司馬のおかげで愚将論がイッパソに定着しちゃったらしいけど…
2げと
とてもいいひと でも戦争は苦手
作戦の強引さを突っ込まれると逆ギレします。
203高地に進行を決断してなかったら、旅順艦隊って撃滅できなかったのかな?
>>1 司馬があーだこーだ書きまくる以前に、
日露戦争当時の日本では旅順での大消耗が誰のせいか子供でも知らないものは無く、
当然のように大不評。
ただ乃木が後の昭和天皇の教育係になったり、明治天皇に殉死した事から
批判ができなくなり、反比例するように軍神扱いされるようになった。
そもそも乃木って本名なの?かっこよすぎね?
>>6 おいおい、まじかよw
ってことは戦果による評価じゃないんか!
大山が評価されない方が驚きだろ。
>6 左翼氏ね
三回も突撃に失敗してるしな
>>9 結局おいしいとこ持ってっただけ。それまでの乃木の攻撃がなければ陸軍の
勝利は絶対にありえなかった。
>>6 召集されて、配属先が第三軍だと聞くと、皆・・・orz・・・だったそうだ。マジで。
>>11 失敗、とは言わないよ。成功する余地の無い戦術だもん。ああなって当然の結果だよ。
まあ1回目は相手の陣地の固さや防御火力の凄さが分からなかったから仕方ないともいえるけど、
2回目3回目で何の対策もせず同じ攻め方して、結果ほぼ全滅なんだから。
>成功する余地の無い戦術だもん >ああなって当然の結果だよ。 ということは愚将ってこと…? なんかガ島でのつじーんを彷彿とさせるなw
可哀想な人なんだよ。 どう見たって堅固極まりない要塞だから当初は慎重策を取ろうとしてたのに、東京からは早期攻略早期攻略と苛めみたいに催促されて結局は中央の方針に逆らえずあんな事に・・・。 確かに作戦については幾つもの不備やミスがあるけれど、結局は誰が指揮しても中央に逆らえない限りは大差ない事になったんじゃないのかな。
当時の日本軍が、近代要塞の攻略能力に欠けてたってことだと思う。 根本的に火力不足。 児玉たんが最初から指揮をとってたと仮定しても、損害はそこまで軽くならないと思う。 だからといって、乃木が愚将ではないってことにはならないけど。 西南戦争のこともあるしねえ。
旅順というのがどれくらい堅い要塞だったか を知らないと司馬にだまされる 司馬という男はさまざまな誤解を我々に残している すべてフィックションで実在の人物とは関係ありません とおもってたほうがよい
>>17 当時の日本の国力では、海を越えた場所で大兵力を動かす
ことができる期間はごく限られてたしな。
WW1で乃木と同じ愚を犯した将校は吐いて捨てるほどいる罠。 敵味方双方で同じ事をやった奴が多過ぎて責任追及もクソもなかった。
22 :
名無し三等兵 :04/11/13 04:29:37 ID:INOwVmAO
漏れの中では本間雅晴とカブる
WW1の要塞攻防戦の犠牲なんて、あんなもんじゃないだろ。 日露の戦役に観戦武官派遣してるはずなのに。
愚将とまでは言えんと思うが、名将でないことは間違いない。
坂の上の雲の特徴はうそや捏造は無いものの微妙に論点をずらして将師の評価 をしている点ですね。野戦ならともかく要塞攻略戦を将師の能力で左右される様 に描いたり、バルチック艦隊も近代軍艦をドック入りやまともな整備なしに半年間 二万キロも航海するだけても大変なのにロジェストウエンスキーを矮小して描いたり ロシア得意の後退消耗戦術をまるでクロパトキンがたんに無能だったと描いたりそんなの ばっかですね。
>>9 しばらく前にリーダーのあり方とか、そんな本が流行ったでしょ?
弥助どんは取り上げられる事がかなり多いほうだったよ。
27 :
名無し三等兵 :04/11/13 11:31:28 ID:nmXmvVaC
>>18 の言う通り、西南戦争でも無能さをさらけ出している。
1回なら「不運」ていう言い訳も可能だが、2回もあると......。
>3が全てを物語っている、乃木を攻めるなら伊地知孝介を攻めるべき。
>>19 日本側の要塞攻略戦術が準備不足、現地の実情を知らなかった、不手際で
ことごとく失敗しているのは無視ですか、そうですか
まあ、このこったらこんなに愚将愚将にしちゃって
名将か愚将かというより不器用であったとしか言いようのない人
>>29 WW2のセヴァストポリ要塞攻略戦みたいに野砲から
ドーラまで揃ってれば乃木でも落とせますよ。
みんなビンボが悪いんや。
>>32 1942年のセワストポリ要塞攻略戦を指揮するフォン・マンシュタイン大将は通常砲1300門、
ロケット砲570門を用意した。通常砲のなかには列車砲ドーラ、攻城用巨大臼砲ガンマ、
カールも含まれていた。この砲兵火力に加えて空からはドイツ軍第8航空軍団の水平爆撃機、
急降下爆撃機、襲撃機が要塞を叩いた。制空権は完全にドイツ軍が掌握していた。
地上を進撃する歩兵には突撃砲と88ミリ高射砲の強力な支援をつけた。
ドイツ軍砲兵は5日間に渡って24時間射撃を続け塹壕や鉄条網まで完全に吹き飛ばした。
しかし、それでも地上戦が始まると損害が続出した。ソ連が誇る世界最強の要塞はこの
猛砲火を浴びても健在でマキシム・ゴーリキー要塞砲塔の305ミリ重砲はドイツ軍を叩き
のめした。まさに火力と火力の力押しの世界、砲兵の戦場だった。
>>33 てかマキシム・ゴーリキー硬すぎ。
最後は内部に突入して皆殺しにするしかなかったし
>2回目3回目で何の対策もせず同じ攻め方して、結果ほぼ全滅なんだから。 こらこら。 一回目は強襲法、以後は正攻法だ。どこが同じ攻め方か。 対策だって当然立てたし、結果の損害も各回で全然違う。 出来るだけのことはちゃんとやってたわけだが、なんでこういう無茶苦茶な 無能論が蔓延してんだろ?不思議不思議。 日清戦争でも、休職中の身を独眼竜山地に見いだされ見事活躍。 愚将なんてとんでもない。
>>35 児玉の手際があまりに良すぎたからだろう。
「今までの犠牲って何?」と国民に盛大な疑問を抱かせた事はいなめんな。
栄光の日本海海戦と並んで教科書に載る悪夢の戦いだから仕方あるまい
>>35 児玉は最終局面でいただけ。
戦法としては乃木のそれと全く変わらんよ。
四万太郎はまだ来てないな。
児玉の到着の時期があまりに良すぎた、ってのはあると思う。 児玉参謀は旅順に行くべきではなかった。悪い前例を作ることになった。 ところで、日露戦争の当時の軍記物とかを読むと、爾霊山は十二月一日の 辺りで陥落したと報じたものが結構な数で、有る。 その日の争奪戦で高地山頂を確保できたと判断して、内地や海軍に電報を 打ってしまって、それが表向きそのままになってしまったようだ。 以後、第三軍そりゃあ必死になったろうなあ、と想像する。
39 :
名無し三等兵 :04/11/13 19:09:22 ID:PR/d5GZu
それの続きかって読めん!
漏れん家の猫の名前がまれすけ なんとなく頭に浮かんで名前つけたけど 3年くらい経ってから、乃木希典か、と気付いた
正攻法。
正攻法ってのは、工兵で地下道つくって真下で爆破とかだから 児玉が出てくるまでにちゃんと地道に下準備をしておかなければなりません。
至近まで塹壕を掘り砲兵の支援を受けた上での突撃やトンネル攻法を正攻法と呼ぶのなら児玉が来る前から乃木も行ってるんだが。
>>44-45 203高地が正攻法ってので、工兵が地下道つくって真下で爆破して
落としたなんて初めて聞いた。
マジでソースきぼん。
47 :
名無し三等兵 :04/11/14 08:05:42 ID:yNvARd4d
塹壕を掘っていって突撃発起点を至近距離まで持っていっているんだから、 二○三高地攻撃に正攻法を用いたといっても、別におかしくない。 児玉が来る前に、すでに山頂の争奪戦が何度も繰り返されている。
48 :
名無し三等兵 :04/11/14 08:18:37 ID:yNvARd4d
>>46 >>44 並びに45は、正攻法の説明として何の問題もない。
これを見て、
>203高地が正攻法ってので、工兵が地下道つくって真下で爆破して落とした
と書かれていると思い込むのがむしろおかしい。
君の書き込みは、さながら伝言ゲームのネタ芸人のようだ。ゲームのテレビ
中継としては、浅い笑いの取れるところではある。
グッドガイ賞
>>47-49 おいおい。44は地下道で塹壕じゃないんだけど?
いいか?>37で児玉が来た最終局面と書いている以上、203高地攻略時というのが
解る。つまり話の流れは203高地攻略時と限定されるわけだ。
さらに
>正攻法ってのは、工兵で地下道つくって真下で爆破とかだから
>児玉が出てくるまでにちゃんと地道に下準備をしておかなければなりません。
って44なりの正攻方法の定義を述べているわけだ。
でも47-48は44の地下道を塹壕と置き換えている・・。単語を読めないのか、
偏見でもって読んでいるのか・・そんなので大丈夫か?
そして 48では
>君の書き込みは、さながら伝言ゲームのネタ芸人のようだ。ゲームのテレビ
>中継としては、浅い笑いの取れるところではある。
なんて書いてさ・・地下道を塹壕と思い込んでいる自分自身をそんなに貶めたいの?
それで要塞攻撃方法というのが、正攻、強襲、奇襲、砲撃だけなのか? それだったら8月から11月末までに限っても全部やっているわけだ。 そして陥落までこの攻撃方法は駆使されているわけだ。之に異論はない。 問題はそれまでに落せなかったのがなぜかという事。 戦法はあらゆる事が駆使されたわけだから、後は用兵の問題という事に なるのだが・・ なぜか戦法問題に固執して摩り替えている人がいるが・・・ 司馬も戦法論で批判してるからだろうが・・司馬の批判方法が悪いという 指摘をしないのもな・・。
また四万太郎が着てるのかしら(゚д゚)
53 :
名無し三等兵 :04/11/14 10:08:51 ID:kRFEP2WL
44は、旅順攻略戦では正攻法が行われたという事を言っているのではないか? 二○三高地限定ということを念頭に置いての発言とは思えない。 このあたりは、44本人の弁を待つとしよう。 そもそも44-45と一括りで言っているが、複数人の発言を勝手にごちゃまぜに して、そのソースきぼんとか言うのは明らかにおかしいだろ。
>>53 二○三高地を爆薬で吹き飛ばしたという発想は普通はしないだろw
だいたい二○三高地は、観測地点として重要だったんだろ?
55 :
名無し三等兵 :04/11/14 10:17:18 ID:kRFEP2WL
戦法はあらゆるものが駆使されたとして、なんで後は用兵の問題となるのか。 そんな単純なものでもあるまい。 兵器の質というものがあるだろう。特に攻城砲不足の状態であれば。 時間というものがあるだろう。特に正攻法採用ともなれば。 相手というものがあるだろう。特に堅固なロシア軍要塞ともなれば。
>>51 要塞ってのは、正攻法で落とせるようにできている
しかし、縦深が深ければ時間と犠牲が出るようにもなっている。
防御側が縦深と予備隊を失う前に援軍が着たり、包囲側が解囲すれば防御側の勝ち
縦深と予備隊を失えば負け
用兵の云々は、それの下位の次元
ところで、四万太郎って何?
58 :
名無し三等兵 :04/11/14 10:25:59 ID:YouM4dKa
>>51 >戦法はあらゆる事が駆使されたわけだから、後は用兵の問題という事に
>なるのだが・・
要塞戦ってのは消耗戦だから
純粋に戦闘が続いてロシア側の兵が切れたのが原因だと思うぞ
兵が切れるまでは何をやってもダメだったと思う
確か第2回総攻撃が終わったところで日本ロシアの損害が逆転してたから
もう後は時間の問題だったんだと思う
>>57 自称「戦史に詳しいらしい」けど、日露戦争時の
日本軍の一個師団の定員は4万だと電波飛ばしてた人。
60 :
名無し三等兵 :04/11/14 10:58:54 ID:/G8HR8VS
司令官は、参謀が立てた作戦を実施するのが、仕事です。 参謀は、作戦を立てるのが、仕事です。 乃木将軍及び第三軍将兵は、伊地知を参謀長として付けられたのが、 悲劇だった。3回は、幾らなんでも・・・ 唯、伊地知参謀長も日本が始めて遭遇する、近代の攻城戦で無理も なかったか?後から何とでも言える。日清戦争で、「正攻法=突喊」 で(あっさり?)落ちたのが、逆に悲劇の呼び水になったのでは。 軍司令官以上に求められるのは、人格特に肝っ玉でしょ。 その点からは、名将であると考えられます。
>>60 ンなこと言っても、大本営は早期陥落を要求してきて
攻城策としては下策の強攻しか、選択肢が無いわけだが
火力で勝負させてもらえない以上どうしろと?
伊地知参謀長は、慎重論者だった。 しかしそれは上(大本営や満軍総司令部)にも下(隷下部隊)にも受け入れ られ難いものだった。 隷下部隊の誰か(旅団長級)が、伊地知を老朽不変の人材と批判したのは この慎重策に対してらしい。しかしこれは批判の方が当たらない。 大本営の、西方から奇襲でやれ、という無茶な献策(時間がないからか?) を携えて来順した総司令部参謀と大激論になって、結局拒否している。 これとても、大本営並びに総司令部参謀のほうが無茶を言っている。
>>53 >44に児玉という文字がなければ、君の言うのも一理あるが、
児玉が居たのは203高地陥落直後まで。つまり児玉が居た時期と限定されている。
旅順攻略全般ってことはないな。其の辺りはしっかり突っ込まないとね。
>>55 >そんな単純なものでもあるまい。
なに単純な事いってるの?
>兵器の質というものがあるだろう。特に攻城砲不足の状態であれば。
要塞攻略の内の砲撃
>時間というものがあるだろう。特に正攻法採用ともなれば。
要塞攻略の内の正攻
>相手というものがあるだろう。特に堅固なロシア軍要塞ともなれば。
敵が強大だから戦法を駆使するのだが?それを運用するのは指揮官なんだがな。
戦法は駆使されているから 用兵の問題だといってるだろうに。
>>60 伊地知は日清戦争でも旅順攻略に従軍してますよ。更に日本軍は日清戦争時の
旅順を正攻法で落としていません。
>>64 用兵を奇術と勘違いしているだろ
無理な物は無理です
>>62 ところで伊地知が取った、東北”正面”(これもおかしい言い方で、東北面と
本来は称すべき。)は正しかったのか?当時の資料では凸面に攻撃をかけるのは
相手の兵力を集中するので、前線で包囲して攻撃をかけるべきっとなっているのだが。
当時は急かされていたとはいえ、軍自身にかなりの裁量が任されていたから、
予定の変更もできたのですが・・。第一師団方面が前線陣地を攻略し、包囲が
完了してから攻撃すべきであったというのも一理ある。時間が推しているから
攻撃したってのは・・言い訳にならんのよね。
>>58 時間の問題から一ヶ月もたった第三回総攻撃で東北正面の堡塁は陥落したのか?
其の時点で陥落したら時間の問題と言えるね。
まぁ44の弁を待つとしても 47-48は更に痛いな 地下道と塹壕を一緒に考えているのだから。
>>63 >>53 >そもそも44-45と一括りで言っているが、複数人の発言を勝手にごちゃまぜに
>して、そのソースきぼんとか言うのは明らかにおかしいだろ。
過去の無能な軍人は、火力の不足で負けたのを「精神力が足りない」とか 現実から逃避してたけど 今の無能なヲタは「用兵で何とかしろ」と逃避するわけか。
>>71 同じ様な意見に対するレスですよ。1括りとするのがおかしいよ。
実際 >47-48の様な人も居られます。まぁ47-48が一番今の所痛いけどね。
>>72 えっと・・日露戦争時の旅順要塞は何でおちました?火力ですか?だったら君の言う通りだね。
75 :
名無し三等兵 :04/11/14 11:48:31 ID:7CQrjhTT
>>70 >>47 のどこが問題あるのか、説明してみろ。
そもそも、
>>46 が44-45と一括りにして複数人の発言を勝手に混同してる
こと自体、アリエン勘違いだろ。アリエンアリエン。
ところでもし第三軍の司令官ー参謀長に野津ー上原のコンビが登用されていたら 旅順攻略戦はどう展開していたのでしょうね。野津なら乃木よりも大本営や満州 軍総司令部にも顔が利いたでしょうし上原参謀長なら当時の工兵の第一人者ですから もうすこしは損害も少なく時間もかけずに攻略できたのでは?
>>74 要塞攻略で最良なのは、奇襲的に落とすのがいいだろう。
でも、相手が警戒してたら??攻撃を予想してても、「いつでも」可能なのか??
全く、馬鹿は困るね
>>75 地下道って44が述べているのを塹壕にしているだろ?それが問題と述べているだろう。
75も地下道と塹壕は一緒と考えているのですか?
>>77 >>72 で火力の不足と書いているだろ・・
それで旅順は火力で落としたのか?と聞いているのだが?
用兵の問題以外にどの辺りに問題があったのかい?
そして奇襲で落せとか精神で落せとか書いてないのに
なぜそんな言葉が出てくるか不思議。
80 :
名無し三等兵 :04/11/14 11:54:36 ID:7CQrjhTT
>>67 >軍自身にかなりの裁量が任されていたから、 予定の変更もできたのですが・・
出来なかっただろう。
根拠としては、当時軍司令官が総攻撃をしなければ軍司令官の更迭も
ありえただろうという軍参謀の証言がある。
そちらの根拠は何だ?
>>80 軍参謀の証言って?どんなソース?
乃木は総攻撃の日付をずらしましたが?
82 :
名無し三等兵 :04/11/14 11:57:44 ID:7CQrjhTT
ちょっと聞きたいんだけど、ここってIDはsageでは出ないの?
>>15 2回目3回目も銃剣突撃して失敗したから乃木は無能!
↓
>>35 2回目3回目は正攻法だって
↓
>>36 (゚Д゚)ハァ?児玉まんせーですよ
↓
>>37 だから児玉は203高地の最後の方にいただけだから、
大した働きはしてないっての。攻め方は同じだし
↓
>>42 児玉様の攻め方が無能乃木と同じはずないだろボケェ
↓
>>43 だから2回目3回目は正攻法してるから
↓
>>44 正攻法するにはじっくりと時間を掛けて工兵活動しなきゃいかんから
児玉が着任して天才的な戦術でどうこうというわけではなく、乃木が地道に
要塞攻略を進めてきていたんだろ
話の流れとしては旅順攻略全般について話してるんだろ
>>82 サゲでは出ないよ。
それで君は地下道も塹壕も同一と考えているのか?
言葉の違いもわからないのだったら問題無いといえるけどさ・・
85 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:03:06 ID:7CQrjhTT
>>81 「大本営と総司令部とが我が軍の総攻撃を急にせよと督促したことは
実に予想以上である。故に将軍にしても若し最初から尋常一様の手段
を執られたならば恐くその更迭は旬日を出ずして実現せられたであろ
う」(一億人の昭和史日本の戦史日清・日露戦争)
それって、豪雨で総攻撃準備が完成しなかったからだろ?
そんなもんが軍司令官の裁量なのは当然だ。
>>83 >>42 の一言 ”どう変わらないの” が
>児玉様の攻め方が無能乃木と同じはずないだろボケェ
に脳内変換される83に乾杯。
>>86 15=36=42ということで書いたからね、違ってたらごめんね。
まあ話の流れとしてはあってるだろ。
>85 その文面には総攻撃の一言も書いてないですが、どこに書いてあるのですか? 勝手に脳内で変換するのは自由ですが・・ >故に将軍にしても若し最初から尋常一様の手段 >を執られたならば恐くその更迭は旬日を出ずして >実現せられたであろう >80 >根拠としては、当時軍司令官が総攻撃をしなければ >軍司令官の更迭 うーん・・3次資料クラスで批判されてもなー・・津野田の名前位 出せばいいのに・・
89 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:08:21 ID:7CQrjhTT
そうか、sageでは出ないか。なんかあんまり意味ないな。 まあいいや。そっちもID出して発言して欲しいもんだね。 で、豪雨で総攻撃を延期するのが、「かなりの裁量」なんですか?
>>87 そもそも、42が15と36とを一括りにして複数人の発言を勝手に混同してる
こと自体、アリエン勘違いだろ。アリエンアリエン。
きっとこの人は自分自身に問い掛けているのだろうな・・
91 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:10:41 ID:7CQrjhTT
>>88 >その文面には総攻撃の一言も書いてないですが
一行目。
これ、その津野田参謀の言葉だよ。
>>91 一行目?後半の更迭の文章は
>故に将軍にしても若し最初から尋常一様の手段を執られたならば
という条件文に係っているんだよ。
これは、正攻法に関して尋常一様の手段を執ったならばということであり、
強襲法の期日の変更まで含んでいるわけではないのだが?
94 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:14:57 ID:7CQrjhTT
>>92 何のこと?
地下道と塹壕は一緒じゃないよ。
両方とも正攻法によって作られる攻撃施設ではあるが、それが何か?
で、豪雨で攻撃開始日を延期するのが、「かなりの裁量」なんですか?
いいかげんID付けてよ。
とりあえず「地下道と塹壕は一緒なのですか?」と逝ってる人 =203高地爆砕君でいいわけ?これはたぶん合ってるよな。
96 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:17:14 ID:7CQrjhTT
>>85 その文面には総攻撃の一言も書いてないですが、 一行目の「総攻撃の一言」も読みとれない人には多くを期待しない。 ましてID無しではね。
>>94 >地下道と塹壕は一緒じゃないよ。
だったら47の意見は問題ありだろ、地下道と塹壕を一緒に考えているのだから。
>75 75 名無し三等兵 New! 04/11/14 11:48:31 ID:7CQrjhTT
>>70 >>47 のどこが問題あるのか、説明してみろ。
まぁこんな命令口調で言う言葉じゃないわな。思い込み激しい方だ。
>>95 ププ誤魔化そうと必死ですね。 203高地は爆砕されたのですか?
>>96 >故に将軍にしても若し最初から尋常一様の手段を執られたならば
という条件文に係っているんだよ。
これは、正攻法に関して尋常一様の手段を執ったならばということであり、
強襲法の期日の変更まで含んでいるわけではないのだが?
こういう文面が読めないのは痛いね。
100 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:21:39 ID:7CQrjhTT
>>97 47の文面
>塹壕を掘っていって突撃発起点を至近距離まで持っていっているんだから、
>二○三高地攻撃に正攻法を用いたといっても、別におかしくない。
>児玉が来る前に、すでに山頂の争奪戦が何度も繰り返されている。
この文面のどこに問題があるのか、引用付きで説明してみろ?
>>98 203高地爆砕君=46と逝ってるんだけど・・・
>>85 >豪雨で総攻撃準備が完成しなかったからだろ
第一師団方面の包囲網すら完成してから攻撃を掛けても問題ないだろ・・って言ってるのだが・・
大本営自身は2個師団で攻略を督促してたけど、軍は3個師団まで待ってるしね。
それだけの裁量があったと考えるべきでしょ。
103 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:28:37 ID:7CQrjhTT
>>99 ごまかすな。
88は、85の文面に、「総攻撃の一言もない」と言ってるんだろ?
でも、実際は一行目にあるわけだ。
そもそも、文章の読み方がおかしい。
「総攻撃を急にせよと督促されていた」のだから、「尋常一様の手段(正攻法)」
は選択できなかった。それをすれば更迭されただろう。
という内容だよ、これは。
で、いいかげん答えてくれないか。
雨天で総攻撃を延期する程度のことが、「かなりの裁量」なんですか?
この、そちらの主張の根拠ってなに?一次資料クラス?二次クラス?小説?根拠なし?妄想?
>>100 >46 で203高地が正攻法ってので、工兵が地下道つくって真下で爆破して
落としたなんて初めて聞いた。ソースきぼん
そのレスが>47 塹壕を掘っていって突撃発起点を至近距離まで持って
いっているんだから、二○三高地攻撃に正攻法を用いたといっても、別におかしくない。
203高地攻略時は地下道を使って・・という間違いを訂正してくれてたら
特に問題ないのだが、言い訳しているのが痛いんだわ。
105 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:30:59 ID:7CQrjhTT
>それだけの裁量があったと考えるべきでしょ。 > 考えるべきでしょ > 考えるべきでしょ > 考えるべきでしょ 根拠なし、俺がこう思った、ってことだね。わかった。
106 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:32:10 ID:7CQrjhTT
>>103 あのな。67のどこに最初から正攻法で行えという意見があるの?
強襲法自体も否定していない。
予定の変更も出来たから第一師団が前進陣地を攻略し包囲が完了して
から攻撃をしてもいいというのは別におかしくないだろ。
その反論に尋常一様な手段を執られていたら、更迭なんてソースを
誰の意見ともかかずに述べる方がおかしいだろ。
この尋常一様な手段は正攻法というのは一般的見解であるのは
一般的だと思っていたが・・予定の変更まで含んでたのか?
>>105 根拠?実際に日付を変更していたのですから・・。
それとも津野田の思い込みの通りになるなんて事はないよ。
実際、第一次総攻撃が失敗しても更迭なんてされてないのだから。
何をいってるのやら・
>>106 何が言いたいのかわからん。47単独を取り出して言い訳してもな。
48の47と同じIDは同じプロキシを通しているから別人なんて言いたいのかな・・
47 名無し三等兵 04/11/14 08:05:42 ID:yNvARd4d
塹壕を掘っていって突撃発起点を至近距離まで持っていっているんだから、
二○三高地攻撃に正攻法を用いたといっても、別におかしくない。
48 名無し三等兵 04/11/14 08:18:37 ID:yNvARd4d
>>46 >>44 並びに45は、正攻法の説明として何の問題もない。
これを見て、
>203高地が正攻法ってので、工兵が地下道つくって真下で爆破して落とした
と書かれていると思い込むのがむしろおかしい。
君の書き込みは、さながら伝言ゲームのネタ芸人のようだ。ゲームのテレビ
中継としては、浅い笑いの取れるところではある。
>>104 馬鹿だな、お前のレスは46だろ。
47で別人が(個人的に45=47っぽい)塹壕で203高地爆砕って言ってるんだろ。
それに対して44-45でひとまとめにして児玉が出てきた時点で203高地に限定
とか言ってるんだから、ようはお前が話の流れが見えてないだけ。
45=47に関しては、確かにお前の言うとおりだが48は的確。
普通は48で終わると思うのだが?
111 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:39:24 ID:7CQrjhTT
>>108 そりゃ、津野田の予想どおりにならなかったかも知れないさ。
当時の雰囲気というものだよ。総攻撃を急にせよという督促に従わずば更迭
されかねなかっただろう、というのは。
でも、やっぱり君は、文章の読み方がおかしいね。
総攻撃を急にせよという督促に従わなかったら?という話なのに、なんで
第一次総攻撃が失敗しても、という仮定の話に変わってしまうのやら。
>>111 !?第一次総攻撃が失敗しても、という仮定の話!
第一回総攻撃は成功したのですか!!
113 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:42:38 ID:yLVnJFp7
>>60 伊地知の場合、同時代の児玉から批判を受けてるから、検討の余地はあると思う。
参謀長は司令官補佐の義務があり司令官が明確な見識を出してない以上、
作戦立案の責は参謀長にあるわけで、大砲設置の位置の検討については前例がないから
といって最善の手を尽くさないでよいわけではないから無理もないじゃすまされないと思う。
乃木は作戦司令官としての指導力・判断力、要するに攻略戦のために戦死者を出しすぎた点の評価だと思う。
司令官として効果の上がらない参謀長を更迭あるいは作戦変更を命令する「効率的」な選択肢を取れたかどうかという点だろう。
乃木はそれをできなかったわけだから名将とはいいがたいだろうが、積極的に間違った作戦を立案したわけでもないから愚将とも
いいがたい。結局「凡将」といったところだろう。
クラウゼビッツか誰かが、無能で勤勉な兵士は状況を飲み込めず損害を拡大
するから最悪みたいなことを言っていたが、乃木は合理性追求の能力には恵まれて
なかった気はする。悪い人じゃないだろうけど。
よ
>>110 君の見方だと45=47は同一人物だけど 48は別人なのか・・
47 名無し三等兵 04/11/14 08:05:42 ID:yNvARd4d
48 名無し三等兵 04/11/14 08:18:37 ID:yNvARd4d
そうなのか。
>>113 >積極的に間違った作戦を立案したわけでもないから
白襷隊
116 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:45:11 ID:7CQrjhTT
>>112 は?
総攻撃を急にせよという督促に従わなかったら?という話なんだから、
第一次攻撃失敗しても更迭さればかったじゃん、という話の展開に繋がる
わけがないだろう、という事なんだが?
だから日本海海戦の東郷&秋山の活躍を 引き立たせるために無能な人間にされたんだろ。 乃木&伊地知は。
118 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:48:26 ID:7CQrjhTT
> 乃木は合理性追求の能力には恵まれてなかった気はする どうだろう。 例えば、結局旅順の死命を制したのは正攻法だったわけだが、 正攻法採用の決断は軍司令官の鶴の一声で決した。
>>116 勝手に展開させないでください。
8月末に総攻撃を開始するのを否定しているわけではないよ。
第一師団の攻囲を完遂させてから攻撃してもよかったのでは?
とたずねていたのを・・君が勝手に総攻撃を急にせよとという督促云々の
話にしているんじゃないですか。
だったら最初は個師団で攻撃を開始すべしという大本営の意見を拒絶した
乃木はどう説明するの?
>>114 違うね、スマソ
すると47の正攻法ってのは、塹壕を掘った上で出撃拠点にするだけで
44は坑道を使った爆砕という正攻法、45は塹壕を出撃拠点にする正攻法。
となるので203高地爆砕ってのは、ただの君の妄想になるね。
48が的確なのは変わらんな、というかさらに君の馬鹿さ加減が明らかになったね。
・・・・お前4万太郎だろ?
>>118 それで47-48の同じIDの意見はおかしいと思わない君は、かなり面白いけどね。
122 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:54:08 ID:7CQrjhTT
> 最初は個師団で攻撃を開始すべしという大本営の意見を拒絶した乃木 意味がわかりません。これこそソース希望だな。該当部文面付きで。
123 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:54:33 ID:yLVnJFp7
>>118 うーん正攻法の判断は「判断力の確かさ」の評価ではあるだろうけど、
合理性という点ではどうだろう。
合理性というのは、最小の犠牲(コスト)で最大の効果(ベネフィット)を
あげる手段を選ぶことができたかどうか、という点の評価ね。
>>120 いいか?>37で児玉が来た最終局面と書いている以上、203高地攻略時というのが
解る。つまり話の流れは203高地攻略時と限定されるわけだ。
さらに
>正攻法ってのは、工兵で地下道つくって真下で爆破とかだから
>児玉が出てくるまでにちゃんと地道に下準備をしておかなければなりません。
って44なりの正攻方法の定義を述べているわけだ。
でも47-48は44の地下道を塹壕と置き換えている・・。単語を読めないのか、
偏見でもって読んでいるのか・・そんなので大丈夫か?
125 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:55:45 ID:7CQrjhTT
>>122 2個師団・・。数字が抜けたね。公刊戦史をソースにしてます。
>>125 おいおい。なんで君は47-48本人かのように47-48を誤魔化そうとするかな・・
別人だったらほっておけばいいじゃん。47-48なんてイタイだけの奴なんだから。
>>124 だから塹壕作って塹壕を出撃拠点にするのも正攻法だろ?
頭の悪そうな君は、一回自分は間違っているかもということで
坑道と塹壕を47-48が置き換えているということ捨てたらどうだ?
