あなたのおじい様の戦争体験を教えて その9

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1名無し三等兵
前スレ

あなたのおじい様の戦争体験を教えて その8
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1115479318/l50
2名無し三等兵:2005/10/15(土) 23:07:53 ID:???
阻止
3名無し三等兵:2005/10/15(土) 23:08:52 ID:???
3ズサ━━━━⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡━━━━!!
4名無し三等兵:2005/10/15(土) 23:12:32 ID:???
さあ、あの人の孫は現れるのか
5名無し三等兵:2005/10/15(土) 23:15:56 ID:???
現れないに200ペソ
6前スレ894:2005/10/16(日) 00:21:24 ID:???
前スレ >>902-903

コメント、ありがとうございますた。
大分県だと下記URLの課が担当のようなので、そこに問い合わせてみます。
http://www.pref.oita.jp/12300/shokai/index.html
7名無し三等兵:2005/10/16(日) 00:44:12 ID:???
誰かが降臨する前に少し雑談させてくれ。

波乱万丈の爺さんの半生を
記録したいんだが
なんといって説得すれば言いか分からない。

爺さんは一度は自分で書こうと思ったらしいが
文字にするというのが難しく一度断念したことがあるらしい。
(業者に頼むのも主義が合わないのか断念したようだ)

ばあさんはヒソカに爺さんの夢をかなえたいと
言っているのだが・・・
同居してないだけにいきなり言いにくくて悩む。

皆なら爺さんになんていう?
8名無し三等兵:2005/10/16(日) 01:01:21 ID:???
>>7
貴官が聞き取って、箇条書きにでもいいからまとめてみてはいかがか?
9名無し三等兵:2005/10/16(日) 01:05:50 ID:???
テープでいいじゃないの
っていうかさ、マジレスすると、
90超えると、筆持つのも難しくなるから、
口述筆記とかしかなくなってくるよ
うちのじいさんは書くの好きだったが90超えてから
筆がもてなくなった
結局、話し聞いて、貴方がまとめるしかない希ガス
10名無し三等兵:2005/10/16(日) 01:08:29 ID:???
説明が悪かったね、ごめん。
もちろん自分が聞き取って
メモなり何なりにまとめるのを手伝うつもりなんだけど

同居してないだけになんと言って
きっかけを作っていいか分かんないんだ。
自分は外孫だしね。
11名無し三等兵:2005/10/16(日) 01:12:09 ID:???
ストレートに眼をキラキラさせて、
「おじいちゃん、戦争のときってどんなだったの?」
ってせまれば、おじいちゃんも満更じゃないし
喜んで話すだろ
それを纏めるだけ
言うのは簡単だが実行するのは骨が折れる
がんがってくr
12名無し三等兵:2005/10/16(日) 01:14:29 ID:???
>>10
ストレートに切り込めば?
「実は、婆ちゃんがさ…」って。
俺、子供の頃にパンテルのプラモで遊んでたら
隣にいた爺ちゃんが、急にノモンハンの事について語りだして、思わず聞き入ってしまったし…

どういう性格なのかはわからないけど、
自分の体験を話しておきたいって思っている人はいると思うぞ。
13名無し三等兵:2005/10/16(日) 01:23:34 ID:???
どっちにしても聞けるうちに聞いといたほうがいいよ

俺の爺さんは陸奥に乗ってたと言ってたが、詳しくは聞けなかった
その当時小学生だったから・・・
俺が中学生のときに他界しました。
14名無し三等兵:2005/10/16(日) 02:09:59 ID:v0s2zmpO
撃墜王のお孫さん 僕はまってます
15名無し三等兵:2005/10/16(日) 02:11:32 ID:???
きっと、その人だけしか持ってない貴重な情報がいっぱいあるんだから
そういう話を記録・録音しないのは実にもったいないなぁ…

無駄話しながらでも、断片的にでも録音し続けた方がいいと思う。
こういうときに、今よく売っているICレコーダーなんかは非常に便利
いざとなったらポケットに入れたままでスイッチ入れてても録音できるよ
16名無し三等兵:2005/10/16(日) 02:35:34 ID:???
前スレ>>960
相模湾って空襲あっただろう。
西寒川の海軍工廠(原爆製造プラント)が空襲で全部なくなったよ。
17名無し三等兵:2005/10/16(日) 03:00:05 ID:???
今度は何人釣られるだ?
漏れは喜んで釣られるがなw
18名無し三等兵:2005/10/16(日) 03:05:32 ID:???
あれ?お孫さん来てないのか?
中学の時に俺の人生を決定させた人の孫だってのに・・・

因みに大学受験に受かったらご本人に一度お会いしようと思っていたが、
ちょうどその年にお亡くなりになってしまった・・・
赤門をくぐることは出来たが、大学に落ちてもいいから会いに行くべきだったなぁ。
19名無し三等兵:2005/10/16(日) 03:54:49 ID:???
俺のじーさん原爆落ちた時、岩国に配属されてたらしく
原爆の光を見たって言ってたな。
朝、体操をしていると広島方面の空に突然青白い光がの玉が光って
きのこ雲?が広がっていくのを見てたらしい。
午後には真っ黒い雲が広島方面を覆ってたって。

昼を過ぎた頃から艦載機が飛んできて機銃掃射が始まったらしい。
とっさに岩陰にもぐり込んだら弾が跳ね回って死ぬ思いだったって言ってました。
線路を走って逃げていた人達は隠れる場所が無く、ほとんどの人が殺されたって言ってた。
20名無し三等兵:2005/10/16(日) 04:57:02 ID:???
うちのじいちゃんは15年に現役で甲種合格。
工業高校出て、樺太の炭鉱で技師をしていて工兵連隊に入営。
北朝鮮のどこだかに連隊あって同地で乙種だかの幹部候補生課程を終える。
18年に釜山より対馬丸で南方へ。
船団は軽巡龍田、駆逐艦野分などの護衛で一路サイパンを目指す。
連絡要員でブリッジに詰めてたおり、交代前に見た旗艦を示す少将旗が朝起きたら龍田から野分に移っていてショックだったそうだ。
サイパンから大隊転出でトラックに移動し、同地で活動。
終戦時曹長でポツダム中尉。10年以上前に聞いた話です。このスレにいるのは確実に彼の影響ですw
21名無し三等兵:2005/10/16(日) 05:01:22 ID:???
うちのじいさんは陸軍の飛行機乗りだった。
勉強はまるで駄目だが将棋、ビリヤード、飛行機の操縦はずば抜けていて
天覧飛行で錐もみを披露したこともあるそうな。(褒美に饅頭を下賜されたとか)

三重の明野飛行学校で教官をしていたときには
まだ幼かった父を訓練現場に呼び
「この無線機に向かってな、ヨクヲフレヨクヲフレ、て言うてみ」
と言った。父がその通りにすると上空で訓練生の練習機が翼を振ったという。

同じく教官時代にはよく学校の飛行機を拝借して
浜名湖へ釣りをしに出かけていた、とも。いいかげん仕事しろよ。
22名無し三等兵:2005/10/16(日) 05:02:03 ID:???
二度目の満州駐留(一度目の時に父が生まれた)時にソ連の侵攻を受ける。
僚友たちがソ連軍に突っ込んで散華していく中、
本人はなにも知らずに哈爾濱の料亭で大酒を食らっておりあっさりと捕獲。
士官があらかた死んだか逃げたかしていたせいで
中尉にもかかわらず敗残兵部隊の大隊長に祭り上げられてしまう。
豪傑肌だったのかもな。

その後シベリアに抑留されるが、日本に帰ってきたのは最後の最後だった。
「部下より先に帰るわけにはいかんかった」とのこと。
その分三人の子を抱えた祖母は苦労したらしいが。

生きていたらさぞかし楽しいじいさんだったろうに
俺が生まれる前に死んじまった。上に書いた話は全部父から聞いたものだから
不正確な部分もあるかもしれん。(じいさんが父に語った時点でホラが入ってそうだw)
23名無し三等兵:2005/10/16(日) 11:23:29 ID:YcvEI3fn
こう沈んでいては、坂井三郎氏のお孫さんも見つけにくいだろうから age !
24名無し三等兵:2005/10/16(日) 11:26:15 ID:???
じいさんの手記を発見
酸素瓶を輸送していたらしい

酸素瓶!?いみふー
25名無し三等兵:2005/10/16(日) 11:45:13 ID:fZ8u+1NY
>>24
酸素ボンベ?と思ってたら、そういう器具があるのね。
実験でもしてたのかな。


今は亡き父方のじいさまは、東北の方で飛行機等の整備をしていたらしい。
親父も当時4、5歳で長屋で暮らしてた記憶が微かにある程度つってるし。
いろいろ話きいてみたかったな。
  
26名無し三等兵:2005/10/16(日) 12:16:05 ID:YcvEI3fn
>>24
>>25

酸素瓶は酸素ボンベそのものです。

ttp://asia.geocities.com/airtango2001/o2_bottle.html
27名無し三等兵:2005/10/16(日) 12:45:54 ID:???
僕が小学生の時にじいちゃんから聞いた話。

20代初めに建具職人から徴兵され南方へ。大砲を山の中引っ張って歩いていたらしい。
辛かったと言ってました。その後、満期除隊。
でも、また徴兵されて今度は中国地方へ。ここら辺の話は、なぜかしてくれませんでした。
職人でそれなりの立場だったじいちゃんには軍隊生活そのものが辛かったようでした。

当時の僕は教師の反戦教育を目いっぱい受けてたのでじいちゃんに批判的でした。
もう十数年たった今は、じいちゃんにもっと話を聞いておけば、と後悔しています。
28名無し三等兵:2005/10/16(日) 13:01:51 ID:???
>>25

実験器具じゃなかったのかw教えてくれてありがとう!

29名無し三等兵:2005/10/16(日) 14:00:36 ID:???
>>1 乙です。新スレなったのきづかんかった
30名無し三等兵:2005/10/16(日) 14:54:03 ID:GFfdragI
漏れの大叔父さんが雪風乗組みでした
終戦間際の北海道で大破着低した僚艦の写真やら見せてもらいました。
31名無し三等兵:2005/10/16(日) 15:14:35 ID:v0s2zmpO
雪風乗組員だった お爺様は大和特攻の時も出撃したんですか?
32名無し三等兵:2005/10/16(日) 15:48:09 ID:GFfdragI
いえ、菊水作戦は参加してないといってました、沖縄特攻後に乗ったそうです
本の乗組員名簿に名前が載ってのはちょっと感動しました。
33名無し三等兵:2005/10/16(日) 15:54:09 ID:???
>>30
大叔父様がご存命なら、できるだけお話を伺って、また披露してくださいな。
34名無し三等兵:2005/10/16(日) 16:09:50 ID:GFfdragI
今度また詳しく聞いて書き込みます、家には陸奥の部品やら
将校だったので軍刀やらあるそうです、写真もうpできそうだったら
上げますね。
35名無し三等兵:2005/10/16(日) 16:20:17 ID:???
>>34
ぜひ、お願いします。
36カキコ2日目:2005/10/16(日) 16:42:21 ID:Lou2vzdj
うちのおじいさんは赤とんぼに乗ってたらしい(95式中錬だっけ?)
なんかそれで怪我して乗れなくなったとか・・・
37名無し三等兵:2005/10/16(日) 17:47:03 ID:???
隣の町に爆弾三勇士の一人がいたらすぃ
38名無し三等兵:2005/10/16(日) 18:24:47 ID:???
>>36
「アカトンボ」と呼ばれたのは、海軍の九三式中間練習機ですね。
ちなみに、九五式は陸軍の練習機です。
おじいさまは陸軍と海軍のどちらにおられたのですか?
39T-34:2005/10/16(日) 18:26:24 ID:Lou2vzdj
>>38俺が間違ってた。海軍です。
40名無し三等兵:2005/10/16(日) 18:39:04 ID:???
>>39
では、九三式中間練習機に乗っておられたのですね。
有名な機体ですから、探せばWeb上でも写真が見つかるでしょうし、
大きくプリントして見せてさしあげれば、喜ばれるかもしれませんね。
41名無し三等兵:2005/10/16(日) 19:03:32 ID:orQpa7x2
7月に亡くなった母方の叔父は、金剛と愛宕に乗船してたそうです。
42名無し三等兵:2005/10/16(日) 19:14:09 ID:W5A5jaBK
そういえば小学生の時の友達に
「ウチの爺ちゃんは武蔵に乗ってたんだ」って言ってた奴がいたな。
当時は興味なかったから聞き流してたけど惜しいことをした。
43名無し三等兵:2005/10/16(日) 19:16:39 ID:???
飛行機乗りのおじいさんを持つ人ウラヤマシス
うちのじいちゃんなんか中国で衛生兵やってて
「1回も基地から外に出たことが無い」だってさ

ツマンネ(゚听)
44名無し三等兵:2005/10/16(日) 19:19:39 ID:W5A5jaBK
衛生兵として人の命を救っていたと思えば素晴らしいじゃないか
45名無し三等兵:2005/10/16(日) 19:22:39 ID:???
>>43
普通の病院ではありえないグロをいっぱい見ざるを得なかったと
思うからそれはそれで尊く凄い事だと思うが
46名無し三等兵:2005/10/16(日) 19:23:32 ID:+DgPjIer
>>43そんな事言うもんじゃない
当時いた本人にしてみれば、死地に送り込まれたりしたら
たまった物ではないだろう。
藻前さんが当時その立場だったならどうよ?不謹慎すぎる
基地内の勤務で良かったと思うぞ
4743:2005/10/16(日) 19:29:27 ID:???
>>44
>>45
>>46
たしかにな
じいちゃん入院してもう半年近くになるな
久しぶりにお見舞いでも行くか

しかし元衛生兵のくせに病院嫌いで、ばあちゃん苦労させてたうちのじいちゃんて一体・・・
48名無し三等兵:2005/10/16(日) 19:34:28 ID:???
うちの爺さんは華中方面で砲兵士官として戦っていたが8月15日に降伏。
当然、武装解除されると思ったが国府軍の指揮官に
「ここに置いていかれても八路軍に使われると困るから持って行ってくれ」
と言われ、上海で武装解除したそうな。
大砲の撃ち方も教えてくれと頼まれたから教えたとか。
自分が乗ったトラックのすぐ後ろのトラックが地雷を踏んで吹っ飛んだなんて話もしてたな。
もっと聞いておけばよかった。
49T-34:2005/10/16(日) 19:46:58 ID:Lou2vzdj
うちの学校の現代社会の専制のお爺さん(?)は零戦乗りだったそうです。
(ちなみにその後俺の居眠りについての話に変わった。トホホ・・・)
50T-34:2005/10/16(日) 19:47:43 ID:Lou2vzdj
うちの学校の現代社会の先生のお爺さん(?)は零戦乗りだったそうです。
(ちなみにその後俺の居眠りについての話に変わった。トホホ・・・)誤字があったのでワンモア
51名無し三等兵:2005/10/16(日) 19:59:03 ID:???
うちの大叔父さんは寄せ集め艦隊で演習みたいなことやって
そん時死んで村葬されたらしい。
?霧とか言うのに乗ってたらしいけど、知ってる人いますかね?
52T-34:2005/10/16(日) 20:09:53 ID:Lou2vzdj
うちのじーちゃん=海軍→国鉄
うちのとーちゃん=自衛隊(挫折らしい)→国鉄→公務員
俺(予想)=自衛隊(挫折)→JR職員→公務員→???
いったいどうなるんだ俺は・・・
53名無し三等兵:2005/10/16(日) 20:35:52 ID:4Qrh09Gd
釣りでもいい。

釣りでもいいんだ・・・
54名無し三等兵:2005/10/16(日) 20:41:40 ID:???
>>32
菊水作戦は航空特攻の事、大和は天一号作戦。
55名無し三等兵:2005/10/16(日) 21:04:24 ID:hTaiE2V5
死んだ親父がよく言ってました。
機銃掃射をうけた時は真横に逃げるんだと。
真っ直ぐにげた女学生がよく犠牲になったそうだ。
親父は当時、今の小学生ぐらい。
56名無し三等兵:2005/10/16(日) 21:12:00 ID:???
俺の爺ちゃんは従軍経験は無いが、東京大空襲の時にB-29爆撃隊が初弾を投下した場所に居たらしい
たしか当時中二だったかな?

1945年3月10日0時9分のことです(たぶん)
57名無し三等兵:2005/10/16(日) 21:16:18 ID:W8uDkzNu
>>51
>うちの大叔父さんは寄せ集め艦隊で演習みたいなことやって
>そん時死んで村葬されたらしい。
>?霧とか言うのに乗ってたらしいけど、知ってる人いますかね?

「知っている人がいる」どころか、軍オタなら知らないものは無いはずの
帝国海軍始まって以来の大事件、『第四艦隊事件』ですね。

昭和10年の海軍特別大演習中、台風の接近する荒天下で演習を強行した
ところ、多数の艦艇が損傷し、大勢の死傷者を出した大事件でした。
大叔父様が乗り込んでおられたのは、艦首を切断された駆逐艦「夕霧」でしょう。
他に同型艦の「天霧」も小破していますが、こちらは死者はなかったはずです。

5857:2005/10/16(日) 21:21:16 ID:W8uDkzNu
>>51
書き忘れましたが、同演習のために臨時編成された(つまり寄せ集め)の艦隊が
「第四艦隊」で、その駆逐艦部隊である第四水雷戦隊の所属艦のうち、艦名に
「霧」が付くのは「夕霧」と「天霧」の両艦だけでした。
59名無し三等兵:2005/10/16(日) 21:28:45 ID:???
それ長崎の事件だっけ?
6057:2005/10/16(日) 21:42:57 ID:W8uDkzNu
>>59
いいえ。演習は三陸沖で行われました。
艦首を失った夕霧と初雪は、それぞれ曳航されて大湊に、他の損傷艦は横須賀に
入港しました。
61sage:2005/10/16(日) 22:05:06 ID:+Pq8C3kC
龍驤が背が高くてヤバイってのが分かった事件?
6261:2005/10/16(日) 22:11:12 ID:???
sage失敗
ついでに質問、ばあちゃんからじいちゃんの事を聞いたんだが。
戦後オーストラリアで捕虜になってた時、脱走しようとして大惨事になったそうだ。
この事件の事知ってる人いる?
6357:2005/10/16(日) 22:21:06 ID:???
>>61
そうです。
第四艦隊事件における損傷艦の一覧を掲げておきますので、この話題はここまでにしましょう。

1935(昭和10)年海軍大演習 第4艦隊 損傷艦損害一覧

航空母艦「鳳翔」 前部飛行甲板損傷
航空母艦「龍驤」 艦橋損傷
潜水母艦「大鯨」 船体中央水線部及び艦橋前方上方外板に大型の皺が発生
重巡洋艦「妙高」 船体中央部の鋲が弛緩
軽巡洋艦「最上」 艦首部外板に皺、亀裂が発生
駆逐艦「睦月」  艦橋損傷 艦首損傷
駆逐艦「夕霧」  1602 艦首切断 カッター流失 7.5m内火艇流失
駆逐艦「初雪」  1725 艦首切断
駆逐艦「菊月」  艦橋損傷
駆逐艦「三日月」 艦橋損傷
駆逐艦「朝風」  艦橋損傷
駆逐艦「白雪」  艦首屈曲
駆逐艦「朧」   艦首屈曲
駆逐艦「潮」   艦尾歪み亀裂
駆逐艦「曙」   艦尾歪み亀裂
駆逐艦「叢雲」  艦尾歪み亀裂
駆逐艦「天霧」  船体小破
駆逐艦「白雪」  船体小破
駆逐艦「薄雲」  船体小破
64名無し三等兵:2005/10/16(日) 22:29:36 ID:kXuvKyTF
>>62
知ってる、たしか小学生の時に図書館のビデオで見た記憶がある。
確か捕虜収容所からフォークとかナイフを武器に脱走したんだよ(;゚Д゚)
ある人は民家で飯を分けてもらったり、ある人は射殺されたりした、って話だったな……
6561:2005/10/16(日) 22:36:07 ID:???
じいちゃんは脱走しようとしなかったらしいが、
逃げ出す捕虜に機関銃掃射して酷い状況になったそうな・・・
66零式:2005/10/16(日) 22:37:33 ID:???
うちの曾じいさんだけど、
戦艦「長門」の砲塔、砲身などを造ってたと聞きました。
67名無し三等兵:2005/10/16(日) 22:41:01 ID:???
>>65
有名な捕虜脱走事件です。「カウラ収容所」で検索すると資料が出てきます。
6867:2005/10/16(日) 22:43:55 ID:???
ついでにお孫さんが見ているかもしれないので追加すると、坂井三郎氏がガダルカナル上空で重傷を負ったときの列機に柿本一空曹という人がいたのですが、この人はカウラ収容所から脱走した一人です。射殺されました。
69名無し三等兵:2005/10/16(日) 22:44:15 ID:W8uDkzNu
>>62
「暁の脱走」事件ですね。
オーストラリア・ニューサウスウェールズ州のカウラにあった強制収容所
(枢軸側の捕虜と民間人用)において、1944年8月5日未明、日本兵捕虜
約千名が一斉に脱走を図り、400名近くが実際に脱走した事件ですね。
この事件で死亡した日本兵の数は231人、負傷したのは108人で、
他に捕らえられて連れ戻されたあとに自殺した者も多数でたということです。
現地には収容所跡が保存され、墓地と慰霊碑があるそうです。
70名無し三等兵:2005/10/16(日) 22:46:21 ID:???
>>62は戦後と言っているけど同じような事件があったのかな。
71名無し三等兵:2005/10/16(日) 22:51:54 ID:???
いや、多分記憶が混同してるんだと思う。戦後には話題になるような脱走は起きてない。とくにオーストラリアでは。
7261:2005/10/16(日) 22:53:30 ID:???
>>67
サンクス。
じいちゃんとばあちゃんは戦争中に結婚して、親戚に満足な披露できなかったそうな。
戦後にじいちゃんが帰ってから、親族が集まった時にこの話をひいじいちゃんとしていたとの事。

じいちゃんは南方戦線だった訳だが、ばあちゃんに戦場の事は話さなかった。
一度は戦死の知らせが来たじいちゃんが帰ってきた時、皆大喜びした。
じいちゃんが脱走に参加してたら、死者が232人になってたかも知れないし、
俺もいなかったかと思うと、なんだか不思議だ。
7367:2005/10/16(日) 23:20:01 ID:???
ちなみに俺のじいさんは台湾の高射砲部隊(陸軍)にいたんだが、B-24の機銃掃射を受けたそうな。(「太くてでっかい敵の飛行機」って言ってただけなので、違うかもしれんが)
じいさんはかろうじて無傷。隣にいた戦友は直撃を食らって即死。B-24の機首機銃は20mmだからさもありなん。

もしあんときにB-24の爆撃手が気まぐれで機銃をほんのちょっと右に動かしてたら、俺は今ここにいない。運命なんてそんなもんでしょ。
74名無し三等兵:2005/10/16(日) 23:39:08 ID:???
B-24で機首に20ミリ?

それってP-38じゃないのか?
それか、B-25か(こちらは12.7ミリ装備だが)
75名無し三等兵:2005/10/16(日) 23:42:21 ID:???
まあ、12.7mmでも胴体にあたればまず即死には違いないと思うが。
何しろ、当たらなくてもそばをかすめただけで「バットで殴られたような」衝撃を感じた
そうだから。
76名無し三等兵:2005/10/16(日) 23:44:43 ID:???
カウラっていや、まだ無名だった頃の石田純一主演のオーストラリアのドラマがあったっけな。
タイトルは忘れた。
77名無し三等兵:2005/10/16(日) 23:46:38 ID:???
徴兵で陸軍高射砲連隊の機関砲兵として湖南作戦に参加したと言っていた。
戦闘についてはあまり語ってはくれないが、
とにかく忙しかったとのこと。
他、高射砲の整備中に暴発させて衝撃波で兵舎の窓を全部割ったとか、
兵舎の脇の家畜小屋にセパードをビビらせる豚が居たとか、
往路の輸送船では便所に行こうとしたら船に酔った連中が
群れを成して嘔吐しているから露天甲板から海にしたとか、
そんな話をしてくれる。

兵長まで昇進して正規の士官になるために内地で試験を受けている最中に
玉音放送を聴いたのだそうだ。

ちなみに今年で83歳。健在であります。
78名無し三等兵:2005/10/17(月) 00:01:18 ID:???
じいちゃんではなく、とうちゃんの戦争体験。
商社に勤めていたとうちゃん、フィリピン・セブ島の現地工場に出張した。
セブ島にはゴルフコースもあると聞き、学生時代はゴルフ部だったとうちゃんは燃えに燃え、
オフの日にゴルフコースに出かける予定を組んだ。

しかし、そのゴルフコースはセブ島のジャングルを切り開いて作られたもので、
一歩向こうのジャングルは反政府ゲリラの拠点だった。
オフの日直前になって「政府軍の掃討作戦が始まりました、ゴルフどころじゃありません」と、現地スタッフ。
遠くから銃声が響いてくるのを聞き、とうちゃん以下、商社スタッフは、
あわててセブ島を撤収、マニラを経由して日本に逃げ帰った。

「いや〜、本当に戦争に行って帰ってきたじいちゃんのすごさがわかった」と、とうちゃん。
79名無し三等兵:2005/10/17(月) 00:09:28 ID:???
じいちゃんが死ぬ間際、病室に俺だけが呼ばれて
「正行・・・お前はワシの孫やない、息子や」って。
「これはワシとお前の母さんだけの秘密や・・・
だけんど、財産は正一(俺の親父)とわけぇ」だと。
呆然とした。2日後、じいちゃんは大往生。
このことは俺の中にしまっておこうと決心した。

しかし葬儀の最中、じいちゃんが残した遺言の存在が発覚。
親父が親戚一同の前で読み出した。マズイと思ったが
しかし財産分与のくだりに俺のことは出てこなかった。
俺の一存に任せるってことなのか・・・と思っていると
最後に「正行へ・・・」と、俺への私信があった。

ここで暴露するのか?と思っていると、こう続いた。
「ありゃ全部嘘じゃ。ビックリしたろ?はっはっは」
俺以外はなんのことか解らず、ポカンとしていたが
俺はじいちゃんが死んで、初めて泣いた。
80名無し三等兵:2005/10/17(月) 00:12:12 ID:???
先日の中国の「愛国無罪」デモ騒動といい、外地で勤務しておられる企業戦士の皆様、
本当にご苦労様です。私たち日本人が肉や魚を食べられるのも、あなた方のおかげです。
81名無し三等兵:2005/10/17(月) 00:45:10 ID:???
祖父は都城のなんとか連隊にいて南京攻略戦にも参加した。
その後どこかの中国戦線で敵弾二発を足に受け内地帰還。
小銃で後頭部を殴ると目玉が飛び出るなどと言っていたが実際経験はあったのだろうか。
多少気の荒い人で戦後は祖母を困らせたりもしたが父母が結婚する時俺の母に、
「俺の目の黒いうちは○○さんを泣かせん」なんて言う男気ある人だった。
82名無し三等兵:2005/10/17(月) 00:48:36 ID:???
>>79
戦争の話じゃないが、なんかこう胸に来るものが…
83名無し三等兵:2005/10/17(月) 01:21:23 ID:???
「財産は正一(俺の親父)とわけぇ」で済むようなものに何で遺言があって財産分与のくだりがあるのか、とか、
財産分与について記載した遺言書があるなら葬儀の最中に読み出すなんてもってのほかで
家庭裁判所の検認を受けなきゃ有効じゃないんじゃないか、とか無粋なことは言うまい。
84名無し三等兵:2005/10/17(月) 01:26:25 ID:???
漏れの祖父は高崎の15連隊に入隊して満州に送られ、シベリアに4年間抑留されたらしい。
亡くなる10年ほど前からボケていたが、そのころのことはよく覚えていたよ。
85名無し三等兵:2005/10/17(月) 07:27:22 ID:???
>>78
平和っていいなとつくづく思った
86名無し三等兵:2005/10/17(月) 08:01:41 ID:???
カウラの大脱走は今年NHK(だったかな?)でやってました。
もしかしたら年末にでも再放送があるかもしれませんよ

87名無し三等兵:2005/10/17(月) 10:25:54 ID:???
子供の頃聞いたけど、昔は興味なくて・・・って後悔は俺にもあるな。
父方のじいちゃんは軍医としてフィリピンに行ったんだが、俺が生まれてすぐ死んでしまったので直接話を聞いた事はない。
ばあちゃんや親父から又聞きで聞いた話だと、やはりそうとうひどい思いをしたらしい。

母方のじいちゃんにもあまり聞く事は出来なかったな〜〜。
徴兵された時の話は「満州は寒くてなぁ」くらいしかしてくれんかったし。
なんとなく聞きにくい雰囲気だったからほとんど聞いてないけど、もっと詳しく聞きたかった。
でも、南京虐殺がなかった、とか信じられるのはそのじいちゃんのおかげ。
当然中学生くらいまでの俺は南京大虐殺とか信じてたんだが・・・じいちゃんにそういった事を聞いたら
「俺の知る限りそんな事はなかった。必要もなかったと思う。」
と、ぼそぼそ答えてくれた。
色々聞くと、じいちゃんは軍の機械修理をするためにあの頃の南京にも行ったらしい。
ちなみに慰安婦も知っているみたいだった。
「中国や朝鮮の娘は多かったが・・・身売りはどこでもあったし、無理矢理連れてこられた話を聞いた事はない」
そうそう、こんな話もしていたな。
じいちゃんは軍人としてよりも満鉄?の嘱託機械技師?としての中国が長かった(南京も身分はこれで見たらしい)のだが、仕事柄各国の人と付き合った感想を教えてくれたっけ。
「中国人はしたたかでずるいが、付き合い方さえ心得れば義理堅くて人情味もある。」
「朝鮮人は日本人にも中国人にも嫌われていた。とにかく乱暴で、すぐ調子に乗り易い。俺は極力構わない様にしていた。」
「ソ連人は可哀想な位物を知らない。だが単純で時計一つで大喜びだった。」←喜ばれすぎてもう少しでシベリアに連れて行かれるところだったらしいw
もっと色々聞きたかったけど、昔はなかなかね・・・
母方のじいちゃんの友達に「夕張」の機関員だったって人がいたけどそれもほとんど聞いてないし・・・

ああ、もったいない。
88名無し三等兵:2005/10/17(月) 13:21:15 ID:???
小泉が靖国神社に参拝したんで、また大陸や半島が騒ぎ出したね
89名無し三等兵:2005/10/17(月) 15:52:44 ID:???
火葬したら銃弾が出てきた
90名無し三等兵:2005/10/17(月) 17:39:23 ID:ZbVL/8HL
オレのばーちゃんのお兄さん
大和の乗組員で、
砲塔の中(?)の持場だったらしい
南無
91名無し三等兵:2005/10/17(月) 17:42:46 ID:???
>>88
禿しくほっといていいんじゃね?
つか一々反応する国内マスコミがうざい。
92名無し三等兵:2005/10/17(月) 18:42:28 ID:???
だな
93名無し三等兵:2005/10/17(月) 23:33:22 ID:???
じいちゃんの知り合いの人に夕張の機関員の人がいたんだけど、聞いた話で覚えている事を書いてみようかなと。

なんかねー、戦闘は一度も見た事がないそうだよ、こもりっきりでww
爆発音もほんと数えるほどしか聞いたことなかったそうだし。
とにかく暑くて、ほとんど裸で頑張っていたらしい。
ただ頭をぶつけるとひどいので帽子だけは必ず被るそうな。
「戦艦の機関士は規律が厳しくて服がなかなか脱げなくて大変らしい」って言ってたな、そういえば。
あと、日本の軍艦はカタログスペックは八割がなの性能だそうで、本気で全速運転をするとかなりの速度が出たらしい。
夕張も40ノット超出せた!ってそのじいさんは言ってたな〜〜。
マジかはわからないけど・・・。
94前スレ808:2005/10/18(火) 00:26:19 ID:???
親父の昔の職場同僚(と言っても相当30くらい年上)の人で、
爆撃機に乗って南京爆撃に出撃したという人がいたらしい。

爆弾投下手兼上部銃座手という兼任作業をやってたそうで、なんでも
「普通に狙って落とせば爆弾・焼夷弾は大概当たる」やら
「でも風があると難しいんだよね・・・」やら
「敵機襲来となれば、すぐに梯子を上って銃座に・・・」なんてことを言ってたらしい。
それと、上部銃座ってのは旋回するときはハンドルでやるけど、
急ぐときは足で壁を蹴ってやるんだってさ。

それと、爺ちゃんの家で大量の戦前写真が発見されたので、
すぐには無理だけどうpできるようにがんばってみます。
95名無し三等兵:2005/10/18(火) 01:42:33 ID:???
>>94
うちの戦死した伯父の一人と同行ですね。
大村基地の所属だったそうです。
9月(日不明)に未帰還となりました。
96名無し三等兵:2005/10/19(水) 02:13:30 ID:b405rjEr
自分の母方の祖母の兄(長男)は、終戦後の昭和20年9月1日にハルマヘラ島で割腹自殺をはかり、亡くなっています。
京都出身で確か、陸軍の軍曹だったと記憶しています。

祖母は、兄がハルマヘラ島で「戦死」したということは知っているんですが、それが自殺とは知らされていません。
ショックを受ける、との配慮から親族皆、打ち明かさずにいます。
遺骨も、遺骨「らしき」一片が残っているのみです。

当の祖母は乳癌で入院中で、お見舞いがてら戦争中の話を聞きに行きました。
釧路で空襲に遭遇し、日本の軍艦(駆逐艦だったかな…)が沈められたのを目撃したり、友人が被害にあって死んだ話などを聞きました。
それから、8月15日の朝、正午の重大放送とは何だろうということを友人たちと話し合っていて、祖母は「天皇が死んだんじゃないか」と思っていたことなども言っていました。
しかし、兄のことには一切触れませんでした(その時自分は兄のことは知りませんでした)。
とにかく「戦争なんてやっちゃいかん」と言っていましたね。
それだけ様々なものを失う体験をしていますから仕方ありませんけど…

それから、ネットでハルマヘラのことは調べてみたんですが、分かったのはニューギニアとボルネオの間にある島という程度で、どんな戦闘があってどんな部隊が展開していたのかという詳細な情報は得られませんでした。
支那からニューギニアに行くのがハルマヘラに変更になったというような大まかな情報はありましたけど。
まあ、場所からしても、凄絶な戦闘は無かったと思われますが…

それにしても、何故自殺したんだろうか。
負けた軍人がおめおめと日本に帰るわけにはいかないと考えたのか、長男という立場の責任からなのかは、さすがに察することなんてできないのが悔しいです。
しかし何で遺骨が小さな一片しか無いのかは疑問です。
97名無し三等兵:2005/10/19(水) 07:43:49 ID:???
>>96

あなたのおじいさんのように陸軍の軍曹、つまり下士官の場合は自殺した例はあまりありませんが、最先任(最古参)の下士官が、下士官・兵を代表して自主的に自殺することはまれにあったようです。(横須賀航空隊の整備班とか)

また遺骨が少ししかない件ですが、南方からの引き上げは非常に苦しいもので、やってきた船に限界まで人を詰め込みました。そのため、戦死した人間の骨を全員分持って帰るのは不可能だったのでしょう。
あるいは、自殺したのではなく・・・・という可能性も無きにしもあらずですが、今となってはもう知るよしもないです。
9896:2005/10/19(水) 09:51:46 ID:???
>>97
確かに、割腹自殺が100%正しい話なのか、あるいは面子を立てるために美化した話なのか、今となっては確かめようがありませんね。
それでも一応、話は信じております。

年齢は30代前半だったと思います。
古参というわけでもないような…
99名無し三等兵:2005/10/19(水) 12:55:34 ID:sbfMrEp+
爺さんじゃないが、伯父さんから聞いた話
大陸方面に出兵していて、終戦 武装解除
それまで階級たてに威張りちらしたり
いじめや意味もなく制裁加えたりしてた上官が
引き上げの汽車?の中で、袋叩きにされ
殺された人がかなりいるそうな

その伯父さんも下士官だったけど・・・
恐ろしくて見て見ぬふりしてたそうな
100名無し三等兵:2005/10/19(水) 13:26:41 ID:A5SNZvre
今度聞いてくるよ
101名無し三等兵:2005/10/19(水) 13:29:04 ID:???
中国で戦いますた。
102名無し三等兵:2005/10/19(水) 13:32:51 ID:???
100人くらい斬ったとかいったな。無抵抗な市民。
部隊長に抗議したといったけど、「天皇陛下様のご命令じゃ」と言われ
泣く泣く女子供老人100人斬ったんだと。

おれが「お爺ちゃん、よく女子供を100人も斬れるね」と嫌悪感むき出しできいたら、
「簡単じゃよ。逃げないからな」って笑われた。
そのあと「ほんと、戦争って地獄だぜ」って付け加えて大笑いする所に、
お爺ちゃんのバランス感覚の良さを見た
103名無し三等兵:2005/10/19(水) 13:34:21 ID:???
>>102
前略) クマー (AAry
104名無し三等兵:2005/10/19(水) 14:10:56 ID:???
>>103
しっ!バカ丸出ししてるのに気付いてないみたいなんだから、ほっといてやれww
105名無し三等兵:2005/10/19(水) 15:40:31 ID:???
>>84
俺の爺様も高崎の連隊に居たそうだ。(詳しくは知らぬ)
戦争が終わっても米軍への引き渡しのために最後まで残っていたらしい。
もう死んでしまったから聞けないが、重要書類を焼いたり武装解除したりしたのではないだろうか。
二等兵なんだからさっさと帰ってくればいいのにと思った。
陸軍では経理担当だったらしいがいったい何をしてたのだろう。
知ってる人教えて

戦争と関係ない話し
その爺様は2・26の時に見に行ったそうだ。いったいどうやって?
106名無し三等兵:2005/10/19(水) 16:33:56 ID:tmUbZlPh
シベリアがえりのうちのおじいちゃんは生協のことをアカの手先だと嫌っている。ただ、うちの米がライスセンターを通じて、赤旗米として生協で売られている。世の中って複雑だな。
107名無し三等兵:2005/10/19(水) 17:00:21 ID:???
>>106
赤旗米ってなんじゃらほい?
108名無し三等兵:2005/10/19(水) 17:44:58 ID:???
>102
後半フルメタルジャケットじゃないかw
109名無し三等兵:2005/10/19(水) 17:50:45 ID:vlZ8R/bY
俺の爺さんは学校の先生だったから戦争へはいっていない。
「兵隊なんかになりたくなかったから師範へいった。俺は先見の明があった」
とよく自慢してた。退職後は退職金年金がっぽりで悠々自適だったし、スマートな生き方
だったのは確かだ。
110名無し三等兵:2005/10/19(水) 18:21:24 ID:???
>>79
マジで涙出た
何か心に来る話だねぇ・・・
111名無し三等兵:2005/10/19(水) 22:37:29 ID:???
ちょ、ちょっと待て!
誰も書かないから敢えて逝ってみるが、
>>79ってvipかどこかのコピペだろ!
かなり前にどっかで見たぞwwww
112名無し三等兵:2005/10/20(木) 00:31:05 ID:PdMKACOB
79は前スレにもあってそこそこレスあった気が・・
VIPネタだっけ?
ニュー速でも見たんだが軍板が最初とおもてた・・
113名無し三等兵:2005/10/20(木) 00:41:11 ID:???
>>96
遺骨が小骨
従軍ものの小説とか読むと、生きて帰れたら遺族に渡せるよう、
死んだ兵士の遺骨の小指を切って、名前と一緒に保存したとか
そんなシーンは見るよね
114名無し三等兵:2005/10/20(木) 07:47:15 ID:???
母方のジィさまが県の職員で風船爆弾の風船の部分を作ってた。
そのため軍から「余人を以て替えざる軍務に云々…」とのお墨付きをもらい
召集はされなかったそうです。
風船は和紙に、気密性を高めるために、水に溶かしたコンニャク粉をハケで塗ってたんだそうで。
女学校の体育館で、多くのの女学生を指導して作業させたんだと、嬉しそうに話してくれました(ウラヤマシーW)
115名無し三等兵:2005/10/20(木) 16:10:13 ID:???
>>114
のちのちその体育館はB29に吹っ飛ばされる運命にあるわけだが、じいさん無事だったのか?
116名無し三等兵:2005/10/20(木) 16:13:00 ID:???
鬼畜の子供たちが集うスレはここでつか W
117名無し三等兵:2005/10/20(木) 17:15:08 ID:???
うちの祖父は海軍だったけど、召集されたのが戦争末期だったから
乗る船が無くて青森でトンネル掘ってたら戦争が終わったそうな。
118名無し三等兵:2005/10/20(木) 18:53:29 ID:???
>>115
つい最近まで健在でした。
でも実家の両親が爆弾の直撃を受けて即死だったそうです…orz
119名無し三等兵:2005/10/20(木) 21:53:42 ID:???
昔じいちゃんに銃で撃たれた傷と刺された傷見せてもらったことある。どっちも
腕だった。小さい頃は、何この傷?と自分で聞いておいて興味もなく
フ━━━(´_ゝ`)━━━ンという感じだったけど退院してきたら詳しく聞いてみよ
うかな。
120名無し三等兵:2005/10/21(金) 00:09:15 ID:???
この間、テレビでやってた靖国の零式型艦上戦闘機52型を見て祖父が、
「あの戦闘機はな、シナ事変で片翼がなくても帰ってこれたんだぞ」て言ってた。
海軍機の零戦52が中国上空を飛んでたのは知らんが、本当にそんなことあったのかねぇ。
121名無し三等兵:2005/10/21(金) 00:16:32 ID:???
アニメ「火垂るの墓」が実写化され、11月1日にスペシャルドラマとして日テレ系で放送されます。

