あなたのおじい様の戦争体験を教えて その10

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無し三等兵
前スレ

あなたのおじい様の戦争体験を教えて その9
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1129385240/
2名無し三等兵:2006/01/23(月) 23:20:29 ID:???
2
3名無し三等兵:2006/01/23(月) 23:42:26 ID:???
語ってくれるべき祖父、祖母がおりません。

母方の祖父 → 満州で匪賊と和平交渉の最中に騙し討ちに遭い、生きながら焼かれる
同じく祖母 → 戦後、女手一つの苦労からまだ成人しない母を残して急死

父方の祖父、祖母 → 御殿場の軍需工場で働いている最中に艦載機の機銃掃射で即死
4名無し三等兵:2006/01/23(月) 23:47:54 ID:PuuBf49K
おじいちゃんはとまほくてみさいるくらってしにました。
5名無し三等兵:2006/01/24(火) 00:19:57 ID:???
うちの爺ちゃん新潟の生まれなんだけど戦中、
人間魚雷or潜水艦の
工場に駆り出されてたと言ってたな。

爺ちゃんに失礼だが新潟近辺にそういう工場はあったのかが解りません。
質問房でスイマセン
6名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:17:47 ID:GSEeUMJn
甲幹あがりの少尉で南方帰りのじいちゃんが昨今のライブドア関連ニュースをみて
「全く貴文(俺も同じ字で同じ名前)ってやつにはろくな奴がいねぇ」











おいおい、名前付けたのあんただろwww
7名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:20:06 ID:5MIPKj3m
■戦争中の子供たちはこう言われて育てられた。 ■

「国民は天皇陛下の赤子で、天皇陛下からもらった命は天皇にお返しすべきである」
「神州不滅だから日本は必ず戦争に勝ち、国難には神風が吹く」
「支那事変は正義の戦いで、邪魔をする鬼畜米英は断固撃滅する」
「日本兵は死を恐れないが支那兵は日本軍が突撃すると泣いて逃げる弱虫だ」
「天皇のために手柄を立てて名誉の戦死をせよ」
8名無し三等兵:2006/01/24(火) 12:03:11 ID:???
>>7
極めて当たり前のことばかりだが・・・?
9名無し三等兵:2006/01/25(水) 06:57:27 ID:???
ノモンハンでソ連と交戦
上海事変に参加
2.26事件に包囲側の兵として参加
10名無し三等兵:2006/01/25(水) 12:57:32 ID:???
俺のじいちゃんは支那事変に砲兵として参戦。
砲兵分隊を指揮してたそうな。支那での話は色々聞かせてもらったが、
一番印象に残ってるのは、ある時野砲陣地で休んでたらいきなりゲリラ攻撃を受けて、零距離射撃で応戦
したって話だな。そのときの支那兵の叫び声が今でも忘れられんそうで。
んで大戦後半になると高射砲の完熟訓練を受けて神戸に配属。
B−29相手に奮戦したそうで「あんな大砲で飛行機打ち落とせる訳なかろう!!(怒)」
といつも言ってた(笑)
11名無し三等兵:2006/01/25(水) 13:14:38 ID:???
平均年齢80をこえる近所の飲み会の最後は、泥酔した陸軍出身者や特攻隊生き残りを含む海軍出身者の間で、ボタンの数の違いや敗戦責任の押し付け合い
などくだらない罵りあいが60年ほど続いている。
12名無し三等兵:2006/01/25(水) 13:35:28 ID:???
バーチャン
小学生の時に聞いた話なんで、よく覚えてないんだけど、多分慰安婦かぁゃιぃ人。
当時の写真を見せてもらったんだけど、衣装ギラギラ、宝石まみれ(晩年ひとつずつ
質に入れては食いつないでた)、ヘロイン漬けだった模様。
私が偶然開いていた地図帳の上を、上がった港から順に行った場所を指さして
何をしたか半眼でするすると滑らかに独り言のように語っていた。
私は怖くて相槌も質問もできなかった。ただ聞いていただけ。
すんげー西まで行ってた。

満州からの脱出劇はもうちょっと素面っぽいときに何回も聞いた。
13名無し三等兵:2006/01/25(水) 14:25:35 ID:v+bCoZx7
>>11うちではそれは盆正月の恒例行事。じいちゃんと七人の弟達が陸海軍各四人にわかれてるからいつまでたっても決着がつかない。話すだけ話、飲むだけ飲んだらみんな寝てしまう。
14名無し三等兵:2006/01/25(水) 14:45:04 ID:tXrbR/dA
1.支那人に穴を掘らせる
2.その支那人を穴の所に跪かせる
3.軍刀で支那人の右肩からきり付ける
4.しかし、完全に切れないので途中でやめ
5.血の吹き出る支那人を足で穴に蹴り落とす
6.隣で待機している支那人に埋めさせる
7.以下ループ
15名無し三等兵:2006/01/25(水) 16:13:44 ID:???
>>14
国際法的にも、便衣のゲリラは処刑しても問題ないんだが・・・?
それから、斬首は日本では普通の刑。
銃殺よりも敬意を表しているとすら言える。
あと、皇軍の練達の士は、概ね一刀の元に首を刎ねるから、やり損じなんかないよw
16名無し三等兵:2006/01/25(水) 16:35:31 ID:aITJdumi
昔はかなり剣道人口多かったしね。
17名無し三等兵:2006/01/25(水) 16:41:41 ID:tXrbR/dA
>>15
いや、連続して斬っていくと油で切れ味が鈍るらしい
3人斬ったら拭かないと駄目らしい
18名無し三等兵:2006/01/25(水) 16:50:30 ID:???
殺すときに相手の首を落とすのはグローバルスタンダードですが何か
19名無し三等兵:2006/01/25(水) 17:48:03 ID:X4+/XnXp
>>16
剣道と撃剣は全くの別物ですがな
20名無し三等兵:2006/01/25(水) 22:21:30 ID:RjMipjD7
満州人の首を跳ねた話はよくきいたな
21名無し三等兵:2006/01/25(水) 23:28:15 ID:???
>>19
素人がやると刀を振り下ろしたときに足を切ってしまうことがあるから
おもいっきりできないけど、剣道の経験者はうまく刀を振り切ることができるから
その点ではやってないより数段マシ。剣道家が何万回もする
剣道の素振りは当てるというより斬る動作だからこれもやってない人より数段マシ。
まあどうせゲリラを処刑すんだったらうまくても下手でも関係ないわな。
22名無し三等兵:2006/01/25(水) 23:59:31 ID:k9FA+iBq
うちの祖父は兵役中は山砲に配属されて昇進が早かったそうで勲章をもらい、親父が子供の頃に
その勲章(というよりメダル)をつけて兵隊ごっこをしてたそうな。しかし祖母が捨てたかも…
23名無し三等兵:2006/01/26(木) 01:06:40 ID:???
>>21
聞いた風な口を叩くw
全然違うから。
24名無し三等兵:2006/01/26(木) 16:45:11 ID:NVozwyCt
保守
25名無し三等兵:2006/01/26(木) 16:54:44 ID:???
>>5
多分昭和電工、鹿瀬工場だと思う。
戦時中は舞鶴工廠管轄第百?号工場とかだったそうだ。
うちの爺さんが潜水艦のパーツとか作っていたと言っていたし、
と言うか、そこしか知らないのだが・・・
あてのない情報でスマソ
26名無し三等兵:2006/01/26(木) 21:17:52 ID:???
>>23
じゃあ居合道の経験者なら文句ないな?
27名無し三等兵:2006/01/26(木) 21:33:50 ID:???
>>26
あのねー
いい加減恥ずかしくないのかね?
28名無し三等兵:2006/01/26(木) 23:26:12 ID:???
剣道の素振りじゃ何万回やろうが人は切れないよ
29名無し三等兵:2006/01/27(金) 01:17:03 ID:???
>>28
もういいよ、ほっとこうよ・・・
夢見がちな餓鬼がない知恵絞って書いているんだからorz
30名無し三等兵:2006/01/27(金) 02:15:29 ID:2GhDHtWv
爺さんが満州で農業をしていた頃畑の作物を盗んだ満州人一家を発見した
優しい爺さんは作物を与えて見逃してあげた。
31名無し三等兵:2006/01/27(金) 13:39:03 ID:???
>あと、皇軍の練達の士は、概ね一刀の元に首を刎ねるから、やり損じなんかないよw
首切り役人など居ない。
実際は気負った将校達が酒飲んでから、自分の粗悪な昭和刀の試し切りがてらやるんだが....
士官学校では一応、切腹や首のハネ方も教えていたフシもある。

下士官だった俺の母方のじーさん、南方で乗っていた船がボカチン食って俸給はたいて買った
軍刀が海に...九死に一生を得て辿り着いた島で壊れていた米軍のトラックの板バネから
新たに作ってもらったそうな。でも、昭和刀より見栄えは悪いが良く切れたとは本人の弁。
32名無し三等兵:2006/01/27(金) 23:56:10 ID:LRN2yBUv
うちの爺ちゃんが15のとき、福井の山奥の高原に米兵の捕虜収容場があったんだけど、そこの山を開墾して芋畑作ってたらしい
そのまま15んときに終戦したんだけど、同級生は何人か特攻したってさ。終戦間近って15才で志願してもほとんどが特攻に配属されてたんだって。
当時は食う物も着る物もなかったって言うね。必ず「今は時代がちゃう、こんな事言ってもわからんやろな。ごめんなあ」
って言うんだよ

爺ちゃん、何も悪くないのに・・・ 謝らなくていいのに・・・。爺ちゃんが必死で生きてたから今のおれがいるんだよ(ノω・。)
33名無し三等兵:2006/01/28(土) 00:10:24 ID:???
うちの祖父さん、終戦近いときに満州に行った。
地主の息子だったしな。
そのまま、商人譲りの要領のよさで、お偉いさんの馬持ちしてたらしい。
すぐ帰ってきた。もちろん朝鮮人嫌いでチョンチョンいってる。
朝鮮人は、馬鹿がいえなくてパカっていうとかw
「朝鮮人パカにすな!」って言われたことあるそうだw

大分前に書いた気もする・・・
覚えてねえや('A`)
34名無し三等兵:2006/01/29(日) 21:21:11 ID:LDop8SKa
保守
35名無し三等兵:2006/01/29(日) 21:52:12 ID:???
爺ちゃんは戦時中部隊長やってたらしい
他の部隊の隊長は部下をボロクソに扱ってたが爺ちゃんは部下に対して優しかったとか
で、終戦迎えた瞬間、他の部隊の隊長はボコられたけど爺ちゃんは何もされなかった
36名無し三等兵:2006/01/29(日) 21:53:45 ID:iIjkgZfm
私の祖父に昔の体験を聞いたんですが石川の千里ヶ浜の近くで本土決戦の時に上陸した戦車に当たる?ってか潜り込む訓練をしてたそうな日本って怖い国やな…
37名無し三等兵:2006/01/30(月) 08:22:43 ID:???
>>36それは多分、伏龍だと思われます。
潜水服を来て、小型機雷を持って上を通る戦車とかに
当てると言う捨て身の戦術ですね・・・
38名無し三等兵:2006/01/30(月) 14:01:17 ID:???
今年94になる祖父。
戦前に台湾警察に就職し、戦争が始まると軍隊へ、
タカオ(台湾2番目くらい大きいらしい)という南方に行く時の拠点の街の、
港を防衛する高射砲部隊本部付伍長として主に事務職にあたっていた。
その祖父がうちにくるとよく語ってくれる。
かなり雑だが以下、

・当時所属した高射砲部隊は四門(単位あってる?)一中隊が5つの計20門もっていた。
・港へ進撃してくる爆撃機は前方に見えるときが爆弾が弧を描いてとんでくるから一番怖い。頭上付近まで来れば安心できた。
・夜になるとプレッシャーをかける意味で一機だけとんでくることがあった。
それに対してはいちいち中隊単位で相手をしては弾の無駄なので一門だけうった。
・ある時それを戦友(当時2人1組単位で行動する決まりがあってその相手)とみていた。
すると味方の打った高射砲の弾の破片が落ちてきて戦友の左足にあたってしまい後に切断した。
・昼の爆撃機との戦闘時、非戦闘員が退避するなか祖父は指揮を取る部隊長の側にのこることになった。
そしたら彼らが退避した糧秣庫兼防空壕に直撃し、救出作業をしたものの、20人弱中18,9人が死んでしまった。
その原因のほとんどが保存していた米が爆発の衝撃で吹き飛んで、口や鼻に飛び込んだことによる窒息死だった。
・また別の戦闘時、部隊長の退避命令を伝えるために、海岸を走っていたら、艦載機に機銃で狙われた。
艦載機には機関砲と機関銃×2のセットが両翼に一つずつついている。
最近の映画で似たようなシーンを見ると良く似ていて思い出す。
・「結局は運、運がよくて俺は生き残った」とよく口にする。
39名無し三等兵:2006/02/01(水) 22:56:49 ID:7ATn9Ae6
保守
40名無し三等兵:2006/02/02(木) 03:07:38 ID:Zox0AVGi
乙種ニモ落ちて樺太徴用。敗戦直前に何故か北海道に。で、生き延びる。
41名無し三等兵:2006/02/02(木) 07:59:03 ID:???
祖父は紫電改に乗っていたが.その前は零戦に乗っていたらしい  
祖父が言うには零戦は防弾もなし、機体強度も最低、速度も最低だったと 
教えてくれた。
42名無し三等兵:2006/02/02(木) 08:00:12 ID:XPXN9EXc
いくら終戦後でも隊長ボコすなんてないだろ…チョウセンジンじゃあるまいし…
43名無し三等兵:2006/02/02(木) 08:02:50 ID:???
 
44& ◆/p9zsLJK2M :2006/02/02(木) 08:20:40 ID:???
>>42
国が負け、無くなろうとしている(自分達、日本民族がどうなってしまうのか
分からない)その時。 君なら憎ったらしい奴、許せない奴を生きている内に
一発でも殴ってみたく成りはしないか?

横柄極まりない下士官、士官、将校が不良の卒業のお礼参りの如く、殴られたのは
良く耳にする話しです。
伝聞という形で口を濁され、銃で射殺とかも聞いた事がある。
45名無し三等兵:2006/02/02(木) 08:33:24 ID:???
sageです
46名無し三等兵:2006/02/02(木) 10:42:28 ID:???
>>42おいおい、こんな事、日常茶飯事であったらしいぞ
家の爺さんも年下のくせに、先に入隊してて威張りくさってた奴を
終戦後に仲間達と袋叩きにしようとして逃げられたらしいからな
47名無し三等兵:2006/02/02(木) 10:45:56 ID:+hTl4Vza
爺さんは相槌を打つだけだったが、訪ねてきた戦友との話をそばで聞いていたのだが、
その、戦友の話、
終戦時中国(中支の某都市だが伏せる)に居たのだが、朝鮮出身の小隊長少尉が豹変し、
日本の敗戦を喜び、戦勝者気取りで傲慢不遜、資材の横領、私物化をやり始めたので
分隊長レベルの下士官が焼きを入れた(殺しはしなかった)話を聞いた。
「半島人は信用ならん」といって骨の髄から嫌っていたな。
「やつ(小隊長)がトチュゲキ(とつげきといえなかったようだ。口真似)と言ったら俺達は
命をとして突撃で死なねばならなかったのに、あんなやつが」ともいっていたよ。
48名無し三等兵:2006/02/02(木) 11:16:01 ID:tCniQcL6
>>41さんの話、もっと聞きたい。
49名無し三等兵:2006/02/02(木) 12:05:44 ID:ziYyB0+h
衛生兵だった家のじいさんですら
満州で支那人を殺しまくった話は一度だけ聞かせてくれた…
銃でも撃ったし銃剣でも突きまくったと話してたのは覚えてる
女も子供もおかまいなしに


50名無し三等兵:2006/02/02(木) 13:43:14 ID:???
通信兵だったらしく
特攻機や大和の最後の通信を聴いていたと言ってたな
51名無し三等兵:2006/02/02(木) 14:27:07 ID:3XmNuaG5
富山空襲で命からがら逃げ回ったバァちゃん(既に他界)は、
夏の花火大会など、『花火打ちあがる音が、焼夷弾が落ちてくる音と同じで怖くて・・・・』と
誘っても一回も一緒に行かなかったな・・・・・
52名無し三等兵:2006/02/02(木) 14:36:56 ID:iEOkvkBW
支那大陸を四年も転戦した陸軍軍曹の爺さんの話。
よく、反戦映画なんかである新兵を殴りまくるやつは嘘とのこと。新兵の
ころはよく叱られはしたが殴られたことなどなかったそうだ。
もとは市ヶ谷に駐屯してた部隊で大東亜戦争勃発にともなって北支へ行って
後に軍曹として南支を転戦する事になった。

なお、同じ次期。独身時代の婆さんの実家近くで予備役召集された連中が壕
を掘ってたそうだが、これは私的制裁と言うか弱いものイジメが横行してて
酷いもんだったそうだ。士官が下士にあたり下士は古参にあたり古参は新入
りを殴りまくるというわけ。

私的制裁云々は二流部隊に限ったことらしい。
53名無し三等兵:2006/02/02(木) 15:07:37 ID:???
うちの実家では軍から米を出せといわれたとき、「大和の連中に出す米などない!」
って村ぐるみで隠したそうだ。

その後、大雨で全部流されたそうだけど・・・。
54名無し三等兵:2006/02/02(木) 15:18:42 ID:???
>>52
一流、二流ではなく、
前線だと戦闘のドサクサにまぎれて後ろから射殺される可能性があるから、
前線部隊での私的制裁は比較的穏やか
内地や軍艦だとそうはいかなくなる
55名無し三等兵:2006/02/02(木) 15:51:56 ID:tCniQcL6
じいさんでないけど、ある先生から酷い事する上官を
戦闘中うしろから射殺した話を聞いたな。
56名無し三等兵:2006/02/02(木) 15:54:41 ID:tCniQcL6
じいさんでないけど ×
おれのじいさんでないけど ○

>>53
大和の連中って誰を指すのかおしえて。
57名無し三等兵:2006/02/02(木) 16:10:18 ID:iEOkvkBW
>>54
いや、内地で二年いて、家に帰れる直前に真珠湾攻撃があって北支行きに
なったわけだ。まさか、前線行きになるとは誰も思ってなかったときから
私的制裁など無かったわけよ。
そもそも、士官が直接に兵を叱ることも無かったそうで。普通は下士が叱る。
もちろんぶん殴るなんて論外だそうだ。
58名無し三等兵:2006/02/02(木) 16:16:16 ID:???
部隊長が人格者でなおかつきっちりと下士官や古兵を掌握してたんだろうな
59名無し三等兵:2006/02/02(木) 16:24:17 ID:iEOkvkBW
そういうこと。そういう優秀な士官は一流部隊に配属される。
60名無し三等兵:2006/02/02(木) 16:24:19 ID:0gW1Oqi3
太平洋戦争じゃないけど家に日露戦争の頃の古い先祖の写真があって胸に勲章(襟にも少し)をいっぱいつけていた!
階級はわからなぃ
61>>41:2006/02/02(木) 16:32:16 ID:???
>>48教えてやる 

零戦は機体の殆どが燃料タンクで防弾設備がなく敵の 
一撃で火達磨になったらしい、熟練パイロットはこれ 
をなんとかできたらしいが新米は、・・・・・・。 
62名無し三等兵:2006/02/02(木) 16:42:53 ID:???
ベニア板で作ったモーターボートに魚雷を積んで敵艦に体当たりする
というどう考えても無茶な特攻隊員。
本土決戦要員として残され命拾い。終戦後一時期愚連隊に入っていた
けど抜けてからは死ぬまで地道に働いていました。
私が大和や零戦等のプラモを作っている横から「俺は動いている本物を
見たもんね」といつも自慢していました。
63>>41:2006/02/02(木) 16:45:35 ID:???
よくF4−F7は雑魚と、思いこんでるひとが多いと思うが 
それは違うF4−F7は零戦より強かったらしい
64>>41:2006/02/02(木) 16:47:37 ID:???
続きはまた。
65名無し三等兵:2006/02/02(木) 16:52:48 ID:???
F7?
66名無し三等兵:2006/02/02(木) 17:25:47 ID:???
>>56

蝦夷の末裔だかれねぇうちは。
67名無し三等兵:2006/02/02(木) 17:28:21 ID:???
>>41
F4じゃなくてF4Fだ、
>>65
F6Fの間違いじゃないのか?
68名無し三等兵:2006/02/02(木) 17:51:49 ID:q7s4Ka2U
うちの父方は武蔵、母方は大和に乗ってた。戦死してしまった…
69名無し三等兵:2006/02/02(木) 18:26:18 ID:Bu1hBwpN
うちの祖父は北支に居たそうで
戦局が悪化する前に帰ってこれたんだが
酒を飲むと「中国の人にはひどい事をした・・・」といつも言っていたそうだ。
戦争の話はあまりしたがらなかったので、結局祖父がどの部隊で
何をしていたのか判らずじまいだった。
70名無し三等兵:2006/02/02(木) 18:34:50 ID:???
関東軍防疫部隊だな
71名無し三等兵:2006/02/03(金) 08:12:10 ID:???
>>66
さらにわかんね
72名無し三等兵:2006/02/03(金) 08:13:54 ID:???
>>41
紫電改のほうもたのむ
73名無し三等兵:2006/02/03(金) 12:36:41 ID:???
俺のじーちゃんは海軍航空隊の整備員。
軍隊は丸暗記だから初年兵の頃は部品の名前を覚えこむだけで大変だったと言っていた。
おまけに英語、敵性語なんて言葉は聞いたことが無いとも言っていた。
で、いきなり南方へ。トラック島のどこか。驚いた事に簡単なスペアパーツくらいは現地で
作れる工作機械があったそうな。内地に転任する際に大和に寄らせてもらい甲板の左舷から
右舷を歩いたって。ともかくでかい印象。軍機艦として別に口止めはされなかったとの事。
整備は早朝の出撃が多いので夜が勝負。でも明かりが少なく暗いので困った。
ボヤボヤしているとプロペラに跳ねられるんで上官からよく殴られた。
ボルトやナットはきつく締めても緩く締めてもダメで、そのころあいが判れば一流の整備員と
言われたとか。
74名無し三等兵:2006/02/03(金) 16:14:44 ID:???
トルクレンチ無かったのか・・・orz
75名無し三等兵:2006/02/03(金) 20:03:21 ID:???
>>74
南方では定期的に補正が必要な工具が狂いまくりで、熟練整備兵の名人芸で乗り切っていたそうです。
76名無し三等兵:2006/02/04(土) 15:00:26 ID:I1IrDN1U
そもそも、外征用に使える航空隊ではなかったんだから当たり前と言えば当たり前だの。
77名無し三等兵:2006/02/04(土) 15:21:43 ID:???
俺の爺様は少年飛行兵だったらしい。
終戦直前だったから飛べる飛行機がなかったとか燃料がなかったとかそんなこと言ってたな。
3年前に逝ってしまったんだがもっと話を聞いとけばよかった・・・
78名無し三等兵:2006/02/04(土) 17:57:19 ID:???
父方の爺ちゃんは憲兵 
母方の爺ちゃんは陸軍で中国に派兵
母方の大叔母さんの旦那さんは戦争行って帰ってこなくて結局離縁
大叔母さんは復員後すぐ病気で亡くなった弟(大叔父さん)の息子(母さんの従兄)を引き取った
母方の婆ちゃんは、当時徳島にいて空襲?で必死で逃げたそうな
延々逃げ続けて、駅でもらったおにぎりがおいしかったと言ってた 
詳しいエピソードなしで爺ちゃん以外の人も混ざっててスマソ

あと、これは高校時代の非常勤の先生だけど、後何日で飛ぶって時に終戦迎えたんだとか
ちなみに当時15歳 初めて年齢知って何で定年とっくに過ぎてるのに非常勤やってるのかと思った 
79名無し三等兵:2006/02/04(土) 19:35:43 ID:???
>>78
>何日かで飛ぶって時終戦迎えた

何?特攻で?それとも部隊配置後、初出撃の事?
そこん所しっかり書いてくれ、訳分からんわ!!
80名無し三等兵:2006/02/04(土) 22:05:51 ID:???
>>79
確か飛行機とか特攻とか言ってた希ガス
長崎に送られて待機してて、もうすぐ自分の番てとこで終戦になったって
ただ一つ謎なのが、今思うとその人被爆したとは言ってなかったんだよな
81名無し三等兵:2006/02/04(土) 22:17:05 ID:???
>>80
飛行機で「長崎」といえば市内じゃなくて大村の海軍航空隊とかじゃないのかな。

ついでにいうと、「非常勤の先生」ってのはもともと時間いくらの講師と
常勤の教諭の定年後の再雇用、ってのがあってどっちも定年は常勤より遅い。
82名無し三等兵:2006/02/04(土) 22:42:24 ID:???
>>81
そういう事情でしたか dd
非常勤に関しては、後からどっかの大学の元教授だったと聞いた
私立で結構得体の知れない人多くて定年もいい加減だったようだ

因みに父方の大叔父は原爆翌日に長崎入りして被爆者認定済み
83名無し三等兵:2006/02/05(日) 00:20:47 ID:95mBIfXA
紫電改は、防弾版ないよ。(タンクは防漏)
ゼロ戦は後期型に一応ついてる。(外すことも多いと言う話だが)
84名無し三等兵:2006/02/05(日) 00:57:39 ID:???
大伯父は衛生兵で支那へ。
鬼軍曹と呼ばれてたらしい。

そんで、負けて帰還を待ってたとき、共産党軍も国民党軍も、日本兵にリクルートかけてきてたんだと。
85名無し三等兵:2006/02/05(日) 01:15:25 ID:???
じいちゃん近衛歩兵だったが、一本筋の通った人間だった。
大陸にも行ったらしいがどこだったか忘れた。
86名無し三等兵:2006/02/05(日) 17:18:39 ID:???
>>84
同じようなエピソード、憲兵の回顧録で読んだわ。著者は「一端故郷に帰ってゆっくり考えたい」と帰国した
が、中には呼応して残ったのもいたらしいが、最後はスパイとして捕まり処刑だと。
87名無し三等兵:2006/02/05(日) 20:18:29 ID:???
関東軍将校。
満州人とはご近所付き合い等、非常に仲良かったらしく、
引き上げの際には、持ち帰れない物資を配って回ったそうな。
妻子共々無事帰国を果たせたのも彼らのおかげだ、って尊敬をこめて語っていた。
反面、朝鮮人は嫌悪していたが、その理由は聞かずじまいだった。
88名無し三等兵:2006/02/05(日) 21:27:47 ID:???
>>87
ハングル板に行けば一発でわかると思われる。
興味がおありならば参考ばかりにこちらもどうぞ。

http://koreaworks.nomaki.jp/

で、ウチの爺さんではないが聞いてきた話をば。
ウチの親戚の爺さんは陸軍で、徴兵検査を受けて訓練を終えてしばらくしてすぐに開戦したもんで、いきなり第一線にかり出されたそうな。
まずフィリピンのラモン湾上陸作戦に参加して、その後前線が伸びるのを追っかけるように配置転換されて、最終的にガタルカナルまで。
そこはまさに地獄で、葉っぱでも何でも食べれるものは何でも食べた、と言っておりました。(此処はあまり多く語っていただけなかった)
で、その後転進して、シンガポールの海軍病院で療養、幸い高等教育を受けていて英語が出来たのでさくらやほまれなどのタバコを、卵やチョコレートなんかと交換性して、ものすごく栄養がよくなったそうです。
そのあと、予備役編入されるも1年経たないうちにまた赤紙が来て、舞鶴や横須賀のほうでダイハツなどの備品の監視や米軍がきても大丈夫なように秘匿工作をしているうちに終戦を迎えたそうです。
ちなみ印、今やっている映画の大和については「大和が沈もうか沈むまいがうちらには関係が無い」だ、そうです。
89名無し三等兵:2006/02/06(月) 04:30:09 ID:???
今も大和と一緒に眠ってます。
90名無し三等兵:2006/02/06(月) 19:13:59 ID:???
ウチのじいちゃん、終戦間際に徴兵されて舞鶴で訓練してたらしいんですが
なんか駆逐艦だかにのって海に出たことが有るらしいんです。

こういうのって深く聞いておくべきなんでしょうか?
無理に思い出させたくないんですけど…
91名無し三等兵:2006/02/06(月) 19:17:49 ID:???
>>90
>無理に思い出させたくない
は、あくまでも藻前様の主観なので。

「じいちゃん、駆逐艦に乗ってたんだって?」
と軽く切り出してみてはいかがでせう?
92名無し三等兵:2006/02/06(月) 19:31:19 ID:???
>>91
そうしてみます、どうもです
93名無し三等兵:2006/02/06(月) 21:47:39 ID:???
>>78
うちの婆さんはリヤカーに家財道具のっけて吉野川沿いを西へ逃げたそうだ。
AKT町のお女郎さんが大勢焼け死んでたのを目撃したとか言ってたよ。

爺さんは松茂の海軍航空隊で終戦。
その間際、基地に飛来した米軍機の機銃掃射を受け九死に一生を得たとか。
話しでは、基地には何機かの海軍戦闘機が居ったらしいのだが、なぜか当日邀撃に上がった機はなく、
米軍機が我が物顔で跳梁跋扈するのを恨めしく見てるしか術がなかったのが本当に辛かったと言ってたな。
94名無し三等兵:2006/02/06(月) 22:04:07 ID:???
うちの祖父さん、軍に入るために猛勉強して
年齢も1歳誤魔化したという熱意ぶりで、
入ってからは下士官候補とかいう役職を任命されて
班長みたいなのを任されたりもしたらしい。


中国での戦いでは行軍中、先行する隊に配属されてた
郷土の知り合いが道端にへたっているのを見つけたそうだ。
聞くと、腹が減って動けないという。
なので近くの農家の畑から野菜とかトウモロコシに似た
なんとかいう穀物を盗んできて、それを袋に入れた奴を
渡して「しっかりしろ、これ食いながら歩け!」と言ってやったとか。

その知り合い、今でも町内会の慰安旅行でその時の事を
持ち出し、「食い物くれたのはありがたかったが、どうせなら
一緒に連れて行って欲しかった」と愚痴言っているとか。
9594:2006/02/06(月) 22:12:15 ID:???
歩兵は殆ど徒歩で、戦車なんか見る機会もなかったけど
そのかわり野砲だけは常にあった。

珍しくトラックに乗って移動してた事もあったけど、
何かの拍子に車がひっくり返ってそれで隊長が死んだとか、

敵の戦車を蛸壺掘って爆弾抱えてその中で待ち伏せし、
戦車が上を通過したら自爆しろという命令もあったとか
(それで生きて帰ってきたのだから、戦車は別のところを通り過ぎた模様)

敵は機関銃、こっちは38式だけなんでてんで戦いにならないとか、
まあこういうのはお決まりどおり。

戦い以外では中国人はしたたかで、言葉があんまり通じない
(こっちがわからない)のをいい事に買い物する時は
ふっかけて来たり量を誤魔化して騙そうとしたり、とか。
対して朝鮮人はやっぱり「いい加減な奴らばかりで信用ならない」
だそうで。
9694:2006/02/06(月) 22:24:40 ID:???
731部隊とすぐ近くの部隊に配属されていたらしいけど、
何処の部隊なのか、中国の何処で戦っていたのかは
聞いていない。
露助の捕虜になってシベリア抑留の経験者なので、
やっぱり満州あたりで戦っていたんじゃないかと推察。


捕虜時代、仲間の多くが飢えと寒さで死んでいく中
いち早くロシア語を覚えたことが幸いしたのか、
ソ連軍の士官に「使える奴だ」と気に入られて便宜を図ってもらったそうだ。
ただ、最初に憶えたのが「露助が捕虜の日本兵を馬鹿にする言葉づかい」
だったので怒られたとか。

食料の配給係みたいなのをやれと言われて、
川から運ばれてくる塩漬けの鮭の樽何匹もの鮭の尾を紐で結んで
腰に巻きつけ、コートの下に隠して余分に手に入れたり、
運ぶ樽をわざと転がしてぶちまけ、拾い集める時のどさくさに紛れて
隠したりしたとか。

女性兵士に何故かもてたらしく、晩餐会みたいなのにも度々
呼ばれたとか。
その女性兵士が手回しして、「お前はこのままじゃ日本に帰れない
から、帰れやすい奴らが配属される労働場所に移動させてやる」
とやってくれたので帰ってこれたらしい。

今では酔ったときぐらいしかロシア語を思い出さないけど。
97名無し三等兵:2006/02/06(月) 22:36:06 ID:???
>96
> 女性兵士に何故かもてたらしく
(μ_μ*)チョトウラヤマシス
98名無し三等兵:2006/02/07(火) 00:43:25 ID:lOyKb+cK
いまだに現地で食べた黒豚(人肉)はおいしかったと言っていますが・・・・どうしましょ
99名無し三等兵:2006/02/07(火) 01:02:05 ID:???
>>98
それ普通の黒豚のこと言ってるんじゃね?
100名無し三等兵:2006/02/07(火) 01:51:50 ID:ShWHsTts
>>98当時の南方の島のジャングルに暮らす土人たちは風呂にも入らず、糞をしても肛門を土で擦るだけだった。君ならそんな奴ら食いたいか?
101名無し三等兵:2006/02/07(火) 13:57:59 ID:???
>>100
人肉をさして「黒豚」という場合は現地人じゃない気がするのですが
102名無し三等兵:2006/02/07(火) 18:04:26 ID:???
>>98
何処が一番おいしかったか聞いてください。
103名無し三等兵:2006/02/07(火) 18:12:24 ID:???
>>98
腹減ってた時に食うものは何でも美味いですよw

満州で興味本位で満人ぬっ頃して食べた人は「マズい!止めた方がいい!!」と言ってました。
104名無し三等兵:2006/02/07(火) 19:56:12 ID:???
>>98
南方の方なら野豚がいたぞ。
原住民が飼っていたやつをタバコとかと物々交換したりもしたらしいしな。
105名無し三等兵:2006/02/08(水) 02:18:35 ID:NR/LjcUo
奥崎謙三先生のDVDでもあったけど、黒豚=現地人(ニューギニア)らしいですよ
106名無し三等兵:2006/02/08(水) 02:56:06 ID:???
>>96
うちの父方の爺ちゃんも同じくシベリア抑留経験者。工兵(?)として満州で橋などの建築をしていたそうだが、ロシ公に捕まり集団連行・・
その際、ロシ公による略奪・強姦が繰り返されて、爺ちゃんの当時の奥さんは目の前でレイプされながら殺されたらしい
俺の親父は、無事に帰国してから再婚した人(早くに病死して俺は会った事はない)の子なんだが、爺ちゃんのその話を聞くたびに複雑な気持ちになる
もしそのロシ公がいなければ、当然おれも親父も生まれてこなかったわけで・・・
今でも爺ちゃんは酒を飲むたびに「あのロシアの野郎め…」と悔し涙を浮かべてます。。
107名無し三等兵:2006/02/08(水) 05:35:38 ID:Unwyek1B

五木寛之氏の小説(自伝)を思い出した。
合掌。
108名無し三等兵:2006/02/08(水) 05:48:20 ID:jHEY1Hq0
>106
むごいこと言うけど、何故妻が目の前で殺されんのじいちゃんは傍観したんだ?
109名無し三等兵:2006/02/08(水) 06:05:28 ID:mEHTPRuL
うちの爺様は南方で飛行場作ってたそうな。で食いもんないから毎日芋作ってたって。あと敵機がきたら日本軍機は戦わずどっかに避難してたって言ってました。
110名無し三等兵:2006/02/08(水) 06:59:20 ID:???
>>105
現実問題として、
人肉食うところまで追い詰められた食うや食わずのへろへろな日本兵が、
元気な現地人殺して食うなんてまず無理な話だそうですよ。

それに、現地の村の人が誰か撃ち殺されたら確実に米軍に連絡が行くし、
そんな事出来なかったらしいです。
111名無し三等兵:2006/02/08(水) 07:02:27 ID:???
>100の食ってる肉や魚は、毎日風呂に入って糞のあとはヲシュレットしてるらしい。
112名無し三等兵:2006/02/08(水) 07:06:48 ID:1tc9SnTd
>>108
・・・・・・。
何故って・・・・・・。
113名無し三等兵:2006/02/08(水) 07:23:45 ID:???
黒豚=黒人兵
白豚=白人兵
なにやら口ごもった豚肉=友軍
現地人=手を出すな、逆襲されて全滅する
114名無し三等兵:2006/02/08(水) 07:32:14 ID:???
>>74
ふと気が付いたけど、最近はトルクレンチなんて近所のホームセンターで1万円程度で売ってるけど、
10年前は特殊な工具屋に行かなきゃなかったんだよな・・・。
つーか、本当に時代が違うよなあ・・・・今はいいよ・・・
115名無し三等兵:2006/02/08(水) 07:43:37 ID:p8FZL74U
108

馬鹿だな
116名無し三等兵:2006/02/08(水) 07:55:27 ID:6sKxebNg
オレの母かたのじいさんは東京帝国大学の生徒で、明治神宮外苑の学徒出陣のとき出陣したらしい。そして父かたのじいさんも早稲田の生徒でそこにいた、後にシベリア抑留。で57年後オレの友人二人のじいさんが同じラーゲリにいたことも発覚。
117名無し三等兵:2006/02/08(水) 08:10:21 ID:D/nC0vjO
>>108
映画やドラマのようには行かないと思うよ・・・現実は・・・
てか、あなたならどうするの?
118名無し三等兵:2006/02/08(水) 08:30:40 ID:???
負けると分かっていても命をかけて戦う時がある、それが大東亜戦争。
119名無し三等兵:2006/02/08(水) 11:09:42 ID:???
>>108
君のその冷酷、無慈悲な言葉はどこから出てくるんだ?

もし、上の言葉にショックを受けるのだったら、言っておこう。

人生経験が君には不足している。 そして、人として「思い遣る心」が
足りない。

まあ色々見聞を広め、物の見方も広げ、心を豊かにしてくれることを期待
する。
120名無し三等兵:2006/02/08(水) 11:30:40 ID:???
>>119
イイ事いうね〜。
てか>>118みたいな鉄砲玉にも
言ってやって!
121名無し三等兵:2006/02/08(水) 15:25:53 ID:???
>119
じゃ頼るべき人の目の前でレイプされ殺された人は、何を思い逝ったんだろね。
ロシア兵の非道さ? こんな戦争を始めた日本への怨み?
おれは何もしてくれない夫への怨念だと思ったから、酷いことを書いたまで。
122名無し三等兵:2006/02/08(水) 15:46:56 ID:???
これはよい燃料
123名無し三等兵:2006/02/08(水) 16:22:24 ID:???
>>108氏は釣りだと思いたい・・・
124名無し三等兵:2006/02/08(水) 17:25:30 ID:???
>>106が釣りだろwwww
125名無し三等兵:2006/02/08(水) 17:57:54 ID:???
>>121
ところで、そのロスケだけどたぶん短機関銃か自動拳銃持って日本人より
相当体格良いと容易に想像できるけど・・・
あなたならどうするの?
126名無し三等兵:2006/02/08(水) 18:51:11 ID:???
武装解除の後 マソドリソで武装した屈強な露兵に恫喝・威嚇され 一寸でも動けば即射殺・・{{{{(+_+)}}}}
127名無し三等兵:2006/02/08(水) 18:57:06 ID:nUoZ1gwU
>>125
>>121じゃ無いけど・・
俺だったら、とにかく許してくれ、止めてくれ、と、
必死に形振り構わずに、ソビエト兵を刺激しない様に頼む。
それでも駄目なら、死なば諸共と、暴れる・・・・・・・
しかし敗戦国民という、負い目も有るし、武装をした
厳ついソビエト兵を前にして、そんな元気の良い事が出来るだろうか?????


終戦後に進駐軍が来る、と言う事になって
売春婦のオネーさん達が「今まで兵隊さんが体を張ったんだから
今度は、私達が体を張る番だ!」と言って進駐軍の兵隊達を
慰めたそうだが、満州でのソビエト兵のレイプ云々も、家族を
守るため、仕方なく・・と云うのも有ったんじゃないか?




