支那事變7 參謀本部第二部支那課

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百戰百勝、向ふ所敵無かりし支那事變
その父祖奮戰の跡を辿り、勇戰敢鬪を偲びつつ、好漢稻造と共に新たな國防を考究しませう

初代スレ 「 支 那 事 變」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1121259666/

2代目スレ「支那事變 被害擔當艦@サドンデス! 」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1132842768/

3代目スレ「支那事變3 參謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1139326210/

4代目スレ「支那事變4 參謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147872368/

5代目スレ「支那事變5 參謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1156432384/

6代目スレ「支那事變6 參謀本部第二部支那課」
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1161267950/

過去ログ(ue少將の君作成)
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/
2:2006/12/20(水) 13:06:56 ID:6hRu2/VY
 1は依頼に基き新スレッドを立てただけで、實質上のスレ主は稻造氏です。
 日教組教育で占領軍表記しか讀み書きできない人が増えたので、國語力の瑕疵を苛めるのは止めるやう提案します。彼らも愚民教育の被害者ですから。
 では、宜しくお願ひします。

        。      暴
  ∧_∧ /〜〜〜/  支
○( ´∀`)/  ●  /   膺
 ヽ   |つ〜〜〜/    懲 
  | |(__)
 (__)(`ハ´⊂⌒__フ
""""""""""""""""""""""
3:2006/12/20(水) 13:13:17 ID:6hRu2/VY
 前スレ最後のカキコは以下の通りです
 為念、前スレ冒頭の稲造宣言も次レスに掲げ置きます

 高度分散配置は赤匪の監視、封殺と共に、若し蠢動を見たら忽ち驅着ける爲の、言はば機動戰用に間合を詰めて置く布陣ではなかつたでせうか?
 越南戰爭も鬼ごつこでした
 アフガンもさうだつたのでせう
 米ソは廻轉翼機でヘリボーン掛けたり、固定翼機で叩いたりしました
「歩兵で拘束し、航空機で撃滅する」
 でも幾十せ年も先行する支那事變で、それは望めぬことでした
 何より世界戰史上初めての體驗で、戰ひ方も判然としなかつたのです
 テト攻勢のキル・レシオが六十倍以上。支那事變は二十倍以上。
 米兵一人討つのにベトコン六十何人討死にし、我勇士一人が支那兵二十數人道連にした譯ですから、四半世紀の時の差、裝備の差を勘案すれば
支那派遣軍の奮鬪は明らかです

 ♪一髮土に殘さずも 譽れに何の悔やある    戰陣訓の歌

 小兵の記憶では、警備師團と呼んで、治安師團とは言ひませんでした
 治安では實施部隊が士氣振策できません
 警備隊、分屯隊の語は多用しました
 分隊と小隊の中間規模の警備隊が多くあり、分隊長を卒業した曹長級が警備隊長を勤めました
 良く地元民衆と融和し、美しい插話を數多耳にしたものです
4:2006/12/20(水) 13:15:24 ID:6hRu2/VY
FU/OcfTlfM :2006/10/19(木) 23:25:50 ID:bHb00LYs
滿州事變、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事變、南京陷落、徐州作戰、
武漢攻略作戰、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉碎、大陸打通作戰等……。
日中戰爭を軍事的に語るスレッド。帝國陸海軍の内情も可。
5名無し三等兵:2006/12/20(水) 13:21:59 ID:???
被害担当艦に再就役ですか。
ご苦労様
6名無し三等兵:2006/12/20(水) 14:15:06 ID:6hRu2/VY
 阿片戰爭の時、英軍の艦砲射撃に威力に驚いたシナ兵は魔物の仕業だと思ひ込み、
魔除けのため海岸から沖の英艦隊へ向かつてうんこを投げまくつた
 當然、砲撃でうんこと共にあぼーん!
 實話です
7名無し三等兵:2006/12/20(水) 15:58:16 ID:6hRu2/VY
 日支すなはち一對十
 日本兵一人は能く支那兵十人に優る
 これは支那事變の戰理であり、中華民國軍總參謀長A.ウェデマイヤー大將までが
著書「第二次大戰に勝者無し」の中で力説してゐる
 支那派遣軍總司令官岡村寧次大將は、戰後、ウェデマイヤー大將に對し、日本軍が
十倍の支那軍を易々と撃滅するのは普通のことであつた、と語り、舊敵ウェ大將も恐
れ入つて拳拳服膺してゐる

 それにしても眞の勝者たる米軍人が勝者無しと謙虚に唱へてゐるのに、全敗のシナ
人が勝者面をするのは淺ましく、何處までも恥知らずなシナ人根性ではある
8名無し三等兵:2006/12/20(水) 19:45:58 ID:6hRu2/VY
 支那戰線は相手が弱いので、本人がしつかりしてゐれば勝ち殘り生き殘る確率も高かつたですな。
 40サンチ砲の艦砲射撃でコンクリートの永久築城ごと吹飛ばされる太平洋正面とは違ひます。
9名無し三等兵:2006/12/20(水) 23:04:27 ID:6hRu2/VY
 先日まで流れてゐた日本放送協會の連ドラ、あのTVはあちこち、といふより全面的に變ですよね。

1.未教育兵は出征しない。
2.年囘りから召集令状な筈無く、徴兵令状(白紙)である。
3.徴兵は二十歳で本籍地に於て、と決まつて居り、驚くやうなことではない。今日の税金と同じで、初めから判つてゐる。
4.支那事變は壓勝であり、動員兵力は全軍の一部に過ぎず、左程危險なものではない。
5.官民上下、路地裏から畦道まで、主戰論に滿ちてゐた。

 千人針は實用には供しませんでした。あれは腹卷です。
10名無し三等兵:2006/12/24(日) 12:18:13 ID:AUFVRdsP
千人針に虱わく
11打通君:2006/12/26(火) 15:15:37 ID:7yEdP+Pj
八年間全勝。
今こそチハ車を讃えよ!
チヌ車もケト車も皆たたえよ!
12名無し三等兵:2006/12/27(水) 08:57:58 ID:hfxKpV8p
特二式内火艇もたたえよ!
13 【大吉】 【877円】 :2007/01/01(月) 04:53:12 ID:RbgIfRso
明けましておめでとうございます。
 日本は徴発する際、軍票で支払いましたが、軍票が流通している市場が大陸の辺境にもあったのでしょうか?
流通市場が無ければ軍票は使えませんから、宣憮工作が順調だったのは省都付近のみと思われますが、実際はどうだったのでしょうか?
 また、分遣隊はそれぞれの駐屯地で現地人を徴用して保安隊を組織していますが、地域ごとに訓練施設を造り、国軍のように入営させて訓練したほうが「逃げない」部隊を組織できたのではないでしょうか?
14名無し三等兵:2007/01/09(火) 14:43:57 ID:2w5Qh6y/
普通は連銀券かちょび券を使ひます
15名無し三等兵:2007/01/09(火) 18:08:10 ID:SfDQgUPH
事変中の新聞には地元欄に戦死者名が載る。

現地部隊からの連絡で誰某が死んだと発表される。

その後に顔写真付きで、何処其処の誰某さんがこういう状況で戦死
〇〇会社の事務員で誠実な方だった..とか
16:2007/01/10(水) 17:28:16 ID:MzvSluLT
 謹賀新年

 軍票は作戰上の必要に基き、市場原理に關係無く發し、交附します。
 無論、事實上の「貨幣」價値、相場は生れ勝ちですが、基本的に經濟理論の産物ではありません。
 よつて經濟學説から推測すると云ふことが根本的に間違つてゐます。
 主に戰地、軍政−占領地で交附し、本來その外での使用を豫定してゐませんから、邊疆もへつたくれもありません。
 日本軍の軍事的に居るところ、すなはち軍票の用ひらる可き地なり。
 よつて大都會であつても敵地區では軍票は公然用ひられませんし、味方地區でも作戰地等で無ければ原則として用ひられません。
 闇や正規の交換は有り得ますが。
17名無し三等兵:2007/01/10(水) 21:05:41 ID:enOYkLSC

 ̄□ ̄はひー
18:2007/01/11(木) 23:06:43 ID:/RQuKz36
 次に保安隊ですが、これは志願制です。國際法上、他國民を徴用する權限が有りませ
んし、徴募に応じた本人も敵國なら外患援助、中立國なら中立命令背反罪に問はれます。
つまり近代法は國際法、國内法ともそれを許しません。

 そもそも強制する必要も有りません。貧しい國では保安隊員でも賣春婦でも、募集す
れば志願者殺到するのが常です。カンボジアやイラクの警官、越南の賣春婦等を御覽な
さい。無限に殺到してゐます。

 さて保安隊ですが、これは南京政權の率ゐる實力組織であつて、我軍ではありません。
我軍が協力させられることはありますが、何れにせよ大きな事業であり、分遣隊如き出
先の小部隊が勝手にすることではありません。軍司令部か、せめて師團司令部の仕事で
す。

 保安隊の性格は警察軍−共産支那のいふ武裝警察−であつて軍隊とは異りますが、そ
の採用に當たつては支那「軍人」から採るのが普通です。當然兵營も存し、大雜把に言
へば營内居住してゐます。訓練もしてゐるし、その施設もあります。しかし何をどうし
ても逃げる癖は滅多に直りません。それが支那人根性です。
19名無し三等兵:2007/01/20(土) 19:46:12 ID:gh6GQlUz
アゲ行為ヲ敢行イタシマス。
20名無し三等兵:2007/01/20(土) 19:50:20 ID:VkDrh6Ho
支那事変で活躍した航空部隊、特に水上機に付ては触れられることが少い。
あの地道な貢献には、もっと光を宛てられて良い筈だ。
21名無し三等兵:2007/01/21(日) 01:08:57 ID:I1bB/L4C
アゲ行為ヲ称揚イタシマス。
密接ナル協同ヲ謝ス。
22名無し三等兵:2007/01/22(月) 19:09:07 ID:90rmZoxl
闇黒日記
23名無し三等兵:2007/01/22(月) 21:54:57 ID:???
>>16,>>18
紙幣は信用貨幣なので、経済原則から外れた紙幣に価値は無いのでは……
そんな紙幣で食糧等を徴発されたらそりゃ日本軍も恨まれます。
と思ったら、軍票は貨幣ではなく小切手や領収書のようなものだそうで、なんとなく理解できました。
>>14指摘のように、連銀券や儲備券が主流で、軍票を使い始めた日本軍の台所事情は苦しくなっていたというところでしょうか。

>國際法上、他國民を徴用する權限が有りませ
>んし、徴募に応じた本人も敵國なら外患援助、中立國なら中立命令背反罪に問はれます。
>つまり近代法は國際法、國内法ともそれを許しません。

なるほど
言われてみればその通りですね。
キ東防共自治政府なら保安隊を徴用できたように思いますが、ここもまた志願制だったのでしょうか。
24:2007/01/25(木) 00:49:23 ID:csUCxWMO
厳密に言へば、紙幣は貨幣ではありません。
法律上−通貨法他−もさうなってゐます。
25名無し三等兵:2007/01/25(木) 13:26:05 ID:csUCxWMO
          ,′ _
           , -r/`ヽ十/`ヽ ヽ.
        _/     l|/,     ゛、
      /:/    爪! l| il| |     ヽ
       /:::/   | l l``` "´| ト、 l    ゙、
.      !::::l   /|.lヽ!    リ }ハ_     i    好きです、日本の兵隊さん!  
     l::::|   l/l|二、    ,二., l  i l          
     |::::l i l,/_j::、     _j::、ヽl i ! !         
     l::::| l l! _ヒ」     ヾ┘ j l | |
      l::::i! i l l       ;     //l j i !
      !::::lヽ!、ヽ'、   、__,   ノ'// ///
.      j::::::!::::::ヽ゛、        ///!'´    
     i::::::::i::::::::::i::`}' 、 _ _,. 'l::::/'::i::::|
      !::::::::::!::::::::::!ノ        !:::::::::::!::l
    j::_,,-ヽ:::::::ヽ      iヽ:::::::::ヽ!
26名無し三等兵:2007/01/27(土) 14:43:19 ID:QjgvQMx/
紙幣は銀行券
でも子供銀行券は×
27名無し三等兵:2007/01/29(月) 20:08:25 ID:ht6Hh3Yt
支那事變は戰爭ぢやないから軍票も色々面倒になるが、軍票が手形だと云ふのは言ひすぎだらう。
支拂保證があるのだから寧ろ小切手の方が近い。
28水上機王國日本:2007/01/30(火) 15:18:18 ID:gVekncHM
 帝國海軍がこの分野に注力して來た甲斐あつて、我水上機の
性能は傑出してゐました。
 古くは十四年式水偵、ヒットラーも欲しがつたとひふ九四式
水偵。
 下つては九七式大艇、零式觀測機、零式三坐水偵、二式大艇
、二式水戰、強風、瑞雲、晴嵐‥‥
 戰後も世界一の英名を馳せたPS1を經て、現用のUS1。
 先年も惡天候下を冒して米機の搭乘員を救出し、男を上げま
した。
 開發、製造は川西飛行機の後身、新明和工業です。
 さう言へば二式大艇に似てゐますね。

