万暦帝の頃も日本侵攻計画あった筈だが
確か島津に大阪までの道案内させようとか、なんか見当違いな計画が
953 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 07:57:39 0
講和条件で勘合貿易(=明への朝貢)の復活を要求してる時点で
秀吉には明の臣下としての自覚は大有り。
慈覚大師
955 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 09:04:24 0
>>953 形式上の臣下の礼をとるデメリットと、
勘合貿易による実益によるメリットと
客観的に判断した結果だな。
956 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 11:55:07 O
外国から日本国王とみられるということは豊臣政権が天皇の政権とは別の独立した政権と見られることも意味する。
政権にとって強固な正統性が付与される。
957 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 12:19:24 0
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く:::::::/:::::/ ,.-r'::::::::::::::;::'ニニヽ::;ゝ
>>953 実は農民上がりの秀吉は対中国外交において勘合貿易と冊封関係締結が不可分なのを知らなかった。
でもそれを知ってた小西行長はそれでもなんとか無理にでも交渉締結しようとし、
明側の沈維敬と図って明本国に臣従するというウソの書面を出した。
そして明から返事を持ってやって来た使節との交渉の席に着いた通詞に行長は冊封の事実を伏せるよう依頼するも、
通詞が正確に正直に約した結果、日本国王という単語を聞いて初めてその使節が冊封使だと知った秀吉は激怒したからな。
もちろん明との交渉は決裂、明らかに秀吉には明の臣下になるつもりは最初から全くない。
行長はもしかしたら無学で年々モーロクしてる秀吉をなんとか騙し通せる・誤魔化せるものと踏んでウソついたのかもな。
これでよく行長の首が飛ばなかったもんだよなぁ、慶長の役でさんざんパシられただけで済んだのは幸運だよ。
>>954 対中国外交において勘合貿易と冊封関係締結が不可分なのを知らなかった秀吉にはその考え方は当てはまらない。
逆に足利義満は承知の上で、貿易の利と対朝廷政策の利が臣従の損より上と判断してたのでその考え方にそってる。
959 :
958:2007/09/11(火) 15:40:01 0
960 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 16:08:05 0
>>658 小西行長は明側のの譲歩案として、
朝鮮半島南半分を日本に割譲(当時実効支配しているため)か
最悪、勘合貿易の復活を希望していたが、
勘合貿易の復活さえ、明側はそれを認めず、
単に秀吉を日本国王に封じるとしか返答が無かった。
(確か、日本の中国における序列って、
遣唐使時代よりもかなり低い序列になっていたのじゃなかったかな?)
961 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 17:54:01 0
退却する島津に大敗した挙げ句、不意打ちしたのに逆に首脳陣のほとんどを皆殺しにされた明軍が日本に攻め込めるはずがない。
戦争では日本軍の敗北。戦闘では日本軍の圧勝。それが朝鮮出兵。
962 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 18:26:04 0
勘合貿易(朝貢)復活は、明の皇女の降嫁、朝鮮南部の割譲、朝鮮からの人質や誓紙などとならんで、
秀吉本人が明示した講和条件の一カ条であって、最悪の場合の選択肢ではない。
また、いくら元が尾張の百姓あがりでも、織田政権の武将として堺の商人や京の禅僧と交際していれば、
冊封体制のことくらい、耳学問で十分に承知している。
冊封体制の性質をどこまで知ってたかによるな
もし臣従なくして貿易なしって所まで知ってても交渉次第では
臣従せずとも貿易ありって所まで譲歩を引き出せるなんて色気はあったかも知れん
しかし金と宋との関係を見てもわかる通り、
支那は戦争で負けない限りは対等の外交なんて絶対にしないからな
もしそうした支那の性質をはっきりとわかっていれば、
対等の立場同士で貿易しようだなんて履行不可能な条件は出さなかった
とは言うものの、朱子学クソくらえな戦国時代を生きた秀吉
(いや、戦国時代の気風の中で儒教を本格的に学ぶ機会のなかった人間全体)に、
支那のメンタリティを理解するのは到底無理な話だわな
964 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 20:24:29 0
>>962 だから、それらの条項の中でも
明が最悪それだけは受諾するだろうという
小西行長の期待だろう。
もっとも秀吉がそのように思っていたかは別だが。
>>953 明から送られた王冠、装束をまとった秀吉が大広間の上座=上段にいて、
下座=下段に明の使者、つまり冊封使がいたんだよね。
このあたりの関係性って足利義満、李氏朝鮮の冊封使迎賓の儀式、
徳川将軍(下座)と勅使(上座)とは正反対だな。
966 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 22:18:11 0
徳川将軍の場合、幕末に公武の力関係が逆転するまでは
将軍が上座で勅使が下座。
将軍が下座になったのは家茂から。
