1 :
名無し三等兵 :
皇紀2665/04/01(金) 11:49:21 ID:uhz4Fl5x 対ソ連の戦い、ノモンハン事件を語ろう。 祖父の話でも結構。
2 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 11:49:59 ID:TbuH9eQe
2か?ひょっとして2ゲットなのか??????
3 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 11:50:46 ID:???
そうだよ、君が2ダ
4 :
少佐 :皇紀2665/04/01(金) 12:04:04 ID:QqlqOiIG
急きょ作製した手製の火炎瓶でソ連の戦車軍団を撃退した日本軍は凄まじい。 精神力で兵士が肉弾と化して戦車と戦えることを世界に証明した激戦であった。 この肉弾の証明からバズーカ、パンツアーファースト、RPG7、カールグスタフが生まれた!
5 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 12:05:51 ID:???
今の自衛隊員は敵戦車と格闘できるの?
6 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 12:07:27 ID:???
どうして敵戦車のハッチを爆破する専用の歩兵用携帯爆薬が開発されないの?
7 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 12:25:35 ID:???
また勝ったとか言い出す奴らが出てくる予感
8 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 12:36:16 ID:???
そもそもの発端となった、 国境越えて川で水を飲ませたモンゴル騎兵はDQNなのか? あやふやな国境ラインを超えたと判断し、 それを撃った関東軍がDQNなのか? どっちかハッキリして欲しい。
9 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 14:01:56 ID:AeB0+9Qi
オレのジイチャン、ノモンハンの生き残り。 現在推定90歳なり。 長生きしてね…。
10 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 14:03:07 ID:AeB0+9Qi
あっ、言い忘れたが、 辻なんとかが指揮したとかなんとか…。
11 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 16:32:36 ID:???
12 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 17:02:40 ID:???
歴史的大勝利! 負けたなどととぼけた事を抜かすクサヨ軍オタ。
13 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 17:27:21 ID:???
>>12 今日だけは言える!
ノモンハンは歴史的大勝だと。
14 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 18:24:26 ID:???
つーか、ノモンハンを負けたと考えてる奴自体、赤軍の洗脳に染まっている証拠。 あと10年もしないうちに、ノモンハン事件は日本軍の大勝利だったという事が 歴史的定説となるであろう。
15 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 23:30:12 ID:???
みんな今日中に言っとけ ノモンハン事件日本軍の完全勝利
16 :
名無し三等兵 :2005/04/02(土) 17:56:00 ID:???
>>8 事件発生当時だけで言えば外蒙・ソ連、日満ともにその言い分通りに動いただけで
ドキュソとは言い切れない(たしかに外蒙の挑発的な行為はあるにはあったが)
ドキュソと言えるのはひたすら戦火の拡大に努め、杜撰な戦術を用いた関東軍。
17 :
名無し三等兵 :2005/04/03(日) 00:17:55 ID:???
少数の軍隊が物量で勝る大群を破るなんてのは良くあること。 第四次中東戦争でもユダヤ人がやった。日本人に出来ないわけが無い。 事実ノモンハン事件は少数の日本軍が勝利した。
18 :
名無し三等兵 :2005/04/03(日) 00:43:37 ID:???
少数の貧弱な装備の日本軍が、赤軍の超精鋭大機甲師団を撃破した。 これすなわち民族の優秀さの勝利である。 アングロ・サクソン=ユダヤ=大和民族>>>>ラテン>>>スラブ=アラブ>>アジア>>猿=アフリカ
19 :
名無し三等兵 :2005/04/03(日) 13:15:10 ID:Q+FowzQs
ノモンハンって何年。 結果としてどうなったの。 歴史的な意義は。
20 :
名無し三等兵 :2005/04/03(日) 16:50:53 ID:???
>>17 >事実ノモンハン事件は少数の日本軍が勝利した。
辻参謀に代表される一派。
21 :
名無し三等兵 :2005/04/03(日) 17:33:24 ID:???
ノモンハンは、「日本軍(関東軍)が少数の部隊を見殺しにした」の 間違いじゃないの、オマイラどうよ?
22 :
名無し三等兵 :2005/04/03(日) 17:37:19 ID:nwrmMNFv
>>21 見殺しにはしてないけど、作戦指導に問題ありすぎ。
大体、中国と戦争してるのにソ連と事構えようなんて無理すぎ。
結局、ソ連の主張する国境線が確定で日本軍の戦略的敗北かな。
23 :
名無し三等兵 :2005/04/03(日) 18:54:59 ID:???
シナ戦線の発端時もそうだが参謀本部(大本営陸軍部)が考えている戦略と現地軍の行動 がかみ合っていないことが問題。上層部にソ連と全面対決する気がなかったからこそ 事前の物資備蓄も不足して問題が起こっている。 誰が悪いと一概にいえるものではないが下克上の跋扈とそれに対して統帥権を発揮できなかった 参謀本部の不甲斐なさが日本側の問題点だろう。(まあ参謀本部にも辻や服部がいるが) これで北進論が(正しいかどうかは別として)南進論に押されてしまう要因となり アメリカとこと構えなければならなくなったことを考えれば残念ながら 日本の大敗北であるといえると思う。
24 :
名無し三等兵 :2005/04/03(日) 19:08:19 ID:???
死傷者数を根拠に勝ったとか言ってる奴らがいるけど 数字の内訳では、ソ連がやたらと沢山負傷者を出しただけで 死人の数と戦病者の数では、日本のほうが多いんだよな。
25 :
名無し三等兵 :2005/04/03(日) 23:39:45 ID:???
ノモンハンってソ連戦車に肉弾火炎瓶で向っていった日本兵が凄かったってイメージあるけど、 戦車のハッチを溶接して脱出出来なくしたソ連赤軍も相当なものかと・・・・・
26 :
名無し三等兵 :2005/04/04(月) 11:33:19 ID:???
操縦手の足を縛りつけてた話もあったな。
27 :
名無し三等兵 :2005/04/04(月) 14:18:14 ID:eikVGM4v
ん?じゃあ日本兵がハッチを空けて手榴弾投げ込もうとしたら出来ない訳だな? それにその日の作戦終わったら中の人はどうすんのよ?
28 :
名無し三等兵 :2005/04/04(月) 18:35:29 ID:???
ノモンハン 1 朝日文庫 アルヴィン・D・クックス:著 レイテ戦記 中公文庫 大岡 昇平 (著) おすすめ
29 :
名無し三等兵 :2005/04/04(月) 22:06:48 ID:???
>>23 ノモンハン事件当時のことを言ってるの?
もしそうなら辻も服部も参謀本部ではなく関東軍第一課にいたが。
参本にいたら拡大路線を取っていたかもしれん。
>>24 人的損耗率(戦死、戦病、戦傷、行方不明含む)も違うね。
なんと95%くらい損耗した連隊もあるというし。
30 :
名無し三等兵 :2005/04/04(月) 22:12:57 ID:???
>>25 >>26 ハッチの溶接とか、鎖で繋いでたって話はよく聞くんだけど、具体的なソースってあるの?
話が出来すぎていて、反共プロパガンダの臭いがぷんぷんとするのだが。
31 :
名無し三等兵 :2005/04/05(火) 01:03:45 ID:kUAbw5ye
俺の爺様はH14当事満州某地方の憲兵隊員だったそうだ。 後送されてくる列車に負傷兵多数、しかも負傷の程度が それまでと違うので、一般兵が騒ぎ出し、憲兵隊員が動員 され駅や病院の警護にあたったそうだ。 その警護憲兵隊員にも固く目撃情報その他の秘匿命令が出され その異様さに祖父たちはただならぬ事態を察知したらしい。 それがノモンハン事件であったことは、さらに後に知ったが 農民出身の純朴兵だった祖父はその後25年くらい、沈黙を守り 続け、ある日突然父にその光景を語ったらしい。 旧軍の教えの深さや日本人の忠実さを思い知る反面、それほど 驚愕の光景だったようだ。
32 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 13:48:14 ID:F8odrFaN
祖父の話、大歓迎。 ところで憲兵ってのはどういう権限が あるの。
33 :
名無しの三等兵 :2005/04/06(水) 13:52:43 ID:H9vakMKp
ノモンハンは戦術的には日本の勝利だ それは両軍の死傷者数で読み取れる しかし戦略的に日本は勝利したの?
34 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 14:00:46 ID:???
>>32 具体的には軍隊の中で警察のような仕事をする。
旧軍の場合内務省(だっけ?)の指導があれば一般の警察業務もできるのだが、
んなことお構いなしにやりたい放題だったな。
似たようなのはイタリアのカラビニエリかな?(イラクで死者出した部隊)
憲兵と違って駐車違反の取締りとかもできるらしい。
35 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 14:06:18 ID:???
宮崎繁三郎の「石」の話って史実? もしそうなら辻なんかよりよっぽど頭が回る
36 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 15:05:19 ID:sSh96S0u
失敗した作戦に目をつむるとしてもだ、捕虜となり敗戦後帰還した将校に対して自決強要したり、辻の専横を統制できなかったりした陸軍の体質に驚く。
37 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 15:38:32 ID:TJpBawqi
ごうとうにおそわれて、●まんえんはいったさいふをとられました さいふをとられるとき、ごうとうのがんめんをおもいっきりなぐってやりました ごうとうははなぢをだして、 なきながらおれのさいふをにぎったままにげていきました このけんかはおれのかちです
38 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 15:52:52 ID:???
>34 フランスも憲兵警察があるんだっけ?確かなんかの映画で見たような 気がする・・・(その時は殺人事件を捜査していた)
39 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 16:57:16 ID:???
国家警察は憲兵が担当 FBIに相当か?
40 :
名無し三等兵 :2005/04/07(木) 00:07:50 ID:???
ソ連軍は大勢の負傷者を出しただけ、死人の数は日本のほうが多い しかも前線を離れるために自傷行為に及んだ赤軍兵士もかなりいるとの事
41 :
名無し三等兵 :2005/04/07(木) 15:28:01 ID:gCWfXpG7
戦車に鎖付け、ハッチ溶接の話、詳しい話を頼む。 歴史群像辺りだと書いてないもの。 自営業先生の作品も危険だ。 「ブラウ作戦」 ソ連軍が士気を挙げるために兵隊を何人かおきに射殺した場面描いていながら、枠外の「注」で「この話はドイツ軍が捏造したプロパガンダと言われている」ってなんだよw 最近読者を舐めてんなー。
42 :
名無し三等兵 :2005/04/07(木) 15:33:51 ID:???
そらいいかげんな話は物語には書けても ドキュメントとしては書けんだろ。 従軍慰安婦とか強制連行と同じだ。
樹上のスナイパーを射殺したら、ロープで身体が宙吊りになっていた というのを読んだ記憶がある。 第7師団の記録だったかな・・・
44 :
名無し三等兵 :2005/04/07(木) 16:47:09 ID:???
>ん?じゃあ日本兵がハッチを空けて手榴弾投げ込もうとしたら出来ない訳だな? >それにその日の作戦終わったら中の人はどうすんのよ? エスケープハッチ知らんの?
中の人は知らんがな
46 :
名無し三等兵 :2005/04/07(木) 16:59:42 ID:???
>>22 誰も日本勝利なんていってないぞ、引き分けだ、領土も被害も両者ともに同程度だからな。
つか両国の停戦位置と係争地域を知らないのか?
ホルステン川の近くは押しこまれたが、
ハンダガヤの近くは逆に日本が進攻して押しこみ、(宮崎などの部隊の活躍)
結果、両者が主張する領土はほぼ等分されることになった。
(このあたりは秦氏の著書に書かれているな、学術書や論文が手に入らないなら、昭和史の謎を追うでも簡単に触れられている)
というか、この両者の領土がそれぞれ半分ずつ失い、半分づつ得たってのは、
ノモンハンでの過去ログなどで、ガイシュツですよ。
つかまだしらねー奴がいたんかよ。
47 :
名無し三等兵 :2005/04/07(木) 17:40:18 ID:???
>>46 が妥当な見解なんだけど死傷者数を根拠に日本勝利とかいう
厨がたまに湧いてくるからなあ。
48 :
名無し三等兵 :2005/04/07(木) 18:48:17 ID:???
>>46 引き分け? 戦術、戦略的には日満の敗北だろ。
死傷者数もさることながら、結局目的も果たしていないんだから。
事件後の国境線の件は、外交的な勝利に他ならない。
49 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 12:43:32 ID:???
>>48 一部はとられたが別の一部をとっていて、
結果的には領土はほぼ等分されていたって書いてあるじゃん。
ところで日本の戦略目的って何?
50 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 17:35:00 ID:vSioV3ER
>>44 エスケープハッチ有るなんて郵政の骨抜き改革かよw
51 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 19:45:31 ID:???
ノモンハンは事件だったのか・・・
52 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 20:29:28 ID:???
陸軍はこの戦いがあまりにアレだったので隠蔽を決めて 当時の新聞にはまったく載らなかったとか。
53 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 20:47:43 ID:???
Battle of Halhin Gol or Nomonhan Incident
54 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 21:37:46 ID:???
>>46 歩兵第十六聯隊って主戦線から離れた地域で、停戦間近に勝手に暴走してソ連側にボコられながら必死に土地稼いでただけじゃ・・・しかも既にノモンハンの作戦中止命令出てるし。
ぶっちゃけ、直後に両国が休戦の合意しちゃったから運良く既成事実化できただけで、第15旅団の攻撃をもって引き分けとか言うのはかなり無理があるって・・・。
55 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 22:03:02 ID:???
で、負けたんだよね、ボロボロに。
56 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 22:16:40 ID:???
>49 >ところで日本の戦略目的って何? そんな事も知らずにこのスレで・・・・(ヒソヒソ
57 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 22:29:21 ID:???
ノモンハン事件での日本側の戦略目的はいったいなんですか?
58 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 22:49:16 ID:???
>>52 普通に載ってるよ。大苦戦であった事も含めて。
ノモンハンを教訓に陸軍は軍の機械化を民間に公演したり、
多数の書籍が出版されて陸軍では機械化ブームになっている。
59 :
だつお :2005/04/09(土) 00:02:06 ID:bksku8kg
ま、勝利というからには、中国チンピラゴロツキ3500万を 血祭りに挙げるくらいでないとなー。 これが「勝利」でないとすれば、他に勝ち戦はどこにもなくなるし、 3500万で殺し足らないのなら、あと何千万人虐殺すべきだった?
60 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 00:02:40 ID:???
>>57 少し長くなるけど関東軍の戦略目的について。
「満ソ国境紛争処理要綱」に通りに処理するのを、戦略目的とする。
この要領では国境は侵さず、侵さしめざる、としている。
ちなみに国境線が明確でない地域では「防衛司令官に於て自主的に国境線を
認定」できるとしている。
そして武力衝突があれば「兵力の多寡、国境の如何にかかわらず必勝を期す」。
その際には国境線を出ていっても良いし、相手を満州内に引き込んでも良い
としている。
つまり、日満がハルハ川を国境とし、ソ蒙軍を追い払うという戦略目的に
達しなかった。
しかし「処理要綱」に沿って敵を満州に引き入れている最中に停戦協定を
した結果、負けてしまった、とは思わないように。
ソ蒙軍の8月攻勢で日満各部隊が包囲殲滅されているので。
しかもソ蒙軍は、日満軍陣地より標高の高い丘陵地より見下ろす
かたちで砲撃を行い、その火砲の威力、数、補給は日満軍を圧倒する
もので、負けは必然であった。
(とは言え、この頃のソ連は前二次大戦型と言うべき旧態依然の組織なのだが)
61 :
だつお :2005/04/09(土) 00:16:33 ID:BJ6EtyUi
62 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 01:43:43 ID:HrRNT9CX
又それか、ノモンハン以前に満州国を承認してなかったのかね? 「満州国の承認」じゃなくて「ソ蒙国境ラインの画定」だったんじゃないのかね?
63 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 02:11:32 ID:???
>>62 一応、満州国を認証したのは事実。
烏賊解説
スターリンは極端なまでに二正面作戦をとにかく怖れていた。
(これを取って小心者と言う人もいるが、戦略的には極めて正しい)
このことは辺境の一紛争でしかないノモンハン事件が完全に終結して
から、フィンランド、バルト三国、ポーランドへとに攻め込んでいる
のを見ればよく分かる。
日ソ中立条約は、独ソ戦が避けられないと知ったソ連が二正面作戦を
避けるため欺瞞的に結んだもので、満州帝国を積極的に認証した訳で
はない。(1941.4.13条約締結 1941.6.22 独ソ開戦)
スターリンとしては来るべき独ソ戦の最中に背後をおそわれなければ、
条約に満州帝国を認める如き記述を入れる事くらいは何でもないこと
だった。
そして4年後にベルリンが陥落すると、日ソ中立条約を一方的に破棄
し、満州帝国に攻め込む。。。
つまりスターリンにとっては「満洲帝国ノ領土ノ保全」と条約で記した
からと言って、それは紙上の文字以上のものでしか無かった訳で、
狂人の妄言と同一レベル。
(もっとも日本陸軍も独ソ戦の推移次第では、条約破棄の腹づもりが
あったので、あまり偉そうなことを言えないけどね)
64 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 05:17:12 ID:dRq9v34U
ノモハン戦後フィンランドに侵攻した ソ連軍は小勢の敵に大苦戦!
65 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 05:27:47 ID:dRq9v34U
フィンランド軍の戦闘機バッファローは 対ソ戦で無敵の強さ、しかし同機は対日戦では 悲惨な結果に。オモシロイなー 何事も結果が証明するな データーがすべてじゃないな
66 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 07:36:15 ID:???
>>65 フィンランド使用のバッファローは対日戦使用より軽量型です。
で、対日戦でも陸軍機相手にはそれなりに健闘していますよ。
零戦より随分劣っていただけですね。
67 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 08:03:59 ID:???
>>63 基本的に同意。
独ソ戦推移によっては対ソ開戦という日本側の目論見は「関特演」や松岡外相の日ソ中立条約の独ソ戦不適用宣告などで明白。
だが、独ソ戦と南進のおかげで、日ソ両国ともに最後まで日ソ中立条約を利用し続けなければならなかった。
独ソ戦終結+ドイツ崩壊の後まで中立条約に利用価値があると期待した末期の日本側には哀れを誘うが、1945年4月にソ連側が日ソ中立条約の不延長を通告してきた時点で 条約は有名無実な存在と化した。
68 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 08:15:05 ID:???
>>66 散々やられたP-40にしたって機数が揃えばゼロ戦を圧倒している。
P-40にしろF2Aにしろゼロ戦との性能差は機数の差を埋められる程あったわけじゃない。
一方的な戦闘になったのは交戦時の機数が圧倒的にゼロ戦側の数が多かったから。
米軍が戦力を集中化できるようになる前にF2Aは姿を消したために悪名だけ残った。
フィンランド空軍は女子供を動員しての濃密な対空監視網が敷かれ、常に優位な位置から
防空が行えたから。BOBで機数に劣るイギリス空軍が空を守り通したように。
69 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 09:19:31 ID:???
>>64 冬戦争でスターリンが何をしたかったのか?といえば「棄兵」につきるだろう。
スターリンにとってはトロツキーが創り上げた赤軍は、自らの独裁体制を築く上で最大の脅威。
大粛清の初期で将官クラスは片っ端から潰せたが、兵士を集団でラーゲリに送るのは口実と反乱の危険があって難しい。
そこで近場のフィンスカにムダ死にさせるためだけに大量の兵士を送り込んだ。
ノモンハンで手榴弾白兵突撃をやらせて死体の山を築いたジューコフもスターリンの忠犬。
共産主義者が政権をとった中国でも、国府寝返り組や中共内部の信用できないとされた部隊を朝鮮に送り、人海戦術で消耗させるためだけに使った。
越南のカンボジア侵攻でも旧南越南政府軍の兵士や、反抗分子となりそうな南部の若者を徴兵して前線に送って消耗させている。
70 :
だつお :2005/04/09(土) 10:04:21 ID:BJ6EtyUi
71 :
だつお :2005/04/09(土) 10:21:48 ID:BJ6EtyUi
ノモンハンの対日戦で予想外の抵抗を受けたソ連がこともあろうに 宿敵ナチスドイツと同盟組んだり、英仏戦で大勝したナチスドイツ が条約無視でいきなりソ連に奇襲攻撃をかけたり、英米がソ連の 勝利と対日戦長期化で大西洋憲章やカイロ宣言を無視したヤルタ協定 をソ連と結んだことくらいは、おれさまだって十分に知っている。
72 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 10:49:19 ID:???
ソ連とドイツは宿敵だったかな? 戦間期ドイツの軍事的雌伏期を支えたのはソ連だった。 むしろ独ソ戦がスターリンも予想していなかった異常な出来事だった。
73 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 12:29:31 ID:kv0YSNir
まぁベトナムについては百戦錬磨のベトナム軍がポト兵を圧倒した事実があるか「棄兵」に ついては疑問大だが。 米軍の残した戦車、ヘリ、航空機を使っているからもと南越軍兵だろという意見もある だろうがもともときたベトナム軍、解放戦線は アメリカ製武器を使いこなしていたからそれも あたらないような。 南ベトナムの青年を徴兵してと言う段においてはそんなひよっこを第一線に送るのかと言う疑義が浮かぶ訳で、(対米戦の優秀な兵隊が残っているのに)ポト派駆逐後のカンボジア駐留に・・・と言うのならわからない話でもないが。 朝鮮戦争にしたって攻撃の主力であったT− 34に乗ったり果敢に浸透を行った北朝鮮兵士が居た存在を忘れてはならないだろう。 最も中国義勇兵に対しては元国府軍の使い捨てなのかもしれんが。
74 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 14:08:36 ID:???
越南については対米戦で勝利した唯一のアジア国家という事で、多少メガネが曇る。 南から鹵獲した米国製ヘリやソ連製戦車を使いこなしていた精兵達は、勿論北の部隊だったが タイ国境でタイ軍の最精鋭部隊を蹴散らしたのはサイゴン市周辺から徴兵された部隊だった。 ソ連-中国-越南と継承された共産軍の戦術では、経験豊富な精鋭部隊は決して無為な消耗をさせないように、大量の徴兵部隊を前線にあてるのが基本。 もっとも他の諸国でも精鋭部隊を温存するのが常だが...
75 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 15:23:39 ID:???
するとそんなひよっこ相手にポト兵は2週間で壊走したのですね? ヘリやM113が使われたとも聞いていますが。 「カンボジアの戦慄」ではベトナム軍が近づくとポト兵たちは知らないうちに逃げていたそうです。
76 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 15:24:53 ID:???
つうかカンボジアでタイ軍と交戦したんですか? ベトナム軍は?
77 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 18:35:37 ID:???
そういや中越戦争で中国の侵攻部隊を食い止めたのも民兵部隊とか 二線級部隊らしいね。ベトナムが優秀なのか中国が駄目だったか 舐めていたのか。
78 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 19:14:05 ID:???
北ベトナムの民兵は結構高度に組織化、訓練されていて武器も行き渡ってるよ。 後、地の利+ソ連の偵察衛星による情報。
79 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 19:22:28 ID:???
>>76 ポルポト派政権を瞬時に崩壊させた越南軍は、タイ-カンボジア国境までポルポト派の逃亡兵力を追跡し、タイ軍と衝突するに到った。
この時のタイ軍はあまりにも弱く 西側諸国はこぞってタイへの肩入れを強化した。
80 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 21:26:55 ID:???
>>71 >おれさまだって十分に知っている。
>>63 はだつおさんではなく、
>>62 へのレス。
「満州国の認証」と「ソ蒙国境の確定」がごっちゃになっているようだったので
僭越ながら解説しただけのこと。
>>72 >戦間期ドイツの軍事的雌伏期を支えたのはソ連だった。
独ソのラパロ条約のこと? ヒットラー政権の樹立後に冷却化していったのだが。
独ソ戦そのものはスターリンにとっては必然。
なによりヒットラーが「我が闘争」の中で共産主義を仇敵扱いしてるし、東方に
生活圏を求めるとうたっている。
いずれぶつかると考えるのが普通だろう。
実際、1941年春にスターリンは、ドイツとの戦いは必至で秋までには
その準備をすませたい、と述べている。
またスターリンとしてはドイツ侵攻時期は42年以降を望んでいる。
独ソ戦は戦術的な奇襲で幕を開けたのは異論はないが、まるで想定外の
出来事ではなかった。
81 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 21:33:13 ID:???
いや戦略レベルでしょう。
82 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 21:59:28 ID:???
スターリンが独ソ戦必至と考えていなかったのは、チャーチルの警告を無視し 安心しきって赤軍を大粛清で機能不全にしてしまった事からも明らか。 スターリンが独ソ戦への準備を怠らなかったという印象は、スターリン神格化過程でのプロパガンダの名残。
83 :
名無し三等兵 :2005/04/10(日) 16:19:33 ID:???
対ソ戦の為に国境に終結したドイツ軍に対応するため、ソ連軍は西部国境付近に兵員三百万人以上、航空機六千機以上、 火砲三万五千門以上を動員していた訳だが。 (但しソ連側はドイツを刺激しないため、兵力の多くを国境線より下げていた) 奇襲の要因を1・戦略目標の秘匿、2・攻撃地点の秘匿、3・攻撃開始時の秘匿、4・攻撃規模の秘匿とすると、 ドイツは3しか秘匿できなかったため戦術的な奇襲と考えて良いとおもう。
84 :
名無し三等兵 :2005/04/10(日) 18:26:41 ID:???
↑もうひとつ、4.攻撃規模の秘匿 にも失敗しているね。 ドイツ軍の電撃戦とその効果は1936年のトハチェフスキー指揮下での赤軍大演習に起源があり、ポーランド/フランスでの実績も明らかになっているので、ソ連側には電撃作戦についてドイツ並みの知識と経験があったといえる。 更にドイツはT-U号戦車主体の機甲部隊(製造〜訓練〜編成に到るまでソ連側が熟知している)という“攻撃手段の秘匿”も出来ていない上に、ソ連ではT34&KVという当時のドイツ側水準からすれば怪物というべき防衛戦力を、完全に秘匿した状態で保持していた。 これだけ有利な条件が揃っていながらドイツ側の攻撃でスターリンがモスクワを失いかけたのは、ヒトラーの狂気を見くびっていた故の油断と、ドイツよりも赤軍を自らの脅威と見なして大粛清に狂奔していた点に収斂されるだろう。
85 :
名無し三等兵 :2005/04/10(日) 21:57:49 ID:???
だからそりゃ戦略的だろ。
86 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 11:38:51 ID:V3LuBZA2
辻の起草した「北満??国境紛争処理要綱」だっけ、あれに従って ハルハ川を越えた蒙ソ軍を一撃懲罰できずに休戦したんだから 負けは負けだと思うんだが、最近は「善戦」を通り越して「勝った」とかいう 言説があるそうだが本当かね? それは「31師団がコヒマからディマプールに突入すればインパール作戦は勝てた」 とか戦後、英軍中佐に煽られた牟田口レベルの物言いだと思うのだが
87 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 11:51:39 ID:???
なんか日本陸海軍全面肯定ってブサヨの日本陸海軍全面否定と ベクトルが違うだけで一緒だと思えるな。
88 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 12:06:20 ID:???
日本兵は精強だったのは事実だが、戦略、政略は一体化せず、戦術指導は杜撰の極み。 死傷者数の比較や戦車の損耗の数をあげて「勝った」等と言う輩は歴史の捏造をしているに過ぎない。 戦地で散っていった英霊はそんなことは望まないだろうし、事実を的確に見つめることのみが供養になると思う。 合掌
89 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 13:02:48 ID:???
引き分けってのもどうかな。 そもそも北満国境の安定のための懲罰作戦なのに、 ハルハ河越えるって意思おしつけられて領土協定結んだわけじゃん。 かわりに何ぼか前進した分、日本軍が確保したからって陣取り合戦した わけじゃないからさぁ。
90 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 14:57:30 ID:???
でわ、日本政府が軍の希望通りにやらせてあげてたら勝ってたの? なんて言ってみる
91 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 16:51:21 ID:???
軍の希望通りやらせてあげた結果あんなことになったんじゃ・・・。 中央が停戦してくれなきゃ第十五旅団の確保した土地も逆襲で奪い返されてたのは必死でしょ。 国境紛争のはずが、あそこら辺まで戦線を拡大しちゃうと最悪駅を奪われる可能性があるわけで、もしそうなると実質国境線が大きく塗り変わる事になっちゃうんじゃないの?
92 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 17:09:06 ID:???
さあそこで何故か独ソ不可侵条約成立でスターリンはヨーロッパ正面に 軍隊を早く送りたいから抗戦しないとかいう不思議な理屈になるわけだ。 じゃ1941年12月の極東軍の引き抜きによるモスクワ防衛の成功は何だったかというわけで。 三宅坂が関東軍をうまくとめて良かったじゃない。辻だって、正直日ソ開戦の引き金を 自分の作戦で引くのかと、最後の頃はびびってたと思うよ。
93 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 17:12:58 ID:???
非常に名誉なことだと思うんじゃないかねぇ、辻なら。
94 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 17:28:20 ID:???
いや、辻はあれで東条と同じ小心な所あるから。 彼が目指すのは常に「北満国境紛争処理要綱」や「マレー作戦シンガポール泊まり」 であって、「対ソ開戦」や「ビルマ英軍全掃討」いった誇大妄想まで走らないところが 彼の限界。 ガダルカナルでも悪評の割に、見切りをつけて「転進」進言したのは彼だし。
95 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 17:50:56 ID:SVUDwd8O
>>90 帝國陸軍にしてみたら中国戦線も抱えてるし、満州だって東部の方が予想主戦場。
よって使える師団数だって限られるし、そもそもその師団だって水増ししたものだし。
それにソ蒙軍は砲数、威力および標高の高いコマツ台に陣取ってたからね。
なにより戦車もある。
日満軍が有利なのは駅から戦場まで近い事だが、補給能力としてはソ軍の方が上回っていた。
やっぱ無理っぽいな。
96 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 18:41:40 ID:???
満蒙国境のモンハンで日ソ両軍が激突。
97 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 21:19:57 ID:???
>>88 この間、ノモンハンの遺骨収集団が撮影した鉄帽/軍服をまとったままの兵士の遺体(鉄帽にしまってあった印鑑で身元が判明した)を見たら、絶対に辻は許せないと思うた。
辻を消した実行犯とされる人物は、ひょんな縁で私の知人の家族となったが、日本人でも彼の行動に喝采を送っている人間が沢山いると伝えてある。
本人は殺した後もひつこく日本人に問詰められるんで、内心気に病んでいたらしい...
98 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 21:35:48 ID:???
いっそノモンハンで満州を失うぐらいこてんぱんにやられていたら 陸軍の体質も変わったかも知れないしWW2はもっと違った形になっただろうな。
99 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 22:26:26 ID:???
