自分も少なからぬ時間と労力を注いできたつもりなので、
このような終わり方をするとは少し残念です。
詰まるところ、人生そんなもんです。
205 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/13(土) 01:26:06 ID:xBYEsC/U
まあ、他に逝くアテもありませんし「沈没する」までは話を続けましょうw。
という訳で
>>195 の続き。
>>「(八路軍の)根拠地施設は大部を覆滅せられ、3年間蓄積せる戦闘資材を
>> 蕩尽し、その幹部部隊また多大の損害を受け」
と北支那方面軍は「表面上」の勝利宣言を出しましたが、実際には多くの疑問符が
付きます。まず前スレでも述べたように、支那派遣軍総司令部が「占領地域の治安
状況は、華北が一番遅れている」との判定を下し、1941年度に中支から2個師団を
移駐させる方針を打ち出しました。
(支那派遣軍総司令部:第1課(作戦)高級参謀・真田穣一郎大佐の→参謀本部
第1部長(作戦)田中新一少将への1940年11月28日上京の際の報告 『田中新一
中将業務日誌』より)
206 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/13(土) 01:54:11 ID:xBYEsC/U
そして何より北支那方面軍参謀部の第2課(情報)自体が、「百団大戦後の 反撃作戦は、中共軍を追い散らしただけで、ほとんど撃滅することは出来な かった」と判断していたことです。 まあ、それでも「八路軍」に与えた打撃は先に述べたように相当なもので、 「百団大戦」後の1941〜1942年に北支の治安が『劇的に改善』した 結果を加味すれば、北支那方面軍の「勝利宣言」の内容もそれなりに真実を 含んでいたのでしょう。 また「百団大戦」の結果、北支那方面軍が中共対策(対ゲリラ戦略・戦術)に 本腰を入れ始めたのを考えれば、八路軍はまさに『ヤブを突いて蛇を出した』 ことに他ならず、その意味でも「負け戦」だったと結論づけられます。 サラリと流すはずだったのが予想外に長くなりましたが、なぜ八路軍が 「百団大戦」を思いつき実行したのかに触れて、締め括りたいと思います。
207 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/13(土) 02:31:41 ID:xBYEsC/U
まあ、色々説がある訳ですが…。 ●国民党側から、中共が自分の「根拠地拡大」にのみ力を入れて抗日戦争を お座なりにしているという挑発(批判)に乗った ●当時、赤化工作で多数入党してきた旧国府系軍人(毛沢東の表現では 「右翼分子」w)が中共の消極的な戦術を批判し、憂国の念から大規模 攻勢をかけるべきだと主張したことによる内部分裂 ●同年1940年に南京で「汪兆銘政権」が誕生し、重慶政権内で抗日戦に 対する動揺が生じた。また山西省の閻錫山が日本軍と提携しようとした ことなどから、中共へ身を投じる離脱者が急増した(→中共の内部分裂 へと繋がっていく) ●中共は115師、120師、129師の「正規師団」ほか、多数の遊撃旅団を 持っていたが、日本軍とのガチンコの「正規戦」を試したい誘惑に駆られた
208 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/13(土) 02:50:02 ID:xBYEsC/U
1944年4月、共産党内部を完全に掌握した毛沢東は「百団大戦」を ●「一部の党員による誤った冒険主義的政策だった」 と総括していますが、もちろんこれも共産党内で自分が政治的権力を奪取 するための方便も含まれています。「百団大戦」の原動力となった旧国府軍・ 山西軍出身の多くの党員が、その後に粛清されたと思われます。 まあ、それでも(戦略的に「負け戦」「ヤブヘビ」だとしても)「百団大戦」 が平型関の戦いとセットで、抗日戦を誇る象徴となっているのは皮肉以外の 何物でもありませんw。
昨日ご来店いただいたお客様は北京大学に留学されていたそうで、
もう多くの方が御指摘されている事ですが、
「光」とは殺すという支那語だから「三光作戦」などという日本語はない。
あれは支那のやり方といわれていました。
その時いらっしゃった別のお客さまは、
先日マンションに泥棒が入ったのですが、警察の捜査で支那人の犯行と断定されたそうです。
犯罪を犯すことを目的に他国に来る・・・・・
日本人では考えられません。
http://www.tamanegiや.com/nonnbee.html (や → yaに変換 )
引用: 酒たまねぎ屋URAホームページ
あの時代の支那人なんて、いくら殺しても別に構わないだろ。 今だに卑屈になって否定してる方がどうかしてるな。 英国が黒人売買を時代のせいと割り切ってるのと一緒で、 支那人が沢山死のうが「だからどうした?」で全てOK どうせ生き残っても、すぐ後にやってくる国共内戦で死んでるだろうしな
>>210 俺もまったく悪いと思えなくなった。
他の大虐殺も原爆とかドイツに対する爆撃とかユダヤ人虐殺とかも。
最近では、同志スターリンは子供好きな優しいおじさんのようにも思えてきた。
ポルポトカンボジアも、アジア的なやさしさにあふれた平等な楽園に思えてきたし。
当時の植民地や傀儡国家が先進国の事情を理解しようとしない気質は 子供が俗に言う「大人の事情」を理解できないのと同じようなもの そりゃ子供にしたら理不尽に思えるだろうが全ては仕方ないこと
213 :
名無し三等兵 :2007/01/13(土) 12:02:16 ID:ByWe6wLm
支那人の苦痛は支那人が自らもたらしたもの。 「支那人に生れることはとんだ災難だ」 19世紀フランスの外交官
214 :
名無し三等兵 :2007/01/13(土) 12:35:18 ID:2XrVBr3s
中国人民解放軍の軍需庫に保管されていた、戦闘機、戦車、装甲車、 小銃、戦略用燃料、大量の野戦ベッド、軍靴などの軍需物資が、 忽然と「消えて」転売されていた事実が判明した。 香港月刊誌「動向」によると、中央軍事委員会の監督下にあり、 総参謀部、総装備部、総後勤部、軍事規律委員会で構成される 「2004−5特殊案件調査チーム」が、二年半の調査を経て、追及し証拠を固めた結果、 結論として、陜西省寶(爰隹)、雲南省東川、四川省南充、湖南省麻陽、 広西族自治区蒙山の各軍需庫に保管されていた、 廃棄処分、不用品、もしくは後送処分した装備品が盗み出されていたことが分かった。 「2004−5特殊案件調査チーム」は、中央軍事委員会の隷下にあって、 2004年5月初旬に成立、中央軍事委員会曹剛川副主席(国防部長)を責任者として、 総後勤部の温光春・常務副部長、総装備部の朱發忠・副部長、 軍事規律委員の孫忠同・書記ら四人の肝いりで結成された。 調査チームの報告では、上述の五大軍需庫における横領は、軍、地方政府、 企業が癒着結託した結果で、監督管理が長期にわたってなされず、 保管制度が「なし崩し」になった後に発生した。 報告ではまた、問題が早くも2000年から発生し、 軍装備部が後送処分として報告した航空機をアルミニウム合金として企業に転売、 小銃までもが市場に出回っていた。 当時の調査結果では、「規定通り正常処理」「関係部門の批准済み」などとなっていた。
215 :
だつお :2007/01/13(土) 13:37:07 ID:i9K2axVX
>まあ、それでも「八路軍」に与えた打撃は先に述べたように相当なもので、 >「百団大戦」後の1941〜1942年に北支の治安が『劇的に改善』した 「百団大戦」とやらがそんなにすごい抗日戦果を挙げたのなら、 どうして八路軍の代表がカイロ会談に招かれなかったのかと。 (或いはルーズベルトやチャーチルが蒋介石を買いかぶっていたとも) 蒋介石にしても大陸打通で皇軍にドツキ回された後のヤルタ会談 では見向きもされなくなるわけだが。 チンピラゴロツキに航空支援で追い風吹かしてもチンピラゴロツキ は所詮チンピラゴロツキなわけで、戦後日本の復興をアメリカ占領軍 のおかげだなんて実にバカバカしい妄言に聞こえる。
216 :
だつお :2007/01/13(土) 14:13:45 ID:i9K2axVX
>保安隊に武器を与えると八路軍に奪われる、しかし保安隊に武器を与えないと >なおさら八路軍にコテンパンにされて、地域住民の不信感が余計に強くなる。 >所詮八路軍は『チンピラゴロツキ』以外の何物でもありません。 チンピラゴロツキに負けるのもやはりチンピラゴロツキ。 チンピラゴロツキに支配されるのもチンピラゴロツキ。 チンピラゴロツキ中共に敗北して国を追い出された中国国民党軍が チンピラゴロツキなのはもちろんのこと、それに支配される中国人も チンピラゴロツキ。中国人という中国人は、みんなチンピラゴロツキ。
だつおが文章読み間違えているのがよくわかった >八路軍 に 与えた打撃 って書いてあるだろ
218 :
名無し三等兵 :2007/01/13(土) 15:32:09 ID:V7fUCOxe
219 :
だつお :2007/01/13(土) 18:06:01 ID:thfeSsKO
>だつおが文章読み間違えているのがよくわかった >>八路軍 に 与えた打撃 >って書いてあるだろ いやいやそれは別に読み間違えてああ書いたわけじゃない。 中国人の抗日ホラ話の一つに「百団大戦」というのがよく出てくるが、 イナゾウ氏の指摘通り殲滅させられたのはむしろ八路軍ということ。 「そんなに」という表現がイカンかった、正確には中国人の抗日ホラ話 にあるとおり、というふうに書くべきだった。
まあ、何ですね。「平型關」なる初心者的幸運(ビギナアズラック) を引き當てたもんだから調子に乘つて「百團」なる大博打を打つたんですね。
キモ
結局、昔言われてたような無差別の虐殺なんてなかったと。 結局は南京事件て捕虜の処遇がどうなのかという論点なわけだ。 ならどう考えても、軍人やゲリラではなく 民間人を無差別に殺す無差別都市爆撃や原爆のほうがよっぽど大虐殺だな。 日本も重慶爆撃とかしてるからお互い様だが、 まだ重慶は戦略施設が攻撃目標で、市街地に爆撃したのも重慶は武装都市で 市街地に高射砲陣地が設置されていたという理由による最低限度の酌量の余地はあった。 しかし米空軍の都市爆撃は見境もなく人が住んでるところは手当たり次第だからな。 欧州戦線でも似たようなもんだが。
223 :
だつお :2007/01/13(土) 21:44:56 ID:P47uBUGU
そもそも無差別殺戮で廃墟になった南京で、どうして汪精衛の南京政権 が成立するのかということだが、中国人というのはゴキブリみたいなも ので殺戮しても殺戮しても代わりはいくらでも涌いてきて、たかが30万 くらいの殺戮ではまたすぐ回復して南京の街は元通りということらしいな。
>223 貴殿は「30万虐殺」なる妄言を肯定する立場なのか?
225 :
だつお :2007/01/13(土) 23:29:01 ID:P47uBUGU
>貴殿は「30万虐殺」なる妄言を肯定する立場なのか? チンピラゴロツキの、チンピラゴロツキによる、チンピラゴロツキのための数字。 「抗日戦争中国人民犠牲者3500万」(江沢民演説)もそれと同じ。 皇軍の内部資料とか欧米人が記録したとかいう次元ではなくて、 ただ中国人がそう叫んでいるというだけ。肯定も否定もない。
226 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/13(土) 23:52:33 ID:zpjCyh9+
>>218 >>イナゾウは、中国人に食われた日本兵はどのくらい居たと思う?
これまで結構な数の戦記を読んできましたが、日本兵が支那人に喰われた
という記述は、たとえ「伝聞」「噂」の形でも目にした事はありません。ただ
「●●鬼子」などと、周辺住民から余程の恨みを買っている場合、殺された後
でも執拗に『遺体損壊』をされるケースがありますから、寸刻みで生殺しに
されたですとか、手足や内臓を持っていかれて『喰われた』などのイメージが
湧くのかもしれません。
>>213 >>支那人の苦痛は支那人が自らもたらしたもの。
まあ、国府軍から搾取され、中共から搾取され、旧軍閥から搾取され、匪賊から
搾取され、ついでに日本軍からも搾取され、気の毒な存在ではあります。治安戦の
結論の1つでもありますが、『住民は強くて搾取しない方に味方するだけ』です。
まあ、『強くて』が大事なポイントである訳ですがw。はっきりいって日本軍か
どうかもあまり関係ない場合もあります。国家と住民が遊離してますw。
227 :
だつお :2007/01/13(土) 23:56:33 ID:P47uBUGU
>『住民は強くて搾取しない方に味方するだけ』
南京の人々は、日本軍を恐れたのか? 否、支那軍を恐れて、南京の人々
は逃げ出して行ったのであった。南京の人々は、支那軍の次のような発言
を心底恐れていたのだ。
中国人の一人をも、一塊の土をも、灰燼に帰せしめて、敵の手に渡さぬ
決意である。(略)大小都市の論なく、これを灰燼に帰せしめねばならぬ。
[1, P6]
これは、昭和12年7月末に行われた汪兆銘の「最後の関頭」演説によるものである。
http://shupla.hiho.jp/datas/Nanking.html
228 :
だつお :2007/01/14(日) 00:07:23 ID:ACEPZiDf
親日派と呼ばれる汪兆銘にして、「最後の関頭」演説だった。 つまり中国人というのは存在そのものがチンピラゴロツキであって、 チンピラゴロツキに親日反日自由共産などという理念や主義主張 などありはしないということだ。チンピラゴロツキは常に強きに 媚びて弱きを挫き、金目のものとあればなりふりかまわず飛びつく。 この地球上で中国人ほど拝金主義で事大主義な生き物は存在しない。 大陸打通作戦で中国人の大勢が皇軍占領下に入ったのは皇軍が非常 に精強でとてもかなわないと判断したから。その証拠にソ連参戦で 崩壊した満州においてはサッサと逃げるか赤軍の軍門に下ってた。 なお米軍は朝鮮戦争でその「チンピラゴロツキ」相手に大苦戦。 そんな調子で日本本土攻略はとてもムリであったと思われる。
229 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/14(日) 00:15:48 ID:B21zV+A+
>>『住民は強くて搾取しない方に味方するだけ』 最初は「北支の治安戦」という事でテーマを始めましたが、参考になる事例は これから中支の話でも取り上げる事にします。まあ、広義の「治安戦」つーことでw。 早速、中支での話ですがw、ある国府軍系の雑軍の根拠地を占領した時のエピソード です。警備任務についた中隊長が、住民の代表に対して「われわれ皇軍は、王頸哉軍を 捕えるために来た。あなた方が王に酷い目に遭っていると聞いたからだ。今日からは 税金を払う必要も無ければ、堡塁作りを手伝う必要も無い。安心して家業に励み、仲良く 暮らして貰いたい。そのためには王の敗残兵の状況が分かったら教えて欲しい」 と話すと住民にうけて、皆「謝々」と言いながら帰って行きました。翌朝には家ごとに 『黄軍歓迎』のビラが貼り出してありました。「皇(ファン)」を「黄(ファン)」と 思ったからで、日本がどこにあるかも知らない訳です。この中隊長は、皇軍の説明に 一汗かきましたが、結局理解されませんでした。まあ、湖北省での話しですが、一歩 支那奥地に入るとこんな感じですw。
___ | だ | | つ | | お | | | ,,,. | の | ,'"';, 、''゙゙;、). | 墓 | 、''゙゙;、),、 ゙''!リ'' i二二二二!゙''l!リ'''゙ ‖ `i二二二!´ ‖ 昌 |: ̄ ̄ ̄ ̄:| 昌 | ̄:|_|;;;l"二二゙゙l;;|_| ̄:| | :|::::::| |;;;;;;;;;;| |::::| :| | :|::::::|┌─┐|::::| :| ./゙゙└‐┴ ┴l,,,,,,,,,,l┴┴‐┘゙゙゙゙\ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  ̄|三|三三|三三三三|三三|三| ̄ | |::: |: : : : |:: | | | |::: |: : : : |:: | | /_|::: |: : : :.|:: :|_ヽ _|___|;;;;;;;;;;|,;,;,,,,,,,,,,,,,,,;,;,|;;;;;;;;;;|___|_ l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l だつおはあまりにも頭悪すぎて脂肪しました。
231 :
だつお :2007/01/14(日) 00:21:29 ID:ACEPZiDf
>『住民は強くて搾取しない方に味方するだけ』 この点アメリカは搾取どころか航空支援をはじめあらゆる抗日援助 をしてくれる、中国人にとっては聖母のような存在だったはずだ。 アメリカ人にしてみれば何で自分らが中国人に牙を向かれるのか まったく理解できない、恩を仇で返す逆恨みでしかなかったろう。 というか、アメリカが援助してもチンピラゴロツキの中国人は譲り合い の精神がまったくなくて中国人同士の奪い合いで内戦になってしまう。 結局のところ中国人の敵は中国人自身ということになるのだろう。
>>229 >>『黄軍歓迎』のビラが貼り出してありました
「日本軍は黄巾党かよ!」という気がしないでもありませんがw。
まー紅巾賊と戦ってたわけだしw。 コーエーの三国志で、「新君主」を毛沢東にしてプレイしたけど違和感無かったわな。
234 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/14(日) 00:59:52 ID:B21zV+A+
>>208 の続き。>>「百団大戦」の結果、北支那方面軍は中共対策(対ゲリラ戦略・
戦術)に本腰を入れ始めた
一番の特徴は、以前よりも占領地の「政治活動」に力を注いだことです。いわゆる
『民心の把握』というやつです。前スレと重複になりますが、大事なところなので
再述しますと、北支那方面軍は華北を「治安状態」の程度に従って、
●「治安地区」 ●「准治安地区」 ●「未治安地区」の3つに分類した訳です。
北支那方面軍はまず、@「准治安地区」を「治安地区」に格上げするように努力して、
その後で A「未治安地区」を「准治安地区」に底上げするように定めました。
何でも無いようで、この『優先順位』が非常に「大きな含み」を持っていることは
既に述べました。要するに「未治安地区」は後に切捨ての対象になった訳です。
1941年7月の時点で、「治安地区」と認定された地域は北支の10%、「准治安地区」
と「未治安地区」が、それぞれ60%と30%です。
235 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/14(日) 01:28:40 ID:B21zV+A+
>>233 >>コーエーの三国志で、「新君主」を毛沢東にしてプレイしたけど
>>違和感無かったわな。
いきなり、牛乳吹いたw。
まあ、北支那方面軍は1942年3月までに「治安地区」の比率を20%に、
1943年3月までに40%に、1944年4月までに70%へと引き上げる
目標を掲げていた訳ですが、これらが先に取り上げた山西省における『優良村』
『普通村』『不良村』の延長もしくは応用であることが見て取れます。
>>●一番の特徴は、以前よりも占領地の「政治活動」に力を注いだこと
北支那方面軍は「百団大戦」以前よりも、占領地住民の民生に留意する方針を
定めたわけです。例えば、政務将校の会同があった際に、北支那方面軍参謀副長
だった平田正利少将は、華北の工業塩や綿花などは「日本の国防資源」の重要な
一部であることを強調しました。
236 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/14(日) 01:38:50 ID:B21zV+A+
その確保のためには、 「重要資源地の治安の確保および、輸送力の強化保全により、生産力 増加を促進するを以って最大の急務」 として「これが為には、資源地付近『住民の人心把握』を第一義とする」 と述べた訳です(「政務将校会同席に於ける方面軍参謀副長口演要旨」:1940年 12月19日)。
237 :
名無し三等兵 :2007/01/14(日) 19:11:34 ID:Le/tstvT
北へ行くほど蘇聯に近附きますから、赤匪は強勢になる譯です。 ところで清郷工作つて知つてますか?
キモ
ソ連が支援してたのって国民党じゃなかったっけか?
>>238 一々、詰まらぬ茶々を入れるな
「キモ」だと?
自身の顔を鏡に映してからそう言え
241 :
名無し三等兵 :2007/01/14(日) 22:40:44 ID:p8Yqnkd3
男が選ぶ「07年、落ち目になりそうな男」ランキング 1位 HG 81票 2位 桜塚やっくん 61票 3位 オリエンタルラジオ 50票 ←ココ 4位 安倍晋三 21票 5位 中村獅童 19票 (ソース:週刊SPA! 2007/1/16号) 4位 安倍晋三 21票 ・・・orz
242 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/14(日) 22:43:14 ID:XWqgTC6P
>>236 の続き。この辺りはややこしいのでサラッと流して置いてください。
同様に1941年3月18日の『昭和16年度粛清建設上の主要着意事項』
という文章にも、
「国防資源の開発取得に徹底し、また支那における経済建設方針に即応せしむる
ためには、まず占拠地域における『民生の向上』、『民心の安定』を喫緊の要事とす」
として更に、
「民生の確保なき国防資源の開発取得は、共にその効果得て望むべからざるもの」
と戒めています。ここで「国防資源」云々をやかましく言っているのは、終わりの
見えない支那事変に対して日本の台所事情が厳しくなっているのもさることながら、
第二次世界大戦が始まり、ドイツらと三国同盟も結び、アメリカとの関係も急速に
キナ臭くなってきた(1941年1月26日に、日米通商航海条約が失効)からでしょう。
>>240 キモ=肝かもしれないジャマイカ
超雲ってことだよ!!
244 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/14(日) 23:11:42 ID:XWqgTC6P
『民生の向上』『民心の安定』が日本軍の占領地で強調されるようになったのは 良いことのようですが、その時期に注目してください。「1941年」で太平洋 戦争が始まる直前の時期になります。 また最重要の目的として『国防資源の開発獲得』が同時に挙げられていますが、 容易に理解できるとおり「民生の安定」「民心の把握」と真っ向から矛盾して きます。食料や綿花など強引(強制的)な買い付け、あるいは収奪も伴うからです。 もちろん経済界の有力者を通して「正規の収買」も行なわれた訳ですが、軍票や 儲備券の「価値維持」など、それはそれで頭の痛い問題がつきまといます。この辺は 過去スレの「幣制改革」のテーマで少し触れた覚えがありますが、あまり補足できて いなかったような気が…。まあ、いずれどこかでやるでしょうw。 これは太平洋戦争の戦況がどんどん悪化して資源的にも行き詰まる1943年以降 から酷くなり、支那戦線から有力部隊が引き抜かれて兵力が削減・弱体化するのと 歩を合わせて、北支の治安は急速に深刻化していく訳です。まあ、まだ先の話ですが。
245 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/14(日) 23:25:30 ID:XWqgTC6P
>>太平洋戦争の戦況がどんどん悪化して資源的にも行き詰まる1943年以降 「治安戦」のテーマに限らず、この『スレ自体の結論の1つ』ですが、 ●日中戦争の戦況が、太平洋戦争の戦況に与えた影響はほとんど皆無だが、 ●太平洋戦争の戦況が、日中戦争の戦況に与えた影響は甚大である というものです。もっと簡単に言えば、「日中戦争は太平洋戦争にほとんど 貢献できなかった」となる訳ですが、さすがにここまで言い切ってしまうのは 不正確かとも思いますし(自分でいくらでも反例を挙げられるw)、 ●そもそも太平洋戦争は、日中戦争の完遂(解決)のために始められた ことを考えれば、そのようなツッコミは根本的にナンセンスでしょうw。
キモキモー
247 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/14(日) 23:43:41 ID:XWqgTC6P
さて「民心の安定」が強調されるようになった訳ですが、もちろん北支那 方面軍が「軍事的な強圧策」を完全に放棄した訳ではありません。要するに、 『飴とムチ』の関係です。 「高度分散配置」における防御目的の塹壕掘削作業(当然、地元住民も動員)は 以前にも増して進められ、特に「未治安地区」を他の地区から隔絶させる目的と しても力が入れられました。 1940年の冬、支那駐屯歩兵第1連隊(第27師団)の第3大隊だけでも 幅4〜5メートルの壕を、総延長12キロメートルに渡って掘っています。 また1941年夏には、京漢線(北京―漢口)鉄道の両側及びそれを守備 するための見張塔周辺に、深さ幅ともに10メートルの壕が500キロに わたる地域で建設された訳です(第21師団(金沢)第62連隊第12中隊 回想録)
劉備、超雲を評して曰く「全身これ肝」
249 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/14(日) 23:56:57 ID:XWqgTC6P
さて1941年に北支で行なわれた大きな作戦として、「中原会戦」に 触れない訳にはいきません。山西省南部と河南省北部で1941年5月7日〜 6月15日に行なわれた作戦で、国民党軍に大打撃を与えました。余りに コテンパンにのされたので、蒋介石に「これほどの屈辱は味わった事が ない」とまで激怒させたものですが、また続く。 ところで明日って2chは書き込めるのかしらん?w
このスレの連載レスは有り難く拝読しています。
……私はいわゆる「責任内閣制」とはどんなものなのか、総長と次長とがどんな関係なの か、をはっきり知った。 それは官吏の棒給基準の問題について討論した国務会議だった。…(中略)…「給与令 草案」には、「日本人官吏」の棒給は「満州人」と区別され、前者は後者にくらべてほぼ 四十パーセント高く定められていたのである。とりわけ財政総長の熙洽は憤懣を押さえら れず、まっさきに意見を述べた。「この議案はまったく話にならん。われわれは複合民族 国家なのだから、各民族は一律平等のはずだ。なぜ日本人が特別待遇を受けねばならんの だ。親善国の国民だというなら、親善を示させばならん。どうして特別高い棒給をとるの だ」…(中略)…その他の総長も、口々に、一視同仁とし、待遇に差をつけないようにと いう希望を表明した。 総務庁長官の駒井徳三は雲行きが思わしくないと見ると、総長たちの発言をとめ、諸案 の起草者である古海忠之に草案について答弁させた。…(中略)…大意は、平等を問題に しようと思えば、まず能力が平等かどうかを見なければならない。日本人は能力が高いの だから、当然棒給も高くなければならない。それに日本人は生活水準が高く、生来米を食 べている。「満」人のように高粱を食べていれば、暮らせるというわけにはいかない、と いうのだった。彼はまた「親善を言うなら、日本人に少し棒給をよけいにとってください ということこそが親善です」と言った。総長たちは、それを聞くと、口々に不満を表明し た。 …(中略)…熙洽は…また言葉を返した。「私は少しばかりの金をほしがるわけじゃな いが、日本人はどこに王道楽土を建設するのかうかがいたいですな。満州人がいなくて建 設ができますか」 駒井はこれを聞くと顔色を変えて怒り、テーブルをたたいてどなった。「きみは満州の 歴史を知っとるのか。満州は日本人が血と引き換えにとったものだ。ロシア人の手から奪 い返したものなんだ。きみはそれがわかっとるのか」
,ヘ,_. -─ r,ヘ, ヽ,ニ) ヽメ! i. ,'ノノ ))) 〉 | ii ゚ ∀゚ノ|.! テメエら、キモキモうるせえんだよ! caved!!!! ||kリ,_\_リiつ _,,.-!k'J,、,、>、 ´⌒ '"i,ンイノ~`
>>251 >>このスレの連載レスは有り難く拝読しています。
_、,、,、_
`、r`=Y
, ' `ー '´ヽ
i. ,'ノノ ))) 〉
| ii ゚ - ゚ノ|.! たまにそういうことを言ってもらえると有り難いと
||kリ,_\_リiつ と中佐から伝言が。書いて当然、続けて当たり前に
!k'J,、,、>、 なってくると、結構しんどいものがあるのさ。まあ、
´'"i,ンイノ~` 好きでやってることだろうけど。
256 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/15(月) 23:21:47 ID:752OxQ6q
>>249 の続き。さて中原会戦ですが、山西省南部と河南省北部で行なわれた
作戦です。この頃の北支那方面軍司令官は、多田駿中将(1939年9月12日〜
1941年7月6日)ですね。
この一大作戦に参加した部隊は、●第21師団(金沢)●第33師団(仙台)
●第35師団(東京)●第36師団(弘前)●第37師団(熊本)●第41
師団(宇都宮)●第9独混旅団(東京)●第16独混旅団(弘前)
から抽出され、他にも一個騎兵旅団が参加するなど、総兵力は9万人を優に
超えます。これに対して支那軍は第1戦区(衛立煌:司令長官)の26個師で
総兵力18万人です。
山岳地帯に根拠地を構える国府軍をさんざんに打ち破った作戦で、日本軍の戦果は
遺棄死体4万2000人、捕虜約3万5000人という信じ難いものです。これに
対して、日本側の損害は戦死673人・戦傷2292人ですから、いかにワンサイド
ゲームかが分かるでしょう。そりゃあ蒋介石も余りの情けなさに激怒します。
257 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/15(月) 23:35:03 ID:752OxQ6q
もちろん『遺棄死体』数は、日本側の戦死者に「係数」をかけて出された 数字であるとか、ダブルカウント・トリプルカウントは当たり前だったり (常識で考えてまともに数えるのは無理)なので鵜呑みには出来ませんが、 事実上、この地域(山西省南部・河南省北部)での国府軍は一掃できたと されました。 ところが、ここでも北支那方面軍内で「ひと悶着」が起こります。方面軍 第2課(情報)は、残存している国府軍は放って置いて、中共軍の弱体化 さらには撃滅に力を注ぐべきだと主張しましたが、当時、北支那方面軍の 3個師団を拘束している衛立煌の晋南軍(山西省南部の意味)を先に撃退 して、八路軍に全力を集中できる態勢を整えるべきだという反対意見に 圧倒された形となったのでした。 (当時、北支那方面軍:第2課参謀・樺山幸雄中佐、田中忠勝中佐の回想)
258 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/15(月) 23:55:33 ID:752OxQ6q
まあ『中原会戦』自体は、日本軍の一大勝利に終わった訳ですが、この 作戦に当初から反対の立場を取っていた北支那方面軍第2課の別の参謀は、 「国民党系の軍事戦力が壊滅的な打撃を受けた後に、共産勢力が入り込んで 地歩を拡大するのに役立っただけ」だと戦後に振り返っています(北支那 方面軍:第2課(情報)参謀・山崎重三郎少佐の回想)。 それでも「中原会戦」の大勝利に引き続いて、八路軍の「粛清作戦」を北支 各地で続けていったことにより、確かに1941〜1942年は治安状況が 格段に向上していったのです。北支那方面軍にすれば最良の時期でしょう。 「治安戦」テーマの冒頭で述べました、北支での「抗日勢力」による鉄道テロの 件数も1941年には激減し、最大値の9月でも130件程度です。これは19 38年8月のピークに400件近かったことを考えれば3分の1に過ぎません (百団大戦が起きた1940年8月の最盛期でも300件強)。
259 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/16(火) 00:08:13 ID:fCmqr/J/
この状況を予感してか、北支那方面軍司令官だった多田駿中将は 1941年初頭において、 ●「(共産党とその軍事勢力は)熱烈不断の努力を傾注するにおいては 遠からずこれを滅除し得べきを確信する」と発言していることに 注目すべきでしょう。 (北支那方面軍「兵団長会同席における方面軍司令官の訓示」:1941年1月13日) >>「中原原会戦」の大勝利に引き続いて、八路軍の「粛清作戦」を北支 >>各地で続けていったことにより この辺は後で補足します。
そも/\この戦争は、支那人、殊に蒋介石の日本に対する認識不足と、その日本の実力誤算から出発し、 又日本の支那に対する研究不足と認識不足とによつて始められ、又深められて来た。 極端に申せば日本人の多くは支那を日清戦争時代の支那と見縊り、近代支那の実体を把握してゐなかつた。 支那人と云へば利己的で臆病者であると考へ、支那の社会は二、三の野心家や軍閥・権力家から動かされてるやうに早呑込みをしてゐた。 従つて日本の武力を以てすれば鎧袖一触、忽ちに支那を屈伏せしめ得ると思つてゐた。 その意気は誠に壮で、外国と戦ひ未だ曾つて一度も引けを取つたことのない日本人としては、一応尤もなことではあるが、 「敵を知り己を知るは百戦殆からず」と云つて、相手の実体を把握しないといふことは危険である。 日本人は事変の初から事変を嘗め、支那を嘗めてかゝつてはゐなかつたか。 作戦の規模といひ、出征兵力といひ、尊き犠牲といひ、日本としては有史以来の戦争で、 日本が過去に於て経験した最大の戦争 ― 日露戦争と雖も比較にはならぬ。 恐らく世界の如何なる国と雖も、一国がこれだけ大規模に作戦するといふことは少からう。 これに加へるに世界の情勢は日本に取つて必ずしも有利ならず、国家の安危存亡は懸つて国民の双肩にある。 我が国民が、この重大な戦争を呑んで懸るといふことは、 誠に偉大な国家であり国民であるともいひ得るが、事実この戦争はしかく単純ではない。 (支那派遣軍総司令部報道部長 馬淵逸雄 1939)
261 :
だつお :2007/01/16(火) 19:09:55 ID:z892eXMB
そもそも武器貸与もしてやって(ソ連は既に踏み倒し声明)、ドイツの東半分 もくれてやって、それでなお密約で満州もくれてやらなくてはならないのかと。 何が悲しくてアメリカが自ら進んでソ連に頭を下げて貢物を捧げに行ったのかと。 そこまでしてアメリカがソ連の対日参戦を要望したのは、まさに中国国民党軍 が支那派遣軍に歯が立たないことを認めざるをえなかったから。あんな調子で はあと何年すればあとどれだけ援助すれば国民党軍が満州を奪回できるのかと。 中国抗日戦争と在支14航空軍が1945年末までに支那派遣軍を駆逐する ところだったなどと、そんな支離滅裂な中国人の妄想など信じられるわけない。
262 :
だつお :2007/01/16(火) 21:15:48 ID:z892eXMB
中華民国は戦国時代で軍閥の集合体であって国家とは到底言えない。 そして皇軍は海戦では敗れたものの支那派遣軍百万をはじめ陸軍主力は ほぼ無傷のままで健在だった。日本本土決戦をやればかなり勝てたであろう、 朝鮮戦争でかの「チンピラゴロツキ」さえ撃破できなかった米軍相手なら。 打通太郎の手前味噌かもしれないが、自らの持論には自信を持っている。 上で述べた言説には米軍損害データおよびホワイトハウス作戦記録など からその裏づけをいくつも見つけることができる。
263 :
名無し三等兵 :2007/01/16(火) 22:04:26 ID:q1Tv6r/M
基督教徒のカルト暦気持悪い
↑ 鏡に自分の顔を映せ、それから >気持ち悪い と言えw
西暦の方がわかりやすいだろ、戦国時代の年号も天正とか元亀とか通じるのマニアだけだしな
266 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/16(火) 23:21:58 ID:0LUTVNO3
>>244 の補足。>>また最重要の目的として『国防資源の開発獲得』が同時に挙げられ
>>ていますが、容易に想像できるとおり「民生の安定」「民心の把握」と真っ向から
>>矛盾してきます。食料や綿花など強引な買い付け、あるいは収奪も伴うからです。
例えば、中支に駐屯していた第40師団(善通寺)の中隊の話です。1943年頃の
話ですが、警備任務で駐屯していた街にある日、ヤンマー船で河を遡行してきた
『有名』商社員が訪れます。
中隊長はその商社員を勇敢だと感心しましたが、「軍の委託を受けてこの街の
『原綿』の収集に来た。住民に搬出させて欲しい」と言って証明書を差し出し
てきます。ハイ、ここで商社員に協力するか、それとも断るか「分岐点」です。
ここの中隊長は、事前に何も聞いていなかったこと、苦労して犠牲を払って
占領した街なのに「名刺」一枚を信用して掠奪に協力する気にはなれなかった
などとして、この商社員の申し出を断っています。
267 :
fuんwaか ◆X4bJkcf622 :2007/01/16(火) 23:24:12 ID:kW8E+Ooe
しかし、どこの国に、このように先人の歴史を踏みにじり、一国の首相が謝り 続けている国はありましょうか。インドネシアにおいてオランダが、戦後我が 国に対して報復裁判をやったでけでなく、現地の人にたいして数百年間ひどい 植民地統治をしても、独立にさいしインドネシアに残した資産を買い取らせています。 イギリスもフランスもアメリカもスペイン、ポルトガルも植民地に投資などせ ずに、植民地から搾取して太ってきました。 そのような国々でもかっての植民地統治が悪かったと謝っている国はありません。 それが歴史とわかっているからです。恨むのであれば、自分達の国を自分達で守 ろうとせずに放棄した自分達の祖先を恨むべきでしょう。ましてや我々の先人は 搾取どころか、世界最貧国だった朝鮮半島に莫大な投資をしてインフラを整え、 学校をつくりハングルを普及させました。当時国内にその分を投資しておけばも っとインフラが整える事ができたでしょう。朝鮮半島が日本に集りまくって、感 謝も何もないのは今も昔も変わりません。 それを、戦後はすべて奪われ、そして戦後の悪い事はすべて日本のせいにされ、 謝れと言い続けられています。こんなバカな話はありません。自国の先人の屍に より我々が生きている事ができるのです。首相たるもの「朝鮮の人よ、支那の人よ いいかげんにしろ。」と言ってほしいものです。 酒たまねぎ やHP 平成15年5月23日の日記より引用。
首相が謝りまくっても選挙で自民党が国内最高の支持を獲得しての結果だから、日本もチョンもどっちもどっちだろ。 嫌なら投票に行って他の政党に票を入れればいいだけだよ。かのヒトラーも選挙で合法的に選ばれたんだよ。
269 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/16(火) 23:36:26 ID:0LUTVNO3
他の理由として、占領したばかりで「皇軍とは何たるか」を支那住民に 説明したばかりだったこと(舌の根も乾かない内に掠奪に協力できない)、 この辺りの豊富な原綿は住民の共同所有物で、自給自足のために欠かす事の できない物と聞いていた、などが挙げられます。 この中隊長は「戦争経済が分からぬものでもなかったが、掠奪するために 作戦をした結果になるのが耐え難かった。商社員には気の毒であったが、 兵隊さんの苦労と犠牲の上に商社が太る仕組みになるのが我慢できなかった」 と振り返っています。 まあ想像するに、この商社員から軍に対して何らかのクレームが付いたのは 間違いないと思われますw。また別の人物が中隊長だったら、商社員にホイ ホイ協力していた可能性も高いでしょう。
270 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/16(火) 23:48:38 ID:0LUTVNO3
ここの中隊長が偉いのは、食糧事情に困窮しているのに地域住民から一切 徴発を行なわなかったことです。主食の米自体は、以前にその街を根拠地と していた支那軍から鹵獲したもので十分な量でしたが、副食がありませんw。 皇軍の美点を宣伝した手前、豚や鶏を徴発する訳にもいかず、三度の副食は 膨らみはじめた「菜種のつぼみ」だったと言います。中隊の経理係は困り ましたが、住民に対するバーターの『見返り品』がないのでどうしようも ないと判断しました。 そこで誰かが一計を案じて「部落長」を集め、夕食に招待して「菜種料理w」 だけを出すと、さすがに気の毒に思ったのか肉や魚を持参するようになりました。 支那人に恵んでもらうとは情けないやら、いじましいやらw。 その内に、支那軍が堡塁に隠していた「大量の塩」が押収できましたので、 副食を塩と交換することで中隊は「栄養失調」を免れたと言います。当時の 支那で、塩は想像外の貴重品なのです。
271 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/17(水) 00:02:28 ID:XhkF5B7c
またこの中隊は、街の「廟」に駐屯していましたが、部落長から「廟は 信仰の対象なので、立ち退いて空き家に分宿して欲しい」との申し出が ありました。 分宿は危険なので、この中隊長は「それなら兵舎の建築に協力して欲しい」と 頼むと、住民が毎日2、300人は集まって煉瓦造りの兵舎を建て始めました。 以前に占領していた支那軍に訓練(徴用)されていたからと思われますが、 ここでも労賃は「塩」でした。 一体「塩」が手に入らなかったら、この中隊はどうしていたかと思いますが、 軍からは補給もほとんどなく自活を余儀なくされる以上、「徴発」しなければ 栄養失調あるのみです。 中隊長が中隊長なら、住民に対して「見返り品」もなく徴発に動いていた でしょう。というより、上記の中隊長の方が珍しい訳ですが。中隊の健康 管理の責任もある訳です。
272 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/17(水) 00:20:57 ID:XhkF5B7c
前の方で、討伐や粛清作戦でいわゆる『残虐行為』を行なうか否かは 現場責任者である『中隊長次第』と述べましたが、上記の中隊でも 中隊長が異動(または昇進)になったり(大隊副官など)すれば、 全く選択や行動が変わるでしょう。 ちなみに、この中隊は新たな作戦が始まると、街の警備任務を他の 部隊と交代して離れます。ところが、しばらくして同じ場所を通過 する際に、どこで聞きつけたのか顔馴染みの部落長が出迎えていて 同じ中隊長に「駐屯」を懇請したのは困ったとの回想があります。 まあ、こんな美談(?)のような話ばかりではありませんけど。あくまで 「珍しい」話であって、これくらい占領地の地域住民に気を遣った中隊長も いる程度に思っていてください。 何より、この中隊長も「遠からず新しい作戦が始まって、中隊も警備を 別の部隊と交代して移動を命じられるだろう」との予想がついていたので 食糧事情の困窮も「一時の苦労」と耐えていた可能性もあります。例えば 北支のように長期の警備が続くと予想されれば、また「別の行動」を取って いたかもしれません。
273 :
名無し三等兵 :2007/01/17(水) 12:42:50 ID:RUsNGLom
「Cannibalism in China」 Key Ray Chong著
"the Chinese often ate their enemies out of hatred or revenge during wartime."
"During World War II, hate-cannibalism is reported to have occurred in China.
Later, as the civil war between the Communists and the Nationalists went on for control of China, some Communist soldiers were executed routinely in a far-interior district; and their flesh and bones were eaten out of a spirit of revenge.
One American priest told of seeing a Chinese Nationalist officer cut out and eat the heart of a Chinese Communist."