128名無し三等兵:2006/02/08(水) 19:34:54 ID:???
地主の長男で陸軍参謀だった。
大本営では連戦連勝で宴会がたびたび開かれて準備を担当した。
南方に派遣されて調査をした。
上官からの命令で部隊を動かしていたら総軍司令部から呼び出されて
命令書無しで部隊を動かすなと言われたが上官が元帥にあって調査のために必要
だったと言って話をつけた。
その上官と船で島を調査に出ることになったが部隊長と上官が喧嘩して大変だった。
師団に派遣されて食量、馬、戦車、砲、弾薬が豊富で絶対勝てると思っていたが
終戦をむかえてがっかりした。
大本営に帰って本土の被害を知り驚いた。

129名無し三等兵:2006/02/08(水) 19:47:46 ID:???
中学生の時地元のおじさんから聞いた話、
そのおじさんのお父さんは満州に住んでいた。
内容はというと
ソ連兵はチームワークを駆使してレイプをしたんだそうだ。
一人が銃を構え、一人が夫などの男を押さえる(抵抗する場合は射殺)
そして一人が楽しむ・・・    

鬼畜め・・・と思ったのを覚えてる。
130名無し三等兵:2006/02/08(水) 20:15:21 ID:???
なんせ煩悩が服着て歩いてる凶暴な囚人兵。相手がワルス。
高級時計などの金品で釣って平身低頭懇願しつつ、涙を流して十字を切り“アリルイヤ”を連呼。
それで駄目なら諦めなしゃーない。
131名無し三等兵:2006/02/08(水) 20:42:40 ID:???
爺様から聞いた話ではなく、ごく最近読んだ本からの引用ですが、
ちょうど流れの話題のソビエト兵の蛮行の話が出ていますのでテキストに打ちました。
難波武氏の自伝『拉古』83頁〜85頁からです。

私達のそばを肩からマンドリンを提げ両手に[日本人]難民の幼児を抱えた大きな
ソ連兵が急ぎ足で収容所の出入口の方ヘ向カつて行つた。「ハテ・・・何だろう」と
真逆[まさか]悪魔のソ連兵が子守りをしているはずはあるまいと思いながら、彼の後ろ姿を
見ている私に、「あれは人攫いですよ」と菅原伍長が言つた。「エッ・・・」私はその
意味がわからず反問した。ソ連兵や現地中国人、朝鮮人による暴行、掠奪、強姦、
虐殺の嵐の中をこの子だけはと吾が子を必死で守つた母親達は、やつと日本人の大
勢居る収容所に入った途端気がゆるみ、馬房の干草の土に倒れ込むとすぐに眠つて
しまう。すると幼な子は力の抜けた母の腕から離れる、それを待ってソ連兵が攫つ
て行くのだそうだ。今、抱かれて行つた二人の幼児もそうだつたのだ。
牡丹江市あたりから人買いが拉古の村に来ていて女の児五OO円、男の児三OO
円で何人でも買っていくそうだ。-中略-日本人の子供は頭がよいので将来が楽しみだとか。
尤も中国でも満洲でも昔から人身売買は日常茶飯事であつた。私は満洲で生まれ育つたの
でこの事はよく知っていた。嫁も妾も金で買えるのだ。男の売買は知らなかつたが、
ここではロスケは男か女かわからぬまま連れていくので、男の児は将来労働力にす
るとかだが、要らないといつて返しに来る事もあるそうだ。笑えぬ話だ。此の子達
を育てて自分の嫁か妾にするか売るか、いずれにしても気の長い事だ。しかし、こ
こで起こっている事は、日本人にとつてはたまらない悲劇だ。「何故防がないのだ」
「防げませんよ。初めの頃、抵抗した母親が射殺されたそうです。廻りの人も見て
見ぬふりをしていますが、心の中で泣いているそうです」
廣大な地域に並ぶ馬房や広場を吾が子の名を呼びながら狂つた様に探し廻る若い
母親が毎日の様にいるそうだ。
132名無し三等兵:2006/02/08(水) 21:05:38 ID:???
気になったんだが、ここに祖父の体験談
書き込む人には非軍ヲタが多いのか?
133名無し三等兵:2006/02/08(水) 22:36:21 ID:???
>132
kwsk!
134名無し三等兵:2006/02/08(水) 23:23:12 ID:???
>>132別に、洩れは左翼ではないよ。
仮想戦記とか太平洋戦争とWWUの書籍読んだりするの好きだし
自衛隊扱いも、単純に軍隊反対みたいなこと言ってる奴には、もっと考えてほしいと思ってるし。
ただソ連兵の満州での非道さとか、連合、枢軸問わず捕虜の虐待とか、そういった
暗部に対しても受け止めていかないといけないだろうが・・・

ちなみにうちの爺さんは共産主義の考えだけには賛同してるよ。
ただ今の共産主義国や党は口先ばっかの馬鹿で大嫌いだそうだけど
135名無し三等兵:2006/02/09(木) 23:04:50 ID:GkfDyI7r
戦争体験というよりは、戦時中の体験ですがじいちゃんに聞いた話しを。
戦時中爺ちゃんが学校に通うとき使っていたバスは木炭車だった。
木炭車は馬力がないので、途中にある急な坂道を、満員の乗客を乗せたまま
登ることができなかった。
なので、バスは、坂道の前に来ると、一旦止まり、車掌が、 車体を軽くするため、
坂の間だけ、バスから降りてもらえないかとお願いしていた。
じいちゃん達は、学生だったし、若かった事もあったので、真っ先に降りたそうだが、
他の客達はなかなか降りない。重ねて車掌にお願いされると、嫌々ながらと言った感じで、
出入り口付近の人が降りたと言う。
そして冬。くだんの坂道にも雪が積り、とうとう、乗客が乗っていると坂道を登れなく
なってしまった。
乗客全員に、坂道の間だけバスから降りてくれるようにお願いする車掌。
なかなか降りない乗客。
坂道の間、車掌(女の人)は後ろからバスを押していた。
じいちゃん達は、バスを押すのを手伝った。
翌日から雪の坂道でなかなか降りない乗客達の為に、バスは大幅に遅れるようになってしまった。
じいちゃん達は坂道の前では真っ先にバスから降り、車掌と一緒にバスを押すのを手伝い続けた。
そんなある日、いつもどおりバスを押していると、車掌がじいちゃんたちに小声で、
「坂の上についたら、急いで乗ってください」と言ってきた。
なんだかわからないが、言われたとおり、急いでバスに乗るじいちゃんたち。
じいちゃん達が乗り終わると、急いで、扉を閉め 「戸締り確認、出発よし!!」
運転士「運行が遅れているため、このまま出発します」 と、そのままバスは走り出した。
バスが出発したのを見て、あわてて駆け出し始める他の乗客。
じいちゃん達は大爆笑

翌日からは、坂道の前にくると、何も言わなくても、全乗客が降りるようになったんだとか。
136名無し三等兵:2006/02/09(木) 23:06:14 ID:???
そんなイタリア映画あったな。
137名無し三等兵:2006/02/09(木) 23:15:11 ID:???
>>135
>車掌(女の人)
>バスを押すのを手伝った
とまで読んで、エロフラグが立ったと思ったのだがw
138名無し三等兵:2006/02/09(木) 23:16:57 ID:???
俺の爺は服がボロボロに破れたからアメリカ兵の死体からパクって着てたと
言ってた、これってヤバイ事じゃないのでしょうか、本人は必死だから仕方
ないけど
139名無し三等兵:2006/02/10(金) 01:08:35 ID:xL7OIRBb
>>131
人身売買は現代でも普通に行われています。
140名無し三等兵:2006/02/10(金) 05:14:34 ID:o1uFPAOb
>>138
ヤヴァイ。敵味方双方から問答無用で撃ち殺されても文句は言えない。
141名無し三等兵:2006/02/10(金) 07:27:47 ID:1EN8pE3R
うちの爺さん、海軍にいて瑞鶴に乗ってたよ。
「陸軍の階級だと曹長や。」って言ってた。
沈む前に降りて、なんか教官やってたみたいだよ。
142名無し三等兵:2006/02/10(金) 07:40:30 ID:???
うちのじいちゃん、潜水艦からカタパルト(?)で飛ばす飛行機の
テストパイロットだったらしい。
143名無し三等兵:2006/02/10(金) 08:36:29 ID:???
俺の小学校時代のサヨ教師の父親は


作 戦 の 神 様 と よ ば れ て い た ら し い 。


144名無し三等兵:2006/02/10(金) 08:38:50 ID:yu5Sipqy
>>138
敵に捕まったら、その場で処刑。
戦時の法律で交戦相手国の軍服着てたら、そうしてもOKとなってたんじゃないかな。
145名無し三等兵:2006/02/10(金) 10:32:20 ID:7vJzyylV
サイパンかどこかで、終戦を知らずに戦っていた部隊の
人たちは、飯も服も靴も銃も全て米軍の装備だったらしい。
米軍の武装解除の時、栄養不良で死に掛けの
日本兵が来ると思い、救急車を用意していたら
全員、丸々と太っていて米兵が驚いたらしい。
146名無し三等兵:2006/02/10(金) 10:45:22 ID:gp0kms/N
>>138>>140
北アフリカじゃお互い鹵獲した物を使うのは当たり前だったし
イギリス軍の服も分捕って使ってる。
国際法上、敵の装備で、成りすますのは違法だが
普通に識別でき戦闘してるのなら問題ないだろう。
147名無し三等兵:2006/02/10(金) 11:04:28 ID:???
148名無し三等兵:2006/02/10(金) 11:18:56 ID:zEefOW2Y
零戦は時速300q以上で空戦が出来なかったらしいよ、 
それ以上だすと舵が重くて、旋回できなかったらしい 
だからF4Fによく落とされたそうだ。(藁 
おまけに629q以上だすと空中分解したそうだ 
20o機関砲は撃つと羽がしなり、当てるのは至難の技だったらしい。
まあ開戦当初は、これを熟練パイロットで補っていたが 
熟練パイロットが不足し、編隊も組めない未熟大量にもでてくると 
もう零戦は旧式ポンコツ飛行機になったとさ(藁
149名無し三等兵:2006/02/10(金) 11:20:11 ID:???
まあ燃料がないからろくに訓練もできないからね
150名無し三等兵:2006/02/10(金) 11:22:30 ID:???
アメリカには優秀なパイロットと飛行機と豊富な資源がありますよ
151名無し三等兵:2006/02/10(金) 11:25:56 ID:zEefOW2Y
日本は・・・・・・・・・・・・・・・
152名無し三等兵:2006/02/10(金) 11:57:10 ID:???
家に
シナ(←まじで変換できない)事変ニ及ケル功ニヨツテ
勲○等○○章及ビ金九拾園ヲ賜フ

とかかかれた紙があった。
漢字は正確じゃないかも。
90円がすごいのかどうかは不明・・・・
153名無し三等兵:2006/02/10(金) 12:41:44 ID:???
帰ってきて話出来るのはええですねぇ。
帰ってきたのは紙切れと石ころだけ。
牟田口氏ね。もう死んでるけどさ。
154名無し三等兵:2006/02/10(金) 14:12:56 ID:???
>>152
当時の「九拾圓」なら結構な額だが、
現金取っ払いではなく昭和30年代までの分割払いの国債(「賜金国庫債券」という)で渡されてて
ロクに支払も受けてないうちに戦後、GHQの指令でチャラにされてるはず。
155名無し三等兵:2006/02/10(金) 23:33:14 ID:???
>>154
なるほど・・・・
156名無し三等兵:2006/02/11(土) 12:51:10 ID:???
親父が子供だった頃、婆ちゃん(俺が生まれる前に死んじゃったけど)が親父に
「えがったなぁ。日本はもう戦争しねえんだど、えがったなぁ。」と嬉しそうに言っていたそうだ。
実家の側に海軍の水上飛行機の練習基地があり、休みの日に遊びに来ていた兵隊さんが
その基地から特攻出撃したりしていたらしいから
もう、戦争で誰も死なないという事がとても嬉しかったんだろうな。
携帯からの乱長文スマン。
157名無し三等兵:2006/02/11(土) 13:45:53 ID:???
>>143
辻正信かな
158名無し三等兵:2006/02/11(土) 13:46:38 ID:???
>>156
超短文だから気にしなくていいよ。
159名無し三等兵:2006/02/11(土) 20:21:08 ID:OdJO6bCG
>>156
「今日我生きてあり」に出てきそうな話だ。
家のばーさまも言ってたなあ「戦争に負けたのは悔しいけど、もう誰も
死ななくていい、ということだけは嬉しかった」って。
九州に住んでたらしいからもしかしたら出撃する特攻機を見送ってたのかも。
160名無し三等兵:2006/02/11(土) 20:43:29 ID:n8gR2paX
そうなのか‥‥
うちのジジィは逆にまだまだやる気満々だがな。何しろ七人兄弟でジジィとジジィの兄貴を除く全員戦死してるから
「兄貴達の仇は取りたかった。せめて一矢報いたかったわ」て言ってた。まあ後二ヵ月終戦が遅かったら確実に特攻してたわけだが
161名無し三等兵:2006/02/11(土) 21:52:20 ID:KK71Q+/B
俺の爺ちゃんは、灯台出て、民間会社就職。徴兵で中国大陸へ。

曰く「鉄砲で打ち合っても、全然相手にあたらん。仲間(将校?)が馬に
乗って相手を切りつけに。すると、逃げて逝った」
「馬の鞍を痔の出血で真っ赤にした奴が、内地に送還。皆でうらやましく
思っていたが、そいつはその後、南洋で玉砕。人生わからん」
162名無し三等兵:2006/02/12(日) 01:14:06 ID:???
ばあちゃんの話なんだけどね、広島にいたんだね、まぁ凄い大当たりなんだけどさ
しかも爆心地から400メートル位、財務省でアルバイトしてたんだって
アレよ、ピカドンのピカとドンが同じタイミングで来る地点
で、周りが凄い火事になって、みんなが助けを来るのを待つって言うので一人で逃げたらしい
残った人は全員死亡、走って、走って、段差を飛んだところで五寸釘かなにかが足を貫通したって
まぁそれでも血だらけで走って走って何とか助かったって
それが原因か何か知らないが、、四人の姉妹の中で誰よりも早く逝った
他の3人は未だに元気なのにね
死んで五年六年経つね、トラウマになってるかどうか分からないけど未だに考える
一緒に八月のラプソディー見てたとき、ばあちゃん何考えてたんだろ
東京にもいて忠犬ハチ公見たって言ってた、体操の先生になりたかったっても
色んな話を聞けずに死んでしまった、一番後悔しているのは何で死ぬのに気が付けなかったのかってこと
分かってた筈なんだけどね、やっぱり中学生だったからかな、死なんて想像出来なかった
多分明日も同じ日だと思ってたんだね、分からなかった
息をするのを苦しがる様になると、もう近いんだね、何にも分かってなかった自分が嫌だな
何もできなくってももっと一緒にいれば良かった、そう思う
周りは死んだと分かった時からすぐに、おばあちゃんは終わった様に振る舞ってた
それがもの凄く腹立たしくてね、死んだからって何が終わったわけでもないだろうって思ったよ
焼き場から出てきたぼろぼろの骨を見たときは呆然となったけどね
それでも、今でも、きっと何かが繋がってると思う、こう、今でも悩んでるしね
何が言いたいか分からない文章でスマソ
163名無し三等兵:2006/02/12(日) 08:19:08 ID:???
俺の爺さんは特攻隊に操縦おしえる立場だったらしいんだが、教えた奴がみんな
死ぬのが嫌になって軍を何とか辞めようと思って、軍刀肩に担いでその先に
弁当ぶら下げて歩いてりゃ「天皇様から戴いた軍刀になにをする!」って言われて
クビになれると思って実行したら少将だか大将だかの車が前から走ってきて
「やった!」と思ったら「おう、○○か、乗ってけ」と言われて軍刀のことは
まったく注意されることもなく終戦まで飛行を教え続けたそうです。
164名無し三等兵:2006/02/12(日) 16:47:37 ID:NDrx6v3M
俺のじいちゃん、玉音放送の前、田岡組長と一緒に、ばくちやってた。
じいちゃん「負けたんか?」
田岡組長「そのようやな。まあええわ、賭場に戻って続けよう。」
という会話をしたそうです。
165名無し三等兵:2006/02/12(日) 17:52:03 ID:???
>>118
If you win or you lose. It's a question of honour
勝っても負けてもそれが誇りというものです。
166名無し三等兵:2006/02/12(日) 18:06:55 ID:???
>>162

  20 :愛と死の名無しさん :2003/08/13(水)20:00
  明日から葬式だよ。ダリぃ


  21 :愛と死の名無しさん :2003/08/13(水)20:03
  >>20
  そうしきなんぞあっという間だよ。
  一番タルイのは骨焼き終わるのを待つ時だよ


  22 :愛と死の名無しさん :2003/08/13(水)20:06
  >>21
  >骨焼き
  焼き終わった後、身罷ったバァちゃんが金歯をしてたのを思い出して融けた金を探してたら、
  「金歯ですか?火力が強いので蒸発しちゃいますよ。」
  と間髪いれず斎場の職員からにこやかにツッ込まれたよ(鬱


  23 :愛と死の名無しさん :2003/8/13(水)20:08
  あ、家の時もあったw
  なんか金のネックレスしてたのにって笑いながらはなしてたよw
167名無し三等兵:2006/02/12(日) 18:15:50 ID:???
>166
斎場で遺灰から金歯を盗む
死体から金歯を盗むというのはナチを待つまでもなく小説や映画にありがちなシーンだが、
それが現代の日本でも行われていた。
愛知県半田市の知多中部広域事務組合が運営する「半田斎場」で、火葬業務を請け負っていた
「知北公益」の社員5人が、遺灰から金歯などを集めて売りさばいていた。
5人は2002年までの約3年間で集めた金歯等を貴金属業者に売却し、約16万円を山分けして
いたという。(Yahoo!ニュース)

168名無し三等兵:2006/02/12(日) 18:44:02 ID:???
<某所のコピペを編集>
Q:火葬場で焼いた後、遺骨は回収されますが、その他の灰はどうやって処理されるのでしょうか?

A:基本的にはできるだけ集めて骨壷に入れる場合が多いようですが、それでも完全には回収
  できないので、残りは専門の回収業者が集めるのだそうです。
  実は火葬の後の灰には、例えば金歯のような貴金属が含まれているので、それを分離、
  回収するためだそうです。たしか、灰キロいくらというように、相場があるという話も
  あります。
  かなり前の話ですが、関東地方の某火葬場で、貯めていた灰が盗まれるという事件が
  ありました。その際の報道では、かなり大量の灰でしたが、時価数十万円と被害額が
  載っていたように思います。
169名無し三等兵:2006/02/12(日) 19:14:41 ID:???
うちの爺ちゃん一応理系の高卒(現在の香川大)で
理系だからと言う事で士官学校にいって
砲兵科になってスマトラ行き。

で当時の話を聞くと「兵隊は豚をどこからか捕まえていたが
自分はまずかったので捕まえたニワトリを食べてた」
「靴を天井に吊しておかないと蠍が入る」だって。
170名無し三等兵:2006/02/12(日) 23:58:54 ID:???
父方の祖父は最後は同じ部隊にいて帰ってこれた方の話によると
ニューギニアでマラリアかなんかで亡くなったらしい骨壷には現地の土が入っている
母方の祖父は10年程前に亡くなったが
弟の学費と家族の生活費を稼ぐため軍人となり陸軍として満州事変に従軍し
その後太平洋戦争では各地の戦場へ行ってたらしい
陸軍の航空隊にも一時期いたのかな確か練習機で訓練してたは確実なんだけど
結局は整備の方にまわったようだ、トラック諸島にいったあと内地へ戻ってきて
終戦の時の階級は曹長だか軍曹だかそれなりに偉かったようです
ちなみに弟は上海の大学に留学したようで、いまだに健在ですが
何の為に祖父が軍人になったかも知らず文句言ってたりしますフザケンナと
とりあえず祖父の日記が戦前から亡くなる前まであるんで、そのうち読んでみようと思ってる
171名無し三等兵:2006/02/13(月) 08:30:54 ID:???
>>166
三国人は自国へ帰れ
172名無し三等兵:2006/02/13(月) 11:31:54 ID:phOqojkL
家の爺様は東北帝大の工学科出て中嶋飛行場?とかいうところで二式大艇なるものを作ってたらしいのだが
これ有名なやつなの?誰か知ってます?
173名無し三等兵:2006/02/13(月) 11:41:42 ID:pNVgOwUT
>>172二式大艇は超有名。1942年に海軍に正式採用された。
当時世界最高最速レベルの飛行艇。
鹿児島県の海上自衛隊鹿屋基地に実物がある。
174名無し三等兵:2006/02/13(月) 13:04:13 ID:U2KJdCVS
>172
中嶋に勤めてたんだ。凄いね
立川に工場があったんだよね
175名無し三等兵:2006/02/13(月) 13:13:07 ID:i16fz8vi
>>166
そりゃ、火葬場の係員に盗まれてるね。
漏れの祖母の場合、指輪が抜けずそのまま火葬。
多少歪みはあったものの原形はとどめていた。
係員の人の話じゃ「火葬の温度は金を溶かすほど高くない」とのこと。
金の融解点はどれくらいの温度か知らないけど、
蒸発するくらいなら「骨」も灰に化してるんじゃないのか?

>>168
火葬場内の掲示板に書かれていたけど
余った灰等は契約しているお寺の供養塔におさめるとのこと。
176名無し三等兵:2006/02/13(月) 13:22:32 ID:UzJ/Q01B
死んだ
それだけ
177名無し三等兵:2006/02/13(月) 13:31:25 ID:???
二式大艇って、2〜3年前までお台場にある海の博物館だか船の博物かだかにあったよね?
引き上げられた不審船の展示見に行ったときに展示してあったよ。もうないみたいだけど。
178名無し三等兵:2006/02/13(月) 13:46:09 ID:???
>>175
金の融点は摂氏1000度以上だったと思う。
特に日本の火葬は骨が残るようにぬるく焼いてるはずだから、金が熔けてまして蒸発するなんてことは有り得ない。

>>177
その二式大艇が173のいう鹿屋にあるやつ。
笹川マンセー館であまりに放置プレイでボロボロになって見るに堪えないので鹿屋に引き取られた。

ところで、二式大艇って中島飛行機じゃなくて川西航空機じゃあるまいか。
179名無し三等兵:2006/02/13(月) 14:08:05 ID:???
空母に主計兵として乗っていたらしい
潜水艦に沈められたけど
雪風?に助けられたらしいです
180名無し三等兵:2006/02/13(月) 15:04:41 ID:???
東南アジアから引き上げるときに現地人を虐待していた日本兵(軍属)は抑留されて
なかなか帰してもらえなかった、と祖母の話にあった。
181名無し三等兵:2006/02/13(月) 15:09:10 ID:???
何時の時代も、どこの国にもそういう奴は居るもんさ。
182名無し三等兵:2006/02/13(月) 16:46:38 ID:jPCz3Ah0
支那事変の頃に中国に行ってたらしい。
ただひたすら歩いて歩いての毎日だったと言ってた。
ごく偶に射ち合いがあったが、夢中で鉄砲を撃っていると怖くなかった。
でも、弾が無くなってしまうとすごく怖かったと言ってた。
183名無し三等兵:2006/02/13(月) 16:54:02 ID:JaBiX5xw
3年ほど前に死んじゃった爺ちゃんが、
一時期、南方のパガン島ってトコにいた事があったらしい。
特に空襲以外の戦闘はしてないみたいな話だったけど、
綺麗なトコだったとのこと
184名無し三等兵:2006/02/13(月) 17:15:31 ID:???
知り合いの爺様の話
台湾で終戦を迎えて引き揚げ船に乗ってたら出航直後になって「この船はシベリアに向かう。乗ってる奴は全員収容所送りらしい」って話が広まってた
海に飛び込んだ人もいたらしい
でもその知り合いの爺様はなるようになれと諦め半分で騒がず座ってたらしい
そしたら普通に長崎に着いたっていう話

あと友達の爺様の知り合いは海軍軍人だったそうな
何でも大和が沈むとこを見たとか

それから俺の父が小さい時に近所の爺様に聞いた話
その爺様、中国で憲兵をやってたらしい
中国人捕虜を一列に並べて三八式歩兵銃が何人の頭を貫通するか実験したことがあるらしい
185名無し三等兵:2006/02/13(月) 17:35:45 ID:5Pr0yDEj
私の祖父は、海軍の士官だったらしい。
終戦末期に館山か立川の航空隊に配属されて、航爆(?)の任務を行う筈だったらしい。
しかし、既に飛べる機体は無く。ただ、焼かれる東京や横浜の街を呆然と眺めていたらしい。
その時の事を話す時、祖父は遠い目をして。「不覚にも綺麗に見えてしまったんだよな」
と、感情が読み取れない顔で私に語ってくれました。
先日、祖父の海軍時代の写真が出てきました。写真には整列した祖父達が写っていました。
祖父は期長だったそうで、その写真を懐かしそうに眺めていました
186少佐:2006/02/13(月) 17:43:17 ID:aYXLV5jM
太平洋戦争の話を聞くと、つくつぐ安全な水、食料、医療、
弾薬、砲弾、対戦車兵器、対空火力、燃料、ジープ、戦車、大砲、
堅い塹壕陣地、重機関銃、自動小銃、短機関銃などのありがたみ
が解る。
187少佐:2006/02/13(月) 17:45:56 ID:aYXLV5jM
あのインパール作戦でも安全な水、食料が十分あり、
せめてRPG−7が十分あれば成功しててもおかしくないからね。
モノはやっぱり大切なんだよ。
188少佐:2006/02/13(月) 17:49:07 ID:aYXLV5jM
戦艦大和でも最新のレーダー、コンピューターが搭載されてて、
イージス艦に付いてるようなバルカン砲の対空火器や対空ミサイル
がびっしり搭載されてたら沖縄まで行けただろうからね。
189名無し三等兵:2006/02/13(月) 18:02:22 ID:XyBY2O6H
あと対潜ヘリもつまないとね
190名無し三等兵 :2006/02/13(月) 18:33:08 ID:???
戦場の話ではないのだが、うちのじいさんの趣味がフェイク品(ようするにバッタもん)
を集めることだった。
戦前昭和初期に京都から東京に働きに行き、そこでなにやら酷い目に会い
(死んでも教えてくれなかった)みぐるみ剥がされた時、帰りの汽車賃を捻出したのが
有名メーカーの時計のバッタもんだったそうだ。
その後、戦前掛け軸だの壷だの宝石だののニセ物を、その原価代程度の二束三文で買い集めた。

時は流れ終戦。
物、特に食い物が無かった時に、じいさんは戦前集めたバッタもん抱え、
主に北陸地方でそいつと米を交換して回った。

なんでも鑑定団の地方大会で北陸あたりでニセものが出たら、それはじいさんの仕業かも。
そんなじいさんも今は鬼籍。
1903年生まれ1999年没
20世紀をスミかたスミに生きた人。
191名無し三等兵:2006/02/13(月) 18:56:45 ID:???
俺の爺ちゃんは陸軍出身。満州で上海か何処かで戦争参加。
どこかの守備隊に所属していたらしい。
ある時中国軍が攻め入ってきたが、碌な武器も満足な人数も
いなかったため、軍用トラックに石油?を積んで敵陸上兵器に
体当たりを仕掛けた。

体には数箇所やけどの跡や、わき腹と膝に銃痕があった。
とにかく開けても暮れても訓練、実戦の繰り返しでホントに
毎日忙しかったとの事。

風呂で軍歌をよく歌ってくれたんだが、何故か海軍の
月月火水木金金だった。
192名無し三等兵:2006/02/13(月) 18:57:55 ID:???
>>191
誤  俺の爺ちゃんは陸軍出身。満州で上海か何処かで戦争参加。

正  俺の爺ちゃんは陸軍出身。満州か上海かのどちらかで戦争参加。
193名無し三等兵:2006/02/13(月) 20:22:45 ID:???

・俺の父方の祖父
東大を出、25歳で海軍中尉だったらしい。
長崎の大村工廠で零観の生産ラインの監督してた。当時の映像に数秒程映ってた。
終戦まで内地だった上に、大村空襲もその前に転勤になった為見事回避。
82歳で自宅の庭で心臓発作により死去。

・母方の祖父
当時小学生。疎開で箱根。祖父曰く横浜のY駅近くの自宅横の斜面には米軍の不発弾が埋まったままだとか。
(1d爆弾とか言ってるが500ポンドじゃないのか?)
それが本当ならかなりヤバいぞwww
現在も元気。

・母方の叔父
富士の演習所で演習を受けたとか。(当時学生)
体が大きかったので重機関銃をやらされたらしいが、部品を演習場で無くし大目玉。
みんなで必死に探したらしい。38式銃について教えてくれたのも叔父。現在も元気。

・母方の親戚
予科練で特攻要員。盲腸で入院中終戦を迎えた。戦後神主に。現在も元気。

194名無し三等兵:2006/02/13(月) 21:43:36 ID:/bAcTR8h
戦後60年記念作品 東映「男たちの大和/YAMATO」 心臓発作23回目
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1138757753/
195名無し三等兵:2006/02/13(月) 22:19:29 ID:BtXuihwE
日清戦争で輜重部隊にいた祖父。一度も戦闘に関わった事はなかったそうだ。
しかしマラリアに感染し、除隊後帰国してもしばしばぶり返して発熱し祖母や
母、兄弟総出で暴れる祖父を押さえつけたそうだ。中国でマラリアに感染するのだろうか?
また、潜伏するだけで治癒することはなく再発するものなのか?
6、7人がかりで押さえつけなければならないほど高熱で狂ってしまうものなのか?
祖父はあまり戦争のことは話してくれなかったがタミヤのウォーターラインシリーズ
全艦を集めようとしていた俺によく小遣いをくれた。
196名無し三等兵:2006/02/13(月) 22:28:21 ID:???
 
197名無し三等兵:2006/02/13(月) 22:34:32 ID:???
チハに乗っていた?らしいが米戦車に一発でやられたと言っていた 
しかし生き残り捕虜にちなみに昭和55年永眠 
198名無し三等兵:2006/02/13(月) 23:21:42 ID:???
俺の婆さんの兄貴は、酔うといつも戦争の話をしていた。
なんでも、満州の関東軍にいたんだが、ソ連の参戦で後退。
そして部隊は壊滅、そのまま終戦を迎えた。生き残りの仲間がソ連軍に捕まると
死体運搬列車の中に潜んで港を目指した。途中、ソ連兵に見つかりそうになり、怖かったそうだ。
そして、海岸沿いを歩き、港で運よく復員船を見つけ、帰ってきた。
日本に帰ってきてからは明治大学を卒業後、会社を設立した。
「社会はサバイバルだから遠慮は要らない」がモットーで、銀行職員にATMの使い方が分からんと
怒鳴りつけたこともあった。そんな人だったが優しくていい人だった。
平成15年他界
199名無し三等兵:2006/02/14(火) 08:35:26 ID:???
祖父が東大ってのはやたら多いが、その子孫の君たちはやっぱり頭いいのかな?
200名無し三等兵:2006/02/14(火) 09:26:16 ID:5ZWdLt24
腎臓病で徴兵は免れたが、軍需工場へ動員された。
工場で食事が出たので、配給食料が少ない時代
一人分の食い扶持が浮いて家族みんなが助かったとか。
201名無し三等兵:2006/02/14(火) 11:29:45 ID:???
>>>199
脳内東大にきまっているだろう
大半はその辺の労働者の子孫
202名無し三等兵:2006/02/14(火) 11:50:14 ID:???
戦時中なら大学行く事自体が凄いんと思うが。
203名無し三等兵:2006/02/14(火) 11:55:30 ID:1LSHD6pS
へえ…二式大艇というのは凄い機なんだ。ちょっと嬉しいかも
爺さんは8年前に逝ったが、まだ爺さんの部屋の中には書棚に古〜い物理っぽい書物
などが沢山入っている。
死ぬ数年前まで普通に英語だけじゃなくてドイツ語でも本読んでたから頭良かったのかもなぁ
親父が受験で使った物理の問題集をいそいそと部屋に運び込んで嬉しそうに解いてたらしいから
物理が好きで、エンジニアというのは天職だったのかも知れん
それに比べて俺は情けないもんだ…
204172:2006/02/14(火) 11:56:31 ID:1LSHD6pS
↑は172です
205名無し三等兵:2006/02/14(火) 11:58:16 ID:???
うちのばあちゃんが十代の頃、畑で働いていたら
「ぐらまん戦闘機」とやらが機関銃で撃ってきたので
逃げたって言ってた。

たぶんヘル猫かなぁ?と思うが
婆ちゃんは「いや、ぐらまん戦闘機だ」と一点張りで
なにかはわからずじまい。
206名無し三等兵:2006/02/14(火) 12:04:53 ID:???
追記。婆ちゃんいわく
「敵さんの戦闘機は不細工」
と当時の子供は思ってたらしい。
207名無し三等兵:2006/02/14(火) 12:14:59 ID:6XEiPenN
>>199
>>193だが父方の祖父が東大だったのはホント。
母方の祖父は東大受けて落ちたらすぃ。

ちなみに俺の親父は大学じゃなくて海上保安学校→海上保安庁へ。
祖父も親父も頭いいが俺は全く自信無い。

親とか親戚がめちゃくちゃ頭良いと『同じ血が流れてるのに』って言われて辛いよ。

そうさ俺は二流大学さ
208名無し三等兵:2006/02/14(火) 12:34:52 ID:???
空襲警報が出ると、裏山へ登って街へ飛んで行くB29を 数えていたと。
209名無し三等兵:2006/02/14(火) 13:40:35 ID:???
>>205
戦時中の一般人なら飛んできた単発機なら何でも「グラマン戦闘機」だよ。
実際にはコルセアかもしれないし陸軍機かもしれない。
210名無し三等兵:2006/02/14(火) 13:56:00 ID:???
>>209
実際そうだと思うよ
うちの婆ちゃんも
「戦争中はこの辺は田舎だからB‐29は飛んでこなかったけどグラマンが飛んできてた」
って言ってたけど機体の特徴を詳しく聞いてみたら
「プロペラが二つ付いた二つ胴体の飛行機だった」
って言ってたからな
211名無し三等兵:2006/02/14(火) 14:56:27 ID:???
俺の爺さんは東大とか由緒ある人という人はいても、
俺の爺さんは下男だったとか、くず鉄広いのその辺のおっさんだったと言う人が
いないのはなんでー?
212205:2006/02/14(火) 15:01:26 ID:???
>>209
>>210

トンクス
今度田舎に帰ったらさり気なく聞いてみる
213いなかっぺ大将:2006/02/14(火) 15:50:34 ID:LDYHtBjT
>>211
オイラの身内はみーんなど田舎のどん百姓だーい!
214名無し三等兵:2006/02/14(火) 19:13:32 ID:???
>>207
俺の祖父・親父は東大。


俺は高校でクラス最下位w
215名無し三等兵:2006/02/14(火) 20:14:54 ID:4mE40SEd
じいちゃんではなく婆ちゃんだが
米騒動の時、警察官と格闘して捕まった。
当時の新聞の見出しに「怪力女学生、米屋で大暴れ!!」と書かれたらしい。
米俵を投げつけたそうです。
216名無し三等兵:2006/02/14(火) 20:30:50 ID:???
なんかガッツな婆ちゃんだな
217名無し三等兵:2006/02/14(火) 20:50:01 ID:???
当時は若かったのだよ。多分。
218名無し三等兵:2006/02/14(火) 21:44:25 ID:MlHga/0c
俺のじいちゃんは予科練にいたらしい。

戦闘機で出撃するはずが、終戦間際で不足していた為、じいちゃんの番まで回らなかったという。
219名無し三等兵:2006/02/14(火) 21:47:08 ID:Whmw8GPC
20年近く前に入院した時、同部屋だった爺さん。赤城に乗ってたそうだ。凄え〜と思って話聞いてたら艦載機の整備兵だとか。
搭乗員でない事にガックリきた俺は思わず「ショボいなあ」と言ってしまった。
マジで怒られたよ。「整備兵は整備兵として誇りを持ってるんだよ。ワシらがしっかり整備してるから搭乗員はみな安心して飛ぶ事が出来るんだよ!」
怒られたからじゃない。感動で目がうるうる来たよ。あの頃すでに高齢だったからもう逝っちゃってるかもしれないけど誇れる何かを持ってる人は年令に関係なく格好良いと思った。
220名無し三等兵:2006/02/14(火) 22:10:21 ID:???
>>210
その戦闘機って、ロッキードP38ライトニングじゃねぇ?
でも、なんで、ライトニングが空襲に来るの?
221名無し三等兵:2006/02/14(火) 22:14:54 ID:???
>>220
ノースロップP-61は?
222名無し三等兵:2006/02/14(火) 22:16:10 ID:???
会社の後輩が「祖父は戦時中、中島飛行機でテストパイロット?の様な事をしてたらしい」と言っていた。
ので、米軍のMREレーションを後輩に託し、祖父に「アメリカ軍の食糧だよ」と言って食べてもらった。
祖父曰く、「ワシらもこんな旨いもん食ってればアメリカなんぞに負けなかったわい!」と言っていたそうな。スレ違いかな…
223戦湯:2006/02/14(火) 22:21:20 ID:???
>>210 >>220-221
戦後の昭和20-30年代の日本上空を、双胴の輸送機がよく飛んでいた。
たぶん、それと混同してしまったのではと。
224名無し三等兵:2006/02/14(火) 22:35:57 ID:???
>>220
P-38、普通に日本本土空襲してますけど。
(強襲偵察の行き掛けの駄賃程度だが←>>210さんのお祖母さんの目撃状況に合うのではないでしょうか)
225名無し三等兵:2006/02/14(火) 23:08:03 ID:???
うちのじいちゃんは中国戦線だった。
俺が厨房の頃に戦争の話を聞いたときには、戦場の勇ましい話などを
教えてくれた。
木にもたれて小休止してたら、隣に座っていた仲のよい戦友が
狙撃兵に撃ち殺された話は、当時は怖かった。
工房になった頃には、色々別の話もしてくれた。
小説家の松本清張氏が同じ部隊だったのだが、
「いわゆる変人だった。風呂嫌いでいつもシラミが湧いていて
当時は皆から気味悪がれていたらしい。
でも、じいちゃんの死ぬまで毎年年賀状を下さっていたよ。
当時の戦地の写真も色々見せてくれた。
「行軍中、近くの村に立ち寄ったら村長を先頭に村人総出で
出迎えてくれてな。野菜を買い込んだんだが、代金にはない鶏を数羽
オマケで付けてくれたんだ。嬉しかったので、お返しに村に井戸を
掘ってあげたらとても喜ばれたよ。」
写真には日本兵と村人が井戸を囲んで楽しそうに写ってる写真、
「もっと買っとくれよ」みたいな感じで日本兵に野菜を売りつけようとする
オバチャンの写真とかもあった。
俺が厨房の頃は「三光作戦」とかの捏造を教えられてそのまま信じ込んでいたので、
日本兵と現地人(中国人)が仲良く写真に写っているのはマジで「?」だった。
俺に色々教えてくれてたじいちゃんだったが、繰り返し口にしていたことがある。
それは「兵舎の中にも敵はいる」「戦場では後ろからも弾は飛んでくる」だった。
兵舎の中で備品や私物の盗難は後を絶たなかった。もちろん喧嘩もあった。
そして気に入らない奴がいると、戦場のドサクサに紛れて射殺してしまうことも
やはりあったということらしい。
226名無し三等兵:2006/02/16(木) 00:45:14 ID:SKV8ti90
硫黄島玉砕の本で、日本兵の死因として戦死・病死・自殺以外に、
その他10%とか紹介されていた。その他とは、後ろ弾…
227名無し三等兵:2006/02/16(木) 01:06:49 ID:znrhP3sP
消防の頃、じいちゃんに聞いた時は大陸で兵隊さんの食事を作ってた
って聞いたけど、実際は特攻隊に入ってたらしい・・・・。
出撃する前に終戦迎えて無事だったけど。
理由は家が貧しくて食扶ちの負担になりたくなかったらしい。
帰ってきたら『何で帰ってきた?』って冷たく養父に言われたそうだ。
理由はじいちゃんは親を早くに亡くして親戚の家で面倒見てもらってて
あまり良く思われてなかったみたい。
葬式でじいちゃんの兄弟が話してるの聞いてガキだった俺は複雑な気持ち
だったのを覚えてる。
スレとはあまり関係無いけど、急に思い出して・・・・スマン
228名無し三等兵:2006/02/16(木) 01:26:57 ID:???
良スレだから、過去スレ読みたいんだけど、ログとか置いてあるところってないんですか?
229名無し三等兵:2006/02/16(木) 02:51:27 ID:rdRi1G3K
従軍慰安婦との思い出を毎回聞かされるぞ
230少佐:2006/02/16(木) 02:57:02 ID:PQuDZFe2
せめて自動小銃、銃弾、手榴弾などは豊富に欲しかったな。
231名無し三等兵:2006/02/16(木) 04:14:41 ID:ZfBnQJtv
>>硫黄島玉砕の本で、日本兵の死因として戦死・病死・自殺以外に、
>>その他10%とか紹介されていた。その他とは、後ろ弾…
もちろん純粋(?)な誤射、誤爆による同士撃ちも多かったとは思いますが、
戦争の悲しい一面ですね。
鉄の軍規の帝国陸軍に故意の同士撃ちがあったとは信じたくはないですが。
232名無し三等兵:2006/02/16(木) 04:24:42 ID:ZfBnQJtv
祖父と祖父の弟は(両方とも故人)は最期まで仲が悪かった。
性格の違いなど色々理由はあるのだが、祖父の弟が特攻隊員だった頃、
何度も「機の不調」で帰還してくるのが、糞真面目な祖父には
気にいらなかったらしい。(ちなみに祖父は陸軍)
「あいつは絶対、不調と嘘を言っておめおめ生きて帰ってきていたはずだ。
恥ずかしくないのか」と孫の俺にまでよく毒づいていたなあw
233名無し三等兵:2006/02/16(木) 04:26:48 ID:???
>231
新兵だって人間って事。
終戦時いじめぬいた嫌な軍曹を分隊みんなで殺した人の話を聞いた事あるよ
サンパチのサクジョウを紛失した新兵を折檻し続け、その新兵さんは首を吊ったそうだ
これの他酷かったらしい、殺されて当然な上官だそうな。
234少佐:2006/02/16(木) 04:40:11 ID:PQuDZFe2
日本軍だけがイジメ地獄だったのではなく、当時は日本社会全体
が暴力的なイジメ地獄だったのではないか?
235名無し三等兵:2006/02/16(木) 04:40:49 ID:???
>>234
今もだろww
236名無し三等兵:2006/02/16(木) 04:48:32 ID:ZfBnQJtv
いじめのない軍隊や組織なんて、聞いたことが無い。
この世からいじめがなくならないのは、この世から戦争がなくならないのと
同じじゃないのか。
まさか「陽気なヤンキーの集まり」アメリカ、米軍はいじめが無いだろう、なんて考えてる
アホはいないとは思うが。
237名無し三等兵:2006/02/16(木) 04:51:19 ID:???
新兵なんて人間扱いされてなかったからな。
内務班じゃまさに古兵の奴隷。
後ろ弾も当然だろう。
硫黄島のその他10%がそうなのかは知らないが。
238名無し三等兵:2006/02/16(木) 04:55:28 ID:???
>>236
日本軍では特に酷かったってこと。
毎年中隊で数人の自殺者が出るのは当たり前だし、
暴力で身体障害を負い除隊するものまでいた。
米軍では腕立て等のしごきレベルだったのに対し、
日本軍では棒で背骨を叩きつけるなど、直接的な暴力も行われていた。
239名無し三等兵:2006/02/16(木) 05:08:27 ID:ZfBnQJtv
>>238
じいちゃん達は大変だったんですね。。。
許容範囲内のしごきならともかく、こんな暴力が蔓延してたんだったら
敵と戦う前に既に敗北の第一歩ですね。
戦局悪化に伴って、暴力もますます酷くなっていたのかなあ。。。
240名無し三等兵:2006/02/16(木) 05:35:26 ID:???
僕のおじいさんは海軍元帥
東郷って言うんだけど^−^v
241名無し三等兵:2006/02/16(木) 10:03:25 ID:SKV8ti90
>>240
つまり、グレート東郷!! 海外では悪役、日本のリングでは良役…
242名無し三等兵:2006/02/16(木) 10:07:05 ID:???
       ◆◆,,,,_    /⌒;
       /*' 3 `*ヽーっ   /<ワンワン,ツウツウ,スリィスリィ,フォウフォウ
    ⊂二  。 ゚  ⌒_つ/     ガンガン ズンズン グイグイ 上昇
       `、   ⌒_つ /
        `'ー-‐'''''"  /
            /_/

            ///




.         _____
.         `ヽ  ,」_ァ'"´ 
.      f'て}. ̄ rY   ト、  __ 
.     | r个 √`>‐.k } f゙)ヾ> 
      }l r ''"`ァ'゙  ,ノ、ム'^'ァ'゙
     人.ヒ,ィ゙ ァ弌__,,>'´゙ヽ
     い,  `'<,   ,r'^  ,ノ
.   }⌒'‐\ ,、    ゙'くョr.''"´
    い弌-、  \   }. ゝ-、
.    `'ー'  ゙'ー‐--‐'⌒''''''゙
243名無し三等兵:2006/02/16(木) 12:50:28 ID:MKlczHpR
俺の大叔父は日本軍の軍曹で情報機関に勤務してたらしい。よく下士官で情報機関に勤務できたものだ
と思う。殆ど上海にいたらしく向こうの便依隊何人か後ろから拳銃で射殺してるらしい。
中国服きた大叔父の写真がまだ残ってるらしい。最初の出征は普通の歩兵小隊の一分隊長だったらしく、
満州で機関銃バリバリ撃ちまくってたらしい。2回目の出征で情報機関の仕事で上海で便衣隊狩り。
244名無し三等兵:2006/02/16(木) 13:22:05 ID:???
『この国で戦争があった』71頁から松本清張の軍隊体験を引用します。
彼は、朝日新聞に勤めていたところを徴兵されました。共産党シンパですが、こんなことを書いています。
-引用-
ところが、この兵隊生活は私に思わぬことを発見させた。「ここにくれば、社会的な地位も、貧富も、年齢の差も
全く帳消しである。みんなが同じレベルだ」と言う通り、新兵の平等が奇妙な生甲斐を私に持たせた。朝日新聞社
では、どうもがいても、その差別的な待遇からは脱けきれなかった。歯車のネジという譬はあるが、私の場合はそ
のネジにすら価しなかつたのである。ところが、兵隊生活だと、仕事に精を出したり、勉強したり、又は班長や古い
兵隊の機嫌をとったりすることでともかく個人的顕示が可能なのである。新聞社では絶対に私の存在は認められ
ないが、ここではとにかく個の働きが成績に出るのである。
私が兵隊生活に奇妙な新鮮さを覚えたのは、職場には無い「人間存在」を見出したからだつた。
兵営生活は人間抹殺であり、無の価値化だという人が多い。だが、私のような場合、逆な実感を持ったのだ。
三カ月の期間といい、その後三カ月してすぐに召集が来て復員するまでの二年間といい、私は自分がそれほど
怠けた兵隊ではなかつたと考えている。これはなにも軍人精神に撒していたからではなく、それまでの「職場生活」
への反動だつたと言える。
245名無し三等兵:2006/02/16(木) 13:47:14 ID:???
>>244知ってるつもりで前に言っていたな、その話
246名無し三等兵:2006/02/16(木) 15:50:36 ID:???
皆平等に価値が無い!!
247名無し三等兵:2006/02/16(木) 16:41:57 ID:???
>>238
それはとんでもない誤り。
むしろ日本軍は陰湿ないじめがなく、面倒見の良い軍隊だった。
「拝啓 天皇陛下様」にみられるように、文盲の兵には手取り足取り読み書き
を教え(この話は作者棟田博の実体験)たり、週番将校は、深夜の巡回の際、
悪い寝相の布団まで直してやる。

