秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartU

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1名無し三等兵
引き続き秀吉による朝鮮征伐を軍事分析するスレッドです。

日本史板 【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ3 【壬辰倭乱】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1116062496/
世界史板  世界史に置ける秀吉の朝鮮征伐の考察その4
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034574345/
2名無し三等兵:2006/01/07(土) 20:55:15 ID:???
しかたないなあ、
3名無し三等兵:2006/01/07(土) 22:17:30 ID:???
実質は日明戦争
4名無し三等兵:2006/01/07(土) 22:23:55 ID:???
国内をまとめられなかったのが敗因。
5名無し三等兵:2006/01/07(土) 22:28:20 ID:???
所詮は誇大妄想。
まぁナポレオンもそうだが、内戦を制すると残った戦力を外征に使いたくなるもんなんだろーな。
6名無し三等兵:2006/01/07(土) 23:40:12 ID:???
ヒューザー社長の証人喚問の日は、宮崎勤の判決と阪神大震災10周年記念日
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/ms/1136213624/l50


7名無し三等兵:2006/01/08(日) 11:22:14 ID:???
あげとくか
8名無し三等兵:2006/01/08(日) 12:54:58 ID:???
軍板の前スレ

秀吉による朝鮮征伐の軍事分析スレッド
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1125056955/

軍版住人の李舜臣の評価は?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1076903265/

朝鮮征伐に対する軍事分析
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1060085577/
9名無し三等兵:2006/01/09(月) 15:16:18 ID:???
引き続き上げ。
10名無し三等兵:2006/01/09(月) 16:34:15 ID:???
>>3
はぁ?ちげーよwwwwww
11名無し三等兵:2006/01/09(月) 16:42:19 ID:???
朝鮮をどちらの国の勢力下に置くかを決めるための戦争だから一概に違うとは言えない。
日清戦争とか朝鮮戦争と同じ。実戦も交渉も朝鮮の比重は低い。
12名無し三等兵:2006/01/09(月) 16:48:42 ID:???
>>11
日清戦争と違うのが朝鮮王朝を手中に出来なかった事と、朝鮮半島の制海権を得られなかった事
これを見ると日清当時の大本営は朝鮮戦役を教訓にしてる様な気がしてならん
13名無し三等兵:2006/01/09(月) 16:57:01 ID:???
前スレで触れた捕虜二、三万のネタ元は内藤氏の文禄慶長役に於ける被?人の研究。
総数は初め李朝実録から五、六万とされたが、全国的実地調査等に
より二、三万に訂正され、その後刷還された者を七千五百余人とし、
約二万人前後が日本社会に吸収されたり海外に転売されたと。

焼物戦争論(朝鮮から名工を連行した)を批判しているネタ元は中村氏の近世対外交渉史論。
陶工が藩の保護を受けた時期は早くて慶長末年から
元和・寛永初期で、この間の出土品は稚拙な日用雑器であると。
焼き物のレベルが一定のレベルに達した段階で、初めて藩の保護を得、
ブランド化したのではないかとあり、「焼物戦争」は結果論だとあります。
14名無し三等兵:2006/01/09(月) 17:13:12 ID:???
で、前スレ988の李舜臣が拠点攻撃をやめたというのは何時。
15名無し三等兵:2006/01/09(月) 17:28:04 ID:ReAuDO6+
参考サイトキボンヌ
なんか調べても関連資料がやたらと少ないんだが(´・ω・`)ショボーン
16名無し三等兵:2006/01/09(月) 17:29:42 ID:???
そろそろ誰かまとめサイト作れよ
各板に連立しまくって収拾つかなくなってるぞ。
17名無し三等兵:2006/01/09(月) 17:33:18 ID:???
>>16
日本史板のスレと世界史板のスレとに
まとめサイト設立の話呼びかけて来たら?
18名無し三等兵:2006/01/09(月) 17:39:35 ID:bzOV3nuT
>>16
板の趣旨が違うし、板によって住人の感性も違うからいいジヤマイカ
19名無し三等兵:2006/01/09(月) 17:39:56 ID:???
まとめサイトねぇ…。
2ちゃんなんて当てにしないで本読んだ方がいいよ。
20名無し三等兵:2006/01/09(月) 17:43:43 ID:bzOV3nuT
職業ネラーなんだよw
21名無し三等兵:2006/01/09(月) 17:48:23 ID:???
参考サイトねぇ…。
昔日本史板の朝鮮役スレに鬼のように貼ったなw
22名無し三等兵:2006/01/09(月) 17:55:20 ID:???
>>14
以前の歴史群像の李舜臣で釜山攻撃の損害が大きかったから
本拠地攻撃は控えるようになったと書いてあったかと

その号、実家にあるんだよね
23名無し三等兵:2006/01/09(月) 18:36:53 ID:???
>>22
で、「拠点」攻撃をやめたのは何時。
24名無し三等兵:2006/01/09(月) 18:48:48 ID:???
そんで日本が朝鮮沿岸海路を使った海上輸送補給をしようとしていたってソースまだ?
25名無し三等兵:2006/01/09(月) 18:52:22 ID:???
海路で補給は常識。
26名無し三等兵:2006/01/09(月) 18:56:09 ID:???
無知でスマンが、日本水軍の大船は何人乗りで、どういう戦い方をしていたの?
水軍用の鉄砲狙撃兵とかいたのかな?
トラファルガーのネルソンみたく、李舜臣を狙撃して朝鮮水軍あぼーん
というのは無理でつか?
27名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:10:07 ID:???
兵糧の輸送、補給に関しては中野氏の豊臣政権の対外侵略と太閤検地が詳しい。
28名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:16:03 ID:Z9u3ShT/
木崎原の戦い ○義弘軍200 対 ●伊東軍3000
島津のお家芸、釣り野伏で見事勝利。 この戦いでミリタリーバランスが島津に傾く。

耳川の戦い  ○島津軍20000 対 ●大友軍45000
九州の覇者を賭けた戦い。最初は大友が押しまくるが、義弘の冷静沈着な側面攻撃と家久の同時攻撃で勝敗が決定。
こんな大規模な野戦をガチでやって大友軍の死者2万人、武将多数戦死という一方的な大勝利を収めている。
稀な大勝利、武田信玄 対 上杉謙信の川中島合戦と比べるとその大勝利ぶりが際立っている。
以後、大友は衰退。

沖田畷の戦い ○家久・有馬連合軍5000 対 ●龍造寺軍60000
龍造寺はこの戦いで隆信、四天王を失い島津の傘下に入る。
戸次川でも長宗我部信親・十河存保を討ち取るが、指揮官を討ち取るというのは野戦では珍しく、それを何度もやり遂げている島津家久は戦国一の戦上手といえよう。

戸次川の戦い ○家久軍10000 対 ●豊臣四国連合軍
寄せ集めにすぎない連合軍は歴戦の勇将・家久の敵ではなかった。
この戦いで長宗我部信親・十河存保戦死。 長宗我部元親、ショックで廃人になる。

泗川の戦い ○義弘軍7000 対 ●明・朝鮮軍200000
慶長の役の末期に秀吉が死んだので、 朝鮮にいる将たちに帰国命令が下りる。 それを知った明軍・朝鮮軍は20万の軍勢を日本軍の中央を守る義弘の泗川に向ける。
義弘は、泗川にいくつかあった支城を破棄、泗川に新たに築いた城に立て籠もる。
ここで敵を引きつけるだけ引きつけてから鉄砲の一斉射撃ののち突撃し散々に打ち破った。
明軍の死者は8万。

露梁津の海戦 ○義弘軍 対 ●朝鮮水軍
この時も義弘は水軍を率いて活躍。
順天の小西行長を救出し、さらに全軍の殿を務め、朝鮮の名将・李舜臣と交戦し見事討ち取る。日本軍退却成功。
もし義弘が朝鮮出兵に参加してなかったら日本軍は朝鮮で全滅してた。
秀吉は大名の領地加増を禁止してたが 島津だけはあまりの戦功の大きさに加増された。

関ヶ原退却戦 ○義弘軍300 対 ●東軍80000
福島隊を突破、追撃してきた井伊直正と松平忠吉に重傷を負わせる。 この傷が元で2人は数年後死亡。
大阪城に残された妻を取り戻し、薩摩へ無事帰還。家康は島津を恐れ、関が原後も減封する事が出来なかった。
29名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:23:02 ID:???
沿岸海路輸送以前に沿岸進攻さえ殆どしていない。
沿岸進攻作戦というと慶長の役の初期だけだな。
それに朝鮮水軍が居なかった東海岸でも沿岸進攻や
海上輸送をしていたわけでない。
30名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:24:15 ID:???
>>26
村上水軍の兵法を見ると、まず鉄砲や弓で舵取りと水夫を狙ったようです。
31名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:33:10 ID:???
まとめサイトはどういったものにするの?
32名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:34:48 ID:???
秀吉は水軍に朝鮮水軍の撃破を命じたが、敗北したので水軍の戦略の変更を余儀なくされた。
日本軍の兵糧は、当初現地調達を基本としていたが、これは破綻した。
よって日本から釜山まで兵糧を輸送したが、京城への供給は不成功に終わった。
33名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:43:27 ID:???
難易度が高いのは 海路確保>陸路確保

仮に朝鮮水軍を撃破していたとしても陸路で荷駄隊が襲われたように海路で補給船が攻撃される。

それに朝鮮水軍を攻撃しようとしたのは襲撃による被害が増大したからであって、
反撃に成功していても沿岸を確保して補給を確保するような戦略を採用する計画も戦力もないので
全羅道南岸は放置されていただろう。
34名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:50:37 ID:???
>>29
東岸に侵攻する意味は殆どないから
35名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:51:05 ID:???
慶長の役の初め朝鮮水軍を潰した後どうしたのよ。
36名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:51:36 ID:???
>>29
現在の朝鮮半島東西の港の数と規模、内陸への交通路を考えりゃ分かる。
37名無し三等兵:2006/01/09(月) 19:53:59 ID:???
日本の水軍は海の上で義兵にすら負けるんかい。
38名無し三等兵:2006/01/09(月) 20:04:32 ID:???
>>35
南岸各所に港を持つ倭城を築城、兵站線の確保を第一とする。
で、そこを拠点として内陸(といっても文禄の役に較べれば大した事なし)に侵攻
連合軍に対し(一般住民も対象とした)消耗戦を展開し、厭戦気分を抱かせこちらの
要求を飲ませる・・・秀吉が完全に耄碌してなければこんな所か?

まあ、これで明や朝鮮が要求を呑むとはとても思えないから、やはり落し所を完全に
見失っていたんだろうな
39名無し三等兵:2006/01/09(月) 20:37:09 ID:???
慶長の役当初に朝鮮水軍潰した後、軍を二手に分け南岸各所に築城を始めたんかい。
40名無し三等兵:2006/01/09(月) 20:48:26 ID:kzwJQhMV
○朝鮮侵略
×朝鮮征伐、朝鮮出兵
41名無し三等兵:2006/01/09(月) 20:50:25 ID:???
まとめサイトで思い出した。
世界史板の住人は結構軍板の住人と重なってるせいか軍板に好意的なんだが、
日本史板の住人のごく一部に妙に軍板に敵意燃やしてる人がいてなんとも奇妙な感じ。
史学板としてのプライドが高すぎるせいだろうか。
42名無し三等兵:2006/01/09(月) 20:57:24 ID:???
俺は軍板朝鮮征伐スレ>日本史板朝鮮征伐スレと思ったから移動したな。
43名無し三等兵:2006/01/09(月) 21:05:59 ID:???
三戦板のスレは在日を装った荒らしで潰されたなw
44名無し三等兵:2006/01/09(月) 21:12:50 ID:???
「朝鮮」とスレタイにつくだけで法則が働くのかもしれんw
45名無し三等兵:2006/01/09(月) 21:20:30 ID:???
軍板と世界史版がレベル高くて次いで日本史版。
ハン板と三戦板はどうにもならん。
46名無し三等兵:2006/01/09(月) 21:31:05 ID:???
>>41
俺が逆に感じていたが。
世界史板より日本史板の方が知性的だし。
世界史板はどのスレでも感情論ばかり目立っている。
47名無し三等兵:2006/01/09(月) 21:47:24 ID:???
世界史板の朝鮮征伐スレではこんな書き込みがあった。世界史板住人の人間性が伺える。

748 :世界@名無史さん :2006/01/09(月) 21:41:42 0
>>747
            ____
           |___ |      ヽ 、
        _   _|__  |     __|  |_    
     へ | |  |____|    ヽ、    ;  .- ̄ ̄-
     ( | || _______   "| レ' / ,-~"'i  |
     | | ||| ,―┐┌―― /   /     /   | |
     | | |||/ _| |___//   /    /    | |
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        リ      |_,,|   ̄      ヽ_r        \_/
48名無し三等兵:2006/01/10(火) 02:06:05 ID:???
>>46
いや知性的かどうかってことじゃないのよ。
資料分析とかは日本史板のレベル高い。
だけど妙に日本史板は神経質で排他的な気がする。
学問としての歴史ってのにこだわってるっていうのかな。
浅い歴史好きってのはかなり多いわけで、そういう人間の出入りを拒んでいるような印象。
まぁ気持ちはわかるんだけどね。清濁併せ呑む勢いでやったら三戦板のようなことになりかねないから。

49名無し三等兵:2006/01/10(火) 02:39:56 ID:???
>>47
叩きはやめな。
お互いに敬意を持って接することが大事。
50名無し三等兵:2006/01/10(火) 07:34:44 ID:???
足軽鉄砲隊の水軍版を妄想する。伝統的な水軍戦法を捨てて
1隻あたり鉄砲100挺の鉄砲を集中装備で100隻の船団を組み、
兵糧輸送船にみせかけて朝鮮西南岸をパトロール。
李舜臣を釣りだして仕留めれば朝鮮の士気は鈍る・・・で、どうよ?
51名無し三等兵:2006/01/10(火) 08:51:16 ID:???
どんな風にまとめるの?
52名無し三等兵:2006/01/10(火) 08:58:58 ID:???
>>50
遠距離から大砲ぶっ放されたら御仕舞いです
53名無し三等兵:2006/01/10(火) 09:00:46 ID:???
大砲はよく当たるの?命中率・・・
54名無し三等兵:2006/01/10(火) 09:02:43 ID:???
ミッドウェーみたいに敵を誘引→撃滅
この程度のアイデアが鉄砲1万丁で実現するというに・・・
55名無し三等兵:2006/01/10(火) 09:25:58 ID:???
>>33
では何故慶長の役の時、
鳴梁海戦が惹起したのだ?

>>29
東岸は朝鮮国にとっても開けた航路ではなかった。
東岸はかの国にとって裏地。
日本にとっても魅力のある地形ではない。

沿岸侵攻は当初から周到に計画された気配は確かにない。
なにしろ朝鮮全体を「通り道」と考えていたのだから。
しかし状況の変化に伴って海路並行は構想に上がったと思う。
それが慶長の役での鳴梁(東岸)への進出。
ただしこれも準備が周到でなく、李舜臣の奇襲で阻止された。
以後、半島南岸で制海権は膠着(東側日本、西側明朝鮮)する。


56名無し三等兵:2006/01/10(火) 09:55:55 ID:???
>>54
当時の半島に時空漂流した栗田艦隊でも突っ込ませればイチコロ
57名無し三等兵:2006/01/10(火) 10:34:18 ID:???
つまり肝心なところで反転撤退ということですか
58名無し三等兵:2006/01/10(火) 11:13:53 ID:Z4Ssh9KZ
じゃ三川艦隊で殴り込みだなW
59名無し三等兵:2006/01/10(火) 12:04:42 ID:???
まとめサイトをつくるための
具体的な論議をはじめよう。
まずどのような構成でまとめる?
60名無し三等兵:2006/01/10(火) 13:44:56 ID:OLgiDJbR
慶長の役は機動兵力の殆どを全羅道へ投入したから水軍も呼応して進出したんだよ。
それでその三ヵ月の間に海路を使って補給維持をしたの?

李舜臣は鳴梁海戦で勝っても陸軍が去るまで留まるしかなかった。
61名無し三等兵:2006/01/10(火) 16:33:06 ID:???
留まるしかなかったって、李舜臣が日本水軍を再び破って海路の進出を妨げているんだ罠。

李舜臣が復帰した後、朝鮮政府は船がないから彼に陸戦を命じた。しかし李舜臣は

啓して曰く。壬辰より五、六年の間に至るまで、賊敢えて
両湖を突かざるものは、舟師の其の路を扼するを以てなり。
今臣の戦船尚十二あり、死力を出して拒戦せば、則ち猶為すべきなり。
今若し全く舟師を廃せば、則ち是賊の幸いと為す所以、而して湖右より漢水に達す。
此臣の恐れる処なり。戦船寡なしと雖も、微臣死せざれば、則ち敢えて我を侮らず。
62名無し三等兵:2006/01/10(火) 18:58:41 ID:???
>三ヵ月の間に海路を使って補給維持をしたの?

経路を見てみ。それにたった三ヶ月(正確には二ヶ月)。
そういう問題は生じない段階であり、状況にあった。

>李舜臣は鳴梁海戦で勝っても陸軍が去るまで留まるしかなかった。

言ってる意味が理解できないのだけど。

「留まるしかなかった」
ってどこに?
麗水?
水軍の指令官として自ずとその場所にいただけだろう。

何の本を読んだのか知らないが、頭から決めつけないで、
黒田長政がチクサンの戦いの直後反転している。
これが丁度鳴梁での海の敗戦の日と同じ。
情報伝達の遅い当時のことだから、それがそのまま長政の反転に結びついたのか、
それ以外の理由なのかを想像したり考えたりするほうが面白いと思うよ。
俺は反転そのものは無関係にしても、
その後の日本軍の戦略(南岸に貼り付いて長期戦、既成事実化)
には鳴梁の結果が少なからず影響しているような気がする。
つまり内陸の補給状態を維持するという観点から。
63名無し三等兵:2006/01/10(火) 19:24:28 ID:???
日本軍が京城まで三日行程まで進出して軍を返した事に関しては、
その頃忠清兵使李時言の捕虜になった清正の部下、福田勘助の供述が興味深いです。
「朝鮮日々記を読む」で紹介されています。

明軍側では京城にいた提督麻貴は日本軍の北上で京城放棄を
検討していたが、明経理が迎撃を決断したようです。
64名無し三等兵:2006/01/10(火) 19:58:39 ID:OLgiDJbR
南部へ引いたのは冬を前にして明の大軍が南下しはじめた場合の打ち合せどおり。

問題なのは両水軍共に陸軍の支配地域を見ながら進退しているということ。
65名無し三等兵:2006/01/10(火) 20:28:22 ID:???
支配地域を見て鳴梁で迎撃したのか?
66名無し三等兵:2006/01/10(火) 21:31:57 ID:???
逆でしょう。
島津軍などの海岸近くへの布陣に呼応して進撃したら鳴梁で反撃を受けたので前進を停止した。
同じく李舜臣も島津が海南から撤退してから東進している。
67名無し三等兵:2006/01/10(火) 21:46:19 ID:???
兵糧の現地調達が上手くいかない以上、後方から兵糧を輸送しなければいけない。
大軍を維持するためには兵糧の輸送に海路の確保は不可欠。
68名無し三等兵:2006/01/10(火) 21:54:48 ID:???
海上輸送が失敗して現地調達へと俺は考えてる
あくまで本目的は「唐入り」なのだから朝鮮半島
住民の怒りを買う様な真似をするとは・・・
69名無し三等兵:2006/01/10(火) 21:58:51 ID:???
半年分の兵糧を用意し渡海→現地調達→輸送→強制徴収という感じですかね。
70名無し三等兵:2006/01/10(火) 22:07:07 ID:???
海軍じゃないんだから水軍だけで制海権を取るのは無理なんだろうね
71名無し三等兵:2006/01/10(火) 22:50:32 ID:buA+5ghv
有史以来、まともに外国に勝ったことがない韓国だから
数少ない英雄が李舜臣だよね
まあ、死人のことまで文句をいう気はないから好きにしろってのだよ
72名無し三等兵:2006/01/11(水) 07:04:15 ID:???
だから海路輸送をしようとして失敗した例を教えてほしい。

それから海路確保に必要なのは中継用の安全な停泊地であり漢城までの長大な海路に大量の陸軍が必要。
73名無し三等兵:2006/01/11(水) 07:47:53 ID:???
秀吉は水軍に朝鮮水軍の撃破を命じたが敗北した。
しかし例え朝鮮水軍を撃破していても兵糧は陸路輸送しか
あり得ないので、京城への供給は不成功に終わっただろう。
74名無し三等兵:2006/01/11(水) 08:17:33 ID:???
今度日本人、朝鮮に在陣せし間、海辺に異国の路程千余里の内に
二十ヶ所御方より城郭をかまへ持かためける、船付なくては往来運送の便なき故也。

黒田家譜
75名無し三等兵:2006/01/11(水) 08:36:50 ID:???
つまり陸を押さえたから海路輸送ができたということか?
76名無し三等兵:2006/01/11(水) 09:14:07 ID:???
最近ハン板をよく覗いているが、結構まともな事を言ってる奴も居る。
77名無し三等兵:2006/01/11(水) 11:54:44 ID:???
>>73
そうなると既に計画の段階で兵站は崩壊しているという事になると思うのですが
大量の兵を動員する事に長けた秀吉がその様な杜撰な計画をするでしょうか?
78名無し三等兵:2006/01/11(水) 12:06:00 ID:???
>>73
わからん人だな。

半島西岸の制海権が完全なものとして前提されれば
海路輸送はソウルまで一足だよ。
>>61
が読めないのかな。朝鮮人自身が危機意識をもっていた。
79名無し三等兵:2006/01/11(水) 13:13:26 ID:???
>>72
海路輸送の失敗した例を教えろと言うが、
海路輸送するためには朝鮮水軍を排除しないといけない。
80名無し三等兵:2006/01/11(水) 13:27:17 ID:???
へー朝鮮水軍がいなければ海路は安全なんだ?
ところで平時の釜山から漢城への輸送は川を利用していたんだけど、なんで川路輸送に失敗したんだろうな?
81名無し三等兵:2006/01/11(水) 13:35:26 ID:???
当時の日本なんてしょせん雑魚ジャン
82名無し三等兵:2006/01/11(水) 13:43:55 ID:???
>>77-78
>>73>>72に対応して文禄の役を想定してちょっと書いてみました。

>>74は慶長の役で軍を返した後の記事ですが
「船付なくては往来運送の便なき故也」
というのが面白いです。

>>77
杜撰といえば杜撰であったと思います。
「国内戦のような周到・綿密な計画によらず、兵糧を現地調達するという
稚拙な補給計画の背景には、正面の敵である朝鮮を開戦までグレー・ゾーンの
存在と考えた秀吉ら政権中枢における対外認識の甘さ(あるいは誤り)があった」
と「豊臣政権の対外侵略と太閤検地」では指摘されています。
83名無し三等兵:2006/01/11(水) 13:50:14 ID:???
>>80
返事を期待せずまず書けばいいのでは。
ついでに参考にしている本も書いてくれるとありがたい。
84名無し三等兵:2006/01/11(水) 17:42:52 ID:???
>>82
兵糧の現地調達は何も日本だけでなく、当時の中国も伝統的にそうであった
つまり現地で略奪して食料を確保することが当時としては当たり前だった
それでも十数万もの軍団が侵攻する以上は完全に確保することは出来ず
陸続きでも中国史上何度と無く補給に泣いたのに海を越えてでは余計に難しいのは当たり前だっただろう
85名無し三等兵:2006/01/11(水) 17:56:11 ID:???
>>84
日本では元亀・天正辺りから収奪による補給から小荷駄による後方よりの
補給に変わっています。
理由はこの頃から兵数が増加し大軍を養うのに必要な食料を現地で調達
するのが不可能になったからです。

ちなみに文禄の役初期における日本軍の快進撃は朝鮮軍が置き残した
官有の糧食庫を接収したからではないかと考えます。
これなら一般民衆の怒りも買いません。
86名無し三等兵:2006/01/11(水) 18:25:34 ID:???
脇田氏の「秀吉の経済感覚」によると、秀吉は1589年(天正十七年)十月、
小田原攻めの準備として兵糧奉行長束正家と小奉行17人を任命したのち、

一、(前略)年内代官方より、弐拾万石これを請け取り、来春早々船にて
駿州江尻・清水江運送せしめ、蔵を立て入れ置き、惣軍勢江相渡すべき事

一、黄金壱万枚請け取り、勢州・尾州・三州・駿州にて
八木(米)買い調え、小田原近辺舟着江届け置くべき事

附 馬弐万(匹)之飼料調え置き、滞りなく下行せしむべき事

と命じています。
87名無し三等兵:2006/01/11(水) 18:33:34 ID:???
馬の飼料まで、三枚橋にて、長束大蔵大輔御奉行にて
御扶持方渡しくだされ、かたじけなき題目なり。

太閤さま軍記のうち
88名無し三等兵:2006/01/11(水) 19:47:51 ID:???
>>85
(天正二十年)七月十日に奥へぞ上りける。道すがら朝鮮人共を
追剥打殺し、兵糧奪い取り、七月十七日には(中略)、殿様御座所
開寧の館へぞ参着し、やがて御対面を遂げ、(中略)在所の代官を承り
新米色付ければ、民共催(催促)し、一万五千余石の兵糧を納也。

身自鏡(毛利輝元家臣玉木吉保)

現地調達の一例です。これは怒りを買うと思われます。
89名無し三等兵:2006/01/11(水) 19:48:05 ID:???
>>72
陸路を延々と行くより遥かに少ない兵力、高い効率で輸送できるんだが。
90名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:12:41 ID:???
でも海路を確保するのに陸路以上の兵力が必要でしょ?
91名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:16:21 ID:???
陸路を安全にしようとするよりはずっと少ないよ。
92名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:24:20 ID:???
休戦期は狭い範囲に四万、慶長の役では尉山から順天まで少ないときで七万ぐらいで確保して板のだから漢城までの海岸を安全にするために三十五万以上の軍勢を張りつけなければならないかもしれませんよ。
まだ護衛付きの荷駄部隊を内陸の陸路か川路に投入したほうが見込みがある。

すべては日本と違って「後方」の存在を許さぬ朝鮮の貧しさと無秩序から始まっており、日本側の想定以上に現地が荒涼となっていたことに起因する。
93名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:31:00 ID:???
>>92
まぁ仮に貴方の主張が正しいとしてだよ。
その状況で拠点を確保するのにそれだけの兵力が必要だったのに

>まだ護衛付きの荷駄部隊を内陸の陸路か川路に投入したほうが見込みがある。

これが有効だという根拠はどこにあるんだ?
普通に考えてより膨大な兵力・物資が必要になるでしょ。
94名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:32:36 ID:???
ところで制海権を握っていた明軍や朝鮮軍も補給が上手く行かずに略奪を繰り返していたり逆に食料を襲われていたようだけど海路輸送に失敗したからだろうか?
李舜臣も軍を維持できずに水夫を餓死させていたみだし。
95名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:37:30 ID:???
朝鮮水軍がいなければ京城付近までの船舶による輸送に障害はない。
京城には日本軍がすでに進出している。
義兵は京城の日本軍とは戦えない。
96名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:38:41 ID:???
93それが実施されたんだからそれなりに現実的な方法であったとは思えないかな?
97名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:44:00 ID:???
>>96
朝鮮水軍を撃破できなかったので、そうせざるを得なかっただけの話。
実際にやったことと、それが有効であったかどうかは別問題だよ。
98名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:44:20 ID:???
>>96
その方法は破綻した。
そして>>74
99名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:45:03 ID:???
当時の船で陸に上がらずに漢城まで航海できるの?
100名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:46:31 ID:???
100get!
101名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:48:24 ID:???
>>99
だから>>95には付近と書いた。
この補給路すら守れないなら話にならない。
102名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:49:04 ID:???
街道をたどる陸路と違って海図あるのかな?
海象にも左右されるし。
103名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:51:39 ID:???
>>102
地図はあったし、案内には現地の人間を使えばいい。
104名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:51:39 ID:???
たぶん話にならない状況だったのだろう。
105名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:56:26 ID:???
>>99
気象にもよるが、当時の船でルソン、シャム、高雄、ジャワまで
航海していた事実を見れば可能と思われる。
106名無し三等兵:2006/01/11(水) 20:59:42 ID:???
海路を熟知している朝鮮人ねえ。
現地の潮流を知らずに閑山島海戦でも鳴梁海戦でも敗北したわけですが?
107101:2006/01/11(水) 21:01:45 ID:???
>>105
あ、そういう事か。

ところで義兵はどういう手段で日本水軍に襲って来るのかな。
艦隊戦を挑んでくるのか?
108名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:02:38 ID:???
できるならやりたいけど
どうも海上輸送は厳しそうだな
109名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:03:21 ID:???
停泊中を襲ってくるんじゃない?
110名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:03:36 ID:???
現地調達は?
111名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:03:53 ID:???
>>103朝鮮に海図なんかあったのかねえ?
112名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:04:44 ID:???
でまとめサイトはどうするの?
113名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:05:05 ID:???
外洋航海する船を秀吉軍が持っていて朝鮮に投入していたんでしょうか?
近代的な船ではないですからね。
114名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:06:24 ID:???
ヌルハチとの共闘はできなかったのか?
115名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:08:41 ID:???
>>111
地図。海図は知らん。

>>109
脇坂安治より強いんだろうなw
116名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:19:08 ID:???
>>106
輸送するだけでそれが何か問題があるのか。
船で朝鮮まで来てるのに繰船に問題があるとか。
117名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:26:02 ID:???
その場合、輸送船は武装するのかな?
輸送船は帆走をあてにして人数少ないだろうから。
118名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:31:18 ID:???
>>117
それは海戦を調べればいいんじゃないの。
119名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:39:41 ID:???
食料満載の船が入り江にいたら腹を空かせた朝鮮人が続々と襲ってきそうだが
120名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:42:42 ID:???
>>119
そいつらは脇坂安治より強いんだろう。
121名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:43:19 ID:???
李舜臣自身が補給に失敗しているとは…
122名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:44:39 ID:???
李舜臣は水軍の総指揮官じゃないからなー。
兵糧回してもらえなかったりとかしたんじゃないの。
123名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:45:23 ID:???
>>121
ソースが分からないと何とも言えない。
124名無し三等兵:2006/01/11(水) 22:06:29 ID:???
乱中日記に格軍(櫂を漕ぐ水夫)が飢え死にしする様ほ書き残している
125名無し三等兵:2006/01/11(水) 22:40:26 ID:???
結論は漢城までの補給を陸路から海路輸送に切り替えるには陸軍が大量に必要で実現性がないってことで良いの?
126名無し三等兵:2006/01/11(水) 22:43:38 ID:???
>>125
どこをどうやったらそんな結論になるんだ?
つーか>>72本人か。
127名無し三等兵:2006/01/11(水) 22:50:16 ID:???
国内での戦役の場合は、兵糧は目的地への片道分までしか支給せず、
金銭を与えて後は兵それぞれが現地で調達、もしくは略奪するというシステムが一般的でした。
朝鮮の役では、家中ごとに事前にどれ程の兵糧を用意していたのでしょうか?
128名無し三等兵:2006/01/11(水) 22:50:54 ID:???
当時の船は今の船よりも陸に依存していたからそうじゃないの?
129名無し三等兵:2006/01/11(水) 22:55:18 ID:???
>>124
レスどうも。手元の乱中日記は東洋文庫じゃなくて
朝鮮総督府の奴で全部漢文だから読みにくいのよね…。
出来れば日付も教えて欲しいが…。
仕事から帰ったら読んでみるわ。
確か壬辰戦乱史で兵糧蓄えた話を読んだ気もするからこれも探してみよう。
130名無し三等兵:2006/01/12(木) 00:41:53 ID:???
オレは
>>72
という人物の主張したいところが奈辺にあるのか、
非常に理解に苦しむ・・・
131名無し三等兵:2006/01/12(木) 05:31:09 ID:???
熊本市の蔚山町で朝鮮飴買ったよ。ちょい高いね、おいしいけどw
132名無し三等兵:2006/01/12(木) 06:59:55 ID:???
和船での航海術が発達したのは統一成って流通需要で競争した江戸中期以降だから。
飲水や食事、就寝の生活から、消耗物資の補給や修理など陸への依存が当時は欠かせなかった。
航海術も船体も貧弱だから地形や気候を知らないと沿岸航行も難しい。
夜間や風待ち、修理の為に上陸や停泊をするたびに襲撃を受けてはたまらないでしょう。
133名無し三等兵:2006/01/12(木) 07:07:50 ID:???
もう一つは朝鮮沿岸の航海に通じていたものは税輸送担当の官吏の一部だけだったのではないでしょうか?
漁師も生活の為の航海だけでしょうし、水軍にも管轄があります。

それに推測ですが朝鮮役中の船舶損失は李舜臣の攻撃などよりも難破等のほうが多かったのではないかと思います。
134名無し三等兵:2006/01/12(木) 09:15:23 ID:???
平定された国内の味方勢力内で航路と手段が確保できるならなら海路もいいかもしれない。
しかし現実をみたときに130はどこにどれだけ兵力を張りつけて航路の安全を確保するつもりなんだろう?
それとその兵力はどこから抽出するの?
135名無し三等兵:2006/01/12(木) 11:22:56 ID:???
>>28
島津強すぎ
136名無し三等兵:2006/01/12(木) 11:56:09 ID:???
>>132-134
これは極端すぎるのでは。そこまで貧弱な船や航海術では日本軍は
朝鮮にすらたどり着けそうにない。航海には問題はないと思う。
安定した補給を行うには全羅道沿岸に拠点を作る必要があり、守る兵隊が要ると。
一つや二つならともかく十も二十もや、全羅道攻略してたら渡海させる兵隊が足りない。
義兵の襲撃を防ぐだけの警護を付けて海路輸送するのが実情に合うと思います。
勿論陸路と同じく確実に安全ではありません。

難破は制海権とは関係ないですが、多かったと思います。
137名無し三等兵:2006/01/12(木) 12:59:44 ID:???
>>124
これかな…?

(甲午正月)十九日戊? 陰而晩晴、大風、日暮尤悪、朝發到唐浦外洋、従風半帆、
瞬息巳至閑山島、上坐射亭、興諸将對話、夕元水使亦來、所非浦因聞嶺南諸船射格、
幾(儘?)飢死、惨不忍聞、元水・孔連水・李克誠所??皆私之云

翌二十日の記事で「軍(糧)亦不到、是亦悶也」という記事や、同二月九日の記事で
…又民生飢餓、相殺食之惨…という状況が書いてあります。
138名無し三等兵:2006/01/12(木) 13:16:11 ID:???
朝鮮軍民の飢餓については全土の混乱状態、徴集兵徴募による
生産能力の低下等が考えられます。
139名無し三等兵:2006/01/12(木) 13:44:49 ID:???
壬辰戦乱史によると、兵糧の献上で軍務の免除というのもやっています。
兵糧事情は明軍が参戦して更に悪化したようです。

>>129で書いた李舜臣が兵糧を蓄えた話は白衣従軍から復帰後、通行税ですね。
大船三石、中船二石、小舟一石。何か水軍みたいです。
十数日で一万石を手に入れたとあるが、これは本当かどうか。
140名無し三等兵:2006/01/12(木) 16:15:58 ID:???
>>125
陸路で補給するには面を制圧しなきゃいけないのに対して、
海路で補給するならいくつかの拠点をバッチリ守って、そこに機動的に運用できるそれなりの軍勢を置いとけばいいから
陸軍の数って点で言えば海路のほうがはるかに少なくていいと思うけど。
141名無し三等兵:2006/01/12(木) 16:20:06 ID:???
それでもまえらは、いつ?誰が?どうやって?朝鮮水軍を排除するつもりか教えてください。
142名無し三等兵:2006/01/12(木) 16:40:26 ID:???
>>140
拠点を作っても間の距離が遠すぎると危険では。

>>141
何言ってんのアンタ。
仮に朝鮮水軍を排除していたらの話をしてるのに。
143名無し三等兵:2006/01/12(木) 20:30:50 ID:???
>>134
海路が自由になれば沿岸拠点も容易に築ける。
キミは内陸の「義兵」なる者達がいついかなる時も大集団(最大2000人程度)を結成し
神出鬼没でそこらあたりの日本軍拠点を自由自在に、いつでも襲撃できる
という大前提が頭からこびりついて離れないのだろう。

彼らがそれだけの人数を集めて集団行動するのには多大な準備期間と
リソースを必要とする。

一方、沿岸航行は補給物資輸送も効率的だし、
沿岸の枢要な幾つかの風待ちの拠点を
経由して京城に至るのをメインルートにすれば、
それら沿岸拠点(最大2000人程度の守備兵で可能)と、
内陸ルートで北上する陸上部隊(輜重部隊)
と呼応して、行動は自由度を増す。
逆にいうと「義兵」の発生確率、行動半径も制約される。
海路の確保は内陸の安定にも繋がる。

それに慶長の役に至るまでの日本の沿岸拠点が城下町的に朝鮮人を交えて
営まれ、経済域を形成していた事実がある。
敵味方の関係を四角四面で固定的に考えない事。
144名無し三等兵:2006/01/12(木) 20:56:33 ID:???
日本軍が攻め入る直前のの李氏朝鮮は悲惨な状態で、
最初朝鮮の住民は日本軍を解放者として迎えるところもあった。
もっと現地人に融和的な占領政策をとればよかったのにね・・・
清が旧明領など、占領地を上手く経営したようにさ
145名無し三等兵:2006/01/12(木) 20:57:10 ID:???
リアルじゃない
146名無し三等兵:2006/01/12(木) 21:10:45 ID:???
>>143
拠点の数や、守備兵の数はどうなんだろうと思いますが、概ね同意。
これで特に海路の補給に問題があるようには見えない。
147名無し三等兵:2006/01/12(木) 21:44:43 ID:???
内陸の繋ぎの城さえ支えきれずに街道が保全されなかったぐらいなのに孤立した拠点をそんな少数で抑えられるかね?
全羅道と言えば文禄の役ではほとんど侵入に失敗した土地だし。

それと当時の輸送船で何泊寝泊まりできるのか疑問なんだが。
148名無し三等兵:2006/01/12(木) 21:48:57 ID:???
街道を保全する役目は無いってことは分かるよな?