中国人は戦争中、憎悪と復讐心から頻繁に敵を食べます。
第二次世界大戦中にも、憎悪からの食人が、中国で起こったとする報告があります。
そして、その後の中国の覇権を賭けた、共産党と国民党との内戦ときにも
幾人かの共産党員が内陸の地区で定期的に処刑されていましたが、彼らの骨身は報復の精神から食べられていました。
国民党の将校が共産党員の心臓を取り出し、食べるのを1人のアメリカ人の聖職者が目撃しています。
食人民族中国人 チャイナカニバリズム
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/china/1159587253/
274 :
名無し三等兵 :2007/01/17(水) 15:24:27 ID:hrh2Kgut
時の経過と共に清郷作戦で宣撫工作は徹底して行ったよ。 地元有力者が駐屯部隊を愛惜するのは普通。 例外じゃないぞ。
イナゾウを話を聞くと中国人が強烈な反日感情を抱いているのは必然的だと思う。
『日本が何をやったか』ではなく『日本をどう評価するか』の問題でしょ。 中国の場合、まず共産党政権によって後者が固定的に定められ、 それを根拠付けるための前者という関係になっている。 一方、我々としても『未来志向』という言葉に象徴されるとおり、 あらまほしき未来のための日本評価を求めているわけだ(戦後60年の平和体制の評価等)。 その意味でどっちもどっちなんだろうけど、より生産的なのは日本のやり方であり、 より破壊的なのが中国のやり方であることは間違いないと思う。 まぁ日本軍がどんな残虐行為をやってようと俺には関係ない話なんだけどね。
>276 中国人でもないし中国に行く予定もない俺としてはどっちでも良い。。 ただイナゾウの言う事が本当で俺が中国人だったら俺は戦前の日本には余り良いイメージを持たないだろう。 だからなんとなくそう思った。 俺が思うに反日感情も親日感情も評価の一種で、 評価について当事者である日本人が非難/賞賛しようが無意味だと言う事。 今の状況でどう商売するかを考える方がよっぽど意味がある、と。
>>275 シナ人の同胞の方がひどい場合もあってかえって日本軍を懐かしむ例もある。
結局のところ真相は分からない。
280 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/17(水) 22:56:27 ID:PwGfqlci
>>279 >>結局のところ真相は分からない。
まあ、「No One Trust.誰も信じるな」という事です。もちろん、自分の話もです。
>>259 の続き。>>「中原原会戦」の大勝利に引き続いて、八路軍の「粛清作戦」を
>>北支各地で続けていったことにより
1941年に行なわれた大規模な作戦をいくつか取り上げて見ましょう。まずは
●「晋察冀辺区粛清作戦」(1941年8月14日〜10月10日)
仰々しい名前ですが、「晋」は山西省、「察」はチャハル省、「冀」は河北省の
意味です。南北300キロ、東西100キロにわたる太行山脈北部が作戦地域で、
上記の3省いずれにとっても「辺境」の地であるから『辺区』と言う訳です。
また中共軍をターゲットとした作戦でしたので「粛清」の2文字が加わります。
これらを全部まとめると、『晋察冀辺区粛清作戦』となるのです。
281 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/17(水) 23:25:09 ID:PwGfqlci
まあ、「晋」や「察」などの地名は、とっつきにくいかもしれませんが 日本の戦国時代の「遠江」や「甲斐」などと同じようなものと思って ください。三国史などに詳しい方には説明するまでも無いでしょうが。 ただ、こういう1字の略字を覚えておくと便利なのは確かで、「晋察冀 辺区粛清作戦」を普通に言うなら、「山西省・チャハル省・河北省の辺境地に おける対八路軍の撃滅作戦」などという長ったらしい名前になりますw。 同様に、「晋中」なら「山西省中部」、「魯南」なら「山東省南部」と2語で 表すことが可能で、お互いに知っているなら意思疎通の手間が省けます。 さて話が少し脱線しましたが、この頃の北支那方面軍司令官は『支那通』の 代表的な軍人である岡村寧次(1941年7月7日〜1944年8月24日:大将)です。 第11軍司令官を務めたあと、軍事参議官として1年余り過ごしてからの 栄転になります。在任期間は3年以上におよび、太平洋戦争中の北支における 責任者とも言えるでしょう。まあ、ヒデキや永田鉄山に続いて、自分が好きな 親近感を覚える軍人の1人です。
282 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/17(水) 23:43:13 ID:PwGfqlci
「我々は参謀本部第二部支那課だぞ!」の台詞が似合う軍人です(妄想w)。 さて参加部隊ですが、中心となったのが第1軍の●第21師団(金沢)、 ●第33師団(仙台)、●第110師団(姫路)の歩兵第133旅団です。 これに第1師団(東京)、●第12師団(小倉)、●第27師団(東京)、 ●第35師団(東京)と駐蒙軍、第12軍から一部の部隊が参加しまして 総兵力は5万人を超えました。 目標は「晋察冀辺区軍」(総司令:聶榮臻<じょうえいしん>)の総兵力 31万3700人以上とされます。 まあ、山中に根拠地を構える八路軍を一掃するための作戦ですが、作戦地域は 台湾に匹敵する面積です。日本軍の全体の戦果は数字が残っていませんが(全体の 損害もw)、第110師団のみで遺棄死体5616人、捕虜3769人の戦果を得た とされます。
283 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/18(木) 00:02:17 ID:evRqpgBg
この作戦に限ったことではありませんが、八路軍は「百団大戦」の特異例を 除いて、日本軍との正面衝突を徹底的に避けて逃げの一手でした。ゲリラです から当然と言えば当然ですが、山中で面積も広大という事もあって、5万人の 兵力を投入しても捕捉撃滅は困難なものがあった訳です。続きましてもう1つ…。 ●「博西作戦」(1941年9月19日〜10月1日) これも地名の説明からしますと、山東省の省都:済南の東南75キロに ある「博山の西方地域」で討伐行動をしたことから『博西作戦』です。 博山はちなみに、明代からガラス・磁器の産地としても有名です。 日本軍の参加部隊は、第12軍(司令官:土橋一次中将)の●独立混成 第6旅団(名古屋)、同じく●独混第10旅団(東京)の主力、これに 加えて第32師団(東京)、独混第7旅団(旭川)の一部が参加して 総兵力は1万人規模になります。
284 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/18(木) 00:21:11 ID:evRqpgBg
目標となった中共軍は、山東縦隊第4・第6旅団の兵力約4000人 でしたが、ほとんど八路軍の集団を捕捉できずに終わり「空振り」と なった作戦でした。一応、遺棄死体282人、捕虜642人の数字が 残っていますが、他にも兵器工場や被服工場などを破壊しています。 まあ、日本軍の損害が戦死2人、戦傷が7人と言いますから、ちょっと 信じ難い作戦内容ではあります。実際、鵜呑みにはできないでしょう。
285 :
名無し三等兵 :2007/01/18(木) 10:07:20 ID:lITHU6Fq
鵜呑みにして良いでせう。根拠も示さず怪しい誹謗を為してはなりません。彼我實力の差は左様なものでした。 さて國府軍も共産軍も、來るべき内戰決勝を前に外國軍と戰ふことを嫌ひましたが、國府軍は中央政府軍ですからn一切投出して逃げる譯に行かず、抗日戰の主役たらざるを得ませんでした。 よつて共産軍が日本と良く戰つたと云ふのは嘘で、初めから漁夫の利を狙ひ、望み通り漁夫の利を占めたに過ぎません。 この經緯は越盟軍も同じですが、越盟軍が全然戰はなかつたのに比し、支那本部の共産軍は中途から少しは戰つた、と云ふところが僅かに異ります。 越盟軍も戰況の推移を見て同樣に動く腹だつたでせう。越盟は最初から支那域内で支那共産黨の支部として發足したのですから。
キモ
287 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/18(木) 22:48:36 ID:gLQhzV8z
最期に、●「第二次魯南作戦」(1941年11月5日〜12月28日)を取り上げます。 いわゆる『討伐』というのは、小隊討伐から始まり、中隊討伐・大隊討伐・ 連隊討伐・師団討伐……と続いていく訳ですが、無数に行なわれた中共軍の 粛清作戦のなかでも最大級の規模だったのが、この『第二次魯南作戦』です。 少し補足しますと、大隊討伐というのは「大隊の企画による討伐」の意味です。 よって実際に動くのは中隊単位になります。同様に「連隊の企画による討伐」 「師団の企画による討伐」……と来る訳です。この場合は「軍討伐」になります。 「魯」は山東省の意味でして、その南部で行なわれたから「魯南作戦」という 名称です。主体となったのは、北支那方面軍所属の第12軍(土橋一次中将)、 その第17師団(姫路)、第21師団(金沢)、第32師団(東京)、独混 第5(宇都宮)・第6(名古屋)・第7(旭川)・第10(東京)旅団です。 他にも第1軍所属の第36師団(弘前)、独混第3(仙台)・第4(京都)・ 第9(東京)旅団の一部が参加し、総兵力は6万人以上です。
288 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/18(木) 23:05:48 ID:gLQhzV8z
目標は、中共軍の山東縦隊(総司令:徐向前)の約3万人です。 八路軍の「根拠地全体」を大兵力で完全包囲し、徐々に圧縮して1人 残らず殲滅しようと企図した作戦です。約10人の分隊が500mの 間隔で大きな円をつくって進撃したと言います。 支那住民を多数徴用して、深さ3メートル・幅4メートルの遮断壕を 80キロメートルに渡って掘らせ、また各地に見張り台の望楼も造って 八路軍が抜け出さないように監視しました。 しかし日本軍の戦果としては「遺棄死体1654人」に過ぎませんから、 中共軍が「包囲鉄環」と呼んだ割には、監視網を潜り抜けて逃げ出した 八路軍の数は多かったようです。ちなみに日本軍の損害は「不詳」ですw。
289 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/18(木) 23:31:14 ID:gLQhzV8z
少し「まとめ」をしてみましょう。北支那方面軍が1940年と1941年に 実施した、対八路軍『粛清作戦』の戦果と損害は以下の通り。 ●1940年 支那軍の遺棄死体:18万9833人、日本軍の戦死:5436人 ●1941年 支那軍の遺棄死体: 9万8318人、日本軍の戦死:2352人 1940年の日本軍戦死者が飛び抜けていますが、「百団大戦」(戦死者1千人前後) を含んでいるからです。それを含めても「キルレート」は、1940年が『35対1』、 1941年が『42対1』です。まあまあ、と言ったところではないでしょうか? 日本軍の「遺棄死体数」が鵜呑みに出来ないのは既に述べましたが、1941年ごろ から1942年まで「北支の治安」が劇的に良化したことを考えますと、ほぼ実勢に 近かったと言えるかもしれません。
290 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/18(木) 23:50:53 ID:gLQhzV8z
まあ、岡村寧次の前任の「北支那方面軍司令官」だった多田駿大将が 1941年初頭に『予言』したように(前出)、 ●「熱烈不断の努力を傾注するに於いては遠からず之(中共軍)を 滅除し得べきを確信」となった訳です。 しかし北支を取り巻く情勢は、またもや急展開を見せます。そうです、 太平洋戦争の開始です。1941年に北支那方面軍「最良の時代」が訪れた 訳ですが、早くも『暗雲』が空の向こうに見え隠れし始めたのです。 1940年の「百団大戦」以降、北支那方面軍が占領地域の「民生向上」に 重きを置いていたことは既述ですが、それを上回る優先目標が生まれます。 ちょうど真珠湾奇襲(マレー作戦・香港奇襲作戦…)を行なった1941年 12月8日、北支那方面軍参謀長の安達二十三中将は今後の方針として、
291 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/19(金) 00:17:09 ID:t8hfqbUk
●「重要国防資源を開発取得して我が国力の培養に努め、軍の『現地自活』を 向上して、我が『負担の軽減』を図る」 と訓示のなかで明確にし、そのために占領地の支那住民を ●「消費の制限統制に耐えしめる」と宣言しています。 これは1940年3月に、支那派遣軍総司令部が『占領地住民の宣撫工作』の ために、中支から日本内地に送る「米、小麦粉」などの輸出を削減してでも 北支方面への輸送を増やして欲しいと陸軍省に要請しているのから180度の 『方向転換』と言って良いでしょう。 この時点で占領地の支那人は「民生向上計画」の対象である『受益者』ではなく、 日本が太平洋戦争(大東亜戦争)に勝利する(戦いを続ける)ために『搾取』 される対象となる可能性をこの時点で示したものです。当然、経済的な圧迫を 受ければ、治安が悪化するのは目に見えています。〜また続くw。
イナゾウたんは薔薇乙女とかは見てないの?
293 :
名無し三等兵 :2007/01/19(金) 11:57:09 ID:GckfQhfX
それもどうかな。 シナの民生は元々最低線以下なんだから。 まるで支那事変で貧乏になったかのように言う稲造の印象は多分に赤い靄が掛ってるよ。 赤内症だ。 支那事変を語るには支那事情に通じなければならない。 ただの戦史お宅に堕するなかれ!
「お宅」って久々に見たな。 このスレは、古語を使う人が多い。
いくら意識しても完全な公平中立な観点で語るのは難しいでしょう。 支那農民の生活水準が如何程のものか知りませんが、 普通の軍オタ以上に各種資料や文献を漁り咀嚼して辿りついた結論を 語っておられるのだから聴く価値は大きいと思います。
>>292 >>イナゾウたんは薔薇乙女とかは見てないの?
なぜかDVDの初めの数巻を持っていますが、まだ未見ですw。確実に睡眠時間を
削らざるを得ないからです。つーか、今ごろ「ぱにぽに」のDVDを毎夜1話ずつ
ちょぼちょぼ見ています(藁)。まあ、アリプロジェクトは自分の好みです。
>>275 >>イナゾウを話を聞くと中国人が強烈な反日感情を抱いているのは
>>必然的だと思う。
悲しいけど、これって『総力戦』なのよねーw。
>>279 >>シナ人の同胞の方がひどい場合もあってかえって日本軍を懐かしむ例もある。
日本軍に協力したと告発された住民が『漢奸』として「生き埋め」にされた話は
「治安戦」テーマの最初にしましたが、もう少し詳しく述べますと以下の通り。
299 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/20(土) 00:49:37 ID:74iZ8CrB
「埋没刑」とも言われるもので、中共軍に民衆裁判で「売国奴」「漢奸」と認定された 人間は、家族の見ている前で直径1.5メートルの穴の中に、縛って座らされます。 そして頭の上に2、30センチほど盛り上がるまで、土を被せられて「生き埋め」です。 罪状などを書いた『布告状』は、破れて風で飛ぶまでそこに貼って置きます。 一例を挙げますと、1944年3月ごろ、豊潤県にある左家埠の鎮長(町長)・劉の妻が 中共軍に「夫が埋められた」と朝、県城に助けを求めてきます。急行して掘り出しました が、丸2日経っていて翌日死んだそうです。劉は60歳代で、日本軍の治安粛清工作に 協力した容疑で処刑された訳です。他にも「漢奸」として処刑される理由としては、 ●日本軍や「傀儡親日政権」(汪兆銘政府など)に情報を提供した●日本軍への傾斜度が 高いと判断された者●共産党の政策に異議を唱える者●日本軍の行動時、最初に日本軍に 接触した者●日本軍占領地に親族がいる者●中共軍の行動に積極的に協力しなかった者… などが挙げられます。民衆裁判は「公開裁判」で子供まで集められて、住民に挙手採決で 判決を下したと言います。もちろん、死刑に賛成しなければ自分が後で処刑されますw。
300 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/20(土) 01:18:04 ID:74iZ8CrB
支那人は「気に入らない人間」をすぐ『密告』しますから、無実の罪で処刑された者が
非常に多かったとか……。また「埋没刑」は、共産党内の争いに敗れた「敗北者」を
整理するためにも利用されました。
>>293 >>シナの民生は元々最低線以下なんだから。
支那の住民がすべて「最低線以下」と考えるのは典型的な思い込みジャマイカ?w
>>293 >>まるで支那事変で貧乏になったかのように言う稲造の印象は多分に赤い靄が
>>掛ってるよ。赤内症だ。
うーむ。自分は『極右』なのに「アカ呼ばわり」されるのはこれ如何にw。つーか、
話はまだこれからが本番です。次の戦争のために、次の次の戦争のために、戦争の
歓喜を無限に味わうために――。
301 :
fuんwaか ◆X4bJkcf622 :2007/01/20(土) 01:34:23 ID:eUHRE1Ef
世界中の何処の国においても、国を命をかけて守っている自国の軍人を尊敬
しない国民はありません。制服で入るとレストランでも一番の席に案内されます。普通の国に早くなってほしいものです。
http://www.tamanegiや.com/hero.html (や → ya)
引用:酒たまねぎ やURAホームページ
http://www.tamanegiや.com/ura.html (や → ya に変換)
フィンランドは国際競争力1位をとったり、読解力の調査でも
上位に食い込んだりと、教育に関して非常にすぐれている点が多い
国です。幼稚園から公教育はほとんど無料で、手厚い教育で
落ちこぼれがほとんど出ないそうです。また独特の「個性を伸ばす」
教育が現在のIT立国を支えていると言われています。そんな訳で
色々「フィンランドの教育を見習って、手厚く、個性を伸ばす
教育をしよう」と言う人をたびたび見かけます。
しかしそんなフィンランドには幼稚園入学に「留年」がある
そうです。これは「質問に耳を傾け、きちんと答えられる」や
「席にきちんと座っていられる」など「学習における態度」が
身に付いていない場合「まだ早い」と判断して別の教育施設で
教育を受けるそうです。
今の学校崩壊の現状を側聞するに、日本でも「個性を伸ばす」
前にする事が色々あると感じた次第ですw
それから国旗国歌の時に起立や礼をしないというのも
フィンランドでは個性云々以前の問題ですw
たまねぎコピペ厨うざい
>世界中の何処の国においても、国を命をかけて守っている自国の軍人を尊敬 しない国民はありません 自国の軍人を忌み嫌うおかしな国 昔の支那(ゴロツキが「就職」する先) 今の日本(制服で堂々と出歩かないから)
>298 うちも爺様の代に米軍の爆撃で家焼かれているんで 頭では「悲しいけど、これって『総力戦』なのよねーw」になっても 感情では常に鬼畜米英だよ。 それが何か悪いのか?反米感情を持って当然だろ? ようするにそういう事。
305 :
名無し三等兵 :2007/01/20(土) 19:48:25 ID:VkDrh6Ho
公平中立は史学の要求だろう。 兵学的には兵要地誌が重視される。 稲造はこの点で欠ける。
307 :
名無し三等兵 :2007/01/21(日) 01:07:06 ID:I1bB/L4C
↑錯乱者?
>>304 直接アメリカではないが、自分は祖父がシベリアに行ってるから、
小さい頃には「反露感情」がキツかった。まあ、支那人が『反日感情』を
持つのは当然のことです。ただ、このテーマの主題はいわゆる三光作戦を
日本軍が無軌道に感情任せでやっていたら結果そうなった、というのでは
なく、敵根拠地の『抗戦能力』を奪う「総力戦」として捉え直すのが主眼です。
>>305 >>公平中立は史学の要求だろう。兵学的には兵要地誌が重視される。
>>稲造はこの点で欠ける。
ちゃんと意味を分かって言ってますか?w
309 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/21(日) 04:09:07 ID:N34WiSEV
>>291 の続き。>>当然、経済的な圧迫を受ければ、治安が悪化するのは
>>目に見えています。
まあ、太平洋戦争の開始が「北支の占領地政策」にも露骨に影響を与えるように
なったと理解してもらえれば早いでしょう。ただ『消費の制限統制に耐えしめる』
方針転換が直ぐに、華北の軍事情勢に変化をもたらすものではありませんでした。
最も大きな理由は、太平洋戦争緒戦の大勝利です。日本内地で1942年が比較的
穏やかに過ぎていったのと同様に、北支でも『治安強化運動』が進むなか、日本軍に
とって「最良の時期」が訪れつつありました。
今日は仕事から帰ったら「爆睡」してしまったので、これでオシマイw。
, ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) 「治安戦」も折り返し地点を過ぎたので、 || メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) 次回テーマの候補として考えているのは ヽ. _Q)#」ネl」)つ ●日本軍と阿片(支那限定)  ̄ ,<´_#,#ハ ●幻の五号作戦(重慶攻略作戦) ` "i_フ_フ" ●上海決戦再考(オ父サンノセンサウより) の3本でーす。んがんぐw。 多分、五号作戦が小テーマになるので、それを済ましてから阿片(中テーマ)に逝く のではないかと思われます。
311 :
だつお :2007/01/21(日) 12:56:43 ID:UGX8DA/J
312 :
だつお :2007/01/21(日) 13:02:25 ID:UGX8DA/J
昭和維新とも呼ばれる構造改革がこれだけの成果を挙げたわけだが、 それでも敗戦したのは昭和維新の失敗ではなくルーズベルト政権 のニューディール政策が日本のそれに優越していたということ。 その根拠としてはやはり大陸打通作戦。日本の工作機械や電子機器 は欧米のコピー製品だったと揶揄されるが、それなら中国はいったい 何を生産できたというのか。財閥が威張っていたからといって、 国内にどんな産業が育ったというのか。
313 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/21(日) 21:48:31 ID:l2ukXFHN
>>309 の続き。>>北支でも『治安強化運動』が進むなか、日本軍にとって
>>「最良の時期」が訪れつつありました。
1942年以降も「塹壕掘り」は各所で引続き行なわれ、同年9月末までには
『農民の犠牲的労力奉仕』により対ゲリラ(八路軍)遮断壕の長さは、総延長
1万1800キロメートルにも達しました。またトーチカ陣地の数も7700個
にも上ります(『北支の治安戦<2>』)。
また中共党員やその支援者の摘発も、北支那方面軍が捕えた八路軍捕虜を自らの
スパイ(諜者)に仕立て上げて「逆用する」といった手段によって効果を上げ、
第110師団(姫路)は1942年1月〜4月の期間だけでも6500人の
『敵性分子』を捕えたと報告しています。
(第110師団長・林芳太郎中将および同参謀長・中村三郎少将の回想)
314 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/21(日) 22:15:13 ID:l2ukXFHN
「百団大戦」後の1941年の『粛清作戦』は先に述べましたが、後ほど 1942年の大まかな戦闘をも補足するでしょう。結論だけ先に述べますと、 通常の討伐なども順調に行なわれ、山東省で治安任務に就いていたある中隊では 1942年4月〜1943年3月までの期間に「戦死者が6人」しか出ませんでした。 また、北支の「治安状態」が非常に安定してきたため、1942年7月から 9月までの期間、陸軍士官学校・第57期候補生の『隊付教育』が日本内地や 朝鮮・満州とともに、北支の部隊でも同様に行なわれたことが象徴的でしょう。 さらに、北支では中隊長以上の士官に「家族旅行」の可否が諮問された 部隊もあった訳です(当時、第21連隊長・豊田勝の回想)。 もちろん、北支那方面軍にとって『最良の時期』ならば、中共軍にとっては 『最悪の時期』です。1942年にかけて治安は劇的に改善し、共産党の支配 地域の住民は半減して5000万人となり、八路軍自体の兵力も10万人以上 減って30万人になりました。
もはや愛する他ないな
316 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/21(日) 22:36:59 ID:l2ukXFHN
さて「北支の治安戦」テーマでの主眼の1つが、いわゆる「三光作戦」の 実態とは如何なるものであったのか? という問いに対する答えです。先に 述べたように、結論としては『焼光』『槍光』は組織的にあったが、『殺光』 までは無かったというものです。『焼光』については前の方で詳述しました。 さて『槍光』(奪い尽くす)です。これも『総力戦の観点』から説明しますが、 要するに「敵根拠地の破壊」「継戦能力の喪失」を目標とするものです。 太平洋戦争が勃発する前後から、北支那方面軍は「治安の良化」をさらに磐石な ものとすべく、八路軍が支配する『未治安地区』から食料や資源を収奪・破壊する ことで、共産勢力に「物的面」から更なる打撃を与える方針を徹底します。 もちろん、太平洋戦争開始以前のいわゆる「支那事変」の時代でも、抗日ゲリラに 対して「物質面」から損害を与えて弱体化させるという試みは、初期の段階から 行なわれていた訳ですが、
317 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/21(日) 23:03:35 ID:l2ukXFHN
「敵の『冬季食料』の貯蔵箇所を探査し、これが捕獲または焼却に努む」 (1939年10月26日付の北支那方面軍「治安粛清要領」) とあるように、その規模は限定的なものでした。しかし、太平洋戦争の勃発前後 から北支那方面軍は、中共支配地区(未治安地区)に対する経済的締め付けを 強化し始め、「遮断線の塹壕」を越えての人の往来を禁止します。また積極的に 「討伐部隊」を送り込み、食料・資源の収奪を作戦行動として行ないました。 例えば、1941年11月〜12月にかけて第12軍が山東省南部で行なった 作戦では、部隊は「集落から銅・真鍮などの非鉄金属、農家の牛などを徴発」 するよう命じられています。戦闘はほとんど発生せず、現場の指揮官の回想は 「目的は太平洋戦争に備えての物資収集にあったのではないか?」と推測して いる訳です。 これ以降、北支那方面軍による物資、とくに農産物に対する徴発は大規模な ものとなっていきます。
318 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/21(日) 23:17:25 ID:l2ukXFHN
他にも例を挙げていきますと、 ●第59師団(柏)は、1942年の作戦で「未治安地区」の市場から 3000キログラム相当の穀物を押収 ●第110師団(姫路)は、1942年6月だけで432トンの小麦を含む 870トン余りの穀物を強制的に買い上げるか没収 しています。上記は、ダイレクトに「資源・食糧獲得が目的」の作戦ですが、 いわゆる一般の「討伐(粛清)作戦」でも、行き掛けの駄賃的に物資の押収・ 徴発を命じられることが頻繁にありました。 例えば、1943年11月の作戦で、山東省の警備任務に就いていたある 連隊長は、「牛・羊は出来るだけたくさん取って来い」という命令を受けたと 振り返っています(第21連隊長・豊田勝の回想)。
アメリカは南米とかフィリピンの共産勢力を封じ込めるために 自国の余剰生産物をばら撒いて手懐けてるのに この当時の日本軍の知恵の足りなさは驚くべきだ!w
320 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/21(日) 23:30:04 ID:l2ukXFHN
上記のような作戦は、当然のことながら「未治安地区」(中共支配地区)の 住民に『飢餓』をもたらします。そのため「日本軍占領地区」に逃げ込んで いく人間も少なくありませんでしたし、日本側の記録でも ●「河北省ではそのような者は苦力になった」●「女・子供に餓死者が出た」 ●「移住してきた地区に木の葉が食べられずに残っているのを見て住民が驚いた」 などのエピソードがあります(北支那方面軍参謀部:『経済封鎖月報』より) まあ、こうした住民からは日本軍に対する怨恨が生まれるのは当然ですが、 八路軍に対しても『自分たちの食糧確保に無力な共産軍』として同様に 怨嗟の声が高まっている、というのは面白いところです。
321 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/21(日) 23:38:28 ID:l2ukXFHN
先に
>>226 で、
>>治安戦の結論の1つでもありますが、『住民は強くて搾取しない方に
>>味方するだけ』です。まあ、『強くて』が大事なポイントな訳ですがw。
と述べましたが、後段の『強くて』とはそういうことです。
また「搾取しない方」とは、裏を返せば『搾取されない方』とも
言い換えることが出来る訳です。
>>自国の余剰生産物をばら撒いて手懐けてるのに
そんな余剰物資が「太平洋戦争開始」以降にあるのなら、
日本も苦労しませんw。逆に言えば、「支那事変」時代なら
「宣撫工作」としてそれなりにバラ撒いています。
, ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) || メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) 「無力な支配者」も同様に住民にとって迷惑、 ヽ. _Q)#」ネl」)つ ということかしら? 弱い人間って大変よねー。  ̄ ,<´_#,#ハ ` "i_フ_フ"
323 :
fuんwaか ◆X4bJkcf622 :2007/01/22(月) 00:37:42 ID:Z3ophkzu
引用:酒たまねぎ.やURAホームページ
http://www.tamanegiや.com/indonesiadokuritu.html 市来 龍夫君、熊本縣の人、明治三十九年生
吉住留五郎君、山形縣の人、明治四十四年生
市来氏は1906年(明治39年)熊本県生まれ、1936年からジャカルタの
日蘭商業新聞に勤務。吉住氏は1911年(明治44年)山形県井岡出身、
昭和5年に旧鶴岡中学校を卒業後インドネシアに渡り、日蘭商業新聞で市来
と知り合う。戦前より現地で新聞記者として活躍していたお二人を、蘭領東
インド政府(オランダの植民地政府)は目障りなために、逮捕、投獄後に日
本に追放されました。大東亜戦争が始まり市来氏は陸軍の宣伝班員としてジ
ャワ派遣軍に加わった。吉住氏は、1944年から海軍武官府で民族主義運動工
作に従事。我が国の敗戦のちもインドネシアに留まり、独立軍の軍事参謀指
揮官として活躍しました。吉住氏は一個師団の軍隊を率いてオランダ軍に対
して結核で血を吐きながら山中を転戦して戦いましたが、昭和23年7月ゲ
デリ州セゴンの山中にて力つきて病没。
市来氏は昭和24年1月マランのサトウキビ畑でオランダ軍と攻防をくり返
した時に、頭部を打ち抜かれて戦死。
インドネシアの独立を夢見て、独立軍にとして戦った我が国の将兵は約20
00名といわれています。そのうちの数多くの方々は、インドネシアの独立
を見る事なくオランダ軍との戦闘で戦死されました。市来、吉住のお二人の
御霊も、多くの元日本軍将兵とともに、独立の英雄として、インドネシアの
英雄墓地に眠っています。
たまねぎコピペ厨ウザイ
326 :
fuんwaか ◆X4bJkcf622 :2007/01/22(月) 12:22:22 ID:Z3ophkzu
>>325 イイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ
NG指定だな 「fuんwaか」
328 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/22(月) 22:35:01 ID:5QG+AgFF
>>322 の続き。
このような「未治安地区」の資源と物資を狙い撃ちにしたような作戦こそ、
いわゆる三光作戦の内の『槍光』(奪い尽くす)に他なりません。
北支那方面軍・指揮下の部隊が、それなりの綿密な計画と準備の下にこれを
行なっていたことは、1942年初頭に方面軍参謀が政務将校の会同で、
●「農作資源地を保有する敵匪地区への進攻、討伐は成し得れば『収穫時期』に行なう」
と発言し、またそれが既に実行されていると評価していることに表れています。
(「政務関係将校会同席上・方面軍第4課高級参謀・口演要旨」:1942年1月15日)
329 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/22(月) 22:51:21 ID:5QG+AgFF
また非常に興味深いことに、
>>328 と同じ参謀が「独ソ戦」における
ドイツ軍のウクライナ侵攻を例にとって
●「近代戦争の本質が資源の獲得確保に存する」として、
●「今後、敵匪地区の『食糧物資』の武力による獲得工作は一層真剣に
考究せらるべき」
と断言しているのは特筆に価するでしょう。すなわち『槍光』は先に述べた
『焼光』と同様に、八路軍など抗日ゲリラから根拠地を滅ぼし、戦争遂行に
必要とされる食糧・資源を奪うことがその本質なのです。抗戦・継戦能力喪失を
狙った作戦としては、航空機による後方地の『戦略爆撃』と同様に、総力戦を
象徴するものとして考えると面白いでしょう。
1942年10月25日の北支那方面軍『経済封鎖月報<2>』で、一連の
収奪作戦を評価して、●「敵抗戦陣営の崩壊は、その前夜にありと云うべし」
と断じている訳です。
,-へ, , ヘ ,ヽ_,_i=/__,」 ,' `ー' ヽ i <〈」iノハル.!〉 i L>゚ ー ゚ノiゝ コピペ厨、真っ昼間から書き込まずに仕事しろw。 i>i ir^i `T´i'i | .i>i !>^ `''´'iイ| i.ル'ヽr_rr_r'レ'
331 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/22(月) 23:26:36 ID:5QG+AgFF
しかし「風向き」は大きく変わってきます。何度も言うとおり、太平洋の戦況が
支那戦線すらもボロボロにして逝く訳です。ガダルカナルで第2師団が壊滅した
のが、ちょうど1942年10月24日〜26日で
>>329 と時期が一致します。
また当然のことながら、上記で述べたような「物資や食糧」の収奪作戦、そして
長大な遮断壕の建設は、労働力として大量に動員される現地住民の不満と怒りの
怨嗟を高めていきます。
例えば、第27師団(元支那駐屯兵団)・歩兵団長だった鈴木啓久中将、
他にも第32師団(東京)長だった井出鉄蔵中将の回想でも、
「未治安地区」との遮断線のための塹壕掘削作業に徴用されたことで
農産物の収穫に大きな影響を及ぼし現地住民の怒りを買った、と振り
返っています。
332 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/22(月) 23:49:11 ID:5QG+AgFF
まあ、ちなみにガダルカナルへの輸送失敗(11隻中6隻が往路で撃沈、 1隻が損傷で引き返し、4隻が辛うじて岸辺に乗り上げて揚陸)で悲惨な目 にあった第38師団(名古屋)は、南支那方面軍などに所属し、香港攻略 作戦にも参加した部隊ですね。 それはさて置き、太平洋の戦況が悪化するにつれ、当初は支那の民心を 日本軍になびかせるのに有効だった『宣撫工作』も、それに振り向ける事が できる資源が少なくなるに従って、質・量ともに低調となっていきます。 当時、華北にいた在支邦人は「宣撫班の活動は、当初は活発だったが 時の経過とともに余りその話を聞かなくなった」と証言していますし、 また直接「宣撫」に携わった人間も、「昭和16年までは民衆に恵んでやる 宣撫工作が多かったのですが、17年頃から太平洋戦争が激烈になるに従って 物資の調達、食糧の確保で民衆に圧力と負担が加わってきた」としています。 (興晋会在華業績記録編纂委員会『黄土の群像』:1983年)
333 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/23(火) 00:04:58 ID:eV/PHc1R
また1942年前半は、日本軍の占領部隊の軍紀・風紀も大きく改善して いましたが、1943年に入ると再び乱れてきます。 例えば、北支那方面軍に所属していた第36師団(弘前)を挙げますと、 ●1941年1月〜4月の軍内部の犯罪件数が122件だったのが、 ●1942年1月〜4月の同期間で32件へと激減しています。 しかし、●1943年の同時期には54件へと再び上昇に転じ、同師団の 文書にはこの増加傾向を、「対上官犯、対住民犯ともに増加しあり」と 記しています。 1942年に犯罪件数が激減したのは、治安の良化により平穏な状況が 生まれたからですが、次第に弛緩していったのと、加えて直後に述べる ように、北支に駐留する部隊が太平洋戦線の影響から次々と他地域に 転用されていったのが大きいでしょう。
当然、軍紀や風紀の乱れは、対ゲリラ戦においてマイナス・悪化の要因と なるのは言うまでも無いことですw。
アメリカも相変わらずイラクで苦労してますしねぇw
>農作資源地を保有する敵匪地区への進攻、討伐は成し得れば『収穫時期』に行なう 要は支那百姓を飢えに追い込んでるわけだ 古今東西、侵攻して来た他国が収奪を行って懐柔、宣撫に成功した例はない アメリカ並にモノをふんだんにばら撒けば別だが
歴史上、現地調達した軍隊は懐柔、宣撫には一切成功しなかったと。
水銀燈のかわいさは異常。
>>338 >>水銀燈のかわいさは異常。
,r---、.
_ソヽ/`、シi.
_>=ヘ 山/=<,
. ((ん'ノノルレム))
_ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ 「ザナたん」のかわいさは異常。
),k'ヲ:::::::::つ
(ン::::/:::l::ヽ
`~i,ンT,ノ~´.
341 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/23(火) 22:12:15 ID:VWoM5rqL
>>336 >>要は支那百姓を飢えに追い込んでるわけだ
今までの話はあくまで『未治安地区』ですけどね。八路軍が自分たちの支配地区で
日本軍から受けた損害(三光作戦)を、あたかも支那全域で行なわれたかのように
『拡大解釈』してアピールするのは、もちろん不正確です。つーか、単なる宣伝w。
>>アメリカ並にモノをふんだんにばら撒けば別だが
んな国、冷戦時代の米国かソ連ぐらいしかありませんw。まあ、現代支那も
アフリカで似たような事をしているのかしらん? おままごとでしょうけど。
>>337 >>歴史上、現地調達した軍隊は懐柔、宣撫には一切成功しなかったと。
まあ、『現地調達』しているのは国府軍も八路軍も同じですけどね。前近代なので
住民から遊離しているのは、日本軍と大差ないかもしれませんw。繰り返しになり
ますが、>>『住民は強くて搾取しない方に味方するだけ』なのです。
342 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/23(火) 22:44:07 ID:VWoM5rqL
>>335 >>アメリカも相変わらずイラクで苦労してますしねぇw
まあ月並みな話で恐縮ですが、イラクの民権政府が「汪兆銘政府」とダブって
見えて仕方がありません。太平洋の戦況が悪化するに従って、日本は汪政権の
『歓心を買う』ために、様々な権限を移譲していくのですが、今のアメリカも
似たような所があるかもしれません。
ただ大きな違いは、アメリカは内心とっとと手を引きたいと思っていること、
いまだに「駐留兵力」を増強できることですかね。当時の日本はそんな余裕が
ありませんでした。本当に繋ぎ止めたいがためです。
少し補足しておくならば、イラクの新政権にしても汪兆銘政権にしても、権限を
移譲したところでロクな事にならない(ならなかった)のは目に見えています。
汪政権でもはっきり言って、日本が『軍政』を布いていた時の方がよほど効率が
良かったのは事実でしょう。イラク新政権も、アメリカが本当に手を引けば
混沌に陥るだけではないでしょうか?
その最も大きな理由は「人材の払底」に他なりません。イラクの場合、 知識階層が国外に流出(あるいは国内でのテロ殺害)していますが、 汪政権の場合、数少ない有為な人材ほど「抗日傾向」が強かったり しますw。
汪精衛なんて所詮は「文化人」でしょw いっそのこと蒋介石を懐柔しちまえば良かったのに
軍事力なしで説得するなんて無理。 汪精衛も日本軍に頼ったでしょ。
347 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/24(水) 23:16:01 ID:T/Ue/Cmu
>>29 >>同じころ蒋介石の側で顧問をしていたオランダ軍将校が『対ゲリラ戦
>>ではゲリラに対抗する兵士の数を増やすしか解決法はない』と観察している
>>341 の続き。1942年に北支那方面軍『最良の時代』を迎える訳ですが、
1943年以降になると段々「治安」が破綻していきます。それは既に述べた
ように、太平洋戦争が始まると北支に駐留する部隊が次々と『他の戦線』に
転用されていったからです。
例えば、太平洋戦争開始直後に北支那方面軍から2個師団が抽出され、その穴を
埋めるべく補充があったにも関わらず、全体からみれば『18個大隊の減少』と
なっています。
また、1942年4月のドゥリットル爆撃(東京発空襲)を受けて、在支空軍基地の
破壊を目的として行なわれた「淅*(せっかん)作戦」では、中支の作戦にも関わらず
北支那方面軍から「14個大隊」が一時的にではありますが参加しました。当然、治安
任務に携わる兵士の数がゴソっと減ることになります。
348 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/25(木) 00:00:13 ID:WizhIgae
また1943年には3個師団が北支那方面軍から転用されましたが、 この穴を埋めるべく、既存の独立混成旅団を「分割・再編」した上で 更に内地から兵力を補充し、2個の『警備師団』を創設しています。 もっと先を述べると、1944年の「大陸打通作戦」では北支那方面軍の 『ほぼ半数』が駐屯地から離れることになりました(作戦終了後に相当数 の部隊が原駐地に戻って警備任務を再開していますが)。 例えば、第63師団(編成地:華北、補充担任:京都)は1943年5月に 独立混成第4旅団・第6旅団の一部をもって、山西省の太原で編成されました。 その後も山西省東部の治安任務を続行し、1944年には大陸打通作戦の 前半戦である「京漢作戦」にも参加しています。また敗戦末期に沖縄戦で 玉砕したのは有名でしょう。
349 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/25(木) 00:12:02 ID:WizhIgae
ギエーッー!!w 「師団番号」を間違えました。
>>343 は間違いですw。
×例えば、『第63師団』(編成地:華北、補充担任:京都)は1943年5月に
◎例えば、『第62師団』(編成地:華北、補充担任:京都)は1943年5月に
今度こそ「第63師団」の話ですが、同様に独混第6旅団・第15旅団の一部と
日本内地で編成された部隊をもって構成されています。北京〜保定方面に駐屯
警備し、大陸打通作戦(京漢作戦)にも参加しています。
まあ、こういった話は北支に限らず「中支も同様」で、多くの既存の部隊が
南方などに転用されて、多くの治安(警備)師団が新しく編成されています。
また「大陸打通作戦」を大隊数で言えば、北支那方面軍・全体の兵力のうち、
67個大隊が作戦に参加し、70個大隊が華北に残留して警備任務を続けて
います。
350 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/25(木) 00:25:55 ID:WizhIgae
>>29 >>同じころ蒋介石の側で顧問をしていたオランダ軍将校が『対ゲリラ戦
>>ではゲリラに対抗する兵士の数を増やすしか解決法はない』と観察している
まあ、ややこしい話になりましたが、北支那方面軍ならびに内地の参謀本部は
支那戦線から有力部隊が転用されるたびに、新たな部隊を創設して『現状維持』
を図れるように努力はしていましたが、所詮は形式的なものです。
何故なら、『ゲリラに対抗するには兵士の数を増やすしか解決法はない』
という原則に真っ向から矛盾しますし(兵数的に完全にフォロー出来ていた
訳ではない)直後で述べるように、これらの「新編部隊」は質的にも大きく
劣ったからです。
351 :
王師堂々 :2007/01/25(木) 00:53:30 ID:csUCxWMO
62師團は沖繩に轉用され、立派に玉碎した
キモ
>>353 >>レスアンカーも間違ってますよ。
, --─- 、
( ,..-ー☆ -'、
i LレLハノリ」
i l §゚ ヮ゚ノi! 気のせいですよ。というか、疲れてるんですよ(泣)w。
| k',_,i`\´i,〉
レ(,/`"i:|"|j
└i_,ィ_ァ'
355 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/25(木) 22:36:33 ID:74pAWzbT
>>345 >>汪精衛なんて所詮は「文化人」でしょw
まあ、元々は『革命テロリスト』ですから、気合の入った人物であることも事実です。
1910年に清朝の摂政王を爆弾テロで暗殺しようとして発覚、獄に繋がれます。
そこでの尋問で地に座ったまま、千言万語の供述調書をスラスラ書いて清朝の役人
を圧倒したという話は有名ですが、汪兆銘の才を惜しんだ粛親王善耆(民政部尚書:
内務大臣)によって死刑になるべきところ罪一等を減じられて無期懲役となります。
その後、特赦を受けて釈放される訳ですが、このとき汪兆銘は27、8歳の頃です。
また汪兆銘を救った「粛親王善耆」は、勘の良い人は既にお分かりの通り、川島芳子の
父親です。本当に奇妙なところで歴史は繋がっているものです。ビックリです。
結果的に汪兆銘は命を拾いますが、獄中では当然「死刑」を覚悟していたでしょう。
356 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/25(木) 22:48:36 ID:74pAWzbT
また、汪兆銘(汪精衛)は獄中でこんな詩を詠んでいます。 石をくわえてひたすらに 大海原をやりこめる 一人で飛んでも疲れない 鴎(かもめ)におくれをとるものか これは『精衛』という名前の伝説の小鳥を連想した作品です。『精衛』とは 海で溺死した「炎帝の娘」の化身と云われます。『精衛』は小石をくちばしに 咥えて飽きることなく海に運び落とし、いつか自分を殺した怨み深き海が 小石で埋まるのを夢見ていたという逸話があります。 当然、汪兆銘はこの小鳥(『精衛』)に自分をなぞらえて「革命の精神」を 謳いあげた訳です。また、小鳥となった娘は溺死した無念を忘れず、以後 海の水は一滴も飲まないことを誓ったとされており、これをもって怨みを 晴らす精神をも表しています。まあ、『汪精衛』の字(あざな)の由来です。
358 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/25(木) 23:20:26 ID:74pAWzbT
>>350 の続き。>>これらの「新編部隊」は質的にも大きく劣ったからです。
先に述べた「淅*(せっかん)作戦」や「大陸打通作戦」のような大規模な
軍事行動に参加するために駐留地を抜けたり戻ったり……。南方戦線に転用
されて「新編部隊」で穴埋めを図ったり……。
これらは全て「対ゲリラ(八路)戦」という点からは大きなマイナスです。
北支那方面軍は徐々にその力を弱めていく事になります。実は1942年から
これらの原因は発生していたのですが、実際に問題が表面化してきたのは
1943年からという訳です。
まず第一に、部隊の改編や補充が行なわれるたびに『補充兵』の比率が
低下していったことです。これは「戦闘能力」の点からは言うまでもなく、
また軍紀や風紀の面でも「部隊の質の低下」が進んでいきました。
今手元に 「支那事変記念写真帖」 佐藤(彌)部隊 伊東部隊 というのがあるんですが、連隊名が分からないんで、知ってたら教えていただけませんか お願いします。
>古今東西、侵攻して来た他国が収奪を行って懐柔、宣撫に成功した例はない アメリカ並にモノをふんだんにばら撒けば別だが >歴史上、現地調達した軍隊は懐柔、宣撫には一切成功しなかったと。 昭和20年代に飴公がばら撒いた脱脂粉乳と余剰農産物(小麦とうもろこし) で懐柔・宣撫されまくってしまったんだね、我々の親達は・・・
361 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/25(木) 23:38:36 ID:74pAWzbT
また間違えた…orz.w
>>358 「お詫びと訂正」 自分はアホの子かw。
×部隊の改編や補充が行なわれるたびに補充兵の比率が『低下』していった
◎部隊の改編や補充が行なわれるたびに補充兵の比率が『増加』していった
山東省に駐屯していたある中隊を例に取りますと、1942年2月の時点で現役兵と
補充兵の比率が「8:2」であったのが、1944年中頃には「6:4」にまで悪化
したと云います。でも、これはまだ「マシな方」の数字だと思います。
現役兵と言いますと20代前半ですが、補充兵ともなりますと30代はザラです。
はっきり言ってロクに運動していませんと、20代後半から体力が歴然と落ちて
きますから、約40キロの装備を担いで毎日行軍するだけでも落伍する兵が続出
でしょう。また風紀の面ですが、妻帯者が多い「補充兵」の方が「女を知っている」
という点で、『オイタ』が多かったのも事実です。
362 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/26(金) 00:14:30 ID:wl7NMgyc
また「治安戦」テーマの最初の方でも述べましたとおり、『新編部隊』には 母体となった部隊から「劣悪な将兵」が『厄介払い』のように送り出される ことが多かったため、落ちこぼれや不良兵の集まりとなり、部隊の質低下に 拍車が掛かります。 もちろん、個々人の兵士が転属させられるケースだけでなく、ある中隊が 中隊長以下「丸ごと転属」といったケースもありますので、その辺も加味 してイメージしてください。それにしても「郷土連隊は強い」と言いますが、 このような新編部隊の場合は当然、出身地も多くの県にまたがってバラバラ となり、兵士間の「連帯意識」も低いものとなります。 映画で『硫黄島からの手紙』を観に行ったは多いと思いますが、新入りの憲兵 らしき人物が入って来た時、周りの兵隊がまず出身地の話題から共通点を探そう としたのを覚えている人は多いでしょう。あんな感じです。また現代でも伝統の ある大学なら「県人会」のようなサークルも多く残っています。特に早稲田など には、もう腐るほどありますw。47都道府県あるでしょう。
>>359 >>●「支那事変記念写真帖」●佐藤(彌)部隊●伊東部隊
まず無理w。せめて少将クラスなら、陸軍将官総覧でシラミ潰しに
探せないことも無いでしょうが、苗字だけではねえw。同姓は一杯
いるでしょう。
昭和二十四年、シナ(中国)派遣軍総司令官、岡村寧次の心中は、そこに収まりきれぬほどの 苦悩に満たされていた。 陸軍大臣は自刃、内閣総辞職、残った彼は、なんとしてでも責任をとらなければならない。どんな責任か。 大陸奥部に侵攻した十五万の軍隊、それに五十万の居留日本人をどのように帰国させるか。 このことである。 どう考えても不可能である。 そんな苦悶の極致にある岡村のところに届いた蒋介石の告文。 これは、玉音放送の一時間前に放送されたという。 『……全国の同胞はすべからく「既住を咎めず、徳を以って怨に報いる」ということが、 わが民族の最高最大の徳性であることを心得るべきである。 我々は終始一貫、ただ侵略をこととする日本軍閥のみを敵と見做し、 日本の人民を敵としない旨を説明してきた。……』 これは、重慶で中国人向けの放送を傍受したものの一節であった。 これに対し共産党は黙っていなかった。 中国の偉人の一人である周恩来が、のちに、蒋介石の告文に真っ向から反発し述べた言葉。 『日本軍が中国に与えた損害の賠償として五百億ドルを要求すると共に日本国内の鉱工業施設を すべて接収、大陸に移すべきである。同時に中国に残留する日本軍人及び一般人二百万人はその まま抑留し、中国が戦争以前の姿に復旧するまで労務使役すべきである』 中国人としては、当然の考え方である。 ちなみにソヴィエトは、宣戦布告すらせずに軍隊を侵攻させて日本の北方領土を占領、日本人多数 を抑留、強制労働に処した。 蒋介石の告文で岡村寧次は敗北をまざまざと実感し、その蒋介石の尽力で多数の日本人が無事脱出 することとなる。 蒋介石の精神を忠実に実施して日本軍民の引き上げ処理に力を尽くした何応欽将軍は、共産党から 「売国奴」「漢奸」と呼ばれ、何度も生命の危機に見舞われたと伝えられる。
コピペ厨ウザ
366 :
名無し三等兵 :2007/01/27(土) 14:42:13 ID:QjgvQMx/
× ウザ 〇 煩い
え〜と、日本のアジア進出は(太平洋戦争時)あきらかに解放の名をかたった建て前でしたね。 それについては以前述べました。 また、シンガポール等を昭南島なんて日本名に変えましたし(他の地域にも日本名に変えたり、用意してました) 多くの虐殺もしましたね。 捕虜も殺したし現地人や捕虜(捕虜使役は戦時国際法上認められてない・戦時国際法を遵守しまくった明治政府 が見たら、裸足で逃げ出しますね)を使い無理な開発(鉄道や鉱山開発等)をして、恨み買いましたしね。 どうにも言い訳の仕様がくらい。 で、満州事変以来、日本は行き当たりばったり式の政策を取り続けましたが(依然書きました)中央政府の意向 も軍部に通らず、軍部(主に陸軍)の意向も現地軍に通らず、現地軍の意向は各参謀によって勝手に変わる。 という具合にみんな好き勝手にやってた時代で、まともな政策なんて夢のまた夢みたいなものでしたね。 で、気がついたらアメリカやイギリスと戦ってた。 両国の国情をほとんど調べてないのに〜って感じで (実際海軍も陸軍も調査機関員が少ない、陸軍なんか十四・五人くらいですよメンバーが、しかも欧米課ですから、 アメリカだけじゃないんです。海軍は他にも調査機関はもってたけど、調べてるのは主力戦力ばっかりですしね。 対するアメリカは、戦前にも民間人含め人数多いし、開戦後は一万人以上が日本調査機関に振り向けます。 ただしアメリカの方針は対ドイツなので、ドイツ向けの調査・研究機関員の方がもっと多い) で、案の定というか完敗しました。 だいたいアメリカは軍需品生産を昭和18年(1943年)をピークに翌年から落としてます。 もうこの時点で戦争(対日本・ドイツ)のケリはついたと思ってるんですよね〜。
368 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/27(土) 23:45:26 ID:GCawk4hW
>>362 の続き。>>北支那方面軍は徐々にその力を弱めていく事になります。
また、南方戦線に転用されて穴埋めに新たな部隊が新編されたり、警備地を
離れて大規模な作戦に参加(交代)したり、あるいは警備地そのものを縮小
して部隊配置を整理したり……。
こうした異動が頻繁に行なわれるようになると当然、警備部隊が現地の情勢に
ついて疎くなります。また担当地区住民との「人間関係」も希薄になるでしょう。
住民側としても、顔見知りの慣れ親しんだ部隊(中隊長・小隊長)がいた方が
色んな点で有利なため、今現在、警備を担当している部隊の「移駐」が村落で
噂に流れただけでも――たとえ代わりの部隊が来ることが分かっていても――
そのまま現在の部隊が駐留を続けることを強く訴える例がザラにあります。
369 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/28(日) 00:07:13 ID:vBSMOrDy
そして部隊の「引き抜き」もさることながら、太平洋の戦況が悪化するに 従って、北支那方面軍の「兵器や装備」が貧弱なものとなっていきます。 言うまでもなく、支那戦線に回せる余裕が無くなってくるからです。 国府軍の正規部隊と対峙していた「中支」ではともかく、北支那方面軍は 「治安任務」が主体ですから、余計に優先順位が低くなる訳です。 もちろん戦闘力が落ちる訳ですが、一例を挙げますと、洛陽に駐屯していた 第110師団に所属する第139連隊(姫路)は1500名の兵員を抱えて いました。ところが、損傷・磨耗した小銃の補充を1944年を通じて僅か 10挺しか受け取らなかったという回想があります(『姫路歩兵第百39連隊 史余聞』)。 その他の装備は推して知るべしでしょうw。
370 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/28(日) 00:30:09 ID:vBSMOrDy
>>361 >>◎部隊の改編や補充が行なわれるたびに補充兵の比率が
>>『増加』していった
補足になりますが、山西省の「第1軍」の例を挙げてみましょう。内地
から補充されてきた兵員は10人の内4人が直ぐに入院しなければなら
ないような『虚弱体質』だったと言います。
これはどういうことかと言いますと、要するに日本内地から山西省までの
移動に体力が耐えられない訳です。簡単に補充兵と云いますが、「どこでも
ドア」はないですからw、船や鉄道(時には自動車)を経由するにしても、
基本的に自分の足で歩かなければなりません。
これでもイメージが付かないという人は、明朝から山西省に逝って考えて下さいw。
ようやく所属部隊に辿りついたと思ったら、直ぐに作戦行動(行軍)が始まると
いうのが「一番悲惨」なパターンですw。落伍続出です。
371 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/28(日) 01:01:13 ID:vBSMOrDy
兵役は言うまでも無く、「甲種・第一乙種・第二乙種……」と来る訳で、 1942年までは甲種のみが『現役』で、それ以外は予備役だったのが 1943年からは「第一乙種」も現役に編入されるようになりました。 現役以外の兵役(予備役・補充兵役<乙種>)にある者を召集する令状が 赤色だったため、いわゆる「赤紙」と言う訳ですが、太平洋戦争の末期は 「第三乙種」の一部も召集されます(第三乙種は、戦時中に設置)。 第1軍の部隊の回想ですと「三八式歩兵銃と背丈が同じくらいで、竹の 水筒を下げた補充兵が増えて、現地召集の老年兵で満たされていった」 とあります。 三八式歩兵銃の全長は「127.6センチ」ですから、さすがに話がオーバー だと思いますがw、竹の水筒云々はそこまで来ると支那兵と大差なくなって くるでしょう。
372 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/28(日) 01:30:09 ID:vBSMOrDy
また体力の低さは「訓練不足」にも響いてきます。八路軍の将校が 「戦争の始まった頃は、日本軍に追いかけられると300メートルまで 追いつかれれば確実に殺られてしまった。しかしこの頃では、100 メートルでぶらぶら逃げていても、めったに当たらないから平気だ」 と陳述して、日本軍将校も多少の誇張はあっても大体事実だと認めています。 第1軍は1941年頃までは、甲編成の第36師団(弘前)・第37師団(熊本)・ 第41師団(宇都宮)の他に乙編成師団1、独立混成旅団3を加えて総兵力9万を 誇っていましたが、敗戦末期になると第114師団があるだけで、独立混成旅団1、 独立歩兵旅団2、独立警備隊1、総兵力6万と「がた落ち」になっています。 しかも、第114師団は「独立歩兵大隊」形式で、旅団の下に連隊が無く、師団 工兵隊や師団輜重隊はあっても、いわゆる固有ナンバーを持った「砲兵連隊」や 「工兵連隊」も保有していません。いや、砲兵は「師団砲兵隊」すらありませんw。
373 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/28(日) 01:37:09 ID:vBSMOrDy
まあ、話が長くなりましたが、何が言いたかったと云うと、 ●体力の弱体化、●訓練の不足、●兵器、特に重火器の減少 は、表面上の「兵員数の減少」以上に、北支那方面軍の戦闘能力を 弱めていったという事です。 日本軍としては戦争初期の「圧倒的戦力」を誇った『無敵皇軍』の 威容を保とうとしましたが(表面上でも)、実力低下は避けられず、 中共軍が「百団大戦」の壊滅から立ち直ってくるのと時期を同じく して、北支の治安が悪化していくこととなります。
ちなみに「4代目スレ」で全師団のまとめに近いことをやっていますが、 そこから転用しますと以下の通り。第1軍に唯一残った第114師団とは ●110番ナンバー師団=南方転用部隊の穴埋めのため編成 ほとんど全てが満州・華北で編成されています。これは1944年後半、 フィリピンなどの南方、あるいは宮古島に転用されていった部隊の穴埋めに 編成されたものです。お決まりの如く、残留部隊と独立歩兵旅団が基幹と なっています。 みたいな感じですw。
>>367 いきなり「前述したように」なんて言い出すもんだから吹いちゃったよw
>>363 そうですか分かりませんか。
ところで古本屋で
歩兵第三十四連隊史
蒋介石秘録全巻
を発見したんですが、日中戦争を勉強したいなら買った方が良いですかね?