日本軍には営内靴でのビンタ、なめくじ、自転車、蝉、勿論色んな制裁があったが、
どこの国の軍隊だろうと、それは同じ。
例えば米軍には「馬」というのがある。
靴の磨き方が悪いと、その靴の紐を銜えさせて四つん這いにし、古兵が跨って
ケツを引っ叩くんだ。で、ハイドウハイドウとやる訳だ。
「ヒヒーン」って啼けって言われて啼くと、銜えてた靴が落ちる。
すると又銜え直させて、ハイドウハイドウと成る。

どんな組織でも、個々人によって水の合う合わないがある。
俺の前居た会社は、上場の金融系会社だったが、ノルマが出来ないと体罰があった。
独身は全員寮住まいを強制されるし、逃げ場がない。
自殺者もノイローゼも毎年出る。
だが、俺にとっては別段苦痛じゃなかった。
俺がタフだったからじゃなく、単に水が合ったんだ。
248名無し三等兵:2006/02/16(木) 16:44:24 ID:???
>>247
誤りって・・・。ネタ元は従軍経験者の手記だぞ。
249名無し三等兵:2006/02/16(木) 17:02:49 ID:???
人間は自分が見たい思うものしか見ないっていうカエサルの言葉は本当だな
250名無し三等兵:2006/02/16(木) 19:06:48 ID:kpjyjHXz
ばあちゃんの話。生まれは茨城県霞ヶ浦畔。
若い頃ツェッペリン飛行艇が飛んできたそうな。
グオングオン凄い音がしてたとのこと。
見学で軍艦にも乗った事があるが、
そのときの印象は「黒い鉄の塊」。
昭和17年、親戚に会いに横須賀に行ったとき
突然アメリカの爆撃機が空襲してきた。
ドゥーリットル隊による本土初空襲に遭遇したらしい。
その後結婚して東京に。
東京大空襲では布団をかぶって雑司が谷を逃げ回り、
九死に一生を得る。
「B29は胴体がキラキラしてて綺麗だった」とか、
「焼夷弾はフワーと花火みたいに広がるんだ」とか、
「B29がくると日本の戦闘機が上がっていくんだけど、
高いところ飛んでるからB29までとどかないんだ」と言っていた。
戦中、実家に帰ると米軍艦載機と霞ヶ浦航空隊が頭上で空中戦。
日本機が米機を落とすと村中大騒ぎ。
墜落地点まで船出して見に行ったら落ちたの日本機だった等々。
色々話してくれたよ。
251名無し三等兵:2006/02/16(木) 20:00:58 ID:???
戦争の時代を過ごした皆さんは、男女を問わずご苦労されたのですね。
かけがえのない青春時代の思い出が、生死をかけた情景の中に映し出されるのはとくに悲しい。
平和な時代を大切にしなければ。
252名無し三等兵:2006/02/16(木) 20:10:04 ID:???
>>251
わざわざageてそんなこと言うよりネタを投稿しなさい
253名無し三等兵:2006/02/16(木) 21:36:27 ID:???
亡くなった祖父の話なんだが
従軍中に有名な西大佐にサインをもらったそうだ
仲間と輪になって話をしていたら西大佐が近くを通ったのを
誰かが発見して大騒ぎし
みんなでサインをお願いしたそうだ
西大佐は嫌な顔一つしないでサインをしてくれて
気さくに軽い冗談も言ってくれたそうだ
祖父は、ハイカラ?で紳士な人だな〜
同じ軍人でも自分らの上官とは全然違うな〜と思ったそうだ
サインは肌身離さず持っていたそうだが
乗っていた船を沈められた時に紛失してしまったそうだ
その時負傷して入院中に西大佐の訃報を聞いて泣いたと言ってた
駄文でm(_)m
254名無し三等兵:2006/02/16(木) 21:46:31 ID:+mWeymwp
父方の叔父さんの話し
住んでいたのは茨城県の土浦市
焼夷弾による無差別空襲はなかったけど、霞ヶ浦航空隊を狙っての攻撃が多かったとか。
行きがけの駄賃に市街地を機銃掃射してきたらしい。
銀色の戦闘機や黒い戦闘機だったとか。
で、空中戦も良く見たらしい。キラキラ光って見えたとか。
ヤラレ方で日本軍機か、米軍機か判ったらしい。
グワーッと黒煙を吹きながら堕ちて行くのが米軍機。
パパァッとはじけるように火を散らしていくのが日本軍機だったと。
255名無し三等兵:2006/02/16(木) 21:47:26 ID:+mWeymwp
>>250を見ても思ったけど、霞ヶ浦航空隊って頑張ってたんだな。
256名無し三等兵:2006/02/16(木) 22:00:37 ID:jYImDEkS
私の祖父は中国に行っていたらしい
階級は上等兵で牽引車の運転手だったとかなんとか
こういう一平卒もいないと戦争はできないよね

一時療養中(入院?よくわかんねぇけど)に自分の部隊は全滅したとか言ってたけど
257名無し三等兵:2006/02/16(木) 22:10:14 ID:???
まあ、リアルで母方が古賀GFの親族らしいんだが‥‥‥‥それらしい話も何も無い
258名無し三等兵:2006/02/16(木) 22:41:25 ID:???
シベリア抑留時代というか、ソ連参戦後の話は何も言わなかったな
俺が聞くと、何とか孫に話してやろうとするが、みるみるうちに涙が溢れ、
「また今度にしてくれ」
と、自分の部屋に鍵をかけてしまうのが常だった

満州時代は、給食のカレーを仲間と平らげて小隊全員に吊るし上げ食らったり、
阿片入りタバコだよと騙されて雑草タバコを吸って目を回したり、
怪しげな共和語を話すポン引きについていったら、どう見てもバーさんだったりと、
それなりに面白い話が聞けたんだけど
259名無し三等兵:2006/02/16(木) 22:57:08 ID:???
>>253
オリンピック選手だからね、「サイン頂戴!」には慣れてるよ。
それに、華族出身だけど元々すごく気さくな人だったらしいし。
260名無し三等兵:2006/02/16(木) 23:19:55 ID:???
俺の親戚の話なんだが
2・26事件の時、叛乱軍側で参加。あの有名なチラシを貰って原隊にもどった。
そのあと大東亜戦争のとき中国大陸で負傷。内地に送還され、天竜川のほとりにあった
陸軍の療養所にいた。そのときうちの婆さんが見舞いに行ったそうだが、容姿端麗で
軍服も良く似合っていたらしい。
書を嗜み、当時としては高価な筆、硯をなけなしの金で買い、療養中、ただ黙々と
書を著し続けた。しかし病状が悪化し、亡くなった。
そしてそのとき使っていた硯は今、俺が使っている。
腕も精神もその少尉に負けないように俺は習字教室に通いがんばっている
261名無し三等兵:2006/02/16(木) 23:36:57 ID:MKlczHpR
終戦直後の話俺の親父と俺の祖父の一番と年下のいとこが家にあるぼろ手ぬぐいに
英文でアドミラル トーゴーと書いて市内で進駐軍のアメリカ兵に5ドルでうって
きたそうだ
その時の5ドルっていまの日本円でいくらぐらいだろうか?
262名無し三等兵:2006/02/16(木) 23:54:37 ID:???
>>261
45年だと「50セントもあれば十分なランチが食べられる」くらい。
大雑把にみて、普通の昼飯代の10倍とみれば今の一万円いくかいかないかだろう。

263名無し三等兵:2006/02/17(金) 00:26:22 ID:???
母方の祖父は戦時中、飛行機の設計をやってた。
一度空襲されて、富士山のそばの秘密基地みたいな所に移って、ここならバレないだろうと思ってたら、そこも空襲された。

その時、日本の敗戦を確信したそうだ。

戦後、世の中の為にと除雪車を開発した。

特許を取ってたので多分世界初だったと思う。

もう死んでから十年以上たつかな?

今でも除雪車を見るとおじいちゃんを思い出します。
264名無し三等兵:2006/02/17(金) 06:25:24 ID:???
漏れの死んだじいさんは陸軍だったそうな。
どこかの戦地で銃弾が背中から胸に貫通したが、ウジ湧きながらも生きていたそうな。
小さい頃、傷跡を見せてもらったことがあったが、背中がボコッっとへこんでいた。
結局病院で治療し、再度戦地に船で行くことになったそうだが、そのときは痔が悪化して
船に乗せてもらえずにまた病院に戻されたと言っていた。
その船は見事に撃沈され、全滅だったそうな。

でもじいさん、戦争の話は嫌いだった。
中国で戦ったときに、日本軍はえげつないことをしていたと、そんな話をしてくれた記憶がある。
265名無し三等兵:2006/02/17(金) 13:52:33 ID:EfArAbSG
うちの遠い親戚に海軍大尉がおり フィリッピンでアメリカ軍からかっぱらった
レーダーをくみたてて千葉県の銚子で動かしてたらしい。欠損してた真空管は
日本で作って操作してみたらしく、その話をきいてた親父は「やはり我々日本人
は起用だ」と感心してた。ただ真空管だらけの中にいるわけだからすんげー暑かった
らしい。ただ 海軍も特殊技術を研究使用ということで配給は良かったらしい。
鶏肉なんか結構配給されたらしい。
266名無し三等兵:2006/02/17(金) 17:43:52 ID:???
>>265
それよぉ日本製の真空管に交換したら出力や性能が桁違いに落ちて
レーダー恐るるるに足らずとかになんなかったか?
報告書を上げようとしたら上官に止められたとかさ。
267名無し三等兵:2006/02/17(金) 19:17:15 ID:???
軍隊での暴力について。

日本軍でだけ暴力が酷かったわけじゃないのは同意。
それに、別のスレだと「後ろから弾が飛んでくる場合もあるから
理不尽な虐めとかは前線では滅多にやらない」という証言もあるそうで。
あと、先任軍曹は比較的殴らないが、士官はやたら精神論を述べながら
殴るとか、殴るしか能のない奴が後方に送られて教官になるとか
(そこら辺は現代でもある程度同じらしい)

少なくとも、自分の祖父さんや聞いた従軍した人やらの個人の証言だけで
全軍がそうであったかのような発言は止めていただきたい。


シベリア抑留者の俺の祖父さんの場合、
殴られることは殴られた。 が、その上官は
何で殴るかの理由も言って聞かせて叱ったし、
理不尽に暴力振るったりすることはなかったそうだ。

が、別の上官は露骨に部下を虐めたりもしたらしい。
268名無し三等兵:2006/02/17(金) 19:33:10 ID:???
シベリア抑留について。

前に書き込んだときにレス貰った人や>>258
のように俺の祖父さんも結構辛い目にはあったと思う。
最近は言わないだけで、もっと昔は辛い事があった
話も希にしていた。

祖父さんはソ連軍の士官たちに助けてもらって
帰ってこれた運のいい人で、要領よく立ち回ったのは
確かだけれども、「生きようと思ったから生きられた」
「軍隊に入ったときからなにくそ、と思って頑張ってきた」
とも言っている。

辛かった事を今は話さないのは意識的に避けてるんだと思う。
なるべく楽しかった事や嬉しかったこと、
助けてもらった感謝の気持ちとかを思い出すようにして、
そうやって前向きに生きてる。

祖父さんは仲間が戦死したくだりや38式じゃあ戦争にならない
という時は、皮肉げに笑い飛ばしてはいるけど
悲しいとか悔しいとか普段絶対言わない人だけに、
胸のうちではもっと言いたい事も沢山あるんだろうな、と思って話を聞いてる。
269名無し三等兵:2006/02/17(金) 20:48:05 ID:???
旧軍擁護厨乙
270名無し三等兵:2006/02/18(土) 02:34:39 ID:FssbA2ZO
祖父は暗殺されかけたらしい
271名無し三等兵:2006/02/18(土) 07:36:55 ID:T/8iIl3F
このスレいいですね。話に加わらせて下さい。
ボクの爺ちゃんは関東軍で戦車に乗っていた。
それが「チハたん」なのかどうかは不明。
ボクが子供の頃、戦争映画が好きなのを見て
「こんなもんウソッパチだ。ドーンと言う音より先に
ピカッと光が見える」と言っていた。

少佐だったか、中佐だったらしい。終戦前、
1944年の段階で内地に転属になった。
そんなわけで、今の自分がいるわけです。
272名無し三等兵:2006/02/18(土) 07:40:03 ID:T/8iIl3F
で、自分の母親は昭和11年に生まれ
少女時代を満州で過ごしました。
当時、満州はとても先進的な場所だったようで
「家の近所に5階建てのデパートがあり
そこには、エレベーターがあった」
と言っています。大連だそうです。

今でもよく話すのが「大連は本当にいい所だった
週に一度は中華料理屋でコースを食べた。
その中華料理屋で、水道の蛇口をひねったら
牛乳が出てきておどろいた」ということです。
273名無し三等兵:2006/02/18(土) 07:43:31 ID:T/8iIl3F
(上の続き)
で、自分の父親は昭和5年生まれ。
それこそ、ちょっと年上の人たちが
どんどんなくなっていくのを見たせいか
戦争については、本当に語りたがりません。

が、たまに話すのは、空中戦を見たときのこと。
「アメリカの飛行機が墜ちたぞー」という話になり
墜落地点がが近所だったから、仲間みんなで
走って見に行ったそうな。そしたら、落ちていた飛行機に
まごうことなき日の丸がついていて
全員無言だった、とのこと。
274名無し三等兵:2006/02/18(土) 07:45:31 ID:T/8iIl3F
(しつこく続き)
そんなわけで、連貼り、大変失礼しました。
今は、おじいちゃんもおばあちゃんも
他界してしまったので、なぜもっと話を
聞いておかなかったのか、と後悔しています。

ところで、詳しい方、教えて厨で申し訳ないのですが
豊橋の連隊で、関東軍で、戦車隊というと
どのあたりで、どんな戦闘を経験し、
どんな機材に乗っていたのでしょうか?
もし、お詳しい方がいれば、ぜひお教え下さい・・・。
275名無し三等兵:2006/02/18(土) 08:45:04 ID:???
うちのじーちゃんは海軍の輸送船で機関長をしていたそうな。(階級は曹長だったと聞いた記憶がある)

アメさんの艦に何度も襲われ、その度に赤ふんどし一丁で泳いで逃げたというタフなじーちゃんのおかげで、今ここに漏れがいるわけで…。
276ブロック:2006/02/18(土) 09:58:34 ID:7QBztQ4R
漏れのじいさんは、通信兵で、戦地には行かず、日本にいたそうです。じいさんは長男(一人っ子)なので戦地に行けなかったのでしょうか?誰かわかる方おしえて・・・↓
277名無し三等兵:2006/02/18(土) 10:02:28 ID:???
うちのじいさまは通信兵長。確か、秋田で終戦。
零戦にも乗ったことあるらしいし、特攻隊にも志願。
B-29も見ただと。
278名無し三等兵:2006/02/18(土) 18:03:27 ID:???
>>276
・・・どうしてそう超能力を要求する?w

さんざガイシュツですが軍歴照会(やり方もガイシュツです)でもして、
判明した部隊の戦友会にでも問い合わせしてくだちぃ。
279名無し三等兵:2006/02/18(土) 18:06:36 ID:ORLcjQC+
航空機技師でメーカー勤務。終戦時は鹿児島の海軍基地でサービスエンジニア?
的な立場で特攻作戦に従事。孫の俺の組んだプラモデルを黙って眺めていたのを
覚えている。プロペラが3枚と4枚の種類があるのは何で?って聞く6歳の俺に専門
用語バリバリで説明していたが全く理解不能だったのは言うまでも無い。寡黙で
実直で優しい祖父だった。祖母には「あんたが作った飛行機なんかで戦ったから
日本が負けた」ってやり込められてたなあ。

以下は父の伝聞だが留学経験もあり英独語が理解できて海外事情にも明るかった
祖父は勝利が不可能であると予想していた。そしてそんな戦争で特攻作戦に
関わった事を後悔し自分を責めていたとの事。「機体屋なのにエンジンの責任者に
させられ必死に故障対策に努力した結果、多くの仲間を殺してしまった」と・・・。
戦後は工学系の世界に背を向け鹿児島から離れずにひっそりと生きた。
280名無し三等兵:2006/02/18(土) 19:45:44 ID:???
>>276
理由が知りたきゃ関係者の墓でも掘って聞いてこい
281名無し三等兵:2006/02/18(土) 20:38:29 ID:???
掘りに行って火葬だったらどうすればいいの?
282名無し三等兵:2006/02/18(土) 20:43:53 ID:???
>>274
>豊橋の連隊で、関東軍で、戦車隊というと
戦争後期に「満州」から「豊橋」へやって来た戦車「連隊」と理解してよいのでしょうか?

それなら戦車第24連隊ですかね。
昭和17年3月30日に四平楊木林(満州)で編成された部隊です。
四平戦車学校の支援を担当した後、豊橋市付近に移駐。
終戦時の上級部隊は独立戦車第8旅団(兵団文字符:鋭敏)。

手持ちの資料ではこのぐらいしか判りません。そもそも間違っているかもしれません。
詳しくは軍歴照会をされるかしてください。
283名無しさん@胸おっぱい:2006/02/18(土) 21:13:22 ID:???
>279
切ないね・・・
284名無し三等兵:2006/02/19(日) 01:51:46 ID:???
うちの母方の爺さん(故人)は、海軍にいた。
航空整備兵で、主に魚雷を扱ってたとか言ってたはず。
階級は、兵曹くらいだったかな確か。

南太平洋海戦では翔鶴、マリアナでは大鳳に乗艦してた。

翔鶴に乗ってたときの話だけど、船の風紀を取り締まる様な役目を仰せつかったことがあったらしい。
詳しくは解らないけど持ち回りだったとかなんとか。
で、見回って歩いてると、浴衣姿の初老の男性が草履履きで鼻歌を歌いながら歩いてるのを見かけて。
んで、爺さんそれを、船に乗ってる床屋かなんかだと思って呼び止めて注意したらしい。

すると、その男が笑いながら、「オレだよ」って言ったと。
爺さん、「オレじゃ解らん、誰だ!」って言ったらしい。

そしたらその男が「南雲だよ」と言ったから、爺さんもう冷や汗たらたらになったらしいw

で、南雲長官から、「後でオレのところ来い」って言われて、もう人生終わったと思ったってw

呼ばれて長官室?に入ると、南雲さんと草鹿さんがいて、で、南雲さんの向かいに空いてる椅子があり、
で、その前に空のコップが置いてあったって。

南雲さんに、座りなさい、と言われて爺さん覚悟決めて椅子に座ったら、南雲さんがコップにビールをついで、
爺さんに、「まぁ一杯どうだ?」と進めたって。

(もずく)
285284:2006/02/19(日) 01:52:30 ID:???
(もずき)

爺さんもう訳解らなくなって、一気にそれを飲み干したら、南雲さんがまたビールついで、草鹿さんは笑い堪えたような表情してて、
ますます爺さん混乱してたら、南雲さんが一言「役目ご苦労だったね」って。

爺さんそこで立ち上がって、南雲さんに「大変申し訳ありませんでした」って謝ったそうで。

南雲さんにしてみれば、そんな格好で軍艦の中を歩いてた自分にも落ち度があった訳で、でも、その艦隊での立場もあったから、
何とか、爺さんの方から謝罪をする、みたいにしたかったんじゃないか、って、爺さんの上官の人は言ってたらしい。

大鳳に乗ってたときは、小澤さんが非常に下士官とか兵と話すのが好きで、いつの間にかそんな連中がいる部屋に来ては幕僚にたしなめられてたらしいw
大鳳が沈むときは、大爆発直後の様子を生々しく話してくれたな。
爺さんもけっこうなやけどを負って、しばらく漂流して駆逐艦に助けられて、それで陸上勤務になったと。

とにかくバイタリティの塊みたいな人で、高校の頃オレがサヨ思想にかぶれかけて、戦争の是非について激論交わしたことがあったけど、
どうやっても勝てなかったな・・・w

今じゃオレも(おそらく)あの戦争を公平な視点から見れるようになったと思う。

軍艦とか好きになったのは爺さんの影響はかなりあると思うw
286名無し三等兵:2006/02/19(日) 03:16:50 ID:mFC2O9W1
>>282
ありがとうございます!
自分の文章が拙く、理解不能な点があった点、
失礼しました。

ご推察いただいたとおりの経緯です。
自分の小学校、中学校、高校が、すべて
豊橋の連隊の駐屯地跡にあったことを
大学進学後に知り(ちょうどそのころ、祖父が他界しました)

「ああ、ボクはおじいちゃんが軍人として勤務していたところで
勉強や部活や恋愛をしてたんだな、平和っていいな」と
おじいちゃんや、その戦友たちに
感謝の気持ちを持ったことを覚えています。

「軍歴照会」一度してみます。本当にありがとうございました。
287少佐:2006/02/19(日) 03:43:52 ID:6CaD+6Ni
日本刀や銃剣で白兵戦をやるのは大変な訳でなんであれ
その健闘は称える。
288名無し三等兵:2006/02/19(日) 08:18:33 ID:???
>>284
(もずく)と(もずき)にワロタ

南雲ってあの南雲か?
しかも草鹿さんまで?
あと、小澤さんか。

激論交わせてよかったね。
289名無し三等兵:2006/02/19(日) 10:30:35 ID:???
>>284-285
歴史書や小説では知る事のできない人物像やエピソードはとても興味深く、有意義。
また、何か思い出したらカキコ熱望。
浴衣姿といえば、井上成美も中将の頃に南方で士官から注意された事があったらしい。
290282:2006/02/19(日) 14:00:03 ID:???
>>286 どういたしまして。

>「ああ、ボクはおじいちゃんが軍人として勤務していたところで
>勉強や部活や恋愛をしてたんだな、平和っていいな」
そうですよね。私は30代前半ですが、戦死した祖父よりも長生きですよ。

291名無し三等兵:2006/02/19(日) 23:38:23 ID:EFXaSGKR
265で書いたように親類に海軍将校(実は東京高等商船しかでてないので大尉
止まり)がいてうち親父が中学生のとき将校クラブで戦闘帽買ってきたらしい。
本物の戦闘帽ではなく民間の愛好家に売っていたらしく本物より品質落ちるらしい。
ところで将校クラブってよく聞くけど、いったいなんなんだろう?
おやじにきいたら結婚式場、宴会場、レストラン(料理屋)、喫茶部(今で言う
カフェ)だとか購買部(売店)なんかが有ったらしい。結局 将校が加入する生活共同組合?
292名無し三等兵:2006/02/19(日) 23:49:19 ID:???
>>291
水交社の事?
まぁ『共済組合』と思っとけばおk。
293名無し三等兵:2006/02/19(日) 23:53:05 ID:EFXaSGKR
>>292
あー たしかおやじ水交社っていってた。thanks
294名無し三等兵:2006/02/19(日) 23:56:22 ID:G5gTZ3tc
クラブ自体は
将校が集まって飯喰ったり会合開いたり茶のんだりするところ。
ついでに将校グッズも売ってる・
組織としては確かに共済会・・・・哉?学士会とか同窓生会館の方がイメージ似てると思うけど。
295名無し三等兵:2006/02/20(月) 00:03:04 ID:???
将校グッズって将校ストラップとか将校ボールペン&メモ帳とかそういうの?
296名無し三等兵:2006/02/20(月) 00:03:46 ID:???
>>295
軍刀とか、拳銃とかw
297名無し三等兵:2006/02/20(月) 00:12:40 ID:+DiNFkIp
>>287 243にでてきたおれの大叔父の話だと戦争末期になると銃剣の鞘は竹ででき
てたそうです。早い話が物資が足りないというのが真相。ただ建前上は金属のさや
だと的のレーダーに移るという屁理屈からなんだそうです。
だったら銃剣も竹にしなけりゃいかんのでは?


298名無し三等兵:2006/02/20(月) 02:28:46 ID:+DiNFkIp
戦地に行くときは本物の日本刀持っていくと手入れできないので錆びてしまいます。
そこでみんなステンレスの軍刀持ってたそうです。俺の大叔父は下士官の分際で
帯刀許されてたといってたが邪魔なので銃剣だけにしたそうです。というより
持ってく軍刀がなかったというほうが正解。
299名無し三等兵:2006/02/21(火) 14:44:19 ID:GreVn1LF
憲兵だった爺さんの軍刀をつぶして作ったナタがある
ツバは一式残ってるが
300名無し三等兵:2006/02/21(火) 15:28:00 ID:6h14LJM3
折れのじいさんはゼロ戦乗りだった。
301名無し三等兵:2006/02/21(火) 15:49:27 ID:6n/az+/i
うちのじじいは紫電という戦闘機に乗っていたと、言い張る。
この戦闘機はフロート付きの水上機もあったと言い張る。
四国の上空で米艦載機と空中戦したとさえぬかしやがる。
そして濃紺色の艦載機に20mmを2発当てたと、さらにぬかす。
(でもその艦載機は落ちんかったそうな・・・)
艦載機のパイロットが十字を切るのが見えたから、見逃してやったと
そこまでぬかす。
「ぜったいうそだろ」って言ってやると「海軍士官をなんと思もっとる」
と切れる。  なんで海軍士官が飛行機乗るのか??って思うけど本当に
血管切れるといかんので、こっちが折れる。
うちのじじいも刀のツバだけもってるな・・・これって高く売れないかな?



あッ・・・じじいのことはけっこう好きだよ
戦争の話には興味ないけどね。 
302名無し三等兵:2006/02/21(火) 15:57:53 ID:???
>>301
貴殿のお爺様は凄い話をしているんだが・・・
303名無し三等兵:2006/02/21(火) 16:22:35 ID:6n/az+/i
>>302
ほとんどウソだと思うんですが・・・
だってしまいには、紫電には自動操縦みたいな装置が付いてたとか
米の戦闘機より日本の戦闘機の方が機関銃の玉がでかいとか
そんなら日本圧勝だろって、あほらしくて書けないことまでほざいてますが。
今の飛行機の本でも読んで孫をからかって楽しんでる様子。

でも人間的にはイイやつなんでね
最近はなししてないな。
304名無し三等兵:2006/02/21(火) 16:57:26 ID:WBsvjdVC
>>303

紫電のご先祖様。水上戦闘機「強風」。基本設計は紫電と共通。
ttp://military.sakura.ne.jp/ac/rex.htm

自動装置(自動空戦フラップ)
ttp://www.belbel.or.jp/~takatsukasa/air/n1k1-j.htm

紫電の武装:7.7mm+20mm。米軍機の武装:ほとんど12.7mm。
単発機に2発20mmを当てたら、落ちるか落ちないかの瀬戸際に
なる位の威力。

荒唐無稽に聞こえるけど、間違ったことは言っていない。
もうちょっと武勇伝を聞いてあげてもいいのでは。
305名無し三等兵:2006/02/21(火) 16:58:44 ID:VmskcyJS
オレの死んだ爺さんは、砲兵部隊の観測員ていうのかな?敵の居場所を見つけて、それを部隊に教える兵隊だったらしい。支那→南方の島(撤退の手伝いかとかなんとか)→ビルマ→終戦。曹長だったらしい。曹長って凄いの?まぁ体中に撃たれた跡はあったけど…。
306名無し三等兵:2006/02/21(火) 17:01:50 ID:VvWK8OGq
オヤジ整備兵だったんだが紫電は結構数あったらしいね
誉エンジン専門だったらしい聞いたのは2式大艇、銀河
連山、64型、dc3の海軍型と陸軍のケツの上がった爆撃機
の話あとはケツを死ぬほどヘッパダカレタ話 死ぬまで
抜けなかったな軍人魂
307名無し三等兵:2006/02/21(火) 17:02:14 ID:RV3dmMuk
>>301
>>303
ちゃんとお爺様に謝って置けよ。
308名無し三等兵:2006/02/21(火) 17:07:53 ID:???
>>301
胴体に白帯が入った味方機が、おじいさんの眼前を猛烈な勢いで降下して行ったとかw
そういう壮大かつ誇大なオチを期待しておるのだが・・・

マジレスだが、近所のおじいさんは戦時中、川西の工員をしていたそうだ。
紫電改の翼内給弾ベルト取り付けを専門に遣ってたらしい。
309名無し三等兵:2006/02/21(火) 17:09:49 ID:7jyIe7+x
>>303
<自動操縦みたいな装置
自動空戦翼でしょう。
<米の戦闘機より日本の戦闘機の方が機関銃の玉がでかいとか
日本軍は20mm・アメさんは12・7mm確かに日本軍のほうが大きいが、
弾薬搭載量も、航空機自体の数も日本を上回っていただけです。
<そんなら日本圧勝だろって
何も知らない人は恐ろしい。こういう結論に至るとは・・・
機銃の口径の大きさで戦争の決着がつくのなら、とっくに30mm機銃を装備しています。
と言うか、重爆に75mm積んだ奴が出れば最強と言うことに・・・
310名無し三等兵:2006/02/21(火) 17:15:12 ID:VvWK8OGq
連続スマナイ今年7回忌ナンデネオヤジ品川に2式大艇あるの知って
見たがってたが連れて行けなかったのが心残り 曹長スゴイ多分
10年選手?階級章も配給されなかったらしいが
311名無し三等兵:2006/02/21(火) 17:26:30 ID:UTMTvrDz
釣りじゃないの?
312名無し三等兵:2006/02/21(火) 17:32:37 ID:???
>>311
ネタが的確すぎるよな
313名無し三等兵:2006/02/21(火) 18:14:00 ID:6n/az+/i
>>311 312
だから、うちのじじいのホラだってば

>>304 306 309
言ってることは正しいんですね。じじいボケてない!よかった。
書いてもらった事、じじいに読んで聞かせたよ。(目わりーんで)
紫電について詳しいひとがいて、うれしいって・・・
あと、艦載機のパイロットが十字切ったってのは、どうもウソらしい。
あのときは本気で殺すつもりだったと、ほざきがった。

うちのじじいが人を殺すつもりだったとは・・・
やっぱり、戦争はかなわん。
314312:2006/02/21(火) 18:24:52 ID:???
了解。
おじいさんによろしく。
315名無し三等兵:2006/02/21(火) 18:25:05 ID:???
ID:6n/az+/i殿。
これを機会に少し学んでみては如何でしょうか。
無知は罪ですから。
お爺様を見る目が変わるはずです。

316名無し三等兵:2006/02/21(火) 18:58:17 ID:???
ID:6n/az+/i
ついでに爺様に尊敬と感謝の念を忘れずにな。
317名無し三等兵:2006/02/21(火) 19:17:20 ID:???
>>313
紫電二一型、通称『紫電改』は現存機が日本に一機だけあります。
ttp://ww8.tiki.ne.jp/~hidekun/5.htm
一緒に見に行かれてはいかが?

ちなみに貴方『松村』さん?
武藤:「努力してみます、大尉殿。」
318名無し三等兵:2006/02/21(火) 19:53:08 ID:???
>>317
>武藤:「努力してみます、大尉殿。」

出典は何ですか?
海軍で「殿」とはどういった状況での台詞でしょうか。
319こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2006/02/21(火) 20:52:18 ID:4ebHhusk
>>1
天皇教崇拝者とキリスト教崇拝者との
宗教で支配できる地域拡大をめぐっての宗教戦争

日本人は天皇家の家紋である菊のご紋を、武器や旗や軍艦に取り付けて
天皇陛下バンザイと叫びながら戦ったし、
アメリカ人は十字架を肌身につけて聖書に誓いをして戦った。

ま、過去から何千回も繰り返される戦争の大半は
宗教崇拝者同士の支配地域拡大をめぐっての宗教戦争なんだけど

宗教崇拝者というのは酒をたっぷりと飲んだ酔っ払いと同じで、精神が正常でない。
そういう精神異常者に権力や武器を持たせれば、抑制と限度が効かずに紛争や戦争に
発展するのはあたりまえ。
320名無し三等兵:2006/02/21(火) 21:39:33 ID:???
>>306
>>誉エンジン専門だったらしい聞いたのは2式大艇
2式大艇は火星ですけど。
321火縄鎧 回転式連発 真真っ二つ 破壊拳:2006/02/21(火) 22:09:07 ID:fv0HPGJq
アンキュラブぷるぷ
322名無し三等兵:2006/02/21(火) 22:19:26 ID:U+AtkSlV
2式はふんどし姿で海から陸ヘあげた話ダヨ
dc3は金星64型は知らん dc3始動の再カートリッジ使うらしい
323名無し三等兵:2006/02/21(火) 22:22:41 ID:???
よく調べてたら内の爺様は南京戦に参加していた orz
どうりで戦争の話だと変な空気が流れていた訳だ
お婆が急に怒り出したりしてた

この俺にも鬼畜の血が流れているか・・・嗚呼
どうすればいいんだ

324名無し三等兵:2006/02/21(火) 22:30:50 ID:jMKnNp8Z
俺の爺さんはラバウルにいて米軍の機銃掃射にあった際、隣にいたやつの
顎からしたが吹っ飛んだらしい。
325名無し三等兵:2006/02/21(火) 22:35:20 ID:???
このスレ昔はお父さんの体験教えてスレだったよな。
326名無し三等兵:2006/02/21(火) 22:51:58 ID:???
                        |  
      ∩___∩              |  ぷらぷら
      | ノ  _,  ,_ ヽ        ((   |
     /  ●   ● |         (=)
     |    ( _●_)  ミ _ (⌒)    J  ))
    彡、   |∪|  ノ  
⊂⌒ヽ /    ヽノ  ヽ /⌒つ
  \ ヽ  /        ヽ /
   \_,,ノ      |、_ノ

ナンカ ヘタナツリ シテルノカ ゙キュウニ フエタ ナア
327名無し三等兵:2006/02/21(火) 23:06:51 ID:???
俺の親戚は元特攻兵だったらしい。
出撃日も決まりいよいよ明日かと言う時に終戦。出撃予定日は8月16日。
父方の祖母は芸者で軍のお偉いさんの前でずっと三味線弾いてたから空襲もなにも関係なく過ごしてたって自慢してた
戦後は吉田茂の家(別荘だったかも)によく行って三味線弾いてたと。
吉田が眠れない時はよく呼ばれて三味線弾いてたら眠っちまったらしい
母方の祖父母は軍の工場に勤務、父方の祖父は結局一度も聞かずに死んじゃったなぁ。
それが心残りだ
328名無し三等兵:2006/02/21(火) 23:17:17 ID:QnA57O5K
うちのじいちゃんは
家に戦死の電報が届いたのに生きて帰ってきたそうです
329名無し三等兵:2006/02/21(火) 23:35:10 ID:wl9GQAJv
>>328
それは、実際に戦地でお亡くなりになったのだが、戦友が替わりに帰ってきたのだ
本当のおじいちゃんは、戦地で友に嫁を託したわけだ。
330名無し三等兵:2006/02/21(火) 23:40:52 ID:QnA57O5K
んなことない
単なる日本のミス

もしくはお化け
331名無し三等兵:2006/02/21(火) 23:46:40 ID:Ko6VfY7x
俺の爺さんフィリピンからの引き上げ船の中で戦友からマラリアうつされ病死
つれの爺さん満州で寺を燃やして掛け軸もって帰ってきた。
武勇伝 カッキーン
332名無し三等兵:2006/02/21(火) 23:51:06 ID:D//H0Y58
うちの母親から聞いたんだけど 戦時中夜外で煙草すえないといってた。
B−29から見えるということだがいくらなんでもねー、見えるわけ無い
とおもうのだが。これはあれか 煙草も貴重品だから節約しましょうという
たとえなのか? あの当時本来はうちの母親の実家で煙草すう人はいなかったが
当時教員だったわしの爺さんがせっかく配給されたの煙草なのでもったいない
といってスカスカすってたらしい。もちろんおれはまだ生まれてない。
戦争が終わって母親にとって一番うれしかったことは灯火管制がなくなったこと
だそうだ。
333名無し三等兵:2006/02/21(火) 23:51:44 ID:???
ルーズベルトは病死したんじゃありません。
うちのじいちゃんが暗殺したんです。
334名無し三等兵:2006/02/22(水) 00:39:59 ID:kW6V8boz
>>270
皇太子殿下乙!
335名無し三等兵:2006/02/22(水) 00:43:53 ID:???
じいさんは、戦地で57人の敵を殺したそうな。
毎年盆には57本のローソク立てて1日かけて供養している
殺した米兵から奪った鞄には子供や奥さんの写真が入っている事が
殆どだったらしい、それがまだ保管してあって自分が死ぬまでに返して
あげたいらしいが、術がないままらしい
俺が何かしてあげれる事はないのか?
336名無し三等兵:2006/02/22(水) 01:00:49 ID:53O7l0uR
爺ちゃんが先日亡くなりました;;
詳しくは聞けなかったけど戦時中は南京や東南アジアに行ってたそうです。
南京は占領後かなり経った後なので
虐殺があったかどうかは知らないと言ってました。
奇襲を受けた時の体験談が生々しかったの記憶しています。
チャンコロ(普通に中国人のことをこう言ってました)は
ラッパ吹いて突撃してきたそうです^^;祖父の隊は壊滅に近い状態
になったらしいのですが、死んだ振りして生き延びたそうです。
奇襲自体はそれほど祖父の隊は受けなかったそうで、東京や大阪の隊が
よくやられていたそうです。
東南アジアの時は、上陸時に援護射撃や爆撃で支援してもらえるらしいのですが
めちゃめちゃ撃つので、よく味方の弾に当たって死んでたそうです。

戦争末期は静岡で軍の会計の仕事をしていたそうで、よく饅頭とか軍服とか
ちょろまかして実家に送っていたそうです。また上役の人にも融通してやった
と言ってました。と言いますか、要求してきたそうです^^;

337名無し三等兵:2006/02/22(水) 01:04:38 ID:???
>>335
どこでカバンを奪ったかというのが相手部隊名への強力な手がかりなので、
それを書いた上でnyt、WaPo、UsaTodayとといったアメリカの新聞社に連絡しましょう。
338名無し三等兵:2006/02/22(水) 01:08:35 ID:???
>>250 亀スマソ 規制やトラブルで書き込めなかった。
オレの父方のじいさんも千葉の百姓の三男の産まれで若い頃に
ツェッペリンを見たそうだ。
銀色に輝いて、とにかく大きかったらしい。
で、じいさん耕す土地がないから東京に出てきて商売をして
たけど、蓄膿症の後遺症で耳が遠く、日露戦争の年に生まれ
た人の割りにガタイが良かったが兵隊には取られなかった。
五体満足なら、もしかすると大陸で英霊となっており、親父
もオレもこの世に存在してないので、塞翁が馬というヤツかもし
れない。(職業軍人を選ぶ可能性もあるのだし)
それはともかく、そんなじいさんでも大戦末期には六郷川の
土手に近在の兵役不適格者と一緒に集められ、竹槍の特訓を
受けさせられた。(w

それからこれは親父の話だけど、大戦中に飛んできた大型機
はみんなB29で、単発機はみんなグラマンで艦載機だ。(w
P51もF6Fもコルセアもライトニングすらもグラマン。(www
普通の人の感覚ってそんなものかな。
339名無し三等兵:2006/02/22(水) 01:10:58 ID:???
>>336
一兵卒では戦争の全体がわからないのが当然です。
中国ではドラ、チャルメラ、などを鳴らして突撃するのが珍しくありません。
東京や大阪といった都会から集められた兵隊は、比較的強くありませんでした。
あと、味方の誤射はめずらしくありません。
340名無し三等兵:2006/02/22(水) 03:28:33 ID:???
うちの家系は北海道の炭鉱関係が多くて、ジーちゃんはそこの会社の勤務だったから戦争実体験は皆無だけど
炭鉱で働くことが戦争みたいなものだって言ってたな。小さい事故で鉱夫が怪我をしたとかは珍しくなかったそうだ。
炭鉱は男手を必要とするので終戦間近まで炭鉱労働者が徴兵に取られる事はなかったそうで、炭鉱町は戦争中でも
割と物も豊富であまり不自由しなかったそうです。
それと、室蘭が攻撃を受けた時、石炭の積み出し施設も破壊されてしまったので暫く北海道外に石炭を輸送する手立てに
困ったなんてことも言っていました。
かえって戦時中の増産で人手が足りないくらいで朝鮮人や中国人が結構いたと言っていました。
彼らは大体貧しい身分で、我が祖父一家が暮らす炭住の軒先からよく食べ物を盗んでいくので迷惑したということです。
で、戦争が終わり、日本が負けたと町中に知れ渡ると何日にもわたって三国人グループが「マンセー、マンセー」していたそうです。

341名無し三等兵:2006/02/22(水) 07:50:49 ID:???
もう船の科学館に二式大艇は無い
342名無し三等兵:2006/02/22(水) 10:48:54 ID:???
>>317
うちのじじいには、ちょっと遠いなァ〜
でもHPの写真みせたよ。「二十一やな」とほざいてます。
じじいはほとんど十一というのに乗ってたと・・・ 
空中戦より滑走路で足が折れるほうが怖かったと・・・
(おいおいそんなボロ戦闘機なんか?)
操縦席が二十一は高く十一のほうが乗りやすかった??
とほざいてます。
あと玉2発あてた艦載機はボート(なんで戦闘機がボートなんか??)
ゆうて羽が曲がってる?のでグラマン(これは聞いた事有る)でないと、
しかもグラマンより強い?などとほざいてます。

名前はじぇ〜んじぇ〜んちゃ〜います。
「そんな神様みたいなえらいさんじゃない」らしい。
ちょっとHPみたら、わかったよ
うちのじじいより今のオタのほうがくわしいみたいだね。
じじいのホラ聞くよりネット見てたほうがいいみたいだね。

昨日からいろいろ話きいてやったら、調子に乗って紫電の
前はゼロ戦にのってたとぬかし出した。  参ったよ。
343名無し三等兵:2006/02/22(水) 11:47:07 ID:kW6V8boz
>>342
この板で「二十一」とか「十一」って釣りですか?
344名無し三等兵:2006/02/22(水) 11:53:38 ID:W5GbOzAU
うちの爺ちゃんは、生まれつき体が弱かったので徴兵検査に落ちたから
戦争には行ってない。戦時中は畑仕事ばかりやってたそうです。
戦争末期、とうとう赤紙が来て「俺も行かなきゃだめか」と思っていたら
戦争が終わったそうだ。本人曰く「運がよかった」とのこと。
345名無し三等兵:2006/02/22(水) 11:59:27 ID:xVV6XRpI
>>342
ボート=ヴォート
ヴォートシコルスキーF4U コルセア

羽が曲がっているというのは、逆ガル翼という主翼の形状からでしょう。
真後ろや真正面から見た時に、鳥が羽を広げたのをさかさまにしたような感じに主翼が折れ曲がってるんですな。
346名無し三等兵:2006/02/22(水) 12:26:15 ID:???
妻の祖父が一昨年亡くなったんですが、中国戦線で衛生兵をやって
おられたそうで、その時にもらった勲章の賞状が家に飾ってありま
した。報奨金?が確か400円だったでしょうか。当時としては結
構な金額なのかな?

赤十字の旗揚げてたのに、迫撃砲撃ち込まれたと憤慨しておられま
した。

ところで、娘がその方に赤く錆びた刀を見せてもらったことがある、
と言っていたのですが、未登録の軍刀なんかだとヤバイのかな???