 石垣島空港建設で環境破壞が問題となりましたが、飛行艇に
すれば滑走路は要りません。
 墜落の危險があれば着水すれば宜しい。
 カナダでは盛んに活用し、バンクーバーやエドモントンで日
常的に目にしたものです。
 四面環海、宏大な水面に恵まれた海洋國家として、水上機の
活用に目を向けては如何でせうか。
29名無し三等兵:2007/01/30(火) 20:30:09 ID:gVekncHM
戰爭は經濟原理で説明できない
軍票も同じ
30名無し三等兵:2007/02/04(日) 00:24:43 ID:aK9j7tsF
今日は節分です。
思えば支那事變は鬼ごっこみたいでしたね。
31名無し三等兵:2007/02/04(日) 09:39:00 ID:aK9j7tsF
十四年式水偵でしたか、上海事變で活躍してますね
我水偵はピンポイント爆撃にも優れ、飛行場の無い戦場にどんどん進出し、支那軍から「水鼓」と恐れられました
32名無し三等兵:2007/02/04(日) 14:17:56 ID:aK9j7tsF
今、上海に居ます
33名無し三等兵:2007/02/05(月) 02:02:27 ID:AuA4iEap
今、蘇州に居ます
激戦の末、攻落して大兵站を置いたところです
34名無し三等兵:2007/02/05(月) 08:44:43 ID:AuA4iEap
寧波へ進撃します
室町時代から日本水軍に馴染みの地です
35名無し三等兵:2007/02/09(金) 09:56:49 ID:w1NMRlo8
水鼓って零式三座水偵じゃない?
36名無し三等兵:2007/02/11(日) 01:36:29 ID:zyJyBFun
特に事変初期、水上機の活躍は顕著だった
37名無し三等兵:2007/02/11(日) 12:18:58 ID:zyJyBFun
 今日は紀元節。そして明治28年の今日2月11日、清国北洋艦隊が壊滅した。
 これにより日清戦争における我国の勝利が軍事的に確定した。
 北洋艦隊は支那初の近代海軍で、古色蒼然たる軍備を近代化すべく李鴻章が明治21年に編成した。
 当然、李鴻章の北洋軍閥に属し、李鴻章の私軍の性格があり、その政治力の基盤となった。
 当初僅か25隻であったが、明治27年には軍艦42隻を擁するまでになった。
 北洋水師提督は丁汝昌。
 しかし同年8月開戦の日清戦争では我連合艦隊に連敗。
 緒戦9月の黄海海戦で主力艦の半数に相当する5隻が沈没した。
 連合艦隊は最大クラスの「松島」「厳島」「橋立」が4278排水トンでだったの対し、北洋艦隊は7335トンの「定遠」「鎮遠」の二大戦艦を保有。
 勿論、主砲の威力でも北洋艦隊が圧倒的に勝っていた為、戦前には北洋艦隊有利との見方も強かったが、連合艦隊は世界的にも新戦法とされていた我古水軍以来の単縦陣を採用。
 速力を活かして艦隊運動で圧倒、接戦に持込んで戦いの主導権を握った。
 近接戦闘では我が優勢な中口径砲の速射により、敵艦の戦闘能力を次々に奪った。
 旗艦「定遠」に乗った丁汝昌提督も重傷を負い、北洋艦隊は根拠地である威海衛(山東省)に逃込んだ。
 以後、李鴻章は北洋艦隊の出撃を禁止した。
 フリートインビーイング。艦隊保全主義に立ち、同艦隊を失うことの政治的影響を恐れたためという見方が一般的だ。
 これで制海権を獲得した日本は海路を確保、陸軍が遼東半島に上陸してこれも連戦連勝、11月に旅順及び大連を占領すると、威海衛を包囲攻略した。
 日本海軍も海から攻撃し陸海呼応して北洋艦隊を殲滅し、要塞を攻落とした。
 丁汝昌提督は投降を拒み最後の出撃を望んだが意気地の無い部下は反乱を起して出戦を拒んだ。
 絶望した提督は毒を仰いで自決した。
 その悲壮な死を悼んだ連合艦隊司令長官伊藤提督は、態々一艦を割いて遺骸を丁重に故郷へ送り届けた。
 鎮遠艦長林泰曹は遺志を奉じたが、南洋艦隊以下諸艦隊は祖国の危急を見捨て恥無くも中立を宣言して保身を図った。
 装備優越せるシナの敗因は、戦術よりも支那人根性にあったといえる。
38名無し三等兵:2007/02/13(火) 00:19:15 ID:LiRmCsgV
対支那戦争ではあるのかな
39名無し三等兵:2007/02/13(火) 09:54:51 ID:LiRmCsgV
寧波では細川氏が大暴れ
40名無し三等兵:2007/02/15(木) 17:50:26 ID:fhR39b0q

 今し方、支那陸海空軍總司令蒋介石大元帥の生家を訪ねて來た
 寧波郊外奉化縣渓口鎮、武嶺の麓、錦江北岸、良く言へば山紫水明の地でもあらう
 英雄の心事が偲ばれ、感動した
41蒋公出でずんば:2007/02/23(金) 00:43:17 ID:KH8IyoOd
 蒋介石は大清光緒13(基督暦第1887)年の生誕なれば、本年が生誕120周年だ。
 但し支那人は数へ年なので今年120年際を執行するか否かは断定し難い。
42名無し三等兵:2007/02/24(土) 19:23:55 ID:lgp4qsWK
413 :白馬青牛 :2006/10/28(土) 23:27:06 0
>>402
洛陽攻略、京漢作戦の日本軍(宇都宮63D、姫路110Dの一部)と
中国軍の死傷者数だけで、大陸打通作戦(湘桂作戦)を語ってもねえ。
1号作戦の一局面に過ぎんよ。
湘桂作戦、最大の激闘である衡陽攻略戦では、日本軍(大阪34D・
熊本58D・大阪68D・京都116D)も苦戦しとる。衡陽を守備した、
方先覚中将以下3万の中国人将兵は、激闘1ヶ月降伏したが、
糧量の無い中、栄養不足で疾病者が増加するも、よう健闘した。
逆感状に値する。方先覚氏が大阪の部隊に負けたのだから、大阪の部隊の
捕虜になったと云う話が伝わっておるが真偽は解らん。衡陽の全面崩壊に
主因をなしたと、横山勇軍司令官から近畿兵団の大阪と京都の部隊に、
感状が授与されたので、ありうる話じゃ。
ほいで、衡陽が大阪68D将兵の血で染まった。と云われるほど、
68Dは犠牲は多く、熊本58Dも、湘桂作戦〜終戦までの死没者は、
7368名。その多くが衡陽攻略時の推定半数の将兵が直接この作戦の
犠牲者になったことは間違いないものと思われる。(衡陽攻略の
熊本58D、歩兵12ヶ中隊で大隊長全員戦死。)
衡陽救援の仙台13D新発田第116聯隊も小水舗付近の陣地戦で、
1ヶ中隊全滅という状況じゃった。
大陸打通作戦は、一方的な虐殺ゲームじゃないよ。我が将兵の苦闘、健闘
激闘した方先覚軍ら敵兵であった中国軍も含め賞賛すべきであろう。
43名無し三等兵:2007/02/25(日) 23:55:43 ID:ONNP31gI
あれだけ縦横無尽に踏み潰されたんぢゃ褒めやうがありません
打通氏の言ふ通りです
44(;´Д`):2007/02/26(月) 00:50:42 ID:???
今日は何の日?♪
45名無し三等兵:2007/02/26(月) 02:43:01 ID:klNuggEb
彭徳懐を半殺しにした第三十六師団は神
46名無し三等兵:2007/02/26(月) 18:50:40 ID:i/RwFbN3
二二六事件の日
47名無し三等兵:2007/02/27(火) 22:10:05 ID:???
ドイツ人もアメリカ人も
中国軍を強くすることは出来なかったな
もっともドイツやアメリカの軍事顧問がいなければ
中国軍はもっとひどいことになっていただろうが
48名無し三等兵:2007/02/27(火) 23:16:52 ID:s8yrrNTB
ゼークト将軍やファルケンハウゼン将軍はちょと強かったと思うぞ
49名無し三等兵:2007/02/27(火) 23:56:21 ID:???
ウェデマイヤーやシェンノートも苦労しただろう
八路軍にはソ連あたりが軍事顧問を送ったりしたんだろうか?
50名無し三等兵:2007/02/28(水) 14:20:07 ID:xN9wY4Jx
白馬青牛ってのはどんな奴だ
51名無し三等兵:2007/03/01(木) 18:20:22 ID:HvcPrBph
支那共産党は初めから国際共産党(モスクワ)支那支部
52名無し三等兵:2007/03/03(土) 17:13:17 ID:JLCj/3te
上海事變時の支那軍はドイツ將校團に率ゐられドイツ式裝備の大兵團。
53名無し三等兵:2007/03/03(土) 18:27:22 ID:OSQuX4cY
ドイツ式装備やアメリカ式装備でも
人間が中国兵じゃな
54名無し三等兵:2007/03/04(日) 16:57:51 ID:cBBK1bS9
今の中国軍はロシア式の装備
55名無し三等兵:2007/03/05(月) 14:23:12 ID:+afSntae
× 中国

〇 支那
56名無し三等兵:2007/03/05(月) 15:58:54 ID:???
>55
東亜板に帰れ。
57名無し三等兵:2007/03/05(月) 20:35:41 ID:UfqbdE0u
何を装備しても駄目っぽい
58名無し三等兵:2007/03/05(月) 22:37:06 ID:???
騎兵は老河口作戦で優秀の美を飾ったんだよね
59名無し三等兵:2007/03/06(火) 09:08:01 ID:DCcM7Vgl
支那は道が悪い、或は無いので野砲より山砲、車輛より騎兵の出番が多い
山河苦戦に於ける騎兵の有効性も見逃してはならない
そもそも支那軍は騎兵という兵種を持たないので、わが騎兵は彼にとって恐るべき存在であった
支那戦線で騎兵の廃止は早まったかも
第一、燃料がいらない
60名無し三等兵:2007/03/06(火) 14:33:25 ID:mjPGK+la
支那戦線といえば銀輪部隊の誕生
61名無し三等兵:2007/03/06(火) 14:37:57 ID:???
>>59
戯言に等しき仰り様、情けなく思います。
>第一、燃料がいらない
糧秣補給による兵站への負荷は想像を絶します。
62名無し三等兵:2007/03/06(火) 17:57:58 ID:???
CNNのアンケートでチョンの反撃が始まって、日本謝罪すべしの票が増えてきてます。
投票まだの方はよろしくお願いします。

それと、このレスをそこらへんのスレにコピペして下さると助かります。
あわせてお願い申し上げます。

http://edition.cnn.com/2007/WORLD/asiapcf/03/04/japan.sexslaves.ap/index.html
QUICK VOTE
Should Japan apologize again for its World War II military brothels?
(日本は、第二次世界大戦時に軍が運営した売春宿の件で再び謝罪するべきですか。)
もちろん No
63名無し三等兵:2007/03/07(水) 21:44:00 ID:vegh9mUb
 支那事變は大東亞開戰で支那派遣軍が大兵力を引拔かれてから沈靜し、特に北へ行くほど治安警備が主となつた
 中南支では第二次長沙作戰、大陸打通作戰等、稀に大作戰を發動したが、北は絶無。
 國府軍が中南支軍閥系なので南へ行くほど相對的に強勢であり、赤魔が地續きの露助の幇助もあり北へ行くほど頑強だつたから、支那派遣軍としては
北を治安警備に留め、南にやや注力する構へであつた。
 