378 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/28(日) 22:11:25 ID:Mi+AUCYW
>>376 まあいずれ、このスレの『参考文献』の話もするでしょうから、軽くレス
しておきます。結論から言うと、その2点とも未読なので何とも判断できません。
●歩兵第三十四連隊史 ●蒋介石秘録全巻
ただ、歩兵第34連隊(静岡)は第3師団(名古屋)に所属し、3Dは上海決戦
以降、ずっと支那戦線で戦った古豪部隊です。このスレでも上海戦はかなり詳しく
取り上げていますが、初期上陸部隊の(悲惨な)模様をつかめる資料が世にあまり
なく、その意味でも「歩兵第34連隊史」は貴重な資料と言えるのではないでしょうか。
確か、過去スレでも「歩兵第34連隊史」をどこかの図書館か何かで調べたという
御仁が登場していたと思います。ちなみに、このスレの推薦図書の1つでもある
『オ父サンノセンサウ―小長井少佐・日中戦争陣中日誌』(小長井信政著、西田書店)
は、そのものズバリ、歩兵第34連隊(静岡)のお話です。
379 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/28(日) 22:22:28 ID:Mi+AUCYW
>>376 >>日中戦争を勉強したいなら買った方が良いですかね?
他の有力部隊がどんどん支那戦線から引き抜かれて逝くにも関わらず、
最期まで中国で戦いを続けたのは第3師団のみです。まあ、あとは
第13師団(仙台)ぐらいですか(軍縮で廃止:支那事変勃発後に復活)。
その意味でも、「日中戦争を勉強したいなら買った方が良いですかね?」
の問いに対する答えは、「YES」としか言いようがありません。ただ、
お値段にもよりますよね?
古本の相場を知りたいなら、「日本の古本屋」で検索を掛けるのが一番
手っ取り早い方法です。いま少し調べましたら、6千円から2万円まで
バラバラです。本の状態にも左右されるでしょうが、一番多いのは6千円〜
8千円ですか。まあ、戦史叢書1〜2冊分です。
380 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/28(日) 22:38:42 ID:Mi+AUCYW
『蒋介石秘録』は1冊500円〜1千円前後。15冊全巻揃いで6千円〜
1万5千円といったところでしょうか。
>>376 >>日中戦争を勉強したいなら買った方が良いですかね?
ただし、どちらも「入門者レベル」では全然ありませんよねw。初心者に
お勧めするなら、『日本と中国はなぜ戦ったのか』(益井康一著、光人社)
がピカイチです。基本ということで「ストライクガンダム」に相当します。
あとは『わかりやすい日中戦争』(三野正洋著、光人社)、『図説 日中戦争』
(太平洋戦争研究会、ふくろうの本)、『日中戦争がよくわかる本』(太平洋
戦争研究会、PHP文庫)が一長一短はありますが、まあ次候補です。
蒋介石関係なら、15冊も読むよりは『蒋介石―マクロヒストリー史観から
読む蒋介石日記』(黄仁宇著、東方書店)の方がお手軽でしょう。それでも
463ページで、まともに読むなら1〜2ヵ月は掛かるでしょうw。
r,ヘ──-ヘ_ rγー=ー=ノ)yン´ `i Lノノハノ」_〉 |l |i| ゚ ヮ゚ノi| 自分のレベル以上の本を無理やり読もう !γリi.ハiリつ としても、ロクな事にならないわ。物には |,( ll」i l i_|」 順序というものがあるの。せいぜい本棚の └'i,_ィ_ァ┘ 肥やし、資金のムダにしないことね。
>>372 治安維持の討伐戦主体だったらわざわざ師団規模で砲兵隊を統一運用するような作戦はあんまやらんでしょ。
戦術単位の歩兵大隊にそれぞれ山砲を配属した方がコンパクトで火力の使い勝手がいい。
>>381 r,ヘ──-ヘ_
rγー=ー=ノ)yン´
`i Lノノハノ」_〉
|l |i| ゚ ヮ゚ノi| 前作より明らかに質が落ちているわ。
!γリi.ハiリつ こんなのに時間を割いているなら、早く
|,( ll」i l i_|」 新作を出しなさいというの。もちろん
└'i,_ィ_ァ┘ 魔理沙と組むのは、今度こそ私よw。最近は
音楽CDも粗製乱造の気がするし、こんな
調子では『東方』のジャンル自体がますます凋落しそうで、大いに危惧するわ。
出版社なんて「喰い散らすだけ喰い散らかして終わり」なんだから、安易な
商売根性に付き合わないことね。「もうツマンナイ」と飽きられたら終わり
なのよw。ただし、前作の『東方文花帖』は買い。
385 :
動かない大図書館 パチュリー・ノーレッジ ◆FU/OcfTlfM :2007/01/28(日) 23:23:49 ID:Mi+AUCYW
>>383 >>戦術単位の歩兵大隊にそれぞれ山砲を配属した方がコンパクトで
>>火力の使い勝手がいい。
r,ヘ──-ヘ_
rγー=ー=ノ)yン´
`i Lノノハノ」_〉
|l |i| ゚ ヮ゚ノi| 実勢を考えればあなたの言うとおりだけど、
!γリi.ハiリつ エライ人にはそれが分からんのですよw。
|,( ll」i l i_|」 甲編成を思い浮かべると、率いる人から
└'i,_ィ_ァ┘ すれば、相当見劣りするんじゃないの?
386 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/28(日) 23:42:22 ID:Mi+AUCYW
>>374 の続き。>>北支那方面軍は徐々にその力を弱めていく事になります。
ここで経済的な面に触れると、日本軍が農村地区から後退しはじめて県城などの
都市部に「警備の重点」を移したことが挙げられます。ところが当時の支那は、
言うまでもなく『前近代の農村社会』であり、都市の経済は農村の生産活動に
依存するところが非常に大でした。
すなわち、中共軍の農村支配が「軍事的」のみならず「経済的」な部分にまで
及ぶようになると、物が都市に入って来なくなります。イコール、日本軍が占領
する「治安地区」で流通している『儲備券』や『軍票』などの通貨が価値を失って
いくことになります。
要するにアレです。以前は、日本軍が物資の移動を規制して「経済的圧迫」を
八路軍に対して加えていたのが、今度は「中共から経済的圧迫を加えられる」
立場に逆転してしまった訳ですw。
387 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/28(日) 23:54:36 ID:Mi+AUCYW
>>386 >>今度は「中共から経済的圧迫を加えられる」立場に逆転
これも正確ではないでしょう。「経済的圧迫」を加えるのは日本軍も
中共軍もお互い様です。ただし、いざとなればモノの生産地を豊富に
押さえている方が強い訳です。所詮、カネは信用に基づく紙切れですし、
八路軍も当然のことながら独自の通貨を流通させています。
要するに、通貨には裏付けとなる「モノ」なり「信用」が必要な訳ですw。
その結果、日本軍の「治安地区」内の自治政府は、実質的な租税収入の低下を
補うべく、「農産物の強制収集」という手段に訴えるところが出てきました。
今までに『三光作戦』で「槍光(そうこう)奪い尽す」などを述べてきましたが、
あくまで総力戦を前提とした、八路軍支配の「未治安地区」での作戦です。しかし、
ここにおいて「治安地区」でも徴税の強化という形で似たような影響が出てきます。
中日戦争と呼べ この小日本人ども
389 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/29(月) 00:01:27 ID:yIbuMQ2B
もちろん、これが住民の反感を招くことは言うまでも無く、結果は、 ●共産党支配(未治安)地区の拡大→●「治安地区」の課税対象の縮小→ ●徴税の強化→●住民の反感→●共産党支配(未治安)地区の拡大→…… とデフレスパイラルに似たような感じです。まあ、この一事に限らず、 物事はすべて「ある分水嶺」を越えると、加速度的に状況が進行します。 良化であれ、悪化であれ、同様です。 ある一定点から、金持ちは加速度的により金持ちに、貧乏人は加速度的に より貧乏に…な感じですw。
390 :
名無し三等兵 :2007/01/29(月) 20:20:07 ID:J0HFFvB+
ジョルジュ・バタイユによって紹介され有名になった、「凌遅処死」(一寸刻みの刑)の写真(1905年)では、刑吏の周りを群衆が取り巻いている。これは、切り取られる肉を求めているのである。
北京郊外で斬首された罪人から噴出した鮮血を浸した饅頭は「血饅頭」と呼ばれ市販されていた。
魯迅の小説「薬」はもっぱらこれをテーマにしたものだ。
「狂人日記」のテーマも食人である。
日本の知識人は「狂人日記」を“陰喩”だと思いたいようだが、そうではない。
単なる事実なのだ。
呉虞の「喫人と礼教」は中国の仁義道徳(儒教)から生まれた食人の史実を論証した。
周作人(魯迅の実弟)も「吃烈士」の一文で、中国人は昔から食人族であると糾弾した。
中華人民共和国になってから魯迅文学の階級性をめぐって「人を食う階級」か「人に食われる階級」かとの論争が展開された。
この滑稽にしてバカバカしい“食人階級論争”は中国人の思想硬直化の反映であるとともに、食人文化の問題点をそのまま示すものではないだろうか。
食人民族中国人 チャイナカニバリズム
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/china/1159587253/
391 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/29(月) 22:17:53 ID:DTGcuoQg
>>389 の続き。>>北支那方面軍は徐々にその力を弱めていく事になります。
鬱な話が続いて恐縮ですが、大事なところなのでもう少し続けます。北支那
方面軍の「弱体化」には政治的要因も挙げられます。大きなターニングポイント
となったのは1942年12月で、それまで北支那方面軍が「華北の占領地」で
有していた政務指導権限をなくし、南京の汪兆銘政権に全て移譲させられた
ことです。
太平洋戦争が始まると、「日本の戦争努力は欧米植民地からのアジア解放である」
ことが大義名分として掲げられました。支那戦線でも同様に、日本軍の占領地に
おいて広範な自治が行なわれていることを、内外・敵味方に印象づけるために
決定された訳です。まあ、広報活動であり「宣伝戦」の一環でもあります。
陸軍中央としては、北支那方面軍(ひいては支那派遣軍全体)に軍事作戦に
専念させようという意図もあったのですが、『治安(対ゲリラ)戦』という
観点からは完全に裏目に出ました。
392 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/29(月) 22:40:09 ID:DTGcuoQg
>>342 を参照。>>汪兆銘政権でもはっきり言って、日本が『軍政』を
>>布いていた時の方がよほど効率が良かったのは事実でしょう。
結果は、北支那方面軍は以前のように、軍事作戦と政治的な『宣撫工作』を
連携・調和(リンク)させることが不可能となり、もはや武力の行使一本槍
を余儀なくされたのです。
北支那方面軍の参謀・山崎重三郎中佐は、北支那方面軍の「片腕」を奪うような
この措置について、以下のように反論しています。注目に値するでしょう。
「新方針の趣旨は『理想』としてよく分かる。また新政権(汪兆銘)の政治力
強化は、現地軍(北支那方面軍)も従来から極力推進してきた。しかし現地の
兵団は、中共党軍の活発な政治的遊撃戦と日夜取り組んでおり、もし軍が一時、
一歩でも『純軍事面の領域』に後退し手を引くなら、政治工作に巧妙な中共党軍
の蠢動激化は明らかである」
393 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/29(月) 22:51:21 ID:DTGcuoQg
●山崎重三郎中佐の反論(続き)
「また大東亜省・現地機構、特にその末端機能ははなはだ不備であり、
軍の現地自活はもちろん、民政の向上、重要物資の開発取得など、
経済施策の実施には依然として『軍の積極的努力が必要』ではないか」
とこう来る訳です。ちなみに大東亜省とは、日本が大東亜戦争(日中戦争
プラス太平洋戦争)で占領した地域を統治するために置かれた省であり、
その設置には外務省との大喧嘩がありました。結局、
>>342 で述べたように、
>>汪兆銘政権でもはっきり言って、日本が『軍政』を布いていた時の方が
>>よほど効率が良かったのは事実でしょう。
が実際な訳で、北支那方面軍は片手を縛られて、八路軍の政治工作に対抗
するのが困難になって逝きますw。
394 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/29(月) 23:02:05 ID:DTGcuoQg
この措置は、先に述べたように「北支那方面軍」に限ったものではなく 支那派遣軍全体に及ぶものです。当時の総司令官は畑俊六・大将ですが、 総参謀長の後宮淳・中将からの報告を聞いて、 ●「最後に残りたる一策にして成否はすこぶる疑わしきも、御前会議にて 決定せられたる以上、我らはこれを遵奉す」 ●「南方の情勢は依然楽観を許さず、今後支那派遣軍としては更に 兵力、資源を提供せざるべからざるべし」 に苦汁の全てが表されていると言ってよいでしょう。
395 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/29(月) 23:33:06 ID:DTGcuoQg
>>389 の続き。>>北支那方面軍は徐々にその力を弱めていく事になります。
最後にもう1点です。「北支の治安戦」において大きなマイナスとなったのは
北支那方面軍が、劣勢だった国民党軍と何らかの協定を結べなかったことです。
言うまでも無く、国民党軍と中共軍は相克の関係にあり、抗日戦争中とはいえ
あからさまな軍事衝突(新四軍事件など)は珍しくなかった訳です。北支に
おいて日本軍と中共軍の双方に圧迫されていた国民党軍とは、暗黙の協定を
結んで、八路軍を共同で攻撃するとまではいかなくても、少なくとも互いに
攻撃し合わない程度は可能だったでしょう。
まあ、山西省での第1軍と閻錫山(対伯工作)との停戦協定(兵力温存)
という大きな例外もありますが、八路軍の脅威を考えるならば、今ひとつ
徹底できていなかったというのが事実です。
396 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/29(月) 23:49:26 ID:DTGcuoQg
それでも北支那方面軍が「国民党軍の扱い」を考慮していたのも事実です。 1942年の関係文書には、国府軍の支配地区に対する『経済封鎖』に 触れて●「やらぬ、とらず」の方針の下に行なうとするなど、八路軍の 「未治安地区」に対する『三光作戦』に比べれば、遥かに温い扱いと なっています。 また、国民党軍側でも同じ様なことを考える人間はいまして、1942年秋、 北支那方面軍に所属する第37師団(熊本)の第227連隊(鹿児島)長の 皆藤喜代志大佐のもとに、蒋介石直系の中央軍系にあたる歩兵団(連隊)長 から1通の書簡を受け取ります。 そこには、●「自分は八路軍対策のためにやって来たので、攻撃をしないでくれ」 と一時的な停戦(プラス中共軍への攻撃)を暗に匂わせる要請が記されていました。 現場レベルとしては、現実的な持ちかけでしたが、より上層部の採用するところ とはなりませんでした。
397 :
えICBM :2007/01/30(火) 00:00:48 ID:???
皇軍はすれてなかったんだね。
398 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/30(火) 00:07:43 ID:DTGcuoQg
これは「支那事変」勃発以来、長らく「重慶政府の覆滅」こそが至上命題と されており、現場レベルでは全然OK、むしろ望むところな国府軍からの 申し出であっても、支那派遣軍総司令部や、内地の参謀本部が真剣に検討 するところでは無かった訳です。 同じ様な理屈で、先に述べた「中原会戦」のように、先に国府軍を殲滅して から中共軍をやっつけるという方針で大勝利を収めたはいいが、結局、中共の 支配地区の拡大を助けてしまった、というのにも通じます。 また国府軍にとっても、連合軍の正式な一員という立場がありますから、いくら 中共こそが『真の脅威』と分かってはいても、大っぴらに日本軍と協定を結ぶ訳 にはいきません。1943年11月のカイロ宣言では、「日本の無条件降伏を 目指す」と謳っています。 まあ、北支の日本軍も国民党軍も「対八路軍」という共通の目的があったにも 関わらず、お互いの立場から柔軟な政策を取ることが出来ず、結局は中共に 『漁夫の利』を占めさせる結果となりました。
399 :
名無し三等兵 :2007/01/30(火) 02:12:50 ID:gVekncHM
そりゃ頭が支那人化しとる! 軍閥軍ぢゃあるまいし、軍隊は徴税できないし、しない。 南京政権のことだらう。
キモ
401 :
名無し三等兵 :2007/01/30(火) 15:22:13 ID:gVekncHM
こいついつでも胆のひとことだけだな胆いなw
>>400 先ず鏡を見ろ
それから「キモ」と言えw
403 :
名無し三等兵 :2007/01/30(火) 20:27:20 ID:gVekncHM
日本陸軍の靜岡歩兵第三十四聯隊は其儘陸上自衞隊第三十四普通科聯隊に 横滑りしましたが、これは例外で通常原番號を繼承してゐません 熊本の陸自第八師團長が地元の行事で挨拶したら 「遠い所からようこそ」 と言はれた由、師團長塚本政登志將軍自ら語つてゐた 第八師團と聞けば誰でも名古屋だと思ふ 師團、聯隊番號は郷土部隊の傳統を繼承すべし 地元の愛着も將兵の士氣も違ふ
大阪三十七聯隊もいまだ大阪に駐屯してをるぞ
キモ
,-へ, , ヘ ,ヽ_,_i=/__,」 ,' `ー' ヽ i <〈」iノハル.!〉 i L>゚ ー ゚ノiゝ キモ i>i ir^i `T´i'i | .i>i !>^ `''´'iイ| i.ル'ヽr_rr_r'レ'
キモ
,. -- 、 ,ヘ,´,.、 , ヽヘ ^Y ルレハ)ノリ^ /イリ;゚ ヮ゚ノi ここまでで「治安戦」テーマの4分の3が終了です。 ,へk_〉`λiつ 2月中にはフィナーレになるかな……こあこあw。 ⌒く_ノ/`i´lj⌒ 本編が済んでも「補論」がまた長引きそうです。 ゙'ーi_'ォ_ァ" 次は『重慶侵攻作戦(五号作戦)』です。
409 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/30(火) 23:01:13 ID:bViDsakL
>>398 の続き。>>北支那方面軍は徐々にその力を弱めていく事になります。
長くなりましたが、上記のような理由で「北支那方面軍」は弱体化したことに
なります。北支において日本軍側が『不利』になり始めたのが具体的に何時か?
その「ポイント・オブ・ノーリターン」を特定するのは難しいですが、1943年
前半の段階で、内地の参謀本部が「北支の警備地区」を縮小する必要性がある
ことを指摘しているのは注目に値します。
具体的には1943年3月2日、参謀次長・田辺盛武中将が、支那派遣軍総参謀長
河辺正三中将に、重要都市・主要な資源地帯・交通線周辺の安定を図るためには、
他の地域における『一時的な安定度の低下』は止むを得ない、と示唆しています。
その一方、支那側の視点では、上記の少し後から日本軍との形勢が逆転し始めた
と認識しています。『抗日戦争的八年』には、1943年6月に日本軍が一部の
警備地区から撤退し始めた翌7月には、中共側の反撃攻勢が始まったとされます。
この時期は、いわゆる個人の戦記をみていてもほぼ一致します。
410 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/30(火) 23:19:14 ID:bViDsakL
まあ、時期的には「アッツ島が玉砕」した頃ですかね。
>>409 >>内地の参謀本部が「北支の警備地区」を縮小する必要性を指摘
参考までにもう少し詳しく取り上げてみましょう。要約すると以下の通り。
「軍が現に実施している『高度分散配置』は今のところ安定しているが、
これは現地の実情と従来の経緯などのやむを得ざる理由で出来たもの
である。可能な限り、前述(汪兆銘側:支那軍及び警察に関する事項)の
施策によって支那側の積極的活動を促進して、(日本)軍の負担を軽減
して、逐次に兵力を集結させ、軍の弾撥力を増強することに努めるべき
である」
非常に読みにくいと思いますが、これは昔の文章の特徴で句点「。」が極端に
少ない訳です。上の文章も本当は句点が全く無く、1つの文章に繋がっている
のを無理やり分けていますw。
411 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/30(火) 23:39:09 ID:bViDsakL
まあ、最後の方の、『逐次に兵力を集結させ、軍の弾撥力を増強』という ところがポイントな訳です。つまり「警備地区の縮小」を意味しています。 弾撥力については、例えば「高度分散配置」で分遣隊があちこちに散らばって いると、万一の際に、中隊が直ぐに動かせる兵力が2〜30人程度しかない なんてのはザラです。よって警備地区を整理して兵力を集結することで、 部隊の即応力を高めるのが「弾撥力を増強」の意味するところです。 まあ、勘ぐって言いますと、10数人の小規模な分遣隊(堡塁)では最早 危険な状態(不測の場合、救援が間に合わず全滅)になってきたとも言えます。 日本軍が抜けた穴を、占領地における支那側の保安隊(汪兆銘政府側)などに 埋めさせようというのが、『支那側の積極的活動を促進して』ですが、 期待するだけムダというものです。当然のことながら、八路軍の更なる 跳梁跋扈を招くことになりますw。
412 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/30(火) 23:59:01 ID:bViDsakL
田辺参謀次長の示唆は、こう続きます。 「重要都市、主要なる資源要域、交通線周辺の安定を図られたし。 そのために他の地域における一時的な『安定度低下』はやむを 得ないものがある。 ただし、この実行を急ぐ余り、現地の実情を無視して画一的な判断、 あるいは功を急いで過早に兵力を撤収するなど、無用の混乱を惹起し 将来に禍根を残すことは戒めるべきである。適切に現地の実情に即応 する方法で、速やかにその実効をあげることに着意するよう」 まあ「警備地区」の縮小・整理を急がなければならないが、そのために 問題を起こしてはならない、という趣旨です。矛盾するようですが、 上からの命令とはこんなものです。民間でも、「店舗を整理しても 全体の売上げは落とすな」、あるいは「人員を削減しても、全体の 仕事量は減らすな」とか、色々あるでしょうw。
夜間の日本軍の鉄路に置石をするカンタンなお仕事です 昼間の鉄路撤去などの高時給のお仕事もご紹介いたします 村の友人同士での参加も大丈夫 安心の高待遇で 旧正月のオカネもホクホクです 勤務地は山西省となります 無料送迎馬車で安心です 山西省以外にも色々勤務地があるからたずねてね♪ さぁみんなで楽しくガッポリ稼ごう♪
414 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/01/31(水) 23:59:50 ID:fc1armcf
>>412 の続き。ざっくばらんに言えば、1943年6月から日本軍は「北支の
治安戦」において守勢に回った訳ですが、これ以上の悪化を防ぐため、遅まき
ながら日本軍は『対ゲリラ専門部隊』の創設に取りかかります。
これが1943年9月に設立された『北支那特別警備隊』(いわゆる「北特警」)で
簡単に言えば、北支憲兵隊の「特高関係者」に戦闘部隊を組み合わせたものです。
しかし、北特警の片方の構成者である憲兵が「戦闘経験」を欠く一方で、一般の
戦闘部隊は「対ゲリラ」の非正規戦に不慣れで、両者を組み合わせても効果的な
中共対策を展開することができなかった、というのが実情です。
何より先に述べたように、北支那方面軍から「政治活動」を行なう権限を取り上げ
られたことが、「北特警」の活動範囲を同じように著しく狭める結果となり、結局
都市部でしか目立った戦果を挙げることができませんでした。
415 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/01(木) 00:15:47 ID:dior+xOW
まあ、横道に外れるとキリが無いので「北特警」の話は、北支那方面軍 参謀・山崎重三郎中佐の回想をまとめるに留めて置きましょう。 要約すると、以下の通り。 「北特警はその任務から見ても、あくまで『一般部隊』であって、情報部隊、 諜報機関、秘密工作隊というような物ではない。作戦任務が付与されている。 任務達成の手段をみて目的と誤解している人が案外多い。北特警は中共の 秘密組織を偵諜する能力が勝れている。精密な情報を収集する熟練度が一般 兵団に比べて高い。しかし、将兵の素質、科学器材の装備状況を見ても分かる ように、いわゆる『秘密警察』というほど高度の技術は持っていない。 また北特警は『軽装備部隊』である。しかし当時の劣等装備の中共軍相手の 遊撃戦ならば、これを破砕する能力がある。
盧溝橋事件が無かったら沢村は育たなかった
417 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/01(木) 00:25:30 ID:dior+xOW
なお『憲兵兵団』と呼ぶ者もあるが、憲兵は基幹要員になっているけれども その数は少ない。編成当時は大隊長の全員、中隊長の80%、小隊長の50%、 下士官兵の9%が憲兵だった」 (*1944年6月の改編で大隊長は半数、中隊長は40%、小隊長は25%、 下士官兵は4%と、ほぼ半減しています) まあ、ひと言述べるならば「北特警」は、いわゆる「憲兵の領分」を侵すもので したので「参謀部と憲兵科将校」の間で、ひと悶着もふた悶着もあった訳です。
418 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/01(木) 00:33:48 ID:dior+xOW
徒然なるままに、その一部を「書き出す」と以下の通りw。 ●参謀部の反対意見では、このような「特殊部隊(北特警)」を創設する のではなく、一般兵団の偵察能力を高めるか、警察部隊の武力増強に 努めたほうが良い。 ●一般兵団こそ、担当地域の安定確保(対ゲリラ戦)の基本任務を有する。 これに特殊部隊(北特警)を重複配備すれば、各兵団との摩擦を生じ、 作戦討伐との調整を困難にする。 ●憲兵の名による弾圧・恐怖が民心に与える影響の危惧。 ●憲兵将校の「戦闘指揮・未経験」に対する不安。 ●正規の軍隊を『秘密戦』に従事させることは建軍の本義にもとる…などw。
419 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/01(木) 00:40:46 ID:dior+xOW
逆に「憲兵科将校」の反対意見としては、 ●憲兵隊の解体につながり納得できない ●憲兵隊に必要な戦闘部隊を配属するほうが良い ●どうせなら『憲兵師団』を創設するべきだ まあ、この辺は、官僚の「縄張り意識」のようなものがありますw。 しかし、それでも賛成意見としては ●南方戦線への(支那戦線からの)兵力引き抜きのため、やむを得ない 緊急の措置である。 ●現在、各地域の「治安状況」が著しく異なり、広大な北支全体を一律に 統制することが困難になりつつある。特別保安隊(北特警)を各地の実情 に応じて分割配置、または重点地域に集中配備することで、北支那方面軍 として柔軟な対応ができる。
420 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/01(木) 00:53:45 ID:dior+xOW
●治安維持について高度な技術をもつ「憲兵隊」を一箇所に釘付けに するのは不経済な用法である。 ●偵察・諜報・遊撃の能力が低い、一般兵団が『特務戦』を実施するのは 現実的に困難である。 といったものでした。先も述べたように、前身の北支憲兵隊の上級幹部は 強く反対しますが、司令官の三浦三郎少将が了承し、北支那方面軍参謀部 第二課(情報)が「北特警」の創設を強く推し、最終的には岡村寧次・ 北支那方面軍司令官(大将)が賛成に回ったため、「北特警」は結局 創設されることになりました。
421 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/01(木) 23:56:21 ID:LXAM2Osj
だんだん『深刻な話』になって来ましたが1943年以降、時間が経過するに 従って、日本軍は「討伐作戦」に投入する『最低兵力』を増やさざるを得なく なりました。 例えば、1942年末に山東半島で行なわれた「第三次魯東作戦」(別名・と号 作戦)では、討伐隊の「最小単位」が1個中隊の約半分である109名でした。 それが前述の「北特警」の1944年半ばから1945年初頭にかけての報告書 では、酷いところでは『敵地区内における日本軍の行動は、2個中隊を最低とす』 と悪化してしまう訳です。 一般兵士の個々の戦記を読んでいましても、太平洋戦争が始まった頃は小隊や 中隊単位の規模で「討伐作戦」の用は足りましたが、中共軍の勢力が拡大すると 大隊、連隊、そして最後には旅団単位の部隊が必要になったのです。 (第64師団<補充地:広島>:『大東亜戦争第64師団戦史』独立歩兵第131 大隊戦友会著)
422 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/02(金) 00:14:41 ID:4niwRV/6
もはや1944年になると、太平洋での戦況と同じくして、北支でも 日本軍の劣勢は明らかとなります。1944年、北京にあった華北事情 案内所という機関から発行された小冊子『決戦華北の相貌』には、 ●「現下華北最大の悩みというべき反共戦線が容易に縮小しない」と 率直に記されており、更に●「滅共運動は半永久的」に続くとまで 『悲観論』が前面的に押し出されています。 さらに状況が悪化すると作戦面でも日本軍は大きな圧迫を受けるように なりました。その結果が、北支那方面軍の「警備地域」の縮小です。これは 自分から戦線を整理したというだけでなく、八路軍から追い立てられる ような形で『撤退』を余儀なくされたケースも多くあります。
423 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/02(金) 00:28:24 ID:4niwRV/6
例えば、1944年8月に山東半島では、青島と芝罘を結ぶ大動脈の 幹線道路、いわゆる「青煙道路」が破壊される事件が起こります。 他にも「芝罘―龍口間」「栄城―威海衛間」「威海衛―文登間」 「塞里―大辛店間」など、山東半島の主要都市を結ぶ道路が一斉に やられた訳です。 中共軍が沿線の支那住民・数万人を動員して、幅数メートルはあった 自動車道路を人間が通るのがやっとの程度にまでメチャクチャに破壊 してしまったのです。前日まで定期トラックが走っていたにも関わらず、 一夜明けたらこの有様です。 ちょっとやそっとの住民を徴発して修復できるような生易しい破壊では なく、日本軍の兵力も少なくなっていたので最早お手上げ状態でした。
424 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/02(金) 00:46:04 ID:4niwRV/6
「道路の破壊ぐらいで」と思うかもしれませんが、高度分散配置だった 北支の日本軍にとって交通線の破壊は致命的です。討伐にも最低兵力で 2個中隊は必要とされるような悪化した治安状況ではなお更です。 自動車はおろか馬でも交通が不可能となれば、高度分散配置(分遣隊)の 拠点(堡塁・トーチカ)に弾薬も糧秣も衛生材料も補給することが出来ず、 そのうち枯渇してしまいます。道路破壊以前でも、輜重部隊にまとまった 警護兵力をつけなければ抗日ゲリラに襲撃されて大損害を蒙るので、月に 1回か2回しか中隊本部から連絡が来ないところもあった訳です。 こうなると、急病人や重傷者の発生、また八路軍の襲撃を受け包囲されても 小拠点は見殺しにするしか無くなります。よって拠点の引き揚げ・撤退が 行なわれて、中隊が駐屯していたような県城やそれに次ぐ要地も続々と 放棄されることとなりました。
425 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/02(金) 00:59:59 ID:4niwRV/6
前述の山東半島のケースでは、1944年8月下旬に第一中隊が塞里を、 9月初めに第ニ中隊が文登を、11月に第三中隊が棲霞を、1945年 3月に第四中隊が大辛店をと、1つの大隊に属する4個の中隊全部が それまでの駐屯地を警備することが出来なくなって、ほとんど八路軍と 一戦を交えることなく、放棄・撤退を余儀なくされた訳です。
426 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/02(金) 01:13:01 ID:4niwRV/6
まあ、アレです。小田急線でも、京王線でも、東武東上線でも、西武池袋線でも 東横線でも、田園都市線でも、東葉高速鉄道でも、地下鉄でも何でも良いですが、 家から都心までの鉄道(足)がなくなったら、仕事を辞めざるを得なく なるのと同じ様なものです。ちょっと無理やりな喩えですがw。
その調子で鉄道板でも活躍してくれw 特に京王を中心に小田急中央線各スレに居座ってる元とか言う自称社員の糞コテ 意味の分からない経済論で通勤混雑の緩和を阻止しようとするとんでもない便意兵だ あいつを見てるとだつおの議論スタイルがまだまともに見えてくる
そのうちレゲエの宮ヤリ麿とかも現れる時代が来るさ
「乱交」 あーあ。 2006-03-19 03:35:43 やっちゃった、久々の成り行きってやつ(笑) いいんだけどね、めっちゃ楽しい夜だったけどね、 けど布団が他人のにおいなのがやだぁ〜自業自得ですが。。。 昨日のパーティーは最近マジでman eater化してて男を片っ端から 選ばず喰ってるとある友達に呆れたけど、基本は楽しかった♪ 知らない人といっぱい知り合えてよかった×A。 けど寝すぎなんだかなんだか、ハイパーです。 「性病」 やば・・・。 2006-04-04 21:15:13 バカみたい。ちょー後悔。病気うつされてたらどぉしよう・・・。 マジで神様に祈るしかないです。日本が恋しい。日本に帰りたい。。。 髪に赤メッシュ入れたんだぁ。さりげないからけっこうお気に入り。 だめだ、my life is so fucked up・・・ 「飲酒」 アルバム うちあげ〜! 発表会のうちあげでの朋ちん、けーすけ、こみきてぃ♪みんな疲れてるし 深夜だし酒入ってるしでハイテンションです(笑) 更新日 2004/04/02 11:36 ←18歳の時点での飲酒 「ドラッグ」 >私個人としては何も面白い事柄は起こってません笑。ただ毎日が淡々と >アルコール漬けで過ぎてってるだけです。もう少ししたらそれにさらに >悪いスパイスが加わるかもです。テスト前なのに勘弁してください。。。
乱交は古来からの正統日本文化です
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/ue5288/walk/rekisi_manyou.html いやあ驚きました! 古代の人々は実におおらかだったんですね
私が万葉集に興味を持った代表的な歌です
巻9ー1759
鷲の棲む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の
その津の上に 率(あども)ひて 娘子壮士(おとめおとこ)の
行き集い かがふかがひに 人妻に 我も交はらむ
我が妻に 人も言(こと)とへ この山を
うしはく神の昔より 禁(いさ)めぬわざぞ 今日のみは
めぐしもな見そ 事もとがむな
筑波山の裳羽服津の泉のほとりに、男と女が連れだって集まり、唄い踊るかがいでは、
私も他人の妻と交わろう。だから、私の妻に他の男も声をかけよ。この山を支配している
神が、昔からお許しになっていることだ。今日だけは女を監視するな、男を咎めるな
エジンバラはまーじーで、キレイ☆うん、ってか素で遊びに来なよ〜。 当分はおりますわよ笑。夏はいないけど・・・。もしかしたら8月ならいるかもだけどにゃ。 テスト一段落?いぇい☆マジみんなかまってくんないA(笑)あ、そういやタカ(ゆかこ)の お兄ちゃん去年までエジの留学来てたから興味あったら聞いてみなよ♪私はうっかり 会えなかったんだけどね↓。一ヶ月3万なんて・・・貯まる笑?外人彼氏ゲットはさほど むずかしくない・・・かと思われます笑。ってかこっちで日本人彼氏ゲットするほうが難しい笑。 handle-> つぐ 昨日ジェイっていう一番仲良い女友達と男の子たち数人でゲイクラブへ行ってきました。 ちなみにそこがゲイクラブだって私とジェイしか知りません笑。絶対教えたら殺されるからさ笑。 でもそういうとこって意外と女の子多いんだよね。ストリップとかも。私はなにげに好きです。 そういう系。一ヶ月3万ねぇ・・・どうだろ?生活費払ってもらって、しかもアルコールとか 煙草にお金かかんない人だったら平気じゃん?つまり酔いやすい、吸わない。 私はクラブとか行くと30ポンド(6千円)とか使うことあるから3万じゃ無理だけど(+_+) マジ酒にほどよく弱くなりたい笑。教職諦めなきゃならないの?教職こそ英語必要だと 思うんだけどね・・・汗。妹と文化祭はべつに大したことないから諦めてください爆。 逆に私こっちきてから妹との仲さらに良くなったよ☆マジ泊まっていいから来なよー☆冬とかさ♪ handle-> つぐ やーばーい、浮気した笑。って彼氏が日本語喋れないのをいいことにモロ公表してるけど爆。 こんなん彼氏日本人だったらサイトバレ怖くて書けねぇ。。。タイって普通そんな暑いの??? 日本はムシ暑いからイヤだ!!!お茶ですわよ♪マジやるから笑!!でも問題は私甘いもの 嫌いだからお茶のお菓子苦手。。。あんなん毎回食わされたら吐くけど笑!! エジはカラオケボックスは皆無っすよ・・・。シェフィールドとかはあるらしいけどね。 こっちはパブにたまにあるけど知らない人たちの前で歌う気にはならん。。。 handle-> つぐ
>>432 宮本常一を読むと昭和になっても夜這いや、かがいは残っていたという話になってます。
ホテルとか旅館ができちゃってレジャーが神社参拝と切り離されるようになってくると
途絶えたのかもしれない。
>>427 >>その調子で鉄道板でも活躍してくれw
鉄道のことはよく分かりませんので、「銚子電鉄支援参謀本部」の緑装薬氏に
言ってくらさいw。まあ、書泉のグランデ6Fなんて見ると、軍事と鉄道人口は
半分ぐらい重なるんでしょうけど。
436 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 00:16:52 ID:PPGA5EK8
>>423 >>青島と芝罘を結ぶ大動脈の幹線道路、いわゆる「青煙道路」が破壊される
「青煙道路」は、山東半島を南北に縦断する文字通りの『大動脈』です。また鉄道で
無理やりな例えをすると、「上越新幹線」(東京―新潟)が破壊されるようなもの
かしらん?w 新潟中越地震でも一時不通になりましたけど。
>>426 の続き。上記で述べたように、大規模な「交通線」の破壊により北支の治安を
ずっと支えてきた『高度分散配置』は維持できなくなりマヒします。日本軍は周辺の
駐屯地(分遣隊レベルではなく中隊規模においても)を次々と放棄していくことに
なる訳です。
北支那方面軍司令部でも、もはや北支の『面的支配』が困難になっていることを認め、
『点と線』すなわち「重要事業場と鉄道」の確保を最優先する方針に移っていきます。
前述の「北特警」の戦闘詳報によれば、1943年後半から中共軍が日本の「治安地区」
にも浸透して来ており、「治安地区」を広げていくという当初の北支那方面軍の計画
とは全く逆になってしまいました。
437 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 00:28:59 ID:PPGA5EK8
>>436 >>もはや北支の『面的支配』が困難になっていることを認め、
1944年11月1日に新しく北支那方面軍参謀長に着任した高橋坦中将は
当時の状況を以下のように回想しています(要約)。
「精鋭師団の転用に伴い、全般の素質低下がもっとも懸念された。したがって
従来の『分散配置』による『面的支配』は逐次困難となるべく、取りあえず
昭和20(1945)年は、重要事業場と鉄道の確保が重点施策になると考えた。
これには中国(華北政務委員会)側の協力がなければ不可能なことだが、
行政のやり方は、中共側の方が数段巧妙で実力ある状態のようであるので、
容易ならぬことだと思った。中共対策は『その程度でよいのか? 今後大いに
考えよう』というのが着任当初の実感であった」
スレの流れに関係なくて悪いけど、、、、 イラク戦争ってよくベトナムに例えられるけど、シナ事変の方にかなり似てない? 戦争目的が曖昧なとことか、ゲリラ戦とか・・ で、ファルージャ市街戦が南京事件。
439 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 00:53:47 ID:PPGA5EK8
また北支那方面軍の第3課高級参謀だった神崎長大佐も、 ●「面的支配は、当時の情勢において不可能であったので、点と線の 確保を中心とする施策が考えられた」と述べています。 しかし、どうして『このような』事態となってしまったのでしょう? いくら太平洋戦線に有力部隊がこれまで「転用(引き抜き」されて来た とはいえ、少し唐突なような気がします。 その答えは「大陸打通作戦」にあります。1944年4月から開始された 日本陸軍史上最大の作戦は、まず前半段階として「京漢作戦」から始められ ました。これは河南省を中心として「京漢線」(北京―漢口)の打通を目的 とした作戦ですが、当然のことながら北支那方面軍が主役となります。 もちろん部隊の相当数が、それまでの警備地を離れて戦場に向かう訳です。
440 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 01:05:56 ID:PPGA5EK8
そして警備地には「第一線部隊」ではなく、大作戦には耐えられないと 判断される者(病兵・弱兵)が多くの割合で残されることになります。 >>1944年11月1日に新しく北支那方面軍参謀長に着任した高橋坦中将 この頃には、北支那方面軍の有力部隊は、大陸打通作戦(京漢作戦)の結果、 河南省の「新たな占領地域」にばかり配属されており、旧来からの占領地には 経験が不足し、素質の悪い「警備部隊」がほとんどでした。 さらに「作戦部隊」が抜けた面積を穴埋めしなければなりませんので、余計に 広範囲にわたって『分散配置』される結果となり、兵力密度は限りなく希薄と なってしまったのです。「治安戦」という観点から言えば、もはや悪夢ですw。 当然、八路軍はその隙を狙って嬉々と「治安地区」に浸透してきます。
>>439 >>また北支那方面軍の第3課高級参謀だった神崎長大佐も、
, -、
,. ---oo ノ
,' , ヽ,
i ルノノハノ)ノ ね、ね・・・
ノ .l |*゚ ヮ゚ノ!| 私のこと、呼んだかしら?・・・(うずうず)
ノ; ,く_つrレつ.