>それと当時の輸送船で何泊寝泊まりできるのか疑問なんだが。
何を言いたいのか良く分からない。
が、何泊もするような距離ではないし、当時の輸送船は東南アジアまで行ってることは確か。
149名無し三等兵:2006/01/12(木) 22:02:42 ID:???
いや圧力負けして拠点を手放したことも何度もあるんだよ
150名無し三等兵:2006/01/12(木) 22:36:49 ID:3WH9l6nK
東南アジアまで行ってた船は和船ではないと何度も何度も
151名無し三等兵:2006/01/12(木) 22:40:33 ID:???
>>144
補給が確立して、現地住人からの収奪に頼る必要がなくなれば、改善が見込めると思います。

>>147
俺もそこは大いに検討の余地があると思います。
しかし海路が使えるなら救援も海路でやって来れますからね。

千人で隊を組んで陸路輸送するのと海路では効率が違う。
152名無し三等兵:2006/01/12(木) 22:54:36 ID:???
>>150
それは俺もそう思う。

船での寝泊まりに関しては、雨風を凌げて寝るスペースがあれば特に問題ないように思います。
153名無し三等兵:2006/01/12(木) 23:23:18 ID:???
海路が自由であるということは、
多数の兵隊を船に乗せて適宜その拠点に配置させることが出来る、
いわば機動性がはるかに増す。

各拠点に何万もの兵隊を常時貼り付かせておく必要性など全くない。
154名無し三等兵:2006/01/12(木) 23:52:44 ID:???
陸路補給はそれを運ぶ人や馬にも食物が必要ですから
櫂船も少しは喰いますが陸路ほどではないです。

洛東江、漢江を利用した河川交通を義民の妨害無しで運用
出来たとしたら韓半島南半分はどうにかなったかもしれませんが
それ以北や唐入りも考えると海路補給はどうしても必要です。
155名無し三等兵:2006/01/13(金) 06:52:12 ID:???
みんな当時の船便をあてにしすぎだと思うな
156名無し三等兵:2006/01/13(金) 13:52:29 ID:???
>>155
思わせぶりでなく、きちんと説明してホスイ
157名無し三等兵:2006/01/13(金) 13:57:12 ID:???
朝鮮水軍がいないとしても航路開拓と潮流気象の把握に手間取りそう。

かりに襲われなくてもソウルまで片道一ヵ月以上だろうな、長くて二ヵ月ぐらいか。
当時の大阪から江戸に行くよりも困難だろう。
158名無し三等兵:2006/01/13(金) 14:35:24 ID:???
>>157
戦争前には私商人が交易に出向いていたから、全くの無知ではない
と思うのですが
159名無し三等兵:2006/01/13(金) 15:15:21 ID:???
毛利方の水軍が本願寺に兵糧を搬入したり
小田原まで行ったのは奇跡みたいなもんなんだろう。
中国や朝鮮に行った和冦や商人達はたまたま漂着した。
160名無し三等兵:2006/01/13(金) 15:45:36 ID:???
毛利方の水軍が石山に兵糧をはこんだのは奇跡なんですか??

村上水軍なめすぎ!!!!!!!!!!
161名無し三等兵:2006/01/13(金) 16:47:28 ID:???
>>127
人数持候族家中者に、六ヶ月分自分之兵糧有次第可相渡候、
若一ヶ月も二ヶ月にても、不足分於有之者、書付を以可言上候、
兵糧米於播磨・大坂可被成御借事、右段、国衆其外下々迄、入念可申聞也

天正二十年正月五日付豊臣秀吉朱印状

各手前に兵糧於無覚悟者、大坂にて御米かし可被下之由、甲州(黒田長政)被仰候

天正二十年(推定)正月二十五日付小早川隆景書状

豊臣秀吉の対外侵略と太閤検地によると、秀吉は
各大名に六ヶ月分の兵糧を準備して渡鮮を命じた。
しかし大友氏は「御兵糧運送之儀、先千石御廻し被成、其他御無用之事」
と指示を受けているので、命令が遵守されていたとは言えない、とあります。

また、渡海直後は現地の兵糧が豊富だったので、兵糧は現地調達とし
兵員の輸送が優先的に行われたようです。
しかし兵糧の欠乏に悩まされたので、輸送準備を整え、翌年に
釜山まで奉行(浅野長政)を派遣するとともに、兵糧を輸送した。
釜山には相当量の兵糧が蓄積され、海上輸送は一定の成果をあげた。
しかし浅野は釜山で日本からの兵糧を受けるのみで
内陸部への輸送は各部隊が手くりで行う事が要求された。
しかし釜山・漢城間の守備が手薄な状況では、運搬は不可能に近かった。
在鮮武将等は現地調達を図ったが、結局兵糧を確保出来ず
漢城を放棄して釜山方面への撤退を余儀なくされたと。
162名無し三等兵:2006/01/13(金) 17:31:31 ID:???
フロイスは日本史の中で、朝鮮軍が日本に臣従せず過激な行動に出たので
日本軍には二つの至難な問題が生じたと書いています。

一つは地理に通じた義兵の待ち伏せ。また、内陸部への運搬は長旅のため、
多くの人員を必要とし、往復の為の食糧も必要としたと。
もう一つは朝鮮水軍の襲撃。海上では常に不利な状況に立たされていたとあります。

釜山浦からの道中について、都(漢城)まで三百人以下では危険であり
都から平壌までは五百人以上で歩く必要がある、と書いてあるのが興味深いです。
163名無し三等兵:2006/01/13(金) 18:15:19 ID:???
フロイス日本史では、都を落として手柄を立てた小西行長に
手柄のない加藤清正がシナ征服を申し出て、行長に準備不足を指摘されるのですが
朝鮮征伐記では二王子を捕まえて手柄を立てた清正に対し
手柄のない行長が諸将に明攻撃を提案し、先手するから後詰めしろと言い
王城の諸将が評議で「慶尚道、全羅道の城共、堅く守って降らず、後ろに大敵を置きながら
軽々しく大河(鴨緑江)を越さん事大事なり、王城より全羅道、船手便りよければ、
舟と陸にて先づ全羅道を取るべきに定めけり、摂津守、思ふ所叶はず…」
と逆なのが面白いです。どちらも清正と行長は仲が悪い。
この諸将の評議や、日本史の行長の意見も面白いですが。
164名無し三等兵:2006/01/13(金) 19:21:18 ID:???
ほら、小西行長はキリシタンだから。
フロイスは贔屓をした可能性もある。
165名無し三等兵:2006/01/13(金) 22:28:49 ID:hTB9QJGm
安定した航路を確保しるにはそれなりの需要と経験と技術が必要なのは当たり前。
166名無し三等兵:2006/01/13(金) 22:32:32 ID:???
昔は一日一泊で陸に上がらないと航海できないし
167名無し三等兵:2006/01/13(金) 22:34:59 ID:???
揚げ足取りだが、その当時に江戸向け定期航路など無いから同じくらい困難かと。
168名無し三等兵:2006/01/13(金) 23:10:23 ID:???
>>161
ありがとうございます。
兵站を十分に整備せず、外国で現地調達するリスクの考慮が足りなかったようですね。
ナポレオンしかり。
169名無し三等兵:2006/01/14(土) 00:04:59 ID:???
>>168
明治期の日本も台湾出兵で勉強したしね
170名無し三等兵:2006/01/14(土) 00:16:49 ID:???
>>168
>>82に稚拙な補給計画の背景には朝鮮を開戦までグレー・ゾーン云々…と書いてますが、
フロイス日本史で、小西行長は上陸後も秀吉に朝鮮側が道案内を申し出ているから
都を破壊から救済すべきと考えるなどと報告しているんですよね。
朝鮮側が道案内なんぞするはずがないと小西は承知していると思うんですが。
判断を誤る要素の一つかも。

どうでもいいですが、旧海軍のナポレオン戦史講授録を読むと
際限なく撤退するロシアみたいな相手に対して日本軍は
常に包囲により、連絡線に向かい有力なる部隊の迂回を実施。
追撃に際し間接追撃により連絡線以外に誘導して退路を遮断し、決戦を強いる事。
手段を講じて敵の退却企図を偵知し、退却の余裕を与えない事。
以上の戦法により常に敵野戦軍撃滅を方針とする。
土地の領有を企図し、敵地深く侵入するのは却って敵の
術策に陥る事を考慮し、攻勢終末点を適当に選定する事。
ナポレオンが攻勢終末点を超えて侵入し、惨憺たる全滅の
悲運に際会した事を深く銘肝すべき、とか書いてます。
171名無し三等兵:2006/01/14(土) 00:17:40 ID:???
>>167
対北条戦の時、船で兵糧輸送してるから、それ程問題ないとおも。
172名無し三等兵:2006/01/14(土) 00:58:44 ID:???
波涛天をつく玄海灘を15万の大軍で渡った軍隊が、
半島西岸の沿岸いの交通路を開けないと何故想像するのか・・・・
そっちのほうが大いに疑問。
173名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:29:55 ID:???
沿岸の航行にはまた別の難しさがあるんだよ。
174名無し三等兵:2006/01/14(土) 02:15:44 ID:???
>>173
難しさはあっても舟だまりの場所は昔から風向きがよく
潮もおだやかな場所が選ばれている。
妨害がなければ船乗りが習熟するのに困難はない。
それより内陸の悪路や河川航行の効率の低さ(物資は遡上させる必要がある)
と比較すれば海路運行の価値は分かるはず。
175名無し三等兵:2006/01/14(土) 11:39:58 ID:???
荒れてる時は渡らないっしょ、玄界灘。
176名無し三等兵:2006/01/14(土) 12:19:27 ID:???
「灘」ってどういう意味か知らないのか?
177名無し三等兵:2006/01/14(土) 12:54:03 ID:???
>>176
ちょっと書いてみろwww
178名無し三等兵:2006/01/14(土) 13:10:13 ID:???
>177
読めないのか?
「なだ」って読むんだよ。
日本人なら国語辞典で調べてごらん。
179名無し三等兵:2006/01/14(土) 13:43:58 ID:???
>>178
バカを晒しているなwwwww
180名無し三等兵:2006/01/14(土) 14:07:48 ID:???
名護屋−壱岐−対馬−釜山
のルートは直線で有視界航行だから割と簡単な直線航路として確立しているから
出発の時に風さえ間違えなければそんなに難しくない
181名無し三等兵:2006/01/14(土) 14:30:25 ID:???
>>175
その交易ルートはそれこそ弥生時代以前から使われていたんですけど
182名無し三等兵:2006/01/14(土) 15:01:19 ID:???
>>170
なんと海軍ですか。
日露戦争の陸軍などその講授録の如く、攻勢終末点をわきまえ
政府もそれを理解して講和に動き、良く深入りを避けたように思えます。
それから数十年後の戦争では反対の事をしていますが。。。
183名無し三等兵:2006/01/15(日) 11:52:00 ID:???
>>181
遣唐使船は難破しまくりだったけどな
184名無し三等兵:2006/01/15(日) 12:26:30 ID:???
>>183
それは東シナ海を突っ切る南路の場合
185名無し三等兵:2006/01/16(月) 12:17:02 ID:???
>>182
え〜と、手元のナポレオン戦史講授録は旧海軍兵学校の資料(昭和十年)なんですが
陸軍中将梅崎延太郎の陸軍大学校兵学教官当時の講述(大正四年)を
本人と陸軍大学校の承引を得て印行したそうなので元々は陸軍です…。

ところで>>63による福田勘助の供述はこうです。「南原既破之後、全州間風先潰。
故行長入空焚蕩。当初行長清正之意欲、分三道直衝京城。関白遣人伝令。勿犯京城九月限。
随?殺、十月内還来西生浦釜山等窟穴云。故到京城三日程施即還帰。全羅道亦無留住之意、
勿論老少男女能歩者(虜)去、不能歩者尽殺、以朝鮮所所(虜)之人送?日本、代為耕作、
以日本耕作之人換、替為兵、年率侵犯(乃)向上国?。十月内清正新陣?蔚山、
而今明年似(以)無更動之意」(宣祖実録)

全州占領後、清正・行長はともに三路にわかれ京城を衝くべく北進したが、しかし全州で
秀吉の上使に九月限りと時日を限定され、十月には西生浦・釜山の沿岸拠点に兵を
還す事を指令されていた。そのため京城まで三日行程まで進出したが兵を還す事に決した
(この背景には明軍と接触し、明鮮軍の首都防衛体制が
強固になりつつある事を覚った事がある)。
全羅道もまた無住の地とすべく労働力のある者は連行し、他は殺すとしていると。
186名無し三等兵:2006/01/16(月) 12:50:41 ID:???
大橋武夫の本では、ナポレオンのモスクワ侵攻の敗因について、
「自己の統率力の限界」を越えていたと。
近代軍隊では命令で動かせるのは10万台で
20万を越えたら訓令を必要とする(目安)。
ナポレオンが指揮したのは45万で、ワイクセル河畔では600キロに展開していた。
騎馬伝令が駈けて行ける距離は3〜40キロで、50キロを越えると困難になる。
命令戦法で指揮統率できる軍ではなく、戦意も低い烏合の衆だった。
それを厳寒不毛の大平原に投入したので、混乱するのは当然であり、むしろよくやった。
ペレジナ河渡河退却戦の指導は見事だが、これは統率力の
届く範囲だったから別に不思議はない、と書いてます。
187名無し三等兵:2006/01/17(火) 19:25:12 ID:???
李舜臣でなくてもだいたい同じ結果だったんじゃない?
188名無し三等兵:2006/01/17(火) 19:27:45 ID:MZUxjCbW
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060116-00000186-kyodo-pol
お願いします。2チャンネラのみなさん、下記の文面を参考にして「韓国人のビザ免除恒久化」に対
する抗議のメールを送って下さい。

・表題「韓国人ビザ免除恒久化反対」

・内容「韓国人に対するビザ免除恒久化に強く反対します。そもそも、入国者の不法滞在、
刑事事件など犯罪状況に関する昨年12月分のデータを検証する必要がある国に対して
ビザ免除の恒久化を検討する事自体、おかしな話です。アメリカでさえ、韓国人に対して
はビザを免除していません。反日教育を受けて育った韓国人は、日本人に対する犯罪に
ついて罪悪感を持っていません。http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea1.html(参照)
我々と子供たちのためにも、韓国人に対するビザ免除の恒久化を中止して下さい。」

・送付先 ttp://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
http://www.jimin.jp/jimin/main/mono.html


おまいらも援護射撃しる
コピペ推奨
189名無し三等兵:2006/01/18(水) 19:02:43 ID:NDwpufsu
『歴史群像』2月号

●【戦略分析】
兵站から瓦解した秀吉の大陸侵攻作戦
文祿大乱
http://www.gakken.co.jp/rekigun/magazine.html
190名無し三等兵:2006/01/19(木) 15:39:51 ID:eO2dOBh3
在日も本国人みたいに李舜臣に幻想を持っているのかな?
191名無し三等兵:2006/01/20(金) 13:49:08 ID:???
結局は李舜臣が日本の制海権を奪ったのか奪わなかったのか?
192名無し三等兵:2006/01/20(金) 14:10:29 ID:???
奪った奪わないでいえば「奪ってない」だろう。
ただしドイツのUボートみたいに
派遣軍の兵站がやばくなるくらいに制海権を脅かしたってところかな。
193名無し三等兵:2006/01/20(金) 19:18:08 ID:zg8S/RO5
脅かしてない。
194名無し三等兵:2006/01/20(金) 19:23:25 ID:???
>>193
参考にしている本を教えて下さい。
195名無し三等兵:2006/01/20(金) 21:01:28 ID:???
>>194
派遣軍の兵站とはどこですか?
196名無し三等兵:2006/01/20(金) 22:11:30 ID:???
>>195
釜山以北
197名無し三等兵:2006/01/21(土) 00:46:26 ID:???
名護屋〜壱岐〜対馬〜釜山・間の海上輸送ルートは脅かされてない。
198名無し三等兵:2006/01/21(土) 07:05:28 ID:???
何故参考にしている本を書かないのであろうか。
199名無し三等兵:2006/01/21(土) 13:41:43 ID:???
たくさんありすぎ
200名無し三等兵:2006/01/21(土) 13:56:36 ID:???
参考にしている本を書かないと参考にならない。
201名無し三等兵:2006/01/21(土) 14:17:05 ID:???
日本史板みてると海上は輸送できたけど釜山からがなかなか大変だったみたいね
202名無し三等兵:2006/01/21(土) 14:22:14 ID:???
ここも同意見が多いと思うが?
203名無し三等兵:2006/01/21(土) 14:38:36 ID:???
他の人は知らないし、強制も出来ないが、参考にしている本を書かないと
俺は何とも言えないからスルーしかない。
相手を選ぶ事は出来る。
204名無し三等兵:2006/01/21(土) 14:58:14 ID:59AwFSkH
初戦は朝鮮軍制の悪さと明軍の日本軍に対する過少評価、民衆の協力により善戦し首都の移転までさせた。
しかし水軍崩壊により敗北ではなく、水路兵站が李により脅かせれたり義兵による海賊行為で破綻。
陸路兵站に切り替えだが3本しかない補給路により飽和状態に陥る、やがて抗日運動や現地調達により民衆
の反乱で補給が途切れ途切れの状況だったらしい。
また逐次攻撃や兵力分散により兵の消耗が著しく前線で負け戦がつづく。
後詰部隊が到着し兵力を集中決戦におよび最終的には勝利するが、逆に他地域での防御不足に陥る。
その隙に漢城の兵站が焼き討ちにあい前線での長期持久戦が絶望になり退却による戦線縮小をし凱旋気分も
あり停戦にいたる。
205名無し三等兵:2006/01/21(土) 17:06:24 ID:???
>>204
ずさんすぎ。
説明が。
206名無し三等兵:2006/01/21(土) 18:28:34 ID:???
>>205
今号の歴史群像読み
207名無し三等兵:2006/01/21(土) 18:57:19 ID:???
釜山から先に水路兵站なんか存在しないっつーの。
208名無し三等兵:2006/01/21(土) 19:13:06 ID:???
奥野高広「信長と秀吉」の、
「当時のわが国の総力を以てしては、十数万人の補給線を京
城は勿論、釜山周辺にしか維持できなかったのである」
というのが結論というか。
209名無し三等兵:2006/01/21(土) 19:49:42 ID:???
>>207
2月歴史群像
210名無し三等兵:2006/01/21(土) 20:07:36 ID:???
>>206
あなたがあの雑誌を読んで書いているのは分かった。
で、あの文章が良いと思ってるんですか?
211名無し三等兵:2006/01/21(土) 20:36:53 ID:???
>>210
うん、唐入りも考えれば朝鮮半島西部の制海権は必要ですし
それに伴う海上兵站も事前に考慮されていたでしょう
212名無し三等兵:2006/01/21(土) 20:57:24 ID:???
213名無し三等兵:2006/01/21(土) 21:13:21 ID:???
>>27には「(天正二十年)七月には日本の水軍が大敗を喫することなどによって
状況は大きく変わる。これ以降の日本の水軍は釜山浦から巨済島にかけて、
慶尚道南岸に若干の補給路を保持するにとどまった」とある。
214名無し三等兵:2006/01/22(日) 03:12:17 ID:???
木崎原の戦い ○義弘軍2百 対 ●伊東軍3千
島津のお家芸、釣り野伏で見事勝利。 義弘、槍の達人柚木丹波を一騎打ちで討ち取る。 この戦いでミリタリーバランスが島津に傾く。

耳川の戦い  ○島津軍2万 対 ●大友軍4万5千
九州の覇者を賭けた戦い。 義弘の冷静沈着な側面攻撃と家久の同時攻撃で勝敗が決定。 こんな大規模な野戦をガチでやって大友軍の死者2万人、 重臣多数戦死という一方的な大勝利を収めている。
稀な大勝利、武田信玄 対 上杉謙信の川中島合戦と比べるとその大勝利ぶりが際立っている。 以後、大友は衰退。

沖田畷の戦い ○家久・有馬連合軍5千 対 ●龍造寺軍6万
龍造寺はこの戦いで隆信、四天王を失い島津の傘下に入る。 戸次川でも長宗我部信親・十河存保を討ち取るが、指揮官を討ち取るというのは野戦では珍しく、それを何度もやり遂げている島津家久は戦国一の戦上手といえよう。

戸次川の戦い ○家久軍1万 対 ●豊臣四国連合軍
寄せ集めにすぎない連合軍は歴戦の勇将・家久の敵ではなかった。 この戦いで長宗我部信親・十河存保戦死。 長宗我部元親、ショックで廃人になる。

泗川の戦い ○義弘軍7千 対 ●明・朝鮮軍20万
慶長の役の末期に秀吉が死んだので、 朝鮮にいる将たちに帰国命令が下りる。 それを知った明軍・朝鮮軍は20万の軍勢を日本軍の中央を守る義弘の泗川に向ける。
義弘は、泗川にいくつかあった支城を破棄、泗川に新たに築いた城に立て籠もる。
ここで敵を引きつけるだけ引きつけてから鉄砲の一斉射撃ののち突撃し散々に打ち破った。 また自らも刀を振るって奮戦した。 明軍の死者は8万。

露梁津の海戦 ○義弘軍 対 ●朝鮮水軍
この時も義弘は水軍を率いて活躍。 順天の小西行長を救出し、さらに全軍の殿を務め、 朝鮮の名将・李舜臣と交戦し見事討ち取る。日本軍退却成功。
もし義弘が朝鮮出兵に参加してなかったら日本軍は朝鮮で全滅してた。 秀吉は大名の領地加増を禁止してたが 島津だけはあまりの戦功の大きさに加増された。

関ヶ原退却戦 ○義弘軍3百 対 ●東軍8万
福島隊を突破、追撃してきた井伊直正と松平忠吉に重傷を負わせる。 この傷が元で2人は数年後死亡。
大阪城に残された妻を取り戻し、薩摩へ無事帰還。 家康は島津を恐れ、関ヶ原後も減封する事が出来なかった。
215名無し三等兵:2006/01/22(日) 04:01:43 ID:???
みっともないからヤメレ
っつーか、二重工作員の方?
216名無し三等兵:2006/01/22(日) 19:42:14 ID:???
>>213
それはつまり
釜山〜九州間の水路は確保されてったことだ。

この水路を断とうと思えば、釜山を洋上封鎖するか、
釜山そのものを占領するかしかない。
しかし、李舜臣が釜山の洋上封鎖を計ったことは一度も無いし、釜山占領は1592年の9月に一度試みたが
日本側に撃退されてる。「倭船いっぱい沈めた〜」とか言って勝った事にしてるようだが、この戦いは明らかに李舜臣の敗北。
217名無し三等兵:2006/01/22(日) 21:15:21 ID:???
>>216
うん、で釜山に荷揚げされた物資はそれより先に運ぶ事ができずに
山積みとなり前線の将兵は飢える一方だった
218名無し三等兵:2006/01/22(日) 21:40:55 ID:???
李舜臣は釜山浦まで船で来れるが、釜山浦に向かう輸送船団には一切手を出さなかった。
219名無し三等兵:2006/01/22(日) 23:03:43 ID:???
>>217
文禄の役の際、石田三成が漢城から長束正家に送った手紙に
漢書城では兵糧が不足してるが、釜山にはあるっていてた。(記憶モード)

つまり、兵站を脅かしていたのは李舜臣ではなく義兵だった。
220名無し三等兵:2006/01/22(日) 23:15:22 ID:???
>>219
漢城への輸送は内陸輸送は義兵により妨害され、また海上輸送は
李舜臣により実行すら不可能だった
221名無し三等兵:2006/01/23(月) 01:47:02 ID:???
>>219
それは有名な文書だよね。

釜山にはあり余るってようなことが書いてある。
それが釜山からソウルまで届かないと訴えている。
つまり李舜臣は沿岸沿い海上輸送路を妨害した。
内陸では「義兵」(一揆ばら)が進路を妨害。
222名無し三等兵:2006/01/23(月) 02:36:04 ID:???
>>220-221
そのとおり




なんだけど
李舜臣が補給を妨害したと言うと
どうも、九州〜釜山間のルートを妨害してたかのようなイメージを与えてしまいがちなんでイヤなんだな。

文禄の役での李舜臣の果たした役割は
1.陸上で、日本軍が破竹の勢よいで進撃して時期に、海上で日本水軍を破った事により、ボロボロになってた朝鮮側の
戦意を高め、結果として義兵活動を活発化させた事。
2.全羅道方面への日本軍進行を阻止した事。
3.日本側の釜山〜漢城間の輸送ルート開設を阻止した事。
4.1と3のため、日本側は陸上では決定的といえるほどの敗北は喫していないにも係わらず釜山周辺地域まで撤退させた事。

こんなとこだと思うけど。どうかな。
223名無し三等兵:2006/01/23(月) 15:34:00 ID:???
特に異議なし。
224名無し三等兵:2006/01/23(月) 19:00:03 ID:???
秀吉政権の最大の失策は国内戦と同じ考えで外征を行った事にある。
225名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:01:22 ID:???
元々存在しない釜山−漢城ルートを封鎖するって表現は無理があるべ。
李舜臣が居なくてもこのルートは使わないんだから。
つーか、全羅道へは慶長の役までろくな手を出していない。
226名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:01:39 ID:???
>>224
では、どのような考えで外征を行えば良かったかを、具体的に述べよ。
227名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:03:27 ID:???
もう一つ、李舜臣が居なくても優先的に全羅道を攻略するつもりで有れば可能であった。
当時の水軍では陸軍を阻止できないが陸軍で水軍を阻止することは可能であった。。
228名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:08:55 ID:???
>>225
使わないって何を根拠に?
229名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:34:05 ID:???
>>222
決定的な敗北は免れたが、兵力の損耗は著しい。
230名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:56:12 ID:???
>>229
その兵力の損耗の原因として、戦闘による死傷も少なくないだろが、兵站線の危機による兵糧の不足があるのではないか。
当時、多数の病死者が出た等の記録があるが、これは兵糧不足による衰弱が影響してると考えられる。
また、多数の逃亡者が出て朝鮮側に寝返ったとの記録もあるが、これは飢えた兵士が、飯にありつく為だったのかもしれない。
231名無し三等兵:2006/01/23(月) 23:14:45 ID:???
>>226
中央集権では明らかに当時の日本を凌駕しており、さらに儒教の教えが強い
朝鮮は圧するのではなく両班の派閥抗争を利用するのが一番ですね
232名無し三等兵:2006/01/23(月) 23:16:33 ID:???
>>225
1.秀吉の国内戦でも輸送は主に海上輸送が使われている。
2.陸上輸送は義兵のゲリラ活動により困難がともなう。
3.たとえゲリラ活動が無かったとしても、物資の輸送は船で大量輸送を行ったほうが効率的。

上記の理由により、日本側が釜山〜漢城間の海上ルートを利用したかったと考えるのが妥当ではないか。
233名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:24:51 ID:???
というか
釜山からソウルまでの悪路を考えよう。
室町時代すでに日本社会は商業発展があり、
内陸路も秀吉の中国大返しがあったように通商路は開けていた。
(道の整備だけでなく随所に宿場=足止め場としての集落が存在)
それに引き換え朝鮮社会は自給自足社会。
ソウル〜釜山への大量物資輸送などできる環境ではなかった。
現地調達こそが現実的な兵糧調達の方法。
道を借りるわけだから、補給という発想そのものが当初存在しなかったと思う。
海上ルートについても補給というよりも軍が進撃する道として考えていたろう。
行長が平壌で停止したあたりから海上補給ルートの有用性が認識されるようになったのではないか。
(憶測だが)

ところでこの時代以前、この程度の規模の遠征で
補給ルートを確保し、前線へシステム的に補給していた先例は世界にありますか?
ないと思うのだけど。
234名無し三等兵:2006/01/24(火) 04:52:04 ID:???
明軍は補給出来てたようですが。
235名無し三等兵:2006/01/24(火) 06:52:02 ID:GntKRIiT
民衆の餓死と引き替えに朝鮮と明軍の食料を賄ったわけですが。
236名無し三等兵:2006/01/24(火) 06:59:18 ID:GntKRIiT
それに国内戦の海路輸送は補給先の方向と沿岸支配の確立が前提になっているならね。
朝鮮役では後知恵でも適用できないと思う。
だったらまだポルトガル船による外洋からの漢城直送のほうが、沿岸支配と和船による沿岸航行よりは検討の余地がありそうだと思うんだけどね。
237名無し三等兵:2006/01/24(火) 08:20:05 ID:???
>>234
できてないでしょ。
朝鮮の自前ですよ。
明軍が来るためにその準備に大童になっている。
238名無し三等兵:2006/01/24(火) 08:25:54 ID:???
遼東から平壌に至るわずかな距離でさえ、
明軍を迎え入れるため
途中の部落に兵糧を備蓄させるのに朝鮮側は苦労した。
明軍が後に半島で行儀が悪くなった背景が浮かんでくる。
239名無し三等兵:2006/01/24(火) 08:33:14 ID:???
蔚山で清正を追い詰めながら日本の援軍到着を知るや
さっさと逃げてしまったのも兵糧が底をついていたからではないか。
慶長の役で大軍を集中させてどこか一箇所を逐次攻略することができず、
分散しての総攻撃になったのも、
限りある兵糧武器弾薬を効率的に使いたかったからではないか。
それが惨敗に結びついた。
地元朝鮮を味方につけていてもこの有様ということになる。

日本の損耗のほとんどは病死だろう。
兵糧の乏しさが酷寒とあいまって体力を消耗させ、
簡単な風邪のようなものでも死に至る。
240名無し三等兵:2006/01/24(火) 13:01:48 ID:???
織田信長は領国の関所を撤廃し、道路と橋を整備した。
道路は広さ約6メートル。平らにして石を除き、左右に街路樹を植え
一定間隔に箒を置いて付近の者が掃除する事とした。
橋は一郷が材木を出せば他は人夫を出すという共同で作らせた。
信長以前旅行者は単独では昼でも不用心だったが、
信長時代には安土京都間を夜中に旅行し野宿も出来たという。
信長はこのような道路を領国に普及させた。

軍事行動の開始に当たって道路等軍事施設は整備される。
秀吉は小田原征伐にあたり東海道を整備させ物資輸送と通信の便をはかった。
奥州に進んだ時も道路が整備された。
朝鮮征伐に当たっても整備し、朝鮮半島でも整備させようとした。
241名無し三等兵:2006/01/24(火) 21:35:06 ID:???
中央集権といってもたかが知れている
242名無し三等兵:2006/01/24(火) 22:06:52 ID:???
>>233
霍去病の匈奴遠征とかあるじゃね?
243名無し三等兵:2006/01/24(火) 22:11:58 ID:???
>>242
彼の率いた士卒は飢えに苦しんでるよ。
武帝のお気に入りだったおかげで全てにおいて優遇されてる。
その分、衛青に皺寄せもいってるし。
244名無し三等兵:2006/01/24(火) 22:18:18 ID:???
>>226
暇をもてあましてる一向宗の僧とか送りこもう。
「ホトケノマエデハ、リャンバンモハッチョウモ、アリマセーン」
とかじわじわとやるんだよ(w
245名無し三等兵:2006/01/25(水) 10:44:00 ID:iI+yXdoS
>>244
そして一向宗の僧たちは瞬く間に朝鮮人の支持を
集め、朝鮮国内で独立戦争を起こすのであった。。。
246名無し三等兵:2006/01/25(水) 11:12:09 ID:???
太田一吉の軍に従軍した慶念は、浄土真宗本願寺派安養寺の住職です。
247名無し三等兵:2006/01/25(水) 13:11:42 ID:???
ちょっと長いが、文禄役の日本軍の兵站問題についてまとめてみる。

豊臣政権の国内戦争では兵粮については公儀支給が原則であった。
しかし、秀吉軍の場合、その圧倒的な攻撃力に比して兵站力は弱く、
九州役や小田原役でも兵粮不足に悩まされていたことが、
当時日本にいた宣教師の記録に残されている。
そのためか対外出兵にあたっては、兵粮の公儀支給の原則が変更された。
具体的には、東国大名の兵粮は公儀支給とするが、西国大名の兵粮は
原則自弁で賄うこととし、不足する場合には公儀が貸し付けるとした。
当初の作戦計画では半島南岸に橋頭堡を構築することが主眼となっており、
奥地への進撃は想定していない。兵站力の不足は西国大名の個別努力によって
補うことが可能であると考えたようだ(恐ろしく非効率ではあるが)。
しかし、朝鮮正規軍が早期に敗走してしまったため、
日本軍は広大な朝鮮の地を占領することになった。
ここで日本軍を構成する各大名は、国元からはるばる搬送したり
豊臣奉行衆に頭を下げて借米することをいやがり、
かといって文禄役では掠奪は禁止されていたので、
戦争そっちのけで朝鮮で年貢を徴収することに没頭するが、
朝鮮の百姓は逃亡してしまっており、還住策もうまくいかず、完全な失敗に終わる。
248名無し三等兵:2006/01/25(水) 13:12:43 ID:???
>>247続き
冬になると占領地の多くは放棄され、
秀吉直轄軍の進撃のために釜山〜平壌間に設けられた繋ぎの城に大半の兵力が張り付き、
各城に集積された兵粮でかろうじて食いつなぐという事態となった。
そして平壌で孤立した小西軍が明軍の集中攻撃を受けて敗走すると、
ようやく秀吉は腹心の浅野長政を渡海させて兵粮の支給を行わせることとした。
(平壌の敗報に接するまで、兵粮の危機的状況についての情報は秀吉の耳にほとんど入っていなかったようである)
が、時すでに遅く、泥縄の陸上輸送は機能せず、釜山に兵粮が山積みされながら
前線では兵士が餓死寸前という非常事態となった。
秀吉は援軍を渡海させて全羅道を攻略するから、それまで撤退はするなと指示したが、
それは無理な注文であった。
そのため、南岸地帯へ撤収し、複数の「倭城」によって形成される釜山橋頭堡に立て籠もる作戦に切り替えたが、これは作戦計画を当初のそれに戻したことを意味していた。
兵粮不足を招いた原因としては、貧弱な兵站力や占領行政の困難を考慮して攻勢終末点を適切に設定しなかったことが大きかったと思われるが、
それ以外にも、農繁期に進撃してしまったこと、穀倉地帯でもあった全羅道攻略を後回しにしてしまったことなどがあげられる(これらの点は慶長役では修正されているが)。
最後の点については、明軍に備えるために全羅道担当の小早川軍を北方に転用したためであり、明の軍事介入のタイミングが功を奏したといえる。
249名無し三等兵:2006/01/25(水) 19:45:33 ID:???
とりあえず参謀本部の日本戦史九州役の第二篇作戦で補給に関する所を見ると
(天正十四年)八月五日黒田宮木及安国寺恵瓊に訓示する所あり
之を毛利及両川に命令せしむ。其の要旨に曰く
4.弾薬糧末に乏しき隊あらは予之を補給すへし

同十四日同三人に命じて曰く
1.立花より糧食弾薬欠乏の報告あり宜しく隆景と謀りて之を送るへし
5.糧食は小西行長に命し赤間関に輸送せしむ宜しく其集積所を整備すへしと

十二月朔日遂に命令を二十四州に発し明年二月二十日迄に出師を準備せしめ
小西隆佐等(外三人、建部、吉田、宮木)をして兵三十万、馬二万に対する一年間の
糧末を兵庫、尼崎地方に集積せしめ石田三成、大谷吉継、長束正家に其供給を管掌せしめ
又隆佐をして諸州の船舶を徴発し糧十万石を赤間関に進ましめ(以下略)
となってますね。
250名無し三等兵:2006/01/25(水) 20:05:01 ID:???
悪路というなら秀吉の船団にとって海路も悪路だろう
251名無し三等兵:2006/01/25(水) 20:15:28 ID:???
フロイス日本史の記事を見ると、
悪天候で五畿内からの食糧の海上輸送は困難となって、
餓死者が連日後を絶たぬ有様であった

薩摩の人々は、関白の軍勢が飢餓と病苦に喘いでいる内部事情を知るよしもなく

もし薩摩の国主が、あと五日間、関白の許に赴くのを遅らせていたならば
関白は軍勢を撤退させ、馬を馳せて帰ったであろうし(以下略)
とあります。
しかし訳者は、秀吉の軍勢が苦境にあった事は事実だが
フロイスの記事は明らかに誇張している、とも書いています。
252名無し三等兵:2006/01/25(水) 20:37:50 ID:???
近世日本国民史豊臣乙を見ると
此時秀吉の大軍糧乏しく卒飢え、水土に習はずして、
悉く疾病を生ず。是に於て京師に帰らんとす(西藩野史)
等やはり厳しい状況の記事も紹介してあるものの
米船は、国々よりも著きにけり、あけても積まん倉なしの濱
という当時の細川幽斎の一首を紹介しつつ、秀吉は此点に決して違算ある漢ではなかった。
兵糧の心配よりも、雨期と、炎暑と、疫病と、士気の倦怠が上方の懸念の種であったろう、
と書いています。
253名無し三等兵:2006/01/25(水) 21:23:02 ID:???
>>251-252
秀吉が出陣して島津が降伏するまで2ヶ月程度でしかなく、
それで厳しい状況になってしまうというのは、
誇張があるにしろ、兵站に問題があったのは間違いないですね。
254名無し三等兵:2006/01/25(水) 23:02:42 ID:???
>>251-252は対島津戦について?
255名無し三等兵:2006/01/25(水) 23:27:46 ID:???
やはり敵地もしくはグレーゾーンの兵站に関しては戦国期軍隊は力不足
という事になるのだろうか?