347名無し三等兵:2006/02/22(水) 12:39:17 ID:???
>>343
おまえがつりだろ
その前に書いてる意味がわかんね
348名無し三等兵:2006/02/22(水) 13:08:02 ID:kW6V8boz
>>347
お前は本当に無知だな。

航空機の型番は十一(じゅういち)とか二十一(にじゅういち)じゃなくて、
一一(いちいち)とか二一(にーいち)と読む。

なぜならば11番目とか21番目の型式という意味ではなくて、十の位の数字は
機体の型番、一の位の数字は発動機の型番を意味しているから別々に読む。

これは当時の航空関係者なら当然知っているはずだし、この板の住人なら
常識のはず。だから、>>342は突っ込みが欲しくてわざとそう書いていると思った
ので釣りと書いただけ。

ボク、わかる?
349名無し三等兵:2006/02/22(水) 13:17:39 ID:???
>>348
最初と最後の1行さえ書かなければ
あなたは良識有る物知りなのに、

ところで、ここはそこまで軍事知識
を心得てないといけないのかな。
350348:2006/02/22(水) 13:24:09 ID:???
>>349
>最初と最後の1行さえ書かなければ
>あなたは良識有る物知りなのに、

>>347で「おまえ」よわばりされたので、ちょっと感情的なっていました。

失礼しました。
351名無し三等兵:2006/02/22(水) 13:27:27 ID:???
>>346
遺品から刀が出てきたと近くの警察署に
届けましょう。
発見証明(だったかな)とか言う手続き
して登録すれば合法となるはずです。
でないと売ったり捨てることすらできま
せん。

352名無し三等兵:2006/02/22(水) 13:30:08 ID:???
理屈の上ではそうでも現場の隅々までそういう読み方で統一されていた、という根拠はないんだけどな。
353348:2006/02/22(水) 13:35:20 ID:kW6V8boz
>>352
そうですね。
零戦も「れいせん」とか「ぜろせん」とか色々読み方があったようですしね。
354名無し三等兵:2006/02/22(水) 13:45:29 ID:???
死ね中坊
355名無し三等兵:2006/02/22(水) 13:48:32 ID:???
>>350
347です
こちらこそ失礼しました

356348:2006/02/22(水) 13:52:34 ID:???
キモいから即レス
かえすなよ
357名無し三等兵:2006/02/22(水) 13:52:48 ID:???
>>342
>うちのじじいより今のオタのほうがくわしいみたいだね。
>じじいのホラ聞くよりネット見てたほうがいいみたいだね。

実際に従軍していた方はそんな感じのもののようですよ。

紫電の脚が折れると云う事故はよくあった。
構造上の問題でボロな訳ではないよ。

駐屯地や部隊名を聞いて来てくれると良いのだが…。
358剣部隊 ◆Qa04KawXdY :2006/02/22(水) 15:13:37 ID:7x6EizFb
>>313
・・・松村一番の松村大尉か?三四三空の名分隊士じゃないか。
もしそうなら爺さまは海軍航空隊の至宝だぞ。
359剣部隊 ◆Qa04KawXdY :2006/02/22(水) 15:23:14 ID:7x6EizFb
あら。>>342があったわ。
紫電なら一一型でも二一型でも熟練搭乗員だぞ。誇りに思うべきだよ。
360名無し三等兵:2006/02/22(水) 16:08:08 ID:W9A77qTL
学校の総合学習の時に戦争体験を話に来てくれた近所(1キロくらい先)のじいちゃんは南方へ行ったそうだ。じい:「戦場にはなんでも落ちてるぞ」俺:「鉄砲とか?」じい:「そう」
361名無し三等兵:2006/02/22(水) 16:14:57 ID:???
>>342
もっとお爺様に話を聞いてください。
貴殿が思っているより凄い方ですよ。
362名無し三等兵:2006/02/22(水) 16:40:32 ID:???
血縁じゃないけれど、自動車教習所で戦時中に隼に乗ってたと言う教官に教わった事がある。
中国大陸で実戦に参加し、腕を負傷してリハビリ中のまま終戦を迎えたとか。
リハビリを必要とする程の負傷歴があって教官って言うのが信じられなくて
最初は何となくホラ吹いてるのかと思ったが「撃つ時ってやっぱズダダダダって感じですか?」
と質問したときに「いや、そんな凄い音はしないね。スタタンッ、スタタンッって感じだよ」
との答えで、「スタタンッ」というところに妙なリアリティーを感じてしまった。
「空中戦を体験してるくらいなら自動車の運転なんて屁みたいなものですか?」との質問に
「とんでもない!どんな格闘戦でも飛行機同士は離れているんだ、
 何メートルも無い距離を対向車同士が擦れ違う運転の方がよっぽど危ないよ」
と力説していたのが印象に残ってる。
363名無し三等兵:2006/02/22(水) 16:51:43 ID:8HBfF+t1
>>362
なんか逆にそのリアリティみたいのが伝わってきてすげぇな。

そこで「ああ!飛行機に比べちゃクルマなんてオモチャみたいなもんさ!」とか言われたら
なんか萎えるよな。
多分人間がしっかりしてるんだね。だからパイロットになれたのもあると思うけど。
飛行機もクルマもどっちも重く考えているね。


てか、うちのジジイもゼロ戦パイロットで、そんで特攻隊に配属されたんだけど
あと3日で出撃ってとこで終戦になったんだって。
生きててよかった。
364剣部隊 ◆Qa04KawXdY :2006/02/22(水) 18:21:04 ID:7x6EizFb
>>362
大空のサムライ、坂井三郎さんも7・7ミリ機銃の銃撃音を「ストン、ストン」と形容してますねぇ。
365名無し三等兵:2006/02/22(水) 20:20:06 ID:???
>>342
そうですか、それなら逆に松村大尉や武藤少尉の人となりはどうだったか聞いて来てくださいw

あと、貴方のおじいさん、営外下宿してる時に下宿屋の近所の子供達に特別配食の饅頭や羊羹やチョコレートを自分で食べないで分けてあげたりしてませんでしたか?
366名無し三等兵:2006/02/23(木) 01:56:38 ID:???
爺様が「ほざいていた」のに、
21じゃなくて二十一と書くこの不思議。
367名無し三等兵:2006/02/23(木) 02:22:50 ID:???
>>366
二十一ってほざいてんだろ?
中にはそう言う人もいるんじゃね?
368名無し三等兵:2006/02/23(木) 02:27:14 ID:???
祖父が釣り氏だったでFA?
369名無し三等兵:2006/02/23(木) 02:41:49 ID:???
>>368
釣り氏なのか?
わかんねー
どうなんだ?
370名無し三等兵:2006/02/23(木) 06:27:31 ID:73GhE2Hf
うちの爺ちゃんには銃で撃たれた傷が5か所があり、肩、胸、脇腹でアメリカのマシンガンにやられたとよく言ってました、そんな爺ちゃんですが九十歳こえてもまだ元気にバイク乗って漁に行ってます。
371名無し三等兵:2006/02/23(木) 07:49:38 ID:???
感動的な話ではありますが… 私がホテル勤めをしていた頃の話。

ある披露宴、新郎が陸自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。

一通りの祝いの言葉の後に、 自分が陸軍にいた事。
孫が戦車に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の陸軍勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。

挨拶が終わり高砂の席の一人が
「どこで戦っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で 「南京です」

それを聞いた陸自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がって取り囲み罵声を浴びせました。

「百人首を斬った首斬り魔はおまえか!」
「強姦魔め!」
「無抵抗な捕虜を殺し捲くりやがって 鬼畜が!」
「シャルフェンベルクの高級ネクタイを返せ!」

おじいさんは申し訳なさそうに謝罪しました。
「南京事件ではお恥しい限りです。しかし命令でした。今は申しわけなく思っています。」

陸自組一同はうなだれましたが、自責の念に駆られるおじいさんの勇気についに敬礼しました。
ウェイトレスの女の子達は感極まって泣き出し、いつしか式場全体に拍手が沸き起こりました。
私には忘れられない結婚式となりました。
372名無し三等兵:2006/02/23(木) 08:03:05 ID:???
うちのじいさんは一度教育召集?されて何ヵ月か入隊したが、その後除隊。
戦局の悪化に伴い再召集された。高崎連隊(ネットで調べたら歩兵第十五連隊)で経理を担当してた。
二等兵(祖母は「コンペイトウひとつ」と呼んでた)のまま終戦を迎えるも、
英語とフランス語を習っていた為(?)武器などの連合軍への引き渡しをさせられた。
その後、一階級昇進及び善行章一本を受けて九月中頃に正式に除隊。
帰ってくる時に前橋で落下傘の生地を買い、染め物屋で紺に染めてもらい、着物にした。今も家にあるらしい…
373名無し三等兵:2006/02/23(木) 08:24:16 ID:???
>>371
>私がホテル勤めをしていた頃の話。
>ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。披露宴も御披楽喜に近づき、
>新郎のおじいさんの挨拶がありました。一通りの祝いの言葉の後に、
>自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
>自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。
>たとたどしくですが話されました。
>同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。

>挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、
>新郎は小声で「大和です」

>それを聞いた海自組一同、すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
>おじいさんも見事な答礼を返されました。
>私はその後は仕事になりませんでした。
>ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
374名無し三等兵:2006/02/23(木) 08:51:59 ID:???
私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。披露宴も御披楽喜に近づき、
新郎のおじいさんの挨拶がありました。一通りの祝いの言葉の後に、
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は満腹だったらしくゲップをしていたのが、段々腹が減っていき神妙に聞き入っていました。

挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、
新郎は小声で「間宮です」

それを聞いた海自組一同、すっ転ぶような勢いで駆け寄り羊羹やラムネをねだりました。
おじいさんも美味しいアイスクリームやラムネを与えました。
披露宴の料理はその後は誰も手を付けませんでした。
ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
375名無し三等兵:2006/02/23(木) 09:04:22 ID:YGMljGNi
>>374
美味いな。
376名無し三等兵:2006/02/23(木) 09:11:59 ID:???
おまいら変な改変してあそんでんじゃねーw
377名無し三等兵:2006/02/23(木) 09:52:09 ID:???
>>365
それであなたのオタ知識と相違点があれば
つりとなる。
378名無し三等兵:2006/02/23(木) 10:15:07 ID:???
うちのじじいには、ちょっと遠いなァ〜
でもHPの写真みせたよ。「震電二十一やな」とほざいてます。
じじいはほとんど秋水というのに乗ってたと・・・ 
空中戦より燃料切れるほうが怖かったと・・・

あと玉2発あてた艦載機はF14 トムキャット
ゆうて羽が動く?のでグラマン(これは聞いた事有る)でないと、
しかもグラマンより強い?などとほざいてます。



昨日からいろいろ話きいてやったら、調子に乗って秋水の
前は烈風にのってたとぬかし出した。  参ったよ。
379名無し三等兵:2006/02/23(木) 10:53:10 ID:???
俺んトコは母方の曾じいちゃんが長崎で軍医(佐世保鎮守府?)やってたらしい。
小5の夏休みのときに「おじいさん、おばあさんの戦争体験を聞いてきましょう」
な宿題が出て、俺はその曾じいちゃんの娘のばーちゃんに聞きにいったんだが、

ばーちゃん「う〜ん、ケーキ作ってたわねえ(ハァト」

母ちゃんいわく「ばーちゃんはおじょーさまだったから聞いてもあんまり
(空襲は悲惨じゃー戦争は惨めじゃーなレポートの)参考にならんよwww」だと。
         
380379:2006/02/23(木) 10:56:04 ID:???
寧ろ戦後ビンボーになったから、戦後のほうが苦労が多かったよね
381名無し三等兵:2006/02/23(木) 16:59:03 ID:???
>>378
ファイナルカウントダウンかよwwww
382名無し三等兵:2006/02/23(木) 17:27:54 ID:???
>>381
F14 VS T-6テキサン練習機
383名無し三等兵:2006/02/23(木) 17:31:57 ID:???
>>379
新潟の震災に遭った山男に「大変だったろ?」と尋ねたら
「いや、いつも使うアウトドア用品使ってたので凄く快適だった。だけど、周りの視線が
なんかきつかった」と聞いたのと同じ感じだな。
384名無し三等兵:2006/02/23(木) 17:40:09 ID:???
>>377
ヒコーキオタはほっとけ、虫しとけ
385名無し三等兵:2006/02/24(金) 09:14:31 ID:???
おじい様じゃないけど、ばあさんが広島の原爆投下を
見たっていってたな。  
昼間なのに太陽がもう一つ昇っていくように見えたっ
て・・・もう少し上がると、きのこ雲になったって。

けっこう遠くから見たらしいけど放射線とか大丈夫な
のかな?  まだ元気だけど。
386名無し三等兵:2006/02/24(金) 20:51:39 ID:???
自分のじい様、千葉県の銚子で警察官やってたらしい。
そのせいか戦地にいかなくてよかったんだけど、昭和20年になってから九十九里のほうで
陣地構築の監督やら資材の輸送の手伝いなんかに駆り出されて忙しかったって語っていた
ん だけど、軍オタになりかけた今思うとコロネット作戦が発動されてたら……
387名無し三等兵:2006/02/24(金) 20:57:01 ID:OkJ4I7dQ
俺の大叔父は朝鮮の大丘で終戦、当時伍長だった大叔父は褌の中に時計かくして
帰国船にのってかえってきた。へたすりゃ腕時計朝鮮人にとられるとこだったらしい。
388名無し三等兵:2006/02/25(土) 10:57:13 ID:???
おまいらの中にもいるだろうッ!?
爺ちゃんか婆ちゃんで、アメ公の飛行機の落としてきた爆弾を手で受け止めたって豪傑がw

俺ん家の婆ちゃんがその豪傑だw
辛かったけど、それなりに戦時中は楽しかったって話をしてくれる。
389名無し三等兵:2006/02/25(土) 20:48:18 ID:???
>>388
無理じゃね?
390名無し三等兵:2006/02/25(土) 21:18:24 ID:???
ホットショットの見すぎじゃね?
391名無し三等兵:2006/02/25(土) 22:25:48 ID:AwwPId68
俺の曾祖母(父方の祖父の母親)は女学校の生徒の時、日露戦争で大本営が
広島にできたとき明治天皇を広島ででむかえたそうだ。
392千田ツヤコ:2006/02/25(土) 22:37:08 ID:???
濡れすぎ絶淫巨乳妻
393名無し三等兵:2006/02/25(土) 22:40:26 ID:???
つーか零戦よわすぎ、参考↓ 

http://www.luzinde.com/
394名無し兵卒:2006/02/25(土) 22:49:39 ID:TmHSPr5Y
曽祖父が戦艦で戦場に行く途中敵に戦艦ごと沈められて戦死した
遺品も何も残ってない
395名無し三等兵:2006/02/25(土) 22:53:09 ID:???
>>394扶桑か山城?それとも日露?
396名無し三等兵:2006/02/26(日) 00:35:20 ID:???
一般人の「戦艦」って、戦闘艦全般を指す事が多いから、
海軍艦艇なら全部当てはまってしまうかも。
397名無し三等兵:2006/02/26(日) 00:43:46 ID:I8Kk7xHJ
(´・ω・`)戦争体験じゃないが70年前の今日、ひいじいさんはクーデター事件を見物に行って
憲兵にえらい怒られたらしい。
398名無し三等兵:2006/02/26(日) 00:56:54 ID:I8Kk7xHJ
(´・ω・`)曾曾じいさんはポーランド人だがロシア兵として大陸で戦って日本軍に
負けて捕虜になって松山に来てそのまま四国に住み着いた。
399名無し三等兵:2006/02/26(日) 01:01:53 ID:Uq+Jkmbk
>397
うちの爺ちゃんもそんな事言ってた!
チャリンコせっせとこいで現場に行ったけど憲兵に突き返されたそうな
400名無し三等兵:2006/02/26(日) 01:18:14 ID:PD0D+Vum
マニラで生まれて初めてコカ・コーラを飲んだそうだ。
401名無し三等兵:2006/02/26(日) 01:39:08 ID:???
>>397
「憲兵が見せなかった」話。

佐世保市を見おろす「弓張岳」に登るのを、健康法にしているご老人から聞いた話、
ご老人が小学生のとき、遠足で同じ弓張岳に登ったのだが、
山頂にはずらりと憲兵が並び「お前ら、海の方を見ちゃいかん!」

・・・しかし、見るなと言われれば見たくなるのが小学生。
憲兵の股の間ごしに、こっそり海=佐世保海軍工廠の方を見たところ、

「それはそれは、ふとか軍艦だったとですよ。
戦後に知ったとですが、戦艦『武蔵』が主砲ば積む工事をしとったとですね。
あがんふとか軍艦、ず〜っとあとの、アメさんの『エンタープライズ』まで見たことなかったとです」。
402名無し三等兵:2006/02/26(日) 02:52:11 ID:eQa6qZk/
ガキの頃、知り合いの親戚のオヤジから聞いた話だけど陸軍モノに詳しい方、解説をお願いしたい。
このオヤジは歩兵の大隊長で緒戦のフィリッピンへ上陸した。
その際、米軍の戦車への対処が問題になり、研究をした。(日本でなのか現地でなのかはわからん)
歩兵には有効な対戦車兵器がなく撃破不可能であった。
そこで敵の戦車(M3軽戦車と言っていた)が現れると、路上にトラックを横向きに停め退避する、
戦車で押してトラックをどけることは出来るが、多少の時間はかかる、その間に退避するのさ、と言っていた。
敵の戦車は道路から外れて走ってこないの?と聞いたら
戦車というのは案外、道路以外は走れないものなのさ、と言われた。
ガキの頃はふ〜〜んと思って聞いていたんだけど、思い出すともうちょっと詳しく知りたいなと思って。
まずは緒戦のフィリピンにM3軽戦車があったのだろうか?
ネットで調べたら1941年の8月から生産とか書いてあったけど。
日本は37mm対戦車砲があったはずだが、これでは撃破できないのだろうか?
また歩兵には装備されていなかったのだろうか?
戦車は道路以外は案外走れない、というのは本当だろうか?
まぁ道路以外の状況にもよるのだろが。
知り合いとも付き合いがなくなってしまったし、当然、このオヤジは死んでるだろう、今更解説をしてもらうのは不可能、どなたかヨロ
403名無し三等兵:2006/02/26(日) 03:53:27 ID:???
>>62
貴方の祖父君が海軍さんなら、「震洋」と呼ばれた高速ボートによる特
攻兵器だと思います。

一人乗りと二人乗りの二種類あったようですが、高速と言っても爆薬を
搭載した場合、公称30ノット・オーバーを実現していたかどうかは、
寡聞ながら知りません。

それでも時速50q程度であり、喫水が比較的高い艇の性能上、昼間で
は接近するまでに発見され、銃砲撃を受けてしまったでしょう。
ですから、陸に十分接近した敵艦艇に対しての奇襲と飽和攻撃を踏まえ
た集団攻撃が企図され、実施されたと思われます。

海軍の海上特攻兵器で実現し、実戦投入されたのは回天と、この震洋
(コレヒドール、沖縄)だけだったと記憶しています。

その後のスレに何もありませんでしたので、遅レスながら上げました。
404名無し三等兵:2006/02/26(日) 09:06:26 ID:???
祖父の話でも戦争の話でもないが…
当時日産に勤めてたはずの俺の親父は長崎造船所(だったけ?)に見学に行く機会があったらしい
バイトを何個か掛け持ちしてたンだろうな
んで、造ってる最中の艦があったから職員に質問した
「何を造ってるンですか?」
「これはイージス艦『こんごう』、海自の最新鋭艦ですよ」
「へ〜、いくらくらいするンですか?」
「あ〜、安いですよ〜、船体だけなら600億円くらいですかね〜。電子装備積むと1500億円くらいですね」
というようなやり取りをしたそうな
405名無し三等兵:2006/02/26(日) 09:12:42 ID:aucpT3Rb
やっぱイージス艦て高いんだな。
406名無し三等兵:2006/02/26(日) 09:17:29 ID:???
なんで「ん」をカタカナ表記にしてるの?
407名無し三等兵:2006/02/26(日) 09:28:20 ID:???
397
ニニ六の時の話なら、俺もある。
じいさんは自転車で見物に行き、邪魔されずに見学したそうだ。
ばあちゃんは女学生で、戒厳令の発令前に学校から帰らされた。

その他にも陸軍特別大演習の時に、ばあちゃんの家に朝鮮出身の皇族が来たとか
中島飛行機製作所に爆撃があったとき、通り道だったので爆撃為れた話をしてくれる
週刊文春にニニ六の写真が載ってる。
408名無し三等兵:2006/02/26(日) 09:57:58 ID:???
>>405
記憶が曖昧だけど親父の話じゃそれくらいだったはず
「あたご」も建造費2200億円くらいじゃなかったっけ?

>>406
読み易かろうと思ってやったが逆にダメだったみたいね
次からは普通に平仮名にします
409名無し三等兵:2006/02/26(日) 09:59:53 ID:???
>>371
>「シャルフェンベルクの高級ネクタイを返せ!」
どさくさにまぎれて(ry
410312:2006/02/26(日) 11:52:03 ID:???
>>408
小池一夫先生、乙です。
411名無し三等兵:2006/02/26(日) 14:34:27 ID:???
>>410
『ノストラダムス愛伝説』噴いた
412名無し三等兵:2006/02/27(月) 09:37:46 ID:OfQkflHR
>402
そーいや、爺さん達ってフィリピンの事「フィリッピン」っていうな?
なんか懐かしかった。
で、37MMの話だが、「臼砲や15厘砲が射撃をした/高射砲を水平撃ちした
」って記載はみかけるがそれ以外は見たことない鴨。
413名無し三等兵:2006/02/27(月) 10:47:04 ID:???
うちの爺ちゃんは関東軍にいたんだが、フィリピンに移動中に台湾沖航空戦があったため、
そのまま台湾に上陸して終戦までのんびりしてたらしい
414名無し三等兵:2006/02/27(月) 12:14:06 ID:???
>>402
奇跡か執念か?たしかレイテでM4戦車を2両撃破したかと思われ… >37mm
415名無し三等兵:2006/02/27(月) 18:06:28 ID:???
>>414 練度
416名無し三等兵:2006/02/27(月) 23:14:36 ID:???
うちのじい様は軍属でした
北海道は紋別沖の機雷処理で鼓膜をやられて耳が遠くなってしまった

なんか見物に来ていた一般人も100人くらい死んだ中で
近くにいて鼓膜だけって・・

じい様すげ〜幸運
18年くらい前に亡くなったが幸運なのんびり人生だったような
417名無し三等兵:2006/02/28(火) 18:37:23 ID:???
じいちゃんではなくじいちゃんの弟さんの話。
商船学校から海軍士官学校に進んだ人でエリートコースに乗ってた人だったらしい。
対米戦開戦後は愛宕に乗艦。

戦争が始まった頃、見合いで結婚したんだが、誰もがうらやむような美男美女のカップルだった。
結婚した時の記念写真をおばさん(お嫁さんになった人ね)に見せてもらったけど、白い礼服姿の写真は男が見ても惚れ惚れするような男っぷり。
おばさんの方も思わず「ええぇ!!」と声を上げてしまったくらい若い頃はきれいな人だった。
実際、二人で街を歩いていたらすれ違うひと皆が振り返っていたらしい。

情勢と仕事が仕事だけに二人が一緒に過ごせた期間はトータルで8か月くらいだったとおばさんに聞いた。
二人めの子供がお腹にいる時、レイテで戦死。

戦後、二人の子持ちとはいえ、若くてきれいだったおばさんには降るように縁談が持ち込まれたそう。
子供達の事もあるからと再婚を勧めたじいちゃんに「わたくしは旦那様一生に添い遂げるお誓いしました」と言って全て断ったらしい。


いかん、ばあちゃんの戦争体験になってしもうた…orz

418名無し三等兵:2006/02/28(火) 18:50:59 ID:???
>>416
その時の事が詳しく書かれていマツ 紋別ではなく湧別みたい
http://www.engaru.co.jp/osusume/saroma/top.htm
419416:2006/02/28(火) 22:05:15 ID:???
>>418

一気に読み上げました・・
じい様は笑い話のように語りましたが、脚色もあるのでしょうが当時の雰囲気を感じることができました

感謝です
420名無し三等兵:2006/02/28(火) 22:47:22 ID:4PZWRztb
母親の話だと山陽本線で呉港にちかづくと海側の窓のよろい戸(そんなのあったのかな?)をしめなければならない。
あとで憲兵隊がみてまわります。やまがわはあいててもよかったらしい。呉の軍港はやはり軍事機密!
421名無し三等兵:2006/02/28(火) 23:29:00 ID:m/kWINva
南京でのお話。とにかく見れ!
http://video.google.com/videoplay?docid=-4960427717414049428
422名無し三等兵:2006/02/28(火) 23:37:30 ID:N3p6pO8H
ばあさんは撃墜された戦闘機とB29を見に行ったことが
あると言ってた。
戦闘機は銀色のきれいなやつ(P-51?)で、中にいっぱい
氷が入ってたそうな(理由は未だ不明)。
B29?は駅の上に落っこちたらしく、めちゃめちゃだったそうな。
因みに横浜の人間です。
423名無し三等兵:2006/03/01(水) 07:37:27 ID:???
7月5日
戦争とはこれか、惨烈の極みだ。
目、鼻、耳、手足のないのが続々と来た。
苦しむ声を聞くと、胸がつまる。

7月7日
もう1回でよい。家に帰りたい。家に帰って父母に逢いたい。心残りだ。
すべては夢に過ぎぬ。僕の人生が二十五年の長い夢に過ぎなくなってしまふのだ。
憶へば平凡だった。生き甲斐のある人生だったらうか。
戦友は皆、夢を見て死んだんだ。

7月11日
死んでなるものか、これまで折角の親の苦心を、水の泡にしてはならぬのだ。
生きて必ず帰る。俺は帰ってきっと成功して、親を安心させて見せる。
それまで必ず神様よ、生かしてください。

7月20日
愈愈明日は総攻撃だ。取っておいた間食は、皆食ってしまふ。
果たして生き残るだらうか、負傷くらいですむだらうか、神様に祈りたい、無事であって欲しい事を。

7月25日
写真も見たくない。只眠いのだ。砲はどんどん撃って来る。
もう思ひ残すことはない。これが僕の二十五年の終局なのだ。
然しこれが約束の寿命なんでせう、すべてをあきらめて。
昭和十四年七月二十五日

(「大高豊治陣中日記」)
第23師団歩兵第26連隊所属・ノモンハンにて同日戦死
424名無し三等兵:2006/03/01(水) 12:22:32 ID:???
>>402
ttp://homepage3.nifty.com/sweeper/panzer/nippon/97mt.htm
>マレー半島ではイギリス軍は「ジャングルに戦車は使えない」という考えから戦車が配備されておらず、
>さほどの苦戦はなかったもののフィリピンでは強敵に遭遇している。M3スチュアート軽戦車だった。
425名無し三等兵:2006/03/01(水) 13:13:21 ID:y9yHM75S
>>424しんだおやじからきいたが日本軍にも対戦車砲あるにはあったらしい。
426名無し三等兵:2006/03/01(水) 15:26:23 ID:GJaim9Co
俺の親父は通信兵でした
いったい何をしていたのやら・・・・

いった場所は父島 母島 硫黄島 サイパン グアム らしいですが・・
どのような作戦に携わっていたのでしょうか?死んでしまったのでわかりません
誰か教えてください。
427名無し三等兵:2006/03/01(水) 21:04:40 ID:???
>>426そんなあいまいな情報じゃ無理だ
もっと詳しく!!
428名無し三等兵:2006/03/01(水) 21:45:52 ID:???
>>388
さすがにそんなバケモノはいないが、
不発だった焼夷弾の子弾をバラしたくなって
金槌で叩いて破裂させちゃった人なら何人かいたらしい。
429名無し三等兵:2006/03/02(木) 20:31:44 ID:???
エスパー検定に挑戦するかな

>>426
海軍なら駆潜艇とか敷設艇とかの乗組員じゃないか
あるいは黒潮部隊
陸軍なら・・・・考えつかん
430名無し三等兵:2006/03/02(木) 20:50:47 ID:???
>>404を訂正
機会があったから、もっかい聞いてみた
金額が違ってたよ
船体だけで400億、電子装備込みで1000億
って言われたそうな
431312:2006/03/02(木) 22:30:51 ID:???
>>430
小池一夫先生、乙です。
432156:2006/03/03(金) 21:27:30 ID:???
婆ちゃんの戦争体験で新しい話を親父から聞いたので書きます。
婆ちゃんの実家の傍の飛行場には水上練習機(水上機仕様の赤とんぼ)の他に一機だけ二式水戦も有ったらしい
基地が空襲された時、その二式水戦が迎撃に上がったらしいのだが、グラマンの編隊に多勢に無勢で
撃墜されたらしい。パイロットは脱出して基地の近くに落ちたらしいのだが、
グラマンの編隊は、その兵隊さんに20分くらい(婆ちゃんはそのくらいに感じたらしい)機銃掃射を続けたそうだ。
敵機が去った時には、その兵隊さんは手も足も内臓もバラバラに飛び散っていたとの事だ。
433名無し三等兵:2006/03/03(金) 22:08:12 ID:???
>>432
> グラマンの編隊は、その兵隊さんに20分くらい(婆ちゃんはそのくらいに感じたらしい)機銃掃射を続けたそうだ。
ちくしょおおおおおおおお!!!!!!!!(つД`)・゚・。
434名無し三等兵:2006/03/03(金) 23:37:58 ID:???
>432
> その兵隊さんは手も足も内臓も
めちゃしよるな 飴公め凸(`、´X)
435名無し三等兵:2006/03/04(土) 07:07:26 ID:???
>>432-434
降下したのが米兵だった場合は地上で八裂きにされます
436名無し三等兵:2006/03/04(土) 10:21:59 ID:???
そうだよね。俺の地元は飛行場と航空機製造工場が
あって、戦後は70年代まで米軍が使っていた横田基地の
近くのとある田舎なんだが。
小学校の総合学習で地元のおっちゃんばっちゃん戦争体験を聞こう!って企画で
近所の地主さん家行って聞いた話・・・・   「河原に
降下した米兵を憲兵が連行して、わざと民衆の中に放置して・・・恐ろしくいえん・・・
437名無し三等兵:2006/03/04(土) 10:42:58 ID:???
>>436
焼夷弾大好き、絨毯爆撃フリークのルメイが、提唱した戦術が
単独飛行、低空飛行、焼夷弾優先で武装を取り払う
だったので、迎撃されやすくて、戦闘員のパラシュート脱出の可能性が高くなる。
で、ルメイは、
「とにかく、軍につかまるようにしろ。出来れば、陸軍より海軍につかまれ。
住民に捕まればすぐ殺される」
といっていたそうです。

軍なら尋問があるから、すぐには殺さないだろう。
扱いは、陸より、海のほうが丁寧だったらしい。
438名無し三等兵:2006/03/04(土) 10:46:10 ID:???
陸海でそんな違いがあるとも思えないけどなぁ。
住民より軍に捕まれってのは日米に共通して言えるね。
439名無し三等兵:2006/03/04(土) 11:20:11 ID:???
ウチのばあちゃんも機銃掃射のなかを逃げ惑った経験があるらしい。
また、東京大空襲の日はたまたま熊谷の親戚に用があり出向いていたため、
九死に一生を得たそうだ。

440436:2006/03/04(土) 14:39:43 ID:???
でさー、俺はこんな大自然な田舎にすんでるのに
チャリで20分くらいのとこにある横田基地を
「首都」に居座る米軍 とかサヨに言われても・・・ってかんじなんだよね。

ああ昨日は猿もウサギもでたよ。ここは日本の「首都だよ」
441名無し三等兵:2006/03/04(土) 17:19:48 ID:???
まあ、昭島だの町田に住んで東京に住んでるって言い張る連中が多いからな。
環八の外側は都下だ。
442名無し三等兵:2006/03/04(土) 18:00:00 ID:???
ごめんな>441みたいな事言うやつに限って地方出身者なんだよ・・・
東京に出てきて、東京出身じゃないけど区に住んでるだけで優越感
だしちゃうんだよ・・・
443名無し三等兵:2006/03/04(土) 18:25:35 ID:???
まあ俺は多摩だけど、ここが世界で一番好きだ。
地元のためなら死んでもいいと思ってる。
444名無し三等兵:2006/03/04(土) 18:29:51 ID:???
ネズミーランドも東京だしね。
445名無し三等兵:2006/03/04(土) 18:44:45 ID:???
>>439
そのまま熊谷に疎開してたら、
最後の日の前日に酷い目にあっていたはずだから。
446名無し三等兵:2006/03/04(土) 18:51:45 ID:???
>>443は菜っ葉隊
447名無し三等兵:2006/03/04(土) 20:22:15 ID:???
菜っ葉隊って緑色の服来てたってやつだっけ?
448名無し三等兵:2006/03/04(土) 23:18:52 ID:???
>>426
戦没地が小笠原諸島とマリアナ諸島ではかなり違うが、
できれば、所属部隊名ぐらい分からないものだろうか?
通信隊配属であっても陸海の両軍であるのだし・・・。
449名無し三等兵:2006/03/05(日) 02:02:59 ID:???
戦没とは限らないわけだが
450名無し三等兵:2006/03/05(日) 02:05:25 ID:???
環八の外側から越境して帝都に入る野からは、
帝都インフラ使用税¥1000也の帝都入場券を
関所で買い求めよ。
451名無し三等兵:2006/03/05(日) 02:51:28 ID:???
うちの実家と今、俺が住んでるマンション。環八の対岸同士なんだけど。
452名無し三等兵:2006/03/05(日) 04:51:23 ID:???
>>451
はやく仲直りして実家に帰りな
453名無し三等兵:2006/03/05(日) 10:02:43 ID:???
あえて言おう!立川、昭島は東京都固有の領土であると!!
(福生はカルフォルニア)
454名無し三等兵:2006/03/06(月) 23:09:53 ID:gQA4ENB4
うちのじい様は、弟が軍の人に手を回して
徴兵検査に落とさせてもらえそうだったのに
「わしは医者や!わしは健康や!わしのどこが病気なんや!」
といって見事合格、結局ジャワまで行ったらしい。
455名無し三等兵:2006/03/06(月) 23:40:19 ID:v9F+6VJZ
>>454
日本男児の鑑だ!
456名無し三等兵:2006/03/07(火) 01:41:11 ID:???
行き先がジャワだったのがラッキー
457名無し三等兵:2006/03/07(火) 02:54:18 ID:???
>>454
うちのじいちゃんもスマトラだ。
どっかで会ってるかもな。
458名無し三等兵:2006/03/07(火) 12:20:44 ID:???
ジャワの極楽ビルマの地獄二度と帰れぬニューギニア・・・か。
459名無し三等兵:2006/03/07(火) 12:53:44 ID:t42wNpet
そういや死んだ俺のおやじの従兄が日体大でて陸軍中尉でインパール作戦に参加
とうとう帰って来なかった。イギリス軍がグライダーでひそかに降下、日本軍の
退路を遮断ということらしいが、よくジャングルの中でグライダー使えたな。意外。
460名無し三等兵:2006/03/07(火) 13:04:59 ID:???
うちのじいさんはビルマに行ったそうだ。最初は楽しいこともあったらしいが
この人生で一番つらかったのはビルマにいたことらしい。本当に食べるものに困り、
マラリアで戦友はバタバタ死んでいき、とっくに限界をこえてるのに歩かなければ
死んでいくだけだからほんとうにみんな死ぬまで歩いたらしい。
健康な人なんて誰もいなくてみんなどこかしら具合が悪く、昔の人にしては背の
高かったじいさんも最後には体重が半分近く減っていたらしい。
何人も歩けなくなって泣く泣く別れたそうだ。
一番中のよかった戦友(幼なじみ?)がもう置いて行ってくれと言いだし、
励ましたがダメで、おぶってはみたがじいさんも弱っていたので体力もなく戦友が
迷惑をかけたくないのでかならず行くから先に行けと言った。じいさんはもう
会えないだろうとわかっていたが別れて置いてったらしい。もうひからびて水分
もないと思っていたのに涙が出てきたそうだ。その時に戦友らをあとでかならず
探しに行こうと決意したらしいんだが戦後捕虜になり、日本に帰ってからも家も
焼けていて、一から始めていろいろ大変でなんだかんだ今まで行けなかったらしい。
しかし戦友の家に届いたのはただの小石みたいなもの。まだ戦友らはビルマにいる
と確信しているんだがじいさんは90歳。もう無理だろう。
まだ22の自分が金貯めて探しに行ってやろうかな。
自分は軍ヲタではないので詳しくはしらないがじいさんは若い時からいろんな
とこに戦争に行っていたらしく本当に苦労したんだなと思う。
46115軍関係者の子孫:2006/03/07(火) 13:54:25 ID:???
部隊によるが戦友会の名簿が残っていればそこから遺骨収集の話を
あたってみては?漏れの知っている限りでは、旧15、33軍関係の
慰霊団は、昭和50〜60年のあいだにすべて打ち止め。
平成になってからでは、TVの企画でミートキーナへ慰霊団がいってる
(水上少将の子孫が団長)
また、漏れ自身が怒江やラモーに行きたいと画策したこともあったが、
政情不安から断念したことがある。
 人民解放軍の雲南配属の香具師に旧軍関係の遺品をボチボチもってきて
もらったが、そいつも退役してしまったので原状不明。
いけたら、どんなものか報告ヨロ。
462名無し三等兵:2006/03/07(火) 19:55:51 ID:???
>>460
。゜(゚´Д`゚)゜。
463名無し三等兵:2006/03/07(火) 21:35:08 ID:???
なんであんな遠くのあんな広いジャングルに日本人がいたんだろう。  と思うことがある。
一度でいいから海の水を干上がらせて海底を見てみたい。
464名無し三等兵:2006/03/07(火) 21:51:49 ID:m9Ma0pIY
>>460
頑張ってくれ!ホントに応援するぜ!
465名無し三等兵:2006/03/07(火) 23:43:29 ID:???
 甲種合格ではなかった祖父が満州のどこかに配属されたのは大戦末期。
自動車部隊?だったが自動車は無く武器弾薬もほとんどなし、案の定赤軍
が南下してくると捕まってしまい日本軍が破壊して戦車が通行できなくなって
いた橋の工事をする破目に。(ソ連軍戦車のあまりの大きさに100トンセンシャ
と皆呼んでいたらしい、T34のことでしょうか?)橋の補修工事が終わりに差し
掛かってきたある日、部隊長から「この橋が完成したらシベリア送りになる。私
は責任を取って残るがお前たちは逃げろ」といわれて蜘蛛の子を散らす様に
毛布一枚持って脱走したそうです、そうして満人の家に駆け込み毛布と服を交換
してもらい逃げ切ったらしいです(中国語ができた)。しかし引き上げ船がなかなか
来なかったためにしばらくシナで商売をしてたとか、結局内地に持って帰る金額
が決められていたために捨ててくるはめに。どうにか帰ってくると婚約者は他の男
と結婚していたそうです。その後、近衛兵で無事戦地から帰還していた兄等と会社
を興し、今現在も元気です。多少あやふやな事もありますがこんな話をよくしてくれます。機会があれば祖父の兄の話も書き込んでみます。
466名無し三等兵:2006/03/08(水) 00:28:36 ID:???
>>465
運だけで無く、そのバイタリティに唯敬服いたします。
是非、お話が伺えたなら、書き込みをお願いしますね。
467名無し三等兵:2006/03/08(水) 00:44:36 ID:XTZM828v
うちのばあさん(もう亡くなったけど)の兄は真珠湾攻撃に参加したそうだ。
その兄から聞いた話を小さい頃教えてくれた。
兄は『なんとか龍』(笑)とかいう、沢山飛行機を載せた船の戦闘機に乗っていたそうだ。
それで、2回目の攻撃に爆弾積んで攻撃に行ったそうです。
魚雷?って聞いたら、いや、爆弾を船に向かって急降下して爆弾を当てるって言ってた。と・・・
真珠湾に近づくにつれて煙があちこちに立ち昇って正直怖かったそうです。
そのとき、湾から船が出て行こうとしてるのが見えて、隊長さんが攻撃を命令したので、その船に
向かって降下を始めたけど、あっちこっちから敵が撃ってきたので爆弾を落とせない。
その内に仲間が爆弾を命中させて船が傾いたので、兄と同じく爆弾を落とせなかった仲間と共に他
の煙の上がってない船を捜すと、1つ大きい船が見えたのでそれを攻撃することにしたそうです。
でも、アメリカさんもその船だけは絶対守るという感じで攻撃してくるので、爆弾を落とせない。
そんな情けない兄と仲間らを見た隊長が、俺に続け!と既に爆弾を落としたにもかかわらず船に向
かって急降下を始めたので、兄も仲間も覚悟を決めて一斉に急降下したそうです。
船からチカチカと何かが光る。それが銃を持ったアメリカの水兵だと確認できたとき、乗ってた戦
闘機からプスプスと音がし、後ろに乗ってた同僚がうわっと声をあげたのにビックリして操縦桿を
引き上げたそうです。振り向くと船から煙が見えたそうです。でもそれは兄の爆弾ではなく仲間の
爆弾だったそうです。
帰り際、同僚に何で大声出したと聞いたら、爆弾投下したのにそのまま降下し続けたのでぶつかる
と思ってからだと・・・。
船に帰って戦闘機から降りると凄い騒ぎだったそうです。攻撃はこれで終わりらしいぞと・・・。
仲間は皆怒っていたが、兄はホッとしたそうです。
そんな話をばあさんに言った後次はミッドウェーやと言って家を出て行き、帰って来なかったそう
です。ばあさんはそのとき、何時もは行き先を言わなかったのに、あの時だけは言うて行った。聞
かなければ良かった。と泣いたのを覚えています。
468名無し三等兵:2006/03/08(水) 00:53:07 ID:J0j9wKoW
>>467
それは、空母蒼龍か
飛龍ですよ
ミッドウェー海戦で
二隻とも沈んでしまいましたが
あなたのおじいさんは
そのどちらかに乗って
らしたんですね
469468:2006/03/08(水) 00:58:56 ID:J0j9wKoW
ごめんなさい
訂正です
おばあさんのお兄さんなら大叔父さんですね
470名無し三等兵:2006/03/08(水) 03:15:57 ID:5pXCU9J6
<<467なるほど99艦爆に乗っていたのか。
471名無し三等兵:2006/03/08(水) 03:26:20 ID:???
無粋だが、爆弾積んだまま引起し出来るのか?
472名無し三等兵:2006/03/08(水) 06:41:13 ID:???
>>467
> 2回目の攻撃
真珠湾の時、第二次攻撃かけたっけ?
473名無し三等兵:2006/03/08(水) 07:46:49 ID:???
>>472
第2波のことでは?
474名無し三等兵:2006/03/08(水) 11:15:36 ID:uFUzNttY
>>461教えてくれてサンクス どうするのかさっぱり知らなかった
普通に一人で行くとこだったよ まぁまだ先だろうけど
行けたら報告する
475名無し三等兵:2006/03/08(水) 11:22:15 ID:???
>>471
エアブレーキで何とかなるんじゃね?
476名無し三等兵:2006/03/08(水) 11:57:16 ID:X8tYjYnb
俺の大叔父は中国戦線で戦車に乗ってた時に戦死したらしい。
あとこの前大叔母の知り合いで何処か忘れたけど(たしか日米で一番地上戦が激しかった場所)で夫が戦死したという人が遊びに来てた。
477名無し三等兵:2006/03/08(水) 12:15:03 ID:???
うちのじぃ様は陸軍航空隊で戦ってたらしい
ノモンハンでは九七式戦闘機でソ連機を撃墜したこともあるとか
日中戦争が始まってからは中国戦線で戦ったらしい
戦争後期のある日、隼に乗ってて戦闘を終えて帰還しようとしたらエンジンが突然停止
味方機に「自分はもう帰れそうにないから先に帰ってくれ」みたいなことを無線で言った
その後、味方機はしばらくは待ってくれたけど先に行ってしまい、機体はどんどん降下していったと言う
478名無し三等兵:2006/03/08(水) 12:23:45 ID:???
>>477の続き
しかし幸いにも下が草地だったから軟着陸に成功
「しまった、機体を地面に叩きつけて自爆すべきだった。敵兵が来たらどうしよう」
とか考えてたら銃を抱えた敵兵が5、6人歩いて近づいてきたそうだ
(落ち着いて考えると一発も撃ってこなかったし農民だったのかも、とのこと)
その時、じぃ様には敵が笑いながら近づいてくるように見えたと言う
479名無し三等兵:2006/03/08(水) 12:30:06 ID:???
>>478の続き
「ここで機体ごと生け捕りにされてたまるか!」
と思い普段は邪魔だからって持たなかったがその日はたまたま持って行ってた拳銃を発射
敵に当たったかどうかは分からんが油断してた敵は驚いて全員伏せて動かなくなったらしい
その間にエンジンを再始動させようと試みて3、4回目にエンジンがかかったそうだ
その後、何とか離陸して基地に帰れたが幽霊を見るような目で見られたそうだ