´ノ ン/ ハ!´
((( く/_,.イ_、」
,-へ, , ヘ ,ヽ_,_i=/__,」 ,' `ー' ヽ i <〈」iノハル.!〉 i L>゚ ー ゚ノiゝ 残念、一字違いだなw。ところで私の二つ名の i>i ir^i `T´i'i | 「蓬莱」は山東半島の北岸にあるんだな。遣唐使 .i>i !>^ `''´'iイ| などの日本人留学生の多くが、最初に上陸した i.ル'ヽr_rr_r'レ' 場所でもある。また「仙郷」とも呼ばれた。
443 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 01:59:42 ID:PPGA5EK8
>>438 >>イラク戦争ってよくベトナムに例えられるけど、シナ事変の方に
>>かなり似てない?
似ていると言えば似ていますが、1つとして同じ戦争なんて有りません。
無理やり2つが『似ている』と解釈しようとすると、ミスリードの元ですw。
一番大きな違いは、アメリカは軍事的にイラクを屈服できましたが、日本は
最後まで重慶を倒せませんでした。そこまで軍事力が隔絶していなかった訳です。
また支那事変では「援蒋ルート」という聖域がありましたが、これはベトナム
戦争に共通します。まあ、日本側から見た視点ですけどw。イラク戦争にはあり
ません。さらに戦争目的ですが、アメリカは中東の石油支配ですが(フセイン
政権の打倒)、日本は北支の分治工作(抗日政策の撤廃)ですが、ともに経済
支配というところでは共通します。
444 :
名無し三等兵 :2007/02/04(日) 09:44:43 ID:aK9j7tsF
北支の治安悪化は支那軍の奮戦ではなく我軍の兵力抽出、転用が原因
>>443 それにアメリカの将軍は「英霊に申し訳が立たぬ」なんて言いませんしのう。
446 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 21:45:03 ID:9F6ATkuv
>>440 の続き。こうして北支那方面軍は明らかな『守勢』に回った訳ですが、
1945年3月に再び、部隊の大きな改編を行ないます。
ソ連の「対日参戦」がキナ臭くなると満州にも部隊が転用されていきますし、
また連合軍(米軍)による「中南支沿岸の上陸」が危惧されるようになると、
『光号作戦』と称して北支那方面軍から中支の上海方面に約7個師団もの
部隊が転用されることが決定されてしまったのです。
こういうのを「泣きっ面に蜂」と云いますw。
もちろん、抜けた穴を埋めるべく『独立警備隊』が編成される訳ですが、
これも泥縄式のものです。以下、簡単にその一部を紹介しておきましょう。
447 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 21:54:39 ID:9F6ATkuv
●第3独立警備隊(古賀龍一少将)=第13〜18独立警備歩兵大隊 編成地:北京、北支那方面軍直轄 ●第4独立警備隊(坂本吉太郎少将)=第19〜24独立警備歩兵大隊 編成地:大同、駐蒙軍 ●第5独立警備隊(佐久間盛一少将)=第25〜30独立警備歩兵大隊 編成地:運城、第1軍 ●第6独立警備隊(飯田雅雄少将)=第31〜36独立警備歩兵大隊 編成地:新郷、第12軍 ●第7独立警備隊(岡村勝美少将)=第37〜42独立警備歩兵大隊 編成地:保定、北支那方面軍直轄
448 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 22:24:40 ID:9F6ATkuv
独立警備隊は、●司令部、●独立警備歩兵大隊6個、●独立警備作業隊1個で 「編成定員」は8857人です。 同様に、独立警備歩兵大隊は、●本部、●中隊5、●銃砲隊1から成り、 「編成定員」は1365人。 中隊は、長以下220人で、軽機6・擲弾筒6を持ちます。銃砲隊は 110人で重機2・歩兵砲2、作業隊は235人で軽機・擲弾筒が各1です。 ただし、これはあくまでも『編成定員』であって形式上の数字です。実際は ほとんどの独立警備隊において人員充足率は低く、酷いところでは50%を 割る部隊もありました。 さらに今まで述べてきたように、こうした「新編部隊」は兵員の素質も 保有する装備も劣悪で、部隊の指揮官も本来の階級よりも低い者が多数 いたのが実情です。
449 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 22:44:58 ID:9F6ATkuv
例えば、第12独立警備隊(山東半島:青島)に所属していた独立警備歩兵 第64大隊を挙げてみましょう。 大隊長は、なんと大尉でした。「名称」が似通っていて非常に紛らわしいですが、 それ以前からあった「独立混成旅団」の『独立歩兵大隊』ですと、任務の関係上 通常の大隊より独立性が高かったために、大隊長を大佐が務めているのが珍しく ありませんでした。 また大隊所属の中隊のうち、3個の中隊長が少尉です(後に2個の中隊長に中尉が 着任)。また高級軍医といっても、入隊から1年半にも満たない少尉というように 経験の浅い将校・下士官が多かった訳です。 装備の面からいっても、前身となった中隊が軽機9・擲弾筒9・重機2だった ことと比べると相当に見劣りします。
450 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 23:24:03 ID:9F6ATkuv
また、砲兵や工兵に転属する「歩兵」が相次いで、再教育の必要がある部隊が
多かったのも付記しておきます。
>>444 >>北支の治安悪化は支那軍の奮戦ではなく我軍の兵力抽出、転用が原因
ただ、太平洋戦争終結時に「支那派遣軍」には100万を超える兵力がいたのも
事実です。じつは北支那方面軍の「警備兵力」は太平洋戦争開戦時と大差が無い
どころか、むしろずっと多い訳です。簡単に数字をまとめると、以下の通り。
●1941年12月:132個大隊=17万1千人
●1943年 5月:142個大隊=20万7300人
●1944年 4月:135個大隊=19万2千人
●1945年 3月:125個大隊=19万4千人
ただし、終戦時の数字には「北特警」の10個大隊を含み、また騎兵・戦車部隊・
その他の特科部隊は上記の数字には含みません。
451 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 23:44:08 ID:9F6ATkuv
ただし、太平洋戦争の開戦前と比べまして『北支那方面軍』の占領地域が
河南省の大部にまで拡大しているのと、支那事変中から引続き警備を担当
している部隊は、半数程度に過ぎませんでした。
また、山東半島の中核部隊であった第59師団(柏)が予定通り中支に転用
されますと、この方面の師団は1つも無くなり、北支那方面軍が多くの警備
部隊を直接指揮しなければならなくなる(その後、第43軍司令部が新設
される)など、実際の兵力以上に「いびつ」なものとなっていた訳です。
そして北支の「政治状況」も不安定化しつつあり、仏印やタイなどの終戦
末期の混乱と同様、北支那方面軍司令部は「実質的な軍政」を再び布くべし
と、支那派遣軍に対して内部調整を図っています。
前述(
>>439 )の北支那方面軍:参謀部第3課高級参謀の神埼長大佐の
回想を要約すると、以下の通り。
452 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/04(日) 23:53:02 ID:9F6ATkuv
「治安悪化、物価冒頭、掌握不良などから足元の北京でさえ、石炭不足を 生ずる始末。華北の政情は騒然たるものがある。 この雑然として政治経済の混乱せんとする時こそ、軍が責任をもって 解決すべきであって逃避を許されぬ。ガタガタに巻き込まれてはならぬ。 急速なる戦力化のため万策を尽くすべきである。同時に目先の刈り取りを 急いで、種子を撒くことを忘れてはならぬ」 このような北支那方面軍の「弱体化」を間違いなしとみた中共軍は、河北省で 1945年6月に一斉蜂起に出ます。この地区を警備していたのは、独立混成 第9旅団(東京:終戦時の所在地・北京)で大きな損害を受けますが、反撃に 転じて撃退します。それでも同地の治安は急速に悪化し、天津市内でもテロが 頻発するようになるのでした。
453 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/05(月) 00:02:52 ID:/q0jaaD2
当時、第59師団長(
>>451 )だった藤田茂中将は、当時の状況を回想して
●「日米戦で負けなくても華北はあと1年持たなかった」
と比較的よく知られる言葉を残しています。しかし、藤田茂は「中帰連」の
初代会長であり、上記の回想も「本多勝一」との対談中の言葉だったと記憶
しています。
まあ、「中帰連」とは「中国帰還者連絡会」の略であり、説明が面倒くさい
のでウィキから引っ張ると、
>中国帰還者連絡会(ちゅうごくきかんしゃれんらくかい)は中国の撫順戦犯
>管理所に抑留された旧日本軍の軍人が帰国後の1957年に結成した団体。中帰連。
>731部隊、南京大虐殺、強制連行などについて積極的に証言を行うことで
>知られる。2002年に全国組織としては解散され、撫順の奇蹟を受け継ぐ会への
>事業引継ぎを行っている。
454 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/05(月) 00:12:40 ID:/q0jaaD2
という人ですw。また季刊誌に『中帰連』というのがありまして、
ttp://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/16/top_16.htm まあ、「表紙カバー」だけでも見てもらうと、イメージが掴み易いでしょうw。
●「日米戦で負けなくても華北はあと1年持たなかった」
それでも藤田の言はオーバーであるにせよ、当たらずとも遠からずである
ことも事実でしょう。間もなくして、1945年8月15日の終戦を迎えて
北支那方面軍の戦いは『表向き』終わる訳ですが、接収部隊である国民党軍が
華北に進出して来るまで、八路軍との「治安戦」は引続き行なわれます。
国府軍の進出が遅れた山東半島でも、それでも1946年1月には国府軍の手に
より日本軍の武装解除が行なわれていますから、「日米戦で負けなくても華北は
あと1年持たなかった」かどうかは、結局分からず仕舞いなのです。
, ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) || メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) 「北支の治安戦」テーマの本編は ヽ. _Q)#」ネl」)つ これで終わりみたい。引き続き、  ̄ ,<´_#,#ハ 『まとめ』と『補論』に入るけど ` "i_フ_フ" 私の出番もようやくみたいねー。 大尉は「あと、ちょっとだけ続きます」 とか言ってるけど、大尉の「あと、ちょっとだけ」は、ドラゴンボールなみに アテにならないからw、まだまだ先が長いのよ。
>>445 民主主義に申し訳が立たぬ、
関連企業に申し訳が立たぬ、
神に申し訳が立たぬ位は平然と抜かしてるかと。
ビルで死んだ人間もある意味英霊扱いですし、イナゾウ氏の言うように
国力や軍事技術が優れてるから顕在化が遅れただけのような・・・
スレ違い須磨祖。
>>456 確かにイラクに育ちつつある若い民主主義を見捨てることはできないっていう
道義上のリトリックはあるんですが、その一方で報道にはシニカルな味が添えられるのが
常の国でもあります。ベトナムとの類似点というと議会では戦争を止められない、
現地の国の政府と軍隊の無能が糾弾されるようになってくる、大統領が交代するとともに
姿勢転換ってあたりがありそうですが。
ベトナムの時は政権党挿げ替えても後始末は上手くいったと言えない。 今回は中ソの役回りがいないが、それでマシとも言えないのがまた・・・ まあチンピラゴロツキは何か企んでるかな? 油の分捕り合戦は益々激化してるんだろう? ブッシュ→クリントン→ブッシュ子 であった事を考えるとヒラリーになっても足抜けが首尾よくいくかは微妙。
459 :
王師堂々 :2007/02/05(月) 08:49:41 ID:AuA4iEap
越南戰爭自體、支那事變の燒直しです 支那事變→越南戰爭→アフガン戰役 イラクの戰ははつきりした敵が居ない點で寧ろぼーあ戰爭に近きか
キモ
>>458 >>ヒラリーになっても足抜けが首尾よくいくかは微妙。
ああ、やはり「女性大統領」が誕生するんですかねえ。くわばらくわばら。
何やかんや言って、日本にも女性首相はいない訳ですが。女帝はいますけど。
, ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) || メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) せっかく本編の締め括りだったのに ヽ. _Q)#」ネl」)つ 最後の方は「殴り書き」ねw。結局、  ̄ ,<´_#,#ハ 日本軍の言う『治安戦』って何だったの ` "i_フ_フ" かしら? 三光作戦という名前はどうあれ ヤってることはヤってたわけでしょ?
463 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/05(月) 23:17:23 ID:ZssYkPqt
まあ、結論として「三光作戦」のうち、『焼光』(焼き尽す)と『槍光』(奪い尽す) を「燼滅作戦」として行なったのは事実です。『殺光』(殺し尽くす)まではやって いませんが、「焼光」「槍光」の結果を考えれば、片足を突っ込んでいるのと同じ でしょう。それでも実際に手を下しているか否かでは、天地の差がある訳ですが。 少なくとも、支那派遣軍(北支那方面軍)が現地住民を無差別に「殺害する」ことを 司令部レベルで計画して行なった事実を示す文書は(今のところ)見つかっていません。 むしろ岡村寧次大将(北支那方面軍司令官)の出した『三不政策』が下級部隊まで 「一般指示」として徹底して叩き込まれていたのは明白です。 ここで言う『三不政策』とは、「焼くな」「犯すな」「殺すな」です。ただし、 この言葉は司令官着任時の『滅共愛民』の理念と同時に訓示されたもので、 あくまで一般住民を対象とし、中共自体は例外な訳ですがw。
464 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/05(月) 23:36:12 ID:ZssYkPqt
>>『三不政策』が下級部隊まで「一般指示」として徹底して叩き込まれた 例えば、中支の話になりますが、第40師団(善通寺)のある中隊を例に 挙げましょう。時期は「大陸打通作戦」の直前ですから、1944年半ばです。 師団の内務検閲があり、この中隊が「受閲部隊」に指定されます。とくに 問題もなく進み、最後は中隊長が補佐官から審問をこう受けました。 「今度の作戦では、『焼くな』『犯すな』『掠めるな』が軍司令官閣下 (第11軍:横山勇中将)のスローガンであることは知っているな? 中隊長として、いかに徹底させているか?」 この中隊長はありのまま正直に、「前二者はいつも訓えています。でも 『掠めるな』だけは、よう言えません」と述べると、審問官は烈火の如く 怒り出し、果ては「軍律違反だ。処罰する」とまで怒鳴ります。
465 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/05(月) 23:47:04 ID:ZssYkPqt
この中隊長は、しょうがないので腹を括って 「これまで5回の作戦に参加しました。しかし糧秣は、いつも敵地に拠り ました。今度は補給を確保する、と師団が保証されれば『掠めるな』と 言い聞かせます。でも、食物がなければ喰わずに戦え、とは言えません。 出来もしないことをもっともらしく言うことは、責任ある者としては できません」 と抗弁すると、師団長(青木成一中将)が「まあ、まあ」と間に割って 入ってことなきを得たというエピソードです。 「糧秣は敵地に拠る」ということで、作戦軍と「治安戦」をゴッチャ混ぜには 出来ませんし、岡村寧次の『三不政策』のうち「殺すな」が「掠めるな」に 変形していますが、中支でもこういう政策は徹底されていた訳です。でも、 実際とはかけ離れた「形ばかり」のものですよね。建前とも言いますw。
, ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) || メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) ふーん。なんか上級者のアリバイ ヽ. _Q)#」ネl」)つ 作りみたいで、 気分が悪いわね。  ̄ ,<´_#,#ハ 下に責任を押しつけるみたいなー。 ` "i_フ_フ" でも、トーバツとサクセンは違うわよね? トーバツでは直ぐ元の場所に戻って来れたし。
467 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/06(火) 00:08:54 ID:LuW1eoV0
でも『殺すな』が「三不政策」から省かれている事からは、住民の無差別な 殺害が「問題外」だったのが分かります。言うまでもない、ということです。 また当然、「討伐」と「作戦」は異なります。長期の作戦において食糧の 徴発は自分たちが喰う上で『死活問題』です。さもなくば飢え死にです。 しかし討伐における収奪は、あくまで敵根拠地の破壊が目的ですから、 同列の段にはできません。 まあ、話がややこしくなって恐縮ですが、それゆえに岡村寧次大将の 「三不政策」でも『掠めるな』とは言っていませんよね。
468 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/06(火) 00:30:25 ID:LuW1eoV0
話が飛びましたが、北支那方面軍司令部としては「滅共愛民」と共に 「三不政策」を徹底させていた訳です。ところが、山西省に駐屯して いた部隊では、1942〜1943年にかけての『討伐』開始前に 配られた回報で、 ●「生きている者は皆殺せ、燃えるものは皆焼け、食える物は皆没収せよ」 という文言が盛り込まれています(『勝第4219部隊』)。岡村寧次大将が 北支那方面軍司令官だった時期は1941年7月〜1944年8月ですから、 モロに時期が重なる訳です。この司令部の方針と現地部隊のギャップは、 一体どうしたことでしょう。 また後でも補足しますが、八路軍(抗日部隊、ゲリラ、テロリスト…w)は 後世のベトナムやイラクと同様、近隣住民を盾、あるいは隠れ蓑にして破壊 活動を行ないますから、日本軍の矢面に立つのは住民が多い訳ですw。
>>457 >>イラクに育ちつつある若い民主主義を見捨てることはできない
>>っていう道義上のリトリック
「八紘一宇」顔負けのリトリック(雄弁術)ですねw。まあ、『聖戦』ですか。
どんな他国にも介入できまふ。
>>●「生きている者は皆殺せ、燃えるものは皆焼け、食える物は皆没収せよ」 , ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) || メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) あれ、大尉の中隊でよく見かけた ヽ. _Q)#」ネl」)つ スローガンだけど、違ってたかしら?  ̄ ,<´_#,#ハ いや、でも居たのはサンセーショウ ` "i_フ_フ" だったよね? 大尉の「所業」もまさに その通りだったしー。
472 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/06(火) 23:10:58 ID:+YDTgfG7
シーッ! 滅多なことを言わないで下さい、幽香姉さんw。お互い様というか その言葉、そっくりそのままお返ししますよw。それはさて置き、 このような上級司令部と現地部隊の『ギャップ』は、どのようにして生まれた のでしょうか? 1つには、司令部の禁止命令や指導が末端まで徹底しにくく、 実際の戦場で指揮を取る『下級指揮官』(中隊長クラス)の胸先三寸で拷問や 処刑など、いわゆる「虐殺行為」が行なわれるか否かが決まっていたケースは 非常に多かった訳です。 まあ、あとの「補論」の1つで詳述しますが、山東省の駐屯部隊に所属していた ある兵士は、●「三光作戦といい住民虐殺といい、これはやはり第一線の指揮官 である中隊長が先頭きってやらなければ、行なわれなかった」と回想しています。 彼が所属していた中隊は、住民の拷問や処刑などを「討伐作戦」の中で普通に 繰り返す中隊長(ただし、部下の面倒見は非常によく頼りになる)の元で、隊員も それに倣っていましたが、中隊長が交代すると途端に大人しくなったと言います。
473 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/06(火) 23:26:55 ID:+YDTgfG7
ただし、交代した中隊長が人格的に良かったかというと全くそうでは ありません。前任の「拷問を繰り返す」カリスマ中隊長の方が、鷹揚な 性格で部下から人気が高かったのに比べて、後任者は「俺は中隊長であるぞ」 とばかりに威張り散らして、鼻持ちならなかったと言います。 他にも、前任者は「討伐作戦」では部落の徹底掃討を行ないましたが、後任の 中隊長は一度もやりませんでしたし、住民を殺すような残虐行為も全くあり ませんでした。それどころか、昼食も部落では絶対に取りません。 討伐作戦で村落に入り、支那人のニワトリや卵を使って即席料理を作って 「舌づつみ」を打つのは兵士達の何よりの楽しみでしたが、それすらも 許しませんでした。まあ、支那人に対して残虐行為は行ないませんが、 部下を人前で面罵したりビンタする癖がある、いわば前任者と全く逆の パターンですねw。さて、あなたはどっちの中隊長の下が良いですか?
>>実際の戦場で指揮を取る『下級指揮官』(中隊長クラス)の胸先三寸で >>拷問や処刑など、いわゆる虐殺行為が行なわれるか否かが決まっていた ヘ イ"´ ̄`'ヽ | i.|ノリハノリ〉_ ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn あのー、自分で自分の首を絞めてませんか?w ゝ,<,_,i`ハ´i,〕ツ `,し/~/:ハ `'ィ ァ~ィ ァ´ T T
475 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/06(火) 23:58:31 ID:+YDTgfG7
>>上級司令部と現地部隊の『ギャップ』は、どのようにして生まれたのか? 現地部隊で「残虐行為」が行なわれた2番目の理由として、八路軍(抗日ゲリラ) と住民の区別が困難なのも挙げられます。北支那方面軍司令官の岡村寧次大将が >>(焼くな、犯すな、殺すな)の『三不政策』は司令官着任時の『滅共愛民』の >>理念と同時に訓示されたもので、あくまで一般住民を対象として、中共は例外 ●「三不政策」と●「滅共愛民」を掲げたのは既に述べましたが、はっきり言って 現地住民と八路軍を明確に区別するのは不可能でしょう。住民自体が抗日かどうかは 置いておくとして、八路軍に協力(日本軍から見れば通敵)しなければ自分達が 「漢奸」として殺されます。 また八路軍も住民を「隠れ蓑」に行動しますから、中共を討伐しようと思ったら 住民も必然的に巻き添えを喰らうわけです。
育ちつつある若い民主主義なんつーこっぱずかしい事を軍板に下記に来る香具師よりは
477 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/07(水) 00:22:17 ID:NL9mrpS+
他の例として、北支那方面軍司令部が発行した『北支鉄道守備の参考』を 挙げてみましょう。 ●「北支民衆は排日思想徹底……面従心反、一寸の油断を許さず。時に応じて 兵匪と土民は一体」 であると述べています。鉄道(路線)警備は、北支・中支を問わず「治安戦」の 最たるものであるのと同時に、最も困難な任務の1つでした。守備範囲が広大で、 分哨地も点々と小規模にならざるを得ず、巡回路もワンパターンで待ち伏せを 途中で喰らい易いですからね。 日本軍も近隣の住民に「保路」の責任を負わせようとしますし、八路軍などは 同じ住民に線路の爆破を命じたり、手伝わせようとします。住民は両者とほど ほどに付き合うしか無い訳ですが、もちろんどちら側から見ても「通敵行為」 である訳です。まあ、その結果は言うまでも無いでしょうw。
480 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/07(水) 23:06:18 ID:GitcA06V
「まとめ」と「補論」がゴチャ混ぜになっている気がしないでもないですが、
1つのエピソードは集中的に終わらしてしまいましょうw。
>>477 の続き。
「治安戦」における鉄道(路線)警備の困難さは既に述べましたが、もう少し補足
します。日本側も警備を担当する中隊を配置し、路線各所に「分哨地」を設けて、
兵士を少数ずつ交代で駐屯させるのですが、常時カバーできる訳ではありません。
たびたび夜中に線路が爆破されて、列車の運行が阻止されます。路線守備という
完全に『受け身』の任務ですから、守る側の日本軍は神経をすり減らすばかりです。
爆発音を聞いて駆けつけても、犯人はとうに逃げた後で捕えることも出来ません。
時にはよく爆破される場所に「潜伏斥候」を出しますが、大抵付近の土民から
情報が洩れて空振りに終わります。それどころか逆に、分哨地からは必ず朝一番
列車が通る前に『線路巡察』を出すのですが、待ち伏せで突然狙撃されるなどして
甚だ危険なのです。見通しのよい線路上ですから尚更です。
481 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/07(水) 23:25:58 ID:GitcA06V
また線路が爆破されると、警備隊はありったけの兵力を集めて、付近の 村落や山中を徹底的に掃討するのですが、いつも後の祭りで手掛かりを 何もつかむことができません。 上記のように、長大な「鉄道線路」や後で補足する「電話の有線」などは 日本軍の部隊だけで保守警備するのが事実上不可能です。よって沿線に 点々と小さな部落がある場合、それらの各保、各甲の長に区域を分けて 現地住民に「鉄道監視」の責任を持たせた訳です。ちなみに保甲は集落 の単位ですね。 中支での「鉄道警備」の話ですが、支那人のある甲長は『護路隊』という 旗を立てて、2〜3名で線路の夜間巡視をときどき行なっていたようですが 日本軍に命じられて仕方なく形式的にやっていたのは明らかでした。 線路が爆破がされて、日本軍がその甲長にいろいろ問い質しても、 「知らない」「分からない」の1点張りで全く役に立ちませんw。
482 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/07(水) 23:42:54 ID:GitcA06V
しかし、中共軍や匪賊などの「抗日ゲリラ」は、必ず近隣の部落などに 潜んでいる訳ですから、甲長が何も知らないということはあり得ません。 それどころか、保長や甲長などが八路軍に命じられて「鉄道爆破」に 加担している可能性も有ります。 それは置いておくとして、何にせよ、保長や甲長たちは日本軍に情報を 提供した後で、八路軍などに『漢奸』として処刑されるのを恐れていた 訳です。まあ、日本側としても住民の立場に同情できないことも無いですが、 鉄道の運行がストップすると関係各所からクレームが殺到しますし、支那 住民に対しても、その「黙秘」が余りにしぶといので腹が立ってきます。 この部隊の場合、温厚とされる大隊長もついに業を煮やして、●「今度爆破 されたら、責任の部落は焼き払うからその積もりでおれ!」と宣言しました。
483 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/07(水) 23:59:08 ID:GitcA06V
支那住民も「家を焼かれて」は大変ですから、何とか八路軍や匪賊と 『わたり』をつけて、真剣に路線爆破を防止するだろうと期待しての ことでした。しかし数日すると、またもや爆破されましたw。 こうなると『宣言』した以上、実行しなければ示しが付きません。支那人に 対して舐められるのと侮られるのは、最もタブーな訳です。やらないぐらい なら言わなければよいのです。 責任部落の20戸ほどを焼き払うことになりましたが、前もって時間を与えて 家財道具を持ち出す時間を与えます。しかし部落の若い男女は日本軍を恐れて 逃げ出していますので、残っているのは老人や子供ばかりです。 ただ『哀号、哀号』(文献ママ:朝鮮語ですが支那人もこういうかは分かり ませんw)と泣き叫び、地に伏して両手を合わせて「焼かないでくれ」と 日本軍部隊にせがむばかりです。
若い女がいないと、皇軍はチンポの行き場に困るではないか。
軍事板のコテハンを叩くスレ20
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1166710234/ 658 名前:最低人類0号 投稿日:2007/02/06(火) 17:53:37 ID:a2EHzDZN
イナゾウとかゆうかとかが出た時の書評スレの流れは大抵キモくなる
660 名前:最低人類0号 投稿日:2007/02/07(水) 00:00:35 ID:KqChI0JJ
イナゾウは勉強家なのは認めるけど、電波本を吟味もせずに並列に取扱うからわけわからんことになる。
488 :
名無し三等兵 :2007/02/09(金) 09:55:31 ID:w1NMRlo8
気持悪い赤魔ばっかり
489 :
名無し三等兵 :2007/02/09(金) 10:16:37 ID:DvWuzLfr
【抗日戦争の英雄たち】
1.孫立人
ビルマ戦線で日本人捕まったら即殺し、
倭寇殲滅数一位
2.楊靖宇
関東軍は東北抗日連軍の総司令官.
楊靖宇を一週間追撃し、ついに射殺した。このとき三十五歳だった。
関東軍は楊靖宇の死体の腹を割いてみた。彼の胃の中には樹皮や草しか入っておらず、
穀物の類はまったくなかったという。東北抗日連軍の遊撃隊員がどれほどの苦難を
耐え忍んだかを手にとってみせつけられるようなエピソードである。
3.張自忠
1940年5月、一部の部隊を率いて日本軍を遮断攻撃しようとした。
十里長山の南瓜店で重囲に陥った。繰り返し突撃し、
7発の弾丸を受けて、壮烈な犠牲となった
>>490 〜
>>1000 続く
赤魔なんて言葉日本にねえよ。 あんた何処の国の人だ?
赤魔=世界制覇を狙うユダヤ人スパイ ググッたらでてきた。
旧字クンは人とコミュニケーションを とるのが苦手で誰にも相手にされてないから 寂しくて イナゾウ中佐に嫉妬して ずっと粘着してます たまにおこぼれで レスをもらうために頑張って今日も粘着しております^^
イナゾウ名無しでがんばっているね^^
赤魔は赤魔導師であって所謂魔法剣士(でいいんだよね?) >赤魔=世界制覇を狙うユダヤ人スパイ それは赤盾じゃあるまいか。 しかも誤訳・語釈だし。
赤魔=「大東の鉄人」(少年倶楽部1932.8〜1933.12)の登場人物だってさ
お前ら! 自演乙!!
イナゾウさんひっしですね^^
532 :名無しさん@引く手あまた :2006/12/30(土) 14:53:12 ID:f0qQxX3Z
>>530 受験戦争、就職氷河期、
10年で給料もろくにあがらず
もう、諦めてるよ
日本を
ぬるま湯世代は団塊並みに運が味方してるよ
jrは戦中の特攻隊並みの悪運が妨げている
533 :名無しさん@引く手あまた :2006/12/30(土) 15:16:23 ID:h1d6QLOP
艦載機と対空砲火に阻まれて
母艦につっこめず、よくて護衛空母
他は廃棄寸前の平甲板級駆逐艦につっこんだ
ってとこか
534 :名無しさん@引く手あまた :2006/12/30(土) 18:22:26 ID:f0qQxX3Z
南雲長官=団塊
499 :
だつお :2007/02/09(金) 19:59:15 ID:/X+F6n5T
>「北支民衆は排日思想徹底……面従心反、一寸の油断を許さず。時に応じて > 兵匪と土民は一体」 理念や主義主張よりも軍事が優先というのがマーシャル米陸軍大将の信念。 アジアでもヨーロッパでも、住民の意識もだいたいこんな感じだったろう。 独ソ戦における東欧住民や、ノルマンディ作戦のフランス住民もそれ。 中国人であれば国民党共産党のみならず住民レベルでも対外戦争の勝利 が強く望まれるし、中国人でなくとも祖国の勝利を願う場合も多い。 ただし中国軍はしょせん財閥が資金力でチンピラゴロツキを駆り集めた だけのシロモノだから、近代化の行き届いた先進工業国である日本の 皇軍にはまるで歯が立たない。これはドイツ陸戦兵器やアメリカ陸空軍 の航空支援をもってしても覆らない格差だった。 中国のチンピラゴロツキは自ら挑んだ「抗日戦争」で皇軍に散々ドツキ 回されて、南京大虐殺しか語ることがなくなってしまったようだ。 国民党幹部さえ汪精衛のように皇軍に降伏する者も出てるし、しまいに は大陸打通作戦で南北縦貫3000キロを進撃され、国民党政権その ものが崩壊して米英ソにそっぽを向かれてしまった。
イナゾウ! 連休で暇なんだろw ROMってないででてこいやw
501 :
名無し三等兵 :2007/02/09(金) 20:51:11 ID:kkEiKNGo
NHK上げ
>>500 >>イナゾウ! 連休で暇なんだろw ROMってないででてこいやw
たわけたことを言ってはいけません。明日は朝から北の方に1日出張ですよw。
こう書くと北朝鮮に逝くみたいですが、はやてです。
あと念のために言って置くと、自分が「名無し」で書き込むことは有り得ません。
平日の真っ昼間なんて以ての外w。過去ログを見れば自分の書き込む時間がずっと
深夜であることが分かるでしょう。まあ、病気や代休のときは別ですけど。
赤魔は何とも思いませんが、「夜魔天」である四季映姫・ヤマザナドゥさまは
自分にとって絶対の存在です。皆さんも嘘をつくと死後に舌を抜かれるでしょうw。
,.ィ ーrーr 、 y' "´ ̄`'ヽ .ノくノノ人リ))ゝ ルi§゚ ヮ゚ノ§ 順路通りに進んで力で圧倒する。 'k'_,i`ム'_i〈つ[|三> これが相手に文句を言わせないコツですわ。 ,し'/_ハ.ゝ、 `'ト_ノ'ト,ノ"
>>487 >>日中戦争にもつながる事だから此処でも紹介するが、これちょっと
>>読んで感想きかせてくれ
章タイトルを見るだけで読む気がしませんw。まあ、いつか死ぬまでには
読むのではないでしょうか? 東京大学出版会より慶応義塾大学出版会の
方が最近良い仕事をしています。
>>485 >>軍事板のコテハンを叩くスレ20
ずっと人大杉で見ることができませんw。
505 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/09(金) 23:31:24 ID:Qy4SGhn3
>>501 >>NHK上げ
ちょうど帰ってきたら、NHKスペシャル「日中戦争」が始まりましたので
我慢して見ていましたが、報道ステーションを見てた方がマシだったかもw。
何か以前の特番と内容がかぶっている気がしましたし、「NHKの方向性」に
とって都合の悪いところは『華麗にスルー』した内容でしたw。
こういう番組を見て、少しずつマインドコントロールされる人が増えて逝くのかと
思うとスレを続けていくモチベーションにはなります。
とりあえず、『マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記』(黄仁宇著、北村稔訳
東方書店:4410円*新刊書店で入手可能)を1ヵ月我慢して読めば、蒋介石の
日記をもとにした(?w)上記の番組の10倍は役に立つでしょう。まあ映像など
視覚面では、もちろん敵いませんけど。
冒頭の盧溝橋でのガイドの説明を聞いただけで胸糞悪くなったな。
キモ
509 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/09(金) 23:58:31 ID:Qy4SGhn3
>>484 >>若い女がいないと、皇軍はチンポの行き場に困るではないか。
若い女でなく男でも『苦力』として日本軍に徴発されかねません。ですから
通常の場合は「空室清野」が徹底しており、「未治安地区」の掃討討伐において
若い女が見つかるというのはレアケースです。要するに人っ子ひとりいないのが
普通であって、それは無用心といっても良いでしょう。
それでも、古兵が強姦していた後の現場を目撃した、まだ子供のようなのが隠れて
いて他の兵に見つからないよう逃してやった、***に牛の糞を塗りたぐって強姦
されないようにしているのにビックリして、そのままだと病気になるから、危害は
決して加えないからと落ち着かせた……などなど、戦記を見ていると色んなケースが
あるのも事実です。
510 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/10(土) 00:19:52 ID:kzXUNAnE
まあ、北支で森本賢吉(憲兵准尉)という中共情報に大変通じた人物の インタビュー本(『憲兵物語』:光人社文庫)がありますが、強姦について 以下のような回想があります。この人は日中戦争末期、先に取り上げた 「北特警」の任務についており、唐山の特高班長でした。 「強姦は自己抑制の効きにくい召集兵に目立ったよ。一度、現役を除隊して 妻子がおる者が召集されて出てきておるんだからな。女を知っとるけぇ。 強姦は『明日の命が分からない』状況に追い込まれるほど頻発したな。 自暴自棄になって。兵隊は、捕まえた同じ女ばかりを、やるのよ。 だいたい、そがいに簡単に女は捕まりはせんのだよぅ。戦争が始まり そうになると、住民はみな逃げて、おりゃあせんけえのぅ。強姦が 頻発したというのは、支那特有の『針小棒大』だよ」 ちなみに森本は、広島県山県郡の生まれですw。
>>507 >>買うか図書館で借りて読めよ
時間は有限です。
512 :
だつお :2007/02/10(土) 08:24:54 ID:DkbRwi/I
>「NHKの方向性」にとって都合の悪いところは『華麗にスルー』 史料公開も行き届いておりいい番組だったと思うが? 中国国民党が無能な軍閥の集合体にすぎないというのは、日本軍部で なくてもスチルウェルら米軍事顧問もそのようにみなしてたであろう。 無能な国民党政権は潰れて当たり前だし、事実そうなって大正解だ。 なお戦争被害であれば日本だって海上封鎖に東京大空襲と原爆それに ソ連参戦という戦争被害を受けており、国民党に言い訳の余地はない。
>>512 横からですけれど
自分としては昨晩のNHKスペシャルはタイトルと内容とに乖離があるような気がしました。
「なぜ戦争は拡大したのか」が表題でありテーマであるのだから
蒋介石の対となる日本側の意思決定者を設定するべきだったろうと思います。
そのような人物をあえてあげるならば日本側は近衛であったのではないかと思います。
そのように作ると近衛をぼろくそに叩くことになりそうですがw
生存者へのインタビューには貴重なものはありましたが番組のテーマと合ってなく、
南京周辺の住民の証言などは番組を散漫な作りにさせただけだったのではないでしょうか。
と感想を書いておきます。まぁチラシの裏ですので読み捨ててください。
514 :
だつお :2007/02/10(土) 09:23:04 ID:DkbRwi/I
>「なぜ戦争は拡大したのか」 蒋介石らがドイツ軍事顧問とドイツ陸戦兵器で「抗日戦争」を挑んだ からなのだということで納得できないだろうか。ドイツ軍事顧問団が 中国から引き上げない限り終わりようがない。朝鮮戦争だってスターリン の死去が停戦のきっかけだったはずだ。 日本側の拡大要因としては満州事変以来の軍部による統帥権掌握それに 軍功を焦る現地軍と勝ち戦による進軍ということでよいのでは。
悲哀的時候、在城市未中電線杆子的智惠看的七個我、 如果不可思議的眼涙浮起、仰視彩虹的?兒、 亮閃閃地閃亮。 把形式變成?眼的毎次、暮色到一個人、 做夢的那樣被責備、佇立。 ?呀我怎麼長大?。 ?呀我何時長大?。 覺醒了的時候、是窗晩霞。 對美妙寂寞、擦著眼。 那樣我、是在表面坐中玩累、 睡著的?? 在夢中、為了自由奔走著在藍的天空、 不過如果從夢中醒來了、變得不能飛晩霞天空、 那麼遠。 ?呀我怎麼長大?。 ?呀我何時長大?。
チンピラゴロツキのない打通さんなんてきらい
>>505 イナゾウさん昨晩の番組はNHKアーカイブスと一緒で再放送ですよ、あれはテレビ欄を見ると
分かると思いますが文化庁の賞を去年やったNHKスペシャルが受賞したので記念に放送した物です。
おそらく前回の本放送時も見ていたんでしょうね。
単に支那の南京大虐殺キャンペーンの一環としての放送だろ
519 :
えICBM :2007/02/10(土) 16:52:08 ID:???
>>517 ちょっと見て似てると思ったが、同じものか。
中佐、支那絡みの質問は放置されがちです。 たまには初心者スレに来てください。
ようやく帰って来れました……。久しぶりの東北の感想は、『雪が無いw』。
>>512 >>史料公開も行き届いておりいい番組だったと思うが?
1時間余りでまとめないといけないので、単純化は止むを得ないとしても、
「なぜ戦争は拡大したのか?」がテーマで不拡大派のカンジ(作戦部長)が
出て来ないのは酷過ぎるw。武藤章(作戦課長)と下村定(後任の作戦部長)は
しっかり登場しましたけど。あれでは「参謀本部はアホの子の集団か?」ですw。
>>513 >>南京周辺の住民の証言などは番組を散漫な作りにさせただけだった
>>のではないでしょうか。
まったく同感で、結局「南京虐殺が取り上げたかっただけちゃうんか?」と
番組制作者に小一時間問い詰……w。
>>517 >>おそらく前回の本放送時も見ていたんでしょうね。
ああ、どおりで『デジャブ』(既視感)を感じると思ったら、再放送でしたか…orz.w
>>518 >>単に支那の南京大虐殺キャンペーンの一環としての放送だろ
何気に今年(2007年)は、日中戦争勃発(1937年)から70周年記念w
ですから、今年の夏はなんやかんやで「地味な宣伝戦」が繰り広げられるかも
しれません。そして来年の北京オリンピックに雪崩れこむのが支那の目論見とw。
>>520 残念ですが、とても手が回りません。
また4時間後には家を出るのでもう寝ます……。眠い……。
>>520 >>たまには初心者スレに来てください。
もう少し補足しますと「雑談スレ」や「民主党スレ」は言うに及ばず、
「初心者スレ」でも進行が早過ぎてついていけませんw。
>>517 >>あれはテレビ欄を見ると分かると思いますが
ヘ
イ"´ ̄`'ヽ
| i.|ノリハノリ〉_
,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn 中佐は新聞を取っていない『人非人』ですから、
ゝ,<,_,i`ハ´i,〕ツ 分からないと思いますよ。
`,し/~/:ハ
`'ィ ァ~ィ ァ´
T T
527 :
名無し三等兵 :2007/02/11(日) 12:55:48 ID:zyJyBFun
変態きも
ああ、昨日はアンキモという手もあったなぁ(謎)
530 :
井上博士 :2007/02/11(日) 21:59:25 ID:gC0CvXGo
48よ人生と云う物は生き物だ!人の生き様を馬鹿にするのか!汚マエは何をし何をやり遂げて来たのかと云う事を考え発言しろー!もし間違いが有れば自らの生き様にピリオドを打て阿呆か汚マエはー地球外生物め!
531 :
名無し三等兵 :2007/02/11(日) 22:03:35 ID:1ZYSVDHE
地形図の接合が合わないぞゴルラァ〜!!! 北支那10万分の1修正版まだ〜
532 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/11(日) 22:37:34 ID:RWQ+IPEX
>ただ『哀号、哀号』(文献ママ:朝鮮語ですが支那人もこういうかは分かり
>ませんw)と泣き叫び、地に伏して両手を合わせて「焼かないでくれ」と
>日本軍部隊にせがむばかりです。
>>483 なんか間が空いてしまいましたが「治安戦」(まとめと補論)の続きです。
何とか「家を焼かないでくれ」と懇願する村民たちですが、日本軍が部落の周りに
藁を積んで準備を始めると、いよいよ駄目と観念したのか、家から鍋・釜・布団などを
慌てて運び出します。
やがて火を付けて焼き払いますが、老婆がひとり泣きながらバケツの水をせっせと
汲んで自分の家にかけています。まだ、その頃は纏足(てんそく・幼少時に足を
きつく縛って成長を止める、足の小さい女性が美しいとされた支那の悪習)の女が
多く見られたのですが、その老婆も同様でした。
533 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/11(日) 22:55:13 ID:RWQ+IPEX
纏足(てんそく)がどういうものか、言葉で説明するのは難しいですが 「極端なハイヒー」ルを履かせられている状態と言えば近いでしょうか。 一生脱げませんがねw。骨格的には、鳥の足というか、豚足のひづめを イメージして貰うと分かり易いと思います。ただし豚は4本足があります が、人間は2本だけです。辛亥革命(1911年)以降、急速に廃れました。 よちよち歩きでバケツで自分の家に水をかけている老婆の姿はまったく 惨たらしく眼を背けるもので、日本軍部隊も罪悪感を覚えたといいます。 この焼き払われた部落の住民がどこに姿を消したかは、ようと知れません。 しかし、この断固たる『制裁行為』が他の近隣部落に恐怖を与えたためか、 その後に鉄道の「路線爆破」事件は二度と起こらなくなりました(少なくとも 当該中隊の警備任務中は)。 やはり支那住民たちは、八路軍(匪賊)や国府軍、日本軍の3者のご機嫌を 窺いながら無難に無難にと行動している訳ですから、「日本軍は怖くない」 と舐められたら「シマイ」なのです。
なにを今さら「善人ヅラ」しているのかしら? お掃除、お掃除〜♪ 。 ..:::::: o ..:::::: ...... ...... ○:::: ○ ゚ .....::::::::::::::::::::::: :::::::::::::::::::::: :::: ___ ..:::::: o .....::::::: :: :: :: :: ., '´⌒⌒ヽ 。 ...:::::: :: :: :: :: i´ )ノ)ノ))ハ) .........::::: :: :: ..: メ)ハ)#゚ ヮ゚ノl) 、 ...::: :::.. :::: :: :: :::: ,く#」ネl」)づ=|lメミメミメ>-::::: :::::: :: :: >>老婆 ::: (ン´/#,#ハ ' :::::....::::: ::::.... :: :: :: :: :::: O `" i_フフ " ..:::::: 。 :::::.... :: :: :: :: :::: ○ :::::::....:: :: :: : ο ..:::::: :::::: 。
535 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/12(月) 00:08:59 ID:oyMntmgT
>>475 >>上級司令部と現地部隊の『ギャップ』は、どのようにして生まれたのか?