やはり内戦軍隊の限界か
256名無し三等兵:2006/01/26(木) 00:46:13 ID:???
>>255
そうではない。
257名無し三等兵:2006/01/26(木) 00:51:00 ID:???
>>247
疑問点があります。

>当初の作戦計画では半島南岸に橋頭堡を構築することが主眼となっており、
>奥地への進撃は想定していない。
ソースは何ですか?
ソースソースというのも不躾ですから、
基本的な疑問を言いますと、
「明征伐」という名目なわけですから、
ソウル〜平壌という順路は予定の行動だったのでは?
機会的決断としては北上の速度が速すぎるような。
機会的決断だからこそ、という見方もできそうですが、
逆にいうと南岸に拠点を築くという戦略は、
稀有壮大な三国制覇とはいささか齟齬するような・・・。
258名無し三等兵:2006/01/26(木) 01:08:42 ID:???
↑稀有壮大
気宇壮大
259名無し三等兵:2006/01/26(木) 02:58:40 ID:???
>>257
天正20年(1592)3月に有名な1番から9番までの編成表とあわせて
軍令書が出されています。
その中で、朝鮮国王が素直に従えば指令書の順番に渡海すること、
従わない場合は「高麗の地、いずれの浦々へも一度に着岸致さしめ、
陣取りを固め普請丈夫に申しつくべく候」とあります。
つまり、秀吉は事を起こすにあたっては実に用心深く、
朝鮮軍といえども決して侮っていなかったということなんだと思います。
日本を統一するほどの人物なのだから、現実主義者だったということなんでしょう。

開戦直後の急進撃については、文禄2年4月の加藤清正宛て秀吉書状によると、
上陸した際に全く抵抗する者がなかったとの前線からの報告があったため、
秀吉がそれならと前進を命じたところ、諸将が後を顧みず猛進してしまった。
過ぎたこととはいえ遺憾である、と言っています。
嘘を言っているとも思えないので、多分本当なのでしょう。

なお、三国統治構想なるものは漢城陥落直後に出されたもので、
国内向けの宣伝効果を狙ったものだと考えられます。
260名無し三等兵:2006/01/26(木) 14:49:03 ID:???
>>259
では秀吉の「誇大妄想」とよく言われるのはウソで、
もっと「現実的」な朝鮮切り取りが最初からの目的だったとおっしゃる?
あるいは「勘合貿易」の復活というつつましい望みなのでしょうか。
それにしてはやることが乱暴すぎるような…。
261名無し三等兵:2006/01/26(木) 17:33:59 ID:???
フロイス日本史で訳者は、フロイスの記した事も事実であったと思われると
>>252等の記事も引いていますが、高橋招運記の
「千台(川内)川へは兵船数千艘乗り込み…並に京堺の京人船、何十艘ともなく乗入…
陸は京勢数万騎、其外筑紫大名小名打合、其軍勢十三里四方には尺地もなくこそ見えけれ、
如何なる島津なりとも、此大勢には自ら成恐」
島津勢は「皆疲れ、物具兵糧も難続」(勝部兵右衛門聞書)
という記事も紹介しています。

近世日本国民史豊臣乙でも厳しい記事の他に上の高橋招運記や、甫庵太閤記の
「薩州の内千代(川内)の流れに添、太平寺と云大伽藍有、秀吉の御陣を被居、
京泊とて、宜しき湊あり。兵糧船、数千艘着岸せしかば、諸勢に扶持方下行し給ふ。
運送の事繁きに、京泊の町人、事外に賑はいつつ(中略)
千代川に船橋を掛させ、往還自由を得たり。
奉行は九鬼大隅守、脇坂中務少輔、加藤左馬助等也」
という記事を出しています。
そして厳しい記事に対し、秀吉兵糧に窮せずとして
「秀吉が兵糧詰りは、薩摩側では、頻りに云い囃す説なれども、海運の便ある薩摩にて、
縦令中途の山路にて、一寸当惑したる場合はあり得可きも、斯る心配ある可き様なし」
と書いています。
262名無し三等兵:2006/01/26(木) 18:10:29 ID:???
>>255
秀吉はまず島津勢を境外で撃滅すべく、先発隊に島津軍を逃がさぬ様指示を出していました。

敵不引退様に懸留、山取有之而、関白殿御着座を可相松儀肝要候事

敵不退候様に於掛留は急度飛脚可注進候。一騎がけにて御座候而、被御覧、
ひとりころびをいたし候様に、可被仰付候間、成其意、可注進候、(些か)不可有油断候也。

しかし島津は総退却したので

薩摩の奴原、武篇にて一戦を致し負け候ては不及是非候処に、
合戦をも致さず、先手の備を見、敗軍候段、中々弱者共可被仰出様無之候。
彼薩摩の臆病者には太刀も刀も入まじく候間、追付追廻、城々を取巻可申事。

と罵っています。
263名無し三等兵:2006/01/26(木) 19:16:47 ID:???
>>254
そうです。

フロイス日本史で小田原城攻撃の兵糧不足の部分を見ると
関白の兵たちは、遠隔の地方、長途の旅で衰弱しており、
豊富な食糧にありつけぬばかりか、その点では不足をさえ告げていた。
と書いています。

しかし全体を読むと、これは北条方の戦略を語っている様な気も…。

小田原役では、出陣に際し軍勢の大部分は陸路をたどり、
食糧を積んだ多数の船舶が海路を進んだとあり、
九州役では、堺の代官(小西)ジョウチン立佐に対し、
米を満載した船舶を率いて下関に赴き、そこから
軍勢の補給を采配するようにと命じた、とあります。

九州役、小田原役共に秀吉の出馬は三月朔日ですが、これは気象の関係でしょうか?
264名無し三等兵:2006/01/27(金) 00:19:14 ID:???
>>260
そうじゃなくて、当初の秀吉は何とか朝鮮を味方に付けて、
明征伐を実行したいと考えていたのではないかと思われます。
空前の動員令を下しながら3ヶ月以上も渡海を押しとどめ、
最後の最後まで小西行長の交渉に期待をつないでいたからです。
そして開戦後も朝鮮との交渉は継続されますが、
漢城・平壌の陥落によって、この路線は完全に消滅します。

代わって出てきたのが明との交渉です。
有名な秀吉の7条件ですが、三国統治構想などの大言壮語とは全く違い、
現実的なものでした(内容が日本的すぎる嫌いはありますが)。
ここでは日本と明が対等な関係を結ぶこと、
日本の朝鮮に対する優位を明に認めさせることが主眼となっており、
いわば東アジアにおける安全保障体制の確立を構想していたようです。
それ故に、明と朝鮮が日本の実力を認めてそれを態度で示すことが重要であって、
朝鮮南部の割譲や貿易再開等の条件は絶対的なものではなかったものと思われます。
この交渉は成立寸前まで行き、周知のとおり決裂しますが、
ここでは和平の証としての「王子人質」を朝鮮が拒否したことが、
決定的な要因となったようです。
265名無し三等兵:2006/01/27(金) 17:55:30 ID:???
>>264
>代わって出てきたのが明との交渉です
>有名な秀吉の7条件ですが、三国統治構想などの大言壮語とは全く違い、
>現実的なものでした

三国統治構想の頃は、漢城陥落後の絶頂期だったんで、大きな事を言ってられたけど
対明交渉の頃は、各地で義兵活動が活発化して兵糧不足が深刻化した時期なんで、
当初の構想を縮小せざるを得なかったんでしょうね。
266名無し三等兵:2006/01/27(金) 19:53:41 ID:???
またスレの流れに掉さすような・・・

>義兵活動が活発化して兵糧不足が深刻化

という定式を少し疑ってみないか、
式の発想で進んでいるんだろ?
全否定じゃないにしろ。

小田原、島津征伐の話が出ているのもそのためでしょう。
267名無し三等兵:2006/01/27(金) 21:33:38 ID:???
秀吉の朝鮮討伐・・・・映画化しないかな・・King of ジパング みたいなタイルでさ。
無理かなぁ、特定アジアの嫌がらせにあうかなぁ。
268名無し三等兵:2006/01/28(土) 11:23:04 ID:x6b27VXQ
>>267
韓国がテレビドラマでやっていたような気がする。
かなり秀吉が悪役なイメ−ジだった。
269名無し三等兵:2006/01/28(土) 12:09:33 ID:???
霍去病は、霍は母親の氏姓を名乗っていることでわかる通り、もともと奴婢の出自だ。
霍去病の叔母にあたる人物が漢の武帝の姉の家で踊り子をやっていたのを気に入られて後宮に送られた
その後に武帝の皇后をやっていた女性が廃されるか何かあってね。急遽、成り上がりで皇后になったわけだ。
この経緯から霍去病は幼少時に不遇の人生だったとの話もあるが、しかし叔母が皇后になったのは彼が幼い頃だったから霍去病の生活はそれで一変している。
だから彼は貧しい生活というのは成長してからは経験していないのだよね。
霍去病の叔父も名将で知られる人物だが、こっちは苦労人だったというから大違いだ。

まあ、そんなわけで霍去病は生意気な貴族の青年であって、決して叔父のような苦労人ではなく、下のものに気を使うようなことはまったくなかった。
遠征の際は下の兵卒は飢えるようなのが出ていても、陣地にポロをするためのグランドを作るような贅沢をやっていたくらいだ。
彼が手柄が大きかったのも、武帝が皇后の甥を厚遇して優秀な部隊を委ねたからであり、その分を割り引いて考える必要もあるしな
270名無し三等兵:2006/01/28(土) 13:35:45 ID:???
>スレの流れに掉さすような・

語法を誤ったようです・・・
271名無し三等兵:2006/01/31(火) 01:56:44 ID:???
小田原城攻撃時の兵糧事情ですが、困ってないのではないかと思います。
小田原役について書いてある本には、大抵北條五代記の次の描写が紹介されています。
「…往還の道は、馬の足音、物具の音、十二時中鳴り止む事なし。
兵糧米運送する事、西海の大船小船幾千艘共数しらず。是故に陣中豊かなり」
そして諸将に女房を呼ばせ、自分も淀君を呼び寄せています。

徳川実紀には、家康家臣伊奈熊蔵忠政が貯蓄した米を沼津に運輸
していたが、沼津・江尻の米と小田原の米の値段が同じ様なので
運費をかけるよりはと当地(小田原)で米を買い求めたとあります。
家康はこれについて「こは長束大蔵政家がする事なれ、大蔵は
さして武功はなきが、万事に才幹あるものゆえ、秀吉の意にかない
追々抜挙せられ、一城の主にも成たれ」と答えています。
272名無し三等兵:2006/01/31(火) 02:50:55 ID:???
外交交渉や、秀吉朝鮮役の意図・構想等に関しては
諸説ある中でこれだというのはまだないような。
273名無し三等兵:2006/01/31(火) 03:18:33 ID:???
小田原征伐の秀吉のお祭り騒ぎはよく聞かされますよね。
それが九州征伐になると事情が異なってくるのは何故なんでしょう。
274名無し三等兵:2006/01/31(火) 09:35:13 ID:???
>>271
両方とも戦役初期の記述ですね。
(長束正家は途中から忍城の攻略に差し向けられています)
小田原役のときは九州役の反省を踏まえているはずだから、
最初は準備万端整えて臨んだと思われます。

5月初旬に秀吉は浅野長政に対して江戸城で兵粮米を確保し、
自ら関東経営に臨む拠点として「御座所」を設置することを命じていますから、
この段階で小田原が容易に落城するものと判断していたようです。

しかし、5月どころか6月になっても戦局は思うように展開しなかったため、
(江戸城を拠点にした関東経営構想は結局放棄されました)
宣教師の記録にあるような兵粮欠乏の事態に陥ったのではないでしょうか。
包囲軍のお祭り騒ぎなどは、苦し紛れのハッタリだったのかもしれません。
275名無し三等兵:2006/01/31(火) 13:34:52 ID:???
秀吉は城を長期包囲する経験を積んでいます。
鳥取城の時も高松城の時も陣中に町屋が立ち並びました。
小田原役の後は会津に向かいます。
その後名護屋に一大拠点を作りました。
276名無し三等兵:2006/01/31(火) 20:10:04 ID:LXIdFo7f
ここの日本人が主張する李舜臣の評価は妥当?
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1569616
277名無し三等兵:2006/01/31(火) 21:45:35 ID:???
276
だいぶ通説と違うようだが?
278名無し三等兵:2006/01/31(火) 22:41:00 ID:nzGmgFoe
李舜臣というかまさしく水軍の限界だな
279名無し三等兵:2006/02/01(水) 00:35:24 ID:???
手元に詳しい本がないのですが、小田原役の水軍について調べると面白そうです。
280名無し三等兵:2006/02/01(水) 04:37:35 ID:bSeZ3x/b
>>260
三国統治構想なんかは国内向けの宣伝だって歴群に書いてあるな
281名無し三等兵:2006/02/01(水) 04:45:42 ID:???
続々群書類従四の忍城戦記によると、忍城攻略に当たって水攻の堤を作る為
昼は一人永楽六十文、米一升、夜は永楽百文米一升で人を募っています。
しかし数十万人というのはかなり誇張してますね。

日本戦史中国役を読んでみると、高松城においても銭百文、米一升という記事があります。
補伝を読むと続武将感状記ですね。
こちらは俵へ土を納めて一俵運んだ者への代金です。
こちらの記事でも忍城攻に触れていますが、代金が昼五十文になってます(他は同じ)。
高松城の時も忍城の時も昼夜の境なく工事したようです。
282名無し三等兵:2006/02/01(水) 04:59:35 ID:???
歴史群像(2006.2)文禄大乱記事河合氏の
学研M文庫日本戦史戦国編(小田原合戦)を読むと
「九州の陣で完成の域に達していた兵站システムをより大規模に再編成し
後方輸送と兵站計画を長束正家に一任した。
これによって戦闘部隊が現地調達と物資集積の手間から解放され
豊臣勢の機動力はさらに向上し、攻勢限界点が伸長することになった」
とあります。
283名無し三等兵:2006/02/01(水) 09:15:28 ID:???
>>758
かなり面白い。読みづらいが。
水軍の位置づけ(李舜臣水軍への評価)、秀吉軍の戦略意図を合理的に説明している。
こういう説を仮説とか憶測とかいうなら、
今まで流布している様々な歴史参考書での説明は妄想レベルに思える。
この板でも類似した主張があるね。本人かな?
284名無し三等兵:2006/02/01(水) 13:56:27 ID:???
俺は>>276の韓国人の意見が面白いです。
しかし韓国のサイトには書き込みたくないので
ここに来てもらえればいろいろ討論出来るかもしれません。
向こうも2ちゃんには書き込みたくないかもしれませんが。
285名無し三等兵:2006/02/01(水) 14:36:40 ID:???
今話題にしているのは276のこと?
286名無し三等兵:2006/02/01(水) 17:03:16 ID:???
かつてキリシタンは50万人の日本女性を奴隷として輸出した。鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」P249〜257から、部分的に引用したいと思います。

「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに
女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に
売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいた
ボスの中のボスであつた。キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、
キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。
肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる
遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。
ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、
キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇を
どうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。
287名無し三等兵:2006/02/01(水) 21:20:27 ID:???
李舜臣の評判は落ちていくばかりだね
288名無し三等兵:2006/02/01(水) 22:18:46 ID:???
>>284
そうかな?
日本人の意見にリアクションを示しているだけで、
主張は李舜臣の定説を擁護しているだけのように読めたが、
具体的にどんな意見なのだろう。
289名無し三等兵:2006/02/01(水) 23:00:06 ID:vQXAKFKP
李舜臣マンセーの罵倒韓国人にしか見えんが?
290名無し三等兵:2006/02/01(水) 23:59:08 ID:FYoHIhg3
>>283
教科書の記述って間違ってるんですかね?
それとも検閲が間違っているのかな。
291名無し三等兵:2006/02/02(木) 00:12:19 ID:???
>>288
そうですねぇ。
もう少し相手の話題に合わせつつ優し〜く討論出来るかもしれないと思いました。
しかし普通に容赦なくぶっ叩くかもしれませんが。
292名無し三等兵:2006/02/02(木) 00:46:59 ID:???
>>290
今、現役のは手許にないが、少し前の教科書(高校)には
「水軍の不振で補給不足に陥り」
と書いてある。
まあ、それが「一般的」なわけだが、
その通説はどうやらおかしい、という議論に深まっているわけで。
293名無し三等兵:2006/02/02(木) 01:26:59 ID:???
そこら辺の研究が進展したのは1990年代以降だからねぇ
これに対して水軍不振説は明治以来の通説だw

文部科学省の検定はものすごく保守的で、辞書や概説書の記述が
完全に切り替わらなければ記述の変更を認めたがらないらしい
294名無し三等兵:2006/02/02(木) 13:51:22 ID:???
>>273
川角太閤記の九州役に次のような記事があります。

秀長糧を部下に売る、として
「…節所大難所を越、総軍兵入はまり申候、兵糧米つづき兼申、上下四日計もかつえ申候、
食物には、ところ、山の芋、竹の子なとの躰にて、御座候つる所へ、大将大納言殿、
兵糧一万石計、日向の浦着申候、上下の推量には、定て此米総御陣へ可被遣と存候処、
案に相違して、此米高く御売被成候、上下衆も、備藤神右衛門を始と仕、
大将軍には不似合御裁判哉と取沙汰仕候(中略)
右の御米売候を笑止さの余りに悪口申され候と聞え申候事」

二三日後、毛利輝元の兵糧船が二三艘到着したので、
輝元はこれを総陣へ出そうにも先の一件があったので、五割で貸すとした(京で返済)。
陣中まだ兵糧が乏しかったので、大方の衆は米を借りた。
後聚洛で皆が返済しようとした所、輝元は「此時の音信にて御座候」
と返事をして米を受け取らなかった。
295名無し三等兵:2006/02/02(木) 14:30:57 ID:toVxWZHy
紹介しておく、多分276の続きみたい。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1571082
296名無し三等兵:2006/02/02(木) 20:14:15 ID:???
マジ?
297名無し三等兵:2006/02/02(木) 21:20:18 ID:???
>>293
文部省検定の場合はアジア関係の記述は基本的にノーチェック。
むしろ教科書を執筆する歴史学者の側の方が問題は深刻で、
学会では相変わらず昔ながらの水軍不振説が幅をきかせている。
おっしゃるとおり、実証的研究は進んでいるんだけど、
一方でイデオロギー色も強くなっており、学術論文の中で
「朝鮮侵略」とか「義兵闘争」なんて言葉を使うことが多くなっている。

日本にも李舜臣マンセーの学者とかいるからねー。
そういう人は政治的な動きをして影響力が強かったりするから厄介なんだな。
薄々「変だな」と感づいている人はいるんだけど、
国際問題(?)に巻き込まれたくないから誰も何も言わない。
298名無し三等兵:2006/02/02(木) 21:45:59 ID:???
>>295
ここで引用されている有馬成甫大佐の分析は、
大東亜戦争開戦直前の執筆だけあって、なかなか示唆に富んでいるね。

「マハン時代の海上権力なる理念と、朝鮮役当時の事情とは
 全くその境遇を異にして居た」

「朝鮮役時代にあっては、陸上作戦の助けなく水上兵力のみにでは
 敵水上兵力を破壊することは到底出来なかったのである」

「朝鮮役の場合に於いては、朝鮮水軍は度々我が水軍の一部を破壊したが、
 進んで我が兵站交通線を脅かすことも出来ず、
 或いは我が作戦を妨害する程積極的な行動にも出ることが出来ず、
 結局朝鮮水軍は海上権力を掌握することが出来なかったのである」

「朝鮮役の教訓は至る所で連戦連勝した我が軍が
 何故終極的な成功を見なかったという点に帰すべきであろう。
 この点は現下我国の直面している支那事変に於いて、
 特に甚深の考慮を為さなくてはならないことである」

「思うに、戦争の勝敗を決する要素は決して単純なものではない。
 局部的な戦闘の勝敗−陸・海・空各軍に至り、南北東西の各方面に広がり、
 年月を重ねる戦闘の成果、そして前線の軍隊をして遺憾なく
 その能力を発揮させる銃後の政治力、工業力、資源力、輸送力等の充実。
 戦闘の成功を有効にする外交の活躍等、幾多の国家としての要素が
 総括累積したものが一戦役の総決算となるのである」
299名無し三等兵:2006/02/02(木) 22:22:34 ID:x37tzjfc
>>295
いや、勉強になりました。
支那事変当時から日本人は真実を見ていたということ。
戦後の本役に関する研究観察評論は退化していた、
事実ですね。
300名無し三等兵:2006/02/02(木) 22:29:10 ID:x37tzjfc
たぶん、たぶんですよw

>>295
のような有馬卿の言説を現在権力を保守してる「学者」たちは
「戦後の研究は批判的にそれを摂取して今日に至る」
と牽強付会をするんじゃないですかね。

でも、駄目ですね。矛盾があるw
301名無し三等兵:2006/02/02(木) 22:36:50 ID:x37tzjfc
思うに
「歴史学」
というものの純粋性、絶対性
に関して疑問を抱いてしまうが
秀吉出兵に関する議題に付随する専門家言論を見たときです。
302名無し三等兵:2006/02/03(金) 01:42:33 ID:???
>>298
>>208ですね。
303名無し三等兵:2006/02/03(金) 03:02:31 ID:???
「統帥綱領・統帥参考」を読むといろいろ当てはまる部分が多いような。
304名無し三等兵:2006/02/03(金) 10:26:49 ID:???
批判的にしか見れないのが戦後の反動だよな。
305名無し三等兵:2006/02/03(金) 10:45:50 ID:???
F-15Kラ国    正規空母     国産戦闘機    日本征服
┝━━━━━━┿━━━━━━┿━━━━━━┥
.                    ∩___∩   /)
                    | ノ      ヽ  ( i )))
                   /  ●   ● | / / 今ここ?
                   |    ( _●_)  |ノ /
                  彡、   |∪|    ,/
                  /    ヽノ   /
http://image01.wiki.livedoor.jp/n/2/namacha2/f8b6e1248dd1bb37.jpg

http://image01.wiki.livedoor.jp/n/2/namacha2/0fcef67b6cdba4ff.jpg
306名無し三等兵:2006/02/03(金) 13:21:21 ID:???
釜山までは兵糧を届けたが、京城までの補給は確保できなかった。
義兵の襲撃とともに、長距離の陸路補給の難しさを検討すべきではないでしょうか。
大軍を食わせないといけませんし、武器弾薬も輸送する必要がある。
倭城を見ても、補給は海路に依存していると思います。
これが頼れないと、当然現地調達をしつつ行動しなければなりません。
307名無し三等兵:2006/02/03(金) 20:39:15 ID:???
教科書書き直せよな。
誰が戦犯なんだ?
308名無し三等兵:2006/02/03(金) 21:07:07 ID:???
文部科学省初等中等教育局教科書課長
309名無し三等兵:2006/02/04(土) 07:43:54 ID:TUn/6GX2
>>295
が見事すぎるな。こんな所だろう。
310名無し三等兵:2006/02/04(土) 10:15:41 ID:???
日朝関係史の研究からの孫引きによるんですが、有馬氏は朝鮮役水軍史で
「秀吉は、対外出兵の準備として、造船計画を指令している事は勿論であるが
その目的は、まず輸送の為の船舶築造であり、次は秀吉渡航の準備であった。
しかし、海戦の不振から、単なる警備の必要以上に、本格的な水軍編成に目標を転換して
全国的規模による造船の企画が行われ、慶長の役の段階までには、急速な発展を遂げている」
と書いているようです。
311名無し三等兵:2006/02/04(土) 10:22:31 ID:???
日朝、じゃなくて日鮮関係史の研究(中)のP123〜P125辺りが
文禄の役の敗因を簡単にまとめているような。
312名無し三等兵:2006/02/04(土) 14:14:13 ID:???
北島氏ね。
313名無し三等兵:2006/02/04(土) 17:24:29 ID:n4gDuL7l
北島って誰だ?その人が教科書書いたの?
314名無し三等兵:2006/02/04(土) 17:43:32 ID:qvlnyp2p
教科書書いたの万次タソですか?
315名無し三等兵:2006/02/04(土) 17:53:57 ID:???
当時の明ってもう末期に近いだろ?
そんな国に負けたのか。('A`)
316名無し三等兵:2006/02/04(土) 18:05:22 ID:???
秀キチ
317名無し三等兵:2006/02/04(土) 18:41:23 ID:???
>>315
明の歴史ではこの戦争を勝利と見なしていないようだけどね。

明史(列傳第二百十・外國三)にこうある。
「自關白侵東國、前後七載、喪師數十萬糜餉數百萬、
 中朝與朝鮮迄無勝算。至關白死、兵禍始休」

前後7年間で数十万の兵士と数百万の兵糧を失ったが、
明と朝鮮は、日本に対して勝算は全くなく、
秀吉が死んだから戦争が終わったのだと総括している。
318名無し三等兵:2006/02/04(土) 19:03:54 ID:???
火気の質が桁違いだし、大きな戦でほとんど負けてない様子をみると。
兵糧を運べなかったことが大きかったのだろう。
陸上、は道が整備されておらずうまく運べず、海上は気象条件、ゲリラに悩まされ
思うように運べない。さらに漢城の様子などを見ると呼んでもこないし
うまく情報も伝わらなかったんだと思う。
319名無し三等兵:2006/02/04(土) 19:14:54 ID:???
>>315
この頃は、そこまで酷くは無いんじゃない?
張居正が死んで、まだ10年ぐらいしかたってないし。
弱体化したのは万暦の三大征以降でしょ。
320名無し三等兵:2006/02/04(土) 19:16:16 ID:???
派遣軍に統一した指揮系統が存在しなかった事が最大の問題点かと
321名無し三等兵:2006/02/05(日) 00:09:13 ID:???
フリートリッヒ大王

ナポレオン

モルトケ
322名無し三等兵:2006/02/05(日) 01:48:15 ID:UmYd9uze
>文禄の役の敗因を簡単にまとめているような。

「敗因」
ですか・・・
323名無し三等兵:2006/02/05(日) 08:49:41 ID:???
では「失敗」にしときますか。
324名無し三等兵:2006/02/05(日) 10:39:58 ID:???
>>318
>うまく情報も伝わらなかったんだと思う。

文禄2年3月3日付け長束正家等あて宇喜多秀家等17将の連署状にはこう書かれている。

(1) 漢城の兵糧について、現在雑炊でしのいでいるが、4月11日で尽きてしまう。
(2) 釜山の兵糧の輸送について、途中山坂が多く、5〜6日の行程なのだが届かない。
  洛東江の水運を利用するにしても、今の繋ぎの城の人員では困難である。
新たな増援部隊をもって水運にあたらせるとしても、4月11日には間に合わない。
(3) 全羅・慶尚2道の攻略が終われば、兵粮が届く海端・川筋の地に城々を築城し、
  稲が実る時季に前進すれば志を得られよう。

義兵の活躍(?)とはあまり関係なく、兵粮の陸上輸送は困難だったようだ。
問題なのは、こういう基本的な情報がギリギリまで秀吉に伝わっていないこと。
情報がないから、万事が泥縄で後手後手になってしまっている。

「もうすぐ兵粮は尽きてしまいます。今ある兵站線は実は使えなかったのです。
 川沿いに兵站線を変更すれば補給可能なのですが、もう間に合いません」

前線の報告がこれでは勝てる戦争も勝てない。
李舜臣や義兵はいてもいなくても兵粮不足に陥った可能性は高い。
325名無し三等兵:2006/02/05(日) 10:46:43 ID:???
かといって誰を派遣軍の対象にすれば良かったのか?
326名無し三等兵:2006/02/05(日) 10:53:46 ID:???
三成にやらせろ。あいつを前線に出せば苦労もわかるだろうし、
着服して私腹を肥やす事も無くなるから、兵糧は届く。
327名無し三等兵:2006/02/05(日) 10:58:55 ID:???
三成以外にあの膨大な軍の後方支援なんて出来ないよ。
328名無し三等兵:2006/02/05(日) 10:59:26 ID:???
>>325
うん、だから秀吉は万難を排し自身が行かなければならなかった。
家康や利家に止められても、朝廷に懸念されても母が死んでも、子が産まれても
唐入りが本気ならその意気込みを自身で示さなければならなかった。

それこそ大坂の陣に家康自ら赴いたように
それが出来ず、またその必要性を理解しなかったのが秀吉の限界だった。
もし秀吉が出て国内が不安定になるのなら、安定するまで出兵そのものを控えるべ
きであろう、本気なら。
329名無し三等兵:2006/02/05(日) 11:17:07 ID:???
三成も前線に出てるじゃん。
過去スレ嫁よ。
330名無し三等兵:2006/02/05(日) 16:35:47 ID:???
秀家大将で如水軍師の線で指導。
とりあえず小西は外しとけ。
331名無し三等兵:2006/02/05(日) 16:49:40 ID:imS0pHkW
阪神大震災は笑えた!
死者1000人ごとにカウントしてたのってオレだけ?
(よっしゃー2000人突破!よーし次は3000人突破しろーって)
でも結局は6000人しか死んでねえんだよね。全然、騒ぐほどじゃないし。
阪神大震災は笑えた。まじで
ニュースで知って、手を叩いてわらったなぁ。
おまえらが震災にあってる間、家でみかん食ってた
アホだなーこいつらって思いながら
わざわざ神戸まで行って記念撮影しようかと思ったよ。
でも阪神大震災のおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし
結果的には良かったんじゃないかな。
たしか知事や市長が自衛隊の救援要請を渋っていたけどさ、
あそこらへんって部落が多いからそのまま全滅させたかったんだよね。
今でも仮設住宅に住んでるやつがいるらしいけど、
せこいんだよ!俺らの税金なんだよね。むかつく。
ところで震災直後はあいつらってトイレどうしてたの?
もしかして野グソ?汚ねぇなぁー。
どちらにしろヘリからの映像はまさに温泉町のようで壮観だった!
気持ちの良い夕刻でした
332名無し三等兵:2006/02/05(日) 19:02:26 ID:???
号令戦法
(受け手側の任務だけを示す)
「これをしろ、あれをしろ」

命令戦法
(発令者の意図を明かし、受令者の任務も伝える)
「自分はこうしたい、だからこうして欲しい」

訓令戦法
(発令者、指揮官の企図を明示し、これに基づく各兵団の任務は示さない。
あるいはその大綱を示すに留める)
「こうしたい」
333名無し三等兵:2006/02/05(日) 19:08:54 ID:???
秀吉の太鼓が出来るような人物は居ないだろ?
むしろ秀次を大将に立てていた方がよかったのかな?
334名無し三等兵:2006/02/05(日) 19:40:49 ID:???
仮に秀吉以外を総大将するにしても適当な人材がいないのである。
なにしろ渡海戦力16万弱、これを捌けるのは実力・石高でいえば家康のみ
しかしこれだけの大軍を家康に委ねる事を秀吉が認めることは先ずない

地位で上乗せしようにも秀吉政権には制度的な立場は官位以外存在しない
ので、島原の乱の老中松平信綱の様にはいかない(流石に御書院番頭、
板倉重昌では地位が低すぎたようである)
335名無し三等兵:2006/02/05(日) 19:46:46 ID:???
秀長の死は豊臣政権にとって本当に痛かったな。
336名無し三等兵:2006/02/05(日) 23:13:38 ID:???
四方の敵と戦うにあたって信長は、それぞれの方面に有力部将の軍団を置いた。
一万以上もの兵力を持った大軍団である。
これを当時の言葉にはないが、便宜上「方面軍」と呼ぶことにする。

方面軍については、「一定の担当部署を持っている、万単位の兵を抱えた大軍団」と定義しておく。

信長軍の司令官
337名無し三等兵:2006/02/06(月) 00:31:29 ID:???
豊臣政権の対外侵略と太閤検地には
十一月十八日書状、今日廿四日加被見候、申越趣被聞召届候、兵糧無之不相鎮通、
前廉不及言上、至月廻申越候段、不相届儀候、然者兵糧無之通、就被聞召付、
高麗在陣者、来年八月迄之兵糧、於釜山浦可被下とて、名護屋ニ至諸国御蔵米致召寄候、
正月より始、浅野弾正渡海候儀被仰付候、兵糧之儀も可被差遣候、然者其国在陣之衆、
船不残一艘乗船以下迄悉名護屋へ可相越候、自然船不相越者於在之者、可為曲事候、
急度被成御渡海、白国・赤国悉被加御成敗、御仕置可被仰付候条、其前率爾之動不可仕候、
兵糧行絶ニ付而者、増水迄たへて成共、可相侍御渡海候、猶長束大蔵太輔・木下半介・山中橘内可申候也
十二月廿四日(秀吉朱印)
戸田民部少輔とのへ

秀吉は朝鮮にいる将兵の兵糧欠乏を充分に承知しており、年明け早々には
浅野を渡海させて、釜山で兵糧の配給を行う計画であった。
とあります。
338名無し三等兵:2006/02/06(月) 00:50:16 ID:???
>>337
果たしてその兵糧が前線に届くのかを理解しているのか、
そしてその対応が時間的に間に合うかという問題があります

対応しても後手に廻っては意味がない
339名無し三等兵:2006/02/06(月) 01:12:39 ID:???
>>338
>>161となりました。
340名無し三等兵:2006/02/06(月) 06:08:05 ID:???
>>337
十分に承知している、と言えるのかなあ。
「兵粮行絶ニ付而者、増水迄たへて成共、可相待御渡海候」と、
秀吉が渡海するまで待て、なんて言っているからね。
兵粮がないという情報はあったようだが、それほど危機感が感じられない。
341名無し三等兵:2006/02/06(月) 09:04:27 ID:???
>>161
つまりここでも現地に総大将がいない事による弊害が見て取れる
現地にいれば釜山〜漢城間が手薄である事も瞬時に解り的確な手段をとるだろう
342名無し三等兵:2006/02/06(月) 09:33:48 ID:???
もしくは戦線を縮小したり、現地の武将が勝手に行っていた外交交渉を
より高度なレベルで展開したりもできよう

いかに有能な人物でも現地にいなければその能力の1割も活用できまい
百聞は一見にしかず
343名無し三等兵:2006/02/06(月) 20:36:15 ID:zrqR+ikC
もっと動員すべきだった?
344名無し三等兵:2006/02/06(月) 22:02:08 ID:???
それより住民宣撫
345少佐:2006/02/06(月) 22:13:30 ID:fBqfmh2w
朝鮮民衆の投石、弓矢、竹やり、格闘技なども舐めたら
いかんレベルだったということではないか?
346名無し三等兵:2006/02/07(火) 10:10:56 ID:???
圧政に苦しんでたししばらくは歓迎だった、その後は大軍でいたんだしほとんど影響はないと思う竹やりより
兵糧がないことと最高指揮官に情報がうまく伝わらなかったのが打撃でしょ。前の方にも書いてあるけど
明の兵隊以外は戦争らしい戦争にならなかったみたいだし、
最大の原因は秀吉が行けなかったことだと思う。


個人的には距離と寒さを秀吉がわかっていれば、出兵は見送るか初めからまだ暖かくて近い南朝鮮の
切り取り作戦にしたと思うけどね。
明は遠すぎるし、朝鮮は寒くて日本のように穀物の量がない。
近代でも食料の輸送は悩むのにこの当時に100%の輸送は考えているとは思えない、どっかで現地で
略奪すればなんとかなると思ってたと思う。ただその期待を大きく外れるほどなかったんだと思う。
李朝実録が正確にあってるとは思わないけど当時150万人しか朝鮮には人口がなく
日本統治された1910年でやっと1300万しかいない。1600年頃の日本には1200万前後の人口を
考えれば想像以上に痩せた土地だったんだろう。
347名無し三等兵:2006/02/08(水) 02:48:10 ID:???
その当時の遠征では現地調達が原則
孫子でもそのような記載があり、中国もそうだった。
事実、清が明治に朝鮮に出兵した際も朝鮮での略奪が横行したそうだ。
明軍が救援に駆けつけた時も、明の李朝を救済することは考えていても、朝鮮人民からの略奪は行われていたと思われる
348名無し三等兵:2006/02/08(水) 10:13:40 ID:???
有馬成甫はいいこと言ってるよな。
349名無し三等兵:2006/02/08(水) 11:04:36 ID:???
>>347
結局、戦国時代においての遠征は朝鮮の役以外は全て数ヶ月程度なんですよね
350名無し三等兵:2006/02/08(水) 15:57:15 ID:S3Rz6eZQ
有馬のような視点は戦後の朝鮮役に関する見方に決定的に欠けているものだ。
有馬は軍事的な観点から総括している。
ところが戦後はそれがすっぽり抜け落ちているものだから、
李舜臣の事跡が脈絡なく全体の戦況解説に位置づけられ
しまいには偶像化されてしまった。
一般の今の日本人は戦闘機と爆撃機の区別さえつかない。
そんな環境で教育されれば全く見るものを失って歴史を評価できず
ひいては今の国際環境にも盲目となる。
351名無し三等兵:2006/02/08(水) 17:42:08 ID:???
作戦要務令(第三部)の第二篇補給及給養、第四篇兵站が面白いです。

「服部英雄のホームページ」の豊臣政権の対外侵略と太閤検地の書評も興味深いです。
352名無し三等兵:2006/02/08(水) 18:00:40 ID:???
>>349
石山合戦なんて10年程やってるぞ。
353名無し三等兵:2006/02/08(水) 18:06:27 ID:???
>>352
雑賀攻めは?
354名無し三等兵:2006/02/08(水) 18:11:17 ID:???
作戦要務令(第三部)もググると読めます。
355名無し三等兵:2006/02/08(水) 19:10:00 ID:???
>>352
途中で何年休戦しているでしょうか?
356名無し三等兵:2006/02/08(水) 19:32:27 ID:+4zp6Y0f
>>352
お前は日本語を理解出来てるのか?
357名無し三等兵:2006/02/08(水) 20:49:58 ID:???
>>349
これは欧州も同じで基本は国境付近での会戦
たまに騎馬民族みたいな敵国内の彼方此方を荒らし回る例もあるけど
大抵は敵国と自軍を疲弊させる結果にしかならんのです
358名無し三等兵:2006/02/09(木) 00:01:05 ID:S3Rz6eZQ
>>357
騎馬民族は現地調達のプロじゃないですか?
359名無し三等兵:2006/02/09(木) 00:09:51 ID:???
統帥参考、兵站、三百三十三(戦地物資の蒐集及利用)
戦地物資の蒐集は主として兵站の担任に属す。
而して高級指揮官は要すれは蒐集の区域及手段等に関し所要の事項を指定す。
現地物資の利用に方りては、努めて之を節約すると共に、克く之を保護し
資源の枯渇を予防し、且為し得る限り軍需を培養し、内地よりの追送を軽減し
尚戦場遺棄物の蒐集に努め、以て補給の永続に備ふるの著意を要す。

 戦地物資の蒐集は兵站総監、方面軍兵站監、軍兵站監並各部隊各々所要の機関を以て
実施するものにして各々其範囲、時期及目的を異にするものありと雖も
各機関は地方官民の操縦を巧にし、努めて廣範囲に成るへく多くの物資を蒐集し
全軍長期の補給に資せさるへからす。(以下略)
360名無し三等兵:2006/02/09(木) 00:15:39 ID:???
>>358
欧州で騎馬民族みたいなことをやってる軍隊の意であって騎馬民族がではないし
それに騎馬民族の連中も収奪は得意でも制圧は下手でしょ、上手くいったのは
中央アジアの様な点と線の地域ばかり、後は年月かけてゆっくりと
361名無し三等兵:2006/02/09(木) 00:27:38 ID:???
作戦要務令(第三部)第二篇補給及給養第二章給養及給養諸品の補給通則
第百二十五、現地物資を利用せんが為には通常購買又は徴発に依るも
成るべく購買に依るを可とす。(以下略)

第百二十六、徴発せる物資に対しては賠償を与ふるか
若くは後日の賠償に資すべき証票を附与す。
但し賠償を受くべき者不在又は不明の場合に於ては
公示等適宜の方法に依り賠償の処置を為すものとす。
362名無し三等兵:2006/02/09(木) 23:49:46 ID:???
>>347
現地調達って言っても、略奪とチャーチル給与を一緒にしてはいかんと思うぞ。
孫子の場合は後者と言われている。
363名無し三等兵:2006/02/10(金) 03:46:09 ID:wiFf9NsQ
支那事変大東亜戦争において略奪ばかりしていて
広大な支那大陸の治安は維持できない。
文禄慶長の役の7年間の朝鮮統治と支那事変における治安維持の共通項。
364名無し三等兵:2006/02/10(金) 07:12:45 ID:???
文禄の役と支那事変って似ているの?あとナポレオン遠征とか?