>>87 そう、ノモンハンを真摯に反省できないようでは、誠の愛国者ではない。
>>100 その人の本は数字とかがかなりいい加減だから、あまり鵜呑みにしない方が良いかと・・・。
「シナ大陸の真相―1931‐1938」(K.カール カワカミ (著), 福井 雄三 (翻訳))
「支那事変と満州事変は表裏一体のものだが、日本が支那においてとっている行動は決して侵略と
破壊を目的としたものではなく、東亜の秩序を確立し混乱を収束するためのものなのだ、日本は国
際法にしたがって忠実に行動しているだけであり、欧米列強と事をかまえる意図など少しも無い…、
支那事変前夜の大陸の政治的実情と国際社会の視線を冷静に公平に且つ鋭く見据えていた著者
の観察は、日本の正義を主張してやまない」
www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4072440507 よく判らん。児島譲の満州帝国でも読みなおして見る。
日本が正義とか被害者と言ってくれるのは嬉しい。でも、まあ、待てw
正義は国や人の数だけあるよ。 と言うか何をおいても自国の利益を最優先させなければならない国際紛争の場で、正義とか○○人の解放とか新秩序の樹立とか言う甘いオブラートでやってることを包んでる奴にロクなのはいないというのが今までの経験。
しかし包んでいない奴がいないのもまた事実。
まあね。 でも国際政治学の先生が著書の中でそういう事書いてると、頭の良いバカなのかなーって思っちゃうよ。 まあペーパーじゃないし、本が面白ければ何でも良いのかもしれないけどさ。
>>100 福井のアレですか……
雑誌掲載時に読んだけど、トンデモ本だよ。
確か…
「総兵力は日満軍3万弱のに対し、ソ蒙軍は23万人。
戦死傷者数が日満軍の1万8千人に対しソ蒙軍が2万6千人。
小兵力で大兵力を押さえたのだから大勝利!!」
って論法だったと記憶するが。
これは明らかな詭弁。
師団が機能しなくなるほどの損耗率を出しておいて、勝利も何もない。
孤島で補給も無く、陣地を死守した……というのであれば話も分かるが。
問題は関東軍参謀がソ蒙軍の実力を常に見誤り、対等な兵力を集結
出来なかった事で、そのツケは前線将兵の血で補われた。
戦略目的も達せず、師団は崩壊・・・これで勝ちは無いだろう。
(続き) あと 「日本軍は戦車を29両しか失っていないのに、ソ連軍のは180両も屠った。 これは圧倒的な勝利ではないか!!」 という論もあったと思う(記憶違いで別の本かもしれない)。 実は日本の戦車隊(安岡支隊)は第一次ノモンハン事件にしか参加しておらず その総数は92両(うち軽戦車54両)。 しかも事件中に(1939.7.10)に編成を解かれて、後方に下げられている。 (理由は色々あるが、一番の理由は虎の子の戦車の損耗を怖れたらしい) ちなみにソ連戦車は一次、二次の総数で1000両以上(うち装甲自動車約300両)。 (しかもディーセル・エンジン搭載を搭載した戦車を逐次登場させていて やがて火炎瓶攻撃が効かなくなった) つまり存在しない戦車は破壊されるはずもないので、損耗などあろうはずがない。 たちの詭弁である。 そもそも勝ち戦であったなら、生き残った将兵に苛烈な箝口令をしくような 事はしないはず。 (捕虜交換後、傷を負った兵に投薬・加療せず放置。将官には拳銃を渡して自決を強要。 もちろん日本軍内の話である) 福井の論は、兵隊を数字として見ない関東軍作戦課と、詭弁の中身は辻政信の強がりと同類。
>>106 関東軍は怪しいと気付いていたけど、肝心の第二十三師団が全く的外れな
報告を出していたんで、関東軍参謀本部は責められるようなもんじゃないよ。
なんせ師団長は日本軍一のソ連通として陸軍中央が派遣してきた人物で
関東軍側は彼の判断にケチがつけられない状態だったから。
肝心の師団長は戦線後方にいて全く状況を見ていないんだから話しにならん。
>>106 詭弁以前にソ連側の参加兵力が23万とか絶対にあり得ない。
以前にも、皇軍太郎がソ連側23万のなら根拠(編成)を出せって言われて逃走してた。
110 :
だつお :2005/04/12(火) 07:26:26 ID:sj5kEQyp
>師団が機能しなくなるほどの損耗率を出しておいて、勝利も何もない。 なら支那派遣軍は、中国のチンピラゴロツキ3500万を殺戮して、 百万の精鋭がそのまま健在だったのだから、全く当てはまらないな。 チンピラゴロツキ中国人の3500万なんて、とても殺し足らなかった? あるいはチンピラゴロツキなんて3500万殺してもしょうがない? ならチンピラゴロツキの3500万が生きて何の値打ちがあった?
確かに損害云々は直接関係ないな。 問題は目的を達成できたか否か。 損害だけで語るなら硫黄島は日本の勝ちになってしまう。 まぁ相手をびびらせたあげくにアメリカにソ連の参戦を 要求させてしまったという負の面もあるし・・・。
仮に損害=勝敗とすると 独ソ戦はドイツの圧勝!ソ・フィン戦争もフィンランドの圧勝! 何せ両国とも兵員一人あたり関東軍の4〜10倍近く赤軍に損害を与えてますから! ・・・とか言う訳の分からん事になってしまうな。
戦車は翌昭和15年度、関東軍装備拡充計画の基幹だから損耗させるわけにいかず 8月攻勢?の中途でひきあげられたんだっけ?
>>112 空港で銃を乱射するテロリストなんか1人の損害で数十倍の人間を殺してるぜ!
115 :
名無し三等兵 :2005/04/12(火) 16:50:41 ID:YZTysN0P
>>14 たとえ軍事的に勝っていたとしても、
日本の北進を阻止するという戦争目的を
達成したソビエトの勝ち。
たとえ、軍事的に勝っていたとしても、
中国侵攻が中国との
講和に結びつかなかった、
日中戦争が日本の負けなのと同じ。
戦争と国際政治は別次元だ。
>14 :名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 18:24:26 ID:??? >つーか、ノモンハンを負けたと考えてる奴自体、赤軍の洗脳に染まっている証拠。 >あと10年もしないうちに、ノモンハン事件は日本軍の大勝利だったという事が >歴史的定説となるであろう。 釣りか知らぬが、すごい大物が来てたなw
>>108 第二十三師団の小松原師団長は確かにソ連通だったが、実戦や指揮経験が浅い上
その用兵が粗雑だったのには異論はない。
しかしその彼を下げなかったのも関東軍。
作戦課が植田軍司令官に、新設で(1938.4編成)練度の低い第二十三師団の
代わりに、第七師団を主力にしては、と提案した際に軍司令官が
「それでは小松原が可哀想だ」とその案を退けている。
結局、第二十三師団に第七師団から引き抜いた部隊を当て、編成し直すことに。
(作戦課はこれに特に意見具申することなく、翌日には第七師団の直接投入を取り消している)
ちなみに作戦課が指導に乗り出した際は「鶏ヲ割クニ牛刀ヲモッテセンコトヲ欲シタルモノ」
と自賛したほどの戦力を用意したが、ソ連軍はその予想を上回っていた。
関東軍参謀は責められて当然じゃないかな。
陸軍省軍事課長岩畔豪雄大佐は、 「事態が拡大した際、その収拾のための成算も実力もないのに、 たいして意味のない紛争に大兵力を投じ、 貴重な犠牲を生ぜしめる如き用兵には同意し難い。 ことに今や軍備拡張を要求している統帥部が このような無意味な消耗を認めるのは不可能である。」と強硬に反対!
>>115 >>117 >14 :名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 18:24:26 ID:???
日付をチェック!
122 :
100 :2005/04/12(火) 23:07:28 ID:???
>>101 あんなの鵜呑みになんてしてませんて
航空戦の戦果からして日本軍の発表した数字を使ってるんだし
それにしてもノモンハンの事書いた本を当たれば、1500機撃墜なんて
簡単に嘘だとわかりそうなものですけどね・・・・
123 :
名無し三等兵 :2005/04/13(水) 01:12:17 ID:Kpf/8eNa
浅学薄識でスマソ。 日本軍全般にいえると思うけど、戦術の基本である偵察や分析 による情報把握に欠けて、漠然とした情報の連想で意思決定 されていることが多いと思う。 独軍では、特に東部戦線は極めて過酷な戦闘であったため、軍事行動の 15%が偵察活動と、通常のものの3倍以上であったため、戦力差を 補う果敢な戦いを行いえたと、何かの本で読んだが・・ ノ戦では参謀本部の情報分析が悪いと思った。
関東軍参謀課の作戦指導の結果ですから あの時点では、陸軍中央は、対ソ戦なんて、やる気なかった
>>107 ノモンハンの日本軍の戦術的敗北は疑う余地もないですが、
箝口令については日ソ中立条約(日ソ同盟まで視野に入れた)を結ぶ上で、
国民の対ソ感情悪化を恐れたためとの説もありますね。
三国防共に配慮して、中国軍のドイツ式装備について伏せていたようなもので。
>>111 あそこでアメリカをビビらせなかったら、そのまま本土決戦へ進んでいたかもしれません。
アメリカに出血を強要し講和させるという戦略目標を、ある程度まで達成した勝ち戦といえるかも知れないと思います。
>>123 独ソ戦の開戦当初は情報部の集めた情報がガセばかりで、現地部隊が偵察/哨戒を強化しなければならなかった。
独ソともに戦う前の情報戦でソ連に完敗。まして英国に対しては...
>>125 おまけの大都市爆撃と原爆投下による一般市民の死傷を考えにいれないのか?w
>>127 そこまで言うなら、ミッドウェー・ガダルカナル・マリアナ・通商破壊戦等等まで考慮に入れないといけなくなります。
これらと、硫黄島・沖縄両作戦の決定的な違いは、日本軍が「アメリカに出血を強要し講和させる」意図を以って行った作戦であるか否か。
で、結果を見ると出血したのは大日本帝国のほうで、 反撃能力のほとんどを奪われての降伏なわけだが。
130 :
だつお :2005/04/13(水) 07:33:31 ID:kFlewc4R
>結果を見ると出血したのは大日本帝国のほうで、
ところが敵に与えた損害は、日本の受けたそれを遥かに上回っている。
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありません
でした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、興隆県の中でこの13年の間に5万人
くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの
区に対する不完全な統計によると、人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人
が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は16万人
くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。
6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html 平成14年5月、中国のサンフランシスコ駐在総領事が、サンフランシスコ
大学での「日本の戦争記憶問題と対決する」というシンポジウムで演説。
「日本軍は対中侵略で中国人民3500万人を殺した・・・それにもかかわらず
日本の政治家も政府も、口頭でも法的にも謝罪することを一切、拒んでいる
・・・日本政府は犠牲者への賠償支払も拒否した・・・侵略や残虐の記述を
教科書から削除し、また侵略戦争を始めるのではとの懸念がある」と述べた。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa02/tushu6.htm
>>129 >出血したのは大日本帝国のほうで
そりゃそうなんだけど、損害比は戦闘の勝敗判定には関係ないんだってば。
>反撃能力のほとんどを奪われての降伏なわけだが。
オリンピック作戦発動時の、日本軍反撃能力の有無は議論もあろうが、
少なくともトルーマン大統領は本土決戦すれば「数百万の米英軍の犠牲が必要」と考えていたわけだろ?
その結果、国体を護持した形での降伏が実現したわけだ。
>131 その結果は原爆二発の投下と ソ連参戦だったわけだが。
>>132 ソ連参戦が約束されたヤルタ会談は硫黄島戦の前だ。
>133 >「数百万の米英軍の犠牲が必要」 硫黄島の前からそう考えていたんだよ。
ミッドウェーの敗戦も緘口令しかれたね。 やっぱ国民の対米感情悪化を避けるために、伏せたのかな?
だろうな、まさかアメリカと戦争しているとは知られるわけにもいくまいし。
↑その通りw 本当に戦争してるのが、あの「アメリカ」だって国民に気付かれちゃ、元も子もない。 日本が開戦したのは連合艦隊に蹴散らされる「鬼畜米英」というバーチャルな存在であって、当時の日本人が実体験を以って憧れと畏怖の眼で見ていたアメリカではないからね。 もっとも、その3年後には 軍人のみならず 全国人口の大部分がその事実を知るに到り、継戦不能な状況で大日本帝國は降伏する訳だが... ルーズヴェルト/トルーマンは日本本土上陸作戦で大損害を覚悟していた訳だが、黒船以来の情報網を持っていた英国と 積極的な協力者を多数抱えていたソ連は 実際にはそれほどの損害は出ないと冷静に判断していた。 だからチャーチルは日本制圧のために米国が対ソ譲歩を繰り返すのに反対し、スターリンは対日参戦という簡単な仕事の報酬を吊り上げまくって欧州での優位を確保した。
130 場違いな事を書くな。 空気読め。売国奴が。 中国人が何人死んでようが知った事か。
ノモンハンは辻の1人相撲
辻だけじゃなく関東軍もノリノリだったわけだが
半田一利は一行ごとに悲憤慷慨してうざい文章だな。 五味川純平のほうが、まだましだ
国体って天皇中心の神の国って話だろ?護持されたの?
栃木国体とか、都道府県ごとに地方分割されて戦後も継続されたよ。 「国体明徴声明で訳のわからんまま形成された昭和10年以降の神の国」の護持じゃなく あくまで国体護持は「皇室の継続」なんだから、連合軍側にとっては安い 修正・無条件降伏だわな。 ポツダム宣言で問題になったの、そこだけだろ?
天皇中心の神の国って、戦前でも一部のアレな人たちしか信じてなかった幻想じゃね?
>>142 釣りかな? 半田じゃなくて半藤一利。
でも確かにあの人の文章は読みにくいね。
五味川純平の「ノモンハン」はソ連よりに書かれすぎているが、関東軍や辻に
対するツッコミは辛辣で結構好き。
(そこまで言っては・・・ってな個所もあるけど)
>143 > 国体の護持は飲ませてるぞ? 降伏文書では、ポツダム宣言を受諾し履行というだけで、「皇室の継続」の保証 も含め留保条件は付いていないが。
だから無条件降伏っていうのね
国体はGHQの進駐と同時にいったん解体され、新憲法公布で再構築された。 天皇をはじめ変質しつつ生き残った存在も多いが、国軍などは消滅してしまった...
天皇が廃止されよが王制復古すればいい。 国軍が廃止されても国軍再編すればよいのだ。
大日本帝國憲法も本質的な欠陥が露呈していながら占領されるまで改憲できなかった。 現在の日本国憲法も自衛権の問題を抱えつつも、現状の議院内閣制下での改憲は不可能だろう。 なにしろ日本は中年〜老人が多数派の国家。改憲=再軍備と考える彼らが立法府への最大影響力を持っている。
米陸軍 指揮幕僚大学 NOMONHAN Japanese-Soviet Tactical Combat、1939 By Edward J.Drea
154 :
名無し三等兵 :2005/04/28(木) 14:34:09 ID:30Ge4ywy
鳥飼行博研究室 (東海大学教養学部人間環境学科助教授)
検証:ノモンハン事件と日米開戦
ノモンハン事件では,ソ連側は死傷者9284名の損害を出したとされていた。しかし,
ソ連崩壊後明らかになったソ連側死傷者の数は,2万3,926名であり、その内、
死者は6,831名、行方不明1,143名、重傷1万5,952名であった。つまり、日ソ両軍とも
大損害を被っている。日本がソ連を恐れたように、ソ連も日本軍の強さを認めざるを
得なかった。
日本軍は,ノモンハン事件で負けたとは思っていない。
http://www.geocities.jp/torikai007/pearlharbor/mongol.html
こりゃまた先生。強烈な燃料を。 戦後軍ヲタは「敗戦の原因は日本軍の精神主義」と過剰なまでに戒め 歴史を回顧したわけですが、ここ10年、歴史の再評価がすすむ。 それ自体はいいことですし、「日本陸軍の合理的な側面」とか好きなテーマだが、 ノモンハンは勝利とかルーズベルトは知っていたとか・・・。 お若い方が信じてしまうのを懸念します
何度繰り返すんだ(^^
>>154 >日本軍は,ノモンハン事件で負けたとは思っていない。
辻はノモンハン戦後に「戦は負けと認めれば負けなんだ」と士気停滞する課員
に言ってたそうな。
それだけ関東軍作戦課も手痛い負け戦に打ちのめされてたわけで。
負けを認めなかったのは当時も極少数です。
負けてないんだから、負けを認めるわけがない
負けてないのに指揮官に自殺を強要する恐るべき組織日本陸軍w
海軍の「艦長は艦と運命をともにすべし」のように 陸軍でも「現場指揮官は部隊が壊滅したら自決すべし」みたいな事例はあったんですか?
>>159 HaHaHa...出る杭はHitされるのです
軍旗を奉焼する勝ち戦か。 そんな稀有な戦は知らぬ知らぬ
ドロンパか
おまえら、五味川純平原作のあの映画みろよ。正座して。7時間
九七式自動砲は実戦投入されたのか?
ttp://www.ch-sakura.jp/bbs_thread.php?GENRE=sougou&ID=17409&P=100 >イ−ジス 2004-04-08 20:10:49 No.20922
>--------------------------------------------------------------------------------
>青葉の笛さんも、どうやらノモンハンの敗北史観を信じている方のようですが、私はあなたの考えを変える
>気はありませんので、一生敗北史観を信じてください
>、信じない人には何を議論しても無駄ですので。
>私も個人的には辻正信には興味ありますので彼についてはこれから調べていくつもりです。
>自決強要の件ですが、ノモンハンでは
>五味川順平を初め、これまで出版された著書は歪曲、捏造が多くすべて強要であったというの
>信じられませんね。
>自決の件ですが、大東亜戦争終戦の8月15日、
>戦いに敗れた後、自決した軍人は少なくとも599人います。自決した軍人は強要でも何でもなく自ら自決しました、
>敗けた戦争だからこそ、もはや命を捨ててしか守れない者があると信じていたと思います。
>これ以上、多くは語りませんが、今の日本人と比べると本当に心が居らかで美しい思想を持っていた日本人が多かったと思います。
>死んだ英霊をすべて悪と決める論理は戦死、自決した英霊を侮辱する行為だと思います。今回で私の投稿は本当にこれで最後に致します、
>私も伝える事はある程度、伝えましたし、これ以上、議論をしても進展はしませんので、以上です。
どうやったらここまで極端な考えを持つ事ができるんだろうねえ?
というか、こんなのが勝利を信じてる時点でノモンハン勝利説はカルトの類だろう
正義の戦争とかいうのはかまわんのよ。自己正当化は。まだ理解できるw しかし「ノモンハン敗戦史観」というのは、何か一線を越えてるよな
所詮はカルトですからw
オブイェークト
>>167 ああ、チャンネル桜のヤツね・・・
ノモンハン戦の敗北が捏造なら、小松原師団長の陣中日誌も捏造された事になる罠。
そもそも戦況図を見れば、日満軍が壊滅寸前だった事はすぐ理解できると思うのだが。
172 :
名無し三等兵 :2005/05/02(月) 22:08:20 ID:0UJtym6O
日本軍は勇敢に戦ったが、装備が違いすぎた。
>172 ノモンハンの時点ならそこまで決定的ではないと思う。
>173 歩二十六連隊が、ソ軍の野砲を避けるため後方へ陣地変換したが依然として射程距離圏内であった。 日本軍がお礼参りの砲撃をしたが、距離が遠すぎて戦果ゼロ。 日本の火砲は常に射程、火力が劣っていた。 日本軍兵士がソ軍の砲弾を「本物」と呼んでいた事からも明らかでしょう。
>>167 こりゃあ、まさに自分の見たい物だけが見える奴の典型だな。
しっかしこの人、日本陸軍を語る上では外せない超有名人の辻ーンすらよく知らないレベルで、ノモンハンは勝利と断言できるとは・・・。
>>172 私見だが、大日本帝國陸軍がノモンハンで受けたショックとは、装甲兵器/野砲の火力集中/これらを支える兵站能力といった野戦装備の格差だけでなく、
たかが隣土をめぐる戦いに 膨大な白兵(しかも白人)を投入して手榴弾突撃を敢行させ得る「真の」全体主義国家とのシステムの差にあったといえるだろう。
曲がりなりにも民主主義国家として歩もうと指向した時期の後に全体主義国家化した、いわば後発のファシスト国家だった大日本帝國は、彼我の本質の違いにショックを受けたのだろう。
177 :
名無し三等兵 :2005/05/04(水) 09:14:05 ID:Qn5PR1Tw
ソ連軍は戦車など機械化されていたし、大砲もソ連の方が射程距離が長い。 旧式の中国軍にてこずっていた日本では、とうてい太刀打ちできる相手では なかった。
そもそも1・5師団にも満たない程度の兵力で、30qの守備正面を受け持たして なおかつ包囲戦をやろうと考えるあたりに、関東軍の作戦指導の恐ろしさが……
けっきょく関東軍上層部は戦下手で下士官兵は敢闘したって ことなのね。 ノモンハンの戦争目的が明確じゃないのに、勝利も敗北もないよね。 だから呼び方も事件だったり紛争だったりするんでしょ。
実態はまぎれもない国境を巡っての正規戦な訳だが、日本軍大敗北の実態は隠された。 一般人がノモンハンの地名を初めて知るのは、軍が御用軍記物作家を動員して 初期の航空戦での大勝利や速射砲部隊の活躍等だけを取り上げた内容。 戦後まで事実は隠され、戦前にこういった書籍を読んだ人なんかには、未だに日本軍の大勝利だったと信じている人も結構いる。 こうした背景からカルト説が未だに跋扈しているとも言える。
>180 ノモンハンを含む西部国境は昭和十四年二〜四月に国境紛争が多発しており そのたびに日本内地に新聞報道されている。 ノモンハンという地名はメジャーではないが、事件前から国民には知られて いたようだ。
>>179 >>ノモンハンの戦争目的が明確じゃないのに、勝利も敗北もないよね。
つ北満国境紛争処理要綱
183 :
だつお :2005/05/04(水) 18:28:03 ID:hE5hmQUT
>旧式の中国軍にてこずっていた日本では、
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありません
でした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、興隆県の中でこの13年の間に5万人
くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの
区に対する不完全な統計によると、人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人
が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は16万人
くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。
6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html 平成14年5月、中国のサンフランシスコ駐在総領事が、サンフランシスコ
大学での「日本の戦争記憶問題と対決する」というシンポジウムで演説。
「日本軍は対中侵略で中国人民3500万人を殺した・・・それにもかかわらず
日本の政治家も政府も、口頭でも法的にも謝罪することを一切、拒んでいる
・・・日本政府は犠牲者への賠償支払も拒否した・・・侵略や残虐の記述を
教科書から削除し、また侵略戦争を始めるのではとの懸念がある」と述べた。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa02/tushu6.htm <昭和20年8月11日支那派遣軍総司令官岡村寧次大将の電報>
・・・数百万の陸軍兵力が決戦を交えずして降伏するが如き恥辱は、
世界戦史にその類を見ず、派遣軍は満8年連戦連勝、未だ一分隊の玉砕
に当たりても、完全に兵器を破壊し之を敵手に委ねざりしに、百万の
精鋭健在のまま敗残の(蒋介石の)重慶軍に無条件降伏するが如きは、
いかなる場合にも絶対に承服し得ざる所なり・・・
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog151.html
184 :
名無し三等兵 :2005/05/04(水) 18:34:22 ID:/nDYBqfo
なんだ、赤軍イワンがアホみたいに貼って、無くなったスレの復活か。 ノモンハンはソ連の侵略で日本軍は800両以上のソ連戦車を破壊した。 大本営が紛争不拡大の方針だったから、結果的に退却しなければならな かったが、被害の数では、ソ連が大きく上回り、日本が勝ったようなものだ。
下げないと食いつきませんよ。
186 :
だつお :2005/05/04(水) 18:39:34 ID:hE5hmQUT
>そもそも戦況図を見れば、日満軍が壊滅寸前だった事はすぐ理解できる 戦況図を見ても満州国は健在で、その後ソ連は満州国を承認してる。 国境沿いでソ連が満州国を承認したということは、満州国を認めない アメリカや中国の特殊性を示すものではなかろうか。 日本陸軍は1944年当時でもまだ力が有り余っていて、 大陸打通作戦を発動して中国チンピラゴロツキ3500万を 焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くす、輝かしい大勝利を収めた。 中国人なる生き物は、日本軍に虐殺されるために湧いてきたのだ。
>>183 河北省 興隆県で日本軍が戦ったのは独式装備の国府中央軍(大敗したものの日本側に大損害を与えている)でも 米式装備の雲南軍(ビルマから北上した日本軍を弄びつつ壊滅させた)でもない 長征後のボロボロ紅軍のなれの果てだった八路軍だった。
この匪賊と大差なかったボロ軍団相手に根拠地制圧も果たせなかった日本軍は、充分苦戦していたと言えようw
>>186 いつからノモンハン事変は満州国の存亡をかけた戦いになったのですか?
189 :
ノモンハン事件に「幕」 :2005/05/04(水) 19:03:21 ID:us5NjelS
画報躍進の日本 昭和十四年十一月号 欧州新情勢に伴い日ソ両国は外蒙国境ノモンハンに於ける紛争をして停戦、ここに四ヶ 月に亙る国境の暗雲は一掃をみたが、十月三日、陸軍当局は次ぎの如き発表をなしたが、 この事件の解決は、近代戦闘における精神、物質両方面統合の重要性を確認せしめた。兵 は国境を守り、軍は訓練に徹す。赫々たる武勲と戦果をもって、この大きな犠牲を活かさ ねばならぬ。 『ノモンハン事件に対して我方は終始不拡大方針を堅持し、専ら局地的解決を期待して 来たのであって現地の戦況は地形、兵力その他諸般の関係上八月中旬に至るまで多少の波 瀾はあったが、概してハルハ河畔において両軍相対峙して小戦闘を繰り返し、戦況は大な る発展を見るに至らなかった、其の間わが空軍は優秀なるソ連軍に対して極めて大なる損 害を與へて赫々たる戦果を納めたことは周知の通りである。然るに八月下旬に至るや、ソ 連軍は極めて優秀なる砲兵及び機械化部隊を伴ふ大兵団をもって攻勢に転じてきたために 茲に拠るべき他物もなき呼倫貝爾の平原において彼我数万の大軍と近代科学の粋を集めた 惨烈極る一大開戦が展開せらるるに至ったが、我軍は劣勢なる兵力をもってよく十日間に 亙る死闘を続け、此間優勢なソ蒙軍、特にその圧倒的な機甲部隊に対して果敢なる反撃を 反復してこれに甚大なる損害を與へた。
元来帝国は支那事変の処理に徹底するため満ソ及び満蒙国境事件に対してはなるべく小 兵力をもってこれを局地的に解決する方針をとって来たことは前述の通りであるが、偶々 国際情勢の急転、特に欧州戦乱の勃発に伴ひ日ソ両国間に於いて一転、停戦の協定の成立 をみるに至ったのである。 本戦闘において彼我兵力の懸絶、特にソ連軍の絶対優勢なる機甲部隊よりわが方の損害 は固より多大の数に上ったが、ソ蒙軍の損害もまた我に劣らぬ夥しい数に上った模様で特 に飛行機、戦車、装甲自動車の損害は甚だしかったやうである。 殊にソ軍は欧ソ方面から有力なる新兵器団と多数の飛行機、戦車等を送って本戦闘に参 加させるに至ったことは注目に値する。本戦闘に参加したわが軍は多数の損害を出したに も拘わらず、全軍の士気愈々旺盛で停戦協定成立後も尚厳然として国境の警備を固めてい る。因に去る五月ノモンハン事件発生以来停戦に至るまで我軍の損害は、死傷者及び戦病 者を加えて約一万八千名である。 時恰も皇軍の主力を挙げて対支聖戦に邁進しつつある秋、本事件参加部隊は劣勢なる兵 力を以って機甲部隊其他近代装備の完備せる優勢なるソ蒙軍に対し炎熱不毛の僻地に於て 四ヶ月の長期間に亙り能く国境防衛の重責を完うして帝国の支那事変処理の大方針は微動 せしめなかったもので、本事件の犠牲となった多数の将兵の功績は永久に忘るべからざる ものである。
併しながら近代科学の粋を尽くした本事件の経験は軍の精神的訓練の重要性は固より軍 の機械化等物質的戦備の充実が如何に近代戦闘に於て重大なる意義を有するかを愈痛切に 訓へたもので、今後皇軍は訓練の精到を期すると共に一層急速に物的戦備の充実に邁進す べきを痛感するのである。』 本事件によって吾人はイデオロギー的強化のみに気を取られて、国家の物質力を軽視す るが如き傾向に対し何よりの教訓であったと思ふ。
◎ノモンハン戦闘始末が発表された、一万八千の勇士に対し て満腔の感謝を捧げるとと同時に、対戦車兵器として、火炎 放射器よりも原始的なサイダー瓶にガソリンを入れたものの 方が有力だと云う事を我々国民に納得できる様に、議会を通 じて説明して頂きたい。我々国民は軍費の為には実に莫大な 負担をして最新兵器の整備に努めて来た訳だと思っているの ですから.......。 (同誌の巻頭言より抜粋)
>188 だつおだから放っておけ。 こいつはノモンハン事件を理解してないか、戦況図の意味を理解してないか もしくはその両方だから。 だつおより初代打通さんの方が面白かったな。
>>184 >日本が勝ったようなものだ。
じゃあ何で、ソ蒙主張の国境線で交渉が妥結したんだ?
>800両以上のソ連戦車を破壊した 引用元の本が間違っているのでは?と突っ込み入れられてたような。
高価な兵器よりも有効な火炎瓶という選択が有っても良いとは思うが、そのためにどれだけの日本兵が死に、後半では役に立たなくなってしまった事を、ぜひ国民に説明してほしかった...
197 :
名無し三等兵 :2005/05/04(水) 22:54:19 ID:MXeY/C+K
日本軍の資料は誇張してあるから、まともに受けっとって どうすんだ。
ノモンハンの映像には日本軍戦車の残骸ばかり映ってますが、800両分の鉄屑をソ連はどうやって持ち去ったんでしょうか?w
>198 800両って言うのはウソ八百なんだけど、ソ軍は極力戦車を回収しているよ。 戦線後方の修理隊で直せる物は直して原隊復帰。 昨日やっつけたハズのBTが今日またやって攻撃しに来た、なんて話もあるくらいで。
航空兵力、特に戦闘機は後々に響くような損失を受けたのは確かだわさ。 もともとパイロットの数自体が少なかった上に、ノモンハンでの損害のせいで、 太平洋戦争中盤になると、戦隊長クラスの人間が足らなくなったり、歩兵部隊出の 飛行機に無理解な人間が、飛行戦隊の参謀に就いてたりするからねぇ…… そこらへんの遠因はノモンハンにあると思う。
201 :
だつお :2005/05/04(水) 23:47:24 ID:hE5hmQUT
「陸軍機甲部隊」(学研)P143の古是三春氏の記述より 例えば連隊長戦死、保有戦車の七一パーセントを損傷した第三戦車連隊では、 八九式中戦車(乙)二八両のうち二一両(七五パーセント)が主に対戦車砲 によって損傷を受けたものの全損・廃棄処分となったのはわずか七両 (二五パーセント)にすぎない。反対にBT−5戦車で編成されていた ソ連側の第11戦車旅団は、ほぼ全戦車を全損状態で失い(約一八〇両)、 BT−7で総取替えされたほどだった。
ノモンハンの日本軍戦車隊は、次年度関東軍の戦力基幹だから 戦闘途中で引きぬいたとか聞いたな。
>ソ連側の第11戦車旅団は、ほぼ全戦車を全損状態で失い(約一八〇両)、 >BT−7で総取替えされたほどだった。 貴重品の戦車を失うのを恐れて停戦もしていないのに早々と引き揚げた日本・・・ 総取替えして貰えるとは裏山椎
クックス買うか借りるか迷ってるんだけど、手元に置いておく価値ある? もう少し安ければ間違いなく買うのだが、いかんせん高い(´・ω・`)
ノモンハンの基本研究書だから、そろえるに越した事ないんじゃないの? ヤフオクヤフオク
>>205 ありがトン
手元に置いておいた方がよさそうだから、買うことにする。ヽ( ´ー`)ノ
>米式装備の雲南軍(ビルマから北上した日本軍を弄びつつ壊滅させた) アメリカは、わざわざ中国軍をインドに空輸して米式訓練を行ってますから やる事がケタ桁外れです。
>>207 ヒマラヤ越えで燃料・弾薬を空輸して、100機近いB-29が運用できちゃう国ですもの。
B-29自体も、アメリカ〜大西洋〜北アフリカ〜インド〜中国と地球を半周以上飛行させて持ってきているし、
ほんと金持ちとケンカしちゃあいけませんわ。
>>201 だいぶ前にその記述を確認するために複数の資料に当たってみた事がある。
そしたらクックスの「ノモンハン 草原の日ソ戦ー1939」のなかに
気になる記述を見つけた。その第11戦車旅団とかいうのが大損害を受けたとき
戦った日本軍の部隊には戦車が一両もなかったというくだりだ
日本の戦車の優秀さを示すとか言ってコピペされてるが、その損害は
全てが火炎瓶と速射砲によるものだろう。
で、火炎瓶と速射砲で戦車を破壊したらどうして日本軍の戦車が優秀だという事になるんですか?