64名無し三等兵:2007/03/09(金) 08:59:10 ID:Xvu66wGd
          ,′ _
           , -r/`ヽ十/`ヽ ヽ.
        _/     l|/,     ゛、
      /:/    爪! l| il| |     ヽ
       /:::/   | l l``` "´| ト、 l    ゙、
.      !::::l   /|.lヽ!    リ }ハ_     i    好きです、日本の兵隊さん!  
     l::::|   l/l|二、    ,二., l  i l          
     |::::l i l,/_j::、     _j::、ヽl i ! !         
     l::::| l l! _ヒ」     ヾ┘ j l | |
      l::::i! i l l       ;     //l j i !
      !::::lヽ!、ヽ'、   、__,   ノ'// ///
.      j::::::!::::::ヽ゛、        ///!'´    
     i::::::::i::::::::::i::`}' 、 _ _,. 'l::::/'::i::::|
      !::::::::::!::::::::::!ノ        !:::::::::::!::l
    j::_,,-ヽ:::::::ヽ      iヽ:::::::::ヽ!
65名無し三等兵:2007/03/10(土) 12:30:39 ID:qZXhOuKP
 本邦に植民地一坪も無し 外地と呼ぶはまだしも、植民地の呼称にては答へんにも
術無からん
66名無し三等兵:2007/03/10(土) 12:32:29 ID:qZXhOuKP
今日は陸軍記念日
城内に結集し、父祖奮戰の跡を偲びませう
67名無し三等兵:2007/03/11(日) 19:16:51 ID:uBF/BEO6
とうきょうだいくうしゅうもありました
米国による壮大な戦争犯罪です
68名無し三等兵:2007/03/16(金) 00:51:23 ID:y0TPtjff
米国のジェノサイドけしからん
69廣島人:2007/03/17(土) 01:50:25 ID:8pkLI29u
>>50
どんな奴たァ無礼なのう。
http://travel3.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/
70名無し三等兵:2007/03/18(日) 10:13:55 ID:???
2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組「社会透視」内で、
支那事変の発端となった1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件は、
北京守備隊支那国民党軍第29軍に潜入していた共産党地下党員
『吉星文』『張克侠』『何基?』らが引き起こし、
まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと報道した。

 ちなみに人民解放軍総政治部発行ポケット版『戦士政治課本』には、
「七七事変は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って
党中央の指令を実行したもの」との記述があったとされるが、
この『戦士政治課本』の存在は確認されたものの上記の内容は確認されていない。
 また、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、
当時共産党副主席だった劉少奇が「七・七事件の仕掛人は中国共産党で、
現地責任者はこの俺だった」と連合国側の記者団に語ったとされるが、
その証拠やそれに関する報道は未だ発見されていない。
 しかしながら自慢したくてしょうがない気質の支那人の事。
『政治課本』や劉少奇が自信満々に語ったとしてもちっとも不思議はない。
この盧溝橋事件共産党陰謀説をまたも支那自身である北京電視台が自慢げに語り裏付けた形だ。

 盧溝橋事件は、国際法や慣習に則ってちっとも侵略しようとしない日本に対し、
痺れを切らした支那共産党による謀略だったとはっきりした。
 またその後(同年7月29日)に起こった人類史上稀に見る日本人居留民(朝鮮人含む)
への未曾有の大虐殺通州事件も、廬溝橋事件で引っ掛けても尚、支那不拡大方針を表明し、
国民党軍と停戦協定を結んでしまった日本に対し、
先の盧溝橋事件謀略をまんまと成功させた国民党軍に潜入していた
共産党地下党員によるものだと容易に想像できよう。
71名無し三等兵:2007/03/23(金) 19:00:26 ID:2AuJZRlT
糧秣補給による兵站への負荷を如何に想像しやうとも、全然無い燃料よりマシ
72名無し三等兵:2007/03/24(土) 15:02:46 ID:NLue40j1

 雪霜に色よく花の魁けて 散りても後に匂ふ梅が香
                           水戸脱藩芹澤鴨
73:2007/03/25(日) 14:44:21 ID:Fc3xyiZP
 支那事變の發端となつた盧溝橋事件は劉少奇率ゐる支那共産黨特殊部隊の謀略戰だと、かつては支那共産黨自體が誇つてゐました。
 國交恢復以前のことですが。
74名無し三等兵:2007/03/27(火) 00:02:15 ID:PBlT+Afm
    砲兵の歌

 襟には榮ゆる山吹色に
 軍の骨幹誇りも高き
 我等は砲兵皇國の護り

 疾風電撃天地を搖りて
 赫々戰勝基を拓く
 我等は砲兵皇國の護り

 興安嶺下暗雲低し
 拂へよ邊疆堅壘碎き
 我等は砲兵皇國の護り
75名無し三等兵:2007/03/27(火) 11:55:07 ID:PBlT+Afm

 太平洋上風浪高し
 鎭めよ海上まうどう挫き
 我等は砲兵皇國の護り

 大空一碧備へは固し
 制空普く意氣天を衝く
 我等は砲兵皇國の護り

 大和魂彈丸にこめて
 撃てよ世界の夜明けの空に
 我等は砲兵皇國の護り
76名無し三等兵:2007/03/28(水) 11:39:09 ID:nHF+2CVv
支那の国産できる砲は迫撃砲だけ
つまり鍛冶屋レヴェル
77名無し三等兵:2007/03/30(金) 21:58:05 ID:UHEcozhz
支那の主力先端産業は村の鍛冶屋だった
78名無し三等兵:2007/03/31(土) 14:51:29 ID:6jtGkXVs
砲弾も無いので、支那軍は世界で唯一、迫撃砲による狙撃を敢行する特技を持っていた
79名無し三等兵:2007/03/31(土) 18:23:02 ID:6jtGkXVs
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1156333364/l50
大陸打通作戦〜大地を駆ける3000`の雄叫び
80名無し三等兵:2007/04/01(日) 14:01:23 ID:hmL6JF99
日支すなはち一對十
81名無し三等兵:2007/04/04(水) 09:48:16 ID:Rk9IBaZo

         ─┬=====┬─┬─┬    向ふところ敵無し!
           ヽ┴-----┴ 、/_ /        最強チハ車
         ==||:|: 乃 :|: 「r-┴──o
   ____________ |:|:__ :|: ||--┬┘
   |ミ///ロ-D/   ~~|ミ|丘百~((==___
 . └┼-┴─┴───┴──┐~~'''''-ゝ-┤
   ((◎)~~~O~~~~~O~~(◎))三)──)三)
    ゝ(◎)(◎∩◎)(◎)(∩)ノ三ノ──ノ三ノ
82名無し三等兵:2007/04/04(水) 11:06:52 ID:Rk9IBaZo
 北支は地續きの蘇聯邦から支援が入るので、紅軍が強勢です。
 ゲリラも補給に依存する點では正規軍と同じですから、これによつて太る。
 しかも日本軍も國府軍も南方に主力を置き、田舎の北支−北京はもう首都ならず−には兵力を割いてゐない爲、性病だらけの山東省にしても山又山の長城線にしても赤土の荒野山西省にしても中々しようけつを極め、勝手に徴税挑發徴兵し良民を泣かせたものです。
 惡い支那軍が押入つて來ぬやう、正義の王師・日本軍の分駐を求める町村は少くありませんでした。
 將兵を婿に望む有力者も大勢居ました。
 現地除隊でもしやうものなら引く手數多です。
 戰後、抑留を終へて歸國の途に就く時は、沿道に住民が日章旗を振つて歡呼して見送つてくれました。
 武裝を解かれてもなほ、日本軍の榮光は輝きを失はなかつたのです。

 ♪非道に民を虐げて
  抗日叫ぶ賊徒等の
  破壞の後に樹立る
  新たな秩序永遠の
  道あり北支派遣軍
83名無し三等兵:2007/04/05(木) 18:14:29 ID:???
ノズラーこんなところに沸いていたのか

軍板じゃノズラーって言葉知られていないようだね

http://www.media-k.co.jp/jiten/wiki.cgi?%A1%E3%A4%CE%A1%E4#i14
ノズラー【のずらあ】[名](文学板)

旧字旧仮名遣いを駆使して他人を罵倒することに生き甲斐を感じる人たちの意。
彼らの多くは松原正という知識人を信奉しており、松原正と対立する西部邁や
西尾幹二などの保守知識人を叩くのが得意。
あまりに尊大な言動のために文学板の住人達に激しく嫌われている。
かつてYahoo!掲示板にて大暴れしていた旧字旧仮名遣い派のハンドルネームが
この名称の由来である。
84名無し三等兵:2007/04/05(木) 18:59:37 ID:YMpSxB/n
恥+罪+糟=支那
85名無し三等兵:2007/04/11(水) 09:54:26 ID:???
小日本はウリの屁で壊滅させるアルよ
86名無し三等兵:2007/04/18(水) 07:40:13 ID:iK6pywvn
不逞鮮人は法螺を吹くより実行を

君子は謂ふに訥にして行ふに敏ならんと欲す   論語
87名無し三等兵:2007/04/18(水) 09:02:48 ID:???
賢者は學ぶ事を欲し
愚者は只管ヘへたがる

チェーホフ
88名無し三等兵:2007/04/20(金) 19:42:13 ID:x26XMcdb

 謂ふ者は知らず
 知る者は謂はず
            孟子
89名無し三等兵:2007/04/22(日) 23:44:35 ID:1w92gNXk
孔孟>露助
90名無し三等兵:2007/04/25(水) 21:01:50 ID:OnQ/nYK5
打通よ來たれ!
91名無し三等兵:2007/04/28(土) 00:44:39 ID:koQsfXut
支那国産兵器は迫撃砲以下。
つまり鍛冶屋まで。
92名無し三等兵:2007/05/01(火) 15:07:31 ID:tppcdnoe
南昌と聞くや、同地上空で戦死された空の至宝・南郷茂章少佐が偲ばれる
93名無し三等兵:2007/05/01(火) 22:13:27 ID:Ko9roYK3



無 職 は 、 外 道 !


94名無し三等兵:2007/05/04(金) 08:34:09 ID:kJKcMrsZ
そうかな?
孔孟老荘キリストも大方無職であられたぞ。
95名無し三等兵:2007/05/04(金) 08:48:32 ID:???
孔子は下っ端役人。キリストは大工。老子や荘子は知らん。
96名無し三等兵:2007/05/04(金) 17:05:46 ID:kJKcMrsZ
孔子は宮仕えしたこともあるが概ね無職。
老子は完全無職。
ディオゲネスは樽の中で寝転がっておられた。
97名無し三等兵:2007/05/05(土) 14:16:14 ID:???
>>94
時代を考えろ
98名無し三等兵:2007/05/06(日) 02:11:49 ID:0FWGyvx+
昔の支那便意兵は割烹着を着て主婦に化け、機銃を乱射したものです
99名無し三等兵:2007/05/08(火) 20:54:06 ID:b81t/Wk/
            __.... ...___
           (´      ` ' 、r
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           '{ ii,    , -─- 、 \   _,, -r= ,==- 、   |i               /    ,|~ i,
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         `              ━=´、r 、   γ  ̄   ' 、 `'.、
                             `'' 、  ゝ、      )  `'.、
                              `'' 、  ` ー ´    `'.、
100名無し三等兵:2007/05/10(木) 10:09:21 ID:3uI7wRw0
温故知新
真理は時代を超える
101名無し三等兵:2007/05/12(土) 23:52:08 ID:oxOAupzg
支那事変の戦術的特質は、越南戦争、アフガン戦争に先行するものであった。
要するに政治によって制約された、遊撃、持久戦である。
102名無し三等兵:2007/05/14(月) 08:06:17 ID:QX1srYSl
よって軍事的に見た越南戦争は、支那事変の焼直しに過ぎない
103名無し三等兵:2007/05/21(月) 09:57:09 ID:f4qUjIfB
支那事變は三ツ巴、四ツ巴のわけわか戦争。
国府対紅軍等々、先方の内戦にも注意を要する
104名無し三等兵:2007/05/25(金) 22:46:48 ID:TSdsLac4
軍閥と来たら、戦闘回避して「全国通電」ばっかしw
105名無し三等兵:2007/05/29(火) 11:37:15 ID:POJ5Lh4K
稲造の新スレ立たないのか?
106名無し三等兵:2007/06/04(月) 21:38:30 ID:OucTdYMg
昔の支那便意兵は割烹着を着て主婦に化け、機銃を乱射したものです
107名無し三等兵:2007/06/05(火) 21:26:07 ID:???
割烹着を着た支那人主婦なんて聞いた事が無いんだが。
108名無し三等兵:2007/06/05(火) 21:27:03 ID:???
割烹着は支那兵の制服。よって割烹着を着た支那兵は便衣兵では無いのだ。
109名無し三等兵:2007/06/11(月) 19:02:56 ID:etVUAV1X
邦人に化けたのです
110名無し三等兵:2007/06/20(水) 15:11:08 ID:L0pjXRpF
日本人主婦に化けて機銃を乱射
111名無し三等兵:2007/06/20(水) 16:17:53 ID:L0pjXRpF
329 名前:革命的名無しさん :2006/07/30(日) 08:58:52
『正論』2006年8月号の特集で、コミンテルンの謀略に日本が踊らされ、
戦争に突入していった状況が詳細に論じられています。
是非、参考に読まれることをお奨めします。