以上、携帯から長文スマソ
480名無し三等兵:2006/03/08(水) 12:30:27 ID:???
だから釣り捏造系に見えてしまうが気にしない
481480:2006/03/08(水) 12:31:37 ID:???
ご、、誤爆
482467:2006/03/08(水) 14:49:53 ID:XTZM828v
>>468から>>473
ばあさんの話を出来るだけ脚色せずに書きました。変に私の知識を入れるのはダメかな?と思いましたので・・・。
戦闘機は>>470さんの指摘通り99式艦爆と思います。
2回目の攻撃も>>473さんの第2波のことだと思います。
今朝、親父に聞いてみると、親父も知っていた。
ただ、親父の聞いた話は最後にばあさんの兄はミッドウェーに行くとは言わなくて、逆にばあさんが何処に行くかを
そのときに限って尋ねたために死んでしまったと泣いたそうです。
親父は、それ以外にも、真珠湾攻撃が終わって内地に帰れると思っていたら急遽、ウェーク島を爆撃しなくてはなら
ないと言われ、そんな殺生なと思ったことや、隊長がこんなとこで爆弾使うのなら真珠湾で3回目の攻撃(第2次攻
撃?)で使うべきだったと怒ってたが、逆にばあさんの兄はウェーク島の貧弱な対空攻撃に、ここでよかったと思い
ながら爆弾を落としたことを聞いたそうです。
483名無し三等兵:2006/03/08(水) 14:53:40 ID:???
うちの爺は、大工だったが大工は重宝がられて南方の最前線
とかに行かされるとかでポリに転職。シナに行って、
山の向こうから高射砲が飛んで来た、とそれだけ聞いた事がある。
484名無し三等兵:2006/03/08(水) 15:30:46 ID:kZ0tukqW
俺のじいさんは戦時中、工兵として大陸に送られた
たまに、ドキュメントや報道番組で自分が携わった橋が映ると
「撤退するときに爆弾でふっとばしゃあ良かった!!」
というんですけど・・・

他にも、ソ連に捕らえられて抑留生活送ってたら同じ部屋の奴が絶望した顔で外から戻ったので
「どうした?」と聞くと
 「ションベンしてたらチ×ポが凍って、暖めたらポトンと落ちた(泣)」
と言ってきたそうな 

極寒ってホント怖えぇーーーーーーよーーーーーーーー!!!!
485名無し三等兵:2006/03/08(水) 16:06:21 ID:tojjJmdg
俺の爺さんはロシアに捕虜にされてしまい抑留されていた。
無事生きて帰ってきたので今の俺がいる。
ロシアよありがとう。
486名無し三等兵:2006/03/08(水) 16:12:56 ID:???
国士様が飛んでくるぞw
487名無し三等兵:2006/03/08(水) 16:55:10 ID:g5u+Is+1
488名無し三等兵:2006/03/08(水) 17:01:48 ID:???
海軍の陸戦隊。ポツダム上等兵曹であがり。
10年は軍隊にいた。226事件の鎮圧に行ったことが
あるとかないとか。佐世保鎮守府でつ。
489名無し三等兵:2006/03/08(水) 17:02:32 ID:???
>>484
そのネタなら昔の上方漫才師がやってた
「男は立ちションするときは金づち持って
 女がするときはくぎ抜きで・・・」
って内容だったがw
490名無し三等兵:2006/03/08(水) 18:46:11 ID:F57N4cpB
白壁の立派な家だったので米軍に攻撃目標にされていたという祖父の家

そのため、不発弾が押入れに落ちていたことが何度かあったらしい
軍から壁を墨で黒塗りにするように勧められたが
断っているうちに終戦になったらしい
491>>460:2006/03/08(水) 21:07:04 ID:???
>>462>>464亀レスだけどありがとう!
492じんべえ ◆TAEPPSxEpw :2006/03/08(水) 22:52:36 ID:???
檀家の69歳の人の話

「学校まで歩いて30分もかかったから、たまに通りかかるバスやトラックの後ろに飛びついて
 勝手に乗って帰ったりした。近くの山の中に大阪あたりの部隊が壕を掘って駐屯してたから、
 兵隊のトラックが一番よく走ってて、「オーイ」とみんなで声をかければ止めて乗せてくれた。
 荷台に上等兵が乗ってる時だけは止まってくれなかったけど、この上等兵はよく居眠りしてたから
 走ってるトラックに勝手にポンポン乗って、びっくりして目を覚ました上等兵に
 「またお前らか、乗ったらあかんゆうとるやろ!」と怒られた。でもいつも乗った。 
 ただ、怒ってるから車を止めてくれない。走ってる車につかまるのはいいけど降りられない。
 仕方ないから、他の車とすれ違ったり危ない道を走ったりして減速した時に飛び降りてた。」

まあ全く戦史だの戦闘だのとは関係ない話だが
493いなかっぺ:2006/03/08(水) 23:49:42 ID:???
 長くなるけど、オレのじいちゃんと兄弟の話。

長兄 満州の関東軍騎兵隊
次兄 同上(所属部隊は別)
三兄 近衛連隊将校(尉官)
祖父 陸軍二等兵(飛行場守備隊)
五弟 陸軍飛行兵(特攻隊)

 なんと全員無事生還。
 それを聞いて出征前に戦勝祈願した神社の宮司が大感激。
 曾祖父、見栄を張って鳥居を寄贈。(あーあ、無理しちゃって・・・。乗せられたんだな。)
 近所では出征後戦死した人が沢山いたので、帰郷してしばらくの間は、周囲に気を使ってなるべく兄弟五人で揃って出歩く事は控えていたそうだ。

 その頃、田舎のばあちゃんの話。
 終戦間際、駅に止まった貨物列車をグラマンが機銃掃射。(たぶんF6Fヘルキャット)
 ばあちゃん他町の人は近くの森や林に避難した。
 「綺麗だっぺ。花火みたいだべ。」
 「夜だったらなんぼ綺麗だべ。」
 「飛行機は夜は無理だっぺ。」
 などとのんきに見物。(方言てきとー)
 祖母いわく、機銃の発射炎と曳光弾は本当に綺麗だったそうだ。
 グラマンが列車に投下した爆弾(対地ロケット弾?)は、外れて駅構内の空き地に着弾。
 死傷者ゼロ。損害、駅周辺の民家が流れ弾で文字通り蜂の巣。
 その家の人が、
 「タンスの中にまでこげな物が入ってたべ」
 と、12,7mm機銃弾を見せてくれたそうだ。(見せびらかしてた!)

 続き書いてもいいかな?
494名無し三等兵:2006/03/09(木) 00:16:00 ID:???
>>493
続きキボンヌ
495いなかっぺ:2006/03/09(木) 01:35:18 ID:???
>>494
ありがとう。

 続き

 長兄と次兄は、満州から南方(本土で防衛じゃないのかな?)へ送られる途中、済州島(現韓国)で集結中終戦。
 なんでも帰郷の連絡に手違いがあったらしく、長兄が帰ってくると思って家族で出迎えると、帰ってきたのは次兄で、長兄のお嫁さんの落胆といったらなかった、と言っていた。(その時は無事だとわからなかった)
 三兄はさすが近衛将校だっただけあって、おっかない人だった。(剣道・柔道有段者)
 近衛連隊の事とか、終戦間際に降伏を阻止しようと近衛連隊青年将校が起こした皇居での反乱未遂事件など聞きたい事はいっぱいあったのだが、一切何も語らずに去年亡くなってしまった。
 五弟は陸軍飛行兵に志願して特攻隊へ。
 一緒に志願した級友はトラホーマ(眼病)で落とされてしまった。すると彼は悔しがって、治療して次の年見事に合格。
 二人とも出撃前に終戦を迎え、無事帰郷。
 ちなみにその級友、後に郷里で田舎の町長となる。
 最近亡くなったのだが、病床で時々思い出したかのように特攻隊の歌を口ずさんでいたそうだ。
496いなかっぺ:2006/03/09(木) 01:42:07 ID:???
 さて、陸軍二等兵(要するに一番下っぱ)となったオレのじいちゃん。
 じいちゃんは情け無い事に兄弟で一番のおっちょこちょい。
 軍隊での話も中途半端に面白くない失敗談ばかり。
 昭和二十年に赤坂歩兵第四連隊に入隊。
 入隊初日から夜間空襲を逃げまどう破目にあう。
 あと、建物の疎開解体作業で危うく下敷きになりかける。怪我人数人出るも、じいちゃんは無事。
 三月十日の東京大空襲では、あらかじめ防空壕を掘っておいた明治神宮に避難。
同年兵と
「きれいだなー」
と無謀にも外に出て見物していた所(被災者の皆さん、不謹慎でごめんなさい)、近くに何かが着弾!(焼夷弾の破片?)
 慌てて二人とも反射的にタコ壺に飛び込んでお互いの頭にコブを作る。
 「うわっ!目から火花が出た!」
と大笑い。
 火災の炎で真昼のような明るさの中、探照灯(サーチライト)に照らされた巨大なB29や、味方の小さな戦闘機とか高射砲の弾幕とかでものすごい光景だったそうだ。
 翌朝赤坂?に帰ると兵舎も何もかも焼け落ちて、見渡す限り一面の焼け野原だった。
 じいちゃんに、
「花の都の東京で何か楽しい事無かったの?」
と聞くと、
「そう言う記憶は無いなあ」
との事。もうその頃はそんな余裕は無かったらしい。
497いなかっぺ:2006/03/09(木) 01:44:23 ID:???
 さて、その後じいちゃんは群馬の高萩飛行場守備隊へと転属します。そこは特攻隊の基地でした。
 射撃の腕は良かったらしく、対空機銃手に抜擢されます。
 そうすると、他の部隊のみんなが陣地構築で汗を流している間、じいちゃん達は昼寝。
 その代わりいざ敵機空襲となれば、夜中だろうとなんだろうと飛び起きて配置に付かなくてはなりません。
 じいちゃんによれば、敵機の空襲は(艦載機の発艦時刻の関係か?)ちょうど昼頃が多く、腹が減ってきて弱ったそうだ。
 また、敵機は射撃しにくいように必ず太陽の方向から攻撃してきたとの事。
 グラマンが機銃掃射を掛けてくると、もちろんこちらからも射ち返すのだが、敵機の銃弾がシャワーのように降り注いで近づいてきてすぐそばに着弾するので、
「あんまりいい気持ちしないなー」
と言っていた。(当たり前。まったくのんきだ。)
 あと、
「射ってもなかなか当たらなかった。難しいもんだなー。弾を捨ててるようなもんだ。グラマンは丈夫で当たっても簡単には撃墜出来なかった。」
と言っていた。

 まだ続きあるんだけど・・・。
498名無し三等兵:2006/03/09(木) 01:49:42 ID:???
遠慮なくどうぞ
499名無し三等兵:2006/03/09(木) 01:55:08 ID:???
>>488
ウチのじーちゃんも佐世保鎮守府所属?の陸戦隊だったよ。
10年ではないけど、多分7年は行ってた筈。
ポツダム昇進ではないけど、上等兵曹(じーちゃんは上等兵曹長と言う)
終戦は外地の南の島で。46年の2月か3月にアメリカのリバティーという船で
広島のみよしに戻ってきたらしい。そこから列車で熊本へ。
勝っていた時はすごく楽しかったって言ってた。
比較的平和な島だったので島にいる時は危険な目にあんまりあわなかったらしい。
軍隊に行く前は西鉄のバスの運転手をしていて、ムッソリーニが日本に来た時の
随行員をバスに乗せたらしい。その時初めてステーキをご馳走になって美味しかったって。
運転免許があったので陸戦隊の中でもトラックを運転していた。
輸送船が食料を運んでくるとじいちゃんがトラックで取りに行くが最終目的地に着く前に
砂糖や小豆を自分の隊に横流し?して甘い物には困らなかったって。
ぜんざいパーティーが楽しかったと今でも言っているよ。
ただ、新兵の時に先輩達が共産党の兵隊の首を切る時に埋める穴を掘らされて
首を切る様を見ていたらしいが、自分も将来こんな事をするのかと思うとそれだけが嫌だったって。
「おじいちゃんは首切りはしてないけどな」と言っているが真相はわかりません。
武装解除の時に靴の中に隠していたゾーリンゲンの剃刀を今でも大事に使っています。

長文スマソ。
500488:2006/03/09(木) 02:03:18 ID:???
>>488です。
じーちゃんが言っている不思議な事がひとつあります。
これは以前どこかの大和関連のスレに書いた事があるのですが
「大和の事は知ってた?」って聞くと
「大和が沈んだって聞いた時はもうアカンと思った」
と言っている事です。所属の鎮台も違うし、国家機密の大和の事をいち下士官が知っていたのかどうか?
兵隊に行ってからずっと朝鮮・中国のあたりをうろうろしていたらしいので
大和の事がどこでどうして耳に入ったのか・・・。
今度聞いてみたいんだけど「ワシが嘘いっとると言うのか!」とか言われそうで・・・。
501499:2006/03/09(木) 02:04:10 ID:???
ごめんなさい、↑のレスは>>499が書いた物です。
>>488さんごめん。
502名無し三等兵:2006/03/09(木) 02:05:47 ID:???
もし、サルベージできたら、このスレは歴史学者の宝庫だわいw
503いなかっぺ:2006/03/09(木) 02:40:40 ID:???
>>498
ありがとう。では遠慮無く。

 戦闘が終わると、砲煙で顔が誰だかわからないほど真っ黒だった。
 それで大声で声をかけあい、遠くの戦友とお互いの無事を確認しあった。
 一度空襲があると対空陣地の場所が敵にばれてしまうので、引っ越しをしなければいけない。よって他の部隊はまた陣地構築。
 (じいちゃんたちは・・・、また昼寝でもしたんだろ。)

 あとなんか後味の悪い話。
 あらかじめ空襲に備えて本物の飛行機はエンタイ壕に隠して、竹で作った偽物の飛行機(デコイ?)を滑走路に置いておく。
 そこでもっともらしく見せかけるため、誰かが走りよって操縦席に飛び乗る搭乗員のふりをしなければならない。
 そこで足の速い伝令兵なんかに
「お前行けっ」
と上官が命令する。
 すると命令だからやらなければならない。(なんたって命令でみんなやってんだし、自分だけ出来ないとは言えない。)
 そして運の悪い人、要領の悪い人は敵機に撃たれて亡くなった。運命だな。
 (ヘヴィだ・・・。もうちょっとで終戦だったのに)
504いなかっぺ:2006/03/09(木) 02:56:15 ID:???
>>499
>アメリカのリバティーという船で
 アメリカの輸送船ですね。戦時標準船で、同じ物をいっぱい作ったんだな。なんでも一週間に一隻?のペースだとか。あまり数が多くて、つける名前に困ったらしいです。

 長くて申し訳無いけど、また続き書いちゃっても良いですか?
 あと、sageてますがokですよね?
505いなかっぺ:2006/03/09(木) 03:06:44 ID:???
>>499
 親戚のおじいさんは海軍でしたが、教官なんかが大和は世界一の大戦艦とか言っていたそうです。
 ただ、大きさとか性能ははぐらかしてしゃべらなかったそうです。
 戦時中も、新聞などに軍艦大和として名前は出ていたというのも読みましたが、本当かどうかはわかりません。

連投スマソ
506名無し三等兵:2006/03/09(木) 03:20:31 ID:???
ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/

これ読ませてもらいました。
大変ご苦労されたようで、内容もすばらしいと思います。
思いますが、、、何か、少し作り話が入ってるような・・・
こんな事言っちゃダメか、大変失礼しました。
507いなかっぺ:2006/03/09(木) 03:42:31 ID:???
 長文、連投スマソ

 その他いろいろじいちゃんから聞いた話。

 その頃はもう軍隊でも食べ物は悪くて、赤いコーリャンの飯で、まずくてまいった。(コーリャンは普通酒とか、家畜の餌だったらしいし、じいちゃんは胃腸が弱かったから多分毎日ピーピー下痢ばっかりしていたんだろう。)
 特攻隊の人達は銀シャリ(白米)にサケ缶とか食べていた。(当時貴重品だった事はわかるけど、いつ死ぬかわからない人の食事が今ではなんてこと無い白米とサケ缶だったとは考えさせられるよ)
 一度炊事当番の仲の良い同年兵から白米の握り飯をもらって、便所で隠れて食べた。こんなにうまい物があるかと思った。
 今では自分もおかずが気に入らないとぶうぶう文句を垂れているが、なんともぜいたくになったもんだ。
 不思議な事に、ああ腹が減った、何か食いたいなあと思っても、複雑な料理は頭に浮かばず、握り飯とかまんじゅうとか、単純な物ばかり想像した。

 あと、
「終戦で玉音放送を聞いた時、悔しいとか思った?」
と聞いてみたら、
「そういうのは無かった。ただただもうほっとした。」
と言っていた。

 終わり

 長文読んでくれた方ありがとう。

 もう朝になっちまった。
508名無し三等兵:2006/03/09(木) 09:59:49 ID:???
いなかっぺさん、ごくろうさま。
509名無し三等兵:2006/03/09(木) 14:17:59 ID:???
何度か同じような話がでてるんだが、
俺の先輩のおじいさんの友達がシベリアの収容所で知り合った人wは
陸軍将校だった。内地にいるときは小隊長だか
中隊長だかやってたそうだ。で、ある日どういう経緯か知らんが
隊を引き連れて海岸へ行かされて流れ着いた死体の片付けさせられた
そうだ。 
まあここから先はみんなの知ってるとおりです・・・おそろしorz
まあどっかで脚色されたり誇張されてるんだと思うけど。
510名無し三等兵:2006/03/09(木) 15:43:51 ID:???
>>507コーリャンは初めて見ると赤飯と間違えるらしいね
うちの爺さんの戦争末期のご飯ランキングは
カボチャ飯>>芋飯>>コーリャン飯だったらしい
511510:2006/03/09(木) 16:22:59 ID:???
間違えたスマソ、正確には
麦飯>>カボチャ・豆飯>>コーリャン飯だったらしい
512名無し三等兵:2006/03/09(木) 18:33:29 ID:ooTGZA2Q
じいちゃん世代って戦争行った人多いけどいかなかった人もいるの?
ちなみにうちのじいちゃんも行きました
513名無し三等兵:2006/03/09(木) 19:03:40 ID:???
>>509
死体に手首がなくて「遺骨を遺族に送るために手首だけ切って火葬して
身体は水葬にしたんだろう」という結論になったが
後日になって分かったこと→輸送船が撃沈され救命艇に乗った将校が
救命艇の沈没を恐れ、しがみつく将兵の手を一本一本軍刀で・・・
という有名な話だろ?
514名無し三等兵:2006/03/09(木) 19:30:39 ID:???
>>499
広島の三次は山ン中だから、三原か?
515名無し三等兵:2006/03/09(木) 19:56:40 ID:VzryPqpB
>>513それは作者の作り話だったと最近判明したはずだ
確か戦艦大和のやつだろ、手首を斬ったというエピソード
516名無し三等兵:2006/03/09(木) 20:02:55 ID:???
>>512
父方の祖父は南方戦線に志願兵として行って
(軍服姿の写真が残ってる・・・俺と違って、滅茶苦茶凛々しいorz)
母方の祖父は徴兵されたが、もう船が無く炊事係をしてたそうな
戦争終わると、味噌持って帰って家族に喜ばれたらしい・・・
517名無し三等兵:2006/03/09(木) 20:09:54 ID:???
>>515
サハリンか樺太の話。吉村昭の小説にもなった。
518名無し三等兵:2006/03/09(木) 20:22:24 ID:ImG+HQLy
>ソ連軍が満州やドイツで行なった強姦、輪姦【5】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1136346996/l50

519名無し三等兵:2006/03/09(木) 20:28:10 ID:???
名古屋の第六連隊は、マタロクと呼ばれていたそうな。
「また負けた六連隊」の略とのことで、
名古屋出身というだけで九州の屈強な先輩兵にしごかれたと。
520名無し三等兵:2006/03/09(木) 20:52:17 ID:???
芸スポ板の硫黄島スレから誘導されてきました。
自分の母方の亡き祖父が硫黄島の生き残りでした。
父母からの伝え聞きなので詳しい部隊名などは一切解らないのですが
部隊が米軍の砲撃に遭い、祖父は気絶してしまい気がついたら
米軍に収容されてたそうです。収容先では肉やらなんやらとにかく
いろいろな物を食べつくし終戦後、実家に帰還した時には太っていて
顔面ニキビだらけにして、祖父の墓まで作っていた家族は物凄く
拍子抜けしたそうです。その後祖父は米軍の施設で職を得て結構はぶりが良く
そのころ祖母と見合い結婚をし、母が産まれGHQが引き上げた後は
転職したそうです。
祖父は東京の下町育ちで、あまり体も丈夫ではなかったため
もっぱら後方支援にまわっていたので助かったのでは?
と、満州引き上げ者の父は言っていました。
それに引き換え父方の亡き祖父は満州で召集されてシベリア抑留されて凍傷で
足の指が何本か無くなって帰ってきたそうです。
521名無し三等兵:2006/03/09(木) 20:57:14 ID:???
うちの祖父(現在80歳)
終戦の一ヶ月前に召集令状がきて陸軍として九州に配備される。
(祖父曰く、九州に予定通りついていたら満州に出兵する予定だったが・・・
 旧ソ連の参戦で本土守備につく→そのまま終戦)
祖父の父(曽祖父)
満州事変→日中戦争に従軍。太平洋戦争時は召集されずそのまま終戦
曽祖父の弟
昭和17年5月に召集され通信兵としてフィリピンへ→昭和20年7月26日
アメリカ軍の爆撃を受けて戦死。享年26歳

祖母(現在78歳)
太平洋戦争時、軍需工場で銃の製造を行う。昭和20年8月14日の土崎大空襲
に間一髪遭遇せずに危機を脱する→そのまま終戦。終戦後祖父に嫁ぐ。
祖母の姉(現在85歳)
太平洋戦争時、軍需工場で銃の製造を行う。
祖母の姉の旦那(故人)
満州事変→日中戦争と従軍。南京の攻撃に従軍後、昭和13年7月に兵役を解かれ
日本に帰国。太平洋戦争へは従軍せず。太平洋戦争中は農業をする傍ら、
草競馬の(地方競馬よりも規模が小さい)騎手として活躍→そのまま終戦

大体、こんなところ。

実際、土崎大空襲の写真を祖母から見せてもらったが遺体が山積みになっている
写真やトタン屋根の上で苦しんでいる人の写真。
見ていて涙がこぼれた。
522名無し三等兵:2006/03/09(木) 21:12:54 ID:cMQlfW5C
>>519
大阪みたいだな。でもすぐ負けるって事はやる気がなくてすぐ逃げるのかな?生存率は高そうだね(「w
523名無し三等兵:2006/03/09(木) 21:14:21 ID:LRFqlrnS
おお・・・
なにやら軍の学校の卒業アルバムらしきものがみつかりますた。
524名無し三等兵:2006/03/09(木) 21:45:21 ID:???
>>523
うぷ!
525名無し三等兵:2006/03/09(木) 21:56:09 ID:???
高萩って群馬じゃなくて茨城じゃないのか
526名無し三等兵:2006/03/09(木) 22:10:00 ID:???
うちの爺さんの兄はビルマでタコツボに潜み…戦車に潰された。と聞いています。私としては爆弾抱えて飛び出たところをやられたのではと想像してます。
生きてる爺さんは特攻に行く前に終戦を迎えたらしいですが、
しかし私のよそうでは戦闘機には一度も乗ったことないと思います。
527名無し三等兵:2006/03/09(木) 22:56:55 ID:???
>>512
うちの父方の祖父は行ってないな
詳しくは知らんが身体検査で引っ掛かったとか
そのくせ
「最近の若者は戦争に行ってないから気合いが入ってない」
とか言うんで父は軽く軽蔑気味w
528名無し三等兵:2006/03/09(木) 23:26:29 ID:???
>>512
父方のじいちゃんはエンジニアで工場に勤めていたらしい。

母方の方のじいちゃんは海軍だったんだが、検査に引っ掛かり行けなかったそうだ。
結局乗る予定だった船は沈められてしまったらしいんだけど、乗れなかった事を爺ちゃんは悔しがってた。

運良く助かったのに悔やむなんて複雑な気持だ・・・。
きっと雪風から沈む仲間を見るような気持なんだろうな。
529名無し三等兵:2006/03/09(木) 23:49:19 ID:???
>きっと雪風から沈む仲間を見るような気持なんだろうな。

うちのじいさんは、インパールの生き残りだったが、戦友に申し訳ないと
進んではアイスを食べなかった。また、小さい頃、つれられて伊吹山に登った
が、文字通りの「行軍」。。途中で漏れはぶっ倒れた。死ぬかとオモタ。
530名無し三等兵:2006/03/10(金) 00:08:56 ID:???
>>523
うpつってもスキャナーが無いからこれで我慢してちょ・・。
ttp://hipee.moe.hm/uplon/476.jpg
もう一枚は搭乗員名簿みたいな会報みたいな。
ttp://hipee.moe.hm/uplon/477.jpg
531名無し三等兵:2006/03/10(金) 00:28:03 ID:???
ttp://hipee.moe.hm/uplon/478.jpg
盆煙草中の写真
532名無し三等兵:2006/03/10(金) 00:53:09 ID:???
ちなみにじーさんは乗り代わりで降りたすぐ後に艦が撃沈したらしく、無事だったようです。
戦後は名古屋の市電運転手として働いていました。

戦争体験で言うと・・私が生まれる前に亡くなったので直接は聞けませんでした。
フケメシの話は親父が聞いたと言ってましたがね・・・直接聞きたかった。
533いなかっぺ改め連投粘着厨:2006/03/10(金) 01:18:20 ID:???
えー、連投・長文粘着厨と化してますが遅レスを・・・。
>>508
 ありがとう。
>>509,>>513,>>515
 なんでも、負け戦を表す漢語的表現で、常套句だそうですね。
 要するに作者は漢文の素養があった、という事らしいです。
>>525
 あっ、そうでした。高萩は茨城ですね。すみません。
 群馬の中島飛行機へ勤労動員で行った知り合いのおじいさん(昭和二年生まれ?)の話とごっちゃになってました。
 大型の四発機(深山改?)を見たと言ってました。
 整備工場をやっていて、今でも自分でエンジンばらしてファインチューニングしたインテグラタイプR、ポルシェ356スーパー90(!)、911(69年?)、BMWのバイクに乗っているすごいおじいさんです。
534いなかっぺ改め連投粘着厨:2006/03/10(金) 02:35:52 ID:???
 あと、昨日書き漏らした事。

 出征する時、すんごくおっかなかった曾祖父に
「お国のために立派に戦って死んでこい!」
と送り出されたのに、
(それが当たり前だったんだろうなあ)
何故か無事に帰って来てしまった事。
 じいちゃんたち対空機銃手にはサングラス(飛行兵用ゴーグル?)が支給された事。
 なんでも簡単なシミュレータで対空射撃訓練をした事。
 時々、近衛将校の三兄がモチとか干しイモとか持って面会に来てくれてうれしかった事。
 みんな近衛将校なんて見た事無かったので、いつもはおっかない上官がぺこぺこしたりしておかしかった事。
 (じいちゃんにとって自慢の兄貴だったんだろう。
一度写真を見せてもらった事があったが、マントなんか着ていて映画2・26とか帝都物語そのものだった。
すごいね、とほめたが本人「まあな」としか答えず。)
 三兄は行軍訓練なんかで、落伍した人の荷物を持ってあげたりしていて、
(40×2=80`!それで何十`歩くんだ?)
それで抜擢されたらしいが、無理し過ぎたせいか年老いてから大腿骨骨頭部が壊死して車椅子になってしまった事。
 戦後兄弟で戦争の話をする事は無かった事。
(思い出したくないし、自慢と取られたら嫌だったし、つらかったのはお互いにわかっている事だったし、とからしい。)
 以外だった事で、いつもふにゃふにゃしているじいちゃんが五弟(じいちゃんの弟)が亡くなる時、ものすごい大声で
「〇〇!しっかりしろ!死ぬんじゃない!」
と号令を掛けて、しばらく五弟の意識が戻った事があった。
みんな驚いたけど、もしかしたら軍隊の時似たような経験があったのかもしれない。

 今ではもう兄弟で健在なのはじいちゃん一人。病弱で甘えんぼだったらしいじいちゃんが兄弟で一番長生きしていて不思議。

長文スマソ。
535名無し三等兵:2006/03/10(金) 11:50:20 ID:m5kOKajx
俺の爺さんの兄貴は全滅している
全員駆逐艦に少尉として乗艦
しかし、爺さんは陸軍
最後にあったときも陸海軍のことで兄弟喧嘩になったそうな
当然、3:1なので爺さんの負け

その兄たちは皆、南方で戦死
とくに次兄の艦は生存者梨のため、最期は知ることができない

兄たちが戦死してちょうど60年たったころに、呉のウチの家に爺さんが来た
呉には海軍墓地があり、兄たちすべての名が碑に彫られている
そこにどうしても行きたいというので、親父と俺が車で連れて行った
親父は海自で帰宅中だったので確か制服を着ていたような気がする

爺さんが「兄ちゃん!俺の息子と孫だ・・」と泣きながら石碑に何か言っていた


536名無し三等兵:2006/03/10(金) 12:04:17 ID:BjEDqDrw
今入院中の爺さんなんだが、731部隊だったらしいが
細菌兵器関係ではなかったらしいがいろいろな人体実験はしたらしい
病院で白衣みるとちょっと顔色がかわる
537535:2006/03/10(金) 12:08:39 ID:m5kOKajx
535の続きです

海軍墓地からの帰りでのこと

線香に火をつけるために備えてあったマッチが家の車に置いてあった
誰もそのマッチは使っていない。火を付けるのには自衛隊ジッポを使ったからだ
なんでかな、とは思ったが、そのまま帰った
その夜のこと、爺さんの夢に死んだ兄貴達がでてきて、
「やっとふるさとに帰れる、ありがとう!」っと言ったらしい

爺さんが「このマッチに兄ちゃんらが乗移ってんだ!」と言うので持って帰らせた

そのマッチは今、兄貴らの墓(骨梨)に遺骨の代わりとして入れてある

                     
                   
                     けど、この行為って窃盗だよな?
538名無し三等兵:2006/03/10(金) 12:54:01 ID:???
>>530-531
感謝でござる。
539名無し三等兵:2006/03/10(金) 16:42:47 ID:???
>>536
アナタ ニポンゴ チョトオカシイデス
540名無し三等兵:2006/03/10(金) 17:08:05 ID:???
(゚⊇゚)ガイジソー
541名無し三等兵:2006/03/10(金) 18:17:45 ID:BjEDqDrw
>>539
アナタノニポンゴカナリオカシイアル
542名無し三等兵:2006/03/10(金) 19:00:07 ID:hEkEJtpY
>>323 底抜けのバカ!  あの時代、食うか食われるかの戦争だ

    ヌルイこと言ってたら、お前のジイさまも死んで、最終的には日本は今頃
  どっかの国の植民地だ! バカ!!
543名無し三等兵:2006/03/10(金) 19:06:27 ID:???
漏れのじいちゃん、日中戦争従軍経験者
どこの部隊とか、生々しい戦闘の話はしなかったけど、戦争を面白おかしく話してくれた
軍規がめちゃくちゃ厳しかったらしく、靴下を一足失くしただけで、ボコボコにされるほどだったみたい
じいちゃんは靴下を失くしてしまって、隣の奴が寝ている隙にかっぱらって難を逃れたらしい
こんなに厳しい軍隊が、命令もないのにレイプしたりとか強盗をしたりとか、するはずがないと漏れは思う
544大佐:2006/03/10(金) 19:08:03 ID:???
うちのじいちゃんは軍曹までいって嘗長の事を殴って二等兵に格下されたって、いってた。
545名無し三等兵:2006/03/10(金) 19:44:16 ID:???
ウースンクリークで戦死した人の骨壺
とか戦死者の骨壺が我が家の墓の中にある。
なんか不気味だ。親族なんだろうけど。
あと近年兵隊さんのお墓が三個くらいなくなって新しい墓になった。
家が途絶えたのかな?このあいだ墓場のすみっこで星のついた墓石が
なんこも重ねられてて不気味だった。へたすりゃじいさまも墓石になって
俺もこうしてPCで遊んでなかったのか。
546名無し三等兵:2006/03/10(金) 21:09:59 ID:???
既に鬼籍に入った祖父は(多数の例に漏れず)戦地の話をあまり
しなかったらしい。
陸軍で大陸に行ったこと、衛生兵かそれに近いものだったこと、
上官に目をかけてもらっててお酒や煙草を融通してもらえたこと、
状況はわからないけど「八つ裂き」を見たらしいこと。
私が又聞きしたのはそれだけだ。
軍歴照会をしていないので詳細はわからんけど、懐中時計があるので
3年以上は軍にいたことになる。(↓のQ2参照)
ttp://www.heiwa.go.jp/jigyo/a01_b.html

赤紙はピンク色だったんだって?
547546:2006/03/10(金) 21:16:40 ID:???
祖母はまだ健在。
焼夷弾は花火のように奇麗だったよ、怖かったけどね、と笑う。
グラマン(実際に何かは謎)と零戦(これも実際に何かは謎)の
ドッグファイトを見たそうな。
アメさんの飛行機に狙われて弾が足下ギリギリにパパパパッ!と
砂埃を挙げて着弾したとか。
祖父の仏壇の一輪挿しは機銃の空薬莢…なのか?高さ20cmくらいの
真鍮製の弾だけど、ひっくり返して底を見たら日本製だったよw
祖母は防空壕を「死に穴」と言ってる。
終戦して駐屯軍が来た時、年頃の娘は表に出るな!と言われていたそうな。
548546:2006/03/10(金) 21:22:09 ID:???
ついでに母。昭和22年生まれのはずなのだが…進駐軍を見た女。
曰く、ネイビーがカモフラージュのネットかぶった戦車から
手を振ってくれたと。
(たぶん戦車じゃなくて他の装甲車両と思われるがキャタピラだったそうな)
「Gimme chocolat は言ったのか?」と問うと
そんなの言わなくてもハローって手を振れば投げてくれたとさ。
既に本土に戻っていた祖父は母の戦利品を見て何とも苦々しい顔だったらしい。
私が知っている戦争体験なんてそんなもんだ。

…ああ、祖母が喫煙を始めたのは配給品がきっかけだった、というのが
ありました…。
549名無し三等兵:2006/03/10(金) 21:37:51 ID:???
>>513 手首の無い水死体は聞いたことがある。
祖母の弟が特務でした。
場所は聞いていないが、手首、手の指が切断された水死体が海岸に流れ着いたと。

わざと船を沈めて、手を伸ばして助かろうとした者を切ったらしい?。


特務(スパイ)だったので
戦後結婚するときに自分の戸籍が抹消(死亡)されていたそうだ。
去年祖母の葬儀で会ったが元気で生きている。
550名無し三等兵:2006/03/10(金) 22:38:27 ID:???
戦争を伝える講演会で、中国で闘った80過ぎの紳士のエピソード。

戦闘で大勢負傷したが、比較的傷の浅い兵はすぐ後送手配されて
設備の整った南京の陸軍病院へ入院となるのに、
なぜか重傷の兵は陸軍病院と川を挟んだ仮設病院で手術が行われた。

その理由は、戦線復帰の可能性のある兵を優先的に治療するためで、
そうでない兵は軍医の経験を積ませるため練習台にさせられたと。
軍医も徴用であり、戦傷病とは縁のない婦人科や耳鼻科の医者も居たとのこと。

紳士は後者の方で、レントゲンもなしで弾片の場所が不明のまま、局部麻酔だけで
メスであちこち切ったり探られたりして大変な思いをしたらしい。
摘出した手榴弾の破片3個を披露してくれた。
551名無し三等兵:2006/03/10(金) 23:14:23 ID:???
漏れの父上は海軍の軍属だった。
 インドネシアのある島に、海軍の食料を増産するために
学生をかり出して派遣した組織だったらしい。
 同じときに別の船に乗って行った仲間は沈められ、何割か
のものだけが島にたどりついたようです。
 祖父や祖母に手紙を書くときに、
「自分がいる場所を手紙におもむろに書いてはならない」
 と事前に言われていたので、あらかじめ祖父と打ち合わせ
をして、自分のいる場所は暗号で手紙に書いたらしい。
 食料事情はそんなに悪くなかった(自分たちで生産したり、
現地の人もよくしてくれた)らしいが、シンガポールに
立ち寄ったとき、蛍光灯その他米英の技術をみて、あまりの
差に、
「こんなんじゃ、戦争には勝てない」
 と思ったらしい。
 それでも学生だし、軍に言われるままに働いて終戦。
「雉」という駆逐艦に乗ったらしいが、父上は「水雷艇だった」
と言っている。
552じんべえ ◆TAEPPSxEpw :2006/03/10(金) 23:40:09 ID:???
>>550
そういえば、水木しげる翁の左手切断手術をした軍医は眼科医だったらしいのぅ
553名無し三等兵:2006/03/11(土) 00:18:46 ID:???
>>551
その「雉」ですが、艦種は水雷艇で正しいようです。1947年にソ連に
引き渡されてます。

(どの程度正確か不明ですが、手元の資料によると)
この艦は、鴻級(型)水雷艇の一隻で、排水量は公試:945トン、満載時
1040トン。 全長88.5メートル。 速力30.5ノット、汽缶2(煙突は中央
一本の集合煙突)とあります。
武装は12センチ45口径砲単装3基3門、40ミリ対空機銃1門、53センチ魚雷
単装3基3門(←三連装魚雷発射管1基の間違いでは?)。
しかし、大戦中に改装も実施されて対空機銃の増設や、爆雷投射機、投下
軌条も追加されたようです。

アメリカの魚雷艇を思い浮かべると、そのサイズも艦影も全く違いますね。
軽駆逐艦(準駆逐艦?)と言った方が正しいような気がします。
ロンドン軍縮条約で名称を魚雷艇と偽ったのが始まりでは無いかと思われ
ます。 この辺り詳しい人が居たらご教授下さい。

蛇足:
隼級一等水雷艇にも「雉」の艦名を持つ艦がありました。
こちらは日露戦争の旅順沖で触雷し除籍、代艦(1923/12/15に除籍)が建造
されてます。 今回お話しの艦とは全く別。
554名無し三等兵:2006/03/11(土) 04:37:24 ID:???
某作家が軍隊経験や戦争体験の本をたくさん刊行してるんだけど
同じ部隊にいた爺ちゃんと戦友会のメンバー達がその本を読んだら
嘘だらけで異議申したてる手紙を集団で送りつけたんだけどあっさり無視されました。
555名無し三等兵:2006/03/11(土) 09:09:56 ID:???
>>554
まずはその作家名を晒すんだ
556名無し三等兵:2006/03/11(土) 10:30:47 ID:nZ/T91Vr
スレチだけど、ネットで古参兵にリンチされて、手榴弾で自殺したはなしを見てやりきれない気分に・・・・
557名無し三等兵:2006/03/11(土) 11:40:04 ID:???
>>553
 詳しいことを教えてくださり、ありがとうございます。
 父やその仲間の人たちは、戦後も暫くの間は任務の内容が当時
公表されてなかったとかなんとかで、「戦友会」のような集まりも
ずっと後になってからしかやれませんでした。
 漏れの家は食堂だったのでみんなそこに集まっていました。
 大きなヘビと格闘してそれをみんなで食った話とか、みんな集まると
当時の武勇伝みたいな話になり、中には女性に病気をもらったこと(当
時はヒミツにしていたらしい)を仲間にバラされた人(ウチの父上も)
もいましたが、みんな(上官も含めて)仲がよかったようです。

 そういえば某俳優も、昔海軍での肩書きを詐称してましたね。
 確かテレビを見た仲間から告発されたんじゃなかったっけ。
 
558名無し三等兵:2006/03/11(土) 12:13:50 ID:???
うちの父方の祖父は南方の激戦地に行ってわずかな人数しか帰って来れなかったという話で、
祖父自身も戦死とされたあとに帰ってきたと父親に聞いて、どこの島に行ったかの気になるんですが
どうやって調べたら良いんでしょうか?

