あなたのおじい様の戦争体験を教えて その8

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前スレ

あなたのおじい様の戦争体験を教えて その7
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1101638168/
2名無し三等兵:2005/05/08(日) 00:22:56 ID:???
自営業センセイに捧ぐ
3名無し三等兵:2005/05/08(日) 00:44:26 ID:l9qHn4+e
おじい様っちゅうか、ひいじいさんの兄。どう呼んでいいのかわからない。
大口の戦いで、桐野利秋を撃ち殺した。西郷隆盛の姿は見えなかったそうだ。
4名無し三等兵:2005/05/08(日) 00:49:50 ID:h0GyoPeZ
インドネシアの日本兵悔恨の生涯、追跡42年ジャピンド最後の10人本音を激白
http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=28777335&area=osaka
5名無し三等兵:2005/05/08(日) 00:54:19 ID:6n1LYbxS
じいちゃんが占守島の戦いに参加してたと聞いたときはびっくりした。
愛媛の22連隊(途中から西部32部隊とか読んでたらしい)という部隊にいたらしいのだけど。
6名無し三等兵:2005/05/08(日) 00:55:37 ID:w2VU1SHX
>>3
…西南戦争?日清戦争より前?
7名無し三等兵:2005/05/08(日) 01:04:55 ID:6n1LYbxS
徴兵されて関東軍に送られて黒龍江→内蒙古→熱河省→占守島と転戦、終戦後は
シベリアに5年間抑留されてたとか。

じいちゃんの軍人恩給で大学行かせてもらってます。
ありがとうじいちゃん。
8名無し三等兵:2005/05/08(日) 15:41:57 ID:WDZLMPCq
それとは別にモロタイ島で旧日本兵が見つかったらしい。高砂義勇兵か?
9名無し三等兵:2005/05/08(日) 18:53:20 ID:???
>>5>>7
よく分からんけど、とりあえず

松山22連隊は沖縄で玉砕してる。別の部隊じゃないかな?西部32部隊
ってのは西部軍所属の第三十二軍ってことだと思う。
第32軍は第24師団22連隊(松山)の昭和19年8月からの上級部隊。
(昭和19年までは第5軍所属)

松山だと55師団の丸亀連隊にも所属してた人がいるんで、ビルマ
戦線にも行ってる人がいる。

占守島の防衛部隊は第九十一師団で、幾つかの独立歩兵大隊から
構成されてるから、戦傷とか何かの都合で原隊を離れた後、沖縄に
いる原隊復帰できず、独立歩兵大隊に回された、ってことじゃないかな?

>>7を読むと関東軍にもいらしたってことなんで、それと占守防衛って
ことで、23師団所属かも。お爺さん、九州出身の方じゃないですか?
10名無し三等兵:2005/05/08(日) 20:40:10 ID:???
>>3
「半次郎どん、もう良かぁ!」
115:2005/05/08(日) 21:00:54 ID:bhQ/DufL
>>9
じいちゃんは生まれも育ちも愛媛県です。
本人は小野田(小田だったかも)の錬兵場で訓練した後、釜山経由で満州に
配属された、とのこと。
それと、22連隊で途中から西部32部隊になったってハッキリ言ってました。
戦傷… していたのかな?
今度帰省したら聞いてみよ。

なんにせよ>>9さん情報サンクス(´▽`)

占守島ではなんか、みんな凄く戦意旺盛で戦車が沢山出撃していったけど、
ソ連兵に車長さんが沢山撃たれて(ハッチから身を乗り出してたとか)大変
なコトになってたと言ってました。
12名無し三等兵:2005/05/08(日) 22:11:20 ID:???
うちの爺さん、択捉(だったかな)にいた時『日本に帰してやる』の言葉を真に受け
(というか、信じざるを得なかったらしいが…)
そのままロシアにつれていかれちゃったそうな。

現地でシベリア鉄道の修理に従事していたが、向こうのエライ人に気に入られ
『ジョルカ』という名前を貰い、その人ん家の小間使いにまわされたとの事。
現地の厳しい気候プラスキツい仕事でバタバタ死んでいく仲間に申し訳なく思いながらも
内勤になった自分の運の良さに感謝したそうだ。
帰国の許可が出た時も「こっちに残らないか」と言われたが「女房子供がいるから」と帰ってきた。

で、一方うちの婆さん。
爺さんの横暴さ(当時はそういう人だったらしい)に苦労していて、戦争に行ったのを内心喜んでおり
「よもや生きて帰ってはくるまい。良い別れ方をした」と思っていたのにノコノコ帰ってきたもんだから
心底ガッカリしたそうだ。

現在、爺さんも婆さんも喧嘩をしつつ元気で暮らしております。
この話を聞いた折、恩給の手続きを忘れ貰い損ねてた事に気付き
またもや小競り合いになってました(w
13名無し三等兵:2005/05/09(月) 00:48:59 ID:???
パンドン?というところで武装解除を受けたらしいです。
中国兵に武器等を引き渡す時のことですが、
ヤツら簡単な掛け算も出来ないらしい。
整然と積まれた荷物を1個1個数えて行く。
ぱっと計算して荷物の数を答えても信用しない。
「そんなに早く数えられる訳がないだろ」
・・・・・・・・・
こんなのに武装解除を受けて心底口惜しかったそうです。

14名無し三等兵:2005/05/09(月) 09:42:25 ID:???
寺子屋が浸透した日本は世にも珍しい国の類です
15名無し三等兵:2005/05/09(月) 18:15:24 ID:???
>>13
・・・腕時計のゼンマイのネジの巻き方を知らんかったり、
水道の蛇口の使い方を知らなかったり。

  世 界 は 広 い で す 。

orz
16名無し三等兵:2005/05/09(月) 21:30:19 ID:lrqpIya/
5>
爺様は22連隊出身ですか。漏れの爺さんも2人とも22連隊だ。
もっとも、昭和10年と13年の現役兵で、5氏の爺様と同年兵位だろう。
西部32部隊というのは、丸亀の12連隊の通称号で、昭和15年に22連隊が
北海道の24師団に改編された後は、愛媛県人の歩兵はここに大多数は入営した。
しかし22連隊に入ったと言うことから推測すると、新兵として松山の22連隊の
補充隊に入営後、小野(いまは自衛隊の松山駐屯地)の演習場で1期の検閲を終え、
満州の原隊に配属となった。
その後何かの都合で内地に転属になったが、そのときは22連隊は北海道に行って
しまい帰ってくる場所がないので、愛媛県人の受け入れ場所として、所管替えに
なった西部32部隊に入り、そこからまたどこかの独立歩兵大隊に転属になった
のではないだろうか。
と漏れが推測するより、爺様に自分の兵籍簿をとってもらったら良いんじゃないの。
兵籍簿のコピーの請求先を書いておく。
790−8570
愛媛県松山市一番町四丁目4−2 
愛媛県庁長寿介護課援護恩給係
089−912−2434
漏れも爺様の兵籍簿を見せてもらったが、詳細な履歴にびっくりした。
何月何日にどこで戦闘したかに始まって、左端には「刑罰」の欄もあって、
うちの爺さんは大事な官品の何かを無くしたらしく
「重謹慎5日」を食らっているのまで書いてある。(下士官だったので謹慎処分。
兵隊なら重営倉だ。)
これは絶対とっておいて損はしないぞ。
戦闘の履歴を見ながら昔話を聞けばただ話を聞くだけよりリアルに感じるぞ。
17名無し三等兵:2005/05/09(月) 22:10:35 ID:???
>>5>>16
24師団は北海道で編成されただけで北海道に駐屯していたわけじゃ
ないでしょ?中国に昭和19年まで駐屯してたはず。その後、沖縄に
布陣した。以下のサイトの40番を見て欲しい。24師団の最後の戦闘
経緯が書かれてる(沖縄戦)。

http://www.h2.dion.ne.jp/~uehara86/page018.html

ところで、西部32というのが丸亀連隊というのは知らなかった。
情報、ありがとう。
(いや、妻の祖父が松山出身なんだけど丸亀連隊でビルマに行ってる
ので。)
18名無し三等兵:2005/05/10(火) 00:19:35 ID:???
>>17
第24師団が編成されたのは、満州ですよ。
当時たまたま満州にいた各師団から、連隊を引き抜いたから、
松山22連隊(元11師団)、山形32連隊(元第8師団)、旭川89連隊(これだけは新編)という、
郷土部隊主体の陸軍らしからぬ、妙な編制になってるんです。
19名無し三等兵:2005/05/10(火) 01:00:43 ID:c0zyb76o
じいちゃん潜水艦部隊でしたが潜水艦がないので大発で船遊びしてました。
町とかに繰り出したとき特攻隊だともてるので、陸軍なのに錨の記章を付けているのをいいことに船舶特攻だと言ってたそうです。
20名無し三等兵:2005/05/10(火) 01:17:11 ID:V575ZlHM
俺の知り合いの爺様は終戦直後、
近所の海軍航空隊の基地に忍び込んで航空機用の上等なガソリンを盗み出し
漁船のエンジン用に使っていたそうな。
21名無し三等兵:2005/05/10(火) 01:20:57 ID:???
うちの爺様はシベリア出兵行ったそうだが、途中で部隊から逸れてしまい、
あちこちを彷徨いながら部隊を探しつづけたそうな。
その後、食料も尽きたので「徴発」の為に貨車に忍び込んだところ、
それが米軍の貨車だったらしく取り押さえられて、
「お前達はどこから来た!」といわれてまさか三重県と言っても通じるわけもないので
とっさに「KOBE」と言ったそうな。
その時に「日本からも軍隊が来ていたのか…」と言われたらしい。
その後は無事に日本軍の元に送り届けてもらったらしい。
ただ、この爺様はうちの父が生まれてから数年で亡くなってるので叔父叔母から聞いた話。
22名無し三等兵:2005/05/10(火) 01:22:17 ID:???
親戚の爺ちゃんは、大工だったが、海軍に工作兵として徴集されて、
震洋の製造現場に配属されたんだって。
「生きて帰れる兵器だったの?」と聞いたら、目をつぶり黙って首を振っていた。
23:2005/05/10(火) 02:27:24 ID:Rbnhbzsc

一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。
少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。
飛行服の男たちだった・・・
                 (中略)
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては
難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。
善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。
こういった不良分子(朝鮮人)は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首に巻きつけ、
肩で風を切って町をのし歩いた。腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた
鉄パイプの凶器を引っさげたかれらの略奪、暴行には目にあまるものがあった。
警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」警官は小突き回され、
サーベルはヘシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。

「山口組三代目 田岡一雄自伝」より
24名無し三等兵:2005/05/10(火) 02:32:30 ID:???
父方の爺ちゃんはシベリア抑留組。
あまりにも過酷な環境で、死を覚悟したらしい。その状況下、生き抜くために必死で
敵の兵士の言葉を覚えて通訳をしたそうです。通訳をしていると、重労働から解放さ
れるし将校から食料を分けてもらえたらしい。それで、なんとか帰国できたとのこと。
そんな爺ちゃんの口癖は「死ぬ気で勉強したらなんとかなる」でした。
25名無し三等兵:2005/05/10(火) 06:12:38 ID:???
うちの爺さんは伊401の機関兵で、ウルシー環礁到着前に終戦を迎え、金華山沖で米軍艦に拿捕されたのだが、
米兵に「おまえらの潜水艦マジすげえよ!」とか言われて誇らしかったそうなw

一方その頃、「神風が吹いて日本が勝つ」と信じる純情娘だった婆さんは呉の高等女学校に通っていたのだが、
ほとんど勉強もできず、工場で銃弾を磨く毎日だった。
そんなある日、早朝から工場で働いていると、同級生たちが次々と窓際に集まって行く。監督している軍人(?)までが
一緒になって窓の外をポカンと眺めている。婆さんが窓から外を見ると、巨大なキノコ雲が見えた。
ちなみに、工場の騒音のためか、爆発音などは聞こえなかった、とのこと。

数日後、広島市に救援に行っていた軍人たち(この辺記憶があいまい。軍人じゃなかったかも)が帰ってきたのだが、
よく冗談を言うひょうきんな人が、まるで人が変わったように暗く変わってしまっていたらしい。
(ひょっとしたら被爆のためかも知れない)
広島で何を見たのかなど、とても聞ける雰囲気ではなかったという。
26名無し三等兵:2005/05/10(火) 19:56:06 ID:???
山梨県庁の兵籍簿は情報規制の為かなりしょっぱいらしい…orz
27名無し三等兵:2005/05/11(水) 00:54:29 ID:9xhf0p6B
16です。
幾つか言い忘れていますた。
西部32部隊は、12連隊の留守隊が55師団編成時に112連隊になっているので
112連隊が多分正しいと思います。
ですから17氏の爺様は55師団所属の112連隊でビルマに行っていたのではないでしょうか。
漏れの婆さんの弟は、1年志願の少尉になっていたばっかりに、19年の10月頃に44歳で召集で
112連隊に配属され、20年の2月に速攻で亡くなっています。
ちなみにこの人の3歳上の兄は、横着者だったため1年志願でも少尉になれず、結果として支那事変でも
大東亜戦にも応召されることなく天寿を全うしますた。
また、22連隊ですが、新兵や召集兵を集める留守業務が北海道に変わったということです。
本隊は満州の密山に沖縄に行くまで駐屯していますた。
28名無し三等兵:2005/05/12(木) 01:35:26 ID:???
農家の三男坊だったため若くして職業軍人となり、
大戦時には一個中隊を率いていた大正生まれの祖父。

ある時自分は士官学校の教官になることになり、
満州で自分の隊と別れて帰国。
その後部隊はグァム島で全滅した。

戦後もそのことを申し訳なく思っていた祖父は
この国の防衛のために色々尽力した(と少なくとも本人はそう思っている)。

その祖父も先日亡くなった。
告別式には自衛隊関係者が何人かきてくれて
キビキビと焼香をしてくれた。
幕僚長?という人からの弔電もいただいた。
俺にはよくわからないが一応祖父なりに色々とがんばっていたんだろう。
29名無し三等兵:2005/05/14(土) 11:36:21 ID:???
23は1ではない。そのことを確信できるのは私だけ。なぜなら私が1だから。
30名無し三等兵:2005/05/14(土) 13:14:45 ID:???
>>29
どうしてトリップないの?
31名無し三等兵:2005/05/14(土) 14:58:52 ID:???
>>30
素でレスすると、あれは名無し三等兵とコピペしたはずなのに、立ったらバケてたのだ。
初スレ立てだったので、なにがおきたのかわからにゃい。
32名無し三等兵:2005/05/17(火) 01:04:04 ID:vWUA6SM/
>13
内の父方祖父も中国戦線に行っていて、祖父は中国人を
大変尊敬していたようです。
それは彼らが苦難に耐え、”生きてこそ”みたいなこと
だったようです。(文化にも感銘したようですが)

で、四則演算の話ですが、祖父の部隊も戦闘休止中等は
一般中国人と会話等して、祖父のような初等教育しか受けられ
なかった兵士が、算数みたいな話しをすると中国人は驚いて
いたとの話を父に聞きました。
33名無し三等兵:2005/05/19(木) 05:26:01 ID:???
私の祖父は艦名は聞いていないのですが駆逐艦に乗っていてその艦が沈む1ヶ月前に速記が出来たので陸の通信施設に異動になったそうです。
芸は身を助けるとはこの事だと思いました。
34名無し三等兵:2005/05/19(木) 12:01:05 ID:fZ5VIsuO
さっき電車でいきなり声かけられて聞かされた話せっかくなので書くよ
そのおばあさんも私も愛知県在住なんですが、
おばあさんが私ぐらいの時(10代後半かな?)の時に空襲で名古屋城やその他一体が焼けの原。
食物がないんで市役所だかに貰いに行ったらしい。
市役所では鮭の干したのをもらったんだけど、その鮭の表面がくる途中に落ちていた焼けた腕やら足にそっくりで気分が恐かったとか。
あんま良く聞こえなかったから分からないけどこんな感じ。
あとB29の話も聞いたから後でかくっす
35名無し三等兵:2005/05/20(金) 01:39:10 ID:+yueMdxl
うちの爺さんは、はじめ満州にいて、
最後のほうは航空の事務かなんかやってたらしい。
父の話によると軍曹だったらしい。
本当かどうかはしらないけど。
爺さんの兄貴は戦地に向かう途中船が撃沈されてなくなったらしい。
36名無し三等兵:2005/05/20(金) 11:21:06 ID:???
子供の頃、断片的に聞いた話をまとめただけなので、まとまっていないですが

・昭和14年、鳥取の歩兵連隊に徴兵
・昭和15年から16年にかけて、中国戦線を転戦
・昭和16年末、台湾に転戦。行き先不明のまま、輸送船にて重装備出港
・昭和16年12月、船上で対米英開戦を聞く。同月、フィリピン、リンガエン湾上陸。マニラ・クラーク基地攻略に最前線で参加。
クラーク基地にあったキャメルを吸い、以後洋もくファンになる
・その後、自動車廠部隊に移り、トラックや士官用乗用車の運転手になる。山下将軍の運転手もしていたらしい
・戦局が悪くなってきた頃、トラックの荷台で寝てるとP-38の襲撃にあい、背負っていたリュックがぶち抜かれ軍票がシュレッダーにかけたようになる。
・米軍の攻撃により、マニラ放棄。山岳部に潜む。
・食べるものに困り、何でも食べたらしい。ニシキヘビは美味かったといってた。最後には、自分のウンコの中から未消化の木の実や豆を取分け、再度口に入れていたらしい。
・昭和20年10月、米軍に投降。昭和21年帰国。最終階級:曹長
37名無し三等兵:2005/05/20(金) 23:40:21 ID:???
うちのじいちゃんは
乗船してた駆逐艦が撃沈されて(場所も言ってたけど忘れた)
泳いで日本に帰ってきたらしいんだけど
死んだ今、真偽は定かじゃない
38名無し三等兵:2005/05/23(月) 03:45:59 ID:???
子供の頃に聞いた話だと皮のベルトで叩かれるって言ってたよ
39名無し三等兵:2005/05/24(火) 06:48:59 ID:???
家のじい様は飛行場大隊にいたらしい(海軍の方かもしれないが)
なんでも南方の方に行ったらしいのだが、戦局が悪くなる前に体壊して内地へ
送還。終戦を迎える。
群馬県中之条の辺りに家があるんだが、何処の部隊に配属されたか解る方いらっしゃいますでしょうか?
南方って言うのが何処なのか、なくなった今判らない物で…。高崎で編成されたとしたら
インドネシアの方に出たのではないか?と個人的に調べた結果出たのですが確証がもてません。
40名無し三等兵:2005/05/24(火) 20:00:37 ID:???
>>39

このスレを最初から見てくれ!重要なヒントが見つかるぞw
41名無し三等兵:2005/05/24(火) 21:46:07 ID:???
4239:2005/05/25(水) 01:57:04 ID:???
>>40
ヒントっていうと兵籍簿云々の所でしょうか?
昭和25年にじい様なくなっているんですが、情報残ってるかな…。
折を見て田舎の方の役所に電話して見ます。返答有難う御座いました。
43名無し三等兵:2005/05/25(水) 09:00:27 ID:???
>>42
仮に高崎連隊だったらペリリュー島に行った部隊じゃないの?
ペリリュー島に行く前に除隊、ってことじゃないかな?
44名無し三等兵:2005/05/25(水) 09:46:13 ID:???
母方の祖父、陸奥の砲術科兵。
訓練中に閉鎖機?かなにかにはさんで左手の中指、薬指、小指を切断。
傷痍除隊も決まって、「訓練で手を無くして除隊なんて・・・」と呉の病院で落ち込んでたところ
陸奥は爆沈・・・・。
「おらぁ、指三本と娘三人(漏れの母ちゃんは三姉妹で除隊後できた子供)ひきかえたぁ」
ってよく言ってた。
45名無し三等兵:2005/05/27(金) 15:49:55 ID:???
戦艦で、食料倉庫の食べ物と醤油の量とか、味噌の量とかの在庫チェックしてたと
言っていた。仕入れとかもしてたらしい。後は食費の計算とか、事務みたいな仕事
ばかりだったみたい。軍の学校で会計とか勉強したみたいだった。なんだか、勇ま
しい話は無いみたいだ・・・w

当時はそれでも忙しくて、食器が割れたから新しいのをくれ、とか醤油がマズイとか
色々大変だったらしい。
46名無し三等兵:2005/05/27(金) 15:52:38 ID:???
主計兵?
47名無し三等兵:2005/05/28(土) 03:21:34 ID:???
主計科でしょうなあ。
48名無し三等兵:2005/05/28(土) 10:41:46 ID:???
>>45

勇ましくなくとも、主計は大事な職種だぞ。学校出たってことは、経理学校出身か?
経理学校出はエリートじゃないのか?
49名無し三等兵:2005/05/28(土) 10:55:36 ID:iQU+yuEU
>>48
その通り陸軍経理学校卒っていったら当時じゃエリートだよ
よっぽどの事情が無い限り確実に主計将校になったんだから
50名無し三等兵:2005/05/28(土) 11:02:24 ID:???
>>45は「戦艦で」といっているのだが・・・
51名無し三等兵:2005/05/28(土) 15:14:35 ID:???
中曽根も海軍主計科将校
52名無し三等兵:2005/05/28(土) 17:33:44 ID:???
主計科は、将校とは言わないような希ガス・・・
53名無し三等兵:2005/05/28(土) 18:17:08 ID:iQU+yuEU
兵科 機関科 主計科 衛生科 整備科 工作科 技術科 飛行科

それぞれに兵・下士・将校がいまツ
54名無し三等兵:2005/05/28(土) 18:22:12 ID:???
いや、主計科の士官は「士官」であって、「将校」ではない筈。
55名無し三等兵:2005/05/28(土) 18:47:55 ID:???
普通、士官と将校は、イコールでいいじゃない?
それとも、旧軍固有の区別があるの?
56名無し三等兵:2005/05/28(土) 18:50:11 ID:???
小さな通信所で働いてたらしい。仕事もあまり無くて、毎日山に行って
散歩したり、アケビを食べたり昼寝してたと言っていた。それでも、終戦
の時は悔しくて、みんなで泣き叫んだと言っていた。「あれだけ、泣き叫んだが
、俺らはなんいもしてなかったけどなw」と、笑っていた。去年の夏に死んだから
もっと色々聞いておけばよかった。
57名無し三等兵:2005/05/28(土) 18:56:29 ID:sqzUL/bF
俺のじいさんは瀬戸内海付近で、古い空母とかを隠す任務についてたらしい。
んで、鳳翔?に乗ってたとか。
58名無し三等兵:2005/05/28(土) 19:22:37 ID:MpeNNKYe
>>55
のやつ、詳しい人お願い。
59名無し三等兵:2005/05/28(土) 19:33:40 ID:???
>>55
戦闘に直接関係する兵科の士官を将校といいます。
つまり、将校は必ず士官ですが、士官は将校とは限りません。

ただ当時は慣用的に、陸軍は将校、海軍は士官という使われ方もしていたようです。
60名無し三等兵:2005/05/28(土) 19:46:55 ID:???
将校とは、士官のうち軍隊指揮権を持つものである。
海軍では、士官のうち兵科および機関科のみ「将校」と称し、これ以外を「将校相当官」と呼び将校には含まれなかった。
すなわち、将校と将校相当官をあわせたものが士官である将校相当官には、軍隊指揮権は与えられていない。
陸軍においては、ながらく「将校」および「将校相当官」の区別があったが、昭和11年にすべて将校に統一され、区別が必要な場合は「兵科将校」もしくは「各部将校」と称した。
61名無し三等兵:2005/05/28(土) 20:11:53 ID:???
おおー、素晴らしい。
主計科士官が正しいのですね。
62名無し三等兵:2005/05/28(土) 20:21:42 ID:???
「将校」という文字の、「校」の文字ってどういう意味があるんでしょうか?
63名無し三等兵:2005/05/28(土) 21:31:57 ID:???
64名無し三等兵:2005/05/28(土) 21:39:11 ID:???
>>62
校→校尉→律令制で、兵士二〇〇人の長の事。
        転じて、一番上の隊長(軍団を率る人→率る人→ゐる人→将る人)以外の各部隊の隊長の事。
6539:2005/05/29(日) 05:27:27 ID:???
上の方でレスしました者です。
兵籍簿のコピーが見れるかどうかの問い合わせをしました所、以下の回答が帰ってきました。

「兵籍簿の管理は市町村ではなく群馬県で管理してます。
その兵籍簿も原則非公開であり、コピー等は一切交付してないとのことです。
恩給等の請求の場合のように、使用目的がはっっきりしてる場合のみコピーをとり、
請求書に添付するそうです。この場合でも、本人にはそのコピーは渡してないそうで
す。」

との事。残念ですが諦めざる負えないようです。


66名無し三等兵:2005/05/29(日) 06:22:26 ID:???
>>65
なんか間違ってる希ガス、普通に県庁に『軍歴請求』すればよいのでは?
67名無し三等兵:2005/05/29(日) 12:46:39 ID:???
憲兵だった。何事もなく、内地で無事に終戦を迎えたとのこと。家にまだ
当時の、けん銃と実包が数発残ってるんだがこれはどうすればいいんだろう・・・
68名無し三等兵:2005/05/29(日) 13:16:32 ID:???
捨てたいのなら警察へ届ける。
記念にとっておきたいなら銃砲店へ相談。
銃と実包は銃工へ頼んで発射機構を殺して火薬と雷管抜いてもらえば所持
できるはず。商売柄警察とつきあいがあるし、見込み客の依頼になるべく添
えるように警察へ働きかけてもらえるだろう。
69名無し三等兵:2005/05/29(日) 23:45:25 ID:???
>68
それでは戦艦陸奥の解体と同じで、真の価値が無くなる。
時代が変われば法処遇も変わるので、大事に秘蔵しておくべきかと。
70名無し三等兵:2005/05/30(月) 01:47:38 ID:???
ばれたときがめんどくさいから、きちんと処置しといたほうがいいと思うよ・・・
71名無し三等兵:2005/05/30(月) 12:15:13 ID:QHscqwTE
うちの爺ちゃんも憲兵だったが、>>67 のとこと同じ内地勤務
銃は返納して刀は鍛冶屋で鉈にしてしまった そのナタ今でもある
刀の鍔もあるわ
72名無し三等兵:2005/05/30(月) 12:21:26 ID:???
南方でP-38に機銃掃射されて逃げ回った話なら聞いたなぁ
73名無し三等兵:2005/05/30(月) 12:45:08 ID:oOKMg0GJ
死んだうちの爺さんから聞いた話。
支那の戦線に参加していた。
大陸での夜間の銃撃戦、あちこちで閃光が走る。
敵の機関銃掃射の閃光が横に伸びている間は突撃。
それが段々短くなってくると危険信号で、
点滅になると地面に伏せる。
頭の横を銃弾がかすめるのがハッキリ分かったって言ってた。
重さ20キロの機関銃を持って突撃したらしい。
74名無し三等兵:2005/05/30(月) 12:50:59 ID:oOKMg0GJ
爺さんが、刑事物ドラマなんかで太ももを撃たれながら戦ったりしてるのが
有り得ないって言ってた。
太もも1発でも撃たれたらほとんど死んだらしい。
で、その夜間の突撃戦は大敗戦だったそうで、戦友が太もも撃たれて死に、
戦友の死体を背負ったまま暗闇の支那大陸を敗走したんだって。
とにかく必死だったんだと思う。
75名無し三等兵:2005/05/30(月) 13:00:14 ID:oOKMg0GJ
その戦いの後、戦友の遺族が分からないということになって
爺さんは自分の家の墓に戦友の遺骨を入れることにした。
家族や親戚は他人の骨を一族の墓に入れることに大反対したらしいけどね。

戦後50年たって爺さんが死んでから、その戦友の遺族が判明。
父があちこちでその話をしているうちに世間は狭いもので話が遠く繋がって。
遺族の方がうちに来て泣いて感謝して遺骨をひきとっていった。
爺さんの判断は正しかったと思う。
76sage:2005/05/30(月) 13:13:58 ID:vvdfgUKb
祖母から聞いた話
 祖父は対ソビエトのスペシャリストを育成するらしいハルピン大学の出身で
卒業後地元の松山にいたのだけど、1943年に満州に渡ったらしい。
仕事は白系ロシア人にスパイ教育をしてソビエトに送り込むというもの。
 祖母の話では、新京が松山とは比較にならないくらい都会で生活も
豊かというのが印象的で、一人で電車に乗った時、夜道はあぶないからと乗り合わせた軍人
あわせた軍人さんに家まで送ってもらった話など興味深かった。
 敗戦後は逃げるときにもらった阿片を各地で売りさばいて内地まで戻ってこれた
そうだが、祖母が妊婦だったためやはり楽なことではなかったみたい。
 祖父は戦後ロシア語能力を買われて地元大学で講師をしていたが、生徒が
アカばっかりだってのに嫌気がさしてその後退職まで自衛官だった。
77名無し三等兵:2005/05/30(月) 13:15:41 ID:???
なんか美談みたいなのしかなくてつまんね。
各地の虐殺の話しきぼんぬ
78名無し三等兵:2005/05/30(月) 13:19:38 ID:2kPJ0gxZ BE:57956099-#
母方の祖父も、父方の祖父も
軍隊経験が無いまま、終戦になった。
両方とも田舎なので、空襲もなかった。

らしいです。
79名無し三等兵:2005/05/30(月) 14:40:37 ID:???
田んぼを歩いてたら、米軍の戦闘機に機銃掃射されたらしい。腹がたって、他の
人と石ころや、鎌を投げてやったら、反転してまた機銃掃射されたと言っていた。
「あの白人野郎、絶対いつか殺してやる」と、ついこの間まで言っていたが、仕返し
する前にボケてしまい、今は朝飯に何を食ったかも思い出せない。
80名無し三等兵:2005/05/30(月) 14:54:21 ID:???
戦闘機相手に石で応戦するとは大和魂の持ち主ですなぁ。
81名無し三等兵:2005/05/30(月) 15:01:07 ID:???
竹やりを使わなかったのが敗因だな
82名無し三等兵:2005/05/30(月) 15:38:32 ID:???
陸軍の一等兵だったと聞いたなあ。
一等兵の位置付けがよくわからないけど
馬に乗っていたとも聞ききました。
83名無し三等兵:2005/05/30(月) 15:45:50 ID:???
>>82
こんなこというのもなんだがワロタw

うちの祖父さんは満州行ったけど、終戦ですぐに帰ってきた。
地主の息子で商売人だったから世渡り上手で、お偉いさんの馬持ちしてたみたい。
なんか、部隊で作った文集みたいなのがあった。部隊のひとそれぞれ自作の満州の地図とか乗ってた・・・
文集の名前が足軽なんとかだった気が・・・
また見つけたら詳細を
84名無し三等兵:2005/05/30(月) 16:02:44 ID:???
>>82
1等兵は、まぁしばらくやってた兵隊さんくらいの意味だね
馬は今のバイクみたいなものだから、あまり特別なものとは思わないほうがいいよ
8583:2005/05/30(月) 16:08:50 ID:???
>>82じゃなくて>>79ですた
スマソ
86名無し三等兵:2005/05/30(月) 16:30:55 ID:???
>>77
虐殺好きなあなたにお勧めな本

「私たちが中国でしたこと 中国帰還者連絡会の人びと」
                    
                    星 徹 著  
87名無し三等兵:2005/05/30(月) 16:54:47 ID:DZ4lyoRK
真偽の程はわからんが82歳の元海軍の戦闘機搭乗員の爺様が光臨しますた 


私は特攻隊の生き残りです
http://bubble3.2ch.net/test/read.cgi/cafe50/1066229927/
88名無し三等兵:2005/05/30(月) 17:07:52 ID:???
>>82
新兵教育が終わると6か月で全員が一等兵に昇進。
(入営から3ヶ月は新兵と呼ばれ、教育訓練後にやっと二等兵。)

一等兵になってから9ヶ月後に最初の選抜があり、一部が上等兵
に昇進。(以後、三ヶ月毎に選抜があって、二年の兵役中に3回の
選抜チャンスがある)。上手く行けば2年で兵長。 

兵隊さんの生活はここのサイトが詳しい。
http://park17.wakwak.com/~ueba/sankousakusen.3.html

再応召のときは、確かいきなり上等兵から始まったはず。
89名無し三等兵:2005/05/30(月) 18:15:01 ID:???
昔職場の同僚(俺が若い頃)に爺さんがいてその爺さんが昔
戦車で人轢いたとか言ってた。
90名無し三等兵:2005/05/30(月) 19:46:21 ID:???
陸軍省の門番をしていたと聞いたが、どこの部隊にいたのだろうか。
91名無し三等兵:2005/05/30(月) 20:27:23 ID:???
>>82
>>84
兵隊で馬に乗ってたのは珍しいかも。
歩兵ではなさそうだな。(機関銃中隊は兵隊でも乗馬だっけ?)
92名無し三等兵:2005/05/30(月) 21:52:50 ID:???
>>82
・・・ボソボソ・・・輜重兵・・・実は轡を取っていただけ・・・ボソボソ・・・
93名無し三等兵:2005/05/30(月) 22:52:20 ID:???
>>79
たぶん、そのパイロットも、すでにボケてるだろう
9482:2005/05/31(火) 04:43:41 ID:???
昔聞いた話だから定かではないんですが
中国に行ったと言ってた記憶があります。
山での移動で下が谷底の崖である吊り橋を渡る時
馬がびびって前へ進まなかったから
馬に目隠しをして吊り橋を渡ったらしい。
95名無し三等兵:2005/05/31(火) 08:13:17 ID:WDbLWVQw
しかし、みんなの祖父母はすごいな。
ウチの祖母なんか秋田にいたらしいんだが、B−29が秋田市に
向かって飛んでいくのを見て「やた〜 明日は学校やすみだ〜」
としか思わなかったらしい。
なんなんだ?この差は(-_-;)
96名無し三等兵:2005/05/31(火) 09:25:32 ID:78TtBldj
>>86
支那に抑留中に「洗脳」されてしまった可哀想な方達の団体。
日共のシンパ団体でもある。
97名無し三等兵:2005/06/02(木) 00:34:30 ID:???
>>71
うちの実家にも、元軍刀だったナタがありました。
どこにでもあるもんやね。
98sage:2005/06/02(木) 01:47:03 ID:Nz+h2XvD
母方のじいちゃん、海南島の守備隊に軍属で行ってたそうや。
技能、特技があったわけでもないのに(戦前も戦後も小学校の用務員さんやった)
軍属て じいちゃん何しとったんやろ? 

母曰く、「当時無職とかそういう人で現実逃避したい人が軍属になったもんや」
ホンマかいな。 

この間実家に行ったときに父方のじいちゃんの写真発見!日露戦争に行ったときのん。
明治20年生まれやったから18〜19歳? 親戚からは「駆逐艦に乗ってた」て聞いた
てたんで海軍やと思ってたら、肋骨服着てるやん。ということは陸軍?
99名無し三等兵:2005/06/02(木) 02:09:14 ID:???
うちのお爺さん、尋常小学校は出たものの どうしても勉強やりたかったが
家は貧乏な農家なので、海軍機関学校に入校したそうだ。
終戦時は特務大尉になっていた。

今は馬鹿でもチョンでも大学に行けるが、
当時は、どうしても勉強したかったら軍隊に入るしか無かったんだね、、、、

と言う 漏れもスネカジリ三流私大生 ,,,,,OTZ
100名無し三等兵:2005/06/02(木) 02:11:20 ID:???
>>99
機関学校卒業なら、機関大尉だべ? あ、終戦時は「機関」はつかないか。
どっちにしろ、特務大尉は、水兵上がりの大尉のことだぞ。
101名無し三等兵:2005/06/02(木) 03:46:21 ID:sjzYr9Wh
父方の祖父は陸軍の高射砲兵だった。
階級は兵長だったと思う。

農業学校卒業後、満州開拓団→入隊→ニューギニアって流れ。

戦後、山売ってカメラ屋開いたが、満州にいた頃から写真が好きだったらしく、ロシア人と一緒に写った写真や風景写真なんかのアルバムがある。

高射砲撃つときに耳栓するの忘れて方耳アボーン、傷痍軍人恩給(?)もらってた。
直接聞いた話では、大トカゲやウジムシ食べた話や、耳の話かな。
ウジムシの味は香ばしかったらしい。

でも、あの時代のウジムシっていったら…
102名無し三等兵:2005/06/02(木) 04:01:33 ID:sjzYr9Wh
続けてもう一人。
その祖父の従兄弟の爺さん。

昔よく散歩がてらうちに遊びに来てたんで、ちょくちょく話を聞かせてもらいました。

歩兵で部隊は分かりませんが、アリューシャン方面にいたらしいです。

射撃が上手かったらしく、ソ連兵が上陸した時は、バタバタ撃ち倒し大隊長に褒められたとのこと。
同じ型の銃でも一つ一つ個性があるらしく、それを知れば百発百中だと話してました。

シベリア抑留後、大工になりましたが、とにかく手が器用で木工製品製作のプロでした。
103名無し三等兵:2005/06/02(木) 04:04:18 ID:???
父方の祖父

昭和17年 2月15日にシンガポールに戦車兵として突入。
104名無し三等兵:2005/06/02(木) 05:19:41 ID:???
じーさん、ロシア語喋れたもんで露助共に通訳として重宝されて待遇は良かったらしいが
逆に便利がられたせいでシベリアからの帰還が最終組だった。
105名無し三等兵:2005/06/02(木) 05:40:13 ID:???
爺さん、ビルマの司令部で通信兵やっていたが入ってくる通信はボカ沈ばかり。
加えて多くの上官が「用事をこさえて本土に帰ったきりもどってこん」
こりゃ、負け戦だと判っていたそうです。八月15日の夜には暗号書も含めて全部焼却。
雨が降り続いていたそうです。
106名無し三等兵:2005/06/02(木) 10:53:20 ID:???
神風特攻隊で戦艦か何かに突撃してアボーンだった。
107名無し三等兵:2005/06/03(金) 00:56:33 ID:???
スレタイと違うけど、父の話。

戦争中は商船学校の生徒だった。ある日実習船で航行中、向こうから大きな
大きな日本の航空母艦がやってきたそうだ。生徒全員甲板にあがって、叫ん
だり手を振ったりして大変な騒ぎになった。それで、軍艦に対して失礼だと
先生に怒られてしまった。「その航空母艦はその後すぐにアメリカの潜水艦に
やられたということだ。」って... それって「信濃」のこと?
航行中の信濃を見た人ってめったにいないんじゃない?
108名無し三等兵:2005/06/03(金) 01:55:42 ID:???
>>107
翔鶴や大鳳とかも十分大きし、それだけの情報ではなんとも。
まあ旧軍の軍艦を生で見たことがあるというだけで十分羨ましいが。
109名無し三等兵:2005/06/03(金) 07:27:49 ID:???
>>107
答舷礼かませば良かったのにw

ま、たぶん空母側も数百人単位で答舷礼かましてくるから余計大騒ぎになると思うけどなw
110名無し三等兵:2005/06/03(金) 10:00:47 ID:???
慰安婦に財布を抜き取られたと言っていた・・・
111名無し三等兵:2005/06/03(金) 12:51:17 ID:???
音、について知りたいのですが・・・

急降下で攻撃するときの飛行機内で聞こえる音、艦や地上側から聞こえる飛行機の音
大砲の発射音、その他諸々の音

記録フィルム見てても、ああいうのどこまで本当の録音か分らないし、さらには実際の音は
また違うのかなと思いまして。うちのじいちゃんに聞こうとしましたが既にいないです・・・
112名無し三等兵:2005/06/03(金) 20:12:20 ID:???
>>111
基本的に第二次大戦フィルムの音って全て後付けです
113名無し三等兵:2005/06/04(土) 00:39:21 ID:???
>>112

レスありがとうございます。

そうですか、たしかに従軍記者の持ってたビデオカメラ(もちろんフィルムですよね、なんて表現するんだろう?)
は録音機能は無さそうですね。しかし銃声等も全部偽者かorz

アメリカ側(ガンカメラでなく艦上から)から撮った日本機のエンジン音、だんだん甲高くなっていくのが
凄い雰囲気出ているなと思うんですが、実際はどんなだったのか・・・
114名無し三等兵:2005/06/04(土) 04:50:50 ID:???
>>110
コリアンクオリティは半万年昔から現在まで普遍です
115名無し三等兵:2005/06/04(土) 07:31:58 ID:???
113氏へ、
二次大戦中の録音は今より大変でした、ムービーカメラには基本的に録音機能はありません。
特に前線に持っていく様なハンデイ機は、モーターの代わりにゼンマイを動力にしていました。
モーターと電池の性能がとてもお粗末で、信頼性が有りませんでした。
発条の方がコンパクトな動力でした。
録音機は、磁気式の物は出来たばかりで、レコード盤にじかに溝を刻み込む物が主でした。
デジタルは無く、アナログしかなく、コンピュータは計算機能のみ、電気式の機械は回路が
真空管を使う為、大きさと発熱と電源で問題ありで、コンパクト化できません。
今と変わらないのは、銀塩式カメラぐらいです。
116名無し三等兵:2005/06/04(土) 14:36:22 ID:xqlWLaEx BE:106283849-#
>>75泣けた
>>110泣けた

