ということで現在、1996年12月提出の論文を見ています。
AAN(次の陸軍)構想の空中機械化部隊と空輸可能な装輪師団以外に
TRADOCで師団編制の改革案があったことが判明。
3なら昼飯はラーメン!
>3 ラーメンどうぞ〜
ということで折角ですので何か質問がありましたら、このスレか
前スレにてよろしくお願いします。
スレ立て乙です。
前スレが容量喰い潰すまでは、なんとか維持しないとですなぁ。(^^;
とっとと移行してしまうテもありですが。
まず基本的な紹介と検索のキーとなる言葉から。
SBCT とは stryker brigade combat team の略語です。
ストライカーとは人名で、名誉勲章を受章した二人の兵
(一人は第2次世界大戦の際の兵、一人はベトナム戦争の際の兵)を
記念して付けられています。
具体的な車両は、米海兵隊の使用するLAV-25に似ています。
つまりモワグ社のピラーニャ系列の車両です。メーカーは
h
ttp://www.army-technology.com/projects/stryker/ によると、GMランドシステムズとGMカナダの合弁。
現在
歩兵輸送車両 対戦車車両 指揮車両 工兵車両 救急車両
偵察車両 迫撃砲車両 火力支援車両が完成して配備されています。
開発中なのは
NBC偵察車両 機動砲(MGS)の二つ。
#MGSは装輪戦車とはとらえないほうが良いと思います。機関銃火点や
援体壕の撲滅、家屋に突入孔を開けるなど、歩兵突撃を火力支援するための
車両です。
2の論文の話の続き
どうやら第一騎兵師団と第四歩兵師団のフォース21化と絡んだ話のようです。
師団改編の話として三重孤児論文で扱われていた事項を、幾つか取り上げています。
それにしてもペントミック師団を褒めた論文は出てこないです。
MRの当時の号を探すと核戦争絡みで出て来るかもしれませんが。ディビークロケット
を扱っている兵士の写真が記事に合わせられていそうな予感がします。
また、この論文でもハウスの諸兵科連合戦闘史は取り上げられていました。
#今 最初の10Pまで訳しました。第二次世界大戦が終わり、次はペントミック師団。
訳語の統一をして、一気に張ろうかと目論んでいます。前回、三重孤児論文では
ドイツ人とドイツ軍、ロシア人とロシア軍などがぶれていました。
遅くなりましたがスレ立て乙&即死回避カキコ
…だけでもあれですので、ネット上資料紹介。
Dupuy研究所の「THE HISTORICAL COMBAT
EFFECTIVENESS OF LIGHTER-WEIGHT ARMORED FORCES」
tp://www.dupuyinstitute.org/pdf/mwa-2lightarmor.pdf
小規模の緊急軍事行動や在来型の戦闘における軽装甲車両と重装甲
車両の運用やパフォーマンスを統計的に比較し、IBCTに関する教訓
を引き出そう、という主旨の報告書です。
第二次大戦におけるユーゴスラビア対パルチザン戦闘におけるドイツ
軍装甲部隊の活用なども触れており、けっこう興味深い報告書…かな?
といってもまだ読んでないんですけどね…時間が欲しい(つД`)
>9 資料有難う御座います。2001年8月6日付けですね。
FM100−5を書いたほうのデピュイじゃなくて、戦史家のデピュイのほうですね。
サイトがあるとは知りませんでした。
<ユーゴのパルチザンとの戦闘
石の花を思い出します。2001年だとコソボでの航空攻撃から2年後、イタリアには
173空挺旅団がいたでしょうか。
ゴールドウォーター=ニコルス法(1986年)は統合参謀本部周りばかりでなく
CINCs(地域軍司令官のこと)、つまり、イラク戦争のフランクスやいまの
アビザイドなども規定していることを知りました。ちなみに今はCINCsとは
いわず、単に司令官というはずなんですが、どれだけ定着しているかは不明です。
CINCは大統領だけという話なのですが。たしか、CINCsについてはローマの属州
総督になぞらえたワシントンポストの記者が書いた本が訳されて本屋に出ていました。
クラーク大将とコソボ航空攻撃も出てきます。
戦力構築単位を旅団にするか、師団にするかはフォース21の頃に議論があった
ようです。SBCTは旅団で編制してストライカー師団は作らず、101からの担任地域
引継ぎにあたってはTFオリンピアが創設されて、その主要部隊として機能する形
となっています。
現在のところ、規格化小基盤師団まで訳が進みました。
M-8が登場してきたことと、装輪工兵大隊や装輪偵察大隊が軽歩兵旅団と
組み合わさっているあたりに、IBCTからSBCTへと繋がる流れを感じます。
また、戦略機動性の強調、編制を選択する際の基準としていることも
なかなか面白いです。冷戦終結後の時代だということで要求に入れているのです
けども、1980年代のAOE軽師団のときに既に戦略機動性が必要であったとも
歴史分析では述べています。さらに遡るとマクニール時代(WW2)まで遡り
、さらにはフィリピンで戦った米西戦争まで遡るのだと思います。
12のマクニール コブラ作戦の準備爆撃で塹壕に落ちてきた爆弾で戦死
されていたことを知りました。駆逐戦車大隊については色々と言われている
みたいですが、この論文では好意的に評価しています。
force structureという語が訳し難くて苦労しています。
#軽歩兵師団の戦術機動性の欠如について指摘した論文がありました。
(1998年12月16日 SAMS)
もともと、Hシリーズ歩兵師団から常時、どこでも必要な機能以外を取り払い
軍団へ移したことで戦略機動性を獲得。そのかわりに戦術機動性が低下したと
みています。
軽歩兵中隊は編制に固有の車両なし 完全に徒歩
軽歩兵大隊は編制に35両有り
大隊本部2両 対戦車小隊6両 衛生小隊6両 迫小隊8両 通信小隊1両 支援小隊12両
支援小隊の12両は弾薬などの補給用なのですが、これを人員輸送にあてたとして
1両に9名乗せて108名 1個中隊にみちません。
歩兵旅団では5tトラック10両がありますが、これも補給用。1両24名で240名
2個中隊を運べません。
歩兵師団には汎用へり大隊(UH-60装備)があり、これは2個中隊全30機
1機で20名だから、600名 1個大隊を空輸1回で運びます。
また、自動車輸送中隊が師団支援集団にあり、これも1個歩兵大隊を輸送する
こともできます。
ということで、かりに軽歩兵師団が3個旅団9個大隊編制の場合は
1個歩兵大隊はヘリで、1個歩兵大隊はトラックを師団では運べますが、旅団毎に
なると1個大隊を運べるか運べないかとなります。
で、その後、実際に軽歩兵師団が投入された各紛争でどのように戦術機動性を
確保していたか、その場合の資産はどのようだったかを見ていくわけです。
#第7歩兵師団があった時代の話なので、今の第25歩兵師団(軽)や 第10歩兵師団
(山岳)にどの程度当てはまるかはわかりません。ハワイの25は2個旅団のみで1個は
ワシントン州にてSBCTへの改編最中。第10歩兵師団は2個旅団編制だからです。
また、韓国の第2歩兵師団は三重編制師団的編制ですし、軍団下に独立航空旅団が
居たりしますのでこれにもあてはめにくいです。
>>14 > force structureという語が訳し難くて苦労しています。
DoD Dictionaryだと "force structure ― Numbers, size, and
composition of the units that comprise US defense forces;
e.g., divisions, ships, air wings."
…という感じですから、「部隊編制」か「部隊構成」ぐらいの訳語で
良いのかも。
自衛隊はどのような訳語を当てているのでしょうか…
(´-`).。oO(実は私自身訳語には悩んでいたりしてます…)
グローバルセキュリティをみていたら、future forceについて随分詳しく
なっていました。10個師団司令部は残るが、それぞれ旅団は4個ずつ。旅団に師団直下
だった部隊と資産が分配されることになり、各師団は重旅団、自動車化旅団、空挺
旅団等で編制。対空大隊は解体する、なぜなら、空海軍に海兵隊の空軍力は優越
しており、敵の落とす爆弾で陸軍兵士が死ぬ事は無いから。軍団で対弾道弾のために
のこるほかは捜索、偵察部隊へ変えてしまう。
出所を知らなかったパワーポイントスライドは
the House Armed Services Committeeで陸軍参謀長が1月28日に説明した
内容だったことが判明。下院軍事委員会ですね。
h
ttp://www.house.gov/hasc/ ここでrepresentativeと出て来るので。
上院だったら元老院議員ということでsenatorになるはず。
#SBCTはBCTではなく、BUA(brigade Unit of Action)として各師団下に
存続する可能性がありますが、自動車化というのは微妙です。装甲ハマーかも
しれませんし。
>15 師団編制の話ででてきたり、師団を超えた軍全体の話と解釈できる文脈で
でてきたりして戸惑ったのが訳し難い原因なのです。
>16 訂正 対空大隊は旅団に配属されるとしているのもあります。
任務は対巡航ミサイルだと言っていたり。SBCTは現役は5個旅団でいくようです。
州兵の1個については触れている記事は見当たりません。改編する時期に変更が
あるかなどは不明。
#地球安全網のリンクの新聞記事はそれぞれ重点が異なる点に置かれており、
細かな点では相互に矛盾するように思える内容だったりします。
#future forceの策定は昨年8月、つまりシューメーカー就任以来続けられていた
のが1月28日の委員会で構想を明らかにしたということのようです。
1998年5月21日のSAMS論文で軽歩兵師団の戦略汎用性について書かれたのが
あり、その中で高中烈度紛争と戦争以外の作戦での軽歩兵の運用について触れた上で
将来の師団編制構想としてあげているのが、
師団本部
軽歩兵旅団(大隊3個)
機甲旅団(機甲大隊1個 機械化大隊2個 M1戦車58両 M2/M3 116両)
空挺旅団(大隊3個)
航空旅団(AH-64 48機 UH-60 38機 OH-58D 16機 EH-60 3機)
師団砲兵(155mm自走砲24両 155mm牽引砲24門 MLRS)
師団支援集団
となっています。高中烈度紛争においては軽/重部隊で様々な任務や役割を
軽歩兵が果たせることを仮想敵演習で実証したとしています。その上で
軽歩兵と組み合わせるのにこのような編制がいいということのようです。
#他に第2歩兵旅団の運用について書かれた論文も確かこの頃にあるのですが
それでも師団内にいろいろ旅団を組み合わせる話は出ていました。
で、遡るとベトナム戦争の頃の第一騎兵師団のTRICAP師団(三重能力師団)
までは知っているのですが。
#AOEの話を読む必要を痛感しているんですが、各論文の要約が行き届いている
ために、引用だけで話を済ませられるような気になります。
#58両編制で1個大隊なのは14両編制中隊4個+大隊本部2両か18両編制中隊3個で
大隊本部4両(予備含む?)だったのかも。たぶん、予備は編制の話で含めないから
前者だと思います。
米軍戦車大隊は、M60までは小隊が5輌。中隊本部2輌+3個小隊=17輌で中隊、
大隊は本部に3輌+3個中隊で54輌。
M1の時代になって4輌小隊、14輌中隊となり、大隊で4個中隊+本部2輌で58輌編制と
なってます。
現在は中隊1個が削減され、44輌大隊。
陸自の北転事業前の甲/乙師団戦車大隊は、本部4輌+14輌中隊3〜4個で、46〜60輌。
大隊本部の戦車が多めなのは、やはり予備としての意味合いがあります。
中隊本部の2号車にも、予備車の役目があると。
>対空大隊解体
・・・・・・・・・いろんな意味で、さすが米軍(^^;
アヴェンジャーなんかは、大隊本部中隊対空小隊あたりで余生を過ごすのでせうか。
>20 5両編成小隊は第2次世界大戦後もずっと続いてたとは知りませんでした。
M60A2の5両編制小隊なんかは見たい気もします。これが装甲騎兵連隊だと
また違うんですよね。戦車3両+偵察車両3両だったり、シェリダン4両+偵察車両3両
だったりします。
<中隊数
たしか、韓国の第2歩兵師団は未だに1個中隊を削減していないという話を
読んだ気もします。どうも読んだ話がきちんと整理されていないのでいざというとき
でてこないのです。
<北転事業
今津の戦車大隊の集合写真をみると、2個中隊分しか74が写っていないので
変だとずっと思っていました。1個中隊は北海道に持っていかれてたんですね。
確か、昨年暮れあたりのパンツァーで北転事業のことを知ったのでした。
<対空大隊
将来的にはレーザー反射鏡を吊り下げたレーダー高層飛行船と、バイスタティックレーダー
(円筒形のフェイズドアレイレーダーなど)を光ファイバーで結んで
巡航ミサイルと弾道弾を迎撃する軍団防空大隊などは残ると思います。
アヴェンジャーは、12.7mmと赤外線監視装置だけ残して軽歩兵師団の中隊本部下
に捜索小隊として付けるか、などするのではないかと。ウダイ、クサイの包囲の
際にアヴェンジャーが出動していたという話がありますが、どの階梯かの即応部隊
の車両不足を補う為にアヴェンジャーを足変わりに使っていたのかもしれません。
もっともLAR-3だったかの、ストライカーの偵察車両型についている監視装置に
似た奴の評判が良かったみたいなのでそんな使われ方はしないかもしれませんが。
<第3歩兵師団砲兵
面白いのは、DPICMの不発弾率が軟地形だと予想外に大きかったとしていることで
冷戦時代の遺物?という言い方をしているスライドがありました。かわりにHEを
多用したとしていました。MLRSなんかはどうだったんだろうと思いますが。
<イスラエル
FMFの10億ドルを巡り三軍がそれぞれ調達計画を建てて競り合っている模様。
海軍はコルベット、空軍はアパッチ、陸軍はストライカー200両で2個旅団分。
イラク戦争での運用を注目している限り市街戦には適しているという談話が
JDWの1月28日に出ていました。
やっと下訳が終って最初のほうを見てみると直訳調なのに気付いて
修正中。出来る限り口語調にして訳したつもりだったんですが。
頭と最後で訳語が違うのも問題。
#2月26日ですね。
保守しておきます。ビンラディン拘束という報道があったのですが
欧米系では報道されていないようです。続報では否定的。
ハイチへの投入検討は24MEUと陸軍空挺部隊となっています。
SBCT2はまだ初期作戦能力を獲得していないのでしょうか。調べてみないと
分かりませんが。
22続き 蓋然性という言葉が思いつかなくて、最も可能性のある と
していたので修正するとかはいいのですが、あとは日本語として通りやすくしているか
かえって分かり難くしかも原文から遠ざかっているか不明な作業続行中。
25 :
205:04/03/01 14:42 ID:???
煮詰まって他を読んでみました。フォース21とAANは同時期に進んでいたという
話と、空挺師団の装備車両数の話が出てきました。空挺師団と軽歩兵師団と
どちらが車両装備数が多いのかちょっと不安です。またflyerという車両で
ハマーを代替すると戦略級旅団空挺降下に要するC-17の機数を九十数機から
半分程度に減らすか、或いは第一梯団でさらに多くの部隊と装備を運べるように
なるとも言っています。
その後、海兵隊の偵察部隊と都市戦の話にも手を出したりしながら
なんとか手入も進めています。LAV−25のはなしが出て来るかは不明ですが。
孫子の原典を調べて、きちんとした漢文訳を拾い、アラビアのロレンスの引用
も原典を調べて一応文脈を確かめました。どちらのネット上にあったので
ありがたいことです。知恵の七柱なんてどこの図書館にあるのか分かりませんから。
ひょっとして1ってMETT-Tの訳やってた人?
>27 METT-Tですか?任務、敵、地形、時、自隊 それから最近はCがついて民生
でしょうか。見積もり事項とでも訳せばいいのかも。たぶん違うと思うけども、
それはどこのスレですか?
<ハイチ
国際治安部隊が投入されています。焦点は対立両者(大統領派民兵、政権閣僚
と反乱側)の引き離し、首都の治安回復、武装解除などになってきているようです。
各紙報道を見ていると特派員が行動できないほどまずい状況ではないようですが。
ハイチは米陸軍が米海兵隊のLAV-25の運用を1994年に見ていた土地です。
(アリスティド復権の際の進駐)陸軍はハマーで、海兵隊はLAVだったわけですが。
今回の場合は、2月頭から騒動の発生が報じられているようですので、軍が準備する
のもおよそ1ヶ月位でしょうか。いや、それ以前から準備を整えているかもしれない
ですが、これはさすがに分からないですし。それで、投入の可能性が報じられたのが
2月末で、まず海兵隊のFAST(艦隊対テロ部隊)が自国大使館保護のために、ついで
国際治安部隊の投入の枠が、米仏加ででき、国連も承認するのを見つつ、MEUが投入。
自国民と他国在留者の保護を名目としつつ、空港と港湾を管理し、次第に任務を拡大。
という感じでしょうか。投入する戦力では陸軍空挺部隊という話も出てきたんですが
今のところ海兵隊だけみたいです。ちなみにこの間には沿岸警備隊が船舶難民を
ハイチの港まで送り返したりしています。
<スーダン
ちょっと静かですが、実はこちらも危機。
どうもそろそろ危険なので維持レス。
やさしく訳していると概念を把握していないことが露呈することに気付きました。
橋頭堡の狭い地積では火力と機動を十分に発揮できない
というのと、橋頭堡はせまく射撃と運動が制限されるというのでは一つ概念が
飛ばされているのでした。
煮詰まってしまったので他に手を出します。申し訳ない。でもいつか生煮えのまま
出すかもしれません。
アーセナルシップは戦艦の代替たりうるか? 1996年12月6日提出 SAMS 海兵隊少佐
概要
本論文は米国海軍が提案したアーセナルシップと沿岸地域で作戦する地上部隊支援能力
を精査する。水上火力支援母体として万人に選ばれてきたのは今日退役済みの戦艦アイオワ
級である。アーセナルシップは新たに縦深打撃能力を加えつつも、戦艦を代替することを
目的としている。
本論文ではアーセナルシップの前身を歴史上に辿りアーセナルシップ計画の
創生を位置付ける。歴史はフェニキアの”ロングシップ”に始まり、様々な戦列艦を
経て、ついにはアイオワへと到る。この過程で装甲と武装の発達をも閲し、アイオワの
運用史で頂点へと到る。続いて、戦艦の論理上の後継としてのアーセナルシップ計画
をみる。要求されている能力と作戦構想に焦点をあて、戦艦とアーセナルシップの能力
を比較する。
本論文の結論は、戦艦とアーセナルシップとの比較は少なくとも行い難いという
ことである。両者の目的は余りにも異なるのであり、両者の間の60年にわたる歳月
により客観的評価は疑問となる。過去に戦艦がそうであったのと同様に、アーセナル
シップは将来の水上火力支援である。
目次
序論
戦艦
アーセナルシップ
不可避な比較
序論
人間は海上でなく地上に住んでいるから、戦争当事国間の大問題は
常に、極僅かな例外を除いて、陸軍が敵領土と国家的生命に及ぼす
危害か、或いは、陸軍が危害を及ぼすことが艦隊により可能となる
いう脅威により決せられてきた。 Sir Julian Corbett
かりにCorbettの言がなおも妥当であるならば、海軍艦艇は陸軍が敵領土
に対して加える危害に寄与すべきである。米国海軍が提案するアーセナル
シップは兵器運搬手段として陸軍を直接支援するものである。
前海軍作戦部長Mike Boorda提督は以下の言を強調している、
”火力支援艦艇である。沿岸の部隊に火力支援を与えるのが全てである。”
海軍作戦部長の構想が実現するならば、アーセナルシップは空前の
海洋基盤火力を地上司令官の意のままとすることになる。この点において
アーセナルシップは革新的な艦艇であり、伝統的分類に納まらない。
明らかに、フリゲート、駆逐艦、巡洋艦や、空母ではなく、現行の
水上戦闘艦のいずれにも類似しない。
もっとも近い親戚の戦艦にすら似ていないが、地上部隊に火力支援を与えるという
戦艦の能力を真似るようつとめなくてはならない。本論文では、根本的な疑問である、
アーセナルシップは戦艦の代わりとなるのかに回答を試みる。
戦艦は常に巨砲の同義語である。英国がガリポリで最初の近代的な上陸強襲を行った
とき、Albionの巨砲が沿岸要塞施設を砲撃し、以降の先駆けとなった。米国戦艦の場合
は、第二次世界大戦中のアイオワ級が頂点である。議会はドイツのビスマルクと日本の
大和への対抗としてアイオワ級6隻を承認した。就役したアイオワ級は4隻のみであった
が、米国戦艦隊は上陸中及び海岸線付近で作戦する上陸部隊にかけがえのない砲撃支援
を与えた。第二次世界大戦後、戦艦の大半は退役したが、アイオワ級は国家が必要とする
たびに復役した。朝鮮戦争とベトナム戦争で砲撃しており、また1983年に拡張中であった
海軍がその固有の能力の必要性を認識したため再び復役している。1991年に海軍はアイオ
ワ級4隻を最後となる予定で退役させた。アイオワ級は現役を解かれたが、その能力の
必要性は失われていない。
砂漠の嵐が終結し、ソヴィエト連邦が自壊しつつある今、海軍は将来を見据えて
道程と歩みを見直す時間がある。
...From the seaは1992年での海軍の不確実な将来と急速に変化する世界状況へ
の対応であった。直近に大洋で脅威となるものがなく、海軍は沿岸へと向き直った。
...From the seaでは海洋から陸地へ戦力を投射する部隊への海軍の寄与が強調さ
れていた。上陸部隊には水上火力支援が必要だとは同方針は認めていたが、いかにし
てその支援を与えるかについて確とした海軍の対応はなかった。財政の現実により、
規模の縮小を余儀なくされ、海軍はもはや戦艦に乗り組込ませる人員もなく、戦艦を
維持することもできないと判断した。アイオワがなくなると、残る艦砲は短射程の
127mm砲と76mm砲のみである。これらは伝統的な戦闘艦であるフリゲート、巡洋艦、
駆逐艦の備砲である。短射程では、上陸部隊の作戦地域をほとんど覆うことは
できず理想から程遠い。また、水上戦闘艦艇は空母を守る為に空母戦闘群に留めおく
必要がある。よって、これらの海軍にとっては重要な理由から、艦砲射撃任務は
引き受け手がなくなった。
1994年に海軍は...From the Seaの次、Forward from the Seaを打ち出した。
沿岸作戦が中心であることを再確認しているが、沿岸に焦点をあてつつも沿岸で作戦
を成功裡に遂行するのに必要な砲撃支援を欠いていることの矛盾には触れていない。
従来からの、空母基盤、地上基盤の遠征航空支援が砲撃の不足を埋めようとはしてい
るが、投入された地上部隊へ常時、近接支援を保証するに航空機が十分となることは
ない。戦艦、或いは戦艦の能力を持つ何かが沿岸戦にはなおも不可欠である。1年の
論争と議会からの激しい批判ののち、海軍はこれらの批判に応じ始めた。1995年に
アーセナルシップ構想が出され、1996年5月に海軍は運用構想とアーセナルシップの能力
に関する文書を公表した。提案されたアーセナルシップとは、ステルス設計された船体
と先進技術ミサイルを搭載した運搬母体という目覚しいものだった。上陸した部隊への
海上火力支援の明らかな不足に対する海軍の選択であるが、はたしてアーセナルシップ
はアイオワ級戦艦が後に残した空白を埋めることができるだろうか。
アーセナルシップを評価するために、本論文では戦艦の歴史と事績を調べる。
戦艦の歴史は長きにわたるが、アーセナルシップの研究には欠かせない。アーセ
ナルシップをめぐる論争を理解するにはごく駆け出しの初心者さえも戦艦の歴史に
触れる必要がある。戦艦の歴史を追ったのちに、アーセナルシップの開発へと
うつる。アーセナルシップの創生、能力要求、提案されている運用構想、能力
予想は根本的問題の枠組みと比較の土台を与えてくれるだろう。結論では
得られた知見と現在の論争をまとめ、この研究が語るものとそれがなぜ知るに
値するのかという実際問題にも答える。
第二章 戦艦
戦艦は世界中で海洋力の象徴として受け入れられるに到った。戦艦は
かくも攻撃能力を持った船の戦略的、外交的な影響ゆえに、合州国の
船舶中で最も議論を呼び起こし、広く論じられている。 Brayton Harris
海洋国家は通商を守り、戦力を投射するために海洋力を行使してきた。
海洋力は国家が戦闘艦艇に投資することを必要とする。
「戦闘艦は艦隊へと発展した。艦隊では常に重量級のチャンピオン
が必要とされた。戦闘の正面で最大の打撃を与え、最大の攻撃を引き
受ける、逞しい艦艇である。というのも、戦争では与えるのみならず
受け止める能力も必要とされるからである。」
戦闘艦艇の権化が戦艦である。航海国家は戦列艦によりそうみなされ、また
見分けられた。米国への敬意と歴史上の地位は、初期のフリゲート海軍、
モニター号、メイン号、大白亜艦隊、真珠湾に並んだ戦艦群、そしてアイオワ級
戦艦という頂点へと達して、重きをなしてきた。これらの誇り高き戦士の淵源は
古代フェニキアのガレー船である。
フェニキアはBC1100からBC800にかけて地中海東半分を制していた。経済の
繁栄をさらに伸長するために、フェニキア人は2種の異なる船を造った。
”丸船”は交易物資を輸送し、”長船”は必要時に戦闘した。この最古の戦艦は
長い衝角のついた禍々しい外観により容易に見分けられる。衝角が不可能な
場合は、乗り組んだ弓手と槍兵が敵を遠くから攻撃する。
次第に”長船”はより速く、より機動性がある二層櫂船や三層櫂船に道を
譲った。BC500には、首尾線両側に3列に並んだ漕ぎ手が乗った三層櫂船が
地中海を制していた。脆くはあったが航洋性はあり、以降の2000年にわたり
海洋戦での標準となっている。
船舶構造は着実に進展したが、海戦術は衰退した。15世紀に初歩的な大砲が
加わったが、基本戦術機動は変わらなかった。やっと、16世紀になって、海洋
への関心が大きくなったのは主要な欧州国家が帝国を拡張しようと奔走したため
である。手付かずの富の魅惑が、当時、海軍を拡張し向上させる動機となった。
ガレー船はガレオン船となり、ほどなく大砲を満載した航洋船となった。スペイン、
ポルトガル、英国、フランス、オランダは、栄光と征服と富を争った。
1588年、英国はスペインの無敵艦隊を倒し、制海権をスペインから奪った。
英国の提督は、スペインのガレー船に接近して近距離で戦おうとはしなかった。
衝角や斬り込みをしようとはせず、英国は遠距離からより大口径の砲を用い、
スペインの無敵艦隊の縁を齧りとった。スペイン人は雄雄しく荒天と、彼ら
よりも航洋性のある英国のガレオンと戦ったが、無敵に思われた艦隊も破れた。
英国は対抗するもののない海洋の支配者となり、がレオンがガレー船に最新
の戦艦としてとってかわった。帝国が地球の最果てまで拡張するにつれて
英国海軍も進展を遂げていった。より多くの帆と砲と容積を持つ、より大きな
戦列艦がガレオンに取って代った。
アメリカの戦艦の歴史はいみじくもアメリカと名付けられた、北米で
建造された74門戦列艦にはじまる。が、ボストン湾で失われたフランス艦
の代替として1782年にフランスに譲渡されるという不吉な先例となって
しまった。合州国はフランスの保護に依存することを自ら認めたのである。
米国の初期の指導者は、駆け出しの国家として海上で無力なことは理解
していたが、海洋保護に投資するのを正当化できるだけの収益をあげられ
ないと考えていた。
フランスの厚意は、1785年〜1795年の時期まで続いた。その頃になると
英国海軍、フランス海軍、私掠船、地中海の海賊が護る術のない米国船を
餌食にするようになっていた。過度に支出する事はなかったが、米国政府は
通商に対する脅威をもはや座視することはできず、かのコンステチュ−ション
とコンステレーションを嚆矢とするささやかなフリゲート海軍が育ち始めた。
直近の脅威が消えると、海軍も消えてしまった。1812年の戦争が米国政府を
揺り起こすまで新に建造される船はなかった。英国艦隊は砲力と機動性で遥か
に上回っており、米国海軍は1813年にはじめて真の意味での戦列艦を建造する
ことで対応した。インディペンデンス級は74門を搭載した。米国海軍はやっと
のことで議会に本物の戦列艦を承認する事を認めさせたが、戦争期間に運航
させられるように建造し就役させることはできなかった。新戦艦は地中海で
任務に就き、目覚しい成果をあげたので、議会はあらたな戦艦、ノースカロ
ライナ級を承認した。ノースカロライナ級の大半は南北戦争に到るまで、そして
南北戦争中も現役だった。
1812年の米英戦争と南北戦争の間、民間部門での技術の進展と歩調をあわせて
海軍でも革新があった。蒸気力、鉄の装甲、ますます剛性のあがる合金、スクリュ
ー推進はこの期間に出現し、実験された技術である。そして、南北戦争の勃発が
これらの技術を成熟させる原因となった。北部連邦も南部連合も大陸を制するで
あろう新戦艦を進水させようと奔走した。
南部連合はヴァージニア州ポーツマスのGosport海軍工廠に沈んでいたメリマック
を回収してまず有利にたった。
以前のメリマックの立派なマストと喫水線までの上部船体は取り除かれ、
あらたに甲鉄板張りの砲甲板が設けられた。形状よりも機能を重視した設計
であった。生まれ変わったメリマックはC.S.S.ヴァ−ジニアと改名されたが、
メリマックとして知られている。備砲は回転式7インチ砲2門、6.40インチ砲2門、
9インチ滑腔ダールグレン砲6門であった。申し分ない武装と装甲を備え、
メリマックと同等の船は北部連邦側になかった。
北部連邦は南部連合の先行に追いつこうと大童となった。甲鉄艦(Ironclads)
に関する海軍委員会はNew Ironsides、Galena、Monitorの三つの設計案が
直ちに建造される事を承認した。スウェーデンの発明家John Ericssonは
彼の”水上砲台”がメリマックに優ると委員会に約束した。 モニターは同種の
船のさきがけであり、複合蒸気力、甲鉄板装甲、スクリュー推進、当時最大の砲
を搭載できる回転式砲塔、甲板下に配置されたエンジン、強制通風装置、といった
特許に相応しい装置を盛り込んだかつてない船だった。
容易に現代の戦艦の祖先と認められる最初の船であるモニターは砲火の洗礼
によく持ちこたえた。戦術的には少なくとも引分け以上、作戦的、戦略的には
決定的な勝利を収めたのである。メリマックはモニターに戦場の支配をゆるし、
南部連合のベヒモスは北部連邦の木造船を二度と荒らすことはなくなった。
モニターとメリマックとの間のハンプトン・ローズの戦いは世界の関心を惹き
つけた。あらゆる海軍建造計画は甲鉄艦同士の最初の戦闘の結末にもとづいて
再評価が必要となった。1883年にモニターの直系の子孫にあたる30隻が就役中か
建造中であった。
南北戦争が終結すると、合州国は海軍の先行きについてはお決まりの道を
お決まりの速さで辿った。700隻の艦隊は1880年には砲搭載船舶わずか48隻
へと削減された。米国海軍は、デンマーク、チリ、中国に続いて世界12位で
あった。米国が内向きとなり国内を発展させている間、海軍は衰えながら
見守るだけだった。
#帆船時代のアメリカが文献ではあるのですけども、アーセナルシップという
兵器を陸軍の論文の書き方で書くとどうなるのかという視点だと面白いです。
#本当はトマホークの発射任務配分を各艦に割り振る話をSSGN導入にどう対応
するかという話を持ってこようと思ったのですが、どうも発射孔のロックと油圧
の話が矛盾してしまい解決できないので挫折しました。一方では発射作業中は
全部開けとくといい、別のところでは次発までに時間がどうせかかるから問題ない
としているのです。定義、問題の設定、文献調査、分析、結論の過程を踏んでいて
文献調査のあとに実地調査を含んでいるので面白かったのですが。
#ということで、訳の途中ですが忘れないうちに書いておきます。
1883年から1889年の期間に、やっと海軍は数隻の新造の予算を受取れた。
新巡洋艦テキサス、メインと数隻の小型の砲艦から海軍の再興の道のりが
始まる。
1890年になって、議会は本当の意味での戦艦3隻の予算を拠出した。
オレゴン、インディアナ、マサチューセッツにはじまる計画により、海軍は
1910年には世界海軍中で2位の地位へと到達した。
#ここの2位の地位というのは二流国という意味かもしれないのでいろいろ
検索したのですが分からず。個々の船の細かい歴史ならすぐわかるのですが
意外にもドレッドノート前夜の時期の各国海軍の勢力が不明です。
>48 調べた結果 二流国が正解であることが判明。訂正します。
#タコマトリビューンのSBCTに同行取材していた記者が帰国しました。
現在、米議会で予算審議中ですが、軍事予算は巨額で近年推移していおり
規模がレーガン軍拡時代に近づいているという話が出ています。財政的制約
からもSBCTが今後どうなるかは不透明かも。それ以上にFCSなどの計画が
危ういですが。既存部隊と暫定部隊と将来部隊を平行して改革していく路線は
きびしくなるのではないかと。
海軍の復興と大陸のフロンティアが全て開かれたことで、拡張志向の米国人は
新たな挑戦を求めて海外へと目を向けた。メイン号の沈没により、1898年、米国は
スペインと戦争を始めた。海軍はスペインを確実に打倒し、米国市民は海軍を
英雄とした称えた。議会はたちまち新たな海軍を、ふさわしい戦艦隊で建設する
予算を承認した。海軍は規模が拡張され、名声を得、能力も向上した。が、この
地位を海軍が享受したのはわずかな間だけだった。1906年のドレッドノートの
進水により、他の船は全て時代遅れとなってしまった。
時代遅れか否かに関わらず、ルーズヴェルト大統領は、米国の国益と自由貿易
問題での確固とした決意を示威するために、1907年12月に大白亜艦隊に世界周航
をするよう指示した。欧州で緊張が増す中、米国は年に1,2隻ずつの戦艦という
穏やかな速度で海軍の拡張を続けることを選択した。第1次世界大戦が開始したとき、
米国海軍は、多数の戦艦を持ってはいたが、戦争への備えは不十分だった。
ついでに補足
南北戦争の南軍砲艦メリマックですが、鋼鉄装甲版は5cm、しかしその裏側には61cmもの木材が装甲として張られていたそうです。
よって、装甲艦とはいっても、実質は、このぶ厚い木材が装甲をその名のとおり裏から支えていたようです。
(この鋼鉄装甲、装甲とは言っても、実は2.5cmの鉄道レールを2重に組み合わせて貼り付けたものだそうです)
ちなみに、メリマックは装甲艦というより、砲郭鋼鉄艦と呼ばれる特殊な艦艇で、南北戦争期のみに活躍した艦型です。
同様の砲郭艦は南軍が17隻建造。また建造のラクな砲郭艦は北軍も河川砲艦として建造して活用したそうです。
また、モニターは20cmから11cmあたりの純粋鉄鋼装甲だったそうです。合計30隻前後が就役した模様。
では、名無し氏、続きを期待いたします。
(意外にも南北戦争にも結構興味があるLansでした(w
>51 お久しぶりです。こちらの手持ち情報は雑想ノートとそれから
帆船時代のアメリカのみだったりします。海軍の歴史は殆ど知らない、いや
陸軍の歴史も殆ど知らないですが、ので訳していて面白いんですが、通史と
されているのを知らないので筆者がどうして、この史実を持ち出して
こちらを端折ったのかなどが分からないところがあります。
<南北戦争
ボードゲームでもPCゲームでも大量にあるらしいことは知ってますが、
よく知らないのでした。映画のグローリーを見たきりで知識が止まっています。
>52
途中で割り込んでしまってすみません。
実は、なぜ割り込んだかと言うと…
話題のアーセナルシップには、実は砲郭艦の方が近い存在ではないか?と思っていたんですよ。
モニターは、その砲塔の構造上、仰角が取れずに地上砲撃などはほとんど出来ないモノです。
しかし、砲郭艦…特に河川砲郭艦は、主に地上攻撃を主任務ともいえるモノではないかと…
南部は北部と違い、鉄道が未発達であり、その輸送の多くを河川に依存していました。その為に、河川の要所を警備制圧するために各地に要塞や拠点を設置し防衛体制を築きました。
その河川輸送の大動脈がミシシッピー川であり、北軍は大規模な艦隊を整備し、ミシシッピーを北上、南部の分断を図ります。
その際に、どうしても河川を制圧する要塞と交戦する必要が出てきます。また、河川港湾の攻撃にも、対地火力が必須です。
つまり、モニターが対艦戦闘を主任務とし、敵艦艇を撃破し海岸線の封鎖を行うのに対し、北軍の河川砲郭艦は臼砲を搭載し、河川を制圧する要塞や港湾を攻撃する為の火力基盤なのです。
さあ、対地攻撃を主目的とする艦艇…ほら、アーセナルシップみたい。それに形状もなんとなく似てると思いませんか?