祖父は私が生まれる前に亡くなっていて、父親も詳しい場所は知らないとのことです。
祖父は福井で徴兵されたとしか分かっていないんですが。
559名無し三等兵:2006/03/11(土) 12:27:32 ID:???
>>557
戦記作家に脚色/創作は付き物。実録とは謳ってないから。
豊田譲なんて、99艦爆に乗ってガダルカナルで被弾エンジン停止したが、
墜落する瞬間に機首上げして、頭上通過するグラマンを7.7mmで落したと書いてる。
560名無し三等兵:2006/03/11(土) 13:20:15 ID:???
>>558
このスレの過去ログを見る限り(私も軍板常連じゃないんで…)
都道府県レベルの行政機関で軍歴照会というものができるそうな。
それで所属した時期と部隊がわかるみたい。
任地はわかるのでしょうか、軍曹殿。
561名無し三等兵:2006/03/11(土) 14:17:06 ID:???
父方の92歳の爺様の話を綴ってみる

無学というほどではないけれど大学を出ていなかった祖父は戦争中期には戦地へ
ブーゲンビル諸島の補給兵站部隊として配属されたそうだ
敵の攻撃もそうだがなによりも補給線が途絶えていて
曰く蛇が食べられればご馳走だった、との事
トラックを運転中艦載機に追われ崖に落ちて九死に一生を得たとも話してた
一般に立っていられれば1週間は大丈夫、みたいな事が言われてるけど
実際の兵士間でも認識はそんなだったらしい
血尿が出始めたからこいつはもうダメだ、みたいな判断だと言っていた
祖父は終戦まで生き残り伍長待遇で終戦
軍令部が気を利かして昇進させてくれたと話していた
戦後も色々あったらしいが進駐軍や弁当屋で鬼のように働いたらしい
お陰で家も、土地もある…
祖父の人生なんて嫌な事だけしかなかっただろうに
昔の人間って言うのはああいう人間なんだろうなと、最近思うよ
今でも夢見が悪いらしくて夜中に叫ぶけど、それでもまだまだ元気だ

余談だが俺は実家住まいでホタル族なんだが
煙草を吸いに行ったら祖父が鉈を研いでいてそれがえらく年代物だったので聞くと
「ああこれか、戦地で土人にもらった」
と言っていた…そう言えば家のステンレスのスプーンにはUSNと入ってるし…
物持ちがいいのもバイタリティが高いのもあの時代の日本人だと思ったよw
562名無し三等兵:2006/03/11(土) 21:29:48 ID:???
亡くなった祖父が零戦パイロットでした
ガダルカナルかポートモレスビー付近の空戦で撃墜され
同じ島に米軍パイロットと流れついたそうです
何日間か一緒に島でサバイバル生活を送り
米軍が助けに来た時にカタコトの日本語で説得され捕虜になったそうです
戦後も付き合いがあり、相手がロス地震で大変な時には援助したりしてました
563558:2006/03/11(土) 21:32:43 ID:???
>>560さん
ありがとうございます。父方の家系では祖母が戦後の栄養失調で娘を亡くしているので
詳しい話が聞けなかったので今度機会があったら照会してみます。
564名無し三等兵:2006/03/12(日) 00:06:12 ID:???
>562
ドラマか漫画になるような体験をされてるなぁ。
アメリカのパイロットの方はまだご存命なんでしょうか?
565名無し三等兵:2006/03/12(日) 00:53:02 ID:QJLTAnwa
その昔いじわるな古参兵がいました。
だいたいの古参兵はものすごく厳しいが
どこかしらやさしい面や、寛大な面があり信頼・尊敬のできる
ような人でした。しかしその古参兵はそれが全くなかったそうです。
ある日戦闘で戦死者が一人でました。その古参兵でした。
背中に沢山穴があいてたそうです。
566名無し三等兵:2006/03/12(日) 01:28:32 ID:???
>>562です
相手の方は祖父より先に亡くなっております
とても良い方でした、私にとってはもう一人の祖父でした
他に祖父達から聞いた話では
笹井中尉に空戦の仕方を教わった
米軍では撃墜された敵パイロットを撃ち殺す様に暗黙の命令があった
米軍の戦闘機パイロット達は命令が嫌だったので、ワザと外したりしていた
戦闘機以外のパイロットはむしろ楽しんで撃ち殺してた
日頃の恨みもあったんでしょう
567名無し三等兵:2006/03/12(日) 02:04:28 ID:???
マルコファゴット大佐の「敵のパイロットを助ける話」も
本当にあったのかも知れないな。
568名無し三等兵:2006/03/12(日) 04:28:21 ID:???
>>561
なにかと不便だった時代の人は器用ですよ。 もう亡くなった親戚の老人は自分の家を
増築。大工じゃないのに。 その家を生前に訪れたけど、端から見て素人がやったとは
到底見えなかった。

>>566
凄い人の名前が出てきてる…。 軍板の零戦ファンがきっと泣いて喜ぶなぁ。
そうすると台南航空隊なんですかね、祖父君は。 亡くなれているようなので凄く残念。
569名無し三等兵:2006/03/12(日) 08:41:39 ID:???
じいさんが陸軍の暁部隊で上陸用舟艇の大発に乗ってました。
瀬戸内海近くの基地にいたそうですが、戦争末期で燃料がなく
船に乗ることは少ないそうです。

大発を見たときに木造で驚いた。漁船と大して変わらない
味方の戦闘機や軍艦はほとんど見たことはない。駆逐艦を1回見ただけ
兵舎に空襲があると山に逃げる。終わると戻る。
主な任務は瀬戸内海の無人島に弾薬や食料などを運んだ。たぶん本土決戦用
グラマンに見つかると機銃掃射され木造船なので穴から海水が吹き出る
見つかったら小島の陰に隠れてやり過ごす。大発にも機銃があるが役に立たない。
広島に新型爆弾が落ちたのを上官から聞いた。
終戦後に大発の燃料を一升瓶に詰めて地元の漁師に持っていくと、
大量の魚と交換してくれる。
570名無し三等兵:2006/03/12(日) 11:31:17 ID:???
>>549
間違いです。特務=スパイではありません。
例えば、特務大尉と普通の大尉の違いはなにか?
学歴です。特務は海軍たたき上げの大尉。普通の大尉は海大卒のキャリア

勉強しましょう。
571名無し三等兵:2006/03/12(日) 11:36:36 ID:???
>>570
海大と海兵は別物です。

勉強しましょう。
572名無し三等兵:2006/03/12(日) 12:00:03 ID:???
うちのじーちゃん通信学校行って、
真珠湾攻撃の、ニイタカヤマノボレの暗号を指示してたらしい
573名無し三等兵:2006/03/12(日) 20:45:08 ID:???
スレ違い気味ですが、ご容赦。
母(終戦時旧制高女 島根県松江市在住)は終戦の日の新聞(朝刊だが午後に配達された)
の一面トップの見出しが
「一時休戦」
であった、と主張している。

いったい、ありうることでしょうか。諸賢のご教示を願います。
574名無し三等兵:2006/03/12(日) 21:03:20 ID:???
>>573
「新聞社に聞〜〜〜〜〜〜〜いてみりゃいいんじゃねぇの!?」
575名無し三等兵:2006/03/12(日) 21:14:33 ID:???
その新聞社は現存しないようです
576名無し三等兵:2006/03/12(日) 21:40:38 ID:???
>>575
「それでは日本新聞協会に聞けば良いではないか?」
577名無し三等兵:2006/03/12(日) 21:52:27 ID:???
なるほど、深謝。
578名無し三等兵:2006/03/12(日) 22:22:11 ID:lyB1IZiU
今日実家に帰ってるので爺さんの戦争体験を聞きました。
陸軍61戦隊にいて、台湾→ジャワ→ニューギニア→壬生飛行場と移動してきたそうです。
97式重爆に乗って、ポートダーウィンの爆撃や対戦闘機戦を経験したとのこと。
敵戦闘機を落としたことはあるのか?ときいたらみんなで一斉に撃つから誰が落としたのかなんてさっぱりわからないそうです。
ニューギニアにいたときはやしの実がたくさんあり、そのほかにもジャワから米が送られてくるので、食事にはまったくこまらなく、
また、現地人(土人と言っていたが)がタバコとかもくれたそう。
しかし、白い便が出るようになって、内地にもどされ、終戦時は、壬生飛行場で教官をしていたんだとのこと。
ざっくりこんなかんじでした。
579名無し三等兵:2006/03/13(月) 11:18:03 ID:nIKAI3kg
うちのじーさんが言ってたが
どっかの南方の島で戦闘中にちょっとした崖に手榴弾を落としたら
爆発したらしい
そしたら爆発したところに米兵が4人ぐらい死んでたそうな

すぐに米の兵隊が数十人ぐらいやってきて
爺さんは肩を撃たれた そのせいで今もMRI検査ができない

580名無し三等兵:2006/03/13(月) 17:07:33 ID:???
>579
弾が残ってるって言う事?
581名無し三等兵:2006/03/13(月) 17:17:28 ID:iBu25D6O
うちの爺さんは元日本軍の通信部隊だったらしい
敵の連絡通信を傍受し暗号化された内容を解読していたらしいが
どうしてもドイツのだけ解読できなかったとの事

通常は天候や電文を送っているのだが突然として解読不可能な数字だけの
電信になるらしい。

爺さんは潜水艦や駆逐艦にものっていたらしいが、後半は喜界島の地下に潜んでいたらしい
582名無し三等兵:2006/03/13(月) 17:47:47 ID:???
>>579
ショットガンで撃たれたの?
583名無し三等兵:2006/03/13(月) 18:25:16 ID:wig9lcoO
近所の爺さんは ロシアの方に行ってて丸太を持って戦車に突っ込め
って言われて アフォらしくなって逃げたそうだ
そのあとロシアに捕虜になって 脱走
今もご健在だ
584ぽんた:2006/03/13(月) 18:44:10 ID:TlLAPq3t
俺の祖父近衛師団だった
騎兵だったんだて
585海軍上飛曹:2006/03/13(月) 20:02:51 ID:???
内のじいさま、予科練、太平洋戦争開戦の前年に卒業だから予科練の中でも
一番優秀な年次だと自慢している。二式大艇の操縦士ではなく航法士をして
いて部隊を誘導していたらしい、開戦の前から日の丸を黒く塗りつぶし国籍
不明機としてたびたび爆撃に行ってたらしい、インド洋作戦、ガ島作戦、南
太平洋を飛び回っていた、グラマンに襲撃され操縦士に海面すれすれまで降下
して逃げろと言ったが操縦士が島にぶつかると言ってなかなか高度を下げない
ので後ろから思い切り頭をぶん殴って高度を下げさして逃げ切ったこともある
。天測はかなり難しく天候に左右され、夜間作戦ではたびたび帰ってこない
部隊機があったらしい。また被弾して不時着して飛行機から飛び降りた瞬間
爆発して一瞬の差でひだるまになって死んでいった仲間もいたと。最後はサイ
パンで飛行機が空襲で無くなり終戦の翌年まで島中を逃げまわり、終戦後なの
で捕虜ではないと言う証明書を米軍が書いたらしい、その時出頭したのが48名
がいたらしい、サイパンで逃げていた時米軍は食料や迫撃砲を山の中においた
まま引き上げたので食料をぬすみ、迫撃砲で海岸方向を撃ったらものすごい
反撃があった、逃げてる時に栄養失調で全ての歯は抜け落ちた。出頭して
からは元パイロットということで他の人より待遇がよっかたとの事。


586名無し三等兵:2006/03/13(月) 20:37:33 ID:F5ZlcS1m
>終戦後なの で捕虜ではないと言う証明書を米軍が書いたらしい、

筋金入りだね。マジ尊敬。
587名無し三等兵:2006/03/13(月) 21:04:56 ID:???
平荘町なら士官扱いだな
588名無し三等兵:2006/03/13(月) 22:49:41 ID:???
祖父は昭和11年から終戦まで軍医で、最後は師団軍医長でした。

で、まだ大陸で連隊軍医長のころのことですが、大休止のち朝食行軍準備、の
号令がかかって出発準備していたら

「第3中隊が全員ゲリしてますっ」
「何食った!?」
「飯たいて、乾燥味噌といて近所の農家からナッパもってきていれて煮てたべたです」
「?」

行ってみたら、ナッパとはタバコの葉っぱだったそうです。一日サワギだったとか。
589名無し三等兵:2006/03/14(火) 02:22:38 ID:???
煙草はナス科だからまちがったのかな・・・
590名無し三等兵:2006/03/14(火) 06:06:34 ID:???
俺のじいちゃん戦犯…orz
591名無し三等兵:2006/03/14(火) 10:01:05 ID:nRcC2R0U
俺の爺さんは一時期ヒロポン中毒になったらしい
戦場でかなり打ったらしい
それが原因かは分からんが、今寝たきり
592名無しさん@元戦車兵:2006/03/14(火) 10:13:22 ID:V4oVMdr2
うちの父方のじいちゃんは、法務官(軍属)として、台湾の高雄にて
昭和19年にマラリアで戦病死。
母方のじいちゃんは、詳細は不明だが、若い頃に事故で片目を失明して
徴兵免除。
以上
593名無し三等兵:2006/03/14(火) 10:13:58 ID:6GoFdsQZ
暇なら12:00に一斉にジャンプ
http://ex14.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1142296422/

お前らも一緒に地震を起こそうぜ!
594名無し三等兵:2006/03/14(火) 10:15:40 ID:3rMUSMgV
>>591
夜間の視力を向上させる薬を俺の爺さんは飲まされていたらしい
み号丸薬という錠剤で飲むと確かに夜間飛行の時にはよく見えたらしい
いまだにその薬の正体がわからないのですがどなたかご存知ですか?
595名無し三等兵:2006/03/14(火) 10:35:04 ID:eWIrDH8w
おいおまいら、ID:YAsukNi+ の神が発生しますたよ!

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1140673165/l50
596名無し三等兵:2006/03/14(火) 11:56:10 ID:???
戦争が終わったときは終戦だという認識で敗戦とは思わなかったらしい。

終戦の数ヶ月前までは勝っていると思っていてどうやら都市が空襲されたらしいと
思っていたらいきなりあわただしくなったと感じたらしい。

日本軍は優勢らしく米軍を日本におびきだして決戦して勝ちだなと思っていたら
終戦なので拍子抜けしたらしい。

それで勝ったのかなと思って近所の人と話してみたら
勝ってはいないが戦争は終わったようだという結論になって負けだとは誰も
思わなかったらしい。

数ヶ月たってから負けたのかなと思ったらしいが数年は終わったくらいにしか
思わなったらしく。なんか戦争したけどなんかよくわからんうちに
終わったと言っていた。
597名無し三等兵:2006/03/14(火) 13:06:33 ID:3rMUSMgV
うちの死んだジジイは「太平洋戦争では勝ったの負けたのではなかった」
この戦争を行わなければ今の日本はなかった言っていた

598名無し三等兵:2006/03/14(火) 13:26:34 ID:???
正論だな
599名無し三等兵:2006/03/14(火) 16:02:43 ID:???
>>594
駆逐艦見張員が飲んでいたビタミンD 錠剤(暗視ビタミンと呼ぶ)かビタミンAかな

ちなみに、み号とは(見えるの「み」の字から)
600名無し三等兵:2006/03/14(火) 17:29:10 ID:???
ブルーベリージャムの話を思い出すね
601名無し三等兵:2006/03/14(火) 18:18:04 ID:???
>>600
あるところで、ブルーベリーは英軍の高性能レーダーを隠すための欺瞞情報とあったが、どうなのかね?
602名無し三等兵:2006/03/14(火) 19:50:00 ID:???
>>600ブルーベリーに含まれているポリフェノールだかが
夜目に効くのだっけか?
603名無し三等兵:2006/03/14(火) 21:50:26 ID:???
>>594
夜間戦闘機搭乗員には牛の脳下垂体から抽出された「暗視ホルモン」なるものが注射されたと言うが…
604名無し三等兵:2006/03/14(火) 22:16:32 ID:???
>>602
ブルーベリーの中に入ってるのはアントシアニンだと思いまつ。
605名無し三等兵:2006/03/14(火) 23:06:40 ID:JqJezyqG
>>603
それの実態はけっこうヤバいクスリだったらしい、って何かで読んだ気が・・・
航空ファンだったかな?
606名無し三等兵:2006/03/14(火) 23:12:46 ID:???
>>605
航空ファンの渡辺洋二氏の連載ですね。後に文藝春秋から単行本にまとめられてます。
暗視ホルモンの正体は、覚醒剤
607名無し三等兵:2006/03/14(火) 23:17:37 ID:???
ソニーの赤外線ビデオかと思った。
608名無し三等兵:2006/03/14(火) 23:42:50 ID:???
>>601
戦後しばらく経って云われた話らしいのであまり関係ないのでは?
アントシアニンの研究のきっかけになったと云う程度の逸話らしいですし

>>606
メタンフェタミンの錠剤でしたっけ?

594のおじいさんが飲んだ薬ってメタンフェタミンにビタミン剤を添加したものだったんだろーか?
609名無し三等兵:2006/03/15(水) 00:30:51 ID:EOYD10Ex
今日、俺の外来に来た患者。
96歳になるのにやたら元気。独りで車で来た。
耳が遠いので筆談だが、理解力もしっかりしてる。
診察が終わるころ、こんな話が

爺様「今月末にI温泉行くんだが大丈夫かね」
俺(軍ヲタ医)「福島のI温泉ですか?」
爺様「うむ、海軍の寄合での。教員を40年、校長を15年務めたが、戦時中は海軍にいたのぢゃ」
俺(軍ヲタ医)「・・・!?海軍!!?」

その後にチョト聞いた話。
戦争後半、35歳くらいだったが応召とやらで兵隊にとられ、海軍に行ったんだと。
同僚はみな陸軍行ったが自分だけが海軍を選んだとか、そんな話。
何の気なしに、応召で何処に行ってたのか聞いてみると・・・
ナント、    武  蔵  に  乗  っ  て  た  !!!
日本海軍最後の戦争であるレイテの戦いに参加して・・とか誇らしげに話してくれたよ。
元々は水雷科にいて、麻耶に乗っていた時は魚雷を扱っていたが、武蔵では魚雷が装備されていないため
救助員をやっていたとのこと。そして、武蔵が撃沈された時は島風に救助されたと話していた。
歴史群像の12月号(ソロモン海鮮の話が載っていた奴)の表紙見せてみたらスゲー喜んでくれた。
「そうそう、こんな船で、あの大和と殆ど同じ構造だった。
中には3000人以上乗ってたんだ。100人くらいしか生き残らんかったがなぁ。。。」と
表紙の絵(武蔵じゃないけど)を見て、懐かしそうに語ってた。

本当だったら凄い話だが、この話の信憑性はいかに?


※ちなみに、この爺様耳が遠いため,俺の診察もその後のトークも筆談+大声となり、
  俺が軍ヲタであることもと同僚にばれたのは言うまでも無い。
  明日は休もうかなOTL
610名無し三等兵:2006/03/15(水) 02:05:12 ID:???
何千人も乗ってたんだもの、結構いるでしょ。大和だの武蔵だのに
乗ってた人なんて。ウチの父方の爺さん(坊の岬沖合で死亡)だって
大和に乗ってたよ。
611名無し三等兵:2006/03/15(水) 08:17:57 ID:???
俺の爺さんは戦時中若かったから特攻に志願して訓練中に終戦になったそうだ
訓練が厳しかったとよく語っている

住んでるとこが田舎だったから空襲には遭わなかったらしいが大都市の方角が明るく光る夜が何日かあったともいっていたな
612名無し三等兵:2006/03/15(水) 09:06:22 ID:U2bntOOx
サヨの友人が祖父のように慕っていた男性が最近亡くなられた
その葬儀の席でその方が大和に乗っていたことをはじめて知ったらしい
京都の料亭で修行していて料理をする部署にいたらしいのだが
軍人とか戦争の話を毛嫌いしていたその友人がそれ以来むさぼるように大和関連の書籍を読みあさってる
613名無し三等兵:2006/03/15(水) 09:43:45 ID:???
医者か・・・いいなあ・・・
俺は医者になることが夢だったんだけど・・・挫折したOTL
614名無し三等兵:2006/03/15(水) 11:09:59 ID:???
オラの爺様は武蔵の軍医だったそうだが、本当かどうかは最早確認できん。
615名無し三等兵:2006/03/15(水) 12:38:59 ID:???
>>614
乗艦名簿とかが遺族会に問い合わせればあるのではジャマイカ?
せめて乗船時期がわかればね・・・
616名無し三等兵:2006/03/15(水) 13:22:45 ID:???
ちょっと前の朝生に武蔵に乗ってた人(社長さん)出てたな
武蔵が撃沈されて300人くらいが生き残って海に放り出されて
またその3分の1の100(120人?)人程度が救助されて帰還できた
とか言ってたような気がする
617名無し三等兵:2006/03/15(水) 13:51:33 ID:???
>>614
海軍の軍人なら厚生労働省が軍歴持ってるよ。
陸軍だと都道府県によっては火事で焼失、とかあるけど厚労省は燃えてない。
618名無し三等兵:2006/03/15(水) 15:40:01 ID:???
マジで!
619名無し三等兵:2006/03/15(水) 18:14:11 ID:6yXAWJEQ
次のネタマダー
620名無し三等兵:2006/03/15(水) 18:21:40 ID:p3cxlvxE
うちの爺さんは満州に言った後ロシアにいったみたい
どんな作戦だったのやら・・・死んだからわからん
621名無し三等兵:2006/03/15(水) 18:22:01 ID:Mdroku72
以前書き込んだんだけど、大叔父の持ってる写真上げたいんですが
どうすればいいですかね?教えてくだされ。
622名無し三等兵:2006/03/15(水) 18:43:07 ID:???
うちの曾じいさんの話。

区長として軍に若者を送り出したので戦犯(?)とされ、
戦後公職に付くことを禁止された。

うちのじいさんの話。

戦争末期に徴兵されて「第二乙」(?)として合格し海軍に行った。
部隊(?)内で銃を紛失した者がいて連帯責任ということで
その隊(?)の隊員全員が棒で叩かれた。
うちのじいさんは叩かれた次の日は歩けなかった。

銃を紛失するようなことがあれば他の隊(?)から盗んできて
誤魔化した。

戦地に出ることはなく、北九州(九州北部?)で塹壕を掘る毎日を
過ごしていたら終戦になった。

すべて伝え聞いたことの上に、かなり昔に聞いたことなので
俺の記憶もあやふやになっている。
それで個人的に疑問の思うところ「?」を付けた。

それと、じいさんの話の「部隊」、「隊」というのは「班」の
間違いかも知れん。

…つまらんネタですまん。
623622:2006/03/15(水) 18:51:11 ID:???
あー、じいさんの話の「塹壕」は「防空壕」だったような
気がしてきた…。

重ね重ねスマン。orz

信憑性は「最低」扱いでヨロ。
624名無し三等兵:2006/03/15(水) 19:02:13 ID:p3cxlvxE
俺の曾爺は召集令状が来たけど逃げ回って捕らえられて非国民扱いされ処刑された
625名無し三等兵:2006/03/15(水) 19:23:56 ID:OYEJkq6D
>>624
お前のじーさん死んだかどうか分からんのだろwww
626名無し三等兵:2006/03/15(水) 19:26:09 ID:???
北海道へ行けば安泰だったのに。
627名無し三等兵:2006/03/15(水) 19:45:03 ID:???
曾爺≠爺さん
 ↑   ↑
 親   子
628312:2006/03/15(水) 20:11:30 ID:???
>>625
よく読めよ。
>どんな作戦だったのやら・・・死んだからわからん
629名無し三等兵:2006/03/15(水) 20:22:28 ID:Zips8fur
630名無し三等兵:2006/03/15(水) 21:08:27 ID:???
うちの爺さんは大陸の首都でポン刀やスコップで500人は殺したって
あとこれは軍からの命令だったんだって
で、死体は焼いて骨は砕いて川にまいたんだって
631名無し三等兵:2006/03/15(水) 21:21:46 ID:gxhX8oL6
>>630
まあ戦争だからそんなもんだな。
632名無し三等兵:2006/03/15(水) 21:42:59 ID:???
祖父の遺品を整理していたら
「隊聯三一第兵歩 帖真写念記動出州満」
なるものが出て来た。要は従軍記念アルバムだな。
昭和八年辺りの刊行。当時はまだこんなのを作る余裕があったんだね。
昭和七年十二月六日の出動命令から昭和八年十月一日の復員完了までの
細かい行動概要まで載っていて興味深い。
でも地名とか書いてあっても全然わかんねーっす(w
633名無し三等兵:2006/03/15(水) 22:00:12 ID:???
むかし潜水艦に乗ってたって。
634名無し三等兵:2006/03/15(水) 22:30:52 ID:916brjmM
俺の母方の祖母の父親(俺の曾祖父さん)は海軍で階級は少佐だったかな?
台湾の方で軍艦に乗ってたみたい
生きてたら105歳くらいかな
直接会ったのは1度くらいで赤ん坊の頃だから記憶にないけど
635名無し三等兵:2006/03/15(水) 22:33:33 ID:???
         ∧_∧
         (`∀´ )
         /   /⌒ヽ
      _/⌒/⌒/ / |__
     / (つ /_/ /\ |  /\
   /  (_____/  ヽ/   \
  /| ̄ ̄         ̄ ̄|\>>630  
/  |   かまって     |  \/
    |   ください     |/

          ∧_∧
          ( :∀; ) >>631タン、ナマアタカク ムカエテクレテ アリガト
         /   /⌒ヽ
      _/⌒/⌒/ / |__
     / (つ /_/ /\ |  /\
   /  (_____/  ヽ>>630 \
  /| ̄ ̄         ̄ ̄|\   /
/  |   かまって     |  \/
    |   ください     |/
636名無し三等兵:2006/03/15(水) 22:43:02 ID:w6t486w5
俺の爺さんは、ベーブルースやチャップリンにワインをサービスした経験のある日本郵船のボーイでした。
そして、海軍に徴兵後、シンガポールに行き、接収したラッフルズホテルの修繕と従業員教育と管理をしました。
しかし接収作業の時、現地人従業員が日本軍に飲んで欲しくない高級ワインやコニャックを穴に埋めて破棄しようとしていたのを見て、じいさん激怒。
チーフバーテンダーとソムリエを呼びつけ、「お前達は酒を扱う職業だろ!酒を愛せ!こんなことはするな!」と説教して、ワインは井戸の底に、コニャックは厨房の冷凍庫に隠させ、「戦争が終わったら、正規の客に提供しろ。」と命令しました。
しかし戦後引き揚げの時、現地人が埠頭に見送りに来て、爺さんに木箱を持たせました。
中には、フランスのラ・ターシュという赤ワイン(現在でも1本10万円くらいする高級ワイン)が入ってたそうです。
637名無し三等兵:2006/03/15(水) 22:44:55 ID:???
それは週刊文春で読んだ。
638名無し三等兵:2006/03/15(水) 22:46:24 ID:???
>>636
美味しんぼにでてきそうなじいさんだねぇ・・・。
エエ話や。
639634:2006/03/15(水) 22:56:11 ID:916brjmM
父方の祖父さんの兄がフィリピン沖で戦死しました。
年は17歳で遺影の写真が俺に似てる
祖父さんが孫の中で俺を可愛がってくれたのも・・・(まぁ初孫だから当然か)

去年ミンナダオ島で日本兵の生き残りの話が出た時婆さんが
「祖父さんのアンちゃんが出てきたりしてねえ」と言うと
祖父さんは無口になった
戦争に関しては「あの時代では仕方なかった」と言うものの
複雑な思いがあるみたい
640ゆきこ:2006/03/15(水) 23:53:21 ID:???
私のおじいちゃんは東條英樹ですよ!
641名無し三等兵:2006/03/16(木) 00:04:29 ID:???
皿仕上げ
642名無し三等兵:2006/03/16(木) 01:53:52 ID:ezacpccl
英機じゃなくて英樹さんなんだね。
643名無し三等兵:2006/03/16(木) 02:16:41 ID:???
>>622
銃を盗むことは不可能。通し番号があって厳重に管理されてる

644名無し三等兵:2006/03/16(木) 02:36:55 ID:???
俺はまだギリギリ40代バリバリ「おっさん」にちゃんねら
爺さんじゃなく、親父の話で申しわけないが

晩婚の自分の親父(健在)は飛び物好きだったらしく
山梨の逓信省航空学校に入学したものの適性で落ちて整備部門に回され
開戦後すぐに10代のまま徴用され陸軍航空隊で整備の軍属
お陰で徴兵は免れ(軍属だから恩給も出ないが)今も元気
 徴兵された親父の同級生、航空学校の同期はほとんどが戦死らしい
 何も語らない親父で、自分がこのことを知ったのは去年だった。

同じく晩婚の嫁の親父(故人)
生前、騎兵隊の機関銃担当だったが戦地で一発も撃たなかったという話は聞いた。
没後の遺品整理で分解され油紙に包まれた南部式拳銃が出てきた時はたまげたけど。
 ちなみに、すぐ警察に届けて処理してもらった。
偶然というか、嫁の親父と自分の実の祖母と同じ日に天に召された。
初孫とひ孫の顔を見せて一ヶ月後のその日だった。

成人した二人の我が子とともに、二人の親父に感謝してる。
645名無し三等兵:2006/03/16(木) 10:37:29 ID:0Fy1L09V
俺の爺さんに話ではなく、近所の80ぐらいの爺さんの戦争体験
  場所 呉
  所属 呉の今の○○公園にあった高射砲部隊
  日にち 1945年7月1日 呉空襲

小学生の頃に俺の学校に近所の爺さんが戦争体験を話した内容

高射砲を撃っても飛んでる航空機には当たらず
撃った弾が放物線描いて海軍工廠に落ちるような始末だった
突然、陣地に向かってコルセアが飛んできて機銃掃射をしてきて、戦死者が数名でた


聞いてる俺はここまではよかった   
しかし、とんでもないことを次に言いやがった


「そんで、死体は今の××が建っとるところにおいとったんじゃが、
一体だけどっかにいってのお〜。」(××とは俺が住んでるところ)

それから、一ヶ月ぐらい友人たちから
「お前んちの基礎に混じっとんじゃないんか? パルテノンマンみたいに」
と言われてた   (きんにくマン王位継承戦編が再放送でやってたため)

646名無し三等兵:2006/03/16(木) 12:23:44 ID:Bv/Q/ulF
母方の祖父は陸軍に召集されて満州に行ったが鉱山技師だったためか
終戦間際に内地に召還された。そのときは同じ部隊の人たちからボコボコに殴られたという
「帰れると思うたら何でもなかったわ」と言ってた

父方の祖父は陸軍のパイロットだったらしいが昭和20年3月以降に亡くなったということだ
特攻隊の名簿にはないから事故死だったのかもしれぬ。
祖母はその弟と再婚し、俺はその人をじいちゃんだと思って育ってきた
普段は快活な父もこの話題だけはどうしても避けて詳しいことは教えてくれない
乗機は「隼」。飛行機に詳しい人に聞くと、この機体は欠陥機だったというが本当だろうか?
わが祖父は欠陥機に命を奪われたのだろうか?祖父の最期の模様を切に知りたい
ちなみに俺はスピード狂でカートレースなんかに出てたが
子供のころからなぜか飛行機が嫌いで、今にいたるまで乗ったことがない

647名無し三等兵:2006/03/16(木) 13:08:32 ID:???
>>646
>乗機は「隼」。飛行機に詳しい人に聞くと、この機体は欠陥機だったというが本当だろうか?

これは全くのでたらめですよ
配属された基地、もしくはなくなられた場所とかはわかりませんか?
特攻隊の基地になったか飛行場は米軍の攻撃目標ですので、空襲によってなくなった可能性もありますし、あるいは病死と云う事も考えられます
648名無し三等兵:2006/03/16(木) 13:57:13 ID:???
>>645
>高射砲を撃っても飛んでる航空機には当たらず
>撃った弾が放物線描いて海軍工廠に落ちるような始末だった

たまにはあったかもしれんけど、ほとんどの高射砲弾は空中で
炸裂したと思うよ。  落ちたのは破片かな・・・
649名無し三等兵:2006/03/16(木) 13:59:58 ID:???
>>630
三国人か、はたまたサヨ教育のたまものか
650名無し三等兵:2006/03/16(木) 14:11:56 ID:o8W1hCJU
私の祖父は本土決戦に備えて高知県の陸軍344師団噴進砲隊にいたそうで、
宿毛湾に配置されていたそうです。
651名無し三等兵:2006/03/16(木) 15:34:52 ID:???
>>648
命数超過の高射砲で撃ったら、発射した砲弾が
ビール瓶投げたみたいにくるくる回って落ちることがあり
危なくてしょうがないと、ラバウルの高射砲隊でも困っていた。
652名無し三等兵:2006/03/16(木) 15:53:28 ID:???
>>651
648は全弾落ちてくるわけじゃないよと言いたいんジャマイカ
653名無し三等兵:2006/03/16(木) 16:46:20 ID:JNjgIZAG
爺ちゃんじゃなくてすまんが
おやじが4歳くらいの時に長崎で母親(漏れの婆ちゃん)と被爆。
左目にガラスの破片が刺さっておやじがぬいたって
654名無し三等兵:2006/03/16(木) 16:52:03 ID:ri6Yzqac
>>630
おじいさんは中国で死ぬべきでしたね 大和魂を忘れて
洗脳されて売国奴になって帰ってこられたようで
655名無し三等兵:2006/03/16(木) 17:32:28 ID:???
>>654
うちの爺さんは大陸の首都でポン刀やスコップで500人は殺したって・・・×
うちの爺さんは大陸の首都で戦闘中敵兵をポン刀やスコップで500人は殺したって・・・○

あまりにも当たり前なので書き忘れたのではないかな。
それとも赤いグラサンでも掛けてたのかな。

656名無し三等兵:2006/03/16(木) 17:42:18 ID:???
>>655
誤記訂正ご苦労様です。
危なく>>630の御爺様が虚言者と間違われる所でしたね。
657名無し三等兵:2006/03/16(木) 17:51:34 ID:ri6Yzqac
>>655
ポン刀と呼ぶだけでサヨクの臭いがするよね
658名無し三等兵:2006/03/16(木) 18:03:27 ID:???
身長不足で徴兵されず。
659名無し三等兵:2006/03/16(木) 20:08:53 ID:5vKFMA3R
>>643

なるほど。
そこの部分も間違っていましたか。
申し訳ないです。
伝聞で正確な話を伝えるのは難しいことですね。

ではさらにネタをひとつ。

特急列車で隣り合った老人の話で、本人曰く、
陸軍で飛行機の整備をしていた、という方の話。

主に中国沿海部にいた。
休みの日は町で映画などを見た。
町を歩いていると中国人が、
「シンサン、シャンエン」と言いながら寄ってくることがよくあった。
「タバコをくれ」という意味らしい。
その人はタバコを吸わなかったので支給されたタバコを差し出して、
お金と交換したり物々交換したりした。

自分たちの頃は牛皮の靴だったが戦局が悪化するにするにつれ、
豚皮の靴を履いた新兵が補充されてくるようになった。
終わりの頃になると地下足袋を履いた者が補充されるようになった。

戦後は中国軍(←どちらかは聞かなかった。スマソ。)の
捕虜となり、鉄道工事や荷物運びのような仕事をさせられた。

ビールを飲みながら聞いた話なのでやはり正確性には自信がないです。
申し訳ない。
660名無し三等兵:2006/03/16(木) 20:27:11 ID:???
>>659
普通に考えて『銃の部品』でしょ
遊底被とか銃口被とか

なくなった部品他装備類を他部隊からパクるのは今でもあるってヨ
(笠俊に来てたホンモノが言うから間違いない)
661名無し三等兵:2006/03/16(木) 21:30:35 ID:P/aJdG8Y
日本、満州でスパイみたいな事やってたみたいっす。
関東軍や日本政府の情報はロシア人や中国人、共産主義者などにも渡してたそうです。
まあ当時は非国民てことになるのかな。
本来の仕事は役人だったみたすけどね。
気さくなジイ様で当時の極秘情報を孫の私によくペラペラ話しましたが、
何のことかよく分からん。
662名無し三等兵:2006/03/16(木) 21:36:28 ID:???
>>661
満州は魑魅魍魎の世界だったからね〜
軍部は阿片で資金を稼いでいたし。

ペラペラの内容が知りたいけどね。
663名無し三等兵:2006/03/16(木) 22:22:07 ID:???
祖父は奄美大島出身。戦時中は陸軍に徴収されて、徳之島まで出征。終戦。
祖母も奄美大島出身。戦時中、長崎の海軍工廠で魚雷を作っていた。
原爆の日、祖母自身は被爆していないようだが、海軍工廠には被爆者が
避難してきて、凄い状態だったと言っておりました。
664名無し三等兵:2006/03/16(木) 22:40:58 ID:6xIwLWjU
祖父は沖縄戦で防衛隊に招集され戦闘に参加。
負傷して亀甲墓に隠れて助かり捕虜となったらしい。
捕虜になってから暫くの間、米艦の甲板磨きなどをしつつハワイまで行ったら
食事が良かったのかその間に太ったと言ってたよ。
665ゾル:2006/03/17(金) 00:08:24 ID:5FvTkRXf
 大正時代が徴兵適齢期だったので、入営せず。おかげで兵籍がなく、大戦中も五体満足なのに赤紙が来なかった。
 その代わりに軍需工場に徴用され、多数の子供を抱えて祖母は留守を守り、田畑を耕さねばならなかった。その苦労や、思うべし。
666名無し三等兵:2006/03/17(金) 00:23:08 ID:dH/G0KhB
祖父は役人として広島の被服廠にいました。
そこで命令が下り、徳山の被服廠へ出張しました。
その翌日に広島に原爆が投下されました。
結果はご存知のとおりです。
667名無し三等兵:2006/03/17(金) 00:33:10 ID:???
>665
母方の爺様なんぞな、大正の末に
物好きにも1年志願兵なんぞ志願したせいで
40すぎてロートル少尉で出征。
家族や親戚皆が南方送りになった思うてたら
ひょっこりご帰宅。

なんでも連隊が家から通える所に満州から移駐したとかで
元々の勤務先の学校が基地になつたそうな。
で終戦まで自宅から弁当持って通勤しとったそうな。


668名無し三等兵:2006/03/17(金) 02:17:40 ID:e4DTvGnd
祖父ではありませんが、祖父の兄が細川忠康中将です。
669名無し三等兵:2006/03/17(金) 09:06:10 ID:27APDc6q
そういえば敗戦間際の補充兵は十とか装備がとんでもないことになってたんだってな。
もうまんま小学校時代の軍事教練の時みたいな装備だったとか。
670名無し三等兵:2006/03/17(金) 10:47:01 ID:9SMWvXfv
銃剣を作っていた人の話では、サヤが鉄から木に変わったと。
671名無し三等兵:2006/03/17(金) 11:02:36 ID:LxeW5Peh
祖母の形見に血染めの日の丸があるのですがこれは
いったい何でしょうか?かなり汚れていて昭和14年6月22日と書いてあり
たくさんの人の名前がかいてあります。
日の丸の赤い部分は血です。大きさは畳2枚分ぐらいあります。(木綿?)
672名無し三等兵:2006/03/17(金) 11:23:29 ID:???
>>636
すぐにバレるネタを軍板に書きこむなよ、萎える

673名無し三等兵:2006/03/17(金) 11:23:54 ID:N4fGTddz
>>671
出征する人に送られる、寄せ書きの様な物ですよ
多分お祖母さんの身内の方の物ではないでしょうか
674名無し三等兵:2006/03/17(金) 13:15:39 ID:/l2dnHDR
俺の爺さんは、南京飛行場とラングーン飛行場で戦闘機乗りだったと思います
確かラングーンを占領した時にスコッチがいっぱいあってめちゃくちゃ飲んで
ふらふらだったそうです。後英軍の捕虜とも友人になってまた会いに行きたいとかいってたよ。
 スコッチの件について詳しいこと知ってる人がいれば教えていただきたいd酢
  
675名無し三等兵:2006/03/17(金) 13:23:10 ID:6/c837dH
近所の自転車屋のおばあちゃんの話
当時女学生で宇佐にいた。ある日、川べりの道を一人であるいていたら「カモメ」(F4Uコルセアのことらしい)に銃撃された
走って逃げて転んだ瞬間左右をダダダダダッとやられた
「生きた心地せんかったよ。転んだままハッと見上げたらカモメの姿があってね。今もあのカモメのマークみたいな形見たらブルブルッてくるんよ」
飛行場にはいろんな飛行機があったが、女学生たちが「ドラ鼻」と呼んでた飛行機があってエンジン音がとてもうるさかったという
これは彗星のことらしい
676名無し三等兵:2006/03/17(金) 13:29:24 ID:mLhi/6dU
61年前、銀翼に日本の運命を背負って飛び立った
青年たちがいた・・・・!

突撃!神風特別攻撃隊〜カラー映像
http://www.geocities.jp/isharenejp/kamikaze.html


677名無し三等兵:2006/03/17(金) 14:51:21 ID:14qMeQLx
戦後直後だが俺の爺さんの家(超ド田舎)の隣家でおきたこと

玉音放送が流れたすぐあとに、隣の家の在郷軍人のじじいが発狂したらしい
軍刀と鉈で孫3人を殺し 猟銃で息子夫婦を射殺し、妻を絞め殺した。通りがかりのおばはんが足を撃たれ重傷
自殺直前には付近の住宅に向け発砲。自宅に放火。その後猟銃で頭を撃ち自殺

俺の親族は野良仕事に全員出ていて無事だったらしいが、家にだいぶ弾丸が撃ち込まれていたらしい
678名無し三等兵:2006/03/17(金) 15:03:40 ID:???
陸軍の隼乗りだったが、終戦間際地上で戦死したそうだ。
679名無し三等兵:2006/03/17(金) 17:52:03 ID:???
>>677
○○地方だけでも
680名無し三等兵:2006/03/17(金) 18:33:07 ID:???
>677
大陸あたりで貰った下の病気が脳にまわったのだろうか?

