在りそうでなかった軍事面から見るカメラと機材のスレ。 写真板の方はどうもカメラ中心でなじめない人や、 兵器としてのカメラ、カメラから軍事の連想、 そして戦場カメラマンについて語りましょう!!
2 :
名無し三等兵 :2005/06/28(火) 06:33:34 ID:???
2get
4 :
名無し三等兵 :2005/06/28(火) 10:36:05 ID:???
只のカメラオタの独り言スレなら消えるべし。
5 :
名無し三等兵 :2005/06/28(火) 21:27:35 ID:???
戦前ライカでDV、Va、Vb等に比べてVc(段つき)は 造りが荒いような気がしますけど気のせい? 今まで店頭で4台ほどVc(段つき)を手にとってみましたが なぜかどれもフィルムの入っていない状態で巻き上げノブがガタつく 症状がありました。(戦後型はよく分からないですが) 結局、Vaを購入。 時々、「第二次大戦中はどうしてたんだろう?」と思いをはせたりします。
ノブで巻き上げの距離計カメラかあ。子供の頃親のカメラを借りて使っていましたが それがそうでした。たぶん3型です。ただしコニカ。
7 :
前スレ86 :2005/06/29(水) 08:32:37 ID:???
>>5 あんなに精密なカメラを、相当にWW2の戦況が悪化するまで作っていただけでも、
大したもんだというか、よくやった、と考えています。
軍事目的もあり、また、コンタックスよりは量産向けの構造ではあるにせよ。
例えばルガーP08自動拳銃、
精密なのはいいのですがてんで量産に向いていない拳銃を、
後継のワルサーP38が制式化されたあともWW2終戦直前まで作る、
よく言えば職人気質、悪く言えば融通の利かないドイツ人のすることですから・・・。
8 :
前スレ86 :2005/06/29(水) 08:48:18 ID:???
>>6 手元のライカVfで巻き上げノブをいじってみますと、
ぐりぐり・・・面倒臭い!と、不遜にも思ってしまいます。
巻き戻しならのちのライカM3、M2のように後付けクランクがある機種もありますが、
巻き上げだけはどうにもなりません。
・・・モードラ・デジカメ世代は「巻き上げレバー」すらピンとこないんでしょうね。
ロバート・キャパの代表作「倒れゆく瞬間の民兵」が撮影された、
その寸前の写真を見てみますと、
射撃→突撃前進→敵弾に倒れる民兵、のタイミングが、
ノブで巻き上げる→ファインダーに目をやり、ピントを合わせ・・・の所要時間と、
一致しているように思えるのは、私の考え過ぎでしょうか。
そのときキャパの使っていたカメラは、のちにキャパのトレードマーク?になるコンタックスではなく、
ライカVだったそうです。
撮りっきりカメラはいまもノブでぐりぐり、ですよね。
10 :
名無し三等兵 :2005/06/29(水) 20:00:43 ID:???
>>8 邪道かもしれませんが
バルナックやM3、2など巻き戻しがクランクでない機種の場合
クランクを持ってる手は固定して軸にし、ボディーの方をを回すように
巻き戻すと楽に巻き戻せる気がします。(落下に注意)
>>9 初めて手に取った時、私はオリンパスペンEE2を思い出しました。
未だにレンズつきフィルムは自分で買った事が無いです・・・
一眼レフでノブでぐりぐり、ってあったんでしょうか。
12 :
名無し三等兵 :2005/06/29(水) 20:43:58 ID:???
>>11 フジカST-Fがオリンパスペンみたいな方式だったような・・・
バルナックみたいなノブならEXAとかアサヒフレックスとかZENITとか
いっぱいありますね。
13 :
前スレ86 :2005/06/29(水) 21:07:52 ID:???
>>10 オリンパス・ペンの巻き上げギヤは、開発者、米谷氏の著書によりますと、
最初はコストダウンのための設計でしたが、
結果としてコンパクトで機能的にすることに成功した部分だそうです。
あちこちで聞いた話を総合しますと、その逆が、
例を挙げればライカM3の1ストローク機からM7に至るまでのライカMシリーズと、
ニコンF2、F3などに使われている「プラネタリーギヤ」を使った巻き上げメカだそうで、
分割巻き上げがスムーズにでき、巻き上げトルクや感触もよくなる一方、
高精度な工作が必要になり、必然的にコストが高くなるんだそうです。
「必要最低限の機能を満たす範囲で、できるだけ簡単なメカを選択する」
旧ソ連〜ロシア製の武器を連想させるプラクティスか、
「要求性能を満たすためならぜいたくな機能も搭載する」
アメリカ製をはじめとする西側武器を連想するプラクティスか、
どちらを選ぶかは使用目的と設計者のセンスで、個人的に面白く思っています。
ニコンはFG-20のようなエントリー機種に分割巻き上げ機構を搭載することも ありましたが例外だったようで上級機種は分割巻き上げ機構搭載、 エントリー機種から中級機種は一括巻き上げ機構搭載が基本だったようです。 FM3Aも一括巻き上げですね。自分のFG-20とFとが分割巻き上げなので 分割巻き上げ機構がニコンでは普通かと思っていましたが 大きな勘違いでした。
15 :
前スレ86 :2005/06/30(木) 18:42:25 ID:???
>>14 使い方なのでしょうか、普段、あまり小刻み巻き上げをやらないので、
小刻み巻き上げ可能なメカの”恩恵”に浴したことはありませんが、
銃器でいう次弾装填のメカ、設計思想が問われるところなのでしょう。
「次弾装填のメカ」で、余談なのですが、
アメリカで実射したAR15とFN・FAL自動小銃の遊底が、
チャージング・ハンドルを引くと弾倉後端からかなり後ろまで下がるのに対して、
陸上自衛隊駐屯地祭で遊底を引かせてもらった64式小銃、
弾倉後端からわずか後ろまでしか下がらないのに、首を傾げたことがあります。
AR15やFN・FALなら、少々、弾薬の品質のバラつきや作動部の汚れがあって、
後退量が不足しても給弾できる一方で、
64式小銃の場合、よほど弾薬の品質が一定しており、銃もクリーンな状態でないと、
後退量不足で装弾不良を起こす”かもしれない”と、素人考えを起こしたものです。
89式小銃では、AR15並みに後退量の余裕があるようですが・・・。
銀塩35mmカメラの場合、まさか、巻き上げに支障があるほど、
「弾薬」こと、フィルムに出来不出来があるとは考えにくいのですが、
中国で買ったフェニックスの1眼レフ、DC888kでは、
ものの見事にコマ間がバラついていたことがあり、
「次弾装填メカがいい加減な1眼レフカメラ」も、なくはないようで・・・。
コマ送り不良ではないですが36枚撮りを装填しているのに30枚でいきなり自動巻き戻しを 始めた私のキヤノンキッスライト。30コマ目からあとが透明でした。 期限切れフィルムを装填したことに怒ったのか。
17 :
前スレ86 :2005/06/30(木) 19:21:03 ID:???
>>16 何かの事情でフィルムの巻き上げトルクが変わり、
終端自動検出が働いたのではないかと・・・。
ライカM4の「クイックローディング」の場合、
一見、うまく装填できていても5〜8コマぐらいで突然、フィルム端が弾かれたり、
斜めにフィルムが巻き上げられたためにガリガリ!やってもーた!があったりで、
使い方が悪いのだとは思いますが、10コマぐらい巻き上がるまで油断も隙もありません。
裏ブタのロックキーがひとつで、片方がボディの端に引っかけてある作りのため、
やってみると立ったままでのフィルム交換ができないことはありませんが、
何かのことで裏ブタを落とすと・・・ベトナム戦争当時の報道カメラマンは、
どうやって素早くフィルム交換をやっていたのでしょうか。
私の練習不足だとは思うのですが・・・。
まして、コンタックスのように裏ブタのロックキーがふたつあると、
ロバート・キャパ氏、ノルマンディではどうやって?と、ますます考え込んでしまいます。
18 :
前スレ86 :2005/06/30(木) 20:32:09 ID:???
「ファインダーのこちら側・報道カメラマンが見た昭和史」石井幸之助・著、は、 このスレッドに書き込みするソース本の魅力満点なのですが(笑 その中から紹介させて頂きます。 絵画「山下・パーシバル中将会見の図」を描いたのは宮本三郎画伯ですが、 宮本画伯はくだんの絵を描いたがため、戦犯扱いされたそうです。 しかし、宮本画伯の絵は石井カメラマンの撮影した写真をもとに描かれたもので、 「写真を撮ったぼくはなんでもなくて・・・」と、石井カメラマン、複雑な表情になったとか。 山下・パーシバル中将の会見が始まると、新聞社の特派員カメラマンは会場から退去を命じられ、 従軍報道班に徴用扱いだったカメラマンだけが会議の進行中も撮影を許されたそうです。 カメラはテッサーF2・8つきバルダックスのセミ・ブローニー判、 フィルムは(現在の)ISO50程度の24枚撮りを2本しか持っておらず、 さらには暗い室内を、外から金網越しに三脚なしで撮るという悪条件、 撮影データでいうとF2・8開放の2分の1。 相当に苦労しながらシャッター・チャンスを狙ったそうです。 山下中将を正面から捉えるアングルで、相対する英軍司令官の横顔を撮るのに苦労したそうですが、 これは宮本画伯の絵でも横顔に描かれており、 宮本画伯、もとの写真でも横顔を捉えていることをお忘れか「横顔に描いて見せた」と言っておられたとか。
19 :
キャパ :2005/06/30(木) 22:19:20 ID:22Pnnc3A
前スレの1です。新しいスレが立って良かったです。最初は100まで行くか と思いましたが今では二つ目です。いやはやめでたい事です。
20 :
名無し三等兵 :2005/06/30(木) 23:46:38 ID:???
家の中を整理していたらコニカのISO3200のカラーフィルムが出てきました。有効期限は1989年までなので さすがに腐っているだろうなあ。
最近フィルムはASA800程度を使うのが普通のようですがこれは ズーム搭載カメラばかりになってレンズが暗めのものが増えたためのようです。 明るいズームは重くて高い。ズームが普通のデジタルカメラで撮像素子が 高感度であるのはまだまだ普通のことではなくて高感度化で差別化という 段階ですね。 親戚の結婚式のスナップは単焦点レンズ+ISO1600でノンフラッシュ撮影で なんとかなりました。
ズームは素人からすると万能型ですが 暗い場所では使いにくくなってしまう欠点が出ますね。 単能型の単焦点レズの方が実は使えるシーンが多いのかな。 使いこなしは難しくなってしまうのでしょうが。 単能で狙ったところなら高性能がよいとされる 兵器と通じるところがあるかな。
24 :
前スレ86 :2005/07/01(金) 21:18:58 ID:sKpzIdhQ
>>21 残念ですが、まず、使えないと思います。
先日出かけた中国東北部では、よく確かめて買わないと、
デパートでさえ、有効期限ぎりぎりのフィルムが置いてありました。
観光地の売店なんかだと、日本でも近いものがありますが目も当てられないようなことにも・・・。
中国へお出かけの際は、フィルムは日本からお持ちになることを強くお勧め致します。
25 :
前スレ86 :2005/07/01(金) 21:29:11 ID:???
>>22 米軍欧州戦線爆撃隊の記録フィルムには、WW2の時代にしては見事というべき、
美しいカラーのものが残されていますが、
当時のASA感度でヒトケタ台から開発がスタートしたポジフィルム、
航空作戦の記録に用いられたのは晴天の空なら光量に事欠かないからでしょうか。
かねてから銀塩のコンパクトカメラにやたらと高倍率なズームを搭載、
結果、暗いレンズばかりになるのには、首を傾げていたところです。
その分をフィルム感度で補うという考え方でしょうけれど、
ファミリー・ユースでお使いになり、うっかりフィルムを切らしてコンビニに駆け込んでも、
おいそれと手に入るのはISO400級のフィルムばかり。
デジタルとても、無限に感度を上げられるわけではありませんし・・・。
結婚式場のスナップ撮影のプロカメラマンのニコンF5についていたレンズが 大きくて重そうでどんなにすごい倍率のレンズなんだろうと思ったら 28-70ミリで拍子抜けしました。24ミリ-105ミリくらいかと思ったのです。 ただし明るさはF2.8。カタログ見たら重さが1キロでレンズだけで 自分が使用中のFG-20+20ミリのおおよそ倍の重さ。 それを重いF5でぶんまわすなんてわたしにはできませーん。
27 :
前スレ86 :2005/07/01(金) 21:48:24 ID:???
>>23 不肖・宮嶋氏もサブにご愛用、また、エベレストの頂上にまでサブに持参されたことがある、
ミノルタTC−1、コンパクトで描写性能のすこぶるよい単焦点カメラには、
喝采を贈りたいところです。
兵器の場合でも、最近の小火器のように、
ダットサイトやフラッシュ・ライト、果ては自動小銃のアッド・オン・グレネードランチャーのように、
必要に応じて多機能を持たせるケースもあり、
「やたらとあればいいというものではないが、用途によってあった方がよい機能もある」、
例えばライカMマウント・レンジファインダーカメラでも「ヘキサーRF」のように、
ライカにないAEと自動巻き上げが捨て難い、という方は少なくないようです。
(ライカM7にはAEがありますが・・・)
私はサバイバル・ゲーマーでもありますが、
エイムポイントM2、最近はイラク報道でおなじみの米軍採用ダットサイトを、
のぞかせてもらったことがあり、
ベッサR3AやライカM3のような、クリアーな等倍の視界に感心したものです。
私は高くて買えないエイムポイントですが、
サバイバルゲームに使っていてBB弾が命中、ムリョ7万円がパーになり、
寝込んだ方もおられたようで・・・合掌。
28 :
前スレ86 :2005/07/01(金) 21:57:26 ID:???
>>26 私が友人の結婚式に出席したときのカメラマン氏も、
ニコンF4にショート・ズームでした。
感心したのは大型のウエストバッグ、サバイバルゲーマーの言う「ダンプ・ポーチ」、
交換レンズやスペアフィルムを”とりあえず”入れておくバッグを活用し、
即応性に優れた装備品?をつけておられたことでした。
ただ、静粛なチャペルの中でも、モータードライブの音が響いていたのは感心しませんでしたね。
私はキヤノンF−1、newF−1を持参しましたが、
音のするモータードライブはつけませんでした。
F5はシャッター音や巻き上げ音はあまり目立ってませんでした。 そのカメラマンも大きなウエストポーチにレンズやらを入れていました。 結婚式スナップカメラマン(に限らずかもしれないが)の定番なのかもしれませんね。
30 :
前スレ86 :2005/07/01(金) 23:35:44 ID:???
>>29 実は7月中旬、某港での「海上自衛隊イージス護衛艦体験航海」の乗艦券抽選に当選し、
わくわくしつつ、当日の撮影装備を考えているところなのです。
イージス護衛艦に乗るのは初めてですが、過去、海上自衛隊艦艇に乗艦したことはあります。
狭い艦内通路では他の方のご迷惑になることもあって、
かさばるショルダーバッグは使えません、ザック型のカメラバッグでないといけません。
しかし、ザック型では素早く機材を取り出すには難があります。
今までは登山用の合繊ベストを着用、いっぱいついたポケットにフィルムや交換レンズを押し込み、
(いわゆる”カメラマンベスト”ニコンやドンケの綿製のものはどうもゴツくって・・・)
わさわさと歩き回っていたのですが、
あの「大型のウエストポーチ」を取り入れてみたらどうだろう、と考えています。
装備はF3+MD−4を望遠系に、スナップは35mmつきのライカM4、
ライカ用にはパナの小型クリップオンストロボも用意しています。
フィルムは「フジカラー・プロ400」をプロパックで買おうと思っています。
映画「亡国のイージス」、アレの原作をお読みになった元・海上自衛隊某護衛艦乗りの方に言わせますと、
原作にあるような、自動で閉鎖される水密扉は乗っておられた護衛艦にはなく、
そもそも、あんなにカッコいい先任海曹っているのかなあ!?ということでしたが・・・。
かっこいいかはどうかはべつにして 10ノットから20ノットへの加速を操縦室の計器で眺めていて 速いなーという自分のつぶやきに対していすから振り向いて はやいでっしゃろねんぼでもでまっせー と答えてくれる艦長のかたはいました。
35 :
前スレ86 :2005/07/02(土) 17:26:42 ID:???
>>32 広角ならではの大胆なアングルですね、傑作、楽しく拝見させて頂きました。
私、どうしても「武器や各部のディテール」にこだわって撮ってしまうフシがあるもので、
ご紹介の作品を参考に、もっとアングルや切り取り方を考えます。
ありがとうございました。
36 :
前スレ86 :2005/07/02(土) 17:32:10 ID:???
>>33 体験航海では艦橋に上がり、出港指揮を見学するのがひとつのハイライトですね。
見学者が寿司詰めになるため、写真にはなりにくいですが・・・。
某所での体験航海で、加速もさることながら右に左に舵を切り、
運動性の高さのデモ!?をやって頂けた艦もありました。
37 :
前スレ86 :2005/07/02(土) 17:33:22 ID:???
浦戸湾、だ。高知料理の司、まだやっているかな。
この体験航海は地方連絡部主催(防衛庁)なので海上自衛隊のイベントページには載らないのですね。
40 :
前スレ86 :2005/07/03(日) 15:30:24 ID:???
>>39 高知料理の美味しいお店があるのでしょうか?
ぜひ、行ってみたいものです。
高知新港からの体験航海は、以前「はたかぜ」に乗ったことがあるのですが、
天侯にも恵まれ、雄大な太平洋をゆく、素晴らしいものでした。
・・・ただ、外航貨物船の埠頭のため立ち入り制限地区で、
写真のアングルには全く恵まれませんが・・・。
41 :
前スレ86 :2005/07/03(日) 15:34:15 ID:???
>>39 高知地方連絡部のHPに掲載されておりました。
各地の自衛隊広報行事については、陸海空3自衛隊の公式HPに載らないものもあり、
地方連絡部HPや各部隊HPなどでの情報収集が欠かせません。
ちょっと時季はずれですが、皿鉢料理なぞいかが。 鯨のたたきもいける。 鰹は外せない。
43 :
前スレ86 :2005/07/04(月) 21:19:33 ID:???
>>42 撮影の折にその土地の名産を食べるのも素敵ですね。
たしかに、高知ですと「鰹のたたき」は外せないようです。
私が撮影に出かけた先のごはんで一番美味しかったのは、
美保基地航空祭の前夜に食べたカニでした。
あと、美味しいというものではないのですが、
岩国基地の「1000円ステーキランチ」はアメさんサイズで食いでがありました。
・・・スレ違いの話題、失礼致しました。
缶飯、けっこううまいとおもう。
45 :
前スレ86 :2005/07/05(火) 20:30:58 ID:???
>>44 缶メシ、こと「戦闘糧食1型」もさることながら、
「戦闘糧食2型」レトルト・パックのやつも結構イケますね。
ヤフオクでは結構なお値段のついている!?「戦闘糧食1型」ですが、
陸上自衛隊某駐屯地祭では「お一人様1食分に限りご自由にお持ち下さい」なるサービスがあり、
持ち帰って試食させて頂きました。
不肖・宮嶋氏のデビュー作「嗚呼、堂々の自衛隊」では、
カンボジアPKOを取材した宮嶋氏、陸上自衛隊タケオ宿営地の前で野営を試み、
自衛隊員から差し入れのあった戦闘糧食1型に感激したくだりがありましたが・・・。
ジツハシンセキニリクジカンブ(今は定年退職)ガイテキゲンギレショブンノカンメシヲオサガリデモラッタノデス。 カクシュイタダキマシタ。
評判のたくあん缶は未経験。
49 :
前スレ86 :2005/07/07(木) 20:25:25 ID:???
>>46 予備自衛官の方から、訓練召集のお土産に頂いたこともありますが・・・。
今を去ること20年以上前には、米軍のMCI、
ベトナム戦争映画によく出てくる「缶詰レーション」の払い下げがまだ、サープラスで売られていました。
味はお世辞にもいいとは言えませんでしたが、
(その上、現在の米軍レーションもそうですが食品添加物が大量に加えてあり、
あまり身体にいいとは言えないとか)
「ロールケーキの缶詰」に、ちょっとびっくりした思い出があります。
ベトナム戦争に従軍したジャーナリストも、食料はMCIを食べていたのでしょうか。
うちの非常食セットにはソフトパン缶詰が入っています。 缶の中身はただのパンです。乾パンではなく。
51 :
前スレ86 :2005/07/07(木) 20:48:54 ID:???
戦場写真集を入手しました。 「The Battlefield 戦場 二人のピュリツァー賞カメラマン 澤田教一 酒井淑夫」共同通信社 言うまでもないお二人の写真集で、 澤田教一氏の「安全への逃避」酒井淑夫氏の「より良きころの夢」、 代表作も収録されています。 さて「軍事ヲタの視点でカメラと機材を」語ってみますと、 酒井淑夫氏の「より良きころの夢」は別の文献によれば、 ニコンFにニッコール105mmで撮影されたものだそうですが、 裏表紙にある酒井氏のポートレートには、ブラック・ボディのライカM3、 恐らくはズミクロン35mmに、外付けファインダーと組み合わせたものが写っています。 澤田氏のポートレートには3台のカメラが写っており、 澤田氏が首からかけている、上から順番にブラック・ボディのライカM2、 クロームのライカM3+ライカメーターMR、 レンズは判然としませんがブラック・ボディのニコンF、です。 ニコンと比べると黒塗りがよくなく、すぐにハゲチョロケになるのがライカのブラックで、 中古屋さんで見かけるM3、M2、M4のブラックは、 とりわけ巻き上げ側の軍艦部角がハゲているものが多いのです。 目の玉が飛び出るほど高い、オリジナルのブラックは私には買えませんが、 クロームのM4を使った感じでは、 きっちりとライカをホールドすると、必ずここがスレます。 お二人のブラック・ライカは、見てそれとわかるぐらいに真鍮の地肌がむき出しになっており、 過酷に使われていることを物語っています。
52 :
前スレ86 :2005/07/07(木) 20:53:19 ID:???
>>50 陸上自衛隊某駐屯地のPXで売られていたのが「パンの缶詰」でした。
プレーンなパンの他、小豆入りのバージョンもあり、
試食してみたところ、甘くて結構なお味でした。
自衛隊の「大型乾パン」ありゃ固くって・・・。
八幡製作所特産堅パン、うまいんだが固い。 たぶんその大型乾パンなんかめじゃないくらい固い。 ただしその分重さあたりのカロリーは高い。 1枚でおなかいっぱいで1食分の感じ。もともと製鉄所従業員の 行動食として出来たものだそうです。
54 :
前スレ86 :2005/07/07(木) 23:06:47 ID:???
>>53 陸上自衛隊某駐屯地の近くに「乾パン」が売り物のパン屋さんがあります。
戦前、その駐屯地が帝国陸軍歩兵師団の駐屯地だった頃、
師団に乾パンを納入していたのですが、
戦後、若干味付けを変え、やや柔らかくして食べやすくした上で、
広く一般に売り出すようになったそうです。
老舗の味です。
登山の好きな方のいう「シャリバテ」は、撮影に出かける上でも重要です。
ちゃんと食べるものを食べて、飲料も用意しておかないとへたばってしまいます。
今、カメラザックの買い替えを考えているのですが、
「500ml入りのペットボトルをどこかに差し込んでおける」ものから選んでいます。
海上自衛隊の展示訓練で、自衛艦に乗艦するときのように、
「途中で食料の調達ができない」ときは、かねて用意のコンビニのおにぎり・・・。
登山します。なんとなくブローニーフィルムのカメラを抱えた人が多いような気がする。 尾瀬で見かけた人は3台外に持っていてブローニー一眼とデジタル一眼2台だった。 ところで70ミリロールフィルムを使う一般用撮影用カメラってあるんでしょうかね。 記念撮影用の大判カメラはシートフィルムでロールフィルムじゃないようだし。
56 :
前スレ86 :2005/07/09(土) 19:06:23 ID:???
>>55 航空写真機以外にはないんではないかと・・・。
57 :
キャパ :2005/07/10(日) 23:11:55 ID:k+YEVQ7+
A-1のモードラ¥16000購入しました。とても使いやすくてすごく便利。カメラの価値観 が変わりました。これからの必需品ですね。
>>55 俺も登山やってる
目下の機材はジャスピンコニカとロシア製のホリゾントパノラマカメラ
本当は1眼持ってきたいんだが、重量や雨の関係から持っていきにくい…
特に雨にやられた時が怖い
ジャスピンは機械の異常こそ起こさなかったが、派手に結露して撮影しにくいの何の…
ブローニーはスプリングカメラと二眼が何台かあるが、こいつらを登山に供するのもなあ
59 :
名無し三等兵 :2005/07/11(月) 00:52:09 ID:NZhgtpUU
日本機では実戦にガンカメラを利用した例もほとんどないようですが、 記録映画みたいなのはあったのでしょうか? グラマンが火を噴くようなムービーシーンを観てみたいです。
さすがにニコノスを抱えて登山をしている人は見たことがない。 コンパクトデジタルカメラで生活防水をうたったものが 何種類か出ていますね。あと35ミリだと現場監督シリーズ。
61 :
前スレ86 :2005/07/11(月) 13:40:17 ID:???
>>57 思えば、同じキヤノンでもF−1用のモータードライブMFは、
それでも初期のモータードライブユニットより改良されてはいるのですが、
重く、ゴツいものでした。
回転も秒3・5コマと遅く、電池も単3を10本。
裏ブタを外してモータードライブMFをつけたF−1は、機関銃のような趣きがありました。
・・・余談ですが、これで裏ブタをなくしたひとが相当にいたらしく、
キヤノンで部品が欠品になったあとも、社外品の裏ブタさえ発売されています。
当時、はるかに小型軽量で秒5コマと回転も速い、Aシリーズ用のモータードライブMA、
F−1のモードラもあれぐらい軽量化してくれればいいのに・・・と、思っていたものです。
とりわけ、高校野球の撮影でプロカメラマンの「お師匠さま」の機材を担ぐ、
当時高校生の「弟子」としましては、
いくら若いってったって重いモンは重いんだから、と・・・。
newF−1とF−1はいまだにモードラなしで使っていますが、
F3にはMD−4を合体させ、重宝しています。
62 :
前スレ86 :2005/07/11(月) 13:54:45 ID:???
>>59 日中戦争初期の報道フィルムに、爆撃機に同乗して撮影したものがあったと記憶しています。
また、確認はしていないのですが、ラバウル航空隊で撮影されたフィルムが現存し、
米軍の攻撃に立ち向かう零戦など、貴重なシーンもあると聞いています。
私もぜひ一度、見てみたいものです。
63 :
前スレ86 :2005/07/11(月) 14:19:32 ID:???
>>60 陸上自衛隊某部隊の、お年を召した陸曹どのにお話を伺ったことがあります。
趣味は写真と登山で、写真は大きなコンテストで入賞するほどの腕前、
登山はお仕事上の知識と経験も生かし、地元の主な山は全部、踏破されたそうです。
「山では何があるかわからない」とのお考えから、装備をわずかでも軽量化し、
その分を食料や衣料といった必携品に回すため、
カメラは山に持っていかなかったそうです・・・が、
ある時ある山で見たものは、
十数年に一度しか咲かない笹の花が、あたり一面に咲き乱れる美しい光景。
我を忘れて見入ると同時に、何でカメラを持って来なかったか、一生の不覚!と自責の念。
それからは必ず、山にカメラを持って行くようにしたそうです。
・・・山のお話がとても面白く、ついつい聞き入ってしまうあまり、
カメラは何をお使いか、聞き損ねてしまいました。
「同じ山でも登るそのたびに表情が違いますね、一度として同じときはありません」。
「・・・私は、定年退官したら鉄砲だの戦車だのとはすっぱり縁を切って、
好きな登山と写真を思う存分やって、暮らしたいですね・・・」
陸曹どのの第2の人生に幸と実り多かれ、と思いました。
64 :
前スレ86 :2005/07/11(月) 18:41:39 ID:???
レス
>>61 に間違いがありました、謹んで訂正させて頂きます。
×裏ブタ
○底ブタ
65 :
前スレ86 :2005/07/11(月) 22:36:57 ID:???
「モードラ」の話で一席。 1941年の時点ですでに、秒間4コマの撮影が可能な「ライカモーター」を、 250枚取りのフィルムバックとライカVcを組み合わせた「ライカ250」に、 固定して装着したモデルが存在しています。 のちのニコンF2やF3、あるいはキヤノンF−1やnewF−1にバリエーションとしてあった、 「高速モータードライブ機」のように、 一般撮影用としてよりは特殊撮影目的に開発されたものと思います、 WW2の最中に開発されたことから考えても、軍事目的と結びつけて考えるのが自然でしょう。 巨大なボディは持ち歩くにはてんで向いていません、 日本にも陸軍登戸研究所で使われていた「ライカ250」(モータードライブなし)が現存するのと同じく、 何らかの実験・研究目的に使われていたものと、個人的に思っています。 現存するうちの1台、ブラック・ボディの、シリアル10067は、 2004年にオーストリアのライカ専門店の手でオークションにかけられ、 日本円にして2400万円で落札されています・・・。
ワインダーとモータードライブの違いってなんなんでしょうね。
67 :
名無し三等兵 :2005/07/12(火) 07:54:34 ID:UsY7mfmB
>>66 ネダンと連写や速度機能で分けてあるというか、
販売戦略の都合でネーミングを変えてあるような。
99式極小型航空写真機やロボットは、一応ワインダーかな。
>>59 陸軍の黒江少佐がガンカメラで撮影したフィルムがある
ハリケーンとの空中戦のフィルムで、ハリケーンに1連射が命中
火を噴いて地面に激突するまでが写ってる
ニュース映画で公開されたらしいから現存するかも知れん
あと、岩本徹三中尉もガンカメラ搭載のお願いをされたらしいが
零戦では貴重な20ミリ機銃の片方を外して搭載しなきゃならず
「そんな危ないマネができるか」と断られたらしい
69 :
名無し三等兵 :2005/07/12(火) 19:56:13 ID:???
>>66-67 ニコソとペンタははっきりと基準があったりする。
ニコソ:連射出来るのがモードラ、1駒撮り専用なのがワインダー
ペンタ:電源パックが本体から分離できるのがモードラ、一体型なのがワインダー
70 :
名無し三等兵 :2005/07/12(火) 20:00:41 ID:YN8uqAuh
キャノンのデジカメ
71 :
前スレ86 :2005/07/12(火) 22:04:24 ID:???
>>67 「九九式極小航空写真機」を、手元の資料で探してみました。
ありました、ありました、古い「カメラスタイル」に収録されておりました。
70mmのカートリッジ入りフィルム使用、レンズシャッター機ですね。
「カメラスタイル」には、東京光学製と小西六写真工業製の、2台の写真が収録されています。
・・・さて、この写真からは、どのように巻き上げるのか私にはわかりません、赤面。
ご教示頂ければ、幸いに存じます・・・。
同じ本には西独軍「第16兵器試験場」で使われていたという、
ロボット・ロイヤルVの写真も収められています。
ロボットは古い型、U型がゾルゲ事件の折に押収されています。
ゾルゲ事件発覚3年前の、昭和14年8月に新橋のカメラ店が出した「アサヒカメラ」の広告では、
コンタックスのゾナーF1・5つきが1700円、
同じくコンタックスのゾナーF2つきが1280円、
ライカVaズマールF2つきが1040円、
ロボットのテッサーF3・5つきが480円・・・だったそうですから、
コンタックスもライカも使ったゾルゲ、
今で言えばメインカメラとサブカメラのような使い方だったのでしょうか。
72 :
前スレ86 :2005/07/12(火) 22:22:41 ID:???
>>68 これは貴重なお話を、ありがとうございます。
当時のニュース映画からビデオやDVDに再録されたものも数多く出ていますから、
目にすることができるかも知れませんね。
ぜひ、見てみたいものです。
あくまで私の想像ですが、のちのジェット戦闘機のガンカメラのように、
小型化、かつ、ユニット化されていなかった大東亜戦争当時のムービーカメラ、
かつ「八九式活動写真銃」のように、後部銃座に機銃の代わりに据えるものならフィルムマガジン交換も容易ですが、
そうはいかない分、長尺のフィルムマガジンをつけて・・・となると、
零戦に搭載しようと思えば20mmを外さねばならないほど、大型になったのでしょうか。
73 :
前スレ86 :2005/07/12(火) 22:32:29 ID:???
>>69 キヤノン、オリンパスOMの場合は巻き上げ速度と電源のチョイス以外に、目立った差はないように思えますね。
言い方は語弊がありますが「モードラの廉価版がワインダー」というところでしょうか。
ニコンのワインダーというと、友人が使っていたニコマートELW用の「AW−1」、
かなり酷使していたためガタがきており、
えんやらとっと〜、という感じで巻き上げていたのを思い出します。
本体は相当にしっかりしており、今でも友人のもとで現役なのですが・・・。
結婚式のスナップで巻き上げ忘れててスカッ、を何回かやっちまったい。
75 :
名無し三等兵 :2005/07/12(火) 23:29:25 ID:UsY7mfmB
>>71 「九九式極小航空写真機」は所有していました。
私のは小西六でなく東京光学製。ボデーは鋳物製で結構重いです。
中央の大きなゼンマイをチャージしておくと、5〜6枚連写できます。
120フィルムで6×6判の10枚撮り。コマ間隔が広がるため。
75mmレンズは無限遠固定で、風景など、結構よく撮れました。
近距離用にはプロクサーレンズを付けます。
>>72 20ミリの代わりにどういうカメラを搭載しようとしたかは資料が…
しかし、やっぱり零戦の7.7ミリ機銃の代わりに据え付けられるようなシロモノじゃなかったことは確か
あの部分は小さい上に視界を阻害するからねぇ…
やっぱり戦闘機の射撃訓練用の写真銃(名称忘れた)でも使おうとしたのか
それとも普通のアイモとかのムービーカメラを据えて射撃と連動させようとしたのか…
八九式活動写真銃や陸海軍・自衛隊で使ってた航空写真機はたまに売りに出てるね 活動写真銃は以前骨董市で売りに出てて触らせてもらったが いかんせん価格が40万円…嗚呼欲しかったなぁ 自衛隊のだけど、小西六製の航空写真機は銀座のカメラ店で見かけた こっちは10万円だったから散々買おうかどうしようか悩んだ
78 :
名無し三等兵 :2005/07/13(水) 00:21:47 ID:yfemogrX
アメリカ軍用機のガンカメラを持っていました。 ベルハウエルの電動式で、機体に装着するのに便利な箱型形状です。 16mmフィルムは、コダックの規格品で金属製のマガジン入りで ワンタッチで装填可能。民生用にも広く使われたものです。 (スーパー8マガジンフィルムの先輩の感じ) マガジンには1936年のパテント記号が入っているので、 さすがにアメリカは進んでますね。
79 :
名無し三等兵 :2005/07/13(水) 01:55:40 ID:???
ミニコピーなんて今はほとんど使わないだろ
80 :
名無し三等兵 :2005/07/13(水) 12:11:11 ID:yfemogrX
>>79 誤爆??
ミニコピーって図面複写のハイコントラスト高解像フィルムだけど。
81 :
名無し三等兵 :2005/07/13(水) 15:07:39 ID:???
ミニコピーで風景写真撮ると面白そうだよね そういう意図で2〜3年前に買ったが、未だ撮影に供して無い・・・
83 :
前スレ86 :2005/07/13(水) 17:48:19 ID:???
>>74 ライカM4(と、M3〜M6まで同系のシャッターメカのライカ)では、
ストロボをつけてシャッターボタンを押すと、
巻き上げが終わっていない状態でも、押せば何発でもストロボが光ってしまいます。
シャッター軸下部のシンクロ接点が、巻き上げに関係なく接触するからですが、
中には故障と思って業者さんに相談される方もおられるそうで、
私自身最初は、これは壊した!と思ってびっくり。
いろいろあるモンです・・・。
84 :
前スレ86 :2005/07/13(水) 17:56:38 ID:???
>>75 おお、これはすごい、実際にお手持ちの方がおられたとは。
体験からのお話、ありがとうございます。
私は本の記事でしか知らないもので、
とりわけ、ゼンマイのチャージで5〜6枚が連写可能とは、初めて知りました。
(リコー・オートハーフを思い出してしまいます・・・)
九九式に似た形状の航空カメラを作っておられる方が大阪におられます。
「エアロタク」といって、少し前の「アサヒカメラ」付録、
全国カメラ修理店案内の小冊子に載っておりました。
85 :
前スレ86 :2005/07/13(水) 18:15:52 ID:???
>>77 私の知り合いも八九式活動写真銃を骨董市で見かけ、
珍品もさることながら、目の玉が飛び出るような価格に驚いておりました。
たしか、あまり旧軍兵器に詳しくない業者の方が出展しておられ、
「映画銃」とか何とか、珍妙な説明がついていたとか。
例えば「ドリュー」でしたか、拳銃の形をしたカメラで引き金を引くと撮影できる、
割合と知られている珍品カメラ、
銀座某店で見かけましたが、有名なせいかとんでもないお値段でした。
けれどこれ、昔はそんなに高くなかったと記憶しています。
人気が出たり珍品だと値段が高いのは当り前ですが、そんなお品に限って物欲をそそられ、
人気がなくて安いころは見向きもせず・・・クラシックカメラファンって・・・。
86 :
前スレ86 :2005/07/13(水) 18:27:56 ID:???
>>78 米軍機のガンカメラをお持ちとは、何ともうらやましいです。
「カメラスタイル」にも、航空自衛隊のF86セイバーに搭載されていた、
ガンカメラが紹介されていましたが、
機体の一部としてフィットするような、直方体に近いカメラでした。
また、ガンカメラで撮影された映像も数多く残されていますね。
・・・撃墜される日本軍機の映像などは、胸を締め付けられる思いがしますが・・・。
カメラ本体でこそドイツには勝てなかったアメリカですが、
兵器と同じく写真のシステム化、マスプロ化においては超のつく先進国だったと思います。
写真の大衆化を今に至るも社是とするコダック社は、
「誰でも簡単にどこでも」を追求していますが、
それは戦場で軍人が使うときも例外ではなかったのでしょう。
87 :
名無し三等兵 :2005/07/13(水) 19:27:09 ID:yfemogrX
「九九式極小航空写真機」は15年ぐらい昔に、 新宿のアルプス堂で18万円でした。今は多少安くなっているかも。 「八九式活動写真銃」も持ってました。機関銃そっくりですね。 大きなクランクでゼンマイをチャージして連写。 ストップウォッチを画面下に一緒に写しこめるようになっています。 8年ぐらい昔に、25万円ぐらいでした。
88 :
名無し三等兵 :2005/07/13(水) 19:43:02 ID:???
ミニコピーはISO低いから写す場所が限られる
89 :
前スレ86 :2005/07/13(水) 20:02:44 ID:???
>>87 八九式活動写真銃は、三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所、
小牧南工場の史料室でも、零戦やロケット機「秋水」と並んで展示されているようです。
また、これは聞いた話ですが、
あるクラシックカメラ好きの方がフルレストアに挑戦、
見事、完全に修復した上で、撮影に成功したとか。
・・・メーカーの小西六写真工業、現在のコニカミノルタにも、
さすがにマニュアルや図面が残っているとは思えませんし、
相当なチャレンジだったのではないか、と思います。
小西六写真工業が昭和46年に出した社史「写真とともに百年」には、
収納・運搬用の木箱に乗せられ、回りにアクセサリーを置いた状態での、
八九式活動写真銃の「公式写真?」が、不鮮明ですが収録されております。
90 :
前スレ86 :2005/07/13(水) 20:04:19 ID:???
ミニコピーは確かISO10前後ぐらいだったはず あと、八九式は日本カメラ博物館にも所蔵されてたかったっけ?
92 :
名無し三等兵 :2005/07/13(水) 20:11:40 ID:???
16じゃないの?
ミニコピーは天体写真だと月面の撮影によく使われていたような気がする。
94 :
前スレ86 :2005/07/13(水) 21:51:37 ID:???
95 :
前スレ86 :2005/07/13(水) 21:55:24 ID:???
>>93 月面の写真、クレーターと平地のコントラストが実にはっきりしたものは、
やはりミニコピーを使ってのものでしたか。
月の撮影ならば、低感度でも使えますしね。
96 :
前スレ86 :2005/07/13(水) 22:15:02 ID:???
「感度の話」で一席。 明治16年6月、隅田川で行われた日本海軍の短艇競技会にて、 呼び物のひとつに「水雷爆破の公開」がありました。 今でいえば「富士総合火力演習」のような実弾射撃の公開による、海軍のPRだったのでしょうか。 この時吹き上がった巨大な水柱を、浅草の写真師、江崎礼二カメラマンが、 見事に撮影に成功しています。 写真といえば湿板法で、露光に明るい日中でも数秒かかり、静物しか撮れなかった時代、 動くものを撮ったということで、江崎カメラマンは「早撮り礼二」の名声を博したとか。 江崎カメラマンの「秘術」は、特別ルートでアメリカから取り寄せた乾板を使ったことにありました。 明治20年代から40年代になって、乾板が一般的になったころの撮影データが残されており、 現存する写真と突き合わせると、感度はISO10〜12ぐらいと推定され、 江崎カメラマンが水柱を撮影したような条件下では、1/20ぐらいのシャッタースピードが切れたそうです。 意外に高感度で、これなら野外で動くものも何とか撮れたでしょう。 高感度の乾板の登場、さらにはレンズもF6〜8から、F4・5が登場するようになると、 レンズキャップがシャッター代わりでは追いつかなくなり、 メカニカルなシャッターが必要になる、新たな時代を迎えることになりました・・・。
小学校の頃の写真屋の集合写真など記念写真はまだ乾板で撮っていたような。 それともあれはシートだったのかなあ。
98 :
前スレ86 :2005/07/13(水) 23:53:15 ID:???
>>97 おそらく、というか、ほぼ間違いなく、4×5のシートフィルムだったのではないかと。
ユーミンではありませんが「あとで思い出のよすがとなる卒業写真」などは、
きっちり処理すれば当時のカラー写真よりよほど色褪せず長持ちした、
モノクロで撮影されたものでした。
1970年の大阪万博で、5000年後に開封されるという「タイムカプセル」が埋められ、
カプセルに封入されたカラー写真には「5000年後でも色褪せない」、
特別な処理が施されたというのですが、
われわれにはその最終的な結果を確かめる方法がありません・・・。
俺らの高校の卒業写真は、普通のアルバムの他にCD-ROMも貰った CDは扱いが丁寧でも数年経つと記録面が穴だらけになるらしいが… 自分でも安物のCD-Rの記録面を、CD交換時に誤ってペリペリ剥しちゃったこともあるし 使い込んだCDは一見綺麗でも透かすと穴だらけだし 今のままじゃ永年の保存には向かないと思うんだがなあ
' 「 ´ {ハi′ } l ルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネが100getだ | | | | | ! | | >>ロッセリーニ ネオ・リアリズムの元祖は俺だ | │ 〈 ! .>>パゾリーニ なに殺されてんだよ馬鹿(w | |/ノ二__‐──ァ ヽニニ二二二ヾ } ,'⌒ヽ .>>リリアーナ・カヴァーニ よっ、元気にしてたか /⌒!| =彳o。ト ̄ヽ '´ !o_シ`ヾ | i/ ヽ ! >>アントニオーニ わけのわからん映画ばかり作ってんじゃねーよ(w ! ハ!| ー─ ' i ! `' '' " ||ヽ l | >>ムッソリーニ よくも俺のデビュー作を上映禁止にしやがったな | | /ヽ! | |ヽ i ! . 吊るすぞデブ(プゲラ ヽ { | ! |ノ / >>フェリーニ 名前の最後にーニとつく奴は田舎もんだ(ハゲワラ ヽ | _ ,、 ! , >>ベルトルッチ 俺の真似ばかりしてんじゃねーよ(w \ ! '-゙ ‐ ゙ レ'′ `! / ヽ ゙  ̄  ̄ ` / | |\ ー ─‐ , ′ !
101 :
前スレ86 :2005/07/14(木) 14:36:35 ID:???
>>99 「デジタルデータは劣化がないので永久に保存が可能」と言われると、
ちょっとマユツバ扱いせざるを得ないですね。
「CDなり、ひと昔前ならフロッピーなりが駄目になりかけたらコピーを取ってくれ」では、
「それでは銀塩でもプリントの複写なりネガのデュープをすれば同じことではないか」と、
言いたくもなってしまいます。
昔のNHKの番組タイトルではありませんが「未来への遺産」を、
どうやって残すのか、考えるべきかも知れません。
デジタルカメラの写真は原則としてプリントしてアルバムに貼っている私。 磁気メディアはデジタルであっても経時変化で消失します。 ただ問題になるのは記録情報の劣化ではなくてメディアやフォーマットの方ですね。 古いフォーマットのコンピューターの磁気テープの中身を吸い出す商売があるくらいですから。
103 :
前スレ86 :2005/07/14(木) 20:30:17 ID:???
>>102 実におっしゃる通りですね。
「私の5インチフロッピーのデータをどうしてくれる!?」のように・・・。
しかし「それ見たことか、デジタルカメラは2年たてばただの箱、銀塩がいい」というのも、
いささか早計に過ぎる物言いでしょう。
あるクラシックカメラ専門の修理屋さんに出かけたところ、
「あのね、例えば70歳のジイさんが入院して病気が治ったところで、
20代の頃みたいにバリバリ働けますか?新品を買うのにこしたことはないんですよ」
あの〜、それではあなたのお仕事って何?と、二度と来ないつもりで店をあとにしましたが、
頭を冷やして考えれば、まるっきりの暴論とも言い切れません。
機械である以上、消耗していけば工場出荷時のコンディションには戻せないでしょう。
きっちりと処理されたモノクロプリントは100年でももつ、という人もいますし、
カラーでも「百年プリント」なる商品はありますが、
時代の趨勢として、デジタル移行からは目をそむけてばかりもいられません。
私もデジタル1眼を購入するべく、目下、情勢を観察しています。
(もっぱら軍資金の問題が大きいのですが・・・ため息・・・)
時代の流れに乗りつつ、対策や方針を考えるのが、常道なのかも知れませんね。
山岳スポーツ誌に60年以上前のガソリンコンロを オーバーホールする話が載ってました。 消耗部品は現行品と共通の所もあり清掃などもして あまり無理をせずにちゃんと動くようになったそうです。 ただ大きくて厚くて重い。小型軽量薄型の最近のものはたぶん そんなにもたない。登山靴もクラシックな重いやつを履いていますが 靴底は接着剤などは使っていないのでたぶん底さえ 張り替えれば10年20年は履けるでしょう。 でも小型軽量薄型の最近の靴もそんなにもたない。 カメラもしかりでしょうか。
家の中を整理していたら子供の頃の写真がでてきました。 30〜40年近く前の写真ですが白黒は色あせていません。 枚数はあまりありませんがカラー写真は色あせてますね。ちゃんと見えるけど。 セピア色の白黒写真のような味わいのカラー写真。 ポジフィルムの色もプリントと同じように劣化するのかなあ。
>>105 この道ン十年という鉄道写真趣味の人の写真集見たことあるけど
昭和3〜40年代に撮影したポジが色あせてしまっているって悩みが書いてあった
そのポジの写真も載ってたけど、確かに古いカラープリントみたいに退色が進んで…
まあ、NHKも最近、戦前の古いカラー映画の退色とかを完璧に修復して放映したり
写真雑誌とかにも、退色した古ポジをフォトショップで修復する方法が載ってたり
色々と救う手立てはあるのだろうけど
107 :
前スレ86 :2005/07/14(木) 21:17:44 ID:???
>>104 「カメラGET!」の記事の受け売りではありませんが、
古いカメラはオーバーホールを前提とした作りになっている一方で、
ある時期からは分解・清掃・注油ではなく、ユニット交換が前提になったカメラが増えています。
「ライカは長持ちする」という話は、別段スーパーカメラというわけではなく、
分解されたM3、M2、M4を何度か見せてもらった限りでは、
要所の精度はすごいにせよ、基本的に単純なメカで整備もしやすいからで、
また、あるカメラ屋さんに言わせますと、
ニコンがS3やSPを復刻する前にF2の復刻も考え、
コストを試算したら軽くサンケタマンエンの販売価格になることが判明して断念したぐらい、
F2は高品質で手の込んだメカなんだそうです。
(でも、F2の復刻計画なんてホントかなあ?)
「耐久消費財」であり「財産」だったカメラが「消耗品」になるのは、
誰でも写真を楽しめるようになる「大衆化」の過程で、致し方のなかったところなのでしょうか。
108 :
前スレ86 :2005/07/14(木) 21:27:43 ID:???
>>106 小さな頃は鉄ちゃん・・・じゃなかった、鉄道ファンのガキンチョだった私、
今も昔のアルバムにデゴイチだの、シゴナナだのの写真があります。
もともとがオリンパス・ペンEEのハーフ版で撮ったもののこともあって、
いささか鮮明さには欠けている上、
たしかに当時の蒸気機関車は、今、走っているものより汚れていたにせよ、
退色したプリントは「茶色い機関車」だらけになっています。
ロバート・キャパがカラーポジで残した写真の写真展、
「キャパ・イン・カラー」を見学したことがありますが、
あの鮮やかさはオリジナルをストレートに焼いたものではなく、デジタル処理の恩恵かとも・・・。
そういや、蒸気機関車も金属の固まりとはいえ老朽化で現存で動いているものは寿命がきつつあるようです。 大井川鉄道でちょっとまえに寿命で引退したのがあったと思いました。 保存状態のよいものを探し出してオーバーホールして動くものに加える努力はなされているようですが。 復刻S3やSPみたいに製造技術が失われないうちにもう一度作ったりしないかなあ。
兵器は人間と一体になって動く機械なので長持ちが前提になっているみたいですね。 引退は機械としての寿命よりも機能の寿命が理由のことが多いようです。 (ダッシュとか対潜飛行艇とか) 引退間近の輸送艦を見学したことがありますが まだまだいけますが機能が要求に追いつかないんですよ、と乗組員の方が 言っておられました。艦齢は25年くらいだったかな。
機械にとって過酷な環境とはいえ、酷いな。 かといってAMRCのドナーB−52みたいに、「仲間に食われたゴキブリ」のように 主翼と脚だけが残っているのも、これまた悲惨だが。
114 :
前スレ86 :2005/07/14(木) 22:49:33 ID:???
>>109 蒸気機関車は今、作ろうと思ってもおいそれと作れない、と、聞いたことがあります。
お金に糸目をつけないなら話は別かも知れませんが、
ボイラーの一部の部品に、今では製造ノウハウがないため難しい部品があるとか、
動輪を鋳造する巨大な鋳型をどうするか、等等で、
兵器でいうと「戦艦の艦砲のような超・大口径の砲がもう作れない」のと似ています。
ニコンがSPを復刻した時、現在ならレーザーを使った測定機で難なく精度が出せるところを、
レーザー測定機なんてない時代、どうやって精度を出したのか、
平成の技術者が首を傾げる製造工程があったそうです。
技術の進歩の一方で、時代に応じて変化したり、あるいは捨てざるを得ない技術もあるのでしょうか。
115 :
前スレ86 :2005/07/14(木) 23:07:54 ID:???
>>110 74式戦車乗りの方に、駐屯地祭にてお話を伺ったことがあります。
「この戦車、最初のころのやつは輸入品の砲身がついているんですね。
それは当たるんです、熱で砲身が伸びたときでも、素直に伸びるから射撃データの補正が少ない。
でも、途中から国産になると、当たらなくなっちゃったんですよ。
気温や撃ったときの熱で砲身が伸びるときに、妙な伸び方をするんですね。
上下左右にブレちゃうんで、クセを飲み込むのが大変なんです。
・・・戦車の砲は当たってナンボでしょ、選ばせてくれるんなら最初のころのナナヨンに乗りますよ」。
機能的にはまだまだいける、に加えて、進歩必ずしも改良ならず、となると、
老兵はただ消え去るのみ、とばかり言えないところがあると思います。
116 :
前スレ86 :2005/07/14(木) 23:19:41 ID:???
>>111 おおっ、何と。
実話でしたか、ありがとうございます。
復刻版のSP、ニコンの「体験フェア」でいじらせてもらったことはありますが、
高くて買えませんでした・・・。
ベトナム戦争報道にSPを持ち込んだカメラマンがいたと聞いています、
資料をあたってみます。
復刻版まがいのバリエーションモデルばかり、現在のライカなんて・・・というのは、
60年代のオリジナルどころか現行機種の「MP」も買えないヒガミ100%・・・。
117 :
前スレ86 :2005/07/14(木) 23:34:12 ID:???
>>112 実は、大井川鉄道の「かわね路」号に乗りに行ったことがあります。
newF−1とM4を持って、金谷から千頭までを往復してみました。
沿線のところどころには、三脚にカメラを据えたご同輩。
ニヤリとしつつも、手を振ったりしたら大伸ばししたときにサマにならないオジサンが写るなあ、と、
大人しくしてました。
大変な失礼を恐れずに言えば「こんな小さな鉄道会社で、蒸気機関車を走らせるのは大変だろうなあ」。
せめて私が乗った運賃と、買った本のお代がわずかなりと役に立てば、と。
かっての陸軍鉄道連隊の勇士、C56 44も見学してきました。
118 :
前スレ86 :2005/07/14(木) 23:43:26 ID:???
>>113 あるカメラ修理業者さんに言わせますと「心得」が、
部品を提供するジャンクカメラ、”ドナー”を何台持っているか、だそうです。
部品が払底したカメラだといわゆるニコイチをやらざるを得ず、
お客様を待たせないために「即応体勢」も必要なんだとか。
小は小火器から大は海軍艦艇まで”ドナー”を用意するのは例が多いようで。
>118 となると、私のライカがOHされる際、店のどこかで「お仲間」がハーフミラーを もぎ取られたのですかー・・・(業腹) 次に奪い取るのは・・・シャッター幕です(オリジナルパーツへの未練から騙し 騙し使っていたのですが、先日、行きつけの個人経営ラボのご主人から遂に ダメ出しを貰いました)。
>>119 某修理専門店?はシャッター幕やハーフミラーを独自に作ってたよん
もちろんリビルド品もあるどね
しかし、あそこの修理代はマジで高いな
ああ、名前が思い出せない十年ぐらい前のカメラ本に良く載ってたんだけどなぁ
121 :
前スレ86 :2005/07/15(金) 07:48:36 ID:???
>>120 「敢闘」カxラサービスのことでしょうか?
広告や雑誌の紹介記事を見る限り、ありゃ高いですね・・・。
行ったことがなく、まして修理に出したこともないお店なので、私にあれこれ言及はできませんが。
ニコンFのペンタの視野の隅に軽いしみ(めっきのうきあがり)が出ていたので 関東カメラサービスでメッキのやり直しをしようかと検討したことがありましたが 一個しかないファインダーでなんかあって使えなくなったら形見の品に申し訳ないと 思ってあきらめていたら今のよりは状態の良い単体のファインダーを 中古カメラ店で見つけて高かったのですが購入しました。
コンピューターキーボードおたくなのですが、 タッチのいい昔のキーボードの新品の予備を 押し入れの中に3つつんでるんですけど。 いいタッチのキーボードって現行品にはもうないんですよ。
124 :
名無し三等兵 :2005/07/15(金) 11:00:21 ID:TQIIRX4g
戦記で読んだ中国戦線の独身兵士のエピソード。 前線に居るのに俸給は毎月現金で必ず支給された。 預金も送金もできないので胴巻きに入れていたが、 どんどん溜まって身動きが不自由なほどになった。 ようやく上海に戻り休暇が与えられたので、疎開に出向いて写真機屋で ローライコードにフィルムと現像器具、印画紙等を買い込んだ。 カメラを買ったことより、胴巻きの金が半分になってほっとしたとのこと。
125 :
前スレ86 :2005/07/15(金) 13:50:44 ID:???
>>122 それは正解だと思います。
かけがえのない形見のお品であれば、安全で確実な方法の方がよろしかったかと。
ファインダー交換式カメラならではのメリットでしょう。
先日、出張で立ち寄った銀座「レxン社」に、
ニコンF2チタン・ノーネームのボディに、普通のフォトミックAファインダーの乗ったものが、
18万円で出ていました。
前の持ち主の方、露出計がついて便利だからとフォトミックAファインダーをつけているうちに、
チタンのアイレベル・ファインダーをなくしてしまったのでしょうか。
もし、完全なF2チタン・ノーネームであれば、18万円じゃききません・・・。
ペンタプリズムの再メッキは「日研テクノ」さんなどでもやってもらえるようです。
126 :
前スレ86 :2005/07/15(金) 14:07:49 ID:???
>>123 私のF−1後期、買って23年の「戦友」、
何台かのF−1をいじってみても、どこか巻き上げの感触やシャッターの音、切れが違うのです。
似て非なるというか、他のF−1はなじみのない感触です。
オーバーホールから戻って、感触が変わるかと思ったら、
カメラ屋さんで触らせてもらった、平均的なF−1の感触とは違い”こいつだけ”の感じなのです。
製造ロットや時期によって違いがあるのか、
何か他に理由があるのか、判然としません。
小島信夫「小銃」というタイトルの短編戦記文学は、
特定の製造番号の三八式歩兵銃が、主人公にとって他の銃とは違うものになることが主軸の物語ですが、
まさかカメラにまで、そんな、と思いつつ・・・。
127 :
前スレ86 :2005/07/15(金) 14:18:28 ID:???