47の正攻法=塹壕からの出撃
129 :
名無し三等兵 :04/11/14 12:59:09 ID:7CQrjhTT
>>123 正攻法採用の時、基本的に第一線の師団長は、これからも強襲法で
行こうという主張だったらしい。
それを押さえて正攻法を採用したわけだから、「犠牲」と「効果」
を考えた上での判断だと思うんだけど。
>>128 坑道と塹壕じゃないって・・
44-45の意見では地下道。
どんどん言葉を変えるところなんて・・まるで47-48・・。
131 :
名無し三等兵 :04/11/14 13:03:23 ID:7CQrjhTT
>>127 えっ何?誤爆じゃないの?
118のどこに、47-48についてのことが書いてあるっての?
見境いなしですか?
>>130 >>44 坑道掘って爆砕するのが正攻法だね
>>45 203高地で塹壕掘って出撃拠点にするのとトンネル工法という正攻法なら既に児玉着任前にやってるから
>>46 44+45で203高地で坑道掘って爆砕?( ´,_ゝ`) プッ
>>47 203高地付近まで塹壕延びてるから出撃拠点にしてもおかしくないって
>>48 44と45はそれぞれ正攻法として正しい、46はお笑い人芸人みたいだね。
133 :
名無し三等兵 :04/11/14 13:06:29 ID:7CQrjhTT
>>126 六月三十日の段階で、既に三個師団になっているわけだが。
この時期って、旅順を強襲法で攻めるか正攻法でいくかって段階じゃ
なかろう。
>>131 同じID ID:7CQrjhTT を使っている君に尋ねているのだが?
それで47-48の同じIDの意見はおかしいと思わない君は、かなり面白いけどね。
必死にレスを延ばして誤魔化そうとしているのかな・
75 名無し三等兵 New! 04/11/14 11:48:31 ID:7CQrjhTT
>>70 >>47 のどこが問題あるのか、説明してみろ。
そもそも、
>>46 が44-45と一括りにして複数人の発言を勝手に混同してる
こと自体、アリエン勘違いだろ。アリエンアリエン。
ちなみに、45はこう書いていればここまでこじれなかったであろう。 「至近まで塹壕を掘り砲兵の支援を受けた上での突撃」や「トンネル攻法」を 正攻法と呼ぶのなら児玉が来る前から乃木も行ってるんだが。 まあ、まさかこの文章見て203高地爆砕と妄想する人がいるとは予想できないからね。
せっかくID出るんだからと思って使っていたけど、 なんかウザいね、これ。特に他のスレには迷惑のような。 これ以後はsageます。
>>134 あーなるほど。いや47-48は全然おかしくないと思ってるんで。
>>118 は、全然47-48についての発言じゃないのに、何でこのレス番
指定でこんなツッコミが入るのかと思っていたんだ。
誤爆じゃなくて、君が>と>>の使い分けが出来ていなかっただけなんだね。
>>47-49 おいおい。44は地下道で塹壕じゃないんだけど?
いいか?>37で児玉が来た最終局面と書いている以上、203高地攻略時というのが
解る。つまり話の流れは203高地攻略時と限定されるわけだ。
さらに
>正攻法ってのは、工兵で地下道つくって真下で爆破とかだから
>児玉が出てくるまでにちゃんと地道に下準備をしておかなければなりません。
って44なりの正攻方法の定義を述べているわけだ。
でも47-48は44の地下道を塹壕と置き換えている・・。単語を読めないのか、
偏見でもって読んでいるのか・・そんなので大丈夫か?
そして 48では
>君の書き込みは、さながら伝言ゲームのネタ芸人のようだ。ゲームのテレビ
>中継としては、浅い笑いの取れるところではある。
なんて書いてさ・・地下道を塹壕と思い込んでいる自分自身をそんなに貶めたいの?
本文だけコピってしまった・・・・
50 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:04/11/14 09:37:12 ID:???
>>47-49 おいおい。44は地下道で塹壕じゃないんだけど?
いいか?>37で児玉が来た最終局面と書いている以上、203高地攻略時というのが
解る。つまり話の流れは203高地攻略時と限定されるわけだ。
さらに
>正攻法ってのは、工兵で地下道つくって真下で爆破とかだから
>児玉が出てくるまでにちゃんと地道に下準備をしておかなければなりません。
って44なりの正攻方法の定義を述べているわけだ。
でも47-48は44の地下道を塹壕と置き換えている・・。単語を読めないのか、
偏見でもって読んでいるのか・・そんなので大丈夫か?
そして 48では
>君の書き込みは、さながら伝言ゲームのネタ芸人のようだ。ゲームのテレビ
>中継としては、浅い笑いの取れるところではある。
なんて書いてさ・・地下道を塹壕と思い込んでいる自分自身をそんなに貶めたいの?
46の言い訳まだぁと・・・これ以上煽っても仕方ないか。
俺も結構読解ミスしてるし、結局二人とも厨だね。
>>7 CQrjhTTさん、この馬鹿とは会話は成立しないと思う。
爆砕太郎だし
さて消えるか・・・
ちなみに、203高地攻防戦は 正攻法ではなく、第1回本要塞攻撃と同じく 重砲支援の上での歩兵の白兵突撃という 強襲法が採られたはず。 さらに言えば、満州軍総司令部からお目付け役として来ていた 福島少将は、攻撃目標を203高地に変更することについて、 「大山元帥の許可を取らないと」と反対していたらしい。
> 203高地爆砕と妄想する人がいるとは予想できない たしかに。こんな妄想アリエンでしょう。通常は。 というか、二つの書き込みを混ぜ合わせてしまうという荒技自体がアリエン と思うので、この時点でこの人はもしかしてアリエフ人?と思うべきでした。
144 :
45 :04/11/14 14:00:25 ID:???
ビクッ. ∧ ∧ ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) < うおっ!オレが旅順攻略戦についてチョット変な事言っちゃったら、知らない間に凄い事になってるぞゴルァ! ./ つ つ \______________________ 〜(_⌒ヽ ドキドキ (( (( )ノ `J
>>142 第一回総攻撃(強襲)の直後八月三十一日に、「軍は自今正攻に
より云々」という軍命令が出されている。
この時、攻撃する堡塁砲台は各師団あて二個を基準とされた。
正攻法採用当初から二○三高地付近は正攻法作業の目標とされた。
最終的にはロシア軍が山腹に設けた鉄条網のところまで塹壕が掘り
進められた。平行壕と雷光型の対壕を備えた、典型的な正攻法によ
る攻撃築城が行われている。
もちろん、最後は歩兵が突撃を行う。
>>144 ワラタ。でも、
>>45 は間違ったことは言ってないと思うんだが。
別に完全無欠の回答を要求されたわけでもないのだし。正攻法を
さらっと何気なしに説明するのなら、あんな感じでしょう。
>>145 トンネルを掘って敵要塞の下に爆弾を仕掛けて
爆破させるというやり方は採られていないけどな。
>>146 は203高地で使われていないというだけで、
本要塞攻撃では大々的に用いられた。
どうしてこう旅順攻略がからむスレは必ず旅順どころか、西部戦線 みたいな寸土(些細な点の論証と論争)を争うスレにあっという間 に転落するんだろうか? 乃木だったら奉天会戦とかも話題にあがってもよさそうなものだが とかつぶやいてみる。
>>148 そりゃ谷派・司馬派やら別宮派やらが湧いてきて
お互いを認めずに延々とやるからさ。
基本的には、
「無能で善良な人間はどう評価されるべきか」
という問題に直結するからな。
>>146 二○三高地の攻撃地図を見れば、典型的な正攻法が行われていたってのは
分かるはずです。
>>142 の >正攻法ではなく〜強襲法が採られたはず
という正攻法ではない、強襲法が採られたはず、という説に対する反論
なので、塹壕で済んだか、坑道を掘らねばならなかったか、また爆薬で
爆破しなければならなかったか、という話をしているのではありません。
正攻法をどの段階まで行ったかという妙に細かい所を気にする割には、
「爆弾」などと平気で書き込む。なんか不自然というか、妙な人ですね。
>>149 君みたいなのがいるから荒れるんじゃないのか?
過去スレ2つの結論としては、乃木は凡将ってことに落ち着く傾向がある。
>>149 なぜ「無能で善良」と、既に結論づけられているのか分かりません。
旅順要塞を、世界が驚異と感じた程度の期間と損害で攻略した軍の
司令官なんですがね。
>>151-152 無能で善良な(と思われている)
としときゃ良かった。
愚将ではないが名将とも言いがたい
大体そんな評価だな。
>>153 そういう意味ね、噛み付いてすまない。
実に的を射た表現ですね。
結局の所、乃木をどう評価するって点は 評価者の選択バイアスでいくらでも変動するんだよな
「普通、勝利した将軍が有能とみなされる」 B宮本によればこうなるが、いちゃもん付けようと思ったら何とでもいえる。
このように、いちゃもんつけようと思ったら何とでもいえるわけですね。
日露戦後、旅順攻略については各種の批評があり、極端な論者は 乃木大将を「無能」呼ばわりしたりしたが、 「馬鹿者呼ばわりをする者の方が馬鹿である」 とは、これは昭和十四年陸軍大学校の現地戦史研究で戦史教官 森赳大佐が二○三高地上で私共学生に対し講義したときの結論 であった。(「戦略日露戦争」原書房)
>37で児玉は最終局面でいただけ。戦法として乃木のそれと全く変わらんよ。 >42 どう変わらないの? >43 正攻法 >44-45 正攻法の説明 ここで頓珍漢になっている。戦法としては203高地は強襲に近い。 どちらかというと野戦として捕らえている戦史もあるくらい。なんと いっても”前進陣地”ですから。 もし203高地を要塞というならば、遼陽会戦の日露両陣営の陣地も 要塞と言える。 さらには、戦法そのものはそれまでの堡塁攻撃における方法が 全て行われている。児玉が来て変わったことといえば、用兵程度。 つまりどの地域にどの部隊を配置するかという点。 その程度の差は名将論者、愚将論者の認識の差になっている。 名将論者の根拠は桑原が多く単一的。 愚将論者の根拠は司馬に始まり、桑原と別宮で叩かれる。 ただ桑原はパラノイアの傾向があるし、別宮はいい加減。
>>160 乃木が無能かどうかは、はっきり言ってどうでも良かったりする。
実際、児玉や大山もミスは多くしているし。勝って兜の尾を占めよとは
言うが、勝利の中の敗因を追求する姿勢は重要でしょ。
ただ、乃木を擁護する人物達の意見を纏めると、なぜか全てのミスがなくなっていくのですよ。
森赳 高知県生まれ。陸士第二十八期生。騎兵科。 陸軍大学校戦史教官(騎兵大佐)時代に、満州現地で約二週間にわたる 実地教育を行った。 透徹した戦史眼については当時も定評が高く、多くの後輩たちから尊敬 を受けていた。
>>162 乃木を批判する人物達の意見を纏めると、なぜか全てがミスになっていくのですよ。
>愚将論者の根拠は司馬に始まり、桑原と別宮で叩かれる。 >ただ桑原はパラノイアの傾向があるし、別宮はいい加減。 で、小説家の司馬はどうなんですか?パラノイア?いい加減?
>>165 小説家 どちらかというと、昭和軍隊に対する恨みを自分に都合よく資料集めたところから、
パラノイアっていえるかな。
>>161 >ただ桑原はパラノイアの傾向があるし、別宮はいい加減。
太平洋戦争研究会の誰かは知らないが、桑原の本についての見解。
「その論旨は、ところどころ勇み足があるものの、根拠をあげて全体として
は冷静である。筆者の桑原氏は中央乃木会会長時代にこの本を執筆したよう
だが、偉人を顕彰する文章にみられがちな観念的な賛美はまったくない。」
(「日露戦争がよくわかる本」太平洋戦争研究会・PHP文庫)
>>161 名将論側の筆者二名をパラノイアだいい加減だと言いながら、
その反対側の愚将論側は誰を出すかと思えば小説家ですか。
しかも、小説家にはノーレッテルときたもんだ。
笑い死にそうだ。
169 :
名無し三等兵 :04/11/14 18:50:42 ID:wig9v72Y
>もし203高地を要塞というならば、遼陽会戦の日露両陣営の陣地も要塞と言える。 そりゃあ乱暴すぎないか? 側防掩護の関係とか、標高の問題とか、そういうの無視することになる。 ちなみに遼陽会戦では、攻撃側と防御側の高低差はどれくらいあったの?
永久要塞と野戦陣地をいっしょくたにするアホがいます
おそらく、二○三高地のロシア軍陣地は臨時築城だから、というつもりだろうが、 峻険な高地上に設けられたものと、そうでないものを同一視はできないだろう。 また、要塞の前進陣地だというだけでも、掩護する堡塁砲台の数が多く守るに有利 な状況だということがわかろうというものだ。
>>169 遼陽会戦時の陣地は後で出そう・・スマソ
奉天会戦時の万宝山のロシア軍陣地とかはなかなか強固。
日本第4軍も攻めあぐねているし・・
>>168 フィクションOKの小説家だもの。小説家という一言で十分だと思うが?
>>174 いや、そうじゃなくてさ。
フィクション上等の小説家を愚将論サイドの論者にしてるのが笑えるっての。
あー、そうか。こういうのを天然っていうんだなーと実感。
笑いがひいたわ。呆れたもんだ。
>>175 203高地の話がなぜ旅順要塞全体の話になるんだ?
>>168 愚将論の教科書とも呼べるものが
谷寿夫『機密日露戦争史』だが、
これは昭和初期に書かれたもので、
陸軍部内の長州閥の追い落としの材料にされた可能性は否定できないから、
大分割り引いて考えるべき。
>>177 203高地は旅順要塞の一部だろ
それとも違うとでも?
>178 >陸軍部内の長州閥の追い落としの材料にされた可能性は否定できないから、 否定できるよ。第3軍を批判しているのは長州閥の日記を参考にしている。 あの本は薩長閥など閥族の人間を追い落としの材料にされた可能性は あるけど・・長州閥の追い落としの材料ってことはないな。
>>179 そうだよ。ただし203高地は野戦陣地と言ってるだろ。
それとも203高地には永久堡塁があったのか?どんな堡塁だ?
>>176 あぁ小説家だけ出すのは失礼だわな。
児島や大江、大濱徹也も乃木には批判的だな。訂正しておこう。
183 :
名無し三等兵 :04/11/14 19:22:44 ID:wig9v72Y
> 奉天会戦時の万宝山のロシア軍陣地とかはなかなか強固 そっちが遼陽会戦って言い出したんだから、今さら奉天の万宝山がどうとか 言いっこなしよ。 28榴弾砲弾が歯が立たないくらいに土地がカチンコチンだったっていうのも あるし。 いずれにしろ、前進陣地とはいえ旅順要塞の一部である峻険な二○三高地と 遼陽戦での野戦陣地を同一視するというのは無茶だと思うね。 そんなことないというのなら、すぐに根拠として、せめて高低差を挙げてみてよ。
>>180 まあ慎重に補給を待って体制を整えてから・・・という乃木の戦術(秋月の乱)は、
一気呵成に攻め立てる児玉の戦術(神風連の乱)とよく比較されて、
厳しい評価を受けていることは確か。
>>185 乃木自身が自分の選択を一番恥じているからね。
>>182 大江って、金日成の剥製に敬礼したという、あの大江志乃夫?
大濱徹也は、単行本に「(この本は)若い日の偏見と独断に彩られている」
と書いているんだけど。
>>187 え?国家の元首にどうであれ、その土地にあった敬意を表するのに何か問題でも?
独断と偏見ってどの辺りが偏見かどうかも記されてないけどね。
いちゃもん付けようと思ったら何とでもいえる。
>>184 ん、やっぱり根拠なしだったんだね。了解了解。
>>161 は、冒頭からおかしいところがありすぎるよ。
そりゃ初めは強襲にちかい感じで攻めたけど、九月以降は正攻法の作業を
始めている。
二○三高地の攻撃陣地を記した図や写真を見れば、平行壕や雷光形の対壕
が山頂近くまで延びているのがはっきりわかる。
>>188 大江さんの執筆姿勢がよくわかるエピソード。
だいたい、日本人があの時代に北朝鮮に行けるってだけでね。
最近ではウラジヴォストークは極東進出にからめた地名ではないとか書いてた。
(この本は)だから、全体的にってことでしょ。
いちいち指摘しきれなかったんじゃ?
193 :
名無し三等兵 :04/11/14 19:44:03 ID:XG41aA12
一番最初の攻撃で要塞をぬけてたーーーー て、きいたけど(損害が多くて引き換えした???
i '作戦の辻_,,.. . l r.--ヽ. _..-'''' ̄ヽ=r.._ l .r'' ̄`ヽ=. <(::)>ノ ~"'-._y l 乃木がしくじったら i <(:)丿/ヽ.____,,..r'" i i~ヽ.-...l 私が代わりに指揮をとる! ヽ__.r'( '';; i r'"(~''ヽ 「 ヽ-⌒-' \i > ) / i _...||.-.._ .r-'"/ ヘラヘラ i ./_.=:==-ヽ ) y-.''~ミ アヘアヘ i ヽ_,,,..,. , r'’ i i :ミ~ i U .....::::::::/ i~ ヽ ...........::::::::::::' i ヽ-::::::::::::::::::::::::::' :i 丿 ::::::::::::::::' i
>>191 それで?書いている資料に関してなにか問題があるのかな?
中央乃木会に所属していて、批判するときは別名の人よりはマシだろ。
>>190 そうそう正攻法の内の攻撃塹壕を掘るのは、9月、203高地攻略時から行っているよ。
児玉が9月後半に来ているけど、別に指導したわけではない。では12月に児玉が来て
変わった所をしっかり把握する必要があるのだが・・これは用兵の問題であって、
戦法云々の問題ではない。
>>192 根拠もなしに、いろいろトンデモなアリエフ説を吹聴するもんじゃないよ。
しっかし、二○三高地戦を遼陽会戦の陣地戦になぞらえるなんて、いったい
どういうヒラメキが?想像不可能だ。
>>197 アリエフなんて不思議な言葉を使う人だな・・
なんかIDをコテハンにした人も使ってたな。
せっかくだから以後、 >もし203高地を要塞というならば、遼陽会戦の日露両陣営の陣地も要塞と言える というのはアリエフ説と呼ぶこととしよう。長ったらしいし。 そもそも203高地を要塞と呼ぶ人が果たしていたかと言えば、レスを辿れば わかるとおり、そんな人はいない。 203高地は要塞の近くにある峻険な高地であって、そこに臨時築城が設けら れていたのは周知の事実。 だからと言って、主に平野戦だった遼陽会戦になぞらえるには無理がありすぎ。 標高差、相互防御の砲火網などといったことを全て無視することになる。 この点を、この説を唱えた本人に問いただしても、なんも言ってこない。 説明が来るまで、アリエフ説は唱えた本人すら説明できないトンデモ説と いうことになる。
要するに大阪城の真田丸のようなもんだが 真田丸を馬出しと称するなら妥当だが、野戦陣地とは言えない
>>199 遼陽付近の第一号、第2号堡塁等、ロシア軍陣地の堡塁は旅順の203高地以上ですよ。
(参考文献は公刊戦史付図 第3冊)
そういった堡塁が1-16 (10番は欠) A-H と23個あるのです。 遼陽は要塞都市と称しても問題ないな。
この人、西南戦争にも従軍してたみたいだけど、評価はどうなん?
>遼陽は要塞都市と称しても問題ないな これぞ牽強付会の見本だぞ、って事をして面白いですか?
>>203 当時小倉の第14連隊長心得で田原坂の戦いで援軍として出て行ったが、
連隊旗を獲られて逃げ帰った。
殉死の理由としてコレを挙げている。
ただ、夕刻の薄暗い時間での戦闘であったこと、
久留米で武器弾薬を受け取る手筈だったが、
船が送れてできなかったことなど、
情状酌量の余地はかなりある。
>>202 知識が無いから教えてくれ。
1、それらの堡塁の標高?
2、それらの堡塁は相互支援出来る間隔にあったのか?
207 :
203 :04/11/14 20:41:11 ID:???
>>204 だから公刊戦史 第3冊付図 遼陽付近露軍之防御工事を見てください。
第一号堡塁、第2号堡塁の平面、断面図が掲載されていますから。
別宮本P51を一回り小さくしたような堡塁が23個ほど設置されている。
203高地の頂上付近に設置された堡塁よりは遥かに強力だな。これは。
>>201 具体的にどんな防御だったの?
大砲は何門? 堡塁の防護は?
高さは?
平面図上の見た目を比較されてもナ。
>>206 堡塁の標高は述べられないが。
堡塁の位置は相互支援可能かつ、2重になってます。
ただし沙河から太河までで黒英台までは堡塁線ができていないな。
>>210 ご自分で見れば?北大山や首山付近の陣地等。
先ほど述べた堡塁とは別になるが・・ 第148高地などは頂上と南腹に堡塁があり、旅順戦の如き様相だったし、 北大山からの支援放火もあった。そういった戦いだったのさ。
さて、ソース合戦の様相を呈して参りました ……この場合、自分だけしか持たないソースを振りかざす奴が 大抵追いつめられるんだよな。 まあ、公表できない時点でオナニー以外の何物でも無くなる
>>205 微妙に違うのが面白い。さぞ特別な参考資料をお持ちなのだろう。
>田原坂の戦いで援軍として出て行ったが、連隊旗を獲られて逃げ帰った。
これは本当によく間違われるところだが、田原坂の戦いには乃木は参加し
ていない。連隊旗喪失は植木の戦いで生じた。
植木の戦いは官軍が退却して終わっているが、これは整然とした退却行動
であって、連隊旗を取られたという事から想像される壊乱、逃げ帰るとい
うものではなかった。薩軍も退却している。
連隊旗喪失は、本隊の退却の前に予め退却準備をさせていた連隊旗手個人
の不手際によるものといわれている。退却せず、逆に敵陣に切り込んでい
ったらしい。
>>203 この植木戦から木葉戦と連戦し、次いで高瀬の戦いでようやく福岡から南下
して熊本入りした官軍の合流を得た。
この数日間の戦いで官軍の南下を助けた遅滞行動は、高く評価されている。
このあたりは、「田原坂(橋本昌樹)」に詳しい。
他人が納得できないソースを振りかざす時点で、終わっていることが理解できない 議論で重要なのは、ソースの共有 それができなければ、詭弁と断定されても仕方がない。 しかし、2chでは短絡的に優位に立つため、他人が参照できないソース振りかざす馬鹿が多いんだよなあ。
217 :
名無し三等兵 :04/11/14 21:05:39 ID:MDFfG7dq
目標を艦隊の撃滅におかず要塞本体の攻略にこだわり続けたことはまずかったと思うけどなあ。 あと日露戦争前に佐世保なんかでは旅順同様の堡塁があったわけで。 ま、機関銃はなかったけど。 にもかかわらず近代要塞に対する認識が甘かったのは大本営(&大山・児玉)のミスでしょう。
坂の上の雲読んでると乃木たんに萌えてどうしようもないです。 助けてください。萌え死にしそうです。
つうか、公刊戦史が納得できないのか・・。214とか216らは。
>>220 公刊戦史は信頼できるが、お前が信頼できない
普通は公刊戦史というソースが出た時点で図書館なりに調べてから反論すべきなんだが、 214や216、さらに221のように確認もせずに批判する態度の香具師がここには棲んでいる。
10段階評価なら6くらいでしょ>乃木将軍 司馬本の罪なところは、もし児玉が最初から指揮をとってたら もっと簡単に落ちたんじゃないかと、基礎知識の無い人に思わせちゃうところだな。 逆に名将?論者で、やたら谷戦史にいちゃもんつける人がいるけど、 そういう人はちゃんと読んでるのかな?どこをどう読んだら長州追い落としを 図る本に思えるんだか。
224 :
215 :04/11/14 21:16:25 ID:???
>評価はどうなん?
と聞かれたから、その評価まで含めて、しかもソース付きで書いたのに。
203からのレスはなしか。かなしいなあ。
少なくとも、連隊旗喪失に話を限定して語るわりには、田原戦で喪失した
とボケをかましている
>>205 よりは正確に書いたつもりだったのに。
間違った知識を持ったまま帰っちゃったかな?かわいそう。
>>222 公刊戦史を振りかざして、自分の意見が正しいと誤解させるような奴が多いんでね
せめて、引用の基本ぐらいできていれば信用できるんだが…
なんだ連続書き込み多いな。あらかじめ準備してコピペしているのかな。
>普通は公刊戦史というソースが出た時点で図書館なりに調べてから反論すべきなんだが 普通はソース出すなら、引用してその部分の文章とページ数の表示は基本中の基本であり なおかつ、前後の文脈も示す訳だが。 お話にならないレベルだと評価すべきだろうか(w
>>229 このレスの中でその部分の文章とページ数の表示までしてきた奴は何人いるかね。
>>230 >215なんて本の名前しか書いてないし、基本が出来てないですね。
>>230 さあ? 少なくとも示さない奴は、ソースを振りかざして他人を攻撃する権利は無いだろうな。
ほんとほんと 224=215なんて基本が出来てないのに ボケをかましている なんて失礼な言い分だしな。ほんと 215は嫌な奴だよ。
>>208 >別宮本P51を一回り小さくしたような堡塁が23個ほど設置されている。
>203高地の頂上付近に設置された堡塁よりは遥かに強力だな。これは。
平地に構築された堡塁と高地上に構築された堡塁を同一視して
どちらが強い弱いと論じるのは問題は無いか?
236 :
215 :04/11/14 21:29:15 ID:???
>>231 ごめん、今は本の名前しか分からない。というかこれとても辛うじて判った
くらいなんで。
でもそうなると、田原坂の戦いで軍旗を獲られたという説を書いていた人は
その書名すら書いてないんで、わたくし以下ということですね。
下には下がいるということで、ちょっとホッとしてます。
>>234 堡塁の強度、相互支援の有無、曲射火力の是非
これらがわからないのに、堡塁の数だけで論じる方がどうかしていると思われる
あと、迂回できるか(無視できるか)の違いも大きい。
>平地に構築された堡塁と高地上に構築された堡塁を同一視して と書いているので、148高地と北大山に堡塁が築かれている事を 述べて比較しているのですが?
203高地を野戦陣地と断定した奴が、のたうち回っているようだな。 なかなか面白い
>>239 私はDLできたのでどこかUPしましょうか?かなり粗いけど堡塁の概要がわかりました。
245 :
215 :04/11/14 21:36:43 ID:???
>>233 あらら、205さんご本人?
ごめんね、そちらがソースもクソもない書き方だったんで、こっちはせめて
書名だけでもと思って215を書いたんだけど、これでも足りないそうなんだ。
お互いに恥かいちゃったね。でも下には下がいるってことが判ってこちらは
ちょっとホッとしたよ。
ところで、田原坂の戦いで軍旗を獲られたっていうののソース、せめて書名
だけでもお願いできないかな?
>>244 やっとDLできた。
しかし、堡塁の概要は理解できたが、戦線あたりの密度がわからないと意味無いぞ
相互支援できるかどうかもわからないし。
>>246 その堡塁と203高地の頂上付近の堡塁とどちらが強力でしょうね。
>>236 =215
>今は本の名前しか分からない。というかこれとても辛うじて判った
>くらいなんで。
どんな本を読んでその本に詳しく書いてあると判断したの?
インターネットですか?
>>247 んなもん戦力密度、予備隊の数、標高、火力密度、地形、地質、戦略によっていくらでも変化するがな。
初心者スレで「○○と××どっちが強いですか?」と質問する初心者かよ
250 :
215 :04/11/14 21:45:39 ID:???
>>248 とりあえず、そちらの参考にした資料の名前を出してくんない?
それで立場がイーブンになるわけだからさ。 無茶な希望はしていないつもりだ。
251 :
215 :04/11/14 21:48:36 ID:???
というか、 >どんな本を読んでその本に詳しく書いてあると判断したの? って、こりゃまた面白い日本語だこと。 どんな本を読んで?って、その本に決まってます。
>>250 結局、田原坂 (橋本著)を読まずに215の意見なんて言われてもな。
全然説得力ない。ソースを示さないで適当な事を言ってる215に言われて
205もかわいそうだな。 ボケ扱いまでされているしさ。
勝利宣言キターーーーーーー
254 :
215 :04/11/14 21:54:19 ID:???
>>252 なんで、田原坂を読まずに、なんて言えるのさ。
読んだよ。読んで、そういう内容が書いてあったから
>>215 を書いたのさ。
でも、ページまでは判らない。それだけのこと。
しかし、
>>205 はページどころか書名すら書いてないんで、基本ができてない
どころの騒ぎじゃありませんね。
こんな人に間違った知識を教えられて、サンクスとか行って去っていった人は
いい迷惑だったろうなあ。自分がもっと早く即レス出来たらよかったんだが。
>>215 無理してレスするだけ墓穴を掘ってますよ。なぜか、名将論者には
こういう固執する人が多いな・・同一人物だったら納得だがw
219のアップしてくれた通り、遼陽にかなりの堡塁が築かれていたのは解った。 遼陽会戦って大変な会戦だったんだな・・
257 :
215 :04/11/14 22:02:37 ID:???
>>255 他人の心配はいいよ。
で、田原坂で軍旗を獲られたということが書いてある書名はまだかな?
書名すら判らないのかな。
遼陽の背後には、奉天があった。 旅順の背後には、何もなかった。(海があっただろとかいうボケツッコミはなしだぞ) 全く違う戦場なんだから比較すること自体がナンセンスです。
相変わらず不毛な争いが繰り広げられていますね。
今回の釣られ人 ・・・ID:7CQrjhTT
>>199 >もし203高地を要塞というならば、遼陽会戦の日露両陣営の陣地も要塞と言える
>というのはアリエフ説と呼ぶこととしよう。長ったらしいし。
>>219 を見る限り ↑の自分の納得できない意見は自分で確認もせず、アリエフ説と呼んだID:7CQrjhTT
はおかしい奴というのが判明した。
>そもそも203高地を要塞と呼ぶ人が果たしていたかと言えば、レスを辿れば
>わかるとおり、そんな人はいない。
>>37 から44-45の問答みて・・地下道から堡塁爆破なんてボケかましている奴がいるがな。
その後の46-48の絡みでID:7CQrjhTTが墓穴を掘っている。
>>215 >薩軍も退却している。
あれ?薩軍なんて退却してないのにね。 さぞ特別な資料をお持ちなのであろう。
もしくは図書館で読んだ程度で思い込みだったのかな?
こんな思い込みでボケ呼ばわりしてる奴なんだな・・215って。
262 :
名無し三等兵 :04/11/15 07:57:53 ID:kE4pPGUP
名将・愚将論がいつの間にかソース合戦か・・・
乃木に比べれば第一次大戦の将軍なんてみんなゴミだろ。 別宮氏の言いたいことはそういうことかと。
264 :
名無し三等兵 :04/11/15 08:18:28 ID:Ng0gbd/G
>>258 が結論。いきなり比較しはじめたアリエフ説自体がナンセンス。
>>261 >あれ?薩軍なんて退却してないのにね。
学研の「西南戦争」では、薩軍も退却しているけど?
「だが不思議なことに、薩軍も追尾するどころか、引き揚げを始めたのである。
薩軍の二小隊はこの日、早朝から移動と戦闘を繰り返しており、すでに兵士
の体力は限界に達していたのであろう。」
えーと、ソースを記さなきゃいけないんだったね。
「西南戦争」(学研)の40ページ。
で、
>>261 の、退却してないというのが書いてある書名とページ数は?
>>265 2/23の時期と勘違いしているのでは?植木へ引き上げなんてのは退却なんていわないよ。
2/22 植木での戦闘 連隊旗紛失 乃木連隊 田原坂を越えて、木葉まで退却。 2/23 木葉での戦闘 薩軍 連隊からの射撃に一旦退却、その後上木葉から連隊を包囲攻撃 乃木連隊が南関まで退却 2/24 乃木連隊は官軍第一旅団 前駆隊と合流。 (歴史と旅1997年10月号 P45 河野 防衛大教授) これを見る限り、引き揚げ=退却という言葉にならないのがわかる。 というかさ、引き揚げと書いているのがなぜ退却になるのか・・。なんかおかしい奴だな。
>>267 官軍の行動しか書いてないじゃん。
薩軍の行動を書いたのは出せないわけ?