>>208 ま〜 スティルウェル道路といい、ヒマラヤ航路といい、とりもなおさずマンハッタン計画といい、米国のやる事はケタ違いのスケールだわなw
降伏直後の日本人が雪崩を打って親米派に鞍替えし、A級戦犯に全責任を押し付けて過去を捨ててしまったのも仕方ない噺だ。
にしても、そんな米国の鼻面を2年ばかし引きづり廻した大日本帝國は大したもんだった、と言えるかも...
>>203 BT-7に総入換えw そのBT-7も独ソ戦初期で絶滅だろ。当時の技術革新速度もすごいよね。
勿論、大日本帝國は全然ついてけなかった訳だが...
212 :
名無し三等兵 :2005/05/05(木) 09:13:51 ID:SUxSn6Q8
もともと、日本は工業力では、英、独、仏、ソ連、米に大きく遅れを とっていますからね。列強では、一番弱いからな。あと、この5カ国は、 WW1で、総力戦を体験して、技術革新が進んだが、日本は体験していないことが 大きい。世界から取り残されてしまった。
伊はどこへいったんだ? ああ所詮ヘタリアですか。そうですか。
日本とイタリアって1930年代の歩兵支援/陣地攻撃型の機甲大国だったよね。 それ以前の英仏の古臭いデザイン&運用に比べれば良い線行ってたと言えるけど、対戦車戦を新ジャンルの戦闘として最初から念頭に置いて独ソが台頭して世代交代であぼーんされちゃったw 米国が機甲部隊を持っようになるのは、その後1940年代になってからだけど、バケモノ生産力でトップに立ってしまった...
>214 イタリアは機甲大国だった事はなかったぞ。 1940年までの戦車は旧式のFIAT3000とタンケッティだけだったし。 あと、日本も数的には機甲大国とは呼べないお寒い状況。
なら機甲中国位だろう。一応、移動射撃の技術も持ってたし、その2年後にはマレーで装甲部隊による電撃戦も実践してる。 当時の機甲小国はポーランドみたいな諸国で、装甲車止まりの国の方が多かったんだし。
217 :
名無し三等兵 :2005/05/06(金) 00:22:34 ID:Qnc7GJpv
日本とイタリアはww1に参加したけど、局地戦であり、総力戦は経験してない から、陸戦の装備の面で遅れをとっているなあ
>マレーで装甲部隊による電撃戦 いや、まあw。 気持ちはわかる。わが皇軍は神速だったからなあ
機甲中国orz
いちおう交戦中(支那事変)で軍備拡充したし 昭和6年〜16年軽・中戦車も1400台生産したからソ連ドイツにつぐ 世界第3位の戦車大国という見方も。 もっとも比島・ビルマの米英M3にあっといいうまに苦戦したけどさ
ドイツ機甲界を揺るがしたT34ショック。 日本機甲界を揺るがしたM3『軽』戦車ショック。
222 :
名無し三等兵 :2005/05/06(金) 08:46:52 ID:v/5yqVAN
日本は自動車すらろくにもってないのし、戦車なんて駄目や露
>>217 >総力戦は経験してないから〜
総力戦の研究はしたんだよ。
当時の日本では、総力戦をやるのが難しいので、総力戦に突入する前に戦争の決
着をつけるため、現役兵力を多めに保持しよとした。 で、現役兵力を多めに保持
する為には予算の関係上、歩兵師団が中心にならざるを得なかった、と云う話があ
るけどね。
224 :
名無し三等兵 :2005/05/06(金) 23:32:57 ID:QbVDqIB+
>研究と実際にやることとはさがあるような気がします。 日本は、列強に比べると著しく遅れていたことは確かですな。
>225 んな高くて、一般書店じゃ入手しにくい本を薦める場合は内容のガイドくら い買いとけ。
>>212 日本の重工業が大きく発達したのがまさに第一次大戦期なんだが。
特需に沸いたのは知ってるよな?
戦術もしっかり研究して、後にゼークトライン突破やジットライン突破で、その成果を証明している。
イメージだけで語るなよ、厨房。
>>227 その発展した重工業でもイタリア以下の実力w
貿易収益の大部分は、婦女子の強制労働の賜物である生糸製品に支えられ、江戸時代末期と変化無し。
大正末期には列国と肩を並べたと夜郎自大気味だったが、独創力に欠けるモノマネ体質と低品質を克服できぬまま 現在の中国/韓国のようなコピー商品の生産国、奴隷移民の排出口として世界中の顰蹙を買っていた。
戦術の研究で日本軍が抜きんでいたのは事実。軍事資源が小さく工業力の貧弱な日本が列強の侵略と互するためには智恵で勝負するしかなかった。
優秀な士官の多くが海外留学を経験し、国外の様々な新潮流の摂取に熱心だった(ある意味 プラス指向のモノマネ)。
>228 戦術面において日本が優秀だった事実はない。 基本のメッケル戦術に日露戦を加味したくらいで、ほとんど発展がなかった。 いや、日露戦のような柔軟な発想が持たれない分、後退しているとも言えるか。 当のノモンハン戦を見れば分かるように夜襲に白兵突撃の繰り返し。 補給、偵察をおろそかにし、敵を過小評価して兵力の逐次投入で各個撃破される という、太平洋戦争でおなじみの悪循環が露呈している。 ノモンハン戦後、戦訓は誤って解釈され、また問題の本質に目を背けたのは軍首 脳部の知恵の無さを証明するものである。
230 :
名無し三等兵 :2005/05/07(土) 16:07:35 ID:IslwTClR
戦術の研究をしたわりには、銃剣突撃ばかりしていましたが、研究は していたが、実戦はしていなかったから意味なし。
>>226 広島駅前のデパートの書店で買ったのだが。
そうか、あそこは特異な本屋だったのか……
本の内容ぐらい、多少は自分で調べる努力をしたら?
銃剣突撃はWW2末期の状態で決して最初から銃剣突撃に頼っていた訳ではない。 ノモンハンPart2では圧倒的な戦力差があり、あれだけ持ち堪えたのは兵卒の超人的頑張りによるもの。 この点ではジューコフも最大限の賛辞を贈っているが、筆ヒゲの忠実な部下だったジューコフにしては異例の発言だが、場合によってはモスクワからの指示だったのかもしれない。 その場合、筆ヒゲが日本兵を欲しがった背景も何となく分かる気がする。 もっとも、この頑張りを日本軍上層部が誤って適応したが故に、WW2本番での精神主義を以って物資の不足を補わせん という風潮を招いたのも間違いの無い事実だ。
233 :
だつお :2005/05/07(土) 19:40:17 ID:eFEvx2yD
234 :
だつお :2005/05/07(土) 19:49:18 ID:eFEvx2yD
>>227 どれだけ発達しようが、JISに相当する国家統一工業規格が存在していないと言う一点だけで、工業国として駄目ポなんだが。>戦前日本。
↑そのチハを動かすための石油を得るために対米開戦w 結果、中国大陸と日本本土には無傷の陸軍部隊が残ったが、洋上の連合艦隊と航空戦力は消滅した。 もう少し戦争が長引けば、その陸軍部隊もミンチにされてただろうが、昭和天皇のおかげで免れた。
>234 文章は香ばしくてイイのだが・・・ そのリンクは、だつお先生らしく無いなぁ。
↑だつお氏も事実は事実として受け入れざるを得なかったんだろうw チハの装甲って米国の警察なんかが装備してる耐12.7mm級の装甲車以下みたいだな...
すでに、ガダルカナルで銃剣突撃と夜襲の繰り返しで大敗してますが、なにか?
ガダルカナルは末期の始まりと見た方が良くない? そうなると日本軍が堅調だったのは1942年の蘭印占領位までになってしまうが、事実なんだから仕方がないだろうw
1937年までの戦車なんて皆ベニヤ板みたいな装甲だろ
ガダルカナルとノモンハンは両作戦を指導した「超高級参謀」辻ーんの言い訳が同じ。 曰く「あんな場所に大軍がやってくるとは、こちらは思いもしなかった」
日本 九五式軽戦車 ハ号 12mm 日本 九七式中戦車 チハ 25mm アメリカ M2A2軽戦車 15.88mm イギリス Mk.II巡航戦車 30mm イギリス Mk.I歩兵戦車マティルダI 65mm フランス ルノーR35軽戦車 45mm フランス オチキスH35/H38/H39軽戦車 45mm フランス ソミュアS35中戦車 56mm ドイツ II号戦車A/B/C型 16mm ドイツ III号戦車B型 14.5mm ドイツ 35(t)戦車 25mm イタリア L3軽戦車 15mm ソ連 T-26軽戦車 15mm ソ連 BT-7快速戦車 22mm ソ連 T-28中戦車 40mm
>>242 思いっきり情報軽視、敵を軽侮したくせに、よく言うよなあ。
でも、応用が利きそうな言い訳だw
>>238 馬鹿もんっ!
チハタンの正面装甲は距離150mからの37_対戦車砲弾を防げるぞ!
ただし日本陸軍のだけだけどね。
ドイツ製の同口径砲は300mでもチハをやすやす撃ち抜いたそうな。
日本の冶金技術の低さが伺える証左の一つ。
246 :
名無し三等兵 :2005/05/07(土) 22:11:33 ID:FyQ1rhXI
たつおは馬鹿だからほうっておけ
↑ そこがイイのですよ。
249 :
名無し三等兵 :2005/05/08(日) 02:13:22 ID:6Fe/OIGY
すみません。 教えて頂きたいのですが、安彦良和さんの「虹色のトロツキー」のノモンハン編(?)に出てくる ウルジン将軍が興安軍を助けに行くところって事実なんですか?
>>245 >>248 数字といえば、砲口初速のスペックを満たすために弾重を軽くしてしまい、
結果、装甲貫通力を落としてしまったナンセンスな砲があったよね?
>>249 便乗ですが、満軍のモンゴル人将校が反乱を起こしたのは、事実なの?
確かに装甲板の質についてはアメリカのそれを参考にしたとかでそれなりに良かったみたいだな タイに売った九五式はなんで装甲板割れたんだろう?
>>252 餓島の場合は米軍をナメまくって兵力の逐次投入と言う致命的なミスを侵した陸軍にもかなり問題があるのでは?
まあ銃剣突撃じゃないが、陸軍は劣勢な兵力で無理に攻勢かけるの好きだよな。沖縄でも攻勢かけて一日で戦力半減してるし。
>JISに相当する国家統一工業規格が存在していない また,2個の機甲擲弾兵連隊,ひいては師団全体の状況を推測するうえで 参考にしていただきたいのが,SS第26連隊第2大隊は,アルデンヌ攻勢 開始当初に装備されていた105台の自動車のうちの38台を喪失し, 1月末の数字では残された67台のうち34台,つまり最初の数字の 32%が稼動状態を保っているという車両装備状態であった。興味深い ことに,保有されていた車両の内幕(牽引車を除く)は以下の通りで, これら6種類のメーカーのうち,3種が捕獲車両であった。フォードV8 13台,オベル・ブリッツ 10台,ブラガ 1台,フィアット 14台, スチュードベーカー 2台,ベッドフォード 1台。 このようにしてみると,部品の交換や修理に相当苦労したであろうことは, 想像に難くない。 ヒットラー・ユーゲント SS第12戦車師団史 下 / フーベアト・マイヤー/著 向井祐子/訳
>ドイツ製の同口径砲は300mでもチハをやすやす撃ち抜いたそうな。 ところが、ナチズムの権力掌握後、独ソ関係の悪化によりこの軍事協力関係 の維持は不可能となり、ドイツ国防軍がみずからの活力を維持するためには、 あらたな軍事的パートナーを必要とするにいたったのである。この面で ドイツ国防軍、主として陸軍が注目したのは中国であった。・・・中略・・・ また、国防経済という観点からも、ドイツ国防軍が親中路線を採用する理由が 存在した。なぜなら、両国の経済は相互補完的であったからである。ドイツ国防 経済は、ロシアとの関係悪化後、技術刷新の継続のためにも、また付加的な 輸出の拡大のためにも、あらたな市場を求めていた。一方、中国側は、ドイツから の工業製品輸入を天然資源の輸出で相殺することができたし、また一九三五〜三六年 のドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク) が中国に向けられていたのである。 これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。 ナチズム極東戦略 日独防共協定を巡る諜報戦 / 田嶋信雄/著
257 :
名無し三等兵 :2005/05/08(日) 08:12:35 ID:lJf03Pmx
だいたい、日本は夜襲が好きだからな、近代戦でそんなのが 通じると思っていたのが恐ろしい。
>>253 装甲板でも大人しく米国産の屑鉄を材料に使ってた物はマシ(それでも列国の物に比して脆弱)だったが、国産100%の圧延材を使っていたものはブリキ(というより割れ易い陶器か?)同然だった。
>>255 ドイツもモータリゼーションの発展途上で戦争に突入しており、戦闘車両の不足/非力(対仏戦ではU号戦車が主力だった)はもとより、輸送車両の不足が深刻でバルバロッサ作戦にはフランスから鹵獲した車両を大量投入していた。
この事が悪路での頻繁な整備の必要/無統一な部品調達と相まって、電撃戦初期の最も恵まれた時期でさえ ドイツ軍の自動車輸送能力は作戦を支えるには不十分だった。
>>256 ドイツが中国を軍需物資輸出の主要市場と見ていたのも事実だが、当時の独ソ協力関係にも対中国援助の背景があった。
ヴェルサイユ条約でドイツは再軍備を禁止されたが、国内には多くの優秀な軍人/軍需産業技術者が存在していた。
これらの人々はドイツ国内で隆盛を極めた共産主義に感化され、ソ連/コミンテルンの活動を通じて中国国民党/共産党への支援に赴いている。
その後のナチス政権成立後も独ソ関係は蜜月状態が続くが、日本はその頃になってようやく登場する新参者に過ぎなかった。
259 :
名無し三等兵 :2005/05/08(日) 09:01:00 ID:yReyJsVj
そもそも最強最精鋭を誇った日本陸軍は戦ったのか?戦って敗れたのか?という 疑問がある。 日本は地理的に四方を海で囲まれ資源はほとんど有しない。 石油鉄等の資源は海外からの輸送に頼る必要がある。 そして対ソ連戦に備え満州に関東軍80万人を、日中戦争で大陸に100万人を 張り付かせ、更に印度ビルマ方面でイギリスインド兵と戦い、太平洋方面で アメリカと戦うという4方面作戦。 太平洋の各島嶼に散らばった精鋭日本陸軍はいかに武勇にすぐれ死を恐れず 戦術に巧妙であろうと、海軍が敗れ補給が途絶し孤立すれば「自動的に」敗れる。 奉天会戦のような大会戦を行うまでもなく陸軍は敗れてしまった。 あとは本土決戦しかない。 ただの強硬軍人ではなかった阿南陸軍大臣ですら本土決戦を主張したのは 心情的にやむをやないといわざるをえない。 ではその海軍は戦ったのか?戦って敗れたのか? 世界第二位の規模を誇り世界初の空母による機動部隊を実現させた 世界最強海軍。 まともに戦ったのはハワイ、ミッドウェーくらいで、あとは軍艦を動かす 石油が足りず世界に誇る戦艦大和も浮かぶ粗大ゴミ状態。 せっかくインドネシアを陸軍が占領して石油を確保したのにその石油は日本に 届かなかった。殆どが日本に届く前に輸送船がアメリカの潜水艦に沈められて しまった。 日本は陸軍が戦う以前に、原爆云々以前に、海上封鎖によって敗れた。 太平洋上に大会戦を行える広大な大陸が存在し、しかも石油資源食料資源を 産出するなら話は別だが資源を海外に頼る日本は地理的に戦争が出来ない国だと言 わざるをえない。
>>257 いや、夜襲はちゃんとした静粛夜襲ならそれなりの効果あったのよ。
日露戦争とかではコッソリ敵陣に忍び込んで朝には大量の敵兵の屍が転がってたりとか…
映画とかでは叫んでるのが多いけど教範には「静かにやれ」ってなってたと思う。
無力化されたのは暗視装置配備されたりしてからよ。
米軍の寝袋なんか
外側にしかジッパーのタブがない>夜襲かけられても自力で開けられず芋虫状態で刺殺
内側にもタブをつけた>それでも慌てて開けようとしても引っかかったりしている合間に芋…ry
で、結局一番上よりも金具を引っ張るとロックが外れるように改良されてます。
これ日本軍に夜襲されて被害が多かったからの改良らしい。
今の特殊部隊と日本軍って微妙に共通してるところが多い事に気が付いた。
(日本軍は通常の方法を実行するのが困難だったとか後ろ向き名方向でそうなったんだけど…)
>>254 米軍ナメ過ぎだったのは確かだな・・・
国府軍や欧州植民地軍相手に勝ちまくって調子に乗っていた。
あと、ガ島でも沖縄でも同じく飛行場を奪回する目的で行われた攻勢だったけど、
ガ島戦の戦略目的は米軍を殲滅し、同島を奪還することだから、
沖縄戦と違ってどこかで攻勢をかけないと仕方ないわな。
>>257 暗視装置もレーザー誘導兵器もない時代だぞ。夜襲はうまく使えば強い。
朝鮮戦争やベトナム戦争では成功してるじゃん。
>>258 日本の表面硬化装甲が割れやすかったのは、「高温焼戻し」工程を省いたからだろ。
それにしても陶器同然とは言いすぎだ。なにか資料はないの?
>>259 日本陸軍がアジア内で最強だったかどうか、ノモンハン(極東部を持つソ連はアジアのメンバーでもある)を振り返って見れば大いに疑問な訳だが...
対米英開戦直後のマレー/シンガポール/蘭印/フィリピンでの戦いでは、出先の植民地軍相手には充分強かったと言って良いと思うが、国防軍が出張って来た豪州軍や遠征して来た米国陸軍/海兵隊相手の戦闘では胆力/火力とそれを支える兵站能力の差で敗れている。
総合的に日本陸軍を評価するなら、かなり良い線を行っていたが 地理的な制約から軍事資源に限りがあって広範囲な戦闘には不適格だった、という結論になるだろう。
>>261 12.7mmで破壊される装甲では やはり「陶器」だろうw
12.7mmはナメられるような代物ではなく、耐えられるだけの装甲にはそれなりの厚みと技術的蓄積(日本には両方とも欠けていた)が必要になる。
例のトリビアでも雨人のおっさんは 日本刀を叩き折るのに わざわざ12.7mmを持ち出してきたww 個人的には7.62mmでも充分だったと思うがね...
尚、チハに代表されるリベット止めの装甲板では焼き戻しを行わなくても取り付け可能というメリットがあった。
あくまで戦車が機銃弾を跳ね返しつつ敵陣まで歩兵を引導するのが主目的であれば 対物用に鋼鉄弾芯を入れた機銃弾によって車体が「傷付く」(日本人の車好き=表面磨きの風習は当時からあった)のを防ぐために、装甲板の硬度を最大限にして剛性を犠牲にする考えが成り立つ。
(実際にはタングステン弾芯を使われると機銃弾でも無意味となるが...)
敵が機銃しか持っていない(と想定された中国軍歩兵程度なら)場合には、こうした剛性のない構造でも十分だったが、対戦車砲(37mm〜57mm級)/ライフル(12.7mm〜20mm級)で攻撃される状況になった途端に、剛性のない装甲板は叩き割られ リベットは弾け飛んでしまう。
263 :
だつお :2005/05/08(日) 10:35:10 ID:2QDfAEPM
>出先の植民地軍相手には充分強かったと言って良いと思うが、 大陸打通作戦では、出先の植民地軍でなくて中国本土で国防軍相手 に連戦連勝して3000キロ進撃したぞ。 それとも中国人は知的障害があまりにひどすぎて同じ人間でさえなく、 その3500万を虐殺しても戦果とは呼べないのか?
>>260 凄い疑問なんだが、
>外側にしかジッパーのタブがない
寝るとき、ど〜やって閉めたの?
誰かに手伝ってもらって?
日本 九五式軽戦車 ハ号 12mm 37口径37mm 日本 九七式中戦車 チハ 25mm 18口径57mm アメリカ M2A2軽戦車 15.88mm 12.7mm重機関銃 イギリス Mk.II巡航戦車 30mm 52口径2ポンド(40mm) イギリス Mk.I歩兵戦車マティルダI 65mm 7.7mm重機関銃 フランス ルノーR35軽戦車 45mm 21口径37mm フランス オチキスH35/H38/H39軽戦車 45mm 21口径37mm フランス ソミュアS35中戦車 56mm 32口径47mm ドイツ II号戦車A/B/C型 16mm 55口径20mm機関砲 ドイツ III号戦車B型 14.5mm 46.5口径37mm ドイツ 35(t)戦車 25mm 40口径37mm イタリア L3軽戦車 15mm 8mm機関銃 ソ連 T-26軽戦車 15mm 46口径45mm ソ連 BT-7快速戦車 22mm 46口径45mm ソ連 T-28中戦車 40mm 16.5口径76.2mm
国 名 最大装甲 主武装 日本 九五式軽戦車 ハ号 12mm 37口径37mm 日本 九七式中戦車 チハ 25mm 18口径57mm アメリカ M2A2軽戦車 15.88mm 12.7mm重機関銃 イギリス Mk.II巡航戦車 30mm 52口径2ポンド(40mm) イギリス Mk.I歩兵戦車マティルダI 65mm 7.7mm重機関銃 フランス ルノーR35軽戦車 45mm 21口径37mm フランス オチキスH35/H38/H39軽戦車 45mm 21口径37mm フランス ソミュアS35中戦車 56mm 32口径47mm ドイツ II号戦車A/B/C型 16mm 55口径20mm機関砲 ドイツ III号戦車B型 14.5mm 46.5口径37mm ドイツ 35(t)戦車 25mm 40口径37mm イタリア L3軽戦車 15mm 8mm機関銃 ソ連 T-26軽戦車 15mm 46口径45mm ソ連 BT-7快速戦車 22mm 46口径45mm ソ連 T-28中戦車 40mm 16.5口径76.2mm 見やすくした
↑その大陸打通作戦だが、ほとんど成果もなく倒した敵も3500万より3桁ほど少ないんだが?
ひょっとして、その3,500万ってのは民間人の事ですか??
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi1/sensi-ichgo1.html 上記よりの引用だが、
「米式装備による豊富な火力、密接なる空地協同、果敢な近接戦闘、迅速なる増援部隊の派遣など、従来の支那軍からは想像できないものであった。
第20軍では『支那兵は弱い』とすることの不可能なことを悟っただけでなく、実際の戦場においては局所的には圧倒されるような事態さえも生じた。
即ち、我が軍の第一線の制空権はなく、兵站線は延び補給は続かず、攻撃は夜間に限定され、彼我戦力の格差は開くばかりであった。」
大陸の陸軍も比較的無傷だったというだけで、実際に国府/米国が総反攻に出ていればボロ負け必至の状況だったようだね... 南無w
>>251 事実。蒙古人将校は外蒙へ戦線離脱して亡命している。
夜襲は 1・将兵に夜襲訓練が行き届いている 2・将兵が襲撃地の地形に習熟している 3・攻撃計画が綿密に寝られている 4・敵に夜襲の意図を悟られない。また奇襲効果が充分ある などの要素がないと成功しにくいが、 日本軍は2,3の要素を無視して夜襲する事もしばしば。 訓練不十分の補充兵が多くなり出すと1の要素も奪われ、夜襲が恒常化すると 奇襲的効果も無くなった。 ノモンハン戦からすでにこのパターンは現れていた。
「夜間浸透によって突撃発起点まで移動」 「彼我混交にして敵重火器支援の利点を無くす」 夜襲の理念は、火力戦で弱体を自認する日本軍の戦術として べつにことさらに日露戦争の弊害をさけばずとも当然だと思うけどな。 問題は無理な夜襲作戦を企画する参謀、 あるいは無理な夜襲作戦で望まざるを得ない状況を作り出す統帥部の責任か。
ノモンハン事件は近代化されたソ連軍の前に日本軍は圧倒的敗北をしたという事ですが、それは歪曲された 歴史で実は日本軍の大勝利だったと言う事です。 教科書が教えない歴史HPでノモンハン事件について取り上げられていて、その内容を読んで初めて知りました。 私もノモンハン事件は日本軍の敗北だと本気で信じていたのでショックは大きかったです。 30年以上前に事故死した私の祖父は関東軍兵士としてノモンハンでソ連軍と戦い無事、生還しています。 祖父にノモンハンの真相を聞こうにも他界していますので真実はわかりませんが、 戦後、左翼勢力が大きかった時代では本当の事を話そうにも話せず祖父は本当に悔しかったと思います。 私はノモンハンの本当の歴史を知り祖父の名誉が保てたと思います。
兵員死傷 日本 17,405名 ソ連 25,655名以上 航空機損害 日本 179機 ソ連 1,673機 戦車損害 日本 29台 ソ連 800台以上 これでも日本が負けたというのか?
>>272 日露戦争の弊害って・・・日露戦争は日本陸軍史上最大の砲兵戦も行われた歴とした火力戦ジャマイカ?
旅順では乃木も異常なほど準備砲撃しまくってるし。
>>274 そもそも、その数字は間違っている可能性が非常に高い。
まあ仮に間違っていなくても日本が負けたことに代わりはない。
277 :
名無し三等兵 :2005/05/08(日) 19:41:48 ID:L1HqjTJ9
日本の言ってる情報はかなりでたらめだよ。ノモンハンは日本の敗北。 だいたい、最初日本軍の攻勢で、進撃したけど、すぐにソ連軍の反撃に あって国境外に駆逐されてしまった。だいたい、戦車など機械化部隊 で構成されていてるソ連軍に貧弱な日本陸軍が、どうやってそんなに被害を あたえられているのか知りたいね。ノモンハンでいった兵士はソ連軍に ぼこぼこにやられてひどい状態だったと、よく書いてあるけどな。
>>274 >ソ連 1,673機
これは日本側が主張する撃墜機数だから、アテにならない。
ノモンハン戦に参加した滝山和の談話に「中隊長が敵発見のサインを送った後、
地上にダイブし、そのまま激突し戦死。 代わりに自分が戦闘詳報を書くことに
なったが 『敵機二機を撃墜の上、壮絶な戦死を遂げた』 と書いた」 とある。
これ以外にも、水増し報告があっても不思議ではないよね。
>274
戦車損耗のカラクリについては
>>107 を見るべし。
しかし、東京裁判判決、つまりソ連側のあげる日本軍の損害は極端に
大き過ぎる。日本側の損害で最も信頼できる数字は、第六軍軍医部調製の
損耗状況調査表であり、それによると戦死者・不明者八千七百四十一人、
戦傷者八千六百六十四人、戦病者二千三百六十三人の合計一万九千七百
六十八人である。
ただし、これには五月中の小規模の衝突による損害や航空隊、途中で
撤収した戦車団などの損耗を加えなければならない。その明確な数字は
ないが、合計で千人程度を超えないと思われる。また日本側には満州国軍、
ソ連側にはモンゴル軍の損害を加えなければならないが、満洲国軍の数字
を得られないので、両方ともここでは含めていない。
一方、ソ連のグラスノスチ(情報公開)政策の展開後、ソ連側の損害
の新しい数字が出てくるようになった。一九九三年に出たG・クリヴォ
シェーヴァ『ソ連軍の損害』では、戦死者・不明者七千九百七十四人、
戦傷者一万五千二百五十一人、戦病者七百一人の合計二万三千九百
二十六人である。これでも日本側より大きな損害であるが、
最近戦死者・不明者をさらに多い九千七百三人(その他の数字は同じ)
とする資料もあり、まだ確定に至らないようである。
http://www.eireinikotaerukai.net/E05Iken/E050100.html
281 :
だつお :2005/05/09(月) 00:00:37 ID:V7l5+Yih
>その大陸打通作戦だが、ほとんど成果もなく
「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、
長征の途についた。延安にたどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、
人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが日中戦争が始まり、
われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に
押されていく。袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、
日本軍の後ろに回って、着々と工作をしていった。そして戦争終結時
には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」
http://www.yorozubp.com/sakigake/column/980606.htm 日中戦争のおかげで全滅を免れた中国共産党−トウ小平語録(1)
282 :
名無し三等兵 :2005/05/09(月) 00:12:48 ID:z1vNC9sE
ノモンハンに関しては、犠牲者はややソ連が多いが、ソ連、蒙古の主張する 国境線に決まったので、ソ連側の戦略上の勝利とみるのが無難だよ。
そのまま満州を奪取する気はソ連にはなかったのだろうか?
>283 ヨーロッパの方が忙しすぎて、そんな気にはならなかった。 盟邦の外蒙が主張する国境線を画定してやったから面子は立つ罠。
>ヨーロッパの方が忙しすぎて
8月初旬、スターリンは日本軍の頑強な抵抗に危機感を覚え
ていた。このまま日本との戦線が拡大し、一方でドイツが攻撃
してきたら、ソ連は二正面で戦わねばならなくなる。日本軍へ
の大攻勢の準備を急がせる一方で、8月12日にはヒトラーに、
独ソ間の問題を論議する用意がある旨の電報を打った。「ドイ
ツは日本に圧力をかけ、ソ連に対して別の態度をとれと説得す
るつもりはあるのか」と外相を通じて、ドイツに尋ねさせた。
ドイツ外相リッペントロップは日本に影響力を使うことを約
束し、「総てはヒトラーが約束する。文句があるなら、日本の
攻撃は止められない」と脅した。[2,p32]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog355.html
>>270 レス、ありがとう。
石蘭支隊歩兵第14団第1営、指揮官以下234人は、日本人将校4人を殺害して逃亡、ソ連軍に投降したそうです。
やっぱ、馬賊出身とかだったのかなあ。
5年ほど前ノモンハンの生き残りと称する人と話したことがあります。 穴の中で爆弾を背負いながら待っていたそうです、戦車を。 「戦車が来なかったので今ここにいるんだ」 妙に寒気が走りました。
>>286 帰順した馬賊、匪賊を満軍将校に据えてたみたいだから、その可能性は高いよね。
ソ蒙軍に投降するんだから、おそらく地元軍閥系じゃないだろう。
290 :
名無し三等兵 :2005/05/09(月) 08:36:44 ID:DTHjQKhr
スターリンは、当時ヨーロッパの領土獲得に興味があり、 イランとか満州とかには、関心がない。
ノモンハンで日本が負けたのは何となく分かったけど、敗因は何だったの? 戦車? 兵隊の数?