砲郭艦とアーセナルシップ(w
>南北戦争
戦術的には塹壕のはしりや、本格的な軍隊の鉄道機動が興味を引きますが…
実は、作戦術がものすごいんですよ。南北戦争。
拘束、迂回、分進合撃…入門としては学研M文庫の「南北戦争」がお勧めです。
(著者は米海軍兵学校の学科長で、授業用資料が基になってます)
>53 河川砲艦については、ずっと前南北戦争のトレーディングカードゲームの
紹介を月刊誌で読んでからずっと引っ掛かっていた名前が甦りました。
たしかボムケッチとかいう奴でした。ナウシカに似た名前の艦種がでてきたし
さらにおぼろげながら、スループとかケッチとかフリゲートとかの帆装と船体と
載せている砲門数の話などが初心者質問スレであったなぁと。
それでぐぐってみたら
h
ttp://home.wnclink.com/russell/thunder.htm ここが出てきました。独立戦争の頃にイギリス海軍が使っていたと書いてます。
南北戦争の話で船隊を組んで要塞砲撃していたと思ったんですが、古いみたいです。
以下訳してみます。
#肝心の訳は1972年のあたりの不思議な記述で迷っています。北の攻勢に応じて
艦砲射撃をするためアイオワ級復役の話が出て来るんですが、要領よく纏められて
いてうまく訳せないのです。結局、デモイン級のニューポートニュースがかわりに
ハイフォン港あたりを夜間砲撃してます。アイオワ級の復役はなかったのでした。
設計上からは、英国海軍において最も特殊化した戦闘艦であろう。
主要任務は他艦との交戦ではなく、敵沿岸目標を砲撃することにある。
これが艦種 the name Bomb 或いは Bomb Vesselの由来である。
本質的には、これは浮き攻城砲台である。Bombの主兵装は2門の大型艦載臼砲
であり、敵都市や要塞内部に榴弾や燃夷弾を投げ込むことができる。
控え目にいっても敵の士気を阻喪させる効果があった。一般的な
片舷斉射は、精度に重きを置かぬ零距離での連続砲撃だが、これと違って、
Bombの砲撃ではよく狙いを付け、発射速度は比較的低い。これには
静天が欠かせない。さらにBombは錨を下ろして停泊する必要がある。
Bombs自身でも、補う為に6ポンド砲や多少の旋回砲を搭載はしているが、
他の砲搭載艦がそれに加えて護衛することが多い。
初期のBomb Vesselsの帆装はケッチ、つまりマストは2本のみで、
メインマストは船尾側。この配置により臼砲を置く場所が広くなる。
が、ケッチ帆装は速度は得られるが、バランスに欠け、帆走能力は不足していた。
ケッチ帆装のBombsとして建造されたのは1750年代のINFERNAL級Bomb Vesselsの
一部が最後だった。以降のBombsはシップ帆装となる。
#英国海軍の事情なので南北戦争のボムケッチは望みはあるのかも。以下続きます。
砲装
The Bomb Vesselの搭載砲は10インチか13インチ臼砲2門で、榴弾 (bombs)か
焼夷弾 (carcasses)を撃つことができる。焼夷弾とは焼夷剤を詰め込んだ硬い、
或いは、中空の球のこと。榴弾はこれとは異なり、炸薬を詰めた中空の球であり、
爆発する時間を調整する導火線が付いている。適切に導火線の長さを決める必要
がある。短すぎると、過早に爆発するし、長すぎると敵が導火線の火を消せてし
まう。榴弾はかなり大きかった。13インチ榴弾の重量は200ポンドを越え、炸薬は
10ポンドあった。この怪物を1マイルほど飛ばす装薬は、13インチ臼砲で10ポンド
から15ポンドだった。 砲の反動は大きかった。 衝撃を吸収し船体の構造を保護す
る為、臼砲は特別な支持台に据えられた。 この強化をしてもなお、反動により損傷
することは稀でなかった。
面白い事に、臼砲の装填や射撃を任されていたのは海軍の砲手ではない。砲分遣隊
として知られる、陸軍や海兵隊の熟練した砲術家に任されていた。彼らは弾道のきちん
とした知識があり、臼砲の操作に欠かせないとされる技能と規律を備えていた。船の
乗員とは完全に独立した、別部隊として彼らは任務についていた。が、船員が必要時
に支援することもあった。砲分遣隊はBomb Vesselの弾庫でもあるTenderに居住した。
戦闘中はTenderは近くに錨泊し、弾薬が追加して必要な場合はボートでtenderから
運ばれた。
BOMB VESSELSの命名
Bomb Vesselsの名前は大変暗示的である。船の火力を仄めかす意味が
込められている。火山にちなんだAETNA(エトナ)、伝説の火を吐く竜である
BASILISK(バジリスク)とFIREDRAKE(#チュ−トン神話登場する火吹き竜)、
ほかに、COMET(彗星)、TERROR(恐怖)、FURNACE(炉)、THUNDER(雷)、
INFERNAL(地獄の)、LIGHTNING(稲妻)、LUCIFER(魔王)、METEOR(隕石)、
BEELZEBUB(蝿の魔王)などがある。
乗員
船乗組員の編成は船の大きさにより様々である。例えば、1773年に
Bomb CARCASSは80名だが、RACEHORSEは90名乗り組みだった。
以下は1805年のBomb Vessel乗り組み表である。
Captain (1) Lieutenant (2) Gunner (1) Gunner’s Mate (1)
Master (1) Master’s Mate (1) Clerk (1) Ropemaker (2)
Surgeon (1) Assistant Surgeon (1) Quartermaster (1) Sailmaker (1)
Boatswain (1) Boatswain Mate (1) Purser (1) Midshipman (2)
Carpenter (1) Carpenter’s Mate (1) Armourer (1)
Marine Detachment: (did not rate a Captain of Marines or Drummer)
Subaltern (1) Sergeant (1) Corporal (1) Privates (16)
#役職の訳に自信がないのでとりあえず原文掲載 以下に訳しますけども。
船長 (1) 海尉 (2) 砲手 (1) 砲手助手 (1)
掌長 (1) 掌長助手 (1) 書記 (1) 綱工 (2)
外科医 (1) 外科医助手 (1) 補給長 (1) 帆工 (1)
甲板長 (1) 甲板長助手 (1) 事務長 (1) 海軍少尉候補生 (2)
大工 (1) 大工助手 (1) 兵器工 (1)
海兵分遣隊: (海兵大尉と鼓手は明記されていない)
中尉または少尉 (1) 曹 (1) 伍長 (1) 兵 (16)
#clerkとpurserの役割が不明 armourerは砲関係なのか、銃なのか、装甲なのか
不明。masterも不明。商船の船長もmasterだし、マスターアンドコマンダーも
いま掛かっているんですが、並ぶ順番からすると士官とも思えないです。
英国軍艦 BOMB VESSEL THUNDER(雷)
デッキ長: 96フィート7インチ 船体幅:30フィート8インチ
喫水(船倉床から上甲板までの高さ): 13フィート4インチ 385トン搭載
武装 13インチ臼砲1門 10インチ臼砲1門 6ポンド砲8門 旋回砲12門
#ということで56に誤訳発見 13インチか10インチの臼砲を全部で2門とすべきかも。
#ここも良く分からんので読み飛ばしてください
THUNDERは元はフランスの私掠船LE MARQUISE DE VAUDREUILだった。
が1757年に賠償として引渡された。1757年4月28日に英国海軍がスループとして
購入し、RACEHORSEと命名。1758年に火船(a fire ship)としていったん分類
されたが、後に a Bomb Vesselに改修される。1758年9月18日付けの儀装計画
では明らかにシップ帆装である。
1773年に北極探検のために再び改修される。1773年6月、RACEHORSEは
Constantine Phipps船長の指揮下で、北極にむけ出港。
Skeffington Lutwidge船長指揮下のBomb Vesselの CARCASSが同行した。
興味をひくのは、CARCASSに14歳のHorace少年が乗り組んでいた事である。
彼は後のHoratio Nelson提督である。
極氷の中のthe Bomb RACEHORSEの絵へのリンク。
アメリカ独立戦争での戦歴
1775年にアメリカ独立戦争の勃発後に、再びBomb Vesselに改修され
THUNDERと改名される。
SULLIVAN’S ISLANDでの行動
Sir William Howe指揮下の英軍の大部隊は北方植民地の反乱にかかりきりに
なっている間、Henry Clinton少将指揮下の別部隊は、南方植民地での王家
に対する抵抗を鎮圧することになっていた。Clinton将軍の支援のため、
Sir Peter Parker准将率いる海軍部隊はアイルランドのCorkから
カロライナへ派遣された。THUNDERはJohn Reid船長の指揮下で艦隊に
加わっていた。1776年5月にノースカロライナに到着、 同地でParker准将と
Clington将軍は攻撃計画を練り、Sullivan's islandに新たに築かれた
要塞に対して統合海陸攻勢を策定した。Parker准将の言では、
「要塞の除去は奇襲による。」 1776年6月1日、Cape Fearから出港し
6月4日にCharlestown Bar沖に到着し、攻撃の最終準備が整うまで留まる。
1776年6月28日に攻撃を開始。TUHNDERは武装船FRIENDSHIP(18門)
の援護のもと要塞から1マイル半離れて錨泊。
「28日朝、風は有利、空は晴れ、良い天候だが、
蒸暑い。TUHNDERは11時半に砲撃開始。他の船はその間前進した。」(艦隊付き作家)
「10時半に抜錨信号を出し、11時15分に、BRISTOL、EXPERIMENT、ACTIVEとSOLEBAY
が砦に接近。THUNDERはFRIENDSHIPの援護を受けつつ、東堡塁の凸角堡に
対して、北東〜北の方角を向いて対峙した。交戦前および交戦中に良好な指揮下
で数発を射撃」(Parker准将)
「TUHNDERは攻撃開始し、臼砲弾をおよそ1マイル半から砦に放った。
弾は砦内の柔らかな砂地や泥に着弾し、弾の導火線の火が消えたことが多々あった。
飛散する弾片を砂が受け止めてしまった。」(Moultrie大佐)
「THUNDERは明らかに砲の反動に堪えられなかった。臼砲支持台は過大な力に
堪えられず、一度損傷すると、THUNDERは戦闘不能となった。
「不運な事に、THUNDERはこれほど遠くにいたので、何の役にも立たない。
主任技術者のJames大佐はすぐさま気付いて、 各臼砲の装薬を追加したのだが
これが具合が悪かった。 結果として支持台が破壊されてしまい、その日のその後
は完全に戦闘不能だった。」(艦隊付き作家)
#writer with the fleetちゅうのが艦隊付き作家の原語なんですが
これは従軍記者みたいなものなのかとググッテも出てこないのです。
#Parker准将の引用台詞、訳しミスしている可能性が大きいです。
島の地図がないと良く分かりません。なんで、通常の射程外から砲撃したのか
あたりも謎。
攻撃は失敗だった。英国軍の損害はかなり大きかった。
「わが方の船は敵砲火に9時間さらされたのちに、大損害を被って後退を余儀なく
された」のである。艦砲射撃は、Lee将軍によると「私が見聞きした中でも最も激
しく絶え間ない砲撃」だったが、砂とpalmettoの(椰子の一種)幹でできた砦には
効果がなかった。もっとも、島内の周囲の植生と周囲の建造物の大半を平らげるこ
とはできたが。それとは逆に、米側の射撃は大いに効果があった。Parkerの旗艦
BRISTOLは「あっというまに綱の止め具を撃ち飛ばされてしまい、敵砲列端に
接して位置することになり、縦射を受けて、百名以上が死傷した。指揮していた
Morris船長は手を失った。船体の損傷は筆舌につくし難い。EXPERIMENTのScott
船長は右手を失い、船も大変な損傷を受け、BRISTOLと同じ位の死傷者がでた。」
(艦隊付き作家)
この大損害の責任の一端は歩兵が海岸に上陸するのに失敗したことにもある。
このため、海軍部隊が心底必要とした支援が受けられなかったのである。
#spring of cableはバネじゃないみたいです、画像でみると綱やワイヤーを
結ぶ固定具が出てきます。
>Bomb Vessel
多分、一般的に「砲艦」と訳される艦種と思われます。
また、独立戦争時の砲艦は、艦上にそのまま臼砲を載せた形態であり、
艦体自身の装甲はありません。
南北戦争時の河川砲艦は、艦体上部にメリマックと同様形状の装甲砲郭を設け、
より要塞に接近し、要塞と砲撃戦を行う場合もあったようです。
(実際に砲撃戦による戦没艦も出ています)
当時の装甲砲郭艦はメリマックvsモニター戦により、砲撃で撃沈するのは非常に困難な事が証明されており、
艦艇vs要塞の歴史において、非常に珍しい事に一時的にではありますが、
艦艇側が有利に立てた時期であると言えると思います。
しかし、南北戦争時の記述は見かけましたが、独立戦争付近の砲艦の詳細な記述は、なかなか見られないので、
今回の名無し氏の訳は、私にとって非常に興味深いものです。ありがとうございまつ(喜
(今こそ、目を向けてみたい艦種なのに、砲艦は地味なので、大抵の場合、さらっと書かれてる場合が多いもので…(悲
>64
当時の臼砲の射程と、要塞装備のキャノンの射程を考えるに、
砲艦側は、要塞の射程内で砲撃戦を行った可能性が極めて大きいです。
臼砲の射程は短いですから…
(でっかい迫撃砲(臼砲)と、加濃砲(キャノン)の撃合いと思えば、イメージ的に近いと思われ)
しかも、砲艦側の上部は無装甲…結果は目に見えてまつ(怖
>66 67
もっと戦闘経過を見てみようということでサリバン島の戦いをググッテみました。
こうしてみると、浮き砲台というのは、臼砲を楽に移動するための手段という気が
してきます。たしか、補給戦でも大砲は川で移動させるほかない時代があったと
書かれてきた気がします。すると、ボムケッチの起源は英国海軍でなくドイツや
フランスの陸軍の可能性もあるなと。
こちらがサリバン島の戦いの話です。英軍の攻撃計画のところで砲撃している
THUNDERの雄姿が見られます。脱線ついでにこちらを訳してみようかと。
それからアイオワ級の朝鮮戦争での戦歴を扱っているであろう保存会公式サイト
などを回って、元の論文の記述を補おうと思います。
http://www.schistory.org/displays/RevWar/CarolinaDay/prelude.html
1776年5月31日にサウスカロライナ沿岸に20隻の英国艦船が姿を見せた。
すでに数ヶ月前から南部植民地沿岸で作戦すべく艦隊が派遣されたことは
知られていた。そしてチャールストンが英国の目標となるのは時間の問題に
過ぎなかった。フィラデルフィアの南の重要都市はチャールストンのみであり、
反乱を早期に終らせるには鍵となる都市だと一般に考えられていた。
1776年前半の6ヶ月間は防御準備の進み具合は遅々たるものだった。
艦隊が出現した時点で、Sullivan's Islandの要塞は完成に程遠かった。
サウスカロライナは必死になって大陸会議に増援を要請し、将軍が
サウスカロライナ州に防衛を支援する為送られることになった。
Charles Lee将軍指揮下の軍が派遣されたが、Lee将軍は顧問としての
役目のみとなった。
Leeは欧州の戦争を経験しており、率直な話し方をする人物だった。
港湾防御の状況をみて、サウスカロライナ大統領Rutledge (州の最高の役職)
にSullivan's Islandの要塞は保持できないと述べた。Leeに言わせると
「屠殺場」とのことだった。Rutledgeにはこの判断は受入れ難く、要塞指揮官
のWilliam Moultrieにこう書いている。「Lee将軍は貴下が要塞から撤退する
ことを望んでいる。私からの命令なくして撤退してはならない。撤退を命令する
位なら自分の手を切断するほうがましだ。」
要塞構築作業は大急ぎで行われ、6月末には海峡に面する防壁は完成した。
が、後方は攻撃に備えらる状況には程遠かった。
英国はLong Island(現在のIsle of Palms)に上陸部隊をあげた。企図は
Sullivan's Islandの北東端を攻撃して米軍を挟撃により粉砕することであった。
この部隊の指揮官はHenry Clintonだった。Clintonは不十分な偵察に依存していた。
偵察はBreach Inletを渡って容易に攻撃可能と報告していた。数日夜にわたり、
浅い渡渉点を探したが、攻撃経路に使えるものはなかった。William Thomson大佐
の米部隊が島外周に強固な陣地を作るのを英軍は見る他なかった。
Sullivan要塞の守備隊は425名だった。大半は第二サウスカロライナ連隊と
第四連隊からの分遣隊だった。火薬が不足していた。Lee将軍は英軍の砲に
要塞が持ちこたえられる可能性はほぼないとみて、要塞の弾薬庫の火薬を
限った。火薬はLeeが計画していた市の死守のためにとって置かれていた。
英国艦隊が帆をあげた28日朝の時点で、守備隊は26門各砲につき28発しか
弾がなかった。このためMoultrieは部下に各弾を撃つのは10分おきとし
要塞に最も近い船に集中するよう命じていた。
両軍の戦闘序列
●米軍
Sullivan要塞 指揮官William Moultrie
装備 砲26門
第二サウスカロライナ連隊 士官兵合計413名
第四サウスカロライナ連隊分遣隊 士官兵合計22名
士官兵総計425名
Sullivan's Island北端 指揮官William Thomson
第三サウスカロライナ (レンジャー) 士官兵計300名
ノースカロライナ大陸軍 士官兵計200名
サウスカロライナ民兵 士官兵計200名
Allston's Raccoon中隊 士官兵計50名
士官兵総計750名
●英国軍
英国海軍 指揮官Sir Peter Parker
Bristol 50門 Experiment 50門
Active 28門 Solebay 28門 Acteon 28門 Syren 28門
Sphynx 20門 Friendship 22門 Ranger 8門
Thunder 臼砲艦 St. Lawrence
砲門数合計262門
地上部隊 指揮官Sir Henry Clinton
陸軍 士官兵計2200名
王立海兵隊 士官兵計600名〜700名
士官兵総計 およそ2900名
#英軍有利?
英軍の作戦計画
Peter Parker提督指揮の英国艦隊は20隻で編成され、うち9隻は武装している。
艦隊の総門数は270門。 英軍は水先案内人に任務を強制していた。
水先案内人は他船が要塞の至近に錨泊できるよう、先頭の船を要塞の付近に
案内するよう命じられていた。作戦計画では別の3隻が突撃して要塞西側に回り
未成部分に砲撃することになっていた。臼砲艦は大型臼砲を搭載し、要塞に
撃ち込む予定だった。
1776年6月28日 Sullivan's Islandの戦い
戦闘が開始すると、潮の流れは文字通り英国に不利な向きとなった。
水先案内人は座礁を恐れて戦艦をParker提督が命じたほど要塞の付近まで
案内するのを拒んだ。これで英国の砲は発揮できた筈の効果をあげられなく
なった。要塞の未成部分に乗じるよう計画されていた突撃は、潮の流れが変わって
船は、今Sumter要塞があるあたりの海岸に座礁してしまった。
その間、Palmetto(椰子の一種)でできた要塞の不慣れな砲手らは、
彼らは歩兵として訓練を受けて居たのだが、英国艦隊に激しい砲撃を
あびせ、緑服の軍隊には珍しい勇気と規律を示していた。砲撃は
英国艦には恐るべき損害を与えていた。艦隊旗艦Bristolのクォーターデッキ
上の人員は全員が死傷した。サウスカロライナの勅任知事Lord William Campbell
は同艦で砲を操作していたが、破片により負傷し、この傷がもとで2年後に亡くなった。
Parker准将も破片で負傷し、ズボンが裂かれて、「尻が外ざらしになった。」
また別の破片で膝を負傷して介添え無しには歩けなくなってしまった。
他の船でも多数の負傷者が出た。
英国軍は一方では、Long Islandから小艇に乗り込んだThomasonの部隊がSullivan's
Island北端へと攻撃を仕掛けた。攻撃を武装した英国スクーナーが援護した。
部隊は零距離射撃を受けて攻撃部隊に大損害を受けて、引き返した。
この失敗により、Clintonは攻撃を中止し、それ以上は攻撃を仕掛けなかった。
島の両側での攻撃が撃退されて、英軍は28日の午後に攻撃を中止した。
が、一つ大問題があった。 座礁した3隻のうち、Acteonは乗組員が
最善をつくしたにも関わらず依然として離礁できていなかった。
船長はParker准将に船を放棄し、叛徒の手に落ちないよう破壊する
する許しを求めた。許しはおりて船長は、就役してから1年と経っていない
英国海軍でも優れた船に火を放った。米軍の回収班が放棄されたのちに、
船にゆき、船鐘、軍旗、そのほか様々な備品を火が回り危険となるまでに
集める事が出来た。半時間後、船の弾薬庫が爆発した。見物していた者は
立ち上った煙はPalmetto(椰子)の形をしていたと語っている。
>浮き砲台というのは、臼砲を楽に移動するための手段
オイラもそう思っていたんですよ。
一種の自走砲というか(w
>67 その後を除いて訳してみたのですが、射程問題は浅瀬が要塞の付近に
あったらしいという事以外は分からないです。何発か撃ったあと船体が損傷してしまい、
たぶん浸水などが酷くなるなどして後退したのかも。戦闘経過全体は例によって
混乱続きだったみたいですね。ただ、水先案内人が強制されたというのは、負傷者には
王党派の知事がいたみたいですから微妙な気もします。
>75 そうなると、噂に聞くフィッシャー第一海軍卿のドイツ上陸用艦隊
に話が飛びそうです。これも確かコマンドマガジンで連載されていたので
知ったのです。全部は読めなかったのですが(汗。フュ−リアスはもとは
40センチ砲を搭載した喫水の浅い高速砲撃艦だったとか。
History of the Battleship New Jersey (BB-62)
h
ttp://www.bb62museum.org/history.html 米海軍戦闘艦辞典よりBB-62の項目
ウェブ管理人注記:同辞典は1970年の発行、よってニュージャージーの歴史も
発行辞典までのみ記載。この頁にあらたに項目を設けて1982年〜1991年も記述
したいと思っています。
引用元: DICTIONARY OF AMERICAN NAVAL FIGHTING SHIPS,
James L. Mooney, ed.,
Naval Historical Center, Department of the Navy,
Washington, DC., 1970
級 アイオワ
排水量 45000d
全長 887フィート7インチ
全幅 108フィート1インチ
喫水 28フィート11インチ
速度 33ノット+
乗組員 1921名
武装 16インチ砲9門 5インチ砲20門
2代目のニュージャージー (BB-62)は1942年12月7日にフィラデルフィア海軍工廠で進水。
命名者はMrs. Charles Edison、元海軍長官にしてニュージャージー州知事のEdison
の妻だった。就役は1943年5月23日で、艦長はCarl F. Holden大佐。
儀装を終え初代乗組員を西部大西洋とカリブ海で訓練。
1944年1月7日にパナマ運河通過し戦闘に向かうべくFunafuti, Ellice Islands
へ。1月22日に到着し第五艦隊に編入、3日後にマーシャル諸島を攻撃する58.2任務
部隊と合流。1月29日〜2月2日に空母がクウェゼリンとエニウエトックを攻撃する
間、敵攻撃から空母を遮蔽しつつ、エニウエトックを1月31日に上陸した部隊を支援して
砲撃。
>対地攻撃艦
対地攻撃用のモニターとして、英軍はWW2でも運用してますね。Erebus級とRoberts級です。
エレバス級がWW1時に2隻、ロバーツ級がWW2時に2隻が建造され、WW2でも各地の上陸作戦に参加してます。
※主兵装 38.1cm連装砲塔1基
エレバス級 Erebus、Terror
ロバーツ級 Roberts、Abecronbie
すごいなぁ、だいえいていこくかいぐんわ
対地攻撃「専門」艦としては、これが、今のところ最期の艦か?
あ。WW2時の上陸作戦用の米軍小型砲艦各種とベトナムのブラウンウォーターNAVYの河川艦隊があるか…
>78続き
ニュージャージーの旗艦としての誉れ高き戦歴は2月4日マジュロ環礁で
第五艦隊司令官Raymond A. Spruance提督が同艦に将旗を掲げたときに始まる。
旗艦としての最初の行動は、難攻不落とされていたカロリン諸島トラックの日本
艦隊根拠地を2日間にわたって航空攻撃および水上打撃することだった。
この攻撃はクウェゼリンへ上陸と調整した上であり、 マーシャル諸島攻略に
対する日本の洋上反撃を阻止することに成功した。2月17日と18日に、
ニュージャージー率いる任務部隊日本軽巡2隻、駆逐艦4隻、補助巡洋艦3隻、
潜水母艦隻、駆潜艇2隻、武装漁船1隻、航空機輸送艦1隻、その他小型艦艇
を含まぬ補助艦艇23隻を戦果とした。ニュージャージーは漁船1隻を沈め、
他艦とともに駆逐艦AIKAZEを撃沈。また艦隊を攻撃する敵航空機を
射撃。任務部隊はマーシャル諸島に2月19日に帰還。
#1944年2月17日のトラック空襲に参加していたということですね。
日本側からの損害をちと調べてみます。trawlerが良く分かりません。
漁船にしましたが、小型艦艇を呼んでいるのかも。
3月17日から4月10日の間、ニュージャージーは初めて
Rear Admiral Marc A. Mitscherの旗艦レキシントン(CV-16)と航海し
ミレーを航空攻撃及び水上打撃し、続いて58.2任務部隊に再び加わり、
パラオの船舶を攻撃、そしてウォレアイ島を砲撃。マジュロに帰還後、
スプルーアンス提督は旗艦をCA-35インディアナポリスに移した。
ニュージャージーの次の戦闘航海は4月13日から5月4日でマジェロから出て
マジェロに戻っている。4月22日にニューギニアのアイタぺ、タナメラ湾、
フンボルト湾への進攻に航空支援をする空母打撃群のため警戒幕。ついで
4月29日から30日にトラックの船舶と海岸施設を砲撃。ニュージャージー
戦隊は敵雷撃機2機をトラックで撃墜。5月1日、16インチ砲でポナペを砲撃し
燃料タンクを破壊し、飛行場に大損害を与え、司令部棟を破壊。
#タナメラ湾のみちと不明 一応 ”タナ メラ 湾”でヒットします。
シンガポールとオーストラリアにも似た地名有り。
マーシャル諸島でマリアナ諸島への進攻に備え休養したのち、
ニュージャージーは6月6日、Mitscher提督の任務部隊の警戒幕及び
砲撃群として出航。上陸開始前の航空攻撃2日目である6月12日に
敵雷撃機1機を撃墜。 続く2日間、サイパンとテニアンを砲撃し
6月15日に海兵が上陸することとなる海岸に鉄量を放り込む。
マリアナ諸島作戦に対する日本の反応として、機動部隊へ命令が下された。
米軍進攻部隊を攻撃し撃滅しなければならなかった。米軍潜水艦は日本艦隊を
フィリピン海へと追尾し、Spruance提督の任務部隊は対敵すべくMitscher提督と
合流。ニュージャージーは空母群の周囲に防御幕配置につき、6月19日、米日
の操縦士がフィリピン海の戦いで対決。同日及び翌日は日本海軍航空の最後を
告げた。「マリアナの七面鳥撃ち」で日本軍はおよそ400機を喪失。熟練操縦士
と航空機の損失は、潜水艦及び航空機による空母3隻の撃沈と空母2隻と戦艦1隻
の損傷と匹敵するものだった。ニュージャージー及び他の遮蔽幕艦船の対空砲火
は実質的に突破不可能である事を証した。損傷した米艦は2隻のみで、それも軽微
であった。17機の米機の戦闘喪失はあるものの圧倒的勝利であった。
マリアナ諸島征服への最後の貢献としてグアムとパラオを叩いた後、真珠湾に向かい
8月9日に到着。同地でWilliam F. Halsey, Jrの将旗を8月24日に掲げ、第三艦隊
旗艦となる。8月30日に真珠湾を出航、以後8月間はウルシーを根拠地とする。
太平洋戦争たけなわのこの時期、高速空母任務部隊群はフィリピン、沖縄、
フォルモサ海域を股にかけ、飛行場、船舶、沿岸基地、上陸海岸を反復して叩いた。
ニュージャージーはこれら部隊に欠かせぬ防御を担い、敵の航空及び水上攻撃を
常に撃退する備えとなった。
9月には、目標はビサヤとフィリピン南部、ついでマニラとキャビテ、
パネイ、ネグロス、レイテ、セブとなった。10月上旬には10月20日のレイテ
上陸の準備として沖縄とフォルモサを基地とする敵航空戦力を撃滅する攻撃を
開始。
レイテ進攻は日本帝国海軍の、絶望的な、ほとんど自殺的な
最後の大出撃を引き出した。日本のレイテ湾作戦計画は航空機のない
重攻撃空母群からなる北方部隊が囮として上陸を援護するHalsey提督の
戦艦、巡洋艦、高速空母群を誘引することが含まれていた。これにより、
日本軍の中央部隊はサンベルナルディノ海峡を通りレイテ湾に入ること
ができる。戦闘の劈頭にニュージャージーの護衛する空母群の航空機は
日本の南方部隊と中央部隊を痛打し、10月23日に戦艦1隻を撃沈。
翌日、Halseyは囮部隊が探知されたことにより北方へ針路をとる。Halsey
の空母の航空機は日本空母4隻、駆逐艦1隻、巡洋艦1隻を撃沈。その間、
ニュージャージーは新たな中央部隊の脅威に応じるべく南へ最大速度で急行。
同艦が到着したときには脅威部隊は衝撃的な敗北を受けて撃退されていた。
ニュージャージーは高速空母群と10月27日に再び合流、ルソン中央部及び南部を
攻撃。2日後、部隊は自殺攻撃を受ける。艦船の対空砲火と戦闘空中哨戒による弾幕
の中、ニュージャージーは1機を撃墜したが、同機の操縦士はイントレピッド(CV-11)
左舷対空砲スポンソンに機体を命中させた。このとき、イントレピッドの機銃により
ニュージャージー乗員3名が負傷している。11月25日でも同様に対空戦闘で部隊の
総合火力により日本機3機を撃墜。うち一機の機体部分がハンコック(CV-19)の
飛行甲板に炎上しつつ命中。イントレピッドはまたも攻撃を受け、自殺攻撃と
思われる一機を撃墜したものの、ニュージャージーの銃手が命中弾を与えた
別の機に衝突される。ニュージャージーはカボット(CVL-28)に急降下した
1機を撃墜し、カボットの左舷艦首に衝突した1機に命中弾を与えた。
12月に、ニュージャージーはレキシントン任務群と航海し12月14日〜16日の
ルソン航空攻撃を行う。その後、激しい台風に遭遇、3隻の駆逐艦が沈んだものの、
ニュージャージーは熟練した船乗りの技により無傷で切り抜ける。クリスマスイブに
ウルシーに帰還し、艦隊提督Chester W. Nimitzと会同。
Halseyの旗艦としての最後の航海は12月30日から1月25日までで遠くかつ広範囲に及んだ。
同艦が護衛する空母はフォルモサ、沖縄、ルソン、インドシナ沿岸、香港、スワトウ、アモイ
を攻撃し、再度、フォルモサと沖縄を攻撃。 1月27日にウルシーでHalseyはニュージャージー
から将旗を降ろしたが、2日後には第七戦艦戦隊(Battleship Division Seven)
を指揮するOscar Badger中将が旗を掲げた。
訂正
#ここまでrear admiralを中将としてきたのですが、少将であることが判明
将旗の星の数は
commodoreが1 rear admiralが2 vice admiralが3 admiralが4
fleet admiralが5 従って、准将、少将、中将、大将、元帥ですね。
88の艦隊提督とは従って元帥でした。失礼しました。
#Oscar Badgerについてはこちらが詳しい。
h
ttp://www.history.navy.mil/ar/bravo/badger.htm battleship division seven
戦艦の戦隊とすると、日本の場合は基本的には同型艦2隻〜4隻で組まれる。
ミッドウェーの戦闘序列の英語版をみると戦隊で良いのかも。
ミッドウェーの戦闘序列の日本語では
第一戦隊・大和、長門、陸奥
第二戦隊・伊勢、日向、山城、扶桑
になってますね。
>80
LSM(R)401級ロケット支援艦でつね。
これは1945から48隻が量産され、主に朝鮮戦争に投入され、一部の改修艦がヴェトナムでも使用された模様。
ちなみに、これの前段階のLSM(R)188号級ロケット支援艦が1944に12隻建造され、うち8隻が沖縄戦に参加したようでつ。
ただ、これらが上陸作戦の上陸段階の支援に特化し、ブラウンウォーターNAVYの河川砲艦が、
河川制圧(パトロール)に特化したのに対し、英海軍のモニターは、上陸支援に限定されない、
海上から陸上への砲撃を指向していた節があります。
結局、これらの艦艇からの陸上攻撃は、空母艦載機や、強襲揚陸艦のAHの役目になっていきましたが
精密兵器の発達に従い、その火力投射の役目を、艦載機からミサイルに切り替えたものが、
アーセナルなのではないか?とか思っていまつ。
まあ、米軍は他にもDDXとかの構想がありますが…
そういえば、あの、対地攻撃駆逐艦構想…今どうなってるんだろう?