>>124 食料と弾薬はろくになくても、煙草とコンドームがあったのが中国戦線の日本軍、と、
本で読んだことがあります。
まあ、それは誇張にしても、軍隊=政府機関であることを地でいくような話ですね。
上海の租界、香港、大連など当時の自由貿易港においては、
免税品を安く買うことができました。
日本から満州国にでかけ、大連で買い物をする際の「注意事項」が、
「満州鉄道まぼろし紀行」なる本に収録されています。
上海で300円で買ったライカを、日本で新聞記者に2倍の値段で売ったという、
航空機搭乗員の証言もあり、
「カメラを買うなら免税でお安く」の恩恵に与かった日本軍人は多かったようです。
租界でしょうか
日本の護衛艦は非常に丁寧に扱われているので退役時でも 船としては問題がありません。そこで武装を取り外して 東南アジア各国の沿岸警備用に供与するという話が あったけど進んでいるのかな。
130 :
前スレ86 :2005/07/15(金) 22:38:42 ID:???
>>128 当時、上海には「外国による治外法権地域」英米仏による「共同租界」がありました。
しかし、大東亜戦争が始まると日本軍が進駐、英米仏人は抑留されています。
現在、中国の経済発展のショーウィンドーとされる「外灘」わいたん、が、
旧共同租界地域なのですが、
「文化大革命の最中でもここのバーでだけはジャズが聞けたホテル」、
和平飯店のレストランからは、外灘が一望できます。
・・・そのジャズとやらは、お世辞にも上手な演奏とは言えませんが、
バーのドライ・マティーニはなかなかのもので、二日酔いになった私、
外灘の朝の眺望も、それだけが喉を通った朝食のおかゆを食べながらでした・・・。
コンパクトカメラしか持っていかなかったのを、ちょっと後悔しています。
131 :
前スレ86 :2005/07/15(金) 22:45:40 ID:???
>>129 そのお話は私も聞いたことがありますが、
予算ある限り護衛艦を作った時代が終わり、海上防衛予算が緊縮される中、
さて、どうなってゆくのでしょうか。
ある護衛艦に乗ったときのことですが、
さすがに艦橋に置いてある航海用の双眼鏡は新型のタスコになっていても、
舷門に置いてあった双眼鏡は「ニコン」どころか「日本光学」、
復刻S3やSPでもおなじみ、ひし形の社紋が入った年代ものでした。
単純に予算がないのか、物持ちがいいのか・・・。
製造技術や維持管理技術は一度失われるとなかなか取り戻せません。 アメリカは民生用原子力発電所の建設技術と維持管理技術をすでに 失っており新規建設は自国のメーカではまかなえません。 維持管理はフランスのメーカに外注です。
133 :
名無し三等兵 :2005/07/16(土) 16:17:19 ID:SXKghwA7
戦前、国内で販売していたコダクロームのカラー現像は、 どこでやっていたのだろうか? 国内に処理施設は存在したのだろうか?
134 :
前スレ86 :2005/07/16(土) 18:02:18 ID:???
>>132 「作らねば技術継承できないが、作る予算と必要性」、
アメリカでは通常動力型潜水艦の建造技術が絶え、
原潜ですらも建造隻数が冷戦時より激減しているために、問題になっていることです。
また、技術があってもいろいろな問題から、代替の技術に置き換えられるものもあります。
ライカM3のクロームメッキは、特有の質感があるものですが、
六価クロームを使ったメッキのため、現在、環境問題から全く同じに再現することはできません。
個人的には、すぐに傷だらけになるライカM4までのメッキは好きではなく、
そうそう傷つかないニコンやアサペンのメッキに拍手を贈りたいところですが・・・。
135 :
前スレ86 :2005/07/16(土) 18:08:39 ID:???
>>133 申し訳ありません、手元にこれという資料が見当たりません。
大正時代にはすでに、小西本店とイーストマン・コダック社の間で、
御大、ジョージ・イーストマン氏が来日した上での国内総代理店契約が結ばれており、
大東亜戦争によって解消状態に至るまで、提携関係が解消されてはいないことから、
何らかの方法で国内現像ができたのではないか?とも、推測しますが・・・。
宿題とさせて頂き、鋭意、探索しますので、今しばらくお待ち下さい。
ライカって以前も経営難に陥ってなかったっけ? ローライは韓国のサムソン傘下に入ったし(今は離脱してるみたいだが) ドイツのカメラメーカーはどこもボロボロだな・・・
>>137 何度もなってるはず
つか、デジ以前に悪徳商法まがいの何周年記念だのなんとか記念とか高額モデルだすなら
地道にレンジファインダーで勝負してりゃヨカッタんじゃないかなぁと思ったわさ。
>>137 ヲイヲイ、ライカのことより勉強しなさいってばさ(笑
140 :
名無し三等兵 :2005/07/17(日) 12:19:38 ID:TAvlwuAK
キタ━━━( ゚∀゚ )━(∀゚ )━(゚ )━( )━( ゚)━( ゚∀)━( ゚∀゚ )━━━!!!! マイコレクションのマグネシウム閃光器がアンソニー暗箱君と一緒に 「男たちの大和」出演! ・・・物凄く微妙な小道具だけどね、実際
えー、本物つかうのかよ。たまはどうしたの。
えっと、たまじゃなくて、マグネシウム箔、なんですか。 ならなんとか手に入りそうですね。
>>144 まぁ、無いもの作ってしまうのが小道具さんなわけで
ああ、純愛ペテン師バカ戦務長CCD氏がお持ちのもののレプリカが 映画に登場ということですか。純愛ペテン師バカ戦務長CCD氏の お持ちのそのものが映画に登場かと早とちり。
>>146 ちゃいますがな
じんべいタンの小道具が映画にでたんですがな
148 :
前スレ86 :2005/07/20(水) 00:29:29 ID:???
>>138 「趣味の工芸品カメラメーカー」になったあたりから、
具体的には「限定生産品だらけのM6」あたりから、駄目になっちゃったんでしょうね。
プロサービス部門や、せめてプロサポートがあればよいのにそれもない、
デジタル進出遅れと言いますがそもそも開発能力に疑問がある上、
「値段だけはバカ高いデジタル・ライカ」に、魅力を見出すことができるかどうか・・・。
M型デジが開発中といいますが、R−D1だって言うほど売れてないワケで。
ライカ本社が首を傾げるほど、中古のライカが売れる日本市場や、
MPから露出計を取っ払った限定モデル「MPクラシック」が、
もともと中国市場向けに作られたように、
外国ブランドに弱い中国市場といった、特殊な事情のマーケットでない限り、
ライカのブランドイメージだけでは、限界があると思うのですが・・・。
149 :
前スレ86 :2005/07/20(水) 00:33:39 ID:???
>>141 おめでとうございます。
封切りのあかつきには、目をこらして登場シーンを見ることに致します。
あの映画、たしか実物大の大和のセットを造船所に作って撮影したんですよね。
151 :
前スレ86 :2005/07/20(水) 21:29:20 ID:???
>>150 尾道に作られたオープンセット、来年3月まで一般公開されているそうです。
同時に小道具も展示されているとか。
木曜と年末年始がお休みで、入場料は大人一人500円だそうです。
もし機会がありましたら、話のタネにご見学、いかがでしょうか。
大和の距離計は日本光学製でしたっけ。 レンジファインダーカメラと原理は同じですよね。
来週のその時歴史が動いたは大和です。
155 :
前スレ86 :2005/07/20(水) 22:53:55 ID:???
>>152 「基線長」に大きな差があるだけで、原理だけ取ればレンジファインダーカメラそのものです。
大和級戦艦、46センチ主砲の射撃用「15メートル測距儀」は、
砲戦時に敵との距離を正確に測定するという役目においては、
日本海海戦の帰趨を決した「バー&ストラウド測距儀」の頃から変わりはありません。
156 :
前スレ86 :2005/07/20(水) 23:09:51 ID:???
>>153 佐世保市を見下ろす「弓張岳」なる小高い山があり、
オートバイでも山頂近くまで登れます。
私、オートバイで登った折、今も足腰を鍛えるために徒歩で登っておられるという、
矍鑠としたご老人に、お話を伺ったことがあります。
ご老人が(今で言う)小学生だった頃、遠足で弓張岳に登ったそうです。
すると、山頂にずらりと並んでいるのが、陸軍の憲兵。
「お前ら、海の方を見ちゃいかん!」
・・・しかし、見るなと言われれば見たくなるのが小学生の子供、
憲兵の股の間からそ〜っと、佐世保軍港を見てみると、
「それはそれはふとか軍艦だったとですよ。
あがんふとか軍艦、もっとあとでアメリカさんの空母が入るまで見たことなかとです。
それが戦艦『武蔵』でですね、長崎で作って佐世保で大砲ば積んどらす工事、しとったとですよ。
それば知ったのは戦後のことで、当時は知らんやったとですが・・・」
吉村昭「戦艦武蔵」ではありませんが、歴史の証人のお話、実に興味深かったものです。
ご老人、今もお元気でいらっしゃいましょうか・・・。
今の軍は見せることも重要な目的です(あけっぴろげという意味ではない)。 海自よりむしろ海保の装備の方が隠された部分が多いという噂を聞いたことがあります。 警察もSATは秘密部隊で公にされたのは出来てから20年目くらいだったような覚えがあります。
そういやRange Finderは銃、カメラなどの距離測定器、距離計と手元の辞書には書いてありますな。
うわあああああああん悔しい・・・ 朝5時から出かけた骨董市で、5千円のローライコードを一足違いで手に入れ損なった あんまり悔しくて夢に出そう・・・ そういえば靖国神社に、特攻隊員の方が出撃直前に撮影し 以来その未現像フィルムが収められたままのローライコードが展示してありましたね と、軍事に無理矢理関係させてみる
彼にしてみれば写真にして欲しくて撮ったんだろ。 今からでも現像できんのでしょうか?
162 :
前スレ86 :2005/07/21(木) 21:39:53 ID:???
>>157 「見せることが抑止戦力になることもありうる」軍事力と、
「見せてばかりでは手の内を明かすことになりかねない」警察力の違いはありますが、
もう少しオープンであってもよいと思います。
「警察の装備」ネタですが、私の知り合いに某県警の白バイ隊員がおります。
交通機動隊に出勤すると、まずは先輩の白バイを洗車してワックスをかけ、
ついでに先輩のブーツとヘルメットを磨き、先輩のデスクにお茶を入れておき、
先輩が出勤したときに熱すぎたり、ぬるかったりすると「教育的指導」。
予算の関係で年に何台かしか配車されない新車の白バイも、まずは先輩から。
・・・しかし、知り合いは白バイの「運転競技会」で3年連続優勝の腕前、
ある時、ついにキレて「腕でこい!」と、先輩、上司相手にひと暴れ、
「特例」ということで、新車を回してもらったそうです。
超のつくタテ割り社会ならではの、ナニがあるようで・・・。
163 :
前スレ86 :2005/07/21(木) 21:51:30 ID:???
>>158 一昔前なら「74式戦車が装備」していたレーザー・レンジファインダー、
今はゴルフ用品店で、ニコンのものが売られていますね。
(ライカもあるけど高い・・・)
レーザーを使って測るようなアクティブなものでなく、
「距離計連動式」のカメラで距離を測定し、開放絞りの狭い被写界深度でも、
ドンピシャリのピントを送り込むとなると、
現行ライカの135mm枠はほぼ限度、90mmぐらいまでしかアテにならないと、
言い切った有名ライカ修理業者の方もおられます。
「ツァイス・イコン」がどこまで測距精度が高いのかは、
発売になってみないとわかりませんが・・・。
164 :
前スレ86 :2005/07/21(木) 21:59:18 ID:???
>>159 格安の出物はあとからどれだけ手間がかかるかわかりません、
”爆弾”を抱え込まなくてよかった、と、思うことにするのもメンタル・ケアでは!?
私でも秒速でお財布を開いていたとは思うのですが・・・。
私もxxxxx円で「機能完全な初期型のライカメーターMR」を、
給料前で軍資金がなかったばっかりに、見送りの三振をしたばかりです。
こんなことなら、バカな飲み方するんじゃなかった・・・。
165 :
前スレ86 :2005/07/21(木) 22:06:48 ID:???
>>160 残念ですが、銀塩の場合「潜像退行」という現象があります。
撮ったらできるだけ早く現像しないと、
フィルムに焼き付けられた像はだんだん、ボケていってしまいます。
「パックツアーの海外旅行から帰って、まとめて現像に出す」ぐらいなら何も問題はありませんが、
「お正月に撮った写真の現像をお盆に頼む」となると、明らかに色やコントラストがボケてしまいます。
戦後60年、今、そのフィルムを現像しても「何が写っているんだかわからない」ぐらいまで、
潜像退行が進んでいるのでは、と、推測します。
エベレストの初登頂をヒラリーより先にしたかもしれないといわれるマロリー。 行方不明だった彼の遺体は1999年に発見されましたが彼が持参していた カメラは発見されていません。非常に寒冷なためもしそのカメラが発見されれば 撮影済みフィルムは現像可能だそうです。
167 :
キャパ :2005/07/21(木) 23:04:24 ID:KQsA/AYu
T70をいつも鞄に入れていた私。しかし邪魔で重い事に気がついてコンパクトカメラを購入。 CanonのA35という飛び出すフラッシュと日付がつくオートボーイの一代前です。 Aというだけあってその一年前に発売されたAE-1にどことなくにています。 なぜ今時そんな古臭くてカメラを買ったかというと、ピントがMFというのもありますが、 安さが決めてでした。¥3500です。撮影が楽しみです。
ちょっと気がついたんですけどデジタル一眼レフは35ミリに比べて同等レンズの焦点距離が短いから ぼけを生かした撮影を中望遠とか標準とか広角ではしにくくなるのでしょうか。 軍事カメラマンや報道カメラマンならぼけは必要ないんでしょうが それいがいではどうなんでしょうか。ちなみに自分はぼけを生かす撮影をする 腕を持ち合わせておりません。
169 :
前スレ86 :2005/07/22(金) 22:42:13 ID:???
>>166 マッキンリーに消えた植村直己氏も、その最後の登山行に、
「ウエムラスペシャル」のニコンF2を携行しておられたといいます。
「ウエムラスペシャル」には、F3+MD−4、
モータードライブとしてよりは「寒冷地電源」の役目を持たせたものもありましたが、
植村氏ご自身は、F2の方を好んでおられたそうです。
いつの日か、マロリー氏や植村氏のカメラが回収され、
その最後のショットを、我々が目にする日が来るのでしょうか・・・。
170 :
前スレ86 :2005/07/22(金) 22:59:43 ID:???
>>167 コンパクトカメラでの撮影、楽しいですね。
私も、中古で買ったミノルタ・カピオス150sを持っていまして、
中国出張の折には重宝しました。
小型軽量の極めつけで、ポケットに突っ込んでおいても気になりません。
「いかにもプロ」と見られる機材で紛争地域で撮っていると、
外国人ジャーナリストと見られて現地の司法機関にマークされるため、
コンパクトで、かつ良く撮れる機材が望ましい、と書いていたのは、
戦場フリージャーナリストの加藤健二郎氏でしたか。
171 :
前スレ86 :2005/07/22(金) 23:22:52 ID:???
>>168 「被写界深度を生かしての作画」、
例えば「銀塩の100mmで絞りを開けて人物撮影、人物の前略後略ごめんくだされ」なら、
「では、デジタルに換算すると何ミリか?」が問題ではありますが、
本質的な部分「開ければ被写界深度が狭く、絞れば深くなる」ことに変わりはなく、
「焦点距離がデジタル換算になった分、自分の感覚を補正して絞りを開ければよい、
光線状態などで開けられなければ低感度に設定すればよい」ことかと愚考しますが、
いかがなものでしょうか?
戦場報道写真であっても、例えば酒井淑夫氏「より良きころの夢」は、
ニコンFに装着したニッコール105mm、中距離望遠ならではのボケ、遠近感を充分に生かし、
ヒューマンな視点からの撮影に成功した、素晴らしい作品と思っております。
甥の結婚式で広角でばかり撮影していて途中で標準に切り替えて え標準はこんなに被写界深度が浅かったっけとちょっとあせった覚えがあります。 デジタル一眼の標準は35ミリの広角になりますから ひょっとするとデジタル一眼の弱点は35ミリの感覚でぼけを 出せないことかな、と素人考え。
手ぶれ防止機能が屈曲光学系のコンパクトデジタルカメラまできた。 戦車や砲艦の射撃安定装置と原理は同じですよね。
174 :
名無し三等兵 :2005/07/24(日) 19:07:28 ID:UKRLqilS
沢田はライカ好きだったそうですね
175 :
前スレ86 :2005/07/25(月) 17:43:18 ID:???
>>172 50mmを標準と定めたエルンスト・ライツ社には、先見の明があったと思います。
ある意味、万能レンズなのですから・・・。
「50mmが標準」は35mmフルサイズでのことで、
銀塩であってもフィルムサイズで「何mmが標準」かは大きく異なりますから、
フィルムか撮像素子かの違い、原理は同じ・・・と、わかっちゃいるけどとっさには・・・。
176 :
前スレ86 :2005/07/25(月) 17:53:32 ID:???
>>173 74式戦車、90式戦車が演習場を走行するビデオなど見ていますと、
砲安定装置の威力、車体がどんな姿勢でも砲が目標を追尾していますね。
原理のサワリではジャイロがどうこう・・・と聞いてはいても、
どうやって砲を安定させているのか、になると、私には!?です。
ただ「ある程度カメラの扱いに慣れたひとの出す手ブレを防止する」もので、
「まるっきりの初心者」「アル中!?」クラスのとんでもない手ブレや、
低照度下でも手ブレしなくなる、魔法のメカではないと思うのですが・・・とは、
MF旧式派のヒガミですね・・・。
日本カメラ博物館「コニカミノルタ展」では、
αー7デジタルの「アンチ・シェイク」ユニットを取り出し、
動作がわかるようにした展示品がありましたが、
何の具合か動作せず、実際に動きを見ることはできませんでした。
177 :
前スレ86 :2005/07/25(月) 18:30:49 ID:???
>>174 好きというより、やや行き過ぎなほど信頼していたようですね。
「ライカでグッドバイ」青木富貴子の著書に詳しく書かれていますが、
在日米軍基地で働いていた折、中古のM2を米軍将校から譲ってもらったことが、
愛用のきっかけともなっているようです。
M2を譲り受ける前、若かりしころの写真が残っていますが、
その頃はキヤノンVTなど、国産レンジファインダー機を使っていました。
60年代当時、ベトナムは米軍がある種の「カメラ特需」をもたらし、
日本のカメラメーカーにとって、実に第4位の輸出相手国となった年もあったのですが、
新品でベトナムに入荷、買い手を待っているカメラが積まれた倉庫が、
日中40℃、夜間には25℃の酷暑になっただけで、壊れる国産カメラもあったそうです。
現在の市販カメラなら充分に持ちこたえる環境だと思いますが、
ベトナムで倉庫に積んでいただけでオシャカになるカメラもあった時代、
そんな環境で報道用に耐えられる機能でいくと、消去法でニコンかライカしか残らなかったこともあったかと考えます。
(キヤノンF−1の発売はもう少し先の話です)
「望遠系にニコンF+広角を装着したライカ」が当時の定番とも言えるスタイルで、
沢田氏も実は、望遠系の撮影にはニコンFのブラック・ボディを使っていた他、
防水機能を買ったのか、水中カメラのニコノスを下げている写真もあります。
「望遠ニコンに広角ライカ」
私もニコンF2+105mm、ライカM4+35mmで試してみましたが、
実に機能的でよい組み合わせです。
日曜は舞台に立ってました。 プロカメラマンいました。 暑いのでカメラにタオルをかけてあげてました(うそうそ)。 カメラにかかっていた消音用と思われる布、ただのタオルかと思っていたら キングとあったので消音専用の布なんでしょうか。
キャノンF-1は嫌いじゃないけど、とても当時の報道でつかえるカメラでは.... 400mmでは盛大にミラー切れするし、内反射がおおきいし、何より壊れるし。 キャノンが名実共にニコンとならぶようになったのは、EOS-1 からでしょう。 (空母の上では動かないそうですが。)
180 :
前スレ86 :2005/07/26(火) 11:27:28 ID:???
>>178 舞台にお立ちになるほど、一芸に秀でておられるとはうらやましい限りです。
舞台と言えば知り合いのミュージシャンが出演するステージの撮影ぐらいしか縁がない私です。
それも騒がしいやつばっかだから、ストロボあり、モードラOK。
・・・そのノリでアコースティックのライブのリハーサル、ストロボをパシュ、とやると、
いくら知り合いとはいえ「気が散る〜!」と、ミュージシャンに怒られたこともありますが・・・。
キング(浅沼商会)と書いてあったのは、消音用のカメラカバーかと思います。
古典芸能のように、ストロボなどとんでもない、音にも気を使う場合、
とりわけモードラやAF駆動音を静かにする目的で、売られています。
私の知り合いのカメラマンは、自分で生地を買ってきて、
もっと分厚くてよく音が消えるものを自作し、使っていました。
181 :
前スレ86 :2005/07/26(火) 12:01:48 ID:???
>>179 キヤノンF−1、いいと思うんですけどね(フンフングシグシ
買って23年、一度も故障なし、先日OHを済ませ、なお戦意旺盛な1台が手元にありまして・・・。
今を去ること20年以上前には読売新聞の報道部”制式”がF−1、
ズタボロになるまで使われたものが、
高校野球の地区予選では超望遠の”バズーカ砲”と組み合わされ、グラウンドをにらんでおり、
それに混じって「お師匠さま」のバズーカ砲、
私のモードラなしF−1+借り物85−300mmが機関銃ぐらい!?
・・・当時は少々のことなら地方SSで治してしまったということもありますが、
あまりF−1に不満を聞いたことがありませんでした。
ブツけてブッ壊した話を2度ほど聞きましたが、そりゃあ・・・。
現在、私がアマチュアカメヲタレベルでF−1後期、newF−1、F2A、F3を使う限り、
「まあ、どれも一長一短だねえ、ワハハハハ」と思っていますが、
後日談として、F−1の方が悪条件に弱く、故障率は高かったという話は聞いたことがあります。
とりわけ震動に弱かったとか。
・・ただ、KS−99C、こと、米陸軍制式に採用されたF−1は、
グリンベレーのカメラキットにも使われており、
その側面からは「そんなにヤワじゃないよ」とも、言えますが・・・。
ただ今発売中の「アサヒカメラ」8月号の記事に「大調査・名機の条件」がありますが、
プロカメラマンの方でも、千差万別のご意見をお持ちのようです。
182 :
前スレ86 :2005/07/26(火) 16:56:09 ID:???
さて
>>91 でご紹介頂きました「日本カメラ博物館」を見学、
書き込みにありました「八九式活動写真銃」や「九九式極小型航空写真機」も、見学して参りました。
折しも特別企画「コニカミノルタ展」が開催されており、
「八九式活動写真銃・改2」は、常設展示スペース「日本の歴史的カメラ」にあるものと、
「コニカミノルタ展」で展示されていたものの、2台を見ることができました。
「コニカミノルタ展」で展示されていた「六桜社企画製造・第1886号」には、
撮影用のピストル・グリップがついておらず、
撮影にはM2機銃のような両手グリップで、機関部下の引き金を引くことになりますが、
「日本の歴史的カメラ」で展示されていた「六桜社企画製造・第7539号」には、
両手グリップの他に、ちゃんとピストル・グリップがついています。
製造番号が離れているので、仕様変更があったのでしょうか?
全体には「第1886号」には「第7539号」についていない部品もついており、
「第1886号」の方が、状態はよさそうですが・・・。
「コニカミノルタ展」の「第1886号」には、
1936年(昭和11年)の製品で海軍の射撃試験用に使われ、ゼンマイで毎秒10コマの撮影が可能であった、と、
説明がついていました。
この他「コニカミノルタ展」のスペースには、
「手持式航空写真機二五糎F8型」(「上空27」の文字あり→航空隊での備品番号?)
「九九式航空写真機十五糎」
「九九式極小型航空写真機」
「軍用リリー」
「一〇〇式小型航空写真機」・・・の、展示があり、たいへん参考になりました。
古いカメラばかりを使っているが 今年50ミリと20ミリと28-105ミリを新品で買い足した。 新しい物を買っていないわけではないので 新しいのを買わないからメーカが苦しいのだと攻めないでくれい。
そういやキヤノンはもうF-1系のレンズは作っていないんですっけ。
185 :
キャパ :2005/07/27(水) 12:25:12 ID:Ei7z7Erd
>>184 作ってないです。FDは今からなら中古しかありません。 今頃になってα7000を買いました。AF早いし良いカメラですね。今まで AFはT80とEOS1Nしか知らないからその完成度合いにビックリしました。 αも頑張ってみます。
186 :
名無し三等兵 :2005/07/27(水) 13:31:47 ID:oBh29uBS
>>185 EOS1Nは、MINOLTA α7000よりオートフォーカスが劣っていたのか。
187 :
前スレ86 :2005/07/27(水) 19:08:29 ID:???
>>183 某社のエライさんに言わせますと、やはり、旧型機に定評をもらうのもうれしいが、
最新技術をてんこ盛りにしてある最新型をバンバン買って欲しいというのが本音だそうで、
企業人としては至極当然のお言葉でしょう。
二番煎じの技術、目新しさや改良点のない新製品、となると、待っているのはライカと同じ道です。
MF旧式機にこだわり、カメラメーカーから見れば人でなし!?
偏屈極まりない時代遅れの私でも、ニコンF6は欲しいと思います。
おそらく最後の銀塩フラッグシップ機、という、世間様の見方もありますが、
デモ機をあちこちで手に取る限り、こんなことを自動でやってくれたらなあ、という機能を全部備えた、
私にとって魔法のカメラだからです。
転じて、ライカの新製品「MP」は、高いお金を出して買う気にはなれません。
「ハレーション防止対策済みファインダー」「ギヤの強化」にしても、
過去、ライツ社→ライカ社が凋落の中で手を抜いてきたところを、エルンスト・ライツ社時代に戻したに過ぎません。
巻き戻しをノブに戻したのは賛否両論あるとして、
デモ機やカメラ屋さんの展示機を手に取る限り、あの貼り皮は「退化」というか、
ホールドすると落とすこと間違いなしのツンツルテンは「撮らない」ことが前提としか思えません。
188 :
前スレ86 :2005/07/27(水) 19:13:35 ID:???
>>184 現在、キヤノンにも部品のストックがなくなりつつあり、
FDレンズを壊してしまうと、レンズにもよりますが修理は難しい状況です。
それゆえに中古価格が下がっており、ある意味ウハウハ状態ではありますが・・・。
189 :
前スレ86 :2005/07/27(水) 19:19:33 ID:???
>>185 一世を風靡したカメラですね。
ミノルタといえばロシアの「ミール」に搭載された白ボディのαー9000や、
NASAがスペース・カメラに採用した、ハイマチックを思い出します。
私もXG−Eを持っていた時期があり、
「センサー1眼」XG−EのCMには、米空軍F15の急上昇シーンが使われていました。
190 :
前スレ86 :2005/07/27(水) 19:24:23 ID:???
>>186 EOS−1N、のちに1Vは不肖・宮嶋氏もご愛用、
1Vは宮嶋氏に言わせると「AFカメラの最高峰」とか。
宮嶋氏の他、長倉洋海氏も紛争地域に携えて行っておられるようです。
191 :
キャパ :2005/07/27(水) 22:46:32 ID:Ei7z7Erd
>>186 いや別にα7000がEOS1Nに勝ってるって事ではないですよ。私がAFカメラは EOS1Nとα7000とT80しか使った事がないんですよ。基本的にMFですから。 紛らわしい事書いてすいません。
ニコンFG-20が壊れてしまったときの代わりのカメラ ニコンF100にするかニコンFM3Aにするか。 いまからこころづもりしとかなきゃ。
193 :
名無し三等兵 :2005/07/29(金) 14:57:25 ID:Oamkx+vP
>>135 コダクロームはアメリカとカナダで昭和10年(1935)5月発売され、
世界的なセンセーションを巻き起こした。
当初は映画用16mmが主流だった模様。
日本では2年後の昭和12年5月から国内現像開始。
6月にはタイプA(タングステンタイプ)も発売されている。
扱いの乱暴な登山学生に連れられ ガラガラと揺られて水にも濡れて、ジャスピン君はあちこちの山へ・・・ どうか合宿の間は壊れてくれるなよ(´・ω・`)
195 :
前スレ86 :2005/07/29(金) 19:00:10 ID:???
>>192 MFのFG20の代替となれば、同じMFのFM3aでいかがでしょうか?
MFニコンなら、F3だのFM2だの、泥沼・・・じゃなかった、中古機ワンダーランドもありますし。
中国人民解放軍のカメラマンが、中越紛争取材にFM2を携行している写真が、
「戦場よりニイハオ!」なる本に収録されていますが、
同時期に中越紛争を取材、残念ながら命を落とした同じ解放軍の従軍カメラマンが、
シルバー・ボディのミノルタX−700?を携行している写真も同じ本にあります。
カメラメーカーは軍である程度統一されていないのでしょうか、
それとも私物か、それに近いカメラなのでしょうか?
196 :
前スレ86 :2005/07/29(金) 19:02:49 ID:???
>>193 ご教示ありがとうございます。
かなり早い時期から、日本国内でも実用に供することができたのですね。
197 :
前スレ86 :2005/07/29(金) 19:13:13 ID:???
>>194 私もレジャー用と海外出張用に「Gショック・デジカメ」GV20を持っています。
海外出張用なのは、電源が単3電池でどこででも手に入るからですし、
海だ山だに出かけると、特に帰りは荷物をきちんとまとめるのが面倒くさく、
帰り道はバッグにポイ・・・で、壊れないのがいい、と。
1グラムでも軽量化したい装備に加えるにあたって、当時は画期的な小ささ軽さが買われ、
発売直後のOM−1がエベレスト登頂にお供したこともありましたっけ。
ニコンFもあって使っているので、FG-20のようなカメラでないと困るとはならないので そこはいっちょレンズの選択肢を広くするにはAF機にするのもありかな、と。 (でもレンズは当面Aiニッコールですが)。
199 :
前スレ86 :2005/07/29(金) 21:48:56 ID:???
>>198 いっちょF6はいかがですか?・・・なんて、自分が欲しいモンだから・・・。
いや、今後のメンテナンスや、機能を考えるとあながち冗談ばかりでもありません・・・。
先日、私の仕事関係で、あるショーに出かけてきましたが、
場内はプレス腕章をつけたカメラマン以外は撮影禁止。
そのプレス腕章をつけたカメラマンは、NPSのプロ・ストラップがついたD2X(おそらく)を使っていました。
また、私の住んでいる地方のお祭りに出かけたところ、
「XX新聞社」の腕章をつけたカメラマンは、デジタル青プロ・ストラップをつけた、機種不明ながらニコンのデジ1眼でした。
報道はデジタル、を、改めて見た思いがしたものです。
まずF6の重量に耐える腕がない...
つ現場監督
現場監督の新品って意外に高いんだよね・・・ 中古は出にくい上にハンパじゃなく使い込まれてボロボロのばっかだし それにストロボの発光禁止がないしなあ うーん、1眼を持って行きたいが こっちゃはどうしても重くなるしやたら嵩張るし まあ新しいコンパクトを素直に買えば済む話だけど
現行の現場監督はフラッシュ禁止モードがあるようですよ。
>>203 あり、本当だ
ああ、比較的綺麗な中古ないかなあ
205 :
前スレ86 :2005/07/30(土) 18:55:14 ID:???
>>200 F6を捉えて「F5よりこんなにコンパクトになった!」という雑誌記事もありますが、
F〜F3に比べると、かなり大きな代物ですね。
「機能の割にはむしろコンパクトなのだ」と言われても「デカいものはデカい!」
・・・「戦艦大和」と同じです!?
F3まで+モータードライブよりはずいぶん軽いのでしょう。 でF100でも800グラム。FG-20の倍だあ。
AFレンズのフォーカスリングがどれもこれもあんなに感触が悪いとは カメラ屋巡りをするまでは知らなかった。MFレンズをラインナップに ずいぶん残しているニコンは偉い。 あと明るいズームがあんなに大きくて重くて高いのも初めて知った。
AFレンズのスカスカ加減はまあ致し方ない部分なんだろうけど。 ゴツい玉とゴツいF一桁ボディを使ってるなか、たまにEMにAiAF50/1.8D (重さも操作感もスカスカの極み)なんて組み合わせで散歩に出かけると、 なんか吹っ切れた感じで軽快にスナップでけます。 AEAF化以降のカメラは着膨れしたのが多く、キューっと詰まった感じの 小型一眼が今は無いもんなあ。 拳銃でいうと.32〜.38クラスのAUTOみたいな感じのヤツ? (関係ないが以前9mm機関けん銃触った折、なぜかカメラみたいだと思った。 妙な仕上げの良さのせいか?)
重さだけならエントリークラスが材質のせいか昔の小型一眼に負けてませんが 大きさは昔の小型一眼の方が一回り下ですね。 キャノンキッスライトとニコンFG-20を並べてそう感じました。 モーターが小型化したとはいえ電子回路やらダイヤルやらスィッチやらが 増えてさらに電池も大きいですからね。 兵器もどちらかといえば同じ目的機能の物の大型化が進んでいるような気がします。
>208 機関銃みたいなレンズもありますよ。 ライカのノボフレックステリートR(400mm/f6.8 or 560mm/f6.8) 今のイラクで使おうとしたら、短機関銃と見間違えられての無警告射撃を貰っても、 文句を受け付けてもらえそうにない代物w ニコンボディへのアダプタがあったら、今すぐにでも込みで買いたい一品です。
いや、それもうイラクであった事件ですよ。
いや、外見が凄いのよ、これ。 「構えると、銃身並みの望遠レンズが火器にそっくりでござい」なんて生易しいものでは無いのです。 ストック、ピストルグリップ、ご丁寧にもトリガー付きのフォアグリップ。 カメラが付いていない方が、よほど連射火器に見えるというトンデモなアイテムなのです。
つまり付いてないのは銃身だけ、ですか。
鉄砲型というとZENITのフォトスナイパーなんてのもありました。 今なら手ブレ補正機能とかあるから、汎用のグリップやストックがあればより使いやすい システムが組めそうだけど…人前で使うには誤解を招く形態ですわな。
>>214 それ担いで警察庁や総理官邸の撮影に行くのがトレンド
216 :
前スレ86 :2005/08/01(月) 21:18:45 ID:???
>>208 先日、私のニューFD、135mmF2・8がグリスアップから帰ってきました。
明らかにしっとりとしたヘリコイドの回転になっています。
それまではAFレンズそこのけに、スカスカだったのですが、
ヘリコイドのグリスが抜けるとスカスカになるか、極端に重くなるかのどちらかだそうで、
「人間が手で回したときに快い重さ」に、調整されているのが正しいのだそうです。
AFのモーターは人間の手ほどのパワーはありませんから、
スカスカも止むを得ないのでしょうけれど・・・。
OM−1を入手してみて、中古で人気があるのがわかるような気がしました。
小型軽量、しかし、凝縮されたメカが詰まっているように思います。
バラした状態のOM−1を見たことがないので、具体的には何とも言えないのですが・・・。
217 :
前スレ86 :2005/08/01(月) 21:40:25 ID:???
>>209 ライカがM6を出したとき、設計が最も困難だったのが、
M4とほぼ同じ寸法のボディに、露出計を仕込むことだったそうです。
M4までの露出計がないライカは、メカ自体はさほど複雑なものではないのですが、
それなりに中身の詰まった設計になっており、
いちばんスペースを食う、バッテリーをどこに収めるか、については、
セルフタイマーを省略してそこに収めるという「荒業」で解決しています。
台湾・台北市「国軍歴史博物館」の3階は、台湾に関わる銃器の展示室になっており、
「台湾陸軍ベトナム軍事顧問団派遣記念の特別仕上げガバメントとコルト・パイソン」など、
銃器マニアには必見の展示品もありますが、
そこに展示されている、現在、台湾軍が制式化している「65式小銃」、
M16A1をガス・ピストン式に改めたものは、オリジナルのリュングマン・システムでなく、
ガス・ピストンを収めるため、M16A1の機関部に上ひとつ付け足した、
何か奇妙な感じを受ける機関部になっています。
「後付け」のバージョンアップなのでしょうか、いかにも亜種といった外観になり、
キヤノンF−1の「サーボEEファインダー」や「ニコンF3AF」を思い出すのですが、
M16系の発展型では限度がある5・56mmアサルトライフルがG36やFNCのように、
「少々は大きくなってもイチから設計した方が合理的」になるのは、
致し方のないことかも知れない、と、愚考する次第です。
218 :
前スレ86 :2005/08/01(月) 21:52:53 ID:???
>>214 ZENITのフォト・スナイパーは、カメラ評論家!?田中長徳センセに言わせますと、
初期のものは、かのTT33拳銃の設計者、トカレフ氏が設計したそうで、
その目的も国境警備隊の監視用だったとか。
戦前にニコンが作った世界最大の望遠レンズも、目的は関東軍の国境監視用だったといいますから、
望遠レンズとそのアタッチメントは、光学兵器の陸戦における最前線に供されていたのでしょうか。
>>208 、
>>214 です。
>>216 最近私も古いニッコールを2本ほどOHに出したのですが、ピント環のトルク感は新品のものより
幾分軽めに調整されて戻ってきました。個人的にはちょっと緩くなった位が好きなので
丁度良い感じです。
AFレンズでも、トキナーのAT-Xシリーズは、、純正品より外装も立派で、
そこそこにトルク感のあるピント環はなかなか良いです。
(肝心の描写は外装と反対に甘めのものが多いですが)
OM-1は学生の頃友人から借りて使った事があります。あれは良いカメラでした。
ニコマートなどと同様のレンズ付根のシャッターダイアルも使いやすかった。
…返却するときスイッチ切り忘れてて電池無くなってましたが。
>>218 ZENITフォトスナイパー、それこそ据え付けの特大反射望遠でも設置すれば
それで間に合いそうな気もしますが、徒歩や車で国境線沿いを細かく警戒するときに
使うのでしょうか。
むかーし新品が売られてた頃はそう高いセットでもなかった記憶があります。
まあ特殊とはいえZENITだし。(トカレフ氏設計のものとは別物かな?)
そういや昔安物のガングリップ持っていたなあ。 三脚穴にねじ込みガングリップ自身にはレリーズはなくて普通のレリーズを つけるやつ。
ニコンってなんで人気があるんだろう…
222 :
前スレ86 :2005/08/02(火) 19:19:32 ID:???
>>219 私のAiニッコール300mmF4・5も、もともとが中古で買った上、
自衛隊広報行事などにさんざ持ち出したためでしょうか、
ピントリングが軽くなってきています。
抜けるところまでグリスが抜けてしまうと、私の友人が持っているAi200mmF4のように、
リアキャップをはめ、ピントリングを最近接位置まで回して,リアを下にして立てておくと、
あら不思議、自重で自然に無限遠までスルスルと・・・。
カメラも、よく見かけるうちは気にしないものです。
まだ、そこいらじゅうでOM−1、2を見かけた時代には、
な〜んか迫力ないし、借りて使ったら巻き上げレバーが角張ってて指が痛くなったし、と、
正直、あまり高く評価していませんでした。
中古を買ってみて、こりゃいい、と自分の不明を恥じ・・・何十年ぶりかに食わずぎらいが治った心境です。
小型軽量もさることながら、操作部の大きさ、使いやすさとシャッターショックの小ささに感心しています。
KGB管轄下のソ連「国境警備隊」は、戦車や航空機は言うに及ばず、
コトリン級駆逐艦まで持っているほど、国境警備隊の規模も桁外れでしたが、
何せ国自体がバカでかい上、共産主義国の常で脱出に神経質・・・と、なれば、
ご意見にありますように、光学兵器を使ってのきめ細かな警戒態勢は欠かせないものだったのかも知れません。
西側諸国のように、監視カメラや電気的センサー、地上レーダーを使うなど、
当時のソ連では技術的にも、予算的にもとてもとても・・・。
223 :
前スレ86 :2005/08/02(火) 19:27:40 ID:???
>>220 望遠レンズ用の補助ストック、
金属パイプとピストル・グリップの組み合わせが「ステンサブマシンガン」のような!?
アタッチメントが複数のカメラアクセサリー・メーカーから出ていました。
当時は使っている人を見かけず、今は中古でもさっぱり見かけないところを見ると、
やはり実用には問題があったのでしょうか。
224 :
前スレ86 :2005/08/02(火) 19:45:56 ID:???
>>221 簡単に言って「上級機種、プロ用機種専門メーカー」のイメージでしょう。
実はそうではない、広いラインナップのメーカーなのですが。
または昨今なら「本気でカメラを作っているのはニコンとキヤノンだけ」と、口の悪いひとは言うかも知れません。
それは他のメーカーさんに失礼な言い草ですが、カメラ事業は儲からないのも現実ですから・・・。
あるいは「古い機種でも面倒見のいいサービス体制や、このご時世に銀塩最高級機のF6、
復刻S3、SPなど出すハイアマチュア泣かせの商売上手さ」などを、
評価するひとも多いかと思います。
「xx社の製品だからいい」と、盲信するのは間違いで、
「xx誌やxx本が名機と書いていたから」などもっと間違い、
自分であれこれ手に取ってみて、一番気に入った1台が「マイ名機」なのですが・・・。
自分の場合はニコンのカメラを引き継いじゃったから、ですかな。 浮気もしたけどニコンに戻って来ちゃう。
227 :
前スレ86 :2005/08/02(火) 22:01:36 ID:???
>>225 月刊「写真工業」誌、本年2月号のタイトルは「ツァイスレンズがライカにつく時代」です。
コシ・・・じゃなかった「ツァイス・イコン」レンジファインダー機に、
「ZMマウント」を介してツァイス・レンズがつくのですが、
これ、ライカMマウントと完全コンパチで、ライカにもベッサにもつきます。
昨日の敵は今日の友・・・です。
今までにも、コンタックスG用のレンズを改造してライカにつけていた猛者がいることはいましたが、
「キャパのコンタックス」「ブレッソンのライカ」時代には考えられなかった話です。
かってキヤノンは、スピゴット・マウントにエキザクタのレンズをくっつけるアダプターを、
メーカー純正で出していたことがあります。
その点、まだニコンより「シャレッ気」があったことになります。
>>227 あのさ来夏にはツァイス付の時代があったの知ってて言ってるの?
>今までにも、コンタックスG用のレンズを改造してライカにつけていた猛者がいることはいましたが 定番ですけどなにか?
>>227 M42マウントやマウントアダプター知らないんだね(w。
231 :
前スレ86 :2005/08/02(火) 22:17:25 ID:???
>>226 太平洋戦争が終わったあと、兵器技術の民生転用が開花したのが、
「新幹線」であり「乗用車」であり「ニコンのカメラ」でした。
また、戦後さほど時間がたっていない段階で「世界水準の技術」にいち早く達したのが、
ホンダのオートバイ、ニコンのカメラ・・・と、いうわけで、
高度成長時代を支えた企業戦士にとっては、ニコンは思い入れの多いブランドのようです。
しったか晒しあげ
233 :
前スレ86 :2005/08/02(火) 22:20:58 ID:???
>>228 しかもビオゴンを忘れてました・・・赤面。
234 :
前スレ86 :2005/08/02(火) 22:25:18 ID:???
>>229 「ライカ通信」で読んだことはありますが、不勉強なもので現品を見たことがありません・・・。
235 :
前スレ86 :2005/08/02(火) 22:28:33 ID:???
>>230 マウントアダプターはサードパーティも含めて、いろいろなものが出ていますね。
M42アダプターをつけたら、装着できるレンズは冗談抜きで星の数ほど・・・。
236 :
前スレ86 :2005/08/02(火) 22:31:59 ID:???
>>232 間違いや事実誤認などなどありましたら、ご叱正頂ければ幸いです。
手元にわずかながら資料はあるのですが、ついつい、記憶モードで書いてしまいます。
ニコンのカメラがエントリー機種でも丈夫で長持ちするのはなんとなく実感。 ニコンFG-20は今でも十分動いているがそれより後に買って一緒に押し入れにしまっていた ミノルタα3カメラの趣味を再開しようとしたときには動かなくなっていた。 電池は外してあったのでバッテリ切れとかではなくて新品の電池を入れても動かなかった。 (オーバーホールして動くようにして甥っ子にあげてしまったけど)
日本カメラの銀塩本格派宣言という記事に出てくる外道のカメラ、 持ってました。ミノルタPs。
239 :
前スレ86 :2005/08/03(水) 22:00:44 ID:???
>>237 その意味で「新品未使用」の、箱や保証書までついた昔のカメラには、
若干の疑問を感じるのです。
まず間違いなく油が抜けているとか、モルトの劣化などがあり、
封を切ってしまえばコレクション価値がなくなると言えばそれまでですが、
封を切って使う前には、オーバーホールと注油が必要でしょう。
ライカM4の米軍軍用モデル、KE−7Aには、
米軍で実際に使われたものの払い下げと、オーダーキャンセルになったため民間で売られたものが存在し、
中でもわずかに存在する、米軍に納入されたが使われずに払い下げられた「新品未使用」には、
とてつもない値段がついています。
封を切るとコレクション価値がガタッと下がるため、封を切ることができないそうですが、
「絶対に箱を開けて手に取れないカメラに数百万円」というのも・・・。
KE−7Aそれ自体は、何度か現物を見たことがありますが、
「撮るならニヒャクマンエンのM4じゃなく、ケタひとつ下の私のM4で充分でい!」と、
ため息半分、ヒガミ半分・・・。
桐箱入りのニコンFG金色記念モデルの未使用品がまだ売られているらしいですね。
ちがった。FAだった。
243 :
前スレ86 :2005/08/03(水) 22:29:15 ID:???
>>240 ニコンFGのゴールドモデルは、私の住んでいる地方のカメラ屋さんにも、
いまだに売れずに残っていますが、
中国は北京の、ある高級デパートのカメラ売り場に並んでいるのを見て仰天したことがあります。
金色キンキラは中国人には縁起物と映り「開運置物」扱いなんだとか。
そのカメラ売り場、ニコンではF5やD70、キヤノンでは中国向けEOS・Kiss(名称が違います)もあり、
人民元での値段をメモしてホテルに帰り、電卓を叩いて日本円に換算してみましたが、
日本でならヨxバシあたりの方がよほど安い値段でした。
そりゃ、中国人観光客が新宿西口に押しかけるワケです・・・。
244 :
前スレ86 :2005/08/03(水) 22:30:39 ID:???
私も間違ってしまいました、陳謝、訂正。
近くの一般のカメラ屋で非売品と書いてあるコンタックスの一眼レフと交換レンズがショーウィンドウに 飾ってあるんですが。最近のモデルだと思います。あれはなんなんだろう。
246 :
名無し三等兵 :2005/08/04(木) 08:12:42 ID:K0i5woS5
>>245 CONTAXの一眼レフといっても、東独時代の1950年代のものから、
最近の京セラ製オートフォーカスまで、実にいろいろあるので、
型番ぐらい書いてもらわねばコメントのしようがないのだが。
MINOXはガイシュツれすか?
249 :
前スレ86 :2005/08/04(木) 22:51:22 ID:???
>>247 前スレでチラッと出てたような覚えがあるのですが・・・。
私は使ったことがありません、何かネタがありましたらご紹介下さい。
「ミノックスは誰が創ったのか」なる、すこぶる良質の資料も出ましたが、
まだ買っておりません・・・。
京セラならサムライを思い出すのれす ビデオムービーみたいに縦型れ撮影するのれす ハーフサイズれ写し込みするのれ予備フィルムなろ節約れきるのれす 画質こだわり人間は敬遠するけろ、遊び心は有る珍品タイプなのれす
本当のスパイはミノックスを使ったんでしょうか。 映画スパイゾルゲではライカらしいののが小道具でしたが。
252 :
名無し三等兵 :2005/08/06(土) 00:28:39 ID:6cZOflN3
映画では、ゾルゲがクルマの中から戒厳令を撮影するシーンで、 ライカのレンズが沈胴のままシャッターを切っていた。
映画見てないから知らないけど ズマロンだったらエルマーを沈胴させたままの状態に似てるよ。 それって事はない?
エルマー35/3.5なのでは? エルマー50/3.5を沈胴させたような姿として知られているくらいだし。
255 :
名無し三等兵 :2005/08/06(土) 08:25:48 ID:6cZOflN3
>>252-254 ゾルゲが室内で書類を複写する別のシーンでは、
ちゃんと鏡胴を引き出しているけど。
256 :
前スレ86 :2005/08/06(土) 15:47:22 ID:???
「ライカ通信」のバックナンバーに「スパイ・ゾルゲ」のライカについて、 書かれていたことがありました。 ・・・こんなことなら買っときゃよかった・・・。 同じく「ライカ通信」の映画記事では、 映画「ローレライ」にライカVd、非常に数の少ないモデルが使われていたというのですが、 本当でしょうか・・・?
>>256 当時のライカは呼び名が日本とお外で違うから良く検証しないとあかんでっせ。
258 :
前スレ86 :2005/08/06(土) 22:31:37 ID:???
>>257 手元の「ライカ・ウアライカからR3まで」北野邦雄著、かなり古い本ですが、
アメリカではV型がF型、VaがG型と呼ばれていた、なる記述があります。
日本での呼び方は本国と同じなんだそうで・・・ヤヤコシイ・・・。
コミック・モーニングのかわぐちかいじ氏「ジパング」にも、米軍従軍カメラマンが、
沈胴エルマーつきVfを持っているシーンが描かれていますが、
ふと思ったのですがかわぐち氏、実物をお持ちでスケッチしたのではないかと・・・。
かって「わが青春のアルカディア」を描くにあたって、
松本零士氏がメッサーシュミットの射撃照準器、Revi・C12Dの実物を入手されたり、
新谷かおる氏の「エリア88」で、詳しく描き込まれたニコンF2が登場していましたが、
当時の「コンバットマガジン」の仕事場訪問記事で、
新谷氏のデスクの前にデンとF2+MD−2が座っていたように・・・。
10年近くも前れすが月刊カメラマン誌れ元海軍から戦後は新聞社に勤めたカメラマンの漫画が有ったのれす
261 :
前スレ86 :2005/08/06(土) 23:07:59 ID:???
>>259 「ライカの帰還」でしょうか?単行本になっています。
空母「瑞鳳」の沈没時に、主人公とともに海に飛び込み、
海水漬けになったライカが登場していましたね。
カメラネタで言えば、ニコンS3M、モータードライブのレンジファインダー機も「出演」しています。
今やれば大問題になると思いますが、
「ヘリを使ってのビアガーデン空撮」には、よくやった!と、痛快な読後感がありました。
うひょー知らなかったよ〜
264 :
前スレ86 :2005/08/07(日) 20:24:29 ID:???
ありました、ありました。
借りてきた「ライカ通信」No,10に「スパイ・ゾルゲ」のライカの記事がありました。
「ゾルゲが愛用したライカと『スパイ・ゾルゲ』」というタイトルです。
記事には映画の中のカットが使われているのですが、
>>255 氏のおっしゃる通りです、
クルマの中から撮影するシーン、沈胴のままVaのシャッターを切っているように見えます。
ただ、手元の資料を引っくり返して、もう一度「ライカ通信」の写真を見ると、
鏡胴部分がやや太く、
>>253 、
>>254 氏のおっしゃる通り、エルマーやズマロンに見えなくもありません。
後付けファインダーは使っていないようなのですが・・・。
これ以上は私ではわかりません、どなたか博学の士のご意見を賜りたいところです。
ゾルゲ事件のライカについては「ライカの探究」写真工業出版社、の中で、
小倉磐夫氏が「ゾルゲ事件とライカ」なる一文を寄稿しておられますが、
押収品の写真の中にあるライカVaにはレンズがついておらず、
文中、引用されたブーケリッチに対する警察の尋問調書の中でも、
ゾルゲがお金を出して買わせたコンタックスのことには触れていますがライカの記述がなく、
実際の「ゾルゲのライカ」にどんなレンズがついていたか、わからないのです。
265 :
前スレ86 :2005/08/07(日) 20:32:23 ID:???
訂正します。 「押収品の写真のライカVa」にレンズがついていないと書きましたが、 よ〜く見るとレンズがついているようです。 前玉が大きく、黒地に白文字でメーカー名が入っているので、 1942年のゾルゲ事件のときと考えると、ズマール50mmF2でしょうか。 これだから知ったかクンなんて言われるんですよね・・・赤面。
ゾルゲのライカVaとかロンメル元帥のVcとか 戦前バルナックは歴史上の人物と同型のを使う楽しみがあっていいですね。 ところで、押収されたゾルゲのライカは、その後どうなってしまったんでしょうね? ロンメル元帥のライカは、どこかに展示されてるのでしょうか? どなたかご存知ないですか?
267 :
前スレ86 :2005/08/09(火) 21:55:40 ID:???
>>266 手元の少ない資料をあたってみましたが、
「ロンメルのライカ」についてはエイムック「ミリタリーライカ」9ページ、
有名なドイツの名将ロンメル元帥や、アメリカのアイゼンハワー大統領の使用したライカは大変な高値がついている。
・・・この1行だけしか発見できませんでした。
「高値がついている」ということは、何らかのオークションを経由して、
個人所有になっているものと推測できますが・・・。
「ゾルゲのライカ」については、かすりもしませんでした。
無学まことに申し訳なし、どなたか博学の士の御説を賜れれば・・・。
268 :
名無し三等兵 :2005/08/10(水) 18:55:46 ID:FyLcM+r0
映画「スパイ・ゾルゲ」に登場するライカについては、 レンタルビデオ屋で簡単に原作を確認できるのでは? せっかくライカが活躍している映画なのに、 鑑賞もしない輩が憶測で語っていても仕方ない。
269 :
前スレ86 :2005/08/10(水) 19:26:36 ID:???
>>268 まさしくその通りです。
鑑賞することに致します。
普通の個人の遺品の場合は遺族が誰かに譲渡したものが流れていくのでしょうが ゾルゲのカメラは裁判の証拠品ですからねえ。裁判が終わって検察が不要と判断すれば 所有者に返却でしょうが判決が死刑で所有者が死亡の場合どうなるんでしょうか。 遺族に引き渡すんでしょうか。でも外国人だしなあ。
271 :
前スレ86 :2005/08/11(木) 22:45:49 ID:???
>>270 戦前の司法機関、しかも諜報=国事犯で被告が外国人となれば、
「没収」という扱いだったと想像しますが、
もしや「その後、戦災により焼失」まで、想像をたくましくしてしまいます。
もしそうであれば、これほど残念なことはないのですが・・・。
宮嶋茂樹氏のキヤノンEF300mmF4Lには、
”I saw Yugoslavia in 1999”
”Jakalta in 1999”
”Kosovo in 1999&2001”
”East Timor in 2002”
・・・このレンズが「何を見てきたか」のマーキングがあります。
(出典:「カメラスタイル」22号「戦場のカメラ特集」)
私の手元の中古カメラも、今まで何を見てきたのか、想像に遊ぶことがあります。
272 :
名無し三等兵 :2005/08/11(木) 22:54:33 ID:CZstFGLk
今日のIDは、CARL ZEISS なのです。 戦後のドイツ東西分断で、西側はオーバーコッヘンに別企業として再生。 東側に残ったCARL ZEISS JENA は本家なのに、西側主要国向け輸出製品は ツァイスの商標が使えなくなったりして可哀相でした。 その後、東西ドイツ統合で、東側が西側ツァイスへ統合されるような 形になったのは、力関係からして当然かも。 とは言っても、東独のツァイスレンズは伝統的な描写が素敵。 後期の写真レンズでは、プラクチカ用が結構揃っていますね。 (M42スクリューマウントとBバヨネットマウント)
戦う写真部。写真甲子園なんてのがあるんですな。 カメラはデジタル一眼レフのようだ。
芸術系の写真でもデジタルかあ。
275 :
前スレ86 :2005/08/12(金) 19:42:51 ID:???