精神力だよ
おいしい御飯とみそ汁さえあれば日本は勝てた
なんとなく何てのん気な事言ってるなよw
>>269 > ◆戦果・損害◆
>
> 日本軍 支那軍
>戦 死 840名 36700名
>戦 傷 2300名 21868名
>捕 虜 14000名
太平洋戦線の日本軍並みにボコられてるじゃんw>支那軍
>>269 3500万人ってのは駄通作戦じゃなくて中国政府が主張する日中戦争全体での戦死者数かと
それでも多すぎだと思うが
>>293 おいしい御飯とみそ汁さえあれば日本軍の戦死者は半分で済んだ。
ってのは本当かも。
>>291 まぁ敗因は沢山あるれるけど、オレが思うに……
7月24日に越冬のため築城を決定したのだけれど、その場所が決定的に悪すぎ。
もうアフォかと思うような位置&配置。
殺してくださいと言わんばかりだ。
もっと後退していれば、多少は損耗が防げたと思う。
「我が戦友が血を流したる土地は寸尺といえども敵手に委するべからず」
300 :
名無し三等兵 :2005/05/09(月) 23:03:08 ID:yXIrGFU2
お互い犠牲者は同じくらいだったが、ソ連の方が関東軍より、機械化されており、 弾薬も豊富で、物量に押し切られた。
301 :
名無し三等兵 :2005/05/09(月) 23:29:33 ID:nzuW1maC
↓萩洲立兵が予備役編入後、遺族に謝ってまわった話が載っている 一ノ瀬俊也『近代日本の徴兵制と社会』316頁
>300 ソ軍の物量、兵器の優勢以上に、日本軍の作戦が酷すぎる・・・ 作戦次第で勝てる…とは思わないけど、せめて師団壊滅は避けられたハズ。
まあ、壊滅する手前で下げてやれば簡単だな
敵の重野砲に退路を制圧される所に陣地作っちゃダメ。
305 :
名無し三等兵 :2005/05/10(火) 08:56:41 ID:MamlzMsv
日露戦争やシベリア出兵で、ロシア軍は弱いという認識をもっていたし、 昔ながらの、銃剣突撃が戦法ですからね。ソ連軍を甘く見すぎていた。
>>305 陸軍は分隊支援火器の導入も早かったし、第一次大戦の戦訓をよく取り入れて戦っている。
「昔ながらの銃剣突撃」を繰り返したのはむしろソ連で、圧倒的な重砲、戦車、兵力を揃えながら、
大損害をこうむったのはそのため。ソ連は冬戦争でも同じ過ちを繰り返してるだろ。
ソ連は常に砲撃の後、戦車を先頭に立たせて歩兵を進めている。 とても「昔ながらの銃剣突撃」とは言えない。
>307 ノモンハンではその運用法も確立していなかったので戦車部隊を単体でつっこませて 大損害を食らっていますが。
>>306 赤軍の戦術は拙い。日本軍は戦略が拙い。
>>308 しかーし、肉薄火炎瓶攻撃で被害が多く出たため、
すぐに方針転換し歩兵を前に前進している。
関東軍は相変らず・・・
日本は戦術も拙いだろ?砲兵をなんで孤立させるんだ?
【中国】「中国ほど旧日本軍を攻め立て、壊滅させた国はない」抗日勝利を徹底宣伝…愛国心高揚狙う
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1115668942/l50 ★抗日勝利を徹底宣伝−中国、愛国心高揚狙う
中国政府は9日、ロシアでの対ドイツ戦勝60周年記念式典に合わせ、国内メディアを通じて
抗日戦争勝利の「歴史的意義」を大々的に宣伝した。
国民の愛国心を高揚させ、胡錦涛政権の求心力を高める狙いとみられる。
中国青年報は特集記事の中で「対日参戦国の中で中国ほど旧日本軍を攻め立て、壊滅させた国はない」
と振り返った上で、第二次大戦での連合国の勝利に中国が決定的な役割を果たしたことを強調。
新京報も「抗日戦争は世界反ファシスト戦争の重要部分」と論じた。
新華社電は特集記事の中で、旧関東軍防疫給水部(七三一部隊)の人体実験など旧日本軍の
残虐行為を列挙。論評記事では日本の憲法改正問題などを取り上げて「日本の右翼勢力は歴史を
直視しようとしない」と指摘した。
また京華時報は抗日運動ゆかりの地への旅を勧める観光キャンペーン記事を掲載、愛国主義を鼓舞
しようとしている。(共同)
(サンケイスポーツ
http://www.sanspo.com/sokuho/0509sokuho066.html
313 :
名無し三等兵 :2005/05/10(火) 21:00:12 ID:WFYd3F2r
ソ連軍の被害が大きかったのは、戦術がわるい。戦車や装甲車を単独で突進させて 日本軍のまとになってしまった。まあ、それでも、ソ連軍の場合は、犠牲が大きくても 敵をやぶればいいみたいな考え方だから、折込済みなんだろうが。 日本軍も確かに、戦車や航空機、砲兵も使ったけど、結局は、ソ連に比べれば 質量ともに、はるかにおとり、弾薬も足りなくなり、結局は、歩兵による 突撃になってしまったけどな。
314 :
名無し三等兵 :2005/05/10(火) 21:17:38 ID:PV5W+Dnc
>>306 上の一ノ瀬という人が『歴史研究の最前線 vol.3 新しい近現代史研究へ』(吉川弘文館)という本で
で詳しくノモンハンにおけるソ連軍の銃剣突撃を書いてる(つーかいろいろ書いてんだなこの人)。
315 :
名無し三等兵 :2005/05/10(火) 21:18:59 ID:PV5W+Dnc
補足・「日本陸軍の白兵主義とは何か」という文章です。
316 :
砂漠の狐達 :2005/05/10(火) 21:21:21 ID:???
ソ連がまともな戦術を取っていたら、ノモンハン事件は起こらなかった…… ノモンハン大虐殺事件になっていた。
歴史にifはない
>>316 それを言ったら、ノモンハンで一番日本側の被害低減に役立ったのは自国将校のレベルを絶望的な水準に追い込んだグルジア生まれの髭オヤジということになる。
まあ真実な所が何とも・・・。
>318 粛正を免れた名将ジューコフが途中から指揮を執ったのは日本軍にとって痛かった罠。 包囲の両翼に機械化部隊と戦車旅団をもってきて師団を殲滅っていうのは二次大戦 以前としては画期的。
>>319 昔は騎兵が果たしていた役割を戦車に置き換えただけなんだが、実際にやったのは初めてじゃないかな?
>>314 ソ連兵がやらされたのは手榴弾肉薄突撃だろ。
>>318 同意w 1936年迄 世界最高峰の陸軍国だったソ連を粛清でボロボロにしたのが筆ヒゲ。
ノモンハンどころか、2年後の独ソ戦では国の存続を危うくさえした。
ジューコフの実践したのは、優秀さ故に粛清されたトハチェフスキーの指揮した赤軍大演習(空挺兵団なども、ここから起源を発する)で形となったもの。
決して彼のオリジナルではなかったが、トハチェフスキー指揮下では傍流だったために 生き残れた上に、戦術の継承が途絶える事もなかった。
ジューコフを1954年にソ連のユダヤ人支配を終わらせた人物とロシア極右の連中は言ってるが、本当のところはどうなんだろう?
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html
死せるトハチェフスキー、モスクワ全面の戦闘を指揮す
323 :
名無し三等兵 :2005/05/11(水) 08:35:33 ID:vqBVcz70
残念、
>>314 の知識は中途半端
だいたい手榴弾突撃って何だよw
陸軍大尉草場栄『ノモンハン戦車殲滅記 ノロ高地』(鱒書房、1941年2月)
※著者は1939年、ノモンハン事件で負傷した砲兵。
そのうち「敵歩兵っ!」と兵隊が叫ぶ。のり出してみると来るわ来るわ夥しい
敵歩兵の群が、我が陣地付近に友軍の歩兵なしと見てか再び一挙殲滅を期して
じりじり肉薄を開始している。草色の服のソ連歩兵は右からも、左からも脱兎のように
壕の中からとび出しては、敏捷に身を伏せる。そして巧みに地物を利用しては、
車輪付きのマキシム機関銃を引っぱりながら踊るようにとび出し、刻々に彼我の距離を縮めてくる。
草原の凹地や草の中から、きらきらと銃剣が光る。刀をふるって激励している指揮官の姿も見える。
324 :
名無し三等兵 :2005/05/11(水) 08:38:18 ID:vqBVcz70
>>323 追記
草場の著書を読むと結局は物量に押し切られた
大苦戦であったことがオブラートに包んだかたちではあれ
読者に分かるようになっている。当時の日本軍戦記が
すべて日本軍大勝利と書いてあったと思うのはまちがい
ノモンハン事件からずっとソ連が 日本に軍事的圧力をかけていれば中国戦線が 彼処まで拡大したりする事はなかったかもなぁ。
326 :
名無し三等兵 :2005/05/11(水) 08:50:31 ID:ng4/da4L
ノモンハンの前から戦線は拡大しているぞ
327 :
名無し三等兵 :2005/05/11(水) 08:50:55 ID:vqBVcz70
第一師団はじめかなりの数の戦力を昭和19年まで ソ満国境に貼り付けさせられていましたが何か?
いや、張り付けるんじゃなくて中立条約が結ばれず 小競り合いが続く感じで。
虹色のトロツキーでも読んどけよ。 ノモンハンなんて最後の方だが。
感想を書けやハゲ
粗筋を書けやボケ
戦車・装甲車は言うに及ばず、火砲の威力・射程・数量も劣り、指揮官もあれ では…勝ったという香具師の脳味噌を覗き込みたいものだ。
戦死者数なら日本軍のほうが多いぜよ。
>245 300mじゃなくて1000mじゃなかったっけ? もっと駄目ジャンorz
>>324 昭和14年10月4日の朝日新聞には、自軍の損耗1万8千人に及ぶことを日本軍が
認めた事を評する一方で、不利な地域に長期間軍隊をさらし続けた事を責め、
「甲冑で身を固めた野武士に、徒手空拳」で挑んだようなものと論評している。
当時も日本軍が苦戦していた事は割と知られていたみたい。
スターリンが震え上がってドイツに泣きついたてのは禿藁だな。 独ソ不可侵条約が結ばれた後で8月末のソ蒙軍大攻勢が始まってるのに。 勝った言ってる奴はドイツに泣きついて日本が手を出せないように頼んでからその日本軍に殲滅的打撃を与える攻勢を始めたとでも思ってるんだろうか?
337 :
名無し三等兵 :2005/05/11(水) 18:12:19 ID:vqBVcz70
>>332 それは印象批判に過ぎん。
兵員死傷 日本 17,405名 ソ連 25,655名以上
航空機損害 日本 179機 ソ連 1,673機
戦車損害 日本 29台 ソ連 800台以上
これで、ソ連が勝ったという香具師の脳味噌を覗き込みたいものだ
それなら独ソ戦でソ連が勝ったという奴の(ry
>>338 戦争は敵兵ぶっ殺し競争ではありません・・・・
しかしだからと言って、日本が増援送って紛争を拡大すべきだったかどうかは疑問だ(w
まぁジューコフ個人の勝利ってところか(苦笑
個々の戦闘では負けてないって事だろ?
343 :
コピペ :2005/05/11(水) 18:51:53 ID:???
誰も日本勝利なんていってないぞ、引き分けだ、領土も被害も両者ともに同程度だからな。 つか両国の停戦位置と係争地域を知らないのか? ホルステン川の近くは押しこまれたが、 ハンダガヤの近くは逆に日本が進攻して押しこみ、(宮崎などの部隊の活躍) 結果、両者が主張する領土はほぼ等分されることになった。 (このあたりは秦氏の著書に書かれているな、学術書や論文が手に入らないなら、昭和史の謎を追うでも簡単に触れられている) というか、この両者の領土がそれぞれ半分ずつ失い、半分づつ得たってのは、 ノモンハンでの過去ログなどで、ガイシュツですよ。 つかまだしらねー奴がいたんかよ。
>>341 優勢だったときも有れば劣勢だったときも有る。
しかし殲滅されたのは日本の方だけだ。
>>ソ連 1,673機 大本営発表を持ち出してどうするつもりだ?
>>338 >兵員死傷 日本 17,405名 ソ連 25,655名以上
死傷って書いてあるだろ、つまりこの数字は負傷者と死者の数を合計した数だって事
三野正洋の本によるとその内訳は
死者 日本8427人 ソ連7974人
負傷者 日本8332人 ソ連15251人
ソ連に負傷者が多いだけで死者の数は日本のほうが多い
これってよっぽどの重傷じゃない限り後送せずに死ぬまで戦わせたってことだろうか?
ちなみに戦病者はソ連が710人に対し日本は2350人
731部隊もノモンハンで給水・防疫活動やってたそうだが衛生に関しては
ソ連の方が優秀だったみたいだな
空戦では日本が優勢だったのは前半まで。 連日の出動と、防弾装備を増したI-16のため、数多くの空中勤務者が亡くなり、 ソ軍の8月攻勢の際には、ほぼ制空権を奪われてる。 後に日本陸軍が航空隊を増設するとき、ノモンハンでベテラン・パイロットの 多くが失われたためかなり苦労したらしい。
>>351 >連日の出動と、防弾装備を増したI-16のため
そんなの理由のうちにならん。日本航空隊はソ連機の数の力に圧倒された。
>>350 8月攻勢で23師団は完全に包囲されたから、とても後送なんて出来る状態じゃなかったんだよ
>>352 なるだろ、97戦の武装は7.7×2I-16に防御を追加されたら
かなり落としにくくなっただろう
354 :
名無し三等兵 :2005/05/11(水) 22:25:52 ID:mP2LtrBr
日本軍の部隊は、8月攻勢で壊滅して撤退したから、 ソ連の勝ちだろう。被害は同じぐらいでも、損傷率でくらべたら、ソ連のほうが 圧倒的に少ないと思いますが、
1939年11月 エストニア、ラトヴィア、およびリトアニアとの相互援助条約によって、 ソ連邦は、帝国主義国家の略奪的共謀からこれらの諸国を防衛した。 ソ連邦は、全力を尽くしてこれらの国の独立を確保し、 ソヴィエト国境の安全を強化した。 二十年前にポーランドの将軍たちによって奪回されたヴィルナの町を リトアニアに引き渡すことによって、ソ連邦は、 弱小民族の民族的権利の尊重についての比類なき模範を示した。 戦争の停止に賛成する宣言によって、 さらにドイツとの友好ならびに国境に関する協定によって、ソヴィエト連邦は、 平和運動に新たな貢献をしてきた。
>354 そりゃあ分母がでかけりゃ数値は必然的に低くなるだろうよ。
357 :
提案! :2005/05/11(水) 23:47:25 ID:???
ノモンハン関係のスレって、 ソ連軍戦車800台以上破壊 と主張するのが必ず出てくる。 そういうの信じてるヤシは、コテを「ソ連軍戦車800台以上破壊」にしてくれないか? 区別が付きやすくなるから。
>ソ連軍戦車800台以上破壊 装甲車両も含めた台数だろ? 小口径砲を搭載した装甲車も結構使われてる。
装甲車を含めても、800両以上というのは眉唾な数字。
まぁホロコーストも信じていない奴らなんだろ。
まあ司馬遼太郎や半藤あたりを妄信して昭和の日本軍=精神主義キチガイを教えられ育った世代には、
まさかノモンハンで日本軍が寡兵にもかかわらず大善戦したなんて、とても受け入れられないという「感情」はよくわかる。
しかし、新史料によって歴史は常に書き換えられていくものだ。
>>357 みたいなのこそ、コテの名前を「ノモンハンの夏」にでもするべき。
>寡兵にもかかわらず大善戦したなんて、とても受け入れられない さすがにそんな人はいないと思うよ。 連隊単位での戦闘を見る場合であれば、素晴らしい敢闘だったのは事実。 ただ作戦指導が基地外だったのも事実。
365 :
名無し三等兵 :2005/05/12(木) 08:55:50 ID:6uLl3cQl
圧倒的な戦力の差がありながら、日本軍は大善戦したとおもいますよ。 被害は同じくらいですしね。敵のジュ−コフもそれは認めている。
素晴らしいと言っても師団が壊滅したんじゃ意味が無い。
>>362 そもそも善戦という言葉自体負けたほうに対して言う言葉だろ。
野球でもサッカーでも勝った方に善戦したなんて言うか?
>>362 で、ノモンハンの夏は読んだ事あるのか?
>ソ連軍戦車800台以上破壊 ソ軍の戦車参加数 第一次ノモンハン戦 186両 第二次ノモンハン戦 498両 (Ground Power BT/T34戦車(1) より)
↑ それに装甲車両を追加すれば、>ソ連軍戦車800台以上破壊
>357 >「ソ連軍戦車800台以上破壊」 いや、「ソ連軍AFV800輌損傷」の方が正しい。
原典のモスクワ軍事出版社刊「ロシアの記憶」には詳細が書いてあるのかな。 しかし人員や航空機と違ってなんでAFVだけ「800以上」ってアバウトな表現なんだろ。
800両と言う数字が一次資料で使われているのであれば、軽微な損傷も含めての数字ではないか?
一個師団が無くなって、国境までソ連の言うとおりにされちまったら、何言っても負け犬の遠吠えだ罠w
376 :
374 :2005/05/12(木) 18:51:38 ID:???
>>375 ハンダガヤって満州の主張する国境からずっと後方の土地なんだけどね。
だから十六連隊が突出した部分をおまけで認めて貰ってても、領土を同面積で折り合ったワケじゃない。
領土的には痛み分けって言うのはウソ。
お分かりかな? 馬鹿くん。
ノモンハン以後の日ソ両国合意の国境線だが、ハンダガヤ付近での敢闘の結果、ノモンハン戦場の北半分は ほぼソ連側の主張が認められ南半分は日本側の主張通りハルハ河沿いが国境となっている。 痛み分けと言って間違いではないだろう。「昭和史の謎を追う」文春文庫
>373 参加総数を誤読しただけじゃないか、って話がなかったかな。 上に出ているとおり、ソ連が投入した総数が800両くらいなのに、撃破が800両 だというのはおかしい。後期に戦場を走り回っていたのが「幻の戦車」ならとも かく。
379 :
名無し三等兵 :2005/05/12(木) 21:43:57 ID:1T0l0Jp0
装甲車両も含めてでしょうよ。
恐らくソ連は修理もできない物と思っているようだ。
>>377 >>54 まあ、この人は(秦 郁彦)コヴァと一緒に例の教科書やってた人だから軍事関係の記述は話半分に読んだ方が良い。
ソ連側の主張する国境線は将軍廟付近で南北に分割するようなものだったらしいので、元々ハンダガヤ周辺はソ連としても気合い入れて守る意志がなかったと思われ。
>>381 >参加兵力戦車498輌、装甲車385輌、兵員57,000名としています。
これは第二次ノモンハン戦(8月攻勢)の時の数字だと思われ。
一応手持ちの資料で計算すると第一次、第二次のソ軍AFVの総参加車両数は1300台弱。
当然第一次から引き続いて8月攻勢に参加した車両もあるはずだから実数はもっと
少なくなるはず。
仮に1300両弱だとしても、800両撃破されたとしたら62%弱の損耗率。
で、1939年のソ連のAFVの総生産数は約3000台だから、その27%弱をたった4ヶ月で
失ったことになる。
もしもこれだけの損耗と損耗率を実際に出していたら、ジューコフに勲章は与えられ
なかっただろう。
800台ってのは延べ撃破数って事かな? 戦闘不能となって停止しても翌日になったら また修理されて攻撃して来るんじゃ日本兵はたまらん...
386 :
提案者 :2005/05/12(木) 23:42:02 ID:???
>>362 「ソ連軍戦車800台以上破壊」を信じているなら、
いつも、はっきりわかるように主張すればいいだろう、と言ってるだけだ。
それができないというのは、どういうことなのか説明を求める。
>385 述べ撃破数でもなんでもないただの誤読と考えるのが、一番すっきりしている と思う。前スレも含めて、「800両撃破」のちゃんとしたソースが出てきたこと は一度もないんだし。
このスレは思想に応じてコテハンを決めないと悪いスレなのか
385だが、漏れも800台撃破なんてホラ噺の類だと考えている。
にしても、800台という数字が出て来た背景は、ぜひ教えてもらいたいものだw
>>388 ノモンハンはある意味「藪の中」みたいな部分がある。
交戦したのが大日本帝國&ソ連という歴史捏造の常習犯同士で両方ともマトモな資料を残さないまま消滅してしまったし、戦場は50年近く自由な調査が行えなかった場所にある。
これでは双方の都合で正反対の言い分が出てきても仕方ないだろう。
800と言えばアレだろう・・・・ 嘘八百。
>>382 「草原の日ソ戦」の翻訳監修もやってるんだが
392 :
名無し三等兵 :2005/05/13(金) 08:26:56 ID:ERc1odCq
ただ、ソ連軍の戦車をかなり損害はでてみたいだけどな
393 :
名無し三等兵 :2005/05/13(金) 10:49:19 ID:OuccBq1D
漏れの知り合いの爺さんノモンハンの戦闘に参加してたけど、なんかわからんことがあったら聞いとこか?
>393 部隊は?
395 :
名無し三等兵 :2005/05/13(金) 11:05:18 ID:OuccBq1D
了解、そっから聞いとかな聞くにも聞けないのだね。
ノモンハン事件って旧式装備の日本軍がソ連軍の戦車部隊に散々打ち負かされたというイメージを持っていたけど実際には ソ連軍の損害の方が大きかったんですねえ。
800両撃破・・・・。 プロホロフスカ戦車戦(ま、これも再評価中だが)だって、そんなにやられてないような気が。 白髪三千丈式の誇張報告がそのまま受け入れられるところが、 皇軍の情報評価能力の限界、ひいては日本軍の敗因だな。 ex台湾航空決戦
398 :
名無し三等兵 :2005/05/13(金) 11:50:10 ID:GwyCCGv5
ノモンハン事件の戦闘経過についての日本語文献は、日本側の資料に頼って書かれている。他の西側諸国の研究も同じである。 1990年代からはソ連軍資料の利用が可能となった。これにより新たに、ノモンハン事件での日本軍の死傷者17,405人に対し、ソ連軍の 死傷者は 25,565人に上っていたことが判った。また、日本軍の戦車損害29両に対し、ソ連軍は179両が破壊されている。このため、 一部の歴史学者の間ではノモンハン事件は日本の勝利との説を唱える者も現れているが、日本側は戦略目標を達成せずに停戦して しまったので日本の敗北と捉える見方が有力である。
日本軍の戦車損害29両:壊滅的損害 ソ連軍は179両が破壊:まだまだ余裕余裕
ノモンハン事件の真の勝利者はモンゴル人民共和国政府のチョイバルサン(ボソ
「(ノモンハン事変の結果)モンゴルは500平方キロを失った。」 モンゴル政府の主張
402 :
名無し三等兵 :2005/05/13(金) 21:53:41 ID:Tpy1+WTr
ジュ−コフも生涯で一番大変な戦いだったのは、ハルハ河の戦いと言っている。 日本軍の奮闘ぶりがうかがえる。
機甲部隊による両翼包囲を実戦で成功させ、名を上げたジューコフの勝利だ(w
村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」にも出てくるねノモンハン ソ連の捕虜収容所に入れられた日本将校の話があるよ。 日本は下士官、兵士などはとんでもなく優秀 だけど上に行けば行くほど無能でどうしょうもない 欧米はまったく逆、下士官兵士などは無能で大変だが 上は有能なんだってさ
>>402 それって補給集積地から戦場まで700キロも離れてて大変って事じゃなかったっけか?
>>402 ジューコフが大変って言ってたのは日本軍の奮闘ではなく補給の困難さ。
それでもソ連側は戦闘に支障を来さないだけの兵站線を維持できたのに、日本側は駅からの距離がソ連側の3分の一程度で補給線自滅アボーン。
ソ連半端ねぇ強い。マジたまんねー。 どうやったら勝てるんだよ。 お前ら教えろよ。
ドイツから軍事顧問でも呼んでみれば?
ドイツは負けたじゃん
勝った国からは軍事顧問は呼べそうにもないじゃん
イタリアがあるさ
フィンランドから軍事顧問を呼べばいいんだよ
>>409 逃げるが勝ち。さっさと撤退しましょう。
当時の世界では ソ連はさして強くない。 ノモンハン以前の張鼓峰事件でもソ連戦車部隊は日本軍兵士の肉弾戦に敗れた。 しかし、失敗に学んだジューコフと、成功に慢心した日本軍がノモンハンで相対し、日本は敗れ去った...
>>402 当たり前だ、出世の為の第一の足がかりだったからな。
漫画化が最初のヒット作を一番思い入れの有る作品だと言ってるようなもんだ
ジューコフにとっては粛清されるかどうかの瀬戸際で臨んだ一戦。 筆ヒゲの棄兵方針が前提の中でとった危険とも思える新戦術が、日本軍相手には有効打となった。 そりゃ思いはひとしおだっただろう。
>>415 正直、そのとうり。あんな土地、大軍派遣して取りあっても無意味。
全面戦争する気ならべつだが(w
騎兵にとっては貴重な水場としての価値があった。 現場レベルでの利害が大規模衝突に到ってしまった典型。
421 :
名無し三等兵 :2005/05/14(土) 12:27:40 ID:YFq7Hv+R
結局勝敗はわからずって事で どちらかが敗北を認めて、降伏したわけではないので
自決の強要はふつうはしないだろうに
そうだね。勝ったのに自決を強要というのは内心は・・・
>>423 敗北の責任を問われたのではなく、部隊壊滅の責任を問われたのだよ
第二十三師団も壊滅してるわなw
>>424 部隊を壊滅させておきながら、おめおめと生き恥を晒されては、士気に関わるからな
勝利したが部隊壊滅の責任を問われた例って他にもあんの?
↑1943年からは部隊の壊滅が続発しているので、自決が日常茶飯事になった。 なんて聞いた事ないが...
430 :
砂漠の狐達 :2005/05/14(土) 21:19:02 ID:???
普通、日本では勝った戦の上手く行かなかった点を反省しません。
勝ったら、失敗した事も損害もチャラ。
>>429 責任を取るべき者が、戦場でみんな死んでいるからでしょ。
無謀な作戦に部隊壊滅の危険を察知し、抗命事件を起こして部隊を守った結果、精神病院に送られた 佐藤幸徳中将のような事例もあった。 尚、佐藤幸徳中将はノモンハンと違ってソ連戦車部隊を 日本軍歩兵が屠った張鼓峰事件の際の指揮官。 日本のジューコフと言ったら言い過ぎかな? 輜重出身だったというだけでも凄いが...
>>431 佐藤が輜重??? 小畑と勘違いしてないか?
失礼w 輜重出身は小畑信良少将だった。謹んでお詫びし、訂正します。
佐藤の抗命は、起こるべくして起こったって感じもするけどな 参謀も他の二人の師団長もインパール作戦が成功するなんてこれっぽっちも 思ってなかったんじゃないの?
牟田口はどう思ってたんだ? 日中戦争を引き起こした上にビルマの密林に棄兵じゃあるまいなw
>>431 張鼓峰は、第19師団 尾高亀蔵中将だろ
佐藤幸徳 第19師団 歩兵第75連隊長として、兵員損失51%に達しつつ張鼓峰防衛戦の主軸として戦いまつた。
渡部昇一は2004.9.1産経朝刊「正論」で ノモンハン事件は日本大勝利と言っているそうです。
439 :
名無し三等兵 :2005/05/15(日) 17:27:23 ID:ItWq4Aqp
その理由は?
もしかすると100年後くらいには、日本はアメリカに勝った、なんて解釈も出てくるかも(w
441 :
名無し三等兵 :2005/05/15(日) 17:44:05 ID:4JIjJRNu
まだ440の話のほうが信憑性がありそう。
442 :
砂漠の狐達 :2005/05/15(日) 17:46:00 ID:???
アメリカは、日本軍が怖いから本土決戦を見送ったのだ! そのために原爆を落としたのだ!
例によって渡部昇一w
本土決戦にそなえて忍者を温存してたからな
まぁ戦前は独逸のメイド部隊にしてやられたが。
>>442 日本軍が怖かったのは事実だな。硫黄島/沖縄でもひどい目に会ってるし。
>>444 戦後になってGHQが武道一般を禁止したが、勿論その中には忍術は含まれていなかった。
この経緯を以って、雨人の中には「日本には米国が根絶やしにしなかった忍術が残ってる」との幻想があるらしいw
448 :
名無し三等兵 :2005/05/15(日) 23:11:53 ID:PgKkY/Tq
よく戦いましたよ
>>435 必勝の信念ですよ。(でも腹の中では、「無理だからやめとこう」と
言ってくれ。俺の目を見て察してくれと思ってました。本人談。
つまり自分で「やめる」というと責任とらされるので、別の偉い人に
「やめる」と言ってもらって、その人に責任とってもらうつもりでした。
でもそんな責任取るのはどのエライサンもいやなので、壊滅するまで
続きましたとさ。)
うちのじーさんが所属してた関東軍自動車連隊の人だけに配布された 自動車連隊史を読んだが、ノモンハンは国境事変などなど、興味深い事象がいっぱいあった
ところで昨日BS見た椰子いる? WW2が長引いていたらアメは日本の水田に枯葉剤撒くつもりだったらしいぜ。 1945年11月から始める予定だったらしい。
>>451 んー、やっぱりというか、遅い(45年11月)と言うか。
453 :
名無し三等兵 :2005/05/16(月) 19:19:58 ID:g6sDCgUz
>>451 つーか日本軍に対抗手段がないのを見透かして毒ガスも使おうとしていた
吉見義明『毒ガス戦と日本軍』
著者が嫌いな人もいるだろうが、この本だけは軍オタたるもの必ず読むべし
マジおすすめ
毒ガス戦なら、日本海軍もPX作戦てのを立案してた
455 :
454 :2005/05/16(月) 20:38:37 ID:???
すまん。 PX作戦は、細菌戦だった。たしかペスト菌。
>>453 ある意味で日本の右翼に塩を送るようなことを吉見氏は
書いているわけだが、そのへん本人はどう思っているんだろう?
457 :
名無し三等兵 :2005/05/16(月) 22:50:12 ID:jD0qcafG
実際、毒ガスなどつかえん。日本軍だって、米軍の報復を恐れて 結局つかえなかった。
458 :
名無し三等兵 :2005/05/16(月) 23:03:47 ID:g6sDCgUz
>>457 いや、米軍は本土決戦で使うつもりだったようだ
上にも書いたが日本軍に報復能力がないことを見越して
中国大陸では、赤筒と呼ばれた、くしゃみガスを使った。 連隊本部の編成に瓦斯係が入っていた。
オリンピック作戦(南九州上陸作戦)で、サリンは使う予定でしたよ。
ま、今度大日本絵画から出る「ノモンハン戦車戦」はみんな買おうな。 ソ連側から見た資料は初めてじゃなかろーか
>>462 吉見が公正な態度を取るなんてありえない!ってことかと。
464 :
名無し三等兵 :2005/05/17(火) 17:38:20 ID:JFbAuzih
どーでもいーじゃん
吉見義明って確か従軍慰安婦に関して研究してた人だよね。 まあ、その人の一面だけ取り上げて右翼左翼とカテゴリ分けして 「左翼ならこう考えているに違いない」「右翼ならこう考えるに決まってる」 ということの不毛さですなあ
>>465 同意。とくにN速にはその手のバカが多くてうんざりする
468 :
ao :2005/05/18(水) 22:38:53 ID:CCbdTWew
>>260 夜襲について。戦国時代から同じ民族の戦いに慣れた日本人は敵味方識別
するために簡単な合言葉を使った。これは夜襲では相当効果があったようだ。
そして「映画7人の侍」のように、はいつくばって1キロ以上にわたって、ひじを
使った忍びのような感じで陣地にせまった。途中ではぐれないように、前に
進んでる兵の足首を掴みながらはいつくばったらしい。これは匍匐前進じゃ
ない。こんなど根性は日本兵でしかできてない。
八月大攻勢の後、一木、宮崎といった陸軍オールスターキャストが登場して、
一木さんはこれなら夜襲で1週間で戦場の掃除できるじゃないかと言った。
実際は戦は終わりがけだったのでできなかったが、ソ連軍はソ連軍で「恐怖の夜」
だった。夜襲で日本軍が近づいたとわかると無数の照明弾が撃たれて夜景は
きれいだったらしいね。
469 :
ao :2005/05/18(水) 22:41:01 ID:CCbdTWew
あの田中角栄も一兵卒でノモンハンに従軍したって話らしいけど、 ほんとなのかな?誰か知ってる人いるかな?