ところで、田原坂の戦いで軍旗が獲られた、ってののソースもまだだね。
どうなってんの?
君はおかしい奴以下だね。
>>268 田原坂の戦いで軍旗を取られたなんて俺は言ってないよ。
205だろ・・それは、自分の意見に対するツッコミは全て同一人物から
言われていると思ってるのか? 思い込みの激しい奴だ。
薩軍は2/22の戦闘では 敵モ敢エテ尾撃セズ だよ。退却なんてしていません。
なんか小学生の口喧嘩みたいだね。
つかさ、2/23の境木方面に移った後の戦闘と2/22の連隊旗の取られた
植木の戦いを
>>215 で一緒くたに勘違いしていたくせにさ・・「
>>224 のとボケをかましている
>>205 よりは正確に書いたつもりだったのに
はないよなw
>>269 >俺は言ってないよ
バレバレだってのに
そんな10分置きに書いている君に言われても・・アリエフ君 それで植木の戦闘で薩軍が植木町から退却したというソースは?
乃木ってさ もっこに乗って田原坂戦に参加してなかったか?
田原坂で連隊旗を紛失したと、誤った書き込みをした205がいた。 それに対して、ボケですか?本ぐらいちゃんと読めと攻撃的な215がいた。 ところが215も間違えていたが、そこを指摘されると 「じゃあ、〜についてのソースは?ソースは?ソースは?」 215=46=四万太郎では?
>>273 両方ともソースソースと言い合いになっている。
205君が、田原坂の戦いで軍旗が獲られたというソースを出すのを待って、
そこから始めよう。
そもそも
>>205 からはじまったんだし。
>>276 205については、それ以後誰も触れてないから
間違いということでいいじゃないのか?
2/22の植木の戦闘のあと、乃木連隊は田原坂を越えて木葉に退却している。 植木からの一連の乃木連隊の戦闘は田原坂の戦いの前期と称している人 多いんだけどな・・・・
まぁ今問題があるのは妄言癖のある215だろ・・ 205に絡んでいるのは215以外にありえん。
>>278 そうなんだ。
ところで多いって、母集団はどのくらいで、何割くらい?
多いというからには、西南戦争に関する書物をかなり読んでるんだろうな。
そうでなけりゃある意見より別の意見の方が多い少ないと言えるわけない。
どれくらいの母集団で、どれくらいの割合だから多いと言ったんだろうか。
そうまでして
>>205 の書き込みを擁護するわけか。他人がねえ。ご苦労さん。
>>281 2さきの防衛大学教授の河野氏は、植木から高瀬に至る
一連の戦いを田原坂の戦いの前期と捉えています。
なぜならば、そう捉えないと、乃木連隊の戦いは後に官軍が勝った
田原坂とは関係なく、連敗しただけと解釈せざるをえない。
高瀬で官軍と合流した中間期につづかないと、乃木は命令に反して
連敗し、軍旗を取られたダメダメ将軍になる。
そう解釈しない為にも、植木の戦いは後の田原坂の戦いの前哨戦と
捉えていくべきだろうけど・・
>>285 まず河野氏。一名。これだけ?
どう考えても少数派としか受け取れません。多いって言ってなかった?
>>284 子供は281だろ、母集団とか何割かなんてわかるはずないじゃん。
普通は285のように誰がこういってるとか、この書物にはこう書いてあると
いうような答えかたになるはず。
281の尋ね方は子供と同じ。
児島の大山巌でも 田原坂という項目は植木の戦いから書いているね。 結構多いんじゃない?別に目くじら立てるほどじゃないよ。 それよりかは植木の戦いの時に薩軍が退却したなんて215で の言い分の方がうっとおしい。間違いを訂正したくてもできないようだし。
>>285 >なぜならば、そう捉えないと、乃木連隊の戦いは後に官軍が勝った
>田原坂とは関係なく、連敗しただけと解釈せざるをえない。
>高瀬で官軍と合流した中間期につづかないと、乃木は命令に反して
>連敗し、軍旗を取られたダメダメ将軍になる。
これは誰の説だ?河野説?285の考えたこと?
つか215が必死だな。D:7CQrjhTT のアリエフなんて不思議な言葉を使う奴も かなり必死だったが。本でもゆっくり読んでればいいのにね。何がしたいのやら。
>>287 >母集団とか何割かなんてわかるはずないじゃん。
それでよく多いなんて言えたもんだと、不思議に思うがね。
今のところ、一人だけ。多いなんてとても言えないだろ。普通の感覚の持ち主なら。
太平洋戦争時にレイテの戦いってのがあったが、これはいくつもの戦いを含んでいる。 それと同様に田原坂の戦いも 植木、木葉、高瀬、山鹿、田原坂、と熊本城北方の戦い全部の 総称として認められていると思うがな・・まぁ215は細かくチェックしたいのだろ。 それは人それぞれだし、詳しく書くのは盛り上がるから構わないと思う。 でもね。植木の戦いと其の翌日の境木の戦いを混同するような書き方は良くないだろ。
>205に絡んでいるのは215以外にありえん。 215に絡んでいるのは205以外にありえん。
もうこれ以上215にかまっても仕方ないのでは? こいつ絶対四万太郎だって
205はいないようだから。 215の言い分を確認しようぜ。薩軍が植木の戦いの時に退却したという説だ。 これはどこに退却したんだ?
>>292 > 田原坂の戦いも〜〜〜総称として認められていると思うがな
なんて乱暴な括り方だ。初めて見たぞそんな括り。
もしかして、292が思っているだけなのか?思っているだけならいいんだが。
薩軍が植木の戦いの時に退却したという説なんて初めて見たんだけど どの書物の何ページに書いてあったの?ソースは?
>>295 いるんじゃね?205。・・・お前とか?
>>296 総称として認められていると思うがな・・まぁ215は細かくチェックしたいのだろ。
それは人それぞれだし、詳しく書くのは盛り上がるから構わないと思う。
でもね。植木の戦いと其の翌日の境木の戦いを混同するような書き方は良くないだろ。
>>299 なんだ、やっぱり299が思っているだけなのか。
そんな総称、見たことないよ。どんな本に載っているんだ。
>>297 こういう意見です。
>>215 植木の戦いは官軍が退却して終わっているが、これは整然とした退却行動
であって、連隊旗を取られたという事から想像される壊乱、逃げ帰るとい
うものではなかった。薩軍も退却している。
>>224 224 215 sage 04/11/14 21:16:25 ID:???
>評価はどうなん?
と聞かれたから、その評価まで含めて、しかもソース付きで書いたのに。
203からのレスはなしか。かなしいなあ。
少なくとも、連隊旗喪失に話を限定して語るわりには、田原戦で喪失した
とボケをかましている
>>205 よりは正確に書いたつもりだったのに
205については、総称として認められるかもというぐらいで 215が正しいでいいじゃないか。 205ですと名乗る人がいないんだから、自信があるというわけじゃないんだろ。 植木の戦い其との翌日の境木の戦いを総称植木の戦いとするソースはどこですか?
>田原坂が熊本城北方の戦い全部の総称として認められていると思っている人 境木の戦いって何? 二月だとは思うけど、何日の事?
>>304 どんな本を今読んで そういう質問をしているのですか?
境木の戦いってググッても出てこないんで。
出てこないな。 どんな本を今読んでるんだ? >田原坂が熊本城北方の戦い全部の総称として認められていると思っている人
なんなの、そのページの作者?信奉者? そのページに書いてあるとして、何なのさってもんだよ。 この世の中のウエブページ全てに目を通してんのかおまえは。
ざっとみたけど、どこに境木の戦いなんて書いてあるんだろう? それに、三月四日の所にリンクされても困るんだけど。 そこ植木の所でもなんでもないし。 ネタ?
>>309-310 2/23の木葉の戦い
植木の戦いの後に境木にどっかの部隊は陣地を張っていたんだが・・
まぁがんばってググッテちょうだい。
それで植木の戦いで薩軍が退却したという根拠をね。
>>311 > それで植木の戦いで薩軍が退却したという根拠をね
これでいい?
>乃木隊は混乱する中で退却し始めたが。薩軍もここで追わずに撤退してしまった。
>>311 それで、「境木の戦い」というのは何なのさ。
自分だけにしか判らない名称を出されても、他の人が困っちゃうんだけど。
>>312 なにその文章は?訂正したいのですか?
薩軍が植木の戦いの時に退却したという根拠を聞いているのですよ?
西南戦争というソースを誰か出していましたが、あれは翌日の
境木の地点、木葉の戦いの時の話ですよ?
それでなぜそんな勘違いをしたの?思い込みが激しかったのかな・・。
>>313 スマソ 2/23の境木の戦いは木葉の戦いにしておこうか、こちらの方が一般的だし。
309の意見も乱暴だしな・・まったくマナーもへったくれもないな。
>>314 は? これ植木の戦いの時の話だけど?
何を勘違いしているの?
>>316 308の意見は乱暴でないと。なんてまあわかりやすいんだ君わ。
厨房スレだな
>>315 「しておこうか」ってさあ。
「今日はこのくらいにしといたるわ」ってのを思い出してハゲワラ。
一般的も何も、境木の戦いなんて聞いたこともないんだが。
ググッても確かに出てこない。もしあったとしてもかなり特殊な名称だと思うぞ。
うん。植木の戦いで間違いない。
>>314 なんでこれが木葉の戦いになるんだ?
勘違いや思い込みをしてるのはそっちだろ?
>>322 本にもなく、ネットで調べてもないってことだよ。
ググッても出ないって、そうとう特殊ってことだぜ?
試しに、間違ってよく使われる日本語を何かググってみ?結構でるから。
>>321 うわぁ・・ 木葉も植木も一緒に考えはじめた・・スゲー
>>324 こっちの台詞だ。
>乃木隊は混乱する中で退却し始めたが。薩軍もここで追わずに撤退してしまった。
これは「植木の戦い」。「木葉の戦い」じゃないよ。
>>325 なにその文章は?215の意見を訂正したいのですか?
薩軍が植木の戦いの時に退却したという根拠を聞いているのですよ?
西南戦争というソースを誰か出していましたが、あれは翌日の
境木の地点、木葉の戦いの時の話ですよ?
>薩軍もここで追わずに撤退してしまった。 どこに撤退したの?植木の戦いの前は熊本城近辺にいたわけだから・・ そこまで撤退したのかい?それでそのソースは? また退却した、から撤退って言葉に変えたのはなぜですか?
>>326 「西南戦争」の40ページ頭から植木。次いで41ページ中頃から木葉。
間違いようがない。
>また退却した、から撤退って言葉に変えたのはなぜですか?
>>308 が出したウエブサイトにそう書いてあるんだが。>撤退
2/22に乃木軍は植木で陣を構えて、植木で戦闘をしました。 劣勢になったので、境木まで撤退し、木葉で宿営しました。 それで薩軍は植木の戦いで薩軍も撤退している。 と329は述べているのだが、 どこに撤退したのかい?
植木の戦いの前、薩軍は熊本城近辺から乃木部隊を迎撃に向かった。 撤退するならば出撃地点から植木より手前になるだろうけど・・ どこまで撤退したのだろう・・ きっちりソースを示していただきたいものだ。
>>331 「植木の戦い」と「木葉の戦い」の違いが判ったら答えよう。
この違いがわからん人には答えてもしかたない。
>>331-332 >乃木隊は混乱する中で退却し始めたが。薩軍もここで追わずに撤退してしまった。
これは植木の戦いか?木葉の戦いか?
>>333 日付と場所が違います。
まさか 田原坂を越えている 植木と木葉を同一視する人がいるとは思わなかったし・・
撤退して宿営している地点も理解していない人とは思わなかった。
田原坂の戦いって総称で話をしているのならともかく、細かくわけているのだから、
2/22植木の戦い、2/22に田原坂を越えて境木で陣を貼り、2/23の木葉の戦いで負傷
なんてことをしっかり分けるべきだろ。
それがなぜか・・植木の戦いで一括りにしようともがいている。ちと・・な。
>>331-332 は、
>>271 辺りからずっと勘違いしている。
これまで植木の戦いの情景しか出てきてないのに、なんで木葉の戦いと
勘違いしたんだろ?
>>336 2/22の植木の戦いでは薩軍は退却や撤退なんてしてないからさ。
それでどこに撤退したのかい?
>境木の戦いは木葉の戦いにしておこうか なんだこりゃ
>>337 >乃木隊は混乱する中で退却し始めたが。薩軍もここで追わずに撤退してしまった。
これは植木の戦いか?木葉の戦いか?
正解だったら、一つの山を越えたことになるのだが。
>>339 薩軍が撤退したのはどこだ?植木の戦いの時に植木に撤退するのか?
言葉でごまかそうと必死だな。バレバレなんだけど・・
>>335 君には答えても仕方ないと判断せざるをえない。
>>341 君の言う植木の戦いの時、薩軍がどこに撤退したと聞いているだけなのに
答えられないなんておかしくてw おかしすぎるよw
まあ別に秘密にするような程度のものでもなし、西南戦争にちょっと詳しい 史料なら必ず書いてあるものなんだが。 クレクレ君はムチャ態度が悪いので教えてあげない。
教えてクンのくせに態度でかい奴だな
>>343 教えてもなんも、
>>340 で答えが出ている。
2/22の植木の戦いの時に乃木連隊を追撃しなかった薩軍の村田隊は植木で
官軍の反撃に備えた。これは撤退でも退却でもない。
>>343-344 教えてくんじゃないよw
君の意見を伺っているの。
君ノ言う 植木の戦いの時 、薩軍はどこに撤退したと主張したいの?
植木?木葉?熊本城?
こちらは歴史と旅1997 10月号 乃木希典の記事 P67を参照してる。
>>345 ブブー、はずれ。
植木よりも熊本寄りの、とある場所なんだよ。
でもお前には教えない。態度悪すぎ。
撤退、退却、言い方はいろいろだが、まあ言い方の問題だな。
>>347 ソースを示さないでいい加減な事を言われてもな・・
>植木?木葉?熊本城? 君の浅さが浮き彫りになってしまった。 中間点のいずこかとか、そういう常識的な考えがなぜ浮かばないのか不思議だ。
>>349 やれやれ。自分の妄想意見を主張できないだけの香具師じゃないか・・
現地にいって立て看板を見てこよう!植木戦後の薩軍撤退先なんて一発で判る。
だいたい、ずっと見てるけど、教えて下さい、の一言もないもんな。 こんな奴無視だろ。何様だ? 今さら教えて下さいなんていっても本心バレバレなんだがw
先週のタモリ倶楽部でタモさんが、良い長靴を履いたなぎら健壱に 「カコイイ!乃木将軍みたい」と言ったのにはワラタ
308は直リンだし、まったくマナーも何もあったもんじゃないなw
12時で消える彼はシンデレラボーイ
なんか、最後のあたりはどうも薄々気づいていたような素振りがあったような。 植木の戦いは夜、木葉の戦いは日中。こんなもの間違うわけがない。 境木の戦いってのは完全に一人相撲だったようだが。 > 境木の戦いは木葉の戦いにしておこうか これにはワラタ。こんなセリフなかなか吐けるもんじゃないよ。
潰走寸前の後退戦というのをリアルで見せていただきましたよ、ええ。
すごいなこれ。 >> 271=292=299=303境木の戦いがどーのこーの >> 304境木の戦いって何? >> 306境木、ググッても出ない >> 308もうええわ、力抜けた そして、とあるサイトを披露。 こういう流れなら、そのサイトの中に境木の戦いについての説明があるのが 当然だと思うが、全然無いと。 271=292=299=303=308、あなたある意味凄いわ。神レベルかも。
360 :
名無し三等兵 :04/11/16 08:01:03 ID:ToFhYRxl
おいおい、乃木は愚将か?ってのがこのスレの主旨だろうが? 多少関連があるとは言え、連隊旗紛失から田原坂の設定の話になるのはおかしくないか? 乃木の話とは関係ないものはスルーすればいいじゃないの、相手にするからこんなに沸いてくるんでは?
最後まで残ってネットのソースで罵倒すれば勝ちなのか・・
乃木連隊は植木で混乱して退却したあと、千本桜に集めた。 賊も亦敢えて尾撃せず。 (征西戦記より抜粋) 薩軍の乃木連隊と戦った村田隊はそのまま植木に残って 官軍の反撃に備える。 (1997年10月 歴史と旅より抜粋) とくに征西戦記を見ても退却したなんて事はありません。 退却したというソースはどこに書いてあるのですか?
363 :
名無し三等兵 :04/11/16 08:18:45 ID:sMFxvmJM
>>360 >なぜならば、そう捉えないと、乃木連隊の戦いは後に官軍が勝った
>田原坂とは関係なく、連敗しただけと解釈せざるをえない。
>高瀬で官軍と合流した中間期につづかないと、乃木は命令に反して
>連敗し、軍旗を取られたダメダメ将軍になる。
彼によると、田原坂の設定は乃木がダメダメ将軍になるかどうかの判断の
分岐点として重要なようです。
しっかし、なんだこれ?誰の説だ?
まったく、読めば読むほど珍説だ。 乃木先遣支隊が、征討軍の隘路進出援護作戦を行っていた ことを知らないとしか考えようがない。
>>361 >勝ちなのか・・
勝ちってアンタ w
勝ち負けなんてこと考えて議論してんのか。
その姿勢自体に大きな問題があるんだってのに早く気付けよな。
こりゃ ネタと見せかけての煙幕と見たが
>>364 >乃木先遣支隊が、征討軍の隘路進出援護作戦を行っていた
これってどんな命令が出てたっけか・・
圧倒的優勢な薩軍に対し、緒戦の遅滞防御を成功させ、官軍主力到着までの時間を稼ぐことに貢献した。 ひとことでいってそれでお仕舞なのだが、司馬さんはなんでまた、あんな悪意に満ち満ちた描写をしたのかな?
>>368 あのぉ どんな命令が出てたから、隘路進出援護作戦を行ったの?
薩軍が圧倒的に有利って述べているけど、そんなに有利か?ほとんど拮抗しているけどね。
>>369 人数には諸説あるが、植木ではやや劣勢。木葉ではほぼ倍する薩軍を相手にした。
こういうのはほとんど拮抗とは言わない。
371 :
sage :04/11/17 08:07:33 ID:GOTAzhWB
人数が倍ですか。 何人対何人だという説に基づいて、倍と判断したの?
二十三日 植木方面の薩軍の兵力1800名 乃木少佐の手持ちの兵力総勢700名 「西南戦争」(学研) そちらにも答えてもらおうか。 何人対何人だという説に基づいて、ほとんど拮抗と判断したの?
374 :
205 :04/11/17 20:29:11 ID:???
おお、田舎に帰ってたらスレがすごいことになってる・・・。 確かに植木の戦いだったね。 其の件は熊本北方の一連の戦いの総称として 「田原坂」としたんだがな。 鷹巣山の戦いも広い意味で長篠としてるようにね。
>>374 学研の歴史群像 2001年8月の田原坂の記事も一緒に考えてますね。
>>373 2/23 木葉の戦い時の薩軍
4番大隊 7.8番小隊
5番大隊 3.5.7.9番小隊
計6個小隊 計1200名
官軍
第14連隊
第二大隊 第1.2中隊
第一大隊 第3中隊
計 528名
第三大隊 1.2.3.4中隊
計 674名
合計 1202名 (西南記伝 第三冊 P510-511より抜粋)
学研の西南戦争ではどの部隊が誰に指揮されていたから
官軍 700人であり、薩軍が1800人だったのですか?
それと どんな命令が出てたから隘路進出援護作戦を取ったのですか? 当時の乃木に対してそんな命令があったのか?
>圧倒的優勢な薩軍に対し さらには、官軍はスナイドル銃を配備して一個中隊で大隊の戦力と 言われるほど、火力は充実していたのですが・・ どういった根拠でもって圧倒的な薩軍と判断されたのですか?
>>364 >まったく、読めば読むほど珍説だ。
>乃木先遣支隊が、征討軍の隘路進出援護作戦を行っていた
>ことを知らないとしか考えようがない。
↑これって本当に珍説だ。
乃木は小倉の鎮台という地元の兵であって先遣なんてされてない。
征討軍の隘路進出援護作戦なんて谷、その他が命令なんてしてないのにね。
どんな根拠でこんな珍説がでてきたのでしょうか。
片方が反論できないのか、急に静かになりましたな。
ようやく「西南記伝」が出てきた。
「西南記伝」を読んだのなら、植木の戦いのあと、薩軍も植木から熊本方面に
後退したことがよくわかったはず。後退先の地名も書いてあるでしょ。
>>362 の
>村田隊はそのまま植木に残って(1997年10月 歴史と旅より抜粋)
というのは、一体なんだったんだろうね。
これまで散々、こんな風に言っていたけど、
>植木の戦いの時に植木に撤退するのか?
>薩軍はどこに撤退したと主張したいの?植木?木葉?熊本城?
誰も相手にしなかった理由も判ったね。
「西南記伝」の表現では、薩軍の行動は「背進」とある。
「背進」とは、「退くこと」。「退却」「撤退」でもあまり違いはない。
表現する言葉の問題だから、あんまり厳密にいうものでもないし。
>其の件は熊本北方の一連の戦いの総称として >「田原坂」としたんだがな。 >鷹巣山の戦いも広い意味で長篠としてるようにね。 鷹巣山?長篠の戦い関連でそんな山あったっけ? もしかして「鳶ヶ巣山」のことだろうか? 以下は、そちらのいう鷹巣山を鳶ヶ巣山と解釈させてもらった場合の話。 その解釈はあんまりに無茶じゃないですか? 5/21 長篠の戦 ・鳶ヶ巣山 ・長篠城 ・設楽原 21日の長篠の戦いにおける一局地戦は、広い意味で「長篠の戦い(の一部)」 と呼んでもいいだろう、というそちらの主張は判りますが。 西南戦争に置き換えると、こうなるわけです。 2/22 2/23 2/25 2/26 2/27 3/5-4/15 植木の戦−木葉の戦−高瀬の戦(一次)−(二次)−(三次)−田原坂の戦 ・向坂 ・木葉 ・迫間原 ・寺田 ・迫間 ・田原坂 ・投刀塚 ・稲佐 ・岩崎原 ・伊倉 ・岩崎原 ・横平山 ・大城寺 ・稲荷山 ・吉次峠 >鷹巣山の戦いも広い意味で長篠としてるようにね。 この例えを使うのならば、田原坂の戦いにおける局地戦(田原坂、横平山、 吉次峠など)を広い意味で「田原坂の戦い」としているわけです。 が、この「田原坂の戦い」と「植木の戦い」は全然別の戦いですよ。
>>376 「研究西南の役」に、こう書いてあります。
「この木葉大会戦では、薩軍は千二百二名、官軍もほぼ同数だろうと西南記伝
はいっているが、官軍についてはこの戦闘に参加していない兵まで数えていて
間違いだと、橋本氏は指摘している。」
これを見て調べて見ました。
>第一大隊 第3中隊
第一大隊の左半大隊(第3第4中隊)は、19日に熊本城に入城している筈です。
23日の木葉の戦いにどうやって参加したというのですか?
>第二大隊 第1.2中隊
第二大隊第1中隊は、長崎に分遣されていたと思います。
23日の木葉の戦いに参加したのですか?
木葉戦の戦闘図を見ても、これら中隊の記号は出てきませんし、多分参加
していないのではないか、と思います。
「西南記伝」の官軍人数は、橋本氏の指摘どおり、誤りだと思います。
>>381 >表現する言葉の問題だから、あんまり厳密にいうものでもないし。
背進: 後ろの方へ進むこと 後退。
撤退: 軍隊などが陣地などを取り払って退く事
退却: 争いに敗れて退くこと
全然意味が違う言葉を表現する言葉の問題だからと
片付けるのね。良いことを聞いたよ。
ところで退却と述べたのはあなたですか?
でなかったらなぜそれだけ必死なの?
>>348 木葉戦の後で薩軍はこのような命令を出しているのですが。
「“退却”の令を伝えて曰く、「退きて植木を守るべし」」(西南記伝)
木葉戦で薩軍は、争いに敗れて退いたわけですか?違うでしょ?
でも、これも“退却”と言って間違いではないんですよ。
「退却」には、「退くこと」という意味があるんだから。
>>383 普通はソース出すなら、引用してその部分の文章とページ数の表示は基本中の基本であり
なおかつ、前後の文脈も示す訳だが。
お話にならないレベルだと評価すべきだろうか(w
>>385 >>381 で下記の様に区分しておきながら、連隊旗が取られた2/22の植木戦と
翌日の戦いを一緒にするのはおかしいだろ。
それじゃ田原坂戦という1括りも問題ないだろうし・・。こじつけの嵐だな。
2/22 2/23 2/25 2/26 2/27 3/5-4/15
植木の戦−木葉の戦−高瀬の戦(一次)−(二次)−(三次)−田原坂の戦
・向坂 ・木葉 ・迫間原 ・寺田 ・迫間 ・田原坂
・投刀塚 ・稲佐 ・岩崎原 ・伊倉 ・岩崎原 ・横平山
・大城寺 ・稲荷山 ・吉次峠
>>383 当時の一個大隊の定数は800名の筈ですが?
(司令部を除くと784名)
(中隊の定数は192名前後)
そりゃ全軍が参加しているような数え方をしていたら
間違いって断定もできるだろうけどね。
>>385 退却の命令を出したのは現地軍じゃありません。
薩軍本営から乃木連隊による猛攻により、戦況を誤認したために
退却の命令を出したものでしょう。木葉の戦い時の誤認による退却の
命令と植木の戦い時の背進 を一緒に考えているのか・・。
つーか四万太郎だろ、アンタ。
西南紀伝は重要な資料には違いないが、後世の研究によって誤りが指摘され、しかもそれを再度覆すような
資料が無い以上、
>>369 ほとんど拮抗しているけどね。 は間違いだと言わざるをえんだろう。
>>390 ソースもいい加減な指摘をされてもな。お話にならないレベルだな。
>>387 >連隊旗が取られた2/22の植木戦と翌日の戦いを一緒にする
どこで一緒にしているというの?
2/22の植木戦の話しか出てきてないはず。
上例のように、勝った戦いでも退却という言葉を使う事はありえるのです。 要するに、退却という言葉を使うかどうかは、人それぞれという事でしょう。 もちろん、撤退という言葉をつかうのもよし、背進という言葉もよし、です。 結局のところ、これらは全て「しりぞくこと」という意味を持つのですから。 いずれにしろ >村田隊はそのまま植木に残って(1997年10月 歴史と旅より抜粋) これが間違いだというのは確かですね。これは言葉の問題ではありません。 単に、あなたが参考にした資料が間違っていたということですよ。
桐野隊の一部が鹿子木に宿営したら、村田隊まで宿営するのかいな。 やれやれだな
>>394 桐野隊の一部なんて、どこにも誰も書いてませんが、突然どうしましたか?
西南記伝には、薩軍が背進した、と書いてあります。
>>378 火力で優勢といっても、西郷軍は精鋭を誇る士族軍、官軍は徴募の百姓兵だしね。
兵力差が約2対1では、薩軍が「圧倒的優勢」と表現しても、別におかしくはないでしょう。
>>395 薩軍の全軍が背進したなんてどこにも書いていませんが?
>>396 著者名やページ数すら書いていないソースなんて話にならんけど。
>398 木葉戦の両軍戦力が「拮抗」してたなんてソースは西南紀伝(またはこれを元ネタにした本)しかないんだから、 おまいさんの方が全然話にならんよ、四万太郎さん?間違いを認めるのも勇気だよ? まあ、夜郎自大と傲岸不遜は、四万太郎さんの芸風だと思って楽しませてもらってますが。
>>399 は?著者名やページ数すら書いてないソースで強弁を張っている人ですか?
>、征討軍の隘路進出援護作戦を行っていた
↑の命令など根拠も全然出てこない人に何を言っても無駄でしょうが・・。
>399 >木葉戦の両軍戦力が「拮抗」してたなんてソースは西南紀伝 >(またはこれを元ネタにした本)しかないんだから、 拮抗していないという記述の本はどこにあるのかな?
ちなみに 19日の乃木連隊への命令 全隊 路を高瀬に取り、急行して城に入るべし。 また第二大隊第二中隊が長崎に派遣してたという思いこみではなくて 根拠をしめしてくれませんか? もし長崎に派遣していたならば、上の命令と反しますね。
第二大隊第二中隊→第一中隊
>>383 第一大隊の左半大隊(第3第4中隊)
西南記伝のは誤植でしょ。指揮官名を確認したら直ぐにわかるじゃん。
第二大隊第3中隊が なぜか第一大隊第3中隊になってる。
だけど指揮官が高井になっているので誤植だというのがわかる。
>>402 第二大隊第1中隊(北楯隊)は12日に長崎入り。(「名将乃木希典」23P)
鹿児島の情勢不穏のおり、長崎など要地を警備するのは当然の手筈。
以後、長崎警備の任を解かれたという話は聞かない。
「西南記伝」の「小倉連隊の出動」(357〜361P)を読むと、十四日の
第一大隊左半大隊の進発をはじめとして、数日に渡る三個大隊各隊の出発
を記録しているが、この中に第二大隊第1中隊(北楯隊)の記録はない。
第一大隊の右半大隊・左半大隊、第二大隊の第2・3・4中隊、そして
第三大隊の第1・2・3・4中隊の全てが記録されているにも関わらず。
以後、22日の植木戦、23日の木葉戦において、北楯隊が活動したという
記録は見当たらない。高瀬戦での戦闘部署にも、北楯隊の記録は無い。
これらは全て、第二大隊第1中隊(北楯隊)に関する「名将乃木希典」の
記述を裏付ける。
>>404 >誤植でしょ。
では、何の誤植だったと思われるわけですか。
407 :
406 :04/11/20 14:10:35 ID:???
>>404 すみません、書いてありましたね。
「西南記伝」の第一大隊第3中隊というのは、第二大隊第3中隊の誤植
だろうというわけですね。指揮官名が高井となっているのがその理由、と。
了解です。
>指揮官名を確認したら直ぐにわかるじゃん。
>>376 は、指揮官名を確認しなかったのでしょうね。
>>394 >桐野隊の一部が鹿子木に宿営したら、村田隊まで宿営するのかいな。
西南記伝によれば村田隊も鹿子木に宿営したようだ。
「鹿子木に引き揚げた〜〜帰営早々、思いがけない獲物を、隊長の村田三介
に見せると、氏は非常に喜んで」(491P)と書いてある。
ところで、なんで突然桐野の名が?
植木戦には村田隊、伊藤隊、永山隊しか関係しないはずだけど。 煙幕?
西南記伝は、薩軍に対して好意的に書かれた資料。
薩軍を少な目に数えて健闘ぶりを讃えているわけ。
>>376 は、ごく単純なトリックを見破れていない。
よく読み返せば、すぐにわかるはずなんだけどね。
410 :
名無し三等兵 :04/11/20 23:30:49 ID:lg07mnDX
著者名やページ数を書いたソースも、あてになるとは限らんわけだな
実際はどのくらいだったの?
412 :
名無し三等兵 :04/11/21 10:22:45 ID:hjDp4/7K
あのさぁ司馬の「翔ぶが如く」や「殉死」読むと、植木の戦いで乃木自ら伝令になっ たことを叩かれてるんだけど、橋本昌樹の「田原坂」では伝令になっていないとさ れているんだけど、これどっちが正しいの?