自給自戦が命じられた後、兵士二人が重なり合うようにして
亡くなっている遺体が多数あった、よく調べるとお互いがお互いを撃って
自決したんだとさ。。。
117名無し三等兵 :2005/06/04(土) 15:00:01 ID:???
うちの親父(開戦当時5歳)が当時、戦艦大和の出航を
家族と一緒に見たと言い張ってききません。
118名無し三等兵:2005/06/04(土) 15:40:44 ID:M5TQcusE
家のじいちゃんは海軍でラバウル勤務だった、ひもじかったせいかメシの話ばっか、
食料豊富な頃は正月の雑煮は蚊帳の中で食ったとか、暑くてバテた時は銀飯に
パイナップルきざんで食うと美味いとか、酒を飲まないのに入港した艦艇にもぐりこんでは
酒をギンバイして陸軍へ持って行き、物々交換したんだと、兵曹長一歩手前の上等兵曹だったんで
やりたい放題だったらしい、博打が好きで復員の時は貴金属類を結構持ってもって返ったらしい。
119名無し三等兵:2005/06/04(土) 17:09:11 ID:???
>>115
レスありがとうございます。
ぜんまい式だったんですか!
記録映像を目にしてても普段はこれどうやってどういう機材で撮ったんだろう
といったことはほとんど意識したことがありませんでした。
大変勉強になりましたm(_ _)m
120名無し三等兵:2005/06/04(土) 17:52:10 ID:UJOwpv6k
無くなった祖父の思い出。
小さい頃、よく一緒に寝たのだが、よく寝言で「急速潜行ぉ〜〜〜〜!」
と叫んでいた。 お陰でよく夜中に起きちゃいました。
あと、TVなんかで「天皇陛下」の単語が出るたびに直立不動の姿勢を
取っていたし、天皇陛下がいらっしゃって、挨拶されたとき、滅茶苦茶
デカイ声で「脱帽ぉ〜〜〜」と叫んでいた。
周囲で帽子被っていた人は慌てて帽子を取っていました。
バリバリの帝国軍人だったなあと。
あと、やたらと水を大切にしてたのはやはり潜水艦乗りとしての習性だ
ったのかなと思う。
死ぬ間際の最後の一言は笑顔で「よーそろー」でした。
今まで逢った人の中で最高の漢だったと思う。
121名無し三等兵:2005/06/04(土) 18:09:29 ID:???
>>120
>笑顔で「よーそろー」
うわせdtっヴいいk;@」g・涙でキーボード見えんどうしてくれる
122名無し三等兵:2005/06/04(土) 19:03:10 ID:???
うちのじいちゃん陸軍だったけど水は本当に大切に使っていたな
一緒に風呂に入った時なんか「今はこんなに一杯使える、いい世の中だな、、、。」
ってしみじみ言ってたの覚えてる
123名無し三等兵:2005/06/04(土) 19:35:20 ID:???
>>120
>死ぬ間際の最後の一言は笑顔で「よーそろー」でした。

(つд`)
124名無し三等兵:2005/06/04(土) 19:54:40 ID:???
テラワロス(w
だって直進!って叫んで死んだんだぜ
125名無し三等兵:2005/06/04(土) 20:11:03 ID:???
>>124
>直進!
んー そこまで単純じゃ無くてもうちょっと深〜い意味が・・・。
126名無し三等兵:2005/06/04(土) 20:14:11 ID:???
つ「某映画」







シェリラザードだっけ?
127名無し三等兵:2005/06/04(土) 20:14:46 ID:???
宜候
「そのままで良い」
128名無し三等兵:2005/06/04(土) 20:49:50 ID:???
>>120

海の漢の最期の笑顔に・゚・(ノд`)・゚・
129名無し三等兵:2005/06/04(土) 21:44:59 ID:???
ホラ、うちのじーさん海軍陸戦隊にいたんだけど戦争中なのに懸垂一回も出来ないくらい太ってて
ある日こっそり炊事場からおにぎりをギンバイして慰問袋に隠してたら持ち物検査でばれて
連帯責任で小隊全員が鉄拳制裁されて夜中にセッケンを手拭にくるんだやつでボコボコにされたんだって。
130名無し三等兵:2005/06/04(土) 22:14:36 ID:???
>>129
爺さんのあだ名は?
131名無し三等兵:2005/06/04(土) 23:02:59 ID:???
ウチの爺さんは昭和19年に徴兵されてルソン島へ。
20年の正月にみなで「カンパ〜イ」ってしてたらアメの艦砲射撃が
始まったそうな。
爺さん曰く、大隊本部付の伝令だったから生き残れたって。
機銃掃射がとにかく怖かった。とも言ってたな〜。
最初、駿部隊にいて後に編成変えで威部隊に居たって言ってたんだけど
威部隊って第何師団のこと?
だれか詳しい人おしえて下さい。
調べてみたけどよくわからん・・・
132名無し三等兵:2005/06/05(日) 00:56:56 ID:7Bxj5phP
うちは、近衛騎兵でした。当時の写真なんかも現存してます。
最近では、偶然、後輩にあたる方と私で連絡がとれ、詳しい事もわかったよ。
現在の天皇陛下が子供だったそうで、皇居で仕事をしていると、当時の
皇太子殿下が足こぎ車でキコキコやってきて、その間、音が聞こえだして
見えなくなるまで、仕事を中断して敬礼をしていたと聞いたよ
133sage:2005/06/05(日) 02:34:44 ID:0kZbSviz
死んだうちの爺さんは衛生兵でした。階級は上等兵って言ってました。
当時としては185cmの巨漢だったためか早期に召集されたそうです。(志願だったかも)
終戦間際は千葉の九十九里浜で敵の上陸に備えて砂丘の下に通路掘る
作業を命令されてたそうです。敵上陸後に背後から出て挟撃するためだとか・・・
どんだけ掘ってもすぐ崩れてしまうのでみんなでサボってたと聞きました。
他にもスパイ狩りとか色々な話を聞きましたが、なんか遊んでばっかりなので本人も
人に戦争体験談として色々話すのを躊躇ってたみたいです。
あの当時が一番遊んでた時期だっていってました。
134(・。・)こちらでも:2005/06/05(日) 02:44:27 ID:S4fByTsS
沖縄・名護・瀬底島
自らの最後の戦場だった島を眼前に右手の義手をはずして肘の先が丸まった腕を振りながら父は孫たちに語る。なぜその手の先がないのかを・・・。
 傾いた船体に容赦なく弾丸が浴びせられ破壊され飛び散る鉄片が襲う。下顎と右足をかすめ右手は直撃され皮一枚でぶら下がった。下顎の痛みのことで手のことはきづかなっかた。
運ばれた野戦病院の小学校で止血の苦しさと戦うこと十時間余それでも士官であるが故に真っ先に手術を受けた。
 麻酔もないままに農家から借りたのこぎりで骨を切り血管は縫合する間がなく、かたしばりで命をとりとめた。
その後の手術を待っていた兵隊たちは次々と出血多量で命を落としていった。
 沖縄戦終結の八ヶ月前の事だった。
士官であるが故に拾った命は一度ではない。その前に乗っていた船が南の海で沈んだ時も救命ボートは肩章を確かめて救い上げていった。
 父は傷痍軍人としてあまりにもたくさんの命を背負って戦後を行き続けている。
・・・・そして私がいて私の子供たちがいる。受け継ぐべき、確かなバトンが切り取られた右手と一緒に差し出されている。
 沖縄の空と海と風と光の中で。
135名無し三等兵:2005/06/05(日) 12:04:23 ID:r0eU3+JS
>132
うちの会長も同じようなこというてたな。
じいちゃん九州に半年くらいいたけど、中島に勤めていたので産業要員とかで戻されて大谷の石の穴に機械を運んでいたとか。
最初の帝都空襲の目標にされたのが自慢です。
136名無し三等兵:2005/06/05(日) 13:21:58 ID:7lh31K0O
じいさんの写真に馬に乗ってサーベル持ってた写真があったから、
爺さん将校だったのか?ときいたら、
いや、一式置いてあったから記念撮影したんだだと。
中国大陸にいた部隊って、こんないい加減だったのか?
137名無し三等兵:2005/06/05(日) 13:36:06 ID:FeEPi5+i
将校服着てたらいい加減だが、サーベルで馬ぐらいどーでもいいだろ
138名無し三等兵:2005/06/06(月) 22:50:49 ID:???
戦闘中の兵隊について疑問に思っていたことを祖父に尋ねてみた。

私「塹壕から射撃をするとき、頭を曝さなきゃだめだろ?あれは危ないと思うが、撃たれないようにする工夫があるの?」
爺(歩兵・北支に5年間)「そういうときは、アレだ…横を向いて
     ∩    ∩
      (・∀・) バンザーイ
   の要領で小銃だけ壕から出して撃つ。」
私「その格好で小銃の反動を受けるのはキツそうだけど」
爺「キツいったって、弾に当たるよりマシだ。敵も味方もそんな撃ち方だったから、とやかく言われることはなかったよ。
敵兵一人殺そうと思ったらその兵隊の目方と同じ目方の弾が要ると云われたが、ありゃホントだな。」
139名無し三等兵:2005/06/06(月) 23:03:01 ID:???
カニメガネでうっかり太陽を見て、少し視力が落ちてしまったと言っていた。
しかし、納戸にはしっかりとエロ本が・・・。
140名無し三等兵:2005/06/07(火) 02:45:04 ID:???
>>138
ベトナム戦のアメリカ兵もそんな撃ち方してたので、
M16からフルオート機能無くなっちゃった
141138:2005/06/07(火) 06:54:06 ID:???
>>140
そうなんですかぁ。教えてくれてサンクス。
142名無し三等兵:2005/06/07(火) 21:46:05 ID:???
>>113
俺もずっと気になっていた。
で、昨年、ユルギス・カイリス氏のアクロ飛行を生で見て聞いて
こんな感じなのかなぁ、と思って、撮ったビデオを元陸軍パイロ
ットの叔父に見せた。
「低速でのエンジン音は違うけどなあ、風切りの音は同じだ」
という感想。
ttp://www.jkairys.com/

143名無し三等兵:2005/06/07(火) 22:05:40 ID:???
>>142
ごめん、風切りの音ってのはどれのことですか?
しかし、戦中派に、色見本とか見せて戦車や飛行機の色を検証するのと同じく
GJです、ありがとう。

オリジナル栄の零戦のビデオの音は、考えてみると凄い貴重だなあ
空軍大戦略の「音」はオリジナルかな。
そういえば大和の主砲の録音が現存すると聞いたんだが・・・

この前買った効果音CDで、拳銃発砲音がズキュームでそれは無いだろうと泣いた。
耳直しに開戦ニュースの録音を聞いた。
144142:2005/06/07(火) 23:09:31 ID:???
>>143
う〜んとね、あのサイトにあるムービーじゃなくて
自分で撮ったヤツを見せたんです。
エンジンを絞って降下する時とかに聞こえてまし
た。
145名無し三等兵:2005/06/07(火) 23:39:06 ID:???
なるほど!イメージが掴めました。
146名無し三等兵:2005/06/07(火) 23:55:51 ID:???
>>99です。
>>100のレスに、我ながら疑問を持ち、実家に帰って色々調べたところ、


尋常小学校卒業→農家→大正八年に佐世保海兵団に入団。
その後 軍艦出雲→佐世保鎮守府→船匠術練習生(海軍機関学校)に転勤→陸奥乗船
→再び海軍機関学校とあります。

最後は海軍整備特務大尉です。生粋のエリート軍人ではありませんが、南支要地爆撃、
青島作戦、マレー沖海戦等に参戦している模様。

ところで「船匠術練習生」って普通の海軍機関学校生と違うものなのでしょうか?
最後の着任地は第二相模海軍航空隊教官兼分隊長となっていますが、どんな仕事を
する事なんでしょうか?
詳しい人がいたら、どうかお教えください。
147名無し三等兵:2005/06/08(水) 03:12:37 ID:???
軍医に麻酔無しで砲弾の破片を摘出されたと言っていた。何でも、乗り組んでいた
艦に麻酔薬が無かったらしい。軍医がその時「○○君、少し痛むが我慢してくれ!」
と言ったのを今でも覚えてるらしい。少しじゃなくて、気絶するほど痛かったと言っていた。
148名無し三等兵:2005/06/08(水) 21:14:54 ID:???
戦中幼児であった叔父は木から落ちた、足を数針分縫うほど切った。
当然外科医院に行くが、麻酔がない、麻酔は戦地に行っている。
「兵隊さんの事を思いなさい」と周りの大人が叔父を叱り付け。
泣き喚く叔父を押さえつけ傷を縫うのであった。
149名無し三等兵:2005/06/09(木) 00:09:54 ID:???
>>146
船匠科というのは、船体の応急修理をする兵科だったらしい。
艦底修理のための潜水夫も含まれていた。
150名無し三等兵:2005/06/09(木) 00:46:20 ID:???
>>146です。
>>149さん、レスありがとうございます。幼いころ船の舵を直すのに
潜水していて、フカ(鮫)がウヨウヨ寄ってきたという話を聞いた記憶が
よみがえって来ました。結局、船上から小銃をぶっ放して、追い払っていたそうです。
色々情報ありがとう御座います。

151名無し三等兵:2005/06/09(木) 02:18:57 ID:???
南方で戦闘時、ワーッ!と声をあげて威勢良く我先に突撃したは
いいが、すぐに息切れして岩陰で休んでたら戦闘は収まってしまった
という話を聞いた。しかも、その時一番果敢に戦った兵士と勘違いされて
かなり褒められて、煙草をもらったと聞いた。
152名無し三等兵:2005/06/10(金) 16:39:47 ID:mNuXeqxW
爺さん戦前は満鉄の調査部で悪どいことしてたらしい。
引き揚げも7月に妻子釜山に残して隠匿物資抱えて先に帰ってきた。
隠匿物資のおかげで戦後はすぐに事業始めて儲かりまくりだつたとか。
93歳の婆さんは今でも妻子見捨てて先に帰るなんてとぼやいてる。。
引き揚げのとき朝鮮人に苛められたので今でも朝鮮人は嫌いだとか、、
食い物の恨みて恐ろしいね。
153名無し三等兵 ◆0HOrVgkBbo :2005/06/10(金) 16:42:59 ID:???
・・・・・・・・・・朝鮮民族撲滅文・・・・・・・・・・
朝鮮民族は完全に我が日本国のことを馬鹿にしてます。
朝鮮人はうざいです。撲滅しましょう。
あの憎き朝鮮民族を撲滅しましょう。
撲滅したい方は http://www2.ezbbs.net/32/kankoku/ まで。
※このメッセージを5つの掲示板に貼った瞬間に貴方は死にます。
154名無し三等兵:2005/06/10(金) 16:53:03 ID:???
よっぽど嫌な思い出だったらしくてほとんど話してくれない
じいさんだったんだけど。

満州にいて、怪我してこっちにもどって千葉か茨城で高射砲撃ってた
話は聞いた。
あと、どっかで船作るの手伝ってたらしいけど、、、そんなことってあるのかな?
どっちにしても10年前に死んじゃったからさ、確かめようもありません。

スレ汚しすまん
155名無し三等兵:2005/06/10(金) 21:20:28 ID:???
>>129
それは知ってる映画で観た!
156名無し三等兵:2005/06/11(土) 01:06:50 ID:???
>>143
大和の主砲音は靖国の遊就館で聞ける。
157名無し三等兵:2005/06/11(土) 01:21:05 ID:???
>>156 まままままままままじっすか!!!!!!???
158名無し三等兵:2005/06/11(土) 02:19:24 ID:???
>156

そうなんだ。
明日は遊就館に行くか電車男を観に行くかでかみさんとのバトルです
159名無し三等兵:2005/06/11(土) 03:05:09 ID:???
俺「明日どうする?」
奥「せっかくの日曜だし、久しぶりにデートしましょうよ」
(マンドクセ)
「映画みてお食事もして・・・」
「遊就館」
「えっ?」
「男なら遊就館」
「・・・私男じゃないし。何よそれ?美術館?」
「ぐぐれ。これだから最近の」 ボカ ぐはっ

十分経過

「色んな歴史的なものが陳列してあるんだよ。文化的遺産だ。」
「それで?」
「・・・大和の主砲射撃音が聞けるという極秘情報を得たんだ。」
「だから?」
「あなたはこれを大変な事だとは思わないのですか?」
「全く思わないわ。そうそう、あなたが好きそうな映画今やってるのよ」
(?男たちのアレはまだだし・・・はっもしや戦国?やだ。)
「電車の男。あなた普段インドア派とかほざいているくせに電車旅は好きじゃない」
「あ、あのう、何か違う気が」
「私もし男だったら電車の運転手さんになりたかったなぁ。」
「俺は切符を切りたかったなあ。ああ、彼らは職人だった・・・」
「よし、明日は電車の男ね!」
「ちょちょちょっと待ってくれ!」


遊就館は一人で行きたいし電車男なんか別に興味ないし
正直やってらんない
160名無し三等兵:2005/06/11(土) 07:38:01 ID:???
>>159
面白いぞ!結果報告に期待する!!
161名無し三等兵:2005/06/11(土) 08:50:10 ID:???
大  和  男  子  な  ら  黙  っ  て  遊  就  館
162名無し三等兵:2005/06/11(土) 09:13:42 ID:???
大  和  男  子  な  ら  黙  っ  て  北  朝  鮮 
163名無し三等兵:2005/06/11(土) 09:31:57 ID:mFvil58o
台湾にいた通信兵のじいちゃん。

「大本営に敵空母20隻撃沈破を打電したのは俺だ!」というのが自慢でした。
当時一等兵だったからかなり嘘臭いが・・・・・


あの誤報がのちのレイテの大敗北に繋がったんだよな・・・・・
164名無し三等兵:2005/06/11(土) 09:34:30 ID:???
>>157
>>158
聞いたことあるけど、くぐもっててどれが射撃音だか正直よくわかんなかったよ。
165名無し三等兵:2005/06/11(土) 09:35:27 ID:???
>>163
あれって、通信が伝わるたびに戦果が拡大されていったんじゃなかったっけ・・・
166名無し三等兵:2005/06/11(土) 09:54:08 ID:???
先日知り合った爺さんが彗星と彩雲乗ってたって。それも操縦士として。部隊名は昭南なんとか部隊。
167名無し三等兵:2005/06/11(土) 13:44:41 ID:???
俺は両親とも東伊豆の出身なんだが、墓参りに行ったとき
年寄り連中が「稲取が空襲されたとき」と話していたので
「そんなの、エンジン不調で引き返す機が爆弾捨てただけだろう」
と笑い飛ばしたが、調べたら実際に空襲されていた。orz
相模湾上陸の脇腹を突くためにそれなりの兵力が集中され
米軍も一応叩いたらしい。

昔親父にさんざん法螺を吹かれたせいで、つい疑いが先にきてしまう。
168166:2005/06/11(土) 18:36:44 ID:???
内容的には凡そ以下のような話でした。

大阪外国語大学在学中の昭和十七年に海軍に志願した。
視力は2.5ほどあり、操縦士になれた。
着艦訓練も地上でしたし、空母もいくらか見たことがあるがすぐに見かけなくなった。結果的に基地の航空隊に配属された。
内地では敵機に関する情報は習わなかった。ほとんどは前線で覚えた。
南方では彗星でスピットファイアを一機撃墜したことがある。タイフーン、モスキートは強敵だった。
モスキートと正面から撃ち合うのは危険で、斜め前方から撃ち込むようにした。
一度だけ海南島から飛んだ時に、噂の強敵グラマンと出会った。会敵時は逃げるように言われていたので逃げた。恐ろしかった。
終戦時にはタイ?に集結命令がでてそれに従った。
南方での食事は航空食?としていいものが食べれた。望めばリンゴだって食べれた。
整備ではないので機体の詳細は詳しくないが、末期の南方では塗料が極度に不足していた。
黒や紫で補修箇所を塗った機体を見たことがある。黒はどうも鉄道用の塗料を調達したらしい。

ご本人とは模型の展示会でお話したんだけど、展示された彗星の模型を見て
「戦争の時の話はしたくなかったが、いざ模型を見ると懐かしさで涙が出そうです。」
と仰っておられた。
169名無し三等兵:2005/06/11(土) 20:11:45 ID:???
>163
いまからでも遅くはない。
施縞参謀が死ぬまえに私のイタズラでしたと報告すべし。
170名無し三等兵:2005/06/11(土) 20:16:12 ID:???
>146
最後の配置は整備兵の訓練航空隊の教官と分隊長。
分かり易く言うと先生ですな。

第二相模野空といえば山本長官のご子息もご在隊でわ。
171名無し三等兵:2005/06/11(土) 22:46:45 ID:???
>>168
(つд`)
172166:2005/06/12(日) 20:11:48 ID:???
追加っす。
敵機の識別は機体へ当たった光の反射具合で判る。爆音も聞こえるので、音でも識別できた。
彗星は全天候型の機体ではないので、殆どは良い天気の日に飛んでいた。
空戦は『スポーツ』だと思ったし、マニュアルよりも自分のその場の判断を重視して戦った。
真面目な人間は規定の戦い方を覚える前に撃墜された者が多かった。
173名無し三等兵:2005/06/16(木) 00:15:31 ID:JG5uH7A4
174名無し三等兵:2005/06/16(木) 12:22:35 ID:???
ひいじいさんは長門に乗ってた大尉だったらしい。
素人なもんで、調べてみたら長門って結構すごい船なんだね。
大体普通の海軍の軍人は階級はどの辺りまでいくんですか?
じいさんが7年で軍曹までしかいかなかったらしいですが。
175名無し三等兵:2005/06/16(木) 20:40:48 ID:???

トラック島にあった海軍病院の院長さんは近所に住んでいる。
176名無し三等兵:2005/06/17(金) 21:04:40 ID:???
うちのじいさんは一方はガダルカナルで戦って帰ってきたらしい
(千歳って水母に乗ってた?陸軍らしいんだけど)

もう一方は中国戦線らしい

どっちもしんだので詳細なさすorz
177名無し三等兵:2005/06/17(金) 22:18:48 ID:???
輸送任務についてたんだっけ。
178名無し三等兵:2005/06/19(日) 10:31:11 ID:DvNmps3L
若禿でふにゃちんだったが、原爆食らったら髪の毛がふさふさ生えてきたんだって。
ちんちんもびんびん!
179名無し三等兵:2005/06/19(日) 10:32:21 ID:???
>>176
船舶兵だったんですね。
180名無し三等兵:2005/06/19(日) 11:04:49 ID:n14h8R8e
>>178

放射線のホルミシス効果ってあるんだよ
おいらもラジウムとかラドンとかで微量被爆したけど
何か元気になったような気がしたもんさ
あくまでも微量ね

181名無し三等兵:2005/06/19(日) 11:12:53 ID:???
>>180
そりゃ初耳だった。じゃあピエール・キュリーも
ビンビンで毎日マリーとやってたのかな…。
182名無し三等兵:2005/06/19(日) 11:25:30 ID:n14h8R8e
浴びすぎには死を

放射線の掟
183名無し三等兵:2005/06/19(日) 20:50:25 ID:SifgwXD6
キムタマに加速器からのX線を浴びせて
「精力絶倫!!」
とかやってたらしい。
184名無し三等兵:2005/06/19(日) 22:48:22 ID:nQn78Wvj
いいなー。みんな話聞けてさぁ。俺の爺ちゃんは父方は十年以上前に死んだよ。婆ちゃんの話では支那事変で出征したらしい。おそらく第12師団。兵科は騎兵で蹄鉄が今も家にある。あと慰問袋に入ってた田中絹代のプロマイドもあった。母方は終戦時はまだ厨房。
185名無し三等兵:2005/06/19(日) 23:45:18 ID:MDrraa1m
開業医だったため、免責。アメリカ相手じゃ負けるに決まってると言って、近所から袋だたき、非難の嵐。それでも負けると信じていた非国民。
186名無し三等兵:2005/06/19(日) 23:59:37 ID:???
うちのおじいさんはどうやら養蚕技術者だったらしい。
土蔵の中にはさび付いた日本刀があった。軍人だったのかしら、ワケワカンネ。
187名無し三等兵:2005/06/20(月) 00:44:35 ID:???
うちの爺ちゃんの兄貴が土浦の予科連にいたんだって。だけど配置換えか何かわからないけど佐世保から台湾に行く途中、乗ってた讃岐丸って言う船がアメリカ軍の潜水艦に沈められて死んじゃったって言ってた。ていうか予科連ってなんですか?
188名無し三等兵:2005/06/20(月) 10:45:10 ID:???
×予科連
○予科練(予科錬)

パイロットの養成学校
189名無し三等兵:2005/06/20(月) 13:48:31 ID:BPXExqp5
ウチのお爺ちゃん(故)は、義勇軍だったらしいんですが、
義勇軍って詳しくは何をしたんですか?
190名無し三等兵:2005/06/20(月) 16:21:57 ID:???
188 パイロットの養成学校ですか。わかりました
191名無し三等兵:2005/06/20(月) 17:44:51 ID:???
>>189
外地(北支とか)で、軍の召集前に自発的に集まった自警団のような物ジャマイカ。
192名無し三等兵:2005/06/20(月) 18:09:34 ID:???
日本は義勇「軍」は認めなかったからね。
多分、満蒙開拓義勇団のことではあるまいか。
これは、昔の屯田兵と同様の、所謂武装農民。
夫婦で家の窓から小銃撃って、匪賊を撃退したなんて話が結構沢山ある。
193名無し三等兵:2005/06/20(月) 18:32:11 ID:zAbzrS4T
私の母方の祖父はポナペ島守備隊だったそうです。

家内の母方の祖父はフィリピンで衛生兵をしてたそうです。
家内の父方の祖父は陸軍で満州に行っていたそうです。

今存命なのは私の母方の祖父だけになりました。
194名無し三等兵:2005/06/20(月) 20:10:51 ID:???
>>192
国民義勇隊の可能性もあるよ
195名無し三等兵:2005/06/20(月) 20:11:58 ID:???
うちの爺、満州で関東軍にいたんだが、
二年やそこらで上等兵になれるものなのか?
昭和十八年頃に入隊して、終戦時に上等兵だったそうだが、
牡丹江付近まで後退したところで終戦を迎えたらしい。
んで、その祖父曰く、マンドリンKOEEEEEEEEだそうだ。
その後、シベリア送りになって、無事に帰郷したんだが、
シベリアでの生活は、黒パンがまずいとか、塩水で生きられるか(#゚Д゚)ゴルァ
食い物の話ばっかりで、詳しい話はしてくれない・・・。
ちなみに、帰郷した時は、背丈約170に対して、
体重が30近かったらしく、実家まで駅から歩いていく途中に倒れて、
リヤカーで実家まで搬送されたそうな。
196NURUPO:2005/06/20(月) 21:04:50 ID:???
うちのじいちゃん軍医だったみたい、流れ弾に当たって
頭に鉄砲の弾入ってるけど、ピンピンしてます。

もう一人のじいちゃんは鹿児島で病死したそうです。
197名無し三等兵:2005/06/20(月) 21:48:28 ID:???
>>195
義務兵役の場合、除隊時は普通『上等兵』になっていると聞いた。
・・・鈍いのやヘマをした奴は一等兵止まりで、郷里に帰っても肩身が狭かった様です。
198名無し三等兵:2005/06/20(月) 22:31:59 ID:???
アメリカの爺ちゃんはワスプでアイスクリーム作ってたそうだ。
日本の爺ちゃんはガダルカナルで戦死。
199名無し三等兵:2005/06/20(月) 22:34:49 ID:???
>>198
どっちのワスプ?
200198:2005/06/20(月) 22:54:09 ID:???
>>199
両方のワスプで。沈んだ方のワスプで壊れた機械を直したら速攻で配置換えされたらしいw
アイスクリーム製造機のメンテ技師→兵隊→アイスクリーム製造機のメンテ技師な人生。
201名無し三等兵:2005/06/20(月) 23:05:01 ID:???
>>200
いいねぇ
202名無し三等兵:2005/06/20(月) 23:09:21 ID:???
>アイスクリーム製造機のメンテ技師
さぞ大事にされたことであろ
203名無し三等兵:2005/06/20(月) 23:37:02 ID:???
>>196
ガッ!
204名無し三等兵:2005/06/21(火) 01:28:05 ID:???
この前、爺ちゃんの弟の死亡通知書を見せてもらった。
弟さんは海軍にいて軍艦に乗ってたらしのだが、
そこから先が分からん、通知書には「南洋群島方面」で戦死
としか書いてなかった。爺ちゃんも知りたがってるようだった。
こうゆうのって調べる方法って有りますか?
205名無し三等兵:2005/06/21(火) 06:25:58 ID:???
うちの母方のじいちゃんは343空で整備兵をしてた。
思い出話では坂井三郎氏から拳骨やビンタをもらったことがあるようだった。
206名無し三等兵:2005/06/21(火) 08:52:13 ID:???
>>204
何を調べたいのかがわからん
207204:2005/06/21(火) 09:06:42 ID:???
すいません。弟さんの乗っていた軍艦のことです。
通知書に書かれていた日付にその船が沈んだと考えると、
だいぶ絞り込めるかなと思うんですが、
208名無し三等兵:2005/06/21(火) 09:18:44 ID:???
【質問】
 亡くなった祖父の所属していた部隊や経歴を知りたいのですが、何か方法はないでしょうか?
ttp://mltr.e-city.tv/faq08j02.html#00221
209189:2005/06/21(火) 13:10:54 ID:???
質問ばかりで申し訳ないのですが、
義勇軍(父親の話によると満蒙開拓青少年義勇軍って奴らしいです)と
日本軍は別物なのでしょうか?
義勇軍として満州に渡った人は、軍人にはなれなかったのですか?
210名無し三等兵:2005/06/21(火) 19:09:27 ID:???
>>209
ンナコタアナイ

召集可能な年齢なら根こそぎ赤紙だよ
211名無し三等兵:2005/06/21(火) 20:31:43 ID:???
満州で雑貨屋やってたと言ってたな。特に病気や怪我もなく
普通に引き上げてきて、普通に銀行に就職して普通に老衰で
死んだ。イチゴショートが好きだっけな・・・。
212名無し三等兵:2005/06/22(水) 04:13:51 ID:???
みんな凄いお祖父様を持って羨ましいです。
私の家は母方も父方も代々農家。
父方は農地改革で、母方は博打の借金などで豪農ではなくなりましたが
今でも近所ではそこそこ多めの農地を持っています。

そして父方母方共に祖父の兄弟合わせると大戦時全部で10人近く男手が居たのですが
な ん と ひ と り も 出 兵 し ま せ ん で し た 。

あれだけ滅私奉公と叫ばれて、学徒兵すら出陣していったのに・・・

ちなみに父方の一族は、日清日露第一次大戦もシベリア出兵などでも
出兵した人が居ません・・・
一応平時に徴兵は行ったみたいですが戦争時の赤紙は来なかったそうです。
213名無し三等兵:2005/06/22(水) 06:10:48 ID:???
>>212
銃後で米作らにゃ、誰が兵隊さんの食べる米作る?
「兵隊さんは命懸け、私達はたすきがけ」
214名無し三等兵:2005/06/22(水) 15:34:06 ID:???
>>212

>>213氏のおっしゃる通りだ。
立派に銃後を守った。
誇りに思うべし。
215204:2005/06/22(水) 19:47:44 ID:???
>>208さんありがとうございました。
今、爺ちゃんの所に行って208さんに教えてもらったことを話してきました。

最初は別の話をしていざその話しを切り出したとき、それまで笑顔で
話をしていた爺ちゃんは顔は笑っていたが目は笑ってなかった・・・。
おもむろに立ち上がり、部屋を出ると一通の封筒を持って入ってきた。
それが死亡通知書で、それを見ながら、
「そうか、じゃあ調べてみるか・・・。」
と一言、その場にいた婆ちゃんが話しかけてくれるまで、
たった数秒だけど凄く長く感じた。
その後色々爺ちゃんの体験談を聞いて帰ってきました。

でも、あの時の爺ちゃんの目は80代の目じゃなかった。
マジで怖かった。

216名無し三等兵:2005/06/22(水) 22:07:55 ID:DxfW3Z3/ BE:106282894-##
>>215
>その後色々爺ちゃんの体験談を聞いて帰ってきました。

披露して下さい。
217КГБ調査員:2005/06/22(水) 22:10:37 ID:m3P1/FdS
爺さんじゃなくてひい爺さんだけど中国の某革命家と
繋がってた疑いで特高に殺されますた。
218204:2005/06/22(水) 23:43:43 ID:???
では、投下します。

爺ちゃんは中国とソビエトの国境にいたらしい
車の運転免許を持っていたことから司令部に転属になり、
主に兵站任務をしていた。
あまり撃ち合っている中には行かなかったみたい、
ある時、転属前の部隊が駐留していた近くを通りがかったので
寄ってみると、南方へ派遣されたとの事
「どこに行ったかは知らないがその部隊の友達は
二人しか帰ってこなかった。」
と話してました。

219名無し三等兵:2005/06/23(木) 00:14:09 ID:???
>>218
免許所持者とは凄いですね。
220204:2005/06/23(木) 00:49:30 ID:???
続き、

終戦間際、沖縄が陥落し次は本土にアメリカが来る。
とゆうので爺ちゃんは転属命令を受け内地に帰還。
宮崎県で穴を掘ったりして敵の上陸に備えていた所終戦を迎えた
「爺ちゃんラッキーだな、ソビエトが攻めてくる前に帰ってくるなんて。」
と俺が言うと
「そうでもない、弟も国境近くにいたんだ。」
(この弟は上に書いた弟とは別人)
爺ちゃんは弟の事をかなり心配したらしい

221名無し三等兵:2005/06/23(木) 01:08:24 ID:???
背中に大きな傷跡があるので、聞いてみたら、「アメリカ兵の銃剣で
切りつけられたんだ。でも、その後こっちも銃剣でメッタ刺しにしてやった」
と大笑いしてた。祖母に詳しい話を聞いてみた。「昔、ヤクザと大げんかして
切りつけられたの。博打好きだったから。戦争では怪我も何もしてないよ」と
語った。嘘付くなよじじい・・・。
222名無し三等兵:2005/06/23(木) 09:43:39 ID:???
>>221
孫に見栄張るジジイ、カワイイ・・・。
223名無し三等兵:2005/06/23(木) 13:57:10 ID:???
相手は元米兵のヤクザ、または進駐軍放出の銃剣を持ったヤクザ、という可能性も否定できないが。
224名無し三等兵:2005/06/23(木) 15:52:53 ID:x4i3YZvb
故祖父はトラック島で船大工仕事(軍属)。
命かながらの帰国とは聞いてたけど、
先日「あの戦争」を読んだら、
同時期の帰国船37隻出発で無事たどりついたのは3隻だったとのこと。
よくまぁ無事で。
225名無し三等兵:2005/06/23(木) 17:57:39 ID:???
命かながら

さて、どこが間違っているでしょう。
226名無し三等兵:2005/06/23(木) 18:08:34 ID:???
誤字ではあるが、気持ちはわかりますね・・・
227名無し三等兵:2005/06/23(木) 18:49:14 ID:???
『Google: 命かながら の検索結果 約 272 件』
う〜みゅ。
228名無し三等兵:2005/06/23(木) 23:41:37 ID:???
私の祖父は金剛に乗っていたということです。
試運転の時かなんかに、大和にも乗ったことがあるそうです。
金剛では隣にいた戦友が直撃弾を受けて吹っ飛んで、胴体真っ二つになったそうです。
自分も手の甲を負傷し、お尻の肉を移植したそうです。
人殺した?ときいたところ、そりゃあ殺したさぁと言っていました。
そんな祖父も8年前に他界してます。
229228:2005/06/23(木) 23:46:53 ID:???
あと、陸海空でだったらどれが一番死ななくて助かると思う?ときいたところ、
「わっかんねーなぁ、陸軍じゃないかぁ」と言っていました。
230名無し三等兵:2005/06/24(金) 00:03:08 ID:otetnLCB
撃ちの場合、母方の爺さんは爆弾3勇士で有名な工兵隊にいて終戦まで穴堀
してたそうな。父方の爺さんは満鉄にいたためか戦地にはいかず終戦の前年
に内地に帰国したとのこと。
231名無し三等兵:2005/06/24(金) 06:54:29 ID:???
[映画一般] 知人がほざいた間抜けな映画の感想

219 :名無シネマさん :02/04/05 09:53 ID:aJ30egfT
間抜けじゃないが、TVでプライベートライアン見たときの曾おじーちゃんの感想
最初の戦闘シーン「こんな腰抜けばかりじゃあ勝てんよ」
じ、じーちゃん、、、、
232224:2005/06/24(金) 11:53:26 ID:ORh4hzmf
>>225
「かながら」→「からがら」ね。
スンマセン、鼻が詰まってましたって言い訳はダメ?
233名無し三等兵:2005/06/24(金) 12:18:17 ID:???
日本史板にも同様のスレがあって書いた記憶があるけど、
父方のおじいちゃんは、終戦間近の昭和20年4月に召集。
いや、もしかして4月に戦地に向かったのかもしれないけど。
普通のリーマンだったのに、船舶免許があるからというだけで
どんな規模の船かはしらねけど、乗り込んで南方方面と思われるが
そこで戦死らしい。
船の名前から少しは手がかりつかめるのかな?
以上のことは墓石に彫っているものでした。
あ、ちなみに船の名前がぐぐってもでてきやしません。
234名無し三等兵:2005/06/24(金) 12:31:35 ID:???
うちの爺さんは強運の持ち主。乗るはずだった輸送船に乗れなくて違う船に乗ったら空襲を受けて乗るはずだった船が沈められたり、
戦闘中に胸に銃弾を受けたが、無傷だった。どうやらお守りに当たって無事だったらしい。お守りの中は木片が入ってるだけ。
お守り袋見せてもらったら確かに片方に穴が空いてた。
235名無し三等兵:2005/06/24(金) 17:01:52 ID:???
>>209
>満蒙開拓青少年義勇軍

満蒙開拓青少年義勇軍が始まったのは昭和12年からで、その後18年まで
毎年募集。
小学校(国民学校)の高等科卒業直後の青少年を対象に募集された。
三か月ほどの訓練を受けた後満州に送り出された。
開拓地の防衛に当たりつつ、三か年の訓練ののち義勇開拓団に
移行していくもの。
農林省管轄、満州拓殖公社の受け入れ。
訓練の面倒など一切は満拓公社がみる。
兵役適齢期に達すれば、現役志願で入営することも勿論可能だし、多くは
現地召集で関東軍に徴兵された。
236名無し三等兵:2005/06/24(金) 23:20:54 ID:??? BE:88569656-##
>>233
ちなみに船名と命日は?
237名無し三等兵:2005/06/25(土) 08:28:28 ID:???
BE:88569656-##
これなぁに?
238名無し三等兵:2005/06/25(土) 12:42:51 ID:???
>>237
2ちゃんねるbe http://be.2ch.net/ の個人ID。
239237:2005/06/26(日) 10:24:03 ID:???
arigatou^^
240名無し三等兵:2005/06/27(月) 23:39:53 ID:8rmOiaSN
母から聞いた近所の爺さん連中の話。
同郷出身者の中に爺さん達より階級が1つか2つ上の奴がいて
そいつがやたらと威張り散らす嫌な奴だったらしい。
戦後、武装解除され日本に引き上げるまでの間もその態度は変わらず、
ついに切れた爺さん連中は、引き上げ船から海に叩き込むことを決定。
機会をうかがっていたが、日本が見える頃になって「せっかく生きて帰って
来たのだから、いまさら人殺しをするのは止そう。」ということになった。
何も知らない本人は、その後も偉そうな態度を改めなかったらしく、爺さん
連中は海に叩き込まなかった事を後悔したらしい。
241名無し三等兵:2005/06/29(水) 01:41:45 ID:2BDLsMGz
ウチの祖父は大戦末期の龍譲の対空砲要員かなんかだったらしい。
で、マリアナ(だったかな?)出撃前にベットやらテーブルやら
壁の装飾から可燃物は全て取っ払ったらしい。
食事もゴザひいて、床の上でって感じで「死にに行くのにこの扱い
とは何事か」と怒ったらしいが、そのお陰で命中弾うけても延焼せ
ずに済んで生き残った。
それを行なったのは桜庭って人だったらしく、調べたら「桜庭ダメ
コン」ってあだ名される程の人の有名ならしい。
「桜庭さんいなきゃ海の底だったろうなあ」ってのはよく聞いてい
た。
242名無し三等兵:2005/06/29(水) 01:51:15 ID:???
祖母が五島列島出身で
「特攻の訓練してた(多分)」
「煙を吹いてる戦闘機見た」
とのことですが、五島で有り得る状況だったのでしょうか
被爆者がたくさん引き揚げて来たって話はわかるが
243名無し三等兵:2005/06/29(水) 04:04:52 ID:NI14zD6n
>>241
龍じょうは大戦中期、第二次ソロモン海戦で沈没してるから、
マリアナには参加してないはず、名前の響きからすれば龍鳳?