さて…対潜丼、出番でつ
(無責任にも、勝手に人に振ってみるテスト)
アメリカ海軍の現在の士官階級は
大将 Admiral
中将 Vice Admiral
上級少将 Rear Admiral(Upper Harf)
少将 Rear Admiral(Lower Harf)
大佐 Captain
中佐 Commander
少佐 Lieutenant Commander
大尉 Lieutenant
中尉 Lieutenant Junior Grade
少尉 Ensign
となっているやうでつ。
なんと准将がない…准将は陸・空・海兵には存在
しかし、上級少将のランクはO-8であり、他軍では、これが少将
海軍の少将はランクO-7で、他軍のO-7は准将となっていますので、
訳し方によっては、
Rear Admiral(Upper Harf)を少将、
Rear Admiral(Lower Harf)を准将とした方が感覚的には判りやすいかも…
>階級追記
WW2中はO-7はRear Admiral(Lower Harf) ではなく、ここがComodoreだったそうです。
前スレが書けなくなったので、とりあえず、こっちに(w
>645(前スレ)
まあ、既に大半の内容は、概略としては把握してありますが、
手元にあって、いつでも詳細を参照できるというのは、やっぱり良いもんです(喜
あと、自宅付近の古本屋で、国書刊行会の定本・太平洋戦争を見つけたのですが、
内容不明で、手を出してよいものか思案中。
書評スレでも聞いてるのですが、まだ反応なし。
昭61年刊、定価20k、これが5kで発見。
さて、どうしたものやら…(悩
誰か、内容知ってる方おりませんかぁ?
(今、LRRPを読んでるので、ソ連地上軍は、その後のお楽しみに積んでありまつ)
>91 93 94
教えていただいた情報をもとに
battleship division admiralでググッテみたところ戦隊で良いようです。
戦記物を読んで太平洋の島嶼の名前が詳しくでている地図が
あればもっとらくに訳せることに気付きました。
しかし、ネットワークセントリックという議論が今一つ分かり難いので
火力支援する側の話をここいらから見ておくといいこともあるだろうと
思っています。いや、これも誤訳で誤解しなければの話ですが(汗。
で、その先に、先に言われた目標の抽出の問題があるのですが。まず火力を提供
する側はどうなんだろうと。
>92 ズムウォルト級対地攻撃駆逐艦が構想されていたのが、その後次期艦船構想
が名称変えとなり、LCS(沿岸戦闘艦艇)がかわりに浮上してきています。
確か、世界の艦船でのコロネードの取り上げ方も次期艦船構想絡みだった気が。
イラク戦争開戦1周年となりました。初日だったかにBBCの従軍記者が
射撃を受けて慌てて遮蔽物に隠れる報道があったのを思い出します。
>95 501kbと表示されていたのでまだ大丈夫かと思っていましたが
いつの間にか512kbを越えていたようです。
<定本 太平洋戦争
詳しい方を御待ちください。申し訳ない。
<LRRP
今のレンジャー連隊の元ですね。
<81機甲旅団あらため81BCT
タコマニューストリビューンで、ハックワースが展開間近の州兵3個旅団は
準備不足と批判したコラムについて後追い記事が出ています。
筆者は従軍取材を予定している記者。
<SBCT
クウェートの駐屯地でレイプされた女性兵士が報道の前に姿を現しインタビュー
を受けました。
続き
硫黄島上陸支援のため、ニュージャージーは2月19日から21日、同島へ航空攻撃するエセックス(CV-9)群で防御幕となり、2月25日には東京に対する初の空母攻撃でも防御幕という重要な任務を果たす。
同攻撃は特に航空機生産を目標とするものだった。続く2日間、同打撃部隊は沖縄に航空攻撃する。
3月14日から4月16日までニュージャージーは沖縄征服に直接参加した。空母が進攻の準備として
沖縄と本州を攻撃する間、ニュージャージーは航空攻撃を撃退し、水上機で墜落した操縦士を
救出し、特攻機から空母を守り、少なくとも3機を撃墜し他艦が撃破するのを助けた。
3月24日には、1週間後の強襲のため上陸海岸を準備するために砲撃するという、戦艦の重要な
役割を再度果たしている。
戦争の最後の数ヶ月、ニュージャージーはプージェット海峡海軍工廠でオーバーホールを受け、
7月4日に出航し、サンペドロ、真珠湾、エニウエトックを経てグアムへ向かう。グアムで8月14日に
再びSpruance提督の第五艦隊旗艦となる。マニラと沖縄に短時日滞在したのち、東京湾に9月17日に
到着。同地で日本水域における海軍部隊司令官代々の旗艦を務め、1946年1月28日にアイオワ
(BB-61)がこの役目を引継ぐ。ニュージャージーは本国帰還する兵を千名近く載せてサンフランシスコに2月10日に到着。
西海岸での作戦とプージェット海峡海軍工廠での通常オーバーホール後、ニュージャージーの
バイヨンヌへと大西洋の波を分け進む。同地で1947年5月23日に激励する4回目の誕生式典が開かれた。
出席者は知事Alfred E. Driscoll、元知事Walter E. Edgeらの貴顕。
6月7日から8月26日の間、ニュージャージーは第二次世界大戦勃発以来初の北欧海域を巡航する訓練
部隊に加わる。2000名を超える海軍兵学校とNROTCの士官候補生が東大西洋及び地中海海軍部隊
司令官Richard L. Connoly提督の指揮下で海洋航海経験を積んだ。同司令官はニュージャージーに
6月23日、スコットランドのロサイスにて旗を掲げる。同艦にてオスロで公式レセプションが催され、
ノルウェー国王Haakon Z世は7月2日に乗組員を観閲。また英国ポーツマスでも同じく公式レセプションが催されている。訓練艦隊は7月18日に西へと向かい西部大西洋とカリブ海で演習を行った。
戦艦第一戦隊司令官Heber H. McClean少将の旗艦をニューヨークで9月12日から10月18日まで務めた
後、ニューヨーク海軍工廠で退役。1948年6月30日にバイヨンヌにて解役し大西洋予備艦隊ニューヨーク群へ編入。
1950年11月21日、David M. Tyree大佐を艦長としてバイヨンヌにて復役。朝鮮戦争の苛酷な要求にあ
っても殊勲をあげられるように、一丸となり機能するよう乗組員をカリブ海にて訓練した。1951年4月16日ノーフォークから出航し、日本を経て韓国東海岸沖に5月17日に到着。以後6ヶ月間、第七艦隊司令官Harold M. Martin中将はニュージャージーを旗艦とする。
5月20日に韓国で最初の沿岸砲撃を行う。同艦は二度の朝鮮水域での戦闘航海で海上機動砲兵の役割を
幾度となく果たした。国連軍部隊への直接支援、地上行動の準備、共産党軍の補給と通信線の
阻止、補給物資と陣地破壊のため、ニュージャージーは鉄塊を放ち、地上砲兵の射程を超えて射撃し、
目標から目標と迅速に主攻撃に束縛されず移動し、空母が防御を必要とするときは直ちに護ることも
できた。元山でのこの任務の際、朝鮮戦争での唯一の戦闘損害を被っている。沿岸砲台が第一砲塔と
艦尾付近左舷に至近弾を与えて、1名が戦死し2名が重傷を負っている。
5月23日と27日の間、及び30日に、ニュージャージーは襄陽 Yangyangと杆城Kansong
付近の目標を砲撃し、部隊集結を散り散りにし、橋梁を落とし、弾薬貯蔵所3箇所を破壊。
航空観測機の報告によると、この砲撃後に襄陽は放棄され、杆城Kansongでは鉄道施設と車両が
破壊された。5月24日に、ニュージャージーのヘリ1機が墜落した操縦士を捜索中、燃料切れで
喪失。乗員は友軍領域に辿り着く事が出来、のちに艦に帰還した。
太平洋艦隊司令官Arthur W. Radford提督と極東海軍部隊司令官C. Turner Joy中将が座乗し、
ニュージャージーは元山の目標を6月4日に砲撃。2日後に杆城Kansongで主砲にて砲兵連隊1個と
トラック集結地を砲撃、第七艦隊の航空機が目標を観測し成功を報告。6月28日に元山沖で
再度沿岸砲台の砲撃に捉えられる。左舷側に至近弾が数発あったが、ニュージャージーの
精確な射撃は敵を沈黙させ数門を破壊。
7月4日から12日の間、ニュージャージーは杆城Kansong地域での国連軍の前進を支援、敵部隊の戦力
蓄積と再集結陣地を砲撃。韓国第一師団が敵を猛攻している際に、沿岸火力統制観測官はニュー
ジャージーの斉射が敵迫撃砲陣地、補給及び弾薬貯蔵所、人員集結地に直撃するのを目撃。
77月18日に元山へ戻り、完璧な射撃を見せつけ、砲座5門を5回の直撃で破壊。
8月17日には再度韓国軍の支援のため、杆城Kansong地域へ戻り4日間に渡り夜間は擾乱射撃、昼間は
反撃を破砕、敵部隊に大損害を与える。さらにこの付近に8月29日にも戻り、韓国軍に加えられて
いる圧力を緩和するため敵前線背後に行われた両用戦の示威として射撃した。
翌日から3日間Changjon地域での殲滅を行い、搭載ヘリの観測結果によると、建物4棟破壊、
道路交差点粉砕、鉄道操車場炎上、車両は切断されて転覆、貯蔵石炭は飛散、建物と倉庫多数が
炎上。
9月23日に、砲撃により損傷をうけた韓国軍フリゲートAPNOK(PF-62)から負傷者を受け入れて暫時
休息したほかは、ニュージャージーは杆城Kansong地域の砲撃に没頭し、米軍第十軍団の機動を
支援した。砲撃のパターンとしては、夜間に擾乱射撃をし、昼間に確認目標を破壊する形だった。敵の移動は同艦の巨砲の射撃により妨げられた。橋、ダム、砲座数門、迫撃砲陣地、トーチカ、陣地、弾薬貯蔵所2箇所が破壊された。
10月1日に、統合参謀本部議長Omar Bradley大将と極東総司令官Matthew B. Ridgeway大将がMartin提督と
協議のため乗艦。
10月1日から6日、ニュージャージーは杆城Kansong、感興Hamhung、興南Hungnam、
Tanchon、Songjinで連日行動。杆城Kansongの目標の大半は敵陣地と補給集積地。
その他では鉄道、トンネル、橋梁、石油精製所、列車、沿岸砲台を5インチ砲で破壊。
10月16日にはHMSベルファストと組んで航行しHMASシドニーの操縦士の観測の下
Kojo地域を目標とする。作戦は良く計画、調整されており、良好な戦果が得られた。
10月16日は誉れ高き日であった。杆城Kansong地域の観測機が「全射撃目標に着弾、5年で最も
素晴らしい射撃だと」伝えてきた。5時間の砲撃で砲座10門、塹壕と掩蔽壕を粉砕しおよそ
500名の損害を与えた。
11月1日から6日、ニュージャージーは北朝鮮沿岸を輸送施設を攻撃しつつ急進。
元山Wonsan, 興南Hungnam, Tanchon, Iowon, Songjin, and Chongjinの橋梁、道路、鉄道施設を打撃し、
橋梁4つを破壊、他を大いに損傷させ、操車場2箇所を切り裂き、鉄道を長い区間にわたり破壊した。
11月11日と13日にはKansongを再度、またChang-San=got半島付近を攻撃して、ニュージャージーは
今回の戦闘航海を終えた。
旗艦はウィスコンシン(BB-64)へと交代し、ニュージャージーは横須賀をでてハワイ、
ロングビーチ、パナマ運河を経て12月20日にノーフォーク着。ここで6ヶ月間のオーバーホール。
1952年7月19日から9月5日の間、NROTC士官候補生司令官H.R. Thurber少将の旗艦として
シェルブール、リスボン、カリブ海を訓練航海。その後、二度目の韓国への戦闘航海に備え、
訓練した後、1953年3月5日にノーフォークから出航。
航路をパナマ運河を経て、ロングビーチ、ハワイととり、4月5日に横須賀着。翌日、
ミズーリ(BB-63)から第七艦隊司令官Joseph H. Clark少将が旗を移し旗艦を引継ぐ。
4月12日には、Chongjinに砲弾を撃ち込み、ニュージャージーは戦闘へ復帰。7分間で
直撃7回を記録し、主通信局の半分を吹き飛ばした。釜山Pusanで2日後に韓国大統領と夫人
および米国大使Ellis O. Briggsを迎えて舷側礼。
4月16日にKojoで沿岸砲台と建物、4月18日に興南Hungnam付近で鉄道車両とトンネル、
4月20日に元山Wonsan海岸で砲座を砲撃し、自身も数発の至近弾を受けつつ5箇所で沈黙させる。
4月23日にSongjinの目標を攻撃。鉄道トンネル1箇所に16インチ砲が直撃6回、鉄道橋2箇所を
破壊した。
5月1日にニュージャージーは元山Wonsanへの大規模な航空攻撃及び水上打撃に参加、
第七艦隊航空機が敵を攻撃、戦艦のために観測した。この日共産党軍の沿岸砲11門を破壊し、
4日後にはHodo Pando島の海岸を管制する重要な観測所を破壊。2日後には元山WonsanのKalmagak
を目標とし攻撃。
航路をパナマ運河を経て、ロングビーチ、ハワイととり、4月5日に横須賀着。翌日、
ミズーリ(BB-63)から第七艦隊司令官Joseph H. Clark少将が旗を移し旗艦を引継ぐ。
4月12日には、Chongjinに砲弾を撃ち込み、ニュージャージーは戦闘へ復帰。7分間で
直撃7回を記録し、主通信局の半分を吹き飛ばした。釜山Pusanで2日後に韓国大統領と夫人
および米国大使Ellis O. Briggsを迎えて舷側礼。
4月16日にKojoで沿岸砲台と建物、4月18日に興南Hungnam付近で鉄道車両とトンネル、
4月20日に元山Wonsan海岸で砲座を砲撃し、自身も数発の至近弾を受けつつ5箇所で沈黙させる。
4月23日にSongjinの目標を攻撃。鉄道トンネル1箇所に16インチ砲が直撃6回、鉄道橋2箇所を
破壊した。
5月1日にニュージャージーは元山Wonsanへの大規模な航空攻撃及び水上打撃に参加、
第七艦隊航空機が敵を攻撃、戦艦のために観測した。この日共産党軍の沿岸砲11門を破壊し、
4日後にはHodo Pando島の海岸を管制する重要な観測所を破壊。2日後には元山WonsanのKalmagak
を目標とし攻撃。
元山Wonsanで7月11日から12日、ニュージャージーは韓国での戦闘任務中で最も集中的砲撃を行った。
初日は9時間、2日目は7時間、Hodo Pondo島と本土の砲陣地と掩蔽壕を叩き潰し、はっきりと
戦果をあげた。少なくとも敵砲10門を破壊、多数を損傷させ、多数の洞窟とトンネルを封じた。
7月13日にはKojoでレーダー管制局と橋梁を粉砕、7月22日から24日には高城Kosong付近の韓国軍を
支援して東海岸を再度砲撃。ニュージャージーの砲手はこの時期、大変精確でありそのもたらす
破壊は素晴らしかった。敵の重要な観測所のある大洞窟を封じ、1ヶ月に及ぶ国連軍の活動の
結果、多数の掩蔽壕、砲陣地、観測所、塹壕、戦車その他の兵器を破壊した。
7月25日明け方は興南Hungnamの主要港湾、鉄道、通信中枢の沖で、沿岸砲、橋梁、向上地域、
石油貯蔵タンクを砲撃。同日午後には北へ航海し、Tanchonへ進む間、鉄道線及び鉄道トンネルを
砲撃。同地で夜間に沿岸を走行することが判明している列車を観測するため捕鯨船を発進させた。
列車を閉じ込めるように2本のトンネルに主砲を指向したが、暗闇の為6門斉射の成果を見ることは
できなかった。
翌日の元山Wonsanでの任務行動がこの任務航海での最後だった。ニュージャージーは同地で大口径砲、掩蔽壕、洞窟、塹壕を破壊。2日後、休戦が伝えられた。香港に8月20日に碇泊し7日間の間祝った。
この戦闘航海の残りでは2本とフォルモサ沖で作戦を遂行した。特筆すべきなのは釜山Pusanへの
訪問だった。李承晩大統領が9月16日に乗艦して第七艦隊へ韓国大統領部隊感状を授与した
10月14日に横須賀で旗艦をウィスコンシンと交代し、翌日本国への途につき、11月14日にノーフォーク
に到着。この後二回の夏は大西洋を士官候補生を乗せて渡り訓練し、その他の時期には大西洋岸と
カリブ海で演習や訓練機動により技量を磨いた。
ニュージャージーは1955年9月7日にノーフォークを出航し地中海の第六艦隊で最初の任務航海につく。
訪問港はジブラルタル、ヴァレンシア、カンヌ、イスタンブール、スダ湾(#クレタ島)とバルセロナなど。
1956年1月7日にノーフォークに帰還し、訓練作戦の春季計画を行う。同年夏、再び訓練の為
士官候補生を乗せ北欧へと航海し、7月31日にアナポリスに帰還。再度、8月27日に第二艦隊司令官
Charles Wellborn Jr.中将の旗艦として欧州へ航海。リスボンを訪問し、スコットランド沖でNATO
演習に参加、ノルウェーを公式訪問し王太子Olafを賓客として招く。ノーフォークに10月15日に帰港、
12月14日にニューヨーク海軍工廠に退役のため到着。1957年8月21日バイヨンヌにて解役し予備として
留められる。
ニュージャージーの三度目の現役は1968年4月6日、J. Edward Snyder大佐指揮下でフィラデルフィア
海軍工廠での復役に始まる。性能の向上した電機とヘリ着陸パッドが取り付けられ、40mm砲が
取り外され、重砲撃艦として改修された。16インチ砲は、悪天候下において航空攻撃からは
安全に、他の小口径の海軍砲では届かぬヴェトナムの目標に到達すると期待されていた。
ニュージャージーはいまや世界で唯一の現役の戦艦として、5月16日にフィラデルフィアを出航し、
ノーフォークを経由、パナマ運河を通過して新たな母港となるカリフォルニアのロングビーチに
6月11日に到着。南カリフォルニア沖でさらに訓練をする。7月24日、ニュージャージーは16インチ
砲弾と装薬筒をMOUNT KATMAI(AE-16)から通常ハイライン輸送とヘリコプター輸送により受領。
これは海上でヘリにより戦艦の弾薬が輸送された初の出来事だった。
ロングビーチを9月3日に出航、真珠湾とスービック湾に寄港後、ベトナム沿岸での砲撃支援任務を
行う最初の任務航海へと9月25日に出る。9月30日、弩級戦艦は17度線付近で初弾を撃つ。
16年ぶりの戦闘であった。非武装地帯(DMZ)内及び付近の共産党軍目標を再度射撃し、砲座2門と補給集積地2つを破壊。翌日はDMZ北の目標を射撃し、対空砲火により海上に撃墜された観測機の乗員を
救出。
以降6ヶ月間、スービック湾を短期訪問するのと、海上で補給活動を受けるほかは着実にベトナム沿岸にて砲撃と火力支援を行う。砲列に加わって最初の2ヶ月間に共産党軍目標に発射した弾数はおよそ
1万発。うち3000発以上は16インチ砲弾であった
最初のベトナム戦闘航海を終え、ニュージャージーはスービック湾を1969年4月3日に出て、日本へ
向かった。横須賀に到着し2日間滞在したのち、合州国に向け4がt9日に出航。が、帰国は遅れる
こととなった。15日にニュージャージーがまだ洋上にあるとき、北朝鮮のジェット戦闘機が
非武装のEC-121”コンステレーション”電子偵察機を日本海で撃墜し、全乗員が死亡。
空母任務部隊が編成されて日本海に送られ、ニュージャージーは向きを変え日本を目指すよう命じ
られた。22日に再び横須賀に到着し、起こりうる事態に備えて直ちに洋上に出た。危機は緩和され
て解放され、ニュージャージーは中断された航海を続け、1969年5月5日にロングビーチに錨をいれた。
8ヶ月ぶりの母港だった。夏の間、乗組員は今後の展開の準備に精を出した。砲で発見された
不具合は直され、全員が強力な戦艦が戦闘で価値を発揮する機会を望んでいた。が、経済的理由が
勝ちを収めることになってしまった。1969年8月22日、国防長官は退役する艦船の一覧を公表した。
一覧の先頭にニュージャージーの名があった。5日後、Snyder艦長に代わりRobert C. Peniston大佐が
指揮を引継いだ。
モスボール艦隊に指名された艦の指揮をとり、Peniston大佐と乗組員は憂鬱な作業を進めた。
ニュージャージーは9月6日に最後の航海につき、ロングビーチからPuget Sound海軍工廠へと
向かった。8日に到着し、解役に備え退役前オーバーホールを開始。1969年12月17日、
ニュージャージーの旗は下ろされ、退役艦隊に編入された。最後の艦長の言葉は
「よく休め、ただし浅く眠れ。再び求めを聞いたらば、自由の為に火力を発揮せよ。」
ニュージャージーはヴェトナムでの任務により海軍部隊感状を得た。第二次世界大戦では
戦闘星章を9つ、朝鮮戦争では4つ、ベトナムでは2つ受けている。
以上がニュージャージーの戦歴です。この後、レバノンと湾岸戦争で呼び戻されて
います。続いてミズーリの予備記述を見てみます。
#地名は元山と興南、感興は確定ですが、高城と杆城はちと自信がなく他は
より詳しい地図帳がないと分からないです。艦船の場合、1時間10ノットで
動いても24時間走れば240ノットで444.48km先まで移動します。
実際には目標を射程内に収めて目標を中心に振り子状に移動し、それから
沖合いにでてから次の配達先に行くのでしょうからもう少し短いかもしれませんが。
#また、訓練艦として使われることが多いのも気付いた点です。
interim strike forceという言葉があったのを知りました。
空地打撃部隊の系譜に連なるんでしょうか。まだ未見です。
Nato sends more troops to Kosovo
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/3522230.stm NATO コソボへ増援
NATOはここ5年来で最悪の民族衝突発生に伴い、平和維持部隊をコソボに送りつつある。
衝突は、分断されている町Mitrovicaで始まり、セルビア人とアルバニア人が銃や手榴弾で攻撃
しあい、数名が死亡。
暴力は国連管理地域に広がり、国連筋によると、22名が死亡し、500以上が負傷したと伝えられ
ている。この報せに、ベルグラードや他のセルビアの都市では抗議が起こった。
非難
ブリュッセルのNATO広報官によると、暴力を沈静するためはボスニアからコソボへ部隊を派遣中とのこと。150名の1個中隊が向かいつつあり、他に2個中隊が待機しているとロイターに語った。
暴動にたいしては国際的に非難が拡がっており、NATOによると1999年の戦争終結以来最悪の暴動
とのこと。
火種となったのは、火曜日にコソボ北部の町Mitrovicaでアルバニア人の子供3名が溺死したこと。
セルビア人に犬で追われ、逃げようとしてのことと伝えらた
少年らが志望する前日にはコソボ中部のCaglavica村で18歳のセルビア人が通りすがりの車から
銃撃を受け負傷し、セルビア人とNATO平和維持部隊との間の衝突を引き起こしている。
これまでのところ22名が暴力の広がりにより死亡したとUNmikのNATO代表部広報官は伝えている。
コソボの領域内外への飛行は停止され、セルビアとの境は閉鎖されてい
その他の事件
セルビア人の建物がコソボの首都プリシュチナでアルバニア人に攻撃を受け、7名が死亡と
国連が伝える。およそ100名のセルビア人が警察とNATO部隊により市から脱出。
東部の町Gnjilaneで3名が死亡。
Caglavicaで戦闘がありセルビア人の家屋数軒が炎上。
プリシュチナ郊外のPoljeでセルビア人家屋のある付近の地方病院が炎上
コソボ西部のBelo Poljeでセルビア人帰還者へ攻撃
西部のPecで暴動、国連事務所が攻撃を受けて国連警察官によりアルバニア人1名が殺害される
水曜の夜、コソボのセルビア人同胞への攻撃に対して抗議する為、ベルグラードで数千人が
路上へ繰り出す
デモ参加者は警察の警備線を突破し17世紀からのモスクに火を放った。
セルビアの都市Nisでもモスクに放火があった。
セルビア首相Vojislav Kostunicaは、水曜の攻撃はアルバニア分離主義の本性である「その暴力的、
テロリスト的性格」を露にしたと語り、コソボのセルビア人は自治権を与えられるべきだとした。
また、アルバニア人によるコソボ内に「残るセルビア人共同社会に対する虐殺」を非難した。
火種
1999年のNATO航空攻撃によりセルビアが撤退して国連がコソボの行政を引継いで以来、
Mitrovicaは火種だった。
およそ20万人のセルビア人がコソボに孤立した飛び地や、Mitrovia北部のような混ざり合った街区に
残った。
コソボの将来の地位は未解決であり、特派員によると進展がないことが戦後の緊張を高めている。
Kostunica首相は最近、コソボは自治区に分割されるか、或いは民族線に沿い分離されるべきだと
提案した。
コソボの大統領Ibrahim Rugovaの広報官はBBCに、独立のみが解決であると語った。
「コソボの地位は独立すべきであるのは言うまでもない。これはコソボ人の大多数の意志である。
コソボの独立は多くの問題を解決する」と、Mohamed HamitiはWorld Today で語った。
BBC
http://news.bbc.co.uk/go/pr/fr/-/1/hi/world/europe/3522230.stm Published: 2004/03/18 10:34:24 GMT
緊急展開の話でどうも陸軍らしいので、載せて見ました。
詳細は明日以降調べてみます。173空挺旅団かボスニア展開している
米欧州陸軍の部隊かと思いますが、不明。
#コストニッツァ首相の綴りはちと面白かった。
>112 どうも下訳終えて日本語の拙さに泣いた旅団基盤師団の任務別編成案に
ある打撃師団なども近い。いや、むしろ旅団基盤師団もstrike forceも
”規格性”(旅団単位のプラグ&プレイ)の走りを受けている節があります。
strike forceでTRADOC パンフレットについて言及していました。
検索すると次代のFMなどや構想などを説明している文書ですね。シューメーカーの16の
関心領域に繋がりそうな表題の文書がちらほら見えます。
>118 KFORの編成探し中なり。
コソボ派遣は先遣が州兵1個中隊とイタリアのカラビニエリ、英国とボスニアから1個大隊が
後続。
>117 Interim Strike Forceは1999年1月にデニス・ライマ-大将が
AUSA(米国陸軍協会)の会合にて発表したことが判明。
つまり、フォースXXIの構想の流れを汲み、IBCTの源流の一つである可能性が
あります。AAN(次の陸軍)以外にも流れがあったわけです。
<ミズーリの戦闘日誌
舷側礼と登舷礼の違いなどを探しており、順調に挫折中。
とりあえず正確なのは艦船名だけという状態。しかし、訳せれば
ニュージャージーの戦闘航海ではざっと纏められていた部分、
つまり、どこにいってどんな戦果をあげていつ帰ったかという話を
さらに膨らませられるとは分かっています。分かっているんです。
>120 面白い事にBUA(旅団行動部隊)で出て来るプラグ&プレイの話が
既にこの暫定打撃部隊の構想で出てきます。2ACRの司令部を母体として
全陸軍から任務と進行にあわせて、部隊を傘下に組入れて指揮するための構想
だったようです。その一方ですでに空中機動旅団などはAANの中で論じられて
発表され、この論文でも引用されています。
Joint Venture makes berth in Iwakuni
http://www.globalsecurity.org/org/news/2004/040321-hsv-x1.htm IX-532 Joint Venture (HSV-X1)が岩国に2月28日に寄港
・3MEF(第三海兵遠征軍)のFoal Eagle作戦支援のため
・同艦は以前はカーフェリーだったが、軍に「養子縁組」となった
・副長は陸軍のChief Warrant Officer
・乗組員は男性のみ30名
・搭載できる貨物は数百トン、搭乗可能人数は363名
#Foal Eagleは韓国と米軍との合同実働演習のはず。Foalは子馬の子
のような意味だから、訳すと若鷲でしょうか。
#Tオーストラリアのタスマニアにて軍向けの改修を行い納入されたと書いています。
同じ会社かも。incatではなく、 the Catamaran Companyとしていますが。
#AOEを読み始めました。軍団と戦域軍についても編制を検討し承認していたことを
知りました。また、Division 86の成果をいくつかあげています。そのかわり
ROADからDRSへと移り、TRICAPなどはでてきません。AoEが中心です。
AoE続き(下読み中)
1970年代後半から「紛争」世界への即応展開を求める考えがでてきたこと。
そして、NATO正面への米大陸本土からの増援。
これらの二重の目的をこなせる師団とその上位階梯である軍団の編制研究が
1982年ごろに行われています。
この中でInfantry Division 86というのが構想されるのですが、これの
歩兵は自動車化されています。師団定員は17773名。9個歩兵大隊 2個突撃砲大隊
旅団本部は3つ。旅団は固有の部隊を持たない図式となっています。
#RACO(後方地域戦闘旅団)というのが軍団固有で出て来ることがあります。
自動車化歩兵なのですが。これの性格についてはまだ詳しい記述にまで行って
いません。
米軍艦、操船に民活導入 軍人の前線集中配置狙い実験
http://www.asahi.com/international/update/0325/012.html #陸軍の人員定数上限は編制、というか部隊設計の話で出て来るんですが
この方法を使えばある程度までは回避できるかも。支援関係にどれだけ
民間人を導入できるか、民間会社を使えるかは見てこなかったので参考に
なります。ハリバートンや新銀行紙幣を輸送した会社の警備人員には
フィジー人がいたことなどが参考になるかと。医療などのリーチバック
(本土から展開先に医療診察をし、投薬の助言などをする)や、民間の
経営概念の導入などは見たような気もするんですが。FM3-0で軍種間、官庁間、
NPOとの連携を謳っていたのですが、こういう形なのかも。
補給関係については特に予備部品の到着が遅れたという話がありますが。
前線集中配備というのは、end strengthとかをうまく言い換えているのかも
しれません。
ワシントンポストに米陸軍の戦力再配置の記事が載りました。
中央アジア諸国にOEF(不朽の自由作戦)のさい駐留することになった基地を
展開基地として使用、ドイツの2個師団の家族は本土帰還、ドイツなど欧州軍
の人員を削減、東欧に作る質素な基地へ移転、東アジアは戦力削減と
合理化、これによる戦力の空白を避けるためグアムやハワイに1個空母群を
置く事を検討という内容です。
#SBCTを空輸で展開する際の問題は、展開先空港の受け入れ能力が大抵
不十分であることと、また、能力が十分にある場合はその能力を生かすためには
多数の輸送機を投入しないといけないという指摘がされていました。
この状況を改善するには、できるだけ展開先空港に近い地域にあらかじめ
中間展開して置けば良いわけです。
路線バスの運航を考えると分かりやすいかもしれません。
<戦艦の火力支援の話
戦史叢書を図書館で読んでみました。沖縄戦で嘉数高地の話もみようかと、
11巻目を読んでいる途中です。AoEも進んでいます。
ぬ〜
最近の米軍の再配置・再編成は眼が離せないな〜とは思ってるんですが。
年度末進行なんて嫌いだ。今週は80時間働くかと思ったぞ
(それでもLans丼には負けてる悪寒)
>127 あちらこちらで記事が出ているのですが、決定的な内容はまだでていません。
韓国の第二歩兵師団の2個旅団は、現在、実質1個旅団規模だとか、そのような
内容が多いです。
<仕事
御疲れです。
<SBCTと陸軍の改革
第三歩兵師団の今後が注目されます。そのうちにイラクに旅団か師団を再度
展開するでしょうけども、その際の投入の仕方と規模がどうなるか興味深いです。
BUA(旅団行動部隊)で、イラク内の他師団へ配属される形で行くのか、それとも
師団の一部を本土に残しつつ、大部分を展開するのかという点です。
SBCTについては、2個目の旅団がイラクへ展開すると思うのですが、これは
まだ調べていません。独立旅団のように扱われるのか、また、展開に際しては
直接支援を受ける部隊をどこから受取るのかなども調べたいところです。
取り敢えず終わった・・・>年度末進行
今月号の「世界の艦船」にHSVの記事が有りました。
記事よりも、AH-1ヘリや装載艇の揚降シーンの写真が参考になったですかね。
(ちっちゃいモノクロですが)
>BUA
なんというか、航空部隊の空地分離みたいな運用になるのかな、と。
>129
お疲れさまです。HSVは沖縄や岩国で見られるみたいです。富士にも海兵隊が
いますが、横須賀にも来るかも。輸送型だけでなく、様々なプラットフォームと
してモジュールを載せることができるという話ですが。
<BUA
師団支援集団や軍団、戦域軍の支援部隊がデジタル化により合理的な支援を
行い、列線部隊、機動部隊は自在に戦区境界に囚われず行動するのでしょうか。
長距離を移動する車列護衛などはやりやすくなるかもしれません。
>129 HSVの記事読みました。横浜にもたびたび来ていて、グアムと沖縄を
結ぶなどしているようですね。
ボートは艦尾から吊り下げて下ろしていました。主船体にウェルドックが
あって水を入れて発進させるのではなかったです。
記事をみると、搭載燃料量と貨物搭載量がトレードオフの関係にあると
書かれていて、条件次第では550tまで積めるとなっていました。
トンの単位は分からないのですが、重量だとするとSBCTは1個大隊のストライカー
を1隻に載せられるというわけにはいかなそうです。また、人員搭乗区画も
航空機のような施設であり、ベッドはホットバンクになるとも書かれていました。
#ドイツにSBCTが駐留することになったら、ドイツの港や、或いはイタリアの港に
TSVが係留されることになるのでしょうか。日本でも同船型の船が民間で運航
していたことがあるけども、現在は休止しているとも書かれていました。
>132
HSV-2は載荷750tとありました。
双胴ウェーヴピアサの特徴か、総トンと排水量の開きが大きいのが困り者。
今回の記事中で満載排水量2000t前後とあって、ようよう規模を把握できました。
1隻で軽装の中隊戦闘群くらいが適当なようです。
あるいはTSV17隻の要求が、SBCTの所要に合せたものなのかも。
>133 1個中隊戦闘群とすると、歩兵車両14両 迫撃砲搭載車両2両 MGS3両
それにハマーとLMTV(トラック)などですね。
<TSV17隻
SBCT全体で歩兵中隊は9個、偵察中隊が3個、砲兵中隊が3個、工兵中隊1個
対戦車中隊が1個、これで17個になります。他はRSTA大隊のUAV小隊や
軍事情報中隊に支援集団などですが、支援集団は機動中隊毎に分けても
いいですし。なるほど、そうなのかもと思いました。
TSVやHSVの重量と重心についてはかなり厳しいようなことも書かれていました。
軍が借り上げるに当ってランプが設けられたことや、軽量化に腐心して
