1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:05/01/22 15:26:21 ID:fd4YgMut
1000取り記念カキコ。
ついでに、2get
>1乙
このすれ世界史板向けじゃねーの?
テルシオと言っても内実は時期によってずいぶん異なるからなあ。
戦国の備えもそうだが、初期のそれと後期のそれとでは別物。
三兵戦術もどきと言っても過言ではないだろ。後期のは。
6 :
786:05/01/22 17:15:43 ID:???
○V○氏へ
テルシオが防御用の陣形というのは始めて聞きました。
よろしければ、出典とその場合の攻撃時陣形を教えてくれませんでしょうか?。
7 :
突撃兵:05/01/22 17:19:27 ID:+PlcbKXN
織田・豊臣・徳川・伊達家ならグスタフ・アドルフやフリードリッヒ大王辺りまでなら何とか渡りあっていけると思う。
テルシオ+カラコール戦術の騎兵が主流だよね、ブライテンフェルトあたりだと
皇帝軍のテルシオも攻撃前進してたような。
完成期の織豊軍団 > ローマ軍団 > 武田軍団
こんなもんだろ。
10 :
○V○:05/01/22 20:00:19 ID:???
テルシオは対装甲槍騎兵用の防御陣形として編み出されました
1543年に登場した初期のテルシオの重槍兵の比率が7割以上なのはこのためです
基本的に防御兵器である重槍兵を中核として編成されているのに、
防御用の陣形ではないと主張する根拠は何なのか、こちらが聞きたいくらいです
16世紀末に装甲槍騎兵が消滅して攻撃の決定的な手段が消滅したことにより、
テルシオ等の歩兵密集陣が攻撃的な任務も担うようになり、各国で試行錯誤が繰り返されました
歩兵密集陣が攻勢でも使用されるようになるのはこれ以降です
この結果、テルシオに代表される歩兵密集陣は、重槍兵の比率が減少し、
隊列も薄くなり、横に広く展開するようになります
>>10 >テルシオは対装甲槍騎兵用の防御陣形として編み出されました
テルシオは確かに槍の比率が多いが、「対装甲期併用の防御陣形として編み出
された」というのはおかしくねぇ?
当時の欧州でハプスブルク以上の重騎兵を擁していた勢力は無いだろうな。
ハンガリーを押さえていたんだから。
軍事科学の流れとしては、
ハプスブルク重騎兵→スイス長槍方陣→ドイツ・ランツクネヒト
|
イギリス長弓隊→フランス砲兵隊(初期)→スペイン・テルシオ
で、テルシオの特徴はやっぱマスケット銃による火力戦闘でしょ。
これで、イタリアにおいてフランス軍とスイス傭兵を駆逐していった。
12 :
○V○:05/01/22 20:32:13 ID:???
フランスも有力な騎兵戦力を保有していましたが
実際のイタリアでのスペイン歩兵の戦いぶりを見ると、「積極果敢な猛攻」とは
いかないけど、ジワジワ前進していって、相手の方陣を押しつぶしている。
「騎兵が攻撃を受け持ち、歩兵が防御を受け持つ」というのは図式的すぎるね。
協調して攻撃をかけないと失敗する。
ブライテンフェルトなんかでは、初期の騎兵の単独攻撃が目立つが、あれは
スウェーデンの火力の前に方陣の前進を阻まれたからで、本意ではない窮余の
策だろ。事実、スウェーデンの延翼運動で阻止されて、敗因の一つにもなって
いるからな。
>>10 >この結果、テルシオに代表される歩兵密集陣は、重槍兵の比率が減少し、
>隊列も薄くなり、横に広く展開するようになります
「方陣」から「横隊」への移行は、けっこうエポックメーキングな出来事で
横隊になったら、もう「テルシオに代表される歩兵密集陣」とは言わないん
じゃないの?
15 :
○V○:05/01/22 20:47:24 ID:???
ブライテンフェルトは装甲槍騎兵が消滅して以降の戦闘です
テルシオが成立した時期とは事情が異なります
>>12 ハプスブルク家との戦闘では、フランスの騎兵は「キー・テクノロジー」では
無いだろ。高い金かけて雇ったスイス方陣と砲兵に期待していたハズだ。
17 :
○V○:05/01/22 20:49:23 ID:???
確かに横隊になればテルシオとは呼べませんね
ではどう表現すればよいでしょう?
18 :
○V○:05/01/22 20:52:45 ID:???
テルシオ成立より少し遡りますが、1534年の勅令では
フランス軍は全軍の1割に及ぶ重騎兵戦力を擁しています
>>17 逆に、テルシオを「歩兵」と呼ぶことが問題なような気がするね。
(確かに徒歩だけど)
「歩兵」と呼ぶことは、対立概念として「騎兵」や「砲兵」が出現
しているわけだから。スペイン軍では「騎兵に相当すもの」は貴族で
「砲兵に相当するもの」は、兵隊どころか「業者」だったと伝聞しているけどな。
テルシオが滅びて、グスタフ・アドルフ的な「歩兵」「騎兵」「砲兵」の
近代的な兵種の時代にんだった、と。
20 :
○V○:05/01/22 21:04:22 ID:???
何をもってエポックメーキングとするかは主観の違いですが、
隊列が横広になっていったのは、騎兵の脅威の低下による火器への依存度への増加の
当然の帰結でしょう
16世紀後半以降、騎兵の脅威の低下により誰もが火力を重視するようになっていましたが、
いかにして火力を効果的に集中するか、いかにして敵軍を撃破するかについては
誰もが模索していました
横広の隊形は戦場にある日突然出現したわけではありません
21 :
○V○:05/01/22 21:06:52 ID:???
>>15 でもさー、カラコール騎兵は敵の騎兵を駆逐できても、敵のテルシオを攻撃破砕できないから
結局テルシオvsテルシオにならないか?>ブライテンフェルト以前
カラコール騎兵以降、アドルフグスタフ以前の期間
攻撃を担任する装甲槍騎兵が存在しないか脇役になっているから
テルシオが攻撃しないと、攻撃部隊がいなくなる。
23 :
○V○:05/01/22 21:13:36 ID:???
>でもさー、カラコール騎兵は敵の騎兵を駆逐できても、敵のテルシオを攻撃破砕できないから
>結局テルシオvsテルシオにならないか?>ブライテンフェルト以前
装甲槍騎兵が消滅した後、カラコールが有効でなかったために、テルシオに
攻撃的な性格が付与されるようになったのです
テルシオが登場したのは装甲槍騎兵がまだ健在だった頃です
>>23 つまりテルシオは防御的な性格の強い戦闘隊形ではあるけど
防御専門じゃないと認めてくれるわけだね。
25 :
○V○:05/01/22 21:20:27 ID:???
26 :
○V○:05/01/22 21:21:35 ID:???
旧970
>初期のテルシオは射撃戦用の戦闘隊形とは言い難いでしょう
>テルシオの槍と銃の比率は約3:1です
旧971
>戦力の集中は火力に限らず戦術の基本中の基本です
>戦力比で圧倒的に優位ならば分割された小部隊の集団は大部隊を打ち破ることも可能でしょうが、
>戦力が拮抗していれば分割された小部隊の集団にはまず勝ち目はありません
うん。では同数のテルシオと備で戦力が拮抗しているかどうか比べてみよう。
双方2000人で。
・テルシオ小銃兵比率30パーセント。内、戦闘参加比率50%、よって戦闘参加比率15パーセント。
(残り50パーセントは敵に面していないため戦闘不可)
・備、鉄砲足軽30パーセント。
ランチェスター第2法則に従い
0.15^2=0.0225
0.3^2 =0.09
テルシオ損害:180人
備損害 :45人
したがって備のほうが有利になる。
テルシオ側を有利にするには最低でも小銃兵の参加人数を備と同数にする必要性があり
そうすると
テルシオ2ユニット対備1ユニットという戦闘にしなければなりません。
同時期のヨーロッパ側が強いのは騎兵を連動させるためです。
日本側には本格的な騎兵部隊による攻撃に対する備えがほとんど無い。
(日本で本格的な騎兵隊による攻撃を行ったのは後にも先にも源義経だけといわれている)
テルシオが騎兵隊に対する防御陣だったことには同意。 ただし、小銃兵に援護された槍兵部隊というのには不同意。
小銃兵の存在が槍兵部隊の能力をつぶしてしまっているからです。
テルシオの弱点のひとつとしてとして戦場での運動能力の欠如が上げられますが、これはお互いの特性と陣形のせいで小銃兵と槍兵との連携がほとんど取れず、お互いにお互いの足をひっぱってしまっているからです。
むしろ槍兵が騎兵部隊の攻撃から小銃兵を援護をしているといわなければなりません。
マスケット小銃兵は衝撃力を欠き敵騎兵の攻撃に対して有効な自己防衛ができなかった。
この二つの理由から、槍兵は小銃兵と組み合わせて加入し大隊の戦闘隊形を構成した。
この戦闘隊形は、フランスの実践とオランダの戦術改革の両方に依拠した大隊から編制された。
槍兵は、通常大隊の中央戦列を占め、側面は小銃兵の戦列が占めた。
軍事革命とRMAの戦略史p64より
>これは、テルシオが成立した時期がまだなお戦場が装甲槍騎兵の脅威下にあったからです
>この時期のテルシオは銃兵に掩護された重槍兵を中核とした対騎兵用の防御隊形です
>重槍兵の隊列の四隅に銃兵の小さなブロックが配された隊形は、機動に優れた装甲槍騎兵に対処するためのものです
テルシオが純粋な防御用陣形というのはやっぱり語弊があるような気がします。
あれは連射性に難のある小銃兵を運用するための陣形だと思いますよ。
小銃兵が攻撃する場合は立ち止まらねばならず、また、その特性を生かすために横隊を組まねばなりません。
そのため運動能力のある騎兵に対して完全に無防備になります。
それを補うための槍兵であるわけです。
小銃兵を攻撃的に使うための陣形ですね。
槍兵を騎兵から守るために小銃兵をつけたというのはちょっと…
槍兵は独自に騎兵に対応できますからね。というか、槍兵の方陣は対騎兵用の陣形ですし。
四隅の小銃兵は、槍兵を守るというより中央の方陣全体を守るための、一種の出城みたいなものです。
方陣って人で出来た砦か城と見なすことが出来ますからね。
あれは人で出来た小銃兵用の砦です。
当然メインアームは小銃ということになります。射撃専用ユニットと見てよいかと思います。
砦ですから機動は出来ませんが。
>このため、騎兵の脅威が小さいような状況では、重槍兵の全周に配されていた銃兵が重槍兵のブロックの前面に展開して
>射撃を行うことは珍しくありませんでした
このようになると槍兵は完全に遊兵になりますから、純粋に射撃用ユニットになりますね。
これは槍兵が小銃兵の護衛である有力な証拠となります。
小銃兵に援護された槍兵なら、小銃兵を下げて槍兵を前面に押し立てることになるはずです。
槍兵にとって小銃兵は運動の邪魔ですから。
30 :
○V○:05/01/22 22:34:39 ID:???
>(残り50パーセントは敵に面していないため戦闘不可)
常に敵に面していない銃兵が戦闘に参加しなかったかどうかは疑問です
オランダ独立戦争のライデン攻防戦ではテルシオの銃兵が全員槍兵の前面に
展開して射撃した記述もあります
あと、「総兵力が同等で集中した大部隊と、分散した小部隊の集団」の優劣は
あなたのその計算では弾き出せないと思いますが?
31 :
○V○:05/01/22 22:47:02 ID:???
>小銃兵を攻撃的に使うための陣形ですね。
銃兵を攻撃的に使うのなら最初から一つの隊列にまとめます
マウリッツがやったようにです
>槍兵を騎兵から守るために小銃兵をつけたというのはちょっと…
そんなことは一言も言ってません
>このようになると槍兵は完全に遊兵になりますから、純粋に射撃用ユニットになりますね。
>これは槍兵が小銃兵の護衛である有力な証拠となります。
>小銃兵に援護された槍兵なら、小銃兵を下げて槍兵を前面に押し立てることになるはずです。
>槍兵にとって小銃兵は運動の邪魔ですから。
白兵戦になれば今度は銃兵が遊兵になりますが
32 :
○V○:05/01/22 22:50:02 ID:???
つーか、反論も見解を統一してもらいたいですね
33 :
○V○:05/01/22 23:27:33 ID:???
さて、本旨に戻ります
本来の焦点は、
>965 :786:05/01/22 10:49:39 ID:???
>同時代の欧州と日本を比較するなら、絶対王制下の大部隊単位諸兵科連合編制の欧州軍と
>近世封建体制化の小部隊単位諸兵科連合編制の日本軍の戦いになるが、少なくとも前線戦闘
>においては日本軍の優位が期待できよう。
が正しいか否かです
端的に表現すれば、集中した大部隊と分散した小部隊集団とどちらが有利か、です
私は、ランチェスターを持ち出すまでもなく、戦力集中の原則に照らせば大部隊が優位となると考えます
勿論、原則には例外がつきものです
一般に大部隊は鈍重であり機動性に問題があります
しかしそれは常に戦力集中原則を覆すほどの要因になりうるでしょうか?
確かに、戦闘展開に1日かかると言われているテルシオは、
戦闘展開前に攻撃されれば本来の戦力発揮を大きく阻害されます
しかし、備が常に戦闘展開前のテルシオを攻撃できるとは限りません
一概に備が優位にあるとは決め付けられないでしょう
34 :
27:05/01/23 00:05:40 ID:???
>30
はい。
私のは各陣形の一般的な運用方での場合です。
テルシオの運用法でオランダ独立戦争のライデン攻防戦のような運用は常識だったのですか?
確かに時期的には戦国後期と重なりますから、当時のテルシオの一般的な運用法であれば、数的には互角の戦いが出来ます。
スペイン側が、戦国側に本格的な騎兵がいないことを知っていることと、それに対応する時間があればですが・・・
あまり錬殿高くない傭兵向けの陣形だったテルシオにそれだけの柔軟な動きが出来たかどうか…
これ、スペイン側の運用ですよね?
うーん、オランダ独立戦争というとマウリッツ隊列の方が思い浮かんでしまう…
んで、スウェーデンのグスタフ・アドルフが更に横隊に改良して砲兵支援を入れて三兵戦術、
でプロイセンのフリードリッヒ大王へと繋がるラインですよね。
あと、こちらは詳しくないので教えていただきたいのですが、テルシオの指揮はどのように行われていたのですか?
通常運用時とオランダ独立戦争のライデン攻防戦の時の運用時とで教えてください。
戦国軍は組ごとに射撃の号令が発せられて射撃を行ったはずです。
そして全体の指揮は鉄砲大将。
2000人の備えで各組の人数が40人なら、15組となります。
こちらの指揮系統の方は前述のマウリッツ陣形に酷似しています。
マウリッツ型の小銃隊は50人が1つの単位で50人の小隊ごとに指揮官が付きます。
−−
テルシオがファランクス隊形だとすると、マウリッツはレギオン隊形ですね。
35 :
名無し三等兵:05/01/23 00:07:34 ID:IUE5RBCG
〜〜〜〜〜〜〜
この時期のテルシオは銃兵に掩護された重槍兵を中核とした対騎兵用の防御隊形です
36 :
35:05/01/23 00:14:05 ID:???
おっと、途中で送信しちゃった。
>>槍兵を騎兵から守るために小銃兵をつけたというのはちょっと…
>
>そんなことは一言も言ってません
前スレ970のOVOさんと今スレのOVOさんは別人でありましたか。
どうも申し訳ありません。
37 :
○V○:05/01/23 00:17:09 ID:???
やれやれ、私は掩護と書きましたが「騎兵から」守るとは一言も言ってないはずですがね
38 :
突撃兵:05/01/23 00:35:20 ID:VSNlX+R2
機動性が悪い陣形なら今まで機動性が悪いほうが負けてる。テルシオが火力で負けてるなら余計に分が悪い。遅ければ足軽や乱発に一斉射撃や焙烙玉をぶち込まれて混乱する。戦国は散兵で身軽だからね。
散兵…?
もしかして屏風の人か?
40 :
35:05/01/23 00:50:18 ID:???
えんご 1 【▼掩護】
(名)スル
〔「掩」はおおう意〕敵の攻撃から、味方の行動を守ること。
「退却する部隊を―する」
〔「援護」とも書く〕
−−
OVOさん落ち着いて。
情が知を上回ってますよ。
相手の言葉尻を捕らえて云々するようになっては議論ではなくて論争になっちまう。
−−
>初期のテルシオは射撃戦用の戦闘隊形とは言い難いでしょう
>テルシオの槍と銃の比率は約3:1です
>これは、テルシオが成立した時期がまだなお戦場が装甲槍騎兵の脅威下にあったからです
>この時期のテルシオは銃兵に掩護された重槍兵を中核とした対騎兵用の防御隊形です
>重槍兵の隊列の四隅に銃兵の小さなブロックが配された隊形は、機動に優れた装甲槍騎兵に対処するためのものです
1、テルシオの槍と銃の比率は約3:1
2、それはテルシオ成立期は装甲槍騎兵の脅威下にあったから
3、それゆえテルシオは小銃兵に掩護された重槍兵の防御隊形
4、四隅に小銃兵のブロックが配置されているのは装甲槍騎兵に対処するため
こう書けば「騎兵の脅威に晒される槍兵を小銃兵が掩護している」と解釈されても仕方が無い。
2番目と3番目・4番目を接続するには槍兵が装甲騎兵の脅威下に晒されていたと解釈するしかなくなります。
3番目を
3、それゆえテルシオは重槍兵に掩護された小銃兵の隊形
とするべきだと思う。
槍兵は騎兵の天敵だし、銃兵は騎兵に弱い。
銃兵の弱点を槍兵で補ったと考えるほうが納得がいく。
41 :
突撃兵:05/01/23 02:03:12 ID:VSNlX+R2
屏風じゃなくて前列の前に散兵や伏兵を置いて撹乱するのはよくやることだよ!関ヶ原でも井伊隊が伏兵で鉄砲一斉射撃を敵にかました後、ずらかり西軍が福島隊に突っ込んでいったんだよ。乱発は今で言うなら特殊部隊だから撹乱任務や情報収拾が主な仕事だよ。
42 :
突撃兵:05/01/23 02:06:17 ID:VSNlX+R2
テルシオを進化させたのがワーテルローの時のウェリントン公の方陣じゃないかな?四隅に葡萄弾を発射する大砲を置き歩兵方陣を強化してるからね。
43 :
○V○:05/01/23 05:08:46 ID:???
>こう書けば「騎兵の脅威に晒される槍兵を小銃兵が掩護している」と解釈されても仕方が無い。
それはそっちの恣意的な誤読です
44 :
名無し三等兵:05/01/23 08:08:17 ID:keVqfBdr
つーかこのスレ新しくなってなお何でローマなん?
16〜7世紀における各国の軍事的考察
て内容でずっと流れてるし。
たまに湧くローマ基地が訳分からん事書いて
皆から叩かれる以外ローマ関係ないじゃん
言葉尻を捕らえて揚足とってるのは35のほうだと思うが。
>>35=前スレ885じゃないの?
口調とか言ってることがそっくり
前スレ
>>885って他人のレスをろくに読みもせずに偉そうなこと言ってた奴だな。
つーか
>>35って他人の意見を自分の都合のいいように解釈して
更にその俺様解釈を意見を言った本人にすら強要してるとしか見えないんだけど。
おまけに情だ知だと言いながら皮肉ったり煽ったり自分のほうが感情剥き出し。
そういや
>>885も知がどーたらこーたら御託並べてたな。
48 :
786:05/01/23 09:20:20 ID:???
>>33 戦力集中は「自らが望む位置に戦力を集中するもの」です。
テルシオは密集している分単位面積当たりの火力は高いですが、同時に
配置が固定化されて前線の望む位置に戦力を集中できません。
大部隊云々はあくまで戦場に投入する頭数の事を言い、配置・指揮系統ではまた
異なる事が言えます。
>>39 屏風は私ですよ。
後、あなたひょっとして○V○ ?
49 :
abixi ◆HEhVsqGm9I :05/01/23 09:32:39 ID:fZxdNnfy
立花道雪が最強で終了だ。
ばかやろなかやろ。戦列を組むと機動力がおちるんだ。
51 :
39:05/01/23 09:40:51 ID:IPumKa3i
52 :
786:05/01/23 09:46:05 ID:???
ああ、そうですか。
いっつも○V○の前後に書いて、内容がないんでてっきり。
じゃあ、
>>50はあなたですか?
これもいっつもでてくるんですよ。
53 :
39:05/01/23 09:57:58 ID:???
それも違う
何を根拠に言ってるのかさっぱりだな
「いっつも」って少し過敏になってないか
54 :
786:05/01/23 10:03:43 ID:???
それは失礼。
では
>>39や
>>50さん。
もう少し実のある発言をしてくれません?
>ただし、罵りあい等はなさらぬように。
兆候出てるぞ。
オランダ独立戦争のことを少し調べてみました。
オランダ独立戦争のライデン攻防戦での指揮官はアルバ公ですか?
彼はテルシオ隊列に束縛されない銃兵の運用を行っています。
でもそうなると、件のテルシオはテルシオではなくて、
テルシオの兵員を使用して射撃専用の臨時の隊列を組んだもの、となります。
これをよく知られているテルシオ陣形と呼んでいいものかどうか…
>>55 だな。とりあえず○○=××?なんて頭の悪いことは皆今後しない方がいいだろう。
往々にして単に自分が支持されてないだけ、と言うだけの事だったりもするし。
58 :
○V○:05/01/23 16:36:31 ID:???
>戦力集中は「自らが望む位置に戦力を集中するもの」です。
その言葉には「機動の発揮による」という枕詞がつきます
他にも隊列を組むことによる戦力集中もあるんですが
>これもいっつもでてくるんですよ。
どうも疑心暗鬼にとらわれているみたいですね
正直、恣意的な誤解に基づく反論を実のある発言とはいささか疑問です
59 :
○V○:05/01/23 16:57:56 ID:???
>オランダ独立戦争のライデン攻防戦での指揮官はアルバ公ですか?
違います
アルバ公はこの時期は既に帰国しています
指揮官はレケセンスです
60 :
786:05/01/23 16:58:24 ID:???
>>58 前者が戦国、後者が近世の欧州と考えれば良いかと。
その場合、より一点に戦力が集中できるのは戦国ではないでしょうか?
それに隊列による集中は面の平押しにしかなりません。
私が言ってるのは
>>39や
>>50の発言なんですけど・・・
61 :
○V○:05/01/23 17:01:30 ID:???
>その場合、より一点に戦力が集中できるのは戦国ではないでしょうか?
無線機も電信も無い時代に一点に戦力を集中するためには隊列を組むことが最も有効です
62 :
786:05/01/23 17:10:13 ID:???
>>61 それは後方の司令官が全てを統率しなければならない欧州軍隊の場合です。
戦国の場合、現場指揮官の裁量が大きく現場(先手)の判断での兵力の投入が可能でした。
63 :
○V○:05/01/23 17:48:21 ID:???
現場指揮官は戦場全般の状況を掌握できません
勝手な裁量で兵力を投入しても戦力の逐次投入にしかなりません
最初のスレの完全なログ持ってる方いませんか?
ギコナビのならある
67 :
786:05/01/23 19:35:19 ID:???
>>63 後方で指揮をしていたら前線のを図かな隙を見過ごしてしまいます。
結果として予備を投入できずに勝機を逃してしまうでしょう。
逐次投入にならないように各級指揮官が素早く兵力投入を判断すれば
敵の破砕は可能です。
68 :
65:05/01/23 19:38:19 ID:???
>>68 無事ダウンロードも済みました。
本当にどうも有り難うございました。
70 :
○V○:05/01/23 19:58:02 ID:???
>後方で指揮をしていたら前線のを図かな隙を見過ごしてしまいます。
戦況全般を掌握していないのに勝手な裁量で行動すれば全軍の作戦が崩壊しかねません
前線指揮官が勝手な判断で突出した挙句に全軍が崩壊した事例は洋の東西を問わず枚挙に暇がありません
>逐次投入にならないように各級指揮官が素早く兵力投入を判断すれば
敵の破砕は可能です。
そんなものは理想論です
無線機も電信も無いのに、どうすれば前線指揮官全員が正確に状況を把握し、
全く同じ行動方針を決定し、各部隊の行動の調整を行うのですか?
無線機も電信も無いのにどうやって意思の統一を図るのですか?
前線指揮官たちはそれぞれの正面しか掌握できませんし、普通はそれすらも怪しいものです
71 :
786:05/01/23 21:04:12 ID:???
>>70 訓練と実戦で築き挙げた経験で。
実際、かなりリスクの伴う戦い方であるのは正しいでしょう。
実戦経験が失われた大阪の陣では猪突猛進して大損害を被ったり、
馬鹿正直に軍令を守って動こうとしなかった部隊が続出しましたから。
経験豊富であった戦国期でも前線部隊に引き摺られて釣り込まれた例はあります。
ただ、経験と統率が十分に働いた場合、これらは多大な効果を上げることができます。
何せ元々、日本の戦術は長年の動乱の時代に泥縄的手法で形成されたものですから
どうしても経験に頼ってしまうようです。
72 :
○V○:05/01/23 21:26:28 ID:???
>訓練と実戦で築き挙げた経験で。
それも理想論に過ぎません
73 :
786:05/01/23 22:22:35 ID:???
>>72 そう言われても、実際そうなんですから。
一番槍や一番首が軍功第一なのも敵陣の隙を見抜き、突撃・突破に
成功したその度胸と戦術眼にありますから。
実際そうなんだって言うなら例示するべきだよ
〜です、〜ます、〜できますと言うならソースを提示しないと
それこそが「実のある」発言でしょう
75 :
○V○:05/01/23 22:27:11 ID:???
一番槍や一番首は前線指揮官に与えられる褒賞ではありません
76 :
786:05/01/23 22:44:13 ID:???
>>72 理想論と言い切れるソースを提示してください。
77 :
○V○:05/01/23 23:31:18 ID:???
無線機も電信も無い時代では前線指揮官は戦場全般を掌握できず、相互の連携も取れません
幾ら経験を積んでも、ほとんど連絡を取らない複数の前線指揮官が状況の変化を正確に把握し、
戦況全般を理解し、全員が同じ行動方針に則って連携して戦場の一点に戦力を集中するような芸当は無理です
結局、連携の取れない戦力の逐次投入にしかなりません
78 :
○V○:05/01/23 23:43:11 ID:???
無論、伝令や事前の調整により、可能な限り相互の連携を図る努力はなされています
しかし、それでは戦場の状況の変化には追随できません
「各前線指揮官が敵の隙を突いて素早く兵力投入して戦機を逃さず戦力集中」なんて曲芸は
理想論でしかありません
79 :
786:05/01/23 23:57:45 ID:???
>>77 後方戦力の即時投入は考えられませんか?
前線指揮官が隙を見つけ突撃→それを見た先手指揮官が予備を出し戦果を拡大。
だめだ、どうしてもテルシオによる銃兵の効率的な集中運用の例が見つけられない。
ライデン攻防戦の例が一般的なら見つかるはずなんだが…
すいません。ライデン攻防戦以外の例はありますか?
テルシオ隊形の歴史的意義は、歩兵群にマスケット銃兵を一定の割合で加える編成とすることが初めて正式に決められたことで
あくまで編成に飛び道具を加えることが決められただけで、当時1発撃つのに数分を要した小銃をどのように効率的に運用するかという
発想までは盛り込まれていなかったらしい。
火力の効率的運用に関してはマウリッツまで待たなきゃならないみたい。
81 :
突撃兵:05/01/24 01:38:45 ID:4TurAnC1
まず、西洋もワーテルローの頃まで前線に司令官がいますよ。ナポレオン、ウェリントン、ブリュッハー、ネイ、特にブリュッハーやネイは最前線が好きですよ。隊形を組むのはラッパやタイコ、カネ、旗、狼煙の合図で双方してますよ。
ひとつ質問があるんですが、16世紀から17世紀にかけての戦場は無線が必要なほど広大なんでしょうか?
この頃の指揮は伝令部隊や楽隊を使っていたので、指揮下の部隊が密集していなければならなかったのです。
このため実際の戦闘はきわめて狭いエリアで行われました。
これは戦国側も近世ヨーロッパ側も事情は同じです。
戦国側は小部隊の集合なので連動が取れない、というのは間違いです。
もし連動が取れないとすれば、総指揮官の指揮圏外にいるか、総指揮官の命令に従ってないかのどちらかです。
これは部隊全体が大ユニットで構成されているか小ユニットで構成されているかとは別の問題です。
部隊が用いる戦術には二通りあります。
戦闘の前に計画が行われ、実行される「計画戦術」と、
最初の計画をそのときの状況の変化に応じて、戦術を変えていく「戦術」です。
戦術の肝は後者のほうにあります。
連動が取れないということは個々の現場指揮官が「計画戦術に」従わず、「計画戦術」を逸脱した行動を取っているということです。
もしそれが当時の現場指揮官の特性だとすれば、現場指揮官の数を減らしてユニットを大型化した方が部隊の集中運用が容易になります。
確かに戦闘ユニットが大型化するのは、優秀な指揮官が少ないために発生することではあるのですが…
優秀な指揮官が多数いる場合はユニットは逆に小型化する傾向にあります。
状況変化に素早く対応するにはこちらのほうが優れているからです。
現場指揮官は今も昔も自分が直面している個々の戦闘に対して一々上に問い合わせたりはしません。
「計画戦術」を遂行するために現場の状況にあわせた対応を取るからです。
件の時代であれば現場指揮官が上に状況を知らせ判断を仰ぐ手段が無かったからですが、
無線機で上に問い合わせる場合でも、自分の権限では判断の下しようがなくなった場合のみです。
むしろ上から現場指揮官に指揮をするのに無線は多用されます。
83 :
名無し三等兵:05/01/24 02:19:22 ID:jhITdFrr
>>82 良い質問だが、軍事板の初心者スレで質問すれば
結構イイ返事が返ってくるんじゃないかな〜
84 :
名無し三等兵:05/01/24 02:21:21 ID:jhITdFrr
ああ、ここ世界史板かと思って誘導したら、軍事板のスレじゃん!
かちゅーしゃでみているからわかんなかった!
長くなってしまった・・・
短く言うと、軍全体の行動方針や意思決定は戦闘前に行われ、戦闘中には行いません。
もし現場指揮官がこれに逸脱した行動を取れば責任を問われるでしょう。
これは今も昔も変わりませんし、ユニットの大小にも関わりありません。
そして現場指揮官は全員が全体の状況を正確に知る必要性もありません。
それは総指揮官と参謀の仕事です。(そして彼らでも正確に把握するのは困難です)
総指揮官は全体の状況を把握して、全軍の動きや予備部隊の投入を考え指示を出します。これも今も昔も変わりません。
現場指揮官はそれを受けて個々の判断で行動します。
ここが、今と昔では微妙に異なる部分で、隣の部隊のようすを知ることができるほど接近している場合がほとんどです。
隣の様子を見て呼吸を合わせて連携を取るのはきわめて常識的行動です。
もしこういう手段をとらなかったとすると、その部隊の錬度はきわめて低いといわなければなりません。
現代でも隣り合った分隊同士や小隊同士で連携を取ります。無線機なんか使用しません。
無線機で連絡を取り合う必要性があるのは、戦場が広く、個々の部隊が物理的に分断されている場合です。
編成が小ユニットでも互いの指揮範囲内(目に見える範囲)であれば連携を取るのは常識です。
86 :
名無し三等兵:05/01/24 02:42:31 ID:jhITdFrr
>>85 雑談スレに転載したら回答が来たので転載します。
個人的にはなかなかの良問だと思われるが、俺の軍事知識では
回答できません。
とりあえず転載をばー
441 名前:よっぱら 投稿日:05/01/24 02:39:02 ID:???
16世紀とかだと部隊は予定された行動以外はほとんどとれなかった
錬度の問題と射撃速度が遅くて密集戦術が有効だったというのもあるけど
で、戦闘に参加しないというか、できない部隊が多数存在した
錬度が高くて下級指揮官が有能なら浸透戦術とか考えられるが、当時は下級指揮官=在地領主なわけで・・・
無線の効用は戦闘に参加できる部隊を増やせることかな@俺様
少ない兵士を有効に活用できる 待機時間を減らせる
欠点は上級指揮官が末端の兵士を指揮しようという誘惑
ベトナム戦争のときには、大統領が分隊と無線連絡できたこともある(常時連絡できたわけじゃない)
で、ついつい口を挟む・・・・ 指揮系統が混乱する
87 :
名無し三等兵:05/01/24 02:45:23 ID:jhITdFrr
ちなみに
>>85氏
一週間ぐらいワシはこれないが、あんたの話はなかなか興味深いので
薀蓄があれば往時の薀蓄や四方山話をこのスレの主題に沿って
展開して欲しいなと思ってみたり。
ちなみにスレのローマ話になると世界史板には第20軍団兵というコテが
いてなかなかおもしろい人物だと思ってみたり。
88 :
85:05/01/24 03:30:02 ID:???
ありがとう>87氏
でも私の知識はボードウォーゲーマーの域をでていません。
私の軍事知識の3割はアバロンヒルとSPIとテクティクス(ホビージャパン)で出来ています(笑
したがってこの時代の戦争を扱ったボードゲームをプレイしてみて感じたこと程度のことしか語れません。
で、これがまた少ないです。流行の頃でもメインはWW2でしたしね。
個人的にはテルシオ対備だと、小銃火力の集中だけ見れば備の方が優れていると思います。
OVO氏の言う小銃兵と槍兵の分離運用が一般的であるのが事実なら勝負はわからなくなりますが、
これをテルシオ陣形といっていいかどうかという点がありますし・・・
スペイン軍対戦国軍の場合はスペイン軍が優れていると思います。
備に騎兵部隊に対する備えが無いのが致命的です。
つーかライデンにおけるテルシオの銃兵の運用が一般的でなかったとしても、
テルシオのほうが火力でも有利では?
テルシオは兵力3000名、一方備は
>>786によれば最大でも300名以下なんだろ?
備のほうが銃の運用効率で勝っていてもテルシオの10倍以上の兵力優位を覆せるとは思えないんだが。
90 :
突撃兵:05/01/24 08:19:36 ID:4TurAnC1
備は混成中隊、テルシオは混成旅団として考えると備は不利だな。しかし総数が一緒の備とテルシオがぶつかったら柔軟性と火力が無いテルシオが圧倒的に不利だな。騎兵はワーテルローの時も二、三回突撃したら馬が銃剣にびびって使いものにならなくそうだ。
91 :
786:05/01/24 08:34:41 ID:???
>>89 一独立部隊と規定される最小単位の1万石の戦力が約300名という事です。
無論、それらを集成したりそれ以上の石高を持った部将がいれば戦力は増加します。
92 :
786:05/01/24 09:48:28 ID:???
なお、大名・将軍隷下において一隊としての旗が許されるのは五千石以上。
慶長19年
五千石: 馬上7騎、鉄砲10挺、弓5張、槍50柄、旗3本
元和2年
一万石: 馬上14騎、鉄砲20挺、弓10張、槍50本、旗3本
となり騎馬の供を1騎当たり4名(戦闘人員のみ)とすると、
五千石:103名。
一万石:153名。
となります。
ちなみに輜重その他を加えるとその数は2倍から3倍に達します。
93 :
786:05/01/24 10:00:56 ID:???
ちなみに馬印は小馬印は3000石から大馬印は6000石から持つ事ができ、
旗→大馬印→小馬印→旗指物(騎乗)→旗指物(徒歩)の命令系統が伺われます。
お、何時の間にか話がテルシオ 対 備になってますね。
前スレでも書きましたが、初期のテルシオは基本的に防御的戦術であり、その意義は
「野戦築城を必要としない火力発揮の達成」にあると思います。即ち決戦兵科である重
装槍騎兵に対する備えを残しつつ、陣地に頼らず一定の火力発揮を可能とすること。
無論これは「歩兵の攻撃不能」を意味するわけではなく(それでは野戦築城から脱した
意味がありません)、一応の機動力を残しつつ、騎兵に備えつつ、火力発揮を可能とし
したということなんでしょうが。
これは必然的に部隊(特に槍兵)に縦深性を要求しますが、16世紀後半にかけて重装
槍騎兵が衰退する(及び火力が発達する)に従い、火力発揮の方がむしろ重視される
ようになり、テルシオはどんどん横隊に近く、横広がりの隊形へと変化していくことにな
り、併せて槍と銃の比率も1:1に近くなってきます。このあたりアドルフ2世は「理想的な
銃と槍の比率は1:3」なんて言ってたりしますんで、むしろスペイン軍の方が先進的だ
ったのかも知れません。まあ三兵戦術の確立者としてアドルフ2世の功績は揺るぐこと
はないんでしょうが(ロバーツ教授のお陰でしょうか(笑))。
しかしそのスペインもアルマダの大敗、ポルトガル・オランダの喪失により国力が衰退し
巨大な陸軍の維持が不可能になった訳ですから歴史は無常ですね。
このあたりの経緯は「火器の誕生とヨーロッパの戦争」「長篠合戦の世界史」などに詳し
いので、興味ある方は一読をお勧めします。
またテルシオの真の恐怖はその巨大さにあります。一般的に戦場においてスペイン軍は
4〜8個のテルシオを形成することを好みましたが、テルシオ間の連絡には極めて気を配
っており、隣り合うテルシオ同士は常に相互支援を行える状態に置くことを基本としており
ました。さらにこれを補完するためテルシオの側面、及びテルシオ間には騎兵が展開し、
テルシオ間が分断されることがないように努めておりました。
テルシオの優位性はその戦術的優位性の他に、当時のスペインの巨大な動員能力によっ
て支えられていたという側面も非常に強いと思われます。
テルシオの銃兵の配置について。
字面だけを追うとテルシオの配置は理解し辛いですが、元祖スペイン・テルシオにおいては
まず槍兵の横長の縦隊があり、その4辺及び外周に銃兵がまとまって配置されています。
この銃兵は各中隊より抽出されたものであり、基本的に槍兵と銃兵は分離運用されており
ました。なぜ4辺外周に銃兵が配置されたかと言えば、側面後面から攻撃されても対応可
能であるようにです。この意味から言えば、スペイン・テルシオは、巨大な槍兵の縦隊という
移動陣地の角に、火力発揮がし易いように銃兵が集まった陣形であった、ということもできま
す。そして銃兵が敵の白兵攻撃に晒される危険が増した場合には、素早く(?)槍兵がこの
外周に展開し(銃兵が槍縦隊の中にもぐりこむ、といった方が正確でしょうか)対応します。
しかしながら実際の戦闘においては(騎兵やテルシオ間相互支援の効用もあり)後面に回り
こまれるような事が殆ど無く、結果としてテルシオ後方に配置された銃兵は戦闘に加入しな
いというケースもままありました(予備の役割は果たしたようですが)。そのため次第にテルシ
オの銃兵は槍縦隊の前面に集中し、また銃兵の割合が増え、さらにテルシオ自体が横長に
変化していくことになります。
この変化は16世紀後半頃に進んだようで、1600年頃には一応の完成を見たようです。
照る塩の問題は、遊兵が多いことの他にも
銃兵が射撃・装填作業を行うと、槍兵の前進を邪魔するって点もある
98 :
786:05/01/24 19:15:42 ID:???
>>86 下級指揮官=在地領主の図式は少なくとも常備軍が編制されてきた
戦国中期以降は考え直す必要があるし、それとは別に在地領主=無能
の図式はちょっと・・・。
在地領主=経験豊富で有能と決め付けるのもどうかと思うぞ。
100 :
○V○:05/01/24 19:36:40 ID:???
無線機も無い時代に小部隊単位で行動してもまともな連携はまず期待できません
経験さえあれば可能だというものではありません
戦国期日本の備も、お互い隣接した備と歩調を合わせてゆっくりと行動していました
たまに抜け駆けしようとする手合いもいて、手柄を立てたり酷い目にあったりしています
いまだ根強かった封建軍制の影響でしょう
こうした事態を未然に防ぐことも軍監や軍目付の仕事の一つでしたが、
常に完全に機能していたわけではなかったようです
基本的には複数の備が武者大将の指揮下で整然と行動していたのが実情です
101 :
○V○:05/01/24 19:45:33 ID:???
確かにテルシオは装甲槍騎兵の突撃を正面から受け止めるために重槍兵の列を
分厚くする必要がありましたから、遊兵が出やすい傾向にありました
騎兵の脅威が低下した17世紀以降、隊列が薄く横広に広がっていったのも
当然の帰結だったといえるでしょう
102 :
786:05/01/24 19:55:36 ID:???
農村からの徴集兵が素人集団と考えてはいけません。
当時の村落は自衛のためにある程度の戦闘力を持っていましたし、結束力も
強力です。
更に直属上官が村の領主ですから連携も取れるでしょう。
過去ログ見るのめんどうで読んでないんだが、いまどこら辺で話ししているんだ。
神聖ローマ対武田でいいの?
てか、テルシオって……なぜスペインの話になってんのか解らん。
>>102 「〜でしょう。」みたいな推測じゃなくてちゃんとソースを提示しないと
「実のある発言」にならないんじゃない?
106 :
786:05/01/24 21:13:49 ID:???
>>105 一向一揆の郷村挙げての戦いにおける戦闘力。
刀狩において村落から没収されたおびただしい武具。
村落ごとに築かれた小規模城郭。
後、同様の事を
>>101にも言ったらどうですか?
107 :
○V○:05/01/24 21:30:29 ID:???
>一向一揆の郷村挙げての戦いにおける戦闘力。
>刀狩において村落から没収されたおびただしい武具。
>村落ごとに築かれた小規模城郭。
それは単に当時の村落が武装化されていたことを示唆しているのであって、
部隊間でろくな情報伝達もなく高度な連携が可能であったことを示す根拠にはなりません
ところで
>>76といい
>>106といい何故突っ込まれると私に振るんでしょうかね?
108 :
786:05/01/24 22:28:41 ID:???
109 :
○V○:05/01/24 23:07:01 ID:???
片手落ちだと思っているなら
>>74にも答えるべきでしょうね
110 :
786:05/01/24 23:31:06 ID:???
雑兵物語、下巻、又草履取の項で鉄砲弓戦を行いながら間合いをつめた所で
旦那が一番槍をするぞという箇所があります。
これは突撃判断が前線指揮官に委ねられてると言えるでしょう。
>>106 一向一揆の一種狂信的な信仰心に裏づけされた戦闘力を一般例として
引き合いに出すのはどうかと思う
刀狩以後も村々から武器は消えていない
それに江戸幕府になってからも村々には野盗や害獣対策用に刀や鉄炮を持つことが許されている
あと
>>102の
>当時の村落は自衛のためにある程度の戦闘力を持っていましたし、結束力も
>強力です。
>更に直属上官が村の領主ですから連携も取れるでしょう。
これの実例を教えて欲しい
「直属上官たる村の領主」の指揮の下、村民が村を守って戦ったと
そして見事に連携を取って敵を撃退、または勝利したという実例を
自分達の共同体「惣」のリーダーの指揮の下、野盗団を撃退したというならともかく
「戦」において農民が常のように山等に避難もせず、「領主」の指揮の下に戦った実例はあるのか
たとえ村々に小規模な防御構造物があっても、それをもってして戦に於いての能力を云々することはできない
112 :
○V○:05/01/25 00:07:15 ID:???
>旦那が一番槍をするぞという箇所があります。
旦那=現場指揮官ではありません
備には士分も編成されています
その一文は、長柄足軽の隊列が戦闘加入する前に士分の兵が戦闘を行うことを
示しているに過ぎません
>これは突撃判断が前線指揮官に委ねられてると言えるでしょう。
指揮官の突撃判断と各部隊の連携とは無関係です
114 :
786:05/01/25 00:30:44 ID:???
>>111 当時、どの村でも隣村との争いや盗賊への自衛のためある程度の武装をしていました。
彼らはそれらの兵を差し出す事で大名の庇護を受ける事ができました。
>>112 >その一文は、長柄足軽の隊列が戦闘加入する前に士分の兵が戦闘を行うことを
>示しているに過ぎません
長槍足軽が戦う前に士分の兵が戦闘を行うという根拠を示してください。
また旦那=現場指揮官ではない根拠も示してください。
隣接部隊との共同と
>>79が組み合わせれば連携は可能かと
>旦那が一番槍をするぞという箇所があります。
>長槍足軽が戦う前に士分の兵が戦闘を行うという根拠を示してください。
放置よろ
116 :
○V○:05/01/25 00:54:03 ID:???