●終戦六十年スペシャルドラマ「火垂るの墓 ― ほたるのはか ―」
http://www.ntv.co.jp/hotaru/  日本テレビ系 11月1日(火)夜21:00〜から放送。
キャスト : 松嶋菜々子/伊原剛志/生瀬勝久/要潤/井上真央

関連スレ : 【松嶋】火垂るの墓【西宮のババア】
 http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1123188729/

関連ネタ : 韓国でアニメ『火垂るの墓』が放映禁止 - 日本人を戦争の被害者として描写 -
 アニメ漫画速報板 【050411:時事】アニメ『火垂るの墓』 韓国での年内公開が取り消しに
 http://anime.2ch.net/test/read.cgi/comicnews/1113226872/l20
 ハングル板 「ほたるの墓」を右翼映画とする韓国人の心理
 http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1121620436/
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  .   i ^~~~ー==─ ー'-+、     /^゙-、;;;;/
     {     ヽゝ          '-'~ノ
    λ   ''゙゙''-''-─、       /-'^" なんで、うちが戦争加害者なん?
     ヽ,_    ^~^        (
     /`''丶、     , -    /^l    うち、うんこビチビチやのに・・・ 
    /  /( ノ `'''''''´~ _, - ' ~ ゙i、  
    { / /| ̄ ̄ ̄ ̄   _,-'^¨ } 
122名無し三等兵:2005/10/21(金) 00:18:09 ID:???
>>120
支那事変では海軍航空隊も活躍していますが、「片翼帰還」で有名になったのは
零戦ではなく九六式艦戦の樫村兵曹長機ですね。
まあ、60年以上も前のことですから、多少の記憶違いは当たり前でしょう。
123名無し三等兵:2005/10/21(金) 00:27:08 ID:???
>122
即レスサンクス
またまったり話してみるよ。
124名無し三等兵:2005/10/21(金) 07:41:13 ID:???
>>120
言うも愚かだが、爺さんミリオタじゃないだろうよ・・・

「零戦」っていいたかっただけで11型だの52型だのなんて識別なんぞしてないでしょう・・・
125名無し三等兵:2005/10/21(金) 08:13:23 ID:???
昭和18年?かな、じぃちゃんが商社マンでボルネオ島へ赴任する途中に潜水艦の雷撃を受けた。
でも乗ってたのが、瀬戸内海を走り廻ってた遊覧船だったので、吃水が浅くて助かった。

船底を何かがこする「ガリッ」って音がしたので 「なんだ?」と思っていたら
船団を組んで横を航行していた、大型客船「富山丸」が、
突然、大音響と火柱を上げたそうです。

『身体全体に聞こえる音ってあるんだよ‥ 足が震えたよ、あの時は…』と言ってました。

そして、じぃちゃんの船の船長さん 船と体は小さいけれど
キモっ玉はデカイ男で 多くの船が逃げかえるのに現場に残り、
重油の漂うなかに船を乗りいれて、重油でまっ黒になって、ツルツルすべる兵隊サンたちを
その船に乗ってた者が全員で、船の乗せられる限界まで救助したそうです。

『あれは地獄だった…むごいもんだよ…』といつも話の終わりに言ってました。
126名無し三等兵:2005/10/21(金) 10:12:19 ID:k3diKqeP
実家にあるアルバムに兵隊姿の古い写真とか貼られていませんか?
127名無し三等兵:2005/10/21(金) 13:57:34 ID:???
転載

853 名前:じんべえ ◆TAEPPSxEpw 投稿日:2005/10/21(金) 12:58:18 ID:???
骨董市でなんとも気分が悪いもの見てしもた

一冊のアルバムなんだが、ある人が生まれた時の写真から
すくすく育っていく様子を写したスナップ写真や記念写真が収められてて
最後の方に「祝出征」の家族集合写真
そして一番最後に、「フィリッピン沖で戦死」と注意書きのある葬列の写真・・・

このアルバムを最後までめくってしまった自分に腹が立つ

亡くなった人の大切な一生を売る家族って・・・・・・・
128名無し三等兵:2005/10/21(金) 15:52:08 ID:???
>>127
(つд`)
129126:2005/10/21(金) 16:27:48 ID:mW7JLprx
>>127
良く似た話しなんですが、
20年前くらいの雑誌「ブルータス」の表紙にセピア色の古い写真が使われていました。
「この写真に心当たりの方は編集部まで連絡してください」のコピーが。
写真館で撮られたらしい親族一同の集合写真で
高級将校や洒落た背広姿の人達が写ってました。
編集部のスタッフがとある高級住宅地の粗大ゴミ置場で見つけものとのこと。
あれ判明したのかなあ。
130名無し三等兵:2005/10/21(金) 19:33:56 ID:???
そ・・・・粗大ごみにすてる家族って・・・・・
131名無し三等兵:2005/10/21(金) 19:53:07 ID:Bk5a/8ui
偶然見つけたこのスレ。大した話しじゃないけど書いてみます。

近所のおじいちゃんの忘年会に呼ばれた。じつはコンパニオンとしてね。
エロじゃないよ。ただお酒つぐだけ。
お酒入ると戦争の話しになるんだね。みんなくちぐちに自慢話し、苦労話しまじえて。
さんざん話した後、一番饒舌だったおじいちゃんが
「いやでも、戦争は死にさえしなきゃ楽しいもんだったよ、ばんばん鉄砲打ててな」
って言った。一瞬ギョッとしたけど、出兵した人にしかわからない感覚だろうし
生きて帰って来て、長生きできてよかったね、と思いながらビールついできました。
132名無し三等兵:2005/10/21(金) 20:31:18 ID:???
>>131
まあ、その方たちにとっては戦争こそが青春の日の思い出だったのかも...。
133名無し三等兵:2005/10/21(金) 20:54:22 ID:twDYOyXt
うちのじいちゃんは終戦時の階級は陸軍航空中尉だったらしい。
九九式双発軽爆撃機(九九式艦上爆撃機ではない)の機関手を担当していた。
その爆撃機はガソリンの節約のため、
サトウキビから作ったアルコールを燃料としていたという。

要するに鉄砲を持って最前線で戦う、っていう職種ではなかった。
そのためか「戦争体験の話」というと、
目の前で人が死ぬとか直接的で悲惨な話はしない。
冷静に事象をまとめていた。

・日中戦争は「支那事変」と言い換えられ、「事変」という言葉で戦争よりも
軽い事件だという情報操作が行われていた。
・勲章を受章する際、「いくら出すか」と聞かれて、
「(勲章を金で買うのはおかしいので)出さない」と言ったら勲章はもらえなかった。
・売国奴を処刑する「安楽死プログラム」が計画されていた。これは実行されなかった。
また、このような計画は第三帝国(ナチス・ドイツ)にも存在した。
・国内の反体制的、共産主義的な行動を防止する治安維持法、およびそれを根拠に取締りを行う
秘密警察が存在した。
・結局戦争というのは、一部の特権階級のために多くの人々が犠牲になる。あってはならない事態である。
と話していた。
その元陸軍航空中尉は現在83歳。まだ元気に生きている。
134名無し三等兵:2005/10/21(金) 21:14:38 ID:???
>>133
何か、昭和20年代・30年代の共産党の宣伝のようなお話ですね。
まあ、戦後ずっと、宣伝を信じたままで生きてこられたのかも知れませんが...。
135名無し三等兵:2005/10/21(金) 21:20:18 ID:twDYOyXt
>>134
それだけ宣伝の力は恐ろしいってことですよ。
136名無し三等兵:2005/10/21(金) 21:23:03 ID:???
盆にひいじいちゃんの写真を見せてもらったら軍服姿だった。しかも礼服、聞いた話では海軍大佐として日露戦争に参加、日本海海戦にも参加したらしい。厳しそうだけどやさしい目をしてたなぁ。一回話を聞きたかった。
137名無し三等兵:2005/10/21(金) 22:19:48 ID:???
戦後60年だもんな。
十年以上従軍経験のある人は
90歳以上なんだよね
うちのじいさんだ 自慢だ
138名無し三等兵:2005/10/21(金) 22:49:59 ID:???
曖昧なんだけど、お爺ちゃんのお兄さんが海軍で飛行機の整備だかパイロットだったらしい。
でも病気になって病院に入院。
死ぬ間際に「和也(爺ちゃんの名前)オレは敵を見るまで絶対死なん!」
って言ってなくなったらしい。ちなみに志願兵でした。
海軍野戦病院?ってありますか?
今度お墓参りしたらちゃんと見てきます。
139131:2005/10/21(金) 23:13:15 ID:???
>132
うんうん、そう思ったよ・・・
140名無し三等兵:2005/10/21(金) 23:29:42 ID:L9hsBfQW
うちの爺さんは陸軍の暁部隊で輸送船に乗ったりしてたらしい。
木造の輸送船で南方から、本土や台湾にコンクリートを運んでた時に
一緒に航行していた、輸送船(こっちは鉄製)が潜水艦の雷撃を受けて
沈んだ話(ちなみに爺さんの船は無事)や輸送船の対空砲でグラマンを
撃墜したとか言ってた。
他にも、グラマンは曳光弾ってのを使って落としたとか、曳光弾は夜飛ばすと
アイスキャンデーみたいだったからアイスキャンデーって呼んでたとか、
いろんな話をしてくれた。
輸送船に乗った後は広島にいたが、原爆が落ちる前に関西に移動してて
助かったらしい。
爺さんは5年前に死んでしまったのだが、もっと話を聞いとけばよかった…
141名無し三等兵:2005/10/21(金) 23:35:51 ID:5cdPtAUc
俺の爺ちゃんは俺が消防の頃に死んだので断片的にしか覚えてないが、
生前話してくれた兵隊時代のよもやま話は、

陸軍軍曹で支那戦線→フィリピン七年間最前線を転々とした。
戦闘中に盲腸になって麻酔無しで手術した。
八路軍と戦闘中、敵味方お互いに弾が切れ殴り合いの肉弾戦となり、
それでも崖から突き落として一人殺すことができた。
ある村に進攻したとき丁度結婚式をやっていて、ご馳走を全部強奪した。
ある日、自軍の将校が「こいつ気にいらん」という理由だけで部下の兵隊を
拳銃で射殺するのを目撃した。
諜報活動のために支那人の服を着て支那人になりきり、けっこう長い期間
街に潜んで暮らしていた。
フィリピンで青いバナナを見つけたら、穴を掘ってその中に一晩置いておくと
翌日には黄色く熟れて食べ頃になる。

と、これぐらいだなぁ…。
142名無し三等兵:2005/10/21(金) 23:37:34 ID:???
>>133-135
たとえ、宣伝されていようとも、お爺様のされた苦労は変わらない。
九九双軽でアルコール燃料を使った話は初めて聞きました。
孝行しましょう。
143名無し三等兵:2005/10/22(土) 10:56:30 ID:???
23才以下で中尉ってありうるの?

132とか141みたいな話が続くときって、たいていサヨの作り話が多くてねw
あとね、青いバナナはたった一晩じゃ黄色くなりませんよ。
うちの爺さんがバナナ輸入業者だったからこれは確実。
144143:2005/10/22(土) 10:57:21 ID:???
訂正
×132
○133
145名無し三等兵:2005/10/22(土) 11:14:25 ID:???
>>143
二十歳で少尉任官がデフォだから、23才で中尉なら本人次第で十分可能。

バナナの件は、「掘った穴に入れる」がキーワードだと思われます。
果物類を密閉した容器に入れておくと、自らの出すエチレンガスで急速に
熟成が進むと聞きました。
146名無し三等兵:2005/10/22(土) 11:41:09 ID:DIPhV1KG
>>143
>ある村に進攻したとき丁度結婚式をやっていて、ご馳走を全部強奪した。
>ある日、自軍の将校が「こいつ気にいらん」という理由だけで部下の兵隊を
>拳銃で射殺するのを目撃した。
日本軍なら普通にやりそうなんだが。ご馳走を強奪しただけで、花嫁を強奪
しないだけ、マシな部隊だったのではないだろうか。
147名無し三等兵:2005/10/22(土) 11:42:15 ID:???
>>145
バナナ輸入業者だった爺さんは青いバナナを閉め切った暖かい室で数日かけて熟成させていたという。
一晩じゃ無理っていうのはそういうことなのだが?

中尉さんの話は終戦時ということだから昇進してすぐに終戦迎えたというのでなきゃ厳しいね。
148名無し三等兵:2005/10/22(土) 11:43:13 ID:???
>>146
強奪というか、当時なら「これでひとつ穏便に」と差し出された可能性もありうるね。
149名無し三等兵:2005/10/22(土) 11:47:08 ID:???
>>143
ちょっと否定的な経験談が書かれただけで
サヨの作り話認定してしまうのも野暮な気がするんですがどうでしょう?
150名無し三等兵:2005/10/22(土) 11:48:58 ID:???
前線で腹空かした兵士がいる一方で、ご馳走っていうのは、
結局当然のなりゆきじゃないのかな
151名無し三等兵:2005/10/22(土) 11:57:06 ID:???
アジア解放の為に戦っているのだし、住民が喜んで差し出したんだろ。
日本の兵隊さんアリガトーという感謝の気持ちだな
152名無し三等兵:2005/10/22(土) 11:58:57 ID:???
>>149
短い時間に同様の二つの長文が書かれるなんてこのスレじゃ滅多にないことですのでねw
153名無し三等兵:2005/10/22(土) 12:04:20 ID:???
果物から常に腐敗ガスがでているから、それで一晩穴にいれておけば
熟成されて翌日には見ごろ食べごろという訳だよな。
ニューギニア領でもソロモンやニュープリデンなんてなんかパッション
フルーツがたくさんんなって小麦色にやけたおねえちゃんがレイつけて
腰ふりまわして歓待してくれるイメージがある。
154名無し三等兵:2005/10/22(土) 12:40:45 ID:???
>>153
それは店頭に並ぶような果物の話ね。
青いバナナは店頭においてないでしょ。
155名無し三等兵:2005/10/22(土) 14:30:43 ID:???
死んだじーさんは甲種合格の後、入隊したら肋膜炎発覚で即日帰郷で
戦中は教師だったから根こそぎ招集にも入らず勇ましい話はないんだが
飛行機が好きだったらしく
樫村機、航研機、神風号、ツェッペリン号なんかを見に行った話をしてくれたな
じーさんが死ぬ前に近代史オタになってれば良かったよ
156名無し三等兵:2005/10/22(土) 14:35:44 ID:???
父方の大大叔父はシベリア出兵に下士官で参加したそうだが
行軍中に敵の待ち伏せに合って、小銃弾を受けたらしいが凍った水筒に当たって
助かったと20年ほど前に聞いたもちろん今は鬼籍の人だ
157名無し三等兵:2005/10/22(土) 16:09:33 ID:ToliPsUq
>>143
冒頭で「子どもの頃に聞いた断片的な記憶だが」と断っているように、
私の記憶が曖昧なことは既に認めています。バナナが一晩で熟れるか熟れないかに関しては。
ただ、こういう揚げ足論的な物言いだけで私の記述の全てを「サヨの作り話」
と評されるのは心外です。

小林よしのりの「戦争論」に登場する高村武人氏も21歳で中尉に進級したのですから、
23歳の中尉はごく一般的と思われますが。
158名無し三等兵:2005/10/22(土) 16:26:59 ID:???
>>141
>八路軍と戦闘中、敵味方お互いに弾が切れ殴り合いの肉弾戦となり、
>それでも崖から突き落として一人殺すことができた。

大陸じゃ弾薬が欠乏した部隊もあったろうが、それでも部隊の大部分が
銃剣持ってない、なんてこたーない。当時の肉弾戦ってーのは、殴り合いなんて
生やさしいもんじゃあない。

>>157
>冒頭で「子どもの頃に聞いた断片的な記憶だが」と断っているように、

君の記憶が経年変化しているか、じー様が最初っから子供相手の「お伽噺」として
創造力を発揮したかのどっちかだろうね。
159名無し三等兵:2005/10/22(土) 16:51:16 ID:???
備品なんて独ソ戦でソ連側は充足率まったく不足していたぞ。
日本軍も全将兵に充足されていたかどうか怪しいんちゃう
160名無し三等兵:2005/10/22(土) 16:52:34 ID:???
>>156
奇跡と鬼籍をひっかけたんですね。
不謹慎とは思うが、思わず笑ってしまったから許す。
161名無し三等兵:2005/10/22(土) 16:56:24 ID:Rh1uf3Pg
うちの祖父の妹は、戦後日本に来たGHQのアメリカ兵と結婚して海を渡りました。
最初はてっきり騙されて捨てられると思っていた祖父や曾祖母は大反対したらしいですが、
厳しかった家計を援助してくれたことなどに感謝し、最後は二人を許したそうです。
軍事にあんまり関係ない話でごめんなさい。
162名無し三等兵:2005/10/22(土) 16:58:19 ID:ToliPsUq
>>158
だから銃剣も拳も交えての肉弾戦だろ。
銃剣も軍刀も持っているし、敵も青龍刀ぐらい持ってることぐらい知ってるよ。
そんなのいちいち書かなくてもわかるだろ。

>君の記憶が経年変化しているか、じー様が最初っから子供相手の「お伽噺」として

だったら日本全国の爺ちゃんの戦場よもやま話のウラを取る方法をおしえてください。

163風船屋:2005/10/22(土) 17:11:41 ID:ERRo1sjP
ニューギニア戦は、悲惨を極めたそうですね。
ジャングルの中に 皇国の兵士が、たくさん倒れていて
最後は、何のために 行軍しているのかの意味もわからなかった。
いき絶え絶えの兵士を見付と 「すみませんが私の小指を日本につれて帰ってください。」と頼まれた
それからは 死んだ兵士を見つけては 遺骨の変わりに小指を一本切り落とし
行軍したそうだ。進め 皇国の兵士 
164名無し三等兵:2005/10/22(土) 17:29:32 ID:???
そりゃ、進め、というより無事に撤退しろ、だな。
165名無し三等兵:2005/10/22(土) 17:29:59 ID:???
>フィリピンでは
って書いてあるように日本じゃなくフィリピンの話ジャマイカ?
と、流れわかってないけど言ってみる
166名無し三等兵:2005/10/22(土) 17:31:13 ID:???
あ、バナナのことね>165
167名無し三等兵:2005/10/22(土) 17:52:55 ID:???
>>162
>だったら日本全国の爺ちゃんの戦場よもやま話のウラを取る方法をおしえてください。

ウソをウソと見抜けない人は(ry
まぁ適当に話作ったってすぐ見抜かれるってこった
誰も真に受けてないからもう諦めんさい
168名無し三等兵 :2005/10/22(土) 18:41:31 ID:qK994ElK
だよな
日本軍が部下を理由もなく射殺するとか支那軍じゃあるまいしありえない
これは支那の「悪逆日軍」宣伝でよく使われる話だよ
南京虐殺も同じだが支那人は自分らの残虐性を
全て日本軍に転嫁して捏造してるだけ
169名無し三等兵:2005/10/22(土) 18:45:48 ID:???
「爺様から聞いた」が本当でも「爺様がマジでそいつを体験した」とはぜんぜん別物

もっと無常観と無力感と懐かしさが漂ってるよ、実際聞いた事あるけど
170名無し三等兵:2005/10/22(土) 18:46:04 ID:???
ニューギニア北西部で約60柱の遺骨が見つかったそうです。
ニュースでやってましたよ。
171名無し三等兵:2005/10/22(土) 19:02:24 ID:YRSDBzn9
うちの爺ちゃんは戦前船乗り(一等航海士だったらしい)で、戦争が始まってからは
輸送船にのってたらしい。
どっかでの上陸作戦かなんかでは、先遣隊から「海岸線を確保した」って連絡が入って
本隊乗せて行ってみたら、本当に海岸線しか確保してなくて、海岸から数メートル奥の
林から敵がバンバン撃ってきてたらしい。
あと、南方で敵潜に雷撃されたり、瀬戸内海で機雷に触れたりで三回沈んだらしい。
南方で沈んだときは、救助にきた駆逐艦も敵潜を警戒して、数キロ離れた場所で待機してて
そこまで泳いでいったらしい。
そのとき乗せてた兵隊は、全員小銃を濡らさないように頭の上に掲げて、立ち泳ぎで泳いでいったとか。

ちなみに爺ちゃんは俺が生まれるちょっと前に死んじゃったんで全部父さんから聞いた話。
172名無し三等兵:2005/10/22(土) 19:13:53 ID:EQOsI2QZ
父方の爺さんはお偉いさん、母方のは軍属だったみたい。
父方の方は本当のお偉いさんで、日露戦争時にお茶の水かどこかの予備校で士官候補生
としてスカウトされたらしい。
なんでも当時は仕官が大量に戦死するんで暇コイてる予備校生にお声がかかったんだと。
街頭に現在の自衛隊員募集ポスターみたいなのがたくさん貼ってあったのかなぁ・・・。
じいさんは俺が生まれる前に死んでいるのでまた聞きの情報ばっかりだから戦場でどうだった
とかいう話はないんですよ。
その代わりに陸大まで出ちゃってたりするエリートなんで、歴史的事件にガチンコで関わって
いたりします。
聞いたときは本当にたまげましたよ。
173名無し三等兵:2005/10/22(土) 19:39:52 ID:WtA3B9q/
俺の母方の爺さんは海軍陸戦隊だったらしい…
小さい時はよく話を聞いたが中学から聞かなくなってしまった…
開戦時南方攻略に参加して戦車にも乗っていたと言っていたが…
勿体ない事した生きてる内にもっと話を聞けば良かった。
そんな孫も戦車なら六一、七四、九○と乗っていました!
174名無し三等兵:2005/10/22(土) 19:45:00 ID:CAyJ+2IP
雷電乗ってたらしい。
175名無し三等兵:2005/10/22(土) 19:57:03 ID:dCGZXfcS
うちのじーさん、金沢の部隊だったのに何故かシベリアに虜囚されてた。
南方に行ってたはずなのになんで?
176名無し三等兵:2005/10/22(土) 20:12:36 ID:???
>>166
だから、日本のバナナ売りはバナナを熟成させるために
フィリピンとかあっちの方の環境を再現しようと暖かい室にバナナを数日寝かせたということ。
そんなに青いバナナを一晩で食いたいのならバター炒めにでもして食いなされ。
177名無し三等兵:2005/10/22(土) 20:17:08 ID:???
俺の親族の話じゃないが、何年も前に歌舞伎座に徹夜で並んだ
(現在は徹夜は禁止されている)ときに一緒に並んだ老人の話。
大学生のときに徴兵されて「甲幹」で将校になって航空隊勤務、
中尉で四式戦に乗ってたとか言ってた。
俺はうんうんと聞いてたけれど、軍事用語がそのまま俺に通じて
いることの不思議に全然気づいていなかった様子…。
パンピーに「こうかん」と言って、大学生から士官になったって
ことだとわかるわけないのにな。
178名無し三等兵:2005/10/22(土) 20:29:06 ID:Bs27jO49
甲幹は大学だけじゃないよ俺の祖父は商業学校の学生から甲幹になって中野学校で速成教育を受けて、大陸でスパイキャッチヤーみたいな任務についてました
相当、鬼畜なことしてたみたいで、戦争の話はほとんどしてくれません
179名無し三等兵:2005/10/22(土) 20:50:33 ID:???
>178
工作員氏ね
180名無し三等兵:2005/10/22(土) 21:24:58 ID:???
日本共産党の元中央委員会議長,現名誉役員、宮本顕治
は仲間とともにスパイだという疑いで、無垢の小幡達夫氏を
監禁、濃硫酸や暴力で拷問した挙句、虐殺した。 
 スパイを手荒く扱ったからといってサヨクどもがどうこう
言う資格はない。
自分の思想的祖はどうなのかと小一時間(ry
181名無し三等兵:2005/10/22(土) 21:43:13 ID:???
そういえば中曽根と同期という方の話を聞いたなぁ。
同郷で仲がよかったそうな。
現在は区議会議員をやってる。
その中曽根を大学の後輩が先日、鉄舟会で会ったときに叱ったらしい。
182名無し三等兵:2005/10/22(土) 21:54:09 ID:???
鉄舟会 大森曹玄老師ですね。
もう法嗣に譲られていますか。
して、どのように叱ったのですか。
中曽根は見性しているのでしょうか。
183名無し三等兵:2005/10/22(土) 22:15:55 ID:???
山岡鉄舟先生は護衛などつけていなかった!
4,5人も護衛をつけて己を守るとは何事ぞ!
と、そんな感じで叱った?そうです。
後輩はなかなか凄い御仁と会う機会が多いそうで
陛下との謁見の経験もあるとか。
本人はそれを自慢には全くしていませんでしたが。
184名無し三等兵:2005/10/22(土) 22:31:18 ID:???
ご尊答を拝謝し奉る。
と禅式に言うと斯様になりますが、
ありがとうございます。スレちがいなので
やめます。しかし、2chanで坐禅の話
を見るのは初めてでした。
お答えにある山岡鉄舟大居士の話との
比較は小生の参禅し、既に遷化した師匠様も
全く同じことを言われていました。全く然りです。

鳥 花を嘴んで碧巖に落つ  露
185名無し三等兵:2005/10/22(土) 23:12:54 ID:???
日本軍の残虐行為について・・・ウチの母方のじいちゃんは「そこが日本人の悪いところだ」と言って一つの解釈を示した事がある。
じいちゃんは「あの頃の」南京を見た事もあるそうで「組織的な大虐殺などはなかったと思う」と言い切ってはいたけれど、一つ気になる事があったそうな。
概ねじいちゃんの言っていた事を補完・要約するとこんな感じ。
『何処の軍隊や組織でもそうだろうけど、中には粗暴な人間、暴力的な人間が必ずいる。
 日本軍だってそれは例外ではないのだが、そういう質の悪い兵隊が下士官だった場合は性質が悪かった。
 日本人は和を大切にし、分を逸脱する事を好まないので兵は無論下士官に口を出せず、若い士官は実質的に隊を動かす下士官に意見が言えない。
 それが何処でも徹底していたので、性質の悪い下士官の暴走を止める装置がなかった。
 日本軍の蛮行、という事が有ったとは思わないが、日本軍に下士官の蛮行を止める仕組みがなかったのは事実だ。』
まぁ、こんな感じの言い方で個人レベルの蛮行が横行していたような事を匂わせていた。
つか、俺が「そういうのを見たの?」って聞いたら苦笑いをしていたのできっとそういう事なのだろう。

でもじいちゃんは「日本軍がそんなに嫌われていたとは思えない(組織として大きな悪事はしていない)」ってボソボソと言ってた。
そんなじいちゃんもマトモにお話しが出来ない状態が続いて、今年ついに鬼籍に入った。
口の重いじいちゃんだったけど、なんとなく「冷静な視点」を置いて行ってくれた気はする。
186名無し三等兵:2005/10/22(土) 23:27:42 ID:???
>>184
いえいえ、よもや2chでこの話にレスをいただけるとは思わなんだ。
縁は奇なもの、一期一会という言葉を胸に
後輩とは友として付き合っていきたいものです。
187名無し三等兵:2005/10/23(日) 00:23:01 ID:???
俺の爺「連合軍が上陸して来たら突然土人が裏切り出した、その土人に大勢の
部下が殺された。」と言ってた、仲間と思ってた土人に襲われたのがとても悔
しかったらしい。
188名無し三等兵:2005/10/23(日) 02:10:09 ID:???
じいサマじゃなくて、ばあサマの話で申し訳ないですが
名古屋のスナダ橋?近くにあった三菱航空機のエンジンの設計開発部門で働いていました。
仕事の内容は、エンジンをブン回す現場と設計室の間を
厳重に封をした書類をもって、行ったり来たり。

そこへ就職する時には、近所への聞き込みなど、
徹底的な身辺調査があったので、ご近所が心配してくれたそうですw
189名無し三等兵:2005/10/23(日) 06:22:59 ID:???
>>185
極めてまっとうな意見ですな
190前スレ894:2005/10/23(日) 10:10:44 ID:???
>>185
私の祖父も南京攻略戦に参加した過去があり、>>185氏のおじいさまと同様なこと
(タチの悪い日本兵による蛮行があったということ)を証言しております。

>>ALL
祖父の戦争体験の件で、ハングル板の質問スレやここのスレで聞いたことを
ブログの方に整理しました。興味ある方は参照ください。(写真とかを載せました)
http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/b6c2d9951f7e33b41ef5cfd4a5b039a5

宣伝で済みません。
191名無し三等兵:2005/10/23(日) 11:50:22 ID:???
>>185 貴重なお話 感謝! 
192名無し三等兵:2005/10/23(日) 15:00:49 ID:4DsZe2Hs
>188
砂田橋ですな
今はナゴヤドームが建っております
193188:2005/10/23(日) 16:27:03 ID:???
>>192
ナゴヤドームの所だったんですか!
ありがとうございます。
194名無し三等兵:2005/10/23(日) 21:44:25 ID:???
>>192-193
三菱大幸工場の事になりますか?
現地の状況には詳しくありませんが
たしか19年末の東海地震と同時期〜20年春までの空襲で
設備人員とも大きな被害を出していましたよね
お祖母さまは無事でなによりでした
195名無し三等兵:2005/10/23(日) 22:51:06 ID:???
インドネシア独立記念日前日祭パレード
http://cops.zive.net/c-board/file/Indonesia.avi
196名無し三等兵:2005/10/24(月) 17:32:05 ID:???
うちのじぃやんは、
軍艦乗りで、下層部での作業は、ここで攻撃されれば逃げ場なく沈んで終わりだら
それが精神的に恐かったそうな
あと船が攻撃されて、沈んで、じぃやん達はどっかの外国の船に助けられて
ミナミの島に行ったと言ってた。
そこにはバナナや色んな果物があって、天国かと思ったらしい。
もっと色々きいたが忘れた。
197名無し三等兵:2005/10/24(月) 18:53:49 ID:???
>>195
凄いなあ・・・
198名無し三等兵:2005/10/24(月) 22:37:59 ID:???
>>195
GJ!
もと番組はなんですか?
199名無し三等兵:2005/10/25(火) 09:59:27 ID:???
200前スレ808:2005/10/25(火) 23:31:52 ID:???
>>185
祖母の知り合いに南支戦線で輜重兵軍曹をやってた人がいたんだけど
その人も、戦前に除隊されて本土に帰ってきたとき、
祖母に同様のことを証言していますよ。
不良兵が女を犯し、略奪をすると・・・とにかくすごい話だったそうです。

ただし、この軍曹がいた部隊ではこのような不良兵はたいてい憲兵に現地処理されていたようです。
201名無し三等兵 :2005/10/26(水) 03:02:49 ID:???
大戦後半にもなると、徴兵された者の中にはそうとう性質の悪い奴が
混じってた、と聞いた
202名無し三等兵:2005/10/26(水) 06:35:39 ID:???
まああれだ、根こそぎ徴兵、なんて事になると儂等の社会や身の回りに必ずドキュンが居るように、軍隊の中にもある程度の割合でドキュンが混じってしまったという訳か・・・・
203名無し三等兵:2005/10/26(水) 10:14:40 ID:???
>>201
後半というとアレですな。
半島人が多く兵役に・・・
204名無し三等兵:2005/10/26(水) 12:37:16 ID:???
>>203
いやいや、半島人の徴兵は遅かったせいで殆どが訓練中に終戦ですよ。
(そのおかげで終戦直後内地で悪行三昧ですが・・・)

外地での半島人の悪行は志願兵なんでしょうね・・・
205名無し三等兵:2005/10/26(水) 13:04:17 ID:6t75dMUk
20年前くらいだと
電車の中で戦友会帰りの人とかたまにいたなあ(話の内容でわかる)。
その頃でも「○○さんや○○さんも死んで・・」だから
今は殆ど鬼籍入りか。
206129:2005/10/26(水) 16:10:54 ID:vPAcT+9X
>>130
祖先なんぞに何の興味も敬意もない人もいるんだろうな。
「探偵ナイトスクープ」って番組であった話なんだけど
偶然手に入れた鉄カブト(防空委員?用らしい)を
裏に書かれていた住所と名前を頼りに遺族(長男)に届けたら
「いりません」って突き返されてた。
元の所有者は誰もが知ってる大企業の創立者、
その突き返した長男も旧財閥系の現社長だった。
207名無し三等兵:2005/10/26(水) 16:34:38 ID:0QhsM9gV
>>202
小平とかいう戦後の闇市で強姦殺人を繰り返し死刑になった奴がいるが海軍陸戦隊に所属し上海事変で勲章を貰っている、こやつは戦地での強姦の快感が忘れられなかったと語っている
指揮する頭は無くても単なる将棋の駒ならドキュソの方が向いてるかもわからん
208名無し三等兵:2005/10/26(水) 17:32:51 ID:rl6c9jLw
1000万人が戦場へ送られたそうだから変な奴もいただろうなあ

南京の外国人には、日本中の犯罪者が軍服を着て南京に集まったのか?
とすら思ったそうだから
209名無し三等兵:2005/10/26(水) 17:54:14 ID:0QhsM9gV
まあ普通の奴が変になってしまった事もままあったろうけどな。
精神疾患は別にして徴兵の基準は体格の善し悪しで内面は考慮されないしな
210名無し三等兵:2005/10/26(水) 19:02:19 ID:7epbIwMQ
>>208
ソースくれよw
211名無し三等兵:2005/10/26(水) 19:06:53 ID:???
トンカツ用なら
212名無し三等兵:2005/10/26(水) 20:24:18 ID:???
>>208 くまが釣り針の前で肩をすくめているAA(略
213名無し三等兵:2005/10/26(水) 21:09:54 ID:gRxWtz76
>>206
別に祖先に敬意がないわけじゃないけど、鉄カブトなんて
粗大ごみだろ?興味がある人にはいいかもしんないけど、
何の興味もない人から見たらただのごみだよ。
俺も爺さんの鉄カブトをいきなり持ってこられたら、別に
いらないと言うよ。持っててどうすんの?
214名無し三等兵:2005/10/26(水) 21:11:00 ID:J7vCGDNo
家の爺さんは弟と一緒に大陸打通作戦に参加したそうだ。砲兵部隊に所属
して大砲撃ってたらしい。が、作戦中に弟は狙撃兵に撃たれて戦死してし
まったので出征時に撮った写真でしか見たことがない。
215名無し三等兵:2005/10/26(水) 23:16:08 ID:LPmBAAoh
爺さん
天皇陛下が戦争を戦争をやめてくれたからオレは生き残ることができた。
(三度目の召集で本土決戦に備え九州で待機していた)

婆さん
天皇陛下が戦争を始めたからこんな惨めな事になった。
(栄養失調と病気で亡くなった2歳の長女を一人で看取った)

毎年終戦記念日が近くなると喧嘩してたなぁ
216名無し三等兵:2005/10/26(水) 23:39:41 ID:???
祖父が戦地で生死を共にしたものをその子孫が粗末に扱うというのは・・・
まあせめて家の墓には入れてやれよと。
217名無し三等兵 :2005/10/27(木) 00:12:31 ID:???
いくらなんでも、遺族の遺品を「要りません」とはね・・

社会的地位からいって、狭いワンルームに住んでる
わけでもあるまいし、祭れとは言わないまでも黙って
しまっておいてやれば?とは、思うがな
218名無し三等兵:2005/10/27(木) 01:20:58 ID:???
既に亡くなっているけど、うちの母方の爺様は海軍の輸送船乗りで、南方戦線で二度フネを沈められたそうだ。
戦前は温厚な人だったらしいけど、復員直後は暴力的になったり、夜中に突然叫び声を上げたり、随分荒れたと聞いている。

父方の爺様も既に亡くなっているけど、こっちは病弱だったせいで徴兵に引っかからず内地待機(?)扱いになり、
地元町内会の世話役等色々受け持ってたらしい。

共通項はどちらもこちらが聞いても戦時中の体験を殆ど話さなかった事位だ。
方や話すのも辛い体験をしたのだろうし、もう一方は恥に感じてたのかも知れない。
219名無し三等兵:2005/10/27(木) 01:26:54 ID:???
>>217
まったくだ・・・。

おいらのじいちゃんは戦争末期に徴兵され、内地の郷土部隊で終戦を迎えたのだが、
内地、郷土の部隊では終戦と同時に、相当数の軍需物資を持ち出した要領のいい連中がいたらしく、
何も持って帰らなかったじいちゃん、ばあちゃんとケンカになったそうな。

ばあちゃんは某市内の家が空襲で焼かれてしまい、
幼いとうちゃんと兄弟、3人の手を引いて空襲の地獄を生き延び、実家に身を寄せていたのだが、
かろうじて持ち出した着物や家財も、食糧難の中、食料の代わりに差し出し、
それもなくなって、これからどうしようかと悩んでいた矢先にじいちゃんが帰ってきた。
帰ってきたうれしさもそこそこに、じいちゃんの分まで当面、食料を確保しなければいけなかったのだ。
「何も持って帰らなかったのか、この甲斐性なし!」

不幸中の幸い、じいちゃんの仕事が見つかり、じいちゃんの稼ぎでかろうじて食えるようになったのだが、
ハタと気がつくと、本当に何もかもなくなっていた。
じいちゃんの時計も、ばあちゃんの着物も、全部、その日の米のために差し出したあとだった。

じいちゃんはこの世を去り、ばあちゃんは90歳になるのだが、
いまだに「何か残しておければよかったなあ」と言う。
「じいちゃんとばあちゃんととうちゃんの兄弟がこの世に残っただけでいいじゃないか」と、みんなでなだめているのだが。

おいらのじいちゃんばあちゃんのように、残したくても何も残せなかったひとも多いだろうに・・・。
220名無し三等兵:2005/10/27(木) 02:26:36 ID:???
そういやじい様が復員したときもって帰ってきたという
変わった形の鍋があったな。急須みたいな形で曲がった
柄がついてた。それに復員時に支給された芋やら小麦粉
やら入れてたらしい。あれどうなったかな…。
221名無し三等兵:2005/10/27(木) 02:55:51 ID:???
>>217
そういうのいちいちしまいだすときりがないよ。ぴしぴし捨てるべし。
俺、自分の母親の遺品とかもがんがん捨ててるよ。
でも別に母親が嫌いだったわけでもなんでもない。
俺がモノ捨てるのに抵抗ないタイプだからかもしれないがな。
持ち物に感情移入するタイプは耐えられないことかもしれないけどさ。
その企業の創業者も捨てることにこだわらない人間だったのだろう。
222名無し三等兵:2005/10/27(木) 10:49:41 ID:???
・・・いつか祖国も捨てるんだろうな・・・
223名無し三等兵:2005/10/27(木) 13:40:30 ID:???
遺品を捨てることになんでこんなに批判が来るのかがわからん。
遺品にしたってさ、唯一の遺品とか思い出の品なら兎も角
一般人がいきなりテッパチ渡されたら誰だって困るだろうに。

必要のない遺品を処分することは普通のこと。
一般人にとって60年も前のテッパチは必要のないものでしょう。
224名無し三等兵:2005/10/27(木) 13:43:30 ID:???
>>210
近頃は中国人の若者を使って豚を捕まえさせている。
なかなか捕まえられなかったり、全然捕まえられない若者は銃剣で突き殺された。
これは皆目撃した人の話だ。こんな事ばかり聞かされていると気分が悪くなってくる。
そうだ!日本軍は犯罪者の寄せ集めだと思えばいいんだ。
普通の人間にこんな事が出来る訳が無い

南京の真実 ジョンラーベ 1938年1月22日 P227

江南セメント工場のシンバーグさんがギュンターさんの書簡を届けてくれた。
これを見ると南京だけが日本兵に苦しめられているのでは無いことが分かる。
強姦、殺人、撲殺。同じような報告が四方八方から入ってくる。
日本中の犯罪者が軍服を着て南京に勢ぞろいしたのか!といいたくなる。

南京の真実 ジョンラーベ 1938年2月2日 P254

12月13日の陥落以降、ほぼ毎日こんな記述ばっかりだよ
南京入りした爺様は鬼畜の群れだったわけだ
225名無し三等兵:2005/10/27(木) 14:21:19 ID:???
【世界の】「南京大虐殺」はウソ【常識】21次資料

http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1130295088/

で、コテンパン」に完全論破され、こっちに出張かいな。
第一、スレ違いだよ。
南京事件関連に興味のある人は上記スレ、そして
その前スレを読んでください。
また、ラーベ日記の検証は
畝本正己『真相・南京事件 ラーベ日記を検証して』
でも読んでください。
226名無し三等兵:2005/10/27(木) 16:13:27 ID:???
>>223
そりゃぁあんた、ここが軍板だからじゃないか…?
227名無し三等兵:2005/10/27(木) 16:23:14 ID:???
取りあえず鉄兜は鍋にするのが正しい使い方だよな
228名無し三等兵:2005/10/27(木) 16:35:19 ID:???
郷土資料館に寄贈するとか
229名無し三等兵:2005/10/27(木) 17:14:56 ID:???
雪国ではこれからの時期に欠かせんよ。