結 論 : 軍事 官僚 官僚なので、使いたい放題&無責任。
司馬さんの文章は日本人に「希望と大志」を与えて呉れると同時に、 自らの目で「自分の国の歴史」を考えさせてくれる機会をくれる。 (その上で歴史を語ろうね。竜馬だって龍馬だし。) 弱点としては、小説なのに真に受けて「勘違い野郎」を増やしてしまう事。 上辺だけ放送されるであろうNHKの「坂の上の雲」が大変心配。 もちろん司馬自身も映像化を嫌っていたが。
415 :
名無し三等兵 :04/11/21 11:01:21 ID:Nc+C7gi3
>>412 司馬説
1連隊長が一人で伝令となった(理由を指揮技術の未熟かと、想像している)
2旗手らを最前線に置き残した(ために旗手は戦死し軍旗を取られたとする)
これらは、全く誤り。デタラメ。虚構。書き方からは悪意すら感じられる。
伝令が必要な布陣ではなかった。
旗手の後退は予め指示されていた。
ちなみに、こんなことは西南戦争の資料として有名な「西南記伝」を読めば
すぐに確認できること。
資料の鬼とか言われる司馬ならば、当然知っていたはずなんだけど。
乃木に歩兵主力の部隊ではなく、 兵站の整った、馬車と馬で引ける75mm程度の砲を多数、 攻城砲を数門備えた、半機甲部隊みたいな軍を与えていたらどうよ? なんか、「火消し役」「機動防戦の名将」に攻城戦させただけだと思うのだが。 もう一つ。日清で旅順が簡単に落ちてるのでそのイメージで当時の人達は論評してるよな。
>>415 司馬さん的には
「昭和の精神万能論に支配された軍の諸悪の根源たる乃木神話」
をぶっ潰すべく「史実の乃木将軍」に泥を被ってもらっているとしか思えないのだが。
乃木自体より「自分の所属していた時代の日本軍」を叩きたかったのだと思うのだがどうよ?
>>417 目的の為には手段を選ばない、ってこと?
419 :
名無し三等兵 :04/11/21 11:22:20 ID:hjDp4/7K
>>415 ありがとう。m(_ _)m
疑問が氷解しますた
420 :
415 :04/11/21 11:37:23 ID:???
>>419 こりゃどうも
「田原坂」(橋本昌樹)、古書店で買った初版にオビも付いていたんだけど、
そこで松本清張が絶賛していた。
父親が軍人で、西南戦争についての資料を豊富に参考に出来たらしい。
ところで、「殉死」は文庫になり更に版は何十にも重なるわけだが(98年で
32版!今はどんくらいなんだろう)、あれですか、数は力なり、ですかね。
乃木を名将とするのは逆方向に走りすぎだと思う せめて凡将じゃなかろうか
戦争に勝利したのになぜ愚将なんだろ? 被害数を見ればロシアも相当な被害出してるし。 ・・・あまりに愚将論が多すぎて今村均将軍が続回顧録で 擁護論文を書いてたり。
それくらい読めば判るだろ・・・
425 :
名無し三等兵 :04/11/21 12:07:01 ID:BVCKBMXU
篭城側より攻め側の方が少なかったのに勝利したんだから、 成功と言えるんじゃないか? まあ、作戦自体が無謀だと言われたらそれまでだが。
両軍の兵力火力なんかを見やすくまとめたサイトとかない?
>>376 西南記伝記述には、このようなトリックが使われている。
376を書いたときに気づかなかった?
植木戦から通して書くと分かりやすいので、書き直させてもらう。
2/22 植木戦時の両軍戦力
官軍・第十四連隊第三大隊第1・第2・第4中隊
計484人
薩軍・五番大隊2番小隊、四番大隊9番小隊
計400人
2/22夜、植木戦後の両軍増援戦力
官軍・第十四連隊第三大隊第3中隊
薩軍・四番大隊5番小隊
2/23 木葉戦時の両軍戦力
官軍・第十四連隊第二大隊第1・第2・第3中隊
同 第三大隊第1・第2・第3・第4中隊
計1202名
薩軍・四番大隊7番・8番小隊
五番大隊3番・5番・7番・9番小隊
計1200名
(西南記伝 中1 P483-485、510-511)
わかった?
官軍は、植木戦で戦った部隊を含めて数えている。
薩軍は、木葉戦で新たに加わった部隊の兵員しか数えていないわけ。
細かいトリックはまだあるけど、これだけ見ても、西南記伝の数字が
誤りだというのは簡単に分かること。
ぐうの音も出んな こりゃ
430 :
412 :04/11/21 15:26:37 ID:???
>>420 なんだかんだ言っても司馬は人気作家だからね〜。
とはいえ、司馬の作品の中でもいまいちの「殉死」は手に入りやすいのに、橋本の
「田原坂」が入手困難なのは納得いかない。
>>418 あくまで「小説」だからな。
これが実録だったり歴史書だったら非難轟々だろうよ。
司馬としては戦車兵だった頃、精神論しか言えない 上官に乃木が重なってみえたのだろう。 司馬は面白いから許す。
>>432 >面白いから許す
ここは軍板だ。場所を弁えた言動をしたまい。
私としては、小説家が何と言おうが知ったこっちゃないというところか。
許すとは違うんだな、なんというか、そう、論外。
>>405 >第二大隊第1中隊(北楯隊)は12日に長崎入り。(「名将乃木希典」23P)
>以後、長崎警備の任を解かれたという話は聞かない。
正確に引用していませんね。名将乃木希典では2/6の日記を引用したあと・・
翌日には歩兵第一中隊を長崎に分遣せよとの電命があり、11日早朝第二大隊
第一中隊(長大尉北楯利盛)を出発させている。北楯中隊は海路12日に
長崎に到着するが、この日長崎県令及び北楯大尉から兵力増加の要請電報が
来る。理由は薩軍が海上から一挙に長崎を衝くことを心配しているのである。
併し(しかし)、乃木はこの長崎からの兵力増援要請を薩軍には海上から長崎に
進攻するような能力はないという判断で拒絶している。(P22-23)
その後、乃木の判断に基づく例として・・色々出した後・・
閑話休題 乃木連隊長は長崎への増援兵力は拒否したが、一方久留米には早期
兵力を出すことを鎮台に要請し13日にはその許可がおりている。薩軍の北上に
備えての処置である。これからの起こり得べき事態を先見洞察し、着実に手を
打ってゆく、その卓越した戦略的機眼はまさに名将の片鱗を窺わせるものがある。
と書いているわけです。
>>405 の言い分だと薩軍が長崎に侵攻するわけがないと確定したあとも、
2/19の鎮台の命令 「全隊 路を高瀬に取り、急行して城に入るべし」も無視し
た上で長崎に残留していることになる。そんなに命令無視の戦略眼の無い
トンデモ将軍と主張したいのは判らないでもないですが・・。
そこまで貶めることはないでしょうに。この方が乃木愚将論者だったら
そこまで言うのもわからんでもないが、これで名将論者だったら、頑迷固陋
な奴というべきか・・。
>「西南記伝」の「小倉連隊の出動」(357〜361P)を読むと 下記のP360の文を読めなかったのはなぜでしょうかね・・。19日から20日の 時点で長崎に分遣した時機と大きく変化しているのに同じ命令をそのまま引き づっていると愚かな将軍としてそこまで貶めたいのでしょうか・・。さすがですね。 西南記伝P.360 20日午前六時〜 此他多少の残留兵は広島鎮台歩兵第十一連隊第三大隊第二中隊 の小倉に至るを待ち、後事を委して征途に上がる。此れに至り、歩兵第14連隊の全部 悉く(ことごとく)征路に就き了れり ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第14連隊全部が悉く南下していますね。この状況は別に名将乃木希典の記述に 相反するのでもなく、賊に全軍で当たるという采配が窺えて問題はないと思います。 よって第二大隊 第一中隊が木葉の会戦に居なかったという根拠には到底なりえません。
>>406-407 >指揮官名を確認しなかったのでしょうね。
>>383 の突っ込みの方が恥ずかしい。誤植を見抜けずに
それを前提とした調査の上で間違いと決め付けているのだから。
普通、それは第二大隊の指揮下で第一大隊の記述の後ろの
指揮官名も違うので間違いだよ
>>404 のように突っ込むもんだ・・。
その誤植を前提にした上で調査されて、否定されてもな・・383の研究の
度合いってものがわかるものさ。
まぁ406も文章を全文読む気がなかったのしょうか・・30分立ってから確認
しているし、意見、資料を読まずに気に入らない相手にまず噛み付くんで
しょうな。
>>408 >西南記伝によれば村田隊も鹿子木に宿営したようだ。 (P491)
まずP491ではなくP493です。その前後のページもご覧になりました?
その(高田)説では
其夜は警戒を厳重にして鹿子木に宿営したが、其翌日、官軍の動静を探る
必要があるので斥候を植木町方面に放った私は此斥候中の一人であったが
総人員は一分隊であったと思う
(〜略〜)
官軍の本営らしい家に入って限りなく捜索すると器物その他の物品が散らかって
あって狼藉の跡は見苦しかったが唯見ると床の間に彩色絢爛として紫の隊の
新しい一施の立派な旗が立てかけてあるではないか・・。
という形で連隊旗が見つかる説を参考に仰っているのでしょうけど・・。
また其の後の文章で
この高田説を以って事実とすれば、乃木の征西戦紀稿
熊本鎮台戦闘日記等の記事が事実を捏造したことになる
この高田説は後の文章で信用できないと書かれていますね。そういった説を
上げて話をされても全然根拠になりませんし・・ちょっと考えたら高田説の
他の説との相違がわかるでしょうし、それを根拠にした時点で痛々しいです。
自分の説に都合のいい語句を探すだけで、前後の文脈を理解できない
削足適履な人なのですか?
乃木スレは乃木信者が跳梁跋扈するスレだから、ある程度は致し方ないが
ここまで捏造を信じるのはよくないな・・。
>>428 >わかった?
>官軍は、植木戦で戦った部隊を含めて数えている。
>薩軍は、木葉戦で新たに加わった部隊の兵員しか数えていないわけ。
意味不明だな。木葉戦において薩軍の五番大隊2番小隊、四番大隊9番小隊
が参加した根拠も示さずに トリックなんて言われてもね・・
全然説得力ありません。
439 :
名無し三等兵 :04/11/21 22:54:26 ID:tV7yVIE3
>>434-436 長崎に部隊を派遣したことは、「西南記伝」でもわずかに触れている。
「電報を以て福岡屯在第三大隊並びに長崎分遣隊の進退を指揮し」(357P)
これが具体的にどの部隊なのかは、「名将乃木希典」で確認できる。
第二大隊第一中隊である。
さて、小倉などを完全に空にすることは出来ないので、多少の兵を残留
させていたこと、それらも、広島鎮台の兵が到着したのと入れ替わりに
本隊の後を追っていることが「西南記伝」には書かれている。
これと同様に、長崎に征討軍の手が及んだら、長崎に派遣された北楯隊も
本隊の後を追うこともありえるかもしれない。
「西南記伝」によれば、「高島大佐を長崎に派し、地方警備の責任を負わ
しめた」のは、2/25日頃のこととある。(363P)
前にも書いたが、「西南記伝」の「小倉連隊の出動」の項で、十四連隊の
十二個中隊の中で、唯一、この中隊の名称が出てこないことから考えて、
第二大隊第一大隊が木葉戦に加わっているというのは誤りだろう。
440 :
名無し三等兵 :04/11/21 23:00:55 ID:tV7yVIE3
>>437 そうでした、493Pでした。
ところで、どうして突然桐野隊の名前を出してきたのか、その理由は何ですか?
他人を批判するのは結構ですが、まずご自分の説の不審点も正されては?
441 :
名無し三等兵 :04/11/21 23:05:58 ID:tV7yVIE3
>>438 増加部隊は、それまで第一線に居た部隊に加わるものなのは、
当然のことです。
ソース出すほどの事でもない、常識だと思っていましたが。
「新編西南戦史」の194Pです。
「一方薩軍本営は植木の戦闘の状況を聞き更に六個小隊の
此の方面に増加するに決した。これらの部隊は鹿子木にお
いて作二十二日植木付近で戦闘した部隊を合わせ」
>>439 2/19の鎮台の命令 「全隊 路を高瀬に取り、急行して城に入るべし」も無視し
た上で長崎に残留していることになる。そんなに命令無視の戦略眼の無い
トンデモ将軍と主張したいのですね。了解しました。
443 :
名無し三等兵 :04/11/21 23:19:26 ID:tV7yVIE3
ついでに、他のトリックについて。 薩軍の九個小隊は、木葉戦初頭から勢揃いしている。 官軍の七個中隊は、初頭から揃っていたわけじゃない。 薩軍の九個小隊総勢1800名が二隊に別れて行動を開始した木葉戦初頭、 官軍で木葉に居たのは第三大隊の四個小隊と第二大隊所属の一個分隊 だけだった。これで総勢700名位ということだろう。 「西南戦争」(学研)の1800名VS700名というのは、この状況を示す ものと思われる。 戦闘が始まったのは午前中からだが、官軍の第二大隊の二個小隊が戦線 に加わったのは、午後二時ころから。 この時間差をまったく無視して、兵数を書いているわけですね。 官軍の第二大隊第1中隊が突然に出現しているのは、もう無茶苦茶としか。 他の部隊については、懇切に記載していながら、この部隊だけ、本当に突然 に湧きだしたように。
>>440 4番桐野大隊 第9小隊 伊東隊
桐野隊の一部でしょうが・・。
どこが間違っているの?伊藤隊っという根拠は?
それで貴方は高田説という乃木連隊が狼狽して本営を放棄したような説を
真実として捉えているのですよね。
植木に捜索しようとしたが、敵に拒まれて入れなかった
乃木の説明はウソだったということか。それだったら筋がとおるよ。
>>443 それは山鹿口を含んでいない様な書き方をしていますが・・それでいいのですね。
446 :
名無し三等兵 :04/11/21 23:26:58 ID:tV7yVIE3
>>444 なるほど、突然大隊長の名前を出されたので分かりませんでした。
つまり、伊東隊のことなんですね。
「薩軍も亦背進し、鹿子木に宿営」(490P)と書かれているとおり、
薩軍は鹿子木に宿営したわけでしょう。植木に宿営というのはどこにも
書かれていませんし。
>>446 宿営したとは誰ものべてませんよ。植木をさも放棄したようなことは
ないと述べているのです。
乃木連隊が木葉に宿営しても、境木に陣を張っていたようにネ。
宿営地は木葉ですね。でも全軍が木葉に宿営してたわけではありません。
>>443 午後2時に青山隊が参戦するまでの方が
なぜか乃木連隊に有利な状況がありましたが?
449 :
名無し三等兵 :04/11/21 23:37:46 ID:tV7yVIE3
>>448 有利な状況ありましたっけ?どのような状況ですか。
防戦一方だと思いますが。
>>449 西南記伝 第3冊 P513
3面斉しく之を急射せしめたるに薩軍一旦退却し、須曳にして再び
上木葉を隔てて地物に寄りて戦線を占めたり・・
乃木軍の火力に圧倒され混乱した薩軍は一旦上木葉で
最終結したはずですが・・・。
どっかの本ではこのまま 植木に突破しようとした
と書いてあった記憶があるな・・。
451 :
名無し三等兵 :04/11/21 23:50:56 ID:tV7yVIE3
とても有利な状況とは思えませんが。 多勢に無勢の状況で、そのようなわずかな一局面の好転があったと 言って、何になるというのでしょう。 どっかの本で書かれていたという、このまま植木に突破というのは 現実的ではないと思いますね。
>>450 あのぉ植木に行こうとした別働隊が
薩軍を誘って三面からの一斉射撃によって退却させた・・
「緒戦」に勝ったのですが?これで薩軍は再編成を余儀なくされ、
ているのですよ?
真剣に資料読もうという気がない感じですね。
自分の思惑に沿わない現象は全て認めない感じがしますが・・。
この結果がなければ、薩軍本営は乃木部隊の善戦を過大評価して、
植木に撤退なんてことはないと私は考えていますが・・。
まぁ大したことないのね・・でもその後の薩軍の動きはどう
説明されるのですか?かなり興味があります。
>>450 そちらの「西南記伝」は、原書房のものですか?別のものですか?
原書房版でしたら、3とか訳の分からない書き方はしないで下さい。
ソース提示として不適切ですから。適切な書き方にして下さい。
>>441 追伸
高田説を真実としてるらしいですが・・
高田説は2/23の朝に植木に斥候に行っているのですよ。
連隊旗を見つけた後に村田隊が宿営している鹿子木に引き上げたわけだ。
其の時点で村田隊は鹿子木にいるわけであって、植木や木葉にも居ません。
この辺りの説と君の下記の意見
>これらの部隊は鹿子木において作二十二日
>植木付近で戦闘した部隊を合わせ
を合理的に説明してくれんか?
457 :
名無し三等兵 :04/11/22 00:16:20 ID:5mhhIfQ6
>>456 >>441 では、「新編西南戦史」について書いているのですが。
>>441 と、指定して話をされるのならば、まずは「新編西南戦史」
を参照されて、かつ、内容は441について言及するべきでしょう。
>>455 言う必要もないと思うが、黒竜会本部
それで君は資料を真面目に読んでいるのですか?
乃木が薩軍を誘い出した上で少数の兵力で撤退させた
なんていう武勲を無視しているとか・・
西南記伝では事実ではないだろうと書いてある高田説を
根拠に述べたり・・ただ、噛み付いているだけのようだが・・。
>>457 いいえ440と441は同一人物でしょうし、これは高田説と絡んできます。
歴史というのは前後の現象から検証していくべきですから、質問しているのです。
それでこの辺りの説と君の下記の意見
>これらの部隊は鹿子木において作二十二日
>植木付近で戦闘した部隊を合わせ
を合理的に説明してくれんか? 説明できないのですか?
460 :
名無し三等兵 :04/11/22 00:21:52 ID:5mhhIfQ6
高田説を全て信頼しているわけではありません。 しかし、高田氏は、国会議員をされた方でしたっけ? なにがしかの根拠はある話なのかも知れないと思っています。 例えば、大隊旗か何かと間違えて話をしているとか、または分捕った 連隊旗を薩軍が床の間に飾っていたのを持ってきてしまった、とか。 色々な事が考えられると思います。 言いたかったのは、「西南記伝」には村田隊が鹿子木に宿営していた ということが書いてある、ということです。
>>460 >「西南記伝」には村田隊が鹿子木に宿営していた
>ということが書いてある
それは征西戦記との記述も違うので事実ではないだろうとも
記載されています。
そんな説を揚げた理由は?前後を読まずに気に入らなさそうな
意見に噛み付く態度は仕様ですか?
462 :
名無し三等兵 :04/11/22 00:27:34 ID:5mhhIfQ6
>>458 言うまでもありませんが、出版社をお尋ねしたのです。
編者ではありません。
真面目に読んでますよ。
兵力としてあきらかに劣勢なのだから、そんな初戦に勝利したからと
いってどうなるものでもありませんよ。ここは木葉の防御線に拠って
防御を主体にする考えが妥当だと思います。
結局、君の意見の各論一つ一つは相手の意見の反論と思ってても、 総論では矛盾だらけというのがよくわかりました。
464 :
名無し三等兵 :04/11/22 00:31:06 ID:5mhhIfQ6
>>463 そうですか。別に同意を求めたわけではありませんので。あしからず。
>>458 黒竜会とは、黒龍会のことですか?
似てるといえば似てますが、ソース提示としては不適切と思います。
黒龍会による明治期刊行物でも、123456という巻名は付けて
いません。上巻一二中巻一二下巻一二のはずです。確認して下さい。
466 :
名無し三等兵 :04/11/22 00:55:08 ID:5mhhIfQ6
>>448 >
>>443 午後2時に青山隊が参戦するまでの方が
> なぜか乃木連隊に有利な状況がありましたが?
あれを有利な状況と見るのが問題あると思いますが、これは別に443に
書いた人数について異議があると言っているわけではないんですね。
「西南戦争」(学研)の1800名VS700名というのは、この状況を示す
ものと思います。
対して、1200名VS1200名というのは、上に書いたとおり、兵数の数え
方に大きな問題があるものだと思います。
467 :
名無し三等兵 :04/11/22 00:58:04 ID:Ez49M+jP
>>461 高田の言っていること全てが誤りだと言っているわけではないでしょう?
高田の話の肝心の部分、「連隊旗が床の間にあったのを取った」というの
が誤りだという説があるということでしょう。
それは私も甚だ疑問に思うところです。
しかし、その他の言っていることも全て間違いだという根拠もありません。
>>462 言うまでもありませんが、黒竜会 というのが著者で
出版社が黒竜会【本部】 なのですが?
あのぉ・・書いてある意見を真面目に読む気がないのですか?
>>465 >385 >405 >408 >435 >439 の上中下の何巻とも書いてない指摘よりは
遥かに丁寧だと思いますが?
>>468 >高田の話の肝心の部分、「連隊旗が床の間にあったのを取った」というの
>が誤りだという説があるということでしょう。
その他のところは誤りじゃないと言いたいのですか?
でしたら、下記の説明をしてみてくれませんか?
高田説は2/23の朝に植木に斥候に行っているのですよ。
連隊旗を見つけた後に村田隊が宿営している鹿子木に引き上げたわけだ。
其の時点で村田隊は鹿子木にいるわけであって、植木や木葉にも居ません。
この辺りの説と君の下記の意見
>これらの部隊は鹿子木において作二十二日
>植木付近で戦闘した部隊を合わせ
を合理的に説明よろしく。
471 :
名無し三等兵 :04/11/22 08:31:47 ID:gAhuqSfS
↑何の不合理があるのか説明して。
まーた四万太郎が暴れてるのか……たった一人で寂しくないの?
クロパトキンは愚将で間違いないですよね?
間違いかも知れない
結局、議論になっていた木葉戦での戦力数は、官軍700対薩軍1800だったってことだね。 木葉戦の始まったときの数として、だが。 歴群の「西南戦争」のこの数は、西南記伝その他の文献資料を研究した上での結論だったのかも。
結局 468の言い分はいい加減だったってことか・・
>>475 君の数え方だとワーテルローの戦いの時はブリュッヒャー軍を除いて計算しそうですね。
木葉戦での戦いで官軍の増援部隊を入れておらず、
また薩軍の一部が戦闘に参加しているかどうかも根拠不明で
通している説が正しいのですかね・・。
>>477 あなたの言っていることは全然意味不明、訳がわかりません。
学研の「西南戦争」では、木葉戦の冒頭の状況として薩軍1800、官軍700
と書いてある。これが正しい計算だということは確かでしょ。
官軍、後の増援部隊を入れたってせいぜい合計して1200くらいじゃないの?
薩軍については、「新編西南戦史」に書いてあるって、根拠出されてるじゃん。
なのに根拠不明って、なに、それ?
しっかし、なんでこんなどうでもいいことに拘るんだ??
根拠出されている事について、根拠不明と言って意地を張る。 自分が確認できないことは根拠不明ってこと? お話にならない。
>>478 2/22日植木戦に参加した4の9番小隊、5の2小隊が 木葉戦に参戦した
という根拠が全くできていません。
高田説では2/23日には村田三介隊は鹿子木に居ることになっています。
この状況でどうやって木葉戦に参戦できるのでしょうか?
四万太郎というよりは、<木葉戦官軍千二百人太郎>とでもした方がよさげですね。
官軍が薩軍を常に兵力で圧倒していないと 精神が不安定になる御仁がいるみたいだな。 歴史を主観で見すぎると、馬鹿にされるといういい例だ。
364 名無し三等兵 sage 04/11/16 08:40:15 ID:???
まったく、読めば読むほど珍説だ。
乃木先遣支隊が、征討軍の隘路進出援護作戦を行っていた
ことを知らないとしか考えようがない。
368 名無し三等兵 sage 04/11/16 23:41:56 ID:???
圧倒的優勢な薩軍に対し、緒戦の遅滞防御を成功させ、官軍主力到着までの
時間を稼ぐことに貢献した。
ひとことでいってそれでお仕舞なのだが、司馬さんはなんでまた、あんな悪意に
満ち満ちた描写をしたのかな?
369 名無し三等兵 sage 04/11/17 06:47:18 ID:???
>>368 あのぉ どんな命令が出てたから、隘路進出援護作戦を行ったの?
薩軍が圧倒的に有利って述べているけど、そんなに有利か?ほとんど拮抗しているけどね。
戦力=兵力と決め付けている御仁がいるようだが・・ どんな命令が出てたから、隘路進出援護作戦を行ったの? この回答のために、嶽原は色々書籍をこねくり回しながら 探しているようだが・・どうやら己の論理が破綻したのを 認められないようだ・・
>>485 学研の西南戦争 では 官軍の増援兵力を含まずに700名 薩軍は増援兵力を含んで1800名。
書き方に偏向があるのはどうしでしょうか?
というか嶽原っていつも匿名の時はある一定の書き込みをした後、 自分に反論する相手皆を四万太郎とか言うんだよな・・ 芸が無いっていうか・・バレバレっていうか・・
嶽原って誰? 四万太郎とかバカにされてるのはあくまでキミ一人であって、 バカにしているのはキミ以外のスレ住人全員ですよ。 被害妄想も大概にしようね。
>>488 自分の反対者を1人だと妄想するのは、中毒者がよくやることさ。
>>489 >>488 >四万太郎とかバカにされてるのはあくまでキミ一人であって、
自分の反対者を1人だと妄想するのは、中毒者がよくやることさ。
確かにな。 一人だと妄想しているよ。
>>481 >4の9番小隊、5の2小隊が 木葉戦に参戦したという根拠
>>441 が出した「新編西南戦史」に薩軍の部隊名も書いてあるよ。
ちょっと聞くけど、441が出した「新編西南戦史」をちゃんと確認したの?
確認しないで、根拠無しとか言ってちゃあ駄目だよ。
>>491 >マンシュタインも漫然と解囲を狙うだけで、スターリングラードを枕に
>ソ連軍1200万を殲滅しようという迫力に欠けたわけです。
>戦機とは名将でないとつかめず、ヒトラーとドイツ軍はこれができなかったわけです。
こんな事と一緒に書いている事をあなたは信じるのか?
>>484 >征討軍の隘路進出援護作戦
それも、「新編西南戦史」の巻末年表に書いてある。
あなた、相手がソースを示しても全然読まないのね。
496 :
495 :04/11/23 14:01:07 ID:???
>>492 >>229 普通はソース出すなら、引用してその部分の文章とページ数の表示は基本中の基本であり
なおかつ、前後の文脈も示す訳だが。
お話にならないレベルだと評価すべきだろうか(w
>>486 学研の西南戦争は、2/23の早朝の時点での植木方面の戦力として書いている。
全然問題ないでしょう。
多分、学研の本は、いろいろな本を参考にしてその戦力を出したんだと思う。
「西南記伝」なんて基礎資料、当然見たと思うけど、書き方数え方に問題あり
として採用しなかったんでしょうね。
他人が納得できないソースを振りかざす時点で、終わっていることが理解できない 議論で重要なのは、ソースの共有 それができなければ、詭弁と断定されても仕方がない。 しかし、2chでは短絡的に優位に立つため、他人が参照できないソース振りかざす馬鹿が多いんだよなあ。
よっぽどソース要求されたのが痛かったんだろうなこの粘着
>>494 質問:あのぉ どんな命令が出てたから、隘路進出援護作戦を行ったの?
返答:それも、「新編西南戦史」の巻末年表に書いてある。
・・・受け答えになっていない・・
501 :
名無し三等兵 :04/11/23 14:08:55 ID:Qax+IgH8
あげ
さてこれから 四万太郎への怒涛の攻撃するか皆見ててね。
ハウルの動く城は面白くねえ(`ε´)
他人が納得するしない以前に、自分がソースを示す事すらせず
>>498 の
ようなことをいうのこそ詭弁なんじゃないかと思うが。
>>500 要するにあれですか、ソースを示しても無駄ということですか。
「新編西南戦史」を読みましょう。
引用しろよ 大学図書館等や古本屋でしか出回っていないような本だろ?
>1件ありました。 >検索キーワード:書名「新編西南戦史」 >新編西南戦史 詳細表示 >陸上自衛隊第八混成団本部、2冊、昭37 >古本まゆ 15,000円 買えないっす(泣
>>508 資料はロハではないんだぞ。
買うんだ。金が無ければ図書館を巡れ。もしくは著作権が切れるまで待て。
陸自の本か。
>>509 でも、論戦で相手を納得させたいなら、引用するのが普通でしょ
書名だけ提示するなんて、単なる書籍自慢では??
「おれはこんな稀覯本持っているんだぞ〜」
>>481 の疑問
>植木戦に参加した4の9番小隊、5の2小隊が木葉戦に参戦したという
>根拠が全くできていません。
に答える引用は、この481よりも前に、すでに
>>441 がしている。
>二十二日植木付近で戦闘した部隊を合わせ(「新編西南戦史」の194P)
>>493 というか、丸々そのまんま信じてるわけじゃないし。
この人、あんまり財政のこととか考えてない発言するんだな。
別宮節だと、名将なんてキッチナーくらいしかおらんからねえ。 例の本での乃木に対する書き方は、別宮氏としては最大級に近い賛辞……のつもりなのだと思う。
515 :
名無し三等兵 :04/11/27 10:00:03 ID:0ZoUzR1B
とりあえず オタは絶対に自分を曲げないということがわかるスレですね
516 :
名無し三等兵 :04/11/27 10:14:58 ID:OXVf5ps2
とりあえず 515は煽りということはわかるよ。 根拠を基にした考えを易々曲げたりする方が、問題ありだろ。 オタであるなし関係なくね。
1 レッテルを貼り付ける
第十四連隊第二大隊第一中隊(北楯中隊)のこと
2/19の鎮台の命令「全隊 路を高瀬に取り、急行して城に入るべし」を論拠に、
北楯中隊が木葉会戦に居なかったという根拠はない、という主張があった。
以下参照。
>>434 、
>>442 (ほぼ同じ内容)
>鎮台の命令 「全隊 路を高瀬に取り、急行して城に入るべし」も無視した上で長崎に残留していることになる。そんなに命令無視の戦略眼の無いトンデモ将軍と主張したいのは判らないでもないですが・・。
>>435 >第14連隊全部が悉く南下していますね。この状況は別に名将乃木希典の記述に相反するのでもなく、賊に全軍で当たるという采配が窺えて問題はないと思います。よって第二大隊第一中隊が木葉の会戦に居なかったという根拠には到底なりえません。
北楯隊の所在が不明なのが問題になっている。
「西南記伝」を読んでいたら、三月二十八日の戦局の所(中1・675P)に、北楯
中隊についてこう書いてあった。
「第十四連隊の一個中隊(第二大隊第一中隊、此隊は、二月十一日小倉を発し、
海路長崎に分遣せられ、警備に任ぜしが、命あり来て正面軍に合し、昨日第一旅団
に編入せらる)その前衛たり、北楯大尉之を指揮す。」
656-660Pに「植木進撃の部署を定むること、左の如し」として、三月二十二日夜 の官軍の部署を記した表が載っている。この表内には、当時第二旅団に属していた 第十四連隊の各中隊の名前が載っており、第二大隊の二、三、四中隊、第三大隊の 一、二、三中隊の名が確認できる。 670Pには三月二十五日の第一旅団の動きが記されており、この中に第二大隊の第四 中隊の名が確認できる。 これらと対比して、第二大隊の第一中隊(北楯中隊)の名は、上述の「三月二十七 日に第一旅団に編入された」という所で初めて出てくる。 三月下旬まで、北楯中隊は戦線に加わっていなかったのだろう。それより前に加わ っていれば、他の中隊のように記録があってしかるべき。 未だ、長崎警備を任ぜられていた北楯中隊に何時のタイミングで正面軍に合せとの 「命」が来たのか?何時長崎警備の任を解かれ熊本行を始めたのか?という疑問が 残っている。が、北楯中隊が二月下旬の木葉戦に加わっていない事に関しては間違 いのない事と思われる。
結局、北楯中隊は木葉戦に参加していないということでFA?