>長槍足軽が戦う前に士分の兵が戦闘を行うという根拠を示してください。
「上巻」「鑓担小頭」で長柄源内左衛門は「先鑓のうちでも早く勝負のはじまるは御侍衆の鑓からだぞ」と述べています
これは、長柄足軽の隊列が戦闘加入する前に、士分の兵すなわち旦那が戦闘を行っていたことを示しています
また御侍衆という表現から、長柄足軽部隊は個別の旦那たちの指揮を受けていないこと、
備に配されていた旦那とその供廻は、「衆」と呼べるだけの数がいたことを示唆しています
更に雑兵物語には旦那たちが互いに一番槍を争う描写が少なくありません
足軽を指揮しない士分の兵が数多くいたということ、彼らが互いに一番槍を争っていることを考慮すれば、
旦那=指揮官とは言いがたいでしょう
117 :
○V○:05/01/25 00:56:25 ID:???
118 :
突撃兵:05/01/25 01:06:52 ID:W2n6upEo
実際に部隊指揮のことだが日露戦争の頃までは軍団指揮官が前線まで出て指揮してますよ。現代でもアメリカの軍団指揮官はヘリや装甲車に乗って指揮してますよ。
軍団指揮官というのは、具体的にどの段階の指揮官(軍司令官・師団長等)を指しているんでしょうか?
それと、日露戦争の頃ならいざ知らず、現代の戦争は双方が軍を結集して雌雄を決するというものではなく、
加えて通信能力の面でも比較にならない差があるわけですから、
16世紀の軍指揮の姿を語る上で現代アメリカ軍はほとんど参考にはならないと思いますが。
120 :
786:05/01/25 08:07:35 ID:???
>>116 長柄足軽は攻撃任務には余り参加しなかったでしょう。
旗や馬印を守れとか鉄砲の射程である1町を超えた追撃を行うな(雑兵物語)
との記述から防御が主任務ではないかと。
121 :
786:05/01/25 08:20:42 ID:???
>>110は多少無理があったようです。
申し訳ございません。
前線の崩れを見取った前線指揮官が隣接部隊と突撃を行い、それを見た上官が後詰
を行うといった展開で一点への戦力の集中は可能でしょう。
>>121 横レス失礼します。
時宜を得た決勝点への予備戦力の投入は全ての指揮官が持つ夢です。問題は敵も同じ
夢を持っていること、部隊はなかなか動いてくれないこと、そもそも凡庸な指揮官にはどこ
が、そして何時が決勝点なのか判断がつかないこと等々の要因により、これが極めて達成
困難であることでしょう。
クラウゼビッツの言う通り、これを適切に行い得るのは「軍事的天才」のみであり、また軍事
的天才の存在を前提として論を組むのは甚だ危いのではないか、と考えます。
123 :
突撃兵:05/01/25 09:03:25 ID:W2n6upEo
湾岸戦争の時の第七軍団の総司令官がヘリに乗り師団通しの調整をしてましたよ。
124 :
786:05/01/25 09:10:05 ID:???
>>122 後方指揮官が突撃命令を下す場合、上記の問題は大きく顕在化します。
しかし、その発端を作るのが前線指揮官と彼らが所属する先備の指揮官なら
その問題は解決されるのではないでしょうか?
後方(中備・旗本等)指揮官はその突撃の状況に合わせ横槍を入れたり、逆に押し崩された
場合の押さえとして行動するかと。
>>124 >彼らが所属する先備の指揮官ならその問題は解決されるのではないでしょうか?
・前線指揮官と先備の指揮官の意志の疎通は十分にできているのか
・仮にできたとしても先備えだけでは戦果の拡大は難しく、逆に突出した状況を
創出するリスクは無いか
・現場の指揮官は全般的な状況を把握できていないのではないか
などの問題が存在すると思います。結局司令官、若しくはそれに準ずる者が適切な
意思決定を行い、その上で適切な対応をしない限り、全般的な戦況に寄与する事は
難しいのではないか、と愚考します。
また
>>124のようなことが可能であるのならば、それは日本の合戦において度々実際
に起こりえたはずであると思いますが、そのような実際例は遍在的に存在しますでし
ょうか。もしそうでないならば、それはレアケースということになるかと思うのですが。
上私の書き込みです。失礼しました。
127 :
111:05/01/25 09:34:05 ID:???
>>114 >当時、どの村でも隣村との争いや盗賊への自衛のためある程度の武装をしていました。
>彼らはそれらの兵を差し出す事で大名の庇護を受ける事ができました。
いや、これじゃ全く反論になってないんだが
兵を差し出すことで大名の庇護なり、年貢の面で優遇を受ける場合もあるだろうけど
それはもう軍役と呼ぶべきものでしょ。
一領具足のような半農半士あるいは地侍、郷士、土豪といったような存在
でも、今問題になってるのは「徴集」されて足軽になるような農民
「募集」ではなく「徴集」というからには強制または半強制的に村から差し出させ
徒歩身分ではなく「足軽隊」に編制して、村の代官なりが指揮したという実例を示して欲しい
それとも戦国時代後期の村々は全部が全部半農半士の地侍だったということか?
128 :
786:05/01/25 09:51:36 ID:???
戦国の合戦では先備は錐の様に敵陣に切り込み大破させるのが役目です。
このため先備は全軍一の戦闘力を持ち、その中でも先手は最精鋭の将と兵で
構成されています。
徳川軍の場合、先手は家康直属の常備軍で構成されており、彼らは主君の城下に常駐していました。
これにより彼らの間に強力な団結力が形成される事になり、意思の疎通は十分行われるでしょう。
その点で状況を的確に判断し対応する事はいつの時代も将の最大のポイントで、その点において名将と
愚将の評価が分かれるのではないでしょうか?
現場指揮官の任務は前方の敵の殲滅ですし、前面の敵を破砕し、本陣を蹂躙すれば大抵の戦には勝利できます。
大抵の野戦はこの様な形かと・・・最も正々堂々真正面から戦った事例自体、少ないのですが。
>>128 >意思の疎通は十分行われるでしょう
ちょっと言葉が足りませんでしたか。私が問うたのは「戦場における」意思疎通です。
>その点で状況を的確に判断し対応する事はいつの時代も将の最大のポイント
その通りで、そしてそれを出来る「軍事的天才」の存在は極めて稀です。このレアケ
ースを前提に論を組み立てることには無理があると思われます。
>現場指揮官の任務は前方の敵の殲滅ですし、前面の敵を破砕し、本陣を蹂躙すれ
>ば大抵の戦には勝利できます。
ですから現場指揮官が「前方の敵」の撃破を優先するあまり突出してしまい、逆に孤
立するというパターンの方がむしろ多いように見受けられるのですが。
>正々堂々真正面から戦った事例自体、少ないのですが
であるとしたら、それは「理屈の上ではそうだ」との批判を受けても致し方無いのでは
ないでしょうか。
130 :
786:05/01/25 12:09:09 ID:???
>>127 藤木氏の著作を見たところ、村は武装はしているが国人が有しまたは徴収する
兵とは別物と有りました、申し訳ありません。
ただ、これらの兵が常時訓練を受けていたとも有り、国人領主単位でかなりの
結束力を持った部隊がいたのではないでしょうか?
131 :
786:05/01/25 12:17:30 ID:???
>>129 平時から意思の疎通が行われていれば戦場でもその効果が期待できます。
後、封建制が残る軍隊では個人の将の資質(天性ではなく経験でも可)は重要な
ファクターなのですが…。
>>131 >平時から意思の疎通が行われていれば戦場でもその効果が期待できます。
それは希望論でしょう。常設である近代の常備軍においてすら、戦場における上下指揮官
の意思疎通悪化の問題は顕在化している訳でして。
>個人の将の資質(天性ではなく経験でも可)は重要なファクターなのですが
ですからそのシステムで将自体のレベルの底上げを図ることはできても、「軍事的天才」
を創出することはできない、と私は言っているだけです(だからこその天才な訳ですが)。
敵も馬鹿ではありませんので(馬鹿ならさっさと滅んでいるでしょう)、こちらが行っている
のと同レベルの努力は敵も行っているのが普通です。その敵を出し抜いてこちらが一方的
に優位に立とうとしている訳ですから、それを鮮やかに決めるためにはやはり「天才」の存
在は不可欠なのではないでしょうか。西洋ならアレクサンダー大王、カエサル、ナポレオン
等、本邦ならば義経、楠木正成、上杉謙信クラスの。これら天才は経験もさることながら、
結局は本人の生まれついての資質によって成り立っているものであり、この存在を前提と
して論を組み立てる事には無理があると考えます。
天才が常には存在しない故に、凡将でもそれなりの戦闘指揮ができるように古来より積み
上げられて来たのが「戦略論・戦術論」である訳です。
133 :
111:05/01/25 13:01:07 ID:???
>>130 つまり農村からの村民「徴集」による「足軽隊」は存在しない
そして、それを直属上官とやらになる在地領主が指揮することもない、まして戦で連携など取れない
ということを認めるんだね?
そもそも農民が年貢を負担するのと引き換えに安全を担保するのが領主
藤木氏の本で村落からの動員について述べている個所があったが、
後北条や武田の場合、そういう臨時の動員兵は近場の城で留守番か
あるいは在地の近くで撹乱に従事した程度だって述べてるな。
135 :
786:05/01/25 14:05:16 ID:???
>>132 経験を軽く見すぎている様なので申し上げますが
適時の戦力の投入は経験でも十分可能です。
136 :
786:05/01/25 14:07:42 ID:???
>>133 在地領主による徴集は「村の軍勢」とは別にしても行われ、
又、それらを集めての訓練も行われました。
137 :
786:05/01/25 14:19:10 ID:???
後、大抵は穿孔までは先備が行い中備以降は戦果拡大と言った要素が強く、
また突破が難しい場合、中備による迂回等も行われてたことも記します。
138 :
111:05/01/25 14:31:44 ID:???
>>136 つまり村から徴集され、足軽隊として組織されたことがあったと?
しかし、それも
>>134によれば留守番と在地の近くでの撹乱が仕事のようだが?
それで貴方が
>>102やその他のレスで言っている、「戦」わけても野戦に於いて
充分な能力と連携を示した実例や文書の記述は有るのかどうかって聞いてるんだが
部隊が編成されていただけではその任務や性格は分からないし
訓練が行われただけでは
>>102で言っているようなことの証明にならない
自分も含めて何人かが何度か言っていることだけど
〜です、〜が可能です、〜のはず、〜でした、〜しました、〜ではないでしょうか?、〜ませんか?
見てると貴方の文章はこういう表現が多い
けれどその実例を示してもらわない限り説得力が無いよ
139 :
786:05/01/25 14:40:40 ID:???
>>135 >適時の戦力の投入は経験でも十分可能です。
ちょっと私も書き方が先鋭化しすぎました。
経験は重要であり、一般的に老練な指揮官の軍事能力は経験の少ない指揮官のそれを
上回っていると思います。しかしながら、そのような老練の指揮官を持ってしても「時宜を
得た決勝点への予備戦力の投入」は非常に困難な仕事であると思われます。それ故アウ
ステルリッツのナポレオンの功績は光り輝くのでしょう。
無論僥倖やその他の理由により、偶然的にそれが達成されることはあるとは思います。し
かしそれを僥倖に頼らず何度も実施することは前述したように非常に困難で、それは軍事
的天才に頼らざるを得ない事であると思われます。
ちなみに話が食い違いはじめると嫌なので書きますと、私は「時宜を得た決勝点への予備
戦力の投入」の話について書いております(
>>121はそういう話ですよね?)。味方の弱い
地点に予め予備兵力を集めるなどのそれよりも弱い条件の話であれば、一般の将であっ
ても達成可能であるかも知れません。
141 :
111:05/01/25 15:46:49 ID:???
>>139 なにを言いたいのかよくわからない
つまり地侍以外の只の農民にも軍役があり、領主の元に参集して、または「徴集」によって
揃えられ部隊を編成したということかな?
では、それが
>>134のような任務ではなく
>>102で言っているような局面に於いて
立派にお役目を果たすことが出来たという例を教えて欲しい
農民の「戦」での能力を高く評価してるみたいだからさ
例えば上杉謙信の関東遠征に付き従った人々か?
それとも「軍役」と言ってるから国人、地侍衆のことを指しているの?
武田騎馬軍団 vs ポーランド重騎兵隊ウイングド・フッサー(コムラーデ)
前線指揮官による戦力の投入が適切に行われる事が常態であったならば、
島津お得意の「釣り野伏」が常套手段として用いられたりはし難いでしょう。
前線では全体の戦況を把握しきれないのが普通でしょう。
戦歴で言うなら、九州の戦国大名の多くは島津との対戦経験積んでますが、
それでも引っ掛かり続けた「わかっちゃいるけど止められない」典型例。
敵と相対して戦ってると、どうしても目前の相手しか見えなくなるのが良く判る。
ついでに在地領主層の統制をとる難しさも。
144 :
○V○:05/01/25 21:43:15 ID:???
島津の釣野伏に限らず、上田原合戦や大沢山合戦等、前線指揮官の判断ミスで
全軍が酷い目に遭う事例は珍しくありませんね
145 :
突撃兵:05/01/26 01:08:34 ID:Z3TCnF5l
古今東西、前線指揮官や総司令官がヘボして軍団や国が無くなってますからね。武田勝頼、ネイ、ナポレオン等。
ネロは民衆の為によかれと思ってやった事が多かったのに。
>>146 流れがわからんが、ネロがした悪い事(こんな評価も変だが)って
ローマの火事をキリスト教徒の仕業にした
ってだけだろ?
>>141 よくわからんが、農民と武士の中間、あるいは兼業なんて立場の人間は当時多くいたと思うぞ。
武士から農民に成り下がったのか、農民から武士に成り上がったのかは知らんが。
149 :
786:05/01/26 09:11:29 ID:???
>>141 土豪・国人が領主・大名の求めで参集する時に連れて来る農村からの徴集兵は
定期的な訓練を受けており、ある程度の結束力を有していたと言いたい。
150 :
786:05/01/26 09:50:52 ID:???
>>140 その辺につきましてはこちらも色々、言葉が足りなかったようです。
すみません。
151 :
141:05/01/26 09:55:11 ID:???
>>149 なるほど、それは
>>130でいっている人たちとは別に国人が集めた人々ということだね?
ではその訓練がされていたという史料とある程度の結束力がどの水準にあるのかを
示す史料を提示して欲しい
つまり、貴方が再三言っている無線機も無い時代だが各備の指揮官と前線指揮官の訓練と経験
そして兵士達各々の日頃の訓練によって互いに連携できたという例を
そうすれば無線機も無い時代でも〜という論に説得力が出てくると思うんだけどなぁ
786はどうして観念的な話しかしないの?
実例を出せば一発でけりがつく議論だと思うんだが。
>147
いい事って言い方は変だが、民衆にとっては気前の良いヤシだが、
焼き払いの所為で暴君の一般イメージしかない。
・・・それにしても民衆に人気取りするヤシは後世に評価されんな。
154 :
名無し三等兵:05/01/27 01:20:31 ID:zihw+j+Y
ちょっとスレ違いかも知れないが、
鉄砲以前に限定したら、古今東西の歴史上、最強の軍団はどこだろ?
(例えば、人数は10万対10万で、開けた平野で会戦をやったとして)
古代ローマか、モンゴルか?
・・・オレはモンゴル1番、ローマ2番くらいかな?と思う。
モンゴル1番は同意だがローマ2番は無いな
開けた平野で互いに10万と決まってるならスキタイ、フン、匈奴、ウイグル、突厥、唐、遼、金、マムルーク
まぁ他にも色々あるが特に遊牧騎馬民族が軒並み上位ランクインだろう
互いの編制を決めてからじゃないと比較できないと思われ
156 :
85:05/01/27 04:56:47 ID:???
あらら、しばらく来ないうちに備というか>786氏の分が悪そうですね。
確かに全体を見回した戦力の適時投入は前線指揮官には無理ですね。
この頃を扱ったゲームだとマストアタック(敵に隣接しているユニットは必ず攻撃しなければならない)が一般的で
この状況を良く現しています。
(戦闘比が不利でも攻撃しないといけないから)
たしかOVO氏の話では、
同数の兵のテルシオ対備では備のほうが小部隊の集合なので連携が取れず不利だという話だったと思うのですが、
ああいや、別の人の話だと備は小部隊の集合なので柔軟性があって有利だ、という話だったっけ?
ではウォーゲーマーとして質問したいのですが、
テルシオのような大ユニットの方が備のような小ユニットの集合体より連携が取れている、という論拠はあるのでしょうか?
同程度である、というのであればこの質問は無効です。流してください。
何でこんな質問をするかというと、連隊ユニット1対大隊ユニット3という戦いの場合、
大隊ユニットがスタックしている(同じ升目にいる)か味方の戦闘参加ユニットと隣接している場合、戦闘力を合計して戦闘比を出すからです。
連携がとれない場合は、連隊ユニット1対大隊ユニット1という戦闘を3回するものですが、そういったゲームをあまり見たことが無いもので・・・
連隊ユニットの戦闘力が3で大隊ユニットの戦闘力が1とした場合、1:1を1回と1:3を3回とでは激しく結果が異なってきます。
後者なら連隊ユニットに被害を与えることはまず出来ず、大隊ユニット側は大打撃を受けます。
157 :
85:05/01/27 05:02:48 ID:???
追加
>大隊ユニットがスタックしている(同じ升目にいる)か味方の戦闘参加ユニットと隣接している場合、
以下にこれを追加
同じ目標の敵に対して攻撃する場合
158 :
85:05/01/27 07:45:23 ID:???
更に追記
私が所有している同時代のウォーゲームはエポック社の「関ヶ原」ですがこれの例を
へクス距離は1200メートル
ユニットは1ユニット1000〜1500人もしくは300〜800人。大ユニットは2ステップ。小ユニットは1ステップ。
1ユニットの戦闘力は1。(小ユニットは1/2)
戦闘は1へクスごと。同一へクスの部隊は戦闘力を合計。隣接へクスの部隊とは共同攻撃できない。
ただし、戦闘に参加できるユニットは同一へクス内のユニット中最大10ユニット。
1へクスに入れる部隊ユニットは指揮官の能力による。最大30ユニット。平均10〜15ユニット。
戦闘結果表は戦力比ではなくファイアーパワー(白兵戦ではなく射撃戦がメインだからと思われる)
古代ローマ?
アレは戦闘じゃないし。
帝政以後の五賢帝時代の国力なら相当優秀な人物も板から
強いな。
モンゴルが支配した烏合の衆と、忠誠を誓って市民昇格も恩給も在った帝政ローマじゃ
モチベーションで全然違うな。
雇われや、支配下に置いただけの兵は旗向きが悪くなると
脱走が相次ぐからな。
>>156 >連携が取れている
集中度で勝っていると言うことはほぼ確実に言えるんではないでしょうか。大部隊の方は隊形を
組んでおり、かつそれを崩さない限り常に有効な戦力集中を行えている訳ですので。
さらに大部隊の方は隊形を崩さない限りほぼ同一の行動を行う訳ですから、一般論として複数の
小規模部隊を連携させて運動するよりも指揮能力にかかる負担は減少すると思います。
無論小部隊の方も指揮システムや指揮官が優秀なら大部隊に伍する、若しくはそれ以上の戦い
を行える可能性はあるでしょうが、その分指揮システムには余計な負担がかかり、戦場における
不確実性が増大する、という話なのではないでしょうか。
またウォーゲーマーとしてのご質問との事ですので同じゲーマーとしてお答えすると、古代〜近
世をテーマとした会戦級ゲームで指揮の負担を上手く表現した会戦級ゲームをプレイしたいなら
ば、個人的にはコマンドコントロールシステムを導入した最近のバタイユシリーズあたりがお勧め
です。まあそこまで行かなくとも無くともコマンドマガジンあたりを買えば、ほぼ例外なく最近の会
戦級ゲームはコマンドコントロールシステムが導入されています(ここ数年の流行ですね)。
このシステムに慣れてしまうと大部隊にまとめた方が指揮が楽なんで、自然攻撃態勢を取る時
は大部隊の縦隊前進って感じになりますね。
当方ナポレオニッカーの為偏ったお答えになったかも知れませんが、ご参考になれば幸いです。
161 :
786:05/01/27 10:37:53 ID:???
あくまで、傍証推測の域なのですが・・・
戦国期、強兵と言われた所は一向宗の勢力範囲(越前、三河)や
統一されるまで国人同士の争いが絶えなかったところ(越後、甲斐、薩摩)
です。
前者は宗教的団結心、後者は同盟関係にあった国人間の連帯感によって
共同歩調を取れるのではと考えています。
技能的な面では前者は寺に集まっての訓練で、後者は内戦で培ったのでは?
あくまで、傍証推測の域ですので・・・
162 :
85:05/01/27 11:49:56 ID:???
お答えありがとうございます。
なるほどこれなら納得いきます。
確かに兵の錬度が低く、指揮官の質も悪いとなれば大部隊にまとめたほうがよいです。
コマンドコントロールシステムを使ったゲームをプレイしたことがあるような気がするのですが・・・たしかWW2物で。
かなり昔ですが。
これは確か総指揮官(プレイヤー)がユニットをコントロールする上での制限を課すルールだったと思います。
私が聞きたかったのはそのレベル(全軍レベルでの連携)ではなくて、
もっと狭い範囲のユニット間の連携のことだったのです。
ゲームの方は機会があったら探して見ます。問題は一緒にプレイしてくれる人間がいるかどうかですが。
シミュレーションボードゲーマーはもはや希少種ですよ?(笑)
163 :
名無し三等兵:05/01/27 13:00:34 ID:vIMukSfh
>>154 古代のローマ人だって、自分たちが平地でマケドニア・ファランクスと
戦ったら勝てるとは思っていないと語る人もいたはず。
164 :
突撃兵:05/01/27 14:57:09 ID:ozZyEYrH
アラブやペルシャ、カルタゴとかのラクダ兵や象兵みたいな色物兵器を使うとこも強いかもね。馬はラクダの臭いや声に拒否反応を示すし、象兵が暴れ回れば歩兵にかなりの被害が出るよ。
象さんはデリケートだから足元で歩兵がうろちょろするのを嫌うよ
>>164 ラクダのほうは良く知らんのでコメントのしようが無いが、
象の方は確かに正面への攻撃力はあるけど、数を揃えて維持するのが大変な上に暴走しやすいし、
例えばザマでそうされたようにスルーされちまえば終わりじゃん。
そういえばディアドコイ戦争で見られるような、
象を翼の端っこに半円状に配するってのは側面攻撃を食い止めるためらしいけど
あれはどれくらい効力があったんだろう。
167 :
突撃兵:05/01/27 18:23:11 ID:ozZyEYrH
象兵はギャンブルだから大吉か大凶みたいな感じなのが恐いんだよね。中世フランス軍を壊滅させたイングランド軍も侮れないな。
168 :
名無し三等兵:05/01/27 19:31:56 ID:SeaHhBr/
長弓隊が活躍したクレシ−の戦いですか?あの長弓ってなにか今までと
違う工夫ってあったんですかね。どちらかと言えば余りに重装備に特化
して身動きできなくなったフランス騎馬隊の自爆のような。
169 :
名無し三等兵:05/01/27 19:34:39 ID:iyFIKx1f
パオンは、対処法を確立されるまでは効果でかそう
171 :
名無し三等兵:05/01/27 19:52:32 ID:d9vY04pS
モンゴル騎兵と、フランス騎兵と、イングランド長弓隊だと、
どれが1番強いのだ?なんとなく、
モンゴル騎兵 > イングランド長弓隊
イングランド長弓隊 > フランス騎兵
フランス騎兵 > モンゴル騎兵
・・・の3すくみになるような気がするのはオレだけか?
>>162 最近のはかなり細かい単位のコマンドコントロールも再現されるようになって来てますよ。
前出のバタイユシリーズなんかは中隊大隊単位のユニットで大会戦(モスクワ河会戦やら
ワグラムやら)をシミュレーションしてるんで、軍団長など指揮官の戦死には特に気を使い
ますね。まあ連休潰す覚悟がないとプレイ不可能ですが。
>>168 兵器の技術的な面では特に先進的な面は無いですね。問題はイングランドロングボウ兵が
須く兵役10年以上のベテランぞろいであり、分速10発という恐るべき射撃速度を誇っていた
点でしょう。イングランドロングボウ兵の右腕と右手の骨は皆長年の訓練のせいで変形著し
かったそうです(これは発掘調査で確認されています)。
何より「この時代のイングランド」以外は同様の兵種をそろえることが出来なかったことが、
イングランドロングボウ兵の特殊性・希少性を物語っていると思います。
因みにクレーシーにおけるフランス側の敗因は騎兵突撃がイングランドの下馬騎士を突破
できなかった事、フランスの騎士が下賎なロングボウ兵など相手にせずイングランドの下馬
騎士への攻撃を遮二無二繰り返した事、イングランドロングボウ兵が馬を狙ったことなどが
挙げられてますね。
この戦訓を生かしたポワチエの戦いでフランス騎士は下馬し、徒歩での突撃を敢行しもう一
息で打ち破れそうな所まで行きましたが、結局最後に力負けし敗退します。フランスに必要
なのはイングランドロングボウ兵に匹敵する遠戦火力だった訳ですが、結局百年戦争中に
フランスがそれを獲得することはありませんでした。
>>171 >フランス騎兵 > モンゴル騎兵
これだけは明らかに間違ってると思います。結局騎士に代表される重装槍騎兵の衰退を促した
一番の要因がピストル騎兵の増加であったことを考えると、弓騎兵であるモンゴル騎兵はそれこ
そ重装槍騎兵の天敵と言っても良いほどの存在であると思います。
中世ヨーロッパ最強の重装槍騎兵であったポーランド騎士がモンゴル騎兵に手も無く捻られたと
いう史実もありますし。
確かにピストル騎兵は訓練が容易でだれでも移動射撃ができて威力が高いが、
至近距離でしか撃てない弓騎兵だと考えられそう。
熟練弓騎兵を多数用意できる遊牧民族ってのは対抗困難なのが理解できる。
175 :
○V○:05/01/27 20:47:06 ID:???
イングランドの長弓戦術の特徴は、基本的に防御戦術であることに尽きます
1415年のアジャンクール戦を除けばイングランド軍はほとんど防勢に徹しています
1450年のフォルミニー戦のように敵が長弓の射程を上回る投射兵器を保有しているだけで
作戦自体が破綻してしまいます
この時、フランス軍は2門の軽砲でイングランド軍陣地に縦射を加えて長弓兵の戦力発揮を完全に封じ、
たまりかねて出撃したイングランド軍を逆襲で撃破しています
>>175 おお、フォルミニーをすっかり忘れてました。確かにノルマンディーの帰属を決めた決定的な
戦いですね。確かに百年戦争末期のノルマンディー、ギエンヌキャンペーンではビュロー兄
弟のフランス国王砲兵隊がが猛威を振るいましたね。
>結局百年戦争中にフランスがそれを獲得することはありませんでした。
は訂正して撤回します。失礼しました。
177 :
名無し三等兵:05/01/28 16:31:53 ID:w9qY4oT5
つうことは、鉄砲以前の軍隊では、
「モンゴル騎馬軍団最強〜っ!」
・・・てことで、あんまり異存なさそうだね。
あとは、
戦国武士軍団 vs モンゴル騎馬軍団
で、どっちが強いかだな。
うう〜む、よく分からんが、モンゴルかな?という希ガス。
ピストル騎兵が重装騎兵に勝てたのは装甲を打ち抜いてなお殺傷力があったからだし
ポーランド騎士が負けたのはどっちかというと戦術と戦力によるものじゃないの?
モンゴルも弓騎兵のイメージ強いけど重騎兵の割合も結構多いんだよね。
>>178 >ピストル騎兵が重装騎兵に勝てたのは装甲を打ち抜いてなお殺傷力が
>あったからだし
「火器の誕生〜」に当時の火器による実験が載っていますが、基本的に
ピストルではよほどの近距離(10m以内)でも重装槍騎兵の鎧を貫通でき
ないか、貫通できてもキルト地で弾が全て止まってしまっています。
ランサーなどのピストル騎兵が重装槍騎兵を倒せたのは、イングランド
ロングボウ兵同様馬を狙って射撃した為であろうと思われ、そしてそれ
は弓騎兵においても同様だと思われます。
>モンゴルも弓騎兵のイメージ強いけど重騎兵の割合も結構多いんだよね。
この点は私も考察が不足していました。ちと資料をあたって見ます。
スレタイに忠実に
古代ローマ軍団VS日本の機動隊
どうよ?どなたかやってくれませんか?
自己レス。
>>179で「ピストル騎兵は馬を狙うのでは」と書きましたが、
これは私の個人的考察です。前出の「火器の誕生と〜」では「顔面か太
腿を狙う」との記述がされていますね。いずれにせよ装甲の無い/薄い
所を狙うのが基本であったようです。
182 :
○V○:05/01/28 23:32:25 ID:???
ピストル騎兵が普及したのは装甲槍騎兵に比べてはるかに安上がりだったからでしょう
ピストルを使えば、槍の林に身投げするリスクと覚悟を負うこともなく、
従って高い金を払って巨大で頑丈な馬や冷蔵庫のような重い鎧を買い求める必要もなくなります
人馬一体となって槍先に自分の生命と名誉と意地を賭けることもなく、
そのために狂気一歩手前の度胸を養うことと血反吐にまみれた訓練の積み重ねに
青春を捧げる必要もなくなります
ピストル騎兵が装甲槍騎兵のような歩兵の隊列を破壊するだけの衝撃力に欠けていたことは、
当時の将軍たちの多くも危惧していました
しかし当時の多くの騎兵が得物を槍からピストルに持ち替えたのは当然と言えるでしょう
モンゴルの騎兵は約半数が重騎兵ですね
弓騎兵は基本的に衝撃力に欠け、従って戦闘の勝負を決めるだけの決定力に欠けます
>>176 フォルミニーの戦いについて詳しく説明してくれませんか?
ググっても年表ページとか出来事だけの記述のページばかりなので…
184 :
○V○:05/01/29 01:26:22 ID:???
185 :
85:05/01/29 07:26:53 ID:???
>172
そ、それはまた…
い、いかん、プレイする時間も人もいないのに買う気になっとる(ガクガク
いや、某ゲームデザイナー曰く
「ゲーマーのほとんどがルールを読んでコマを配置するだけで満足する」とは言ってはいるが…
いろいろ教えてくれてありがとうございます。
戦国時代までの武士は重装騎馬弓兵であると同時に重装騎兵でもある
という認識でいい?
騎馬弓兵の伝統をもっていたが、歩兵の増大と騎馬比率の低下に伴い
弓を用いることが減った。このため従者(歩兵)の指揮任務が重視され、乗馬のまま
戦闘参加する際は従者より充実した装備で白兵戦にあたることが多くなった、くらいだと思うが。
モンゴルは、過大評価されすぎ。
衰退期の王朝を喰って征服地域は大きくなったが、戦歴は案外ショボいよ。
武装が貧弱なんで、接近戦を余儀なくされると案外もろい。
西回りに見ると、ハンガリーにアジア系の遊牧民族は入るのは珍しい
ことじゃない。それ以西が難しい。西欧州の騎士団とは本格的に戦っていないし、
ポーランド・ハンガリーが進出限界であったと見るべきだろ。
中東ではマムルークに破れ、エジプトの征服に失敗。
中国の征服には成功したが、金も南宋も明らかに衰退期。
モンゴルの強さは、会戦よりも、大規模な迂回機動による急襲と、投石器を
活用した攻城戦にあると思うね。それにより、中央アジアの征服には成功
したが、歩兵の運用ができないところに限界がある。
こと人口密集地で戦うなら、モンゴル軽騎兵よりも、フランス騎士団をとる。
>>175 >イングランドの長弓戦術の特徴は、基本的に防御戦術であることに尽きます
不同意。漏れは、長弓隊は攻撃戦術が特徴だと思う。
まずもって、フランスにおける戦略的な体制として、イギリス軍は決戦を
求めていたし、戦術教義としては長弓の射程圏内まで機動して、一斉射撃で
制圧することにあったはずだよ。
実際の会戦においてフランス側の攻勢が目立つのは、単にフランス側の戦術ミスだろ。
長弓の射手の矢の携行量は、せいぜい一人当たり数十本で、発射速度は毎分15本。
全力で一斉射撃を開始すれば、ものの数分で撃ちつくす。だから、効果的かつ努めて
集中的に敵を征圧し、王室騎士団の突撃を掩護するものでなければならない。
よって、「敵の撃滅」を企図する「攻撃」戦術を特徴とみなすべきだろ。
>>188 リーグニッツで戦ったのはポーランドとドイツの騎士団のはずだが
本格的に戦ってると思うよ
>>173 >中世ヨーロッパ最強の重装槍騎兵であったポーランド騎士
根拠は?それを証明できるような戦歴は?
東欧の未開地域をウロウロしていた蛮族でしょ。
>>190 「ライン川以西やドナウ川以北の蛮族同士」の話をされてもねぇ。
「騎士団のようなもの」に勝ったということでしょ。
193 :
192:05/01/29 11:06:48 ID:???
訂正:「以西」→「以東」
>>188 >モンゴルの強さは、会戦よりも、大規模な迂回機動による急襲と、投石器を
>活用した攻城戦にあると思うね。
モンゴルの強さの本質は必要とあれば数百キロ単位での戦略的迂回も可能で
あったその戦略的機動性にあるということには同意です。またヨーロッパの
人口密集地に近づくにつれ戦略的迂回が難しくなり、その優位が消失してい
ったというのもまた同意ですね。
しかし戦術面において、弓騎兵やピストル騎兵などの軽装ミサイル騎兵が重
装槍騎兵に対し「負けない」戦いを展開できたということもまた事実である
と思います。戦場において機動力を発揮できる余地があるなら、ミサイル騎
兵の方に分があると思われるのですが。そしてこれは上の方でご指摘があっ
たとおりもう少し長期的な装備体系の変遷の面で重装槍騎兵の駆逐をもたら
したと思われます。
>>191 13世紀以降のウィングフッサーと言えばヨーロッパ最強騎兵の一つと
無条件に受け止めていたのですが、確かに戦歴という面で見れば14世
紀以降の戦歴の方が顕著ですね。13世紀にはまだウィングフッサーの
威力は大したことは無かったということでしょうか?資料が見あたら
ないのでご教示いただければ幸いです。
196 :
○V○:05/01/29 12:14:06 ID:???
>まずもって、フランスにおける戦略的な体制として、イギリス軍は決戦を
>求めていたし、戦術教義としては長弓の射程圏内まで機動して、一斉射撃で
>制圧することにあったはずだよ。
あったはずならその戦例を教えてください
私はアジャンクールを除いてそのような戦例を知りません
決戦を指向する戦略と戦場で防御戦術を採用することは矛盾しません
>実際の会戦においてフランス側の攻勢が目立つのは、単にフランス側の戦術ミスだろ。
ミスであったと断ずる根拠も教えてください
>長弓の射手の矢の携行量は、せいぜい一人当たり数十本で、発射速度は毎分15本。
>全力で一斉射撃を開始すれば、ものの数分で撃ちつくす。だから、効果的かつ努めて
>集中的に敵を征圧し、王室騎士団の突撃を掩護するものでなければならない。
ダプリン・ムーア戦以降、イングランドの騎兵は下馬して歩兵の戦列と共に戦っています
フォルカーク戦のことを言っているのであれば、この戦闘のイングランド軍の作戦は
後に対スコットランド戦や百年戦争で猛威を振るった長弓戦術とは言い難いでしょう
この時期はまだ長弓戦術は確立の域に達していません
この戦闘では、長弓兵はスキルトロームのような機動性に劣る敵に対して効果的であることを
証明したに過ぎません
197 :
○V○:05/01/29 12:39:39 ID:???
モンゴルに代表される遊牧民族のステップ系騎兵の強点はその戦略機動力にあります
ステップ系騎兵は戦場での決定力に欠ける反面、戦場で彼らを捕捉してこれを撃破するのは非常に困難です
一方で、遊牧民族は農耕民族に比べて人口が少なく貧乏です
地域的経済的制約から、ステップ系騎兵はほとんど常に小兵力で、しかも攻城兵器のような高価な兵器を持ちません
勿論、12世紀初めに開封を攻略した女真族やモンゴルのように城壁を打ち破れるだけの
組織と装備を手に入れることもありましたが、このような事態は例外中の例外と言えるでしょう
特に、モンゴル軍は中国やイスラムから大量の歩兵と攻城兵器を供給され、
東欧に侵入したモンゴル西征軍にも大量の歩兵が従軍していました
198 :
○V○:05/01/29 13:01:57 ID:???
ポーランドをはじめ東欧諸国は伝統的にステップ系騎兵の脅威に晒されていたため、
騎兵戦力の整備に非常な努力が払われ続けていました
こうした経緯はイラン高原でカタフラクトが登場したのとよく似ています
この地方の戦争は野戦軍同士の野外決戦や大規模な攻城戦ではなく、小規模な小競り合いが主流でした
これをもって蛮族と言えないことはないでしょうが、戦力としての優劣を決める根拠には
ならないでしょう
東欧の騎兵はステップ系騎兵やビザンティン、後には西欧の騎兵の影響を強く受けていました
中近世西欧では優秀な騎兵として評価されており、フランスやドイツではマジャール騎兵が
競って雇用されています
ドイツ農民戦争ではマジャール騎兵が農民団の駆逐に活躍しています
>>198 本を孫引きしてくるのはいいとして、
結局考察というか、いいたいことは何よ?
キミはもっと肩の力を抜いて、
みんなと一緒に気楽にIFを楽しんだ方がいい。
>>199 妄想するにも確かな足場があったほうが良いよ
>199
つまりは「ボクはこんなにいろんなことをしっているんだぞ」と。
とりあえず触りなさんな。
黙って薀蓄語らせてておく分には何の問題もないから。ていうかホントに物知りだし。
漏れ等はそれを黙って参考に(したければ)すればよし。
>>189 戦術的な防御と戦略的な攻勢がごっちゃになってるんじゃないかな?
確かにイングランド軍は攻勢には出てるけど
いざ、戦いになると防御に徹している。
もちろん、最終的に攻撃に移ったこともあったけど。
>>201 つーかお前みたいな仕切り厨のほうがうぜー。
お前も何か薀蓄の一つも語ってみろよ。
スレタイのは、鉄砲、大砲と鉄の質の良さで日本側が圧勝してしまう気がするんだが
まあ流石に1000年以上も違うからな。火器がないのはどうしようもない。
事実を無視して気楽にIFを楽しむならローマ最強で何の問題も無いが。
ていうか東欧の騎兵弱い説に対する反証として、そんなことないよ強いんだよその証拠にドイツでも採用されてるし、
って言ってるんだから、きちんと言いたいこと言えてるよね?>○V○(この記号は何を意味してるんだろう
俺の読解力が無いだけ?
208 :
786:05/01/29 21:52:29 ID:???
不思議発見を見たけど、やっぱあんな長槍持って走り回るのは無理だね。
まあファランクス組んで走り回るなんてことからして無理ですから。
それにしてもファランクスについて、兵士が「正方形に」並ぶという説明はいかがなものかと>TBS
……それか私が長方形と思っていた大戦列は、実は正方形の集合体でしかなかったとかいうオチ?
>>206 だったらそう書きゃいいんだよ。キミの説明の方が、ずっと分かりやすいじゃないか。
難しいことを簡単に説明する⇒頭のいい人
難しいことを難しく説明する⇒普通の人
簡単なことを難しく説明する⇒おバカな人
ここは学会誌ではないので、学会誌とはスタイルを変えるのが「マナー」だろう。
なるべく短く簡潔に、みんなに分かりやすく。
だったら今更そんなことを煽りっぽく言うなよ
自分が何を言いたいかの論理を、きちんと決めて、
それに沿って、本の知識を「・・・によれば」と引用する。
軍事版の他のスレでも、「引用」と「自分の意見」とを、
きちんと分けて書ける人はそれなりにいる。
そして、そういう人のレスは説得力がある。
その辺のレトリックをきちんとすることが大事。
とくに、普段から本をよく読む人であれば。
決してけなしているのではない。あともうちょっと頑張って、という感じ。
お前が頑張ったほうがいいな
自分の貧弱な理解力を少しは恥じろ
>>212 自分のレベルが低いからって他人に自分のレベルを強制するのはいかがなものかと。
ちゃんとスレを読んで普通の国語力があれば十分に理解できると思いますが?
それと
>>201みたいな煽りのどこに「マナー」があるの?
全然説得力ないんですが・・・・。
もしかして頭弱い?
OVOの書き込みは論理的だから読みやすい。
読解力の無いやつには文字数の多い書き込みにしか見えないのかもしれんが・・・
216 :
786:05/01/30 22:28:32 ID:jEh257EU
同一兵数で考えるなら、1独立戦闘単位の数は密集陣形の欧州より散開隊形の戦国日本
の方が多い。
そうなると問題は欧州軍隊の密集陣形の衝力に戦国日本が耐えられるか、そして予備兵力
なら断然上の戦国日本が欧州の予備・機動戦力の騎兵を押さえ込み、敵陣を迂回或いは
破砕できるかが焦点になると思うのだが。
ちなみに私は戦国日本派。
理由としては戦国日本の戦術柔軟性と騎兵というものの運用の困難さから。
>>786 >理由としては戦国日本の戦術柔軟性と騎兵というものの運用の困難さから。
騎兵というものの運用の困難さからって何?
あと、テルシオが一つで突っ込んでくるわけではなく複数が存在するわけだから
予備兵力なら断然上の戦国ってのは変じゃないかな?
それに大砲は完全無視されてるし
戦国日本の戦術柔軟性ってのは同意
218 :
786:05/01/31 09:17:43 ID:???
>>217 坂の上の雲じゃないんだけど騎兵突撃は一度出したら引っ込みようがないから
その運用には慎重をきたすといった点。
予備兵力に関してはテルシオはほぼ横一線配置に対して戦国日本は3段、4段
配置だから豊富と考えている。
最後に大砲だけど・・・炸裂弾でも散開した隊形で移動速度の速い戦国日本では
当時の火器管制能力では十分な効果は挙げられないかと。
>>218 テルシオは基本的に2〜3線ですよ。またスペイン・テルシオということならその付随の
騎兵はピストル騎兵であるランサーなので、重装槍騎兵よりかなり運用の柔軟性はあ
ると思います。
>炸裂弾でも散開した隊形で移動速度の速い戦国日本では
つまり野戦築城をしないで戦闘に臨むということでしょうか。それでは十分な火力発揮
ができないのではないでしょうか。
220 :
786:05/01/31 11:24:39 ID:???
>>219 テルシオの配置は菱形にしろ市松にしろ固定配置だったはずです。
予備戦力としては余り考えていないのではないでしょうか?
私としてはピストル騎兵は撹乱程度の役にしか立たないと考えています。
機動戦力としての騎兵は迂回突破してなんぼかと。
野戦築城に関しては会戦か遭遇戦か防御戦か機動戦か他色々考えますと
煩雑になるので除外しようかと。
ただ戦国日本が機動力を重視するなら野戦築城によって戦う事は余りないかと。
>>220 >予備戦力としては余り考えていないのではないでしょうか
それは違うと思います。市松隊形の2線部隊やひし形隊形の2・3線目は明らかに予備戦力
として後置されたものだと思います。これは(ちょっと時代が下りますが)ブライテンフェルト
における帝国軍の機動などにも表れていると思います。
>機動戦力としての騎兵は迂回突破してなんぼかと
スペイン・テルシオ戦術における打撃主力は歩兵のテルシオなので、騎兵は敵の側方迂回
と対騎兵スクリーンを展開できれば良い、という考え方なのではないでしょうか。
>ただ戦国日本が機動力を重視するなら野戦築城によって戦う事は余りないかと
前スレで繁出した意見として、戦国時代の日本軍は火力を有効発揮するために野戦築城を
好んで行ったというものがあったと思います。逆に野戦築城無しに、敵の白兵衝力に対抗し
つつ火力発揮を行う事は難しいのではないでしょうか。
前にも書きましたが、テルシオは「野戦築城に頼ら無い火力発揮」を追及して完成した戦術
であると考えます。
222 :
786:05/01/31 15:54:09 ID:???