同じ侵攻作戦でも独ソ戦とかは少し性格が違うのかな?
365名無し三等兵:2006/02/10(金) 17:58:03 ID:???
鳥取城攻撃時の秀吉の兵糧買い占めや、>>271徳川実紀の商人
九州、小田原役前の秀吉の情報収集等について触れようと思ってたんだけど
>>364に脱線しようかなw
366名無し三等兵:2006/02/11(土) 10:11:48 ID:???
>>365両方キボン。
367名無し三等兵:2006/02/11(土) 13:46:47 ID:???
368名無し三等兵:2006/02/11(土) 16:50:31 ID:cyqQ2Omw
海軍がしっかりしていれば朝鮮出兵とか支那事変とかナポレオン遠征とか独ソ戦が成功していたのか?
答えは全て否である。
369名無し三等兵:2006/02/11(土) 17:22:24 ID:???
>>347
ところが天才・秀吉は、十分に食料を用意して敵城を大軍で囲んで、
その間に敵地の領民を慰撫して味方に取り込む事すらやっていたのだな。
(高松城の水攻めの時は、現地農民に気前よく金を払って、土木工事を
やらせている)

まあ、秀吉自身が朝鮮に出征しても、言葉の問題などで、同じ事は
できなかった可能性が高いが。
370名無し三等兵:2006/02/11(土) 17:39:33 ID:???
追い詰められた李朝は焦土作戦を展開した
領民が飢えようが構わず。日本軍に渡すまいと食料を焼き尽くして逃げたそうだ。
だから日本軍も補給線が延びたこともあり困窮したわけでね。
また、領民から残された食料を取り立てようにも、生きるか死ぬかの立場に置かれた民は暴動を起こすしかなかったわけで
韓国で農民の義勇軍と讃えている連中の正体の多くが、こうした食い詰めた領民達だったと聞いている。
この鎮圧に悩まされることになったわけでね
371名無し三等兵:2006/02/11(土) 22:39:05 ID:???
まあ、圧倒的に不利な状況ではそれしかなかろうな。李朝を責めるわけにもいくまい。
372名無し三等兵:2006/02/11(土) 23:17:59 ID:???
そういう状況なら、諸手を上げて日本に降伏という選択肢があったはずだが?

まあ、中国大陸の泥沼の戦場にはまる危険を考えれば、李朝が抵抗して
くれたのは、日本にとっても幸いだったんだが。
373名無し三等兵:2006/02/12(日) 01:31:06 ID:PDeE+YpG
役の最中、半島南岸に築いた倭城の周辺では朝鮮人商人などとの経済交流が
あったという。
自然的な人的流動を念頭にし「ひとさらい」「鼻そぎ」といった定説的イメージを
再構築する必要がある。
倫理イデオロギー政治的意図を乗り越えて。
374名無し三等兵:2006/02/12(日) 02:36:38 ID:???
海賊なんてものは、略奪行為を専門に行っている場合よりも、貿易商人と兼業している場合の方が多い
倭寇にしても、貿易商人が海賊行為を重ねていた例もあったようだ。
彼の有名なヴァイキングにしても、利益の大部分は略奪ではなく普通の交易で挙げていた。
それでいて、何か機会があれば船や町を襲って略奪もするって具合にやって生活を潤していたわけだ。
倭寇もそうではないか
375名無し三等兵:2006/02/12(日) 12:40:29 ID:???
帝国陸軍は秀吉並みの侵攻作戦をやっていたのか?
376名無し三等兵:2006/02/12(日) 15:10:57 ID:EFLENtgL
>>326
福島正則乙
377名無し三等兵:2006/02/12(日) 18:38:27 ID:???
>>374
あの時代は、交易行為そのものが「違法行為」だったのだよ。
(勘合札を持っていた者だけが貿易ができた)
現代の観点では、略奪行為は問題、交易なら問題無しだったのだが、
当時の感覚では、略奪も交易も五十歩百歩。
倭冦にしても、最初っから違法行為やっていたのだから、交易を
するか、略奪するかは、その時々の状況を見ての、損得勘定で判断。
378名無し三等兵:2006/02/13(月) 19:21:10 ID:???
379名無し三等兵:2006/02/13(月) 21:06:29 ID:???
褒めすぎ
380名無し三等兵:2006/02/15(水) 10:53:41 ID:???
まとめサイトは何を纏めるの?
381名無し三等兵:2006/02/15(水) 13:31:47 ID:???
気が付いたら如水が息子と朝鮮に帝国を作ったとさ

382名無し三等兵:2006/02/15(水) 20:17:27 ID:???
独ソ戦に関しては第二次世界大戦欧阿篇概史(及び要図)と戦略の本質、
M文庫の独ソ戦全史、バルバロッサ作戦、焦土作戦位しか手元にないんですが
欧阿篇概史のバルバロッサ作戦失敗の理由を見ると
1.政治上 ヒトラーは共産主義の組織力及びソ連人の抵抗意志を過小評価した。
2.経済上 ソ連はヒトラーが信じていたより遙かに強力であった。
3.軍事上 ソ連の抵抗意志 ソ軍部隊は明らかに見込みのない状況においても
戦闘意欲を失わず、粘り強く、不利な状況を克服する能力は驚くべきものがあった。
この抵抗意志は、ソ連高等司令部の初期の無能を補い、ソ軍の壊滅を救った。
4.バルカン作戦の実施 バルカン作戦は対ソ侵攻作戦開始の時期を遅らせ
作戦に使用された装甲師団は、再編成する暇なく独ソ戦に使用された。
5.主攻の変換 独軍高等司令部は中央(モスクワ)方向に主攻を指向する事を徹底しなかった。
1941.8に主攻は南方に転換され、再び中央に向けられた時にはソ軍に致命的打撃を
与える機会はすでに去っていた。
6.自動車化部隊の不足 自動車化部隊の不足が機甲部隊の戦果拡張に支障を与えた。
もし十分な自動車化部隊が機甲部隊の後方に迅速に追随したならば、完全包囲の結果
随所にソ軍を撃滅する事が可能だったであろう。しかし歩兵部隊が徒歩で前進する間に
包囲されたソ軍部隊は緩い包囲網を突破し後方の予備隊に合流した。
7.兵站支援 独軍戦車部隊が起動を続け得る時に、装輪輸送車は泥にはまり立ち往生
していた。従って兵站支援が十分でなかった為に部隊はしばしば停止しなければ
ならなかった。この停止は敗北したソ軍に再編成の時を与えた。独軍には装軌車両、
水陸両用の断郊輸送車両が必要であったが、独では未だそれを開発していなかった。
8.地域の広さ 独軍は一度国境付近においてソ軍撃滅に失敗すると、広大なソ連
領土内において作戦するには兵力からみて十分とは云えなかった。
9.地勢 ソ連の冬の厳しさ、錯雑した地形及び交通の不便が、独軍に克服し得ない
重荷を課した。また1941には例年になく早く冬が訪れた。
とあります。
他に消耗戦、ヒトラーの死守命令について触れています。
383名無し三等兵:2006/02/15(水) 23:35:41 ID:???
ナポレオンのロシア遠征に関しては…手元にナポレオン戦史講授録・戦争史概観
兵法ナポレオン・ナポレオンの戦争・コレンクールの従軍記程度しかないんですが
ナポレオン戦史講授録を見ていくと作戦方針は
奈翁は露国を?懲するに決するや大に兵備を整え1812.3には未曽有の大軍を
令するに至り兵員実に45万を算せり。奈翁の当初に於ける作戦大方針は北方より
敵の右翼を包囲し之を南方に?迫するに在りしが如し。(以下略)

露軍作戦方針
露軍は土耳古との平和条約の遅延及其の他の事故に依り、戦闘準備整はず、従って
40万の大軍を有するに拘らず、第一線には19万を出し得るに過ぎざるを以て、
其の作戦方針として当初は決戦を避け沸軍を国内に進入せしめたる後、兵力の均衡を
待て決戦を試みんとせるものの如し。(以下略)
384名無し三等兵:2006/02/16(木) 00:16:53 ID:???
戦場の地勢の説明
(前略)五、一般に寒村にして、物資少く、住民亦甚だ稀薄なり。従て大軍の行動には給
養上の困難大なり。本戦役中、被服糧末欠乏の為倒れたるもの、沸軍中に甚だ多かりし
は普く人の知る所なり。奈翁も給養に関しては、従前の戦役に比し、特に力を用いたる
事は事実なり。然れども事空前に属し、今日より見る時は準備甚だ不十分なりしなり。

本戦役に於ける衣食の準備は、主として普国の負担する所にして、普の東国境に大倉庫
を設置し、以て所謂兵站基地と為せり。後露国に進入するに従ひ、其の大部を先づコウノ、
ウイルナ、ミンスク及スモレンスクに逐次移動せり。而して此の倉庫移動の為、?量の
運搬車1200両を準備して、軍隊に?随せしめ牽くに食牛を以てせり。然れども牛は途中
に?死し、且つ移転に多くの時日を要せしを以て、進軍中の給養は、此の寒村僻地の地
方より徴発するのやむを得ざりしを以て、其の困難や察するに余りあり。

六、気候 冬季は寒気激烈にして、モスカウに於ける平均温度は、10月0〜-2度。
11月-3〜-9度にして、11月中-7〜-17度の寒さは少なからず。
又12月上半迄は-28度に至る事稀ならず。
385名無し三等兵:2006/02/16(木) 01:50:10 ID:???
所見 一、作戦目標
国軍の作戦目標として選定せらるべきものは概ね二種に大別し得

一、敵の野戦軍
二、敵の首都、重要なる都市又は一地方

政略上敵国の首都又は都市を目標とし、其の政治上の中心を破壊し、以て所期の
目標を達せんとする事あり。又経済上重要の価値を有する地方を占領し、敵国を
して戦争を継続する能はざらしめ、以て目的を達する事あり。然れども露国の如
く広漠にして而も寒村僻地に於ては其の土地の占領は必ずしも敵を屈服せしむる
に足らず。故に先づ野戦軍は其の目標たらざるべからず。

奈翁は初め其の目標を野戦軍に取り、スモレンスクにて敵を逸するや、ここに始
めてモスコウの占領を企図し、政略上露国を屈服せしめんとせしが如し。(中略)

然れどもモスコウは露国の?都にして宗教の中心地なり。故に之を領占せば、露
国の為には大なる苦痛とする所なるは明かなり。従て之に依りて露国をして和を
乞はしむる公算?からざるべし。故に奈翁の意図も亦一理あり。其の失敗を以て
直に之を批難するは?か酷に失するの感なしとせず。然れども吾人は其の実蹟に
鑑み、次の教訓ある事に注意せざるべからず。
386名無し三等兵:2006/02/16(木) 02:02:11 ID:???
誤爆?
387名無し三等兵:2006/02/16(木) 02:24:02 ID:???
首都、都市等の占領は必しも敵を屈服せしむる事能はずと雖、敵の為苦痛なるを
免れず。故に之が占領は多大の効果ある事に?す。依りて之を占領したる後、能
く後方連絡線を確保し、更に有利なる作戦を継続し得る事、1870年戦役に於ける
独軍の如くならざるべからず。之が為十分なる準備を必要とす。若し此の用意な
くんば、敵は更に苦痛を忍びて、時日の余裕を得て十分の準備を整ふ事を得べく。
従て彼我其の形勢を転倒するに至る事実際の證明する所なり。
(中略)

史に?るに奈翁は近く国境附近にて決戦を交え得べしと信じたるが如し。其の出
征に当り「今回の戦役程勝利の基礎確実なる事未だ曾て之れあらず」と傲語せるに
依るも、此の間の消息を窺う事を得べし。果して然りとせば、奈翁は給養其の他
に就て大なる注意を払ひたりと言ふも、唯欧洲の中心に比し甚だ不毛の地なりし
を以て、単に之に処するの道を講じたるのみにして、モスコウに至る迄の準備十
分ならざりしは殆ど疑ふの余地なきが如し。然るに敢て一気にモスコウに迄進入
したるは、戦略上の見地よりせば過失にして、冒険に過ぎたるものと謂はざるを得ず。
388名無し三等兵:2006/02/16(木) 14:58:45 ID:???
朝鮮役でも支那事変でも敵首都を二度も落としたが、戦争は終わらなかった。

しかし先鋒が小西でなかったら短期終息していたかもしれない。
389名無し三等兵:2006/02/17(金) 02:14:45 ID:???
戦争史概観

ナポレオンの露国を征せんとするの意?次明かとなるや、之に対する作戦に関し
露帝に種種の意見を呈する者あり。当時露帝の周囲には、文武各種の朋?ありて
各〃意見を述べしが、真に権威あり、又責任を以て意見を主張する者なし。而し
て攻勢案を有する者ありしも、大部の意見は

「ナポレオンとの決戦を避け、守勢作戦に依り戦争を持久に導き、ナポレオンを
して攻撃の数次の失敗及給養の困難に依り企図を挫折せしむ。之が為、作戦軍を
先づ二乃至三軍に編成して国境附近に配置し、而してナポレオンの攻撃を受けし
軍は後方の陣地に退き、其の他の軍は側面より仏軍を驚異し、且作戦地方の物資
を消?し、又別働隊を用ふる等の方法により、仏軍の給養を困難ならしめ、かく
の如くにしてナポレオンをして兵力を分散するのやむなきに至らしめ、以て彼の
得意とする兵力を集結して一挙に行ふ決戦を行ふ事能はざらしむ」

べき趣旨に於て大同小異なり。而してナポレオンの攻撃に対し、後退すべき限度
に関して、何れの計画に於いても国内の豊饒なる部分を掩護し得んがため、デュ
ナ河以東に考へし者はなかりき。即ちモスコウ放棄の如き、何人も考へざりしなり。
390名無し三等兵:2006/02/18(土) 02:20:22 ID:???
ナポレオン戦史講授録
奈翁の対露諸戦役に関する学生の所見摘録

一 大軍の作戦は一に輸送機関の発達に待たさる可らず。従て攻撃終結点の決定
は輸送機関の完否に比例する事大なるものとす。

奈翁は1812年露国進入に際し斯く惨憺たる敗滅に終るに至りしは当時の輸送機関
の発達が40万の大軍の遠征に伴ひ之が補給を担任し得ざるに依るものとす。彼も
とより其の後方機関に対しては周到なる注意を以て計画実施する所ありしと雖不
毛の地に於て単に?重車両のみを以て之が補給をなし能はざるは明なる所とす。

奈翁は当初Weichsel河畔に開進を行ひし時は、尚ほ正面100余里に亘る広大なる
地域に散在し、8月当初Witebsk附近に於ても正面200吉、深さ70吉の地域に分屯
し、当時露軍の攻勢移転に対しては実に危険なりしなり。然れ共之れ給養上やむを
得ざりし結果とす。次で一縦隊を以てMoskauに進入するや、其の兵員は減じて10万
余となりしと雖、忽ち戦地の寒貧は其の給養困難に陥り、やむなく退却するに至り
しものとす。之れ全く当時の輸送法が此の大軍の遠征に伴はざりしを證するものとす。(中略)

故に攻勢終末点の如きは一に其の当時の輸送機関に関係するものとす。故に吾人は
奈翁の露国進入を以て無謀の挙となす事なく、之れ全く当時の輸送機関の幼稚なり
し事に思ひ至らざる可らず。
391名無し三等兵:2006/02/18(土) 02:36:10 ID:???
また二年正月十一日附京城から増田長盛等が秀吉に宛てた報告書には、米穀は正
月分と14000石の残高しかない事、釜山に兵糧を送る事が急務である事、兵糧さ
えあれば、敵が多くとも撃退する事を述べている。

そして二年二月十八日京城から兵糧の欠乏を訴えたが、同じ日に秀吉は兵糧を釜
山に輸送するから、京城まで「手ぐり」で送るようにと命じた。馬などで輸送する
事はすでに困難となったのである。

信長と秀吉
392名無し三等兵:2006/02/18(土) 03:04:22 ID:???
なお国王を捕えて和平という方針を清正は忠実に追ったが
行長は考慮せず、宥和方式で交渉和平の方針をとりつづけた。

兵器と戦術の日本史
393名無し三等兵:2006/02/18(土) 03:30:51 ID:???
七、戦略持久への転移

武漢、広東攻略後の(昭和十三年)十一月、大本営は次のように情勢を判断した。

「…(国民政府は)既に中原を失い、奥地に遁鼠し、主要なる水陸の交通線並に富源と
住民の大半を失いたるを以て、わが施策機宜に適して行われる時は、さらに内部的崩
壊の過程をとるならんも、少なくとも単一地方政権に止まらしむことは難からざるべ
し…故に戦略的にこれをみれば、帝国は既に抗日支那政権を破砕し得たるものと謂う
べく、今後は政略的な進攻を行い、有終の美を発揮すべき段階に入りしものなり」

これに対し「蒋介石秘録」は点と線の原理を述べる。

「日本は七大都市を制したことで、中国の死命を制したとするような楽観的議論が盛
んであった。このままほっておいても、中国は屈服してくるだろうとみくびっていた
のである。…だが事実は逆であった。国土の広さが決定的に違う二つの国では、小国
が大国の国土を隅々まで占領しつくすことは絶対に出来ない。それは点と線でしかない」

近代日本戦争史(第3編)
394名無し三等兵:2006/02/19(日) 00:24:05 ID:???
敗者の戦訓
中国大陸における点と線

昭和十三年、支那事変の年内解決のため、広東、武漢を攻略したが、中国の抗戦
意識は旺盛で、にわかに解決する模様はなかった。当時、日本軍の占領地域は約
136万平方キロ(日本領土は67万平方キロ)、その地域の全人口約1億7000万、こ
れに対する日本軍の総兵力約75万。したがって日本軍は主要都市、交通線を確保
し、その他は機動により勢力圏を維持していたので、広大な中国大陸全般からみ
れば、日本軍は、まさに点と線を維持している状態であった。

大本営陸軍部は、同年末、長期持久戦に臨む基本方針として
「今後は占拠地域を確保してその安定を促進し、長期攻囲態勢をもって、
政・戦・謀略の限りをつくし、抗日勢力の制圧衰亡に努める」こととした。

このため占拠地域を治安地域と作戦地域に分けた。治安地域は黄河、新黄河以東
の蒙彊、華北及び揚子江三角地域(南京・上海・杭州地区)で速やかに治安を確
立する要域である。作戦地域は、武漢および広東付近で、活発な作戦を反復し、
その戦力を減衰させるのをねらいとした。
395名無し三等兵:2006/02/19(日) 00:45:43 ID:???
ところで、中国戦線における敵対勢力は奇妙な関係にあった。支那事変勃発以来、
一致抗日に当たっていた国府(中華民国国民政府)と中共(中国共産党)との間に
ひびが入り、昭和十四年になると、両者の争いは次第に激化し武力衝突も生じた。
つまり日本軍、国府軍、中共軍の三者が、それぞれ二者を敵としてあい争ったの
である。当時、華中と華南は国府軍が優勢なので、これが日本軍の主敵であった
のに対し、華北では、延安を根拠とする中共が次第に勢力を拡大していたので、
前述のような三角関係が顕著となった。

ただし、中共は巧妙に国府との衝突を避けて、日本軍と国府
軍を戦わせ、日本軍の占領した地域に勢力の滲透を図った。

そのやり方は、まず日本軍占拠地域の一角に根拠地を作り、党・軍・政・民一体の結
合組織を作り、政治、経済、軍事、思想等の諸施策を統合して実施し、次第に勢力圏
を拡大する。その努力の配分を「政治7分、軍事3分」におく。軍事とは主として遊撃戦
であり、戦いの主体は政治戦とくに民衆の獲得である。しかも、すべて秘密組織によ
る地下活動であるので、日本軍は、その実態をつかむことがはなはだ困難であった。
396名無し三等兵:2006/02/19(日) 01:06:05 ID:???
これに対し日本は、占拠地域を地盤とする新国民政府を樹立育成し、これを通じて
政治を行う間接統治の方式をとった。そして軍は粛正作戦と治安工作により、点と
線の確保地域を、面に拡大するよう高度分散配置態勢に移行し、行政の滲透を図った。

華北では、北支那方面軍が占拠地域を治安地区、准治安地区、未治安地区に分け
て調査を進めた。治安地区はわが治安の確保された地区、准治安地区は敵味方の
勢力が入り組んでいる地区、未治安地区は中共側の勢力範囲とみられる地区であ
る(中共側では、これと反対に敵地区、遊撃地区、根拠地と呼んでいる)。

昭和16年夏ごろの状態は、治安地区10%、未治安地区約10%、残り約80%は彼我勢力錯
綜地帯であるが、そのうち約60%は、日本側の勢力が優っている准治安地区と判断された。
397名無し三等兵:2006/02/19(日) 01:25:32 ID:???
北支那方面軍は、この調査を基として粛正建設三カ年計画を樹立した。これによ
れば治安地域の確保任務は逐次新中国政府に委譲して、日本軍はその威力圏を敵
側に推進しつつ治安圏を拡大することを主眼とし、未治安地区を准治安地区に、
准治安地区を治安地区へと、治安地区の面積を漸次拡大する構想である。これが
ためには、じっくりと華北に腰を落ちつけ、急がず緩めず、諸施策を総合的・体
系的に推進することが必要であった。

この計画は強力な実施に移され、十七年度は相当な成果をあげた。しかし戦局全
般の悪化により、やがて元の点と線にもどることとなり、異民族統治の困難性を
十分に味わったのであった。
398名無し三等兵:2006/02/20(月) 16:04:42 ID:???
ではどうすれば良かったか?
上陸後でさえ朝鮮の恭順を期待していたぐらいだしな。
399名無し三等兵:2006/02/20(月) 17:45:50 ID:???
慶長の役は文禄の役の反省を踏まえている部分が多いですね。
400名無し三等兵:2006/02/20(月) 18:08:12 ID:???
秀吉が死ななければ、どうなったか興味深い。
401名無し三等兵:2006/02/20(月) 21:25:14 ID:???
Wiki見てきたんだが、相変わらず碧蹄館や泗川の戦いの兵数が無茶苦茶なことになってた。
どっちも日本側を最小限・明側を最大限という非常にわかりやすい見積もり方だな。
402名無し三等兵:2006/02/20(月) 22:28:55 ID:???
兵法ナポレオン
6 クラウゼウィッツの論評

クラウゼウィッツ(1780〜1831)はこの作戦について、次のように論評している。

ナポレオンが失敗したのは、あまりに性急に、あまりに深く突進したからではなく
成功の絶対条件が欠けていたからである。ロシア帝国は普通に征服すること、す
なわち、占領し続けることのできる国家ではなく、もちろんナポレオンの率いる
50万の兵力でこれを征服することなど、もともとできない相談だったのである。

ロシアという国は、それ自身の弱さか、内部争いによるほか、屈服させることは
できない。そして、このような政治的弱点をつくには、国家の心臓部を震撼させ
ねばならないのであり、ナポレオンがその強力な突撃をモスクワまで推し進めな
ければ、政府と国民の戦意を挫折させる望みはなかった。この戦いは、彼の作戦
の失敗ではなく、戦争開始の失敗である。

彼の軍の戦力消耗がひどかったのは、彼が突進しすぎたためではなく
次の原因によるものである。
1 戦争の開始がおくれたこと。
2 彼の戦術が人命を濫費しすぎるものだったこと。
3 軍隊の給養や退却路の整備に配慮が足りなかったこと。
4 モスクワからの撤退がおそすぎたこと。

* ナポレオンの失敗の決定的要素は冬将軍ではなく、ボロジノ会戦の大損害と焦
土(清野)戦略とパルチザンの後方攪乱である。(赤軍将軍カリノフ)
403名無し三等兵:2006/02/20(月) 22:59:01 ID:???
ナポレオン戦史講授録
奈翁の対露諸戦役に関する学生の所見摘録

一 長大なる後方連絡線に対する脅威
1812年戦役に於て仏軍は、其の後方連絡線の延長するに従ひ、多大の兵力を之に
吸収せられ、甚たしく其の第一線の兵力を減耗せり。而も尚ほ能く之を確保し得
ず、露軍の一部により脅威せられ、其の退却に当りては、遂に甚だしき危険を惹
起するに至れり。是正に後方連絡線殊に其の長大なるものに対しては、脅威の効
果至大なるを示すものなり。

将来露軍の極東に作戦する場合に在りては、其の後方連絡線は長大なる只一條の
鉄道に依らざるべからず。然らば即ち該鉄道は、到る処吾人の為乗ずべき好目標
を呈するものと云はざるべからず。而して之が企図に処するの方法如何他なし。
一部の騎兵を挺進せしめて該鉄道を破壊せしめ、又は其の倉庫を急襲せしむるに
あり。現に日露戦役に於て我永沼、長谷川両挺進隊の行動は、露軍をして其の最
も緊要なる時期に於て、約10万の兵力を後方に残置するのやむを得ざるに至らし
めたるにあらずや。

評 劣勢軍として用ゆべき一の有力なる手段なり。
404名無し三等兵:2006/02/20(月) 23:31:04 ID:???
日鮮関係史の研究(中)
A 日本軍の全州攻撃―小早川隆景と安国寺恵瓊

(前略)かくて、日本軍は、一方、南の任実郡にも侵入し、全州城攻略戦を目前に
ひかえながら、数日にして、全州の包囲を解き、錦山・茂朱をめざして集結した。
その理由は、おそらく、義兵将の高敬命が、首都京城反撃のため北上中、日本軍
の全羅道侵入を聞き、ただちに予定を変更して、錦山奪回のために、軍をかえし
て来たのに対し、戦線をかためたものにちがいない。ことに、熊?の戦いがあっ
た翌(七月)九日には、高敬命が、珍山から錦山にはいって、駐留中の日本部隊を
攻撃した。この戦いは、翌十日に日本軍の勝利となり、高敬命らは戦死をとげた。

間もなく、明将祖承訓の平壌来襲があり、隆景は、京城駐在の諸将から、軍議の
ため招請されて錦山・茂朱の占領地を去り、駐留部隊が、道内および忠清道から
反撃して来た官・義兵との戦いをくりかえしたが、日本軍は、ついに、再度、全
州進撃の機会をもつことができなかった。そして、軍議の結果、平壌・京城間の
守備を補強する方針にもとづいて、隆景が開城府の守備にあたることが決定する
と、かれを中心とする軍団は、ここに集中することになり、九月中旬に、茂朱・
錦山の日本軍が、すべて撤還し、全羅道攻撃は終局をつげたのである。
405名無し三等兵:2006/02/21(火) 00:16:54 ID:???
信長軍団の司令官
第七章 三、柴田勝家・佐久間信盛と最初の方面軍

加賀平定の失敗
(前略)未征服の地を宛行われて、いざ征服に乗り出す場合は、その地の国衆を味方に
引き入れて兵力を増強するのが常套手段である。しかし、九十年も一揆持ちの国だった
加賀で、そうした手段がどれほど可能だっただろうか。現にこののち、柴田の一万を
超える軍勢をもってしても、加賀平定には四年余りも費やすのだから。(以下略)
406名無し三等兵:2006/02/22(水) 02:02:30 ID:???
>>370
開戦初期において朝鮮の軍事動員体制はそれなりに機能していたが、
指揮を執る地方官の相次ぐ戦死・逃亡によって軍卒がちりぢりとなってしまった。
義兵の大部分はこうした既存の官軍出身の散卒が再集結して戦闘を遂行した、
いわば準官軍であって、民衆的要素は少なかった。
戦乱直後の論功行賞では義兵はほとんど評価されていなかったが、
後になって国難克服史観が台頭して義兵を一般民衆による義勇軍と見なし、
過度に賞賛するようになったらしい。
(参考文献:『韓国の倭城と壬辰倭乱』第2部第3章)

また、朝鮮で「土賊」と呼ばれる民衆反乱が頻発したのは休戦期間。
(1594年1月の宋儒真の乱、1596年7月の李夢鶴の乱など)
義兵の一部はこの反乱に加わったが、朝鮮政府軍によって鎮圧された。
国内がこんな有様だったため、朝鮮軍(特に陸軍)は弱体化しており、
慶長役で再上陸してきた日本軍には到底対抗できるはずもなく、
明の援軍が到着するまで、時間稼ぎとして焦土戦術を行わざるを得なかった。

つまり、民衆反乱に悩まされたのは朝鮮政府であって日本軍ではない。
順序からいうと民衆反乱が先で、焦土戦術は後なんだな。
407名無し三等兵:2006/02/22(水) 03:20:11 ID:???
>義兵の大部分はこうした既存の官軍出身の散卒が再集結して戦闘を遂行した、
>いわば準官軍であって、民衆的要素は少なかった。

これは既定の書物、論評に同種のものはありますか?
参考書籍などもよろしく。
408名無し三等兵:2006/02/22(水) 07:26:29 ID:???
>>407
>これは既定の書物、論評に同種のものはありますか?

日本ではないねえ。
参考文献の該当部分(『韓国の倭城と壬辰倭乱』第2部第3章)は
実は韓国人学者が書いている。

>参考書籍などもよろしく。

朝鮮の役については、前掲の『韓国の倭城と壬辰倭乱』が
2004年11月に岩田書院から出版されてて、
これがおそらく日本では最新の研究論文集。
409名無し三等兵:2006/02/22(水) 07:29:48 ID:???
>>406
新しい本の記述なので興味深いです。

とりあえず日鮮関係史の研究(中)の朝鮮の義兵活動と兵制改革を見ると

(前略)朝鮮義兵活動の展開は、日本軍の急速な進撃と、軍制の崩壊によって、防
衛の体制が混乱におちいったさい、地方在住の社会的・経済的有力者たちが、自
衛の措置をとったことに、その端を発しているといえる。政府が、対日情勢の判
断を誤っていたため、ほとんど突発的に日本軍の侵入をむかえたことではあり、
当時の社会構成からすれば、たやすく民族的な統一戦線を結成することはできな
いので、きわめて複雑な様相を呈している。地方土着勢力の成長により、官権が
弱体化しており、地方官の職務放棄も続出し、政治的・社会的な不満が、反乱を
暴発させ、盗賊の横行を誘発した例も多かったようである。

このような情勢に乗じて、日本軍は、地方官の組織を接収して宣撫工作の足がか
りとし、解放戦の偽装をとって、占領地域の確保につとめ、地方官僚や一般民衆
のなかには、これに対応して地方民の説得や農耕・商業などに、積極的な協力を
はかる者もあらわれ、また、身分の解放を望んで投属する者も少なくなかったこ
とは、前にも述べたところで明らかであろう。
410名無し三等兵:2006/02/22(水) 07:50:04 ID:???
義兵を主導した地方の有力者たちは、儒学の教養をもち、あるいは祠院をめぐっ
て師承による団結を固めたり、あるいは田荘を基盤として強い族的結合にささえ
られたりした人びとも多いが、なかには、党争のために、中央の政界に志をえず、
また、地位を失って退いた官人もあった。

したがって、かれら相互のあいだに同盟を結成し、共同の作戦を展開するためには、
さまざまの障壁が横たわっている。これをふみこえて、勢力の結集をはかることが
できたのは、中央政府の勤王募兵という、大義名分の論に負うところが大きかった。

また、明からは、とくに自主防衛の必要を力説して、くりかえし激励をうけたこ
とや、戦局に直面して、日本軍の行動が、決してその傍文に示されたようなもの
でないのを目撃し、必然的に高揚された敵愾心に関わるところも、大きく影響し
ていることはいうまでもあるまい。
411名無し三等兵:2006/02/22(水) 08:08:27 ID:???
このようにして、義兵の活動は、しだいに多面的になり、その規模も大きくなっ
ていった。はじめは、官軍との対立や紛争をくりかえしたが、開戦の年末までに
は、政府の統制策が効果をあらわし、順次に官軍に編入され、巡察使の支配下に
組みこまれた。したがって、義兵としての独自の活動は、いちおう原則的には一
段落をつげたわけである。

もちろん、地域により、統率者―義兵将と通称される―の性格により、その部隊
の編成も区々であり、当初にあって、それぞれ、部隊に称号を与えて、その名誉
を顕彰したので、その組織的統一は、ただちに達成するには至らなかった。

しかし、官軍の指揮下にはいり、行動が系統的におこなわれるようになって、義
兵将たちの立場は転化し、国家防衛機構の一環となっていくことを見のがしては
なるまい。そして、義兵将のなかには、その功労に報いられて、官職についてい
た人びとが少なくない。(以下略)

とあります。
412名無し三等兵:2006/02/22(水) 08:28:43 ID:???
追加すると、章の最後に

義兵の活動も、兵制の改革も、この戦役に関する重要な課題で、さらに多角的に
検討されねばならない。ことに前者の評価によっては、戦争の性格規定にかかわ
るところ、朝鮮の歴史を考えるばあい、いっそう個別義兵将ないし地域別義兵に
ついて、実証的な研究が待望される。

そして後者は李氏朝鮮王朝の大典体制維持の努力として、また、その時代を理解
するためには、基本的な意義をもっていると思われる。

何となれば、政府として、戦乱のさなかに、いかに民衆を組織化して体制の維持をは
かるか、国家の存在を防衛するかを切実に考慮した企画にほかならないからである。

とあります。
413名無し三等兵:2006/02/22(水) 09:55:03 ID:???
鈴木良一著 豊臣秀吉
六 朝鮮侵略 抵抗

(前略)たしかにかん鏡道は慶尚道や全羅道とはだいぶ様子がちがっている。後者
は在野の豪族と人民がまず立ち、現役の官吏・官兵をいやおうなしにひきこんだ。
ところがかん鏡道では人民や下級官吏が上級官吏・官兵に対し叛乱をおこし日本
軍に応じた。日本軍がむしろ解放軍とうけとられた面さえあった。だから、ここ
の義軍ははじめから官吏・官兵が主で、抗日と叛乱鎮定が表裏一体であった。

もっとも慶尚・全羅道でも実は本質的には同じだったかも知れず、ここらあたり
に抗日戦争が革命戦争にならず、李朝政権がなお三百年あまりも続いた原因がひ
そんでいるのかも知れない。(以下略)
414名無し三等兵:2006/02/22(水) 15:51:48 ID:???
>在野の豪族と人民がまず立ち、現役の官吏・官兵をいやおうなしにひきこんだ。

これまでは、この部分だけが一般論として流布しているので、
すっかり洗脳されていました。
415名無し三等兵:2006/02/22(水) 18:28:17 ID:???
清野戦術は慶長の役で行われました。
文禄の役では当初現地兵糧は豊富だったようですが、その年の収穫の確保が、住
民の抵抗や逃亡、食糧の隠匿等により上手くいかなかったようです。
416名無し三等兵:2006/02/22(水) 19:01:08 ID:???
清野戦術に関しては
壬辰戦乱史(下) 第十八章 本戦役の特徴と教訓 第三節 三 堅壁清野策の長短
の論評が面白いです。
417名無し三等兵:2006/02/23(木) 00:02:16 ID:???
参謀本部編 日本戦史 朝鮮役
第二篇 前役 第六章我軍の上陸及前進 其五 諸道の掃蕩 鮮兵の蜂起

朝鮮に於ては、京城未た陥らさるに先ち、国王教書を諸道に下し、其兵を招き、
京城に入らしむ。時に四月二十六、七日頃なり。此入援の令下りしより、官民往々
義を唱へ、兵を募り、所在蜂起して、一時殆んと我か後方線を危くせんとす。

全羅道巡察使李洸、忠清道巡察使?国馨等の龍仁を攻撃したる、慶尚道左兵使朴
晋の慶州に?れる、黄海道招討使李廷?の廷?城に?れる、晋州牧使金時敏の晋
州城を守れる等は、文武官吏の一地方に行動せるものにして、
其義兵を起すものには全羅道に金千?、高敬命、崔慶會の輩あり、慶尚道に郭再
祐、金?、鄭仁弘の徒あり、忠清道には趙憲及僧霊奎等あり、或は山林に?集し、
或は我守備隊を襲へり。

而して此等の戦闘は、皆断片的にして相互の脈絡なしと雖も、我軍の後方を顧慮
して大兵を前方に集中する能はさりしは、主として此輩の蜂起に因れり。(以下略)
418名無し三等兵:2006/02/23(木) 00:56:28 ID:???
>>409-411は義兵活動についてですが、兵制改革の方を見ると

(朝鮮)政府としては、日・明の講和交渉がつづいているあいだに、国軍再建の工
作を進めていた。すなわち、兵制改革を断行し、領議政柳成竜が企画の中心とな
り、全国にわたって統一的に兵力の拡充する策を立て、みずから京畿・黄海・平
安・かん鏡四道都体察使を兼ね、忠清・全羅・慶尚・江原四道都体察使を兼ねた
右議政李元翼とともに、その実施を担当したのである。

目ざすところは、「経国大典」の体制を回復するため、鎮管の法を再建するにあ
り、戦乱によって荒廃した国土と離散した社会から、いかにして軍事力を集結す
るかが問題であった。明の?継光の「紀効新書」にならって工夫をこらし、行政
機構にもとづいて、地域単位に束伍軍を編成し、従来の身分制にかかわることな
く部隊を組織し、秩序の回復をはかっている。そのうえ、新兵器として鳥銃=鉄
砲を採用するなどの改善が、意欲的に加えられた。そして、訓練都監を設置し、
明将を招いて戦技の教習を強行し、ひたすら戦力の向上と充実がはかられている。

この改革が、いかに綿密な計画により、いかに急速に進められたかは、いま柳成
竜家に伝存する「軍門謄本」原本によって推察することができ、その成果は、か
ならずしも、全国的に挙がったとは考えられないが、偶然、同じ家に遺った平安
道「鎮管官兵編伍冊」の残巻や、その関係史料によって、その構想を知ることがで
きる。しかも、この改革は、間もなく、日本の第二次出兵により、その貫徹を阻
まれたにちがいないが、戦後の諸制度回復にあたり、継承されている。(以下>>412)

とあります。
419名無し三等兵:2006/02/23(木) 01:19:36 ID:???
戦乱後の義兵等の論功行賞に関しては
壬辰戦乱史(下)第十七章 軍事政策と軍事行政 第三節 人事管理 一 人事行政
に若干ありますが、当時も拙劣と批判されているようで、かなり偏ったもののようです。
420名無し三等兵:2006/02/23(木) 14:08:45 ID:???
秀吉の朝鮮出兵、ナポレオンのロシア戦役、支那事変、バルバロッサ

結局、共通性は?
421名無し三等兵:2006/02/23(木) 21:36:08 ID:a/ic+lir
へぼ
422名無し三等兵:2006/02/24(金) 08:14:26 ID:???
敵進我退、敵駐我攪、敵疲我打、敵退我追
423名無し三等兵:2006/02/24(金) 19:49:46 ID:???
攻めても降伏しないのが共通
424名無し三等兵:2006/02/25(土) 09:06:00 ID:???
共通テーマとしては縦深背面を持ち援助供給を受ける国をどう攻略するかってこと。
425名無し三等兵:2006/02/25(土) 10:52:28 ID:???
>>424
それについて書こうと思ってましたが、なかなか書き方が思い浮かびませんでしたw
秀吉の場合そもそも明も視野にいれているのですが、明軍の朝鮮への介入をどう
考えていたのかがよくわかりません。
朝鮮に出兵した時点で明軍が朝鮮に兵を送るのかを。

また、そこを考慮しつつ、朝鮮が明を介入させた事、分朝し、王は最悪明へ、王子は朝
鮮に踏みとどまって、政権を維持しつつ挽回を図るという態勢を取ったのも面白いです。
426名無し三等兵:2006/02/25(土) 11:02:06 ID:???
ナポレオン戦史講授録は、ナポレオン戦役と日露戦争を考慮しつつ
今後の日本の対露戦についても検討しているのですが
日露戦争や支那事変等を見る上でも興味深い内容が多いです。
427名無し三等兵:2006/02/25(土) 11:06:38 ID:???
>>426に追加すると、同じ対露のバルバロッサ作戦にも通じるものがあって面白いです。
428名無し三等兵:2006/02/26(日) 09:11:59 ID:???
明と日本の戦死者
教えてください><
429名無し三等兵:2006/02/26(日) 12:45:55 ID:???
>>428
不明。

推測(7年間で)
日本=死者行方不明7万(文禄5万=フロイス、戦間期+慶長2万=推定)
明=同10万(明史より)
朝鮮=不明
430名無し三等兵:2006/02/26(日) 12:47:22 ID:???
多くは病死など戦闘以外の要因。
431名無し三等兵:2006/02/26(日) 12:47:55 ID:???
要因→原因。
432名無し三等兵:2006/02/26(日) 13:41:24 ID:???
動員した兵数から考えると
明の実際の戦死病死は2万から3万ぐらいかな?