幽香姉さん…。中隊一同「ドン引き」です…。お陰で少し風紀が良くなりました…w。
さて、『滅共愛民』と『三不政策』(焼くな、犯すな、殺すな)のギャップがなぜ
生じたかですが、3つ目の理由として「治安地区」「准治安地区」「未治安地区」の
日本軍が作った区分そのものが挙げられます。
「治安地区」において日本軍は勝手な徴発が禁じられ、軍紀ともに大変「お行儀がいい」
ことを徹底指導されました。例えば、作戦軍がいわゆる「治安地区」を移動していますと、
付近の部落から徴発ができませんので、野菜や肉などの『副食』で飢えるほどです。
また別のケースとして「大陸打通作戦」(1944年)で行軍中、食糧不足に苦しんでいる
中隊がありました。国府軍支配地区を移動していて徴発は自由だといっても、軍の後続に
位置しますと、先発の部隊が根こそぎ喰い尽くしてしまい、何も残っていない場合が
よくあるのですw。
536 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/12(月) 00:25:05 ID:oyMntmgT
ところが突然、野菜もあるは豚やニワトリもいるわ、物資が豊富な村に 出くわして、その中隊はここぞとばかりに徴発して飢えを満たします。 「なぜこんな村が残っているのか?」と不思議に思っていると、答えは 簡単そのもの。日本軍の「支配地区の村」だった訳ですw。ですから先行の 部隊の徴発を免れていたのですが、この中隊はいつの間にか国府軍支配区を 抜け出していたことに気付かなかったのです。 当然、同じ日本軍の警備責任者からクレームが付きますが、作戦部隊で食糧に 苦労していたのだ、ということで大事にもならず勘弁してもらえたようです。 まあ、上記のエピソードでも分かるように、ある日本兵は当時を回想して 「兵隊たちは『治安地区』では対住民軍紀をある程度守らなければならない という自覚を持っていた」としています。
537 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/12(月) 00:48:21 ID:oyMntmgT
しかし「治安地区」で軍紀を徹底したのは良いことなのですが、その
反動として、「未治安地区」では何をやっても良いという風潮を助長
してしまったことが挙げられます。「灰燼作戦」などはその典型です。
>>536 の日本兵の回想も「『未治安地区』の村では皇軍という誇りや
聖戦という意識は完全に失われ、兵隊は公然と軍紀を犯した」と続きます。
まあ「言葉のトリック」と云いますか、名称が「一人歩き」していった
感がありますが、いかにも日本人らしいという気もします。昔は警官や
学校の先生の「慰安旅行」が旅館で一番タチが悪いと言いましたしw。
それにしても「未治安地区」で、今までにずっと述べてきたような焼光、
槍光(奪い尽くす)などの住民を巻き添えにする形での「滅共」行為が
されたことは、北支那方面軍が近い将来に「治安地区」へと格上げする
ことを放棄したと考えるのが妥当でしょう。
538 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/12(月) 01:05:00 ID:oyMntmgT
その最大の理由は、現地住民を「味方」につけるやり方が、政治的に または太平洋戦争の戦況も絡んだ大戦略的な『制約』から取れなく なったからに他なりません。 『宣撫工作』など、北支那方面軍が以前は持っていた「政治的権限」の 多くが、汪兆銘政権の誕生によって移譲されたのは既に述べましたね。 北支那方面軍の手を縛った制約は、経済的、政治的、軍事的なもの多数に またがりますが、そのほとんどが華北以外に由来するものです。以下、 つらつら挙げますと、 ●太平洋戦争の開始により「支那大陸」は物資の補給基地の役目を負うこと となった。当然、資源獲得のために北支において食糧や物資の収集がそれまで 以上に強化されたため、支那住民の日本軍からの離反・反発を招いた。
539 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/12(月) 01:25:06 ID:oyMntmgT
●太平洋戦争開始以降の「物資の収奪強化」が百団大戦(1940年)以後、 勢力を弱めていた「八路軍」が盛り返す手助けをしてしまった。 ●内地の参謀本部や南京の支那派遣軍総司令部が、北支に残存していた 国民党軍勢力と手を結ぶことに理解を示さなかったどころか、かえって 軍事攻勢を強めるよう指導したため、中共軍に「漁夫の利」を得させる 結果となった。 ●そして太平洋戦争の戦況から、多くの部隊が北支から抽出・転用させられ、 寄せ集めの「新編部隊」が大幅に増えた北支那方面軍は、その軍事力を大幅に 弱体化させた。 以上のような『外的な』制約要因から、支那事変中に一部行なったような現地 住民の生活を安定(軍事的にも、経済的にも)させる事で、八路軍など抗日 ゲリラから分離させて、中共を徐々に追い詰めていく『ソフト戦略』は取り様 がなくなった訳です。
そのために、中共軍の根拠地そのものを灰燼と化す「三光作戦」のような ハードな軍事手段のみに頼らざるを得なくなるのは必然だった、というのが 「治安戦」テーマの大きな結論であります。
541 :
八路軍 :2007/02/12(月) 13:20:54 ID:???
いわゆる『未治安地区』において、日本軍が現地住民から物資や食糧を奪い、 家を焼き、そして時には殺害することも多かったのは事実です。また直接は 手を下さなかったとしても、難民・棄民に追いやられた住民がその後に辿った 運命は容易に想像できるでしょう。「住宅ローン」が全然残っているのに、 自分の家が放火されたらと考えてみてくださいw。一生が左右されます。 しかし、それでも電波ムンムンな左翼が主張するような、「三光作戦」をナチス・ ドイツが行なった「ホロコースト」や「絶滅政策」と比肩して、『ジェノサイド』 (殺戮)だと捉えるのは明確に誤りです。 「アレ」は政治的イデオロギーや人種理論に基づくもので、日本側も「滅共」という 作戦方針はあったにせよ、とても同列の段にはできないでしょう。 むしろ、敵(中共軍)の根拠地および『抗戦能力の破砕』を目的として、現地住民が 巻き添えを喰らう形でターゲットになったという意味では、日本やドイツに対して 連合軍が行なった大規模な「戦略爆撃」と同じ性質のものと見なすことが出来ます。
544 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/12(月) 23:24:25 ID:yDUNLMVo
まあ、イラク戦争の時に「コラテラル・ダメージ」(軍事標的の攻撃に伴う 巻き添えの民間被害)という言葉が耳目にあがりましたが、日本軍による 「未治安地区」の掃蕩・討伐も、広義の意味では含まれるかもしれません。 ちなみに「コラテラル・ダメージ」の直訳は『付随的被害』、「政治的に やむを得ない犠牲」とも意味します。映画のタイトルにもなっていますね。 いずれにせよ「北支の治安戦」における『三光作戦』は、総力戦時代における 敵側の「抗戦能力剥奪」を目的とした作戦形態の1つであり、地上で歩兵が その役割を主に担ったのが日本軍であり、同じ目的を都市部に対して空中から 大規模に行なったのがB-17やB-29などの『戦略爆撃』な訳です。
これにて「北支の治安戦」のまとめを終わりますが、最後にこの言葉で 締め括りたいと思います。 ●「悲しいけど、これって『総力戦』なのよねーw」
>>545 ありがとうございました。
大変に読み応えがありました。
しかし、総力戦は大変だねえ。
三光作戦ってシナの捏造だろ 何プロパガンダたれながしてんだ おまえ、あっちの工作員か?
548 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/12(月) 23:59:59 ID:yDUNLMVo
引続いて「治安戦の補論」を5個ぐらい取り上げたいと思いますが、もう少しだけ
お付き合いください。まあ、「血生臭い話」が多いですがw。
まずはこれ。『日本軍は捕虜をすぐ処刑した』スレより
>>72 >>初年兵の刺突訓練に捕虜を使ったらしいな。イナゾウが言ってた。
去年の大晦日の書き込みですが、偶然見つけて気になっておりまして
スレ違いになりますけど取り上げたいと思います。
いわゆる「刺突訓練」を指しますが、結論から言えば普通にやっていました。
複数の戦記本で頻繁に出てくる話ですが、レアケースだと主張する証言も一部
ありまして、おいおい述べていきたいと思います。
>>546 毎度どうもでございます。しかし、まだまだ続くのですよw。
>>548 を書き込むのが、あと2分ほど早ければ良かったのですけど。
多分3月初めぐらいまでこの調子です。この後は「重慶攻略作戦」か、
金曜日にやったNHKの特番に影響されて、「上海航空決戦」でも
始めようかと……。
>>549 これからもよろしくお願いいたします。
スレに貢献できないで申し訳ございませんが、
ぜひ読ませていただきます。
551 :
人物評 :2007/02/13(火) 09:55:23 ID:LiRmCsgV
きもの一言だけ繰返す変態 きも 打通氏 大層面白いお方とお見受けするが、514前段は無理かと。 ドイツがシナを大きく動かすというのも非現実的だが、ドイツが手を引いた後の説明がつかない。 稲造氏 「証言」を集めるのは良いが、その吟味ができていない。 証拠や証言は偽物だったり、相互に対立することが多い。 戦記を多読するだけでなく、その評価を慎重に。
稲造氏 こいつひょっとして新渡戸稲造の子孫?
安倍総理の「美しい日本語」 〜「美しい国」というフレーズを美しく発音できない総理大臣 「き」と「け」の発音がおかしい。「き」には「ち」の成分がまじり、 「け」はその「き」に似た発音にしかなっていない。 例:きたちょうせん → き(+ち)たちょうせん (北朝鮮) 例:みやけさん → みやけ(き+ち)さん (ミヤケさん) 「宮本さん」がこうなるわけではないw 「つ」「く」などの無声音の発音がうまくできないため、 関西人の「ネクタイ」とかの発音に似た発音の乱れ現象が起こる 例:うつくしいくに → うつ(づ)くしいくに (美しい国) 例:じつげん → じっけん or じっせん (実現) 語頭以外でのD、G、H、N、R(「り」以外)の発音が極端に弱くなることが多い 例:いただきたい → いたあきたい (頂きたい) 例:ただいま → たーいま (ただいま) 例:わがくに → わあくに (我が国) 例:もうしあげた → もうしゃえた (申し上げた) 例:ちほう → ちおう (地方) 例:やはり → やり (やはり) 例:そのため → そーため (その為) 例:なされる → なさえる (なされる) しかし「美しい日本語」の一番の特徴は、「き」に「ち」の成分が重なるところで、 この「ち」の音がいつもサブリミナル効果のようになっているので、聴き手は、 「何?何?」って感じで気(「ち」ではなく)になって何を言われても頭に入って こなくなるのである
555 :
名無し三等兵 :2007/02/13(火) 15:53:58 ID:LiRmCsgV
言語障害や方言は非難できない おまいが差別者
歯の数が足りないとかそんな疾患(?)を抱えてるんだっけ?
557 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/13(火) 23:49:52 ID:Y1eGF/7S
さて「刺突訓練」ですが、試しにググってみたら1130件も引っ掛かりました。 ほとんど反日系サイトですけどw。 少し上の方で「自分は吟味が出来ていない」と書かれていますが、取りあえず サンプルを多く集めなければ吟味もクソも無い訳ですw。戦記を読んでいますと、 だんだん『相場』というのが掴めてきます。 自分の場合、複数の戦記本で「同じような証言」を見つけないと信用しないというか、 かなり割り引いて考えています。例えば、日本軍は支那人捕虜を「苦力」としてよく 荷物運びに使役してましたが、解放するときに「給料を支払っていた」というケースは、 1つの戦記本で発見しただけでは、どうしても特異な例と考えてしまう訳です。 しかしある時、全く無関係の人が書いた別の戦記本に同じように「給料を支払った」 という回想を見つけて、これは他にも「有り得る話」と相場値が上がる訳ですね。
558 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/14(水) 00:07:58 ID:AIJF3r7F
ちなみに「刺突訓練」の話は、腐るほど出てきますがw。 さて「刺突訓練」と言ってもイメージが分からない人が多いと思いますので 簡単に説明しますと、要するに『支那人捕虜』を三八式歩兵銃の「銃剣」で 刺殺する訳です。よく丸太に括りつけられています。 初年兵がよく「度胸づけ」にやらされましたが、これが何でグダグダ今もって 言われるのかというと『訓練』を兼ねているからですね。単なる処刑ならまだ 理解できますが、訓練目的で「人を殺す」となると正気の沙汰じゃないと考える 人が多い訳です。 一説には、北支那方面軍司令官だった岡村寧次大将が、部隊に対して 「実戦のように訓練し、訓練のように実戦せよ」と訓示したことを受けて このような『刺突訓練』が始まったとも云われます。ただし、岡村寧次が 直接「刺突訓練をせよ」と言った訳ではありませんので早とちりしないようw。
559 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/14(水) 00:30:33 ID:AIJF3r7F
まあ、自分なんかは「どうせ処刑するんだから、初年兵に訓練代わりに やらせたっていいじゃん」と考えてしまう訳ですがw。 ただし、上に書いた『捕虜』というのは「正規の捕虜」を必ずしも意味 しませんので注意してください。例えば、匪賊であったり、抗日ゲリラで あったり、八路軍だったり、間諜だったり、便衣兵だったりする訳です。 時には、本当に無関係な住民だったりしますけど。まあ、密告だったり こいつは怪しいということで。 PHP文庫に『日中戦争がよくわかる本』(太平洋戦争研究会著)があり ますが、その表紙カバーの中心にある写真が、ちょうど銃剣を付けた三八式 歩兵銃を持った兵士の全体像がよく分かるグッドなものなので、機会が あれば見てみて下さい。「これで刺されたらどうなるか?」というのが 容易に想像できる写真です。
ちょっと忙しくてここまで殴り書きですが、次からはもう少しまじめに 検証しますw。でも、こんな感じがしばらく続きそうです。
NHKスペシャル「満蒙開拓団はこうして送られた」を見て吃驚した。 東宮鉄男の出身地って・・・ うちの母方の祖父は満州に志願兵で行き偉くなって勲章ももらったらしいけど、 出身地が近いと縁あるものなのかな。 地元出身だと待遇違うのだろうか。
562 :
名無し三等兵 :2007/02/14(水) 10:46:45 ID:NL9k6eYF
みなさんバレンタインデーといえば、何を思い浮かべますか?その名を冠したものといえば 1929年2月14日にシカゴで起きたギャングの一大抗争事件があげられます。アル・カポネと 抗争を繰り広げていたバッグズ・モラン一家のヒットマン6人及び通行人一人の計7人が 殺害された事件でして、これがきっかけとして世間から同情的に見られていた有名なマフィア アル・カポネに対する非難が高まったというわけです。あの映画で有名なアンタッチャブルなど みなさんもご存知でしょう。ちなみにモランは権力を失ったために皮肉なことに天寿を全う したそうですよ。その名の起源をたどると西暦269年にローマ皇帝の迫害の下で殉教した 聖ヴァレンティヌスに由来し常に血なまぐさい歴史と共に歩んできたといえます。しかし、 風習の起源は、ローマ帝国の時/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\時、ローマでは、2月14日は女神ユノの \祝日だったわけです。当時若| うるさい黙れ |祭りの間パートナーとして一緒に /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\_______/ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∨ (゚д゚ ) <⌒/ヽ-、__ノヽノ | /<_/____/ < <
563 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/15(木) 00:10:04 ID:6/IzGu9j
>>561 >>東宮鉄男の出身地って・・・
群馬県ですか? まあ言っちゃなんですが、群馬県は陸海軍ともに大将を輩出
していない軍人の貧困な県の1つです。出世頭としては軍司令官にまでなった
澄田らい四郎(『らい』は貝ヘンに来)ですかね。山西省の日本兵残留問題に
大きく絡んできます。あと有名どころでは、中野学校の生みの親となった秋草俊
少将ぐらいでしょう。
>>出身地が近いと縁あるものなのかな。
東宮鉄男は「張作霖爆殺事件」時、第10師団(姫路)歩兵第10連隊中隊長
でしたし、支那事変勃発後は第114師団(宇都宮)歩兵第102連隊(水戸)
大隊長として上海で戦死(中佐→死後大佐)しています。
564 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/15(木) 00:17:19 ID:6/IzGu9j
東宮鉄男は曲がりなりにも士官学校出なので、配属先は出身地と一致する 訳ではありません。まあ、連隊長となって故郷に錦を飾るのが軍人として もっとも栄誉な訳ではありますけど。
>>552 >>稲造氏 こいつひょっとして新渡戸稲造の子孫?
_......_
, ´ <*y
i,(i ノノハ)_)
ノ_iパ ヮ゚ノハ 寝言は、寝てから言えや。
_φi'_ソノj,⊂)__
./ /三/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|
|稗田 阿求|/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
566 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/15(木) 00:37:03 ID:6/IzGu9j
>>559 の続き。
最近ちょっと尋常じゃなく忙しい(帰宅が0時前w)ので、しばらくの間
書き殴りになりそうですが、「刺突訓練」の写真資料として挙げられる
のが、『日本残酷写真史』(下川耿史著:作品社、本体2000円)です。
短くですが「日中戦争」の項もありまして、「刺突訓練」の写真も載って
います。10人くらい支那人を並べまして一度に刺し殺す(後方に100人
ぐらい見学者の日本兵あり)珍しい写真なので機会があれば見てみると
良いでしょう。
ちなみに去年の新刊で、ドマイナーな本の割には大きめの書店なら結構
置いています。きっと書店員でこの手の本を好きな人がいるのでしょう。
本文は『電波ムンムン』ですが、珍しい写真の数は多いのでヴィジュアル
で気に入ったら買いでしょう。自分も手元に持っていますw。
567 :
名無し三等兵 :2007/02/15(木) 17:48:14 ID:fhR39b0q
>>561 軍隊は公平で正直なところです
娑婆の縁故は通じません
帝国陸軍史の前半分は長州閥の天下でしたな。
569 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/15(木) 23:46:05 ID:z80Sw8jp
>>561 >>出身地が近いと縁あるものなのかな。地元出身だと待遇違うのだろうか。
ただし、何事にも「例外」はあります。例えば、『オ父サンノセンサウ――小長井少佐
日中戦争陣中日誌』の主人公である小長井少佐は、元々は2等兵から静岡第34連隊に
入営してそのまま累進。下士官から准尉を経て、陸軍士官学校に少尉候補者として学び、
そのまま少尉として連隊に復帰しています(1928年)。
小隊長から1931年に中尉に昇進、1936年に大尉に昇進して中隊長に任命され、
そのまま『上海決戦』に参加しています。
上記のケースですと、自分の出身地の連隊で最初からずっと勤務している訳ですから、
いわば『連隊の主(ぬし)』のような存在です。ただし、静岡歩兵第34連隊は山東
事変や満州事変に出征して「長期の警備任務」に就いていますので、小長井少佐は
郷里の静岡から遠く離れている期間がとても長かったようです。
570 :
名無し三等兵 :2007/02/16(金) 00:01:39 ID:3To3qUFC
軍曹殿ォォ!!! 我が隊には支那人を50万人も殺せる程の量の弾も 1000人斬っても切味がそのままの軍刀はありません!!!
571 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/16(金) 00:08:08 ID:0FWg03/S
>>567 >>軍隊は公平で正直なところです 娑婆の縁故は通じません
「小長井(鑑重)少佐」の例ですと、郷里である庵原村からも多くの若者が毎年、
現役兵として入営してきます。ですから村民からは「ジューさんの隊に入れて
もらえりゃ、ええだがのう」などと頼りにされていました。小長井少佐は将校と
なった後は、ずっと小隊長や中隊長を務めていたからです(戦死時は旅団副官)。
もちろん兵隊の親や家族とは顔見知りの場合が多く、安否を確かめるための
手紙も頻繁に届きました。日中戦争では、親からも頼まれている若者が次々と
戦死していくので非常に辛かったという回想が残っています。
もっと珍しい例ですと、幹候出の中隊長(中尉)のもとに同じく幹候出身の
見習士官が3人ほど戦地にやって来ます。これも日中戦争の話で中支にいた
第40師団(善通寺)のケースですが、実は弟でビックリしたそうです。
573 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/16(金) 00:24:13 ID:0FWg03/S
正確に言うと、お兄さんが歩兵第236連隊(高知)の中隊長でして、 弟さんが『同じ大隊』の機関銃中隊に配属された格好です。 事前に家族から「奉夫が近く中支へ行くことになり、兄さんと一緒の隊だ というので大喜びで張り切っている。それに引き換え、収多はビルマ行きと 決まり、がっかりしていささか沈んでおり可哀想だ」と手紙が来たそうです。 例えば、支那兵が守備している高地を奪取するときに、兄が突撃する際に 足を滑らして崖で転倒します。援護するために麓で見ていた弟が「あ、 やられた(撃たれた)!」と早とちりしたなどのエピソードもあります。 まあ、日中戦争(その後の太平洋戦争)が始まり、幹候出の将校が大量生産 されていくと、このような珍しい例も増えてきます。兵隊のレベルではもっと 多いでしょう。
574 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/16(金) 00:28:14 ID:0FWg03/S
まあ、陸軍は「人間社会の縮図」でありますから、極力「縁故」を排除 しようと配慮しても限界がある訳です。
575 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/18(日) 00:33:08 ID:x1GVLcAb
>>558 >>ちなみに「刺突訓練」の話は、腐るほど出てきますがw。
ただし、以下のような証言もあります。前出の『憲兵物語』(森本賢吉著)ですが、
「日本軍は、中国人を『試し斬り』や『新兵に度胸をつけさせるために銃剣で
突き刺し、殺した』というが、世間でいわれるほどは多くなかったと思うよ。
憲兵隊でも、軍律会議で厳重処分を受けた者を処罰するのが原則だから、それら
以外の者を、隊長の専断で『斬る』なんてことはないよ。そんなことは法律違反
だしな。『試し斬り』は、憲兵隊以外の部隊がやることだよ。将校らが、自分の
刀がどれぐらいの斬れ味があるか試してみたいという好奇心からやるわけだ。
指揮官に、そういうことが好きな人がいる部隊が、たくさんある。やらん部隊は
ひとつもやりはせんよ。僕が高い山に登ってみたら、犬がたくさん集まって盛んに
掘りよるけぇ、そこへ行ってみたら、支那人を突き刺して殺していたことはあるよ。
豊潤県でそんなことが二度あったかなぁ。それで、僕はすぐに部隊に行って、
大隊副官に『こういうことを、させちゃあいかん』と文句を言うといたんだ」
576 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/18(日) 01:01:15 ID:x1GVLcAb
まあ「治安戦」の本編でも述べましたが、やはり『中隊長次第』という点では 森本の回想と意見が一致します。ただし森本は憲兵ですから、一般部隊の内情が よく分かっていたか?、というと少し疑問が残ります。 将校が自分の刀の「斬れ味」を試してみたかったと森本は挙げていますが、 そのような「特殊な将校」でも、せいぜい1人か2人を斬れば十分でしょう。 「刺突訓練」とゴッチャにするのは、ミスリーディングだと思います。 さて治安戦の「補論」ですが、今まででお分かりの通り、いわゆる日本兵の 『血生臭い話』を多く取り上げていく積もりです。特に肯定も否定もしない ので、単純にさまざまな証言を多く集めていく形になるでしょう。 何故こんな事をするのかというと、現代日本人はその手の「残虐話」にナイーブ 過ぎると思うからです。左の人間はことさらに恥部だとして非難し続けますし、 右の人間は「臭いものにはフタ」とばかりに無視するか、話を取り上げること自体、 『よく吟味していない』と文句を垂れてきますw。まあ、両者とも根は同じな訳です。
日本ではレーザーブレイドが実用かされていたのだよ。
578 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/18(日) 01:40:34 ID:x1GVLcAb
続いてもう1つの証言を挙げてみましょう。山西省にいた第37師団(熊本) 歩兵第225連隊(熊本)に所属していた1兵士のインタビュー内容です。 支那人捕虜を的にした初年兵時代の「刺突訓練」を次のように回想します。 「はいはい、私もやりましたがな。両方に柱を立てて、(支那人捕虜を) 大の字に手足を縛りつけて。(それはしないといけない命令ですか?の 問いに)ええ、もう命令。私はもう神経が麻痺しとるんじゃろう。別に かわいそうとも思わんかったけど。 しまいには『快快的来(早く来い)』ち、言い出したわ。なかなか良い ところにいかんのじゃわ。で、早う来いち。はよ死にたいちゅうことなん じゃわな。なかなかここ(心臓)にいかん。しかし、刺さるのは豆腐みたい に刺さる。何も着とらんから」 結局、初年兵50名弱の全員が「刺突訓練」をさせられたと云います。これが 初年兵にとっての「血の洗礼」となった訳でが、まあ、娑婆っ気も抜けたでしょう。
カリカチュアした物で言うのもなんだがベトナムのキルゴアだって軍オタ的には不自然な行動じゃない。 プラトーンのヘリで移動中に農民に弾ばら撒くとかもいかにもありそうだったな。 軍律+足らない部分は現地部隊が自分なりの解釈で埋めてしまえば それほど珍しい行為とも思えないなあ。 臭い物に臆病なのは井沢氏辺りなら言霊ネタにして飛びつきそうだが。
580 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/18(日) 22:45:42 ID:2MrcJxzg
>>578 の続きですが、こういう例もあります。同じく第37師団(熊本)の
「病馬廠付き」見習い士官だった人の回想です。
中原会戦(1941年5〜6月)の後に、大量に捕獲された支那人捕虜の内の1人が
『銃剣刺突要員』として後方部隊にも「配給」されてきました。中原会戦中に
日本軍が得た捕虜は3万5千人とも云われます。
この見習い士官は、部下に「われわれが銃剣で戦をするような事態が起こることは
ない。もしそういうことがあれば、とにかくもう終わりじゃ。これで中国兵を1人
殺したからと言って、われわれの任務が向上する訳でもないし、それを体験したから
といって何の役に立つ訳でもない」と説明した上で、捕虜を逃がしました。
部下には「箝口令」を布き、その中国兵は何度も何度も振り返っては頭を下げて
薄暮に消えていったと云います。ここで注意しておきたいのは、上記の見習士官は
「われわれが銃剣で訓練しても役に立たない」と言っていますが、これは勤務して
いるのが『病馬廠』という後方部隊だからです。
581 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/18(日) 23:18:55 ID:2MrcJxzg
さらに1つ例を挙げますと、同じく第37師団に所属する工兵第37連隊の 分隊長を務めていた軍曹は、古年兵が初年兵に捕まえた支那人捕虜を刺し殺す ように命じているのを制止したインタビュー回想が残っています。ただし、 この支那人捕虜は「密偵(スパイ)」として結局、処刑(銃殺)されてしまい ましたが…w。 まあ、いずれにしても上記2つの例は「後方部隊」ゆえのレアケースであって、 前線の警備部隊は粛々と「刺突訓練」を続けていったのが実情です。 それにしても、ここまで「銃剣刺突」が重視されるのは日本軍の戦術 ドクトリンがやはり関連してきます。例えば、敵防御陣地の火力が強力 でも「正面攻撃」は可能であり、とくに『夜襲』による「見えざる攻撃」は 有効な戦術であること、攻撃には火力だけでなく「白兵」も必要で、 『銃剣』は時代遅れの武器でないことが強調されています。
582 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/18(日) 23:41:24 ID:2MrcJxzg
まあ、「白兵突撃」直前までの「支援火力」は必要だが、近代戦において 真に重要な要素は『精神力』云々……ということになる訳です。とくに 「夜襲による白兵(銃剣)突撃」によって戦勝を確保するという作戦教義は 太平洋戦争が始まってからも続いていた訳ですから、当然、日中戦争段階に おいては支配的なものでした。 したがって、日本陸軍では「銃剣刺突訓練」がことのほか重視された訳です。 ただし、捕虜を使って実際に「刺突訓練」をしたというのは支那戦線特有の 現象であって、やはり興味深いものがあります。 では「銃剣突撃」が支那戦線において有効だったかと云えば、その答えは 大いに『イエス』です。日本軍の白兵突撃は、戦闘の大小を問わず、ときに 弾薬量で勝る支那軍を敗走させていますし、陣地奪取では毎回このパターンです。 大東亜戦争の前段階である日中戦争において、白兵突撃が効果的であり過ぎた のが、米軍を相手とした後半の太平洋戦争で痛い目に遭う原因となるのですが…。
583 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/18(日) 23:56:46 ID:2MrcJxzg
1つ例を挙げてみましょう。中支の話ですが、国府軍系の大規模堡塁を、 ある「1個中隊」が攻め落とすことになりました。現地の部隊からすれば 『要塞』と言っても過言でない程の規模で、その土壁は75ミリ砲でも 歯が立たないのです。 そのため150ミリの96式榴弾砲1門が急遽用意されて、中隊が突撃発起 する際の「支援砲撃」を行なった訳ですが…。 1発は要塞の手前に落着、1発は土壁の少し上の方に見事命中して大穴を開け、 1発は要塞を飛び越し、1発は土壁の根本ギリギリに落ち、1発は遥か手前に 落ちました。結局、重砲の支援はこれら5発だけで打ち止めです。 その後、中隊は「銃剣突撃」して(もちろん中隊保有の機関銃や擲弾筒で支援)、 見事この『要塞』を陥落させましたとさw。この中隊長は玉砕覚悟だったそうです。 あるいは、自分は大隊長に睨まれて「捨て石扱い」なのかと…。
まあ、ある意味、こんな「無茶な突撃」が成功してしまうのは相手が 支那人であったればこそです。で、精神力でどうにかなってしまうと、 英雄譚・美談・戦訓になれば、その後どうなるかは目に見えていますw。
>>579 >>べトナムのキルゴアだって軍オタ的には不自然な行動じゃない。
ッ-ヘ。__。ヘ ./ー- 、
レ, '´゚ `,〉 /==ヽ i
i ハ)))ハ))ノ) ム, |/
イオi ゚ ヮ゚ノヘ / まあ、中佐もキルゴア中佐も似たような
,ぐ`i盃、ツつr'ソ 人種かね。98式直協機に「死神参上
,メ∪イ-i、ゝ (death from above)」と書かれた愛機で
゙'ーi_'ォ_ァ" 颯爽と登場した時には正気を疑ったよw。
もちろん後部座席から飛び降りますw。
| ___ |⌒⌒ヽ |ノ)ノ))ハ) ダレモイナイ…? | ゚ ヮ゚ノ) クルクル スルナラ イマノウチ…(はぁと ⊂」ネl」) |#,#ハ |フ_フ" ___ ., '´⌒⌒ヽ i´ )ノ)ノ))ハ) メ)ハ)゚ ヮ゚ノl) かざみ 0)#」ネl」)つ (( ,<´_#,#ハ ` "i_フ_フ" ててて… ___ .,'´⌒⌒ヽ i´ )ノ)ノ)ハ) ハ)ハ)゚ ヮノl) ゆぅ〜か〜 ⊂)#」ネl」0 (( ,<´_#,#ハ ` "i_フ_フ" くるくる〜
___ , ' ⌒⌒ヽ i´)ノ)ノ))ハ) (ハ)ハ(ハノ(l) ひまわり〜 ⊂)####」つ (( ,<##,##ヽ `"i_フ_フ" くるくる ___ /´⌒⌒丶 (ハ)ノ))ハ ノ i ハl.ヮ.^ノl)ハメ くるくる〜 ⊂ノ#lネL#(つ (( ハ_#,#_#_ヽ ゛ しし' "´ くるり ___ ., '´⌒⌒ヽ i´ )ノ)ノ))ハ) メ)ハ*^ヮ^ノl) くるる〜 0)#」ネl」)つ (( ,<´_#,#ハ ` "i_フ_フ" くるりん
じろり
>>586 いますよ。
スレに貢献できなくて申し訳ないですが、
読ませていただいています。
いつもありがとうございます。
》 98式直協機に「死神参上(death from above)」 「ファイテンション☆デパート」内の「アームズラリー」で、ムラクモ号車内に「武運長久」「家内安全」と張り紙されているのを思い出したw
___ ., '´⌒⌒ヽ キメッ i´ )ノ)ノ))ハ) メ)ハ*゚ ヮ^∩ ゆぅーかーりーん♪ < ⊂)#」ネl」)ノ そ < ,<´_#,#ハ て < ` "i_フ_フ" そ ビシッ ___ ., '´⌒⌒ヽ i´ )ノ)ノ))ハ) メ)ハ ゚ ヮ^∩ < …… ⊂.)#」ネl」)ノ ,<´_#,#ハ ` "i_フ_フ"
___ ., '´⌒⌒ヽ i´ )ノ)ノ))ハ) ……はぁ…暇ね… メ.)ノ)´゚.-゚ノi) =3 < #」ネl」) ,<U´#,Uハ ` "i_フ_フ"
青森県:早道之者 山形県:羽黒衆 宮城県:黒脛巾組 新潟県:軒猿(担猿、陰猿) 富山県:薬売り 石川県:偸組 福井県:忍之衆 東京都:御庭番(公儀隠密) 神奈川県:風魔党 山梨県:透破 長野県:戸隠衆 愛知県:饗談 岐阜県:美濃透破 滋賀県:甲賀衆 三重県:伊賀衆 京都府:志乃比 奈良県:奪口 和歌山県:根来衆 島根県:苫屋鉢屋衆 広島県:外聞 熊本県:関やぶり 鹿児島県:山くぐり
594 :
名無し三等兵 :2007/02/19(月) 14:42:17 ID:ZxRFQFjk
この戦争では任天堂からアメリカ軍へ、「ゲーム会社が出来る唯一の戦時支援」として 当時発売されたばかりのゲームボーイが数万台送られ、現地兵士の暇つぶしとして 役立ったといわれている。戦後、空爆を受けて倒壊した家から、表面が焼け爛れた ゲームボーイが発見されたが、ゲームの起動にはまったく支障が無かったという話も残っている。
【琉球国の建国…『ソウル』、『マムマ』、『アンサラム』、沖繩の言葉と類似】 【日・古文献の分析、現場踏査を含めた著書を来月出刊】 新羅時代の于山国(現在の鬱陵島)住民約1,000人が、西暦513〜514年頃に日本の 南端である沖繩島に移住し、12世紀末まで25代にわたり王位を継承していたという 主張が申告された。 昨年、『独島領土権原研究』論文で成均館(ソンギュングァン)大学の博士学位を受けた 鮮于栄俊(ソンウ・ヨンジュン)首都圏大気環境庁長は、「日本の古文献の調査と3回に わたる沖繩の現地踏査を通じ、沖繩の旧称である『琉球国』が『古代の鬱陵島住民の 移住によって起こされた国』、という事実を裏付ける証拠を見付けた」と、21日に明らかに した。
ようやく帰宅…orz.w 今日はマシな方…w。
600 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/22(木) 22:30:44 ID:qvDK5df3
スイマセン。忙しくて記憶で書いたら
>>583 は大間違いでしたw。
>>そのため150ミリの96式榴弾砲1門が急遽用意されて、中隊が突撃発起
>>する際の「支援砲撃」を行なった訳ですが…。
自分の勘違いで、これは96式榴弾砲ではなく、同じ150ミリの口径ですが
正しくは『4年式榴弾砲』でした。ちなみに96式は1936年を意味し、4年式は
1915年(大正4年)を表しています。また支援砲撃の弾着ですが、
●1発目が遠くはずれ、●2発目が四角型堡塁の中庭に落ち、●3発目が堡塁土壁の
上部中央に命中し破壊口を開け、●4発目は至近弾で外れ、●5発目の命中を祈って
いると「突撃発起」の信号が上がったw
というのが実際です。ちなみに土壁に当たらないと突破口が出来ませんので意味が
ありません。余談ですが、4年式榴弾砲はコーエーの『日本陸戦兵器名鑑』の口絵に
実際に射撃している写真がカラーで載っているので非常に参考になります。
601 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/22(木) 22:50:11 ID:qvDK5df3
「刺突訓練」の話の続きですが、それに関連して将校が行なう場合の 捕虜処刑も取り上げてみましょう。以下、部隊名などは不明ですが、 エピソードを要約すると以下の通り。 15人の(支那人)捕虜たちは、手をきつく縛られたせいか、手首が ただれて赤く腫れあがっていた。重い弾薬を首にぶら下げさせられて 歩かされる、その苦しさに耐えられなくなったのか、「どうせ殺される のなら早く殺してくれ」と言った。 「それなら」と適当な場所を探し、堤の土手で処刑することにした。 打ち首である。小隊長は何のためらいもなく、むしろ悠然としたような 顔をして両手で力一杯斬るのだが、首は完全に斬り落とされることは 無かった。首が斬られ、血がパッと飛んだ瞬間、捕虜の身体は反射的に 一間くらい前の池の中に投げ出された。まだ少し息があるのか、口を パクパクさせ、目を白黒させていた者もいた。
602 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/22(木) 23:10:18 ID:qvDK5df3
残りの2、3人になった時には、刀はすでに曲がって斬れなくなっていた。 それでも最後の1人まで小隊長ひとりで処刑した。私達は5、60人いたが、 その一部始終を皆、「やった!」「やった!」と面白半分に騒ぎながら見ていた。 小隊長は、15人やり終わった後、得意気な顔をしていた。我々は小隊長の 行為に対して「勇敢な人だ」と口々に賛嘆した。 と、まあ、こんな感じです。兵士は銃剣で突き、将校は斬首するというのが 定型化された処刑方式です。ただし、支那戦線では正規に軍刀の所持が許されて いる「帯刀本分者」以外にも、多くの下士官・兵が私物の軍刀を持ち込みました ので、これらの例外が無かった訳ではないでしょうけど。 まあ、支那人は「外見」から人を露骨に判断しますからから、軍刀を吊って ないと舐められるという特殊事情もありますw。
603 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/22(木) 23:48:56 ID:qvDK5df3
>>570 >>1000人斬っても切味がそのままの軍刀はありません!!!
>>577 >>日本ではレーザーブレイドが実用かされていたのだよ。
まあ、音速の3倍で振れば何人でも斬れますよw。武装参謀団では最低条件ですw。
という話はさて置き、上記のエピソードでは10人の首を斬ったぐらいで刀身が
曲がって使い物にならなくなっています。まあ「相場」としてはこのくらいでは
ないでしょうか。
ただし、斬るときに刃が少しでも寝たりしていると処刑する捕虜が即死できずに
苦しむことになります。「寝る」というのは斬り込んだときに刃が垂直に入って
ないという意味ですね。ゴルフで言うと、ダフったりトップする事にあたります。
人間の首を斬るというのは、青竹やバット・机の脚を両断するぐらいの負荷は
かかりますから、刀の質にも因りますが下手な角度で切り込むと直ぐに曲がる
でしょう。
604 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/23(金) 00:12:47 ID:T9a3p8Sf
まあ、あと血脂で刀が斬れなくなるとよく言いますが、これはハサミで ガムテープを切っていると、刃に糊がついて次第に全然切れなくなるのを イメージして貰えれば早いでしょうか。日本刀は「引いて」斬る訳ですから 本当に斬れなくなります。まあ、それでも打ち殺すことは出来ますが。 刀に付着した血脂はすぐに白くなり、時間が経つと固形化して、そうなると 布で拭った程度では絶対に取れなくなります。これを「地脂が乗る」とも 言いますが、研がないと駄目ですし、最悪放置すると錆びてしまいます。 人間の脂が取れにくいのは、例えば、携帯電話の画面についた顔の脂が いくらハンカチなどで拭っても残ってしまうのに似ていますでしょうかw。
>>小隊長は、15人やり終わった後、得意気な顔をしていた。我々は小隊長の >>行為に対して「勇敢な人だ」と口々に賛嘆した。 ヘ イ"´ ̄`'ヽ | i.|ノリハノリ〉_ ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn 中佐の貴重な「武勇伝」、ありがとうございました。 ゝ,<,_,i`ハ´i,〕ツ さっそく記事にさせていただきますね。 `,し/~/:ハ `'ィ ァ~ィ ァ´ T T
606 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/23(金) 00:33:23 ID:T9a3p8Sf
ちょっと、ちょっと『100人斬り』みたいな捏造記事は勘弁して下さいw。
それに、
>>601-602 は、50歳くらいの『老小隊長』の話ですよ。うーん、
年のわりに元気というか、でも何人か斬り損なっているみたいでしたから、
処刑された支那人がさすがに気の毒な気もしますw。
まあ、兵たちの前で「求心力」を高めるために1人で全員を処刑したのかも
しれませんね。
>>606 >>『100人斬り』みたいな捏造記事は勘弁して下さいw。
ヘ
イ"´ ̄`'ヽ
| i.|ノリハノリ〉_
,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn 捏造? んなバカな!
ゝ,<,_,i`ハ´i,〕ツ 私の書いたことが『真実』になるのですよ?
`,し/~/:ハ
`'ィ ァ~ィ ァ´
T T
608 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/24(土) 00:25:43 ID:ZI/99+qy
>>603 >>斬るときに刃が少しでも寝たりしていると処刑する捕虜が即死できず
正確には『刃筋を立てる』と言いますが、どんな体勢にあっても相手に向かって
きちんと刃筋を立てて斬り込めるのが日本刀を使う上での「最低条件」な訳です。
さて「刺突訓練」の話がダラダラ続きましたが、そろそろまとめたいと思います。
最後にもう1つだけ例を挙げましょう。次の補論のテーマが「治安戦での日本軍の
残虐行為とはどの程度のものだったのか?」ですが、その中心人物の予告編でも
あります。山東省の青島に駐屯していた独立混成第5旅団(宇都宮)所属の独立
歩兵第19大隊の第1中隊の例になりますが――。
太平洋戦争が始まった頃に、中隊長をしていたのが柏崎Y中尉です。周辺の支那人
住民からは『柏崎鬼子』と怖れられていた曰くつきの人物ですが、ここでも「刺突
訓練」が行なわれていました。
609 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/24(土) 00:49:24 ID:ZI/99+qy
『柏崎鬼子』とは言っても、支那人に対して鬼なだけであって指揮官としては 勇猛であり、戦闘精神旺盛で、部下の面倒見がよく細かな配慮が行き届き、性格は 鷹揚で、中隊長だからといって威張り散らすことも全然なく、非常に読書家であり 夜には隊長室でひとり尺八を鳴らす風流人でもある『名中隊長』と呼んで全く 差し支えない人物でした。 ただし、支那人に対しては情け容赦がありません…w。今まで「治安戦」テーマを 読んで来られた方には「ああ、アノ人物か」と察しが付くかもしれません。今まで 名前を伏せていた場合もありますが、既に何回か登場しています。 以降、柏崎中隊長の話は『華北戦記』(桑島節郎著、図書出版社)に全面的に 拠ります。1942年ごろの話ですが、柏崎中隊長は実戦教育の一環として、 初年兵に「捕虜の刺突訓練」をたびたび命じていました。
610 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/24(土) 01:16:07 ID:ZI/99+qy
ちゃんとした捕虜ならまだ良いのですが、著者の桑島が推測するに、 どうも付近の農民も「刺突訓練」の的にしていたと云いますw。 八路軍の情報を得るという名目で住民を連行したり、通敵している疑いが あるといって捕えたりします。すごい理由ですと、炊事や風呂の薪を集めて 持ってこいと言ってもなかなか来なかったと怒って、村長をも連行します。 シマイには、これらの支那人を釈放しないで初年兵の腕だめしや度胸だめし にも使いましたw。 街の門を出たすぐ右手に、背の低い松の木が何本か生えており、そこに縛り つけて「刺突訓練」が始まります。「やれ」と言われて出来ませんと、まず 間違いなく上官から顔が変形するほど、立って歩けないほどに殴られます。 捕虜の「刺突訓練」を行なっていたのは、柏崎中隊長の第1中隊だけかと 著者の桑島は最初思っていたようですが、ある時、大隊本部へ連絡任務に 行ったときに他の中隊の人間に聞いてみたところ、
611 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/24(土) 02:02:31 ID:ZI/99+qy
同じく山東半島の「威海衛」に駐屯していた第2中隊など、第3中隊でも 「刺突訓練」が行なわれており、第4中隊だけがありませんでした。ちなみに 独立歩兵大隊は4個中隊編成です。これは大隊討伐などで、各中隊の兵士が 一同に集まるときに聞いても同じだったようです。 また北支那方面軍の「実戦のように訓練し、訓練のように実戦せよ」という スローガンは既に紹介しましたが、山西省の日本兵残留問題に大きく絡んで くる城野宏(終戦時:中尉)も、「北支那方面軍は『かつ教え、かつ戦え』 というスローガンを出し、『実弾、実剣、実敵』を用いて精兵を訓練せよと 指令していた」と言っています。 ただし城野宏自身、かなりトンデモな人物ですからあまり当てにはならないと 思いますがw。東京帝国大学法学部を卒業していることで、非常に信用を得られ やすかったようですけど、経歴を見ると非常に胡散臭いw。まあ、この人が 戦後に色々やっていた頃には、年代的に自分はまだ物心がついていませんので よく分かりませんw。あと、上記の城野の発言は『潮』でのものですしw。
612 :
俄将軍 :2007/02/24(土) 13:35:34 ID:???
>>598 「大琉球」「小琉球」ということになると、沖縄県だけでなく、台湾も、朝鮮
半島の勢力下、ということになるのか、などと、嘯いてみたり。
軍事政権下であれ、民主化後であれ、反日政策を国是として、反日教育は、強
化、ということになると、「再入国禁止を含む帰国事業」「厳格な再審査」
といった「御一新」によって、民族紛争、地域紛争を回避するが、吉、
ということになるのか、などと。
約30年前の小学生の頃、学校で友人と刺凸訓練ごっこをしていたら先生に怒られました。
>>613 >>学校で友人と刺凸訓練ごっこをしていたら先生に怒られました。
, ‐‐-、___
/ ., '´⌒⌒ヽ
./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ)
|| メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) それはやっぱり、一方を木に縛りつけ
ヽ. _Q)#」ネl」)つ たりするのかしら?w 私も大尉に頼んで
 ̄ ,<´_#,#ハ やらせてもらったけど、すっごいグリグリする
` "i_フ_フ" のが面白い! 楽に死ねると思うなよ、とかーw。
615 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/25(日) 02:34:03 ID:gE1HLUDY
約30年前というと、1970年代ですか。 「刺突訓練」を現代に無理やり当てはめて考えると、最近またキナ臭いヤクザ屋さんが 新入りの構成員に練習で、実際に人を撃たせてみるというのが一番近いですかね。仮に それがヒットマン(捨石)要員だとしても、現代ではあり得ませんよね。その場合の 練習台は、支那人か在日朝鮮人か……w。 逆に言いますと、「刺突訓練」を行なっていた支那戦線での日本軍というのは、やはり どこか異常だったと言えます。まあ、支那人を単なるチンピラゴロツキか、無尽蔵に 湧いてくるボウフラだったと考えていれば、不思議ではありませんけどw。 しかし、支那人の命なんてどうでもいい事であって、問題は「刺突訓練」の有効性 そのものです。いざ実戦となった時に、躊躇なく敵を殺せるように、ということ でしょうが(もしくはシャバっ気を抜く)、皆さんはどう思われますでしょうか?