>>272 WW2終了後のドイツ、東西分割の悲劇をもろに浴びせられたのが、
カール・ツァイスと、ワルサー社のように思えてなりません。
コンタックスの工作機械から残存パーツに至るまで、ごっそりとソ連が持ち帰って作った「キエフ」も、
東京の物好きな・・・じゃなかった、珍品に強い中古カメラ屋さんでよく見かけますが、
別のショーウィンドーに置いてあるオリジナル・コンタックスを見た後では、
所詮コピーはコピー、でしかないように見えます。
最近、文革中国を撮った写真集が出版され、私も立ち見しましたが(←買えよ・・・)
撮影したカメラマンのポートレートには、キエフが写っていました。
一説には朝鮮戦争の中国義勇軍に軍事援助を出し渋ったスターリンが、
後ろめたかったのか、大量に援助物資として送り込んだものだといいますが・・・。
「プラクチカ」の東独製1眼レフ、M42マウントのものは、
ひと昔前、よく通販の雑誌広告に登場していた覚えがあります。
たしか、ペトリのように前面にシャッターボタンが配置されたものでした。
個人的な話で申し訳ないのですが、ただ今、私のM4にプラナー50mm、
ツァイス・イコン用のレンズを装着すべく、軍資金の貯金中です。
評判はものすごくよいようで、早く試してみたいものです。
276 :
前スレ86 :2005/08/12(金) 19:56:44 ID:???
>>273 某高校写真部時代、長巻トライXをセコハンパトローネに詰め、
それもローダーで巻けるぎりぎりまで詰めたため、40枚撮りフィルムまで作ったセコさ、
たまに新品箱入りフィルムなど使うと「お金持ち!ゴッド!」
印画紙も部の予算ではろくに買えず、親しいカメラ屋さんから特別価格で分けてもらった、
「金食い虫の写真趣味をビンボな高校生が乗り切った」思い出からすると、
PCやプリンターといったインフラ整備さえ追いついておれば感光材料不要、
撮るだけならローコストで済むデジタルで高校生が写真を楽しむのは、
ある意味よいことだと思うのです。
「思う存分撮りまくれる」だけでも、素敵なことです。
でもね、オジサンは、鼻がひんまがるような薬品臭立ち込める暗室で、
ちょうど今ごろなら制服脱いで、上半身はTシャツ一丁で汗まみれになって作業した、
あれも味わってみて欲しいと思うんだヨ、高校生諸君・・・。
277 :
前スレ86 :2005/08/12(金) 20:14:42 ID:???
>>274 時代の趨勢というか、そこまで優秀なデジタルカメラができてきたということでしょう。
1000万画素を超えるデジ1眼レフにもなりますと、
ある側面から見れば大判カメラを持ち歩いているのと同じですから・・・。
私はサバイバル・ゲーマーでもありますが、
電動ガンに多弾数マガジンの組み合わせは、実戦でいえば皆が皆、分隊支援機関銃を持ち歩いているのと同じことで、
これがデジタルカメラに当たり、
さしづめ銀塩は電動ガンのノーマル・マガジンにこだわるのと同じかな、と、
あまり人様にはおわかり頂けない例えを、思うことがあります。
漫画売り場にまぎれていたカメラと戦争という題の文庫本を入手。 シグマのレンズ設計陣はオリンパスのレンズ設計者の流れをくんでいる キヤノンのレンズ設計陣はニコンのレンズ設計者の流れをくんでいる などの裏話も満載。
でミノックスをキューバ危機の際にスパイが使っていたなどの話もあり。 当時の使用説明書には文書のコピーに最適とあったとか。
280 :
前スレ86 :2005/08/12(金) 21:09:01 ID:???
>>278 あれは面白い本ですね、私も持っています。
日本海海戦で日露両海軍の砲撃精度を決した「バー&ストラウド測距儀」の項は、
私が読んだちょうど同時期に「世界の艦船」誌にも取り上げられており、
突き合わせて読んだものです。
その勢いで、横須賀の戦艦「三笠」を見学に行ったことがありますが、
いまのレベルから見れば、とりわけ舷側砲の防御はないも同然、
これで光学照準で撃ち合う距離での砲戦、恐ろしいというか、先人の闘志に敬服の思いでした。
同じ小倉磐夫氏の著書に「国産カメラ開発物語」朝日選書、があり、
こちらもお勧め致します。
281 :
前スレ86 :2005/08/12(金) 21:15:05 ID:???
>>279 資料をひっくり返してみますと、小型ながら近接撮影にも配慮されていたようですね。
これはやはり、文書コピーを目的とした機能でしょう。
諜報目的用を念頭に置いていたと思うのは、考え過ぎでしょうか・・・。
一度、実物を手に取ってみようと思います・・・が、
また、中古カメラ屋さんの店員さんを困らせてもナンですし・・・。
282 :
名無し三等兵 :2005/08/12(金) 22:05:34 ID:E0WNzaUb
>>278 日本光学の社史に、戦艦武蔵がアメリカ空母を撃沈したと
測距儀自慢で記されていたエピソードが印象的。
戦艦武蔵は、空母ガンベアベイ沈没の前日に沈んでいるのに…
283 :
キャパ :2005/08/12(金) 22:16:39 ID:1QdcmFJy
>>273 我が校は写真甲子園出場出来ませんでした。ゴメンねみんな。僕に力が無くて・・・。 >>276 高校生でもMF、MEでモノクロ自家現像で引き伸ばしする奴はいますよ。 基本的に高校生はモノクロが主流だと思います。高校生だけの作品展では モノクロは七割ぐらいを占めていますよ。高校生の撮影講習会では 自家製のモノクロ現像引き伸ばしの講座があるくらいです。 日本のモノクロフィルムの需要は学生とプロで守ってのではと思うぐらいです。 今日も甲子園に行きました。楽しかったですよ。
284 :
前スレ86 :2005/08/12(金) 23:22:08 ID:???
>>282 それについては前述の「国産カメラ開発物語」でも、小倉磐夫氏は疑問を提しておられます。
ニコンの社史では「大和」と「武蔵」を取り違えているのもさることながら、
社史にいう「ガンビア・ベイに初弾で命中」どころか、砲撃開始から1時間10分もたってやっと初弾命中、
それも他の艦からの砲撃によるもので、
「大和」の主砲砲撃に関する限り、約100発を発射して命中弾はなかったという説もあるそうです。
ニコンの社史「初弾命中」の出典は「大和」砲術長の手記であったそうですが、
戦後、各種資料で検証する限りでは、間違いと言わざるを得ないとか。
285 :
前スレ86 :2005/08/12(金) 23:37:39 ID:???
>>283 おお、それは残念なことです。
しかしながら勝負は時の運、必ずしも実力ならず。
再度のチャンスもありましょう、どうかお気落としのないよう・・・。
それにしても、高校生諸君がモノクロを楽しんでいるとは頼もしい限り。
私もついつい、昔を思い出してしまいます。
社史の監修者に「軍事オタ」か少なくとも軍艦マニアをいれておくべきでしたね。ニコンは。
あの社史、欲しいなあ。どこかで手に入らないかなー。
ニコンのネットショップでニコンまんじゅうに並んでありましたよ(うそ)。
289 :
前スレ86 :2005/08/16(火) 17:47:41 ID:???
>>286 あるいは戦史に詳しい、専門家の助言を頂くなどすればよかったんですよねえ。
あれだけの大会社、社史編纂にも潤沢な予算がつけられていたんでしょうし、
ニコンは「社団法人・日本防衛装備工業会」の正会員です、
防衛庁にも太いパイプがあるはずですから、
防衛研究所の戦史研究室あたりから、その気になれば資料提供も受けられたのでは?と、
推理をたくましくしてしまいます・・・。
「ニコン75年史」の誤りということは、「100年史」発刊の折には改訂が加えられるのでしょうか(笑
290 :
前スレ86 :2005/08/16(火) 17:51:10 ID:???
>>287 小倉磐夫氏「国産カメラ開発物語」によりますと、
東京・神田には社史を専門に扱う古書店があり、そちらで時々見かけるとか。
大きな会社です、相当の部数が発行されたのでしょう。
私も上京の折には、神田に立ち寄ってみようと思います。
8月の総合火力演習はあたらなかった。
292 :
名無し三等兵 :2005/08/16(火) 23:41:49 ID:kO3BxpXs
カメラ、クルマ、オートバイ、ゴルフ、釣り道具など、 趣味嗜好的な商品を扱っている会社の社史は、 古書市やオークションに流出すると、マニア相場で高価 (数万円)にて取引されるなど社内的に問題化することになるため、 最近では、社員や関係先、図書館寄贈など必要最低部数しか刷らず、 配布後の管理も結構厳しいとか。 シリアルナンバー付きの社史もあるそうです。 しかし、社史をもらっても有り難みを感じない社員などは、ナイショで 流出させたりすることは避けられないと思うので、 いっそ、社史を一般に販売すれば宣伝にもつながるのに思うのですが。
293 :
名無し三等兵 :2005/08/17(水) 00:00:01 ID:6/imIMvI
社史は大学図書館の書庫で閲覧できるよ。 母校に問い合わせてみては? 早稲田と学習院ではニコンあったな
294 :
前スレ86 :2005/08/17(水) 18:03:48 ID:???
>>291 私も毎年、ハズレの連発、もうあきらめてます。
しかし、知り合いには複数の枚数が当選する、運のいいひともいます。
295 :
前スレ86 :2005/08/17(水) 18:18:29 ID:???
>>292 なるほど、貴重なお話をありがとうございます。
何やら、複雑な思いが致します。
状況が厳しくなる前、古きよき時代?の昭和48年に刊行された、
小西六の社史「写真とともに百年」は、
社史ではありますが「日本写真史」そのものでもあり、
やや文章を平易にしたり、興味深いエピソードを盛り込んだりと、
読み物としての手も加えられたものでした。
私の持っている「普及版」は、そこそこ広く売られたらしく、
ネット古書販売でも、わりあいと簡単に入手できるようです。
(実は昔から持っていたものがボロボロになったので、1冊買い足したばかりです)
改めて「小西本店」からの、日本の写真史とともにあった「コニカ」を思い、
素晴らしい企業だと思いました。
私と同じ読後感を持たれる方ばかりではないと思いますが、
おっしゃるように、宣伝、また、企業イメージの向上に寄与するところは大だと思います。
296 :
前スレ86 :2005/08/17(水) 18:23:39 ID:???
>>293 これも貴重なお話、ありがとうございます。
私も母校、関西の某大学近くから離れて久しいのですが、
懐かしさにも誘われて、母校訪問をしてみたくなります。
297 :
前スレ86 :2005/08/17(水) 22:11:28 ID:???
ライカ社は今、ケツに火が付いているから金次第で、どんなアホなオーダーでも 引き請けるだろ。 この件も、グークの思想を承知しているというよりは、自己満足のために喜んで 身銭を切る「バカから貰えるもんを貰った」というのが事の真相だろう。
299 :
287 :2005/08/18(木) 05:05:13 ID:???
>>290 ,
>>293 ありがとうございます。そういえば、社長の出身校はわたしの勤務先だった。
図書館にありそうですね。
#でも、ニコンコレクターとしては所有したいなあ。
戦争ネタでいうと、陸軍のライフルスコープなんかを作ってた、富岡光学は 悲しいことになってしまいましたな。
余分があればくれるかもしれませんよ。ニコンの広報とかに直接問い合わせてみればどうでしょうか。
302 :
前スレ86 :2005/08/18(木) 17:53:37 ID:???
>>298 「どんな記念モデルでも作ってきた」のが、M6発売以降のライツ→ライカ社で、
その中にはタイ王室やブルネイ王室からの金メッキボディ、
悪趣味かどうかは民族や個人の判断ですが、少なくとも欧米コレクターにてんで人気がないものも含まれます。
その上、例えば最近ではライカMPから露出計を外した「MPクラシック」も、
もともとは中国のライカ・ディーラーからのオーダーといいます、
(東京の有名ライカ取り扱い店で相当数を見ることができ、私も見たことがありますが、ありゃ・・・)
アジア市場を無視できなくなっている事情は推測できますが、
個人的には釈然としません・・・。
303 :
前スレ86 :2005/08/18(木) 17:59:21 ID:???
>>299 お気持ちわかります、わかります。
メーカーのオリジナルグッズや刊行印刷物は、
それが手に入りにくいものほど、コレクター心を刺激するものです。
せっかく手に入れた「ニコンせんべい」をほとんど全部、仲間に食われた私としましては、なおさら!?
304 :
前スレ86 :2005/08/18(木) 18:12:15 ID:???
>>300 のちの京セラオプテックですね。
京セラ・コンタックスのレンズを製造するほど、すこぶる高い技術を持っていながら、
京セラのコンタックス撤退という目に・・・。
その昔はRTSが、最近ではG2が「欲しいけど高くて買えない、でも一度は使ってみたい」、
憧れだった私、本当に残念に思っています。
市場在庫のT3があっという間に売れた話を聞くと、
”それだけの勢いで売れていれば、もう少し撤退も遅かっただろうに”と・・・。
京セラのプレスリリースを読んだ限り”モウカラナイカラヤ〜メタ”としか読めず、
モウカラナイには違いがないにしても、もう少し言いようがあるだろうとも思ったものです。
私の読解力が浅いのだとは思いますが・・・。
305 :
前スレ86 :2005/08/18(木) 19:17:11 ID:???
M4−2にオリーブ・ドラブに塗装されたモデルがあると資料に書いてありました。 「一説にはイスラエル軍用」とも書いてあったのですが、 この「オリーブM4−2」、最近、某カメラ店で実物を見る機会に恵まれました。 軍用にしては、世界各国軍隊のカメラに共通する、軍用を示すスタンプや刻印がありません。 テカテカのOD塗装はかっての「キヤノンOD・F−1」のような、 武器っぽくない色で、何よりもその1台には使われていた形跡がありませんでした。 ここからは私の推理で、全く根拠がないのですが、 ライツ・カナダ社で生産されたライカM4の米軍軍用型、KE−7Aがキャンセルされ、 反面、ニコンFを先鋒とする日本製プロ用カメラが続々と台頭し、 「もう、どこの軍隊もまとまった数のライカなど買わないだろう」状況に加えて、 エルンスト・ライツ社の経営悪化→他社傘下の「ライツ社」となった混乱の中、 品質が相当に低下して生まれたのがM4−2なのですが、 「イスラエル軍用」の話が本当ならば、何故、イスラエルはM4−2を買ったのでしょうか? UZIサブマシンガンを、西ドイツ陸軍が制式化していたことがありますが、 UZIそれ自体は優れたサブマシンガンであったにせよ、 イスラエルからの導入は、ナチス時代の戦後賠償の意味が大きかったといいます。 もしかすると、M4−2は「逆UZI」で、 兵器を大っぴらにはイスラエルに輸出できない西ドイツが、 ライツ・カナダ社の製品であることをカバーにして、戦後賠償の意味も含めて売ったのではないでしょうか? 今、自分で立てた推理を検証すべく、資料にあたっていますが、 どなたか博学の方のご意見、ご叱正を賜れれば幸いに存じます。
306 :
前スレ86 :2005/08/18(木) 19:20:37 ID:???
×M4−2 ○ライカM4−2
ヨドバシカメラれ配布してる無料冊子(ポイントネットワーク?)に ライカを語るページ(4ページ位)が有るのれす
308 :
前スレ86 :2005/08/18(木) 22:13:02 ID:???
>>307 ありがとうございます、次回上京の折は、またヨドバシに出かけてみようと思います。
軍用カメラで言えば、銀座のカメラ店でキヤノンF−1後期、
”US NAVY”刻印入りのnewFD50mmつきが、
同じく刻印入りの135mmとセットで8万円で売られていたのを見たことがあります。
嗚呼、軍資金さえあれば・・・。
309 :
名無し三等兵 :2005/08/18(木) 22:43:47 ID:1/rsPQda
軍用カメラといえば、ベトナム戦ではアメリカ海軍の主力カメラとして トプコンREスーパー(スーパーD)が大活躍。 大柄で頑丈なボデーと、TTL開放測光やモータードライブが好評だった。 しかし、当時の東京光学のカメラ雑誌の広告では、 FBIでの採用が紹介されているのみ。軍事色はマズかったんでしょうね。
トプコンは旧日本陸軍の光学兵器メーカですよね。 ニコンが旧日本海軍の光学兵器メーカであったように。
311 :
前スレ86 :2005/08/19(金) 10:36:49 ID:???
>>309 私の働いている業界で大型機械を作っているのが、「ホーx」こと、豊x工業なのですが、
業界のマシンショーで会社案内のパンフをもらっても、銃器の製造には全く触れていません。
自衛隊に小銃を納入するのみならず、猟銃の分野でも世界的定評があるのに、
「コロシの道具メーカーと呼ばれたら困る」からなのでしょうか。
ベトナム戦争の時代、反戦・平和運動が盛り上がっていた当時の日本の世情では、
米軍にカメラを納入しているのが大っぴらになってしまえば、
「米軍にカメラを納品し、コロシに手を貸す死の商人」よばわりされかねなかったと思います。
実際には特定のメーカーのみならず、日本のカメラ工業全体が、
米軍のカネによる「ベトナム特需」で潤っていたのですが・・・。
現在はカメラからは撤退したものの、光学機器メーカーとしてはご盛業の東京光学、
私の疑問ですが、
今も東京光学さんでは、トプコンのカメラの面倒を見てもらえるのでしょうか?
パーツもなければサービスマンもおらず、無理だとは想像しますが。
312 :
前スレ86 :2005/08/19(金) 10:45:48 ID:???
>>310 おっしゃる通りだったかと思います。
戦後になって、民需品への転換としてカメラの本格的生産に乗り出したあたりも似ていますね。
でもトプコンはカメラ事業撤退ですよね。 京セラ(旧ヤシカ)もカメラ事業撤退。 ゼンザブロニカは買収された。 消えた日本のカメラメーカはどれくらいあるんでしょう。 デジタルカメラにかんしてはソニー、松下、三洋、カシオ、日立などの 新規参入があったので消える一方というわけではありませんが。
314 :
前スレ86 :2005/08/19(金) 22:30:19 ID:E7dBSWJt
>>313 パッと思いつくだけでも、倒産がペトリ、ミランダ、アイレス、
カメラ事業撤退がコーワ、ズノー、
戦後の混乱期に雨後のタケノコのように出来たメーカーまで含めると、
それこそ星の数ほど、とはちょっと大げさでしょうか。
ここで資料をひもといてみました。
「世界の日本カメラ・輸出産業へのあゆみ」財団法人・日本写真機光学機器検査協会、では、
”乱立するメーカー”として、戦後の状況に一章を割いています。
具体的に何社あったのかは触れられていません、把握できないほどだったのでしょうか?
しかしながら、終戦直後の飛躍的なカメラ生産台数の伸びについては、
1947年には64000台、翌1948年には130000台に近い台数、
1952年には400000台を突破したという記述があります。
しかしながら輸出に関しては「CPO輸出」、
CPO=米軍中央購買局の管轄下、駐留米軍や沖縄米軍向けのものが60%を占めていたそうで、
ここで日本のカメラメーカーを襲ったのが、朝鮮戦争停戦による戦争景気のストップでした。
特需景気が去ると倒産旋風が吹き荒れ、たちどころに十数社が倒産したそうで、
その先にもアメリカ現地市場やヨーロッパ市場への進出には、並々ならぬ苦労があったようです。
ベトナム戦争といえば Nikon F という強烈なイメージがありますが、
これは宣伝効果抜群だったのでは?
>>311 まあ実態としてもそうだったわけですが。華奢で蛮用にとても耐えられないと
考えられていた一眼レフだったのが、ベトナムの戦場の様子を伝えるのはNikon F
が殆どという状態になったわけで、これはカメラの歴史で決定的な事件ですよね。
それにしても、(新生)日本光学のカメラの歴史は、朝鮮戦争でのNikkor Lensのシンデレラデビューに始まって、
ベトナムでのNikon Fの地位の確立、と常に戦争に絡んでますね。
日本光学のコーティングも、最初はIJNの潜水艦の潜望鏡か何かですよね。
スター「ウォーズ」エピソード3シスの復讐の撮影レンズはフジノンかあ。
317 :
前スレ86 :2005/08/22(月) 01:16:11 ID:???
>>315 「宣伝」を通り越して「名声」だったのではないでしょうか?
ベトナム戦争報道カメラマンのほとんどが、今、記録写真で確認できる限り、
望遠主体でニコンF、広角主体でライカM3、M2、
ごくまれにニコンSPなども使われてはいますが、
全体としてみればニコンF一色の感があります。
田中長徳氏の記述によると、当時、ドイツ人のカメラマンですら、
一眼レフでは「ニコンFこそ最高だ、ライカフレックスなどxx(書けないような表現)だ」と、
乱暴な言い方で言ってのけたそうです。
・・・ずっと後で、ニコンのフラッグシップ機がF2になった後も、
朝日新聞社の某地方支局ではFのシルバーボディ、モータードライブつきが使われており、
夏の高校野球の地方予選、バックネット裏で超望遠レンズを装着、大型三脚に載せられた機関銃のような迫力は、
プロカメラマンのお手伝いをしていた高校生の私、
”ガンナー”の、朝日のタオルでほっかむりしていても眼光鋭いカメラマンの方と併せて、今も生々しく思い出します。
F2が出たあとでもなお、報道の現場でFは信頼されていたのでしょう。
前にもご紹介させて頂きました「国産カメラ開発物語」朝日新書、には、
「潜望鏡からカメラレンズヘ・コーティング技術の始まり」なる一章があります。
・・・私が海上自衛隊潜水艦「xxしお」を見学した折、潜望鏡をのぞく機会に恵まれ、
その倍率とクリアーな解像度に感心したのもさることながら、
「日本光学」製で「35mmカメラ内蔵」とのこと、
どこかにF3が入っているに違いない!?と見回しましたが、確認できませんでした・・・。
>>316 映画の世界だと、panavision mount が標準だよね。レンズは、勿論、Panavision が多いけど、Zeiss や Nikkor を
panavision mount に変更したやつが US では良く売られてますな。
Nikkor 300/2 の panavision mount ってのが売られてたな。300/2 は日本では
星屋ばっか使ってるけど、確かに movie には向いてそうだね。
319 :
前スレ86 :2005/08/22(月) 01:25:16 ID:???
>>316 興味深いお話をありがとうございます。
ムービーの方には全く暗いのですが、フジノン・レンズですか。
いずれにせよ「バリー・リンドン」の頃とは、隔世の感があると思いますが。
一番最初のStar Warsのメイキング映像みてたら、Nikkor を使ってた。 未だ CG が無い時代、あのスターデストロイヤーに突っこんで行くシーンとか 巨大な模型の上をNikkorを付けたカメラを少しづつ動かしながら撮ってた。
321 :
前スレ86 :2005/08/22(月) 01:32:41 ID:???
>>318 むむむ・・・パナビジョン・マウントなる規格があるのですか。
これは興味深々。
もしよろしければ、ご教示を頂けないでしょうか?
322 :
前スレ86 :2005/08/22(月) 01:38:25 ID:???
>>320 最初の「スターウォーズ」、封切りに並んだのが中学生の頃ですから、
私もトシを取ったものですね(しみじみ
帝国の巡洋艦、よく見るとタミヤのミリタリー・ミニチュア35分の1、
戦車のプラモデルの部品が使われてましたっけ。
・・・いや、当時はパンターやティーガーのプラモをよく作ったモンです、ハイ。
惑星ソラリスの封切りは見たけど。
2001年宇宙の旅も封切りで見たな。
325 :
前スレ86 :2005/08/25(木) 23:09:19 ID:???
>>324 キューブリック監督作品で言えば「フルメタル・ジャケット」を封切りで見ました。
たしか「スターズ・アンド・ストライプス」米軍広報誌の取材のシーンがありましたっけ。
DVDソフトを持っていないので、今すぐに確認が取れないのですが・・・。
ベトナム戦争もので言えば、小林源文氏(一等自営業氏とお呼びすべきですか?)の漫画作品に、
沢田教一氏が登場していたのにニヤリとしたものです。
漫画のカットのいくつかも、沢田教一氏の撮影した写真から絵に起こしたものでした。
汎用護衛艦のプラモデルを作ったことがある。 名前は忘れたがダッシュ搭載のやつだった。 観艦式でダッシュを積んだのが見当たりませんがと 乗組員の人に聞いたらあれ使い物にならなくてすぐやめになった。 搭載護衛艦も改造されて他の兵装になったとのことでした。
そういう意味じゃ、無人偵察機は使い物になるのかねえ。 あいつら自律型なんだっけ。
328 :
キャパ :2005/08/26(金) 20:07:59 ID:JM3PyKSd
僕の撮った写真が僕の学校のパンフレットに掲載されてた!! 本人の知らない間に!!! 新入生がその写真みて写真部に入ってくれたらいいなぁ〜 関係ない話でスマソ
329 :
前スレ86 :2005/08/27(土) 11:16:41 ID:???
>>326 無線操縦のチャンネルが少なかったために、複数の艦が飛ばすと混信して大変、とか、
極端に稼働率が低かったとか、いろいろな話を聞いたことがありますが、
一番大きな理由が「有人対潜ヘリに比べて使い道が少なすぎる」ことだったとか。
海自ヘリ部隊の体験搭乗でHSS−2BとSH−60Jに乗ったことがありますが、
とりわけHSS−2Bは機内のスペースが大きく、これならいろんな用途に使えると思いました。
SH−60Jでも、搭載機器を降ろしたり、組み合わせてかなり多用途に使えるそうで、
ダッシュのように「魚雷を運んで投下するしか能がない」のとは大違いです。
その「一芸に秀でた」ところが、ホントに秀でていればそれはそれでOKなのですが・・・。
余談ですが、毎年春に実施される、四国の某海自ヘリ基地祭(一箇所しかないからバレバレ)の名物出し物が、
商店街のくじ引きによくある「がらがらぽん」で、
赤い玉の「大当たりぃ〜!が出れば約20分、対潜ヘリで空の旅ご招待」です。
機内にカメラ持ち込みOK、民間人じゃめったにできない「海自ヘリで空撮」もできます。
今年は基地祭にからめて「おおすみ」が付近の港で一般公開されていたため、
SHは「おおすみ」上空を機体をバンクさせて通過、「おおすみ空中撮影会」のサービスぶり。
(その今年に限ってがらがらぽんに外れた私・・・)
来年、運試しにいかがでしょうか?
330 :
前スレ86 :2005/08/27(土) 11:24:18 ID:???
>>327 ダッシュの時代とは全ての技術がくらべものにならないぐらい進んでいますし、
有人偵察機のように人間が乗るための機体サイズや耐G強度に気を使わなくてもよい分、
思い切った設計ができ、
乗員の損失を考えなくてよい分、どんな状況下でも思い切って投入できる・・・と、
結構、使えるのではないかと思います。
331 :
前スレ86 :2005/08/27(土) 11:56:25 ID:???
>>328 写真を使うならひとこと声かけて・・・なんてヤボな話は言いっこなし、
母校のお役に立つのならうれしいものですね。
私や私の同期写真部員も、相当な量のネガやプリントを某高校に置いてきました。
今は然るべきところに保管されているのでしょうか・・・。
あああカメラGET誌も休刊…
銀塩勢力の衰退著しい昨今、仕方ないだろうけど
>>314 弱小メーカーの総数はどのくらいになるんだろ
戦後の二眼レフブームの時なんか、カメラ製造で一儲けを目論んだ連中が
御徒町の光学機器卸売りの店で大メーカーの型落ちボディーやリコーレフの規格外れレンズを買ってきて
手作業で組み上げて近所のカメラ屋で売ってた…なんてのも多かったみたいだし
そのせいで製造メーカー不明・名前があってもメーカーの素性不明カメラがうじゃうじゃ
333 :
前スレ86 :2005/08/27(土) 21:02:27 ID:???
>>332 もう少し資料をひもといてみました。
過去レスでご紹介させて頂きました、小西六の社史「写真とともに百年」には、以下のような記述があります。
カメラ製造業界も既存メーカーのほか、戦後進出してきた兵器産業からの転進組、
カメラ熱の復活で生まれた新メーカーなどで、(昭和)二十八年前後は合わせて100社ぐらいになっていた。
これらの内訳は、
日本写真機工業会の前身である光学精機工業会写真機部会に加入していたのが23社、
アウトサイダーが30社、
このほかがいわゆる”四畳半メーカー”と呼ばれた、あれこれと部品を買い集め、
アルバイトの二、三人を相手に、いいかげんな名称のカメラを組立てていた零細業者であった。
さらに前述の「世界の日本カメラ・輸出産業へのあゆみ」から、
1954年(昭和29年)に「日本写真機工業会」が発足した折、加盟メーカーは36社あったそうですが、
委任状も含め、第1回総会に出席したメーカーは、
旭光学工業、アルコ写真工業、アイレス写真機製作所、エルモ社、オリンパス光学工業、
オリエンタル精機、キヤノンカメラ、クリスター光機、コパル光機、小西六写真工業、
三栄産業、昭和光学精機、信濃光機、太陽堂光機、第一光学、
大成光機、田中光学、千代田光学精工、東郷堂産業、東京光学機械、
西田光学工業、日本光学工業、ニッカカメラ、服部時計店、八洲光学精機、
八陽光学工業、マミヤ光機、富士写真フィルム、ユニオン光学、理研光学工業
・・・以上の30社だったそうですが、
この本が出版された1984年の時点で、日本写真機工業会の会員に残っているメーカーは半数以下だったそうです。
334 :
前スレ86 :2005/08/27(土) 21:37:15 ID:???
さらには日本であって日本でない、米軍占領下の沖縄にもカメラメーカーがあったという記述が、 「中古カメラ通の本」円谷円(つぶらや・まどか)氏の本にあります。 円谷氏が2001年に沖縄の中古カメラ店で発見した、 2台の「ニューパックス」35mmレンズシャッター・カメラには、 1台に「made in ryukyu」、 1台に「made in okinawa」の刻印があり、 中古カメラ店主の証言!?によりますと、 沖縄復帰前、那覇港近くの「波の上地区」に「フリー・ゾーン」があり、 (免税など特恵措置のあった「特区」のようなものでしょうか?) カメラや双眼鏡、トランジスタ・ラジオなどを作っていたのですが、 すべての製品が米軍PX向けだったため、一般には出回らなかったといいます。 ・・・この「ニューパックス」のメーカーがどこなのかは、判然としないそうです。 同じころ、ペトリ・ハイライト、35mmレンズシャッターカメラも「波の上地区」で、 半完成品を日本本土から「輸入」し、沖縄ペトリが組立てていたとか。 円谷氏が発見したペトリ・ハイライトには、 「PETRI camera Corp,of okinawa」 「Made in American Ryukyus」と刻印があったそうです。 ペトリ・ハイライトを作っていた人を探し出し、インタビューしてみると、 やはり米軍PX向けで、他機種も合わせて日産約70台、 ペトリ・ハイライトの価格は23ドルぐらいだったとか。
made in occupied Japan の刻印のあるカメラもあるんでしょうな。
336 :
前スレ86 :2005/08/28(日) 00:04:54 ID:???
>>335 うろ覚えで申し訳ないのですが、いつぞやの「アサヒカメラ」に、
東京「ICS・世界の中古カメラフェア」において、
オキュパイド・ジャパン刻印入りのキヤノン・レンジファインダー機、元箱入りが出品されるという広告があり、
結構なお値段がついていたと記憶します。
「写真とともに百年」によれば、小西六淀橋工場の民需向けカメラ生産は、
昭和20年10月から再開されていたといいますから、
占領下日本のカメラ生産の立ち直りは、思いのほか早かったようです。
337 :
名無し三等兵 :2005/08/28(日) 11:50:35 ID:CXge2ziq
ふつう社史は従業員に配布される(=一般配布、寄贈用+従業員数を刷る)ものですが、 ニコンの75年史は、配布用以外には、社員に事前に希望を募ってひとり一冊限定で販売しました。 価格は4000円でした。 つまり、同規模の従業員数の会社の社史より刊行数はかなり少ないはずです。
338 :
前スレ86 :2005/08/28(日) 22:15:54 ID:???
>>337 これはこれは、貴重なお話をありがとうございます。
なるほど、それではかなり部数は限られてくるはずですね。
個人的には「日本カメラ博物館」のライブラリーで見られないかと思っていたのですが、
ライブラリーが土曜・日曜・祝日が休館となっていますので、
なかなか利用できないなあ、と思っていたところです。
今、会社の先輩にライカのカメラを買わないかと言われてしまった。 ライカM6とかいうヤツなんですが、4万円はお買い得なんでしょうか?
ジャンクでなければ買い。興味が無ければオクに流せば良い値がつきます。
うほっ いいカメラ 買 わ な い か
342 :
前スレ86 :2005/08/29(月) 17:11:42 ID:???
4万円ならぜひ私に売って下さい(笑 いや、冗談はともかく、 あなたを可愛い後輩と見込んで(変な意味じゃないですよ)の、 いわば出血価格でしょうから、このさい譲ってもらってはいかがでしょうか? そしてちょっと使ってみて下さい、撮る面白さがありますよ、ライカ。
343 :
339 :2005/08/29(月) 17:33:00 ID:???
4万円は大サービス価格な訳ですね。その先輩という人は、多趣味なひとで、 バイクにカメラにサバゲにその他いろいろな事にお金を注ぎ込んでいるんで すが、大きな買い物するらしくコレクションの一部を処分したいと言ってま した。思い切って、譲ってもらおうかな・・・。
4万なら買い得れすね もしかしたら交渉次第れ下がる可能性も秘めている悪寒
M4ってシャーマン戦車だっけ。
M6っていう戦車か兵器はあるのかな。
347 :
前スレ86 :2005/08/29(月) 22:03:15 ID:???
>>344 4万以下になるんだったら私が取りに伺います(笑
と、いうわけで
>>339 さん、これはチャンスですよ。
使い方なら先輩という、お師匠さまがおられることですし、
あれこれと教えてもらうのもまた、楽しいことかと思います。
348 :
前スレ86 :2005/08/29(月) 22:09:52 ID:???
>>345 私の知る範囲内で言いますと、他には米軍のM16A2を短縮したカービンでしょうか。
東京マルイの電動ガンでおなじみ「M4A1」はフル・セミ切り替えですが、
「M4」はM16A2と同じ、3バースト・セミの切り替えだったと思います。
カメラでは「M4」の代表格は「ライカM4」ですが、私のM4は、
フィルムの詰め方をちょっといい加減にすると、たちどころに巻き上げ不良を起こし、
ガリガリと鳴いて巻き上げが止まったり、多重露出の出来上がり、と、
ときたま泣かされるカメラです・・・使い方が悪いだけですが・・・。
349 :
339 :2005/08/29(月) 22:11:13 ID:???
皆様、アドバイスありがとうございます。思い切って、譲っていただこう と思います。ただ、問題は私が初心者どころか、それ以下という事だけです! 一から勉強しなくては・・・。
350 :
前スレ86 :2005/08/29(月) 22:14:58 ID:???
>>346 「M6・兵器」でググッてみますと、米軍の重戦車と装甲車が出てきました。
もっと他にもあるかも知れませんね。
351 :
前スレ86 :2005/08/29(月) 22:20:49 ID:???
>>349 大丈夫です、臆することはありません。
誰だって最初は初心者です、使って撮って、たまには失敗して上手くなるものです。
ライカM6は芸術分野から戦場報道まで、実に数多くのカメラマンが使っておられる通り、
少々のことでヘタばるカメラではありません。
前にも書きましたが、まずは先輩にあれこれ教えて頂くのがよろしいかと。
4万のM6は目茶苦茶に安いなー、と思うけど、しかし、オレでも買うかどうか。 まあ、オークションに出せばいいのか。 4万だと、F3HPが買えちゃうよ。 自分で使うつもりならM6は買わないなー。 #親父のNikon SP から一眼レフに移った時の衝撃は忘れない。
あ、そうそう。一つ重要なことを書き落としておりました>339さんゑ M型ライカの難の一つは純正・サードパーティ問わず、レンズが高いことです。 そして最大の問題は、維持費。 バルナックライカユーザの私がお世話になっている有楽町の某店は、結構勉強してくれて いる方ですが、それでもM6型の修理価格を見ると…OHで37kから。シャッター・フ ァインダー修理で21kから。 私はこれを見てM型購入を断念しました。 欲しい焦点距離を全て揃え、かつ使っていこうと思うと、かなりの出費を覚悟することが 必要です。
俺だったら、状態見てなんともなかったらその場で何も考えず買ってしまう 逃したら恐らくこの先ずっとそんな値で手に入れる機会は無いだろうし ペンタックスZ-1よりもレオタックスのほうが便利っていう、俺のひねくれた性格のせいもあるけどね
355 :
352 :2005/08/31(水) 19:25:02 ID:???
だから、わかってる奴が買うぶんには安くていいと思うけど、現代のカメラの 使いやすさを知ってる普通の人にとってはちょっとコストに見合う見合う価値は無いやね。 最低でもM6TTLだろう。あ、M6 なの? それとも M6TTL なの?
356 :
352 :2005/08/31(水) 19:38:24 ID:???
そうそう、大事なこと。ライカはどのモデルでも(コストはともかく)メーカ(今はライツ じゃなくてライカなんだっけ?)が修理してくれる、というのが売りの一つではあったのだが、 肝心のメーカーが無くなりかけてるので(出資してくれるところが近々に見付からなければ 倒産)ご注意。まあ、機械部分は闇修理でかまわないなら当分大丈夫だろうけど、 売るときに、闇修理ものは安くなる。 あとはー、ドイツでライカをぶら下げてた同僚は韓国人と間違えられた。オレは F5もってたんで日本人としか思われなかった。ちなみに、F5は独乙の若者には大人気 でした。
357 :
352 :2005/08/31(水) 19:47:18 ID:???
悪口ばかりでゴメン ポジティブな面は、なんといってもメカの剛性感と滑らかな精密感。 これに尽きます。 なんだけど、これも M3なんかに 触ってしまうと M6 はちょっと辛いです。
358 :
前スレ86 :2005/08/31(水) 21:51:09 ID:???
>>352 私も「サンキュッパ」で、F3のアイレベルを買ったクチです。
外観に問題はありませんでしたが、安かっただけあって液晶表示がボケており、
オーバーホールついでに液晶交換、コミコミであと2万のおっかけ出費になりました。
のちにMD−4を買い足し、自衛隊の広報行事には必ずお供させております。
使いにくいところもありますが、F3、信頼できるカメラと思っております。
359 :
前スレ86 :2005/08/31(水) 22:03:18 ID:???
>>353 うむうむ、その通りなんですよね。
私は目下、ツァイス・プラナー50mmを買うために貯金中ですが、
ズミクロン35mmを使ってみたいと思いつつ、高くて買えません・・・。
私がM4を買ってすぐの頃、都営地下鉄の春日駅で降りたところにある、
とあるライカ修理業者さんに持ち込み、見て頂いたことがあります。
ライカは初めての私にも、親切に事細かに教えて下さったマイスターのお人柄にほれ込み、
この方にならお任せできる、いや、ぜひお願いしよう、と思ったものですが、
やはりオーバーホールのお見積りにはちょっと驚かされました。
「このままで今は大丈夫です、何年も使ってどこかおかしくなったら、その時はお任せ下さい」、
信頼できる”主治医”の方も見つかり、ある意味、安心して使っていますが・・・。
360 :
前スレ86 :2005/08/31(水) 22:08:34 ID:???
>>354 私も今、AF機をいきなり渡されたら、降参してしまいます。
ましてデジタル1眼は、お使いの方を無条件で尊敬します。
いいものはいいものなりの値段、ウマイ話はないんだよ、と、自分を諭しつつも、
中古カメラ屋さんにフラフラと入るのは、ローレライでもいるのでしょうか!?
>>359 旦那、ズミクロンとプラナーじゃ勝負になりません
ズミクロンに値段分の価値つうか描写力はないですよ〜
昔のレンズはカラーに向いてなくてモノクロ向きと聞くがそのへんどうなんでしょうね。 こんどニッコール5センチ/F2とニッコール50ミリ/F1.4でとりくらべてみようかな。
363 :
前スレ86 :2005/08/31(水) 22:29:48 ID:???
>>356 仕事で中国に行ったとき「フェニックスの1眼レフが欲しい!」と、
現地スタッフにデパートで案内を頼んだところ、
「いいけど・・・何で日本人なのに中国製なんか欲しがるの?ニコンやキヤノンの国でしょ?」
・・・そういえば中国・新華社通信社の報道用カメラはニコンとキヤノンが混用され、
ニコンがやや優勢ですが、最新型がいち早く導入されるところは共通しており、
カメラバッグもドンケが使われているなど、西側報道機関そこのけだそうです。
「ファインダーの向こう側」なる本には、日本人カメラマンがライカM4を使っていて、
ドイツ人に首を傾げられるくだりがあり、
日本製カメラが世界を席巻する中、日本人が外国製を使うのは「ヘンクツ」扱いなのかも知れません!?
・・・どこの国の製品であれ、好きなカメラを選べるのは無上の幸せと思うのですが・・・。
ドイツ人結構日本車好き。 日本人結構ドイツ車好き。 アメリカ人タイヤが4つとエンジンついてりゃ何でもいい。
367 :
前スレ86 :2005/08/31(水) 23:11:19 ID:???
>>361 やはり21世紀の新レンズのモンなのでしょうか。
嗚呼、フィルム代と現像代は仕方ないとして、お酒をちょっと控えなきゃお金が貯まりません!?
私が今、M4につけているのは「カラースコパー35mmF2・5」Mマウントのぺったんこなレンズです。
くだんのマイスター氏いわくは「ヘリコイドが軽すぎず重すぎず、いい感じですね。」
368 :
前スレ86 :2005/08/31(水) 23:25:42 ID:???
>>365 カメラの話とは外れますが、私が台湾・台北のカウンター・バーで飲んでいたとき、
ドイツの電機メーカーから来ていたドイツ人と隣り合わせになったことがあり、
どういう流れだか、軍用ライフルの話になりました。
「俺は昔、西ドイツ国防軍にいて、G3ライフル撃ってたぞ。
日本の国防軍(英語でディフェンス・フォースと言ってましたので)は、どんなライフル使ってるんだ?」
「タイプ64、日本の国産ライフルだよ」
「う〜ん、聞いたことがないな。・・・でも日本が作るんだから、さぞ優秀なライフルなんだろうな」。
軍事板や自衛隊板の方々には異論数々あろうかと思いますが、
そのドイツ人、「日本の技術=優秀」と思っていたのはたしかなようで。
吾輩の所有は
ミノルタ アルファーデヂ、アルファー7700i 24−50,35−105,100−300,85 レンズ4本所有
オリンパス コンパクトデジ 10倍ズーム
サムスン コンパクトカメラ 3倍ズーム 銀塩フィルム
ずっと昔には、スクリュー・マウント(プラクチカ・マウント)の一眼レフを使ったことがあるのれす
雑談スレに貼ったものれすが、暇つぶしに
ttp://photos.yahoo.co.jp/saitama_ho
370 :
前スレ86 :2005/09/01(木) 22:15:15 ID:???
>>369 私が持っているのは、
キヤノンF−1後期、newF−1、newFD35mm、50mm、100mm、135mm、300mm、
ニコンF2フォトミックA、F3アイレベル、
Aiニッコール35mm、85mm、105mm、200mm、300mm、
ライカM4、カラー・スコパー35mm、
オリンパスOM−1、ズイコー50mm、
ミノルタ・カピオス150s、カシオGV20。
ブンチンになっているのはライカVfにズマリット50mm、ミノルタSRT101、X−1、
友人に貸し出しているのはミノルタXG−E、28mm、50mm、100mm、200mm、
お師匠さまから借りっ放しなのが旧FD400mm、
・・・とまあ、こんなところです。
ずっと昔にはおっかさんのアイレス35vを借りて壊したことがあり、
罪滅ぼしにずっと後、コンタックスTiXをプレゼントしました。
また、中国で買ってきたフェニックスDC888kは、出来のザツさに頭に来て後輩にあげてしまいました。
ニコンF最初期型 ニコンFG Aiニッコール20、28、50、135 トキナー28-105 シグマ60-200 オートニッコール5センチ コンタックスT2 ミノルタPs ミノルタディマージュXg コニカミノルタディマージュX1 キヤノンキッスライト+タムロン28-105 家にあるやつ。自分が使うのばかりではありませんが。 口径65ミリ焦点距離500ミリの天体望遠鏡は知り合いの子供にあげてしまった。 あまり長い焦点距離のレンズがないのは腕のなさを反映してますね。
372 :
キャパ :2005/09/01(木) 23:00:24 ID:qjc5Nrh4
ならば私も、 キャノンA−1、T70、FTbn、トキナーAT−X24〜40mm、28mm 35mm、50mm、タムロンSP90mmマクロ、135mm、200mm、300mm ミノルタα7000、α5700i、トキナ20〜40mm、35〜70mm、70〜210 一眼ならこれ位かな?この他にA35ナイターです。 自分の機材を列挙すると楽しいですね。
373 :
キャパ :2005/09/01(木) 23:05:47 ID:qjc5Nrh4
追加!お気に入りのFD70〜210f4を忘れていた!!安い明るい使いやすい の三点揃った名レンズ。スカスカガビガビの35〜70mmf3・5/4・5
374 :
前スレ86 :2005/09/01(木) 23:17:09 ID:???
>>371 レンズの焦点距離はお好みでして、腕がうんぬんではないと思いますが、いかがなものかと。
私の場合、自衛隊広報行事の撮影に、どうしても望遠レンズが必要でした。
とりわけ航空ショーでは、200mm以上がないと飛行中の機体が写せません。
大型機ならまだ何とかなりますが、インパルスのT−4ぐらいになりますと300mmは必要です。
海上自衛隊艦艇の一般公開のように「動かないもの」だと、35mmでぷらぷら、や、
陸上自衛隊駐屯地祭でよい場所が取れたとき、部隊行進を85mmぐらいで押さえるのも、
面白いものですが。
375 :
前スレ86 :2005/09/01(木) 23:29:35 ID:???
>>372 コレクションではなく、実用に使っているカメラばかりだとなおさらですね。
愛着が湧くものです。
私のカメラも心ならずもぶつけて「やってもーた!」が続いたり、
黒塗りがハゲてきたりして「こりゃ下取りがつかんわ」の代物だらけです。
航空ショーではまだ、カメラが汚くならない方で、
陸上自衛隊駐屯地祭ではホコリだらけになったり、
先日の護衛艦体験航海では、潮気でベトベトになってしまいました。
その後の手入れもまた、楽しからずや。
家の中を整理していたら実家においたまま実家の引っ越しでどっかにいってしまったと思っていた 28ミリと135ミリが出てきたんです。そのうちOHにだしてこよっと。20年異常前にかったものなので フォーカスリングがちょっと軽い。 そういやカメラ雑誌でなくなってほしくないニコンのMFレンズ特集とかいうのをちらりとみかけました。
あらー、Aiニッコール45ミリF2.8が製造中止だ。
378 :
前スレ86 :2005/09/02(金) 21:19:25 ID:???
>>376 カメラ屋さんや修理業者さんで聞いた話を総合しますと、
ニッコールの場合(ニッコールでなくてもそうだと思いますが)
フォーカスリングのグリスが抜けたり、固まってしまった場合、
回す感触は軽くなるか、極端に重くなるかのどちらかだそうです。
私も、中古で買ったAiニッコール105mmのリングが極端に重く、
買った中古カメラ屋さんと相談の上、差額ン千円で感触のいいものと取り替えてもらったことがあります。
レンズの修理はグリスアップにせよ、カビ取りにせよ、
「全バラシ」が前提になるため、作業工賃がバカにならないんだそうで・・・。
今は持っていないのですが、ベトナム戦争の記録写真でベトナム人カメラマンのニコンFについていたり、
植村直己氏のウエムラスペシャル・ニコンF2とともに北極圏を旅したことのある、
ひとが呼ぶ「ヨンサンパーロク」43−86mmズーム、ちょっと欲しいなと思っています。
379 :
前スレ86 :2005/09/02(金) 21:26:49 ID:???
>>377 「パンケーキ・レンズ」ぺったんこなレンズでしたでしょうか?
FM3aとの組み合わせはカッコよかったと思いますが・・・残念です。
とりあえずメインに使ってるのは ペンタックスZ-1 28〜80ミリマクロ付ズームと80〜300ミリ ホリゾントパノラマカメラ レオタックスK ズミタール付 ローライフレックスオートマット フォクトレンダーアバス(ロールフィルムホルダー使用) 風景写真と山岳写真ばかり撮ってるせいで妙に偏ってたり
α-7デジタル 未だに使い方よく分かってないのは内緒です。
手ぶれ防止機構付きだっけ。
チケットショップと思って入った店が質屋でもあった。 一眼レフカメラや交換レンズも並んでいた。
385 :
前スレ86 :2005/09/05(月) 22:48:01 ID:???
>>380 これはこれは・・・大変なクラシックカメラファンの方とお見受け致します。
私のような知ったかぶりの輩、平伏の思いです。
クラシックカメラをご自分で修理なさっておられるだけでも、尊敬させて頂きます。
京都といえばその昔「京都市電全廃数週間前」に、
中古で買ってもらえたミノルタSRT101を持って駆けつけたことを思い出します。
たしか「七条大宮」で市電を降りると「梅小路蒸気機関車館」がすぐそこでした。
386 :
前スレ86 :2005/09/05(月) 23:09:56 ID:???
>>381 私もバイク乗りだったもので、タンクバッグに着替えにくるんだF−1を積み、
ここぞと思うところで風景を撮っておりました。
かの世界GPライダー、片山敬済氏のように、
ツーリングに出かけた時、両手離しでおもむろに後ろを向いて後続ライダーの写真を撮るような、
(その写真、後続のライダーが「わーっ!!」と、口をあんぐりさせた様子が写っていたそうです)
離れ業はできっこありませんでしたが・・・。
387 :
前スレ86 :2005/09/05(月) 23:27:45 ID:???
>>382 私もデジタル1眼の「マニュアル本」を読んでいますと、
記述によっては「マハリクマハリタ・・・」呪文のように思えるところがあります!?
その昔の米軍「PSマガジン」のように、
漫画化されたマニュアルなと欲しくなるところです・・・と言いたいですが、
私も実物を持っていますが、
金髪でナイスバディの「コニーちゃん」が登場するM16A1のマニュアルに比べると、
床井雅美氏「M16&ストーナーズ・ライフル」に収録されているM16A2のマニュアルは、
「マトモ」というか「お堅い」方に戻っているように思えます。
とにかく判りやすく、から、文章ぐらいわかるだろ、に戻りつつあるのでしょうか。
あるいは、かってミノルタX−1には「マニュアルの解説カセットテープ」がついていましたが、
「誰でもわかるマニュアル作り」には、もしかすると、限界があるのかも知れません。
388 :
名無し三等兵 :2005/09/05(月) 23:45:51 ID:cIMaYKaE
今日の午後にNHKのBSで放映していた戦前の東宝映画 「乙女ごころ三人姉妹」(1935年)のなかで、 ぴかぴかのライカIII+ズマール付き(たぶん)が登場していた。 港で今川焼きを食べようとする堤真佐子に、学生服姿の大学生が声をかけ、 恥じらう相手にポーズを付けて、ライカのシャッターを切っていた。 この当時に、ライカを使いこなしている大学生って、超金持ちのぼんぼん?
389 :
前スレ86 :2005/09/05(月) 23:47:27 ID:???
>>383 「アンチ・シェイク」こればかりは私が一番欲しい機能です・・・。
兵器でいいますと「戦車砲のスタビライザー」に当たるのでしょうか。
日本ライフル協会「ターゲット・シューティング」、
旧ソ連の射撃教官・ユーリエフ氏の著書を読んでおりますと、
(余談ですがこの本、「標的射撃の理論と実際」というタイトルで、
故・大藪春彦氏「汚れた英雄」の作中、主人公の愛読書になっています)
写真撮影で手ブレを防ぐ上でも、参考になる記述があります。
・・・その割りに私の腕なんざ、ちっとも上達しないのですが・・・。
390 :
前スレ86 :2005/09/05(月) 23:51:10 ID:???
>>384 最近はリサイクルショップなどでもよく勉強しておられるのでしょうか、
「よいものはそれ相当の値段」、めったに掘り出し物に当たりません。
まして質屋さんは、市場価値に敏感でしょう・・・。
391 :
前スレ86 :2005/09/06(火) 00:07:59 ID:???
>>388 「お金持ち」を通り越して「やんごとなきお方」のレベルだったでしょう。
確かに戦前にも「ライカマニュアル本」、
現在の「ライカ通信」のような!?本があるにはありましたが、
(「ライカと機関車」元祖・鉄ちゃん本のようなものまでありました・・・)
現在にあてはめると「フェラーリのドライビングマニュアル」のようなものだったのではないでしょうか。
あるいは戦後の「若大将シリーズ」かな〜り落ちますが「私をスキーに連れてって」のような、
そんなセーシュンがあったらいいな、という「夢を売る映画」だったのかと考えます。
392 :
前スレ86 :2005/09/06(火) 00:15:04 ID:???
1行抜けておりました。 「どうせ買えないからせめて本で読んで、が、背景にある・・・」
質屋の値段で覚えていたもの ニコンF3が7万円 ニコンのF3桁のなんかが7000円 キヤノンF-1もあったけどかなり使い込まれていたなあ。 ニッコール105ミリもあった。フォーカスリングが金属なので 1980年以前か。
394 :
前スレ86 :2005/09/06(火) 22:32:56 ID:???
>>393 やはり相場をよくわかった値段をつけていますね。
あと、質屋やリサイクルショップの場合、店に置いたら置きっぱなし、
メンテナンスについてはまず、やってないと想像しますし・・・。
リサイクルショップの「出物」で、過去、私が一番たまげたものは、
「M1ガーランド・ライフルの無可動実銃の置物」でした。
水平に置いて飾れるようなスタンドがついており、7万円。
最初はハxソンのモデルガンかと思ったのですが、
明らかに実銃で、撃発機構は取り除いてあるのか、引き金はぶらぶらでした。
・・・値切ったのですが安くはならず、買えませんでした。
なんだかこのスレでこの語調はそぐわない感じなので
これからは丁寧語を使います
質屋や骨董屋には、たまにびっくりするような物が出ますよね
無論相場を知ってか知らずか恐ろしい値段がついてる場合も多いですが・・・
逆に安い方でびっくりは、前ここに書いたローライコード5000円也とか
某質屋で超美品・ヘキサーレンズ付きのベビーパールが8000円とか(無論即時購入)
>>394 懇意の古本屋で、38式小銃のピカピカの無可動実銃を見かけたことがあります
残念ながら菊紋に傷が入って10万円きっかり 高いか安いか・・・
菊紋に傷のある38式小銃ですか? 傷がどんな感じかわからないですが もしかして日本の降伏後に中国辺りに接収されて 使われてたものかも知れませんね。
397 :
前スレ86 :2005/09/07(水) 21:21:42 ID:???
>>395 いえいえお気遣いなく、どうかお気楽にお書き込み頂ければと思います。
私も最近、あるリサイクルショップで、
キヤノンA−1、旧FD50mmF1・4に、旧FD200mmF4、
スピードライトまでつけて、セットで2000円!を発見、即時購入。
・・・しかし、A−1は完全にイカれたジャンクで、50mmはカビだらけ、
無傷に見えた200mmもよく見ると無理にバラした跡があり、
スピードライトは生きていましたがこれだけではどうしようもなく、
分解・修理を独学で勉強している、行き着けのカメラ店の店員クンに全部あげてしまいました。
ライカM4やニッコールをマケてもらったことがあるので、まあ、ささやかな恩返しです!?
無可動実銃を扱う「シカゴレジメンタルズ」では、三八式はもう少し安くからあり、
程度によってピンキリかとは思いますが、まずまず相場ぐらいかと・・・。
398 :
前スレ86 :2005/09/07(水) 21:38:45 ID:???
>>396 古い本ですが「中国軍事教本・人民戦争の軍事学」、
文革時代の中国人民解放軍教範を翻訳したものによりますと、
口径6・5mmであるところから「六五小銃」と呼ばれて、
三八式歩兵銃の独自のマニュアルが記載されています。
相当数が中国の手に渡った三八式歩兵銃が、後備兵器として使われていたことを物語り、
もしかすると今も、備蓄されているのかも知れません。
何せ物持ちのいい国です、
文革時代の上海「都市民兵」の記録写真には、トンプソンやグリース・ガン、
国民党軍から分捕ったと思われる銃まで登場しますから・・・。
そういった写真を撮影したのは、コンタックスのソ連コピー「キエフ」のほか、
日中戦争時代からのものと思われるローライフレックスまで登場し、
文革時代にローライフレックスを使うカメラマンのスナップがあります。
399 :
名無し三等兵 :2005/09/10(土) 10:03:14 ID:tbiHP8Hh
ホンダF1の名監督として知られた中村良男氏は、戦時中は、 陸軍航空審査部特兵部員と中島飛行機社員の二足の草鞋で、エンジン研究。 九州で撃墜したB29の調査に出張し、ライカを借用して撮影してきたが、 現像してみたら、全部ひどいピンぼけて何が写っているかも不明。 ・・・・・・・レンズの沈胴を伸ばすのを知らなかったと。
400 :
前スレ86 :2005/09/10(土) 22:04:43 ID:???