本当らしい。 所属部隊とか詳しいことは、知らんけど。
>>こんなど根性は日本兵でしかできてない クスクス
ウリナラコンジョーは誇らしいですね、ホルホルホル。
一キロひじを使って這うのは日本人にしか出来ない!!
474 :
Pz :2005/05/19(木) 03:13:04 ID:???
>>460 本当かよ、オレも子供の頃
じいさん家に良く
ノモンハンで負傷し、南方では、輸送船沈没しても生還した人来てたけど
(両足ひざ下義足なのに、自転車こいで来るのは驚きだったけど)
年齢的にはあってるね
>>468 >そして「映画7人の侍」のように、はいつくばって1キロ以上にわたって、ひじを
使った忍びのような感じで陣地にせまった。
超ワロス
477 :
ao :2005/05/20(金) 21:19:16 ID:eINHkucG
>>476 確か19歳くらいじゃなかったかな?19の時からあんなしわがれ声
だったのかな?笑!
騎兵と輜重兵とでは天と地の差だw 陸軍部隊の華として近衛と同等の扱いだった騎兵→装甲兵器に置換され消滅 兵士として扱われない風潮のあった輜重兵→兵站が質/量ともに巨大化した現代戦では最重要の兵科
480 :
名無し三等兵 :2005/05/21(土) 18:47:26 ID:ECAjW1Qn
朴正熙は満州国軍だろ。共同作戦で同じ戦場にた事はありえても、上司って事はないだろう。
482 :
だつお :2005/05/22(日) 11:24:14 ID:xfG4/3zS
1938年末までに日本軍は全34個師団中の31個師団を中国戦線に派兵し、
そのうち長城以南には24個師団も投入していた。「張鼓峰事件」が発生
した時、中国東北に駐屯していた日本の兵力はわずか6個師団でしかなく、
その対面している極東ソ連軍は逆に20個師団以上もあり、双方の武器
装備は大差なかったので、日本が侵略行動を拡大することは不可能であった。
「ノモンハン事件」発生時にも、情況もあまり変わっておらず、
日本関東軍の兵力は依然として極東に駐屯するソ連軍兵力の3分の1
足らずに過ぎなかった。1941年のソ独戦争の勃発時、ドイツは日本
に対してこの機をつかんで極東からソ連を挟撃するよう要求したが、
日本は中国戦線から大量の部隊を引き抜いて北進攻撃にまわすことができず、
この夢にまで見た重要な機会を放棄せざるを得なかった。日本がソ連に
対して大規模に進攻するのが難しい情勢を見て、ソ独戦勃発後、
ソ連は極東地域から続々と50万余人の兵力、5000余門の大砲と3300余台
の戦車を引き抜いて順調に西部の国境地帯に投入し、ドイツ軍に抵抗
することができたのである。これはソ連が戦争初期の重大な挫折から
立ち直り、ついに敗北を勝利に転換しえたことに対する重要な援助
であったことは明白である。
中国の抗日戦争、民主諸国に対する戦争圧力を軽減
http://www.china.org.cn/japanese/170599.htm
483 :
名無し三等兵 :2005/05/22(日) 22:59:20 ID:lCxH/m4Z
>>475 シナ戦線だと、衛生概念の低いシナ兵の排泄物の中を匍匐前進だそうだ。
テスト
ノモンハン当時、陸軍の戦闘機戦隊は12個戦隊(第1、第4、第5、第9、第11、 第13、第24、第28、第33、第59、第64、第77)ありました。 だいたい1個戦隊が、 27〜49機とされていますが、ノモンハン初期に投入された第24戦隊が戦闘に投入でき た機数が18機、第11戦隊のそれが38機、第1戦隊が23機程度であったのから鑑みるに、 当時の1個戦隊の作戦運用が可能な機数は18〜40機程度ではなかったのかと思います。 だいたい1個戦隊の保有機を平均30機と勘定してみてみると、日本陸軍がノモンハン に投入した戦闘機戦隊が7個戦隊なんで、210機になります。 ノモンハンで陸軍航空機隊がどれだけの損害を受けたかは諸説紛々なんですが、 戦史叢書に載っている儀峨中将のメモを参考にすると、58機(航空戦が激しかった 8月下旬〜9月15日までの損害と、8月下旬以降に投入された、64、33、59、9戦 隊の損害は含まず)第24戦隊長、松村黄次郎氏の談話によれば、未帰還120機の損害 を受けたそうです。 この120機という数字を基にすると、ノモンハンに投入された陸軍戦闘機隊は6割 近い損害を受け、これは陸軍戦闘機隊全体を見ても3割の損害を受けたことになり ます。(パイロットの損失で見ると、もっと酷い事になりそう……) また当時の97式戦闘機の月産数が38機でありましたので、概ね3ヵ月分の生産機数 を失ったことになります。 人によっては「ノモンハンでの航空戦は勝った」といわれるかもしれませんが、陸 軍戦闘機隊としては、手痛い損害を被ったのがよくわかると思います。
>>485 緒戦では全金属単翼機の97式vs布張り複葉機のポリカルポフ I-15の圧倒的性能差で日本側の圧勝。御用作家が書いた戦前の戦記物で描写されたのは この時期だけを抜き出したモノ。
中盤以降は無限(と日本側は思った)に近い機数のポリカルポフ I-16を投入(パイロットだけでもすごい数だw)
&一撃離脱戦術(これを日本側は「逃げ出した」と評したが...)を採って、日本側の戦力消耗を図ったソ連側に対して 日本側は有効策を打ち出せず消耗を重ね航空戦力の優位を失った。というのが実情かな?
ところで、スペイン内乱時のソ連パイロットとコンドル師団は戦闘機戦を交えたのかいな?
>>486 『ノモンハン事件の真相と戦果』を読むと「I-16で一撃離脱はできね〜よ」とされていますが、
クックスの「ノモンハン」では檮原少佐の談話として「高高度から舞い降りて、当たろうが、
外れようがとにかく一撃加えて、逃げてった」という話が掲載されています。 I-16が一撃離
脱戦術をとっていたのは、先ず間違えないかと思います。
また、事件後期になると、ソ連側は97戦が基地へ帰ろうとする直後や、その道すがらで攻撃
するようになり、日本側は燃料の関係もあって反撃もできず、やられるがままだった、という
話もあります。
日本側の撃墜記録は「煙を噴いて落ちてったから、撃墜確実」とした例や、上の方であげた
「実際は撃墜してないけど、隊長の名誉の為、撃墜2」とした例もあるので、それをそのまま
信用するには問題があると思います。
>日本側の戦力消耗を図ったソ連側に対して 日本側は〜
それが実情でしょうね。
日本側は手持ちの戦闘機戦隊の半数をノモンハンに投入してしまったワケですし、あれ以上
の増強は無理でしょうから……
>>487 正確にはわかりませんが、高い確率で矛を交えたと思いますよ。
1機の97式に6機のI-16が同様の一撃離脱やら 空中戦板のアンブッシュやらを仕掛けて来たら、いくら機体に性能差があっても確実に消耗するわなw 言ってみれば独ソ戦でのYAKがひたすらメッサーシュミットの消耗を図った戦術の原点だったのかも...
運動性は97式の方が上だが、最高速度や武装はI-16の方が勝っているし、総合的な性能は大して違わないだろ。 何か史実の日米戦闘機みたいだな。
俺、ノモンハン事件よく知らないんだけど 先ず最初に『ノモンハンの夏』を読めばいいのか? 素人がニュートラルな立場で読める入門向けの本は無い?
>>492 入門者向けかは微妙だが、クックス本は必読。
「ノモンハン(1) ハルハ河畔の小競り合い 」 アルヴィン・D.クックス 岩崎俊夫 朝日新聞社 朝日文庫 これ? 朝日系だけど中身大丈夫なのかな・・・
>>494 出版社はアレだけど、その本に関しては大丈夫。
膨大な公式資料と、生存者へのインタビューに基づいた労作だ。
496 :
494 :2005/05/30(月) 23:53:00 ID:???
>>495 ありがとう
早速探してみる
いい年して、「やるっきゃ騎士」なんか読んでる場合じゃないんだな
498 :
ao :2005/05/31(火) 19:22:34 ID:d4PTjbQ3
>>495 ただ読んで思うけど、確か89年に出版された本で、ノ戦50年記念
なのどうか知らないけど、訳は超読みにくい。急いで出版されたような。
もう一回しっかり訳し直してほしいけどね。なんとかならないかねあれ。
そしてクックスさんまだ生きてるのかな?ソ連側の情報がかなり明らかに
なった今また新しい本出して欲しいけどね。新版で新しく書いて欲しいけどね。
いよいよ日本側の公式資料も出して欲しい所だけど、今もって出てないところ
見るとまだ現代日本でもやばい内容があるのかな?
>498 なんでも参謀本部(当時は大部分が大本営陸軍部か)や陸軍省上層部 あたりの資料なら終戦から時間があったため焼却処分。 現地の関東軍、満州軍の資料も終戦時に焼却処分となったものが多く、 また残存したものもソ連軍に押収されてしまったためあまり存在しないとか。
南樺太、千島列島、北方四島は、すべて日本固有の領土である。 今なお不当占拠し続けるロシアから、六十年分の貸借料を請求して取返そう! ∧∧ ヽ( =^-゚)ノ ★九月二日は対日戦勝六十周年〜♪
>>498 クックス氏はすでに鬼籍に入っておられます。
>>500 歯舞、色丹だけなら、なんとか返してもらえそうなんだけどね
世界地図を見ると南樺太と千島列島真っ白なんだよな。 カシミールと同じく。
>>492 「ノモンハンの夏」は世界情勢と絡めて描いてあるので、大局的に理解するにはよい。
しかしその分、ノ戦の詳細はやや省いているし、視点が散漫。
あと文章が雑なのが難。
五味川純平の「ノモンハン」は入門用には良いかも。
主要人物を絞って描いてあるので、流れは頭に入りやすい。
ソ連よりに描かれているものの、2ちゃんあたりで言われているように酷くはない。
むしろ資料収集、インタビューはしっかりやってる感じ。
D・クックスの「ノモンハン」は読んでおくべきだし、資料としても価値がある。
ただ、全体の流れや辻や服部といった参謀、小松原師団長、須見連隊長etc、現場
の人間などをある程度理解しておかないと苦痛だと思う。
理解した上で読めば、良書だと感じるはず。
505 :
494 :2005/06/01(水) 20:01:57 ID:???
>> 504 ありがとう 図書館にあるか探してみる やっぱり『まいっちんぐマチコ先生』なんか読んでちゃ駄目なんだな
506 :
東洋大学生 :2005/06/01(水) 20:32:04 ID:???
漏れは『おじゃまユーレイ君』読んでるけど、現役東大生だど
東大生なら 「轟け!一番」を読んで欲しい
508 :
504 :2005/06/01(水) 21:17:19 ID:???
>>505 やるっきゃ騎士&マチコ先生は良書だ。我が書架にもある。
やるっきゃ騎士は近代漫画に革命を起こした書物 あれはハレンチ学園以来の衝撃だった
小生はくりいむレモン派ですので・・・
お兄ちゃん! すべてはそこから始まった・・・ 『くりいむレモン〜亜美』
昔は、あさりちゃんはコロコロコミック連載だったな。 拡大路線で、ぴょんぴょんが創刊されそっちに移り、「どろろんぱ」と2つかいていたが、パブルで廃刊ちゃおに統合で「どろろん」は辻褄あわせのの完結。
ここはノモンハンの英霊を称えるスレだ コロコロネタは漫画板でやってくれ by 金メダルカメラマン
515 :
名無し三等兵 :2005/06/06(月) 00:48:36 ID:zwR8G14e
『正論』7月号 東京裁判へのクレムリン秘密指令 ロシア科学アカデミー東洋学研究所先任研究員 アレクセイ・A・キリチェンコ によると、関東軍はノモンハン丘陵のうち、一つの高地を守れればそれで良く、 逆にそこを占領されて砲台を築かれると、日本の鉄道が危機にさらされる。 そして、丘陵自体は何もない平原で、日ソ双方が自分の領土だとみなしておらず、 中国領土だと思い、国境線を引こうともしてこなかったらしい。 だから、日本軍がシベリア鉄道幹線への橋頭堡として丘陵を占領しようとしたのを 撃退したというジューコフをキリチェンコはアホ扱い。 モンゴル人は高地を占領できなかったことをいまでも残念がっているそうだ。 そして、ソ連軍が大勝したとされているが、日ソ双方の被害の実態はいまだに 判明していないと結んでいる。 だから、キリチェンコも、本当は負けに近い実態だったということに気付いて いるのだろう。
516 :
名無し三等兵 :2005/06/06(月) 00:51:50 ID:aOp6xqrX
最後の2行であんたがアホ扱い。
574 :名無し三等兵 :2005/05/13(金) 21:55:45 ID:??? ノモンハン事件後、外国の記者達が大挙して取材にきたが 激しい戦闘のわりに現地には何もなく、 首を傾げながら帝国軍人に聞いたのさ 「ここには何かあるのか?地下に石油でも?重要な場所なのか?」 帝国軍人はムッツリと答えた 「満州国の大儀がある」 575 :名無し三等兵 :2005/05/14(土) 03:57:00 ID:??? 笑える。泣ける>574
> もし、一平方マイルの荒れ地を隣の国に奪われたらどうするか? 果して奪われた国は戦争を始めるのかどうか? > 戦争を始めれば、何千何万の人命を捨てなければいけない。或は、莫大な国費を使わなければいけない。 > 場合によっては国家の存立も脅かされるかも知れない。そういうような犠牲を払ってまで、一平方マイルの為に戦うかどうか? > もしこの場合、奪われたままで手をこまねいておるならば、それは国家が自らに対して、死刑判決に署名するのと同じである。 > 一平方マイルの荒れ地を失ったままにしておくならば、やがて他の領土も奪われてゆき、そうして最後には、全ての領土を奪われて、 > 国家の存立を失う事になるであろう。国民は一平方マイルの荒れ地の為では無くて、国の名誉と存立の為に、戦わなければならないのだ。 > 『権利の為の闘争』 ルドルフ・イエーリング
でたな悠久の大儀w
520 :
名無し三等兵 :2005/06/06(月) 15:35:08 ID:xyI0w+zg
>>515-516 ノモンハン事件は、ソ連軍がその高地を占領しようとして果たせなかったというのが真相だろう。
戦争目的を達成できず、被害もソ連側が大きかったのだから、事実上ソ連軍の敗北だろ。
ジューコフは、それを覆い隠すために、戦争目的・原因を歪曲したんだろう。
意味のない場所での国境線の線引きもその一環。
国境線を決めたほうが勝者じゃん
>>515 地図見れば解ると思うがノモンハンから一番近くの日本側の鉄道までは300キロ以上離れてる。ソ連側はそれ以上。
丘を占領して鉄道を砲撃するための砲台を築くとかデタラメにもほどがある。
>>515 >日ソ双方が自分の領土だとみなしておらず、
そりゃそうだ。満州の土地か、モンゴルの土地かでもめてたんだから。
ハルハ川東岸については、満州とモンゴルの双方が、自国の領土だと主張している。
>中国領土だと思い、国境線を引こうともしてこなかったらしい。
元々中国領だった土地に、満州国を建設し、満州国の国境警備は関東軍の任務なのだから、
当時の認識としては中国領≒満州領。従って、関東軍の縄張り。
それと、このあたりの国境線については、ロシアと清の間に結ばれたネルチンスク条約以来、
幾度となく国境に関する条約が締結されている。引こうともしていなかったというのは大嘘。
該当箇所を読んできたけど、具体的にどの高地か書いてなぇし、胡散臭せぇ……
ノモンハン勝利厨の出してくる「根拠」ってどうしてこう、 基本的な事実の確認すらでたらめなものが多いんだろう。
526 :
名無し三等兵 :2005/06/07(火) 00:14:32 ID:1IV9nlyx
司馬遼太郎がテレビでノモンハン事件はなすすべもなくぼろぼろの 敗北だったといってたけどな。 現地にいた同年代の戦友やノモンハン経験者にも聞いてるだろうから それが事実だろう。 もしそんな多数の敵と戦いほんとに相手の損害の方が多ければ旧日本軍の 感覚なら大勝利なのでもっと大宣伝してるよ。 旧日本軍に関しては犠牲が多ければ多いほど勇敢と評価されるところ だったんだぜ。 だから各地の戦闘で現地の指揮官はぜんぜん効果のない銃剣突撃を 無理やりやらせてるだろう。
527 :
名無し三等兵 :2005/06/07(火) 00:55:55 ID:SL7AvyXt
ノモンハン
>>526 ひどい餌だ。
いまどき誰もそんなの食いつかないよ
>526 大本営発表はミッドウェーまではかけ声を勇ましく強調しても 数値の操作は基本的にない。 >旧日本軍に関しては犠牲が多ければ多いほど勇敢と評価されるところ >だったんだぜ。 大嘘、乃木大将が旅順戦の時に大本営の中で損害が多すぎると 大問題になっていた。(これは乃木大将のせいではないが。) 大戦期に入っても牟田口とかが英雄扱いされたかっつうの。
>>525 だって「基本的な事実の確認」やったら
「ノモンハンでは皇軍勝利」なんて言えなくなるからな。
雑誌で当時の関係者と対談していたのは捏造です!1!!
>>513 おまえ、ソ連のアフガン進行で不参加になったモスクワオリンピックの選手の前で金メダルを見せびらかすようなことをしただろ。
533 :
名無し三等兵 :2005/06/08(水) 00:40:52 ID:mqGb3bpf
526だが俺の考えじゃなく丸で旧日本軍の体質のところで 書かれていた事実だよ。 部下に犠牲が多ければ勇敢に戦ったと結う評価が旧日本軍には あったらしいよ。 インパールの花谷なんてその典型のような事をやっているだろう。 乃木とか牟田口は戦果が挙げられなかったからでそれ以外の ところで勝敗あいまいなのやは兵隊にいくら犠牲が出ても文句は 言われない体質だった。 まともな戦記にはどれにも人命軽視のそうゆう体質が丸々 書かれてるけどね。 牟田口や乃木があれだけ犠牲が出るまで解任されなかった事が 日本軍の人命軽視の体質を浮き彫りにしてるだろう。
>>533 人命軽視だったのは事実だが
>旧日本軍に関しては犠牲が多ければ多いほど勇敢と評価されるところ
>だったんだぜ。
>だから各地の戦闘で現地の指揮官はぜんぜん効果のない銃剣突撃を
>無理やりやらせてるだろう。
はダウト。損害が多いことを理由に昇進表彰された指揮官がいるか?
あと、十分な火砲がありながら損害を出すために銃剣突撃を強行した事例もない。
>現地にいた同年代の戦友やノモンハン経験者にも聞いてるだろうから
>それが事実だろう。
23師団が壊滅したのは事実だから、23師団は敗北感を持ったのは本当だろう。
しかし、これら証言がソ連側史料を否定するものではないだろ。
>もしそんな多数の敵と戦いほんとに相手の損害の方が多ければ旧日本軍の
>感覚なら大勝利なのでもっと大宣伝してるよ。
どうでもいい印象批判。
いまどき乃木無能論を語ってる時点で時代遅れもいいとこw
>>535 乃木将軍=牟田口はあまりといえばあまり・・・
まあ、人命軽視といえば 労農赤軍も人後におちんが 方や、勝利のために流血 方や、やけくそで流血、と極論してみるテスト。
538 :
名無し三等兵 :2005/06/08(水) 18:00:31 ID:+NYhzsS4
軍人は全員無能でFA 異論は認めない。
ムッチーのインパール作戦は、師団長の無断撤退とかあったのに10万のうち3万の損害。 無断撤退とかをやって牟田口に解任された連中が、戦後マスコミを使って反牟田口をわめき散らしたのが「最悪の戦場インパール」というのが出来上がった真相。 あほな作戦かもしれんが最悪の作戦ではない。 失敗した作戦にしては、3分の2(特に無断撤退した師団)は生きて帰っている。
無駄に体力を使って失敗する作戦が多すぎる。 い号作戦だとかあ号作戦だとか。
>>539 それは強大な敵とガチの真っ向勝負をやって3分の1の損害を出すほどの死闘を演じて
力及ばず無念の撤退とかなら仕方ないで済むかもしれないけれども、その3分の1のうち
まともな戦闘で死んだのはどれだけいるのやら……というのが問題になっているわけで。
つーか三分の一の損害「だけ」って何か物凄い会話だな。
三分の一の損害は戦闘力の消失を意味する(ボソ
>>543 きっと
>>539 は「全滅」といえば
部隊が一人残らず死んじゃった、とか
思ってるんだろうなあ。
え?壊滅?殲滅?
そんなの言葉の遊びですよ、とか
言い出しそうでチョト怖いものがある。
>>539 失敗した作戦にしてはって成功してもかなり多いぞ。
547 :
ao :2005/06/12(日) 18:12:32 ID:J6Th2pcf
>>545 宮崎さんは有名になったね。50歳過ぎてロッククライミングやった
んだから。日本の歴史においても屈指の戦術家じゃないのかしら?
佐藤さんから数百人の兵士預けられて、2万の英軍の遅滞作戦を見事に
やってのけたってのもすごいエピソードだよね。
戦後確か家族といっしょに漬物屋やったとかなんとか聞くけどね。たぶん
部下に相当慕われたんじゃないだろうか。
>>31 >H14当事満州某地方の憲兵隊員だったそうだ。
H14?つい最近まで憲兵だったんでつね(ワラ
二ヶ月も遅く反応するのはいかがなものか
550 :
名無し三等兵 :2005/07/02(土) 20:10:53 ID:G7LEbBQx
そうですな
確かに海老が止めて労働組合の暴走に歯止めが効かなくなってる 最近のNHKスペシャルなど反戦物ばっかりだ
大日本絵画の「ノモンハン戦車戦」は買ったかい?
うわ、本当に出たんだ。ネタかと思ってた。 これは、欲しいね。
554 :
名無し三等兵 :2005/07/05(火) 08:14:57 ID:A3tVrG+I
そんな戴しこと
555 :
名無し三等兵 :2005/07/05(火) 08:15:40 ID:4qjZncG0
死んだ方がましかな
>>552 買いました。
面白い。
37_速射砲は相当の威力を発揮していたんだなあ。
>556 まあノモンハン当時の対戦車砲としては世界標準だしね。
「ノモンハン戦車戦」 ネタかと思った。 「ノモンハン対戦車戦」というタイトルじゃないと事実誤認じゃないか
ソ連側写真資料の充実度レポきぼん。
>>559 ロシアソースの写真が137枚。
堪能できます。
>>558 日本側で書けばそうだが、これ当時のソ連側から書いてるから戦車戦で無問題。
ノモンハン事件じゃなくて、「ノモンハン大勝」って呼び名にしようぜ。
おまえな、6日も経ってやっとレスかと思ったらなんだよそれは? えっ?それが面白いとでも思ったのか? 話題になる、スレのの活性化につながると思ったのか? それがお前の考えなのか? そうか、そうなのか。 判った。お前の考えもお前という人間もよ〜く判った。
うちの親戚もノモンハンで死んでる
>>560 漏れも入手した。やっぱ、思ったとおりイイぞ!
装備劣悪(あくまでソ連赤軍との比較で)な少数の日本軍が、3倍のソ連機械化部隊と戦って 現場の部隊は善戦するも、関東軍参謀本部が戦力の逐次投入などという下策を採ったりした事もあり 各所で撃破され、戦線が大崩する寸前に停戦 人的被害はソ連軍、日本軍共に戦果を過大報告、被害を過小報告してるから 正確な数字はよく判らんが、痛み分け臭い 負け戦とは言わないが、戦線崩壊寸前の不利な局面で停戦してるから、やっぱ負け戦ぽい 本当の問題は、ノモンハンを生きた教訓としなかった事だ
当時の日本の事情は、ノモンハンの戦訓をまともに受け止められる状況ではなかったから。 そういうことは、現代でも、あちこちであると思う。 「ま、そうは言ってもねー」という言い訳が聞こえてきませんか?
>>568 お偉いさんは「ま、そうは言ってもねー」でいいかも知れんが
その結果、酷い目にあうのは現場の将兵だからなあ。
ソ連ですら、ノモンハンの戦訓を活かしていたのに
都合の悪いことは見なかったことにする
日本軍の首脳部は無能ぞろいだったと言わざるを得ない。
まあ、現代日本でも雪印や三菱あたりは
同じことをやって、結果、会社が潰れかけたりしてるがな。
ノモンハンの戦訓は生きてるじゃん。 ・ソ連軍強しという教訓 ・速射砲大増産 ・一式戦車砲の開発
>>570 結果が出ていないものを「生かした」とは呼ばない。
少なくとも、日本語では。
・ソ連軍強しという教訓→
ソ連軍をいないモノとして、攻められる可能性に目をつぶって講和の仲介依頼。
・速射砲大増産→
役に立たん武器の量産を、資源と労働力の浪費と呼称する。
・一式戦車砲の開発→
「開発」はした、「開発だけ」は。…orz
>>571 ・ソ連軍強しという教訓 →
弱小国に講和を依頼しても無駄なので、力の有る大国・ソ連に講和の仲介依頼。
・速射砲大増産 →
BT戦車を撃破できる兵器の量産した。
・一式戦車砲の開発 →
上に同じ。
一式戦車砲って47_の香具師ですか?
ドアノッカー以下の対戦車砲をいくら装備したところでT34相手では無意味。 肝心な部分を見逃したが独ソ戦を視察に行った陸軍が、対ソ北進戦は実行不能と悟るまで時間はかからなかった模様...
T34対策は「ノモンハンの戦訓」からは得られないな。
「敵34型戦車ノ卓越セル避弾傾斜装甲板ニ対シ 我ガ方ノ独式88高角砲ヲ以って阻止射撃ヲ試ミルモ 一切ノ効果ハ無ク対戦車陣地は蹂躙サレリ。早速ニ独軍派遣顧問エッデルマン大佐ニ状況を具申シ対応策ヲ懇願スルモ、大佐ハ“貴国ノ冶金技術に失望セリ”トノミ回答セリ」
ノモンハンの本当の教訓は、近代戦とは精神力で勝利できるような生易しいものではなく、 ・物量すなわち補給力 ・兵器の性能 これだけで決するという、至極単純な真理だろう。 戦術ではなく、算術なのだ。
戦術でもジューコフタンに負けた罠
579 :
名無し三等兵 :2005/07/20(水) 16:31:25 ID:SDbRg4xG
“戦術ではなく算術”w 実際 後半の陣地戦でジューコフのとった戦術は、中共も真っ青の人海戦術だったし...
機動的な兵力運用により見事なまでに翼端から敵軍を包囲殲滅するのを最近の厨房は算術と呼ぶのか・・・。
補給戦読め。
算術だったらミッドウェーは日本の勝利。
583 :
名無し三等兵 :2005/07/21(木) 13:00:01 ID:M/trIprd
「静かなノモンハン」 伊藤 桂一 著 講談社文芸文庫 1300円 毎日出版文化賞受賞
ミッドウェーの場合は、暗号が解読されていたことが痛い。 日本側の索敵不十分という問題もあった。 情報戦での敗北になるのでは?
とりあえず弾薬無しで戦争しちゃいけんよね。 弾が無いって悲しいやん。
>>582 ミッドウェーは米艦隊の張った網にかかった日本海軍という構図だったので、算術は算術でも網にかかった魚を何匹しばけるか?というレベルw
今朝のアカ日に、ノモンハンで戦死した兵士の手帳を遺族に返したいって話が載ってるな。
7月25日は,あの有名な砲兵戦3日目。 射弾数1.5基数。
_-=─=- _-= 'ヽ丶 / :\ / ベリヤ \ | :| | , 、 ::::::| ≡_≡=-、___, - -=≡=_ 、 ;;;/ || ,ー・ | | ・ ー |─´/ | |ヽ二_,( )\_二/ >6 | | /( )ヽ |__/ | / ⌒`´⌒ ) | .| / | | | |_/ヽ_'\_/ | | ヽ 、\_ ̄  ̄/ヽ / /| .  ̄ ̄ _///\ \__ ヽ____/ / / \ -ー~ |\ー─ / / \
591 :
名無し三等兵 :2005/07/30(土) 22:03:12 ID:jR6sscZM
ノモンハンの教訓っていったって、実際のところそれを克服する、 資材や予算がないので、どうしようもないような気がするですが?
>>591 つ[日本独力が無理ならアメリカをソ連東部戦線に引き込む]
>>591 後先考えずに、対米開戦しない、という教訓の生かし方は?
>>593 つ[無人島で1週間サバイバル、禁輸と自給自足の厳しさを知れ]
595 :
名無し三等兵 :2005/07/31(日) 09:09:38 ID:RMHzaSTC
>>591 ソ連軍は手ごわいという、教訓にはなったのでは?
>>595 そうでもない。陸軍部内では、
「新設の23師団が不甲斐ない戦いをするから」
というような意見が強かった。
↑そういうのを現実逃避って言うんだよねw
>>595-596 対ソ静謐の姿勢が確立したから、教訓ではなく、あつものに懲りるのほうだろう。
そうでなかったら、関特演から対ソ開戦へ雪崩れ込んでいただろうし。
関特演か… 終戦間際の軍部のソヴェトへの盲信を考えると皮肉。 スレチガイだな
>>599 別にソ連を信じていたわけではなく、
単に自分に都合の良い展開を期待して
いただけなんだけどね。
見も蓋も無い言い方なりw 盲信じゃなくて妄想かな
ありゃ松岡の妄信であって、軍にはそれ以下の対外認識しかなかったようだが...
軍部の認識 「スターリン閣下は西郷隆盛のような懐の大きな人」
>>602 松岡を裏切ったのは、かの伍長閣下のほうでつ。
なまじ勘のいい松岡は、ドイツ軍の移動をみて、
バルカンにドイツが進攻するのを知り、
バルカンをやるなら、それから対ソ戦を開始するのは遅すぎると思ったのです。
遅くにソ連に侵攻すると戦争が冬までに終わらないから、
冬将軍にやられてしまう。
そんな愚行を、伍長閣下といえどもするはずがないと思ったのでつ。
鋭い観察と正しい軍事知識が、あやまった外交的判断を生んだ一例といえませう。
かの伍長閣下に常識を求めてはいけないのです。
605 :
名無し三等兵 :2005/08/01(月) 18:11:33 ID:q10LqkKY
↑責められるべきは伍長閣下より、その仲の悪い友達のほうであろう。 バルカンは本来イタリアの担当地域であって、独軍は無能な伊軍に変わって制圧の主力とならざるを得ず貴重な時間を浪費しただけだ。 もっとも、当時の状況下で冬までに独軍の時間切れがあるなどと想定していたのはソ連側とチトーだけだっただろうが...