いることなどが重量の関係であるとのことでした。
AoEはゆっくり読んでいます。TRADOC以外の総司令官(CINC)が
かなり、編制策定に関わっていたことが分かりました。指揮官会同などで
の時機にあわせて、提出説明するよう命じられて作業するなどの流れも
良く書かれています。HTLD(高度技術軽師団 第9歩兵師団のこと)に
ついては折々触れられています。中心は軽歩兵師団の創設と、重師団の
合理化にあり、重師団については一つ前の師団86の影響が大きかったようです。
一方、旅団を単位部隊とする考えについては、ある総司令官が提案した
もの検討はさほどされなかった模様。
h
ttp://www.comw.org/qdr/index.html このサイトにもSBCT関連の論考がありました。2人乗員+4降車班の新型戦闘
車両を提案しています。
タコマニューストリビューンに従軍特派員の回顧ルポがでました。
記事末尾に旅団の一日の行動記録が出ているので訳してみます。
<AoE まだ各師団毎のところには到達してません。空挺と空中強襲師団
の話も少しは出てきます。
>136 たいした量ではないのですが、他にも見るべき話が一気に出てきました。
イラク情勢が緊迫化しており米軍増派が検討されています。
具体的にどの部隊というのは不明です。また、F-22に反対する社説が
でています。
また、民間との連携という点では、イラク領内に警備会社が派遣している人数は
1万人〜2万人という話が出てきました。特殊作戦軍の悩みは高給高待遇に
よる軍人の引き抜きとのことです。
都市環境における作戦での、事態の流動性の例になりそうな状況です。
平和維持、支援作戦から、低烈度紛争にあっという間に転換することが
あり、装備に劣る敵であっても主導権を握ることができるという事例
だと思います。
都市部でのヘリによる攻撃、地上からの支援要請によるとのことなので
近接航空支援なのかもしれませんが、がファルージャで行われたとのこと。
イスラエルのハマス幹部暗殺作戦を思わせる報道となってしまうかもしれません。
部隊増派は、帰還部隊の駐留期限を延長することで、必要な人員を
増やす事で対応するという話が出ています。一方、民主、共和党の議員で
増派をただちにすべきとする人が新聞に取材を受けています。
規格性を読みました。タコマの記事は念のため点検中。
ストライカー旅団の平均的な一日:銃撃と騒乱
内乱者の攻撃と、無辜の市民の死の一日の記録
警官1名が殺害され、3名が通りざまの銃撃で死亡、銃撃戦で少年1名が負傷、地方行政当局により
多数の弾薬と武器が回収された。
これらの一つがタコマで起こったら、一面記事になるだろう。けれど、イラク北部の米軍部隊に
とってはどれもありふれた一日の出来事である。
以下はストライカー旅団の2月23日の”主だった行動”の記録である、この日はいつもよりも
少々忙しかった。
午前6時30分:旅団の第20歩兵連隊第5大隊が、ある男性の捜索で”包囲訪問”任務をAl Murina村で
遂行。男性の妻によると、男性は兄弟とともに逮捕されており、モスルの連合軍拘置所にいるとのこと。
午前7時50分:第3歩兵連隊第2大隊の兵がモスル中心部のチグリス河沿いの基地から遠くないところで
銃弾で穴だらけとなった車を発見。車内には同大隊で働く通訳5人が乗っており、全員が銃弾で負傷。
2名は既に死亡、3人目が病院で後に死亡。生存者は、通勤中に横に並んできたイラク人3名が、撃ちかけてきたと語る。
午前9時28分:モスルで予定されていた会合にNaji市長のHammam al Allilが現れずと、CPA代表から
連絡。第20歩兵連隊第5大隊長Karl Reed中佐が、市長の欠席の原因となった問題の解決にあたっている
との報告あり。
午前11時30分:、未だに捕まっていないサダム体制の指名手配者中で最上位で、
サダム=フセインの腹心であるIzzat Ibrahim al-Douri、の仲間がモスルのホテルに宿泊しているとの
情報が旅団に伝えられた。第23歩兵連隊第1大隊の部隊が拘束に向かった。ホテルに宿泊
していることを確認したが、外出中だった。部隊は彼の部屋で待ち、戻ってきたところを
捕まえた。
午後12時10分:Biaj町で巡回中の第14騎兵連隊第1大隊の部隊に手榴弾を内乱者が投げる。負傷者無し。
装備に損害無し。だが、襲撃者は逃げ失せる。
午後12時35分:第23歩兵連隊第1大隊と弾薬処理分隊の兵がモスル空港付近の旅団前方作戦基地Marez
のすぐ外側で不発の57mm対空砲弾を収集。
午後2時38分:Hammam al Allil付近を巡回中の第20歩兵連隊第5大隊の部隊が内乱者2名から撃たれる。
ストライカー旅団の狙撃手が2名を射撃したが、観測手によると逃げ失せたとのこと。兵は血痕を
発見したが遺体はなかった。その後、バイクに乗ったイラク人男性2名を停車させ尋問したのち解放。
銃撃で6歳の少年Mohammad Jamal Abdが弾片か跳弾により足を負傷。大隊衛生兵が少年を治療し、
負傷の補償を少年の父に支払う段取りをした。父は”より安全な状況で”内乱者についての情報
を兵に提供した。
午後3時:第14騎兵連隊第1大隊は地元民からの武器弾薬提出計画の一日の成果を報告、手榴弾214発、
60mm迫撃砲弾500発、RPG弾頭88発、RPGランチャー2基、小銃4丁、14.5mm機関銃弾200発、
各種口径砲弾35発。
午後3時:オリンピア任務部隊の憲兵が、モスル東部の料理店でイラク人警察官Bashar Nouri Malhalが
撃たれて死亡したことを連絡。
午後3時45分:第14騎兵連隊第1大隊の兵がSinjarとBiaj間の道路で155mm砲弾に線で繋がった黒い箱を
発見。弾薬処理班が現場で暗くなるまで作業:翌朝、破壊する為爆弾分隊が戻ってくるまでの間、イラク警察が現場を警備。
午後4時:民政部隊の兵がモスル北西の難民キャンプ付近のJabarゴム工場で不発弾を発見したと報告。
旅団の第37砲兵連隊第1大隊の兵により、通りに落ちていた単なる袋であることが判明。
午後4時:白のフォルクスワーゲンパサートに乗った内乱者が、モスルから東に通じる幹線道路を
警備するイラク施設警備警察部隊に銃撃。施設警備警察部隊は反撃。同部隊に負傷者無し、が、
通りすがりに銃撃をしてきた内乱者に損害を与えた確証も無し。一方、付近にいたSaef Arif Essem
が死亡。イラク警察が捜査にあたる。
午後5時30分:オリンピア任務部隊の情報提供者だと名乗るイラク人男性が第20歩兵連隊第5大隊の
Qayyarahの基地正門にSA-7肩撃ち式対空ミサイル1基を持って現れる。同人によると、工作管理官の
指示により購入したとのこと。
午後9時08分:モスル空港の見張り塔にいたストライカー旅団の兵とイラク民間防衛軍団の兵が
150ヤード先を武器を持って”戦術的に移動している”男性2名を視認。銃撃し、
男性らが付近の建物に逃げ込むのを確認。アルバニア特殊部隊が建物に入ったが、男性は
見つからなかった。
午後10時29分:第20歩兵連隊第5大隊の部隊がモスル南東部の家で”包囲訪問”任務を遂行。
同家にいた男性2名からAK-47銃弾600発を押収。用心のために、イラク人はAK-47 1丁と弾丸90発を
家に持つことが許可されている。
第14騎兵連隊第1大隊の部隊によると、モスル南の弾薬貯蔵施設で本日の早い時刻に通りすがりの銃撃
を受けたと民間防衛隊の兵が報告したとのこと。男性2名がバイクで近づいて銃撃。その後、車に乗り逃走。負傷者は無し。
午後11時30分:第23歩兵連隊第1大隊の部隊がモスル西部の家2軒にて”包囲捜索”任務を遂行。
米軍とイラク部隊に対する内乱攻撃の背後にいると考えられている兄弟2名を追っていた。
家族によると、彼らは暫く前に出て行ったとのこと。
午前12時30分:第20歩兵連隊第5大隊の部隊はHammam al Allilの家で”包囲訪問”任務を遂行。
男性2名が目的。同家にはいなかった。
(Published 2:00AM, April 4th, 2004)
おひさしぶりです〜
ストライカー旅団、地味な仕事してますねぇ。
こんなんだったらVBLか軽装甲機動車欲しいかも。2+4名の小型FVの提案もうなづける。
というか装甲ハンヴィでどうなのよ?という。
>流動性
むしろ「またソマリアかい」を懸念したですが、今回は硬軟使分けている模様。
ただ、どうも「戦場の霧」+「イスラム流」の相乗効果で、読めない事おびただしい話です。
>145 クルド人とトルクメン人にアラブ人が一応おりますし、平和支援・維持作戦
からいつ、ファルージャのような事態にならないとも限らないかとは思います。
とはいえ、クルド人としてはシーア派やスンニ派とはもともと立場が異なり、
民兵を抱えていますし、指導者が暫定評議会に加わっていたりしますので可能性は
低いかと思います。
<ソマリアとファルージャの違い
国連の治安維持活動への参加でなく、自国の戦略の一環で行ったことであり、
ここで手を引いたら中東への米国の発言力はどうなるかという問題があると
思います。にしても、海兵隊は陸軍とは違う占領政策を展開するという公約が
あったはずなのですが。
新生イラク軍の1月に卒業した大隊がファルージャでの掃討作戦に参加する
ことを拒否したというニュースが10日にワシントンポストで、11日にNYタイムズ
やBBCなどでも流れています。イラク軍育成に失敗すると、シンセキ大将が
言っていた数十万人の部隊が占領に必要という話が正しかったということに
なりそうです。ウクライナ軍はサドル師のマフディー軍団に押されて一時は
都市内の基地から撤退したという話も先週はありました。国連とNATOの関与が
どの程度得られるかに退出戦略は掛かっていると言えそうです。
<ファルージャでの掃討作戦
イスラエルとパレスチナのイメージが絡むのが問題のようです。
ヘリでモスクを攻撃すると、ハマス幹部が乗った車にミサイルを撃ち込む話が
微妙に重なります。付随的被害については詳細が不明です。
軍民会議などは戦闘中も開かれているのでしょうか。
>139 1995年の周知刊行物では、師団より上の階梯、軍団より上の階梯に属する
部隊について、規格性のある部隊を作ろうという話でした。師団編制にも適用は
できるとはしつつも、基本的には米本土からEAD、EACを展開する際に任務に
ちょうど適合する規模の部隊を送り、一方、本土の部隊も機能し続けるという
ことなどを考えていたようです。つまり、旅団を行動部隊として師団は指揮統制
単位とするという話は、むしろ、旅団基盤師団のほうがまだ近かったです。
この点、SBCTは旅団、大隊、中隊まで諸兵科連合編制となっていますので
切り分けもできるようになっています。
>ソマリア
あー。強硬一辺倒で、軟着陸の余地を自ら失う可能性を心配したのです。
>139の話
基本は一緒なんでしょうね。海空では昔からある話ですし。
ただ、昔は投入規模がデカくて、師団単位でモノ考えていた、と。
各種技術の進歩もあって、一概に言えませんが。
<イラク
第二軽装甲騎兵連隊は一部がすでにルイジアナ州フォートポークに帰還し、残りも4月下旬から
5月上旬には帰還予定でしたが、今週の帰還便がキャンセルされるなど、しばしの
期間延長が決定しているようです。
SBCTというか、SRCTか、への転換はまだ先だとは思います。ちょっと確認の要アリ。
また、バグダッド周辺を担任していた第1機甲師団はクートへも展開し、
ドイツへの帰還が遅れる見込みです。
アビザイド中央軍司令官が2個旅団相当の戦力を統合参謀本部議長を通じて
国防長官に要請したとのことですが、具体的な部隊は記者会見では明らかに
されませんでした。期間延長で戦力を作り出すのか、新たに部隊が投入されるのか
などは不明ということです。
#2ACRとともにwarrior brigadeが展開していたことが判明。
フォートポーク(JRTC)の本部旅団の模様。こちらも帰還が遅れるとのこと。
#ワシントン州主体の第81機甲旅団もバグダッドにて活動しているとのことです。
>148
<ソマリア
話の筋を勘違いしていました。停戦交渉の仲介役がいろいろ登場してきたのと
シーア派聖職者の存在が大きく前面に出てきたことが印象的でした。
新聞によっては、イラン革命と比較する向きもあります。
ソマリアは戦車が空輸された例だという指摘が最近の軍事研究でありました。
コソボのティラナが1999年だったかで、ここでも戦車を空輸していますが、
それ以前、ブラックホークダウンが起きた直後に空輸されているという話
でした。
<旅団
海は戦艦の話が良く分からずお手上げ状態となっています(汗。
海や空から概念を借りてくる場合もありえることに気付いた次第です。
SBCTは中隊規模でどんな野外演習をしたのかという話が、
掲載誌がARMORなのでMGS小隊がらみで出てきています。中隊内で編合を任務に
あわせてしている様は伝わりました。肝心のところがちょっと分からなかったり
しますが。
SBCT #2 第25歩兵師団第1旅団は今年3月から5月に初期作戦能力を獲得し
後半にはイラクへ展開の見込みと、今年2月のAUSAの資料にでてきました。
来年には、アラスカの第172歩兵旅団、再来年には第2装甲騎兵連隊(軽)
2007年には第25歩兵師団第2旅団(ハワイ スコ−フィールドバラックス)
2008年〜2010年には第28歩兵師団第56旅団(ペンシルバニア州兵)となって
います。SBCT#5、#6にも予算は2003年12月についたとのことです。
#砲兵は現在、M198牽引式155mm榴弾砲です。HIMARSはイラク戦争にてイラク西部
で少数が投入されたとのこと。
#SBCTへの能力向上にコマンチヘリを含む航空部隊を付け加えることが決まって
いましたが、陸軍航空の改革によりどうなるかちょっと不明です。
イラクに2個旅団増派か?と昨日の読売新聞に出てました。
これもやはりSBCTか軽歩兵と思われるのですが、その歩兵大体は計6個なわけで、
重装師団よりも、ライフルマンは多くなるですね。
現地は機動性の高い部隊を求めているという事ですが、ストライカーが適合してるかどうか
>>140-の記事を見ると、ちょっと微妙な気がするです。やっぱデカすぎ?みたいな。
>2ACR
今、陸自第13旅団と比較してみたりしてます。
軽装甲機動車装備連隊などは、暗合的な部分もあり。
編制スレだかで陸自新旅団を「軽装甲騎兵と思えば納得出来るかも」などと書いてましたが
防衛白書にも「軽装甲機動車の導入@初動捜索能力の向上」とある事だし、ちょいと考えて
見ようかと思った次第。
・・・途中で飽きるかもしれませんが(^^;
>152 昨日のホワイトハウスでのブッシュ大統領のTV演説で
必要な部隊と資源は与えるということを言っていました。
SBCT#1の場合は、装備受領がずれ込んでIOC獲得後も中隊以上での訓練を
11月のイラク展開までしていたようです(GAOか議会予算局の報告書がソース)。
SBCT#2の場合はちと不明ですが、仕上げの演習をしたあと数ヶ月経過して
展開するという時間的余裕はないかも分かりません。
<2ACR ARMORの最近号で記事と読者投稿欄から扱っている記事を
探しています。レーザー測距機と105mm砲が他部隊の装備更新で余るから
2ACRに装備させてはどうかという意見がありました。
レーザー測距機を地上部隊が装備すればOH-58Dのヘルファイアを誘導できる。
だから、OH-58Dの出撃間隔と正存性に好影響があるだろうということ。
105mmは120mm迫撃砲に替えて装備することで、地上騎兵中隊の広い正面を
覆える射程が得られるし、対戦車能力など直射能力も加わる。
155mm砲から105mm砲にかえれば、牽引車両はハマーで済む。
などといったことが書かれていました。
<第13旅団
楽しみにしています。捜索能力についてはLARS3というのを盛んに
持ち上げてストライカーやイラク戦争関係で書いています。
ストライカー偵察型にはRWS(遠隔武器システム)にかえてLARS3が
付いているそうです。
>155 続き LAタイムズ?では4月13日付で
ナジャフ郊外12マイルの旧イラク軍弾薬廠に、バクバ、モスル、キルクーク
からのストライカー旅団を含む部隊が車列を組んで到着し、基地を設営
したことを伝えています。
ナジャフでの作戦は第1歩兵師団第3旅団戦闘団が行い
作戦名は Duke Fortitude。(公爵の不屈の精神 とでも訳せるでしょうか?)
#したがって、1個中隊程度なのかは不明の内容です。
#ワシントンポストでは戦車、ブラッドレー、ハマーに加えてストライカーも
車列に加わっていたとあります。
今月号のグランドパワーに憲兵旅団が使っている装甲車
(ハマー×2 +装甲車×1で1個小隊)が詳しく出ていました。
写真解説がかなり丁寧でハマーなどはIED(仕掛け爆弾)対策に
底面装甲などを充実させることを願っているという話です。
#ストライカーが市街戦闘や車列護衛に適するかについてはちょっと
考え中です。サマワ市街の建物と通りの様子などが良く分かるとある程度は
考えられそうですが。
#ワシントンポストの車列の話では、伏撃が行われる地点はほぼ決まっており
車列が差し掛かると無線で大尉が注意を促すという話がありました。
LAタイムズの話では、幹線道路を通る車列が必ず伏撃を受ける区間があり、
その経路を確保する攻撃を重火力を用いて行ったという話も出てきます。
中隊がどのような演習をしていたのかをarmorの記事からみてみようと
思います。市街地に車両で乗り込むよりは、静粛に展開線までゆき、下車させ
包囲し、場合によっては車載火器も下ろして支援を行うという感じだと
思います。MGSは中隊が局面に応じて小隊と組み合わせて編成を替えて
自在に運用しているようです。
>>157 良かったら、演習について調べた結果、抜粋でいいから載せていただけます?
>158 がんばってみます。とある事情で図と写真がカットされているのが
難点ですが、おおよそのところまでは訳せるはずと思います。
Rumsfeld announces Iraq tour extensions for more than 20,000 soldiers
h
ttp://www.armytimes.com/story.php?f=1-292925-2827549.php 第1機甲師団はストライカー戦闘車両を与えられて機動戦闘部隊の主力となる
という話が出てきます。
#タコマニューストリビューンではモスルからナジャフに行った部隊がいることを
軍が公式に認めたと書いていました。
>160 好きでやっていることだからお手数ということはないです。
雑誌でかなり砕けた表現が多いので、部分部分を抜粋してまとめようとしています。
少々お待ちください。
念のためあげておきます。
<SBCT中隊の話
第25歩兵師団第1旅団(SBCT)のある中隊を取り上げて書いています。
まず編制をおさらいして次に書きます。
まずSBCT旅団の編制から。人数があわないのですが。
旅団(3614名)
・旅団本部(121名)
・歩兵大隊(691名)×3
・・歩兵中隊×3
・RSTA大隊(偵察、捜索、及び目標捕捉)(428名)
・・偵察中隊×3
・砲兵大隊(290名)
・・砲兵中隊×3
・支援大隊(388名)
・戦闘修理チーム(5名)
・対戦車中隊(53名)
・工兵中隊(120名)
・通信中隊(74名)
・軍事情報中隊(67名)
ついで歩兵中隊のみに絞ると
歩兵中隊(歩兵車14両 ATGM車3両* 迫撃砲搭載車2両 衛生車1両 火力支援車1両)
・・・中隊本部(人員14名+ 装備 歩兵車2両 11/4t車2両)
・・・歩兵小隊×3(46名)(歩兵車4両)
・・・・歩兵分隊×3(9名 分隊長+チーム×2)
・・・・・チーム×2(4名)
( チームリーダー 指名狙撃手(M24小銃*) 擲弾手(M203付小銃) 突撃小銃手(M240SAW) )
・・・・武器分隊(7名 分隊長+機関銃チーム×2)
( 機関銃手(M240B 7.62mm中機関銃) 機関銃手助手(M4小銃) 弾薬手(M4小銃) )
・・・MGS小隊(中口径砲小隊)(MGS車3両* 9名)
(車長 砲手 操縦手)(主砲105mm 12.7mm機関銃 7.62mm機関銃)
・・・迫撃砲班(10名 迫撃砲班×2 迫撃砲搭載車2両 120mm迫2門 60mm迫2門)
・・・衛生班(3名)(救急車1両)
・・・火力支援班(3名)(火力支援車1両)
*M24でなく、M14に暗視スコープを付けたのを装備している狙撃手の写真を見た記憶あり。
*MGS車はTOWUB装備ATGM車で代替中。
MGSはMedium Gun Systemとこの資料ではなっています。機動砲ではないです。
名称変更があったのでしょうか。
>164 早くも訂正 衛生車→救急車 赤十字をつけた非武装のストライカー派生型です。
#記事中は大隊から迫、狙撃などの増援があったり、工兵分隊が配属されることも
ありますが、中心は歩兵中隊とMGSなのでとりあえずこれで下準備は終わりとします。
#火力支援車は、砲兵前進観測員のための車両です。偵察車との違いは不明。
下車偵察班を搭乗させない分、中が変わっていたり等々あるかもしれませんが
調べていません。
>>164訂正追加。SAWはM249(ですよね?)
上の記事ですと、120mm重迫と60mm軽迫になってますな>迫撃砲斑
これなら二重編制は可能ですかね。
>第13旅団
我等が陸自の部隊なのに、細部の編制に突っ込めません(苦笑)
2ACRの方は、どうにでもなりそうなんですけどね・・・・・・
>166 M249SAW 間違ってました。M240だと7.62mmで武器分隊、M249だと5.56mm
分隊自動火器です。元の資料をきづかずに転載したため間違ってしまいました。
<第13旅団 第12旅団よりも前の改編で、そのときにセキュリタリアンか
何かで特集があったことをぼんやりと覚えています。戦車隊か特科隊へ
改編するのに人事の方が苦労したという話などが出ていたかと。
第2師団がイラク行くときは、宇品に集まるということはなくて、
人員は成田、車両は室蘭で輸送艦に搭載してそのまま出航だったので
広島の部隊でも役割は違っているのかも。
情報公開
技本の訓令で装備関連が閲覧できなくなったり、米軍関係でも
中隊長指揮コムが陸軍公式サイトになり、内部向けに衣替えしていたりします。
CALLでかつて読めていた内容に近いものが出ていたのですが、milが入った
アドレスを持つ人のみが閲覧できるところに仕舞われました。
テロリストは英語を読めます。タリバンに加わっていた米国人男性がいた
ことは記憶に新しいかと思います。また、日本の事情にも通じている模様なので
やむを得ない事情なのだと思います。
armor記事下準備 まだありました。この記事はSBCT-2の歩兵中隊の話なので
同旅団の建制を公式サイトから転載します。(順序もそのまま)
第25歩兵師団第1旅団(SBCT)
第14騎兵連隊第2大隊
第24歩兵連隊第1大隊
第8砲兵連隊第2大隊
第5歩兵連隊第1大隊
第21歩兵連隊第3大隊
第73工兵中隊
#第20歩兵連隊第5大隊は第2歩兵師団第3旅団(SBCT)へ2000年9月16日に
移りました。替わりに2002年秋に1個大隊が来る予定とグローバルセキュリティは
書いています。
#SBCT-1を編成するにあたり、SBCT-2になるこの旅団と大隊を交換したようです。
#筆者の経歴
現在、第25歩兵師団第1旅団(SBCT)第24歩兵連隊第1大隊A中隊長
同大隊S3、第101空中強襲師団第187歩兵連隊第1大隊本部及び本部中隊XO、
同大隊D中隊対戦車小隊長、同大隊C中隊歩兵小隊長などを歴任
#ということで、ブラッドレーに乗ってた人じゃなくて軽歩兵の模様
以下は纏め中ですが維持レスを兼ねて貼っておきます。
IOT&Eへの準備演習の内容について
中隊級演習が2003年3月から5月にかけて野外演習3回にわけて行われた。
第1回は3月 2回連続各5日間
各5日間毎に襲撃、外周防御、安定した環境下での保安活動、補給活動の任務を
それぞれ行った。
第2回は4月 180マイルの路上行軍に続いて3日間の演習 襲撃と安定した環境下
での保安活動
第3回は5月 7日間の演習 IOT&Eの9日間に近い内容
各演習の対抗部隊
第1回と第2回 歩兵中隊1個 LAVV小隊1個とハマーガントラックを編合
第3回 歩兵中隊2個(LAVV完全装備) 固有の迫、陸軍州兵M1戦車小隊
各演習参加中隊に対して
大隊は戦術指揮センターと行軍車列指揮所を派遣し、指揮統制と補給支援を行う
また各歩兵中隊には場合によって、
第73工兵中隊から大隊工兵小隊(工兵分隊車両装備)
第52対戦車D中隊第1小隊が任務編成に含まれた。
さらに、大隊偵察小隊、迫撃砲小隊、狙撃班が支援することがあった。
任務編成の例
SBCT中隊による経路掃討
歩兵1個班(歩兵小隊軍曹)+MGS2両(MGS小隊長)+前進観測員+工兵分隊1個(MGS小隊長配下)
歩兵1個班(歩兵小隊長)+MGS1両(MGS小隊軍曹)
歩兵小隊
歩兵小隊
このように中隊で4つの機動部隊を確保し任務遂行に十分な戦闘力を確保。
SBCT中隊の保安活動における即応部隊
保安活動中は1個小隊を即応部隊として保持。他の小隊が補給部隊護衛、交通統制点配置、
伏撃、咄嗟攻撃を行う中、即応小隊は中央に位置し決定戦力となる。
ちょっと維持レス。TSVは容積からみると11隻でSBCT輸送可としている話があります。
また燃料補給無しの航続距離は1250nmでこの範囲内であれば96時間内の到着が
可能ということです。つまり、イタリア、ディエゴガルシア、グアムなどに
事前集積するか前方展開すればということです。一方、テキサスからコソボまでの
場合は、LMSR(大型中速RoRo船)2隻で行く方がTSVの燃料洋上補給にかかる時間を
考えると早いとのこと。
>TSVとSBCT
11隻ですか〜。
艦艇部隊は3隻中2隻が展開、1隻が補給整備その他で入港中(入渠中)てのが基本でふから
上であった17隻という数は、良く符合しますね。(でも、やっぱり違う悪寒)
事前集積すれば・・・等という話になると、だんだん魔法が解けていくのを見るような。
重装部隊のソレに比べれば、そりゃ楽なんでしょうけど。
>SBCT中隊タスクチーム
微妙な編制ですな。
MGS2輌の小隊と1輌の小隊が、どう運用されたのか。楽しみではあります。
>175 経路掃討の場合の話はすみませぬ。記事ではこの程度しか触れておらず
次は市街地内のある家屋への強襲と拘束の話になってしまいます。
経路確保なのか、経路掃討なのか訳すのが難しかったのですが掃討にしました。
車列を前後に挟んで護衛をしつつ、IEDを除去したり、伏撃が頻発する地点に
先行警戒したりするのに4つに中隊を分けて、中隊本部と迫に救急車が車列
中央に入るような形ではないかと思います。
MGSについては、MGSといいつつも実際にはATGMで代用しているあたりと
対抗部隊がLAVV装備の歩兵部隊というところが微妙です。SBCT-1だったのかも
しれません。また、演習場はどこを使ったのかは良く分からないのです。
フォートノックスやフォートルイスがでてきたりします。各回により異なった
ということだと思います。
今後20年〜25年後の世界と米陸軍の戦力構成の話をちょっとだけみました。
訳も進んでます。2003年4月時点のブリーフィングで使われた内容だそうですが。
SBCTのような戦力投入を考慮した自動車化軽歩兵は削減されることはあまり
なさそうな印象でした。最もその後の改革路線で多少古くなっているかもと
思わないでもないです。
Panzer今月号79ページにストライカー鳥篭装甲付きの写真が出ています。
近々特集があるようです。
第4機甲師団の話までとりあげたのでいよいよSBCTなんでしょうか。
期待してます。
さて、その写真を見るとタイヤハウスを覆うように鳥篭装甲のスダレが
付けられていました。
スライドを拾ってきたのですが
Infantry in Battle- Somalia to OIF ちゅうのが編纂されているようです。
題名から考えるに機甲戦闘と対をなす存在になるのでしょうか。
また、MGSとLOSATについては開発が進められているようです。
CKEMというのも聞くのですがこちらについては不明。
consolidateという語を陣地強化と訳すべきか統合とすべきか編合とすべきかで
ちょっと迷いました。目標を確保したあと部隊を損害に応じて再編しつつ
配置して陣地も構築する作業を意味するようです。こういうとき戦術用語辞典が
あるといいと思って前出ていたのを立ち読みしたのですが基本的な用語だけで
購入に踏み切れませんでした。
>177 フォース21型とSBCT型とオブジェクティブフォース型と空中強襲型と
空挺型に師団を分類して、今後の世界秩序に応じて現役師団の構成と数が
どうなるかを予測しています。ずっと以前ですと2032年には全てがオブジェクティブ
フォースとなるという話があったのですが、この資料ではフォース21型は
通常戦生起の可能性の程度に応じてある程度残ります。
維持レス入れて置きます。
>179
CKEMとは小型運動エネルギーミサイルのこと。
LOSATを小型化したものです。
>>182 巨大輸送機というより、誇大夢想機といった感じが……。
>183 他では巨大飛行船で旅団を運ぶ構想もありました。実現すると
1個中隊14両を1機で運べるのですが、カスピ海の怪物の親戚みたいですね。
戦略輸送と戦域輸送の違いというのがどうもTSVの意味を考える
上でありそうなのですが、まだよくわかりませぬ。C-130Jで運ぶかTSVで
運ぶかということなんでしょうか。事前展開をLMSRでして、そこからTSV
で急行するのだろうか。
大体そんな感じだと思います。
ディエゴガルシアあたりにSBCTを配置して睨みを利かせる段階。
そして実地に介入する段階。
前者の段階では輸送効率が重要です。航空機や小型高速船では天候等の不確定要素や
給油、荷役等の煩雑さが累積して、結局展開速度も劣る事になったりしますしね。
後者の段階では速度と非脆弱性(バスケットに卵を盛るの伝)が考慮されるわけで。
ただTSVでは強襲揚陸は難しいので、場合によっちゃ先遣隊が従来手段でインフラを
確保する必要があるですな。
あ、あと当然SBCTの場合、小規模戦闘群に分割して複数個所に同時展開する頻度も
高くなるでしょうな。
いや、これはSBCTに限らないですが(笑)
TSVの場合、喫水が浅いので、港をあまり選ばないという事に繋がるかも
しれません。インドネシアの東ティモールにオーストラリアが部隊を派遣した
際に確かTSVと同種の船を使用したということがあったはずですが、
これがそもそもの始まりなのかもしれません。
SBCTの場合は中隊毎に諸兵科連合戦闘団を作れることと、分散化作戦を
標榜し50km四方で作戦し、各階梯で従来よりも1階上の判断をし、情報を
扱うとは言われています。
しかし、展開先は当分、イラクとコソボなどユーゴなどの可能性が
高いかもしれません。ハイチの場合は海兵隊、リベリアの場合も海兵隊でした。
C-130で運べば内陸まで自力で行軍せずに済みますが、TSVだと海兵隊と
同様港湾までしかいけないことになります。
「スクールバス」読んだとき、M1と全高が同じくらいだと気付いたですが。
派生型造る時、高いのも善し悪しですかねぇ。
これでMGSやATGMともなると、まさに仰ぎ見る威容です(笑)
>M113オクレ
今までストライカーが被った被害、M113A3(かな?)なら防げたとかいう話をしている
ようなんですが・・・本当かなぁ(^^;
というか、まだ元気だったんですな。
M1戦車中隊本部のM113がハマーになったとかいう話も聞いてたんで、もう寿命が
残ってないのかな?とか思ってました。
>191 MGSは別に分けて開発していると思います。確かC-130の荷物室の天井の
制約がありますので。ATGM車はランチャーが上下すると思います。
<M113 ベトナムで地雷とRPGに苦しんで内部には乗らず上に乗っていたという
話は有名では在ると思います。ですが、恐らくはハマーよりは装甲が上という
話で言っているのだと思います。メーカーからすると、今後の軽歩兵の足に
ストライカーがなるか、M113の流れを組む装軌車両がなるかの前哨戦なのかも。
下司の勘ぐりですが。
>MGS
こいつは背が高くなりC130に積むなくなったために、開発途上で足回りを改造してたと思います。
一応、派生ではありますが…その為に開発が遅れたと思いました。
>装軌系APCと装輪系APC
結局、双方が装備されていくのではないでしょうか?
ソ連型自動車化狙撃兵師団のBMT装備連隊とBTR装備連隊のように。
それぞれが、それぞれの用途と利点と弱点をもってるのですから。
そのあたりで、現在、マルダー一辺倒の独装甲師団(旅団)が例の装輪APCで
今後どうなるのかとかに、非常に興味もってます。
おお。Lans丼復活ですか( ̄▽ ̄ノシ
>装軌APCと装輪APC
装軌はM2IFV系列が十分にあるので、M113系列の後継は、なんのかの言いながらも
ストライカーでイきそな予感です。
あるいは、もすこしマトモなスケールの装輪。
>仰ぎ見る威容
ATWGはM901のモノと同じランチャーだったんじゃ無いですかね。
ヘタリ込むように車体天井に“お座り”するだけだったと。
MGSは・・・追跡してないやー。あははーっ(ォィ
いやぁ、ひさしぶりに土曜日に時間あいたので「将来装輪スレ」とかで遊んでます(w
でも来週の土日は会社がイベント出展なので、徴兵されてまつ(T T)
どうせ、また代休は取れる時間ないんだろうな…
正月休みも3日間出社して、代休1日しか取れないで期限切れになったし _П○
>195
えー、英国、手を引いちゃったんですか?
また開発遅れるのかなぁ…まあ、いつもの事ですが…
>ATM車
起倒式はLAV-ATの方でつね。まあ、こいつら似てるつーか、兄弟みたいなもんだしね(肉食淡水魚)
あー新型ターレットなんだー。う〜む、やっぱり力入れてるんですねぇ。
てっきり流用(中身は改善されるとしても)と思ってました。
しかし射撃態勢だと、砲口は「2階の窓から顔を出す」高さじゃ無いのんか、これ・・・
>197
だからこそ、稜線ならなんやらを活用しやすいんでつよ。
もともと射程は長いんだし…自身が稜線の直後にいなくても、かなーり離れた位置の稜線でも活用可能でつよ。
で、射撃時の背が高ければ高いほど、利用できる位置は飛躍的に増えて行くわけで、
予備の射撃陣地の選定もラクラクぅ〜てなもんなのでしょう。
>Lans丼
掩蔽壕掘れとか言われたら泣き入ると思うけどなぁ。
ておいか
>>197は「でけーなぁ」という感覚的な感想です(笑)
>予備の射撃陣地の選定もラクラクぅ〜てなもんなのでしょう。
え〜?ホントにぃ〜?(笑)
>200
>射撃壕
米軍は工兵車両多いので、機械力でGoなのでわ?