だって、頭上から氷柱や雪の塊が落ちてくるし…
230名無し三等兵:2005/10/27(木) 17:58:38 ID:???
うちの母方の爺さんは昔の軍帽を冬になると防寒用に使っているという話を
聞いて、俺はそれ欲しいと言ったら無くしてしまったらしいorz
母方の婆ちゃんの兄は昭和14年に召集されて大陸へ、
終戦後に帰ってきたが、その時に鹿の角、掛け軸、アメジストの塊等を持ってきたらしい
一体どうやって入手したんだろ?
231名無し三等兵:2005/10/27(木) 18:02:45 ID:???
>230
鹿の角・・・狩ったか貰った
掛け軸・・・貰ったか奪った
アメジストの塊・・・拾ったか貰った

と、推測してみる
232名無し三等兵:2005/10/27(木) 18:46:38 ID:???
>>225
軍オタをなめるなよ W
233名無し三等兵:2005/10/27(木) 19:59:13 ID:???
>>223, 224 が ラーベの孫なら
ここでやってもいいんでない。
だけど、講談社本の丸写しはやめろ。

234名無し三等兵:2005/10/27(木) 23:07:17 ID:???
お爺さんが東京大空襲の日に電球を使ったアナルプレイを
していたらしい。東京都内で。それで取れなくなって、病院に
いったら、この非常時に何をしとるかって怒られてずぼって
引き抜かれたそうです。
すぐ隣で何万人も死んでるにも関わらず、アナルプレイに
勤しむこの余裕。
235名無し三等兵:2005/10/28(金) 10:31:00 ID:???
アッー!
236名無し三等兵:2005/10/28(金) 14:04:51 ID:???
私自身が聞いた話ではないのだけど、
うちのじーちゃんは軍隊で20歳の誕生日を迎えたそうだ。
せっかく20歳になったのに、
祝ってくれる人もおらず、夜は長くて寂しくて、
せめてものお祝いにタバコを買ったらしい。

んで、生真面目だったじーちゃんはその日生まれてはじめて
タバコをふかしたんだけど、煙くて苦くて不味くて、
残りを窓から捨ててしまったそうだ。
そのときもう一生タバコは吸わないって心に決めたって。

でも、しばらくしたら、無性にタバコが吸いたくなって、
真っ暗闇の中窓の下這いずり回って捨てたタバコ拾って
もう一回吸って以来、タバコが手放せなくなって
ものすごいヘビースモーカーになったって。

うちの姉が聞いたこの話がどこまで本当かはわからないけど、
最初聞いた時はなんだか無性に悲しくなった。

あと、戦闘は死ななきゃ勝ちだっつって、
銃撃戦とか始まったらじーちゃんの小隊は
みんな岩影で死んだふりしてたっつってた。
この話も真偽不明w
でもじーちゃんの葬式の時、じーちゃんの部下だったっていう人から
じーちゃんのお陰で生きて帰って来られたって教えられたから、
死んだふりしてたのは本当なのかも知れない。
237名無し三等兵:2005/10/28(金) 16:44:21 ID:???
うちのばあちゃんから聞いた話。
3月9日の東京空襲の日、ばあちゃんの父親が夜トイレに行こうと外に出ると(農家なのでトイレは外にあった)
東京の方の空が赤く見えたらしい。起こされて見に行くと本当に真っ赤になっていて恐ろしかったそうだ。
次の日、弟が陸軍士官学校に入っていたのと、3月10日は陸軍記念日だったこともあり父親とともに上京し、
赤羽の駅で降りると、体中煤塗れの人を何人も見たらしい。
士官学校につくと父親がおもむろに勲章を取り出し胸に装着。人とすれ違う度にこちらに敬礼するからこのときは
気分がよかったそうだ。
ただ、この手の話をすると物思いに耽ることが多いのでやっぱり口にしたくないようなことも経験したのかもしれない。
238名無し三等兵:2005/10/28(金) 22:12:35 ID:???
>124
蛇足な遅レスだけど、テレビで52型云々表示されてただ祖父は「戦闘機」って言っただけでつ。

因みに祖母の方は近くに航空基地があったせいか、牛小屋を誤爆されたらしい。
牛も大変だな。
239名無し三等兵:2005/10/29(土) 02:43:45 ID:???
オヤジの話で悪いんだが、ヤツはドゥリトルの初空襲を横浜の実家の窓から見たらしい
低空を見慣れない双発機が飛んできてパラパラと何か落として去っていったという非常にあっさりした話
それから、縁故疎開先の今の新横浜駅の近所から3月の東京空襲も見たという
地上から曳光弾がツツツーっと走って、東の空が赤くてキレイだったという話を聞いている
240前スレ808:2005/10/29(土) 20:02:20 ID:???
ほんと、祖父達の思い出や写真をポイポイと捨てるなんてのは信じられん話だね。
今日は、特にそれを強く思ったよ。

隣町の古本屋行ったんだよ。そしたら、古い本を山積みにしてるコーナーに戦前の個人アルバムや記録書が数十冊あった。
佐世保軍港の帽を被った海軍さんが写ったもの、大日本婦人会発行の家計簿(使用済)、戦時債権のパンフなど・・・。
どれも数千円という値段で高かったが、中でも2万円という高額のアルバムがあった。
これには、銀座や築地が東京大空襲を受ける前と後や、ごった返す避難民の様子を撮影した写真が貼ってあった。
こういうのを売ってしまう人って・・・
241名無し三等兵:2005/10/29(土) 20:36:29 ID:???
戦争体験じゃないけど印象に残ってる母方の爺様(元陸軍士官)の言葉。
TVドラマの召集された人を提灯行列で見送るシーンを見て、

「ああやって見送られて出来た奴に限ってな、頼みもせんのに『天皇陛下万歳』言うて
勝手に死によるんや。」
「戦争も終わりの方になって饅頭と酒だけで送られてきたような奴の方が最後まで
死なへんねん。」
「死んだらあかんやろ。戦争かていつか終るんやし、その後に国のために働かくんが
一番お国のためになるんやから。」

それがきっかけかね、学校の反戦教育に疑問持ち出したの。
教師に向かって楯突いたりな。いやな小学生だけど。w
242241:2005/10/29(土) 20:43:00 ID:???
>>240
いやいや、主婦なんてもんは役に立たないと判断したら情け容赦無く捨てるもんだよ。
爺様の昇進祝いに知人から贈られた、朝鮮京城の店が作ったお祝いの言葉入りの特注の扇子。
珍しいものだから、オレが使うかどこかに寄付するからとっておいてくれって頼んだのにころっと忘れて
さっくり捨てやがった。orz
あと、家の建て替えの時に、残ってた軍装関係もみんな捨てたらしいし。とほほ。

その癖、スーパーのビニール袋は山程溜め込んでたりするのにな。il||li _| ̄|○ il||li
243名無し三等兵:2005/10/29(土) 22:36:51 ID:???
まあ、軍事や歴史に興味のない人からみたらただのごみだからなあ。
244名無し三等兵:2005/10/29(土) 23:53:09 ID:???
戦争という行為自体がゴミだからなあ
245名無し三等兵:2005/10/30(日) 13:42:08 ID:???
>241
おまいもビニール捨ててやればいいじゃない
246名無し三等兵:2005/10/30(日) 15:17:26 ID:???
>>242
その無念さよく分かる。
漏れも戦前戦中の軍事絵柄のメンコ
全部捨てられた。
もう二度と手に入らないよ。多分。orz
247名無し三等兵:2005/10/30(日) 17:58:59 ID:???
>246
日本をもう少し右に寄せれば現代版が買えるぞ、頑張れ
248名無し三等兵:2005/10/31(月) 22:39:16 ID:???
インドネシアのボルネオ島で現地召集されたジイさんの話
毎日お昼の時間になると、敵の爆撃機(コンソリー・デーデット?)が一機だけ現われて、
爆弾を数発落として、悠々と飛び去って行く
それが段々と高度を下げて来るようになり
それがある日、完全に舐めきって超低空で真上に来た時
それまで隠れて鳴りを密めていた機関砲がドン!ドン!と
そいつのドテッ腹にブチかまして見事に撃墜

ところが上官が『要らんことしゃがって!明日から知らんぞ!』と怒りだし

で、2〜3日後に護衛戦闘機付きの大編隊が来襲
それこそ徹底的に爆撃されたそうです。
249名無し三等兵:2005/11/01(火) 06:05:15 ID:???
まさに藪をつついて蛇を出す。
250名無し三等兵:2005/11/01(火) 08:42:31 ID:???
生きていれば今年で80歳になるウチの爺さんの話だが、毎日グラマン?の爆撃があったそうで、当時からアル中だった爺さんは、アメちゃんが堕ちてくると真っ先に現場に行って、計器板からアルコールの入った部品をかっさらって一人チビチビ飲ってたと自慢してた
因みに日本機はシミったれてるからか?基地の隊員が飲んじゃったからか、アルコールが入った部品は無かったらしい…
251名無し三等兵:2005/11/01(火) 11:47:48 ID:Qrk7gSQS
久々に来てみたけど、ポーカさんはもういなくなっちゃったのかい??
252名無し三等兵:2005/11/01(火) 12:30:42 ID:???
歴史が好きだ
歴史とは、人の人生の積み重ねそのものである

結果、大義、善悪、それらの議論は他に任せて
ただそのときあったこととして知りたいものだ
有名な作戦は本に書かれていても、兵士のエピソードは数えるほどしかないし
有名な戦いであっても地形やその場の雰囲気、誰が何を思っていたのか何をしたのか
そういう細かい詳細部分を知りたい
253名無し三等兵:2005/11/01(火) 13:54:04 ID:2FlIaYMe
 歯科医師だったが、軍医学校での短期教育で医籍証明書を貰い、軍医として
出征、歯医者として、とても優秀だったので野戦には全く参加せず、上海で
年配の高級将校の入れ歯なんか作っているうちに終戦、集積されていた歯科材料の
貴金属を持って闇舟で復員、焼け跡の地面を買いあさって、高度成長期に成金になった。
254名無し三等兵:2005/11/01(火) 16:49:16 ID:???
うちの婆さまから聞いた話。
信州の山の中の人なんだが、なぜかたまに飛行機が飛んできて河原に爆弾落として帰っていってたらしい。
俺の通ってた高校のグラウンドは元高射砲陣地だったって言ってたな。
婆さんの親父様(爺さんだったか?ちょっとうろ覚え)は近衛兵で凄い人だったって何度か聞かされた。


WW2中のある日。サイレンが鳴ったあとに婆さまの家の庭でどすーん!と大きな音がしたんだそうだ。
すわ爆弾か!と飛び出して近所の人を「うちの庭に爆弾が落ちたで見に来てくりやー!」と集めて探したけど何もない。
しばらくすると頭が冷えてきて「爆弾落ちたの探すってのもおかしな話だなぁ」と皆言ってもう一回見て回ったら
屋根の石が落ちてただけだったって笑ってたよ。
他にも田んぼでオート三輪の練習してたらひっくり返ったんで免許は取らなかったとか言ってた。
田舎なんで呑気に暮らしてたみたい。
今でも健在で毎日ゲートボールに自転車で走り回ってるうちで一番アクティブな人(笑)。
255名無し三等兵:2005/11/01(火) 16:59:06 ID:???
それと爺さまに聞いた話。
地元に大きな歩兵連隊があったけど、整備兵になるって愛知の海軍に入ったらしい。
そのまま南方のフィリピンって言ってたかなぁ。そこで一式陸攻の整備してたんだそうで。
ある日昼ヌキで整備してて、午後になって一人兵舎で飯食ってたら空襲があって外で整列してたパイロットの人たちが全員死亡、
修理したばかりの陸攻のラジエーターも機銃で撃ち抜かれてたんだそうで。
午後にしようって途中で飯喰ってたら死んでたって何度聞かされた。
脚色が入ってるかもしれないけどね。
その後体壊して内地勤務で終戦になったらしい。

あ、ニュースで大和とかやるたびに「大和と武蔵は無線で繋がって一斉砲撃できるけど、それをやると武蔵の電気が全部消えた」って言ってたな。誰か本当かどうか知らない?

戦後石川島播磨から声がかかったって言ってたから腕はよかったのかな。
俺にとっては酒飲みで機械いじりの好きなただの爺ちゃんだったけどね。3年前に鬼籍に入りました。
もうちょっと色々聞いとけばよかったかなぁ。
256名無し三等兵:2005/11/01(火) 22:35:35 ID:???
母方の祖父
呉の工場で計器を作ってたらしい
父方の祖父
後方勤務で会計をやってたらしい

地味だな・・・・
257名無し三等兵:2005/11/01(火) 22:51:34 ID:???
母方の祖父
北海道の片田舎で、海岸で塹壕堀の練習を続けてる内に終戦…

父方の祖父
満鉄の作業員で、ソ連軍侵攻で死にそうな目に遭ったが、
普段から親密な仲にあったある中国人の家族に助けられて、
満州から脱出に成功したとか…
258名無し三等兵:2005/11/02(水) 00:37:04 ID:???
爺ちゃんの話なんだが。爺ちゃんが中高の辺りで戦争が終わったらしいんだけどその終戦間際の話
うちは昔からの大きな農家(海岸に近い)で食べ物には困らず、空襲もなかったみたい
それで家の近くには陸軍の演習所があって兵隊さんを泊めた事もあったらしい。
そして日本が終戦間際の頃に、その演習所に上陸しようと海岸にはおびただしい数のアメリカ軍船がいて、丁度上陸寸前で終戦になったみたい。
それと爺ちゃんが面白そうに話てたのが、終戦になってアメリカの水陸戦車が海岸に乗り上げようとして波でひっくり返ってそれを起こして陸に揚げるのを手伝ったって言ってた。
259名無し三等兵:2005/11/02(水) 00:46:46 ID:???
諸島か?違うなら釣りか
260名無し三等兵:2005/11/02(水) 01:01:02 ID:???
>>259
俺の話の事?
261名無し三等兵:2005/11/02(水) 01:02:52 ID:???
↑爺ちゃん戦車ひっくり返って困った困ったの話をした者です
262名無し三等兵:2005/11/02(水) 01:19:48 ID:???
米軍って終戦間際に本土に上陸しようなんてしてたっけ?
263名無し三等兵:2005/11/02(水) 01:21:45 ID:???
>>262
当時中高生だったじいちゃんだ、戦争全体の動きを知らないのも無理はない。
進駐軍第1陣が上陸用舟艇に乗ってやってきたのは事実だしね。
264名無し三等兵:2005/11/02(水) 01:22:25 ID:???
私の御爺ちゃんは満州へ戦争に行きました。
まだ日本有利と伝えられていた頃だそうです。

御爺ちゃんが入れられたのは試験的な部隊で、『銀輪部隊』という部隊でした。
「銀輪」とは今で言う自転車の事。ですが、その銀輪にはペダルもブレーキも
ついてはおらず、二つの木製車輪に薄いゴムが打ちつけられた車輪と
大き目の荷台が付いたようなもので、長期的、長距離的な作戦展開が前提に作られた部隊の通信兵だったそうです。
予想に反して満州の山は険しく、自慢の銀輪も役に立たず、
銀輪と装備一式を背負い、食料を抱えてジャングル地帯を超え川に差し掛かったそうです。
川の対岸には敵兵が300人、大砲を構えて警備をしている所をわずか28人の
銀輪部隊で渡らねばならなかったそうで、前日に遺書を書くように上官から言われ、
御爺ちゃんも軍服の背中に遺書を残しました。
その遺書は今でも残っており、そこには
『お父さんお母さんツタ子(妻の名前)元気に暮らし 長生きなさい。』
と書かれていました。
 作戦当日、今まで担いできた簡易式大砲を藪から撃ち、川を渡る者を援護する係に任命された
御爺ちゃんと他2名は、40基はある大砲に対して たったの2基で先制攻撃をしかけますが、
砲弾はまるで対岸には届かず、逆に相手の砲弾は確実に御爺ちゃんの居る場所まで
届いてきたそうです。
死ぬと判っていながら川を渡って行く者に援護できず、とても辛かったと話しています。
その時突然のスコールのような激しい雨が降り始め、上官は撤退を宣言。
生き残ったのは8人だったそうで、後の者は撃たれて死んだか、重装備の重みで溺れて死んだそうです。

その後、山の中で別の部隊を待つ事になったそうですが、来るはずの部隊は
結局来ず、満州撤退となったそうです。
265名無し三等兵:2005/11/02(水) 01:55:14 ID:???
婆ちゃんの話を
婆ちゃんの家は農家で都会の方の人が野菜などを買いに来たそうです
そのときは芋のツルを買う人までいたそうです。
それと婆ちゃんが中学生の頃の話
空襲警報が鳴り好奇心で兄弟姉妹とこっそり家(防空豪だったかも)から抜け出し、つるっぱげの丘を登り頂上で空を見ていたら、ライトの光線が空を走り、高射砲が飛行機を撃ち落とそうと唸り、飛行機も攻撃を開始はじめたそうです。
そうしたら自分らの近くにも衝撃が起きて近くにあった暫豪に寄り添いながら身を隠して耳を塞ぎながらやり過ごしたそうです。
お茶目なお婆ちゃんだなテヘ、そこで婆ちゃんが死んでたら俺はいなかったんだぞ^^
シャレにならん
266名無し三等兵:2005/11/02(水) 02:19:33 ID:???
今も芋のツルは商品だけどね
267名無し三等兵:2005/11/02(水) 02:38:10 ID:???
ウチの婆ちゃんは防空穴の中で食べた粉吹き芋の味が忘れられないそーです
婆ちゃんの母は防空穴に逃げる際、銃撃を受けてたけど、『死ぬ時は死ぬんだ』と堂々と立ち尽くしたそーです。
それというのも、家族や兄弟が戦死して、自分だけが取り残された絶望感からだと婆さんは言ってました
今度、婆ちゃん家に行ったら詳しい話を聞いてみます
268名無し三等兵:2005/11/02(水) 03:20:40 ID:PqEHsakW
このスレを読み返すと胸が熱くなる。

靖国神社に参拝する意義がオレにも分かる。
269名無し三等兵:2005/11/02(水) 04:01:28 ID:???
友達から聞いた話だと、友達の祖父が沖縄で唯一ソロモン諸島から生きて帰ってきたみたいなことを言ってた。
満州→ソロモンに行ったらしい。機関銃担当だったとか。
最終的には伍長だったとか。
戦争の話をさせると声がでかくなるらしい。
270名無し三等兵:2005/11/02(水) 04:06:18 ID:???
母の祖父は台湾で数学を教えていた。
それの影響で母方の親戚は教師が多い。
271名無し三等兵:2005/11/02(水) 06:09:53 ID:???
そういえば、会社に入った頃、気難しいオヤジが一人居た
聞けば、飛行機の操縦が出来るらしく、終戦は仙台で迎えたとの事…もっと詳しく話を聞いとけばよかった
272名無し三等兵:2005/11/02(水) 12:20:52 ID:KkC6h2yH
俺の爺さん、戦時中、中学生だったんだけど空襲で母親を亡くして四歳の妹と親戚のおばあさんの家に厄介になってました
でも食事で差別されたりしたのが嫌になって、その家を出て妹と二人で暮らしたそうです
でも食料がうまく調達できずに妹を餓死させてしまったそうです
悲惨な話ですいませんが、これもひとつの戦争体験だと思います
273名無し三等兵:2005/11/02(水) 12:29:42 ID:???
>>272
うんこビチビチ乙!
274名無し三等兵:2005/11/02(水) 12:34:16 ID:KkC6h2yH
ウンコびちびちとは、どういう意味でせうか?
あまり馬鹿にするような発言は慎んでください
275名無し三等兵:2005/11/02(水) 12:36:21 ID:quT1fBsi
>>272
ごめんなぁ、もうドロップ、無くなってん。。。
276名無し三等兵:2005/11/02(水) 12:40:18 ID:KkC6h2yH
ドロップって、何の話ですか?
277名無し三等兵:2005/11/02(水) 12:41:22 ID:FBxGqe19
アメーバー赤痢で真っ赤なうんこで戦争にならなかったって。
278名無し三等兵:2005/11/02(水) 12:50:31 ID:GDpb7cdl
老母の少女時代、住んでいたのは占領軍の関西への上陸起点だった和歌山。
毎日、米兵が海岸まで書類を焼きに来てた。
しかし、あまりに量も多く焼かずにドラム缶の中に放置。
裏が白いままの紙だったので、町内会で順番を決めて夜中に回収。
そのうち米兵の方も気付き、書類の間に未開封の煙草(ラッキーストライク)を
はさんだりしてくれるようになったらしい。
物資陸揚げで海にドラム缶を落としても引き上げず、
やはり夜中に回収して開けると「乾燥たまご」が入ってたとのこと。
279名無し三等兵:2005/11/02(水) 12:55:40 ID:ilU6v2UM
ウンチ話が続いてるんでオイラも。
冬は凍って盛り上がるので、そのままで上からするとお尻に当たって切ったらしい。
だから、排便前にはそのウンチ山をスコップで崩し(壊し)てからやってたそうです。
あと、雨の日は遺体の燐が燃えて幾つもの火の玉になって飛んでたそうです。
昔、爺ちゃんが体験をカセットテープに吹き込んでくれてたんだが……何処かに行ってしまった。
その中で今も憶えてるのが上記分だけ。
280278:2005/11/02(水) 12:56:42 ID:GDpb7cdl
書き忘れ。
ゴミ焼却の海岸へは沖合いの艦船から舟艇で。
海岸で遊んでいるうちに干潮になってしまい、
別の舟艇に助けにきてもらってたこともあったらしい(これには将校搭乗)。
日本と違って、
兵でも将校相手にあっさりとしたした敬礼なので驚いたとのこと。
281名無し三等兵:2005/11/02(水) 16:45:20 ID:???
>>280
そういうあっさりした親切が米軍のいいところですな。
282名無し三等兵:2005/11/02(水) 16:57:54 ID:iHwnLF55
終戦直後の大ベストセラーといえば日米会話手帳
日本人は皆アメリカに期待していた
米兵はモテモテだったらしいし

「終戦のベストセラー360万部」
なんだと思いますか?
昭和28年8月15日終戦の日、天皇陛下のお言葉を涙して、聞いて、帰京の車中で、誠文堂新光社小川菊松
社長は、日米会話に関する本の出版を思いつき一夜で和文の原稿をつくり、これに英訳をつけ、32ペー
ジの「日米会話手帳」を定価80銭で30万部出版した。

飛ぶように売れて、大日本印刷や中小印刷所も動員して、総部数360万部を売り尽くした。
平成7年8月、「日米会話手帳は、何故売れたか」朝日新聞編が出版されている。
283名無し三等兵:2005/11/02(水) 18:05:20 ID:KBlh4F9D
亡くなった祖父は最終決戦の本土防衛で大島にて終戦を
迎えたと聞いてどの部隊にいたのかさっぱりわからず
調べたいのですが分かる方いませんか?
唯一の写真はでかい機関銃を持った一枚(機関銃隊か?)
群馬の館林から>高崎>大島と渡ったらしいです。
戦地には行ってないけど、帰ってきたときには人相が
変わって別人だと思ったと祖母が言ってました。
内地でも色々大変だったんでしょうね。。。
284名無し三等兵:2005/11/02(水) 18:13:32 ID:???
>>283過去レス読んでから書き込め
285名無し三等兵:2005/11/02(水) 18:23:28 ID:rAJ1eNPN
>>272
おまえは何故生まれてきたんだ?
286名無し三等兵:2005/11/02(水) 20:49:33 ID:???
>>285
>>272は爺さんが死んだとは言っとらんじゃないか
287名無し三等兵:2005/11/02(水) 21:01:00 ID:qgHHuu40
じいさん話
樺太の漁師の家に生まれる。
当時はそこそこ物を持っていた家みたいで、マイ海用ボートとか持っていたらしいです。
戦争時、飛行機から機銃掃射をうけて、隣にいた友達は首が切れて死亡。
北のひめゆりの一人とお付き合いしていたらしいです。
北海道に引き上げてきて国鉄に勤めました。
あと、幼少の頃ロシア娘が、
「ワタシノアソコミセルカラ、アナタノアソコミセテ」と誘われた。と言っておりますw

以上です。
288名無し三等兵:2005/11/02(水) 21:06:31 ID:???
>>283
あー、マジレスですが『○○大島』なんて日本中に沢山あるんでw
で、マジレス続けますと、『軍歴照会』に付いては、もとの陸軍は(当時の)本籍地都道府県の援護主管課、
もとの海軍は、厚生労働省社会・援護局業務課調査資料室ね。
お互い横の連絡は十分ではないので違う方に聞かれてもまったくわからん。
なお、当時の本籍地の末端市区町村役場に昔の『兵事係/課』の資料が残ってる場合もあるので一回問い合わせてみれば?
289名無し三等兵:2005/11/02(水) 22:28:58 ID:tW7nh3fP
うちの母方祖母の話
大正15年生まれの祖母は戦時中に実弾での射撃訓練を行ったとの事(年月不明)
えらい兵隊さん(将校?)が学校にやってきて指導してくれたと言ってた
各人5発づつくらい撃ったと言っていたが
九州(宮崎県)ではデフォなのかな?

母方祖父(故人)は中国山西省でトラックの運転をしていたみたい(終戦時兵長)
表彰状サイズの薄紙製免許証が大事に保管してあり、
その他、英文筆記体で書かれた紙切れとマラリア罹患証明書が同封されていた
今度「軍歴紹介」と祖父友人からの聞き取りを行いたい
290名無し三等兵:2005/11/02(水) 22:37:24 ID:???
>>286
蛍の墓をネタにしてるとしか思えないのだが。
291名無し三等兵:2005/11/02(水) 22:53:27 ID:???
>>283

漏れのおじいちゃんも終戦時は大島だったそうです。
同じ部隊だったのかな...
存命中にもっと話しを聞いておけばと後悔する事しきり也。

展開によっては第2の硫黄島になってたかもな。
偉大なる先人に合掌。
292名無し三等兵:2005/11/02(水) 23:13:31 ID:???
>>289
当時、学校ごとに予備役の将校などがついて指導に当たっていた。いわゆる在郷軍人ってやつ。

実弾訓練はわりにどの学校でもやってる。うちのじいさんも三八を撃ったって言ってた。
293283:2005/11/02(水) 23:29:12 ID:???
>>284
す、すみません。見てみます!

>>288
ありがとうございます。問い合わせてみます。。。
294名無し三等兵:2005/11/02(水) 23:30:25 ID:???
軍歴の調査法はテンプレに入れた方が良さそうだな。
295名無し三等兵:2005/11/02(水) 23:58:49 ID:???
俺は両方のじいちゃんが健在で両方とも中国に行ってた。

二人ともボケてないから色々話聞けるよ。
中国は北京は都会だけど一歩出るとド田舎で家はあるが床が土の上に藁引いただけみたいな所が多かったって言ってた。
だからダニシラミが多くて多くて寝れなかっただって。

あと夜の森で野宿した時、「ちょっとウンコ」と森の奥に入っていって地雷踏んで死んだ友達がいたらしい。
爆風で体が3mぐらい飛び上がるのが見えたらしいよ
296名無し三等兵:2005/11/03(木) 02:40:59 ID:???
うちのじいちゃん学校の先生だったんだけど
左翼気味だったんで、終戦間際に動員かけられて大陸に送られたらしいんだわ
でも傑作なのはそこからで、着いたはいいけどもう戦争は終わってしまってて
することないから半年近く現地の掃除して帰ってきたんだと
297名無し三等兵:2005/11/03(木) 16:34:25 ID:???
今日、祖父に戦時中の話を聞きに行ってきました。
小中学生のころは戦争中の話が全く出なかったので、子供には言えない事でもしてきたのかなと思ってましたが、
ただ単に話すことが無いだけのようでした。(いわゆるジーさんの自慢話にはならなかった)

話を聴いた限りでは軍隊に行ったもの内地での勤務だったため結構気楽にやっていたようです。
それなりに苦労もしたといっていましたが。

昭和18年、当時早大生だった祖父は戦争が厳しくなったため、徴兵されました。
学徒出陣で、九州で訓練を受けたそうです。

砲兵連隊に配属され、山砲を受け持ったそうですが、阿蘇山での演習中に腸チフスを発症。
演習中に気が遠くなり、気がついたら陸軍病院に入院していたとのこと。
その後、同じ部隊から何人かの保菌者が送られてきて退院したときには幹部候補生の試験が終わり、
みんな南方や中国など前線に送られていたそうです。

祖父と、入院していた数人はこれからどうしようかと相談し、楽なほうがいいよなということでみんなして会計幹部に行きたいと希望を出すことに決め、
連隊に戻り、これからどこに行きたいか希望を聞かれ、相談したとおりに会計に行きたいというと
「バカモン!!!なぜ戦闘部隊を志願しない!!!」と上官に思いっきり怒鳴られ、結局砲兵になったそうです。

学徒兵は幹部候補生ということでひょいひょいと昇進し、最後には曹長までなっていたそうです。
しかも、訓練時の成績が良かったということで将校適任章(?よくわからないがそういう階級章をもらったとのこと)
をもらい階級社会の軍隊では結構気楽に過ごせたといってました。


ところで、上記のような階級や甲種幹部候補生、乙種幹部候補生などはどこで調べられますか?
それと話に出てきた山砲と野砲の違いってなんですか?

298名無し三等兵:2005/11/03(木) 16:41:45 ID:???
>>297
●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を 219
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1130755875/

一応答えられる範囲で答えておくと、
陸軍の階級(上から)
大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉(ここまでが士官)
准尉(准士官)
曹長、軍曹、伍長、兵長(下士官)
上等兵、一等兵、二等兵(兵)

甲種幹部候補生
兵隊として召集したものの中から、学歴など一定の条件を満たし、優秀なものを選抜して、
所定の教育を施した後、予備役の士官とする制度
乙種幹部候補生
甲種とほぼ同様だが、こちらは下士官とする制度

山砲は、山岳地帯での使用を考慮し、各部を軽量化、簡単に分解して運べるようにした大砲
299名無し三等兵:2005/11/03(木) 19:46:16 ID:???
>>298
兵長は「兵」 
伍長勤務も兵
300名無し三等兵:2005/11/03(木) 19:58:21 ID:???
>>299
伍長と伍長勤務上等兵は違うのでは?
301名無し三等兵:2005/11/03(木) 20:04:36 ID:???
兵隊としての階級は上等兵です。
302名無し三等兵:2005/11/03(木) 20:19:44 ID:???
「伍勤」こと「伍長勤務上等兵」は「兵長」の階級ができたとき(確か昭和17年)に廃止され、
「下士勤」こと「下士官勤務兵長」が替わって設けられた。
いずれも階級としてはあくまで上等兵・兵長である。
303297:2005/11/03(木) 21:48:06 ID:???
>>298-302
皆様ありがとうございます

確かに下士官では一番えらくなったといってました。
母方の祖父は伍長で通信兵と聞いていますが、少し遠くに住んでいるもので詳しくは聞いておりません。
今度たずねたら聞いてみようと思います。
304名無し三等兵:2005/11/03(木) 22:47:03 ID:???
自虐史観に染まっていたころは
日本軍として戦争に参加したおじいちゃんは
きっといろいろひどい事をしたに違いないと思っていたよ・・・
305名無し三等兵:2005/11/04(金) 19:40:15 ID:???
>>304
そもそも『自虐史観』というコトバ自体が妄想w

従軍経験のある当人連中はそんな事は爪の垢ほども思っちゃあいない。
306名無し三等兵:2005/11/04(金) 20:35:30 ID:???
いや戦後「にほんしんぶん」とか読んでた人は染まってるだろ。
307名無し三等兵:2005/11/04(金) 20:55:01 ID:???
NHKの「映像の世紀」でシベリア抑留から帰還したニュースを取り上げていたが、
そこで流れていた当時のナレーションが
「これは共産主義者が戻って来たという事だ」とか言っていたからな…
308名無し三等兵:2005/11/04(金) 21:38:00 ID:2157hW0g
うちの母方、どうも戦時中でも裕福だったらしい。
ヤギだの鶏だの沢山飼っていて、近所のパン屋に卵を持っていっては
パンと交換してもらっただの、砂糖の配給で飴を作っただの、配給の
煙草を別なものと交換したとか……とにかく食い物には困らなかったらしい。
309名無し三等兵:2005/11/04(金) 21:39:53 ID:???
前にじいちゃんが退院したらいろいろ聞こうって言ってた自分ですがじいちゃん
もう2ヵ月だって。もって半年だって。・゚・(ノД`)・゚・。聞けそうもないな。
てかじいちゃん死ぬの悲しすぎる(pд・。)現在89歳陸軍伍長だったよ
310名無し三等兵:2005/11/04(金) 22:48:25 ID:???
清の処刑
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/43/7604ddb86274dea4be726f370121c2d6.jpg

日清戦争で捕虜になった爺様はこんな刑を受けたりしたんだろうか・・・
311名無し三等兵:2005/11/04(金) 22:57:05 ID:???
>>310
グロ注意と書いた方がいいぞ
312名無し三等兵:2005/11/04(金) 23:15:27 ID:???
>>310
これは貴重な画像ですね。
一番下のものは『図説 中国酷刑史』107ページに載っている
「凌遅刑の執行」と同じ写真の中央拡大ですが、上のほうの
写真は見た覚えがありませんでした。URLも下から削って追って
行ったのですが、特別にアップしてくれた画像のようですね。
かなり珍しい資料からのものではないかと思います。よろしければ
名前を教えてください。もし、絵葉書の現物をお持ちでしたら
大変なものだとおもいます。
313名無し三等兵:2005/11/04(金) 23:20:50 ID:???
広い物なので詳細は不明

残虐な人の殺し方
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/news/1131106797/
34 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/11/04(金) 21:32:44 ID:QZaL73b40
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/43/7604ddb86274dea4be726f370121c2d6.jpg
↑凌遅刑、見たら寝れません。
314名無し三等兵:2005/11/04(金) 23:26:04 ID:???
>>313 ありがとうございました。
支那というのは斯くも残酷な
ことをやってきたということですね〜
315名無し三等兵:2005/11/05(土) 03:15:18 ID:???
支那の文化としてはそれなりに普通
日本史と切り離して考え、相対化とかはやめよう
日本人が仮にこのようなことをしてもそれは普通ではないのだから
316名無し三等兵:2005/11/05(土) 14:03:43 ID:???
押入れ整理してたら俺と同じ年のじいちゃんの写真が出てきた。
軍服姿で小銃もって・・・・
じいちゃん曰く
「戦争始まって最初の方に送った写真は良かったが、後半負けそ
うになって来た時に急いで送った写真は輸送船が沈められて全部海
に流れていってしまったわ。ハハ」
だって。

なんか俺と同じ年なのに戦ってた人がここにいると考えると、スゴイと
思うのと同時に俺のこのグータラ生活が嫌になったり、俺の年で戦争
行って死んだ人が沢山いるんだと考えると、この人たちに感謝しなけれ
ばと思うと同時に戦争は良くないとも思う。

うーん 複雑な気持ちになった。
317名無し三等兵:2005/11/05(土) 15:22:14 ID:???
sonokimotigadaiji^^
318名無し三等兵:2005/11/05(土) 17:47:27 ID:???
>>310
凌遅処刑は国家反逆罪クラスでないと食らいませんので、
戦時捕虜程度では凌遅までは無いと思われます。
(スパイなら可能性あり)

なお、かの国には人肉嗜食の風習があるからこんな事をもする訳で、
バラされた人肉はその場で役人が群集に売ってしまいます。(薬種食い)
319名無し三等兵:2005/11/05(土) 18:20:43 ID:???
「この後スタッフが美味しく頂きました」を地でやってる訳か。
320名無し三等兵:2005/11/05(土) 20:38:34 ID:???
じいちゃんじゃなくうちの先生(医者)の話。83歳。現役医師。
私「先生も従軍しましたよね?」
先生「行きましたよ。軍医として。」
私「主にどこにいたんですか?」
先生「北支です。」
私「シベリアに抑留されたんですか?」
先生「あれはもうちょっと北だったらね。危なかったよ。
  わたしはポツダム少佐です。」
321名無し三等兵:2005/11/06(日) 14:34:32 ID:???
>>320
ポツダム進級ですな
先生のごとくポツダム○○と言ったり、進級前の階級を言う方が多いですが
おくゆかしいことです
322名無し三等兵:2005/11/06(日) 14:37:38 ID:???
父方の祖父は関東軍で憲兵だったらしい。
私が物心ついたときには寝たきりだったのだが「中国で悪いことをした罰が当たった」
と言われていたが、何をしたのかは誰も何も言わなかったし、私も聞きたくなかった
ので不明。
ただ「張作霖事件にもかかわって云々」というのを父が言ってたのは聞いたことがある。
323名無し三等兵:2005/11/06(日) 14:49:08 ID:???
>>322
満州某重大事件とな・・・
それは日本史的な損失かも知れませんな
お父様から又聞きでも聞かれておく事をおすすめします
324名無し三等兵:2005/11/06(日) 15:51:20 ID:???
。。。勝手なもんだな、勝ってりゃその爺さんにぶら下がって羽振りをきかせただろうに。。。ま、親戚なんてそんなもんだけどな。
325名無し三等兵:2005/11/06(日) 22:49:43 ID:???
>>324
特殊芸術漫画家:根本敬氏が韓国で出会った老人
 「なんで日本は戦争負けたですか?日本が勝っていれば、今頃私は日本国ハワイ州の知事でした。」
326名無し三等兵:2005/11/06(日) 22:53:58 ID:???
うちの伯父は、自分の最終階級は伍長だと言う。
が、近所のじいさま達はみな「軍曹」と呼ぶ。
これもそのポツダムなんとかのせいなのかな?
327名無し三等兵:2005/11/06(日) 23:46:19 ID:aJmF5XLq
で、いまNHKで大和が出てるわけだが
328名無し三等兵:2005/11/06(日) 23:47:45 ID:???
>>326
ポツダム軍曹で、終戦までは伍長だったか、
伍長よりも軍曹の方が一般ではメジャーなせいか、そのどちらかかと。
329名無し三等兵:2005/11/07(月) 03:52:43 ID:???
ロシアにいたそーです。出してる小便が出ながら凍るくらい
寒かったとか。次女(おかんの姉)が生まれたすぐ後にいってしまい
帰ってきたら次女が、このおじさん誰?と言って泣くと言う
よくある戦争後の悲劇となったそーです。じいちゃんは
私が幼い頃死んでるから母からの又聞き。
そして父の父の弟さん(伯父)がいきなり靖国の英霊になっていた。
その弟さんは、兄である父の父がいる本家で暮らさず、
別の家に住んでいたため、身内である私らも彼の存在を
今の今まで知らなかったというオチ。
戦後60の企画で私が靖国がらみの仕事した時この事実が判明したので、
何かが呼んだのね…という空気になり、手をあわせておいた。
中国で戦死だそうなので無念な死に方をしたかも知れん…
二人とも陸です多分
330名無し三等兵:2005/11/07(月) 04:05:20 ID:???
友達のお婆ちゃんだけど(スレ鯛ズレスマソ)
四国出身のお婆ちゃん
多分裕福な家の人。近くに特攻にいく人々が住んでて、
相思相愛だか向こうが思ってくれてたとかで、彼が出撃に出る前
刀だか人形だかをくれたそう。多分彼は亡くなっている。

長崎のお婆ちゃん
近くに住んでた特攻の人々は若い人ばっかで、当時小学生の
お婆ちゃんはからかわれまくって、特攻の人々は嫌いだったそう。
四国のお婆ちゃんはこの話をしてくれた後に倒れ要介護5レベルに
なってもた。話聞けたのも意義があっての気がします。
331名無し三等兵:2005/11/07(月) 10:55:55 ID:???
黒パン俘虜記

感動しました。平和な世の中に生まれてよかったと思います。
捕虜となった日本人どうしがいがみ合って、殺しあう。極限状態で人間はああなるんだと実感した。
やくざの恐ろしさも分かった。
332名無し三等兵:2005/11/07(月) 16:02:14 ID:???
>>黒パン

前のほうのスレで作中に出てる 萩田(大典 )親子の子孫?が光臨してたな
息子がロシアの将校に「自分の娘と結婚しないか?」と聞かれたが
辞退して 日本引き上げ時、大典と再開するくだり
333名無し三等兵:2005/11/07(月) 16:24:48 ID:???
漏れの母方のじいちゃんはシベリア抑留体験者だったけど、意外にも本人は飢えた事はなかったといってたな。
整備で機械と電気に強かった関係かモーターだかエンジンの修理をやらされていたの事。
監視兵がいい人で食い物の量はこまらなかったらしい(贅沢を言わなければ)
なぜか機械や工具は英米製が多く、ある程度の英語が判るじいちゃんは重宝されて
たみたい。
でも本人いわく「感電して何度も死にそうになった」w

最初に収容所に入るとき、職業を聞かれた際に農作業で腹いっぱい食えると思って「農家」と
答えた人が多かったが、その人たちは炭鉱に回されてひどい目にあったそうな。

334名無し三等兵:2005/11/07(月) 20:24:07 ID:+H8xvG3/
父方の祖父(T2生)は開戦当時にはもう独立して商売を営んでいて
子供も2人いたのに義勇兵(?)として満州に行った。
なんかこのへん腑に落ちない・・・。

終戦は高知の連隊で迎えたそうだ。
身寄りの無い戦友を連れて家に帰ってみると店のあたりは焼け野原、
幸い祖母の実家が食料品店で焼け残っており、
戦友と二人で食料品と文房具を闇市で売って大儲けして
それを元手に喫茶店とか生花市場とか手広く商売して
土地を買って一財産築いた。

祖父の兄弟は二人戦死しているらしい。
335名無し三等兵:2005/11/07(月) 20:27:37 ID:h6bGZD2K
こちらにも体験記があるようです
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1129104699/
336名無し三等兵:2005/11/07(月) 20:39:40 ID:lJatczPr
うちのじいちゃん沖縄戦線にいたが、米軍の迫撃砲パクったり、マラリアにかかったと言っていた。
ちなみに当時の階級は「下士官」だそうだ。
337名無し三等兵:2005/11/07(月) 20:53:06 ID:???
奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、
驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。

そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。

過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。
その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、
あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を血祭りにあげた。

現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに
気付いてすらいない。それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの
唯一の誇りを見い出しさえしている。

              (リロイ・ジョーンズ 1968年、NYハーレムにて)
338名無し三等兵:2005/11/08(火) 00:08:28 ID:???
そうやって奴隷の鎖をちぎったところで、いったい何になれるのやら聞いてみたいものだな。
かっこいいけど中身のない、お花畑な思想だ。
339名無し三等兵:2005/11/08(火) 00:42:09 ID:???
現代の奴隷は結局気付いているのかいないのかどっちなんだ
340名無し三等兵:2005/11/08(火) 00:45:48 ID:???
とりあえず気づかない方が幸せなんだろう。
341名無し三等兵:2005/11/08(火) 01:03:44 ID:tMFqyUGv
中学の先生のじいちゃんが、沖縄戦であまりの空腹のためアメリカ軍の陣地に盗みに入ったところ、見つかり捕虜となった。部隊の他の人はほとんどなくなったらしいです。
342名無し三等兵:2005/11/08(火) 01:57:36 ID:???
うちの爺さんは空技廠や実験部隊と三菱の連絡役をやっていたという。
終戦のときに烈風のペラを外して処分せよーと命令されたらしいが、勿体無いからと毛布やガラクタに隠して
一緒にリヤカーに乗せてプロペラを自宅に持って帰ってきたという。
「烈風5号機」と言われたもののプロペラらしいが、ペラ羽根が一つとペラの頭に被せる覆い(?)(四つの溝が入っている)の2つが蔵に残っている。
爺さんは既に死んでしまったが、果たして本物の烈風のペラなのか?疾風や他の機のペラなのか?
343342:2005/11/08(火) 02:01:46 ID:???
ちなみに塗装は明灰色に茶色塗装で、ペラの長さは2m近く、ペラの覆い(?)は高さで20cm以上はあったかと。
344名無し三等兵:2005/11/08(火) 02:14:53 ID:???
>>342
それはすごい。是非専門家に価値を認めてもらうべきでしょう。
処分していれば残らなかった。残っているのはお爺様のおかげですな。
345名無し三等兵:2005/11/08(火) 02:22:38 ID:???
俺がオークションにかけてやるから持って来い
つーのは冗談でホントなら宝物だな
俺の爺さんちにも墜落したB29から作った(と言われる)
ジュラのバケツがあったんだがあれはとっておくんだったなぁ
346名無し三等兵:2005/11/08(火) 04:47:12 ID:???
>>342
それ、何でも鑑定団とかでかなり高額が期待できるぞ。
しかも司会の石坂浩二が興奮すること間違いなし。
蔵に眠らせておくにはもったいない歴史的な資料だよ。
347名無し三等兵:2005/11/08(火) 09:09:30 ID:???
>>342
うらやましス。
いいな〜
348名無し三等兵:2005/11/08(火) 14:28:42 ID:29ypLYVH
烈風ってそんなに試作機あったっけ?
349名無し三等兵:2005/11/08(火) 15:02:12 ID:???
>>348
試作・量産含めて8機完成

確か
350名無し三等兵:2005/11/08(火) 16:31:45 ID:???
>>349
量産完成の前で終戦と学研の本にあった気が…
351349:2005/11/08(火) 17:17:25 ID:???
>>350
確認したらそうじゃった。
試作のみ8機完成

サンクス
352名無し三等兵:2005/11/08(火) 18:43:28 ID:???
唐突ですが、ウチの爺様はラバウルで戦死です。伊168(旧68)で機関関係だったそうです。伊168といえばヨークタウン、ハンマン撃沈で有名(?)ですが、いつ頃から乗鑑しいてたのかは“?”です。何故かしら他の鑑よりも何度も帰ってきた…と婆様が言うてました。
353名無し三等兵:2005/11/08(火) 19:17:21 ID:???
運がいい艦はそんなもんさ
354名無し三等兵:2005/11/09(水) 00:23:33 ID:???
そう言えば漏れの親戚・・・確かじいちゃんの甥っ子の人だったかな?が潜水艦乗りで戦死なされています。
なんか「そういう雰囲気」じゃなかったもので詳しい話は聞けなかったけど・・・
俺が知っているのはその人が海軍少尉さんで、バシー海峡で沈んだって事だけ。
なんという名前の潜水艦(イ号潜水艦に乗ってた・・・ってだけは親戚のばあちゃんが教えてくれた)か、いつ頃戦死されたとか詳しい話は聞けなかったな。
バシー海峡で海没したイ号潜水艦ってどんなのがあるのかな〜??
355名無し三等兵:2005/11/09(水) 00:33:53 ID:???
>>354
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%A5%D0%A5%B7%A1%BC%A1%A1%B0%CB%B9%E6%A1%A1%C4%C0%CB%D7&fr=top&src=top

なんか中には16歳の通信兵もいたらしい(実話)
356名無し三等兵:2005/11/09(水) 00:38:26 ID:???
357名無し三等兵:2005/11/09(水) 00:43:27 ID:???
358名無し三等兵:2005/11/09(水) 00:46:37 ID:???
>>354
伊26かもな
359名無し三等兵:2005/11/09(水) 00:51:02 ID:???
みんなありがとう!!