確かにテルシオの予備兵力は穴埋めとしては十分です。
しかし戦国日本のような側面迂回等の機動戦力にはならないでしょう。
無論、機動戦力として騎兵が存在するのでしょうが、ここら辺どちらが優位かは
私には即断できません。
また、白兵戦闘においても夏の陣のような多量の火器使用に伴う視界の悪化を
生かした白兵突撃の場合、隊列を作らず突っ込む戦国日本と隊列を組んで前進
する欧州がぶつかった場合どうなるかも興味深いです。
戦国日本が野戦築城を施してテルシオと相対した場合は銃戦は優位になるで
しょうが砲撃による混乱は大砲の射程と両陣の距離によるかと。
223 :
○V○:05/01/31 20:45:41 ID:???
両者を比較するための前提条件に疑問があります
戦国期日本の備は散開隊形ではありません
電信や機関銃が登場する以前の戦場では一部の例外を除き歩兵は隊列を組むことが
戦力発揮のための必須の条件となります
戦国期日本の備も、各級指揮官の指揮下で整然と列を組み、かつ隣の備と
歩調を合わせるように並んで戦っています
備は独立した戦術単位ですが、個々の備が独立して奔放な作戦機動を
行っていたわけではありません
備が分派されて単独で行動した事例はあるでしょうが、そのような事例は
一般的ではありません
1600年前後の欧州と日本の野戦戦術は、進度の違いはありますが、両者ともに
火器への依存の増大による防御重視、特に野戦築城が多用されつつあった点で
共通しています
確かにテルシオは陣地に拠らない戦闘隊形ではありますが、陣地防御を
軽視していたわけではありません
日本では、徳川幕府成立によりこの時点で野戦技術の発達が中断され、
一方欧州では、防御優位による停滞を打破すべく様々な方策が模索され、
アンリ4世やグスタフ・アドルフ等によって膨大な流血を伴いつつ
戦場で実験が繰り返されました
224 :
○V○:05/01/31 20:46:25 ID:???
1600年頃の両者の戦場での優劣を比較すると、防御したほうが勝ちという
身も蓋も無い結論にならざるを得ません
仮に両者が戦力拮抗した状態で戦場において対峙すれば、お互いに野戦陣地を作って
延々と睨み合いが続くでしょう
両者が陣地防御を行わず、地形を加工することによる利益を放棄して積極的な攻勢を
行うならば、テルシオのほうに分があるでしょう
戦力集中の点ではテルシオのほうが備よりも大規模なだけ有利です
ただし備も互いに並んで戦いますから、この優位は決定的なものではありません
しかし、封建制の制約から脱しきっていない備は規模も編成も厳格には規格化されて
おらず、かつ最高指揮官の軍事統帥権が浸透しきっていないことから、指揮統制で
やや難があることは否定できません
勿論、これが戦場で決定的な差になるとは言えませんが、下級指揮官の独断を
惹起しやすい備のほうが一度崩れはじめると手がつけられなくなる危険性が
高いと言えるでしょう
ただし、この危険性の高低は純粋に軍事統帥権の強弱に左右されますし、
織豊期以降、馬廻衆のような直属武官を備の指揮系統に組み込むことにより、
こうした問題点はある程度解決されつつありました
ただし、1600年頃の時点ではまだ少数派で、完全に克服できていたわけではありません
225 :
○V○:05/01/31 20:47:21 ID:???
火器、特に当時の火力の根幹である銃兵については、斉射を重視する欧州と、
狙撃を重視する日本というスタイルの違いはありますが、優劣を決める決定的な要因とは
ならないでしょう
大砲では欧州の大砲のほうが軽量で軽便な点で有利ですが、この時期はまだ野砲の数も
少なく小火器の補助的な地位から脱しきっていませんから、これも決定的とは言えません
騎兵に関しては、集中運用されていた欧州のほうが有利といえますが、装甲槍騎兵の
消滅したこの時期の欧州の騎兵は戦場での打撃力を喪失しており、これも決定的な
ファクターにはなりません
結局、絶対主義化が進んだ欧州のほうが、若干ではありますが有利であると言えます
もっとも、総力戦になればこうした優位はボディブローのように効いてきますが、
一回限りの戦闘においては決定的な要素とはならないでしょう
ただし、両者ともに火力に依存した決定打に欠ける戦術ドクトリンで戦っていますから、
勝っても負けても凄まじい損害が出ることはほぼ避けられないでしょう
226 :
○V○:05/01/31 21:00:19 ID:???
側面への迂回機動というと勇ましいですが、側面への迂回攻撃は戦術機動の中でも
高等テクニックです
正面の拘束と機動の優越という二つの要件を満たしていないとまず成功は期待できません
どちらか一方でもうまくいかなければ、各個撃破という悲惨な結果になりかねません
そもそも、側防に気を配るのはどこの軍隊でも常識です
このため側面への打撃を戦術ドクトリンとして慣用的に行っていた軍隊は非常に稀です
ペロポネソス戦争のスパルタ軍と七年戦争のプロシア軍くらいでしょう
スパルタ軍のほうは右翼に過剰に戦力を集中するという問答無用の力技ですし、
プロシア軍は実際にしばしば大失敗しています
少なくとも、戦国期日本で側面への迂回を慣用としていた軍隊を私は知りません
まず訂正から。
>>219で「スペイン・テルシオの騎兵はピストル騎兵」と書きましたが、
帰って資料を読むと1600年のニューポールトの戦いにおいてもスペイン騎兵の半数
は槍騎兵でした。ヨーロッパにおいて最後まで槍騎兵を放棄しなかったのはスペイン
とポーランドであり、それはナポレオン戦争まで続いたとの事でした。印象で間違った
ことを書いてしまい申し訳ございません。
この槍騎兵が重騎兵なのか軽騎兵なのかは資料に記述してありませんので、引続き
調べてみたいと思います。
さて、 ○V○氏の書き込みには大筋賛成なのですが一点だけ。
>仮に両者が戦力拮抗した状態で戦場において対峙すれば、お互いに野戦陣地を作って
>延々と睨み合いが続くでしょう
これはどうなんでしょうか。実際17世紀末から18世紀前半までのテルシオの運用を
みると、拮抗した状態なら躊躇せずに攻勢、というパターンの方が多く見受けられる
ような気がするのですが。
228 :
○V○:05/01/31 23:38:37 ID:???
勿論、状況により積極的な攻勢に出る戦例は珍しくありません
敵の準備の未完に乗じたり、または自軍か敵軍の補給が底を尽きかけていたり、
更には純戦術的な事情を無視した政治的な理由から、積極的な攻撃が行われた
事例は珍しくありません
また、当時の野戦は攻城戦に連携して行われるケースも多く、積極的に攻撃に
訴えざるを得ない状況も少なくありません
しかし、同時に野戦築城が軽視されていたことを示す史料もありません
基本的に、野戦指揮官たちは事情の許す限り野戦築城を行っており、
可能ならば攻勢に出た敵軍を陣地防御により迎え撃つことを追求しています
例えば、1525年のパヴィア戦では、両軍が互いに陣地を構築して小競り合いが続きましたが、
思い切って攻勢に出たフランス軍が結局は皇帝軍の陣地防御により敗北しています
1675年のザルツバッハ戦では、皇帝軍とフランス軍が4ヶ月に渡って対峙しています
この際、フランス軍のチェレンヌ元帥の戦死を契機に皇帝軍は攻勢に出ましたが、
僅か2ヵ月後には再び両軍はエルザスで対峙しています
純粋に敵野戦軍の撃破に作戦目的を限定すれば、可能な限り陣地防御により
攻勢に出た敵を撃破することが追求されるでしょう
>>228 15世紀末から16世紀前半にかけて、特にスペイン軍が野戦築城を好んだ事は事実である
と思います。その典型例がラヴェンナでしょう。
しかし16世紀中期以降、明らかにスペイン軍が野戦築城を行うケースは激減していると思
われます。といいますか、17世紀前半までのテルシオを用いた戦闘で大規模な野戦築城
を行った例を私は見つけることができません(もし好例があればご教示いただければ幸い
です)。むしろスペイン軍は野戦築城を行うための時間を機動とテルシオを組むことに使っ
てしまっているように見受けられます。
再び野戦築城が活発化するのは、マウリッツ/グスタフ型の横隊戦術が普及し、槍兵の縦
隊の縦深性が低下し始める17世紀後半まで待たなければならないのではないでしょうか。
230 :
786:05/02/01 09:19:00 ID:???
戦国日本の戦闘隊形は欧州よりも自由度が高いものでした。
隊列も深度を取らず、機動性を重視したものでした。
また、戦闘機動も第一段の備は戦線を形成するし敵陣を持ち堪えるか
突き崩すため正面戦闘が基本ですが、2段3段は1段が突破されたときの
抑えや増援、更には迂回の為の部隊でした(三増峠、姉川等)。
また、欧州の防御優位は傭兵の存在が大きく関係してました。
彼らは積極的に戦おうとはせず、直ぐに逃げ出そうとしそのため技量不足と
監視の意味で機動性のない密集隊形を採らざる得ませんでした。
これでは側面迂回などできるはずもなく、また損害を覚悟した突撃もできず
中途半端な平押しでかえって甚大な損害を被りました。
231 :
786:05/02/01 09:30:35 ID:???
戦国日本軍隊は戦術の幅が欧州軍隊に比べ広く採れ、会戦よりも遭遇戦の
頻度が多い為状況に応じて様々な戦法を用いその為慣用的な戦闘は基本的
に行う事はありませんでした。
無論、武将の性格は影響されますがそれはむしろ合戦に持ち込むまでの方面に
集中しました。
>>231 >戦国日本軍隊は戦術の幅が欧州軍隊に比べ広く採れ、会戦よりも遭遇戦の
>頻度が多い為状況に応じて様々な戦法を用いその為慣用的な戦闘は基本的
>に行う事はありませんでした。
ここのソースを提示してほしい
遭遇戦の頻度が多いとは余り聞いたことがない
>>230 >隊列も深度を取らず、機動性を重視したものでした。
その場合白兵能力と継戦能力が低下すると思われるのですが。
>彼らは積極的に戦おうとはせず、直ぐに逃げ出そうとしそのため技量不足と
>監視の意味で機動性のない密集隊形を採らざる得ませんでした。
技量不足ならそもそも隊形が組めないと思います。一定の技量があるからこそ隊形が組める
訳でして。
逃亡防止のために密集隊形を組んだというのはある意味正しいのですが、それは「傭兵」では
なくモラルの低い「強制徴募兵」の場合に重視されたと思います。傭兵の一番の問題は傭兵同
士の場合真面目に戦争をしないことがままあった事ですが、16世紀以降戦争が悪しくなってい
くに従いこの傾向も失われていったと思います。
また士気の高い国民軍の運用においても、その初期の段階においては隊形戦術が非常に重視
されたということにも注目する必要があると思います。
因みにスペインのテルシオは半志願制の壮丁徴募で士気は高かったのですが(それ以上にサ
ラリーが良かった訳ですが)、余りに遠征が長期化すると徐々に傭兵化する弊害もあったようで
す。
234 :
786:05/02/01 10:29:39 ID:???
>>232 夜間行軍や霧のため相手の位置、勢力が掴めぬまま陣を進め交戦したと言った、
「敵がいるらしいから戦闘準備は整えとくが、何処にいるかは解らない」
的な遭遇戦なら川中島、姉川、関ヶ原、夏の陣等あります。
後、防御に専念なら戦国日本の方が徹底してまして、大抵は山上や城郭に篭って
しまいます。
これを野戦に引きずり出す為の「野戦誘導」の結果として戦国日本の野戦は存在します。
235 :
232:05/02/01 10:53:05 ID:???
>>234 川中島合戦の四回目は確かに不期遭遇戦だけど残りの関が原、夏の陣なんかは
「予期していない」の程度が結構違うと思うんだけど
それと
>夜間行軍や霧のため相手の位置、勢力が掴めぬまま陣を進め交戦したと言った、
>「敵がいるらしいから戦闘準備は整えとくが、何処にいるかは解らない」
こういった特殊な例を、しかも十指に満たない数で挙げても
>>231で言っていることを一般化して証明することはできないと思う
あと
>無論、武将の性格は影響されますがそれはむしろ合戦に持ち込むまでの方面に
>集中しました。
これって遭遇戦が多かったという主張と矛盾して無いか?
236 :
786:05/02/01 16:48:12 ID:???
>233
傭兵の質等に関しては「傭兵の二千年史」を元にしてます。
但し日本の戦国期浪人は就職浪人というのが私の考えです。
>>234 互いが来るぞ来るぞと思いつつ位置が解らないのが遭遇戦
互いがいないいないと思いつついきなりぶち当たったのが不意遭遇戦
地形に隠れて相手の行動がつかめない事もあります。
他の合戦は奇襲、夜襲、伏撃(小対大)
支隊による後方遮断や追撃を逆手に取った主力の誘引(中or大対大)
と言った感じで千差万別一番多いのが遭遇戦かと
後、野戦誘導は相手が勝てると誤解させるのがみそですから、どうしても
こちらの思いのままに行かず想定外の状況における遭遇戦や逆手に取られて
大損害を被る事もありました。
騎兵に関してなんですが、ピストル騎兵でも側面、背後に回り込めば
かなり効果は大きいと思います。
鐙が無かった古代でもイッソスやカンネーのように騎兵の攻撃が勝負を決めています。
戦国側が大規模な騎兵隊を側面に配置していなければ
致命傷になるかも知れません。
もちろん地形を使った防御が出来ていれば何とかなると思いますが。
あと、戦国時代の騎兵ってどれくらいの規模だったんでしょうか?
よく「騎馬隊は存在しなかった」というのを見かけるんですが・・・
もし、本当にそうなら野戦では勝負にならないような気がします。
238 :
232:05/02/01 18:10:30 ID:???
>>236 いや、そういうことを聞いてるんじゃなくて
>>231のような主張をして
なおかつ
>地形に隠れて相手の行動がつかめない事もあります。
>他の合戦は奇襲、夜襲、伏撃(小対大)
>支隊による後方遮断や追撃を逆手に取った主力の誘引(中or大対大)
>と言った感じで千差万別一番多いのが遭遇戦かと
こう述べるのであれば合戦のなかで貴方の言う遭遇戦の割合を史料でもって提示して欲しい
武将達は斥侯も出さずにお互い遭遇してばっかりだったのか?
地形に隠れて敵の行動がつかめないから偵察するんだろうに
今までそちらが述べてきたとでは
>>231で書いていることの証明にはならないと思うが
戦術の幅が広いということと遭遇戦の頻度、「慣用的な戦闘」は基本的に行われなかったの三点
「慣用的な戦闘」が行われないというのは何を指してそう言っているの?
239 :
○V○:05/02/01 19:31:00 ID:???
>>229 1632年のレヒ河戦では皇帝軍は増水した河川の地形障害を利用した陣地防御を行っています
また、同年のリュッツェン戦では皇帝軍は街道沿いに塹壕を構築しています
テルシオであっても野戦築城を軽視していたわけではありません
グスタフ・アドルフは、こうした野戦戦術の防御優位を打破すべく様々なアプローチを試みています
実際に、上記二つの戦闘はスウェーデン軍の攻勢で始まっています
240 :
○V○:05/02/01 19:44:08 ID:???
軍隊に脱走兵は付き物です
隊列を組むことは脱走を防止するという副次的な効果もありましたが、
最大の理由は隊列を組むことによる戦力集中です
脱走兵を防止するために隊列を組んでいたと主張するのは本末転倒です
241 :
○V○:05/02/01 19:54:41 ID:???
17世紀以降の欧州では、かつての装甲槍騎兵のように突撃で敵の隊列を崩すことによって
組織的戦闘力を破壊する可能性が消滅したことにより、火力偏重が進みました
このため、敵の組織的戦闘力を破壊するためには、強引な突撃によって敵の隊列を崩すことよりも、
火力を蓄積して敵に出血を強いることが重視されました
このため、戦闘は両軍が延々と火力戦を行うようになりました
こうした戦闘では、勝利した側もどうしても損害が大きくなる傾向にあります
決して脱走兵を防ぐために損害が大きくなったわけではありません
242 :
○V○:05/02/01 20:03:21 ID:???
>後、防御に専念なら戦国日本の方が徹底してまして、大抵は山上や城郭に篭って
>しまいます。
>これを野戦に引きずり出す為の「野戦誘導」の結果として戦国日本の野戦は存在します。
攻城戦が重視されていたのは戦国期日本も近世欧州も同じです
野戦が攻城戦に連携して行われていたのも同様です
むしろ、欧州では領主の城塞だけでなく地方の小都市も要塞化されていました
この時期の欧州各都市はオランダ式築城によって都市を防護することに血道をあげていました
戦国期日本でも小田原城のような例は存在していましたが、国土の要塞化に関して言えば、
欧州に比べれば遅れていたと言わざるを得ません
要塞による防御に関して言えば、近世欧州のほうがよほど徹底されています
243 :
○V○:05/02/01 20:28:48 ID:???
>戦国日本軍隊は戦術の幅が欧州軍隊に比べ広く採れ、会戦よりも遭遇戦の
>頻度が多い為状況に応じて様々な戦法を用いその為慣用的な戦闘は基本的
>に行う事はありませんでした。
戦国期日本の野戦戦術も、基本的には平押しです
いまだ封建制の根強い戦国期日本の軍隊は、絶対主義軍隊に比べて指揮統制が困難であり、
各部隊を計画通り動かすのも一苦労です
このため、各部隊の行動を規制して作戦通り行動させるのも軍監や軍目付の重要な役割の一つでした
ややもすると自分勝手な独断に陥りやすく、箍にはめなければならなかったような軍隊が、
絶対主義軍隊に比べて幅広い戦術が可能だったとは考えにくいでしょう
そもそも、慣用的な戦術がないということは、戦術ドクトリン自体が存在しないことを意味します
つまり、確たる戦術ドクトリンに裏付けられた編成も装備も戦法も存在しないことになり、
これでは単なる武装した烏合の衆に過ぎません
戦国期日本の優位性を擁護する余りに筆が滑ったのでしょうか?
あと、慣用的な戦術がないのに、何故戦国期日本軍が側面へ迂回攻撃すると断言できるのでしょうか?
>>239 >リュッツェン戦では皇帝軍は街道沿いに塹壕を構築しています
なるほど、これは見落としていました。早速帰ったら調べてみます。ありがとうございます。
これは余談なんですが、テルシオで陣地を使用する場合、陣地に篭るのはテルシオから
分離した小部隊を持ってするのか、それともテルシオ自体を横隊に組みなおし陣地に配置
するのか、どっちなんでしょうね。テルシオ自体の編成にかかる時間を考えれば前者であ
る気がするんですが。
手元にあるリュッツェン会戦の初期配置図ではデアフルートランデルの歩兵本隊は大分街
道から離れた位置にあるように見受けられますし(これは新教軍の連隊砲を警戒してのこ
とであるようですが)。
おおよそ180年後のリュッツェン会戦でも大陸軍は街道を障害地形(この近郊では街道が周
囲平地より一段低い)として使った記憶がありますので、恐らく格好の防御地形なんでしょう
ね。余談失礼しました。
245 :
786:05/02/02 09:51:15 ID:???
欧州の場合は都市の攻略が大きな焦点でしたが戦国日本では拠点防御を重視していました。
戦国日本は都市の防御を重視していません。
学研戦国合戦集の合戦から抜粋すると機動戦、合戦の次でした。
すいません。
近世密集隊列に関しては私は監視の意が強かったと考えています。
私は傭兵がその程度の存在と考えてます。
また脱走兵が多すぎるというのも問題かと。
絶対王政では中級・下級将校の質は近世封建の職業武士団に大きく劣るでしょう。
密集陣が採用されたのも小部隊単位で戦闘させるのに問題があったからです。
そういった硬直した部隊運用法では採れる戦術の幅も狭く、固定化された(慣用的な)
ドクトリンしか採れなくなります。
横レス失礼します。
>>245 >私は傭兵がその程度の存在と考えてます
スイス傭兵団やランツクネヒトも「その程度の存在」ですか?
>絶対王政では中級・下級将校の質は近世封建の職業武士団に大きく劣るでしょう
絶対王政の軍と言ってもピンきりだと思いますが、少なくとも士官学校まで整備され
ている職業常備軍の士官の質が、「近世封建の職業武士団に大きく劣る」のはちょ
っと信じられません。
>小部隊単位で戦闘させるのに問題があったからです
その問題は前出の通り戦術的な問題の方が大であったと思います。またスイス傭兵
団やランツクネヒトでは横隊戦術をとることも可能でしたし、スカーミッシュ戦術を最初
に取り入れ運用したのもこれらの部隊でした。
貴方の指す「密集隊形を組まないと崩壊する士気の低い傭兵部隊」とは、具体的にど
の傭兵部隊のことを指しておられるでしょうか。
>固定化された(慣用的な)ドクトリンしか採れなくなります
慣用的なドクトリンすら採れないよりは、はるかにマシなのではないでしょうか。イギリ
ス軍の強さの本質が慣用的なドクトリンの徹底にあったということをどのようにお考え
でしょうか。
247 :
○V○:05/02/02 20:01:08 ID:???
>欧州の場合は都市の攻略が大きな焦点でしたが戦国日本では拠点防御を重視していました。
>戦国日本は都市の防御を重視していません。
小田原城や江戸城を見れば、都市の防御を重視する動きが戦国期日本にも
あったことは明らかです
また、ヨーロッパには都市の防護を目的としない純然たる軍事要塞も多数建造されています
国土の要塞化に関して言えば、絶対主義化への動きと相互助長する形で近世欧州のほうが
戦国期日本よりもよほど進んでいます
>近世密集隊列に関しては私は監視の意が強かったと考えています。
>私は傭兵がその程度の存在と考えてます。
その根拠を伺いましょう
脱走防止が主目的で、戦術的効果は二の次だったことを示唆する史料を私は知りません
>また脱走兵が多すぎるというのも問題かと。
脱走兵は近世欧州に限った話ではありません
傭兵でも徴募兵でも国民兵でも市民兵でも脱走は発生します
勿論、戦国期日本でも脱走兵は発生しています
脱走兵の発生はごく当たり前のことです
それを針小棒大に誇張して取り上げても説得力を持ちません
248 :
○V○:05/02/02 20:26:11 ID:???
>絶対王政では中級・下級将校の質は近世封建の職業武士団に大きく劣るでしょう。
近世初期の欧州の絶対主義軍隊では、初級将校や候補生の教育は各連隊単位で行われていました
現代的な意味での士官学校が登場するのは主に18世紀以降ですが、
将校教育はシステムとしては一応確立しています
質で劣ると主張する根拠を伺いましょう
あなたの主張は根拠のない単なる推測や憶測の域を出ません
>そういった硬直した部隊運用法では採れる戦術の幅も狭く、固定化された(慣用的な)
>ドクトリンしか採れなくなります。
繰り返しますが戦術ドクトリンすら確立していない軍隊は装備も編成も戦法も統一されていない
単なる烏合の衆です
戦術ドクトリンすらないのですから、意思の統一すら困難でまともな作戦を立てることすら出来ないでしょう
ある程度パターン化された作戦行動ができないということは、「何でもできる」のではなく、
「何もできない」に過ぎません
「自由度が高い」とか「柔軟性がある」といったレベルとはほど遠いものです
少なくとも、戦国期日本の備はあなたの思っているような武装暴徒の群れではありません
最近ローマがほとんど出てこないな……
ところで戦国の軍団だと鉄砲が絡んできてそれが大きなファクターになってるけど、
源平合戦や南北朝期のが相手となればどうなるんだろう?
消臭力のCMでアウグストゥスの像を使うのは
止めろといいたい。
何なんだアレは・・・('A`)
251 :
名無し三等兵:05/02/03 11:46:01 ID:6IcY/rK/
>>249 状況にもよると思うが、基本的にはローマの圧勝でしょ。
一騎打ちマンセー武士じゃケルト戦士と変わらんわな。南北朝時代の悪党と比較しようか
ローマが勝てる相手を探しています。
本来の意味で、ローマに詳しい奴なんか居ないからなだけだろ。
戦国や支那に比べると圧倒的に興味持ってるヤシ自体少ないし。
255 :
名無し三等兵:05/02/04 13:38:59 ID:8/0rBXN2
ちょい遅レス
(っていうか今日初めてここに来たw)
>>209 >正方形の集合体
yes
最小単位のシンタグマは正方形だし。
読んでいて面白い事は面白いんだが、
どこで戦うかによって、圧倒的に一方に有利になるだろ。
たとえば日本で戦うとする。
テルシオはでかいから、地形の影響をうけて隊列が崩れないか?
あるいはテルシオのユニット同士の相互支援が出来なくなったりしないか?
広い平原で戦うとする。
備えの小部隊は、騎兵の襲撃に耐えられるのか?
とうぜん見晴らしも良いから、側面や背後への機動なんて気付かれないか?
置かれている環境が違いすぎるのに、
システムの優劣は比較できるのか?
ところで、「会戦」と「遭遇戦」って区分する意味あるの?
現代戦のドクトリンでは、遭遇戦は「攻撃」の形態として「陣地攻撃」「遭遇戦」
という分類になっている。さらに遭遇戦の中は「予期遭遇戦」と「不期遭遇戦」
に分類されている。ただし、これは計画者からの視点だから、形態としては
まとめて遭遇戦で良い。
「会戦」は、一方に築城の要素が希少なら、まとめて「遭遇戦」と分類すれば
いいよ。
こと遭遇戦では、テルシオよりも、織豊政権の軍隊の方が断然運用が容易だと
思うね。戦いは「行軍」段階から既に始まっている。敵の戦力を逐次分析しながら
想定戦場に有利な戦力を集中する能力は、後者の方が圧倒的に上だよ。
親衛隊(旗本)を、早期に前方に進出させて、後続兵力を把握しながら有利な段階
でしかける、テルシオにはこんなダイナミズムは無いだろ。
それから、追撃の徹底も織豊政権に分があると思うね。
一遭遇戦の優劣から、そのまま戦果を拡大して敵勢力の本拠を占領した例、
数しれず。この点、三十年戦争やイタリアの戦史を読んでいると、スローテンポ
にいらいらさせられる。
「隊形」の意義は、「戦力の集中」よりも「指揮統制の容易化」だよ。
なんつーかね。現実感が無さ過ぎる議論だよな。
戦場って、阿鼻叫喚の殺し合いの場だよ。隊形戦闘と言っても、けっこう
混乱する。隊形が極端に崩れると、軍としての意志の行使ができなくなり崩壊する。
「テルシオの密集度」=「戦闘力の集中度」てのは想像力無さすぎ。
当時のスペイン兵の練度や戦いに対する動機では、散開隊形は現実的では無かった
ってことだろ。
259 :
○V○:05/02/05 10:20:38 ID:???
>敵の戦力を逐次分析しながら
>想定戦場に有利な戦力を集中する能力は、後者の方が圧倒的に上だよ。
>親衛隊(旗本)を、早期に前方に進出させて、後続兵力を把握しながら有利な段階
>でしかける、テルシオにはこんなダイナミズムは無いだろ。
無線機や電信、鉄道の登場以前においては戦力の逐次投入とほとんど同義です
集結地と戦場の離隔距離が一日程度のような作戦地域が狭小な状況でなければ無理でしょうし、
それでもほとんど神業に近いものがあります
戦国期日本と17世紀欧州の戦争は作戦の距離的時間的スケールが違いすぎます
三十年戦争中の遠征は1000キロ単位で行われており、グスタフ・アドルフ率いる
スウェーデン軍は、1631年4月から1632年11月にかけて1600キロを行軍し、
その間に大きな会戦だけで4回(ブライテンフェルト、レヒ河、ニュンベルク、リュッツェン)
行っています
戦国期日本で空間的時間的な規模で比較できるのは朝鮮征伐くらいでしょう
260 :
○V○:05/02/05 10:21:53 ID:???
>一遭遇戦の優劣から、そのまま戦果を拡大して敵勢力の本拠を占領した例、
>数しれず。この点、三十年戦争やイタリアの戦史を読んでいると、スローテンポ
>にいらいらさせられる。
単なる戦略環境の違いです
三十年戦争から少し時代は下った18世紀の欧州は一般に要塞の配備が整理され、
要塞の新造が抑制されるとともに戦略的に重要度の低い要塞の棄却が進められていましたが、
東京偕行社の「中央欧羅巴地形図附要塞配置(三百万分の一)」(大正3年発行)によれば、
それでも平野部の収容兵員1000名以上の規模の要塞の配置は約15平方キロに1基の割合です
より小規模な砦や防塞を加えれば密度は更に上がるでしょう
近世欧州の戦争は、こうした凄まじい高密度の要塞ネットワークの中で行われていました
各地に配された要塞守備兵力は決戦に参加する野戦軍の兵力をはるかに上回ります
グスタフ・アドフルが戦死した時、スウェーデン軍は大陸に18万3000の兵力を
展開していましたが、彼が率いていたのはそのうち僅かに2万程度です
皇帝軍も、10万3千の兵力のうちリュッツェンに参加したのは僅かに2万2000に過ぎません
このため、当時の欧州の戦争は一回の野戦での勝利がそのまま戦争勝利に結びつくことは
ほとんど稀です
野戦軍は決戦ではなく局地的な兵力優勢の確立による地域の確保を主たる目的として作戦しました
当時の欧州の戦争は基本的に消耗戦争で、一回の決戦で戦争に決着がつくような単純なものでは
ありません
261 :
○V○:05/02/05 10:24:04 ID:???
>「隊形」の意義は、「戦力の集中」よりも「指揮統制の容易化」だよ。
同じです
「隊列」の意義は、「指揮統制の容易化」による「戦力の集中」の達成です
>>261 それは、明らかに視野が狭い。
「隊形の意義」は、「指揮統制の容易化」であり、それによって「行進隊形による
機動指揮・統制の容易性」「円陣による全周警戒指揮・統制の容易性」「方陣に
よる全集防御指揮・統制の容易化」「横隊による火力の指揮・統制の容易化」etc.
が達成される。
16世紀以降の戦場では、機動と火力の連携により動的に戦闘力の集中が図られ、
「隊形そのものによる戦闘力の集中」というイメージは、漫画チックに過ぎる。
ということは16世紀以前ならあながち間違いではないということか?
ちょっと上の方でも発言されてるが「現実感がない」だの「漫画チック」だのと
言う割には史料提示されたことが余り無いんだよな
>>260 18世紀は下りすぎだってw。
銃剣が普及して、パイクが消滅した時代だろう。
>スウェーデン軍は大陸に18万3000の兵力を展開していましたが
というよりも、「新教同盟軍全体の規模」だろ?
本隊以外は、傭兵か同盟国で。
クラウゼビッツも言ってる通とおり、防衛側の地形縦深は距離に加えて
地形区画が重要で、平坦な欧州での行進距離をもって、日本との作戦環境
に言及してもそれこそ無駄。
軍隊の徒歩行進は、距離よりも高低差が大きい。
道なりが平坦で気象条件が良ければ、100km、200kmでもたいした
負担にはならない。40kgの装備を担いで、一週間ほど歩けばすぐ得心できる。
だいたい、ブライテンフェルト以降のスウェーデン軍の行動は、あまり後世の
戦史屋からは高い評価を受けていないだろ。なんでプラハやウィーンを直撃し
なかったのか?ってね。能力上、できなかったのだろうね。
軍事的・政治的に、当時の欧州は、同時代の日本よりも戦争目的を達成する
能力が低かったと思うね。宗教に対する不寛容さも含めて。
>>263 馬鹿だなw。
出したらクビに関わる資料もあるってこと。
強いて根拠づけが必要なら、米軍の原則書とだいたい同じ見解ってことで
了解して欲しいね。わりとインターネト上にも公開されている。
>>265 いや現代の「資料」じゃなくて歴史「史料」のことを言ってるんだが
米軍の原則書には道理があるだろうが、それをもって歴史上のことを証立てするのは
ちと無理があると思うぞ
出したらクビに関わる資料とやらには興味が湧くけどね
267 :
○V○:05/02/06 17:53:05 ID:???
268 :
○V○:05/02/06 18:03:49 ID:???
>18世紀は下りすぎだってw。
>銃剣が普及して、パイクが消滅した時代だろう。
三十年戦争は17世紀前半の戦争です
せいぜい半世紀程度ですが?
そもそもパイクの消滅と要塞の配備状況と直接的な因果関係があるとはとても思えませんが
>というよりも、「新教同盟軍全体の規模」だろ?
>本隊以外は、傭兵か同盟国で。
「スウェーデン軍」ですが・・・
リュッツェン戦当時、約6万が北ドイツ一帯の要塞に、約3万5千がバルト海沿岸の要塞に配置され、
更に帝国領内に約6万5千が展開しています
269 :
○V○:05/02/06 18:11:44 ID:???
>クラウゼビッツも言ってる通とおり、防衛側の地形縦深は距離に加えて
>地形区画が重要で、平坦な欧州での行進距離をもって、日本との作戦環境
>に言及してもそれこそ無駄。
歩きやすいか歩きにくいかの違いではなく、情報伝達速度の違いについて言及しているのですが?
どうもあなたの主張はピントがずれているような気がします
270 :
○V○:05/02/06 18:21:12 ID:???
>16世紀以降の戦場では、機動と火力の連携により動的に戦闘力の集中が図られ、
あなたのいう「機動」が戦略レベルならば、そのような芸当は鉄道が普及する19世紀まで
そのような芸当は無理です
戦術レベルならば、そのような試みがなされたのは七年戦争時のプロシア軍の斜行戦術と
第2次フランス独立戦争時のフランス軍の縦横隊混合隊形くらいでしょう
前者は立案者自身が戦後になって放棄してますし、後者に至っては戦争後半には用いられなくなっています
そもそも両者ともに18世紀です
あなたの言う「機動」が戦略レベルでも戦術レベルでも、「16世紀以降」というには時代が下りすぎていますね
271 :
○V○:05/02/06 18:23:00 ID:???
訂正します
第2次フランス独立戦争は19世紀でしたね
× そもそも両者ともに18世紀です
○ そもそも両者ともに18世紀以降です
ですね
272 :
○V○:05/02/06 18:29:00 ID:???
>能力上、できなかったのだろうね。
能力的な可能性云々ではなく、単に作戦目的ではなかっただけです
高密度の要塞網の中では、3万にも満たない野戦軍の行動は限られています
こうした閉塞状況が打破されるのは電信と鉄道の登場する19世紀以降です
>>260に誤記がありましたので訂正します
1000名以上の要塞の配置状況は「約15平方キロに1基」ではなく「約15キロ四方に1基」です
273 :
○V○:05/02/06 18:33:34 ID:???
ところで公開すると解雇を覚悟しなければならないような史料って何なんでしょう?
巷で噂の黒歴史でしょうか?
274 :
○V○:05/02/06 19:04:59 ID:???
当時の欧州諸国の軍事支出と軍事資源の比率は、攻撃よりも防衛に重点が置かれています
どれほど大規模な野戦軍を擁する国であっても、要塞や他の戦線、首都周辺などに
配置されていた兵力が野戦軍を上回っていたのが普通でした
前線の野戦軍が作戦するのにどれほど経費がかかったとしても、
最新の要塞を建設し兵を配して防衛する費用のほうが常に高くつきました
当時の戦争は、決戦で敵野戦軍を撃破し続いてプラハやウィーンを直撃するような
スタイルとは違います
こうした要塞に拠る防衛重視の戦略は膨大な人的物的戦争資源を必要としました
これが絶対主義確立の動きを促す要因の一つとなり、更にこうして確立した絶対主義政権によって
要塞の建設が更に加速されました
軍隊の規模は膨張し、要塞が次々に建設されていき、
こうして戦争への支出は雪ダルマ式に増え続けて国家の財政を圧迫しました
18世紀以降、ようやく要塞の配備が整理されるようになります
戦国末期には鉄砲の数から行っても、
世界有数の軍事大国になったのに、朝鮮程度も征服出来なかったんだよな。
徳川不参戦、水軍の弱さ、ゲリラ戦化と色々あったとはいえ、
ローマの様に陥落させて属国にどんどん拡大していく様は凄いな。
276 :
名無し三等兵:05/02/08 12:41:16 ID:Dhdp0Bwi
今でも海越えて陸軍を投入するのは難儀だね。アメリカだって負けたりする。
277 :
少佐:05/02/08 12:48:26 ID:HENo6LvX
古代ローマ帝国は「投石器」もあるし、長い射程距離を誇る「強力クロスボウ」
もある。
さらに「ナフサ」を吹っかける「火炎放射器」もある。
また「土木」の名人であっという間に橋、陣地、要塞を作る。
そんな簡単に勝てる相手じゃないぞ。
278 :
少佐:05/02/08 13:06:26 ID:HENo6LvX
戦国時代の鉄砲の有効射程距離は50メートルである。
ライフリングなど無いので、よほどの名人じゃないと当たらない。
もちろん雨が降ったら使えないし、弾の装填に時間がかかる。
火薬も大量に食う。
これが決定的な武器にならなかったことは「朝鮮討伐」の失敗や「大阪夏の陣」
で明らかなことだ。
>>275 ローマが戦った相手に大明のような巨大な敵はいない
むしろ部族制国家や蛮族、軍事力弱小、または分裂中の国など勝ち易い相手と戦っている
陥落させて属国にという意味ならね
日本は大明という国力で何倍もの敵を相手に善戦したと言える
明軍がいなけりゃ朝鮮王朝など問題にならない、水軍は多少手強いが
280 :
少佐:05/02/08 13:15:52 ID:HENo6LvX
ローマ帝国は間違い無く、あの時代における最強軍隊だよ。
「ファランクス」と呼ばれる戦闘体形を完成させたマケドニア帝国にも勝ってるし、
象を使うカルタゴ帝国にも勝ってる。
妖術を使うエジプト帝国にも勝ってる。
馬やバスターソード、ハンマーを武器にするゲルマン人にも勝ってる。
もちろん投石器や弓矢の雨にも勝ってる訳だ。
はっきり言って「強すぎる」のだ。
281 :
名無し三等兵:05/02/08 16:26:35 ID:oGmIGCwQ
>>280 全体的にさらっと間違っているようで‥‥。
既出かも知れないがローマ軍っつったって年代によって
全然違う軍隊なんで一括りにするのは良くないかと‥‥。
282 :
少佐:05/02/08 16:33:30 ID:HENo6LvX
>>281 黄金時代のローマ軍であれば、恐るべき「白兵戦闘のエキスパート」だった
としか言いようがないだろう。
「刀の使い方も解りません」ではあのローマ帝国は築けない。
283 :
名無し三等兵:05/02/08 16:35:14 ID:9Crl7+NT
AOEでもやりすぎたか?
284 :
少佐:05/02/08 16:35:51 ID:HENo6LvX
ローマ時代の兵士の「骨」が発見されてるのだが、それによるとローマ軍の
兵士達は「骨の形が変わるほど猛訓練」をしていたそうだ。
これは「戦国武士」も変わらないだろうが、「白兵戦主体」だった時代の軍団
は馬鹿にできないと思う。
285 :
少佐:05/02/08 16:40:20 ID:HENo6LvX
例えば有名な「トロイの木馬」という話があるだろ?
あれでも話だけ見たら、どう考えても「作り話」としか思えないものだ。
しかし実際に「遺跡」が出てる。
そしたらトロイ神話に出てくる「超人のような兵士」の伝説はマジだった可能性もある。
たかが「短剣」でも「超人的な使い手」だったら「恐るべき武器」だからね。
286 :
少佐:05/02/08 16:43:50 ID:HENo6LvX
我々現代人は「平均」とか「平等」という考えに染まってる。
だから「トロイ神話」に出てくる「無敵のアキレス」など信じられない。
だがそんなのが本当にいた可能性は十分あるよ。
なにしろ遺跡が出てるんだからさ。
反対に「そんなアホなことは作り話だ」と言う人は「前近代の戦争」について
は語れないと思うぞ。
287 :
少佐:05/02/08 16:46:42 ID:HENo6LvX
「麻薬」なんてのは古代からあった訳だし、「催眠術」も古代からあった。
格闘技や剣術も然りだ。
こうしたものを「総動員」して「人権無視の猛訓練」をやれば「無敵のアキレス」
のような超人兵士が誕生した可能性は十分あるだろう。
>>286 つまりクレタ島で宮殿跡が見つかったからミノタウロスは存在して、
ナザレの大工の息子さんはマジもんの神で、
ヨシュアはラッパでジェリコの城壁を崩したと、そう主張するわけだね?
中国拳法を例に出すまでもなく、とんでもなく武術に長けた人間は居るね。
三国志の英雄なんかは脚色されていても原形はそう嘘でもなかったし
嘘臭いくらい強い者の記録はたくさんある。
アキレス伝説の雛形になった者の存在は確かなのではないかな?
まだ実証されていないだけで。
>>288 そうだった方が世の中愉しくないかい?
物語は物語として見ているうちが華だよ
流石少佐。一気にスレがぐだぐだだ。
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1060085577/ 608 :名無し三等兵 :04/07/11 02:04 ID:???
碧蹄館会戦についていえば、
合戦参加者である天野源右衛門(当時立花家臣)が覚書を残していて、
それには敵の軍勢を「二万余」としている。
江戸時代に書かれた軍記物語の類では明軍の兵力が誇張される傾向があるようだ。
一方、蔚山包囲戦を明の史書はこう記している。
「この戦いはこれを謀ること数年、海内の全力を傾注し、
朝鮮通国の兵を挙げたにもかかわらず、一旦にして委棄してしまった。
後に敗報が明京に至るに及び、朝廷をあげて恨みなげいた」
当時の明朝が必死で戦争をしていたことがよくわかる。
江戸時代の人にとっては、ほとんど世界そのものであった大明帝国の
国の総力を挙げた反撃が、兵力4〜5万だったなんて想像もつかなかっただろうから、
仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけど。。。
293 :
名無し三等兵:05/02/08 17:21:40 ID:oGmIGCwQ
とりあえず、「少佐」にマジレスするのは止めようと思う‥‥。
294 :
名無し三等兵:05/02/08 17:54:19 ID:VrGi86o5
明は満州族にもこのころから手を焼いていたのでは?
当時はそれほどでもない
296 :
名無し三等兵:05/02/08 17:58:53 ID:L24gLcXN
>>少佐
↑
こ い つ は す こ し お か し い の か
共有コテですから
298 :
少佐:05/02/08 18:19:01 ID:HENo6LvX
インパール作戦に参加した日本軍にしても、その「精神力、体力」はほとんど
「超人」のレベルだろ?
第2次大戦でも今から見れば、ほとんど「超人」だよ。
これが何百年、何千年前になったらもっと「超人」だろよ。
だいたい現代のような「医学」が無かった時代に「成人」まで生きること自体が
「超人」だよ。
299 :
少佐:05/02/08 18:20:50 ID:HENo6LvX
昔の武士が使ってた「弓矢」にしても「おいおいこんな弓をどうやって引く
んだよ」というものだよ。
ゴリラか何かなのかという「張力」だよ。
クロスボウじゃないよ、弓だよ。
「超人」だったとしか言いようがないだろう。
300 :
少佐:05/02/08 18:23:09 ID:HENo6LvX
「宮本武蔵」なんかは実在したことが明らかで、「関が原」に出たことも
明らかな人物だ。
そこで「二刀流」で戦ってるんだから、「ゴリラのような腕力」があったと
しか言えないだろ?
刀なんて一本でも重いのに、二本も持って戦ってたんだからさ。
宮元武蔵は実践で二刀流を使った事は無い
302 :
少佐:05/02/08 18:26:42 ID:HENo6LvX
また昔の武士は鎧を着て、武器を持って泳いでいたらしいが、普通の人間
がその真似をしたらブクブク水中に沈んで死ぬぞ。
「半魚人」だったとしか言いようがないんだよ。
303 :
少佐:05/02/08 18:31:19 ID:HENo6LvX
ナポレオンの時代でも「超人的な兵士」の話はいくらでも出てくる。
だいたい「鉄道」も「クルマ」も無かった時代に歩いてモスクワまで
行って歩いて帰ってきたら、それだけで「超人」だよ。
有名な「ネイ元帥」にしても「ワーテルロー」で先頭に立って騎馬突撃して、
それで生きて帰ってきてる。
どういう肉体の構造をしてるのか不思議だよ。
少佐、他のスレが少佐の出番を待っております。
ここは他の者に手柄をゆずり、一刻も早く別のスレへ転戦ください!
瀕死のスレが少佐の書き込みで生気を取り戻したな。
逆じゃね?
俺が日本側の将なら、夜間に風魔を放って敵の馬をできる限り放ち、
戦場の至る所に伊賀衆をばら撒き敵の進路を把握、更に敵将の暗殺を試みるね。
失敗しても敵将は神経質になり、テルシオが指揮統制に優れていようがなんだろうが
関係ないようになるだろうからね。
>>西洋派の皆さん
西洋にもらっぱみたいな集団はいたの?