再反論できないのなら、
>>369 に始まる「拮抗」論者は、「失礼しました」の一言ぐらいはあってしかるべきだとは思うがね。
521 :
名無し三等兵 :04/11/27 23:42:16 ID:sScVoEsR
乃木将軍は、戦術でも優秀であったが、心の名将だね。
官軍の行動について検討するのだから、史料は「西南記伝」よりも 参謀本部編纂の「征西戦記稿」の方が望ましいだろう。 がしかし。上で「新編西南戦史」を稀覯本としていたが、これ同様 に現物は滅多に見ない。ウエブで閲覧という手もあるが、全三巻。 視力減退すること受け合い、素人にはお勧め出来ない。 徳間書店の日本の戦史シリーズで出ているダイジェスト版を探すの がまずは第一、なのかな。これとてそんなに見ない本なんだが。
旅順攻略の期間は近代要塞攻略期間としては短いほうに入る。 損耗率も要塞攻略戦としては別に突出して高い訳ではない。 最初の攻撃で取れると考えていた当時の日本人が世間知らずだっただけ。 ただ日露戦争での損耗率は第三軍がやはり突出しているし、軍司令部の評判は あまりよろしくなかったのも事実。 難戦苦闘の上*白人に*勝ったという浪漫に酔えない人にはお勧めできない。 まあ自分の息子(それも2人共)を最前線に送って戦死に耐えた辺りは好感が持てる。
二児が日露戦争に出征していた将軍といえば、福島安生将軍もそう。 福島将軍の息子のうち、次男は遼陽会戦で戦死している。将軍の日記は、 この後数日に渡り空白が続いているそうだ。 で、実は福島将軍の長男は旅順攻城戦時に乃木将軍の副官を勤めているの だな。福島将軍は何度か旅順の軍司令部を訪れており、仕事を終えて去る その度に乃木将軍はいつも「君のご子息は非常に元気です」と知らせてく れたのだそうだ。《俺は乃木大将が副官として俺の長男を大事に見守って いてくれる気持が、今度の次男次郎の戦死の報を受けたとき一番じーんと きたよ》と、福島将軍は後日、家人に語ったということだ。
>徳間書店の日本の戦史シリーズ とても一中隊の動向を追えるレベルのものではない。 原典を読まないと駄目だろう。
失礼もなにも、西南記伝には 西南記伝P.360 20日午前六時〜 此他多少の残留兵は広島鎮台歩兵第十一連隊第三大隊第二中隊 の小倉に至るを待ち、後事を委して征途に上がる。此れに至り、歩兵第14連隊の全部 悉く(ことごとく)征路に就き了れり と書いています。
>>492 >>456 でその説明を求めていますが?
高田説を真実としてるらしいですが・・
高田説は2/23の朝に植木に斥候に行っているのですよ。
連隊旗を見つけた後に村田隊が宿営している鹿子木に引き上げたわけだ。
其の時点で村田隊は鹿子木にいるわけであって、植木や木葉にも居ません。
この辺りの説と君の下記の意見
>これらの部隊は鹿子木において作二十二日
>植木付近で戦闘した部隊を合わせ
を合理的に説明してくれんか?
>>522 >ウエブで閲覧という手もあるが、全三巻。
ウェブで閲覧で全三巻?近代デジタルライブラリーでは
4冊まであるのですが・・。ほかにあるのですかね・・。
19インチ程度の液晶だと視力に負担は
かからないですよ。
>>526 征西戦記付録(第4冊)に面白い事が書かれてあった。
第一第二旅団会計官日記 P22-23 ウェブ上では336あたりかな。
第14連隊第二大隊 第一中隊に関してだけど、3/31頃の状況に
於いて137名存在している。これは戦闘に参加していたらありえない
数字だと思うのだが?
君の返答を望む。
>>528 君が四巻目って言ってるのは、
>>529 が言っているように付録だ。
「征西戦記稿」は上中下の全三巻で間違いないよ。
(公刊日露戦史だって全10巻というだろ)
>>526 その20日の時点で、北楯中隊は長崎へ警備のために赴任しているんでしょ。
要地の警備って、歴とした征路の一部ではないですか?
後方要地の警備行動なぞは西南戦争に於ける軍事行動の一部として認められない?
なんか話がずれたような気がするので、北楯中隊と木葉戦についていっとこう。
木葉戦に北楯中隊が参加した可能性は極めて低いと思う。
>>527 それ、ループだから。
「新編西南戦史」を確認せよとあるじゃん。
533 :
名無し三等兵 :04/12/04 17:50:48 ID:yAHAEC2f
西南戦争の話は終わったようなので、遼陽の話を。
(スレタイ見ると、遼陽の話はスレ違いなんだろうけどね)
>>208 は、遼陽付近の堡塁群を指して
>別宮本P51を一回り小さくしたような堡塁が23個ほど設置されている
と言っている。たしかに形状は似ているのだが、逆に言えばそれだけ。
これでは例えば野球の硬球とテニスボールを比較して、二つは同じ形をして
いる、と言っているようなもので、だから何?としか言いようがない。
というのは、別宮本51Pの堡塁には棲息部など地下施設や外壕内を射撃する
カポニエールをも備えた永久堡塁だろうが、
>>208 が言っている第一号堡塁、
第2号堡塁には、これらは全く無い。これはあくまで野戦築城の陣地だろう。
>一回り小さくしたようなもの
なんてとても言えたものではない。形は似てるけど、ね。
なにより、二○三高地は標高二百メートル以上のしかもかなり峻険な山の
頂上の争奪戦だったわけで、全くの平地(付図では各堡塁間に標高差は認
められなかった)に並べられた遼陽付近の諸堡塁群とは、全く比較出来な
いだろう。
レスで、標高差はどうか?と何度も質問されていたのに、
>>208 はそれに
全然答えなかったのはこういう事だったんだな、と納得した次第。
>>221 :名無し三等兵 :04/11/14 21:12:06 ID:???
>>220 公刊戦史は信頼できるが、お前が信頼できない
この通りだったわけですね。
>>533-534 結局 西南記伝の説明1200人対1200人も
学研の700人説が間違っているったから西南説が
終わったんだよな・・
高田説を引っ張り出してきている香具師は説明もせずに逃げたし。
>別宮本51Pの堡塁には棲息部など地下施設や外壕内を射撃する
>カポニエールをも備えた永久堡塁だろうが、
>>208 が言っている
>第一号堡塁、 第2号堡塁には、これらは全く無い。
第一号堡塁、第二号堡塁ともに棲息部等の地下施設があるのに、
全く無いと言い張るのはどういった根拠だろうか?
堡塁の写真、画像等を示してしっかりしていただきたいものだ。
少なくとも、遼陽の野戦堡塁を出した方はUpしてくれているしね。
標高差が激しいから203高地は死角ができて攻撃路があったのだが・・。
西北部から日本軍が攻めた理由を知らないとしか言いようが無い。
>>531 それループしているよ
>>439 2/19の鎮台の命令 「全隊 路を高瀬に取り、急行して城に入るべし」も無視した上で長崎に残留していることになる。そんなに命令無視の戦略眼の無いトンデモ将軍と主張したいのですね。了解しました。
>>532 は531への上のような突っ込みは無いのか。
>>368 >圧倒的優勢な薩軍に対し、緒戦の遅滞防御を成功させ、官軍主力到着ま>での時間を稼ぐことに貢献した。
木葉の緒戦では薩軍を撃退するほどの火力を持っている事を
乃木軍は証明している。それは薩軍に比べ5倍以上もの発射
速度を持つ小銃に変えているからこそであった。
つまり戦い様では木葉の緒戦のように、火力による撃退を続ける
限り、優勢に戦さを進める事ができたはず。実際緒戦ではそういう
進め方をしていた。
しかし木葉の戦いではスナイドル銃 360丁 弾薬数万発
を取られるほどの敗走であった。後退戦術を取っていたという主張
だったならば直ぐに兵站部隊が後送できるようにしておくのは当然
なのですが、こんな失態を起したのはなぜですかね?
ここで木葉における官軍の参加兵力700名という説を採られた方に
伺いたい。700名のうち360丁といえば、半分以上ですが、半数の
兵力が銃を放り投げて潰走したとしか考えにくい状況です。
この状況で乃木がどう名将なのか説明していただきたい。
私の考えでは乃木は熊本城への増援とされている命令を受けている
以上、徹底してその目的のために全力を尽くしたと考えています。
(木葉に物資を蓄積したのも兵力を集め突破しようとしたからであろう)
途中で独断で命令に抗って後退するような人物とは思えません。
(上記の説を覆すには後退戦術や隘路進出援護作戦など戦前の計画、
乃至、命令などを示す必要がありますが、一向に出てきません。)
だからこそ、戦後失脚することが無かったと思えますが。
538 :
名無し三等兵 :04/12/05 07:48:59 ID:PY6FalC3
>>535 第一号堡塁・第二号堡塁は土と木材で作られているようだ。
永久築城の地下施設と、遼陽付近の臨時築城の地下施設と、
なぜ同一視できるのか。わけわかりません。
硬球もゴムマリも同じ球ではあるんだけど、だからナニ?ってもんで。
539 :
名無し三等兵 :04/12/05 07:51:38 ID:PY6FalC3
>>537 新編西南戦史を読め、と書いてあったろうに。
540 :
名無し三等兵 :04/12/05 07:54:18 ID:zLmKL6lz
高校の近代史の時間に教師が乃木まれすけはバカだったといったのはあながちウソでもないのだね? しかしその背景をよく説明しなかったので乃木は無能というイメージを持っていたが 此処に来て変わったよ。やはり軍人は無能ではないんだね。 そのときの状況がどうしようもなかったんだな・・・
541 :
名無し三等兵 :04/12/05 07:56:17 ID:PY6FalC3
>>536 長崎警備の北楯中隊は征路中とは認めないということ?
後方任務を軽視する解釈のように思えるのだが。
>>538 >>533 では
>別宮本51Pの堡塁には棲息部など地下施設や外壕内を射撃する
>カポニエールをも備えた永久堡塁だろうが、
>>208 が言っている
>第一号堡塁、第2号堡塁には、これらは全く無い
地下施設が全く無いと書いているのですよ?
永久築城とか野戦築城とか関係ありませんって。言葉を置き換える
人が215やらageる人にいますが、同一人物ですか?
>>541 >長崎警備の北楯中隊は征路中とは認めないということ
2/19の鎮台の命令 「全隊 路を高瀬に取り、急行して城に入るべし」も無視した上で長崎に残留していることになる。
上の命令と相反しているのですが?どう説明するのかな?
>>539 >新編西南戦史を読め
下のような突っ込みを受けているこのスレで意味無い言葉ですね。
オナニー馬鹿らしいですわ。539さん
>>214 さて、ソース合戦の様相を呈して参りました
……この場合、自分だけしか持たないソースを振りかざす奴が
大抵追いつめられるんだよな。
まあ、公表できない時点でオナニー以外の何物でも無くなる
>>216 他人が納得できないソースを振りかざす時点で、終わっていることが理解できない
議論で重要なのは、ソースの共有
それができなければ、詭弁と断定されても仕方がない。
しかし、2chでは短絡的に優位に立つため、他人が参照できないソース振りかざす馬鹿が多いんだよなあ。
>>537 負傷者や段列などの後送は既に始まっていたところに木葉山を迂回
してきた薩軍の襲撃を受けている。
もちろん失態と言えば失態だが、会戦図を見る薩軍の機動力を褒める
べきところだと思うが。
>>545 植木の戦いの時も迂回して包囲されているのですが?
先日と同じ負け方をしているのに木葉で大規模に行われて
失敗したと示したいのか?そこまで卑下することないと思うが。
>>545 会戦図?新編西南戦史に掲載している会戦図ですか?
どこに載っている会戦図をご覧になっているのですか?
548 :
会奉行 :04/12/05 08:10:24 ID:sOsNaRY5
本日は。 第二十七連隊集成第三中隊。203高地西南山頂占領100周年記念日。 第二十八連隊集成第一中隊。203高地東北山頂占領100周年記念日。 集成第二十五連隊。203高地中央山頂占領100周年記念日。 であります。
549 :
名無し三等兵 :04/12/05 08:10:30 ID:PY6FalC3
>>542 永久築城の地下施設と、土と木で出来た地下施設を同一視するわけ?
そりゃ無茶ってものでしょ。
だいたい、別宮本の51Pの堡塁図を引っ張ってきて、これを一回り
小さくしたようなものが遼陽付近に二十数個あったんです、なんて
言っていたのがおかしいわけ。全然違う別物だよ。
たしかに形は似てるけどさ。意味がない類似点だ。
今の所、乃木は西南戦争において、2/19の命令通り熊本城に 増援に向う途中、植木においてほぼ同数の薩軍と戦うが連隊旗 を取られて敗退。木葉においては緒戦で善戦するも官軍700名 対薩軍1800名の兵力差では如何ともしがたく、敗退。 700名分の銃の内、半数以上の銃と数万発の銃を捨て敗退。 普通は上のようにボロ負けしている将軍をなんと呼ぶのだろうか。
>>549 同一視もなんも。203高地と遼陽における陣地の比較で
合って永久築城や野戦築城なんて関係ないんですが?
それとも203高地に永久築城があったのでしたら別ですが。
それよりもさ、>地下施設が全く無いと書いているのですよ?
という根拠をしめしてくれませんか?堡塁の図でも結構ですから。
地下施設が無いって断言しているのですからね。
>>550 360挺の銃をろ獲したってのも、なんだかね。
「西南記伝」にはそう書いてあるけど、これは兵力数記述にミスがある文献。
どんなもんだろ。
兵力数のミスを修正していると思われる「新編西南戦史」を読むと、会戦の
概略を示し、その後に「また、ある資料によればスナイドル銃160挺、弾薬
数万発が薩軍に押収されたと記してある。(169P)」と書いてある。
360挺の半数以下で、しかも「こんな説もあるよ」という感じだ。
>>552 あ、新編西南戦史もっているんだ。それが官軍に有利に
情報操作している説ともいえますね。どっちでもいいんですよ。
それで貴方は新編西南戦史もっているのにソースを示さない
オナニー馬鹿なのですか?
>>551 なんだかな、どう書いたもんやら。こう書けば満足?
遼陽付近の堡塁群には、「別宮本P51の堡塁図のような」地下施設は全く無い。
別宮本P51の永久堡塁を一回り小さくしたようなものが23個だっけ?
こんなのは全然間違っているよ、と言いたいわけなんだけど、これは了解?
>オナニー馬鹿なのですか? >オナニー馬鹿なのですか? >オナニー馬鹿なのですか? なんだコイツ?
>>554 別に いい加減な論証を行う方がここに居るなっておもっただけ。
全く無いなんて言い張っているのに、いきなり永久築城やら野戦築城やら
話をだすんだもの。其の辺りの話では二百三高地と遼陽における野戦
築城の話だったのにね。
なんか釣っているつもりが釣られているって判ってないのかな。
>>555 この場合、自分だけしか持たないソースを振りかざす奴が
大抵追いつめられるんだよな。
まあ、公表できない時点でオナニー以外の何物でも無くなる
しかし、2chでは短絡的に優位に立つため、他人が参照できないソース振りかざす馬鹿が多いんだよなあ。
つまりオナニー馬鹿。
朝っぱらから元気な二人だな
> いい加減な論証を行う方
遼陽付近の堡塁群を指してこう言っている
>>208 のことだね。
>別宮本P51を一回り小さくしたような堡塁が23個ほど設置されている
なんだこりゃ。形が似ているだけじゃないか。
>>553 552はソース示してるだろうが。
どうすりゃいいってんだ?お前にも見せろってか?
>>550 >普通は上のようにボロ負けしている将軍をなんと呼ぶのだろうか。
第一旅団長野津鎮雄少将の評価はこのようなものだったそうだ。
「乃木の勇戦奮闘があったればこそ、薩軍の北進を阻止し、官軍の九州上陸
とその後の前進を支障なからしめたのである。軍旗喪失の罪はたしかに重い
が、激戦の最中、しかも夜間のことであって事情やむをえざるものがある」
>>557 ということは何か?「新編西南戦史」に書いてある内容をここに
書き込んだらオナニー馬鹿なのか?そんな無茶苦茶なことないだろ。
嘘や無茶苦茶を書いたりしたんなら、いつかバレるでしょうに。
例えば、今回の遼陽付近の堡塁の件がそうだ。
>別宮本P51を一回り小さくしたような堡塁が23個ほど設置されている
とし、ソースは公刊戦史の付図と
>>208 は言っていたが、
似ているのは形状だけということがバレてしまった。
ソース呈示は、こういう検証を他者でも行える為にするのでしょ?
>>559 ププ 今は見れない画像を見てなにをいってるのかいな。
>>562 オイオイ533の話題をしているんだろ。
地下施設が全く無いなんて指摘をしてさ、地下施設が全くないソースを
示してくれませんか?と説いたら上のようにぶち切れ。
┐(-。ー;)┌ヤレヤレ
>>563 画像って? 公刊戦史付図は画像にしか存在しないとでも思ってます?
>>564 別宮本P51の堡塁のような地下施設は無かった、という意味だってば。
例としてカポニエールと書いているんだから、わかると思ったんだけどね。
なんども繰り返して悪いけど、確認のため。
別宮本P51の堡塁と、遼陽付近の堡塁群は、全くの別物。形が似ているだけ。
>別宮本P51を一回り小さくしたような堡塁が23個ほど設置されている
とし、ソースは公刊戦史の付図と
>>208 は言っていたが、全然ウソ。
こういうことを追って検証する為にも、ソース提示が必要なんです。
疑問に思って、追って検証するもしないも、自由ですけど。
>>565-566 必死でつね。どんどん書き込んでどつぼにはまってください。
皆 生暖かく見守っているから。
>>567 反論なしなんでしたら出てこないでいいです。というか出てこないでください。
邪魔なだけですから。
203高地で永久築城やら野戦築城やらがあれば言いたいのがわかるけど。 遼陽の陣地も203高地の陣地も野戦築城。別宮氏の本の”ような”形 の陣地があるのは其の通りですよね。 まさか203高地には永久築城とかガポニエルがあるとかそういう勘違いを しているのでしたら566の様に言うのも無理は無いですが。 そもそも203高地の陣地の話でガポニエル等の話を持ってくるのが 筋違い。形として似ているというので十分わかりやすい説明だったがね。
>>568 あぁ粘着して見守っているのですね。すごいね。
>>569 地下施設は全くないだろ!ウゼェんだよお前。
>>569 形だけじゃないか。むしろ誤解の元だ。
硬球とテニスボールやゴムマリは、形は似ているけど、危険性は全然違う。
これらを、形が同じだから一緒に取り扱えというのと同じだぞ。
>>572 203高地の野戦築城の陣地はゴムマリ以下だな。
>>570 他方を一方的に粘着呼ばわりしたいなら、それはまったくご自由に。
でも、粘着呼ばわりするあなたも全く同じ事をしているわけですね。
面白いことですね。
>>574 ゴムマリ?そりゃないな。
二○三高地の陣地の強度については、報告がある。
「九月の攻撃の時点で、15センチ以上の砲でなければ破壊できない程度」
だったらしい。
15センチと言ったら、当時旅順に持っていった砲の最強クラスだ。
結構な強度だと思う。
578 :
575 :04/12/05 10:07:46 ID:???
>>576 違う違う、それ俺じゃない。
そもそも、575は570向けのレスなんで、それを書いていた時は571見てなかったし。
>>569 >そもそも203高地の陣地の話でガポニエル等の話を持ってくるのが筋違い。
それを言ったら、二○三高地の陣地の話で遼陽を経て別宮本P51の永久堡塁
の図(形が似ているだけ、全然別物)を持ってくるのはどうなのよ。
こんなものを持ってこなければ、カポニエールなんて話も出なかったろう。
>>550 >普通は上のようにボロ負けしている将軍をなんと呼ぶのだろうか。
自分の部隊を犠牲にして、友軍到着までの時間稼ぎをしたということでしょ。
野津将軍の評するように、勇敢かつ優秀な野戦指揮官、というのが妥当な評価だね。
……そこまでして乃木を貶めたがるその神経がまったくわからん。あんた、マル経か?
581 :
575 :04/12/05 11:35:26 ID:???
>>580 名将だの愚将だのは所詮、ある程度は主観的な価値判断に基づくものなので、人によって異なるのは当然。
しかし愚将論者は、そもそも事実認識の誤りが多すぎ、しかもそれに立脚して愚将論を主張しているのが、
ぜんぜん説得力に欠けるんだよね。
「旅順の諸高地は峻険ではない」
「日本軍の一個師団は4万人」
「木葉戦の官軍兵力は薩軍と拮抗」
etc……。
だいぶ前になるけど、薩軍がスナイドル銃360丁が奪ったのは植木戦と主張
した人がソースをでっち上げる、という珍事があった。
これも、植木戦の官軍撤退は予定の行動だったという意見に対し、そんな事
はない、戦略的撤退というのは虚構だ、という愚将論者によるものだった。
日本史板「続・乃木さんて、どういうひと? 」より問題の箇所
553 名前:日本@名無史さん :02/04/03 07:10
>>549 貴方はどんな資料を参考にしていますか?当方は佐々友房の
戦袍日記の記述から植木戦と述べましたが。
この騙りは、ソースを確認した人によってその日の内に論破されてしまう。
557 名前:日本@名無史さん :02/04/03 18:01
>>553 >当方は佐々友房の戦袍日記の記述から植木戦と述べましたが
大嘘だね。佐々の『戦袍日記』中では、植木・木葉の戦いに関しては、
後日の伝聞としてごく簡潔に述べられているだけで、銃360丁弾薬12000
発なんて話は全く出てこない。
561 :557 :02/04/04 22:26
>>559 後聞ク、此夕薩本営二於テ、小倉分営兵若干隊植木ニ進入スルノ報ヲ聞キ、
小隊長伊藤直次・村田三介各々部下ヲ率イ疾ク馳セテ之ニ向ヒテ敵軍ト向坂
ニ遇ヒ、激戦数次、遂ニ之ヲ敗ル。追躡シテ田原坂ヲ下リ、薩ノ別隊ト挟撃
シテ又大ニ之ヲ木葉二破リ、其連隊旗ヲ奪ヘリト云フ。
・・・これだけ。『戦袍日記』中で植木・木葉戦に言及してるのは、たったこ
れだけです。
こういう騙りをまかり通らせない為にも、ソースを示しておくというのは
必要です。
そもそも何故こんな捏造をしようと思ったのか?それが不思議ですが、世
の中色んな人がいるから仕方ないことなのかな。
嶽原さんお疲れ様です。名将乃木希典を片手にがんばっていますね。 ほんとにご苦労様です。
>>583-584 2年半前から同じような事をしているのか・・・・・・
いまさらそれを上げてくる精神もじっくり観察する必要はあるな。
愚将論者には困ったもんだ。処置なし。 こんな早朝 02/04/03 07:10 から大嘘ブッこく精神は、面白いとは思うが 出来ることなら関わりたくないもんだ。
ソース捏造とはひどいにも程があるねぇ・・・ うそまでつくのか・・・・
確実なのは、 故人をボロクソに貶した司馬の野郎は今、 地獄の業火で永遠に苦しんでいます。
>>582 それだけの文章で愚将論者と決め付けるのは流石ですね。名将論者が一人でがんばっている
姿が目に浮かぶようです。
嶽原ってなんなの?
佐藤大輔あたりも、司馬に追従しているから困ったものだ。 なんか、架空戦記作家の底の浅さというのが露呈してきているなあ。
>592 RSBCだと、「第二次奉天会戦」で乃木がチョンボをした結果、 日露戦争は日本の敗北に終わるんだっけ? 大ちゃんは大好きだけど、この部分だけはどうにも納得がいかないなあ。
大ちゃん司馬さんが大好きだからね。 作中にも登場してるし。
日露戦争が引分け以下に終わった結果、日本は大陸の拠点を失い、貿易立国として生きるしかなくなる。 そして、それが却ってプラスに働く、というのがRSBCやパシフィック・ストームのIF。 いっそ、史実以上の大勝利を収めていたらどうなったか? という火葬戦記はないのだろうか。 奉天で乃木第三軍の包囲網が完成、露軍を完全に殲滅していたら…。 ウラジオや北樺太まで獲得することに成功していたら…。
別宮氏じゃないが、列車でずらかる軍隊を歩兵じゃ追撃できないから、奉天での包囲は無理ぽ。 しかし北樺太は、なにがなんでも早期に占領しておくべきだったな…
>>595 あの国を抱え込まないですむのと、ロシアの朝鮮統治で新羅以来の腐った性根を矯正できるというメリットはある。
国家としてのロシアは非常に厄介だが 個人としてのロシア人は最高 国家としての半島は非常に厄介だが 個人としての半島人は最高に厄介
599 :
名無し三等兵 :04/12/08 23:17:44 ID:nyFnuC7M
殉死の方法は首吊りで合ってる?
600
601 :
名無し三等兵 :04/12/10 01:15:30 ID:QQ80Fq9j
根拠捏造は絶対にやっちゃあいけないことです。 信義にもとる行為として、議論の余地なしとの評価を下されるのは当然。 時事ネタにかぶったな。 二年半前のこといまさら言うのはどうだろう、みたいな話は論外です。 こんなの捏造する側が100%悪い。時間が経って何が免れるものでもない。 当たり前のこと。
そうですな。野戦重砲部隊の陣地変換が必ず一日かかるという捏造や 日本軍の行動が24時間として物事を考えたりすることは許されない事 ですよね。ましてや遼陽の陣地に地下施設がないなんて書いて、 指摘されたら、永久陣地 野戦の違いとかごまかしたり、 ゴムマリなんて表現もひどいよね。 名将論者は議論とか同じ言葉を使うからな。すぐにわかる。 というかほぼ一人嶽原ががんばっているだけだからな。 自称多数派だしw
それと彼”ら”の主張は乃木の行ってきた行動は全て肯定されるから
面白いですよ。○○学会や○○○教のように乃木を批判することは
ないのよね。
>>601 のように粘着ってのものすごぶる興味があります。
604 :
名無し三等兵 :04/12/10 07:37:42 ID:PWqv3A4K
「根拠捏造」ということ批判されているというのが
>>602-603 は判ってない。
ある物事についてある人Aが自論をもっているとする。
それに対して別の人Bが異論反論を主張する。
これは有り得る、当然のこと。
でも、AなりBなり、自己の主張の根拠を捏造するのはいけない。
605 :
名無し三等兵 :04/12/10 07:42:30 ID:PWqv3A4K
603は相手を粘着呼ばわりするが、そういう自分はどうですか? 粘着されている被害者とでも思っているんでしょうか? こういう言い方はなんだけど、柏手を打ったのは右手か左手か? という禅問答のようなものですよ。わかってるのかな。
>>605 2日ほどネタがなくなったら2つも書きAGEる姿勢も面白いよね。
相手にしてもらいたいの?
嶽原氏の今までのソース集でも集めてみようか・・ここのスレでは根拠は 必ず必要だから、どういった人物が書き込んでいるか特定できると思うけど。 次回の乃木スレのテンプレに使える位にしておこう。
粘着という人が、実は粘着なんです。 それが判らないと、603になる。
>607
嶽原氏の功績を今から探るスレにしましょうか。
119 名前: 嶽原 投稿日: 2001/06/02(土) 05:35
>>86 「血風 二百三高地」(船坂弘)「乃木と東郷」(戸川幸夫)も好資料です。
私は古本屋で「日露戦争」(児玉襄)探しに明け暮れております。
それにしても、調べれば調べるほど司馬遼太郎は出鱈目であります。笑えるわ。
そーとー嶽原氏に恨みがみたいね。なんかあったの?
164 名前: 嶽原 投稿日: 2001/06/03(日) 02:17
>>143 当時の通信手段は有線電話。観測所の設置は可能と思いますが、観測情報が
伝達出来なければ、設置の意味がないのです。
その辺りを撃つだけで伝達設備は破壊されるため直撃弾など不要ですよ。
165 名前: >嶽原とやら、、、 投稿日: 2001/06/03(日) 02:25
>当時の通信手段は有線電話。観測所の設置は可能と思いますが、観測情報が
>伝達出来なければ、設置の意味がないのです。
前から気になってたんだけど、現に日本軍は
203高地を占拠し旅順艦隊を狙い撃ちにしたのは事実だろ?
あんた司馬さんの作品以上に真実を曲解してないか?
>>609 「乃木と東郷」を持っているけど。 ねえ、俺は嶽原なの?
201 名前: 嶽原 投稿日: 2001/06/04(月) 01:45
>>198 念のために言っておきますが、別人です。
いやホント、マジで。
……
HNは「名将乃木希典」(中央乃木会・桑原 嶽)の筆者名逆読みから
取っております。別場所で指摘されるまでは参考文献は記してません
でした。本書はあまり出回っていないようですから……。しかし、
本書はいろいろ面白いですよ。
>>602 >野戦重砲部隊の陣地変換が必ず一日かかるという捏造や
>日本軍の行動が24時間として物事を考えたりする
そんなこと誰も書いてないと思うけど?一人相撲してるだけじゃないの?
「名将乃木希典」(中央乃木会・桑原 嶽) 「その論旨は、ところどころ勇み足があるものの、根拠をあげて全体としては 冷静である。筆者の桑原氏は中央乃木会会長時代にこの本を執筆したようだが、 偉人を顕彰する文章にみられがちな観念的な賛美はまったくない」 「日露戦争がよくわかる本」(PHP文庫・太平洋戦争研究会)での評価。 いい評価を受けてるじゃん。
俺よりは無能wwwww
>>617 確かに、ろくな補給もうけずにビルマを打通するような
有能さは持ち合わせていませんね。
なんかずっと追ってるけど論点が見えなくなってきた。 名将派の発言かなと思うと、ちょっとした言葉遣いのためか同じ派に 揚げ足取られて発言自体ひっくり返されたり、その逆もある。 今まであったのは、 ・軍旗を取られた戦いはどこの戦いか ・その戦いは(軍事的・歴史的に)田原坂の戦いに総称されうるか ・その戦いは世間的に田原坂の戦いに総称されうるか ・(境木の戦いって何?) ・植木の戦いに薩摩は後進したか。したならそれは撤退か退却か。どこへ向かったか ・植木の戦いの官軍薩摩軍の戦力は ・乃木が受けた命令とその行動は ・「西南記伝」「西南戦争」…その他の資料評価 まだあるかもしれないけど補遺よろしく。 で、とりあえず「新編西南戦史」を読めという人VSその他大勢でいいの? で前者が愚将論者でFA?
なんつうか、この人は大山巌やマッカーサーみたく、「全軍の総指揮官、仕事は部下にやらせるけど責任は自分が」みたいなとこにいたら一番良いタイプなんではないかと思う。 実戦の場には向かないけど、包容力ありそうだしな。 一番拙かったのは、妙な参謀長あてがわれたことか。
癖がある人物には違いなかったろうが、無能か?というと微妙だろうな>伊地知
>>620 貴方は社会人じゃないのか?
自分の仕事に責任を持つのは普通だぞ。自分の身体能力を超えた
物を送るのに自分で材料から作って、それを相手に届けるのに全て
自分ひとりではできない。
人(部下、上司、仕入先、売り先)を使わないとできない。
仕事全体を把握するのは当然だし、最悪、時間はかかるけど仕事全部やることが
できる位、勉強しておくのが普通。それらの仕事の割り振りを決定するのが
管理者の仕事だろ。
>>619 >で、とりあえず「新編西南戦史」を読めという人VSその他大勢でいいの?
>で前者が愚将論者でFA?
