戦時定数を全て満たしているという前提で
戦車旅団 128輌(1935-39)
自動車化狙撃師団 戦車54輌 装甲自動車?輌(1941)
狙撃師団 戦車54輌?(1個大隊として)
装甲自動車旅団 装甲車107輌(日本軍推定)
モンゴル騎兵師団 装甲車約30輌(日本軍推定)
ですから戦車418輌、装甲車381輌+α 計799輌+αが装甲戦闘車両の推定数になります。
但しモンゴル騎兵師団の装備は戦車大隊であったという資料もあります。
その場合は戦車526輌、装甲車321輌+α 計847輌+α
どちらにしても戦車800輌以上というのは撃破数ではなく、参加した部隊の定数装備の数ですね。
その他少なくとも戦車旅団1個は大打撃を受けて再装備されもう一度投入されますから、あと100輌前後参加戦車総数は増えると思われます。
情報公開後の資料所謂「公文書」を元に書かれたとされる独ソ戦全史では、参加兵力戦車498輌、装甲車385輌、兵員57,000名としています。
これを信じれば装甲戦闘車両の合計は883輌です。
偶然にも私の上の推定値799輌+α+100輌前後or847輌+α+100輌前後と近似しますね。
いずれにしても「ロシア公文書」による撃破数800以上とは何かを誤訳した結果では無いかと思われますが。
但し日本軍が善戦し多数のソ連戦車、装甲車を撃破したということ自体は否定するものでは有りません。数字が違うだろうというだけです。