↑日本派のレベルがこの程度だからな。
一方ローマ派のレベルは
>>280程度だからな。
ローマ派の圧勝だな。
つーか○V○の一人勝ちだろ
>>285 トロイア戦争は、ミケーネ人たちによるもので、ローマ人は
何の関係もないですが…?
しかも、ホメロスの「小説」を基礎に語られても。
あれは、鉄器時代にはいっていたホメロスが、適当に想像して
かいたものですが。
しかも、当時の絵巻とかみると、どうもトロイの木馬は単なる
攻城兵器のようですが。小さめの「木馬」がたくさん描かれ、
城と交戦してる絵巻をみたことがあるんだが。まぁ、それも
後世のもんだから、「想像」かもしれんけど。
>>300 あと、刀はそんなに重くない。
単に持つだけなら、2kgのダンベル二つもつほうが、二刀流より
重いよ。物によるけど。
>単に持つだけなら、2kgのダンベル二つもつほうが、二刀流より
>重いよ。
別に少佐の肩を持つ気はないが、そんな比較に一体何の意味があるんだ??
刀はただ持ち上げればいいって物じゃないだろ。
315 :
名無し三等兵:05/02/10 01:13:34 ID:aRAoA6EX
316 :
名無し三等兵:05/02/10 01:58:07 ID:8hGeBZcR
一つ気になるのは、欧州や中東では発達した戦車
もちろんこれは馬に引かせるやつだよ。
それが日本ではまったく見られなかった。
それと日本の騎馬隊などは、もっぱら軽騎兵ばかりで、欧米で見られるような重騎兵は見られないな。
この差はどっから生まれたのだろうね?
やはり欧米のような広い平原が日本には存在しないことが大きいのだろうか?
317 :
名無し三等兵:05/02/10 02:04:27 ID:5snPoKwU
戦車なんて舗装された道路しか走れないだろ。
起伏が激しく平地も水田や竹薮の日本では使えないよ。
昔の大鎧着た騎馬武者は重装弓騎兵じゃないの?
>>317 重騎兵の役割はその高い防御力で陣を守ることだ。
武田の騎馬隊のように迅速に走り攻撃するのは、明らかに軽騎兵の役割でしょう。
私が知らないだけかも知れないが、日本には重騎兵に相当する騎兵部隊はないはずだが?
いつから騎兵が防御兵種になったんだ?
何かのゲームの話では?
321 :
名無し三等兵:05/02/10 08:12:25 ID:lEOeANQ2
ヘンテコリンなPCゲーばっかやってると
>>318みたいになる、っと。
>>316 戦車の発明より先に「騎兵」技術が大陸から流入してきたからじゃないですかね。
結局「騎兵」は戦車の発展形である訳ですし。ヨーロッパ〜中国に至るまで、戦車
---二人乗騎兵---一人乗騎兵の戦術的発展は共通していますよね。日本にはい
きなり「一人乗り騎兵」の技術が入ってきたというだけの話でしょう。
騎兵が戦車の発展形とはまた珍説だな
それじゃあ匈奴はなんなんだって話になる
日本、車輪が無い
>>323 珍説も何も、軍事史の大定番マクニールの「戦争の世界史」なんかでも語られてる定説ですよ。
発生時代と波及時代を辿ってみてください。車輪を作れる技術力のあるところには、シュメールの
戦車がほぼ例外なく波及していってます。
またステップ騎兵も最初は二人乗りですよ。
>>325 意味わからねぇよ。
普段から馬に乗ってる遊牧民が弓なり刀なり持てば騎兵の完成じゃないのか?
乗馬技術が無い農耕民が戦車乗ってたのが全てと思わないように
>>325 だからそれが普遍的に全世界に適応できるのかってこと
西アジア、ヨーロッパ、スキタイはそうかもしれない
なら東アジアはどうなのよ
>またステップ騎兵も最初は二人乗りですよ。
ステップは広大なわけだが匈奴もそうだったならその史料が漢代なり、春秋戦国にあるよね?
あとこれじゃ騎兵が戦車の発展形という根拠にならないよ
匈奴なり、春秋戦国時代の夷荻、まぁ西戎だの北荻がだよ
戦車に乗っていたという史料か考古学的資料があるの?
「胡服騎射」って言葉もあるのに
>>326 兵力としての戦車の普及は騎兵の発生より前の話です。大体紀元前2500年位。
遊牧民族の発生が紀元前1000年位。
当初乗馬技術を全く持っていなかった(ただし移動用手段として一部用いられた可能性は
あります)人類は、馬やそれ以外の動物を戦闘に使用するため動物に引かせる車輪付き
台車を考案します。これが戦車の起こり。
しかし戦車は地形的制約が大きくまたコストもかかるため、この代替品として御者と戦闘員
の二人乗り騎兵が発明されます(まだ一人で馬の制御と戦闘を同時に行える乗馬術が発
明されていませんでした)。これが紀元前1500〜1000年位。遊牧民は最初この二人乗り騎
兵の技術を習得します。むろん移動手段としてのみ馬を利用するなら、一人乗りも可能で
あったでしょう。
一人で馬の操縦も戦闘も両方こなす「一人乗り騎兵」が普及するのは、紀元前800年ぐらい
からの模様です。
>>327 全世界的な技術的伝播の話なんで、地域によって伝播に差があるとは思います。
また技術力や経済力により、戦車を持ちたくてももてない勢力があったことは疑い
無いと思います(遊牧民族等)。
また中国への戦車波及はシュメール起源の技術伝播であることは歴史的に見て
ほぼ疑いないものと思われています。
ちなみに戦車や二人乗り騎兵の主兵器は弓です。
要するに根拠無しということだな?
そんなこと言い出したら何とでも言い繕える
>また中国への戦車波及はシュメール起源の技術伝播であることは歴史的に見て
>ほぼ疑いないものと思われています。
これも初耳。誰が言ってるの?
331 :
322:05/02/10 11:42:49 ID:???
ちなみに中国は既に「夏」朝に戦車を保有しており、戦車は中国が起源であるとする説を唱える学者
が(中国を中心として)存在しています。しかし学会ではこれは信憑性が薄いと評価されているようで
す。
遊牧という生活スタイルが割と新しい時期(紀元前1000年くらい)に記録に登場してるというのは確かだな。
333 :
322:05/02/10 11:50:20 ID:???
>>330 私が出せる史料は今のところ前述の「戦争の世界史」だけですね。またシュメールが紀元前
2500年に戦車を保有していたということは、歴史的史料によって裏付けられているようです。
中国への戦車伝播の証拠については、私も一次資料は読んだことはないのでもしかしたら
まだ仮説の域を出ないものなのかもしれません。しかし中国で戦車が本格的に普及するの
は春秋時代との資料を昔読んだ気がします。ちょっと調べる時間を下さい。
しかし車輪と台車の発明はシュメールであり、それが世界中に伝播したと言う説は、良く二次
資料で見かける説であるとは思います。
また議論をわかりやすくするため、レス番を名前に入れていただければ幸いです。
334 :
名無し三等兵:05/02/10 11:54:46 ID:lEOeANQ2
>>322 登場時期が古いからと言って関連があるとは限らないだろ。
生活の中に馬を使っている民族がそれをそのまま戦いに使用する、って事もあるんじゃないのか?
つか貴方の説でいくと、ヌミディア騎兵の起源は戦車、となるのだが‥‥。
335 :
322:05/02/10 11:56:21 ID:???
>>329で名前欄に
322=325=327
と書きましたが、正しくは「322=325=328」です。お詫びして訂正させていただきます。
336 :
322:05/02/10 12:04:54 ID:???
>>334 >登場時期が古いからと言って関連があるとは限らないだろ。
そうかも知れません。しかし歴史学的は、個々の文明が独自に発展を遂げたよりは、
技術伝播により普及したと見なされているほうが一般的であるようです。無論これは
仮定の域を出るものではないでしょうが、しかしそれを言ったら歴史学は成り立たな
くなるのではないか、とも思います。
>>336 もちろん。
しかし、技術の伝播がどの民族(遊牧&農耕)にも同じように伝わるとは限らないだろ。
>>319 重騎兵や重装甲兵は重い鎧をまとっているから、確かに防御力は高いが、どうしても迅速には動かなくなる。
こんな騎馬が戦場を駆け回っても、敵にカモにされるだけだよ。
密集体系での防御や突撃を担当してこそその実力を発揮するのであり、軽快に戦場を走り回ることなど出来ない
340 :
322:05/02/10 13:25:52 ID:???
>>338 >技術の伝播がどの民族(遊牧&農耕)にも同じように伝わるとは限らないだろ。
その通りです。
>>329で書きましたとおり、地域により差が出るとは思います。ただ「世界的な
軍事史的傾向」で見た場合、まず戦車があり、それから騎兵へと発展していくのが一般的傾
向であったのではないか、と言っているだけです。無論独自に乗馬術を開発した民族もいた
ことであろうと私も思います。
>重騎兵や重装甲兵は重い鎧をまとっているから、
全部が全部ではない。
大体、重か軽かの区別はかなり曖昧で、時に武具の違いだったり、時に任務の違いだったりするのだが。
魏志倭人伝には馬はなしとの記載があり、また聖徳太子の時代に隋の煬帝よりの使者を受け入れた際にはわずかな数の馬しか用意できなかった。(確か八十頭くらいだったと思ったが?)
その経緯を見れば日本で騎兵が戦争の主役となったのは、かなり後の方だろう。
そもそも騎兵が自由に動けるようになったのは、鐙などの馬具が発達してからだ。
つか日本だけでなく、鐙が登場するまで騎兵=騎馬民族だった。
「武田軍の大将や役人は、一備え(千人程度)の中の七人か八人が馬に乗り、残りはみな馬を後ろに曳かせ、槍をとって攻撃した」
(甲陽軍鑑現代語訳より)
鐙がないとパルティア式射方ができない
通常、弓騎兵は前方には射撃せず左方に攻撃する、戦闘艦が左舷に射撃するようなかんじ
敵が追撃してきたら、逃げながら後方に射撃する、その際鐙を利用して踏ん張らなければ効果的な射撃が出来ない。
弓騎兵がその威力を完全に発揮できたのは、鐙の開発以降
>>343 鐙を持たない前漢の野戦軍が10万近い騎兵を育成して北伐してますが>漢武帝
347 :
○V○:05/02/10 19:22:42 ID:???
鐙が発明されるのはパルティアンショットよりも後の時代です
また、これも鐙の登場以前のことですが、帝政ローマに
多くの騎兵を供給していたゲルマン民族は農耕民族です
ゲルマン民族は牧畜狩猟やってたのが徐々に定地農耕に生業を移行していったケース(カエサルのガリア平定が影響を与えた)
一口にゲルマンといっても部族ごとに違うんだが
349 :
○V○:05/02/10 21:56:48 ID:???
もともとゲルマン民族はスカンディナビアやバルト海沿岸で農耕牧畜を営んでいた民族です
狩猟や漁撈も行っていましたが、経済の基盤は農耕です
少なくともローマに騎兵を供給していた時期は狩猟民族ではありません
>>346 十万近い騎兵というのはちょっと眉唾物じゃないかと思うんだけど。
>>347 鐙の存在は紀元前のスキタイ人がすでに知っていたと、騎行・車行の歴史という本にあったけど?
>>351 問題は、紀元前の前漢の騎兵が鐙を用いていたかだな。
ぐぐったら3〜4世紀の中国って見方が多いようだが、
その本のほかに何か言及してる資料があればいいんだけどなぁ……
>>352 中国の場合、鐙は東晋あたりで伝来したようだ
ヨーロッパの場合、1066年のヘースティングスの戦いでウィリアム征服王の軍隊が鐙を装備していなかったようだから
西ヨーロッパで鐙が標準装備になったのはかなり後の話らしいし。
農耕民族がどうやって騎兵になってたのさ?
軍事専門的に馬を要請し、特別に訓練してたってこと?
>>354 前漢の武帝はそれをやった
当然かかる費用も莫大、漢帝国以外にはオススメできない
356 :
名無し三等兵:05/02/10 22:52:23 ID:7iuH/lAi
乗馬に慣れていないから、鞍を工夫して落馬しにくくし
射撃戦も不利だから、戟で武装し
それでも不利だから、歩兵の弩と車両に支援された漢の騎兵ですな
357 :
○V○:05/02/10 22:53:10 ID:???
>>351 少なくとも、パルティアと交流のあった紀元前1世紀〜2世紀頃のローマでは鐙は使用されていません
パルティア騎兵が鐙を使用していたとすれば、ローマにも当然知られていたはずですが
それを示唆する史料を私は知りません
中国の騎兵用の馬は基本的に輸入に頼ってて
南宋は北と南西を元に抑えられてからは四川の馬格の小さな軍用馬ぐらいしか用立てられず、まったく元に対する機動的な対抗力を失ってしまったらしい
359 :
○V○:05/02/10 22:56:12 ID:???
鐙を初めとする馬具の多くは、遊牧民族に比べて騎乗技術で劣る農耕民族が
発明したとする説もありますね
>>357 サラセン騎兵と交戦していたため、鐙の存在を知っていたはずの西ヨーロッパ系騎兵も
その採用は遅れていたことを考えると、採用しなくても別におかしくないのでは?
ツール・ポアティエの戦いが732年、ヘースティングが1066年
>>354、355
ローマは逆にそれをしなかった。
その代わり彼らは属州の騎馬民族を使ったけどね。
有名なのはアフリカヌスが使ったヌミディア騎兵やカエサル時代のガリア騎兵等
>>360 アレマン族、フリーセン族、ザクセン族の8世紀頃の墳墓からは鐙の副葬品の出土例があります
少なくとも、ツール・ポアティエ戦の頃に鐙の存在を知らなかったとは考えにくいですね
余談ながらトゥール・ポワティエ戦時のイスラム軍は有力な騎兵を擁していなかったとする説もありますね
364 :
○V○:05/02/10 23:15:09 ID:???
>>358 北を取られてってのは元じゃなくて金じゃないか?
南西というと大理国のことかな?
今の雲南省辺りだけどこの辺に良い馬居たっけ?
まぁ元々宋代は禁軍が一番弱い時代で地方軍頼みだし
長江沿岸の城塞と水軍で防ぐ算段だからあんまり変わらないが
ローマの歩兵が操典で機械的に鍛えられてたのは何時頃から?
操典はマリウスが作ったはずだが、それより前はあったかはともかく
そんなに必要じゃなかったんじゃないかな。
彼が半分私兵的な軍を作るようになるのはそういうのが必要になるほど
社会状況がへんかしたから。
>>367 いやいや、もっと前からあると思うけど。
少なくとも共和制中期のマニプレスタイプのレギオンにはあったみたい。
369 :
少佐:05/02/12 19:45:55 ID:k5ysJp80
はっきり言う、あの時代の兵士は凄い。
まず徒歩で移動というのが凄い。
さらに槍持って突撃してなんてのも凄すぎる。
370 :
名無し三等兵:05/02/12 19:51:31 ID:Afb9F63J
市民兵と徴集された兵じゃ士気が。
共和制末期くらいがローマ軍団がもっとも強かった時期だな。
371 :
少佐:05/02/12 20:00:44 ID:k5ysJp80
当時のローマ人は槍や刀を持たせたら滅茶苦茶強かったのだろう。
だからマケドニアも滅ぼし、地中海を制したのだ。
いわば「加藤清正」だったということだ。
372 :
○V○:05/02/12 20:49:02 ID:???
市民兵は大量動員に向いておらず、しかも、とかく兵役忌避を起こす傾向があります
このため、市民兵の軍隊を維持するためには相応の代価や付加価値が求められました
例えば、対ペルシア戦役以前の古代ギリシャやマリウスの兵制改革以前の古代ローマでは、
重装歩兵や戦列兵として従軍するということは、一種のステイタスシンボルでした
こうした付加価値はしばしばその国の社会構成と密接に繋がっており、
市民兵制の最大の利点は、軍事的な能力よりも社会制度の維持にあったと言えます
これらの施策は、市民の兵役忌避の傾向をある程度防ぐことができましたが、
根本的な解決策とはなりませんでした
しかも、大規模地主層の台頭等により、兵員の主要な供給源である中小自作農が没落すると、
軍隊の動員はますます困難になりました
市民兵の兵役忌避の傾向と大量動員の困難性は、市民兵制固有の限界と言えます
もちろん、兵役忌避は市民兵に限ったものではありませんが、大量動員が困難な
市民兵制ではこの問題は致命的です
市民兵のほうが徴募兵や傭兵よりも軍事能力が高いというのは幻想に近いものがあります
市民兵を基盤としていた軍隊が、徴募兵や傭兵、最終的には国民徴兵へと移行するのはこのためです
古代ローマですら例外ではありません
>>372 またまた珍説を・・・。
「市民兵が大量動員に向いている」だろ。
ポエニ戦争の動員力の凄まじさはどーなったんだ?
質的にも、共和制中期のスキピオ・アフリカヌスの軍団を無視するのか?
共和制中期までのローマの覇権は、ローマの「市民兵」が周辺諸国の「傭兵」
をなぎ倒す歴史だろ。
市民兵に向いていないのは「長期遠征」と「初期の防衛戦」だろ。
戦史というより、世界史の本論の話だと思うがな。
ザマで勝ったのはマシニッサが裏切ったおかげじゃん
少々、雑駁な史料ではあるが、「戦争のテクノロジー」では、騎兵を
大規模使用したのは「海の民族」とその後継者のアッシリアだとある。
それで、戦車を主力としていたヒッタイトとエジプトは滅亡したと。
>>372 ちょっとまってください。
市民兵をつかっていた国って、具体的にはどこの国を
さしているんですか?
ローマとギリシャ?
古代ギリシャとひとくくりにしてしまうと、スパルタとかは
またちょっと違いますし。アテネは確かにお説にちかいだろうけど。
377 :
○V○:05/02/12 21:56:09 ID:???
>「市民兵が大量動員に向いている」だろ。
基本的に市民兵は大量動員に向いていません
政治へ参画する資格があることと武装が自弁であることが大量動員を妨げる要因になります
確かに古代ローマは豊富な人的資源を擁していましたが、あくまでレアケースに過ぎません
しかも、ローマであっても動員力に限界があったのはマリウスの兵制改革を見れば明らかです
>>374 ザマに至る前に、ヌミディアを攻め潰して、親ローマ派のマシニッサを
王位に付けた。これで、マシニッサがカルタゴに付いたら、それこそ
「裏切り」だろ。
>>378 だからマシニッサ率いるヌミディア騎兵に依るところが大きくて
市民兵の長所によって特段の成果を挙げたわけじゃないってこと
>>377 >武装が自弁であることが大量動員を妨げる要因
そうかぁ?
これほど国家にとって「安上がり」なことはないだろ?
無論、自作農が十分な数だけいることが前提ではあるが、これをレアケースと
切り捨てるかね?歴史の本道なんだけど?
無産市民や異民族を金で集めるほうが、よほど大量動員に向いていないだろ。
現に、帝政に入ってから財政難でピーピー言っていたし、軍縮にも余念が
なかった。
目を身近なところに転じると、日本でも郷士制度を導入するのは、動員力を
増加させるためだ。
381 :
○V○:05/02/12 22:12:52 ID:???
>>376 ディオクレティアヌス帝はユガチオ・カピタチオ制で市民兵制を部分的に採用しましたが、
結果的に失敗しています
メロヴィング朝フランクの都市召集軍は市民軍として計画されましたが、
後に辺境伯の私軍化し、封建軍に吸収されています
古代ゲルマン諸部族も市民兵制を採る部族は少なくありません
ゴート族やヴァンダル族、ランゴバルド族は伝統的に兵役奉仕を自弁可能な自作農に限り、
長い間、従属民や他国民の従軍に難色を示し続けました
例えば、ゴート族が最終的に市民兵制を放棄したのは654年の両族法の消滅と共通法の発布まで
待たねばなりませんでした
一方、ブルグンド族は市民兵制にあまりこだわっていなかったようで、
従属民やガロ・ローマ系住民の軍事力を利用することにあまり躊躇していません
382 :
○V○:05/02/12 22:15:04 ID:???
>そうかぁ?
>これほど国家にとって「安上がり」なことはないだろ?
国家の財政にとっては安上がりですが、市民にとってはたいした負担です
これも市民兵の兵役忌避の要因の一つです
>>379 スペインでは、市民兵の速攻で、ヌミディア騎兵を含む数的優勢な傭兵を
何度も撃破していますが?
マシニッサが、ローマに鞍替えしたのも、スペインでスキピオに敗れた
からだろ?
384 :
○V○:05/02/12 22:18:06 ID:???
>帝政に入ってから財政難でピーピー言っていたし、軍縮にも余念が
>なかった。
ディオクレチアヌス帝の治世下ではローマの額面上の総兵力は65万に達しています
財政難で軍縮したのではなく、軍拡によって財政難になったのです
385 :
○V○:05/02/12 22:22:53 ID:???
ポエニ戦争時のローマ軍は、壮丁市民に限らず下層民や少年兵まで動員しています
これらの後備軍団は基本的に防衛用で、外地での作戦にはほとんど従事していませんが、
人的資源が豊富なローマであっても市民兵だけで戦っていたわけではなかったことを示しています
>>382 そこで、前スレか前々スレで出た「略奪」という要素が出てくるわけだな。
他に土地争いもあっただろうが、共和制初期のローマ市民兵は実に好戦的な
連中だったと断定せざるを得ないね。それは、戦争で「儲かった」からだよ。
この手の「戦争経済」を究極まで突き詰めて、自らの農耕作業を放棄したのが
スパルタ。あれも「市民兵」でしょ。
>>384 同盟市戦役では、イタリア半島内だけで、敵味方で30万を動員したはずだが、
土地辺りの動員力の密度が高いのはどちらか自明の理だと思うが?
388 :
○V○:05/02/12 22:36:57 ID:???
実際、遅くとも紀元前2世紀後半にはローマ軍は市民兵による兵員の補充が
軍隊の規模の拡大についていかなくなっています
市民兵が大量動員に向いていないためです
マリウスの兵制改革による市民兵から徴募兵への移行は、当然の結果だと言えます
スパルタのは最早職業軍人だと思うが
390 :
○V○:05/02/12 22:41:02 ID:???
>>386 確かにローマ兵の略奪への指向には目を見張るものがあります
勿論、歴史上凄まじい略奪を働いたことで名を上げた軍隊は少なくありませんが、
ローマ軍も全く引けを取っていません
特に、市民兵で構成された共和制期のほうが好戦的とさえ言えるでしょう
391 :
○V○:05/02/12 22:43:29 ID:???
>この手の「戦争経済」を究極まで突き詰めて、自らの農耕作業を放棄したのが
>スパルタ。あれも「市民兵」でしょ。
スパルタの場合は市民兵制の社会制度維持機能を突き詰めた回答の一つと言えるでしょう
>>351-363 中国の漢代において、確かに鐙は使われていましたが、実は片方だけです。
当時の中国の鐙は、馬に乗る時の足掛かりであって、馬上で踏ん張るため
のものではないのです。
馬に乗るための足掛かりの鐙は、単なる踏み台の代わりに過ぎません。
本当に戦闘に役立つ、馬上で踏ん張るための鐙がいつ登場したのか、
それを考察しないといけないでしょう。
393 :
○V○:05/02/12 22:51:14 ID:???
>>387 すいませんが、何が言いたいのかよくわかりません
帝政期の兵力と同盟市戦役の動員数に何の因果関係が?
そもそも同盟市戦役は前91年〜前88年です
この時期のローマ兵は市民兵ではありません
スパルタの場合、「市民」と言っても、結局は支配者階級なのですから、
アテネの市民といっしょにしてはいけないでしょう。
日本で言えば、武士階級のようなもの。
395 :
○V○:05/02/12 22:56:01 ID:???
基本的にアテネの市民も選挙権を持つ支配階級ですよ
>>388 それは、「市民兵」という兵制固有の問題では無く、長期遠征とイタリア荒廃
による自作農の没落、大規模奴隷農場による安い農産物という社会構造の変化の
問題だろ。「市民兵が大量動員に向いていない」というのは一般論すぎる。
「マリウスの兵制改革による市民兵から徴募兵への移行は、当然の結果」という
より、戦線の全面崩壊の危機にさらされたローマの窮余の策。
マリウス以降の軍隊、特にカエサルの軍隊なんかは案外小型で、主力が5万を
越えたことはほとんど無い。
共和制中期の軍隊は、イタリア半島内ではそれ以上の大軍を何度も編成している。
第2次ポエニ戦争では、10万を越える損失を喰っても、まだ精強な野戦軍を
編成している。
マリウス以降で10万の損失を蒙ったら再起不能だろ?
>>393 要は、市民からの徴兵制の方が帝政期よりも単位国土面積の動員能力が
高かったと。
同盟市戦役は、ユグルタ戦役の後ではあるが、執政官やら前執政官やらの
有資格者が、各々2個軍団づつ率いているみたいだから、主力は市民兵
なんでないの?
398 :
○V○:05/02/12 23:23:05 ID:???
>「市民兵が大量動員に向いていない」というのは一般論すぎる。
>>372でも述べたように、大規模地主階層の台頭による中小自作農の没落という
社会情勢の変化によって動員数が左右されるのが市民兵制の問題点です
つまり、市民兵制ではこういった要因によって大量の兵員を継続的に供給することが
困難なのです
十分に一般的だと思いますが
>戦線の全面崩壊の危機にさらされたローマの窮余の策。
窮余の策ならば戦後再び市民兵制が復活しててもよさそうですが、現実にはそうではありません
>マリウス以降の軍隊、特にカエサルの軍隊なんかは案外小型で、主力が5万を
>越えたことはほとんど無い。
カエサルが率いたのは一戦線の兵力に過ぎません
紀元1世紀頃のローマ軍の総兵力は正規軍団で29個、これに補助軍も加えれば
総兵力は30万を軽く超えます
>マリウス以降で10万の損失を蒙ったら再起不能だろ?
マリウス以後でもローマは何度か軍団全滅を経験していますが、
一度に10万近い損害を受けたことはありません
再起不能だと主張する根拠を伺いましょう
装備と編制によってかかる費用も変わるから一概に人数の多いほうが負担が重いとも言えないだろう
400 :
○V○:05/02/12 23:27:07 ID:???
>>397 同盟市戦役はマリウスによる兵制改革の後です
市民兵ではありませんね
つーか、市民が一人一人自分で装備を買い揃えるよりも、
国家で大量に揃えたほうがコスト的にはどう考えても安上がりだろ。
どう考えても市民兵のほうが大量動員は難しいと思うんだが。
どこが珍説なの?
>>373
市民兵の特質として。
1 根拠地周辺での動員能力は高い
2 遠征・長期戦には向かない
中産階級は最良の市民兵たり得るが、長期の遠征を繰り返す場合
経済的負担が大きいため没落する。
>「市民兵が大量動員に向いていない」というのは一般論すぎる。
同意
ホームで戦えば動員能力が高いのは当たり前だと思う
404 :
○V○:05/02/13 10:21:08 ID:???
根拠地周辺ならば市民兵に限らず徴募兵や傭兵、国民徴兵でも動員能力は高いのですが・・・
あまりに一般論すぎます
406 :
○V○:05/02/13 10:26:14 ID:???
例えば、メロヴィング朝フランクでは、国土防衛戦の際に動員される一般召集軍は、
市民兵で構成される都市召集軍や地方召集軍と違い、市民以外の下層民や従属民も
根こそぎ召集されています
市民兵制が他の兵制に比べて動員能力が高いとはとても言い難いでしょう
407 :
○V○:05/02/13 10:27:34 ID:???
>2については同意するわけだな。
私は「市民兵が遠征・長期戦に向いている」とは一言も言ってませんが何か?
408 :
○V○:05/02/13 10:53:39 ID:???
そもそも市民兵制の特徴は基本的に動員対象を武装自弁が可能な社会階層に限定している点にあります
このため動員対象を下層民や他国人にまで拡大している徴募兵や傭兵よりも動員力で劣るのは自明の理です
ローマ市民兵と一口にいっても
別に重装歩兵足りえるほど重装備を自弁できなきゃ兵役対象にならないってわけじゃないぞ
貧しい市民(それでも奴隷よりゃマシだが)でも投げ槍程度を持った軽装歩兵を担当
どうしても兵が足りないなら、ローマ国家が「奴隷軍団」を編制することがあったが、これが実際に施行された回数は確か共和制期間通じて一回かそこらだったはず
動員力は素直に人口に関わるんじゃないの?
>>406 メロヴィング朝フランクは封建制であり、ローマと比較するのは不適当では?
>市民兵で構成される都市召集軍や地方召集軍と違い、市民以外の下層民や従属民も
>根こそぎ召集されています
下層民なんて招集しても、まともな戦力になはりえない
せいぜい拠点防御にしかつかえないだろ。
良質な民兵であるローマ市民兵と比較自体おかしいな。
誰も動員力が人口に関わらないとは言ってないが
ここは揚げ足をとりあうインターネトオですね!!
413 :
○V○:05/02/13 12:07:39 ID:???
>メロヴィング朝フランクは封建制であり、ローマと比較するのは不適当では?
それはあなたの事実誤認です
封建制の起点とされている恩貸地制と従士制の結合は8世紀以前に認められていますが、
本格的に封建制へ移行するのはカロリング朝以降です
>下層民なんて招集しても、まともな戦力になはりえない
すいませんが、何を言いたいのかよくわかりません
軍事能力の高低ではなく、純粋に動員力について言及しているのですが?
無論、一般召集軍が動員される際には、諸侯軍や国王の親衛軍、市民兵による
都市召集軍や地方召集軍も動員されています
一般召集軍の軍事能力の低さを挙げても説得力を感じません
市民兵は大量動員に向いてない、なんて無茶を言う香具師とそれにいちいちつっかかる香具師の醜い争いだな
>>414 議論が理解できないなら黙ってROMってろよ。
お前が一番醜い。
417 :
名無し三等兵:05/02/15 16:12:11 ID:G2p76kKN
マリウスは単にやる気ナッシングな市民兵を見限って、
下層市民を餌(報酬や略奪の許可)で釣って軍隊を作ったのでは?
つかマリウスレギオンの兵士は性格的に傭兵に近いと思う。
>>388 カエサルは補充により軍隊の練度が落ちることをかなり嫌っていたらしく、
彼の軍団、特に子飼いの第]軍団などは定員の半数くらいしかなかったらしい。
どっちにしろ最早市民兵とは言い難いわけだ
カエサルのようなマネを皆がやれるはずもなし
だいぶ各論にはいっちまったが。
で、結局やりあったらローマ軍団と戦国武士軍団、どうなるんだ?
>>419 ナヌッ!
その結論も出さずにテルシオがどうとかやってたのかよw
日本で戦うなら、地形と火力で戦国軍団優位
大陸ならローマ軍団優位
ローマ軍団つっても、共和制初期なら動員能力も低く、戦術も未発展
帝政に入ると、対ガリア・ゲルマン戦に習熟して強力になっている
帝政後期になるとローマ兵の特徴であった質の高さが低下している。
大陸でも火器がある以上戦国軍団の絶対的優位は変わらない
火器は開けた場所で威力を発揮するというのは普遍的な事実ではないのか?
>>423 火器は障害物と組み合わせて、その威力を発揮するんだよ
陣地防御や守城戦に向く
スレタイについては、ローマ時代と日本の戦国時代をカバーできて2度美味しい
という意味でいいんでないか?
いくらなんでも、1000年以上前の軍隊と比べるなんて、戦国武士をナメすぎ。
装備では、治金技術の発達にまつわる部分が決定的に違うし、戦略・戦術でも
スピード観がまるで違う。
秀吉の朝鮮征伐で露呈したように、対外戦争における情報収集や防寒対策の
ような兵站の面では戦国武士にもかなりの問題があったが、ここでは政治を
含めた分までは問うているわけでは無いだろ。
ローマ軍団の強みは、投石、弩、弓、投槍、スペイン伝来の両刃剣を駆使した
柔軟な戦術にある。
ただし、火縄銃の射程と殺傷力の前には根本的に強みが消滅する。
>>408 >動員対象を下層民や他国人にまで拡大している徴募兵や傭兵よりも動員力で
>劣るのは自明の理です
17世紀的な発想だな。
人はパンのみに生きるにあらず、戦争で生死をかけて戦うにはそれなりの理由
がある。金で雇った傭兵や無差別に強制徴募した参画意識の低い徴募兵を戦場で
戦わせるには「恐怖」しかない。
ゆえに専制君主の軍隊は、常に待遇やそれなりに参画意識を持っている「親衛隊」
を中核にして、これらの部隊による「督戦」により、戦意の薄い兵隊を戦場で
戦わせる。よって、対象人員が多くとも、「督戦システム」の規模により、動員力
が制限される。
それに比して市民兵は、共同体に忠誠心をもつ自作農の数による。
共和制が機能している限りにおいては、無尽蔵に近い。
それは、傭兵を主体にイタリアに侵攻した、ハンニバル、ピュロスとの戦例を
見ても明白。
>>398 >マリウス以後でもローマは何度か軍団全滅を経験していますが、
>一度に10万近い損害を受けたことはありません
>再起不能だと主張する根拠を伺いましょう
ファロサルスでクリエンティスの大半を失ったたポンペイウスの軍団は、その後、
ギリシア、オリエントでは再起不能だったわけだが、傭兵や強制徴募が真に
動員力を持つシステムなら、東地中海で再起できそうなもんだ。
一方、カエサルの軍団は、特に中核の第9・10軍団が私兵化していたのは事実
だろうが、大半が市民権保持者だったということを忘れてもらっては困るね。
マリウスの軍制改革を経ても、過渡期なんだからこれを純然たる「傭兵」に
類するものと見るのはおかしかろう。
第1次三頭政治、第2次三頭政治とも、経済的に優位なオリエントを保持した
勢力ではなく、市民権保持者の多いイタリアを押さえた勢力が勝った。
「ローマ人の物語」ではカエサルとポンペイススの経済格差は、5倍とされて
いたが、主戦場では概ね同規模の軍団しか動員できなかった。
市民権による参画意識の方が、古代においてマンパワー動員の効率が良いのは
明らか。
帝政期に入ってからも、ガリア・ヒスパニックでのローマ軍団入隊の目的は
金よりも「市民権がもらえること」だろ。
カラカラ帝による市民権の無節操な拡大により、この「名誉」の部分の志願
動機が薄れていまい、質・量のマンワパーが低下したことは定説だと思うが。
軍人の待遇自体は向上したにも関わらず。
>>428 ポンペイウスはファロサルスからの敗走中に殺されちゃったからね。
つかどんなに優れた動員システムを持っててもそんな簡単に再起できたとは思えないが。
あと、私兵化している以上市民権の有無は関係ないように思われるが。
>>430 市民権を持つってのは、共同体ローマに忠誠を誓っているとゆーことだろ
傭兵や補助兵とはワケが違うが。
何のために軍団正規兵と補助兵を分けたと思うのかな?
>>431 だから、私兵化してるって事は司令官に忠誠を尽くしているんだろ。
たとえ兵士の中に市民権を持つ者がいたとしても、マリウスの改革以後の
忠誠の対象は基本的には司令官だと思うが?
>>431 まさか市民権を持つものが正規兵で、それ以外が補助兵とか言わないよなw
で、同時代の日欧を比較して野戦戦術について語ってるのは多いけど
最終的には拠点の攻略が出来るかどうかで勝敗が決まるし
支城ネットワークも含めた織豊期の城郭及び周辺地域防衛力と
同時期欧州の防衛力の比較はどうなんだ?
少なくとも織豊期城郭はほとんど素人の少数徴兵農民兵が
戊辰戦争を戦い抜いた薩摩熟練兵圧倒的多数の攻撃を
西南戦争で防ぎきった史実があるんだが。
もちろん攻城兵器はアームストロング砲はじめ19世紀スペックなわけで。
と言うわけで大掛かりな織豊期城郭(真骨頂の大坂城はじめ)を攻め落とせるのは
旅順攻略ぐらいの時期まで下らないと無理なんじゃねーの?
熊本城攻略戦で薩軍にアームストロング砲あったっけ?
>>432 そんな単色な構造では無い。
そもそも共和制華やかなりしころから、ローマには社会の広範囲にわたって
個人的な主従関係が存在した。勧告機関にすぎない元老院が実権を握って
いわば「マフィアのボス」が議員をやっていたから。
マリウスの改革によってもたらされたのは、パトローネス−クリエンティス
の関係を利用した募兵を一般化したもの。スッラやポンペイウスの軍隊が
この代表格だろ。
「私兵化」という単色のメガネで共和制末期のローマ軍団を見ることは
適切でないと思う。主従関係以外にも、「貴族派(元老院) 対 民衆派(護民官)」
という党派による結びつきも強い。民衆派のマリウスやカエサルが募兵できた
のは、金や執政官の職権だけでなく、「民衆派の代表」としてのカリスマも大きい。
それに民衆派市民が呼応した、という側面も大きい。
>>432 マリウス改革以降のローマ軍団を「忠誠の対象は基本的には司令官」ととらえると、
カエサルと、ガリア遠征時の副官・ラビエヌスとの関係が説明できない。
ラビエヌスの「個人的な主君」はポンペイウスであり、内戦期ではそちらの陣営に
鞍替えするわけだが、だったら、何故、主君でないカエサルの軍に長年勤務したのか?
それは、当時のローマ軍に「市民権保持者の国家に対する忠誠の発露」という側面
もあり、また平民のラビエヌスが民衆派の代表に共感したという側面も強かったからだろ。
他にも「カエサル暗殺事件」という事例もある。
カエサル幕下の将軍達が共謀して「主君」を暗殺したのは何故か?
それは、彼らの中には「市民」としてカエサル軍に従軍していたという意識もあり
専制君主化しつつあったカエサルへの反旗であったはずだ。
マリウスから五賢帝末期くらいまでは、「ローマ軍団の私兵化」「共和制から
専制君主制化」へのなだらかな過渡期だと見なすべきだろ。
そして市民兵の伝統の衰退とともに、ローマ軍団は質・量とも低下し、「危機の
三世紀」「専制国家化の四世紀」「滅びの五世紀」と緩慢に滅亡していくわけだ。
438 :
○V○:05/02/20 13:32:28 ID:???
>ファロサルスでクリエンティスの大半を失ったたポンペイウスの軍団は、その後、
>ギリシア、オリエントでは再起不能だったわけだが、傭兵や強制徴募が真に
>動員力を持つシステムなら、東地中海で再起できそうなもんだ。
反証として持ち出すには根拠が薄弱すぎます
当時のポンペイウス軍の量的な主力は非ローマ系の王侯や在地領主の軍勢です
ローマ的な動員システムに則っていたわけではありません
また、カンネーで6万の兵を喪った頃のローマ軍の総兵力は25個軍団で約12万以上、
これに更に同数以上の同盟軍が存在しています
反証として挙げるには状況が違いすぎます
「マリウス以降で10万の損失を蒙ったら再起不能」と主張するには説得力に欠けます
439 :
○V○:05/02/20 13:36:06 ID:???
>大半が市民権保持者だったということを忘れてもらっては困るね。
市民兵とは、基本的に装備が自弁でき無償で従軍できるだけの経済力を保持する市民で
構成された兵を指します
市民権を持つ兵すなわち市民兵ではありません
それは単なる国民徴募兵です
>>433 共和制においてはまさしくそうだろ。
ローマ市民権保持者(本国・植民市)の軍団=正規軍団
ラテン市民権保持者(同盟国)の軍団=補助軍団
属州=兵役義務なし(納税義務あり)
441 :
○V○:05/02/20 13:47:20 ID:???
>市民権を持つってのは、共同体ローマに忠誠を誓っているとゆーことだろ
古代ローマでは、市民権を持つことは実質的には社会的な特権であり、忠誠の証明ではありません
政治権力に参画したり、新都市の植民に参加して土地を与えられたり、または食料や
剣闘士の決闘、戦車競争等の見世物の無料提供を受けたりするための資格です
例えば、同盟市戦役の結果、ローマは蜂起した都市に譲歩して彼らに市民権を与えていますが、
また、ポエニ戦争以後、ローマに征服されたイタリア以外の領土は属州とされましたが、
安定した属州経営を行うために被支配者の中からも協力者を得ることを目的に
帝政以降、属州都市の有力者にも市民権が与えられるようになりました
これらの事例は、市民権が必ずしもローマへの忠誠の見返りとして付与されていた訳では
なかったことを示しています
442 :
○V○:05/02/20 13:55:49 ID:???
帝政ローマでは、正規軍と補助軍の違いは、単純に市民権を持っているかいないかに過ぎません
装備も戦術も同じで、その軍事能力に格段の差があったわけではありません
ちなみに、共和制ローマでは市民権の有無で正規軍団と補助軍団を分けて編制していたという
事実は存在しません
>>439 >市民兵とは、基本的に装備が自弁でき無償で従軍できるだけの経済力を保持する
>市民で 構成された兵を指します
その前に「市民の定義」は「国政に参与する資格をもつ公民」とある。
「参政権に対する義務」と感じるか否かが本質であって、装備の自弁は従ではないか?
その見解では、例えばフランス革命時の国民衛兵も「市民兵」ではないわけ?
>>438 >当時のポンペイウス軍の量的な主力は非ローマ系の王侯や在地領主の軍勢です
>ローマ的な動員システムに則っていたわけではありません
その「ローマ的な動員システム」って何?
当時のオリエント・ヘレニズムに無く、ローマにあったものと言えば「市民権
保持者の参政権とその義務である(私兵かしつつあるにせよ)兵役義務」だろ?
445 :
○V○:05/02/20 14:17:29 ID:???
>17世紀的な発想だな。
17世紀だけでなく古代ギリシャでもそうです
対ペルシア戦役でアテナイは下層民や貧民を大量に動員しています
市民兵だけでは足りなかったからです
446 :
○V○:05/02/20 14:20:50 ID:???
>当時のオリエント・ヘレニズムに無く、ローマにあったものと言えば「市民権
>保持者の参政権とその義務である(私兵かしつつあるにせよ)兵役義務」だろ?
重大な事実誤認です
この頃のローマ市民権には兵役義務はありません
447 :
○V○:05/02/20 14:33:03 ID:???
基本的に市民兵制とは、自前で従軍できるだけの経済力のある者の参加を基盤にしているシステムです
つまり、市民兵に求められていたのは、装備を買い揃え、無償で軍役奉仕できるだけの経済力です
市民の兵役忌避を防ぐために様々な社会的特典が付加され、経済的援助が行われることもありましたが、
基本的には市民兵になれるか否かはその者の財布の重さで決まります
士気や戦意、軍事能力とは無関係です
市民兵が常に士気が高く戦意に溢れ、兵士として優秀だったわけではありませんし、
そういった傾向にあったわけでもありません
傭兵や徴募兵でも士気が高く、軍事能力に優れた事例は枚挙に暇がありません
448 :
名無し三等兵:05/02/20 16:27:15 ID:GThQkSXR
>>447 お説はわかったが、具体的な根拠はどうなっているんでしょう?
士気や戦意など、形に残りにくいものを、どのようにして判定し、
そのような説になっているのかが、すこしわかりにくいのですが。
もちろん「常に」市民兵が士気が高かったわけではないでしょう。
傭兵や徴募兵が士気が高く、軍事能力に優れた事例というのは、
たとえばいかなる事例でしょうか?
市民兵は、傭兵と違って共同体ローマを支えているわけで
近代の国民兵と近いモラルを持っていたと思うがなあ。
肝心なところで腰砕けにならないのは大きい
傭兵だと指揮官が優れていたり、スイス傭兵のような場合を除いて
敗色が濃くなるとやる気を無くしがちでは?
粘りがある軍隊ってのは、強いぞ
450 :
○V○:05/02/20 20:45:37 ID:???
>>448 すいませんが、何が言いたいのかよくわかりません
市民兵の資格を決めるのは財産の多寡であり士気や戦意の高低とは無関係です
関係が無いことの証明は実行不可能です
無関係ではないと主張したいのなら、そちらが士気や戦意と関係がある根拠を示すべきでしょう
>>450 市民兵の資格を決めるのは財産の前にローマ市民であることでは?
452 :
448:05/02/20 20:52:15 ID:???
>>446 あぁ、それはすいません。
わたしは市民兵擁護派ではありません。
ただ、貴方は傭兵や徴募兵でも士気が高く、とはっきり断定しているので、その根拠をお持ちなのかと思いましたが。
そこのところが引っ掛かったので。
軍事能力については、傭兵が最高の軍事のプロフェッショナルで
あった時代もあったので、それについてはとくに異論はありません。
しかし、士気や戦意など、形として残りにくく、証明も不可能な
部分について、自信をもって断言している根拠は何なのですか?