「新編西南戦史」を読めと書いた者だけど、おれは愚将論には反対の立場。
はっきり言って、2chの愚将論者は嫌い。ソース捏造とかするからね。
乃木将軍が計画していた通り、東北部からの坑道と巨砲の集中攻撃を続けていれば 二○三高地での大量死は無かった。 無理な作戦要求した海軍とそれに乗った大本営にかなりの問題あり。
カネと時間・・ みんなビンボが悪いンや。
>>574 >203高地の野戦築城の陣地はゴムマリ以下だな
15糎砲でなければダメージが与えられない陣地が「ゴムマリ以下」ですかそうですか。
203高地の陣地の強度については上のような証言があるが、反して、遼陽の
周りの野戦陣地の強度については、何かそういう類のものはあるのかな。
陸軍は、海軍の要求に応えて八月初旬に旅順艦隊を旅順口から脱出させている のに、言い出しっぺの海軍がこれを取り逃がしてしまう。 せっかく出てきた艦隊を、また港内に入れさせてしまうなんて大変な失策だ。 何がなんでも旅順港内に戻らせない、これは黄海海戦の最低条件だろう。 海軍がこの時ちゃんとしていたら、二○三高地の悲劇は起きなかった。
>>624 >乃木将軍が計画していた通り
こんな計画があったなんて初めて知りました。どんな計画だったのですか?
まあ、腹を切るといって切らなかった奴に名将はいないわな。 軍板の皆が大好きなムッチーとか。
陸軍の第三軍は、海軍の要請に答えて太平洋艦隊の追い出しに成功した。 しかし、海軍はそれを取り逃がした。 そしてあろうことか再びの旅順入港を許した。なにやってんだか。 ザルキーパーが「お前等、もっと点取れよ!」「怪我を怖がってんじゃねえ、突っ込めよ!」 「あー!逆サイ逆サイ!なにやってんだ!」とか、遥か後方で喚いているみたいだ。 フォワードにはいい迷惑以外の何者でもない。
>>630 つうかその前に、柏の南君のように、GKの自殺点(同じ航路を繰り返したため、機雷での戦艦喪失)ををしているけどな。
旅順艦隊が差し違え覚悟で連合艦隊に向かってきたら、戦争の帰趨も変わっていたかもね。
633 :
:04/12/12 20:58:38 ID:???
>>631 スレから微妙に外れるが、ソロモン海海戦でまったく同じ自殺点で比叡失った海軍って…
乃木大将の孫弟子、昭和天皇が日露の例引いて警告してたのに…orz
>>632 差し違え覚悟で黄海で旅順艦隊が負けたの知らないでやんの。
乃木司令部の考えた通り、203高地など攻めずに、東北部から坑道攻撃続けた方が
被害も少なく、もう少し旅順攻略が早かったぜ。
海軍は陸戦に疎いからな。
>>634 NHKは、その結論をほのめかす内容を番組でながしたが、再放送なし。
坂の上の雲と反する内容の番組を流すと困る勢力があるみたいだ。
636 :
632 :04/12/17 00:06:13 ID:???
>>634 おいおい、漏れは別に乃木軍を非難してるわけじゃないんだが……。
最小限の被害でウラジオに逃げ込めればいい、と考えてたんだろ、ウイトゲフトは。
差し違え覚悟で挑んで来た、なんて聞いたことがないぞ。
637 :
632 :04/12/17 00:08:02 ID:???
>>634 おいおい、漏れは別に乃木軍を非難してるわけじゃないんだが……。
最小限の被害でウラジオに逃げ込めればいい、と考えてたんだろ、ウイトゲフトは。
差し違え覚悟で挑んで来た、なんて聞いたことがないぞ。
二重カキコスマン。
>>635 どこにそんな結論をほのめかす内容だった?番組ではそんなのは
なかったぞ。大体決断した日時が二百三高地に切り替えた日時だったはずだが。
>>639 1.坑道戦術が成功しつつあった。
2.203高地占領前に旅順艦隊はすで甚大な損害を受けた。
3.搭載砲と水兵を陸上に上げもう旅順艦隊作戦しえない。
4.上記情報を第3軍司令部が得ていて203高地攻撃を渋った。
とうことを番組はほのめかしていた。
12月8日の日付が意味をなして来るんだよな。 真珠湾の攻撃も同じ日だし。 ああ、ムーのオカルト戦という観点から見た号を買っておけばよかった。
>>640 1の成功しつつあったなんて事は番組で述べてません。切り替えたと述べたのみ。
2、3、4の損害を受け、艦隊作戦が出来ないという情報の真偽は定かではなかった。
確かめられたのは”ロシア側の写真を見て”番組が判断したから。
上記情報を大本営に連絡したが、その3日後にバルチック艦隊が出航したため、
海軍は確実なる撃滅の確認を求めた。
中国スパイからの情報は4万人が1万5千人に減っており、このまま
消耗戦を続ければ陥落するであろうと番組で述べていた。しかし
その後の第2回総攻撃は坑道戦術にも関わらず失敗した。
坑道戦術が成功しつつあったと番組でも述べてないことを言い切るのは
どういう頭の構造をしているのでしょうか?
また早朝の人か! 640は、ほのめかしていたと言っているのに、 それに品無く噛みつく君の頭の構造のほうが問題だ。
>>642 あいかわらず文意の理解できない人のようだね。
番組の構成と意義をよく考えてみてね。
203高地攻略以前に旅順艦隊は無力化されていたのではないか?
ということにかなり力点を置いた番組構成になっている。
なぜそうなのかは自分で良く考えてみようね。
>>643 だから坑道戦術が成功なんてほのめかしてもませんって。
何分位の所を見てそんな事を言うのかな・・・。
>>644 番組の構成は”決断する”という事に重点を置いている。
その決断する材料に情報が入ってくるわけだが?
二百三高地以前に旅順艦隊は無力化されていたという情報は
スパイ、捕虜からもあったが、その情報をもとになぜ史実の決断を
したかという番組構成なんだよ。だから最初に二百三高地に
攻撃を切り替えた日時が出てくるの。
番組の構成と意義を理解できないで勝手な思いこみを
しないでください。
また、艦隊が無力化されていたから二百三高地攻略が無意味という
結論を出したいのだったらそれは大間違い。
太平洋戦争時、真珠湾に日本艦隊が向かっているという情報をアメリカ軍は
掴んでいましたが、それを以ってルーズベルト陰謀説と結論付けるほど
愚かな間違いですね。後知恵も甚だしい。
昨日のNHK番組によると、旅順の戦いでロシア軍は三万人が死傷し四万人が 捕虜になったという。いったい旅順には、ロシア軍は何人いたんだろう。 また、第一次総攻撃での死傷者が三千五百人とも言っていた。従来は千五百人 と言われていたと思う。 このような数値的な所がもっと明らかになれば、旅順の戦いのイメージはかな り変わってくると思う。
坑道戦術と東北部ロシア要塞への火砲の集中が成功していたから、203高地占拠後、 すぐに東北部からの攻撃に切り替え、旅順は陥落したんだ。 つまり、203高地などという、海軍のアンポンタンの要求さえなければ、203高地の 占領の頃には旅順は陥落していたの。 司馬遼太郎は軍事について馬鹿であったということをこのスレの人間は皆知っているだろうが、 東北部からの攻撃は、第一次から第三次になるにつれ、被害が減少していたのを知らされていない のではないか? ちなみに旅順は西部だが。
陰謀というなら、その回の再放送がされないことだよな。
>>645 なるほど。ということは乃木閣下は有能だってことですね。
「歴史街道」でまた日露の特集をやってたんで買ってみた。 <…旅順攻撃に際しての乃木軍の作戦を、一部で見直す声が上がり始めている。けれど六万余の 死傷者を出した以上、乃木希典大将と軍司令部参謀たちの指揮は拙劣なものだった、と考えてよい…> ……だってさ。 笑っちゃうね、まったく。 「乃木愚将説」を頑なに信じてる香具師って、20〜30代の働き盛りの頃に「坂雲」を読んで溜飲を下げていた オヤジ世代が多いんだろーなー、と思う。
>>650 柘植久慶も書いていたけど、それだけでアウトでしょ。
PHPも著者の選定をもうちょっと考えればいいのにな。
>>645 日米開戦はF.ルーズベルトの陰謀なのを知らないんだ。
旅順開城、百周年で
日露旅順戦死者、乃木夫妻子の冥福。
司馬他に名誉を汚された乃木将軍の名誉回復祈願
DQNのコンドラチェンコを押さえ戦い抜いたが、不名誉なレッテルをつけられたステッセルの名誉回復祈願
の新年の乃木神社参拝をするかな。
>>651 柘植は、途中で「児玉鞍馬天狗派」になった。
旅順は、「自称旅順戦に参加した兵士の話」とか「乃木の切手を使わない元兵士の話」とかあやしい内容だったな。
>>655 653でどこにも否定していないのに何を言っているのか?
それでどんな根拠があったから、日米開戦はルーズベルトの陰謀としているの?
>>656 アメリカの対日戦準備は、昭和14年から本格化している。
学研のコミックに「黎明の艦隊」ってあるけど、昭和18年に戦争しても夥しい
エセックス級空母の大艦隊にどこからでも攻撃されてしまう状態になっていたことは
分からないような描き方だ。
アメリカがハルノートを突きつけたんだぜ。
>>657 学研のコミックに「黎明の艦隊」が根拠なのか?余計な事は書かないほうが
いいよ。スタークスプランでもって日米開戦はルーズベルトの陰謀っていいたいの?
スタークスプランは別名両洋艦隊法といって、当時戦争を行っていたドイツにも
対抗する計画だったのだがね。あのプランの完成時期は1944年以降(船の完成は
1943年(昭和18年)だけど軍人の育成等の関係)
1943年の時点では練成途中で使い物にならなかったのだけどな・・
どんなソースで昭和18年にエセックス級空母の大艦隊でどこからでも攻撃される
状態と断言するのかな・・
しかしルーズベルトの陰謀の根拠はステネットでも出てくるのかと思ったけど・・
全然出て来ないのね・・
654もそうだけど妄言はきまくりのスレだな。
>>658 何、勘違いしてんの?
「黎明の艦隊」は事実捻じ曲げて、無茶苦茶な史観で書いているとレスしているだろ。
なんで、漫画を根拠にしなきゃならんの?
エセックス級空母の大量建艦計画は竣工が昭和15年に始まっており、18年には当初、17隻が
完成する予定で、日本軍の侵攻に備えて、全て東部造船所で作られている。
但し、竣工前に図面書かなければいけないだろ。
どう、早く見積もっても、昭和14年前半に戦争準備にアメリカが入ったというのが妥当だ。
日米戦争は、アメリカの側の謀略である。
米国の主要な造船所は東部に集中しているのでエセックス級が東海岸の造船所で作られているのは何の不思議もない。
まあ精々659はスターク案でハァハァしてなさいってこった。
662 :
名無し三等兵 :04/12/24 23:53:43 ID:9dT0C5DS
なんなんだお前ら。スレ違い過ぎだっつの。 どこが火元だと思ってみれば、645からか。 また早朝の人かよ! ええかげんにせーよ!
すまん あげてしまった
>>659 日本の翔鶴級や大和級の”着工”は昭和12年のB計画で
昭和14年のスタークスプランより早いんだが?何をいっているのやら。
>エセックス級空母の大量建艦計画は竣工が昭和15年に始まっており
竣工か・・エセックス級て昭和15年に完成してたのか。
大体早朝って
>>643 で早朝の人って書いている人も早朝だし
8時から9時頃にいつもその早朝の人に噛み付いてる人が
>>652 でしょ。
同じ時間帯で書き込み内容が違うってわかるんだから・・
>>662-663 で必死になっているが。
↑すれ違いうざ
話を元に戻そうぜ。
>>650 六万余の損害を出したから無能なのか、
六万余の損害を出したのに戦果がそれに見合わなかったから無能なのか。
だったら七万以上の損害を出した挙句結局は敵主力を取り逃がした奉天会戦の最高責任者である、
大山&児玉は無能ということになるのか。
自称「軍事評論家」としてはまったくお話にならん幼稚さですな>柘植
そしてもちろん、それを無批判に載っけて疑わない編集部も。
無能ってのはお前らみたいな輩のことだろが、と声を大にして言いたいですね。
>>666 やはり西南戦争の軍旗喪失事件と日露戦争後に自分の非を認めてしまった ような 発言が
誤解を生じさせてしまったように思う。謙遜は美徳ではなかった。
そっくり返っていれば評価が変わったかも。
>>667 最近、ようやく司馬の捏造さが研究者から指摘されるようになって
評価も改善傾向にあるが(NHKでもフォローして貰ったし)
一般的にはまだまだ愚将論がはびこっているな。
今作っている坂の上の雲でどうなることか。
柘植の旅順がどうしようもないのは、 柘植の旅順がどうしようもないのは、シナ人のコメントの「乃木は有能ではなかった」というコメントを臆面もなく載せていることだな。 今までの乃木無能の流れは、 陸大のテキスト→司馬→それを無批判に受け入れ追従して書いたバカ。 再評価というより、名誉回復及び司馬の捏造批判は 海外の文献、第一次大戦の評価あたりから入っているんだよな。 活発になったのは、いままでは出版社が口をふさいでいた「司馬の捏造」をネットで指摘するようになってからだな。
なんか無性にむかっ腹が立ったので、PHPに「アンタ等は裸の王様だ!」ってメールしてやったよ。 返事なんて来るわけもないけどね。
福田みどり(司馬未亡人)と半藤一利が健在の間は 「乃木無能説」は揺るがないと思われ。 福田が自分の夫を「司馬さん」と公言することは、どう考えても異常だ。
>>660 アメリカの西海岸にも大規模造船所はたくさんあるぜ。
旅順を落とした乃木が無能なら、WW1の西部戦線の英独仏の各将軍は、たかだか
塹壕戦に三年も互いに動けず、何百万も死なせたのだから、無能未満のクズどもか?
今回のキーワードは司馬の捏造 か。 しかしここに時間差で書きこんだり、PHPにメールを送ったりと大変 時間に余裕のある閑のある方っぽいですな。嶽原さん。
>>672 もちろん。
乃木はお話にならないし、英独仏の将軍はさらに輪をかけてバカ
各国とも日露戦争に観戦武官送ってたのに、その戦例を活かせてないしな
あいつらのがバカだから俺はバカじゃない、ってのはちんぴらのロジックだよ
>>674 だったら人海戦術の支那共産匪頭目「毛沢東」は地獄堕ちの馬鹿だし、それを
英雄として受け継ぐ今の支那共産政府は存在してはいけない馬鹿なんだ。
ロシアのプーチンにしても滅びた民主集中制を呼び戻そうという救いの無い馬鹿。
つまり、乃木将軍を馬鹿呼ばわりする以上、全世界が馬鹿と言っているだけのことなんだね。
そして、君は、その馬鹿の坩堝の中の馬鹿ということで、話を纏めましょうか。
>>675 纏まらないでしょ
そもそも毛やらプーチンやらはぜんぜん別の話だしね
戦車による戦線突破に成功した当時のマスコミでは
塹壕戦に固執しまくった旧来の将軍どもは非難されまくったし
ムダに人命を消耗した将軍が叩かれるのはごく自然な話だよ
人間だってただじゃない、有限な資源なんだから
乃木は無能 WW1参加各国の将軍はもちろん無能、ってのが落としどころだろ
>>676 ふーん。じゃあ、大山も児玉も無能ってことですな。キミの脳内では歴史上に名将ってのはいないんだね。
それは結局、「オレ様以外は全部バカ」と言っているに等しい。
キミの考えがどうだろうと勝手だが、他人を説得出来るレトリックでは到底ないね。
>>677 勝利宣言かな?
大山や児玉あたりは火力戦の信奉者かつ浸透戦術の大好きな奴だと思ってたが
乃木と同列に扱う気にはとてもなれんよ
>>677 >大山も児玉も無能ってことですな
>>666 6万の損害を出した旅順戦と7万の損害を出した奉天戦を一緒に考えていた人?
参加した兵力も範囲も全然違うのに、そういった事を何もかかずただ、損害数だけ
書いて、大山や児玉が無能って言う方がどうかしているな。
そういうえこ贔屓でしか物事を見れないって主張されてもネタでしかない。
けどこういう信奉者を後々まで残すことが出来たんだから、乃木としちゃしてやったりだろうなぁ
そもそも敵主力の包囲網を閉じるべき部隊は乃木の率いていた第3軍だよ。
乃木が閉じれなかったので包囲網が完成しなかったのは最高責任者の大山と
児玉だったから、彼らが無能ってのはなんかレトリックを感じるな。
当時の日本軍の最高責任者は天皇だから天皇が一番無能だな。
>>666 はそういいたいのだろ。
>>680 乃木自身は謙虚で自分の能力に対しては冷静に見ていた節がある。
台湾統治での失政もしかり、秋月の乱での反省もしかり、切腹すらしたことも
しかり。 そういう謙虚な心は俺も結構好きだが、神様のやってきたことを全て
肯定しなくちゃならんってことはない。
彼自身、自分の能力に限界を感じていたのに信者は持ち上げすぎな感が多々ある。
>>682 本人は限界を感じていたかもしれないが、
旅順要塞を攻略した功績は消えるものじゃない。
旅順要塞を陥落させ、それが戦争勝利に結びついたという点では、
名将と言われるロンメルやマインシュタイン以上の功績がある。
犠牲が大きかったことは事実だが、日露戦争時代の
装備で旅順要塞を攻略するとならば必要な犠牲だったといえるだろう。
戦車も空軍もない時代、乃木が採った方法以外、どうやって
旅順要塞を攻略したらよかったというのか。司馬の妄想など論外であろう。
>>678-681 もう少し纏めて書いたらどうなんだ?
>参加した兵力も範囲も全然違うのに、そういった事を何もかかずただ、損害数だけ 書いて、
だから、「そういった事を何も書かずたた損害数だけ書いて」第三軍非難をしているのが柘植だから、
そのやり口がアンフェアであり、幼稚だといっているんだが。
“仮に”そんな非難の方法が許されるのだとしたら、大山も児玉も否歴史上名を残した将軍なんてのは
全部無能ってことになるだろう、と挑発しただけなんだが。
俺自身は、大山も児玉も乃木も充分、名将の名に値する、と思ってますよ。
そんな国語力で噛み付いてこられてもなあ……正直、小学生か幼稚園児を相手にしている気がするんだが。
例の「名無しがみんな同一人物に見える病気」ってこれか
>>684 あのさ、ここで批判している柘植は旅順のみを語っているんだわさ。
奉天会戦を持ってきたのは
>>666 だよ。比較するのに規模は違うがとか、
そういう前振りもなくいきなり損害数だけを書いている君の方が
おかしいよ。
やれやれ。 野戦と攻城戦を混同しているヤツはもうどっか行ってくれって感じだな。 堅固とはいえ急場しのぎの塹壕の攻撃とと 始めから設計思想に基づいて建設された要塞への攻撃では 攻撃側の損害が大きく違うことは明白だと思うんだけど、どうも違うらしい。
>>687 纏めてどっか逝ってくれないか?
ふたばあたりとか
>>676 中ソは、有用な人間資源を散々に殺しまくった無能政府だがね。
乃木将軍指揮下の作戦なら、203高地攻撃もしないで早く旅順が陥落したさ。
死者ももっと少なくて済んだ。
司馬遼みたいな馬鹿海軍の思いつき作戦を大本営に強要されたから死者が増えただけ。
乃木将軍のせいではない。
馬鹿海軍と乃木を愚将扱いする人間は、似たような馬鹿ということで纏めましょうか。
>>689 とにかく司馬遼太郎は
自分が生理的に会わなかった日本陸軍の体質を最も体現していると思った
乃木大将を悪く描くことによって、その嫌な記憶を否定しようとしたんだろう。
旧軍批判という目的の為なら、どんな手段も正当化されるというわけか。 ソースを捏造しようが、小説をノンフィクションの体裁に取り繕おうが。 司馬も、その夫人も、別に悪事を働いているという自覚は無いんだろうね。 でもそれって、司馬が蛇蝎の如く忌み嫌った昭和の参謀連そのものの姿だな。
>>691 その通りだね。
結局、悪口いう奴が、その悪事働いていることが多いということかな。
>>689 馬鹿海軍の思いつきを受け入れた大本営ももちろん馬鹿というのも忘れずに
日露戦争当時の大本営は現地主義が結構強くていい組織だったね。 203高地攻めは大失敗だったが。
大本営は、大本営陸軍部と大本営海軍部があり、相互に独立していて互いに干渉できない。 ミッドウェー、台湾沖航空戦など、大本営発表を虚報の代名詞とした戦果の報告をしたのは大本営海軍部だった。 そして、大本営陸軍部は大本営海軍部の発表に口を挟むことかができなかった。
つまりは旅順艦隊壊滅の報告を信じず203高地攻略を要請した海軍が大馬鹿(w
>>696 その情報がウソかどうかわからんのに どうやって信じるのかね?
>>697 でも本当でしたから!残念!海軍大無能斬り!!
乃木将軍が無能なのは正確な情報を送ったのに有能な海軍に信用されなかったから(w
海軍の失敗は対馬沖ですべて帳消しですから!
乃木の悲劇は海軍に旅順の責任を負わされ、陸軍からは奉天会戦の責任を押し付けられたことに尽きる。
>>698 乃木が203高地を落す前のどの位の時期にウソではないと確信できたの?
乃木がその情報を確信していたにも関わらず203高地に決断したのは愚かだよなw
乃木将軍が無能なのは大本営命令に従ったから(w
>>702 なるほど、日本海軍は確認できないと戦争できないほどの無能なんですね。
旅順艦隊無力化のチャンスは、それこそ何度もあった。 開戦初頭の奇襲。 第一回閉塞作戦。 第二回閉塞作戦。 第三回閉塞作戦。 そして黄海海戦。 これらの好機全てに失敗し、旅順艦隊を長く健在ならしめたのは海軍。 なのに、「四五万の勇士を損ずるも」なんて陸軍に要求する。 ハハ呑気だね。
>>705 黄海海戦ののちは水雷艇を湾内に突入させることすらしてないし。
乃木が無能なら、初瀬・八島を触雷沈没させた海軍ってなんだろう?
昔っから海軍は宣伝が上手かったってことだね。 何と言っても最後のラッキーパンチが効いてる あれでそれまでのミスが帳消しにされてるし、日本人が忘れっぽい国民性 だったのも見逃せない 乃木が大失態(と呼ばれてるもの)を演じた根源理由が海軍にあることをすっかり忘れて 乃木叩きに躍起になったんだから、たいしたもんだよ、ほんとに 何かに罪を擦り付けて自分たちのミスに頬かむりする無責任体制は 実は日露の頃にすでにあったのかもな
>>704 おまいは情報を確認せんと戦争をするつもりか?
ばくち人生だな。人を巻き込むのは辞めてくれ。
709 :
660 :04/12/27 23:27:19 ID:???
>>672 >>アメリカの西海岸にも大規模造船所はたくさんあるぜ。
東海岸の主要な造船所はメア・アイランド海軍工廠、ユニオン造船所、カイザー造船所、シアトル・タコマ造船所位だろうが。
調べりゃわかると思うが米国の主要造船産業は明らかに西海岸に偏っている。
まあスレ違いだからここら辺にしとくが。
>>708 戦争で情報の確証がとれた例はほとんどない。
だから情報 分析 をするのだ。
確証がとれるのがあたりまえなら分析なんかイランだろ(w
>>710 戦争で情報の確証がとれた例はほとんどない
>>704 日本海軍は確認できないと戦争できないほどの無能なんですね。
情報を確認ってのは”確証”ではないよ。言葉を変えるのが好きな人が
いるけどね・・ここには。情報を確認するという日本語を理解していないのね。
太平洋戦争時もハワイ空襲からミッドウェイまでの情報の確認は必ずしていたし
それらは正確だったけどね。後半は確認せずに判断してボロボロになったけど。
>>711 日本軍の情報確認が正確だっただって?
なに読んでそんなこと言ってのかな(w
なんかいつもスレ違いな太平洋戦争の例えを出してかく乱している人がいるね(w
実戦では情報を確認していたら戦機を逃します。そういう戦例は多々あります。
なんかまた煙幕っぽいのが
情報の確認を怠って失敗した例は負けた側ほぼすべてに 当てはまるよ。 というか情報の確認もしないで戦争に勝った例て何?
>>715 日露戦争。
開戦前に、ロシア軍の輸送料が問題になった。
具体的な数は書かないが、とにかく少な目に見積もった報告書が出された。
これを受け取った参謀次長、疑問に思って報告書を作成した参謀を問い詰める。
「これは御前会議の資料になるちゅうことを君は知っておるな。もしこれが
虚偽の数字であれば、天皇陛下を欺くことになる。それでもよいか」
こう問われてその参謀は輸送料の捏造を白状するが、その言葉を聞いた次長
は、その少な目の輸送料見積もりをそのまま参謀総長に提出した。
実際のロシア軍は、日本側の想定すらも越えた裏技で輸送を行う。
でも、なんとか勝っちゃうんだな。
大量の無駄死にの将兵を引き替えにな その数字を当時考えうるかぎりの全ての手段を導入して 「確からしさ」を高める努力もしなかった結果が、戦線で示されたわけだ んでその責をなぜか現場の連中が負う、と 分析の段階でベストを尽くし、それに基づいて用意された兵力自体が及ばなかったのなら それは現場の責任と言えるかもしれない だが 分析の段階で希望的観測を多分に含んだ数字を示し、 それに基づいて用意された兵力が及ばなかったからと言って、 それを現場に転嫁するのは筋違いだ
図書館で「歴史街道」を読んできました。 感想・・・・なし。 あっはっはと笑うしかない。 それと、今年9月のバックナンバーでも日露戦争の特集をやっていたが、 そこに児玉源太郎だっていう写真が出ていたけど、アレ絶対違うと思う。 読んだ人で、あれが誰か判る人いる? なんか、PHPってかなりいい加減だぞ。
海軍艦隊派は、朝日、毎日と仲良かったんで宣伝上手なんだよね。 海軍は陸軍が必死に予算遣り繰りしている横で、余った予算で朝日や毎日の記者と 芸者挙げてのドンチャン騒ぎ。 日米戦争は、元々、海軍の戦争だったのに、真面目な陸軍は芸者遊びも何もせず、 新聞記者に何の旨みも無かったので、戦後全ての責任を押し付けられる。 ちなみに関東大震災で朝鮮人を虐殺したのも毎日、朝日新聞だが、これも戦後、 陸軍に責任転嫁されている。
>>715 今度は情報確認の怠りと確認にかかるリスクを混同しますか(w
何故ここまでして乃木将軍を無能にしたいのだろう?
>>720 確認にかかるリスク?リスクってなに?
>>716-717 でとんちんかんな事を言っているので放っておいたのだが・・・・・
戦争(戦場)に入る前に情報を入手するのは当然でしょ。717の言い分だと
情報を入手するのに大量の無駄死にが必要なんて事を述べたげだが。
輸送量の話も出てましたが、日本軍はロシア側の兵力の見積もり数に
関してはほぼ正確だったのですが?日本側の予想以上の努力を持って
情報を怠ったといいたいの?
参謀本部は平時情報と戦時情報を分けて取り扱っており。明治37年10月
の明石大佐のシベリア鉄道の報告、同年12月の宇都宮中佐の報告は
実際の運行状況に沿ったものであり、正確なものであったのですが?
更に迂回線の完成も4日程度のズレで報告できています。
では開戦前の情報収集により 日本側がシベリア鉄道の運送量を どのように見積もったかというと・・ 一昼夜で7本と見積もっていました。 これは開戦前のロシア側のダイヤが一昼夜7本からでも正確な ものでした。(実際、2月の満州方面の着便は7本前後) 開戦前の状況においてはそれは正確なものでした。 問題はその後の輸送量の増大についてですが、ロシア側の輸送量の 増大を日本側は当然危惧しており、平時情報と戦時情報を区別して 考えており、錯誤は少なかったと判断できます。 9月の宇都宮電でシベリア鉄道の便の増大も把握しており、また、 明石大佐経由の情報もシベリア鉄道の輸送量の増大を把握しており、 平時情報でもって錯誤をするということはありませんでした。 この結果、奉天会戦前においてほぼロシア側の兵力の錯誤も少なく、 会戦に望めたのは幸いといえますね。 これが情報の確認をするということです。それでリスクって何? 716で日露戦争全体の話を戦前の一部の情報のみを持って怠ったと 書いていますが、それは余りにもとんちんかんな答えというか、 情報を理解してないだろ。
715は 戦争 と言っているのに、 奉天会戦 について話す人。 日本語が読めてないんでしょうね。 >717の言い分だと情報を入手するのに大量の無駄死にが必要なんて事を述べたげだが。 これは日本語で書かれた文章の読解力が、有るか無いかという話だろうね。
貴様の実に軍オタらしいアリエフな自意識はウザイだけだが、数字は参考になった。礼を言う
司馬は長岡参謀次長を絶賛する。 しかし、この人は所謂アイデアマンであって、この人の言うことをまともに 受け取るわけにはいかない。 旅順に関する諜報をなせし時、敵が鳩を以てしばしば営口と連絡するの情報 あり。当時大本営にてこの報に接するや、長岡次長は即座に「これは鷹を用 いるに若かずと発議した。 衆大にその機知を賞賛。 しかし、後、宮中の鷹匠にこれを問うに、鷹を得るの難と、その教育の一層 困難なるとは到底咄嗟の間にあわざるものなり、と 赤子を諭すが如く説明せられ。 一同苦笑の下にその考案を中止したことがあった。
>724 お前が一番ウザイ。お礼を言う態度ではない
727 :
724 :04/12/29 13:19:32 ID:???
>>726 貴様が
>>721-22 のカキコをしたのか?
違うだろう。そういう人の尻馬に乗っかった態度を
アリエフであり、実に軍オタだというのだよ
もし書いた本人であったのならば御容赦
ヤツ→ヤシみたいに、 アリエン→アリエフ なのかと思ってたが、
そういう意味だったのか。
上の方
>>199 で、「遼陽会戦の日露両陣営の陣地も要塞と言える」とか、
訳の分からない妄説をアリエフ説と称していたし。
>>727 アリエフアリエフって叫んでるのはお前だけだろ。
そんなに自分のことをそう述べたいのか?尻馬ってお前が
書いたスレはどこだ?お前も尻馬に乗っかっているだけだろ。
>>199 の203高地の頂上の陣地を要塞と述べるなら という言葉を端折って
わけのわからない妄説と述べられてもね。アリエフと呼んでいるのが一人だけ
なんでよく解るよ。
>貴様の実に軍オタらしいアリエフな自意識はウザイだけだが、数字は参考になった。礼を言う
でも↑の言葉はアリエフと叫んでいる香具師の性格をあらわしてるな。ろくでもないな。
おお、盛り上がってると思えば……いい感じに荒れてらっしゃる
732 :
724 :04/12/29 17:40:28 ID:???
>>729 ハイハイ判った判ったw
とりあえず貴様が
>>721 書いたんじゃないっしょ?
俺様は
>>721 に礼言ったわけよ。貴様ごときを相手にしてるつもりはないんだが
おっと、釣られてしまったかな?w
>>730 粘着してくださる貴様もけっこうロクでもないなw
>>730 全文表示すれば、妄言じゃなくなるとでも思っているのかね?
>もし203高地を要塞というならば、遼陽会戦の日露両陣営の陣地も要塞と言える
全く十分に妄言だろ。なんだよこれ。
日露両陣営の陣地の、どこが要塞なんだよ。
>アリエフと呼んでいるのが一人だけなんでよく解るよ。
「名無しがみんな同一人物に見える病気」持ちなんだね。ご愁傷様。
>>733 だから203高地のどこが要塞なんだ?あれは前進陣地だぞ?