>>399 その失敗、私でもやりそうです・・・いや、私なればこそ!?(笑
ライカMシリーズは直射日光にレンズを向けると、条件によっては数分でシャッター幕に穴があくため、
日差しの強い日の撮影では、撮らないときにはレンズキャップをまめにするのがよい、と、
>>359 のライカ・マイスター氏に教わったまではいいのですが、
ついつい、キャップを外し忘れてしまい、しまった!が何度か・・・。
記憶モードで申し訳ありませんが書かせて頂きますと、
のちにキヤノンでカメラの開発にあたった技術者は日本海軍の出身で、
捕獲した米軍の魚雷を分解、日本で作れば複雑な工程が必要な部品も一体成形されており、
徹底してマスプロダクションを考えた作りに、技術力の差を感じたとか。
この技術者が開発に携わったのがキヤノンAE−1、
マスプロダクションによる低価格と高性能を両立させたカメラだったそうです。
中村良男氏、高斎正氏のクルマものSFにも「ナカサン」のニックネームで登場しますね。
子供の頃天体マニアだったので太陽の熱と光の恐ろしさは 先輩達からたたき込まれてました。
一眼レフは光がファインダーに抜けるのでレンジファインダーカメラのような問題はあまりなさそうですね。
403 :
前スレ86 :2005/09/10(土) 22:28:01 ID:???
>>401 大昔の月刊「カメラマン」にレギュラーで出ておられた宝田カメラマンが、
どういう企画だか、孤島でサバイバルを試みるという記事があり、
旧FDの50mmレンズで太陽の光を集め、虫メガネよろしく火を起こすシーンがありました。
「絶対に真似をしないで下さい」と書かれると真似をしたくなるのが中学生、
ミノルタSRT101からMCロッコール50mmを外して絞り開放、
白い紙に焦点を合わせてみると「ホントだ、紙がこげた!」
・・・いや、改めて、真似をしないで下さい、と申し上げたい心境です、赤面。
404 :
前スレ86 :2005/09/10(土) 22:47:39 ID:???
>>402 あるいは後期のニコンSPのように、レンジファインダー機でもチタンのシャッター幕だと、
そんな問題はないのかも知れません。
復刻SPでは布幕で、「ニコンSP体験フェア」での説明によりますと、
「ささやくようなシャッター音」を優先させたというのですが・・・。
聞いた話ですが、初期のライカM3では遮光が完全ではなく、
慎重を期するなら長時間撮らないでおいた場合、1コマ捨てるつもりでカラ撮りをして巻き上げ、
フレッシュなコマを送っておくのが「作法!?」だったそうで、
かの沢田教一氏がベトナム戦争中、ライカM3で撮ったネガを見てみると、
撮影のインターバルが空いたときの「カラ撮り」と思えるコマが散見されるそうです。
ライカ形式(レオタだけど)のカメラ持ち歩くときにキャップしといた事は無いですなあ レンズを沈胴させておいたり、日光下で長時間歩くときは鞄に仕舞ったりと多少は気を使うけども もしシャッター幕に穴を開けてしまったり、又は幕が劣化して星空状態の時の応急用裏技をひとつ 「ホルツの自動車補修用シーリング剤を幕面に塗り込む」というもの 液状の黒色ゴムだから塗り込むのは容易いし手軽で安いし、実用上の問題も特にありません これは他にも、スプリングカメラの劣化して穴だらけの蛇腹補修にも使えます もちろん応急の代用策であるからして、きっちり修理するに越したことはないですけど
ニコンFは金属膜なんでしょうか。見ただけではさっぱり分からない。
407 :
前スレ86 :2005/09/10(土) 23:57:27 ID:???
>>405 なるほど、貴重なお話をありがとうございます。
正直、ベトナム戦争報道ではニコンFと並んで「標準装備」となっていたライカM2、M3や、
岡村昭彦カメラマンがビアフラ内戦取材にも使ったライカM4、
「そんなヤワなカメラなのかなあ?」と、疑問を持たないでもありませんでした。
赤瀬川源平氏のカメラ短編小説に、
アンスコの蛇腹の補修に悪戦苦闘するものがあり、
浅草の某カメラ修理業者さんからシャッター幕用の布の提供を受け、
ゴム糊で貼り付けて修理するくだりがあったと思います・・・が、
より簡単に補修できるなら、それに越したことはありませんものね。
実際にクラシックカメラのレストアをやっておられるお方の書き込み、有難く読ませて頂きました。
もし、よろしければ、またお話を頂ければ幸いです。
408 :
前スレ86 :2005/09/11(日) 00:09:04 ID:???
>>406 裏ブタを開けてシャッター幕を見れば、たちどころにわかりますよ。
「布幕」の場合はいかにも「布」ですし、金属幕の場合は乱暴に言えば「ツヤ消し黒塗りのアルミホイルをぴんと張った」ように見えます。
ある修理業者さんのお話ですが、
チタン幕といえどごくごく薄いもので、新人さんはおろか、熟練した方でも、
何かの拍子に工具(最も多発したケースがピンセット)で突くと、あっという間に穴を開けてしまい「やってもーた!」
チタンという言葉から連想する強さとは裏腹に、すこぶるデリケートなものなのだそうで。
にゃるほろ。布幕フォーカルプレーンシャッターのカメラのなかみを しげしげと見たことがないもので。 FG-20や最近の一眼レフはみんな縦走り金属板で幕シャッターじゃないし。 そういえばニコンFとニコンFG-20とが分割巻き上げ可能なので 一眼レフはみんなそうかと思っていたら 分割巻き上げ可能な方が例外的だと知って無知ぶりをさらけてしまったこともあったなあ。 FA/FG/FG-20だけ(EMもかな)、設計者の趣味でエントリーから中級機種にもかかわらず 分割巻き上げ可能になったとか。
中村良夫 ^^ です。
あ、ずれた。良男じゃなくて良夫ね。 B17のエンジンを調べて感動した話が著書にでて来ます。
復刻SPは布幕なのかー。うちの父がS2からSPに替えた理由は、S2のシャッター に太陽光で穴が開いたことだったとか。インドシナの山の中をSPと、135mm, 25mm, 50mm を持って歩きまわっていたのです。他の日本人が大量に持ち込んだキャノネットは 2、3カ月で全滅。残されたのは父のSPでこれで、その後5,6年を乗り切ったの ですが、その間、ノーメンテだったと聞きました。ライカも頑丈だと良くいってました。 そういう経験をすると、機械は壊れないのが一番、という信念になるみたい。
ところで、あまり聞きませんが ヴェトナムの取材にもS2は使われてたんでしょうか? (S2ファンなもので気になります) S2ってシンプルイズベストって感じでいいと思います。 見やすいファインダー、ロゴの独特の書体、(これ以降はFとかSPの書体) コンタックスみたいなレンズマウント左上部分の曲線・・・お気に入りです。 試作品では不回転シャッターダイアルのがあったとか。 Lマウント試作機Sと同じく発売して欲しかった・・・ ついでにF3のFM系が大きくなったような試作機もカッコイイと思います。 軍事と関係なくて失礼。
414 :
前スレ86 :2005/09/11(日) 14:10:39 ID:???
>>409 ニコンFM2が発売されたとき、最高4000分の1のシャッター速度もさることながら、
200分の1秒、のちのnewFM2では250分の1秒のシンクロ速度が、
日中シンクロをやりたいがシンクロ速度の低さでできなかった、
報道カメラマンやスポーツカメラマンに大歓迎されたといいます。
この高速シャッターを実現したのが縦走りの金属幕シャッターユニット・・・なのですが、
某中古カメラ屋さんのオヤジさんいわく、
なにかあってFM2のシャッターやシンクロ系統を壊すと、
そこそこの確率でユニット全とっかえになるとかで、
「シャッターに何かありそうなFM2は安くても買わないほうがいいですよ〜」。
すいません、オヤジさん。
私が別のお店で「委託販売モノ」から掘り出した旧FM2は、
露出計はパーフェクト、光学系も外観もきれいなモンでしたが、
シャッター幕の一部に、遮光は完全でしたが少しゆがみがありました。
だから格安、でも直せばニマンエンコース・・・ええい、と、ショーウィンドーから救出。
・・・あれから3年、今も、後輩のところで現役で働いており、何の不具合もありません。
FM2ってタフなカメラだな、と思っています。
報道で使われたり、陸上自衛隊第301写真中隊で使われていたのは、タフさゆえもあったのでしょうか。
415 :
前スレ86 :2005/09/11(日) 14:22:25 ID:???
>>411 基礎的な工業力で、アメリカと日本の間には埋めようにも埋められない差が開いており、
しばしば、太平洋戦争戦史研究の題材になっていますね。
ちと下司な表現ですが「パクリで力をつけ、オリジナルにステップアップ」が、
例えば戦後のカメラ工業界のように「おそらく正解」と思われます・・・が、
「パクリでもいいからそれなりのものが作れたなら、それはそれで合格点だ」。
DB601のフルコピーが作れなかった航空エンジン工業界、
海軍が作らせたライカコピーがあってもお粗末なものだった「写真兵器」工業界、
・・・当時の日本はまだまだ工業国とは言えなかったのでは、の感を強くします。
416 :
前スレ86 :2005/09/11(日) 14:40:18 ID:???
>>412 インドシナの山中を5〜6年とは・・・お父上に敬服の思いです。
当時は高価なSPに交換レンズまでご持参されておられたとは、
学術調査団のフィールドワークか何かでいらっしゃったのでしょうか?
メンテナンスもさることながら、私、以前のレスに書いたことがありますが、
ベトナムに輸出され、高温多湿の環境にさらされただけで故障した国産カメラもあった時代に、
インドシナ山中の過酷な条件に耐えて貴重な記録に貢献したSP、頑強なカメラだったのですね。
私、復刻SPは高くて買えませんでしたが「体験フェア」で存分に操作させてもらったのと、
中古カメラ屋さんでオリジナルを何度か見せて頂いたことがあり、
ニコンFの母体ともなった、がっちりした感触が印象に残っています。
旧日本軍式の表現でいくと「武人の蛮用に耐えるべき」というところなのでしょうか、
いざというときにカメラが壊れていては、何にもなりません。
昔、月刊「カメラマン」誌のQ&Aコーナーで、故・安西秀行カメラマンが、
「報道カメラマンは何で、何台もカメラを持つのですか?」という質問に対し、
「カメラがよく”コワレル”から」と、回答しておられました。
「壊れないで、1台で仕事が済むカメラがあればその方がいいに決まっている」とも・・・。
23年間故障なしに働いてくれた、わがキヤノンF−1後期を見ていますと、
私とても「壊れないカメラがいちばん」の思いは深くなります・・・。
417 :
前スレ86 :2005/09/11(日) 19:10:50 ID:???
>>413 私の手元の乏しい資料では、ニコンSPは確認できましたが、
ベトナム戦争報道でS2が使われたという記述や、写真には行き当たりませんでした。
かろうじて、1951年の朝鮮戦争で撮影された、米軍報道カメラマンが群がる写真、
「マグナム」のカメラマンが撮影したものの中に、
初代ニコンSにユニバーサル・ファインダー(ライカ用?)をつけたものが確認できました。
S2は1954年の発売ですので、朝鮮戦争には間に合っていないと思われます。
これ以上はどなたか、博学の士のご教示を頂ければ幸いです・・・。
・・・近所の中古カメラ屋さんに本日夕方、他の用事で出かけましたところ、
たまたまS2の50mmニッコールつき、レンズ清掃済み(108000円)があり、
お願いして触らせてもらいました。
お言葉のようにシンプルで、使いやすそうなレンジファインダー機ですね。
復刻SPでは指が痛くなるほど固いフォーカシング・ギヤも、当たりがついているのか軽快に動きました。
Sはキャパが地雷踏んだ時に持ってたと有名な話がありましたけどね。 何でも革ケースに入ってたからカメラは助かったとか・・・ よく革ケースを「素人っぽくって嫌だ」という人がいますが バカにできない物だと思います。 S2は登場時期が中途半端だったんでしょうかね? (韓国動乱当時はまだ存在せず、ベトナムの頃には旧式化) ・・・? M3と発売時期が同じでしたっけ?
419 :
前スレ86 :2005/09/11(日) 23:01:45 ID:???
>>418 ロバート・キャパの最期については「ロバート・キャパ最期の日」横木安良夫氏の好著があります。
ノルマンディ上陸作戦取材もコンタックスをお供させていたキャパ氏、
操作方法の似ているニコンSに、早く馴染めたのでは、と、想像します。
1943年、ナポリで、のちにマグナム・フォトに参加するカメラマン、ジョージ・ロジャー氏と、
談笑するキャパ氏のスナップがありますが、
キャパ氏のコンタックスUにも、ジョージ・ロジャー氏のライカにも、革ケースがつけられています。
・・・私の手元にはじいさまの形見、ライカVf用の純正革ケースがありますが、
分厚い革を使った、相当に丈夫な作りです。
以前の「写真工業」誌にあった話ですが、
ミノルタ・ハイマチックの純正ケースが「丈夫すぎる」と酷評されていたところ、
ある航空機事故で、持ち主は亡くなられましたがケースに収まったミノルタ・ハイマチックは無事で、
入っていたフィルムを現像したところ、墜落寸前の機内のショットが写っており、
事故の原因究明に貴重な資料となったとか。
いまやお使いのひとをあまり見かけない革ケースですが、お言葉の通り、バカにできないものなのでしょう。
ライカM3の発売はおっしゃる通り、1954年、S2と同時期です。
90年代に入って、あるバックパッカーのカメラファンがホーチミン市に出かけた際、
現地の中古カメラ店でS2を見つけ、日本に持ち帰ったと、紀行本で読んだことがあります。
おそらくはベトナム戦争初期の60年代にベトナムに持ち込まれたものと想像しますが、
里帰りするまでにそのS2が何を見ていたか、下手な人間より波乱万丈だったのでは、と思うのは、
想像力をたくましくし過ぎでしょうか・・・。
秘密という漫画(清水玲子)。 人間が死んだ直後その脳を走査して ある程度前から死ぬまでに見ていた映像を録画できる 機械を使って捜査する警察官たち。
もしカメラに魂があれば霊媒師を通して聞けるかな。
>>421 製造後100年を経た器物は魂を得るとか言いますから
明治38年以前製造のカメラなら(ry
しかし、自分のカメラに聞いたら不平不満が続出しそうですよ
「使い方が荒っぽくてボロボロになったじゃないか」
「飾りっぱなしじゃ無くてたまには使え」
「中途半端な修理のまんま放って置かないで修理屋に出せ」
等等…
そういえば、こないだ行われた某カメラクラブの会合で、面白いものを見せていただきました
一見すると美品のただのコンタックスI型ですが
持ち主曰く
「ドイツ軍将校が東部戦線へ持っていく→その将校が捕虜になる
→ソ連兵が譲ってもらうだか奪うだかして手に入れる→そのソ連兵の孫が某日本人と文通
→500ドルで譲ってもらう→さらにその人の友人の今の持ち主に売られる」
とまあ、中々に波乱万丈の歴史を持っているそうで
となると、あと30年すれば、うちのライカVaは製造後100年・・・ (それまで、私が生きてればいいけど) 戦前のライカだから結構、いろんな冒険してるのかも。
424 :
前スレ86 :2005/09/12(月) 21:22:03 ID:???
>>420 藤子不二雄氏の短編漫画にも「記憶が写る」カメラが登場していましたね。
タイトルを忘れましたが、主人公の名前「ヨドバ氏」に思わずニヤリ。
425 :
前スレ86 :2005/09/12(月) 21:32:38 ID:???
>>421 カメラに「モノのチカラ」があるかも知れないという記述は、プロカメラマンのエッセイで時折見かけます。
零戦のエース、坂井三郎氏の著書にも「ピンさん」というあだ名で登場する日本映画社の報道班員、
吉田一氏は「サムライ零戦記者・カメラが捉えた零戦隊秘話」という本を書いておられますが、
その本に収録された著者のスナップ解説にいわく、
「当時、彼はカメラを握ると一切の恐怖から脱却していたという」。
機材についてはアイモフレックスのムービー・カメラが主に登場するのですが、
吉田氏のプロ精神に、カメラの「モノのチカラ」が加わると、そうなり得たのかも知れません・・・。
426 :
前スレ86 :2005/09/12(月) 21:42:37 ID:???
>>422 私も最近、ある場所でルフトヴァッフェのライカVbを見せて頂き、
シャッターも切らせてもらいました。
今も修理を加えた上で、オーナーの方が時折使っておられるというルフトヴァッフェ・ライカ、
かっては戦果確認や戦場報道で、ヨーロッパ戦線を見ていたカメラなのでしょう。
エイムック「ミリタリーライカ」にある話ですが、
30年ぐらい前、著者がロンドンの中古カメラ店で入手したドイツ海軍用の「マリーネ・ライカ」は、
英国海軍の軍人が降伏したUボートから没収(失敬!?)し、
それを復員時に持ち帰ったもので、公にできないため、店に販売を依頼していたとか。
ひとに歴史あり、カメラに歴史あり、といったところでしょうか。
>>425 坂井さんの話で思い出しましたが、坂井さんもライカを持ってたみたいですね
ご自身で撮影されたスナップが結構残っていますし
「大空のサムライ」の中で、操縦中も首からぶら下げてたみたいな記述があった覚えが
自分も、カメラさえ持たせれば、どんなに疲れていようが岩壁よじ登ったり走り回ったり
そりゃもう一切の恐怖も疲れも吹っ飛ので、やっぱり「モノのチカラ」はあるんでしょうね
吉田さんのようなプロと自分を比較するのはおこがましい話ですがw
428 :
前スレ86 :2005/09/12(月) 22:25:40 ID:???
>>423 聞いた話や、いくつかの文献からの記憶モードを総合しますと、
敗戦から復興までのドイツで、高給取りであったこととPXで免税で買えたこともあり、
相当数のライカが、米軍軍人に買い求められました。
とりわけ空軍の軍人は勤務地が世界各国にわたっていたこともあり、
その中の1台のライカM2は三沢基地で、ある将校から、基地のカメラ店で働いていた日本人店員、
その名を沢田教一氏の手に渡ります。
しかし、返還前の沖縄では、基地PXや那覇のカメラ店に続々と日本製の新製品が入荷、
60年代も後半になりますと、日本製カメラの優秀さが知れ渡っており、
新しいもの好きな軍人が多かったのでしょうか、ライカを下取りに出してニコンやキヤノンを買い求める軍人が多く、
まだまだ高価だったために沖縄ではさっぱり売れないライカがダブつくという珍現象が発生します。
これに目をつけたのが東京のライカ取り扱い店、
返還直後に安いライカがごっそり本土に買われていき、たちどころに沖縄からライカが姿を消しました。
日本本土でもかっては高嶺の花だったライカが、戦後の食糧難の中で泣く泣く手放され、
戦前戦中にライカを持っていた航空機搭乗員でも、今も当時の愛機を持っている方はおられないといいます。
さらには戦時中、日本海軍の潜水艦でドイツから運ばれてきたライカもあったといいます。
首尾よく日本に運ばれたライカは、そのほとんどが海軍の手で使われましたが、
一部が報道機関に回され、さらにごく一部が戦費調達のために民間に売られたといいます。
確実な記録は残っていないのですが「多分、潜水艦で入ったものではなかったか」と思われるライカを、
店頭で売ったという、東京・銀座の老舗の証言もあるそうです。
いや、繰り返しになりますが、ひとに歴史あり、カメラに歴史あり、です。
429 :
前スレ86 :2005/09/12(月) 22:42:47 ID:???
>>427 おっしゃる通りライカVを持っておられ、数多くの貴重なショットを残しておられた坂井三郎氏ですが、
著書の中で「写真を貸してくれと言われ、貸したら返ってこない写真も多かった」と書いておられます。
まことにけしからん話で、坂井氏のお怒りも至極ごもっともです。
私ごときはプロの方の、足元どころか足の裏にも及ばないのですが、
それでもカメラを手にすると、何やら力がみなぎってくるのを感じたことが、
一度や二度ではありません・・・。
>>428 ライカはシリアルでどこに売られたとかわかるはずだよん
これは大戦前後も同じだから潜水艦うんぬんは記録を追えばわかるはずだよん
当時の公式記録に残ってないボートとかウラル越えじゃ難しいかも知れんけどね。
まぁニコイチライカやコピーと合体して今に到るのもあるから判定は慎重にしなきゃならんけどね。
431 :
前スレ86 :2005/09/12(月) 23:05:24 ID:???
>>430 エイムック「ミリタリーライカ」から引用させて頂きますと、
この本を出すにあたり、防衛研究所で調べたそうですが、
「戦史叢書 海軍軍戦備<2>No,14」に記録されている「日独技術交換主要事項一覧」に、
メッサーシュミット社の戦闘機(と、本にはありますが戦闘機そのものではなく設計図でしょう)、
ダイムラー・ベンツの発動機、ラインメタル機銃、爆撃照準器、航空写真機・・・と並んでいましたが、
ライカ到着の記録はなかったそうです。
・・・ドイツ側の資料などと突き合わせれば、もう少し詳しく判明すると思いますが・・・。
私の空想ですが、おっしゃる通り、記録がどこかに必ずあって、
追跡調査を行っていけば、
「海を潜ったライカ」も、もしや、日本のどこかで発見されるかも知れませんね。
>>431 面倒だけどライカ本社には記録が残ってる筈ですよん
修理記録から販売記録まで
ライカのシリアルつうのは経歴になりますからね
ものによっては誰から誰の手に渡り、現在どこの誰が持ってるのかとか
433 :
前スレ86 :2005/09/12(月) 23:25:13 ID:???
>>432 これは貴重なお話を、ありがとうございます。
なるほど、そういえばライカのシリアル管理は徹底していると聞き及んでおります。
私の手には到底、及ばないこととは想像しますが、
いつかはソルムスやウェッツラーを訪ね、記録を拝見したいものです。
・・・いや、訪問すれば舞い上がってしまい、ただのおのぼりさんと化して、
調査どころではなくなること請け合いです。
まだ、ヨーロッパに行ったこともないもので・・・。
435 :
前スレ86 :2005/09/12(月) 23:53:42 ID:???
>>434 私、出張で上京した折に、バッグにF2を忍ばせてニコン大井製作所の前まで出かけ、
「ニコンでニコンの聖地撮影」ならやったことがあります・・・。
もちろんのこと、中まで拝見させてもらえるはずもなく・・・。
我ながら何をやってんだか・・・。
436 :
413 :2005/09/13(火) 05:16:08 ID:???
>>435 私もS2を下げて光学通りを散策した事あります・・・
みなさん、同じような事されるんですね。
いつかはライカVc(段付き)を下げてウェッツラーを散策してみたいです。
ミュンヘンにはBMW博物館がある。 カメラはないけど。 でも同じミュンヘンのドイツ博物館にはあるとおもう。
ミノックス創業者ウォルター・ザップ氏生誕100年を記念して 記念モデル18万円 8x11判LXスパイカメラ 予約販売するのれす
439 :
前スレ86 :2005/09/13(火) 21:04:36 ID:???
>>436 大井町の方からてくてくと光学通りを歩いていくと、
何やらお寺のような門構えの銭湯がありました。
閉まっていたのでひと風呂浴びられませんでしたが、
開店まで間もない時間だったのでしょうか、地元のお年寄りが集まって談笑しておられました。
今度行ったら、ぜひ入ってみたいものです。
ニコン大井製作所には少し前まで、海上自衛隊潜水艦の潜望鏡を作る部屋があり、
当然ですが厳重に「部外者立ち入り禁止」であったとか。
潜望鏡にもデジタル化の波は押し寄せ、低光量下での暗視やデジタル・ビデオ撮影は無論のこと、
データシステムと組み合わせて、敵味方識別すらやってのけるものが実戦配備寸前といいます、
巨大な鏡胴と一緒に回りながら敵を捉える艦長・・・の、潜水艦映画によくあるシーンは過去のものとなりそうですね。
ライカの記録って一般人でも閲覧可能なら一度見てみたいものですね。 手元のライカVc戦前型がかなりシリアルナンバーが後期のようで さらにシャッターダイアルのバルブの表示がZでなくてB。 単に交換されたものか、米軍のウエッツラ―占領後に組み立てられたもの (そんな戦前型があったらしい)かが気になります。 後者だったらちょっとショボーン('・ω・`)ですが・・・
441 :
前スレ86 :2005/09/13(火) 21:22:18 ID:???
>>437 ライカならソルムスのライカ本社「ライカ・ツリー」でしょうか。
ウル・ライカから現在のモデルまでの実物が、あたかも進化のツリーモデルのように、
展示してあるそうです。
日本でも「日本カメラ博物館」に、寄贈品として貴重なライカが展示されています。
442 :
前スレ86 :2005/09/13(火) 21:29:45 ID:???
>>438 それは欲しいですね・・・でも18万円ですか・・・(泣
「記念・限定モデル乱発メーカー」と化した現在のライカ社に比べると、
ミノックスの「創業者生誕100周年記念」は”正しい”記念モデルのように私は思います。
443 :
413 :2005/09/13(火) 21:34:33 ID:???
ミノックスの「創業者生誕100周年記念」が18万円。 絶対的値段は確かに高いですけど SP復刻版や記念ライカに比べれば良心的なのかなぁ?
池上司という小説家。たしか池波正太郎の息子だったとおもった。 デビュー作が雷撃震度19.5という潜水艦小説だったせいか 潜水艦を題材にした戦争小説が著作に目立つ。
446 :
前スレ86 :2005/09/13(火) 22:07:55 ID:???
>>440 ご参考になればと思い、手元の「クラシックカメラ・プライスガイド2002・ライカ特集」、
ICS・輸入カメラ協会刊行の薄い本をひもといてみました。
ライカVcの項目では、
戦時型1940〜1945年 360101〜397650
戦後型1945〜1951年 400000〜525000
・・・さらに記述を引用します。
第2次大戦でもライツ工場は連合軍の爆撃を逃れ、ドイツ降伏の翌1945年には早くも5000台のVc型を生産する。
戦後は1951年までの7年間に戦前より遥かに多い100875台のVcが作られ、
その全てがクローム仕上げであった。
(中略)戦後のVcはRレバー基部の段がなく、視度補正レバーも突起のない扁平なものになっているので識別は容易だ。
・・・さらにはこの本に収録されている前期生産型Vcの写真をよ〜く見る限りでは、
シリアル393489でバルブ表示が「B」と読めます。
ここまで書いて「ミリタリーライカ」をひもといてみますと、
シリアル388054、ドイツ海軍砲兵隊(沿岸砲兵?)で使われていたという、
海鷲とハーケンクロイツ、”Artl”刻印入りのVcもバルブ表示は「B」です。
つまり、全くのシッタカの、私の私見でまことにお恥ずかしい次第ですが、
もし、ご愛機が本当に戦後型であったとするなら形状で容易に区別がつくもので、
戦前型でも「B」表記のものがある程度の数、存在したと推理しますが・・・いかがなものでしょうか?
447 :
440 :2005/09/13(火) 22:18:40 ID:???
前スレ86さん、わざわざ済みません。 私の戦前型(Rレバー段あり)は396XXX番代です。 バルブがBなのは米軍占領後とは限らないのですね。 (手元の資料では占領後にB表示とあったもので・・・) ・・・という事は、きっと修羅場を潜り抜けてきたのでしょうね。 ちょっと嬉しくなるのと同時に、ますます愛着が湧いてきました。
448 :
前スレ86 :2005/09/13(火) 22:36:48 ID:???
>>443 おおおお、まさしくこの銭湯です、ありがとうございます。
そうですか、午後3時から入れるのですか、これは次の出張で(不謹慎!
プラモデルのWW2潜水艦といいますとニットーのUボートZCや、
ニチモの伊19潜を思い出します(記憶違いがありましたら申し訳ありません)。
日本とドイツを往復した潜水艦の死闘に関しては名著、吉村昭「深海の使者」があり、
私も何度となく読み返したものです。
海上自衛隊のイージス護衛艦体験航海で、某地方連絡部の1等海尉が乗艦しておられ、
「私、イージスに乗るのは初めてなんですよ」、
私が「海上自衛隊におられてでも、ですか?」と、不遜にもお聞きしたところ、
「いや、追いかけられたことはあるんですけどねえ」。
・・・恥ずかしくも、私、1等海尉どのの胸に輝く”ドルフィンマーク”を見落としておりました・・・。
449 :
前スレ86 :2005/09/13(火) 22:59:13 ID:???
>>444 復刻SPの場合、当時の熟練工の方が皆、退社しておられるため、
当時の生産ノウハウを全て再現するというわけにはいかず、
例えば距離計のセッティングでも、今日ならレーザー測定機を使って難なく精度が出せるところ、
「優れた測定機がない時代、どうやったのか?」と、現在の生産スタッフが首を傾げるところがあったそうです。
S3のミレニアム復刻版が出た当時で「SPは無理!」という話もあったそうで、
”技術継承”という意味では相当なものがあったかと考えます。
嗚呼、残念なのはわが懐具合なり・・。
450 :
前スレ86 :2005/09/13(火) 23:11:30 ID:???
>>445 潜水艦小説の白眉は「Uボート」かの映画の原作かと個人的に思っております。
作者、ロータル・ギュンター・ブーフハイム氏は実際に報道班員としてUボートに乗艦、
戦後「写真集Uボート戦」をまとめた、というのですが、
私、ある洋書屋さんで原著のドイツ語版にお目にかかって、それっきりです。
こんなことならあの時、買っておけばよかった・・・。
愛知万博に江戸時代の万年時計を再現したものが展示してあるそうですが NC工作機械で作っただけではだめでやすりで歯車を調整しないとだめだったとか 専用の工作機械を使ってゼンマイを再現したが 完全な再現は仕切れなかったとかいろいろ昔の技術もすごかったみたいですね。 そういや御木本幸吉の作った宝飾品が今は全然再現できないというのも聞いたなあ。 ストラディバリのバイオリンが今再現できないのもこういう話のうちでしょうね。
452 :
前スレ86 :2005/09/14(水) 00:12:45 ID:???
>>447 いえいえ、何かのお役に立てればこれ以上の幸せはありません。
ご愛機、大切にして頂き、どうかご愛機で傑作をものにして頂ければ、と願っております。
453 :
前スレ86 :2005/09/14(水) 19:58:15 ID:???
>>451 「戦艦大和を今、建造しようと思ってもできない」理由のひとつに、
分厚い装甲板を作る技術がないからと聞いたことがあります。
今、JRを走っている復元蒸気機関車のボイラーは、大阪「サッパボイラ」で復元工事をされておりますが、
大阪交通科学博物館にある、7100型蒸気機関車「義経」の復元を手がけたところ、
21世紀のボイラーのプロにかかっても19世紀アメリカのメーカーが、
どうやって作ったのか、製造方法がわからなかった部分があったそうです。
わたしの働いている業界では、ある工程用の機械に国産とドイツ製があり、
「2倍の値段だが4倍長持ちするから、お金があるならドイツ製にしろ」が、合言葉です。
・・・これは国産機械の設計主任に聞いた話ですが、
「打倒ドイツ製!」を目指してドイツ製をひそかに購入、完全に分解して寸法を取り、
材質や加工も分析した上で、寸分違わないコピーを作り、
耐久テストにかけたところ、オリジナルには遠く及ばない時間で壊れたとか。
「失われた技術」「数値だけではない部分の技術、ノウハウ」には、
ひとを寄せ付けない高山のような凄みがあるように思います。
”くやしいなら同じことをやってみろ、再現してみろ・・・”。
構造が比較的簡単(といわれてる)バルナックライカを 日本やソ連をはじめとした各国が、同じ構造のものを作ったはずなのに やはり本物には及ばないものしか出来なかったという話と同じですね・・・ 最近のあらゆる製品は『コストダウン』の美名の下の『手抜き』 だらけのものがあまりにも多すぎて 物作りの技術が、どんどん失われるのでは?と心配です。
ニコンSPやS3の復刻をしたとき設計図だけでは再現できず 中古屋さんから購入したS3やSPを分解してみると細かいところで設計図と 違うところが結構あったとか言う話も聞きました。 実際に作らないと機械の技術は失われてしまうようですね。
プラスチックを型の中に押し込んで成型する場合 日本の下請けでやっていたときは100%良品だったのに 中国に金型を持っていたら不良品の山になったとかいうのも聞いたことがあるなあ。 日本でやっていたときは温度湿度その日の原料の調子を見て 温度や速度を細かく調整したが中国の製造ラインに日本の下請けの そんな細かいノウハウがあるはずもなく。
457 :
名無し三等兵 :2005/09/14(水) 20:59:28 ID:kmgSovyd
映画「ローレライ」に、バルナック・ライカが登場します。 潜水艦内で撮影する時、なんと距離計窓が光る! たぶん、現行のオートフォーカスコンパクトのつもりで、 わざわざCG使って測距用のLED発光を演出した模様。
WW2の時ってASA2桁程度の低感度フィルムしか無かったのに 潜水艦内でどうやってライカで撮影したか気になる・・・ シンクロ接点付きのVfはまだ無いし。 艦内で三脚立てて、長時間露光したんだろうか?
459 :
前スレ86 :2005/09/14(水) 21:55:28 ID:???
>>454 カバーを外し、ボディシェルを「脱がせて」中身だけにしたライカM2、M4を、
修理業者さんで見せてもらったことがありますが、
複雑なメカはチンプンカンプンの私にも、説明を受けると何となく、
「あれがこうなってこう動いて」理解できるぐらいのメカニズムです。
同じように中身だけになった、キヤノンF−1を別の修理業者さんで見せてもらった時は、
頭が痛くなるぐらいの複雑さで、説明を受けても「はあ・・・はあ・・・は〜」・・・で、
「ライカは比較的、構造が簡単ですよ」と、シッタカのネタを仕入れた次第。
わたしの働いている業界の機械ネタで言えば、今、問題になっているのが「中国コピー」です。
日本製の機械と、パッと見ただけでは区別がつかないフルコピーで、
くだんの設計主任に言わせますと「材質や焼入れがぜんぜん違います、ありゃ見た目だけですよ」、
日本製の半分の寿命、しかし半分の価格。
業者さんに言わせますと、一部の部品に国産機のものを「移植」しても動くぐらいのコピーぶりで、
「ある意味、たいしたモンですよ(苦笑)」。
海賊版を作るところから工業技術のステップアップが始まるとはいえ、ちょっとナァ、と思ったものです。
NC工作機械のおかげである程度の制度の部品はだれでもつくれちゃいますからね。 でもそのNC工作機械を自分で作れる国かどうかがまた優劣を分けちゃうんですが。
461 :
前スレ86 :2005/09/14(水) 22:06:28 ID:???
>>455 某カメラメーカーのSSでサービスマン氏いわく、
「表から見える製造番号なんて、外装部品を替えれば変わっちゃいますからアテになりません。
ウチの場合はシャーシーにもうひとつのロット番号がありまして、
小改良や小変更で、部品が変わったりするのはそこで判断します」。
あるいは某修理業者さん、某メーカー認定業者さんのお話では、
「メーカーやメーカー認定業者でオーバーホールした場合、いつ、どこでやったか記録を書き入れる決まりごとがあって、
誰がいつやったものか、すぐわかるんですよ」。
われわれが外観から判断する限りではさっぱりわからない、変更や改良、部品の取り替えも、
分解して見るひとが見ればわかるそうで、
作られて長いカメラだと「個体差」が広がっているのかも知れません・・・。
462 :
前スレ86 :2005/09/14(水) 22:20:03 ID:???
>>456 軍事ネタから遠ざかり、申し訳ない次第ですが三度、設計主任に登場頂きましょう。
「中国のある工場で、ウチの機械を沢山、使って頂いていたところがあったんです。
ご存知のように、中国の工業用電源は220Vなんですね。
ところが、日本じゃ考えられませんが、コンセントに瞬間的に400v以上が流れたらしいんですよ。
ブレーカーが作動する本当に一瞬前に、過大な電圧が流れたもんだから、基板なんざ全部パー。
現地のサービスが持ってる部品じゃ全然足りなくて『あ〜、コンテナで部品が着くまでどうしようもねーや(笑)』。
・・・それからですね、ウチの製品全部に、1200Vの耐圧試験をやるようになったのは」。
インフラ整備がいい加減では、工業の土台がまるで駄目ということになります。
余談ですがその「1200V耐圧試験」の現場を、立ち入り禁止エリアの外から見せてもらいました。
専用の部屋に機械を入れ、無人の状態で1200Vを一瞬、流すのですが、
そのとたん、雷のような轟音が・・・。
463 :
前スレ86 :2005/09/14(水) 22:29:24 ID:???
>>457 カメラの時代考証は難しいとは思いますが、そこまでとは(笑
ライカの実機を使った時点で、そんな機能がないことはおわかりだったでしょうに・・・。
うろ覚えで申し訳ありませんが、あるテレビドラマでライカが使われていた折、
ファインダーからのぞいた視界の中にブライトフレームがまるでないのはまだいいとして、
シャッター音と一緒に一瞬、視界がブラックアウトし、あ〜あ、と思ったことがあります。
464 :
前スレ86 :2005/09/14(水) 22:46:12 ID:???
>>458 映画「Uボート」では報道班の中尉どのが乗艦した折、艦内でのスナップで、
まるで日中のような高速シャッターを、フラッシュバルブも何もなしに切っていましたが、
まさか、そんなわけには・・・。
Uボートの艦内で撮影された写真はわりあいと多くありますが、
さて、私も同じ疑問に突き当たりました。
フラッシュバルブか何か使っていたとまでは想像しますが、どうやってシンクロさせていたのでしょうか?
どなたか博学の士のご教授をお願い申し上げます・・・。
465 :
前スレ86 :2005/09/14(水) 23:01:49 ID:???
>>460 一番極端な例が、電力事情が絶望というに等しい北朝鮮ですが、
工作機械があってもマトモに動かせない国だと、工業国に転身できるのははるか先でしょう。
あるいは旧ソ連のように「宇宙ロケットは飛ばすことができてもまともな背広が作れない」、
国策的に技術や資本を偏在させても、同じ結果になるでしょう。
その結果が、何かと話題の!?ロシアカメラでしょうか。
中国のお土産物屋さんで、LOMOのミノックス版カメラを見かけたことがあり、
「KGBが使ってたやつだぜ、500元でいいよ」1元=13・5円、まあ、ボッタで買いませんでしたが、
写りの想像がだいたいつく代物、これでお仕事していたとしたら、KGBマンもお疲れ様です・・・。
466 :
名無し三等兵 :2005/09/14(水) 23:50:22 ID:kmgSovyd
>>458 ローレライでライカ使いは手持ちで記念写真を撮っている。
外付けファインダー装備のライカは他の乗員の憧れでもある。
撮影した写真がオチの伏線になっているので、これ以上はネタバレ。
DVDを観るべし。
>>464 確かバルナック型ライカの場合、シャッター速度つまみ(切った時に回転するところ)に
取り付けて、あそこの回転のタイミングを利用してフラッシュバルブを焚く装置があった筈です
もしかすると単純に「鳩が出まっせー!」のあのマグネシウム閃光器を使ったのかもしれませんが…
あれなら同調もクソもないですしね
しかし、昔の日本にあっても、「ライカ」の名前は普及してたみたいですね
内田百閧フ著作で、どの随筆かいつ頃の話かは忘れましたが、
「ライカをかまへてゐる」という記述がありました
この先生はカメラに関しては丸っきりの素人で、むしろ写真が嫌いな方でしたが
ライカの名前はそういう所にまで浸透していたようです
468 :
名無し三等兵 :2005/09/15(木) 10:27:48 ID:1ZpsLIdX
映画「U571」に、ドイツ潜水艦に乗り込んだアメリカ兵が、 アーガスC3+フラッシュガンで艦内を撮影するシーンがある。 アーガスC3は、Brick(レンガ)という愛称で親しまれた箱型35ミリカメラで、シンクロ付き。 ワンタッチ式フラッシュガンや電球のようなバルブもオリジナル。
469 :
前スレ86 :2005/09/15(木) 18:13:18 ID:???
>>467 さすがですね、ご教示、ありがとうございます。
外付けのアタッチメントがあったとは・・・深く頷いております。
潜水艦の艦内、とりわけUボートの場合ですと例えば前部発射管室あたり、
可燃物・爆発物だらけの区画でマグネシウムの「ボン焚き」をやれば、それは恐ろしいことに・・・。
やはり、フラッシュバルブを使ったかと思います。
「外国製カメラ」の代名詞的に「ライカ」という名前が使われていたのでしょうか。
実はコンタックスであってもロボットであっても、
カメラに詳しくない方には「みんな同じ”ライカ”」に見えたのかも知れないですね。
クルマに詳しくない方にはフェラーリでもZでもとんがった形なら「スポーツカー」、
お酒の味にこだわらなければエビスでもモルツでもバドワイザーでも青島でも「ビール」になるのは世の常、
あるいはライカでもニコンでもキヤノンでもみな、興味のない方にかかれば「カメラ」の如し!?
470 :
前スレ86 :2005/09/15(木) 18:33:05 ID:???
>>468 ドイツUボートの「マリーネ・ライカ」のように、
戦果確認用や、映画の状況のように記録用として、米潜水艦にもカメラ・キットが積まれていたのでしょうか。
英国海軍では海軍軍用の35mmカメラが足りず、民間からの徴発まで行われたといいますから、
海軍と35mmカメラは、切っても切れない関係にあるようです。
私、映画「K−19」で、ソ連原潜K19号が北極点の氷を突き破って浮上、
セイルの前で乗員が記念写真を撮ったときのカメラが気になっています。
キエフあたりが有力候補ですが・・・。
崖からニコンを落としてお釈迦にして購入したミノルタα3。 15年たって押し入れから出したら動作せず。OHしたら動作したけど。 20年たって押し入れから出したニコンFG20はばっちし動作。 形見の46年物ニコンFもOHしたけど基本的にはばっちし動作。 プロはこういうとこを見るんでしょうがあまはねえ。
472 :
前スレ86 :2005/09/15(木) 23:16:14 ID:???
>>471 最近出版された「撮るライカU」を読んでも、
あるいは私の知る範囲内では、某地方新聞社のカメラマン氏や私の「お師匠さま」のお話を聞いても、
「プロのカメラ」の要件は「壊れない」に尽きると思えます。
「ニコンのえふにやえふさん、ありゃいいね、絶対に壊れなかったもの」
「前スレ86よ、わしと同じF−1にせい、壊れんぞ〜」。
石川文洋氏もベトナム戦争報道の回顧談にて、愛機ライカM2を、
「一度も故障したことがない」という点で、絶賛しておられました。
そういうのとは少々違いますが… 大分前に某アルプス堂でジャンクのコンタックスT型を見せてもらった時に 手が滑って床に墜落させてしまったことが… 店員さん共々真っ青になって、「ああこりゃどっか凹んで距離計も逝ったか」とチェックしてみたところ 恐ろしいことに凹み・塗装の剥げ一切無し、距離計も全くずれておらず さすがツァイスの最高級機種、余りの頑丈さに敬服した次第 ええ、落としたからには買いましたよ… 上記の通り問題なかったし、高速シャッター故障というのは店員さんの誤認だったからよかったものの それでも5万円…しばらく行動資金が尽き果てることになりました
474 :
前スレ86 :2005/09/16(金) 22:04:34 ID:???
>>473 昔々、ミノルタのSSで聞いた話ですが、
ミノルタX−1やSRTシリーズより、その前のSR−1、2あたりの方が、
わずかですが軍艦部の真鍮が肉厚なんだそうで、
「丈夫さだけ取れば、もしかすると昔の機種の方が丈夫だったかも知れません」。
・・・チタンボディなんて報道用のニコンF2しかなかった時代の話です・・・。
ロバート・キャパ氏もU型をご愛用だったコンタックス、
その堅牢さあってこそ「ちょっとピンぼけ」に語られる欧州戦線の取材にお供できたのでしょう。
しかし5万円は痛かったかと・・・ご窮状、お察し申し上げます。
私も、やってみたいネタのひとつが「ロバート・キャパ氏追体験」、
コンタックスUのクローム・ボディを購入の上、使い方を練習、
(とりわけ、やりにくいというフィルム交換を重点的に・・・)
陸上自衛隊広報行事を撮ってみたい・・・というのがあるのですが、
中古カメラ屋さんでコンタックスにお目にかかる度”予算不足につき延期”。
RFコンタックスと言えばシャッターリボンがアキレス腱ですね。 それが怖くて、購入に二の足を踏んでしまいます。 一度、キエフのジャンクを分解してみました。 ライカと違い、精密ドライバーさえあれば特殊な工具無しで シャッターユニットに到達できましたが リボンがどうやってもシャッタ−軸に縫い付けられませんでした。 そういえば、フィルム交換がバルナックライカよりやり易いと良く聞きますが スプールがしっかり固定されないので却ってやりにくかった記憶があります。 高性能でもライカと違って軍用に採用されなかったのも こういった点ですかねぇ・・・
476 :
前スレ86 :2005/09/16(金) 23:10:55 ID:???
>>475 ご自分で分解整備をやっておられるとは。
いやはや、実は工具を持ってのメカ整備にはからきし弱い私、敬服の至りです。
コンタックスは複雑なメカで、簡単にはメンテナンス、修理ができないと聞き及んでおります。
さらには聞いた話ですが、お言葉にありますシャッターリボンにすこぶる強いテンションがかかっており、
故障すると面倒とか・・・いかがなものでしょうか。
ライカ・コピーは山ほどあり、極端には文革中国のM3コピー「紅旗20」、
下放したカメラ技術者を呼び戻しての、ほとんど手作りのものすらあった一方で、
コンタックス・コピーがキエフぐらいしか見当たらないのは、
コピーでさえもあまりに、技術的ハードルが高かったからでしょうか。
前に書いたライカ・マイスター氏のところで見せて頂いたストリップ状態のM4は、
実はシャッターリボンが切れ、ドック入りしていたものでした。
「めったに切れるものではないんですが、何せ、30年以上前のものですから・・・。
シャッター幕もリボンもしなやかさがなくなっちゃうんですね・・・」
ISO1600のフィルムを詰めてAE露出で ねこたんとるんだがアップだとなんとなく 露出がオーバー気味に出るような気がする。 コンパクトばっかり使っていたからあまり気がつかなかったが。 ニコンFG-20が古いから露出計が単純なせいかなと思ったが キヤノンキッスライトでも同じようにとってやっぱり露出がオーバー気味になるような気がする。 つーか入射光式の露出計で測ったのより一段二段多めになる。 猫たんに黒の模様が多いせいかな。やっぱり人間がおててで補正しないと だめなのかなあ。
478 :
前スレ86 :2005/09/17(土) 23:25:54 ID:???
>>477 「中央部重点平均測光」でも、実はかなりスポット測光に近い機種、
例えば私が使った限りではニコンF3がそうなのですが、
中央部で黒模様の猫さんのような、反射率の低い被写体を測光するとそうなると思います。
こればかりは反射光式の露出計で測る限りは限度があり、
入射光式で測るか「カンピューター補正」を加味するかしかないと思えます。
私がnewF−1とM4に入射光式露出計を持って、大井川鉄道にSLを撮りに行ったときがそうでした。
停車している蒸気機関車、真っ黒な車体を、newF−1の部分測光で測った露出と、
入射光式露出計で測った露出では「あれれ?」ぐらいの差があり、
結局は「カンピューター全力計算!・・・に、しても、ガタのきたカンピューターで・・・」
・・・ラチチュードの広い、フジカラー・プロ400に助けられました。
高感度フィルムはネガフィルムであっても感度と引き換えに、きっちり適正露出でないと悲惨な上がりになるようで、
初めて岩国基地に出かけ、ブルーインパルスの飛行展示を撮った際、
高速シャッター切りたさにISO800のフィルムを使い、
「適正露出なら天国外れれば地獄」上がりのバラつきにため息をついたものです・・・。
典型的な逆光の自動補正は今の一眼レフは ずいぶんやってくれるようになったみたいですが、 古典的なかんによる手動補正も依然として有効なのですね。 (黒いドレスにアップだから2段少なめとか白いドレスのアップだから2段多めとか) そういや記念写真をシートフィルムのカメラで撮るようなスタジオでは 入射光式露出計がまだ大活躍ですね。 ところでフィルムの箱やら説明書に昔あった露出の目処の表っていつごろから なくなったんでしょうね。
>> 476 CONTAXも最近は修理可能だそうです。 破損箇所にもよりますが、それなりに手間(=工賃)がかかるので、それなりの 覚悟が必要だそうですが。 シャッターリボンに関しては、カメラスタイルと言う雑誌で「長い間、これが 切れるとおしまいだったが、医療用のリボンが使えるを俺が見つけたのだ」と 言っている方がいました。 # この人の店は、自分で売ったカメラ以外の修理はしない方針ですが。
481 :
名無し三等兵 :2005/09/18(日) 22:30:11 ID:6TbQTym2
露出決定の基本は、やはり入射光式。 被写体の反射率(白黒や逆光)に左右されないから 最も正確な明るさが判定/露出決定できる。 カメラ内蔵のTTL露出計でも、昔あったレンズにかぶせる トプコンの入射光アダプターを使えば、 入射光式露出計として使える。
482 :
名無し三等兵 :2005/09/19(月) 16:38:15 ID:Ahmio2c2
当方映画「日本海大海戦」(1969)で、陸海軍の首脳が双眼鏡にて 旅順の敵艦隊を観察するシーンがある。 乃木「それは、ツァイスの双眼鏡ですね?」 東郷「そうです。よく見えますよ。」 東郷提督(三船)からツァイス双眼鏡を借してもらう 乃木将軍(笠)も自前の双眼鏡を持っているのだが…どこ製なのかな。
483 :
前スレ86 :2005/09/19(月) 19:26:34 ID:???
>>479 コンパクトカメラや一部のAE1眼レフでは、
逆光時の露出補正を+1・5EV、決まった数値で処理するようですが、
本来ならコトはそう単純ではなく、ケースバイケースで処理すべきなのです。
カメラ側の測光分布も機種によって違いがあり、
最後は撮るひとの判断がものを言います。
条件によって入射光式が使えない場合は、反射光式のスポット・メーターを使い、
何点かで露出を測ってみて、カンピューター補正を加えるのもよいかと思います。
4x5を代表格とした大判シートフィルムや、屋内スタジオでのストロボ撮影では、
フラッシュ・メーターを初めとした入射光式露出計が必携品です。
NASAのスペース・シャトル「コロンビア」1990年のミッションでは、
ローライフレックス6008やニコンF3「ビッグ」「スモール」に混じって、
反射光式のミノルタ・スポットメーターが使われています・・・が、
実はミノルタのスポット・メーターは初期のモデルからNASAによって使われており、
正確な露出決定に一役買っています。
484 :
前スレ86 :2005/09/19(月) 19:31:50 ID:???
>>481 私も、ミノルタ・オートメーターVfに、アタッチメントのビューファインダー10°を用意し、
条件によって入射光式、アタッチメントをつけて反射光式と使い分けています。
F−1、newF−1を使う場合は、部分測光をスポットメーター代わりにしますが・・・。
「蒸気機関車の黒」「潜水艦の黒」は、露出決定に泣いた被写体の筆頭格です・・・。
485 :
前スレ86 :2005/09/19(月) 19:50:04 ID:???
>>482 小西六社史「写真とともに百年」では、当時、ツァイスの総代理店であった小西本店が、
明治33年の北清事変のころからツァイスとロスの双眼鏡を少量ずつ輸入していたところ、
日露開戦の直前、ツァイス6倍・8倍の軍事用双眼鏡各50個、
5倍・10倍兼用のタイプを5個、計55個を輸入して陸海の軍人に売りさばいたところ大当たり、
明治37年6月ごろまでに200個以上を売った・・・という記述があります。
価格と客層から言うと、今の言葉では「メガヒット」だったのでしょうか!?
東郷元帥のものは最も高価な5倍・10倍兼用のもので、
これは今も記念艦三笠の所蔵となっているのですが、
さて、乃木将軍のものとなると・・・もしかすると、ツァイス製を入手しておられたかも知れませんが、
これは私の推理でしかありません・・・。
なお「そこが変だよ自衛隊PART2」なる本によりますと、
陸上自衛隊で著者の見た限りただひとり、私物のツァイス双眼鏡を持ち込んでいた幹部がおられ、
その幹部いわく「ツァイス以外は光学品とは呼ばない」とか・・・。
486 :
前スレ86 :2005/09/19(月) 20:34:58 ID:???
>>480 レスが前後して申し訳ありません。
「医療用の糸がシャッターリボンの代わりに使える」のは、
かのオリンパスOM−1の生みの親、米谷氏がOM−1開発中に不慮の事故で入院、
その折にヒントを得た、というエピソードも著書に紹介されております。
おかげでOM−1のシャッター幕を上下方向に狭くでき、コンパクト化に寄与したとか。
もしかすると「カメラスタイル」に登場しておられたのは、
浅草の「名人」の方でしょうか?
私、名人のお店に出かけたことがありますが、忙しくカメラを修理しておられたため、
声をかけるのがためらわれ、早々に退散したことがあります。
国産機にはメーカー指定の「標準作業時間と工賃」があると聞いたことがあり、
「アサヒカメラ」の付録でもそれに近いことが書かれておりましたが、
古い外国製のカメラでは、治るだけでも幸いで、
ある程度高くつくのは致し方ないことかも知れませんね。
自分のブログを晒してみる
http://blog.livedoor.jp/inoryokei/ クラシックカメラの話と銘打ちつつ
カメラの話が3つしかないですがw
そういえば、日露戦争で思い出しましたが
戦艦朝日機関長だった関重忠が、日本海海戦のときに
小西六製のカメラで海戦の模様を撮影し、写真集を出したらしいです
海戦の最中に撮影出来るくらいですから、当時売り出したばかりの
チェリー手提暗函でも使ったのでしょうかね
ありゃ、自分がスレストになってしもうた(´・ω・`)
来年は観艦式の年か。当てたいな。 いままで乗ったのは むらさめ おおよど しらね です。はい。
490 :
前スレ86 :2005/09/24(土) 21:15:54 ID:???
>>487 申し訳ありません、短期でしたが中国出張のため、レスできませんでした。
ノートPCを持参、ホテルのブロードバンドサービスを使おうとしたところ、
到着すぐの時点ではメールのやりとりができましたが、
しばらくすると全くアクセスできない状態に・・・。
海外モードに切り替えの利くボーダフォンの携帯も、同じく、最初はメールOK、しばらくしてアウト。
通話は一貫してできたのですが・・・不思議です。
以前の中国出張では、ホテルのブロードバンドサービスで、日本では全く問題ないノートPCを持参したところ、
他のあらゆるサイトにはアクセスOKだったのですが、
「2ちゃん」と「読売新聞」「産経新聞」のサイトだけアクセスできなかったことがあり、
これは、もしや・・・と、冷汗をかいたことがあります。
中国中央電視台、CCTVの総合チャンネル「1」で、
国内ニュース番組の中、中国の報道カメラマンが映っていました。
機種を特定できませんでしたが、Nikonのストラップがついたデジタル1眼レフに、
スピードライトをつけていました。
ホットシューにそのままつけており、日本でNPSが出している、プロ用のストロボ・ブラケットは使っていませんでした。
491 :
前スレ86 :2005/09/24(土) 21:33:53 ID:???
「チェリー手提暗箱」で、またもや小西六の社史「写真とともに百年」をひもといてみました。 記述を要約しますと、現在でいえばコンパクト・カメラ的なマーケット・ニーズに応えたのでしょうか、 今まで写真師や比較的高い社会層ばかりを営業の対象としてきた小西本店も、 新たに市場に出てきた軽便な写真機のニーズに応えるため、 明治36年9月に発売したのが「チェリー手提暗箱」、価格は2円50銭だったそうです。 「小西本店としては破天荒の安カメラ」だったとか。 レンズは単玉、シャッターは「T・I」(このシャッター名の意味がわかりません・・・) 名刺サイズの乾板を使い、撮影のたびに次々に前に倒れて交換される「乾板倒置式」だったといいますから、 私の推理ですが、意外に速写は利いたのかも知れません。 画質にさえちょっと目をつぶれば、戦況撮影向けだったのではないかと思います。 現在で言えば、コンパクト・カメラを懐に忍ばせ、ここぞという時にスナップしたようなものでしょうか。 海上自衛隊の自衛艦に広報行事で乗ると「写真」の腕章をつけた乗員が、 コンパクト・デジカメで撮って回っているのを思い出します。
492 :
前スレ86 :2005/09/24(土) 21:48:11 ID:???
>>489 「やまゆき」「あさぎり」「うみぎり」「あさかぜ」「はたかぜ」「くらま」「ちはや」・・・と、
今まで乗った艦を思い出しています。
個人的な好みですが「はたかぜ級」の、長い艦首とブルワークは広角で撮ると絵になり、格好のいい艦と思っています。
しらねで首相の席に座ってみたのがちょっと自慢。
494 :
前スレ86 :2005/09/25(日) 11:44:55 ID:???
>>493 観艦式の折の首相座乗艦だったのでしょうか?それは貴重な体験をなさいましたね。
観艦式それ自体にすら、抽選に外れてばかりの私・・・。
防衛庁長官が中谷元氏だったころの話です。
高知新港で護衛艦「はたかぜ」の体験航海が行われた折、中谷長官がご自身の選挙区、高知1区を遊説中に、
お忍びで乗艦されることになりました。
地方連絡部の幹部と、艦長には知らされていたらしいのですが、
一般乗員、まして体験航海の乗艦者には知らされておらず、
聞いたことのない音色のサイドパイプが響き、続いて艦内放送、
「中谷防衛庁長官、乗艦される!」・・・乗員も一般客もパニック!