453 :
451:05/02/20 20:59:12 ID:???
自己突っ込み
共和制の軍団の場合、協力関係にある都市からも供出されてたな
454 :
○V○:05/02/20 21:03:24 ID:???
>>451 勿論、
>>377でも述べたように国政への参画資格があること、
すなわち市民権を有していることも条件になります
しかし、市民権を有していても従軍費用を自弁できないようでは
市民兵にはなれません
これが市民兵制の動員力の不安定性、すなわち徴募兵や傭兵に比べて
大量動員に向いていないことの一因です
>>454 その場合、ひとつ質問なのですが、その場合、徴募兵や
傭兵の武装をだれがまかなうことを想定しておられるんですか?
また、市民権を有していても自前で武装をできないようでは
大量動員にむかないとのことですが。
たとえば、どの時代で、どのくらいの割合の市民が、自前で
武装を自弁できないような層だったのでしょうか?
457 :
○V○:05/02/20 21:16:56 ID:???
>>452 確かに士気や戦意の高低は主観の問題ですね
どれほど事例を挙げても結局は私の主観に過ぎないため、
あなたが納得することはないでしょう
裏を返せば、市民兵が士気や戦意で徴募兵や傭兵に優れていることを
証明することもできないことになりますが
458 :
451:05/02/20 21:18:30 ID:???
>>454 市民兵は大量動員に向かない。
兵役に適した層をごっそり動員できないという意味ではその通り
第2次ポエニ戦争では75万の潜在的戦力があったが、完全に動員できたわけではない。
しかし、傭兵は傭兵市場がなければそもそも動員すらできない
徴募兵は、徴募した側が武装を与えなければ戦力として意味をなさない。
徴募兵・傭兵を市民兵と比較するのはそもそも間違いでは?
金がなければ徴募兵・傭兵を大量動員するのは無理って結論も引き出せるわけだし。
それに第2次ポエニ戦争のような国家防衛戦で、ローマの市民兵がハンニバルに殺戮されても
人的損害に関わらず動員されたのも確か。
短期においては、市民兵を大量動員することは難しいが
長期的に、延べ人数とし考えると市民兵の大量動員は可能
結論としてこんなところではないだろうか。
459 :
○V○:05/02/20 21:27:46 ID:???
>>456 >徴募兵や
>傭兵の武装をだれがまかなうことを想定しておられるんですか?
徴募兵や傭兵には武装自弁の原則は必ずしも適用されません
>たとえば、どの時代で、どのくらいの割合の市民が、自前で
>武装を自弁できないような層だったのでしょうか?
地域や時代によって異なります
特に大規模地主層の台頭等により中小自作農が没落すれば、市民兵の動員率は低下します
460 :
○V○:05/02/20 21:36:19 ID:???
>しかし、傭兵は傭兵市場がなければそもそも動員すらできない
>徴募兵は、徴募した側が武装を与えなければ戦力として意味をなさない。
徴募兵や傭兵は、貧民や下層民、従属民を動員することができます
これは、動員対象が市民兵に比べてずっと大きいことを意味します
>それに第2次ポエニ戦争のような国家防衛戦で、ローマの市民兵がハンニバルに殺戮されても
>人的損害に関わらず動員されたのも確か。
紀元前225年の人口調査によれば、軍役奉仕可能なローマ市民の数は約25万人で、
この中には武装の自弁が不可能な貧困層は含まれていません
カンネーの損害を補完できたのはローマの豊富な人的資源のおかげであり、
ローマ軍が市民兵制を採っていたからではありません
461 :
○V○:05/02/20 21:40:44 ID:???
>短期においては、市民兵を大量動員することは難しいが
>長期的に、延べ人数とし考えると市民兵の大量動員は可能
>結論としてこんなところではないだろうか。
むしろ長期戦は市民兵制にとって致命的です
参政権を有する中産階級の死傷者の増大は兵役忌避を惹起するだけでなく、
内政と経済に深刻な打撃を与えることになります
下手をすれば国家の政治権力にとって命取りになります
462 :
452:05/02/20 21:42:37 ID:???
>>453 もう一度繰り替えしていいますが、わたしは市民兵擁護派では
ありません。
では、あなたは結局双方の主張がかみあわず、平行線になるしかない
事象を、「主観で」判断し、それをもとに延々と
市民兵よりも傭兵や、徴募兵のほうが優れている局面があることを
述べてきておられたのか?
463 :
452:05/02/20 21:46:22 ID:???
>>455 そうなってくると、一般論をまるで展開できない状況になりますが。
例えばでいいので、もっとも市民兵を動員するのが困難なほど、
武具を自弁もできない市民が多数いる時代を挙げてもらえませんか。
また、徴募兵や傭兵の武装をまかうことが摘要されないとのこと
ですが、では、その徴募兵や傭兵は、自前で武装を調達することが
できたうえで、さらに市民兵になる層とはことなる層だったと
いっておられるんですか?
たしかにローマ時代末期では、ゲルマン民族などが多く傭兵として
雇われてはいますが。
そういったゲルマン民族が傭兵として使われ、ローマに忠誠を
誓っている層、あるいは愛国心のある層以外が軍務をになっていた
からこそのローマの没落ではないのでしょうか。
464 :
○V○:05/02/20 21:52:07 ID:???
>>462 すいませんが何を言いたいのかよくわかりません
私が主張しているのは、徴募兵や傭兵に比べて市民兵が大量動員に適していないこと、
市民兵制であることと兵の士気や戦意は無関係であることです
士気や戦意で徴募兵や傭兵が市民兵より優れているとは一言も言っていません
465 :
○V○:05/02/20 21:53:48 ID:???
>>464に付け加えますと、市民兵が士気が高いと主張しているのは
市民兵擁護派のほうです
466 :
451:05/02/20 21:55:35 ID:???
>>464 >私が主張しているのは、徴募兵や傭兵に比べて市民兵が大量動員に適していないこと、
徴募兵や傭兵も状況によって大量動員に適さない場合があるわけですが?
467 :
○V○:05/02/20 22:06:21 ID:???
>徴募兵や傭兵も状況によって大量動員に適さない場合があるわけですが?
勿論、政治的経済的な事情から徴募兵や傭兵が十分に徴募できなかったケースは少なくありません
しかし、だからと言って市民兵よりも大量動員に向いていない根拠にはなりません
市民兵制とは動員対象の規模が違います
468 :
451:05/02/20 22:09:52 ID:???
>>467 なんら意味を持たないレスですね
悪魔の証明をお望みのようですが
469 :
○V○:05/02/20 22:10:02 ID:???
勿論、市民兵制にも利点はあります
軍役奉仕と国政参与権が同義であった時代においては、
軍隊を参政権を有する比較的富裕な社会階層を中核に構成することにより、
軍事力を限定された社会階層で独占し、社会構成の安定に寄与することができます
470 :
○V○:05/02/20 22:13:13 ID:???
>>468 すいませんが、何を言いたいのかよくわかりません
動員対象の規模の違いが動員力の差につながるという主張のどこが悪魔の証明なのでしょう?
どう見ても○V○のほうが論理的だと思うんだけど。
つーか、
>>468って「悪魔の証明」の意味間違ってない?
最初にローマ側が市民兵だから士気が高いので戦国側より有利と主張したのが始まり。
>>471 間違ってるね。
825 名前: 812 [sage] 投稿日: 05/02/13 18:21:58 ID:???
もう一度言っておくが
行為行動の可能・不可能と存在する・しないとでは意味が全く違うぞ。
それをわからずにすぐに悪魔の証明だなどと言い出すとそのうち恥をかくぞ
まぁ余計なお節介だったかな
>>434 俺も拠点攻略戦、つまり攻城戦に興味があるけど
ローマや17世紀ぐらいの西欧の城郭ってどんなんだったんだろうね?
でもこのスレじゃスレ違いって言うか話の流れ違いすぎるし
過去にもいまいち拠点攻略戦について話触れられてないし
別に良いスレ無いんだろうかねぇ?
>>473 ヨーロッパじゃ16世紀末あたりから稜堡式要塞が出現してるよ。
ヨーロッパは早くから攻城砲が発達してたからね。
日本でも、戦国時代が続いてたら稜堡式要塞が生まれたと思う。
大阪城なんかはあっという間に時代遅れになったんだろうな。
大阪城に真田幸村が築いた真田丸は、構造的にも用法としても、
稜堡式要塞にかなり近い。
何だかの手段で西洋の築城法を知ったのか、真田幸村のオリジナル
かどうかは不明だが。
ただ、武田の築城法にある「馬出し」は稜堡式要塞にかなり近い
ものがある。
むろんデザインが似通っているだけで、スケールは全く違うし、
用法も違う。
西洋の稜堡式要塞は、攻城砲から身を守って、小銃で防御を
図るのが目的。
「馬出し」はその名の通り、攻城側が隙を見せたら、ただちに
騎馬武者が出撃するための、反撃拠点。
図るのが目的だが、
>>477 構造的には真田丸自体がひとつのラヴェランみたいな感じでしょうかね
国内戦とはいえ天草の乱でさ、九州諸藩だけにも関わらず十万超える軍勢集めてるって凄いね。
>>476 時代遅れか、すると434の西南戦争の話しはどうなる?
>>480 薩摩士族は砲火力にも工兵にも劣ってたからねえ
ヴォーバン以降の要塞や攻略技術と比較するのは酷だね
482 :
462:05/02/21 21:57:34 ID:7kp0lBul
>>464 うーん、そちらの主張の根拠がよくわかりません。
たしかに徴募兵なら、大量動員はより容易かとは思います。
が、傭兵も同列に加えるのは何故なのでしょう??
たしかに、ギリシア時代はペルシア側もギリシア重装歩兵による
傭兵をつかったし、ローマ時代もゲルマン民族をつかいましたよね。
でも、それは「傭兵のほうが市民兵よりも明らかに大量動員可能であった
時期」が、すくなくともひとつはあることを証明しないといけない
のではないですか?
それなら、武具をもった兵になりうる市民兵の数と、傭兵の総数が
確実に判断できるデータなり、資料を提供できないことには、
その主張はなりたたないのではないですか?これすら「証明不可能」
といいきるなら、そのお説の根拠が薄弱きわまりなく、社会情勢から
「こうかもしれないなぁ〜」程度の判断をした、ということになるのでは。
483 :
462:05/02/21 21:59:45 ID:7kp0lBul
あと、ヴォーヴァン型建築って、大分戦国より後だったんじゃ
なかったです?
江戸時代は戦争がほとんどなかったので、(島原の乱も結局外様の
大名だけでかたがついた)そこで発展がとまった以上、くらべるのは
ひどいと。
くらべるなら、同時代の要塞じゃないとだめなんじゃ。
484 :
○V○:05/02/21 22:58:57 ID:???
>それなら、武具をもった兵になりうる市民兵の数と、傭兵の総数が
>確実に判断できるデータなり、資料を提供できないことには、
すいませんが何が言いたいのか理解しかねます
市民権を有しかつ武装や従軍費用の自弁が基本原則の市民兵に対し、
徴募兵と傭兵は国籍や社会階層、財産の多寡等を問わず
動員可能な点においては同列です
485 :
○V○:05/02/21 23:11:46 ID:???
ヴォーバンが手がけた要塞の起源は1485年にレオン・バッティスタ・アルベルティが
体系化した要塞設計理論で、一般にイタリア式築城と呼ばれているものです
既にイタリア式築城の特徴を備えた要塞は15世紀中頃にはイタリアで建設されつつあり、
16世紀中頃には一応の完成を見ています
486 :
462:05/02/22 22:00:26 ID:C3KwvF74
>>484 あのう、意味が全くわかりませんが。
そうではなく、市民権を有し、武装が自弁の原則の市民兵にたいし、
徴募兵と傭兵が、社会階層、財産の多寡に関わらず動員可能と
おっしゃいますが。
ほんとうにそうなのですか?
具体的に、ひとつの時代を挙げて、その実数を示して下さい。
徴募兵といっても、農民から商人から、生産に打撃を与えない程度に
動員できる数、質の実数と、傭兵の実数、それから同時代の
動員可能な市民兵の実数を示してください。
それができないなら、もうすこし人口や、その時代の具体的な各階層
の数について言及してもらえませんか。
貴方は、社会的な状況から「こうかなぁ?」と思っていることを
話しているにすぎないのですか?
487 :
462:05/02/22 22:11:03 ID:C3KwvF74
>>485 それから、いわゆるヴォーバンについてですけれども。
たしかヴォーバンはそもそも1633年生まれですが?
1600年代当初は、火砲を搭載するのに不向きな壁をとりはらい、
ようやく低くて厚い塁壁がでてきた程度ではありませんでしたっけ。
それと初歩的な稜堡。
1520年のフィレンツェなんかをみても、とてもではないが
ヴォーバン式と比較などできませんよね。
それとも、すでに16世紀には高度な稜堡式要塞が出現していたと
いうんでしょうか?
>>487 >たしかヴォーバンはそもそも1633年生まれですが?
>>485氏はヴォーバンの理論の基礎となったイタリア式築城について語っているのであって、
ヴォーバンの生年は関係ないでしょう。
>1520年のフィレンツェなんかをみても、とてもではないがヴォーバン式と比較などできませ
>んよね。
稜堡のシステムを取り入れた城砦が作られ始めたのが15世紀中頃で、16世紀中頃にはイタ
リアの主要城砦の殆どがこれを取り入れてますね。
>すでに16世紀には高度な稜堡式要塞が出現していたというんでしょうか?
繰り返しになりますが、
>>485氏はイタリア式築城の事を書いているのであってヴォーバン式
城砦の事を書いているのでは無いと思います。誤読だと思いますよ。
ちなみにイタリア式築城も大砲に対する防御力増大にはかなりの効果があり、15世紀に大幅
に短縮された城砦攻略の平均日数は、16世紀初頭にはまた再び15世紀以前のレベルにまで
戻ってしまいますね。
489 :
488:05/02/23 09:53:02 ID:???
ちなみに稜堡式城砦が一応の完成を見るのは16世紀後半、これに外堡や斜堤を組み合わせ
た稜堡式要塞が登場し始めるのが16世紀末、完成を見るのが17世紀末といったところでしょう
か。
490 :
488:05/02/23 12:25:21 ID:???
ちょっと上紛らわしいので訂正を。
1行目、「稜堡式城砦」を「堡塁式城砦」に訂正します。申し訳ありません。
491 :
487:05/02/24 22:50:39 ID:???
うわ、よくみたらそうですね。
おっしゃる通りです。お二方、誠に申し訳ありませんでした。
「ヴォーバン式」にレスしたものに、レスがかいてあったもので、
てっきりそうかと思い込んでしまいました。
さすがに17世紀の完成された要塞とくらべるのは酷だと思ったので…。
ほんとうに申し訳ない。
穴があったら入りたいです…。
492 :
○V○:05/02/25 14:31:06 ID:???
>そうではなく、市民権を有し、武装が自弁の原則の市民兵にたいし、
>徴募兵と傭兵が、社会階層、財産の多寡に関わらず動員可能と
>おっしゃいますが。
>ほんとうにそうなのですか?
違うというのならばその根拠を示してください
あわせて傭兵のほうが市民兵よりも動員に向かないという主張の根拠も伺いましょう
493 :
名無し三等兵:05/02/25 20:36:54 ID:7FZzsWW3
ヴォーバン式と比較して後期織豊式城郭ってどうなん?
大坂城は城より中の人の問題が路程して落ちたと考えてるけど
じゃあ秀吉ボケる前に力で攻め落とせるのは世界のどの時代のどこの軍なんだ?
>>493 >ヴォーバン式と比較して後期織豊式城郭ってどうなん?
火力発揮・対火力防御重視の城砦としては未だ発展途上なんじゃないですかね>後期織豊式城郭
>じゃあ秀吉ボケる前に力で攻め落とせるのは世界のどの時代のどこの軍なんだ?
普通にイタリア戦争末期のスペイン軍やフランス軍なら攻略できると思いますよ。同時代のオスマン
でもできるでしょう。といってもそれなりに時間はかかるでしょうが。包囲した後城壁の1箇所にひたす
ら砲撃を加えつづけるというオーソドックスな方法で。もしかしたら坑道戦もするかも知れませんが。
短期の力攻めでは確かに苦しいかもしれませんね。
495 :
462:05/02/25 21:13:28 ID:SxaUDhWx
>>492 おや?貴方がさきに根拠を示すべきではないのですか?
わたしがいったのは、貴方の説の根拠が薄弱なのではないかという
指摘にすぎないのですが。
なぜ、そういう指摘をする側が、あなたの答えをうかがうまえに
こちらがさきに答える必要が?質問を質問でかえすとは、詭弁もいいところですねぇ。
あなたは「そうである」という根拠をのべているが、その事実関係が
非常に弱い。判断できないことを、当然として話している
ということなわけですか。
傭兵の数は把握できません。
そもそも安定供給できるだけのマーケットがあったかどうか疑問です。
それに、ギリシア時代なら、傭兵はだいたいどこかの市民軍出身
だったはずですが。
それが、「違うのではないか」の根拠です。
まぁ、こちらの突っ込みにたいして、答えることができずに、逆に
問うことで答えを回避したわけですかw
失望しました。
絵とかで、古代ギリシャ兵は全裸にそのままヨロイ着けてるみたいなんだが、
フリチンは危険じゃないのだろうか?
それは、どの時代の兵隊??
ミケーネ時代?都市国家時代のこと??
>>498 お前もな
論戦に参加できないで1行レスで罵倒するだけか?
500 :
○V○:05/02/25 21:52:13 ID:???
やれやれ、回避したのではなく、
>>381で既に言及していたので略しただけなのですが(苦笑
反証も示さず、ただいたずらに不毛な質問を繰り返すだけのあなたに詭弁と言われるのは心外ですね
市民兵のほうが徴募兵や傭兵よりも動員能力が高いと主張したいのならば、その根拠を示すべきです
わたしも、何の根拠をなく延々と質問を繰り返すだけのあなたに失望を隠しきれません
そもそも傭兵は市民兵と違って市民権や武装自弁の原則は当てはまりません
帝政ローマはゲルマン諸部族やステップ系騎兵を傭兵として大量に雇用しましたが、基本的に武装は官給です
また、中世フランスのcompagnie、ドイツのrittergesellschaft、イタリアのcompagnie di ventura等の傭兵団には
多くの貧民や下層民が参加しています
スイス傭兵やイギリスの契印証書兵にも大量の貧民や下層民が参加しています
動員される兵力索源の規模では傭兵は市民兵よりもずっと大きく、従って市民兵よりも大量動員に向いているのは自明です
501 :
○V○:05/02/25 21:59:02 ID:???
まあ、論戦と呼べるほど上等なものではありませんが
で、市民兵のほうが傭兵よりも動員能力が高いと主張する根拠を伺いましょう
502 :
462:05/02/25 21:59:08 ID:SxaUDhWx
>>500 いいえ、まったく
>>381では回答になっておりませんw
根拠があいかわらず薄弱です。教科書にもかいてありそうな、
大掴みな社会的な考察を、具体的な動員数の証明なしに敷衍しているのが、
納得できないんですが。
わたしは、何度も何度もいいますが、市民兵のほうが大勢動員可能
だったという派ではありません。それは時代によります。ただ、総じて
ギリシア時代なら、各都市の市民軍をはるかにうわまわる数の傭兵を
調達できたとは考えられません。また、当時の各都市の財政からいって
官給で市民軍をうわまわる数の武具を調達できたとも証明できません。
ローマ軍最盛期の40個軍団をうわまわる数についてもそうです。
あなたは傭兵を使うのが主流で、市民の生活レベルが非常にひくく、
自説に都合のいい時代をもってきているだけではないのですか?
それを一般原則にあてはめるのは、不可能で、根拠薄弱です。
あなたは、具体的な数や、当時のきちんとした資料を提示することがなく、
無意味な大掴みの社会的情勢からの判断をしているだけではないのですか??
スイス傭兵は、地域ぐるみの傭兵団だし
イギリスの場合は国王の常備軍が貧弱そのもの時代だから、この時代をもって
傭兵の量的優位を証明するのは苦しいだろ。
傭兵市場が常に・どこにでも存在し、価格が平常に保たれる原理でもあればいいが
んなわきゃ無いし。
504 :
462:05/02/25 22:09:47 ID:SxaUDhWx
こちらの説ではこうです。いわないと納得しないようですからw
市民に財が多くあつまり、また、武具の使用法のノウハウをはじめとした
ソフト的な部分も市民に集約されているような、時代、国家では当然
市民軍のほうが動員にむくと考えられます。
ただし複雑な訓練を必要とする陸軍兵でなく(ただ単に剣で相手を殺害
するというのは、意外に難しいものです)単なる三弾櫂船の漕ぎ手の
ような職種は例外にさせていただきます。
ただ、そうした尚武の気風もなく、全体的に経済、文化などに、市民の
関心が集中し、多くの軍事技術が傭兵によって維持されているような
場合では、傭兵のほうが動員にむくでしょう。ただし、イタリア半島で
活動した傭兵団のように、戦争の勝敗が団長同士の話し合いできまったり、
給料の遅配があればただちに盗賊団にばけたような部隊も多数あった
ため、本当に脅威となる相手にたちむかわせるのは有効ではないと
考えます。
徴募兵が大量動員可能になるのは、国家が素人を軍人に育てるシステムを
もち、大量に武具を供給できるシステム、集財の能力をもっている時のみと
考えます。
ゆえに、全ての時代に、「傭兵、徴募兵の動員数が常に市民軍をうあわまる」
とあてはめるのには無理があると考えているのですが。
505 :
名無し三等兵:05/02/25 22:10:40 ID:o0uJJAL9
>>493 大坂冬の陣の場合、徳川側が放った大砲が、モロに天守閣に命中。
女中の一人が死んでしまい、淀君も紙一重の差だったのが、大坂方
が講和に応じた原因。
実は、その時の徳川方は、深刻な食料不足に悩んでおり、これ以上
滞陣が長引くなら、撤退やむなしという状況だった。
ヴォーバン式の要塞であれば、こんな事は絶対にあり得ない。
大砲による被害を避けるため、建物は低く作るのが、絶対条件。
結論としては、大坂城は、ヴォーバン式要塞とは、比べ物に
ならない。
ただ、ヴォーバン式の場合、建物は低くしか作れないので、「政庁」
にはなり得ない。
従って、軍事施設と政治施設を兼ねた「城」ではなくて、純軍事施設
たる「要塞」な訳。
だからある意味、軍事施設と政庁を兼ねた城と、単純比較ができない
という事も言える訳。
で、後期織豊式城郭の中にも、山城として、純軍事施設として建設
されたものも存在する。
その、後期織豊式城郭の山城の場合、構造的には、近代のトーチカ
そのもの。
ある意味、ヴォーバン式より、さらに先をいっている事になる。
506 :
○V○:05/02/25 22:17:21 ID:???
どうも古代ギリシャの市民兵制に拘泥しているようですが、
ペロポネソス戦争ではアテナイもスパルタも貧民や奴隷、傭兵を大量に動員しています
アテナイの軍船の漕手の大部分は奴隷と賃金で雇われた解放奴隷で占められており、
スパルタのブラシダスは傭兵1700名からなる重装歩兵を指揮しています
紀元前4世紀初頭のスパルタでは、徴募兵と傭兵がスパルタ市民兵を上回っています
この時期のギリシャでは、国家は自作農の市民社会によってのみ防衛されるべきであるとする観念は、
ほとんど形骸化しています
507 :
462:05/02/25 22:17:34 ID:SxaUDhWx
>>505 日本の城のすごい点は、居住性を維持している点と、それに防御力も
付与しているという部分ですね。
現在の大阪城は改装されすぎているので参考になりませんが、たとえば
熊本城のような施設にはいるとわかりますが、エアコンのない、外郭の
番所みたいなのにはいっても、夏でも意外に心地よくすごせます。
もし当時の大阪城とくらべるなら、要塞ではなくて、城館や宮殿じゃないと
厳しいでしょうね。
実際、朝鮮半島でつぎつぎと城を開城させるのに成功している武士軍団
ですが、大阪城の正面からの攻略は難しかったわけですし。
まぁ、部隊や環境、状況が違うので、単純比較は批判をまねきそうですが。
>>506 >ローマ軍最盛期の40個軍団をうわまわる数についてもそうです。
この部分について触れないのはなぜ?
509 :
462:05/02/25 22:21:50 ID:SxaUDhWx
>>506 貴方は全ての時代にあてはめようとしていたはずですが?
重装歩兵1700程度など、ぜんぜん動員した実績にはならないはずです。
だいたい同時期をいうならまだしもペルシアに傭兵としておもむいた
クセノフォン以下数万の傭兵軍を引き合いにだしたほうがよかったですね。
また、漕ぎ手には参加後の報酬として、市民権の付与がありましたよね?
漕ぎ手は単純労働者ですから、軍人に数えるのもどうでしょう??
それをいいだすなら、単なる陸軍の荷物はこびも数にいれていいという
ことになってきて、ますます実数が把握できなくなりませんか。
また、スパルタだけの有利な部分をもってこられても。
総合的な実数はどうなっているのですか?
>>503 それを言ったらギリシア時代の例を特に指して市民兵優位と主張するのも無理がある
ローマも同様。
○V○は傭兵に限らず貧民、下層民も含めた話をしている
所謂、傭兵団だけではなく都市や村落に住む者を根こそぎ動員したら
有産市民の兵よりも「数」は多くなるわな。
>>462もできなかったと主張するならそれを証明する史料を提示しないといけない。
511 :
○V○:05/02/25 22:30:56 ID:???
>根拠があいかわらず薄弱です。
どこがどう薄弱なのか説明してもらえますか?
>ギリシア時代なら、各都市の市民軍をはるかにうわまわる数の傭兵を
>調達できたとは考えられません。
その根拠を伺いましょう
古代ギリシャでも市民兵の数の不足から徴募兵や傭兵の動員を行っています
>ローマ軍最盛期の40個軍団をうわまわる数についてもそうです。
市民兵で構成された時期のローマ軍が40個軍団も編成していたことはありません
一体いつの時期のことですか?
>あなたは傭兵を使うのが主流で、市民の生活レベルが非常にひくく、
>自説に都合のいい時代をもってきているだけではないのですか?
>それを一般原則にあてはめるのは、
あなたに都合のいい時期は古代ギリシャだけのようですね
しかも間違ってます
古代ギリシャでも大量動員の必要性の上昇と共に市民兵制はその限界を露呈しています
>市民に財が多くあつまり、また、武具の使用法のノウハウをはじめとした
>ソフト的な部分も市民に集約されているような、時代、国家では当然
>市民軍のほうが動員にむくと考えられます。
市民兵制が採られる場合は、ほぼ例外なく一部の社会階層に軍事力を集中させて
社会構成を維持するためです
向いている向いていないの問題ではありません
512 :
○V○:05/02/25 22:32:38 ID:???
513 :
○V○:05/02/25 22:33:38 ID:???
>また、漕ぎ手には参加後の報酬として、市民権の付与がありましたよね?
その通りです
ですから、参加した時点では市民兵ではありません
514 :
○V○:05/02/25 22:40:31 ID:???
>クセノフォン以下数万の傭兵軍を引き合いにだしたほうがよかったですね。
クセノフォンを挙げなかったのは、彼の率いた傭兵たちが特定のポリスの統制下で行動していないからです
市民兵制の話とはあまり関係ありません
515 :
○V○:05/02/25 22:48:11 ID:???
>重装歩兵1700程度など、ぜんぜん動員した実績にはならないはずです。
ピュロス・スファクテリア戦では両軍合計約4000
アンフィポリス戦では合計約8000
マンティネイア戦では合計約3万
オリュンペイロン戦では合計約1万5千
これらの数字は重装歩兵のみならず、軽装歩兵や騎兵も含み、
しかも両軍ともに複数のポリスの軍勢が参加しています
1700名の傭兵は、実績として十分な数字です
516 :
○V○:05/02/25 22:50:13 ID:???
>漕ぎ手は単純労働者ですから、軍人に数えるのもどうでしょう??
戦闘に参加するのに単純労働者とは言いがたいでしょう
非戦闘員である荷物運びと同列に論じるのは無理があります
517 :
○V○:05/02/26 00:06:11 ID:???
そもそも、概ね紀元前4世紀以前の古代ギリシャにおいて市民兵制が主流だったのは、
市民兵が動員能力で(少なくとも)徴募兵や傭兵よりも優れていたからではありません
重装歩兵は、投票権を持ち、先祖伝来の農場を受け継ぐ自作農で、自らが戦うことによって
ポリスの政治権力を掌握しました
古代ギリシャの市民兵制の目的は、自作農によって構成された中産階層の維持にあり、
決して軍事的な要求によるものではありません
この時期の戦争は後の時代よりも儀礼的性格が強く、農耕社会に破滅的な破壊をもたらすことは
ありませんでしたから、古代ギリシャの市民兵制は、ポリス間の戦争のような同じルールの下で
行われる戦争では、自作農による寡頭制の維持という目的を十分に果たしました
初期の古代ギリシャで市民兵制が採られていたのは、
「市民に財が多くあつまり、また、武具の使用法のノウハウをはじめとした
ソフト的な部分も市民に集約されているような、時代、国家」
だったからではありません
むしろ、自作農が富と軍事力を集中的に独占して政治権力を維持するために
市民兵制が採られていたのです
対ペルシア戦役、アテナイの台頭、ペロポネソス戦争へと至る過程で、
戦争が一定の儀礼的制約の下で行われる歩兵の衝突で収まらなくなり、
戦場がポリス周辺の平地から山岳地帯や海上、海外にまで拡大し、
騎兵や弓兵、水兵が欠かせなくなり、攻城戦の技術が発達することによって、
総力戦へと移行する過程で、市民兵制では兵員の大量動員に対応することができなくなり、
徴募兵や傭兵が大量に動員されることになります
>じゃあ秀吉ボケる前に力で攻め落とせるのは世界のどの時代のどこの軍なんだ?
それじゃ伺いますがコンスタンティノープルを始め世界のなだたる城塞で
豊臣政権、もしくは徳川政権下の日本の軍事力で『力攻めで落とせない物は無いとでも』
>>517 で、あんたのいう徴募兵や傭兵はどれくらいいたんだ?
平均的な傭兵団の構成が知りたい。
胴丸ひとつの足軽とは違うでそ。
500人の部隊なら、これに支援部隊やら従卒郎党で2〜3倍の動員数ですかね?
スレタイのVSの相手を同時代にすりゃ良かったのに。
ジパングみたいな形でしか、成りたたん。
>>476-477 大坂城攻撃の際は、徳川方も、ジグザクに塹壕を掘って、城に肉薄している
これはまさしく、ヨーロッパで、ヴォーバン式など、稜堡式要塞を攻略する
ための方法だったりする。
ヨーロッパの先進技術は、しっかり日本にも入ってきている。
戦国時代がもっと長引いていたら、おそらく日本でも稜堡式要塞が導入
されただろう。
。
523 :
○V○:05/02/26 07:32:37 ID:???
>>519 紀元前4世紀のスパルタでは重装歩兵ですらスパルタ市民兵は2割程度しかいません
アンフィポリス戦におけるスパルタ軍は、総兵力約5000のうちトラキアとエドニアの
傭兵からなる軽装歩兵が2500、更に重装歩兵2000のうち1700が傭兵です
524 :
○V○:05/02/26 07:34:55 ID:???
>>519 で、あなたの言う市民兵はどれほどいたのですか?
>>524 質問に質問で返すの、好きだね。
とりあえずさ、意味わかんなくなってきてるから整理してくれよ。
傍観してきてたけどさ。
いまのとこ、あんたのほうが優勢だとは思うけどね。
○v○の主張は、
a.全ての時代において、いかなる社会システムでも傭兵、徴募兵は常に大量動員可能と考えているのか?
b.その場合、もっとも市民軍が大量動員にむいた時代はいつで、徴募兵、傭兵のそれぞれの数は
c.もっとも傭兵、徴募兵がそれぞれ大量動員にむいた時代はいつで、そのときの市民軍の数は
d.実際に古代ローマ軍団と戦国武士軍団が激突するとどうなると
考えているのか?
ちょっと断片的すぎて、双方の主張がよくワカラソ。
漏れみたいな傍観者にまで、まず説を聞くのは勘弁してくださいw
あと、市民軍派のひとも捨てコテつけてほすぃ。もっと断片的で
よくわからそ。
>>462と勘違いされたんだと思うが
○V○は質問に質問で返すことは最初はしてない
>>462のほうにも例示してもらいたいものだ
史料で
ていうか傍観者なら関与しないで傍観するのが筋であ。
いや、最初は楽しくよんでたんだが、だんだん両方の主張が
よくわからんくなってきて。
それぞれが何人いるのかもようワカラソ。
スレタイとも全然関係ないし。
どうしても市民軍と傭兵の数について語りたいなら、
あらためて市民軍VS傭兵VS徴募兵というスレでもたてたら
いいんじゃない?
つか、点呼とる?
529 :
名無し三等兵:05/02/26 16:23:22 ID:sDJoCj5e
ノシ ID表示
純軍事的な視点からは市民軍は動員力に難があるよ派
トリップにしねえか屑共!
531 :
名無し三等兵:05/02/26 18:14:43 ID:iiHRDHET
トリップよりはID表示した方がわかりやすくね?
俺は動員対象に限定を設けない方が数確保できるよ派。わかりやすいだろ。
532 :
名無し三等兵:05/02/26 18:42:59 ID:E6iN4jwo
俺は時代背景や状況によって、どっちの動員数が上かなんていくらでも変化するよ派
一瞬だけお手軽に増やすなら徴募兵や傭兵だろうけどね。
お手軽に増やしても問題ない国土防衛戦と、補給能力から
量より質が重要になる遠征戦などの状況を無視しても意味梨。
>>532 原理的にどちらが動員数を確保できるのか、という話をしている時にそれを言い出しちゃうのはどうよ。
>>504 相手に根拠を示せ数字で示せと粘着してるくせに、自分は何の史料も示さずに
「考えます」を繰り返すってのはどうよ?
>>525 傍観してるんなら書き込むなよ、目障りだし。
お前なんかがレスしなくても全然影響ない。
ここはお前の掘立小屋にあるチラシの裏じゃないんで書き込む必要なんてないんだぞ?
536 :
名無し三等兵:05/02/27 18:24:59 ID:5fylkt8j
漏れ、限定を設けないほうがいいかもしれない派。
でも、社会的な状況から話されてもよくわからんというのには賛成。
双方、もすこし具体的なはなししてほすぃ。
>>534 でも結局ちゃんとした数字をどちらもだしてなくね?
論文とか発表したら、いろいろ指摘うけね?単に、考え方が変とか、
おかしな部分があるのではないか、というような指摘は資料がない
かもしれんけど、そういうのに傲慢に「じゃああなたが説をいえ」と
言い出すのは、フェアじゃない。
537 :
525:05/02/27 18:27:37 ID:???
よく納得できてない派。
両方の主張が錯綜してきてるし。議論の争点が
動員可能数になってきて、武士と関係ないし。
>>531 あんたにいわれる筋合いはない。
わかりやすくしてもらおうと思っただけだが?
つぅか、お前こそレスしなくても影響ないね。それこそ、自説を
発表するでもなく、点呼に応じるでもなく、傍観者がかきこむと
批判するというのはどういう了見だ?
○V○のほうは一応根拠も数字も示してる。
一方、
>>462は数字出せと言っておきながら、自分は全然説得力のある数字を示してない。
おまけに自分の主張の根拠も言わずに揚足を取ろうとするかのようの質問を繰り返すだけ。
○V○じゃなくても「で、あんたの説は?」と言いたくなると思われ。
>>537 >わかりやすくしてもらおうと思っただけだが?
わかりやすくしてもらいたかったら、自分の貧弱な読解力を棚に上げて
>>519や
>>525みたいな態度はよくないな。
傍観者は最後まで傍観してれば?
つーか過去ログ嫁。
>>538 お前がこのスレを荒らしているんだな
よくわかった。
ディオクレティアヌス帝の兵員倍増で兵力が60万人になっているな。
他人の話をよく理解できてないくせに茶々を入れて
それを注意されると今度は荒らし扱い
こいつアフォ?
>>539
>>538 が荒らしだろ。くだらねぇ。
指摘と揚げ足の区別もつかないのか。
お前こそ、傍観者なら最後まで傍観してろ。
そして、お前も自分の説もだしてない。
語るに落ち過ぎ。
もうへぼい荒らしは放っておいて、議論進めよう。
○v○もいないのに、お互いで足ひっぱりあってくさしあって、
どーすんだ。
>>538は言い方は乱暴で煽りっぽいところもあるが
言ってることはそんな間違ってない。
>>462には具体的数字を史料で提示して欲しい。
正直2〜3人の自作自演で罵り合ってる気がしてならない。
城の話してた人もどっかいっちゃたし・・・。
城の人はちょっと前世界史板のスレに誘導したからそっち行ったかも
どーでもいいが、自説を展開しないで罵倒するだけの奴はウザイ
550 :
○V○:05/02/27 22:57:47 ID:???
○V○は市民兵の定義を市民権を持ち、かつ一定水準の装備を自弁できる人間からなる
兵だと最初にはっきり言ってる。
>>462もそれに異存が無いなら良しとして
もしあるなら
>>462の言う市民兵の定義をはっきりさせないと混乱する。
>>548 んだなあ。
傍観者とアンチ傍観者は、どうか市民兵に関する議論以上にスレに関わりの無い言動を
繰り返していることに気付いてくれ。
その書き込みは自分の全存在と尊厳を賭けたものであり、いかなる批判であろうと徹底的に争う
というなら、頼むからどこか別の場所でやってくれ。
それとちょっと気になったいた点があるので○V○氏に質問。
>戦争が一定の儀礼的制約の下で〜
とありますが、儀礼的制約とは一体どういう意味なのでしょうか。
ヘレネスとしての同胞意識と、そこから生まれる倫理的制約を指し示しているのか。
それともはそれとはまったく別の、当時の文化に基づく独特な何かがあったのか。
多分前者なんだろうな?とは思うのですが、何分無学なもので。
お暇がありましたらご教示ください。
553 :
○V○:05/02/28 21:14:33 ID:???
>>552 私は前者の影響が大きいと思います
どのポリスでも軍の中核を占める重装歩兵が先祖伝来の農地を経営する自作農であり、
同じ宗教や社会的慣習を共有していたことが大きかったのでしょう
彼らが重装歩兵として従軍することに対する意識は義務というより権利に近いものがあります
高価な装備を揃えられない者は従軍するには軽装歩兵かガレーの漕手になるしかなく、
それは社会的弱者を意味し、軍事的な価値も軽視されていました
彼ら下層民や従属民の軍事的な価値が上昇するに伴い、政治へ介入しだすようになるのは
対ペルシア戦役以降になります
この時期の古代ギリシャのポリス間の戦争は、ほぼ例外なく宣戦布告によって始まり、
自作農たちが武装して集結し、攻城戦ではなくファランクスがその威力を遺憾なく発揮できる
平地での白昼堂々の激突によって決着し、敗者が交渉で譲歩することで終結しました
戦闘の実施も協定によって様々に規定されており、それは戦闘前だけでなく戦闘後にまで及んでいます
このため、敗者は勝者とともに戦場で戦死者の遺体を回収することもできました
戦場での略奪は当たり前でしたが、降伏した捕虜が大量殺害されることはほとんどありませんでした
もちろん、これらのルールはギリシャ人以外には適用されませんでした
古今東西、戦争に一定のルールが存在していたことは少なくありませんが、これ程までに
厳格に規定されていたのも珍しく、戦闘というよりも決闘に近いものがあります
勿論、儀礼的要素が強いといっても、なにしろ楯に乗って帰還する、すなわち
戦場で落命することが最大の名誉だと子守唄がわりに耳もとで言い聞かされて
育った連中が一同に会して集団で激突するのですから、平地でのファランクスによる
突撃戦術は畸形的に練り上げられ、対ペルシア戦役で威力を発揮することになります
>>553 ありがとうございます。
同じ宗教、慣習を有するもの同士とはいえ、非常に「文明的」な戦争だったんですね。
儀礼的制約、と言う表現も納得できます。
言われてみれば確かに、歴史的遺産が大量に残っていると言うことは
都市部の荒廃が起こらなかったことを示していますよね。
しかしファランクスの一本気な戦術の裏でそんなことをやっていたとは。
555 :
543:05/03/01 22:54:15 ID:???
>>550 漏れの説は、別に市民兵がどうとかは関係ないですが…?
いや、単にみてて、最近の○v○さんはなんかやたらと傲慢なとこがあるなと思っただけで。
すりよってくる相手には優しく説をかえすが、そうでない手合いには
聞き返すだけで。
ま、もともと単なる傍観者なんで、これで消えます。
>>543の一連の発言を見てると人を傲慢などと言えないと思うな
>漏れの説は、別に市民兵がどうとかは関係ないですが…?
>>543は一体何が言いたかったんだろう?
紀元前紀元前100年のローマ市民権保持者が約30万人。
イコール、総動員能力と考えれば、イタリア半島だけでこれだけの
兵力密度を達成している市民兵制度の方が動員力の点で優位だと
言い切ってもいいと思うがな。
当時、戦術や装備で優勢だったフェニキア・ギリシア系を圧倒できたのは
明らかにマンパワーが第一要因だしな。
シチリアやイタリア南部のギリシア系は、経済力ではローマを圧倒してい
たが、傭兵主体の軍事力では、結局、ローマを越える人員数を戦場に投入
できなかった。
市民兵の定義については、
「参政権を持つものが、その付随的義務として兵役についている姿」と
したいね。
武装の自弁については本質的でないと思う。
そもそも戦争の定義自体が「闘争による意志の強要」で装備はその手段。
元首制時代のローリーカ・セグメンター(組立式甲冑)なんて、どっちに
しろ技術的に自弁は無理だろ。
時代を下って、近代では火砲や戦車のような重装備が出てくるが、これを
自弁しないから「市民兵ではない」と言えば、パットン第3軍の従軍者
は怒るんでないの?
これは、かなり個人的見解かもしれんが、マリウスの軍制改革から
帝政中期(元首制)までのローマ兵については、市民兵と分類したい。
確かに、抽選による徴兵から志願制による職業軍人へと変遷しつつあったが、
「市民の義務としての兵役」という意識は明らかに保持していたし、
社会クラスとしての軍人階級の固定化が起きたのは、もっと後世になってから。
この時代の兵士は、長くて10数年ほど従軍した後は、退職金か土地を
もらって市民生活に戻る。また、政治的なキャリアとして軍歴を持っている
ことは絶対条件で、これなくして会計監査官以上になった香具師はほとんど
いない。例外で有名なのは、キケロくらいだろ。
すなわち、「市民としてのあるべき姿」は従軍経験をもつことであった、と。
それに、当のローマ兵達は「自分たちは市民兵」だと思っていたはずだ。
指揮官も兵士に「市民諸君(クイリーテス)」と呼びかける。
>>559 それはローマの人口そのもが優越してるからであって「市民兵だから」大量動員できた
という理由にならない。
>>560 議論をするうえで定義が違うならそこで終了じゃないか。
他の場合はともかくこの場合は市民兵の性質そのものが関わってるわけだから。
>元首制時代のローリーカ・セグメンター(組立式甲冑)なんて、どっちに
>しろ技術的に自弁は無理だろ。
まさか自弁という言葉を武器防具を自分で製作することだと思ってないよね?
それと近現代の徴兵制、国民皆兵制の軍隊を引き合いに出すのは間違ってると思うよ。
フランス革命の国民皆兵制以前の市民兵を語ることが本義だと考えているんだが。
>時代を下って、近代では火砲や戦車のような重装備が出てくるが、これを
>自弁しないから「市民兵ではない」と言えば、パットン第3軍の従軍者
>は怒るんでないの?
この例えにあまり意味があるとは思えないな。
>>517 >古代ギリシャの市民兵制の目的は、自作農によって構成された中産階層の維持にあり、
>決して軍事的な要求によるものではありません
それは、「淘汰」というものでないのか?