<特集>中国共産党とコミンテルンの戦争責任を告発する
 1.国共合作・内戦の背後で蠢いた「赤色謀略」の数々 評論家 黄文雄
 2.尾崎秀實の虚像と実像  国際問題評論家 瀧澤一郎
 3.「近衛上奏文」の謎  元防衛大学校教授 平間洋一
 4.日本を泥沼に落とし込んだ米中ソ二つの反日ネットワーク
 日本会議専任研究員 江崎道朗
 5.ルーズベルト対日戦決意の「背景」最新報告 青山学院大学助教授 福井義高
 6.防共史観確立のための謀略論考察  獨協大学名誉教授 中 村 粲
 7.東京裁判史観は過去の亡霊だ  上智大学名誉教授 渡部昇一
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0607/mokji.html
112名無し三等兵:2007/06/20(水) 18:50:50 ID:???
日本軍は化学兵器を遺棄した
113名無し三等兵:2007/06/20(水) 19:03:46 ID:???
日本人は日本軍を遺棄した
114名無し三等兵:2007/06/23(土) 10:59:17 ID:JfLSD06t
化学兵器に限らず、如何なる兵器も遺棄できないよ。
武装解除で持って行かれるんだから。
115名無し三等兵:2007/06/23(土) 11:05:02 ID:???
俺は彼女に遺棄された!
ギコハハハ!
116名無し三等兵:2007/06/27(水) 16:20:48 ID:Gh7aSXlu
他から接収はされなかったの?
117名無し三等兵:2007/06/27(水) 19:46:48 ID:Gh7aSXlu
        。      暴
  ∧_∧ /〜〜〜/  支
○( ´∀`)/  ●  /   膺
 ヽ   |つ〜〜〜/    懲 
  | |(__)
 (__)(`ハ´⊂⌒__フ
""""""""""""""""""""""
118名無し三等兵:2007/07/03(火) 14:37:45 ID:???
119名無し三等兵:2007/07/03(火) 16:31:03 ID:sdqQXRAE
474 :名無的発言者:2007/03/28(水) 23:52:43
 日華事変は北京の南に流れる蘆溝河に架かる蘆溝橋で日本とシナの
軍隊が衝突し、やがてシナ全土に戦線が拡大していくのですが、最初
に闇討ちを仕掛けてきたのはシナのほうです。蘆溝橋の近くで日本軍
が夜間演習をしていると暗闇から銃撃され、さては国民党軍が撃って
きたのだと判断し、やがて戦闘が始まってしまった。
 ところが撃ってきたのは国民党ではなく、もちろん日本軍でもなく、
実はシナ共産党のスパイであったことが今では定説となっている。共
産党員の兵士向けのパンフレットに
『蘆溝橋事変はわが優秀なる劉少奇同士の指示によって行われたもの
である』
と自慢した記述があった。
 間違い無く蘆溝橋事件は毛沢東ひきいる共産党軍の謀略だった。当
時の共産党軍は国民党軍との内線に連敗につぐ連敗で、次々と活動拠
点が奪われていった。そこでこのじり貧状態を打開するために国民党
軍と日本軍を戦わせて漁夫の利を得ようとしたわけです。
 狙いは的中したということになりますが、まもなく一週間ほどで国
民党軍も日本軍もどうも様子が変なことに気付いて銃撃戦は一旦沈静
化し、日本軍は事件不拡大方針をとり現地協定を成立させる。
 しかしそれから3週間後に北京東方の通州という町でシナ保安隊に
よって、残忍きわまりない手口で、日本人居留民約260人が虐殺さ
れる事件が起きた。その『通州虐殺事件』は戦後の教科書はもちろん
歴史年表にもマスコミ報道にも出てこない。まるでタブーのようにな
っているが、本当にあったことです。これで当時の日本の世論は激怒
します。
120名無し三等兵:2007/07/03(火) 16:37:44 ID:sdqQXRAE
 以上は周知の事実ですが、最近興味深い現地報道がありましたので
ご紹介申上げます。

471 :名無的発言者:2007/03/22(木) 08:16:19
 2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組「社会透視」
内で、支那事変の発端となった1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件は北京
守備隊支那国民党軍第29軍に潜入していた共産党地下党員『吉星文』『張
克侠』『何基?』らが引起し、 まんまと抗日戦争へと発展させる事に成
功したと報道した。
 ちなみに人民解放軍総政治部発行ポケット版『戦士政治課本』には、
「七七事変は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を
以て党中央の指令を実行したもの」
との記述があったとされるが、この『戦士政治課本』の存在は確認された
ものの上記の内容は確認されていない。
 また、極東国際軍事裁判(東京裁判)に於て、当時共産党副主席だった
劉少奇が「七・七事件の仕掛人は中国共産党で、現地責任者はこの俺だっ
た」と連合国側の記者団に語ったとされるが、その証拠やそれに関する報
道は未だ発見されていない。
 しかしながら自慢したくてしょうがない気質の支那人の事。『政治課本』
や劉少奇が自信満々に語ったとしてもちっとも不思議はない。この盧溝橋
事件共産党陰謀説をまたも支那自身である北京電視台が自慢げに語り裏付
けた形だ。
 盧溝橋事件は、国際法や慣習に則ってちっとも侵略しようとしない日本
に対し、痺れを切らした支那共産党による謀略だったとはっきりした。
 またその後(同年7月29日)に起こった人類史上稀に見る日本人居留民
(朝鮮人含む)への未曾有の大虐殺通州事件も、廬溝橋事件で引っ掛け
ても尚、支那不拡大方針を表明し、国民党軍と停戦協定を結んでしまった
日本に対し、先の盧溝橋事件謀略をまんまと成功させた国民党軍に潜入
していた共産党地下党員によるものだと容易に想像できよう。
121名無し三等兵:2007/07/03(火) 16:40:48 ID:???
通州事件?アホクサ。
関東軍の傀儡軍が叛乱をおこしただけじゃん。
飼い犬に噛まれたダサイ事件を取り上げて皇軍の無能さを強調したいのか?
122名無し三等兵:2007/07/03(火) 17:42:00 ID:???
通州事件なって、日本が戦争するのが悪い
化学兵器も遺棄するし
123:2007/07/03(火) 23:51:48 ID:sdqQXRAE
汚い言葉を吐かず、礼儀正しく語りましょう。
124名無し三等兵:2007/07/07(土) 10:51:16 ID:QVoq7Axe
今日は七夕
盧溝橋事件七十周年記念日
125名無し三等兵:2007/07/07(土) 13:21:55 ID:???
【朝日新聞】盧溝橋事件70年―もう一歩、踏み出す勇気を[07/07]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1183754448/
【中日新聞】盧溝橋事件から七十年。日本は歴史を直視しないといけないんじゃないかな
http://news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1183778609/

南京事件・重慶爆撃・毒ガス戦・細菌戦・遺棄化学兵器・慰安婦など続いてただな
126名無し三等兵:2007/07/07(土) 22:45:32 ID:QVoq7Axe
南京、毒ガス、細菌戦、慰安婦は捏造。
重慶爆撃は何が問題なの?
化学兵器は遺棄してない。遺棄する必要も無く、武装解除で残らず接収された。
127名無し三等兵:2007/07/10(火) 15:37:30 ID:0YmydYjm
                    慘!通州事件
   保安隊、デマ放送に踊り叛亂す
 盧溝橋事件發生から3週間後の7月29日、北平(北京)東方の通州で支那保安隊による
大規模な日本人虐殺事件が發生した。世に言ふ「通州事件」である。支那に氣兼ねする
餘り、我が國の歴史學者が口を緘し、教科書も新聞も雜誌も一行すら書かうとせぬこの
世紀の大虐殺―――。恨みを呑んで殺された200數十名の同胞への鎭魂の氣持ちを込め
て、この事件を書き留めておかう。

 通州の冀東防共自治政府は、昭和10年、親日家の殷汝耕が南京政府から離脱して創設
した政權で、1萬餘の冀東保安隊を有してゐた。この保安隊は、昭和8(1933)年塘沽
(タンクー)停戰協定に基いて置かれたものであつたが、所要以上の人員を有し、また
銃と劍だけではなく、機關銃や野砲も持ち、保安隊と稱し得る以上の戰鬪能力があつた。

 さて通州の寶通寺に支那第29軍の1個營が駐屯してゐたが、7月25、26日廊坊、廣安門
の兩事件が發生するに至つて、通州特務機關も、この寶通寺部隊の處理を考へる必要に
迫られた。この部隊は日中關係惡化と共に、去就頗る曖昧になり、放置して置くのは危
險と判斷されたのである。そこで廊坊事件直後の26日、日本側は寶通寺部隊に對して
北平(北京)への撤退を求める最後通告を行つた。だが支那軍からの囘答は無く、遂に
27日早朝、我が軍は攻撃を開始、正午までに寶通寺部隊は敗走、潰滅した。

 ところがこの戰鬪で、支援のため飛來した關東軍の爆撃機が、誤つて寶通寺兵營と
隣接する冀東保安隊幹部訓練所に爆彈を投下し、數名の保安隊員が死亡すると云ふ不幸
な事態が起きたのである。保安隊は我が爆撃機が對地戰鬪を開始するや、好奇心から隊
員一同が訓練所校庭に飛び出して爆撃を見物してゐたのだが、飛行機には冀察と冀東の
境界線も保安訓練所の位置も分からず、脚下で騒いでゐる保安隊を29軍の一味と速斷し
たのも無理のない事であつた。誤爆の報に接するや、細木特務機關長は直ちに冀東政府
の殷汝耕長官を往訪し陳謝するとともに機關長自ら現場を視察、遺族の弔問に奔走した。
更に翌28日には保安隊教導總隊幹部一同に對して誤爆に就いて釋明し、慰撫に努めたの
であつた。
128名無し三等兵:2007/07/10(火) 15:41:41 ID:0YmydYjm
 丁度、事件の起つた27日頃、デマを流すので有名な南京放送(支那國民政府の
御用放送)が「盧溝橋で日本軍は29軍に慘敗し、豐臺と廊坊は完全に支那軍が奪
還した。中央は陸續、北支の戰野に兵を進めつつあり、日本軍の潰滅も旬日のう
ちであらう」と事實と正反對の放送を流した。南京政府は最後に「軍事會議の結
果、蒋委員長は近く29軍をもつて大擧冀東を攻撃し、僞都・通州を屠り、逆賊殷
汝耕を血祭にすることを決議した」と叫んでゐた。これは我が北平特務機關が聽
取したのである。

 このデマ放送が北京方面の實情に疎い通州の支那兵に相當の心理的動搖を與へ
たことは疑ひ無い。通州保安隊は張慶餘指揮の第1總隊と張研田指揮の第2總隊で
あつたが、早くから人民戰線運動の影響を受けてゐた。「日本軍敗走」「冀東攻
撃」と云ふ南京のデマ放送は彼らの抗日態度を決定的ならしめ、日本側に附いて
ゐるよりも29軍側に寢返つた方が有利であるとの誤つた判斷を抱かせたに違ひ無
い。

 折もをり、通州の日本軍守備隊は主力が南苑攻撃に向ひ、留守部隊は藤尾小隊
40名、山田自動車中隊50名、それに憲兵、兵站(※補給の事)、兵器部その他を
合せて110名程度の微弱な兵力でしかなかつた。我が部隊の手薄なこの時期を狙つ
て、張慶餘、張研田の兩保安隊は日本軍民への襲撃を開始した。夜影に乘じて長
官公署を襲つて殷汝耕を拉致し、主力は日本軍守備隊を襲撃した。

 我が方の殘留兵力は極めて僅少ではあつたが、千數百を算する敵の攻撃に對し
て死力を盡して戰つた。守備隊には輕機關銃、小銃、手榴彈があるのみで重火器
は無かつた。保安隊の裝備の方が遙かに優れてゐた。守備隊は敵の集中砲火を浴
び、死傷者の續出する中で撃退に努めたが、居留民や特務機關まで守る餘裕は無
かつた。鬼畜と化した支那保安隊の日本人居留民に對する暴虐は、この間に進行
してゐた。