自分でも調べてみたけどイ−15型潜水艦の一隻、イ−29がバシー海峡で海没しているみたいですね。
1944年7月26日、独逸からの帰途米潜ソーフィッシュの攻撃により沈没した・・・ってこれが聞いた話には一番近いです。
ん〜〜、なんとなく感慨深いですね。
ウチにはその方の位牌とかもなにもないんだけど、せめて仏壇に感謝と敬意を捧げなければ。
360名無し三等兵:2005/11/09(水) 00:51:41 ID:???
>>358ミス
伊29ぽい?
361名無し三等兵:2005/11/09(水) 00:56:07 ID:ayp4qw8r
>>359
そこで靖国神社ですよ。


つかさ、名前分かってるんなら名簿探せばどんな人でどういう経歴なのか分かるんじゃないの?
362名無し三等兵:2005/11/09(水) 00:59:42 ID:???
南無・・・

しかし >>357 のリンク先とか見ても、ほんとバカスカ沈んでるな。
しかもこれは '44 に限った話。

なんつーか、泣きたくなるわ
363名無し三等兵:2005/11/09(水) 01:10:12 ID:???
すでに鬼籍の祖父の話
昭和二十年二月、情報将校として呉鎮から門司に召集
貨客船あわ丸に乗船
タンジョンフリオー港(国不明)で大東亜省のお偉い人に乗船を代わる(乗船を代われと脅されて下船)
現地で憲兵隊と行動を共にする
敗戦後現地でオランダ軍に抵抗
昭和二十二年、インドネシアで武装解除し復員

で、このとき本土決戦のために祖父の乗船権を獲ったお偉いさんて誰だったんだろう?
364名無し三等兵:2005/11/09(水) 01:15:14 ID:EahM52ip
>342読んで、これ思い出した。


1 名前: 花の子ルンルン 投稿日: 2001/07/04(水) 09:39

うちの山に、戦争中に墜落したとみられる飛行機(グラマン?)が 

あります。 

アメリカのマークと思われるペイントが見て取れるので間違いは 

ありません。 

10年ほど前に、祖父と見つけて以来ずーっとそのままでしたが 

最近、非常に価値の高い物だと気がつき書き込んでみました。 

うちの土地ですが、所有権はダレの物になるのでしょうか? 
365名無し三等兵:2005/11/09(水) 01:16:42 ID:???
>>361
実は名前を存じ上げないのよ。
もうほとんど縁の切れちゃった親戚なものでね〜。
それでも名字や出身地はわかるから、もしかしたら海軍兵学校名簿とかに・・・って探してみたけれどそれらしい方はいなかったなぁ。
第一本当に「少尉さん」だったのかもうろ覚え・・・「イ号」と「バシー海峡」だけが頼りだったから。

でも、海軍兵学校の名簿見ていると明らかに漏れが探しているのとは別の人だけれど「戦死:バシー海峡・イ29」って方を二人も見つけて胸が痛くなったよ。
よく名前を知っている戦地や艦(マノクワリやシブヤン海・武蔵)を見つけたのは印象的だったな。
むしろ衝撃?
出身県・出身校が同じ人もいたし。

靖国神社が本当は一番良いのはわかってるんだけど、遠いからまず仏壇に。
機会があったら護国神社で感謝を捧げるよ。
いつか東京に行ったら靖国神社に行って、今日たまたま何かの縁で御名を見た方々のご冥福を祈り、感謝を捧げたい物ですな。
366名無し三等兵:2005/11/09(水) 01:17:20 ID:???
>>364

そ ん な の 迷 惑 料 だ

地 主 の モ ン だ ろ
367名無し三等兵:2005/11/09(水) 01:24:39 ID:???
>>365
死後○階級特進で「少尉」ってことは?
住民票や戸籍、寺門人別帳とかなら調べられるぞ。
368名無し三等兵:2005/11/09(水) 01:27:27 ID:???
>>365
つ【○○県戦没者名簿】
369名無し三等兵:2005/11/09(水) 01:35:02 ID:???
>>363
>タンジョンフリオー港(国不明)で大東亜省のお偉い人に乗船を代わる(乗船を代われと脅されて下船)

ジャカルタの Tanjung Priok港 かな
370名無し三等兵:2005/11/09(水) 01:46:15 ID:???
>>363
ttp://www.mekong.ne.jp/directory/military/awamaru.htm

時期的にはこの航海なんだが・・・
371名無し三等兵:2005/11/09(水) 01:53:26 ID:???
うちの爺さんはインパール作戦に参加してたって言ってた、陸軍らしい
なんでも偉い人(司令官?)の馬の世話係だったらしくそれが生還できた理由の一つらしい
善通寺西部36部隊野戦重砲部隊で湖北殲滅作戦にも参加したそうだ
「戦争は否定するが軍隊的教育は人間の形成上において現世代にも必要」とか言ってたと思う、戦争のことをあまり語らず訊いてもほとんど答えてくれなかったが酒を飲んで酔ったらインパールでの敗走のことを言ってた


ところで爺さんが持ってた本で戦争関係の本があってそれの師団一覧(終戦時)てゆーので
第31(甲府・タイ)、40、49、53、54、55、56、111師団に丸印がしてあったけどなんか関係あるのかな?
372名無し三等兵:2005/11/09(水) 02:12:18 ID:???
>>365
そか、名前知らないのか…。
ま、>>367-368みたいな調べ方もあるし元気出せ。
漏れの親戚一同は軍と縁遠い人間ばっかりでつまらんw

>>371
軍隊的教育とまでは行かずとも、海軍五省とかの精神は残して欲しいと思う今日この頃。

至誠に悖るなかりしか 
言行に恥ずるなかりしか 
気力に缺くるなかりしか 
努力に憾みなかりしか 
不精に亘るなかりしか
373名無し三等兵:2005/11/09(水) 08:13:23 ID:???
>>372
井上校長あたりは「あんな硬直した考え方・・・フレキシブルネイビーとはあんなものじゃない」とかいってとかいないとか。

あれって案外新しいものらしいよ。
374名無し三等兵:2005/11/09(水) 11:25:29 ID:sz5mnsbX
私は軍隊に関しては全く無知なので、ここで質問させてもらえたらと思いカキコします。

私の祖父は薬屋を営む薬剤師(一般人)でした。
戦場では医療関係の職務に就いていたと祖母から聞かされました。
戦場で負傷して一度日本に帰国しましたが、その傷が癒えないまま再び戦地へ送られたそうです。
そしてフィリピンのタクロバンという所で攻撃にあい、戦死したと聞きました。
階級は伍長か軍曹か分かりません。(位牌が2つあり、ひとつは伍長でひとつは軍曹になってます)

祖父の兄は職業軍人だったといいますが、首都警護をしており戦場へ
行くことは無かったと聞かされました。(階級は大佐だったときかされました)

そこで質問なんですが、職業軍人で実際戦地へ赴かなかった人は多いのでしょうか?
健全な職業軍人が日本に留まり、負傷した一般人の祖父が再度戦地へ送られる事に
昔から疑問を感じていました。祖父は傷が治ってないのにまた行かされたから
死んだと祖母は言っていました。祖父の兄は私や祖母にはとても優しい方でしたが、
戦争の話を聞くたびにそこらへんがひっかかって納得できませんでした。



375名無し三等兵:2005/11/09(水) 13:42:55 ID:???
>>374
首都にいる部隊は動かせません
通常は元気な部隊を前線に、負傷兵は後方にですが
戦時中の日本で、何故首都の部隊を前線に出さず
完治していない負傷兵を戦地に送るのですか?と言ったら
恐れおおくも陛下のおわす首都から部隊を出せとは
この軟弱ものが!とか、最悪なら披国民扱いされます
疑問に思うでしょうがこれが当時の日本です
軍隊の存在意義
現在→国防の為の軍
当時→陛下を守る為の軍
376名無し三等兵:2005/11/09(水) 16:17:01 ID:???
>>375
なるほど、つまり現在に至っても国民を守る軍隊は無いのか
377名無し三等兵:2005/11/09(水) 18:19:07 ID:2rrnHSf6
てか質問スレじゃないよここ
378名無し三等兵:2005/11/09(水) 18:40:45 ID:???
>>344=345=346

【・∀・】ジサクジエン乙
379名無し三等兵:2005/11/09(水) 19:21:23 ID:???
近衛師団は第一線の外地に出ていますよ。
南京攻略戦にも太平洋戦争開戦時のマレー作戦にも
そのほか沢山。皇居の守衛だけではありません。
うちのじいちゃんは近衛第一連隊。
380名無し三等兵:2005/11/09(水) 19:36:32 ID:???
>>371
31〜山砲兵第31連隊が善通寺編成、在ビルマ
40〜善通寺編成、山砲兵第40連隊が山砲31に改称
49〜在ビルマ
53〜在ビルマ
54〜在ビルマ
55〜善通寺編成、在ビルマ
56〜在ビルマ
111〜善通寺編成
381名無し三等兵:2005/11/09(水) 19:45:51 ID:???
首都警護で大佐ったら名前特定できそうなものだよな

あと東京なら近衛第2以外でも201師団とか東京防衛軍の警備第1〜3旅団とか東京湾兵団とか、あと高射1師団とか第2砲兵司令部隷下部隊の線もあるし
382名無し三等兵:2005/11/09(水) 22:33:58 ID:???
無口で何も語らなかったが死後、戦友からの手紙や賞状、戦地の写真で色々と分かった
戦友を大事にしていたようで戦後も色々と付き合いがあったようだ
関東軍として満州事変に参加したのが初陣のようで、以降終戦まで満州で戦ったよう
同じ村にシベリア抑留帰りの人がいたが人が変わってしまったらしい
爺ちゃんは軍曹→曹長で敵兵3千を捕虜にする働きで勲章を貰ったとか
実は詳しくないんで調べたんだが一応曹長以下が貰える勲章は一通り貰ってた
まあ従軍すれば貰えたりするらしいけど
でも腹や腕に銃創が2、3箇所あって、確か腹にはまだ銃弾があるって言ってたような
もう10年以上前になくなったけどね
実家に軍刀や軍服があるらしいんだがマズイのかな、錆びてるけど
383名無し三等兵:2005/11/09(水) 22:58:27 ID:???
全滅確実のサイパンへ未成年3000人も送った鬼畜大本営
384342:2005/11/09(水) 23:03:50 ID:???
>>378
そうなのか…素直に感想を読んで喜んでたんで残念orz
父は「零戦にしては大きいし、四枚羽根なら疾風か雷電か…」とは言ってたものの、
戦時中厚木飛行場にいた祖父の知り合いの話では「爆撃機の羽根ではなさそうだし、○○君、お祖父さんの話を信用しても良いんじゃない?」との事。

…真相はまだ闇の中。
385344:2005/11/09(水) 23:22:25 ID:???
おれ>>344しか書いてないんだけど

賞賛のレスが続いたから、自演に見えたんだろな。
386346:2005/11/09(水) 23:32:21 ID:???
おいおい 全然自作自演ではないよ。
この2chでは>>378のような心無い人間もいるから気にするな。

できればプロペラの写真があれば一発で特定できるんだけどね。
とりあえず「烈風」でググってみた。プロペラはわかるかな?
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=%E7%83%88%E9%A2%A8%E3%80%80&lr=&sa=N&tab=wi

他にもファインモールドという模型会社の1/48烈風のプロペラと比べてもいいでしょう。
387342:2005/11/09(水) 23:34:41 ID:???
疑問
海軍の戦闘機で「同じ企画」のプロペラを付けていたものはあったのだろうか?
飛燕→五式戦(エンジンとプロペラは別な企画)
強風→紫電(エンジンもプロペラも同じもの)
烈風…まさか余りモノのプロペラだったとか?
388名無し三等兵:2005/11/09(水) 23:35:19 ID:???
おいらのじいさんはベトナムで通信兵をしてた。戦闘は一度もしてないとのこと。最後は陸軍伍長。

もうかたほうのじいさんの兄は志願して陸軍に入った。中尉だか大尉になったがシベリアで生涯を終えた。
389名無し三等兵:2005/11/09(水) 23:35:54 ID:???
おいらのじいさんはベトナムで通信兵をしてた。戦闘は一度もしてないとのこと。最後は陸軍伍長。

もうかたほうのじいさんの兄は志願して陸軍に入った。中尉だか大尉になったがシベリアで生涯を終えた。
390名無し三等兵:2005/11/09(水) 23:44:29 ID:dvNrhDjq
うちの祖父は国鉄から鉄道関係の軍属でビルマへ行っていた(タイメン鉄道に関わっていたのかな?)
敵機に追われもしたが子象に追われて川を泳いで逃げたとのこと、
あと日本へは空母に乗って帰ってきたと言ってたな。
391名無し三等兵:2005/11/09(水) 23:47:25 ID:???
>342
ttp://www.skynet-1.com/impression/zumen09/zumen09.html
烈風も載ってるみたいだぞ
392346:2005/11/09(水) 23:49:54 ID:???
>>387
当たり前だが
その機体特性にあったプロペラでないと最良の結果を得られないから普通は別物。
例えば同じ隼でも一型、ニ型、三型は異なるプロペラを使っている。
共通というと震電の量産機が疾風のプロペラを計画していたくらいかな。
393344:2005/11/09(水) 23:55:12 ID:???
>>390
戦後戻られたということであれば、その空母は鳳翔だと思われます。

数少ない生き残り空母で、戦後武装解除された鳳翔は
南方からの復員輸送に活躍したらしい。
394342:2005/11/10(木) 00:04:22 ID:???
ペラの覆い…ガキの頃に頭が入るか遊んでた。重くて当時一人では持てなかったが、カリメロの卵よりも大きかったかと。中は荒い感じがした。溝はペラの根元よりも大きかった。(かなりスキマが開いてた。)
ペラ羽根…根元は何箇所のボルトかなんかで止めるような感じで全体的に錆が酷かった。根元からこう何というかキュー→ボン→のたーといったような感じ。(解り辛い)
下地は灰色らしく濃い茶色(焦げ茶までいかないやや赤っぽい感じ)
蔵から出すときやたら扉の上にぶつけてたんで四捨五入ながら2m近くはあったかと。(ややひん曲ってるんで正確に測ったことは無かった)
今は一人暮らしなんでたまに帰省をしたときに時間があれば触る程度。
395342:2005/11/10(木) 00:08:02 ID:???
>>390
葛城の可能性もありますよ。
396名無し三等兵:2005/11/10(木) 00:15:20 ID:???
>>395
そうですね。早合点失礼
397名無し三等兵:2005/11/10(木) 03:50:34 ID:???
うちのじいちゃん森部隊か林部隊と言うにいたらしいのですが
どの地域にいたかご存知の方いませんか?
高射砲の1番砲手だったらしいのですが。
398名無し三等兵:2005/11/10(木) 07:28:15 ID:???
>>397
森部隊、林部隊というのが通称号(秘匿のために部隊につける略号)だとすると、
それぞれビルマ方面軍、第15軍になります。
行動地域はビルマ、インパール作戦参加部隊です。
インパールから生還されたのであれば、すさまじい地獄の中で生き残った、強運の持ち主ですね。
399名無し三等兵:2005/11/10(木) 07:56:18 ID:???
>>375
さりげなく電波とばしてるなあ・・・近衛師団も外地で結構ひどい目に遭ってるよ。
>>374
申し訳ないけど徴兵担当のセクションと、兵隊受け取った部隊両方で「とりあえず戦場に行ける」て判断されてしまったんならしょうがない。
徴兵されたけど、結核や肋膜炎の疑いがあるから即除隊、なんてことは戦争末期でもあった。
運とコネが影響しなかったとは言わないけど、今の世の中だって会社って言うものを考えたときに誰が楽で誰が損で、って言おうと思えばいくらでも言える。
400名無し三等兵:2005/11/10(木) 11:00:55 ID:???
>397
398氏の仰るとおり、ビルマにおられたのでしょう。
さらにビルマのどの辺?という点は、ご本人に聞くか、軍歴照会できれば一発で判ると思いますが、
それが困難な場合、部隊名を手がかりにして探っていくことになるでしょうね。

文字符が「森」の「高射砲」で関連がありそうなのは、
ラングーン高射砲隊(森12200)、高射砲第3連隊の一部(森10369)、
野戦高射砲第33大隊(森3893)、同35大隊(森3895)、同51大隊(森3629) 、同70大隊(森10593)、
防空第103連隊第7中隊(森10369)、独立野戦高射砲第58〜61中隊(森12223〜12226)、
野戦機関砲第80中隊(森12227)
といったところでしょうか、詳しい人の降臨キボンヌ

>374
タクロバンというとレイテ島ですかね。
16師団の第4野戦病院があったと、大岡昇平の「レイテ戦記」で読んだことがあります。
>398
私の祖父はインパール作戦では生き残ったのですが、後の戦闘で死んでしまったよorz
401名無し三等兵:2005/11/10(木) 22:32:11 ID:???
実家のお向かいの産婦人科医の先生は、高射砲隊付の軍医で、ビルマのマンダレー辺り
に居られた。大阪で編成された部隊だつたそうだ。
402名無し三等兵:2005/11/11(金) 02:39:00 ID:???
一族に戦艦「武蔵」偽装課長の石島伝がおります。筵を買い占めて「お化けムシロ」の話を作った人物です。
403名無し三等兵:2005/11/11(金) 02:44:55 ID:???
>>402
艤装
404名無し三等兵:2005/11/11(金) 02:49:58 ID:???
何かを作ってるのはバレバレだったそうですね。日本人って可愛いと思います。
405名無し三等兵:2005/11/11(金) 02:56:00 ID:???
武蔵の進水の時は憲兵を配置して近隣住民は家にいろとか
んで、進水したら津波がおきて床上進水したとか・・・
ほんと可愛いと思います
406名無し三等兵:2005/11/11(金) 10:02:34 ID:???
うちのじーさまは近衛にいたけど、詳細は判らず。
支那事変従軍記章と金鵄勲章が残ってる。
戦争の話をじーさま自ら語ってくれたのは一度だけ、
ニュースの画面の中国の地図を指差して「ここから上陸した」というものだったと思います。

小さい頃に戦友会の旅行に連れて行かれたが、あまりに幼い頃だったので鴨川シーワールドのフラミンゴと、
じーさまの戦友の方が
「君のお祖父さんは上官が生意気だと言って、その上官の刀の鞘に醤油を仕込んでいたよ」
と教えてくれた記憶しかありません。
407名無し三等兵:2005/11/11(金) 10:03:16 ID:???
>>405
進水したというより水面に落下したんじゃないのか、それはw
408名無し三等兵:2005/11/11(金) 20:10:17 ID:???
船台からの進水はそんなもんだ
409名無し三等兵:2005/11/11(金) 21:08:15 ID:???
以前にも少し書いたのだけど、ルソン島での叔父さんの話。
刺突爆雷を持ってM4に向かっていったけど、あと30メートル位のところで見つかってしまい、
撃たれまくって危なっかしくて近づけなかったそうだ。
本人の話によると、総スコアは単独撃破1、共同撃破2だそうだが。。

410名無し三等兵:2005/11/11(金) 23:15:46 ID:???
>>409
その状況で生還できたというのがすごいな。
411397:2005/11/12(土) 03:56:28 ID:???
>>398さん
>>400さん
レスありがとうございます。
電話で聞いたところ野戦高射砲第51大隊だったようです。
大まかな物のようですが大隊本部の行動記録があるようなので
今度詳しく聞いてみようと思います。
412名無し三等兵:2005/11/12(土) 06:21:28 ID:???
私の血縁ではありませんが、友達のおじいさん。
 当時、プラモの長門をつくって、友達にみせにいったら、おじさんが長門に
 乗っていたので、うれしそうに話してくれました。

 長門の主砲の掃除は自分が中に入って掃除するとか、標的にされるなんて云々。
 わたしは、プラモは好きでしたが、小学生にはなんだかわからなかった。
 
 あとは、大和の悪口です。(w「長門の方が有名だった。大和は後から有名になった。
戦艦といえば、みんな大和ばっかいう。
 その点おまえは長門を創って偉い。
 ・・・・私は、長門も大和も区別がつかない「戦艦」だと思っていましたが、
 アイスをくれるので相づちをうってました。
413名無し三等兵:2005/11/13(日) 17:03:35 ID:???
母方の祖父母が北海道から上京してきたので、一緒に飯を食ってきた。

祖父は兵隊ではなかった、という事だけは以前から知っていたのだが、
きのう何気なく祖母が話した所によれば「樺太でね、飛行機を誘導する
ラジオビーコンを出す仕事やっていたのよ。鉄塔の上にのぼってね」。

戦前は樺太に暮らし、戦後は電電公社で支店長にまでなった人だが、
そうかぁ、そういう経歴があったのかぁ…。

今じゃすっかり、ばーちゃんの尻に敷かれてる爺様だけど。
414名無し三等兵:2005/11/13(日) 20:15:16 ID:???
うちの祖父はシベリアで強制労働を強いられていた
オレがまだ子供のころは戦友の方がよく祖父の家に来てた。
415名無し三等兵:2005/11/13(日) 20:59:08 ID:???
うちのじいちゃんは陸軍大佐(正確には不明。父親は大佐だったような・・・あれ?少佐だっけ?とにかく佐官だった。とのこと)だった。
何でも、東南アジアでイギリス軍の捕虜になって、
イギリス兵に英語で「今に日本が巻き返して、貴様等は本国に帰ることになるぞ!」
と言ったら「日本の勇敢さは分かってる。きっとそうなるだろう」とイギリス兵に言われたらしい。
たしかに、日本兵は勇敢だったようだ。
しかも、おじいさんのお兄さんは近衛兵だったらしい。
何気に陸軍家系かも。

あと、母方のおじいさんは満州鉄道の鉄道員だった。
ロスケは馬鹿だから時計のネジがきれても巻くことを知らなかったから、
奪った時計をすぐに捨てるから、それを拾ってた。と笑いながら話してくれました。
416名無し三等兵:2005/11/13(日) 22:57:30 ID:???
隣家の今は亡きお爺さんの話
旧陸軍の兵隊さんだったと聞かされました
インドの方に行って負傷し
その時の怪我が原因で帰郷して終戦を迎えたそうです
私が幼い時にビスケットを食べてると
このカンパン?があの時に1枚2枚でもあったならなぁ
部下に最後に食べさせてやりたかったなぁ
なんて言いながら泣いてました
あと、怪我しなかったらお爺さんの上司が上司の上司に
文句を言いに行った時に一緒に行きたかったなんて言ってました
お墓まえりには、みなさんで食べて下さいって
ビスケットを供えてきてます
変な文章でごめんなさい。
417名無し三等兵:2005/11/13(日) 23:42:17 ID:???
関係ないしどうでもいいことだが俺のひい爺ちゃんの従兄弟は本庄繁
418名無し三等兵:2005/11/14(月) 08:43:21 ID:???
軍事動画スレがここみたいになってるw
419名無し三等兵:2005/11/14(月) 09:44:58 ID:???
>>416
インドの方=インパール?
上司=佐藤幸徳中将?
上司の上司=牟田口軍司令官?

ま、まさかね
420名無し三等兵:2005/11/14(月) 11:21:20 ID:???
ホントにタマのやりとりした方々は、不思議と口にせんよ?

想像してごらんなさい?
一緒に内務班でヤられた同期は死ぬ間際だし
隣じゃ新兵がキチガイのように エーセーヘーエーセーヘー とわめいてる
士官学校卒の小隊長は軍刀抱えたまま、何やら青い顔してブツブツと言いながら、足は小刻みに震えてる

・・・忘れたい事ほど、思い出すし、口にも出したくない
421名無し三等兵:2005/11/14(月) 11:26:27 ID:???
さすがに疲れた、、、
PINKは逝かん
も少しROMって不貞寝

関係各位にはご迷惑をおかけ致し誠に相済まず
如何様にも処断されたし
当方、何の恨みつらみも無い心得

絶筆

422名無し三等兵:2005/11/14(月) 17:03:19 ID:???
近衛歩兵で終戦間近に数人による集団脱走があったらしいんだが本当?
423名無し三等兵:2005/11/14(月) 21:22:59 ID:vadQyw4s
父方の祖父は特攻隊だったらしく、飛行機の運転を覚える前に終戦を迎えたと子供の頃の私に何回も聞かせてくれました。
一方、私が小学生の時に亡くなってしまった母方の祖父からは戦争の話など聞いた覚えがありません。
寡黙な人だったからかも知れませんが。でも一度だけ、祖父の家の仏壇の置いてあった部屋(子供の頃の私は仏壇が恐くて滅多に入りませんでした。)恐る恐る入ったとき、
兵隊の格好をした、多分若いときの祖父の写真と、軍刀を見つけて、子供の頃の私は見てはいけない物を見た気がして祖父にも両親にもその話はしませんでした。
今思ってみると、祖父はやっぱり兵隊さんだったのかな〜と思います。でも軍刀とかを個人で持っていても良かったんでしょうか?
424名無し三等兵:2005/11/14(月) 21:36:19 ID:???
私の母方の曽祖父は、徴兵されて満州で戦死しました。
祖父の話によれば、重機関銃の射手だったそうだが、現地司令官が道を塞ぐ様に
機銃陣地を構築したため、敵の狙撃にやられて(頭部貫通銃創)帰らぬ人となりました
425名無し三等兵:2005/11/14(月) 21:40:31 ID:yXf/6bzW
漏れのじいちゃんはテストパイロットだった。
dQN技師の作った試作機のテスト飛行で片手片足を失ったがテストを続けた。
最後は急降下してるときに空中分解して逝った。
426名無し三等兵:2005/11/14(月) 21:43:20 ID:???
>>425
「衝撃降下九十度」だな。
427名無し三等兵:2005/11/14(月) 21:49:12 ID:???
漏れの母方の方は軍人家系らしい
曾々祖父は西南戦争に西郷側で参加、落ち延びた先の村に定着
その息子、つまり漏れの曾祖父は海軍軍人として日清・日露に参加、初代利根に乗ってたらしい
その娘の夫(結婚したのは戦後なんだけどね)、つまり漏れの祖父は陸軍軍人として日中戦争に参加、南支那で戦ってたらしい
その娘、つまり漏れの母も、その夫、つまり漏れの父も普通の会社員なのが残念なとこ
でも安心汁、漏れが自衛隊に入るから
428名無し三等兵:2005/11/15(火) 02:46:50 ID:???
うちの爺さん、痔のために戦争に行かなかった。
戦時の勤め先は、浅草の区役所。
東京大空襲の時は、非番だったので逃れた。
家のそばの橋は機銃掃射を受けた。

爺さんの兄は戦車乗り。
大陸以外の実戦にでなかったので生き残る。

その弟は、インパール作戦に参加して戦死(病院でなくなったらしい)。

429名無し三等兵:2005/11/15(火) 05:48:15 ID:???
漏れの父方の祖父は、徴兵→現役志願?で支那事変で負傷、曹長で除隊。
大東亜戦争で再召集、なんか試験を受けて准尉(?)から少尉へ。
終戦時、唐津で復員した時には、中尉(ポツダム?)だったとの事。
まぁまぁ、兵隊さんには人気があったらしく、戦友会に良く招待されていました。
本人いわく、「上官に盾突く事が面白かった。」との事。
よく、中尉迄いけたなぁ〜
430名無し三等兵:2005/11/15(火) 09:07:30 ID:???
【中国】80歳の日本旧軍人、重慶爆撃の「罪証」を寄付[11/14]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1131977787/

当時の日本には空軍があったらしいよ。
431名無し三等兵:2005/11/15(火) 19:33:32 ID:???
>>423
『軍刀』にも二種類あります。
官給品の三十二年式軍刀(サーベル式外装)と九五式軍刀(日本刀式外装)と、
個人で買う(制式兵器でありながら!)九八式軍刀と三式軍刀です。
官給品のものはいわゆる『曹長刀』と言われ、上級下士官でかつ勤続年数の長いものから支給されました。
(終戦間際ではより下級の伍長まで支給されるようになります)

問題は “ 自分で買う ” 方の九八式と三式の方です。
一応建前では少尉以上の士官が持つ事になりますが、
『金さえ出せば買える』ので、結構上等兵クラスからでもこっそり持っていました。
例: ttp://military-web.hp.infoseek.co.jp/koshashin/koshashin-50-cpl.htm
なお、↑の例は『写真屋の小道具/備品』である可能性もありますw
432名無し三等兵:2005/11/15(火) 21:04:34 ID:???
ウチの爺様は(1940年)16の時に北朝鮮のピョンヤンに就職しに行った
やっぱり行った当初は寂しくて何日かは布団の中で泣いていたらしい
家族から手紙が来ると涙で読めんかったみたい

そんで18の時に海軍に志願
当初横浜に配属されていたらしいが静岡県富えだ(漢字分かんナス(´・ω・`))に転属
でも空襲で機体が破壊され横浜に半年ほどで戻った

階級は上等兵で仕事の内容は機体の整備や機を滑走路に誘導とか

んで、19の時に終戦。けど残務処理や進駐軍来るので志願兵の若いものたちが残ることになり
ウチの爺様もモチロンこの中に。
機体の日の丸を白く塗りつぶしていたみたい

そして俺もビックリしたのがウチの爺様マッカーサーをナマで見たみたいΣ(゚Д゚;
厚木に降り立つって聞いて飛行場で準備とかしていたみたい
んで飛行機の掩蔽壕から伏せて覗き見していたよう

そしてこの話を聞いたのがコレ書く10分前・・・・・
433名無し三等兵:2005/11/15(火) 22:06:34 ID:RN2jrEYL
>>415

今のうちに、ご本人から階級くらいは聞いておきましょう。
434名無し三等兵:2005/11/15(火) 22:07:04 ID:???
>>432多分静岡県藤枝基地でしょうね
芙蓉部隊等航空隊の後方基地として使用されていた筈です。
435名無し三等兵:2005/11/15(火) 22:17:20 ID:???
うちの爺さんは満露国境付近の第134大隊第14守備隊にいたらしい
436名無し三等兵:2005/11/16(水) 04:52:50 ID:???
母方→徴兵されるも速記が出来たので通信基地に転属させられ無事、階級は一等兵。
父方→配給所(言い方があってるか分からん)に指定された酒屋をやってたので出兵せず、戦時中に総檜で家を建てて憲兵に呼び出しをくらう。金持ちに頼まれ食糧と美術品を多々交換するも全て手入れをせずに駄目にする。

俺の祖父達は前線には出てない、変わりに叔父が一人特攻した。そんな漏れはまだ十代。他に居るかな十代で叔父さんが戦死した人。
437名無し三等兵:2005/11/16(水) 08:16:07 ID:7KHYViex
>431詳しい説明ありがとうございます。私が見たのはサーベル式でした。祖父がどんな戦争の体験をしたか今となっては聞くこともできないのが残念です。
438名無し三等兵:2005/11/16(水) 09:59:11 ID:???
母方→伊号潜水艇で戦死
父方→うちの所有する漁船が補給用として軍に徴用され補給任務につく。しかし物資運搬中、米駆逐艦と遭遇。全武装を解除し降伏。日本降伏後帰国

現在、母方の祖母は反米で父方の祖母は親米という対象的な生き方をしている
439名無し三等兵:2005/11/16(水) 11:53:37 ID:uJQzsHyD
おまえら日本人なら手伝ってくれ!

ttp://www.tanteifile.com/diary/index3.html

探偵ファイルはアレだが、今回は別だ!!
関係者の一人は陸軍大学44期らしいが。


440名無し三等兵:2005/11/16(水) 14:29:34 ID:???
私の祖父は戦争の話が嫌いでした。
私がほたるの墓や、ビルマの竪琴を読んでいるのを見つけると、悲しそうな顔で私に、
「知らない事が幸せなのに」
と呟いていました。
去年の今ごろに祖父は亡くなったのですが、その一ヶ月ほど前に、
一度だけ戦争の話をしてくれました。

祖父は、終戦の日まで、国に何も恩を返すことができなかったこと。
特攻隊として志願したが、上官に泣きながら殴られたこと。
戦争が終わったと知ったその日、戦友に切腹の介錯を頼んだが、当日その戦友が拳銃で自殺したこと。
血に染まった壁に、
「○○(祖父の名前)、お前が来たら追い返せるよう、先にゆく」
と書いてあったこと。

めったに泣かない祖父が、チョコを食べながら聞いていた私を見て、ぽろぽろ泣いて、
「そいつを少しでもあいつらにわけられたらなぁ、上官に差し上げることができたらなぁ」
と、蚊の鳴くような声で、何度も何度も繰り返していました。
祖父は優しい軍人さんだったのでしょうか。
今は上官に、戦友さんに、お菓子を振舞っているのでしょうか。

だったらいいなぁ、と思います。
441名無し三等兵:2005/11/16(水) 14:47:03 ID:R6xv/UGw
>>439
ttp://www1.jp-net.ne.jp/0018/1016/2383.html

御本人はルソン島で戦死されてるみたいだね。
遺族が判ればいいんだが…。
442名無し三等兵:2005/11/16(水) 16:40:20 ID:2DJsZIZK
俺のじいちゃんは中国行ってたらしい。肩に弾の痕があった。
生きてる時詳しく聞けばよかった。

ばあちゃんの葬式では家族の古い写真誰かが一杯持ってきて
ゼロ戦と写ってるばあちゃんの兄弟の写真が大量にあった。
皆死んじゃったんでどこの所属とか全然わからないけど
アルバムに筆で書かれたゼロ戦がグラマンに向けて射撃
してる絵に笑った。
443名無し三等兵:2005/11/16(水) 17:57:23 ID:???
おれの爺さんは北海道国鉄共産党細胞として昭和24年の人員整理に猛反対。
「アメリカの手先の吉田内閣を懲らしめてやる」って気勢あげてたけど、
7月になって細胞のリーダーから、「都内で革命工作をやる」って上京。
いってみると何日か待機の挙句、ある夜、五反田に呼ばれて爺さんの死体を、
「線路まで運べ。轢死体に見せかけるんだ」って運ばされたんだって。

翌朝、よく判らんけど、なんだか世間が大騒ぎになったし、細胞リーダーも姿を消すし、
そのうち仲間がなんだか交通事故だのヤクザの喧嘩に巻き込まれ不自然に死ぬし、
怖くなって九州の炭鉱町に名前変えて昭和40年ごろまで隠れていたんだって
444名無し三等兵:2005/11/16(水) 17:59:14 ID:???
>>443
すまん、それは戦争体験・・・か?
445名無し三等兵:2005/11/16(水) 18:16:57 ID:???
ある意味では戦s(ry
446名無し三等兵:2005/11/16(水) 19:10:57 ID:???
>>443
昭和史としてかなり貴重な話しではないでしょうか
447名無し三等兵:2005/11/16(水) 19:12:07 ID:???
>>443
これは貴重な証言かも。
当時はスターリンから 内戦 を起こすように日本共産党は指示されていた。
実際、呼びかけに答えて「中核自衛隊」という軍事組織も作っていたし、
山村工作隊、トラック部隊、人民艦隊など、メチャクチャな武闘闘争をやっていた。
内戦だったんだよ。
この辺の話の掘り起こしと保存が必用である。
まあ、左翼の悪業はあまり本にもなっていないし、自己総括もされていないし
これからの領域かな。左翼が強くてつぶされてきたからなぁ。
448名無し三等兵:2005/11/16(水) 19:54:23 ID:???
>>440
そんなすばらしい上官や友人にめぐり逢えたおじいさんは、それなりに幸せだったのだと思います。
合掌。
449名無し三等兵:2005/11/16(水) 21:55:25 ID:???
>>443
それ下山事件の話?
450名無し三等兵:2005/11/16(水) 22:36:45 ID:???
>>443
凄い事が書いてあるが・・・
本当かな?
歴史の新たな証言だ。
451風船屋:2005/11/16(水) 23:24:59 ID:47dA5HnR
そうだ シベリアの抑留の話聞いてきたよ。