まぁマリアナは楽勝ムードだったとも聞くんだけども
244名無し三等兵:2005/06/29(水) 07:22:05 ID:???
>>241桜庭久衛門なら準鷹かも知れないですね
245名無し三等兵:2005/06/29(水) 08:19:20 ID:???
ヒロシです。
命日がわからんとです。
昭和20年4月あたりです。
船名は「サンタローサー号」 です。

ヒロシです・・・
246名無し三等兵:2005/06/29(水) 09:33:14 ID:MYNO8L4y
>>241
出撃前はそういう装備を艦から降ろすのでは?
「なんでも鑑定団」に大和の食堂の椅子が出品されてたな。
その時にそういう説明があったような。
247名無し三等兵:2005/06/29(水) 11:13:41 ID:zvO8oClF
祖父ではなく父です。ご容赦。
陸軍少年飛行兵第15期
九州の「太刀洗」「甘木」で教育を受けた後
佐世保より「榛名」に便乗して昭南(シンガポール)へ移動、
ジャワの「カリジャチ」飛行場へ配属
所属部隊は第106教育飛行団
操縦の助教として教育任務および洋上哨戒任務←このへん、陸軍(しかも教育部隊の)機が洋上哨戒をしていたかどうか疑わしい
乗機は100式重爆「呑竜」
飛行時間約2000時間
最終階級は伍長(デング熱にかかって入院していたためポツダム進級に与れなかったとのこと)

教育課程修了後に助教として残される人間の腕は尋常なものではなく、
助教同士の遊びとしての腕比べでは、飛行中に
「尾輪をどこまで海水にひたせるか」
を競っていたという←このへん、いくらなんでも法螺とは思うが法螺を吹く性格ではまったく無い。
248名無し三等兵:2005/06/29(水) 17:57:29 ID:???
>>247
>尾輪をどこまで海水にひたせるか
・・・ガダルカナルで雷撃行動している一式陸攻の写真を見る限りでは、
あながちホラではないかもしれんです。
水平飛行では先にペラが海面を叩くので、
おそらく海面スレスレからチョイと機首上げするのでしょう。
249名無し三等兵:2005/06/29(水) 20:31:35 ID:sK64XJeE
戦争体験とはちょっとちがうかもしれませんが、うちの曾婆様が北海道から大阪に行く船の途中で大砲の音が遠くから聞こえたそうです。
それが日露戦争の日本海海戦だったとのことなんですがほんとうなんですかね?客はみな気楽にしてたそうですが。
250名無し三等兵:2005/06/29(水) 20:32:31 ID:???
単発機だが
97式で尾輪を擦ると落ちる(墜落する)
天山で擦ると(尾輪が)もげる
と、昔近所にいた艦攻海苔のじいちゃんが
言っていたのだが、真偽不明。
もっとも、もしネタだとしてもそれくらい低く
飛ぶんだっていう気概は伝わってくるね。
251名無し三等兵:2005/06/29(水) 20:56:49 ID:+sO+ba4u
以前に、イギリス海軍の将官と話をする機会があり、日本の航空雷撃
について話したことがある。
双発機であそこまで低く飛ぶなんて芸当を標準で出来る部隊があった
のは驚愕に値するみたいなこと言っていた。
その人曰く、帝国海軍の技量と士気の高さは現代でも見本としてしか
るべきとも言っていた。
ちなみに、実戦経験のある艦艇でもっとも良く整備されてた船は敗戦
後に引渡しする時の雪風だろうって言っていた。
252名無し三等兵:2005/06/29(水) 21:07:50 ID:j25k1C9F
父方の爺さん、大正の末期生まれ。

学徒出陣でどんどん友人たちが引っ張られていく中、理工学部だったせいか自分は徴兵検査でいい成績だった(確か甲種だったと言ってた)が徴兵されず。どうもそれをずっと恥じていたようで、戦争のことは話したがらなかった。

「友達がみんな兵隊に行って、帰ってこなかったのも大勢いたなぁ」と言っていたときの表情は忘れられません。
253名無し三等兵:2005/06/29(水) 22:09:41 ID:???
>>250
>天山
魚雷を抱いて海面スレスレに弾雨を切り裂いて突進していく有名なカラーフィルムが有りますなぁ。
(護衛駆逐艦を飛び越えていく所までしか見た事が無いが、続きはあるのだろうか・・・)
254名無し三等兵:2005/06/29(水) 22:53:25 ID:???
↑おおー見たいなあ

どんなのに出ていますか?
255名無し三等兵:2005/06/30(木) 11:38:13 ID:Ixuuy9QE
>>253
この天山って、熾烈な対空砲火の中を魚雷を抱えたまま空母に接近、
海面すれすれの超低空から、飛行甲板を通過しようとして、
至近距離から引き起こしたとたん右翼を対空砲火にもぎ取られ、
空母の反対側に墜落してしまう悲壮なシーンでは?
魚雷を抱えたままというのが悔しいが、回避運動で発射位置が後落したのだろうか。
256767:2005/06/30(木) 12:35:14 ID:???
>>247
同じく親父が少飛15期でした。
太刀洗飛行学校(甘木生徒隊)の「隈之庄教育隊」でした。
配属地はジャワの「マラン」「パリギー」
第37教育飛行隊→第26練成飛行隊。乗機は九七戦。

当初は戦闘機の訓練、後に急降下爆撃の訓練を経て内地特攻要員(七生昭久隊)
として日本へ、八月十五日東京到着。そのまま実家に帰ってきました。
戦闘機なのになんで急降下爆撃の訓練?と思っていたそうですが、特攻隊の噂
を耳にするようになり、なんとなく覚悟はしていたそうです
唯一の実戦経験(と言えるほどでもないですが)は上官の軍曹に連れられて実弾
を積んだ九七戦で哨戒飛行(洋上ではなく敵機に対してですが)をやったこと
くらいと言っていました。
しかし、少飛15期で助教とはすごいですね。

ついこの間まで別スレにマラン会文集を書き込んでおり、そのとき少飛15期
太刀飛会の写真集をupしていました。
257247:2005/06/30(木) 21:34:33 ID:???
>>256
>太刀飛会の写真集
「飛翔への青春」でしたっけ。
それなら実家にもあります。
15期は本格的に実戦参加できた最後の期ですね。
16期になると特攻で亡くなられた方の名簿にもほとんど見られなくなります。
258名無し三等兵:2005/06/30(木) 22:09:19 ID:???
俺の祖父の話では無いのですが、大学生の時知り合った他大学の友達の祖父
の話。 何でも満州で機械工(整備兵?)をしていて、「隼」のエンジンを
整備してたらしい。そして戦後シベリアに連行されたが何とか帰国。「ロシ
ア人は信用出来ん」が口癖だったとか。そんな友達も今は、コンピュータ
の会社で技術者として働いている。血筋かなぁとふと思いました。
259名無し三等兵:2005/06/30(木) 22:40:38 ID:l/UepNHW
うちのじいちゃん@故人 は軍医でハイラル(満州と蒙古の国境)に行ってた。終戦直前、馬賊が来るという噂で大騒ぎになったときモンゴル族に匿ってもらって、さらに盲腸になって自分で切って。最後の引き揚げ船で帰って来た。
260名無し三等兵:2005/06/30(木) 23:36:06 ID:???
>>240
同僚のおじいさんはシベリア帰りでその人から
聞いた話。
収容所で密告しまくりで看守に媚び売り
捕虜仲間には威張りまくりの奴がいた。
そいつも引き揚げ船に乗ったいいが
日本に着いたら船からいなくなってたそうな。
途中で間違って海にでも落ちたんじゃねぇのか?
ということで決着したらしい。
261名無し三等兵:2005/07/01(金) 11:53:44 ID:???
死んだじいちゃんが腹が減りすぎて、人を食べたって
言ってたんだけどほんとかな?
中国に行ってたみたいなんだけど、南方と違って
食料ありそうだけどな。
ちなみに味はすっぱかったらしいよ。。。
262767:2005/07/01(金) 12:39:50 ID:???
>>257
そう「飛翔への青春」です。
4中隊でした。
少飛会の「あゝ少年飛行兵」という写真集もあります。

特攻隊編成への命令が下った時どういう気持だったかと聞いたことがあります。
「その瞬間、寒気がして鳥肌が立った」
「少飛に入った時点で生きて帰れるとは思っていなかったがなんか釈然としな
いものがあった」
「戦闘で死ぬのは自分の技量が足りなかったからだとあきらめもつくが、少なく
とも生き抜こうとする努力はできる。特攻はその努力さえできない」
「いざ爆弾抱えて敵艦に突っ込む時の精神状態が想像できなかった」
「最後はこれも運命だとあきらめた」などと言っていました。

長男でも選ばれるのかと聞いたら
「その頃は長男もなにも関係なかった」
「自分は下に弟3人、妹3人がいたからまだよかったが、一人っ子は本当に気の
毒だった」とも言っていました。

それでも太刀洗、ジャワ時代のことをそれこそ青春の思い出のようによく話を
していました。
263名無し三等兵:2005/07/01(金) 16:32:21 ID:uMtE6y+D
俺のじいさんは東大法科卒。戦前裁判官。戦後は公職追放により弁護士。
陸軍法務中佐だったよ。軍法会議もやってたんだろうな。
もう一人のじいさんは陸軍一等兵で馬の糞をとるかかり。身長が低いので前線にはいけれなかったらしい。
そのじいさんの弟はレイテ島で戦死。陸軍伍長でした。
264名無し三等兵:2005/07/01(金) 23:32:48 ID:???
>>212
あまり言いたくはないが、徴兵逃れの手段は、いろいろあったという
265245:2005/07/02(土) 06:55:56 ID:Lm/d3G7V
すみません、>>245のヒロシですが、
これは>>236に対してのレスでした。

補足
「サンタローサー号」
ではいきなり召集された祖父が船長をやっていたとかなので、
かなり小規模な船だと思われ。
266名無し三等兵:2005/07/03(日) 18:12:34 ID:???
ウチのじいさまは陸軍大尉でこんな経歴。

大砲中隊としてビルマ一番乗り → 各地歴戦後、某捕虜の収容所初代所長(じいちゃま以外は戦後戦犯として歴代所長は処刑。。。)
 → 中国から日本に帰省中の船が敵潜水艦の魚雷によって沈没するも、じいさまは客人将校扱いの為、救出ボートに最優先で
乗せてもらい助かる →  船が沈没して中国に舞い戻った後、偶然逢った友人から諜報部に誘われたが辞退(戦後、中国地方の
日本諜報部は首切り公開処刑だったそうです) → 日本に戻り教官となり終戦を迎える。

諜報部を辞退した理由としては、諜報部に入隊すると国籍を捨てなければならず辞退したそうです。(但し、その見返りとして特進有り)
267258:2005/07/04(月) 20:53:52 ID:???
俺の祖父達の話
父方 209氏の祖父と同じく満蒙青年開拓団?なるものに入り小学校卒業後満州へ。
   しかし、体が丈夫ではなかったため終戦前に帰国。今度話を詳しく聞いてみたい。
   この祖父の親戚が松本連隊の一員としてトラック島に行き、戦後本を書いたらしい。
母方 戦前は三菱で経理の仕事をやっていたらしい(友達の中に海軍経理学校入学者有り)
   この祖父も体が丈夫でなかったので終戦の一年前にやっと徴兵され九州で終戦を迎える
   。「軍隊では体を鍛えたり出来たが、殴られたりしてろくな事は無かった」と言ってました。
   戦後は婦人服等を取り扱い、今は悠々自適の生活を送っています。祖父よ貴方は偉かった。
268名無し三等兵:2005/07/07(木) 10:23:47 ID:7p+GJ496
おじいちゃん、インパール作戦に参加。
高射砲の隊?に所属。
敵の戦車に味方が追いかけられてた時、高射砲で戦車を撃破。
おもしろいように当たったらしい。
歩兵に感謝されたと言っていた。
酔っ払うと自慢げに話してた。
269名無し三等兵:2005/07/07(木) 12:49:26 ID:???
>>268
・・・松本零士・・・88mm・・・
270名無し三等兵:2005/07/07(木) 20:36:20 ID:Eb7DfDdC
近所のじいさんの話
 南京方面の部隊に所属してたらしい。(実際は近所のおばさん連中は満州の方
だと言っていたが。)かなりの酒乱で暴れまわったり、「100人斬り」は自分の話
と言ってきかない人だった。当然近所の物は距離を置いていた(俺達悪ガキが
たまにからかって遊んでいたが)。
 ただ僕はそのじいさんの家に遊びに行く事がよくあった。なぜならそのての
話が好きで、暴力爺といっても子供(当時消防)に直接手をあげることはしなかったから。
271:2005/07/07(木) 21:13:03 ID:ugZU/LTZ
故、陸軍工兵1等兵のお祖父様は、豆満江に駐屯してて特に何も戦闘無く復員。
知り合いのおじさんの飯沼さん、こないだ言っていた
「うちのお袋、戦時中に落下傘降下したB29のアメリカ人をみんなで
撲殺し埋めちゃったって」
未だにその部落では話す事はタブーらしい(爆)
272270:2005/07/07(木) 21:17:15 ID:ymJlCO6x
あぁ!時間が無い!中途半端なんで
長くなりそうですけどまた書きこんでもいいですか?
 英雄伝とかではないけどいい話が多いので。
273名無し三等兵:2005/07/07(木) 21:34:33 ID:???
かまへんかまへん^^
でもsageなよw
274名無し三等兵:2005/07/07(木) 21:34:55 ID:???
ageんなよ!だったw
275名無し三等兵:2005/07/07(木) 22:09:21 ID:??? BE:44284853-##
>>271
米人殺し内の近所でもあったよ@静岡
276名無し三等兵:2005/07/07(木) 22:38:15 ID:???
家のじい様はミャンマーに通信兵?かなんかで行ってました。(モールス信号打ってた人)
途中、敵潜水艦の魚雷がすごかったとか。。でも、そんな中をすり抜けるように
兵隊を輸送した海軍はスゴイとか言ってました。で、コレは聞いた珍話なんですが。

じい様が配備されていた基地上空の制空権がなくなってからのこと、最初は敵の基地
があるというコトで警戒していた敵機も日に日に高度が下がっていって、しまいには
かなりなめられた高度で基地上空を飛んでいたとか、それに腹を立てた味方が、
強大な打ち上げ花火みたいなモノ(クレイモアみたいな花火の上半球に金属がつめこま
れてる兵器)を用意して、のんきに低空で編隊飛行してきた敵を一発でほとんど壊滅
状態にしたらしいです。´∀`;


その後、敵機は高度をとって飛行していたとかなんとかw
277名無し三等兵:2005/07/07(木) 22:39:12 ID:???
>>276強大⇒巨大で・・
278名無し三等兵:2005/07/07(木) 23:29:14 ID:???
ウチのじーちゃん、ロンドンのテロのニュース見て興奮して軍刀を取り出して粉吹いてる!

じーちゃん、戦力にならない・・・むしろ足手まといだYO!
279名無し三等兵:2005/07/08(金) 01:26:33 ID:???
おれのじいちゃんは大陸浪人で
満鉄の甘粕とも知り合いだったと言ってたらしいけど親父に言わせるとたぶんほらだろうといってた。
戦後は密造酒作って大儲けしたらしいけどろくなもんじゃねえな。
280名無し三等兵:2005/07/08(金) 02:11:02 ID:???
親戚がインドネシアのスマランで終戦後に現地人に殺される寸前にオランダ人に助けられたらしい。
なんでも独立戦争を戦うための武器が欲しかったとか。
281名無し三等兵:2005/07/08(金) 06:41:47 ID:???
>>278
細かい話だけど多分「打ち粉をはたく」が適切な表現だと思う。
282名無し三等兵:2005/07/08(金) 20:18:30 ID:???
>280
逆ではなくて?
283280:2005/07/09(土) 01:17:14 ID:???
日本人以外にもオランダ人とインドネシア人の混血も、一緒の刑務所?に入れられて合わせて100名ほど殺されたそうです。
戦争中は現地人、華僑ともに友好的だったらしいけど、色々恨みもかってたんでしょう。
284名無し三等兵:2005/07/09(土) 02:23:38 ID:???
英語系のブログさまようと、比系、華僑の恨みはけっこう見かけるなあ
まあ、火垂るの墓見て認識を改めるというカキコを見るとなんとも言えない気持ちだな
285名無し三等兵:2005/07/10(日) 09:07:55 ID:???
ガッコの教科書で恨みの再生産していますから。

286名無し三等兵:2005/07/11(月) 17:36:22 ID:???
 
287名無し三等兵:2005/07/13(水) 20:20:03 ID:???
うちのじいさん、本州から38式歩兵銃改(731部隊生成病原菌弾)
発射してルーズベルト大統領ぶっころしたが
トゥルルーマンとかいうのにすぐ代わったらしい
288名無し三等兵:2005/07/14(木) 12:51:38 ID:???
>>287
妄想ですか?
289名無し三等兵:2005/07/14(木) 22:51:48 ID:???
ただの国家機密だろう
290名無し三等兵:2005/07/17(日) 20:06:30 ID:???
そんなことあるわけないだろうばかばか子・・・アレ、ドアを叩く音がする、図院乱暴亜wばkdlfじゃdfgk異婦会えthぎあおvbdcl;あvふじkrこ」dflg」亜fhl」:f
291名無し三等兵:2005/07/21(木) 23:30:59 ID:???
sage
292名無し三等兵:2005/07/22(金) 22:11:30 ID:???
父方:夫婦で大陸に渡り、満鉄に就職。終戦時にはソ連軍を逃れ
何とか帰国。「ソ連の戦車が大砲を撃つ音が凄くて、僕は赤ちゃんの目が
飛び出さないように布で目隠ししたんだ」。周囲の制止も聞かず、
90歳過ぎて中国(本人は満州と主張)旅行。
当時住んでた家がまだ残っていて感激していた。
母方:陸軍中尉として南方へ。米軍との砲撃戦で頭部負傷し帰国。
「生きて帰れたのは私だけだったんだよ」としか話してくれない。
293名無し三等兵:2005/07/22(金) 22:11:55 ID:tH5ERS5y
おじいさんが寝ているところに転んでお腹で潰したら、シャツに張り付いた。
もちろん生きているシャツの中。
294名無し三等兵:2005/07/22(金) 22:13:01 ID:tH5ERS5y
25違い歌よwwwwwwwwwwwwwwwwww
295名無し三等兵:2005/07/22(金) 23:04:18 ID:???
せつこおおお!って親父が叫んでる。
296名無し三等兵:2005/07/23(土) 00:50:34 ID:DEga0NgY
大分昔の話、深夜車を運転中に信号無視の車に左側面から特攻かまされ入院。
病室は相部屋で、術後2週間が経過した頃、物静かなおじいさんが入院されて来て私の隣のベットへ。
お互い退屈凌ぎに始めた他愛無い世間話が戦中の話になり、その時点で判明したのですが、
なんとそのおじいさん、松山343航空隊基地で紫電改を整備されていた方だったのです。
当然、あの有名な松山上空での空中戦の模様を聞きましたが、その時は補給と被弾で降りてくる
味方機の整備で忙殺され、直上で展開されていた壮絶な空戦を見る余裕など無かったそうです。
297名無し三等兵:2005/07/23(土) 18:30:16 ID:???
>>296
・・・3/19/1945の米国側の記録によると、
当日の未帰還は戦闘機が10機。(F6Fが7/F4Uが3)
ヘルダイバーやアベンジャーは何機落ちたか知らないが・・・

三四三空の被撃墜15機・・・
298名無し三等兵:2005/07/24(日) 21:32:48 ID:QpJkCijO
オレのじーさんではないが戦艦武蔵に乗ってたと言うじーさんがいる
(レイテ沖海戦の時は
違ったらしいが)
299名無し三等兵:2005/07/24(日) 21:37:51 ID:???
僕の祖父は、中国へ行っていてシベリアで抑留されてから、帰ってきたそうです。
300名無し三等兵:2005/07/24(日) 21:54:23 ID:deuwI7gd
自分の祖父じゃないけど
うちの近くで車が故障してたのを、うちの父が修理したのがきっかけで知り合いになった人がいる
その人、外車を二、三台持っててハーレーにもよく乗ってて趣味がパラセイリングなんだよ
見た目も若いんで分かんなかったんだが話を聞くと戦中は特攻隊のパイロットだったそうだ
詳しい話は聞いてないけど
301名無し三等兵:2005/07/25(月) 19:28:59 ID:???
>>300
・・・なんかそういう人が『探偵ナイトスクープ』に出てたな、九州の爺さん。
302名無し三等兵:2005/07/26(火) 16:37:51 ID:qS80t7qM
オレの高校の時の厨房の爺さん、戦艦大和のシールド無しの13mm三連装機銃手で
腹に貫通銃創を受けて、飛行機で硫黄島に運ばれ、玉砕1週間前に内地に送還、生き残った。
303名無し三等兵:2005/07/27(水) 20:16:43 ID:???
うちの爺さんの義弟は満蒙開拓団で満州へ、その後シベリア行き
数年前その経験を自伝にして、家にも送られてきた。
でもその義弟の爺さん、癌で去年死んでしまったよ。
304名無し三等兵:2005/07/29(金) 22:18:10 ID:sEXU48vN
東海地方だけかもしれんが中日新聞に色んな人の戦争体験が連載されているぞ
305名無し三等兵:2005/07/29(金) 22:31:45 ID:WI+oDqWx
オレの母方のばぁ様の父、つまり曾祖父は海軍軍人で日清・日露戦争に参加したそうな。軍服で写ってる写真なんかは残ってるが故人につき詳しい話は不明
ただ利根(初代)で勤務してる時にばぁ様が生まれたから、ばぁ様の名前はトネ子なんだよな
ちなみに中々先見の明があった人らしくて、これからの時代女性でも学問を修めてないと話にならない、ってのが持論で娘全員を高校(当時は何て言うんだっけ?)まで進学させたお陰でばぁ様は職に困らなかったそうな
306名無し三等兵:2005/07/29(金) 23:24:07 ID:???
うちのお爺ちゃんは、海軍の航空部隊とか言ってました。飛行機の操縦だけ教えられて
あと一週間戦争が長引いていたらB-29に体当たりしていた。との事です。
307名無し三等兵:2005/07/29(金) 23:30:38 ID:WI+oDqWx
も一つ、これもじい様の話じゃないが

厨房の時の社会の担任の恩師(どういう関係なのかは不明)は大戦末期に小倉にいたらしい。八月九日、空は厚い雲に覆われていたが雲の隙間からB-29がチラッと見えたそうな。
たぶん原爆搭載機だろうって話
308名無し三等兵:2005/07/29(金) 23:34:29 ID:nerMQW6B
うちのじいちゃんは月光?とかいう戦闘機にのって下関でB29撃墜したとか、近所の人も言ってたから多分ホント
309名無し三等兵:2005/07/29(金) 23:45:19 ID:c5HPwPwR
ほぉ
310名無し三等兵:2005/07/29(金) 23:50:47 ID:???
>305
似たような話で「吾妻子」というのが
311名無し三等兵:2005/07/30(土) 01:21:34 ID:??? BE:82664674-##
>>307
ま〜後付の話だろうな
312名無し三等兵:2005/07/30(土) 02:40:36 ID:8Lh8Arsw
夜間戦闘機月光
313名無し三等兵:2005/07/30(土) 04:18:39 ID:???
私のおじいちゃんは通信兵だったみたい
戦時中南方で盲腸にかかり、麻酔なしで手術した
と聞いたことある
幼心に痛そうだとオモタヨ
そんなおじいちゃんも先月死んじゃった
85歳でした
314海軍少佐冨士信夫:2005/07/30(土) 07:55:06 ID:???
海軍軍人だった。
空母飛龍の艦上搭乗員だったが、発熱のため、
ミッドウェイ海戦に参加出来ずに生き延びた。
終戦の直前、宮古島において「神風特攻第三龍虎隊」参謀として九三式中練特攻機7機を見送った。
これらの内4機は、7月30日未明、沖縄近海に哨戒中の駆逐艦隊に突入し、
駆逐艦キャラハン撃沈、同キャッシン・ヤング大破、他2隻に損傷を負わせた。
沖縄本島に向かった3機の内2機は、P51の迎撃を受け自爆したが、
残る1機は那覇飛行場に突入し損害を与えた。

戦後は東京裁判のほとんど全部の公判を傍聴した経験から、
「私の見た東京裁判」始め東京裁判関係の著作と講演活動に没頭し、
今年一月、惜しくも死去。

315名無し三等兵:2005/07/30(土) 09:35:27 ID:O7FdW10G
>>308
「こち亀」にその機がよく登場すっからDVDでも借りてくる。
316名無し三等兵:2005/07/30(土) 09:46:54 ID:4WfaX/dQ
>>314

ボストンにキャッシンヤングが今も展示保存してあるよ
カミカゼに突入された戦績は説明板に書いてあったけど
赤トンボ特効だったとは知らなかったよ
317名無し三等兵:2005/07/30(土) 10:42:46 ID:???

            __,,,,_
            /´      ̄`ヽ,
            / 〃  _,ァ---‐一ヘヽ
         i  /´       リ}
          |   〉.   -‐   '''ー {!   
          |   |   ‐ー  くー |  
           ヤヽリ ´゚  ,r(、_>、 ゚'}
         ヽ_」     ト‐=‐ァ' !
          ゝ i、   ` `二´' 丿   
              r|、` '' ー--‐f´
         _/ | \    /|\_
       / ̄/  | /`又´\|  |  ̄\
僕のお父さんとお爺さんの話し聞きたい?
知ってるって?
そか・・・
318名無し三等兵:2005/07/30(土) 11:20:27 ID:GCg2FyAf
うちのじぃ様は戦前から陸軍の職業軍人で通信兵で日中戦争では南支那で戦ったそうな。んでいろいろ話を聞いた
小銃は三八式だが機関銃はチェコ銃、拳銃はモーゼル(十七年式?)を使ってたそうな。どっちも敵のを捕獲そうな。いろんな種類の銃がありすぎて弾倉が合わないようになってくるんだと。
319名無し三等兵:2005/07/30(土) 11:26:14 ID:GCg2FyAf
敵兵が洞窟に隠れて機関銃だけ出して撃ってきたそうな。増援を呼んでこっちからも撃つが隠れてるから当たらない上に、向こうからはこっちが丸見えだから仲間がバタバタやられたんだと。結局戦車が来て主砲で一撃だったそうだ。どうもチハらしい
320名無し三等兵:2005/07/30(土) 11:36:15 ID:GCg2FyAf
ある日基地が数倍の数の八露軍に包囲されたんだと。んで必死に応戦する。
ちなみにこの時のじい様の話によると、人を撃つと独特の音と手応えがあるそうな。
で、あわやこれまでと思ったら何故か敵が撤退しだして助かったらしい
321名無し三等兵:2005/07/30(土) 11:40:09 ID:GCg2FyAf
基地にいた時に爆音がするんで空を見上げると敵味方の爆撃機が基地上空で鉢合わせしてたんだそうだ。んでお互いに銃撃し始めて爆弾を投棄し出したんだと。敵味方の爆弾が基地に降ってきて大混乱だったそうだ
322名無し三等兵:2005/07/30(土) 12:26:10 ID:???
3年前、公園で会った爺さんに話を聞いた。
その爺さんは特殊な兵士で、行軍する本隊とは別に行動し情報収集していたらしい。
南支にいたらしく、中国人を名乗り、ライチ農場に普段はいたとか。
かなりの丘陵地だったが、見渡すかぎりの大地がライチでうめつくされていたらしい。
収穫の時期にはかなりのライチを貰い、物々交換していたとか。
最後は南京郊外で終戦を知り、引き上げてきたらしい。
お金や物品は知り合いの貧しい人に全部まいてきたとか。

ほかにも聞いたはずだが、たった一回、一時間ほどだったし誰かもわからぬ、そんな話。
323名無し三等兵:2005/07/30(土) 13:07:56 ID:GCg2FyAf
うちのじい様は結局昭和二十一年くらいに日本に帰ってこれたが、それまで仲間何人かと中国人に世話してもらったらしい
その中国人に「お前等は南京でひどいことした奴らか?」みたいなこと聞かれたらしい
実際、南京に行ったことも無いし下手なこと言うと殺されそうな雰囲気だったから「制服が違ったはずだ」とか適当なこと言って誤魔化したらしい

ちなみに帰国してから二十一年にもらうはずだった勲章をもらったそうな。今更もらってもって感じだったが一応もらって今も大事に持ってる
324名無し三等兵:2005/07/30(土) 13:21:48 ID:???
うちのじいちゃんは「愛国丸」の乗員だったらしい。
うちの祖母をはじめ家族は愛国丸が民間輸送船であると信じている。
実際のことは漏れの中だけの秘密にしている。
325名無し三等兵:2005/07/30(土) 14:10:04 ID:GCg2FyAf
うちの父方のばあ様、ってかばあ様の地元の年寄りなら皆知ってる話だが
上空で米軍機と日本軍機が空中戦をして米軍機が撃墜されたのが見えたから、墜落現場に皆手に手に鎌とか鍬とか持っていったそうな
そしたら零戦が墜ちてたそうだ。ホントに零戦かどうかはわからんが日本軍機だったのは間違いないらしい
326名無し三等兵:2005/07/30(土) 14:31:15 ID:GCg2FyAf
友達のじい様の話

海軍航空隊にいて、零戦に乗ってたらしい。大戦末期にP-51に撃墜されたらしい。こっちが飛べない高度を飛ぶのは反則だって言ってた

別の友達のじい様の話
戦車の整備兵をしてたんだと。んでエンジンフードを開けて整備してた時に爆撃されて、エンジンフードが閉まり挟まれて大怪我。内地で療養中に終戦、だそうだ
327名無し三等兵:2005/07/30(土) 14:42:54 ID:k04Xp+bM
作り話率半分ぐらい?
328名無し三等兵:2005/07/30(土) 15:09:23 ID:GCg2FyAf
ネタがないなら来ないでね
329名無し三等兵:2005/07/30(土) 18:56:34 ID:???
>>324
ウホッ!いい女装艦隊!!
330名無し三等兵:2005/07/31(日) 00:16:07 ID:tslzgg46
もう他界しかじいさまの話。
戦争中は刑務所に居たんでなんも話すことない。
なんにもないのかよ・・・・・orz
331名無し三等兵:2005/07/31(日) 01:05:46 ID:vYY4/FUT
藻前のじいさん何したんだ!?そっちの方が気になるぞ
332名無し三等兵:2005/07/31(日) 01:10:09 ID:???
思想犯じゃないの?
333名無し三等兵:2005/07/31(日) 01:16:49 ID:vYY4/FUT
それだったらそれはそれで戦争体験みたいなもんジャマイカ
戦中政治体験みたいな感じかな
334名無し三等兵:2005/07/31(日) 01:19:32 ID:6iO6U6n7
うちの爺さんの話。満州にいたそうで、その後シベリアに抑留されたらしい。
とても寒くて、小便をすると氷柱ができ、黄色い氷柱が何本もできていたらしい。
食べ物もなくて草の根を食べ、泥水を飲んで空腹を満たしていたとか・・・。
首に水疣があって、泥水の泥がたまってできたんだと、笑いながら話していたなぁ。
もう他界していて、何年も前に聞いた話だからうろ覚え・・・orz
335名無し三等兵:2005/07/31(日) 01:23:12 ID:???
消防のころ友人宅へおじゃましたとき、壁に駆逐艦冬月のでかい写真が額に入れて
飾ってあった。
あとで聞いたら爺様が乗員だったとのこと
336名無し三等兵:2005/07/31(日) 02:04:19 ID:vYY4/FUT
父方のばあ様から聞いた話
ばあ様の地元の人が乗ってる駆逐艦が撃沈されて皆その人は死んだんだろうなぁと思ってたら終戦後ひょっこり帰ってきたそうな
ばあ様は駆逐艦ってことしか分からないし、本人は他界しちゃってるので詳しいことは不明
337名無し三等兵:2005/07/31(日) 02:12:15 ID:JyzfE5bV
父方の爺さん、学生で軍事工場で働かされてた。
爺さん、誕生日は仕事にいかず、家で家族とすき焼きしたといってた。
その日、工場が爆撃されて、同僚がたくさん死んだらしい。
338名無し三等兵:2005/07/31(日) 08:59:03 ID:???
恐るべし民潭、こんな脅迫的な集団が日本国内にあったと知らなかった↓

>これは由々しき事態ですね 2005-07-25 【投稿者】 NON
>韓国けなす漫画、日本アマゾンで前売りトップに
><略>明日、この「嫌韓流」が発売されます。
> 韓国のマスコミは、この歴史ワイキョク本をこぞって糾弾しているようですが、
>日本のマスコミは何故か沈黙を守ってます。<略>
> 民団の皆様には、是非この本の出版社に対して抗議活動を行って欲しいと思います。
> 大規模なデモ行進をするもよし、出版社を「人間の腐り」で取り囲むもよし。
> 出版社の社員と作者に昼夜を問わず、電話、FAX攻撃を行うのも効果的です。
> みなさんが騒げば、日本のマスコミも無視してはいられなくなるでしょう。
> 朝日新聞等に反「嫌韓流」キャンペーンを展開させ、一人でも多くのリョーシンテキ
>日本人にこの本の存在を知らせべく、頑張って欲しいと思います。
>http://www.mindan.org/bbs/bbs_view.php?bbsid=3072&page=1&subpage=1673&sselect=&skey=
339名無し三等兵:2005/07/31(日) 12:00:13 ID:???
   _, ,_
( ‘д‘) パーン
  ⊂彡☆))Д´)/←147
340名無し三等兵:2005/07/31(日) 14:19:07 ID:???
・・・・何故殴った
341名無し三等兵:2005/07/31(日) 16:46:53 ID:r9hzCv9L
>>338

>「人間の腐り」

腹イテ〜ギガワロッシュwwwwwwww 
342名無し三等兵:2005/07/31(日) 16:57:20 ID:???
回天の候補生になったけど試験でずるして逃げてきたらしい。じいちゃんGJ!
343名無し三等兵:2005/07/31(日) 16:58:14 ID:vYY4/FUT
つまり世の中の腐女子が出版社とかを取り囲むのか
なるほど効果がありそうだww
344孤独な狙撃兵:2005/08/01(月) 11:10:48 ID:???
わしは、始めインパールのある独立砲兵大隊に配属されて、山砲の砲手だった!!しかしイギリスの機甲師団により大隊が壊滅してからは、機関銃中隊に配属され!!中隊で独りだけ!!三八式の上に狙撃レンズがついた狙撃銃を撃っていた。
345孤独な狙撃兵:2005/08/01(月) 11:13:19 ID:???
ちなみにその狙撃銃はいま、どこかの自衛隊の資料館に展示されているみたいです!!!
346名無し三等兵:2005/08/01(月) 11:26:00 ID:PujT8bON
 俺の母方の曽祖父は徴兵されて満州で戦死した。
爺さんから聞いたが、機関銃の射手だったらしいが、
ある日無能な上官が道をふさぐようにして陣地を
作らせたから機銃掃射してるところでシナの狙撃兵に
やられたらしい
347名無し三等兵:2005/08/01(月) 11:39:08 ID:5OVnthz2
俺のじいちゃん、衛生兵で輸送船に乗ってるとき、アメリカの潜水艦の、
魚雷で沈没、木か何かにつかまって、大勢で3日間漂流後救助されたそう。
348名無し三等兵:2005/08/01(月) 12:45:47 ID:mT6/ic1f
家の近所の親睦旅行に加わった人が陸軍の帽子をかぶってたので聞くと、
一木支隊の生き残りだと。近所にオリンピック選手がいたよりびっくりした。
349名無し三等兵:2005/08/01(月) 12:58:23 ID:???
俺のじいちゃんのおじさんは海軍パイロットで、
終戦の直前に惜しくも戦死して2階級特進で少将になったそうな。
350349:2005/08/01(月) 12:59:39 ID:???
しかもあの源田と知り合いだったとのこと。
351名無し三等兵:2005/08/01(月) 20:03:46 ID:PfHfgD85
>>348 
一木支隊でも、第二梯団では?あれなら生き残りはソコソコいる。それでも凄い事だけど。
もし、あの第一梯団の生き残りだったら、なんか、もう、言葉が出ない。
352名無し三等兵:2005/08/01(月) 20:19:53 ID:pxCLsZ/w
うちのじいちゃんは調布で整備をやっていたらしい
もう亡くなってしまったからもっと話を聞きたかったなぁ(´・ω・`)
婆ちゃんはあの風船爆弾の和紙を作っていたとか
353349:2005/08/01(月) 20:23:08 ID:???
ttp://navy75.web.infoseek.co.jp/retuden10irisa.htm
この方が俺のじいちゃんの叔父さん。
じいちゃん本人じゃないけど。
じいちゃんは3月10日に東京に居ました。
354名無し三等兵:2005/08/01(月) 23:42:09 ID:???
漏れが高校の夏休み中にバイトで世話になった土建屋のオヤジは
鹿児島で整備兵をやってたと言ってたな。

帰還したゼロ戦を格納庫へ移動させてるときに、燃料タンクの中で
カラコロカラコロ音がしてたと。
中に銃弾が入ってたと言ってたな。
355名無し三等兵:2005/08/02(火) 00:36:19 ID:???
隣のじいちゃんは空母赤城の乗組員だったらしい。沈んだとき大変だったとか話してた。
うちのじいちゃんは身長が足りなくて軍に入れなかったと笑って話してた・・・
356名無し三等兵:2005/08/02(火) 01:46:42 ID:???
爺さんは、昭和元年生まれ。昭和19年に中国へ。
一回も戦わなかったらしく、一番緊張したのは、下関からの海路だったらしい。
戦後は地方公務員で定年、軍人恩給と公務員年金なんかで、俺より手取りが多い。。。orz

八路軍とは対峙しても引く->離れる->対峙の繰り返しで戦いまでいかなかったそうな。
357名無し三等兵:2005/08/02(火) 21:12:34 ID:???
>>353 
有名な岡村少佐も発見でハッピー^^
358名無し三等兵:2005/08/02(火) 23:56:42 ID:???
俺のじいちゃんは、実はじいちゃんだったと言う話!!!
359名無し三等兵:2005/08/04(木) 02:19:12 ID:COKLCaVl
おれのじいさまは大戦末期陸軍士官学校を受けたのだが
ひいじい様から不合格だときかされてあきらめたんだと。
ほんとは合格してたのだが、ひいじい様が合格通知をみ
せなかったんだって。死なせたくなかったんだって。
じいさまの通夜でじいさまの弟が言ってた。

そんなこともあるんかいな。
360名無し三等兵:2005/08/04(木) 08:25:08 ID:???
父方のじい様は昭和19年に三十何歳だったかで戦時召集。
通信兵として内地勤務。毎日トンツーばかりで派手な話は
一切無かったそうだ。
母方のじい様は戦時中は秋田の田舎町の町長。空襲も無く、
公務の他は出征していく兵隊を見送る毎日だったとか。
一番派手な戦時体験を持っているのは母方の大叔父。
戦艦長門乗組み。開戦時は上等兵曹、後に兵曹長に昇進して分隊士。
ミッドウェー海戦からレイテ海戦までの全ての海戦に参加。
レイテ海戦で負傷し内地転勤。横須賀鎮守府勤務で敗戦を迎える。
戦後は故郷に帰らず、横須賀で暮らした。
晩年「一番の想い出は?」と聞いたら、「真珠湾攻撃のすぐ後、
上甲板で山本(五十六)長官とすれ違った時、声をかけてもらったこと」
と話してくれた。気さくな感じで、いい長官だったそうだ。



361名無し三等兵:2005/08/04(木) 15:56:35 ID:3+kKiiI9
親戚の人が硫黄島でなくなったらしい。姓がナグモだったらしい。まじめに。
362名無し三等兵:2005/08/04(木) 15:59:58 ID:3+kKiiI9
硫黄島指揮者は栗林中将か!ふつうの兵隊だったね。
363名無し三等兵:2005/08/04(木) 16:07:20 ID:QB6h/YqY
うちのじいちゃんは中国に行って、足に爆弾の破片を食らって切断する羽目になって日本に帰って来たと言ってたな。
向こうで無縁仏にならずによかったよ。

そういえば古い中国の紙幣なんかも家にあったな。
364名無し三等兵:2005/08/04(木) 19:18:29 ID:???
我が家の墓に入ってる針金グルグルで骨が入ってないっていう骨壺の
中の軍人(将校?)が日中戦争の初期に上海のウーヌンクリークって
とこで戦死したみたいなんだけど、上海って戦場じゃないっしょ?
しかもウーヌンクリークでググッても何も出てこないし。
軍人で旅行とかしてて中国人に殺された事件とかある?
365名無し三等兵:2005/08/04(木) 19:23:26 ID:???
呉淞(ウースン)ではないかと
かなりひどい戦闘が行われた地です


あと、上海が日中戦争の始りの地です
366名無し三等兵:2005/08/04(木) 21:54:32 ID:???
うちの祖父は国鉄職員だったので招集されなかった。
367名無し三等兵:2005/08/05(金) 04:08:51 ID:???
うちの祖父も元国鉄職員。
軍への入隊希望をしていたわけだが
親父(ひぃじいちゃん)にぶん殴られ
仕方なく国鉄職員へ・・・って感じらしい。
後で聞いたら、息子を戦争で死なせたくなかったらしい。

立川で2式戦を見たとか、防空戦の模様とか聞いた。
B−29はとてもでかくて爆音が聞こえ出すと
キラッ、キラッと機体を光らせ上昇して行く日本の迎撃機
しばらくすると火噴いて落ちてきてくるそうな。

昭和天皇が大嫌いな祖父です。
「この馬鹿のせいで戦争なんか始まったんだ」
と言って不機嫌になります。

ちなみに祖母は元海軍病院船で看護婦していたとか。
詳しい話とか何て船かはわからないですが。
368名無し三等兵:2005/08/05(金) 09:38:33 ID:9d7d6p5/
うちの祖父は桜花の特攻でアメの空母と刺し違えた。
ちなみにその時、音速超えていたらしい。
369名無し三等兵:2005/08/05(金) 13:08:32 ID:kPH27tgJ
それって、子供の頃に見た漫画、特攻して空母を轟沈させ
〜翼に掴まり海に浮かんで〜日本軍に救出され〜基地に帰ってきて妹と再会。
以上に人に誤解をさせる話だね。第一、松本零次の音速雷撃隊じゃん。
370名無し三等兵:2005/08/05(金) 13:10:32 ID:kPH27tgJ
351氏へ、なるほど、今度聞いてみる。
371名無し三等兵:2005/08/06(土) 11:26:12 ID:6cZOflN3
うちのばあちゃんは、町内会からの勤労依頼で、
手榴弾の紐の加工作業を家族で作業奉仕(内職)していたらしい。
その残り糸があったが、たこ糸みたいな感じ。
372名無し三等兵:2005/08/06(土) 11:33:29 ID:1ZlJF/Pb
うちのばあさまは女学生の頃に大砲の砲弾を作っていたらしい。
で、出来た砲弾を運んでいた時に弾頭を下にして落としてしまった。
で、運良く不発弾で地面に突き刺さったままだった。
なんか工場責任者とか軍人やらがわらわら出てきて大騒ぎだったとか。
確かに色々と問題が山積みだよな〜これは。
373名無し三等兵:2005/08/06(土) 12:33:28 ID:???
砲兵(山砲)部隊の軍曹として海南島上陸やシンガポール戦に従軍しました。
祖父の話しでは、船で上陸地点に向かう途中敵潜水艦の攻撃に合い、魚雷によって次々と沈められる
味方の船、硝煙と爆音の中、「次はやられる!」
重い大砲のせいで船速がでないので積んであった爆雷を次々と投下、直後
船の後ろを魚雷が一本通り過ぎていきした。
後ほど許可なしに爆雷投下したため上官に叱られたらしいです。

戦後「あの時俺が爆雷を落とさなかったらお前等は生まれていなかった」と
よく言っていました。
祖父が亡くなって11年・・・仕事中に2chをしている俺は虚しくなった。
もうすぐお盆ですね。








374名無し三等兵:2005/08/06(土) 13:05:51 ID:???
俺のじーさん大陸に行って連戦連勝で、何で日本は負けたのか
不思議でしょうがなかったらしい。