紀元前13世紀ころのギリシア時代は考古学では「王政」だったらしいが、
ドーリア人その他の南下で潰され暗黒時代に突入。
その混乱の後に出てきたのが、都市国家群と市民の重装歩兵なわけだが、
これは、明らかに軍事的優位による「淘汰」だろ。
>>562 >それはローマの人口そのもが優越してるからであって「市民兵だから」
>大量動員できたという理由にならない
イタリア半島内でローマが人口で優位に立つのは、手元に詳細な資料は
無いが支配領域から勘案して、ターラントを下してイタリア半島のかかと
に到達した頃だろ。それまでは、ローマからナポリくらいの沿海部の
ごく狭い地域に限られる。
この時点で、ピュロスを傭兵とする都市国家ターラントと対決した。
ターラントは当初、三十七万を目標に募兵したし、実際にそれくらいの
動員力はあると目されていた。ところが実際に戦場に動員できたのは
ピュロスの戦力を含めて2万6千。対するローマは2万4千。
初戦は、ターラントの圧勝に帰したが、それでもジワジワと戦闘損耗により
蝕まれていてき、最終的には1万6千まで減少する。対するローマは数万の
損失を蒙りながらも常に4個軍団約4万を戦場に供給できた。
イタリア半島内の統一戦争は、傭兵に対する市民兵制の動員力での優位を
語る上で良好な例だと思う。
>>562 >それと近現代の徴兵制、国民皆兵制の軍隊を引き合いに出すのは間違ってると思うよ。
>フランス革命の国民皆兵制以前の市民兵を語ることが本義だと考えているんだが
ギリシア・ローマの市民兵を中核とする兵制が、ルネサンス期にマキャベリ等に
再発掘されて、それがフランス革命以降の国民皆兵制へと流れていくのが
軍事思想の潮流だろ。
社会が変動する中で、市民兵制にとって不変なものは何かを見る上では
一連の流れで考察することが重要だと思うが。
織豊政権の軍隊が、同時代の欧州の軍団よりも、より柔軟な運用ができる
理由として、日本独特の「共和制」をあげたい。
「家中の同意」という概念により、末端の足軽でもかなりの戦闘への参画
意識をもっている。故にガチガチの密集隊形を組んで督戦したり、軽騎兵で
歩兵の隊列をサンドイッチしたり、見通しのよい平野部で宿営しなくとも
足軽が逃げ散る心配は薄い。
欧州の王権神授説に基づく「ロボット軍団」よりも多様な戦い方ができる
と思うね。
>>566 織豊政権に共和制などはない。
信長がどれだけ「家中の同意」を得た?
それから、別に兵はイデオロギーで動いてる訳じゃない。
テルシオと同時期の織豊期の軍の比較については過去ログを読むべし。
相変わらず強弁たれてますねこの子は
569 :
○V○:05/03/02 19:19:03 ID:???
>>559 前にも書きましたが、これはローマの人的資源の優位を示しているのであって、
市民兵制が動員力に優れていたことの証明にはなりません
>>562も同様です
570 :
○V○:05/03/02 19:24:34 ID:???
>武装の自弁については本質的でないと思う。
古代ギリシャでもマリウス以前の共和制ローマでも、兵役可能か否かの基準は
参政権を有することと、武装を自弁できるか否かです
この時期の兵士は、自弁できる武装の程度によって兵科が決定されています
基本的に武装を自弁できない者は兵役に就くことが出来ませんでした
あなたが主張しているマリウスの兵制改革以降の「市民兵」とは本質的に異なります
571 :
○V○:05/03/02 19:36:53 ID:???
>これは、明らかに軍事的優位による「淘汰」だろ。
古代ギリシャで市民兵制が普及したのは、農耕社会において経済的な基盤を
構成している自作農の発展によるものです
ポリスの政策は、それぞれ農園を営む自作農たちの投票によって決定され、
数の上で多数を占める小作農や奴隷等の無産階層は投票に関与できませんでした
ポリスの軍事力を自作農で構成することにより、自作農はポリスの政治を独占できたのです
少なくとも市民兵が動員力で優れていたからではありません
>>565 マキャベリの市民兵は結局使い物にならなかったので以後用いられなかった。
絶対王政期のヨーロッパ各国見ればわかる。
フランス革命時の国民皆兵制はマキャベリとは関係が無い。
マキャベリは士気が高くなると考えて市民兵を採用したが
フランスの国民皆兵制は何よりもまず兵員数の確保のため。
結果として燃えるような愛国心で戦ったが。
国民が皆市民、シトワイヤンである革命フランスと「市民階級」があるローマは比べられない。
このスレ的に柘植先生の例の英雄大戦シリーズはどうなんだ?
あんまり面白くないし、突っ込みどころも多そうだが
秀吉VSヴァンレンシュタインだのハンニバルVS曹操だのをやってくれるのはあの人だけなんだよなぁ
このスレ、○V○とその信奉者VS:○V○に反発する奴になっているな。
○V○が出てきてから、全然内容がスレタイから脱線しているようだが…
それは違うな
過去ログ読んでる?
前スレ、前々スレも
>>575 違うと主張するなら該当部分にアンカー付けてどうぞ
ていうかお互いに、これを読めば俺の言いたいことが分かるんだって本・資料を挙げれば済む話じゃないのか?
いやまあ自分で研究進めててまだ公刊に至っていないっていうんなら話は別だけど。
何でもかんでも二項対立に持ち込みたいお馬鹿さんはさておき、これを読めば俺の言いたいことが〜
ってのは解決にならないよ。私の本では違うことが書いてあるからお前おかしいだのそもそも資料としての信頼性がどうだの、
論理も糞もあったもんじゃない泥沼に陥る可能性がある。ていうか不利な側はそれを狙いかねない。
さらに、直接は古代と関係ないが参考にした書籍も当然「いいたいこと」に含まれてるだろうから、
書籍の数だけで膨大な量になりかねないし、量を競うようになってもアホらしい。
納得しない奴は何を言っても納得しないのだし、書き込みたい奴は何を言っても書き込むものだから、
変に自治をしない方がいいのでは。まともな感性を持っている人だけが書き込みを控えるようではも困るべ。
>>576 そもそも
>このスレ、○V○とその信奉者VS:○V○に反発する奴になっているな
これが証明されていないな。相手に労力を押し付ける前にしとくべき事な気はする。
576じゃないが、そんなもの証明する必要があるか?
一目瞭然だと思うが。
>>580 おまいは575に
>そんなもの証明する必要があるか?
>一目瞭然だと思うが。
と主張されたらどうするつもりだ。水掛け論がしたいのか?
それはさておき、論破されたにもかかわらず自説を強弁する輩がいるとな。
まずそれをどうにかするのが先、と判断する香具師が増えるのは致し方がない。
スレタイの内容は前スレで既に火力の差を越えようがないから戦国勝利で方がついたし。
新スレ立てるかどうかはともかく、次スレがあるなら名前を変えたほうがいいね。
>>578=581のようなアホがスレを潰すんだよな……
>>581 そんなもん水掛け論にする奴がアホ
>このスレ、○V○とその信奉者VS:○V○に反発する奴になっているな
スレのほとんどが○V○とその信奉者VS:○V○に反発する奴だろ
アンカー付けてもいいが、果てしなくくだらない労力になりそうだな
>>583 おまえもわからん奴だな。
だからさ、そんなこと言ってどうするんだ、って事だよ。
話が前向きな方向に発展するのか?
スレタイ通りの内容は過去スレでほぼ決着がついてる。
585 :
575:05/03/05 21:59:26 ID:???
>>574 >このスレ、○V○とその信奉者VS:○V○に反発する奴になっているな。
ここのところ少しそういう傾向はあったかもしれない。
ただ○V○は史料を提示してるいるし、主張も一貫している。
>>462も同じようにすれば良いだけの話。
違うと言ったのは後段の
>○V○が出てきてから、全然内容がスレタイから脱線しているようだが…
この部分。
○V○は今まで相手の例えば前スレ
>>786、このスレなら
>>462の主張に対して
史料を提示して反論するという形を取っている。
敢えて自分から脱線する話をしたことはないよ。
テルシオとかの話になってるのはスレタイの内容については前スレ前々スレで大体決着が
付いてるから。スレタイ変えるべきだってのは以前から言われてた。
市民兵云々もローマ側の市民兵だから士気が高くて有利、動員数でも有利という主張から始まってる。
だからあながち脱線とは言えない。
前スレの途中からもう実質戦国総合と各国の軍隊を語るスレと化している。
なんつーか、やたら擁護するのを見ると気持ちワルい
擁護というより、粘着して居る割にはソースも数字も根拠も述べない奴への反発だと思われ。
俺はどっち味方したいか、と言われたら、とりあえず「○V○に反発する奴」とやらの味方は出来ないな。
>俺はどっち味方したいか、と言われたら
「○V○とその信奉者VS:○V○に反発する奴」の実例だな
こいつ粘着厨の特徴を地でいってるな
>>588 だって、一方はともかく、
もう一方は憶測や思い込みだけで語ってる感があるし。
単純に両者を比較しただけでも。
どっちのいうことに説得力がある? とか
どっちの言ってることが本当だと思う? でも、
やっぱり、
>>462の方が正しい、とは思えないし。
>>462のレスとか読むと、まじめに考察や議論しようとしてるとは思えないでしょ。
どっちが正解とは必ずしも言いがたいとはいえ、一方が根拠に欠け、
もう一方が一応の根拠とソースを示すなら、根拠のあるほうが信憑性があると感じるのは間違い?
というより、○V○を信じるというより、
>>462みたいな奴の論説は信じがたい…
それに、○V○より信憑性のある論説を上げる奴が居たら、そいつの方を信じるさね。
信奉者おつ
(何でこんなに必死に擁護するのだろう?)
>>591 ほんなら根拠出して反論してくれや
それで済む話でしょうに
そんな必死に擁護擁護と喚く必要もなくなるよ
つーか根拠出して反論できないから必死に擁護擁護と喚いてるんだろうな。
>>590 まあ俺も○V○派だが、「信じるさね」とか言うなよ気色悪い。
>>595 ごめん、「信じるさ」or「信じるね」の好きなほうに脳内訂正してくれ…
597 :
名無し三等兵:05/03/07 21:40:58 ID:/9qxfdU9
ただ、この議論を見てて思うんですけど、市民兵派の論拠ってそんなに薄弱ですか?
428や559、564なんかはかなりしっかりした論拠だと思うんですけど。
私自身は動員力については、よく知らないんですけど、第三者から見ると、
強引に言いくるめているだけのような気がします。
もっとも、この問題の判別は難しいですよね。例えば傭兵の動員力にしても、
どれくらいの資金を用意できるのかで全然変わってきますし、市民兵にしても、
組織への帰属意識がどのくらい強いのか、また、国家がまともな状態にあるのか、
ないのかで変わってくるでしょう。また、人口の問題もあります。
ローマがどのくらいの動員力があるのかといった議論ならばできるのでしょうが、
募兵制度そのものを比べるのは、それだけの要素を抽出できないので、無理だと思います。
各要素の混在は社会科学全般に言えることですが、この問題は特に難しいのではありませんか?
結局、制度そのものが優れているのか、人口、経済力などの他の要素が優れていたのかは
判別できないでしょう。このスレを見ると、傭兵派はギリシャ、市民兵派はローマの例を挙げています。
結局、どっちもどっちと言ったところなのではないでしょうか?
>>597 全く同意
時代・状況により違うのは当たり前
なんかえらいことになってんな。
一応言っておくと、漏れ、あのあと粘着はとくにしていないが?
ふと、「あぁー、たしかに○v○の、市民兵より傭兵(はともかくとして)
徴兵のほうが動員にむく」というのは、まぁ、妥当だなー、と
思ったので。恥ずかしいから別に書かなかった。そこは素直に負けを
認める。
ちなみにだが、漏れはてっきり○v○はどの時代でも傭兵や徴兵のほうが、
市民兵より「常に戦闘に強く、有用である」と言ってるのかと
思い込んでたわけだ。単なる動員数でいうなら、○v○の言うとおりで
全く申し訳ない。今さらだが、未だに粘着していると思われるのも癪に
触るんで、一言書いておくわ。
○v○よ、正直スマソかった。
だが、どうも反論したり絡んだりするレスを、全部漏れと思われるのは
納得いかんでね。もう書き込まんが。
600 :
462:05/03/07 21:46:03 ID:???
もっと早くそう言っていれば…
602 :
462:05/03/07 22:20:07 ID:???
いや、恥ずかしくなったもんで、遠ざかっていたのだが…。
冷静に考えると、動員に限った話しか○v○はしていなかったし。
それで、そのあとここを見ていなかった。
久々にみてみたら、(話題も変わってるだろうと思い)まだ
漏れのレス番がさらされているうえに、粘着していると思われて
いるわけだ。
さすがに粘着しているとまで思われるのはいささか癪にさわるし、
いい機会だから素直に誤っておこうと思った。
下手したら、反論しているレス全部漏れが書いたものと思われてる
かもしれんしね。
603 :
601:05/03/07 22:25:19 ID:???
自分はそうは思っていない。
むしろ本人が反論するにしろ納得するにしろほったらかしはまずかった。
あれだけ書いたわけだから。
604 :
462:05/03/07 22:36:20 ID:???
ま、そうかもしれんね。
ただ、よくわからなかった部分について色々聞いていただけの
つもりだったが、だんだん「先にそちらの御考えをどうぞ」ときたり、
結局具体的なソースについては教えられてないからね。
数字について知りたかったのは、そのあたりがはっきりわかれば、
より理解が深まるかな、と思ったわけだ。
ただ、冷静に考えれば、確かに単純に動員数可能人数を考えるなら、
徴兵したほうが動員可能人数は多いなぁ、と。単純に。
ほんとうに時代ごとのノウハウや、教育システム的に、「具体的に
動員し、戦闘させることも可能だった」かどうかまではわからん
がね。また、「市民兵よりも戦闘に強く、いかなる場面でも有効」
とまでもいかんだろうけど。
そういうわけで、もう書かんだろう。
○v○よ、すまんかった。あれを噛み付いていると思われたのなら、
申し訳ない。
それはそれとして、今後の議題はどうする?
市民兵論争にも片ついたみたいだし、別の議論考えないか?
>時代・状況により違うのは当たり前
市民兵が徴募兵や傭兵に動員力で勝っていたケースってあるの?
>このスレを見ると、傭兵派はギリシャ、市民兵派はローマの例を挙げています。
このスレを見ると、最初に市民兵派がローマを挙げて論破されて
苦し紛れに今度はギリシャを挙げてこれまた論破されてるようにしか
見えないんですが
608 :
名無し三等兵:05/03/11 19:04:27 ID:i+HWjbgc
>>607 そうですかね?先にも言いましたように、制度そのものが優れていたのか、
他の要素が優れていたのか、判別するのは難しいと思います。
ですので、傭兵制度そのものが優れていると考えるのならば、少なくとも傭兵の動員力が
優れていた例を異なった時代・状況で、いくつかあげる必要があると思います。ですが、
双方の主張で動員力の比較がきちんとされているものは市民兵側が428、559、564、
傭兵側が517、523、とあんまり変わらないと思います。
結局、細部を除いて大局的にこの議論をみると、市民兵がうまくいったローマ、
いかなかったギリシャという構図しか見えてこないんですが・・・
なにぶん知識がないので、詳しいことは分かりませんが、どうでしょう?
609 :
名無し三等兵:05/03/11 19:13:12 ID:wtx/3VNw
日本では市民兵(徴兵された領民)より常備軍のほうが優れてると立証されてるが…
ちょっとまって、市民兵=徴兵された領民
なの?なら帝政ローマは違うよね?
611 :
名無し三等兵:05/03/11 19:38:00 ID:i+HWjbgc
>>609 市民兵と傭兵の比較じゃなかったんですか?
第一にこれはどういう比較ですか?徴兵軍と常備軍の比較?
徴兵された常備軍って存在すると思うんですけど。(近代の軍隊など)
これは徴募方法(徴兵)と維持形態(常備軍)の比較になり、比較できないと思うんですけど・・・
ここで言う日本とは戦国時代のことを言ってるんですか?だったらば、
戦時徴収される軍隊と常備軍の比較ではありませんか?勘違いしていたらすいません。
なんだか訳がわかりませんね。理念型による議論の限界でしょうか。
612 :
名無し三等兵:05/03/11 19:44:26 ID:wtx/3VNw
日本では市民兵という概念自体が無いからそう思ってましたが、違うなら間違いですね。
613 :
○V○:05/03/11 20:29:12 ID:???
前にも述べましたが、兵力策源を武装自弁可能な市民に限定する市民兵制は決して動員力に優れる制度ではありません
ポエニ戦争でローマは圧倒的な人的資源によりカルタゴに対して兵力で優位に立っていましたが、
これは市民兵制が動員力で優れていた根拠にはなりません
市民兵制の最も基本的な利点は、特定の社会階層に軍事力を独占的に集中させることによる国内秩序の維持にあります
少なくとも、ローマは軍事的な理由から市民兵制を採っていたわけではありません
>>611 だから近現代の軍隊と一緒くたにして語るなって
一応いっておくと、動員力と、戦闘能力は、別な。
当たり前の話だが。
そろそろ市民兵論争はもうやめにしないか?
堂々回りだし、実証できないのだから、平行線をたどる。
もうすこし軍板らしい議論をしないか?
実証できてないのは市民兵派のほうだけのような気がする。
617 :
名無し三等兵:05/03/11 23:54:45 ID:i+HWjbgc
○V○さんへ
どちらの制度がより優れているのかは、その他の要素がからんでくるので、
容易には決められないと思んですが?傭兵ならば資金、市民兵ならば国家の状態などです。
また、人口の問題にしても、市民兵は市民の数、それに対して傭兵は応募に応じてくれるような
連中の数と異なった要素になります。自作農民の数が多ければ市民兵に有利でしょうし、
それらが没落すれば傭兵の方が有利でしょう。また、これは極端な話になってしまいますが、
どれだけ資金があったとしても、現代の日本で傭兵を集めることは無理でしょう。要はさまざまな
要素がからんでくるので、募兵制度だけを比較することは難しいということです。
○V○さんはポエニ戦争でローマの動員力が上回っていたのは人口によるもので、
市民兵が優れていたのではないとおっしゃっていますが、どうしてそのようなことがいえるのですか?
市民兵の動員力が優れていた可能性もあると思います。実際にローマの方が多くの数を動員した
にもかかわらず、そのようなことをおっしゃるのでしたら、きちんとした根拠を示すべきではないですか?
ただ、先にも言いましたとおり、社会科学ではさまざまな要素が混在しますので、はっきり証明するのは
難しいと思います。そうでしたら、少なくとも傭兵の動員力が市民兵のそれよりも優れていた例を
異なった時代・状況で、いくつかあげる必要があると思います。そうすることによって、傭兵の動員力が
優れていることが普遍的、一般的であり、市民兵の動員力が上回ることは例外的であるとすることが
できると思います。しかし、双方の主張を見てみますと、市民兵側が428、559、564、 傭兵側が517、523、
とあんまり変わらないと思います。これでは市民兵がうまくいったローマ、 いかなかったギリシャという
結論しかでてこないと思います。双方の論拠にそんなに差があるのでしょうか?○V○さんはそうとう
知識があるのでしょうが、細かいところで知識を披露しているだけにしか見えません。
自分自身は動員力についての知識はないのですが、○V○さんの議論のやり方に疑問を感じたので、
書かせていただきました。長々とすみません。
>>617 スイス傭兵とかイタリア、フランクの話も出てたでしょうが
ちゃんとログ読んでる?
619 :
○V○:05/03/12 00:17:20 ID:???
>どちらの制度がより優れているのかは、その他の要素がからんでくるので、
>容易には決められないと思んですが?
決められます
むしろ無産階層を兵力として動員できない市民兵制が、無産階層を動員可能とする徴募兵や傭兵より
動員力に優れるという主張は理解に苦しみます
しかも、社会変動による有産階層の没落や兵役忌避を抱える市民兵制は兵力供給システムとしては
安定性に欠けており非常に脆弱です
アテナイは対ペルシア戦役を契機に無産階層を徴募兵や傭兵として大量に動員しています
古代ローマも市民兵制の動員力の限界に達したためマリウスの兵制改革により市民兵制を放棄しています
ディオクレティアヌス帝はユガチオ・カピタチオ制で市民兵制を部分的に採用しましたが、
兵役忌避が深刻で結果的に失敗しています
少なくとも、動員力に優れていたという理由で市民兵制が採られていたような事例は存在しません
620 :
○V○:05/03/12 00:58:16 ID:???
>○V○さんはポエニ戦争でローマの動員力が上回っていたのは人口によるもので、
>市民兵が優れていたのではないとおっしゃっていますが、どうしてそのようなことがいえるのですか?
第2次ポエニ戦争時のローマの兵役可能な市民の数は約25万とも言われています
この数字には武装自弁が不可能な貧困層は含まれていません
この時期、ローマは約12万の市民兵を動員しています
この他にラテン系植民地から約10万、同盟国からの兵力提供と傭兵により約30万を
動員しています
621 :
○V○:05/03/12 01:15:53 ID:???
>市民兵の動員力が優れていた可能性もあると思います。
そのような可能性は絶無です
>そうでしたら、少なくとも傭兵の動員力が市民兵のそれよりも優れていた例を
>異なった時代・状況で、いくつかあげる必要があると思います。
既に幾つか挙げていますが
622 :
名無し三等兵:05/03/12 03:15:03 ID:eVjwc4b9
○V○さんへ
自作農民が没落した時代に市民兵が動員力を持たないのはあたりまえです。
しかし、それは国内の情勢が原因であって、市民兵制度そのものが原因ではないでしょう。
例えば、今、日本で年功序列か実力主義かと言うことが議論されています。流れから言って、
実力主義に傾いていると言えます。しかし、だからといって実力主義が年功序列に対して優れていると
結論づけることはできないと思います。年功序列が当たり前であった頃、日本は高度経済成長期でした。
同じ事を拡大していくことが有効であった時代です。それに対して、現在は停滞期であり、
産業の構造の変革期です。当時は年功序列が機能した時代でした。アメリカでも日本の年功序列の
有効性が論じられたこともあったようです。しかし、社会の変化により、機能しなくなったのです。
ローマも同じで、社会情勢を無視して話をすることはできないのではないでしょうか?
第一に○V○さんの反論って少しずれてません?この話は傭兵と市民兵の動員の数そのものの話ですよね?
私が何か勘違いしてるのかな?どんな情勢でも動員可能であるのかないのか、と言うのでしたら、
傭兵のほうが優れているでしょう。ただ、今回の話は動員の数そのものの話ですよね?
○V○さんの反論って悪化した社会情勢だと市民兵は使えないが、傭兵は使えるっていうことを
話てるだけじゃないですか?また、ディオクレティアヌス帝が市民兵を採用しようとして、
失敗したってことは、少なくとも、ディオクレティアヌス帝は市民兵の有効性を考えていたってことでしょ?
ただ、社会情勢から失敗した。しかし、動員力そのものとは関係がないと思うんですが・・・
市民兵側の428、559、564なんかはきちんと動員力の比較がされていますよね?そういう根拠で考えていくと
傭兵派と市民兵はそんなに大差がないと思います。
結局、傭兵は社会情勢が悪くても使えるが、健全な国家の市民兵には勝てないって事だと思います。
要は着眼点の違いなのかな?傭兵派は不調の時代に着目して、市民兵派は好調の時代に着目して
いるんだと思います。
まあ、自分としては疑問をぶつけてみただけなんですけど、なんか、議論を混乱させただけのようなので、
退場させていただきます。では・・・
623 :
名無し三等兵:05/03/12 03:48:36 ID:ANy1SYK1
うーんと、○v○が、たまにたたかれるのは、やはり断言してしまう
ところにあるんじゃないか?
何を根拠に断言できるのかが、いまいちわからない。
というよりも、そもそも単純に、動員可能な層がどれくらいあるのか、
という話と。実際に動員し、装備を与え、軍として機能させることが
可能だったかの話と。戦闘能力においてどうだったかの話が錯綜
している気がするんだが。
いちおう市民兵の定義的に、たしかに人口は貧困層などと比べて少ない、
ゆえに動員可能数について劣る、というのは理解できる。
が、実際にはたして動員可能だったのか?
というのと、戦闘力として機能させることができるのか?という
あたりが、ちょっとあいまいな気がするのだが…。
そのあたりはどうなんでしょうか?
624 :
名無し三等兵:05/03/12 03:53:21 ID:ANy1SYK1
>>619 アテナイが貧困層なども動員したのは、軽装歩兵としてで
なかったでしたっけ?
あくまで主力は市民兵からなる重装歩兵だったと思うんですが。
また、数十年、数百年という単位でいうなら、たしかに市民兵は
没落したりなど、社会制度の変化もあるかもしれませんが。
ですが、それは市民兵の定義をどこにもってくるかの問題もあるのでは
ないのでしょうか…。
それに、常に実際に徴募兵は動員可能で、戦闘の単位として使用可能で
あり、常に傭兵は多くの市場が存在し、それらを常に動員でき、
彼らの給料もまかなえたのでしょうか?
場合によっては明らかに傭兵のほうが、高くつく気がするのですが。
それと、傭兵と徴募兵の議論がかぶっていて、よく筋が理解できませんよ。
>>624 ギリシャ都市軍の兵員の構成と割合についても○V○は言及しているようだが。
つか面倒臭がらずにちゃんとログ嫁。
626 :
○V○:05/03/12 06:07:05 ID:???
>自作農民が没落した時代に市民兵が動員力を持たないのはあたりまえです。
>しかし、それは国内の情勢が原因であって、市民兵制度そのものが原因ではないでしょう。
有産階層の没落により兵力供給が破綻するのは市民兵制固有の先天的な問題点と呼べるものです
>例えば、今、日本で年功序列か実力主義かと言うことが議論されています。
すいませんが何が言いたいのかよく理解できません
年功序列と実力主義の比較と市民兵制には何の因果関係もありません
>○V○さんの反論って悪化した社会情勢だと市民兵は使えないが、傭兵は使えるっていうことを
>話てるだけじゃないですか?
違います
市民兵制は大量動員には向いておらず、しかも安定した動員も難しいと言っているのですが
>また、ディオクレティアヌス帝が市民兵を採用しようとして、
>失敗したってことは、少なくとも、ディオクレティアヌス帝は市民兵の有効性を考えていたってことでしょ?
>ただ、社会情勢から失敗した。しかし、動員力そのものとは関係がないと思うんですが・・・
市民兵制固有の動員システムの脆弱性が原因です
ローマ軍はこの兵力不足を主にゲルマン人で補充することになり、軍隊のゲルマン化が進行することになります
>市民兵側の428、559、564なんかはきちんと動員力の比較がされていますよね?
どれも市民兵制が動員力で優れていたとする根拠にはなりませんが・・・
627 :
○V○:05/03/12 06:12:30 ID:???
>>624 すいませんが、前に何度か言ったことをもう一度繰り返すのも疲れました
628 :
○V○:05/03/12 06:22:33 ID:???
>結局、傭兵は社会情勢が悪くても使えるが、健全な国家の市民兵には勝てないって事だと思います。
すませんが、何が言いたいのかよく理解できません
そもそも健全な国家とはどういった国家なのでしょう?
国家がどのような状況であっても、兵力策源を武装自弁可能な市民のみに限定する市民兵制の動員力は
徴募兵や傭兵には劣ります
前から思ってたんだが、○V○は徴募兵と傭兵の場合を分けて論じろよ。
傭兵が動員力に優れているなら、なぜ市民兵制が採用されたのかって疑問も湧いてくるが
これについては傭兵を大量に調達するだけの経済基盤がその国家に成立していなかったと見ればいいのかな?
>>617といい
>>624といい
>>630といい、どうして市民兵派って
過去ログ読めばわかることを聞くんだろう?
自分に都合の悪いレスは読まないことにしてるの?
632 :
624:05/03/12 22:25:46 ID:???
現時点でのレスに対して、疑問をもったから聞いてみたわけだが。
まず○v○は、
>>629も言ってるが、傭兵の場合と徴募兵の場合の区別が
ついてるのか、ついてないのか、つけてるのかつけてないのか
全然ワカラソ。
<<市民兵制は大量動員には向いておらず、しかも安定した動員も難しいと言っているのですが
これは過去ログをよんでも、雲をつかむようではっきりわからなかった。
結局、市民兵は、その当時当時の支配階級層であるから、その没落具合に
よっては、安定供給できない、という意味なのか?
どんな制度でも没落はするわけだが、その最盛期、衰退期をわけて考えず、
「制度は衰退するので」現時点で動員力がすぐれていても、将来が不安定
だから、安定供給にむかない、といってるということなのですか?
それをいうなら、よっぽど傭兵のほうが安定供給できないと思うんだが…。
徴募兵は、徴募することはできるだろうけど、戦闘力として機能させるには
それなりの制度が必要なんだが。
>>年功序列
については、その時、その時にとられていた制度と、その当時の社会情勢は
必ずしも リアルタイムでつながっているわけじゃなく、
その功罪はかなり後にならないとわからない、ということを言ってる
んじゃないか?それゆえ、ある一時期の制度とその社会情勢を論じる
○v○の論には無理がある、という意味なんだと思うんだが。
漏れもよくワカラソが、多分こういう意図だろ?
633 :
○V○:05/03/12 23:01:36 ID:???
>現時点でのレスに対して、疑問をもったから聞いてみたわけだが。
正直、何度も同じことを書くのはもうウンザリです
>これは過去ログをよんでも、雲をつかむようではっきりわからなかった。
>結局、市民兵は、その当時当時の支配階級層であるから、その没落具合に
>よっては、安定供給できない、という意味なのか?
これももうウンザリです
>それをいうなら、よっぽど傭兵のほうが安定供給できないと思うんだが…。
>徴募兵は、徴募することはできるだろうけど、戦闘力として機能させるには
>それなりの制度が必要なんだが。
市民兵制でも戦力として機能させるためにはそれなりの制度が必要です
634 :
630:05/03/13 01:21:25 ID:???
>>631 勝手に人を一括りにしないで頂きたい。
市民兵の傭兵に対する優越性なんて言っちゃいない。
確かに過去ログ読まずに同じこと繰り返す市民兵派にはもううんざり。
何故過去ログ読まないんだ?
>>636 読んでも理解できない、むしろ理解したくない、と言うのもあるかもしれない。
中庸も妥協も出来ず、自説が全て正しいと思いがちな人はこのスレにも多いんじゃあないかと。
不特定多数でね。
「大量動員に向かない市民兵では数が足りなくなったから徴募兵や傭兵を大量に動員するようになる」
ってのが古代ギリシャやローマのケースだが、
市民兵派の主張してる「国の財政が破綻して徴募兵も傭兵も集められないけど武装を自弁できる市民兵は集められる」
って状況がよく理解できないんだが。
そんなケースってあるのか?
つーか、
「国の財政が破綻して徴募兵も傭兵も集められないから武装を自弁できる市民兵制度を採用していた」
ケースだな。
>>640 国の財政が破綻=税金を払っている有産階級の市民兵に重税、没落だから無いだろう。
どんなボロボロの武器防具でもいいというならともかく。
では市民兵派が主張してる「状況によっては市民兵のほうが徴募兵や傭兵より動員力に優れる」
ってどこの国のいつの時代のことなんだろう?
どんな場合でも傭兵が徴募できる時代の証明が先だな
時代ごと傭兵市場の統計ってあるのか??
644 :
○V○:05/03/13 21:41:27 ID:???
古代ギリシアも古代ローマも市民兵の動員の限界を徴募兵や傭兵で補っていますね
ディオクレティアヌス帝が試みた市民兵の動員数が予定された数を下回り、
その不足を補ったのもゲルマン人傭兵です
徴募兵や傭兵を動員できなかったから市民兵制を採った事例など皆無です
645 :
○V○:05/03/13 21:44:32 ID:???
>古代ギリシアも古代ローマも市民兵の動員の限界を徴募兵や傭兵で補っていますね
これは少し不適切でした
ローマでは補うというより切り替えたとすべきでした
646 :
○V○:05/03/13 21:49:41 ID:???
で、私も市民兵のほうが徴募兵や傭兵よりも動員力で優れていた事例を伺いたいのですが
647 :
○V○:05/03/13 21:58:07 ID:???
「傭兵市場」というものの定義がよくわかりませんが、有産階層に限らず
無産階層や外国人も徴募兵や傭兵として動員可能である以上、
供給源に不足することはないでしょうね
徴募兵として徴集可能>社会構造による
そう言えば、中国の後漢だったか不良青年を強制徴募して戦争に行ったら
みんな使い物にならなくて駄目だったというエピソードをうろ覚えだが
男性壮年人口=徴募可能兵力だという理解でよろしいか?>○V○
649 :
○V○:05/03/13 22:18:47 ID:???
男性壮年人口=徴募可能兵力というより壮丁=動員対象でしょうね
実際に国内の壮丁を全て動員するのは非現実的ですから
>壮丁=動員対象でしょうね
ならば動員率って話が出てくるな
これが高いか低いかは同時代でも、いろいろな例があるよね?
WW2の日本が動員率をそれほど高められなかった例とか、パラグアイ戦争の例とか
651 :
○V○:05/03/13 22:26:51 ID:???
>>650 すいませんが質問の意図がよくわかりません
>>651 1 壮丁を完全動員することはできない
これについては○V○も同意
2 したがって、動員することのできる%が存在する
3 その%は時代、社会によって違う
理解できませんか?
653 :
○V○:05/03/13 22:30:45 ID:???
なるほど
で、市民兵が徴募兵や傭兵を動員率で上回っていた事例があるんですか?
%は存在する、しかしそれが時代によって違っていようと資格に制限がある市民兵が動員数で勝ることなど無い。
>>653 いや、その%が知りたいのだが?
市民兵よりも傭兵の動員率が高い(もしくはその逆の主張でもいい)などの結論をお持ちならば
とうぜんその根拠となる数字をお持ちなのでしょう?
私は、どっちが正しいとも主張していないので、市民兵の動員率の数字を持ってませんがね。
立派な結論をお持ちなのに質問に質問で返すのはおかしいと思うのです。
>私は、どっちが正しいとも主張していないので、
じゃあ黙ってろよ
>>657 ○V○氏の主張の根拠に疑問を持っただけなのですが
なぜ罵倒されなければならないのでしょうか?
曖昧な前提を元に議論をしても意味がないと思うのですが。
時代ごとの市民兵や徴募兵の動員率を出せば一発でケリが付くのではないかと思うんですが。
659 :
○V○:05/03/13 23:15:28 ID:???
紀元前4世紀のスパルタでは重装歩兵ですらスパルタ市民兵は2割程度で他は全て徴募兵と傭兵です
ペロポネソス戦争時、アテナイは1万の市民兵の他に約10万の徴募兵と傭兵を動員しています
いずれも市民兵の数の不足によるものです
まあ数以前の問題だと思いますが
>主張の根拠に疑問を持っただけなのですが
兵力源を特定の社会階層に制限された市民兵は、全ての社会階層から動員可能な徴募兵や傭兵より
動員力に劣るという根拠のどこら辺が疑問なのですか?
自分は質問を繰り返し、自分の意見を言わず、
逆に質問されると「質問に質問で返すな」と言って
回答を回避し続ける行為は、単なる粘着な揚げ足取りにしか
見えないんだが?
つーか、
>>643も質問返しだよな
市民兵派は質問返ししてもいいのか?
お前ら何でそんなに必死なんだ?
過去ログも読まない人達にうんざりしてるから。
万が一次スレまで行くようなことになったら
テンプレ作らないといけねえな
665 :
名無し三等兵:05/03/14 19:17:36 ID:o58MNX4a
どうも議論が混乱しているようだが、
みんなの○V○殿への質問に自分の疑問を加え、まとめてみた。
回答に何度も同じ事を書くことがめんどくさいなら、以前のスレの番号を書いてくだされ。
1 特定の階層しか動員できない市民兵に対し、階層を問わない傭兵に動員の幅があるのはわかる。
しかし、その傭兵は常に安定的に供給ができたのか。また、その根拠はなにか。
2 市民兵の目的が社会制度の維持にあるのはわかったが、それは市民兵の動員の少なさを証明した
ことにはならないのではないか。
3 仮に補助的に傭兵が用いられていても、それをもって市民兵の動員力が少ないとすることは
できないのではないか。ポエニ戦争でローマの動員力が多かったのは市民兵の力ではない、
とおっしゃっているが、これはどうなのか。620でポエニ戦争の兵力について言及されているが、
植民地や同盟市の兵力はどのように解釈しているのか。市民兵と解釈しなくても、傭兵と解釈する
こともできないと思う。そして、最終的に、この頃のローマ軍の主力は市民兵ではなくて
傭兵であったとお考えなのか。
666 :
名無し三等兵:05/03/14 19:19:15 ID:o58MNX4a
4 双方の示している数字であるが、○V○殿がその数字を示されたのは523、659であり、
この2つは若干かぶっている。一方、市民兵派は564と、大まかではあるが428もそうで
ある。これらを見ると、双方の根拠にあまり差はないと思う。
5 傭兵派は変化(市民兵から傭兵に変遷していく過程)をもって根拠としてるが、市民兵派は
対照(市民兵の軍と傭兵の軍との比較)を根拠としている。変化をもって考察する場合、時代ごとの
情勢の違いが問題となり、対照をもって考察する場合は組織の違いが問題となってくる。
どちらにも問題があり、このスレの内容だけでは結論をつけることは難しいのではないだろうか。
6 ○V○殿の相手の言葉の解釈はあまりに無粋だと思う。622が年功序列と実力制の例を出して
いたが、これは制度と社会情勢の関連についての例として出しただけである。
それを「年功序列と実力主義の比較と市民兵制には何の因果関係もありません 」と回答するのは
いかがなものか。また、「そもそも健全な国家とはどういった国家なのでしょう?」と回答されて
いるが、ここでいう「健全な国家」とは自作農民が機能していることであることは文脈からみて
あきらかであり、そのような解釈はどうかと思う。
7 傭兵と徴募兵をきちんと分けて論じていないと思う。
>>665 徴募兵も入れないと。
2は1で理由を述べてしまってるんじゃないか。
ローマの方は叩いて潰す剣。 日本刀はスパスパ切れる。
ローマ軍重装歩兵の密集隊形では、戦国も手出しできない。
まぁ、
>>665の意見は妥当だろう。
○v○は知識は深く、ずいぶんと丁寧で漏れも好感をもっているんだが…。
どうも社会情勢や当時の政治システムの大掴みな説明から、とつぜん
断定にいくので、ちょっと理解できない。断定するなら、それなりの数字的な
根拠を、というのは首肯できる。
それと、傭兵と徴募兵を一緒にして話をしていたり、動員できることと、
実際に戦闘させることが可能だったかの話も曖昧だったりする。
歴史にお詳しい方なのはわかるんだが、どうも、実務的な部分に曖昧さが
残っている気がする。
あと、○v○に反対したり、反論するのを全員市民兵派と思われるのも困る。
基本的には同意見でも、意味のわからないところを聞いたりするだけの
こともあるわけで…。
>>668 えーとですね、それって、ローマ軍の諸兵連合的な強さをあえて捨てさって、
重装歩兵だけで尚武しようということ?
アホかw
あと、スパスパ切るタイプの剣をもった異民族にローマ軍が苦戦したりした
事例も御存じないようで。
ぶっちゃけローマ軍が石弓やら大型の兵器抜きで、歩兵だけで戦って
くれるなら、五分五分だろ。槍襖は実在してるわけだし。
足軽とはいえ、結構重武装で、ローマの重装歩兵ともそうそうそん色ない。
670 :
○V○:05/03/15 19:34:08 ID:???
>1 特定の階層しか動員できない市民兵に対し、階層を問わない傭兵に動員の幅があるのはわかる。
> しかし、その傭兵は常に安定的に供給ができたのか。また、その根拠はなにか。
安定的に動員できたとは言いませんが、徴募兵や傭兵が市民兵よりも大量動員し得たのは
対ペルシア戦役以降の古代ギリシャやマリウスの兵制改革以降及び4世紀以降のローマを見れば明らかです
>2 市民兵の目的が社会制度の維持にあるのはわかったが、それは市民兵の動員の少なさを証明した
> ことにはならないのではないか。
市民兵は特定の社会階層からしか動員できないからです
671 :
○V○:05/03/15 19:44:52 ID:???
>3 仮に補助的に傭兵が用いられていても、それをもって市民兵の動員力が少ないとすることは
> できないのではないか。
ペロポネソス戦争において、動員された徴募兵や傭兵の数は市民兵を上回ります
また、戦争形態の変化により徴募兵や傭兵は市民兵で構成された重装歩兵の補助兵科の地位から脱却しています
> ポエニ戦争でローマの動員力が多かったのは市民兵の力ではない、
とおっしゃっているが、これはどうなのか。
ローマの圧倒的な人口資源の優位によるものです
少なくとも市民兵制が動員力に優れていたからではありません
> 620でポエニ戦争の兵力について言及されているが、
> 植民地や同盟市の兵力はどのように解釈しているのか。
ラテン植民地や同盟国から動員された兵員の動員原理は各々の植民地や同盟国によって様々です
一括りにできるようなものではありませんし、その意味もありません
> そして、最終的に、この頃のローマ軍の主力は市民兵ではなくて
> 傭兵であったとお考えなのか。
ポエニ戦争時のローマ軍は市民兵軍です
傭兵ではありません
672 :
○V○:05/03/15 19:53:15 ID:???
>4 双方の示している数字であるが、○V○殿がその数字を示されたのは523、659であり、
> この2つは若干かぶっている。一方、市民兵派は564と、大まかではあるが428もそうで
> ある。これらを見ると、双方の根拠にあまり差はないと思う。
数字は他にも挙げています
>>564は単にローマの人的資源の優位を示しているに過ぎず、
市民兵制というシステムの動員における優位の証明にはなりません
>>428は市民兵制を放棄した後のローマ軍について言及しているだけです
これも市民兵制が動員で優れていた証明にはなりません
私の根拠が弱いというなら具体的にどう弱いのか伺いましょう
どうも私が質問すると質問返しだ言って回答を避ける向きの人がいますが、
あなたの質問の意図を具体的に把握できないと私も的確な回答ができませんので
673 :
○V○:05/03/15 20:01:46 ID:???
>5 傭兵派は変化(市民兵から傭兵に変遷していく過程)をもって根拠としてるが、市民兵派は
> 対照(市民兵の軍と傭兵の軍との比較)を根拠としている。変化をもって考察する場合、時代ごとの
> 情勢の違いが問題となり、対照をもって考察する場合は組織の違いが問題となってくる。
> どちらにも問題があり、このスレの内容だけでは結論をつけることは難しいのではないだろうか。
対ペルシア戦役以前のギリシャでは兵員の大量動員の必要性がありませんでした
理由は既に述べているので省略します
マリウスの兵制改革以前、例えばポエニ戦争時のローマは、圧倒的な人的資源の優位のおかげで
市民兵制でも敵を圧倒する大量動員を達成できました
これは、ローマの市民兵制の優位ではなく、ローマの国力の優位によるものです
674 :
○V○:05/03/15 20:08:07 ID:???
>6 ○V○殿の相手の言葉の解釈はあまりに無粋だと思う。
エレガントな反論や質問には可能な限りエレガントな回答を心がけていますし、
相手の主張や内容が具体的であればこちらも具体的な回答が可能です
しかし、無粋なレスにはどうしても無粋な回答になってしまいますし、
傲慢なレスにはどうしても傲慢な回答になってしまいます
675 :
○V○:05/03/15 20:09:49 ID:???
>7 傭兵と徴募兵をきちんと分けて論じていないと思う。
分けて論じる必要性を感じません
理由は既に述べていますので省略します
676 :
名無し三等兵:05/03/15 20:12:39 ID:Gb0zwI/F
つまり徴募兵・庸兵による募兵をとった場合でも市民兵階層が除外されるわけではないので
(市民兵⊂徴募兵・傭兵)必然的に多いといえるということでしょ。
なぜ突っかかる人がいるのかよく分からないけど
677 :
○V○:05/03/15 20:16:15 ID:???
>>673の「例えばポエニ戦争時のローマは、」は余計ですね
この部分は削除します
678 :
○V○:05/03/15 20:18:24 ID:???
>>678 なら初めからそう言えばいいじゃん
簡単に説明できることを、長文でわかりにくく記述する奴を俺は頭の良い馬鹿と呼ぶが
初めからそう言ってるって。
その後も何度も。
勝手に誤解してただけ。
681 :
○V○:05/03/15 22:02:57 ID:???