下士官と将校は、別の収容所に入れたそうだ。

一つの収容所は、千人単位で 一部屋は百人 二段ベットに
毛布二枚 オンドル部屋だったそうだ。

食事は黒パンとスープ
452名無し三等兵:2005/11/17(木) 00:36:48 ID:???
>443
戦後史の暗部に位置づけされる謎の一つだな。
裏付けが有れば貴重な種だね。
453名無し三等兵:2005/11/17(木) 01:03:35 ID:???
ネタに決まってるだろうが。2chにしては随分と素直だな
454風船屋:2005/11/17(木) 01:49:03 ID:cIWwn8J3
いまでも原子力反対運動していると
後ろから車が追突してくるぞ。
455名無し三等兵:2005/11/17(木) 02:10:58 ID:jniPB0Xz
うちの爺さんは10年前に死んでしまったが、当時は瑞鶴に乗っていたらしい。
最近婆さんにきいたんだけど。

子供の頃に爺さんの希望で一緒にシンガポール(湘南島)に行った事があって
何でこんなとこに来たがるんだろうと不思議に思ってた。

もっと色々と聞きたかったな。


456名無し三等兵:2005/11/17(木) 02:34:36 ID:???
>>453
ネタなんだ・・・
その事件の知識が無いのでネタなのかどうかわからん、というかどうでもいいや
457名無し三等兵:2005/11/17(木) 08:02:23 ID:???
>>456
軍事とは関係ないけど、松本清張の「日本の黒い霧」って本とかに詳しいよ。
もし仮に>>443が本当なら、すごく貴重な証言。
事件の真相が半世紀経って解明されるって感じ、だけどネタだろ。流石に。
458名無し三等兵:2005/11/17(木) 08:47:24 ID:???
未だに未解決事件なんだっけ?<下山事件
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167106973/250-8751092-7791465
小学生の頃じい様の家にハードカバーの奴が置いてあって暇だから読んだ記憶が。<日本の黒い霧
当時はその頃の日本の社会状況とか全く分からなかったし小学生には難しすぎる内容だったけど、
今ならちっとは解るかな。
459名無し三等兵:2005/11/17(木) 10:23:08 ID:???
>>443
卒業した大学の同級生が故下山総裁のお孫さんだった。
御本人からその話を聞くまでパッとしなかったが、ここにとやかく批評を書く気にもなれん。
他会社の同僚に、戦時中昭和天皇の毒見役だった方のお孫さんもいる。
ちなみに私の祖父は武蔵建造関係者と奉安殿関係者。
460名無し三等兵:2005/11/17(木) 14:30:23 ID:???
下山事件って五反田ではなく常磐線綾瀬駅近く、五反野のはず。
五反田って山手線の五反田かな。
日付が大体でも分かれば縮刷版で追うことは出来るが。釣りでないのなら、
産経の「正論」や「文春」の諸君の投書係にでも、葉書でもいいから
この内容を出してみるといいと思う。飛びついてくるのでは
ないかなぁ。
461名無し三等兵:2005/11/17(木) 21:04:29 ID:???
故手塚治虫先生の話

「私が故下山総裁の親族や新聞記者だった方から聞いた話では、下山総裁は国鉄の首切り反対ストと、GHQの国鉄職員首切り断行の板ばさみになっていて、
亡くなられるその日はGHQに<国鉄職員の首切り反対>の意見書を提出し、国鉄職員やその家族の生活を護ろうとしていたらしいんですよ」

短編集の後書きからの引用だが、共産のアカがこれを知ってて見せしめのために下山総裁を亡き者にしたのならば
下山総裁は死んでも死に切れんだろう。
462名無し三等兵:2005/11/18(金) 07:05:24 ID:???
ネタに引っ張られすぎ。
別スレでおながい。
463名無し三等兵:2005/11/18(金) 10:04:39 ID:???
軍板住人の下山事件好きは異常w
464名無し三等兵:2005/11/18(金) 11:01:05 ID:???
>461
手塚治虫と下山事件と言えば「奇子」だろうのにストーリー展開が持論に
合わないと無視なのでしょうか
465名無し三等兵:2005/11/18(金) 12:23:49 ID:???
>>462
誘導
【国鉄】下山総裁と苦難を乗り越えていくスレ【GHQ】
http://pc5.2ch.net/test/read.cgi/mysv/1079763650

>>464
だろうのに
>展開が持論に
>合わないと無視なのでしょうか
意味が解りません。
466名無し三等兵:2005/11/22(火) 00:45:02 ID:???
>443
下山事件に関しての新刊書が2冊、
本屋に出ている。443はその本を
読んだ一部をレスしたな。アホ臭。
467無名さん:2005/11/22(火) 18:18:18 ID:???
町会だより
第382号 平成十七年六月号 市川三丁目第一町内会 広報部
みなつき『町内のはなし』
 梅雨に入り、例年のこととはいえ、しとしとと降る雨には、天気予報が気になるこの頃です。
最近のニュースで、十八才の高校生が手製の爆弾を教室に投げ込み
多数の生徒が負傷する事件を連日やっていました。
折しも、最近広島県呉市に海事歴史科学館が開館し、大和ミュージアムとして、
戦艦「大和」の十分の一の模型が復元して展示されました。
戦艦「大和」は、一九四一年、呉海軍工廠で完成した、約七万dの世界最大の戦艦ですが、
戦争末期絶望的な沖縄特攻へ向かって六十年前の四月七日
米軍機の攻撃により悲劇的な沈没をしました。
乗組員三千人の大部分は二十才前後の若者で、生存者は二七六人とのことです。
私は「大和」を見ていませんが昭和十八年夏、社用で呉工廠に出張しました。
当時は汽車が呉に近づくと窓の鎧戸を下ろし軍港が見えないよう機密が厳しく、
毎朝工廠に入るには衛兵の検査を受けて入りました。
私達は、大和を建造した隣のドックで、勤務していましたが
「大和」建造には全員口外無用で建造ドックは全周トタン板などで覆い、
内部は見えない秘密ドックでした。
戦争も激しくなって、戦艦や航空母艦や多くの艦艇の出入りが絶えず
爆撃された巡洋艦の修理や、建造中の潜水艦のリベット打ちの音などが
入り乱れていたのが今も目にうつります。
私達は、近辺の基地の設備を点検して、引続き呉に次の仕事をするところ、
尾道へと変更になり年末頃、呉から離れました。
「大和」は、この年トラック島北方海上で潜水艦の雷撃を受け、
翌年一月半ば頃に呉工廠のドックに入りましたので、
少しのところで行き違い、見る機会はありませんでした。
今年は撃沈されて六十周年になるせいか、「大和」がらみの本なども多く、
年末頃には渡哲也主演の「男たちの大和」の映画も上映されるようで、
一寸した「大和」ブームになりそうです。今の若者の事件から、
誰もが夢中でやっていた私の青春の思い出です。
(総務 安島)
468名無し三等兵:2005/11/23(水) 20:50:08 ID:???
なんで工房の爆弾が大和につながるのか意味不明な文章だな
469名無し三等兵:2005/11/23(水) 23:33:47 ID:???
>>468
>工房の爆弾
『俺なら、もっと殺傷能力のある手製爆弾を作れるのに』
って事じゃね?w

あと、全然関係のない語句にいきなり季語を引っ付ける、なんてのは俳句的な手法だなw
470名無し三等兵:2005/11/24(木) 23:34:15 ID:???
アイアンロックスの元って大和なんだっけ?
471名無し三等兵:2005/11/25(金) 22:18:50 ID:???
オレの母ちゃんを腹の中に入れたまま大阪大空襲を生き延びた婆ちゃんの話はスレ違いですか?
472名無し三等兵:2005/11/25(金) 22:22:02 ID:???
>>471
いいえ。

ところで、十三の『高射砲塔の家』はまだあるのかな?
473471:2005/11/25(金) 23:30:11 ID:???
では、お話しさせていただきます

オレの母ちゃんは昭和20年4月の生まれ、で、大阪大空襲は3月13日
けっこう臨月間近だったらしい
婆ちゃんが住んでいたのは今の難波周辺
周りは炎の海で、何とかその切れ目から脱出できたらしい
素っ裸で水を掛けられてる人がいた、と婆ちゃんは言ってたなぁ…

その後、疎開先の山口で広島の原爆を見た人の話を聞いたとか
8月14日に疎開先の工場が爆撃されてしまったとか
工場の隣にあった赤十字の建物には、傷一つ付いてなくてビックリしたとか…

そんな話を聞いてまいりました
474名無し三等兵:2005/11/27(日) 18:55:27 ID:???
475名無し三等兵:2005/11/27(日) 21:26:37 ID:???
せめて、コンドームじゃなくてゴムかぶとって言ってくれたらよかったのに。
476名無し三等兵:2005/11/28(月) 14:00:56 ID:???
遅レスだが。
>>102
おまえのじいさんって最低だな!
477名無し三等兵:2005/11/28(月) 15:17:15 ID:???
遅すぎだろww
478名無し三等兵:2005/11/28(月) 18:32:14 ID:???
  ◇戦争も護衛艦もまとめて萌え〜!

まさに一大「萌え」ブームがやってきた2005年。さまざまな「萌え」サービスが登場し、楽しませてくれた。
そんな萌え年のトリを飾るのが、モエールパブリッシングから12月中旬発売予定の書籍、
『萌えわかり!自衛隊ビジュアルガイド』だ。

自衛隊の被服(制服など)を萌えなイラストとコメントで紹介したり、主要な装備品(戦車や護衛艦など)を
写真とコメントで解説するなど、ちょっとお堅いイメージのある自衛隊が、身近に(?)感じられる内容に
なっているのだ。

イラストや漫画がふんだんに盛り込まれているので、軍事マニアじゃなくても、自衛隊のことが詳しくわかるように
なるとか。

 【画像があります】
 http://img.7andy.jp/bks/images/i6/R0161886.jpg

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1510265/detail?rd
2005/11/28 00:08
479名無し三等兵:2005/11/28(月) 22:04:09 ID:???
超ネタのような名前の出版元だな、、
アタマイタイ
480名無し三等兵:2005/11/30(水) 00:26:44 ID:???
こういうのってどこか勘違いだよなぁ…
まぁ読んでないのでなんとも言えんが
481名無し三等兵:2005/11/30(水) 04:34:29 ID:???
ウソニュースかとオモタ
482名無し三等兵:2005/11/30(水) 06:08:30 ID:???
ロリコソ入隊させてどうすんだ?
483名無し三等兵:2005/11/30(水) 06:28:33 ID:???
どこでロリコンと繋がるんだ?

まぁ、自衛隊員もそこそこオタク多いらしいが
484名無し三等兵:2005/11/30(水) 08:36:25 ID:???
>>473
俺のばあちゃんが大阪空襲のとき、
地下鉄大国町駅に逃げ込んだって言ってのを思い出した。

空襲後、地上に出てみると、
空襲前には他の建物が邪魔で見えなかった心斎橋の高島屋かそごうかが
見えたのでびっくりしたってさ。
485名無し三等兵:2005/11/30(水) 21:46:34 ID:???
うちのばあさんは牧場に勤めていて、空襲があって防空壕に入った。

あたりが静まって出てきてみると、牛舎が木っ端微塵になってた。どうやら隣のセメント工場(無論軍需工場)と間違えられてB29のアホたれが2000ポンド落としやがったらしい。牛は黒焦げ。

「牛舎が邪魔で見えないはずの荒野さんの家が見えたのが一瞬不思議だった」と言っていた。
486名無し三等兵:2005/11/30(水) 22:43:53 ID:???
工場相手に2000ポンドは使わないだろ。
487名無し三等兵:2005/11/30(水) 23:00:46 ID:???
>>486
いや、そうでもないらしい。施設の完全破壊+ついでに火葬のために、2000ポンド+焼夷弾の二段構えの投下した例とかあったみたい。工場の規模や重要度にもよるだろうけど。

でも、まあ>>485の話しっぷりからするに2000の証拠は何もないわな。
488名無し三等兵:2005/12/01(木) 10:38:51 ID:???
>>485
その牛は無事に食われましたか
489名無し三等兵:2005/12/02(金) 21:54:18 ID:???
わたしのおじいちゃんは海軍へいったから麦飯を食ったことが無いと言ってました。
お母さんが健康食だと麦入りご飯を炊いたら、戦争中にも食ったことが無い麦飯を食わす気かと、お母さんをいじめていました。
490名無し三等兵:2005/12/02(金) 22:34:54 ID:???
>>489
玄米食だと良かったのにな。
491名無し三等兵:2005/12/02(金) 22:43:25 ID:???
>>489
えっと・・・無粋な突っ込みであれだが海軍のご飯は麦が混じってるよ。
日露戦争時に陸軍と海軍の脚気患者とか森鴎外とかそこらへんを調べればわかる。
492名無し三等兵:2005/12/02(金) 23:30:00 ID:O5mpygjV
海兵出だったんでしょうか。
493名無し三等兵:2005/12/02(金) 23:33:43 ID:???
>>491
士官食は銀メシ。たまに脚気対策にパンを支給。
下士官でも航空機の搭乗員だったら搭乗員メニューで銀メシ食えたよ。
494名無し三等兵:2005/12/03(土) 00:18:49 ID:???
>>492
おじいちゃんは海軍兵学校出て少尉だったそうです。
乗っていた船が沈められたそうで、その時の傷が背中にありました。
495名無し三等兵:2005/12/03(土) 00:42:04 ID:???
海兵出なら朝はパンに味噌汁もデフォ?
496名無し三等兵:2005/12/03(土) 01:57:25 ID:???
爺さん機関銃中隊の中隊長だった(92式)

機関銃で丘の向こうに曲射やったと言ってた
アホかと思いつつ命令だからしかたなくやったそうだ
497名無し三等兵:2005/12/03(土) 13:03:06 ID:???
そんなときに限って不思議に故障しないとか。
498名無し三等兵:2005/12/03(土) 16:21:55 ID:???
制圧の意味合いなら機関銃の間接射撃はあったような。
でも、連続射撃を控える日本軍の重機の運用法なら意味無し。
499名無し三等兵:2005/12/03(土) 16:38:11 ID:???
>>470
なぜそこでウルトラセブンの話になるw
500名無し三等兵:2005/12/04(日) 09:01:09 ID:yrzpqL0m
弾丸が飛び交う中で飯を食ってたぞと、うちの爺さんが言ってたな。
中国戦線で、戦ってたらしいけど、うちの親父とかが、戦争の話を無視し続けてたら、ぜんぜん話してくれなくなったとかw
おかげで、所属部隊もなにもわからんw
退役後、東京大空襲とか、実家のほうに疎開して、また空襲を受けたとか。
その後、また徴兵されたと。
それと、中国に友達がいるらしくて、よく会いに行ってたなぁ。
退役時は、陸軍上等兵でした。

母方の爺さんは、南部式の拳銃で、サルを狙っても、なかなか当たらんといってたなぁ。
南方にいてたとかどうとかで、生前に、はとのマークの従軍記章とか、軍隊手帳などいろいろ見せてくれた。
97偵察機に乗ってたそうで、離陸に必要な滑走距離が隼より長いだとか、100式指令偵察機のカメラは高性能だとか、マレーで戦死するかもしれんとかで、遺影用の写真の話だとか、
うちの爺さんとちごうて、色々はなしきかせてくれたなぁ。
うれしそうに話すんよ。
退役時は、陸軍伍長でした。

戦争はよくないとか、とって付けたように話すけど、どうもそんな風には見えなかったな。
爺さんの世代は、今でも戦争が続いてるみたいだ。
最近、爺さんの妹が死んだとき、
「なんだ、俺より先に死にやがって、ほんとへたれだな」
とか言うとった。
まさに、帝国陸軍仕様なかたたちです。
この板の爺さんによく居る、高級将校ではなかったけどね。
501名無し三等兵:2005/12/04(日) 10:48:25 ID:???
>戦争はよくないとか、とって付けたように話すけど、どうもそんな風には見えなかったな。
>爺さんの世代は、今でも戦争が続いてるみたいだ。
そうみたいですね。
今はヨボヨボだけど、おじさん(親父と親子ほど歳が離れている親父の兄)も
懐かしそうに話すね。
502名無し三等兵:2005/12/04(日) 16:47:25 ID:Tu3VM4dx
ウチの爺ちゃんは、内地で高射砲撃ってたって言ってた。もう病気で死んだけど
。戦後、郵便局で働いて勲二等勲章をもらったとき、天皇陛下に会って失禁
しそうになったと聞いた。
503名無し三等兵:2005/12/04(日) 16:57:38 ID:???
続けて・・・。
地元系(宮崎の)居酒屋で店長をしているおばちゃんが、大和を造船している
近所に住んでたらしく、「兵隊さんが近所中を回って麻袋を徴収してた」と言ってた。
なぜか聞いたら、機密の為それで垂れ幕を作って大和を地元住民から隠す為
だったらしい。
スレ違いスマソ・・・。
504名無し三等兵:2005/12/04(日) 17:06:02 ID:???
あと、山鹿(熊本)の方では花房大空襲を体験した爺さんに、「グラマンに
機銃掃射されたが幸い弾は当たらず、隣にいた友達が機銃掃射の薬莢が
顔に当たってヤケドした」とか「自分達を探すグラマンのパイロットが下を覗
く顔が見えた」とかいう話を聞いた。
505名無し三等兵:2005/12/04(日) 17:39:53 ID:KlwIe/ps
和歌山大空襲のとき、友達のお爺さんの弟にあたる人がグラマンの機銃掃射に撃たれて死んだ。今の橋本市で。
民間人だったので、靖国には祀られていない。友達は、小泉が靖国に参拝すると怒る。軍人・役人ばっかり大事にしやがって、と。
気持ちは分かるんだけどね。中国や韓国さえ反対しなければ俺も靖国参拝に反対するんだが。
506名無し三等兵:2005/12/04(日) 17:42:06 ID:???
千鳥ヶ淵にも行ってるはずだが。
507500:2005/12/04(日) 17:43:57 ID:Uc0uDdUt
>>501
元の仕事を退職して、警備員やってた爺さんの話だと、戦前は、確かに物はなかったみたいだが、一種の連帯感見たいものがあって、みんな親切だったとか言ってたな。
なんかさ、国に反抗することが美徳みたいに言われて育ったけどさ、戦争がない限りは、戦前の方が人情味があって、はっきしいってうらやましいな。

>>502
うちの応接間にも、天皇陛下の写真があります。
とくに、天皇陛下の話は聞かされてないけど、多くは語らずって感じだね。

赤とGHQに踊らされた世代が自由平等とかいって、連帯のないバラバラな国にしちまったのかなぁ。
なんか寒いね。
冬だからかな?
508500:2005/12/04(日) 17:57:57 ID:Uc0uDdUt
>>505
祀られきれない程人が死んだってことだね。
いまなら、報告すれば、まつられっかもよ?
靖国賛成とか言うと、右翼だとか言われそうだけど、どんどんやった方がいいと思いまっせ。

509名無し三等兵:2005/12/04(日) 18:05:06 ID:KlwIe/ps
招魂社ってもともと西南戦争の戦死者を祀ったところだっけ。
まだ徴兵制になってなかったか。戦争は希望者だけが参加すればよかったわけね。とばっちりで死ぬ人は知らんけど。
するってえと靖国神社に民間人が祀られていないと文句付けるのはお門違いか。
510名無し三等兵:2005/12/04(日) 18:10:20 ID:???
>>509
おいおい、徴兵制施行後だよ西南の役は。
511名無し三等兵:2005/12/04(日) 18:10:29 ID:pVeaRasv
うちのじいちゃんは軍曹でビルマで戦った
所属してた中隊が全滅した戦いで戦友全員を亡くした
じいちゃんも左胸に銃弾を受けて、死んだと思い込んで気絶してしまった
けど、辺りが静まり返ったあとで目が覚めた
左胸を見ると、成田さんの木のお守りが弾の貫通を防いでたらしい
じいちゃんは毎年成田と靖国に参拝してたな
俺が小5の時癌で死んじゃったけど
512500:2005/12/04(日) 18:10:30 ID:Uc0uDdUt
>>509
当時は、国家総動員ですぜだんな。
時勢も時勢だし、言えば祀ってくれっかもよ?
513名無し三等兵:2005/12/04(日) 18:12:48 ID:???
アーリントンにだってアメリカ兵全員が葬られているわけじゃない。
514名無し三等兵:2005/12/04(日) 18:18:23 ID:KlwIe/ps
あれ徴兵制の施行ってそんな前だったっけ。
うちの実家には戦争に関わる話題がないけど、強いて言えば、爺ちゃんがあの「ゆきゆきて神軍」の神軍平等兵さんと知り合いだったw
平等兵さん、もう亡くなったのかな。徴兵で文句言ったあげくに懲役か。たしかに生き方は一貫してるな。
515名無し三等兵:2005/12/04(日) 18:20:15 ID:???
My grandpa unfolded the fierce battle with the U.S. military on the Tarawa
island and died an honorable death.
516名無し三等兵:2005/12/04(日) 18:22:48 ID:???
俺の友達がおじいが関東軍だったって言ってた
俺と友達厨房だからまだ生きてる。会ったことはないけど
517名無し三等兵:2005/12/04(日) 18:35:35 ID:WLQbUW58
 旧制静岡高校から京都帝大卒の陸軍技術将校、軍需工場の監督官として
いたが、曽祖父が大手商社の役員で海外情報がいち早くつかめたため、
敗戦を予想しており、他の監督官のように威張らず、特に財閥系の工場では
幹部にゴマをすっていたため、戦後、高級幹部待遇で財閥系の大会社にもぐり
こめたそうだ。
518名無し三等兵:2005/12/04(日) 21:23:28 ID:r4Bp3LuI
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、

自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
519名無し三等兵:2005/12/04(日) 21:25:19 ID:???
>>518それ前書かれてたコピペじゃねーか!!
520名無し三等兵:2005/12/04(日) 21:25:56 ID:???
>>518
そのコピペ見るの、何度目だろう……
521名無し三等兵:2005/12/04(日) 22:09:44 ID:???
>>520
おじいさんはすでに鬼籍に入っているバージョンもあるね。
522名無し三等兵:2005/12/04(日) 22:53:28 ID:???
>>512
マジレスするのもどうかと思うが、どこに何を報告しようが何しようが、
靖国神社は民間戦災者は祀ってくれない。国も1銭たりとも補償してはくれない。
523名無し三等兵:2005/12/05(月) 01:42:07 ID:???
つ国家無答責
524名無し三等兵:2005/12/05(月) 07:03:53 ID:???
当時、現在の政府にとってゴミみたいな一市民が死んだところでどうでもいいに決まってるじゃないか
525名無し三等兵:2005/12/05(月) 07:21:59 ID:???
友達の爺さんはキスカにいた。つまり奇跡の撤退のうちの一人。
ことあるごとに「木村提督は・・・」と感謝の言葉を述べていたそうだが、友人は「?」だったそうだ。
526名無し三等兵:2005/12/05(月) 07:31:22 ID:baK52S9g
なんか、いつもどおりに荒れてきたねw
どうせ、バカチョンカメラか、シナチクなんかが、煽り入れてるんだろうな。

まあ、それはそれで面白いのだが。
527名無し三等兵:2005/12/05(月) 19:55:19 ID:???
>>525
その友達が寝てる時に付け髭付けたれやw
528名無し三等兵:2005/12/06(火) 03:54:54 ID:???
うんうん、こういう感じこういう感じ。
ひげ、「猫サンマ」だっけ?
529名無し三等兵:2005/12/06(火) 06:06:38 ID:???
>>515
all of us must respect the fallen warrior who spent his life for his country. and people.
hope your grandfather will be kept honorabl status regardllss in any county;.
530名無し三等兵:2005/12/06(火) 10:57:14 ID:???
841 名前:日出づる処の名無し 投稿日:2005/12/05(月) 06:36:09 ID:1efqFDcE
福岡でしかやらなかったようだから
とりあえずキャプ静止画

 http://yadouryoujou.sakura.ne.jp/uploder/src/up1096.zip.html
↑あの戦争をどう教えれば良いと思いますか

靖国の史観は、東南アジアに関しては、間違っていない。
531名無し三等兵:2005/12/06(火) 13:03:42 ID:t9BBrnuV
>高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
「高砂」通常は新郎&新婦の席

ぶり返してスマソ


532名無し三等兵:2005/12/06(火) 15:24:53 ID:???
>>522
東京大空襲や沖縄戦の死者も祀られていなかったか?
533名無し三等兵:2005/12/06(火) 18:17:40 ID:???
>>532
「いなかったか?」とかいう前に少しは調べてきたらどうかね。
徴用・強制疎開などの国に原因のある死没者はともかく、一般戦災者は祀られてないよ。
534名無し三等兵:2005/12/07(水) 21:15:13 ID:???
私の母方の親戚に、「瑞鶴」で戦死したという方がいます。
海兵55期で氏名までは突き止めました(書いた方がいいですか?)。
ただ、階級は佐官だったそうですが何をしていた方かよく分かりません。
是非詳細を知りたいのですが、どのあたりの情報を挙げれば分かるでしょうか?
535名無し三等兵:2005/12/07(水) 22:54:11 ID:???
>>534
その方で検索はしましたか?
55期で瑞鶴乗り組み戦死された方がヒットしましたが・・・
536534:2005/12/08(木) 00:46:27 ID:???
>535
はい、瑞鶴乗り組みでウルシー方面で戦死らしい、という所までは分かったのですが。
具体的に何をしていたのか、そのあたりよく分からないんです。
最終階級は大佐とありましたが、これも戦死して特進したかどうかもはっきりしませんし・・・。
537名無し三等兵:2005/12/08(木) 15:38:38 ID:whCgYICw
あさって法事があって飛竜にのって真珠湾、ミッドウェーに参加した親戚のおじさんにあえる。需要があるなら話を聞いとくが
538名無し三等兵:2005/12/08(木) 19:13:07 ID:???
>>534
俺にでさえGoogleの中の人に聞いたらすぐにご氏名判っちゃったw
陸攻の神・三原元一さんとご同級なんですね。

マジレスすると、五十五期の同期会みたいなのに連絡すればよいのでは?
539534:2005/12/08(木) 19:55:31 ID:???
>538
そうなんですよね。調べればすぐ分かることですし。
松田秀雄という人です。
同期会があるのなら、問い合わせた方がいいでしょうか?かなり遠縁なんですけどね・・・。
540名無し三等兵:2005/12/08(木) 20:43:52 ID:???
>>534開戦時、千歳空飛行隊長と出たぞ
541名無し三等兵:2005/12/09(金) 02:21:27 ID:???
>537
需要ありありです
542名無し三等兵:2005/12/09(金) 05:16:39 ID:???
>>537
宜しくお願いします。
543名無し三等兵:2005/12/09(金) 07:02:37 ID:???
>>540
・・・その情報が載ってる掲示板見ましたが、
ものすごい 電 波 がゆんゆん飛んでましたねw
544名無し三等兵:2005/12/09(金) 16:34:00 ID:???
>>537
あなたにとっても後世にとっても有益です
545名無し三等兵:2005/12/09(金) 18:38:34 ID:???
>>537
>飛竜にのって真珠湾、ミッドウェーに参加

この一文を見ただけで興奮してしまいます
546名無し三等兵:2005/12/09(金) 18:39:33 ID:/aU8d7Pf
>>537
是非お願いします!
547名無し三等兵:2005/12/09(金) 20:41:52 ID:???
>>537
レポよろしく
548名無し三等兵:2005/12/09(金) 22:42:33 ID:5vMXn24R
うちのじいちゃん真珠湾攻撃に参加したらしいけどあっという間に一面黒い煙に覆われ目標がさだめれなかったそうだ。白い長いスカート履いた集団に機銃掃射したともいってた。
549名無し三等兵:2005/12/09(金) 22:47:47 ID:???
うちのじいちゃんも真珠湾でミスターKの両親を銃撃したと言っていた。
550名無し三等兵:2005/12/10(土) 00:52:04 ID:???
死ね死ね団?
551名無し三等兵:2005/12/10(土) 01:03:42 ID:???
じいちゃんの話では無いが、親戚の真珠湾に参加した零戦パイロットの話。
「攻撃中、帰路にいつ敵機が上がって来るか気が気では無かったので弾丸は常に節約していた」
「人を狙って撃つくらいなら地上の飛行機撃っているよ」
アメ公は嘘つきw
552名無し三等兵:2005/12/10(土) 01:26:13 ID:???
おお、最初あのムービー見たときおれが思ったことと同じだ。
553名無し三等兵:2005/12/10(土) 17:59:10 ID:EZ//5v90
法事がおわりますた。飛龍にのっていた親戚の話の前に坊さんの戦争体験を一つ。

坊さんは1920年生まれの85歳。寺を継ぐのが嫌で16歳で横須賀海兵団へ入りその後ラバウル航空隊へ、最終階級は一等兵曹。
坊さんがラバウルへ行った当時はまだ日本優勢の頃、地上勤務で96式25ミリ機銃の射手だったそうで
ほぼ毎日やってくるB-24と死闘をくり広げたとか。
554名無し三等兵:2005/12/10(土) 18:03:56 ID:EZ//5v90
続き

その内日本軍が押されはじめると当然死者も増える、すると機銃を撃つよりお経を読む方が多くなったそうな。
555名無し三等兵:2005/12/10(土) 19:30:46 ID:EZ//5v90
続き

葬式が毎日のようにあり、お経を読む時は天幕で作ったカーキ色の袈裟を纏って将校用の車が迎えにきたとか。
坊さんは最後までラバウルに止まって例のラバウル製複座零戦も見たことあるそうだ。
556名無し三等兵:2005/12/10(土) 19:41:14 ID:xsB19+nX
俺の爺さんは中国に兵砲兵隊として出兵していたらしい。砲兵隊は常に歩兵隊の護衛のもと行動するんだけど、ある日、敵が森の中にいるという情報から、歩兵隊が森の中に入って行ったんだって、
557名無し三等兵:2005/12/10(土) 19:46:54 ID:xsB19+nX
続き。
しばらくすると、突然敵が護衛のない爺さん達の砲兵隊に攻撃を仕掛けて来たらしい。包囲された爺さん達はいそいで円形陣を作り、伸管?を近距離に設定して、爆発の破片で敵をふせいだらしい。その後、戻ってきた味方に助けられたんだと。
558名無し三等兵:2005/12/10(土) 20:12:05 ID:???
うちの亡くなった祖父はお腹に手術痕があった
小さいとき一緒に風呂に入っていたときに
そのキズについて聞いたら
笑いながら戦争のものだと教えてくれた
で、亡くなったあとにその事を親に言ったら
「あれは、盲腸の手術の後だよ」と・・・w
ちなみに前スレぐらいで
南方に行ったせいで生ものが食べれなくなったと言った人です。
559名無し三等兵:2005/12/10(土) 20:12:07 ID:???
うわ、運悪くすれば全滅だったかも知れない、練度と運と指揮が良かったんですね。
560名無し三等兵:2005/12/10(土) 23:01:23 ID:xsB19+nX
559よ。感想ありがとう!爺さんは終戦後、大阪府警に入社、でも当時の大阪の町は人の死体だらけで耐え切れず、故郷である宮崎県警に入社。その後退職したしたとさ。今は天国です。
561名無し三等兵:2005/12/10(土) 23:18:54 ID:???
>>560
ちょwwwwおまwwww『入社』ってwwwwww
562名無し三等兵:2005/12/10(土) 23:20:58 ID:OMkC861o
おじいさんの戦争体験じゃなくてもいいのかな。
漏れの父親の戦争体験、というか目撃体験があるんだけど
563名無し三等兵:2005/12/10(土) 23:44:57 ID:???
去年の今頃、退任する教授が最終講義を終えてから

「私が見た戦争は美しかった。」とかたりだした。
東京も少し郊外に行けば(当時の郊外化と思われる)
大した空襲もなかった、自分の身の危険を感じなかった。
遠く都心の燃えるさまを小高い丘に登って眺めていたと。

吸い込まれそうな黒い空から、焼夷弾が煌きながら流星のように降り注ぎ、
日ごろ見るくたびれた下町が炎に包まれ雲すらも赤く染める様。
その灯り下で人が死んでゆくことは理解はしていたが意識はしなかった。
あの時流した涙は恐怖やでも、悔しさによるものでもない。感動であった。

人は自らの痛みすら忘れる。他人の痛みはいっそう早く忘れる。
自らの痛みを誇張する事はたやすく、他人の痛みを知ることは難しい。
恐怖も悔恨も世代が変われば忘れられてしまう。
だからこそ、真実以上に傷つけあう事を恐れなければならない。
日和見過ぎるほどに平穏を求めねばならない。

と大体こんな話だったかな。
教室で泣いちゃってちょっと恥ずかしかったな。
564名無し三等兵:2005/12/10(土) 23:50:40 ID:???
どの辺が泣くところ?
泣ける話ではないと思うんだが。
565名無し三等兵:2005/12/10(土) 23:59:44 ID:nzYpRyAt
飛龍乗組員の方の体験談をヨダレ垂らしながら待ってます。
566名無し三等兵:2005/12/11(日) 00:26:34 ID:eQUNYCsR
番外ネタかとも思うが、学生と米軍人だった人がメールで意見のやりとりやってるらしい。

【地域】B29元搭乗員と愛媛の高校生がメール交換「無差別の空襲は国際法違反では」「真珠湾攻撃も同じだ」
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1134029434/
567名無し三等兵:2005/12/11(日) 03:04:33 ID:???
飛龍乗組員の方の体験談期待アゲ
568名無し三等兵:2005/12/11(日) 03:35:19 ID:???
飛竜生ら〜めん♪
569名無し三等兵:2005/12/11(日) 10:07:46 ID:???
警察は、巡査拝命と言います・・・。
570名無し三等兵:2005/12/11(日) 10:18:54 ID:IUpb6Grb
ラバウル航空隊

という歌があったような…
571名無し三等兵:2005/12/11(日) 10:32:33 ID:DsBCNcBC
飛龍に乗ってた親戚のおじさんの話です。彼は1917年生まれの88歳。陸軍の兵隊になるのが嫌で海軍に志願で入ったそうです。海兵団卒団後は航空整備技術を身に付け、地上勤務の後艦攻の整備兵として飛龍に乗組みました。最終階級は(特務)少尉です。

真珠湾の時の話ですが、第一時攻撃を終えて帰投した艦攻のある搭乗員は、弾痕著しい艦攻から降りると、「もう一度行く。」と再爆装を要求したそうです。
572名無し三等兵:2005/12/11(日) 10:35:21 ID:???
>>557
近距離に設定したのは、「信管」ですね。

>>570
正しくは「ラバウル海軍航空隊」です。
573名無し三等兵:2005/12/11(日) 10:35:38 ID:???
>>563
正直で、良い話じゃん。

開高健も、『学徒動員の時、動員先でP51の機銃掃射を受けた。死にたくないから、必死で逃げた。逃げながらチラッと見えたP51のノーズアートを、なぜか美しいと思った』とか書いてるよ。
574名無し三等兵:2005/12/11(日) 10:42:30 ID:d0Gy8hNU
中野陸軍卒85歳
シベリア抑留経験あり。
略奪とレイプを軍人の特権と思ってる
ロシア人と中国人をすごく嫌ってる。
ロシア系ユダヤ人は別で捕虜に日本語を教わってたらしく
感心してた。

575名無し三等兵:2005/12/11(日) 10:45:40 ID:DsBCNcBC
続き

当時整備班でもベテランだった叔父が理由をきくと、「通信手が殺られた。仇をうちに行く。」とこたえました。
しかし艦攻はボロボロ、搭乗員も負傷していたため叔父は「無理だ。第二次攻撃隊に任せろ」となだめました。それでもその搭乗員は言うことを聞かなかったため、最終的にはぶん殴って止めたそうです。
576名無し三等兵:2005/12/11(日) 10:49:14 ID:DsBCNcBC
続き2

この話には後日談があります。
真珠湾から帰還後、他の艦の整備兵と飲んだ際この話をすると、他の艦でも同様のできごとが頻繁にあったとか。

ちなみにその艦攻搭乗員とその家族とは、いまでも付き合いがあるとか。
577名無し三等兵:2005/12/11(日) 12:15:23 ID:cctiKrwU
中国に派遣されたときに自分は伊達政宗の子孫だと語るちょんまげをした中国人に会ったらしい。
その人の話があまりにも面白かったため集合時間に遅れてしまい、一緒にいた戦友共々上官からシバキ回されたそうな
578名無し三等兵:2005/12/11(日) 19:58:36 ID:tPwhBthW
>>571,576
ええ話や
579名無し三等兵:2005/12/11(日) 22:29:47 ID:???
>>571
乙です。感動しますた。
580名無し三等兵:2005/12/11(日) 23:25:58 ID:XHG7EDLD
いい話age
581名無し三等兵:2005/12/12(月) 05:26:04 ID:???
>>571
ミッドウェイの体験談期待あげ
582名無し三等兵:2005/12/12(月) 18:10:30 ID:???
禿同age。
「我レ航空戦ノ指揮ヲ執ル」
583名無し三等兵:2005/12/12(月) 18:51:26 ID:Gom2GNR3
某YAMATOの映画の公開が迫って、例のシャブ中の差し金でテレビ/ラジオ番宣がうざいです
なんとかなりませんか?
584名無し三等兵:2005/12/12(月) 21:07:17 ID:???
テレビ見なかったらいい
オレは最近液晶テレビ買ったのに、番組なんてほとんど見てないからな
585名無し三等兵:2005/12/13(火) 06:15:36 ID:???
NHKしか見ない俺に宣伝なんて関係ないぜ
・・・テレビの話題にはついて行けないけどなorz
586名無し三等兵:2005/12/13(火) 10:01:56 ID:???
安心しる。
俺も番組見ない。
ニュースは新聞、テレビはゲーム+DVD専用さ(。∀゜)
587名無し三等兵:2005/12/13(火) 17:03:25 ID:???
>>583
おみゃー派ハリーポッターやハウルやROTRのときもおんなじよにうざがってたきゃ?
588名無し三等兵:2005/12/15(木) 00:08:09 ID:???
漏れのテレビは深夜アニメ専用です。それ以外
まったく使用してない。NHKなんてもってのほか。
589名無し三等兵:2005/12/17(土) 10:05:36 ID:jcR81szm
銀輪部隊がどうのこうの
590名無し三等兵:2005/12/17(土) 18:53:50 ID:???
このスレはまとめサイトとかは無いのですか?
591名無し三等兵:2005/12/18(日) 00:08:04 ID:???
本を作ればという話も
592名無し三等兵:2005/12/18(日) 07:45:41 ID:w8TeExbj
曾祖父が陸軍で203高地の生き残り、階級も上の人と父から聞きました。
実家に勲章がまだあると思います。

祖父は陸軍の通信兵でした。
593仄暗いはらわた:2005/12/18(日) 08:02:58 ID:???
うちの爺さんも「正八位陸軍少尉」との額を今でも飾っている
594名無し三等兵:2005/12/18(日) 09:04:36 ID:zN1kzyN+
うちのじいちゃんは予科連にいたらしい。
後数か月終戦が遅ければ出撃していたらしい。
595名無し三等兵:2005/12/18(日) 09:26:26 ID:???
>>594
・・・予科練
『飛行予科練習生』だから


596名無し三等兵:2005/12/18(日) 10:24:12 ID:???
艦攻て一撃必殺の居合いみたいだよな
597名無し三等兵:2005/12/18(日) 14:20:36 ID:???
艦攻を2度やるやつはいない、って名言あるしなー。
戦闘機乗りに注目されがちだけど、海戦は艦攻乗りいないと勝てなかったわけで。
偉大な縁の下の力持ちだよな。
598名無し三等兵:2005/12/18(日) 15:58:35 ID:???
縁の下じゃぁねぇだろ。
599名無し三等兵:2005/12/18(日) 16:13:05 ID:???
うちのじいちゃん、養子に出されてた家に子供が産まれ
いずらくなって家を出て、ずっと戦争に行ってたらしい。
戦争に行く前に元の実家に戻ったが家が焼けてしまい、帰る家もなかった。
中国に行ったらしい。陸軍伍長で、「学校に行ってないから
上にはあがれなかった」 と常々言っていた。中国がどんな戦場だったのか
自分はよく知らないが、じいちゃんは隊長(?よくわかんなくてスマソ)を
守る役目だったらしい。でも隣にいた隊長は口元をふっとばされてしまい
隊長をおぶって運んで行ったそうだ。結局死んでしまい
その場はじいちゃんが指揮をとるしかなかったそうだ。じいちゃん本人も
腕、太ももなどを撃たれ首に破片が飛んできたが
破片をぐりぐりと取り出す応急処置だけで戦ったという。考えただけで痛いorz
ソ連の捕虜になってからの3年間も極寒とひもじい中の重労働で仲間が次々と
死んでいきとても辛かったらしい。日本に帰ってきてからも家がないので
食べていくために炭鉱で働いていたらしいが、そこでやはり戦争から帰って
働いていた同僚の姪の、7つも離れたばあちゃんと結婚した。
ついこの前、88歳で亡くなってしまった。最後の二ヵ月はボケてたけど。
おしっこの管を刀だと言ったり、シンガポールに旅行行った話をしても
「シンガポール?行ってねえ。じじちゃんが行ったのは、中国。ソ連。」
  泣きそうになったよ。そんな年になってまでじいちゃんの大部分を占めてる
のは戦争なんだって 楽しかったはずの旅行は忘れてんのに。
ちなみにじいちゃんの本当の兄弟5人とも、いろんなところに行ったが
全員無事帰還した。
長文スマソ 詳しくないのでなんか間違ってるかも
600名無し三等兵:2005/12/18(日) 20:13:03 ID:???
>>597
・・・艦攻の魚雷がないと敵艦は沈みませんよ。
(まぁ、艦爆の攻撃のみで沈んだ赤城/加賀とかもありますけどねorz)