幸せなじーさんだった。
375名無し三等兵:2005/08/06(土) 13:40:05 ID:???
俺達は10年後、中国との戦争に駆り出され、ここの方々に恥じぬ立派な兵士としてこのスレに土産話を持ち集う
376名無し三等兵:2005/08/06(土) 14:33:34 ID:???
>375
自衛官乙
377名無し三等兵:2005/08/06(土) 17:47:49 ID:w8AZMbdz
桜花って親機の一式陸攻がやられやすいから撃つ機会は殆どなかったのでは?
378名無し三等兵:2005/08/06(土) 17:50:21 ID:???
駆逐艦一隻沈めたような
379名無し三等兵:2005/08/06(土) 17:51:32 ID:???
>>377
あまり本気にしてはいけない
380名無し三等兵:2005/08/06(土) 17:55:24 ID:???
>>377
確認戦果はおそらく駆逐艦撃沈1隻のみだったはず。
(出撃した桜花は72機)
381( =^-゚)=^-゚)=^-゚)ノ まほ〜♪ :2005/08/06(土) 18:10:57 ID:???
桜花の戦果は、最初の失敗で18機全部をうしなったが、
その後の少数機による攻撃が効を奏し、
至近命中を含め8隻に損害を与えているから、
喪失56機中8機、1/7はカナリ高い成功率だったな。
382名無し三等兵:2005/08/06(土) 19:10:23 ID:Aey/iOVU
うちの爺さん兵庫の工場で
飛燕作ってたらしい
でも飛燕が双発だと言ってきかない
383名無し三等兵:2005/08/06(土) 19:25:45 ID:???
うちのひいじいさん、ティーガーは電動でうごくんじゃ!っていって聞かない
384名無し三等兵:2005/08/06(土) 19:26:56 ID:???
>>382
ツインマスタングでも作ってたんじゃねぇの
385名無し三等兵:2005/08/06(土) 20:49:08 ID:???
>>383
ポルシェのティーガーは電気駆動です
386名無し三等兵:2005/08/06(土) 21:15:10 ID:tZ96i1IF
>>375
屁タレ
387鴉 ◆Ut3CmtqoAg :2005/08/07(日) 00:31:51 ID:???
戦争体験、と言うべきかどうかわからんが、うちの爺さんは通信兵で、北方領土でアカどもの捕虜になって
ラーゲリで何年も死にそうな思いをしてから、やっとの思いで帰ってきた。
やつれ果てて帰ってきた爺さんを見て、婆さんは一瞬誰なのかわからなかったそうだ。

その爺さんはソ連崩壊の前に心臓病で死んだけど、死ぬまで
「アカどもは信用できない。アメリカと組んで奴らと対抗しなくては」と言っていた。

爺さんにソ連の崩壊を見せてやりたかったなー。

でも爺さんは「自分は運がよかった」とも言っていたな。
そもそも水戸二連の所属だったのが異動したそうだけど、その原隊はペリリューで玉砕。
んで、一緒にアカの捕虜になった戦友たちは、「戦後」になってからラーゲリでばたばたと死んでいった…。

…なんだか書いていて、あらためてアカどもへの憎しみが湧き上がってきますた。
388名無し三等兵:2005/08/07(日) 01:32:38 ID:???
>>383
まぁ、フェルディナンド(エレファント)も一応はタイガーだし。
389名無し三等兵:2005/08/07(日) 08:56:01 ID:???
>>375
まず日本海で領空侵犯しそうなチョンや三国人を撃墜するところから始めようぜ

>>382
同じ川崎でも屠龍かなにかと間違えたのでは
単座のキー96あたりの可能性もあるが

>>383
当時の日本人でティーガーとポルシェティーガーの違いがわかる人がどれだけいたかと。
スポーツカーのポルシェもまだなかった時代だしな
390名無し三等兵:2005/08/07(日) 10:28:58 ID:H7EZRxCn
>>382
飛燕の工場は岐阜の各務ケ原。
兵庫の工場で双発なら屠龍では?(川崎・明石工場)
391名無し三等兵:2005/08/07(日) 11:23:51 ID:???
みなさんの祖父達すごいですね。
自分は祖母はまだ健在だから、空襲の体験とか
よく聞いたが、祖父は自分が3歳の時、他界したから
戦場での体験も聞いてみたかった。
392名無し三等兵:2005/08/07(日) 11:28:16 ID:???
父方の祖父は身体検査に引っ掛かって徴兵されなかった。そのくせ、最近の若いヤツは戦争に行ってないから・・・などと言うので父が怒ってる
393名無し三等兵:2005/08/07(日) 11:48:20 ID:???
>>368
米軍機クラスの耐久力でも、音速を超えるのは到底不可能だった覚えが・・・
394名無し三等兵:2005/08/07(日) 12:40:09 ID:6pG3WyOf
ガキの頃、親父と一緒に風呂に入ると軍歌を教わった。
風呂は入ると数なんか数えさせられるだろう?
うちの場合は軍歌だった。
ラバウル航空隊を歌ったら、風呂から上がってよし!ってな具合。
そう、うちの親父は海軍だったんよ、
パイロットではないが航空関係だったそうだ。
だから教わるのは、海軍の軍歌ばっかり。
俺の頃は、小学校の同級生の親もほとんどが軍隊体験があったから、子供はみんな軍歌は歌えたわな。
ある時、同級生から歩兵の本領を教わった。
親父を喜ばしてやろうと、風呂の中で歌ったら
陸軍の歌なんざ歌うんじゃないっ!とマジ怒った。
その日は、親父が飲む風呂上りのビールの泡を舐めさせてもらえんかったわ。
これって戦争体験じゃなくて、親父の思い出話か〜
395名無し三等兵:2005/08/07(日) 12:50:02 ID:H7EZRxCn
隣のおばさんは、屋根を突き抜けて畳の上に落ちた焼夷弾を叩き消したとか。
でもその後、叩かずに棄てれば畳みの焦げも少なかったはずと親に怒られそうな。
396名無し三等兵:2005/08/07(日) 21:56:33 ID:???
質問なんだけどよろしいか?
爺さんの遺品整理してたら色々出てきたんで調べてみたんだが
終戦前後に軍曹→特務曹長に階級が上がってたんだがこれって良くあることなんかね?
ばあちゃんがいうにはみんなどさくさでアゲてもらったんじゃって言うんだけど
397名無し三等兵:2005/08/07(日) 21:57:29 ID:???
>>396
めっちゃ良くあること。
398名無し三等兵:2005/08/07(日) 21:58:44 ID:???
>>397
サンクス
399名無し三等兵:2005/08/07(日) 22:04:05 ID:???
ポツダム昇進でぐぐってみて
400名無し三等兵:2005/08/08(月) 00:12:25 ID:???
うちのじいさんは無敵関東軍。
昭和6年に樺太へ渡り、一旗揚げようかというところで陸軍へ。
部隊の若いもんはみんな街におんなを囲っていた。そうじゃないのはわしだけや。
ほほう堅いな。
ところで所属は本籍地で決まるもんなんですか? 
401204:2005/08/08(月) 04:07:53 ID:???
爺ちゃんの弟さんの所属していた部隊を知りたい、
とだいぶ上の方にカキコした者です。
まだどこに所属していたのか分かりませんが
少しだけ分かったことがあるので、報告してもよろしいですか?
402名無し三等兵:2005/08/08(月) 04:51:21 ID:???
待ってる(o・∀・)テカテカ
403382:2005/08/08(月) 11:41:33 ID:Cvhhrhh3
なんかね、水冷エンジンで
機体底部の空気取り入れ口の所を
作っていたらしい(アルミ製と言っていた)
工場は、神戸の兵庫
空襲で死にそうになったらしい
404名無し三等兵:2005/08/08(月) 11:46:23 ID:???
>>403
>神戸の兵庫

逆だろ、おい(w

「兵庫の神戸」であって「神戸の兵庫」ではない。気持ちは分かるが。
405名無し三等兵:2005/08/08(月) 12:05:44 ID:???
神戸に兵庫ってところありますが
406名無し三等兵:2005/08/08(月) 12:12:07 ID:???
>>400
日本軍は「郷土連隊制」といって、同じ地方の出身者ごとの編成を行っていました。
郷土愛、コミュニケーションの円滑、隣県町村への競争心、あらゆる意味でこの
制度が望ましい、と。
だから、例え東京に何年住んでいたとしても、本籍地が大阪なら、それが仮に届出
上の本籍地に過ぎなくとも、大阪の連隊に入営しなくてはなりません。
満鮮の外地に居ても同じです。
只、戦争末期には現地召集って云う制度が出来、特に満州朝鮮で、その居住地区
ごとの徴兵、編成が行われました。
私の祖父も満鮮国境の街で民間鉄道会社に勤務していたところ、昭和19年に
現地召集で関東軍に引っ張られています。
あなたの祖父上と同じパターンかと。
407名無し三等兵:2005/08/08(月) 12:44:00 ID:???
>>400
昭和6年なら満州事変勃発の年だけど、
関東軍の独立守備隊に志願でもしたんじゃないかな?
そーいう人けっこういたらしいよ。
408名無し三等兵:2005/08/08(月) 12:51:25 ID:???
だれか南京虐殺の体験談を語るじい様はいないか?
おれは信じられないんだけど、語ってる人いたらタム
409名無し三等兵:2005/08/08(月) 13:08:30 ID:Vjnrng1F
米国のプリプリガンに撃たれた。
410名無し三等兵:2005/08/08(月) 13:19:47 ID:???
>>408
もしいても中華に洗脳されちゃった哀れな帰還兵だな
411204:2005/08/08(月) 13:36:58 ID:???
本当ならもうとっくに調べてここに報告したかったんですが、
爺ちゃんが急に入院してしまい、俺が代わりに援護局に電話しようか?
と言うと「これはわしが調べるからよけいなことはするな!」
とどなれ、爺ちゃんの退院まで待つことに。
ようやく退院して爺ちゃんは援護局に電話した。
手続きのために、戦死証明(みたいなもの正式な名称は知らない)と戸籍謄本
などを援護局に送らないとだめだって、戦死証明は本籍地でないともらえない
ので爺ちゃんは自分が取りに行く、と言い出し皆で説得、
「俺たちでも片道2時間はかかるしもう親父には無理、最近足が痛いって言ってたろ?」
それでも聞く耳持たない爺ちゃんに婆ちゃんが一言
「電話して郵送してもらえば?」なんで皆それに気付かなかったんだ…。
これから電話するらしい
412名無し三等兵:2005/08/08(月) 13:52:44 ID:dc49Fwve
ばあさんの葬式のとき経をあげてくれた近所の坊さんはラバウル航空隊で一式陸攻の後方銃手だった。
その時の機長がプリンスオブウェールズを攻撃した人だったとか。最終階級は二等飛行兵曹。



そういえば戦争にいった神父とか坊さん連中は靖国神社に参拝するんだろうか
413名無し三等兵:2005/08/08(月) 14:31:05 ID:???
>>411
すでにご存じかもしれないが、当該戦没者の配偶者などの年金権者が今年の4/1の時点でいない場合、
戦没者の子がいなければ、兄弟姉妹は「戦没者等の遺族に対する特別弔慰金」の支給対象になる
可能性がある。
414204:2005/08/08(月) 18:56:33 ID:???
>>413
少し前に爺ちゃんが手続きしてた。
爺ちゃんは長男で弟さんに配偶者は無し、
勿論すでに両親はいない

ちなみに弟さんは駆逐艦に乗ってたんだって
戦時中手紙が来たらしい船名も書いてあったらしいが、
それを読んだのは俺の曾婆ちゃん、つまり爺ちゃんの母親だけ、
その他の家族は戦地にいたりして家には居なかった。
その手紙も空襲で焼損、曾婆ちゃんは弟さんの所属について何も言わなかったみたいだ。
415名無し三等兵:2005/08/08(月) 20:31:50 ID:???
>>365
そうだった!サンクス!
なんか日本軍にすごい戦死者が出たみたいだね。死ぬわけだw
416400:2005/08/08(月) 23:25:51 ID:???
そうですか。どうもありがとうございます。
たぶん本籍は石川懸。歩兵第七連隊ということかな。
南京入城後暴れまくったのかもしれん。 話半分でも聞いとけば良かったね。
417400:2005/08/09(火) 00:25:21 ID:???
連続で申し訳ない。
第九師団は台湾へ行ったと書いてあた。 しかしじいさんは広島で原爆の後始末を
したと言っておった。 戦歴意味不明だな。
418天城:2005/08/09(火) 03:40:56 ID:+SyLq6/Y
自分の祖父の体験。ちなみにどん亀(潜水艦)乗りね。

@ ハワイ真珠湾作戦中、米艦隊が湾内から出ないように見張っていたが、
  水が大変きれいでいつ見つかるかとひやひやものだった。
  その際、潜水艦には「米艦隊が湾内から出てきた場合体当たりしてでも
  湾から出すな」との命令が出ておりました。

A ガダルカナル島への潜水艦を使用した補給作戦時、舟霊(フナダマ)を
  見てしまった。案の定、荷揚げ作業中に米軍の魚雷艇に襲われたが辛く
  も逃れることが出来た(舟霊が出る、あるいは舟霊が抜けるとその船は
  沈むという言い伝えがあるんです)。

B 作戦中に米駆逐艦に発見され爆雷攻撃を受ける。その際に充電池が破損し
  硫酸ガスが発生、艦内の乗組員総員は防毒面をつけて作業にあたった。
  通信士だった祖父はやることがないので無駄な酸素をつかわないように
  ひたすらじっとしてるだけ・・・。やることがないので何発爆雷をぶち
  込まれたか数えたら15発ほど叩き込まれたとのこと。
  「攻撃されたらひたすら潜ること。船体の下で爆発すると船体がへし折れる」
  と言っておりました。

で、上記の体験談、全部裏取りました(無論祖父には内緒)。
しかし祖父の話してくれた体験談の裏を取る孫っていったい・・・。

おまけ
多分トラックだと思うが、「大和」に艦を横付けし、風呂を使わせて
もらったことがあるそうな。風呂上りに「主砲を見よう」ということになり
3名ほどで甲板を目指したが、見事に艦内で迷いました。

通りかかった「大和」の乗組員に「甲板はどういけば・・・。」と聞くと、
「自分も配属されたばっかりで迷ってるところだ」との返事。
結局、1時間くらい「大和」の艦内をさまよっていたそうな。
419名無し三等兵:2005/08/09(火) 04:03:38 ID:???
>>418
裏を取ったなら艦名キボンヌ
420天城:2005/08/09(火) 04:17:46 ID:b2E1yzb0
>>419
艦名は明かしたくない。
他人のスレをあたかも自分のスレであるかのように振舞う輩がいるので。
しかしそれを根拠になんだかんだ言われるのもいやなんでヒントを1つ。

ヒント:「巡潜3型」

あとは「伊58潜帰投せり」などでご確認を。
421名無し三等兵:2005/08/09(火) 04:41:56 ID:???
自分のスレねぇ・・・
422天城:2005/08/09(火) 04:42:45 ID:b2E1yzb0
>>420
失礼、「スレ」ではなく「発言」だ。間違えた。
423名無し三等兵:2005/08/09(火) 05:47:12 ID:kFth2oPG
うちの父方のばあちゃんは当時中学生くらいだったけど
最初、満州にいてその後大陸に行って
親はなかなか言葉を覚えられないのに
すぐに言葉を覚えて勝手に買い物しまくって
言葉のわからない親に買わせまくってたらしいw
後、婆さんの祖父やら父親は戦争始まったときから
こんな戦争勝てるわけないといってたらしい
でも子供たちは絶対に勝てると信じてたんだと
教育ってのは恐ろしいねぇ
424名無し三等兵:2005/08/09(火) 13:37:41 ID:???
うちの祖父の話。
中国の青島で鉄道防衛の任務についていた機関銃の射手だったそうな。
匪賊討伐をやっていたが蒋介石の国民党は弱く、
逆に毛沢東の共産党は精神教育がしっかりしていて強敵だったとのこと。
日本は天皇陛下万歳の精神でやるのに対して共産党は毛沢東万歳という感じで。
もし共産党が日本軍と同じ装備だったら逃げなくてはいけなかったくらいだそうな。
当時の中国は酷い有様だったらしく、現地の支那人には共産党が救世主のように見えたらしい。
さらに共産党に捕まった少尉?がアカに転んでしまい、同じように転んでしまった日本兵を
集めた部隊の指揮をとっていたりとかもしたそうな。

ちなみに母方の祖父はテニアンでかなり壮絶な体験をしたらしい
425名無し三等兵:2005/08/09(火) 16:06:52 ID:???
祖父の弟が憲兵で、戦後?中国で銃殺されてます。小さい頃に聞いた話なので詳しく
覚えてませんが、銃殺される数時間前に書かれた手紙があって、字が震えててまとも
に読めない状態だったそうです。ちなみに祖父は病気がちで検査不合格で戦争行って
ませんが数年前に他界しました。
親父に聞いた話によると、祖父の弟はすごく親父を可愛がってくれてたそうです。で
もサーベルを見せてもらった時はその青白い怪しげな光り方が気味悪かったそうです。
426425:2005/08/09(火) 16:21:04 ID:???
連投失礼します。
祖父の故郷の近所の人で、ガダルカナルから生還した人がいたそうです。
親父の話いわく、穏やかで優しい人だったのですが、既に葬式が済まさ
れていて(戦死の通知が来ていた?)、それに怒り狂い、その後も人が
変わってしまわれたそうです。所属等は聞いていませんし、その後の話
も不明ですが。
427名無し三等兵:2005/08/09(火) 16:26:53 ID:???
僕の祖父は今84歳です。 太平洋戦争の時、中国にいました。
工兵でしたが、かなり残虐な事をしていたと語ってました。
中国の子供は小さな時から働いて、小銭を稼いでました。
村と村の境界線に監視所を設け、ここに祖父の小隊が居て、マキを売って
小銭を持った少年から、小銭を奪っていたそうです。
強く抗議する子供は林の中に連れて行って、殺して埋めたそうです。
女にも不自由していたので、10歳以上の少女の場合
連れて行って、3人で何度も輪姦し、殺して埋めたそうです。
 この前、祖父は「俺もそろそろ死ぬから、本当の事を言う」と
聞かせてくれました。
428名無し三等兵:2005/08/09(火) 18:02:22 ID:???
>>427
よりにもよって軍板でそんな与太話されてもなぁ。

与太じゃないというなら、その祖父とやらの所属部隊等について、
もう少し詳しく言ってみな(w
429名無し三等兵:2005/08/09(火) 18:26:14 ID:???
中帰連かな・・・
430名無し三等兵:2005/08/09(火) 19:30:27 ID:???
それか、もともと個人的に犯罪者の資質の強い爺さんだったんだろ。
日本人かどうかも証明してもらわなくちゃな。
431名無し三等兵:2005/08/09(火) 19:56:16 ID:???
>427
軍票って知ってる?
432名無し三等兵:2005/08/09(火) 20:54:58 ID:???
中国の小僧ににこやかに話かけたら無視された→脳内で殺したことにした
中国のクーニャンに「ヒューヒュー!」とかやったら無視された→脳内で輪姦したことにした
433名無し三等兵:2005/08/09(火) 22:41:29 ID:???
427ですが、祖父は終戦後帰国して武器解除になりましたが
南部式拳銃を持ってました。
大阪の闇市でヤクザと喧嘩になり、胸に2発撃って殺しました。
結構重い刑でしたが、恩赦で2年で出所しました。
心の内を聞きますと、戦争で荒んで、この人生どうなっても良い、と
開き直って、生きていたそうです。
434名無し三等兵:2005/08/09(火) 22:53:27 ID:???
>>427>>433

ageで書いてるのは何かしらのメッセージなのか?
435名無し三等兵:2005/08/09(火) 23:03:01 ID:???
日本兵が絶対に悪いことしないとでも思ってるのかよ・・・
436名無し三等兵:2005/08/09(火) 23:06:49 ID:???

戦争で精神おかしくなる人も多数いるようだしね
437名無し三等兵:2005/08/09(火) 23:09:42 ID:???
>>434
>何かしらのメッセージ
・・・『妄想三光作戦』開始のメッセージかな?w
438名無し三等兵:2005/08/09(火) 23:29:24 ID:???
人が沢山居れば変な奴も当然居る。
犯罪者も出てくる。
439名無し三等兵:2005/08/09(火) 23:35:36 ID:???
>>433
だーかーらー。そのお爺さんはどこから出征したのか教えろっつーの。
440名無し三等兵:2005/08/09(火) 23:38:36 ID:???
自演が多いな。
441名無し三等兵:2005/08/10(水) 10:09:03 ID:???
>>439
祖父の部隊や小隊長などの、名誉にかかわる事なので
部隊名や出征地は書けません。
残虐行為を外地でして、墓場まで秘密にして
亡くなった兵隊さんって、多いのでは、と感じました。(433)
442名無し三等兵:2005/08/10(水) 10:12:07 ID:???
不名誉な事を隠しておいて何が名誉だか
443名無し三等兵:2005/08/10(水) 10:45:49 ID:???
>>435
ネタをネタと(ry
444名無し三等兵:2005/08/10(水) 10:55:14 ID:oVh8GGFI
舞鶴にいたときに終戦を迎えたそうです。
445名無し三等兵:2005/08/10(水) 10:57:20 ID:oVh8GGFI
ひいじいさんは金沢で連隊長
たしか本田(本多?)大佐
446名無し三等兵:2005/08/10(水) 11:15:10 ID:???
>>441
じゃー、日本人や日本軍の名誉を汚しておいて、部隊や隊長の
名誉に関わるから書けない、と。


それとも、ネタだと分かってしまうから出せない、ってか(w
つーかさー。>>428が言ってるけど、軍板でそんなネタ飛ばしても
ダメだっって。
447名無し三等兵:2005/08/10(水) 11:43:51 ID:???
(441)
つい、つまらない事を書いてしまいました。
真実は闇の中にしておいたほうが、よかったです。
448247:2005/08/10(水) 11:46:58 ID:???
南方で重爆に乗っていた父ですが、洋上哨戒で現地人のカヌーを見つけると、急降下して衝突寸前で引き起こしをかけ、
風圧で転覆させて遊んでいたそうです。別に悪いことをしたとも思っていなかった様子で、今でも別に反省などはしていないようです。
アウトリガーのついた向こう式のカヌーを転覆させるのだからよほど衝突寸前まで接近していたはずで、腕比べの要素があったようです。
しかし、「通商破壊」的な意味も多少はあったのかもしれませんがメンタリティ的には子供のいたずらか珍走団なみで、
日の丸のついた飛行機でそれをやられた日には、向こうはそりゃ恨むだろう、と。
449ZIPPO中将 ◆AH4kD1XSgw :2005/08/10(水) 11:54:13 ID:2vbfV3Ec
家の父方の祖父は昭和20年5月に京都の伏見(ダッタハズ)で
入隊。そのご兵庫の青野ヶ原で歩兵としてしばらく居り、その後
熊本へ移動し、部隊がグラマンの機銃掃射を受けたが全員無事、
その後鹿児島への移動命令が来るが、船が撃沈されて、熊本で終戦
になったそうです。部隊名などは不明です。
450名無し三等兵:2005/08/10(水) 11:54:24 ID:???
つまりなんら具体的な証拠も出せずに皇軍を悪し様に語る輩な訳だな?>447
451名無し三等兵:2005/08/10(水) 11:55:09 ID:???
>447
>真実は闇の中
一方的に言い立てておいて、真実もへったくれも無い。そういうのを言いがかりというの
452名無し三等兵:2005/08/10(水) 12:12:23 ID:???
(447)
ハイハイ
では私の書いた事は全部、嘘です。

以前警察で事情徴集で刑事に調書を作られました。
その刑事さんの言う通りに話さないと、いつまでも帰れません。
それで「その通りです」と調書に署名・押印しました。
そしたら誉めてくれました。
「お前は正直な奴だ」と
453名無し三等兵:2005/08/10(水) 12:15:23 ID:???
>452
すまん、意味がわからんのだが・・・
あと、なんでageるの?
454名無し三等兵:2005/08/10(水) 12:15:26 ID:ox/qB8eK
だれか第一次世界大戦の総軍費と全犠牲者数教えてください。
455名無し三等兵:2005/08/10(水) 12:15:49 ID:???
>ハイハイ
返事は一度でいい
456名無し三等兵:2005/08/10(水) 12:25:21 ID:???
>>448
貴重な燃料をそんな遊びに使う軍人がいたなんて信じられんな。
おまい247じゃなくて427だろ?
457名無し三等兵:2005/08/10(水) 12:35:05 ID:???
>>452
あんた、正直者かもしれんが要領が悪いのぉw

>>448
まぁ、面白半分で漁船と言わず機帆船や伝馬船にまで12,7mmを浴びせかけるB24よりは良いかと。
458名無し三等兵:2005/08/10(水) 12:41:37 ID:???
>>449

>部隊名などは不明です。
216師団522連隊所属でファイナルアンサー。
459名無し三等兵:2005/08/10(水) 12:46:49 ID:???
>>456
それ以前に、>>448にはつっこみどころが満載だろ。

>重爆に乗っていた父
>洋上哨戒で
>急降下して衝突寸前

急降下可能な機体なにかよ(w。南方に重爆?どこの飛行団よ?
重爆が洋上哨戒?一体いつ頃の話だ?

日本に急降下が可能な重爆なんてありません(w
(つか、WW2当時どころか歴史上でありません)
460名無し三等兵:2005/08/10(水) 12:54:13 ID:???
というかブサヨクよ。悪いことを自白しているつもりだがそういうおじいさんの例も確かにあって、君の創作話はその例を大きく外れているわけなんだが。

上まぁ矢張り小学生レヴェルの人間には分からない違いなのだろうか
461名無し三等兵:2005/08/10(水) 13:09:04 ID:???
>>459
銀河ってのがあったがな、南方はちょっと

というか、急降下って何かしらの目標があったので、急いで高度を下げた
程度の意味にしか使ってないような希ガス
462名無し三等兵 :2005/08/10(水) 13:20:22 ID:???
一式陸攻のことかねえ?

でもほんとに搭乗員だったら、あれを「重爆」とは
呼ばないような
463名無し三等兵:2005/08/10(水) 13:24:07 ID:???
>急降下が可能な重爆

He177・・・
464名無し三等兵:2005/08/10(水) 13:37:03 ID:???
>>461
銀河が配備されるような時代に爆撃機が洋上哨戒なんぞする
わけないだろ。
465名無し三等兵:2005/08/10(水) 13:40:32 ID:???
祖母は5年前に亡くなりました。
私の祖父は上海に配属された陸軍の兵隊です。少し偉いほうと言ってました。
それまでずっと給料を貯金してたのですが、どうせ短い命だからと
上海では、毎晩クラブに遊び、色白の上海美人をとっかえひっかえ
遊ばせて貰ったそうです。
 毎晩天国にいるような、素晴らしい日々だったと、懐かしく言ってます。
昨年祖父は、上海に旅行に行ってきましたが、都市の変貌に驚いた
と言ってました。
466名無し三等兵:2005/08/10(水) 13:42:12 ID:???
>>464
だから南方にいるわけないって意味で書いてるんだけど・・・
467名無し三等兵:2005/08/10(水) 13:45:00 ID:???
陸攻での魚雷投下訓練中に、そういう遊びをやったということなのかなぁ・・・
と好意的だか何なのかよくわからん解釈をしてみる
468名無し三等兵:2005/08/10(水) 13:48:28 ID:sZ3iCtY6
うちの母方のジーチャンは戦時中、関東軍の司令部で通信兵をしていたらしい。
冬は黒竜江で上官の子供とよくスケートしてたって言ってた。また売春宿で梅毒うつされて
大変だったって・・・ そんな話を当時小学生だった漏れにされても・・・
469名無し三等兵:2005/08/10(水) 13:56:50 ID:???
>急降下が可能な重爆

そういえば、四式重爆も一応・・・
470名無し三等兵:2005/08/10(水) 15:44:34 ID:nh/p7zE4
南方で土人狩りは十分ありな話だろ。
沖縄で同朋の民間人を盾にしたり虐殺してたぐらいだからな。
471名無し三等兵:2005/08/10(水) 15:53:20 ID:???
>>470
とりあえず、土人なんてIMEで一発変換すらできない言葉を使ってる
あたり、並じゃないね、アンタ。で、意味も無く貴重な弾薬を使えるほど
旧軍に弾があったなんて思ってるあたり、ガノタ世代?

で、なんでこの板に来てるの?ニュー速か東アジア+にでも行けば
もっと相手にしてもらえるだろ?
472名無し三等兵:2005/08/10(水) 15:53:25 ID:???
>>459
「急降下」(「急降下爆撃」ではなく)に厳密な定義があったとして、現場の連中がその定義どおりの言葉遣いをしていたものかね?
461氏のいうような感覚だったような気が
473名無し三等兵:2005/08/10(水) 15:58:03 ID:???
>>471
しつこいヤツやな〜。日本軍所有の爆撃機で>>448のような
機動はできないんだって。マンガの見すぎだ。
474名無し三等兵:2005/08/10(水) 16:23:48 ID:fYHTHhFF
>>448のような機動ができないと、低空で接敵、突進、魚雷投下できんがな。

1式陸攻の運動性の良さは米軍パイロットも賞賛しとるぞ。
475名無し三等兵:2005/08/10(水) 16:32:48 ID:???
>>247読めよ
乗機は呑龍って書いてある
しかも助教だ

尾輪云々では噛み付かないのに、現地人にいたずらしてたと言う話には不可能だという
季節の変化が感じられてよいですね
476名無し三等兵:2005/08/10(水) 18:35:18 ID:rHUKzrtD

●明日木曜日、テレビ東京の午後のロードショーは、太平洋戦争の天王山!!日米空母群の決戦!!
『ミッドウェイ』
主演:チャールトン・へストン、三船敏郎、ヘンリー・フォンダ

◆日本空母《赤城、加賀、飛龍、蒼龍、》VS米空母《エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウン、》の激戦!!
零戦VSグラマンの空中戦!!
激しい弾幕の中を爆撃機が急降下!!
戦史に残る友永雷撃隊の死闘!!
戦闘場面に当時の記録フィルムを使用!!
477名無し三等兵:2005/08/10(水) 18:42:41 ID:???
>>475
>呑龍
ファウラーフラップ!ファウラーフラップじゃないか!!

と言う訳で、呑龍は戦闘機のスタッフが作った機体で、
運動性とか考えてあるので>>448の機動はできるでFA
478名無し三等兵:2005/08/10(水) 18:54:14 ID:???
戦闘機のスタッフが作れば重爆が戦闘機並みの機動ができるのか?

だったら重爆も偵察機もなにもかも全部戦闘機のスタッフが作れば日本大勝利だな。
479名無し三等兵:2005/08/10(水) 19:11:55 ID:???
>>477
呑龍は運動性が旧式機と同程度しかなかったのは有名な話だが?

http://www.246.ne.jp/~miti-230/HTMLmemo/Type100.html
480名無し三等兵:2005/08/10(水) 19:13:44 ID:???
>>474
>>448のような機動」と、「低空で接敵、突進、魚雷投下」は全然違う
機動だと思うが?

急降下と水平方向での安定性は全くの別性能だろうが。
481名無し三等兵:2005/08/10(水) 19:28:22 ID:fYHTHhFF
>>479

そこのHPには100重爆の運動性が良好とあるぞ。運用性能が97重なみだろが。
482名無し三等兵:2005/08/10(水) 19:31:14 ID:Ccg4Utyo
97式重爆の運動性が悪いとでも?
483名無し三等兵:2005/08/10(水) 19:33:48 ID:fYHTHhFF
>>482

97式重爆は緩降下飛行時に過速に陥りやすく、その際、引き起こしが非常に困難という悪癖があった。
484名無し三等兵:2005/08/10(水) 19:35:54 ID:???
>>459
>日本に急降下が可能な重爆なんてありません(w
>(つか、WW2当時どころか歴史上でありません)

に釣られ杉じゃねーのか?
485名無し三等兵 :2005/08/10(水) 19:55:26 ID:???
ムキになって降下と水平飛行の区別もつかなくなった厨が
沸いてますね
486名無し三等兵:2005/08/10(水) 19:59:40 ID:???
そんなやついるのかよw
487名無し三等兵:2005/08/10(水) 20:05:01 ID:fYHTHhFF
あるときB-747はハワイ沖でエアポケットに入って操縦不能に陥り1万メートルから2000mまで降下して
奇跡的に操縦可能となり、ハワイに緊急着陸した。、
そのさい危険な背面状態での降下飛行やロールを3回したことがフライとレコーどにより判明した。
488477:2005/08/10(水) 20:07:07 ID:???
>>478
一応それを目指して作った機体。
敵地奥深く戦闘機の護衛無しで進撃できる様に、
戦闘機並の高速で、戦闘機並に機動して、戦闘機に負けない重火力で戦闘機も追っ払おうと思って設計した。
(設計を戦闘機班にやらせたのは、前作の九七式が結局“三菱設計”になっちゃったorzので大型機設計陣に喝を入れる為でもあった)

>>479
結局、エンジンの性能が追い付かずそうなっちゃった。

>>ID:fYHTHhFF
貴兄のおっしゃりたい事は良く判ります。
489名無し三等兵:2005/08/10(水) 20:07:23 ID:???
>>487
大韓航空だっけか?で、それが呑龍が急降下できるか否かと何の関係が?
490名無し三等兵 :2005/08/10(水) 20:11:05 ID:???
無論、無関係だな
491名無し三等兵:2005/08/10(水) 21:28:51 ID:???
海自のP3Cは不審な船舶を見つけたときは降下して確認するから
448も同じことしてたんじゃないか?
あとは誇張とか現場の人間の感じ方の問題だと思う。
492名無し三等兵:2005/08/10(水) 21:51:44 ID:???
P3Cの急降下で漁師の人が気絶してたね
493名無し三等兵:2005/08/12(金) 15:47:35 ID:7e6j0xBo
母方の爺ちゃんの従兄弟(爺ちゃんよりずっと年上)で飛行機乗りは
自分の空母に突っ込んでくる魚雷に飛行機ごと体当たりして守ったんだと
町では神様扱いされたと 名前は何だっけな? 忘れました
494名無し三等兵:2005/08/12(金) 16:05:23 ID:???
>>493
マジ?小松咲男飛曹長の関係者?
495名無し三等兵:2005/08/12(金) 16:39:11 ID:7e6j0xBo
そうそう苗字は小松さんだった
もう縁は切れてるから関係者じゃないけどね 
生前聞かされた従兄弟にすごい英雄がいたって言う爺ちゃんの自慢話なわけで

496名無し三等兵:2005/08/12(金) 17:10:37 ID:???
>>495
守った空母は大鵬。二本あった魚雷のうち、一本に体当たりした。
で、併走していたもう一本は大鵬に命中。その被雷が元で大鵬は
爆沈。しかし、二本命中のところ、一本ですんだことには変わりない。

そりゃ、自慢話になってもおかしくない。何百人もの命を救ったわけ
だから。
497名無し三等兵:2005/08/12(金) 17:35:28 ID:???
>>403
>神戸の兵庫

遅レスながら・・・神戸市兵庫区でしょ?今でも川重(現JFE)、三菱重工
この近くなら神戸製鋼、あと昔飛行機作ってた会社で
今はトラックの車体作ってるとこ(すまん、よくわからん)もある。

兵庫区に住んでいて通っていたんなら近くにいっぱい工場があるね。
498名無し三等兵:2005/08/12(金) 19:36:07 ID:BUM+vdZA
>496
 おい、大鵬を沈められるのは柏戸だけだろう!
499名無し三等兵:2005/08/12(金) 19:39:03 ID:E0WNzaUb
柏戸の右の張手一発で、大鵬あえなく撃沈。
500名無し三等兵:2005/08/12(金) 19:57:21 ID:CWhVWrvD
>>498
>>499
あんたら何歳だよ
501名無し三等兵:2005/08/12(金) 20:04:46 ID:???
「大鳳」の間違いだと言いたい中年から初老の方たちです
502名無し三等兵:2005/08/12(金) 20:15:05 ID:???
>>487-501
スマソ、語感が変だなぁ?とは思ってたんだけど・・・・逝ってきますです
503名無し三等兵:2005/08/12(金) 21:03:36 ID:E0WNzaUb
>>500
そんなツッコミするおみゃーさんもトシがしれる。
504名無し三等兵:2005/08/12(金) 21:12:47 ID:???
>>503
>おみゃーさんも

おサトが知れるな、おい(w


                            つーか、同郷者かよ・・・
505名無し三等兵:2005/08/12(金) 23:08:30 ID:???
>>497
川西だろ。
現 新明和工業。飛行艇も作ってるぞ。
506名無し三等兵:2005/08/13(土) 21:45:11 ID:???
祖母から聞いた祖父の話 取り付け騒ぎで勤めてた銀行が倒産。
徴兵から帰ってきた兄に「軍隊もそんなにキツイもんやないで〜」と言われ入隊
伏見の連隊に配属(兄の配属先は近衛だからきつくなかったことに気づく)
→満州→伏見→満州→久留米12師団野砲24連隊
(野砲兵第56連隊らしい)と移動

S16年11月の夜、久留米の荒木駅より出兵(スパイが居るから見送りは禁止だったとのこと)
フィリピン、パラオは勝ち戦だった。S17年1月24日午前3時30分頃ボルネオの近くの島に石油基地があり、
そこに向かう途中の上陸時にバリックパパンに於いて敵艦による敵襲。
荷物の搬出中に船が攻撃を受け背中を負傷→佐世保の陸軍病院で治療→退院後九州を中心に移動
→終戦→農地改革→不在者地主で没収と激動の体験した祖父。
背骨の近くに深い傷が残ってて、傷が痛むみたいで、終戦後もしばらくは入退院を繰り返していたし、ずっと苦しんでた。
ただ負傷しなければ祖父の部隊はビルマに行ったので生きては帰ってこれないはずだった。
そうだったら母は生まれていなかった。とのこと
痛みながらも体は動くみたいで、一家を支えていた。砲兵だったので数学などは母や叔父によく教えていたとの事。
そんな祖父も3年前に90歳で他界。生前は戦争の話はあまりしなかっし聞きもしなかった。
ちゃんと話を聞いとけば良かった・・・
507名無し三等兵:2005/08/14(日) 22:00:04 ID:SXCkKrcs
私の伯父は昭和20年3月にフィリピン ルソン島のパンガシナン州ガバルナン丘で
戦死したのですが、所属部隊名などわかる方がおられましたら教えて頂けないでしょうか?
出身は福岡です。
勝手なお願いですが、宜しくお願い致します。
508名無し三等兵:2005/08/14(日) 22:58:58 ID:???
>>507
ルソン島に送られた九州兵団はいくつかあるんですが、いずれも熊本師団で、
兵の主力は熊本・宮崎・鹿児島の出身者なんですよね。
ちょっともう少し調べてみます。
509名無し三等兵:2005/08/14(日) 23:08:50 ID:???
歩兵第64連隊(熊本)か歩兵第24連隊(福岡)のどちらか・・・。

福岡は24連隊だけど、フィリピンは行ってないはず(ミクロネシアの
ヤップ島に行った後、台湾駐在)の上、19年末には台湾に
移動してるはずなんで、たぶん熊本の方に召集されて、フィリピン
戦線に投入されたんではないかと。
510名無し三等兵:2005/08/14(日) 23:10:02 ID:???
>>507
ちなみに、出身地の連隊に召集されないことも結構、ありますんで、
特殊ケースというわけではありません。
511名無し三等兵:2005/08/14(日) 23:23:16 ID:???
>>507
仮に熊本連隊だとすると、歩兵第64聯隊は輸送船「はわい丸」で
ルソンに向かう途中で雷撃で沈没し、連隊長以下、第一大隊と
第二大隊が運命を共にしましたので、第三大隊に所属でしょう。
512名無し三等兵:2005/08/14(日) 23:27:32 ID:SXCkKrcs
>>508-510さん
教えて頂きありがとうございます。
大変、助かりました。
513名無し三等兵:2005/08/15(月) 15:38:17 ID:???
 朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。

朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。

抑々、帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽を偕にするは、皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措かざる所、曩に米英二国に
宣戦せる所以も、亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他国の主権を排し、領土を侵すが如きは固より朕が
志にあらず。然るに交戦已に四歳を閲し朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公各々最善を尽く
せるに拘らず、戦局必ずしも好転せず。世界の大勢、亦我に利あらず、加之敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜
を殺傷し惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚、交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみな
らず、延て人類の文明をも破却すべし。斯の如くむば、朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや。是れ、
朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。

 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。帝国臣民にして戦陣に死し、職
域に殉し、非命に斃れたる者、及び其の遺族に想を致せば五内為に裂く。且、戦傷を負ひ、災禍を蒙り家業を失ひたる者
の厚生に至りては、朕の深く軫念する所なり。惟ふに今後、帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾臣民の衷情も、
朕善く之を知る。然れども、朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、以て万世の為に太平を開かむと欲す。

 朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。若し夫れ、情の激する所、濫に
事端を滋くし、或は同胞排擠互に時局を乱り為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは、朕最も之を戒む。宜しく挙国
一家子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし志操を鞏く
し誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾臣民其れ克く朕が意を体せよ。

御名御璽
昭和二十年八月十四日
514名無し三等兵:2005/08/15(月) 21:13:32 ID:nfHy2g8y
今日、聴講した戦争体験のおじいさまの話し。

本土決戦に備えて、米軍戦車 M1とM4 の撃破訓練をしていたとのこと。
M4は有名なシャーマン戦車で実在しますが、
M1というのは、戦時中M4よりさらに強力と推測されていた重戦車らしいです。
まさか現行のM1エイブラムスであるわけはないので、
当該戦車について心当たりのある方、ご教示いただければと思います。
515名無し三等兵:2005/08/15(月) 21:30:10 ID:???
M1ね
機銃しかつんでない初期の戦車だけども
516名無し三等兵:2005/08/15(月) 21:34:14 ID:???
>>514
試作時名称:T1、のM6重戦車↓
ttp://military.sakura.ne.jp/army/us_ht-m6.htm
ではないでしょうか?'42頃には日本側にも存在が判っています。

後年開発の重戦車T-26でさえ40tないのに、58tもあるトンデモ戦車です。
(M4で30tない)
517名無し三等兵:2005/08/15(月) 21:43:02 ID:???
うちの爺さん、戦争当時、病気で旭川に後送されたんですが、その当時の話。

旭川駐屯地内の、弾薬庫とか倉庫の清掃は、民間の婦女の方々が、
定期的に清掃するんですが、ある日、不幸なことに一人の女性が倉庫内にいるのに
外側から鍵を掛けられて閉じ込められてしまったらしいんです。

普段というか、規則では最後に点呼して人数を確認してから解散するんですが、
その時に限ってやらなかったんですね。

その女性行方不明になって、しばらく町内で探したらしいんですが、まさか駐屯地で
取り残されてるなんて思いもしなかったらしく、騒ぎが大きくなるまで連絡が行かず、
もしかしてって、ようやく倉庫内を捜索したら、可哀相に既に亡くなっていたそうです。

倉庫内の壁、戸、窓にはあちこちに彼女が引っかいたと思われる傷が残っていて、
さぞ苦しかっただろうと、手厚く葬ったそうです。

爺さんはその後の倉庫内の壁塗りや窓ガラスの交換を手伝ったそうで、
生々しい引っかき傷を目撃したらしく、顔をしかめて話してくれましたが、
幾ら交換しても、窓のくもりガラスにはいつのまにか、指で引っかいたような縦筋の傷が出て来て
みんな怖くて、一人で近寄れなかったそうです。

他に、不寝番が、自分の立っている目の前を、全身真っ赤な将校が通り過ぎ、
廊下を突き当たって消えたと大騒ぎになったらしいんですが、その日、ガ島で旭川の部隊が
玉砕していたそうです。
合掌・・・
518名無し三等兵:2005/08/15(月) 23:22:52 ID:???
>>517
都市伝説によくあるモチーフ、
『爪の跡』と『カシマ様』
そのままですな。無粋でスマヌw
519名無し三等兵:2005/08/15(月) 23:43:48 ID:nfHy2g8y
>>516 >試作時名称:T1、のM6重戦車

情報多謝。たぶんこの戦車ですね。
M4でも日本軍はお手上げ状態だったのに、
こんな強力な戦車が投入されていたらさぞ大変。

とは言っても、欧州戦線でドイツ戦車に対抗するには物足りない感。
520名無し三等兵:2005/08/16(火) 00:06:56 ID:9hAEVINc
大叔父の話、S19年に徴兵にとられ1年間殴られただけで軍隊生活が終ったそうだ。
玉音放送は部隊で聞いたけど雑音がひどくてよく聞こえなかったんだと
訓練もないし上官に殴られることも無くなったんで終戦は正直うれしかったんだと
1ヶ月ほど部隊でぶらぶらしたあと田舎へ帰ったそうだ

521名無し三等兵:2005/08/16(火) 00:20:14 ID:???
母方の祖父は台湾で終戦。陸軍の航空兵で一式戦(形式不明)に乗っていたらしい。
(少年飛行兵学校出身。期数は失念。実戦経験はないらしい)
チャンドラ・ボースの事故の現場に居合わせたという話をガキの頃してくれた。

これって確かなのかな?
522名無し三等兵:2005/08/16(火) 00:25:33 ID:???
今日祖母から聞いたんだが、献身隊で働いてるときに玉音放送を聞いたらしい。
ラジオに集まって皆で聞いてたんだけど雑音だらけで聞き取れず。
祖母は知り合いの医者から終戦が近いことを聞いていて、何となく分かった。
その後に感想文を書かされたらしいけど、ほとんどの人が
『これからも頑張りなさい』って内容と誤認してたらしい。

じーちゃんじゃないからsage
523名無し三等兵 :2005/08/16(火) 00:27:15 ID:???
>519
ドイツの猛獣狩りの本命として90ミリ砲搭載のM26パーシングやら、要塞線突破の奥の手
として105ミリ砲搭載のT28何てのまで、平行して作ってましたから・・
524名無し三等兵:2005/08/16(火) 00:35:53 ID:???
海軍大尉、駆逐艦にのってました。夜中に敵の巡洋艦と遭遇し撃ち合いになったそうな。
あと、ASW戦闘中、敵潜水艦の潜望鏡を見たとも言ってた。
525名無し三等兵:2005/08/16(火) 00:52:19 ID:9hAEVINc
母方のじいさんは3回召集されたんだって
3度目は30代後半の頃で子供もいてもう大丈夫だと思っていたのに
召集されてびっくりしたらしい、中国に送られて当地で終戦を迎える
写真好きな人で軍隊時代のがいっぱい残っている
オレが小学生の頃に死んでいるから本人の話は全く聞けていなく残念。
おふくろや叔父は全然興味が無かったみたいで戦争時代の話はほとんど聞いていないそうだ
526名無し三等兵:2005/08/16(火) 00:59:41 ID:???
義父が菊水一号作戦に駆逐艦で大和の護衛で出撃し、二番砲塔に爆弾が命中し沈没したと言っていた。
その後同行の駆逐艦に救出された。大和撃沈を軍事機密にするため、台湾の高雄にて隔離?そのまま終戦。
ま〜そま〜それ以前に乗艦する艦がなかったとのこと。義父の艦は燃料は満載していたらしい。
527名無し三等兵:2005/08/16(火) 10:33:27 ID:???
>>526
『片道燃料』なんて、資料や証言からとっくに覆されてますよ。
(第二水雷戦隊各艦は満載、大和で七割程度搭載)
528名無し三等兵:2005/08/17(水) 11:59:59 ID:???
敵陣を正面から突破せよと命じられたじいさんだが・・・・不可能と考えた
敵の側面に回り込み・・・敵の正面手前の向けて銃弾を発砲したという・・・
そして逃げ帰って「敵の正面突破は不可能でした」と上官に報告したと言う



529名無し三等兵:2005/08/17(水) 20:19:02 ID:MEnpSKAG
ウチの祖父は、南方戦線で、熱病にかかり、落伍して、ジャングルの中でうたた寝しているところを米軍に発見され、捕虜に
なった。しかし、日本には「戦死」と伝えられたらしく、祖母(当時はまだ結婚してなかった、恋人同士)は敵討ちをすべく必死に薙刀訓練に
打ち込み、本土決戦のさいには米兵を皆殺しにしてやると息巻いてたらしい。しかし終戦となってしまい、自殺も考えたが、周りに説得され
生きることを決意、その後祖父が帰還してそのままめでたくケコーンして今に至る。毎年同じ話を聞かされるので正直うんざりしてるけど、
ずっと二人仲良く、長生きしてほしいと思う。ウチの祖母のように、本土決戦を敵討ちの絶好の機会だと考えてた人も結構いたのかもね。
530名無し三等兵:2005/08/17(水) 20:55:50 ID:???
>>529
もうちょっと改行考えてね
いい話だけど
531名無し三等兵:2005/08/17(水) 23:01:26 ID:???
うちの祖父は、戦時中上海にいたらしい。
なんでも中隊長だったかの大尉の身の世話をしていて、
その大尉殿にはとてもお世話になったと言っていました。
終戦後、大尉殿はシベリア送りになったけど祖父は送られなかったそうな。
終戦時19歳ぐらいだったから、志願兵だったんでしょうか?
祖父の兄は、ルソン島のあたりに輸送船で運ばれる途中で
撃沈されてしまったそうです。

どちらも熊本の連隊なんですが、
どこの部隊だったか分かる人いませんか?