>>679 つーかお前が頭の悪い馬鹿なだけだろ・・・。
683 :
名無し三等兵:05/03/15 22:17:03 ID:5sFgasnX
○v○殿、665、666はそこでも書きましたとおり、自分の意見と周りの意見をまとめたもので、
全てが自分の意見ではありません。ただ、ここでは現時点で私が感じたことをまとめておきます。
あなたの理論である特定の階層しか動員できない市民兵に対し、階層を問わない傭兵、徴募兵は
動員力がある。これはわかります。しかし、市民兵派の理論である。傭兵は金が無いと集められない。
また、傭兵市場が無いと集められない。(募集対象がいないと集まらないということ)
徴募兵は強制を伴ってしまう。しかし、市民兵は参画意識により、共和制が機能している限り、
市民兵制も機能しうる。という根拠についてどう思われるのか。564でターラントが37万人を
目標に集めようとしたが、実際に集まったのは2万4千人だったことを述べられています。
これについてはどう思われているのか。
募集の方法が同じであるならば、対象を拡大したほうが集まるでしょう。しかし、そもそも、
傭兵、徴募兵、市民兵は募集の方法そのものが違うのです。方法が違うものを対象が大きいからと
いって、安易に結論づけるのはいかがなものでしょうか。
また、ポエニ戦争は現実的に市民兵を採用するローマの動員力が上回ったわけです。
ローマの人口が多かったのはわかります。しかし、なぜ市民兵制が関係ないのか、
なぜ主要因は人口であると断言できるのか、その根拠を伺いたいのです。
564への評価も同じです。さらに564はこの時点ではローマの人口の優越はなかったと
おっしゃっております。これはどうお考えなのか。
○v○殿は解釈が一方的ではありませんか?これは669も書いておられますが、
断言しづらいものを勝手に断言してるように見えます。
これ以上書いても同じ事の繰り返しになるだけだと思うので、もう書きませんが、
以上が私が思ったことです。
塩野七生に聞けばすぐにわかるよ。
>しかし、市民兵派の理論である。傭兵は金が無いと集められない。
>また、傭兵市場が無いと集められない。(募集対象がいないと集まらないということ)
>徴募兵は強制を伴ってしまう。しかし、市民兵は参画意識により、共和制が機能している限り、
>市民兵制も機能しうる。という根拠についてどう思われるのか。
実際にそのような事例があったことが示されていない以上、あなたの主張する根拠は単なるファンタジーです
市民兵制はちゃんと機能していても大量動員で徴募兵や傭兵に劣ります
>564でターラントが37万人を
>目標に集めようとしたが、実際に集まったのは2万4千人だったことを述べられています。
>これについてはどう思われているのか。
単純に、ターラントが傭兵を動員できなかったことを示しているに過ぎません
>募集の方法が同じであるならば、対象を拡大したほうが集まるでしょう。しかし、そもそも、
>傭兵、徴募兵、市民兵は募集の方法そのものが違うのです。方法が違うものを対象が大きいからと
>いって、安易に結論づけるのはいかがなものでしょうか。
質問が具体性に欠けます
動員原理が違えば動員の要領が違うのは当たり前です
具体的にどういかがなものなのか伺いましょう
>また、ポエニ戦争は現実的に市民兵を採用するローマの動員力が上回ったわけです。
>ローマの人口が多かったのはわかります。しかし、なぜ市民兵制が関係ないのか、
>なぜ主要因は人口であると断言できるのか、その根拠を伺いたいのです。
関係が「ない」ことは証明することなんてできません
>564への評価も同じです。さらに564はこの時点ではローマの人口の優越はなかったと
>おっしゃっております。これはどうお考えなのか。
通商国家であるターラントの当時の人口は数十万程度、これでもイタリア半島の
都市国家としては大きいほうですが、当時のローマ市の市民権保持者は約30万、このうち
兵役可能な市民の数は15〜20万と推定されています
これに市民権を有さない下層民や従属民が加わり、更に建設が進められていた植民地の
人口が加わります
ローマが人口で優越していなかったとはとても思えません
>○v○殿は解釈が一方的ではありませんか?これは669も書いておられますが、
>断言しづらいものを勝手に断言してるように見えます。
具体的にどう一方的なのか説明してもらわないとコメントできません
どうもあなたの主張は具体性にかけるものが多く、こちらも的確なコメントができません
688 :
○V○:05/03/15 23:41:18 ID:???
結局、市民兵派というか反○V○派が馬鹿晒して終わり?
論点がかみ合って無かっただけの話。
それを馬鹿呼ばわりするのは非礼な行為だよ。
勝手に誤解して傲慢だの馬鹿だの言ってたやつはいたな。
○V○の一人勝ちというか、○V○の盛大な釣りだったな。
ここまでトロール漁並の乱獲も珍しいが。
勝手に誤解して勝手に噛み合わなくして勝手に激昂して
挙句に弄ばれてただけの気がする
ていうか、さんざん勝手に市民兵派とみなされている人の中には、
基本的には同意見でも、ちょっと細部が違う人とか、単に意味のわからない
ところを聞いてる人もいるでしょう。
ぶっちゃけちゃんとした傭兵、徴募兵派としてしゃべれているのは○v○だけ。
それ以外のほとんどは一行レスで、反対意見をくさして喜ぶだけの人たちじゃ
ないですか?
例えば
>>689のようなw
>>675 すみませんが、わけて考える必要を感じないの根拠が、やはりわかりません。
傭兵というのは、基本的に軍事的ノウハウを所有している集団で、いわば
即戦力です。場合によっては重武装です。
それに対し、徴募兵というのは、場合によっては軍事的ノウハウ以前に
そもそも武器をもったこともなく、体力にも劣っているグループである
ことが多いと思われます。ただ傭兵と違う点は、各地に土着している
住民が主な徴募先となることだと考えます。
本質的に異なるのですが、なぜわけて論じる必要がないのでしょうか…。
どう考えてもわかりかねるのですが。
>>670 あと、それだと、傭兵や徴募兵を大量に活用できた時代があったのは
わかりますが、それ以外の時代にも敷衍するのにはすこし無理があるのでは
ないでしょうか??
単に「動員可能な数」というだけなら、常に徴募兵は市民兵を上回ると
思われます。また、実際に動員させて戦闘させることも可能な時代も
あったかと思われます。
ただ、傭兵はどうも実態がつかみにくいですし、議論からはずしませんか?
傭兵プラス徴募兵が市民兵を上回ることに異論はないですが。
傭兵単独が常に市民兵を上回るか。
または、徴募兵が常に実際に動員可能で戦闘も可能だったかになると、
すこし話が違ってくるのではないでしょうか?
696 :
○V○:05/03/17 00:00:38 ID:???
>傭兵というのは、基本的に軍事的ノウハウを所有している集団で、いわば
>即戦力です。場合によっては重武装です。
>それに対し、徴募兵というのは、場合によっては軍事的ノウハウ以前に
>そもそも武器をもったこともなく、体力にも劣っているグループである
>ことが多いと思われます。
傭兵とは金銭を得ることを目的に軍役に就く兵士であり、徴募兵とは徴集された兵士のことです
あなたが主張しているような個々の兵士の軍事能力の高低とは無関係です
論点が動員である以上、特定の社会階層に限定される市民兵に対し、徴募兵と傭兵は国籍や社会階層を問いません
故に分けて論じる必要性などありません
697 :
○V○:05/03/17 00:05:40 ID:???
>ただ、傭兵はどうも実態がつかみにくいですし、議論からはずしませんか?
傭兵はいつの時代の戦場にも多かれ少なかれ存在した普遍的な存在です
それを外して議論しても意味が無いでしょう
698 :
○V○:05/03/17 00:22:08 ID:???
>傭兵単独が常に市民兵を上回るか。
では、国籍や社会階層を問わない徴募兵や傭兵を十分に動員できなかったために
市民兵制に切り替えた事例を伺いましょう
>または、徴募兵が常に実際に動員可能で戦闘も可能だったかになると、
>すこし話が違ってくるのではないでしょうか?
論点が動員である以上、そのような議論に意味があるとは思えません
4世紀以降のローマやメロヴィング朝フランクのように、
市民兵でも常に実際に動員可能で戦闘も可能だったわけではありません
699 :
○V○:05/03/17 00:36:58 ID:???
>>696の下二行は日本語になっていませんね
失礼しました
「論点が動員である以上、分けて論じる必要性はありません」
と訂正します
>基本的には同意見でも、ちょっと細部が違う人とか、単に意味のわからない
>ところを聞いてる人もいるでしょう。
それにしては質問返しだの傲慢だの無粋だの馬鹿だの言ってるのがいるがw
>論点が動員である以上、分けて論じる必要性はありません」
それを言うと、そもそもなぜ市民兵と傭兵・徴募兵を対立概念のように
分けて論じていたのかという話になるな。
702 :
名無し三等兵:05/03/17 07:56:21 ID:ENMnevOK
ここまでくると只の煽りだな(今までも十分煽りだったけど)
放置して次行こうぜ
16cの戦国日本の食料生産ってどれくらいなんでしょう
千五百万石くらい?
やや時代は降って16世紀の後半になるけど、
太閤検地から関ヶ原の時期には2000万石弱だっていう推計が出ているらしい。
705 :
名無し三等兵:05/03/17 19:09:57 ID:XalR+SID
○V○、質問よろしいか?質問の内容は理論の建て方や数字の扱いについてなんだが。
今まで何度も言われているが、なぜ、傭兵と徴募兵を分けて考える必要がないんだ?
まず、この2つは集め方が違う。集め方が違えば、動員数も違ってくるだろ?同じ方法で集めれば、
対象が広い方が、集まるだろう。しかし、方法が違えば、対象だけで考えることはできないと思う。
その上、募集する対象も徴募兵は自国民だけだが、傭兵は外国人も含まれる。根本的に考えて、
市民兵、徴募兵、傭兵はまったくの別物だ。方法も対象も3者3様、分けて考えなければまずいだろ。
○V○は「特定の社会階層に限定される市民兵に対し、徴募兵と傭兵は国籍や社会階層を問いません
故に分けて論じる必要性などありません 」とよく言っているが、そんなことを言ったら、
「市民兵と徴募兵は自国民のみを対象としています、故に分けて論じる必要性などありません 」など、
いろいろ言えてしまうと思うぞ。この議論は戦闘能力とは関係がない。しかし、方法が違えば、
動員数に関わってくるだろ?ならば分けて考えるべきだと思う。
さらに、分けて考えなければ、数字の出し方にも影響してくる。例えば、市民兵が1万、傭兵が7千、
徴募兵が5千、動員されたとする。言うまでもなく、一番動員できたのは市民兵だ。しかし、
きちんと分けて考えなければ、市民兵が1万、その他が1万2千と結果が変わってしまう。
数字の正確性からも、分けなきゃまずいだろ。
706 :
名無し三等兵:05/03/17 19:11:03 ID:XalR+SID
ポエニ戦争でローマの動員数が上回ったのは人口によるものだと言っている。しかし、ローマは市民兵、
カルタゴは傭兵だ。市民兵は人口によるのかもしれないが、傭兵は資金によって決まってくる。だから、
人口と人口の単純な比較はできないと思う。正確に言うなら、人口と資金の比較になる。もちろん、
人口と資金の比較なんてできない。しかし、片方が、金を使って集めているのに、もう片方の人口の
優位性を論じてもあまり意味はないんじゃないか。
また、そのカルタゴは経済大国だ。ローマが市民兵を集めやすい環境にあったのと同時に、カルタゴも
傭兵を集めやすい環境にあったと言える。これは考慮しなくていいのか?
また、そのローマの人口の計算のしかたも問題があると思う。○V○は植民市や同盟市の兵士を
市民兵としていない。この話は市民兵の動員力について論じている。だったらば、この計算で
これらの都市の人口を計算に入れることはできないんじゃないか?普通に考えて、点数がカウント
されないのに、母体として計算するのはおかしいだろ。
707 :
○V○:05/03/17 19:23:59 ID:???
>その上、募集する対象も徴募兵は自国民だけだが、傭兵は外国人も含まれる。
その認識は間違いです
6世紀以降ブルターニュに進出したフランクはガロ・ローマ系住民や旧ローマ軍団兵等を
徴募しています
ですから
>「市民兵と徴募兵は自国民のみを対象としています、故に分けて論じる必要性などありません」
というあなたの主張は間違ってます
708 :
○V○:05/03/17 19:32:37 ID:???
>さらに、分けて考えなければ、数字の出し方にも影響してくる。例えば、市民兵が1万、傭兵が7千、
>徴募兵が5千、動員されたとする。言うまでもなく、一番動員できたのは市民兵だ。しかし、
>きちんと分けて考えなければ、市民兵が1万、その他が1万2千と結果が変わってしまう。
>数字の正確性からも、分けなきゃまずいだろ。
そのような仮定には意味を見出せません
論点は、参政権を有し、かつ武装の自弁が可能な一部の富裕な階層に動員対象を限定される市民兵と、
国籍や財産の多寡を問わない徴募兵や傭兵とどちらが大量動員に向いているか、です
例えば、対ペルシア戦役以前のギリシャやマリウスの兵制改革以前のローマの軍隊における量的な主力は市民兵ですが、
これをもって市民兵が徴募兵や傭兵よりも動員能力に優れていた証明にはなりません
理由は既に述べていますので省略します
709 :
○V○:05/03/17 19:40:26 ID:???
>ポエニ戦争でローマの動員数が上回ったのは人口によるものだと言っている。しかし、ローマは市民兵、
>カルタゴは傭兵だ。市民兵は人口によるのかもしれないが、傭兵は資金によって決まってくる。だから、
>人口と人口の単純な比較はできないと思う。正確に言うなら、人口と資金の比較になる。もちろん、
>人口と資金の比較なんてできない。しかし、片方が、金を使って集めているのに、もう片方の人口の
>優位性を論じてもあまり意味はないんじゃないか。
別にローマとカルタゴの人口の比較をしているわけではありません
豊かな人的資源に裏づけられたローマ軍が傭兵主体のカルタゴ軍を量的に圧倒しただけです
これなローマの市民兵制のシステムの優位性ではなく、ローマの国力の優位によるものです
710 :
○V○:05/03/17 19:42:04 ID:???
>また、そのカルタゴは経済大国だ。ローマが市民兵を集めやすい環境にあったのと同時に、カルタゴも
>傭兵を集めやすい環境にあったと言える。これは考慮しなくていいのか?
単に、カルタゴは経済大国ではあったけれどもローマ軍を上回る数の傭兵を雇用するほどの経済力がなかっただけです
711 :
○V○:05/03/17 19:49:51 ID:???
>また、そのローマの人口の計算のしかたも問題があると思う。○V○は植民市や同盟市の兵士を
>市民兵としていない。この話は市民兵の動員力について論じている。だったらば、この計算で
>これらの都市の人口を計算に入れることはできないんじゃないか?普通に考えて、点数がカウント
>されないのに、母体として計算するのはおかしいだろ。
すいませんが何を言っているのかよくわかりません
第2次カルタゴ戦争時、ローマは市民兵12万を動員しています
この中にはラテン植民地の兵や同盟軍、傭兵の数は含まれていません
つーか、徴募兵と傭兵を分けずに論じようが分けて論じようが
市民兵が大量動員で徴募兵や傭兵に劣ってるという結論は変わらないのでは?
713 :
694:05/03/17 21:47:18 ID:???
>>696 社会階層を問わないという以外の、共通点は何なのですか?
全く異なるものです。
たとえば
>>707についてですが。西ローマ帝国後期に雇われていた
国境警備の傭兵は外国人のゲルマン民族ですが。
クセノフォンなどギリシア傭兵も、ペルシアを雇い主にしています。
これに対し、徴募兵はあくまで土着の民であり、外国人を徴募兵として
使う例はほとんど聞いたことがありません。
ゆえに両者は違うものであり、わけて考える必要がありますが。
そして、徴募先の社会階層が異なることが、市民兵と傭兵および
徴募兵をわけて考えることの根拠であるとしたら。
傭兵と徴募兵も社会階層が異なりますが、これはわけて考える必要が
ないということなのですか?
714 :
694:05/03/17 21:49:51 ID:???
>>697 ええと、そのお説が正しいなら、現代においても普遍的で、傭兵単独でも
必ず市民兵を上回る数がいるということになります。そのうえで、外国人では
ないという前提があるということですよね?
たとえば日本の自衛隊は志願兵であるし、一般的な日本市民から選抜された
市民軍といってもいいと思いますが。
その日本に、自衛隊の数を上回る膨大な傭兵がいるとは考えられません。
ただ、徴募兵単独で考えるなら、あきらかに現状の志願制の自衛隊よりも
大きな軍隊を作ることは可能ではあります。不可能ではない、という意味ですが。
この考えは、間違っていますでしょうか?
715 :
694:05/03/17 21:52:14 ID:???
>>698 市民兵にきりかえた…?
全く意味がわかりません。なぜそのような反論がくるのか、
すこし理解できないのですが。どういうことでしょうか?
<<議論が動員である以上
あのう、ということは、あなたは単に動員の可能数についてのみ
論じるのであって、その徴募兵や傭兵からなる軍隊が、実際に
有効な戦闘力として戦闘可能かどうかは一切考えないということでしょうか?
だとすると、そもそも動員する意味がまるでなくなってくるのでは
ないでしょうか…?
フランス革命以後にいわゆる国民国家の概念が広まった国家の軍隊と
それ以前のものとではやはり別のものとして扱うべきなんじゃないかと思うが・・・
>>716 それを三回は言ってるのだが分かってくれないのだよ。
>>708 意味不明です…。
仮定は意味をもちません、というのは何故ですか?
実際にわけて考える必要のある充分な根拠になっていると思われます。
たしかに徴募兵単独なら、つねに市民兵をうわまわる動員、あるいは
募集が可能なのは間違いありません。それは、ほとんどの人が認めていると
思われます。
が、傭兵も一緒につけて考えることに納得できない人が大勢いるから、
このように議論が荒れているのではないでしょうか?
数が市民軍がおおそうなときは、常に徴募兵を引き合いにだして切り抜け、
すくなそうなときは、傭兵を主眼に議論を構築する…という、非常に
悪意にとると、そういう見方もできるのでは?
>>716 じゃあ「常に」というのは正しくないんだが。
そうすると、「現代では○v○の説は全くあてはまらない」ということに
なるわけだが。
そうすると、これまでの根拠自体にもどこか、大きな穴があいてるのじゃないか。
720 :
○V○:05/03/17 21:59:35 ID:???
>これに対し、徴募兵はあくまで土着の民であり、外国人を徴募兵として
>使う例はほとんど聞いたことがありません。
8世紀のフランクはザクセン族の征討にはフランク人、アヴァール人に対してはバイエルン人とランゴバルド人、
イベリアのイスラム教徒に対してはアクィタニア人を動員しています
対ザクセンを除いて外国人兵が徴募されています
また、対ベーメン戦にブルグンド人、対ベネヴェント戦にアクィタニア人を動員しています
これらは遠隔地への出兵であり、土着の民を徴募しているとは言えません
721 :
○V○:05/03/17 22:03:04 ID:???
また、近世欧州では兵士は故郷から遠く離れるほどよく働くとされ、
徴募された兵士をわざわざ採用地から遠く離れた任地に配置することも珍しくありません
722 :
694:05/03/17 22:03:14 ID:???
>>720 それは影響下にある属国的な外国人ではないですか?
えぇと、だんだん混乱してきているのですが、貴方は傭兵も
徴募兵も本質的に全く同じものと御考えということですか??
違うのは名前だけ、というような。
もう○v○と会話するのは諦めろ。
鋭い突っ込みには「意味がわかりません」とだけ言う。
質問に答えられないときは「貴方のお説をうかがいましょう」とくる。
条件を巧みに動かし、徴募兵と傭兵の都合のいいほうを反論に必ず
もってくる。
素晴らしい詭弁家だよ。でも会話するのはあきらめたほうがいいぜ。
724 :
○V○:05/03/17 22:08:50 ID:???
>それは影響下にある属国的な外国人ではないですか?
属国的であろうが対等であろうが外国人の徴募兵には変わりありません
そもそも当時のフランクと他民族の関係は「属国的な関係」という単純な言葉では括れません
>えぇと、だんだん混乱してきているのですが、
混乱しているのはあなたのほうです
根拠の無い推測や仮定ではなく、具体的な事例を挙げてください
>貴方は傭兵も
>徴募兵も本質的に全く同じものと御考えということですか??
動員対象が国籍や社会階層を問わない点では同じです
そして、この点において市民兵と本質的に異なります
725 :
○V○:05/03/17 22:12:11 ID:???
>たとえば日本の自衛隊は志願兵であるし、一般的な日本市民から選抜された
>市民軍といってもいいと思いますが。
自衛官は武装自弁ではありません
726 :
名無し三等兵:05/03/17 22:14:10 ID:ENMnevOK
今の論点は動員数だろ。
お前は反論のための反論してるぞ
やはり春だからか
>>719 今現在市民兵制があるって国ってどこよ?
728 :
○V○:05/03/17 22:17:25 ID:???
>仮定は意味をもちません、というのは何故ですか?
議論の焦点は個々のケースにおける兵の多寡ではなく、動員システムの比較だからです
729 :
○V○:05/03/17 22:18:32 ID:???
>今の論点は動員数だろ。
違います
「どちらが大量動員に向いているか?」です
730 :
694:05/03/17 22:20:29 ID:???
>>724 あのう、全くわからないのですが、では傭兵と徴募兵が同じだとする
根拠は、「社会階層を問わない」というただ一点なのですか?
傭兵と徴募兵自体が社会階層が異なるのではないですか?
それと、市民兵イコール武装を自弁する軍隊とする定義をつかうと
するなら、非常に限られてくるのではないでしょうか。
ローマ軍は、武装自弁でしたっけ?
ということは、徴募兵、傭兵、武装を自弁する市民兵、武装を自弁しない
志願制軍隊があるということなのですか?
>>726 いんや、いまの論点は、傭兵と徴募兵が本当に同じものなのか、
わけて論じる必要があることなのか、ということだろ?
>>727 それは市民兵制の定義によるんじゃ?
731 :
694:05/03/17 22:21:21 ID:???
>>728 しかしながら、実際に戦闘することを検討しないのに、動員数だけを
検討するのは、そもそも軍隊を論じることに全く意味がないのではない
でしょうか?
732 :
○V○:05/03/17 22:22:08 ID:???
>では傭兵と徴募兵が同じだとする
>根拠は、「社会階層を問わない」というただ一点なのですか?
徴募兵と傭兵は、動員に際して国籍や「社会階層を問わない」点では同じだと言っているのです
徴募兵と傭兵が同じとは言っていません
733 :
○V○:05/03/17 22:23:40 ID:???
>ローマ軍は、武装自弁でしたっけ?
市民兵制を採っていた時期のローマ軍は武装自弁です
734 :
694:05/03/17 22:27:53 ID:???
>>732 ということは、動員数については、社会階層を問わない、という点が
重要であるがゆえに、動員数についてはわけて考える必要がないという
ことでしょうか?
ただ、徴募の方法も異なるし、軍隊として機能させるために必要な
システムも違いますが、一緒にして考えると、いぜん話が出たように
傭兵単独と市民軍単独だと、厳しい局面もあるのではないでしょうか?
735 :
727:05/03/17 22:29:47 ID:???
>>730 市民権を持ち、武装自弁の兵制
まさか現代の国で市民権のある(普通は持ってると思われるが)兵隊さんは市民兵だとでも
言うんじゃなかろうな。
自衛隊は法律上は兵隊じゃなくて公務員だが実質職業軍人と言っていいだろう。
アメリカ軍は現在、志願制なのでいわゆる職業軍人しか居ない。
韓国の国民皆兵制で徴兵された人も市民兵か?
これらの例は貴方のいう市民兵なのか?
736 :
694:05/03/17 22:30:29 ID:???
それと、○v○殿の市民軍の定義は、
武装を自弁できること、支配的社会階層をその人員供給源としていること、
の二点という理解でよろしいでしょうか。
志願制の軍隊などは、どのように考えればよろしいでしょう?
737 :
○V○:05/03/17 22:30:40 ID:???
>傭兵と徴募兵自体が社会階層が異なるのではないですか?
例えば、メロヴィング朝フランクの一般招集軍は貧民や下層民、従属民も動員対象とする徴募兵です
中世欧州の封建軍は無産階層を大量に動員していますが、同時にこの時期の傭兵団の成員にも
大量の小作農や貧民が存在しました
有名なスイス傭兵の大多数は貧困層の出身です
社会階層が異なるとは思えません
738 :
○V○:05/03/17 22:33:48 ID:???
>それと、○v○殿の市民軍の定義は、
>武装を自弁できること、支配的社会階層をその人員供給源としていること、
>の二点という理解でよろしいでしょうか。
最初から「市民兵とは市民権を有し武装自弁な兵」と何度も言ってるのですが・・・
質問にせよ反論にせよ頼むから過去ログ読んでからしてください
739 :
○V○:05/03/17 22:34:35 ID:???
失礼しました
「市民兵とは市民権を有し武装自弁な兵」
ではなく
「市民兵とは市民権を有し武装を自弁できる兵」
ですね
740 :
○V○:05/03/17 22:40:32 ID:???
>ということは、動員数については、社会階層を問わない、という点が
>重要であるがゆえに、動員数についてはわけて考える必要がないという
>ことでしょうか?
市民兵が社会階層が限定されるのに対し、徴募兵も傭兵も国籍や社会階層を問わない点では共通しており、
「動員システムの能力」の比較においては徴募兵と傭兵を分ける必要が無いと言っているのです
741 :
名無し三等兵:05/03/17 23:00:44 ID:XalR+SID
>>707 その話は例えとして出しただけだよ。以前に○V○のレスは無粋だって書かれていたけど、
そういう解釈はマジでやめてよ。
>>708 それはおかしいくない?3つとも異なっているのに、2つを組み合わせて、1つと比較するなんて。
しかも、数字の間違いの原因となるわけだし。
じゃあ、○V○はそれぞれ単体で比較するとどういう結論になるの?
第一に、市民兵と傭兵・徴募兵の比較なら、出てくる結論も、
「単体では分からないが、傭兵と徴募兵を合わせた動員力は市民兵の動員力を上回る」
にしなければだめだと思う。
>>709 それではローマの優位とできないと思う。1万だろうが、10万だろうが、多いか少ないかは比較に
よって決まる。比較がないなら、優位もないでしょ。
>>710 それはあまりに都合のいい解釈じゃない?
>>711 少し分かりにくかったかな?例えばローマ全体の人口を200万、そして、ローマの人口のうち、50万が
ローマ、残りの150万を他の植民市、同盟市とし、そして、ローマが10万、他の都市が15万の兵力を
動員したとする。この話は市民兵の動員力の話でしょ。ローマの10万を市民兵とし、他の都市の15万を
市民兵としないならば、他の都市の人口の150万も人口として数えるのはおかしい、と言うことです。
さっきも言った通り、点数がカウントされないのに、母体として計算するのはおかしいということ。
なんだか、会話がかみ合っていませんね・・・もう、議論はできない?
742 :
694:05/03/17 23:17:55 ID:???
>>740 しかし、動員システムの比較といっても、動員の仕方も異なりますし、
性格も違うグループであると考えられます。
本質的に異なる二つのグループを、いかに動員システム限定の話とは
いっても、「社会階層を問わず募集できること」ただ一つを理由に、
同列に扱うのには問題があるのではないでしょうか?
やはりわけて考えるべきだと思うのですが。
徴募兵は多くの場合、訓練をほどこし、武器を与え、統制する必要が
あります。(時代と地域によりますが)傭兵は、武器をもち、統制は
各傭兵隊の指揮官がおこなっている場合が多いです。
こうした場合、募集する際、全く同じ窓口が募集するわけでもないかと
思いますが、それでも同列に扱ってよいのでしょうか。
それと、市民兵が市民権を有し、武装を自弁すること。に限定する場合。
市民権を有し、武装を自弁せず、志願による軍隊の場合は、どうなるの
でしょうか?
これはまた傭兵、徴募兵、市民兵とは異なるグループとの解釈で
よろしいのでしょうか。
<<3つとも異なっているのに、2つを組み合わせて
多分そういう聞き方はもうしないほうがいいんじゃないかな?
どうせ大した根拠なく「その仮定は無意味です」とくるだろ。
そして、窮すると「では貴方のお説をうかがいましょう」
「貴方が例をあげてください」とくるんだよ。大した詭弁家だ。
悪意をもって解釈すると、○V○は専門は詭弁術、または論理学で、
無茶な論理をいかに詭弁を駆使して通すかという壮大な実験をしている
とさえとれるな。
または単なる具体的な議論の苦手な史学系学識経験者か、歴史マニアだろ。
744 :
○V○:05/03/17 23:23:20 ID:???
>じゃあ、○V○はそれぞれ単体で比較するとどういう結論になるの?
単体の比較でも結論はかわりません
>それではローマの優位とできないと思う。1万だろうが、10万だろうが、多いか少ないかは比較に
>よって決まる。比較がないなら、優位もないでしょ。
第2次ポエニ戦争時にイタリア半島で活動したカルタゴ軍は最大時で8万程度で、
その数は減少傾向にありました
一方、ローマ軍は12万を動員し、その数は概ね維持または上昇傾向にありました
対カルタゴ戦において兵力の優位を達成できた要因はローマの圧倒的な人的資源によるものです
745 :
694:05/03/17 23:28:45 ID:???
>>744 あの、横レスで申し訳ないんですけれども…。
単体で結論がかわらないというのはどういう意味ですか?
いかなる時代の傭兵も、その時代の市民軍を必ず上回る数動員できる。
いかなる時代の徴募兵も、その時代の市民軍を必ず上回る数動員できる。
という結論になるということでしょうか?
後者については異存はないですけど。
○V○はもう引けなくなっているのだよ
関西風味に言うと、吐いた唾を飲めない状態
素直に傭兵と徴募兵は重なる点は有るにしろ、違う存在だと認めればいいのに
747 :
○V○:05/03/17 23:42:33 ID:???
>徴募兵は多くの場合、訓練をほどこし、武器を与え、統制する必要が
>あります。(時代と地域によりますが)傭兵は、武器をもち、統制は
>各傭兵隊の指揮官がおこなっている場合が多いです。
前にも書きましたが、徴募兵の定義は徴集され兵役に就く兵士であり、
傭兵の定義は金銭を得ることを目的に軍役に就く兵士です
動員に際して、徴募兵の場合は国家や領主、軍隊が主導的立場にありますが、
金銭的契約を介して兵役勤務を提供する傭兵はほぼ対等の立場にあります
確かに傭兵は軍事能力が高い場合も少なくありませんが、中世欧州の傭兵団には
絶対主義形成期の傭兵のように、軍事能力が低い者が時には個人単位で
傭兵として雇用される事例は珍しくありません
また、中世イングランドの長弓兵やフランク王国の教会認定貧民のように、
平時から武装して訓練を受けた軍事能力の高い者が徴募兵として従軍する事例も珍しくありません
748 :
○V○:05/03/17 23:45:09 ID:???
失礼しました
「中世欧州の傭兵団には」
ではなく
「中世欧州の傭兵団や」
ですね
>>747 そのような高い能力を持った徴集兵は、大量動員が可能だったの?
なんか巧妙に話をずらしているとしか思えないのだが。
この場合の話の流れは、徴集兵は大量動員が可能だが総体的には練度が低い
それが、何で中世イングランドの長弓兵のように
高度な技術を要する特殊例の話にすり替わるのか理解できない。
750 :
○V○:05/03/17 23:51:50 ID:???
>>745 国籍や社会階層を問わない傭兵のほうが市民兵よりも大量動員に向いています
ペロポネソス戦争時のスパルタ軍の量的な主力は傭兵ですし、
4世紀以降のローマでは市民兵の動員がはかどらなかったためにゲルマン人傭兵で補っています
751 :
○V○:05/03/17 23:53:24 ID:???
>この場合の話の流れは、徴集兵は大量動員が可能だが総体的には練度が低い
私はそのようなことは一言も言っていませんが
それに、市民兵だから練度が高いと決まったわけではありません
>それに、市民兵だから練度が高いと決まったわけではありません
私はそのようなことは一言も言っていませんが
753 :
○V○:05/03/17 23:58:47 ID:???
>そのような高い能力を持った徴集兵は、大量動員が可能だったの?
フランクの教会認定貧民は後にメロヴィング朝フランクの軍事的支柱の一つである教会軍事力に発展しています
教会認定貧民に限らず、フランクの一般召集軍の軍事能力は低くはありませんが
754 :
○V○:05/03/18 00:00:21 ID:???
>>752 >私はそのようなことは一言も言っていませんが
つまり、市民兵も徴募兵も傭兵も軍事能力の高低は関係ないということですね
755 :
○V○:05/03/18 00:02:36 ID:???
その他にも、中世欧州の都市民兵は状況により徴募兵として動員されたり
傭兵として動員されたりしていますね
>>753 一般徴集兵の能力と、軍の能力はどのように相関関係があるのかな
尾張兵が弱兵だから信長軍の能力が低い?
>つまり、市民兵も徴募兵も傭兵も軍事能力の高低は関係ないということですね
はあ? なぜそんな結論がでるのですか?
私はそのようなことは一言も言っていませんが
758 :
○V○:05/03/18 00:14:07 ID:???
>はあ? なぜそんな結論がでるのですか?
市民兵は市民権を有し武装が自弁できる兵であり、
徴募兵は徴集されて軍役に就く兵士であり、
傭兵は金銭を目的に軍役に就く兵士だからです
軍事能力の高低は関係ありません
>市民兵は市民権を有し武装が自弁できる兵であり、
>徴募兵は徴集されて軍役に就く兵士であり、
>傭兵は金銭を目的に軍役に就く兵士だからです
>軍事能力の高低は関係ありません
いつのまに兵の定義と、軍事能力の話になったんだろ?
次元が違うのでは
760 :
名無し三等兵:05/03/18 00:41:04 ID:555yg73D
○V○の読み仮名はなんですか?
763 :
名無し三等兵:05/03/18 01:59:46 ID:555yg73D
>>762 フォフォッフォ?
バルタン星人みたいですね。
ていうかバルタンだろう。
しかしこの市民兵論争はいつまで続くんだ・・・。
766 :
名無し三等兵:05/03/18 03:09:42 ID:u12YTjVp
春休みが終わるまで
767 :
名無し三等兵:05/03/18 03:16:15 ID:K11lZPto
今度は、前回の日本海に変わって、『竹島』だ〜〜〜〜〜〜〜
分かっていると思うが、Takeshima, Japanをクリックして、
Voteをクリックすんだぞ〜〜〜〜〜〜〜
投票したら、パーセンテージの途中経過を報告しろよ〜〜〜〜〜〜〜
多分この投票は8000件の投票が行われた時点で終了すると思うから、
気合を入れて投票しろよ〜〜〜〜〜〜〜
それでは、負けられない戦いのスタートです。
皆様、張り切ってどうぞ〜〜〜〜〜〜〜
http://www.korea.net/ チョンのヤシも気づき始めたから、張り切っていこう
動員能力の比較の話をしてるのに傭兵は練度が高い、徴募兵は練度が低いと言い出したのは
>>694のほうだろ。
769 :
名無し三等兵:05/03/18 20:29:54 ID:PqImcbrf
グラディエーターあげ
市民兵がどうのとか、そんなのどうでもいいんだよ。
ローマ軍の最精鋭の1万人
戦国武士で最強の1万人
装備は、一番優れた物
これで、真正面からぶつかり合ったらどっちが勝つかって話だよ。
771 :
名無し三等兵:05/03/18 22:06:21 ID:wPzl9Y/K
戦国武士だろ。火器と火薬の前に平伏すだろ。
何年頃のローマ軍にもよるのかな?
長〜い歴史があるから、装備も変わってくるかな。
まあ映画とか、本とか読んでる限り、装備がどれも一緒に見えるけどねw
都市国家アルバと戦争してた頃のローマなら
信長軍の1軍団でも制圧できる
774 :
694:05/03/18 23:18:47 ID:6vwVq9sg
空気よんでもう書かないですけど、
連度とかいいだしたのは、当然二つのグループが違うものだという
ために言い出しただけですよ。
>>773 お互いどの程度の軍勢を出すんです?
どの時代の信長軍かにもよると思うんですけど。
あと、信長軍の場合、火気もそうですけど、以外に長槍や
矢襖の威力も馬鹿にできないですよ。
だからその二つのグループが練度によって区別されてると勘違いしてるからだ。
グラディエーター放映してたから案の定上がってるな
いい加減市民兵論争うざいお
778 :
名無し三等兵:05/03/18 23:23:50 ID:l4oYKWYe
そんな質問 秦軍と元軍を比べるようなもの。
つまりこのスレに書き込んだ連中は全て馬鹿だってことか
納得
で、傭兵は常に練度が高くて徴募兵は常に練度が低いの?
781 :
名無し三等兵:05/03/18 23:36:31 ID:u12YTjVp
んなわけない。てかもうやめろ
783 :
名無し三等兵:05/03/18 23:39:24 ID:l4oYKWYe
軍隊としてはしらんが。
一兵士の戦闘技術などの平均ならそうだろう。
士気はしらんがな。
>>773 最大版図の頃だと関ヶ原西軍の数倍動員できる悪寒
時代も場所も違うのに平均出しても意味ないだろ
786 :
名無し三等兵:05/03/18 23:45:02 ID:l4oYKWYe
傭兵と徴募兵の差ね。
錬度の平均だって?
だれか数字で何でも良いから出してみろや。
「自衛隊はどのくらい強いのですか、数字で表して下さい」て厨房と同レベルだな。
つまり、古今東西全ての傭兵の練度の平均>古今東西全ての徴募兵の練度の平均
ってこと?
すまんが、どういう考察をすればそういう結論になるのか教えてくれ?
789 :
名無し三等兵:05/03/18 23:49:52 ID:l4oYKWYe
ごめんね。
平均なんて言って。
誰もその時代生きてないし。
戦ってないから強さなんてわからないね。
戦史の兵の強さなんてそんなもんだよ。
つまり○V○もその信奉者も、その敵対者も全てアホだったとの結論だな
全く素晴らしい。
>>782 裏付けや根拠に基かない推測。
そろそろ次の話題に移る時期かな。
792 :
名無し三等兵:05/03/18 23:53:10 ID:l4oYKWYe
古今東西なら徴募兵の方が強いね。
戦車とか使えるから。
銃装備してるしね。
793 :
名無し三等兵:05/03/18 23:55:18 ID:l4oYKWYe
職業軍人は傭兵?
>>790 ○V○は練度は傭兵と徴募兵を区別する決め手にはならないと言ってるぞ
>>793 契約によってるわけではないので違うだろう。
799 :
名無し三等兵:05/03/18 23:58:51 ID:l4oYKWYe
今の米軍 契約制だよな?
>>799 志願制を契約と言えるかどうか・・
誓約はするけど。
ある意味、自衛官は兵隊ではないが傭兵的かな。
>>802 なんで? スレの「戦国武士軍団 VS 古代ローマ軍団」からかけ離れた
市民兵・傭兵徴募兵議論を続ける○V○とその仲間達と敵対者達は
『ア ホ』 としか評することができないのだが。
それとも
>>802はスレ違い連中当事者なのかね?
戦国武士軍団 VS 古代ローマ軍団ならとっくに結論出てるぞ。
スレタイである戦国武士軍団 VS 古代ローマ軍団、この話題自体はほとんど終わってる。
>>1にもある通り。
>>804 お前の脳内でか?
具体的にどのレスだよ?
恥ずかしい奴だな
発端はローマ派がローマは市民兵だから強いと主張したこと
だから市民兵論争もスレ違いじゃない
>>808 スレ違いです。
「戦国武士軍団 VS 古代ローマ軍団」
タイトルを良く見てみようね。
読めるかな?
>>806 やっぱり議論についていけなくなった人だw
>>809 具体的にどこよ?
勝利宣言はよしてくれ、読む方が恥ずかしいから。
>>812 具体的にどこ?ってレス番指定でもしろと?
過去ログ読む気は無いと。
つか俺は勝利宣言なんかしてないぞ?
>>814 >前スレ中盤から終盤にかけてだね。
なら俺は前スレ中盤から終盤にかけて結論が出ていないと主張するぞ
具体的にどこ?ってレス番指定でもしろと?
過去ログ読む気は無いと。
結論なんて出るわけねーべ
IFなんだから。
817 :
694:05/03/19 03:29:53 ID:nBi6oTLQ
>>775 流れかわってるのに書き込むのも何なんですが。
そういう意味でかいてないですよ。
錬度によって区別されるなんて誰がかいたんです?
とりあえず、もういいでしょ。○v○さんもいなくなったようだし。
違う議題を探しましょう。
もう一度戦国武士軍団vsローマを再検証してもよいのだし。
皆英雄大戦読んでるの?
>>817 みんな心のなかではお前が居なくなって欲しいと思ってるよ
820 :
694:05/03/19 04:07:06 ID:nBi6oTLQ
いやだから、さっきもう書き込まないといったでしょうがw
○v○さんもいなくなってしまったし、書く意味がない。いなくなって
ほしいならレスをつけないでくださいね。
まぁ、尻馬に乗ってた系でしょうがw
>錬度によって区別されるなんて誰がかいたんです?
>>694は傭兵は練度が高い徴募兵は練度が低いと主張してなかったか?
つまり練度は区別のための要素の一つになるってことだろ?
>>821 >つまり練度は区別のための要素の一つになるってことだろ?
それは違うだろ、徴集兵でも練度が高い場合、低い場合が存在する
傭兵もまた然り
市民兵どうこういってる奴らは、ただ自分の知識を自慢したかっただけでしょ。
それぞれの精鋭1万人対1万人の考えが一番わかりやすいよ。
戦国の銃火器は無しで考えるのがいいよ。
おい、すれ違いだろ、って言いたかったが
もうずっと続いてるんか。ガンガレ。
>>823 銃火器有りだと勝負にならないということでOK?
戦国武士と古代ローマ軍団の強さは、それぞれの成立した国の歴史や文化、
気候・地形・技術力からくる戦略戦術による「その場所での最適な形」であり、
どちらが有利かなどといわれても、それぞれの前提条件が違うから比較しようがない。
どちらかの有利な条件で戦えば有利な方が勝つだろう。
インドア戦でアサルトライフルとカービンとSMGと、それぞれで戦ったらどっちが有利だ?
ボディアーマー装着の有無は? 屋外戦に場所を変えてもう一回戦ったら?
で、インドアあるいは屋外で戦った結果、アサルトライフルとカービンとSMGと、どれが一番「最強の武器」なの?
世の中には「最高あるいは最適」は存在しても、「絶対最強唯一無敵」など存在しない。
こんなのは議論するまでもなく、軍事を知るものならば知っていて当然なのだがな?
スレタイどうりの話がしたいのならば、それはお遊びとしてすること。
映画やマンガに出てくるヒーロー、バットマンとスパイダーマンとアイアンマン、どれが一番強いか?
というのと同じ程度の議論でしかない。
>>810 戦国武士あるいはローマ軍団が何故強いか、それを主張し納得させるためには、その根拠を示さねばならないだろう?
海兵隊が何故強いか、SASが何故強いか、F−15がなぜ世界最強の戦闘機か、その根拠を示さなくても納得するのか?
>>825 銃火器あったらローマ軍の盾も鎧も無力じゃないか?
何にもない平地で戦ったらどっちが有利なの?
>>826
>>828 正面からただ馬鹿みたいに双方突撃してぶつかり合うか?
それともそれぞれの平地戦の常識に照らし合わせた戦術をとるか?
あえて奇策や権謀術数に満ちたを作戦行うか?
どうなるか? を考えるのは面白いが、しかし
100回やって100回ともどちらか片方だけが必ず勝つというのはありえないしな。
双方の編成や命令系統などから想定したスペックだけで考えるなら、一応の結論は出る。
が、所詮F−15VSSu−35、と同じような「目安」でしかないしな。
830 :
名無し三等兵:05/03/20 19:30:19 ID:qwcA388H
でもまぁ、別に実際に実現する戦闘じゃないだろ?
イーグルとスホーイなら実現しかねないから、専門家による非常に
精密な分析から、軍事雑誌のうわさまであるわけで。
で、実現しないことを語り合う時点ですでにお遊びなわけよ。
でも、その遊びを真剣にやろうぜってスレなんじゃないの?
真剣な比較論を持ち出してやるのも自由だし、あぁでもないこうでもないと
想像するのも自由だろ。
ちなみに、ローマの盾と鎧だけれども。
意外と戦国武士軍団も重武装で、足軽もけっこう堅固。
ローマ軍団とも実は大差ないのではないかな?