朝鮮が目的ではなく征明ですよ
スペインがフィリピンを植民地化
フィリピンの次は明
ではその前に明に乗り込め
そうそう。でも未熟な渡海能力を克服すべく船の購入と航海術修得に務めたけど断念したんで、
明への直接渡海を断念して仕方なく半分陸伝いの方法として朝鮮半島を行軍ルートにするつもりだったからね。
もっとも遠征軍司令官と前線外交官代表の両ポストの不在とリサーチ不足と兵站軽視のせいで、
楽に得られるはずの勝利を逃してんだからオイオイとは思うけど。
969 :
世界@名無史さん:2007/09/12(水) 19:52:23 0
400年以上たっても秀吉のビッグマウスにふりまわされてるなw
コルテスやピサロの成功例にポルトガルの宣教師を使った侵略・植民地獲得を見れば
秀吉などの叩き上げの人間が「なら俺も」と思うのは自然な心理だし、
当事の世界で五指に入る日本陸軍を擁していればなおさら
結果的には失敗だったが、それをしてビッグマウスだの過信だと断ずるのは後世の人間の神の目視点による驕りだろ
自国の兵力が世界的に見てどれくらいのランキングにあるかなんて
海外事情に疎い秀吉が果たして把握してたかどうか
正確なランキングは宣教師などの当事の事情通の人間でも把握するのは難しいだろうな
でもそれで秀吉の自分自身の才覚と軍への自信が揺らぐ事はなかろうて
事実、朝鮮と明の軍は弱かったしな。事前調査や輜重がしっかりしてりゃあねえ
それにしても朝鮮征伐といい第二次大戦といい日本の武装集団の欠点は昔から変わってないんかい
>>973 太平洋戦争と文禄慶長の役の日本の欠点は共通してる所があるっぽいけど
この両戦役の最大の違いは前者はまともにやっても勝てない相手なのに対して
後者はまともにやってれば勝てる相手だったって事
975 :
世界@名無史さん:2007/09/13(木) 04:06:46 0
秀吉がいなければ、ヌルハチは初期段階で明に滅ぼされていたと思う
大きく世界史が変わるね
秀吉がもっと情報を集めていれば、海軍を強化して数年遅れで朝鮮を通らずに直接河北へ。
ヌルハチの5万の軍より、当時の日本の方が強い。
明は自壊したのであって
ヌルハチの軍が征服した訳じゃないよ?
なんかヌルハチの軍を過小評価してるきらいがあるな
978 :
世界@名無史さん:2007/09/13(木) 18:02:45 O
李自成!李自成!
979 :
世界@名無史さん:2007/09/13(木) 18:23:06 0
まあ、秀吉は明の臣下だって自覚はあったけどな。
981 :
世界@名無史さん:2007/09/13(木) 20:58:25 0
982 :
世界@名無史さん:2007/09/13(木) 21:37:22 0
962 :世界@名無史さん:2007/09/11(火) 18:26:04 0
勘合貿易(朝貢)復活は、明の皇女の降嫁、朝鮮南部の割譲、朝鮮からの人質や誓紙などとならんで、
秀吉本人が明示した講和条件の一カ条であって、最悪の場合の選択肢ではない。
また、いくら元が尾張の百姓あがりでも、織田政権の武将として堺の商人や京の禅僧と交際していれば、
冊封体制のことくらい、耳学問で十分に承知している。
>>982 963 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/09/11(火) 18:54:18 0
冊封体制の性質をどこまで知ってたかによるな
もし臣従なくして貿易なしって所まで知ってても交渉次第では
臣従せずとも貿易ありって所まで譲歩を引き出せるなんて色気はあったかも知れん
しかし金と宋との関係を見てもわかる通り、
支那は戦争で負けない限りは対等の外交なんて絶対にしないからな
もしそうした支那の性質をはっきりとわかっていれば、
対等の立場同士で貿易しようだなんて履行不可能な条件は出さなかった
とは言うものの、朱子学クソくらえな戦国時代を生きた秀吉
(いや、戦国時代の気風の中で儒教を本格的に学ぶ機会のなかった人間全体)に、
支那のメンタリティを理解するのは到底無理な話だわな
964 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2007/09/11(火) 20:24:29 0
>>962 だから、それらの条項の中でも
明が最悪それだけは受諾するだろうという
小西行長の期待だろう。
もっとも秀吉がそのように思っていたかは別だが。
他のスレでもあったけど世界史板では980越えると空白埋めするのが慣習なの?
992 :
世界@名無史さん:2007/09/13(木) 22:38:32 0
まあ、秀吉は明の臣下だって自覚はあったけどな。
993 :
世界@名無史さん:2007/09/13(木) 22:41:29 0
勘合貿易(朝貢)復活は、明の皇女の降嫁、朝鮮南部の割譲、朝鮮からの人質や誓紙などとならんで、
秀吉本人が明示した講和条件の一カ条。
>>990 自分に不利なスレ進行になった奴がとっととスレ終了するために埋め立てるのは良くある事
998 :
世界@名無史さん:2007/09/13(木) 23:04:30 0
勝手に論破認定してるけど、秀吉本人が勘合貿易復活を早期に言い出してるのは間違いない事実。
マトモな歴史の本には、秀吉が名護屋城で出した対明講和条件の要旨が書いてある。
そこには、半島南部の割譲、明の皇女の降嫁とならんで、はっきりと「勘合貿易の復活」がある。
勘合貿易が朝貢形式であることは当時の常識であり、この復活を要求している以上、
秀吉も日本が国際的には「明の臣下」であることを承知していたと考えるのが妥当だろう。
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