しっかし 八つ墓大明神様に祟られた方のような発狂の仕方ですね (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
681名無し三等兵:2006/03/17(金) 20:04:10 ID:???
父が幼い頃、慰問袋を作ったことがあるという。
できるかぎり里が近い兵のもとに届けるような気遣いがあったらしく
数百メートル離れた住所の兵隊さんからお礼のお手紙が届いたそうだ。
父が言うには、生まれて初めての自分宛の手紙だったそうだ。
そしてその兵隊さんは戦死してしまった。
戦争が終わってかなり経って人に教えられるまで知らなかったという。
当たり前だが、手紙一通だけなのでその人の顔を知らない。
その家の近所を通るたびに父が愚痴る。
その家の人には、まったく知るよしもない話です。
死んだ兵隊さんも、今もなお毎週のように思い出してくれる人がいる
なんて思いもよらなかったろう。
682名無し三等兵:2006/03/17(金) 20:18:03 ID:???
。・゚・(ノД`)・゚・。
683634:2006/03/17(金) 22:37:06 ID:???
父方の祖母の父(俺の曾祖父さん)が旭化成?かなにかに勤めていて
ダイナマイトを作る仕事をしてた様で台湾への出張の話があったらしい
行ってたら俺は生まれてないかもね
で婆ちゃんは「台湾は昔は日本だったのに・・・」とシミジミ言ってた

で婆ちゃんの若い頃の話で近所に朝鮮人の住む集落があって
婆ちゃんの感想は「変な服を着てたねえ朝鮮人は」だと
あまり日本人とは交流が無かったみたい

そういえば祖父さんとたかじんのそこまで言って委員会をたまたま一緒に見てた時
丁度、日韓併合あたりの話で田嶋が「植民地支配がどーの」って言ってたのに
俺がブツブツ文句言ってたら祖父さんがお前の言うのが正しい」的な事を言ってたな
父親は団塊の世代なんで意見が対立するけど祖父さんは当時の事知ってるんで
話してて勉強になる
684名無し三等兵:2006/03/18(土) 00:57:45 ID:WcCdBbR6
インパ−ル戦に参加した薬剤師の薬剤技官と話したら、そのおじいさんは当時、硫黄と石灰で温泉の素を作ったら、皮膚病の兵隊に喜ばれた。
豚の脂で軟膏を作って、残りの肉を兵隊にやったらものすごく喜ばれた。グルカ兵は強かったですか?と聞いたら「ゴルカは突撃ようしおらん」と馬鹿にしてた。
駐車場の管理で生計を点てて、戦後は一切まったく何もせず「能面」を毎日彫ってたらしい。わたしは、こんな人には到底かなわん、と感じた。
685名無し三等兵:2006/03/18(土) 03:51:37 ID:???
>>683
旭化成(現在、旭化成ケミカルズ)でしょう。今でも火薬作っています。
猟銃用弾薬、つまりライフル用火薬ですが、米デュポンのライセンスで作っています。
もちろん、ダイナマイトとかも作っています。
686名無し三等兵:2006/03/18(土) 07:38:06 ID:ed4/iasd
>>663 俺の祖父も徳之島
687663:2006/03/18(土) 08:04:02 ID:???
>>686
おお!同志よ!
688名無し三等兵:2006/03/18(土) 11:56:48 ID:llzi8sZq
>>685
じゃあ旭化成と思います。
戦時中の話なので台湾へ弾薬を作る為とかだったのかもしれませんね

婆さんは支那人の人肉食をリアルで噂話を聞いてるみたいで
俺が親父に「中国人って人肉食うんだよ」って言うと
     親父「そんな事あるか!」
  婆ちゃん「今も食いよるんね!」


689677:2006/03/18(土) 14:23:20 ID:akwO1nYc
>>679
島根県です
690名無し三等兵:2006/03/18(土) 18:21:30 ID:???
>>688
>俺が親父に「中国人って人肉食うんだよ」って言うと

料理のレシピ集にもちゃんと載ってるのにね

さすがに人間の胎盤で作るスープの話を読んだ時は、胃液が逆流しそうになったが
691688:2006/03/18(土) 18:26:55 ID:???
>>690
年配者はそのあたりの話を大陸から帰った人から聞いたのかは知らないけど
中国人や韓国人に対して今でも嫌悪感ありあり(w
てかどことなく馬鹿にしてる
692686:2006/03/18(土) 21:24:11 ID:ed4/iasd
>>687 祖父は徳之島出身だった。ちなみに俺の故郷でもある。
693名無し三等兵:2006/03/18(土) 22:05:54 ID:???
南方の方だと思うけど土民に鉄砲撃つと面白いといってた〜偵察に行けと上官にいわれ断り、他の人が何人か偵察にいったが帰ってこず
694名無し三等兵:2006/03/19(日) 12:05:54 ID:ufj4CYst
693
続きが聞きたい!
695名無し上級大将:2006/03/19(日) 12:10:04 ID:QgOkYCgP
何年もの間、シベリアで強制労働させられていた
祖父は今になってもシベリアの話をしてくれない
何かがあったらしいが、何があったのか・・・
696名無し三等兵:2006/03/19(日) 12:20:59 ID:???
おいおい、南方飢餓戦線で「豪州豚を食った」といったら、それは人肉(以下略)
697名無し三等兵:2006/03/19(日) 14:12:38 ID:VBkmlGFE
>>691
そのとおり。
祖父は「朝鮮人とかかわるとロクなことないよ」と言ってたし
祖母も「あん人たち(三国人のこと)は言葉は通じても話が通じんけんねぇ」とよく言ってた

父方の祖父は戦死したが、その弟は若い頃から上海におり中国語が堪能。陸軍で重慶作戦、桂林作戦に参加したという
村に入って「この村は日本軍の占領下にはいります。住民の皆さんに危害は加えません。安心してください」
とアナウンスするのは自分の役目だったという。終戦時は曹長だったらしいが、戦争のことはあまり話したがらない
698名無し三等兵:2006/03/19(日) 14:48:20 ID:???
うちの爺さんは、本物の村人とパーロの偽装便衣を瞬時に見分けたよ!って人いない?
699名無し三等兵:2006/03/20(月) 00:30:30 ID:???
このスレ向けのネタが大量投下されてまつ↓
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1142249989/158-189
700名無し三等兵:2006/03/20(月) 01:33:33 ID:SIAwtLsN
うちの父方の祖父は徴兵されて左利きだったため銃の持ち方を変えるため
右利き用の持ち方に変えるための訓練をさせられたと言っていた。

その祖父の弟は陸軍少尉だったんだけどどこか戦地で地雷を踏んで亡くなったそうな
祖父の家で一番の出世頭であり家族はとても期待していたらしいが死んでしまっては・・・
生き残ったのは実家を継いだ長男と祖父のみとなってしまった。
祖父は満州で衛生兵としてはたらしていたといっていた
中国人の爺さんを下男として雇っていたがその爺さんは中国のスパイで
祖父の居た部隊銃殺にしたとかの話も聞いたことがある。
満州の部隊だったらしいが今はもういないので詳しいことは聞くことができないのが悔やまれるなぁ
701名無し三等兵:2006/03/20(月) 10:15:51 ID:NbUT1sCq
俺の爺さんは戦闘中に誤って
上官を背中から撃って射殺してしまったそうだ
怖くて終戦まで誰にも話さなかったらしいが
今も罪の意識に苦しんでいる
702名無し三等兵:2006/03/20(月) 10:53:50 ID:HJv82H5X
恩給って月にいくらもらえるの?
703名無し三等兵:2006/03/20(月) 12:28:07 ID:???
>>701
熾烈な戦闘中の誤射・味方撃ちは、陸海軍を問わずどこの国でもあったこと。
故意でないのなら問題なし、何も気にする必要はない。

その上官とは、あっちへ行かれてからゆっくり話し合えばよい。
事の仔細を話せばきっと上官も許してくれるし、それまでは胸を張って生きろ。
と、誰かが言ってたと爺さんに伝えてくれ。
704名無し三等兵:2006/03/20(月) 12:42:48 ID:???
うちの祖父(故人)は、召集令状が着たけど入隊出来なかった。
どもりが酷かったのが原因だったらしい。
隣のおじいさん(故人)は朝鮮で治安活動をしていた。テロ行為をした
朝鮮人を処刑した事もあったそうだ。最終階級は曹長と言っていた。
近所の薬局のおじいさんは軍医としてインパール作戦に参加。撤退時に英軍の
捕虜となり、専ら捕虜収容所で捕虜の診察をやっていた。
おかんの父(故人)は中国戦線へ。1944年に本土へ帰還。そのまま終戦を迎える。
おかんの父の弟は1944年フィリピン海上で戦死。
おかんの姉は軍需工場で震洋艇のペンキ塗りをやっていたそうだ。(当時小学生)
705名無し三等兵:2006/03/20(月) 13:40:00 ID:???
>>702
退職時の階級と勤務年数によって異なる。

H16年3月のデータだと、旧軍人本人に支給されている普通恩給の場合、
最も高位の者がもとの大佐で年280万円あまり、最下位の兵で最低保障額が年59万3千円ほど、
平均をとると月額にして6万8千円ほどとか。 参考までに同時期の国民年金は月額にして5万2千円くらい。
706名無し三等兵:2006/03/20(月) 14:04:45 ID:???
>>701
疎まれていた上官なら、よくある事。
ある調査によれば、戦場における死因の何%かが後ろ弾…
707名無し三等兵:2006/03/20(月) 14:46:49 ID:???
>>701
まんま同じ様な話を、先生から聞いた事があります。
当時は、結構あったようですね。

その出来事を、あなたに話したお爺様の勇気に拍手!
708名無し三等兵:2006/03/20(月) 16:10:06 ID:???
比島に行ってた爺さんが言ってたことを思い出したんだけど、
ある日、敵の爆撃に会い、防空壕へ待避、その中の隊のとある兵士がノイローゼになってるらしく
毎回、爆撃のために壕に待避する度に喚き散らして、うるさかった・・・。
そこで指揮官の小隊長が取った行動は、その兵士を爆撃のドサクサに紛れて射殺・・・・・

戦争では、こういったことは良くあるんだな・・・・
709名無し三等兵:2006/03/20(月) 17:15:41 ID:qEHikz4D
父方
赤城の飛行機の整備→
ミッドウエーだかインド洋作戦だかの直前にラバウル行き→
ラバウル空爆前に内地帰還→
そのまま終戦を迎える→
めでたくポツダム少尉

母方
当時まだ小学生
アメリカの飛行機すら2〜3回しか見てない田舎(笑)
710名無し三等兵:2006/03/20(月) 18:03:49 ID:???
>>634
台湾出身の日本海軍人なんていたの?
711名無し三等兵:2006/03/20(月) 18:11:58 ID:???
>>710
台湾の「かた」じゃなくて台湾の「ほう」じゃない?
と釣られてみる午後のひととき。
712名無し三等兵:2006/03/20(月) 18:13:16 ID:???
>>710
いたよ
713名無し三等兵:2006/03/20(月) 18:16:20 ID:???
↑710 よく嫁w
台湾のほう○
台湾のかた×
714名無し三等兵:2006/03/20(月) 19:04:46 ID:FBQCSWQa
うちの祖父は背が低くて潜水艦に搭乗させられる予定だったらしい
召集令状来た数日後に降伏したから助かったとか
715名無し三等兵:2006/03/20(月) 19:11:56 ID:???
元憲兵でシベリア帰りの大叔父がいます。
、、、アカです、、、orz
716名無し三等兵:2006/03/20(月) 19:54:28 ID:2fZ3iyEH
母が幼少のころよくかわいがってもらってた八百屋のおじさんが
戦争の終わり頃に赤紙で召集されて戦地に行く途中乗ってた潜水艦が沈められたと聞いたんですが
兵隊さんが潜水艦で戦地に行くことなんてあったんですか?
もし本当なら、このおじさんの乗っていた潜水艦は何という名前なんですか?
教えてください
717名無し三等兵:2006/03/20(月) 20:02:11 ID:???
>>716あんまりこういう言い方はしたくないが・・・
それだけで答えられるわけ無いだろうが!!ふざけるな
陸軍、海軍どちらだよ?せめて最低限の事は自分で調べろ
こちとらエスパーじゃないんだよ。
憶測で言えば、潜水艦に配属か、回天乗りだったか、
どこか孤立していた地域に配属かの、どれかだと思われ
718名無し三等兵:2006/03/20(月) 20:05:43 ID:???
>>715
俺の祖父もシベリア帰りです。
ソ連を生で見たおかげで如何に共産主義が愚かかよく分かったといってました。

で、海軍航空隊にいたもう片方の祖父の話。
今日夕食を食べに行ったついでに故ロック岩崎の著書を渡したところ、
「面白い、しかし自己陶酔の気がある。
 そもそもパイロットは二佐か三佐止まりで、その上転勤も多く…」
と、戦後航空自衛隊に入った弟の例を引きつつ話していました。

ラバウルで右腕を失って内地に帰ったのですが、戦地でなくても普通に
パイロットやってるだけで十分危険だそうで
「練習機に乗っているとき、着陸時に車輪がパンクして引っ繰り返った。
 木更津で零戦に乗っていると燃料がなくなり、やむなく田んぼに不時着した。
 やっぱりひっくり返り、機体は少しずつ沈み、口まで泥につかりかけ、
 もう駄目かと思ったところでお百姓さんに数人がかりで機体を持ち上げてもらった。
 参謀を乗せて大阪から鈴鹿まで雲の上を飛んだところ風に流されて紀伊半島の
 南端に出てしまい、やむなく雲を突破して海岸線を見つつ鈴鹿まで行ったら
 燃料が切れた。なんとか着陸できた」

あと、
「戦時中はパイロットは偉い偉いと持ち上げられていたが、戦後は飛行技術は何の役にも
 立たず、皆再就職に苦労した。恩給もなかったし」
空自のパイロットとか退職後はどうしてるんだろ。
719名無し三等兵:2006/03/20(月) 20:26:04 ID:FfueNF+n
>>670 似たような話去年死んだおやじから聞いたことある。おやじの叔父(つまりオレの大叔父)がおやじに言ったことだが
銃剣の鞘が竹になったそうだ。大叔父は軍曹だった。
一応建前上はそうしないと銃剣の鞘がアメリカ軍のレーダーに映るそうだ。本当は物資不足のため。
笑わせてくれる。
720名無し三等兵:2006/03/20(月) 20:49:49 ID:2fZ3iyEH
>>717
すみません。陸軍です。どっか南の島に配属される予定だったそうです
721名無し三等兵:2006/03/20(月) 20:52:36 ID:???
>>715
こちらへどうぞ

【●】【〓★〓】【●】【軍律法廷】【●】【〓★〓】【●】
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1140834838/l50
【絶対正義】憲兵について語るスレ【治安維持】
722名無し三等兵:2006/03/20(月) 22:28:45 ID:???
>>720
『まるゆ』(潜航輸送艇○ゆ)じゃね?
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/riku-yu.htm
723634:2006/03/20(月) 23:13:13 ID:FE5x74h/
>>710
いや日本人なんだけど・・・
まぁ配属された都合、台湾に居ただけだよ
立派な人だったみたいだけど子孫の俺がこれじゃー(w
724名無し三等兵:2006/03/20(月) 23:41:24 ID:ymkjc3K6
食糧不足が一転、大量のサケが出回るようになった。
しかし何か焦げ臭い。来る日も来る日も鮭のみそ汁。

このわけは、食糧倉庫が爆撃され、冷凍庫がストップし、
保存用の冷凍鮭が大量に余ったためだったそうだ。

北海道のとある町、昭和20年のこと。
725名無し三等兵:2006/03/21(火) 08:08:43 ID:???
うちの父の兄は天皇陛下をお守りする近衛兵だったそうです。
726名無し三等兵:2006/03/21(火) 11:21:14 ID:5BCskcMO
おれの知り合いには
初代「比叡」から現在の「ひえい」まで
親子4代に渡って乗り組んでいる一族がいる
727名無し三等兵:2006/03/21(火) 12:03:22 ID:???
>>726
凄いですね。
728名無し三等兵:2006/03/21(火) 12:05:09 ID:deGKbx3G
>>716
陸軍か?陸軍の小規模部隊を潜水艦で運ぶとは考えにくいが
一隻候補のフネがあるぞ
「伊43潜」昭和19年2月15日トラック島の北方で沈没とある
サイパン島から海軍の佐世保第101特別陸戦隊を便乗させていたらしい
コレじゃないのか?
729名無し三等兵:2006/03/21(火) 13:14:07 ID:???
となりの先祖は皇族に関係があったらしい。
730名無し三等兵:2006/03/21(火) 13:55:07 ID:???
うちのじいちゃん電電に勤めてたから戦争には行かなかったけど、帰宅途中にグラマンに機銃掃射されたって言ってたな
731名無し三等兵:2006/03/21(火) 14:31:26 ID:???
>先祖は皇族に関係があったらしい

日本人の先祖をたどれば、かなりの人が皇族に何がしかの関係が有る。
732名無し三等兵:2006/03/21(火) 19:47:15 ID:???
>>726
映画化決定
733名無し三等兵:2006/03/21(火) 20:22:51 ID:???
>>732
男たちの比叡
734名無し三等兵:2006/03/21(火) 20:25:55 ID:???
>>726
今の代あたりになると、人事の人も半分おもしろがってるんじゃなかろうかw
735名無し三等兵:2006/03/21(火) 22:03:21 ID:???
>>731
源平藤橘のどれかに突き当たるって言うしな。
736名無し三等兵:2006/03/21(火) 22:11:28 ID:???
まぁ、家系図の類をどこまで信用していいのかは知らんけどな
737名無し三等兵:2006/03/21(火) 22:14:30 ID:???
現代人は、祖先を遡ればアフリカの1人の母に行き着くとも、数人の母に行き着くとも言われているし………
738名無し三等兵 :2006/03/21(火) 22:38:49 ID:???
あれか。

水戸の近藤さんと伊武雅刀が、どうのこうのという女性のことか
739名無し三等兵:2006/03/21(火) 22:52:35 ID:???
うちの近くに古い大きな農家風の家があって、
その家に行ったことのある人の話では、その家は
皇族の人が描いたと言われる絵や、玉璽らしき印が
押された書状や、菊のご紋がついた品などのオンパレードらしい。
俺が実際に見たわけではないので詳しいことは知らないが。

先日仕事の関係でその家の人の事務所に行ったら、ある皇族の人と
一緒に写っている写真が目立たないように飾ってあった。
聞くと「数年前のパーティーで撮ってもらったんだよ。」とだけ
言って流された。

次第に話が盛り上がってきて少しだけ話してくれたが、
その家は戦前〜戦中は貴族待遇を受けていてそこのお爺さんは
兵役免除と不逮捕特権を与えられていたらしい。
しかしその家は単なる元郷士で、皇族はもちろん公家とも
何の関係もないらしい。
740名無し三等兵:2006/03/21(火) 23:13:08 ID:rABVXYB1
ウチのじい様は主計担当で国後だか択捉にいたらしい。食糧がなくて末期は毎日鮭をとってたみたい。流氷の上で鮭を手に持った写真もあった。
それがトラウマで80以上なのに好物はカツ丼…
千島列島には陸軍のどこの部隊が駐屯してたんですかね?
741名無し三等兵:2006/03/21(火) 23:16:36 ID:???
>>739
単なる皇族厨の自作自演。わざわざ目に付くあたりで確定。
742名無し三等兵:2006/03/21(火) 23:19:42 ID:???
>>739
偽・有栖川宮と同じニオイがプンプンw
743名無し三等兵:2006/03/21(火) 23:20:38 ID:???
皇居の掃除とかの奉仕活動をやってると
その手の感謝状だの記念品だのの類は結構もらえるとか何とか
744名無し三等兵:2006/03/21(火) 23:25:10 ID:???
「皇族の人が描いたと言われる絵や、玉璽らしき印が
押された書状や、菊のご紋がついた品」あたりでもおお腹いっぱい。

うちには菊のご紋の最中があるぞ(笑)
745名無し三等兵:2006/03/21(火) 23:26:32 ID:???
>>740
北千島ならば、第91師団の担当ですが、択捉にいたのなら、おそらく第89師団。
746名無し三等兵:2006/03/21(火) 23:29:03 ID:???
>>744
うちには山口組の菱形マークが入った湯のみがある
747名無し三等兵:2006/03/21(火) 23:52:08 ID:???
>>741-744
その人の名誉のために一応言っておくが、
町の教育委員会が各学校に配った「○○町の歴史」という
冊子に名前がその家のお爺さんと先祖の名前が出てくるし、
ぐぐればそのお爺さんの名前も出てくるので
自作自演や偽・有栖川宮は言い過ぎだと思う。

ただし、戦後その家が貧しくなってからもそこのお婆さんが
「この平民が!」って言って威張っていたので
近所の年配の人たちの評判は非常に悪い。

ちなみに俺が会った人はとても腰の低い控えめな性格。
そのお婆さんのせいで懲りているのではないかと思う。
748名無し三等兵:2006/03/22(水) 00:25:39 ID:ZBo/kOnV
>>728
ありがとうございます!
母は九州の出身で、そのおじさんも佐世保の部隊(海兵団と言うんですか?)に行ったということです
南の島というのも一緒ですし、おそらくこれだと思います
「伊43潜」というのですね、自分でももっと調べてみます
本当にありがとうございました
749名無し三等兵:2006/03/22(水) 01:10:11 ID:6UlyGR7s
>>748海兵団と海軍陸戦隊は全くの別物なんだが...
750名無し三等兵:2006/03/22(水) 01:17:13 ID:???
>>739
兵役免除・・・徴兵検査不合格だった
不逮捕特権・・・国会議員だった
751名無し工作員:2006/03/22(水) 01:28:04 ID:a8jfWx8b
また朝生で元帝国軍人のをやってくれないかな。
752名無し三等兵:2006/03/22(水) 02:19:47 ID:???
>>747
なんかその後追いで益々の感が…
753名無し三等兵:2006/03/22(水) 09:22:02 ID:???
いや、俺は信じるぞ
754名無し三等兵:2006/03/22(水) 13:48:29 ID:???
朝鮮貴族かなんかじゃねえのか?
朝鮮戸籍は戦争末期まで徴兵の対象にならないし。
755名無し三等兵:2006/03/22(水) 17:04:47 ID:???
うちには菊の御紋が入った金杯があるが、皇族とは何の関係もない
756名無し三等兵:2006/03/22(水) 17:24:52 ID:???
俺の菊門は皇族と関係ありません。
757名無し三等兵:2006/03/22(水) 19:24:37 ID:???
友人の祖父。
陸軍中野学校の教師もしていて諜報活動をしていたらしい。
戦後、戦犯として、戸籍まで抹消されたとのことだけど、
戦犯は戸籍抹消だったの?
それとも、諜報活動している終戦前に戸籍抹消だったの?
758名無し三等兵:2006/03/22(水) 21:09:08 ID:???
そんな話聞いたこと無いな。なにかほかに理由があったのでは?
それか終戦工作に従事してたとか?ルメイを暗殺しようとしたとかw

戸籍って明治時代からあったんだっけ? 
759名無し三等兵:2006/03/22(水) 21:11:00 ID:???
>陸軍中野学校の教師

嘘くせー
760名無し三等兵:2006/03/22(水) 21:53:32 ID:???
特務?は戸籍抹消されてるよ。
一度書き込んだが、結婚するときに自分の戸籍が抹消されていたと祖母の弟が言っていた。
捕まっても、その人間は死んでいないと国家は言うのだろう。
761名無し三等兵:2006/03/22(水) 21:55:53 ID:???
>>758
戸籍があるから徴兵できる
762名無し三等兵:2006/03/22(水) 22:04:19 ID:???
六連隊に所属していた近所のオジサマの話し。
中国の張山集東部の山岳攻防戦で、共産軍と対峙したが、
互いに弾が尽きて、石ころ合戦となったそうな。
当時、新聞「新愛知」にも紹介され話題になったと。
763名無し三等兵:2006/03/22(水) 22:23:25 ID:???
>>750
兵役免除・・・身分があった
764名無し三等兵:2006/03/22(水) 22:37:18 ID:???
>>762
戦国時代の石投げはハンマー投げで殺傷力もあったが、礫投げても痛いだけじゃ
まさか撲殺大会?(((゚Д゚)))

遅レスだが
>>718
うちは防衛関係には全く関係ない某東証一部企業だが普通に再就職してるよ。
うちの課に居て全然関係ない仕事してる。
上の方で引き取り枠とかあんのかな?
天下りとかじゃなく普通の再就職にしか見えないんだが。
当然俺はなつきまくり。
戦闘機パイロットって静かなインテリジェンスとシンプルな意志って感じで独特の雰囲気あるね。
765名無し三等兵:2006/03/22(水) 23:17:43 ID:???
>>757
死刑になった戦犯は言ってみれば「戸籍抹消」だな。
766名無し三等兵:2006/03/23(木) 00:30:20 ID:???
>>760
そうですか。
特務の時点で抹消なのですね。
戦後、復活が難しかったとかで、大変だったそうです。
というか、戦後まで気が付かないものなのでしょうかね?
767名無し三等兵:2006/03/23(木) 00:31:37 ID:???
>>765
抹消なんですか?
死亡じゃなくて?
768名無し三等兵:2006/03/23(木) 04:46:42 ID:S76BFQ5W
>>749
海軍陸戦隊っちゅうんには海兵団におるもんが配属されるやろ?
ワシのじじィの話や
戦争中ムショにおったんやが兵隊が足らんっちゅうことで舞鶴の海兵団に行かされた
乗るフネもなかったんかじじィは海軍やのに陸戦隊ちゅうのににおったそうやがすぐ終戦
じじィは広島で小さな組たちあげたんやが5年後にあえなく病死や
じじィの死んだんは戦後のどさくさでようわからんことも多い
こういう奴もいてたってことはみなさんにも知っといてほしいで
769名無し三等兵:2006/03/23(木) 05:11:47 ID:KEMqPaRL
俺の自慰様はお醤油を沢山飲んで徴兵を逃れた非国民
770名無し三等兵:2006/03/23(木) 07:38:37 ID:???
戦艦金剛と一緒に眠ってます。
771名無し三等兵:2006/03/23(木) 21:57:55 ID:NMy9Fo6P
俺の爺さんはジャングルで茂みに潜み、奇襲をかけて米兵を素手で絞め殺したとか
言ってた 
100%嘘だろうがな
772名無し三等兵:2006/03/23(木) 22:28:14 ID:9WRjWsrn
俺の爺さんは昭和19年に召集され独立大隊に入り4隻の輸送船団で台湾へ。途中に敵の攻撃により目の前2隻沈没し戦友を救助したのちに台湾到着。大隊の炊事班班長として上等兵ながら士官と対等に渡り合う。戦後の復員時の体重は召集前より増えていたらしい。
773名無し三等兵:2006/03/23(木) 22:35:08 ID:fT8Wv2PB
ウチは父方のじいさんが南方にいたらしい、昔の事でよく覚えていないが、機関銃を連射していると銃身が真っ赤になったとか話してた。母方のは大陸にいて結核で内地に送還されて盛岡の陸軍病院で死んだらしい
774名無し三等兵:2006/03/24(金) 01:02:53 ID:???
>>772
19年に召集でいきなり上等兵や班長にはならんと思うが・・・
たぶん実際は爺さんは初年兵の二等兵で、
そういう炊事班長の上等兵殿が上官だったのだろう
775名無し三等兵:2006/03/24(金) 03:05:18 ID:???
>>774
それ以前に軍歴があって、一等兵なりに昇進してから現役を離れていて
19年に再度召集された可能性は?
776名無し三等兵:2006/03/24(金) 07:13:01 ID:???
>773
その頃の応召上等兵ならありうるかも。
大陸の野戦帰りで2.26の兵隊とかやったら怖い者無し
777名無し三等兵:2006/03/24(金) 09:35:21 ID:???
俺のおじいさんは陸軍にいた。

ニューギニア、サイパンを転戦。負傷で満州に行ったらしい。

存命中右わき腹を貫通した銃創を見せてくれた。

満州で、燃料のない戦車を砲台にする為に埋めた話などをしてくれた

でも多くを語らなかった。死後、家の建替えを機に遺品を片付けて

いたら、サイパン会とか?いろいろな戦友からの手紙がたくさんあった。

中国の戦後の紙幣もあったので、戦後中国に行ったのかもしれない。

理由は不明だけど、軍票、満州重工業の株券、大量に出てきた。

一番驚いたのは、軍刀だった。天井裏に隠されていて、菊の紋章が

あり錆び錆びだった。本当は戦後すぐ返却しなくていけなかったはず。

警察に父が届けた。俺は、形見をなんで?と怒ったが、母親がそういう

刃物が家にあるのは嫌だと嫌がったらしい。母の家系も陸軍一家で

何人も戦死しているそれもあるのかも知れない。
778名無し三等兵:2006/03/24(金) 11:50:16 ID:???
俺ん家にもじいさんの陸軍用軍刀あるよ。
779名無し三等兵:2006/03/24(金) 11:53:01 ID:Cqq0zl9L
>>777
俺の親父の実家で軍刀を爺さんが見つけたら、グラインダーで刃を無くしたらしい
もったいねぇよ
    777ゲットおめでと!!
780名無し三等兵:2006/03/24(金) 13:30:05 ID:ACRNrQfl
俺のおじいは海軍で長崎の五島に配置されたんだか終戦直後長崎行ってみると半死状態の人の脳味噌食べるのがはやってたってよ。それを商売にするのもいたって。
781名無し三等兵:2006/03/24(金) 13:57:06 ID:gg0BCB6a
772
だけど、爺さんは昭和19年に召集されたのは28才で、それ以前に徴兵により一度兵役についています。当時は高等学校卒業者も少なかったため卒業者の爺さんは頭で再召集時は上等兵になったらしいよ。
782名無し三等兵:2006/03/24(金) 14:40:03 ID:wLaliwSY
776
応召かどうかはわからんけど、階級は上等兵だったよ
783名無し三等兵:2006/03/24(金) 14:53:14 ID:uGlmgpZF
私の祖父わ、広島で予科練の時に終戦。
784名無し三等兵:2006/03/24(金) 15:50:03 ID:???
>>783
江田島ですか?
785名無し三等兵:2006/03/24(金) 16:25:04 ID:???
満州事変で戦車兵として満州へ。
百武(だったと思う)戦車隊に所属、熱河作戦後退役。
回想録みたいなのが残ってるが、
「現地で受け取った戦車にエンジンが無かった」
「隊長が自分たちより小さかった」とかの悪口や愚痴ばかり。
ちなみに幸運で勲章を授与。回想録になぜ貰えたががあるが、
ちょっとがっかりする内容なので記載しない。
786名無し三等兵:2006/03/24(金) 20:16:18 ID:???
家の爺様は舞鶴あたりから上海に輸送される途中、米軍の潜水艦の雷撃受けて深夜暗い海に投げ出されたそうだ
渦に巻き込まれないように急いで離れたとか言ってたな
しばらくして駆逐艦だったかが救助に来てくれたけど周りで戦友がどんどん力尽きて沈んでいくのに
何も出来なかったのが辛かったと言ってた。
それ以後、爺さんは俺に事あるごとに世の中何があるか分からん、又いつ戦争になるか分からんから
常に体を鍛えて体力をつけておけと言ってたな…
787名無し三等兵 :2006/03/24(金) 21:28:11 ID:???
戦争に限らずここ一番で体力は必要だ

ムチャ納期&ヘンテコ仕様でデスマーチとかデスマーチとかデスマーチとか
788名無し三等兵:2006/03/24(金) 22:06:38 ID:???
遅レスだが>>594
学研の「帝国陸軍 戦場の衣食住」によると、み号剤の主成分はビタミンB2。
飲みやすいように糖衣錠に加工されてたそうだ。
1日3回食後に3錠ずつ服用し、2日間の服用と2日間の休止を繰り返す。
夜間の視力向上効果は服用しない場合の1.44倍とのこと。
789名無し三等兵:2006/03/25(土) 12:04:35 ID:???
うちの爺さんは、若いパイロットの飛行練習に同乗してて墜落事故死って昔聞いたことがあるって親父に聞いたことがあるが、詳しくはわからない。
790名無し三等兵:2006/03/25(土) 12:23:48 ID:???
ウチの母方の爺さんは戦艦伊勢に乗ってたって聞いた。
経理?かそういう事務関係だったから前線に行かなかったらしい
階級はちょっと高かったみたいですよ。伊勢が大破したときは船から飛び降りて脱出したとかw
もう13年前位に亡くなったので詳細聞けなくて残念
791名無し三等兵:2006/03/25(土) 13:18:50 ID:???
>>788
夜間視力でビタミンだとビタミンAだろ。
ビタミンB2だと壊血病対策。
792名無し三等兵:2006/03/25(土) 15:29:03 ID:???
>>791
壊血病対策はビタミンCだ。
ビタミンB2には皮膚炎・口内炎予防のほか、明暗順応の促進効果がある。

ttp://eye.netmoney.jp/good_food/index.html
793名無し三等兵:2006/03/25(土) 16:34:00 ID:???
>>776
野戦帰りは分かるんだけど2.26もそんなにハクが付くの?
却って仇になりそうな気がするんだけど。
794名無し三等兵:2006/03/25(土) 18:01:33 ID:???
「今さら軍歴に傷がつくもへったくれもない」、という
一種の開き直りで強面がきいた、ってことかな
795名無し三等兵:2006/03/25(土) 20:06:23 ID:???
こうやってみるとやっぱ将校って一握りのエリートなんだね。
796名無し三等兵:2006/03/25(土) 20:17:02 ID:???
うちのじい様は満州に行ってたらしい。舞鶴に引き揚げられたって言ってた。
797147:2006/03/25(土) 22:04:20 ID:JGHpJCBb
戦時中に海軍にいた爺さんは艦の食事で酷い目にあったとか言ってた
798名無し三等兵:2006/03/25(土) 22:30:16 ID:???
中国で陸軍兵だった祖父の話

チェコ銃は一番頼りになる
撃てば敵は逃げ出すし、よく当たる
ただ調子に乗って撃ち続けると銃身が真っ赤になる
あと重くて運ぶのが大変
三八式歩兵銃は一挺ごとに癖があって当たりにくい
射撃練習の時は基地に置いてる銃を使わされるから癖が分かんなくて特に当たらない
拳銃はブローニングのM1910やHPを撃ったが全然当たらない
擲弾筒は思いの外よく飛ぶ
後半には二式対戦車擲弾が配備された
799名無し三等兵:2006/03/25(土) 22:45:39 ID:???
>>798
あんたの爺ちゃん・・・・射撃が下手だったんじゃ無いか・・?
800名無し三等兵:2006/03/25(土) 23:06:40 ID:???
>>799
まぁ通信兵だったからな
801名無し三等兵:2006/03/25(土) 23:35:52 ID:???
詳しくは聞いてなんだが、うちの祖父さんは空襲の時に
敵機をサーチライトみたいなもので照らす役だったらしい。
祖父さんが照らした敵機が味方の砲撃で撃ち落されたこともあるとか。
802名無し三等兵:2006/03/25(土) 23:40:46 ID:aNuFLHxT
うちの父方の祖父は中国大陸に出征して、通信兵として前線まで電
話線を引いて行くのが任務だったそうだ。よく、電話線が断線した
時確認に行き、繋ぎ直すのも任務だったそうだが、よく待ち伏せを
喰らったらしい。
戦後、ソ連に連れてかれシベリアに抑留されたが、何とか帰って来
たと言っていた。
803名無し三等兵:2006/03/26(日) 00:50:06 ID:???
田舎(富山県魚ズ)で空襲のあと
家の山売り払って炊き出し配ったのでうちのじい様は今でも生き神様に思われてる

富山なんて空襲するもの富山港以外なんかあるのか?
804名無し三等兵:2006/03/26(日) 11:46:14 ID:???
>>803
軍事目標以外にも、その街の経済活動を妨害する意味があるんじゃないか?
そこからあがる税収や生産される部品で兵器が作られるわけで。
そこで作られ、運ばれていく農作物が兵隊さんの食料になるわけで。
また国民に厭戦気分を蔓延させて降伏させるって意味もあるのでは?
物量豊富なアメリカさんだからこそ軍事目標以外にも日本全土爆撃できるんだろうけど。
805名無し三等兵:2006/03/26(日) 13:52:12 ID:ETGCuGSz
>>803
当時の富山は日本海側随一の工業都市で富山港は朝鮮や満州からの工業原料品の
集積地だった、工場も昭和電工、燐科学工業、帝人、日産科学などの
大工場が多くあったし、実際に国家総動員法の下、軍需物資の一大生産地と
なっていたので米軍の攻撃目標になってもおかしくはない、ただ空襲で民間人
の居住地(富山市街地)は焼け野原になったが、工業地域は無傷だった。
806名無し三等兵:2006/03/26(日) 14:18:47 ID:6YaKESX4
うちの爺さんは南京に突入して
即数千の一般市民を虐殺して
小学生年代から老婆まで穴を全てレイプした上に
財産まで略奪しました


でもここの証言で感涙でむせび泣いている国士様には内緒だよ
807名無し三等兵:2006/03/26(日) 15:25:16 ID:???
>805
そうか ありがとん。
聞いた話だとだいぶ地獄絵図だったらしいが
もろに居住区やられてたんだな。
808名無し三等兵:2006/03/26(日) 19:02:39 ID:suyXOGyw
>>760
うちのじいちゃんも特務機関はいっていざ満州に乗り込むってときに終戦だったみたい。
すごいよなぁぁ。じいちゃんは視力悪くて兵隊試験とおらなくて、周りの友達は
予科練とかいろんなとこに入っていく中自分はなにもできないってんで悩んだらしい。
そんで特務だもんなぁ。あともうちょいで日本から抹消されてたなんて。
809名無し三等兵:2006/03/26(日) 19:10:23 ID:???
>>806 釣りにしてももう少し優雅にやってくれんかのう・・・・
810名無し三等兵:2006/03/26(日) 19:12:38 ID:9WfdHeC1
親戚のオバァちゃんが昔防空壕に隠れていて照明弾で外が明るくななったので「あっ明るくなった!今なら外も明るくよく見えるから出よう」と外に出た瞬間一斉に爆弾落とされた話を聞いた。昔の人はバカだったからねぇと笑いながら話していたのを思い出した。
沖縄戦での話
811名無し三等兵 :2006/03/26(日) 20:19:41 ID:???
・・危ねえなあ、もうw
812名無し三等兵:2006/03/26(日) 21:45:11 ID:wsXrwRPh
うちは父、母両方の祖父とも戦場には行かなかった。
片方は病気、もう片方は身長だか体重が足らなかったからだとか。
2人とも、工場とかで重労働をしてたらしい。風当たりも強かったみたい
813名無し三等兵:2006/03/26(日) 22:07:51 ID:???
>>812
立派に銃後を守られたのに・・・
814名無し三等兵:2006/03/26(日) 23:37:07 ID:???
祖父 千葉で訓練中に終戦(陸軍)
祖母 軍需工場で働いていた
815名無し三等兵:2006/03/26(日) 23:38:18 ID:???
徴兵逃れで醤油一気飲みしたらしい・・・・うちのじさま
見事にトラックあたりで玉砕したらしいが
816名無し三等兵:2006/03/26(日) 23:57:49 ID:9WfdHeC1
うちの爺さん昔シベリアで通信兵だか衛生兵だかやってたみたいだけど、日本て戦争中シベリアまでいってたっけ?
817名無し三等兵:2006/03/26(日) 23:59:38 ID:???
>>816
大正期のシベリア出兵の経験者でないとしたら、シベリア抑留後に衛生担当だったのかもしれず。
もしくは戦争中の話と、戦後の抑留の話がごっちゃになっているか。
818名無し三等兵:2006/03/27(月) 00:01:16 ID:Ezij3hcA
おそらくシベリア出兵の頃の話でしょう。
819名無し三等兵:2006/03/27(月) 00:33:03 ID:???
前にも書きましたが、レス見つけるの面倒なので、、
うちのジジイの兄はマレー半島からビルマへ行った模様、体格がよかったので機関銃手だったと…戦死はナントカ河とかゆう川辺らしいです。タコツボではなく塹壕にて戦車にやられたと聞きました。インパール作戦には参加してないようです。
てか、ばあちゃんにインパール作戦と言っても聞いたことあるけどわからないと言われました。。
近所では海軍准尉で刀持ってる人もいたし、爆弾抱えて戦車に飛び込む訓練をしてて終戦を迎えた人もいます。仲間の家のジジイはM16でB29を落としたと言ってた話を小学生のとき聞きました 笑
820名無し三等兵:2006/03/27(月) 02:12:18 ID:???
うちのじいちゃんは、大和の護衛の駆逐艦(艦名聞いたけど忘れた…)に乗ってたって。
大和の風呂はデカかった、とかちっちゃい頃よく聞いたなぁ。
それから自分の乗ってた艦は雷撃受けて真っ二つ。船底が海底着くと火薬庫が爆発するんで艦から離れようと必死で泳いだ。
なんか頭が割れてる人もまだはっきり意識があったとか、救助されたら全身から胃の中まで重油だらけで、たくさんラムネ飲まされたとか…。
それから呉からキノコ雲を見てすぐに爆心地へ行かされて、軽く被爆したらしく除隊になって帰ってきた。
よく生きてたもんだと思います。
ちなみに今も元気に毎日畑に出かけてます。
821名無し三等兵:2006/03/27(月) 03:20:49 ID:???
もうかなりの昔、友達の祖父さんに南京攻略戦の話を聞いたことがある。
物資の補給が滞りがちで、銃剣突撃ばかりしていたとか・・・・

聞いていた当時は小学生だったので、詳しいことはあまり憶えていない。
822名無し三等兵:2006/03/27(月) 12:42:30 ID:/oXFL8WY
>>820
駆逐艦・浜風か磯風かなぁ
朝霜は生存者いないし、響は機雷での損傷で戦線離脱だし、霞は味方による処分だし。
823822:2006/03/27(月) 13:13:56 ID:/oXFL8WY
ごめん、磯風も味方(雪風)による処分だった。(霞を処分したのは冬月)

てことは、戦闘開始早々に集中攻撃を受けて真っ二つになり、数分で沈没したとされる
生存者が少ない 浜風の生き残り?
824名無し三等兵:2006/03/27(月) 15:19:09 ID:???
僕の父方の祖父。
宮崎沿岸の砲兵。最終階級:兵長。
ある日、国籍不明の潜水艦を発見。
「味方の可能性もある為、『まーいっか』で済ませた」そうな……。

銃の訓練で的から外した時にした言い訳。
「同じトコを貫通しました!」
そして、上官から怒られたそうな……w

母方の祖父。
中国戦線に出征したとしか聞いてません。
僕が小2くらいの時に病死しました。
825名無し三等兵:2006/03/27(月) 15:52:25 ID:???
>>822>>823
>>820です。情報サンクスです。
多分浜風だったかも…。
なにぶん、じいちゃんもなかなか戦時中の話をしなくって、聞いたの一回しかないし。ばぁちゃん曰く「仲間が大勢亡くなってるからかもね。」って。いつも話さないのにってばぁちゃん驚いてたよ。
826名無し三等兵:2006/03/27(月) 17:06:27 ID:A4dwOHMW
満州にいっていたそうな。
まだボケていないからなんでも聞けるし話してくれるぞ
827名無し三等兵:2006/03/27(月) 17:20:27 ID:???
>>810
>あ、もう明るくなったから大丈夫だ
吉備津の釜だな
828名無し三等兵:2006/03/27(月) 17:23:18 ID:FSrkfT8u
>>825
「浜風」は真珠湾攻撃から大和の出撃まで数多くの海戦に参加し、大和、武蔵、信濃の沈没に立ち会った歴戦のフネ
じいちゃんは大戦中の船乗りのなかでもかなりの修羅場をくぐってこられた方だな
829名無し三等兵:2006/03/27(月) 18:19:50 ID:???
>>827
それ確か怪談話だったっけ?
830名無し三等兵:2006/03/27(月) 18:36:45 ID:???
うん。上田秋成という人の怪談話。
一晩中家の外に前妻の悪霊がうろついて結界の中の不貞な夫を捕まえようというお話。
月の明かりを夜明けと勘違いした夫が、「やれやれ」と表に出て、死者につかまるという。

他に「橘花の契り」という日本航空史に輝く男色話も・・・ネタはいいですか

831名無し三等兵:2006/03/27(月) 21:53:22 ID:???
>>826

実際見た人はいないかも???ですが、現地で耳にした噂話
でもよいので、大陸の日本人馬賊の話なんか聞きたいなあ。
832名無し三等兵:2006/03/27(月) 22:12:00 ID:???
ちょっとネタですが、知り合いの亡くなったですがイギリス人のおばあさん@貴族が、
戦争になったからヒトラーと戦うッ、と勢いで飛行機かっこいいから空軍ッ、と入ったら

「へんな鉄塔の下に行かされて('A`)だったのよ。数学やらされるし暑いし臭いし」

レーダー・オペレーター訓練、1940年に終わって海岸に配備されたら

「つまらないのよ、なんにもないのよ!」

で、なんでも当時のレーダーは縦と横を別々にみて、IFFチェックして、自分の
上とおりすぎたらおしまい(探知できなくなる?)なそうなのでしたが、

「ある日いつものように方向と高度をビッギン・ヒル(こう言っていました) に電話したらね、
なんとあたしたちが探知したストーカがバクダン落してきたのよ! ゆれたわよ! 大変よ!
味方なんかみたことないわよ。いつもジェリイばかりよ!(ここら辺で怒り始める)」

またばあちゃんのストーカだ、とみんな笑っていました。でも終戦までカッキリ勤務して、
味方の夜間爆撃がいくと、すごい映り方するけど、帰るまで待たされたりした。バラバラに
帰って来る時もあった、とも語っていました。