古墳時代からすでに日本の軍隊はかなり重武装だった。
火力の面からいえば、戦国武士軍団が圧倒するだろうけれども。
火力を発揮しづらい地形や戦法なら、どうなるかわからない。
発揮しづらい地形だとしても対抗不能な脅威ではある。
832 :
少佐:05/03/20 19:41:30 ID:lr9123MO
正直白兵戦になったらどっちが勝つか解らないな。
ローマ軍は片手で使う槍、短剣、盾で白兵戦を行う。
戦国武士は槍、長刀、刀、棍棒などだ。
分隊支援兵器はローマも結構充実してるがな。
>>830 そうなんだよなあ。
まず、大前提として「お遊びです」ありき。
そこら辺を理解してないと。
835 :
名無し三等兵:05/03/20 20:20:02 ID:v9nIkP0I
イギリス軍もアフリカのズールー戦争では苦戦したし。
局地戦一回ならわからないね。
戦国軍団に火器があっても
一回なら分からない、そりゃ何とでも言えるわな。
一回で壊滅する可能性もある。
ズールー戦争でズールー側が勝った時はイギリス側に比べて大兵力で奇襲したときなんだが。
しかも勝っても損害が大きすぎて回復不能だった。
火器を装備している側が、持たない連中の突撃で潰走した例もある
ブルゴーニュ公国軍とか
火器のレベルや戦術が未熟・絶対数が足りないなどの場合もある
まあ勝敗は兵家の常だ
838 :
名無し三等兵:05/03/20 22:53:22 ID:qwcA388H
とはいえ、戦国武士軍団だと、発射速度よりも命中精度がけっこう
重視されていたようで(発射速度自体も熟練者なら相当早い)。
ヨーロッパみたいに「相手の白目がみえる距離で撃て」ということも
ないようで。
とくにローマの場合、重装歩兵だったら精鋭で体格もいい連中が前列にいる。
鉄砲足軽の攻撃でこれらが瞬間的に全滅すると、かなり苦しいんじゃないかな?
両軍精鋭1万人ずつ 平地 作戦無し
真正面からぶつかり合い 両軍銃火器投石器無し
戦術とかは、それによっては装備、能力を関係なしにできる事も可能だから、純粋な強さは測れないと思う。
単純なぶつかりあいの場合なら、考えやすい。
兵法戦術はその次に考える。
その次に、両軍の投石器、銃火器について考えるのがよろし。
840 :
名無し三等兵:05/03/20 23:17:42 ID:qwcA388H
ちょいとまってくれ。その一万というのは、
中身の比率は?
それって、白兵戦で戦う部隊同士の戦闘で決着をつけるということかな。
それはそれで面白そうだが…。
いちおう、軍隊というのは諸兵科を統合して運用する点にあるわけで、
戦国武士の強さは全体の3割に達することもある鉄砲隊の効果的な
集中運用だったんだけどね。
ということは、槍足軽、徒歩侍、騎馬武者と、
ローマは重装歩兵、軽装歩兵隊、それから外援騎兵隊だけでの
戦闘ということでOK?
>>836 イサルサンドワナの戦いの話なら4千(ズールー族)vs2千(英軍一個連隊)
だから、兵力差は圧倒的と言うほどのものじゃないぞ。英軍には大砲もあったし。
ただズールー族はこの後ローク河の戦いで4千vs100で戦って負けてるからね。
最初の戦いは英軍のミスによる所が大きいでしょ。
>>841 イサンドルワナはズールー側が2万の大軍でもって英前衛軍(1500名)を殲滅した戦いでは?
比率は両軍同じぐらいずつで考えればいいんじゃない?
○○部隊何千 ○○部隊何千 って振り分けて。
両軍に弓兵を入れるかどうか、これは遠距離攻撃になるから戦い方も変わってくるだろうから、
次の兵法戦術の段階で考えるかどうか。
戦国軍団は弓や鉄砲などの飛び道具こそが主力武器だったんだから、
それを抜いたら最早戦国軍団ではない。
>>844 それはローマ軍にも言えるよ、
弓等遠距離攻撃は無きゃいけない武器だけど、
それを入れると戦術的な戦いが加わるから、
まず第一段階で正面激突を考えてから考察するんだよ。
ローマ軍には弓兵はほとんどいないよ
ローマ軍の投射攻撃の主力は投槍
つーか飛び道具有りだとローマ軍には絶対に勝ち目が無いから
飛び道具抜きにしたいんだろ?
両軍ともに遠距離攻撃無しなら、
ローマ軍の戦列が鯨波を上げながら前進。
通常ならばローマ軍は激突の直前に投槍を放って敵の隊列を動揺させて付け入る隙を作り、
そこから錐を揉み込むように楯の列が踏み込んで得意の乱戦に持ち込むのだが
何故か投槍禁止なのでローマ軍は整然と並ぶ長柄足軽の隊列に無策のまま真正直に突っ込むことしかできない。
両軍の間合いが5メートルを切った辺りで長柄足軽の槍の林が組頭の号令で一斉にローマ第一戦列の頭上に落下し
脳天を唐竹割られたローマ戦列兵が次々に崩れ落ちる。
生き残ったローマ兵はなおも前に進もうとするが、槍衾に阻まれて短剣の間合いに入ることができず、
やがて隊列を維持することすらできなくなる。
これを見たローマ第二戦列は、第一戦列の死傷者を乗り越えて攻撃前進を開始するが、
これも槍衾に阻まれ、更に頭上を襲う長柄槍によって死傷者続出。
これを見たローマ第三戦列は以下同文。
間合いが違いすぎてローマ軍敗北で糸冬了
850 :
名無し三等兵:2005/03/21(月) 17:34:31 ID:6/MkD9LT
えーと、つまるところ遠距離攻撃なしということで、
投槍もNG,と。
つまり純粋に白兵戦のみだと、まずどっちが強いかということ?
どうなんだろうねぇ。
ちなみに足軽の長槍って、もちろん叩くこともおおいけれども、
いちおう突くこともある。その場合は、たぐるようにして槍を遠くに
のばすかんじ。体ごと突くわけでない。
ローマ兵の盾の効用はどのようなものになるかな?
盾でふせげば、そう簡単に頭をたたきわられるか微妙だと思うんだが。
なんとか槍を突破できれば、あとは近距離戦にうつるわけだけど。
盾と短剣のローマ兵と。打刀の足軽隊だとどうなるんだろう。
ここまで近づくと、ややローマ優勢のような気もしないでもない。
日本のばあい手盾は戦国まで残っていなかったんだっけ?
ただ、槍組を突破すると、戦が本職の徒歩武者たちがひかえている
わけで、そっちのほうが見ものになるかも。
第一考察 遠距離攻撃無、正面激突 → *
>>848参照 間合いが違いすぎて戦国武士勝利論 是非を論じる
第二考察 弓、槍等 軽遠距離攻撃有 正面激突 →
第三考察 銃火器、投石器等 重遠距離攻撃有 正面激突 →
第四考察 一〜三 兵法戦術考察 →
第五考察 一〜三 地形別 兵法戦術考察 →
第六考察 一〜五 地形別、状況別 戦術兵法考察 →
第七考察 総合結果 →
何だよ軽遠距離攻撃や重遠距離攻撃って?
思考の手続きがおかしいんだろ
ローマ軍の重装歩兵の密集隊形だと、戦国武士はどう対処するんだろう?
弓は、アレだけ盾で壁見たいされると無力だろうし。
近づくにも、盾の壁の隙間から飛び出す槍が邪魔だし・・・
ローマ軍の盾って、重装歩兵も全部木製だよね? 鉄は重すぎるから無いよね?
ローマ軍の投石機や弩砲は本来は攻城戦用なので旋回俯仰はひどく制限されており、
機動性は全くと言っていいほど無い
おまけに投石器や弩砲は材料の大半を現地で木を伐採して組み立てるから、
長期間にわたる攻城戦ならともかく、野戦ではほとんど使われていない
つーか、ローマ軍の野戦戦術は投槍込みなのが前提だし、
戦国武士の野戦戦術だって火縄銃は必要不可欠な構成要素。
それらを抜きに比較しても意味があるのだろうか?
おまけに弓と鉄砲を区別して考察するってのもよくわからん。
両方とも携行型の投射兵器じゃないのか?
戦国時代に火縄銃無かった時って無いわけ?
つーか、銃火器があったら100%戦国武士軍団完全勝利で結論出ちゃうよね。
火縄銃が普及する以前は弓がメインだな
まあ弓足軽だろうが鉄砲足軽だろうが弓兵がほとんどいないローマ軍が
リーチで負けてるのは変わらないが
ローマの弓兵はクレタ辺りの傭兵をその都度雇い入れてるだけだからな
おまけに帝政に入ると弓兵自体がほとんどいなくなる
そうなるとローマ軍の前線の盾で弓を防ぎきれるかどうか。
ある程度は防げるだろうが、全ては防ぎきれない
おまけにローマ歩兵の楯はかさばるから機敏には動けない
結局一方的に射たれることになるから、実際の死傷だけでなく
士気が崩壊する恐れもあるだろう
863 :
名無し三等兵:2005/03/21(月) 18:51:03 ID:6/MkD9LT
まぁ〜、亀甲戦術というか、例の盾で全周かこって、突進する縦隊をいくつか
つくれば、矢ぶすまはなんとか突破できるんじゃないかな?
至近距離までせまることができれば、あとは叩き合いの白兵戦になるわけ
だし。そうなると、至近距離なら盾の効用はさらに大きくなるだろ。
あれだけでかいと、かなり攻撃しづらい。やるなら、盾ごと相手を
押して崩して、甲冑のない部分を刀で切るくらいかな。
鉄砲があれば盾ごとふっとばされてしまうわけだが。
ただ、どうしても鉄砲を考慮にいれると、どんなにローマががんばっても
勝ち目なさそうだなぁ。
せめて短甲に剣の古墳時代の軍団か、室町くらいなら何とかなりそう。
鎌倉時代だと、機敏な騎射兵主体になるので、騎兵が比較的弱体なローマ
は不利かも。
亀甲隊形は攻城戦で城壁まで接近するための隊形だから機動性もへったくれもないぞ。
野戦で使う隊形じゃない。
わらじはいて戦っている戦国武士が勝てるとは思えない。
1日3時間昼寝しないとダメなローマが勝てるとは思えない。
867 :
名無し三等兵:2005/03/21(月) 19:54:33 ID:6/MkD9LT
ローマ兵もサンダルだというのを忘れてたりするのか?
>>865は。
靴じゃないぞ。
見た目はあんまりかわらない。むしろわらじのほうが
履きやすそうなくらいなわけだが。
あと、中国軍は靴はいてるわけだが、戦国武士が結構優勢に
たたかっていたはずだが。
わらじ履いていて怪我しやすそうだけど
どうだったんだろ
何度議論してもローマは勝てないのか
剣闘士と武芸者の一騎打ちのほうが…って軍事じゃないなw
剣闘士も色々と種類があって武器や戦闘スタイルが決まって
何でもありで相手を倒せばいいってものじゃなかったらしい
まぁ、どう考えても鉄砲隊による組織的な火力システムがあるからなぁ。
いくらローマがすぐれた重装歩兵戦術をもっていても、どうしても見劣りしてしまう。戦国の武士軍団は永年にわたってつづいた戦乱から、かなりスマートな経験則をとりだして、非常に優秀な軍隊をつくりあげている。
充分な軍令機構、直線的な鉄砲と弓の効果的なハイローミックス、長槍の密集隊形、重武装の部隊。
もちろん中央集権でないので、武装や制度にバラつきはあるし、どうしてもすべての部隊をひとりの司令官がたばねるような運用は、無理ではあるけれども。
どうしても戦国武士軍団と比較するなら実際に戦闘もして、いちおう火力をもっていた同時代の中国軍とか、当時のほかの国の軍隊のほうがいいと思うけど。
>>863 亀甲戦術でえっちらおっちらやってるとおそらく完全に包囲される。
実際に激突した明軍とかと改めて比べてみる?
明軍相手でも勝てないだろ>ローマ軍
つーかとっくに結論でてるのに何で蒸し返してるんだ?
蒸し返しているというより
「遊びだと割り切って、変に熱くなったり偏らないでやってる」かもね。
でもローマの負け
もう戦国VSローマなんてとっくに結論出てるんだからスレタイに拘らずに他の話題でもいいと思うんだが、
他の話題で盛り上がったらまたスレ違いだ何だと仕切るのが出てくるんだろうな。
>>881 だからいったいどれが結論なのさ?
君の主観は結構だから具体的にどうぞ
俺の主観的結論は「IFなんぞに結論がでるわけ無い」だ
前スレで結論出てるでしょ。
>>883 だから”どの”結論かと聞いているのだが?
白痴なんですか??
>>884が「遊びだと割り切って、変に熱くなったり偏らないでやってる」つもりなのなら
白痴は
>>884のほうだな。
「火器ある限りローマの勝利は無い」
>>885 個人攻撃は結構ですが、前スレで出た「結論」とやらをどうぞ。
個人攻撃してるのは
>>887のほうにしか見えんが
二三日前にも他人を馬鹿呼ばわりして結論出てないって駄々捏ねてた屑がいたな
890 :
名無し三等兵:2005/03/22(火) 01:27:50 ID:FGt8eNJQ
明軍なら鉄砲や焙烙玉は使わないが大砲を戦国武士より使うので密集してるとこに大砲をぶっ放し崩れたら騎馬隊突撃でやられる。元は陣地戦になったら死体や汚物を投げ疫病を相手側に流行らせる。
>>886 火器の装備率はどうなの?
10000人に30挺とかの割合ならならほとんど脅し程度しか意味はないし
大阪夏の陣時代の3割4割当たり前の時代もある。
>「火器ある限りローマの勝利は無い」
言い過ぎだと思うが。
>>889 史ね屑
明軍も鉄炮(鳥銃)をバンバン使うぞ。
>>891 織豊期を基準としてる。
言い過ぎでもなんでもない。
鎧も盾も鉄砲の前には無力。
この辺は前スレ、前々スレでさんざん言われてきた。
>>893 >織豊期を基準としてる。
戦国武士軍団VS古代ローマ軍団
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1101727488/ >1 名前:名無し三等兵 投稿日:04/11/29 20:24:48 ID:N+XuP6us
>どちらが強いのだろう
そんな設定無いぞ、流れ的には織豊以降戦国軍VS帝政ローマ軍になっていたようだが
戦国前期との流れもあるし。
>言い過ぎでもなんでもない。
>鎧も盾も鉄砲の前には無力。
>この辺は前スレ、前々スレでさんざん言われてきた。
装備率の話したのに、鉄砲対盾&鎧のこと持ってくれば
そりゃ鉄砲が強いでしょ。
1vs1の文脈じゃないのに、読めてる?
だから装備率については織豊期も基準にしてるって言ってるの。
勝ち戦で手柄立てると所領がもらえるなら
戦国武士かなり強そう
古代ローマと戦国日本とお互い最もベストな状態での比較だろ?
ローマに勝ち目無しって結論出てるじゃん
こいつ一体何が言いたいんだ?
898 :
名無し三等兵:2005/03/22(火) 06:47:58 ID:bDXjnI8C
大雨で鉄炮が使用出来ないのなら ローマが勝つチャンスがあるんじゃないか
戦争は数だよ、兄貴!
って言うことで、ローマと織豊期の兵数動員力の違いは無視できないのでは?
ローマの方が圧倒的な数を用意できるんだったら、話も変わってくると思うのですが。
>古代ローマと戦国日本とお互い最もベストな状態での比較だろ?
>ローマに勝ち目無しって結論出てるじゃん
>こいつ一体何が言いたいんだ?
>大雨で鉄炮が使用出来ないのなら ローマが勝つチャンスがあるんじゃないか
つ
>>826 正面からのぶつかり合いなら、どっちがどの程度有利か、という結論は出るが、
各種条件などを含めて100回ぐらい戦かわせて統計を取るのでもないと、
なんとも言えないというのが共通の結論じゃないかと。
共通の結論じゃないぞ。
火器ありだと勝負にならないから、普及前の戦国軍団と比較しようって流れになったんだから。
で、だ。
正面から何の策も無く、お互いぶつかり合う戦いでは
火縄銃が使える戦国武士かなり有利、
銃火器が無かったとしてもローマ側にやや不利、
遠距離攻撃禁止だとさらに不利でローマ側に勝ち目が薄い
という意見が出ている。
では、正面からの戦で無い場合や、
>>898が提案したように気象などの各種条件を
加えた場合は、どちらが有利になるのか。
指揮官がどのような作戦を取った場合、
どちらがどちらに対して有利に戦えるのか。
そういう方向で議論を進めてはどうだろうか?
>>902 戦国時代初期だと槍ではなく長巻が主流だったりもするから、
隊列を組みにくい分ローマ側が有利に傾くかもね。
思ったんだけど結論が出てないと言い張る奴って、
ローマ軍団が勝てないから不満を言ってるだけじゃあ…
無いよね?
>900
素人考えなので申し訳ありませんが、戦国時代の一会戦の最大動員人数とローマ時代の一会戦の最大人数を
を比較というのはいかがでしょうか?
ただ、関ケ原を戦国時代に入れるか入れないかで、大きく人数が変わってくると思いますが。
あと、質問なのですがスレ内でたびたび出ている古代ローマの絶頂期というのはどの時点を指すのでしょうか?
>>905 戦国側は夏の陣までを想定している。
ローマ絶頂期については決定していない、というかどの時代のローマをサンプルにするかも決まってないはず。
時代によって市民兵か傭兵、職業軍人かの違いも出てくる。
防湿性向上のため漆(うるし)を塗ったり、硝石を染み込ませた水火縄があるので雨だと火縄銃が即無力化されるわけではない
また、野戦なら雨除けを当然張った下に入る。機動性はなくなるが
>>904 「結論が出ている」というのは鉄砲普及後の戦国軍団とローマ軍団の対決だろ?
だからまだ結論の出ていない「鉄砲普及前」だとどうなのか、って話をしてるんじゃないのか?
まあ俺は鉄砲普及前でも戦国軍団が勝つと思うけどな。
ローマが負けたっていいじゃないか。
後世の軍に負けても恥じゃないぞ。
910 :
○V○:2005/03/22(火) 19:38:26 ID:???
近接戦闘兵科では北条早雲の時代の戦場には既に長柄足軽が出現しています
鉄砲普及以前の弓足軽の戦闘兵科に占める比率は各家により異なりますが、
概ね1割〜2割程度です
弓が射程で鉄砲と同程度であること、発射速度では勝っていることを考慮すれば、
個々の戦場における火力発揮の点では鉄砲普及以後に劇的な向上があったとは
考えにくいでしょう
前にも述べましたが、火器の利点は戦術的効果よりもむしろ兵員の戦力化や
兵站面での調達のような大量動員の容易性にあります
911 :
○V○:2005/03/22(火) 19:39:00 ID:???
一方、ローマ軍に弓兵が存在していたのは概ね紀元前1世紀中頃までで、主に散兵の一部として
運用されています
この時期のローマ軍は散兵の多くを同盟国の軍勢や傭兵に頼っており、特にポエニ戦争では
大量の散兵がローマ正規軍団の戦列のために強力な前衛を形成しました
これらの散兵は、出身国の伝統的な装備と流儀で戦い、特にギリシアの投石兵は伝統的に
能力に定評のある散兵として知られていましたし、有能な射手として名高いクレタ弓兵が
少数ながらローマ軍で散兵として従軍しています
ただし、この時期のローマ軍は戦列歩兵の投槍を投射兵器の中核に位置付けており、
弓兵を独立した兵科として集中運用するような概念はありませんでした
弓兵がローマで独立的な戦闘兵科としての地位を確立するのは、レギオンが戦術単位としての
有効性を喪失した4世紀以降を待たねばなりません
鉄砲普及以前の戦国期日本の軍勢に対しても、ローマ軍のレギオンの投射戦における劣勢は
変わらないでしょう
>>908 いや、前提条件として
「規模や地形・気象などの各種条件もあるので必ずどちらが勝つとは決められない」
という結論もあると思うぞ。
まあ、公平に戦わせるんだったら同じぐらいの兵数で、
何もなさそうな平地で、正面からぶつかり合うのが一番
公平で偏りが無い条件だと思うけど。
平地で正面からぶつかり合うのが公平とも思えないがな。
じゃあどうすれば公平なんだ?
どっちに対しても、有利不利の条件が偏らないのが一番公平な条件だ。
まあ…平地戦に滅茶苦茶弱い軍隊が、
平地戦に滅茶苦茶強い軍隊と平地で戦ったら、
それは公平ではないが。
ローマ軍って、イタリアが以外に平地が少ないから
歩兵中心の軍団になったんだっけ?
まあ、日本も山岳の多い国だから
山岳戦で戦ったところで圧倒的不利になると言うわけでもないだろうけど。
平地戦でなく、攻城戦ならばどうかな?
ローマ攻撃側で日本が城郭に立てこもる場合と、
日本攻撃側でローマが城砦に立てこもる場合。
攻城戦なんて攻撃側が戦力比で圧倒的だから成立するのであって
はなから勝負になるわけないだろ。
守備側は絶対に勝てない。
勝てるくらいなら攻城戦にはならない。
次スレは「戦国VSローマ」のタイトルを外して古戦史総合スレにしたほうがいいね
何かスレタイに拘って不毛な比較が続いてるし
>>910 ただ、威力としてはやはり鉄砲が圧倒的というのはあると思いますよ。
並べて撃った際の、敵前衛への破壊力というか、破さいの力はかなり
大きなものです。
大鉄砲のようなものもありますし。
射程も、たしかに日本の弓は遠射もききますが、有効射程と殺傷距離はかなり
違ったと思いますが。
ただ、弓の利点としてまずコストが安いこと。ある程度の曲射がきくこと、それと発射速度は
おっしゃる通りだと思います。
まとめて放って、矢ぶすまのようなものをつくることもできますし。
そのため、鉄砲と弓の利点をうまく組み合わせたことにより、弓単独よりも
劇的な火力投射量の向上があったとみるべきではないでしょうか?
ちなみに兵站面の調達の容易さというのはどういう意味でしょうか。
ちょっと意味がわからず、申し訳ないです。
919 :
○V○:2005/03/23(水) 00:40:59 ID:???
>ただ、威力としてはやはり鉄砲が圧倒的というのはあると思いますよ。
イングランドの長弓の最大射程は250メートルに達すると言われています
これは例外的ですが、それでも一般的な弓の飛距離は最大で200メートル程度です
威力や精度を考慮すれば戦場での現実的な有効射程は最大でも100〜150メートル程度でしょう
これは当時の一般的な前装滑腔銃の戦闘射程と概ね一致します
弓と火縄銃は威力の点でも余り変わりません
戦国期日本で標準的な火縄銃である四匁銃は約50メートルで当時の一般的な鎧を貫通できましたが、
現代の実験では、和弓は50メートルで厚さ1センチの木板を貫通し、30メートルで車の外板を
貫通しています
勿論、より大口径の火縄銃、例えば三十匁銃は門扉を貫通する威力があると言われ、
現代の鉄砲祭でも人気を博していますが、重量が20キロ近くあり、野戦で用いるには実用性に欠けます
確かに大威力ですが、重くかさばり射手の反動も激烈で、従って発射速度も四匁銃に比べて低くなります
しかも、戦場で火縄銃の標的の多くはあまり良質とは言えない鎧を着込んだ足軽であり、
それならば軽くて使いやすい四匁銃で十分だからです
射程と威力に限れば、弓と火縄銃は同じような兵器だったと言えるでしょう
920 :
○V○:2005/03/23(水) 00:43:33 ID:???
>劇的な火力投射量の向上があったとみるべきではないでしょうか?
確かに火縄銃のほうが弓よりも大量に調達でき、戦力化も容易であることから、戦場における
総合的な投射量が著しく増大したという意見には同意します
910は、総兵力が同じという条件の枠内での意見ですので、誤解させて申し訳ありませんでした
>ちなみに兵站面の調達の容易さというのはどういう意味でしょうか。
初期の火縄銃は生産量も少なく非常に高価でしたが、構造自体は単純で、織田家に代表される
中央集権体制の成立する過程で銃や火薬の大量生産体制が整備されると値段は次第に低下し、
江戸幕府成立時には一挺の値段は米百合程度にまで低下しています
>>919 弓と火縄銃では弾道特性が全然違うぞ。「同じような兵器」というのは言い過ぎだろ。
「全く同じ」とは書いてないだろ。
くだらない揚足取るなよ。
>>922 ○V○も921も「全く同じ」とは一言も書いてないが、
一体お前は何が言いたいんだ?
「射程や威力が同じような兵器」という表現が言い過ぎということは
>>922は弓と種子島は「射程や威力が全く違う兵器」だと言いたいんだろうが
そこのところを詳しく述べてない以上、単なる揚げ足ととられても仕方ないと思われ。
「同じような」ではあっても、「同質の」兵器ではないだろう。
M16A2とM249(ミニミ)は弾丸は共通だし歩兵が携行する同じような兵器だが、運用は違う。
でも、だからと言ってそんな運用上の細かいところまで突っ込むのは多少揚げ足取り気味な部分もある。
重機関銃と小銃くらいの差があるのならともかく、単純にわかりやすく射程や威力だけを比較した
のならそんなに目くじら立てることでもないはずだ。
ところで弾道特性が違うというのは、
つまり弓は曲射で攻撃するのに対して
火縄銃は水平射撃を行うということを言いたいんだろうけど、
火縄銃は曲射が行えなかったという資料は自分は持ってないので
誰か知ってる人居ませんか?
あくまで予想だが、火縄銃でも出来なくはないと思うんだけれど…
>>926 後知恵で出来る出来ないを論じても初まらんだろ。
それから技術的に、曲射ができたとしても、ドクトリン的に「したことがなければ」
できない(しない)と考えるべきだと思うが。
>>○V○
ところで弓の中ではかなり大型の和弓なのに何故威力がないのですか?
イングランドの長弓は240ヤードの距離で1インチの木版を打ち抜いています。
どちらも単弓であることには変わりないのに
鉄炮で撃たれるのと矢で射られるのは衝撃力に結構な違いがあると思ったんだけど違うのかね。
体内に入ると玉が変形して鉛も飛び散るはず。
930 :
○V○:2005/03/23(水) 18:28:27 ID:???
>弓と火縄銃では弾道特性が全然違うぞ。
余り変わりません
両者とも遠くになればばるほど弾道は低下し威力や精度も落ちます
この特性は火縄銃でも弓でも変わりません
射手が大きく仰角をとって矢を射ることで有名なのは中世イングランドの長弓戦術ですが、
これはキルゾーンを設定して機械的に速射する弾幕射撃です
大仰角をとって矢を射れば射程は伸びますが、命中精度は著しく低下します
中には、それでも標的に見事に命中させる自分の弓を知りぬいた奴がひとりかふたりはいたでしょうが、
大半の射手はそのような名射手ではありません
長弓戦術は個々の射手が標的を狙って射つわけではないので、射程も発射速度も向上しますが、
戦国期日本ではこのような射法を用いていた事例はありません
雑兵物語等では、日本の弓足軽はじっくり狙って矢を射るよう求められており、余り遠くの標的を狙ったり
狙いをおろそかにして矢継ぎ早に矢を射ることは戒められています
火縄銃と同じように弓足軽も標的を狙って直射で矢を射ており、極端な曲射を行っていたわけではありません
すなわち、射程においても弓と火縄銃は同じような兵器だったと言えるでしょう
曲射の弓矢に対して火縄銃は水平射撃。この差は非常に大きいぞ。
迫撃砲と対戦車砲ぐらいの違いがある。
弓矢の殺傷範囲は「点」だが、水平射撃の火縄銃は「線」だよ。
932 :
○V○:2005/03/23(水) 18:48:32 ID:???
>ところで弓の中ではかなり大型の和弓なのに何故威力がないのですか?
人を殺傷するには十分な威力ですが
いや、そうじゃなくて他の弓と比較してという意味です。
>>928 イングランドの弓と日本の弓で、材質(木)が違うと威力も違うと思う。
ヨーロッパの弓の材質で俺が知ってるのはトネリコぐらいだけど。
935 :
○V○:2005/03/23(水) 19:03:32 ID:???
>>933 ロングボウの張力は約35キロ程度、ステップ系騎兵の用いていた合成弓の張力は約75キロで、
一方、戦国期日本の弓足軽が用いていた一般的な弓の張力は約20キロ程度と言われています
ですから、矢に与えられる運動エネルギーの差でしょう
ただし、貫通力自体は弓自体の張力だけでなく、鏃の形状や材質にも左右されます
まあ240ヤードで1インチの木材を貫通したとはにわかには信じられませんが
>>919 >威力や精度を考慮すれば戦場での現実的な有効射程は最大でも100〜150メートル程度でしょう
>これは当時の一般的な前装滑腔銃の戦闘射程と概ね一致します
火縄銃なら100mでも狙い撃ち出来るが、弓矢で大仰角を取って移動目標に100m狙い撃ちなんて真似、
超人でも難しいぞ。
>>930 >雑兵物語等では、日本の弓足軽はじっくり狙って矢を射るよう求められており、余り遠くの標的を狙ったり
>狙いをおろそかにして矢継ぎ早に矢を射ることは戒められています
つまり、鉄砲足軽は弓足軽の撃てない遠くの標的を撃てるってことだよ。
これで「同じような射程距離」とは言えないだろう。
>>934 イングランドの長弓はイチイが使われてたみたい。
引くのに使う力はおよそ60kg。
モンゴルの複合弓は75kgほどあったらしい。
和弓はどれくらいだったのだろう?
弓道部で使用してる弓はせいぜい20kg程
イングランドの長弓隊の弓はイチイの丸木弓のはず。
日本の和弓は木を張り合わせた合成弓。
939 :
○V○:2005/03/23(水) 19:07:23 ID:???
まあイングランドの長弓兵やステップの弓騎兵等は、
幼少時から骨格が変形するほどの鍛錬を積み重ねてきた連中ですからね
こういった化け物じみた連中と比べるのも酷でしょう
失礼、和弓の張力はもう出てました
941 :
○V○:2005/03/23(水) 19:16:02 ID:???
>火縄銃なら100mでも狙い撃ち出来るが、
火縄銃のような前装式滑腔銃で必中を期することができる距離は
約二十間、つまり約40メートル以下と言われています
欧州でも「敵の白目が見えたら射て」と言われていますね
942 :
○V○:2005/03/23(水) 19:19:45 ID:???
>つまり、鉄砲足軽は弓足軽の撃てない遠くの標的を撃てるってことだよ。
雑兵物語では弓は火縄銃の装填の間隙を埋めるように射てと記されています
このことは鉄砲足軽と弓足軽は並置されて同じ距離の標的を射撃していたことを示しています
943 :
○V○:2005/03/23(水) 19:27:40 ID:???
>体内に入ると玉が変形して鉛も飛び散るはず。
ムクの鉛の球形弾がダムダム弾やシルバーチップと同じような効果を示したとは思えませんが
確かスウェーデンのグスタフ・アドルフの遺体から摘出された銃弾はそれほど変形していませんでしたね
>>943 衝撃力もあまり変わらないの?
腹に当たると一発で行動不能になるとかではない?
手足もだけど。
945 :
○V○:2005/03/23(水) 19:38:38 ID:???
矢でも腹に当たると一発で行動不能になるでしょう
>930 ○V○殿
>>長弓戦術は個々の射手が標的を狙って射つわけではないので、射程も発射速度も向上しますが、
戦国期日本ではこのような射法を用いていた事例はありません
“かい盾”や“仕寄り柵”(共に持ち運べる大型の盾や柵。陣の前面に置き、前進する部隊を守る)の後から
矢を撃ちまくり、矢衾を作る、弾幕制圧射撃戦を矢戦といい、源平〜南北朝ぐらいまでは行われてたようですが、
戦国時代になってからは無くなった、ということでしょうか?
一次資料にあたったことがないので、間違えているかもしれませんが、戦国期もかい盾や仕寄り柵を使い、矢戦を
行っていた(長柄足軽が前面に出て、武士達が手槍で戦う白兵戦以前の遠距離戦段階で)ようなのですが。
>>943 場合にもよるだろうか、鉛の弾丸は表面をコートしてないと
変形しやすいと聞いた覚えがある。
まあ、どちらかというと雑菌で化膿する方に効果があるのだと思うが。
948 :
○V○:2005/03/23(水) 19:47:17 ID:???
>変形しやすいと聞いた覚えがある。
勿論、鉛は非常に変形しやすいですが、弾が体内で飛び散るようなことはほとんどなかったでしょう
ホローポイントのように形状に細工をしていたわけではありませんので
>まあ、どちらかというと雑菌で化膿する方に効果があるのだと思うが。
これには同意です
戦場で即効で現れるような効果ではありませんが、特に鉛毒による死亡は相当あったでしょう
949 :
○V○:2005/03/23(水) 19:51:50 ID:???
>“かい盾”や“仕寄り柵”(共に持ち運べる大型の盾や柵。陣の前面に置き、前進する部隊を守る)の後から
>矢を撃ちまくり、矢衾を作る、弾幕制圧射撃戦を矢戦といい、源平〜南北朝ぐらいまでは行われてたようですが、
弓兵を集中的に運用することと、イングランドの長弓戦術のように射手が公算射撃を行うこととは本質的に異なります
平安期から南北朝期にかけて、日本の弓兵が公算射撃による弾幕射撃を行っていた事例はありません
有効射程内(80m)で一発当たったら大穴空いたり手足が千切れるのかと思っていた。
>>941 自分で言ってる通り、40メートルというのは必中距離。実際にはもっと遠くから狙撃していた。
火縄銃は欧州の前装式滑腔銃よりもずっと命中精度が高い。
前スレ160氏によれば、熟練射手で対人100メートル8割の精度とか。
>>942 それは単に、敵が前進して弓の射程に入って来るというだけの話だよ。
火縄銃と弓が同じ距離で攻撃開始するなんて事は書いてない。
954 :
○V○:2005/03/23(水) 20:47:02 ID:???
>前スレ160氏によれば、熟練射手で対人100メートル8割の精度とか。
弓でも練習すれば100メートル程度の距離でも人間程度の標的に命中させることが
できるようになります
現代のアーチェリーの男子シングルラウンドでは90メートル先の標的に矢を射ています
和弓の遠的は60メートルですが、標的の直径は90センチで人間よりもかなり大きいものです
弓も鉄砲も射程はあまり変わりません
鉄砲の射程はメーカーやタイプによって千差万別じゃないか?
無名の鉄匠から堺、国友まで色々ある。
956 :
○V○:2005/03/23(水) 20:50:59 ID:???
>それは単に、敵が前進して弓の射程に入って来るというだけの話だよ。
>火縄銃と弓が同じ距離で攻撃開始するなんて事は書いてない。
雑兵物語では、鉄砲は遠くの敵を射ち、弓は近くの敵を射てなんてことも書いてません
単に、火縄銃の装填の合間に矢を射ろと書いているだけです
いわゆる火縄銃なら40〜50mが有効射程だろうな
防御用の長銃身タイプならもっと有りそうだが100m超えるとは思えない
もちろん有効射程の話で、最大射程じゃないので
名人なら最大射程でも当てられるんだ! という例も有るかも知れないが
それは希有な例外にすぎない。
実際に射撃距離によって弓と種子島を使い分けてたケースってあるのか?
なければ雑兵物語の記述のように同じ距離で射撃してたってことになるんじゃないか?
>>954 現代のアーチェリーで何メートル先の的を狙うか、というのと、戦国時代に弓足軽が
彼我距離何メートルで攻撃開始していたか、というのはあまり関係ないのでは?
上で例に挙がってるように、雑兵物語で弓兵は遠くの敵を狙わないよう戒められていたわけで。
>雑兵物語では、鉄砲は遠くの敵を射ち、弓は近くの敵を射てなんてことも書いてません
>単に、火縄銃の装填の合間に矢を射ろと書いているだけです
その通り、それだけだ。だからその記述は、「火縄銃と弓の射程は同じくらい」という事を
示していないわけだ。
>>942の「弓と鉄砲が同じ距離の標的を射撃していた」という記述は、
敵が接近してくれば火縄銃と弓の射程が重なるのは当然だからその意味では確かに
間違ってはいないが、「鉄砲足軽は弓足軽の撃てない遠くの標的を撃てる」という記述に対する
レスとしてはおかしい。
>>959 アーチェリーの話を持ち出す前に、弓道が先だよな普通は
弓道の場合的までの距離は28mだっけ?
>>959 つーか、鉄砲足軽は弓足軽の撃てない遠くの標的を撃てる根拠や史料は何?
○V○は一応根拠を出してるわけだが。
>>961 ○V○の出した根拠って何?
雑兵物語の事なら根拠になってないぞ。
>>962 傍目には
>>942は十分根拠になってると思うけどな。
闇雲に否定するだけじゃなくて、
違うと主張したいのならそれなりの根拠を出さないと
議論にならないんじゃないか?
>雑兵物語では弓は火縄銃の装填の間隙を埋めるように射てと記されています
銃の低い発射速度を弓で補完する為と解釈する方が自然だろう。
>このことは鉄砲足軽と弓足軽は並置されて同じ距離の標的を射撃していたことを示しています
そうかな? 弓の射程に入らなければ弓を射てとの命令は出せない。
鉄砲が撃てるが弓はまだの射程ではどうなるか、そのような射程が存在するかもわからないし。
すごく単純に考えると、だいたいにおいて鉄砲が弓全般より射程において
勝るわけよ。
ところが、日本の場合、和弓は上下非対称の形状からと、また、
いちおうあれ合板弓なんだわ。
現代の弓道は竹弓がほとんどだけど。
それに藤をまきつけたりして、かなり遠射がきく。
到達する距離自体はそんなにかわらない。
ただ、どうしても有効射程や、確実殺傷距離については鉄砲にかなり分が
ある。十メートル〜数十メートルの差だけれども。
その微妙な距離を、○v○のように「あまりかわらない」とみなすか、
「まったくちがう」とみなすかは、かなりわかれるところだろう。
○v○も「全く同じ」というようなことは言ってないわけだし。
私見では、あの時代における十メートルの差というのは、かなりの
差だとは思うけどね。
現代なら、大した問題ではないけれども。
>鉄砲が撃てるが弓はまだの射程ではどうなるか、そのような射程が存在するかもわからないし。
それって何の根拠も無い憶測にしか見えないんだが。
967 :
○V○:2005/03/23(水) 22:03:32 ID:???
>銃の低い発射速度を弓で補完する為と解釈する方が自然だろう。
弓が火縄銃の発射速度を補えるということは、弓が火縄銃と同じ距離の標的を
射撃できたことを示しています
>そうかな? 弓の射程に入らなければ弓を射てとの命令は出せない。
火縄銃の射程に入らなければ銃を射てとの命令も出せません
弓と火縄銃の射撃距離が大きく違うことの根拠にはならないと思いますが
>すごく単純に考えると、だいたいにおいて鉄砲が弓全般より射程において
>勝るわけよ。
その根拠がよくわからないわけだが。
何か史料ある?
根拠がよくわからないといわれてもな。
とりあえず目の前にある「戦略戦術辞典日本戦国編」じゃいかんか?w
これだとだいたい初期の火縄銃の威力は、有効射程200メートルの、最大射程500メートル程度といわれている(図のほうじゃないぞ)
別の、もすこしまともな辞典だと、強力なすえ置きしきのねじり式
発射機による実機の実権では、1、1kgの矢を300メートルほど
飛ばしている。この実機の最大値は500メートルだと推定されている。
ねじり式発射機になってようやく初期の火縄銃と同程度のようだが、
さすがに手持ちの弓矢で同じくらいの射程をだせるとは思えないのだが。
ただ、弓が銃の発射速度を補えるのは、同じ射程という点については、
ある局面においては正しいんじゃないか。
最初にうちはじめるのは鉄砲にしても、ある程度近付いてくると
弓もふくめて発射速度をおぎない、全火力部隊が全戦力を発揮
できるようになる、というほうが正しい。
ところでそろそろ次スレたてないか?
ただ、戦国武士VS古代ローマのようなありえない設定でも
語れる、遊び心を残したスレにしないか?
「古代〜近世無差別対決総合スレ」
のような。
>これだとだいたい初期の火縄銃の威力は、有効射程200メートルの、最大射程500メートル程度といわれている
まるで現用突撃銃並だな。
大抵の本で書かれてる有効射程は50〜100m程度。
古式銃団体の会同にも何度か出たことがあるが、そこでも大体このくらいの数値で、
有効射程200mというのは聞いたことがないな。
そうすると対決に縛られることになるが・・
現状で戦国スレはここだけ。
更に世界の古代中世のスレもここ以外に無いっぽい。
あるのは滑腔銃スレと朝鮮征伐スレ。
別に対決に拘らなくてもいいと思うな
かえって議論が邪魔されそうだ
「対決」のような縛りを入れると、逆に遊び心まで縛られる気がする
鉄砲は一応引き金を引けば200飛ぶ。威力もある
弓は力で引くから同等の射程と威力を得るには相応の鍛錬がいるだろう
目立たないがこの差は大きいんじゃ?
>>977 大きいなんてもんじゃないよ、超巨大だよ。
200飛ぶことと当たることとは全く別物なんだが
>弓は力で引くから同等の射程と威力を得るには相応の鍛錬がいるだろう
>目立たないがこの差は大きいんじゃ?
大きいけれども、だから火縄銃は弓より射程が大きいという結論にはならない
>>972>>974>>975 スレタイにこだわらなくても
テンプレの方で明記しておけば良いのでは。
>>977>>978 火縄銃は火縄銃で、当時は銃床が無かったし、
撃ち方にそれなりのコツは必要だったはず。
狙って当てるのにも訓練は要る。
火縄銃と弓の鍛錬は別質のものだけどね。
火縄銃と弓が交戦距離によって明確に運用が異なっていたことを示す史料がなければ、
火縄銃と弓の射程に大きな差があったとは考えにくいだろうね。
前装式滑腔銃で有効射程200メートルというのは眉唾に近いでしょ。
>>981 うん、だから古戦史総合スレにして対決等はテンプレにするのが良いと思うんだ。
信長 長篠合戦 1575年 3000挺(1000という説もあり) 10%
信長 天下統一期 20% (槍40%)
文禄の役 1592年 60000挺 30%
慶長の役 1597年 50000挺 30%
関ヶ原合戦 1600年 80000挺 40% (槍40%)
大坂の陣 1614年 100000挺 30%
985 :
名無し三等兵:2005/03/24(木) 01:43:24 ID:5F7RBz41
>>949 根拠としては甚だ緩いかも知れないが、
歴史群像か何かに掲載されていた楠木正行の最後を描いた絵には
かなりな角度降り注ぐ矢が描かれている。
まぁ、それはさておき、
>平安期から南北朝期にかけて、日本の弓兵が公算射撃による弾幕射撃を行っていた事例はありません
とする根拠はなんでしょう?
平安期〜南北朝と戦国時代では戦闘様式もかなり異なっていますので、戦国期のドクトリンがそのまま当てはまるとも思いませんが?
「ない」ことを証明するのは「悪魔の証明」って言わない?
あるかも無いかもしれないならば「わからない」だろう
「ある」ということを立証できなければ結論は「無い」だろ
>>988 宇宙人が存在する証拠が無いので、宇宙人は存在しない。
……なんかへんだぞ
911テロはアメリカの自作自演でないことを示す証拠がないので
911テロはアメリカの自作自演かもしれない。
おお、陰謀厨の思考とそっくりだなw
私はアメリカ人をテレビ以外で見たことがない。
テレビで放送していることが、やらせでないという証拠が無い。
テレビに出てくるアメリカ人と、アメリカのニュースが本当であるという証拠が無い。
アメリカ人が存在する証拠が無いので、アメリカ人もアメリカも存在しない。
…?
>>991 そりゃお前が無知で世間知らずなだけだろ。
恐竜は現在の物理学上、立って歩くことすら出来なかった。
化石で発見されている恐竜が、立って歩いた証拠が無い。
恐竜が実在した証拠が無い以上、恐竜の化石は世界規模のでっち上げである。
…!?
だから証拠がなければ、わからないだけだろ。
ったく、莫迦は困る。
宇宙人が存在する証拠が無いことは、存在を否定することにはならない。
どこかにいるかも知れないのだから。
もちろん、いると主張するなら証拠を持ってくる必要がある。
低レベルな争いだことw
○V○が「ない」と断言してるのが気に食わなければ
「あった」ことを示すケースなり史料なり提示すりゃいいのに
そういや「NHKのニュースでUFOが報道されてないからUFOなど存在しない」
と言い切った漫画家がいたな
>>996 同意。
あるかないかわからない、両方とも証拠が存在しないものは、
結論保留ということになる。
「ない」ことの証拠なんて不可能だぞw
不在の証明って、実在の証明同様、屁理屈でしかないんだよね…
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。