祖父が死ぬ前に色々聞いておかなかったことが悔やまれる……
532名無し三等兵:2005/08/17(水) 23:42:46 ID:???
>>531
日本船舶協会ならば、沈没年月日・輸送船名・沈没位置・部隊名くらいまで解るはず。
533名無し三等兵:2005/08/18(木) 03:30:31 ID:???
俺の死んじゃったじいちゃん、志願兵として海軍にいたらしい、
おそらく昭和19.20年くらいだが、南洋方面の戦艦で両手で旗をバタバタ振ったらしい、
「鉄砲は撃たんでよかったんや、せやけど周りの偉いさんが乗った船がバンバンしずんで
最後はほとんど残ってへんかったし、死にかけたんやで、アハハハw」と
小さい時、毎年盆に帰るとの酒の席で何度も聞かされた!
ふーんて感じで軍事とか良く分からなかったし(今もあまり知らない・・)あまりピンとこなかったんだが、
最近ネットで末期の南方戦線の帰還具合を調べたら生きて戻れる確率がめちゃ低いことしって「じいちゃん志願するなんてすげー」と思った。
534名無し三等兵:2005/08/20(土) 01:51:22 ID:???
毎年の盆に自分の大叔父(祖父の兄)の家に行くんだがいつも戦争の話をする
海軍か陸軍にいたらしくオランダ軍の奴らと仲良くなっただの
日本国内にはまずない冷蔵庫があってどうこうだの同じ戦争ネタでも毎年内容が違う
そういえば家を見渡したら海部元総理の名前の感謝状があったが
ああいう物は元軍人は皆貰えるのか?詳しい人教えてくれ

現在80歳と思われるがすげー色んなことベラベラ話しててあと20年は軽く生きそうだ・・・
535名無し三等兵:2005/08/20(土) 02:07:33 ID:???
>>534
たぶん書状は、「独立行政法人平和祈念事業特別基金」(設立の頃は
財団法人だったが)が行ってる「恩給欠格者への書状・銀杯の贈呈」のじゃないかな。

軍人としての勤務によって恩給を受給するためには、下士官兵で12年の
勤務を要することとなっている。
(戦地加算等の換算があるため、実際には最短4年くらいで受給権を
得ることがある)
勤務年数がこれに満たずに恩給の受給権がない旧軍人の労苦に報いるため、
平成元年度から、3年以上の勤務(換算部分を含む)年数があり、外地での
勤務のある旧軍人で恩給の受給権のない者に、内閣総理大臣名の書状と
銀杯を贈呈する事業が行われている。
(のちに書状の贈呈範囲は相当拡大されているが、海部首相名義で
書状が贈られた時期には対象者はこれだけのはずだ)

これに該当してれば平成2年度に慰労の品(懐中時計・旅行券等)も
もらってるはずだから、興味があったら今度聞いてみな。
536534:2005/08/20(土) 02:24:56 ID:???
>>535
うおお、即レスありがとう 軍板初めてきたんだが流石すごい詳しいんだね
面白い話でとても為になりました
そういえば大叔父は戦争いってたのに当の祖父は何してたのか全く聞いたことなかったから今度それも交えて色々聞いてみるわ どうも
537名無し三等兵:2005/08/20(土) 11:58:32 ID:???
子供の頃父の勤めてた病院の看護婦さんのご主人。冬月の砲術士官(対空砲担当)だった。
菊水一号作戦にも参加、大和の沈没も目前で見てたそう。
転覆した大和の船底に乗組員が這い上がって、一部は整列して「海ゆかば」を歌っていたらしく接近した冬月の艦上でも歌声が聞こえていた。
それが終わるか終わらないかのうち大爆発。乗組員たちが吹き飛ばされるのがはっきり見えたと言ってた。
それ以来「海ゆかば」は歌えないし、涙無しでは聞けないともいってたな。
538名無し三等兵:2005/08/20(土) 13:41:17 ID:???
>>537
(つд`)
539名無し三等兵:2005/08/20(土) 14:40:38 ID:???
うちは母方の祖父も父方の祖父も学者だったので徴兵されませんでした
すでに亡くなっており、戦地に行っていないので華やかな話を聞くことは出来ませんが
ストレプトマイシンを開発したと聞いています
540名無し三等兵:2005/08/20(土) 16:46:14 ID:???
ワックスマン博士?
541名無し三等兵:2005/08/21(日) 18:44:12 ID:kj7erpWl
うちのお客さん
たまに海軍士官帽被ってくるんだが・・・あんた何者?って毎回思う。

もう90歳だのに、小野田さんみたいに背筋がピンとしている
中の人は若いのかなぁ?
542名無し三等兵:2005/08/21(日) 19:08:57 ID:???

みんな、イイナァ・・・ 俺のじいちゃんが生きていたら大陸での戦争体験を聞いたのだが。
543名無し三等兵:2005/08/21(日) 21:17:54 ID:WbQ4A2sT
近所のおばちゃまは、戦争末期には空襲が頻繁になるなど
日本の旗色が悪いことは承知していたが、
「日本は神国だから、いまに神風が吹いてアメリカは退散」と信じていた。

しかし、神風が吹くどころか、自分達が東南海地震でエライめに遭ったそうな。
544名無し三等兵:2005/08/21(日) 21:42:30 ID:MYOCZZP6
私の祖父は戦中、松本50連隊で訓練を受けていた。ある朝、
連隊全員が整列させられ、点呼を始めた。しかし、1番〜
100番まで点呼したところで、中止となった。祖父は101番
目だった。100番までの兵隊は、全員、沖縄戦に向かった。
祖父は1番違いで生き延びることができた。その後、本土防
衛のため千葉県の九十九里浜へ行く予定だったが、松本で
終戦を迎えた。

長野県全体で1327名が沖縄戦に向かったが、生きて帰って来
たのは、たったの一人だけだったという。
545名無し三等兵:2005/08/21(日) 21:43:47 ID:RxIxW0ei
B29が悠々と飛ぶのを見て、「こりゃ日本まけるわ」と言ってしまい、憲兵にしかられたウチの祖父は国賊。
546名無し三等兵:2005/08/21(日) 22:07:55 ID:ZwawcRKH
うちの爺さんは中国に行ってて、終戦で帰国できたんだけど栄養失調+精神病で冬前に死んだ
547名無し三等兵:2005/08/21(日) 23:49:26 ID:nVqf/WWj
じいちゃんはシナの奥地に行ってたらしいです。
なにやら伝書鳩やら伝書犬(?)で伝令してたらしいですけど
そんなもの本当に存在してたんでしょうか?イマイチ信用できません。
知ってる方いたら教えて。
548名無し三等兵:2005/08/22(月) 00:04:28 ID:???
漏れの爺は府立第一商業→大東亜練成院を経た後
学徒出陣で内蒙古に出征。部隊が赤峰でソ軍と交戦したらしい。(まあ記憶違いかもw
まあ何とか抑留に会わず内地に帰った後は勉学をという事になった。
一橋を受けようとしたが復員日と重なったので受けられず
結局、後の横国に入ったらしい。因みに某デパートに入社w

大東亜練成院は結構難しかったらしいがよくわからん。
549名無し三等兵:2005/08/22(月) 00:37:27 ID:???
>>547
日本軍は有線電話、無線機の導入を始めていましたが、敵による電話線切断、無線機がまだ大型で数も
少なかったことから人・動物による伝令を使っていました。
靖国神社には、これら軍に従事した軍馬・軍犬(軍用犬)・軍鳩(伝書鳩)を慰霊する銅像がそれぞれ建っ
ています。

参考サイト
ttp://kiriken.site.ne.jp/gunken/
ttp://www.h3.dion.ne.jp/~hi1234/page016.html
550名無し三等兵:2005/08/22(月) 07:14:33 ID:WlFpfNxe
中尉は中尉でも、法務中尉って特別なんでしょうか?曾祖父の弟が出兵するとき軍から馬車の迎えが来たと言うのが、嫁にきた曾祖母の死ぬまでの自慢だったそうで…
551名無し三等兵:2005/08/22(月) 07:42:53 ID:???
漏れの爺さんは東京の大学で学徒動員された通訳?見たいな将校だったのだがフィリピンに送られる途中雷撃受けて数日海で彷徨ってたそうな(汗
運良く駆逐艦に救助されたがその後、結局フィリピンに送られ通訳であったが故に後事を託され米軍との交渉の為最後まで生きられたそうな
言葉が出来ただけで生死を分けるつー事もあるんだなぁ。もっと早く話し聞けたら漏れも真面目に英語の勉強したのだがw 工房時代5段階中2(おぃ 大学時代可orz とことんやる気ありませんなー漏れ

親戚から送られた軍刀は米軍機の機銃掃射で鞘から抜けなかったとか色々聞きますた。そんな爺さんも数年前に亡くなりますた。あの年代の香具師働きすぎorz
552名無し三等兵:2005/08/22(月) 07:43:12 ID:6CG/bXjo

http://jya.jp/jt/tmp//1122024544.avi

これに参加した方は御在命でしょうか?
553名無し三等兵:2005/08/22(月) 08:58:35 ID:M7X1qXKO
憲兵で沼南?市に居たと言っていた。
相手の目を見れば、こいつは信用できる、できない。嘘を言ってるとか
ホントの事を喋ってるのが判る。って言うとりましたw
憲兵は実戦に参加しなかったのでしょうか?戦争の事は何一つ話さずに
亡くなったので父でも何してたのか分からないそうです(爆)
あと、銭湯に行くのをとても嫌っていました。背中に凄い傷がありました。
背中一面に切傷?の様なものが広がって、気持ち悪かったです。
それとは別に背中に弾痕が二つ、足には上官に斬られたらしい刀傷があります。
いったいどういう課程でこのような負傷をしたのでしょうか?
想像の範疇でよいので教えて下さいww
554名無し三等兵:2005/08/22(月) 09:47:19 ID:iovMRfyD
>553
シンガポールを「昭南市」といったがそのことか?
憲兵隊はよくわからん。
うちのじいさんは、第15軍司令部にいたそうだ。
戦友会の冊子をみながら「ココにいった、アソコにいった」
なんて話をしてくれた。
帰還するときに、鳳翔?にのって帰還したが空母が残ってるとは
思わなかったそうだ。
だれか、インパール作戦〜断作戦、ムドン収容所の関係者の人って
います?戦友会は昭和55年?、慰霊は昭和50年以来実行されておらず
(連絡が回ってこないだけか?)横のつながりはまったく無いようです。
555553:2005/08/22(月) 09:55:52 ID:???
ショウナン、と言ってたのでそこだと思う。まさか日本の湘南じゃ
ないだろうしw
ただ漏れが覚えてる記憶では、ガキのころ地球儀買ってもらって
祖父と見てたときにアジア一帯を指でなぞって、ここは昔全部
日本だったんぞ、爺さんはココにいたんぞって東南アジアの辺り
を指差してた気がする。ガキのころは、爺さんは警察官だったと
信じてたw
556名無し三等兵:2005/08/22(月) 12:08:17 ID:0YHA74Lh
>>553 推測。
背中一面の刀傷→ タトゥー(入れ墨)を削り取った跡。
背中の弾痕→ と見せかけて、お灸の跡。
足の刀傷→上官に斬られたことにしているが、誤って自分の軍刀を刺した。

憲兵って、市民からも兵隊からも目の敵にされていたようで、
いろいろ苦労されたことと推測しています。ご冥福を祈念して合掌。
557名無し三等兵:2005/08/22(月) 13:07:26 ID:???
>>553推測。
背中一面の傷→恐らく戦後か戦中に敵兵から受けた拷問の跡。
背中の弾痕→砲弾の破片の可能性もアリ。戦闘による負傷
刀傷→上官命令に反抗したか何かした制裁の可能性。
軍刀による刀傷(主に上官による)例は復員軍人に珍しくない。

558名無し三等兵:2005/08/22(月) 13:58:01 ID:???
>>552
久しぶりにそれ見たが、ひどいねー
海面を機銃掃射しているし。
559名無し三等兵:2005/08/22(月) 14:03:27 ID:???
どんな映像なんですか?
560名無し三等兵:2005/08/22(月) 15:36:14 ID:???
>>88を読んで、長年のギモンだったことが解決。

漏れは元陸自なのだが、祖母の葬式で親戚一同が会した際に
親戚の爺さん「○×(←漏れの名前)は階級、何になった?」
漏れ「陸士長」
親戚の(ry「陸軍でいうとどれぐらいだ?」
漏れ「…上等兵(多分)」
親戚の(ry「すごいな!何年で昇進した?」(←すごく嬉しそう)
漏れ「一年で…っていうか、(制度上)誰でもなれるよ」
親戚(ry「いや、一年でなれるなんてすごい。誰でもなれるわけじゃない」(←さらに嬉しそう)
なんで、陸士長になっただけで、ここまでほめられるのか、ココを読むまで判らなかったよ…

ちなみに、ウチの祖父は(年齢が高すぎて)第2次は召集されず(なので、話聞いてない)
親父は予科練(19〜20年頃)に志望するも、視力で落とされる。
漏れも、航空学生、視力で落とされた…オヤコソロッテ、ナニヤッテンダ…orz
561名無し三等兵:2005/08/22(月) 16:01:21 ID:???
>>552
パールハーバーか。
今気がついたけど、99艦爆ってこんなずんぐりしてたっけ?
つーか他にもツッコミどころ満載なわけだが・・
562名無し三等兵:2005/08/22(月) 16:09:49 ID:wOt6gfUC
近所の爺さんに聞いた話だが、キスカ島の撤退作戦に
軽巡に乗って参加したって言ってた。
その後、横須賀の予科練で整備について勉強した後、
タラワ島で整備やってたらしい。
こんな事ってあるの?
563名無し三等兵:2005/08/22(月) 16:38:49 ID:???
タラワ・・・玉砕の様子とか捕虜になった経緯とか聞かせてくれ
564名無し三等兵:2005/08/22(月) 16:55:09 ID:wOt6gfUC
最初はその後の話も聞こうと思ったのだが、
その爺さんが何かすごく悲しそうな目をしてたので、
さすがに聞くのはやめといた。
聞いといたほうが良かったのだろうか?
565名無し三等兵:2005/08/22(月) 17:06:09 ID:PHzU09jn
タワラかよ、、、そりゃまた壮絶な場所に居たもんだ(汗 >>564そっとしといてやれ
566名無し三等兵:2005/08/22(月) 17:10:46 ID:???
んじゃアナタハン島に派遣されて終戦を迎えた近所の爺さんの話をしようか。
567名無し三等兵:2005/08/22(月) 17:42:25 ID:???
あの世代はこっちが軍ヲタと知らずに若い者にハッタリかまそうと嘘八百な人も多いからね。
あまりしつこく聞かない方がお互いのためだよ。
568名無し三等兵:2005/08/22(月) 17:58:59 ID:0YHA74Lh
会社の昔の上司は、クサイ島で高射砲を磨いていたそうな。
569名無し三等兵:2005/08/22(月) 18:37:20 ID:Ik23lqot
>>552多分T−3テキサン辺りの改造機と思われ
航空ファンに載っていた気がする
さっき映像見たけど、音楽だけはいいね
570名無し三等兵:2005/08/22(月) 18:46:54 ID:a/JP7l1g
桜花搭乗員だった親戚
昭和20年に出撃するもF6Fにみつかりアボン。上部砲手、側面左銃手、後方砲手は戦死。右翼タンクが炎上し右エンジンが停止後数分間片肺で飛行しその間桜花を投棄し着水。
祖父の弟、通信手、副操縦士は漂流中に漁船に救助され生還。機長と側面右銃手は行方不明。
571漏れの爺:2005/08/22(月) 20:48:13 ID:???
徴兵され近衛師団に入営。日露戦争で出征。
572名無し三等兵:2005/08/22(月) 20:51:14 ID:???
>>562
うちのじいちゃんはその救出された側
キスカでは上陸当日から毎日空襲
しかも撤退後はニューギニア・・・OTL

だから旭川第七師団だと思うのだが?
昭和17年秋に東京から転属したらしい
将校ならそういうのあり?
573名無し三等兵:2005/08/22(月) 23:33:55 ID:0YHA74Lh
隣の先祖は、歴史的な武勲を上げたらしい。長久手の戦いで。
574名無し三等兵:2005/08/23(火) 01:31:21 ID:???
ウチの母方の先祖、湊川の戦いで、楠木側の生き残り数十人のウチの一人…。
名前を変えながら、落ち武者狩りを逃れて、関東まで逃げてきた。
575名無し三等兵:2005/08/23(火) 01:59:30 ID:???
うちの先祖は戦国時代に六人の仲間と共に農民にやとわれて村を野伏せりからまもったそうだよ
576名無し三等兵:2005/08/23(火) 05:28:42 ID:???
>>575
勝四郎&志乃の子孫乙
577名無し三等兵:2005/08/23(火) 18:23:55 ID:???
うちのじいちゃんは戦車兵で、本土決戦に備えて群馬だったか
栃木だったかに駐屯していた。
で、同じ隊の戦車長に関西弁で話す福田少尉という人がいて、
東北出身のじいちゃんはとても珍しく感じたそうだ。
結局出陣することなく終戦。じいちゃんは田舎に帰り、町役場の
役人になって平凡な生涯を送った。
関西弁の戦車長、福田少尉は後に日本で一番有名な小説家になった。
ペンネームを司馬遼太郎という。
578名無し三等兵:2005/08/23(火) 19:43:12 ID:???
>>577
ああ、貨車から戦車で降りた後小隊ごと道に迷った福田少尉な。
579名無し三等兵:2005/08/23(火) 19:56:41 ID:???
戦車にやすりをかけるのだけはガチ
580名無し三等兵:2005/08/24(水) 17:30:52 ID:FFEb0rb/
新鋭として配備された三式中戦車。
装甲は軟鋼でヤスリがけできちゃうし、
電動砲塔は微調整ができず照準不能で困った。
581名無し三等兵:2005/08/24(水) 17:44:00 ID:???
軟鉄のほうが粘りがあっていいんだい!
582名無し三等兵:2005/08/24(水) 17:50:26 ID:???
うちの祖父ちゃん。関東大震災の時に生まれた東京人。
226のリアル体験を刻銘に記憶してる貴重な人。両親を早くになくしていたので
飯の種にと陸軍に志願。兵学校だか飛行学校だかをでて
(卒業アルバム見せてもらったよ。抱負がすごかったっす。華盛頓入城しルーズベルトを〜とか)
とにかく士官として軍にいたらしい。階級は一回昇進して中尉だったそうで。
俺詳しくないからドレぐらい偉いのかよくわからないんだけどさ。官位も貰ったって大事にしてるよ。

で、ジャワで終戦を迎えて捕虜になる。捕虜生活中はする事がなく釣り針ばかり作っていたため
旗艦の時の荷物はほとんど釣り針だったらしい。数年のそういう生活を終え、無事帰国。
帰還船で水平線上に富士山が見えたときは船中から歓声が上がったってさ。

今は祖母ちゃんに先立たれ趣味の発明の他に戦争体験(だけじゃないけど。若い頃の)を記録して残す
という趣味に没頭してる。俺は話し面白いと思うのだけど、うちの親戚では興味がないのかあまり受けないらしい。
生の声が聴けるから好きなんだけどね。長生きして欲しい人だよ。本当に。唯一尊敬できる血縁だから(別に戦争とか関係なしにだけど)

一応若い頃(今の俺より若い)を過ごした場所だからジャワにいきたいのかなぁ。連れて行ってあげたほうがいいのかなぁ
それとももう二度と行きたくない場所なのかなぁ。色々な思い出がありそうだけどどうなんでしょう。
583名無し三等兵:2005/08/24(水) 18:16:32 ID:???
>>582
ぜひ、ジャワへ一緒に行って、じいちゃん孝行を。
貴重な思い出は、子孫に伝えておくべき。
じいちゃんも、かけがえのない青春の一コマを刻んだ土地だし、
きっと喜ぶだろう。
584名無し三等兵:2005/08/24(水) 18:23:02 ID:???
もう死んじゃったじいちゃん。

「ワシは戦争中は“マレーの虎”と言われていてな」
「それって山下大将じゃないか」
「お前よく知っとるなァ」

苦笑いしてたよ。ホントはビルマで主計屋さんやってた。
585名無し三等兵:2005/08/24(水) 18:41:42 ID:???
>>584
もしかして、ハリマオと呼ばれてたとは言わなかった?
586名無し三等兵:2005/08/24(水) 18:46:32 ID:???
うちの母方のジジイは満州で高官の専属運転手をしていたらしい。
なので、美味い物を食べてるし、危なくなったらその高官と一緒に内地に即行帰ってきたそうだ。
ぬるま湯すぎて戦闘体験が少ないらしい。

親戚の爺さんは大和に乗ってたそうだ。
んで、沖縄に向かったが生き残ったと・・・
その爺さんも今は鬼籍也
587名無し三等兵:2005/08/24(水) 22:39:09 ID:syRqQmXy
582の爺様は、たぶん陸士57期だと思われ。
大正12年生まれで、正規軍人(職業軍人という言葉は戦後の言葉で、
嫌がられる場合が多いため、そう言わせていただきます。)で、最終階級は
中尉。
生年や階級がよもやまシリーズの著者比留間弘さんと同じなので、勝手に判断しました。
よろしければ爺様に聞いてみてはいかがでしょうか。
588名無し三等兵:2005/08/24(水) 23:35:43 ID:???
徴兵されたのは非正規でパチモンの軍人なのか?
589名無し三等兵:2005/08/25(木) 03:00:02 ID:???
まぁ言い様によってはそうなる罠
590名無し三等兵:2005/08/26(金) 10:36:00 ID:???
祖父ちゃんの弟、入営後近衛師団へ転属。
田舎の出(新潟の山奥)だったからそん時は「家の誉れだ」ってんで大騒ぎだったそう。
その爺さん、雪の降りしきる真夜中非常呼集で起こされた。演習だってんだが渡されたのは実弾・・・。
2.26に反乱軍として参加することになっちゃったそうな。山王ホテルにこもってたらしい。
その後はずっと満州にいかされ、かなりつらい目にもあった様子。
2.26のことは酔っ払うと良く話してたけど、満州のことになると「よく生きて帰ったもんだよ」としか言わない。
591名無し三等兵:2005/08/26(金) 11:49:32 ID:???
近衛歩三だな
592名無し三等兵:2005/08/27(土) 21:48:55 ID:???
うちの爺様は226事件のとき、野次馬だった…関係者スマソ
593名無し三等兵:2005/08/27(土) 23:34:07 ID:???
↑事件の映像を偶然撮影した人ですか?
594名無し三等兵:2005/08/28(日) 16:59:29 ID:???
質問。高崎15連隊って玉砕してるんじゃなかったっけ?
うちの爺さん15連隊でパラオにいたそうなんだが・・・
595名無し三等兵:2005/08/28(日) 20:45:45 ID:???
祖父ではなく亡父の話なんですが・・・
台湾(だと思う)へ輸送船団に乗っていった時の事。
米潜の攻撃で前方の僚艦が次々と沈められ、
父の乗る船は投げ出された沢山の人や物資をかきわけて進んでいきました。
護衛の駆逐艦(?)は、船団の周囲を遠巻きにぐるぐる廻っていただけだそうです。
救助等はできる状況ではなかったらしい。
父は単なる一兵卒でしかありませんでしたが、
どうすることもできずに見ているしかなかった状況が、
キズとなって深く心に残っていたようです。
「次はこの船か・・・」と思ったそうですが、幸いにも助かりました。
戦場での話を一切誰にも話す事がなかったそうですが、
亡くなる数年前、自分にだけ突然ポツリと話をしてくれました。
終戦後、捕虜になってたらしいですが、ついにその時の話は聞けずじまいでした。
596592:2005/08/28(日) 21:24:45 ID:???
>594
歩15のうちペリリューで玉砕したのは第3大隊、他はパラオ島で終戦だったかと…
>593
そんな大したもんじゃないですw 当時祖父は営業職で外回りをしていました。
仕事の途中に、撤収中の反乱部隊を見送ったり、
鎮圧のため東京へやって来た地元の部隊の隊列の中に幼なじみを見つけたり、
といったところです。
ついでに占拠地域外の様子が知りたくて、
「(祖父の勤務先のあった)新宿界隈は事件中どんな感じだった?」
と聞きましたところ、
「警邏の巡査はいつもより多かったが、他は平常通りだった」
とのこと。
597593:2005/08/28(日) 21:33:55 ID:???
そうですか、いや、それでも、凄い歴史の経験ですね
598594:2005/08/28(日) 22:45:49 ID:???
>596
なるほど・・・調べてみたら第二大隊も玉砕してるみたいですね。情報不足でしたすいません。
ということは第一大隊か・・幸運だ。

では祖父の戦争体験を。
祖父は当時、機械関係の仕事に就きかったらしいのですが戦争に行くのが嫌で教師になったらしい。(教師だと徴兵されにくいんですかね?
師範学校を出て数年教師をやった後、徴収され宇都宮59連隊に入隊、満州へ。満州にいた時は食料も豊富で太っていたそうです。
その後、日本に戻り(除隊かな?)「一兵卒ではだめだ」と思ったらしく陸軍士官学校に入学。
卒業後高崎15連隊に配属され、パラオに行きました。
その時に北海道から来ていた衛生兵が読み書きができなかったので、教師だったことを生かしていつも教えていたらしい。
食料事情はやはり厳しかったのでしょうが、その衛生兵さんが必死で食料を探してきてくれて、食べるものにだけは困らなかったとか。
そして終戦を迎え最後は父島母島の辺りから日本に帰ってきたそうです。終戦時は大尉
その時、北海道は寒いだろうからとその衛生兵に上着を渡してしまったらしい。(階級章がちょっと欲しかった・・
戻ってきたときは悲惨だったそうで、汚れたシャツにぼろぼろのズボン。それを女学生たちに蔑まれ笑われ、泣いて悔しがったそうです。
終戦後は徴兵される以前に生徒だった人と結婚(やるなw)、教師が少なかったとかですぐに教職に戻れたそうです。
途中、警察予備隊に入ろうとしたが胸囲が足りず失敗。そのまま教師を続けて最後は中学校の校長になり49歳で亡くなったそうな。
亡くなる直前に無理を押して沖縄旅行に。父親曰く「死ぬ前にできるだけ南にいきたかったんだろうねぇ」と。
父に聞くところによると、よく「さらばラバウルよ」をパラオに置き換えて歌っていたそうな。

以上が先日、父親と祖母から聞いた話です。
男で苗字が同じなのは親戚の中でも俺しかいないので、当時南方に持っていった、名前のたくさん入った旗と軍刀の折った先を渡されてしまったので
深く聞いてみたら結構感動してしまった・・・。敵兵は一度も見たことがなかったそうだ。

校長時代の逸話。酒の席で軍歌を歌ったところ、軍国主義だなんだと笑われそれに怒ってPTAの方の顔に酒をぶっ掛けたそうですw





599596:2005/08/28(日) 22:55:23 ID:???
>>598
>調べてみたら第二大隊も玉砕
私も情報不足でしたね。すみません。
49歳で亡くなられたとは、ご家族もお辛かったでしょう。
600名無し三等兵:2005/08/29(月) 09:51:03 ID:???
>>598
>汚れたシャツにぼろぼろのズボン。それを女学生たちに蔑まれ笑われ

あの時代、そんな格好の人は珍しくもなかっただろう。
その女学生たちは日本人ではなかったのでは?
ボロ服を笑えるほどに裕福な日本人なら親兄弟の衣類でも譲って、国のために戦った人に報いるものだろうに…。
601名無し三等兵:2005/08/29(月) 10:23:56 ID:???
都市部ではめずらしくなかったかもしれないが、当時の田舎であるならば
ぼろぼろの格好は目立ったのではないかな〜
602名無し三等兵:2005/08/29(月) 17:04:04 ID:???
ばあさんの話を投下。

最近知った話。
ばあさんは戦争中に結婚したが
夫が戦争で死んだので
仕方なく夫の弟と結婚。
(こういう事ってよくあるの?)
戦争が終わると
なんと死んだはずの元夫が生きて帰国。
しかたなく
現夫(夫の弟だよ)とばあさんの実家に引越し。
その後いつまでも実家に頼るわけにもいかず
都会に出て今に至る。

結婚・再婚のくだりでの
ばあさんの意思はほぼ無視・・・いいのかこれ?
結局、元夫との子もいたけど養子に出すはめに
なったらしい。
小さい頃よく遊んでくれたおじさんが
本当に叔父さんだったのに驚いた。
603名無し三等兵:2005/08/29(月) 19:32:04 ID:???
>>602
「瀬戸内少年野球団」思い出して泣けるよ・・・
夏目雅子は夫・郷ひろみが戦死したとの報を受けた義弟に結婚強要されてゴカーンされたっけなあ。
郷ひろみが実は生きていて、こっちは一応ハッピーエンドだったが。
604名無し三等兵:2005/08/29(月) 19:43:12 ID:???
>>602
夫の戦死後に「家を守る」ために夫の弟と結婚したというのはそんなに珍しい話でないが、
その後夫が生きて戻ってきた後もそのまま弟といっしょというのは珍しいと思う。
(元の夫とよりをもどす(?)のが普通・・・だって「家を継ぐ」のは元の夫の方だから)
605名無し三等兵:2005/08/29(月) 20:11:18 ID:???
>>602
その元夫は弟が手をつけた女性とよりを戻すのがいやだったの?
戦後は若くてきれいな独身女性が選り取り見取りだったと思うけどさ。
606602:2005/08/29(月) 22:14:51 ID:???
>>603
 はあ、そういう内容の映画があるんですねえ〜
 勉強になりました。

>>604
 珍しいんですか?なるほど。

>>605
 現夫の祖父はもう他界しちゃったので
 詳しい事は分かりません。
 母から聞いた話なので
 直接祖母には尋ねずらいですね。
 
 私の推測では

 もしかしたら祖母の実家の方から
 「もういい加減にしろ」的圧力が
 かかったのかも知れません。
 一応良い家だったようだし。

 あと、もう子供が出来てて
 今更、元夫が出てこられても困る
 というのもあったかも。
 
ちなみに元夫は戦後、別の人と再婚したそうです。
607名無し三等兵:2005/09/02(金) 05:14:05 ID:???
うちのおじいさんは海軍で哨戒船に乗ってたそうだ。
たまたま釣れたマンボウを上官から調理するように
言われそのマンボウを煮たら身が溶けて骨しか残らなかった
というエピソードを聞いた。
608名無し三等兵:2005/09/02(金) 19:16:16 ID:???
>>607
すごいですね、徴用船員さんですか?
ココ↓を読むと、徴用の特設哨戒船はかなり悲惨な任務に就いていたようですが、
ttp://www.iwojima.jp/data/kuroshio.html
ご無事でなによりです。

ちなみに、マンボウはいわゆる『カマトロ』の部分以外食えませんw
(刺身なり塩焼きなどにするとマグロより美味だそうです)
609名無し三等兵:2005/09/03(土) 00:18:25 ID:???
>>608
小さい頃にその話を聞いてんだが後に宮崎駿の「最貧戦線」読んで
あんな感じだったのかと。
ただ、おじいさんの話によるとその時の仲間が「今度の任務は行きたくない、
今度こそ死ぬ」と言ったのを聞いてその乗り組み当番を代わってあげたらしい。
でも当時当番を交代することなんてできたのかと今なって思う。
610名無し三等兵:2005/09/04(日) 09:58:42 ID:yQkgBVsl
うちのばあさん、松戸で東京大空襲を見たそうな。
「遠目にはきれいだったが、逃げてきた人は可哀想だった」
との事。
また、日本は絶対に勝つと信じていたそうだが、
落ちてくるのは日本の飛行機ばかりで漠然と負けを意識。
終戦のときは、信じられず皇居に行き自決してる軍人を
みて帰ってきたそうな。
611名無し三等兵:2005/09/04(日) 12:36:07 ID:???
>>602
兄が死んだら兄嫁を弟が娶るのは昔の日本では「逆縁」といって
当たり前にあることだった。
「イエ」を守るために個人の感情なんかは無視されていたというわけです。

脱線になるけれど、同じ風習が古代ユダヤ人にもあって、オナンという
男が、死んだ兄の妻を娶ることになったが抱くのがいやで、膣外射精した
という。それで膣外射精のことをオナニーというようになり、意味が
転じて自慰行為を指すようになったそうだ。
612名無し三等兵:2005/09/04(日) 16:57:48 ID:???
ああ、うちの婆さんもその口だ。うちの場合は、元夫の方は無事(?)戦死してたのでややこしい話にはならなかった。
613名無し三等兵:2005/09/05(月) 03:13:33 ID:???
ドラマとか見てると出征前にわざわざ結婚してるよね。
614名無し三等兵:2005/09/05(月) 15:09:16 ID:???
お盆に墓参りに行った際に見たんだが
親戚の墓石に昭和20年4月 フィリピン ルソン島にて戦死と書いてあった。
出征地は北海道、海軍だったらしいが、
陸軍と違って所属なんて分かるのかな?
615名無し三等兵:2005/09/05(月) 16:14:44 ID:???
もとの海軍軍人の軍歴は厚生労働省が保管している。
616名無し三等兵:2005/09/07(水) 01:42:31 ID:a3+axQWY
俺の爺ちゃんは強くて、功績挙げて勲章もらったらしい(^^)俺はあんまり強くないけどw
爺ちゃんカコイイなあと思いました♪
617名無し三等兵:2005/09/07(水) 03:20:04 ID:SA7hanJJ
うちのじーちゃんは西南戦争の生き残りだとか・・・
618名無し三等兵:2005/09/07(水) 03:24:46 ID:O7YuX/4C
俺の爺さんはパイロットで敵機に追われた時
自機を見捨ててパラシュートで逃げたらしい。
619名無し三等兵:2005/09/07(水) 17:29:49 ID:???
愛機は濡れた草原の(ry
620名無し三等兵:2005/09/07(水) 19:31:56 ID:r69orp7/
うちのじいちゃんは、陸軍の砲兵隊にいたけど海外に送られることなく、大阪のどこかの部隊で人事の仕事をしてたらしい。
そのとき面接の試験官をした時にばあちゃんを面接したらしい。
その後、本土決戦に備えて広島の第二総軍に配属され被爆。
終戦後は残務処理で大阪に戻り、ばあちゃんと再会し、結婚したって言ってた。
じいちゃんは4年前に他界したけど、その遺品の中に「支那従軍証?」って勲章があったけど、あれって実際に戦地に行って無くてももらえるの?
戦後は満州から復員した義理の兄と闇市を開いたりして食いつないだそうな。
被爆者ということで、原爆の悲惨な話は良く聞いたけど、もっと他の話も聞いておけばよかった。
大阪にいたころの話はかなり漠然とした内容だけど、当時の女学生を面接するような職種ってなに?
621620:2005/09/07(水) 19:51:47 ID:???
ついでに被爆時の話。
第二総軍の駐屯地?で朝礼が終わり、兵舎に戻ろうとしていた所で原爆は炸裂。
たまたま兵舎の陰にいたため、熱線の直撃は免れたものの、一緒にいた他の兵隊さんの多くが即死。
運良く生き残った他の兵隊さんとともに、被害確認をすべく原爆炸裂の中心部に向かって歩いたそうな。
たくさんの負傷者たちが火災を避けて逃げて来る中、じいちゃん達だけが中心部に歩いていたって。
その惨状は、多くで語られているので省くけど、まさにこの世の地獄だって言ってた。
その時、親とはぐれたのか小さな女の子が一人で泣いているのを発見、保護したらしい。
「ユキコちゃん」と名付けて、生き残りの兵隊さんたちで育てていたそうだけど、3ヶ月後に下痢が止まらず原爆症で亡くなったって。
良く笑うかわいらしい子だったらしく兵隊さん達のマスコット的存在になっていたため、皆が悲しんだそうな。
「ユキコちゃん」という名前はうちのじいちゃんが名付けたらしいけど、その名前の由来はじいちゃん曰く、好きだった小説の主人公の名前って言ってたけど、その小説のタイトルは教えてくれなかった。
じいちゃんの死後、親戚に聞いた話によると、じいちゃん田舎の初恋の相手で、許嫁だったひとが「ユキコさん」だったんだって。その人はじいちゃんと結婚する前に肺炎で亡くなったらしい。写真を見せてもらったら、現代でも通用するような綺麗なひとだった・・・。
てか、ばあちゃんの若い頃にそっくりだった。
あの時代の話を聞くとき、悲惨だったとか、辛かったといったようなネガティブな話を聞くことが多いけど、それぞれの人生にドラマがあったんだなと思った。
622名無し三等兵:2005/09/07(水) 19:55:58 ID:???
B-29が飛んできた
焼夷弾が降ってきた
家が焼けた
街が燃え落ちた
家族が焼夷弾に当たった
焼夷弾の雨の中を、預かっていた親戚の子を背負って逃げ回った