616 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/25(日) 02:57:43 ID:gE1HLUDY
すなわち、●「刺突訓練」をしていたから、実戦で躊躇せずに敵を殺せた ということが、あるのかどうかです。まあ、ある意味「検証不可能」です。 実際に「刺突訓練」をやらされてトラウマとなり否定論を述べている兵士は、 戦闘になれば自分の命が懸かっているから、こんな「刺突訓練」なんてせず とも、ちゃんと敵を倒せたと主張します。また、刺突訓練をやっていない部隊 だってあった訳ですから、それらの部隊の兵士が敵を倒せなかった訳では無論 ありません。 ただし、自分は一概にそうとは思いません。すなわち「刺突訓練」にも有効性が あったのではないかと考えます。現代でも、暴漢に襲われたときに身が縮んで しまってロクすっぽ抵抗できなくなるのはよくある事です。声も出ないことも 珍しくないでしょう。女性がキチガイに襲われたときや、男でも「怖い人」達に 絡まれたら、ちゃんと動けるかどうかは実際にそういう目に遭ってみないと 疑問でしょう。
正義の戦争であった大東亜戦争でそのような 武士道にもとる行為があったというのはシナの手先の妄言です。
618 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/25(日) 03:19:18 ID:gE1HLUDY
戦闘で白兵戦となったり、例えばトラックの警乗をしていて八路軍の 待ち伏せ攻撃を受けて、土民兵が「打殺(ダース)!、打殺(ダース)!」 と自分に襲いかかってきた時に、ちゃんと貴方の体は動くでしょうか? しかし、それでも「刺突訓練」をやっていたから役に立ったとか、逆に やっていなかったから「されるがまま」だったというのは検証不可能です。 もし目に見えて実効性が確かめられるなら、支那戦線の他の占領地でも きっとやっているはずですw。その意味でも「支那戦線」は特異な訳です。 結局、「刺突訓練」に否定的な回想を述べている兵士たちは、言い訳の きかない『殺人』を強制されたことへの恨み節がほとんどです。これらの 兵士とて、戦闘ではしっかり支那人を殺したりしている訳ですが、それらは 当然の事として普通に回想や記述をしています。 まあ、「相手を殺さなければ、自分が殺されていた」というのは殺人をする上での 『自分への』最大の言い訳になります。そして「刺突訓練」ではそれが効きません。
619 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/25(日) 03:44:04 ID:gE1HLUDY
まあ、『治安戦』テーマの補論1「刺突訓練」は、投げっ放しジャーマンの ごとく終わりますがw、刺突訓練の意義は、皆さん自身が初年兵だったらと 置き換えてみて考えてください。
有名な本なのですでに拝読されていた場合はご容赦を 今回のテーマであった銃剣による刺殺が有する意義や、刺す側、刺される側の 兵士に与える影響については、デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心 理学』(ちくま学芸文庫)の第17章に詳しい考察が行われている ・実際の戦場では、兵士はかなりの確立で銃剣による刺殺ではなく銃床による 打撃を選んでしまうこと ・銃剣による刺殺は、自分が殺したことが明確になる近距離での殺害行為であ るため兵士個人に深刻なトラウマを残す可能性が高い ・銃剣で殺すことへの抵抗感は銃剣で殺されることへの恐怖感とイコールであ り、実際に銃剣突撃が行われる際は、実際に銃剣を交える前にどちらかの部隊 が総崩れになってしまう ・相手からの視線が有る場合では、刺すことへの大きなプレッシャーが存在。逆 に相手が背を向けて逃走に入った場合にはプレッシャーが消滅するため容赦な い攻撃が可能。総崩れになった部隊が多数の死者を出すのはこれが原因 また、兵士個人個人が戦場での殺人をどのように心理的に合理化しているかとい う分析も行われており、その重要な一要素が「集団免責=匿名性と集団性」であ る。刺突訓練はこの要素を持たないがためここの兵士にトラウマを残してしまう ことになる
これは個人的な意見ですが、愛国心とは教育や人から教えられて身につくとは限らないですね。 また、声高に叫んでいる人ほど見事にない人が多いですね。 何かを求める扇動者(政治家や運動家・軍人)が減らないわけです。 自分の国を愛するとか、好きだとか、いいなーと思うのは日々の生活から自然に身につくものだと思いますね。 例えば、太平洋戦争中でも、見事に戦った軍人達はほとんど、声高に繰り返し愛国心なんか 叫んでないですね。その分を見事に任務で全うしている。
623 :
名無し三等兵 :2007/02/25(日) 20:36:00 ID:/KAewsWm
マダカナマダカナ
塹壕戦の話だったと思うが米軍が兵士の発砲率を調査したら 100%近くになるべきが5割行かなかったなんて話も聞いたからなあ。 ダニガンだからソースは省略されてるが、信憑性は高そう。
625 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/25(日) 22:26:42 ID:LWmkLKeE
>>621-622 これは良い本をご紹介いただきましてありがとうございます。恥ずかしながら
まだ未読でしたので、CDを返しに行くついでに早速本屋で購入してきました。ページを
パラパラと捲ってみて、これは良著だと確信しました(今ごろなんて言わないでw)。
>>『戦争における「人殺し」の心理学』(デーブ・グロスマン著、ちくま学芸文庫)
2004年5月の初版で、自分の買ったのが2006年12月の「7刷目」。この手の
学芸文庫でしたらベストセラー言って過言でないですね。
>>621 でまとめて頂いた要点
を一読しただけでも、自分の頭の中でモヤモヤしていたのが非常にスッキリしました。
デーブ・グロスマン曰く、「……ここまで見てきたのは、平均的な兵士は同類たる
人間を銃剣で突き刺すことに強烈な抵抗感を覚えること、そしてそれに勝るのは
自分が突き刺されることへの抵抗感のみだということである」
「実際、その『ごく私的な残忍性(個対個の意味か?:イナ注w)』のために、
銃剣殺人はどの点から見ても、心理的トラウマの可能性が極めて高い状況である」
626 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/25(日) 23:01:16 ID:LWmkLKeE
>>621 >>銃剣による刺殺は、自分が殺したことが明確になる近距離での
>>殺害行為であるため兵士個人に深刻なトラウマを残す可能性が高い
戦闘のドサクサですと、刺したけどひょっとしたら相手が死んでいなかった
かもしれないと「自分を誤魔化す」ことも出来ますが、「刺突訓練」の場合、
基本的には『処刑』で衆人環視のもとで行なわれるものです。銃殺刑のように
多数が1人を撃つ訳でもなく「個対個」ですから、これ以上、自分が殺した
ことが明確になる近距離での殺害行為も無い訳です。
>>相手からの視線が有る場合では、刺すことへの大きなプレッシャーが存在
しかも「刺突訓練」は、処刑する捕虜と至近距離で面と向かって刺す訳ですから、
グロスマンが挙げる「心理的トラウマ」の条件をよく満たしていますw。
627 :
名無し三等兵 :2007/02/25(日) 23:06:43 ID:6fZYM+0h
_,, ィヵ / .|i .| ,/''/ /' il .ト、 / / /,' i .| `>' / /,' i .| / ノ:`ヽ /,' イ.| ' " X ノ /.,' .i .| / イヾO / ,' i .|/ :/ / ,' vip.i | :/ \ / ,' デ イ |/ \_,, ィ'⌒/ ,' - i/ />、 ン::/ ,' ル ,-,ニ 、 /<ヽン / ,' / / ::ノ 〉-'"^' , / ,' / / :/ / , ' /レヘ/ ::/ / >、 (/ンヘ<(__;; イ-‐ァ ミ / / 7':::::/' 〉:: ノ ヾ /⌒ヽ,ィツ /:::/' ,-( ノ) ) ヾ / / ,ィツ、__)`ー(彳ヽ/ :ノヽ 'ー ' / ヽ、 ツ .:::) >、ヽ''/フ / .:>ー'" ⌒)ヘ(/:::::〉::: / (( ヽ--‐'"彡 '〜"( ノ)) ヾ' `ー'ー' このスレは常にVIPによって監視されています
628 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/25(日) 23:26:41 ID:LWmkLKeE
例えば、山東省での例を挙げましょう。「刺突訓練」ではありませんが、 「捕虜処刑」のケースです。ある村で日本兵1人が行方不明となり、近くを 歩いていた農民を捕えて詰問したところ、どうやら殺されて埋められたらしい ことが判明します。すると突如、部落の方で激しい銃声が起こり、八路軍が 迫ってきました。討伐隊を率いている大隊長は捕虜(農民)の処刑を決心し、 曹長が救護班の兵隊を指定して始末を命じました。 後ろ手に縛られた農民2人が数珠つなぎに並べられて、銃剣を目の前に構え られると、「我的好々的老百姓、不是八路別殺死!」(オオデホウホウデロー ベシン、ブシュパールビェシャス!:俺はただの農民だ。八路ではない、殺さ ないでくれ!」と大声を張り上げて騒ぎ出します。 兵士たちが尻ごみしていると、「医務室の兵隊、意気地がないぞ!」と先程の 曹長が叱咤します。大隊長と副官が見ている前で引き下がる訳にはいきませんので 結局、救護班の分隊長が部下の銃を奪って「見ておれ、こうして突くのだ!」と 代わりに処刑しました。
629 :
359 :2007/02/25(日) 23:38:39 ID:???
>>359 ですがどこの部隊か分かりましたんで、一応報告。
第百一師団長の
伊東政喜
斎藤弥平太
の第二次上海事変から徐州、武漢、南昌そして帰国までの写真集でした。
ついでに、昨日歩兵第十八連隊十一中隊の第二次上海事変の戦記を発見しました。
その内に読もうと思ってます。
630 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/25(日) 23:39:24 ID:LWmkLKeE
このとき分隊長が、銃剣を構えて、今まさに突こうとしたとき、再び 悲痛な声で絶叫します。「我的好々的老百姓、不是八路別殺死!!」。 まさに断末魔の叫びであり、カーッと見開いた「鋭い眼光」は今もって 忘れることができないと回想しています。 ちなみにこの時は2回刺したそうでして、両方とも剣尖が背中に20センチ ほど突き出していました。この兵士の場合、終戦後もしばらくの間はむごい とも可哀相だとも思わず、たまに思い出すことはあっても、「上官の命令 だから仕方が無い。戦争だもの、当然のことさ」と平気だったそうです。 ところが40歳を過ぎたころから、上記の分隊長は、農民(捕虜)刺殺の事が 妙に気にかかるようになり、毎年7月10日(刺殺した日)が巡ってくると 決まって思い出すようになったと云います。殺した農民の顔がありありと眼前に 浮かんできて、まあ心理的トラウマ以外の何物でもないでしょう。この場合は、 何十年も経って、歳をとってから発症したケースですね。
631 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/25(日) 23:55:30 ID:LWmkLKeE
また時には、八路軍の工作員(密偵)が捕えられて銃剣などで処刑され ましたが、さすがに学歴のあるインテリが多かったため、上記の農民の ようにジタバタ騒ぐことは少なかったようです。それでも「視線」が突き 刺さってくるのに変わりはありませんがw。 まあ、その分「抗日精神」旺盛というべきか。日本軍(小規模な分遣隊)の 通訳として潜り込んでいるケースがよくありました。学歴について例えば、 チャハル省の尉県にいた八路軍の工作員53名の場合ですと、 ●大学卒2人、●師範卒20人、●中学卒10人、●高等小学卒10人、 ●商人、戦士11人となっています。当時の支那の教育レベルを考えると 相当の高学歴と言って良いでしょう。 ついでに補足しておきますと、一連の話を読んでお分かりの通り「捕虜処刑」と 「刺突訓練」の区分はときに曖昧で、どうせ処刑するなら訓練代わりに初年兵に やらせておけ、みたいなケースも多い訳です。あるいは「押し付け」かもw。
633 :
名無し三等兵 :2007/02/26(月) 00:00:35 ID:ONNP31gI
また訳の分らないことを・・・・ 1.八路も軍閥軍も捕虜になる権利が無いから捕虜になれない 2.そもそも捕虜を殺すのは処刑でない 3.支那人は死に臨んで静粛である ∴電波本か捏造本
>>『戦争における「人殺し」の心理学』(デーブ・グロスマン著、ちくま学芸文庫) ,. -- 、 ,ヘ,´,.、 , ヽヘ ^Y ルレハ)ノリ^ 著者名が「デーブ・グロスマン」なので、ちくまの /イリ ゚ ヮ゚ノi 学芸文庫の『て』の棚ばかり探して「おかしいなあ、 ,へk_〉`イ_!〉、 見つからないなあ」と2軒ぐらい書店を梯子していた ⌒く_ノ/`i´lj⌒ みたいですよ。もちろん、『く』の段にあった訳ですけど。 ゙'ーi_'ォ_ァ" 中佐さんも「アホの子」みたいなこと、するんですねw。
635 :
名無し三等兵 :2007/02/26(月) 00:37:01 ID:A+u3bW/A
続きまだですか?楽しみにしてるんです。
>>29 日中戦争従軍兵の本を読んだが
江南では「日本兵には中国兵10人がかりで当たれ」とか言われてたそうな
ティーゲル1台攻略するのにシャーマン5台懸かりが義務付けられてたのに似てる
637 :
名無し三等兵 :2007/02/26(月) 18:09:34 ID:i/RwFbN3
日支すなはち一對十
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070226-00000077-jij-int 旧軍幹部らが吉田首相暗殺狙う=52年夏、クーデター企て−CIA文書
2月26日16時0分配信 時事通信
【ワシントン26日時事】1952年7月、当時の吉田茂首相に不満を募らせた
旧日本軍幹部らのグループが一時、クーデターを計画していたことが、
25日までに解禁された米中央情報局(CIA)の文書で明らかになった。
吉田政権転覆を狙ったクーデター計画の存在が公文書で裏付けられたのは初めて。
52年10月31日付のCIA文書によると、クーデターを企てたのは
元参謀本部作戦課長の服部卓四郎氏(故人)ら。
自由党の吉田首相が公職から追放された者や国粋主義者らに敵対的な姿勢を取っているとして、
同首相を暗殺し、民主党の鳩山一郎氏(同)を首相に据える計画を立てた。
しかし、服部氏の友人で元参謀の辻政信氏(同)が「今はクーデターを起こす時ではない」と説得。
グループはクーデターは思いとどまったものの、政府高官の暗殺を検討したという。
最終更新:2月26日16時0分
639 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/26(月) 22:42:36 ID:YDGwP5sQ
>>621 >>兵士個人個人が戦場での殺人をどのように心理的に合理化しているか
あとは「上官に対する服従」もありますよね。要するに『命令だから』という
やつです。『戦場における「人殺し」の心理学』の内容とは違いますが、以下の
ようなケースもあります。
1960年代に行なわれたスタンレー・ミルグラム(生1933年―没1984年、イェール
大学とペンシルバニア大学で教鞭)という心理学者の『権威への服従実験』ですが、
これはごく普通の市民であっても、命令者の権威が正当なものであると認められれば
各自に与えられた役割を忠実に実行して、『他者に危害を加える』ことも辞さない
という実験結果です。
たとえ「命令に従わなくても何ら罰則のない」状況であったとしても、人は役割を
与えられれば忠実に実行するのです。『命令』という軍紀が最重要視され、不服従に
対する罰則も非常に厳格な軍隊組織であっては尚更です。
640 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/26(月) 23:04:38 ID:YDGwP5sQ
ミルグラムの『権威への服従実験』の内容ですが、以下の様なものです。 イェール大学で『記憶と学習の実験』(本当は「服従実験」)と称して、 男性被験者40人を集めます。そこで彼らに「教師」の役目を与え、別の 「生徒役」の人間が誤答するたびに、順次強度を上げて「電気ショック」を 与えるよう監督・指示を出すという内容です。 15ボルトから始まり、最大450ボルトまでの罰則レベルが設定されました。 ちなみに一般家庭が100ボルトで、オール電化の住宅で200ボルトですw。 ちなみに450ボルトまでスイッチを押す「残酷な教師役」の人は、千人に 1人もいないのではないかと心理学者は予想していましたが、ところがどっこい 450ボルトの「最強度の罰則」を加えたのが40人中26人と40%以上、他の 14名も300ボルト以上の罰則を加えるという驚くべき結果となりました。 まあ、いかに「権威」に対して人は服従するかという内容です。
641 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/26(月) 23:19:11 ID:YDGwP5sQ
ちなみに「生徒役」はサクラで、実際には電流は流れていません。レベルに 応じて痛がる振りをするだけで、例えば300ボルト以上ですと壁を掻き毟る だとか、それ以上になると気絶だとか……。450ボルト以上流した「教師役」 の人は、もう無反応の人間に質問してスイッチを押した訳ですw。 また教師役がスイッチを入れるのに躊躇しても、監督者は「自分が責任を取る から」と執拗に勧めます。こうした実験内容から、よくアウシュビッツが引き 合いに出されて、人間は(権威から)命令されたら大抵のことはヤッちまうんだ とよく言われますw。 まあ結局、何が言いたかったと云うと「上官からの命令」ということで 残虐行為を行なっても相当程度、自分の中で「正当化」できてしまう訳 ですが、「刺突訓練」(銃剣殺害)はそれを上回る心理的トラウマを 残すのではないかと考えてみたりw。
まあ、でもこれはビジネスでも同じですよね。会社の上司から命令されれば 何でもホイホイしてまうのかと言えば、そうでもないでしょうし、納得でき ないことも非常に多いでしょう。 しかし、その一方で自分では何も決断できないので、上司にいちいち判断を 仰いで、結果がどうなろうと「上司がこう言ったんだから……」と自分に 言い訳をするダメダメ社員も多いんですけどねw。
ちと訂正w。 ×:「刺突訓練」(銃剣殺害)はそれを上回る心理的トラウマを 残すのではないかと考えてみたりw。 ◎:「刺突訓練」(銃剣殺害)はそれを上回る心理的ストレスを 与えるのではないかと考えてみたりw。
644 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/27(火) 00:03:00 ID:pPNMeaXL
>>『戦争における「人殺し」の心理学』(デーブ・グロスマン著、ちくま学芸文庫)
ちなみに著者のデーブ・グロスマンの「経歴」を念のため挙げておくと、以下の通り。
米国陸軍に23年間奉職。陸軍中佐。レンジャー部隊・落下傘部隊資格取得。
ウエストポイント陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授、アーカンソー州立大学
軍事学教授を歴任。98年に退役後、研究執筆活動に入る。
>>624 >>塹壕戦の話だったと思うが米軍が兵士の発砲率を調査したら
>>100 %近くになるべきが5割行かなかったなんて話も聞いたからなあ。
『戦場における「人殺し」の心理学』では、第二次大戦中、アメリカのライフル銃兵は
15〜20%しか敵に向かって発砲していない、とか凄いことが書かれていますw。
ただし、発砲しようとしない兵士たちは逃げも隠れもしない(多くの場合、戦友を
救出する、武器弾薬を運ぶ、伝令を務めるといった、時に発砲するより危険度の高い
仕事を進んで行なっている)、ただ敵に向かって発砲しないだけなのだ、とも。
645 :
えICBM :2007/02/27(火) 00:10:16 ID:???
まあ、軍事教練的意味合いはそうそう簡単に結論は出ないが、倫理的な結論はすぐ出る問題だな。 イナゾウ氏、次いこよ。
>>617 >>正義の戦争であった大東亜戦争でそのような
>>武士道にもとる行為があったというのはシナの手先の妄言です。
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ
くi Lノノハノ)」 「おぼこ」(未通女)じゃあるいまいし、
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! 何をそんな世迷言を言っているのかしら?
レ',ヘ.i`ム'」つ 夢見る少女じゃいられない♪w
,く_,//T.iλ
"ーr_,t_ァ'"
>>640 お詫びと訂正w
×450ボルトの「最強度の罰則」を加えたのが40人中26人と『40%以上』
◎450ボルトの「最強度の罰則」を加えたのが40人中26人と『60%以上』
>647 んな細かい訂正は良いよ。イナゾウに言われるまでもなくその話は結構有名だし。
649 :
名無し三等兵 :2007/02/27(火) 14:14:07 ID:dXBccQV5
支那事変はオランダの陰謀
いや、国民党に兵器を売り付けようとしていたドイツの陰謀だ11111
>支那人住民を銃剣刺突 >まあ、いかに「権威」に対して人は服従するかという内容です 八紘一宇の精神も興亜の理念も無い どうみても単なる河川敷集団リンチDNQです 有難うございました
652 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/27(火) 22:38:47 ID:Yy++fp5T
>>620 >>日本軍に武士道なんてありませんよ。
当時の日本は「武士道」というか、「近代の超克」というか……。兵頭軍師の
昔の書籍(『「日本有事」って何だ』)を参考にすれば、「犬畜生と成りても
勝たんとすること肝要なり」が『武家の道』であり、「名誉に関する不覚を取ら
ないこと(ただし、フェアネスの概念は問わない)」が『武士の道』とも云います。
服制が改正されて「洋式指揮剣」が廃止となり、太刀拵え形式の軍刀が制式採用と
なったのが1934年です。日本の軍人が両手で振り回すような軍刀を堂々と持ち
歩けるようになったのが、これ以後になります。海軍ですら1937年から日本刀
形式に切り替えています。
最初に述べたように、アンチ近代であり「超近代」を目指す日本精神がテーマに
なったのがこの時期ですが、やはりいわゆる『武士道』とは異なると思います。
653 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/27(火) 22:52:52 ID:Yy++fp5T
まあ、自分はもちろん『武家の道』(犬畜生と成りても勝たんとすること 肝要なり)派ですがw。自分にとって「武士道」とは、冒頭エピソードの イナゾウが『武士道』を著す10年ほど前、ベルギー人の法学者ラブレーの 自宅で数日を過ごしていました。ある日、散歩の途中でラブレーがイナゾウに 尋ねました。「あなたのお国には、宗教教育が無いのですか?」 イナゾウが「無い」と答えると、ラブレーは驚いて立ち止まり、何度も繰り返した のです。「宗教が無い! それではどのようにして道徳教育を授けるのですか?」 を小さい頃に読んで「強烈なイメージ」として残っています。つまり自分にとって 「武士道」とは道徳教育を念頭に置いたものです。 あと刀についてもう少しだけ補足しますと、日本人にとって日本刀はやはり 『加罰の象徴』であると思います。まあ、もろに兵頭軍師のパクリですがw。 自分たちは「罰を与える側」の人間なんだと。
654 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/27(火) 23:14:10 ID:Yy++fp5T
軍刀(日本刀)は『加罰の象徴』であり、戦闘具であると同時に処刑具
でもあった。ですから特攻機や回天などの搭乗員が日本刀と共に写真で
残っていますし、最期まで日本刀を持ち込んだ人も多かったでしょう。
そして同時に処刑具でもありますから、「捕虜の斬首」などで頻繁に
絡んでくるのは当然だとも言えますw。
>>636 >>日中戦争従軍兵の本を読んだが、江南では「日本兵には中国兵
>>10 人がかりで当たれ」とか言われてたそうな
でも常識で考えたら、いくら支那の土人兵でも10人を相手にして実際に
戦ったら日本兵1人では勝てませんよね。要するに戦う以前の問題で、
10倍ぐらいの兵力差で臨まないと、兵の志気が保てないという事でしょう。
極論して言えば、日本兵はヤクザみたいなもので、パンピー(一般人)が10人
ぐらい集まらないと1人のヤクザに面と向かって話せないのに似ています。本来
10人いたら絶対に勝てますよね。でも実際は、ビビッてそうならない訳ですw。
655 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/27(火) 23:25:23 ID:Yy++fp5T
>>637 >>日支すなはち一對十
日本軍が兵力数で遥かに劣勢にも関わらず、支那側を圧倒できたのは
つねに先手を打って「攻勢作戦」を維持し続けたからに他なりません。
まあ、イニシアチブというやつです。
「守る側は攻める側の3分の1の兵力数ですむ」という言辞がありますが、
それは戦場となる地点が絶対に決まっている場合のみです(要塞など)。
攻める側は、いつだって相手のどこを攻めるかの自由がありますが、
守る側は直前までそれが分かりませんから、広範囲に兵力を分散させる
必要が生じてきます。そして何時、攻められるかも分かりませんから、
四六時中警戒しなくてはなりません。もう、あとは言わなくても良い
でしょうw。
656 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/27(火) 23:35:16 ID:Yy++fp5T
1940年2月、柳州で行なわれた軍事会議で蒋介石は、日本軍の長所と
短所を以下のように分析しています。
【長所】
●守る側の備えがないところを攻め、素早く不意を突くこと
●陣地を固く守り、容易に突破されないこと
●キリのように突進し、勇敢に前進すること
●秘密を保持し、動きを分からせないこと
【短所】
●小兵力をもって侵入し、騒がせるだけでしかないこと
●短時間の戦闘しかできないこと
●深く突入できず、侵攻できる距離が短いこと
●予備兵力を使い果たし、後方がガラ空きであること
短所はともかくとしてw、長所の記述を
>>655 と読み比べてみてくらさい。
657 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/27(火) 23:44:43 ID:Yy++fp5T
まあ、やはり攻める側のイニシアチブが重要な訳ですが、こういう戦記の エピソードがあります。 ある日本軍兵士が「支那軍は陣地に籠もって、日本軍が攻めてくるのを ただ待つだけでいいんだから、楽でいいなあー」と思っていたそうです。 ある作戦時、自分の連隊が突出してしまい「支那軍の重囲下」に陥り、 今度は自分が陣地に籠もる羽目になったのですが、限られた兵力では 全ての陣地に兵を置くことが出来ないわ(どこか切り捨てざるを得ない)、 支那軍がどこを実際に攻めてくるのか不安で仕方ないわ、そして何時攻撃が 始まるのか、おちおち眠ってもいられないわで、懲り懲りだったそうです。 まあ、守る側だって大変な訳ですw。
658 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/02/27(火) 23:53:30 ID:Yy++fp5T
>>645 >>まあ、軍事教練的意味合いはそうそう簡単に結論は出ないが、倫理的な
>>結論はすぐ出る問題だな。
まあ、仰るとおりですw。ただ、別の人に紹介してもらった『戦場における
「人殺し」の心理学』を70ページほど読み進めたのですが、メチャクチャ
面白い! 実際ドンパチやっている戦場でこんなに「非発砲者」が多いとは
思いませんでしたw。最初から読んで置けば「刺突訓練」も、少し異なった
見方ができただろうと思うと少し残念です。
_,、,,........_ >,ゝ'-=-`.、 i LLノハノリ」 |,i〈リ ゚ ヮ゚ノ」 という訳で、「治安戦」テーマ補論2としまして、 (',_,i`:´i,〉 『討伐と拷問』が始まりますw。またも血生臭い話 ,し'/"「ゝ,. ですねw。全く当てにならない中佐の予告ですが、 `'!,フi,フ"´ 3で「日本人反戦同盟」をやり、4で「終戦後の 治安戦」に触れて、今度こそ本当に終わりです。
_......_ , ´ <*y i,(i ノノハ)_) ノ_iパ ヮ゚ノハ 「治安戦」の本編で『血生臭い話」を全部 _φi'_ソノj,⊂)__ 後回しにしているから、補論がこんな羽目に ./ /三/ /| なっているのですよ。全体の話の構成ミスね。 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .| |稗田 阿礼|/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ワロタ
「柏崎鬼子」こと、柏崎中隊長がもう直ぐ帰って来るよ!(核藁)w。
(´、_ ) ) (、 :、 ' ) ) ( (__ノ )( ( ; )ヽ, ( `'´ (__ノ ) 、 ( (__ノ ( )`、 ; ) `ー' ) , (´、 ( ;;;;::::::::::::::::::::::;;;; ( ( ) `ー' ,,;;;;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;,, ) )`ヽ 、 ' ( ,,;;;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;; `ー' i )ヽ. ヽ ,;;;::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;, ,ノ_ ( `ー' ,;;;;;;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;; (__`; ) ヽ ;;;;;;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;;; ( ) ;;;;;;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;;;; ) ( ;;;;;::::::::::::::::::::::::::::∧_∧:::::::::::::::::::::;;;;;;; (´ ヽ ;;;;;:::::::::::::::::::::::::<#`Д´>''::::::::::::::::::::::;;;;;; _,ノ i ;;;;;::::::::::::::::::::::::(mO) つ::::::::::::::::::::::;;;; ;' ,,,,,;;;;;;;;;;;;;;;;;:::::::::::::::::::::::し―-J:::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;,,,,, ;;;;;;;;;;;;;;,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,..................................................,,,,,,,,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ''''''''''';;;;;;;;;;;;;;;;;;; ;;;;;;;;;;;;;''''''''' ''''''' '''''' '''''' ''''''' 帰ってきたnida!
665 :
名無し三等兵 :2007/03/01(木) 10:05:54 ID:26booRMd
きも
,ヘ | ∧ | | ヽ | | } ,r ==== =ァ | | / // __ ノ ヽ'.,〈 // ̄ / | ― \.> -―-v 、 f ! i ― / / / / ヽ 」__ ノ ― _ / 、 i! i |、 i | ! ゝ:::::7 く_ ヽ_ | i Nj/リ VレWjノ:::::/ `ー /:::\〉│ | ━ ━|〈::::/ / / / \:::::\! | r‐-‐yハ ∨ >、::::| i!>-ry-<:::| l / ヽゝ i::\ }〈〃:::i! ,' / \::::ヽ、V/::::/レ' イ_ 〉:::::::::!::::::{ | /:::::::::::i!:::::::> Y/¨>、_ 小, < \ X/ / ! ヽ>′ \\\ / >ー―┼ イ , --r==r-- ' / │ ! //¨y-┴―‐' | | ゝ== ' / / /`‐'7 \\\ {`、-く | ー‐ `j
ようやくアク禁wならぬ、アクセス規制が解除されました……orz. 自分の プロバイダーは2,3ヵ月に1回のペースで巻き添えの規制を受けるので ホントどうにかして欲しいところです。書ける時に書く。時間は貴重ですw。 とりあえず、以前に書き溜めたものを1つ…。
668 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/03(土) 09:59:35 ID:ytNzk4kp
という訳で「治安戦テーマ:補論2」に移りたいと思います。確認になりますが 柏崎中隊長は、北支那方面軍→第12軍→独立混成第5旅団(宇都宮)→独立歩兵 第19大隊の第1中隊を率いていました。警備地は山東半島の招遠という場所です。 なぜ自分がこんなに柏崎中隊長に惹かれるかと云えば、有能なカリスマ中隊長と 評価しても良い存在なのに、いざ「治安討伐」となると支那人に対して情け容赦無い 拷問を繰り返すところです。これが単に無能で野卑な中隊長であれば、何の興味も 持たないところでしょう。 また「治安戦」テーマで何度も繰り返し、「中隊長の性格はそのまま『配下中隊』が 残虐行為をするかを左右する」と述べましたが、まさにピッタリの例だからです。 加えまして北支の『高度分散配置』においては、中隊長は「絶対専制君主」とも 「神の座」にいると云っても過言ではないので尚更のことです。 これがオーバーな表現なら「村長」ぐらいは確実でしょう。上級部隊の「大隊本部」も 中隊を直接監督できるような場所にはありません。ましてや他の大隊なんて遥か彼方ですw。
669 :
名無し三等兵 :2007/03/03(土) 17:31:15 ID:JLCj/3te
捕虜になる資格が無い者は殺されても仕方ない
>669 そうだね。 日本軍は支那で偵察行為を私服でやっていたから日本軍兵士に捕虜資格は無いよね。
>>670 満州事変の後に新疆に鉄道を延伸するためなどの調査に入った日本の間諜が
督弁の盛世才側につかまったらことごとく拷問の末に抹殺された。
スウェン・ヘディンの著書に生々しく記されている。
当時のウルムチはスターリンのソ連そのものの密告システム完備。
日本帝国主義打倒の官製デモが頻繁に催されていた。
>>670 ヘディン一行も軟禁されてしまい危うかったそうですね。
支那人に捕まると切り刻まれて殺されちゃうから捕虜はでないだろう。 最悪の場合は食べられちゃうし。
日本軍も食っていたから大丈夫だ!
http://www.epochtimes.com/b5/5/7/22/n987640.htm ↑このページを見る限り、国府軍には食人を勧める愛唱歌があったようです。
少し前にイナゾウからレスをもらいましたが、イナゾウの見解には同意しがたい。
支那戦線で、誰も食人の噂を聞かず、痕跡も見なかったといったことは
ほとんどありそうもないこと、だと思います。
以下はその歌の歌詞です。
岳武穆滿江紅詞:
「怒發衡冠,憑闌處,蕭蕭雨歇,
抬望眼,仰天長嘯,壯懷激烈!
三十功名塵與土,八千里路雲和月,
莫等閑白了少年頭,空悲切!
靖康恥,猶未雪,臣子恨,何時滅,
駕長車,踏破賀蘭山缺;
壯志飢餐胡虜肉,笑談?飲匈奴血,
待從頭,收拾舊山河,朝天闕!」
>>675 この歌は宋の時代、金朝と戦った武将の岳飛(1103-1141)が
作った詞をそのまま歌ったもの
800年前の人が作った詞の内容を以って中華民国の軍のこと
を語られてもどう反応すればよいのか
岳飛のこの詞「満江紅」は江戸時代の日本でも歌われていた
有名な詞だが、当時の日本人も食人を勧める詞を愛好してい
たとでもいいたいのだろうか
「敵の肉を喰らい血を啜る・・・」 というのは敵を絶対殺すぞ!、という意味合いに使う慣用句だろが
678 :
えICBM :2007/03/03(土) 22:16:15 ID:???
>>668 >有能なカリスマ中隊長と評価しても良い存在なのに、いざ「治安討伐」となると支那人に対して情け容赦無い
>拷問を繰り返すところです。
パットン将軍みたいやね。
,.-.、
/ ./ _,..-、
i /__/,..--,i
>>666 私のヘンなAAを貼るな! 死ねッ!!
., ' ` ´ヽ、
i <ノルレノル' ズドゥーン
,..イλイi;゚ - (ニ((ニC________,、''"´"''';;;-....
/(ゝy´[つ 1-l__l---A'´  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~´"''''-''''"
~"゙"""""""""""""""""
680 :
イナゾウ中佐♯六十年目の東方裁判 :2007/03/03(土) 23:41:33 ID:dfF8HWJf
>>668 の続き。それでは具体的なケースを挙げていきましょう。以下は、
柏崎中隊長がひきいる『討伐隊』でのエピソードです。
ある部落へ討伐に向かう道すがら、1人の支那人の若者がはるか前方から近づいて
きます。日本軍の討伐隊が来たと聞けば、たいていの支那人住民は「日本鬼子来了!」
(リーペンクイエツライラ)と逃げて行ってしまうのに、こちらに向かって来るの
ですから、相当怪しい訳ですw。
案の定、柏崎中隊長は「指揮班長! 奴をひっ捕らえろ!」とこうなりますw。
平然と日本軍の討伐隊とすれ違おうとした支那人は、有無を言わさず捕えられ、
行軍しながら通訳を介して尋問されました。すると「古宅の者だが、商用で龍口
まで行く」という返事です。
その支那人の風貌は、中折れ帽子をかぶって年齢は25歳程度、色は浅黒く
眼光の鋭い青年といった感じです。
681 :
名無し三等兵 :2007/03/03(土) 23:53:33 ID:K3DGvWIt
馬鹿な質問ですけど、イナゾウ中佐はお幾つですか? スレ読ませていただいてすごく感心しました ちなみに当方は40代後半
682 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 00:08:38 ID:TYZhEyvC
初年兵が見ても商人にはとても見えず、八路軍の密偵かもしれないと思った (『華北戦記』の著者:桑島)くらいですから、とても歴戦の柏崎中隊長の 目を誤魔化すことはできません。拷問にかけてでもその正体を暴いてやろう ということで、次の村まで連行して徹底的に責めあげることになりました。 討伐に向かった村は、いつも通りの「清室空野」で人っ子ひとり居ません。 こうなると、ますます捕えた支那人が怪しくなってきます。最初は殴ったり 蹴ったりの単純な拷問でしたが、なかなか白状しません。 「しぶとい奴だ」と見た柏崎中隊長は、次の手段として「水責め」の拷問を 始めました。初年兵の多くは拷問などを見るのは初めてで、憲兵や特高なら いざ知らず、軍隊に入ってこんな経験をするとは思わなかったと云います。 「水責め」の拷問とは以下の通りです。もとより「討伐行」で敵地での 即興な訳ですから、その辺を加味して考えてください。
683 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 00:25:50 ID:TYZhEyvC
その怪しい支那人の青年の「両手両足」をはしごに縛りつけ、仰向けに 寝かせます。そして顔に布をかけ、少しずつ口元に水をかけるのです。 もちろん布はすぐに「水浸し」になって呼吸が困難になります。苦しくて 何とか息を吸ったり吐いたりしますと、必然的に水を飲む結果となります。 つーか普通、寝ている人の顔なんかに濡れタオルを置くと窒息死するとか 云われます(真偽はともかくとしてw)。 何分間かこれを続けますと、バケツ一杯の水はたちまち空になりまして、 支那人の腹は妊婦のように膨れ上がりました。初年兵は「へー、こんな ことをやるのかなあ!」と肝を潰すほど驚いたそうです。 しかし、それよりも何よりも、柏崎中隊長の意外な残虐性を初めて目にし ビックリしたと云います。戦闘には勇敢な指揮官でしたが、長身で眉が薄く 普段は話しっぷりも穏やかで、部下に対してやたらと威張り散らすような こともない、「どこにこのような残虐性を秘めていたのか?」と改めて 柏崎中隊長の横顔を見つめました。
684 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 00:40:49 ID:TYZhEyvC
しかし、苦しい「水責め」の拷問を加えても、支那人の青年は知らぬ存ぜぬと ばかりに頑として白状しません。そこで柏崎中隊長は次の手段を取ります。 今度は『火責め』の拷問ですw。 支那人を全裸に剥きますと、大腿部に歴然とした「貫通銃創」が見つかり ました。これは間違いなく「八路軍の密偵に相違ない」と、柏崎中隊長は 火の付いたコーリャンがらを『男の局部』に押し付けました。 これには支那人も我慢しきれず、とうとう自白を始めます。「自分は5旅 13団(連隊)の排長(小隊長)である。大腿部の貫通銃創は昨年2月26日の 道頭の戦いで負傷したものである。(捕虜にして日本軍が捜索中の)川野辺 軍曹は、ここから西の方の13団司令部の中にいる」 しかし、どうも嘘っぽい内容です。
>>681 >>馬鹿な質問ですけど、イナゾウ中佐はお幾つですか?
中佐は「経歴詐称」で、実際はやっとこ大尉ですw。
686 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 01:02:56 ID:TYZhEyvC
支那人の密偵は、苦しさに耐えかねて自白したように見えましたが、 どうせ殺されるのが分かっていたので「早く楽になりたい」と思って 嘘の自白をしたように思われました。 柏崎中隊長の「殺れ!」の声よりも早く、柏崎中隊長の片腕の伍長が 「野郎ッ!」と叫ぶと同時に、支那人の腹部に銃剣を突き刺し、井戸の中へ 叩き込みます。そしてトドメとばかりに、上から小銃を数発撃ち込みました。 腹部に銃剣を突き刺したのは目にも止まらぬ早業で、柏崎中隊長との 意思疎通、呼吸がピッタリ合っていなければ、とても出来ない芸当です。 以上、拷問のワンケースですが、この支那人の密偵がどうしてわざわざ 日本軍の討伐隊とすれ違うような真似をしたかが謎です。「雉も鳴かずば 撃たれまい」の典型例で、どこに意図があったのでしょうか。堂々とした 方がかえって怪しまれないと考えて自爆したか、あわよくば上手く取り入って 日本軍をどこかに誘導(味方の待ち伏せ等)しようとしたのでしょうか…w。
>>676 岳飛は中国を代表する英雄だろう。
だったら、そういった人物ですら食人の傾向を持っていたと言えないか?
>>677 ただの慣用句なら、中国の歴史に食人の記録が沢山存在するのはおかしいよ。
>>687 で、国民党が食人していたと思う根拠は何?
690 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 01:41:39 ID:TYZhEyvC
>>670 >>日本軍は支那で偵察行為を私服でやっていたから日本軍兵士に
>>捕虜資格は無いよね。
満州事変直前に起こった「中村震太郎大尉・虐殺事件」(1931年)は過去スレの
どこかで取り上げているので、『Ctrl+F』の語句検索で興味のある人は探して
くらさいw。
ちなみに中村大尉らは、衣類や所持品を一切奪われ、全裸にして縛られ、性器も
切り取られ、全身ズタズタにされた上で銃殺、死体は山中で焼き捨てられています。
もちろん、中村大尉は便衣の参謀旅行で災難に遭ったわけですが、それを関東軍から
「捜索」に派遣された片倉衷大尉もまた支那人に変装しているのが面白いところです。
つーか、便衣の参謀旅行は「支那通」軍人にとって通常の洗礼です。中村大尉は
第一(作戦)部から「複雑な事情」で本人の意思に沿わずに派遣されたので、
気の毒と言えば気の毒ですが…。
691 :
名無し三等兵 :2007/03/04(日) 01:44:55 ID:xtrLI9Lz
イナゾウ様を上げてみるテスツ 中華の大地で死にたくなかっただろうに(涙
692 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 02:25:16 ID:TYZhEyvC
また「5号作戦」(1942年:重慶侵攻作戦)の事前準備でも、北支那方面軍 参謀の島貫武治中佐らが「便衣」を来て支那人に化け、地上から潼関方面の 黄河筋を偵察しています。 つーか参謀旅行や偵察に限らず、大陸打通作戦中、作戦部隊の一個中隊丸ごとが 「便衣兵」の部隊(第37師団)もありましたから、そんなに拘る様なことでも ないと思いますけどね。あ、もちろん日本軍のケースですよw。 どうでもいいですが『月面兎兵器ミーナ』は今見ていて良作アニメです。 月城ミーナ、格好はアレですが、性格は非常にグッド。嫁に来ないかw。 そう言えば、『電車男』の設定にも絡んでいると聞きました。 >>中佐は「経歴詐称」で、実際はやっとこ大尉ですw。 訂正。まだギリギリで「やりくり中尉」かもしれないですw。
,.-.、 / ./ ,..- 、 i /__/,..--' '´ ヽ ! l( l(l(从)! ( l |*’ー’ノリ ) うさぎ♪ うさぎ♪ (i()π!))) ヾく/=l〉リ し'ノ 某副会長と中の人が同じところが高得点ですね(意味不明)
694 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 02:44:06 ID:TYZhEyvC
>>673 >>支那人に捕まると切り刻まれて殺されちゃうから捕虜はでないだろう。
そうとばかり考えていると、次の「治安戦テーマ」補論3『日本人捕虜と反戦同盟』
で衝撃を受けるでしょうw。
その前に『拷問』のケースをもう1例だけ挙げてシマイにします。というか、補論3
の一部にも柏崎中隊長は登場しますから、ゴチャ混ぜのような展開になると思います。
さて1943年のある時、柏崎中隊長は「大隊討伐」の最中、急用で大隊長が原駐地に
帰還する事となったため、その後の討伐を任せられます。その兵力は、指揮班・機関銃
1個分隊、迫撃砲1個分隊、3個小隊(大隊指揮下の各中隊から抽出)、無線班、救護班、
糧秣・兵器の行李(輜重部隊)も含めた、いわば小型の「大隊討伐隊」と云える物でした。
「柏崎討伐隊長」として、本来の階級よりも「大きな部隊」の指揮官を務めることと
なった柏崎中隊長(中尉)は、この機会に大いに戦果を挙げて、大隊長の期待に応えよう
とハッスルしたのは言うまでも無いことですw。
>>693 あの造形をAAで表現するのは、相当キツイでしょうw。
>>687 中国の食人の研究については、日本でも桑原隲藏以来の研究の
業績がある
またマルタン・モネスティエ の『図説食人全集』やジャレド・ダイア
モンド『文明崩壊』を読めば、食人という行為が多くの社会で存在
していた「普通の習慣」であったことがわかる
それこそ第二次大戦中の日本でもその事例をあげることができる
食人がなかったのか?と問われてもそれは「悪魔の証明」でしかない
あとは個々のケースが立証可能なものか、その真偽を検討するのが
生産的な方向ではないかと思う
同様に、岳飛が食人をしたかどうか、それは当時の史料の記載を見て
いくことで立証するしかない
台湾中央研究院漢籍電子文献
ttp://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3 こちらに中国史の多くの文献を検索閲覧できるデータベースがあるか
ら、岳飛について探されてみてはいかがだろうか
改めて言うが日本でも「満江紅」は愛好されたが、彼らは食人の詞を愛
好したといいたいのだろうか
この件で検索すると「大紀元」とか黄文雄とかいろいろ引っかかってウンザリ
>>687 食人の傾向
岳飛の詞の一部で食人傾向があったといえるのなら、わが国の総理で
「健康法は?」と聞かれて「人を食っているからね」と答えた人物がいる
が、日本人は総理でさえ食人傾向を持つといえることになるが如何?
ほかにも、日本語には「食べちゃいたいほどかわいい」という表現がある
が、これも日本社会に食人の嗜好があるからなのだろうか?