後の清との小競り合いでも、
その度に脱走や行方不明が続出して
数万の軍勢が1/10に減ったりしてる。
(もちろん正面から清軍と渡り合った部隊は全滅状態)
433名無し三等兵:2006/02/26(日) 14:06:13 ID:???
明軍は通算5から10万人以上は確実に死んでるだろ?
434名無し三等兵:2006/02/28(火) 07:18:55 ID:lf7uyvZ4
それで何が失敗だったの?
435名無し三等兵:2006/02/28(火) 14:48:34 ID:???
失敗はしとりゃせん。別に。
日本の歴史でこれで困った事は一度もない。
436名無し三等兵:2006/02/28(火) 14:51:51 ID:???
失敗だろ。豊臣家の没落はこれから始まった。
437名無し三等兵:2006/02/28(火) 20:09:41 ID:???
朝鮮出兵がなくても豊臣家は維持出来なかっただろ、秀頼じゃ。
438名無し三等兵:2006/02/28(火) 20:44:33 ID:QxkD3JF2
逆に朝鮮を切り取って成功していても豊臣政権崩壊?
439名無し三等兵:2006/03/01(水) 02:08:15 ID:???
要するに関係ないってこと。
日本にとって農村の疲弊も数年で回復。
その後の人口激増がなによりもこの戦争の日本にとっての経済的影響を物語っている。
気分が向いたから出て行って、都合が悪くなったから引き返しただけってこと。
そう言ってしまうと今ではいろいろと世渡りが面倒だから
「失敗失敗」と連呼しているだけのこと。
結果がどうであれ、
バテレン追放をしたときから江戸政権へのレールは一直線じゃなかったのか?
17世紀初頭、日本も清も南蛮を警戒することで一致し内向した。
440名無し三等兵:2006/03/01(水) 18:22:13 ID:???
当時日本の第一線級兵力が40〜50万程度に対してその20%弱を永久に喪失したのに
まるで軽微な損失のような表現は妥当ではないだろう。
控えめに見てもボロボロじゃないかい?
441名無し三等兵:2006/03/01(水) 20:33:21 ID:???
>40〜50万程度に対してその20%弱を永久に喪失
なんだかものすごい理論のような・・・。
一線級兵力って何なのだろうね。
それはいいとして、
足掛け7年で仮に7万人として年間1万人。
そのつど補充が訊くのだから。
恒常的に「40万〜50万」が定数としてあるわけじゃない。
当時の衛生状態からしてその死者の中にも多くの自然死も含まれているわけで。
もっと冷静に数字を見たほうがいい。
442名無し三等兵:2006/03/01(水) 22:37:25 ID:???
>要するに関係ないってこと。
>日本にとって農村の疲弊も数年で回復。
>その後の人口激増がなによりもこの戦争の日本にとっての経済的影響を物語っている。
>気分が向いたから出て行って、都合が悪くなったから引き返しただけってこと。
>そう言ってしまうと今ではいろいろと世渡りが面倒だから
>「失敗失敗」と連呼しているだけのこと。

ああ、大東亜戦争の事か。
443名無し三等兵:2006/03/01(水) 22:49:53 ID:???
大東亜戦争は多くの領土を喪失、多額の賠償金、
武力の剥奪を負ったがね
444名無し三等兵:2006/03/02(木) 00:39:27 ID:Y3jiWXmo
朝鮮侵略の影響で日本人の中国渡航は非公式も含め全面禁止
結果、生糸を主とした中国交易を南蛮人に奪われ日本の海外政策は
大幅な後退を余儀なくされた

家康時代における朱印船の主交易品が東南アジアを経由地とした中国
生糸の輸入だった点を見ても明との交易断絶の影響は大きい
445名無し三等兵:2006/03/02(木) 00:53:32 ID:EDOYRvem
直接じゃなくても、琉球やルソン経由でやれただろうがな。

まぁ、明との貿易も和冦を利用すればよかった。

秀吉が和冦を取り締まったのは失敗なのは確か

446名無し三等兵:2006/03/02(木) 01:13:42 ID:???
家康時代は海外政策自体が消極的だったのだから、
「海外政策が大幅な後退」というのは本役とは関係ない。
生糸に関しては江戸初期から自国生産され
江戸期を通じて絹織物は基幹産業として発展した。
447名無し三等兵:2006/03/02(木) 01:16:42 ID:???
朝鮮役は日本にとって大打撃だった!
100年も発展が止まった!
大東亜戦争と同じ大敗北だ!

といえば正解なのだろうか。
そうは思えない。
448名無し三等兵:2006/03/02(木) 08:26:00 ID:6qoE21yr
朝鮮出兵で戦国外征体制から内治鎖国体制にに上手に転換したんじゃないの?

朝鮮出兵も太平洋戦争も軍事的敗北でも政治的成功なんじゃないの?
ナポレオンのロシア遠征と支那事変とバルバロッサは違うか。

話題にあがらなかったけどシベリア出兵ってどうよ?
449名無し三等兵:2006/03/02(木) 09:12:25 ID:???
>>445
中間マージンはご存知で?
>>446
海外交易が一番盛んだったのは鎖国までの徳川時代ですが?
450名無し三等兵:2006/03/02(木) 09:33:16 ID:???
451名無し三等兵:2006/03/02(木) 12:45:51 ID:???
>海外交易が一番盛んだったのは鎖国までの徳川時代ですが?

はいはい。
452名無し三等兵:2006/03/02(木) 12:51:26 ID:???
太平洋戦争が政治的成功だったとはとても思えないがw

朝鮮出兵と太平洋戦争を同列に扱いたがるのが韓国人。本もある。
何から何まで全く違う。
453名無し三等兵:2006/03/02(木) 15:25:33 ID:???
唐入りは失敗して泥沼化していた。
秀吉が死んで、信長が死んだ時の様に覇権を争い、家康が覇権を握った。
家康は国内の覇権確立を優先し、徳川政権を盤石にした。

秀吉は信長を見ていた。
家康は義元と信玄と信長と秀吉をよく見ていた。
454名無し三等兵:2006/03/02(木) 22:12:20 ID:???
>>451
ホイホイ
455名無し三等兵:2006/03/03(金) 01:08:12 ID:???
日本が尻尾を巻いて逃げ返った、
軍事的敗北だ、
日本の政治経済に計り知れない打撃を与えた、
と戦役の影響を過大視したいのは分かるが、
撤退直後の日本国内の有様を見ると、
相変わらず戦国時代と同じことをやっている。
明の反撃に備えて名古屋を中心に大兵力で沿岸警備にあたるはずが、
それほど大きな動きをしていない。
九州や東北では元気に戦争しているし、
撤退後2年足らずで関が原がある。
沿岸警備どころか列島の中心部に30万の兵隊を集めてワーワーやっている。
関が原が終わると全国に新式の城作りを始める。
一説には平和な世がきたための失業対策=公共事業だったという。
疲弊どころか新時代の建設の息吹が溢れていた。
456名無し三等兵:2006/03/03(金) 03:40:33 ID:???
戦争は最大の失業対策=公共事業なんだよ。
457名無し三等兵:2006/03/03(金) 11:28:32 ID:???
>>455は誰と話しているんだ?
458名無し三等兵:2006/03/03(金) 11:33:30 ID:???
>>448の上の段等を考えるならともかく、尻尾を巻いて敗北しただの
余計な事を言ってるのはお前だタコ。
459名無し三等兵:2006/03/03(金) 15:35:46 ID:???
頓珍漢に頓珍漢が反応か。
460名無し三等兵:2006/03/03(金) 22:13:25 ID:???
461名無し三等兵:2006/03/04(土) 10:48:18 ID:???
対外戦争と対外貿易。
462名無し三等兵:2006/03/06(月) 19:28:39 ID:6lAk5D7s
李舜臣将軍が倭軍の水陸並進作戦を撃破。
463名無し三等兵:2006/03/06(月) 22:17:58 ID:3TZzZjvk
>>462
停戦中のだまし討ちでな
464名無し三等兵:2006/03/07(火) 08:28:00 ID:NJKTpF3s
停戦中でないときも倭水軍は撃破されていますね
465名無し三等兵:2006/03/07(火) 23:54:35 ID:???
「兵器と戦術の日本史」と「秀吉が勝てなかった朝鮮武将」が面白いです。
466名無し三等兵:2006/03/09(木) 17:02:50 ID:???
 
467名無し三等兵:2006/03/09(木) 18:40:56 ID:???
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
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成績や順位が上ったりetc...でもこのレスをコピペして別々のスレに
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○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
468名無し三等兵:2006/03/10(金) 14:22:00 ID:SMtT/UUj
日本海軍の提督達が李舜臣将軍を褒めちぎりました
469名無し三等兵:2006/03/10(金) 14:26:24 ID:???
ここの頃の朝鮮の政権てやっぱ李氏?
何代目くらい?
スラッカンにチャングムは居たの?
470名無し三等兵:2006/03/10(金) 20:00:57 ID:rT+c863r
李氏朝鮮
471名無し三等兵:2006/03/10(金) 23:24:25 ID:???
三戦板に朝鮮征伐スレが復活してた。
相変わらず(ry
472名無し三等兵:2006/03/11(土) 07:51:12 ID:???
だんだんキムチ臭くなってきた。逃げよう。
473名無し三等兵:2006/03/12(日) 08:13:29 ID:7HuQeKIc
李舜臣は倭寇に無敗です
474名無し三等兵:2006/03/13(月) 06:37:19 ID:???
【妄想偶像】李舜臣を語る2【救国不敗】
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1141997206/

ハン板で朝鮮人が乱入中、日本人を圧倒。
475名無し三等兵:2006/03/13(月) 06:54:09 ID:???
474のコピー元はここだな。あるいは本人か?
http://warfog.net/books/wave/bu2.htm
476名無し三等兵:2006/03/13(月) 10:43:09 ID:BcZTcUQW
その韓国人は作家なのか?
蜂須賀家政がいつのまにか水軍にされているし、先月ぐらいにエンコリで日本人に絡んで逃げたやつと言ってることが同じじゃないか。
477名無し三等兵:2006/03/13(月) 22:58:07 ID:???
…誰かその韓国人さんをこのスレに連れて来てくれんか。
478名無し三等兵:2006/03/14(火) 07:34:03 ID:???
474のハン板を見ると海外ウェキは韓国人に汚染されているようだ。
479名無し三等兵:2006/03/14(火) 13:47:25 ID:syy+sHdX
国を出ると死にます
480名無し三等兵:2006/03/14(火) 15:02:23 ID:???
まとめサイトには何を乗せるつもり?
481名無し三等兵:2006/03/14(火) 23:52:16 ID:???
まだまだ全然勉強不足です…。
482名無し三等兵:2006/03/15(水) 13:26:18 ID:is0YTxlC
何で勉強したらいいんですか?
483名無し三等兵:2006/03/15(水) 15:26:48 ID:???
> 李舜臣 と 東郷平八郎元帥

本当は、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の登場人物に李舜臣を誉めている機雷長が居るだけで、
東郷平八郎自体とは全く関係無く、日本の海軍元帥を踏み台にして李舜臣の神格化するために、
戦後のつい最近に朝鮮人が広めた単なる噂話である可能性が高いそうです。

事実、作者の司馬遼太郎自身が「韓国で広まっている噂は根拠の無い創作だ」とTVで証言しています。
484名無し三等兵:2006/03/16(木) 17:25:37 ID:???
海軍が朝鮮の李舜臣廟の参拝を欠かさなかったって話は本当?与太話?
鎮海要港部あたりの話なのかな。
485名無し三等兵:2006/03/18(土) 08:50:40 ID:CRaG3C2h
信長の製造した巨大鉄船は秀吉の朝鮮出兵に使われたのか?
486名無し三等兵:2006/03/18(土) 09:57:04 ID:???
>>485
あれ鉄張りじゃないから。
487名無し三等兵:2006/03/18(土) 10:12:43 ID:???
亀船に装甲があったって話も日本側の目撃だけで朝鮮側資料にはないからね。

どっちも角を鉄板で補強してあるタンスみたいな作り感じだったんじゃねーの?
488名無し三等兵:2006/03/19(日) 10:32:44 ID:???
日本水軍の不振について、まだまだ勉強不足なのですが、今考えているのは「兵
器と戦術の日本史」を参考に、明や朝鮮の水軍は和冦で対策を考えていた。

日本水軍の切り込み戦術に対して、それを防ぐ大きい船、または亀船ですね。
そして大砲や弓、焼き討ちに関して明や朝鮮の方が運用が上回っていたのではないか。
敵地であり、地勢にも通じている。
信長のいわゆる鉄甲船を考えると、鳴梁海戦が見えてくるような。

そして兵器と戦術の日本史では、李舜臣はやはり日本の釜山攻撃(水軍城とでも
いいますか)では大きなダメージを受けた。次の攻撃までの間隔で立て直したの
であろうが、やはり拠点攻撃は水軍だけでは難しいのではないかと。確か李舜臣
もそう述べていたような。

そこで順天の包囲を考えると面白いのですが、それでも順天は陥落せず、小西行
長は秀吉ばりに明の武将の懐柔し、人質取ってますね。もはや撤退する状況では
ありますが。

秀吉は相当な合戦上手、かつ色々な意味で凄い人物だったと考えているので、こ
の朝鮮役もやはりとても興味深いです。ただ調べてるとキリがないというか…。
489名無し三等兵:2006/03/19(日) 11:05:45 ID:???
釜山までは兵糧が届いていた。しかし京城までは輸送出来なかった。

これは李舜臣の功績もあるでしょうが、朝鮮軍や義兵、日本軍の輸送方法とその為
の整備、日本軍の現地調達の為の統治、現地の状況等も考慮しないといけないような。

そして、秀吉が現地に行くなら(行くとは言っているが、額面通り受け取るかも
考慮の余地がある気がします)国内が完全に固まっていないと難しいですね。
どうなんでしょう。
490yasoshima ◆MX5aLZxivU :2006/03/19(日) 13:17:12 ID:???
>>489
支那事変と同じで軍事衝突では勝てても統治が出来なければ策源からのラインが伸びるばかりなんでしょうね。
もっとも、朝鮮自身だって統治に失敗し、補給不全や民衆反乱を許しているわけです。

さて、皆さん
 1月にnaverで議論した韓国人の言葉ですが、慶長の役で鳴梁海戦以後に日本水軍が黄海側へ進出していると言ってました。
 根拠は「看羊録」で有名な姜が論岑浦へ向かうとき9/23に藤堂高虎の家臣、藤堂新七郎に捕らえられたこと。
 もう一つは同じく「月峯海上録」を書き残した鄭希得が9/27に七山島附近で蜂須賀家政の家臣 森忠村に捕えられたこと。
 の二点を上げていました、妥当だと思いますか?
 後者の蜂須賀は陸戦要員で井邑会議にも参加しており全羅道西岸の陸軍として南下してきている頃です。
 その韓国人は蜂須賀家が水軍となっていて李舜臣の餌食になった傍証だと言っていましたが、家政自身は井邑会議他アリバイがあります。
 あるいは、阿波水軍出身の森が水軍として分離していた可能性は残りますが・・・

 確かに李舜臣はこの時期、鳴梁海戦に勝った後に全羅道の北端まで後退しており、島津などが撤退するまで鳴梁以東へ再進出していません。
 これは、日本の陸軍が全羅道へ侵入したあと北から南へ制圧中で沿岸も日本の支配になったためと思われます。
 やはり制海権は沿岸支配で決まっていたと考えるべきでしょう。
491名無し三等兵:2006/03/19(日) 13:54:58 ID:???
>>490
ちょっと今資料を調べる余裕がないのと、看羊録は手元にないので、何とも言え
ません…。

こないだとある歴史の好きな人と萩城について話しました。
僕は城もまだ全然詳しくも何ともないので、「あれは、朝鮮
で作った倭城の影響があるんでしょうか?」と言ってみました。
すると、「隆景の三原城等を考えてみては…」と言われました。
そして「あの萩城はよく考えている。あそこは攻めにくい。
山口ならあっという間に陥落する」という意見でした。

で、「当時の兵器では、海からの攻撃で落とすのは難しいで
しょうね」と言ってみると「毛利は強い水軍を持っている。
海からは攻められない」という意見でした。

これについても考え中です。というか色々調べないと何とも
言えません…。
492名無し三等兵:2006/03/19(日) 16:29:09 ID:AHUul0pi
英ウィキペディアの韓国の捏造記事は何とかならんの?
493名無し三等兵:2006/03/19(日) 17:07:54 ID:VBkmlGFE
完全な失敗だな
明を攻めるのが目的でチョンなどハナっから相手にしてなかった
日本のお家芸、補給兵站の軽視が如実に浮き彫りにされた戦いだな
兵力や当時の国際情勢を考えると決して荒唐無稽な作戦ではなかったと思う
やりようによっては「唐入り」は十分実現していたと思う
494名無し三等兵:2006/03/19(日) 17:45:41 ID:???
>>493
秀吉の唐入りも、実際に領土を支配するつもりだったのか、
貿易を重視していたのか、なども考慮してみる必要があるような。

とりあえず朝鮮は統治、獲得しようとしてますね。攻め入る
にしてもまず朝鮮を押さえないと唐入りは難しい。朝鮮を放
置して直接明に15万送る訳にもいかない。

明相手の貿易にしても、領土獲得にしても、まず朝鮮を傘下
に納め、実力を示す必要があったか…。位置的にも…。

朝鮮にもまず傘下に入れと交渉し、その後攻め入った。
その次が唐入りかと。

黒田家譜の黒田考高の戦略もかなり興味深いですが、明が出て
くるとなかなか…。秀吉の年齢や政権の土台も考慮しないとい
けないのでは。あと秀吉はオランカイも警戒していたようです。
495名無し三等兵:2006/03/19(日) 18:08:55 ID:???
当時の明は80万の戦力を常備保持していたが、その大半は主敵の遊牧民族と対峙する内陸部に向けられ
さらに国内の各地に配備される必要もあったから、沿岸部から侵攻する日本軍にすぐに対応できる戦力は7,8万程度と考えられていた。
だから秀吉の明征伐も、明が体制を整える前に即時に進めることが出来たのなら、まったくの夢物語ではなかった。
敗北したのは戦略のまずさだろうな
496名無し三等兵:2006/03/19(日) 21:48:28 ID:???
497名無し三等兵:2006/03/19(日) 22:23:53 ID:???
>>495
真面目にその課題に興味があるので、唐入りを成功させる戦
略を語って欲しいのですが…。
とりあえず>>494に課題があると思います。
498名無し三等兵:2006/03/21(火) 13:51:58 ID:???
合戦ではほとんど負けなかったのが日本軍。
499名無し三等兵:2006/03/21(火) 13:54:10 ID:???
小西行長はどうしようもねーな。
500名無し三等兵:2006/03/21(火) 14:52:56 ID:???
500get!
501名無し三等兵:2006/03/23(木) 10:50:51 ID:/UJG0obk
ふっちゃけ小西以外なら征服していたかも。
502名無し三等兵:2006/03/23(木) 13:39:40 ID:???
でも食うものが無くなって全員餓死で終了
503名無し三等兵:2006/03/23(木) 21:04:16 ID:???
>502

食べるパンがなければ焼けばいいのに。
504 名無し三等兵 :2006/03/24(金) 01:44:14 ID:???
人肉食って馬勝った(w
505名無し三等兵:2006/03/24(金) 09:28:59 ID:???
日本軍の食料の補給・・・朝鮮半島沿岸を北上しての海上輸送・・・李舜臣が邪魔・・・餓死・・・
506名無し三等兵:2006/03/24(金) 11:32:26 ID:???
>505
アタマ悪そう。
507名無し三等兵:2006/03/24(金) 18:49:16 ID:JoISeP2j
当時の海上輸送にどれだけコストがかかるかな?
508名無し三等兵:2006/03/24(金) 22:41:04 ID:???
そこでスペインの無敵艦隊ですよ
509名無し三等兵:2006/03/25(土) 19:43:12 ID:oFudlA3n
別に李は邪魔じゃないだろ。
本気になれば李を無力化できたわけだし。
510名無し三等兵:2006/03/25(土) 19:57:58 ID:???
そこでスペインの無敵艦隊ですよ
511名無し三等兵:2006/03/25(土) 20:57:38 ID:???
アマルダが余るだ
512名無し三等兵:2006/03/25(土) 21:08:07 ID:???
>>511
すばらしい
513名無し三等兵:2006/03/26(日) 03:36:35 ID:???
昔も今も物資の輸送は海上が主。安価で効率よく大量の物資を一挙に運べる。

備考
 有る統計によると現在の全世界の物流は95%が海上輸送、5%が陸上輸送。
514名無し三等兵:2006/03/26(日) 09:52:50 ID:???
毛利、島津、秀吉近衛軍だけで戦った様は
今般のWBCみたいなものか。
ロッテ、ソフトバンク、イチロー。
パリーグばっか。
515名無し三等兵:2006/03/26(日) 10:40:00 ID:???
権現様出撃で無問題
516名無し三等兵:2006/03/26(日) 23:46:22 ID:???
順天包囲なんですが、露梁海戦がなければ降伏するしかなかっ
たかもしれません。順天包囲と共に蔚山、泗川も包囲してます
が、泗川の明軍が崩壊しなかったらどうなったのかなと思います。
一回目の蔚山戦の時も日本軍の後詰めはそう多くないんですよね。
明軍の戦略を見るのもなかなか面白いです。
517名無し三等兵:2006/03/27(月) 07:07:38 ID:Xtz/Z9BK
はあ?だったら隋や唐や明の朝鮮遠征は海上補給がメインだったんだろうな?
518名無し三等兵:2006/03/27(月) 20:59:54 ID:???
隋唐の高句麗遠征では大軍が海路進攻しているが。
519名無し三等兵:2006/03/27(月) 21:42:45 ID:???
【韓国】日本の市民団体『壬辰倭乱など朝鮮侵略を反省』[3/27]
日本のある市民団体の会員達が大邱(テグ)を訪問し、壬辰の乱など朝鮮侵略の歴史を反省する
集会を開いた。

日本の九州地域の市民団体、『NO MORE 倭乱実行委員会』の会員約40人は27日の午後、
壬辰の乱の際に朝鮮で帰化した日本の将帥、金忠善将軍を称える意味で立てられた大邱(デグ)
達城郡(タルソングン)嘉昌面(カチャンミョン)友鹿里(ウロンリ)鹿洞書院で壬辰の乱の反省集会を
行った。

これらは声明文を通じて「日本人は豊臣秀吉の侵略戦争で失敗しながらも、これらを反省せずに
近代に至っても、更に大きな戦争を起こす結果をもたらした」とし、「侵略の過去を恥ずかしく思う」
と反省した。

また「韓・日間の信頼を回復して、脱天皇制、南北統一に向けて在日韓国人達と連帯したい」と
明らかにした。

会員達はこれと共に日本国内で、 ▲朝鮮征伐視観とアジア軽視視観、在日韓国人に対する
差別政策などを捨てる事 ▲軍隊慰安婦に対する謝罪と補償 ▲歴史歪曲の克服などが要求される
と強調した。

会員達は声明文の朗読に引き続き、我々の歌『鳳仙花』と『カプトリ・カプスニ』を合唱して書院内の
金忠善将軍祠堂で献花を行った。

会員達は集会後の夕方に慶北慶州市(キョンジュ)を訪問して、地域の高等学生や教師らと、
韓・日連帯の望ましい未来像についてのシンポジウムを行い、28日に本国へ帰る。

この団体は壬辰の乱の勃発400年目にあたる1992年、九州地域の牧師や教師など約60人によって
結成され、2000年から釜山・晋州・蔚山など韓国を毎年一度ずつ訪問し、壬辰の乱など侵略の
歴史を反省して韓日関係の発展を模索する集会を開いている。

ソース:NAVER/連合ニュース(韓国語)
ttp://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=001&article_id=0001255547
520名無し三等兵:2006/03/29(水) 07:59:24 ID:zRB0xelw
隋唐は海路補給が機能して遠征に成功したのですか?

明の水軍が出てきたのは七年目の一番最後でしたが。
運河とか元々海運が確立していない海路を開拓するのは難しいと思いますが、どうなんです?
521名無し三等兵:2006/03/29(水) 09:29:16 ID:???
中国は大昔から自給自足の屯田兵ってのを昔からやっていて、確か遼東あたりに
配置してました。朝鮮に来た明軍は基本的に「現地調達」ですが。

慶長の役で明の水軍が出たのは順天の様に海上遮断の意味もあったんですが、日
本水軍が北上するのを恐れて出撃したという事情もあったような。朝鮮水軍は慶
長役の緒戦で壊滅してますので。

明の水軍も和冦対策を考えた水軍で、確か最後の露梁で李舜臣が乗船した船は虎何と
か砲積んでたとか何とか。朝鮮征伐記の露梁海戦や平倭十議を読むのも面白いです。
522名無し三等兵:2006/03/29(水) 13:01:39 ID:???
>>519
国際法もない時代のこと反省とかありえねえと思う。
523名無し三等兵:2006/03/29(水) 13:02:16 ID:???
まとめサイトないの?
524名無し三等兵:2006/03/29(水) 22:17:37 ID:???
>>519
>『NO MORE 倭乱実行委員会』
ナ・ン・デ・ス・カ?
この人たちは?
525名無し三等兵:2006/03/29(水) 23:23:47 ID:zRB0xelw
なにいってんだかわんね・
526名無し三等兵:2006/03/32(土) 15:06:02 ID:???
民の末皇帝が、家光に助けを求めた
って、支那のソースなん?
そういう風に書いてるwikiあるけど、
公式には聞いたこと無いし・・・
527名無し三等兵:2006/03/32(土) 16:41:11 ID:zEFqlT9b
文禄の役って朝鮮半島南部を支配下に収めたまま講和に持ち込んだんだから、
日本の勝ちだよね。
開戦前よりも講和成立後の方が日本の領土が増えてるのに、日本が負けたみたい
に思い込んでいる人が多いのは何故?
528名無し三等兵:2006/04/02(日) 01:13:29 ID:???
さむらいの真実

平均背 146cm wwwwwwwww

ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pmilitary&page=18&nid=13707
529名無し三等兵:2006/04/02(日) 02:42:58 ID:???
>>528
奸国での真実とは嘘の事をいうようだ。
530名無し三等兵:2006/04/02(日) 10:10:16 ID:???
その146cmの侍とやらに一方的にぼこられたのは誰だ・・・
531名無し三等兵:2006/04/02(日) 13:05:57 ID:???
身長と言えば、源平時代の平均身長は今より高かったらしいな。
仏教がまだ浸透しきってないので、肉食しまくりな上気候もやや涼しかったせいらしいが。
532名無し三等兵:2006/04/02(日) 18:16:24 ID:???
なぜなら講和は成立してないですから。
533名無し三等兵:2006/04/02(日) 18:47:36 ID:???
日本人成年男性の平均身長 
16世紀 157p
18世紀 155.5p
江戸時代の朝鮮通信使を描いた絵画で当時の日本人と朝鮮人の身長は同じ程度である事は解っている。
つまり
18世紀の朝鮮人成年男性の平均身長 155.5p程度


因みに、現在の20代前半の身長を比較すると 

日本 172.15
ttp://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/022/2002/gif/16_002.gif

韓国 170.80
北朝鮮164.88
ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/06/24/20040624000046.html

と日本人のほうが長身長

そもそも、身長で人間の優劣を決めること事態馬鹿げているが
何故か、韓国人は事実に反し、自分たちの方が日本人より背が高いと
妄想して優越感に浸るヘンテコな民族。
534名無し三等兵:2006/04/02(日) 21:34:24 ID:???

TBSで歪曲報道キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

TBS 報道特集  2006.4.2  北朝鮮へ返還された石碑の運命は
http://www.tbs.co.jp/houtoku/2006/060402.html
> 靖国神社に長くあった石碑。
> この度、韓国を経由して、本来あった北朝鮮へと返還された。
> なぜ、この時期に? 朝鮮半島ではどのような扱いを受けているのか?


「北関大捷碑」は、石碑を建てた人の子孫との間で譲渡契約を作っています。
しかしTBSは、ここには一切触れずに、「日本が持ち帰った」とナレーションし、
返還を求める韓国側の「日本が略奪した」という妄言を何度も垂れ流し。
しかも特集の最後の締めくくりに田丸キャスターが、日本は半島から「数十万点」もの文物を奪ったとサラッとコメント。

日本公文書館・「アジア歴史資料センター」 http://www.jacar.go.jp/index.html
加藤清正・征韓記念碑下付出願の件(Reference-Code : C03026852200)
http://www.mf10.com/dreamtale/C03026852200.jpg には、
「・・建設者ノ子孫ニ諮リテ其承諾ヲ得今回還送シ来リタルモノニ有之・・」とある。
現代語訳
「・・建設者の子孫に意見を聞き、その承諾を得て、今回(日本に)持ち帰ってきたものである」


2005-04-01 23:51:26  北関大捷碑 テーマ:戦後補償
http://dreamt■ale.am■eblo.jp/entry-a055ba16ebce6dec87a5436d1c836f5b.html (←■削除)
> 日帝に奪われた「壬辰倭乱戦勝碑」返還へ向け、韓国政府は積極的に活動せよ
> 日本に略奪された「北関大捷碑」が返還へ

この略奪されたとは、何の話であろうか?

略奪した、あるいは略奪されたとする史資料は皆無である。何を以て「略奪」としているのか、韓国側は明確にして欲しい。
そして、共立女子大学国際文化学部の北島万次教授は、何の根拠を以て「略奪」の認定をしているのか、明らかにするべきであろう。 
535名無し三等兵:2006/04/02(日) 21:35:23 ID:kctSfPG7

863 名前:マンセー名無しさん[sage] 投稿日:2006/04/02(日) 19:35:05 ID:Dyy7ieRH
>>855
ごみ同然に放置されていた石碑を発見した日本人学者が歴史的貴重な遺産と判断し
高額な金銭を渡して円満譲渡され、日本に持ち帰って大切に保管したんだけどね

朝鮮人なんか気に入らなければ何でも粉々に破壊してしまうから、放置していたら
今頃この世に存在していない可能性が大きい

それを朝鮮人が先祖代々大切に保管していたものを、日本人が武力にものを言わせて
無理やり強奪して来たかのような話に捏造してるからね
小中華主義で、宗主国に事大する朝鮮は、前宗主国の遺産は代が変わればことごとく
破壊するのが習わしだから、歴史的遺産が残っていたのは希有なケースだし
価値を知らないからこそ運良く放置され残されたものなんだけど
朝鮮人とは何の関係もない高句麗・百済・新羅時代の文化遺産まで
(とっくの昔に朝鮮人が破壊しまくっていたんだが)
日韓併合時に日本人が略奪して持ち逃げしたとか言ってるからな
遺跡を破壊したのは朝鮮人だし、文化遺産や国宝のようなものなんて皆無に等しいのにな
因みに日本の平安時代から存在する国宝の類もすべて日本が植民地時代に略奪したって
韓国では教育しているからな、基地害しか出てこないよ
536名無し三等兵:2006/04/03(月) 13:50:37 ID:???
北島という学者は政治的学問をするんだな。
537名無し三等兵:2006/04/03(月) 17:11:53 ID:???
 
韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル

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538名無し三等兵:2006/04/04(火) 07:26:20 ID:???
まとめサイトつくれよ
539名無し三等兵:2006/04/05(水) 20:36:09 ID:9nlioviL
だから何をまとめるんだっつーの?
540名無し三等兵:2006/04/06(木) 20:20:04 ID:cR7toYnL
活躍したの誰?
541名無し三等兵:2006/04/06(木) 21:14:21 ID:???
オレが想像するに、朝鮮出兵の青写真は信長の作だろう。
秀吉は信長の後継者である以上、事業案を引き継がざるおえなかったのだろう。
信長が朝鮮出兵したかったのは天皇を超えた存在になるためだろう。
そのためには日本を含む東アジアの王になればよい。
だが、秀吉にはそこまでの気迫はなかった。
早々と朝廷の権威、関白の地位を受け入れた。
また、秀吉にとっての外様大名の勢力を半島で消耗させるという策にも
十分利用できなかった。
542名無し三等兵:2006/04/06(木) 21:33:13 ID:???
井沢元彦の想像ですか。
543名無し三等兵:2006/04/06(木) 21:51:39 ID:???
>>1
朝鮮征伐じゃなくて壬申倭乱だろw
544名無し三等兵:2006/04/07(金) 07:25:45 ID:???
それとしても、壬辰倭乱な。
545名無し三等兵:2006/04/08(土) 17:39:32 ID:rii8mmtb
みっともない
546名無し三等兵:2006/04/08(土) 18:03:31 ID:???
>>541
信長はそんなキティじゃねー
547名無し三等兵:2006/04/08(土) 20:23:54 ID:???
ttp://sapporo.cool.ne.jp/gorvin/01-05-lee00.html

客観的に見えて李舜臣マンセー。
俗説の根は深い。
548名無し三等兵:2006/04/08(土) 20:37:13 ID:???
>>547
「日本軍事史」の記述はなかなかのもんかと
549名無し三等兵:2006/04/08(土) 20:50:24 ID:???
日本軍事史?
550名無し三等兵:2006/04/08(土) 20:56:32 ID:???
551名無し三等兵:2006/04/08(土) 21:16:59 ID:???
>>547
これを書いた人の頭の構造、キモイ。
というか、かなりなポンコツ。
552名無し三等兵:2006/04/08(土) 21:24:51 ID:???
>>551
具体的にどこ?
553名無し三等兵:2006/04/09(日) 01:36:46 ID:???
>>538
おまいがつくればいい
554名無し三等兵:2006/04/10(月) 04:58:37 ID:???
>>552
というか、
書いた人は在日。
特有の頭脳。
555名無し三等兵:2006/04/10(月) 05:00:51 ID:???
>>552
ヒント。
読めば分かるでしょ。
韓国>日本>中国
という按配になっている。
街宣車にちょっと似たところがある。
これがピンとこないようじゃあ・・・
556名無し三等兵:2006/04/11(火) 07:00:24 ID:???
だから、具体的にと。
557名無し三等兵:2006/04/11(火) 07:01:36 ID:???
>>555
具体的にいえよ
低脳馬鹿
558名無し三等兵:2006/04/11(火) 23:11:00 ID:???
>>557
お前か?
あれ書いたの。

恥ずかしくないか?
559名無し三等兵:2006/04/12(水) 13:29:05 ID:u3JLV99W
李舜臣は何と戦っていたのか?
560名無し三等兵:2006/04/13(木) 09:43:15 ID:???
とりあえず、551と558が恥ずかしいってのはわかった。
561名無し三等兵:2006/04/15(土) 09:51:51 ID:uJA4Wrbx
元均の評価はどうなん?
かんこくじゃ再評価されているらしいな。
562名無し三等兵:2006/04/15(土) 10:14:05 ID:E5DTaR85
【韓国】日本国土地理院が独島(日本名竹島)東海(日本名日本海)併記を決定【日本名敗北】
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/editorial/1142731497/
563名無し三等兵:2006/04/15(土) 14:22:43 ID:SM6jVeBn
元均は結構出来る子
564名無し三等兵:2006/04/16(日) 11:01:25 ID:???
本当?
565名無し三等兵:2006/04/17(月) 15:53:59 ID:uAVyPpp7
何が悪かったんだろう?
566名無し三等兵:2006/04/18(火) 23:15:36 ID:T+mmpNtu
鬼門
567名無し三等兵:2006/04/18(火) 23:43:22 ID:???
城壁の話はどうよ。

日本の石垣城壁は文禄慶長の役を境にかなり発展している。
この時期の朝鮮式石垣(中国式と類似)の態様とはどうなのだろう。
日本だと野面積みがほぼ同時期だったわけだが、それとの違いなど。
568名無し三等兵:2006/04/20(木) 21:12:42 ID:???
>>567
日本は近世になっても、基本的に切岸に石垣を施したものが大半。
大陸式の城壁ならば、ほぼ垂直の版築土塁か磚(レンガ)積みの城壁。
素材材料の違いはしょうがないとしても、
日本の土塁のように45°勾配の普通に立って登れる土塁ではない。
また、構造は大陸式のは外からも中からも見上げるような高さの
まさに「壁」のような状態になっている。つまり壁さえおさえておれば、
城内に突入されても攻撃できるようになっている。
日本のように虎口だけしか攻撃できないのではない。
何より、日本の城壁は切岸に石垣を施したものが大半だから、
内側からは見上げるような高さはほとんどない。
もっとも日本の城は、平城であっても小丘陵や高台に建てられているからなのだが。
大陸式では切岸を形成して城壁を作るというよりも、
そのまま版築土塁か磚(レンガ)積みの城壁にしている。
569名無し三等兵:2006/04/20(木) 21:16:17 ID:???
ただし、福井城などのように石垣を大陸式のようにしているのも存在している。
内側は雁木状になってはいるが。
また、倭城でよくみられる登り石垣は、万里の長城のようにも受け取れるので、
大陸式の城壁の影響とも受け取れなくはない。
570名無し三等兵:2006/04/20(木) 21:25:49 ID:???
さらに補足するが。
>日本のように虎口だけしか攻撃できないのではない
というのは、日本の縄張り思想からして、
ただ城壁で囲んで防御するのではなく、
各郭を迷路などのようにし、横矢など効果的に敵勢力を攻撃し弱める構造にしている。
571名無し三等兵:2006/04/20(木) 22:05:47 ID:???
うわ。なんか来た。
572名無し三等兵:2006/04/20(木) 22:06:44 ID:???
塁より堀を重視するのが日本式
573名無し三等兵:2006/04/20(木) 22:10:19 ID:???
>>572
気候、風土からそうなります。
>>568-570の主張はそれを裏にはふまえました。
堀については解説を省きましたが。
574名無し三等兵:2006/04/21(金) 00:59:53 ID:???
>>569
>また、倭城でよくみられる登り石垣は、万里の長城のようにも受け取れるので、
>大陸式の城壁の影響とも受け取れなくはない。

そりゃないでしょう。
万里の長城を日本人は見てないし。
必然性に欠けると思いますが。
575名無し三等兵:2006/04/21(金) 00:59:54 ID:???
しかし展開が朝鮮戦争と似てるな‥
鉄砲がT-34で亀甲戦がMiG-15って感じか?陣営は逆になっちゃうけど

やっぱり中国を敵に回すとロクな事がないな。(味方になってもアレだけど)
576名無し三等兵:2006/04/21(金) 01:01:56 ID:???
やっぱり日本側がF-86に相当する艦船を作れなかったのが大きいね。
577名無し三等兵:2006/04/21(金) 01:03:13 ID:???
>日本のように虎口だけしか攻撃できないのではない。

言ってる意味がよく分かりませんので解説願えますか?
578名無し三等兵:2006/04/21(金) 08:37:59 ID:???
>>574
そういう意味で>>569は言ってないのじゃないのか?
大陸式の城壁の例を万里の城壁と出しているだけで。
ただ、登り石垣は大陸式の城壁のように見えると指摘しているだけでは?
イメージしやすいように万里の城壁を出しただけだと思う。
「万里の長城を見て」とか「万里の長城の影響受けて」とか明記してないんだから。
579名無し三等兵:2006/04/21(金) 11:21:59 ID:J40b6aog
まとめスレに何をまとめるつもり?
580名無し三等兵:2006/04/21(金) 18:21:04 ID:???
>>577
虎口でぐぐれ。
それでも分らなければ、あきらめよ。
581名無し大佐:2006/04/22(土) 03:03:46 ID:e3gGo8Il
鍋島!良くやった。
582名無し三等兵:2006/04/22(土) 04:17:43 ID:???
結局、機能と目的の違いなんだと思う。

朝鮮に作った日本式城の長城は本丸(既定の日本式城)と周辺の城下町
(水際から続く諸将の陣屋)を一体化して防御した。
そのため大陸式(一般民衆も城の中に入る、ないし日常生活をも防御砦に組み入れる)
と似通ったという偶然の一致。

元来、日本式城郭(中世以降)は純軍事的存在で戦闘要員だけの篭る砦であったのが、
日常生活エリア(水際から諸将の日常生活)をも取り込む必要に迫られたのが朝鮮での日本式城。

石垣、城構造も大陸に上がってしまうとその地にふさわしいもの(長城的)
になってしまうという理の必然が見て取れるというわけか。
583名無し三等兵:2006/04/22(土) 04:34:25 ID:???
>>557
ソース無しな妄想なとこ
584名無し三等兵:2006/04/22(土) 06:08:13 ID:???
>日本の土塁のように45°勾配の普通に立って登れる土塁ではない。

土塁は60度の傾斜が良いとされたし多い。
45度の場合は弓や鉄砲で攻撃し易くするために造ってある。
山城は別として一般的に土塁には芝や笹が植えられ
雨水による崩れを防ぐと共に登り難くする効果もある。

ちなみにスキーのジャンプ台は急傾斜に見えるが
ジャンプの前に滑走する部分の傾斜が35度らしい。
古い堤防でも30度以下、最近は水害対策で緩い傾斜(10度強)で
より幅を増したものに変えているところも多いようだ。
実体験を元にすると古い堤防でも立って登るのは難しい。

守備側が抵抗しないとしても甲冑や武器を持ち45度の傾斜を
立って登るというのは足にキャタピラでもないと無理だと思われ。
585名無し三等兵:2006/04/22(土) 08:25:03 ID:yY+UfOlr
>>584
>守備側が抵抗しないとしても甲冑や武器を持ち45度の傾斜を
>立って登るというのは足にキャタピラでもないと無理だと思われ。

そうかな?60度くらいの傾斜のところは、
登山道でも結構あって、容易に立って登れたりするよ。
防御機能を考えると、大陸の土塁のように、
壁みたいに70°以上の勾配にした方がいい。
(ローマ時代の土塁など欧州での土塁は日本のように45度とかの場合も多いが)


>山城は別として一般的に土塁には芝や笹が植えられ
>雨水による崩れを防ぐと共に登り難くする効果もある。

日本の湿潤な気候じゃ容易には燃やされないが、
大陸じゃ火矢で容易に燃やされそうだな。
586名無し三等兵:2006/04/22(土) 11:32:09 ID:rEP+bY3y
>585
> そうかな?60度くらいの傾斜のところは、
> 登山道でも結構あって、容易に立って登れたりするよ。
君、山登ったことある?
60度を容易に立って登る?