 また通州特務機關は、1個中隊ほどの保安隊の襲撃を受け、2名の少年給仕(日
本人)を含む機關員が死力を盡して応戰したが、數十倍の敵には抗し難く、遂に
全員が壯絶な最期を遂げ、特務機關は全滅した。
129名無し三等兵:2007/07/10(火) 15:46:24 ID:0YmydYjm
   惡獸も及ばぬ獵奇の慘殺劇

 支那保安隊は我が守備隊や特務機關を攻撃したのみならず、日本人居留民の
家を一軒殘らず襲撃し、無辜の居留民に對して掠奪、暴行、凌辱、殺戮など凡
そ殘虐の限りを盡した。支那兵特有の獵奇的な殺害、處刑の場面が白晝堂々、
各所で展開された。その凄慘なること、かつての南京・濟南兩事件を上囘り、
我が軍の危惧した通り、尼港事件の再現となつたのである。

 東京裁判で辯護側は、同事件に關する外務省の公式聲明を證據として提出
したが、ウエッブ裁判長はこれを却下した。所謂"南京事件"で裁判長が支那
側の公式資料を證據として採用した事を考へると、公平を缺いた裁判指揮で
あつた。しかし虐殺現場を目撃した證人の宣誓口供書は受理されたので、そ
こから慘劇の一端を拾ひ出してみよう。

 當時、天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2聯隊長で、7月28日の南苑戰鬪に
參加した後、30日午後通州に急行して邦人救援に當たつた萱島高證人は凡そ
次の如く證言した。
「旭軒(飮食店)では40歳から17〜8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸體で
陰部を露出した儘射殺されてをり、その中4、5名は陰部を銃劍で刺殺されて
ゐた。商館や役所に殘された日本人男子の屍躰は殆ど全てが首に繩をつけて
引囘した跡があり、血潮は壁に撒布し、言語に絶したものだつた」
130名無し三等兵:2007/07/10(火) 15:50:40 ID:0YmydYjm
 まさになぶり殺しではないか。中でも悲慘を極めた旅館・近水樓での慘劇に
就いて通州救援の第2聯隊歩兵隊長代理を務めた桂鎭雄證人の供述は次の通り。
「近水樓入口で女將らしき人の屍躰を見た。足を入口に向け、顏だけに新聞紙
がかけてあつた。本人は相當に抵抗したらしく、着物は寢た上で剥がされたら
しく、上半身も下半身も曝露し、4つ5つ銃劍で突き刺した跡があつたと記憶す
る。陰部は刄物で抉られたらしく、血痕が散亂してゐた。帖場や配膳室は足の
踏み場もない程散亂し、掠奪の跡をまざまざと示してゐた。女中部屋に女中ら
しき日本婦人の4つの屍躰があり、全部もがゐて死んだやうだつた。折重なつ
て死んでゐたが、1名だけは局部を露出し上向きになつてゐた。帖場配膳室で
は男1人、女2人が横倒れ、或いはうつ伏し或は上向ひて死んでおり、鬪つた跡
は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のやうだつた。女2人は何れ
も背部から銃劍を突刺されてゐた。階下坐敷に女の屍躰2つ、素つ裸で殺され、
局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。1年前に行つたことのあるカフェーでは、
繩で絞殺された素つ裸の屍躰があつた。その裏の日本人の家では親子2人が慘
殺されてゐた。子供は手の指を揃へて切斷されてゐた。南城門近くの日本人
商店では、主人らしき人の屍躰が路上に放置してあつたが、胸腹の骨が露出し、
内臟が散亂してゐた」
(注)近水樓を襲撃したのは武裝した黒服の學生團と保安隊であつた。彼らは
女中數名を慘殺、殘る10數名の男女從業員・宿泊客に對して金品を強奪した後、
全員を麻繩で數珠つなぎにして銃殺場に引出し、處刑したのであつた。その凄
慘極まる處刑場の情況に就いては、當時だれ1人これを知る者も無かつたが、
當日近水樓に泊り合せた同盟通信特派員・安藤利男氏が命がけで銃殺場から脱
走し、北京に辿り着いた結果、世界はその實相を知つたのであつた。安藤氏の
手記は「續對支囘顧録」に、體驗談は寺平前掲書に收録されてゐる。安藤氏の
體驗記は「通州の日本人大虐殺」として「文藝春秋」昭和30年8月號に掲載さ
れ、その後「文藝春秋にみる昭和史」第1卷(昭和63(1988)年1月)にも轉
載されたが、それには、いかにも戰後のものらしい解釋がつけ加へられてゐる。
131名無し三等兵:2007/07/10(火) 15:56:24 ID:0YmydYjm
 支那駐屯歩兵第2聯隊小隊長として7月30日、聯隊主力と共に救援に赴いた
櫻井文雄證人によれば、
「守備隊の東門を出ると、殆ど數間間隔に居留民男女の慘殺屍躰が横たはつて
をり、一同悲憤の極みに達した。『日本人はゐないか?』と聯呼しながら各戸
毎に調査していくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老
婆、腹部を銃劍で刺された姙婦等の屍躰が、そこここの埃箱の中や壕の中から
續々出てきた。
 ある飮食店では一家悉く首と兩手を切斷され慘殺されてゐた。婦人と云ふ婦
人は14、5歳以上は悉く強姦されてをり、全く見るに忍びなかつた。旭軒では7、
8名の女は全部裸體にされ強姦刺殺されてをり、陰部に箒を押込んである者、口
中に土砂をつめてある者、腹を縱に斷ち割つてある者など、見るに耐へなかつた。
東門近くの池には、首を繩で縛り、兩手を合せてそれに8番鐵線を貫き通し、一家
6人數珠つなぎにして引囘された形跡歴然たる屍躰があつた。池の水は血で赤く
染まつてゐたのを目撃した」
 實に惡鬼も目をそむける酷たらしい淫虐の情景が次々と證言されて行つた。
それは正しく惡獸も及ばぬ極惡無道の所業であつた。
(注)お決まりの虐殺方式 上の東京裁判證言に明らかな如く、通州事件でも、
頭部切り落とし、眼球抉り取り、胸腹部斷ち割り、内臟引き出し、陰部突刺など
支那軍特有の獵奇的虐殺が日本人に對して行はれてゐる。日清戰爭以來、お決ま
りの慘殺パターンと言つてよい。
132名無し三等兵:2007/07/10(火) 15:59:03 ID:0YmydYjm
    事件は保安隊の計劃的行動(支那側新資料)

 在留日本人380名中、慘殺された260名。冀東防共自治政府2ヵ年足らずの歴史
は、ここに通州事件と云ふ世紀の慘劇をもつて幕を下ろした。支那人が日本人を
虐殺した數多くの事件の中でも、その凄慘なることで通州事件をしのぐものはな
い。その殘忍なること、惡鬼すらかくまではすまじ、と思はれる極惡の所業であ
つた。

 通州事件は冀東政府の保安隊が、日本機に通州の兵舎を爆撃され、疑心暗鬼に
なつて起した叛亂であるとの説が我が國では流布してゐる。つまり誤爆した日本
側に責任がある、とする例の日本惡玉論の亞流である。だが、日本軍誤爆説は昔
日のものであり、最早支那でさへ通用しない。誤爆があつたのは昭和12(1937)
年7月27日だが、誤爆を知つた細木特務機關長は直ちに冀東政府長官・殷汝耕を
往訪陳謝すると共に、自ら現場を視察し、遺族の弔慰に奔走、翌28日保安隊教導
總隊幹部一同に對し、誤爆原因に就いて釋明、慰撫に努めてゐる。誤爆原因説で
は保安隊の叛亂やその後の日本人大虐殺は説明し切れず、通州事件の説明はいま
一つ釋然とせぬものが殘つてゐたのだ。

 ところが近年になつて、通州事件は冀東保安隊第1、第2總隊の計劃的行動であ
ることが支那側史料によつて明らかとなつた。例へば、張慶餘(當時冀東保安隊
第1總隊長)の「冀東保安隊通縣蹶起始末記」(元國民黨將領抗日戰爭體驗記叢書
「七七事變」所載)や「戰火蔓延、平津陷落」及び「冀東保安隊の蹶起に就いて」
(武月星他「盧溝橋事變風雲偏」)等である。
133名無し三等兵:2007/07/10(火) 16:12:48 ID:0YmydYjm
 詳細は割愛するが、要はかうである。昭和10(1935)年11月に冀東防共自治
委員會が成立して河北保安隊が冀東保安隊と改稱されるや第1總隊長・張慶餘
は河北省主席・商震に指示を仰いだところ、暫く表面を糊塗すべしと言はれた。
12月、冀東政務委員會が發足して宋哲元が委員長に就任すると、張慶餘は第2
總隊長・張硯田と共に哥老會(明代からの祕密結社)の首領・張樹聲を通じて
宋哲元と面會した(張慶餘・張硯田ともに哥老會會員)。宗哲元は兩名の抗日
決意を「政府を代表して」歡迎すると述べ、軍事訓練を強化して準備工作をし
つかりやれと命じ、各々に1萬元を贈つた。2人が「委員長に從つて國家に忠誠
を盡す」旨を述べると、宋哲元は「素晴らしい、素晴らしい」と言つた。通州
での蹶起はこの會見と關係がある―――かう張慶餘は告白してゐるのだ。

 翌昭和11(1936)年春には、張硯田の第2總隊内に既に中共支部が結成されて
ゐた。宋哲元との會見以後、冀東保安隊は29軍(宋哲元軍長)と祕密裡に聯携
を保つたが、昭和12(1937)年7月盧溝橋事件が發生すると、張慶餘は河北省
主席・馮治安に指示を仰いだ(宋哲元は北京に不在)。馮は第29軍の開戰に呼
応して通州で蹶起し、同時に一部保安隊で豐臺を側面攻撃して狹撃の效果を擧
げようと指示すると共に第29軍參謀長・張越亭と聯絡せしめ、張越亭は直ちに
冀東保安隊第1、第2總隊を戰鬪序列に編入した。

 他方、張慶餘、張硯田兩總隊長は、通州特務機關長細木中佐が、第29軍の通
州攻撃を防ぐために開いた軍事會議の席上、密かに示し合せて細木機關長を欺
き、分散してゐた配下の保安隊を通州に集結させるやう提案した。兩名を信頼
してゐた細木中佐はこれに賛成、かつ散在してゐた日本居留民を保護するため
通州に集合させたのであつた。欺して準備が整ふや、7月28日夜12時を期して
通州城門を閉鎖し、一切の交通、通信を遮斷して蹶起に移つたのである。
134名無し三等兵:2007/07/10(火) 16:15:06 ID:0YmydYjm
 支那側の最新史料によれば通州叛亂に至る事情は大要先の通りである。
「誤爆」などどこにも出てこない。通州事件は2年間にわたる祕密裡の計劃
に基づく日本人襲撃事件だつたのであり、日本機に兵舎を誤爆され、疑心暗
鬼となつて保安隊が起した事件などでは全然ない。事件は先の如く計劃に基
づく反日蜂起であつたが、保安隊がその計劃の實行に踏み切つたに就いては、
誤爆のやうな突發事件によつてではなく、別の、もつと打算的な原理によつ
て動かされたと見るべきであらう。

 既述の如く、南京政府は「日本軍敗走」と云ふデマを流してゐた。「日本
軍を破つた」宋哲元の29軍が冀東に攻め込んできたら自分達の運命はどうな
るのか。この際、冀東政府に就いてゐるのは甚だ危險である。機先を制して
殷汝耕を生け捕りにし、これを宋哲元と蒋介石に獻上するなら、必ず恩賞に
與ることが出來るに違ひない。これが南京のデマ放送を信じた叛亂者の思惑
だつたのである。そして、昨日まで友軍であつた日本守備隊に對し、その兵
力の最も手薄な時を見計らつて蜂起、襲撃を敢てしたのであつた。
135名無し三等兵:2007/07/10(火) 16:18:27 ID:0YmydYjm
    殺のために殺を好む

 保安隊のこのやうな動機は、信義を踏みにじつても強者につくと云ふ、權謀
術數渦卷く戰亂に明け暮れてきた支那民族特有の叛服なき性格に根ざすもので
あり、信義を重大なものと考へる我が國民の到底理解し難いところである。

(注)通州人の特性 通州人は由來、輕佻浮華、計較の術に長じ、打算的で義
侠心が無いと言はれる。金、元、明、清各朝の興亡史に「通州陷る」「通州降
る」などの文字が見えるのもこのためだと言ふ。通州に昔「渡橋降伏」と云ふ
言葉があつた。敵が八里橋(通州城西門から八華里にある橋で通州八景の1つ)
を渡つてしまへば降伏するに如かず、の意味である。このやうに鼓騒城外に迫
れば鬪はづして通州人の心膽は氷の如く冷くなり、忽ちにして腰を拔してしま
ふ性向があると論ずる向きもあるが(中野江漢「事變と北支の風物」、『文藝
春秋』昭和12(1937)年9月號)、通州事件を考へる上で參考になるかも知れ
ない。