艦橋におられた中谷長官にサインをせがむ乗員、記念写真に収まる一般客、
「いや〜、いつもならよく一緒に写真を撮ってくれって言われるんですが、今日はさっぱりですねえ。
長官にお客さん、取られちゃいましたね、アハハハ」と、艦長。
「長官があとで居住区、見たいって言ってるらしいぜ」「マジかよ〜!」顔面蒼白の若い海士クン・・・。
「護衛艦『はたかぜ』艦上にて、中谷防衛庁長官と握手を交わしている私」、
一生もののお宝写真と「はたかぜ」の識別帽を、今も大切にしております。
昨年、戦時中防空隊で高射砲を撃って居た大叔父の葬儀がありまして。 祖母の兄弟姉妹の方々が久し振りに集まったんだからと、ライカVa+ズマールとローライフレックススタンダード 序でに自分で修理したウェルタのペルレで写真を撮っていますた。 祖母の姉の旦那さんがペルレを見て「こういう写真機は当時中々買えなかったんだよ」と語ったかと思えば 実弟に当る方は付いていたテッサーレンズを見て「当時は『名玉テッサー』と言ってね・・」とのたまいましたです。 嗚呼、偉大なる哉ZEISSの威光。写真の素人でさえその名を知る(w つか、最近裏紙の付いたモノクロフィルムでしか写真撮って無いなぁ。 >491 >シャッターは「T・I」(このシャッター名の意味がわかりません・・・) 其れはシャッター名では無く、Tは「タイム」、Iは「インスタント」(瞬間)では? 2速シャッターですな。
予行演習だったので首から総理大臣と下げた隊員、長官と下げた隊員、がサイドパイプとともに乗艦。 首相や長官の座る場所は艦橋上なのですがベニヤで高くしたところがあまり丈夫でないので 10人くらいづつ分けての見学でした。たしかにぺこぺこの感じでした。
中谷さんって元自衛官でしたっけ。
498 :
前スレ86 :2005/09/25(日) 19:24:07 ID:???
>>495 なるほど、ご教示ありがとうございます。
ずっと後の「豆カメラ」によくあったような、簡便な2速シャッターだったのですね。
どのみち、現在のフィルムを使う時のような高速シャッターは必要ではなかったでしょうし、
中低速のシャッターはカメラマンの「指切り」でまかなえたのでしょうか。
話は変わりますが、そうそうたる陣容のカメラで撮影なさっておられたのですね。
ロールフィルムのモノクロをご愛用とか。
35mmの、最近はネガカラー一本槍の私としては、恐縮してしまいます。
・・・ローライフレックスで思い出しましたが、高梨みどり「アメリカなんて大きらい!」なる漫画があります。
渡米した恋人のカメラマンが9・11で行方不明になり、恋人を探しに追って渡米する女性の物語ですが、
恋人のカメラマンが使っていたのがローライフレックス、ライカM4、ニコンF3でした。
作中、おそらくは実物をスケッチしたと思われるローライフレックスのカットがいくつか登場したり、
ライカM4にスーパーアンギュロン21mmをつけて撮影するカットでは、ちゃんと外付けファインダーが画かれていたり、と、
作者がクラシックカメラに並々ならぬ知識の持ち主であることを思わせます。
私の祖父は帝国陸軍歩兵でしたが、復員して元の職業に復帰、ライカVfを買いました。
戦後のことではありますが、それでも相当に高価なもので、
いまだに祖母は、
「あなたに形見分けしたカメラ、あれ買うときにおじいちゃんとケンカしたのよ」と、笑っております。
先人のお力とご苦労があって初めて、今、カメラや写真を楽しめるよい国ができていると思います。
かって高射砲とともにこの国の蒼空を守り、かって守った蒼空に旅立たれた大叔父様の、
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
499 :
前スレ86 :2005/09/25(日) 19:42:03 ID:???
>>496 観艦式や富士総合火力演習は、予行から見ることができるそうですね。
本番と全く同じことをやるため、競争倍率の低い予行の方がある意味お徳、と、聞いたことがあります。
しかし、首から札を下げた代役の隊員、想像してみればユーモラスというか、マヌケというか!?
海上自衛隊呉地方隊展示訓練を「ちはや」に乗艦、見学したことがあります。
ヘリ甲板の日光の照り返しは想像以上にきついもので、
「ちはや焼け」で真っ黒に日焼けしてしまい、
F−1とFD400mmに、かねて用意の白いタオルをかけながらの撮影でした。
へたばってしまわないように、ペットボトルのお茶を持参、ガブガブ飲みながら・・・。
きらきらと輝く夏の海面に浮かぶ「はるしお級潜水艦」の撮影には、
F−1の部分測光が役に立ちました。
さらには、展示訓練が終わり、港に帰投する「ちはや」と、
艦名は不明ながら呉に入港する「おやしお級潜水艦」がすれ違うといううれしいハプニングがあり、
このとき「おやしお級」を撮ったショットは、自画自賛とはこれのことですが露出がピタリと決まり、
上がりを見てニヤニヤしていたものです。
500 :
前スレ86 :2005/09/25(日) 19:55:34 ID:???
>>497 おっしゃる通り、防衛大学校を出ておられます。
陸上自衛隊イラク派遣部隊の番匠1佐とも、すこぶる親しい仲とか。
以前の陸上自衛隊高知駐屯地の駐屯地祭で、第2混成団音楽隊の演奏がありました。
その中でのアトラクションに「誰でも音楽隊長」があり、
観客の有志の方に、1分間、音楽隊が演奏する前で指揮棒を振って頂くというもので、
小さなお子様が指揮棒を振るのは微笑ましいものですが、
「トリ」を、高知1区選出、中谷「前」防衛庁長官が務めました。
「自衛隊の指揮と音楽隊の指揮と、どちらが難しいですか?」と、司会の音楽隊隊員、
「いや〜、どちらも難しいですねえ」。
いや〜、撮るのも聞くのも面白かったですねえ!?
小渕総理が自衛隊の音楽まつりを飛び入りで鑑賞に来場したのに出くわしたことがあります。 防衛庁長官(当時誰だったか覚えてない)に誘われて最高指揮官だしなといって軽く来場したのだと 挨拶されてました。 その回の終了後武道館から帰る途中、横にいきなり黒塗りの車が止まって小渕総理が飛び出し回りに 人たちと握手を始めたのでびっくりしました。回りの車から護衛がぞろぞろ ついでに茂みからも護衛がわらわらと飛び出してきました。 指揮官らしい人が無線機で何か怒鳴ってました。SPバッジとSPの本物を初めて見ました。 小渕さんが亡くなられる半年くらい前だったかなあ。
502 :
前スレ86 :2005/09/26(月) 22:36:47 ID:???
>>501 それはすごい・・・小渕総理、個人的にはなかなかの名宰相と思っておりましたが、
何ともフットワークの軽い総理大臣だったのですね。
しかし、護衛する立場から言えば悩みのタネにもなったかも!?
昔の「カメラGET!」に、アサヒペンタックスSPかS2かに、
自衛隊のPXで隊員向けに売られたという「B」刻印入りのものがあると紹介されておりました・・・が、
ここから先は聞いた話ですが、
警察に納品されたアサヒペンタックスの1眼レフにも同様にポリスの「P」の刻印入りのものが存在し、
こちらは公用のみに納品され、採証写真の撮影用などに酷使されたため、
払い下げられたものにも動くものが少なく、もし、あればひそかなコレクターズ・アイテムだそうです。
私も見たことはありません・・・。
503 :
名無し三等兵 :2005/09/27(火) 09:07:42 ID:0b8XBdSe
今日まで開催中の、名古屋の中古カメラ市に、 「県警用」なるペンタックスSPモータードライブセットがでている。 SPボデー+モータードライブ+長尺マガジン+50mmF1.8+55mmF4マクロ+トランクケースで オネダンは、94,500円だった。
504 :
前スレ86 :2005/09/27(火) 18:31:07 ID:???
>>503 それは貴重なセットですね、情報ありがとうございます。
私も名古屋に住んでいたなら、買えないまでも駆けつけて見学したところなのですが・・・。
マクロレンズがセットされていたり、トランクケースに入っているあたりが、
いかにも警察用であることを伺わせますね。
お恥ずかしい話ですが、私がクルマに乗っていて大型車にぶつけられ、警察を呼んだとき、
交通課の警察官が使っていたのがペンタックスK1000でした。
デジタルで撮った写真は修正が簡単なため、裁判では証拠として使えないんだとか。
名古屋と言えば出張の折、栄の「トッxカメラ」さんで、
長い間探していたOM−1用のフォーカシングスクリーン「1−13」を発見、
(買ったときには別のスクリーンがついてました)、
即時購入、持ち帰ってOM−1に装着したものです。
あのお店の中古コーナーは面白いですね。
さおだけやはなぜつぶれないのか に対抗して誰か 中古カメラ屋はなぜつぶれないのか
506 :
前スレ86 :2005/09/29(木) 21:49:33 ID:???
>>505 いや〜、結構減ってますよ、中古カメラ屋さん。
私はカメラ業界の者ではないので、内情はうかがうべくもありませんが・・・。
ただ、素人でもわかる話としては、
安く買うだけならネットオークションが当り前になりつつありますし、
デジタルならプロパー価格で売っている期間が短く、すぐに新品がディスカウント。
一部のコレクターズアイテムを除いて、銀塩カメラの相場も落ち、
オイシイ商売ではなくなっているのでしょう・・・。
ネットといえば通販で痛い目にあったことがある。 リコーGR21の新品をオーストラリアの店で見つけて注文して 出荷したが途中で行方不明に。オーストラリアは出たが 東京に着いていないと。返金はされたが二ヶ月にわたる海外送金の手間やら やりとりの手間がすべて無駄に。母親が超広角レンズ搭載の コンパクトが欲しいと言ったので。 こんなことなら二四ミリでいいからナチュラにしとけばよかった。 結局代わりにペンタックスの24-105ズームのコンパクトにしました。
508 :
前スレ86 :2005/09/30(金) 19:22:18 ID:???
>>507 リコーGR21の中古を、最近、地元の中古カメラ屋さんで見かけましたが、
すこぶる程度のいい品で、128000円。
・・・うまくすればMF1眼ボディに21mmの組み合わせが買える、と、
思ってしまったものですが、
ライツ・ミノルタCLのように、昔とあまり中古の市場価格が変わらない(ように思います)機種もあり、
需要と人気が価格を作るのでしょう。
私の考え方がかなり古いとは思うのですが、
中古カメラは自分で手に取って、納得いくまで見せてもらえないと安心して買えないタチなのです。
それがため、要らぬ苦労をしているかもわかりません・・・。
えーと、知ってる範囲(といってもごく狭いですけど)だと 秋葉原のにっしんが2店舗のうち1店舗を縮小後閉鎖 同じく秋葉原の中古専門のマップカメラも閉店 新宿だとカメラのドイが閉店 京都は有力だった三条のムツミ堂が縮小の後閉店 これだけでも結構減ってますね・・・ やはり中古ブームが去って、銀塩は苦戦気味ってことでしょう 中古相場が下がってるのは買う側にとっては有難いことですがw
510 :
前スレ86 :2005/09/30(金) 23:57:11 ID:???
>>509 秋葉原のにっしん、一度、出張で立ち寄ったときには2階まであった売り場が1階だけになっており、
次の出張で立ち寄るとシャッターが閉め切られており、あれれ?と思ったものです。
新宿では「カメラのきxら」が移転したと聞いたとき、むしろ閉店ではないのにホッとしました。
先日、大阪に出張で出かけた折は、
ミナミの「トキxカメラ」さん、「国xカメラ」さん、
JRに乗るときにちょっと時間をひねり出して大阪駅の「八百x写真機店」さんに立ち寄り、
皆様、ご盛業のようで安心しました。
安くは買えても、いつまで使える銀塩旧式MFぞ・・・と思うと、索漠たる思いが致します。
newF−1を例に取りますと、キヤノンの某SS、サービスマン氏いわく、
「newF−1の義務部品保有期限はたしかに今年一杯ですが、なんてったってnewF−1ですから。
まだまだ修理もオーバーホールもやりますよ」と言って頂いたり、
「モータードライブはもう部品がないんですが、newF−1用のワインダーFNは、
実は医療用の眼底検査カメラ用に、中身が同じワインダーをつい最近まで作っていたんですね。
ですから、ワインダーなら駆動系の部品はまだまだあります。
ただ、電池ボックスの接点やフタはもうないですから、お求めならそこに腐食のないものを選んで下さい」と、
ある修理業者さんでお話を伺ったり、と、
”まだもう少しイケそうだ”ちょっぴりの光明はあるのですが。
無理に軍事ネタに話を振りますと、
キヤノンF−1には米海軍の制式ナンバーが与えられていますが、
newF−1にも”US NAVY”の刻印が入ったものが、資料本には登場していました。
現物を見たことはありませんが・・・。
GR-21には当然英語の使用説明書しかついていないだろうからと リコーから日本語の使用説明書を取り寄せ さらに絶版間際のGR本まで買っておいたのに。
512 :
前スレ86 :2005/10/01(土) 00:53:49 ID:???
>>511 まあまあ、どうかお気落としのないようにお願い致します。
いつか使用説明書も、本も、お役に立つときが来るでしょう。
不思議なもので、何の気なしに中古カメラ屋さんに立ち寄ると「これだ!」という1台があったり、
逆にその気になって探していると、ふいにチャンスが舞い込んだりするものです。
いささかセンチメンタルではありますが「縁」があるように思えてなりません。
いつか、どこかで、貴殿をお待ちのGR21がいることかと思います。
>>509 >>510 にっしんは規模縮小じゃなくて二つにわかれたのです
それぞれが別の経営者につまり、同じ名前ですが双方とも経営者が違います
詳しいことは残念ながら書けませんけど
んで、結局上野よりの店舗は畳んでしまったのですが・・・・・
自分のことだったらねーがっかりは自分だけだけど 親が楽しみにしてたからなー。 一眼レフ+24ミリが重いから代わりのコンパクトが欲しかったそうです。 GR21は100グラムだかなー。
荻窪のプリズムが無くなったのわツライなあ
516 :
前スレ86 :2005/10/01(土) 19:03:30 ID:???
>>513 そうですか・・・いろいろな事情があるものですね。
あまり根掘り葉掘り聞くのも、失礼、かつ、無作法というものです・・・。
517 :
前スレ86 :2005/10/01(土) 19:16:46 ID:???
>>514 小型軽量で高性能の、いわゆる高級コンパクトカメラ、私も欲しいところなのです。
コンタックスがカメラから撤退しなければ、T3が欲しかったのです、
T2の上がりのすごさは、借りて使ってみて感心しましたので・・・。
不肖・宮嶋、こと、宮嶋茂樹氏は雑誌でミノルタTC−1を絶賛しておられた他、
「フライデー」専属カメラマン時代、
リクルートの江副会長をリクルート入社式に潜入、撮影した折には、
ミノルタCLEを使っておられたそうです。
機動力と描写力に優れ、かつ、コンパクトなカメラがお好みなのでしょうか。
しかし「高級銀塩コンパクトカメラ」は、今後、ちょっと復活しにくいカテゴリーのカメラだと思います。
TC−1も生産中止になった今、現行機種にはありませんし・・・。
親御様がお使いになるためのGR21、早く見つかるといいですね。
518 :
前スレ86 :2005/10/01(土) 19:23:51 ID:???
>>515 こればかりは場所と店名を書くわけにはいきませんが、
今も続いているお店でも、昔と今ではまるっきり様相が変わってしまい、
「この雑な売り方はいったいどうしたんだろう?昔は親切で優しいお店だったのに」、
昔の光いまいずこ、久しぶりに行ってがっかりさせられたお店もあります。
時の流れには、ときとして荒波もあるのでしょうか。
ちょっと遠出で商店街のカメラ店を発見。ただし目的はカメラ探しにはあらず。 時間があったので靴店を探してすりへった靴の底の修理を頼もうかと。 ニコンF401が新品であるよ。Aiレンズがかかるなら買っちゃおうかな。 ペンタックス(スクリュー・マウント?)や二眼レフも飾ってあるよ。 もう一軒。ニコンFやFEやコシナーのレンズ(マウントは不明)があるよ。
520 :
前スレ86 :2005/10/03(月) 23:45:43 ID:???
実家の近くにあった写真スタジオはまだ健在だった。 でもモノクロをいまもやっているかどうかは不明。
522 :
前スレ86 :2005/10/06(木) 01:16:44 ID:???
>>521 プロやハイアマチュア向けの専業ラボは別にして、
市中のDPE業者さんで自家焼きのモノクロをやっているところも少ないでしょうね。
印画紙や薬品類の供給には、言われているほどの不安はないと思いますが・・・。
ライツ・フォコマートは例外にして、
今、モノクロDPE用品を扱うお店に出かけると、引き伸ばし機も安くなったものだと思います。
住まいの事情さえ許せば、昔取ったナントヤラで、もう一度モノクロ自家DPEに挑戦したいぐらいです。
ベトナム戦争の折には、北ベトナム側にも従軍カメラマンがおり、
南ベトナム側、西側報道機関のカメラマンと違うのは、
カメラマンと同時に兵士でもあり、AK47で武装、戦闘に参加していたのもさることながら、
カメラの分解・修理の他、野戦での現像・焼付け技術も身につけていたそうです。
機材があったとして、どうやって現像液や定着液の液温管理をやっていたのだろう、と思いますが、
例えば「レクイエム・ヴェトナム、カンボジア、ラオスの戦場に散った報道カメラマン遺作集」には、
北側から撮影された作品、戦闘行動中のものも収録されています。
「野戦DPE」での作品かどうかは、さだかではありませんが・・・。
523 :
前スレ86 :2005/10/06(木) 21:50:42 ID:???
「その後判明」をご紹介させて頂きます。
>>413 さんのお話以降、ベトナム戦争報道にニコンS2が使われていなかったか、
あれこれと資料をひもといてみましたが、確認できませんでした。
しかしながら西堀栄三郎「南極越冬記」岩波新書、
1957年2月15日から翌58年2月24日まで、南極昭和基地において、
日本初の越冬を成し遂げた南極観測隊の記録に、
オーロラ観測と記録のため、天体望遠鏡用の架台に「ふつうのニコン(本文より)」を据えつけ、
撮影する北村隊員の写真が収録されております。
私が見た限りですが、外付けファインダーのついた、レンズ上端から軍艦部上端までが比較的狭い「ニコン」で、
レンズも大口径のものです。
おそらくは復刻SPにも装着された35mmF1・4に、35mmの外付けファインダーを組み合わせた、
ニコンS2ではないかと推理します。
南極観測隊の出発スケジュールから言っても、SPやS3は間に合っていないでしょう。
ベトナムを取材したS2こそ確認できませんでしたが、
初の南極越冬隊に参加し、数々の貴重な記録を残すのに貢献したのは、
S2の成し遂げた「偉業」というべきではないでしょうか。
>>523 前スレ86さん、おひさです。
あれからずっと調べて頂いていたなんて頭の下がる思いです。
S2が初の南極越冬隊に参加したかもしれないのですか・・・
意外なところで活躍していたんですね。
初越冬隊ということは映画にもなった「タロ」「ジロ」と一緒に南極に
行ったと言う事になりますね。
>>522 北ベトナム側従軍カメラマンの話、大変おもしろく読ませていただきました。
自ら武器を取って戦うわ、写真とって現像するわ、修理もするわで
凄いですね・・・
そう言えば、原爆投下直後に広島を取材した日本のカメラマンが
夜中に星明りを頼りに川でネガを洗ったとか聞いたことがあります。
こうした人たちの努力があって、写真が残るんですねぇ・・・
ホンダは風力発電機を ソニーはトランジスタ無線機を ロッテはクールミントガム を第一回南極観測隊に提供しました。 コピーライターの学校でクールミントガムを宣伝しろという課題にたいして提出したものです。 ニコンがカメラを提供したのだとしてそれを知っていたとしたらなにかひねって もういっちょ書いたかもしれない。 クールミントガムのパッケージにはペンギンが書いてあります。
526 :
前スレ86 :2005/10/06(木) 22:26:15 ID:???
「その後判明」第2弾です。
>>467 じんべえさんのご教示にありました、
ライカVfでシンクロ接点がつく前の、バルナック・ライカのフラッシュ同調アタッチメント、
その後「ライカの歴史・復刻版」中川一夫、写真工業別冊、を入手しまして、
その中に記述がありました。
WW2当時、こと、1940年発売のVcの時代には、
同調発光用のアタッチメント「VACU」を取り付け、
シャッターダイヤルをVACU専用のものに交換して、
(ライカの各タイプに合わせ、6種類の専用シャッターダイヤルが用意されていました)、
フラッシュ・ガン「CEYOO」を発光させるものだったそうです。
電源は初期には6V、のちには22・5Vの電池とコンデンサーの組み合わせに変更され、
カメラ底部に取り付ける専用のアームも供給されたとか。
WW2後の1954年にはアームを使わず、アクセサリーシューに装着する「CHICO」が発売されたそうですが、
時代考証でいくと、Uボートの艦内撮影に使われたと思われる「CEYOO」は、
ブラケット式ストロボをライカに装着してやってみるとわかりますが、
(私も試しにM4につけてみたことがあります)
かなりフィルム交換が面倒だったのではないでしょうか・・・。
なお、これ以前にも、1936年の段階で、
シャッターボタン部にシンクロ調節用の部品をアクセサリーシューを介して取り付ける、
フラッシュバルブ用のアタッチメントがあるにはありましたが、
機能の割りにデカい代物で、艦内撮影には向かなかったのでは、と、思わせるに充分です。
527 :
前スレ86 :2005/10/09(日) 23:12:15 ID:???
>>524 「南極越冬記」にはこの他、朝日新聞社会部の記者であった藤井隊員が、
機種がわからないのですがムービー・カメラで撮影する傍ら、
そばに三脚に据えたスピード・グラフィックスを置いている写真もあり、
当時の報道に使われた新鋭の機材が、余さず南極に持ち込まれたことを物語っています。
のちのニコンF2、F3「ウエムラ・スペシャル」のように、
極寒冷地向けの「油抜き」や、順巻きへの改造がされていたかどうかは触れられていないのですが・・・。
余談ですが、不肖・宮嶋氏は南極観測隊に同行した折、カメラを極寒冷地向けに改造していたのでしょうか?
北ベトナム軍のコンバット・フォトグラファーが使っていた機材が気になっています。
戦闘中にのんびりと大判カメラを使っていたとは考えにくく、
35mmカメラであったとは思うのですが、
ソ連製の「キエフ」「フェド」の類いだったのでしょうか。
だとしたら、現在、日本の中古カメラ市場で入手できる実機から考えて、
あまり信頼できるものではなかったのではないか、
少なくとも西側報道機関のライカやニコンFのようにはいかなかったに違いない、
ますます、少々の故障なら修理できる技術も必要だったのでは、と、思う次第です。
528 :
前スレ86 :2005/10/09(日) 23:28:37 ID:???
>>525 「南極越冬隊」によりますと、無線担当の作間隊員はアマチュア無線の資格も持っており、
隊の公式通信を担当する傍ら、400ワットの予備無線機で、
アマチュア無線の交信も行っていたそうです。
この400ワット無線機が故障、スペアパーツが不足していたために、
修理に苦心するくだりもあります。
東京・船の科学館に保存されている「宗谷」を見学したことがありますが、
当時は世界的に見て小さいとは言えなかったとはいえ、
「この船で南極に行ったのか」と、思ったものです。
あとで、某港で見学した「しらせ」の巨体とは、比べるべくもありません。
先人のご苦労が忍ばれます。
529 :
前スレ86 :2005/10/09(日) 23:55:01 ID:???
RFコンタックスのお話が出ていましたので「その後判明」第3弾です。 終戦時、マッカーサーが厚木に降り立った様子を撮影した折の記述が、 光人社NF文庫「マッカーサーが来た日」にありますが、 マッカーサーを撮ったカメラマンのお名前と機材にまでは触れられていません。 「写真工業」誌今年9月号に「マッカーサー元帥を撮影した宮谷長吉」なる記事があり、 当時、同盟通信社のカメラマンだった宮谷長吉氏がスチールを担当、 使っておられたカメラはコンタックスU、レンズはゾナーF1・5だったそうです。 宮谷長吉氏は戦艦ミズーリ号艦上での降伏文書調印式も撮影しており、 いずれの時にも革ケースに収めたコンタックスUに、ゾナーにはレンズフードが装着されています。
530 :
霊式戦湯機 :2005/10/10(月) 22:10:41 ID:y/EmHXxa
珊瑚海海戦で空母祥鳳に乗っていた朝日新聞記者の吉岡海軍報道写真班員が、 同艦の被害状況や至近の敵機など、貴重なシーンをライカで撮影したとのこと。 しかし艦は撃沈され、9時間の漂流後に駆逐艦に救助された時に、 フィルムを調べたら乳剤が溶けてダメになっていて残念と。 海水にカメラを漬けないよう頭上にかざしたりしていたが、 重いレンズを棄て南洋の太陽熱でダメージを受けたらしいとのこと。
今のフィルムなら大丈夫なんでしょうかねえ。
532 :
前スレ86 :2005/10/11(火) 19:05:43 ID:???
>>530 貴重なお話をありがとうございます。
比島沖海戦にて空母「瑞鳳」沈没の折、若き海軍少尉が持って海に飛び込んだライカが主題の「ライカの帰還」や、
ミッドウェー海戦にて燃える空母「赤城」からかろうじて脱出した日映・牧島カメラマンの体験記、
「炎の海」などを思い出してしまいました。
南洋の海上での高温、多湿に加えて海水がじょじょにしみてきて・・・と、なると、
乳剤がもたなくても当然かと考えます。
吉岡カメラマンが生還されただけでも、おおいによしとせねばなりますまい、というのは、
後世の考えなのでしょうか・・・。
533 :
名無し三等兵 :2005/10/11(火) 19:10:44 ID:rkPBwXxp
>>519 >>520 F401は最新の絞りリングの無いGレンズをマニュアルモードで使えるカメラですよ。
買って損はないよ。
534 :
前スレ86 :2005/10/11(火) 19:38:37 ID:???
>>531 銀塩なら今のものでも、その条件ではもたないのではないでしょうか。
無論のこと、カメラも無事では済みますまい。
電気部品のあるカメラだと、水没イコールお陀仏なのですが、
電気部品のないM4以前のライカであっても、水没品を修理するには相当な手間が要るようです。
以前「カメラスタイル」誌で、水没ライカの修理の模様が掲載されていましたが、
目に見えない部分からも水分による錆びが発生するため、完全にバラして洗浄せねばならず、
大変な作業となっていました。
「水没」でなく「海没」、「水抜き」に加えて「潮抜き」となると、
「ライフ」のカメラマン、ダンカン氏がベトナム戦争中、海兵隊の水陸両用車から浅い海中に落とし、
エルンスト・ライツ社の手で修理されたM3Dのような例もありますが、
直るとしても水没以上に、大変な費用と時間を覚悟しておかないと・・・。
535 :
前スレ86 :2005/10/11(火) 19:52:02 ID:???
>>533 ううむ、なるほど、ご教示ありがとうございます。
Gレンズのことにまで考えが及びませんでした。
Aiニッコールの生産中止もうわさされる昨今ではありますし・・・。
してみると、水没に関しては案外デジタルの方が強いのかも知れませんね 確かえひめ丸に乗って亡くなったお方のデジカメを回収し そのメモリーから写真の取り出しに成功したという記事を大分前に読んだ記憶があります
なんかデジカメが爆発に巻き込まれて本体はバラバラ、CFは余裕で生き残ってた という話があったような・・・。
でも、最近のカメラはプラ製が多いからメディアが銃弾や破片の直撃を受けたらアウトだ。 チタン装甲のカメラなんてもうでないだろうなあ。 で、デジタルデータを写したはしから衛星経由で後方に送信、するのだろうか。
小さいデジタルメディアなら鳩で十分運べそうだなあ。 伝書バト復活だあ。
541 :
前スレ86 :2005/10/12(水) 21:15:49 ID:???
>>536 これはすごい!情報をありがとうございます。
うむうむ・・・と、早速「KE−48c(米陸軍のニコンFフォトミックFTn)」、
「KS−80(米海軍のニコンFモータードライブつき)」、
「KS−99(米陸軍、99Aがトプコン・スーパーRE、99CがキヤノンF−1前期型)」などを、
このリストで引いてみておりました。
KS−80はNikonと、メーカー名も明記してありますね。
KE−7がコダック・シグネット35で、KE−7A、こと、ライカM4が記載されていないのは、
KE−7Aが途中で調達キャンセルされたことと関係があるのでしょうか。
これは!と思ったのが「KS−93」です。
潜水艦の潜望鏡用35mmカメラで、トプコンとメーカー名も書いてあります。
海上自衛隊潜水艦の潜望鏡に内蔵されたニコン35mmのように、全くの組み付けだったのでしょうか、
あるいは特殊なアタッチメントか何かで、潜望鏡の接眼レンズかどこかにマウントしたのでしょうか?
あるいは「KS−153」、F14の戦術偵察ポッド、TARPSのカメラが、
ツァイス製だと書いてあり、これにはびっくりです。
さすがはツァイスというべきでしょうか。
いやはや、何ともよく読めば読むほど、興味をそそられるリストですね。
これからも使わせて頂きます。
542 :
前スレ86 :2005/10/12(水) 21:28:30 ID:???
>>537 新聞でも報道されていましたね。
簡単には読み出せなかったようですが、ソニーが協力して読み出しに成功したとか。
銀塩であれば何かの方法でパトローネを防水・密封していない限り絶望的なところですが、
デジタル記憶媒体の意外な強みなのでしょう。
・・・余談ですが、えひめ丸事件の慰霊碑がパール・ハーバーに建立され、除幕式が行われた折、
えひめ丸の引き揚げに参加した、海上自衛隊潜水艦救難艦「ちはや」の識別帽をかぶった方が、
列席しておられるのが、テレビ報道にちらっと映っておりました。
偶然、私も「ちはや」の識別帽を持っており、それと判った次第です。
・・・あれは「ちはや」乗員やOBの方だったのでしょうか、
あるいは「ちはや」の献身的な引き揚げに感謝しておられた、遺族や関係者の方だったのでしょうか・・・黙祷。
543 :
前スレ86 :2005/10/12(水) 21:35:18 ID:???
>>538 あり得ない話ではないと考えます。
感光すればアウトの銀塩フィルムと違って、カメラは駄目でも記憶媒体さえ残れば何とかなる、
デジタルの場合「生存率」は高いでしょう。
544 :
前スレ86 :2005/10/12(水) 21:47:42 ID:???
>>539 実際、イラク戦争の報道ではそうなっていたようです。
衛星通信モデムとモバイルPCを駆使して、写すやいなや新聞社や通信社の本社に電送。
共同通信の関根孝則カメラマンのように、
従軍した米陸軍の装甲車から電源を分けてもらって送信した例もあり、
これからの戦場報道はデジタルカメラ+衛星通信が当り前になってゆくでしょう。
・・・ただ、それは自動的に「事前検閲が不可能」であることを意味し、
ベトナム戦争でジャーナリストの自由な従軍報道を快く思っていなかった、当時は若き米陸軍大尉のシュワルツコフが、
湾岸戦争では厳しい報道制限を引いたように、
ジャーナリストを入れない「密室での戦争」を、加速させるものかも知れません。
545 :
538 :2005/10/12(水) 21:52:05 ID:???
546 :
前スレ86 :2005/10/12(水) 21:58:27 ID:???
>>540 伝書バトを飼っている通信社や新聞社はもうないとは思いますが、
もしかすると意外にアナログな手段が、復活するかも知れませんね!?
35mmフィルムのパトローネ1個はすでに、伝書バトには「重量オーバー」なんだそうですが、
無理やりにくくりつけられたパトローネを見事、運んでのけた、
「伝書バトの尺度で言えばC130のような」ハトも過去にはいたそうで・・・。
547 :
前スレ86 :2005/10/12(水) 22:28:26 ID:???
>>545 ううむ・・・これはすごいですね。
おそらく銀塩では画像生存の可能性ゼロのところを生き残ったとは。
新しいデジタルの可能性を見た思いが致します。
ご紹介、ありがとうございます。
コンパクトフラッシュでもハードディスクタイプならアウトだったと思う。 で、半導体メモリって集積度が高いと放射線に弱いから フィルムと同じで(以下自己検閲により略)
でも固体磁気メモリつーのもあってこいつは放射線にも強い。 磁気バブルメモリというのは放射線満杯の惑星探査機に積まれたりした。 もっと集積度の高い磁気メモリが実用化に近づきつつある。
550 :
前スレ86 :2005/10/13(木) 17:47:35 ID:???
X線はどんなに強くたって(正確に言うと限界はあって加速器で作るような超強力なX線ならアウトだと思う) 大丈夫ですが、いわゆる核放射線(アルファ線、ベータ線、ガンマ線)を半導体メモリが受けると ビットが反転することがあるのです。成層圏を飛ぶ飛行機の中でPCを使うと地上より誤作動しやすいというのは 都市伝説ではありません。
552 :
前スレ86 :2005/10/13(木) 21:51:44 ID:???
>>551 なるほど、実に興味深いお話をありがとうございます。
かって函館空港に強行着陸、パイロットのベレンコ中尉が亡命したミグ25を、
米軍と航空自衛隊の専門家が調査したときに、
「電子兵装に真空管を使っているのはソ連の技術の遅れだ」と冷笑した向きに対し、
「核放射線には真空管の方が強いのだ」という反論があったことを思い出しました。
どこの航空会社だったかは覚えていないのですが、
国際線の機内にノートPCを持ち込めば、衛星通信によるインターネットが使えるサービスが、
まもなく始まるそうです・・・けれど、
そうなると誤作動の問題も、避けて通れなくなるのでしょうか。
素粒子実験の測定には昔は写真乾板を使っていましたが いまじゃ半導体センサを応用した測定器を使いますからね。 (ビットの反転するのを逆に積極的に使って素粒子の通り道をデジタルで記録する)
つーか光でビットを作るのは乱暴に言えばデジタルカメラの撮像素子ではないか。
実はハードディスクは真空中では動きません。 空気が極端に薄いところでも動きません。 エベレストに持ち上げて使うコンピュータの ハードディスクは空気が薄くても動く特別製。 そうなんです。ハードディスクタイプの コンパクトフラッシュメモリをデジタルカメラに 入れると多分エベレストの上じゃ動かないんです。 フィルムカメラなら大丈夫。
>>555 知ったか乙!
オマエはMacユーザーを馬鹿にしているだろ。
板違いですカメラ板に移動してください。
ハードディスクのヘッドは空気膜を利用してプラッタから浮いているから 空気が薄いと動かなくなるのでは? 密閉型と言っても気圧を調整するための穴が開いていたと思う
エベレストの頂上でなくても戦闘機みたいな飛行機にハードディスクタイプのメモリを 入れたデジタルカメラはたぶんだめですね。半導体タイプでないと。
>>555 ハードディスクタイプのコンパクトフラッシュっていう表現やめてくれ(w
正確にはコンパクトフラッシュサイズのハードディスク、だ。
中学ん時ペニスなって言ったら 「コワブキモーい」なんて言ってた女どもは 二十歳を越えたらペニス求め合コン それならもっとペニスを オープンにSAY!
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ベトコンの写真班は、湿気からカメラを守るために、 炒ったお米を沢山入れた箱の中にカメラを入れ、保管しますた。
566 :
前スレ86 :2005/10/14(金) 19:34:53 ID:???
>>565 凄まじいジャングルの湿度の中では、カメラを保管するだけでも大変だったでしょうね。
西側のベトナム戦争報道カメラマンの場合は、取材が終われば後方で手入れをしたためでしょうか、
あまりカメラバッグや保管用のケースに入れている写真が見当たらないのですが、
例外として沢田教一氏が大きめの金属製カメラバッグを携帯しているスナップが残っており、
青木富貴子「ライカでグッドバイ」、沢田教一氏を題材としたドキュメンタリーによりますと、
ハリバートンのカメラバッグを、マジックインキで黒く塗ったものだったそうです。
ハリバートンのカメラケースは、米陸軍カメラキット、
キヤノンF−1と交換レンズ、フィルター、ストロボを収めたもののケースにも使われており、
こちらは最初から黒く塗装されています。
(ワールドフォトプレスの文庫「グリーンベレー」に、装備品の一部として写っている写真があります)
>>541 トプコンに聞いても教えてくれないでしょうね...
それと、KS-153のuserは少なくとも3カ国(独・米・日)あります。
ドイツはtornado用偵察ポッド、日本はRF-4EJ用TACポッド(ks-135は恐らく誤りでしょう)。
炒った米よりもポン菓子の方が良さそうな気がする。
569 :
前スレ86 :2005/10/14(金) 21:22:50 ID:???
>>567 私もそう思います、モノがモノだけに・・・。
潜望鏡を通して目標を見た、照準レティクルも写りこんでいる写真は時折、見かけますが・・・。
潜望鏡の概念図というか、ごく簡単な構造図までなら、
例えば「国産カメラ開発物語」には、太平洋戦争中の日本海軍の潜望鏡「八八式10メートル三型」、
日本光学製のものの構成図が載っていますが、
何せ高度な軍事機密に属する潜望鏡、とりわけ現用かそれに近いものは、これ以上のことは調べようがないでしょう。
私の個人的な推理をお許し頂くなら、
接眼レンズに入る像をどこかで分光した、カメラ用の光路があるのではないかと思いますが・・・。
KS−153の件、ご教示ありがとうございます。
まだ出かけたことはないのですが(行きたくて行きたくて・・・)
もし、百里の航空ショーか何かで公開されることがあったなら、
RF−4EJの実機とともに、一度見てみたいものです。
570 :
前スレ86 :2005/10/14(金) 21:31:21 ID:???
>>568 私もポン菓子は好物でして(汗
日本では素材が湿度を一定に保つ「桐のタンス」が、カメラを収納するときに絶好の収納場所と聞いています。
(聞いています、というのは、ウチにはないのです・・・)
先人の知恵、一概にローテクとばかりは言えないでしょう。
「適度に使う、これに勝るカメラの保管方法なし!」と言い切った、私の先輩もおられます。
平和で気候も温暖な、日本でのことではありますが・・・。
571 :
前スレ86 :2005/10/14(金) 21:52:26 ID:???
資料はよく読まないといけません・・・自省。
>>527 で、北ベトナム軍のコンバット・フォトグラファーが使っていたカメラについて、
気になっていると書いたのですが、
「レクイエム・ヴェトナム・カンボジア・ラオスの戦場に散った報道カメラマン遺作集」に、
ベトナム通信社で写真技術の訓練を終え、カメラを支給された5人のカメラマンの写真が収録されております。
その写真を他の資料本と突き合わせ、よく見てみると、
東ドイツ製、プラクティカの1眼レフと推定しました。
東ドイツ製なら、当時(1967年)の北ベトナムに新品で入っていても頷けますし、
プラクティカ=M42マウントなら、交換レンズも新旧各種、山ほどあったでしょう。
さらには、それを調べるにあたって「軍用カメラ大図鑑」をひもといていたところ、
「ベトナム戦争で作戦行動中の兵士のPR用映画と、スチール写真を撮るために集まったカメラ・クルーたち」、
3人の米軍カメラ・クルーが写っているのですが、左端のクルーがニコンS2を首から下げているではありませんか。
外付けファインダーに大口径レンズ、35mmF1・4のニッコールと思えます。
>>524 さん、申し訳ありません、S2は米軍の手で、ベトナム戦争の報道に使われておりました。
穴があったら入りたい心境です・・・。
潜望鏡は、10数枚のレンズが中に入っていて、 1枚辺り10%もの光が反射するために、2枚目で81%3枚目で72%と 光量が減るので、覗くと真っ暗なのだそうだ。 そこで、レンズ表面に反射防止コートを蒸着する研究が、 日本では、日本光学(現ニコン)で進められたんだと。 それで、現在のカメラ用ズームレンズは10枚以上のレンズを使っても、 あれくらいの明るさを確保できるようになったんだと。 メガネの反射光が緑に見えるのは、これの応用。
スマソ、ニコンじゃなかったのかもしれん、トプコンだったかもしれん。 うろ覚えで適当に書いたから、スマソかった。
574 :
前スレ86 :2005/10/14(金) 22:49:31 ID:???
>>572 私も実際に海上自衛隊潜水艦「はやしお」の潜望鏡を、一般公開でのぞかせてもらったことがありますが、
驚くほどの解像度でした。
手元のハンドル操作でたちどころに倍率を上げられるのですが、
最大倍率でも遠くに止まっているクルマのナンバーが明瞭に読めるほどです。
・・・「潜望鏡をのぞいてみませんか」は、潜水艦の一般公開ですこぶる人気のある「出し物」、
他の見学者の方が順番を待っておられたため、早々に次の方に譲ったのですが・・・。
太平洋戦争中の日本海軍、潜望鏡のコーティングは「増透処理」と呼ばれていたそうですが、
最初に増透処理を行ったのは横須賀海軍工廠で、
コーティングなしでの透過率10%に対し、実に25%に向上。
横須賀に入港する潜水艦の艦長は先を争って増透処理を希望、
佐世保、呉、舞鶴、大湊の海軍工廠にも設備と技術を移植、民間光学会社にも技術を伝授・・・と、
「国産カメラ開発物語」小倉磐夫、朝日新書、には記述されております。
同時期の諸外国の潜水艦ではどうであったか・・・が、わかりません。
とりわけ、光学機器先進国のドイツ、Uボートではどうだったのでしょうか。
もともとは日本海軍の「増透処理」も、1941年11月に帰国した「海軍遣独調査団報告」にある、
「レンズの表面に膜をかぶせて光をよく通すような処理が実施されている」から、
開発がスタートしたというのですが・・・。
レンズコーティングは確か19世紀末に天体望遠鏡のレンズのレンズ焼けの部分の透過率が 綺麗なところより高いことがみつかったことから始まったと天体望遠鏡の本に書いてあったような気がする。
576 :
霊式 :2005/10/14(金) 23:22:46 ID:VS8wTHUU
577 :
524 :2005/10/15(土) 08:55:01 ID:???
>>571 たびたび済みません・・・
ニコンS2、やはりヴェトナムで使われてたんですね。
それにしても35mmF1・4のニッコールですか・・・豪勢ですね。
潜望鏡用のカメラですが
距離計の無いゾルキー4で『潜望鏡用』と売られてるのを見たことがあります。
(検索したけど画像なし・・・)
確かレンズも付属していなくて、マウントもLマウントでないのかも知れません。
一眼レフならともかく、あのボディーでどうやってピント合わせしたのか気になります。
・・・潜望鏡でピント合わせしてから取り付けて撮影?
ともかく、潜水艦と光学機器とは切っても切れない関係ですね。
こどものころ、潜望鏡遊びしませんでしたか。 筒に鏡を二つ合わせてセットしたおもちゃを作ったのか 買ってもらったのかもう覚えてませんけど。壁の上から 向こうを見たりとか。
やりましたね、潜望鏡ごっこ。 私はサランラップの芯の上下に鏡を45度ぐらいの向かい合わせになるように 固定した手作りでした。(市販品もあったんですか?) 大きなダンボール箱のに入って、中から突き出して潜水艦ごっこしました。 本当はプールに潜ってやってみたかったですけど 泳げないんでできませんでした・・・(今でも金槌)
580 :
前スレ86 :2005/10/15(土) 21:23:33 ID:p0vr6KIO
>>575 ほほう・・・面白いお話をありがとうございます。
偶然の産物から発見されたというわけですね。
レンズコーティングはいつごろから施されるようになったかについて、
「国産カメラ開発物語」には、エルンスト・ライツ社では1946年春以降の全ての製品、
ニコンでは1946年4月のニッコール50mmF3・5から、
キヤノンでは1947年のキヤノンSU、セレナーF3・5から、という記述があります。
(ただし、1948年まではキヤノンに日本光学がレンズを供給していたため、セレナーのコーティングはニコン製です)
ここで、長い間読まなかった「カメラマンのための写真レンズの科学」を引っ張り出し、
「反射防止コーティング」の項をひもといてみました。
「可視光線全部を完全無反射にすれば、レンズ面は真っ黒に見えるはずです。
つまり、ブラック・コートこそ理想なのです」・・・だ、そうで、
理想のレンズ=神様しか作れないレンズには、まだ程遠いのでしょうか。
581 :
前スレ86 :2005/10/15(土) 21:37:44 ID:???
>>576 なるほど・・・ご紹介、ありがとうございます。
このファインダーを装着したトプコン・スーパーDが「KS−93」の”正体”でしょうか。
このままのぞけば逆像になるそうですが、
そのままでは使いにくいことおびただしく、やはり、潜望鏡と組み合わせて正像になるのでしょう。
と、いうことは、
潜望鏡内部、少なくともこのトプコンがマウントされる直前にプリズムがあり、
像の反転が行われるかと想像します。
潜望鏡の概念図で見ると、プリズムのあるのは鏡胴から光路が90度折れ曲がる、
接眼レンズに像を導くあたりですが、
このあたりにカメラに像を導く、プリズムがあるのでしょうか。
ハーフミラーなど使ったのでは、接眼レンズの像が暗くなってしまいますし・・・。
ううむ、これ以上は私の貧困な想像力では・・・どなたか博識の士のご教示を頂ければ、と思います。
582 :
前スレ86 :2005/10/15(土) 22:01:45 ID:???
>>577 いえいえ、恐縮です。
一番、手元にあった資料を見落としていたとは・・・赤面の至りです。
ゾルキー4の「潜望鏡用」とは、実に興味深々です。
ライカMDのような、距離計もファインダーも要らない特殊目的用の製品でしょうか。
しかも「潜望鏡用」にソ連海軍で使われていたとすれば、
冷戦時代には西側では見られないカメラどころか、鉄のカーテンの向こうの軍事機密だったでしょう。
もしかすると、ひそかに西側艦艇や沿岸を撮影したことのあるカメラかも知れませんね。
583 :
524 :2005/10/15(土) 22:13:17 ID:???
>>582 私が見たのは、まさに距離計もファインダーも無い
外観もライカMDみたいな感じの形でした。で、マウントはなにやら独特の形
レンズも無いので実用は不可といったモノでした。
『潜望鏡用』として売られてましたが、真偽の程は・・・?
584 :
前スレ86 :2005/10/15(土) 22:15:14 ID:???
>>578 駄菓子屋さんで売ってましたね、潜望鏡。
プラスチックの鏡胴?に、上下にアヤシゲな鏡を貼り付けたやつ。
銀玉鉄砲での「銃撃戦」のときに、物陰に隠れて敵を見るために使ってみても、
鏡に映った像たるや、なにがなんだか・・・。
オトナになって、第1次大戦の塹壕戦で使われた、
潜望鏡とボルトアクション・ライフルを組み合わせ、塹壕に隠れながら敵を撃つディバイスや、
第2次大戦ではドイツ軍がMP44突撃銃を改造した「ボーザッツ曲射銃」、
45度に曲げた銃身で、物陰に隠れて敵を撃つ銃を試作したときに、
鏡のついた照準器がセットされていたり・・・を、銃器雑誌の紹介記事で読むと、
子供の戦争ゴッコも本物の戦争も、アイデアの根源は変わらないのだな、と、思ったものです。
潜望鏡遊びというと子供のとき風呂場で(ry
潜望鏡のとコーティングの件、うろ覚えで書いたので・・・ ただ、10年くらい前のアサヒカメラで、 小倉先生が、そこら辺を詳しく書いてますた。
587 :
前スレ86 :2005/10/15(土) 22:38:30 ID:???
>>579 「サブマリン707」「青の6号」「潜水艦スーパー99」いろいろ思い出します。
もっぱら、大きめのダンボール箱は陸戦兵器「戦車」として活用しておりましたが、
ダンボールの装甲を「パチンコ」で貫通するヤカラが現れたときのショックは、
アフリカ戦線においてロンメルの88mm砲に震え上がった、英軍マチルダ戦車乗員の如し!?
日本製カメラが「優秀すぎる」例のひとつが水中カメラ「ニコノスRS」です。
AE・AF水中カメラ、軍事目的に転用されれば恐るべき「水中写真兵器」となるため、
COCOM規制対象品目に指定されておりました。
・・・海上自衛隊掃海艦隊の、水中での機雷処分の様子を捉えたショットは、
掃海艇や掃海母艦の一般公開では必ずといっていいほどパネル展示があります。
その中に、記憶があいまいなのですがニコノスRSを持って潜るダイバーの写真があったと覚えています。
潜望鏡遊びというと大人になってから特殊な風呂場で(ry
589 :
前スレ86 :2005/10/15(土) 22:59:40 ID:???
>>583 うむむ・・・ますます謎の深まるカメラですね。
マウントが独特のものというところが気にかかります。
どこかで実機を見学できない限り、これ以上の謎解きには無理があるのですが、
推測をお許し頂ければ、何らかの防水、あるいは耐圧構造に近いマウントなのでしょうか?
590 :
前スレ86 :2005/10/15(土) 23:09:12 ID:???
>>586 「国産カメラ開発物語」の記述は、アサヒカメラ1999年5月号、
「潜望鏡からカメラへ コーティング技術のルーツ」の転載だそうです。
余談ですが、吉村昭の小説「総員起シ」の主題となっている伊号第33潜水艦、
瀬戸内海で訓練中に事故で沈没、戦後引き揚げられた潜水艦が解体された折、
潜望鏡は日本光学が資料として引き取ったといいます。
その後まではさだかではないのですが・・・。
>>572 帝国海軍の潜望鏡を作っていて、コーティングをやったのは日本光学です。
勿論、戦時中の話ですから、日本光学のコーティングの歴史は1945年以前に遡ることは 確実ですね。
>>280 ちょうどその小倉さんの本の記述が、今出ている「軍事研究」の記事で批判されております。
ただ、この記事もちょっと、著者の日本語読解&記述能力に疑問を持たせるようなものなので
気持はよくないんですが。
594 :
前スレ86 :2005/10/17(月) 21:44:19 ID:???
>>593 「科学的史実に基づかない素人砲術論の間違いを正す!日本海海戦勝利の真実」、
多田智彦氏の記事ですね。
一読させて頂きましたが・・・記事の論点そのものに誤りを見出せるほど、もとより私に砲術の知識はありません。
しかしながら、
「そこまで攻撃的な文章であらねばならないか」お言葉の通り、気持ちのよくない読後感が残りますし、
「新技術だけでなく、習熟と演練が勝利の原因の相当部分だったのだ」という、
私の読む限りの結論に至るための文章としては、やや冗長に思えます。
加えて、小倉氏は光学技術者の立場から「三角測量方式が大活躍した日本海海戦」と表現しておられるのですが、
それを「防衛技術研究家」の立場から「誤っている」と、傍線を引いてまで断ずるのは、
いかがなものかと思えてならないのです。
・・・私の主観で例えれば、
楽器会社の技術者が「ギブソンが大活躍したロックコンサート」と書いたのに対し、
「それは誤りだ、ミュージシャンのテクニックなのだ」と、音楽評論家が言うようなもので、
視点が最初からかみ合っていないように思いますが、いかがなものでしょうか。
カメラと戦争って小倉さんの本でしたっけ。 もしそうだとしたらあの日本海海戦の章は 新技術というか新装備である光学兵器を十分な訓練で艦隊として習熟し さらに運営も工夫して戦闘教義(戦闘ドクトリン)のレベルになっていたのが 日本海軍が勝てた一因である、というような内容だと思いましたが。
光学兵器にスポットをあてた内容になるのは小倉さんの専門からして 当然のような気もしますが。それがすべてだと誤解させるような内容でも 文章でもないですし。
597 :
前スレ86 :2005/10/17(月) 23:14:16 ID:???
>>595 小倉氏の「カメラと戦争」にある「日本海海戦とカメラのピント合わせ」については、
光学技術の面から「こういう側面もある」という提示をしておられ、
「だから日本海軍は勝てたのだ」というような、大上段な論点、視点ではない一章だと思えます。
今、書店で注文して手に入る邦文文献の範囲内に限るとして、
「クラシックカメラはかわいい、愛しい」というエモーショナルな視点か、
または「ナニのナニ型は改良されてナントカで」考古学的な視点の本は山ほどありますが、
テクノロジーやその時代背景にまでわかりやすく踏み込んだ文献となると、意外に少なく思えます。
その意味で小倉氏の著書、実に得がたい参考文献と思っております。
598 :
前スレ86 :2005/10/17(月) 23:36:20 ID:???
>>596 やや余談めきますが「カメラと戦争」に、松本零士氏の作品を取り上げておられるあたり、
小倉氏の守備範囲の広さを思わせますね。
「わが青春のアルカディア」のRevi・C12D射撃照準器や、
「アクリルの棺」の、プレキシグラス=アクリル樹脂、のあたり、
「ザ・コクピット」が「戦場まんがシリーズ」だった頃から読者の私など、思わずニヤリとしてしまいます。
日本海海戦の丁字型戦法も現場での参謀の思いつきを司令長官が採用したとの俗説がありますが 本当は明治20年頃に入念に企画設計された類似戦法を日本海軍が入念に訓練して習得して 戦闘教義(ようするに得意技)としてものにしていたのが真実らしいです。 現場での機転は回る方向が違っていただけだそうで。そのもとともの戦法の名前、忘れちゃったなあ。
600 :
前スレ86 :2005/10/18(火) 18:19:01 ID:???
>>599 NHK「その時歴史は動いた」で日本海海戦を取り上げたとき、
いわゆる「敵前大回頭」は東郷司令の独創ではなく、
従来、戦術教義にあった「丁字戦法」の発展型である、という観点を強調しておりました。
ただ、いずれにせよ、優れた作戦指揮であったという事実を、いささかも損なうものではありますまい。
撮影教義と呼べるほどのものを自分は身につけているだろうか。 猫たんの写真はみんな寝ているやつばっかりで シャッターチャンスをつかんでいない。 うーむ訓練が足りない。 11年も一緒にいるのになかなかシャッターチャンスをくれません。 お、とおもったときはカメラはなくカメラがあるときはぐーすか。
乗り遅れたけど>潜望鏡 「逆」潜望鏡ならいじったことが。タカラ製「魚雷戦ゲーム」の逆潜望鏡。 喫水上の艦影ではなく、「海面(クリアブルーのプラ板)」下に突き出た敵の艦底を見通す。 マジックペンで照準点を打ったら百発百中になって、却って面白味が無くなった。
>>602 魚雷戦ゲーム、同じ事やった(w
結局ローカルルールで、照準機は使用禁止にした。
(照準機の上面のモールドを利用して照準は桶)
そのゲーム持ってたかもしれないなあ。 でも照準装置は覚えがないなあ。旧型だったのかな。
得意な被写体はねこです、と言ってみたいが 得意は被写体はうちのねこです、も言えません。
606 :
前スレ86 :2005/10/20(木) 19:43:53 ID:???
>>610 私は、例えば「決定的瞬間」という言葉について、
「それはアンリ・カルティエ・ブレッソンの言い出した言葉で、ブレッソンはライカM3に黒テープを・・・」と、
文献、資料、体験などなどからシッタカを開陳することはできますが、
「決定的瞬間をいかにキャッチするか」、ある意味写真の永遠のテーマに踏み込んで語ることは、
いかにシッタカの大好きな私でも、不遜極まりなくてできません。
私の腕でそれを語るのは、草野球しかやったことがないガキンコが、TV出演して打撃論を語るようなものです。
沢田教一氏も、今ぞ決定的瞬間というときにニコンが故障し、
思わずニコンを投げ捨ててから、ライカ信仰?が加速していったそうで、
「決定的瞬間」をものにできるかどうかには多分に、カメラマンの責任ではない「運」も含まれますし・・・。
語るとすれば「妻にとって夫、彼女にとって彼氏、ニャンコにとって飼い主が最高のカメラマンです」とか、
もしくは「フィルムを詰めたカメラをいつもお手元に」という、
結婚式のスピーチの「三つの袋」並みに言い古された言葉ぐらいしか・・・すみません。
607 :
前スレ86 :2005/10/20(木) 19:48:29 ID:???
>>602 「魚雷戦ゲーム」大型のゲーム板の「元祖」の他、ポケットゲームでも出ていた記憶があります。
「発射管?」の形、何となく旧海軍の連装発射管ぽくって・・・。
608 :
前スレ86 :2005/10/20(木) 19:57:18 ID:???
>>603 本物の「魚雷戦」でもUボートに「UZO」、水上発射用の光学照準器があったと思います。
潜航時は取り外して格納しておき、浮上と同時に専用架台に取り付け、
照準と連動して自動的に、魚雷にも発射諸元が入力される、というものと記憶しています。
どのようなものかはわからないのですが、艦砲の照準器に似たものだったのでしょうか。
609 :
前スレ86 :2005/10/20(木) 20:05:33 ID:???