>ホントにぃ〜?(笑)
さぁ(w
でも、いろんな形態での稜線を使いやすくなるのは確かだと思いますよ。
なんといっても稜線自体から離れられるのは、ある意味、攻勢準備射撃から逃れる効果もありそうでしすし。
(稜線直後って準備射撃の目標になりやすそう(怖
<TOWの発射位置
三脚に載せて歩兵が地上に腰を下ろして撃つ場合、
ハマーの天井から撃つ場合、
LAV-ATとストライカーATGM車から撃つ場合と高さは高くなっていくと思います。
SBCTは工兵は中隊1個なのですが、各歩兵大隊とRSTA大隊あわせて4個大隊が
広い範囲に散在することを考えると、主補給路の整備などの機動支援をおもに
こなすことになるのではないかと思います。例えば、イラクで話題になる
仕掛け爆弾の除去を車列護衛に加わって行うとか、或いは水路脇の道路の補強
などです。そして、戦車と対する場合は歩兵が先行して戦車を捜索しつつ前進し
後方からTOWで撃つという形になることが多いのではないかと。
陣地を構えて待ち伏せするのはあまり考えていないような気もします。
対戦車火力という点は、ヘリをどの程度編成に将来組み込むのかと関わると
思うのですが、コマンチがキャンセルされて次がどうなるのか不明なので
よく分からないのです。
航空ファンの話では欧州製のヘリとよくにた絵が更新予定線表に出ている
といっていましたけども。
MOB(移動可能洋上基地)というのをちょっとみつけたので一応読んでます。
300mのブロックを作るのに10億ドルかかるそうです。高いです。
話は1996年位にでて、1999年や2000年まではネットでいろいろ活動が出ています。
その後は不明の模様です。正確なコストについては調べないと不明ですが。
SBCT中隊の話は、戦車をハンターキラーする話で少々迷っています。
hardball roadという表現があり、舗装道路か、硬表面道路とでも訳すのか
など本筋で関係無いところで悩んでいます。攻撃発起線、発揮位置に使われている
として出て来るだけなのですが。米海兵隊と陸軍工兵隊などのまわりで
出て来る表現なのはたしかで、砂漠にCH-46とH-60が着陸する画像などが
出て来るのですが舗装道路なのかどうかがちょっと分かりません。
雑誌の最新号ではありますが、3・4月号なので要約を載せる位なら
問題ないでしょうし。
>203 MOBの構想が最初にでたのは1973年、ベトナム撤退に伴い
東南アジアでの海軍基地の代替として考えられたそうです。
#たしかこの年代に空中飛行場の構想があった気がします。大石英司の
飛行空母アナハイムを撃墜せよのあとがきで極短く触れられているだけなのですが。
>203 恐らくは氷山空母がさらにご先祖にあたるかもしれませぬ。
さらにさかのぼるとジュール=ベルヌに人工島を扱った話があります。
保守レス。
JDWで小松とGDLSとの提携の話が伝えられたと装輪スレで暫く話題に
なりました。
SBCTは市街地での敵対勢力指導者拘束作戦までは一応訳したのですが
ごちゃごちゃしているので並べ替え中です。もとのままのも一応
載せて並べ替えで情報落ちがしないようにする予定。
星条旗紙に米欧州軍の今後についての特集が載せられています。
ちょっと読んでいるところです。
また、ランドで韓国の世論調査を資料として用いて米国への態度の趨勢と
決定要因を考える話が出てました。面白いです。最近も韓国から
イラクへ、駐留米軍の展開の話がBBCなどで出ていて気になります。
空母がいないときはアラスカからF-15Eが来たり、グアムに爆撃機がいたり
しますが、場合によってはSBCTの1個大隊くらいが来る可能性はある
のでしょうか。TSVで太平洋横断はどうなんだろう。
おはやうごぜいやす。
>SBCT工兵
元々軽歩兵師団のうち1個旅団を改編する構想でしたので、SBCT工兵の任務も、
在来部隊の旅団工兵と、さして変わらないと考えるのですが。
前線工兵としては、築城というのは大きな役割です。
まぁ歩兵ってのは、大抵の事は手前でこなすんですけど。
如何に攻撃的なSBCTとはいえ、対正規軍戦闘で陣地防御を想定していない、
というのは有り得ないと思います。SBCTの戦闘力の主体が、降車歩兵に
負っているという事から考えても、ね。
そいや、軍事研究に防御戦闘要綱が載ったんでしたか。
>コマンチの代わり
OH-58でイクしか無いと思うんですがねぇ。
あるいは陸軍重戦力削減で余裕が出来れば、AH-64系も考えられますが。
>TSVで太平洋横断
航続力と搭載量からいって、どうなんだかと。
あるいはグァムあたりに前方(というより中間か)展開させておいて、というのなら、
TSVの出番も想像しやすいのですが。
>そうそうストライカーATGM
fact fileに小さな画像がありました。
やっぱり収納時は、ランチャー部分はペッタンと屋根の上に乗っかってます。
>208続き
イラクへ第2歩兵師団第2旅団が展開することが発表されました。
韓国と日本には通知済みとのことです。
同師団は2個旅団が韓国、1個旅団が米本土西岸フォートルイスに駐屯。
そして、本土のこの旅団がSBCT-1としてイラク北部モスル等に展開しています。
韓国への戦力は、航空部隊の能力向上、パトリオット旅団や
ストライカー大隊の派遣で埋め合わせる、むしろ向上すると国防総省の
報道発表では伝えています。
#昨年も韓国に増強小隊規模?の複数車両がC-17で輸送されて演習
していました。今、SBCT-2がフォートルイス、SBCT-3がアラスカで
改編中ですが、SBCT-2は初期作戦能力を獲得した模様で今年の秋ころには
イラク展開。すると、韓国にでる可能性のある大隊とはどれなんだろうという
のが分かりません。アフガンから戻ってまたイラクに出た部隊やイラクが
二度目となる部隊もあるので、SBCT-1が韓国に大隊規模で交代ででるのかも。
オクラホマ州フォートシルにて
アラバマ州レッドストーン工廠からHIMARSを輸送してきたハーキュリーズ
2004年 Army Logistician2004年3・4月号
高機動砲兵ロケットシステム(HIMARS)がアラバマ州レッドストーン工廠からの飛行後、
11月19日にオクラホマ州フォートシルにてC-130ハーキュリーズから卸される。
HIMARSが実弾を装填し戦闘重量で650海里以上飛行したのはこれが初めて。
卸されてから20分以内に射撃可能となる。HIMARSは陸軍、空軍、海兵隊が共同で
早期投入と軽戦力防護および火力をもたらす手段となるか評価作業中である。
#これも雑誌記事から拾ってきました。M198に替えてSBCTの砲兵大隊に配備
されるという見通しは明るいかも。
>209 気になってfact fileをさがしてみたら
SBCT-3から新型ブロック車両が導入され、SBCT-1、2へも適用されるとありました。
・乗員が取り付け可能なRPG対応全周追加装甲
・内装式120mm迫撃砲システム
・組み込み訓練装置
5月14日日の米陸軍公式発表で、第2装甲騎兵連隊は騎兵編制ではなく
歩兵編制で改編されることになったとのことです。
モジュラリティ、つまり規格性の考慮、言い換えると6個のSBCT全部を
統一する事で司令官(各戦域軍司令官など)が使える歩兵部隊の数を
増やす事などが狙いとのこと。
駐屯地はルイジアナ州フォートポークで変わらず。
また、フォートポークの環境アセスメントが終り改編に向けての施設整備
のニュースがでていました。
#これでまた、SBCTに組み合わせるヘリが分からなくなりました。
騎兵編制と比べて歩兵編制では固有のヘリの数が違うでしょうし。
本当にOH-58DとAH-64で次までいくかもしれません。
やはり在韓米軍は撤退の方向みたいですね。
SBCTの構想が上がったとき、米軍は海外の非有効地域からの撤退を考えているのでは?
思ってましたが・・・
>216 欧州軍の場合ですと、欧州軍司令官が主体となって基地再編を進めている
という話が昨年の星条旗紙特集ででていました。
また、昨日の朝日にも海外基地を4段階にわけて、日本に東アジアの軸と
なる基地をおき、韓国は1.5段階の基地にする意向という話が出ています。
韓国内の基地再編により、2個旅団はおけなくなったという話も先月位の
軍事研究に出ていたと思います。韓国としては北朝鮮の南進の可能性は現実的
ではなくなったと見ているのかもしれません。
>>217 イスラム圏では反発されるし、韓国では政権が米軍の事故をキッカケとしてひっくり返るしで、
できるだけ駐留はしなくなっていくような気がしますね。でSBCTなら96時間で展開できる(w
ほんとに96時間で展開出来るんでしょうか〜(切実)
ま、韓国の件は、韓国陸軍の能力を考えれば、そんなに深刻でも無いでせう。
在韓米軍の存在は、シンボリックな意味しか無いでせうし。
あくまで、冷徹なパワーポリティクスを勘案した上での話と思いますよ。
>>219 をっお久しぶり(w
そのとうりで故に「96時間」という念仏をもって、安心させるとうことかな?と(w
96時間とC-130による輸送についてはかなり微妙な線です。
C-17とTSVで運ぶというのが現在の感じだと思います。
主要展開基地からTSVでいける範囲であれば、場合によっては
船出から96時間が達成できる場合もあるかもしれません。
となると、グアムとディエゴガルシアから海上で一定距離以内
ということになりますが。沖縄も入るのかどうかは触れている
ものがないので不明です。
イラクがらみですが、NTCの対抗部隊である第11装甲騎兵連隊を派遣する
という話が雑誌記事に出ていました。JRTCの管理部隊からも
第2装甲騎兵連隊(軽)とともに派遣されていてたしか死者がでたという
報道があったと思います。
>第2装甲騎兵連隊は騎兵編制ではなく歩兵編制で改編
軽装甲車輌での機甲偵察任務は、最新世代兵器の致死性からいって、非常に困難になったと
考えています。
第一次湾岸戦争における2ACRの活躍の再現は困難でしょう。というか、アレですら
相手が二線級以下の相手であった事が助けになってると思います。
M3騎兵戦闘車の脆弱性への憂慮は、M1114系装甲ハマーへの転換が示していると。
しかしなんですな。
米陸軍の台所事情も深刻なようで。
>トルエン丼
最近お見限りだったのは、貴方の方です。
海コテの維持レスが、このスレでどんだけウザがられるか、チミは考えた事が
おありになりやがるですか(苦笑)
時に、また蟹氏に高価い本購入を強要されたようですが。
読み終わったら、ぱぱの「日本海封鎖せよ」と交換しないかい?( ̄▽ ̄ノ
TSVの主機はキャタピラー3618、出力7200kw(9800ps)×4。
ttp://www.austal-ships.com/datasheets/military101.pdf ttp://www.cat.com/products/engines_n_power_systems/spec_sheet_library/marine/marine.html 500t載貨重量トン、90%出力巡航で速度36kt、燃料消費量5.3t/h。
燃料タンクは標準160kl、増設240kl。
載貨重量トンには燃料積載量も含みますから、
標準タンク:貨物380t・燃料120t・航続時間24hr、航続距離864nm
増設タンク:貨物320t・燃料180t・航続時間36hr、航続距離1296nm。
グアム配備の場合、標準タンクでは太平洋の中で立往生。
増設タンクでもフィリピン・沖縄・日本列島まで直行で片道切符。
往復を基準とするなら、沖縄に増設タンクつき配備で台湾・韓国がやっと。
主機を半分止め28.5kt巡航なら標準タンク48hr・1368nm、増設タンク72hr・2052nm。
太平洋横断には、標準タンクは洋上補給が必須。増設タンクでもグアム・ウェーク・ハワイ経由が必要。
すずらん、すいせんが64800psで航海速力29kt。燃料消費量7.5t/hr。
載貨重量トン6000t近いですから、燃料タンクを900tに増設すれば、
・29ktで航続時間120hr、航続距離3480nm
・23ktで航続時間240hr、航続距離5520nm
29ktでグアムから台湾・韓国・フィリピンまで往復でき、23ktで無給油太平洋横断可能。
TSVって…。
グアムに配備する場合、TSVは積載量・航続力共に不足です。
LMSRを使った陸軍洋上事前集積をもう1組作る方がいいでしょう。
SBCT改編前の第2歩兵師団は、韓国2個旅団、本国1個旅団。
・第1旅団:韓国 戦車大隊×2、機械化歩兵大隊×1
・第2旅団:韓国 機械化歩兵大隊×1、歩兵大隊×2
・第3旅団:本国 戦車大隊×2、機械化歩兵大隊×1.
・事前集積:韓国 戦車大隊×2、機械化歩兵大隊×1。
第2旅団を本国へ引き上げ、第3旅団が使っていた装備を流用して重旅団へ改編。
第2旅団と事前集積の装備を流用し、戦車大隊×2、機械化歩兵大隊×2の洋上事前集積創設。
これにより、第2歩兵師団は
・第1旅団:韓国 戦車大隊×2、機械化歩兵大隊×1
・第2旅団:本国 戦車大隊×2、機械化歩兵大隊×1
・第3旅団:本国 SBCT
・事前集積:グアム 戦車大隊×2、機械化歩兵大隊×2
第2旅団と洋上事前集積を組み合わせることで各地に重旅団を速やかに投入できます。
今のところTSVは出来合のフネに手を入れて、具合見てる段階ですからねぇ。
LCS関連の実験も折り込んでる模様ですし、実用船は、また別物になるでしょうか。
>重装師団の投入
一方SBCTは、重装備師団より質量共に優れた歩兵を展開出来るわけで、これが今後
想定される戦場の要求に、どう合致するものか。これも興味深いですね。
どうにも「重装師団が前に出た背後を埋める」というカタチを想像してしまうですが。
>>227 というか、SOFが投入され、監視とか隠密観測している領域を、RDF(古〜)のように実確保するのが目的では?とか適当に電波とばしてみる。
>>224 スンマソン。ネタが無かったもんで。ROMってますた。
うざくないッスよ(w
火器弾薬ハンドブックはまだ呼んでません。
「日本海封鎖せよ」はオイラも持っとります(w
<TSV
航続距離が不足しているとは思って無かったです。東ティモールにオーストラリア軍が
部隊を送った際にも同船型の船を使用したとかいいますが。シドニーなどから
出たのでしょうか。
また、沖縄の海兵隊が砲兵を本州の演習場に運んだり、韓国と岩国の間で
輸送したりするのにも使っています。グアムから台湾が無理だとすると
フィリピンやスプラトリー諸島だったらどうなるかなどちょっと調べ不足です。
<重旅団
緊急展開が必要な事態、例えばイラクのクウェート侵攻後、湾岸諸国の地上部隊
に続いてサウジアラビアとクウェート国境を固める場合、或いはユーゴにおいて
コソボ問題が再燃し軍が介入しそうな場合などは重旅団が必要かもしれません。
で、海から近い場合はMEU(1個大隊相当)が来れてしまいます。
大陸内部、アフガニスタンやアフリカの内部への展開となると、アメリカは
南米と違い軍を投入したりしないことが多かったかと。但し、中央アジアに
ついては今後が不明です。グルジアに特殊部隊を出したり、カザフスタンに
航空基地を建設したりしています。
特殊部隊どころか、第10山岳師団が出てなかったっけか>中央アジア
ニュースで見ただけで、ソース無し。補完ヨロ。
232 :
名無し三等兵:04/05/26 17:44 ID:7aO8lmGp
保守上げ
http://www.kojii.net/jdw/jdw040512.html ◎US to maintain increased level of troops in Iraq
米国防総省は 5/4 に、陸軍の 1 個旅団と海兵隊の 2 個 MEU を、数ヶ月以
内にイラクに派遣すると発表した。これにより、イラク派遣米軍の規模は、
2005 年まで 135,000-138,000 人の範囲を維持することになる。また、それ
とは別に、今年 9 月から開始される第三次ローテーション派遣 (OIF-3) に
関する準備も進められている。
統合参謀本部で作戦担当ディレクターを務めている Norton Schwartz 空軍大
将は、増派される部隊が第 10 山岳師団・第 2 旅団と、海兵隊の第 11・第
24 MEU (Marine Expeditionary Unit) になることを明らかにした。展開時期
は 7 月初頭とされている。これらの部隊と入れ替わりに、第 1 機甲師団麾
下の 2 個旅団と第 2 機甲騎兵聯隊が帰国することになる。
http://www.kojii.net/jdw/jdw040519.html ◎Iraqi conflict raises doubts on FCS survivability
イラクで米軍兵士の死傷者が相次いでいることから、米陸軍が推進している
FCS (Future COmbat System) が立脚している、情報面の優越を分厚い装甲板
より優先する、という考え方に対する疑問の声が持ち上がっている。
Boeing 社のスポークスパーソンを務める Maria McCullough 氏は、装甲防禦
やアクティブ/パッシブ対抗策の分野における技術革新によって、IED に起因
する AFV の脆弱性を低減できるという見方を示している。昨年、米陸軍はイ
ラクにおける RPG の脅威を受けて、イラクに展開する 8×8 装輪 AFV・スト
ライカーに装備する "slat armour" の緊急装備を実施したほか、今年の初め
には HMMWV の装甲防禦に関するガイドラインもまとめた。
こうした一連の議論は、1980 年代半ばに M2/M3 ブラッドレー歩兵戦闘車の
生存性に関して巻き起こった議論の繰り返しといえる。
保守下げ
http://www.kojii.net/news/DoD-04a.html 在韓米軍イラク派遣 (AFISNews, 2004/5/17)
国防総省関係者は、在韓米軍、第 2 歩兵師団・第 2 旅団の 3,600 名をイラクに派遣することを認めた。
とはいえ、朝鮮半島には PAC-3 や強力な航空資産、ローテーション配備されているストライカー部隊、
強力な C4ISR 機能があるので、在韓米軍の頭数が 34,000 名に減っても問題になることはないと考えている。
(追記 : この件は 5/18 に国防長官の承認を得た)
>>226 >第2旅団:本国 戦車大隊×2、機械化歩兵大隊×1
イラクでのSBCTの損害が影響しているのだろうか?
>233 ありがとうございます。
第1機甲師団と第2装甲騎兵連隊については駐留期限が事態の流動化に
伴い3ヶ月程度延長されていた部隊ですね。
<イラクでのSBCTの損害
ストライカー車両自体の損害は大きくないです。ただ、タンデム弾頭のRPG−7を
ゲリラ側が使用するとどうなるのかと海外の掲示板で盛り上がったことが
あります。具体的なところはSBCT-1が帰還してAARが出て来るまでは不明かと。
最近のナジャフへの1個大隊の展開という記事がとても気になります。
#おそらくAARが出てからSBCT-2が駐留派遣することになるのではないかと。
そうなると、11月を過ぎてしまいますが。
#第172歩兵旅団については、極地戦域防衛師団構想が1980年代の軽歩兵師団
改編があったときに出て居たそうです。結局、師団への改編自体なかったのですが。
また、部隊の人員の固定を進めることで部隊の成績をあげる実験部隊となっている
とのことです。SBCT-1への改編の際にも同様の話がありましたが。
訂正 フォートダーラム→フォートドラム Fort Drumです。
フォートというのはバラックスとの違いは不明。
ハワイにはスコ−フォールドバラックスがあり、陸軍大学が
カールスリーバラックス。フォートはフォートルイス、フォートベニング、
フォートウェインライトなど。
>>236 確かバラックスは「兵営」だったと記憶しておりまする。
フォートは「砦」から駐屯地が近いかもしれません。
キャンプは「野営地」が近いですね。
73イースティングスの戦いを細かくとりあげたコンフェレンスのテープ起こしを
見つけて読んでいます。1992年当時はPzFRONTみたいなシムは珍しかったのでしょうか。
73イースティングスの戦いを細かく再現できるシムを作りそれをお披露目する会合
だったようです。
第2装甲騎兵連隊が活躍している戦いですが、第3装甲師団の前衛として
ここまでのところ話が進んでいるみたいです。
kojii.netでも2ACRの歩兵化の件が出ました。
誤植(?)のせいでICVの所要量の変化は分かりませんでしたが、MGSは48輌が27輌に
減少する由。
これだとストライカー騎兵大隊は16輌のMGSを有する予定だった事になりますが。
ストライカーの情報取得能力を持上げて、騎兵編制が不要であるとのコトワケしてるですね。
これが3ACRまで飛び火しそうなイキオイですが、さて。
というより将来の近接戦闘部隊は、すべからく騎兵なみの偵察能力を持つ事になるのでしょう。
全員FO化、みたいな事は、かつてRMAスレでも語られていましたが。
>241
JDWの最新号ですね。サイトでどれだけ見れるか心許ないですが
探してみます。無料で見れるとしても冒頭の何百語だけなのですが。
ACR(装甲騎兵連隊)は軍団司令官が前衛として使う部隊であり、師団下の
旅団と違い、軍団長に直属するのですよね。それが、SBCTのRSTA大隊や各師団の
航空旅団と師団騎兵大隊の組み合わせで前衛をさせる方向に移るのでしょうか。
部隊の規格化で、旅団の一つとして装甲騎兵を扱う方向に進むのかも。
いま239の話を読んでいるところなんですが、第1次湾岸戦争で73イースティング
の戦いに到るまで第2装甲騎兵連隊は、遮蔽幕と対偵察、後続師団の先導と超越
などを行っていると書いています。で、増援を受けて大部大きくなっていたとはいえ
航空戦力の支援をうけずにイラクの共和国防衛隊の1個旅団を撃破しています。
#なんで読み始めたかというと、降下地帯の確保のために戦車をハンターキラー
戦術で撃破する話がストライカー中隊の戦闘の話で出てきて正直よく分からなかった
のです。それで少し戦闘経過について詳しい話を探していました。
73イースティングの戦いの最初の方でM2ブラッドレーがT-72と交戦している
話があるのです。
騎兵大隊の編成についてはarmorの1999年あたりで、空港以外に強行着陸する輸送機に
搭載して空挺堡を空港以外にも築けるようにする部隊の話がでていたことがあります。
これも1999年10月のAUSA大会以前に出ていた話だったかと。
48両というのはおそらく大隊あたりの定数で、当初構想ではMGS48両 ICV(歩兵戦闘車両)13両
だったのをSBCTと同様に揃えてMGSは旅団全体で27両(9個歩兵中隊各3両ずつ)に削減
したのではないかと。大きくMGSの所要量が減るのでこの書き方にしてあるのかも
しれません。
>243訂正 98年度の発行でした。
MGS48両でICVが13両とすると、偵察車両が何両となるのかが知りたい所です。
MGS自体はセンサーは遠くまで見れるとしても下車偵察する人員は乗せられないし
装甲騎兵は戦車と偵察車を組み合わせると思うので。
ICVはおそらくは竜騎兵として大隊の任務に応じて歩兵的任務に投入される形
だったのではないかと。たしかこのような編成案もアーマーにでていて
そのときは攻撃的な編成という話で終った記憶があります。
COMBATマガジン7月号にストライカー旅団の写真が出ました。
取り上げているのは昨年12月のサマラ(バグダッド北方の町
自衛隊の展開する南部のサマワとは別)
にて第4歩兵師団の1個旅団が西半分、SBCT-1が東半分を分担して掃討作戦を
したアイヴィーブリザード作戦(或いはアロウヘッドブリザード作戦)の
模様とのことです。雑誌の性格上、車両よりは軍装に中心が置かれています。
ATGM車が3両並んだ写真があるので、おそらくは歩兵中隊固有のMGS小隊、
場合によってはATGM中隊の1個小隊を取り上げているのかも。
>239でとりあげた話は3日間連続で行われた会合だったのですが
1日目が戦闘の背景、シムの意義、具体的な戦闘経過などの話で2日目からは
具体的に戦闘をシムを用いて再現するにはどうするのかという話に入ったので
読むのを中断しました。素直に戦闘経過については他をあたったほうが良いかも。
インドネシアから国外退去となった学者さんが属しているシンクタンクです。
スーダン、ソマリアのアフリカに中央アジアのイスラム諸国なども取り上げられて
います。
http://www.icg.org/home/index.cfm #ソマリアの隣国ジブチだったら確か米軍が居た気がします。
またフランスの外人連隊が演習している写真を何かの雑誌でみた気がします。
>大隊でMGS48輌
重装甲騎兵大隊でM1中戦車が41輌。軽装甲騎兵でTOWハマー36輌ですな。
なんか数合わないですだ。
参考にとSBCT偵察大隊の編制を探ると、MGSもATGWも無い、後者斥候斑のデリバリが
メインなモノですし。
にしても
>>244のストライカー騎兵大隊の編制、どっかに記述しておられたと思うですが、
保存してたSBCTスレ2ぢゃ見当たりません。
どこでしたっけ・・・?(・ω・
>247 たしか機甲戦術スレか、編制スレだった気がします。が
どちらか分からないですし不便ですのでもう一度ここに載せます。
少々お待ちください。
2002年1月・2月号に掲載の、暫定騎兵連隊の編制提案によると
騎兵大隊(2個)
・本部及び本部騎兵中隊
・・UAV小隊
・装輪騎兵中隊( 3個)
・・装輪騎兵小隊(3個)
・・装輪迫撃砲小隊
・装輪歩兵中隊
・・装輪歩兵小隊(3個)
・・MGS小隊
・・装輪迫撃砲小隊
指揮統制大隊
・連隊本部及び本部中隊
・軍事情報中隊 ・通信中隊 ・装輪対空中隊 ・装輪工兵中隊
・化学中隊 ・装輪対戦車中隊
航空騎兵大隊
・本部及び本部中隊
・・UAV小隊
・航空偵察中隊(3個)
・航空軽汎用中隊
・AVUM中隊
砲兵大隊
・本部及び本部中隊
・装輪砲兵中隊(2個)
・ロケット砲兵中隊
・目標捕捉小隊
連隊支援大隊
・本部及び本部中隊
・整備中隊 ・衛生中隊 ・S&T中隊 ・AVUM中隊
#S$T中隊 AVUM中隊については不明です。
AVUM中隊は航空、UAV整備中隊の略かもしれませんが。
騎兵大隊の装備定数
歩兵輸送車12両 指揮車10両 迫撃砲輸送車8両 野戦救急車4両
偵察車29両 MGS22両 火力支援車5両 UAV4機
航空騎兵大隊の装備定数
AH-58D(或いはコマンチ)25機(各中隊8機 本部及び本部中隊に2機)
UH-60 14機(うち2機はAVUM中隊)
EH-60 2機
UH-60(指揮統制) 2機
UAV 4機
連隊支援大隊の予備車両
歩兵輸送車1両 対戦車ミサイル車1両 迫撃砲輸送車1両 工兵分隊車1両
偵察車3両 核化学生物偵察車1両 火力支援車2両 野戦救急車1両
指揮車2両 MGS1両
連隊の装備定数
騎兵大隊(90両)
歩兵輸送車12両 迫撃砲車8両 偵察車29両 火力支援車5両 指揮車10両 野戦救急車4両
MGS22両
指揮統制大隊(52両)
偵察車2両 火力支援車1両 工兵分隊車12両 指揮車9両 野戦救急車4両 核化学生物偵察車12両
対戦車ミサイル車12両 アヴェンジャー12両
砲兵大隊
155mm砲12門 HIMARS6両 野戦救急車4両
連隊総計
歩兵輸送車24両 155mm砲12門 HIMARS6両 偵察車60両 火力支援車11両 工兵分隊車12両
指揮車29両 野戦救急車16両 核化学生物偵察車12両 MGS44両 対戦車ミサイル車12両
アヴェンジャー12両
合計 LAV-Vは236両
#砲兵分隊の主牽引車両は不明です。
連隊の装備定数
騎兵大隊(90両)
歩兵輸送車12両 迫撃砲車8両 偵察車29両 火力支援車5両 指揮車10両 野戦救急車4両
MGS22両
指揮統制大隊(52両)
偵察車2両 火力支援車1両 工兵分隊車12両 指揮車9両 野戦救急車4両 核化学生物偵察車12両
対戦車ミサイル車12両 アヴェンジャー12両
砲兵大隊
155mm砲12門 HIMARS6両 野戦救急車4両
連隊総計
歩兵輸送車24両 155mm砲12門 HIMARS6両 偵察車60両 火力支援車11両 工兵分隊車12両
指揮車29両 野戦救急車16両 核化学生物偵察車12両 MGS44両 対戦車ミサイル車12両
アヴェンジャー12両
合計 LAV-Vは236両
#砲兵分隊の主牽引車両は不明です。
ということで、騎兵大隊は3個ではなく2個で提案しており、また、本文記事によると
戦車とMGS、ブラッドレーやハマーと偵察車は1対1で更新することは財政、メーカーの
生産能力などの制約によりテロとの戦いにある軍としては不可能だとしています。
そこで
騎兵大隊(90両)
歩兵輸送車12両 迫撃砲車8両 偵察車29両 火力支援車5両 指揮車10両
野戦救急車4両 MGS22両
から、本部及び本部中隊と騎兵中隊3個と歩兵中隊に分けてみると
本部及び本部中隊 指揮車2両 偵察車2両 火力支援車1両
騎兵中隊 指揮車2両 偵察車9両 MGS6両 火力支援車1両 野戦救急車1両
歩兵中隊 指揮車2両 歩兵輸送車12両 MGS4両 迫撃砲車2両 火力支援車1両 野戦救急車1両
騎兵小隊は 偵察車3両 MGS2両 或いは偵察車3両とMGS2両か3両を班として
随時中隊内で任務にあわせて編成するのではないかと思います。
そうすると、JDWのMGS48両は大隊あたりの定数でなく連隊全体での定数だったのかも。
ICVの13両については未解決ですが。
ご面倒をおかけしました。
>>253を参考に、現騎兵中隊を参照して割振りなおしてみます。
・騎兵中隊
・・中隊本部:指揮車x2輌、偵察車x1輌、MGSx1輌、他
・・偵察小隊x2個:各偵察車x4輌
・・MGS小隊x2個:各MGSx3輌
・・迫撃砲斑
とすればストライカー騎兵中隊あたりMGSは7輌。
3個騎兵中隊で21輌で、歩兵中隊のMGS小隊3輌と併せれば大隊あたり24輌になります。
騎兵2個大隊で48輌ですね。
もう1個大隊はRSTA大隊、という事になるでしょうか。
ICV13輌は、歩兵中隊1個分に過ぎません。やはり何らかのミスかと思われます。
>254
歩兵、騎兵に限らずMGSは3両編成で共通していたわけですね。
他にMGS小隊については MGSを中口径砲システム小隊とする読み方が
あるのですが、アーマーにその名前を表題とする記事が出ていました。
また、海兵隊の戦車大隊をOMG(作戦機動群)の尖兵として使うための
編成提案も見つけました。どうも海兵隊の戦車乗りは陸軍の機甲学校で
教育を受けるみたいです。内容はM1とLAVを組み合わせています。
面白いことに迫撃砲は2門ずつで配されていました。航空機の対地支援が
見込めることが理由でしょうか。
>254は予測に過ぎません(^^;
ただ、ストライカー騎兵連隊の騎兵大隊が2個で、騎兵大隊の基幹が3個騎兵中隊と1個歩兵中隊、
という前提なら、MGSの配備数(だけ)については自信アリ、とかゆってミル。
>迫撃砲2門
先日、名無しロサ・カニーナ様と、中隊迫撃砲(81mm)は2門であるべきか3門であるべきか、
延々と議論いたしますた。
上の海兵の話だと、どの結節の、何mmの迫撃砲についての話なのか分からないので、
ちとコメントし辛いのですが。
SBCT中隊について言えば蟹様との話の中では、SBCT中隊の迫(120mm重迫x2または
60mm軽迫x6)が薄いのは、MGSとの兼ね合いであろう、と。
というかSBCTは塹壕戦意識してるのかしらん?