 斯かる背信行爲そのものが許し得ないことであるが、假に百歩を讓つて、
日本守備隊に對する攻撃は、保安隊が既に共産思想に染まつてゐたことから
して理解出來る面があるにしても、無辜の日本人居留民260餘名の慘殺は全く
殺のために殺を好む鬼畜の所業であり、天人共に許さざる蠻行である。罪無
く、抵抗力も無き幼兒・婦人に對してさへ一片の憐れみの情を示す事もなく、
ただ日本人であるからと云ふ理由で白晝平然と犯し、掠め、凌辱し、慘殺し
て行つた彼等支那保安隊は、人身を裝ふ惡鬼惡獸と言はづして何と呼ぶべき
であらうか。

(中村粲著「大東亞戰爭への道」展轉社刊より、3800圓 TEL03-3815-0721)
136名無し三等兵:2007/07/13(金) 00:09:16 ID:9Pt8OH/+
済南事件も似たようなもの。
全部北伐軍の責任。
137名無し三等兵:2007/07/19(木) 06:40:43 ID:KFaW+0LJ
北伐軍が城内で狼藉を働き、責められて撤兵。
非は全て北伐軍にあり。
138名無し三等兵:2007/07/19(木) 07:14:28 ID:???
戦後の責任
裁判】 “旧日本軍の毒ガスで被害” 日本に2億円賠償求めた中国人被害者ら、逆転敗訴
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1184744644/
139第二師團殉國者弔歌:2007/07/23(月) 08:53:32 ID:38vCCjIS

一、襟を正しておごそかに 感謝を捧げよ斃れたる
  第二師團の同胞に 凱歌轟く今日にして 弔へ殉國義人の靈を

二、遺族の涙雨ふらむ 尊き犠牲彼ありて
  邦の光りぞいやまさる 凱歌とどろくけふにして 弔へ殉國義人の靈を

三、幽明境は異なれど 魂髣髴と降り來て
  靖けく國を守るべし 凱歌轟く今日にして 弔へ殉國義人の靈を

四、奧羽の山河越の野に 再び影を見せずとも
  報は高く天上に 凱歌とどろくけふにして 弔へ殉國義人の靈を

                第二高等學校教授土井晩翠賦
                第二師團留守司令官陸軍中將安田郷輔揮毫
140:2007/07/24(火) 09:53:09 ID:TwL1l9dW
 戰爭責任は共産黨ばかりでもない。  
 蒋介石が何千キロも離れた平和な上海で、唐突に空地協同の大攻勢を掛けたのが良くなかつた。
 一勝舉げて有利な媾和に持込みたかつたんだらうが、結果は負けて長期全面戰爭へ。
 日本の陸軍士官學校を卒業し高田砲兵聯隊附の砲兵中尉たりし知日派・蒋介石が、大日本帝國に勝てると妄想したのは驚く可きことだ。
141白馬青牛:2007/07/25(水) 02:50:38 ID:qKPadQBe
>>140
森金千秋氏は、『蒋介石氏は、高田聯隊に体験入隊した時、理由もなく、
毎夜のように古参兵や下士官に、顔がゆがむ程殴打されて、卒倒したり、
負傷者まで出る日本陸軍の暴力制度を見て、「この軍隊は弱い」と
中国の同僚に語ったことが伝えられている」「乞食部隊のように放浪した
南方軍やソ連軍が侵攻したとき、日本人同胞(満洲移民)を見捨て、
不信と恨みを買った関東軍に見られるよう、正に蒋介石の予言通りと
なった。」とされるが、蒋介石氏は日本陸軍の欠点をよう把握しとった
んじゃないか。ただ国民党軍も日本軍をどうこう云えん奴隷組織の
軍隊で自軍の欠点に疎いようじゃ。
142打通君:2007/07/25(水) 13:45:31 ID:hhTIMWC+
 全面的にマチガットル!
 日本陸軍の私的制裁は二年兵が初年兵に行うだけで、三年兵以上や下士官は出ない。
 この私的制裁は法禁されているので、人前ではやらない。
 将校に見付かれば行政処分に付され、大騒動にる。
 まして外国人の蒋介石の前ではやらない。
 蒋介石は強硬な親日派であり、熱狂的な日本陸軍の信奉者。
 戦争中も事毎に日本軍を絶賛し、
「日本軍の忠誠と勇武は、我支那軍の及ばざること甚だ遠し‥‥全軍日本軍を範とせよ」
と訓示した。
 大陸失陥後も支那派遣軍司令官岡村寧次大将に要請し、日本陸軍将校団を招いて事実上の陸大とし、後進を育成して中華民国軍の指導者とした。
 今日も台湾軍は日本陸軍の弟子で、動員制初め、こぴぺと言って良い。
143白馬青牛:2007/07/26(木) 01:07:24 ID:iekYqwxb
>>142
戦闘体験者の話の聞いとらん、戦記も読んどらん低脳が何じゃ、間違いじゃ
抜かしょうるのう。私的制裁は、二年兵以外の古兵や下士官でもやるよ。
その将校自体が、機嫌の悪りい時私的制裁やるもんもおる。そりゃあ、
お国自慢板の「郷土の英雄。帝国陸軍師団」スレでも何回も
書いとる。まあ、将校の中には、軍人勅諭を取って「俺が中隊長のHだ。
俺は貴様たちに対して、活殺自在の権限がある。貴様たちの、腐った根性を
たたきなおしてやるぞ。今日から貴様らの命は俺が貰ったから覚悟しろ!」
と、威張り、権力を振りかざすことで、部下を屈服させようとした将校も
おったよ。兵士達の気持ちは「中スケ、何をほざくか。誰が貴様なんかに、
今更生命を進呈する者があるか。」と反撥心を持ったもんじゃ。
「そのH中尉は、中国軍が日本軍歩哨線を突破した云う知らせを受けると、
部下の前で威勢のいい徹底抗戦演説をしたくせに、とたんに臆病風を
ふかし、ただうろたえて右往左往するばかり。日頃の強がりやおどしは、
結局自分の小心と無能を糊塗するための虚勢にすぎなかった。」
逆に兵士の過失は、将校たる自分の責任と温情を持った将校の方も
おられたが、だいたい日本人の組織は階級が上に行くほど悪うなる。
おどれみたいな綺麗事をほざいても意味がない。
蒋介石が日本軍の信奉者なら、何で日本軍と交戦するか。
まっとうな神経ならリップサービスと本音の区分はつこうに。
144名無し三等兵:2007/07/26(木) 08:26:09 ID:rOz1HH64
威張ることと私的制裁は違うから、抒上の多くは論点失当で意味が無い。
徳川家康は武田信玄の信奉者であるが、生涯交戦している。
日本海軍は英国海軍を範としたが、英国と戦争している。
戦争は社会科学的必然性によって生起するもので、好き嫌いとは関係無い。
蒋介石の日本軍絶賛は主に開戦後のことで、直ちに政策として実行されたものである。
145白馬青牛:2007/07/27(金) 00:08:10 ID:aEYv+6BY
>>144
私的制裁は、将校でもあったゆうて、お国自慢板『郷土の英雄。帝国陸軍
師団の歴史』でも云うたはずじゃ。I少尉が、日頃から部下を殴り、
ごうを煮やしたM一等兵が、I少尉を脅し、I少尉が「助けて下さい」と、
土下座してM一等兵にあやまったことも。
新興宗教集団の教祖と信徒のような信奉と戦闘を学ぶ意味の範は違うど。
戦争は社会科学的必然性によって生起するもの?ワレはマルクス史観の
唯物論者か。社会の根因を非人間的な物質的要因に見出し、「歴史の必然的
法則」云う抽象的な、個人は必然の法則のまま、手足を動かす受動的な
存在に設定し、指導者層は、人民の代表の前衛であり、人民の利益に
反するものはない。じゃ思いあがった理屈を抜かしたいんか。わりゃ
共産主義崇拝者じゃけえ、信奉云う言葉を使いたがるんか。
ワレが蒋介石の日本絶賛云うても、「忠誠と武勇」を褒めとるだけで、
全てじゃのうて、リップ・サービスか皮肉に過ぎんよ。
ほいで、台湾軍が日本軍の弟子なら私的制裁は多くあったんか?
韓国軍は多いかも知れんが、中共軍はほとんどあるまい。
中華民族の台湾人が、私的制裁で殴られたら、しかも衆目の中で、
やられたら中華民族の命より大切な面子を潰されることになろう。
「没法子」じゃ終わらんのじゃないか。その辺の事情を台湾通を
自負しよる、あんたに伺うが、どうなんか?
146打通君:2007/07/27(金) 09:32:54 ID:HquG+uV1
 これも論点失当。
 蒋介石以下は日本陸軍の精強を讃えたのであって、私的制裁を讃えたのではない。
 蒋介石は反対する米軍と抗争しつつ日本陸軍の方式を全面的に採用したのであって、リップの次元ではない。
 実行された政策である。
 これらは戦中から終戦後の占領時代を中心とし、対日考慮をはら必要が無かった。
 なほ紅軍は日本陸軍の私的制裁を(誤解に基くのかも知れぬが)称賛していた。
147白馬青牛:2007/07/28(土) 02:19:07 ID:Mijm1nlv
>>146
あんたの文章じゃあ、蒋介石の日本陸軍の方式を全面に称えたように
考えられんわい。忠誠と勇武だけじゃあ抽象的過ぎるよ。
リップとも皮肉とも取れる言じゃないか。実際台湾軍は、
日本軍の弟子なら私的制裁はどうじゃったんか詳しゅう書きんさい。
ほいで、紅軍が、日本軍の私的制裁を称賛した云う根拠は何か?
148名無し三等兵:2007/07/28(土) 12:48:34 ID:???
上が下をぶん殴るのは何処の国の軍隊でも同じでは?
私は大学時代六大学の野球部にいましたが、一年次の後半から
二年次にかけて毎日殴られてましたよ。まぁ二回ほど優勝しましたがね。
確かに組織内暴力は良くない、しかしそれがあるから
あらゆる次元で駄目であるというわけでもない。

そもそも白馬青牛氏は一体何処の軍隊と比較して旧軍を批判しているのですか?
まさか『現在』の米軍ですか?

>中共軍はほとんどあるまい。
>中華民族の台湾人が、私的制裁で殴られたら、しかも衆目の中で、
>やられたら中華民族の命より大切な面子を潰されることになろう。
>「没法子」じゃ終わらんのじゃないか。その辺の事情を台湾通を
>自負しよる、あんたに伺うが、どうなんか?
現代日本の大学構内で衆目の面前でいきなり後輩を殴る蹴るしたら大問題ですが
時と場所によればそうではないわけでして。
この辺の事情は半世紀前の中国も変わらないと思うのですが…。
149白馬青牛:2007/07/29(日) 01:59:19 ID:w3hcm2Mh
>>148
上が下をぶち殴るんは何処の国の軍隊でも同じじゃないでしょう。
中共八路軍は、説得を重視し、同志的結合で結ばれ私的制裁の体罰が
あった云う例を知りません。あなたは、野球部におられたようですが、
先輩が殴った場合、ぶち切れてバットを持って先輩を殴るもんは、
おらんかったんですか?軍隊でも、古参兵を殴った人達は、旧国軍では
悪兵とされました。個人の性格として、殴られたら絶対許さん。
云う人もおります。人を殴るんは生死を賭けて決意をもってやることが、
前提ですが、あらゆる次元で駄目云うことじゃないですよ。
『初年兵のAが行軍にアゴをあげ、「みんなに迷惑かけたくないから置いて
行ってくれ」と、苦しげに言った途端、分隊長は、「卑怯者!」と、
殴り足蹴りにした。Aは後日、後送され野戦病院に収容された時、
「落ち着いて見て初めて、あの時の分隊長の気持ちが分かりました。もし、
優しい言葉をかけてもらっていたら、気分的に参ってしまい一歩も動けな
かったでしょう。敵中に一人残ったら、その運命は言わなくても分って
いる。卑怯者という言葉は兵隊にとって最大の侮辱です。脚気でずいぶん
苦しんでいるのに、死んでたまるか、この恨みは軍服を脱いだら、
はらしてやる。と、意を決し歩けない足を引きずるようにして付いて
行きました。戦場のすさまじさが今やっと理解出来ます。」
共に入院していた兵士は、「分隊長の言動こそ君に対する最上の好意で、
あれによって君は救われた。あれが戦場の荒っぽい愛情なんだ。」
Aは元気回復し、たくましい一人前の兵隊になったように思われた。』
これは広島5Dの南寧戦記の文ですが、逆に旧国軍でも初年兵をシゴキ
殺した兵団もあります。
150白馬青牛:2007/07/29(日) 02:12:30 ID:w3hcm2Mh
>>148
上記>>149の南寧の話もあり、左巻きの人達のように、旧国軍の全てを
批判しておりません。全て云うより軍上層部の人達を美化し隣国の
全てを排撃する頭の狂うたネットウヨ達の方がより異常でしょう。
国府軍は、自民族の兵士を鎖に繋いで、自分達直系軍将兵と共に
逃げる手段を度々使いましたが、私的体罰の事例が余り無い様に思います。
面子を重んじる民族ですし。
151名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:43:47 ID:???
>左巻きの人達のように、旧国軍の全てを批判しておりません。
それにしては貴方のバランス感覚はおかしいと思う。
>中共八路軍は、説得を重視し、同志的結合で結ばれ私的制裁の体罰が
>あった云う例を知りません。
そんな美しい軍隊なんてないと思いますがね。
なるほど、確かに旧軍は八路軍に比べれば『私的制裁』は多かったかも知れませんが、
それはそれを可能にするだけの背景があったから、と私などは理解するのであって
一方が道徳的に優れていたなどという評価はしたりしません。