>>605 得意な被写体は自衛隊広報行事で展示される各種装備・・・と、一度は言ってみたいものですが、
軍事雑誌の読者投稿コーナーや、同好の士のHPを拝見する度に、
どうやったらこんなに上手に撮れるのだろう、と、ため息をついています。
タムロンは10月20日、ブロニカ中判カメラ事業から撤退することを明らかにした。
6×4.5判レンジファインダー「ブロニカRF645」と交換レンズ群などの生産を10月末で終了する。
ブロニカRF645は2000年に発売したが、デジタル市場の拡大で中判市場の縮小が加速し、
販売数が激減したため、生産終了を決めたとしている。既に中判の他製品は生産を終了
しているため、同事業から撤退となる。
ブロニカ中判カメラは、1959年発売の「ゼンザブロニカD」を始めとして、特に6×6判で親しまれた。
ブランド名は創業者の吉野善三郎氏にちなんでおり、レンズブランドは「ゼンザノン」。
タムロンが1998年に旧ゼンザブロニカ工業を吸収して事業を続けていた。
ttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/0510/20/news104.html
611 :
前スレ86 :2005/10/21(金) 21:42:23 ID:???
>>610 嗚呼、またひとつ巨星墜つ・・・という心境です。
私が「ゼンザブロニカ」の名前を知ったのはもうずいぶんと昔、
国鉄蒸気機関車の末期に、ゼンザブロニカを持って撮影されるファンの方が多く、
これも今はない雑誌「蒸気機関車」に、度々その名前が登場していた頃でした。
銀塩衰退が盛んに言われる現在、中判カメラのマーケット縮小傾向は致し方ありませんが、
それでも、何とかならなかったのか・・・という思いは消せません・・・。
軍用に使われたゼンザブロニカは?と、資料を引っくり返しておりました。
・・・制式装備であったかどうかは判然としないのですが、
中国人民解放軍の女性従軍カメラマン、梁子(リャンヅー)の手記「戦場からニイハオ!」に、
青海省でゼンザブロニカETRを手に軍服姿で取材する、著者のスナップが収録されております。
ペンタックスはまだ中判カメラやっているんですよね。 ホースマン(?)はアマ向けではないし。 あ、アマ向けでなければ富士写真フイルムも中判やってましたね。
ペンタックス→645N2、67 富士写真フイルム→気が付いたらGA645シリーズがディスコン あと中判といえばマミヤですよマミヤ(MamiyaZD & MamiyaZDBackはまだか)
614 :
前スレ86 :2005/10/22(土) 21:26:50 ID:???
>>612 ペンタックスの中判といえばペンタックス6x7、いわゆる「ばけぺん」が代表格ですね。
すこぶる長寿のカメラで、私も手に取って見せてもらったことがあります。
まさしくペンタックスの35mm1眼レフの「ばけもの」のようなボディと、
35mmに慣れた耳には、大きなシャッター音に驚いたものです。
615 :
前スレ86 :2005/10/22(土) 22:00:58 ID:???
>>613 「マミヤシックス」「マミヤプレス」・・・数々の名機を生み出したマミヤですね。
「マミヤシックス」は、日本カメラ博物館の操作体験コーナーにも置かれており、
私もシャッターを切らせてもらいました。
英軍軍用に「エンサイン・コマンド」120フィルムのカメラがあり、
1944〜45年に軍用として、のちには1949年まで民間に売られていますが、
ホートン・ブッチャー社製の「エンサイン・コマンド」、あきれるほどマミヤシックスにそっくりなのです。
従来、言われていたのは、エンサイン・コマンド=マミヤシックスのコピー説ですが、
(何せ、イギリスにはライカ・コピーの「前科」もありますから・・・)
ソノラマMOOK「カメラレビュー・クラシックカメラ専科」67号の記事、
「エンサイン・コマンドの成り立ち」では、特許出願時期ではむしろエンサイン・コマンドがわずかに早かったことから、
これを否定しています。
当時の技術で120フィルム機を考えると、到達点は同じだったということでしょうか。
ブローニーフィルムのカメラを手にしたことはないです。 カメラショーなどによくいっていた頃でも関心は35ミリにしか ありませえんでしいた。でも学校で写真が好きな先生が 学校行事の記念写真を撮るために私物のブロニカか ハッセルだかを よく持ってきてました。写真部の顧問でもあったかどうか ちょっと覚えてません。ちなみに学校の備品は250枚撮りマガジンのついた 35ミリカメラでした。キヤノンだったかニコンだったか。
617 :
前スレ86 :2005/10/23(日) 19:36:08 ID:???
>>616 私の通っていた高校にも、当時から学校備品でF2フォトミックがありました。
ごく普通のF2フォトミックですが、文献複写台とマクロレンズとのセットです。
先日、同窓会でひさしぶりに母校に出かけたとき、そのF2フォトミックを発見。
ほとんど使われてないんだろうなあ、もったいないなあ、と・・・。
公立高校の備品なので「官公庁備品?」になるとは思うのですが、
あのF2に限らず、官公庁のカメラが払い下げられることは多々あるのでしょうか。
以前に書き込みを頂いた「県警用ペンタックスSP」の例もありますし、
自衛隊あたりから、面白いものが出てきそうな気がするのですが・・・。
1960年より前に初飛行のF4ファントムがまだ航空自衛隊で現役です。 自衛隊の備品のフィルムカメラも動いて役に立つ限り使われ続けそうな気がします。 払い下げはなさそうな気が。というか自衛隊の備品は再利用可能な形での 払い下げはないのでは。
619 :
524 :2005/10/23(日) 20:58:57 ID:???
私もF2フォトミック欲しいな・・・(目下、物色中。) 手荒に扱われたのか程度のいいのが見つからなくて困ってます。 自衛隊の桜マーク入りのキヤノンPって見たことありますけど あれが本物なら、自衛隊払い下げのカメラもあるんでしょうね。 それよりも私は帝国陸海軍の光学兵器の行方が気になるんですが (ライカコピーの『ニッポン』とか潜水艦で来たライカVcとか・・) やはり『戦利品』として『鹵獲』されてしまったんでしょうか? カメラ板に軍事的な書き込みがあったんでコピペします。↓ F2も軍で使われてたんですね・・・ Fアイレベル+モードラF36に、片手操作用のグリップがつけられたものが、 「KS−80A」の制式名称がついた米海軍の「兵器」航空偵察カメラ。 スクランブルをかける戦闘機に搭載され、敵機の撮影に使われた。 米陸軍では別の制式番号「KE−48C」をニコンFに与えており、 本体下部とモードラをカバーする、簡単な防弾装甲を施したものも存在する。 F2には米軍制式番号がついていないが、Fの置き換え用として導入はされたらしく、 米海軍「パシフィック・フリート・オーディオビジュアル・コマンド」で、 ブラック・ボディのF2フォトミック(モードラなし)が使われている写真がある。
昔のカメラは過剰品質で長持ちしますが大きいもので 過剰品質のため通常の3倍長持ちと言えばYS11。 民間航空路線からは計器のデジタル化が義務化となったため 引退しましたがその規制を受けない自衛隊や海上保安庁では まだまだ使うようですね。
621 :
前スレ86 :2005/10/23(日) 21:06:50 ID:???
>>618 自衛隊の場合、基本スタンスが「もう使えなくなったので買い替えるから予算をちょうだい」、
払い下げてまだ使えるとなるとナニカと・・・と、聞いたことがあります。
「パジェロベースの4WDが『新73式』とはこれいかに」の、答えになりますね。
前スレで書いたことがあるかと思いますが、航空自衛隊某基地の広報班長、2等空尉どのいわく、
「私もカメラを持って撮るんですが、性能から言えばF15の方が段違いにいいのはわかってても、
写真に撮るとF4の方が『強そう』に写るんですよ。
撮る立場から言えば、F15は線の細く写る戦闘機ですねえ」。
F15が線が細いなら、私の目にはF−1はもっと「か細く」見えたのですが、
そのF−1ももう・・・。
622 :
前スレ86 :2005/10/23(日) 21:39:47 ID:???
>>619 F2は私も大好きなカメラなので、フォトミックAを持ってはいますが、
ついつい、中古カメラ屋さんではしげしげと眺めてしまいます。
「本体がチタンでフォトミックファインダーの載ったF2」も、何度か見たことがありますが、
前のオーナーの方、チタンのアイレベルファインダーを紛失されたのでしょうか・・・もったいない・・・。
陸上自衛隊某駐屯地祭で、フォトミックAのファインダー前板(Nikonの名前が入っているパーツ)を、
ぶつけて割ってしまったことがあり、
「何とかなりませんか?」と、ある修理業者さんに泣ける思いでお願いしたところ、
「ニコンにはもう部品がありませんがウチのストックにありました、取り替えてあげましょう」。
修理業者さんのご好意と幸運に助けられたものですが、もう、2度目はないでしょう・・・。
思えばF3アイレベル(私のものは初期のロット)でも、ファインダー下部の板が割れてきたことがあり、
私の使い方が雑なのではありますが、外装のプラパーツには注意が必要なのでしょうか。
623 :
前スレ86 :2005/10/23(日) 22:46:24 ID:???
>>619 さんのレスに関連して、このスレで話題になったこともある「潜水艦で運ばれたライカ」ネタで、
「その後判明」を一席。
カメラスタイル16号、連載記事「カメラは時の氏神」によりますと、
日本海軍の潜水艦で運ばれ、シンガポールで陸揚げされたライカが、
報道班員の手に渡ったことがあったそうです。
「レンズを運んでいた潜水艦は沈められたか帰投しなかったとかでボディだけだった」そうですが、
赤幕シャッターのVcだったそうです。
「ライカの歴史」中川一夫氏によりますと「赤幕のVc」はVcの「前・後期段付型に多い」、
製造番号で言うと400000以前のものだそうで、
「戦時中の材料の関係で赤色を採用したものと思われる」と書かれていますが、
「ライカ・ウアライカからR3まで」北野邦雄氏は「シャッター幕焼け対策である」とし、
「初期のVcに採用されたが、赤外線フィルムを詰めるともろにカブる欠点があり、
後期のものには採用されず、初期のものも修理の折には交換された」と、異説をとなえておられます。
「ライカの探究」写真工業出版社、の、巻末にあるライカのロット番号リストと突き合わせる限り、
中川氏説の「400000以前」では、ほとんど全ての戦前生産型Vcがあてはまってしまい、
間違いではないのですがいささか、疎にして漏らす感があります。
・・・それもあって、個人的には北野氏説に与するものなのですが、
いずれにせよ「赤幕シャッターが付けられたVc」のロット番号が正確にわからない限り、
「潜水艦で日本に来たライカ」のロット番号も、絞り込みようがありません・・・。
624 :
前スレ86 :2005/10/23(日) 23:24:07 ID:???
>>620 以前、四国は徳島の、海上自衛隊基地祭に出かけたことがありますが、
基地祭もさることながら、その時、徳島からはもう数少ないYS11の定期便が就航しており、
ヒコーキファンのご同輩の皆様、展示機のP3CやUS−1もさることながら、
いつもは撮れないアングルからの、YS11の撮影に挑戦しておられたものです。
昔のカメラには「過剰品質」もある反面「当たりはずれ」もあったように思います。
これは昔の「カメラ年鑑」でも厳しく指摘されていましたが、
「当たりはずれもあるなどとは通用しない理屈である、では高いお金を払って、はずれを買ったユーザーの方をどう考えるか」。
「撮るライカ」にも、品質管理のなってないロットのライカがあり、
そのロットの中でも著者の使っているブラッククローム・ライカM4は「修理業者に言わせると当たり」なる記述がありますが、
しかしながら「当たりはずれ」こそがライカの凋落を招いた1原因ではないのか、
ライカだからと信用して高価な代金を払い、たちまち故障するものがあるのはユーザーをナメてはいないか・・・と、思います。
誰もが「撮るライカ」著者のように次から次にライカを買えるわけではない、バカ高い修理業者にチューニングしてもらえるわけではない・・・。
日本製カメラが世界を席巻した要素のひとつに「日本写真機光学機器検査協会」による厳しい検査があり、
(”PASSED”とステッカーのついた「里帰り中古カメラ」をご覧になったことがあるかと存じます)、
協会の検査に通らず、輸出できずに会社をたたんだ例もあったそうですが、
「誰がどこで買っても、新品である限り然るべき品質である」ことは、日本製カメラの良心だったと考えます。
625 :
前スレ86 :2005/10/24(月) 00:14:02 ID:???
いささか過激な文章を書いてしまいましたか・・・反省。
626 :
613 :2005/10/24(月) 01:04:58 ID:???
実はうちにばけぺんがあるんだけど(親父のものだが)、 一回三脚(スリックのプロフェッショナル2)と一緒に持ち歩いて懲りたw。 重すぎじゃああ!! もうブローニーフィルムの入れ方も忘れた。 35mmフィルムも最後に手にしたのは何時だったろうか・・・。
やっぱりブローニーのカメラって手に持って写すものではないのかしら。
ルーペがなくとも作品としてポジを鑑賞できるのは、ブローニーが最小限度かも。
629 :
前スレ86 :2005/10/24(月) 22:12:11 ID:???
>>626 私が初めて大判カメラを使ったのが高校写真部時代、トヨビューの4×5でした。
「フィルムを君が買うなら貸してあげるよ」と、太っ腹な社会人の先輩がおられ、
早速、撮影に・・・まではいいのですが、
高校生のこと、三脚を自転車の荷台にくくりつけ、トヨビューの入った「銀箱」を背負うと、
「お、重い!背中が痛い!」
・・・今ならさっさとクルマに積んで運ぶところです。
現代のビューカメラでさえ、そうなのですから、
西南戦争を撮影した日本初の従軍カメラマン、上野彦馬氏などはいったい、どうやっていたのでしょうか?
630 :
前スレ86 :2005/10/24(月) 22:26:32 ID:???
>>627 「マミヤプレス」や米軍KS−98C、いわゆる「プレスカメラ」だと、そうでしょうね。
平たいボディにハンドグリップがついた、報道が主な目的の速写用カメラです。
ただ、中判フィルムの画質を生かして、風景写真を撮っておられる方は、
三脚に据えて長時間露光をされることが多いと聞いております。
631 :
前スレ86 :2005/10/24(月) 22:30:53 ID:???
>>628 どんな小さな写真屋さんにも、ライトボックスとルーペが常備してあり、
上がりのポジやネガを見て、ああでもないこうでもない・・・の時代から、
たちどころにモニターで見られるデジタルの時代、
ライトボックスをカウンターの下にしまいこんだような写真屋さんも見かけますね。
時代の流れでしょうか。
632 :
前スレ86 :2005/10/24(月) 23:15:57 ID:???
全くの余談ですが・・・。
>>619 (524)さん、それ書いたの、実は私なんです。
ネタ元は「軍用カメラ大図鑑」と、雑誌にあったアメリカでのカメラオークションの記事です。
すいません、昨日、書けばよかったですね・・・。
ただ「軍用カメラ大図鑑」には「自衛隊のニコンFがODの塗装をされていることは有名」と、
他の資料では確認できなかった記述があります。
一度だけ、ODに塗られたニコンF2フォトミック+オートニッコール50mmを、
大阪の中古カメラ屋さんで見かけたことがありますが、
あまりにも「キレイ」すぎるもので、あれは自衛隊とは関係のない、趣味の後塗りかと推理しています。
YS-11M-Aがのっているポスタータイプの2005海上自衛隊カレンダー (主要装備がイラストでのっている)を眺めていて気がつきました。 いつのまにか一番大きい艦は砕氷艦しらせから補給艦ましゅうに 交代していたのですね。
母港は舞鶴だ。
635 :
前スレ86 :2005/10/26(水) 00:09:57 ID:???
>>633 「しらせ」に乗艦した折、ふと気がついたのですが、
海上自衛隊の水上艦艇で、甲板のところどころに貼られているステンレスのプレート、
「沈没時の心得」や、兵器・装備の「安全守則」がありません。
改めて「しらせ」が、戦闘艦艇ではないどころか、全くの非武装であることを思いました。
写真に撮った「しらせ」は、全長に対して実に幅の大きな艦、
相当に堂々としているのですが、口の悪いひとは「タライブネ」と・・・失礼なことです。
そういやしらせの操縦室は、司令官の席がなくて真ん中に艦長の席だけだったような気がする。 護衛艦は右に艦長席左に司令官席でしたっけ。
637 :
名無し三等兵 :2005/10/26(水) 09:15:03 ID:rTSnBvJs
「しらせ」の後継の名称はどうなるのかな? 「さくら」という話も聞いたけど… 唯一ともいえる人名を継承してほしい。
638 :
名無し三等兵 :2005/10/26(水) 09:25:01 ID:fAKTw3nb
>637 後継艦が「さくら」だとしても人名にあるぞ つ「水谷さくら」
地名でもいいじゃないか。 「やまと」。 白瀬中尉命名の大和雪原にちなんで。
640 :
前スレ86 :2005/10/26(水) 23:30:08 ID:???
>>636 艦橋で写真を撮らなかったので記憶にしかありませんが、多分、そうだったと思います。
本来なら艦長席は艦長だけ、司令席は隊司令しか座れない、当り前ではありますが、
体験航海や一般公開では、お子様連れの方のお子様席と化す、微笑ましい光景がときどき見られ、
艦長が制帽を貸し出すサービス!?も、あったりするようです。
いや、もしかすると、そのお子様が将来、本当に護衛艦の指揮を執るかも知れませんよ(笑
余談ですが、艦橋に備えられている双眼鏡は大体、TASCOのものに置き換わったようですが、
ある艦で舷門の当直用に置かれていた双眼鏡は「ニコン」どころか「日本光学」、
ひし形の社紋が入り、塗装もはげた、貫禄のある双眼鏡でした。
ひと昔前ならNikonの刻印に加えて錨のマークが入った、
海上自衛隊納入の「官品双眼鏡」が、どの艦にもあったものですが・・・。
641 :
前スレ86 :2005/10/26(水) 23:41:04 ID:???
>>637 「しらせ」は厳密には人名ではなく「白瀬雪原」、
命名基準にある「地名」に則ったものではありますが、
誰もが南極探検における白瀬中尉の偉業を思い浮かべる艦名、
これほど砕氷艦にふさわしい艦名はないと思えるだけに、3番艦の命名には逆に悩むところでしょうね。
「しらせ」オリジナルTシャツを、一般公開の折、乗艦記念に一般販売していましたが、
紺色のTシャツの袖に「JMSDF」胸に「砕氷艦 白瀬」と入ったもので、
私も購入、着用しております・・・。
642 :
前スレ86 :2005/10/26(水) 23:44:44 ID:???
>>638 フーテンの寅さんの妹・・・じゃなくって〜。
643 :
前スレ86 :2005/10/26(水) 23:57:04 ID:???
>>639 アメリカ海軍の”ビッグE”こと「エンタープライズ」のように、
命名基準を越えて、特別な思い入れが日本人にある艦名が「やまと」のように思います。
644 :
前スレ86 :2005/10/27(木) 00:18:22 ID:???
さて、本日は大阪出張の合間を縫って、大阪大丸百貨店での「中古カメラフェア」を見学して参りました。 このスレッド的なネタとしては「西ドイツ国防軍用のライカM3」、 ODに塗られ、BWD、ブンデスヴェーアのステッカー?も貼ってあったものですが、 サンケタマンエンのライカ、手に取って見せてもらうガッツがなかった私は小心者。 手に取って見せてもらったのは「珠江S−201」、 中国製の1眼レフ、ミノルタSR−2のコピーにニコンF式のファインダー交換システムを組み合わせたものです。 カメラ雑誌にも取り上げられていたことがあり、興味があったのですが、 今にももげそうなシャッターダイアル、どんがらがっちゃんと切れるシャッター、「だめだこりゃ」。 バルナック・ライカコピーの同じく中国製「上海58」も売られてはいましたが、 見ただけで大体、想像がつく代物でした。 ・・・その他にはイギリスでのライカ・コピー「リード」や、 英軍徴用を示す矢印マークが刻印されたライカVなど、なかなか眼福なカメラフェアでした。
今杉山隆男の兵士を追えをよんでいるのですが 潜水艦だけ座る場合他の護衛艦と違い艦長が上座だそうです。 最高指揮官たる総理大臣が乗艦しても座る席は 艦長が上座になるそうです。
646 :
前スレ86 :2005/10/27(木) 19:50:57 ID:???
>>645 「兵士に聞け」「兵士を見よ」に続く3部作ですね。
海上自衛隊潜水艦の、ジャーナリスト同乗取材が許された例は極めて希ではないでしょうか。
(ないわけではなく、過去、読売新聞社の防衛担当記者が同乗したことがあったそうですが・・・)
作中、防衛機密がわかる「深度計が写真に写ること」について、言及されているところがあります。
私は一般公開で「はやしお」に入ったことしかありませんが、
艦内の写真撮影は厳重に禁止、
深度計やアタック・コンソールには鉄製のカバーがかけられていました。
・・・通常、護衛艦の一般公開や体験航海で「ダメージ・コントロール・パネル」を撮影しても、
とがめられることはありませんが、
イージス艦「こんごう」では、穏やかに、しかしきっぱりと、撮影を断られました。
昨今の情勢もあることです、あらかじめ撮影禁止のアナウンスがない場合でも、
少なくとも軍事的な興味から自衛隊装備にカメラを向ける場合「隊員の方に一声かけて」撮るべきと考えます。
647 :
前スレ86 :2005/10/27(木) 21:56:04 ID:???
>>619 (524)さんの書き込みにありました、ライカコピー「ニッポン」について、
出張の折、詳細な資料を入手しました。
ソノラマMOOK「カメラレビュー」58号の記事、
「戦争が生んだライカ・コピー機『ニッポン』(Nippon)」です。
要約しますと、精機光学(のちのキヤノン)から分派した「光学精機社」、
ライカの修理や改造が業務であった会社に軍部が要請して作ったカメラで、
最初のきっかけは昭和16年6月に独ソ戦が勃発、
シベリア経由でのドイツ製カメラ輸入ルートが断たれたことにありました・・・が、
そののちもドイツ仮装商船によってドイツ製カメラの輸入が続いていたため、一時開発を中断。
・・・しかし、日独の連絡が断たれた昭和18年から、軍部に手持ちのドイツ製カメラが少なくなり、
おっとり刀で生産にこぎつけたのが「ニッポン」でした。
「カメラスタイル」誌に、当時、東京新聞の記者だった方の回想録「カメラは時の氏神」が連載されていましたが、
「ニッポン」を取り上げたくだりでは、
「本物のライカを知っていると、粗雑な感のカメラだった」そうです。
この記事では距離計連動型の戦前生産「ニッポン」bP4、19、21、975、
距離計非連動型の戦前生産「ニッポン」bP8122、181118、1810010の実機を調査していますが、
距離計連動型の最初の3機は製造順の番号、「975」の「9」は昭和19年製造を示すものと鑑定する一方、
距離計非連動型の3機については、最初の「18」が昭和18年製造を示す番号、
あとの番号は敵に捕獲された場合、生産台数を特定されないための「乱数」と鑑定しています。
・・・距離計非連動型の「ニッポン」は、ライカでいうのちのMDのような特殊撮影目的、
海軍の夜間戦闘機「銀河」に積まれた「18試空6号無線電信機」迎撃用射撃レーダーの付属品として、
オシロスコープの撮影用に使われた「兵器」であったための防諜措置だったといいます。
648 :
前スレ86 :2005/10/27(木) 22:16:55 ID:???
「ニッポン」の材質や加工の記述については割愛しますが、 総生産台数でいうと、製作者の証言によれば戦後生産分も含めて300台程度だそうですが、 実際にはもっと少なかったと仮定できるそうです。 この記事では戦後生産型も含めて16台を調査しているのですが、 300台の1割を追跡するとして30台、そこまでは探し出せる「自信がない」と、著者は言っています。 「ライカとその時代」酒井修一、朝日文庫、には、 日本海軍の潜水艦でドイツから運ばれたライカVcは30台弱であったという記述があり、 独ソ戦開戦までは中国大陸からもドイツ製カメラ、ライカVb、コンタックスU、V、ローライフレックスが流入していたそうで、 その供給が全く断たれた軍部の「あせり」が、私には読み取れるのですが、 仮に「300台説」が正解として、戦争に間に合ったのはその半分として150台。 私の個人的な見解ですが、それっぽっちでは「ライカの損耗分をニッポンで補充」は、 とてもとても、追いついていなかったのではないでしょうか・・・。
日本の南極の基地は 昭和基地 ドームふじ基地 みずほ基地 あすか基地 ふじは引退したが保存されている。 あすかは試験艦にある。 次期砕氷艦の艦名にしょうわかみずほはどうだ。
650 :
前スレ86 :2005/10/29(土) 21:31:42 ID:???
>>649 なかなかのご名答です。
どちらもあり得るように思えますね。
どちらかというと「みずほ」の方が、日本の古名、豊葦原瑞穂国を連想させる、
優雅な響きの艦名に思えるのですが・・・。
651 :
613 :2005/10/29(土) 22:54:31 ID:???
某党首を連想するのでイヤw ところでこのスレにいる皆さんはやっぱり銀塩派?
652 :
前スレ86 :2005/10/29(土) 23:11:38 ID:???
>>651 私は銀塩派ですね。
コンパクトデジカメも持っていますが、これはあくまで仕事用と割り切っています。
私の母(6x歳)でも最近「手ブレは許しまへんえ」を購入したのに、
私はコンパクトはコンパクトでも、最近、ローライ35のよいものを探している有様。
・・・時代に逆行しているのでしょうか!?
ニコンは不吉な感じ。 有名な一ノ瀬のニコンはやっぱり衝撃的。 キャパも東京ではライカを使っていたのに、ベトナムではニコンSとコンタックス を使いながら最期を迎えた。 沢田教一の最期のときは、ライカ? ニコン? 彼の「安全への逃避」はニコンだね。 ブラックボディの始まりは、朝鮮戦争に従軍していた三木淳がニコンを構えていたら 隣の米兵が撃たれ、これは自分のカメラが目立ったせいか、と思った三木氏が ニコンに黒く塗ってくれ、と頼んだのが始まりだそうだ。
629氏へ、上野彦馬氏など、ガラス乾板以前の撮影機材は一人では持てません。 助手や弟子と手分けして機材を運びます。長距離や長期間の撮影には現像機材まで 持参した様です。磐梯山の噴火に行った写真師は駕籠を雇い機材を積んだそうです。
去年まではコンパクトデジタルを主に使ってましたが 古い一眼レフをもう一度使い始めました。 古い高級コンパクトもまた使い始めました。 新品のマニュアルフォーカスのレンズを3本買い足しました。
フィルムスキャナも買ったから 家でフィルムからのデジタルプリントも 出来るようになった。 でも家庭用スキャナでは意外に手間がかかるから今まで写したのを 片っ端からデジタル化というのは無理ですね。
>651 記憶メディア規格が統一されたら、デジタル移行も考慮しまつ。 ところで、メディアが満杯になったら、差し換えは可能なんでしょうか?>デジ
今はどのデジタルカメラもメディアは差し替えが普通だと思いますよ。 とりっきりタイプのデジタルカメラは日本ではまだないと思います。
659 :
名無し三等兵 :2005/10/30(日) 13:18:24 ID:1uUINN+5
映画「プライベートライアン」で冒頭、おじいさんになったライアンを 撮影する後ろにいる息子?が持ってるのってEOS?
660 :
613 :2005/10/30(日) 14:07:03 ID:???
>>658 初期の頃は内蔵メモリのみなんてのがあった。
PCとの接続はRS-232Cで。
まあ、1度デジタル一眼に触れると、フィルム交換がマンドクセ('A`)状態。
ところで現代の偵察機はフィルム?デジタル?自衛隊のRF-4Eはフィルムだけど。
偵察衛星は今はデジタルだと思う。
堀栄三の本に、キューバ危機の時のあのU2にはニコンが積んであった、と 書いてあるんだけど(ただ、この本にはその機種が FM2 だと書いてあるんだけど これは年代的にありえないので、機種に関する部分は間違いなく間違い。) 135なんか使うわけないと思うんだが、これは何の間違いなんだろう? ニコンが米軍の偵察用のカメラを作ったなんて(武器輸出の点からも)ありえない と思うし。ただ、自衛隊で情報将校やってた堀氏がそんな間違いするというのも 変な話だよね。一体、何が元の話でそれをどういうふうに勘違いしたんだろうか?
ニコンのF値が2のレンズ、じゃないよねえ。
不沈空母「ナカソネ」
665 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 18:42:35 ID:???
>>653 新谷かおる氏のカメラ漫画短編集「シリーズ1/1000sec」の中の1篇、
「シャッター・ソルジャー」従軍報道カメラマンものの中で、
ニコンFのアイレベル・ブラックボディを「血みどろのブラック・ニコン」と呼んでいましたが・・・。
沢田教一氏の「安全への逃避」は「撮るライカ」の記述などによるとライカ、
テリート135mmにビゾフレックスをつけて撮影されたものだといいますが、
ライカに固執していた沢田氏ならではの機材のチョイスで、はっきり言って面倒です。
・・・これが他のベトナム戦争報道カメラマンのように、
「近距離ライカ、中〜遠距離ニコン」の組み合わせを採っていたなら、
ニコン+135mmでもっと簡単に撮影できたはずです・・・。
ブラック・ニコンといえば、ニコンのブラックボディは、塗り方がていねいで丈夫なのか、
中古を眺めていても、悲惨なほどのハゲチョロケ機は少ないように思います。
これがライカだと、M3、M2、M4「ベトナム報道ライカ」のブラックボディは、
コレクター向けの「程度A+」でもない限り、大体がハゲチョロケ。
岡村昭彦氏のM4のように、記録写真で見ると当時からすでに悲惨ハゲになっていた例もあり、
ダンカン氏のM3DやMPのように「プロ向けには黒塗りが向く場面もある」を、
エルンスト・ライツ社も理解してはいたようですが、
肝心の塗りがすぐハゲる雑さでは、どうにもならないと思うのですが・・・。
沢田教一氏がカンボジアで亡くなられたとき、
その亡骸からはカメラがはぎ取られていたそうで、最期のショットは不明、
最期に持っていたカメラの機種も、私の当たった限りの資料にはありません・・・。
>>665 ぼくも、「安全への...」はライカだと思ってたんですが、
最近の資料や展覧会とかではニコンとなってるんですよ。
ニコンの黒塗りの丈夫なことは、その三木淳氏の手記にも書かれていました。 ただ、黒く塗ってくれればいい、というつもりで頼んだら、焼き付け塗装の 立派なのが来て驚いたそうです。朝鮮戦争のときだから、Nikon M ですね。 S はぎりぎり出てるけど。
てもちのニコンFG-20がブラックだ。 でも押し入れから出すまでシルバーだったとばかり 思いこんでいたので、出したとき、こんなカメラ持ってたっけ、 と自分で疑問形。
そういや今の一眼レフカメラはブラックボディとシルバーボディの両方があるのは もうほとんどないですよね。ニコンFM3Aくらいかしらん。 ニコンF3からはブラックだけでしたっけ。 キヤノンF-1は最初からブラックだけでしたっけ。
F3/T にシルバーというかチタンカラーがありますな。 F5にも。EMは黒だけじゃないかな? キヤノンF-1もミノルタX-1 motor も黒だけだったはず。
671 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 20:13:09 ID:???
>>654 ご教示ありがとうございます。
考えて見ればそうですね、当時の写真機材をひとりで持ち運べるはずがありません。
いやはや、簡単に考えておりました・・・お恥ずかしい。
「写真とともに百年」には、「湿板法時代の写真師」の絵が収録されていますが、
テントを張ってその中に機材や薬品一式を納め、
三脚を立てて撮影する写真師の後ろでは、次に使うガラス板を持った弟子の少年が立っています。
これだけ見ても、相当な数とかさの機材です。
最近「香川県歴史博物館」にて特別展示「時代をつなぐ写真」を見学する機会があり、
「写真の歴史」展示では、上野彦馬氏が書いたという写真術テキスト「舎密局必携」のほか、
「写真鏡図説」「遠西奇器術」など、
「写真とともに百年」にも登場する、写真術伝来初期のテキストを見ることができました。
これと同時に「メディアと写真」展示では、
西南戦争での戦闘場面を描いた錦絵「鹿児島賊徒平定図」が展示されており、
その説明によりますと、
西南戦争においては、上野彦馬や彦馬から写真術を学んだ冨重利平が撮影を試みている。
しかし、露光時間が長く、原板の扱いが難しい湿板では、
戦闘場面の撮影は不可能で、上野らは戦闘後の光景を撮影した。
戦闘の様子をイメージさせるという点においては、まだ錦絵の方が勝っていた。
・・・展示ではそのすぐ後ろに「日露戦役写真帖」1905年のものが展示されており、
みごとに野戦重砲の発射シーンを捉えたショットがありました。
672 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 20:16:31 ID:???
>>659 ううむ、そこまでは見ておりませんでした・・・今度、確認しておきます。
673 :
613 :2005/10/30(日) 20:17:45 ID:???
デジタル一眼なら幾つかあるよ。 キヤノンEOSKissD/DN ニコンD50 ペンタックス*istDS/DL オリンパスE-500 コニカミノルタαSweet DIGITAL
674 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 20:25:52 ID:???
>>662 おそらく、ニコンF+モータードライブ36に、特別製のグリップをつけた、
米軍の航空偵察カメラ、KS−80Aのことかと思います。
「軍用カメラ大図鑑」29ページに、米空軍提供のKS−80Aの写真が収録されております。
U2に搭載された航空偵察カメラの他に、必要に応じて手持ち撮影も行ったのではないでしょうか。
FM2うんぬんは、おっしゃる通り、完全な考証ミスと思います。
ニコンFEが航空自衛隊で使われていた、という話なら、聞いたことがありますが・・・。
675 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 20:39:41 ID:???
>>666 むむむ・・・なるほど、そういう説もあるのですか。
ライカご愛用の沢田教一氏も、ブラック・ボディのニコンFアイレベルを下げているスナップがありますし・・・。
ライカ用の望遠アタッチメント、ビゾフレックスは、
私も中古カメラ屋さんで触らせてもらったことしかないのですが(冷やかしごめんなさい・・・)
こりゃちょっと面倒だな、と思ったものです。
ビゾフレックスなしで、単純に135mmをマウントしたならば、
これは私も135mmのブライトフレームが入ったM4を使っているのでわかります、
35mmフレームの真ん中にあるちっぽけなフレームで上手く切り取った上、
とりわけ開放近くでピントを合わせようと思ったら、相当なトレーニングが必要でしょう。
少なくとも私には、まったく自信がありません・・・。
もう250枚マガジンなんてないんですね。 F6にもEOS1にも。 たくさんフィルム交換なしで撮りたきゃデジタル使え なんでしょうね。
677 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 20:52:12 ID:???
>>667 復刻SPを「ニコンSP体験フェア」で、発売前に触らせてもらったことがありますが、
ややぽってり、しっとりとした塗装で、
手元にあるF2フォトミックA・黒のすっきりした塗装より、キヤノンF−1後期のそれに似ています。
当時もこのような塗装だったのでしょうか。
F−1については、私の手元の”23年選手”の他、
私の「お師匠さま」プロカメラマンのアルミバッグかつぎをやっていた高校時代から、
何台も見ているのですが、
読売新聞社の報道用にコキ使われたものを除けば、極度にズルムケになったものを見たことがありません。
よい塗装をしてあるのだと思います。
LWライカの赤幕が遂に逝った(症状:光線漏れ)。当時のハーフミラーも既に無い。 時代の生き証人がガワだけになったら悲しいだろうなぁ…
679 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 20:55:57 ID:???
>>668 たしか、FG−20は最初、シルバーだけだったと思います。
あとから黒も追加されたのですが、黒のFG−20は数が少なく、貴重だとか。
680 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 21:04:37 ID:???
>>669 F3のボディの黒は丈夫に塗ってあるのでしょうか、なかなかハゲませんが、
モータードライブMD−4の方はダイキャスト?のような材質らしく、
こき使うと塗装がスレて、下のグレーの材質が見え隠れします。
いまさらハゲても気にしませんが、あきれるほどがっちりしたカメラです。
むしろ持ち主のハゲが悩みの・・・それはさておき。
キヤノンF−1後期には「OD・F−1」オリーブドラブのものが存在しますが、
これは軍用とは関係のない、文字通りの「イロモノ」です。
レアなもので、中古では高い値段がついていますが・・・。
681 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 21:11:04 ID:???
>>670 F3チタンの最初のころのものがチタンカラーでしたか。
あとで黒のちりめん塗装になったと思います。
F5には記念モデルに、グレーがかった色のものがあったと覚えております。
ミノルタX−1モーターはたしか、かって篠山紀信氏がご愛用。
あまり見ない機種でしたが、先日の大阪「中古カメラフェア」にてご対面。
程度のよいもので、30万円以上の値段がついておりました。
682 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 21:19:56 ID:???
>>678 ルフトヴァッフェ・ライカVcの赤幕でしょうか、大変に貴重なものをお持ちですね。
私も一度だけ、実物を手に取り、シャッターを切らせて頂いたことがありますが、
オーナーの方、しまいこんでおくのではなく、時に持ち出して撮影する「現役機」に使っておられるそうで。
以前に書いたことがあります、東京・春日の「ライカ・マイスター」のお話では、
バルナック・ライカのハーフミラーは、おっしゃる通り、当時の部品はなく、
オーバーホールの折には必要とリクエストに応じ、国産の同等品に取り替えになるそうです。
これは聞いた話ですが、
Vcの赤幕をebayで落札し、2枚ほどストックしている方もおられるとか。
もしかすると、そういった方法で入手できるかも知れません・・・。
683 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 22:25:32 ID:???
>>676 レス前後して申し訳ありません。
250フィルムバックネタで、ちょっと資料を引っ張り出してきました。
「CIAスパイ装備図鑑」キース・メルトン著、北島護・訳、並木書房、に、
1969年に「監視用カメラ」としてCIAが使っていたという、
ニコンFフォトミックFTn+モータードライブ、85〜250mmF4ズームに、
250フィルム・バックと無線コントロールセット・MW−1を組み合わせたものが登場します。
「カメラのそばに人がいなくても監視写真が撮れるように考案されたもので、
光線をさえぎるなどして遠隔無線コントロール・セットを作動させた人物の写真を撮るようになっている。
このシステムのいちばん一般的な使用法は、
外国の大使館など監視下に置かれている場所に出入りする人物の写真を撮影することである。
設置してテストをしたあとは、定期的なフィルムの交換以外は人の手がかからない。
露出は、光量のいちじるしい変化に影響されないように設定することが必要である」
ここで私と同じ疑問を持たれた方もおられるかと思います、
「監視が長時間に及ぶ場合、AEでなければ露出はどうするの?設定しっぱなしってワケにゃ・・・」
やはり、最低でも朝夕と日中には、露出の測り直しが必要だったのでは?と思います。
684 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 22:36:13 ID:???
なお、この本には「ミノックスB」や「ライター型カメラ・エコー8」など、 いかにも、のカメラも登場しますが、 一番ニヤリとしたのは、CIAが出した写真家の募集広告。 ”CIA...where you can develop an exciting career” 「CIAはあなたの、エキサイティングな経歴を彩る職場です!」 冷戦時期にCIAが職員募集の広告を出したときには、 「独自の発想を持つひとを求む!・・・大きな可能性として海外旅行をすることができます」 おい、ちょっと待て、その海外旅行って「絶対に本名のパスポートが持てないステキなお仕事の」旅行じゃねーか?と、 思ったものですが、 写真家まで募集していたとは、この本を読むまで知りませんでした。 我と思わん方は、今からでもラングレーに履歴書と作品を・・・駄目でしょうねえ!?
>682 光線漏れが出たのは後幕でして、赤幕に問題が無いのが辛いところです。 そして後幕に残る無数の修復痕をみるに、歴代オーナーの悪戦苦闘が忍ばれます。 しかしその歴代各位の苦労を、私が台無しにしてしまいました。 それでも家が凋落した際には、次のオーナーとなる人物にこれを一緒に渡し、 「譲渡の際には有償無償を問わず代々、1セットで」と言い渡そうと思います。
686 :
前スレ86 :2005/10/30(日) 23:57:40 ID:???
>>685 何と申し上げればよろしいやら・・・どうかお気落としのないように、としか申し上げられません。
クラシックカメラを手元に置く場合、
どこまでもフル・オリジナルか、代用パーツを使ってでも撮影可能なものにするか、は、
オーナーのお考えで千差万別だと思います・・・。
ライカで修理してくれるでしょ?
688 :
前スレ86 :2005/11/01(火) 17:53:40 ID:???
>>687 「日本シイベルヘグナー」の頃の修理料金表が「M型ライカヒストリーブック」に収録されておりましたが、
国産機の修理、オーバーホール料金から考えると大変に高価ですよね。
「ライカ・ジャパン」になって、どうなったのでしょうか・・・。
私の手元でブンチンと化していたVf+ズマリット50mmも、
オーバーホール見積りを取ると、ハーフミラー、シャッター幕交換、レンズオーバーホールもコミコミで7万円。
ライカ・マイスターのお見積り、これでもライカのオーバーホール料金としてはすこぶる良心的です。
試し撮りをしてみるときちんと写ったので、とりあえず現状でいくことにしましたが・・・。
ニコンD200発表。Aiレンズが使えるそうだ。 D2よりは軽そうだから、今までのAiレンズを持っている 自衛隊などの業務用もターゲットなんだろうか。
690 :
613 :2005/11/01(火) 22:11:24 ID:???
長かったねえ・・・。D100から3年以上か。
691 :
前スレ86 :2005/11/01(火) 22:12:44 ID:???
>>689 私はデジタル1眼にはとんと疎いのですが、ある人に言わせると、
「ニコンデジタル1眼の”Dヒトケタ”と”Dフタケタ”は、
ニコン銀塩1眼の”Fヒトケタ”と”ニコマート”の関係」と言います。
・・・機能的にそういう捉え方でいいのでしょうか?
692 :
前スレ86 :2005/11/01(火) 22:15:53 ID:???
>>690 米海軍の公式にリリースされた写真にも、D100で撮影されたものが多いと聞いております。
693 :
前スレ86 :2005/11/01(火) 22:28:39 ID:???
自衛隊広報行事、とりわけ航空祭では、 仲間が使うデジタル1眼の「威力」を目の当たりにしております。 上空をフライ・パスする機体を追っていて、ついついシャッターを切りすぎてしまい、 ここぞ!というときに、フィルムが切れていたときの口惜しさといったら、いまだに思い出します。 F3にはモードラをつけていますが、newF−1はモードラさえつけていない手巻きで、 AF機やデジタル1眼を使う仲間に「三八式歩兵銃」とからかわれたことがあります(笑
694 :
613 :2005/11/01(火) 22:29:20 ID:???
>>691 1桁と2桁だと現行型ならF6とF80/u2みたいな関係かな?
つまりD200=F100みたいな雰囲気で。
695 :
前スレ86 :2005/11/01(火) 22:38:16 ID:???
>>694 なるほど、感じがつかめます。
F6は私もぜひ、使ってみたい1台なのです。
そのためにはAFニッコールを揃えないと威力が発揮できませんが・・・。
陸上自衛隊某部隊の広報班の方が広報行事の折、迷彩戦闘服に略帽のいでたちで、
メインにF5、サブにF100を使っておられたのを見たことがあります。
F6の発売前でしたが、今はデジタルに置き換わっているのでしょうか。
696 :
前スレ86 :2005/11/01(火) 22:55:47 ID:???
D100で思い出しましたが、 海上自衛隊某航空隊の広報班の方は、D100を2台下げて、 1台にはスピードライトをつけておられました。 海上自衛隊の大型艦艇では艦内LANで画像を扱う関係上、広報写真の撮影も全てデジタルに置き換わり、 掃海艇でも、掃海艦隊のHPにUPする広報写真を募集しているとかで、 コンパクトデジカメで撮っている乗員の方と立ち話をさせて頂いたことがあります。
自衛隊の業務用は手持ち撮影が多いそうなので 軽さと高性能の接点でカメラを選ぶのかな。F6やD2は いかにも重そうで手持ちには向いてなさそう。
プレスリリースだとD200はプロ/ハイアマチュア用となっとりました。 たぶんわてはおよびではない。
699 :
613 :2005/11/01(火) 23:11:10 ID:???
>>693 デジタル1眼ユーザーだけど、実際600とか700枚の写真を
何の交換も気にせずにひたすらシャッターを押すだけっていうのは
非常に有り難いっスね。正直あの混み合った空間でフィルム交換は
やりたくないし、何しろ荷物が増えるので・・・。
ただカメラの連射が大変ショボイので(Kissデジタル)、買い替え検討中。
D200は20万ぐらいだよー。フィルム代が掛からんので(現像代も)高くは無いと思うけど。
700 :
前スレ86 :2005/11/01(火) 23:12:41 ID:???
>>697 「軽さ」は大きな要素だと思います。
あと、部隊や艦、地方連絡部の広報班では専門的な写真の知識がある隊員の方ばかりとは限らず、
使いやすさも大きな要素でしょう。
「専門的な写真の知識」というと「プロ」陸上自衛隊第301写真中隊があります・・・しかし、
第301写真中隊を満期除隊した元・WAC女史と飲んだことがありますが(酒豪!)
「任期制の隊員は身分証明書の写真撮影とかばかりで、面白くなかったですよ」とか。
701 :
前スレ86 :2005/11/01(火) 23:48:06 ID:???
>>699 うんうん(大きく頷く)わかりますわかります。
ご同輩のバズーカ砲レンズや、お子様連れの方のデジカメ、お年寄りの方の愛機、
飛行展示ともなるとカメラ展覧会のような状況、
ものすごい人垣は、ちょっとカメラを下に振るとひとの頭の波が写りこみ・・・。
私の場合で言いますとメインに300mmか400mm、
サブに35mm、ザックの中には85mm、ストロボに予備電池、
ペットボトルのお茶に、お土産に買ったスコードロングッズ、
予備のフィルムはザックの中と、カメラマンベストのポケットに・・・あ〜しんど!です。
たしかに広報行事終了後は、現像代に目をむくハメになりますし・・・。
これは遅ればせながら、デジタル導入も考えるべきなのでしょうか。
702 :
前スレ86 :2005/11/01(火) 23:56:32 ID:???
>>698 レス前後して申し訳ありません。
「プロ及びハイアマチュア向け機種」であるから使い手を選ぶか、というと、
そんなことはないでしょう。
お好きな機種をお選びになり、使っていくのが何より楽しいと思います。
価格の問題はありますが・・・。
でも、デジタルでAiレンズが使える機種が増えてくれたのは 買うかどうかはべつにしてありがたい。今はF6だけですから。
704 :
前スレ86 :2005/11/02(水) 00:25:14 ID:???
>>703 たしかにそうですね。
手持ちのレンズを生かせるのは、有難いことだと思います。
EOSを今、私が買っても、FDレンズが全く使えないのはチト淋しいのです・・・。
D200がAiレンズ使えるそうです。
スキャナでフィルムをデジタル化してみるとデジタルカメラと違って 撮影データなどが付属しない。アドビのレタッチソフトやアルバムソフトでは ファイルそのものには撮影データを追加するのは無理みたい。 むろん撮影ファイルとは別のアルバムデータには当然つけられる。 ただアルバムソフトではなくプリンターに付属のプリントソフトが 普通の写真のような感じの日付やタイトルを入れてくれてお気に入りなのだが そいつは写真につける日付を撮影データから取ることしかできないので フィルムスキャナからスキャンしたデータを印刷するとそのままでは 日付が正しくできない。 exiferというドイツ製の簡易アルバムソフト(基本的に無料ソフト)でやると撮影データを追加することが出来たが 英語とドイツ語しかないのでちょっと敷居が高いか。 ABLECV(安いけど有料)は日本製で上記と同じことが出来た。
スキャナもニコンのだとスキャンのときに撮影データを追加できるように なったりしているらしいが、安コニカミノルタのをかっちゃったからなあ。 フィルムカメラでデジタルというのもおかねをかけないといろいろ不都合がでるわい。
709 :
前スレ86 :2005/11/03(木) 20:23:49 ID:???
>>707 撮影データの保存には昔から苦労があったようですね。
古い銀塩カメラでの撮影が90%の私の場合、
今もなお「カンピューターの応用」で対処するしかない状況です・・・。
日本軍では「九九式極小航空写真機」のボディに「白板」が取り付けられているのですが、
これは”心覚え”を、フェルトペンのない時代、太い鉛筆やグリスペンで書きとめておくためだったといいます。
また「九九式活動写真銃」や「十五式写真銃(スチールフォト用)」には、
サブレンズを使って写真銃にセットした時計を写し込むメカがありますが、
当時、高価な実弾を使った航空機銃の実弾射撃訓練に移行する前、写真銃を使った訓練が行われており、
射撃データの判定にそのメカが一役買っていたことを伺わせます。
710 :
前スレ86 :2005/11/03(木) 20:38:29 ID:???
>>708 スキャナー+PC処理は「第2の暗室」という記述も、どこかにありましたっけ。
私の体験から言えば、自家現像、安い引き伸ばし機にレンズだけはELニッコール、
試し焼きでああでもないこうでもない・・・と、何枚となくフジブロを無駄にするより、
一発でキマりはしないにせよ、トライアンドエラーが安くて済むのなら大歓迎といったところです。
私のDPE機材は後輩にあげてしまいましたが、
今になって少しだけ、D76だのフジフィックスだのの世界が懐かしく思えます。
補正しない生の撮像素子のデータを 後処理で印刷用のデータに補正する作業を デジタル現像とか呼ぶんでしたっけ。 カメラが補正済みのデータを保存する場合は よけいなことはあまりしなくても見られます。 でも赤目補正はしたことあります。 いろいろなソフトを試しましたが アドビのが一番赤目補正機能は使い勝手も 結果も良かったです。
712 :
613 :2005/11/03(木) 22:19:37 ID:???
RAW撮影はやったこと無いなあ。 レスポンスがぬるぽなKissDではチトつらい。
コニカミノルタホールディングスは11月4日、2006年3月期連結業績予想を修正し、
470億円の最終損失(前期は75億円の利益)を計上する見込みだと発表した。
フォトイメージング部門の構造改革が市場変化のスピードに追いつかず、
事業の大幅縮小を前倒しで断行。グループ全体の1割強の人員削減を行い、
リストラ費用として900億円程度を計上する見込みだ。
同部門は前期に87億円の営業損失を計上しており、今期以降、
生産部門の規模縮小を中心としたリストラを進める計画だった。
だが銀塩写真を中心としたフォト部門で、デジタル化の加速によりカラーフィルム・印画紙の需要減が
「当初見込んでいたものより速く、今後さらに加速すると予想される」(同社)。
デジタルカメラの価格下落も進むなど、事業環境が急速に悪化しているため、
計画を前倒しして規模縮小を決断した。生産部門に加え、開発、販売の全部門で大幅に事業規模を縮小する。
開発部門の一部機能を光学デバイス事業や医療・印刷事業に移管・再編するほか、
グループ内他社への経営資源のシフトを積極化する。
コニカミノルタグループの世界全体の人員3万3000人の1割強程度を削減する計画だ。
通期連結業績予想は、売上高が1兆500億円(前回予想は1兆1300億円)、
経常利益は600億円(同800億円)。今期は中間、期末とも無配(前期は年間10円)に転落する見通し。
経営陣は役員報酬をカットする。同日発表した9月中間期連結決算は、
売上高が5175億9800万円(前年同期比3.3%減)、営業利益は394億800万円(同21.2%増)、
経常利益は352億4500万円(同25.1%増)、純損益は34億8200万円の赤字(前期は82億円の黒字)。
コストダウン努力による粗利率の改善や販管費の圧縮が奏功して営業・経常増益となったが、
固定資産の減損処理やフォトイメージング部門のリストラなどで特損を計上、最終赤字となった。
ttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/0511/04/news060.html
ISO1600のカラーネガをスキャンして印刷プリントしてみると粒状感が非常に目立つ。 粒状感軽減フィルタをかけてもあまり効果が出ない。 ルーペでネガを拡大してみるとたしかにざらざら感はある。 でも店で同時プリントしたのはあまり目立たないような感じがする。 お店プリントおそるべし。
>>660 TARPS-DI以降、デジタル化進行中。
最新型はこれ。
www.defenseindustrydaily.com/2005/08/recon-provides-248m-in-cameras-for-sharps-pods/index.php
www.ainonline.com/Publications/farn/darn_04/d3reccep20.html
717 :
716 :2005/11/05(土) 02:29:52 ID:???
最終行なかほど、farn/farn_04/です。(dではない)。
718 :
前スレ86 :2005/11/05(土) 13:35:58 ID:???
>>713 >>714 全面的に写真事業から撤退ではないにせよ、大幅な後退ではあるようですね。
利益率の高い商品は残す、というプレスリリースもあり、
そうなると少なくとも、銀塩製品に大幅な整理があると考えざるを得ないでしょう。
・・・「カメラは儲からない」のは、実は他社でも言われていたことですが・・・。
スレタイに沿った「戦場のコニカ、ミノルタ」を付け足しておきますと、
「小西六」「千代田光学」の時代なら数々ありますが、近年のものから。
戦場ジャーナリスト、加藤健二郎氏がコニカミノルタ・ディマージュをご愛用の他、
アフガニスタンで地雷を踏み、爆死した女性カメラマン、南条直子氏の著書「戦士たちの貌」に、
撃破したソ連軍車両の記念写真を「ピッカリコニカ」で撮る、ムジャヒディンの描写があります。
719 :
前スレ86 :2005/11/05(土) 13:54:17 ID:???
>>715 とりわけデジタルプリントの場合、相当に補正が入っているのではないでしょうか。
シャープネスも補正されているため、
実は解像度に問題のあるカメラで撮っても「一応はすっきりしゃっきり」になってしまいます。
DPE店任せの一番こわいところは「本当の良し悪しがわからない」ことと思います・・・。
720 :
前スレ86 :2005/11/05(土) 14:07:47 ID:???
>>716 横レスではありますが、これは貴重な情報を、ありがとうございます。
上段の方のアドレスでは見られませんでしたが、
下段のアドレスでは、サーブ・グリペン用のSPK−39偵察ポッドの記事が読めました。
私は英語に暗く、お恥ずかしい話、拾い読みのようにしか読めないのですが、
「主センサーはCA−270V偵察カメラを360度全周旋回ハウジングに収めたもので、水平線から水平線までの撮影が可能」
「静止画像の連続処理や動画処理は、機体とのインターフェイスで64GBまで処理可能」
「COTS(民生品軍事利用)により、ハードウェアの相当部分が民生品である」
・・・間違っておればご指摘下さい・・・。
721 :
716 :2005/11/05(土) 23:04:20 ID:???
722 :
前スレ86 :2005/11/05(土) 23:51:43 ID:???
>>712 うむむ・・・これはすごいですね、大変、参考になりました。
お手数をおかけしました、重ねて御礼申し上げます。
上段のアドレスの記事では、
「米海軍に2006年から納入が始まる、昼間・夜間兼用、
リアルタイム画像をスーパー・ホーネットとデータリンクできる新型偵察ポッド」、
CA−270型カメラの拡大写真に興味深々です。
レイセオン社、ボーイング社ほか2社と米海軍の共同開発なのですね。
中段の方では「CA−295」という型番になっていますが、
下段の「リーコン・オプティカル社HP」開発メーカーのHPでは、
the medium-altitude CA-270 and the high-altitude CA-295.
・・・やはりおっしゃる通り、中高度・高高度用のマイナーチェンジと思えます。
The CA-295 is available for export to many international customersとは、
米海軍との共同作戦を執る同盟国軍に対し、システムの売り込みが図られるというように、私には読めますが、
その中には海上自衛隊、あるいは航空自衛隊も含まれると見てよいのでしょうか。
共通データリンク・システムを運用するなら、ますます必要度は高いと考えます。
いずれにせよ、戦術偵察機が持ち帰ったフィルムを現像して判定する銀塩航空偵察カメラは、
すぐにもなくなりはしないにせよ、いずれは過去のものとなりそうですね。
723 :
前スレ86 :2005/11/05(土) 23:54:17 ID:???
コニカミノルタがフィルム事業を縮小するとすると 赤外フィルムはまっさきになくなりそうですね。 軍事、準軍事用途に必須なので影響があるのかなと ちょっと思ったら 今はその分野では赤外線電子撮像装置が ふつうみたいなので影響はなさそうだと気がつきました。 工作船事件の時に 海保が公開した映像の一部はそれっぽかったし 海自の哨戒機の赤外撮影も電子撮像機器で リアルタイムに機内で見ているらしいし。 公的分野で影響があるとしたら 警察の鑑識写真くらいでしょうか。 電子写真には証拠能力なしと司法でなっているそうなので。
725 :
前スレ86 :2005/11/06(日) 20:29:38 ID:???