WW1もそうだけど伊が仲間にいると戦線を変わりに支えてやら無いといけなくなる不思議。
というか、おまいは余計な手出ししないで国内開発しとらんかとムッソリーニに小一時間。ギリシャのアレはなんなんだ。
608 :
名無し三等兵 :2005/08/02(火) 00:17:45 ID:FEiDu86j
ユーゴスラビアでは、ソ連の謀略で暴動がおきるから、結局、 ドイツ軍はバルカンに行かなきゃならんがな。ルーマニアの油田のことも あるから、バルカンが落ち着かないことには、安心してソ連も攻められない だろうしな。
ユーゴはソ連と不可侵条約まで結んでしまったからソ連より先に始末 しておかないと「横腹に刺さったトゲ」になってしまいかねん。
610 :
名無し三等兵 :2005/08/02(火) 01:43:46 ID:C3mbmJYR
>>604 松岡はリッペントロップと会談したりして、「日ソ中立条約を結ぶな」と反対され、
ドイツがソ連に侵攻するとわかっていたらしいよ。
中立条約はドイツに対ソ戦をやめさせ、日独ソの大連合に持ち込むためだったらしい。
ソースは失念。
日ソ中立条約によって、ドイツの対ソ開戦を諌めるつもりだったというのは、やはり負け惜しみに思える。 伍長閣下としたら、ドイツの真意を汲まない日本に愛想が尽きたのではなかろうか。 だからと言って、日本が直接的な不利益をこうむるわけでもないのが、三国同盟の価値のなさ。
>>611 元々伍長閣下が日本に対して尽きるほどの愛想があったかどうか。
つか何で伍長閣下は日本と同盟結ぶ気になったんだろう……。
613 :
名無し三等兵 :2005/08/03(水) 08:26:44 ID:6GnZ3n8S
元々、アジア人に対して何の信頼感も持ち得なかった伍長閣下。 アジア人のスターリンが恐い、それだけで後背地に当たる中国の国府政権を支援し、日本とも同盟したってだけw
>>611 松岡としてみれば、1941年は時間切れでドイツが対ソ戦を断念、
それで、一年の時間が猶予されればいいの。
41年の間に、4国ブロックの威信をバックに日中戦争を終わらせて、
それから米国と交渉、協調を確立、
最後にはヨーロッパに米国と組んで(ドイツを裏切って)介入。
しかし、ドイツは松岡の予想の斜め上をいった。
ロシアの冬将軍を無視するほど、伍長閣下は大天才であられた。
>>613 でも、最後には、むしろ玉砕してくれないドイツ軍に愛想を尽かして、
日本マンセーになった伍長閣下哀れ。
仲の悪いお友達は、もともと超日本ヲタ。不倫の場所も日本外交官が提供。
615 :
だちゅお :2005/08/03(水) 12:15:56 ID:w2uPN6fZ
>結果が出ていないものを「生かした」とは呼ばない。
>少なくとも、日本語では。
◇計算できない物質的財産の破壊
「日本の侵略戦争が中国に与えた財産上の損失も、莫大で驚くべきものだ」、
戦争中、日本軍はいたるところで、狂気のように公共や個人の財産を略奪し、
文化遺産を破壊し、鉱物・森林資源を採掘、伐採し、偽札を発行し、
軍事・民生施設を焼き払い、爆破し、中華民族の物質的精華は日本侵略者
によってほとんど全部奪い去られた、卞博士はこう指摘した。
この数年、抗戦時代の損失問題を研究し続けてきた卞博士は、当時、
直接戦禍にみまわれなかったチベット、新疆の両省クラス行政区を除き、
残りの省は全部または部分的に陥落するか、一部が戦場になり、多くの都市、
郷・鎮が日本軍の盲爆にさらされたとみている。
卞博士は、近年の研究結果で、全戦争期間中、中国が受けた直接の財産
損失は1000億ドル、間接的損失は5000億ドルに達することが明らか
になったと語った。
「むろん、戦争状態という制約から、抗戦の損害調査は、時間的完全性
からも、空間のカバーという点からも、極めて不完全なものである」、
「日本の侵略戦争が中国に与えた巨大な物質的財産の破壊と壊滅ぶりに
ついて、正確な回答をみつけるのは不可能に近い」、卞博士はこう語った。
そして日本の侵略戦争がもたらした大きな傷が、中国の近代化プロセスの
重大な障害になったことは、学術界で突っ込んで研究する必要があると強調した。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/qqq115/t202631.htm 日本の侵略戦争は中国にどれだけの損害を与えたか 新華社解説
>>615 本土空襲による国富の損害は5000億ドルを超えています。
617 :
名無し三等兵 :2005/08/03(水) 13:33:40 ID:6GnZ3n8S
>>614 仲の悪いお友達は、もともと超日本ヲタ。不倫の場所も日本外交官が提供
詳細キボンヌ
俺の大叔父さんは実際に作戦に参加したって言っていたなあ。 周りの戦友がばたばた倒されたとか。
>>617 ちょびひげ伍長に失望した仲の悪いお友達は、
もともと日本が大好きで、日本浪漫派に知りあいがいて、会津ヲタでもあった。
こんなディープな趣味があったので、
1930年代に日伊関係が極度に緊張した時期にも、
勝手に日本大好きを押しとおしてしまった。
(おかげで東京はローマにオリンピック開催まで譲った)。
さて、戦争末期、ドイツはほとんどだめで、
その上に、伍長閣下はお友達に、趣味に合わない残虐な統治を強要してくる。
お友達マジギレ。
ところが日本は、最後の一人まで戦い、特攻とかして、かっこいい、と、
お友達感激。
一方、最後まであなたについていくわ、という、
若い恋人がいたお友達は、サロ共和国で、日本の外交官に頼んで、
彼女と極秘に密会していたのだ(奥さん、あとで知ってショック)。
最後に、お友達と、その若い彼女は、自分の反対にもかかわらず、
伍長閣下の命で、多くのパルチザンが殺害された場所で殺された。
いまでも、イタリア人は、彼をもっとも偉大なイタリア人と信じている。
>>619 わーん、誤記がある。
ローマが東京にオリンピック開催をゆずったんよ。
ちなみに、オリンピック水泳の選手で、第7師団の某連隊で副官をやっていた少尉が、
ノモンハンに参戦していたはず。
サイダーを大量に物資倉庫から確保、
抵抗する主計にむかって、使用目的を軍の機密で押しとおして、
みんなで飲んだという逸話があった。
そのあとガソリンをつめて投げるのだが、それより水のないノモンハンでは、
サイダーが貴重だった。
>>619 ムソリーニを処刑したパルチザンのひとりだったミケーレ モレッティは最近まで健在だった。一度、日本のTVにまで出てきた事があるw
なんでも、カストロの演説スタイルはムソリーニのパクリだそうだが、ラテンな気質には響くんだろうな...
>>620 水分と糖分が一緒に採れるのも利点だな。
つーか、第一次大戦の教訓を踏まえる国力がなかったのでノモンハンで酷い目に遭い、 ノモンハンの教訓を生かす国力と人的能力と意欲がなかったので太平洋戦争でもっと酷い目に遭った わけだが。 貧乏な上に工夫する能力も意欲もなかったんだから天罰覿面だわな。
>>622 むしろ、いくら工夫しても資源と工業力と先進科学技術の前には無駄、
という教訓を学べなかったのが痛かった。
工夫、戦術、精神力で切りぬけようというのは、かえって蟻地獄に落ちる。
>>623 先進科学技術に関しては日本の技術者もそれなりに頑張っていたんですけどね……。
用兵側は何故か科学技術に関する努力は日本の戦術の努力を阻害するものなので
不要としか考えていなかったようなフシがあるのですが……。
アメリカはラクして大量生産することに関しては異様な努力をしています。w
>>624 日本 ソロバン
米 キャッシュレジスター
人を改良するか、システムを改良するかですね。
兵隊と畳は、叩けば叩くほどよくなる、と言われたくらいで、 旧軍のシゴキ好きは、異常だった。 ま、イジメだけど。 そうやって鍛えてやれば、金もかからず、精兵が養成できると信じられていたわけで。
>>625 日本はその点変わってないなぁ
作業を阻害するシステムは改善せずに
「時間は大切 仕事は工夫」 ときたもんだ(w
ヒント: 作業を阻害するシステムの存廃 →上層部の責任問題 「時間は大切、仕事は工夫」 →末端の責任
629 :
名無し三等兵 :2005/08/05(金) 14:01:44 ID:zwg9gUnW
↑ 「時間は大切、仕事は工夫」 →末端に実行させるのは下級管理職の責任 が正しい
>>623 >>624 ないものねだりをして国防を放棄するわけにもいかないからな。
求めれば得られるとは限らないのが世の中だ。
資源、工業力、科学力。国力総体で負けたからって、国力をのばす
べきだったってのは、パンの代わりにケーキを食べろっつーぐらいの
子供の発想だ。無くても足りなくても、やらないわけにはいかん。
勝てないからやるべきじゃなかった、というのなら、最低でも分断されて
植民地にされる覚悟が必要だ。そしてアカに確保された地域では、
太平洋戦争以上の死者が出るだろう。
631 :
名無し三等兵 :2005/08/05(金) 14:29:24 ID:zwg9gUnW
そこまで行かないよw 勝てないながら負けぬ戦いが出来るだけの国力が 対米開戦前の日本にはあった。
>>630 ( ゚Д゚)ハァ?
なんで開戦しないのに分断されて植民地化されるんだ?
>>630 そういう思考停止こそ亡国への道だなー
彼我の差を認識し的確なマネジメントのもと
技術開発なり、生産能力拡充を行うことこそ
国防への第一歩でしょう
634 :
名無し三等兵 :2005/08/05(金) 23:54:12 ID:0BnCpp21
そんなに冷静な判断ができるなら苦労はないな。
>>634 米英の凄みはそこら辺の一部を数学的に解析したことだと思います。
有名どころは品質信頼性工学や船団護衛規模の算出や
サイバネティクスとか
日本もそこそこやってるよ。 総力戦研究とか(「やってみなけりゃわからん」で終わったけど 輸送船団とか(なにもかも足らなくてどうにもならなかったけど 特攻の成否とか(聴く耳持つ人が略
>>630 の主張は 散華する893になら適応可能だっただろうが、国家が選択するには余りにも無責任。
結果は、大きな割合で国家を構成している婦女子と老人達に過酷な運命を強いただけだった。
>>635 そして戦後になって、アメリカでは品質管理が忘れられていった。
戦後、多くの兵士を殺した日本は、必死になって品質管理を学んだ。
自動車摩擦のとき、アメリカ人たちは、
日米自動車の品質格差が、自分たちの勝利の結果だったことを知って驚いた。
>>638 アメリカ人は一種の機械万能論に近い感覚を持っている気はする。
問題は今はその機械万能論が薬剤万能論と経済万能論にシフトしていて
機械万能論に戻って来ないところだと思う。つまり彼らの頭の中では
金融>>>薬剤>>>聖書至上主義>>>(超えられない壁)>>>機械生産
だと考えているとしか思えない。
まあアメリカ人はこの理論一つあれば人生の難問全て解決ハッピーライフ満喫と
いうものがこの世のどこかにあると考えているフシがあって、そして機械生産というものに
現状で失望してしまっているのがそもそもの現在のいびつな経済構造の根幹なのかもしれない。
>>638 戦時標準船、海防艦の量産計画、管理なんかに戦後の企業経営者達がぞろぞろ居たりする
>>639 頭の良い人がそうでない人を使う割合が少なくなっているというのは、製造業で成果出すには自分の
アイデア+バカでもキチンと使えるような環境を準備する労力が必要だが、製薬、金融といった分野で
は成果を出すのにアイデアの比重が比較的高いということなのでは。
つまり、バカ使うのは大変だからアイデア勝負の分野へ移行という(頭の良い人には)非常に合理的
ではあるわけで。(地味に一つ一つカイゼンするの苦手だし)
642 :
名無し三等兵 :2005/08/07(日) 04:11:56 ID:VmjXgd78
ノモンハンは実はソ連側のほうが損害が多かった。 しかし、情報公開が進むまで誰もそれに気がつかなかった。 大本営発表より、STAVKA 発表のほうがスゴい。 つまり、宣伝戦でソ連は負けを勝ちにしていたわけだ。 恐るべし宣伝戦! これは日本がここ70年負け続けている分野だ。
643 :
名無し三等兵 :2005/08/07(日) 05:05:12 ID:Onq1Uog0
ノモンハンでは日本兵の肉薄火炎瓶攻撃にソ連戦車兵の脱出逃亡が 相次いだ。そこでソ連軍は逃亡防止に戦車のハッチを溶接して出撃 させた。戦車に火炎瓶1本で突撃するのと缶詰戦車で進軍。どちらが 非人道的か?
>>639 この理論一つあれば人生の難問全て解決ハッピーライフ満喫
これって確かにあるねw 最近は日本でもこういうのを信じるバカが増えて“マルチで大成功”みたいな金持ち父さん本なんかがベストセラーになったりした訳だが、米国人よりも個の確立が難しい日本では、あっという間に現実に気付かされてしまう...
ある意味、夢を見ていられる期間が米国では極端に長い。その功罪も様々だが。
米国での序列で考えると、
聖書至上主義>>>軍事>>>農業(超えられない壁)>>>金融>>>薬剤>>>機械生産
ってところだろう。
下位三種を支えているのは非米国人の比重が圧倒的だが、上位三種は米国人のコアだ。
ある意味ローマ帝国だよなww
>>643 戦車に火炎瓶1本で突撃するのと缶詰戦車で進軍。どちらが非人道的か?
もちろん火炎瓶突撃だろw 戦車から逃亡しまくったのは機械モノに不慣れだったモンゴルの即製戦車兵で、車内に鎖で繋がれてる兵士も見つかっている。
これはソ連に対してアピールしないと存亡自体が危うい立場の新興国家だった、モンゴル&チョイバルサンの行過ぎた情熱の発露だった訳だが...
>>641 生産する側の姿勢というものもあるけれども、それ以前に消費する姿勢としてね。
つまりアメリカというのは現在は金融や薬剤(ドラッグに限らずサプリメントも含めてね)を
消費することによって人間はより進歩できる、進化した生活ができると信じているフシが
あって、そのような消費者が生産者に移行することによって、まあこう言うと言葉が悪いかも
しれないけれどもある種のマニア的熱意を持って様々な商品を開発してしまうところに、
現在の金融や医療に対する強烈なアドバンテージがあるのではないかと。
で、昔は機械に対する消費者のあこがれというものがあって、そのあこがれの一つとして
言えばたとえば原子力エネルギーによる無尽蔵の動力に対する夢(原子力自動車とか、
原子力エネルギーが開発された初期の頃に抱かれていた夢)だとか、あるいはロボットが
高い知性を持つことによって人間に奉仕することによって人間は王様のような生活を
送れるのだという夢だとか。そう言ったものがあって、そのような夢を抱いていた消費者が
生産者に移行することによって機械産業の優位を保てていたのではないかと。
でも原子力万能の夢は結局実現不可能ということが分かったし、ロボットも作ることが難しいし
ロボットが万能になった時に本当にロボットは人間の言うことを何でも聞くのか? ロボットが
反乱を起こしたりしたらどうするのか?という疑念も出てきたりで、まあ機械そのものに
対して消費者達が失望してしまったと。当然それは生産に対する意欲の減退につながって、
機械に関する産業についてアメリカが優位を保ち続けることができなくなっている原因に
なっているのではないかと。そんなふうにも思ったりしているわけ。
↑ロボットに対しての米国人(当初は欧米人と言われていたが、実際には特異的に米国人のみだと判って来た)のアレルギーも興味深い。 産業ロボットのような人間の部位だけを再現したものはOKだが、人間型に近いロボットに対しては神への畏れから拒絶反応を示す。 ロボット少年が母親を想う一心を描いた「AI」が日本では大ヒットしながら米国では全然ダメだった頃から浮き彫りになり始めたが、米国人の狂信的なキリスト教への傾倒は ある意味 不気味だw
A.I.がだめだったのはお話がフニャフニャだったからだ。 ターミネーターシリーズはあたったぞ。 スターウォーズのC3POが排斥されたとも聞かぬ。 極端な例をもちだして一般化しないよ〜に。
そうか?結構かわいかったぞ「AI」w 特に熊さん型のじいさんロボが良い味出してた。 ターミネーターは演じたガバネーターが人間離れしてるし、本来は悪役だったのに2作目では感情を覚え始めた辺りで 自らを破壊する事で倫理観とのバランスをとっている(ストーリー的にも正解だったが、3作目をうまく作れなくなってしまったw)。 C3POもアナキン手製の金色プレス製じゃなかったら、悲劇的な最後を遂げさせる必要があったかもしれん...
>>649 がまず結論ありきだということはよく分かった。
つスレ違いw
652 :
名無し三等兵 :2005/08/07(日) 17:55:05 ID:fXUEjDSG
話がずれてるな
ノモンハン戦車戦読んだ?
読んだよ
火炎瓶駄目だったんだね
ディーゼルに変っちゃったからね
657 :
名無し三等兵 :2005/08/08(月) 15:39:38 ID:OuSdR71T
>>642 コラ!
向こうは使い捨ての駒を失っただけだろうが。
こっちは将校まで包囲殲滅されとる。
日本側の写真でソ連の戦車に装甲車を捕獲したのがある。
日本の兵隊さんは頑張ったなあと感心するかもしれないが、
ソ連はソ連で、日本の戦車や装甲車から将校が乗る乗用車(高級車やフェートン)
からトラックまで、つまり最前線の攻撃や防御に使わない車両まで破壊し捕えていたんだ。
日本は部隊本部までボコられて負けてるわけだ。
658 :
名無し三等兵 :2005/08/08(月) 15:45:38 ID:Zdt4omPv
>向こうは使い捨ての駒を失っただけだろうが。 >こっちは将校まで包囲殲滅されとる。 独ソ戦で死んだスラブ人2500万もそうだってことでいいか? ソ連では人民なぞ「使い捨ての駒」にすぎないのだと。 あと中国は・・・
劣等スラブ人2500万人、チンピラゴロツキ3500万人を大虐殺した枢軸国はもっと感謝されていもいいと思う。
>>657 どうだろう。
ソ連もジューコフ指揮下の最精鋭機甲部隊を消耗させたんだから、
きついはきつかったはずだ。
あのまま攻勢を続けると、危険なくらい消耗した恐れもある。
もっとも日本軍も、このまま戦いを続けると、
つじーんの乱暴な作戦で、攻撃して消耗したかもね。
ただ、それはさておき、ソ連軍は虚勢を張るのは見事だよなあ。
>>658 損害ではない。最後に残ったやつが勝ったやつ。
損害が大きい小さいは過程であって、損害が多くても
敵の中枢を〆たのなら勝ちは勝ち。
損害が多いってたって、敵を殲滅して歴史にのみ残せば
あとは数十年数百年かっかって国威を回復すればよし。
ナチスドイツは強かったかもしれないが、所詮過去のものだ。
ソ連は崩壊したがロシア人が祖国防衛を果たした栄光はますます大きくなるのみ。
663 :
名無し三等兵 :2005/08/08(月) 22:49:34 ID:pYPRsV6u
ジュ−コフは別に満州まで攻めこむつもりはもともとないだろう。 攻勢をかけてきた日本軍を追い払うのが任務だからな。それに、満州を 制圧するには、どう考えても戦力不足だしな
665 :
名無し三等兵 :2005/08/09(火) 19:36:05 ID:vLD0rEmd
なにを?
666 :
名無し三等兵 :2005/08/10(水) 23:06:18 ID:JH57wFqE
ノモンハン戦車せんか?
ノモンハンで、こんなに酷い目に遭わされるくらいなら、 シベリア出兵のときに、もっとしっかりやっておけばよかったんだよ。 傀儡政権の確立とかさ。
期間は長かったがシベリア出兵でもかなり酷い目に遭ってる。
669 :
名無し三等兵 :2005/08/11(木) 08:44:25 ID:FPzM6z1g
そうそう、日本の国力では、ずっとシベリアに駐屯するわけにもいかんしな
目的はチェコ兵救出だったそうだが、知り合いになったチェコ人に聞いたら“?”だった。 戦後のチェコでは全く知られていないらしい...
ていうか途中からチェコ軍は寝返ったし
社会主義国だった時代にそんな歴史は忘れ去られてるんでしょうね。
>>671 ウラジオストックの占領から西進のあたりは英仏との共同で日本は相手にされなかっただけだろ?
674 :
名無し三等兵 :2005/08/11(木) 22:50:14 ID:uGA+4WN0
チェコ兵の救出なんて名目ね。
シベリア出兵は、唯一日本がリーダシップを取れた国際共同作戦だったが、ここでも日本軍の国際感覚の無さから共同作戦自体が崩壊している。
676 :
名無し三等兵 :2005/08/11(木) 23:52:22 ID:uGA+4WN0
まあ、ほかの国も目標は達成できなかったわけだが・・・・
677 :
名無し三等兵 :2005/08/12(金) 08:05:30 ID:RW1O2Tw9
シベリア出兵は徒労ね
678 :
名無し三等兵 :2005/08/12(金) 08:19:13 ID:/QnSAxk5
日本が勝ったという馬鹿が沸いてるな
679 :
名無し三等兵 :2005/08/12(金) 15:48:50 ID:h98BgEe9
↑レスの流れを読めば“沸いていた”が正しい。 どっかのヨタ言説を信じて軍板に突っ込んで来た連中こそ、ものの哀れといふものよw
>>668 4年3ヶ月で、戦病死4700人だから、それほどの損害じゃないぞ。
681 :
名無し三等兵 :2005/08/12(金) 23:14:17 ID:3oiP8ccC
動員兵力と比べると多いのではないのか? それと、シベリア出兵は 金銭の負担の方が日本に重くのしかかったと思う。
シベリア出兵では尼港事件が最大級の損害だった。
http://ww1.m78.com/sib/nikolayevsk%20misery.html 捕虜になった日本兵が杭に針金で縛り付けられて冷凍人間にされたりしたが、むしろ損害は国内で蒙ったようだ。
理解不能な理由で訳の分からない相手と交戦させられ、政権の誰もマトモな事情説明をしない(というより出来なかったw)という事態に、軍人が小さくなって市電に乗る時代が到来してしまう。
軍がようやく威信を取り戻すのは、その後の関東大震災で戒厳司令部を置いてから。
甘粕は大杉栄なんかに比べれば、はるかに世間から冷遇されていた。
最盛時、3個師団、7万人も出兵してるんだが。 あえて言おう。 感覚で、ものを言うな。
チェコ軍団が4個旅団相当4万数千名 フランスはベトナム人の部隊で一個大隊1200余名 イギリスは香港駐留のグルカ兵で一個大隊 アメリカは7000名の部隊 日本が3個師団7000名
↑ゴメン 7000名 × 70000名 ○
686 :
名無し三等兵 :2005/08/13(土) 15:44:41 ID:eS72yy8q
ノモンハン事件の戦没者遺骨、祖国へ 「1939年に旧満州(現中国東北部)とモンゴル国境付近で、旧日本軍と旧ソ連軍が武力衝突したノモンハン事件の戦没者の遺骨8柱を、厚生労働省の職員らがモンゴルから持ち帰り、11日に東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で引き渡し式が行われた。
687 :
名無し三等兵 :2005/08/13(土) 16:38:02 ID:wB+m1pJK
7万名じゃ、シベリアを確保しつづけるのは無理だな。
日本があと+3個師団出せばシベリア鉄道沿いにモスクワまで進撃可能だったかもしれない。 ただ、列強の目的はロシアの革命運動を潰す事ではなく、あくまでドイツにとっての東部戦線を再起動させて、西部戦線の状況を好転させる事。 日本軍がモスクワを制圧しても、その後 連合国の一員として対独戦に参加しなければならなくなる。 塹壕戦も戦車も知らない日本兵が 戦力足り得たとは到底思えないが...
兵站線とか考えろ
690 :
名無し三等兵 :2005/08/13(土) 17:31:31 ID:zWJwn1/+
>659 て、ことは同志「ゴキブリ」「しらみ」など1億匹を始末した「モウ タクサン」首席はシナ史上もっとも偉大な英雄だったということだな。
691 :
名無し三等兵 :2005/08/13(土) 17:34:48 ID:wB+m1pJK
日本人は昔もそうだが、補給とか考えないやつが多いのかな?
>>691 >日本人は昔もそうだが
あやまれ。
戦国武将達に泣いて謝れ。
当初列強が目論んだように、シベリア鉄道を占拠していたチェコ軍団を英仏指揮下の連合軍に編入して東部戦線再起動の担い手とし、その後衛として日本軍を使ってシベリア鉄道−満州/浦塩経由での補給を維持すれば、日露戦争の逆パターンでの補給は可能だ。 但し、日本がそこまで欧州戦線に関与すべきかどうかは、政党政治だった当時の日本では当然ながら議論の対象となっただろうし、日本の先行を米国が黙って見ているとも思えない。 恐らく、シベリア鉄道警備に限定された日本の関与+革命政権を支援しつつ英仏+張作霖政権と拮抗しようとする米国=ウィルソン政権という構図になったのではないかな? そうなれば、その後の世界情勢は極めて違った形となっていただろう。
はいはいすごいねー
てか
>>688 .693の想定だとロシアの脱落を防いだ上でWW1が継続されてるわけだから
西からの補給ができるんじゃない?
チェコ軍団への西からの補給は無理だろう。補給が可能な位だったら、チェコ軍団のシベリア/満州経由での脱出支援→西部戦線への移送なんて手間は不要だ。 WW1自体はシベリア経由で日本が介入してもしなくても西部戦線では続いた訳で、ドイツは依然として攻勢をかけていて、史実のようにポッキリと折れてお終いになるなんて英仏は想定していなかった。 だから、一方的にドイツと講和したロシア領内に突然出現した戦闘意欲満々でドイツ人に対しての民族的恨みをたぎらせているチェコ軍団を、なんとか西部戦線に移送(うまくいきそうなら東部戦線再起動の駒)しようと、日本にシベリア出兵の要請がやって来た訳だ。 尚、講和した後もドイツが東部戦線に大兵力を貼り付けたままだったというのも、ロシア軍の再起動を恐れてというより 何故か自ら意思を持って動き始めたチェコ軍団を恐れての事だった。 チェコ軍団はいったんトロッキー配下の赤軍により武装解除の憂き目に会っているが、これに英仏 なにより参戦したばかりの米国が大量の兵器(特に戦車部隊)を供与すれば、ブルシロフの再来になってしまう。 これは西部戦線大攻勢に全てを賭けていたドイツ参謀本部にとっては悪夢以外の何物でもない。1945年に起きた事が1918年に早まってしまう...
妄想8分に史実2分
698 :
名無し三等兵 :2005/08/14(日) 00:02:25 ID:WUg3Gqtf
だいたい補給が維持できんだろうよ
ブルシロフ攻勢あたりまでは日本からの武器援助でやってたのだけどね
モスクワに攻め込もうなんて、誇大妄想だろ。 白系ロシア人を支援して、極東ロシアに傀儡政権を樹立させればよかったのだ。
コルチャック日本人嫌いだから駄目。 マカーキw
703 :
名無し三等兵 :2005/08/14(日) 08:52:07 ID:AQvFXxYX
そうそう傀儡政権みたいのは、一応たてた
白軍は身分意識ばっかり高い無能な連中が指揮をとっていた。 帝国軍でも優秀な将兵はトロッキーの赤軍に移ってしまっていたので、シベリア出兵の時点で勝敗は決まっていた。 日本は白系傀儡政権樹立にあまり積極的ではなく、コルチャックの如きは英国が日本からの支援を乞わせるために送り込んで来たに過ぎない。 当時のロマノフ朝内部は既に自己崩壊が始まっており、アレクセイ大公なんかはタンネンベルグでの大敗後、自軍を使ってドイツではなく国内のユダヤ人集落を攻撃させて死体の山を築いて憂さを晴らしていた。 それを止めさせようとしたラスプーチン(対ドイツ開戦にも反対しユダヤ人財閥との関係が深かった)は、やはり性格破綻者の皇太子達に暗殺されてしまった。 ラスプーチンについては結構おどろおどろしいイメージが先行していたが、彼は日本で言う所の山伏などに近い存在だったようだ。 いわゆる女好きというのも、彼が自分との性交を求めてくる相手(病気を治してほしい/巨根に跨りたい/etc)に、オンデマンドで欲求をかなえてやっていたために広まった噂に過ぎない。 病人の診察のかたわら、肉体労働にいそしみ 精神と肉体の合一を目指した求道者だったとの事だ。
セミョーノフに対する工作は?
赤軍に対峙していた唯一の軍事的存在として支援を与えていたが、匪賊程度のセミョーノフでは小物過ぎて×というのが日本(そして英仏)の判断だったようだ。
ロシア王室の縁戚者を適当に担いで、シベリア事変w
だからてこ入れの為、ホルワットを連れ出して黒木親慶大尉を派遣してるじゃん。 コルチャックがオムスク政権を投げ出す時、セミョーノフは後を引き継いでいます。 少なくとも日本軍がザバイカル州から撤退するまでは日本からは一貫した支持を受けていたと思いますが?
↑支援は与えていたが、日本+英仏にセミョーノフを傀儡政権の首班に、という意思が無かったのも確かだろう。 (実際、セミョーノフの部隊は匪賊規模に止まり、大した兵力には成長しなかった) 特筆すべきは、当時の日本には共産主義の浸透を恐れる心理は希薄で、敵対的ながらボルシェビキを絶滅対象と見るような反共思想が存在しなかったという点だろう。 英仏でさえ、その行動は干渉に止まっており、WW1戦後のドイツに到っては成立したばかりのソ連との軍事同盟であるラッパロ条約を締結している。
ヴェルサイユ条約体制を最初に否定したのは、伍長閣下ではなく参謀本部とロシア人のコンビw
>セミョーノフを傀儡政権の首班に ありました。 主に陸軍の工作ですが首相の原敬は支持してますね(最終的には撤退を指示しますが 英、仏と日本の間には統一意思は無いです。 >大した兵力には成長しなかった どういう資料をよまれてるのですか?
>>711 >主に陸軍の工作ですが首相の原敬は支持してますね
>英、仏と日本の間には統一意思は無いです。
これはホルワット-セミョーノフによる傀儡政権構想の事だろうが、英仏のコルチャック擁立でなし崩しになっている。
原敬が支持を与えていたというのもコルチャック擁立前の方針というだけではないかな?
英(仏)との協調が当時の日本外交の生命線であったという認識が不可欠だろう。
日本は勝手にロシアへ38式歩兵銃を送ったのでも、シベリアへ出兵したのでもない。
あくまで英(仏)からの要請に基づいて行動している。
尚、>大した兵力には成長しなかった という部分だが、コルチャックが首班になってからのオムスク政権軍には、最盛期25万人の兵力があったとされている。
しかし、これとて西ウラルから各コサック首長達に呼びかけて参集した寄せ集め兵力に過ぎず、トロツキーの赤軍がバクーを席巻し始める頃には急速に崩壊し、
トハチェフスキー軍には大敗を喫して25,000人の捕虜(こういった数値を見ると、後の国府兵並みの存在だったと伺える)を出している。
尚、セミョーノフはコサックの一首長に過ぎず、自前の部下という存在は旗揚げ時の110人から大して成長していないようだが、具体的にセミョーノフ軍の配下に何騎の兵がいたのか示してもらえると面白いだろうw
だめだこりゃw
「窓に、窓に・・・・」まで読んだ
715 :
名無し三等兵 :2005/08/14(日) 17:32:22 ID:+4i+CxRM
シベリア出兵は無謀だったということか
↑無謀というより、出兵要請の目的を政府/軍/国民共に理解出来ずに出兵し、無目的に行動し 忘れ去られた頃に撤退した、というだけの展開だった。 現在のイラク派兵も忘れ去られた頃に撤退するのかもしれんが...
717 :
名無し三等兵 :2005/08/14(日) 23:31:28 ID:kE15kJv/
ロシアの極東地域を日本の勢力下に置くことが目的じゃないのか?