家の近所にあった防空壕の中では、40人が蒸し焼きになっていた

腹が減った、草も食べた

ボート・コルセアからの機銃掃射を受けた


このぐらいかなぁ
623名無し三等兵:2005/09/07(水) 20:05:48 ID:???
>>621名前の由来のエピソード______泣ける。
624名無し三等兵:2005/09/07(水) 21:21:08 ID:???
・゚・(ノД`)・゚・。
涙が止まらんぞ
625名無し三等兵:2005/09/07(水) 21:45:18 ID:???
>>621戦争の悲惨さや壮絶な戦闘話よりもこういった戦時下での人間のドラマは心に来るものがあるな。
その時、その時にも一生懸命生きていた人々の話もっと聞きたい(-_-)
626620:2005/09/07(水) 21:57:43 ID:???
下手な文章なのにレスさんくす。
こののエピソードをじいちゃんから聞いたのはオレがまだ小さな頃だったから、その話の裏にある
「ユキコちゃん」と名付けた時のじいちゃんの気持ちや進駐軍の元、残務処理にあたっていた時に
死んだ許嫁にそっくりなばあちゃんと再会した時の気持ちまでよく理解することができなかったけ
ど、今こうして思い出してみると心にくるものがあるよ。
生前、終戦50周年までは第二総軍の慰霊祭を毎年原爆祈念日には慰霊祭の幹事をしてたけど、そ
の後の飲み会では必ずユキコちゃんの話が出てたそう。
今頃はきっと天国で再会して、安らかに暮らしていると思う。
スレ違い、チラシの裏すまそ。ROMに戻ります。
627名無し三等兵:2005/09/07(水) 23:32:23 ID:3LJhxMoj
>今頃はきっと天国で再会して、安らかに暮らしていると思う。

禿同。あの戦争で苦労した人がみんなそうだといいね。。敵も味方もなくさ。。
628名無し三等兵:2005/09/08(木) 00:38:31 ID:???
中国で空襲にあい、爆撃されて近くにいた人の目玉が飛び出したとか、
ラバウルで米軍機の機銃掃射をうけ隣にいた兵士のあごからしたが無くなった
とか言ってたな。
629名無し三等兵:2005/09/08(木) 00:58:51 ID:E+b37Tdi
ここ読んでると、涙を抑えがたい
祖母のことを思い出したので、初めて書いてます。
まだ、ベッドに寝たきりにもならず元気だったころ、共稼ぎの我が家では祖母がもっぱら子守りでした。
二人でよく行く場所に、チュウレイトウ(今思えば衷霊塔)がありました。
夫を亡くした祖母の気持ちを思うと、不肖の孫だったけど一緒にお参りできたのはよかったと思う。
二三日前にこのスレ知ったのですが、戦時の写真など見ると襟を正して手を合わせずにはいられない。
630名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:28:41 ID:Mw76RhfG
数年前、おばあちゃんが亡くなった後、
親父と一緒に遺品の整理をしていたとき、フィリピンで戦死したおじいちゃんからの手紙を見つけた。
その手紙には、「頑張って勉強して、立派な軍人になってください」と書かれていた。
親父は普通のサラリーマンですが、「どーしよ・・・」って言って照れていました。
631名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:29:06 ID:???
まだ生きてる母方の爺さんの話だが…
学徒動員で宮城かどこかの工場で働かされてたらしいんだが、学徒出陣する事になって海軍に行ったらしい。
もう戦争末期で、戦艦なんか殆ど無かったから、訓練は対空射撃ばかりだったそうな。
そのうち、伏龍特攻隊に配属されて、隊長だったのかは知らないが、訓練を指揮したとか。
階級がどれくらいだったのか、わからないからなんともいえないけど…
潜水服が粗悪だったり呼吸法が難しかったりで、潜水訓練中にほぼ必ず死人がでて、
毎晩お通夜状態だったと言っていた。

ちなみにもういない父方の祖父は、末期に徴兵されて南方へ向かう船に乗ったはいいが、
病気になって途中で船から下ろされたらしい。
あとから聞いた話では、その輸送船は目的地へ向かう前に撃沈されたとか…

どっちが欠けても俺は居なかったわけで、二人が生き延びたのは全くありがたい事だ。
632名無し三等兵 :2005/09/08(木) 01:33:58 ID:???
伏竜の訓練てそんなに危険極まりないシロモノだったのか・・
633名無し三等兵:2005/09/08(木) 03:03:24 ID:E+b37Tdi
>>627
The greatest generation←が、まさにあの戦争で苦労した方々の(アメリカ版)その後を語ってる。
日系人初の上院議員になったダニエル井上とか。もちろん、アメリカ人も。
日系人のプライドを賭けた戦いの様子。あのマッチョの代名詞のようなテキサス部隊を四面楚歌の状況から救助。
英雄的な戦闘で第二次大戦史上最大の被害を蒙ったにもかかわらず、政治的な思惑から最高級の勲章は受けられなかった。
国籍は違えど、祖父母の世代が精一杯に尊厳を賭けて生きてきたありさまには絶句。
国籍人種を超えて、精一杯生きたdecentな人たちの人生に教えられるもの多い。
634名無し三等兵:2005/09/08(木) 03:42:27 ID:???
親戚のじーさんは長男だったのに戦争行ってない。

因みにじーさんの家は、ものすごい金持ちだった。
635名無し三等兵:2005/09/08(木) 03:50:23 ID:???
確か伏竜って劇薬背負って潜水するんだよね。
ひどい話もあったもんだ。
636名無し三等兵:2005/09/08(木) 04:01:39 ID:???
>劇薬
637名無し三等兵:2005/09/08(木) 09:44:48 ID:???
>>621
・゚・(ノД`)・゚・。
ウワーン、ジイチャン・・・
638名無し三等兵:2005/09/08(木) 10:01:08 ID:M8HFP2Xx
こうやって、昔の話を掘り起こしていくのも良い話しだし、
戦争は政治とか信条とかではなくただ悲惨なものなんだが。
左厨、右厨がはいると必ずややこしい話になる。
639名無し三等兵:2005/09/08(木) 11:22:02 ID:???
親戚の爺さん、陸軍の将校だったと聞いている、部下を一名連れて開戦から
ずーと中国にいたらしい情報収集に当たっていたと、豚小屋で寝たりだとか
中国人の中でも最下層を装い任務についていたって言ってた。中国語も訛り
も含めペラペラ、兵隊に職務質問と言うか尋問されても汚いからあっちへ行け
ぐらいだったって、むしろ日本の兵隊の方が厄介だったって言っていた。
戦後、帰国して部下の男をず〜と家で面倒見ていた。
640名無し三等兵:2005/09/08(木) 11:45:39 ID:???
うちの母方の祖父から聞いた話。
終戦間近の頃、祖父の弟が満州にいた時、日本人入植者の女性に対して強姦を働いた朝鮮人(もしくは中国人)を捕まえた。
その女性は祖父の弟のよく知る現地の洋品店の娘だった。
娘はその後深い悲しみから立ち直る間もなく、病にかかり死亡した。
深い悲しみと、怒りにかられた祖父の弟は、解放された朝鮮人を殴り倒し「お前は人間のクズだ。」と罵った。
戦後、その朝鮮人に逆に捕らえられ「おれは強姦などしていない。濡れ衣を着せた責任をとれ。日本は戦争に負けた。日本人なら切腹して見せろ。」と迫られた。
その際に渡されたのは牛刀で「これでは切腹など出来ない。私の軍刀を渡せ。」と言ったが、「これはオレが介錯に使う。」と言って譲らなかった。
日本敗戦の悲しみか、戦死した多くの戦友の後追いか、祖父の弟は渡された牛刀で自分の首に切りつけ、自害した。
その遺体は朝鮮人の手によって、四肢を切り取られ、それぞれ別々の場所に埋められた。
その後、夜のうちに死んだ娘の母親によって掘り起こされ、供養された。
その後、8年後遺髪をもって祖父のもとへ現れた。
「弟さんは娘に好意をもって頂いていたようです。娘も弟さんを大変尊敬しておりました。きっと今頃は平和なあの世で二人仲良く暮らしていることでしょう。」
と言って遺髪と遺品を差し出した。
※遺品は折れた軍刀の切っ先。朝鮮人が慣れない刀で斬りつけたせいか、切っ先から15cm程の所で折れた。その破片を拾って、持ってきていた。
641名無し三等兵:2005/09/08(木) 11:47:12 ID:BM2WRLaj
数年前になくなった爺さんは、インパール作戦に参加、機関銃と、
わずかばかりの米と塩で、行軍したのですが、勝てるわけもなく、敗走。
後は史実どおり白骨街道。爺さんいわく「死に際になるとなぜか死んでる者
のそばで横になっていくんだよなぁ。」爺さんの部隊の生存率は
1割くらいだったとか。そのほとんどが、病死と、餓死で死んだとさ。
戦後も、のほほんとして生き残った大本営の参謀たちこそ、戦犯だ
642名無し三等兵:2005/09/08(木) 11:49:15 ID:???
>>640 四肢を切り取られ、それぞれ別々の場所に埋められた。
これは朝鮮じゃなくて中国の風習だったとオモタ
643名無し三等兵:2005/09/08(木) 12:13:55 ID:???
誰か>>621の話をフラッシュで作成しる!!
644名無し三等兵:2005/09/09(金) 11:35:47 ID:???
生前禿に悩んでた祖父が、何故カネボウの『紫電改』ばかり使うのか聞いてみたら、海軍少年飛行兵だったらしい。
戦争長引いてたら敵艦に突っ込んでたかもしれず、そうすれば自分も生まれてない。
終戦後は北九州の米軍基地で消防の勉強してて、米兵と暮らしてたらしく、英語がペラペラだったとか米兵から手紙が来たとかきいたな。
あと米兵に教えてもらったトランペットを吹く趣味があった。
朝鮮戦争ではしばらく朝鮮半島にいて、北の爆撃で大変な目にあった。その後帰国して祖母と結婚。

少年飛行兵時代にゼロ戦見せてもらって、主翼をゴンゴンとこぶしで叩いたら少し曲がったらしく、上官に殴り倒されたとか。
そんな飛行機しかない時代だから戦争に負けて当然とか言ってた。
そして飛行服の白マフラーは祖父から父に渡った。
645名無し三等兵:2005/09/09(金) 18:25:01 ID:aqjRI/7L
>>594 アンタのご祖父と漏れのトモダチのご祖父は同じ部隊だったんだね。
トモダチのご祖父も、高崎の15連隊でパラオに行っていたそうだから。
狙撃兵だったとか。仲間は空爆や砲撃で「家に帰りたい!」と泣きながら死んで
行ったとか、そんな最中にどこか違う島に移動するためにいくつかの船に便乗したらしいんだけど、
そのご祖父と隊長さんだけが何らかの理由で乗らなかったらしく、結局船に便乗して出航した
仲間達はみんな帰って来なかったとか。
ひょっとしたら彼らはアンガウルかペリリューを支援に出航したのではないかと。。。
646名無し三等兵:2005/09/09(金) 19:07:43 ID:???
うちの祖父は現在80歳。
支那戦線で戦った。
見張りの任務を友人に代わって貰ったら
その夜中国軍の襲撃があって友人は戦死。
九死に一生・・・というのはあれだがそうらしい。
647名無し三等兵:2005/09/09(金) 19:17:54 ID:FwyeAt7x
家のおじいは91才で沖縄に行ってた。いた所は米軍もあまりこず手榴弾を海にほりこみ魚をとってたらしい
648名無し三等兵:2005/09/09(金) 19:22:36 ID:???
>>646
うちの母方のばあちゃんの兄貴がまさにそれ。
南方のパプアニューギニアあたりの哨戒基地で、
終戦2日前にマラリアにかかった戦友の代わりに歩哨任務について、
その夜にアメ公の襲撃を受けて戦死。
終戦後その戦友が祖母の兄貴の遺骨を持ち帰り、祖母達の前で「俺のせいで死んだ!」
と号泣したそうで。
649名無し三等兵:2005/09/09(金) 20:45:05 ID:???
>>644
・・・予科練...
650名無し三等兵:2005/09/09(金) 23:14:17 ID:???
とりあえず私のご先祖さま


寺垣猪三(中将)

石川県出身。「松島」「吉野」「浅間」などの艦長を歴任し、
日露戦争では装甲巡洋艦「浅間」艦長として参戦し、日本海海戦では「敷島」艦長として活躍した。
海戦に先立ち寺垣艦長は、四斗樽を開け上甲板で将兵と決別の杯を交わした。
「敷島」はすでに旧式となっていたため、敵艦と指し違えてもバルチック艦隊を撃破するという覚悟の杯であった。
第3艦隊司令長官などを歴任し、昭和13年6月1日没。
651名無し三等兵:2005/09/10(土) 00:10:50 ID:BJgEmAl0
>650
すげーじゃん?
何か、話は伝わってる?

俺の先祖(時代は全然違うが)

高柳助八(土浦藩家老)

水戸天狗党と交戦した際に、200年前の大砲を暴発させ城下を火の海にした。
また、いち早く、大手門まで撤退。天狗党には食料を渡して撤退して貰った
そうな。

没年 過去帳みないわからん。


652名無し三等兵:2005/09/10(土) 00:17:33 ID:???
>>650
日本海海戦時で『敷島』が旧式だなんてそんなw
653名無し三等兵:2005/09/10(土) 00:47:03 ID:???
>>651
まさに逝ってヨシだな。
654名無し三等兵:2005/09/10(土) 01:58:39 ID:WO9e+CR2
age
655名無し三等兵:2005/09/10(土) 03:02:29 ID:???
今は亡くなった祖父に聞いた話
大戦中は一式とか言う爆撃機に乗ってた
沖縄の米艦隊に向かって
菊花?桜花?とか言う特攻機を輸送する任務中に
敵戦闘機に撃たれて右足を失ってしまい
入院中に終戦をむかえたそうです
入院中は同じ航空隊の仲間達が毎日のように見舞いに来てくれて
たのですが、出撃して日に日に少なくなっていく仲間達をみて
出撃出来ない自分が情けなく悔しい思いをしたと語っていました
祖父の話で、私の一番記憶にある言葉は
仲間達は死ぬとわかっていても国の為と出撃し見事に散っていった
仲間達と一緒に死にたかった
なんでしっかり撃ち落とさなかったんだグラマンめ、でした
656名無し三等兵 :2005/09/10(土) 03:48:11 ID:???
お爺様は「一式陸上攻撃機」通称一式陸攻の搭乗員であられたようですね。

一式陸攻は海軍が爆撃も魚雷攻撃も可能な機体として開発させた機体で
したが、大戦末期には「桜花」の空中発射母機としても使用されました。

「桜花」は、大戦末期の44年に開発され45年3月から実戦に投入されました。
800キロ徹甲爆弾と固体燃料ロケット推進のグライダーを一体化させた構造で
爆弾を切り離すことも着陸もできない、まさに特攻専用機でした。

ttp://www.biwa.ne.jp/~yamato/betty.htm
米艦隊はレーダー網を張り巡らし、対空砲火や戦闘機による迎撃は非常に激しく、
母機や護衛戦闘機を含め犠牲が多い割りに戦果はほとんど挙がりませんでした。

それが分っていただけに、仲間を思ってとても口惜しい思いをされたのでしょうね。
657名無し三等兵:2005/09/10(土) 11:55:13 ID:HELRxysm
先日ある、戦時の資料や遺書が陳列してある特別展を見てきた。
戦死された方の写真と共に遺族の思い出話などが書いてあった。
その中で、ある未亡人の戦後の苦労話の最後が「(夫)が好い人だった
ので、再婚の話にも、ついぞ乗らずに今日まできました。」
となっていたのには胸が詰まった。
658名無し三等兵:2005/09/10(土) 12:33:12 ID:???
祖父…黒潮隊

曾祖父…大尉で日本海海戦に参加、艦名不明

まあ海軍一家ですね
659650:2005/09/10(土) 14:34:26 ID:???
曾祖父は海軍大佐だったらしい、乗艦していた艦名はわかりませんが。
大戦中に亡くなったらしい。
660町日:2005/09/10(土) 14:37:51 ID:???
ぬぬぬ
661名無し三等兵:2005/09/10(土) 14:38:46 ID:???
よし
662小沢治三郎:2005/09/10(土) 17:25:00 ID:NhrRyIPk
夫が戦死したあと、妻が夫の弟に嫁ぐ事例が身近にある人、詳しいことを教えてください。
663名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 17:58:39 ID:???
>>662
漏れの親戚のおばさん(祖母の妹)がそうだけど、
何が聞きたい?
664鎮魂歌:2005/09/10(土) 20:14:19 ID:TWv513H1
弟と結婚する時、死んだ夫にすまないとか、何らかのわだかまりはないでしょうか。また、死んだ夫との間に生まれた子と弟との間の子を平等に愛せるものでしょうか。
665名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:00:29 ID:???
戦争末期の食糧事情やお金の価値について調べてるんですけど
ここで聞いていいんですかね?
666名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:09:42 ID:???
>>665
火垂るの墓スレから来た方でつか?
667名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:35:20 ID:???
>>666
そうです。
誰か知ってる人がいればと思ったんですが迷惑ならやめときます。
668名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:41:54 ID:???
軍事板の

●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を 207
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1126099554/

に行って1を読んでから
質問すると親切な人が教えてくれる

・・・・かもしれない。
669名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:45:02 ID:???
>>668
どうも。でもそこはもう迷惑かな…
670名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:15:50 ID:???
656
リンク見ましたがかなりヤバイ航空機だったんですね
671名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 02:29:18 ID:???
当時既に8000万人ほどいた日本人の生活が、全国津々浦々均等じゃないと
我慢できない馬鹿が多いからねぇ、あのスレは。答えるだけ無駄だろ。
672名無し三等兵 :2005/09/11(日) 02:44:52 ID:???
>>670
一式陸攻は戦時中を通して燃料タンクの防弾強化など改良は行われており、お爺様方が
大戦末期に搭乗していた機体は、必ずしもリンク先にあるような被弾一発で発火するほど
脆くはなかったのではないかと思います

しかし、なにしろ大型の四発機並みの航続距離を双発機で実現しようと軽量化した機体
ですから、お世辞にも打たれ強いとは言えなかったでしょうね

673名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 03:00:50 ID:???
>>672
貴重な情報をm(_)m
674名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 11:09:57 ID:???
うちの曽祖父は・・・
南方へ船で行く途中アメの潜水艦の魚雷で死にますた。
675名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 13:02:09 ID:???
爺ではないが、伯父2人。

ひとりは、榛名に乗ってました。
春名が沈んだときの米軍の爆撃はすごかったと言ってました。
伯父の家には、大きな榛名の写真がありました。

もうひとりは、海軍兵学校をでて、戦闘機をつくってました。
敗戦で武装解除したとき、通訳をしたそうです。
その後も残って色々とやっていたそうですが、詳しいことは・・・
全て終わったとき,陛下からタバコをいただいたそうです。
感激で手がブルブル震えたとも言ってました。

残念なのは、二人とももういないことです。
もう少し話を聞いておけばよかった。
676名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 13:52:34 ID:voNzjfKQ
遠い親戚に当たる、おじさんの話。
204空所属で、最下級の航空整備兵。補給もなく、兵員の補充もなく、
終戦までの1年近く、下っ端で過ごす。ある日、みんなで魚を獲ろうと、
海岸でダイナマイトを炸裂させるも、火薬量大杉で、近くにあった
厠までも吹き飛ばして,すげードヤサレタとか。「つらかったけど
楽しかったねー」と笑顔で。
677名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:42:22 ID:Y6vBWe/Q
母方の祖父は昭和20年当時15歳でしたが、
その年でも戦場に動員された人は多く居たそうです
祖父は徴兵検査で身長が足りなくて延期と言う話

調べてみると末期に制定された国民義勇兵役法なるものだと思いますが。

空襲で家が2〜3回焼けたとか撃っても届かない高射砲とか、そんな話をよく聞きました
元気なうちにもっと話を聞いておこうかな。
678名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:08:00 ID:???
>>675
海兵出て戦闘機つくってたっておかしくないか?
679名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:20:46 ID:???
>>678
そういうところは突っ込んでやるなや。
680名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:30:11 ID:???
>>678-679
・・・『空技廠』(海軍航空技術廠)...
681名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:35:23 ID:???
今年の7月に父方の爺ちゃんが死んだ。
俺のおやじから昔の話を聞いた。
爺ちゃんは通信兵として中国に行っていたらしい。
戦後に抑留先から何人かで逃げて、一人減り、また一人減り・・・
結局7人で逃げたのに最後は2人だけになったらしい。

そして親父はというと26年目に初めて知ったのだが、上京の資金稼ぎとして
陸自の通信科として旭川にいたらしい。

で、俺も通信科だ。はっきり言って、驚いた。
俺が自衛官になるのを反対したのは他ならぬ親父であったからだ。
682名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:43:19 ID:???
 私の祖父の話を
 (母方の祖父) 満洲(ハルビン?チチハル?)にて憲兵、結構位が高かったらしく憲兵少佐か憲兵中佐。
 自宅は高級マンションみたいなところで、お手伝いさんも数名雇っている。(写真、勲章あり)
 敗戦後日本まで帰ってくるのが大変だったらしい。本当にすべてを投げ捨ててきたそうだ。
 家も、服も、子供4人も置いて、顔には泥を塗り、服はわざとびりびりに破き、ほうほうのていで日本に帰ってきたそうだ。
 日本に戻ってから、子供を4人なくした夫婦に養子として迎えられたのがうちの母らしい。

 (父方の祖父)樺太での開拓団、豊原で農業と漁業を行っていたそうです。当時の豊原は海に行くと子供でもいくらでもカニやウニが取れ、本当に平和だったそうです。
 戦争に負けて日本に戻ろうとしたとき、3艘の船に分乗して浜猿払に向かったそうですが、2席が大破(理由は分からず)
 うちの一族が乗った船だけが無事に北海道まで戻ってきたそうです。
683名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:04:44 ID:i5hQ4YMg
東北帝国大学卒業後、冶金教室に残って研究を続けていたところ、海軍に徴用され尉官待遇の軍属として
乗鞍岳の秘密研究所で、師範学校卒の優秀な下士官や、女専卒の才媛の理事生を助手
にして、大口径砲の砲身に巻くピアノ線の研究をしていたそうだ、通信関係の研究をしていた
部署から、ポツダム宣言を巡る放送を傍受した内容を聞き知っていたので
敗戦は早くから予想していたそうだ、実家の裕福なインテリの集団だったので
豊富に集積されていた各種の物資を公平に分配、研究所のトラック、乗用車を
使って、家族が疎開していた那須の別荘に復員したそうだ。
684名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:58:44 ID:???
人生いろいろだな
685名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:19:35 ID:i6V4FQ7S
戦死した祖父について知りたいのですが、亡くなった祖母が生前ぽつぽつと
話してくれた断片的な情報しかありません。

*40歳ちかくになって召集礼状が来て戦争に行った。
 時期は昭和16、17年ごろ。
(でもその頃から中年の一般市民にも召集令状が来ていたのでしょうか)

*戦死したのは太平洋上の名前すらはっきりしない小さな島。
 遺骨もなく、白い箱だけが帰ってきた。

*出征の記念に妻と三人の幼い子供と一緒に撮った写真を戦地へ送ったら、祖父から
「よく撮れていますね」という返事がきたが、しばらくしてから
 出した手紙に返事がくることはなくなった。
 祖母「そのときにはもう戦死しとったんだねえ」

せめて祖父がいつ、どこで戦死したのかくらいは知りたいのです。
靖国神社に問い合わせしたら教えてくれるという話をどこかで聞いたことが
ありますが、本当なのでしょうか。

また、県庁には「兵籍簿」というものもあるらしいと、このスレにどなたか
書かれてましたが、やはり閲覧は難しいのでしょうか。

686名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:26:33 ID:/fZ5CeGH
俺の曽祖父は満州に行ってたらしい。左手を撃たれて親指がない・・・
687名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:34:22 ID:???
家の父方のじいちゃんは
樺太防衛の為に出征

んで、終戦後栄養失調で帰ってきました。
何が在ったのかは聞けずジマイ
688名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:46:21 ID:???
>685
おそらく遺族で恩給が出取るわな。
幼い子供3人のうちの一人の名前で
本籍地の私厄糞経由で合祀されているか
どうか問い合わせてみる。

履歴のほうは権重にと言わせれば
良いと思われ。
もし、ガタガタ言うなら情報公開法使えば良い。
689名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:01:36 ID:???
>>688
質問に答えてるつもりなら字ぐらいちゃんと書けよ。

個人に関する情報だから「情報公開法」なんか持ち出しても非公開で門前払いだろ。
690名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:45:13 ID:3pDgOIdL
じーさんが海軍の艦長テストで、前方が流氷で塞がれている、どう対処するか?
とゆー設問で「気合で溶かす」と書いて受かったそうです。
691名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:46:10 ID:???
気合いだよなあ。
692名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:52:04 ID:tDGrssre
うちの祖父は戦争の話なんて一度もしなかった。
高校生の時「731部隊ってあったんだよね?」と聞いたら、
いつもは厳格な祖父が、下向いてもごもご言うだけだった。
なんか聞いちゃいけなかったかなーと思ってちょっとだけ後悔した。
後にも先にも祖父と戦争の話をしたのはそれだけです。
693名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:23:22 ID:xkbQiLLi
広島の爺さんは憲兵で上海で終戦をむかえた。
航空機に乗った事があり終戦をむかえても飛行帽、拳銃、サーベルを
家に隠し持ち決起して東條を奪還しようとしたが商売に夢中になってしまい
いつのまにか紳士的で加藤剛そっくりだったのに関取の親方みたいになり
アル中になって酔うと朝鮮人、中国人、海軍の悪口を町中で言いふらして回った。
戦後数年はサーベルと飛行帽を装備してヤクザと仲良くなり町内を巡回していた。
694名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:29:31 ID:???
>>693
妄想乙
695名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:39:41 ID:???
グラマンに機銃掃射されたらしい。死ぬ気で走って逃げて何とか生き延びたとか
696名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:39:42 ID:???
爺さん婆さん共に学校に行っておらず開戦も終戦もしばらく知らなかった。
山奥で農民として暮らしていた爺さんは原爆の片付けに行った。
婆さんは朝鮮総督府があると今でも思っている。
697名無し三等兵:2005/09/12(月) 00:40:06 ID:???
うちのじいさんは陸軍の軽爆撃機の操縦手だった。なんでも大戦の大半を
98式でのりきり、かなり後になって99式双軽に乗り換えになったそうだ。
698名無し三等兵:2005/09/12(月) 02:01:09 ID:???
満州か?
699名無し三等兵:2005/09/16(金) 07:30:40 ID:l5+khcpX
ちゅどーーーーーん
700名無し三等兵:2005/09/16(金) 13:31:49 ID:jZ45AAcQ
ウチの父方のじいさん
 中国(場所不明)で交戦中、包囲され絶対絶命。
 「こうなりゃ勢いつけて突撃じゃ」と酒をらっぱのみ
 →爆睡。→(゚Д゚≡゚Д゚)アリッ?
 じいさんいわく「酒は身を助く、じゃった」
 違うだろ。

母方のじいさん
 戦争前に海軍予備役(たぶん3〜2等兵曹位)で、戦争後に招集。
 終戦直前、北方(じいさんは晩年脳卒中で言葉が不明瞭。総合すると
 たぶん占守島@オレ調べ)でソ連と一戦交えたと言ってた。
 娘さんが島から逃げるのを高射砲で助けたぞと言ってたがオレ調べでは
 それ陸軍の高射砲では・・
 ちなみに母方ばあさんは日赤の看護婦で、戦後農業やってたじいさんは
 「疲れるとばあさんに注射を打ってもらってな・・」じ、じいさん、それ
 って〇〇ポンでは・・・
 結局、大酒が原因で糖尿→脳卒中であぼーん。陽気なじいさんでしたな。
 
 
 
701名無し三等兵:2005/09/16(金) 18:54:18 ID:???
>>700
・・・占守島の『片岡海軍基地』にも高角砲の一門くらいはあったでしょう...
(ちなみに片岡基地はけっこう重要な基地です)

あと、ヒロポンは普通に薬局で買えましたw
(ウチにもばあさん{故人}が使っていた注射器&煮沸器があります)
702名無し三等兵:2005/09/16(金) 20:53:56 ID:???
母の話、戦後陸軍の甘味品が配給になった。茶を粉末にして飴で固めた物で、
航空糧食だつたそうだ。強力なカフェインが入っており、食べた子供達が、
深夜まで大騒ぎしたそうである。この母も今年70歳。
703名無し三等兵:2005/09/17(土) 15:42:18 ID:???
知り合いの爺さん乙飛18期 ポツダム一飛曹
一式陸攻の通信 電探装備の第一号機に乗ってたと
特攻で仲間が沢山死んだと話した時の目は遥か彼方を見ていた
704名無し三等兵:2005/09/18(日) 09:42:43 ID:???
父方の祖父。兵役はとっくに済ませていたが(上海事変後の上海に駐屯していたらしい)、
某ゼネコンで橋梁、ダム建築の技術者をしていたため尉官待遇の軍属として19年末に出征。
台湾沖で輸送艦ごとアボーン。その出征時、父(当時5歳)に残した遺書。

「はるおへ。とおちゃんは南の島へはしをかけにいってきます。なにかあったらかあちゃんをたのむ。」

そのかあちゃんも20年半ばには結核で亡くなり、養子として育てられた父は大学入学時にその遺書を見せられて涙が止まらなかった由。
60半ばを過ぎた父だがいまも時々深酒をするとその話をして泣く。
705名無し三等兵:2005/09/18(日) 12:41:34 ID:???
>>703-704
(T-T)
706名無し三等兵:2005/09/18(日) 16:01:39 ID:6TbQTym2
>>701
ヒロポン(覚醒剤)は、軍隊で結構使われたということもあり、
戦後しばらくは禁止ではなかったんだね。
浅草あたりの演芸場には、楽屋に注射場があったそうな。
707 名無し三等兵:2005/09/18(日) 16:28:38 ID:h1eIAU67
俺のおじいちゃん、大正天皇の近衛兵。
「なかなか近衛にはなれんのじゃ」って、死ぬまで自慢してた。
708名無し三等兵:2005/09/18(日) 17:21:34 ID:???
伯父が捕虜になったとき
シベリアに強制労働しに連れてかれたことがあるという。
だが詳しいことは知らない、
もうこの世にいないので。
709名無し三等兵:2005/09/18(日) 18:10:55 ID:???
曾祖父→日進で日本海海戦に参加、山本長官と会ってたかも?最終階級は大佐

祖父→陸軍、ノモンハンから終戦まで主に大陸で戦った。最終階級は少将?だったかな?遺品多数アリ

父→陸自、2佐。今イラクに

うはwww軍人家系wwwwww俺どうしよwwwwwwww
710名無し三等兵:2005/09/18(日) 18:20:27 ID:???
そりゃもちろんその道だろ?
711名無し三等兵:2005/09/18(日) 18:23:07 ID:???
フランス外人部隊だな
712名無し三等兵:2005/09/18(日) 18:52:47 ID:???
>709
いま何歳よ?
713名無し三等兵:2005/09/18(日) 18:57:35 ID:???
>>712

18だよ。一応父親の勧めで防大受けるつもりだけど無理ポ
714名無し三等兵:2005/09/18(日) 18:59:01 ID:???
>>713
2士で入隊しようぜ。
715名無し三等兵:2005/09/18(日) 18:59:37 ID:???
御大の征途の藤堂家みたいやなぁ
716名無し三等兵:2005/09/18(日) 21:17:16 ID:???
ちったあ勉強したまえ。体の方は頑丈か?
717名無し三等兵:2005/09/19(月) 12:14:11 ID:???
>>713
日本初の原潜に乗れる日を目指してがんがれw
718名無し三等兵:2005/09/20(火) 12:40:26 ID:???
俺のじいちゃんは服を脱ぐと、背中に肉がえぐれた後が有った。
幼い頃の俺がその傷どうしたの?って聞くと、じいちゃんは敵の撃った弾が背中をかすめた跡だって教えてくれた。
じいちゃんはあまり戦争の話をしなかったし、俺もあまり聞いたりしなかったけど、
一つだけじいちゃんに戦争に関する事で質問した事が有った。
「鉄砲で間違えて見方を撃っちゃう事は無かったの?もし間違えて撃っちゃったらどうなるの?」
じいちゃんは「そうゆう時は間違いって事で・・ハハハハハ」って質問に答えてくれた。
子供心にじいちゃん適当に答えてるんだろうなって思ったw
719名無し三等兵:2005/09/20(火) 20:45:28 ID:+Ul1nc4E
硫黄島戦での日本兵の死因は、
戦死3割、自殺/処置5割、その他2割とのこと。
その他というのは、日頃恨まれていた者が撃たれたと。
720名無し三等兵:2005/09/20(火) 22:02:24 ID:???
・・・その2割って同士討ちや病死がメインじゃないの?一人でも兵力が欲しい状況で、全体の2割の人間が恨みから殺されるって考えにくいぞ。
721名無し三等兵:2005/09/20(火) 22:54:20 ID:???
うちのじいちゃん、何の海軍にいたのか知らんが
「魚雷が近くを通るとものすごい音がするんだ」と
盆の時期になると話してた。
あとお腹に銃弾が貫通したあとがあった。
「戦争は悲惨だ。何も生まない」
遠くを見つめながら言うじいちゃんは
戦争で親兄弟を全て失った。
722名無し三等兵:2005/09/20(火) 23:03:31 ID:???
>>681
親子三代で通信か、なかなか無いな。
親子ともに空自のパイロットとか言う話は聞くが・・・・・・
723名無し三等兵:2005/09/20(火) 23:26:10 ID:+Ul1nc4E
>>720
ワシもそう思うのだが、数名程度ならともかく…
だが「図説 玉砕の戦場―太平洋戦争の戦場」にそう書いてある。
724名無し三等兵:2005/09/20(火) 23:32:15 ID:???
うちのじいさんは身長が足らなくて徴兵されなかったそうな。150cmちょい
だったと思うが、別スレには終戦まぎはには知的障害者まで徴兵したって
言うしなんかよくわからないね・・。じいさんとそんなに身長が変わらない弟
の方は満州に行ってるし。ますます持ってよくわからない・・・。
725名無し三等兵:2005/09/21(水) 00:20:25 ID:???
うちの父方の祖父も身長足りなくて徴兵されなかったらしい
極端に低い訳じゃないような・・・
エロい人、説明頼む
726名無し三等兵:2005/09/21(水) 01:28:33 ID:???
年次ごとに徴兵すべき人数が違うので、
少ない年には甲種合格でもくじ引きで当たり(はずれ?)でないと入営しないし、
多く必要な年にはガンガン行く。
727名無し三等兵:2005/09/21(水) 16:54:04 ID:/FttPwu6
かつて、仕事仲間だったおじさんの、体験談。
昭和17年、徴兵により、高田市の連隊に入隊。初日、赤色のご飯が出されて、赤飯だーっ。と思って食べたらコウリャンで、がっかりしたとさ。
728名無し三等兵:2005/09/21(水) 17:14:26 ID:???
こうりゃんダメだ 次逝ってみよう
729名無し三等兵:2005/09/21(水) 17:15:50 ID:???
初日だけは「赤飯・尾頭付きの魚・みそ汁」なんだよね。
昭和17年じゃ物資が欠乏し始めてたから代用だったんだろうな…泣かせる。
730名無し三等兵:2005/09/21(水) 17:40:59 ID:/FttPwu6
727続き。
派遣先は、北支「中国」で、 そちらの方が食い物良かったヨ。と本人いわく
。で、内地からの移動は、大きい声じゃ言えねーが、病院船だったんだ。と
、これも本人の弁。・・・「当時は色白でな、寝てる時に、足をナデラレタ
事もあるよ、ある二年兵に。」と、こんな話もしてくれました。
731名無し三等兵:2005/09/21(水) 17:41:59 ID:???
朝鮮に駐留していた祖父が
現地の店で切手を買うために
朝鮮語が分かる仲間に「切手下さい」の朝鮮語を教えてもらった。
しかしそれを使ってみると現地の女性にムッとされ
結局切手は買えなかったそうだ。


実は、教えてもらった言葉は「貴方が好きです」だったらしい。
今でもその言葉だけはっきり覚えているんだとさ。
732名無し三等兵:2005/09/21(水) 18:07:53 ID:/FttPwu6
730続き
携帯火器は、あの十三年式軽機関銃で、ツッコミ「作動不良」が多くて大変
だったとか。でも、三八式歩兵銃より重量のバランスが良くて、かつぎやすか
ったらしー。・・・・とにかく伏せ撃ちが基本で、「ランボーみたいなこと
やったら、あっつー間に蜂の巣だし、第一あたらねーよ。」と教えてくれまし
た。
733名無し三等兵:2005/09/21(水) 18:08:28 ID:???
>>730
中国大陸に行った部隊は、場所によってはかなり食料に余裕があったところもあったらしいね。
734名無し三等兵:2005/09/21(水) 18:11:32 ID:/FttPwu6
732続き
十三年式、訂正。
十一年式でした。あしからず。
735名無し三等兵:2005/09/21(水) 18:35:12 ID:???
>>730
>足をナデラレタ事もあるよ
つ【 ttp://gaty.hp.infoseek.co.jp/jigokuno.html
736名無し三等兵:2005/09/21(水) 18:38:33 ID:/FttPwu6
732続き
一番気になる、人を撃った事は?。という質問に。
「お互い屋根の上で,あっちと、こっちで撃ちあいしたけど、隠れちゃ撃ち
隠れちゃ撃ちで、着弾の砂煙は見えるけど、当たってるかどーかなんて、
とてもじゃねーがわからねーな。」と臨場感イッパイに語ってくれました。 



737名無し三等兵:2005/09/21(水) 18:43:53 ID:???
船舶特攻隊だったらしい
出撃直前に空襲があって出撃できなくなって
そのまま終戦。よかった
738名無し三等兵:2005/09/21(水) 18:48:08 ID:/FttPwu6
>>73
嗚呼、男の世界。でつね。
739名無し三等兵:2005/09/21(水) 20:55:20 ID:???
>>735
HGスレでも同様のを貼ってなかったか?