米軍の記録フィルム、しかもカラー、
魚雷を抱いて海面スレスレを突進してくる天山艦攻のが有るハズですが、
どこかWeb上に転がってないですかね?
601研修医一年目 ◆A57gTFXc2Q :2005/12/18(日) 21:50:41 ID:d+ccJr56
こないだ急患室に来た患者。92歳男
中国戦線に従軍し、上海事変に参加したとか。
中国兵が機関銃を屋根の上に据え付けてて、掃射された時に銃弾は当たらなかったんだけど、
壁に銃弾が当たり、その破片で脚に大怪我して後送されたとか。
白内障で片目見えないけど、元気な老人でした。ボケないで、長生きしてね。

今日急患室に来た患者。86歳男。
昭和12年から23年の復員まで軍人やってたとの話。
復員の遅さにもしやと思い聞いてみたところ、案の定、シ ベ リ ア 帰 り!
ハルピンや奉天にいたこと、ソ連の捕虜になってた日々のこと、色々話してくれました。
シベリア鉄道の建設に参加し、林の伐採で日々を過ごしたこと。
将校の奥さんお抱えの画家になって、復員を拒んでソ連に残った仲間がいたこと。
メシはコウリャンと米を7:3くらいで混ぜた、とってもまずい物で量も少なかったこと。
ノルマを早めにこなし、米の部分だけ食ってくせこい奴がいたこと。
栄養不良で、毎日3人、4人と仲間が死んでいったこと。
よく聞き取れなかったけど、ノモンハンにも参加した時は19歳だったそうで、
従軍証?らしきものをもらったと話してくれました。


俺はまだ未熟な軍ヲタなので、ノモンハン従軍証?らしきものはよくワカラン。
政府によってノモンハンに参加したと認定されるような制度があるんでしょうかね。
602名無し三等兵:2005/12/18(日) 22:18:08 ID:???
>>601
従軍記章のことですね。
戦役に参加(「従軍」)した将兵に支給される記念メダルのようなものです。
603研修医一年目 ◆A57gTFXc2Q :2005/12/18(日) 22:56:17 ID:d+ccJr56
>>602
明後日は俺の外来日。例の爺様も来る予定ですので、
詳しく聞いてみます。ありがとうございました
604名無し三等兵:2005/12/18(日) 23:53:54 ID:9yoPxVk3
とういかもうあと十年もしたらそういう話も直に聞けなくなるんだろうか・・・
江戸時代以来だな、戦争経験者がいなくなるのって。。
605名無し三等兵:2005/12/19(月) 00:53:11 ID:bhzpS2AL
そうだな。。。
606たすきがけ2年目:2005/12/19(月) 00:58:05 ID:???
>>601
おお、なか〜ま(w
こないだ俺のとこに来た方は、CT室の天井の空の絵を見て
「自分の若い頃はこんな空の上を飛んでたんだ」
「もっとも、仲間の多くはもっと上まで飛んでいってしまったけれどね」
と。
北海道の航空隊で中攻乗り組み、マレー沖海戦にも出撃されたとか。
義足、片腎でらしたので、大変な思いで生還されたのでしょう。
もっとお話が聞きたく、思わず「即入!」としてしまいたい誘惑に・・
607名無し三等兵:2005/12/19(月) 02:12:00 ID:QCBTlk1l
近所に大和の乗組員だったじっちゃんいるよ、大和撃沈した時 三日漂流して潜水艦に助けてもらったて言ってた、もう亡くなったけど 主砲打ってた人もいた、 出撃前に盲腸で入院してたて言ってた。
608名無し三等兵:2005/12/19(月) 03:03:53 ID:???
父方の家に海軍の制服を着た人(じいちゃん?)がいるんだけど
何をしていたのか聞いておくべきだった。遠すぎて3年は行ってないな
〜。ちなみに父方の実家は山口の徳山です。
609名無し三等兵:2005/12/19(月) 03:38:26 ID:???
うちの祖父は高齢であったのですが、そこそこ達筆だったらしく
書記官?(軍事音痴スマソ)として台湾に派遣されたとききます。
台湾では現地の人がこのまめまめしく習字をするこのオヤジがよほどめずらしかったのか、
毎日のように内緒の差し入れがあったようです。

終戦日本に引き上げてくるときには、痩せこけた兵隊たちの中にあってふっくらと肥えた兵士がひとり・・・
ただいい思いしすぎたせいか50そこそこで逝ってしまいましたとさ。

親類以外ではちょっと話にくい話をしてみました。
610名無し三等兵:2005/12/19(月) 05:57:53 ID:???
徳山なら海軍の燃料廠があったから、その関係者かな?
611名無し三等兵:2005/12/19(月) 06:27:26 ID:E5OY8y/I
アメリカ軍上陸したら真っ先に東大の仁科研究所(だったかな)ヘ駆けつけたのには
のにはびっくりしたって言ってたな。
誰が教えたのかって。  
612名無し三等兵:2005/12/19(月) 08:16:31 ID:???
三式戦・五式戦に積んだ20mmの開発者の博士のとこや、八木アンテナ考案者の八木博士のとこにも駆けつけたらしいね。
それで、日本軍に恐ろしく冷遇されてたことに駆けつけたアメリカ軍自身が驚いたとか。
613名無し三等兵:2005/12/19(月) 08:27:13 ID:???
俺が昔通ってた鍼灸院の先生は後から空母乗りと判明したが、詳しく聞く前に引退されてしまったよ。
614名無し三等兵:2005/12/19(月) 16:43:04 ID:???
>>609
中国の常識じゃ、兵隊になるのはチンピラゴロツキで、書をたしなむのは文人エリートだからな。
台湾は当時日本だったけど、大陸の伝統がある程度生きてたのでは?
615名無し三等兵:2005/12/19(月) 19:07:43 ID:???
>>612
>三式戦・五式戦に積んだ20mmの開発者の博士のとこ
担当者:「ブローニングM2のコピーですね、訴えます。」
616名無し三等兵:2005/12/19(月) 20:01:54 ID:???
617名無し三等兵:2005/12/19(月) 21:39:11 ID:???
キンピカなのにやすいモデルだなw
618名無し三等兵:2005/12/19(月) 22:59:56 ID:EExrVslh
俺の爺ちゃん飛竜に乗ってたよ。

腕から首の横まで火傷の痕があったので、里帰りで一緒に風呂に入ったとき
「じいちゃん、汚い〜、これなんで?キレイにならないの?」って聞いたら
船が沈んだ話してくれた、小学入ったばかりのガキだったので、
火と水で大変で、爺ちゃんが幸運に恵まれ助かった事だけは分かった。

爺ちゃんが死んだとき親戚の人達が話してるのを聞いて初めて空母乗りだったの知った、
親父に聞いても、叔父さんや親父が生まれる前の話なので詳しくは分からない、残念。

葬式の後、親父は形見分けで真珠湾攻撃の「感状」を貰ってきた、
山本五十六の名があるのには少し感動した。

619打首獄門:2005/12/19(月) 23:17:39 ID:???
ヲイラの場合は、親父が帝国海軍軍人だった。
昭和3年生まれだから、終戦のとき満16歳。
当時は数え歳だから、親父は18歳と記憶してるけどね。

予科練甲飛16期だから、実戦配備された最後の予科練航空兵らしい。
任地はあの 鹿 屋 基 地 

親父が戦争映画見て一番怒ってたのは、「君を忘れない」
「なんだ〜、あんなクソデブが搭乗員になれるわけね〜だろ」
「ハァ?兵学校の恩賜組?そんな人間を特攻させるわけない」
「士官と下士官兵が同室?アフォでつか?」
「なんじゃぁ〜、あの着陸は?
あんな着陸したら、ケツバット20発は喰らうわ!」
挙句の果てには、
「コイツが宇垣纒?こんなやさしい顔してなかったぞ!」

そんな親父は、当時彩雲に乗っていた偵察要員
620名無し三等兵:2005/12/19(月) 23:22:23 ID:???
>「コイツが宇垣纒?こんなやさしい顔してなかったぞ!」
スゲェ台詞だ、オレも年を取ったらこんな台詞を吐いてみたいなぁ
621名無し三等兵:2005/12/19(月) 23:23:42 ID:???
まあ、人呼んで「鉄仮面」だからなあ…
逆にふさわしい役者は誰だろう
622打首獄門:2005/12/19(月) 23:51:31 ID:???
>>620
そうか?
ハタメイワクなDQN親父だぞ。

まあ、DQNな基地にDQN司令官、オマケにDQN搭乗員とくれば、特攻になるわな。
親父も募集に対して何度か志願したらしい。
搭乗員が整列させられて、
「このたび、敵機動部隊に対して特別攻撃を敢行することになった」
「ついては搭乗員の中で希望するものは一歩前へ!」
ってな感じ。
親父もそのたびに前へ出たらしいが、幸か不幸か選に漏れっぱなし。

曰く、
「ワシは、アレで人間壊したな。」
「考えてもみぃ。それ、2週間にいっぺんのペースでやられてみぃ〜。前に出るときは、とりあえず死ぬんを覚悟するんやぞ」
「選ばれなんだ時の悔しい気持ちと、反面ホッとする感じで足が震うんや」
「それを、今で言うたら高校生がするんやぞ」

親父も御年77歳。
まだまだ死にそうにありませんわ。
623名無し三等兵:2005/12/20(火) 00:09:07 ID:iN0gisaf
軍ヲタのバカ息子よ、父ちゃんを大事にしろよw
624名無し三等兵:2005/12/20(火) 00:33:59 ID:???
>>614
いや、明治時代に台湾を植民地にした日本が、それまで未開民族だった台湾に近代教育のための
学校を建設したり自給自足のための農業整地や水路整備を国家事業で行ったのに由来してる。
今でも台湾国民の95%は親日派で、日本帝国が建設した大型ダムや神社なんかも普通に使われてる。

同じ政策をシンガポールやフィリピンでもやってるから、あちら方面には親日派が多いんだよ。
その前に米英がアジア人種を下等国民として重税を掛けたりしてるからそのギャップも大きかったのかも。
625名無し三等兵:2005/12/20(火) 00:40:30 ID:???
うちのじいちゃんは、ばあちゃんに聞いた話だと砲兵だったらしい。
国境付近にいて、そのままシベリア抑留。
具体的にどこにいて何をしてたかはよくわからない。
小さいときに死んじゃったから、じいちゃんから話は聞けなかった…

スレ違いだけど山本五十六で思い出した。
ばあちゃんの話によると、近所に五十六の奥さん礼子さんがいた。
三橋牛乳屋の娘らしい。嫁いだのは大佐のおじさんの縁だとかなんとかよくわからん
626名無し三等兵:2005/12/20(火) 00:42:11 ID:???
>>624
せやったら、他の兵隊さんがガリヒョロなのが説明つかんやん
627名無し三等兵:2005/12/20(火) 01:14:12 ID:???
漏れの叔父。
陸軍航空隊で隼に乗っていた。
隼での最後の作戦飛行の時、基地上空まで戻ってきたら
「一番最後に降りろ」と下命され
「俺も信頼されてきたんだなぁ」
と内心喜んでいたらさにあらず。
操縦席のすぐ後ろに大穴があき、脚も片方が降りかかった
状態だった。
それでこいつを先に降ろしたら滑走路上でバラバラになり
塞いでしまうだろう、ということだったそうだ。
そのとき叔父の背中には12.7mmの破片が食い込んでた
そうだ。
叔父は今年81歳。
非力な隼がトラウマになったか、大排気量のアメ車が好き。
今も毎日のように運転してる。
628名無し三等兵:2005/12/20(火) 01:38:56 ID:???
うちのお婆ちゃんは会津っていうところに住んでるんだけどその会津で子供の頃にヒトラーユーゲントを見たことがあるって言ってた
本当かよ?
629名無し三等兵:2005/12/20(火) 01:40:56 ID:???
>>628
ヒトラーユーゲントが日本に来てたのは本当。
お祖母様の話が事実かどうかはわからない。
630名無し三等兵:2005/12/20(火) 01:45:31 ID:???
>>628
独防共協定の成立から1年半が経過した1938年8月、ナチス・ドイツの青少年組織である「ヒトラー・ユーゲ
ント」の代表者30名が来日している。

ttp://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha506.html
631名無し三等兵:2005/12/20(火) 06:53:29 ID:MIYz+6K9
>628
俺の親父近衛軍人でヒトラーユーゲントが日本に来てた時接待してました。
御寺へ連れていったら土足であがって大変だったっていってました。
カッコよく立派な人たちだったと言ってました。
 
632名無し三等兵:2005/12/20(火) 07:13:15 ID:???
>>628
・・・来日時、あの白虎隊の話に感動し、
会津まで出向いて碑に献花などしています。
郷土の事、もっと勉強しろやゴルァ!w
633名無し三等兵:2005/12/20(火) 07:31:19 ID:z0DdR4kZ
うちの父方の祖父はパグリックパパンというところで守備隊をしていた時に肩、胸、腰に5か所の銃で撃たれた傷があります、本人いわくその時はさすがに死を覚悟したそうです。
634仄暗いはらわた:2005/12/20(火) 08:08:19 ID:???
バリックパパンじゃないかな?
http://borneo.web.infoseek.co.jp/balikpapan.htm
「その駆潜艇を第3砲台の10サンチ高角砲が平射で一隻を沈めた。そうしたら反撃が凄かった」
635名無し三等兵:2005/12/20(火) 09:58:50 ID:GAu1adAw
780 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2005/12/19(月) 01:06:57 ID:3XlUXVBI0
>>773
自爆テロが成功したら犯人の遺族には組織から一生食っていけるような報酬が入るんだってね。

782 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2005/12/19(月) 10:01:19 ID:XFwZQx8Z0
>>780
特攻も同じだね
二階級特進で、しかも昇進した階級で遺族年金が出たからみんな志願した


これ本当?
なんでおまえが選ばれなかったんだ!と怒ってる親兄弟もいたりしたのかなあ。
636名無し三等兵:2005/12/20(火) 10:02:23 ID:4tF1eAqc
>>635
ありえない、つーかテロと一緒にすんなよな。

仮に遺族年金目当てだとしても戦後にインフレでパーwww
637名無し三等兵:2005/12/20(火) 11:06:04 ID:???
祖母方の親戚(故人)が沖縄特攻時の大和に士官(中尉か大尉?)として乗ってたらしい。
大和沈没時は運良く助かり、終戦まで陸上勤務で教練?をやっていたとか。
終戦後しばらくは戦犯として捕まるのを恐れて隠遁生活を送ってたようだ。
尉官なら逃げなくても捕まえにこなかったと思うけど、たぶんデマが流れてたんだろう。

当時を知る祖母によると
「その人がうちで "日本はもう負けるよ。とても駄目だよ。" と話していたのを盗み聞きして大変驚いた。
"艦長(有賀艦長?)はみんなから退艦をすすめられても、『俺は船に残るんだ!』と言って聞かなかった…" と、涙ながらに話してた。」そうな。

本人鬼籍に入っててもう確認しようがない上に、祖母も歳なんで曖昧な部分が多いが許しておくれい。
638名無し三等兵:2005/12/20(火) 11:54:32 ID:???
>>632
会津にとってはヒトラーを信奉する青年団が来たなんて黒歴史だろうから、郷土資料館とかの資料にすら載ってないんじゃないか?
639名無し三等兵:2005/12/20(火) 12:03:32 ID:???
日本は特亜とは違う
黒歴史でもちゃんと記録するよ
640名無し三等兵:2005/12/20(火) 13:26:07 ID:???
>>635
別に特攻に限らず、戦死すれば二階級特進してその階級で恩給が出た。

何度も書いてるが、そうして出た恩給も昭和21年の2月にはGHQの命により支給停止、
昭和27年4月の援護法の施行まで、国からは1円たりとも遺族に給付はされなかった。
641628:2005/12/20(火) 15:16:23 ID:ViuroUW5
ばあちゃんの話は本当だったんだな こんなド田舎にそんな人たちが来たなんて信じられなかった 色々調べてくれてありがとうございます
642打首獄門:2005/12/20(火) 15:18:14 ID:???
>>635
>二階級特進で、しかも昇進した階級で遺族年金が出たからみんな志願した
残念!ほとんどの特攻隊員には関係が無かった。
恩給を貰う権利は、勤続5年以上で、そんな搭乗員はまれだった。

その上に、特攻に行った主力は、学徒あがりや予科練あがりの下士官兵で、勤続年数は短い。
兵学校出の士官搭乗員も、隊長として出師したが、これも兵学校出たばっかしの。

永年勤続の搭乗員は、ほとんど特攻に行っていない。
特に下士官兵の熟練搭乗員は、本土防空の任務を割り当てられていたから。
要は、もったいなかったから。

>>636
>仮に遺族年金目当てだとしても戦後にインフレでパーwww
そうではない。
恩給なので、物価というか公務員俸給に比例して支給額は増加する。
軍人ではないが、ヲイラの爺さんは教職員で、終戦後スグに死んだらしい。
婆さんはそれ以降、かなりの額の恩給を貰っていた。

恩給支給額の基礎となる公務員の俸給は、軍人に限らず、
階級+号俸
で決まる。たとえば、「少尉の7号俸」と言う具合。

ちなみに日本の場合、旧陸海軍、自衛隊とも階級による手当ては非常に少ない。
年齢と服務年数で決まる号俸の差のほうが大きい。

なので、2階級特進しても、さほど俸給は上昇しない。
643名無し三等兵:2005/12/20(火) 16:32:30 ID:???
身内の話じゃなくて悪いが、前に勤めてた会社の会長が陸軍中野学校の教官だった。
あの小野田さんの教官だったらしい。
会社の朝礼でよく話してた。
644名無し三等兵:2005/12/20(火) 17:00:54 ID:???
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1135064932/l50

そんな祖父たちを必至で愚弄する非常識サヨの目撃談。
645名無し三等兵:2005/12/20(火) 17:02:30 ID:???
うちのじいさん(87)は南方戦線って所に行ってたそうだ
あまり戦争の話はしないがNHKで戦争ドキュメント見てる時や
山でキノコ狩りしてる時の目つきは
まさに狩る者の目つきになってる
646打首獄門:2005/12/20(火) 18:50:49 ID:???
>>643
中野学校か〜。
ヲイラんちの、寺の坊主(先代)も中野学校出身。
元スパイの坊主だぜ〜

南京陥落のときも、現地に従軍していて、占領後の情報収集をしていた。
647名無し三等兵:2005/12/20(火) 20:19:32 ID:???
>>646
中野創立と時期が合わない気ガス
648名無し三等兵:2005/12/20(火) 20:28:13 ID:???
漏れの親戚の人は満州へ行ってソ連と戦った。とある方の身代わりになって命からがら逃げ帰り、戦後その人と再会しお互い涙を流しながら抱擁し合ったそうだ。

因みに曾爺さんは婦人会に竹槍を教えていたそうだ。
649打首獄門:2005/12/20(火) 21:49:17 ID:???
>>647
そうなの?

中野学校出身というのは、地元でも有名だから間違いないと思うから、
南京陥落の時の事情を、ヲイラが聞き間違えたのかも。

ヲイラの伯父貴が士官学校出なんだが、その坊主と歳が近かった。
その坊主は、士官学校出身ではなく、軍務途中から選抜で、中野学校へ行ったとか言っていたな。
650名無し三等兵:2005/12/20(火) 22:43:57 ID:???
>>649
多分南京はただの軍務では? 
中野学校はその時期には無いよ。
年寄りの記憶や武勇伝ですから、ある程度は割り引かないとね。。
651名無し三等兵:2005/12/20(火) 22:54:46 ID:???
特務機関を中野と勘違いしてるとか
652名無し三等兵:2005/12/20(火) 23:20:18 ID:???
憲兵学校かな。
653名無し三等兵:2005/12/21(水) 01:58:39 ID:???
>>642
普通恩給を受けるための勤務年数ならともかく、公務扶助料に勤務年数の要件はないだろ?
654名無し三等兵:2005/12/21(水) 02:33:44 ID:hTjeVkR0
俺のまぁ曽祖父になっちゃうんだけど、その人は海軍で輸送船に乗ってたらしいです。
んで、仕官クラスだったらしいんですけど、日本海沖で沈められたそうです。
軍からの説明では船内で飲酒していて、襲撃に気づかなかったと説明されたそうですが、
曽祖父は極めて真面目な人で、任務中にそんな事をする人ではなかったそうです。
655名無し三等兵:2005/12/21(水) 02:42:31 ID:???
母方祖父が陸軍2等兵で出征。10年前に79で亡くなった。
フィリピンの激戦でどうにか生き残り、栄養失調か病気で
ぶっ倒れていたところをアメリカ兵に拾われ捕虜になって
シアトル?に。戦争終結後、帰国。
戦争の話はあまりしなかったが、ハガキ1枚分の命でバカバカしい
ただ働きをさせられてとか、しょっちゅう言っていた。戦後の教育
が気に入らなくて母親が「今日学校でこんなこと習った」とか
言ったら、激怒したらしい。

なんか、なぜか寂しい気分になってきた。やっぱ死んじゃうと
なあ・・。
656名無し三等兵:2005/12/21(水) 03:03:56 ID:???
鳥取の奥地住まいの俺がじーさまばさまに聞いてみた
幸い母方の祖父母と住んでるのですんなり聞ける

祖母のほうは典型的な田舎農家で、鳥取の山奥のせいか空襲未体験だってさ、
飛行機雲見上げて生活しとったそーな、甘いものは食えなかったけどなーとか
後校庭を芋畑にしたとか、校庭の土は固くて大変だったーってぼやいてたよ

あとは祖父が大阪出身といっていた
でもって堺の造船関係の工場で働いていたってそーな
何度も空襲があって、逃げていたけど一番ショックだったのは
ダチがグラマンの機銃掃射で目の前で死んだって言ってた
運良くじーさまは物陰に隠れて居て難を逃れたそうな・・・

何か羽が折れ曲がったような奴に撃たれたとかいってたから、コルセアかなぁ?
657名無し三等兵:2005/12/21(水) 03:32:23 ID:???
現在79になる母方の祖父は陸軍航空隊の整備兵だったそうだ。(だが機械オンチ)

立川飛行場でグラマン機の襲撃があると38式で応戦したらしい。
敵機が来たら、物陰に潜み通り過ぎたところで機体の腹を狙えと指導されたらしいが、
いざ敵機がやってくると、恐怖のあまり正面から発砲してしまう奴が多かったらしい。
とりあえず、敵襲による死者の話は聞いてないな。

ほかにも、整備兵が整備中に飛行士の確認ミスで離陸したとか何かの事故があり、整備兵が空中で宙ぶらりんになったとか何とか。
幸い大事にはならなかったらしいが、その小隊(?)兵全員並ばされ、「足開け!!!!歯ぁ食いしばれ!!!」で全員ぶん殴られたとか。

赤とんぼっていう複葉の練習機があったとよく聞くが、なんて機だ?



現在85になる父方の祖父は、巡洋艦妙高の高射砲射手だったらしい。
父親伝手で聞いた話だから詳しいこと判らないが、一平卒から兵曹長か准尉あたりまで行ったらしいな・・・。

ちなみに我が家は東京郊外の某市。たまに焼夷弾がパラパラと落ちてきたり、
気まぐれな機銃掃射があったらしいが、人が死んだという話は聞いてない。
658名無し三等兵:2005/12/21(水) 06:09:24 ID:???
>>654
日本海沖ならアメリカの潜水艦相手でしょう。
飲酒してようが起きて見張ってようが輸送船乗ってて魚雷攻撃受けたらどうしようもないです。

潜水艦を発見して攻撃して輸送船を守るのは駆逐艦の仕事だから、軍がそう説明したのなら
護衛の駆逐艦や護衛機がまったくいない、丸裸の状態で航行させてたんだと思います。
時期的には敗戦寸前の頃じゃないのかな。
末期には瀬戸内海にアメリカの潜水艦が来て、作ったばかりの空母が沈められたようなこともありましたからね。

沈められるはずはなかったのに沈められた原因は何故か、って理由に対して責任逃れ目的の
説明でしょう。

659名無し三等兵:2005/12/21(水) 06:15:35 ID:???
>>657
最低でも350km/h以上で飛んでる飛行機を狙って撃つなら、正面から撃つのが正解。
腹を狙って撃ったら、狙った場所に弾丸が到達する頃には飛行機はそこを通過して100mは先に行ってしまってる。
本当に腹に当てるつもりなら、飛行機の前の方の何もない空間に弾幕を張らないと当たらない。
腹を狙えと指示したのは新米士官で、正面から撃ったのが古参兵卒じゃないかと思われ。

660名無し三等兵:2005/12/21(水) 07:18:37 ID:???
そのための照準装置があったのだが?・・・・・
661名無し三等兵:2005/12/21(水) 07:45:04 ID:???
>>657
恐らく、「九五式中間練習機」。以下参照されたし。
ttp://military.sakura.ne.jp/ac/sprice.htm

本土空襲がおこるまではほとんどの練習機を赤く塗装していた(地上から、また空中同士でもお互いを見つけやすいため)
ので、練習機のことを総括して「赤とんぼ」と呼んでいた。

>>660
まがりなりにも対空照準がついてたのは九九式。しかもまったく当てにならん代物。
662名無し三等兵:2005/12/21(水) 07:50:33 ID:???
>>661
38式にも有ったそうだ。使用経験者(父・故人)の言。
ただし“まったく当てにならん代物”というのは、本当らしい。
663名無し三等兵:2005/12/21(水) 13:15:18 ID:???
うちの婆ちゃんは名古屋でゼッペリン飛行船を見たそうだ。
日本訪問飛行の時らしいが、一体何年頃なんでしょうね。
婆ちゃんも94歳、入院しておりまつ。
664名無し三等兵:2005/12/21(水) 13:25:37 ID:???
>>658
それなんて空母?
665名無し三等兵:2005/12/21(水) 13:28:06 ID:???
>>663
1929(昭和4)年と思われる。
666名無し三等兵:2005/12/21(水) 13:33:21 ID:???
>>664
信濃なら沈んだのは和歌山沖だった希ガス
667名無し三等兵:2005/12/21(水) 13:58:33 ID:???
>>666
潮岬の南方を「瀬戸内海」ってのは相当無理がある。
しかも沈んだのがそこだ、ってだけで雷撃を受けたのはもっと東方。
668名無し三等兵:2005/12/21(水) 13:58:50 ID:???
>>660
そりゃ初耳。戦闘機用のジャイロ照準器(弾道補正機能付射撃照準器)が終戦まで開発出来なかったのに、
地上射撃用銃座に偏差射撃用射撃照準器なんて超高級なもの付けられてたの?
669663:2005/12/21(水) 14:40:08 ID:???
>>665
ありがとうございます。
私の年代ですと、中〜高校の教師は戦争体験者が多く、授業中にいろいろな話が聞けました。
祖父の話ではありませんが、おいおいうpしたいと思います。
670名無し三等兵:2005/12/21(水) 16:54:46 ID:???
>>663
それはすごいですね。
671名無し三等兵:2005/12/21(水) 17:46:15 ID:Z3FKzdvZ
母の三兄
中国戦線で負傷して後送され、本土の部隊にいたときに原爆投下後の広島に片付けに
入ったとか
戦場の話はよく聞きましたし、左腕の銃創跡も見せてもらったが原爆関連の話
は全くしなかった。母にも、自分の子供にもしてないようなのでまだ健在ですが
おそらくしないまま終わるんでしょう。
なお、母の長兄は肋膜炎で丙種?だったので戦争に行かず、次兄はブーゲンビル島
で戦病死。祖母は次兄のことを嘆きつつ95歳で他界。私が2年前に仕事でガダルカ
ナルに行く機会があり、近からずとも遠くない場所なので母が三兄(この人が家の
跡を取った)から祖母のお骨の一部を貰ってきてくれてガダルカナルの海に
撒きました。帰って親戚一同の前で写真見せて報告したら涙ぐまれてしまった。
次兄は髪の毛一本帰って来てないので母も次兄から貰った軍事郵便だけが形見。
672名無し三等兵:2005/12/21(水) 18:27:52 ID:7G/Poas4
>>658
やはりそうでしたか。
それは身内も重々承知しているので祖父の兄弟は靖国を批判してます。
673名無し三等兵:2005/12/21(水) 18:56:11 ID:???
うちの爺さんは土木関連の仕事をしていたので、工兵隊として中国に。
運が良いのか実戦経験なしw
戦況が悪化していくと、次々と装備品が無くなって、小銃も最初は各自持っていたのが、
終戦間際は所属の工兵中隊で3丁となったらしいw
でも、日本が負けるとは思ってもいなくて、8月15日の放送も戦意高揚の放送と思って
たが、終戦ときいて喜んだ(日本が負けたとは思ってなかったらしい)。
本土に帰ってきて、本土の廃墟をみてやっと敗戦を意識したそうです。
674名無し三等兵:2005/12/21(水) 19:19:50 ID:???
>>668
>>660には『ジャイロ』なんて一言も書いてないがなw(イケズw

九九式の対空照尺は、通常の距離用の照尺の左右両側に200km/hと300km/hの目盛が飛び出し式に付いてるだけ。
675名無し三等兵:2005/12/21(水) 19:21:35 ID:???
うちの母方の親類に真珠湾攻撃に特殊潜航艇で出撃して戦死した人がいるらしい。
葬式はすごかったそうで(軍神扱いだったらしい)、生後1ヶ月あまりの母はよく聞かされたそうです。
676名無し三等兵:2005/12/21(水) 20:40:40 ID:???
>>675
九軍神か。それはすごい。
677名無し三等兵:2005/12/21(水) 21:04:59 ID:???
>675
母上のそばで「この子が男だったら○○君みたいに・・・・・・、残念だね×子さん」とか?
678名無し三等兵:2005/12/21(水) 22:22:03 ID:???
生後一ヶ月の子供に語って聞かせんでもw
679名無し三等兵:2005/12/21(水) 22:24:45 ID:???
>>675
当時の新聞に写真付きで大々的に報道されていたからググればみつかるぞ。
680名無し三等兵:2005/12/21(水) 23:37:51 ID:Fisc9gaX
うちの爺さん源田実と会ったって言ってた

終戦時関東の部隊にいたが
玉音放送に納得できない青年将校(含む爺さん)が
終結して厚木で徹底抗戦しようということになり、トラックで厚木に移動

そしたら源田実が来て、
お前等若者はこれから戦後の日本を創るんだ的な説得をされて
感動して解散したと。
681名無し三等兵:2005/12/21(水) 23:48:06 ID:qXoVvQsG
682名無し三等兵:2005/12/22(木) 02:24:28 ID:???
源田実が空自幹部になったせいで、旧軍パイロットで源田を嫌ってた相当数の人間が
空自行きを拒否したらしいね。
坂井三郎もそのひとりだったらしい。
683657:2005/12/22(木) 02:29:42 ID:???
>>659
超低空飛行で来たらしいがそれでもだめなのか?
おそらく正面から撃つとマズルフラッシュで位置を晒しやすいのと機体の腹に燃料タンクがあるからだと俺は解釈してたが・・・。

ちなみに正面から撃ったのはみんな新兵だったそうだ。(祖父に確認した)

>>661サンクス

>戦争末期には一部の機体が特攻に使用されたが、速度の低さや防弾性皆無な機体のため多大な損害を出している。
これは聞いたことがある。

そういえば、その母方の祖父の話。
出征時に、万歳三唱を終えた後、祖父の父(つまり俺の曽祖父)に便所で、
「ちゃんと生きて帰って来い」と言われたらしい。

整備兵とはいえ、航空隊という事で拳銃の訓練をした祖父は
撃つときは片手で銃を上から振り下ろすようにして撃てと言われたらしい。
ちなみに銃は回転式だったらしいから26式だろうか?

妙な話だが、これは祖父が当時聞いたという話。
とある戦闘機が、B26の主翼に強行着陸(!?)しパイロットを拳銃で狙うも先に撃たれて死んだという。
いくらなんんでもそれは・・・・・・。
684659:2005/12/22(木) 07:31:18 ID:???
>>689
超低空でも超高空でも同じことだよ。
踏切で通過する列車の先頭車両にボールをぶつけようとしたとき、通過した瞬間投げても間に合わないだろ?
それが拳銃で引き金を引くだけでも一緒。目の前を通過した瞬間に引き金を引いても銃弾が届く頃には
よくて一両目の真ん中か、2両目辺りに当たるだろう。
飛行機の通過速度は電車の軽く5〜10倍以上だよ。
マズルフラッシュの件は言われてみればそういう危険もあるけど、射撃の方は(敵機の飛来方向と自分の位置関係も
影響するけど)おじいさまも確実に当たると思ってなかったんじゃないのかな。

艦船の対空射撃でも、迎え撃ちはいいけど追い撃ちは上官に激しく怒られたって話もある。
基本的に航空機を狙うなら1発必中じゃなくて弾幕を張って敵機が弾幕に突っ込むようにするように教えられる。
おじいさまたちが「飛行機が腹を見せた瞬間に、敵機の前方に向かって弾幕を張った」のならこちらの読解不足なんで謝罪する。
685名無し三等兵:2005/12/22(木) 09:54:16 ID:???
686名無し三等兵:2005/12/22(木) 11:22:34 ID:???
>>685
おい!見ちゃったダロ。カワイイではないか。
687名無し三等兵:2005/12/22(木) 12:53:52 ID:???
>659
せっかく実体験を聞いて書いてくれたのにケチつけんでも。
その当時現場にいた人がそこまで理解してたかどうかもわからんのに。
688名無し三等兵:2005/12/22(木) 14:21:50 ID:???
亀だがうちのばあちゃんも会津でユーゲント見たって言ってた。
来たときに、みんなでなぎなた披露したらしい。ばあちゃんは背が低くて最前列に
いたそうだが、武徳殿に土足で上がってくるので、おや、と思ったら
よくよく見ると軍靴に透明なスリッパ状のビニールのようなものをはいていたらしい。
当時はビニールは珍しかったから、と言うか無かったから覚えてたそう
689名無し三等兵:2005/12/22(木) 14:31:21 ID:???
>>685
オモシレィw
690名無し三等兵:2005/12/22(木) 17:50:42 ID:???
>>599最初から死ぬまでの映画できそう
691名無し三等兵:2005/12/22(木) 18:56:35 ID:???
父方の祖父は俺の生まれる前になくなったので「戦争に行った」ということしか聞いてない。父は何も語らない。
長男である叔父は一昨日逝ってしまったが、その実家のタンスに眠るのは拳銃と実弾。
もってきたはいいが返すのがめんどくさくて60年。

ポストを開くと昭和53年死去した祖父宛に先月分のNTTの請求書、昭和30年死去の祖母には母校の私立学校から「寄付のお願い」が届いていた。
692名無し三等兵:2005/12/22(木) 20:35:23 ID:???
じゃあこれ貼ってみるか。
ttp://sugachan.dip.jp/img/src/20051222203500.jpg
693名無し三等兵:2005/12/22(木) 21:39:20 ID:???
>>692
ワロス
694名無し三等兵:2005/12/22(木) 22:02:22 ID:???
>>692
比叡はどうした?
695名無し三等兵:2005/12/22(木) 22:34:39 ID:???
>>683
もしかしたらB29に馬乗り撃墜した中野伍長の話かもしれないな。
696名無し三等兵:2005/12/22(木) 23:06:43 ID:47QXItjX
うちのお祖父ちゃんは水産講習所の学生で学徒出陣で海軍に行ったらしい。長門の乗り組みだった。終戦の日に仲間と武器を横須賀のどこかの山に埋めたと言っていた。多分今でも埋まっている。士官の短刀だけ残っていて僕にくれた。メッキが剥がれてボロボロになっていた。
697名無し三等兵:2005/12/22(木) 23:29:39 ID:c6R6ygKF
うちの母方の親戚にA級戦犯になった人がいるらしいんだけど、未だに誰だか教えてくれない。母の旧姓や母方の親戚の名字も当てはまる人がいないし。

自分的には解ったところで今更どうという事もないんだけど、なんか気になる‥‥
698名無し三等兵:2005/12/22(木) 23:39:28 ID:???
>>697
A級戦犯は戦争指導者の罪だから、かなりの高官の可能性あり。
699名無し三等兵:2005/12/22(木) 23:51:05 ID:???
>>333
祖母の弟と同じだ
車が修理できるとかで命拾いして
栄養状態が良いまま帰国

勲章を貰って園遊会?で天皇とお話しして何年か前に亡くなりましたとさ

あと戦友から毎年贈り物が来たという話です

車を修理できる人はその人(祖母の弟)だけで周りにいあ連中は何も出来ない。
で、適当に車をいじらせて修理しているように見せかけたため
その戦友達は死なずにソ連兵に重宝がられて命拾いしたとか
700名無し三等兵:2005/12/22(木) 23:53:21 ID:???
701名無し三等兵:2005/12/23(金) 00:37:17 ID:nAFx1FjE
容疑者とかだと、もっとふぇね?
702名無し三等兵:2005/12/23(金) 00:43:43 ID:???
B級かC級かの勘違いに一票。
703名無し三等兵:2005/12/23(金) 00:52:41 ID:???
死んだ叔父さんがYS-11の製作に関わった人だったらしいが、チームで一緒に働いていた人の中に
あの東条英機元帥の息子が居たってのをプロジェクトXで知ってびっくり。
A級戦犯の息子ってことで何か差別されたりしなかったのだろうか。
704名無し三等兵:2005/12/23(金) 01:05:17 ID:???
東条の話ではないが、左翼運動家に放火されたA級戦犯遺族ならいる。
705名無し三等兵:2005/12/23(金) 03:31:41 ID:???
グラビアアイドルやってる東条の孫娘も居る支那
706名無し三等兵:2005/12/23(金) 04:49:20 ID:???
>>705
詳しく。
707名無し三等兵:2005/12/23(金) 04:55:36 ID:???
曾孫か曾々孫じゃね?

孫娘は確かけっこうな年のデムパ系のはず、
靖国参拝がらみでの番組で日本に戦争犯罪者はいなくて、
靖国は英霊を祭って云々。爺様は神様で云々。
やましい事は一つもないから中韓国民にも話せば解る。

的な主張を繰り広げてたきがする。
708名無し三等兵:2005/12/23(金) 06:05:53 ID:???
実際、米英仏蘭の真似しただけでやましいことなんかないんだけどな。
八紘一宇が大義名分だったから植民地で教育を行っただけ欧米よりマシ、って程度か。
欧米の植民地支配がイヤだったから日本が負けたあとにインドやフィリピンで独立運動が起こったわけで。
インドネシアの国歌と憲法には大日本帝国に感謝する旨の一文が記載されてるんだっけ。
709名無し三等兵:2005/12/23(金) 10:16:57 ID:???
映画では教師にさらし者にされてたな>東条の息子(娘?)
710名無し三等兵:2005/12/23(金) 10:47:16 ID:???
>>709
CNNjの中国のプロパガンダ番組では朝日新聞記者に頭がおかしい婆さんだと言われていたよ・・・
711名無し三等兵:2005/12/23(金) 13:16:04 ID:???
英米ならともかく何で中国が東條に文句いうのか
韓国に至ってはなおさら
712名無し三等兵:2005/12/23(金) 14:53:24 ID:???