あほか
719 :
名無し三等兵 :2005/08/15(月) 08:21:55 ID:kwwiwj4u
あほでしたね
>>717 左巻きの歴史家さんからは、日本のシベリア領有の野心だけが抽出されがちだったが、当初はさておき早い時期に日本は諦めてしまっている。
連合国(英仏日露米)間の国際協調行動という当初の派兵目的の他に、日本軍の中にはシベリア制圧という考えも当然ながらあったので、ホルワット(鉄道屋)-セミョーノフ(コサックの親分)による傀儡政権が構想された。
しかし、実際には英国主導のコルチャック(海軍さん)が首班となり、そのオムスク政権が“国際的に認知された”白系政権として樹立された。
この時点で日本によるシベリア領有は封じられ、国際協調だけが派兵目的として残った訳だが、オムスク政権の戦力では新政権側に対抗し得ず、日本だけが支援を続けつつ最終的には日本/満州への白系露人の脱出を支援する事でシベリア派兵は幕引きとなった。
尚、その10年後には、日本はより重要な権益を持つ満州での活動を活発化させる。
満州国はオムスク政権より長持ちしたが、帝国の進路を誤らせ、末路は悲惨だった。
傀儡政権という手法がどの程度有効かなのか、石原莞爾の頭の中には見えていたのかもしれないが、彼は早い時期で主導権を投げ出しており、そのおかげで東京裁判にも引っ張り出されずに済み 仇敵たる東条達に全責任を負わせるのに成功したw
721 :
名無し三等兵 :2005/08/15(月) 08:50:07 ID:kwwiwj4u
結局、シベリア制圧が目的だったがその野望はくじかれた ということですな。
そのように単純化しても大きくは間違っていないだろうw
723 :
名無し三等兵 :2005/08/15(月) 19:25:52 ID:pMFbrdYO
ほかに特別な理由があんのか
ある
725 :
名無し三等兵 :2005/08/15(月) 23:07:56 ID:nk2hi+qt
それはなに?
満州国の大儀がある
727 :
名無し三等兵 :2005/08/16(火) 08:19:37 ID:/DOveE3/
なんだそれ?
>>723 意外かもしれないが、シベリア出兵当時の日本は英米と仲良しだった。
つまり、最大の出兵理由は“国際協調”だった(現在の日米関係と同じ)。
満州事変までの日本は、非の打ち所もないほど完璧な列強の友人(番犬とも言う)だった。
しかし、石原莞爾(日蓮宗徒)の口車に乗せられたおかげで、一転“近所の狂犬”になってしまった。
特に米国にとっては、昔は一緒に遊んだりエサをあげたりしていた近所の野良犬が、狂犬病にかかってしまったので 射殺しなければならなくなってしまった少年のような心境だった事だろう。
本土に上陸し、核兵器まで使って皆殺しにしないといけなかったかもしれないのに、土壇場で抵抗を止めてくれたおかげで、少年は野良犬を射殺せずに済み 自分の飼い犬にできましたとさ、で めでたしめでたしw
〃∩ ∧_∧ ⊂⌒( ・ω・) ハイハイ、ワロスワロス `ヽ_っ⌒/⌒c ⌒ ⌒
730 :
名無し三等兵 :2005/08/16(火) 19:44:25 ID:Q4/lXwag
英国は仲良しかもしれんが、米国にたいしてはそうでもないと思うぞ。 シベリア出兵の時だって、日本の動向に一番気を配っていたし、日本のシベリア駐留を 一番批判していたのもアメリカだったし。
なんでシベリアにそんあムキになってるん? 白系露西亜人の混血子孫?
>>730 確かに、チェコ兵救出が成功し英仏が撤兵した後も無目的/無軌道に駐兵を続ける日本に対して、米国は最も批判的スタンスを取った。
しかし、この時点での米国がどれだけ反日的だったろうか?
当時の米国は依然として日本を友邦と見なしていた。ロシア革命政権よりも同じ価値観を共有していたし、1924年の排日移民法まで両国間に表立った対立は存在していなかった。
733 :
名無し三等兵 :2005/08/16(火) 22:56:54 ID:qJqHxcZ2
日露戦争の時に満州の利権を日本が独占したときから、日本のことを米国は よく思っていなかったし、21ヶ条の要求で米国は日本のことを危険な国と みなしたと思いますよ。人種差別の問題もあるが、第1次世界大戦中から、 米国は日本に対する見方は厳しくなっていったと思うよ。日露戦争までは 友好的だったと思うが、それ以後はどうかなと思うけど。
米国がどの時点から日本を打倒すべき対象と見なしたのか?というのは興味深い点ではある。
米国にとっても、いくつかのイヴェントがあったと思うが、大雑把に見れば、
1. ペリー来航→当初は植民地化の予定。南北戦争で退場/内国に専念
2. ハワイ領有/米西戦争/日清戦争→オレンジ計画を立案(純粋に机上演習の世界)
3. 北清事変→中国進出のために使える仲間かもしれないと思い始める
4. 日露戦争→ロシア相手に大博打を打った日本を物心両面から支援
5. ハリマン買収→満州鉄道利権は日本の国家利益と認識
6. 辛亥革命→微弱ながら英仏による中国利権独占体制に崩壊の兆し
7. WW1/山東出兵/シベリア出兵→日米ともに列強入りながら経験不足
8. 上海クーデタ→プレーヤーとしての蒋介石が鮮烈なデビュー
反共を旗印に蒋介石がデビューしてから、日本と米国の中国利権(あくまで本土)についての利害が対立し始める。
当初は蒋介石の能力に懐疑的な英仏にかわり、日本が蒋介石の支援者として存在するが、日本国内では張作霖と同レベルの軍閥としてしか彼を扱われなかった。
(日本は蒋介石との関係を構築するためだけに張作霖を爆殺した訳ではない。満鉄と並行する路線が邪魔だったのだ)
米国は当初から蒋介石を中国を統一出来る“鉄腕人物”として捉え 接近を試みるが、宋美齢夫人と対照的に西欧諸国に敵愾心を抱いていた蒋介石は、日本との協力関係だけを重視した。
この関係が大きく変わるのは、日本の出先機関が暴走した満州事変から。
運悪く、張作霖の後を継いだ張学良は無学な父親とは異なり 米国留学組で、宋美齢らと価値観を共有していた。
満州事変で国府の官吏として生きる途を選んだ彼は、蒋介石の反共に自らの抗日を要素として加える機会を狙い続け、日本軍の進出で満州の二の舞になり兼ねないと危惧していた西北軍閥の楊虎城を仲間に引き込んで西安事件を引き起こす。
この時点で抗日思想が中国で唯一の官許イデオロギーとして集約されるが、その支援者として選ばれたのが米国/ソ連だった。
米国はこの動きを歓迎し、折悪しく米国に生命線(石油&屑鉄)を握られた日本は極めて不利な対決を余儀なくされる事になり、結果は
>>728 となった訳だが...
>>734 日米関係の悪化を不可逆的、取り返しのつかないものと解釈するのは危険だと思う。
たとえば現代におけるアメリカとフィリピンの関係においても、90年頃は米軍が撤退したりして
かなり疎遠になったりしていたけれども、最近はフィリピンがアメリカに泣きついたか何かで
フィリピン国内の反政府勢力の掃討に米軍が協力したり、関係改善の兆しがある。
もちろん仮想敵としての日本というのは常に抱えていたとは思うけれども、軍事的仮想敵と
政治的関係は別だから、政治的友好関係を築くことは不可能ではなかったと思う。
概要同意だが、米国-フィリピン関係を普通の“二国間関係”と見なすには無理があるw 越南で敗れるまで米国はアジア諸国との正常な関係の築き方がわからなかったようだ。 言い方は悪いが、現代の米国にとっての友邦とは 有る意味間接統治下の属国だ。 属国と言っても決して待遇が悪い訳でもなく、フィリピンのような依存体質になり下がった頃に“自立しろ!”と見捨てられる訳だが... 日本はそのおかげで助かった訳だが、越南はボロボロになってもそうした関係を拒絶した。 日本と越南の どちらが正しかったのかは歴史が判定する事になる...
>>736 越南って、ベトナム?
今はベトナムは資本主義経済圏の中に組み込まれようとしているよ。
しかも色々な雑誌情報を見ていると最近は経済としては中国のライバルに
なるべく動いているみたい。この方向がどこまでうまく軌道に乗るのか
情報が少なすぎて分からないけれども、少なくとも経済的には反中・親米に
動いているね。
そう、越南=ベトナム クリントン政権下で一挙に接近した米越関係(旧ソ連にかわり米国が軍事支援というプランまであった)だったが、ブッシュ政権が突きつけた越南民主化要求項目のおかげで再度関係は停滞したまま。 越南が中国のライバルなんて日本人の頭の中だけにあるお笑いだが、越南が経済的な苦境を脱したのは中国との関係が正常化したおかげ。 越南政府の頭の中にあるモデルは、中国型の共産党主導/市場原理主義経済というもの。 越南は有史以来の反中(なにしろ中国からの分離独立に成功した唯一の国/ソ連の傀儡として独立できた外蒙古とは違うw)だが、そのスタンスは決して中国を怒らさず付かず離れずの距離を保っている。 中国と海で隔てられた日本の距離感とは緊張感がまるで違う...
だったら越南なんて漢字表記辞めてやれよ。ベトナムの公用語に北京語や広東語でもつかわれてるのか?
日本では漢字を用いて近隣諸国を表して来たのでそれに倣っているだけだよ。 越南人もそう言うだろう(実際言われた)けどねw 越南語語彙の90%以上は漢語起源であり、19世紀までは漢字が一般的に使用されていたし チュノムという漢字を基にした合成文字まで作っていた。 建国の父たるホーチミンが指導したベトミン≒越南労働党は、中国の共産主義に拮抗すべく漢字を廃止してしまい、ローマ字表記のクオックグー/國語を採用し、 おかげで東南アジア諸国では有数の高識字率を誇るに到ったが、中国が最重要の商売相手となった現在の越南人の多くは改めて漢字を覚えねばならず皆苦労している。 もう少し生活水準が上がってきたら、小学生の段階で漢字教育を再導入してほしいものだ...
漢字学んだらなおさら「越南」なんて使いたくないと思うよ
そいたら国名変えないと。 ついでに漢語起源の言葉も禁止汁って、何も残らないぞw つーか藻前、漢字のテストでいつも赤点だっただろww
論点かみあわねーな おまえ国語の読解できなかっただろ
っスレ違いw
>>736 >築き方がわからなかったようだ
当時は共産主義化の恐怖に怯えていた時代。赤化されるか、貴方の言う「属国」に
するか、わからなかったのではなく、それしか選択肢がなかっただけ。
筆が滑っただけだと思うけど。
↑とゆーのがアジアにおけるドミノ理論だった訳だが、実際には幻想だったね。 米国型“属国”になると、ほとんどの面倒を米国が見てくれるんで超楽ちん。 ただし米国の戦略目標は常に東漸するから、いずれは捨てられて行く運命にある。 そして現状のフィリピンは自由も民主主義もない中共に乗っ取られつつある訳だが、ここに共産主義への恐怖を持ち出すフィリピン人は全くいない。 国内で共産ゲリラ(外部勢力が持ち込んだものではなく民族主義的背景から発生していた)との戦いをあれだけ続けた時代があったというのにね。 なぜなら、反共で米国の支援が受けられる時代は遠くに去り、中共自体が米国にとってのベストビジネスパートナーと化しているからだよ。 そして替わりに持ち出して来たのが、やはり ほとんど実態のないイスラム過激派との戦いw 物乞い根性もここまでくれば国家的産業だ罠...
↑ただし米国の戦略目標は常に東漸する “ただし米国の戦略目標は常に西漸する”が正しい。 お詫びして訂正します。
当時の人には分からんからね。 それに幻想と決め付けるのもどうかと。 いずれ共産主義は崩壊するから、と手をこまねいていたら、どういう未来(つまり今現在) になったか分からんからね。
↑いや、幻想だったと記したのは共産主義に制圧された国の隣が すぐに共産化するというドミノの前提条件の事。 当然ながら米国の友人となれば、貧乏人であれ金持ちであれ利益は大きい。 しかし、米国が越南における友人の代表として選択した西貢(サイゴン)政権は南部住民の政権ではなく、嫌われ者の北部出身者達(ジュネーブ協定難民)を代表するゴジンジェム一族の政権だった。 ベトコンが戦っていたのは共産主義の大義のためではなく、西貢(サイゴン)政権とその主人である米国から自らを解放するためで、幸運な事にベトコンには武器を入手するルートと国際的な支援を得られた事で、米国を撤退させる事に成功した。 1954年の時点で米国が冷静に越南を分析すれば、北越南が必ずしも米国の敵ではなく、自分達が選んだ連中はとんでもないクソ(JFKはそれに気付いてゴジンジェムを殺害している)だと 理解出来たハズだが、若さ故の過ちから当時の米国にはそれだけの客観性を持って自らを省みる事が出来なかった。 (この間違いに直接的に責任があるのは、宋美齢の愛人を経て その資金援助で政界入りしたニクソンである) 面白い事に、米国はイラクでもフセイン後の文民政権首班に 同じようにクソを据えようとしていたが、途中で間違いに気付きさっさとスゲ替えている。 米国は若い国なので過ちも多いが、自己修正も可能な国家だと自ら示した好例だったw
751 :
名無し三等兵 :2005/08/18(木) 00:25:56 ID:By5HY5mi
ベトナムやフィリピンと、米国の間の関係と、当時の日米関係と比較するのは 無理があるぞ。覇権争いの側面もあるしな。
勿論、戦前の日米関係と米比/米越を直接比較は出来ない。 しかし、米国にとっての“友邦”が所詮属国でしかないという事実を再確認するために、あえて戦後日本の軌跡を例示したまでだ。
753 :
名無し三等兵 :2005/08/18(木) 01:14:57 ID:By5HY5mi
米国にとっての友邦とは、米国に協力的な国ということだな。
>>753 普通非協力的な国を友邦とはイワンのでは?
しかしアメリカという国のパワーの前には如何なる協力国も属国程度の影響力 しかないわけだ。
そう、米国にとっては“友邦≒属国”か、“速攻で叩き潰すべき相手”と“ちょっと手強いので、そのうち叩き潰すべき相手”の三者しか世の中に存在していない訳で... 米国にとっての日本は手強い→速攻→友邦という軌跡を描いた事になる。
いやぁ・・・う〜ん、速攻?
前陣速攻w
759 :
名無し三等兵 :2005/08/18(木) 08:28:14 ID:CO9mf6xZ
そういう考え方もありますな
760 :
名無し三等兵 :2005/08/18(木) 23:12:08 ID:9BJ/CnEF
速攻?
まあ、アメリカとうまく付き合えないと、どうしようもないってのが、 敗戦以来の状況だな。 しかし、なんで、このスレで、アメリカの話をしているのやらw
シベリア出兵の話あたりからズレたなw なんとか満州国で軌道修正しようとしたんだが、アメリカ系に最分岐してしまった。
763 :
名無し三等兵 :2005/08/19(金) 19:22:55 ID:2EwGrnoX
ノモンハンに話を戻せ
764 :
761 :2005/08/19(金) 22:20:48 ID:???
>>762 すまん。シベリア出兵に振ったのは、漏れですw
でも、結構、間がもったからいいでしょ?
それもそうだw 正直日ソ両軍の対決地点としてだけのノモンハンでは、“日本が勝った”のデムパ言説を信じて突入して来る厨がいないとレスが続かない。 日ソ(露)蒙満の関係史(これが=で軍事史となる訳だが)の集約点としてノモンハンを見た方が話が拡がって宜しい。
766 :
名無し三等兵 :2005/08/20(土) 08:44:03 ID:hwhNIj+v
ノモンハンで、ジュ−コフ率いるソ連軍が日本軍を蹴散らした後に、 関東軍が本気で反撃でれば、ソ連はピンチだったという奴がいるけど、 どう思いますか?
767 :
名無し三等兵 :2005/08/20(土) 09:04:25 ID:cwtusFgS
そのとおり
768 :
名無し三等兵 :2005/08/20(土) 09:18:53 ID:AOZPi34v
それは無理です。 こんどはすぐにモンゴル人民共和国軍が反撃にでます。 朝青龍みたいなモンゴル兵に、日本兵はみんな投げ飛ば されます。今でも朝青龍に日本人は勝てないでつ。 モンゴル兵最強でつ。
一瞬ここ笑心者スレかとおもった
770 :
だつお :2005/08/20(土) 10:06:49 ID:Xn99CZWU
仮に大敗して満州国が蹂躙されたとて、それは史実と変わらない。 しかしながら当時としては日ソ中立条約の恩恵は素朴に信じられていた。 それはアメリカが共産中国成立後も外交努力で米中衝突は避けられる ものと信じていたのと同じことだ。 あとソ連が日本分割に参加するかだが、上陸作戦の不得手な赤軍が そのようなことを試みるのはあまりに不合理だ。それよりも朝鮮支那 への進軍を進め、支那派遣軍と衝突することになっていただろう。 アメリカもまた、それを望んでいた。 あと陸軍としては米軍や赤軍と戦うよりも、中国のチンピラゴロツキ 狩りを続行するほうが楽に点が稼げる。中立条約を破棄してまで貴重 なチンピラゴロツキ殺戮要員を対ソ戦で消耗するのは得策ではない。
>>770 漏れとしてはアメリカに対する過度の不信とソ連に対する過信とのアンバランスさが信じられないんだけど。
772 :
だつお :2005/08/20(土) 10:53:53 ID:Xn99CZWU
>アメリカに対する過度の不信とソ連に対する過信
ソ連はナチスドイツと同じく、外交的には満州国を公式に承認したから。
満州国を認めない中国とアメリカこそが日本の敵。
声明書
大日本帝国政府及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦政府ハ1941年
4月13日大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間ニ締結セラ
レタル中立条約ノ精神ニ基キ両国間ノ平和及友好ノ関係ヲ保障スル為
大日本帝国カ蒙古人民共和国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ
約スル旨又「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦カ満洲帝国ノ領土ノ保全
及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明ス
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nissotuuritujouyaku.htm しかしながら、外交力で戦争を避けるという方法は日本に限らず、
どこの国であっても通用しなかったようだ。
>>772 いや、いくら満州を認めてもらっているとは言っても、
大戦末期、ヨーロッパ方面から兵力を大量に極東方面に輸送されているのを
知っていたのにも関わらずそれでもソ連は和平仲介をしてくれるはずだと
期待していた理由がよく分からない。
それとソ連とアメリカなら外交力で戦争を避ける見込みを立てやすかったのは
アメリカの方だったと思う。
>766 無茶言うなよ。 たかが一個師団の補給さえ不足気味だった上に航空戦でも劣勢だったんだぜ おまけに関東軍の総力を挙げても砲兵力・装甲戦力・機動力で圧倒されている。 防御陣地に立て籠もるならまだしも攻勢かけて勝利するなんて夢また夢だよ。
775 :
だつお :2005/08/20(土) 12:15:29 ID:Xn99CZWU
>それでもソ連は和平仲介をしてくれるはずだと 結局のところ、外交による非戦は絶対無理であったということだな。 アメリカだって共産中国成立後も、米中衝突は外交で避けられると信じ、 朝鮮半島の防衛をなおざりにした。おまけに朝鮮戦争開戦後でさえも、 中共軍介入の可能性を信じないで奇襲され敗退したこともあった。
776 :
768 :2005/08/20(土) 12:18:58 ID:AOZPi34v
なんか、皆さん勘違いしているようですが、 ハルハ河戦争(ノモンハン事件)で戦ったのは、 日本軍とモンゴル軍です。ソ連赤軍はお手伝いしてもらっただけです。 近代モンゴル史上、唯一の正規戦だったハルハ河戦争では モンゴル軍はチンギス・ハーン以来の無敵の武勇を見せつけ、 日本軍を撃退しました。 ソ連赤軍? ああ、ちょっとお手伝いはしてもらいましたが、 あくまで主力はモンゴル軍です。 とモンゴルの正史には書かれています。
朝青龍もどうかと思うが露鵬が横綱になるよりかはまだマシだな。 というわけでそのモンゴル正史を我国も導入しよう。 お手伝いに来たロシアの機甲師団には勝ったがモンゴルの騎馬 軍団には敗れた。この結果日本陸軍は近代兵器を軽視する事と なり後に太平洋戦争で・・・。
778 :
名無し三等兵 :2005/08/20(土) 17:28:06 ID:3oBfL2Jy
>778 おまえ様はギャグというものを学んだ方がいい。 学生のうちにだぞ?
現代の日本では、ジンギスカンといえば、焼肉料理の意味しかないのが悲しい。 札幌で食ったのは、旨かった。
ジンギスカン=義経説ってのもあるがな。
ジンギスカン あれは良いものだ。
783 :
名無し三等兵 :2005/08/21(日) 08:28:06 ID:l+hssJat
>>778 おまえ様は病院に入院した方がよい。
学生のうちにだぞ?
784 :
名無し三等兵 :2005/08/21(日) 21:40:14 ID:me6t+i9f
ノモンハンで日本の擁護する人は、ソ連軍の方が死者が多かったということか、 全力で反撃すればよかったとか、いう人が多いね。
785 :
名無し三等兵 :2005/08/22(月) 11:17:51 ID:wYQlL/jA
うちのじいさんがシベリアで捕虜になっていたって言ってたからソ連と戦った のかな?今は店の店主やってる
陸軍の首脳部挙げてノモンハンの日本軍の擁護なんかしたものだから太平洋戦域での あのていたらくに。 ノモンハンの時点で辻、服部、田中のラインはパージしとくべきだった
787 :
名無し三等兵 :2005/08/22(月) 15:08:26 ID:Dzkl7Ix+
辻ってガタルカナルの時って参謀でしたっけ?
辻はずっと参謀だよ
>>784 ノモンハンで本気出して戦わなかったからこそ、後の大戦での陸軍装備の遅れが有る。
790 :
名無し三等兵 :2005/08/22(月) 23:40:48 ID:0LnIZnyz
>>789 戦車は半分くらいやられたし、航空部隊も消耗されてしましったし、
兵力は少なくとも、ほぼ本気だったろ。
>>790 というより、陸軍首脳部が「あれは本気じゃなかったなんだ」と脳内解決しちゃったのがまずかったかも・・・。
本当に危機感抱いて、歩兵師団を削減してでも機械化を進めるようになっていたらよかったんだけどな。
戦車関係は研究や意見書とかあるけどな なんで予算がつかない?
>>792 だって、やり方を改革するということは、これまでの自分たちのやり方が
間違っていたor劣っていることを認めることになるし。
少数先鋭にするとなると将官のポストが減っちゃうし。
>>792 まあ、「研究」だの「意見書」だの「提案」だの「具申書」だのってば
玉石混交だからなあ。
その中から、モノになりそうなのを見つけるのが
お偉いさんの仕事つか力量つか能力つか。
>>792 1939/12/08決定の昭和15年度予算概算のうち、軍事費は64%になる。
さらに予算がつくのを期待する?
それとも他の軍事部門を削減して回す?
人数だけが膨張してしまってそれに対する予算が追いつかなかったんだね……。 そう言う意味では人数を削減しない限り陸軍装備の近代化は無かった(宇垣軍縮再び)。 ただ陸軍自体が派閥としての発言力を保持したいと言う意向からかどうか? 人数を減らしたくなかったのではないかと最近では疑っている。
797 :
名無し三等兵 :2005/08/23(火) 08:12:58 ID:KiwcwZLy
あの広い中国で戦争しているわけだから、兵士はいくらあっても足りないし、 軍備の近代化に回せる金も、ほとんどないだろうからな。海軍の場合は、 戦争をしていなかったから、陸軍よりは、軍備増強が可能だったが
798 :
だつお :2005/08/23(火) 13:08:01 ID:lJOEgk9J
97式中戦車チハは、中国のチンピラゴロツキ専門の機動殺戮 マシーンだった。機械的信頼性と走行性と燃費効率の三拍子揃い、 これはまさに地獄車であったのだ。
装甲戦力を持たない相手の弱いものイジメしか出来ないのに、チハはBTやシャーマン/スチュアートwといった、もっと強い戦車に戦いをしかけ、一発で破壊されました。 ミジメでつねww
800げっと
>>792 予算が付いて陸軍の機械化が始まったら、師団の数が減る。
師団の数が減るということは、将校のポストが減る。
つまり職にあぶれる奴らが出てくる。昇進の機会も減る。だから歩兵師団の
連中は機械化に反対だった。
もちろんそれ以前に機械化師団をいくつももてる国力がなかったわけだが(汗
802 :
名無し三等兵 :2005/08/23(火) 21:43:23 ID:KTld8wNS
結局無理だって話だな
803 :
だつお :2005/08/23(火) 23:23:58 ID:lJOEgk9J
>装甲戦力を持たない相手の弱いものイジメしか出来ないのに、 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍
804 :
名無し三等兵 :2005/08/24(水) 08:17:16 ID:Xohvkj/e
だつおはだまれ。
>>803 朝鮮での事を言ってるのか?
朝鮮人民軍はT34/85に乗って南進を開始したんだが...
しかし、T34/85は国連軍(米英)の装甲戦力(M26パーシング/センチュリオン)に対抗しきれず、朝鮮人民軍は中朝国境の鴨緑江まで追い詰められ危機を感じた共産圏首脳は中国軍主体の義勇軍派遣を決定する。
ここで義勇軍側は有り余る余剰兵力(主に旧国府兵)を用いた人海戦術で国連軍側の装甲戦力の優位を奪う事に成功している。
806 :
名無し三等兵 :2005/08/24(水) 22:06:44 ID:b3gRUhcZ
中国軍も膨大な犠牲の上、ソ連の軍事援助があってようやく米軍と戦っていった からな。
膨大な犠牲=棄兵だったけどね。 もっとも、毛沢東の息子も従軍中に死んだりしてる。
808 :
名無し三等兵 :2005/08/25(木) 08:20:44 ID:DC047A4s
それしか、米軍と戦うすべはないのだからしょうがない
そんな戦術でも一時的には米軍の戦線を崩壊させてしまったw
810 :
名無し三等兵 :2005/08/25(木) 12:12:20 ID:pkLripyc
皇軍もそうだったし
横レススマソ。 辻と津本の本を読んでいる最中の初心者です。 部隊配置や戦況推移の図などのあるサイトはご存知ありませんか?
813 :
名無し三等兵 :2005/08/25(木) 19:33:52 ID:s5LHtCtG
ありがとう
ノモンハン事件は交戦範囲が広すぎである場所は壊滅、 ある場所ではがんばったって感じでうやむやになったのでは?
815 :
名無し三等兵 :2005/08/26(金) 17:50:26 ID:Czo6sEbV
交戦範囲は、限定的じゃないのか?
高地にいた部隊から、別の部隊の指揮官を乗せて逃げる自動車が、ソ連/蒙古の戦車&装甲車 数十台に追いかけられているのが見えたそうな。 第一次の戦車戦の頃は、あっちでは部隊全滅、こっちでは平穏、といった感じだったらしい。 その後は日本側陣地が野砲で袋叩きにされる砲撃戦と、日本兵を感嘆させたソ連兵の銃剣突撃へと移行して行くので、呑気な風景は消えてしまったようだが...
昔の戦争はスポーツ的だったのにねぇ
そりゃ幻想だよw 南北戦争からは写真での記録が残るようになったから、実態が良く分かるようになったが、時代を追って より悲惨さを増して行くものの戦争自体の本質は、死者/負傷者/不具/家族の崩壊でしかない。 もちろんスポーツ的なエピソードも古い時代には記録に残っているが、単なるフィクションだったりする場合もあるんで、あまり真に受けない方が良い。
ガウガメラの戦い 10万人のペルシア兵が戦死 カンネーの戦い 7万人のローマ兵が戦死 ザマの戦い 2万人のカルタゴ傭兵が戦死 アレシア包囲戦 5万人のケルト兵が戦死 テウトブルグの戦い 3万人のローマ兵・補助兵が戦死 カタラウヌムの戦い 2万人のローマ兵とフン族兵が戦死 ヒッティーンの戦い 1万5000人の十字軍騎士が戦士 アイン・ジャールートの戦い 1万人のモンゴル兵が戦死 随分とスポーツ的だ事。
↑あれかな、サッカーの試合を見に行ったサポーターが、負けた方なら皆殺しになるような状況だ罠w
命がけのスポーツって事か。
>>819 槍と剣でベトナム戦争の米軍死者を一日で出すって...
>>817 何で「スポーツ的」なエピソードが残ってるかと言うと
それが珍しい出来事だったからだぞ。
ヨーロッパ騎士道華やかなりし頃の十字軍なんて
ひでーもんだったりするしな。
スポーツレイプ
825 :
名無し三等兵 :2005/08/27(土) 08:36:01 ID:/LJvO1Ig
殺し合いはスポーツではないだろう
十字軍は確かにひでーもんだった。 極貧/野蛮な連中が先進文明国に突如侵攻し、乱暴狼藉の限りを尽くして勝手に自分の国を建国... って、どっかの民族が いまだに同じような事をやってるなw
>どっかの民族が いまだに同じような事をやってる あれは「民族」なのか?
人種は関係なく、教徒である事で民族になれるんだそうなw
当時のパレスチナ人が先進文明国とはとてもとても...
先進的ではなかったが、豊かな土地で人々が平和に暮らしていた場所だったよ...
日露戦争のロシア軍捕虜の話とかは 結構良いと思うんだがねぇ。
ロスケは個人的に仲良くする分には良い奴だよ。今も昔も。
ロシア人女は日本に連れてくる分には 体型を維持してくれるよ、今も昔も。
835 :
名無し三等兵 :2005/08/28(日) 08:57:03 ID:VH5683lb
そうか
>>830 それこそフィクションじゃんかw
イスラムはイスラム同士でドンパチやってたよ。
それが十字軍成功の一因になった。
↑そんなに苛めるなよ、最近流行りの“フィクション厨”なんだからw
フィクション厨 の検索結果 1 件中 日本語 のページ 1 - 1 件目 (0.31 秒)
841 :
名無し三等兵 :2005/08/29(月) 08:18:04 ID:3GHivzgW
イスラムはこのスレとは関係ないが?
>>841 まあ、
>>817 が無知を晒して
それに乗っかった連中がツッコミ入れた、と。
せっかく、話が落ち着きはじめた頃に
バカな
>>836 が無用の燃料投下したおかげで
またもや変な方向に逸れかけてるわけだな。
>>↓
と言うことで、物知らずを華麗に放置しつつ
何事もなかったようにノモンハンの話題ドゾー
解説なんかせず自分で話題を変えればいいのに。
無茶言うなよ 他人を貶すことは出来ても 自分で話を振る事なんて出来ないんだから
でノモンハン事件ってのは無敵のモンゴル騎馬軍団が関東軍を蹴散らしたってことなんだよな。 必殺技の蒙古覇極道で関東軍戦車部隊は壊滅したんだっけ。
モンゴル相撲はやはり強かった。
モンゴル騎兵師団が関東軍をちぎっては投げ、ちぎっては投げ・・・
848 :
名無し三等兵 :2005/08/29(月) 23:10:40 ID:Ut9qS9hI
ノモンハンでの犠牲が大きかったので、その後、陸軍の航空隊が あまり活躍できなったっていうのは、本当か?
前に眠い人が陸軍航空隊全体におけるノモンハンの損害を書いてた希ガス。
やはり、種子島等をを揃えて火力の充実を図るべきか・・・ いや、揃える予算無いですって。国家予算の約64%が軍事費ですぜ?