馬鹿いっちゃいけないw
587名無し三等兵:2006/04/22(土) 12:42:08 ID:???
城郭作りのもう一つのポイントは、工期もあるんじゃないか。

恒久的な城とか、長期にわたって構築された城は石垣(土塁)にしても
丹念な作りになる。
中国の万里の長城も建設当初は土塁に割くがしてあった程度のものが、
明時代になって今のような姿になったのだろう?
また紫禁城も宋あたりから作られて清時代に至って今のように拡張された。

日本の戦国時代の城には急造的な性格が無視できない。
ことに朝鮮役では新式の城(状況に合わせた)はいずれも工期と技術が
絡み合ってできているような気がする。
非情な短期間で企画設計からあれだけの大規模なものを
多数作ったエネルギーには驚かされる。
588584:2006/04/22(土) 14:58:29 ID:???
初心者でもいける2000m級の山は3箇所登ったことがあるけど
登山道ってのは登り易い石の足場があったり
人の踏み固めた平坦な足場からなっていて
急なところは階段のようになってた。
自然の斜面を歩いてるわけじゃないよ。
階段に板を置いてその斜面を一階上まで立って登れる?
普通の家は3m程度の高さだけど土塁の推奨された高さは6m前後。
60度になると傾斜はもっと急になるよ。

急角度の方が遮断するには効果的というのは同意するし
実際大陸側の土塁の遮断効果は高いと思う。
日本のほうが登り難いとか
日本の土塁が最高とか言うつもりは決してない、が
584は568の「立って登れる」に対する反論。
589名無し三等兵:2006/04/22(土) 15:35:08 ID:???
>>588
>登山道ってのは登り易い石の足場があったり
>人の踏み固めた平坦な足場からなっていて
>急なところは階段のようになってた。

確かにそうだが、平らになっているところもある。
とくに登山道道以外の斜面を登るときでも
立って登ることができる。
川の堤防でも45度以上のところがあり、
コンクリートで固められている斜面でも、
立って登れてしまう。

日本の土塁でも、水城のように
完全に大陸の土塁の形式になっているのもあるな。
勾配もほぼ大陸の土塁と同様。
590名無し三等兵:2006/04/22(土) 18:58:04 ID:???
>>584

http://www.shinmai.co.jp/kanko/yama/00015.html
http://www.mcci.or.jp/www/yarigatake/live.htm
このサイトにある槍ヶ岳の傾斜角度を分度器か何かで測ってみ?
せいぜい50度強しかないのが分かるから。
んで実際に登ってみると普通の人なら立って登るどころか梯子が無いと無理
これを立って踏破したらマジで尊敬するよ。

それから近くにある城跡(出来れば大型の城)の石垣の真下に立ってみな。これを十数キロもある甲冑を背負って登るのはかなり時間が掛かると思うよ。

近世になって火器が発達すると、大陸式の城壁だと大砲である程度撃たれると崩壊してしまって用を成さなくなるから、そういう意味では日本式の土塁にも一理はあったんじゃないかな?
西南戦争での熊本城包囲でも、近代戦で日本式土塁がある程度通用する事が証明されてる。
591名無し三等兵:2006/04/22(土) 20:41:57 ID:???
>>590
土塁の勾配はともかく、
土塁の優劣が議論の主軸じゃないだろ。
ただ単に勾配の話。

大砲がよく戦場で効果的に使われるようになれば、
土塁で衝撃を吸収するような防護壁の方が有効なのはそりゃそうだろうけどさ。
その大砲が戦場で多用される以前の話だろ。想定している状況は。
土塁の設置目的自体が変わっているのを持ち出すのも変だ。

日本では、五稜郭のような土塁が近代戦には良いんだろうけど。
592名無し三等兵:2006/04/23(日) 11:33:52 ID:???
593名無し三等兵:2006/04/24(月) 08:48:47 ID:J01pzp1U
どんな戦いだっけ?
594名無し三等兵:2006/04/24(月) 10:03:24 ID:83V3plPO
これで大体45度かな
  /
 /

 ̄ ̄ ̄ ̄
60度だとこんなんか
 △


 ̄ ̄ ̄
595名無し三等兵:2006/04/25(火) 08:56:53 ID:+8bvd4vt
清正の陸戦能力って実のところどうよ?
596名無し三等兵:2006/04/25(火) 11:56:02 ID:???
>591
ただ明朝連合軍は砲兵火力が発達していたのだが
597名無し三等兵:2006/04/25(火) 16:26:18 ID:/o/Ub6AX
映画「天軍」(←戦国自衛隊のパクリ映画)で、

日本軍333艘 VS 韓軍16艘

ってなってたけど、本当なの?
598名無し三等兵:2006/04/26(水) 21:21:56 ID:M7UQIhw1
二つの数字が本当であるソースはない
599名無し三等兵:2006/04/27(木) 17:02:43 ID:+2e1CbIZ
ぶっちゃけ秀吉は半島をどうするつもりだったわけ?
教えてくれ。
600名無し三等兵:2006/04/27(木) 17:32:37 ID:???
600get
601名無し三等兵:2006/04/27(木) 22:01:43 ID:???
>>599
諸将に恩賞として分け与えるため。
明征服は本気でなく景気づけの宣伝だった可能性がある。
秀吉の支配体制は戦争しつづけないと持たない不安定なものだった。
また当時の日本人自身、そのような体質になっていた。
602名無し三等兵:2006/04/27(木) 22:08:11 ID:???
結局、明が敵対的に介入してきた事で朝鮮役は失敗に終わった。
李舜臣とか義兵とかいろいろ言っているようだが、
最大の理由はそれ。
603名無し三等兵:2006/04/27(木) 22:11:49 ID:???
小西が平壌に留まり交渉を始めたのも、
納得がいく。
604名無し三等兵:2006/04/27(木) 23:09:03 ID:l+q71O0O
1次の時、撤退せずに新たに10万人位兵を送り込んで
そのまま統治すれば良かったのに。
605名無し三等兵:2006/04/28(金) 12:41:35 ID:e0ex8eOA
秀吉が「38度線提案」を明朝にしなかったのは何故ですか?
606名無し三等兵:2006/04/28(金) 13:33:42 ID:???
ポルトガルから航洋型大型帆船の購入し海上輸送の主力を北前船レベルの船に
しておけば海上輸送ももっとマシになったろうに。
あとしっかり戦略を立てておけ。
607名無し三等兵:2006/04/29(土) 00:20:09 ID:???
>604
それはむしろ罰ゲーム
608名無し三等兵:2006/04/29(土) 00:21:33 ID:???
>606
欧米に煽られて中国進出するも梯子外しはいつものこと。
つうか3度目は無いよな・・・
609名無し三等兵:2006/04/30(日) 08:19:15 ID:???
戦闘に勝って外交で負けるのが日本。
610名無し三等兵:2006/04/30(日) 17:11:44 ID:UQG45v5W
支那事変と同じだ
611名無し三等兵:2006/04/30(日) 17:26:30 ID:???
日清同盟を結べば明を押さえられたのでは?
612名無し三等兵:2006/05/02(火) 01:39:51 ID:???
清はその当時無かった。
秀吉は西欧の進出に危機感を持ってたからポルトガルと組む事は無いだろうし、手を組むとしたらタイやビルマ、ムガル帝国に国境付近に軍を移動してもらって明を牽制してもらう位しか無いんじゃない
613名無し三等兵:2006/05/02(火) 20:45:14 ID:???
ネタにマジレス・・・

このスレ終わったな・・・
614名無し三等兵:2006/05/04(木) 08:53:58 ID:???
朝鮮軍は明軍の下請け?
615名無し三等兵:2006/05/04(木) 11:25:34 ID:???
ただの厄介者
616名無し三等兵:2006/05/06(土) 13:13:01 ID:/XfFf3Cj
まとめ云々の話の割に統括しないの?
617名無し三等兵:2006/05/06(土) 15:47:42 ID:???
618名無し三等兵:2006/05/09(火) 15:26:18 ID:v9mWkRv3
英語版ウィキは韓国史観で染め尽くされている。
秀吉軍は緒戦以外は水陸で惨敗して撤退。水軍は李舜臣に何度も壊滅された。
アメリカ人やイギリス人はこんな記事しか目にしないのか。
619名無し三等兵:2006/05/09(火) 16:20:29 ID:???
我々が書き直すのだ!
620名無し三等兵:2006/05/10(水) 12:18:29 ID:???
朝鮮征伐記の露梁海戦における李統制の最後の記述や、海戦の様子が興味深いです。
621名無し三等兵:2006/05/10(水) 17:26:20 ID:???
くらえチョッパリ!!これが120斤震天雷だ!
622名無し三等兵:2006/05/10(水) 18:29:25 ID:???
>>621
鉄砲食らえ、バカチョン。
623名無し三等兵:2006/05/10(水) 20:31:24 ID:???
>622
鉄砲じゃ船は沈めませんよ!チョッパリ残念!!!
624名無し三等兵:2006/05/10(水) 20:52:32 ID:???
おいおいもう頭悪そうな
雑魚キャラしか残ってないのかよ

泣けるぜ
625名無し三等兵:2006/05/10(水) 22:30:31 ID:???
>>624
2ちゃんに期待するなw
626名無し三等兵:2006/05/11(木) 14:14:24 ID:???
チャングムは当時どこに居たの?
627名無し三等兵:2006/05/11(木) 17:46:22 ID:???
良い分析

李舜臣 【23戦23勝】の神話を検証する。
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=64620
628名無し三等兵:2006/05/11(木) 21:14:28 ID:???
推薦しといた
629名無し三等兵:2006/05/15(月) 08:34:48 ID:ds75UK6L
見れないんだが
630名無し三等兵:2006/05/15(月) 18:36:55 ID:ds75UK6L
李舜臣のディープな話題
ttp://aibonware.com/thread?b=8&id=1660916&s=0&e=9
631名無し三等兵:2006/05/16(火) 15:05:52 ID:???
火薬不足だったの?
632名無し三等兵:2006/05/17(水) 00:29:57 ID:FEMZgQCI
大砲なんて当たらないよな
633名無し三等兵:2006/05/19(金) 15:54:56 ID:???
大砲は攻城兵器で投石器をパワーアップした存在。
まー艦載砲は城じゃなくて船を撃つわけだが。
634名無し三等兵:2006/05/19(金) 21:36:00 ID:Ro4qp9bZ
あんたよんでねーな?
635名無し三等兵:2006/05/20(土) 10:36:39 ID:N4VI4Dbc
李舜臣が順天倭城で大敗?
636名無し三等兵:2006/05/20(土) 12:50:27 ID:???

いよいよ長江に三峡ダムが完成オープン。

世界最大の発電量(一つで九州電力の総発電量を上回る)

世界最大のコンクリート重量(崩壊したWTCビル1棟=超巨大タンカー、の200倍の重量)

世界最大の貯水量(日本の全ダム合計の貯水量の2倍弱)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:200407-sandouping-sanxiadaba.jpg

その重量は、アメ公自慢の大型空母の実に810隻分だぜ。

アレが810隻並んでんのよ? 8隻ならべたのが100個あんのよ? WTCが200本突っ立ってるのよ?

これが中国の実力。これが中国のスケール。これが中国のインテグラル。

アメ公が巨象に踏み潰される日もそう遠い日ではないだろう。

資本主義者どもの悲鳴が聞こえるな。
637名無し三等兵:2006/05/20(土) 17:47:07 ID:???
>>636

わざわざこんなに良い攻撃目標を作ってくれてご苦労さん。
638名無し三等兵:2006/05/20(土) 18:31:45 ID:???
そこで"DAMBUSTERS"ですよ。
639名無し三等兵:2006/05/20(土) 21:28:48 ID:???
おいおいもう頭悪そうな
雑魚キャラしか残ってないのかよ

泣けるぜ
640名無し三等兵:2006/05/23(火) 20:33:32 ID:???
何で負けたの?
641名無し三等兵:2006/05/24(水) 20:50:03 ID:???
あげ
642名無し三等兵:2006/05/25(木) 19:39:44 ID:7S1n29B5
関連スレ
もしも秀吉が朝鮮へ出兵を止めていたら・・・
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1138372173/
643名無し三等兵:2006/05/25(木) 20:43:23 ID:???
>>642
そこは関連スレじゃなくて釣堀。
三戦板の朝鮮征伐スレは各板の中で最も価値が無い。
644名無し三等兵:2006/05/26(金) 16:39:38 ID:???
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   ベトナム戦争当時、アメリカ軍の手先としてベトナムに出兵した韓国軍は
   ゲリラの襲撃を受けた腹いせにベトナム民間人の大虐殺をしている。
   その時の韓国軍現地指揮官の中に後の韓国大統領になった
   全斗煥(11〜12代)と盧泰愚(13代)の2人もいた。

   その時の韓国軍によるベトナム民間人虐殺が余りに凄惨であったため
   帰還兵から韓国社会・国際社会にに情報が漏れないよう
   直接虐殺に係った兵士は軍籍を残したまま
   韓国政府の命令としてオーストラリアに部隊ごと強制移住・隔離させられた。
   破格の好待遇で・・・

   今でも語り継がれるベトナム戦争と韓国軍の暗黒歴史だが
   なぜか日本のマスコミはこの事実を一貫して無視している。


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645名無し三等兵:2006/05/26(金) 23:04:13 ID:kuMGOaVS
いや、最低はハングルだな。
チョン並みなのかチョンなのか。
646名無し三等兵:2006/05/28(日) 15:35:20 ID:RRX3QzrT
チハが一台あれば日本は勝てた!!
647名無し三等兵:2006/05/30(火) 12:13:19 ID:???
チャングム
チャングム
チャングム


チャングム〜
648名無し三等兵:2006/05/30(火) 15:27:41 ID:???
とりあえず援軍に来た明将ってこの戦の後、みんな悲惨な末路だよね。
649名無し三等兵:2006/06/02(金) 20:15:34 ID:???
英文ウィキペディアが大変なことになっています、助けて下さい。
650名無し三等兵:2006/06/05(月) 19:00:41 ID:5JvuJMKs
軍ヲタは戦国時代も詳しいの?
651名無し三等兵:2006/06/05(月) 21:23:42 ID:???
>>627が削除されてるではないか。

李舜臣の神格化以外は許されない言論弾圧国家か、韓国は。
652名無し三等兵:2006/06/05(月) 21:58:52 ID:???
653名無し三等兵:2006/06/06(火) 00:57:01 ID:???
軍オタは戦国時代には詳しくない様な
バカ丸出しw
654名無し三等兵:2006/06/06(火) 01:42:30 ID:???
>>653
日本語でおk
655名無し三等兵:2006/06/06(火) 02:04:52 ID:???
軍板の他スレには化け物みたいなマニアがいるけどね
朝鮮役に関しては2ちゃんねるに参考になるスレはない
656名無し三等兵:2006/06/06(火) 03:36:48 ID:???
>>652
参考になる良スレなんだけど
何時また消されるか分からないんで
保存しておくw
657名無し三等兵:2006/06/06(火) 08:08:38 ID:Qt3ruGJc
過去スレの幸州山城合戦は非常にレベルが高かった。
他にもレベルの高いレスはあるが、見えないのか?
658名無し三等兵:2006/06/06(火) 08:53:33 ID:D+Npg9Eu
朝鮮出兵とは名ばかり、実態はタダの対明戦
本土に残してた兵送ればもしかしたら中華の大地を踏んでただろうが、統治が無理だろうな。
659名無し三等兵:2006/06/06(火) 11:52:54 ID:???
その代わり倭寇が大暴れしていますからOK
660名無し三等兵:2006/06/06(火) 12:22:44 ID:Qt3ruGJc
ちなみに2ちゃん以外の朝鮮役の参考になるサイトの提示希望。
661名無し三等兵:2006/06/06(火) 13:11:57 ID:???
キムチが気に入らないスレは「ためにならないスレ」ということなんだろう。
662名無し三等兵:2006/06/06(火) 14:06:13 ID:???
>>657
それ俺
誰がキムチだw
663名無し三等兵:2006/06/06(火) 14:15:01 ID:???
>>660
知らねーよ
昔日本史板に色々貼ったな
ネタみたいなもんだけど

近所なら持ってる本貸すよ
とりあえず毛利家の最大版図内なら考慮しよう
664名無し三等兵:2006/06/06(火) 18:17:47 ID:Qt3ruGJc
おまえか?日本史板を荒らしたのは。
665名無し三等兵:2006/06/06(火) 22:04:50 ID:???
おう
666名無し三等兵:2006/06/06(火) 22:33:03 ID:???
つうか、日本史板でいかにも本当みたいに大嘘を
ついてくれた奴のおかげで朝鮮役にハマった
667名無し三等兵:2006/06/07(水) 23:37:00 ID:???
あんなのがレベル高いって言う時点で終わってるのよね
だから参考にならないと
668名無し三等兵:2006/06/08(木) 00:35:52 ID:???
【竹島】 独島にも李舜臣将軍の銅像、奨学財団が推進 [06/07]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1149665373/
669名無し三等兵:2006/06/08(木) 06:45:48 ID:???
もう一回解説希望
670名無し三等兵:2006/06/09(金) 00:58:39 ID:???
何を?
671名無し三等兵:2006/06/09(金) 06:35:06 ID:???
私からも幸州山城戦の解説をお願いします。
672名無し三等兵:2006/06/09(金) 12:55:07 ID:???
解説と言われても手元の本を比較しただけだったような…
朝鮮渡海日記(頼見)と安西軍策、続吉田物語、懲○録、吉川家文書等を見つつ
日本戦史朝鮮役、壬辰戦乱史、近世日本国民史朝鮮役等々…
673名無し三等兵:2006/06/10(土) 19:41:04 ID:KTdhm129
合戦の意義や影響。
韓国での評価との比較。
お願い。
674名無し三等兵:2006/06/11(日) 14:19:23 ID:???
近所なら本を貸すんだが…
675名無し三等兵:2006/06/13(火) 21:09:31 ID:TqzN6Jto
全羅道の朝鮮軍が本隊へ合流するために北上しつつ戦った合戦。
ただし城は維持できずに自主撤退。
676名無し三等兵:2006/06/13(火) 21:55:53 ID:???
碧蹄館から幸州山戦後の明提督李如松の動静
677名無し三等兵:2006/06/13(火) 22:54:11 ID:???
大場弥平の「城攻め その戦略・戦術」を見ると、敗因についてはおよそ

敵を侮った
寄り合い所帯の巧妙手柄欲得の攻撃戦である

臨時築城とはいえ敵は城塞の設備を固め、戦わねば死ぬ背水の陣であった

偵察は粗雑であり、子城と本城を同時に攻撃するなど手際が悪い
まず子城を落とすのが筋である

朝から夕方までで攻略出来るとみた将帥の判断は甘い

意外な損害と、敵援軍への危惧から撤退したが、まだ敵援軍は動いていなかった
もう一押し押したなら殲滅し得た
※ただし日本軍法には城の仕寄せは午後四時以降
してはならぬとの伝統があり、二月の朝鮮である
夕暮れで戦況の見通しはつかない

とあります
678名無し三等兵:2006/06/14(水) 20:41:24 ID:???
国際戦争としての壬辰倭乱、国際学術大会を開催

【ソウル13日聯合】現在の韓国・日本・中国などが入り乱れ7年間にわたって戦った
壬辰倭乱(文禄慶長の役)は、数千年に及んだ大国(中国)中心の世界が解体され、
日本という新たな大国が浮上したという点で、東アジアの歴史において画期的な事件
だったとの見方から、壬辰倭乱の国際的な性格を取り上げた学術大会が開かれる。
 西江大学国際間国学センターと閑山大捷記念事業会が19日から22日まで、慶尚南道
統営で行うもの。韓日中の3カ国が歴史や領土問題をめぐり対立する中、前近代の東
アジアで最初で最大の戦争だった壬辰倭乱を「国際戦争」という側面から理解を深め
ようという学術大会だ。開催地の統営は壬辰倭乱最大の激戦地だった閑山島と晋州城
の近くにある。

 壬辰倭乱は3カ国に大きな影響を与えた。日本では豊臣秀吉の野望がついえ徳川幕
府が登場し、中国の明は清により征服された。朝鮮王朝も滅亡こそ免れたものの、
戦争の痛手は王朝末期に至るまで色濃く残った。

 主催側は、壬辰倭乱は16世紀から現代に至る通時代的な観点からアプローチすべ
きだが、各国とも壬辰倭乱については自国の歴史の中で栄光を示す歴史叙述に一貫
していると指摘している。

 学術大会には、日本、米国、英国、オランダなどから40人余りの学者らが参加し、
壬辰倭乱をめぐる歴史的な状況について議論する予定だ。また、壬辰倭乱に対する
記憶が韓国の民族主義の形成にどのような影響を及ぼしたかや、戦争の危機に対処
できなかった朝鮮王朝内部の相対的な問題など、壬辰倭乱に関連した問題について
各国の学者が発表する。
ttp://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=052006061203200
679名無し三等兵:2006/06/14(水) 23:24:55 ID:???
>各国とも壬辰倭乱については自国の歴史の中で栄光を示す歴史叙述に一貫
>していると指摘している。

いや、日本では左翼中心に、秀吉の誇大妄想扱い、歴史の汚点扱いですが・・・
680名無し三等兵:2006/06/15(木) 17:41:52 ID:???
>>679
実際そんなもんだと思うが、その手の人が妙に韓国に迎合して
歴史歪曲をしている様に見える時がある
省略する様にいい加減に書いたり
681名無し三等兵:2006/06/16(金) 05:58:06 ID:yrBZ0riW
ハン板エンコリスレからのコピペだけど評価をお願いします。

ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1684924
ここを読むと鳴梁大捷で李舜臣がたった13隻で日本の133隻の大艦隊を撃破したのは韓国人の妄想ってことになる。
李舜臣のドラマでもクライマックスの一つだと思うけど、奴らは常識として本当に妄想してるのか?
682名無し三等兵:2006/06/16(金) 07:56:29 ID:???
>>681
李舜臣の報告書や日記の記述は参考にしてるよw
683名無し三等兵:2006/06/16(金) 08:28:58 ID:ELAa7JMU
でも十三隻は乱中日記の記述じゃないよね。
ミスリードじゃね?
684名無し三等兵:2006/06/16(金) 08:46:51 ID:???
なぜか日本側の記録による艦船損害の算出ってあまり無いのが不思議。
露梁海戦も何故か朝鮮側の主張どおり日本側が大損害被って敗北って記してるサイト多いし。
685名無し三等兵:2006/06/16(金) 12:40:45 ID:???
>>683
そうだったかな?
帰って見てみよう

>>684
大損害受けたと考えてます
686名無し三等兵:2006/06/16(金) 12:52:07 ID:???
結局自分で確認しないといけないから
低レベルなネットで討論は難しい…

相手がとんでもないバカかもしれない
687名無し三等兵:2006/06/16(金) 13:54:18 ID:ELAa7JMU
露梁海戦の双方の被害はどれほどと考えますか?
688名無し三等兵:2006/06/16(金) 23:33:49 ID:???
>>683
13隻というのは乱中日記にはないね
しかし、包囲ニ陥リ勢不測ニアリ…と

>>687
わかりません
昔少し調べた時、結局はっきりしなかった覚えが…
689名無し三等兵:2006/06/17(土) 02:01:23 ID:???
島津の文書に日本側死者「15名」(だったか50名だったか)という記載があり、
韓国の学者が「捏造だ!」
と著書で書いていました。
>露梁
690名無し三等兵:2006/06/17(土) 02:07:22 ID:???
いずれにしても日本においてこれらの戦が軍事的分析
信憑性、合理性を伴って記述されたものは参謀本部以来皆無といっていいでしょう。
ほとんどは韓国側におもねった通俗的記述に堕している。
若い有能な学者の出現が待たれます。
691名無し三等兵:2006/06/17(土) 10:47:24 ID:EhFZA+nZ
692名無し三等兵:2006/06/17(土) 11:08:50 ID:???
鳴梁海戦、朝鮮水軍の船は少ないが、大きいんじゃないの
地の利も生かしている
李舜臣が鳴梁の後に進出せず、後退したのは、崩壊した水軍を再建するためだと考えています
693名無し三等兵:2006/06/17(土) 11:13:30 ID:???
それでほんの一ヶ月で船を手に入れて戻ってきたのか?
694名無し三等兵:2006/06/17(土) 11:14:41 ID:???
>>690
日本戦史朝鮮役位しか持ってないんじゃあるまいな
695名無し三等兵:2006/06/17(土) 11:21:31 ID:???
>>693
一ヶ月だったかな?
翌98年2月、古今島に進出し、ここで明の水軍と合流
696名無し三等兵:2006/06/17(土) 11:59:55 ID:???
古今島は97年12月30日か?
面倒だからその辺の適当な本見たら錯綜してるなw
手を抜かず真面目に書いて欲しいね

しかしせっかく参謀本部編日本戦史朝鮮役を引っ張り出したのに、書いてないな
697名無し三等兵:2006/06/17(土) 12:07:43 ID:???
明の陳さんが古今島に着船したのは7月15日か
しかしこの本も\760だからねぇ

間違いでもツッコミ入れられないのか、入れないのか
698名無し三等兵:2006/06/17(土) 12:25:37 ID:???
乱中日記草(丁茜十月)
九日丙寅 晴、早発至右水営(海南郡門内面)、
則城内外、一無人家、又無人跡、所見惨然、
夕聞海南兇賊留陣云、初昏金宗麗・鄭詔・白振南等來見

東洋文庫のを買わないと読みにくくてしょうがない
699名無し三等兵:2006/06/17(土) 12:58:12 ID:???
島津氏の動向

97/7/15巨済島→7/28固城→8/3泗川→8/4昆陽→8/5光陽→8/6河東→8/7求礼→
8/13南原→8/19任実→8/20全州→8/29益山→9/2石城→9/3扶余→9/5林川→
9/7韓山→9/8○川→9/15金溝→9/16井邑→9/21長城→9/24羅州→9/25霊岩→
9/27海南→10/11康津→10/13海南→10/14羅州→10/20○陽→10/21淳昌→
10/23南原→10/25求礼→10/26河東→10/29泗川
700名無し三等兵:2006/06/17(土) 13:04:10 ID:???
李舜臣も>>699みたいに追えると楽なんだが、面倒なのよね…
701名無し三等兵:2006/06/17(土) 13:07:06 ID:???
李舜臣の古今島への再進出は年が明けてた2月17日
日本軍かいなくなった後の後追い
702名無し三等兵:2006/06/17(土) 13:25:05 ID:???
>>701
どうも
結局何時なんだかw
わざと適当に書いてるのかねぇ…

しかし後追いと言えば、>>698の時、島津氏が近くにいる(>>699海南)のよね
703名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:07:26 ID:???
乱中日記草
丁茜九月

十六日(鳴梁海戦当日)…移泊唐笥島(務安郡厳泰面)…

十七日…到於外島(務安郡智島面)…

十八日…因留於外島、…

十九日…早発行船、…無事渡七山海(○光郡落月面)、
夕到法聖浦(○光郡法聖面)、
…日没時、到弘農前(○光郡弘農面)、泊船而宿

二十日…暁開船、直到○島(○光郡○島面)、…

二十一日…早発到古群山島(沃溝郡米面仙遊島)、…


丁茜十月

三日…暁頭発船、還到法聖浦

四日…留宿

五日…因留、下村家而宿

八日…到於外島(務安郡智島面)宿

九日…>>698
704名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:55:37 ID:???
東洋文庫の懲○録を見ると、P257注6の所に

古今島に進駐していた
「古今島」は、全羅南道莞島郡古今面、道の南海岸西寄り、莞島の東北
古今島に移動したのは十二月三十日(乱中雑録十二月条)とあるが
同書翌年2月条にも、古今島に移陣した、とある

とありますね
705名無し三等兵:2006/06/17(土) 15:52:37 ID:???
どちらにしろ、倭城が完成して最後まで進駐していた島津や鍋島が引き上げた後のことだよな
706名無し三等兵:2006/06/17(土) 16:38:21 ID:???
壬辰戦乱史の下巻付録年表で李舜臣を見ると…

1597
七月二十二日 李舜臣三道統制使に復職

八月二十九日 李舜臣統制使珍島到着(碧波亭)

九月二日 李舜臣鳴梁口で待機

九月十六日 鳴梁海戦

十月九日 統制使李舜臣 右水榮帰陣

十二月三十日 統制使李舜臣 古今島に陣どる

二月十七日 李舜臣 ○花島から古今島に移陣

三月? 李舜臣古今島到泊 日本軍撃滅
707名無し三等兵:2006/06/17(土) 18:27:02 ID:???
>>689
…コレか?

…其の船に被乗合候衆も有之候。又海中へ飛入候衆も、有之候。
左様の衆は、鑓、長刀にて討捕申し、或いは半弓にて射申候間、
即時に味方五十余人被打果候。
其内に敵より熊手以引寄、為生捕衆も有之由に候…
708名無し三等兵:2006/06/17(土) 18:40:05 ID:???
右水営は後退と言うべきか…
709名無し三等兵:2006/06/17(土) 18:50:49 ID:???
しかし韓国は嫌いなのに、普通に疑問等を書くと
まるで韓国を庇ってるみたいになるのはヤだね
710名無し三等兵:2006/06/17(土) 18:54:40 ID:???
つか鳴梁や露梁や幸州山城は題材が悪い罠
711名無し三等兵:2006/06/17(土) 19:59:54 ID:???
良い題材自体がないし
712名無し三等兵:2006/06/17(土) 20:05:55 ID:???
丁度、ウィキに登録されたみたい。英語版はメタメタのままだけど…

鳴梁海戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E6%A2%81%E6%B5%B7%E6%88%A6
713名無し三等兵:2006/06/17(土) 20:11:32 ID:???
韓国側が・・・とか書いてる時点でバカ丸出し
普通に書けばいいんだよ、朝鮮に合わせるなんてアホか
714名無し三等兵:2006/06/17(土) 20:56:15 ID:???
なるほど>>691の図は参考になるね

乱中日記草
丁茜十月

十一日…午到安便(発音)島

廿九日…発船向木浦…到木浦、移泊○○花島…


壬辰戦乱史の鳴梁海戦を見ると

海戦後…唐筍島(務安郡岩泰面)

十七日…於外島(務安郡智島面)

七山海(霊岩郡落月面)→法聖浦→○島→古郡山島(沃溝郡米面仙遊島)

十月三十日…宝化島(新安郡二老面高下島里)
715名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:47:35 ID:???
乱中日記草
丁茜九月

十六日…賊船三十一隻撞破、賊船避退、更不近、我舟師。
欲泊戦海、則水勢極険、風且逆吹、勢亦孤危、移泊唐筍島経夜、此実天幸。

乱中日記草
丁茜九月
…賊船三十隻、亦為撞破、諸賊不能抵當、更不來犯、
欲泊○同処、則水退不合泊船、移陣○越邊  浦、乗月移泊○唐筍島、経夜

※原本の丁茜年の條には、二冊あって、八月四日から十月八日まで
の記事が重複して居り、その何が故かは明かでない。詳略互に出入
はあるが、何れも李舜臣の自筆たる点に於いて、全く疑ひない。
716名無し三等兵:2006/06/17(土) 22:13:26 ID:???
>>703と少し違う

乱中日記草
丁茜九月

十七日…到汝吾乙島(務安郡智島面於義島)…

十八日…因留同処、…

十九日…早発、渡七山島(○光郡落月面)、
…到法聖浦船倉(○光郡法聖面法聖里)、
…日没時、還到洪龍串(○光郡弘農面)洋中宿、

二十日…行船到古参島(○島、○光郡○島面)…

二十一日…暁発到古群山島(沃溝郡米面仙遊島)、…


丁茜十月

三日…暁頭発船、還由邊山、直下法聖浦、…
暮到法聖倉前、
717名無し三等兵:2006/06/17(土) 22:29:12 ID:???
近世日本国民史朝鮮役下巻

[乱中日記]
…賊船三十隻撞破、賊船退走、更不敢近我師。此実天幸。
水勢極険、勢亦孤危。移陣唐筍島。

…賊船三十隻撞破し、賊船退き走り、更に敢えて我が師に近づかず。此れ実に天幸なり。
水勢極めて険、勢も亦た孤危なり。陣を唐筍島に移す。
718名無し三等兵:2006/06/17(土) 22:35:59 ID:???
鳴梁海戦の李舜臣の隻数
 13隻は藤堂の記録からでた数字で全体隻数じゃないし
 12隻は元均艦隊が壊滅したときに纏まった一の艦隊で離脱した司令の率いていた数。

どちらにしろ最小値ではない。
719名無し三等兵:2006/06/17(土) 23:10:42 ID:???
壬辰戦乱史下巻第十九章戦闘関係原文の乱中日記は
>>717近世日本国民史と同じ(鳴梁海戦)


高山公実録
すいえんと申す所にはん舟大しやう分十三そうい申し候、
大川のせよりはやきしほのさし引き御ざ候所の内に
ちとしほのやハらき申し候所に十三そうのふねい申し候、…


懲○録(壬辰戦乱史戦闘関係原文)
…舜臣以十三船 載大砲 乗潮至順流攻之 賊敗走…

懲○録(東洋文庫)
…舜臣は、十二船に大砲を載せ、満潮に乗り、潮流に順ってこれを攻めた。…
720名無し三等兵:2006/06/17(土) 23:23:37 ID:???
慶尚右水使○楔 十二艘

鹿島万戸宋汝○ 一艘
721名無し三等兵:2006/06/18(日) 00:42:29 ID:???
…しかし>>691を見るまで気がつかなかったが、興味深いのは
看羊録の人と月峯海上録の人が捕まった場所と日時だな

カンハン…9/23全羅道霊光郡七山島付近で藤堂高虎の兵に捕まる

鄭希得…9/27全羅道霊光郡七山洋で蜂須賀家政水軍武将森忠村に捕まる
722名無し三等兵:2006/06/18(日) 01:18:30 ID:???
(朝鮮史料叢諸刊第六)
乱中日記草
丁茜九月
十九日丁茜 晴、早発、渡七山島、風軟天晴、行船極良、到法聖浦船倉、
則賊巳犯到、或焚人家、日没時、還到洪龍串洋中宿

(同)
乱中日記草
丁茜九月
十九日丁未 晴、早発行船、風軟水順、無事渡七山海、夕到法聖浦、
則兇賊由陸來到、人家庫〃焚蕩、日没時、到弘農前、泊船而宿
723名無し三等兵:2006/06/18(日) 01:22:33 ID:???
>>722訂正
朝鮮史料叢刊第六 乱中日記草・壬辰状草
724名無し三等兵:2006/06/18(日) 11:39:02 ID:???
参謀本部編 日本戦史 朝鮮役
我軍ノ行動

九月十六日(鳴梁海戦後)
夕刻、舜臣兵船を収めて唐筍島に退く
我軍水路に熟せす、故に追撃すること能わす
亦兵を収めて熊川に還り、水路西進の策、為めに頓挫す
725名無し三等兵:2006/06/18(日) 13:16:55 ID:???
Household Industries 歴史館

天下統一期年譜
1597(慶長2)年

9月17日 藤堂高虎・脇坂安治ら、前日の戦場を見廻り、敵船の皆無を確認する[毛利高棟文書]
726日本史板の新スレです:2006/06/18(日) 13:48:03 ID:???
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮出兵スレ4 【壬辰倭乱】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150604376/
727名無し三等兵:2006/06/18(日) 14:12:17 ID:???
近世日本国民史下巻
(壬辰戦乱史戦闘関係原文と同じ)

[李忠武公全書]
啓曰。壬辰至○五六年間、賊不敢直突於両湖者、以舟師之○其路也。
今臣戦船尚有十二、出死力拒戦、則猶可為也。
今若全廃舟師、則是賊之所以為幸、而由湖右達於漢水。
此臣之所恐也。
戦船雖寡、微臣不死、則不敢侮我○