<塹壕戦
分散化作戦という話と軽歩兵として小規模紛争対応の話が多く出て来るとは
いえます。が、警戒活動をするという話もここに出せないままになっている記事には
あるので塹壕を掘らないわけじゃないと思います。
もともと軽歩兵師団が仮に欧州に増援として送られた場合、山岳や都市、森林
地形において重師団と対抗するという話があったと思います。この場合はNATOの
重師団の側面を固めることになるわけで、当然、通常戦争に備えていることになる
わけです。
<迫撃砲
地球騎兵の話では中隊当り6門で考えられていました。
これと関連して第173空挺旅団という従来戦力でも変革により誕生する
目標とする戦力の要件を満たしているという論調の記事を見つけました
空挺降下できる軽歩兵として考えるならば、変革において軽歩兵に要求
される内容について見ることにもなると思います。
韓国から来年末までに12500名を撤退させる計画が報道されました。
#ドイツからは2個機甲師団を撤退だそうです。ハワイに空母が来るとも言っています。
#変革に対するアンケート調査を各軍大学の生徒にした論文を見つけました。
パラメーターに紹介記事が出ており、論文自体も見つかって読んでいます。
変革は必至だが、方向が正しいかについては疑問。また、軍によりMRAについては
態度が分かれること、そして2000年と2002年で態度に大きな変化が見られること
などが紹介記事で纏められていました。
#個人的には、専門家でもMRAとか変革がどうなるのか分からないということが
面白かったりします。また、回答率自体に大きな差が各軍大学によりあるのも
面白いです。
>韓国から来年末までに12500名を撤退させる計画が報道されました。
やはり・・・
軍研6月号にジョイントベンチャー双同船と演習フリーダム・バンナーについての一文がありました。
在韓米軍は日本にくるのか・・・
そしてそれはSBCTになるのか・・・
>259 SBCTについてはドイツ駐留の可能性は比較的高いと思います。
2個機甲師団(第1歩兵師団と第1機甲師団の各2個旅団)が撤退した後も
ラムシュタイン空軍基地などの軸となる基地は統合されず残るでしょうし。
ドイツからオーストリアに通過するのを認められないなどということが
ある場合は、東欧に展開するかもしれませんが。
日本に来るとしたらば、報道されている範囲では沖縄の海兵隊の砲兵が
北海道移転する計画があるということですが。
確かにSBCTは太平洋側に多く配置されています。
フォートルイスに2個、アラスカに1個(改編中)、ハワイに1個(予定)。
他はルイジアナ州に1個(予定)とペンシルヴァニア州だったかの州兵が1個旅団(予定)です。
ただ、シューメーカーの16の改革領域では人事面での特定部隊への固定も
謳われているので、仮に1個旅団が来るとしたらその家族も来るのかも。
それとも、在韓米軍と同様に単身赴任でくる任地にするのでしょうか。
#ジブチが中継基地、戦力の発射台となる可能性についての話を読みました。
輸送集団の工兵がジブチの港湾の水深と貨物処理能力を調べている話などが
出てきました。また、ファランクスを解体せよについて取り上げている話も
読んだのですが、同書の著者は73イースティングの戦いのとき作戦担当だった
ようです。
>塹壕線
というのは、塹壕に篭った敵と交戦する事を言ってます(毎度不明瞭なモノイイをして
申し訳無いです A^^;)
迫撃砲はもともと、塹壕戦から生まれたモノなので・・・・・・
軽歩兵師団(10K師団の頃)は、基本的に防御部隊だったからなぁ。
ついでに訂正
>SBCT中隊の迫が薄いのは、MGSとの兼ね合いであろう
は
>SBCT中隊の迫が薄いのは、MGSがあるので、何とかなるのであろう
デス。
>261 塹壕に篭った相手に対してはOICWというわけにはいかないようです。
射程と使い方が全然違うのですが。どうも擲弾と小銃とは分けて小銃が先行して
更新されそうな話が出てきています。近接航空支援によらず、迫撃砲が
2門で中隊が塹壕線に篭る相手と戦闘できるのかはちょっと判断がつきません。
朝鮮戦争だと側翼から迂回侵透されて、重迫陣地が蹂躙されたそうですが。
この場合の中隊というより、大隊毎に話が出ているので規模が違うというと
違うのですが。しかし、ストライカーを韓国から1個旅団を引上げた
かわりに送り込む可能性があるということは、50年前、隘路の両側の高地を
取り合った北朝鮮軍と対峙する可能性があるといえばあるわけですし。
編集者への手紙(ARMOR誌2004年1月・2月号掲載)
拝啓ARMOR誌
陸軍が迅速な変革を追い求め続けているが、解決策は今、手元にある。
解決策は基礎が敷かれてから長年が経っており、すぐさま実行し成し遂げる
ことができる。
その解決策とは、指揮、統制、通信、コンピューター、情報、捜索、偵察に
おける成功を活用して重師団と独立重旅団を機甲騎兵連隊への改編に着手
することである。
軽量で展開性と持続性ある戦力については、我々は既に手に入れている。
イラクの自由作戦で現行の戦力が変革を遂げたことが示された。我々が
そのことに気付いていないのは、軽戦力を軽車両と混同しているからである。
1980年代初期以降に行われた
armored family of vehicles (AFV) heavy force modernization (HFM)
armored systems modernization (ASM)はより軽量な車両に1対1で交換する
というごく単純な近代化計画だった。主眼は共通性にあり、性能は技術の限界内
に押さえられていたから、取り返しのつかない失敗をすることは明らかだった。
これらの行き詰まった試みや現在進められているSBCTについては事が起これば
捨て去られる。戦争になれば、10年前と同様、重師団を展開する。
違いは、C4ISRの進化により、驚くほど小規模の戦力を自信を持って展開できる
ことである。軍団を展開するかわりに、重師団で十分となる。状況認識と精密機動
により効率が上昇する。陸軍は地球上で最も攻撃力、生残性、機動力のある戦力を
維持する補給負荷について不平を言うのを辞めるべきだ。戦争を勝利できる部隊
なのだから。
組織改編については、すべきである。陸軍は
Division '86 Army of Excellence (AOE)
Force XXI Mobile Strike Force
Conservative Heavy Division Army After Next (AAN)といった計画で
ここ20年ほど過ごしてきた。新装備により戦闘能力は確かに向上したが、
組織改編については下部部隊を掻き混ぜるより少しましなだけの程度だった。
新装備(とりわけ航空装備)を除くと、今日の重師団は第二次世界大戦
当時と大変似通っている。まだ出現していないfuture combat system(FCS)の
units of action/units of employment(UA/UE)も通常旅団、師団、軍団に
過ぎず名前があらたまっただけである。小型の(旅団規模)で頑健な戦闘力と
高度な柔軟性を持った部隊は常に求められているのだがこれまで得られたことはない。
ここで、うまくいくと分かっているもの、既に持っているものに目を向けては
どうだろうか。機甲騎兵連隊は、高度に柔軟性があり有用な戦闘編制である。
広い地域での独立作戦のために編制されており、かつ、多大な戦闘力を集中する
こともできる。同等の規模の旅団よりも軽量でありながら攻撃力は優る。
装甲騎兵連隊は3個騎兵大隊、1個航空大隊、1個支援大隊と連隊下に化学、
工兵、対空砲兵、軍事情報中隊を持つ。
騎兵大隊は3個騎兵中隊(戦車9両、騎兵戦闘車両13両)、1個戦車中隊(戦車14両)、
1個砲兵中隊(155mm自走砲6両)を持つ。これは、1個完全戦車大隊、1個歩兵戦闘車大隊、
1個砲兵中隊に相当する。
従って、兵員数は5000名以下だが、装甲騎兵連隊は3個戦車大隊、3個歩兵戦闘車
大隊、1個砲兵大隊、1個航空大隊に相当する。砲兵が少ないことを除けば、これは
師団旅団の戦闘力の2倍であり、第2次世界大戦当時の機甲師団と同程度である。
装甲騎兵連隊を2個一緒に展開すれば、1個重師団と同等の戦闘力が得られ、しかも
兵員数は10000名より少ない。
最大の強みは我々は装甲騎兵連隊を熟知していることである。教義、編制、訓練、
資材、指揮官養成、人事、施設(DOTMLPF)は既にある。抽出、維持活動で必要な
軍団からの編合もわかっている。各科小隊、中隊の編制は共通で規格性があるから
現存の戦車および機械化大隊や独立中隊はたちどころに転換することができる。
大隊結節以上の指揮官養成は密度が濃くならざるを得ないが、他に新しいことは
ない。そして、本来そうあるべきはないか。
まず、既存の師団騎兵大隊を連隊騎兵大隊の編制に変えるべきである。1個戦車中隊
と1個砲兵中隊を加えるのは手始めとして容易く、教義と編制が共通に近づく。師団
改編が開始されるときには、騎兵大隊は母体となり、必要があればだが、初期展開
する騎兵連隊となる。
勿論、考慮すべき修正事項は多い。装甲騎兵連隊下の大隊と異なり、師団騎兵大隊は
2個航空偵察中隊と1個航空役務中隊を持つ。これは手を付けずにおき、師団騎兵が
連隊に配属されたら、連隊の新たな航空大隊に加わるか親師団の航空旅団に戻るのが
良いだろう。
歩兵(乗車小銃)小隊(歩兵戦闘車両4両装備)を各騎兵中隊に加えるのが望ましい。
連隊全体での増加は9個小隊歩兵戦闘車両36両で兵員およそ320名となる。
部隊が装甲騎兵連隊編制へと転換すると、重師団の旅団偵察中隊(BRT)と戦車および
機械化大隊の偵察小隊は余剰となるので訓練済みの騎兵の供給源となる。
いつかは、遅いよりは早いほうがよいが、我々は(再び)軽装甲騎兵連隊と軽装甲
大隊について(装甲に重点を置きつつ)検討しなければならない。第2装甲騎兵連隊
(軽)は現在改編計画を進めているため、これは非常に簡単である。
改編をしてしまえばよい。永遠に続き、拡大し続ける作戦及び編制構想は捨て去り、
既存の教義と編制にし、軽車両で代替するだけで良い。装甲騎兵連隊ではエイブラ
ムスのところを軽戦車か装甲砲ができるまでの当座の押さえとしてブラッドレーを
充てる。装甲騎兵連隊ではブラッドレーのところを将来偵察車両ができるまで
装甲兵員輸送車かストライカーを充てる。他の連隊と大隊はそのままにしておく。
これで完了である。
これだけで良い。風を送り込み火を立てよ。変革により新たとなった雷を鍛えよ。
#という手紙が載っていました。
コマンチがキャンセルされる前も、クルーセーダーがキャンセルする前も
やはりそれぞれの価値をとく論説がAUSAなどに出てきます。
これからすると、第2装甲騎兵連隊の歩兵編制への移行が予告されていた
ということなのかもしれません。
272 :
トルエン大尉 ◆ja0BUvrq2. :04/06/13 18:34 ID:mxKOao8/
NHKにて在韓米軍縮小の話にストライカー旅団が!
大尉どの、自分も見ました。(;´Д`)ハァハァ
諸氏、わたしはROMるだけですが、大変勉強になっております。
感謝の念をここに記します!乙!
おひさです。
機甲騎兵連隊マンセー案ですが、私も以前、それに近い考えを持った事があります。
しかし、歩兵の少なさで断念。
もし機甲騎兵連隊をベースに軽量機甲部隊とするなら、騎兵中隊のM3騎兵戦闘車をM2IFVに置き換え歩兵を強化、その代わり中隊付属の機械化歩兵を逆にM3騎兵に変更。
これで、かなりバランスのとれた汎用機甲部隊が出来上がると思うのですが・・・
(中古のワイルドギース2のビデオが安かったので購入、今みてるのですが・・・つまらん・・・前作は傭兵物として面白かったが、2はスパイ物になってしまったらしい(嘆
>>274 Lans丼、「戦争のはらわた2」もつまらないらしい(w
>手紙
機甲騎兵のブラッドレイ騎兵戦闘車の乗員は5名。
これをひとからげに「歩兵戦闘車大隊」と言われてもなぁ、と臼砲は思った(w
あるいは降車偵察員を強化するのが前提かしらん。ストライカー偵察斑は
乗車2名+降車5名ですな。
>Lans丼
戦車小隊x2、機械化歩兵小隊x2、機甲騎兵小隊x1ですな。
LOAD'86機甲師団A旅団の機甲中隊戦闘群とウリふたつな気がするのは、
臼砲の錯覚でせうか。
JDWの5月26日号の記事を確認しました。
当初計画でのMGSが48両から27両へ、当初計画でのICVが13両から127両へと
言っています。これで6つのSBCTがすべて同一の編制となり、5億$の節約となるとか。
問題は、後半でFORCES COMMAND(総軍?)の参謀長の発言が紹介されているあたり
です。装甲騎兵連隊が将来も必要とされるか否かについて論争があり、その行方を
見守っているという話がでてきます。
<ストライカーの偵察車両
たしか長距離偵察システムというイラク戦争で好評だった奴を積んでます。
編制は2+5で5人のうち一人が語学技能を持つとかいう話だったと。
#FORCES COMMANDはAoEの話でも登場してくるCOMMANDだと思ったのですが
機能は知らなかったり。
#記事を書いた人はその先週号では、海兵隊の事前集積船にヘリ甲板を張り、
ワスプ級でJSFを多めに運用することで、航空支援を多めにする一方、サンアントニオ
級の発注を減らすかもという記事を書いています。12ある水陸両用即応群あるいは
遠征水上打撃群を8個に減らすかも。でも、洋上で人員交代をしたりして効率的には
変わらないという話でした。
FORSCOM COMMANDは集団になったり司令部になったり戦域軍だったりするのですが
任務
現在及び将来の作戦において戦闘司令官の要求にかなう戦闘に即応した
部隊を訓練、動員、展開、維持、再編すること。
本土防衛作戦を遂行し、行政当局を支援すること。
とあります。従って訓練教義集団やらとは違う機能ということは分かりました。
で、総軍の意味をよくしらないのでこちらも調べてみます。
総軍 上級軍 中級軍 下級軍で上級軍が総軍。
大本営 総軍 方面軍 軍 師団という編成が一般的。
と書かれているHPがありました。ので、総軍の機能の全てが分からないと
訳としてどうすべきなのかちょっと不明です。
アメ公が師団編制を買え始めてるな。
旅団レベルの諸兵科連合を強化してる。
更に、とうとう野戦対空部隊の独立編制を廃止し始めやがった。
>>278 >FORSCOM
機能的には「(陸軍)国内軍司令部」という感じですか。
戦力のプールであるとともに、本土防衛や国内の災害対処
なんかにも一定の責任を負っているようですし。
総軍司令部というのは、法的には1945(昭和20)年に、
それまで内地や朝鮮・台湾及樺太防衛の責にあった防衛総
司令部に変えて創設(東日本に第一総軍、西日本に第二総
軍をおく)。
「天皇に直隷して部下諸部隊を統率して防衛につき所定
の部隊を指揮する。総軍司令官は担当軍管区の防衛につ
き責任を負い、防衛のため、防衛担任地域内の隷下外部
隊(飛行部隊を除く)を区処する」
(三浦裕史「近代日本軍政概説」)
まぁ、FORSCOMは大統領に直属しないですし(Combatant
CommandであるJFCOMの陸軍部門)、「総軍」と訳すのも
違和感があるような…
ただ機能的には似てなくもないですね。
>276 対潜丼
実は微妙に違います(w
本部(戦車2輌、コマンドポスト1輌、自走迫撃砲1輌)
戦車小隊x1(4輌)、機械化歩兵小隊x2(各IFV4輌)、騎兵小隊x1(4輌)
(騎兵小隊は場合によっては騎兵班(M3x2輌)+偵察班(ハマーx2輌)も考慮)
あたりを妄想してますた。
お忘れでしょうか?
私は戦車:機械化は1:1の均整ではなく、1:2もしくは2:1の重点編成派でしよ (・∀・)b
これに中隊規模から十分な偵察能力の付加。
こんなのを考えてたです。
>278/279
>FORCECOM
は統合部隊軍(JFCOM)の陸軍コマンドだったはず。
もともとは統合軍の一つであり、戦略予備部隊を統合したものでしたが
93年に大西洋軍の配下の一陸軍司令部になりますた。
よって、この場合は総軍というより統合軍と考えた方が良いのではないかと…
>方面軍 軍
の間には軍集団が組まれる場合もあり、また軍と師団の間には軍団が編成される場合も多いです。
統合軍(戦域軍)/方面軍/軍集団/軍/軍団/師団/(旅団)/連隊/大隊/中隊/小隊
でも、現在は方面軍や軍集団が編成される替わりに陸海空統合軍が戦域軍として編成されてますねぇ、米軍
維持レス投下。
#野外教範の騎兵作戦を探して装甲騎兵連隊や師団騎兵大隊の編成をもって
こようかと思ってます。たしか地球安全網にあったと思います。
ライマー大将の電子図書館は相変わらず、IPによっては閲覧不可の模様。
(ライマー大将はシンセキ大将の前の陸軍参謀長
その前の陸軍参謀長がサリバン大将でAUSAの会長をしています)
#1990年あたりに書かれた無砲塔戦車の可能性を探る論文を読んでいるのですが
二重孤児論文で言われていた国家安全保障戦略と軍事戦略と兵器開発の理論的
関連について、集団安全保障、柔軟反応、と戦車の開発が結び付けられている
話が出てきて面白く感じました。
はじめは戦車乗りが論文を書くとどういう内容を扱うのかという興味で
読んだのですが。この意味では攻勢作戦における直射の運用という論文が同年に
ありそちらのほうがいいかも。そちらは未読。
新師団編制では各戦闘旅団に一個ずつ騎兵大隊がつくようですぞ。
4th Unit of Action (Brigade) - 3rd Infantry Division (Mechanized)
"Vanguard"
http://www.globalsecurity.org/military/agency/army/3id-4ua.htm 本部及び本部中隊
・第7歩兵連隊第3大隊
・第64機甲連隊第4大隊
・第8騎兵連隊第6大隊
・第76砲兵連隊第1大隊
・第703旅団支援大隊
・第4特殊部隊大隊(軍事情報、通信、憲兵中隊)
2004年5月26日、コロラド州フォートスチュアートにて開隊。
イラクの自由作戦で展開した師団に見られる、戦闘部隊と戦務支援部隊を
同一の指揮下に編合した部隊
>285さんの言うとおりでした。第三歩兵師団についてもいろいろ調べないと
いけないかも。
kojii.netのGDW抄訳にも記事が出てますね。
>280氏の触れていた師団防空砲兵大隊の解消(アベンジャー中隊だけかしら?)と、
中の人の騎兵へのコンバートについても記述があります。
直接戦闘大隊は3個旅団10個大隊(機甲+機械化歩兵9個+空中騎兵旅団機甲騎兵大隊)から
4個旅団12個大隊(機甲、機械化歩兵、騎兵各4個)となります。
中隊で見ると、機甲中隊+機械化歩兵中隊は27個から32個へ。解らないのが騎兵中隊で、
旅団偵察中隊は装甲ハマーの2個小隊編制であった事もあって、換算が難しいです。
在来型は機甲騎兵3個中隊+軽装甲偵察3個中隊(1.5〜2個中隊相当)。
また、機甲/機械化歩兵大隊の大隊本管中隊に偵察小隊がありましたが、これもどうなったのやら。
>Lans丼
>274の改編案をストレートに実施したら>276になるじゃナイカッ!!o( ̄皿 ̄)o
>287
私の参照した資料の機甲騎兵中隊の編成で
本部
・戦車小隊x1
・騎兵小隊x2
・機械化歩兵班x1
・自走迫撃砲班x1
というのがあったのです。
確かに、対潜丼の
本部(戦車x1、コマンドポストx1)
・戦車小隊x2(4輌x2)
・騎兵小隊x2(6輌x2)
・機械化歩兵班x2(1輌x2)
・自走迫撃砲班x2(1輌x2)
の方がポピュラーなので、もしかしたら私が気に入ったのは、なんらかの試験案なのかもしれません。
今、調べていたのですが、他にも自走迫撃砲x3輌、機械化歩兵x1輌とかいうのも一時期あったようです。
また。騎兵中隊の編成を騎兵小隊x3とし
騎兵小隊を
小隊本部(M3x1輌)
・偵察班(M3x3輌)
・戦車班(M1x3輌)
・機械化歩兵分隊(M2x1輌)
・自走迫撃砲分隊(M106x1輌)
というのもありました。
この場合、M1x1輌とM3x1輌で1個戦闘偵察チームを組んだようです。つまり、偵察チームx3と支援の歩・迫チームということらしいです。
今、89年に編成された諸兵科連合戦闘機動中隊が気になっています。
これの母体は諸兵科連合機動部隊(CATF)で
大隊本部
・戦車中隊x3
・機械化歩兵中隊x2
・野戦砲兵中隊x1
で編成。これをベースに下記のように入れ替えます。
・戦車重装備戦闘機動中隊x2個
(戦車小隊x2、機械化歩兵小隊x1)
・機械化歩兵重装備型戦闘機動中隊x2個
(戦車小隊x1、機械化歩兵小隊x2、重火器小隊x1)
を主力とし、
野戦砲兵中隊が火力支援
残る戦車中隊が大隊予備となる運用だそうです。
機械化歩兵重装備型戦闘機動中隊・・・あぁ。なんて美しい編成なんだ・・・
アメ公は編制即充足可能な装備がたくさんで羨ましい限りで・・・。
>290 M1もアパッチもパトリオットもブラッドレーもハマーも皆1980年代から
1990年代初頭に作られてます。あとM113も沢山抱えていると思います。
で、これからさき20年後には装備更新の時期を迎えるわけです。
これについて、陸軍参謀長がストライカー旅団のイラクでの成績をみて
予定よりも増加することに前向きな発言をしたという話がでている掲示板が
あります。購読者のみ閲覧できる防衛関係ニュースサイトから無料掲示板への
コピペなのですけども。
また、ランドの将来、FCS、インターリム、フォースXXI、空挺、空中強襲師団
をそれぞれどれだけ陸軍現役師団で必要とするのかという話は概要篇が出たのみで
本編はまだ発表されていません。
#無砲塔戦車は読み終えたので次に掛かっています。1989年の
自動車化部隊の必要性についていろいろ検討している論文です。
展開性、戦術機動性、対戦車火力を要件としてあげています。
空輸にかかる日数を自動車化旅団で1週間内に可能とおおまかに
見積もって論じているくだりなどはとても面白いです。
#英語圏のサイトでAMOSやストライカー砲兵について話しているスレが
ありました。後装式迫撃砲を対で備えた砲塔をCV90や哨戒艇や装輪車両に
載せて射撃している動画像が出ていました。
#地球安全網にてSBCTの野外教範がUPされているのを知りました。
291の論文も読んだのですが、当時の課題は第三世界の機甲戦力にいかに
初期投入戦力が対応するかにあるという意識があったようです。
湾岸戦争の直前なので、ソヴィエトを含む東欧圏の崩壊はあるものの、
T-72神話は健在だったという事だと思います。
その後、海兵第2師団に第2機甲師団のタイガー旅団が編合?配属されて
湾岸戦争を戦った話で、文化の異なるもの同士の融和について書いたのをみて
います。SBCTで戦車乗りがMGSならぬATGM車にのって歩兵中隊の一員となった
ことについて昨年のはじめ、アーマーに投稿があったのを知りました。
陸軍と海兵隊の相違と、歩兵と機甲の違いとではまた違うでしょうけども、
参考にはなるかと。変革に対する入校中の士官に対するアンケート調査では
兵科の違いよりも軍種の違いの方が大きく影響するということでしたが。
ずっと以前からときどき話題がでていたSBCTの迫撃砲搭載車について
SBCT1とSBCT2では
中隊の迫撃砲搭載車は120mm迫撃砲弾45発 60mm迫撃砲弾75発を搭載。
大隊の迫撃砲搭載車は120mm迫撃砲弾45発 81mm迫撃砲弾25発を搭載。
120mm迫撃砲弾のみの場合 60発を搭載。
中隊あたり迫撃砲班1個で迫撃砲搭載車は2両
(M120 120mm迫撃砲を車から降ろして射撃
M224 60mm迫撃砲を下車行動用に用意。
(#人員の関係で同時に120mmと60mmを運用するのは無理。)
大隊には迫撃砲小隊1個4両があり、各車は120mm迫撃砲とM252 81mm迫撃砲を搭載。
旅団全体では120mm迫撃砲は36門。うち6門はRSTA大隊(遠隔捜索目標捕捉)の装備。
RSTA大隊の迫撃砲搭載車は120mm迫撃砲のみを搭載。
加えて作戦予備車両として旅団は迫撃砲搭載車2両を持つ。
#2001年6月の資料です。M113に120mm迫撃砲を搭載している自走迫撃砲とは
異なり一旦車外に下ろしてから射撃するとのことです。これについては
昨年の批判文書でも非難されていました。SBCT3以降については車載式と
この資料ではされています。このほか、赤外線照明弾、精密誘導迫撃砲弾に
ついても触れています。
一方、2001年6月現在の各種旅団迫撃砲装備定数について
重旅団 大隊毎に120mm迫4門で旅団総計で12門
軽旅団 中隊毎に60mm迫2門、大隊毎に81mm迫4門 旅団総計60mm迫18門 81mm迫12門
レンジャー連隊
120mm迫4門 又は 81mm迫4門 又は 60mm迫6門
という例をあげています。軽旅団は山岳、空挺、空中強襲、軽を含みます。
重旅団は機甲と機械化を指します。
#中隊毎には軽旅団で60mm迫が2門だけのところをSBCTとなり(2001年当時はIBCT)
60mmか120mmのいずれか2門を選べることになったということになるのかも。
ついでに迫撃砲の基数を調べて、旅団支援大隊と中隊のハマーが牽引している
トレーラーに積める数をみると面白いかも。
#非線形で部隊は面に広がって迫撃砲は360度全周を射界とするという話がある
のですがこれは補給はどうなるんだろうということがあります。たしかこれに
ついてもどこかで記事を見かけました。
#海兵隊の師団に陸軍の機甲旅団が配属されて湾岸戦争を戦った話は
読み終わりました。続いて州兵がIBCTに改編される意義を考える話を読んでいます。
迫撃砲の弾数については目標によって何発撃つという図表なら見たのですが
これは一日何発割り当てられるかという話とは違う気がしています。
ROM厨房です。質問があります。
「軍事研究」誌によるとC-17に2両しか積めないとの記事があり
某サイトでは4両搭載可能とあります。
確かに、C-17の貨物室幅は5.5mなので
ストライカーW2.7m×2=5.4mになり、2列搭載は難しそうです。
ちなみにC-5はW5.8mなので、二列搭載は余裕で可能。
やっぱ、2〜3両しかC-17に乗らないのでしょうか?ご教示下さい。
(後尾ランプ部分を使用すれば3両可とありました)
>297 不確かではありますが、C-17では一度に2両と考えて各種の投入に掛かる
試算はされていたと思います。
確かなのはC-130では1両ということです。
航空機は詳しくないのですが(陸戦だって詳しくないのですが)
滑走路の状態、長さと高度、空港の能力(着陸後整備給油できるかや全天候で管制できるか)
空港の駐機場のスペース、中継点を設けることができるか等々の条件と
出発地から到着地までの航続距離によって貨物及び燃料搭載量は変化すると
思います。なので最大4両、最小は1両、試算時は2両というのが良いかもしれ
ません。
#いいHPの紹介有難う御座いました。部隊の発祥についてはイラン革命やら
アフガン侵攻のころの軽歩兵師団から高度技術実験師団に自動車師団の流れを
組むという指摘をどなたかに受けましてその後色々資料を読んだところその線で
納得しています。シンセキの変革の3本柱についての説明や訳語の的確さは
驚きました。BCTって旅団戦闘団より旅団戦闘チームのほうがいいのかな。
#ちなみにLOSATは第82空挺師団にまず配備されています。
また、HIMARSについては配備される可能性があると思いますがまだニュースは
ないです。写真のキャプションは情報が旧いかも?と思うところがありますが
よくまとまっていてどの時点でかの情報が一目で見られるのはとても嬉しいです。
砲兵に関してはFA誌のネット無料配布が工兵と同様に目次のみとなったので
些か情報が入手しにくくなっています。army technologyを頻繁に見ていれば
済む話ではありますが。
#300 ブッシュ大統領が演説の中でイラク人には”ゴーストライダー”と
仇名されていると同旅団を紹介するくだりがあり、そのもとは4月5日にある
佐官がブリーフィングでそう紹介したことにあるそうです。
イスラムの専門家によると、イスラム圏ではゴーストというのは馴染まない
との談話が新聞で出ていました。かりにイラク人がそう呼んでいるとすれば
米人の呼び方が伝播したのだろうとのこと。
#AC-130関連やベトナム戦回顧サイトでもよく、”ゴーストライダーインザスカイ”
は出てきます。
>300 Namer(Tiger)についてはちょっと誤認が。イスラエルが開発を計画している
重APCですが、どうもアチザリットやM113の更新と絡んで複雑な流れがあるようです。
メルカヴァ車体の重APCという線は正しいのですが。
>303に関してハーレツに出てた記事の訳です。細かなところは怪しいです。
保護料
2004年5月28日金曜日 (原文筆者 Amnon Barzilai)
2年前のジェニンとナブルスでの”守りの盾”作戦ではよく用いられていたが、ガザ地区では
見かけることは稀だった。M113A1装甲兵員輸送車が先週攻撃されて、兵11名が戦死し、また、
攻撃を受けたAPCの傍らにいた兵が死亡して以降、イスラエル国防軍はAkhzarit(アチザリット)
(ヘブライ語で残酷なの意味)、最も重装甲で軍の有する最新鋭の装甲兵員輸送車(APC)を
ガザでの任務に就かせることを決定した。
増援した背景には兵の安全をというイスラエル国防軍(IDF)内の批判がある。が、部隊全てに回せる
ほど十分な数のAPCがあるかどうかは不明である。
アチザリットは1980年代に開発されたIDFの主力”重”APC。1990年代半ばには
レバノン安全保障地帯での紛争激化に伴い、さらに3つのAPCが開発された。
Nagmahon、Nikpadon、Pumaである。アチザリットを含めたこれら4つのAPCの開発目的は
RPGと路傍爆弾に対する抗堪性をアルミ側面のM113A1Zeldaに比べて向上させることにあった。
開発には数十億シュケルを費やしたが、IDFはZeldaを用い続けた。地上軍の上級将校は”我々には手の打ちようがない”と語る。
”我々には一握りの重APCしかないが、Zeldaは何千両とある。歩兵の多くはZeldaを
用いている。訓練を受けたのも、現在持っているのもZeldaだからだ。さらに付け加えれば、
次の戦争でもZeldaは使われるだろう。”
アチザリットの開発に携わった防衛産業のさる役員は匿名を条件として語るのだが、
”IDFがアチザリットをほとんど使わない理由がまったく思いつかない。南レバノンの
安全保障地帯と同様なのに、IDFで最高の、おそらくは世界で最高のAPCをほとんど
使っていない。我々があれほどまでに投資し、努力を傾注したにも関わらずだ。”
地上軍の上級将校の説明は、”IDFでは歩兵部隊のための戦闘APCは誰も優先していない。
IDFがM113A1を使い続ける理由はわずかこれだけのことにすぎない。それで、
重APCの数は僅かだし、歩兵が連合作戦に統合されることもない。”
砂の守り
外国の資料によると、IDFは8000両超のZeldaを保有しており、大半は米国陸軍の余剰品が回された
もの。米国がM113A1の開発を始めたのは1956年で、開発時の要求は軽量で浮航可能かつ空中投下
可能というものだった。防御は限定的だったので、米国では部隊輸送に主として用いられ、
”戦場タクシー”として扱われていた。徐々にブラッドレーとストライカー(論争の的となっている
APC)で更新されている。M113A1を欲する各国の軍の要求は高かった。イスラエルの場合、
1967年の6日間戦争後にZeldaを受領している。Zeldaの生産が米国で終了したのは1992年である。
最近の紛争では、兵が様々なあり合わせで装甲を補っている。例えば、軽火器からの防御を増すため
に側面内側に砂嚢を積むなどである。また、兵の中にはAviv Hakani大尉のように、APC内に載せて
輸送する代わりに爆薬を運ぶ装甲機材を創意した者もいる。彼の発案が実用される前に
先週Philadeiphi道でHakani大尉は戦死した。
IDFがAPCを受領して40年経過した昨年になって、装甲強化をしようという公式の動きがあった。
Rafael(兵器開発公企業)とIMI(イスラエル軍事産業)が軽火器とRPGからAPC搭乗の兵を守る
システム開発受注で競争し、IMIが獲得。だが、指名後も計画は延期され、先週の事件の影響
もあり、ようやく8000両を超えるZeldaのうち50両を1200万$で装甲強化する契約が締結された。
APCに問題があるとの声は過去にもあり、複数の車両が開発されることに繋がった。
1979年には6年前のヨム・キプール戦争の戦訓、とくに機甲軍団がエジプトとシリアの
サガー対戦車ミサイルとRPGで損害を受けたことを踏まえ、Rafaelの上級技術者Dan Rogelは
”歩兵は、統合戦闘部隊の一部であり、APCにより機動化されねばならない”と書いている。
続けてZeldaに触れて、彼は”Zeldaは大変脆弱であり、火力に欠け兵が戦場に乗り入れるには
適さない”と指摘している。
彼の提言は明確で”我々が多数保有している戦車の車体で車両を設計するのが可能かつ望ましい。
この車両で歩兵に衝撃力を与えられる。この車両は将来の戦場では欠かせない。”
当時のRafaelのトップ、Ze'ev Bonen博士は承認を与えて、RogelはAkhzarit(アチザリット)の
生みの親となった。1980年、副参謀長Yekutiel Adam少将は説得するまでもなく、Rafaelに
鹵獲したソヴィエト製T-55を与えた。砲塔と主砲を取り除き、車体は兵8名と操縦手1名の空間
として改造され、戦車は骨組みに到るまで手を加えられ、エンジンは交換された。
装甲についての主な改造は対戦車ミサイルに対してRafaelが単独開発した”Baltan”の使用である。
Baltanは2枚の金属板に爆発物を挟んでおり、ミサイルが命中すると作動する。このRafael製反応
装甲は米国のブラッドレーAPCでも用いられている。
さらに、突撃部隊の一部となる装甲戦闘車両としてAPCを使うという新しい構想のもとに、
機関銃3丁と先進的な昼夜間視察装置が装備された。同装置は仰角をとれるので建造物
密集地域での戦闘時に特に有効である。車内の兵は路上、建造物、建造物上層階を射撃する際にも
車外に頭を出す必要がなくなった。一般に重APCは車体上面に開口部があるが、アチザリット
の場合は車体後部に開口部があるので、搭乗兵は射撃に晒されずに乗降できる。
張子の虎
1988年、アチザリットの最初の1両が組み立てラインを出た。時機は熟していた。
メルカヴァ戦車(MerkavaTとMerkavaU)の受領により、高水準の主力戦闘戦車とAPCとの
格差が開いていた。IDFが機甲戦闘に用いることができるAPCはアチザリットだけだった。
が、喜ぶには早かった。長くは続かなかった。当初計画では重APC1000両生産すること
になっていた。が、予算不足を理由にIDF内で反対の声があがった。論争は当時の国防相
Yitzhak rabinにまで持ち込まれ、生産するのは数百両のみと決定された。
メルカヴァの車体を利用して装甲とエンジンを強化したNamer(虎)APCの生産もアチザリット
と同じく残酷な運命により覆された。”10年たった今でも、Namerが世界で最高のAPCであった
ろうことには異論はない。IDFには必要な車両だった”とある上級将校は語る。
IDFの原価算定によると、Namerは1両あたり100万$から200万$掛かり、1000両APCを揃えると
莫大な投資となった。米国の援助予算で購入できる戦闘機と異なり、IDFは自国予算でAPC生産
を賄わなければならない。アチザリットの生産は打ち切られ、Namerは張子の虎に留まった。
ゴラニ旅団の独占物?