>>711
まず
根底には脈々と流れそして受け継がれる「小中華思想」

中国=両親 朝鮮=兄 日本=弟

そして
弟のくせに戦争で両親・兄の家に土足で入り馬鹿にした 
しかしざまあ見ろ、負けたのだから言うことを聞くのが当然だ

全てこれが基本となってチャンコロとチョンの歴史教育がある
歪んだ国になるのはこのせい
713名無し三等兵:2005/12/23(金) 15:57:45 ID:???
さっさと発表しxちゃえばいいんやんか。
天皇家は中東系て。
714名無し三等兵:2005/12/23(金) 16:49:28 ID:v4PCCuve
>703
東条輝雄さんですね。東大出て三菱に入られた方です。
社長候補だったそうですが、「東条の息子がミツビシの社長に〜」
って煽られるので副会長になられたと思います。
715名無し三等兵:2005/12/23(金) 16:58:21 ID:???
漏れの祖父の話。

戦場では、待ち伏せされているとなんとなく「わかる」のだそうな。
「ああ、連中あっちの方向から見てやがるな〜」という具合に。

で、戦後帰国してからの話。ある場所に祖父が出かけたら、

「 四 方 八 方 か ら 監 視 さ れ て い る 」

という異常な体験をしたそうな。一見普通の町並みなんだけど、
足を一歩踏み入れると、周り中から見られてる気配を感じたんだと。

どこだって? 大阪の特定地域。「ハン○ン畜産」があるとこだって。

祖父いわく「あんな思い、戦場でもした事が無かった」って。怖いね〜(w。
716名無し三等兵:2005/12/23(金) 17:39:22 ID:MT/mx/Ki
なぜ監視していたのだろう?
金持ちそうだったら、襲撃するつもりだったのか。
717名無し三等兵:2005/12/23(金) 17:47:59 ID:???
>>716
食肉利権か
あそこは深いよ

金持ちというより、それだけ敵対関係がある、ということだと思う
市からただ同然で土地を借りていたとか、ね

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479664394X/

あと信濃町も監視が凄い
718名無し三等兵:2005/12/23(金) 18:33:40 ID:???
日赤の看護婦だったバアちゃんの話。
昭和17年に看護学校を卒業後、すぐに病院船氷川丸勤務。サイパン(?)と呉を
往復したそうな。俺には「兵隊さんはやさしかった。」とか話してくれたけど
一番印象に残ったのは戦争も末期の事で、米軍機がちょくちょく氷川丸上空を通った
らしいんだけど、でっかい赤十字マークを見ると素通りしたっていう話だな。
719名無し三等兵:2005/12/23(金) 19:45:24 ID:???
俺が消防の時・・・

校長先生
陸軍の航空兵で機銃の暴発で右手親指を負傷。(肉の一部が吹っ飛んだ)
とりあえず、その場は無理やりくっつけて帰投後、軍医殿に診てもらったら
「くっ付いちゃってるから、いいや。」って1980年代当時までそのまま。

保険の先生
日赤看護婦でどこか南方の島(玉砕せずに済んだみたいだな)で
負傷兵が続出して包帯が足りなくなったんで、戦死者から引っぺがして
海で洗ってリサイクルして負傷者を治療。

担任の先生
敗戦後、ジープのGIからガムやチョコを貰ってた。
新品のガムが貰えなかった時は、米兵が噛んで捨てたのを拾って、洗って噛んだとか。
さらには俺が消防1年生の時、「東条英機は偉い人だった」とかって発言・・・
何にも知らなかった俺たちは、長いこと偉い人の代名詞みたいに思ってたorz

どれも、かなり昔の話なんで詳細分からなくて申し訳ない。
720名無し三等兵:2005/12/23(金) 21:04:49 ID:3AXQyGqr
俺のじいさんは強運の持ち主。
まずは中国へ行き
毛沢東八路軍と戦った。100式軽機関銃を持ち
8回の激しい戦闘 待ち伏せ十字砲火に3回合う
特に山越えの時は待ち伏せが多く
八路軍は民間人情報ネットワークを使い
日本軍を待ち伏せ 不利だった。
今と同じで中国軍は卑しくてズル賢かった
戦友は3分の2死に
その後スマトラ勤務
内地へ帰国途中
4隻の輸送船の内3隻は潜水艦にて撃沈
残りの1隻にのっていた。

中国の民間人は当時の日本人から見ても
不潔で豚を放し飼いで家の中行き来してたらしい。

721名無し三等兵:2005/12/23(金) 21:10:07 ID:???
>>715
15年軍隊に居て中国大陸で鳴らした俺の叔父さんもそう言ってたな。
林の中でいくら偽装していてもに人の気配があれば木に鳥が寄り付かんそうで。
内地から運んだ軍馬が良く風土病らしき病気にかかって歩けなくなるんで、
そのたびに糧秣弾薬を人間が大八車で運ぶはめになったり、攻撃を受けると
戦場心理で一箇所に固まろうとする兵隊を元の持ち場に追い散らしたり、
メンタムと正露丸が兵隊の万能薬としての必需品だったとか色々聞いた。
722名無し三等兵:2005/12/23(金) 21:13:58 ID:???
俺の爺ちゃんも「正露丸を1日1粒飲まされた」って言ってたな。
ちなみに中国戦線。
723名無し三等兵:2005/12/23(金) 21:17:13 ID:???
日赤って読んでJRAのことかと思ってしまもた…
724720:2005/12/23(金) 21:22:54 ID:3AXQyGqr
722
中国戦線は不潔との戦いもあったらしいね。
ご飯はカンズメとかではなく
補給部隊がおにぎりとか作って持ってくるらしいね。
100式軽機関銃で遠いところから銃撃戦
撃ちまくり
戦闘が終ってから死体を確認するから
自分が何人殺したとかはわからないそうだ。
725名無し三等兵:2005/12/23(金) 21:43:27 ID:???
726名無し三等兵:2005/12/23(金) 21:44:43 ID:Bl01lSLp
俺のバアちゃんから聞いたんだか
ひいじいちゃんが満州で橋を作っていたみたいそれから
ビルマに行ってまた橋を作って刀をぶら下げて帰ってきたんだって
刀は武器回収にわたしたんだって
727名無し三等兵:2005/12/23(金) 22:56:12 ID:???
>>719
神経や血管もくっついたのかな?
728名無し三等兵:2005/12/24(土) 00:31:36 ID:fRdvyKJv
>>727
気合で付けたんだよ、気合
729名無し三等兵:2005/12/24(土) 01:10:56 ID:???
軍医ってのは普通の医者と違って、「また動くようになるか」じゃなくて「まずその場で生き残れるか」
ってのが最重要課題だから重症患者の手や足なんかぽんぽん切断してたらしいね。
切ってしまえば早く処置が終わって次の患者を診れるから、とかいう理由なのかな。

恐ろしいのは、重症患者が多くなったら「頑張ってやれば助かるかどうかは五分五分」みたいな
患者は死亡と一緒の扱いで放置で、その時間を他の処置さえすれば確実に助かるって患者に
振り分けるとか。

軍人さんはやっぱ気合い入ってないと出来ない職業だな、と思ったよ。
730名無し三等兵:2005/12/24(土) 01:19:03 ID:???
>>729
トリアージですな。映画「パールハーバー」でも看護婦さんたちがやってましたね
今でも自衛隊の衛生科では、その手の訓練を行うそうです
731名無し三等兵:2005/12/24(土) 01:26:18 ID:???
>>729
そうしないと、一段落ついたときに、戦える兵隊さんの数が少なくなってしまうので。
応急手当を終えた軽傷者は、すぐ戦場に送り出せるけど、応急手当を受けただけの重傷者は無理、
応急手当を受けていない軽傷者も無理、となると、軽傷者から優先的に治療という話に。
732名無し三等兵:2005/12/24(土) 02:01:03 ID:KM/EFNpj
>>688
高校時代に旧家の倅がいたが
「古いタンスからこんなのが出てきた」と見せられたのが
ちょうど、ユーゲント来日時の新聞記事。
天理教の信者さんたちと勤労奉仕とかの内容だったかなあ。
あとヒトラーの演説とか、柳家金五楼が寄席での演目のことで憲兵から注意を
受けたとか掲載されてた。
733名無し三等兵:2005/12/24(土) 02:45:11 ID:???
祖父が陸軍の航空機整備隊?に居たそうです。
内地からフィリピンに転属になる途中、台湾の汽車の中で、フィリピンから撤退
してきた大佐だかに、何処へ行くのか聞かれ「フィリピンです」と答えたところ
「あそこはもうダメだ、行かなくてもよい」と言われ台湾に居たら終戦になったそうです、
「フィリピンへ行っていたら生きて帰れなかったかも」と祖父は言っていました。
残念なことに武装解除の際、軍刀作りにした井上真改の刀を取られてしまったそうです、
何処か博物館などに大事に保管されていればいいですが、溶かされたとしたら残念です。
祖母が「だから持って行くなと言ったのに」と残念がっていました。
あと将校になった時に「制服は自分で作らないといけなくて100円?だかかかって高かった」とか
「将校用の皮ブーツ作るにも皮が無くて、知り合いのコネで手に入れた」とか言っていました。
どこまで本当かは判りませんが(笑)
734名無し三等兵:2005/12/24(土) 03:07:50 ID:38TmofLU
図書館にある元日本兵の体験談という話があるが
本当にすさまじいのや映画のスタントマンみたいな体験談が載ってるよ。
ガダルカナルで爆撃を受け 胸に大きな穴が開いて血が噴水みたいに
出てとっさに石ころを詰めて応急したとか
飢え死に寸前の部隊
装備は単発式の三八銃弾数十発と手榴弾数個しかないところへ
アメリカ戦車 重装備部隊に遭遇
映画並みのスタント 横に伏せて
アメリカ戦車2両を搭乗口に手榴弾入れて破壊 とか
735名無し三等兵:2005/12/24(土) 03:17:10 ID:???
>>734
いや、それは文献名出さないと。
736名無し三等兵:2005/12/24(土) 05:59:42 ID:???
>>733
多分海軍ですね。
海軍の略式制服(紺色)は支給品ですが、映画などでよく見る純白の将校用正装は個人で買うものだったそうです。
規定では金銭的余裕がなければ略装でもokだったようですが、現実には借金してでも買わないと制裁されてたとか。
現在の米海軍や英海軍でもそうみたいですね。日本海軍の殆ど全ての規則は英海軍の真似なので、元々英海軍が
そういう決まりだったのかな。

陸軍のことはよく知らないのですが、秘めたる空戦(飛燕独立戦闘隊)で準士官に昇格した主人公が戦死者の遺品を
漁る場面が描写されているので、その場限りの借り物で良かったのかも。
737名無し三等兵:2005/12/24(土) 07:20:47 ID:???
>>733
陸軍も海軍も、士官以上の制服は自費購入です。
それどころか、制式兵器の軍刀(九八式、三式)でさえ自費購入です。
(九四式拳銃は支給ですが、浜田式やブローニングをやはり自費購入してました)
海軍にいたっては、食事まで自前です。
手本にした欧州の軍制がそうなっていたからで、
なぜならば欧州では士官以上は基本的に貴族だからです。

なお、長靴の話が出ているので>>733さんのおじいさんはやはり陸さんでしょう。

>>736
いや、それは第一種(紺)・冬用と第二種(白)・夏用の区別でしかありません。
略式は第三種(緑)・野戦用でしょう。
正装(フルドレス)は蝶ネクタイで別にあります。

旧軍の軍装を知りたければ、中西立太さんの『日本の軍装 1930〜1945』(大日本絵画・ISBN:4499205875・\3,150-)が安価で手に入り易いです。
738名無し三等兵:2005/12/24(土) 07:53:03 ID:???
>>734
三八式は連発銃だよ。
739719:2005/12/24(土) 08:17:32 ID:???
>>727
(亀レスすまそ)
神経や血管はくっ付いてないと思われ。
事実、見た目はその部分は明らかに普通の皮膚の色じゃなかったし
(あえて言うなら『角質化』した部分みたいな色だった)
「この部分は、針を通したって何とも無いんだよw」って言ってた。
740719:2005/12/24(土) 08:34:40 ID:???
(こんなのも思い出した)

担任の先生
灯火管制ネタ。普通の電球の笠部分に黒布を半分被せるのは有名だけど
蛍光灯の場合、蛍光灯自体に真下だけスリットができるように黒い紙を貼る。

避難訓練のとき「『ぼくうずきん』被れ!」って言ってた。
だもんで、長いこと『防災頭巾』でなく『防空頭巾』って思ってた。
741名無し三等兵:2005/12/24(土) 09:15:44 ID:???
ピストルが自前だとは父から聞いていたが
飯代まで自前とは知らなかった
下級士官ではエンゲル係数も大きかったのかな?
742名無し三等兵:2005/12/24(土) 09:22:24 ID:???
貧乏少尉、やりくり中尉、やつとこ大尉、少佐で一息。
中佐で首、てのが陸士の成績が平均的なの人の末路。
743名無し三等兵:2005/12/24(土) 09:57:55 ID:???
父は海兵だったが似たようなものであったか?
中佐、大佐で艦長くらいには、と思っていたようだが
744名無し三等兵:2005/12/24(土) 10:20:36 ID:???
亡くなった爺様は
「軍刀を飲み屋に忘れたせいで士官になれんかった」
「でも、そのおかげで生き延びたのかもしれん」

って言ってたな

爺様の弟さんはインパール作戦で戦死したらしい
墓には陸軍曹長って書いてあった…けっこう偉かったのかな
745名無し三等兵:2005/12/24(土) 13:07:54 ID:???
二つ上がって曹長、でしょうな。
746名無し三等兵:2005/12/24(土) 15:16:53 ID:???
>>744
そりゃ、爺様の言訳だと思われ。
747名無し三等兵:2005/12/24(土) 16:24:37 ID:???
俺の父方の爺さんの兄もインパールで死んだ。遺骨は砂だけ送られてきた。
うちの田舎の方は戦死した人の墓石は一回り大きいので軍人はすぐわかる。
しかしインパールについて調べれば調べるほどこんなくだらん作戦のためにと鬱になる。
748名無し三等兵:2005/12/24(土) 16:26:16 ID:???
>>745
余程、武功が無く、普通に戦死したんなら1階級の特昇だぜ
749信濃:2005/12/24(土) 16:41:48 ID:???
うちの親戚の爺さんの兄が航空母艦「飛龍」に乗っていて、
ミッドウェー海戦で戦死しました。
750名無し三等兵:2005/12/24(土) 16:43:54 ID:???
嘘、乙。
751名無し三等兵:2005/12/24(土) 16:45:45 ID:???
言っている本人が嘘を付いているとは限らないのが戦争談の怖いところ。
752名無し三等兵:2005/12/24(土) 16:49:16 ID:???
てか本当だったら凄いじゃん、正式空母に乗っていたんだからな。
753名無し三等兵:2005/12/24(土) 18:20:23 ID:???
>>741
ぺーぺーの新任少尉さんなんて大変です。
なお、>>642さんが号俸給の話を書いておられますのでご参考下さい。
服務年数が長く号俸が高い上に衣食住すべて官持ちの曹長さんの方がよっぽど金持ってました。

>>742
♪大佐中佐少佐みんな老いぼれ〜てぇ〜
 と言うて大尉にゃ妻があるぅ〜
 女泣かせぇの中尉どのぉ〜
 若いぃ少尉さんにゃ銭がない〜
 
>>747
ウチの田舎では、戦死なされた方は単独でお墓を建てられ、
しかも墓石がオベリスクの様に頂部が尖ってます。
地域や宗派によって違うのですかね。
754名無し三等兵:2005/12/24(土) 20:03:45 ID:???
確か阿川さんの「山本五十六」には
艦隊勤務の時のフルコースの飯代を山本が尉官のかわりに払っていた話があったような。
755名無し三等兵:2005/12/24(土) 20:32:00 ID:???
母方の祖母の姉は一人息子を亡くしています
徴兵されたのか志願だったのかはもう分かりませんが、
戦地への途上輸送船が撃沈されたらしいです
戦後養子をもらい家は存続していますが、居間に掛けられている遺影を見上げれば
真新しい軍服姿が眼に痛いです
実際には会ったこともない昔の人ですが、見るたびに少々気が重くなります
戦争の原因は多々あるのでしょうが、その結果は悲しいですね
勝った戦争でも同じでしょう
756名無し三等兵:2005/12/24(土) 20:37:18 ID:???
うちの爺ちゃん、陸軍兵長だった。
昔は上等兵の次はいきなり伍長だったらしいけど
間に兵長って階級ができちまったせいで伍長になれなかったorzって言ってた。
757名無し三等兵:2005/12/24(土) 20:44:41 ID:???
>>753
給料事情は旧軍も自衛隊も変わらんな・・・
758名無し三等兵:2005/12/24(土) 21:05:54 ID:niCELsWs
じいちゃん。
特務機関とかいうところで中国語を習得して 満州国民になって 日本からは
戸籍もろもろ消滅される身分だったという。
いざ満州国民になり諜報活動しようとしたとき終戦したとか。

くわばら。。。おつかれでした。激動の時代のじいさんたち!

ばあちゃん
女学生として戦闘機工場で働いていると巡視(?)の特攻隊員がばあちゃんを呼び出して
明日出撃しますので あなたの写真をください といわれたがその場で自分の写真
をもっているはずもなく靴にかかれた名前を覚えて分かれたという。
その話を聞いて いてもたってもいられず九州の知覧記念館に飛び出し名前を見つけてきた。
ばあちゃんはちょっとうれしそうだった。特攻記念館。あそこは日本人であれば
いくべき場所だと思う。
759名無し三等兵:2005/12/24(土) 21:12:32 ID:ymI0NQNr
>>758
ええ話や
760名無し三等兵:2005/12/24(土) 21:24:37 ID:niCELsWs
じいちゃんに 怖くなかったのか?って単刀直入にきいてみたら
周りの友達は 予科練や陸軍にいくなか 視力の悪いじいちゃんはいけなかっただとか。
そんな状況下一人でなにもしていないというのが耐えられなかったらしい。
761名無し三等兵:2005/12/24(土) 22:22:46 ID:bjP0wMXK
じいちゃん死んだ
見に行ったけど生きてる感じがしなかったやっぱり死んでた・・・
762名無し三等兵:2005/12/24(土) 22:41:33 ID:???
>>638
飯盛山にはムッソリーニが収めた記念碑もあれば、それよりはずっと目だ立たない小さなものだけど鉄十字のカタチをした記念碑があり、
それらが置いてある山の中腹の広場じゃ観光客相手に剣舞を定期的に披露してるよ。
763名無し三等兵:2005/12/24(土) 22:43:53 ID:bffb1hN3
おれのじいちゃん
上海でジャズバンドやってた、帰国後もジャズをやってたが、、ロカビリーそしてロックに転向
まだ少年だったミッキーカーチスに音楽のテクニックを教える。
日劇ウエスタンカーニバルで、ギターに触れた女を「汚い手で俺のギターに触れるな!!この腐れ女!」との暴言を吐く。
しかし、ビートルズを聴いて、こいつらには勝てない、と悟り引退。
葬式の時には、平尾 昌晃、ミッキーカーチス、安岡力也、内田裕也などなどの花輪が届いた。
764名無し三等兵:2005/12/24(土) 22:46:08 ID:zYD++JID
俺のじっちゃんは農地改革で土地とられたらしい。。。
中学で農地改革習ったときは何も思わなかったけど、親にそのこと教えられたら農地改革行ったアメリカ軍が異常にむかついた・・・
765名無し三等兵:2005/12/24(土) 22:54:00 ID:???
あれでたとえば引退した後の別荘地にでも、と思って買っておいた土地を取られたサラリーマンやら小役人は沢山いるはずですよ
766名無し三等兵:2005/12/24(土) 22:54:31 ID:HZhdhVsb
実家で昔話になるとよく話すのが、うちのばあさまは空襲警報が鳴り響いても


「逃げるのマンドクセ('Α`)」


と、うちのかーちゃんに言い、ぐーぐー寝てたそうだ
うちのかーちゃんは泣きながら弟(伯父)と防空壕に逃げたとよく言ってる
空襲が止み、死体だらけの焼け野原をぴーぴー弟と泣きながら帰ると…
半壊した家でばあちゃん熟睡
長生きする訳だ
767名無し三等兵:2005/12/24(土) 23:23:04 ID:???
うちのじいちゃんは、名古屋で警察をしていた。
5月の空襲時は、連絡途絶で大変だったそうだ。印象に残っているのが名古屋城が炎に包まれている姿。

「きれいだった」そうな。
768名無し三等兵:2005/12/24(土) 23:50:48 ID:9v9HkkNX
うちの里のばあちゃんはいつも大空襲の話をした後、
でもあの頃が一番生きてる感じがして良かったと言ってた。
だから、戦争経験者の反戦コメントはなんかウソ臭く感じる
時がある。
769名無し三等兵:2005/12/25(日) 00:26:52 ID:???
うちのじいちゃんは特攻隊に志願してて戦争がもう少し長引いたら飛んでたらしい。
いやー、飛ばなくて良かった良かった
770名無し三等兵:2005/12/25(日) 00:44:55 ID:???
>>766
ワロタw
肝の太いお祖母様ですね。
771733:2005/12/25(日) 00:49:54 ID:???
軍人手帳見たら、「機関(九九双)ノ修習ヲ命ズ」などと書いてあったので九九双軽の
エンジン整備してたんですかね。 台湾からの復員はリバティー号だったそうです。
あと質問スレにも書いたのですが回答がなかったのでついでに聞かせてください、
旧日本陸軍の軍人手帳の履歴欄は自分で書き入れるのでしょうか? 違うとしたら誰が書くものですか?
後、終戦まで軍籍に居たはずの人の軍人手帳の歴履欄に昭和18年ぐらいまでしか書き込みがないのは、
ありえるのでしょうか? 例外的だとしたら、どのような理由が考えられるんでしょうか?
772名無し三等兵:2005/12/25(日) 00:57:05 ID:ny/TPgTf
>>753
「○○家先祖代々の墓」に入ったなら別だが
戦死者の墓石は大抵はその形。
裏や側面には戦死場所も刻まれている。
773名無し三等兵:2005/12/25(日) 01:54:11 ID:???
うちの爺さまは純粋な日本人だったが満州鉄道勤務で、満州国に骨を埋める覚悟で満州国籍取得したらしい。
そしたら戦争終わって婆さまは帰って来れたが爺さまの日本国籍がないんで入国拒否。それから60年、爺さまと婆さまは
ずっと離ればなれのまま。
20年くらい前までは婆さまと一緒に韓国渡って爺さまと逢瀬するのが毎年の通例だったが、10年前に爺さまが
亡くなってからは婆さまのボケが加速的に進んで痛々しかった。話すことが満州に居た頃の話ばかりで。
今年の夏にとうとうその婆さまも亡くなったんだが、天国で仲良くやってるといいなぁ。
774名無し三等兵:2005/12/25(日) 20:49:33 ID:???
いわゆる満州国は建国から崩壊まで国籍法を制定しなかったので、
「満州国籍取得」なんてことはありえないんだが。

国籍法を制定しなかった理由は、当時の日本の国籍法の規定で、自ら志望して外国国籍を取得すると
日本国籍を喪失することになってしまうので、移民した日本人に満州国籍を取らせることが
不都合だったからということなんだ。
775名無し三等兵:2005/12/25(日) 23:44:50 ID:???
俺の先祖は白河藩の武士だったってさ
でひいじいちゃんかじいちゃんは天皇陛下を守る軍隊に入っていたってさ
天皇を守る軍隊ってどんななの?
776名無し三等兵:2005/12/26(月) 00:15:52 ID:???
>>775
近衛師団かな?すっげぇエリートらしいぞ
婆ちゃんが「親戚に近衛第1連隊の人がいてね〜」って自慢してた
777名無し三等兵:2005/12/26(月) 00:19:29 ID:Er1O1TEV
俺の母方のじいちゃんは在日1世で朝鮮戦争に参加したそうだ。
何とか警備隊(?)に入隊してしばらくしたら戦争が始まり、ソウル郊外で戦っていたが壊滅状態となりテグまで逃げながら戦ったらしい。
その後、敗残兵をかき集めた寄せ集め部隊であちこちを転戦。目標もクソもなく、目に付く北朝鮮軍部隊を待ち伏せて素早く攻撃し、すばやく立ち去る。
戦利品の小銃や食料をかっぱらい、ゲリラのような戦いだったそうだ。
先頭の後、敵兵の死体を確認している最中に、戦友が敵兵の死体の中に自分の親戚を見つけ「なぜ親戚同士で…」と泣き崩れた事があった。
このときばかりは何とも言えない気持ちになったと言っていた。

「アカに一泡ふかせてやりたかったがな、あいつらタンクで来るんだ」
「ゲランド(ガーランド?)銃は強い鉄砲だけど、タンクにはきかんかった」


戦争終了まで生き残ったが、「またアカが攻めてきたらタマラン」といって日本に移住し工員として暮らした。
今でも北朝鮮のニュースが出るたび「アカの戦車はな…」と少したどたどしい日本語で昔話を始める。
皆はうざったと言ってるが、俺はじいちゃんの昔話が嫌いじゃない。
778名無し三等兵:2005/12/26(月) 00:20:24 ID:Er1O1TEV
訂正だ、スマン
×皆はうざったと言ってるが
○皆はうざったがっているが
779名無し三等兵:2005/12/26(月) 00:40:14 ID:???
>>777
「ブラザーフッド」のような話だな…
時代の生き証人の話は、聞いておくべきだと思う(除く中帰連等の洗脳済み団体)

おまいさんはエライ!
780名無し三等兵:2005/12/26(月) 01:06:59 ID:o6OkqQ1/
>>776
親族が町の有力者・名士の類い。
もしくは、それらの推薦人がいるんだったんじゃなかった?
781名無し三等兵:2005/12/26(月) 01:21:50 ID:???
>777
ZPV送りだったんですね・・・。
戦車が来たら逃げるんですよね。
782名無し三等兵:2005/12/26(月) 07:13:30 ID:???
>>781
zbvだ、ケツの穴め!
783名無し三等兵:2005/12/26(月) 11:58:30 ID:???
>>777
もっと話を聞いていただきたいなあ。
784名無し三等兵:2005/12/26(月) 14:22:46 ID:enpYUlHQ
>>777
大事にしてあげなさい
785名無し三等兵:2005/12/26(月) 14:23:21 ID:9Tz5rIxx
俺のばーちゃんの弟
大和の砲手だったらしい
786名無し三等兵:2005/12/26(月) 14:35:06 ID:F4dTrcht
家のじーさん国民学校にいたら学校のすぐ近くに爆弾がドカーン!!
家のじーさんの父さんは海軍で艦とともに沈んだ
787名無し三等兵:2005/12/26(月) 17:58:59 ID:???
>>785
どの砲だ

>>786
どの艦だ
788名無し三等兵:2005/12/26(月) 18:08:44 ID:F4dTrcht
わからん
789名無し三等兵:2005/12/26(月) 21:28:52 ID:apJX4imf
>>764
うちも同じだ。
幕末にご先祖様が出資した干拓事業で広大な農地を手にするも
爺さんの代、戦時中に某財閥系企業に工場用地としてに「御国の為」と
二束三文で買い叩かれ、戦後は農地改革で・・・。
でも、農地改革で土地を手に入れた人はほとんどが手放して人手に
渡ってるんだよな。
とりあえず、孫のオイラは某財閥系企業が造ってる車は絶対買わないと
心に誓った。
790名無し三等兵:2005/12/26(月) 22:07:03 ID:???
某ブログより

じいちゃんは18歳で海軍へ入りました。まだ真珠湾攻撃の前です。
佐世保で数ヶ月、その後横須賀や中国で数年訓練をした後、
広島の呉港に停泊中の戦艦「長門」で艦隊訓練をしたそうです。
じいちゃんの役割は2連、3連機銃の責任者。
なんと「男たちの大和」で中村獅童演じる役柄とほとんど一緒!
映画を見た方はご存知と思いますが当時機銃は4人から6人くらいで
一つの機銃を担当していました。目標を決める者、操作する者、
弾を補充する者。誰かが負傷すれば誰かが補完しながら敵戦闘機を撃ちます。

じいちゃんはその目標を決める係だったそうですが、戦闘中敵の弾に当たった
仲間の代わりに仰角の操作と実際の射撃を担当したそうです。
目測で距離を測りながらできるだけ引きつけ、魚雷や爆弾を投下される前に撃つ。
落とせなくても、相手の体勢をちょっとでも崩せば当時の爆弾は艦体に当たらない。
それだけ戦闘機から爆弾を投下し目標に当てると言うのは難しい。と言っていました。

実際の戦闘は「長門」ではなく別の護衛艦でマニラ湾の補給船団を護衛中、
敵機に遭遇したときなど3回。3回目の戦闘で船が沈没、乗る船の無くなった
じいちゃんたちは近くの日本軍基地で待機中終戦を迎えたそうです。
791名無し三等兵:2005/12/26(月) 23:09:22 ID:yW/emil8
過去に彩雲の搭乗員だったおじいちゃんと偶然飲み屋で会って一緒に飲んだ事があります。旋回銃は豆鉄砲だからグラマン等に遭遇したら逃げろと言われていたそうだ。ワレニ オイツク グラマンナシは有名ですねと言ったら嬉しそうだった。  とても貴重な体験でした。
792名無し三等兵:2005/12/26(月) 23:10:43 ID:???
ウソツケ
793名無し三等兵:2005/12/26(月) 23:18:38 ID:yQT3na+Z
5年前に寝台車に乗った時に昔満州国空軍の○○将軍の副官だったて爺様と一緒なって、一式戦の操縦を外人部隊に教えてたそうだが、ほかに物凄い話もしてたが、あの時は法螺話だと思ったが調べてみたらホントみたいだ?もっと詳しく話し聞けばよかったて後悔してます。
794名無し三等兵:2005/12/26(月) 23:22:46 ID:???
ウチの爺様は、調布あたりでどうの・・
もしかして、調布飛行場と関係あるのか?
795アリス ◆Qihw4KuBGc :2005/12/26(月) 23:25:51 ID:4Z7hSgtU
おじいちゃんは天皇の前で飛んだことあるそうです。
796名無し三等兵:2005/12/26(月) 23:26:36 ID:???
帝都防空の要だからね、調布
797名無し三等兵:2005/12/26(月) 23:27:59 ID:???
銀河乗っていたじーさんに飲み屋であった事あるな。
上官に不調の機上レーダーを気合で直せと言われて大変だったと。
798名無し三等兵:2005/12/26(月) 23:39:06 ID:yW/emil8
頑張れよ。人を信じれない愚か者君。
799名無し三等兵:2005/12/27(火) 01:07:20 ID:M0Bkxa8Q
うちのじいちゃんは善通寺の11師団(だったと思う)の所属で、
ウースン上陸作戦に参加したと言っていた。
軍医の助手だったということで直接戦闘に参加はしていないらしい。
その後コレラに感染してしまい日本へ帰ってきた。
かなり体が弱っていたみたいで、その後の太平洋戦争中は陸軍省勤務
(下っ端の事務仕事)だった。

じいちゃんの兄は戦車乗りだと言っていた。
どんな戦車に乗っていたのか子供のころに聞いたが、
ルノー→89式→乗車中地雷を踏んで負傷、内地へ。

結局二人とも太平洋戦争中はずっと日本にいたらしい。
800名無し三等兵:2005/12/27(火) 01:58:24 ID:VaB0w1le
じいちゃんはガダルカナル島に行っていたらしいのだが
ジャングルの中で竹を踏んでしまい(足の甲を貫通)
本土に送り返されたとのこと。
801名無し三等兵:2005/12/27(火) 03:00:44 ID:???
満州独立歩兵大隊ってとこにいた父方のじいちゃん曰く「馬賊が一番怖かった」
80239:2005/12/27(火) 03:06:16 ID:R5sKLyOg
母方のじーちゃんだけど、猿島っていう敷設艇に乗ってた。
グアムやサイパンにも行ったって言ってた。あと時には輸送船みたいなこともしたとか。
1944年に小笠原付近で攻撃にあって沈んだんだけど、その時銃撃の破片?が左腕にあたって、
それが元で左手が若干不自由。
泳いで近くの弟島に逃げたんだけど、救助がくるまで悲惨だったって言ってた。
薬も包帯も満足に無い、で自分の腕に蛆が沸いた時は死ぬと思ったって。
幸い助かって横須賀の海軍病院で終戦を迎えた。
後で分かったことだけど、猿島の乗組員は殆どが亡くなったらしい。

毎年終戦記念日は、テレビの中継画面を何も言わずにじっと見ています。
803名無し三等兵:2005/12/27(火) 03:09:43 ID:R5sKLyOg
802の39っていう名前は間違いorz
804名無し三等兵:2005/12/27(火) 04:54:05 ID:elORb3Ct
満州で飛行機から写真とってた
805名無し三等兵:2005/12/27(火) 06:55:10 ID:???
戦後の調布飛行場には坂井三郎氏の自前のセスナ(どこかから贈呈された?)が置いてあって、
坂井氏が飛行するときは管制官には内緒で曲芸飛行することがあったらしい。

806名無し三等兵:2005/12/27(火) 09:09:27 ID:???
>>801
揚子江の上流で戦ってたウチの爺さんは
「馬賊は一番楽勝。あいつら日本のヤクザと同じで、近所の人から金をたかるために日本軍に抵抗してるふりしてただけ」
って言ってたぞ

んで
「毛沢東の共産党軍は、やる気はあるけど技術無し」
「蒋介石の国民党軍が一番ヤバい、日本で訓練を受けたプロが混じってるから」
とか言ってたな
807名無し三等兵:2005/12/27(火) 09:25:12 ID:???
一体おまえらのじいさんは何人いるんだと小一時間(ry
808名無し三等兵:2005/12/27(火) 10:04:27 ID:???
人の爺さんの話や、聞いた話会った話も含まれてるからな。
珍しくアンチの少ない良スレなんだから、まぁそう目くじら立てなさんな。
イヤなら「自作自演厨に騙されてるヴァカの集まりのスレ」とでも思って読むのやめたらいい。
809785:2005/12/27(火) 12:01:07 ID:ZJgHq+I1
>>787
どの砲か聞いてない俺の母親から聞いた話
戦闘が始まったら分厚い扉で塞がれ、出してもらえない
たぶんそのまま海に沈んだんやろね〜
そんなふうに聞いた
また、しってる事聞いとくわ
810名無し三等兵:2005/12/27(火) 13:40:22 ID:vaEMhb7i
前から不思議に思うが、年寄りが集まると必ず兵隊の時の話をするが、シベリアとか南の島とかで死にそうな目あったりしたのにあの時ここを撃たれたとか苦労話をうれしそうに話すが、聞いてて自慢話に思えてくるんだけど?皆さんもそんな経験ありますか?
811名無し三等兵:2005/12/27(火) 13:42:47 ID:???
>>805
坂井氏って操縦士免許持ってたの?
812名無し三等兵:2005/12/27(火) 13:53:58 ID:???
>>810
病気自慢みたいなもんだ

「俺肝臓悪くてさぁ」
「俺なんか肝臓も腎臓も悪いよw」
「お前らなんてまだ健康な方さ俺なんか……」
813名無し三等兵:2005/12/27(火) 13:57:27 ID:???
>>810
私事で悪いが、俺は地方の高校の弱小野球部出身だ
当時の顧問のシゴキや先輩に殴られたことや予選一回戦で大差で負けた悔しさや、今は笑いながら話せる
チームメイトとなら尚更な
言うのも恥ずかしいが、あの野球部に俺の青春があった
多分爺さんたちの青春が戦場にあるんだろう


おっさんになればわかるよ
814名無し三等兵:2005/12/27(火) 14:03:57 ID:???
>>811
持ってる。アメリカでもしょっちゅう飛んでた。
815名無し三等兵:2005/12/27(火) 14:05:33 ID:fCSptKb9
海軍造船技官、平賀譲氏のお孫さんと、某喫茶店の常連で週に一度はお会いし、たわいも無い雑談に花を咲かせております。
そのお孫さんも設計関係の仕事をしております。
大和や夕張、古鷹型、妙高型の話題も良く出ますよ。
816名無し三等兵:2005/12/27(火) 14:18:45 ID:O3uuwtAO
うちの祖父は第二次世界大戦で中国に自分から出兵しました。なぜかと言うと、早くから兵隊になると、二等兵より階級が上がるからです。
817名無し三等兵:2005/12/27(火) 14:21:47 ID:O3uuwtAO
うちの祖父は第二次世界大戦で中国に自分から出兵しました。なぜかと言うと、早くから兵隊になると、二等兵より階級が上がるからです。
818名無し三等兵:2005/12/27(火) 14:45:48 ID:Sp/ryJfK
>>814
昔、TV番組で見たけど
プレーンズ・オブ・フェイムで零戦のコクピットに座り
「今でも操縦できますか?」と聞かれて
「自転車と同じで、一度覚えたら忘れない」
という意味のことをおっしゃってましたね。
819名無し三等兵:2005/12/27(火) 15:25:56 ID:vaEMhb7i
>>810です。ちなみにお話うかがったのは陸軍の下士官たちで、ちっとも戦争を反省してないみたいで,流石は6師団頼もしい方々でした。あと海軍にいた方は連合艦隊がいかに素晴しいかを力説してました。あと彼らは口々に自衛隊の制服はカッコ悪いと言ってました。
820名無し三等兵:2005/12/27(火) 17:08:48 ID:???
家のヒイじいさんは、第二次のとき伍長で砲兵だったらしい。
821名無し三等兵:2005/12/27(火) 17:46:57 ID:F0p1OKWl
じいちゃんの話しではないが、
某芸術学校の学長が厨房のころ、遅刻ばっかりしていた。
しまいには怒られて、お前は防空壕掘ってろ!! と。

夏のある日、いつものように防空壕を掘っていたところ、
猛烈な閃光と衝撃がきた。
こりゃ大変だと思って壕からでると、辺りの風景が無くなっていた。

822名無し三等兵:2005/12/27(火) 18:36:03 ID:???
うちの祖父の兄はドイツ人でした。第二次世界大戦のときフランスの
戦車に手榴弾を投げて中の乗員をあの世に送ったと言っていました。
ドイツが降伏したときソ連兵に足を撃たれたらしくそのあとが生生しく
のこってます。
823名無し三等兵 :2005/12/27(火) 19:16:55 ID:???
祖父の兄がドイツ人?
824名無し三等兵:2005/12/27(火) 19:29:36 ID:???
祖父が日本人で祖父の兄がドイツ人、とか書いてるわけじゃないし。
祖父はここで披露するような話は特にない普通のドイツ人なんだろ。
825名無し三等兵:2005/12/27(火) 19:33:43 ID:???
>>810
俺の彼女が介護関係の仕事をしてた時に、その老人ホームではじーさん達の間で陸軍閥と海軍閥が
あって何かと張り合っていたそうな。
軍隊出身のじじいは仲間が集まると妙に元気になって規則を守らないんで困るってさ。
よく、若い頃の写真を見せてもらったが、彼女はなにも判らないんで聞き流すだけ。
ばーちゃん達には海軍士官だった人が人気があったりしていた。
でも、軍隊に行かなかったじーさん達は所内でもショボーンとしていて可愛そうだったってさ。
826名無し三等兵:2005/12/27(火) 20:53:47 ID:eNBd8C4E
>>822
祖父の兄の中の人は大変だな。w
827名無し三等兵:2005/12/27(火) 20:59:23 ID:2lb8AGgl
なぁ…わざわざ「彼女」って言うのやめてけれotl悲しくなるす(´・ω・`)_且~~
828名無し三等兵:2005/12/27(火) 21:02:51 ID:???
>>825
藻前の彼女に軍隊式号令を覚えされるのだ。
そうすれば爺様方も規律良く行動するだろう。
829825:2005/12/27(火) 21:36:32 ID:???
>>827
...スマソ

>>828
介護の偉いオバサンに言わせるとこれは一種の「兵隊ボケ」だそうだ。
過去の記憶がフラッシュバックしている今こそ色んな逸話を聞きだせるチャンスだろうが。
830名無し三等兵:2005/12/27(火) 21:57:57 ID:???
>>825
そして起床と就寝はラッパを放送すると
831名無し三等兵:2005/12/27(火) 23:33:51 ID:???
>>830
それやるとマジヤバイよ。

相手がノってしまうと手が付けられなくなる。
ボケ老人に「冗談です。」って言っても、通用しないから。
832名無し三等兵:2005/12/27(火) 23:41:36 ID:JbTTqKF6
>>140うちのおじいさんも暁部隊だったらしい…広島の話もきいた。
833名無し三等兵:2005/12/28(水) 00:04:42 ID:???
祝・防衛省発足
834名無し三等兵:2005/12/28(水) 00:35:02 ID:SF4ypRza
>>831
うちの爺さんは金曜ロードショーのラピュタの
パズーのラッパに反応して、軍隊のことを話し始めたことがある。
年寄りは何に反応するか予測できない。
835名無し三等兵:2005/12/28(水) 03:14:45 ID:???
以前、自分は大戦時代に陸軍航空隊にいて「隼」に乗っていたと言った爺さんがいたね
あの頃は航空隊に所属したパイロットはモテモテで、女性の方が次々と言い寄ってきたとか言っていたっけ。。
836名無し三等兵:2005/12/28(水) 05:36:07 ID:???
うちのじい様は空母「赤城」ではない「あかぎ」に乗っていたらしいのだが
ご存知の方いらっしゃいますか?飛来する米軍機の数を数えるのが主な任務
だったとか。
837名無し三等兵:2005/12/28(水) 07:22:17 ID:???
>>836
赤城(あかぎ)の名前が付けられていたのは、
ご指摘の航空母艦↓と、
ttp://military.sakura.ne.jp/navy/a_amagi.htm
明治十八年に建造された古い砲艦↓の二隻です。
ttp://military.sakura.ne.jp/navy/o_maya.htm
摩耶型砲艦の「赤城」の方も、民間に払い下げられながらも第二次大戦中健在です。

ただ、カキコの内容からすると↓『特設監視艇』
ttp://www.iwojima.jp/data/kuroshio.html
の活動内容に思えます。
特設監視艇は、遠洋漁船や輸送船などの民間船を徴用したものですので、
民間が勝手に名付けた別の「あかぎ」なのかもしれません。
838名無し三等兵:2005/12/28(水) 08:24:45 ID:???
>>836
徴用されて太平洋の見張りにまわった漁船ではないかと推測されます。
839名無し三等兵:2005/12/28(水) 11:08:37 ID:Ye3TewzK
>831
総員!おこ〜し!(KAN!KAN!)
840名無し三等兵:2005/12/28(水) 11:58:09 ID:???
ラッパ絡みで思い出した

陸上自衛隊の某駐屯地では、下手なラッパを吹くと旧軍でラッパ手だったおじいちゃんが
「へたくそー!」
って怒ってくるらしい
841名無し三等兵:2005/12/28(水) 16:04:55 ID:???
>>724
100式軽機関銃って何?
試作兵器でも使わされたのかw
842名無し三等兵:2005/12/28(水) 17:02:51 ID:???
自分のひい爺さんは代議士だったが戦争反対みたいなことを唱えてたら、東条さんの逆鱗に触れてサイパン送り。
50歳くらい?だったらしいけど最期は「この戦争は間違っている」と自ら弾を浴びて戦死。
命日も詳しいこともよく分からないまま

そしてBF2にはまって勉強ろくにしていない曾孫の高校生…
ごめんなさい…




余談だけど住んでる地域が大和・有賀艦長の故郷近くです
843名無し三等兵:2005/12/28(水) 17:07:49 ID:???
なにそれその松前重義
844名無し三等兵:2005/12/28(水) 17:48:59 ID:???
>>841
ttp://www.warbirds.jp/ansq/4/D2000289.html
まあ知ってて煽ってるんだろうけど。
845名無し三等兵:2005/12/28(水) 19:56:40 ID:???
うちのじいちゃん昨日から意識不明
今年いっぱい持つかどうか・・・
846名無し三等兵:2005/12/28(水) 20:32:14 ID:???
>>844
LMGとSMGは違うという軍板らしいつっこみじゃないの?
847名無し三等兵:2005/12/28(水) 20:39:29 ID:???
>>845
大変だがここはそういうのを報告するスレだろうか・・・

つ 鶴
848名無し三等兵:2005/12/28(水) 21:16:37 ID:???
つ 鶴
849名無し三等兵:2005/12/28(水) 21:20:31 ID:rKcs9iz3
つ 翔鶴(ウォーターラインシリーズ)
850名無し三等兵:2005/12/28(水) 21:41:26 ID:???
遅レスで見ていないかもしれませんが,>>248さん,

僕の祖父は,最初司政官としてボルネオに赴任.(本職は県庁職員)
大分旗色が悪くなってから,ボルネオ守備隊(灘9801部隊)に
現地召集されたそうです.