啓して曰わく。壬辰より五六年の間に至まで、賊敢て直に両湖を突かざるものは
舟師の其の路をやくするを以てなり。
今臣の戦船尚ほ十二あり、死力を出して拒戦せば、則ち猶ほ為すべきなり。
今若し全く舟師を廃せば、則ち是れ賊の幸ひと為す所以、而して湖右より漢水に達す。
此れ臣の恐る〃所なり。
戦船寡なしと雖も、微臣死せざれば、則ち敢て我を侮らず。
728名無し三等兵:2006/06/18(日) 14:43:27 ID:???
鳴梁海戦後の日本水軍の動きを追いたいが、手元の本では追えないな
729名無し三等兵:2006/06/18(日) 15:14:37 ID:???
朝鮮人が適当なのはどうでもいいが
>>712はちょっと日本水軍の損害が朝鮮人並な気がするな

「参謀本部編日本戦史朝鮮役」の「我が軍の行動」を参考にしてるんだろうが
同じ本の補傳「藤堂高虎巨済洋の戦功」に加えられている
鳴梁海戦の部分は読んでいるのかな?
730名無し三等兵:2006/06/18(日) 17:04:35 ID:???
更に>>712で疑問なのは「中型船四十隻で向かった」の船数のネタ元と
「その他百隻」の扱いだな

書くんなら、細かく、正確に、憶測一切抜きで、省略せずに書いて欲しいもんだ
それが面倒なら書くべきではない
朝鮮人だけでなく、他の国の人にも突っ込まれたら恥ずかしいだろ
朝鮮が嘘ついても日本が嘘ついてなきゃいいが、日本も嘘ついたら同レベルになるぞ
731名無し三等兵:2006/06/19(月) 00:38:18 ID:???
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ4 【壬辰倭乱】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150531200/
732名無し三等兵:2006/06/19(月) 12:30:10 ID:???
チャングムの活躍した時代は、微妙に織豊時代に被ってるんだね〜。
733名無し三等兵:2006/06/19(月) 12:37:46 ID:???
知らねーよ
734名無し三等兵:2006/06/20(火) 06:51:48 ID:???
活躍してねーし
735名無し三等兵:2006/06/20(火) 23:51:58 ID:???
露梁海戦で島津が朝鮮側の主張するような大損害を受けていたら
重臣も多数討ち死にしてる筈だし、帰国時に島津家内で関が原敵中突破並みの
大騒動になっている筈だがそんな話は、聞いた事が無い。
海戦後敵が引き上げたら戦果なんて幾らでも水増し出来るから朝鮮側の記録なんて
信頼に値しないよ。
736名無し三等兵:2006/06/21(水) 01:10:05 ID:???
朝鮮に限らず、古今東西を問わず、戦果は誇張されるのが普通。
政治的プロパガンダのためとか、兵士や部隊の手柄水増しのためとか

自国が挙げたとされる戦果を絶対視してウリナラマンセーに浸る韓国人は異状。
青山里戦闘なんかもそうだが・・・
737名無し三等兵:2006/06/21(水) 07:55:10 ID:???
「近世日本国民史朝鮮役下巻」で日本側と朝鮮側の史料を簡単に比較してる罠
738名無し三等兵:2006/06/21(水) 12:24:55 ID:???
いいたかないけど、戦果を過大解釈してマンセーするのは何処の国も同じ。
739名無し三等兵:2006/06/21(水) 17:48:05 ID:???
…然ば敵は大勢に大船、味方は小勢に小舟にて候故。
惟新公(義弘)の御召船も、誠に御難儀に候得共、
御供の衆、身命を捨て被相働候故、
○く其の場を御引取被遊、如唐島御渡被成候…
740名無し三等兵:2006/06/21(水) 18:01:59 ID:???
霜月十八日の夜半時分、数百艘の唐船、なんはいの湊へ、押寄る。
其の中に朝鮮の番船十四五艘程、間ばらにして島津殿の船中へ押入りたり。…
741名無し三等兵:2006/06/22(木) 01:18:03 ID:???
政治的プロパガンダのためであったり、兵士や部隊の手柄水増しのためであったりと
朝鮮に限らず、古今東西を問わず、戦果は誇張されるのが普通である。
だが、大抵の国では、誇張された戦果が年月が流れ遠い過去の出来事となると様々な資料から比較検討し冷静に事実を追求するようになる。
しかし、韓国のように何時まで経っても、自国が挙げたとされる誇張された戦果を絶対視して自国賛美に浸る国もある。
青山里戦闘に対する評価がその好例である。
742名無し三等兵:2006/06/22(木) 12:47:37 ID:???
討論相手がいねーな
743名無し三等兵:2006/06/22(木) 15:33:38 ID:???
744名無し三等兵:2006/06/23(金) 00:58:31 ID:9Dd93uJ2
この間のチャングムで日本の侍が
サイシュウ島に攻め込んで住人を虐殺してた。
こんなことってあったの?
ニダーさんの捏造?
745名無し三等兵:2006/06/23(金) 06:55:04 ID:???
>>744
チャングムってのはしらんけど倭寇じゃねーの?
746名無し三等兵:2006/06/23(金) 12:46:23 ID:???
実はチャングムを見ていたが>>744を見てかなりムカついて見る気をなくしたのよね
747名無し三等兵:2006/06/23(金) 20:38:16 ID:???
倭寇のはずらしいけど、
幟背負ってたりしてたって話だ
何で倭寇なのに戦の格好なんだと
748名無し三等兵:2006/06/26(月) 07:03:52 ID:???
朝鮮人倭寇
749名無し三等兵:2006/06/26(月) 09:28:16 ID:???
ザパニーズ
750名無し三等兵:2006/06/26(月) 09:37:38 ID:e9m9Gz9Z
チョン、FIFAからアク禁にされる
http://live14.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1151199769/
751名無し三等兵:2006/06/27(火) 06:31:22 ID:fHlqNx9o
戦国時代板は盛り上がっている

【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ4 【壬辰倭乱】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150531200/
752だつお:2006/06/30(金) 09:40:37 ID:???
文禄・慶長の役は
中国チンピラゴロツキは、まとめて焼き殺してもいいし、
銃で撃ちにしてもいいし、槍で突き刺してもいいし、
弓で射殺してもいいし、刀剣でズンバラリン
と斬りまくってもいい。実に楽しい殺戮ゲームだった
753名無し三等兵:2006/07/02(日) 11:20:17 ID:???
日本武将のほとんどは病死で戦死はほんの僅か。
754名無し三等兵:2006/07/03(月) 20:21:42 ID:???
誰?
755名無し三等兵:2006/07/03(月) 20:54:16 ID:???
病死>豊臣秀吉
756名無し三等兵:2006/07/04(火) 17:57:09 ID:2D8iWyK1
日本人を何人も誘拐してレイプした在日ゴキブリの顔写真

http://rerere.sytes.net/up/source/up12733.jpg
757名無し三等兵:2006/07/04(火) 21:55:45 ID:???
将兵の病死が多かったって何かで読んだな。
「冬は野宿させると兵が病死するので、必ず小屋で寝泊りさせろ。」っていう秀吉の手紙も残ってた。
758名無し三等兵:2006/07/04(火) 22:28:59 ID:???
>豊臣秀吉の二度にわたる朝鮮出兵(文禄・慶長の役、一五九二−九三年、一五九七−九八年)は、
>朝鮮半島から連行された陶工や儒学者、
>印刷技術者らが、後の江戸文化の開花に大きな役割を果たしたとされる。
759名無し三等兵:2006/07/05(水) 02:40:06 ID:???
とのむひょんがのたうちまわってます
760名無し三等兵:2006/07/10(月) 21:58:41 ID:???
世界史板のスレッドの次スレッドができたようだよ。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1152533789/l50
761名無し三等兵:2006/07/11(火) 00:10:56 ID:???
>>760
そっちはレベルが低い
762名無し三等兵:2006/07/11(火) 22:44:26 ID:Zk/oA9w+
人しか資源がなかった国だから
763名無し三等兵:2006/07/14(金) 22:08:05 ID:???
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。
764名無し三等兵:2006/07/21(金) 22:59:37 ID:Pj/TZYaF
明将では誰が優秀?
765名無し三等兵:2006/07/22(土) 01:29:12 ID:???
仮に何かの間違いで日本が朝鮮征服してたらどうなってたの?
766名無し三等兵:2006/07/23(日) 02:00:02 ID:bi3MRO4k
>>765
最終的には直接支配は維持できなかったと思うな。
古代の百済・新羅・高句麗の様に半島を分割して、親日政権を作り撤退。以後は親日政権に肩入れするのが一番良いと思う。

朝鮮出兵で、明がガタガタになり、清に王朝交代したわけだから、半島情勢により深く介入することで、中国を長江を境に二分した王朝に分離できれば長期的にはベスト。
明が長江以南、清が長江以北で長期に中国情勢を固定できれば、近世は全く変わったものになったのではなかろうか
767名無し三等兵:2006/07/23(日) 03:40:37 ID:???
あの時期は東アジア情勢の転換期だから、if を考えるといろいろ面白い。
たとえば、日本の敗因の一つに指揮系統の不統一ってのがあるが、
家康が出兵に応じていたらどうなっていたかとかね。

意外に、秀吉が出兵しなかったら>766氏の言う南北朝が成立していたかもしれんな。
768名無し三等兵:2006/07/23(日) 09:14:35 ID:???
秀吉が朝鮮出兵せずに家康の天下になったら対中国貿易で史実以上の利潤を得て、
徳川幕府が鎖国しなかった可能性もある。
769名無し三等兵:2006/07/23(日) 09:52:59 ID:???
鎖国中も清とは貿易してるけど?
770名無し三等兵:2006/07/23(日) 10:03:48 ID:???
>>769
明の時は朝鮮出兵で警戒されて民間貿易すら禁止、しょうがないから東南アジアを
中継点にして貿易を行っていたんですよ>日本の朱印船
そんな事していたら直接、日本に来る中国や南蛮の貿易船のほうが安くなるのは当然
ですから、それならわざわざ日本から朱印船出す必要はないなということで・・・という
のが鎖国の一要因な訳で
771名無し三等兵:2006/07/23(日) 13:05:29 ID:???
つーかあんなの全然鎖国じゃねーし。
772名無し三等兵:2006/07/23(日) 13:22:22 ID:bi3MRO4k
>>770
朝鮮出兵がなければ、清がなんかする際に日本に対して明が援助を求める可能性は高いね。
773名無し三等兵:2006/07/23(日) 13:23:56 ID:???
明て幕府に派兵要請してなかった?
774名無し三等兵:2006/07/23(日) 13:29:07 ID:bi3MRO4k
>>773
公式な派兵要請は無かったはずだけど
775名無し三等兵:2006/07/23(日) 21:24:40 ID:XvbEiggO
鄭成功が幕府に援軍を求めていたはずだ。
家光がその援軍派遣に積極的だったという。
家康も台湾に派兵しているし。
むしろ、徳川幕府は対外出兵を積極的にやっていくべきだった。
776名無し三等兵:2006/07/23(日) 21:53:20 ID:???
国姓爺か。
777名無し三等兵:2006/07/23(日) 22:00:46 ID:FhHLQj5h
777
778名無し三等兵:2006/07/23(日) 23:01:36 ID:EtUflSsC
>775
鄭成功という名前は明の皇帝から賜った名前だから、国姓爺と呼ばれた。
国から姓名をもらったわけで、本当の名前は誰にも知らなかった
779名無し三等兵:2006/07/23(日) 23:16:52 ID:???
しかし清の全盛期に太平の世を謳歌してたというのも呑気な話だなあ
780名無し三等兵:2006/07/23(日) 23:33:48 ID:lJ5X5M7U
>>775
台湾や蝦夷地、北蝦夷地、千島列島への出兵はすすめるべきだったと思う。
しかし>>779のいう清の全盛期に太平の世を謳歌できたのは、幕府が大陸や半島への介入を行わなかったからだと思う。
明が清に敗北するまではいざ知らず、それ以降に大陸に介入して清を敵に回すのはあまりよろしくないのではないか。
当時の船舶の能力や天候から見て、大陸や欧州から大規模な陸上兵力を日本に上陸させて兵站を維持するのは不可能だと思うけど。
短期的には苦戦は免れないから。
781名無し三等兵:2006/07/24(月) 07:28:29 ID:SUyVvwzU
鄭成功は分朝した自称皇帝から国姓を貰った、つまり江戸時代の松平氏みたいに朱氏を名乗ることを許されたのでは?
782名無し三等兵:2006/07/27(木) 16:23:50 ID:???
783名無し三等兵:2006/07/28(金) 07:49:52 ID:???
清正の亀甲車ってどんなの?
784名無し三等兵:2006/07/29(土) 19:33:04 ID:???
確か征伐後、宇喜多秀家が朝鮮を知行されるのではなかったか?
豊臣秀吉の構想では。
785名無し三等兵:2006/07/29(土) 20:14:25 ID:???
>>294
戦国時代の兵隊って米、山の芋、竹の子とかそんなもんだけ食って戦争してたのか?
786名無し三等兵:2006/07/29(土) 20:20:26 ID:???
>>785
その代わり、米は玄米で一日当り5合から6合支給される。
787名無し三等兵:2006/07/29(土) 21:54:40 ID:???
それは日当としてではなく飯として?
788名無し三等兵:2006/07/30(日) 12:37:40 ID:???
玄米食
http://www.google.co.jp/search?num=50&hl=ja&c2coff=1&q=%E7%8E%84%E7%B1%B3%E9%A3%9F&lr=lang_ja

玄米食は良くないとするサイトもある
789名無し三等兵:2006/07/30(日) 15:52:33 ID:???
>>788
>玄米食は良くないとするサイトもある

美味しんぼの原作者ですか?
790名無し三等兵:2006/07/30(日) 20:59:21 ID:???
正露丸もだが、怪しいと言われている食品・薬は極力、用いないほうがいいと
思うが
791名無し三等兵:2006/07/30(日) 21:28:26 ID:???
>>790
怪しいと言う根拠は?
例えば玄米のどこが怪しい?
792名無し三等兵:2006/07/31(月) 02:12:05 ID:???
>791
御前みたいな変なやつが存在するところが一番アヤシイw
板違いの話題に粘着するところに病的なものを感じる。
793名無し三等兵:2006/07/31(月) 08:44:17 ID:JFVk+iym
>>792
自己分析乙!
794名無し三等兵:2006/07/31(月) 09:13:34 ID:6+f2PmP1
たぶん偉い順の朝鮮高官戦死者、日本で言うとどれぐらいの格なんだろうね?

三道都巡辺使
 申[石立](三道都巡辺使)

観察使
 沈岱 (京畿観察使)

兵使
 申[石吉](咸鏡兵使)、 柳崇仁(慶州左兵使)
 崔慶会(慶尚右兵使)、 黄進 (忠清兵使)

三道水軍統制
 元均 (三道水軍統制使)、 李舜臣(三道水軍統制使)

水使
 李億祺(全羅道右水使)、 崔湖(忠清道水使)
795名無し三等兵:2006/07/31(月) 10:04:36 ID:puNNH4T0
逆に清正や行長は一、二万を率いる師団長か軍司令?中将ぐらい?
796名無し三等兵:2006/07/31(月) 17:25:45 ID:???
階級と役職は少し別
797名無し三等兵:2006/07/31(月) 20:47:35 ID:hQe4Qxgu
軍板の日本史談義は見ていて面白いな。
>>795みたいにちょっと的外れなこというとこが良い
当時は階級や役職がどうという感覚は希薄だったと思うよ
言ってみれば戦国武将ってのは大なり小なり強いものに
従ってるだけで実質的にはみんな独立国みたいなもんだから
その独立国の寄せ集めが朝鮮行って戦争したって感じか
ちょっとニュアンスがズレてるけど結局秀吉は農民の出じゃん
だから石田光成とか一部の人間を除いて決してみんな偉い人って
見てるわけじゃないのよ。
階級とか役職的なものが重視される社会ならそもそも下克上なんて
成り立たないしね。朝鮮と明国の軍隊のほうはたぶん階級とか役職の
意識強かったと思うけどな。
798名無し三等兵:2006/08/01(火) 09:30:06 ID:/ayzEUM9
>>797
戦国武将も朝廷から認められる官位には大きな関心を寄せ重視しているが。
799名無し三等兵:2006/08/01(火) 10:41:01 ID:???
>>797
おおざっぱに見ると、中世ヨーロッパの騎士、貴族とほとんど同じなんだよね。
封建制というシステムに立脚している以上当たり前なんだが。
王権(天下人)の力が強ければ、それにすり寄るやつはいっぱいいるし、
逆にそうでなければ適当な名分つけて公然と反旗を翻す。
要は「こいつは俺の領土を保証してくれるだけの力があるか」が全て。

戦場での指揮権ががっつり働くなら、関ヶ原で西軍にあんなに
不稼働兵力はでないわなー。
800名無し三等兵:2006/08/01(火) 14:56:58 ID:???
>798
官位に実体が伴っていないだろ。
茶器を恩賞に使ったのと大して変わらん。
801名無し三等兵:2006/08/01(火) 20:26:21 ID:???
朝廷の官位、幕府の役職は支配権強化に必要な権威付けの為
豊臣政権では、朝廷の官位は体制序列であり、その大名の位置付けを表すものだから重要
802名無し三等兵:2006/08/01(火) 22:02:24 ID:???
>>800
だからといって、重視されていなかったという根拠には全くならない。
803名無し三等兵:2006/08/01(火) 22:06:50 ID:???
悪魔の証明を要求するのか?
重視されてないから根拠が存在しないんだろ。

重視されていたって実例を挙げろよ。
804名無し三等兵:2006/08/01(火) 22:11:29 ID:???
>>803
>>801を読め。文盲か?
805名無し三等兵:2006/08/01(火) 22:15:58 ID:???
実例は挙げられませんでした。
806名無し三等兵:2006/08/01(火) 22:17:34 ID:???
>>797>>805で捨て台詞を吐いて敗走しましたw
807名無し三等兵:2006/08/01(火) 22:27:41 ID:???
根拠とかを要求するとこがまた軍板らしいなw史板の人間と求める部分が違うんだな。
戦国時代の官位って感覚は極端な言い方をすればファッションみたいなもんだと想像するがな。
権威とかの裏づけというのもあったとは思うけど戦となれば結局官位なんてなんの意味も無い
そのことは泥にまみれた戦国武将が一番よくわかってただろう。
太閤にまで官位を極めた秀吉は死ぬとき泣いて秀頼のことを有力大名に頼んだ官位というものがそれだけで
権威であるなら秀吉はそんなことをしなかただろう。地位も名誉も無意味で実力だけがすべてだということを
解っていたから泣いて温情を乞うようなマネをしたんだろう。
徳川家康もそのことを解っていたから権威による階級社会を築くのに躍起になるわけだ。
戦国時代の官位ってのはその程度のものだよ。
808名無し三等兵:2006/08/01(火) 22:29:18 ID:???
>>807
つまり官位は重視されていたと言うことだな。
809名無し三等兵:2006/08/01(火) 22:32:47 ID:???
>>808
うん、重視されていたし
軽視されてもいた。
今だってあのファッションが素敵だと思う人居れば
なにあの格好wwwださーとか思う人も居るわけじゃんw
茶器に価値を見出す人もいれば官位に価値を見出す人も居たんだよ。
階級みたいにそれそのものが絶対的な価値のようなものとは違うんだよ。
810名無し三等兵:2006/08/01(火) 22:49:28 ID:???
>>809
そうかなあ?
戦国武将の中には太宰大弐のような官位をわざわざ朝廷にもらいに行ったりしているからなあ。
重視していない武将がいるとは思えない。
信長でさえ嫡子に秋田城介かなにか朝廷にもらいに行ってるし。
811名無し三等兵:2006/08/01(火) 23:00:09 ID:???
>>810
そういう官位好きな人も居たんだろうね
官位つーもんを重視してるしてないつーかステイタスだから
いっぱしの大名としては官位の一つも持ってないと恥ずかしいじゃんw
信長とかそんなもん無価値だと思っていたけど官位とか大事にする明智光秀みたいな
家臣も居るのよ、そういう人を手なずけるのには高い官位貰っとけばやりやすいじゃんよ。
朝廷だってあれだぜ源平合戦の時代から嘘八百の朝日将軍とかいう官位を仕立てて
田舎もんの木曽義仲をだまして喜ばせたり位責めつってどんどん官位を与えていって
相手を付け上がらせたりしてんだからそもそも与えてる本人がその程度のもんだと
認識してんだ。京都なんかには官位を持ってる庶民もいたぐらいだ。
812名無し三等兵:2006/08/01(火) 23:30:47 ID:XsmtKB2I
石高が低くても豊臣政権から認められた大将は識見があるわけです。
毛利吉成みたいに。
813名無し三等兵:2006/08/02(水) 02:48:23 ID:ST+Ucy6G
【論説】秀吉の時代までさかのぼる朝鮮半島での「加害」の歴史を避けて通れない-東京新聞★4〔07/30〕
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1154261816/
814名無し三等兵:2006/08/02(水) 03:00:10 ID:ST+Ucy6G
実は、朝鮮側の資料でもある「宣祖実録」には次のように書かれている。
「人心怨叛し、倭と同心」「斬る所の首級半ば皆朝鮮の民」
朝鮮の民衆は既に王や大臣を見限り、日本軍に加担する者が続出した。
また、明の朝鮮支援軍が駆けつけてみると、辺りに散らばる首の殆どが朝鮮の民であった。
と書かれているのだ。
実際、王が首都漢陽から逃げ延びるとき二人の王子は民衆によって捕らえられて日本軍に引き渡されている。
漢陽死守を願う民衆を見捨てて、王や大臣たちがとっと逃げだしたのだから、朝鮮民衆も彼らのために命を投げ出して日本軍と戦う気が起きるわけがない。

また、景福宮などの焼失は、大部分の韓国の観光案内板によれば、秀吉の朝鮮出兵によるものと書かれているが、それは虚偽である。
李恒福の「白沙集」によれば、秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。
それは、民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ。
ことに奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。とある。

以上の出典は全て韓国側の資料である。
自分たちに都合の悪い資料であるからと恐らく韓国では無視されているとは思うが、これが歴史の真実だ。

どんなに偽りの歴史を喧伝しても、いつかはそれが暴かれる日が来ることを韓国人は知らなければならない。
815名無し三等兵:2006/08/02(水) 08:11:55 ID:RHsBICce
元々、この辺の知識はあまり無いのですが、最近荒山徹の作品にハマってしまいました。
だから、このスレを読んでいても、この事件の背後にはきっと朝鮮妖術師がいるに違いないとか、朝鮮柳生が暗躍しているのかとか、
もしかしてこの日本武将は韓人ではないかとか、そんな風にしか思えません。
816名無し三等兵:2006/08/02(水) 11:33:42 ID:???
>>815
それは既に伝奇病柳生型に侵されています。治癒は不可能なので、
大人しく隆慶一郎でも読んでなさい。
817名無し三等兵:2006/08/02(水) 15:03:18 ID:???
>>807は権威と権力の混同をしている
818名無し三等兵:2006/08/02(水) 15:13:51 ID:???
>817 は読み違えた上、一行レスを返して馬鹿を晒している。
819名無し三等兵:2006/08/04(金) 05:45:55 ID:4cdAkpSm
官位にミスリードされているが、豊臣政権の役職は重要だよ。
取次、奉行、軍監・・・小大名が大大名を指揮している。
820名無し三等兵:2006/08/04(金) 12:49:37 ID:???
大大名はそれが面白くなかった。>関が原の一因。
821名無し三等兵:2006/08/05(土) 06:17:45 ID:C0x4Uafn
それで日中鮮の武将のカウンターパートはなんになる?

一概に言えないなら統率兵数と役職権力に分割すれば比較できないか。
822名無し三等兵:2006/08/05(土) 12:32:08 ID:???
ってか大阪の耳塚に耳埋まってんの?
戦果として耳や鼻を切り取るってチョンやシナチクの蛮行としか思えんが…
823名無し三等兵:2006/08/05(土) 12:51:38 ID:zwmhzZKe
長いこと 留守してワリイ。みんな元気だったか?

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/04/20060804000061.html
824名無し三等兵:2006/08/05(土) 16:22:41 ID:???
>>822
いや、日本じゃ普通に首とってるし
825名無し三等兵:2006/08/05(土) 22:09:46 ID:???
首じゃ嵩張るから、耳や鼻で代用したんだよ。
826名無し三等兵:2006/08/06(日) 02:42:01 ID:09hNxYuU
日本人て首狩り族だよね
827名無し三等兵:2006/08/06(日) 03:54:05 ID:???
秀吉の半島討伐は、暴挙との声が何故か多いが、私はある意味、画期的なことだと思うよ
日本人が初めて、この島から外に目を向けて侵攻したことだからね。
何より、朝鮮半島に二十万の戦力を送りこんだ事実は、凄いの一言に尽きる。
これだけ大規模な渡洋作戦は、世界史でも近代以前は数得るほどしかないからな
828名無し三等兵:2006/08/06(日) 09:23:34 ID:???
上代には何回も半島に兵を送ってるだろ
829名無し三等兵:2006/08/06(日) 09:40:31 ID:???
上代の派遣軍の規模って何人だよw
830名無し三等兵:2006/08/06(日) 09:56:28 ID:I3OGvLj7
五千から二万ぐらいじゃね?
831名無し三等兵:2006/08/06(日) 10:13:30 ID:???
この前、日韓の歴史学者が集まって日韓の近世以降の歴史の
シンポやってたんだけど、なかなか面白かったらしい。

当時の朝鮮は、明に軍事面でも隷属していて
正規軍は二万しかいなかった、だとか
日本の朝鮮総督が李舜臣を英雄に仕立て上げた経緯が
議題に登ってた。
832名無し三等兵:2006/08/06(日) 22:48:40 ID:???
今年の大河ドラマでどう描かれるか。次回は家康を臣従させようと姉や母を
人質に送るところ。主人公の幼なじみの忍の者(六平太)が侵略軍に潜り込む
らしいから、楽しみだ。
833名無し三等兵:2006/08/07(月) 23:13:25 ID:KcmFa12l
安部龍太郎も悪い本に影響されてるな。
834名無し三等兵:2006/08/08(火) 08:52:08 ID:???
>>826
キムサンホン氏乙。
835名無し三等兵:2006/08/10(木) 00:57:37 ID:PDOd+JVJ
>>831

朝日の夕刊に載っていたやつ?
たしか、あれではあくまで日明戦争として捉えるべきだという意見があったなw。
836名無し三等兵:2006/08/10(木) 05:15:36 ID:???
当然の意見だろう、秀吉の目的は唐入りだったんだから。
まるで届かなかったけどな。
837名無し三等兵:2006/08/10(木) 11:40:46 ID:???
んで、秀吉の意志はヌルハチが引き継ぐと
838名無し三等兵:2006/08/13(日) 14:34:01 ID:/ZnCoeGo
届かなかった?
朝鮮を通したら民国内が戦場化するのが嫌だから民軍を朝鮮に入れて戦わせたんだろ?
最初の目的どおり明と戦争してんじゃん
839名無し三等兵:2006/08/13(日) 14:51:54 ID:???
「戦争自体が目的」って説は一般的ではないだろ。
仮にその説をとるにしても、家康に出兵させることが出来なかった時点で失敗してる。
840名無し三等兵:2006/08/13(日) 15:21:10 ID:???

北朝鮮をなめてると痛い目にあうからね。

土曜日も世界最強だったイスラエル軍がヒズボラの前にボコボコ。

【最新情報】
イスラエル紙ハアレツ
http://www.haaretz.com/hasen/spages/749479.html
IDF(イスラエル国防軍)発表で土曜日に兵士24人死亡。
撃墜されたヘリ搭乗の5人も全員死亡確認。

-----------------
自慢だったメルカバ最新戦車も、連日ロシア製ATMメチスMでズタズタのボコボコ。
Anti-tank missiles were a key tool used against the IDF, claiming lives of soldiers.
* Three fighters of the Armor Corps' Battalion 9 were killed after an anti-tank missile hit a Merkava tank in which they were riding in Wadi Sluki on the eastern region.........
↑↓土曜日の戦車被害が並んでるけど多すぎて以下省略。
http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-3290185,00.html

[これが恐怖の携行ATMメチスMだ→]http://www.shipunov.com/eng/atgw/metis.htm
841名無し三等兵:2006/08/15(火) 08:37:21 ID:???
戦争は時に政権強化維持の為の手段であり目的である場合もある。
842名無し三等兵:2006/08/17(木) 18:59:45 ID:aQZKI2J+
李舜臣は全戦全勝らしいよ。
843名無し三等兵:2006/08/17(木) 19:53:11 ID:???
つり…だよね?

それか、日本の旧海軍&朝鮮抗日運動勢力のプロパガンダの犠牲者か…
844名無し三等兵:2006/08/17(木) 21:40:05 ID:???
最後の会戦で戦死というだけでそれまでの補給戦の遮断は
全部成功したんだろ?
845名無し三等兵:2006/08/17(木) 23:46:13 ID:???
引き続き携帯+うろ覚えでスマソ


>>844
ガチの海戦だと李舜臣率いる朝鮮水軍が日本水軍よりも強かったし、日本の補給船団に打撃を与えたことは事実。
しかしそれでも海上での補給線は遮断できていない。
遮断されがちだった補給線はむしろ陸上の方。
文禄の役の後半では日本軍は陸上から朝鮮水軍に反撃し始めたから、李舜臣は北に撤退しちまった。

慶長の役では、朝鮮水軍の司令は他の将軍だったせいか、諸戦でいきなり壊滅。
李舜臣が司令に復帰して、朝鮮水軍を再編成。
で、日本水軍の先行部隊に一矢報いるも撤退。

そして、秀吉の死後は明水軍と連合して、撤退する日本軍を追撃・殱滅しようとするも、
島津(義弘だっけ?義政?)の反撃で連合水軍は大被害にあい、追撃不可能に。
相当のダメージを与えながらも日本軍には逃げられてしまう。


「李舜臣の朝鮮水軍の活躍で日本軍の海上補給線は完全に閉ざされた上、秀吉の死によって日本軍は撤退した!」
ような表記が目立つが、補給線に効果的なダメージを与えられたのは文禄の役の最初だけ。

だからと言って李舜臣が優秀な将軍であることには間違いないと思うが。

しょっちゅう逃げ回っているように見えるけれど、
彼我の戦力を分析し、勝てると睨んだ時には効果的に打撃を与え、不利と思うや素早く撤退するのは将の鑑かもね。
846名無し三等兵:2006/08/18(金) 00:32:18 ID:???
文禄の役の後半では日本軍は陸上から朝鮮水軍に反撃し始めたから、李舜臣は北に撤退しちまった。

これがよくわからない。
具体的にどうやって反撃したの?
たしか亀甲船だったか?これ日本側の砲撃が貫通しないとかよくしらんが、かなりの難物
だったと読んだような気がするんだが。
847名無し三等兵:2006/08/18(金) 01:52:18 ID:???
>846
海軍と水軍の違い。
当時の船舶の能力では拠点から離れた場所での作戦は非常に困難で、
中継泊地を潰されたらどうしようもない。
特に亀甲船のような櫂漕船は航続力が短く致命的。
848名無し三等兵:2006/08/18(金) 02:06:26 ID:???
具体的に…ごめんなさい、そこまでは知らないです。


亀甲船については、
わたしは「海上で積極的に白兵戦を挑んでくる敵」の迎撃に特化した軍船だと記憶してるいます。

絵画で見たことはあります。亀か竜の船首像に、甲板をトゲ付装甲で覆い、銃眼を幾つも持った軍船。


コイツ相手にどうするか?
当時の日本軍が亀甲船に対してどう反撃したかは、わたしの勉強不足のため分かりませんが、
わたしも陸上に引き上げちゃうのが一番だと思います。

揚陸してきたら白兵戦で迎撃すればいいですし。
亀甲船を炎上させたり制圧できなくても、その性質を逆手にとることで無力化できます。

その後、李舜臣はプサンなどの日本軍陣地を攻撃していますが、ここらへんで大被害にあって以降、攻撃は控えたそうです。

亀甲船が、艦砲射撃を行えていたら…艦載機や弾道ミサイルで空爆を行えていたら…
陸の日本軍は全滅していたでしょうが。
(長いんで、続きます)
849名無し三等兵:2006/08/18(金) 02:07:10 ID:???
(続き)

そして亀甲船単独では、輸送船に対しての制圧能力はほとんどないと思います。
衝角があっても輸送船を制圧できるだけの兵員が亀甲船に積まれているかどうか。
(すみません、亀甲船は「絵や写真でみた」サイズしか知りませんが、あまり大きな軍船ではないように見えました)

さらに亀甲船を運用する海域はせいぜい「沖合まで」だと思うので、
対馬海峡を越えて物資を運ぶ輸送船に対して、船体の大きさや速度において劣っていた可能性があります。


またわたしも疑問に思ったんですが、
文禄の役の緒戦、慶長の役の緒戦、慶長の役の最終戦でも朝鮮水軍は日本水軍に海戦で何度か大敗しています。

この理由は
朝鮮水軍が戦局を変えるほどの数の亀甲船を保有していなかったのか、
李舜臣以外の将軍では亀甲船を効果的に運用するのが難しかったのか、
日本軍は海上でも亀甲船の扱い方を知っていたのか(下手に近寄るな、とか?)…



どなたか、亀甲船と当時の標準的な軍船の諸元wを参考にして、軍板ならではの解説きぼん。
850名無し三等兵:2006/08/18(金) 06:53:59 ID:e6eg/US+
亀船はスパイクを張って乗り込みを防ぎ易い板屋船。
突撃用途に適する以外は船としてはたいして変わらない。
別に防弾性が有ったわけではない。

それに李舜臣が日本軍の補給線を遮断したことはない。
港湾攻撃中の数時間を補給路の遮断とでも言うつもりか?
851名無し三等兵:2006/08/18(金) 07:00:10 ID:???
でも日本軍は補給線が伸びて戦線の維持に実際苦しんでる。
占領地の慰撫もできなかった。秀吉の死後、結局全部撤退して講和を
結んでる。 
852名無し三等兵:2006/08/18(金) 07:21:47 ID:e6eg/US+
輸送困難だったのは文録元年秋から二年の初めの陸路と川路のことですから。
もしかして漢城の将兵の為の補給物資を積んだ輸送船を李舜臣が攻撃していたと認識しているのか?
補給困難な時期と場所を考えなきゃ。
853名無し三等兵:2006/08/18(金) 07:36:34 ID:???
あの時代に現代の感覚でいう補給が存在したのか?『補給戦』を読むと
同時期の欧州では殆ど現地調達だが。徴収した物資を輸送するには大量の
荷馬車が必要であり、故に欧州では大軍になればなるほど河川を利用した
輸送が有利となり、軍の行動も河川によって形成される兵站線に依存してたようだ。

日本本国から輸送した物資が前線の将兵に渡るまでの補給に関わる負担、
荷駄の運搬に必要な人馬の数、中間集積地の設定、補給線の防衛など考えるに
日本国内での物資の集積〜朝鮮半島で前線に物資を供給するという形の
補給では朝鮮水軍なんぞに関係なく普通に破綻すると思うぞ。

といっても、俺は朝鮮の役における物資の現地調達と本国からの輸送の割合とかは
知らんけどね。
854名無し三等兵:2006/08/18(金) 08:21:42 ID:???
興味深いスレですね。
855名無し三等兵:2006/08/18(金) 08:25:32 ID:???
単純計算だけど
一石が一年間一人の人間を養える米の量だとすると、一石で一日あたり365人が養える
ことになる。15万人の将兵が一日あたりに必要とする石高は約410.9石/日。一石が約150kg
だから、重さに換算すると61.5t/日の食料が最低限必要となる。無論、米だけの計算
なので、それに人間が必要とする栄養素を補うための副食物も加算すると更に増えるだろう。
さらに煮炊きのための燃料、馬の飼葉、火薬などの消耗物資が加わるともっと大変になるな。

現地調達によってどれだけの食料が賄えれるかというのは、朝鮮半島の人口稠密度と農業生産力
に依存するが、当時の朝鮮半島の人口を鑑みるにそう高くはなさそう。鴨緑江を超えて人口過疎の
地域に突入したら更に現地調達によって得られる食料は少なくなりそう。

秀吉が名護屋から日にどれ位の補給してたとか、そういう資料はないんですかねえ。
856名無し三等兵:2006/08/18(金) 08:25:38 ID:???
弾薬類は現地調達無理ですよね
857名無し三等兵:2006/08/18(金) 08:49:54 ID:???
結論としては、李舜臣に関係なく、秀吉軍は遅かれ早かれ補給で破綻するのは
目に見えていた。
858名無し三等兵:2006/08/18(金) 09:00:05 ID:???
しかし昭和陸軍の参謀ならともかく百戦錬磨の戦国大名が甘い計画で不用意に出兵するとも思えんが
859名無し三等兵:2006/08/18(金) 09:33:19 ID:???
>>858
九州や小田原でも兵站に不備があったという記録もあるが。
フロイスの日本史だったかな?
860名無し三等兵:2006/08/18(金) 12:08:22 ID:???
1石の米ってのは、「米食いーの、米売って生活費まかないーの」ができる
マジで当時の人間が衣食住問題なく一年間生活できる資金、って概念だった希ガス。
861名無し三等兵:2006/08/18(金) 18:39:11 ID:???
一石=10斗=100升=1000合だね。365で割ると約2.7合/日でほぼ一日に人間が消費する
米の量と考えてよいと思うけど。ちなみに米俵にすると一石は2.5俵になる。
862名無し三等兵:2006/08/18(金) 19:58:36 ID:???
>>861
それは間違い。現代ならともかく戦前の日本では、1人1日平均5、6合、1年なら米を2石は食べていた。
最新の歴史人口学でも、1人1年に2石が必要なのは間違いない。
何故、1人1年に1石という誤解が罷り通ったかというと、米の収穫量のほぼ半分が年貢になっていた。
そして、年貢量イコール米の収穫量、そのために農民は稗や粟しか食べられなかったという貧農史観がアカに広められたため。
現代の食生活から、昔の食生活を考えると、とんでもない間違いを引き起こす。

863名無し三等兵:2006/08/18(金) 20:24:49 ID:???
最新の歴史学って何?誰が提唱しているの?
864名無し三等兵:2006/08/18(金) 21:25:35 ID:???
一年に一人当たり2石消費したとして、日本全国の総石高が太閤検地時に1850万石
というから、それを元に丼勘定すると日本の人口は900万程度にしかならんのだけど。
無論、米だけでの単純計算で、その他の食糧を考慮していないし、年貢の取立てに際しては
畑や漁獲、狩猟その他の生産財も石高換算で徴収していたという、網野善彦あたりの
指摘もあるが。まあ一石が単純に一人が一年に消費する米の量とするのは確かに大雑把
ではあるが、計算の便宜上用いても問題のあるレベルではないと考える。