ことほど作用に慣用句を分析対象とするときには、それが話される社会
での立ち居地、文化的背景を知らないととんでもない結論を導き出すこ
とになる
根本的に感じるのは、食人行為は世界各国の記録で見られるもので、そ
れを取り立てて騒ぐほどのものではないような気がしてならないのだが…
スレ違いな気がひしひしとするのでこの話題はこれまでにする
ー-rクフ ./jハ',.k'_0_ヾlヒミ、イ_0_ン`j.‐、... ‐v7 !'イ jハ',.k'_0_ヾlヒミ、イ_0_ン`j.‐、... ‐v7 !'イ ー-‐'" ,ィi トヾ:t `´ jr 、、 `´ イハー-rクフ ./jハ トヾ:t `´ jr 、、 `´ イハー-rクフ ./jハ jj=_\.lト\ヘ,,_ミ|ミヾ '`、'`_' ハ|-‐'" ,ィi/ j,!ヘ,,ミ|ミヾ '`、'`_' ハ|-‐'" ,ィi/ j,! k'_0_ヾlヒミ、イ_0_ヽ γ_,.二二..ヽ. トミ'-、ヽ,jlヽt ヽγ ヘ,, γ_,.二二..ヽ. トミ'-、ヽ,jlヽt ヽγ :t `´ jr 、、 ` ミ '、v‐、... ‐v7 .lト\ヘ,,_ミ|ミ !ハヽlト 、v‐、... ‐v7 .lト \ヘ,,_ミ|ミ !ハヽ ヾ '`、'`_' ハ ぃー-rクフ _ヾlヒミ、イ_0_ン`j、}l| :t ` ミ ぃー-rクフ _ヾlヒミ、イ_0_ン`j、}l| ヽ γ_,.二二..ヽ. 、:ヽ `'ー-‐'" ´ ィjr 、、 `´ イハ∧! 、: ヽ `'ー-‐'" ´ ィjr 、、 `´ イハ∧! ミ. '、v‐、... ‐v7 ヾ \  ̄ ,.イ:/'`、'`_' ハ|V ヾ \  ̄ ,.イ:/'`、'`_' ハ|V r 、、 `´ イハ∧ '`、'`_' ハ_ヾlヒミ、イ_0_ン`j、} ∧ '`、'`_' ハ_ヾlヒミ、イ_0_ン`j、} `、'`_' ハ| γ_,.二二..ヽ. j'´ jr 、、 `´ イハ/ γ_,.二二..ヽ. j'´ jr 、、 `´ イハ/ 二二..ヽ. jjリ;|,/!ム\|トミ'-、ヽ,jヾ `、'`_' ハ| リ;|,/!ム\|トミ'-、ヽ,jヾ `、'`_' ハ| ‐、...‐v7 !'イヘ jj=_\.lト\ヘ,,_ミ|γ_,.二二..ヽ. jjリ ヘ jj=_\.lト\ヘ,,_ミ|γ_,.二二..ヽ. jjリ ー-rクフ ./jハ',.k'_0_ヾlヒミ、イ_0_ン`j.‐、... ‐v7 !'イjハ',.k'_0_ヾlヒミ、イ_0_ン`j.‐、... ‐v7 !'イ ー-‐'" ,ィi トヾ:t `´ jr 、、 `´ イハー-rクフ ./jハ トヾ:t `´ jr 、、 `´ イハー-rクフ ./jハ jj=_\.lト\ヘ,,_ミ|ミヾ '`、'`_' ハ|-‐'" ,ィi/ j,! ミ|ミヾ '`、'`_' ハ|-‐'" ,ィi/ j,! k'_0_ヾlヒミ、イ_0_ヽ γ_,.二二..ヽ. トミ'-、ヽ,jlヽt ヽγ ヽ γ_,.二二..ヽ. トミ'-、ヽ,jlヽt ヽγ :t `´ jr 、、 ` ミ '、v‐、... ‐v7 .lト\ヘ,,_ミ|ミ !ハヽ_0_ '、v‐、... ‐v7 .lト\ヘ,,_ミ|ミ !ハヽ
699 :
名無し三等兵 :2007/03/04(日) 14:27:17 ID:Iw4iwkqP
稲造は全くの若造。 だから教養、品位に欠けるが、それなりに勉強はしてる。
>>697 例えば、隋の煬帝が謀反人を煮て百官に食わせたとか、唐の楊貴妃の兄が兵士たち刻まれて食われたとか
明の創始者の朱元璋が侍女を煮て食ったとか、魯迅の同志の徐錫麟が処刑され、心臓を抉られて食われたとか
そういった類の話は、中国の歴史にはいくらでも転がっているのではありませんか?
私は岳飛の詞の一部分だけを取り出して判断しているわけではありません。
>700 で日本も明治初期まで人間の内臓の乾物を霊薬として珍重してたでFA。
703 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 21:58:43 ID:T23k0GVW
>>691 >>中華の大地で死にたくなかっただろうに(涙
ものすごい簡略して説明すると、こうです。参謀本部の第一部(作戦)が、毎年
支那への参謀旅行に第二部からばかり人を出してズルイぞ、と言ってきた訳です。
これに第二部(主に支那課)が激怒して、「支那への参謀旅行はピクニックじゃ
ねえんだ。陸大上位卒業者の欧州への『ご褒美』留学といっしょにすんな。面白い!
じゃあ、今年は第一部さまから行って貰おうじゃねえか。1年で音を上げるのに
賭けるね!」(参謀本部の『花形部門』である第一部へのヤッカミも多少ありw)
という背景で、作戦部の中村震太郎大尉(陸大卒業ホヤホヤ)に白羽の矢が立った
のです。中村大尉も何となく嫌な予感がしていたそうで、しきりに誰か他の人に
代わってもらいたいのだが、そんな事を自分から言い出したら赤恥をかいてしまう。
第二部(情報)で「俺が行く」という人が出てくれないものか、と今井武夫だったか、
同じ世代の支那課でごく近しい人に相談していますが、「もう無難でいいからとにかく
行って来い」と諭されたといいます。ほんで、あの結果ですw。
>>691 >>中華の大地で死にたくなかっただろうに(涙
それは中村震太郎大尉だけでなく、支那事変(日中戦争)で散った
全ての将兵に言ってあげて下さい。
>>699 >>稲造は全くの若造。だから教養、品位に欠けるが、
教養、品位に欠けるのは認めますが、もう若造と呼べる歳では
全然ないでしょうw。まあ、中堅です。
705 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 22:27:00 ID:T23k0GVW
>>694 の続き。さて「柏崎討伐隊」ですが、行軍途中、小休止で初年兵らが
疲労でたちまち眠ってしまうと、突然「アイヤー」という支那人の叫び声で
起こされます。何事と急いで立ち上がって見ると、柏崎中隊長が抜き身の
軍刀を下げて立っています。その下には1人の支那人が、のた打ち回って
もだえ苦しんでいました。
通訳に聞いてみたところ、道案内の支那人が道を間違ったというので、柏崎
中隊長が怒って軍刀で一突きに刺してしまったそうです。ちなみに、この
支那人は「治安地区内」の近隣住民ですw。
そして「柏崎討伐隊」はある部落を払暁攻撃します。いつものように八路軍は
いち早く日本軍の接近を察知して逃走し、遺棄死体1つの戦果も上がりません。
部隊は朝食を済ましてから、部落内の徹底掃討を実施したところ、10数挺の
小銃と数十発の手榴弾が発見されました。
706 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 22:52:13 ID:T23k0GVW
>>705 >>10数挺の小銃と数十発の手榴弾が発見されました。
「何だ、その程度」と思うかもしれませんが、『清室空野』が徹底されていた
治安戦では、とても大きな戦果です。それこそ、ただ歩くだけの様な討伐では
八路軍の遺棄死体どころか、小銃1挺、手榴弾1個も押収できないからです。
ですから「治安戦テーマ」本編でも述べたように、抗日ゲリラの根拠地を覆滅
すべく、部落から隠された武器・弾薬・糧秣を摘発しようとする訳ですが……。
この戦果に気を良くした柏崎中隊長は「なおも探せ」と命令し、徹底的に部隊が
捜索をつづけた結果、隠れていた50歳くらいの支那人を捕えます。まだどこかに
武器・弾薬が隠されているだろうと判断し、軍曹が「小銃のありかを言え」と銃剣を
胸元に突きつけても「オーデトントンデーメイユウ(俺は何も知らない)」と言う
のみですw。
この支那人を殴ったり蹴ったりしても、簡単に白状する様子は見られません。
>>700 >隋の煬帝、唐の楊貴妃の兄、朱元璋、徐錫麟
全部、日中戦争期の人物ではないわけだが…これで何が言いたいのか?
勘違いされているようだが、
>>696-697 では中国で食人行為があった
ことを否定しているわけでは全く無い
それこそ、19世紀末〜20世紀の中国の新聞記事にもその類の話を見
出すことはできる
どの社会でも食人の事例を見出すことができるのは前述した通りである
問題にしているのは、食人の有無ではなく
>>675 の方法では食人の
立証にはならないという方法論的問題である
日中戦争期の国民政府軍の食人の事例を立証したければ、きちんとした
資料に基づいて第三者を納得でさせることができる方法論で語ってほしい
ということである。中国社会における暴力(食人を含む)の意味について考
えるにはフィル・ビリングスリー『匪賊-近代中国の中央と辺境』(筑摩書房)
が研究方法とともに示唆に富む内容になっているので、参考にされてはい
かがだろうか
スレ違いの話題だけではイナゾウ中佐に申し訳ないので研究書などを紹介
・松田康弘『台湾における一党独裁体制の成立』(慶應義塾大学出版会 2006)
防衛省防衛研究所在籍の著者による研究書。戦後台湾における蒋介石政権
の権力確立の過程を、党、中央/地方政府、軍、特務機関、土地改革の各方
面から分析している。
研究内容は戦後の話であるが、台湾での権力確立は大陸喪失の反省の上で
行われたものであり、結果的に大戦中から1949年までの国民政府の問題点を
鋭く抉り出す内容になっており、日中戦争期の国民政府を考える上でも大変示
唆に富むものであった
「9・18事変後国民党軍武器装備建設之考察」(ブログ。中国語)
ttp://www.bolaa.com/military/armhistory/220101388913.html 満州事変以後の国民政府の武器の輸入と国産化についての論考。各国からの輸
入の内容や金額、国産化の努力、国民政府軍の兵器の問題点などを分析、紹介
している。部隊の兵器の外国製、国産の割合や日本軍との比較なども行われて
いる
709 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 23:07:20 ID:T23k0GVW
ついに軍曹が銃床で殴りつけると、この支那人の頭から「パシッ」という 不気味な音がして、鮮血が飛び散りますw。 この支那人は「アイヤー!」と叫び、両手で頭を押さえ地面にうち伏します。 柏崎中隊長はついに痺れを切らして前回と同様に『水責め』の拷問を加える ことにしました。幾度か責め立てて、タオルを取って白状させようとしますが 苦しいながらも「オーデトントンデーメイユウ!」と繰り返すのみです。 それならと次に「火責め」の拷問を加えて、局部に火の付いたコーリャン殻を 押し付けますが、それでも一向に白状しません。 一連の『拷問』を始めて見たという兵達は飛び上がるほど驚きます。分遣隊 勤務が多かった「高度分散配置」の北支の治安戦では、討伐作戦に参加する 機会があまりなかった兵も多かったのです。 「すごいなあ! すごいなあ!」と嘆声を発していました。
710 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 23:23:38 ID:T23k0GVW
一連のエピソードは『華北戦記』(桑島節郎著)に拠りますが、桑島の もともとは同年兵(1941年徴集)で、幹候出の将校となったため、 今ごろ中隊に合流してきた見習士官の小隊長が、その場にいました。 ちなみにこの見習士官の辿ったコースは、河北省保定にある北支那方面軍・ 予備士官学校の保定幹部候補生隊を卒業してきたという形です。 この見習士官も、柏崎中隊長の拷問のやり方に驚いて「ホオ! ホオ!」と 嘆声をもらしていました。さて農民は本当に何も知らないのか、それとも 強情なだけなのか、「トントンデーメイユウ! トントンデーメイユウ!」 (何も知らない)と繰り返すばかりです。 さすがの柏崎中隊長もこれには根負けしたのか、支那人の縄を解き放ちます。 老人はフラフラと歩きはじめ、「真っ裸の全身」は拷問でほとばしった血で 真っ赤に染まり、この世の人とは思えないような凄惨な姿だったと云います。
711 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/04(日) 23:39:40 ID:T23k0GVW
「幽霊とはこのようなものか」と初年兵は思ったそうですが、その支那人は 自分の家に帰るのかと見ていたところ、いきなり近くにあった井戸の中に 飛び込んでしまいました。ちょうど吸い込まれるかのように身投げして しまった訳で、アッという間の出来事であり、悲惨の極みでもありました。 そのとき柏崎中隊長が「悲しいけど、これって戦争なのよねー」ではなくw、 「戦争に勝つためには仕方がない」とボソッと誰ともなく呟いたのを著者の 桑島は確かに聞いたと云います。良心の呵責だったのでしょうか。 まあ、取りあえず「治安戦」テーマ補論2の『拷問』の話はこれでシマイです。
「悲しいけど、これって戦争なのよねー」ではなくw、 「戦争に勝つためには仕方がない」 同じような意味だと思うんですが・・w
ヘ イ"´ ̄`'ヽ | i.|ノリハノリ〉_ ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn え!? これでオシマイですか?『拷問』だと ゝ,<,_,i`ハ´i,〕ツ いうから期待していたのに、あんまりじゃない `,し/~/:ハ ですか!? 誇大広告でJAROに電話かけますよ? `'ィ ァ~ィ ァ´ もっと、刃の引いた軍刀で指一本ずつ斬り落として T T いくとか、眼を潰すとかないんですか? ちょっと!
>>713 >>同じような意味だと思うんですが・・w
, ‐‐-、___
/ ., '´⌒⌒ヽ
./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) スレッガー・ロウの「名台詞」を
|| メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) 知らないだなんて、由々しきことだわ。
ヽ. _Q)#」ネl」)つ ジェネレーション・ギャップというやつ
 ̄ ,<´_#,#ハ かしら?w それはさて置き、『拷問』の
` "i_フ_フ" 話は、そこの鴉天狗と私も同感だわ。
もっと凄い話を期待していたのだけど、
「遠慮」するなんて大尉らしくないわねー。
715 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/05(月) 00:14:45 ID:6/EWHN7y
>>682 >>「水責め」の拷問とは以下の通りです。もとより「討伐行」で敵地での
>>即興な訳ですから、その辺を加味して考えてください。
まあ最初に述べた様に、あくまで討伐作戦での『即興芸』ですから、拷問のための
専門の器具がある訳でもなし、おのずと出来ることには限界があります。一応は
敵地でもある訳ですし、ちんたら時間をかけることも出来ません。
それに、ただ単に見せしめのために、出来るだけ痛めつけて殺すことが目的では
ありません。あくまで情報を引き出すことが一番の目的なのをお忘れなきよう。
また加えて、中隊の「衆人環視」のもとに拷問を行なう訳ですから、兵たちに与える
心理的影響も考えなくてはなりません。上記の柏崎中隊長のケースですと、初めて
拷問を見てショックに感じる人間がいる一方、いかにも「好奇心旺盛」に見ている
兵もいましたね。これが度を過ぎると、兵の士気や中隊長への忠誠心にも悪影響が
出てくるかもしれません。そういえば幽香姉さん、以前、拷問中の支那人の全身に
花を咲かせて(当然、肉に根も張る)発狂させましたよね!w
>>715 >>あくまで討伐作戦での『即興芸』ですから、
逆に言えば、きちんとした施設と設備があれば、ちゃんとした拷問が
出来ることになりますw。次回は補論の補論で、国民党の拷問手段を
取り上げてみましょう。
717 :
えICBM :2007/03/05(月) 02:34:05 ID:???
718 :
名無し三等兵 :2007/03/05(月) 08:38:41 ID:SO2hVd+z
確かに趣味的ではありましたなW でも、一般人の日本軍の支那戦線でのイメージというと残虐性は切り離せないと思います。(あ、支那でだけじゃないか!?W) 私個人としては、前線での日本軍の事情が解り、非常に勉強になりました。 まぁ、レスは特に趣味的な文調だったので好みが分かれるかもしれませんが、これも私には楽しんで読める一因でしたよW 国府軍の事情の方も興味があるので中佐殿、これからも頑張って下さいね!
719 :
名無し三等兵 :2007/03/05(月) 14:25:01 ID:+afSntae
♪五十、六十は洟垂れ小僧 男盛りは八十、九十
720 :
えICBM :2007/03/05(月) 17:26:23 ID:???
>>718 私も治安戦の実体は楽しく拝聴してました。
イナゾウ氏の今後の飛躍に期待。
中国での作戦の実体は、まとまった資料よりも戦地に赴いた兵士の手記の方がよく表してるんじゃないかと、
イナゾウ氏のレスからおもた。
721 :
名無し三等兵 :2007/03/05(月) 20:34:58 ID:UfqbdE0u
木を見て森を見ず
722 :
名無し三等兵 :2007/03/05(月) 21:08:07 ID:UFHanNod
>ジェネレーション・ギャップというやつかしら?w これは失礼! なんとなく見当が付きました。 掲示板でも一番輝いて見える世代で、とても羨ましいですw
>>708 >>松田康弘『台湾における一党独裁体制の成立』(慶應義塾大学出版会 2006)
>>台湾での権力確立は大陸喪失の反省の上で行われたものであり、結果的に大戦中から
>>1949 年までの国民政府の問題点を鋭く抉り出す内容
これはサンクス。なかなか興味を覚える内容ですが、いかんせん7350円は高過ぎる
のではないかしらん?w 今月は、『ARIA』の天野こずえの「ハリーポッター同人誌」
3冊(もちろんプレミア本w)を買ったのでお金が無い〜w。でもちゃんとレビューが
1件ついているのが凄いですね。でも自作自演っぽいような? 微妙。
>>717-718 >>最近イナゾウレスが趣味に走りまくってて退屈だったんよね。確かに
>>趣味的ではありましたなW
もはや日中戦争のついでに趣味も入れているのか、趣味に走るために日中戦争を
続けているのか曖昧になってきたりして(核藁)。まあ、『東方』シリーズの布教も
兼ねているので、どうかご容赦を。最近『自爆テロ』をしたように、****も
『東方』(四季映姫・ヤマザナドゥ様のテーマ曲)な訳ですw。
どうでもいいですけど「食人の話」なら辻政信にもあったような覚えが……w。
725 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/05(月) 23:06:57 ID:BAr1JdLg
>>716 >>次回は補論の補論で、国民党の拷問手段を取り上げてみましょう。
さて続きです。蒋介石政権の「拷問手段」を参考に挙げてみましょう。ただし、
バリバリの特務機関の話ですので、前述の日本軍(最前線)とは同列には全然
出来ないことを注意して下さい。いわゆる「蒋政権の拷問18手」というもので、
簡単に並べますと、以下の通りです(後で詳述)。
●1:生爪を剥ぐこと ●2:手指を挟むこと ●3:生歯を抜くこと ●4:
尖った木材の上に跪くこと ●5:胡椒水を注ぎこむこと ●6:冷凍室に入る
こと ●7:手足を縛って殴る蹴ること ●8:吊るし上げて叩くこと ●9:
背に宝剣、車輪を転がすこと ●10:十本の指先に電気針を刺しこむこと
●11:電気ショック法、強烈な電灯で照射すること ●12:地獄へ連れて
いかれること ●13:陰膣を歯ブラシで摩擦すること ●14:亀頭を焼いて
焦がすこと ●15:過度の手淫 ●16:石灰を口に詰め込むこと ●17:
尿を注ぎこむこと ●18:犬糞を食わせること
726 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/05(月) 23:22:53 ID:BAr1JdLg
最初の方は「何だ、この程度か」と思うようなありふれたものですが、 後半になるに従って説明が必要になってきます。特に12番の「地獄へ 連れていかれること」などはw。 ●1の「生爪を剥ぐ」ですが、真っ赤に焼けた針を指先に刺しこみ、 テコの原理で爪を剥ぐのです。中途半端にして完全には剥がない事も あります。 ●2の「手指を挟む」は、鉛筆を指と指の間に挟み、指を固く締め付けて 鉛筆を転がしますと、指の間の肉が裂けるのだと云います。 ●3の「生歯を抜く」は文字通り、麻酔をかけないで歯を抜き取ることです。 ●4の「尖った木材の上に跪く」は、尖った木材の上に跨(またが)らせて、 容疑者の肩の上から2人がかりで力強く押さえ付けます。そうして木の先端を 肛門の中へと押し込むのです。何か、中世の拷問っぽいですねw。
727 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/05(月) 23:33:29 ID:BAr1JdLg
●5の「胡椒水を注ぎ込む」は、正確には胡椒水とガソリンを注ぎこむ ことです。容疑者を長椅子かシングルベッドの上に寝かせ、首と胸腹と 四肢を縛り付けます。さらにガムテープを口に貼りつけてから、特務が 容疑者の鼻腔から「胡椒水・冷水・ガソリン」を徐々に注ぎ込むのです。 当然呼吸が困難になり、容疑者は耳の鼓膜が膨れ上がります。ある人は これを「醍醐味の灌頂」と称し、苦しさに耐えかねて容疑者は、どんな 無実の罪でも諦めて承認してしまうのだと云います。 ●6の「冷凍室に入る」は文字通り、容疑者を冷凍室の小部屋に入れる ことです。容疑者は天井が低くて立てず、かといって冷たくて地面には 座ることも出来ませんから、半ばうずくまって「氷天雪地」の中で我慢 させられます。これに2時間も耐えられる人間は稀だとか……。
728 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/05(月) 23:47:50 ID:BAr1JdLg
●7の「手足を縛って殴る蹴る」は言うまでも無く、容疑者を椅子や ベッドの上に仰臥させ、棍棒や藤の鞭で殴ることです。 ●8の「吊るし上げて叩く」は、容疑者を天井に吊るし上げ、それから 鞭で力の限りぶつことです。 ●9の「背に宝剣、車輪を転がす」は、ちょっと支那人特有の表現でして 説明が必要です。「宝剣を佩帯」すると言いまして、容疑者の右腕を肩から 背中に捻じ曲げて、さらに左手を肩下のわきから後ろへ捻じ曲げて、両手を 一直線に握らせ手錠を掛けます。これがあたかも一振りの「宝剣」を佩帯 しているかのような格好に見える訳です。 まあ、試しに一度やってみて下さいw。これだけでも関節が極度に柔らかくない 普通の人は非常に苦痛ですが、拷問をかける特務は、なおも一歩進んで両肘を 輪を転がすように捻転させるのです。これを「鳳凰が肢を展げる」と称しまして 両手のヒジが裂けるような激痛が走り、とうてい耐え切れないと云います。
729 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/05(月) 23:59:22 ID:BAr1JdLg
●10の「十本の指先に電気針を刺しこむこと」は、そのまんまですw。 ●11の「電気ショック」は、容疑者を椅子に座らせてヒジを縛り上げ、 スイッチを入れて電流を全身に回らせるやり方が1つ。またアメリカ製の 電気棒を使って、全身の敏感な「局部」に触れさせ、感電の苦しさを舐め させるのが2つ。また強烈な灯光を顔面に照射して、そのまま数時間放置 します。すると瞳孔が膨れ上がり「脳も膨張してくる」と云いますw。 ●12の「地獄へ連れて行かれること」は非常に面白い拷問です。『地獄遊覧』 とも云いまして、いくつか方法があります。1つは容疑者を真っ暗な山の洞穴に 入れまして、人間が肉体刑を受けているときの惨烈な叫喚声が入った録音テープを ひたすら暗闇の中で聞かせることです。
730 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/06(火) 00:11:36 ID:KUNBmSic
もう1つは、水牢の中にテーブルを水面に浮かせまして、容疑者をその上に 座らせます。壁際にかけてある第一の生首(人頭)がこう語りかけます。 「お前は考えても見ろ、外は陽光があまねく照っており、絵のような風景がある。 お前はなぜこんな地獄入りをして、苦痛の日々を送らねばならないのか?」 第ニの生首が声を上げます。「考えても見ろ、お前の肉親どもが早く家に 戻ってと団欒の日々を待っているぞ」と。 第三の生首がまた発声します。「もしお前が協力するなら、お前は直ぐに でも家に帰って、人生を享受できる」と。 第四の生首が告げます。「よく考えてみろ、もしお前が協力しないのなら、 お前の生首も俺と同様に、この壁際に掛けられるぞ!」とw。
>>722 >>掲示板でも一番輝いて見える世代で、とても羨ましいですw
掲示板でも一番「人生を投げて」見える世代の間違いでは?w
732 :
名無し三等兵 :2007/03/06(火) 09:01:49 ID:DCcM7Vgl
拷問と言えば共産党
俺だよ、俺!
梅干とその周りの赤い部分だけ食べるのが戦場でお腹を壊さないコツ。
735 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/06(火) 23:12:12 ID:WP9Xjery
>>730 の続きw。
●13の「陰膣を歯ブラシで摩擦する」は、もっぱら女性の容疑者に対して用いられます。
●14の「亀頭を焼いて焦がす」は、亀頭を針金で縛ってその上を叩き、または針金で刺し、
あるいはタバコの吸殻で焼くことです。ここで紹介者の『注釈』がわざわざ入っていて、
「このような刑方式は、支那民俗を侮辱しているのみならず、全人類を辱めるものだ」と
述べていますw。
●15の「過度の手淫」とは、容疑者が椅子またはベッドの上に寝かされたうえ、器具を
用いて手淫を行なわせます。手淫に次ぐ手淫を強制させ、ついに精液はおろか血まで搾り
出して「性的インポ」に追い込むのです。ここでまたもや『注釈』が入っておりまして、
「蒋介石父子の品性の卑劣なこと、およびその残忍性の極地は始皇帝や隋の煬帝に勝る。
これらの刑を受けてインポになった出獄者は、これらの刑を許した蒋浙江財閥の一味に
対し、口を極めて犬畜生の支那人どもと罵る」とありますw。
736 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/06(火) 23:26:00 ID:WP9Xjery
まあ、このように「性器」に対する拷問は非常に効果的ではありますが、 容疑者に深刻なトラウマ、ないしは強烈な敵愾心を植えつける訳です。 ここで少し思ったのですが、人間の大事な器官は「眼」「耳」「手」「足」 など、大抵は2つある訳です。なんで「ティンポ」は万が一に備えて2つないの かなーと。ちょっと接待で飲んで酔っていますw。脳も心臓も1つしかない と言われれば、それまでですが。 ●16の「石灰を口の中に詰め込む」は、文字通りのことです。 ●17の「尿を注ぎいれる」と●18の「犬糞を食わせる」は、侮辱性の 拷問であると云えます。 まあ以上、「蒋政権の拷問18手」という小ネタでしたw。どこまで本当で どこまで眉ツバものかは知りませんが。
737 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/06(火) 23:54:57 ID:WP9Xjery
>>719 >>♪五十、六十は洟垂れ小僧 男盛りは八十、九十
全く不同意です。支那事変や太平洋戦争を見ますと、いかに中佐クラスといった
中堅幕僚が幅を効かせているかが分かります。また満州事変のカンジや十月事件の
橋本欣五郎も中佐です。日本陸軍では、中佐クラスと言いますと「連隊付」といった
比較的ヒマな時期にあたります。あるいは師団参謀や高級副官などです。
また陸大出ですと、40歳前後といった脂の乗り切った時期に当たるため、
気力・体力十分、下手にヒマを与えると功名心とエリート思想で暴走しますw。
>>♪五十、六十は洟垂れ小僧 男盛りは八十、九十
まあ、政治家や支那人に対して言うべき言葉でしょう。終戦時の首相だった
鈴木貫太郎は77〜8歳です。南京攻略戦時の松井石根(中支那派遣軍司令官)が
当時、59歳前後ですかね。ただし、軍人として大きな仕事をしようと思えば、
40〜50代が限界だと思います。
>>721 >>木を見て森を見ず
1つの戦記を読んだだけでは、まさに「木を見て森を見ず」です。しかし、
10冊、20冊と読んでいけば、段々『相場』がつかめてきます。
739 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/07(水) 00:18:02 ID:8OIh37aE
>>709 >>「すごいなあ! すごいなあ!」と嘆声を発していました。
まあ、この辺の『好奇心』は誰にでもあると思います。これを『知的好奇心』
などと称してしまいますと、もはや善悪は関係なくなってきます。
たとえば「浙かん」作戦(ドゥーリットル東京空襲を受けて中国大陸の在支米空軍
基地を覆滅しようとしたもの:1942年)を取り上げてみましょう。第37師団
(熊本)の話ですが、ある連隊では作戦目的を達成して「反転」を命じたところ、
日本軍の拠点があった南昌までの途中の部落という部落は、全部火をつけて焼却し、
『無住地帯』を作るのだという事になりました。
便衣を着た挺身隊が専門の「火つけ役」となった他、最後尾の部隊は一戸も残さず
焼き払って来いという命令を受けたそうです。
中には面白がって予定時刻より早く部落に火をつける兵士も現れて、後続の部隊が
通れなくなって狼狽するハプニングも起こりました。
740 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/07(水) 00:39:34 ID:8OIh37aE
部落に紅蓮の炎があがって天を焦がし、熱くて部隊が中を通るのに 往生します。その頃には豪雨となり、物凄い雷鳴をとどろかせて 叩きつけるような雨を降らし、はや「天はこれを怒るか」と思った そうですが、単に火災の上昇気流が雨をもたらしただけでしょうw。 それはさて置き、上級者から命令として「放火」を命じられれば (責任を取らなくていい)、面白がって火をつける人間もかなりの 数がいるのではないでしょうか? 戦時中の話ではなく、現代の あなたの話だと想像して見てください。かくいう自分も命じられれば 『向学』のためにぜひやってみたいと思いますw。
>>737 >>また満州事変のカンジや十月事件の橋本欣五郎も中佐です。
ああ、あと永田鉄山を斬殺した相沢三郎も中佐です(藁)。
>>736 >なんで「ティンポ」は万が一に備えて2つないのかなーと。
竿など飾りです。エロい人にはそれがわからんのです!
本当に大事な部分は「タマ」ですから。
こちらはちゃんと2つありますよ。
>>742 >>本当に大事な部分は「タマ」ですから。こちらはちゃんと2つありますよ。
仰るとおり。そういえば、女性の「卵巣」も2つありますしね(核藁)。
744 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/08(木) 00:20:05 ID:XIC1Ysmp
「補論2」を締め括る前に、柏崎中隊長のエピソードをもう1つだけして おきましょう(補論3にも引続き登場しますがw)。 今までに述べたように、柏崎中隊長は『討伐作戦』を中心に支那人に対して 拷問などの残虐行為を行なっていましたので、当然、近隣住民からは『柏崎 鬼子』と恐れられると同時に「非常な恨み」を買っていました。 「いつか殺してやろう」と虎視眈々と機会を窺っていた訳で、以下のような 事件が起こりました。ある中隊討伐で行軍中、右側が急な崖になっている道を 前進していました。そのときは1個小隊が尖兵となり、柏崎中隊長がただ1人 乗馬で、その直ぐ後を指揮班が歩いていた訳です。 指揮班の1人の兵士が何気なく崖の上を見渡すと、何か黒いものが動いています。 よく見るとそれは人間の頭で、銃口を指揮班に向けて構えていました。狙いは もちろん、柏崎中隊長です。
745 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/08(木) 00:34:31 ID:XIC1Ysmp
指揮班の兵士が「右崖の上に敵だ!」と叫ぶのとほとんど同時に、バーンッ! と銃弾が、乗馬の柏崎中隊長の足元に飛来して土煙を上げます。 その支那人(おそらく八路軍の民兵)から柏崎中隊長までの距離は、僅かに 30メートル程度。狙いが正確に定まらない内に、日本軍部隊に発見されて 騒がれたため動揺し、照準が狂ったのでしょう。 もし兵隊がいち早く発見できていなかったら、至近距離でしたのでおそらくは 柏崎中隊長に命中していたに違いありません。まあ、よほど「悪運」(?)も 強かった訳ですw。
,.-.、 / ./ _,..-、 i /__/,..--,i 仲間の仇だッ! 稲造鬼子、死ねッ!! ., ' ` ´ヽ、 i <ノルレノル' ズドゥーン ,..イλイi;゚ - (ニ((ニC________,、''"´"''';;;-.... /(ゝy´[つ 1-l__l---A'´  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~´"''''-''''" ~"゙"""""""""""""""""
747 :
名無し三等兵 :2007/03/08(木) 00:48:16 ID:kYGgr2kB
>>746 なぜか知らないですがウケました☆
「悪運」が強くてなりよりです。> 柏崎中隊長。
748 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/08(木) 00:57:41 ID:XIC1Ysmp
さて「治安戦テーマ」補論3『日本人捕虜と反戦同盟』の項に入ります。 反戦同盟とはとどの詰まり、八路軍の捕虜となり、あるいは八路軍に自ら投降し、 警備任務についていた他の日本軍兵士に対して同じ日本人の立場から『反戦』を 呼びかけ「志気を阻喪させる」役割を担っていました。 まあ、1つの『宣伝戦』な訳です。先に総数だけ言ってしまうと、1937年7月 から1944年末までの間に、八路軍の捕虜となった日本軍将兵の数は2400人に 達し、その他に加えて1000人の『自発的投降者』があったと云います。1945年に 入ってからも含めますと、おそらく3000人以上が捕虜になったでしょう。 まあ、上記の数字は野坂参三(1892―1993、100歳超!:元日本共産党名誉議長、 衆議院議員、参議院議員:ペンネームに野坂鉄、野坂鉄嶺、岡野進など)の言ですから オーバーに誇張されている可能性もありますが、もはや「検証不能」なので取りあえず そのまま採用することとしますw。
749 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/08(木) 01:16:14 ID:XIC1Ysmp
「反戦同盟」については後ほど詳しく取り上げるとして、とりあえず 日本軍にとって「捕虜とはいかなるものだったか?」について触れて みましょう。 ちなみに実際は<日本人民解放連盟>など区分けが複雑極まりないので、 この項では簡素化のために「反戦同盟」で通したいと思います。本当は 自分も「支那通軍人」の典型で、八路軍(共産党)には詳しくないのが ホンネですが……w。 また引続き「柏崎中隊長」にご登場を願います。彼は勇猛な兵士を非常に 愛する指揮官した。ときに残虐行為もまったく辞さないというニュアンスを 含みますが…w(続く)。
750 :
名無し三等兵 :2007/03/08(木) 01:29:22 ID:kYGgr2kB
お疲れ様です。関連ネタを落とせませんが頻繁に見ています。頑張ってください!
751 :
JY :2007/03/08(木) 01:59:10 ID:Wrek+/Dg
私も毎晩楽しく読ませてもらってます。 中佐、今頃ですけどミクシーやりませんかw誘いますよw。
752 :
えICBM :2007/03/08(木) 20:58:45 ID:???
>イナゾウ氏 始める前に参考文献を出してみたらどうよ。
■映画『ガイサンシーとその姉妹たち』完成記念シンポジウム www.cine.co.jp/gaishanxi/ 2月17日、映画『ガイサンシーとその姉妹たち』完成披露上映会のイベントとして、 記念シンポジウムが東京都内で開催された。近藤さんは作品の出演者であり、シンポジウム に招かれたゲストスピーカーだ。 映画タイトルにある“ガイサンシー(蓋山西)”とは、中国は山西省で“最高の美人”を意味する言葉である。 日中戦争中にガイサンシーと呼ばれた侯冬娥さんら女性たちが、日本軍の兵士から性暴力を受けた 事実について、日中双方にかろうじて残る生き証人の言葉を集めて制作されたドキュメンタリー作品だ。 終戦前に中国から沖縄へと異動した近藤さんは、沖縄戦について多くの日本人が偏った認識をしている 現実に驚愕した。「真実を知らされていないのでは? なぜ知らされていないのか?」と疑問を感じ、 「せめて自分がやったこと、見たこと、聞いたことだけでも知って欲しい。そうでなければ、 犠牲者の死がムダになってしまう」と考えて、自ら語り部となったという。 「刺殺訓練、生きている人を殺.す訓練では、中国の人2人が括られていて、心臓をめがけて突き刺す というものでした。土下座させた中国の人に向かって、『日本刀の試し切りだ』と言って首をはねて いるところも見ました。今まで生きていた人が、斬られて胴体は前へ倒れ、首はコロコロと転がっていきました。 (訓練の中で)『大和民族は優秀だ』と教えられ、その対極に支那があり、自分も段々と抵抗がなく なっていたんです。ガイサンシーさんのようなことは、たくさんあったと思う」 「行軍の際に、赤ん坊のいる女性を拉致してきて輪姦して、殺.さずそのまま素っ裸で、靴だけを 履いた状態で歩かせていました。昼の休憩のとき、1人の古兵が急に立ち上がって、女性が抱えて いた赤ん坊をつかみ、崖から放ちました。その後、女性は崖から身投げをしたんですが、その時、 休憩していた兵士たちの間から、笑い声が上がったんです」「オ二でもできないようなことを中国 でやってしまい、謝っても謝りきれない」
>>750-751 毎度どうもでございます。どこまで続くか分かりませんが、引き続き
マイペースでやっていきたいと思っております。グラシアス、グラシアス。
>>751 >>始める前に参考文献を出してみたらどうよ。
以前、参考文献を下手に挙げましたら同じ本を入手した「法務大尉」に粘着されて
往生こきましたので、正直あまり出したくないと思うところもあるのですが、まあ
そういう訳にもいきませんので、『華北戦記』(桑島節郎著、図書出版社)です。
これも見る人が見れば「電波本」扱いなんでしょうねえ……w。否定はしませんが。
755 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/09(金) 01:21:33 ID:IcavlZ/l
>>749 の続き。 >>また引続き「柏崎中隊長」にご登場を願います。
柏崎中隊長は明治44年生まれと云いますから、西暦に直すと1911年生まれ。
今までの一連の話が1942−1943年頃のものですから、31、2歳という
ところです。
先にも述べたように長年戦地で鍛えた勇猛果敢な将校で、銃剣術や駆け足、行軍に
強い兵士を愛し、討伐作戦でアゴを出す(行軍途中で落伍すること)ような兵士を
『弱兵』として嫌悪しました。●「歩兵の基本は脚である。脚の弱い兵は歩兵の
資格がない。駆け足によって鍛えよ」と訓示して、毎朝、県城の城壁の上の通路を
兵に走らせたりしていました(周囲が約2000メートル)。
支那人に対して「情け容赦がない」のは今さら言うまでも無いことですがw、部下に
対しては人を惹きつけるような部分が多くありました。
756 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/09(金) 01:37:26 ID:IcavlZ/l
例えば、ある討伐作戦で中隊が「八路軍の工作員」を捕虜にしたときの話です。 後ろ手に縛って連行していたのですが、突然「この戦争は、最後には中国が勝つ。 祖国の勝利を見ないで死ぬのは残念である」とつぶやいたかと思うと、道の脇に あった深い井戸に飛び込んで『投身自殺』をしてしまいます。 「一体どうした」と騒ぎになり、ある分隊長が「どうせ死ぬだろうが」と言って 小銃弾を5発ほど井戸に撃ち込みます。ある初年兵が、工作員を後ろ手に縛った 麻紐のはしを手首にぐるぐる巻きにして行軍していたのですが、その時は偶然 虫でも知らせたのか、紐をほどいていたため、巻き添えで井戸に落ちることは なかったのです。 「お前、運がいいな。八路と心中なんてしたくないだろう?」とその初年兵は 軍曹に肩を叩かれますが、自分の監視不行き届きで八路軍の工作員をむざむざ 死なせてしまったミスは帳消しにはなりません。
757 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/09(金) 01:58:02 ID:IcavlZ/l
軍事よりも政治を重視する八路軍の中にあって「工作員」の地位は高く 評価されていました。また高学歴のインテリが多かったのも事実です。 もちろん情報を持っているので、大隊本部なり上級司令部に引き渡せば 大きな戦果だと云えます。 討伐作戦において、一挺の小銃、一個の手榴弾の押収でも1つの戦果と 数えられるような状態で、八路軍の工作員を捕虜にしたことは、やはり 大きいのです。それをむざむざ死なせてしまった訳ですから、この初年兵は 柏崎中隊長から「大目玉を食らう」と覚悟していました。 ところが柏崎中隊長は不問に附して、この初年兵をひと言も怒りませんでした。 だいたい柏崎中隊長が支那人に対して拷問を繰り返すのは、戦果の拡大を 追求してのことですが、このあたりの支那人と部下への対応のギャップの 大きさが余計に印象的な訳です。まあ、弱兵は嫌悪しますが、不可抗力に 近い出来事なら仕方がない(叱るに適さず)と判断したのでしょう。
758 :
名無し三等兵 :2007/03/09(金) 09:11:20 ID:Xvu66wGd
支那の人口、兵力は無盡藏なので、將士を討取るよりも兵器を鹵獲する方が御手柄 でした。殊に兵器不足の紅軍に對しては。 それから(時期により違ひがありますが)紅軍は交戰團體でありませんから、その 法的本質は唯の殺人犯罪集團です 捕虜になる資格無く、捕まつても當然捕虜の待遇 權利無く、殺して構ひません よつてこの殺人犯に對するときと、部下に對するとき と、態度が違ふのは當たり前で、それを不思議さうに比較して論ずる稻造氏の感覺こ そ珍奇です 稻造氏は常に法的視野が缺落してゐますからご注意下さい
きもっ
きもい上に犯罪者なら法廷で裁いてから刑を執行するという近代国家のルールも知らない池沼。
>>760 じゃあアルデンヌでブランデンブルク師団員を捕虜にし次第片端から処刑した米英軍も
近代国家のルールを知らない池沼な訳だ
762 :
ホッシュジエンの国内ニュース解説 :2007/03/09(金) 13:22:57 ID:GMUIGsYE
戦前、昭和天皇に侍従として仕えた故小倉庫次・元東京都立大法経学部長が
敗戦まで6年余りにわたって記した日記が発見された。1937年の盧溝橋事件に端を
発した日中戦争に関し「支那事変はやりたくなかった」と語るなど、戦時下に天皇が
漏らした肉声が記録されており、貴重な資料といえそうだ。
日記の主な内容は10日発売の月刊「文芸春秋」4月号に掲載される。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡ミ ___ __ 王室同士親交の深かったイギリスの軍需産業が経営
|ヽ /| ,,,,,,,,l / / 不振であえいでいる時、日中戦争は起こったんだね。
|ヽ | | ミ ・д・ミ/_/旦~~
⊥ |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 当時中国は英の植民地だったから、そこに日本軍が侵攻
凵 `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l する事は、本来なら絶対ありえないんですよね。(・∀・ )
07.3.9 Yahoo「『支那事変、やりたくなかった』=昭和天皇、戦時下の肉声−元侍従が日記に記録」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070309-00000065-jij-soci
>>758 貴樣は當時の支那軍(國民政府軍)の戰鬪序列を知らんやうだな(笑
八路軍といへども國民政府軍と同じ「天白日」の
徽章を裝着して、重慶政府からの指揮を受けてゐる場合は一應
國民政府軍の一部隊である。
>>761 国民政府軍の軍服・徽章をつけた八路と
便衣の八路は区別して扱うのが近代国家
>761 その特殊部隊は連合軍に偽装しているのだが。 正規軍が敵軍に偽装しているのは明確な戦争犯罪。 一方、八路軍は郡民兵であり郡民兵は私服での戦闘が認められている。 また八路軍は日本軍に偽装しているわけでもない。 よって八路軍の戦闘行為は戦争犯罪ではない。 それを混同させているのは何か政治的な意図でもあるのかね?
>>764 >八路軍は郡民兵
第二次国共合作により、国府軍編入後の八路軍を郡民兵とみなすのはいかがなものか。
また、郡民兵の活動地域は「占領されざる土地」に限る。
国府軍の退却後、日本軍の占領統治のなされる地域での活動は認められん。
あと、村落内部に日本軍を引き込み、村人に偽装して近接後襲撃、などという事例もある以上
武器の公然携帯にも疑義があるわけだが。
ついでに言えば、
>>761 は
>>760 の「犯罪者は法廷で裁いて」への言及だってことも汲んでくれ。
アルデンヌでの処刑は多くの場合、法廷なんぞ経由しとらん。
イナゾウ氏が挙げておられた例(出典は藤崎武男『歴戦1万5000キロ』ですかね)にも、連隊規模で便衣となって進撃する日本軍が出てきますな。 まあ戦時国際法は近代ヨーロッパにおける職業的傭兵軍による戦争を端緒とするので、住民参加のゲリラ戦争が絡むとややこしくなるのですな。 そのへんはカール・シュミット『パルチザンの理論―政治的なものの概念についての中間所見』 (ちくま学芸文庫)が基礎文献ですわな。
戦争犯罪か、それがどうしたって感じだけどな 過去の清算なんてやる必要はないだろ、歴史的な事実関係の考察や分析はやるべきだが
>>762 >>日記の主な内容は10日発売の月刊「文芸春秋」4月号に掲載される。
今日の「ニュース23」で見ましたよ。やれやれ明日買ってこないとダメですね。
『文藝春秋』は商売がお上手ですw。
>>766 >>出典は藤崎武男『歴戦1万5000キロ』ですかね
ビンゴ。
>>767 >>戦争犯罪か、それがどうしたって感じだけどな
全く同感。
>>767 >>過去の清算なんてやる必要はないだろ
時間が解決しますw。
769 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/10(土) 01:03:27 ID:CXAfcmfL
>>757 の続き。
柏崎中隊長は「勇猛な兵士」を愛する人です。たとえ捕虜処刑を命じられても
全く動ぜずに、落ち着いて『処理』できると非常に高ポイントです。例えば――、
●「天賀谷ッ、昨日斉山で戦死した根本の仇を討て!」
という柏崎中隊長の命令に、天賀谷上等兵が「ハイ」と何のためらいもなく、
捕虜の前に立って銃剣を構えます。ただそれだけの動作なのですが、こうした
際に落ち着いているかどうかは、側で見ていてよく分かります。天賀谷上等兵は
初年兵教育ですでに捕虜を使った『刺突訓練』を経験していましたが、初年兵にも
関わらず(乙幹で昇進が早い)実に沈着で、柏崎中隊長以下を驚かせました。
もちろん銃剣で「エイーッ!」と刺突しまして(1回目は心臓を外し、2回目で成功)、
この時の天賀谷上等兵の沈着なふるまいは、柏崎中隊長の注目するところとなり、以来
寵愛を受けることになります。
770 :
名無し三等兵 :2007/03/10(土) 01:06:37 ID:UGk6gVwl
771 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/10(土) 01:26:52 ID:CXAfcmfL
まもなく天賀谷上等兵は伍長となり、1943年4月から2ヵ月に渡って行なわれた
「旅団討伐」では中隊の指揮班長(柏崎中隊長の補佐役)に抜擢されるという
厚遇を受けます。
ますます才覚を認められ、柏崎中隊長の「乙幹(下士官候補生)にしておくのは
惜しい男」という強力なプッシュにより、旅団で2人という「士官適任証」を
授与され、のちに少尉に任官することが出来ました。
>>686 >>柏崎中隊長の「殺れ!」の声よりも早く、柏崎中隊長の片腕の『伍長』が
>>「野郎ッ!」と叫ぶと同時に、支那人の腹部に銃剣を突き刺し、井戸の中へ
>>叩き込みます。そしてトドメとばかりに、上から小銃を数発撃ち込みました。
そしてもう1人、柏崎中隊長に特に愛されたのが前述の小泉伍長です。性格は粗暴でしたが
戦いには勇猛で、支那人への「拷問行為」にも積極的でした。同じく「秘蔵の部下」であります。
その後、軍曹・曹長へと進級し、柏崎中隊長が在任中はその残虐行為の脇役として、同中隊長が
転任で中隊を去ったあとは、その跡を継いで「主役」となった人物でした。
772 :
名無し三等兵 :2007/03/10(土) 01:37:56 ID:LlkHmZo/
「天賀谷ッ、昨日斉山で戦死した根本の仇を討て!」 ゴーモンはアレなんですが、こういう台詞に弱いんですよなあ。。 今夜もお疲れ様です!