もしかしたら,戦友だったかもしれませんね.
851名無し三等兵:2005/12/28(水) 21:41:28 ID:???
つ 瑞鶴
852名無し三等兵:2005/12/28(水) 22:18:21 ID:???
今、テロ朝でナベツネが靖国参拝批判してるぞ。
853名無し三等兵:2005/12/28(水) 22:44:26 ID:???
>>845
つ鶴   

俺のじいさん戦時中は関東軍の中尉さんでした。秀才だったから出世が早かったとか。
中隊(?)を率いてソ連軍と激闘した。戦後おきまりの抑留。軍刀を拳銃で撃って折ったらしい。
帰国後は大金持ちに。んで最近ポックリと逝っちまった。ちなみに若い頃はイケメン。
じいさんGJ。 で俺はブサで留年必至な工房ですOTL
854名無し三等兵:2005/12/29(木) 00:35:30 ID:mkBZVg/z
これからTBS系に小野田寛郎少尉がご出演されます。
855名無し三等兵:2005/12/29(木) 02:26:09 ID:???
ちとスレ違いかもしれないが・・
漏れの小学校のときの担任が彩雲搭乗員。
海軍体操を教えてもらった。
856名無し三等兵:2005/12/29(木) 06:07:39 ID:???
>>837
>>838
レスありがとうございます。過酷だったんですね。じい様よく
無事で復員できたものだ。じい様の弟さんは潜水艦乗りで
南方で戦死されています。
857名無し三等兵:2005/12/29(木) 10:10:48 ID:nRKV9/hn
ただ今、実家の離れを掃除中に大正、昭和初期の尋常小、旧制中の教科書多数を発見しました。
この板の方が興味を持たれるであろう学校教練教科書の上下、大正時代の地理要覧、修身教科書含。
おこがましいですが、できる範囲で質問をお受けします。
858名無し三等兵:2005/12/29(木) 10:19:55 ID:LCLS7WkF
うちのじい様は鴨川の浜で訓練受けたみたい。召集はされなかった。17歳だったから。川崎やら横浜が空襲受けてるのがみえたらしい。また親戚の家には機銃掃射のあとが残っている。
859名無し三等兵:2005/12/29(木) 10:24:13 ID:nRKV9/hn
連投申し訳ありません。
書き込んでから少しスレ違いの様に感じています。
適切なスレがあるなら、有志の方に誘導をお願いします。
罪滅ぼしになるか解りませんが、実家から帰ったときに、実家に存在する砲弾の弾頭らしき物等UPします。その際はここに報告に参ります。
860名無し三等兵:2005/12/29(木) 10:29:49 ID:???
ここで問題ないんでないかい?

地理要覧って地図帳みたいなもんかな?
中国ってどういう表記になってる?満州国以外だけど
チベットって国扱いなんかね?
861名無し三等兵:2005/12/29(木) 10:54:17 ID:nRKV9/hn
860様
世界精図
東京 帝国書院 蔵版
昭和二年 訂正発行

支那は細かく区分けされ、国境線扱いで、
支那本部、満州、蒙古、新?(SIN KIANG)、青海、西蔵(TIBET)
と表記されております。
862名無し三等兵:2005/12/29(木) 10:56:42 ID:DeC6v5VQ
質問!多摩は東京都扱いですか?
教練ってのは具体的にはどのくらいのレベルで行われたんですか?
教官が射撃したり、実際に生徒が射撃したりはありませんよね?
863名無し三等兵:2005/12/29(木) 11:01:46 ID:nRKV9/hn
掃除を再開したら大変貴重な物を発見しました。
無記入の赤紙を発見しました。
国民兵召集令状のほうで、ピンクではなく、まさに血の赤色をしています。
これも正月あけにUPしますが、質問があればどうぞ。
864名無し三等兵:2005/12/29(木) 11:17:45 ID:nRKV9/hn
多摩はまってください。
学校教練はどれ程消化したか解りませんが、精神、各個、集団の教練があり、書き込み等から推測するに機関銃の打ち方や擲弾筒、38式歩兵銃の構造、操作に一定の理解があったと言えるでしょう。
865名無し三等兵:2005/12/29(木) 13:17:02 ID:???
>>862
「東京都」なんてのは大戦中に東京府と東京市を合同したものだ。
昭和2年なら東京市も拡大前の旧15区の時代で、多摩地区を含む他は東京府の管轄。
ついでに書いておくと、現在の渋谷駅も新宿駅も池袋駅もまだ東京市外の郡部。
866名無し三等兵:2005/12/29(木) 13:22:08 ID:???
>>862
戦前の地図と現在の地図を見比べようとか思ってるなら、余所の都市を参考にした方がいい。
東京、広島、長崎を始め日本の主要都市はほとんど一度焼け野原になった状態から再生してるから、
道路網なんかの交通や住民分布なんかがごっそり変化した例が多い。

名古屋の片側5車線道路が焼け野原後に建設されたから住民密集地の中にあるのにあれだけの
広さを取れた、って話もあった気がする。
867名無し三等兵:2005/12/29(木) 14:13:22 ID:???
そうなんですよ。都市計画の担当者の間じゃ伝説。
10年ほど前の地震の後、某死野糞でも被害が判明するにつれ万せー状態だったとか。
868名無し三等兵:2005/12/30(金) 09:57:21 ID:???
>>844
軽機関銃と短機関銃は別物。
869名無し三等兵:2005/12/30(金) 10:04:30 ID:???
でもね、以外と寺社と街道の流れ方は江戸の頃から実はほとんど変わっていない、って言う説もあって、江戸時代の古地図でも結構使おうと思えば使えるそうだよ。
ある時代小説家がそうやって江戸の町を歩くつもりになって東京を歩いているそうだ。
870名無し三等兵:2005/12/30(金) 12:22:02 ID:???
国道1・2・3号線が江戸時代の東海道なんかの街道をほとんどそのまま通ってるのと一緒だな。
あと、焼け野原になった後も交通要所の近く(大道路、鉄道)から復興が進んだから市街地なんかも
あまり変化していないって話もある。
871名無し三等兵:2005/12/30(金) 14:39:16 ID:+Kxyx/aE
私は祖父から直接、戦争の話を聞いた
ことはないのですが
山形出身の祖父はニューギニアの前線で機関銃を撃っていたようです。
祖母が祖父の数少ない生き残った戦友から聞いた話では祖父は前線に
いたからこそ敵の弾道をみることができ生き残れたのだと。
そして、ニューギニアの過酷な環境の中かでは人肉を食らわなければ
生きのこることは不可能だったと・・・
戦後、祖父はニューギニアの体験が相当ショックな出来事だったようで
私たち家族また他人にも、その体験を話すことはなく死んでいった。
そんな祖父が生きてる間、かかさず毎日やっていたことがある。
それは、近くにある護国神社に参拝することであった。そこで祖父はニューギニア
で死んでいった戦友の一人一人の名前を呼んでいたそうです。
その日課は頭がボケてからも行われていたそうです。
そんな祖父が体験した南方戦線がどのようなものであったかを私は最近、調べたい
と思うようになった。ぜひ、その足しになるような本があれば教えていただけたら
嬉しいとおもいます。
872名無し地球市民 ◆ZpUnXqLb2U :2005/12/30(金) 15:17:36 ID:???
>871
前段と後段で話が食い違っているのはサヨクオリティという事で宜しいか?
873名無し三等兵:2005/12/30(金) 15:23:05 ID:CuBDd11g
>>872
英霊のために靖国参拝を推進すべきという論旨かと思ったが
874名無し三等兵:2005/12/30(金) 16:32:55 ID:???
黒豚狩りや白豚撃ちで何とか命を繋いだと読めました。
875名無し三等兵:2005/12/30(金) 18:14:48 ID:QyJXZbfa
>>872
どこで前段と後段が食い違ってるというように解釈したのか。
876名無し三等兵:2005/12/30(金) 19:51:42 ID:???
うちの祖父はインパールの生き残り。
所属は騎兵27連隊。しかも徴用ながら准尉だというがほんとかどうかはわからん。
帳簿つけができたらしく経理等もしていたらしく数年前までは酔うとムッターの悪口を言っていたよ。
一式砲戦車(ホニTだったっけか)も知っていた。
今はボケがはじまり鮮明ではないようだがまだ存命。5年くらい前までは元日は靖国へ参拝しに行っていたよ。
俺は代わりに明後日参拝して軍馬慰霊碑にも参ってくるよ
877名無し三等兵:2005/12/30(金) 20:05:18 ID:???
予備役でお払い箱になつたところ、臨時徴集てやつじゃないのか。
878876:2005/12/30(金) 20:18:10 ID:???
大正6年生まれだからなんとも・・・
除隊せずに残ったとも聞いたきもするが不明確
しかし尉官は応集でもなれるのか?
879名無し三等兵:2005/12/30(金) 20:34:18 ID:???
>>876, 878さん
>帳簿つけができたらしく経理等もしていたらしく

ていうと,乙種幹部候補生だったのではありませんか?
880名無し三等兵:2005/12/30(金) 20:41:17 ID:???
>878
現役志願したらなれるらしい。


881876:2005/12/30(金) 20:41:34 ID:???
>>879
明後日、本人に聞いてはみるがむりぽ
戦友会の本でみてみるかな
882名無し三等兵:2005/12/31(土) 08:42:41 ID:???
京都市、中心部には、2車線道路が1車線になるところが沢山ある。
建物疎開で家を取り壊して防火線を作る途中で戦争が終り。
空襲がほとんど無く、古い家が残り、道が変なままだ。
京都市最大の都市計画工事は、応仁の乱後の、秀吉の工事らしい。
883名無し三等兵:2005/12/31(土) 13:26:50 ID:cxKTqPLX
>>882
建物疎開で家潰されて怒ってる人や、応仁の乱で家燃やされて怒ってる人、未だにいる。
884名無し三等兵:2005/12/31(土) 13:34:17 ID:???
>>882
御池通や五条通は60メートル幅の防火線跡だよ。
戦後に京都市が買収。
885名無し三等兵:2005/12/31(土) 15:17:50 ID:???
禁門の変もどすえ。建物疎開なんぞ、若い若い。
886名無し三等兵:2005/12/31(土) 15:29:08 ID:???
うちのじっちゃんはカービンで敵を撃ちまくってたらしい
ビールと日本酒で真っ赤になった顔をニコニコさせて話てくれた
887名無し三等兵:2005/12/31(土) 19:55:05 ID:???
加州正宗とロブスターでほろ酔い気分ですか。
カッシノの修道院とかバルジのお話よく聞いておいてくだされ。
888名無し三等兵:2005/12/31(土) 20:16:53 ID:???
京都は古都だから爆撃されなかったって説と、原爆投下のためのモデル都市だから爆撃されなかったって説とは
どちらが正しいのかな?
広島や長崎の例を見てると後者が正しい気がするんだけど。
889名無し三等兵:2005/12/31(土) 20:20:42 ID:???
>>888
空襲されてるよ。
890名無し三等兵:2005/12/31(土) 20:36:04 ID:???
>>888
原爆効果のモデル都市として好適だったので原爆完成まで残していたら、
京都に詳しい将官がクレームをつけて京都は除外される事になった。
当初から確固たる文化的価値を認識されて爆撃除外されたわけではない。
891名無し三等兵:2005/12/31(土) 23:21:46 ID:VxQaon3Y
NHK教育テレビで零戦の放送を見ながら祖父と話しました、祖父は熊谷飛行基地で軍属として
勤務していたとのことです。 
山本五十六大将の姿が放映されていましたが、祖父は昭和18年に大将の遺体が東京駅の天皇
専用の乗入れ口から出て皇居へ行くのを見たそうです。
その時棺は荷車で運ばれその上には大将が着用していた白い服と帽子が載せられていたが、
あまり出迎えの人はいなくて寂しく感じたそうです。
また昭和17年4月のドゥーリトル隊のB25による爆撃はその機影を生で見ています。
熊谷飛行基地での出来事では、自身はその場にはいませんでしたが、爆撃を終え宇都宮方向へ
行くP-51(祖父が担当した格納庫に爆弾が落ちた)に対し十数人の兵隊が将校の命令により
38式歩兵銃で射撃したとことです。
(無論撃墜はしていません。)
892名無し三等兵:2005/12/31(土) 23:37:14 ID:???
>>891
空のお棺だったんだろうね・・・。飛行機の破片か何かは入っていたのかな。
私もNHK見ていましたが、海ゆかばを聞きながら涙をこらえるのが必死でしたよ。
食べていた蕎麦をいつもより余計にすすってしまった。
山本五十六は何か特別な気がするね。
893名無し三等兵:2005/12/31(土) 23:55:44 ID:???
遺体は回収されてないの?>山本五十六大将
894名無し三等兵:2005/12/31(土) 23:58:47 ID:???
荷車やなくて砲車だろうが。
皇居じゃなくて海軍省だろうが。
895 【だん吉】 【535円】 :2006/01/01(日) 00:43:25 ID:???
>>893
回収されています。
896892:2006/01/01(日) 00:52:33 ID:???
ごめん、事実誤認していました。
ご遺体はきれいなまま残っていて現地で火葬されたんでしたっけ?
他の事と混同していたのかも。
新年早々済みません。
897名無し三等兵:2006/01/01(日) 00:57:42 ID:???
>>896
座席(一式陸攻の)に背筋を伸ばして座った状態で焼けて固まっていたのをそのまま持って帰ったのでは?
その為、遺体の入った棺桶は三段重ねのピラミッドみたいになっていたハズ。
898名無し三等兵:2006/01/01(日) 01:09:22 ID:???
>>876
ポツダム准尉かもな
899 【大吉】 【799円】 :2006/01/01(日) 01:35:32 ID:???
>>897
現地で荼毘に付すという考えはなかったのかねえ。
900名無し三等兵:2006/01/01(日) 02:03:53 ID:???
新年早々適当なことばっか言ってんじゃないよw
・機外に放り出されていたが外傷はなかった
・現地で荼毘に付してから遺骨を内地へ送還
阿川氏の「山本五十六(下)」より
901名無し三等兵:2006/01/01(日) 10:41:35 ID:???
回収した陸軍の兵隊は全員、処分された。
902名無し三等兵:2006/01/01(日) 14:20:24 ID:???
アフォゆってんじゃねえよ回収したのは海軍陸戦隊だよ。海軍の中の陸戦専門の組織で陸軍とは別。
903876:2006/01/01(日) 17:36:40 ID:???
年始の挨拶行って聞いて来ました。
聞いたところ17年から18年にかけては戸山と習志野にて学校(体育と騎兵)に行っていたとのこと、その後19年にはビルマ(前線)行きを志願したらしい
しかも志願のきっかけは原隊が比島に行ったからだそうで
さらに原隊は輸送中にボカチンし、生き残りもレイテだったらしい
しかしレイテ、ビルマの二者託一かよと・・・
前線ではマラリアに倒れスコールで意識を戻してまた退却だったらしい・・・

まあ、そこで意識戻してなかったらいまの俺はいない訳で
ちなみに応集は12年7月ちょうどろこうきょう(それなりに飲んでいるのでわからん)の日だとか
904名無し三等兵:2006/01/02(月) 22:21:51 ID:???
祖父と父から聞いた話です。
大戦時、樺太で大規模な酪農業を営んでいたそうです。
ソ連兵(ロシケと呼ぶ)達は日本人の土地でもお構い無しに演習・駐屯したそうです。
ソ連軍の戦車が、祖父の酪農地でエンコ・放棄したそうです。
また、人方標的(機銃目標の為並べたもの)と先に述べた戦車で父兄弟達は遊んだそうです。
駐屯と言っても野営せず、祖父の家に20人近く泊まったそうで、祖父は祖母やお年頃の父の姉達
を寝ずの番で守ったそうです。

祖父は戦時中は徴兵されずに10代の頃、旭川第七連隊で一兵卒・重機関銃操縦士だったそうです。
演習の際、上官が蛇を食するのが好きで、よく蛇取りに行かされたそうです。
私が子供の頃、祖父の(これも酪農業w)家に遊びに行き、目の前で青大将を一発で殺しました。
慣れとは怖いものです。
その祖父はスパルタ教育だったらしく、それが源因で父の兄は樺太でもかなり優秀なのにもかかわらず
しかも先生から師範学校をすすめられたのを拒否し憧れの海軍に。
階級はわかりませんが、昭和17年以降なので
三等海兵だと推測します。(他界し、誰もわからないもので)
厚木飛行場で電探士の役目を担ったそうです。
厚木基地は当然、空爆の対象となり焼夷弾の破片を肩に受け負傷。樺太に帰ってきました。

その伯父は残念な事に大東亜戦争について私が興味を持つ前に他界しました。
905名無し三等兵:2006/01/03(火) 12:40:31 ID:???
父に聞いた話

十年前に死んだ祖父(父方)が終戦間際に少尉になっていたらしい
少尉になると聞いた曽祖父の感想
「お前が少尉になるようでは日本も負けだと思ったよ」
そう言った曽祖父は日露戦役に従軍し203高地で
祖父はたいそう悔しかったそうだ
906名無し三等兵:2006/01/03(火) 20:39:39 ID:???
子を視るに親にしかず・・。

203高地帰りの近所の爺様に乃木将軍の歌、歌って貰って、
戦話に喜んでたって良く言われるけど・・
記憶全然無い。






いちお、昭和40年代生まれです。
考えてみたら60年前の話。
漏れの子供にとっちゃ第二次大戦の話にちかいんかなと。
907名無し三等兵:2006/01/04(水) 12:59:59 ID:???
>>900
違う違う。
山本五十六元帥のご遺体は、熱帯地方にもかかわらず無腐敗で
肩から腰にかけて弾が抜けた銃創があったそうです。現地で荼毘。
御遺骨で国葬としました。
908名無し三等兵:2006/01/04(水) 17:40:29 ID:???
909名無し三等兵:2006/01/04(水) 17:51:29 ID:ruTKYgwr
>908
南極のアレクサンダー島に逃亡
910名無し三等兵:2006/01/04(水) 18:34:20 ID:???
>>907が正解。
銃創は生傷で蛆がたかってなかった。顔はしっかり認識できた。
逃亡したのは、義経伝説所以の英雄不死論者の妄想。
911名無し三等兵:2006/01/04(水) 18:36:16 ID:???
僕の祖父は駆潜艇の機関長をしていました。
1943年(詳しい日時は不明)、ラバウル島近海で、米軍機の銃・爆撃を受け、
艇は大破。機銃弾が機関室まで侵入する激しいものだったそうです。
祖父は、羅針盤に身体を括りつけた艇長と、一人では泳げない負傷者を艇に残して、部下を引率して脱出。
泳ぎ続ける事約12時間で近くの島に漂着。ふんどしを長々と伸ばしてサメよけにしたそうです。
島で原住民に保護(拘束?)された後捕虜となり、復員しました。

復員後、祖父は警察官の仕事には戻らず、開拓農民として生きました。
戦後の混乱期、安定した職に戻らなかった事が全てを物語っているように思います。
軍人であった事を示すのは、一枚の写真と勲章だけです。

余談:祖父の家系の直系は泳げなければならないという不文律があり、僕も習いました。
最低限身につけるべき事だそうで・・・。実際役に立ちました。溺死では会わせる顔無し。

912名無し三等兵:2006/01/04(水) 19:21:22 ID:???
昭和4年生まれ
昭和20年5月に予科練に志願、入隊
もはや燃料もなく飛行訓練などあるわけもなく
毎日毎日、防空壕の穴堀ばかりやっていました
913名無し三等兵:2006/01/05(木) 13:26:21 ID:???

>>904
>10代の頃、旭川第七連隊で一兵卒・重機関銃操縦士
漏れの爺ちゃんと同じだね、原隊は旭川で機関銃中隊って言ってたから 
会ったことあったかも


軍籍照会したらその後甲幹になり憲兵試験に合格して終戦で戦犯だったとわかった
最終階級はポツダム少尉
鬼籍に入ったけど
914名無し三等兵:2006/01/05(木) 19:59:13 ID:???
40歳のときに長崎にて原爆に遭う。
防空壕かなんかを掘っていたため助かったみたい。
11時過ぎに大音響がしたので外に出てみると、もう市内は焼け野原‥。
爆心地付近の自宅に帰ったが、家族(奥さん・子供)の遺体は見つからなかったってさ。

そんなじいちゃんも去年の12月、100歳で逝きました‥。
915名無し三等兵:2006/01/05(木) 20:31:55 ID:???
>>914
で、お前は誰の子なんだ…?
916914:2006/01/05(木) 22:33:46 ID:???
>>915
戦後になって今のばあちゃんと再婚しますた。
んで親父が生まれ、漏れというワケ。
だからもしあの日小倉に原爆が落ちてたら漏れはこの世にいなかったのさ‥。
長崎上空も曇りであきらめかけていたとき、一瞬の雲の切れ目を見計らって投下したそうな。

歴史って恐いな。
917名無し三等兵:2006/01/05(木) 23:22:24 ID:???
>>912
昭和4年生まれの孫さんなんだ.
僕の父が昭和5年2月生まれだよ.多分同学年だね.
僕はまだ結婚2年半,小梨.

親父の戦争体験になるけれど・・・
陸軍幼年学校を受験するも,消化器末端の疾病のため身体検査で不合格.
消化器末端に問題があると,乗馬できませんからね.

旧制中学で,畑作りと工場労働の毎日だったそうです.
918名無し三等兵:2006/01/06(金) 02:19:01 ID:AnT+CNu8
歩兵第7連隊=金沢
第7師団=旭川
919名無し三等兵:2006/01/06(金) 02:23:02 ID:???
戦車兵でチハに乗ってたそうな。大連で終戦を迎えたため生還。
ソ連戦車とは戦ってなかったとのこと。
920名無し三等兵:2006/01/06(金) 17:54:04 ID:???
子供の頃、ライチを良く食べた。祖父が好きだったらしい。海外に旅行に
いくと、油で揚げて食べるエビ煎餅みたいなモノや、油揚げの缶詰の
ようなものをよく買ってきていた。

祖父の旅行先は、中国、台湾、新嘉坡、比律賓、サイパン・・・
今思えば、どちらも戦争の記憶と無関係ではなかったのだろう
921名無し三等兵:2006/01/06(金) 19:55:11 ID:???
子供の頃、お爺ちゃんお婆ちゃんにかんろ(甘露?)とかいうあまーい固まり貰ったことない?
今ふと思い出したんだけど、あれって成分何だったんだろう?
戦時中は高級品でめったに食べられなかった、とか聞いたのを思い出した。
922名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:55:57 ID:???
>>872-874
アンデスの聖餐のように泣く泣く仲間の身体を食べて生き延びた、と言うこともあり得るだろう?
何とも悲しい話ではないではありませんか・・・呼びかけた戦友達の中には「俺を喰って生き延びろ」といった奴も居たかも知れない
923名無し三等兵:2006/01/07(土) 01:35:06 ID:???
924名無し三等兵:2006/01/07(土) 08:33:45 ID:???
>>923
おおっ これこれ!
ありがとん 長年の謎が解けたよ!!
925名無し三等兵:2006/01/07(土) 15:30:43 ID:Ok54Z/er
俺の幼稚園のおやつだ・・・
926名無し三等兵:2006/01/07(土) 15:53:12 ID:???
>>925
俺も・・・
927名無し三等兵:2006/01/07(土) 19:04:20 ID:???
今食ってる・・・w

幼稚園と小学校のうちはこれが給食の時に出てきたんだよな
928名無し三等兵:2006/01/07(土) 21:16:56 ID:???
平均年齢微妙に高い・・・
929925:2006/01/07(土) 22:35:23 ID:Ok54Z/er
俺18だよ
930名無し三等兵:2006/01/07(土) 22:42:47 ID:IfPGMHbV
軍艦「最上」の乗り組み員だったおれのじいちゃん。じいちゃんは最上が撃沈され、生き残った少ない生存者のうちの一人だった。じいちゃんは最上に乗船していたときアメリカの戦闘機に甲板上で肩を射たれた。その傷を見たときは戦争は恐ろしいと感じた。
931名無し三等兵:2006/01/07(土) 22:51:06 ID:???
最上は艦橋に命中弾食らって艦長以下の幹部はほぼ全滅だけど、
撃沈されたわけじゃなくて乗員を駆逐艦に移乗した後に自沈だから
「少ない生存者」ってわけじゃないかも。
932名無し三等兵:2006/01/07(土) 22:52:42 ID:???
オレ、被爆3世だが何か?
933名無し三等兵:2006/01/07(土) 22:56:27 ID:???
被爆者って本当に皆左翼なの?
934名無し三等兵:2006/01/07(土) 22:56:57 ID:???
<<932
被爆体験聞かせて!!!!!!!
935名無し三等兵:2006/01/07(土) 22:57:00 ID:???
じいちゃんが正月に写真を見せてくれた
兵隊学校(?)の集合写真に写っている顔はみなキリっとしてて勇ましく見えた
シンガポールで撮ったという写真は人を残して背景がやぶられていた
なぜかと聞くと、風景から場所を特定されるからと命令があったから、とじいちゃんは言った

戦後タイで重労働をさせられた時に、「どうせ最後に殺されるから」と三人が脱走したが、一人が撃たれて皆捕まったという話も聞いた。
じいちゃんはそのうちの一人の写真を持っていて、「この子一人だけが死んでしまったんじゃ、可哀想に」と言っていたので、もしかすると友達だったのかもしれない。

アルバムの写真にはじいちゃんが書いたと思われる「友戦」という字がところどころに残っていた。
じいちゃんの青春を感じた

936名無し三等兵:2006/01/07(土) 22:59:08 ID:???
<<934
いいだろう!(オリエンタルラジオ風)
937名無し三等兵:2006/01/07(土) 23:10:45 ID:???
>>930-931
おじいちゃんは夜戦前の空襲で負傷して艦橋から医療所(?)に引っ込んだんでわ?
938名無し三等兵:2006/01/07(土) 23:19:07 ID:IfPGMHbV
そうなのかな〜?じいちゃんがもういないからな〜
939名無し三等兵:2006/01/07(土) 23:22:36 ID:???
>>932
精子が薄そうだなお前
940憲兵隊:2006/01/08(日) 03:18:36 ID:DDB30V2Z
私は 中一の 頃から 軍事研究してます
辞意ちゃんは いないが 戦争体験の データを 集めていた
まず 父は 15で 志願して 九州 陸軍の たちあらい飛行場で 航空機の整備の 任務に ついていたが 米軍の 空襲を うけ飛行場は 全滅 しかしながら 父は ただ 一人助かった
たちあらい飛行場も 陸軍の 特効隊が あったから
父は 数学が 得意だったが 私は 苦手だった
941名無し三等兵:2006/01/08(日) 10:47:39 ID:???
なぜ憲兵隊がこんな所に・・・
942名無し三等兵:2006/01/08(日) 12:03:54 ID:???
新しいコテハンなの?
943名無し三等兵:2006/01/08(日) 12:05:45 ID:???
>>940
君は数学だけでなく,国語も苦手のようだ.
隊長殿に叱られるぞ.
944名無し三等兵:2006/01/08(日) 13:25:48 ID:???
昔零戦に乗ってた爺さんがいる。
IQは高いはずだが、かなりずれている。例えば
「そろそろ憲法が改正されて自衛隊は自衛軍になりそうだよ」
といったところ
「そんなことしたら日本は滅びますよ」
「滅びますか」
「ああ、だって自衛官は公務員で給料高いだろ」
「うん、世界中の軍隊でもっとも高給なのが自衛隊員だといってもいい」
「それで昔みたいな大きい軍隊を作ったら金が無くなって」
「チョwwwwwマテwwwwアリエナスwwwwwwwwwww」
「え、だから…今は国民の義務が納税と教育で、それに徴兵が加わるんだろ」
「wwwwwマテマテマテマテマテマタンコマテwww今はもう一つ、勤労がある」
「何で!働きたくない奴を働かせたってしょうがないだろ」

と、大昔にはニートは問題にすらなっていなかった事が分かりました。

あと、北朝鮮の話をしていると
「いざとなればね、F-15に爆弾つんで、平壌を爆撃できますよ」
「いや…あれは制空と要撃のみで、ていうかF-2があるから。
 そもそも、いっても帰ってこれない。空中給油はやっと始動したところだし。
 パイロットは、それでも叩きにいくといってるけど」
「昔の特攻じゃないけどね、ミサイルの一つも飛んでくれば、皆ちゃんとしますよ。
 北朝鮮なんか跡形もなくなるよ。
 機体は突っ込ませて、パイロットは潜水艦に助けてもらえばいい」

経験者は語る。
945名無し三等兵:2006/01/08(日) 14:55:11 ID:???
>>943
まてまて、>>940は台湾か半島からの書き込みかも知れんぞ?
946名無し三等兵:2006/01/08(日) 16:03:34 ID:???
確かにそうかも。
異常に日本語があれだから。やさしく対応しろよ。
947名無し三等兵:2006/01/08(日) 23:06:42 ID:???
そういえば、本土上空で陸軍機でB-29?に特攻かました陸軍少尉がいたな。
天ちゃんの耳にも届いて2階級特進。身元を調べたら半島人だったそうな。
陸軍は特攻命令を出してなかったから、半島人なのに勇敢だったということで
その地元では伝説になってるとか。
948名無し三等兵:2006/01/09(月) 10:34:56 ID:???
>>929
俺も・・・
949名無し三等兵:2006/01/09(月) 10:40:07 ID:???
俺もアメリカの掲示板に英語でなんか書き込んでみようかな?
950旧兵隊:2006/01/09(月) 10:49:18 ID:Vi9tJoV1
昔から 日本はマニア ばかりでした と 聞きました。
なぜならば 日本民族はマニアの 気質を 持っているからと言うた。
それは しかしながら60年も 昔の世界も 同じであると証明されたといます。
日本人ですの祖ちちを もつ私は祖ちちはマニアではなかったと思た がまた
祖ちちも否定する。 しばしば私は自分を 自分にとって マニアだと思たが 
加えて事実だ。 

951名無し三等兵:2006/01/09(月) 14:27:06 ID:???
http://www5e.biglobe.ne.jp/~sige90/

ここの最新の更新が一昨年なんだけど・・・管理人さんどうしちゃったのかな・・
それとこのサイトの掲示板荒らしているドキュンがいるのがいて最悪だよ全く。
952名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:45:43 ID:???
>>950貴方は何所の人なんだ?
953名無し三等兵:2006/01/09(月) 20:26:46 ID:???
パソコン覚えたてのリアル戦時体験者かも?
それか、リアル厨房
954名無し三等兵:2006/01/09(月) 20:28:27 ID:???
>>950
おそらくその「マニア」という言葉は「職人」ということだと思われます。
マイスターと同義と捉えてもよさそうですが。
955名無し三等兵:2006/01/10(火) 17:24:26 ID:???
>>947
一杯いますよ。
956名無し三等兵:2006/01/10(火) 21:55:08 ID:???
>>951のサイト カッコイイ!!
957名無し三等兵:2006/01/10(火) 23:22:23 ID:???
私の祖父は殆ど戦争体験について話してくれる事はありませんでしたが、
一度だけ幼い私にお菓子を食べさせながら、話してくれた事がありました。
祖父はビルマで戦っていたそうで、食べる物が無くて本当に辛い思いをしたそうです。
敵のイギリス軍は飛行機を用い、上空から陣地内へ落下傘で食料を落としていたのが見えたそうです。
ある時、その落下傘が敵と味方の陣地の中間点に落ち、
祖父は戦友3〜4名と共に決死の覚悟で奪いに行き、その食料を貪り食べたそうです。
祖父は中にあったキャンディを舐め、自分は特別な存在だと思ったと
しみじみ語っていたのを覚えています。
その時なめてたキャンディーはもちろんヴェルタースオリジナル。
なぜなら私もまた、特別な存在だからです。
958名無し三等兵:2006/01/10(火) 23:56:25 ID:???
おい!
途中までマジで読んでたんだぞ!
959中国在住:2006/01/11(水) 01:24:34 ID:???
>597
ウィスキー吹いたw
960名無し三等兵:2006/01/11(水) 01:49:13 ID:P7fCuaE1
なんでウイスキー吹くの?
961名無し三等兵:2006/01/11(水) 01:59:00 ID:???
バーテン、>>960にミルクを。俺のおごりだ。
962名無し三等兵:2006/01/11(水) 04:44:35 ID:???
>957
wwww
963名無し三等兵:2006/01/11(水) 05:07:59 ID:mKnot3nx
戦時中祖父は中国にいて、大砲を運ぶ馬の引き役だったらしいのですが、どんな部隊ですか?参考になるからわかりませんが「中国人は立ってメシを食うんじゃ」とゆうのが口癖です。
964名無し三等兵:2006/01/11(水) 07:16:54 ID:???
>>963
・・・『砲兵隊』





以外に答え様がないので、御爺様の出身地とか知らせれ
965名無し三等兵:2006/01/11(水) 16:25:41 ID:mKnot3nx
>>964
三重の尾鷲だと思います。
966名無し三等兵:2006/01/11(水) 17:08:20 ID:???
父方の祖父→1941年中国上陸直後に銃の暴発で脇腹に大きな穴作って帰国。終戦。
母方の祖父→1945年3月に35才で臨時招集されるも痔が原因で3日で除隊。
白米炊いて母を含む子供4人で泣きながら見送ったアレはなんだったんだ。
というのは祖母の死ぬまでの定番ネタ。
967名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:37:21 ID:???
うちの婆様なんかの曾爺様が危篤になったてんで、
まだ内地の連隊におった爺様を呼ぼうかどうかと一族で思案しておったところ、
あいにく出張中で連絡がつかず、数日行方不明。
早とちりで「もう主人は内地にはおらんつもりですので結構です」
て連隊に言いよっての。

さすがは「中隊長殿の奥様」て当時はえらく褒められたらすいが。



戦後は死ぬまで爺様がいじけた時のネタでしたな。





968名無し三等兵:2006/01/12(木) 00:56:07 ID:3RRe1G9J
家のじいちゃんは駆逐艦 五月雨の通信兵でした。おじは空母 翔○?に乗っていました。おじは足に敵の玉が入ったまま帰り、戦後に先生をしてました。もう一人は特攻隊でした。生きて帰ってきました。
うちの誇りです。 海軍総指令官山本いそろくの写真も取ってあります。
969名無し三等兵:2006/01/12(木) 01:50:15 ID:wVQnUqJI
うちのじいちゃんは病気してて徴兵検査丙種だったから戦争に行ってないんだよな。
そのあにさんがインパール作戦にいったんだが。山砲兵だか野砲兵だったか。
親戚にもう一人戦争に行った人がいるんだけど、近くに玉砕した島があるにも関わらず
山にマンゴー狩りにいったり、海にせり出している椰子の木に上って熱帯魚を眺めたりと、
かなり呑気だったらしい
970名無し三等兵:2006/01/12(木) 02:03:12 ID:kqg5QehY
うちのじさまは14で特攻隊に志願しました。でも飛行機が無くて通信兵になりました。
971名無し三等兵:2006/01/12(木) 02:12:40 ID:???
>海軍総指令官山本いそろくの写真も取ってあります。

山本いそろくは「連合艦隊司令長官」だよ



972名無し三等兵:2006/01/12(木) 17:16:08 ID:???
このスレよんでて、なんでどいつもこいつもじいさんが幸運で
助かった話ばっかなんだよ。と思ったけど冷静に考えたら
じいさん助かってなかったらここに書き込めない罠w
973名無し三等兵:2006/01/12(木) 17:21:36 ID:???
やあ(´・ω・`)
君なら絶対来ると思っていたよ。
とりあえず君には呪いをかけておいたから、あと3年以内に死ぬよ。
でも呪いを解く方法が一つだけあるんだよ。
http://ex14.2ch.net/news4vip/
この板に「軍板舐めんなよ」とスレ立てするんだ。
健闘を祈るよ。
974名無し三等兵:2006/01/12(木) 22:32:56 ID:???
そんな暴走族きどりをやりたい自転車に乗った不良の厨房みたいな真似しろって言われても・・・・
975名無し三等兵:2006/01/14(土) 22:38:03 ID:msgCrRPP
うちのじいさんは戦争中に川崎の兄貴の家に
居候して大学に通っていましたが、
昭和19年に徴兵されて九州で終戦を迎えました。
じいさんは毎日ひたすら土木作業ばっかりで
上官がどうしようもない馬鹿で、部隊でも不祥事や事故が
多くて、脱走とかで銃殺とかされていたらしい。
その後、じいさんの兄貴は輸送船?に乗っていてフィリピンで撃沈されて戦死。

じいさんは戦後大学を卒業してから→就職→結婚したのですが
結婚相手がなんと義理の姉!戦争が終わってからも
下宿というか一緒に住んでいたので慰めていたのかも
でもこれって兄貴の嫁って法律上OK?

俺がそのことを知ったのはつい最近。
976名無し三等兵:2006/01/14(土) 22:42:11 ID:???
>>975
死亡が確認されるか、されなくても一定期間が過ぎる又は籍抜けば可能。
昔はよくあったことだよ。
977名無し三等兵:2006/01/15(日) 00:11:22 ID:???
>>975
映画「連合艦隊」でも戦死した兄の嫁を弟が頂くという話だったな。
978名無し三等兵:2006/01/15(日) 00:26:54 ID:???
まあ、結婚相手として適正であるか、調べる必要がないからね
979名無し三等兵:2006/01/15(日) 01:40:29 ID:???
>>975
「夫の兄弟」については、「現に配偶者がいる」以外の理由で婚姻を禁止する規定はない。
そもそも血族じゃないから。
戦没者の妻の再婚については、多くは「家」を守る、って理由があったわけだけれども。

戦没者の妻が再婚すると、原則として弔慰金なんかの受給権がなくなるんだが、
「遺族との再婚」については例外になっていたりする。
980名無し三等兵:2006/01/15(日) 12:30:54 ID:???
>>975
法律上なら全然ok。兄貴が死んだ(戸籍上死亡受理された)後だから。
倫理上でも昔はok。現代の個人が尊重される世の中の感覚で見てるから違和感あるだけ。

昔はまず家があって家柄があってそれから親兄弟親戚外戚の関係があって最後に個人。
家の存続のためには個人の思慮や損得は無視されても構わないと誰もが考えるほど軽視されてた。
981名無し三等兵:2006/01/15(日) 19:52:35 ID:oxwkdU7R
永島敏行 兄
名前知らん人 弟
古手川裕子  兄嫁
森繁久弥   父
982名無し三等兵:2006/01/15(日) 20:04:41 ID:l04i5lQY
弟は、たしか金田正一の息子だと。瑞鶴乗ってて助かり、最後大和に乗って死んだ人でしょ?
983名無し三等兵:2006/01/15(日) 23:15:45 ID:???
>>980
裕福でよい家に嫁ぐ=個人の得だったからな
984名無し三等兵
ま、親父からの又聞きなんだが。

満州で憲兵やってたらしい。
賞金がかかってたもんでけっこう危険な目にもあってたって。
結局は満州で亡くなったんだけど、大戦末期にもかかわらずけっこうな規模のお葬式の写真が残ってる。
親父も祖母(親父の母親ね)から話を聞いたもんで曖昧だが、家には写真その他がまだ残ってる。

ちなみにばーちゃんが日本へ帰るために乗った船はアメリカ軍が爆撃して沈没。
命かながらの脱出だったそうな。

親父は1945年生まれ。
船が爆撃で沈没している時にはお腹の中だったそうだ。