>>724 海上自衛隊SH−60J対潜ヘリの陸上型には、監視用のIRセンサーが搭載されていますが、
某基地での体験搭乗の折、TACCO(戦術航空士)席に座らせてもらえた私、
本物のTACCO氏の手で、実際に目の前のIRセンサーを動かして頂いたことがあります。
高度200メートル、眼下を行くクレーン船をロックオン。
画面の任意の部分を即座にクローズアップでき、
「黒緑テレビで見ているクレーン船」、船上の相当に細かいディテールまで観察できました。
あの能力をもってすれば、監視任務もかなり高度なものが可能と思えました。
そこまでいかない初歩的な赤外線ノクトスコープならば、
いまやお金持ちのサバイバル・ゲーマー諸氏も入手しているほどですし、
一部のデジタル・ビデオカメラには赤外線増幅機能もあるぐらいですから、
インフラレッド・フィルムの需要が落ちても、これは致し方ないところでしょう。
コダックHIE以外のインフラレッド・フィルムがなくなる日も、そう遠くありません・・・。
「武士道の国から来た自衛隊」の中には、
陸上自衛隊イラク派遣部隊の広報写真はほとんど全てデジタルで撮影されたにもかかわらず、
司法目的の写真のみ、おっしゃるように証拠能力の関係上、銀塩で撮影されたという記述があります。
726 :
前スレ86 :2005/11/06(日) 20:59:33 ID:???
赤外線によるアクティブ暗視装置から一歩進んだ、可視光を増幅するパッシブ暗視装置、 いわゆる「スターライト・スコープ」は、わりあいと早い時期から米軍ものが日本でも入手でき、 私も十数年前、目の玉が飛び出るような販売価格でとても買えませんでしたが、 ベトナム戦争で使われたものと同型のものをのぞかせてもらったことがあります。 図体でいうと、キヤノンFD85〜300mmF4・5のような、 大根のお化けクラスのズームレンズと似ていました。 レンズキャップに針で突いた穴を開けただけで、針穴から真昼のような視界が得られたのを覚えています。 現在、パッシブ暗視装置もゴーグル・タイプにまで小型化され、国産化もされています。 小耳にはさんだ話ですが、陸上自衛隊や警察SATチームが使っているものとほぼ同じ、 NECが開発したものが、民生用に「暗室作業用」として売られているといいます。 同じく小耳にはさんだ話として、60万円ぐらいの販売価格らしいのですが、 あれこれ調べてみても裏づけが取れませんでした。 どなたか、真偽のほど、あるいは情報をご存じないでしょうか・・・。
あ、その生体タイプがうちにある(だいぶうそ、ちょっとほんと)。 いやー光るんですよ真っ暗な中で目が。 台風などで雨戸を閉め切るとときどきびっくりしますよ猫の目は。
728 :
前スレ86 :2005/11/06(日) 21:42:27 ID:???
>>727 人間の目が35mmカメラに換算すると50mmF1・1ぐらいだそうで、
かっての「キヤノン7用50mmF0・95」はそれより明るいと騒がれたものですが、
どんなに写真には不利な条件でも「脳内補正」してしまう人間の機能には、
いかなるカメラといえど、逆立ちしても勝てません。
ただし「本人にしか見えない、再現できない」のが欠点ではありますが・・・。
まして、人間とは若干、可視光域の異なる猫さまや犬さまとなりますと・・・。
コンタックスの交換レンズ群に「星明りで1/4が切れます」みたいな玉があったと記憶してますが どなたか心当たりがありませんでしょうか。 昔、近所のカメラ屋(複数)から略奪してきたカタログで見て 「おっ、スターライトスコープじゃん、光増管式なんだろうなぁ。 でもバッテリーどうすんの?」とか考えていたイタイケな少年時代。 RTSV(機種依存文字でスマヌスマヌ)が発売された頃のことでした。 確か290mmだかなんだか中途半端な焦点距離でツァイスレンズではなかったと思った。 いや値段が290万(聖徳太子が290人!!!)円だったかな。 別に買うワケではないですが、ここン十年くらい気になってまして…。
そのレンズをつけるとファインダーが猫の目化してまっくらでもみえまっせー、になるんでしょうかね。
731 :
前スレ86 :2005/11/09(水) 01:16:14 ID:???
>>729 ネットで調べた限りでは当たりません・・・当時の「カメラ年鑑」か何かで調べれば、
書いてあると想像しますが・・・。
どなたか博学の士のご教示をお願い致します。
星明りで4/1となりますと、
ほんの一瞬「ロウソクの明かりで撮れます」昔のヤシカ・エレクトロ35の広告を思い出すのですが、
純粋に光学性能だけでは無理があると思えます、やはりスターライト・スコープ系かと、
しかし「カール・ツァイスのスターライト・スコープ」となれば、
考えただけで凄まじい価格になることかと・・・。
私事で申し訳ありませんが、チョトうれしいので書かせて下さい、
私も(ほとんど衝動買いで)ローライ35のゾナーF2・8つきを購入、
ささやかながら、カール・ツァイスのお世話になることになりました・・・。
732 :
前スレ86 :2005/11/09(水) 01:41:37 ID:???
>>730 ベトナム戦争時代の「スターライト・スコープ」は、
実物を見た限りでは相当に大きく、ライフルにマウントするには大きさの上限に思えるものでした。
現在のM16A3やM4カービンのように、
キャリング・ハンドルを外してピカティニー・レールでがっちりマウントできるならともかく、
M16やM16A1の、キャリング・ハンドルの「穴ひとつ」で取り付けたのでは、
強度的にどうだったのか?と、思わないでもありません。
私も民間型のAR15スポーターに、コルト純正スコープを乗せたものを実射したことがあります。
ちっぽけな低倍率のスコープですが、それなりに蝶ネジでがっちりと取り付けるものでした。
「リコイルの少ない、5・56mmのAR15」と聞いてはいましたが、
実際には鋭い感じのリコイルがあり、やはりスコープはしっかりとつけていないと、と思ったものですから・・・。
サバイバル・ゲーマー仲間に、ゴーグル・タイプの新型スターライトスコープを買った、
オカネモチがおりますが、
「一度使ったら、安いロシアものなんかは話にならん!」と、思えるんだそうで。
人間が夜行性動物の目に迫るためには、いろいろありますなあ・・・。
フジノン、その類をいろいろ作っているみたいですね。
イギリス映画「将軍月光に消ゆ」(1956年)。 ドイツ軍占領下のクレタ島で、現地レジスタンスとイギリス特殊部隊が 記念写真するシーンがあるが、カメラはバルナックライカ。
735 :
前スレ86 :2005/11/09(水) 23:39:36 ID:???
>>733 ニコンとフジは光学機器製品を、海外のガンショーにも積極的に出品しています。
月刊「GUN」に取り上げられていましたが、
双眼鏡、スポッティング・スコープ、レーザー・レンジファインダーなどなどの他、
たしか、フジは暗視装置を出品していたと記憶にあります。
ニコンのライフル・スコープの民生向け現行品に限っては、
正しくはタイ・ニコンで企画・生産されたものだそうですが。
736 :
前スレ86 :2005/11/10(木) 00:00:22 ID:???
>>734 時代背景としては、英独開戦後、当然のことながらライカの対英輸出は打ち切られていましたが、
実は中立国を介して開戦後もわずかな台数のライカがイギリスに流れ込んでおり、
生産ロットから言うと英独開戦後の生産年度のものが、
イギリス軍用、とりわけ海軍の戦果記録用に用いられており、現存するものもあります。
イギリスでの軍用カメラ、とりわけ35mm小型カメラの不足は深刻で、
民間徴用さえも行われており、
民間から徴用されたものにも、イギリス軍用の刻印が打たれました。
戦後、できるだけ元の持ち主へ返却されてはいるのですが、
返却されたものからは、軍用刻印が削り取られ、地の真鍮がそこだけ露出しています。
・・・輸入できる方法があれば、なりふり構わない輸入も行われていました。
ライカVcは「マリーネ・ライカ」として、ドイツ海軍で使われたのですが、
本来は生産年度から言ってイギリスにはないはずのVcも、
上記のルートでイギリス海軍に使われたものがあり、
同じ生産ラインで作られたライカが、敵味方に分かれて戦果を撮影しあっていたことになります。
つまり、英軍がライカを使っていたとしても、不思議ではありません。
時代考証の合っている映画ということになりますね。
・・・もしかするとライカのイギリス・コピー「リード」かも知れませんが。
737 :
前スレ86 :2005/11/10(木) 21:18:12 ID:???
さて
>>729 (前スレ429)氏のおっしゃる特殊交換レンズ(スターライトスコープ)について、
本日、飛び飛びの年度ですが「カメラ年鑑」を調べる機会がありましたので、ご報告致します。
正しくは「N・ミロター210mm」といい、
コンタックスRTSVが1991年のカメラ・グランプリを受賞した翌年、
「‘92年日本カメラショー・カメラ総合カタログvol,103」の京セラ・コンタックスのページには、
交換レンズデータ一覧の中に、下記のように記載されております。
N・ミロター 210mm 絞り目盛なし 4群4枚(ミラーレンズ) 画角8°
最短撮影距離約20m 重量2170g
フィルター装着不可 メタルフード・アダプターリングなし ソフトフードなし
ゼラチンホルダー装着不可
データ一覧表の下に特記事項として、
N・ミロター210mm \2、980,000(受注生産)
・・・なお、他のカール・ツァイスT*レンズと違って、
カタログにも写真が掲載されておりませんし、これ以上の記述がありません。
日本カメラ社「カメラ年鑑」では、84年版には登場しておらず、
89年版、92年版には登場しており、
95年版からは姿を消しています。
85〜88年、90〜91年、93〜94年の「カメラ年鑑」が残念ながら調べた場所にはなかったのですが、
85年に受注を開始、94年までは受注していた、と、最大限に仮定しても、
さて、市場にどれだけの数が出たのでしょうか・・・。
当時のカタログやカメラ雑誌をまめに当たるか、京セラに問い合わせればもっと詳しくわかると思います、
とりあえず、ご報告まで。
738 :
613 :2005/11/10(木) 22:23:55 ID:???
イギリスってカメラメーカや光学メーカってなかったんでしょうか。 アメリカにはあったようですが。
それっぽいですね。1978年発売で日本円で280万円。
741 :
前スレ86 :2005/11/10(木) 23:26:21 ID:???
>>738 (613)
むむっ、まさしくこれに間違いないでしょう、ありがとうございます。
外観からは米軍用のスターライトスコープより、洗練された形ですね。
本文中にあります通り、
技術力の誇示のために、製品としての採算とは別物で一般販売されたものと思います。
・・・さて、この形+「N−Mirotar」の銘板つきが、
おぼろな記憶ですが先日の大阪「中古カメラフェア」に出ていたような・・・。
もっとよく見ておけばよかったです、後悔。
コンタックスRTSは「軍用カメラ大図鑑」に載っているように、
西ドイツ軍によって軍用カメラに使われており、そうなるとこの「N・ミロター」も、
軍事目的にRTSと組み合わせて使われたことがあったと考える方が自然でしょう。
モノがモノだけに、公表はされないかもわかりませんが・・・。
742 :
前スレ86 :2005/11/10(木) 23:33:40 ID:???
>>739 光学機器大国のドイツほどではなかったにせよ、そこそこのものはありました。
ただ、第2次大戦ではドイツ軍の爆撃やV1、V2ロケットの攻撃を受け、
生産工場が壊滅することもあったようです。
ツァイスはね、室内でポートレート撮ると良さがわかるのだけどね あの味はニコンもキャノンにもだせないわな。 本国と日本のコーティングでも味が違うし・・・
744 :
前スレ86 :2005/11/12(土) 00:53:54 ID:???
>>743 ホントに衝動買いで、本来、コシナツァイス・プラナー50mmを買うための予算の一部を、
ローライ35Sにつぎ込んだ、私の「チラシの裏」。
ローライ35でも古いタイプのもの、
私が見たものはシンガポール・ローライではなくドイツ製ローライ35の、
「ローライ・ハニウェル」には、
カール・ツァイス・テッサーと書いてありました。
私が買ったもの、外観キレイで露出計OKの割には格安、には、
メイド・バイ・ローライ、ゾナー2・8/40、ローライHFT、
ゾナーではありますがローライのライセンス品で、ローライ独自のHFTコーティングが施してあるそうです。
まずは手持ちのフジカラー・プロ400を詰め、
ピント目測なのでF11のパンフォーカス、露出はわざと内蔵露出計頼りで、
軽い気持ちで試し撮りしてみました。
やられました・・・「空の青」「ショーウィンドーの服の赤」が、
恐ろしく鮮やかに出ているのです。
同時プリントの試し撮りでこれです、内蔵露出計を使わずきっちりと露出を測った上で、
ポジを使えばどんな威力を発揮するのでしょうか。
煙草の箱がちょっと大きくなったようなカメラですが、これは楽しめそうです。
コンタックスT2は、マニュアル露出機能がありません。
ああ、ローライって中判カメラも作っているのか。 え、二眼レフも。いやしらんかった。
747 :
613 :2005/11/12(土) 11:12:43 ID:???
ローライフレックス(一眼にも使われてる名称)は2眼レフの代表格だと思ってましたが・・・。
749 :
前スレ429 :2005/11/12(土) 23:09:00 ID:1oVRtYHU
>>613 、前スレ86氏
どうもありがとうございます。
そういえば昔は現場にコンタックス(多分私物)を持ってきてたカメラマンもいたなぁ。
でも紙面では違いは出ないはず。
となると、目的は整理部騙しか局番韜晦作戦だったのか!!
二眼レフといやヤシカしか知らなかったもので。
いまだに二眼レフが現行製品にあるとは思わなかった。
752 :
613 :2005/11/13(日) 14:26:40 ID:???
二眼レフを製造しなかったメーカーは、 ニコン、キヤノン、旭光学工業だけだったそうだよ。
753 :
前スレ86 :2005/11/13(日) 17:21:35 ID:???
>>745 T3、TiXと同じく、プログラムAE+絞り優先オートだったと覚えています。
TiXは、私事で申し訳ないのですが私の母が持っており、
APSのコンパクトでナマイキにも!?絞り優先オートができますか、と、
思わずニヤリとさせるモノでした。
コンパクトカメラといいますと「諜報目的用」という側面があり、
ソ連、中国は独自に諜報目的のコンパクトカメラを開発、
ソ連はソ連崩壊後、中国でも市場経済政策後、一部が流出していますが、
東ドイツは日本の「リコー・オートハーフ」をシュタージが一般マーケットから買い入れ、
日本からの輸出検査合格ステッカー”PASSED”もそのままに、
特殊なカバーに収めるなどして使っています。
754 :
前スレ86 :2005/11/13(日) 17:42:08 ID:???
>>746 「ローライフレックス」といいますと、戦前からある2眼レフの「王者」です。
今でも中古カメラ店では、多種多様なものを見ることができますが、
程度のよいものはすこぶる高価で、今なお人気が衰えていないことを伺わせます。
ロバート・キャパ氏がノルマンディ上陸作戦をコンタックスUで撮影したことは有名ですが、
実はDデイ当日、ローライフレックス・オートマットを下げ、偽装網のついたM1ヘルメットをかぶった、
キャパ氏のスナップが残っています。
キャパ氏はローライフレックス・オートマットがお気に入りだったようで、
「ちょっとピンぼけ」にも書かれた、落下傘降下作戦の取材にもお供させております。
・・・ただ、速写性ということでは、35mmに追いつかないところがあり、
キャパ氏と、同僚のカメラマン、のちにマグナム・フォトに参加するジョージ・ロジャー氏が談笑するスナップでは、
ジョージ・ロジャー氏はローライフレックスと、ライカVaを同時に下げています。
ローライフレックスの中判カメラ「6008」は、
「スペース・ニコン」ニコンF3と同時に、NASAに採用され、スペースシャトル・ミッションに参加しております。
755 :
前スレ86 :2005/11/13(日) 18:20:49 ID:???
>>749 いえいえ、こちらこそ、恐縮です。
なかなか面白い「探検」でした。
報道の現場というとニコンかキヤノン、が、たちどころに思い浮かぶのですが、
現場にコンタックスをお持ちになったプロの方もおられたのですか。
たしかにおっしゃる通り、紙面に「ツァイスならではの写り」が反映されるとは思えないのですが(笑
「撮るライカ」の、神立直紀氏が報道現場にライカを持ち込んだ話を連想しました。
「へそまがり写真術」柳沢保正、ちくま新書、には、
柳沢氏がモンスーン最中のヒマラヤ取材にコンタックス139と137MDを持参、
毎日のように濡れたが大丈夫だった、と、一部の人に話したところ、
「その話をして下さい」とヤシカに言われた、というくだりがあります。
実は取材が終わったところで139はシャッタースピードがめちゃめちゃになり、
137MDも帰国してからストロボのつながりがおかしくなってしまい、
電気系統に水だからどんなカメラでももつまい、むしろよくもった・・・状況だったそうです。
当時のコンタックスの評価は、
レンズは確かに素晴らしいが、ボディはどうか、
報道の現場みたいな荒っぽい使い方には耐えまい、というのが一般的だったそうで、
コンタックスをそんなに荒っぽく使うひとが他にいなかった・・・そうですから、
ここから先は私の私見ですが、ヤシカとしてもプロ・ユースに耐えた話をアピールしたかったのだと思います。
電気系に水が入れば、それがニコンF3でもキヤノンnewF−1でもアウトでしょう。
(F3やnewF−1の場合は、それなりの防滴処理がしてあるにせよ・・・)
西ドイツ国防軍全軍でコンタックスRTSは、4本の交換レンズとともにアルミトランクに収められ、
使われたといいますから、
柳沢氏のいう「殿様カメラ」とばかりは言えなかったと思うのですが・・・。
756 :
前スレ86 :2005/11/13(日) 18:26:20 ID:???
>>751 ローライフレックスはいまだ、現行機種として作られております。
むろん、露出計には現在の技術で改良が加えられていますが・・・。
国産メーカーの最後の2眼レフは「マミヤC330」だったかと覚えております。
757 :
前スレ86 :2005/11/13(日) 18:31:05 ID:???
>>752 国産カメラコレクターの中には「国産2眼レフの全メーカー製品をコレクションする!」と意気込み、
しかしながらいわゆる「戦後の四畳半メーカー」まで含めると膨大な数になるため、
いまだコンプリートできない方もおられるそうで・・・と、いうか、無理でしょう・・・。
758 :
495 :2005/11/13(日) 20:36:12 ID:???
旭光学と言うと、ミノルタフレックスとか同オートマットに付いていた 4枚玉プロマーの製造元でしたっけか。 戦前の国産機は、金属の質が、もう何と言うか脆いと言うか柔らかいと言うか かなりショボイので、同時期のドイツ製をばらした後に触ると一層悲しくなります(;´д`) 当方眼鏡を掛けているので、近頃はもっぱらファインダーの見易い ローライ二眼のスタンダードか一型コードしか使っておりませぬ。 しかしブローニーのモノクロフィルム、片っ端から値上がりしていますなぁ・・・orz
759 :
613 :2005/11/13(日) 20:48:16 ID:???
検索してみるとプロマーは確かにぺンタックス(ってそのころはまだペンタックスの名前じゃ 無かったw)ですね。当時はレンズメーカーだったし。 オレも眼鏡人間だけどメインのカメラがKissDなんでメッチャつらいっス。 たまにMF一眼のファインダーを覗くと感動します。
>>758 最近買ってないから気がつかなかったけどマジですか・・・
ポラロイドのフイルムも入手困難になりつつあるって聞いて凹んでたとこにダブルパンチだわさ。
チェキはだいじょうぶだろうか。 時々使うプリンタ内蔵デジカメもってるもんで。
762 :
613 :2005/11/14(月) 22:25:48 ID:???
富士は大丈夫だろう と、信じたい。
>>758 戦前国産機は確かに悲しくなってきますな
工作制度がヤスリ跡の残る手作り板金細工並なのは致し方ないにしても
確かに金属が軟くて、ドライバーの当たりも頼りない感じが・・・
ローライフレックスオートマットのゴミ状態のも持っていますが(アルプス堂で1万5千円でした)
こちらはさすがというか何と言うか
どういう使い方したのか、裏蓋がボコボコに変形しピントフードもあちこち凹み
塗装やメッキはハゲちょろけなんて最低の状態のシロモノだけれども
機構は未だすべてカッチリきちんと動作して、裏蓋の叩き直しと再塗装だけで済みました
764 :
前スレ86 :2005/11/15(火) 18:19:37 ID:???
>>758 「カンノンカメラ」キヤノンの元祖のレンジファインダー機が試作された折、
ベベルギヤを使う初期の設計に、設計は正しくとも加工精度が追いつかず、
結局は設計を変更しないとものにならなかった、という話を思い出しました。
加工精度もさることながら、材質そのものにも問題があったのでは、と・・・。
戦後は、ある修理業者さんをして「ニコンFはモノが違いますよ、オーバーホールすれば一生モノです」と、
呼ばしめる材質にまで向上した国産カメラも、
戦前のものはそのような材質だったのですか。
実際に分解整備をやっておられる方からの貴重なお話、ありがとうございます。
私はメカにはさっぱり弱く、分解組立てもできないものですから、
メカはもっぱらムック本やノウハウ本、
例えば最近では「ジャンクカメラの分解と組立てに挑戦!」技術評論社、などでネタを仕入れ、
修理業者さんでお聞かせ頂いたお話も加えて、シッタカを開陳している有様です・・・。
765 :
前スレ86 :2005/11/15(火) 18:40:01 ID:???
>>759 私は逆に、普段がMF1眼のF−1だのF3だののファインダーをのぞいていて、
店頭デモ機や仲間の愛機でデジタル1眼に触れておりますが、
正直、デジ1眼のファインダーは、もう少し何とかならないものかと思ってしまいます。
ライカ好きの方がよく言うのが「50年前のバルナック・ライカにすでに視度補正メカがあった!」
たしかに手元のVfの、視度補正レバーでやってみておおっ!と思いますし、
最近ではニコンF6に搭載されている視度補正ダイヤルに感心していますが、
大多数のカメラでは視度補正レンズをつけては外し・・・なんですよね。
いまのところの私の視力では眼鏡を使わずに済んでいるのですが、
そろそろ視力が低下し始めてもまったくおかしくない年齢で、
いざというときに、ただでさえ古い機種を使っています、視度補正レンズが手に入らなかったら困るな、と・・・。
キヤノンさん、F−1やAシリーズ用の視度補正レンズを、限定生産でいいですから作ってもらえないでしょうか?
中古で探せば?と言われればそれまでではありますが、
「あのころのカメラ小僧たちも今は中年」ぜったいにニーズがあると思うんです・・・。
母親のために買ったペンタックスのズームコンパクト(24〜105)のファインダーに視度調節機構がついていたのですが めがねがなくても見やすくなるので感心してました。
767 :
前スレ86 :2005/11/15(火) 18:57:44 ID:???
>>760 私の住んでいる地方の「カメラのキxムラ」で、
コダックの新製品「ポートラ800」の入荷予定を聞いたところ、
「入荷予定はありません」までは仕方ないとして「取り寄せもできません」。
新製品の35mmフィルムでこれか、銀塩衰退とはいえ・・・と、落胆したことがあります。
地方=流通ルートの末端ではこれからさらに、銀塩フィルムの入手に苦戦を強いられることになるのでしょうか・・・。
そういや、ニコンFの視度調節レンズはサービスセンターで ニコンFG20の視度調節レンズはヨドバシだかビックカメラだかで 最近買えました。最近のモデル用のが流用できるんです。 Fはボディの同じ初代のファインダーだったらだめだったんでしょうが 20年前に新品に換えたのでノーマルF2/F3用と同じだったようです。
769 :
前スレ86 :2005/11/15(火) 19:03:53 ID:???
>>763 「アルプス堂」さんではつい先日の出張の折、ローライコードのジャンク、9000円ナリを目撃しました。
レンズがカビの培養シャーレと化してはいましたが・・・。
770 :
前スレ86 :2005/11/15(火) 19:19:07 ID:???
>>766 親切な作りですね。
ユーザーに高齢者の方も多いと思われるコンパクトカメラには、もっとついていてよいと思います。
双眼鏡や、ライフル・スコープには必ずと言っていいほど、視度補正がついています。
私もサバイバル・ゲーム用に、高価なスコープを奮発したことがありますが、
視度補正に加えて距離補正(サバイバル・ゲームの射程距離では、実銃の「最近接」距離ですが・・・)、
そこから着弾修正・・・と、
ゼロインも楽しみのうちとはいえ、命中弾を得られるまでちと苦戦したものです。
771 :
前スレ86 :2005/11/15(火) 19:25:30 ID:???
>>768 ニコンはそのあたりが親切ですね。
何の苦もなく、F2、F3のアイピースリングを今でも入手できます。
キヤノンF−1、newF−1の場合、サービスセンターで入手はできますが、
おいそれとそこらのカメラ屋さんに置いてある、というわけにはいかず、
スペアを買っておいた他、
リングのフチゴムをF3のものと取り替え、外れにくくしています。
772 :
前スレ86 :2005/11/15(火) 19:35:07 ID:???
軍事ネタに話を戻しますと、 キヤノンnewF−1の米軍制式モデルが載っている資料を入手しました。 制式名称を「KS−151A」といい、 newF−1本体とnewFD交換レンズ3本、テレ・コンバーターがセットになっています。 旧F−1、KS−99Cの頃から、ライカM4ことKE−7Aのような、 構造図が記載されたマニュアルがなくなっている他、 「敵に捕獲されそうになったら、あらゆる手段を用いて壊せ」なる記述がなくなっています。 分解整備が米軍それ自体の手には負えなくなったと同時に、 別段、カメラを使えなくするぐらいなら武器や爆薬を用いなくても、と、米軍が判断したのでしょうか。
製品のデジタル化が進んで業界の参入障壁が低くなったものの一つが カメラですが今の軍用カメラはどこが主力なんでしょうね。 ただしさすがにレンズは他から供給してもらうのがほとんどのようですが。 携帯電話用のカメラのレンズももとをたどればひとつかふたつ。 カメラ用の撮像素子ももとをたどればほんと供給先は少数。
機械部分が減ったことで参入障壁が低くなって激戦と言えば プロ用(テレビ局など)のビデオカメラと編集システム。 以前はソニーの牙城でしたがパナソニックがデジタルによる 低価格で襲いかかっています。記録媒体をメモリーカードにすることで カメラから機械部分を大幅に減らして低価格かつ小型軽量化。 編集システムも機械部分を減らすことで低価格かつ小型軽量化。
775 :
前スレ86 :2005/11/17(木) 20:02:55 ID:???
コダックの今のデジタル一眼レフのボディの基本はキヤノンでしたっけ。
デジタルデジタルと言っても レンズとか表示装置とかスピーカとかマイクとかのあたりは 老舗と後発とでは大きな差が出ますよね。 軍用だとまともなヘッドアップディスプレイを作れるところは 世界でもほんの数社だったか一社だったか。 デジタル化が進む航空機の計器用デジタル表示装置(ブラウン管)は ソニーが非常に強かったかな。 ハンドルとかシャッターボタンとか操縦桿とかも使い心地が重要な気がする。
778 :
前スレ86 :2005/11/17(木) 20:26:38 ID:???
>>774 古い話ですが「ミリテクパワー」朝日新聞経済部、1989年、から引用しますと、
1988年に三菱電機が売り出した、赤外線映像センサーを使った撮影装置、
当時2000万円もしたものは、
日本国内では政府機関や大企業など「社会的信用の高い」クライアントに売られ、
政府機関では密輸船の監視、夜間のヘリコプター運航、要人警護などの目的で100セットが納入されたのですが、
これに着目したアメリカの政府機関から1万台のオファーがありました。
しかし、民生用として実績がないハイテクのため、通産省(当時)は武器輸出三原則に抵触するとして輸出を認めず、
やむなく三菱電機は、カメラに映像装置をつけた民生用の機器として売り出したといいます。
COTS、こと、民生品の軍用転用が積極的に行われる「前夜」の話で、
いまや民生ハイテク品の小型軽量化、低価格化のスピードは、軍用品をはるかにしのいでいます。
月刊「世界の艦船」に写真が取り上げられていましたが、
米海軍「ブルーリッジ」の、改装後のCICが、もとは民生用のヒューレット・パッカードのPCで埋め尽くされ、
改装前よりはるかに高機能で洗練されたCICになるなど、
十数年前には誰が予想できたでしょうか・・・。
「軍需品として開発されたカメラより、商品として作られたカメラの方がはるかに高性能」なのは、
それより前、世界に先駆けて4000/1秒を切れるようになったニコンFM2に例があるのですが。
779 :
前スレ86 :2005/11/17(木) 20:31:06 ID:???
>>776 ニコンのAF銀塩機に、のちにいう「デジタルバック」のようなものを搭載したものが、
最初だったと覚えております。
米陸軍が導入したのも、その種の機種でした。
780 :
前スレ86 :2005/11/17(木) 20:54:05 ID:???
>>777 非常に極端な話ではありますが、ライカR9用のデジタルバックや、
ただ今開発が進行中とやらの「M型デジタルライカ」の話を聞く限り、
デジタルになっても「官能」を無視できないマーケットがあるように思えます。
クルマで言えば「速度感応型パワーステアリング」のように、
官能と機能を結びつけたものもありますし。
初期のスホーイSU27戦闘機が「プガチョフ・コブラ」を実施する際に、
オートパイロットの姿勢制御を解除し、一時的にマニュアルで飛ぶ必要があったそうで、
これはのちにはオートパイロットの機能域内に組み入れられるように改良されたにせよ、
カメラに例えるとAEの露出補正かマニュアル露出、AFのMFモードを思わせます。
すこぶる優れたシステムであっても、時と場合により、人間の能力でオーバーライドする必要がある、ということでしょうか。
絞り環のないキッスライトはどうもしっくりこない。
782 :
613 :2005/11/17(木) 22:21:31 ID:???
EOSシリーズは全部無し。 αも無いなあ。
やんごとなき方の結婚式の当日 すごい機材をかかえたおばちゃんカメラマン 集団であちこちの出現だったらしい。
観艦式ではすごい機材の女性アマチュアカメラマンの集団というのは 見たことないけど。
785 :
613 :2005/11/17(木) 23:29:30 ID:???
すごい機材というと、やっぱりばけぺんあたりを構えてたりするんだろうか。
週刊誌のグラビアページネタです。 さすがブローニーではなく35ミリのように見えた。 でも一眼レフに300ミリとか400ミリとかはついていたようだ。 一眼レフもストロボは非内蔵のように見えた。
787 :
前スレ86 :2005/11/19(土) 01:42:07 ID:???
>>783 「すごい機材」で、たちどころにニコンでいえばF3Hだの、
キヤノンで言えばF−1、newF−1の高速モータードライブ機だののマシーンが、
頭に浮かぶ私はアナクロ+ビョーキなのでしょうか。
旧F−1の高速モータードライブ機、当時ひゃくまんえんの機体を使わせてもらったことがありますが、
ヒューン、シャシャシャ・・・という、独特の作動音にびっくりし、
半透過ミラーから来る、ファインダーの暗さ(=望遠レンズの使いにくさ)には萎えたことがあります。
788 :
前スレ86 :2005/11/19(土) 01:52:21 ID:???
>>784 神立直紀氏が観艦式の取材をライカM4、M5でこなしていたというのは、
ある意味「すごい機材」ではあるのですが・・・。
いや、自衛隊広報行事では、プロでもそんなすごい機材は持っていないだろうと思われる、
ご同輩ながら感心の一語に尽きる方もおられます。
789 :
前スレ86 :2005/11/19(土) 02:14:37 ID:???
>>785 いや、いっそスピグラ+フラッシュガンで・・・冗談はさておき。
聞いた話ですが、軍装品マニアの、ベトナム戦争当時を再現するイベント、
「アホカリプス・ナウ」では、従軍取材!?のカメラマンも、当時の従軍カメラマンの服装に身を固め、
ベトナム戦争当時に市販されていたカメラを使うこと、という条件があり、
ニコンFやニコマートFTnを使って、撮影しておられたとか。
この話を聞いたとき、ライカM3かM2を使って沢田教一氏になり切り、
「ライカでグッドバイ」を再現する猛者はおられないものか、と思った私は不謹慎・・・。
790 :
前スレ86 :2005/11/19(土) 02:24:54 ID:???
>>786 「やんごとなきダンナさま」が、奥様にご趣味のクラシックカメラを見せておられる様子が、
NHKでも報道されていましたが、
あの機種が気にかかった、と同時に、
「ニコン」「キヤノン」「ライカ」「コダック」などなど、現存するメーカーの、誰でもわかる機種を避けておられたあたり、
さすがに気をつかっておられる、と、私などは考えたものです。
朝の連続ドラマでさえ、カメラが登場するシーンではメーカー名を消してありましたから・・・。
じゃあヤシカやトプコンやコニカはありだろうか。 ニコマートもいまはないしありかな。
>>790 新居が1LDKと聞いたので、クラカメ趣味を維持するには如何にも手狭。
「旦那のムダ遣い一掃セール」と銘打たれてヤフオクに流れるのを、今か今かと
心待ちにしている人でなしがここに居ります。
(カメラ板のオークションウォッチスレが正しい投稿先かな?)
793 :
前スレ86 :2005/11/19(土) 18:24:38 ID:???
>>791 「よほどのマニアでないと知らない」ような機種だったと記憶しております。
カメラ板には書き込みがあることかと思いますが・・・。
794 :
前スレ86 :2005/11/19(土) 18:32:32 ID:???
>>792 獲物の船団を発見するとたちどころに寄ってたかって、
・・・かのUボート「狼群戦法」もかくやの状況が予想されましょうか!?
「小西本店の上得意であった徳川慶喜」以降、やんごとなきお方には写真が趣味の方も多いようで、
これは聞いた話ですが東京・銀座の某高級中古カメラ屋さんに、
秋篠宮さまが来られたときには、店の内外をSPが固めた上であったとか・・・。
>>794 実家に秘蔵すると思いますけど
それからUボートと狼群戦法とゆうのもいかがなものかと・・・
仮住まいでのマンションはそのままだそうなので空振りの確率高し。 本当に住むマンションはおかあさんともすむそうなので そこそこ広いところになるのでは。 週刊誌情報ですが。
797 :
前スレ86 :2005/11/19(土) 21:28:46 ID:???
>>795 例えが悪かったですね、陳謝致します。
おっしゃる通り、ご実家で保存されることかと思います。
798 :
前スレ86 :2005/11/19(土) 21:41:09 ID:???
>>796 「どうしてもお手元に置きたい、特に愛着のあるカメラ」は、
お手元におかれるのかも知れませんね。
東京都内、両国で写真館を開いたご一家の「昭和史」をつづった、
「工藤写真館の昭和」工藤美代子、講談社文庫、を入手、思わず引き込まれて一気に読み終えました。
写真館を開く前の大正時代は陸軍航空隊の専属カメラマンであった工藤写真館の創始者、工藤哲朗氏が撮影した、
陸軍航空隊の教官として来日したフランス人将校や、
下志津航空隊ご行幸の折の裕仁殿下といった貴重な写真も収録されている他、
ライカを入手した工藤氏が、2・26事件の撮影を試みた話、
両国という場所柄、力士の方たちとの写真を通じた交流などなど、
「写真を通じて見た東京の昭和史」を、楽しむことができました。
入居予定のマンションが建設中なので今は仮住まいなのだそうだ。
800 :
前スレ86 :2005/11/20(日) 20:49:42 ID:???
>>799 新居にはやはり「暗室」を作られるのでしょうか!?
昔取ったナントヤラでもう一度モノクロDPEを始めようかなと思いつつ、
暗室をどこにするかで挫折しかかりの私としましては・・・。
801 :
前スレ86 :2005/11/20(日) 21:19:08 ID:???
先月の「日本カメラ」に、北ベトナムの戦場記者、ドアン・コン・ティン氏が撮影、 相模原市総合写真祭「フォトシティさがみはら2005」でさがみはら写真アジア賞を受賞した、 ベトナム戦争時の写真が掲載されておりました。 圧巻は「Dau mau基地への急襲」と題する写真で、 Quang Triで1972年3月に撮影されたものといいますから、 年表をひもといてみますと3月30日、クアンチで北ベトナム軍が春季大攻勢に入ったときのものと思われます。 敵陣地を占領した兵士が高々と北ベトナム国旗を振り上げ、 その傍らではAK47で武装した兵士が援護に飛び出し、 デグチャロフ軽機関銃を構えた兵士が、同じく援護についています。 手前には戦死した、おそらくは南ベトナム軍の兵士の遺体とM2ヘルメット、 放棄された無反動砲・・・。 個人的に、あくまで私の文責で以って申し上げれば、 「ベルリン陥落の折、ブランデンブルグ門の上で赤旗を掲げるソ連軍兵士」や、 「硫黄島・擂鉢山の頂上に星条旗を押し立てる米海兵隊員」の写真のように、 激戦のさなかそのものではなく「やり直し」の可能性もなしとはしないように思えますが・・・。 しかしながら、ドアン・コン・ティン氏の寄稿文にある、 「新聞に写真を掲載するには、ハノイまで600キロもの長距離を3日以内で移動しなければならなかった」ような、 大変という言葉では語り尽くせない従軍のご苦労そのものは、察するに余りあります。 撮影済みのフィルムを運び、ハノイで現像したのでしょうか、 それとも「レクイエム」に記述があるように、野戦DPEを行ったのでしょうか。
週刊誌ネタ。護衛はつくんだって。 皇宮警察ではなく警視庁のSPがつくらしい。 二人の写真を撮ってくださいと記念撮影とか頼めるのだろうか。
音楽まつりいってきました。 会場で流れるビデオ映像はPR会社制作かと思っていたら 写真中隊制作と最後に出てました。 写真中隊って本来は陸自でしたっけ。海自や空自の映像にも テロップが出ていたような気がした。
>>802 >記念撮影とか頼めるのだろうか
頼めると思いますけどね
見世物じゃないつうことだけわ・・・・・
それからSPのほかにも付くはずですから下手なことすりゃリストにのりますよ。
いや、その護衛されている方々が護衛に記念撮影を頼めるのだろうかと。
806 :
前スレ86 :2005/11/23(水) 18:23:56 ID:???
>>803 「陸上自衛隊第301写真中隊」のことかと思います。
陸上自衛隊のみならず、3自衛隊にまたがる公式記録映像や広報作品も手がけており、
民間のちょっとしたプロダクション顔負けに、機材も充実しているそうで、
除隊後はプロカメラマンに転身された隊員の方もおられるそうです。
そのせいか「自衛隊遊モア辞典」にも、取り上げられておりましたっけ・・・。
この他、陸上自衛隊では方面通信群に「映像写真中隊」がありますが、
これはやや、性格が異なるようです。
807 :
前スレ86 :2005/11/23(水) 18:33:31 ID:???
>>805 護衛のSPや制服警察官にカメラを渡して「一枚お願いします」ということであれば、
これは想像の域を出ませんが、いやという警察官はいない(言えない)と思います。
ただ、公式記録を撮るカメラマンや報道陣がいることでもありますし、
どうしても、であれば、侍従に頼む方が先かと想像します。
808 :
前スレ86 :2005/11/23(水) 20:16:17 ID:???
私は以前、JR某駅ビル内の職場に勤務していたことがありますが、 その折、両陛下ご行幸の際に某駅でお召列車を下車されるご予定があり、 警備の模様も見たことがあります。 2日前ぐらいから、駅ビル内の点検が始まり、 マンホールのフタなどは点検が終わったあと、封印がされました。 仕事のスケジュールなどに変化はありませんでしたが、 当日はビル内の要所にSPが配置され、間近に「SPバッジ」を見ることができました。 「エンジのネクタイ」ではなかったと記憶しています。 実は仕事をチョイと抜けて、両陛下の写真が撮れたらな、と、カメラも用意していたのですが、 警備や報道陣もさることながら、両陛下をひと目見ようと集まった方々の人、人、また人。 もの凄い人垣が出来上がり、とてもではありませんが入っていけませんでした。 ただ呆然と、人垣の後ろから見ているばかり。 それでもチラリと、お車に乗られた皇后陛下のお姿を見ることはできましたが、 写真を撮るどころではありませんでした。
今回は皇籍離脱となるので侍従はいないんだそうです。
そういえば封印付のマンホールは伊豆の駅前のあたりでみたことあるなあ。
>>805 >>807 世間の目がありますから、おそらくやらないでしょう
それに黒田さんが愛機を他人に委ねて撮影を頼むのも考え難いし・・・
>両陛下の写真
昔、撮影したことあるけどネガが行方不明だわさ。
812 :
前スレ86 :2005/11/26(土) 20:26:50 ID:???
>>811 それでもお撮りになったことがあるとはうらやましいです。
戦前は、陛下の写真を公式に撮影するのは「謹寫」といって、
モーニングに威儀を正して撮影するのが決まり、
それとても観兵式やご行幸の折に限られ、
宮中恒例行事の写真は「貸し下げ」といって、宮内省(当時)が撮影したものを複写したそうです。
・・・ところが昭和18年「貸し下げ」の折、東京新聞の駆け出し写真部員が、
キャビネ判の暗箱カメラで複写しようとして、
なにせピントグラスには像がさかさまに写る暗箱カメラです、
ピントを合わせやすくしようとして「御真影」をさかさまにしたところ、
「御真影をさかさまにするとは何事か!」と、宮内省の事務官に見とがめられ、
編集局長に「不届きである」との文句。
さんざ宮内省から絞られ、嫌味を言われ・・・の、ひと騒動があったとか。
当時のプレス・カメラはアンゴーかパルモス、キャビネ判のガラス乾板かカットフィルムを使うカメラで、
手元の資料で見る限り、相当に大きなものだったようで。
813 :
前スレ86 :2005/11/26(土) 20:45:13 ID:???
>>810 レス前後して申し訳ありません。
やはりマンホールの点検も、爆弾テロを企む不逞の輩を警戒してのことでしょう。
とりわけ9・11以降は、
米軍基地の周囲での撮影も厳しくなるなど、世情を反映した様相となっているようです。
もう十数年前の話になりますが、航空自衛隊某基地では、
基地内側、フェンスすれすれのところの道が隊員の方々のジョギング・コースにあたっており、
超望遠レンズを構えた、フェンスの外に陣取るマニアの方々と、
「今日は飛ぶよ〜」「ありがとう〜」なる会話がフェンス越しに交わされていたものです。
外国軍隊の基地では考えられないのどかさだ、と、当時から言われていたものですが、
今はどうなのでしょうか・・・。
今年の音楽まつりは入り口で空港並みに手荷物検査と金属探知機でした。おかげで入場に時間がかかるかかる。 観艦式は昔からそうだったと思いましたが施設外での行事もそうなってしまったか。 そういや日本シリーズとかでも入場者の手荷物検査などがあったんでしたっけ。 ウィーンの国連施設を見学したことがありますが内部はオーストリア国外の扱いなので やっぱりX線透視装置の手荷物検査と身体検査が入り口でありました。
当然出国扱いなのでパスポートの提示も必要。
816 :
前スレ86 :2005/11/26(土) 23:03:51 ID:9PaOHOWJ
>>814 国連施設といえば、東京・国連大学の「UNギャラリー」でも、
見学にはハンディ型金属探知機によるボディチェックが必要ですね。
ウィーンの国連施設をご見学なさったとは、うらやましい限りです。
私も昔、ニューヨークの国連本部売店で「国連旗」をお土産に買ったことがあります。
海上自衛隊艦艇の一般公開や体験航海では、手荷物検査や金属探知機によるチェックが当り前になりつつあります。
順番を待っておられる方に、できるだけご迷惑をかけないよう、
カメラバッグは開け放ち、チェックもすすんで受けるよう、心がけております。
>>814 モーターショー、米軍のオープンハウスは手荷物検査がありますたよ
最近はアルミのでっかいカメラケースを持ち歩くアマチュアカメラマンが減ったような気がする。 ズームが普及したせいだろうか。
硬度×重量×歩行速度が、人の集る場所では凶器になるから。
持ち歩くのも不便だし・・・ ただひとつの利点は簡易脚立になるぐらいかな?
とにかく、街中では目立ちすぎる。 知らない間に服が擦り切れるし・・・ 椅子代わりにもなるけどね。
カメラバックは選ぶのが大変・・・
実はカメラ専用バッグ持ってません。
824 :
前スレ86 :2005/11/27(日) 20:59:49 ID:???
>>818 と、いうより、
>>819 さんのおっしゃるように、
混みあう中で金属製の、角の立った「銀バコ」を持ち歩くと、人様にご迷惑をかける可能性があるからでしょう。
私も自衛隊広報行事で人様にぶつけてしまい、平謝りに謝ってお許し頂いてからというもの、
「銀バコ」をほとんど使わなくなりました。
使う立場からだけ言えば、重くて融通が利かないというのもありますし・・・。
825 :
613 :2005/11/27(日) 21:04:03 ID:???
航空祭でまだ使ってる人は見かけるけどね・・・。規制して欲しい。
826 :
前スレ86 :2005/11/27(日) 21:10:27 ID:???
>>820 あと「銀バコ」の利点は「携帯用簡易機材ロッカー」になることぐらいでしょうか。
野外ライブの撮影のときの楽屋テント「下手なところに機材を置くと、蹴飛ばされても文句は言えない」ときには、
それなりに重宝していたものですが・・・。
827 :
前スレ86 :2005/11/27(日) 21:20:06 ID:???
>>821 「銀バコ」ならぬ、ニコンの「黄バコ」を見れば、すわ何事?と思われる方もおられるでしょうね。
828 :
前スレ86 :2005/11/27(日) 21:26:49 ID:???
>>822 おっしゃる通りかと。
私の場合、自衛隊広報行事にはカメラザックで機材を持参、
(いささか古くなったので買い替えを考えております)、
300mmが必要でないときにはロゥプロの中ぐらいの大きさのショルダーバッグ、
「お散歩」程度であればF64の小ぶりのショルダーバッグを使っています・・・が、
なかなか「これだ!」というものに当たりません。
ビリンガムのように「そもそも高くて買えない」バッグもありますし・・・。
829 :
前スレ86 :2005/11/27(日) 21:35:03 ID:???
>>823 私も仕事がらみのときや、「えーい、面倒だ!」と思ったときには、
キルティングポーチでくるんだカメラを普通のカバンに押し込んだりしています。
「カメラのケースですか?衝撃が防げるものなら何だっていいのですよ」と、
ライカ・マイスター氏もおっしゃっておられました・・・。
830 :
前スレ86 :2005/11/27(日) 21:45:05 ID:???
>>825 これは私も全く同感です。
大きくて高価な機材を持っていたからとて「特権」があるわけではないでしょうに、
自衛隊広報行事で傍若無人な輩が横行するのは、やり切れない思いがします。
甥の結婚式のスナッププロカメラマン 大きなウエストポーチから交換レンズが出てきました。 むろんカメラマンベスト着用でポケットに備品満載。
832 :
前スレ86 :2005/11/28(月) 19:43:27 ID:???
>>831 私も友人の結婚式にて、大きなウエストポーチを使っておられる、
プロカメラマンの方を見たことがあります。
結婚式場のこと、礼服を着た上に着けておられたのですが、
あれはよいアイデアかと思いました。
(サバイバルゲーマーでもある私、「ダンプポーチ」というサバゲ用語が浮かぶのですが・・・)
報道カメラマンの「制服」の観がある「カメラマンベスト」にそっくりで、
実はM16の弾倉やベレッタM9自動拳銃を隠し持てるように工夫されている、
カメラマンに変装した特殊部隊員用に作られたのが「ロイヤル・ロビンス」のベストですが、
従来からあるカメラマンベストに満足できないアマチュアカメラマンの中には、
ロイヤル・ロビンスを着ているひともいるとかで(私の友人にもおります)、
「カメラマンに変装するためのベストがカメラマンに使われている」ことに相成っております。
昨日の日経新聞にあるプロカメラマンが自分の子供の頃からのカメラ遍歴を コラムで書いていたけどはじめは小学生の時のトイカメラ。一光社のSTART35だそうです。 ボルタ判なんてのがあったんですね。 いまだと写ルンですとかがあるからトイカメラも出番がなさそうですが。 ちなみに自分は自分のものではありませんでしたが 親のコニカ3型(?)、ニコンFが子供の時のカメラでしたので トイカメラの経験はありませんねえ。コダックの110判とか ペンとかも経験なし。そういや子供の頃 偉くちっちゃいフィルムの豆カメラがあったような気がするが あれはなんだったんだろう。 裏紙が付いてブローニーのようだがカートリッジは110判みたいなの。
> 偉くちっちゃいフィルムの豆カメラ ミゼット版かな。 子供の頃、うちにも豆カメラあったなあ。(叔母が懸賞で当てたもの)
835 :
前スレ86 :2005/12/01(木) 21:32:42 ID:???
>>833 東京都写真美術館の売店でも売っている「ホルガ」や、
以前の大阪大丸「中古カメラフェア」で売っていた中国製のトイカメラ、
1台500円、3台まとめて買えば1000円・・・などなど、
トイカメラにも面白そうなものがたくさんあるようです。
ニコンが出していた「おもしろレンズ工房」も、広義にはトイカメラの範疇かも知れません。
小さな頃に買ってもらったトイカメラや、もう少し上の簡便なカメラが、
のちに写真技術をマスターするのに大いに役立った、という話は、
数多くのカメラマンもさることながら、イスラエル情報機関・モサドのスーパースパイ、エリ・コーエンや、
意外なところではチェ・ゲバラの伝記にも記述があります。
ゲバラはのち、写真で生計を立てていた時代もあり、
機種がわからないのですが、少なくとも200mm以上と思われる望遠レンズつき1眼レフを操る写真が残っており、
なかなかの腕前であったことを思わせます。
836 :
前スレ86 :2005/12/01(木) 22:52:59 ID:???
>>834 おぼろげな記憶でしかないのですが、わが家にも豆カメラがあったのを覚えています。
フィルム装填が子供にはえらく面倒で、親父どのにやってもらったことと、
裏ブタに撮影枚数の読める窓が開いていました。
戦後のフィルム欠乏と、進駐軍の将兵のお土産向けの、ふたつの事情から広まったのが豆カメラでした。
小西六社史「写真とともに百年」の記述から引用しますと、
昭和24年ごろ、市場に流通する14ミリ、16ミリフィルムのカメラを数えてみたところ、
マイクロ、ミゼット、ガンマー、マイティー、ベスター、ルビックス、メテオール、ステキー、
ヒット、スター、バイオレット、ニッコー、サンB、サン16、キューピット、ロケット、
ピース、ピースレフ、タッカー、ボビー、マミヤ16、ペタル・・・などなど、22銘柄に達し、
このほかも含めると大体、30銘柄ぐらいが出回っていたそうです。
当の小西六も「スナッピー」を昭和25年に発売したのですが、
B、1/25、1/50、1/100の切れるフォーカルプレーンシャッターに、
スクリューマウントで交換できる望遠レンズまで用意された、なかなかの秀作でした。
・・・このほかにも「オキュパイド・ジャパン」の製造国刻印が打たれた、
当時の豆カメラには、機構的に「熱のこもった」製品も少なくありません。
本格的なカメラや、フィルム・感光材料が安定して供給されるようになると、
豆カメラも下火になってゆくのですが、
戦後の復興期に一定の役割を果たしたことだけは、間違いないと思います。
さいきんみかけないこどものおもちゃといえば 銀玉鉄砲どこいったんだろ。 まさかみんなエアガン?
確か5,6年前に子供に買ってやった記憶があります。 上部のスライドカバーを開いて、弾をジャラジャラ入れて、 トリガーを引くと、バチンバチンとバネの力で飛んでいくやつです。 ただ、一緒に売ってた弾は昔ながらの銀玉ではなく、オレンジ色の プラ玉(多分エアガン用の軽いヤツ)でした。 一応まだあるみたいですね。
839 :
前スレ86 :2005/12/05(月) 23:20:24 ID:???
>>837 おそらくはMGCのモデルガンあたりを参考にしたものと思いますが、
銀玉鉄砲にも「ワルサーPPK」を、わりあいと正しいプロポーションで作ったものがありました。
マジメに作りこんだオモチャは、大人になってからも思い出してニヤリとできます。
840 :
前スレ86 :2005/12/05(月) 23:31:24 ID:???
>>838 引き金を引く力で「ストライカー」を後退させ、
後退し切ったところで、引き金とのかみ合わせが外れてパチン・・・の、
銀玉鉄砲の「撃発メカ?」を、ちょいとひねったものが、
HK・VP70、実銃の撃発機構にある、と聞いたことがあります。
「自重落下式」こと、口の悪いサバイバル・ゲーマーに言わせると「ジャラジャラ式」、
ジャラジャラと銃上部の弾倉にBB弾を流し込み、
BB弾それ自体の重さで給弾・・・は、一昔前のコッキングエアガンで流行ったもので、
私などは「KG9改」や「LSトンプソンのキット」を思い出します。
あの銀玉ってどうやってつくってんでしょ。 プラの玉にアルミメッキかしら。 そういや空気銃の鼓弾てなくなったのかな。
粘土にアルミ粉末を塗りつけただけの代物
843 :
前スレ86 :2005/12/06(火) 23:59:46 ID:???
>>841 「固めた土」というか、漆喰のような材質だったと記憶しております。
また、実銃の空気銃では「鼓弾」が当たり前ですが、
これはトイガンとは比べ物にならない、高い初速で撃ち出すためと、
「鼓」の「ハカマ」がライフリングに食い込み、
装薬銃と同じく、弾に回転を与えて弾道を安定させるためで、
トイガンのプラスチック製「鼓弾」では「ハカマ」にも、エアのパッキンの役目ぐらいしかなく、
実銃の空気銃と比べると「撃ち出す」というより「吹き出す」トイガンでは、
球形をしたBB弾の方が弾道が安定することになります。
MGCの「サイクロン・バレル」のように、
トイガンでも銃身内部に直線的なライフリング?を入れ、
発射時にエアの流れでBB弾が銃身内部に当たらないように工夫し、
弾道を安定させたものもありましたっけ。
有名な標的射撃用のエアライフル・メーカーにドイツ製「アンシュッツ」がありますが、
カメラのフォーカルプレーン・シャッターを発明したのもドイツのオトマール・アンシュッツ氏で、
戦前の日本でプレスカメラに多用された「アンゴー」も、
正しくはゲルツ・アンシュッツ・アンゴーです。
フォーカルプレーン・シャッターの発明者とエアライフル・メーカーの間に、
何らかのつながりはあるのでしょうか?
そういえば、カロワイドやコーワSWを作っていた興和株式会社も、スポッティングスコープでは 世界的メーカーですね。
なにゆえおくすりやさんが望遠鏡を。 そういやおかしのういろうやさんの元祖はおくすりやさんでもあったなあ。 というやういろうというおくすりをつくっていたところがのちのちつくったおかしがういろう。 小田原にあります。ういろうは名古屋発祥ではないのです。 箱根よりこっちだい。
846 :
前スレ86 :2005/12/07(水) 00:21:29 ID:???
本日、某中古カメラ店にて「米海軍仕様ニコンF3HP」ボディのみ、を見かけました。 私の知る限りでは文献などに取り上げられたことはなく、 興味深々で見せて頂きました。 (程度は非常によかったのですが、14万円はちょっと買えません・・・) F3を前から見て左、緊急作動レバーの上あたりに金属製のプレートが貼ってあり、 MODIFIED FOR SUBMARINE PERISCOPE APPLICATION PROPERTY OF US,NAVY ・・・と、黒いプレートに銀の文字で書かれています。 製造番号は18xxxxxで、F3としては後のほうのロットと思います。 前面のプレート以外には、普通のF3HPと何ら変わるところはないのですが、 中古カメラ店の店員氏いわく、 「本来はアクションファインダーがついていたと、売りに出したひとが言っていた」そうです。 プレートの文字を丸呑みにするならば「潜水艦潜望鏡用に改造された」F3ということになり、 より見やすいアクションファインダーがついていたというのも頷けます。 ・・・しかし、たしかに米海軍はニコンF、F2を使っていたにせよ、 潜望鏡のどこかに、ニコンマウントで装着できたのでしょうか? だとしたら、ニコンが米海軍潜水艦の潜望鏡に、何らかの形で関わっていたのでしょうか?
847 :
前スレ86 :2005/12/07(水) 00:30:45 ID:???
>>844 私の仕事は光学機器や薬品に全く関係のない仕事なのですが、
興和株式会社様と若干の関わりがあります。
多業種においてご盛業のようです。
銃器雑誌が「GUN」誌しかなかった時代、「GUN」誌には定期的に「Kowaブランド」の、
スポッティング・スコープの広告が載っていたものです。
848 :
前スレ86 :2005/12/07(水) 00:36:16 ID:???
>>845 「ニコンようかん」もあることですし・・・それはさておき。
小西六も創業時は石版材料商で、写真機材を扱いだしても、
扱っているのが知られていなかった時期もありました。
潜水艦用のカメラ、四方八方を海水に囲まれて過ごしていたわけか。 なんか中がかなり傷んでそう。 なことはたぶんなくて原潜内は空気が非常に乾燥していて綺麗だそうなので 状態はかなりよいかもしれませんね。それが14万円という価格なんでしょうか。
850 :
前スレ86 :2005/12/08(木) 21:44:43 ID:???