773 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/10(土) 01:56:45 ID:CXAfcmfL
『治安戦テーマ』補論3「日本人捕虜と反戦同盟」とは全く関係の話のように 思うかもしれませんが、このような勇猛な兵士を愛する柏崎中隊長が、自分の 中隊から「八路軍の捕虜」が出たとしたら、一体どう思うでしょうか?w 八路軍との戦闘で、中隊の1人の軍曹が手榴弾の破片を両目に受け「失明状態」で 捕虜になります。もちろん軍曹の捜索をかねて「討伐」が行なわれましたが、結局 消息がプッツリと途絶えてしまいます。 ところがその1週間後、失明状態で八路軍の捕虜となったK軍曹が、支那住民の かつぐ戸板に乗って、日本軍の分遣隊の駐屯地に送還されてきたという緊急電報が 中隊本部に舞い込みます。 柏崎中隊長は1個小隊をトラックで急行させ、K軍曹を「連行」しました。軍曹は 両目が失明状態のうえに、両足裏が赤や黄色にひどく化膿して歩行不能だったので、 取りあえず医務室に収容されました。裸足で山野を引きずり回されたとしか思えません。
774 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/10(土) 02:21:41 ID:CXAfcmfL
K軍曹は「八路軍の捕虜」になりましたが、それでも生きて帰しては 貰っています。『華北戦記』の著者である桑島は「八路軍は日本軍の 捕虜を優遇する政策をとっていたのに、これはおかしい」と戸惑った と云いますが、その理由を以下のように類推しています。 八路軍の捕虜となったK軍曹の捜索(討伐作戦)の道中で、工作員らしき 支那人(捕虜)を8人ほど柏崎中隊長が処刑してしまったので、その怒りの 報復として乱雑に扱ったのではないかと――w。 中隊に収容されたK軍曹は、医務室の床に伏せってひとり呟きます。 「おめおめ帰ってきたため、(柏崎)中隊長殿は会ってくれない。自殺すれば 良かったのだろうが……。斉山で張角山頭で、なぜ俺は死ねなかったのだろう。 俺は運が悪かった。やつら(戦友)はメクラの俺を置き去りにして逃げてしまい、 誰一人助けてくれようとはしなかった……」
775 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/10(土) 02:38:21 ID:CXAfcmfL
一方の柏崎中隊長はと云うと、 「軍曹ともあろう者が、捕虜になっても自決することも出来ないで、 おめおめと帰ってきたのは意気地のないことである」 としてK軍曹に会おうともしません。部下から捕虜を出すということは、 中隊長の統率力が欠けているからだとして、大隊長やさらに上司の信頼を 失って自身の成績にも影響します。この場合、K軍曹の前にも、中隊から 軍曹での捕虜を出していたので、柏崎中隊長はなおさら「心が平らか」では 無かったのです。 補論3「日本人捕虜と反戦同盟」を続けるうえで、言うまでもないことですが 『戦陣訓』の例の節に1度だけ触れておきましょう。
776 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/10(土) 02:52:41 ID:CXAfcmfL
「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思い、いよいよ奮励して その期待に答うべし。生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の 汚名を残すことなかれ」(第8項:名を惜しむ) もちろん上記の節は『戦陣訓』の中のごくごく一部であり、良いことを 言ってる箇所も沢山あるのは事実です。 K軍曹について一言ふれるならば、日本軍(柏崎中隊長)と八路軍、 互いの報復行為の板バサミにあって気の毒だったというしかありません。 八路軍は最後にK軍曹を解放(近隣住民に命じて日本軍陣地に運ばせた) しています。本来なら「宣伝戦(後述)」に取り込もうとするところですが、 失明状態だったのでさすがに手に余ったというところでしょうかw。
>「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思い、いよいよ奮励して > その期待に答うべし。生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の > 汚名を残すことなかれ」(第8項:名を惜しむ) これどう解釈すればいいんですかねえ。 「生きて恥を知る者は強し」なら、「虜囚の辱め」を受けて 生還した兵隊は強いということになってしまいますよw
修正 「生きて恥を知る者は強し」→「恥を知るものは強し」
陸軍刑法(明治41年法律第46号) 第四十条 司令官其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ敵ニ降リ又ハ要塞ヲ敵ニ委シタルトキハ死刑ニ処ス 第四十一条 司令官野戦ノ時ニ在リテ隊兵ヲ率ヰ敵ニ降リタルトキハ其ノ尽スヘキ所ヲ尽シタル場合ト雖六月以下ノ禁錮ニ処ス 結論。日本陸軍にとって、戦陣訓など関係なしに降伏は罪だった。
戦陣訓を書いた今村均は、後に 「生きて虜囚の辱めを受けず」 の文に本意ではないと後悔したらしい。 どうでもいいが、なんで戦陣訓を書いたのがヒデキってことになってるんだろうね。
wikipediaによれば「恥を知るものは…生きて虜囚の辱めを受けず、 死して罪禍の汚名を残すことなかれ」の解釈は二種類あるという。以下引用。 1、郷党家門の面目を思い、捕虜となって恥を晒したり、捕虜として相手に協力して あとでその罪を問われるようなことが無いように覚悟している者は強い。だから 強くあるためにはそのような覚悟をしておけ。 2、軍人として恥ずかしい行いをすれば、捕虜になった時はもちろん、死んでからも 罪禍の汚名を着ることになったり、同郷の者や故郷の家族から面目の立たない事になるのであるから、 そういった軍人として恥ずべき行いはやってはいけない。 さて、どちらの解釈が正しいのでしょうかね。
そーか! 「鬼が来た」に登場する日本軍部隊長は柏崎中隊長がモデルだったんだ! 納得・・・
784 :
名無し三等兵 :2007/03/10(土) 12:28:11 ID:qZXhOuKP
また訳の判らないことを・・・・ 宣戦布告も最後通牒も無いのだから、相互に交戦国として、交戦者としての権利は無い。 戦闘序列に入ろうと入るまいと同じ。
785 :
名無し三等兵 :2007/03/10(土) 13:59:48 ID:qZXhOuKP
戦陣訓は藤村の筆
藤村=藤村大河
>宣戦布告も最後通牒も無いのだから相互に交戦国として、交戦者としての権利は無い。 つまり中国軍が便衣兵を使うのも、日本の兵士や民間人を惨殺するのも、外国軍に侵入 された彼らが、中国の戦時慣習に照らして当然のことをやってるだけなのですな。 何をやろうとお互い様ということですな。 もちろん国際法に照らして、便衣兵も刺殺訓練もどっちもアカンという立場もあ りますわな。 しかし都合のいいところだけの切り張りは、この場合にはできませんなあ。
>宣戦布告も最後通牒も無いのだから相互に交戦国として、交戦者としての権利は無い。 1941年12月7日(日本時間)ならそう言えなくも無い が、次の日、米国にあわせて蒋介石も対日宣戦してるもんねw 八路軍は表向き「国民革命軍第18集団軍」だから 建前、蒋介石の指揮下ね。
789 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/10(土) 23:39:10 ID:Wu4pDMUs
>>777 >>生還した兵隊は強いということになってしまいますよw
ネタですか?w
>>779 >>結論。日本陸軍にとって、戦陣訓など関係なしに降伏は罪だった。
ヒデキが『戦陣訓』を訓示したのが1941年1月ですから、それ以前の支那事変中は
どうだったの? という話になりますので、ご指摘の通りです。ちなみに原案が
畑俊六陸軍大将で、推敲に島崎藤村、また今村均も関わっています。ここまで
戦陣訓が評判悪いのは、兵が暗記を強要させられたという点もあるでしょう。
兵士が『軍人勅諭』を暗記させられて苦労するのは常態だった訳ですが、このうえ
更にという話です。しかし『戦陣訓』は重要視されていなかったという部隊もあり
まして、その浸透は「不均一」だったという説もあります。ヒデキと対立していた
カンジにしても、「軍人勅諭を読むだけで十分」と戦陣訓を一切読ませなかったと
いう証言がある一方、京都の講演速記では戦陣訓の重要性を強調していたりします。
790 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/10(土) 23:59:35 ID:Wu4pDMUs
>>781 >>1、郷党家門の面目を思い、
ここで第二次大戦中の『米軍兵士』のケースを挙げてみましょう。「戦闘意欲を
促進するものは?」という問いに対して、アメリカ陸軍の下士官・兵士たちは、
●「任務の達成」:39% ●「集団内の連帯感」:14% ●「家族や恋人への
想い」:10% ●「使命感・自尊心」:9% ●「自己保存・生存」:6%
●「イデオロギー」5% ●「復讐心」2% ●「統率・規律」:1%
とこうきます。これが将校の場合ですと、
●「統率・規律」:19% ●「連帯感」:15% ●「使命感・自尊心」:
15% ●「任務の達成」:14% ●「復讐心」:12% ●「自己保存・
生存」:9% ●「家族や恋人への想い」:3% ●「イデオロギー」:2%
と明確に違いが出てきます。
791 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 00:22:41 ID:GSEsgg4o
まあ、肝心の日本兵士に対するこのような「アンケート」を目にしたことは 無いのですがw、『郷土や家族のため』という理由が米軍兵士よりも大きい のは想像に難くないでしょう。 第37師団(熊本)の初年兵の例を見てみましょう。1943年ごろの話ですが、 山西省の運城に着いたAは、余りに『初年兵教育』のしごきが辛いことから ニ週間ほど経ったある日、ふと「脱走」を考え始めます。 しかしAを思い止まらせたのは、●「長男の自分が脱走したら、成長して同じ ように徴兵されるだろう次男、三男がどうなるだろうか? 両親や親戚の方が 辛い思いをすることになる」という懸念でした。 村や職場の大勢の前で出征の挨拶をして、盛大に送り出されたとあっては 「あそこの親戚から脱走兵が出た」などと家門の名誉を汚すことは絶対に 許されない事であり、「死んでも脱走は出来ん」と思い直したのでした。まあ、 脱走は論外として、「捕虜になる」というのも同じメンタリティでしょう。
792 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 00:57:21 ID:GSEsgg4o
参考までにもう1つ話を取り上げます。「柏崎中隊長」が異動で去った 後の話ですが、1944年9月ごろ1人の上等兵が中隊から忽然と姿を消します。 ただちに中隊から1個小隊規模の「捜索隊」が出されますが、この頃になり ますと、八路軍の攻勢(+太平洋戦線の悪化にともなう日本軍の骨抜き)から 治安が悪化し、このような小兵力では危険で思うような捜索が出来ません。 従って「柏崎中隊長の後任」にあたる小川中隊長によって、状況判断も曖昧なまま ついにA上等兵を『離隊逃亡』と決定してしまったのでした。 大隊に提出された「第一中隊長・陸軍中尉 小川** 署名捺印」の「離隊逃亡」 公文書は、独立歩兵第19大隊→独立混成第5旅団→北支那方面軍→陸軍省を 経て、戦後に厚生省へと移管されます。 30年以上経過した1970年代後半でも栃木県衛生部厚生課の手元にあって、 「確たる証拠もなく『離隊逃亡』にするとは余りにも酷い」と主張する遺族と 当局の間で、30年に渡って抗争を続けていたそうです。めでたし、めでたしw。
793 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 01:12:32 ID:GSEsgg4o
まあ「離隊逃亡」とはいっても、最前線ですから話に尾ひれが付いて、 どうしても『敵前逃亡』になってしまいます。捕虜になっても軍人の 最大の恥辱とされていた当時に、「敵前逃亡」では捕虜どころの話では ありません。軍人のツラ汚しの最たるもので、おそらく最初それを聞いた A上等兵の肉親たちは号泣したことと思われます。 ただし真相は闇の中です。色んな証言を集めますと、どうもA上等兵は 日本軍に恨みをもつ支那人に不意に襲われて殺され、海に投げ込まれたか、 土中に埋められたらしい事が分かりました。 この頃は「敵前逃亡」をテーマの1つとした『軍旗はためく下に』(結城昌治著)が ベストセラーになった事もあり、確たる証拠もなく汚名を着せられているA上等兵を 気の毒に思った元中隊の兵士達が、栃木県の厚生課に連絡を取ってA上等兵に有利な 証言をしますが、上手くいきません。
794 :
名無し三等兵 :2007/03/11(日) 01:22:58 ID:2KXCDHKA
南京大虐殺 日本人は本当に野蛮だな
796 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 01:28:21 ID:GSEsgg4o
いくらA上等兵の「同僚の兵士達」が有利な証言をしようとも、当時の 中隊長・小川**中尉が出した『離隊逃亡証明書』という便箋程度の 大きさの、すっかり古ぼけた一枚の紙にはどうしても敵わないのです。 中隊長の証明書をひっくり返すには、それこそA上等兵を殺した支那人に 証言させるぐらいしかないのですが、到底不可能ですw。結局、A上等兵は 永久に浮かばれない事になります。 A上等兵の同僚の兵士の1人は、あとで触れます「日本人反戦同盟」の 山東省膠東支部長だった人物を訪ねた際に、「A上等兵が八路軍に投降した 事実はあったか?」と質問していますが、やはり投降は無かったとの証言を 得ています。 結局、逃亡の確証がない訳ですから、小川中隊長がA上等兵を「戦死」として 処理すれば良かったのに残念でならない、と同僚の兵士は振り返っています。
797 :
名無し三等兵 :2007/03/11(日) 01:32:47 ID:2KXCDHKA
南京大虐殺 日本人は本当に野蛮だな 謝罪しろ
それを言うなら南京大虐殺を教科書に載せる文部科学省に言いましょう
799 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 01:42:20 ID:GSEsgg4o
まあ、事故死などでも適当な理由をつけて「戦死扱い」にするのは 戦地ではよくある事で、どこの中隊でも必ず何件かはありました。 柏崎中隊長の部隊(第1中隊)でも4年間に事故死が4件発生し、 その内の3件が「戦死」とされています。北支で高度分散配置に あった部隊は、中隊長のペン先1つでどうにでもなった訳です。 ちなみに柏崎中隊長の時代に2件、後任の小川中隊長の時代に同じく2件です。 柏崎中隊長のケースでは、1件は兵士の手榴弾による自殺であり、もう1つは トラックから飛び降りた兵士の小銃が暴発し、弾がのどを貫通して即死した 事故です。柏崎中隊長は両方とも「戦死」としています。 小川中隊長になってからは1件が、初年兵の教育助手が演習中に誤って初年兵を 射殺してしまった事件を「戦死」とし、もう1つは『終戦後』の1945年11月1日、 中隊の兵器係下士官の軍曹が兵器検査の際に14年式拳銃一挺を紛失しているのを 小川中隊長に叱責され、それを苦にして拳銃自殺したものです。ちなみにこれは 「変死」扱いでしたw。
800 :
翡翠(星砂) ◆F1KoBsy57M :2007/03/11(日) 01:42:34 ID:YrFNUOiD
「 真相は闇の中 」 戦史研究において我々は記録に残されたホンの少しをなぞる事しか出来ません。 その中にあっても難しい「 日中戦争 」に正面から当たるイナ様に ささやかながらエールなのです。頑張ってください。
801 :
名無し三等兵 :2007/03/11(日) 01:45:31 ID:2KXCDHKA
南京大虐殺 日本人は本当に野蛮だな 謝罪しろ ふざけるな
802 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 02:01:46 ID:GSEsgg4o
同僚の兵士は「もし柏崎中隊長だったら、A上等兵も『戦死扱い』と なったかもしれない」と回想しているのが興味深いです。まあ、流石に 無理でしょうけど。上記のケースはいずれも『死体』は確認できていた わけで、もしA上等兵を「戦死」としたにも関わらず、八路軍兵として 中隊の前に姿を現しでもしたら大問題ですw。 まあ、日本兵は「捕虜」になるのも「離隊逃亡」するのも大変な訳で、非常に 長くなりましたが、今までの話は「日本人反戦同盟」への壮大な前振りですw。
803 :
翡翠(星砂) ◆F1KoBsy57M :2007/03/11(日) 02:18:34 ID:YrFNUOiD
>結局、A上等兵は 永久に浮かばれない事になります。 >結局、逃亡の確証がない訳ですから、 >小川中隊長がA上等兵を「戦死」として 処理すれば良かったのに残念でならない、 >と同僚の兵士は振り返っています。 現場の処理の難しさでありますね。 日々の更新お疲れ様であります。。
>>789 イナゾウさんが読んだ資料の中にも、やはり戦陣訓を
暗記させられたと言う記述や証言が出てきますか?
805 :
名無し三等兵 :2007/03/11(日) 19:06:11 ID:uBF/BEO6
判らない人たちですね。 戦陣訓は法令ではないので拘束力はありません。
法的な拘束力はありませんでしたね。 「空気読めよ」って雰囲気だったのでしょう。
807 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 22:48:53 ID:KYiiKfB3
>>803 >>日々の更新お疲れ様であります。。
毎度どうもでございます。ベリーサンクス。
>>804 >>イナゾウさんが読んだ資料の中にも、やはり戦陣訓を
>>暗記させられたと言う記述や証言が出てきますか?
もちろん『戦陣訓』が出されたのは1941年初めですから、暗記させられたという
記述なり証言の回想が現れるのは、それ以降になります。具体的には太平洋戦争
中期以降に入営した人たちですね。
例えば、『日中戦争 一兵士の証言――生存率1000分の3からの生還』(川崎
春彦著、光人社NF文庫)があります。著者は1943年11月に現役兵として第6師団・
歩兵第45連隊(鹿児島)の営門をまずくぐり、南京に到着したのち、第58師団
(熊本:広部隊)に配属されて「大陸打通作戦」に参加します。
808 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 23:06:27 ID:KYiiKfB3
その中の初年兵教育のくだりで、「(駆け足など体力には自信がなかったが) 頭脳の方では負けなかった。『戦陣訓』とか『歩兵操典』を明日中に何頁まで 暗記せよと宿題が出たが、中学校の教練ですでに習ったことばかりだったので、 いつも真っ先に正確に答えていた」という回想があります。 まあ、「軍人勅諭」や「戦陣訓」は文量的に大した事はありませんが (受験勉強に比べれば)、「歩兵操典」はさすがにハードです。無論、 全部ではなく部分的に暗記させたのでしょうけどw。 また一連の『華北戦記』の中でも、1942年4月の初年兵に対する精神訓話で すでに柏崎中隊長が『戦陣訓』を取り上げ、「捕虜になってはいかん。不幸 にして捕虜になったら潔く自決せよ」と強調しています。普通、中隊長などが 行なう精神訓話は「軍人勅諭」が中心としたものでした。 この時は理由がありまして、1ヵ月ほど前の戦闘で行方不明になった中隊の軍曹が 八路軍の捕虜になったにも関わらず、治療を受けて全快し、優遇されているという 噂が流れたためです。
809 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 23:28:26 ID:KYiiKfB3
>>806 >>「空気読めよ」って雰囲気だったのでしょう。
本来、陸軍向けに出された訓示でしたが(当時ヒデキは陸相)、太平洋戦争以降
だんだん海軍にも伝染してきます。これをもって海軍の堕落だと非難する人も
おりますがw。
映画『硫黄島からの手紙』では、日本兵の手榴弾自決するシーンが妙に強調されて
いますが、主人公の友人などもあっさり死んでいます。もうボカン、ボカンとw。
「北支の治安戦」においても、よく日本のトラック部隊が八路軍の待ち伏せ攻撃に
あって、運転手や警乗の兵士に多くの犠牲者が出ましたが、その中に内臓が全部露出
している遺体もたまにありました。これは「捕虜になるくらいなら」と、手榴弾で
自決したものです。
810 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 23:44:54 ID:KYiiKfB3
>>802 >>日本兵は「捕虜」になるのも「離隊逃亡」するのも大変な訳で、非常に
>>長くなりましたが、今までの話は「日本人反戦同盟」への壮大な前振りですw。
さて、ここからが本題です。支那戦線において、日本兵は捕虜になることを極端に
恐れていましたが、もちろん幾つか理由があります。
1つには「戦陣訓」などでも強調されているように、捕虜になる事はこのうえない
不名誉であり、本人ばかりか一家一門の恥となり、肉親は非常に肩身の狭い思いを
しなければなりませんでした。
2つには「捕虜になること」は、本人が恥をかいて済むどころの話ではなく、
軍刑法に照らし合わせて『厳罰』の対象になります。例えば、『軍旗はためく
下に』(結城昌治著)の中には、八路軍の捕虜になったものの自力で脱走して
きたため何の問題もないと思ったら、軍法会議で「敵前逃亡・奔敵」罪で死刑w
というエピソードがあります。
811 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/12(月) 00:09:19 ID:pmJWjXUh
3つには、捕虜になったら「支那人に残酷な殺され方をするのではないか?」という
恐怖の念が大きかったことです。まあ、柏崎中隊長の拷問を見ても想像がつく通り
自分も同じ目に遭うのではないかとw。これは敵地で戦争をやっていますので、
尚更でしょう。まあ、左翼が言うと「侵略戦争の自覚があったから」となりますがw。
で、実際はどうだったかというと、もちろん執拗な「死体損壊」と「野晒し」に
いたる残酷な殺され方をした日本兵も多かったのですが、戦闘で人事不省となって
八路軍の捕虜となったものの手当てを受けて厚遇されたケースも頻繁にありました。
(
>>808 を参照)
>>この時は理由がありまして、1ヵ月ほど前の戦闘で行方不明になった中隊の軍曹が
>>八路軍の捕虜になったにも関わらず、治療を受けて全快し、優遇されているという
>>噂が流れたためです。
結論から言えば、これは要するに『宣伝戦』なのです。
812 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/12(月) 00:30:21 ID:pmJWjXUh
要するに、日本の兵士は「死んでも捕虜になるな!」と叩き込まれており、 それが日本軍の精強さの1つの理由なのですが、相手からしてみれば『悪夢』 以外の何物でもありませんw。何しろいくら劣勢な戦況でも決して降伏しない 訳ですから。相手が同じ支那人の場合なら、とっくに降伏するか潰走でしょう。 そして通常は、まともに正面から戦ったら八路軍など相手にならないほど 日本軍は強大な訳です。で、どうするかと言えば「宣伝戦」な訳で、逆に 言えば、それぐらいしか出来ないという「苦肉の策」とも云えます。 例えば、日本兵の捕虜を取っても殺さずに優遇することで、「死んでも 捕虜になるな!」と教えられている日本兵部隊の士気をぐらつかせるのです。 また捕虜になった日本兵が、自分の元の部隊に帰りたいと言えば、無事に 帰してやります。意外に感じるかもしれませんが、そうすればその捕虜となった 兵士は「八路軍の捕虜になっても殺されることはない」という、これ以上ない 強力な「生き証人」となって、他の日本兵の土壇場での戦闘意欲に大きな影響を 与えるでしょう。
813 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/12(月) 00:35:22 ID:pmJWjXUh
まあ、捕虜になって生きて戻ってきた日本兵は、軍法会議で厳罰を 喰らうかもしれませんが、それはそれで、八路軍は「こんな日本軍で 命を懸けて戦う意義なんてどこにもないぞ」と宣伝戦のネタにする ことでしょうw。
八路軍と対比させて日本軍の軍紀の乱れが収拾のつかないものだったこと も指摘しています。 「しかし、八路軍というのは強かったですよ。本当の共産党員というか、負傷して倒れて いる下士官だったか、助けてやろうと色々やったが、絶対にいうことを聞かない。 それで動かんもんだから、とうとう置いてきてしまった」 (しかし八路軍は)「資産階級や豪農に対しては相当ひどいことをやったようだ」(“万人 孔”のようなものが出来るほど虐殺し死体を埋めたそうです) 「その代わり、八路軍は民衆の針一本、糸くず一つ取らないんですから。家にも入らない。 日本の兵隊はすぐに家に入っては村落露営だなんていっている。入るな、といっても駄目です。 勅諭なんか口では言うけど、さっぱり実行しない将校が多いでしょ。それじゃ兵隊になんぼ言 ってもだめですよ」
家の爺さんも、南支派遣軍に居たらしいが、 一番怖かったのは「八路軍」、2番目は「班長」って言ってた。 とにかく精強だったらしく、蛸壺で上に銃だけ出して、隠れていたそうだ(トラック運転や 炊事担当)。 やっぱり勇敢な香具師は早く死んだとさ。
ちなみに爺さんは「パールー、パールー」と言ってたよ。
ところで書いたあと思ったが、南支に八路軍っていたのかな? 紅軍全体の俗称で「八路軍」って兵隊は言ってたのかな。
>>816 百団大戦の時の戦いぶり見ても、
日本軍と同じく命に対してまったく配慮しない戦いぶりだしね>精強
ただその時日本の民間人多数を殺傷したあたり、
外国民間人への対応も基本的に日本軍並みw
>>814 えーと、それを指摘してるのは誰なんでしょうか。
「日中戦争 一兵士の証言――生存率1000分の3からの生還」(川崎
春彦著、光人社NF文庫)の話なんですか?
>>819 有名な話ですが、支那派遣軍参謀であった三笠宮が、若杉参謀の名で
1944年1月5日に南京の司令部で行った教育講話において、日本軍に
比して中国共産党軍の軍紀をべたほめしています。
記録から要点を拾うと下記のような感じです。
蒋介石が抗日にいたった原因について:
・満州独立
・日本の華北に対する野心
・支那事変勃発以来の日本の暴虐行為
・強姦、良民の殺傷、放火
・中国独立革命機運に対する日本の逆行、妨害
共産軍の軍紀に関して:
・中共の男女関係はきわめて厳重で強姦などは絶無に等しい。
・対民衆軍規もきわめて厳正で日本軍の比ではない。
・これで中共が猖獗しなかったら世界七不思議の第一となるであろう。
・斯くの如き日本軍では到底中共に対抗することはできないと思う。
汪兆銘国民政府について:
・元来国民政府は、当時外国から非難された日本の侵略主義を掩蔽
せしめんが為めの一時的思い付きによる小刀細工の感が強い。
・斯くの如き政府なるが故に、その末梢における大部分の官吏軍人は、
単に日本を利用して金を儲けようとしている連中である。
・右の如き政府に民衆の信頼なきは当たり前である。
すごいなあw こんなこといってたらアカ扱いされて大変なことになりませんか。
822 :
えICBM :2007/03/12(月) 17:44:58 ID:???
マルクス・レーニン主義はプロレタリア革命を標榜してるから、人民に対する態度は良くて当たり前だろう。 人道的とかそういう観念というよりも、やり方の問題だろう。
825 :
名無し三等兵 :2007/03/12(月) 21:22:36 ID:S57dRtBY
「満州は支那にあらず」「満州は中国の一部ではない」と言いながら 奉天や長春、ハルビンなどにあった日本の領事館の正式名称は 「大日本帝国在中華民国奉天総領事館」 「大日本帝国在中華民国長春総領事館」 「大日本帝国在中華民国ハルビン総領事館」 だったんだけどな。
それが責めるようなこと?
>>825 例の「満州は支那にあらず」という誤解は、
歩く電波発生器の孫文おじさんに責任があるように思います。
満州を何とか日本に押しつけようと、
長い間、不屈の努力を続けたわけですから。
犬養といい、松井石根といい、田中義一といい、
中山先生の電波にかき回された面もあるかもしれませんね。
世の中信義よりもフレキシビリティが大事。ダブスタ上等。 文句をつける方が間違い。
829 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/12(月) 23:58:05 ID:08qJUe1N
>>821 >>すごいなあw こんなこといってたらアカ扱いされて大変なことになりませんか。
まあ、最近話題になっている『小倉侍従日記』にもあった話……。戦況が悪化するなか、
次々と意見具申する弟宮たちに「皇族は責任なしに色々なことを言ふから困る」などと
昭和天皇が不満を述べられていましたが、そんなものでしょうw。
>>814 >>「日中戦争 一兵士の証言――生存率1000分の3からの生還」
>>(川崎春彦著、光人社NF文庫)の話なんですか?
違うでしょう。関係ありませんけど、この本も大変面白い本です。終盤までは
ごく普通の戦記本なんですが、最後の最後で大ドンデン返しがあります。ちなみに
サブタイトルの「生存率1000分の3からの生還」とは、著者と同時期に第58
師団(熊本)に入隊した初年兵1000人は著者も含めて3人しか生きて帰れなかった
という意味です。はて? そんなインパールや東部ニューギニアみたいな戦場が支那戦線に
あったかしらん? 大げさじゃないかしらん? と思っていると最後に分かりますw。
830 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/13(火) 00:08:33 ID:K04HP8cU
M・ナイト・シャマランの『シックスセンス』に匹敵すると言ったら、
間違いなく言い過ぎですw。
>>827 >>犬養といい、松井石根といい、田中義一といい、中山先生の電波に
>>かき回された面もあるかもしれませんね。
まあ、支那通軍人によく見られる「大アジア主義」(松井石根はその代表)の
「電波発生源」は孫文先生ですからね。松井は1933年から「大亜細亜協会」を
各地に設立することに情熱を注ぎ始めますが、これは孫文主義で、アジアから
欧米勢を排除していくのを理想の王道と称していました。
松井は1935年に大将で予備役になって以降は、ますます「大亜細亜協会」に
のめり込む事になります。そして運命の1937年に上海派遣軍司令官です。
831 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/13(火) 00:20:51 ID:K04HP8cU
>>817 >>ところで書いたあと思ったが、南支に八路軍っていたのかな?
>>紅軍全体の俗称で「八路軍」って兵隊は言ってたのかな。
似たようなもので南支には「新四軍」がいました。第二次国共合作で工農紅軍が
再編成されたもので、正式名称は「国民革命軍・新編第四軍」、主力は共産党軍
です。終戦末期、「大陸打通作戦」を終えた日本陸軍の一部は広東方面を目指し
ますが、いまだ日本軍未踏の地であり、匪賊、新四軍、国民党軍が入り混じって
極端に治安の悪い地域でした。
とくに新四軍が多く、集落を襲撃しては掠奪、暴行を繰り返し、同じ支那民族で
ありながら同胞にも全く容赦がないという極悪ぶりを発揮していますw。
先ほどの『日中戦争 一兵士の証言――生存率1000分の3からの生還』がまさに
このルートをたどった部隊の話であり、新四軍の残虐行為について以下のような
回想があります。
832 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/13(火) 00:28:29 ID:K04HP8cU
「この後まもなくのころ、ここに記述するに迷うような悲惨な事件が起こった。 山の峠を下りて集落の入口に差しかかったところ、見通しのよいところにある 大きな樹の幹に、二つの死体が括りつけてあった。わざと日本軍の目につく ように、死体は必ず通る道路わきにある。 近づいてみると、軍服の日本兵である。斥候兵が捕虜にでもなったのか、 一人は鼻を削がれ、一人は両眼をえぐりとられて、血だらけだった。まだ 死後数時間かしかたっていない遺体で、何と残酷な殺し方かと憤怒の念に かられた。確証はないが相手は多分、新四軍だろう」 まあ、この後の「八路軍の宣伝戦」をやっていくと、実情以上に八路軍を 過大評価するような記述が続きそうなので、前もって「こういう事」も 指摘しておきますw。
833 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/13(火) 00:37:56 ID:K04HP8cU
まあ、ここのところ日本軍の血生臭い話が続きましたので(主に柏崎中隊長w) バランスを取るために、支那側の残虐行為も取り上げましょう。八路軍ではあり ませんが、国民党軍の話で以下のようなものがあります。出典は、前にも取り上げ ました『憲兵物語』(森本賢吉、三宅一志著)です。少し長くなりますが…。 ●森本の聞いた限りでは、日中戦争が拡大していった状況は、こういうことだった。 「政府の不拡大方針をよそに、支那事変が拡大した発端は、北京〜天津間の軍用電話 交換所・揚村の日本軍守備隊15人を、国民党中央軍が虐殺したことだったという のは、常識だよ。目はえぐれ、舌と鼻はそがれ、丸裸で睾丸も切られ、首にかけた 認識票でしか身元を確認できない惨状だった。 切り取ったものは、柱なんかに打ちつけておったんよ。だから、天津から駆けつけた 一連隊の救援隊が怒って、あたりかまわず殴りこみを掛けて、砲弾を打ち込んだのよ」
834 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/13(火) 00:44:43 ID:K04HP8cU
「討伐日本軍の小・中隊を、梅干しで赤丸を描いた日の丸を振って集落代表が 出迎え、最後の一兵が城郭に入ったところで門を閉めて、中国兵が斬殺する 例もよくあったよ。 救援隊は、『クソッたれが。今朝、同じ釜の飯を食ったのに。戦友の仇を とらんと、アレらが浮かばれん』と言わぁね。日本兵は、遺体にまで残虐 行為はせんから、よけいに腹が立ち、指揮官がよほどしっかりしとらんと、 住民を皆殺しにする。その繰り返しが、戦争よ」
また最近テンパリ気味でして、本編ではなく小ネタでした。上記の 『憲兵物語』は他の人に勧められて読んだ本ですが、やはり自分も お勧めです。以上、乱筆御免w。 しかし、もうこのスレも「ご臨終」が間近くなってきました……。
>>819 この本の第九章「鈴木啓久師団長の供述と回想」です。
「この共産軍は正規の軍隊、つまり自他共に常時軍隊として現れてくるのではなくて、
或る時は『正規』の軍隊の姿で現れ、或る時は便衣に鉄砲という姿で現れ、或る時は
一般住民の姿として存在しているのであって、今日は部隊をなして現れているかと思
うとあるは全く姿を隠してしまい、昨日は程遠い処に居るとの情報を得たかと思うと、
今日は足下近くから飛び出てくるという始末であって、数時間も経たない前は全く安
全であった処が其数時間後には、雲でも湧き出たようにいつの間にか大軍となって目
の前に迫ってくる」(P-222〜223)
「こうした彼等との戦闘であって見れば仮令、所謂『大戦果』を挙げたとしてもそれは
徹底的では決してない。だから、いつどんな姿で『報復』としてハネ返って来るか判ら
ないと云う心配が脳裏から全く離れない、所謂『油断もスキもあったものではない』と
いう言葉の通りの在り方である」(P-223)
このような八路軍の縦横無尽な活躍は民衆との緊密な繋がりによって可能になったもの
でした。中国の民衆は一体となって八路軍に協力し、そして自ら侵略者に対峙していた
のです。
日本軍が制圧している「治安区」でも、日本軍に協力的な人物は“漢奸”として蔑まれ
居づらくなるだけでなく殺害されることすらありました(P-224)。
そして「未治安区」の村落では日本軍来襲の報が伝われば、敵に物資を与えてしまうこと
や「徴用」されることを防ぐために、すぐさま村民全員、家畜を含めた財産とともに避難
してしまう「空室清野」作戦を実施し、それが間に合わなければ村に残った老人子供だけ
でにわか作りの日の丸で「恭しく」迎えます(同)。
そして八路軍ゲリラが日本軍の虚を見て襲撃を行なったことでしょう。
837 :
名無し三等兵 :2007/03/13(火) 01:50:22 ID:dMoE7zYc
南京ではどれぐらいの人が殺されたのですか
↑ 支那軍敗残兵が5万位と住民5千人くらいです
>837 3500万人です。
>>830 シックスセンス?
・・・・・・アンブレイカブルと間違うとりゃせんかい。
>>836 >>この本の第九章「鈴木啓久師団長の供述と回想」です。
それ、書名は何になりますでしょうか? アンカーだと『日中戦争 一兵支の証言』の
ように読めますが違いますよね。第6章までしかありませんし。
>>840 >>シックスセンス? ・・・・・・アンブレイカブルと間違うとりゃせんかい。
最後に「意外な結末を迎えるw」という意味なら何でも良いです。
842 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/14(水) 22:54:43 ID:7Vp2OTCD
さて脱線が続きましたが、そろそろ『北支の治安戦』補論3「日本人捕虜と反戦同盟」に 戻りたいと思います。それは深夜、突然にやって来ました――。 時期は1943年末頃、山東省での「高度分散配置」にある分遣隊(堡塁)での話です。 太平洋戦線の戦局悪化に伴い、支那戦線からも兵力が抽出されて弱体化が進んできます。 この分遣隊でも兵数の削減とともに、2挺2筒あった軽機・擲弾筒も1つずつ減らされて しまいました。 八路軍はこうした日本軍の兵力縮小に目ざとく、分遣隊(堡塁)に対する深夜の嫌がらせ 攻撃も以前より一層活発になってきました。とはいうものの、連日深夜、望楼めがけて 小銃弾を2〜3発撃ち込んでくるといった程度のものですが、この頃から『日本人工作員』 の訪問を受けるようになりました。『華北戦記』の著者・桑島は、初めてそれを目にした時の 衝撃は今でも忘れられないと云います。 「近くに敵…」という知らせに急いで望楼上に駆け上がると、西方から「ダーンッ!」 という花火のような銃声が1発、深夜に響き渡ります。それから1分ほど経って、 思いもかけない放送が始められました――。
843 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/14(水) 23:11:19 ID:7Vp2OTCD
「オーイ、古城苗家分遣隊の歩哨さん。皆さん、今晩は。おつとめご苦労さんです。 私はもと第18大隊にいた山下兵長です。今は八路軍の『日本人反戦同盟員』で。 今夜は古城苗家分遣隊の皆さんに宣伝に参りました。よろしくお願いします」 真っ暗闇の深夜ですから当然、『元・山下兵長』の姿は見えません。100メートル ほどの距離はあったようですが、メガホンを使っているので声ははっきり聞こえます。 叫び方も説得するような調子で、堂に入っていたと云います。 「歩哨さんは、そうして寒いなかを望楼に立って、一所懸命にお国のために 尽くしていると思っているでしょうが、それは1つもお国のためになって いないのです。中国を侵略して手柄を立て、勲章を欲しがっている高級軍人 や、富を増やそうと企んでいる財閥の手先になっているのです。皆さん、 無益な戦争をやめて、八路軍に投降しませんか……」 降って湧いたような放送に、分遣隊長も望楼上に飛んできます。
844 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/14(水) 23:28:06 ID:7Vp2OTCD
「2、3発撃て!」という分遣隊長の命令に、暗闇の中を『日本人工作員』の 声がする方めがけて小銃弾を撃ち込みます。すると、放送は一時中断されましたが また直ぐに始まります。 分遣隊の日本軍は「夜は一歩も外に出ない」という事を八路軍は知っていたので 大胆に振舞います。小銃や機関銃、はたまた擲弾筒などを撃ち込まれても『闇夜に 鉄砲』ですから命中しないものと安心して、思う存分20分ほど放送していき ました。そして最後に「また来ます」と結んでいきますw。 捕まえて『八つ裂き』にしてやりたいとは思うものの、下手に堡塁から飛び出して いったらどうなるでしょうか? 当然、日本人工作員の『監視役』であろう八路軍も 行動を共にしているでしょうし、逆に1人でも『闇夜に松明』とばかりに逆襲されて 死傷者を出したら「アホらしい」のひと言です。結局、言われるがまま、宣伝放送を 聞かされるがまま、となりますw。
845 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/14(水) 23:46:11 ID:7Vp2OTCD
先に「八路軍が日本人捕虜を優遇した」と述べましたが、要するに『宣伝戦』に
利用する訳です。これでもし日本軍の中から投降する兵が現れれば、戦わずして
戦力を削ることができ、そうでなくても厭戦気分を徐々に蔓延させられます。
>>842 >>初めてそれを目にした時の衝撃は今でも忘れられないと云います。
「みなさーん、ラクス・クラインでーす♪ プラントのために戦ってくださって
ありがとうございまーす!」
ミーア・キャンベル初登場時の『衝撃』に匹敵するでしょうw。
846 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 00:01:09 ID:7Vp2OTCD
その後ふたたび、八路軍所属の「反戦同盟・日本人工作員」の訪問を受けたのは 20日ほど過ぎた、やはり深夜でした。 「みなさんは、中国との戦いを聖戦であると思い込んでいるようですが、それは 誤りです。中国との戦いは例えていえば、隣の家へ土足で上がりこんで、土地を 寄こせと鉄砲や刀を振り回して、家人を撃ち殺したり切り殺したりするのと全く 同じで、こういう戦争を侵略戦争というのです。皆さんは、軍閥や政府の戦争 指導者に踊らされているのです……」 「古城苗家の皆さん、皆さんが八路軍に投降すれば、大いに優遇します。八路軍は 日本の軍隊のように、上官が部下を殴るようなことは絶対にしません。食べ物や 寝る場所は幹部も兵隊もみな同じで区別がなく、非常に民主的な軍隊です。皆さんの 投降を心から歓迎します……」 「皆さんの故郷には、懐かしいお父さんやお母さん、奥さんや子供さんが一日も早く無事で 帰還できるようにと、首を長くして待っていますよ。決して命を粗末にしないで下さい……」
847 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 00:06:54 ID:85+D92kZ
こういうのを、同じ「日本人の口」から言わせる訳ですw。まあ、支那人というのは 後の「第二次国共内戦」と見ても分かるとおり、事前に「寝返り工作」でオセロゲーム みたいなことに励むのが大好きですからねw。それだけで決着がほぼ着いてしまうのが 恐ろしですが……(北伐や第一次国共内戦・参照)。
まあ、あとは「本当に悪いのは政府や軍閥、財閥、高級将校などであって 日本兵の皆さんは『被害者』なのです。早くそれに気がついて下さい」と いうのが特徴的というか、いつもの典型的というか……w。
>これでもし日本軍の中から投降する兵が現れれば、戦わずして >戦力を削ることができ、そうでなくても厭戦気分を徐々に蔓延させられます。 何で日本はこの手を使わないんだろう? 東京ローズは思惑が外れて、かえって励みになったとか
>>849 日本軍の捕虜になって米軍の給与の良さを思い知った米兵が
そんな呼びかけをするはずがない。
兵に対する福祉の悪すぎる日本だから通用した戦法。
>>850 スレ違いなので手短に。
太平洋戦争では、
放送専門家である連合国将校の捕虜などを起用した、
対連合軍謀略放送などは、当然行われていますよ。
日本の情報謀略は、むしろ効率的に展開されています。
その成果の一つが、インド国民軍ですね。
852 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 23:07:57 ID:1B9CkkeG
>>848 の続き。反戦同盟の『日本人工作員』が2度目に来訪した際には、もはや
分遣隊では非常呼集も威嚇射撃もしませんでしたので、悠々と放送していきます。
>>849 >>何で日本はこの手を使わないんだろう? 東京ローズは思惑が外れて、
>>かえって励みになったとか
別の角度から考えてみるとヒントになるでしょう。上記の舞台となった分遣隊は
古城苗家という場所でしたが、中隊本部の塞里からも隔絶した場所にありました。
この2ヵ所をつなぐ道路は幅2メートルほどの細い道で、山あり谷あり稜線あり
という地形も加わって当然、トラックは通れません。中隊本部からの連絡には、
十数頭のロバを連ねて2個小隊の警護兵力をもってせねばならず、月に1回あるか
なしかという状態でした。
もちろんラジオも無ければ新聞もありません。情報からは完全に隔絶された世界で、
太平洋戦争の戦局や世界情勢の推移はもちろん、支那戦線すら分かりませんw。
ッ-ヘ。__。ヘ ./ー- 、 レ, '´゚ `,〉 /==ヽ i ハ)))ハ))ノ) ム, |/ イオi ゚ ヮ゚ノヘ / 499KB。そろそろ逝っとく?w ,ぐ`i盃、ツつr'ソ ,メ∪イ-i、ゝ ゙'ーi_'ォ_ァ"
854 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 23:22:33 ID:1B9CkkeG
>>849 >>何で日本はこの手を使わないんだろう? 東京ローズは思惑が外れて、
>>かえって励みになったとか
>>852 で北支の治安戦における高度分散配置(分遣隊)は、『情報から完全に
隔絶された世界』と述べましたが、代わりに反戦同盟の「日本人工作員」が深夜
投降の呼びかけに来るたびに情報を伝えてくれるのです(核藁)。
このような日本人工作員の『勧誘』が有効だったかどうかは後で述べますが、謀略
放送においては、相手側が「つんぼ桟敷」に置かれていると反証ができませんから
余計に有効なのは言うまでもありません。
.i\ /i < '´  ̄ ヽ __彡ノメノノl/リ〉 \ `ソリ!゚ ヮ゚ノi スレ埋め! ><(つ!>つl ,. - .、‐ 、.__ /,く/,..--‐'"´:::(-)::::::::`::':ヽ、 ,.‐'"´::::::::::::::::::::::::::::::_,,..--─-ィ ノ::::::::::::::::::::::::::::::;:.'" ̄ _,.-r'" /::::-‐、::::::::::::::::_;:イ ´ イ ,.イ:::::::::::::〉::,.-':::::/ ! (:::::-、_:::::r'::::::!::::::〈 ,/ ヽ::::::::-rニ ̄ ヽ::::::`ー-、_ __,./:/ `!,_、;::へー-'ヽ、_っ、ン ̄ヽヘン