要は、大軍を支える為に必要な補給物資の膨大な量を想像する一助として役立てて欲しいと。
単純に米二石が一年での消費量とするならば、15万人が一日に必要とする米の量は123t/日
となる。無論、15万の将兵は各戦線に分散されているのであり、それらに必要物資を最終消費
地として運搬する手間は膨大なものとなろう。
865名無し三等兵:2006/08/19(土) 14:17:38 ID:ScnzJGiv

無謀な出兵をしたんじゃなくて、最初から失敗するのがわかってたから出兵したんじゃないの?
百戦錬磨の武将 たちに征服に失敗しましたと言わすのは秀吉にとっては無駄じゃないよ
九州で佐々成正かだれかが農民の反乱を抑え切れなくて切腹させられたみたいに
百戦錬磨の武将たちを1回凹ましといた方が統治しやすいから行かせたんだよ、きっと
866名無し三等兵:2006/08/19(土) 14:31:49 ID:???
無謀というより、技術的、時代的制約といった方がよいかと。中国のように
人口密度も高く、農業生産力の高い地域なら現地徴発でも大規模な軍を長期間
養えたかも知れない。実際、かの国では数十万単位の流賊が食糧を求めて移動する
というのはよくあることだし。

ちなみにクレフェルトの『補給戦』によれば、移動してる間は軍隊が飢えることはあまりないが
攻城戦や、戦線が膠着することによって移動しなくなると、駐屯してる地域の食糧を食い尽くして
補給が困難になることがしばしばであったと指摘されている。
867名無し三等兵:2006/08/19(土) 18:28:02 ID:qmcIqPoc
だから留まるなら海岸のある南岸なんだろ?
言っておくが明鮮軍も補給困難で飢えたり戦闘消費に耐えられずに苦労したり大敗している。
飢えた民衆が明鮮軍の補給路を攻撃していたからな。
868名無し三等兵:2006/08/19(土) 19:33:03 ID:???
>>865
その説おかしい。
最大版図を誇る諸候の徳川氏をなぜ国内にとどめたのか。
最大級の軍役を賦課してもよいはず。
869名無し三等兵:2006/08/19(土) 21:00:07 ID:???
865の説を採るなら、徳川の力を削ぐことが最大の目的だったはずで、
それが出来なかった朝鮮出兵は失敗という結論になる。
870名無し三等兵:2006/08/19(土) 21:02:31 ID:???
ご大老随一の実力者を主力にしない時点でおわっとる。
871名無し三等兵:2006/08/20(日) 09:22:40 ID:???
国内での所領拡大と同じように

知行を分けたりする手法で失敗した。

他民族に対して優しすぎたのが敗因。

モンゴルのように殺らなきゃ駄目だな。
872名無し三等兵:2006/08/20(日) 11:05:39 ID:???
>871
モンゴルと日本じゃ社会基盤が違う。

日本 >面倒だけど、農業やるには働き手が必要。
モンゴル >服従しないならイラネ、農業やらなくとも放牧地でおk。

朝鮮出兵失敗の原因は、派遣部隊の総指揮をとれる人間がいなかったこと。
実働兵力を握った諸侯を豊臣政権内の地位に頼った官吏が統制しようとして失敗した。
秀吉か家康、前田利家あたりが半島に渡って総指揮を執れていればどうなったか判らん。
873名無し三等兵:2006/08/20(日) 20:01:29 ID:???
功名が辻みてたらこの答え分かるの?
874名無し三等兵:2006/08/21(月) 15:07:13 ID:???
>>867
>言っておくが明鮮軍も補給困難で飢えたり戦闘消費に耐えられずに苦労したり大敗している。
>飢えた民衆が明鮮軍の補給路を攻撃していたからな。
朝鮮や明が兵糧不足なのは文献で残ってるが、それが「飢えた民衆が補給路を攻撃したから」と言うのは見た事がない
ここ詳しくソースも書いて教えて
875名無し三等兵:2006/08/21(月) 17:17:54 ID:???
宣祖実録でも壬辰雑録でも義兵に認定されなかった民衆蜂起を賊として討伐している記録があるだろ?
876名無し三等兵:2006/08/21(月) 17:43:25 ID:/BHj6ybp
明軍も朝鮮軍も補給路の延び切った朝鮮南部で大軍を駐屯させて戦い続けるのは無理だったんだな。
877名無し三等兵:2006/08/22(火) 00:19:26 ID:???
つまりニューギニア戦線で補給無しの日本軍とやはり補給無しの連合軍が戦うようなものか。
飢えと疫病のうえに原住民に襲われて食われるというような。
878名無し三等兵:2006/08/22(火) 00:53:41 ID:???
日本軍が1593年4月の漢城撤退以後に兵糧不足になった記録あるか?
879名無し三等兵:2006/08/22(火) 01:49:04 ID:???
>>878
蔚山の合戦という特殊例以外は基本的にはない。
880名無し三等兵:2006/08/22(火) 10:24:26 ID:???
その尉山戦で明軍は補給切れで大敗走するわけだが
881名無し三等兵:2006/08/22(火) 20:00:35 ID:???
そういえば、この頃の補給量はどれくらい本当は必要なのでしょうか。
あの補給軽視と散々評判の悪い大日本帝国陸軍の場合でも、兵士1人に1日6合の米プラス副食物が必要最低限とされていた。
だが、補給が比較的順調に行われていた日露戦争でも、露軍の記録によると日本軍は補給が不足し、兵士は栄養不足だった。
米6合は、約900グラム、副食物が加わるので、兵士1人が1日に必要なのは、約1キログラムは少なくとも必要と思われる。
それから単純計算すると、1万人の軍勢が30日行動するのには、300トンの食糧が必要で、更に馬の飼料も必要不可欠。
さらにそれらを運ぶ補給部隊にも食糧が必要。
これらの計算をしていくと、朝鮮出兵の日本軍は補給部隊も含んだ兵数を、戦闘部隊のみと誤解しているような気がします。
882名無し三等兵:2006/08/22(火) 21:40:20 ID:???
>881
戦争論を読め。
兵器体系が変わったと言っても、兵糧の必要量は大差ない。

ttp://www.fukkan.com/vote.php3?no=27291
883名無し三等兵:2006/08/23(水) 13:39:00 ID:???
>882
それは解説本(?)じゃないか!
いつのまに廃版になったのかと驚いたぞ。

本編はこっち
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/400341151X/
884名無し三等兵:2006/08/23(水) 18:05:55 ID:???
「雑兵物語」によれば、一日分の一人に与えられる食糧は水一升、米六合、塩が一勺、味噌が二勺の分量であった。
885名無し三等兵:2006/08/23(水) 19:45:52 ID:???
>>882
食生活によって、兵糧の必要量は変動します。小麦か、米か、ジャガイモか、等々、主食だけでも多々あります。
更に、食べられるようにする手間暇も加わります。太平洋戦争中、日本軍の兵士の中には、米はあっても水が無い。
そのために生米をかじる羽目になり、消化不良から胃腸を傷め、栄養失調で亡くなった兵士も多々いるそうです。
戦争論の補給は、麦から作るパンが主食というのが大前提だったと覚えています。
886名無し三等兵:2006/08/23(水) 21:31:01 ID:???
>>880
日本の援軍到着
887名無し三等兵:2006/08/24(木) 22:33:13 ID:???
>>884
おお。具体的な史料に基づいた数字が出ましたな。

ところで、補給と言えばもう一つ疑問点が。本来、日本軍というのは封建諸侯の連合軍
という体裁なわけですが、一元的な日本軍としての補給体系は存在したのか?という点。
補給もまた各大名家で自弁してたんじゃないんだろうか?となると、ミスマッチによるロス
は更に大きくなりそうな気が。つか、大名家の文書類にその辺の史料はないんですかね。
朝鮮の役で幾ら出費したとか、どれだけの物資を使ったとか。
888名無し三等兵:2006/08/25(金) 01:29:14 ID:???
イ・スンシン提督マンセー

鳴梁大捷の関連史跡、全羅南道が復元し観光資源に

【ソウル24日聯合】李舜臣(イ・スンシン)将軍の亀甲船と、鳴梁大捷(鳴梁海戦)の戦
勝史跡を復元し観光資源化が進めらる。全羅南道が24日に明らかにした。鳴梁大捷は1
597年の壬辰倭乱(文禄慶長の役)の際に、李舜臣将軍率いる朝鮮水軍が、攻め入る日
本軍を撃退したもの。
 道は鳴梁大捷の体験プログラムと、亀甲船の復元、李舜臣将軍関連史跡の復元などを
通じ観光需要を創出する考え。体験プログラムは早期に運営を開始できるよう道で予算を
確保し、亀甲船は全南開発公社に制作を依頼した後、民間に運営を委託する計画だ。李
舜臣将軍と関連した史跡復元整備では、麗水、順天、光陽、長興、木浦、海南、珍島、康
津、新安、務安、霊光などの地域を網羅し、国費と地方費などから426億ウォンを投じるこ
とを提案した。
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=542006082402000&FirstCd=03
889名無し三等兵:2006/08/25(金) 20:04:22 ID:???
秀吉軍は決して無理な戦はしていない。
計算ずくの合理的な戦略を立て実行している気がする。
慶長の駅、南朝鮮を席巻した後、冬季を前にさっさと引き揚げ、
南岸に城を築きだした。
すべて補給の行き渡る地域を視認してのことだ。

城が概成すると明年には大軍を再渡海させて攻勢に出ると秀吉は言っていたから、
南岸に勢力圏を構築し、占領を既成事実化するつもりだったのだろう。
890名無し三等兵:2006/08/25(金) 21:30:29 ID:???
城は物資を備蓄する拠点にもなるな
891名無し三等兵:2006/08/26(土) 02:53:48 ID:???
慶長の液で築いた城に明・朝鮮軍が攻めてきたが全て撃退したな。
892名無し三等兵:2006/08/26(土) 18:31:01 ID:???
諸城ノ貯糧

(文禄二年)七月二十七日秀吉令シテ諸城ノ貯糧額ヲ規定ス

小早川隆景ノ加徳島城(支城ヲ含ム)、鍋島直茂ノ金海城(支城ヲ含ム)ノ守備兵
各五千人十個月分ニ対スル糧食及戦時準備品各〃左ノ如シ
米七千五百石(以下略)

島津義弘ノ巨済島城ノ守備兵二千人十箇月分ノモノ左ノ如シ
米三千石(以下略)

毛利秀元ノ釜山城五千人、東莱城三千人、瀬戸口(釜山ノ海峡ノ)ノ城一千人
三城守備兵合計九千人ノ十個月ニ対スルモノ左ノ如シ
米一萬三千五百石(以下略)

右一人十個月ノ米額一石五斗ニシテ一日一人の糧ハ米五合トス

参謀本部編日本戦史朝鮮役
893名無し三等兵:2006/08/27(日) 02:45:15 ID:???
10000人で1日50石か

500石船1隻で10000人の10日分を補給できる。
1000石船なら1隻で10000人の20日分を補給できる。

大型の船を使った海上補給なら比較的補給は容易だな。
894名無し三等兵:2006/08/27(日) 02:52:15 ID:???
各城への補給に必用な500石船の隻数


小早川隆景ノ加徳島城(支城ヲ含ム)、鍋島直茂ノ金海城(支城ヲ含ム)ノ守備兵
各五千人十個月分ニ対スル糧食及戦時準備品各〃左ノ如シ
米七千五百石

500石船×15隻


島津義弘ノ巨済島城ノ守備兵二千人十箇月分ノモノ左ノ如シ
米三千石

500石船×6隻


毛利秀元ノ釜山城五千人、東莱城三千人、瀬戸口(釜山ノ海峡ノ)ノ城一千人
三城守備兵合計九千人ノ十個月ニ対スルモノ左ノ如シ
米一萬三千五百石

500石船×27隻
895名無し三等兵:2006/08/27(日) 03:09:27 ID:???
五百石船たった1隻で十万人の大軍一日分の補給が可能

沿岸部にさえいれば補給は容易
896893-895:2006/08/27(日) 03:18:12 ID:???
あ、因みに五百石船は別に大型船じゃないよ。中型かな。

江戸時代の商船の場合、千石〜千五百石の船は普通だった。
897名無し三等兵:2006/08/27(日) 03:55:13 ID:???
あれだけの大軍を渡海させ、
大規模な城郭を現地でいくつも作り
(石の切り出し、掘削、沿岸工事等々)
それも短期日のうちにやりとげている。
本土より兵糧の運送も絶やさなかった。
秀吉が死ぬと数ヶ月のうちに撤退準備から実行まで滞りなくやりとげた。
その後二年して関が原の大合戦。
直後から全国に大規模城郭の建設展開。
なんだか当時の日本人は倦むことなく活動しまくっているって感じ。
898893-896:2006/08/27(日) 04:09:33 ID:???
馬一頭の輸送力=2俵=8斗とすると

五百石船×1隻=馬×625頭

陸上輸送は能率が悪い。

まあ実際は、なるべく河川の川船を利用したと思うが、川船は小型なので海船に比べると効率は悪いはず。
更に義兵のゲリラ攻撃が加わるので、もっと効率が下がる。

ここを読むと海上輸送>>>>陸上輸送なのが良くわかる。
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/5469/real06.html
899名無し三等兵:2006/08/27(日) 04:14:08 ID:???
>>897
確かにすごいね。
それを思うと戦争も城郭建築も無かった江戸時代の日本人はかなり余裕があったんじゃないか。
900名無し三等兵:2006/08/27(日) 10:20:37 ID:???
>>898
更に陸路は馬や人夫に食わす食料も運ばなければならない。
901名無し三等兵:2006/08/27(日) 16:01:50 ID:???
海路に確実性があるのは実績を積んで海路開拓されている場合のみ。
だから戦国期に海路移動の進攻作戦がほとんどなく陸路が選ばれた。
902名無し三等兵:2006/08/27(日) 21:35:03 ID:???
馬糧

我軍ノ馬糧ハ一馬一日ノ額料左ノ如シ

大豆四升、稗三升、糠一斗六升、藁貳束(貳拾把)

右ハ慶長二年八月内地ニ於ケル規定ナルモ之ヲ以テ
戦地ニ於ケル馬匹飼養ノ一斑ヲ窺フニ足ルヘシ

朝鮮役ニ於テ馬糧ニ関スル逸話ヲ左ニ掲ケン

朝鮮の役に加藤清正の陣所、糠なくして馬を飼ふに苦めることあり
清正聞て、糠なくば藁を細かに切り、大豆に交ぜて飼へと云はれしかば
諸士教如して、馬能く食して苦むことなし
常山紀談拾遺

参謀本部編日本戦史朝鮮役
903名無し三等兵:2006/08/27(日) 21:59:35 ID:???
>>901
まあ自分の領内ならあらかじめ沿道に物資を集積しておけるからね。
904名無し三等兵:2006/08/28(月) 00:54:28 ID:???
>>901
>海路に確実性があるのは実績を積んで海路開拓されている場合のみ。

古代以来実績なら沢山あるじゃないか。

古代は白村江の戦いに至るまで、記紀は勿論、三国史記や広開土王碑に倭の侵攻記録が沢山あるし。
遣唐使も半島沿岸を回って唐へ向かうルートも取ってるし。
中世は倭寇もあったし、西国の大名や国人領主が朝鮮と盛んに交易してるし。
安土桃山期に入っても小西行長の父隆佐は朝鮮貿易で財を成している。


>だから戦国期に海路移動の進攻作戦がほとんどなく陸路が選ばれた。

古代、中世、戦国と海路移動の進攻作戦は沢山あるぞ。

秀吉の四国攻めは当然海路移動の進攻作戦だし、九州攻めも水軍は海路移動の進攻作戦を行っている。
北条攻めも水軍は海路移動の進攻作戦を行っている。
これら3つの戦争の何れも補給のメインは海路。


905名無し三等兵:2006/08/28(月) 01:20:17 ID:???
>904
当初、日本が水路を把握していなかったから李舜臣のゲリラ戦が一定の戦果を挙げているだろ。
潮の流れや小規模泊地、砂州などの知識がなければ襲撃を受ける危険が増すんだよ。
海運の安定をもたらした沿岸部の築城ってのは海路開拓に他ならない。
戦国期の海路移動も、その地域の海路を知悉している水軍が味方にいるからできたこと。
906名無し三等兵:2006/08/28(月) 02:09:26 ID:???
李舜臣は別に補給路攻撃したわけじゃないから。
文禄慶長の役で、水軍衆が負けることはあっても、海上補給路が不安定になったことは殆どない。
李舜臣の成果は、海戦の勝利で日本の水軍衆の海路移動の進攻作戦を不可能にしたことと、それに伴う日本軍の海上補給路拡大を阻んだこと。
海路移動の進攻作戦と海上補給路拡大に失敗した日本軍の対応策は、沿岸に城を築いて既存の海上補給路を防衛すること。
これは成功して既存の海上補給路は安定していた。
907名無し三等兵:2006/08/29(火) 06:16:38 ID:???
>>904
古代における高句麗や唐との交戦は百済との軍事同盟が前提だから、
海路による侵攻というのにはちょっと違うような気がする。
それに、三国史記の倭の侵攻記録のほとんどは釜山にほど近い新羅へのものだ。

遣唐使については、江南ルートの方が沿岸ルートより遭難率が低かったとされている。
http://www.try-net.or.jp/~jofuku/kenkyu.htm#c04
元寇で蒙古軍主力が江南ルートを採用したのも頷ける。

また、倭寇は日本人の割合は少なかったと言われているし、
朝鮮貿易については、乃而浦(熊川)・富山浦(釜山)・塩浦(蔚山)の三浦に限定されていた。

秀吉の四国征伐・九州征伐でも主力部隊は最短距離で渡海して、
あとはできるだけ陸路で進撃している。
いずれも水上部隊(舟手衆・警固船)は非常に規模が小さく、
地上軍で制圧した後に船で補給するという形だから、
海路移動の進攻作戦とは言い難い。
908名無し三等兵:2006/08/29(火) 07:29:47 ID:vQNOXJ/A
初耳なんだが日本軍に海路侵攻作戦なんかあったの?
909名無し三等兵:2006/08/29(火) 17:48:57 ID:???
>>907
前期倭寇は日本人が多く活動圏は半島南部がメイン。
文禄慶長の役における日本船の行動圏も、乃而浦(熊川)・富山浦(釜山)・塩浦(蔚山)の三浦
も含めて、ほとんど釜山周辺で、古代倭軍や前期倭寇、朝鮮貿易の行動圏と殆ど変わらない。

当時の水軍は今でいう海軍+海兵隊で、上陸して攻略戦も行う。
対島津戦に於ける平佐城の戦いや、対北条戦に於ける安良里砦・田子砦攻略、下田城攻略など、
伊豆半島制圧は水軍の海路侵攻によるもの。
文禄の役初期の日本水軍も、閉山島海戦より前は、海路から陸地を侵攻して占領地を西方に拡大するために進出して
いたのであって、そこを李舜臣に襲われて阻止されていた。
910名無し三等兵:2006/08/29(火) 22:16:45 ID:???
小田原の役水軍編成

九鬼嘉隆   1500
加藤嘉明   600
脇坂安治   1300
菅 達長   230
来島通総兄弟 500
長宗我部元親 2500
羽柴秀長の兵 1500
宇喜多の兵  1000
毛利の兵   5000

計     14130

日本の戦史 小牧・九州・小田原の役
911名無し三等兵:2006/08/29(火) 23:33:54 ID:???
>>909
>前期倭寇は日本人が多く

このへん、最近では疑義が出されているみたいだけどね。
前期倭寇は大規模な騎馬隊を組織して内陸部に侵攻したり、
長期にわたって政府軍と交戦したりしているので、
外国人海賊の襲撃というよりは内乱に近かったようだ。

>伊豆半島制圧は水軍の海路侵攻によるもの。

どうかな?
下田城攻撃なんて陸路で箱根を突破して小田原を包囲した後だし、
下田城陥落後も韮山城はなかなか落ちず、秀吉軍は苦戦している。
912名無し三等兵:2006/08/29(火) 23:53:18 ID:???
>>908
中世以前の日本で考えると、
大規模な水軍を組織して水陸並進作戦を実行したのは
源平合戦の源氏軍と湊川合戦の足利軍くらいかな?
どちらにしろ瀬戸内海に限定されてしまうのだが。
913名無し三等兵:2006/08/30(水) 00:12:17 ID:???
>>909
>閉山島海戦より前は、海路から陸地を侵攻して占領地を西方に拡大するために進出して
>いたのであって、そこを李舜臣に襲われて阻止されていた

李舜臣の軍事行動については西進する日本軍を阻止していたというより、
巨済島周辺で泊地襲撃を繰り返していたというのが実態ではないかなあ?

閑山島海戦の脇坂安治などもソウル南郊に布陣していたのを呼びもどされた部隊だし、
それ以前に沿岸地帯で本格的な西進作戦が行われていたとはとても思えない。
914名無し三等兵:2006/08/30(水) 01:48:06 ID:???
>>911
>下田城攻撃なんて陸路で箱根を突破して小田原を包囲した後だし、

小田原城包囲開始は4月6日から。
下田城攻撃開始は3月25日から(開城は4月23日)。脇坂・九鬼・長宗我部ら、水軍衆のみによる攻撃。
伊豆西岸の安良里砦・田子砦攻略は4月1日。本多重次・向井正綱ら徳川家康配下の水軍のみによるもの。
いずれも小田原包囲より前で、水軍衆が海を渡って攻略した。
この水軍衆による伊豆半島攻略により、水軍衆が海上からも小田原城を包囲できた。
そして包囲軍に海上からの補給を円滑に行うことが可能となった。


>下田城陥落後も韮山城はなかなか落ちず、秀吉軍は苦戦している。

韮山城は伊豆半島といっても付け根付近で、地上軍の進行ルートの近くにあるので地上軍が担当しただけ。


>>913
>巨済島周辺で泊地襲撃を繰り返していたというのが実態ではないかなあ?

なぜ日本水軍が泊地にいたか? それは水軍が海上からそれらの地域を占領するため。
「壬辰状草」の玉浦海戦の記述では、日本の水軍は上陸して地上を掃討中で、沖に朝鮮水軍が現れて、慌てて乗船して戦ったぐらい。
泗川海戦も泗川・昆陽地域に海上から侵攻上陸した日本水軍に、李舜臣が海上から反撃したもの。


>閑山島海戦の脇坂安治などもソウル南郊に布陣していたのを呼びもどされた部隊だし、

だから、閑山島海戦より前と>>909と書いた。閑山島海戦の脇坂安治の時点では李舜臣の朝鮮水軍撃滅が目的。

もしも日本水軍が朝鮮水軍に勝利していたなら、どんどん西に占領域を広げていっただろう。
小早川隆景や安国寺恵ケイの地上からの全羅道方面の攻略と呼応して、最終的には漢城付近まで沿岸を制圧したかったのではないか。
勿論結果は敗北したので、以後防戦姿勢に転じるが・・・
915名無し三等兵:2006/08/30(水) 07:11:38 ID:8qXhZb+C
× 海軍+海兵隊
○ 輸送船+海兵隊
○ 輸送船+陸兵

李舜臣遭遇以前は日本の水軍と言われるが基本的に海上移動をする陸兵。
接舷戦闘はするかもしれないが、基本的に投射兵器による焼き討ちはそれほど準備されていない。
国内戦でも近代海軍のように敵艦隊を撃沈するような水軍運用はしていない。

水軍を海軍のような物と誤解するのはどうかと思う。
916名無し三等兵:2006/08/30(水) 15:07:08 ID:WwaHxfg8
船手、水軍、海軍とミスリードされるものが後を絶たないのはなぜ?
917名無し三等兵:2006/08/30(水) 16:37:31 ID:???
水軍と海軍を別物のように扱うのはどうかと思う。

古代ローマ海軍や中世ヨーロッパの海軍は海軍でないことになってしまう。
918名無し三等兵:2006/08/30(水) 18:47:52 ID:???
19世紀に入ったトラファルガーの海戦でも意外と砲撃で撃沈したのは少なくて
接舷切り込みで決着がつく場合が多いんだな。
919名無し三等兵:2006/08/30(水) 19:03:59 ID:???
>>915
>李舜臣遭遇以前は日本の水軍と言われるが基本的に海上移動をする陸兵。

李舜臣遭遇以前と遭遇以後の日本水軍の違いについて詳しく聞かせて。
920名無し三等兵:2006/08/30(水) 21:43:58 ID:???
>>914
下田城の本格的な攻撃は毛利水軍によるもので4月17日から。
この日付けで毛利輝元が下田城攻略を命ぜられたことを報じる文書が残っている。
また、韮山城は北条氏の伊豆支配の中心であり、
一門の重鎮・北条氏規が4000人近い兵力で籠城しており、
下田城その他とは比較にならないほど重要視されていた。

>なぜ日本水軍が泊地にいたか? それは水軍が海上からそれらの地域を占領するため

本当にそうかな?
閑山島海戦後、李舜臣が襲撃した泊地のほとんどで日本軍による築城が行われている。

となると、
李舜臣が活動開始する時点では巨済島や泗川などは朝鮮軍が確保しており、
それらの地域を占領するために出てきた日本水軍と李舜臣が戦い、
そして、李舜臣は「連戦連勝」したにもかかわらず、
いつのまにか日本軍に占領されて築城を許したということになる。

まあ、逆転の発想で「実は李舜臣は連戦連敗だった」とするなら、
その解釈もアリだとは思うけどね。

>小早川隆景や安国寺恵ケイの地上からの全羅道方面の攻略と呼応して、最終的には漢城付近まで沿岸を制圧したかったのではないか

泗川海戦のことなんだろうけど、呼応したと言えるのかな?
小早川や安国寺は全羅道を北から攻めていた。いくらなんでも離れすぎ。
泗川海戦の日本水軍は規模が小さすぎるし、率いていた武将も不明。
とてもそんな重大な任務が付与されていたとは思えないな。
921名無し三等兵:2006/08/30(水) 22:45:19 ID:8qXhZb+C
晋州や開寧を陸軍で抜かないと釜山から西進して全羅道を征服できない。
水軍だけでは無理、つまり陸軍次第。
922名無し三等兵:2006/08/31(木) 02:28:43 ID:???
>>920
>下田城の本格的な攻撃は毛利水軍によるもので4月17日から。
>この日付けで毛利輝元が下田城攻略を命ぜられたことを報じる文書が残っている。

それは初耳だな。
が、どっちにせよ、水軍のみによる攻撃である事には変わりないし、
毛利水軍が加わる前から下田城攻撃が行われていた事にも変わりはない。

>また、韮山城は北条氏の伊豆支配の中心であり、
>一門の重鎮・北条氏規が4000人近い兵力で籠城しており、
>下田城その他とは比較にならないほど重要視されていた。

問題はそういうことじゃないだろ。伊豆付近の海上交通路確保のための重要性が問題なんだ。
韮山城は内陸の城で、海上交通路とは無関係な位置にある。
しかも豊臣方地上軍が付城を築いて厳重に包囲封鎖したため実質的に無害化していた。
海上交通路確保のために重要なのは良好な泊地であって、その中でも最も重要なのが下田城。
江戸時代、幕府は箱根を陸上の関門としたが、
下田も、大阪落城後の1617年から船番所を設けて海の関門の
役割を果たしたぐらいの海上交通路の最重要拠点。

豊臣方水軍が下田城や他の伊豆半島の泊地を確保し、北条勢力を一掃したおかげで
水軍衆が海上からの小田原城包囲に加わることができたし、
包囲軍への海上補給を円滑に行えるようになった。
923名無し三等兵:2006/08/31(木) 02:29:44 ID:???
>>920
>本当にそうかな?
>閑山島海戦後、李舜臣が襲撃した泊地のほとんどで日本軍による築城が行われている。

>となると、
>李舜臣が活動開始する時点では巨済島や泗川などは朝鮮軍が確保しており、
>それらの地域を占領するために出てきた日本水軍と李舜臣が戦い、
>そして、李舜臣は「連戦連勝」したにもかかわらず、
>いつのまにか日本軍に占領されて築城を許したということになる。

泗川城は慶長期に築かれた城だ
文禄期に築かれた倭城の位置をよく調べてから書いてくれよ。
全て釜山周辺で、最も西側の城でも巨済島の北岸にあるだけだ。
ht tp://www.castle7.org/wajou.htm
海上からの侵攻に失敗して、釜山周辺に封じ込められたといえる。
ただし釜山周辺の防御策は成功して対馬から釜山への海上交通路の確保は成功した。

で、逆に聞きたいが
そもそも日本水軍が沿岸の要地を占領しに行ったのではないと主張するならば一体何しに行ったんだ?
何で上陸してたんだ?
924名無し三等兵:2006/08/31(木) 02:30:47 ID:???
>>920
>泗川海戦のことなんだろうけど、呼応したと言えるのかな?
>小早川や安国寺は全羅道を北から攻めていた。いくらなんでも離れすぎ。
>泗川海戦の日本水軍は規模が小さすぎるし、率いていた武将も不明。
>とてもそんな重大な任務が付与されていたとは思えないな。

泗川海戦だけでなく文禄の役初期の日本水軍の西方進出の動き全体が
やがては全羅道方面への進出のための動きと述べている。

次に、安国寺軍は元々南方の宣寧付近から全羅道進撃を目指していた。
但し後で郭再祐の妨害に遭い進路を変更したが。

つまり、北からの小早川軍、南方陸上の安国寺軍、沿岸ルートの水軍、
全羅道攻略を目指した三方向からの外線包囲作戦と言える。
外線作戦では部隊同士が離れているのは普通のこと。
三方向から包囲の輪を縮めて行けば、やがて合流して手を握ることになる。
結果は不成功に終わったが・・・
925名無し三等兵:2006/08/31(木) 02:34:43 ID:???
>>921
すまんが地図で探しても開寧の位置が判らん。
晋州は水軍の泗川・安国寺の宣寧のすぐ近くだな。
926名無し三等兵:2006/08/31(木) 02:53:17 ID:???
>>923に補足
巨済島付近で李舜臣が日本水軍を破ったのに
巨済島には日本が城を築いてるではないかと思うかもしれない。
これは日本の拠点釜山と、李舜臣の拠点麗水との距離を比較すれば
明らかに釜山から近く、麗水からは遠い。
果たして、至近距離の釜山から進出する日本軍を、遠い麗水から出撃する
李舜臣が常に補足して攻撃する事か可能であろうか?
無理だと思う。記録に残るこの海域での戦闘で李舜臣が撃破する日本軍は
巨済島進出を目指した日本軍の全てではないだろうし、無事に進出する事も可能
だったのだろう。
ただし釜山から遠く、麗水から近い海域となるとそうはいかない。
李舜臣に補足される確立が高くなり、進出は困難になる。
その結果が>>923の地図に於ける文禄期の城の分布域ではないか。
927名無し三等兵:2006/08/31(木) 06:56:41 ID:???
>>922
>毛利水軍が加わる前から下田城攻撃が行われていた

残されている史料から判断する限り、本格的攻撃も陥落も小田原包囲の後。

>豊臣方水軍が下田城や他の伊豆半島の泊地を確保し、北条勢力を一掃したおかげで
水軍衆が海上からの小田原城包囲に加わることができたし

船手衆が小田原包囲に加わったのは4月2日。

>>923
>泗川城は慶長期に築かれた城だ

やはり泗川海戦を重視しているのね。
日本軍の指揮官が誰だかもわからないのに、過大評価ではないかと思うが、

>そもそも日本水軍が沿岸の要地を占領しに行ったのではないと主張するならば一体何しに行ったんだ?

だって「泊地」だからさ、付近を哨戒して休んでいただけかもしれんし、
釜山−対馬ルートから流されてしまって、順風を待っていただけかもしれない。
当時の航海技術を考えれば、いくらでもあり得る話だと思うが。

>安国寺軍は元々南方の宣寧付近から全羅道進撃を目指していた

安国寺と郭再祐の交戦は文禄元年4月23日とされているが、
この時点ではまだソウルも攻略されていないので、
慶尚道における掃討作戦と考える方が妥当ではないか。

また、同年8月には錦山付近で朝鮮軍と交戦したとされているが、
これは小早川隆景の北方転進後なので、
小早川・安国寺・水軍の三方同時進撃というのは当たらないと思う。
928名無し三等兵:2006/08/31(木) 20:54:58 ID:aHQMpoR/
少し見当違いだな
929名無し三等兵:2006/09/02(土) 01:10:44 ID:???
>>927
>やはり泗川海戦を重視しているのね。

文章全体をよく読め!

>だって「泊地」だからさ、付近を哨戒して休んでいただけかもしれんし、
>釜山−対馬ルートから流されてしまって、順風を待っていただけかもしれない。
>当時の航海技術を考えれば、いくらでもあり得る話だと思うが。

あり得ない、あり得ない。
つか、ワロタw ギャグか?

>安国寺と郭再祐の交戦は文禄元年4月23日

郭再祐の初戦闘は5月4日だが?
安国寺と戦った鼎津(鼎岩津)の戦いはもっと後。
930名無し三等兵:2006/09/02(土) 06:53:27 ID:???
>>929
>文章全体をよく読め!
>あり得ない、あり得ない。
>つか、ワロタw ギャグか?

冷静になってくれ。
今は「李舜臣は日本軍の水陸並進作戦を挫折させたか否か」を議論している。
水軍による西進作戦があったとするなら、それなりの武将にそれなりの兵力を与えて
任務に従事させていたはずだが、それが確認できない。
例えば船手衆の脇坂・九鬼・加藤(嘉)は上陸しており、6月までソウル近郊に駐屯していた。
どうみても釜山−ソウル間は陸路しか考えていなかったとしか思えない。

>郭再祐の初戦闘は5月4日だが?
>安国寺と戦った鼎津(鼎岩津)の戦いはもっと後

手元の資料(別冊歴史読本・豊臣秀吉合戦総覧)が間違っているのかな?

調べてみると、4月28日に「諸将及び商人の船を肥前名護屋に回送せよという
秀吉の命令を伝えるために安国寺恵瓊・寺沢広高が派遣された」とあるから、
恵瓊の任務はあくまでも上使であり、全羅道進撃を指揮していたという記述は間違いのようだ。
まあどちらにしても、時期的に見て「三方向からの外線包囲作戦」はありえないのだが。

秀吉の命令の内容も名護屋への船の集中であり、水軍による西進作戦とはベクトルが逆。
むしろこの命令の影響で釜山海域が手薄になったから李舜臣が出てきたようにも思える。
931名無し三等兵:2006/09/02(土) 10:10:31 ID:???
お里が知れた
932名無し三等兵:2006/09/02(土) 13:18:41 ID:d63Zip0l
文禄の役の日本軍は10月の晋州城攻撃まで西進作戦など無いぞ。
安国寺恵瓊の小さな部隊は錦山の小早川隆景の本体へ合流するため
南寄りにショートカットしようとしたもので攻勢作戦ではない。
933名無し三等兵:2006/09/02(土) 14:14:43 ID:???
>>931
性格悪いね。
934名無し三等兵:2006/09/02(土) 14:17:44 ID:???
釜山から先の海上輸送を一切無視して唐入りを計画していた秀吉は凄い
935名無し三等兵:2006/09/02(土) 15:40:09 ID:h5PGQXvf
本気になれば一度に総勢30万を送ることも可能だったんでしょうか?
936名無し三等兵:2006/09/02(土) 15:55:12 ID:???
>935
俺はこのスレでは新参だけど無理じゃない?
確かに石田三成っていう補給の天才はいたけど
一気に30万がきついものがあるでしょ
937名無し三等兵:2006/09/02(土) 16:03:41 ID:h5PGQXvf
何回かに分ければ可能かもしれない。
実際、16万人は無血上陸出来たみたいだから。
938名無し三等兵:2006/09/02(土) 16:35:11 ID:???
釜山から海上輸送可能にするよりも川路陸路で輸送した方がコストパフォーマンスが高い。
939名無し三等兵:2006/09/02(土) 16:39:10 ID:???
晋州城ってどこにあったっけ?
940名無し三等兵:2006/09/02(土) 16:42:16 ID:???
唐入りはあくまで陸路である
海路は一切使わない
941名無し三等兵:2006/09/02(土) 16:43:37 ID:???
http://yasoshima.hp.infoseek.co.jp/index.html#4-7
これは参考になるかな?
942名無し三等兵:2006/09/02(土) 16:54:53 ID:???
基本的に著者のはっきりしている本以外は参考にしない
943名無し三等兵:2006/09/02(土) 17:06:19 ID:???
朝鮮征伐は学者からして政治的偏向で論文書く奴がトップにいるからな。
944名無し三等兵:2006/09/02(土) 17:07:47 ID:???
ここの書き込みも議論している双方に穴が見えるけど
本も適当に書いてる事が多かったり、本の信用度もいろいろあるのよね
何冊も読んで確認しないと断定は難しい
どの本が確かなのか、どんな説があるのか知るのも面白い
945名無し三等兵:2006/09/02(土) 17:10:44 ID:h5PGQXvf
実際は40万の部隊を用意してたみたいだけど
946名無し三等兵:2006/09/02(土) 17:11:58 ID:???
よく調べていても、基本的な学がないとトンデモになりやすい
947名無し三等兵:2006/09/02(土) 18:42:15 ID:2kjj6uoF
トンデモ?
948名無し三等兵:2006/09/02(土) 21:25:18 ID:???
949名無し三等兵:2006/09/02(土) 21:28:12 ID:XR7NfudF
>>945
ソースは?
950名無し三等兵:2006/09/02(土) 21:29:50 ID:???
950GET!
951名無し三等兵:2006/09/02(土) 21:35:20 ID:???
こういう評価は妥当なのか?小説家による朝鮮征伐の戦局評価だが。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1152533789/134
952名無し三等兵:2006/09/02(土) 21:43:41 ID:???
>>948
953名無し三等兵:2006/09/02(土) 22:00:46 ID:???
>>948
乙です。
954名無し三等兵:2006/09/03(日) 05:59:06 ID:1a1v2tWd
日本の水軍の有効な武器って何なんだろう?
接舷切り込みで多用された武器とか。
955名無し三等兵:2006/09/03(日) 07:33:44 ID:MVr67ICO
>>946李舜臣が日本の水陸並進作戦を妨害したなんて言う俗説が今でも通説となっているぐらいで、実に嘆かわしいことです。

>>951明側の認識はそれですな。
956名無し三等兵:2006/09/03(日) 09:26:33 ID:Hrmc4nc7
>>955
>>>951明側の認識はそれですな

それを具体的に論証せよ。
まあできないだろうがwww
957名無し三等兵
海戦

前略
是月(文禄元年四月)我水軍ノ将九鬼嘉隆、加藤嘉明、藤堂高虎等ハ各〃警固船ヲ率ヰテ
鎮海湾、巨済島、加徳島及蔚山湾等ヲ捜索シ敢テ抵抗ヲ受ケスシテ敵艦七十余隻ヲ拿捕シ
慶尚沿岸ノ掃蕩ヲ畢リ釜山、熊川及洛東江口等ヲ以テ其根拠地ト為シ敢テ西進ヲ謀ラス
専ラ釜山対馬間ノ警備ニ任シタリ
故ヲ以テ脇坂安治ノ如キハ水軍ノ将タル可キ命令ヲ受ケシニモ拘ラス
上陸シテ龍仁ヲ守備シタリキ

参謀本部編日本戦史朝鮮役