この辺の感覚をどうにかしないと、貴方も打通さんと同類ということになりますよ。
152白馬青牛:2007/07/30(月) 00:09:20 ID:SWKMzund
>>151
わしのバランス感覚の何処がおかしいんか。具体的に云いんさいや。
八路軍は軍紀もよく、立派な部隊であったんは伊藤桂一氏も云われます。
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/417_1.html
「死ぬのも人民のためという教育が徹底していた八路軍」に、
日本軍は訓練によって兵員を教育したが、八路軍は思想上の同志として、
肩を抱き合うようにして若者を説得した。日本軍討伐隊と、わずかな
距離を置いて撃ち合っても、八路の少年は笑顔をまじえて雑談しあって
いる。」
伊藤桂一氏は、著書に「戦場で、焼く、犯す、殺すーという悪事が
行われるのは、戦闘によって同僚が殺され、その怒りが敵や、敵地の民家に
向けて発散されるからであろう。しかし外地に遠征し、その土地の民衆の
支持を失うことが、いかにマイナスであるかは末端の兵隊でもわかることで
あるのに、積極的に戦場でのモラルを確立しようとする動きは、日本軍に
おいて稀薄であったといってよい。」
日本軍は、道徳的にも略奪をせん八路軍より、かなり劣っておりました。
あなたの意見は、可能にするだけの背景がありましたじゃの、抽象的で、
具体的実例に欠けるわけです。抽象的な「感覚」云われてものう。
わしゃあ、打通氏のようなネオナチ排外主義じゃないですよ。
あなた自身が隣国排外思想に捉われとられるんじゃないですか。
153151:2007/07/30(月) 21:29:22 ID:???
>「死ぬのも人民のためという教育が徹底していた八路軍」に、
>日本軍は訓練によって兵員を教育したが、八路軍は思想上の同志として、
>肩を抱き合うようにして若者を説得した。日本軍討伐隊と、わずかな
>距離を置いて撃ち合っても、八路の少年は笑顔をまじえて雑談しあって
>いる。」
きんもー☆

白馬さんにお聞きしたいんだけど、貴方定職持ってる?
どんな組織でも殴る蹴る(はないけど苛めイビリ)はあって当然。
そして使えない香具師は『切り捨ててる』ワケだよ。
この平和な日本においても、貴方の言うような『美しい物語』は
リクルート冊子の中にしか存在しません(上記の逸話を信じる貴方はどっかおかしいよね)。

>あなた自身が隣国排外思想に捉われとられるんじゃないですか。
私が排外主義者であるかどうかさて置き、学生時代は霞ヶ関の飲み屋で
『小泉!!シネシネシネシネ!!』とコールをかけてました。
自分ではまぁ米国流リベラルだとおもっとります(ロールズの影響を受けました)。

もちろん旧軍が八路軍に比して中国の民衆を苦しめること大で
あったことは良く理解してます。でも『それがなに?』とも思うのですよ。
貴方は中国人民に対する態度をもって日本軍を否定的に評価する一方で、
中共軍を肯定的に評価しようとしてますが、それは日本人に対する態度を
もって旧軍と米軍の道徳的態度の優劣を測るのと同じくらい馬鹿げたことに思えるのですよ。
確かに日中戦争は日本の侵略戦争ですし、侵略は悪でしょう。
しかし歴史とはそういうモノであるし、世の中とはそういうモノなわけです。
現在においては殊更積極的に日本軍に対して道徳的判断を下そうとする
貴方の態度は政治的なバランス感覚を欠いてませんかね。
154白馬青牛:2007/07/31(火) 00:07:31 ID:4jZlcQUH
>>153
どんな組織でも殴る蹴る、少なくとも苛めはあって当然で使えん者は、
『切り捨てる』?あんたが指揮官じゃったら、部隊の秩序を統率出来ず、
勇敢な悪兵の人達を活用出来ん無能な指揮官になったろう。
『部下を切り捨てる』(見方の弱兵を切り捨てることが好きな関東人か?)
つもりが、逆にに殴られて土下座して命請いをするんがおちじゃ。
(軟弱者のあんたにゃあ何も出来んし、)上下、衆心一致じゃなと精強な
部隊は作れんよ。
『美しい物語』じゃのうて、戦場の真実じゃ。満洲で同胞の日本人を
見捨てた軍上層部の弁護をしたいんか。ほいじゃあネットウヨと同じじゃ
のう。ネットウヨも、自ら中道じゃリベラルじゃあ云う。
日本軍を全面的に否定したことはないが、全体的に八路軍や米軍と比べ
劣っとった。あんたこそ意にそぐわんもんを『切り捨てる』が、
日本の武士道としたいんか。自虐もええ加減にせえや。
日本人はあんたみたいな、冷酷で弱虫な人間ばっかしじゃないど。
155名無し三等兵:2007/07/31(火) 23:22:31 ID:???
>満洲で同胞の日本人を見捨てた軍上層部の弁護をしたいんか。
旧軍を道徳的優れていたと評価したのではなく、半世紀以上も前のに
行われたイデオロギー丸出しの総力戦の諸相を、現代の道徳的観念で
一方的に評価しようとする貴方の態度は真っ当ではないと言いたいのです。
確かに日中戦争は日本の侵略戦争ですし、侵略戦争は現在においても
当時においても悪でしょう。しかし時代的・社会的背景を無視して
道徳的評価にひた走ろうとする貴方は、それではモンゴル帝国の
大遠征をどう評価するのでしょうか?
>全体的に八路軍や米軍と比べ劣っとった。
なんかもうマトモに取り合うのが嫌になってきたのですが
(まぁ最初からあまり真面目に議論してないのですが)
『私的制裁』や『非占領地住民の虐待』という個別具体的な
議論から全体像を結びだすにはもう少し慎重であるべきでは
殊に、道徳論なるシロモノが紛れ込んでる状況では。
詭弁のテンプレに『全体と部分』云々と書いてありませんでしたっけ?
156名無し三等兵:2007/07/31(火) 23:28:07 ID:???
ゴメン。日本語自体おかしくなってる。
×旧軍を道徳的優れていたと評価したのではなく、半世紀以上も前のに
○旧軍を道徳的に優れていたと評価したいのではなく、半世紀以上も前に

ついでに
>上下、衆心一致じゃなと精強な部隊は作れんよ。
米軍からみた日本軍というものはどう見えたのでしょうか。
強力な天皇制イデオロギーにより高度に統率されているように
見えたのではないでしょうか。
(もちろんこれは精神面のことであって、中級司令官や参謀の暴走の
存在を否定するものではない)
157白馬青牛:2007/08/01(水) 22:49:44 ID:huZ5SB3V
>>155
現代の道徳観念?日華事変においても、伊藤桂一氏が、云われるよう
「兵隊の心情は、もともとは良心的であり、かなり苦しい殺伐な行動を
強いられても、なお善徳を判断する良識はもっている。それが崩れるのは
味方の出血によって報復的感情に駆られる時か、兵隊は怒らせて使え、
という指揮官の術策に陥ったりする場合であろう。」
モンゴル帝国も、残虐と決め付けるんも如何なものか。征服地の住民を
加え兵力を増したわけじゃし、モンゴル人だけじゃなんも出来んし、
現地民に寛大じゃったよ。支配地の宗教にも格差をつけてない。
それたァ日本遠征の蛮行を云いたいんか。確かに蒙古兵、高麗兵の蛮行や
反抗心の強い江南軍の兵士を武装開拓民として日本へ送ろうとした行為は、
いただけん。じゃが、鎌倉幕府側も遊牧民にとって武装しとらん使者を
殺すんはタブーであったが、使者を切る蛮行に及んだ。(当時の価値観云う
より、日本も「降人をなだむるは兵の道」精神は京畿の武士にはあったが、
関東武士は弱肉強食で地域で価値観の違いもあった。)
モンゴル帝国だけじゃのうて、世界帝国を作ったイスラム帝国も同じで、
敗者や信仰を異にする者に寛大で、世界帝国を作った連中は、
ナチスや旧ソ連、日本帝国と違い征服地民に寛大じゃった。
158白馬青牛:2007/08/01(水) 23:29:32 ID:huZ5SB3V
>>155-156
今村均将軍は、アレキサンダー、ナポレオン、項羽を例に軍隊と苦難を
共にしていた間こそ、常勝将軍で、下と離れて豪華な生活をやりだし、
酒と女に身と心を傾けだし駄目になったことや、アレキサンダーや
ナポレオンが、略奪、強姦、捕虜や無辜の市民の虐待、奴隷化を
最初許していたが、占領途中から厳禁したこと、日本軍の場合は、
明治期歴代戦争指導者が、戦陣道徳を徹底したのに対し、支那事変では、
「入城一番乗りをきそわしめ、足手まといになる捕虜や市民の扱いを
いい加減にし、いつでも、敵の軍隊そのものは逸してしまい、支那兵を
して捕虜になることは戦死同様と観念させ、また荒らされた市民の恨みを
買い、敵兵の抗戦意識と後方の兵站線の不安を大きくし、進むことは進むが
、いつまでたっても敵は手をあげず、ついに長期戦にしてしまった。
すなわち、知る!戦陣道徳。敵対する敵以外の者には、慈悲心をもって
接することが迂遠のようで、じつは戦勝獲得の近道であることを・・・。」
あんたは、道徳が社会的発展段階で進化するじゃのマルクス史観を云うが、
人間の良心や道徳は古今東西、さほど違わん。
米軍や英軍も日本軍を天皇制イデオロギーの軍隊と思うたじゃろうね。
マレー作戦でも英軍捕虜将校も、そう考えとったようじゃし。
159名無し三等兵:2007/08/01(水) 23:35:13 ID:???
>「兵隊の心情は、もともとは良心的であり、かなり苦しい殺伐な行動を
>強いられても、なお善徳を判断する良識はもっている。それが崩れるのは
>味方の出血によって報復的感情に駆られる時か、兵隊は怒らせて使え、
>という指揮官の術策に陥ったりする場合であろう。」
社会科学の世界ではマキャベリに言及するまでもなく性悪説は基本中の基本なのですが
このようなユートピア的人間観を見せられると、なんというか…非常に困惑します。
>モンゴル帝国も、残虐と決め付けるんも如何なものか。
いやねぇ、普通は『現代のモンゴルとかつてのモンゴル帝国はあまりに時間的・空間的に
隔絶し過ぎており、モンゴル帝国の行為をもって現代のモンゴルを評価するのは適切でないのに
対して、大日本帝国→現代日本、ナチスドイツ→現代ドイツの場合はまさに同一性をもった
社会的・政治的・民族的共同体あるが故に、過去の行為を持って現代の評価を行うに足る』
といったようあテンプレートな反論が出てくると思ったのですが、
まさかモンゴルが残虐でなかったと主張するとは……。
160名無し三等兵:2007/08/01(水) 23:40:40 ID:???
>それたァ日本遠征の蛮行を云いたいんか。確かに蒙古兵、高麗兵の蛮行や
>反抗心の強い江南軍の兵士を武装開拓民として日本へ送ろうとした行為は、
>いただけん。じゃが、鎌倉幕府側も遊牧民にとって武装しとらん使者を
>殺すんはタブーであったが、使者を切る蛮行に及んだ。(当時の価値観云う
>より、日本も「降人をなだむるは兵の道」精神は京畿の武士にはあったが、
>関東武士は弱肉強食で地域で価値観の違いもあった。)
歴史を一体何だと思っとりますか、貴方は。
その調子では諸葛亮や韓非子、孫子は最低最悪の蛆虫!!ということになるのでは?
161白馬青牛:2007/08/02(木) 22:54:57 ID:V94G26tQ
>>159-160
ユートピアじゃのうて、今村均将軍が云われたよう結果論として、
軍紀厳正、征服された民への慈悲心こそ勝利の道じゃ。
わしゃあ現代のモンゴルのこと等書いとらんど。モンゴル帝国のことじゃ。
モンゴル帝国時代のモンゴル人が、残忍でない云う飯塚浩ニ氏や最近では
杉山正明氏も文明主義の偏見と思いあがりと云われる。
モンゴル帝国内は宗教は自由じゃし、文化排斥もなかったよ。
あんたァ近代云う枠組みを勝手に設定し、前提条件を付け妄想しょうるだけ
じゃないか。諸葛亮や孫子はを別として、韓非子は、「韓子は、法の縄を
はりめぐらし、人の心情を適切にとらえ、是と非を明らかにした。かれの
説がきわめて惨酷で愛情に欠けているのも、すべて(老子の)の道徳に
もとずく。」法家であり、元来江南思想であり、秦が短期王朝で終わった
のも、法家主義にあったろう。軍板にゃあクラウゼヴィッツ・チルドレンが
ようけ(多い)じゃけえ、功利主義でものを捉えるんじゃろう。
法経等の社会科学で偏見を築いてこられたことにゃあ同情するよ。
可哀想に。ほいでネットウヨらと変わらんようになったんか。
162名無し三等兵:2007/08/03(金) 00:05:04 ID:???
正式な反論は土日に…。
とりあえず
>秦が短期王朝で終わったのも、法家主義にあったろう。
いや、違うから。