アチザリットは数百両生産され、装甲、機動力、火力でIDF内で高い評価を得た。
が、1990年代に路傍爆弾が使われ始めても、南レバノンでアチザリットの姿を見かけるのは
稀だった。防衛筋の説明によると”アチザリットを運用するのは手間が掛かることが問題
である。M113A1は輸送APCとしてのみだが、重APCは主力戦闘戦車と同様に乗員の訓練と
指示の計画を作成することが必要である。”
これは問題の一部に過ぎない。1990年代初期、IDFは1973年のヨム・キプール戦争でうけた
奇襲の後遺症から立ち直っていなかった。レバノンでは大きな損害を受けていたが、
ヒズボラのゲリラの脅威よりもシリア侵攻の脅威のほうが大きかった。IDFは最大の脅威を
受けるところに最良のAPCを配備することを望み、総参謀本部はゴラン高原のGolani歩兵旅団
に配備することを決定した。
アチザリットは突破戦闘に用いられるが、奇襲兵器としても意図されており、
IDFはヒズボラ相手に消耗するつもりはなかった。また僅かな数の重APCを安全保障地帯に
投入すると兵の間に格差が生じるという別の懸念もあった。
路傍爆弾および底面爆弾(車両の下で爆発するよう設置された爆弾)の使用が増加し、
IDFの損害率が上昇するに従い、装甲を強化したAPCを求める圧力も増大した。
にも関わらず、アチザリットを使わないことが決定された。1990年代にセンチュリオン戦車
を利用した新たなAPC開発が始まった。Nagmahonは路傍爆弾及び底面爆弾への防御を備え、
Nakpadonは路傍爆弾対策を重視し、ともに対戦車弾防御があり、2丁から4丁の機関銃を
備えていた。Pumaは工兵軍団が使用し、強化目標を突破する際、兵の機動を防護する為の
唯一の手段として開発された。が、予算の制約からこれらのAPCの数も限られており、
現在、IDFが使用しているのはそれぞれ数十両に過ぎないことは明らかである。
アチザリットをガザ地区で使用するにあたっても作戦上の考慮が指摘されている。
IDFは日常警備を行う部隊は通常使用している装甲戦闘車両で運用されるべきだと考えている。
”作戦戦力倍増素だ”とある上級司令官は今週述べた。ガザ地区の日常警備は現在、Givati歩兵旅団
が担当している。アチザリットを導入するには、Givati部隊がGolaniの重APCを運用するのを訓練する
時間と予算と特別の部隊がが必要である。
ガザ地区でのRPG使用の増加により、再配置を強いられることになり、IDFはZeldaの使用を限定し
アチザリットを投入する事を決定した。今、IDFはGolaniの貴重な機材が他部隊の兵の生命をも
守れるかどうかを見定めなければならない。
#イスラエルの場合は、M113とストライカーではなく重APCまでもが
次の歩兵車両として絡んでいることが分かりました。
Namerは画像がないのが不思議でしたが、開発中に棚上げになって
いま計画の存続が危ぶまれているということなのかもしれません。
ストライカーについては相変わらず賛否両論がある感じで、
一方ではさらに追加調達するという話があり、一方には現地の将兵は
M113を望んでいるという話があります。
ちょうど戦車不要スレで機械化歩兵を話題にしてたので、重APC、タイムリーです(w
>318 ヨルダンのキングハリドでも重APCは開発してたり、ウクライナにも一応
あるんですが、あとはカンガルーとかになっちゃいますね。<重APC。
ネットに落ちてた資料だと、アチザリットは200両 ナグマホンが280両ある
らしいですが。メルカヴァWについては詳しいサイトがありました。10発までを
装填できる回転弾倉の画像があります。砲尾にそのままついているんだろうか。
年50両程度生産する予定とかありました。ちなみに兵員8名を輸送可能だろうです。
#空中機動師団(第1騎兵師団)の誕生について触れた記事を呼んだのですが
中で本物の馬を使っていた時代の野外教範を下敷きに空中騎兵の教範を書いたと
いうくだりが有りました。
また、「自動車化の経験」では第9自動車師団長が4冊の野外教範を執筆し
フォートレーベンワースに送られたがそこで仕舞われたままになっているという
話があります。M8AGSの場合だと軽騎兵作戦というのが見ることができますが、
自動車化師団のヤツは見たことがないです。SBCTの下敷きになっているんだろうか。
laser mace, laser strike, border starの各演習については資料はどこかに
あるはずですが、ネットにあるかどうかは不明です。1984年あたりのことなので。
#チャド内戦のFadaの戦いを思わせる話が「自動車化の経験」に出てきました。
TOW搭載ハマーで機動して交戦地域を設定し、TOW発射開始線と撤退線を地形を
考慮しつつ決めてアウトレンジしては撤退するという話です。
また、編制については重諸兵科連合大隊の場合、偵察小隊と対戦車小隊を
組み合わせて、偵察対戦車小隊を2個作り、大隊の前方を夜間浸透させたという
話が出てきます。
#旅団長の話の次が各大隊長の話という順序で並んでいるんですが
大隊長の話になるとかなり具体的になります。SBCTの場合は中隊結節で
諸兵科連合編制ですが、9ID(M)の場合は大隊からだったようです。
第2歩兵連隊第2大隊の自動車化の経験
序
1986年4月、第2歩兵連隊第2大隊(Ramrod)は歩兵編制から自動車化歩兵諸兵科連合大隊-重
(CAB-H)へと再編された。CAB-Hの編制は標準の本部及び本部中隊、戦闘支援中隊1個、
偵察、対戦車、重迫小隊各1個、対戦車中隊2個と自動車化歩兵中隊1個であった。各対戦車中隊
の装備及び編制はTOW-U装備M966HMMWV20両で4個小隊と中隊本部であった。自動車化歩兵中隊
の編制は3個小隊で、各小隊は8名分隊3個と8名武器分隊であった。武装はM16小銃、分隊自動火器
(SAW)、ドラゴン短距離対戦車ミサイルだった。各分隊はロールケージとシートベルトが付けられ
たM998HMMWVに搭乗、車体には50口径機関銃か、50口径機関銃が不足している場合はM60機関銃が
装備されていた。偵察小隊は6両のM998に搭乗。対戦車小隊はM966TOW−U装備4両に搭乗。
重迫小隊はM998に4.2インチ迫撃砲6門を搭載していた。
車両整備やTOW射技を当時に配属されていた極少数の11HTOW射手から学ぶなどして
歩兵は急速に習熟していった。そのうち各TOW班3名中少なくとも2名は11Hとなった。
大隊が自動車化編制をとっている間、TOW班の充足の維持は絶え間ない問題であった。
訓練
CAB-Hの戦闘訓練はこれまでにない問題があった大隊の主要兵器はTOW-Uなので
”小銃射撃場”にって訓練するというわけにはいかない。第9歩兵師団G-3が、
個人段階、組crew段階、班section段階、小隊段階とTOW射術表を作成した。師団の基準
でTOW射術表V(TOWsquad分隊)(つまりcrew組)認定を年に2回となった。
TOW射術表Vでは実弾のかわりにMILESレーザーシステムを用いる。組は
全てのcrew drills組教習事項を用いて厳しい制限時間内に種々の目標を様々な射程で命中
させなければならない。大隊毎に年1回TOW射術表Vを内部で行い、9ID G-3がさらに1回
大隊の外部で監督して行う。一つ問題となったのはフォートルイスの訓練場ではTOW組が
3750mの射程最大で射撃できる余地がなかったことである。このため、大隊はヤキマ射撃
センター(YFC)で内部開催射術表Vを行った。YFCはあらゆる射程で目標を設定でき
TOW組の訓練に適している。9ID射術局(gunnery office)はYFC TOW射術表Vの設定を
高く評価し大隊がYFCでTOW射術表Vを行う際の師団の標準とした。
もう一つのポイントは大隊がTOW射術表Vを訓練する際は各部隊の第一組は指揮官、副長、
上級下士官としたことである。つまり、大隊長、副長、最先任曹長が射術を先頭で行うこと
になる。各中隊では中隊長、副長、最先任軍曹(1SG)となる。これにより、大隊の指揮官らは
複雑なTOW装置を修得しなくてはならなくなった。
二点目の訓練に関する問題は、CAB-H(諸兵科連合大隊-重)にとってフォートルイスでは
機動空間がないことだった。訓練場は深い森林となっており、歩兵には理想的だが、TOW小隊
とTOW中隊にとっては機動訓練を遂行できる場所が僅かだった。このため、
フォートルイスでの機動訓練は、例えば最大射程を得られる陣地選定といった戦技は
小隊結節以下でのみとなった。限られた訓練場を巡って激しい競争がありTOW射撃のため訓練場を
空けるのは困難だった。大隊や、場合によっては中隊がYFCに展開したときはこの問題はなかった。
だが、ヤキマでも、CAB-Hに十分な機動空間を与えるには入念な調整が必要だった。
自動車化作戦を訓練するには長大な幅か縦深が、できれば双方ともに必要となる。
CAB-HはHMMWV装備であり、対弾防御は一切無い。防護のため速度と敏捷性を用いるように
大隊は訓練された。また、CAB-Hにとって最大の防護である夜間を生かすように訓練された。
幸運にも大隊はフォートフッドで1986年秋にCAB-H構想の試験(のちに予算の都合でとりやめ
になったが)を行うよう指定された。この指定により各中隊と戦闘支援中隊(CSC)
の操縦手と車長全員、本部及び本部中隊の操縦手の多くにAn^PVS 5が支給された。この素晴らしい
機材で大隊は夜間に訓練を多数回行った。また、TOW-Uの熱線視界装置の能力も役立った。
1986年秋のYFCでの3週間に渡る訓練では大隊は日夜を完全に逆転させた。大隊の全訓練期間に
わたり、主要な訓練は司会が限られている時間帯に行われた。当初、部隊は夜間に作戦することを
大変躊躇ったが、訓練により夜間が最大の友であると認識するに到った。恐らくは自動車化師団
の最大の特徴は夜間能力にある。この能力はどんなに多くの兵棋演習(war game)や指揮所演習(CPX)
でも正確に捉えることはできないだろう。
自動車化歩兵中隊、偵察小隊、迫撃砲小隊、本部及び本部中隊の支援は
2個対戦車中隊と対戦車小隊の訓練が軸となる。訓練はさほど他の歩兵部隊と異なるものではないが
対戦車中隊と対戦車小隊の訓練と支援は多くが夜間に大隊の他部隊とともに行われる。
自動車化歩兵中隊と戦闘支援中隊もCAB-Hの戦闘がもとで少々異なることもおこなった。
これらの手順についてはのちほど述べる。
戦闘
自動車化諸兵科連合大隊-重(CAB-H)としての戦闘への習熟は大隊は同編制をとっていた
2年以上をかけて進歩していった。恐らく一番最初の戦訓は既に述べたとおり夜間戦闘の
必要性であろう。速度、敏捷性とHMMWVの比較的小さい輪郭を生かして最も賢明な方法で
戦闘することにも力点が置かれた。HMMWVは、装甲があり運動エネルギー兵器を速射して
くる敵と正面きって立ち向かいぶちのめすことはできない。そこで、CAB-Hは戦闘に際して
戦略および戦術機動性に依拠しなければならない。戦略機動性を評価する為、1988年2月の
外部評価ARTEP(EXEVAL)の一環としてC-141、KC-10、C-130で大隊全部が移動した。
中隊ではUH-60ブラックホークとCH-47チヌークを用いて戦術機動性の訓練を行った。
こうして大隊の各員が戦闘作戦を生き延びる為にも迅速に移動することを体得した。
車両は目立つ地形を占領することはできなかった。なぜならば、敵砲撃がそのような地形を
くまなく覆ってしまい、HMWWVは生残れないからである。自動車化分隊指揮官は
側面あるいは稜線基部に陣地を選定するか、”key hole"(交戦地域の観測ができ、車両が
防護できる地形に覆われた位置)射撃を”隠れた”陣地からすることを学んだ。
大隊は、孤立して敵後方で戦闘することを任務の一部として受け入れた。一旦受け入れると
これはCAB-Hの真の強みとなった。敵先導部隊が通過したのちには、激しい砲撃を受ける
ことはおよそないからである。
HMMWV−TOWが接近してくる敵装甲部隊に対して優位なのは1800m以遠である。
大隊は発射開始線3750m(或いは交戦を開始する遠距離点)とHMMWVが
敵装甲部隊が接近して運動エネルギー速射砲の射程に入れられる前に移動できる
撤退線2000mを用いて戦闘することを体得した。これらの線は地図に描かれている
わけではなく、各小隊長や分隊長がTOW組に示した地形上の一点である。これにより
いつ交戦を開始し、他日の戦闘へと生き延びるため交戦を終えるかが分かる。
これはCAB-Hが戦闘する上で最も重要な点の一つである。
#ということでarmorのSBCT中隊の戦車1個小隊をハンターキラーする話
に少しだけ近い話になるかもと思います。この話を読むまでは今一つどういう
意味だか掴めなかったのですが。
CAB-H(諸兵科連合大隊−重)の戦闘では間接射撃支援でもいくつか問題があった。
大隊固有の重迫撃砲は射撃の度に手で布置しなくてはならずCAB-Hで構想されている
高速機動想定では大変に不利であった。また、直接支援砲兵も問題があった。
空中展開の必要性から155mm牽引式榴弾砲であったので、戦場で布置したり撤収したり
するには時間が掛かった。大隊外部評価演習では、前衛は本来そうあるべき時間よりも
長く保持することを強いられたのは砲兵が撤収する時間のためであった。直接支援砲兵大隊
長はこの状態を改善する為に沢山の工夫を案出したが、問題として残り続けた。
同様にCAB-Hは対空砲兵の覆域を統制を維持するのにも困難があった。
高速で戦場を移動するので、急速に変化する状況に対空砲兵が追従すらできないことがあった。
この問題への対策は一層の訓練であったが、多大な努力にも関わらず、本大隊がCAB-Hとして
編制されていた28ヶ月間内に解決されることはなかった。
恐らく第2歩兵連隊第2大隊がCAB-Hとして戦闘するにあたって取り入れた最大の革新は
偵察小隊と対戦車小隊の用法であろう。対戦車小隊の装備は2個対戦車中隊とまったく同一で、
TOW−U搭載HMMWVである。大隊には合計で44両あるため、対戦車小隊をある意味では
教義にない、偵察小隊への支援として使うことが可能となった。戦術実験を経て、
コンピューター支援の兵棋演習で確認した上で、指揮班は対戦車小隊の火力を加えることで
偵察小隊が大いに増強されると結論した。偵察部隊を長距離から対戦車火力で援護監視
(overwatch)することができ、必要有れば撤退も援護できる。同時に偵察部隊が、
例えば、対空兵器、指揮統制、砲兵など非常に魅力ある目標を発見した場合、TOW-Uを
使って破壊することができる。こうして、第2歩兵連隊第2大隊は2個偵察班(section)を
2個対戦車班と連合(combine)させて、2個偵察対戦車小隊(SCAT platoon)をつくり、一つは
偵察小隊長が、もう一つは対戦車小隊長が指揮することにした。
SCAT小隊は防勢時には、特定の目標を破壊する能力が付加されつつも、敵の移動を報告、
側翼を援護するなど伝統的な偵察部隊の任務で運用される。また、本隊から8km-10km
離れて殿を引き受けることもしばしばである。攻勢時にはSCAT小隊ははるか前方に送られて
敵陣地を抜ける経路を捜索する、経路が見つかると自動車化歩兵中隊に引渡す
(のちほど説明する)。SCATは大体目標内や付近で行動し、敵活動を報告し、砲兵射撃を
要請し、状況が許せばTOWの直射を用いる能力がある。
大体はSCAT(偵察対戦車小隊)を用いる事で大変な成功を収めた。大隊外部演習において、
SCATは枢要な役割を果たした。あるときは、SACT組(team)が敵後方の隠れた陣地(hide position)
から出現し集合地域にいた2個戦車小隊を破壊。またあるときは、SCATは準備中の敵1個砲兵中隊
を発見して交戦。SACT組により大隊の能力は大変向上した。
CAB-Hの戦術は”正規”歩兵や機械化歩兵戦術とは異なる。防御であれ攻撃であれ
CAB-Hは同じやり方で戦う。違いはどちらが主導権を握っているかだけである。
戦術運用の核心は敵を予め設けた交戦地域disignated engagement areaに導くことにあり、そこで
呼び集められる全ての資産を用いて戦力を撃滅する。大隊正面は10-12km幅で戦区secterの縦深は
25kmあると十分な機動縦深が得られる。大隊は戦区或いは地帯zone全体で複数の戦闘陣地BPを指定し
て中隊或いは小隊をこれらの戦闘位置へと移動させて統制を維持し部隊が接近経路を確実に
監視できるようにする。1個TOW中隊につき、戦闘陣地は少なくとも5kmなくてはならない。
なぜならば、TOW車両は敵砲撃で著しい損害を被ることをさけるため300m間隔で配される必要がある
からである。攻撃時は、中隊は戦闘陣地から戦闘陣地へと移動し、先導する中隊の背後には
指定交戦地域が準備されていくことになる。先導中隊が迂回も迅速に撃破もできない敵部隊に遭遇
した場合は、敵部隊を撃破するために指定交戦地域周囲の戦闘陣地へと後退するか、他部隊が
敵側翼へと機動する間、拘束する。大隊交戦地域は通常5km幅、4-6km縦深(地形に依存するが)とし、TOW射界が重なり合うとともに小隊が好射撃位置へと移動できる縦深が確保されるよう計画する。
防御は、工兵障害物、地雷原、集中砲撃目標、砲兵散布地雷、直射を使いよく準備された交戦地域
を軸とする。遅滞任務と防御任務の遂行は準備に掛けられる時間を除いて同一である。撤退すると
中隊は後方、側翼、或いは敵後方にて戦闘陣地及び交戦地域を確立するように命じられる。
CAB-Hには地形を保持する能力はほとんどない。敵戦力を撃破するように機動するのである。
第2歩兵連隊第2大隊の接敵前進(movement to contact)は大変功を奏した。
(図表1の隊形図を参照せよ)SCAT(偵察対戦車)組が夜間にできるだけ早く送り出されて、
敵防御を浸透し後続部隊が拘束或いは迂回すべき敵陣地を解明する。次に自動車化歩兵中隊
が、TOW小隊1、2個の配属を受けて、大隊の偵察部隊として前進する。通常、夜間に移動し、
歩兵中隊はSCAT組に指定された経路を移動し、大隊正面全体を覆う。接敵次第、歩兵は
敵部隊を撃破するか小部隊で拘束しつつ他の部隊でもって迂回する。歩兵中隊に続くのは
2個対戦車中隊である。最低2つの経路を縦隊で移動する。大隊戦術指揮所(battalion Tactical CP)
は自動車化歩兵中隊にもっとも重要な経路で後続する。対戦車中隊長は2人とも大隊戦術
指揮所(Tac CP)とともに移動する。こうしておくと、歩兵中隊が大隊機動を要する敵と遭遇した場合、大隊長は中隊長を呼び寄せて口頭部分命令(verbal frago)を伝達し、各中隊に戻らせて
任務を遂行させることができるようになる。この方法は大隊野外演習(FTX)と大隊外部評価
演習(EXEVAL)の際、きわめて良く機能した。
CAB-H(諸兵科連合大隊-重)が戦闘する際の最大の問題の一つは歩兵が不足していること
である。1個中隊では、大隊は課せられた任務の全てを達成するには不十分だった。その結果、
自動車化歩兵中隊の任務は主として偵察と対偵察任務へと変化した。大隊が攻勢時には、
自動車化歩兵中隊は1個TOW小隊と任務編成で偵察またはSCAT(偵察対戦車)に後続して
特定の敵陣地を発見し拘束するか、迂回する任務についた。大隊は主導権がある場合は常に
夜間に攻撃したので、この任務は歩兵中隊が着実に達成する事ができた。
CAB-H(諸兵科連合大隊-重)が戦闘する際の最大の問題の一つは歩兵が不足していること
である。1個中隊では、大隊は課せられた任務の全てを達成するには不十分だった。その結果、
自動車化歩兵中隊の任務は主として偵察と対偵察任務へと変化した。大隊が攻勢時には、
自動車化歩兵中隊は1個TOW小隊と任務編成で偵察またはSCAT(偵察対戦車)に後続して
特定の敵陣地を発見し拘束するか、迂回する任務についた。大隊は主導権がある場合は常に
夜間に攻撃したので、この任務は歩兵中隊が着実に達成する事ができた。
防勢時には自動車化歩兵中隊は敵偵察部隊の撃滅を任務とする。これは伏撃巡察
ambush patrolsでおこなう。また、防御を突破してきた敵の戦闘偵察巡察combat recon patrol
などの部隊を撃破し、本体を予め計画した交戦地域に導く任務に就くこともある。
あらゆる戦術運用において、CAB-Hが使えるよりもより多くの歩兵が必要であった。
これは自動車化構想における制約要素であった。
自動車化戦闘について最後に指揮統制について触れる。大隊は
Grid Compass computersにより無線でTOCから旅団TOCへ情報を伝達することができる。
無線機とGridを大隊長のHMMWVにもう一組搭載すれば、大隊は指揮官の
戦術指揮所と大隊TOC間、とさらに後方とでの通信能力を得ることができる。
これにより、戦術指揮所(Tac CP)の大隊長とS-3参謀がTOCから詳細準備命令
detailed warning orderを指令網を長時間塞がずに受け取ることができるようになる。
大隊長とS-3参謀は計画指導planning guidanceと指揮官の企図commander's intentを
作成し、TOCの大隊副長XOに送り、XOがTOCで新たな個別命令frag orderを作成する
のを監督できる。この構想はGridの作動を維持できている間はうまくいった。残念ながら
野外運用時には保守に民間契約業者を1日に1回必要とするが、戦闘時にはこれは
不可能である。
維持性sustainability
CAB-Hの維持上の問題は陸軍の装備に入ってきたばかりの車両HMMWVを受領したことから
多くが生じている。システム内にはまだない部品を車両が待っているだけの期間もあった。
さらに、新車両にはつきまとう問題として部品が日々の戦術運用に堪えられないということも
あった。例えば、aleternator boltが切断されたり、generator bracketsが割れたりした。
第2歩兵連隊第2大隊の訓練は激しく、とりわけ訓練の多くは夜間に行われた為に、
他にも整備上問題が生じた。ヤキマの岩山で行動しているとcross memberが多数折れた。
タイヤのパンクは深刻な問題だった。なぜなら中隊整備班company maintenance teamが前方
まできてタイヤ交換をせざるをえなくなるからである。駐車ブレーキは固着し泥と寒気の
中では焼きついた。
維持性については他の面では、大隊はとてもうまくいった。夜間補給night log packが通常で
あり、円滑に機能した。緊急補給を除いて、全ての補給が夜間に行われた。
HMMWVにトレーラーがついていないので作戦中全ての装備を運ぼうとすると重い負荷
が資産に掛かるという問題が生じた。TOWの弾薬補給は絶え間ない問題であった。
各車両の携行するミサイルは6発のみで設計されていた。急速に進行する戦場にあっては
基本搭載量はあっというまに消費される。大隊では各TOW小隊軍曹にM966のかわりにM998
を与えて実験してみた。すると、小隊軍曹はこれまでよりも多くミサイル、水、燃料、さらには
糧食までも運べるようになった。MTO&Eを変更し全TOW小隊軍曹にM998を与える勧告を
師団に送付したが、これまでのところ何の動きもない。
SCAT組についても維持性上問題があった。大隊から8-10km先のはるか前方で作戦するので
夜間補給と連接するlink upのは容易でなかった。結果として補給無しに数日間自力で維持できる
ように補給品第T類(糧食等)、第V類(燃料潤滑油)、第X類(弾薬)を携行する必要があった。
#注 SBCT小隊および分隊のFMから抜粋。なので89年ごろとは違う可能性もありますが。
(1)第T類 レーション、水、氷を含む。健康、士気、福利に関する贅沢品もここ。
日日戦力報告により自動的に第T類の発送が行われる。野外段列の人員がレーションを準備して
補給物資とともに運搬する。初期展開時には兵は戦闘車両に積んであるMREを食べる。補給交通線が
長くなるであろうことから、小隊は各兵あたり常時3日分のレーションを維持しなければならない。
(2)第U類 被服、個人装具、任務にあわせた防御被服、テント用品、道具類、事務と日常用品
など。小隊軍曹が石鹸、トイレ用品、殺虫剤などの消耗品を補給活動中に支給する。
(3)第V類 燃料、オイル、潤滑油など。普段より多く第V類を要求すると最先任軍曹と大隊戦闘車列
へと回される。
(4)第W類 建築資材、路上阻塞、砂嚢、鉄条網など。
(5)第X類 弾薬と地雷全てにC4など爆薬。
(6)第Y類 個人の持ち物で購買所で通常売られているもの、キャンディ、石鹸、カメラ、フィルムなども含む。
(7)第Z類 歩兵戦闘車両、機動砲、その他車両といった主要装備品。戦闘損失報告により
支給手続が開始される。戦闘可能な状態の兵器が補給物資とともに送り出される。
(8)第[類 医療物資。大隊救護所では戦闘救命員袋と救急セットを1対1で交換する。
(9)第\類 修理部品と装備の整備マニュアル。要求に応じて支給される場合もあるし、
部品を直接交換することもある。後者の例は夜間視界装置や携行無線機のバッテリーなどである。
戦闘時には交換と共食いで第\類品を入手するのが通常である。
(10)第]類 非軍事的活動、例えば農業や経済開発を支援する資材等。師団以上から小隊に
要求と支給方法について指示がある。
(6)第Y類 個人の持ち物で購買所で通常売られているもの、キャンディ、石鹸、カメラ、フィルムなども含む。
(7)第Z類 歩兵戦闘車両、機動砲、その他車両といった主要装備品。戦闘損失報告により
支給手続が開始される。戦闘可能な状態の兵器が補給物資とともに送り出される。
(8)第[類 医療物資。大隊救護所では戦闘救命員袋と救急セットを1対1で交換する。
(9)第\類 修理部品と装備の整備マニュアル。要求に応じて支給される場合もあるし、
部品を直接交換することもある。後者の例は夜間視界装置や携行無線機のバッテリーなどである。
戦闘時には交換と共食いで第\類品を入手するのが通常である。
(10)第]類 非軍事的活動、例えば農業や経済開発を支援する資材等。師団以上から小隊に
要求と支給方法について指示がある。
CAB-H(諸兵科連合大隊-重)のMTO&Eでは炊事員cookは全員が大隊結節に集められており
兵の温食hot chowは補給物資log packsとともに送られるTレーションとなっている。この方法は
まったく機能せず、兵のもとに着く頃には大抵いつも冷たくなっていた。第2歩兵連隊第2大隊
では、炊事員は各中隊本部に配属された。第T類は補給物資とともに送られて、炊事員は
中隊長の指示に応じて調理する。中隊長は中隊の任務に基づいて温食を取るのに良い時刻が
出せる。はじめはしぶしぶながらだったが、中隊長はすぐににこの方法は柔軟性が高く、
温食を摂ることができるので兵の福利も向上した。これにより部隊の士気は大きく向上した。
その他維持性についての問題としては、人員交代がある。車両組crewの定員が小さい
(TOW組の場合3名)ゆえ、損害がでるとたちどころに部隊の戦闘能力に影響が出る。
大隊はこの問題については適切な訓練をしなかったが、戦闘作戦中は深く留意すべき点である。
この編制では余分な脂肪はない。どんな小さな損害でも大隊の筋肉を削いでしまう。
特別演習
第2歩兵連隊第2大隊A中隊は第7歩兵師団(軽)第9歩兵連隊第3大隊に配属されてNTC
(National Training Center)での演習に1987年1月-2月に参加した。この経験で幾つか
明らかになったことがあった。HMMWV-TOWは命中させ難い。対抗部隊指揮官は
対抗部隊OPFORの装甲車両に与える重圧を考慮してM966を主要目標とした。HMMWVは小型で
敏捷なので命中させるのは大変困難だった。不幸なことに軽歩兵は展開期間中、A中隊の
TOWを降車させて車両を掘り下げ位置に入れさせたのでこの機敏さは失われてしまった。
対抗部隊は地域を煙覆して動かないTOWを吹き飛ばすだけでよかった。後になって
軽歩兵大隊長は再戦することがあったらTOWを降車させないと語っている。
TOW中隊は徒歩軽歩兵に水を補給するのに不可欠な役割を果たした。TOW中隊の機動力は
適切に用いれば軽歩兵にとって大きな戦力倍増素となる。
あるNTC展開中にTOW中隊はブラッドレー装備機械化歩兵大隊任務部隊に配属された。
この展開期間中、対抗部隊よりも友軍誤射による損害のほうが多かった。友軍の戦車砲手は
HMMWVを対抗部隊偵察車両と誤認して交戦するのが常だった。
第2歩兵連隊第2大隊は戦術開発の一助としてJANUS兵棋演習を用いて4回の指揮所演習
(CPX)をNorth Fort Lewisの陸軍開発運用庁(Army Development and Employment Agency)で行った。
高精度コンピューター兵棋演習は欧州、イラン、朝鮮、NTCといったところのデジタル地形で
大隊は中隊と参謀に自動車化作戦を訓練した。各小隊長は実際にある地形で小隊を統制しつつ
対抗部隊の教義に則り、現代の戦場で遭う全ての砲兵と航空部隊を含む敵と戦うことができる。
戦術報告は施設に設けられた無線を通じて大隊戦術指揮所 battalion TOCへ送り、そこで全作戦が
準備される。ALOCもあるので全参謀の訓練を行うことができる。戦術戦闘をJANUSで行ってから
ヤキマでの野外演習で繰り返すことで同様の結果がでるかを確かめる。ヤキマで取り入れた
修正をのちほどJANUSで戦闘してみて、コンピューター兵棋演習が実際と同様の結果を出すかを
確認する。殆ど全ての場合、結果には近い対応が見られた。JANUS兵棋演習は大隊指揮層の
戦術訓練装置として多大な意味があった。
乙です。最近長文マヂレスつける気力萎え萎えの対潜臼砲です(泣笑)
80年代という事で、軽車輌の機動性の優位が強調されてる論文ですな。
色々目を引く点はありますが、
>車両組crewの定員が小さい(TOW組の場合3名)ゆえ、損害がでるとたちどころに
>部隊の戦闘能力に影響が出る。
というのは、やはり重要ですかね。
>不幸なことに軽歩兵は展開期間中、A中隊のTOWを降車させて
これ、臼砲もやりそうなシパーイだと思った(^^;
大隊長とB中隊長はフォートノックスでHMMWV-TOWと装甲砲armored gun systemとの能力比較
をJANUSで行っている。野外運用で機能した自動車化戦術を用いて、フォートノックスでの
試行により装甲砲の調達に際して用いられる定量データをえることができた。さらにフォート
ノックスの教義開発者はCAB-Hの戦闘の実際について多く得るところがあった。
また第2歩兵連隊第2大隊はこの期間に別の特別演習にも参加している。大隊は
米国/ノルウェー二国間参謀委員会US/Norway Bilateral Staff Committeeに米軍の戦闘を展示する計画
の一環として火力調整演習Fire Coordination Exerciseをおこなった。この演習では大隊は
戦時に支援を受けるあらゆる兵器を大隊は組み合わせることができた。米国空軍、
陸軍攻撃ヘリ、砲兵、重迫、TOW、ドラゴン、小火器である。これは参謀および兵にとって
大掛かりな演習であり、過去2年間の訓練で使ったより多くの弾薬を演習に向けての訓練と
本番とで射撃することができた。この結果、大隊はさらに錬度が向上しあらゆる火力支援を
調整できる能力を示した。
>349 結局、暫定装備と暫定編制で演習をこなして戦闘方法を開発していった
話なのですが当初予定していた装甲車両とTOWなどの組み合わせでなくても
リスクは向上するが対機甲戦力にはなれるという調子で一貫しているようです。
たしか、歩兵師団に対戦車向けにレオパルドのSタンク型を配備すると欧州での
通常戦力の均衡が取れるという話をとりあげた論文もこのころに出ています。
チャド内戦でリビアのT-55とBMPをピックアップトラックに対戦車ミサイルを
積んだ部隊が撃破したという話が今一つこれまで分からなかったのですが
この話を読むと何となく分かって来ました。
>339 装甲車両と対戦車誘導弾の組み合わせでは先月号のパンツァーに
96式のハッチ上から軽MATで狙いをつけている写真があった気がします。
降ろして地面に据えて使うものだと思ってたのですが、そればかりでは
ないみたいです。
自動車化の経験から得た結論
組織面
自動車化歩兵戦術は真底、機動戦である。機動を用いることができぬと
受け入れられぬほどの損害という結果が生じる。座り込んで殴りつける
重戦力と異なり、CAB-H(諸兵科連合大隊-重)の生残はエアランドバトル教義の
原則に掛かっている。すなわち、敏捷性agility、主導権initiative、縦深depth、と同期化
synchronaizationである。
CAB-Hには全ての任務を達成できるだけの歩兵がいない。CAB-HのJシリーズ、
2個対戦車中隊、2個自動車化歩兵中隊、本部及び本部中隊と戦闘支援および戦務支援で
あればより価値が増すだろう。
連合偵察/対戦車組(SCAT組)の運用はCAB-Hにとって絶対的に価値があり、
陸軍全体で応用されてもよい。
中隊への第T類支援は炊事員を中隊本部に配して中隊の任務に応じた温食を出すことで
大きく向上し、士気増進が大であった。
戦術面
CAB-Hは敵の近接を許容できない。発射開始線trigger lineと交戦終了線diaengagement lineは
絶対に欠かせない。TOWはスタンドオフ距離を保たなくてはならない。保つのはよく訓練された
部隊でも大変に困難ではある。が、保てないと敗北へと繋がる。
自動車化部隊は孤立して戦闘することを計画する必要がある。戦術計画の一部であれば、
孤立した部隊は恐慌に陥らず敵後方にいるという利点を生かすことが出来る。
CAB-Hは敵後方地域で災厄となることができる。
HMMWVは装軌車両ほどには早く不整地を走行出来ないが、我々が戦うことを想定している
世界の大半では道路網のおかげでHMMWVはより大きな戦術機動力がある。我々は
装軌車両の優れた不整地機動力が発揮される極端な未開地で訓練されているからとって
惑わされてはならない。欧州ではHMMWV装備のCAB-Hは装甲/機械化部隊に対して
TOWの限界にも関わらず明らかに優位である。
CAB-Hは夜間ではほぼどんな部隊でも打ち負かせる。夜間暗視ゴーグルを全車両の
操縦手と車長が装備しているため大きく優位にある。
MCS2.0(機動統制システム)の現行版は民間契約業者の多大な支援無しでは
機能しない。兵のために機能するシステムが必要である。
諸兵科連合訓練は通例ではなく例外的である。旅団規模の訓練であっても、諸兵科連合
訓練をするのは稀である。工兵、対空砲兵、軍事情報、砲兵部隊などは各々の
訓練課題がある。諸兵科連合訓練は現実というよりは理想であるが、一層の訓練で
のみ向上するだろう。
歩兵大隊は、とりわけCAB-H(諸兵科連合大隊-重)は障害物設置と突破については
一層の工兵訓練が必要である。我々の訓練ではほとんど扱わなかったが、戦争に行くこと
になれば絶対にこれらの任務を遂行出来なくてはならない。
砲兵前進観測及びレーザー組Forward Observation and Lasing Teams(FOLT)の統制は
問題が残った。大隊火力支援将校がFOLTを統制してカッパーヘッド砲弾を誘導し交戦地域を
遂行する位置につかせるというのが砲兵の立場であった。前線の歩兵中隊長の所感では
自隊の戦区/地域にいる友軍部隊に対して、直射および間接射撃を統制し友軍誤射を避けるために、
何らかの統制を持ちたいと望んでいた。この問題は一層の解決が必要である。
各TOW小隊の小隊長のM996にはMk19擲弾発射機を装備する必要がある。小隊長の仕事は
敵を攻撃する位置に小隊を移動することにあり、小隊にさらに1つTOW組を入れることではない。
Mk19はTOWが保たねばならぬ2000mの離隔緩衝域に入り込んで接近してくる敵部隊に対する
防護をある程度与えてくれる。小隊長車にMk19を配することで小隊全体の戦闘力は大きく
向上する。
全CAB(諸兵科連合大隊)は軽量自動車化編制にする必要がある。現行の編成は
自動車化作戦をしていくうえで煩雑である。
補給
HMMWVTOWのTOW携行弾数が6発のみであるためCAB-Hは自身の弾薬要求を支援できない。
小隊軍曹の主要な任務は小隊の補給であるが、他の小隊員同様M966を装備している。
多めにミサイル、燃料、清水、糧食を運べるようM988貨物輸送車を小隊軍曹は必要と
している。M988でミサイルを補給し、貯蔵点/補給点との間を繋ぐことで小隊全体の
戦闘力は大きく向上する。
CAB-Hは認可されているが支給されていないトレーラー抜きには必要な装備を
運ぶ事ができない。我々は自己欺瞞をしている。
補給は戦務支援部隊CSS troopsが必要とする防護のために夜間に行うことで確実に機能する。
補給は補給軍曹supply sergeantと最先任軍曹1SGの仕事であり、副長XOの仕事ではない。
結論
欠点はあるものの、自動車化歩兵構想と編制は陸軍のどんな部隊よりもエアランドバトル教義と
密接である。敏捷性は各大隊の作戦構想の中核である。縦深は絶対に必要であり、これなくして
自動車化部隊は戦闘できない。主導権は広く分散した自動車化部隊の小隊と分隊にとって必要
である。指揮官の企図は自動車化諸兵科連合大隊へと進む原動力でなくてはならない。
同期化は言うは容易いが、行うは難い。自動車化部隊は生残の可能性を得るには資産を同期化
させねばならないことを当初から知っていた。戦争の霧の中では、自動車化師団の
速度、敏捷性、火力は混乱した戦場を利用して敵部隊の主要資産を打撃することで勝利する。
構想は正しい。装備技術は構想に追い付いていない。
#ということでこの大隊の分は訳し終わりました。
TOWは移動すると照準装置を調整しないと初弾命中率が下がるとかいう話も
他で出て来るので師団全体がTOW万歳という調子というわけでもないのですが。
編制については、対戦車小隊と偵察小隊二つをあわせてSCAT小隊を作り
班ごとに分けて大隊前面を遮蔽させたり、歩兵中隊に偵察をさせたりするのが
面白いです。
>>349 いやぁ〜大変乙でした。
しかし何にんでもTOWを撃まくれるアメリカ軍はすごい・・・
乙〜ROMるのが精一杯ですが、とにかく乙にございます。
読むたび思うんですが、これは冷戦時代の軽師団の正しいIT進化型なんですな。
お疲れ様です。
非常に勉強になりました。
ところで・・・
>341
>歩兵師団に対戦車向けにレオパルドのSタンク型を配備
この、レオパルドSタンク型って、もしかして車体両側面に連装砲を直付けしたレオパルド3のことですかね?