アンタも好きね〜ウホッ
740名無し三等兵:2005/09/22(木) 16:40:06 ID:???
736続き
最終階級は、陸軍歩兵上等兵さ、と当時の呼称で教えてくれました。
ある日、病気の戦友にかわり、パトロールに出かけ、そこで銃撃戦となり
伏せて射撃中、腹部に被弾。体が持ち上がるほどの衝撃を受けるも、バラバラ
に千切れた、ベルトのバックルと厚く巻いたサラシのおかげで、なんと無傷。
ところが、同日午後の戦闘で右上腕部に貫通銃創を負い、その瞬間は、「痛い
というよりシビレタ感じがした。」との事。「1日で2回、タマにあたっただよ。」
と、しみじみ。そして内地に帰還。・・・いまだに冬が近くなると古傷がウズク
そーで。・・・「戦時中の話は、あまり、したくねーんだけどナ。」と言い
つつ、たくさん話を聞かせてもらいました。
741名無し三等兵:2005/09/23(金) 01:24:59 ID:???
うちの祖父は海軍の横須賀海兵団に居たそうです。
1.徴兵後「春日」にて訓練。(上官のバッターが痛かった)
2.生まれて初めてカレーライスを食った。
3.戦闘行為は一切無く、任務は穴堀りばかりだった。
4.玉音放送聞いたけど何を言っているかわからんかった。
面白くなくてスマソ。本人は遠足か修学旅行に行くような感覚だったそうです。
742名無し三等兵:2005/09/23(金) 03:29:19 ID:???
>>718
>俺のじいちゃんは服を脱ぐと、背中に肉がえぐれた後が有った。

実は、空腹に耐えかねた自軍の軍用犬に襲われたとか^^
743名無し三等兵:2005/09/23(金) 09:11:20 ID:???
>>741
そういやうちのバーさんたちも
玉音放送なに言ってるか
わかんなくてポカーンとしたらしいよ。

で、偉い人たちが
「戦争に負けたらしいよ」と結論付けて
やっとわかったらしい。

バーさんは放送のあまりの分からなさに
「偉い人達は元々戦争に負けたという放送内容を
 知っていたに違いない」
と、私に語ってくれた。
744名無し三等兵:2005/09/23(金) 15:17:23 ID:???
大学で戦争史のゼミにいたけど、その教授がドイツ軍マニアで色々教えてもらった。
そんな教授に、ある日ふと太平洋戦争の話をふると…。
「自分で行った戦争だからねぇ。逆によくわからないよ」と悲しそうな顔で笑った。
それ以上何も訊けなかった。
745名無し三等兵:2005/09/23(金) 23:14:49 ID:???
>>743
軍上層部には、もう8月10日くらいには降伏するのがある程度知れ渡っていたらしい。
746名無し三等兵:2005/09/24(土) 10:43:09 ID:???
>>735
肛門でタバコを吸うなんて!
747名無し三等兵:2005/09/24(土) 15:08:46 ID:???
うろ覚えの内容で質問をして申し訳ないのですが
当時おそらく大阪に住んでいて、徴兵された後に南京に行った部隊ってどこかわかりますか?
おそらくじいちゃんは陸軍だと思うのですが
じいちゃから聞いた戦争関係の話は海軍の話を一度聞いただけなので
もしかしたら海軍の可能性もあるかもしれません(聞いた話を喋ったのかもしれないですが)
終戦時は大陸にいて、帰ってくるのが遅かったらしいのでもしかしたらシベリアに行っていたかもしれませんが
親からじいちゃんがシベリアに行ってたとかも聞いたことがないので家族には話さなかったのかも・・・
どの位の時期に帰ってきたかの目安は、じいちゃんは徴兵前は特高で、戦後GHQから公職追放指令がでましたが
帰ってきた頃にはそういった処理が終わってた or GHQがいなかったらしく警察にうまく再就職したらしいので
早くても公職追放指令がでた1946年以後。またはGHQが撤退した1952年からシベリア帰国最終の1956年までだと思います
ちなみにたまたま南京大虐殺のニュースが流れた時に、そんなもんは無かったと怒ってました
長々と駄文を書いてしまい見苦しくなってると思いますが最後に聞いた海軍の話を
軍艦の砲座には人が何班かにわかれて配備されており
前の班がやられたら次の班、次の班と砲座につくらしいのですが
処理する暇も無いので前の班の人間がぐちゃぐちゃになってる中働かなければならなかったらしいです
聞いた当時の自分は小学3・4年くらいで、軍艦のプラモにはまってたからそんな話をしたのかもしれません
そのプラモも夏休みにやってた大和特攻みたいなドラマを見て泣いてから
プラモ作ったりして喜んでたりしたら何か失礼な気がしてやめました
748名無し三等兵:2005/09/24(土) 19:49:46 ID:GyspLx6h
>>747過去レスに方法が載っていますよ、よく読んで下さい
749名無し三等兵:2005/09/24(土) 20:11:37 ID:???
うちのじいさんはシベリア抑留くらってました。

食べるものがないので、凍った湖や川の氷を砕いて藻を食ってたとか。
小学生の自分に話すネタなので、面白おかしく話してくれてたけど
朝になるとちょくちょく仲間が凍死してたってとこは
寂しげに話してた気がする。

ちなみに自分はじいさまのお陰で、
小学生の時からロシア人の呼び方はロスケでした。
750名無し三等兵:2005/09/24(土) 22:23:26 ID:???
直接戦争の話じゃないが、二二六事件のときにうちの爺さん東京の洟垂れ小僧だった。

「朝起きたら大雪で、家を出たらうんと兵隊さんがいて、優しく家に帰るように言われた」そうな。その兵隊さん、恐らく反乱軍だったらしい。

「兵士たちはそれほど大したことをしてないような雰囲気だった。もしかしたら自分たちが何をしているのか下っ端は理解していなかったのかもしれない」とのこと。
751名無し三等兵:2005/09/24(土) 23:53:40 ID:9cXoeOTn
うちのばあさんも226事件を見に行ってるよ。
遠めに見て満足したそうな。。
平和だったんだな。。
752名無し三等兵:2005/09/25(日) 00:21:53 ID:???
火事のやじうまと同じだな
753名無し三等兵:2005/09/25(日) 00:46:58 ID:???
>>747
大阪で編制された内、大陸で終戦を迎えた陸軍の師団というと…
第34師団、第68師団、第104師団、第132師団ですね。
独立部隊だった可能性もありますが、一応分かる範囲でお答えしました。
754名無し三等兵:2005/09/25(日) 10:09:22 ID:???
>>743
ウチのバー様なんて「耐え難きを耐え…」あたりしか分からなくて、
「もうちょっと耐えて、戦争継続頑張れ!」みたいな意味だと思ってたらしいw
755名無し三等兵:2005/09/25(日) 11:31:01 ID:???
南方へ行ってたじいちゃん。
戦争の体験談なぞほっとんど話さなかったが、一つだけ、
ジャングルの中ですごい綺麗な歌声が聞こえてきて、
どんな美人がいるんだと思って辿って行ったら、真っ黒くて太った女の人が
歌ってて、「…え」とか仲間とビックリしたんだと。
正直、笑っちゃったよ。
756名無し三等兵:2005/09/25(日) 11:52:05 ID:???
戦争の話ではないけど、
俺の祖父さんは当時酒屋をやってた。ある日憲兵が尋ねてきて、
祖父さん(当時30代?)を連れて行ってしまい、家中がパニックに。
ところが、暫くしたら祖父さんはケロッとして帰ってきた。
なんでも、その憲兵は祖父さんの噂を聞き、どんな人物かあってみたくて
やってきたのだそうな…。
…当時の祖父さん、気性が激しく上官だろうが誰だろうが気に食わない
事をする奴には容赦なく喧嘩吹っかけておお暴れしてたらしい。
…もしか、この憲兵と殴り合って友情!とかだったのでは?と考えると、
祖父さん…。
757名無し三等兵:2005/09/25(日) 12:51:06 ID:???
酒屋を営んでいて「上官」とはこれいかに?
758名無し三等兵:2005/09/25(日) 13:02:14 ID:???
>>757
ありゃ、何か変ですか?
759名無し三等兵:2005/09/25(日) 14:14:05 ID:???
>>753
どうもありがとうございます
その後ネットで調べましたがやはり手がかりが不足してるのが・・・
後はどうにかして兵籍簿を調べるくらいでしょうか
特高についても詳しく聞いときゃよかったと思います
親から聞いた話だと、政治・思想犯は取り締まらなかったそうで
経済とか企業系を担当していたそうです(そんな部署あったのかな?)
760名無し三等兵:2005/09/25(日) 15:38:01 ID:???
>>758
現役時代に連隊で大暴れした記録とかがあり、
それを読んだか聞いたかした憲兵がどんな奴か見に来たんでしょ?
べつに変じゃないよ。
761名無し三等兵:2005/09/26(月) 05:10:27 ID:GssWkkCI
子供の頃、我が家のアルバムに祖父と黒服の外人さんが仲良く宴会をしている写真が
あったので聞いてみたら、外人さんはヒトラー・ユーゲントだと教えてくれた。
写真は昭和12年にヒトラー・ユーゲントが親善訪問で来日した時のもので、
祖父は接待の関係者だた。それから戦後の話だが私が良く遊びに行った友達の隣の家の方は
連合艦隊司令長官の小沢冶三郎中将だった。当時は知る由も無いのでごく普通に話していた
様に思う。後年知って驚いた。
762名無し三等兵:2005/09/26(月) 09:20:26 ID:???
祖父さんは青森五連隊から教導団に入ってそこで砲兵将校になったんだけど
元の第八師団じゃなくて姫路の第10師団に配属された。
普通の歩兵将校なら原隊に戻ってくるのかな?
で姫路からまた別のところに配属になって中支で終戦まで戦ったそうな。
第八師団か第10師団じゃ生きて帰れなかったかも。
763名無し三等兵:2005/09/26(月) 11:44:17 ID:SYhfOGis
「じいさまの軍歴が知りたい」っていう書き込みが
いくつかあったみたいなんで、知っているところだけ・・

軍歴
 終戦当時の本籍地の都道府県健康福祉部等に照会する。
 また、昭和21年1月現在で軍に在籍した軍人軍属の
 所属部隊名簿(部隊留守名簿)で調査可能。
 厚生労働省社会・援護局援護課資料室
 03-3503-1711
終戦時の内外地部隊の状況
 防衛庁防衛研究所戦史部
 03-5721-7005
※但し、終戦間際の招集だった場合には軍歴が
 ない場合あり。

引揚者給付金及び遺族弔慰金をもらっている
東京都の場合
 東京都庁生活福祉部援護福祉課援護係
 03-5321-1111
引揚者給付金受給者だけなら
 厚生労働省社会・援護局援護課給付係
 03-3503-1711

あと、徴兵通知からも分かるようですが、こちら
は徴兵されたときの本籍地の市町村役場となります。

764名無し三等兵:2005/09/26(月) 12:41:55 ID:???
うちの爺さんは満州事変以降に満州に行ったそうな。徴兵で。
出身は兵庫の加古川。
聞いた話では馬で万里の長城を走ったとか自慢していた。
あと、訓練中?行進していた時に隣の人が敵に撃たれて戦闘になったとか。
盧溝橋事件とは違うと思うが詳細は不明。(爺さんは15年ほど前に他界)
家には賞状?みたいなものを額縁に飾っていた。
最終階級は上等兵だった気がします。
あと、兵役終了の時、交代の部隊か人員が来なくて、1年長く兵役に就いていたらしいです。
どこの部隊かわかる方いますか?
765名無し三等兵:2005/09/26(月) 13:31:06 ID:???
>>763
間違いがいくつかある。

(軍歴)
・陸軍→本籍地都道府県の「援護主管課」
(と書かないと一般例として通用しない)
・海軍→厚生労働省社会・援護局業務課調査資料室

※厚生労働省の電話番号が違う(03-5253-1111)。
 書かれているのは旧厚生省の代表番号
 (今は当然使われていない)

(引揚者給付金)
・本籍地都道府県知事(樺太・千島本籍者は北海道知事)の裁定なので
照会先は引揚者給付金の場合も都道府県。厚生労働省に聞かれてもわからない。
766名無し三等兵:2005/09/26(月) 14:24:35 ID:6aJ0z2Rr
 じーさんたちが、戦争の時の話になると急に口少なくなるのは、やはり思い出し
たくもないほど辛かったのだろうな。なんかもうその姿だけで、こっちも胸がつまるな。
767名無し三等兵:2005/09/26(月) 14:29:47 ID:???
>766
うちのじーさんも戦争の話は何処何処に行ってた、
ぐらいでその先は教えてくれんよ。
頑固で怒りっぽいじーさんがその時ばかりは
悲しそうな顔するんでとても聞けない・・。
768名無し三等兵:2005/09/26(月) 14:48:38 ID:???
うちの爺さんは戦前、
南米に渡ってたんだが開戦とともに敵国人になってしまい
現地で捕えられてアメリカの収容所に送られたらしい。
まあ、おかげで戦後無事に帰ってきたわけだが。

民間人だったので捕虜よりは待遇が良かったと言っていた。
769763:2005/09/26(月) 14:59:04 ID:???
>>765
訂正ありがとうございます。
 ちょっと古い資料だったので。という訳で訂正版。
 なお、引揚者給付金は認可者は法律上は厚生労働大臣で
 都道府県が事務を行うという形のようですね。
 (引揚者給付金等支給法第3条、同23条)

軍歴
 昭和21年1月現在で軍に在籍した軍人軍属の
 所属部隊名簿(部隊留守名簿)で調査可能。
 陸軍→本籍地都道府県「援護主管課」
 海軍→厚生労働省社会・援護局業務課調査資料室
  〒100-8916 東京都千代田区霞が関1-2-2 電話:03-5253-1111(代表)
(終戦時の内外地部隊の状況)
 防衛庁防衛研究所戦史部
 03-5721-7005
※但し、終戦間際の招集だった場合には軍歴が
 ない場合あり。

(引揚者給付金及び遺族弔慰金をもらっている場合)
 (例として東京都の場合)
 東京都庁福祉保健局生活福祉部計画課
 03-5320-4077
 
 あと、徴兵通知からも分かるようですが、こちら
 は徴兵されたときの本籍地の市町村役場となります。
770名無し三等兵:2005/09/26(月) 15:06:14 ID:hz2ayY4k
知人の祖父さんは、シカゴ勤務の商社マンで綿花の買いつけとかしていた。
現地で初めてバスに乗った時には、白人がみんな降りてしまって驚いたと。
人種差別が残っており、日本人は黒人用バスに乗らねばならなかったそうだ。

戦争が始まって間もなく、交換船で日本へ帰ったが、すぐに中国へ転勤。
その後は音沙汰なくなったらしい。
771名無し三等兵:2005/09/26(月) 15:22:20 ID:???
俺の祖父は徴兵されて中国へ行ったそうなのだが
死ぬのが怖くて毎夜眠れず、潰れるほど酒(中国のものらしい)を飲んでいたそうだ

結局危険な戦場に出ることはなく戦争は終わり、
日本へ帰ってきたはいいものの、酒を飲まないと生きていけなくなったらしい
その後はそれが原因で病院に通院しており、50代で死んでしまった

この話は母から聞いたのだが、祖父は遺影でしか見たことがないので半信半疑
しかし酒飲みでビビリなところは俺と同じなので何とも言えない…
772名無し三等兵:2005/09/26(月) 17:01:21 ID:05XMHCPF
おれの爺ちゃんはそのころまだガキで岡山の水島で飛行機つくってたそうな
で、ある日海軍?のテストパイロットに「おい、坊主乗るか?」と言われてのったら
めちゃくちゃ揺れてそれ以来飛行機恐怖症
たしか作った飛行機は海面すれすれにとんでレーダーかわしながら台湾に持っていったらしい
773名無し三等兵:2005/09/26(月) 17:34:36 ID:???
このスレ読み返すと無性に泣けてくる。。。

すべての旧軍関係者乙(ρ_;)ゞ
774名無し三等兵:2005/09/26(月) 19:27:33 ID:05XMHCPF
>>772補足
で、しばらくあとに工場が空襲受けて工場はぺしゃんこ
爺さんは岩場にはしってにげたそうな
775名無し三等兵:2005/09/26(月) 20:18:39 ID:W6nvSrro
じいちゃんもそれを聞いた俺も記憶が曖昧なんで違ってたらすまん。
17年に予備役から召集されたじいちゃん。
インドネシアの島(マレー半島とマラッカ海峡を挟んだ島)に整備兵として配属された。
島ではバナナ食べ放題で食に困ったことはなかったと嬉々としゃべってくれた。
場所柄、戦闘も空襲もなく、終戦間際に本土に帰ってきた。
巡洋艦の青葉?に護衛されて無事帰れたが、後日、一緒に出航した他の輸送船は潜水艦にやられたと聞いて運がよかったんだと涙したそうな。
青葉に守られて帰ったのが唯一海軍らしい経験だったと苦笑してた。

その点ばあちゃんの方が戦争らしい体験してる。
大阪大空襲で、駅前にゴロゴロ転がってる焼死体をまたいで避難先から家に帰ったんだって。
ばぁちゃんの方が強いわけだ。

終戦で、ばぁちゃんも「やっとゆっくり眠れる」と表情には出さなかったけど、内心すごく嬉しかったとさ。
776名無し三等兵:2005/09/26(月) 20:26:28 ID:???
>708
親父殿がイラクでなんのタメに苦労されておると
思っておるのだ。
成績がすれすれもどきの場合、苦労した香具師の子であると・・・
竹馬に乗れることは・・・・・・・・・・・・・・・・・。






今はどうか知らんがな、陸軍士官学校にしろ海軍兵学校にしろ、そういう場合は・・・。
777名無し三等兵:2005/09/26(月) 21:19:29 ID:???
私の祖父は生きていた時には戦時中のことは何も話さなかった。
満州にいた、という事を他の誰か(祖母だったか?)から
聞いていてくらいだった。
その祖父の葬式のとき、喪主の父が
「尻に弾の跡がのこっていて・・・」
というようなことを言っていたのをきいて驚いた記憶がある。

戦争が終わったあとは農林水産省だかどこだかで
小役人をやってたらしい。
うろ覚えの記憶だけど。
778名無し三等兵:2005/09/26(月) 22:59:04 ID:???
私の父方の祖父は、第二次世界大戦で大陸方面に行っていたと聞きました。(中国だか満州)
しかし復員してからはほとんど戦争の事は語らずに、他界してしまいました。

陸軍上等兵で騎兵だったそうです。第二次大戦では騎兵師団といえど殆どは機械化されていたと
聞きますが、終戦まで「純粋な騎兵」だった師団はどこなのでしょうか。

戦争の事は語らずに他界しましたが、遺品整理をしていたら両手を合わせて拝む捕虜?らしい人を
処刑するような写真(防寒服の日本兵が銃で照準をつけている)とかがいくつか出てきたとかで、
一体どこの部隊だったのかがとても気になります。 祖父は茨城の人です。
779名無し三等兵:2005/09/26(月) 23:01:25 ID:???
親戚(爺さんの戦友)にじーさんの戦争体験聞いてみた。
中国あたりの戦線で戦ってたそうな。
親戚と同じ部隊、別の部隊だけど近いところに
従兄弟と兄がいる部隊がいて、皆飢えに苦しんだらしいです。
鼠やら自分の排泄物やら、とにかく何でも食べてた。
「皆で生きて帰ろう、と誓いあったよ」と言ってた。
でも兄は戦死、従兄弟は栄養失調で死亡。
隊長さんは砲弾喰らって爺さん達の目の前で吹っ飛んで
しまったと・・・そんな爺さんを
「それぐらいで士気を失うな、立派に死ね」
と将官が叱責。
親戚は「あいつ(将官)は死んでも許せないな」と・・・
兄や隊長さんは皆いい人だったらしく、爺さんには
かなりショックだったそうな。そんな時に「死ね」かよ・・・
爺さんは半分正気を失いながら、2人とも終戦まで
生き残れたが、爺さんはその後しばらく無気力状態で
一日兄達の遺影の前に座っていたりしたそうな。
780778:2005/09/26(月) 23:02:29 ID:???
戦闘帽に鉄兜、戦闘服に騎兵銃を背負って、乗馬ブーツを履き、馬に乗っている写真を見た
事があり、「終戦まで馬に乗っていた。」と聞きました。なんか時代遅れの感があります。

どなたか騎兵師団に詳しい方はいらっしゃらないでしょうか。
781名無し三等兵:2005/09/27(火) 00:10:49 ID:???
>>780
騎兵第四旅団とか。
昭和二十年三月二十七日に騎兵突撃で飛行場占領とかしてます。
782名無し三等兵:2005/09/27(火) 00:24:03 ID:???
>>778
 まず、旧日本軍に騎兵師団はありません。

 騎兵は主に乗馬中隊として編制され、これを集めた騎兵連隊、騎兵旅団がありました。
 しかし、昭和12年から徐々に自動車化された捜索連隊に変わり、乗馬中隊は廃止されていきました。

 日中戦争では騎兵旅団を集めた騎兵集団が編制されますが、昭和17年に解隊されています。
 ほとんどは戦車師団の基幹部隊とされ、終戦まで乗馬騎兵として残ったのは騎兵第4旅団だけですね。
 可能性としては、騎兵第4旅団が一番高いのではないでしょうか。
783名無し三等兵:2005/09/27(火) 06:30:04 ID:7sLas/xQ
私の祖父は、ガタルカナル島から生きて帰ってきました。
死んだと思い、祖母と父が葬式を済ませた後のことです。
家の近くにもガ島から帰ってきた方がいます。
784名無し三等兵:2005/09/27(火) 10:24:28 ID:JjGWezjd
>783
詳しく!
785名無し三等兵:2005/09/27(火) 10:47:43 ID:I/1WaiMz
祖父は既に他界しているので、聞くことはできないが、
ジャングルの中を逃げ回っていて、蛇やカエルも食った
と言っていました。
786名無し三等兵:2005/09/27(火) 11:09:25 ID:???
祖父@は一式陸攻に乗っていたらしい。
操縦士でないことはたしかだ。恐らく銃座担当だ。詳しい話は聞いてない。
祖父Aはインドシナに行っていたらしい。
後方支援部隊にいた。軍馬の獣医として行ったと聞いた。
もちろん、玉音放送なんか聞けなかったので、終戦後もしばらく戦闘を続け、
その後イギリス軍将校(白旗を掲げて登場した)に終戦を告げられたそうだ。
ホワイトハウスに爆弾落としてやる!!とよく言っていた。

祖父Aはすでに他界。
787華宴 ◆OoUwvoTDZw :2005/09/27(火) 12:13:23 ID:Zl/F8JUB
昔、満州にいた事だけは知ってる。そして何もかも失って帰ってきた。
788名無し三等兵:2005/09/27(火) 12:31:02 ID:???
命を失わずに戻ってこれたじゃないか
789名無し三等兵:2005/09/27(火) 14:45:30 ID:+o63rE/d
曾祖父の弟の話。10Dの法務中尉で出征するも、結核で内地へ。終戦の年、甥が逓信学校を受験。が、通知がこない。田舎で調べる伝手も無し。そこで部下に「俺の甥が合格したか調べろ」と命令。部下の人は基地の無線まで使って甥の合格を調べたそうだ。
790名無し三等兵:2005/09/27(火) 17:36:40 ID:pLhqUVGR
大金持ちだったので、師団参謀に賄賂を使って、少し耳が悪いことを利用して
わざと広島の通信連隊に召集されて、身体検査で即日帰郷になったそうだ。
791778:2005/09/27(火) 18:38:32 ID:???
>>781 >>782 レスありがとうございます。戦闘部隊だったのですね。
何も語らずにこの世を去ったというのは、それほど心に傷を負っていたのかもしれません。
792名無し三等兵:2005/09/27(火) 19:38:17 ID:???
>>779
その将官はあえて厳しく激励してくれたのかも。
793名無し三等兵:2005/09/27(火) 19:50:50 ID:???
戦艦大和の設計図作りに携わっていたとかなんとか…
794名無し三等兵:2005/09/27(火) 20:29:23 ID:???0
>>793
青焼き屋さんですか?w
795名無し三等兵:2005/09/27(火) 20:41:37 ID:CdqB8/pN0
書き込んでみます  
うちの母方の親は満州に行っていたと言っていました
銃の腕を見込まれ、終戦前は戦車部隊の隊長車両の銃座をしていたと言ってました。
沖縄に行く前日に刺繍をしていて指を刺してしまい隊長に
「その指では銃を撃てない。置いていく」と言われ泣く泣く内地に残りました。
もちろん部隊は壊滅。
オレを含め親も兄弟もこの怪我のおかげで今ここに存在できています
命って不思議ですよね。
奇跡信じてもいいですか?

父方の親は岩国航空部隊の整備兵をしてて飛行機の操縦もできたとか、
796名無し三等兵:2005/09/27(火) 20:45:13 ID:???0
>>783
おじいさんは辻ーんらについて会ったことや何か一言ありましたか?
797名無し三等兵:2005/09/27(火) 21:59:46 ID:1lWouOpR0
スレ違いだけど、今、なんでも鑑定団で珍品として、長門の軍艦旗が出ていたYO.
持ち主はアメリカ人で1000万円の値段がついた。

俺がお金持ちなら、アメ公から買い取って、日本の博物館に寄付したいとマジで思った。
あーゆーお宝は日本人が持っているべきだよ。

誰か1000万円くれないか?
798名無し三等兵:2005/09/27(火) 22:09:21 ID:???0
うちの爺さんは晩年ボケててよくコタツで衛生兵呼んでたよ。
俺は当時まだ幼稚園児だから「エーセーヘー」ってのがなんだかは知らなんだけど。
話に聞くと歩兵でビルマの方にいて、デング熱だかなんだかで長いこと野戦病院に入ってたらしいけど
それ以上の詳しい話は知らないや。
このスレ見てる中で、宇都宮の連隊に所属してた金子軍曹をご存知の方いらっしゃいませんか?
いるわけねえかw
でも詳しく知ってる人がいたら、当時の話聞いてみたいなあ。
799名無し三等兵:2005/09/27(火) 23:06:16 ID:F/alJ5Vq
大和ミュージアムに祖父を連れて行き、その夜ホテルのレストランでの話・・・。
祖父は海軍で終戦までの2、3年海南島にいたんだが引き揚げる時に中国軍が
「女(祖父の話だと従軍看護婦)を100人置いていけ」
と言われたらしい。上官がかけあって何とか50人にしてもらったが
その人たちは自分の知る限り帰って来る事は無かったそうだ。
そんな事は今の若い人たちは知らない、と哀しそうに言っていた。
ネットで海南島の事を調べたら従軍慰安婦の裁判だとか紀州の炭鉱からの朝鮮人強制連行やら
過激な団体が多いみたいだが、自国民である日本人女性もそういう目に逢っていたという事を
知ってるのだろうかと思うと反吐が出るね。他所の国の支援ばっかりして可笑しいよ。
800名無し三等兵:2005/09/28(水) 03:25:00 ID:???
>>798
専務長にきいてみれば?
宇都宮市たぶんの人で
実家だか親戚が寺だと
話していたのでたぐれるかも。
801名無し三等兵:2005/09/28(水) 04:14:38 ID:RIchTh96
聞いた話真偽はわからないが
いきなり行き先も告げずにじいさんが
軍の関係者につれていかれたそうな(口外するなとのこと、機密扱い?)
ボイラーだったかの設計をしろとのことで設計したそうな
そのでかさが半端じゃなかったといっていた
後で聞いた話では戦艦大和のボイラーだったらしい・・・
802名無し三等兵:2005/09/28(水) 08:43:17 ID:iMO7YcZq
>800
宇都宮(高崎?)編成の連隊ってどこだっけ?
803名無し三等兵:2005/09/28(水) 12:16:59 ID:???
>>801
 うちの母方のお祖父さんは呉で海軍の工員をしてました。
 だけど大和にはノータッチ。でも、あんだけでかいから隠しても目立つ目立つ。
 関わってる人達も機密で口を割らないけど、噂はやっぱり仲間内で漏れてくる。
「ありゃ何を造っとるんかのぉ?」
「大きな声じゃ言えんがの、どえれー大きい戦艦らしいで」
 ある日そんな話をしてたら、憲兵が来て怒られたらしい。それが唯一の接点。

>>801
 宇都宮は第59連隊、高崎は第15連隊が有名で、どちらも第14師団所属です。
 ただ、日中戦争から師団が増設されていって、第66連隊とか第214連隊とかできてきます。
 宇都宮ってだけの手がかりだと難しいかもしれないですね。
804名無し三等兵:2005/09/28(水) 22:41:29 ID:WqbMVf6v
>>801
インパールに行った連隊では?
805804:2005/09/28(水) 23:02:30 ID:WqbMVf6v
失礼しました、>>804>>803です。

>>798
http://www.payap.net/DaiTouA/inpar-33D214i.html
にインパール作戦に参加したときの、214連隊の中隊長まで出ています。
これのどこかに所属されていたのではないでしょうか?
しかし、一番下の生還者数を見ると結構すごいですね。
806名無し三等兵:2005/09/28(水) 23:06:05 ID:???
166 名前:公共放送名無しさん[] 投稿日:2005/09/28(水) 21:52:33 ID:t9xQtaqo
>>113
大和の船首に付いていた菊の御門を わざわざ探し出して
ガソリンかけて火をつけた映像とか出さないの?


これって本当?本当なら映像をわざわざ残してるってこと?
807803:2005/09/28(水) 23:36:50 ID:IvDAwCHS
>>804
 家に帰って、もう少し詳しく調べました。
 ビルマだから、やっぱり第214連隊ですね(もし高崎だったら第215連隊)。

 他は、第59連隊はパラオ、第66連隊はニューギニア、第127連隊は満州
 第171連隊は本土防衛、第239連隊は河北→ニューギニア…と該当無し。
808名無し三等兵:2005/09/29(木) 02:08:16 ID:???
たくさん話があるので色々と極東板の方でも書いていたんだが、
こっちでもちょっと書き込んでみる。

俺の爺ちゃんは朝鮮半島の大邸の生まれで、入営してからは大田の陸軍第80連隊に勤務。
少尉まで昇進して、速射砲隊長まで勤めあげた。
実際の戦地は経験していないのだが、その爺さんが戦後に体験した話。

@たかり黒人米兵
戦後の朝鮮半島では日本軍の武装解除がすぐに行われず、
米軍によって民間人警護、不逞鮮人取り締まりなどに動員されていたらしい。
爺ちゃんはその日、自分の小隊を率いて図嚢、双眼鏡、拳銃、軍刀といういでたちでいたら、
馬鹿でかい黒人米兵が現れ、首に下げた双眼鏡を指差して「クレ」とジェスチャー交じりで言ってきたらしい。
爺ちゃん、当然断る。すると黒人は怒りだし、一向に引き下がろうとはしなかったそうで、
警護で忙しいのに相手してる暇はないと、仕方なく爺ちゃんは双眼鏡をくれてやったそうだ。
すると、調子に乗った黒人米兵は拳銃サックも指差して「クレ」と言ってきたそうだ。
将校は拳銃は自費で買えたそうで、爺ちゃんはアメリカ産のブローニング銃を使ってたらしい。
爺ちゃん曰く「南部は好かんかった」。それをクレと言ってきたのである。
さすがに爺ちゃんもこれだけはやれんと必死で追い払ったそうだ。

Aマッカーサー爆殺計画
戦後の朝鮮半島では「マッカーサーが汽車で視察にやってくる」という噂が流れたらしい。
一部の軍人が「砲で車両を爆破できんか」と本気で考えていたところに、俺の爺ちゃんが便乗w
速射砲隊長らしく「砲なら俺に任せろ」と、大田のとある山(名前忘れた)の中腹に陣地構築を決定。
歩兵砲を3門並べそこからちょうど見えやすくなっている線路の上を通ったとき、直接射撃、
という計画書(座標とかまで書いていたらしい)まで丹念に仕上げ、連隊長に提案しに行ったら
「う〜ん・・・、やめとけ」と却下されたそうだ。
これがもしうまくいってたら、俺の爺さんテロリストとして教科書に載ったかもw
809名無し三等兵:2005/09/29(木) 19:34:59 ID:???
>808
実現してればジーサンはトッ捕まって、銃殺は免れまい。するとチミも生まれてこなかった
わけで・・・・・連隊長に感謝だな。
810名無し三等兵:2005/09/30(金) 16:36:36 ID:???
うちの爺ちゃん50人程で中国逝って10人で帰国したそうな。生きてるが詳細不明
811名無し三等兵:2005/09/30(金) 17:45:30 ID:ou1MNqEZ
ひい爺ちゃんの話でいいか?

戦争中は海軍の少尉さん。
最初のほうは戦艦霧島に乗ってたそうだが、出撃時には搭乗していなかったらしい。
去年他界したため、詳細不明。
812名無し三等兵:2005/09/30(金) 17:59:31 ID:???
父方の祖父
満蒙開拓団で満州へ移住、終戦直前に丙種で徴兵。
三角山(?)の陣地構築中に自動車大隊へ応援に出される、
その直後三角山陣地がソ連軍の猛攻に遭い元の隊は全滅。
その後シベリアへ抑留され木の伐採作業に明け暮れたそうな。

母方の祖父
盧溝橋事件で中国軍と交戦、その後脚気を患い復員、
暫くして回復し、宗谷岬(?)で警備に就いてる最中に終戦。
最初に居た部隊は南方戦線へ転戦し、戦友が大勢亡くなったそうな。


両祖父とも偶然が重なり運良く生き残った、書いてて改めて感心。
813名無し三等兵:2005/09/30(金) 18:35:36 ID:???
父方のじいさんの話。

もともとは関西の人間で、戦時中に赤紙が来たのだけど、行くのがイヤで、
東北地方を逃げ回っていたらしい。
なんとか終戦まで逃げ延びて仙台に落ち着き、ばあさまと結婚。

というのが親戚の間に広まっているウワサなんだけど、 ホ ン ト か?
なにせ早死にしてしまっているので確かめようもなく、
ばあさまもこの件に関しては一切しゃべらないまま他界してしまった。

もし本当ならば、非国民でスマン。
814名無し三等兵:2005/09/30(金) 22:14:14 ID:???
ご自身の選択を全うされたのですからそれはそれで一つの人生・・・
戦後周りから白い目で見られることもあればサヨに持ち上げられたりすることもあったりで
いろいろとたいへんだったろうなあ・・・
815名無し三等兵:2005/10/01(土) 01:23:37 ID:???
戦地へ赴いたおじい様の記録がびっしりですね。
うちの祖父は内地にいたんで、そのような話はないです・・・
816808:2005/10/01(土) 02:23:40 ID:???
>>811
うちのひい爺さんも軍艦乗りでしたよ。
巡洋戦艦「生駒」の主計をやってました。
周遊で世界中の海に行ったそうです。
ひいばあちゃんと写った写真があるんだが、白の軍装に軍刀提げて…。テラカッコヨス。
817名無し三等兵:2005/10/01(土) 13:49:58 ID:???
私のじい様は一方はアメリカ人で硫黄島で上陸するときに
ロケット砲?(そんなのあるのかな?)を食らって死んだらしい
もう一人は日本人でおなじく硫黄島で戦っていて負傷して動けなくなって
捕虜になって助かったらしい(すでに死んでいるのでばあ様から聞いた)
818名無し三等兵:2005/10/01(土) 14:51:13 ID:4EUa6qQd
うちのじいちゃんは朝鮮で衛生兵をしていたと言っていた。
そこで慰安婦の女の子の性病検査もしていたとのこと。
女の子に「こんなことは早くやめて故郷に帰ったら」とか説教しても
「今が楽しいからこのままがいい」とか笑顔で返されたらしい。
ちまたで言われるような慰安婦の深刻な葛藤は、じいちゃんの話からは感じられなかった。
今の女子高生の援交と大差ない軽いふんい気に感じられた。まあ千差万別なのだろうが。
その後は他の戦地に行ったらしい。死ぬまで詳しい話はしなかった。
819名無し三等兵:2005/10/01(土) 15:07:52 ID:???
>>817
下記をご覧下さい。特にその硫黄島決戦で有名な兵器のようです。
ttp://www.iwo-jima.org/ihin/sensekishuushuuhin.html
820名無し三等兵:2005/10/01(土) 22:21:50 ID:???
噴進砲か?
821名無し三等兵:2005/10/01(土) 22:45:23 ID:KI489alH
私の祖父は沖縄で記者をしていました。ちなみに祖母は風船爆弾を作ったそうでそのうちの1個がアメリカ本土まで飛んでいったそうな。
822名無し三等兵:2005/10/01(土) 22:58:28 ID:hDEcHS4h
その爆弾は原子爆弾製造施設の送電線を吹っ飛ばして
もう少しで大惨事になりそうだったらしい
823名無し三等兵:2005/10/01(土) 23:25:16 ID:59mEei82
>>822
マジで!?
824817:2005/10/01(土) 23:28:20 ID:???
>>819
ありがとうございます

祖父同士が同じ戦場で交戦していたのは不思議な感じですね
825名無し三等兵:2005/10/02(日) 02:13:04 ID:???
>>823
大惨事かどうかは知らないが、原爆の施設を丸一日停電にして開発を遅らせたことは事実w

風船爆弾は他にも木に引っ掛かったのを触った子供だか女性だかが死んでいる。
これは第二次大戦中アメリカ本土で唯一の戦争による死者だったとかw

何気に風船爆弾は凄い。
826名無し三等兵:2005/10/02(日) 02:13:23 ID:74HVF1o3
>>813
それはそれで大した戦中体験だと思うよ。
軍オタとしても、招集されて戦死した人達を「お国のため」だけで祭り上げたくないもん。
ただ、サヨのようにこき下ろしたくもないけどね・・・。
このスレのしんみりした雰囲気、俺は好きだ。
827名無し三等兵:2005/10/02(日) 03:47:46 ID:???
風船爆弾に細菌でもつめてばらまかれるんじゃないかと
アメリカは警戒していた。
仮に細菌使ったらアメに100倍以上にしてやり返されるから
やらなかったらしいが。
828名無し三等兵:2005/10/02(日) 06:44:29 ID:IAjtfMwv
召集されて「いよいよ故郷ともお別れだなあ・・・。」ってんで
親戚集まって送別会。酔っ払って湯たんぽ直に抱いて寝てしまい
骨まで達する低温火傷。
もちろん、戦地には行けなくなったけど、一族の恥だってんで
山奥の湯治場に終戦まで押し込められてたそうな。
十人兄弟の真ん中でそれより上の男は軒並み戦死してるから
なんともね・・・。
これがなければ、こうやって2chやってる俺も居なかっただろうし
複雑な気持ちだ。
829名無し三等兵:2005/10/02(日) 07:07:42 ID:fz5MWbrl
おばあちゃんからB−29の話やら、P−51から逃げ回った話は聞いたな
830名無し三等兵:2005/10/02(日) 11:14:46 ID:???
>>827
大戦末期のドイツの毒ガスと同じよな事情ですね。
831名無し三等兵:2005/10/02(日) 12:21:12 ID:???
>>827
北鮮がやる気かと米国は今でも警戒しているよ。

日米でO157細菌汚染騒ぎがあった頃に
カラのプラ容器がぶら下がった大型風船が日本の
各地で発見されたな。奇知外金に歯物かな
832名無し三等兵:2005/10/02(日) 15:01:52 ID:???
>>631を書いた者だが…爺さんの話では無くて悪いんだが、母方の祖母の兄の話。
祖母の兄さんは飛行機が大好きな人だったそうだ。
横浜だか横須賀だか辺りに住んでたらしいが、戦争末期で空襲があった時には
「ちょっと屋根の上って飛行機見てくる」
と言って、避難もせずに屋根に上って戻ってこない事がしょっちゅうだったらしい。
小さかった祖母も家族も、こりゃ機銃掃射でやられたかと冷や冷やさせられたそうだ。
そんな兄さんも徴兵されたのか志願したのか、出陣する事になった。
飛行機好きが高じたか偶然か、海軍特攻隊に配属され出撃した。
乗った機体は九四式水上偵察機。
沖縄のザンギ岬(?)沖でマリソンという米駆逐艦を撃沈したそうだ。
今ではおばあちゃんは、横浜の自宅へ行くと軍オタの俺とある程度明るく昔の戦争の話をしてくれる。
だけど、お兄さん大好きっ子だったそうだから、当時は悲しかっただろうなぁ…

ちなみに、前にここと同じようなスレでこの話を書いたら、
特攻で撃沈された米駆逐艦マリソンについて纏められた英語のサイトを教えてもらった事がある。
残念ながらurlを忘失してしまって今では見つけようがないのだが…そこには
「まず2機(数機?)の零戦が襲ってきて被害を受け、その後、3機の旧式の水上機が突入してきた」
みたいに書いてあった。兄さんの乗った水偵は3機の中のどれかだと思う。
戦後におばあちゃんが米軍から貰った資料には
「3機の水上機の1機は突入。1機は撃墜され、もう1機は被弾して着水したものの、再び飛び上がって突入した」
と書いてあった。
飛行機が大好きだったお兄さんが、敵艦に突入できた2機のどちらかだった事を祈ってる。
修学旅行で広島に行った時、江田島の教育参考館を見学したんだが、名前がしっかり刻んであった。
感嘆のあまり部隊名を見忘れてしまったので、いつかもう一度行きたいな、と思ってる。
833832:2005/10/02(日) 15:08:45 ID:???
蛇足だが、祖母の祖父(多分)は、戦艦山城に乗っていたらしい。レイテ湾まで…
海軍が多い家系なんだろうか。遠い親戚には海自の偉い人も居るそうだ。

それと、戦没駆逐艦マリソンについて纏められた英語のサイト、
心当たりのある人が居たら教えてくれると嬉しい。
ググっても出てこない…というか何でググればいいのやら…
834名無し三等兵:2005/10/02(日) 15:24:35 ID:???
俺の祖父の弟も山城に乗っていたそうだ
835名無し三等兵:2005/10/02(日) 22:10:28 ID:???
まず、>>833さのおばあさんのお兄さんに合掌。

で、>>833さん、その状況に合致するのは、
 フレッチャー級(FLETCHER Class)・『モリソン』(MORRISON)
 ttp://www.navsource.org/archives/05/560.htm
だと思います。
『DD-560』で検索すると沢山Hitするので見てみてください。

ちなみに、当の『モリソン』の元乗員の人のHP↓
ttp://community-3.webtv.net/won/USSMORRISONDD560/
・・・159名の乗員が艦と運命を共にしたそうです...再度合掌。
836名無し三等兵:2005/10/02(日) 22:23:02 ID:???
>>835
おお、ありがとう!!感謝するよ。
読み方、モリソンだったのか。
資料にはローマ字でMARISONとだけあったからな…もう忘れないぞ。
そしてモリソンの158名にも合掌…
837808:2005/10/02(日) 22:36:29 ID:???
>>808は親父方の爺ちゃんの話だったので、母方の爺ちゃんの話を…

明治25年生まれで、23歳のときに歩兵として日独戦争に出兵。
何かの作戦に参加したらしく、勲八等をもらっている(これは我が家の家宝)。

除隊後の大正6年、9人兄弟の長男だった爺ちゃんは
妹弟達の食費を稼ぐため単身満州に渡り、昭和製鋼所という所に就職。
満鉄相手の請負師になり莫大な金を稼ぎ、昭和19年に帰国したらしい。

満州で買ってきたとみられる掛け軸やら、懐中時計やら、
株券(約60枚。当時の金で10万円くらい)やらがいっぱいある。
この爺ちゃんは昭和38年になくなったので、
戦争体験に関しても詳しい話ぜんぜんわからないんですが、
株券に関しては、「終戦前に換金しとくべきじゃった」と後悔してたそうな。
838名無し三等兵:2005/10/03(月) 01:09:19 ID:5b4/Bm9F
>>837
日独戦争なんてないよ
日露でしょ?
839名無し三等兵:2005/10/03(月) 01:11:23 ID:???
>>838
明治25年生まれ、大正6年除隊なら、第1次世界大戦のことだろ。
青島上陸作戦とか知らない?
840名無し三等兵:2005/10/03(月) 01:33:00 ID:???
学校の体育教員だったんだけど戦時中は
軍隊体操(?)の講師として体操を教えていたらしい
1ヶ月前に逝きました、南無・・・
841名無し三等兵:2005/10/03(月) 02:39:29 ID:???
じーちゃん日系で対ドイツ戦参加したらしい。俗に言う日系部隊だな。おととしあたりにフランスまで表彰されに行ったのを覚えている
842名無し三等兵:2005/10/03(月) 04:45:35 ID:???
もう10年も前の話
俺が新入社員の頃、得意先の中小企業の社長さんで
若い頃、中国戦線に従軍してた頃の話をよく聞かされた

曰く「要領が悪くてトロい奴はすぐ死んだ」
「ボケッとしてると駄目、そんな奴は敵からもいい的だが
味方の上官からもいい標的(イジメ)だ」
「今は平和、トロくて頭が悪い奴はあの時代だともっと悲惨」

他にも色々言われたと思うがざっと覚えてるのは
上記のような事かな
なんか実際の戦闘の話よりずっとリアルだったのが印象的だったんだと
思う
843名無し三等兵:2005/10/03(月) 10:58:46 ID:mISZMqKt
>>841 この部隊だったらすごいなMedal of Honor
累積死傷率320%最も勇敢で最も強い日系アメリカ人部隊
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ssbohe/one_goforbroke.htm
844名無し三等兵:2005/10/03(月) 11:20:02 ID:???
>843
 そのサイト、カナーリ間違っていると思う。
 むしろこっちのサイトの方が正確かつ有名よ。
 ttp://hawkeye.m78.com/442nd.htm

 涙無くして読めん・・・。
845名無し三等兵:2005/10/03(月) 12:22:16 ID:???
正直詳細知らないし、贔ばあちゃんの弟が橋本欣五郎
血筋的にも遠いんだがな('A`)
846名無し三等兵:2005/10/03(月) 18:14:57 ID:???
親父は4人兄弟の末っ子で、1945年に満州で生まれた。(姉、兄、兄、俺の親父)
戦争もなんとか終わって、日本に帰ることになった。