でも「私は兵士だったのよ!」とタバコじゃなく細い葉巻ふかしてブイブイいわして、96の
大往生だったそうです。
833312:2006/03/27(月) 22:14:28 ID:???
>>832
不謹慎かもしれんが、かっこいい!
834名無し三等兵:2006/03/27(月) 23:11:46 ID:???
>>832
アイアンメイデンの『撃墜王の孤独』思い出した。
835海軍少佐:2006/03/28(火) 00:34:57 ID:S8Ufbq8g
近衛師団の騎兵隊だった
家に菊の御門賞印が入ったタバコがあった
それと勲章が2,3個
婆ちゃんちにあった
836名無し三等兵:2006/03/28(火) 01:08:16 ID:??? BE:68902632-
うちの亡き祖父は独立自動車第83大隊ってのに所属してたらしいけど、
こういう大隊とかがどういう子としてたとか分かるサイトってあるん?
837名無し三等兵:2006/03/28(火) 07:22:12 ID:???
>>836
慰安所について調べたいのか?
838名無し三等兵:2006/03/28(火) 10:20:33 ID:???
>>820
ttp://aimy.or.tv/book/top_page.html
ここに手がかりあるかも・・・
ぜひ、読んでもらって。
839名無し三等兵:2006/03/28(火) 11:21:35 ID:ofwYY1Xr
すんません 名前に「風」のつく駆逐艦で乗組員全員戦死の艦って分かりますか?
840名無し三等兵:2006/03/28(火) 14:57:17 ID:???
>>839
「峰風」「沖風」「灘風」「羽風」「秋風」「帆風」「太刀風」
「野風」「沼風」「朝風」「松風」「旗風」「追風」「疾風」「島風」
このうち半数くらいは全員戦死と思われます。
いつ沈んだのか分かれば、特定できそうです。
841名無し三等兵:2006/03/28(火) 18:29:01 ID:cJ4P2Jtp
母方の祖父は高等師範を出て教師だったので直接
戦争には参加して無いと聞いてた、もちろん出征の可能性
は有ったようだけど、運良くというか・・・で内地で教員
生活、と。でも祖父が鬼籍に入って10年以上経った今、
叔父に当時の祖父の話を聞くと・・・・・・。
まあ当時、内密の任務だったし、孫の私にも教えなかった事
だから、その志を大切にしたいです。
その件以外なら多少は戦時中の話は聞いたので機会があれば
また書いてみたいと思います。
842名無し三等兵:2006/03/28(火) 18:30:42 ID:???
いらね
843名無し三等兵:2006/03/28(火) 18:56:58 ID:LNC/qHeH
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1143535610/l50
朝日新聞社長の長男大麻所持で逮捕
朝日新聞はこの件を客観的に報道出来るか?w
844名無し三等兵:2006/03/28(火) 19:58:10 ID:???
>>828
あれから浜風のこと調べたらじいちゃんから聞いた話のことがいろいろ出てきてびっくりしました。
右舷から魚雷くらったとか、ドックに入ってるときに米戦闘機がきたんで機銃でかなりの数を墜としたとか…
当時はあんまりピンとこなかったが今改めて考えるとすごい戦闘をくぐり抜けてすごい確率で生き残ったんですね。
845名無し三等兵:2006/03/28(火) 21:48:09 ID:???
>>844
ウチのじいさんの義弟さん(嫁さんの弟)も浜風に乗っていたらしいのですが、
「細谷(ほそたに)」という名前に覚えがないか聞いてみて。
846名無し三等兵:2006/03/28(火) 21:49:19 ID:nWqKeyrf
友達のじいちゃん、大和乗ってたって
847名無し三等兵:2006/03/28(火) 22:32:28 ID:???
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200603190066.html
中国新聞地域ニュース
大和と沈んだ第二艦隊を洋上慰霊 '06/3/19
--------------------------------------------------------------------------------
▽遺族ら「最後の慰霊」 参加者募る
第二次世界大戦末期、鹿児島県沖の東シナ海に、戦艦「大和」と沈んだ海軍第二艦隊の乗組員約四千人を洋上で慰霊する四泊五日の船旅が四月三日、呉市から出発する。「今回が最後の慰霊」と、八十歳を超えた遺族らは参加者を募っている。
大型客船「ふじ丸」をチャーターし、呉市の川原石港を出航。当時の航跡をたどりながら、四日に大和や巡洋艦「矢矧(やはぎ)」、駆逐艦「霞(かすみ)」「朝霜(あさしも)」「磯風(いそかぜ)」「濱風(はまかぜ)」の軍艦六隻の沈没地点で追悼式を開催する。
五日には徳之島入りし、大和の慰霊塔がある犬田布岬で慰霊祭を行う。六十一年前に沈没した七日には、枕崎市火之神公園である第二艦隊追悼式に参列する。
洋上慰霊祭の発起人代表で、夫が矢矧の乗組員だった藍原マサさん(82)=東京都世田谷区=は「大和と運命をともに沈んだ軍艦と犠牲者がいたことを風化させたくない。洋上で亡き夫や兄弟たちとの『再会』を果たしたい」と全国の遺族らに参加を呼び掛けている。
新広島トラベル(呉市)Tel0823(25)8139。
848名無し三等兵:2006/03/28(火) 22:38:50 ID:??? BE:826826898-
>>837
誤字ですまんかった
849名無し三等兵:2006/03/29(水) 01:10:22 ID:???
>>845
今度帰ったら聞いてみるつもり。
でも俺的にはやっぱ聞いちゃいかんのかなぁ…とも思ってしまうのだが
850名無し三等兵:2006/03/29(水) 09:42:22 ID:???
シベリアだかアラスカでカップに入れたお湯を部屋の外に出してまいた瞬間
凍って飛んでいった動画を見てから、シベリア抑留の日本兵が
屋外でションベンしてチンコ凍って、溶かしたら落ちた・・・

ってのが本当なんだなー  と思った。
851名無し三等兵:2006/03/29(水) 10:38:32 ID:???
ドリフの世界かと思ってたぜ、そのチンコ凍るエピソードw
852839:2006/03/29(水) 13:28:46 ID:CgDk6G9F
>>840
ありがとうございます
うちの爺さんの兄貴が戦死した艦がなんだったか思い出せなかったんですが
お陰で思い出せました 「島風」でした 
調べてみたら、「ジパング」っていう漫画にも登場するそうですね
853名無し三等兵:2006/03/29(水) 15:58:28 ID:a2xPN0I5
扶桑か山城に乗船していたらしい。
没日が1944年10月24日という事だが、これは正確なのか?
854名無し三等兵:2006/03/29(水) 16:04:48 ID:???
>>853
両艦とも10月25日未明に沈没、とされている。
乗艦していて帰ってこなかったのだから沈没した頃に戦死したものと認定、ということではなかろうか。
855名無し三等兵:2006/03/29(水) 18:29:14 ID:???
>>852
島風は試験走行で40ノット近く記録した高速艦だよ。
856名無し三等兵:2006/03/29(水) 21:09:27 ID:???
>>855
カタログスペックでは40.9ノットだったかな。
857名無し三等兵:2006/03/30(木) 03:05:29 ID:???
大陸でチはに乗って生き延びたおじいちゃんは凄いと思う
858名無し三等兵:2006/03/30(木) 03:44:11 ID:???
>>850
そらウソだな
零下50度でも大気中ならば瞬間的に人体が凍ることはない
もっとも−200度の液体窒素でもかけられば別だが
859名無し三等兵:2006/03/30(木) 04:27:27 ID:dBo/3A4j
父方の祖父は俺が生まれる前に亡くなってしまったのだが日中戦争に参加していたらしい
気づいたら中国兵に囲まれ「もう駄目だ」と思った瞬間何故か中国兵たちが撤退していったらしい
もしそこで撃たれてたら俺は今ここに存在していなかった。
860名無し三等兵:2006/03/30(木) 04:43:00 ID:HSJ6byUy
このスレの上の方でも言っていたが、終戦後の上官への暴行ってあったようだよ。
うちの父方祖父も終戦後に小隊の兵8,9人で小隊軍曹を半殺しにしたって言ってた。
意味もないのによく殴りやがったから最後に全部まとめてお返ししたと・・・。

復員時は糧秣倉庫の歩哨を懐柔して一緒に食料を運び出し、ホクホク顔でご帰還。
861名無し三等兵:2006/03/30(木) 07:07:09 ID:Yr8FOE13
うちの爺さんは歳が同じ程度のくせに威張りまくって殴ってきた
班長付きの兵長を終戦直後にスマキにしようとして逃げられた。
862名無し三等兵:2006/03/30(木) 07:21:15 ID:Vv9TtTHk
>>839
艦名に「風」がついて乗組員全員戦死、となっている駆逐艦は
「秋風」:南シナ海・1944・11・3沈没
「疾風」:ウェーキ島沖・1941・12・8沈没
「山風」:東京湾沖・1942・6・23沈没          の3隻のようです
「島風」は数名の生存者がおられたようです
駆逐艦にはその最後の模様がはっきりしていないフネもあり、戦死された方の乗艦がご遺族の方の聞かれていたものと異なることもあるようです
よく調べてみると、ご主人がいつもの乗艦「満潮」でなく他の駆逐艦で戦死されていたのが判明した、という方もいらっしゃいます
863名無し三等兵:2006/03/30(木) 07:36:02 ID:RYMKFaiR
父方のじーちゃんは小学校の教員であり続けてそのまま終戦
母方のじーちゃんは慶応の工学部だっけかな? で電探を研究してたとか

両方存命なのは幸福なんだなーと実感
864名無し三等兵:2006/03/30(木) 11:24:51 ID:???
>>858
ションベンだした瞬間にションベンが凍って尿道までいくとかあり得る?
865名無し三等兵:2006/03/30(木) 12:34:44 ID:???
>>864
それもないんじゃないの?
南極でも風下に向けば立ちションできるっていうのを読んだ覚えがある
866840:2006/03/30(木) 13:32:51 ID:???
>>852
「島風」は1944.11.11オルモック湾にて米軍機の攻撃を受け沈没
867名無し三等兵:2006/03/30(木) 15:27:32 ID:???
俺のばあさんの話(何年も前に聞いた話でうろ覚えで恐縮ですが・・・
16か17才の時(昭和何年頃だったんだろ?)にM県から韓国のソウル(字は知り
ませんが当時の桂城)に渡り、病院で看護の仕事をしてたみたいです。
ちなみに終戦もそのままソウルで迎えたらしいですが、韓国人の小規模な暴動が何度か
あった事以外はばあさんの周りでは大した混乱は無かったそうです。
ばあさんは韓国に進駐してきた米軍の事まで話してくれて(紳士的だった
ね)と話してました。(はじめてみた黒人には驚いたそうですが
微妙にスレ違いですんません
868名無し三等兵:2006/03/30(木) 15:51:40 ID:???
母親の父は、機関銃で朝鮮人をヌっ殺した
話しを
自慢気に話してたそうな!!!
869名無し三等兵:2006/03/30(木) 22:31:47 ID:???
>>868
>自慢気に話してたそうな!!!

当たり前の事だと思うが?
870名無し三等兵:2006/03/30(木) 23:10:58 ID:???
朝鮮戦争か?
871名無し三等兵:2006/03/30(木) 23:15:11 ID:udHEuJVh
>>865いつだったかテレビで見たが スウェーデンでカップ一杯分のコーヒーを上に放り投げたら
コーヒーが凍りついてコーヒーのアイスキャンディーになって落ちてきた。
872名無し三等兵:2006/03/31(金) 01:18:19 ID:???
うちの爺さんは南方に行ってたんだが
とにかく周りが砂だらけで水の確保に苦労したとか
結局、イギリス軍の戦車に吹っ飛ばされて
気絶したところをインド兵に捕まって
終戦までカイロにいたんだと
873名無し三等兵:2006/03/31(金) 01:54:47 ID:???
まじめに戦えイタリア人
874名無し三等兵:2006/03/31(金) 05:33:02 ID:???
人体が外気に触れて一瞬で凍るなんてないでしょ?
ち○こを外気に触れさせるなんてたかが数十秒なんだし。
もし凍るんだったら鼻や頬を外気にさらせるわけがない。
宇宙服でも着て外気を遮断しないとシベリアじゃ外に出られない
ってことになるじゃない。
875名無し三等兵:2006/03/31(金) 09:36:37 ID:???
>>871
そんなところに住んでる白人に科学技術が発達したのは何故だ?  とおもう。
876名無し三等兵:2006/03/31(金) 09:50:39 ID:???
>>875
そんなところに住むから、科学技術を発達させざるを得なかった、とも考えられる。
877名無し三等兵:2006/03/31(金) 13:20:12 ID:edT8oqBX
俺の爺さんは
三八式で中国人を遠距離から脳天狙撃した話をしてくる
後頭部から脳漿が飛び散るといった生々しい話
本人の話では狙撃兵だったらしい

日本軍に狙撃兵なんていたんですかいね?
878名無し三等兵:2006/03/31(金) 13:50:38 ID:BmVQeh4J
居なかったら、狙撃銃なんか作らねぇよ
879名無し三等兵:2006/03/31(金) 13:51:01 ID:???
遠くの木の上にいた敵の狙撃兵を重機の単発射撃で撃ち落とした、って爺さんの話は聞いたことがあるけどね
880名無し三等兵:2006/03/31(金) 13:57:00 ID:l0fsoou3
俺のじいちゃんは
歳が一歳足りなくて徴兵されなかった
881名無し三等兵:2006/03/31(金) 14:00:16 ID:l0fsoou3
でも なぜか家に軍刀みたいな飾り物がある
882名無し三等兵:2006/03/31(金) 14:08:02 ID:???
軍事工場の昼休みに、甘蔗食ってたら空襲警報がなってもの凄い 
数の爆撃機と戦闘機がきたそうだ、俺の爺さんは逃げずに無謀にも戦闘機にむかって 
くたばれアメ公!と叫んでいたらしい、そしたら戦闘機が機銃掃射してきて左手の指が 
一本吹っ飛んだと、笑いながら最近この話を教えてくれた。
ちなみに工場では特攻機作っていたそうだ。
883名無し三等兵:2006/03/31(金) 15:36:01 ID:???
おじいさんじゃないが叔父さんがソロモン辺りで戦死したらしい
陸軍から海軍に移った珍しい? 人だったとか
功7だか8級金鵄勲章がばあちゃんの家にあった
884名無し三等兵:2006/03/31(金) 20:34:42 ID:UGLb2rKL
>>862
山風が東京湾沖で沈没となってるけど何があった?
ミッドウェーの頃だよね
885名無し三等兵:2006/03/31(金) 20:48:58 ID:???
>>884
米潜ノーチラスの雷撃。
東京湾沖つーか房総沖。
886名無し三等兵:2006/03/31(金) 23:52:13 ID:???
ノーチラスから撮影した大傾斜して沈没寸前の山風の写真、って残ってなかったっけ。
一番砲の上に日の丸が描いてあるのがはっきり見えるの。
887名無し三等兵:2006/03/32(土) 00:51:24 ID:???
うちの爺さんは大正七年生まれです。
佐渡島で農業やってましたが7年くらい前に亡くなりました。
それなりに興味があったんで、小学生くらいのときにくわしく軍歴を聞きました。

兵役検査で甲種合格だったのをよく自慢してました。
陸軍第二師団新発田連隊の砲兵(歩兵だったかも?)で上等兵だったそうです。
一回目の兵役で朝鮮国境にいったといってました。
朝鮮漬けが辛いのとやたら寒いところで風呂入ってても出るまでに戸が凍りついたという話を聞きました。
朝鮮に行く前だったと思うんですが、張学良を見たといってました。
えらい若くてみんなで「張さん張さん」と呼んでいたといってました。
あのひとって第二師団にいたんですかね? 蒋介石は高田砲兵隊にいたらしいですけど。
その兵役が終えたあとに赤紙で引っ張られ、今度はガダルカナルへ。
船で運ばれる最中、となりの駆逐艦だかが潜水艦の魚雷で沈められたのを見たとか。
それで上陸したときだったかに手榴弾を食らって負傷しました。
風呂入るとそのときの傷を見ました。肩に指入るような穴が空いてました。
痛いというより熱いって感じだったそうです。焼け火鉢で叩かれたみたいだったと。
そんでフィリピンで休養と再編成されて今度は中国の雲南へ。(手榴弾の負傷はこのときだったかも)
戦って戦ってビルマまでいってイギリス軍の戦車に出くわした話とか聞きました。
案の定、こっちの武器はなんも聞かなかったそうです。
降伏したのは終戦から2日後だったといってました。300人いた戦友が80人になったそうです。
たまに戦友から電話がかかってくると「あいつも死んだ、こいつも死んだ」という会話がかわされてました。
で、現地で捕虜になって帰ってきたのは1年後だったそうです。
そのあと農作業中に倒れて網膜剥離で失明したんですが、それでもずっと山行って野良仕事やってました。
湾岸戦争のニュースで流れたAKのフルオートの音聞いて「今の鉄砲は玩具みてえだのー」といってました。
激戦地ばっかりですが、よく生きて帰ってきたなぁと思います。
でも戦争の話聞くと爺さんは「戦争は死ななきゃ面白い」とよく言いました。
さすがは歴戦の兵隊です。
888名無し三等兵:2006/03/32(土) 01:12:15 ID:???
>883
設営隊の工員さんから軍人さんに昇格された人でつか。

兵籍問題てどう解決したんがろうか。

2等工員(陸軍伍長)→2等水兵なのか
2等工員(陸軍伍長)→海軍3等兵曹なのか。
889名無し三等兵:2006/03/32(土) 06:27:54 ID:???
>>887
> 「戦争は死ななきゃ面白い」
なるほど!!!!!!!!!
890852です:2006/03/32(土) 20:06:25 ID:ozPoNrPT
スン間線
間違えました 
浦風でした 

小説「亡国のイージス」で いそかぜ に撃沈される艦の名前も うらかぜ だった
ような・・・・
891名無し三等兵:2006/03/32(土) 20:17:09 ID:X/kumcy/
オラが爺様・婆様は明治の人。田舎もんだから話を聞いても日米のどっちが
勝ったんだかよく分からん。それでも一応疎開したんだが、疎開先の山荘に
風呂がなかったから大工を連れて行ったとか、勤労奉仕の若者に大八車山盛
りいっぱい米の握り飯積んで慰問に行ったとか、そんな話ばかりだ。
あ、そういえば、軍板っぽいネタを思い出した。爺様・婆様の町内(疎開先
ではない)に陸軍(中隊規模かな?)が行軍してきて、大通りで野営したこ
とがあったらしい。大通りに小銃が三脚状に立てられ、兵士たちは飯ごう炊
飯したんだと。そんななか、将校さんたちは爺様・婆様の家に泊まったんだ
と非常に誇らしげに話していたよ。「お前が寝ている布団がそのとき兵隊さ
んが寝た布団だよ」と言われた時は、ちょっとした「国歌と寝た」気分。
892名無し三等兵:2006/03/32(土) 21:15:16 ID:???
なんだこの感動スレは・・・
俺の爺さんも小さいときに逝ってしまっているが、ただ一つ覚えている戦争の話がある。

これを聞いたとき爺さんは優しすぎて軍人になど到底不向きな人だと思った。
爺さんは陸軍で東南アジアだったか、遠征したりしてたらしい。
撃ち合いになると敵だろうと人を殺したくなかたので目をつぶったまま撃っていたそうな。
もちろん上官にばれれば罰を受けただろう。体にもいくつかの弾痕があった。

いざってときは俺も人を撃てるだろうか。戦争なんてやっぱしたくないね。
でもミリタリーは好きだ。
893名無し三等兵:2006/03/32(土) 21:29:23 ID:???
俺の父親の兄(父より20近く年上)は襟裳岬にいた
で、食糧事情が悪くなってきて食べるものがなくなってきて
カニばっか食ってていい加減厭になったらしい
894名無し三等兵:2006/03/32(土) 22:09:54 ID:???
曽祖父が戦艦金剛に乗っていました
ワシントン軍縮会議の為に予備役になりそのまま退官
大戦時には、なんでワシを乗せんのじゃ〜 と人事局に文句を言ったそうです
祖父も金剛に乗ってましたが
心臓悪くして退官し そのおかげで命拾い
現在はペースメーカーのお世話になってます
父は船には乗らずにドック勤務です
私も何故か海上入隊し、先月より横須賀です
何かの運命でしょうか……
乗る船はまさか、こんごう…
前レスで似たような方をいましたが
もし会ったらお互い運命と諦めましょうか……
895ゾル:2006/03/32(土) 23:30:41 ID:aePzQ1c6
>>798
38は、命中率は悪くないよ。個癖さえ掴んでしまえば、後は個人の才能次第。
なお、大戦前に北欧に輸出された38は、未だに猟銃として人気があるらしい。
896名無し三等兵:2006/04/02(日) 00:51:35 ID:bmwLwkuj
祖父も陸軍に工兵として従軍していました。
『日本の銃器で真っ直ぐ飛ぶものは無い(お辞儀をする)、そんな兵器で
 英米の飛行機を落とせる筈が無い(対空砲火で撃墜は殆ど不可能)』
『兵器の質が根本的に低い/乗務員の生命&移住性を無視しており、
 戦争する前から勝てる筈が無い』
『対兵隊には弱かったが、民間人には強かった』
『対住民への差別意識は酷かった、人という扱いをしていなかった』
と重い話ばかり聞いていました。
897名無し三等兵:2006/04/02(日) 02:58:17 ID:???
人間ってものに対する考え方が根本的にゆがんでいたのだろう。
898名無し三等兵:2006/04/02(日) 08:18:54 ID:???
>>896
言わんとすることは理解できるが、
『弾道が後落しない(お辞儀しない/ションベン弾にならない)銃器は無い』
んだがなw
899883:2006/04/02(日) 09:18:16 ID:???
>>888
叔父のこと詳しく知ってた曾祖母が既に他界しており詳しいことは不明…
祖母も叔母もあんまり知らないらしく話が二転三転して良く分からなかった
陸軍で整備関係のやってたけど海軍に行きたいといって周囲の反対押し切って行ったと聞いた
なんの船に乗ってたかも分からない…船と一緒に移ってる写真もあるらしいがどこにあるか分からない…
分からんだらけですw 
900名無し三等兵:2006/04/02(日) 11:01:04 ID:j/QbH0D3
900
901名無し三等兵:2006/04/02(日) 12:14:43 ID:???
俺のひいじいさん(今も104歳で健在)はなんと長門の飯炊き兵だったらしい・・・
ウソかと思ったけどちゃんと写真とかあったし・・・びっくりした
902名無し三等兵:2006/04/02(日) 14:38:34 ID:3ybotAKm
家のひいおばあちゃんも104歳
戦争じゃないけど、若い時に東京の華族の家に奉公しにいってた時の話。

貧乏な農家の娘で、小学校しか行ってないおばあちゃんだったけど、
器量よしで、村の地主に見初められ、でも、身分違いだということで反対された。
地主の若者は結婚前に東京の華族の家に奉公に出すことで、周囲を説得した。

おばあちゃんの仕事は、「宮さま」のご学友の少年の身の回りの世話。
ご学友の少年が、慶事や、宮さまからもらったりで、お菓子を持ちかえってくると、
着替えを下げに来た時などに頂いたそうだ。
その時のご学友は、いつも机に座っていて、
ひいばあちゃんの方を見ようとしないで、「おあがり。」と言うだけで、
お菓子はきちんとたたんである服のそばに置いてあったそうだ。
その子はちょっと恥ずかしがり屋だったといってた。

宮さまは高松宮?秩父宮??
陸軍の軍服をきちんと手入れすることについても聞いたような気がする。
今度、帰ったらおじいちゃんのことも聞いたりして確かめてみる。

>901おじい様の長寿を祈る!



903名無し三等兵:2006/04/02(日) 14:50:07 ID:Zb8EoAbm
良くも悪くも海軍一家。身元調査は万全
904名無し三等兵:2006/04/02(日) 15:47:19 ID:N4SE1h7N
先週漏れが入居した下宿屋の爺さん、船舶工兵で機動輸送隊の所属だったそうな。
1000トンくらいの船に乗っていたそうだがなんて言う船だろうか?
あきつ丸や大発ではないといっていたが。
905名無し三等兵:2006/04/02(日) 16:58:37 ID:???
906名無し三等兵:2006/04/02(日) 19:49:41 ID:???
>>887
いくらなんでもガダルカナルで生還ってあり得ないんじゃないの?。
一木支隊 川口支隊 丸山師団 佐野師団 のどれか
907名無し三等兵:2006/04/02(日) 20:03:45 ID:???
>>906
上陸時に負傷だから、まだ割りと余裕のある段階で後方に戻されたんじゃない?
あと、生存者が多少なりともいる以上、ありえないということはないかと。
908名無し三等兵:2006/04/02(日) 21:05:20 ID:???
ひいじいさんが戦艦朝日に乗って日本海海戦に参加したそうな
実家に写真があっていい男だったよ
909名無し三等兵:2006/04/02(日) 21:55:50 ID:???
>>908
で、オマイは?
910名無し三等兵:2006/04/02(日) 22:20:56 ID:???
>>909
敢えて聞かないことも武士の情けだと思うぞw
911名無し三等兵:2006/04/02(日) 22:52:08 ID:???
>>906
作戦の神様と一緒に生還ですよ。
912名無し三等兵:2006/04/02(日) 23:15:30 ID:???
>>894
おまいは横教か?だったら『きりしま』の可能性はあるぞ。
913名無し三等兵:2006/04/02(日) 23:17:41 ID:???
>>906
ありえなくないよ。米軍にやられたけど組織はいきていた。
最後は帝國海軍が陸軍将兵を回収して船で後送している。
914名無し三等兵:2006/04/03(月) 01:35:41 ID:???
ガダルカナルはまだまし、ニューギニアに比べれば。
915名無し三等兵:2006/04/03(月) 10:30:58 ID:QHV/jYIZ
よくわからんが、うちのじい様は“山猿部隊”と呼ばれた部隊にいたらしい。
916名無し三等兵:2006/04/03(月) 10:54:37 ID:???
>>904
うちのじいさんも船舶工兵だ。
終戦間際で、もう大発も小発もろくになかったんで、折り畳み式鉄舟で訓練
してたって言ってたなぁ。
917名無し三等兵:2006/04/03(月) 11:10:06 ID:655wBbLJ
俺の爺さんは昭和16年に秘密で今のキューバに潜入させられたそうだが
これはいったいどういう事だったんでしょうか?
918248:2006/04/03(月) 11:10:27 ID:anjBf4LJ
シナへ行っていたらしい。
919名無し三等兵:2006/04/03(月) 11:11:02 ID:anjBf4LJ
ちょw248ってのは間違いw
920名無し三等兵:2006/04/03(月) 11:32:50 ID:K4cDUZqs
>>890
十七隊の司令駆逐艦だな。荒天のなか「金剛」と一緒に台湾海峡で沈んだんだっけ?
921名無し三等兵:2006/04/03(月) 12:39:29 ID:???
>>917
密使とか間諜(スパイ)だったって事じゃないの?
922名無し三等兵:2006/04/03(月) 12:46:45 ID:Fz0LIRm7
うちの依田保の一隊はルソン島で手榴弾自害した、その時のサーベルが帰ってこない
923名無し三等兵:2006/04/03(月) 17:12:30 ID:???
 
韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル
924名無し三等兵:2006/04/03(月) 18:23:58 ID:pht92YKj
うちの父方の祖父は戦時中、海軍で軍艦に乗ってたらしい、実家に海軍でスケートをしている
写真や、軍艦が凍り付いている写真があるらしいがまだ見たことないです。
今度、帰省したときに探してみたいと思いますが場所など具体的に分からないでしょうか?

ちなみにじーちゃんは爆撃(雷撃かも)にあい片腕が吹き飛んだが生き残り
十年ほど前に亡くなりました。
925名無し三等兵:2006/04/03(月) 19:59:50 ID:WIapqXNP
>>924多分の第5艦隊だと思うよ
千島やアリューシャン担当の艦隊だ。でもスケートやってたなんて聞くと
もしかしたら満州海軍辺りに出向でアムール川で
スケートしてたんじゃないかと連想してしまう
926名無し三等兵:2006/04/03(月) 22:11:35 ID:???
>915
帝国陸軍随一の一凶暴連隊といわれる丹波篠山の70連隊ですな。
927名無し三等兵:2006/04/03(月) 22:42:42 ID:???
終戦時の話。
呉に配属されたけど山に入って伐採ばかりしているうちに終戦。
上官の帰郷に荷物持ちとして連れて行かれるも混雑の中はぐれてしまいます。
上官が見つかるわけも無く、諦め帰郷。
帰ってさて上官の荷物は何だろうと開けてみると…



鞄一杯の防毒面だったそうです。
928名無し三等兵:2006/04/03(月) 23:33:22 ID:Noe2Fwq9
俺の爺さんは元米海軍なんだが・・・聞くにも英語で聞かなければ答えてくれない(戦争の事だけ)
929名無し三等兵:2006/04/04(火) 01:39:09 ID:qqxSpR2a
>>915&926

祖父の弟に当たる大叔父が甲府の第四十九連隊だったそうですが
その連隊も山猿部隊と呼ばれていたような希ガス
930名無し三等兵:2006/04/04(火) 01:52:29 ID:???
>>928
Ask your granpa that what did he do in ww2?

ちなみに家の婆様、カアチャンと付き合いのあった米の地理学者は戦時中に飛行機の空輸を米本土でし
ていたと。で、聞いてみたら、

「war time should be hard for you?」  戦争中辛かったでしょ?
「nope, great depression WAS so hard for me」 うんにゃ、大恐慌こそが大変じゃった。

931名無し三等兵 :2006/04/04(火) 03:33:35 ID:9l1inClx
家のじいちゃんは戦争末期の一式戦乗りで本土の基地に居たらしい
じいちゃんは終戦時18歳だったから特攻兵だったと思うし話によると当時飛べる隼は少なかったらしい
時々、じいちゃんはペラなしの隼を近くの林に隠しに仲間と行って「こっちにはこんだけ隼がおるんじゃ!」って仲間とおもしろ話して笑ってたらしい
当時グラマンも基地に射撃に頻繁に来たらしくじいちゃんはグラマンはかなり早くてすぐ水平線に消えてまうって言ってた
部隊の紙も見せてもらったけど茶色くなってて年季が感じられた
なんか当時の水筒も家にあって戦争映画(日本が出る)がやると必ずその水筒をもってきて昔の話をしてくれる
あと、曾爺ちゃんはどうやら船で戦地に趣く時に船が沈められて無念の戦死を遂げたらしい・・
曾爺ちゃんの仏壇の写真は軍服を来ていてとても若く見えた・・・
じいちゃんに見せてもらった紙には戦隊名と隊長名などが記入されていた。
また、見せてもらいたいけど自分からは申し出る勇気が無いのも事実
死んだ戦友もいるだろうし、あまり戦争中のことは聞かないようにしてる・・・
932名無し三等兵:2006/04/04(火) 18:49:41 ID:???
>>931
もう一回日本語でお願いします。
933名無し三等兵:2006/04/04(火) 18:57:32 ID:???
>>931
カキコの内容は普通に理解できます。
何でもかんでも特攻、と言う訳でなく普通に『少年飛行兵(略称:少飛)』だったのでは?
アルミの兵式水筒はウチにも有りますよ。
934名無し三等兵:2006/04/04(火) 19:10:50 ID:???
広島に原爆が落ちた3日後、海軍なのに後片付けに行ったらしい。
まだ地面は焼けて焦げて暑かったと。
黒い雨は降った後だったし、79歳で亡くなるまで被爆したような病状は出なかった。
本人は「海軍少尉だったのに!」と言ってた。
納得いかなかったのかw

戦争中に使ってたという双眼鏡を見たが、新品同然。
叔母に聞いた話によると、手旗信号もロクに覚えてなかったそうな。
少尉とは言っても当時大学生だったのを引っ張って行っただけだし、
当時の日本軍は本当に人手不足だったんだろうなあ。
935名無し三等兵:2006/04/04(火) 19:39:34 ID:9l1inClx
>>932
上手く表現できなくてスマン

>>933
そうかもしれませんね。
僕も少飛だと信じたいです
でも、稼働率の高いと言われる隼が少数しか飛べないのを聞いてビックリしました




936名無し三等兵:2006/04/04(火) 20:37:04 ID:???
>>935
・・・まぁ、無いよりはいいけど隼があってもアレなんで
937名無し三等兵:2006/04/04(火) 21:13:42 ID:???
親戚の爺様なんだが戦争中は海兵、海大優等でGFかどっかの参謀しとったそうなんだが・・。負ける前はずいぶん羽振りがよく、ついでにいけいけで勇ましいコトこの上なし。
負けたらさっさとアメリカ様に乗り換えてGHQ→駐日アメリカ大使館勤務。戦争に勝ったのかと親族一同が思うほどの大盤振る舞い。薬やら占領軍の病院やら面倒見て貰えて大変助かったそうな。





叔父なんか志願せんでええのに受けた予科練は裏から手を回したこいつのせいで落とされ、次の年に海兵に放り込まれたといまだに恨むことしきり。

938名無し三等兵:2006/04/04(火) 23:15:49 ID:???
>>934
うちのじいちゃんと一緒やね。ただうちのじいちゃんはかなり被爆したみたいよ?歯茎からかなり出血するわ、髪はごっそり抜けるわで。
それが原因で軍医に「すぐ家に帰って栄養を採って休みなさい」と言われて帰ったそうな。それから何十年…まだまだ元気で頑張ってますが。
一時的だけで結局治ったのか?
939名無し三等兵:2006/04/05(水) 09:00:29 ID:???
でもなんか最新の研究では、原爆投下後1日で放射能濃度(?)が半分になって
1週間でほとんど人体に影響がないくらいになって一ヶ月で通常に戻った。ってのが分かっているらしいけど。

どっちにしろ心配するほどじゃないんジャマイカ?
940名無し三等兵:2006/04/05(水) 09:13:22 ID:???
>>938
原爆の翌日に広島入りした人なんだけど、
去年突然白血病になったよ。発症から二週間で他界・・・
それまですごくお元気だったから驚いた。
まあ原爆のせいかどうかは分からないけどね。
941945:2006/04/05(水) 12:12:58 ID:HCSzS5Nw

祖父は、入営半年で終戦でした。陸軍二等兵、本部大隊付き当番兵。
昭和20年2月入営。同年11月陸軍解体の為除隊。賞罰無し。
942名無し三等兵:2006/04/05(水) 12:59:21 ID:???
陸軍中将だったらしい
943名無し三等兵:2006/04/05(水) 13:18:18 ID:???
母方のじーさんは、三菱重工の開発部門の人で色々表彰品がある。
戦争には通信兵として行ったが、米兵に2ヵ所撃たれて帰国。

父方のじーさんは台湾人。
戦時中に台湾の家族の猛反対を振り切って、日本で医者として働いた。
結婚後、日本人になる。

ただし、日本に行く時に父親に勘当されたらしく、超金持ちの家なのに財産は一円も入らないって条件で日本に来た。。。
今は、ひい祖父さんもじーさんも死んじゃったから台湾のおじさん達と自分は仲良いけど。
何故か皆日本語ペラペラだし。。。

因みに、知り合いのじーさんは、中国が大規模な台湾人粛清の際に蒋介石を匿ってた事があるそうな。
風呂もない家で。。。w
944名無し三等兵:2006/04/05(水) 14:26:25 ID:???
 
●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル
945名無し三等兵:2006/04/05(水) 16:34:39 ID:???
僕は冬月に乗ってました。大和の生存者を乗せたときにラムネを
大量に配りました。あのときは敵機の攻撃よりも艦内のいろいろな
対処のほうが忙しかったです
946名無し三等兵:2006/04/05(水) 16:36:40 ID:0DaIs+R8
戦場行く前に戦争終わってたらしい。
947901:2006/04/05(水) 16:44:14 ID:???
あと俺の友達のお婆さんの兄は特攻で亡くなったそう
948名無し三等兵:2006/04/05(水) 16:58:28 ID:M4RoF2S7
うちのじいさん(26年前他界)は、もともと警察官だったが、
戦争に行ったみたい。警察官は別に行かなくてもよかったらしいって
ホントなの? エライ人教えてください。

終戦後シベリアに捕虜として抑留されたみたいよ。
警察官になって最初の大きな事件があの2.26事件
だったと生前のばあさんから、昔聞いたよ。
949名無し三等兵:2006/04/05(水) 17:39:31 ID:???
母方の爺さんは満州にいってた。
当時としては珍しく、自動車免許を持っていたので後方で輸送なんかをやってたらしい。

満州はすげぇ寒くて、立ちションしてるとあっという間に凍ってしまう、とかなんとか。

まぁ、俺が物心つく前に死んじまったのでお袋から聞いた話だがな。
950名無し三等兵:2006/04/05(水) 18:43:03 ID:Lf76UmFY
俺の友達の爺ちゃんは爆薬抱えて穴に潜り
上を戦車が通る瞬間に爆破みたいな任務を負っていた
実行3日前に終戦
951名無し三等兵:2006/04/05(水) 18:56:58 ID:oOkT+Xzo
戦争をおもしろがるのは、未経験者だけだ。
〜ピンダロス〜
952名無し三等兵:2006/04/05(水) 19:18:26 ID:???
上のほうに死ななきゃ戦争も面白いって言ってた爺様もいるがな。
953名無し三等兵:2006/04/05(水) 19:38:00 ID:ooVm0xHG
>>950
そうか、あと3日たっていればお前は生まれていなかったわけだ。
954名無し三等兵:2006/04/05(水) 20:07:29 ID:???
金儲けにもなる品。
955名無し三等兵:2006/04/05(水) 22:40:56 ID:???
>>953
>950の出生の秘密が明かされた!
956名無し三等兵:2006/04/05(水) 22:51:46 ID:???
>>943
今の台湾情勢の正確なところを聞きたいぞ。
台湾人の、日本に対する現在の心境も。
957名無し三等兵:2006/04/05(水) 22:58:00 ID:???
>>953,>>955
"950"のレスを良く読め!
958名無し三等兵:2006/04/05(水) 23:51:59 ID:???
>>957
冗談のわからない奴って言われてないか?
959名無し三等兵:2006/04/06(木) 00:44:39 ID:6KNTm03E
>>953
しかし、こう考えるとなんとなく運命を感じるな。
先祖が死んでたら俺たちここにいないんだもんな・・・
>>950は終戦日が3日遅れてたらここに居ないんだもんな
960名無し三等兵:2006/04/06(木) 00:49:19 ID:6KNTm03E
>>959
修正
×ここに居ないんだもんな
○ここに居ないかもしれないもんな


961名無し三等兵:2006/04/06(木) 10:53:34 ID:???
 
●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル

●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になりすまし偽装活動してる2チャンネル
962名無し三等兵:2006/04/06(木) 11:55:55 ID:???
うちの爺様達、父方母方共に数年前に亡くなっちまってるんだが、生前はほとんど戦争の話はしてくれなかった。

母方の爺様は傷痍軍人で右ひざから下が無かった。

父方の爺様は五体満足だったけど、額に銃創があった。撃たれたときは死んだと思ったらしい。そりゃそうだろうなあ。

そうそう、一回だけ、なんかで戦争体験の話になったときに、満州での話をしてくれた。

仲良くなって、一緒に日本に帰ろうといってた仲間が隣で敵に撃たれて死んだときに、そいつのカタキを討つつもりでがむしゃらに反撃したそうで。
でも、そのあと戦いが落ち着いて、敵兵で自分たちと同じくらいの奴が死んでるのをみたときに、(ああ、こいつも、いっしょに田舎に戻ろうといってた仲間がいたんじゃないか…)と思って鬱になったそうだ。
まあ、殺さなきゃ殺されるわけで、きれいごとは言えなかったろうけど。

俺自身も、親友を亡くしてたときだったんで、堪えた記憶があったりしてねえ。

なんだか、文章ヘタですまん。
963名無し三等兵:2006/04/06(木) 13:51:15 ID:???
>>962
こう言っちゃなんだが、爺さん、戦ってる時にそれに気づかなくて良かったな。
964962:2006/04/06(木) 14:31:48 ID:???
>>963
たしかに。
そのおかげで、今のおれがあるわけで(^_^;)
ぷっつんキレて生き延びてくれた爺様に感謝するよ。
965名無し三等兵:2006/04/06(木) 22:43:17 ID:???
>>958
>>959
もう一度>>950をよく読んだ方がいいんじゃねえか?
966名無し三等兵:2006/04/06(木) 23:16:03 ID:???
>>956
流石に日本人や旧軍や情勢等について聞いた事は無いなぁw
中国をどう思ってるかとかは聞きたいが。。。無理です。

つか、日本人は教育課程に関係なく、『台湾人の方です』って紹介すると、
『中国の方なんですかー』って返す人が少なくない。
心臓に悪いわ。。。
967名無し三等兵:2006/04/06(木) 23:31:36 ID:???
そんなに混同する人がいるのか。
でも殆どの人は中国人は中国人。台湾人は台湾人って認識じゃね?
968名無し三等兵:2006/04/07(金) 01:04:47 ID:???
そうともいえない。
969名無し三等兵:2006/04/07(金) 01:58:30 ID:???
最近の女性なんかは、本当に世界情勢について無知な人多いよ。
頭良い人でも『中国、今凄いですよね』とかお世辞のつもりで言うw

フランカー沢山買いましたからね〜。。。
970名無し三等兵:2006/04/07(金) 14:41:29 ID:???
機材の数とスペック以外の世界情勢に無知な軍ヲタも佃煮にするほどいるけどな
971名無し三等兵:2006/04/07(金) 17:11:26 ID:ZaQa287C
台湾人と中国人は別じゃ!
北朝鮮と韓国は同じだがな。
972名無し三等兵:2006/04/07(金) 17:40:49 ID:???
母方の爺様
海岸で防空壕掘ってるときにグラマンに機銃掃射を食らうが
自分で掘った防空壕に逃げ込み無事生還。

父方の爺様
兵舎が爆撃されるがタコツボに逃げ込んで見事生還。
爆弾積んでボートで神風の予定だったが何故かそこから一転士官学校へ。そのまま終戦。

結構ヤバかったんだなぁ…
よく靴が盗まれたら盗みかえさなきゃいけないとか
朝鮮人がウザイとか色々聞かされてたわ。
973156:2006/04/07(金) 21:24:51 ID:???
昔聞いた話、二つばかり思い出したので書きます。
先ずは死んだ婆ちゃんの>>156の特攻隊にまつわる話。
60`爆弾を水上練習機にくくり付け、後席に燃料入りのドラムカン(増槽代わりなのか
突入時の威力増加目的なのかは不明)を載せて茨城県北浦から犬吠埼を目指して
飛んで行ってたらしいのですが、一人帰って来た兵隊さんがいたそうです。
夜中婆ちゃんの家の玄関の前で物音がして家の人が「何だろう?」と開けてみると
一人の兵隊さんが立っていたそうです。
その人は何度か婆ちゃんの家に遊びに来ていた人で前日、仲間と共に
出撃の挨拶に来ていたらしい。
驚きながらも家に入れて話しを聞いたところ、その日仲間と共に飛び立ったが
海に出る前に敵機に見つかり撃墜され、たまたま地上に生えていた
松の大木に機が引っ掛かり生き残ってしまったとの事。
兵隊さんは「目標に辿り着けなかったばかりか、自分一人生き残ってしまった。
死んだ仲間に会わせる顔がない」と泣いていたそうです。
その兵隊さんがその後どうなったかは、親父も聞いていないとの事。

もう一つの話しは次で
974名無し三等兵:2006/04/07(金) 21:40:19 ID:???
お爺さんじゃないけど、先生の父上のお話(自分は中国留学中)

時は文化大革命。毛沢東が"武闘"を推奨したために、
階級間の争いだけでなく、同じ階級同士での叩き合いもさかんになった。
そういうわけでS大学の学生だった先生の父上は、
過激な運動に参加せず、こっそり勉強を続けていたものの、
闘争の舞台が大学内になってしまったので、
その渦の只中にたたき込まれるはめになった。

先生の父上は、文系中心のS大学、道を挟んで理系や工学系中心のH大学。
S大とH大は、血で血を洗う闘争を繰り広げるが、
いかんせん自分で武器を作ることが出来たH大に、S大は当然かなわない。
ある朝、歯を磨いてた級友がいきなり寮の窓から狙撃されて、
脳がバシャーってなる音で目が覚めたりしたそうだ。
大学の近くには空軍の駐屯地(今もある)があり、S大の口が回る奴が、軍人に
銃を貸してもらえるよう説得に行って、なんとか劣勢を覆そうとしたが、
今度はH大は戦車をつくって攻めてきたそうだ。(マジ?)

そんな文革も毛沢東の死で幕が下り、隠れて勉強してた先生の父上は、
国家試験にパスしてアメリカに留学することが出来たという。
975名無し三等兵:2006/04/07(金) 21:43:26 ID:0Ay6EG+/
>973
実はその兵隊さんは幽霊だったなんてオチじゃないよね?
976156:2006/04/07(金) 21:59:38 ID:???
じいちゃん(存命中)の話
じいちゃんは当時中学生で婆ちゃんとは隣地区。
婆ちゃん家の近くの飛行場が空襲された時の話を聞いたことがあります。
空襲はグラマンの機銃掃射かロケット弾攻撃だったそうです。
じいちゃん日く「ウチの地区の上空辺りから、ロケットを撃つんだ。
グラマンのハネ(主翼)から煙がスーッて何本も出ていって『飛行場の方に消えたなぁ』
と思ったら少ししてから、ドンドンドーンて音がするんだ。
空襲警報が解除になったら暫くすると兵隊が荷車に、死んだ兵隊積んで来て
(ウチの地区の)北の森ん中に持って行くんだ。
森ん中に穴が掘ってあって、その中に重ねて入れて油をかけてまとめて焼くんだ。
火が消えたくらいにまた来て、木の箱に分けて持って行くんだ。
あそこには、金ボタンが沢山おちてたんだぞ。」だそうです。
ちなみにまとめて焼く為、ドレが誰の骨か解らないので
「だいたい一人分位」ずつに分けていたらしいです。いいのか?それで?
977名無し三等兵:2006/04/07(金) 22:14:24 ID:Kwur0lHK
満州に出征したけど一度も実戦を経験する事無く復員したらしいので特に戦争体験を語るという事は無かったが
憲兵が偉そうに尊大な態度でムカついたという話はしつこい程よく聞いた
978156
>>975
どうだろう・・・。
婆ちゃん→親父→俺の伝言ゲームだからその辺は分からないです。
見た本人は亡くなっちゃってるし。人間であったと信じたい・・。(((;゚Д゚)))