なんか根本的に勘違いしているだろ。
>>734 根本的に勘違いしてるのは、そ ち ら 。
だれも、203高地を指して要塞なんて言ってない。
言っているというなら、その該当するスレッドを示しなさい。
ただし、極めて堅固な前進陣地だったわけ。
その強度は、九月の攻撃の時期に既に、十五センチ砲以上でなければダメージ
を与えられないほどだったと言われている。
野戦と攻城戦を混同しているヤツはもうどっか行ってくれって感じ。
737 :
名無し三等兵 :04/12/29 21:23:02 ID:lk+xmQZP
「坂の上の雲の映像化だけはしないでくれ」と司馬が遺言していたそうだが、その真の理由がようやく理解できた。 自分の捏造とウソがバレるから、だったんだな。 最近出た産経の日露戦争本でさえ、乃木の東北正面主攻は満州軍司令部の同意と承認を受けてのものだった、 とか書かれていて、アタマではもう判っている節が見受けられる。 この期に及んでカビが生えた第三軍無能論をまだ繰り返しているPHPのような輩は、確信犯か、不勉強か、 はたまた狂信的な司馬信者かの、いずれかですね。
>>734 203高地は要塞の一部であり、とかって話だったのを勘違いしている悪寒。
「要塞」という名を冠するのに適当な名称は「旅順」。
「二龍山堡塁」「松樹山堡塁」「東鶏巻山北堡塁」だって、旅順要塞の一部だ。
>>738 はははw 203高地が主防御ラインにはいるのですか?
あれは前進陣地ですよ。「二龍山堡塁」「松樹山堡塁」「東鶏巻山北堡塁」という
主防御ラインと一緒にする方がどうかしているよ。
>>735 だから203高地を要塞というならばという前提を入れているでしょ。
それならば遼陽における陣地も要塞と言えるといっているの。
だれも遼陽の陣地が要塞なんていってないさ。それを勘違いというか
わざわざ端折って書く方がどうかしているよ。
20世紀では野戦も攻城戦も基本は同じ。築城技術の向上により
陣地がきわめて強固になっているのはこの板では理解しているはずだが・・
>>736 だから203高地は野戦だって。そういえば203高地を正攻法で攻めていた
正攻法ってのは地下道から爆砕とか、それこそ
>>42-45 で頓珍漢な事を言っていた
香具師もいたな。ああアリエンアリエンってよく言ってたわ・・
>>727 =724
貴様が
>>720 や
>>716-717 書いたんじゃないっしょ?
違うだろ?そういう人の尻馬に乗っかった態度を
アリエフであり実に軍ヲタだというのだよ。
本人だったらご容赦というか・・貴様スゲーヨ
乃木名将論の粘着君って自らさらけ出しているだけじゃん。
それで本人さんだったら確認のリスクって何?
その答えが全然出てこないから多分他人なんだろうけど
尻馬に乗っかって騒いでいる香具師は臭いがきついよ。
>>732 つか書いて5分でレスなんて司馬 捏造 アリエフなんて
貴様一人で書いているんだろうって思われても全然おかしくないな。
742 :
724 :04/12/29 22:40:18 ID:???
>>741 いや何もそんなファビョら゙なくても……w
貴様ってば、イタイね。
俺様のカキコのどの辺が貴様のショボイ自意識に火をつけちゃったのかな?
ともかくスレのほかの人に迷惑そうだし、ここらでお開きにしないか? 謝るからさw
>>742 724 >いや何もそんなファビョら゙なくても……w
は?何をそんなに突き動かすの?嶽原よ?
貴様呼ばわりされる覚えはないってぇの。
→……の打ち込み癖なんとかならない?ローマ字変換が
大半の世の中、……なんて打ち込み辛いのを合えて使うんだから。
結局 724が一人で司馬 捏造 アリエフ と騒いでいるスレになるんだな。 日本史板の嶽原もほぼ一人でほそぼそと書いているが、2ちゃんでやる意味 ないんとちゃうか?それこそホームページでブログ遣ってる方が金に なるはずだが・・
745 :
724 :04/12/29 23:02:07 ID:???
>>743 三点リーダも知らないのか・・・
わざわざこんなの使いにくいんだけどなぁ・・・
それはそうと、貴様もしつこいね。謝ったんだからさっさと勝利宣言してくれよw
>>744 貴様も尻馬に乗っかって祭りするのやめようなw
しかしどうみても乃木将軍には非が無いと思われるのに、 捏造や強弁までしたい無能論者の意図が分からん。 第三軍将兵の遺族なのか?
>>745 ”謝るからさw” が謝ったことになる724の脳内に"( ^-^)/且☆且\(^-^ )"
乃木将軍がいなければ日露戦争で日本勝利のままで終われなかったさね。 とにかく、東北部の攻撃は、陥落寸前にまでいっていたのに、海軍の横槍で 無駄な203高地攻めをやらされてしまった。 近代戦では、巨砲の活躍により攻城戦の方が変幻自在の塹壕野戦より遣りやすくなっている。 乃木幕下での攻撃方法が正しかったのが事実。
>>748 >東北部の攻撃は、陥落寸前にまでいっていたのに、海軍の横槍で
>無駄な203高地攻めをやらされてしまった
同じ内容を何回も繰り返すのはなぜでしょうか?
煙幕なんだろうな。
750 :
724 :04/12/29 23:21:37 ID:???
>>747 気に入らなかったみたいだなぁ。
わざわざファビョりageまでするなんて。
そこまで深く貴様(ボクちゃんといったほうがイイかな?)
の自尊心を傷つけちゃったんだな、俺様は
ごめんよ。今度こそ心から謝るよ。悪かった、許してくれ
>>750 貴様は俺様なんだな。自尊心が成層圏を突き抜けてるな。
謝るからさwが謝ったことになるとか・・そういう自尊心を楽しいのですよ。
そういう人って滅多に見かけないじゃん。
>>752 お前も鬱陶しさでは、似たり寄ったりなんだけど。
気がついてるか?
>>753 おいおい尻馬に載るのかw 鬱陶しい724が嫌う手だぞ!
755 :
724 :04/12/29 23:28:04 ID:???
>>752 そうだな。まあ謝ったってことで手打とうや、な?
うざがられてることだしさ。ここは俺様の負け、貴様ちゃんの勝ちってことでw
乃木将軍のことより、お互いの人物評価の方が激しくなってきたね。 ところで、みんなsageなのに、なんでこのスレ上がっていくの?
724に聞きたいのだが、何ゆえそこまで司馬の捏造に拘るの? 別にここで宣伝するほどのことでないだろ。あれは小説なんだから。 大体、司馬の小説を元に痛々しい奴はこのスレでは見かけないが・・・ あと2連続で書き込む癖もなんとかしような・・
758 :
724 :04/12/29 23:40:21 ID:???
>>757 いや、拘ってないですけど。それから連続で書き込んだところはないと思うんですが……
あったら申し訳ありません。
俺様がそれはよろしくない、って言われてるのは
「礼を言う態度がなっちょらん!」ってことで、
それに対して、「はいはいごめんなさいよ(プ」
みたいな態度取ったらさらに怒らせちゃっただけでw
スレの話題とは全然違うところで噛みつかれてるから、もういいだろ、って思ったんですよ。
だから今度こそホントに謝るからさ、許してくれよマジで。
そかし、724=嶽原が書いているのがバレバレなのに ここまで自演をするのはなんででしょうかね・・・休みにやることないのかね。
結局乃木スレでは乃木大将の評価なんかどっか行き、 無能論者VSその他の不毛な論争となり、 そのうちどっちがどっちか分からなくなるんだなぁ・・・。
>>760 厨をつつくな。
よろこんでまたはしゃぐから。
乃木が無能というよりは周りが無能だったのだよ。
日本型組織に不満があるヤツらがいる限り 乃木大将は無能の代表として扱われる。
>>763 そうだね。海軍が一番乃木の足を引っ張ったからね。
嶽原ってのは、乃木擁護論者の総称か? それとも、書き込む奴がご愁傷様な病気持ちというだけのこと?
>>766 何か、病気持ちが独り言、言っているぜ。
まあ仮にだ、仮に乃木が無能だったとして、だ あれ以外にやりようあったと思う? もちろん乃木のやれる範囲内で 俺は発動自体が失敗だと思ってたからあんまり深く考えてこなかったけど
深く考えもしない奴が名将と思い込むのね。
>>769 名将だなんて思ってないよ。ただあれ以外にやりようがなさそうな気がするなー、と
それこそ深く考えもせずに。
WW1でも似たようなことガンガンやらかしてるしね、大陸軍国の将軍たちが
乃木を愚将と思い込みたい人たちのうち、司馬氏に代表されるような人たちは、 旅順の作戦そのものよりも、あの肉弾戦がその後の陸軍の進路を決定付け、 そしてあの敗戦につながったと思い込んでおり、そちらを罪悪視してるからね。 これはもうある意味信仰と化してるから、いくら議論しても無駄。 一方最近台頭してきた名将論も無理矢理でっち上げた感がありすぎ。 重箱の隅をコチョコチョコチョコチョつついてみっともない限り。 なんかまだ戦前の乃木観の方が健全な気がするよ。
>>771 それが正解だろうね。
虚像が一人歩きした典型例だろう。
何度も指摘されているが陸軍の主流の考えは、国民の名将乃木でなく「無能な乃木」なのだよ。 下っ端の将校だった司馬あたりにもその考えが回っていた。 つまりは、「乃木は軍人として無能、つまり俺たちならもっとうまくやった」 という虚像が1人歩きしたみたいだ。 陸軍将校の司馬の坂の上の雲は、それを前提に書かれている。 司馬の坂の上の雲の乃木侮蔑のトリックは、そこにあると思う。 司馬を含めた陸軍の連中は乃木の功績を理解しないでばかにしていた、しかし、戦争に負けたら陸軍は乃木を名将として崇拝したのがいけないと言い出した。 これが真実ではないかな。
>司馬を含めた陸軍の連中は乃木の功績を理解しないでばかにしていた これは穿ち杉だろ。確かに陸士陸大出の軍人の中には乃木の愚直さを 嘲う輩もいただろうが、たかが予備士官学校で態々そんな教育するはず無い。 司馬氏は戦後の敗因探しで偶々乃木を引き当てただけだろう。 まあ元々余り好きではなかったようだが、しかしやはり機密日露戦史が大きいんじゃないか。 まあ個人的にはあの本からどうやってあんな乃木像を作ったのか理解不能だけどね。
>>774 以下は、俺の想像と言うより電波だが
「世間では・・・・といわれているが、実際は・・・だ」
というのが、初心者や専門的なものを教える時の常套句だよな。
乃木をばかにしていた教官の連中も多用したことであろう。
とくに、明確なテキストが作られている「機密日露戦史」をもつ教官連中が司馬の研修というより、陸軍の将校の教育の時に
「乃木は世間では名将といわれているが・・・」という感じにね。
それが刷り込みになっていたので、司馬の固まっていなかった考えを明確に記した「日露機密戦史」に飛びつき、司馬は論理的な考察が出なくなった。
形のない不安を、明確な形で指摘させると安心する場合があるでしよ。
だが、乃木のとった方法以外で旅順は落ちなかっただろうな。
谷戦史は決して乃木を貶めるようなものではない。 あれを読んであの乃木像を作り上げたんなら完全な誤読だわ。
旅順要塞を短期間にいろいろ海軍から横槍入れられながらも落とし、欧米のマスコミに 日本の美しい武士道をステッセルの処遇で示して日本拠りにした。 当時は有色人種差別意識の強い欧米マスコミを日本拠りにしたことだけでも稀代の名将と 乃木に冠して良い。
>>775 は電波と自認しているからスルーするがよろし。
>>778 短期間じゃないって。数多の要塞攻略戦では長期の部類に入ります。
その短期間って根拠は?セバストポリなんて完全包囲されずに増援があった要塞とか
比較に出すなよ・・。
だから愚将じゃなけりゃ名将という思考がおかしいんだよ。
その、愚将っていう所から思考を始めるって事に疑問を持たない、ってのが(ry
え?東方からの攻撃が失敗したら、西方からの攻撃も完遂してればよかったじゃん。 右往左往の上に結局東方の頑強な所へ攻撃して数回に渡って失敗したら愚将だろ。
>愚将だろ その、愚将っていう所から思考を始めるって事に疑問を持たない、ってのが(ry
あの小説しか読んでない人間なら、疑問の持ちようがないだろ。 世間の人間はほとんどそうだよ。
>>784 乃木は拙劣痴愚だから愚将だろ。なんで疑問をもたなければならないの?
>>780 どのレベルの武器を使ったのかわからないような、年代物の攻城戦とかを比較に出すなよ?
>>785 そうだね。786みたいな意見が大半だろうね。
すでに広まってしまったフィクションを払拭するのは気の長い話だな。
>>788 フィクション?乃木本人が述べた事がフィクションとはこれ如何に。
確かめもせずに拙劣痴愚という言葉をフィクションと言い切るのは
どういう頭の構造をしているか確かめる必要がありますね。
>>789 君めちゃくちゃ頭いいな。君みたいな人が第三軍指揮してたら良かったに。
>>789 君は何でも信用するようだね。
社長が「私みたいな馬鹿には・・・」と謙遜しても
その社長は君の中では馬鹿になるんだな?
>>791 相手がお前はバカだと諭されて、その相手に私はバカでしたと
返事したのが、君にとっては謙遜になるんだな。
拙劣痴愚というのがフィクションと言った
>>788 の動向を見ていくことに
しましょう。フィクションというのは否定していない見たいだし。
>>787 第一次世界大戦で完全包囲された要塞攻略戦で一番長かったのは
どの位?数年?
788だけど、フィクションと言ったのは司馬小説のことだよ。 拙劣痴愚、というような謙遜の言葉を額面通りに受け取るつもりは毛頭ないが。
>>795 相手がお前はバカだと諭されて、その相手に私はバカでしたと
返事したのが、君にとっては謙遜になるんだな。
>>797 それで?旅順要塞攻略戦はどの位?5ヶ月より短いのかい?7月に前進陣地を
攻略しはじめているが・・それを含めると6ヶ月程になるのだが。
>>798 低い評価されたから低い評価で答えたまで。
謙遜でもなんでもない。素直というべきでしょ。
>>799 君は何を必死になっているんだ?
第一次大戦で最も長い籠城戦の名前と期間を聞かれたから、
答えただけなんだけどな。
攻囲戦の終了時というのは、判りやすい。 陥落時、または解放時だからね。 攻囲の開始時というのは、判りにくい。 旅順要塞攻略戦は、六月六日から数えるのが通例だが、これは軍司令部の上陸 した日。 正直、こんなところから数えられてもなあ、と思う。
そうだよ 同年代の篭城戦で一番長いのでも5ヶ月程度なの
旅順要塞攻略での6ヶ月は短期間ってとても言えるものじゃない
のよね。
>>778 の方が短期間って述べているけどなんでそんな事を言うのか
不思議だと思いませんか?
日露戦争のときの旅順要塞と同じように、 第一次大戦で「絶対に陥落させなければならない」 「陥落させなければ敗北する可能性が高くなる」要塞ってあったのかな? なかったと思うよ。 ベルダンみたいに「陥落させれば圧倒的に優位な条件で講和することができる」 要塞はあったけど。
乃木自身は多くの死傷者を出した事を終生悼んでた。 自身の至らざるところもよくわかってた。 謙遜でもなんでもなく本心から思ってた。 まあこういう人の言葉尻を捕まえて無能無能と騒ぎ立てような 品性の人間には、永遠に理解できないだろう。
806 :
802 :04/12/31 13:52:58 ID:???
>>797 (801)
俺は799じゃないよ、念のため。
その攻囲期間の始まりは、どういう事を以て始まりとしたのか、わかりますか。
>>802 嶽原さんお久しぶりです。年末も書き込みで忙しそうですね。
釣りをするのは大変だと思いますが、がんばって書き込んでね。
出ました、中二病w
809 :
802 :04/12/31 14:05:23 ID:???
>>797 (801)
そのページを読むと、こう書いてある。
>ロシア軍は更にこれをとりまくように、塹壕を築いたがオーストリア軍の外>部防衛線を最後まで突破することができなかった。
>1914年11月9日、2回目の包囲が開始された。
>3月22日クスマネックは11万人の将兵とともに降伏した。
これだと、攻囲の開始としたタイミングが何なのかよく判らないんで、
>>806 の質問になったわけなんです。どうなんだろうか。
>>807 ナンデスカアナタ?
>>797 この要塞の指揮官が旅順の指揮官だら、28サンチ砲を打ち出したときに、向こうが出撃して自滅してくれた。
ステッセルの精神はすごい、28サンチ砲を打ち込まれながら出戦をせずに粘り続けるからな。
逆の事例として、沖縄の守備を崩壊させた出撃があるね。
旅順開城百周年キター。
おめでとう旅順陥落!! 日露両国に栄光あれ!!
,j;;;;;j,. ---一、 ` ―--‐、_ l;;;;;; {;;;;;;ゝ T辷iフ i f'辷jァ !i;;;;; ヾ;;;ハ ノ .::!lル;;r゙ 乃木さんは愚将… `ヌ;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;> ,;ぇハ、 、_,.ー-、_',. ,f゙: Y;;f そんなふうに考えていた時期が 〜''ポヽ `二´ r'´:::. `! 俺にもありました
旅順陥落万歳!
児島襄の「誤算の論理」読んでいたら、 米国が「M1小銃」を配備する四年前にはじまった「上海事変は、ドイツ軍の指導と装備による中国軍との戦闘であり 「日露戦争」型の白兵突撃を基本戦術にして対応した日本軍は、文字通りに苦戦した。 だが、それでもこれはという 新兵器 の登場はみられずかわりに実施されたのが、昭和九年二月、勅令26号による軍刀の改正である。 ・・靴と刀の誤算、312ページ。 この一文を読んだら、 上海の日本軍の戦術は、ブルシロフを嚆矢とする、近代的浸透戦術だろ。 苦戦でなく、損害も第一次大戦を基準とするなら許容範囲で、シナ軍を崩壊させた圧勝。 ・・・なんか、児島襄の能力にも?が付きそうだな。
今年は、靖国神社と乃木神社で盛大に日露戦争勝利100周年記念、大々的にやってほしいね。
>>781 そうだな。「凡将」という言葉もあるのだし。
しかしなんであんなにせっついたんだろうな? ある意味病的とすら思える督戦の仕方だし 講和交渉との絡みか?
第一次世界大戦時の日本軍の戦闘とその損害からしてみれば苦戦だろ。 何が言いたいのやら……
>>819 速く主戦場に投入したかったからじゃないかな?
>>820 本国を東西挟撃されてる1910年代のドイツがはるか極東の青島に旅順並の要塞作るわけないだろ。
>>817 靖國神社(遊就館)では「明治天皇と日露大戦争(1957年 新東宝)」を上映していました。
乃木大将の苦悩がよくわかりますた。
二○三高地で有名な旅順要塞のように、コンクリートで固められた近代要塞を 陥落させるのは容易なことではない。その堅固な要塞に無謀とも思える歩兵突 撃を繰り返した乃木将軍を愚将扱いしているような本もよく見かける。 けれども、例えばドイツ軍は、第一次世界大戦初頭にベルギーのリエージュ要 塞に歩兵による夜襲をかけて失敗。痛い目にあってるはずなのに、第二次大戦 で再びソ連のセヴァストポリ要塞に強襲をかけて途中で作戦中止。結局、どち らも時間をかけて巨砲を持ち込み、ようやく陥落させている。旅順戦とほとん ど同じパターンで失敗を繰り返すドイツ軍も、意外とおバカですか? いや、そんなことはない。強襲以外の攻略法は時間がかかりすぎるため、仕方 なく歩兵の突撃か選択されたのだ。 第一次世界大戦でドイツ軍がフランドル地方唯一の高地に築いた強固な陣地を 破壊するためにイギリス軍が始めた坑道作業は、間もなくドイツ軍が対抗坑道 を掘り始めたため、結局一年3か月にもおよぶ熾烈な坑道戦に発展した。 だが、この程度で驚いてはいけない。同じく第一次大戦でフランス北部シャプ ロット北方高地に築かれたドイツ軍陣地を巡る坑道戦の期間は何と三年! ところが、上には上がいる。第一次大戦中にフランス北部のエバルジュ高地に 築かれたドイツ軍陣地は眼下のコンジョー渓谷を見渡すことができた。これを 自軍の補給物資の輸送の邪魔になると感じたフランス軍は、戦争初年の1914年 12月に坑道作業を開始。フランス軍がコンジョーで幅1000メートルの正面に深さ 40メートル、長さ400メートルの坑道を掘り、最後に爆薬で直径60メートル、 深さ30メートルの噴火口を作ってドイツ軍陣地を奪取した時には、すでに三年 十か月が経過していた。時に1918年9月。大戦終結のわずか二か月前であった。 >旅順要塞攻略での6ヶ月は短期間 どう思う?
>>826 「高地などの有利な地点にいる敵陣地」じゃなくて、
「人為的に作られた要塞」の話をしたいのではないかと。
攻囲戦と坑道戦の区別くらいつけてから語ろうな。
>>827 「高地などの有利な地点にいる敵陣地」であってもこれくらい大変。
「要塞」であればもっと大変。
>>828 君自身が、その区別できてないでしょ?どう区別しろってのか、書いてみ?
>>829 攻囲戦ってのは要塞側は補充や補給を期待できない。
つまり補給戦の繋がってる戦場と比較しても意味がない。
坑道戦ってのはもっと下位レベルの戦い方法をあらわす言葉。
攻囲戦の比較で防御側が補充の利く坑道戦を持ってきてもナ・・
まさかそんな事もわからないで書いてたんだろうな。
>>830 >攻囲戦ってのは要塞側は補充や補給を期待できない
>セバストポリなんて完全包囲されずに増援があった
>>780 830の見解では、セバストポリでは攻囲戦は行われていないわけですかそうですか。
とっても面白い意見だけど、あまり広言しないことを勧める。←手遅れか
>>831 何をいってるのだか
君は旅順攻囲戦の比較として、互いに補充ができ長期化した坑道戦を出してきたんだろ?
さらに攻囲戦と坑道戦を理解していないんだろうって、他人は生暖かく見守ってるよ。
どんなに言い訳しても
>>826 での場違いな比較は論外だな。
やっぱり手遅れだったか
>>826 では、冒頭に近代要塞を攻略する例として第一次、また第二次大戦での
ドイツ軍が行った攻略戦についてそれぞれ例を挙げている。そして、
>強襲以外の攻略法は時間がかかりすぎるため、仕方なく歩兵の突撃か選択されたのだ。
として、乃木愚将論のおかしさを示しているわけだ。
そして続く部分で、ドイツ軍のように要塞を破壊しうる巨砲の導入が出来なか
った日露戦争での日本軍が採用した正攻法が、いかに時間のかかるものかを示
しているわけ。
前段後段の流れを読めない奴が、攻囲戦と坑道戦の区別だとかなんとか、妙な
粘着をして場を乱すのは見るに耐えない。
旅順という補給線の繋がらなかった戦いの比較として 補給線のつながった戦場の例を持ち出してもな。 補給線がつながっているから長期戦になるのは当たり前なんで。 そういうのが比較になるなんて頑張られてもな。 ドイツ軍は意外とおばかなんですか?って言われてもな。大戦後半の ルーデンドルフの浸透戦術を知らなさそうな事を言われてもな。 別にフーンって感じ。粘着?自分の事をわかってるじゃん。
旅順は陥落したことを、乃木将軍を愚将扱いしている人間は知らないのだろうね。 そして、陥落したのは、二○三高地方面からでなく、当初から乃木軍が攻めていた 東北部からの攻略であった。 つまり、二○三高地攻めを海軍のつまらぬ強要でやったばかりに、その分、戦死者 が増え、旅順攻略が遅れただけ。 海軍はその後、朝日や毎日新聞とつるんで、下らぬ世論を煽り、日本を暗くしていった。 東郷元帥、山本元帥や亡くなられた英霊の方々は立派であったが。
辻正信も作戦の神様って言われてたな。
海軍や大本営の口出しが邪魔でしかなく余計な犠牲を強いた、というのには同意するけど。 でも仮に、攻囲開始前に旅順艦隊を撃滅できていたとしても、第1回総攻撃はやはり強襲法が選択されて たんじゃないかという気はしますね。「一刻も早く旅順を落とし、北方決戦に加われ」という陸軍としての 大方針には変化がないわけだし。
第一回の強襲法は、やむを得ないというか当然の選択ではないかな。 それ以外は有り得なかっただろう。 司馬が小説の中で「作戦の中枢」と褒め称える大本営の長岡参謀次長 は西方から奇襲せよ、と言っていたが、これは論外。 さて、その後の第二回以後は正攻法を採用して攻撃築城作業を開始し ているわけだが、反対者多数の会議を経てこれを決断した軍司令官は、 やはり有能と言うべきだろう。
>>835 >ルーデンドルフ
826に書いてある戦例↓に、誰が参加しているの?
>>826 >第一次世界大戦初頭にベルギーのリエージュ要塞に歩兵による夜襲をかけて失敗
こっちがフーンってなモンだよ。だいたい、突然ルーデンドルフって何だよ。
君は、「〜〜を知らなそう」だとか「〜〜を理解してない」だとか、印象操作
でいっぱいいっぱいなんだね。
>>826 は桑原氏の文を書き写したもの。
>コンジョー渓谷
オモロイ名前だ。
明治三十七年十一月五日発刊の香港「デーリー、プレス」所載 「南阿戦争に於て所謂三大攻囲戦争と称するものはマフェキングの二百十六日 キムバーレーの百二十三日レデミスミの百八日なり」
乃木神社で、初詣しながら乃木将軍に感謝の気持ちで頭を下げてきた。
203高地を攻めなかった場合、こうなっただろうか。 1・高地攻防戦による「ロシア側の兵力、砲弾薬の消耗」は生じないことに なる。もちろん、日本側もそうなる。 2・東北面主要三堡塁に対する攻撃築城作業に悪い影響はなかっただろう。 もしかしたら、必要人員や資材の融通、掩護射撃がもっと有利に行え、より 捗ったかも知れない。 3・二○三高地の占領は、日本側には素晴らしいカンフル剤になったと思う が、それが得られない事になる。逆にロシア側は、要地失陥による士気低下 が回避できる。コンドラチェンコ少将の戦死によって結局は低下したかも知 れないが(少将の戦死場所は東北面なので、史実通りに生じたと考えた)。 さて、この結果どうなるか?だが。 史実では東北面主要三堡塁の全ては攻撃開始日の内に陥落した。「ロシア側 の兵力、砲弾薬の消耗」が生じなかった分だけ、これらの陥落に少し手こず ったかも知れない。しかしながら、大量の爆薬による大爆破によって大勢が 決したのは変わらないだろう。 ステッセルは二○三高地が陥落しても降伏しなかったが、東北面の主要堡塁、 また望台が失陥する事態になるに及んで降伏した。 これらから考えると、二○三高地争奪戦に費やされた人員、資材、砲弾薬を 東北面の攻撃築城作業に注ぎ込められた分だけ、旅順全体の陥落は早まり、 また人員の損害も高地争奪戦が無かった分は少なくて済んだかも知れない。
>>844 港外で水遊びをしているだけの海軍にやいのやいのと言われることはなくなるんだから、
司令部も現場の将兵も精神衛生面での負担はかなり軽減されたのでは?
>>844 う〜ん。
基本的には賛成だけど、損害が少なくて済んだか?というとちょっと疑問ですね。
史実で望台陥落が即守備隊降伏につながったのは、最重要地を失陥したからというよりも、
203高地攻防戦の結果、逆襲戦力が尽きていたからだと思う。
となると、もし203高地の戦いがなかったら、ロシア側も望台方面へ次から次へと奪還部隊を繰り出し、
結局は史実と大差ない消耗戦になったのではなかろうか?
……ここまで書いてから気付いたが、どうせ決戦を挑むなら、日本側にとっては203高地の方が
望台よりも有利ではなかったろうか?望台は要塞線の内部だが、203高地は外側。史実でも露軍の逆襲部隊は、
要塞から出撃して203高地に辿り着くまでの間に多くが日本側の砲火で斃されている。
つまり、日露両軍にとり条件は同じになる。
となると矢張り、あのタイミングで攻撃目標を転換したのが絶妙だったということになるのか……うーん。
847 :
844 :05/01/06 20:01:02 ID:???
>>845 多分、海軍は二○三高地を攻めろ、とずっと言い続けると思うんですよ。
なので、軍司令部のストレスはむしろ増す、と思ってました。
が、しかし改めて考えてみると、多大な死傷者発生というこれ以上ない
ストレスからは解放されるわけで、うーん? どうなんでしょう。
848 :
844 :05/01/06 20:08:41 ID:???
>>846 そうなんですよ。
二○三高地争奪戦がない場合、東北面主要三堡塁争奪戦時のロシア軍戦力は
かなり温存されているはずなのです。ここをどう考えるべきか?ということ
ですね。
東北面の主要堡塁らは、支那旧囲壁など格好の増援部隊交通路があります
から、このあたりはロシア側にとってかなり有利な条件となるでしょうし。
一応、堡塁下に坑道を掘り進めての大爆破で大勢は決すのでは?と思いまし
て、844みたいに書きました。
>>848 最も困る「弾切れ」という事態を
どうやって解決していくのか、これが最大の難問ですな。
相変わらずバルチック艦隊到着前までに〜ということを大前提にすると。
>>844 とりあえずだな11月末の第3回総攻撃の初期はどこに指向していたか、
そして失敗したかを理解することを望む。妄想はいい加減にしたら?
203高地を攻めなかったら、乃木が第9師団の一部を陣頭指揮で率いて あぼーん。児玉か誰かが第3軍司令官になってたかもな。
852 :
844 :05/01/06 22:22:57 ID:???
>>849 坑道作業の掩護射撃という程度にして、節約しなくてはならなかったかも
知れません。東北面についても、結局は「鉄血の量に係る」という事ですか。
>>850 >妄想
>>851 >あぼーん
ごめんあっち行っててね。
>>844 おいおいw 脳内妄想は其の位にしておけって。
第3回総攻撃は東北正面を攻撃して失敗したんだよ。
それ位は理解しているよな。
203高地を攻めなかった場合 1.高地攻防戦による「ロシア側の兵力、砲弾薬の消耗」は生じないことに なる。日本側は第2回、第3回総攻撃と同じく砲弾薬、兵力を消耗する。 2.東北面主要三堡塁に対する攻撃築城作業に悪い影響がある。ロシア側の 逆襲により攻撃築城作業(10月時の妨害等のような)が妨害される。 3.二○三高地の占領は、日本側には艦隊の壊滅の確認をし、制海権を 奪取でき、素晴らしいカンフル剤になったと思う。 しかし、それが得られない事になると制海権は脅かされ極めて不具合が多い。 ロシア側は、要地失陥による士気低下が回避でき、かなりロシアに有利になる。 コンドラチェンコが死ぬ前に乃木が連隊を率いて死ぬね。 実際には、そういう方針を出してたが拒否されている。しかし、203高地を攻めない という条件だと部下の抑止もできず暴走する可能性は大きい。 という結論の方が確率は高いな。
>>853 第三回攻撃ってまさか白襷隊だけって考えてないよね?
その直後に二〇三高地があってまた東北正面に戻って・・・
ってな感じなんだが。
>>855 白襷隊の前にどこに攻撃していたかご存知?
東北部三保塁の攻撃は、相手が動かない要塞の為、日本の重砲でかなり、内部が 破壊されていた。 もし、ロシアが東北部増援の兵を用意しても密集体系になり、むしろ日本軍の砲弾の餌にしかならなかった。 つまり、東北部で守る、ロシア兵の消耗度の方が203高地より高かったし、三度にわたった日本軍の攻撃は 初回こそ、万の死者を出したが、二次三次となるにつれ激減していた。 坑道戦術と、拠点集中砲撃は広く展開し行動の自由もあった日本軍に有利だった。 どっちにしても、203高地占領くらいには、203高地攻めさえしなければ旅順は落ちていたということだ。 兵の士気は東北部で十分に高かったのに203高地でかなり低くなったのも史実。 海軍の横槍にはあきれ返るわ。
>>857 >相手が動かない要塞の為、日本の重砲でかなり、内部が
>破壊されていた。
破壊されていたか?重砲で破壊されないから28サンチ砲を持ってきたし、
さらに10月の第2回総攻撃の時では28サンチ砲がベトンでの陣地に
対してはあまり効果がなかったという結論だったはずだが・・・
>もし、ロシアが東北部増援の兵を用意しても密集体系になり、
>むしろ日本軍の砲弾の餌にしかならなかった。
仮定しながら過去の断定ですか?不思議な語ですね。
史実では増援兵力は餌になっていなかったのですが・・・
>初回こそ、万の死者を出したが、二次三次となるにつれ激減していた。
それは攻撃をした期間が短かったためですよ。第一回総攻撃のように
長期に渡れば損害、損耗も多くなります。第一回総攻撃の結果の予兆が
見えたために即座に攻撃を中止しただけです。
東北部担当の師団の死亡者数は西部の師団の比じゃないよ。
士気が高かったなんて根拠は?