しかし、ばあちゃんは俺の親父を身ごもっていた。

日本に帰る船の最終便が来たけど、身ごもっているばあちゃんには体力的には無理だった。
じいちゃんは「子供はもう3人もいるから、その子供を堕胎する覚悟で船に乗ろう」って言ったんだってさ。
ばあちゃんは「そんなこと出来ないから、子供3人を連れて先に日本に行ってくれ」って言った。
船に乗っても、母体も中の子供も生きることの出来る確率なんて低いしな。
それに、みんな日本に帰ることに必死だから、ガキどころでなかったようだ。

んで、子供3人とじいちゃんが先に日本へ。

そのあと、無事に満州で親父を生んで、日本になんとか帰国出来たんだってさ。
確かに、親父はばーちゃんに対しては頭が上がらないって感じだったな。

つか、そのばーちゃんの選択(堕胎しない、なんとか帰国)が無かったら、
俺は生まれてなかったor中国残留孤児だったんだな・・・・って思ったよ。



全然じーちゃん戦争体験話じゃねーけど^^

847名無し三等兵:2005/10/03(月) 21:35:20 ID:???
いやいや、戦争の体験でしょう、それも。 戦場や軍隊だけが戦争ではないし。
848名無し三等兵:2005/10/04(火) 19:21:47 ID:???
従兄弟に満州からの引き上げ船の中で生まれ
伯父が船長から船名の一字をもらって名前を付けた奴がいる


849808:2005/10/04(火) 21:48:24 ID:???
>>846
俺の母方のばあちゃんも満州は鞍山にいましたが、終戦直後に俺の伯母を出産。
内地に引き上げる途中に旦那と別れ(我が子が飢えているというのにそっけない態度をとったらしい)、
3人いた子供のうち伯母を除いた2人が栄養失調で死亡。一人はその場で火葬して
お骨を持って帰ったそうなんだけど、もう一人は体力的に無理で
奉天のチュウレイトウ(漢字不明)という公園に埋葬してきたらしい。
そして、米兵に持ち物かっぱらわれたりしながらも、なんとか命からがら伯母と二人で帰ってきたそう。

この引き上げの話は何回も聞いたが、本当に酷な話だった。
他にも、寝ている二人の我が子をおにぎり一つずつ枕元において置き去りにし、
自分だけ逃げてきた女性を引き上げ列車の中で見た(初老の男性に説教されていたらしい)話や、
残虐な国民軍(ばあちゃんは「中央軍」と言っていた)八路軍(同「パーロ」)やソ連軍(同「露助」)の話・・・

その後、ばあちゃんは昭和27年に>>837の爺ちゃんと結婚して俺の母ちゃんを産んだ。

同じく満州の関東軍で幹部候補生だった父方のばあちゃんの兄は
エリート街道を歩みながらも結核にかかって戦病死。伍長、25歳だった。

>>837の爺ちゃんには前妻との間に息子がいたんだが、
この人は昭和17年8月26日に南方戦線で戦死。陸軍伍長、28歳だった。
乗っていた兵員輸送船が撃沈されたらしい。
850808:2005/10/04(火) 21:55:18 ID:???
考えてみると、俺の一族には満州にかかわりがある人が多い。

母方/祖母:満州で大屋敷の女中
    祖父:満鉄専門請負師
父方/祖母:兄が関東軍
   /祖父:朝鮮半島の満鉄で働いていた

こんな感じだから俺、小学生くらいまでは
あの時代は大概の人が満州に行ったものだと思ってた。
851名無し三等兵:2005/10/05(水) 01:06:37 ID:???
このスレ
軍板で一番大切かもしれん。
戦争を一番リアルに伝えるという意味で。
852名無し三等兵:2005/10/05(水) 01:09:00 ID:???
本が出るかもしれんぞw
853名無し三等兵:2005/10/05(水) 07:42:22 ID:???
真面目な話、丸ごとスレまとめただけでも結構イイ読み物になると思う。
まとめるときに注を入れると良いと思う。 意見が分かれる場合は両論併記で。
地図と年表もいるかな。
854名無し三等兵:2005/10/05(水) 15:03:39 ID:???
今気付いたが俺>>836で合掌って一人足りねーじゃんw
すまんかった159人目(-人-)
855名無し三等兵:2005/10/05(水) 22:04:31 ID:???
皆さんの歳はいくつくらいなんでしょう・・・
親父は大正10年生まれだったのですが、戦時の事で、聞いた話といえば
”朝のラッパ吹き”くらい・・・
他にも多少聞いたと思いますが覚えてません・・・何してんだ俺orz
27歳になった今になって、色々と知りたいと思っても亡くなっているので時すでに遅し。
親父の過去について、たどる方法はないものか...( = =) トオイメ
856名無し三等兵:2005/10/05(水) 22:35:12 ID:???
857名無し三等兵:2005/10/05(水) 22:49:52 ID:???
故人の軍歴の調べ方については、次スレからテンプレに入れた方がいいかもね。
858名無し三等兵:2005/10/05(水) 23:50:30 ID:???
>>855
それはそうと随分と遅くの子供なんだね。
859808:2005/10/06(木) 00:37:10 ID:???
>>855
19歳です。
俺の場合、爺ちゃん二人とも鬼籍に入ってるので直接聞いた話はまったくありません。
仮に生きてたとするなら母方114歳、父方81歳。
母方、母ちゃんが生まれたときには62歳だった(ばあちゃんは36歳)。
まじ元気良すぎw
860名無し三等兵:2005/10/06(木) 07:17:14 ID:???
>>855
大正10年てうちの婆さんが生まれた年だ・・・って親父さんがんばったなあ。
妾の子とか言われなかった?
861名無し三等兵:2005/10/06(木) 21:16:20 ID:???
>>856
ありがとう、ちゃんと見なくて申し訳ありませんでした。
>>858,860
女、男2人、男3人、俺 ←親父の子供でそれぞれ腹違いで1番上は60歳くらいw
+俺のお袋の子供の娘2人、の9人兄弟ですからねぇ。
姉2人以外とは一緒に住んでなかったですし。
物心ついた頃から家庭環境も含め、家は他とは違うんだろなぁ、ぐらいにしか考えた事ないです。
>>859
男は生涯現役って事で☆-(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ(マテ

良い事、悪い事を含め、歴史を伝えていくのは大事ですね。長々と失礼しました。<(_ _)>
862名無し三等兵:2005/10/07(金) 19:37:21 ID:???
豪快な親父だなあw 兄弟9人て想像できん
863名無し三等兵:2005/10/07(金) 22:22:24 ID:???
>>862
タケカワユキヒデさんトコ11人ですが
864名無し三等兵:2005/10/08(土) 09:15:48 ID:???
>>863
そりゃ養子縁組だ罠
自分の子じゃない…
865名無し三等兵:2005/10/08(土) 10:01:10 ID:???
昔は10人子供作ると表彰されたんじゃなかったっけ?
866名無し三等兵:2005/10/08(土) 16:33:47 ID:???

親父の
爺さん(T12年生)の兄弟10名 男2女8 の長男が爺さん
婆さん(S04年生)の兄弟13名 男8女5 の末っ子が婆さん
親戚だらけで俺の親父大変

867808:2005/10/09(日) 00:27:09 ID:???
俺ばあちゃんが子供の頃、近所に11人姉妹がいたんだそうな。
親御さんは男の子が生まれないのでかなり苦心していたらしい。
そして、やっとこさ12人目で男の子が生まれ、近所上げて大喜びしたらしい。
大正時代の熊本は天草での話。
868名無し三等兵:2005/10/09(日) 05:52:25 ID:???
みんな若いなあ、私はS32だ。親爺がS2で予科練から海軍航空隊へ、
特攻隊で出撃待ちだつた。先輩や同輩が出撃していくのを沢山見たそうだ。
「帽子を振って行った、仲間の顔は忘れられん」と言っている。
父は海軍兵学校の入試を素行不良で落ち、予科練に行った。
「進学校だがやんちゃした。修身の成績は、いつも丙。うかる訳がない。」という。
869名無し三等兵:2005/10/09(日) 05:57:23 ID:???
戦前生まれは男兄弟が残ってる方が珍しいよな。まず子供時代に病気で死んで次に戦争で死んで・・・
初めっから長男以外はいらない子と思って育てなきゃ亡くしたときに辛いわ
870名無し三等兵:2005/10/09(日) 10:26:06 ID:???

ttp://sea-wolf.jp/~koushitu/up/source/0028.wmv
何回見ても感動するのは俺だけかな
871名無し三等兵:2005/10/09(日) 16:31:57 ID:???
フィリピンの商社勤めで
兵隊さんの道案内をしてたそうだ。
装備が重いので途中でへばる人もいてアメ玉渡して歩いてもらったとか。
872808:2005/10/09(日) 22:41:31 ID:???
>>870
通して観た後、神速で保存した。
873名無し三等兵:2005/10/10(月) 05:50:31 ID:???
うちの母方の爺さん
長男ではなく健康的にも問題は無かったのに、戦争に行かないで済んだ
従兄弟が東條内閣の閣僚だったからなのか?

真相を聞こうにも、爺さんも婆さんも鬼籍にはいったので解らぬまま。
874名無し三等兵:2005/10/10(月) 14:17:01 ID:???
ウチの爺ちゃんは技術仕官の中尉でゼロ戦の整備をやってたらしい。
ゼロ戦に「乗せてもらった」こともあるとか(座席の後ろにある無線機外すと
二人乗りできるそうだw)。ただ、田舎には一年に一度も帰らなかったし
爺ちゃん自身無口だったから、これは父から聞いた話。

結局ろくに話もしないまま、今年の終戦記念日に亡くなりました。
しかしあんなに注意深い性格だったのに、飲み屋の帰りにずっこけて
頭をぶつけるとは、人生わからんものだな。
875名無し三等兵:2005/10/12(水) 07:09:20 ID:???
876名無し三等兵:2005/10/12(水) 08:45:17 ID:???
>>870
これって何の映像?
最初は勇ましいけど
最後って特攻の人たち?

877名無し三等兵:2005/10/12(水) 16:53:06 ID:7dRryX7k
>>876
通常の機動部隊では?
特攻隊なら陸上基地から出撃しますし・・
878名無し三等兵:2005/10/12(水) 17:00:02 ID:???
★靖国参拝「違憲」確定へ 「強い警告」と上告せず

・小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法違反だとして、台湾先住民らが国などに
 損害賠償を求めた訴訟で、原告側は11日、賠償請求を退けたものの参拝を「違憲」
 とした9月30日の大阪高裁判決について上告しない方針を決めた。弁護団が
 明らかにした。

 訴訟に勝った国側は事実上、上告できず、小泉首相の靖国参拝を高裁段階で初めて
 違憲とした判決が確定する見通し。

 弁護団は「高裁レベルで明確に違憲とした判決は極めて重い。この判断が残ることで、
 小泉首相への強い警告となる」と、上告を見送った理由を説明している。
 小泉首相の参拝を違憲とする判決が確定するのは昨年4月の福岡地裁に続き2例目。
 一方、別の原告が提起した訴訟の大阪、東京、高松の各高裁は、憲法判断に踏み
 込まず原告の控訴を棄却する判決を言い渡した。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051011-00000230-kyodo-soci

小泉の暴走完全粉砕記念画期的勝訴!
879名無し三等兵:2005/10/12(水) 17:04:29 ID:???
参拝して何が悪い??
880名無し三等兵:2005/10/12(水) 18:24:57 ID:GA/MhU4O
>>878
あいにく原告の敗訴ですから。
881名無し三等兵:2005/10/12(水) 18:39:08 ID:???
この場合、訴訟そのものよりも違憲と判断したことの方が大きいわけで
882名無し三等兵:2005/10/12(水) 21:37:53 ID:BHWd+Sbg
漏れの爺さま、大正6年生まれ。以後爺さまの母ちゃんは毎年男の子を産み八人兄弟。全員出征(爺→ニューギニア 弟1→満州 弟2→ビルマ 弟3→神雷特攻隊 弟4→潜水艦 弟5→瑞鶴 弟6→302空整備 弟7→久留米戦車隊)全員生還。
883名無し三等兵:2005/10/12(水) 23:22:12 ID:6q9od1l5
全員生還だなんて強運過ぎる兄弟だね
884名無し三等兵:2005/10/12(水) 23:24:28 ID:???
俺の親類の爺さんは軍隊志願3日後に日本が降伏した。
885名無し三等兵:2005/10/13(木) 00:15:11 ID:BVFeqa44
家が大刀洗飛行場の近くだが Bー二十九の爆撃で夜が昼間の様だった と言ってた
886名無し三等兵:2005/10/13(木) 00:27:56 ID:cZitBCEI
漏れの死んだ親戚に大和に乗っていた人がいた(水上特攻のさい戦死・・・)
変わってばあちゃんは近くの飛行場がグラマンの攻撃して来たのを見たらしい
887名無し三等兵:2005/10/13(木) 00:29:46 ID:QNBNFC7T
終戦時、満州に居たらしいんだが、
ソ連に捕まってシベリアに抑留されてたらしい
888名無し三等兵:2005/10/13(木) 01:24:02 ID:XLh1kinY
俺のじいちゃんはオートレーサーで召集されてからも側車付の陸王運転してた。
最後は敵陣に特攻して蜂の巣にされたらしい。
889名無し三等兵:2005/10/13(木) 01:37:45 ID:???
うちのじいちゃんは中国大陸で隼に乗ってて
病気で内地帰還した後は屠龍で本土防空戦をやってた
B-29一機撃墜不確実らしい

でももう他界してどこの部隊にいたとかがわからない
調べてみたいんだけど厚生労働省の社会援護局は戦没者限定ぽいし
どこで聞けばいいかよくわからん
890名無し三等兵:2005/10/13(木) 02:41:06 ID:???
>>888
それ「鉄の竜騎兵」だろ。松本零士の!
891名無し三等兵:2005/10/13(木) 07:26:57 ID:???
>>889
>厚生労働省の社会援護局は戦没者限定
・・・屠龍は陸軍だから、各都道府県の援護課に聞かないと....
>>769
892名無し三等兵:2005/10/14(金) 00:15:47 ID:???
>>891
サンクス
祖父は北海道出身なので、さっそく軍歴照会票を道庁のホムペからダウソした

今、軍歴を照会する理由を考えてるところ
893名無し三等兵:2005/10/14(金) 00:24:47 ID:???
>>892
あと、『世界の傑作機』や『モデルアート別冊』とかの屠龍の本なら、
屠龍で編成された戦隊名や、戦隊の戦歴・戦隊のエースの名前なども載ってるかもしれない。
894名無し三等兵:2005/10/14(金) 00:36:28 ID:???
便乗質問で済みませんが教えてください。
私は↓のスレの138以降で、南京攻略戦に参加した祖父にヒアリングして、
その結果を投稿している者です。

[ハングル板] スレッドを立てる迄も無い質問・雑談(58)
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1127011524/

公式に残っている祖父の軍歴を調べてみたいのですが、祖父は南京戦で負傷して
昭和13年には帰国しており、終戦時は兵士ではありません。このような場合、
どこに問い合わせればよいものでしょうか?

あと祖父が所属していた47連隊(大分)が、いつどのような行動を行ったのかを
追いたいのですが、どういった資料を探せばよいでしょうか?
お薦めの参考文献等あれば、ご教授をお願いいたします。
(教えて君で済みません)
895名無し三等兵:2005/10/14(金) 16:56:34 ID:???
「当時の揮発油は青かった」と海軍航空隊の元整備兵だったお客さんに聞きました。
896名無し三等兵:2005/10/14(金) 17:08:21 ID:???
>>895
南方で捕獲した連合軍のガソリンは赤かった、というのをどこかで
読んだなあ・・・
現在の日本のガソリンは赤いが、国によって違うのかな。
897名無し三等兵:2005/10/14(金) 17:37:33 ID:???
895 確か19年のラバウルにいた頃のお話。
898名無し三等兵:2005/10/14(金) 18:36:15 ID:???
現代でも、航空機用ガソリン(アブガス)は法令で着色が義務着け
られてるよ、オクタン価別に、赤、緑、紫だって。
自動車用ガソリンはオレンジ、結構昔からそうなんじゃないの
899名無し三等兵:2005/10/14(金) 19:44:04 ID:TgXJAnEW
漏れの爺さんは大正15年生まれ。20のときに赤紙がきて、その後鹿児島で訓練をしているとき
終戦をむかえた。帰りの汽車で広島を通ったらしいが「なにもなかった」とはなしていた…
戦争がつづいていたら南方の前線に行く予定だったらしい
900名無し三等兵:2005/10/14(金) 19:47:03 ID:???
戦闘機の機銃掃射から逃げ切った。
901名無し三等兵:2005/10/14(金) 19:51:34 ID:7/KxRUZ6
902名無し三等兵:2005/10/14(金) 20:18:47 ID:???
>>894
>どこに問い合わせればよいものでしょうか?
>>769

あと、四十七連隊の戦友会が間違いなく絶対にあるハズなので、
>>769のルートから辿れるハズです。


>>895
島尾敏夫もそんな事を言ってましたな→震洋艇で使っていた航空燃料
903名無し三等兵:2005/10/14(金) 23:13:35 ID:???
>>894
もしかしたら、昭和21年1月現在、ってところで引っかかってるのかもしれんが、
軍歴を保管してる都道府県ならそれ以前に退役した軍人の軍歴もたいていはある。
(というか、今でも軍歴を持ってる理由が恩給の資料とか戦没者の弔慰金の資料だから、
それ以前の軍歴も持ってないと困る)
904名無し三等兵:2005/10/14(金) 23:24:09 ID:???
広島といえば
父方のばあさんが山陰の日本海側に住んでるんだけど
「ぴかっちゅう新兵器が広島に落ちた」と当時は噂だったらしい。

母方のばあさんの親戚は原爆が落ちた後に
視察(何の仕事かは知らんけど)に行ってしまって被爆したらしい。
905名無し三等兵:2005/10/15(土) 00:40:19 ID:???
自分のおじいは国から兵隊時代の写真と勲記2つ、赤十字特別社員章、記章3つ
、赤十字社章1つ、銀杯3つが額縁に入ったやつを貰ってた。それには
陸軍伍長〇〇〇〇
13年12月10日山形歩兵第32連隊に入隊 北支派遣軍として支那事変に従事
17年7月満期除隊
20年7月25日満州富永兵団に入隊 大東亜戦争に従事
同年8月15日満州にて終戦後ソ連に強制抑留
22年12月12日ナホトカより舞鶴港上陸復員
て書いてあった。悪い気がして本人からそんなにくわしく聞いたことないけど。
戦争映画見てたら「戦争好きか、おもしろいか」とか聞かれて(別にと答えたけ
ど)どう答えていいのか一瞬うろたえた覚えがある。自分は戦争モノ大好きだけど
体験者には不謹慎だしきっと世の中の人には怒られるだろうな。それ以来起きて
る間は見ないようにしたけど夜中にビデオみてても隣の部屋でおじいうなされた
りするんだよね。なんかかわいそう。
906名無し三等兵:2005/10/15(土) 01:41:56 ID:TbXIFC7o
ず〜っと前にじいさんの経験を書いたので今回はボケじじいらしいホラ話を・・・
オレが自衛隊に入隊、まぁ64を撃った話をすると嬉しそうに
爺「じいさんはなぁ、射撃は得意やったんや、飛んでるトンビを38でよぉ
  落としたもんやわぁ」

無理くさくないか・・・・? 単射で飛んでる鳥を落とせるか?

爺「じいさんはなぁ軽機の射手でなぁ(コレはホント)、アメリカはすごい
  ぞぉ、真っ暗なとこまで逃げてもう大丈夫やろぉと思って一服(煙草ね)
  したら煙草の先っちょに撃ってきよった。ありゃ赤外線でバレとるんや
  な」

じいさん、湾岸で戦ってきたのか?

まぁボケがはいっとったとは言え、村で唯一の生き残って帰ってきたじいさ
ん。激戦を潜り抜け大島で第2の硫黄島を演じるべく穴を掘ってるところで
終戦。やっぱり悔しかったかと聞くと
爺「島にな〜好きな人が出来てな〜・・・」
あんた、結婚してるし子供もいただろが・・・・
907名無し三等兵:2005/10/15(土) 02:02:08 ID:YzqkLI2U
俺のじいさん、戦争の話をよくするんだが決まって最後には
こう言う

「俺ァ〜昔、駆逐艦「疾風」の油圧系統を作っていたんだ」と、誇らしげに・・・



俺は今でも疾風がウェーク島揚陸戦でどうなったかを伝えられないでいる・・・
908名無し三等兵:2005/10/15(土) 02:08:46 ID:TbXIFC7o
906だが一点訂正。大島ではなく八丈島ね。
909名無し三等兵:2005/10/15(土) 03:33:13 ID:???
俺の爺ちゃんは、当時中島飛行機の小泉工場で働いていたんだけど、
何でも勤務時に空襲警報が鳴って、製作中の飛行機(銀河らしい)を
裏山に隠したんだけど、結局空襲は無くて、飛行機を工場に戻して
その日の勤務を終えたとの事。んで翌日工場に行ったら、
その日の夜間の空襲によって工場がすっかりやられちゃって、自分達の
作ってた飛行機も瓦礫に埋もれてしまったとの事・・・。

「あのまま外に置いておけばよかった・・・」なんて言ってた。
910名無し三等兵:2005/10/15(土) 06:23:54 ID:T/E3ENFO
うちの爺さんはハバロフスクに抑留され死んだ。特務機関に配属されたと言う事になってはいるが、それは石井部隊で細菌兵器開発に関わっていた事を隠すためだったらしい。
911名無し三等兵:2005/10/15(土) 07:44:32 ID:???
うちの爺ちゃん(母方)は音波探信器(後で電探に移行)の訓練中に終戦した
音探のみで戦地に行った同期は皆死んだそうです、ちなみにピアノで訓練するそうです
マジかよw 横須賀にずっと居たそうですが修理中の駆逐艦が港内で撃沈されたり
対空砲撃で建物のガラスがほとんど割れたり、防空壕の外の様子を見ようと首を出した
上官首から上が無くなってたり、内地に居たワリに色々体験してたみたいですが・・・。

それから父方の祖父、この人には会った事がありません僕が生まれる前に亡くなりました
戦前からずっと中国にいて上海と内地を往復していたようです、職業軍人でしたが事務屋で
戦場には行った事が無いそうで、出身も北海道で家族共々まともな戦争体験がありません
唯一、砂糖を切らしてしまって不満だったと・・・

と我一族は第二次世界大戦にはあまり貢献できませんでしたが、陸軍航空隊発足時にはそれなりに
貢献したみたいです(両家共に)
余談ですが母方の祖父に何故海軍に行ったのか聞いてみた所、「軍刀が欲しかった」とw
912名無し三等兵:2005/10/15(土) 07:44:46 ID:wdxHwqc7
うちの爺さんは陸軍で経理担当の大尉だったって言ってたな。戦争が始まったとき(その時は少尉)に香港に行ってイギリス人に「日本はイギリスと戦争を始めたけどあんたたちの財産を奪ったりはしない」って英語で説明したとか言ってたな
913名無し三等兵:2005/10/15(土) 10:34:22 ID:xS2eUvtf
>>910
死んだじいさんからどうやって細菌兵器開発のことを聞いたんだw
914名無し三等兵:2005/10/15(土) 11:42:19 ID:JClA/XyJ
良く知らないけどゼロ戦にのって敵と戦ってたみたい、本も何冊か書いてる
それで、わたしも♀なのに軍事に興味を持った
小さい頃、出版社の人や記者がお土産にケーキを持ってきてくれるのが楽しみだったW
915名無し三等兵:2005/10/15(土) 11:45:24 ID:???
>>914
御爺様の名前が坂井だったりすると面白いが。
916名無し三等兵:2005/10/15(土) 11:52:29 ID:JClA/XyJ
坂井だよ
917名無し三等兵:2005/10/15(土) 11:56:21 ID:???
え?マジで?
……もしかすると君の御爺様はとんでもない有名人の可能性があるのだが。
918名無し三等兵:2005/10/15(土) 11:57:32 ID:???
つまり、お名前が

三郎 

さん、とおっしゃるのでは?
919名無し三等兵:2005/10/15(土) 11:59:12 ID:JClA/XyJ
有名って、本書いたり講演とかはしてたみたいだけど普通のおじいちゃまだよW
920名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:02:03 ID:???
グーグルで検索したら、24,900件ほどヒットするかたですよ!
921名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:03:44 ID:???
>>919
いやいや、普通どころか下手すると君の御爺様は
軍ヲタなら知らないとモグリ扱いされるくらい有名なお方なのですけど。
922名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:05:17 ID:???
お爺様の書かれた本は「大空のサムライ」というのでは?
923名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:06:15 ID:JClA/XyJ
本書いてたらネットで検索したら出てくるんじゃない?
わたしは、それより名前を一発で当てられたことに驚いているというか、ちょっとびびったW
924918:2005/10/15(土) 12:14:40 ID:???
軍オタでなくても知っていますよ
「大空のサムライ」は小学館の「少年少女世界の名作」全集にも収録されているのです
925名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:22:05 ID:JClA/XyJ
うん、あれは印税がカナーリ入って家計助かったって言ってたW
926名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:23:54 ID:???
おい、誰か確認しろ。祭の予感がするぞ。
927名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:37:17 ID:???
コレは釣りなのか?
928名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:40:43 ID:lH5upd9s
釣られてもいいっ!
929名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:44:39 ID:???
>>914

とてつもない祭りの予感。
仲良しに西沢さんとか太田さんとかいなかった?
930名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:48:28 ID:???
(,,゚Д゚)∩ハイッ!!

三郎おじいさんの眼はどっちが無いの?
931名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:50:04 ID:???
こら、失礼な言い方をするんじゃない。
手術は成功して、片目の視力がほとんど失われただけです。
932名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:50:10 ID:JClA/XyJ
太田さんて知らない
西沢さんて良く聞いた
後、東大の何とか先生(失礼お名前忘れました)って親しくしてたみたい
933名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:54:01 ID:???
敵の飛行場の真上で低空宙返りとかした話、聞いておられませんか?
934名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:54:46 ID:???
>>924
俺、ガキ時代にそれを読んだのがキッカケでこの道に……
935名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:54:55 ID:???
これだからおもしろい
936名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:56:41 ID:???
>>932
加藤 寛一郎 という先生ですか?
937名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:57:28 ID:lH5upd9s
堀越さん・本田さん・笹井さん・武藤さん・大西さん・半田さん
とか聞きましたか?
938名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:58:20 ID:JClA/XyJ
家族の前じゃほとんど戦争の話しなかったし、たまにしても、わたしが興味なかったからW
亡くなってから興味持ちだして少し本読み出したぐらいで、皆様方のほうがよく知ってるんじゃない?
939名無し三等兵:2005/10/15(土) 12:59:38 ID:???
お孫さんは巣鴨付近に住んでいるの?
940名無し三等兵:2005/10/15(土) 13:00:28 ID:???
>>938
今までの書き込みからすると、お爺さんとは同居だったの?

それはまた羨ましい…
941名無し三等兵:2005/10/15(土) 13:15:09 ID:JClA/XyJ
なんか色々、質問されてるけど
わたし、これから食事して映画行くから、夜にまた来ます
それにしても、皆様が祖父のことに、こんなに興味持ってくれてるなんてm(._.)m
942名無し三等兵:2005/10/15(土) 13:21:26 ID:lH5upd9s
家宝はやはりアレですか?
943名無し三等兵:2005/10/15(土) 13:47:05 ID:???
漏れが産まれてすぐ死んだじいさんは、戦争の終盤になってからマニラ島に軍医として渡ったそうな。
じいさんと一緒に山形県から出征した兵隊さんたちは、殆ど生きて帰れなかったらしい。
じいさんが死んだ後、恩給関係の手続きで役所に行った親父は「運のいいお父さんだったんですね」と言われたそうな。

魚雷を喰って仲間が大勢乗った輸送艦が轟沈する様を見たり、軍医として大勢の兵隊さんを看取ったりしたじいさんは、最後は米軍の捕虜になってなんとか生きて帰ってきた。
が、すっかり日本嫌いの共産党支持者になっていたそうなw
そして死ぬ前に「俺の孫や子はフィリピンに行ってはいかん」と言い残したそうな。

おかげで漏れはフィリピンにだけは行けませんww
944名無し三等兵:2005/10/15(土) 13:47:26 ID:???
家のお祖母さんのお父さんがインパール作戦から帰還したそうです。
都会者はみんあ食料を調達できず亡くなったそうです、そういうのに
長けていた田舎出身の人が生き残ったらしい
945943:2005/10/15(土) 13:54:30 ID:???
>>944
漏れのじいさんもそれらしい事を話していたようです。
じいさんは山形県人で医者だからキノコや野草に詳しくて、兵隊さんたちにすごく大切にされたらしい。
他にもヘビ獲ったりするのが上手な人がやっぱりいて、そういう人が生き残ったそうな。

それともう一つじいさんが言っていたそうなんだけど、生き残る人は「健康を過信しない人、無理をしない人、清潔に気をつける人」だったそうです。
例えば渡河する時など、場所を選び、服を濡らさない様に気を付けるような人が結局体力を維持して生き残るんだって。
元気だからといって無理をしたり、汚れても平気な顔をしている人は程無く皆病気になり、体力を失い、バタバタ倒れたそうです。
実際生き残った人の言葉は深いよな〜〜と思った。
946名無し三等兵:2005/10/15(土) 13:57:52 ID:???
ばあさんの弟が3人戦死。
上と下は陸軍、真ん中は海軍で山城の砲塔旋回手やってたそうな。
だから真ん中だけはいつ散華したのかはっきりしているのだが
上と下はよく判らないらしい・・・
全員、骨は還ってこなかった。
947944:2005/10/15(土) 13:59:19 ID:???
俺の家の兄弟の方々も京都大在学中に学徒出陣で満州に送られてなくなったそうだ
なんかアメリカ軍の捕虜になった人は日本に帰れたらしいな、なんかチョコレートの詰め合わせもらった
って聞いた。
ちなみに宮城県人だw
948名無し三等兵:2005/10/15(土) 14:00:12 ID:???
東北人強いなw
949名無し三等兵:2005/10/15(土) 14:08:14 ID:???
なんか終戦後日本国内ならどこまでも行ける切符をもらったって聞いたんですけど
そういうのあったんですか?
950名無し三等兵:2005/10/15(土) 14:10:41 ID:???
>>925のID がJCIAな件
951名無し三等兵:2005/10/15(土) 14:15:33 ID:???
祭り上げ!
952名無し三等兵:2005/10/15(土) 14:18:28 ID:???
記念ハピコ
953名無し三等兵:2005/10/15(土) 14:48:05 ID:k6+wmg/4
坂井三郎氏の娘さんは「つまりあなたのお母さん」はアメリカ人の方「つまりあなたのお父さん」と結婚された筈だが
954名無し三等兵:2005/10/15(土) 14:48:34 ID:???
坂井三郎は宣伝上手だったと言う話もある
955名無し三等兵:2005/10/15(土) 14:49:10 ID:lH5upd9s
スマートさん
956名無し三等兵:2005/10/15(土) 15:03:54 ID:???
>>949
招集の時も復員の時も、住所地と部隊の所在地の間の国鉄の乗車票が出たはず。
957名無し三等兵:2005/10/15(土) 15:06:08 ID:0X2LzyFG
命がけの銀バエage
958名無し三等兵:2005/10/15(土) 16:07:50 ID:???
なんか伸びてると思ったらスレの終わりに凄い方の来たなw
959名無し三等兵:2005/10/15(土) 17:05:36 ID:uaGi2TWB
大空のサムライ読んで感動した記念
960名無し三等兵:2005/10/15(土) 17:32:48 ID:???
俺の爺さんは終戦時8歳。
相模湾に一杯浮かんだ船をみなと一緒に見に行ったそうな。
きらきら光る海一面に大きな船が浮いていて、感動したとか。

もちろん、その船は米艦船なのだが。
空襲の記憶はないらしい。田舎だから空襲無かったのかな。
961名無し三等兵:2005/10/15(土) 17:56:16 ID:???
壮大な釣りだな。
962名無し三等兵:2005/10/15(土) 18:03:45 ID:???
明治生まれの祖父は、大正時代に近衛師団に入営。
目端が利いた祖父は島津公爵の従卒になって、他の人が訓練していたときも楽していたらしい。
大正天皇はもとより、昭和天皇やその他大物を見かけていたらしい。

爺さんが死んだときは、島津家から弔電が来た。

爺さんは俺が生まれる前に死んで一度もあったことはないが、死んだ婆さんが爺さんのことを
こんな感じで話していた。
963名無し三等兵:2005/10/15(土) 18:38:59 ID:JkMM85KC

もう来ないのかな?
やっぱり釣り?

スレ終わってしまうがな。
964名無し三等兵:2005/10/15(土) 18:42:07 ID:???
釣りに決まっている
965名無し三等兵:2005/10/15(土) 18:46:50 ID:???
釣りでもいい。
せめて映画ぐらい行かせてやれ。
なんだかんだ言って、「大空のサムライ」はドキドキしながら読んだし。
「撃墜王」ってやっぱり特別な存在だし。
966名無し三等兵:2005/10/15(土) 18:52:30 ID:???
坂井さんのお孫さん降臨と聞いてすっ飛んできました
釣りでもいいからお話聞かせてくだせえ
967名無し三等兵:2005/10/15(土) 18:55:26 ID:???
マジだったらコテになってホスィ
968名無し三等兵:2005/10/15(土) 18:58:02 ID:???
この程度の釣りに引っかかるような奴が有栖川宮の偽者とかに騙されるのだろうな。
969名無し三等兵:2005/10/15(土) 19:01:07 ID:???
おまいら、後に付かれたら左ロールをうつんですよ、「パーン」と
振り返っちゃダメですよ、反射的にやるんです ハイ
970名無し三等兵:2005/10/15(土) 19:04:04 ID:???
それから 作戦空域までの水筒代わりにサイダーを持ち込んじゃダメですよ
酷い目に遭いますからね、判りましたか?
971名無し三等兵:2005/10/15(土) 19:24:31 ID:???
>>970
>サイダーを持ち込んじゃダメ
じゃなくて、
『サイダーを持ち込む時は事前に栓を空けて炭酸を抜いておく』
だ。
大空のサムライの該当個所にもそう書いてあったろう?
972名無し三等兵:2005/10/15(土) 19:26:50 ID:???
気の抜けたサイダーなぞw
973名無し三等兵:2005/10/15(土) 19:33:09 ID:???
>>972
南方は水が悪いので仕方ない

ろ過したり煮沸したり手間かけるより、
出来合いのサイダー流用する
974名無し三等兵:2005/10/15(土) 20:38:36 ID:???
友人のお客さんで、第四師団の砲兵だった方がいる。中国行きの船上で夏服を渡されてびっくりしたらしい。その後は中国南部で戦闘参加。
敵はヨカンボウ将軍?指揮の強力な部隊で、対戦したこと今でも誇りに思っているそうだ。昭和17年に除隊。大阪の師団司令部に軍属として採用された。状況はよく判らないけど、上官が「うちなら楽ができる」と声をかけてくれたらしい。
仕事内容は備品の管理。しかし武器軍装等ではなく、紙とか鉛筆とかの消耗品でほんとに楽な仕事だったらしい。
当時25位の健康体で再召集かかりそうなものだが、「部署もだんだん男が減って女の子ばかりになった」そうでご本人は最後まで召集されず。
さらに「大阪大空襲はどうでしたか!?」と聞いたが「そのときは中国地方に出張していてよく知らない。」とのこと。
うーん。エアポケットみたいな戦争体験です。
975名無し三等兵:2005/10/15(土) 20:58:25 ID:???
>923いや、すげーよあんた。

いやいやあなた様の御爺様がすごい方なのだが…
976名無し三等兵:2005/10/15(土) 21:02:41 ID:???
昼でも星が見える坂井先任搭乗員・・私は信じる!!
あと、零戦で飛行中に吸ったタバコは不味いという話も。
977名無し三等兵:2005/10/15(土) 21:05:30 ID:???
血染めのマフラー
978名無し三等兵:2005/10/15(土) 21:32:40 ID:2bErZm3z
坂井さんのお孫さん お爺様ゴルフでホールインワンした話とか聞いたときあります?
979戦艦トマト:2005/10/15(土) 21:51:01 ID:mStZM6jn
なかなかの良スレですな
うちの祖父は兵隊にはとられなかったんだけど話をいくつか聞いた

父方の祖父
大東亜戦争時分は40手前で小学校の教員
泉佐野(大阪府)で飛行場をつくるためにもっこをかついだとか
和歌山の沿岸に黒く塗った丸太を並べて大砲に見せかけた など

父方の祖母
大阪を空襲した帰りの艦載機に狙われるも山の中に逃げ込んで
九死に一生を得た

母方の祖父母(祖母からの伝聞)
祖父は全羅南道光州で工場を経営していた
祖母は警察署長の父親とともに高等女学校を出てから朝鮮へ
(台風で川が氾濫したとき署長の身を案じた朝鮮人巡査2名が
 かけつけるも、途中で遭難して行方不明に)
敗戦とともに独立機運が高まり引き上げへ
朝鮮人の女中に布袋をいくつか縫わせ、衣類のみをもって引き上げ
工場は朝鮮人の部下に譲った(戦後祖父が訪問)
引き上げ時朝鮮人が日本人に嫌がらせや暴言を行ったことに
祖母は腹を立てていた
祖父はいっぱいの荷物を抱え、祖母は前後左右に幼い子をおぶり、片手で長女の
手を引いて逃れてきた
このとき娘の一人が病気で死にかけた
医者に「日本まではもたないでしょう」と言われ、
もし死んだら関釜船から水葬するつもりだったとのこと
広島を通ったとき焼け爛れた被爆者が着の身着のままの自分たちに
物乞いをしてきて悲惨な光景だった
子供連れで苦労しているのを見かねた進駐軍の米兵が
ジープに載せてくれたので感謝している
980名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:06:35 ID:???
>>976
陸軍の飛燕の搭乗員は結構吸っていた人が多いと聞いたことがある。
理由は忘れたが飛燕は吸っても安全っだったとか。
スレ違いスマソ。
981名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:09:23 ID:???
>米軍艦載機による婦女子への機銃掃射
これって戦争体験話には当たり前のように出てくるけど
ふと考えるとトンでもない話だと思わない?

アフガンやイラクでもやったのかな・・・?
機銃も20oにパワーアップされてるから一瞬でミンチかな
機種がA-10だったらさらに悲惨
行きがけの駄賃、帰りがけの駄賃、等々反対!
982名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:10:58 ID:???
>>981
今はアパッチがやってます。
983名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:11:49 ID:???
腐女子への機銃掃射なら好きなだけやってくれと思ったり
984名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:12:50 ID:???
俺たっちゃ裸がユニフォームぅ
985名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:13:30 ID:???
>>982
どっちがテロリストなんだか!
986名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:14:46 ID:???
母方の爺ちゃん・・・身長低くて兵隊にとられず。その代わりか手塩にかけて
育てた馬を軍馬として2頭供出。・・・聞くところによると、外地に渡って日本に
還って来れた馬は皆無だったとか・・・当然と言えば当然ですが、悲しい話・・・
987戦艦トマト:2005/10/15(土) 22:15:52 ID:mStZM6jn
今の若いもんがシューティングゲームやるような感覚だったんだろな
祖母もパイロットの顔が見えたと言ってたよ
で、普通に考えて女子供を狙い打ちにするなんざ人間のやっていいことじゃない
戦争犯罪で死刑が妥当
988名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:17:37 ID:???
さて、次スレどうします?

JCIAさんをお迎えするにしても…
989名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:18:21 ID:???
STGをやる奴で若いのはいなry
990名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:25:56 ID:???
      ./       ;ヽ 
      l  _,,,,,,,,_,;;;;i  <いいぞ ベイべー!
      l l''|~___;;、_y__ lミ;l  逃げる奴はベトコンだ!!
      ゙l;| | `'",;_,i`'"|;i |  逃げない奴はよく訓練されたベトコンだ!!
     ,r''i ヽ, '~rーj`c=/ 
   ,/  ヽ  ヽ`ー"/:: `ヽ
  /     ゙ヽ   ̄、:::::  ゙l, ホント 戦場は地獄だぜ! フゥハハハーハァー
 |;/"⌒ヽ,  \  ヽ:   _l_        ri                   ri
 l l    ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| |                   / |
 ゙l゙l,     l,|`゙゙゙''―ll___l,,l,|,iノ二二二二│`""""""""""""|二;;二二;;二二二i≡二三三l
 | ヽ     ヽ   _|_  _       "l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |二;;二二;;二=''''''''''' ̄ノ
 /"ヽ     'j_/ヽヽ, ̄ ,,,/"''''''''''''⊃r‐l'二二二T ̄ ̄ ̄  [i゙''''''''''''''''"゙゙゙ ̄`"
/  ヽ    ー──''''''""(;;)   `゙,j"  |  | |

991戦艦トマト:2005/10/15(土) 22:26:52 ID:mStZM6jn
あ、もう一つ
5年ほど前に母方の祖母のいとこがこっちへ来て色々話を聞いた
佐賀で町議会議長をやってた人だが
戦時中は台南空でフィリピンの航空撃滅戦に偵察機の通信兵として参加
味方の隼などがアメリカ軍機をどんどん撃ち落して誇らしかったという
ワシが当時から右翼がかっていて
映画「203高地」などのビデオをもっていると知るとうれしそうな顔をしていた

あと蛇足ながら
「町議会なんかじゃね、議場の机の下で現金を回すとよ。そうでもせんと
何も決まらんけんね。」
幸い逮捕されずに25年勲章?みたいなものを貰って3年前に他界
992名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:44:22 ID:???
プリーズ。
教えてくれまいか?
このスレに光臨した有名人の親族は誰が居るのか。
993名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:56:13 ID:???
うちの曽祖父は「俺が支那事変を始めた」とか言ってたらしい。
994名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:59:31 ID:???
家の親父はいつも俺が世界の支配者だと言っている。
995名無し三等兵:2005/10/15(土) 23:00:11 ID:???
戦後A級戦犯で‥‥‥
996名無し三等兵:2005/10/15(土) 23:00:45 ID:JkMM85KC
最後に物凄いのキタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━ !!!!!
997名無し三等兵:2005/10/15(土) 23:03:20 ID:???
1000だったら石井中将の息子を名乗る
998名無し三等兵:2005/10/15(土) 23:04:15 ID:???
>>986
日中戦争の頃はちゃんと戦死公報が届いたそうですが・・・
勇敢なる軍馬に敬礼。
999名無し三等兵:2005/10/15(土) 23:04:34 ID:???
998
1000名無し三等兵:2005/10/15(土) 23:04:38 ID:???
おまんまん
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