仮に法家主義故に秦が滅びたとして、韓非子や商オウを道徳論の
レベルで非難する人っているのでしょうか(除く儒家)。
163名無し三等兵:2007/08/04(土) 23:44:57 ID:???
論点が拡散し過ぎていまうが、私が主張したい要点をまとめますと。
@歴史的事件や歴史上の人物を道徳的評価の俎上に挙げることの意義とは
一体なんでしょうか。私は歴史学の教育を受けた人間ではありませんが、
『歴史家は歴史の裁判官ではない』というテーゼは社会科学の全領域において
受け入れられていると考えます。
 一般論として、敢えて『歴史』に価値判断を持ち込む場合は、その論者に
とって歴史著述とは歴史学的活動ではなく、現在における政治的意味をもった
政治的活動であると理解されます。
例えば、純粋な歴史学の領域においてはホロコーストを述べる際にナチスへの
悪罵を羅列することは『洗練されていない』と看做されますが、自らの価値観を
表明する場面においては、肯定的に評価されることの方が多いでしょう。
 貴方がここでご自身の価値観や政治意識を主張するのは勝手ですし、また貴方なりの
価値観・政治意識に基づいて歴史から教訓を引き出すのも良いでしょう(それが他者に
受け入れられるかどうかは別として)。私が気に食わないのは、貴方が持っている
価値観や政治意識を明白にせずにただ歴史の道徳的評価にひた走ることです。
旧日本軍を罵倒し、八路軍を評価した先に貴方は一体何を主張したいのでしょうか?
まさかポエムやエッセイのつもりならともかく、これはフェアではありません。
この点については打通太郎より貴方は悪質です(打通太郎の信条は明白ですからw)。
164名無し三等兵:2007/08/05(日) 00:01:30 ID:???
A次に、歴史に道徳的評価を持ち込む際に最も注意しなければならことは
当時の人間に要求し得る規範の外延です。
 例えば、理由のない殺人はいつの時代でも悪でしょうが、決闘や敵討ち
となるとどうでしょうか。現代なら『そんな野蛮なことをするなんて!』
となりますが、前近代においては必ずしもそうではないわけです。
 もちろん、第二次世界大戦の当事者たちに対してどのような規範を
要求し得るかは、イデオロギー対立もあって非常に論争的な問題ですので
どのような規範設定をしようとも論争は絶えないでしょう。
しかしそれでも越えてはならない一線というものはあるわけでして…。
 なお、私は歴史に道徳的評価を持ち出すこと自体を駄目だと言っている
わけではありません。それは道徳的頽廃です。
自らが選ぶべき価値観の土台を作り、補強するために歴史から教訓を
引き出すことは政治思想の次元においては極めて重要なことです。
165名無し三等兵:2007/08/05(日) 00:06:24 ID:???
Bとりあえずここ読んで、議論の進め方を変えて下さい。
歴史修正主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
166151:2007/08/05(日) 00:11:51 ID:???
>まさかポエムやエッセイのつもりならともかく、
大学時代にとある教授に対してこれを言ったら
『いやぁ学問なんてエッセイだよ』と真顔で返されて呆然としたことを
思い出しました。
所詮2chは隔離板の下層スレなので社会科学的方法を厳格に要求しても
仕方ないのかも知れませんね。

>>163-166は私です。
167白馬青牛:2007/08/05(日) 02:03:47 ID:5tB9m87f
>>163-164
歴史に政治的意味を持たせる云うより、あんた自身が政治的云う言を
何回も多発しょるじゃないか。古人が道徳的価値観がないじゃ
愚弄しとるんはあんたじゃし、八路軍より日本軍が軍紀で劣っとった
ことに、政治イデオロギー的反発感情論で書いとるじゃないか。
内的規範は、社会的価値観より、自己が決めることじゃし、
わしゃあ決闘が野蛮たァ思わんよ。個人の見解じゃ。
イデオロギー以前に、「窮鳥懐に入れば、猟師もこれを殺さず」と
日本民族も捕虜を殺すことは罪悪であり、当時のイデオロギーに還元する
ことは日本民族全体に対する愚弄で、我が民族の価値観が道徳的頽廃か?
>>165-166
歴史修正主義は、ネットウヨの価値観じゃろう。相対主義じゃのうて、
日本軍は正義と自国絶対主義価値観で云うとる。ほいで、あんたの社会
科学的方法たァ何なら。全文抽象的な観念論で、空理空論の展開に
思えるが。
168名無し三等兵:2007/08/06(月) 23:41:13 ID:ACcUZtN1
真人間の言葉で書きなさいよ。
柄悪いよ。
169名無し三等兵:2007/08/07(火) 00:21:17 ID:???
>歴史に政治的意味を持たせる云うより、あんた自身が政治的云う言を
>何回も多発しょるじゃないか。
Cもう少し分かり易く書いてくれませんか。出来れば標準語で…。
貴方の『話し言葉』がなんであろうと私は関知しませんが、議論する以上、
『書き言葉』について標準語を要求することは許されると思います。
>古人が道徳的価値観がないじゃ愚弄しとるんはあんたじゃし、
私は歴史上の人物に要求し得る規範を良く考えて欲しいと主張したのであって、
過去の人間が道徳的価値観を持ってないとも、要求すべきでないとも主張してません。
>八路軍より日本軍が軍紀で劣っとった
>ことに、政治イデオロギー的反発感情論で書いとるじゃないか。
八路軍より日本軍が軍規で劣っていたことは事実でしょうが、
(侵略軍とゲリラ軍という立場の差を考慮すれば自然とそうなるのですが)
そこから引き出せる価値観は、かなり限定的なものになると思います。
『軍隊たるもの占領地域の住民には優しく接しなければなりません』
という程度のことでしかないわけでして、これだけなら誰もが支持します。
しかし、貴方はそれ以上のことを主張したいように見えます(端的に中共賞賛?)。
170名無し三等兵:2007/08/07(火) 00:33:22 ID:???
>内的規範は、社会的価値観より、自己が決めることじゃし、
>わしゃあ決闘が野蛮たァ思わんよ。個人の見解じゃ。
いや、そういう話ではなくてですね…。
>イデオロギー以前に、「窮鳥懐に入れば、猟師もこれを殺さず」と
>日本民族も捕虜を殺すことは罪悪であり、当時のイデオロギーに還元する
>ことは日本民族全体に対する愚弄で、我が民族の価値観が道徳的頽廃か?
捕虜は殺すべきでないという規範意識は明治以後の日本軍なら一応は持っていたでしょう。
しかし、そのような戦場のルールが破綻したのが先の大戦だったわけです。
これは旧日本軍特有の問題ではありませんので、
『我が民族の価値観が道徳的頽廃』などということはありません。
>歴史修正主義は、ネットウヨの価値観じゃろう。相対主義じゃのうて、
>日本軍は正義と自国絶対主義価値観で云うとる。
私が一番読んで欲しかったのは、>>165の[批判者側から見た「修正主義のレトリック」]
という項目だったんですよね。
詭弁のレトリックの歴史問題ヴァージョンになっています。
171名無し三等兵:2007/08/08(水) 00:58:26 ID:tgMzSn/J
八路の他にも新四軍や南支遊撃隊があった
紅軍の軍紀は国府軍より勝ったが、日本軍には到底及ばない。
所詮雑軍であり、私兵である。
素質も悪く、文盲が多かった。
172白馬青牛:2007/08/09(木) 21:27:34 ID:nlYKpn2R
>>168
真人間の言葉たァ何なら?わりゃ広島弁を馬鹿にしょうるんか?
>>169
標準語で書こうが書くまあがわしの勝手じゃ。いらん世話ァやくなや。
歴史上の人物にゆうて誰に規範を要求しょうるんか具体的に人物名を
挙げにゃあ。侵略軍とゲリラ軍の立場の差たァ具体的に何か。
そこから何の価値観が引き出せて、どう限定的なもんになるんか?
あんたは、毎度抽象的観念論で具体的な実例がないど。
現地民を味方にせにゃあ占領政策が困難になるんは、現在のイラクでも
明らかなことじゃが、人心収攬こそ至上最重の要件であろう。
それを「という程度」じゃゆうが、支持するかの問題じゃのうて、
実際に出来るかの問題じゃ。姑息なすり替えはすなや。姑息なすり替えを
好むんが日本人の手口じゃ思われるんは心外じゃ。
ほいで、極端に中共賛美な部分は何処なら。具体的に云いんさい。
173白馬青牛:2007/08/09(木) 22:25:53 ID:nlYKpn2R
>>170
明治以降の日本軍なら「一応」は持っていたでしょう。一応云うて、
どがあな一応なら?戦場ルールが破綻したんが、先の大戦で旧日本軍特有の
問題じゃあない、云うんは、どがあな例で?『我が民族の価値観が
道徳的頽廃』じゃあないと云う答えになっとらんど。詭弁に終始すなや。
>>165のウィキの文章も抽象的じゃが、ネットウヨの崇拝する歴史修正主義
の詭弁のレトリックのことか?そがあなんは、歴史は物語りする
「つくる会」のドイツで学んだ西尾氏や元共産党員の藤岡氏に手口を
聞きゃあええじゃないか。
それたァ重要なんは、「日本と欧米の修正主義における異同」の方じゃ。
要は、「日本の歴史修正主義は主に大陸(独)の概念だけに依拠
している。」ことじゃ。
>>171
日本軍は概ね国府軍よりましじゃが八路軍より劣っとったよ。
日本軍が全体として軍紀が八路軍より良かった根拠は?
どうも媚日家の中華民国の八路軍は悪と云う教育をした、国府軍国家の
中華民国側の引用じゃないか。
174名無し三等兵:2007/08/09(木) 23:09:00 ID:???
イナゾウ中佐は何処に行った?正直この流れは下らなすぎる
175名無し三等兵:2007/08/09(木) 23:11:34 ID:???
こっちはクソウヨのセルフ隔離スレか。勘違いしてた
176名無し三等兵:2007/08/10(金) 08:42:35 ID:JyOU8znm
誰も方言非難はしていませんよ。
凶暴非礼な言辞を責められているんですよ。
177名無し三等兵:2007/08/11(土) 09:34:04 ID:su6g05iw
でも方言じゃみんな読めないよな。
178名無し三等兵:2007/08/11(土) 18:57:29 ID:k7+6rldw
愚かなことを。
我国はジュネーブ協定に加わっていない。
179名無し三等兵:2007/08/12(日) 08:50:59 ID:bK9sZqIz
支那事変も戦争法規の適用を受けない。
戦争じゃないから。
支那自身もそれを望み、戦争に切替えることを支那かった。
180名無し三等兵
東條由布子刀自に投票しました