>>851 とりあえず、その乃木自らが隊を率いて…という話が、いつ出てきた話なのか
確認してみて下さい。二○三高地攻撃が始まった後でしょ。
今の話は、二○三高地を攻めなかった場合、という話なのね。お判り?
>それ位は理解しているよな またお定まりの印象操作ですか。もう飽きたよ。
しかしながらあいかわらず愚将論者はソース捏造に印象操作ばかりしているのか・・・
>>854 1について
高地攻防戦による「ロシア側の兵力、砲弾薬の消耗」は生じません。
それと同様に、「日本側の兵力、砲弾薬の消耗」も生じません。
第三回総攻撃の東北面に消費した「兵力、砲弾薬の消耗」は生じます。
日本側にも、そして当然ロシア側にも。
2について
高地攻防戦がないために、東北面の攻撃築城作業は、より強固に掩護
されるでしょう。悪い影響にはならないでしょう。
3については、そんな感じだと思います。士気って、結構大事だと思う
んですよ。
おまけについて
乃木が連隊を率いてどうこうってのは、二○三高地攻防戦の最中でしょ。
つまり、この想定「二○三高地攻防戦がなかったら」には当てはまりま
せん。
愚将論者は、別宮の本を立ち読みして来るべき(買えとまでは言わない)。 圧力のせいか知らんが、おいてない店が圧倒的に多いけど。 個人的だが、逆撃で直しつつあった柘植をphpの「旅順」で完全に見切ることになった。 あれは、しどい。
>>863 俺もなんとなく乃木将軍を愚将だと思っていたが、
このスレをみてよくよく考えた結果、評価が変わったよ(別宮の本は読んでいない)
それだけ司馬や映画の影響が強いということだろう。
古くは、福岡徹の「軍神」。今では、柘植久慶の「旅順」。 いずれも論外。両筆者とも愚将論者。ヤレヤレ。
866 :
846 :05/01/07 00:18:53 ID:???
>>858 >破壊されていたか?重砲で破壊されないから28サンチ砲を持ってきたし、
>さらに10月の第2回総攻撃の時では28サンチ砲がベトンでの陣地に
>対してはあまり効果がなかったという結論だったはずだが・・・
別宮本読めって。28榴がロシア軍に対して有効だった理由がきちんと説明されてるだろうが。
偉そうな物言いをするわりに、基礎資料すらちゃんと読んでないんだな。いつもいつも。
>>857 >もし、ロシアが東北部増援の兵を用意しても密集体系になり、むしろ日本軍の砲弾の餌にしかならなかった。
>つまり、東北部で守る、ロシア兵の消耗度の方が203高地より高かったし
う〜ん、そうなんですかね?まあ、どっちとも言えそうだけど……。
867 :
844 :05/01/07 00:50:21 ID:???
ロシア側の増援兵は二○三高地と東北面諸堡塁とどちらが安全だったか?とい
う話なら、私としては東北面の方が安全に前線に到達できたと思います。支那
旧囲壁の存在がかなり大きいと思うので。
>>846 の後半に書かれていることですが、決戦、というか消耗戦を仕掛ける場
所としては、二○三高地は最適地だったろうと思います。
二○三高地争奪戦が行われ、日露共に大消耗が行われた事は、以後の要塞の耐
久力を著しく下げたと思います。この点、846に同意するところが多いです。
>>865 悪質なのは、海外資料をあたって自分の結論でなく、司馬に追従した形でやっているところだな。
柘植の悪質な部分は、シナ人の旅順要塞の記念館にインタビューして乃木は無能という補足材料しているとこだな。
柘植の「名将たちの決断」を昔読んで、面白かったと思っていたが、後にブルシロフの存在を知り、よみかえしブルシロフの一文字ものっていないので唖然とした。
そういえは、三島瑞穂が出てきてから特殊部隊関連は書かなくなったな。
>柘植 所詮は小説なんで、内容にどうこういうのも虚しいんだけどさ。 でも、せめて巻末の参考文献くらいちゃんと書こうよ、って感じ。 日露戦争 全15巻 参謀本部編纂 って何ですかー。こんなん実在しないんだけど。 実は、徳間書店の日露戦争上下に、原典を斯様に紹介しているんだな。 多分、これを鵜呑みにしてそのまま転記しちゃったんだろう。 正しくは、 明治三十七八年日露戦史 全10巻 参謀本部編纂 (通称、公刊日露戦史。巻毎に付図がある) 実物に一度でも目を通していたら、こんな無様な間違いはしないだろう。
そういや海軍、日露戦争のすぐ直前まで出師準備してないんだよな 陸軍参謀本部と軍令部の同格並立を要求しての政治的恫喝、だったかな アレに成功したからイケイケどんどんな感じで陸軍の前線司令部にもゴリ押しとおしたのかなぁ?
海老沢会長辞任ですよ。こりゃ、「スペシャル大河」もボシャりそうですね。
>>859 公刊戦史ではこういう趣旨が書かれている。
203高地(ニレイサン)の攻略により、旅順艦隊に壊滅的打撃を与えられるようになった
今日では多大の犠牲を払って正面防御線に強襲をかける必要はなくなっていた。
逆にいえば203高地を攻略しなかった場合 東北正面には強襲をかけ続けなければ
ならないという趣旨になるな。
まぁ、アノ状態だったら攻略はできないから軍司令官自ら陣頭指揮でアボーンは確実。
d( ̄  ̄) オワカリ?
>>862 高地攻防戦ってさ。 望台の高地攻防戦が行われるわけだが?
それでロシア側と日本側の消耗度のどちらが酷いかといえば第2回、
第3回で安易に想像できますよ。
ロシア側にしてみれば、予備戦力を策源地から近い東北部に集中できる
メリットの方が大きい。おまけって乃木は師団の攻撃が失敗してたら陣頭指揮を
して攻略するつもりだったのは間違いないよ。
>>872 話のすり替え。
乃木が連隊を率いて云々、という話はいったいいつの話なんだい?って事。
> 間違いない こんな断言するのは、まずデンパの資格十分ですな。
>>872 第三回の攻撃の時にすでに結構な坑道が掘られている段階のはず。
そこまでやっていて、強襲なんてしないでしょ。
二○三高地を攻撃しなかった場合問題となるのは、海軍ならびに
大本営からの突き上げをいかに我慢できるかどうか、という所か。
満州軍総司令部は第三軍の方針に賛同、認可しているわけだが。
>>876 第一次総攻撃の挫折のあとは単なる強襲でなく、塹壕を近接させるなど戦術に転換したのでは(この戦術転換がレーニンにもたたえられている)。
>>863 別宮本?有能でないって書いてある本だね。いい加減な本じゃん。
まぁ中央乃木会の人もいい加減ですが。
>>866 =846
第2回総攻撃後の満州軍への報告で「4堡塁共・・ベトン体及び側防機関等に
対しては殆ど指摘すべき損害なし」と報告しています。
有効弾という認識は砲撃の最中の妄想でしかありません。
それで別宮本はその辺りの当時の日本軍の現況判断を書かないで、
あと知恵で判断しているにすぎませんって。
基礎資料ってまさか、別宮本? 笑えますな。
>>876 第三回の攻撃の時にすでに結構な坑道が掘られている段階のはず。
そこまでやって史実では東北正面に強襲をかけていますが?
名将論者は現実逃避するのが好きなんですね。
>>874 話をすり替え?コンドラチェンコが東北部で死んでいるって話が
いつのまにかなくなっているけど・・そんな日本側に都合良く話を
持っていく段階でデンパ確定だって。
まぁ攻囲戦の比較で坑道戦を出すくらいの人達だからなぁ。
なんか話が食い違っていると思うんだけど。 ここでは今、爾霊山攻略戦が行われなかったら?という話をしているんでしょ。 そこに、それが適当だったかどうか、みたいな話が混じっている気がする。 そういう話をしたかったら、どこか別のところでやればいいじゃん。
さて乃木将軍はほうっておいて、人格攻撃開始です(w
>>878 > 有能でないって書いてある本
「普通、勝利した将軍が有能と見なされる」とあるが?
君の読解力がいい加減なだけだと思う。
>>880 なんかもう、君は意味不明だ。
都合良くもなにも、そうなってんだから仕方ないじゃん。
日本側に不利だって話にしようってんなら、コンドラチェンコ生かしたままに
しとこうか?
おまけに、203高地なんて厄介な代物はなかったことにしよう。
もひとつおまけだ、要塞はフォークとコンドラチェンコの尽力によって完璧に
整備されていたことにしちゃおう。
これで満足か?
203高地、望台一帯を攻略できなければ、艦隊の壊滅的打撃を与える事ができないので 203高地攻防戦がなければ、結局望台近辺にて決戦が行われることになる。 それは強襲という形にならざるを得ない。それが当時の日本軍の考え方だったから。 そして、第1回、第2回、第3回の繰り返しに終わるだろ。
>>883 P198に名将ではないと書いてあるよ。
だからいい加減な本だと述べたまで。
さぁ 名将ではない=愚将 論が再登場です!
>>884 だから、都合良く展開させる妄想はヤメテオケって書いただろ。
実際 乃木は2個大隊を陣頭指揮して突撃するつもりだったんだから
仕方ないじゃん。
第3回総攻撃という東北正面への強襲は失敗に終わった。
これは紛れもない事実です。
>>886 それって、白襷隊は食料などを持って行ってない、それが問題だっていう所
でしょ?
でも、実際は白襷隊は食料を持って行っている。別宮氏の間違いだ。
結論のところで、別宮氏は「乃木は無能ではなかった」としているし、本の
全体としては有能としていると思う。
>>887 お前は馬鹿かい?
基礎資料の別宮本は一方で有能と書いておきながら、
乃木は必ずしも名将ではないと書いてあるの。
こんないい加減な本はないだろ?
そう述べているのに有能としか認識できないのは
まったく馬鹿としか言い様がない。
というか、乃木が第9師団の一部を率いてって所を即座に 突っ込むところとかw 白襷隊の件なんて嶽原しかわからないと 思うがナ・・ まぁ名将論者は日本軍が一日24時間行動すると言い切ったからなァ・・ 攻囲戦の比較として坑道戦を出したり、贔屓目に印象操作 しているな。
>>888 だから、それは二○三高地攻撃の時なんでしょ。
都合良く展開、この場合時系列か、を妄想をするのはやめてね。
>>891 旅順関連の過去スレの話題になっていたが?>白襷隊
このスレの原点は、乃木は旅順という戦場で勝利したにもかかわらず、無能というレッテルを貼られているところだろ。
>>892 ヲイヲイ
君が言う203高地を攻撃しなかったら東北正面に対して指向する時期は
11月末だろ。必ず観測地点を奪取せよという要望が出てるんだぞ・・
11月末の時点だぞ?乃木が陣頭指揮を取ろうとしたのは。
それとも日本軍はコンドラチェンコが死んだ半月間も待っているのか?
レーニンは、乃木を優れた将軍とみなしているようだ。 イアンハミルトンの評価も、かなり高いといっていいだろう。
その白襷隊の過去スレって、どれ?まだ待ち?
>>894 そうだな。ガダル砲撃で勝利した栗田やマレー、シンガポールで勝利した辻ぃん
と牟田口も無能というレッテルを貼られているな。
勝利したが無能って張られるのがそんなにおかしいか?
>>897 イアンハルミトンの評価なんて当てにならないって。
ガリポリという最悪の戦場を演出した現場責任者だからな。
>>894 別宮氏も、言いたいところはそこらへんでしょう。
乃木を無能とする評価は正しくない、と。
当時の外国人の評価は、優れた将軍というものもあったとも言っている。
こういう全体の論旨をつかめるかどうか、とは読者側の問題。
>>900 栗田が無能とされるのは、ガダル関連の事でですか?
辻、牟田口が無能とされるのは、マレー、シンガポール関連の事ですか?
君の書き方、というかその意図に問題があるんだよ。
東北部のベトンの要塞に篭るロシア兵は28サンチ砲が至近弾で落ちるたびに 大被害を出した。 日本の砲は有効射程で正確な射撃が出来たが、ロシア軍は大砲があらかたやられ、 残った機関銃で抵抗していただけ。 東北部では前線の日本軍歩兵の隠れ場所もけっこうあった。 ところが、西部では平坦な土地の為、日本兵が機関銃で必要以上に亡くなる結果になった。 東北部から旅順を陥落させた時も、まだ数万のロシア兵がいたわけだから、兵の補給を欠か さなければ、もっと戦えたはずだが、兵の補給自体が、西部と違って困難だったということだ。 坑道攻撃と、拠点集中攻撃は鶴翼の陣の日本軍の方が圧倒的に有利だったわけだ。 別に、西部の消耗戦で、東北部に与えた影響は無かった。 乃木将軍幕下の方針が一番、有効だっただろうね。
>>901 イアンハミルトンは、「戦争を描写することのできる偉大な文筆家」と
チャーチルが褒めており、英陸軍のなかで眼識鋭い人物ということだ。
あなたの評価よりはあてになりそうだ。
>>903 乃木がそれまで名将たる行動を行ってきたか?
仮病を使って休職したりするような人は最悪だよ。
旅順攻略に際しても第3軍の編成を変える直前までいってたのにさ。
(其の時は児玉も責任を負う形になったろうが・・・)
栗田はその他バタビア沖海戦の時も勝利したけどね。評価は最悪になってる。
950を踏んだ人は次スレよろ
>>905 チャーチルもガリポリは連帯責任なんだわ。自分の責任が被ってる
場合、言葉も弱くなるわな。そういう事を知らずに騙るのも痛いよ。
>>906 既出だが、日清戦争で活躍しているのだが。感状かなんかもらってないか?
日露戦争の前の評価は、「野戦の得意な将軍」。
イアンハミルトンを評価しているのがチャーチルだけって事でもあるまいに。
とりあえず、イアンハミルトンの評価は参考になるでしょ。少なくとも、
>>908 よりは。
>>904 東鶏冠山近辺には11月末1500名を超えるロシア兵が居ましたが、
12月半ばには半分になっています。これが影響が無かったと言い切るのは
どんな根拠があるのでしょうか?
>>910 文豪=名将じゃないだろ。
少なくともイアンハミルトンはガリポリで評価は最悪になってます。
つか、ガリポリ位は検索して調べて置けよな。そしたらチャーチルが
なぜ彼を擁護したかわかる。
>>912 だとさ。↑
柘植の「世界の会戦 こうすれば勝てた」では、たしかに低い評価だが。
>>906 栗田の場合は、すべてで共通する逃げ癖で批判されている。
レイテは決定的だったけどね。
>>914 最近は、柘植の評価も下落中だけどな。
双方の論者も「旅順」を立ち読みしてみなはなれ(100円で買ったが後悔しているので、買えとはいえないので)。
916 :
914 :05/01/07 23:51:09 ID:???
>>915 定価で買っちゃったんで、大後悔もんです。
>>913-914 あのな、ガリポリの戦いの経緯位を調べてきてから
発言しような。あの戦いは英仏側の斥候部隊が重要地点を先に奪取できた
にも関わらず、ハミルトンの指示によりひとまず退却したため、
泥沼に陥ったの。
なんだかな。WW1のページと別宮本を基礎資料としている人が
名将、名将っと叫んでるな・・・下げながら・・
> 文豪=名将じゃないだろ 誰もそんなこと言ってませんが何か。 君よりかは、ハミルトン将軍の評価を参考にするってのは変わらないな。 それくらい個人の自由だろ?
>>915 柘植はどうでもいい・・まぁ軍閥興亡を参考にしているのか、
伊地知を有能と書いているけどね・・観点は面白いかも
知れないけどそれだけ。
一応持ってますよ。柘植の本。兵頭28もちょっと持っているが、
あれも眉唾が多いからな。気をつけないと。
ざっと見たが、名将、名将と叫んでるなんてレスはどこにも無いぞ。
>>917 の妄想だよ。
>>920 そうだな。愚将、愚将が今回のキーワードだ。
司馬、愚将、捏造あたりな。それで君は名将論者か?
嶽原さんもよくやるよね。
917の妄想ですた
>>922 最近は名前を出さないけど日本史板の乃木スレでは
神出鬼没振りを見せてくれた。何時寝てるのだろうね。
ここには名将論者は居ないことが判明した。 結論。最初から203高地で決戦できなかった乃木は愚将。
普段
927 :
866 :05/01/08 00:07:18 ID:???
>>878 やっぱり読んでねーのか。まったく話にならんな。少なくともおまいさんみたいな傲岸不遜・厚顔無知の輩よりは、
別宮氏や桑原氏の方を信じるよ、俺は。
つーかこの
>>878 =乃木無能論者=四万太郎=ななしのごんべ ってことのようだが。
なんだってそこまで乃木さんを貶したがるのか、その動機がさっぱり判らんね。
隊長ぉ〜
>>925 おいおい。話がぜんぜん繋がってないぞ。
乃木が愚将か名将かはともかく、お前の頭が気の毒だ。
>>927 俺もこのスレで盲を開かせてもらった。
巷の愚将イメージはそうとうに強い。
>>917 > ハミルトンの指示によりひとまず退却した
そうなんだ?
別宮さんのページや柘植さんの本には、そういう説明はなかったけどね。
932 :
866 :05/01/08 00:35:05 ID:???
>>904 う〜ん。要するに、ベトンの堡塁に篭っているロシア側は、砲撃・爆破を喰らうと大きな損害を出しやすい(密集しているから)。
いっぽう、突撃坑道に拠っている日本軍は、砲撃による損害を比較的受けにくい(散開してるから)。
これが東北部攻撃の得失。
他方、西部正面(203高地方面)では永久堡塁が無く、ロシア側も相対的に散開してくるので、両軍の条件がより対等に近くなる
(日本軍にとって不利になる)。
……っつーことですかね?
>>925 別宮暖朗浅野竜二対談(ゲームジャーナル10)
朝「そうすると、第一次総攻撃で二○三高地を攻撃していたら簡単に落ちてい
たなんてのはナンセンスな話ですね」
君とお二人と、どっちを信じるかって言われたら、悪いけど君は選ばない。
無能論引っ張るには、何もかも足りなかった ということだな。
司馬の著作を出して補足する奴は、流石にいないな。
>>866 =846
>>846 >ここまで書いてから気付いたが、どうせ決戦を挑むなら、
>日本側にとっては203高地の方が望台よりも有利ではなかったろうか
ここでこういう事を書いておきながら、最初から二百三高地に指向しな
かったのは正しかったと述べるのか・・・・
とうとう自分の意見も理解できてないようになったな。
ここは
>>843 で乃木神社で、初詣しながら乃木将軍に感謝の気持ちで頭を下げてきた。
という輩が声を大にして沢山書き込むスレだからな。
>>918 文豪だろ
901で現場責任者と述べたら、
>>905 で
イアンハミルトンは、「戦争を描写することのできる偉大な文筆家」と
チャーチルが褒めており、英陸軍のなかで眼識鋭い人物ということだ
とレスして
>>918 では誰もそんなこと言ってませんが何か。
となるわけだ。頭がおかしい人が一人と乃木神社に初詣する香具師が
一人・・日本史板の乃木スレで本のコピペをしたから
訴えられそうになってるが・・
>>932 頭良いね。要約すれば、そんなところかな。
ちなみに、俺が乃木神社に参拝して感謝した人間だが、大してレスしていないぜ。
頭の良い人間が多いってことさ。
>>938 あれを違法なコピーだというレスがあったね。
でも理由を書いていないという、意味不明ないいがかりめいたものだった。
問い合わせをするとか言っていたが、やるやるといってやったためしなし。
せいぜいそんなとこだろう。
>>938 いずれ、こいつが問題おこすだろ。
どんな顔か楽しみだ。
942 :
866 :05/01/08 23:28:15 ID:???
>>937 物事を「0か100か」でしか考えられん単純脳だと、そういう思考しか出来なくなるんだな。
まあ俺は、自分がおまいさんみたいな人格に育たずにすんだことを神に感謝するよ。四万太郎さん。
乃木愚将論ってのは宗教だからね。 ダーウィンを否定するアメリカのキリスト教右派みたいなもんだよ。
乃木が名将なら、牟田口も仲間に入れてやれ
>>917 > ハミルトンの指示によりひとまず退却した
ソースキボン。
>>942 思いこみの激しい人ですねw
>>866 で別宮本の後知恵をさも、当時からわかったように書く方がどうかしてるよ。
インド洋の津波被害と同様に、あとからジワジワとわかるものさ。
二百三高地で決戦をすれば消耗戦になる・・ってことも結局は二百三高地
以外での決戦は日本側にとって不利であったと判断
乃木名将論の方が宗教だろ。乃木神社は宗教団体じゃないと
思ってるのか?
>>940 無知って最強だね。何でもできそうな気がするよ。
傍から見たら名将論も愚将論もどっちも立派に宗教だよ。
>>947 根拠もなしに他人を犯罪者呼ばわりしたのか。全く厨は人騒がせだな。
確かに、厨なら何でも出来そうな気がする。 他人を根拠無く犯罪者呼ばわりとか。
>>940 と949は著作権というのを知らないらしい。
>>946 いつまで、バカ言ってんのかね?
二○三高地の消耗戦より、東北部からしっかり攻めた方がその分早く落ちたんだ。
お前は海軍の回し者か!?
>>951 それで君の妄想だと何日に落ちるんだ?其の位は想定しているんだろ。
950は、著作権という言葉は知っているがその内容を知らないってことか。 知っているのなら、どういう問題があるのか言ってみなさい。 答えられないなら、あんたは根拠無しに他人を犯罪者扱いする大馬鹿者。
>>953 根拠も出てこないようですし、貴方自身、問題ないと感じてたらそれで
いいのでは?
スレ立て乙。 著作権云々は元々の場所でやるべき話。残り少ないレスは大切に。 というか、見境無く他人を犯罪者扱いするようなバカはほっとけ。 そいつ、よく見たら早朝の人じゃんか。なんでもアリの奴だよ。
イアン・ハミルトンを文豪と言う人
>>938 元軍人、ということを無視している。
彼は元軍人の文筆家。文豪かどうかはしらん。その評価は高い。
>>951 これだけ待っても出てこないというのは、東北部から攻めたら早く落ちたという妄想は
日付の想定もしていなかった事だな。
妄想。妄想。
>>956 著作権の話はここでもしっかり関与してるよ。著作物を引用する
にあたっては、著作権を把握するのはネットでは常識。
あの引用は酷い、津野田氏の著作の方が主だからな。書き込んだ
人の主たる意見がほぼ無い。それを実際の日付に沿ってただ書き込む
なんて酷い話です。
(引用の注意について
ttp://www.bunka.go.jp/8/2/VIII-2-C.html 文化庁のページ)
まぁここは2チャンだから其の位許されると思ってるんだろう。
ここまでで根拠がないって言い張ってる奴も同類だな。怖い怖い。
>>957 元軍人の文筆家 司馬か? その評価も高いが・・
>>960 元「英国陸軍少将」と元「戦車兵」を同じ扱いにするとはおめでたい方だ。
>>959 君は「著作権違反!」だとか騒いでいるが、何が問題なのか、全然書いて
いないわけですよ。その法律の、第何条のどこに抵触するから問題だと考
えているわけですか?
君のやっていることは、むやみやたらと人をつかまえて「法律違反!」
と騒いでいるだけなんですよ。まったく迷惑な人ですね。
他人を犯罪者扱いするのなら、「この法律の何条のどこに抵触する事
をしている」くらいは言えなくちゃ。
出来なければ、君は見境なく他人を犯罪者扱いする大馬鹿者です。
元「英国陸軍少将」と元「戦車兵」を同じ扱いにするおめでたさから
想像すると、無理かな。
> ハミルトンの指示によりひとまず退却した このソースはまだですか? これだけ待っても出てこないというのは (ry 柘植さんの本や別宮さんのページによれば、ハミルトンの指示はなかった ようです。
>>958 俺は
>>951 じゃないが、仮定の話をしてるんだから日付なんて判る訳がないでしょう。
もし203高地方面を重視せず、ひたすら東北正面に正攻法で力攻していたら、旅順陥落は史実よりも早まったか?
多分、1〜2箇月程度は早まったのでは?という気はします。
ただし、損害が少なくて済んだか?というと、正直よくわからない。これは
>>846 =
>>932 氏が伸べているように、
どちらとも言えると思います。
>>959 > 書き込んだ人の主たる意見がほぼ無い
何を言っているのか。
旅順攻城戦の経過を、ちょうど100年後の現代に合わせて実況しているのだ
から、書き込んだ人の主たる意見なんて入るわけがないだろ。
むしろ入れる方がウザいってものだ。
>>959 お前はそんなにアホなのか
著作権法 第32条 引用 説明は文化庁のページを参照。
(引用の注意について
ttp://www.bunka.go.jp/8/2/VIII-2-C.html 文化庁のページ)
つーか、キミが万引きをして店員に捕まえられても、其の店員に対し、
「何が問題なのか全然のべてないわけですよ。その法律の
第何条のどこに抵触するから問題だと考えているわけですか?
君の遣っていることはむやみやたらと人をつかまえて「法律違反!」
と騒いでいるだけなんですよ。全く迷惑な人ですね。
他人を犯罪者扱いするのならこの法律の何条のどこに抵触する事
をしているくらいはいえなくちゃ」
というのですね。 傍から見たら 大バカモノというか躾も何も
出来てない。 まじで絶句しましたわ。
>>964 203高地を攻略せずに東北正面を攻撃した場合・・
一月か二月は早まったのではという気は気のせいです。
現実の歴史をしっかり見てください。
東北部の攻撃は、やるたびに被害が目立って減っているし、ロシア軍の堡塁は 日々、惨状を深めていた。 当然二○三高地攻めさえなければ、12月半ばには、旅順も落ちたさ。
>>965 盗人猛々しいとはこの人のことですね。
人の著作物や版権を何も理解していないらしい。
勝手に人の著作物をネット上に公開してはだめなんですよ?
知らなかったら今日から知ってね。本人だったら遅すぎだが・・
本人が一生賢明自己弁護しようと思ってるみたいだが、
どうしようもないですね。
>>966 また的外れなことをグダグダと・・・
しょうがない、ヒントをあげよう。
こんなことは、いわゆる一般常識の類なので、本来言うべきことでもないのだが。
著作権は、いつまでも保護されるものではないのですよ。
おわかり?
わからなければ、やるといっていた事をやってみて、身をもって知りなさい。
>>963 キミは柘植の本と別宮の本しか資料がないのですか?
>>970 版権って知ってるか?著作権は50年だけどその委譲と
版権は今でも続いている。だからこそ出版社に問い合わせするべきだろ。
日本史板の著作が著作フリーになったという情報はない。
だから身をもって知れと言ってるじゃん。頑張れ応援してるぞ w
そうか・・嶽原というのは桑原嶽だったのか・・
>>971 ハミルトンの指示があったという人は、資料の名前も出せないようですよ。
>>975 戦場の歴史 コンピュータ・マップによる戦術の研究
歴史群像 NO43 ガリポリ 等
つか ここでかなり話題になっている 203高地を攻めずに東北部を 正攻していたら ○○日で落ちるという論の想定は? 何日早くなるの?一月、二月?全然出てこないのだけど?
>>966 >自分の著作物に他人の著作物を引用して利用する
この文章↑の意味判ってる?
>>978 (注4)引用における注意事項
他人の著作物を自分の著作物の中に取り込む場合,すなわち引用を行う場合,一般的には,以下の事項に注意しなければなりません。
(1)他人の著作物を引用する「必然性」があること。
(2)かぎ括弧をつけるなど,「自分の著作物」と「引用部分」とが区別されていること。
(3)自分の著作物と引用する著作物との「主従関係」が明確であること(自分の著作物が主体)。
(4)「出所の明示」がなされていること。(第48条)
(参照:最判昭和55年3月28日 「パロディー事件」)
↑の意味わかってる?主従関係がないのは
>>965 の意見を見ても明らか。
>>979 いやだから、ここの事だよ?
>自分の著作物
わかってないでしょ?
>>980 そうだよ書きこんだ人が掲示板てのはそれ自体が著作物なんだよ?
あの人は他人の掲示板にコピペを張ったのさ。
ソフトをアップロードして捕まっている人がいるが、それと同じ。
管理者は削除するかそのままか判断しているんだろうけどね。
>>981 >書き込んだ人が掲示板でそれ自体が著作物
???ちょっと落ち着け。な。
そもそも、コピペって何よ?
訂正な 掲示板自体が著作物だろ? 自分の管理権限のない掲示板にアップロードしていいのか? キミの考えでは・・
つーかさ。2ちゃんの掲示ログから出版されているのに ありゃ無いだろ、もったいないと思うだけどね。
この掲示板の権利については、書き込みするときに出る注意事項を参照のこと。 で、コピペって、どういうこと?
> 日本史板の著作が著作フリーになったという情報 これも意味不明。
つか ここでかなり話題になっている 203高地を攻めずに東北部を 正攻していたら ○○日で落ちるという論の想定は? 何日早くなるの?一月、二月?全然出てこないのだけど? 一月だったら11月末に落ちているのかな?
著作権の消滅って著者が亡くなってから50年後なのね。
>>981 >コピペを張ったのさ
コピペとは、世間一般ではこういうことを言うと思うんだがね。
977 :名無し三等兵 :05/01/11 21:39:19 ID:???
つか ここでかなり話題になっている 203高地を攻めずに東北部を
正攻していたら ○○日で落ちるという論の想定は?
何日早くなるの?一月、二月?全然出てこないのだけど?
987 :名無し三等兵 :05/01/11 22:10:27 ID:???
つか ここでかなり話題になっている 203高地を攻めずに東北部を
正攻していたら ○○日で落ちるという論の想定は?
何日早くなるの?一月、二月?全然出てこないのだけど?
コピー部分とペースト部分を比較することで、判るわけね。
>あの人は他人の掲示板にコピペを張ったのさ。
さて、そちらのいうコピペって何なのか説明してみてくれ。
結局 これだけ待っても出てこないのですね。 203高地を攻めずに東北部を正攻したらこれだけ早くなったという 論は妄想と結論づけられました。
>>990 おおい忘れものだよ。 君の脳内で っての抜けてるよ。
>>991 が脳無いのか?
だったら どんな日付の想定で話をしてたんだ?
一月早くなるってのは妄想だろ?11月末って東北部への第3回総攻撃が失敗した
頃だぞ?
早くなったか、被害が軽くてすんだか、は結局判らないこと。 でも、いろいろと考えてみるのは面白いと思う。 「妄想」と脳内整理したい人は、それはそれでさっさと退場すれば いいだけのことなんだがね。
だから早く出してよ。 203高地を攻めなかったら何ヶ月早くなったと 想定しているの? 想定もせずに史実と比較するのは愚かですな。
203高地での消耗戦がなければロシア軍の防衛力は史実以上のはずだが。
正攻法って東北部の突撃陣地ができたのはいつだっけか?
>>992 9月の爾霊山攻撃も無かったら?という想定なのではないか?
>>997 9月は203高地と同時に東北部への攻撃塹壕を掘ってますよ。
結局、あれが犯罪(コピペ)だという根拠はなしでしたね。
結局 203高地を攻めたから旅順は落ちたということですね。 最初からあそこの高地を攻めたら良いというのは一致している。
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