>>849 米海軍仕様のニコンFは、フェイクが出るほどの高値人気機種なのですが、
それと比べると「もしかしたら買える」ぐらいの価格ですね。
まあ、ニコンF3の中古は、値段がこなれてきていることでもありますし。
地上部隊や、手持ちで空撮用に使われていた軍用カメラは、
キャンセルされたKE−7Aの一部や、
ストックされていたスウェーデン軍用バルナック・ライカのような「例外」を除けば、
酷使されてキタナイのが普通、あまりきれいなものはフェイクや後塗りを疑った方がいいといいますが、
潜水艦用のものは大切に扱われていたのでしょうか。
F3を使い込むとまず、軍艦部の肩がハゲますが、
それもない、本当にきれいなボディでした。
やっぱり作戦行動中は絶対に補給できないし作戦中100%屋内だし 大事に結果として大切に扱われていたのでしょう。 使用頻度も原潜で潜望鏡用ならそんなに高くないでしょうし。
852 :
前スレ86 :2005/12/08(木) 23:29:08 ID:???
>>851 私の疑問なのですが、スペースにも水にも余裕のある水上艦艇であれば、
フィルムの現像からプリントまでは、さほど難しいことではないでしょう。
しかし、潜水艦でもDPEを、容易にこなすことができたのでしょうか?
とりわけ行動日数の長い原潜では、フィルムの現像ぐらいはできなくては、と考える次第です。
一昔前には、横須賀や佐世保に「数時間の寄港で出港した」米海軍攻撃型原潜もいたそうで、
音紋データや、もっと高度な機密に属するデータをいち早く陸揚げするためだったといいますが、
同時にフィルムや、あるいはプリントも、陸揚げされたのではないかと思います。
潜望鏡のみならず、ソナーのスコープなども「オシロスコープ撮影」と同じ要領で・・・。
海上自衛隊潜水艦の潜望鏡では「35mmカメラ内蔵」となっていますが、
想像をたくましくして、米海軍潜水艦の潜望鏡が「35mmカメラ外付け」、
ニコンマウントのカメラならどれでも装着可能になっている、としたならば、
最新型のデジタル1眼レフであっても、マウントできれば撮影OKです。
艦内LANがなくとも、民生PCの1台も持ち込めばたちどころに画像を見ることができるでしょう。
画像の伝送も、衛星通信で極めて鮮明に、短時間で送れます。
そうなると「きれいなボディのニコンF3潜望鏡仕様」も、
「デジタル化が急速に進んで、使い込む前にお払い箱になった」と考えれば納得できます。
ひょとすると専用のクローズドのDPEマシンとかあったのでは。
そういや手巻きのカメラってもう現行機種はほとんどないですよねえ。 ニコンFM3AとFM10くらいですかね。ライカはどうなんだろ。 ヘクサーやTX-2とかはレンジファインダーで自動巻ですよね。 自動巻だとばんばんとっちゃってフィルムがなくなるのが早いよ。 手巻きと自動巻を気分と用途で使い分けているも飲んで。
>>854 135フィルムでという意味でしたら、一眼ならあとはベッサフレックスTMもありますよ。
レンジファインダーならまだまだ手巻が主流みたいですけど。
つーかレンジファインダーにワインダーは似合わない気が・・・。
偏見でしょうか。
856 :
前スレ86 :2005/12/11(日) 19:04:43 ID:???
>>853 米海軍の第一線からディーゼル潜水艦が姿を消して久しくなりましたが、
原潜ならば発電能力にもかなりの余裕があり、
現像機械があったなら、楽々と動かせるのではないかと思います。
たしかに、少なくともF3を使うぐらいの時代に米海軍のフィルム現像が、
ステンレスの現像タンクで、リールにフィルムを巻いてタンクをゆすって攪拌・・・は、ちと時代遅れですね。
余談ですが、米海軍最後のディーゼル潜水艦「バーベル」が佐世保を母港としていた時代、
”diesel sub forever!”ディーゼル潜水艦よ永遠に、と、
スカジャンの背中にお揃いの刺繍を入れたクルーを、佐世保市内で見かけたことがあります。
最後のディーゼル潜水艦ながら、乗員が誇りを持って乗っているのが伝わってきたものです。
857 :
前スレ86 :2005/12/11(日) 19:34:40 ID:???
>>854 ライカのM型現行機種、M7とMPは手巻きですね。
電動の「ライカワインダー」や、手巻きの速写アタッチメント「ライカビット」も装着できますが、
とりわけ「ライカビット」には、目の玉が飛び出るような値段がついています。
また、1眼レフのR9も、モードラがつけられますが基本的には手巻きです。
バルナック・ライカの時代から「ライカビット」や「ライカモーター」など、
巻き上げのスピード化には気を配っていたライカですが、
巻き上げがあれば巻き戻しがあり、
バルナック・ライカの巻き戻しノブは、私もVfでやってみましたが相当に面倒です。
M4〜M7の巻き戻しクランク方式にしておけば快適に使えるのに、
何でMPではM3やバルナックと同じノブ式に戻ったのか、わかりません。
これは私の体験ですが、
小さなライブハウスでアコースティックライブの撮影を頼まれた折、
ライカM4のコトッ、という静かなシャッター音と、無音に近い手巻きは、
ライブの雰囲気を乱さず、場に合っているな、と、いつも思います。
これが野外ステージのロックライブなら、あらかじめミュージシャンと打ち合わせの上で、
F3にMD−4をつけ、積層バッテリーの大型ストロボでガンガンいっちゃいますが・・・。
お言葉の通り「用途によって使い分け」ということなのでしょう。
858 :
前スレ86 :2005/12/11(日) 19:49:12 ID:???
>>855 根拠のない「何となく」ですが、私もそう思います。
最近「何となく撮りたいとき」にローライ35をよく持ち出しているのですが、
スナップショットで「ぺちっ!」と1枚撮って・・・が面白くて、
これに自動巻き上げがついていたとしたら、同じく「何となく」興ざめのような気がしています。
>>854 FM10をお散歩用カメラとして愛用しています。フルマニュアルなのでいかにも「写真を撮っている」
という気分になれます。(ときどき初歩的ミスをやっちゃいますが・・・。)
FM3Aも欲しいんですが予算がなぁ。逆輸入版なら57000円か・・・、うーん。
860 :
ねこたんこっちむいて :2005/12/11(日) 22:26:33 ID:9gF9AN3l
最後の一こまは巻き上げるな。 シャッターをチャージして長い間おいておくと バネがのびてしまって良くない、 とか習ったような気がするがもう 過去の話なんですかね。
>>858 ほっぺの丸いやつですね。ああゆう小さいのもいいですね。
そーゆう漏れは最近全然フィルム使ってないっす。
9月頃3本買った24枚撮りフィルムの1本目をまだ撮りきってない始末。
すっかりデジに移行しちゃったなぁ・・・。だって便利なんだもん。
862 :
前スレ86 :2005/12/12(月) 18:42:13 ID:???
>>859 ニコンのMF撤退も噂されています、FM3aをお求めならばお早めに・・・とは、
不謹慎に過ぎるでしょうか。
「何もかも自動化されたカメラは、撮る楽しみを奪ってしまった」なる意見は、
アマチュアカメラマンのみならず、カメラの設計者の意見としても聞いたことがあります。
しかしながら趣味性の強い、自動でないカメラは「数が売れないから商売にならない」、
作る側としては「あちら立てればこちらが立たず」アンビバレンスに悩むところでしょう。
市場に残っている復刻ニコンS3や、限定とはいいつつ今では大手のカメラ点で入手できる、
復刻SPを見るたびに、そう思います。
マニュアルカメラを使う楽しみって、いいと思うんですけどね・・・。
863 :
前スレ86 :2005/12/12(月) 18:56:16 ID:???
>>860 例えばローライ35は、巻き上げた状態でないと沈胴できず、
沈胴させて収納しようと思えばチャージした状態にならざるを得ないメカなのですが、
「よほどバネの材質に自信があるのだろう」という、某書の記述とは裏腹に、
巻き上げていても沈胴させるとスプリングからテンションが逃げ、
負担をかけない設計になっているそうです。
ローライ35などは「メカ的に考えてある」一例ですが、
以前、ライカ・マイスター氏に同じ質問をぶつけたことがあり、
そのお答えは「(ライカに関しては)どちらでもかまいません」。
とあるライカ修理業者のHPや、その修理業者に取材したと思われる神立直紀氏「撮るライカ」では、
M5に関しては7〜8分目まで巻き上げておくとよい、とありますが・・・。
国産某メーカーのサービスマン氏によると「チャージしないで置いておいて下さい」、
また、別の修理業者さんでは「それではシャッター・ブレーキに負担がかかります」。
機種やシャッター構造からの、解釈の違いと思いますが・・・。
自己流の結論として「どちらでもいいが、せっせと使うのが一番」に達しております。
864 :
前スレ86 :2005/12/12(月) 19:04:32 ID:???
>>861 「ローライ35=金属製せっけん箱?」四角四面でよくできてる、面白いカメラですよ。
軍事目的の写真からは、銀塩が姿を消すのはそう先のことではないでしょう。
あるいはスチール写真ばかりでなく「デジタル動画」が当り前になるかも知れません。
時代を追う限り、デジタル移行は致し方のないところでしょう。
「デジタルVS銀塩」のような論議は全く不毛で、
被写体によってコンパクトカメラから大判カメラまでを使い分けるように、
銀塩とデジタルを「使い分ける」情勢がしばらく続くとは思いますが・・・。
865 :
ねこたんこっちむいて :2005/12/12(月) 19:22:05 ID:ORMDExSn
プロの天文学者の天体写真もいつの間にか 写真看板から電子メディアに変わってしまいました。 最近の論文の写真を見ると四角の画素がよくみえます。 アマも最近はデジタルを使うようです。
866 :
前スレ86 :2005/12/12(月) 21:44:03 ID:???
>>865 「軍事目的のカメラのデジタル化」事始めの時期。
1997年に、米海兵隊に初めて採用されたデジタル1眼レフが、
「コダックDCS420」、
ニコンN90S(日本ではF90S)に、コダック製のデジタルバックを組み合わせた、
大きさからいうと下手なモードラつきMF1眼より大きな代物でした。
150万画素で、使用するハードディスク・カードは最大容量340MB、
1コマをメモリーするのに2・5秒かかるもので、露出はISO100相当・・・と、いいますから、
黎明期のデジタル1眼レフそのものであったことを思わせます。
”海兵隊仕様”に、特別に加工されたところはなく、
米海兵隊ではこれも普通のパワーブックと組み合わせ、使われていました。
・・・言うまでもなく、現在では比べ物にならない性能のデジタル1眼レフがひしめいていますが、
思えばCOTS、民生品の軍事流用が定着する前に、
民生用として開発されたデジタルカメラが軍用にスライドして使われた「はしり」であったと思います。
867 :
ねこたんこっちむいて :2005/12/12(月) 21:54:42 ID:ORMDExSn
そういや富士写真フイルムのデジタル一眼レフのボディは ニコンの一眼レフのボディの設計を買ったものだから半製品を ニコンから買って最終製品にしているのかどっちかでしたよね。 そしてコダックは今はキヤノンとのつながりが深いと。
868 :
前スレ86 :2005/12/12(月) 22:11:04 ID:???
>>867 「ファインピクス」も外観はモディファイしてありましたが、
中身はニコン機そのものでしたね。
もう20年以上前、デジタルカメラが影も形もなかった時代、
いや、正確にはソニーが「MAVICA」の試作品を世に問うていたころですが、
「全世界的に見て貴重な銀を消費する、写真の今後はどうなるのか?」という問いかけに対し、
「世界的大企業のコダックがあり、写真が軍事目的にも必要な以上は何らかの解決が図られるだろう」と、
答えたカメラマンがおりました。
現在、結果的にそのひとつの回答が「コダックのデジタルへの経営資源シフト」となり、
「軍事目的の写真のデジタル移行」が、付随するかたちになっています。
デジタルカメラが憎いのれす 絶対一生銀塩派を誓ってはみたものの、 これから先どれだけ銀塩がもつのか考えて不安になったり・・・
870 :
ねこたんこっちむいて :2005/12/12(月) 23:21:47 ID:ORMDExSn
デジタルであってもフルサイズ(のニコン)ならばいいかな、とおもう。 広角単焦点すきなもんで。 今のニコンのデジタルじゃ20ミリが30ミリ相当になっちゃうよー。
871 :
ねこたんこっちむいて :2005/12/12(月) 23:24:08 ID:ORMDExSn
自分は24ミリから35ミリにかけてが日常生活を撮るには一番いいと思っている。 富士写真フイルムの24ミリから50ミリズームのコンパクトや24ミリコンパクトは いいとこついている。でもひろくはうけいれられないだろうなあ。
872 :
613 :2005/12/12(月) 23:38:59 ID:???
ニコンがフルサイズ出すかなあ? さて自分も広角大好き派なので、シグマ12-24mm+KissDを持ち歩いたりしてるけど、 重い!!うえに超広角とまではいかないのが難点。
あらあらコダックはすでにデジタル一眼レフから撤退かあ。
874 :
前スレ86 :2005/12/13(火) 19:55:52 ID:???
>>869 少なくともここ数十年で銀塩が「消えてなくなる」ことはないと思います。
感光材料の入手が困難になったり、DPEが不便になることは大いにあるでしょうけれど、
ニーズがあるうちは作られてゆくと思います。
ただし、新規開発や製品の高度な品質維持といった「売れるがゆえの面倒見」が続くかどうかは疑問で、
乳剤に問題があって赤みの強い発色になる、中国本土での某社ライセンス生産フィルムのように、
「品質に問題があっても看過される」ことは起き得るでしょうけれど・・・。
875 :
前スレ86 :2005/12/13(火) 20:01:49 ID:???
>>870 リコーの「G1デジタル」のように、あきらかに銀塩から移行するファンを意識したデジカメもありますね。
「エプソンR−D1」も、購買層は同様の、
とりわけレンジファインダー機や高級コンパクトをお使いだった、広角単焦点のファンの方でしょう。
876 :
前スレ86 :2005/12/13(火) 22:24:16 ID:???
書き間違いを訂正させて頂きます。 ×「G1デジタル」 ○「GRデジタル」 失礼を致しました。
21ミリとは言わない。 せめて24ミリだったら...
878 :
前スレ86 :2005/12/13(火) 22:56:31 ID:???
>>871 「ニコン28Ti」や「ミノルタTC−1」のように、28mmならコンパクトにも搭載例がありますね。
35mmはひとによっては「準標準」の扱いをする場合もあり、
私もFD、ニッコール、カラースコパーの35mmを愛用しております。
M型ライカでも「簡略型」と言われるM2が、35mmの使いやすいファインダーになったため、
「広角ライカ、望遠ニコン」のベトナム戦争報道ではかえって多用され、
とりわけ、ズミクロン35mmF2の使用例が多いようです。
879 :
前スレ86 :2005/12/13(火) 23:12:17 ID:???
>>872 米軍「MK3カメラキット」こと、ライカM2と35mm、50mm、90mmのセットや、
のちの「KS−151Aカメラキット」こと、
キヤノンnewF−1と35mmF2・8、50mmF1・4、200mmF2・8に、
コンバーターを加えたキット・・・などの内容を見ていますと、
35mmではありますが米軍も「広角レンズは欠かせないもの」という考え方のようですね。
880 :
前スレ86 :2005/12/13(火) 23:17:18 ID:???
>>873 やはり、日本メーカーの完全自社開発製品にはマーケットで勝てないとの判断だったのでしょうか。
古くは「コダック・シグネット35」から、近年はデジタル1眼に至るまで、
米軍にはコダック=自国製品を採用する愛国心?があったのですが・・・。
881 :
前スレ86 :2005/12/13(火) 23:21:20 ID:???
>>877 28mmより広角寄りのレンズをコンパクトサイズに凝縮するとなると、
周辺光量の確保など、難しい問題があったのではないかと愚考する次第です。
882 :
前スレ86 :2005/12/13(火) 23:33:06 ID:???
中露協同軍事演習の報道を目を皿にして見ていたのですが、 日本で言えば陸上自衛隊第301写真中隊のような、 オフィシャルな軍報道カメラマンがTV画面に登場せず、使っているカメラがわかりませんでした。 中国側では新華社の報道用カメラは最新型のニコン・キヤノンが混用されているとかで、 西側にも負けない機材が使われていると想像できるのですが、 ロシア側ではどうなのでしょうか? 余談ですが、北朝鮮の国営通信社が報道に使っている機材は、 これも詳細は不明ですが時代物のムービー・カメラとコンパクト・デジタルが共存する、 不思議な機材体系だといいます。
中国中央テレビなどによると、浙江省工商局は14日までに、ソニーが中国国内で生産、
販売しているデジタルカメラ「サイバーショット」の6機種の品質に問題があるとして、
同省内での販売を停止する処分を下した。
ソニー・チャイナ上海支社の広報担当者は「当局から正式な連絡を受けておらず、
状況を確認中で詳細なコメントはできない」としている。
報道によると、浙江省工商局が6社のデジカメを標本調査、全体の約4割に品質上の
問題があるとして、不合格にした。
ソニー製品で指摘された点は(1)液晶の明るさが不十分(2)自動露出補正が不正確
(3)画像の色にむらがある―など。6機種は上海と江蘇省無錫の工場で現地生産しており、
北京や上海などでは販売が続けられているという。(共同)
ttp://www.sankei.co.jp/news/051214/kei070.htm
デジタル一眼用の20ミリから24ミリ相当の単焦点レンズはないわけではなさそうだが、 今てもとにあるニッコール20ミリに比べるとみんな大きくて重そうで軽快さに欠けるなあ。 戦闘機も大きいのがはやりのようで F5やグリペンみたいに軽くて小さいのははやらないのかしら。
885 :
前スレ86 :2005/12/15(木) 17:47:16 ID:???
>>883 あくまで個人的には、仕事の上で「中国の公務員の言うことは鵜呑みにはできない」経験があり、
(民間企業であっても大きくは変わりませんが・・・)
品質とは全く別の、何らかの理由がある「言いがかり」以外のなにものでもないと考えますが、
いかがなものでしょうか。
886 :
前スレ86 :2005/12/15(木) 18:09:18 ID:???
>>884 米空軍が典型的な例ですが「ハイ・ロー・ミックス」、
高性能ですが高価で数が揃わないF15と、
性能に限度がありますが安価で数の揃うF16の「二本立て」、
カメラでいえば「メイン機とサブ機」が、空軍の”あらまほしき”装備体系ではないかと言われています。
ただし、これは米空軍のように、地球上あちこちの空で作戦することを目的とした空軍や、
別の見方をすれば「お金持ちの先進国空軍」が叶えられる夢で、
狭い領空の防空だけを目的とした防空軍や、差し迫って仮想敵国が近隣にない国の空軍、
または単純にお金のない、発展途上国の空軍では事情が異なり、
「高くて扱いにくい重戦闘機の必要はない、軽戦闘機か、マルチロール・ファイターで充分」、
世界の戦闘機マーケットで圧倒的に売れているのは、
F15ではなくF16、ミラージュ、グリペン・・・と、いうことになります。
「性能的に必要にして充分なら、より高価で大型の機種を選ぶ必要はない」カメラと同じです、
さらには、
「どう見ても戦闘機をコレクション用に買ったとしか思えない」国もあり、
カメラのコレクションなら微笑ましいものですが、国費を使っての戦闘機コレクションとは・・・。
いろいろな分野でコンピュータにアシストされた設計が大流行ですが レンズなどもとりあえず動く物が最初からできちゃって何回も繰り返して 設計し直すとかは軽視されているような気がする。 それが行きすぎると実機の量産後に重大な問題が発覚とか起きるんだよなあ。 キヤノンが最近ズームレンズでやらかしましたよね。
シミュレーションは大事だけれどだけではなかなか工業製品はうまくいかない。 もっとも異常事態を何度も経験するにはシミュレーションが有用なのも事実。 極端な例だと舵がきかない飛行機をエンジン出力だけで操縦して着陸させる場合 常識と直感と異なった操作をしないと正しく飛ばないが実機で訓練するのは 絶対無理(着陸する時にスロットルをあけてスピードを上げる、機体が不安定になったらスピードを上げる、など)。
889 :
前スレ86 :2005/12/16(金) 22:15:42 ID:gU6T71ai
>>887 オリンパスOM−1の設計者、米谷氏の著書に、
発売直前の「M−1」耐久テストの模様が紹介されていますが、
何十台かの試作機を人の手で操作し、壊れたら対策を施してゆくというもので、
時代背景を思わせる反面、それが最も確実な方法のようにも思えます。
例えばモータードライブの秒間数コマという巻き上げ速度は、一見、過酷なように思えますが、
巻き上げの条件が一定するという面では手巻きよりストレスがかからないんだそうで、
もしかすると「自動化」は「想定外のストレスに弱い」因子を含ませるところがあるのかも知れません。
890 :
前スレ86 :2005/12/16(金) 22:23:10 ID:???
>>888 海上自衛隊練習機のフライト・シミュレーターに搭乗したことがありますが、
ほんのわずかな操作で大きく姿勢を変える、操縦の難しさをいながらにして体験できた反面、
どこまで行ってもシミュレーターは「模擬体験」の域を出ない、と感じたことも事実です。
そういやタイタニック号は氷山に近づいたとき減速せずせず加速すれば舵がよく きいて氷山を避けられたはずだとの話をどっかで読んだような気がする。
シミュレータでの体験を超えたときに冷静に対処できるかどうかが 操縦者や設計者の凄腕と並の分かれ目かな。
893 :
前スレ86 :2005/12/16(金) 23:19:34 ID:???
>>891 「停まっているフネの舵は利かない」が、船乗りの処世訓だそうですが、それはさておき。
カメラの話でいいますと、フォーカルプレーン・シャッターの幕走行速度を上げるのが、
高速シャッターを実現するための「前提条件」なのですが、
走れば止めなければならず「シャッター・ブレーキ」の設計が難しいと聞いています。
キヤノンF−1では、クルマのブレーキでいう”ブレーキパッド”に、
豚の皮を使っています。
開発にあたってはいろいろな材質を試し、最終的に豚の皮に行き着いたそうですが、
長年、F−1を使っていると豚の皮が痛み、オーバーホールでは必ず交換されるといいます。
私のF−1も例外ではなく、先日のオーバーホールでは油切れもさることながら、
豚の皮もそれなりに痛んでいたそうで、部品交換となりました。
ライカM4も、シャッター・ブレーキが痛んでくると、
ライカ・マイスター氏いわく「すぐに音でわかる」んだそうで、
私のM4も「ちょっと痛み気味」なんだとか。
894 :
前スレ86 :2005/12/16(金) 23:48:36 ID:???
>>892 愚考ではありますがお許し頂ければ、マシンが壊れた場合、
それが正しい使い方の延長線上であれば「想定外」では済まされず、
使い方そのものは正しくとも、使われた環境や状況が「想定外」であれば「改良」の情報にするしかありません。
いずれにせよ、その場で対処できることなど限られており、
考え得るあらゆる状況を想定して、前もって手を打っておくしかないと考えます。
スペース・ニコン、こと、NASA仕様のニコンF3「ビッグ」「スモール」から、
ヘリコイドリングのゴムが廃され、ひと昔前の金属鏡胴ニッコールのようなレンズになったのも、
スペース・シャトルの万が一の船内火災を想定し、一切の可燃物を廃した結果だったといいます。
のちに想定が見直され、F5になるとごく普通の、市販モデルと大差ないものになったようですが・・・。
895 :
前スレ86 :2005/12/17(土) 00:13:03 ID:???
「自分で使っているカメラのひいきネタ」 ニコンとライカ一色の感があるベトナム戦争報道ですが、 ベトナム戦争終結〜カンボジア内戦〜ベトナム軍カンボジア侵攻、の頃になりますと、 キヤノンF−1も「参戦」しており、 三留理男氏がF−1を現地に持ち込み、貴重な記録を残しておられます。 また「来た、見た、撮った!北朝鮮」の、山本皓一氏は、 北朝鮮取材の初期、F−1で取材しておられたようで、 主席宮殿にて金日成の「コブ」を撮ったショットも、F−1で撮られたものと推定されます。
>890 いや、一つだけ実機よりも訓練になることが。 空間識失調からの回復訓練がそれ。 荷重が掛からない条件下では、計器以外に頼るものが無いですから。
新幹線の創生期走行中に油化したから異常音が出たのの気がついた車掌が 次の駅まで行けいうマニュアルの指示に分かっていて 従わずその場で運転士に指示して停車させ別の列車に乗客を移乗させた という事故がありましたが、車軸が壊れていてそのまま走行していれば 確実に走行中に台車がばらばらになっていて脱線大事故につながるものだったそうです。 車掌の想像力がマニュアルに勝っていたわけです。 さらに台車の設計者は壊れるはずのない車軸が壊れたときに備えて 車軸が折れても回りの枠で車軸を押さえ込んで台車がばらばらに ならないような設計にしていました。 設計者の想像力がありえないはずだった事態の発生に見事に対処したわけです。 車軸が壊れた原因は工場で停電がありその車軸だけ焼き入れが不十分で 強度が不足していたのが原因だったとか。シミュレーションによる 訓練に加えて強力な想像力を持つ、これ最強。
898 :
前スレ86 :2005/12/17(土) 14:25:02 ID:???
>>896 映画「ベストガイ」でも、バーディゴの恐ろしさが取り上げられておりました。
かなり熟練したパイロットでもバーディゴに陥らない保証はどこにもないとか。
記憶が不確かなのですが、旧ソ連戦闘機、SU27でしたでしょうか、
パイロットがバーディゴに陥った場合、
全ての操縦機器から手足を離すと自動的に水平飛行に戻る、
一種のプルーフ・メカを持った機種があるといいます。
カメラでも例えばニコンF3の、
「フィルムカウンターが0を越すまでダイヤルがどうあれシャッタースピードは80分の1」、
普段は不便にさえ感じるメカでも、AEの状態でフィルム交換をする時、
カメラが下を向く→絞り優先AEではシャッターが低速に→80分の1固定なら巻き取りが速い、と、
気がつくと助けられたことがあり、
「プルーフ・メカとはこういうものか」と、思ったものです。
899 :
前スレ86 :2005/12/17(土) 14:38:27 ID:???
>>897 先日、ある機会があって、消防署の救急隊員による、
簡単ではありますが救命法の講座に参加してきました。
人形を使ってのマウス・トゥ・マウス人工呼吸、心臓マッサージの訓練、
消火器を使った消火訓練・・・などですが、
救急隊員いわく、
「少しでも訓練を受けたひとでないと、いざ!という時には何もできないものです。
助かる命をむざむざ見殺しにしないためにも、こういった訓練をひとりでも多くの方に受けてほしいのです」。
杞憂に陥る必要まではありませんが、
訓練を受ければこそ「あり得ない話ではない」想像力が働くのでしょう。
軍が勝つ秘訣は自分の土俵に相手を引きずり込む 言い換えると自分の得意技に相手を引き込むことだと 聞いたことがあります。変幻自在、奇襲、奇策が得意な 指揮官は、その引き込むところがうまいわけです。 アメリカ軍は力ずくで相手を自分の土俵に引きずり込むわけですが ちょっと特殊ですね。 軍隊は固有の戦闘ドクトリン(得意技)をもちそれを 日々磨き変化自在にそれを使いこなす(基本技を組み合わせて 変幻自在にする)。そしてまったくやったことのないこと組み合わせでできないことは 出来ませんというかやらない。命がけですから。
望遠撮影は自分の撮影ドクトリンにはないなあ。 広角でうちの猫たんクローズアップが強いていうなら 自分の撮影教義かな。応用が効かん技だなあ。
専門は超望遠ですけど
903 :
613 :2005/12/18(日) 00:59:51 ID:???
軍板の人は飛行機ばっかり撮ってるものかと・・・。
イヤ、普段は風景と花専門なんスけどね。
>>898 フランカーの自動飛行操縦装置SAU-27にはパニックボタンなんつうモノが
付いてるそうな。それのことかな?
>>903 ポートレートじゃ200mmはよク使うお。
音楽まつりの時、カメラもってきゃよかった。 太鼓が特にいいのよ。みためも。
盛大に雪が降ったので、FM10を抱えて近所の里山へ撮影に・・・。しかし、40センチオーバーの積雪に阻まれて 途中で退却。根性なしの俺・・・orz
907 :
前スレ86 :2005/12/19(月) 22:38:31 ID:???
>>901 今月の「アサヒカメラ」の付録は恒例、岩井光昭先生の「猫さまカレンダー」ですね。
わが家には犬さましかいないのですが、
最近、友人が、同居している猫さまをコンパクトデジカメで撮った写真を見せてもらい、
画質うんぬん以前に猫さまの表情が素晴らしく、
「飼い主に勝るカメラマンなし」との思いを、新たにしたものです。
908 :
前スレ86 :2005/12/19(月) 22:49:56 ID:???
>>902 海上自衛隊自衛艦が地元に来たとき、出港時の「帽ふれ!」などを、
300mmか400mmで狙うのは相手がゆっくりなだけに楽ですが、
今年は「空モノ」は航空祭にもろくに出かけられず、
ただでさえ鈍い腕がさらになまっていないか、我ながら悄然としてしまいます。
来年のシーズンに遠征を予定するため、まずは年末の仕事をせっせと・・・。
909 :
前スレ86 :2005/12/19(月) 22:56:27 ID:???
>>903 私の場合、地元の陸上自衛隊駐屯地祭で「陸モノ」も撮りますよ。
「陸モノ」の場合、小さいものは小銃から大きなものは榴弾砲まで、
訓練展示で空包を発射したときの「発射炎」がなかなか、写ってくれません。
肉眼にははっきり見えているのですが・・・。
フランカーの自動操縦装置の件、ご教示ありがとうございます。
いつかはフランカーの実機を見て、撮りたい、が、ささやかな夢なのです。
912 :
前スレ86 :2005/12/19(月) 23:01:03 ID:???
>>905 舞台撮影と同じノウハウが必要かも知れませんね。
大口径の広角や中望遠+高感度フィルムに、1脚でモードラはなし・・・。
913 :
前スレ86 :2005/12/19(月) 23:15:32 ID:???
>>906 その大雪を商談に出かける途中の、新幹線の車内から見ていて、
携行していたライカM4を出し忘れた、もっと根性なしの私・・・。
宮嶋茂樹氏も、かの八甲田山を踏破する、陸上自衛隊第5普通科連隊の冬季演習に同行しておられましたっけ。
>>908 期待してまっせ〜
ワスも来年わなんとか岩国FSDと新田原わ逝きたいものだと・・・
雪と言えば、千歳あたりで豪快にリバースで巻き上がる雪煙を撮りたいと思ってるけど 機会が中々無くて_| ̄|○
音楽まつりは舞台の音がすごいから カメラをご遠慮くださいとはいわれない。
次のタイトルはT3だろうかF3だろうかOM3だろうか。キヤノンに3のつくやつありましたっけ。 ペンタックスはどうかな。ミノルタはα3があったかな。コニカはどうだ。 ライカならM3か。
EOS3
ベッサR3A
リード(Reid)III ↑WW2当時、英国が民間からぐにょうにライカを徴発した代わりに与えた 「代用ライカ」。しかしなぜか、「本家家元」よりも出来が良い。
軍に直結ならリード3かあ。 でもいまいち知名度が。 WW2当時ってライカはM3でしたっけ。 コニカ3型はそういや自分が使っていたやつじゃんか。
>>921 M3は戦後でっせ
戦前戦中ならdV?Vc?
ツァイスがFマウントのレンズ出すって本当かな?
924 :
前スレ86 :2005/12/20(火) 23:00:34 ID:???
>>916 何年か前の陸上自衛隊某駐屯地祭で、
アトラクションに市民交響楽団の有志による「1812年序曲」の演奏がありました。
ナポレオンの軍勢を撃退したロシア軍を称えた曲で、
楽器に大砲を使うことで有名な曲ですが、
「楽器」にFH70榴弾砲、2門が用意されました。
駐屯地の営庭で野外演奏だったのですが、
営庭の観客席近くに赤旗を持った隊員が配置され、
事前に「赤い旗を隊員が上げると大砲が発射されます、大きな音がするので耳をふさいで下さい」とアナウンス。
静かに流れる交響曲・・・赤旗が上がり・・・バム!
爆風で楽譜が飛び散り、必死に楽譜を集めながらそれでも演奏する楽団員・・・バム!
音程も何もあったもんじゃ・・・。
この様子をファインダー越しに見ていた私、何と言っていいのやら、困ったものです。
Carl Zeiss lenses for other mounts?
Tuesday, 20 December 2005 10:30 GMT
Carl Zeiss have gone all mysterious in their placement of a message on their home page, it reads "Millions of SLR Photographers
Will Soon Discover a New Dimension in Photography." At the moment we have no idea what this means, speculation on our forums
and elsewhere ranges from a new Zeiss digital system (Sony?) to Zeiss lenses for Canon / Nikon mounts (a leaked image shows
Nikon F-Mount Zeiss lenses). More information (according to the page) will be available tomorrow
ttp://www.dpreview.com/news/0512/05122001zeisslenses.asp
926 :
前スレ86 :2005/12/20(火) 23:09:13 ID:???
>>920 「リード」にせよ「カードン」にせよ、
”西側”でのバルナックライカ・コピーは、オリジナルを凌ごうと、
これでもかとばかり手間をかけて作られた観がありますね。
つい先日、すこぶる程度のいい「シビリアン・カードン」を見る機会がありましたが、
25万円の値段に負けて、触らせてもらう気が失せました・・・。
927 :
前スレ86 :2005/12/20(火) 23:13:54 ID:???
>>921 ライカM3は西ドイツ国防軍が軍用として使っており、
払い下げられたOD塗色のM3には、目の玉が飛び出るような値段がついています。
928 :
前スレ86 :2005/12/20(火) 23:20:40 ID:???
>>922 「グレーライカ」ルフトヴァッフェ用とされる軍用ライカはVcですね。
記憶が不確かなのですが、
エルンスト・ライツ社の広告写真に、
アドルフ・ガーラント中将がVbを持って写っていたものがあったと覚えています。
軍用ライカで手が届きそうなのは、SHARANのミニチュアカメラぐらいですかな。 オイラの場合・・・。(´・ω・`)ショボーン
930 :
前スレ86 :2005/12/20(火) 23:27:51 ID:???
>>923 >>925 うむむむ・・・ツァイスがニコンFマウントのレンズを出すとは。
貴重な情報を、ありがとうございます。
レンジファインダーでのライカMマウントは「共通規格」となった観がありますが、
1眼レフではニコンマウントが「共通規格」となるのでしょうか?
けっしてニッコールに不満があるわけではないのですが、
「私のF2、F3でツァイス・レンズが使える」ゾクゾクするような楽しみです。
931 :
前スレ86 :2005/12/20(火) 23:47:14 ID:???
>>929 私も大阪大丸の「中古カメラフェア」で、120万円の軍用M3を、
手に取らせてもらい、シャッターを切ったのですが、
なんてったって120万円、買ったところで防湿庫に直行・・・。
「開運・なんでも鑑定団」にも登場しましたが、
パッケージを未開封の「KE−7A」こと、米軍用ライカM4、400万円、となりますと、
パッケージを開封すると価値が下がるため、永遠に本体は手に取れないまま・・・ため息、です。
個人的な感想ですが、
メッキ工程に六価クロムを使うため、現在は環境問題から再現できないとされるM型ライカのメッキ、
実際に使ってみると独特の梨地メッキには傷やスレが入りやすく、
「傷はカメラの勲章、メカが壊れたら直せばいいじゃん」でM4を使っている私でさえも、
実用には何かがちと違うぞ、と、思わないでもありません・・・。
ツアイスのホームページのディザー広告がソースだから あながちデマでもなさそう。何らかの動きはあるんでしょうね。
934 :
613 :2005/12/21(水) 20:52:16 ID:???
中の人はコシナの予感
936 :
前スレ86 :2005/12/21(水) 21:11:25 ID:???
よ〜し、おぢちゃんFM10にツァイスレンズつけちゃうゾ! (ある意味、純正かもね・・・。) でも、コシナ製Zeiss IKONもなかなかだって聞くからな〜。
938 :
前スレ86 :2005/12/21(水) 23:17:59 ID:???
・・・しかし、コシナツァイス・Mマウントレンズもすこぶる高い評価を受けているようですし、 先日、やっと「ツァイス・イコン」を手に取って見たのですが、 素晴らしくクリアーなファインダーに感激したものです。 コシナツァイスであっても、期待を裏切らないものができると思うのですが・・・。
がしかし、コーティングの違いで_| ̄|○
なんというか、カメラ板の人らも我々もツァイス「ニコン」騒ぎに振り回されっぱなしですね。 続報はまだかな?
28日に発表しまーす、だって。
942 :
前スレ86 :2005/12/21(水) 23:43:31 ID:???
>>937 おぢちゃんも負けずにF2フォトミックAにツァイスレンズを・・・ところで、
何ミリから発売になるのでしょうか、やはり「プラナー50mm」から!?
Ai対応は当然として「ガチャガチャ用の連動カニ爪」もつけてくれるとうれしいですね。
さて「戦場で使われたツァイス・レンズ」ネタで資料を引っくり返していますと、
ワシントン・ポストの女流報道カメラマン、ジュアナ・アリアス女史が、
エルサルバドル、パナマ、ホンジュラス、ニカラグア・・・の、中南米諸国の内戦取材で、
コンタックスG2に28mmを装着、使用しております。
望遠側をEOSー1N、広角側をG2でカバーしての取材だったそうです。
また、フォトエージェンシーPPIのカメラマン、ゲイリー・キーファー氏は、
同じくEOSに加えて2台のコンタックスG2を使い、
こちらは米海軍空母「ジョン・C・ステニス」同乗取材や湾岸戦争取材の他、
面白いところでは日本の「コンバットマガジン」表紙にも、
ゲイリー・キーファー氏撮影の作品が使われております。
943 :
前スレ86 :2005/12/21(水) 23:51:10 ID:???
>>939 ・・・(沈黙の艦隊・5分で深度1000に・・・)
944 :
前スレ86 :2005/12/21(水) 23:58:40 ID:???
>>940 >>941 いやはや、ビッグニュースですからついつい。
とりわけ、私のような「銀塩MF派」には、近来に希な明るい話題でしょう。
28日の続報を楽しみに待ちましょう。
>>941 情報乙!
>>944 楽しみに待ちませぅ
ああ85mmと50mmに100mmわ買うじょ。
今、単焦点は 20 28 50 135 なので80あたりがいいかな。いや105かな。もし出すならAiだよな。 ニコンのMFの105は製造中止だったような。 ところで次期スレッドタイトル 【宇宙も】軍事ヲタの視点でカメラと機材を語れ!【海中もニコンF3】 はどうでしょ。話に出ていたスペースニコンと潜望鏡用ニコンF3をひっかけてみました。
文字数制限とか大丈夫なのかにゃ?
>>917 A3dateS,MZ-3
>>939 レンズ以外のファクターを無視しては逝けない。
弾(フィルム・センサー)の種類、気象条件等の外部環境、チャンスに居合わせる「運」。
そして射手の腕。
手巻きが主体のわては(当たらない)狙撃手(もどき)。 自動巻は機関銃手かな。
950 :
前スレ86 :2005/12/23(金) 22:27:56 ID:???
>>946 >>947 字数制限にひっかかる場合は、私案ですが「ニコンF3」を削ればよろしいかと。
固有の機種名は何かと、という方もおられましょうし・・・。
今月の「アサヒカメラ」で、某中古カメラ店の広告に、
仕様の違う「米海軍用」のニコンF3HPが掲載されております。
こちらは「速度ダイヤル蛍光、静電防止圧板、裏ブタゴム張り、
イルミネータースイッチ、US NAVY刻印、巻き戻しクランク赤線」と、
米海軍の刻印以外は、ニコン・プロサービスで改造したF3に準じるもののようです。
価格は要問い合わせとか・・・。
【M4といえば】軍事ヲタの視点でカメラと機材を語れ!【戦車じゃない】 【F5といえば】軍事ヲタの視点でカメラと機材を語れ!【戦闘機じゃない】 【A6といえば】軍事ヲタの視点でカメラと機材を語れ!【攻撃機かもしれない】
952 :
前スレ86 :2005/12/23(金) 22:43:43 ID:???
>>949 巻き上げ角度が大きいため巻き上げにはチョイと時間がかかり、
ピント目測、シャッター音が「ぺちっ!」と小さいローライ35は、
「ハッシュ・パピー」のような、スライドを固定して射撃するサイレンサー・ピストルでしょうか!?
「中国のクラシックカメラ事情」朝日ソノラマ、には、
中国のスパイカメラ「1503」についての記事があり、
特殊なフィルムを使う、手のひらサイズのバネ巻き上げカメラなのですが、
これの母体となった(と思われる)ソ連製「K−21」は、
たしか、諜報機関を取り上げた他の文献にも紹介されておりました。
実写レポートがないので詳細は不明ですが、
もしかすると東独「シュタージ」が同様の目的に使ったリコー・オートハーフの方が、
ボディサイズは似たり寄ったりでも、よく写ったかも知れないと考えるのですが・・・。
953 :
前スレ86 :2005/12/23(金) 22:52:38 ID:???
954 :
前スレ86 :2005/12/24(土) 00:44:06 ID:???
余談ですが、次スレに備えて、私も新しいコテハンを考えなくては。 「中国のクラシックカメラ事情」には、 北京郊外の戦車部隊でヤシカのMF1眼レフを使っていた、人民解放軍の若手カメラマンの話があります。 著者によりますと平成2年発売の「ヤシカ108マルチプログラム」と推定しておられるのですが、 私、不勉強の至りで、同機種を目にしたことがありません。 ググッてみますと、輸出向けのワインダー内蔵機種だったようなのですが・・・。
ヤシカ108マルチプログラムは、香港製で日本国内でも発売されていた。 CONTAX 137の廉価版といった感じの、自動巻き上げ、オート&マニュアル機。 ヤシカ純正ズーム28-80付きで実売3万円を切っていた記憶。 使いやすかったが、アマチュア向けか露出がオーバー目に設定されていた。
そういえば、富士写真フイルムのナチュラのNPモード(ISO1600のフィルムを詰めたときだけ)は 2段オーバーになっているそうです。富士写真フイルムのホームページにあった研究報告書に ありました。
957 :
前スレ86 :2005/12/24(土) 17:39:12 ID:???
>>955 ご教示、ありがとうございます。
実売3万円を切る価格で、ショートズームと組み合わされ、
自動巻上げ、オート・マニュアルどちらも可能とは、
すこぶるお買い得の機種だったのですね。
露出がオーバー目になるのは、おっしゃる通り、
カラーネガフィルムが多用されることを想定し、アンダーよりは
オーバーめに露出をかけておけば失敗が少ない、との意図だったのでしょうか。
ヤシカは中国では評価が高かった、という記述も「中国のクラシックカメラ事情」にあります。
香港で生産されていた「ヤシカ・リンクス」の、廃棄したはずの金型や治具が、
いつのまにか大陸に渡り「ヤシカ・リンクス」の海賊版が生産された話や、
私の体験で言えば、中国で買った「フェニックスDC888k」が、
どう見ても「ヤシカFX−3・スーパー2000」そのものだったりと、
”中国とヤシカ”には、評価のみならず、いろいろな話があるようです。
958 :
前スレ86 :2005/12/24(土) 17:46:38 ID:???
>>956 ラチチュードの狭い、超高感度フィルムを使う場合の「安全策」でしょうか。
私も以前、高速シャッターが切りたさに、
某基地の航空ショーにISO800のフィルムで臨んだことがありますが、
「ハズレ!」のコマの、400よりもかなりの汚さにはがっかりしたものです。
あれこれと悩んで、今は「フジカラー・プロ400」を愛用していますが、
何が「プロ400」かというと最大のウリは「ラチチュードが広い」、
少々、条件の変化に露出決定が追いつかなくとも、多少は融通の利く、
”プロお助けフィルム”だから、なんだとか。
人間が見たとおりの印象を普通のプリントで再現させるにはノンフラッシュで二段オーバーがよろしいとか いうのをいろいろ数字をあげて論じてました。 NPモードのきもは 2段オーバー ノンフラッシュ 最低シャッターは45分の1 だあたかな。
カメラ名だから悩む。 トライXで万全。
961 :
前スレ86 :2005/12/24(土) 23:22:42 ID:???
>>959 ライブハウスでストロボを使ってよいという「許可」が出た場合、
記念写真というか「全部、ろくに写っていないという事態回避」のため、
ストロボ、ボン!のショットを撮っておくことがありますが、
手製のディフューザーをつけていても、バウンスを利かせても、
土台は青白いキセノン光、
ミュージシャンや観客が青白い顔色の、デスラー総統になってしまいます。
大昔の「科学朝日」で読んだことがあるのですが、
太古の昔、焚き火を灯りとしていた時代からの名残りなのでしょうか、
人間の目や心理は「暖色系」にシフトする傾向があるんだそうで、
「見た通りの印象」は、デイライトフィルムで補助光なし、に近づく、ということになるのでしょうか。
962 :
613 :2005/12/24(土) 23:23:40 ID:???
FX-3 SUPER 2000って「中国とヤシカ」っていうより「中国とコシナ」っていう気が・・・。 設計コシナ、製造ヤシカ(京セラ)の中国の協力工場らしいが・・・。
そういやナチュラのレンズはコンパクトカメラとしては異例の明るい24ミリF1.9。 ノンフラッシュ夜間撮影には最低F2がいると論じてました。
964 :
前スレ86 :2005/12/24(土) 23:41:13 ID:???
>>960 どこかで聞いたような・・・。
トライXで万全、と聞きますと、20年以上昔を思い出してニヤリとしてしまいます。
たしかにあの頃、モノクロとくればトライX一色でした。
ものは試しに「ネオパン400」を使ってみたら、
現像が下手くそなせいですが何ともネムいネガができてしまい、
やはりトライXだよナ、と、フジフィルムさんからお叱りを受けそうなことを思ったものです。
かの沢田教一氏が、米軍三沢基地のPXにあるカメラ店で働いていた時代、
米軍PXにはふんだんにあるトライXも、日本の一般マーケットではなかなか手に入らず、
沢田氏と親しいアマチュアカメラマン、沢田氏に頼んで回してもらっていたそうです。
ライカM4を使い込むと、パトローネ室の内側の反射防止塗装にパトローネの塗料がスレて、
普段、使っているフィルムのパトローネの色がつきます。
ライカ・マイスター氏いわく、
「その昔、みんなコダックだった時代は、ここがまっ黄色になったものですよ」。
照明のはやりが暖色系で青色あたりの露出が不足して見た目より赤っぽく写るから 2段オーバーで青色あたりの露出を適性にするとか書いてありますね。 EV8以上では2段オーバーはオフになるみたいです。 また人間が見えないような暗さ(EV3.5未満)は人間が見てもまともに見えないんだから まともに写らなくてもいいと言う割り切りもある。
966 :
前スレ86 :2005/12/24(土) 23:46:11 ID:???
>>962 間違っていればご指摘下さい。
オリンパスOM2000や、現行機種ではニコンFM10も、
同系列と聞いたことがありますが・・・。
967 :
前スレ86 :2005/12/24(土) 23:57:17 ID:???
>>963 昔のコンパクトカメラは、みな一様に、
現在のコンパクトカメラより明るい単焦点のレンズがついていたものです。
現在の高倍率ズームつきコンパクトカメラは、
ズーム機能の反面、暗いレンズになってしまい、ちょっと首を傾げなくもありません。
「ろうそくの光でも写せます」のキャッチフレーズで売り出した、
F1・7つきEE、ヤシカ・エレクトロ35は、
ベトナム戦争当時、サイゴンの米軍PXで一番の「売れ筋」だったそうです。
ある意味、ニコンやキヤノンの高級機より進んだカメラだ、と、米兵にもてはやされていたとか。
968 :
前スレ86 :2005/12/25(日) 00:06:24 ID:???
>>965 人間の目は暗いところに慣れる「暗順応」の機能があり、
陸上自衛隊の訓練にも「暗順応」の訓練があると聞いたことがあります・・・が、
カメラはそうはいきません。
デジタルならば、撮影途中で感度を上げることも簡単ですが、
銀塩ではフィルムを詰め替えない限り・・・。
よしんば詰め替えたところで、肉眼とは似て非なる写真ができてしまい、
あるライブの撮影の上がりを見て、頭を抱えたことがあります・・・修行が足りない私です。
969 :
613 :2005/12/25(日) 00:07:21 ID:???
970 :
前スレ86 :2005/12/25(日) 00:17:56 ID:???
>>969 うむむ、なるほど、ご教示ありがとうございます。
外観が似てはいても、設計は全くの別物なのですね。
FX−3をベースにしたのが中国の「フェニックスDC」というところは、
私の感想が合っていたようで、ちょっとホッとしています。
中国で「フェニックスDC888k」を買ったときは、
店頭の展示機は最初から露出計がオシャカで、
もう一台出してもらって、しつこく動作確認をして買ったものです。
結局、銀塩カメラの未来はコシナにかかっているのかも知れない・・・。 なんて言うと怒られるんだろうなあ〜。
ニコンFM3Aかっちゃったよ。 ちょっとびっくりしたのは2001年発売なのに イージーローディングじゃないこと。 ニコンFと同じや。むろんFG-20とも。
小刻み巻き上げでないことはなんの不都合もなかった。 シャッターにロックがかかるのはいいね。 巻き上げレバーを少し引き出してロックがはずれるわけだが FもFG-20もレバー格納状態でシャッターが切れたので なかなかなれないかなと思ったがそんなことはなかった。 ニコンのカレンダーを店でくれたんだけど 表紙と各月12ヶ月計13枚の写真のうち 11枚がデジタル撮影だったよ。
コシナの一眼って絞り込み測光ですよね。 スタジオ撮影ならいいんだろうが 一般用途には向きそうにないなあ。
975 :
前スレ86 :2005/12/26(月) 09:11:32 ID:???
>>971 いや、案外とそうかも知れません。
銀塩が大判など「特殊目的」か、または「趣味」の世界に残るものになってしまうと、
超大手メーカーではやはり採算を考えた場合、二の足を踏みかねないでしょう。
ニコンF6でも「よくやった!絶対に出ないと思っていた!」という声が多かったですし。
976 :
前スレ86 :2005/12/26(月) 09:20:39 ID:???
>>972 ご購入、おめでとうございます。
FM系の集大成とも言える、実によいカメラだと思います。
私の後輩が愛用しており、ちょっと使わせてもらったこともあって、
実は私も欲しいぐらいなのです。
基本的にはFM/FEを踏襲していますので、
イージーローディングは搭載されておりません・・・と、いうか、
基本に徹したカメラかと思っております。
977 :
KE−86 :2005/12/26(月) 10:42:55 ID:???
次スレに備えてコテハンを改めてみました。
皆様、よろしくお願い申し上げます。
>>973 例えばローライ35は、巻き上げ角が大きい上に分割巻上げができないのですが、
個人的にはとりたてて不便とは思いません。
「一度で巻き上げを済ませる」使い方さえ心得ておけば何の不都合もないと思います。
巻き上げレバーを引き出すと電源が入る(巻き上げレバーの格納が電源スイッチを兼ねている)のは、
私のF2フォトミックAもそうなのですが、
「さあ、今日は今からだ!」とレバーを引き出し、1日が終わって「お疲れさま」でレバーをしまう、
この使い方で、電池の消耗などなどの問題はありません。
F2の場合、シャッターは機械式で、Fと同じく電源とは関係なく切れますが・・・。
今月の「アサヒカメラ」に「ニコンFを使う」特集がありますね。
いいな、いいなFM3A!俺もほしいな〜。でも財布の中身がなぁ・・・。
ラッキーカメラで逆輸入品のFM3Aが5万円台でまだあるみたいです。
例のカールツアイスが一眼レフのレンズを出すという話、 正式発表は来年の1月18日でそれまでは1週間に一回 ちょっとずつイメージによるディザー広告をホームページに 載せていくと言うことらしい。 カールツアイスがZFを出すと書いてあるから やっぱりFマウントのレンズかしらん。
982 :
KE−86 :2005/12/27(火) 22:14:37 ID:???
>>981 何と申しますやら、じれったいような楽しみのような(笑
ところで、Fマウントまでは確かとして、AFになるのでしょうか?
それとも、あくまでもMFでしょうか、嗚呼、想像が・・・。
プラナー50mmが欲しいよ マクロプラナー100mmプラナー85mm、が欲しいよ でも高くて買えないかもしれないけど_| ̄|○
984 :
KE−86 :2005/12/27(火) 22:29:21 ID:???
ツアイスの写真事業部のホームページに出ているティザー広告の一連のイメージの中に ニコンF6とニコンFMとがとZFという文字が写っているのがあった。これを含めて推測すると ツアイスはFマウントでAi対応のMFフォーカスの一眼レフのレンズを来年発売する で確定であろうか。
986 :
KE−86 :2005/12/27(火) 22:47:00 ID:???
>>983 ライカMマウントのプラナーも、Fマウントのプラナーも両方欲しい私です。
・・・価格は・・・さて、何回払いの分割を組んだらいいやら。
思わず手元の「年末ジャンボ宝くじ」を見つめてしまう、私です、ハイ。
今月の「日本カメラ」にはプラナー80mmF2・8のついた、
NASA仕様のハッセルブラッド・エレクトリックカメラ・500ELが紹介されておりますが、
同時期、東独のツァイスも高解像度の測地カメラを開発、
ソ連の宇宙船に搭載され、優秀さを発揮していたといいます。
>>986 プラナーの撮り味知ったら他のレンズじゃ満足できないです。
カリカリでそのくせ階調表現の高い広角レンズを希望>ツァイス・デア・グロッセ様 地上展示機にはこの手のレンズが欠かせません。 newFM2で使い倒しますから。
Fマウントのプラナー50oがコシナ製であったなら、定価8万程度であろうか? もしも、made in Germanyであったならば、定価○○万で諦めるしかないのであろうか?
990 :
KE−86 :2005/12/27(火) 23:03:06 ID:???
>>985 MFであれば私などはうれしい限りなのですが、
圧倒的多数のユーザーがAFを使う現状もありますし・・・。
「ツァイス・レンズネタ」で手元の資料をひっくり返しておりますと、
ゾルゲもコンタックスに装着してご愛用、
また、日本では戦艦ミズーリ艦上での降伏調印式を撮ったレンズ「ゾナーF1・5」の、
1932年、発売当時の価格がありました。
レンズ単体で300マルク・・・3年後の1935年、ライカVaがエルマーF3・5つきで307マルクです。
感覚的に今の日本市場に置き換えると、フラッグシップモデルの1眼+標準レンズ並みの価格のレンズ、
25〜30万円ぐらいといったところでしょうか。
991 :
KE−86 :2005/12/27(火) 23:06:16 ID:???
>>987 >>990 のように考えれば、まさか20万円もしないでしょうから安い買い物ですよ!?
わはははは(ちと空しい高笑い
992 :
KE−86 :2005/12/27(火) 23:17:12 ID:???
>>988 航空祭での地上展示機撮影は、私も35mmを常用しています。
とりわけ、ニッコールの鋭い感じが、軍用機撮影に向いているように思っております。
993 :
KE−86 :2005/12/27(火) 23:22:52 ID:???
>>989 こればかりは続報を待つしかありませんね・・・。
ツァイス・イコン発売前に、どこかのカメラ雑誌で読んだ記憶がありますが、
ツァイスの技術者が、
「どこの国で製造されても、ツァイスの品質基準を満たす以上、ツァイス製品に変わりはない」と、
言っておりましたっけ・・・。
995 :
KE−86 :2005/12/27(火) 23:29:37 ID:???
>>994 ・・・またもや沈黙の艦隊・・・。
ローライ35Sの「HFTコーティング」、
ゾナーにローライが独自のコーティングを施したという、
その威力に私、最近、しびれっ放しでもあります・・・。
>>994 ドイツ製しかし、25マン〜35マンのレンズなんて買えますのん?オイラは無理っす。
ところで、次スレどうしよう?
999 :
613 :2005/12/28(水) 00:04:19 ID:???
日本で一番良く見る(見られる)ツァイスのレンズは ソニー製品に付いてるタムロンの(ry
_ ,,从.ノ巛ミ 彡ミ彡)ミ彡ミ彡ミ彡)ミ彡)''"
,'´r==ミ、 口は災いのもとよぉ… 人ノ゙ ⌒ヽ 彡ミ彡)ミ彡)ミ彡)'
,_ _ _ 卯,iリノ)))〉 _ _ _ゴオオオオオ ,,..、;;:〜''"゙゙ ) 从 ミ彡ミ彡)ミ彡,,)i
/ `."-|l〉l.゚ ー゚ノl/ ,,..、;;:〜-:''"゙⌒゙ 彡 ,, ⌒ヽ ミ彡"
'"'⌒`~"'" ''|!/'i)卯iつ i==m==:::゙:゙ '"`Д´)ノ>
>>999 ミ彡)彡''"
''y /x lヽ ``゙⌒`゙"''〜-、:;;,_ ) 彡,,ノ彡〜''"
l†/しソ†| ゙⌒`゙"''〜-、,, ,,彡⌒''〜''"人 ヽノ
lノ レ
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