>>848 “陸のミッドウェー”とも言うべき損失だった模様。
ソ連側のアンブッシュな戦術と圧倒的投入機数により熟練パイロットの多くを失った(戦闘以外にも自決させられたケースまであった)事により、
その後出現したフライングタイガース(飛虎隊)との戦いで苦戦を強いられ、中国大陸での陸軍航空隊の地位は ますます低下してしまった。
陸軍航空隊が海軍にずっと水を開けられっ放しとなった最大の原因とも言えるだろう。
それだけの損害を出して対米戦に講和目当てドイツの欧州勝利頼みで 望む日本軍は何を考えていたのだろうか
それだけ負けて北進論考える奴もどうかしてるけどな
>陸軍航空隊が海軍にずっと水を開けられっ放しとなった そんな事実はない。
858 :
だつお :2005/08/30(火) 19:28:49 ID:bvwaTyxa
>その後出現したフライングタイガース(飛虎隊)との戦いで苦戦を強いられ、
>中国大陸での陸軍航空隊の地位は ますます低下してしまった。
補給問題と航空機の事故は未だ戦力の足を引っ張り続けた。逆に、
日本側の防御努力が効果を上げつつあった。11月21日、大村攻撃では
6機のB-29が日本機により撃墜された。12月7日、奉天(訳注:今日の瀋陽)
の満州航空機会社空襲での損失率はそれとほぼ同じであった。事故による、
敵の要撃による、そして成都前進基地への日本軍の空からの攻撃による
B-29の損失はもはや見過ごし得ず、1944年の終りには147機に達した。
1944年の終りまでに、成都の基地から出撃して日本を攻撃するB-29作戦
は人員と資材の面で非常に高価につくので、中止すべきであるということ
が明らかになった。1944年12月、統合参謀本部はマッターホルン作戦を
中止し、第58爆撃団のB-29は中部太平洋のマリアナに新しく確保した
基地に移動させることに決めた。
1945年1月15日、台湾に対して行われたのが支那からの最後の攻撃になった。
第58爆撃団はインドの基地に引き揚げ、2月にマリアナに移動展開した。
マッターホルン作戦では49回の作戦任務を実施し、航空機の出動数は3,058
ソーテイであったが投下した爆弾はただの11,477トンであった。この作戦
に膨大な努力を傾けたわりに、日本の目標に与えた損害は僅かであった。
http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/b29.htm
>850 この時期はそんなに高い比率じゃないよ。
860 :
名無し三等兵 :2005/08/30(火) 20:23:10 ID:aE78dp+r
↑1944年ぐらいがその比率かね
862 :
名無し三等兵 :2005/08/31(水) 08:24:49 ID:TG/75FBC
国家存亡の危機にたっているんだからしょうがないだろ。
国家存亡って自爆じゃん。
いくら給料が足りなくて家庭存亡の危機でも 一発逆転を狙って収入の85%をパチンコに注ぎ込んでりゃ 遅かれ早かれ地獄行きだわなあ。 駐車場では赤ちゃんが熱射病に罹ってるのに。
↑うまい! 山田君、座布団一枚持って来てw
866 :
名無し三等兵 :2005/08/31(水) 11:06:02 ID:bIbx7hEQ
当時のモンゴル軍の服装が知りたいけど。検索で出ない!共産主義だから。八路のような軍服着てたのか?誰か画像キボンヌ
この財政厳しい今でも防衛費を減らすことに抵抗する連中がいるからな〜人間そう簡単に変わらんよ
>>866 以前見たソ連撮影の映像では、一緒に映ってるソ連兵(WW2期のじゃなくて、もっと古いWW1期みたいな軍装)とほとんど同じ格好だった。
>>867 予算を減らすのは中々難しいね。特にお荷物になってる北海道の師団の活用先がないからね〜w
古い戦車はドンドン廃棄したら良いのに。
870 :
名無し三等兵 :2005/08/31(水) 11:32:38 ID:bIbx7hEQ
>>868 情報あり!話は変わるけど、ノモンハン事件とかモンゴル参戦で、日本軍の捕虜になったモンゴル兵はいるんかな?
捕まってたとしたら、チャンコロ同様、首チョンパか?逆パターンでモンゴル兵に捕まった日本兵がウランバートルで重労働させられたのなら知ってるけど
>チャンコロ同様、首チョンパか? ホロン部か?
はっきり覚えてないが、満州国軍のモンゴル人部隊が寝返った件があったはず。 あと、捕虜ではないが 撃破された戦車の中から足を鎖でつながれたモンゴル兵が見つかってる。
873 :
名無し三等兵 :2005/08/31(水) 23:42:14 ID:VF8cnoz2
何人かはいるだろう
874 :
名無し三等兵 :2005/09/01(木) 08:10:55 ID:sIjZDhV4
そうだな
>>805 第一次大戦でのロシアのブルシロフが始めた浸透突破戦術、日本軍で言う肉弾戦をおこなっなら、米軍に大損害を与えられた可能性もある。
しかし、中共軍が行ったのは、第一次大戦で通用しなくなった、古臭い横隊突撃=人海戦術だった。
物量以前に人海戦術などという、時代遅れの戦術を使ったので米軍に勝てなかったといってみる。
↑ありゃ棄兵戦術だからw あくまで国内で不要な存在だった旧国府兵を、アメリカの弾で どんどん撃って下さいと 並べて送り出しただけ。 勿論、中共の精鋭部隊は浸透戦術や夜襲を主に行い、緒戦では大戦果を上げ ソウルを再占領したりもした。 その後は国連軍が持ち直し、中国側も北朝鮮の保全という目標は達成してしまったので、今に続く膠着状態になった訳だが...
877 :
名無し三等兵 :2005/09/02(金) 08:13:11 ID:D0khyaaV
時代遅れの戦術っていっても、ほかに有効な手段があるわけではなかったからな。 物量では米軍有利だし、制空権もとられてる。中国軍は物資も充分ではなかったし、 引き分けによく持ち込めたというべきだろう。
M26/センチュリオンに対抗できるT50系中戦車をソ連が投入してくれなかったからね。 下手に中共側にソ連製の最新鋭兵器を渡すと、戻ってこなくなっちゃうからねw
879 :
だつお :2005/09/02(金) 23:53:55 ID:SHH+Yk0R
中国チンピラゴロツキは、殺しても殺しても代わりはいくらでも湧いてくる。 それはインベーダーゲームが無限大に続くのと同じことだ。
880 :
名無し三等兵 :2005/09/03(土) 00:00:00 ID:RfkE01+5
>>878 制空権を完全に米軍にとられている状況では、最新鋭の戦車を
投入したとしても活躍はできないだろうがね
けっこう交戦してるけどな
ノモンハンが日本の勝利だ!なんて言ってる香具師。 だったら、事変後に自殺を強要された人が大勢出た理由は?
レミングスは何故集団自殺するか明確にはわかって無いのさ。
886 :
名無し三等兵 :2005/09/05(月) 21:03:19 ID:Sh64u1ld
>>883 >だったら、事変後に自殺を強要された人が大勢出た理由は?
陛下の赤子を、多く戦死させたからだろ。
停戦の際、ソ連邦が満州国と国家同士として交渉させ、大日本帝国以外の
大国で初めて、満州国を国家として認めさせた。これが勝利だ!!
戦争と政治(外交)を、一体化させて、その目標を見極めな!
>>886 1934年3月エルサルバドル4月ヴァチカン37年イタ公、スペイン・フランコ政権
38年5月ドイツ10月ポーランド39年1月ハンガリーetc
ヴァチカンも承認していたのか! ヨハネパウロU世就任前のヴァチカンはウヨ憧れの的だね、地動説認めないし。
バカチン四国だけのことはありますね。
>>886 こうやって「半機械化(と言えるかすら怪しいが)状態の日本陸軍でも勝てた!」
とかいう奴がいつまでも中央にのさばっていたから、97式中戦車のままでいい、
歩兵主力でいい、という発想が残ってしまったんだろうな。この時点で敗北といえる。
貧乏で資源リソースがない日本では歩兵を主力にするしかない。 常識的な判断といえる。
それでももうちょっと柔軟な判断が出来たと思うんだけどな。 例えば、戦車を大量に揃えるのは難しい(というか不可能か)とするなら、 少数精鋭でそれなりにバランスのとれた戦車を目指すとか。 ありあわせ材料でも、その気になったからこそ3式戦車は出来たわけで。
戦術に変化がないのも問題だな。 歩兵携行対戦車兵器もそこから太平洋戦開戦の時期まで、まともに製作されてない。
>>894-895 残念だが、史実がベストで、それ以外に方策はなかったと論破するのは簡単だ。
陸軍省や参謀本部の戦車・砲兵関係にどういう人材が配置されていて、各々がどういう
思想を持ち、どれほどの影響力を持っていたか。当時の日本の技術事情などを
列挙していけば、もうそれだけで立派な根拠になる。それらから導き出せるのは史実通りしかない、と。
歩兵主義に徹すると言うなら、それならそれで、もうちょっとマシな対戦車兵器を 持たせてあげてもよかったんジャマイカ?
あの当時の技術でRPGって作れるかねぇ?
試製ロタ砲。
>>898 RPGよりは原始的だが、擲弾筒なパンツァーファウストなら日本でも作れそうだ。
ほかにも日本軍好みの棒の先に成型炸薬をくっ付けた刺突爆雷があったな...
あの刺突爆雷は越南でコピー生産されて、抗米戦争/中越戦争の越南側主力対戦車兵器だった。
今でもハノイのホアンキエム湖のほとりに、侵略して来た中国軍を撃退したランソンの越南兵&市民の像が立っている。合掌...
あの当時は戦車があそこまで恐竜進化するとは考えてなかったんだろ。 虎の子の戦車隊はボロボロにされて撤退するし、結果から言えば日本も対戦車砲や肉薄攻撃でかなりの戦車を食っているわけで。 その後のシナ事変では相手がまともな戦車部隊を持ってないんだからそりゃ開発も進まんわ。
その後? ちょっと待て。ノモンハンは1939年、日華事変は1937年からだが?
国境線の線引きも、損害もほぼ同等なので、持碁。
>>892 大陸打通作戦では大量のトラックをそろえて、大規模な機械化歩兵部隊を運用したが、
結局歩兵は車を降りて行軍するしかなかった。中国は糞田舎で、舗装道路がほとんどないからだ。
>>893 30年代の日本は世界3位の戦車大国。
>>894 確かに、せめて南方に一式戦車があればよかった。
たら、れば
>>904 30年代の日本は世界3位の戦車大国
だ か ら!、ガーデンロイドに毛が生えた程度の戦車が大量にあっても、戦車大国と言い張るのか? と小一時間w
907 :
だつお :2005/09/06(火) 15:06:46 ID:JtAHZZQQ
>ガーデンロイドに毛が生えた程度の戦車が大量にあっても、
◇計算できない物質的財産の破壊
「日本の侵略戦争が中国に与えた財産上の損失も、莫大で驚くべきものだ」、
戦争中、日本軍はいたるところで、狂気のように公共や個人の財産を略奪し、
文化遺産を破壊し、鉱物・森林資源を採掘、伐採し、偽札を発行し、
軍事・民生施設を焼き払い、爆破し、中華民族の物質的精華は日本侵略者
によってほとんど全部奪い去られた、卞博士はこう指摘した。
この数年、抗戦時代の損失問題を研究し続けてきた卞博士は、当時、
直接戦禍にみまわれなかったチベット、新疆の両省クラス行政区を除き、
残りの省は全部または部分的に陥落するか、一部が戦場になり、多くの都市、
郷・鎮が日本軍の盲爆にさらされたとみている。
卞博士は、近年の研究結果で、全戦争期間中、中国が受けた直接の財産
損失は1000億ドル、間接的損失は5000億ドルに達することが明らか
になったと語った。
「むろん、戦争状態という制約から、抗戦の損害調査は、時間的完全性
からも、空間のカバーという点からも、極めて不完全なものである」、
「日本の侵略戦争が中国に与えた巨大な物質的財産の破壊と壊滅ぶりに
ついて、正確な回答をみつけるのは不可能に近い」、卞博士はこう語った。
そして日本の侵略戦争がもたらした大きな傷が、中国の近代化プロセスの
重大な障害になったことは、学術界で突っ込んで研究する必要があると強調した。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/qqq115/t202631.htm 日本の侵略戦争は中国にどれだけの損害を与えたか 新華社解説
908 :
関東軍鬼軍曹 :2005/09/06(火) 15:53:28 ID:g7biNHL4
ノモンハンに参加した老人の話を聞いたが、銃弾が一発飛んできたら、その 瞬間に将校、下士官、兵なんて階級はぶっとんじゃうそうだ、地方で土建屋の 親方をしていたとか、帝大の蹴球部の部長だったなんて、リーダーシップを とれる人間の下に各個に集まって応戦したそうだ、旧制中学卒の予備将校なんて 指揮能力が無いのは皆、解ってるから全然、頼りにされなかったらしい。 この人は、その後、支那戦線を転戦するが、国府も八路も馬賊も、時に手を組み また、次の日には戦い、これは応仁の乱だと思ったそうだ、面白いのは 八路の軍隊に女兵がおり、その中で兵士にスペシャルサービスする係りの 女兵がいたことだそうで、八路の兵営の近くにいたとき、お世話になったことが あるそうだ。
”独立愚連隊”のような話だね
>>908 田中角栄もそうやって頭角を表したのかな? 輜重だったらしいけど...
>>906 戦争はハッタリと脅かしにある。
当時日本を戦車大国だと思っていたのは日本じゃない。中国軍閥とソ連だ。
他の国がそう思っていたから、あんな戦車が来ても慌てたりした訳。
ソ連が100万もの精鋭部隊を国境に貼り付け、対独戦で苦しくなっても動かせ
なかったのはそういうカラクリがある。もっとも、日本軍の怖さは砲科ではない
(航空機と歩兵、果敢さ等)ってのもあるが。
実際に海外が評価する日本の技術は海軍系で、確かに高い技術力があったんだが、
海軍と陸軍で仲たがいが大きかったのと、陸軍は技術が遅れ過ぎてた。
砲弾技術だけでも海軍の技術が伝わっていたらかなりマシな試合出来たんだろうけどな。
海軍の技術で127ミリ砲を搭載したチハタンが完成しました! ところでどうやって運ぶでありますか?
>>911 陸軍はタングステン合金弾頭もAPCも持ってたよ。
↑持ってた 持ってた、当って砕けるAPCなw 成型炸薬弾の“タ”弾も持ってたけど、砲には太すぎて使えなかった。 それに、タングステンなんて勿体無くて砲弾には使えなかったけどね...
>>911 対独戦は1941年。ノモンハンの2年後だよ。
対独戦開始3週間後に、絶好のチャンスで関特演を行っているのに、実は彼我の戦力差を知っていた関東軍は攻勢に出ず、ドイツの期待を裏切った。
しかも同時に南進も行う予定だとゾルゲに情報を盗られ、ソ連側は極東から部隊をモスクワ防衛に投入してしまった...
>>916 いや、対独戦は後の話なんだが。
ノモンハン後にジューコフの指揮する軍団が手痛い損害を受け、それから
日本相手には中国人を戦わせて、自分たちは直接手を下さない事にした。
ただ、スターリンは日本軍が逆侵攻してくるのを非常に恐れていて、
困窮しているにもかかわらず、日本のスパイ情報が入る迄精鋭100万の
極東軍を動かせなかった。
T34等を含む精鋭部隊で備えなければならない敵だと思われていたって事だ。
>>917 ノモンハンの最中に独ソ不可侵条約締結&平沼内閣総辞職、その後は独ソ戦直前の日ソ中立条約に到っちゃうからね。
1939年だと極東ソ連軍は、まだまだBTの時代(それで充分だったがw)。精鋭部隊は独ソ国境に重点配備で、二線級の部隊でしかなかった。
しかも、その後も極東ソ連軍は関東軍に対しての挑発(樺太でも発生)を続けているので、完全にナメきった態度と言わざるを得ないだろう。
>>917 ノモンハンではソ連側は日本軍6万近くを殲滅したと思ってたみたいだし(独ソ戦史)それほど日本側を恐れてはいなかったろ。もちろん2正面作戦は愚の骨頂という意味では怖かったろうが。
あと極東の軍管区の部隊って精鋭だったのか?
なんか機甲戦力もBTとかT34の初期型ばかりだった気がするが・・・。
×独ソ戦史 ○独ソ戦全史
T34の初期型ならチハ改で撃破できないこともない。
あの頃にA-10があれば・・・
>>921 チハ改でT34を撃破するには、主砲のレンジが違いすぎて交戦不可能だろうな。
地形を利用して、壕にひそませたチハ改をT34の側面に廻りこませてゼロ距離射撃をやっても、47mm砲&国産弾頭では砕けてしまって貫通は無理だろう。
そうやって、貫通できないT34に向けて撃ちまくってる間に、ソ連の機械化歩兵が持ってる14.5mmの対戦車ライフルで砲塔を打ち抜かれて乗員が挽肉になるか、T34の僚車に砲塔ごと吹き飛ばされて終わり(下手すると榴弾でやられるかもw)だ...
>>918 >>919 ソ連崩壊後に公開された資料では、ジューコフの部隊はソ連の精鋭であり、
しかも大量の物資、砲撃力と機械化された機動力を有している。
この戦いはソ連にとって夜明けとなるべく作戦であり、日本を撃破して南下政策を
実現する為のものだった。使用された砲弾や火薬の量も凄まじいものがある。
だが、共産党が報告を見てみると、ソ連軍の死傷者による全損失兵力だけでも24千を超える損害、
投入されたBTや装備の多くを失う大損害。本来圧倒的であるべき筈だったのに、ノモンハンだけで
ソ連軍に甚大な被害が出てしまった。白人ならいざ知らず、下等劣種相手にだ。
日本から見た場合も敗北面だけがクローズアップされるが、ソ連側から見た場合にも
ノモンハンの失態は大きくクローズアップされる事となった。
大体、そんなに日本軍相手が楽勝なら、対独戦で苦境だというのに100万もの機械化された
精兵を侵攻する気も無い極東に貼り付けておく必要は無いし、もっと積極的に南侵している。
現実として防衛だけに100万極東軍を必要とし、南侵を諦めて中国共産党による妨害活動に
舵を切っているのだから、ソ連軍が予想外の損害に事態を重く見たというのは現実のものだよ。
>>923 ノモンハンで明らかになったのは、ソ連の戦車運用の無茶さだ。戦車だけを突撃させてくるので
取りつける。もっとも、戦車部隊がきたってのに取り付いてくるなんて想定はしてなかったんだが。
現代では常識になった戦車+歩兵の構成を全ての軍隊がやっていたと考えるのは早計だよ。
ちなみに、この戦車だけ突撃というのは、対独逸戦でも度々繰り返されている。
925 :
名無し三等兵 :2005/09/07(水) 21:49:37 ID:6nr28V3Q
↑戦車単独でも、日本の場合は対戦車砲とかそんなにもっているわけではないから きついだろうね。
なんの。火炎瓶と手榴弾と爆薬で勝てる。
ソ連の戦車が勢いよく萌えたらしいけど 欠陥だったの?
>924 >現代では常識になった戦車+歩兵の構成を全ての軍隊がやっていたと考えるのは早計だよ。 日本軍も、戦車だけ突撃はおろか、戦車だけ夜襲までやってますからね。
最初に投入されたのはガソリンエンジン剥き出しのBT5だったから、火炎瓶で良く燃えた。 このBT5の弱点は 装甲の薄さとともに、スペイン内乱中に派遣されていたイタリア軍将校から 日本は情報を入手していた。 BT5の装甲の厚さはたったの15mmで、改良型のBT7でも22mm。対戦車ライフルでも貫通できたので、冬戦争でのフィンランド軍は20mmラティをスキーに載せて、BT5/7を撃破しまくっている。 第2次のソ連側攻勢でのBT5は 金網でエンジン部分が保護され、不燃塗料で塗装されてからは火炎瓶攻撃が効かなくなった... それと、ピアノ線障害物というものをソ連側が使用し、日本戦車は足を止められたりもしている。
>>924 激しくガイシュツだが、ノモンハンの戦訓をどう生かしたか、が
厳しく問われておるところなんだな。
>>929 の言うとおり、BT自体もそれなりの改修うけてるし
その後のソ連戦車がディーゼル主流になったのも
ノモンハン以降の戦訓を取り入れてのこと。
翻って、我が皇軍は、と言えば・・・言うまでもない。
まあ、みんなビンボが悪いんや、と言う説が有力だが
軍首脳のアタマも決してほめられたもんじゃなかったしな。。
>>926 >だが、共産党が報告を見てみると・・・
だから二万強の損害で六万を殲滅した(と思いこんでいた)んだから圧倒的優勢じゃん。
圧倒的な兵力で自軍の損害の三倍の的を殲滅したという報告の何が不満なのか理解できん。
そもそもノモンハンがそれほど問題になったらジューコフは生きてないだろ。
戦術レベルでは改善されるべき所もあったが、それは今の趣旨じゃない。
>対独戦で苦境だというのに100万もの機械化された精兵を・・・
んなことしたらソ連は弱体化していると勘違いした関東軍が騒ぎ出すだろうが。
なし崩し的に全面戦争になれば、最終的にはそれ以上に手間暇がかかると思ったから部隊貼り付けといたんだよ。
戦争するより部隊貼り付けといた方が経済的だろ。
ノモンハンの戦訓を生かして航空機を進歩させましたが何か。
陸軍航空隊パイロットの損失が回復できないまま、飛虎隊との対決に破れ 大陸での制空権を握れなかった件についてw
大半は南方にまわされたから仕方なし。
ソロモンで8000機ちかく失ってるからな
陸軍航空隊がソロモンに?
うん
うそ
Solomon Islands Choiseul, the Shortland Islands, the New Georgia Islands, Santa Isabel, the Russell Islands, the Florida Islands, Malaita, Guadalcanal, Sikaiana, Maramasike, Ulawa, Uki, San Cristobal, Santa Ana, Rennell, Bellona and the Santa Cruz Islands.
>970 ただ陛下が御前会議で2回も大本営陸軍部に詰問されてようやく決定した進出だがな。
エーッ
アッソー
昭和天皇、作戦に口出し杉w
970で天皇が陸軍を問いつめるらしい
衝撃の展開に大本営が揺れた!
陛下が御前会議で2回も>942を詰問されるようだな。
>>931 ソ連軍だけの全損失で、現代に報告として残っているのがそれってだけ。
実際の損失はもっと上だったろうし、モンゴルの動員兵等の損害もある。
この戦いでソ連がもっとも恐れたのはソ連兵の戦意喪失で、日本兵の狂気っぽい
反攻で陣地をさらされ、共産軍による度重なる突撃を強いられる状況等でかなり
悪影響が出ていた。このままではソ連の損失が大きいと判断したって事だね。
私が言っているのはソ連側の評価。そして戦争ではそれが重要な戦局の差を生む。
ジューコフは処分されかかったが、首の皮一枚で生き残った。粛清が酷くて
彼以外に人物が少なかったというのもあるんだろうが、組織内での政治力があったんだろう。
>戦争するより部隊貼り付けといた方が経済的だろ。
予定ではノモンハンで損害無く日本軍を壊滅させて南侵する筈だったんだが?
ソ連の目的が大きく後退してるので、単なる中立線維持みたいな話をされても意味がない。
>>925 少なくとも、慎重に歩兵と共に行動してればノモンハンはもっと損害軽微で勝てたろうね。
>>930 話の趣旨はノモンハンでのソ連戦略変更で戦車トン数や損害から敵国が日本陸軍を必要以上に警戒していたという
話なんだが。実態について持ち上げている訳ではないよ。
陸軍首脳部が悪いのか、ピアノ線戦術の模倣や事前の火炎瓶準備等で邪魔されてるね。
下士官レベルまでは創意工夫に溢れてるんだが、上層部の頭が固すぎる。
日本軍も工夫を許されていれば、もっと損害を減らせたろうに。
>>949 >>実際の損失はもっと上だったろうし、モンゴルの動員兵等の損害もある。
おいおい、例の捏造厨じゃあるまいし・・・。
ソ連側の損失は旧ソ連崩壊後に情報公開された文書(死傷者の数、種別、程度など詳細にわたる)によるものだぞ。日本軍軍医部の統計並みに信用できるシロモノ。
あと戦闘に参加したモンゴル騎兵師団の定数知ってるのか?まあ知っていたらそんなこと言えるわけないよな・・・。
>>予定ではノモンハンで損害無く日本軍を壊滅させて南侵する筈だったんだが?
どっからそんな話が湧いてきたんだよ・・・。ひょっとして小林よしのりの本あたりがソースか?
たかが三個狙撃師団と数個旅団、戦車旅団で南進できる事になってる君の脳内戦略に乾杯。
なおソ連軍の一般的評価(ジューコフ談)としては兵、下士官、下級士官は優秀だが高級士官ほど無能であるとの見解。 つまり個人として勇敢でも大規模組織としての戦争遂行は下手くそだということ。 これは太平洋戦争時の米軍の見解とほぼ一致するが、どちらもその見解に達したからと言って別に戦争を左右させるような戦略変更は行わなかった。
太平洋戦争や日露戦争等の公式戦と違って、日中戦争やノモンハン事件 はオープン戦だから、特に勝敗は関係ないのでは。自軍の戦力の評価や 新戦力や新戦術を試すためのものだから。
>>952 誤解を招きそうな表現だな。
「日本軍に対する」ソ連軍の一般的評価(ジューコフ談)・・・と書いとかんと
勘違い厨が湧いてくる惧れがある。
その無能な日本の高級将校ども相手に大損害を受けたジューコフはどっこいどっこいの無能さなわけだが。
いや、下が頑張ったからだろ。
ノモンハンには佐官以上の高級将校がいなかったとでも?
ノモンハン戦における第一線の前線指揮官は全員が高級将校ですぜ。少将までいる。 ほとんど戦死か自決してるけどね。
>>955 大粛正から間もない赤軍を率いて、日本側の2倍以上の兵站線を維持しつつ、二万強の損害で日本軍を完膚無きまでに殲滅したのだからジューコフが無能なことは疑いもありませんねw
ちなみに日本側の兵站線はソ連軍が攻撃するまでもなく勝手に自壊していきました。 日本の高級将校って有能なんですねw
完膚なきまでに殲滅? いつのまに第6軍は皆殺しにされたんだw
第二次ノモンハン戦のとき、兵力は第六軍の2倍、火砲は5倍、機動戦力を持たない日本側に対し 戦車と装甲車を合わせて1000両近く用意しといて損害がほぼ同数ってどういうこと?
964 :
名無し三等兵 :2005/09/09(金) 08:15:49 ID:h9alypJw
日本軍がよく善戦したってことだろう。それと、日本軍の方がソ連軍より、 補給路が短いのに、先に補給がつきるのはどういうこと?
>>961 第六軍ってちょおまっっwww
実際に戦闘参加したのは第23師団+α程度だろうがw
参加兵力増強一個師団程度で損害が二万弱っていうのは壊滅って言うんだよw
ちなみに第23師団は12000以上の損害を受け、事実上師団としての機能を損失しました。
>>962 ソ連軍は多少被害を受けようとも、その屍を乗り越え乗り越えてくる軍隊って事。
そういう敵を相手に赤軍大粛正直後の戦闘で損害がほぼ同数じゃどうしようもない。
ちなみにソ・フィン戦争ではフィンランド軍の3倍の損害。
独ソ戦初期ではドイツ軍の10倍以上の損害を出している。
当時のソ連にはほぼ無限の回復力があるからな。 だから損害が同程度だったとか、ソ連軍の死傷者数は日本の数倍といっても別に問題なし。 結局、国境線に関してソ連の主張が認められたわけだから、ソ連の勝利だな。 満州国の承認にしたって、あの時点では認めても認めなくても何も変わらない。
そういえば日本の主張する国境線ってどこからどこ?
969 :
名無し三等兵 :2005/09/09(金) 14:36:45 ID:RnxfR3mI
ソ連軍の方が死傷者が多いって根拠になっている ソ連の資料はあてになるのかな? 粛清された人数だって 正確にはわかっていないのだろう。
>>968 一応ハルハ川に沿ったラインということになっている。地図とかはその辺の書籍で確認してくれ。
昭和12年頃まは清国とモンゴルの間での領土の取り決め(フロン山-九七〇高地-ノモンハン-ハルハ廟)で納得していたのだが、
13年頃から急に関東軍が「何時のことなのか分からないような合意による領土協会を認める訳にはいかない!」とか言い出して、
その後対外的に必要ある時はハルハ川の線を持って国境線と主張する事になった。
>>969 どの国でも戦闘後に死傷者の人数ぐらいは調べて記録として残す。
粛正された人数が曖昧なのは殆ど記録として残さないから。
赤軍相手に損害同程度なぞ恥以外の何物でもない、でFA?
恥と思う心が恥なのだ
フィンランド戦は地の利と赤軍指揮官の未熟、 独ソ戦はドイツ側の完全奇襲攻撃で機甲電撃戦だからなあ。 損害を受けた状況が全く異なるので一概に比較はできない。 地形不利、制空権なし、装備・兵站貧弱、戦力圧倒的劣勢の 防御戦闘にしてはよくやったほうだろ。
戦慣れして圧倒的な戦力差でドイツ軍を叩き潰していった独ソ戦後期でもドイツ軍の5倍ぐらいの損害受けてるが・・・。
フィンランドでの冬戦争では“棄兵”という側面もあった。
フィンランド+ドイツ側の善戦もあったが、赤軍は戦略的に無意味な戦いで“無駄に”な消耗を強いられた。
この事はむしろフィンランド側に強く認識されており、WW2後の“フィンランド化”が選択される上で、大きな影響を与えている。
独ソ戦まで極東ソ連軍に大兵力が張り付けられていたのも、モスクワに近い西部国境には大兵力を展開させたくなかったスターリンの意向が働いていた。
そして、独ソ戦の最中にも無駄な兵力の消耗を、スターリンはむしろ推進している。
スターリンが始めた大粛清の主なターゲットは、トロッキーの支持者が多い赤軍だった。
ドイツ電撃戦の原型(電撃防御戦ともいうべきタイプだったが)を作ったトハチェフスキーも粛清に倒れ、ノモンハン前夜にはソ連軍の高官が満州に逃亡する事件も起きていた。
これが辻達の対ソ強硬策(赤軍弱体化のシグナルと見なした)への傾斜を招いた訳だが、赤軍はそれ以上に層の厚い組織だった。
いみじくも
>>967 が赤軍の無限の回復力に触れているが、ロシアは高レベルの人材が無尽蔵に存在した事が、ジューコフ/フルシチョフ/ブレジネフといったレーニンキッズの登場で証明される。
なんで日露戦争に勝てたか不思議になってきた。 いや、戦死戦傷数がほとんど同数なのは知ってるが。
日露戦争はロシア側が外交交渉に切り替えたから終結したけど、ロシア側は交渉が決裂してら再度攻勢に出る予定だったんで、奉天大会戦でボロボロになっていた大日本帝國陸軍は危ない所だった。 ただ、ロシア側も国内で革命状態になっていたから、日本軍への再攻撃を指示した時点で軍隊が叛乱+臨時政府樹立まで進んでいたかもしれない。 そうなればレーニンが権力を握る事もなく、ロシアは立憲君主国家化してたかもね。 そう考えると全くもって小村寿太郎はロクでもない香具師だ。 満鉄を買収に来たハリマンを激怒させ、日本にとっての大恩人のルーズヴェルトを失望させ、その甥っ子を超反日大統領にしてしまったw 万死に値するな...
978 :
名無し三等兵 :2005/09/10(土) 03:08:57 ID:9LoZ7L2w
明石大佐も血の日曜日事件や戦艦ポチョムキンの反乱を演出し、レーニンらに 資金提供して、ロシアの騒乱、暴動(軍隊も含む)の黒幕になっていたしね。
とりあえず大陸で破れても、ロシアの海軍力では日本を攻撃できない から、最終的には日本が勝けどね。
>>979 それは戦争目的によるなあ。
敵国の首都占領、もしくは無条件降伏が目的ならお前の言う通りだが
A国は大陸進出の足掛かり確保、B国はそれの阻止、が双方の目的だったとすれば
お前の条件設定ではロシアの勝ちということになる。
まっ、ましゃか…戦争っていえば全面戦争しかないって思ってるヒト?
981 :
名無し三等兵 :2005/09/10(土) 05:18:46 ID:TaPWs+pP
日露戦争は列強がどちらも(と言っても主にロシアだろうか)勝ちすぎる ことを望んでいなかった。 その世界情勢を読んだ上での開戦だった。 太平洋戦争の開戦と一番大きな違いはここかなと。
自衛隊幹部学校でノモンハンの課題がでるんだよね。 で、教官が辻2佐 「えー、私とよく似た名前の人がいろいろとやらかしていますが 特に親戚でも何でもありませんので誤解しないように」