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
あ、そうそう。ここを読んで「戦車不要」に持ち込もうと考えてるROM部隊に事前砲撃(w
※CAB-Hは敵の近接を許容できない。発射開始線trigger lineと交戦終了線diaengagement lineは
絶対に欠かせない。TOWはスタンドオフ距離を保たなくてはならない。保つのはよく訓練された
部隊でも大変に困難ではある。が、保てないと敗北へと繋がる。
と言う事で縦深が絶対条件とされていますが、戦況によっては縦深や十分な射程(交戦距離)がとれない状況も多いでつ
(例:日本・・・山がちだしねぇ、視線障害多いし・・・)
よって自動車化機動部隊で、確実に戦車に有利とは言い切れないのでつな。
>>352 つまり「アメリカの今後しばらくの主戦場は、砂漠ですよ」ですよ。
>352 それとは別なのです。Sタンクの120mm砲版という感じで車体は
M1です。これを欧州の歩兵師団に戦車大隊として
配備して中距離における対戦車防御を固めるという話でした。
確か、レオパルドの開発者が構想して雑誌に発表したものを
とりあげて米軍だったらこの車両はこう使えるという話で
書いていたと思います。
TOWを使ったキルゾーンについてはこの話では強引に敵の情報が全て解明
できているから防勢のときばかりでなく攻勢でも使えると話している感じです。
CAB-H(諸兵科連合大隊-重)については対応するCAB-L(諸兵科連合大隊-軽)
が要るのでそちらまで読み進められたら一つ選んで訳せたら訳します。
>354 CAB-Hで航空騎兵旅団隷下だった大隊の話とCAB-Lの大隊二つの話を
読みました。訳すべきかどうかちょっと迷っているところです。
第9歩兵師団とSBCTとの違いは航空旅団の存在と旅団編制でいくか
師団編制でいくかの違いもあると思います。
第9自動車化師団の航空旅団は、攻撃ヘリ大隊1個、輸送ヘリ大隊1個、師団騎兵大隊1個
重諸兵科連合大隊1個からなりたっていました。当初の予定では攻撃ヘリ大隊を
州兵から?必要時には配属する形だったようです。
#中距離対戦車防御は1988年12月16日付でした。戦車駆逐車という扱いで
書いています。
#TOWによる対戦車駆逐という話では第二次世界大戦の対戦車駆逐車部隊の教義
の話へと繋げられると面白いかもしれません。
中対戦車防御:戦車駆逐車への回帰の論拠として 歩兵少佐 SAMS
1988年12月16日提出
要旨
本論文は中距離対戦車戦闘の特質と同戦闘におけるドラゴンミサイルの不適格さを論じる。
ブラッドレー歩兵大隊を精査し、E中隊は不必要であると結論する。軽歩兵師団が
対戦車砲を必要とするかについても考察する。中距離対戦車防御において砲が必要とされる
かを探求する。
中距離対戦車防御とは2000mから至近距離に到るまでの対戦車戦闘である。ソヴィエト
戦車の脅威とソヴィエトの攻撃速度がミサイルのみでの防御に与える衝撃について
考察される。東部戦線における戦車駆逐車の運用と西部戦線における米軍の戦車駆逐車の
不適切な運用についても振り返る。
戦車駆逐車を再び導入することの利点を第二次世界大戦におけるドイツの経験を
精査しつつ考察する。M1戦車にかえて戦車駆逐車で対戦車任務を行えば、コスト面からみて
有用である。戦車駆逐車は高速度ミサイルの発射母体としても可能性がある。
さらには、大口径高初速砲を装甲車に搭載することが軽歩兵師団の中距離対戦車防御を
向上する選択肢として提案される。
本論文では装輪および装軌戦車駆逐車は中距離対戦車兵器として実現性があると
結論する。財政的、戦術的に戦車駆逐車はM1戦車にかわるあたう限り最高の
中距離対戦車手段である。
序論
今日、最も有用な兵器に充てられる防衛予算は余りにも僅かである。過去3年間、
防衛予算が実質増加していないことは広く知られている。将来も防衛支出に関しては
同様か或いは一層厳しくなるようである。そこで、軍人としての我々の義務は
軍事上の問題に対して最も費用を節約できる解決策を見出すことである。
本論文は今日、米軍が面する最難問にして最重要な戦術問題の一つ
である中対戦車防御を探究する。これは1000mから2000mまでの距離における対戦車戦闘
である。対戦車防御は長年にわたり軍事上の主要な関心の的である。過去13年間、
中対戦車防御の問題は解決されぬままであった。それに対して、長距離(重)対戦車防御
は半自動指令視線誘導ミサイルSACLOS(semi-automatic command to line of sight)
が続出したことで目覚しくも解決された。うちもっとも著名なものが
TOW(tube-launched, optically tracked, wire-guided missile)である。
原理的に、最も脅威度が高くかつ最も生起し難い紛争における重要な問題は
通常(戦闘下)対戦車防御である。最近、Army Timesが3号続けて
将来の対機甲について論じた。欧州での戦争想定で広く受け入れられている
ものでは、最も脅威度が高いが生起可能性の低い紛争は、ワルシャワ条約機構
が恐るべき機甲脅威を展開するというものである。1980年代半ば、ソヴィエト陸軍
だけでも前線に戦車53000〜55000両を展開し、さらに戦時予備備蓄として
9000両ある。合州国は車両数ではこの戦力に対抗し得ない。
第三世界の軍事の動向についても注意深く観察する必要がある。
第三世界は先進諸国同様にかなりの機甲戦力を有しており、かなりの機甲脅威と
なっている。例えば、インドは自国で戦車を開発している。合州国の周囲でも
潜在敵(キューバとニカラグア)は戦車を保有している。ブラジルは(戦車を含め)
兵器の大生産国である。他には合州国の中古戦車を有している国が幾つかある。
自国の周囲への介入では機甲脅威を考慮しなくてはならない。Urgent Fury作戦の
初期段階ではグレナダの2両の装甲車が大変な問題となった。
現在、米軍はドラゴンを使用している。ドラゴンは低速であり弾頭も威力が低い。
歩兵小隊にいた者は誰でもこのミサイルには導入以来不満を持っている。ドラゴンは
扱い難くて発射しずらく、飛翔中は制御し難く、後方爆風が大きい。敵戦車と
1000m(最大有効射程)で交戦するドラゴン射手は目立つ後方爆風からの離隔無しで
10秒間ミサイルを飛翔させねばならない。この間、攻撃してくる戦車の同軸機銃の射程
内に身を置いている。このような戦闘はドラゴン射手にとって極めて難度が高い。
歩兵に防護と保持力を与えるには中距離戦闘における対戦車手段が新たに必要
である。 米国陸軍には現在幾つかの種の歩兵があるが、中対戦車防御については
全てドラゴンに依存している。中対戦車交戦においては、最適の交戦手段は
速射高初速砲であろう。高初速砲は瞬時に2000m、砲弾を飛翔させる。一方、ドラゴン
は1000m飛翔するのに10秒を要する。
「戦車を破壊するのに35000$する中戦車を用いるのは、その何分の一かの費用の砲で同じことが
できるのであれば明らかに不経済である。砲を使えば自軍の機甲部隊をよりよい目標、つまり
敵部隊全体を攻撃させることができる」 Leslie J. McNair大将 1942
McNair大将が1942年に言ったことはそれ自体としては正しい。彼が見落としていたのは
砲は適切な発射母体に載せる必要があるということである。本論文では適切な発射母体
とは砲塔の無い戦車車体であると論じる。これはドイツ軍およびソヴィエト軍が第二次
世界大戦に使用した突撃砲assault gunと呼ばれるものである。本論文では、この突撃砲を
以降では戦車駆逐車と呼ぶことにする。戦車駆逐車は最もコストが掛からぬ生残性のある
対戦車兵器である。戦車駆逐車は対戦車砲火には戦車同様堪えられなくてはならない。
また、戦車を正面きって撃破できるだけの強靭さも持たねばならぬ。
戦車駆逐車が中対戦車戦闘の要求にかなう能力を持てるか検討するために
本論文では現在の脅威及び将来の対戦車戦闘の要求そして対戦車戦闘の歴史を精査する。
脅威
戦車は本質において第一次世界大戦後の攻勢兵器である。西部戦線の塹壕戦では、
あらゆる伝統的な軍事手段が失敗し手詰まりとなった。戦争から機動力は消えうせた。
膠着状態を打破すべく、英国は全金属で防護された装軌車両を開発した。
この初期の車両の理論上の末裔が今日の主戦闘戦車であり、高初速砲と同軸機銃
を備えた砲塔を載せた装軌車両である。車両全体が最良の装甲で守られている。
歴史的には戦車は攻勢作戦において物心両面において大きな打撃を与えてきた。
ソヴィエト連邦とその代理国家は大量の戦車を保有している。前述の如く
ソヴィエト連邦のみで53000両から55000両の第一線戦車(front-line tanks)が1980年代
半ばにおいて任務についていた。戦車軍元帥P.A. Rotmistrov曰く
「機甲のみが迅速で完全な敵の破壊を保証しうる。今日の状況下では機甲のみで
迅速で決定的な勝利を達成できる。機甲は基本的なソヴィエト陸軍の機動部隊である。
機甲は攻撃に置いて決定的な役割を果たす。」ソヴィエトは突破正面に1kmあたり
20両〜40両を達成することを意図している。この機甲集中は諸兵科連合攻撃の一環として
先立つ砲撃の嵐とともに対戦車防御を圧倒するだけの能力がある。
伝統的には、戦車の大規模な集中は戦術核目標となりがちだと考えられている。
戦術核兵器の使用についての議論は本論文の扱う範疇ではない。
ソヴィエト陸軍とワルシャワ条約機構各国の戦車は圧倒的多数であり、米国陸軍の
対戦車ミサイル保有数よりも多い。これはあまり賢い言い方とはいえない。つまり、
米国陸軍はワルシャワ条約機構と単独で対決するわけでもないし、さらには
対戦車防御は諸兵科連合戦闘であるからである。中対戦車防御の問題は軽視しえず
対戦車ミサイルにのみ頼るわけにはいかない。脅威の質はドラゴンミサイルを根底とする
防御を圧倒している。
Taktikaの1984年版では高速度攻勢が勝利の鍵との立場を維持している。この攻勢の主攻は
時速12kmで行われ、戦車は短停車しては照準射撃する。ソヴィエトは速度を時速20kmに
しようと苦心しているが、この速度はNTCの対抗部隊の速度である。この速度での攻撃では
分速200m〜350mであり、直射兵器による交戦はわずか12分から20分しか続かない。
(これはTOWの最大射程3750mにより算出。)
ソヴィエトは対戦車防御は対戦車ミサイルを基礎としていることを認識している。
彼らの意図では対戦車ミサイルを弾薬と妨害で無害化する。あらゆる公開情報は
ソヴィエトの攻撃は大量の煙幕と濃密な間接射撃で遮蔽されるという点で一致している。
また、対戦車ミサイルの誘導システムを妨害する意図も持っている。
歴史的には、戦車戦闘の大半は不整地broken groundにおいて1000m未満の射程で
生起している。この状況では西側軍の信念、Swinton大佐が1916年に述べた格言
”最良の対戦車兵器は戦車である”を裏付けている。こうしてNATOはワルシャワ条約機構の
戦車をNATOの戦車と対戦車ミサイルで撃破することを意図している。
ソヴィエトの脅威にはさらに別の次元もある。ソヴィエトは2S1(122mm自走榴弾砲)を
対戦車任務を主とする突撃砲として用いることを意図している。2S1の砲の基本搭載弾に
大量の高性能対戦車榴弾が含まれており、諸兵科連合突撃部隊に随伴し、5000m未満から
射撃する。Voevennyy Vestnikによると、最近のソヴィエトのこれらの部隊の訓練では
直射対戦車交戦direct lay anti-tank engagementに重点を置いている。
既に述べたように、攻撃する装甲車両の密度は大であり、ミサイルのみを基盤とする対戦車
防御を圧倒するであろう。砲兵射撃の嵐と戦場視界妨害剤battlefield obscurantsとうねる地形
(完全に平らなところはどこにもない)があいまって、最初の砲撃嵐を生き延びたNATOの
ミサイル射手は望みうる限りの目標が与えられることだろう。
うねる地形→緩やかに起伏する地形
米国がミサイルをより多く、より良く開発する一方で、ソヴィエトはより良い機甲を
開発している。Army Timesの最近の記事ではソヴィエトの次世代装甲車両を予測し、
新たな装甲、先制発動や或いは電磁気を用いたものが開発されつつあるとみていた。
装甲の技術革新は現行世代の対戦車ミサイルを時代遅れにする。そして、NATOの対戦車防御は
覆されることになる。
大口径高初速砲は将来の装甲の発展をも打ち破れるだけの能力を維持している。
十分な速度で飛翔する高密度長棹貫徹体は装甲に対して優位である。また、
対戦車問題のもう一つの解決策である高速度ミサイルは120mm同等か以上の口径の戦車砲
から発射されうる可能性があることも指摘しておく。
欧州の戦場では装甲目標は全員にゆきわたるほど十分にある。が、
生起可能性のある低烈度紛争想定においても脅威の質は全く変わりがない。
世界中のソヴィエト代理国家は戦車を有している。中には自国で戦車を生産する能力の
ある国家もある(例えばインド。)米国陸軍の軽歩兵師団は固有の対戦車兵器が欠如
していることが難点である(これについてはのちほど触れる)。世界中に広がった
機甲脅威により、米軍が紛争任務に関与する場合には中距離対戦車能力の向上が
必須となっている。
E中隊と戦車駆逐車
ブラッドレー機械化歩兵大隊の現行編制では、対戦車中隊(E中隊)は不必要かつ余分である。
ブラッドレー大隊ではブラッドレー歩兵戦闘車両自体がTOWミサイル発射機である。
E中隊の根拠であるITV(Improved Tow Vehicle)はブラッドレー歩兵戦闘車両と同等の対戦車ミサイル
支援を提供できるはずだが、ITVの車体はM113であり、BFV(Bradley Fighting Vehicle)ほど
速くも敏捷でもない。つまり、E中隊は現在のところブラッドレー大隊長にとって独自に能力を
提供するに到っていない。確かにE中隊の装備はブラッドレー大隊の長距離対戦車能力を増強しては
いるが、長距離対戦車能力の増強が必要であるか、正当化されうるものかについては疑問がある。
ITVは現代の機械化大隊での任務には大変不適である。あまりにも鈍足でありBFVや戦車に
追従するには敏捷性にも欠ける。ITVの能力は限界にきており、BFV装備大隊に含めるのは
問題がある。ITVは毎分2000mの射程で対戦車攻撃を2回行えるのみである。
(この発射速度は全てが完璧にいったときにのみ達成される。算出の根拠は
ミサイル1発あたりの飛翔時間10秒、再装填時間40秒、そしてITVハマーヘッドには
射撃開始前に2発のミサイルが装填されていることである。)
基本搭載数は10発だから5分間戦闘できることになる。ブラッドレー大隊のITV12両は
余分であるが、このE中隊の組織を用いて、より良い中距離対戦車防御を形成することが
できる。新たなE中隊はITVでなく砲装備戦車駆逐車を基盤とする。
戦車が現在最良の対戦車兵器とみなされているのはその高初速大口径速射砲による。
つまり、大多数のみるところ、戦車が対戦車兵器にうってつけなのは速射撃ち放し能力が
あるからである。戦車は1分間に対戦車攻撃を2回以上することができ、その基本搭載弾数は
西側の戦車の場合、ITVのミサイル搭載弾数の3倍から4倍である。
第二次世界大戦の実例として、ソヴィエトとドイツは戦車と同等の能力がありかつ
生産費用の安い対戦車兵器を運用していた。戦車駆逐車/突撃砲である。
ドイツはこの種の兵器で桁外れの成功を収めたので1944年初期にはドイツの対戦車防御の
主力となり、全戦線合計で20000両の戦車を撃破している。
戦車駆逐車は対戦車車両であり、砲塔のない戦車の車体に戦車砲を装備している。
次の設計案(次頁に図あり)はPaul-Warner Krapkeのもので、極低姿勢で、射界は方位角、各15度
俯仰角-10度から+15度である。乗員はわずか3名で操縦手が装填手を兼ねる。これは
走行間射撃をするよう設計されていないため。
車両の生残性はかなり高く、Guderian将軍曰く、「防御が堅いほど、乗員の士気は
高まる。」正面装甲厚は900mmで車両上面は子弾bombletに堪える。車重は40〜50tで
対戦車ミサイルと大半の戦車砲に堪える。Krapkeの設計細目はさらに続く。
「ケースメート型ゆえ輪郭は低く押さえられ、正面装甲を厚くできる。この二点には
とりわけ留意した。傾斜装甲板は水平から30度以下の角であり、特殊装甲により下張り
されている。傾斜装甲は砲身を据えるために分かれている。低輪郭は何にもまして
望ましい。というのは撃破確率曲線が示すように、車両高が低いことは重要であるから。
スカートの上で車体側面は内側に鋭く傾斜している。上面の開口部は車長ハッチのみで
あり、上面および車長ハッチは子弾に抗堪する。エンジン吸気管と排気管は車体側面後部
に配置。後部には原動機が搭載されているが、乗員の乗降と弾薬の補給が後部ドアから
可能な配置となっている。また過圧式NBC防御システムもある。爆発抑制装置が
戦闘室およびエンジン室に取り付けられている。弾薬は車両の最下部に置かれており、
大半は戦闘室外の原動機の脇としたである。MBTよりも多数の弾薬を置ける広さがある。
車体前面には掩蔽位置を自ら掘れるよう旋回式掘削機を付けることができる。」
この車両は現行の主戦闘戦車と部品及び弾薬が共通であり、補給負荷を軽減できる。
ソヴィエトとドイツの第二次世界大戦中の動向では総じて既に述べた設計方針に
従いつつも同等の重量の戦車よりも戦車駆逐車/突撃砲のほうがより重武装と重装甲と
なることを示している。加えて、第二次世界大戦の戦車駆逐車/突撃砲は戦車よりも
安価に生産出来るという利点があった。
現代の軽歩兵は第二次世界大戦当時の歩兵と同様に対戦車の増強augmentationを必要
としている。軽歩兵師団はTOWとドラゴンしか装備しておらず、対戦車砲は無い。
中対戦車兵器として、ドラゴンは射程にも抗堪性にも欠ける。Infantry誌に
McCraight少佐が書いたように、「ドラゴンは軽歩兵にとって好ましい
MAWではない。なぜなら、防御物を吹き飛ばす威力もなく、市街では役に立たず、
射手は長時間露出せざるを得ず、あまりにも繊細だからである。」装輪という選択肢
も既に開発されている。ベルギーのMECAR90mm軽量砲は宣伝によると、
いかなる軽装甲車両にも装備可能である。宣伝文句によると、
−装弾筒付翼安定徹甲弾は空間装甲を打ち負かす−
−砲口初速は秒速1500m以上。2000mでNATO中目標を撃破−
−超低伸弾道で飛翔時間はごく短い−
また、ラインメタルRheinmetallはMOWAGにNATO標準105mm戦車砲を搭載するのに成功している。
米国陸軍と海兵隊は軽突撃砲light assault gunの必要性を認識している。上記の二つは軽装甲車両
(LAV)の車体に搭載しうるだろう。軽部隊を増強する必要性はかなり関心がもたれており、
1980年にHollingworth中将とAllen少将がArmed Forces Journalの記事で戦略的に軽装甲軍団が
必要だと主張している。明らかに軽歩兵がより良い中距離対戦車兵器を持つ必要が存在する。
重師団ではE中隊を4両編制4個小隊の戦車駆逐車中隊に改編することで、各戦術指揮官は
より有用で信頼の置け中対戦車防御を与えられる事になる。これによりブラッドレー大隊長は
ブラッドレー中隊の防御を厚くする速射砲を与えられるし、或いは強靭な機動対戦車予備として
用いてもよい。戦車駆逐車は装甲に関しては戦車と同等か戦車以上に堅固であり、ITV
improved tow vehicleよりも近距離で交戦することができる。 単純な計算では戦車駆逐車は
少なくとも1分間に2回以上撃ち放しで攻撃できる。基本搭載弾数は少なくとも50発であるから
戦車駆逐車は25分間戦闘を継続でき、ITVの5分間と比較すると対戦車能力は一両あたり5倍となる。
重部隊に戦車駆逐車を導入することで戦車を防御任務から解き放つ事ができ、確実な
攻勢能力を保持することができる。NATO同盟諸国にとって攻勢戦闘に最適な高価な戦車を
防御任務に用いるのは最善とはいえない。FM100-5はこう述べている。
機甲戦闘mounted warfareにおいて、戦車は主要な攻勢兵器である。火力、敵射撃からの防護、
速度により、敵の作戦を混乱させ敵を撃破する衝撃効果を作り出す。戦車は敵装甲車両、歩兵、
対戦車ミサイル部隊を撃滅しうる。戦車は制圧した防御を突破し、敵後方地域へと深く打撃
することで戦果を拡張し、敗北した敵部隊を追撃する。機甲部隊は防御の一環として
敵の攻撃を撃退し反撃を発起することができる。
優れたM1戦車もきりのない中距離対戦車防御に用いられてしまうと大して効を奏さぬ
ところまで消耗し尽くしてしまう。M1の調達は僅か7000両であり、ソヴィエトの機甲脅威と
対決すればたちまち消耗されるだろう。しかし、戦車駆逐車を用いることで旅団長や師団長
はFM100-5の勧める攻勢行動に備えて戦車部隊を予備に控えておくことができる。
戦車駆逐車には限定的ながら攻勢能力もある。走行間射撃をするようには設計
されていないが、援護監視overwatchおよび拘束fix部隊として戦車部隊の機動軸として
用いることができる。第二次世界大戦の終結時、ソヴィエトはT-34が2両とSU-85が
1両からなる戦車小隊を用いていた。SU-85は戦車駆逐車/突撃砲であり、戦車の機動を
支える機動火力基盤として用いられていた。このような急進的なことを米国陸軍に
勧めるものではなく、戦車駆逐車小隊を中距離援護監視/拘束部隊として用いることを
提言するものである。
装輪戦車駆逐車は軽歩兵師団において大変有用であろう。既に述べたごとく、
軽歩兵師団が投入される世界のほぼどこでも明らかな機甲脅威が存在する。
なんらかの撃ち放しができる対戦車能力を増強する必要がある。装輪戦車駆逐車は
既存の技術でできる。もう一つの可能性としては牽引式対戦車砲である。
ソヴィエトは未だに対戦車砲T-10を用い続けている。米国もHUMMVで牽引可能で
ブラックホークから吊下できる同様の兵器を開発できるであろう。戦術機動性は
ないが、厳しい展開性要求には合致する。90mmか105mm砲を搭載した砲塔型装輪
戦車駆逐車が軽歩兵には最良の選択肢であろう。
軽歩兵師団における戦車駆逐車部隊の用法として最善なのは、旅団結節における
対戦車中隊であろう。この場合、旅団長は最も脅威度の高い接近経路に増援する
こともできるし、機動対戦車予備を保持することもできる。軽歩兵旅団は
ブラッドレー大隊よりも少々広い正面を占領するであろうから、これが戦車駆逐車
部隊の用法として最適である。
ここで留意しておくべきなのは地形の性質として長距離対戦車攻撃地域に完全に
適したところはほとんどないということである。地表は砂漠ですら平坦ではない。
これは中東戦争の記述やNTC National Training Center(#仮想敵対抗演習場 フォート
アーウィン カリフォルニア州)での対機甲戦闘を扱った「781高地」の次の節が
も示している。
T-72とBMPが姿を見せるのは数秒間のみだった。彼らの正面を走るワジの間の小稜線
を越えて現れると次のワジへと隠れてしまう。これによりTOWを有効に運用することが
できなかった。TOWはミサイルが飛翔する間、目標への視線が途切れてはならないから
であり、2500mの射程では10秒間以上である。戦車にとっては話は別だった。目標を
照準線にとらえるなり、瞬時に撃破することができた。ブラッドレーの25mmも同様で
ある。こちらは戦車を停止させることは望めなかったが。(中佐は)このことが
分かっており、従って戦車は戦車を、ブラッドレーはBMPに火力を指向するように
させていた。
戦車駆逐車が上記の引用においてTOWが経験した困難を味わうことなく
戦車と同様に成功を収めることは明らかである。
歴史を範例として
第二次世界大戦中、米国は作戦級戦車駆逐車教義を持ち欧州戦域作戦で用いた。
Combat Studies InstituteのChristpher R. Gabel博士は第二次世界大戦中の戦車駆逐車教義
について徹底的に研究している。要約すると戦車駆逐車教義はドイツの1940年の
電撃戦に対する反応として開発された。フランスとイギリスに対するドイツの勝利の
速度と衝撃は米国の軍事にとって新たな戦闘様式を開発させる大きな契機となった。
電撃戦における大量の機甲により生じた対戦車問題は戦車駆逐車部隊を大量に集中して
戦車攻撃を封じ込めることで解決できると判断された。Leslie J. McNair中将は
戦車駆逐車に不可欠なのは速度であると結論した。これにより、米国の、速く軽装甲で
大口径砲を装備する戦車駆逐車の開発がはじまった。戦車駆逐車大隊として軍結節下の
部隊(おおまかに今日の軍団結節部隊に相当)に戦車駆逐車は編制された。
戦車駆逐車大隊は戦車突破を撃退し敵機甲を拘束し、米機甲が反攻で撃破するのを
可能にする。この教義は実地に試されることはなかった。米国が戦争に地上兵力を
送った頃にはドイツはもはや西部戦線で機甲を集中して攻撃する能力がなかった。
米国の戦車駆逐車は、装甲が薄く、大変機動性があり、敏捷で、武装は適切だった。
米国の全ての戦車駆逐車はドイツの装甲車両と1対1で戦闘できないことが弱みとなった。
McNair中将は、「最良の対戦車兵器は戦車である」という格言を信じない独立独歩の
人であり、陸軍が機動的であることを求めた。彼の信じるところでは、現行の戦車は
(1940年代初期)適切であった。というのも戦車が戦車と戦闘すべきとは信じていなかっ
たからである。McNairは砲がより大きい戦車駆逐車が戦車と対決することを考えていた。
戦車の車体上の開放式砲塔に砲を搭載し、戦車駆逐車は重量を削減し機動力を向上する
ために重装甲を殺ぎ落とされていた。合州国第一陸軍の最終報告書は以下のように
評価している。
戦車駆逐車は敵機甲を撃破するという主要任務のために作られた。
この任務における当初優れていたのは砲力の優越による。戦車砲がさらに開発されて
作戦の性格が攻勢的となったことでこの特定任務向けの部隊は必要でなくなった。
運用上、戦車駆逐車は戦車の任務を遂行するよう求められることになったが、
装備も訓練も不適であり、機動砲兵roving batteries、直射突撃砲行動、機甲部隊への
火力増援といった二次的任務を行うことになった。当初構想されていた戦車駆逐車の
任務は戦車killer tankにとってかわられた。戦車駆逐車は、敵戦車と同等か優る砲を持ち、
車両自体と乗員を通常の対戦車兵器および戦車から防護できる装甲を持った戦車に交代
された。
戦訓は米国の戦車駆逐車は装甲が堅固でなかったことを示している。戦車駆逐車の
装甲が厚かったらば、上記の評価もより肯定的になったということは十分ありえる。
戦車駆逐車部隊の士気と錬度は高く、エリートだと教えられ、エリート部隊の特典を
受けていた。陸軍の戦車駆逐車は独立大隊independent battalionに編制されていた。
残念な事には、大隊として運用されることは稀であり、中隊毎、小隊毎に分割され
歩兵部隊に増援されていた。部隊として一体で運用されるよう訓練を受け、そのような
教義に基づいて組織された部隊が、その教義にない運用をされた場合、成功は期待でき
ない。戦車駆逐車部隊が実際のように成功を収めたのは戦車駆逐車兵の功である。
戦車駆逐車の戦術運用は教義と合致しなかった。戦争の現実が平時の教義を上回った
のである。上記のごとく合州国第一陸軍の評価では戦車駆逐車は不適な任務に用いられて
いた。また、攻勢戦闘、防御戦闘双方において戦車駆逐車は戦車に編合されていた。
Gabel博士はSeek, Strikem and Destroy:U.S.Army Tank Destroyer Doctrine in World War Uの
中で戦車駆逐車教義には欠陥があり、戦争の現実ゆえに機能しなかったと結論している。
私の見解ではバルジの戦いのような機会においても教義は用いられなかった。McNair中将が
構想した独立戦車駆逐車部隊の大規模な対戦車予備は師団へと分割されていた。
バルジでは、司令官は教義に基づいて戦車駆逐車を用いることはできなかった。戦術の現実
により、多様な任務に細分して運用することを余儀なく理解していたからである。
第二次世界大戦の東部戦線では話は異なった。米国の戦車駆逐車構想は東部戦線のどちら
の側も用いなかった。ソヴィエトもドイツも互いに似た戦車駆逐車を開発して同じように
運用した。本論文ではドイツ側の経験に焦点をあてる。これは現代の米国の対戦車問題に
より類似しているためである。1935年、Eric von Mansteinは、砲塔の無い砲搭載の装軌車両を
戦車駆逐車として提案した。機甲科と砲兵科は兵科間の嫉妬から戦車駆逐車の生産を遅らせた。
戦争開始後になって、生産は軌道に乗った。ドイツは戦車駆逐車が上級将校の期待をはるかに
超える戦車殺しであることにきづいた。設計と乗員訓練がこの成功に貢献している。
自走砲(戦車駆逐車)乗員が主張する戦果の驚くべき多さに対してはある程度疑問が
あったが、ある上級将校が戦場を自身で調査して戦果合計が実際に正確であることが
確かめられた。ある旅団の例を引用するだけに留めておく。ロシアでの15ヶ月間で、
1000両を超えるソヴィエト車両を破壊。旅団の平均的な一日あたりの可動車両数が
20両であり、旅団が前線を退いて再編と休息していた期間もあることを考えると、
乗員の戦闘能力のほどを伺うことができる。ドイツの最も有能な自走砲指揮官である
Alfred MuellerとHugo Primozicによると、ドイツの勝利の秘密はロシアよりも砲手が良く、
戦闘では先に命中させるのが常であったことにあるという。突撃砲兵と機甲科との比較
が示すように、砲あたりでは、自走砲が戦車よりも戦果をあげている。
終戦までにドイツの戦車駆逐車は30000両を超す戦車を撃破した。このうちの
多くは東部戦線で、優れたT-34やその他のソヴィエト戦車に対してのものである。
戦車駆逐車はあまりにも戦果をあげたので、ソヴィエト戦車はあたう限り
車両対車両で戦闘することを避けるよう命令されていたほどである。
ドイツは戦車駆逐車を攻勢作戦でも防勢作戦でも用いた。1945年のドイツの刊行物
「突撃砲兵の指揮と運用」で陸軍総司令部Army High Commandは以下のように
書いている。
突撃砲は装甲砲兵であり、その任務は前線にて敵の射撃兵器を撃破することで
歩兵攻撃に近接支援を与えることにある。車体は履帯に載せられ、不整地走破
能力があり、砲gunまたは榴弾砲howitzerで武装している。火力、機動力、装甲防護
の組み合わせと即座に戦闘できる態勢により、前衛を導き、或いは追撃戦において
尖兵となり、突撃砲は指揮官が戦闘の推移する状況を統制する決定的手段である。
最大努力傾注点を迅速に形成し、弱い側翼を支援し、反撃火力を増強する。
基本編制は野砲兵に準じ、前線砲兵として用いられる場合には自走砲は
以前には存在していた、攻撃時に生じる危機で生じる間隙を最大限の支援で埋める。
野砲兵が前線部隊を支援できない場合は、自走砲が要請されて、一時的にその役割を
果たすこともある。突撃砲は主攻の先端で密集集団で用いられると決定的効果を
生み出す。部隊が分割されるとこの効果は薄まるか失われてしまう。
ドイツはまた戦車駆逐車指揮官を自身の部隊の運用の専門家とするだけの識見が
あった。ドイツ歩兵指揮官は彼らの知見をしばしば頼りにしたものである。
自走砲指揮官は支援する部隊との連絡をできる限り密接に保つようにした。
自走砲指揮官の最も重要な連絡任務は支援を受ける部隊の指揮官に戦闘中のどこかの
時点で戦車駆逐車は撤退して弾薬と燃料を補給する必要があることを確実に理解して
もらうことだった。 この調整は不可欠であり、失敗すると恐慌を引き起こすことすら
あった。(S.L.A. MarshallはMen Against Fireで一旦、一両でも一人でも説明なしに
後方へさがると義務は忘れられ、後方への潰走が始まることもあると、述べている)
自走砲指揮官は弾薬と燃料の補給を交互に行い、自隊の車両が一斉に戦場から
さがらないようにする必要があった
1942年秋、ソヴィエトの都市Rzhevで戦闘があった。Rzhevはドイツがモスクワへ攻撃
するにも、ソヴィエトがスモレンスクに攻撃するにも通過しなくてはならないゆえ
重要である。ドイツの装甲擲弾兵部隊が強力なT-34、歩兵、砲兵からなるソヴィエト
の諸兵科連合攻撃を受けた。第一日にはドイツはわずか自走砲2両(75mm砲装備
突撃砲)を防衛に増援したのみだった。ソヴィエトは砲撃の嵐と降車歩兵、それに
続く歩兵を跨乗させたT-34で攻撃した。実施に不手際があり、ソヴィエト降車歩兵は
砲撃の嵐に膚接しなかったため、ドイツの擲弾兵は防御に戻ることができ、降車攻撃を
停止させた。T-34の突撃を撃退する為に突撃砲が呼ばれた。戦闘が始まって早いうちに
突撃砲のうち一両は行動不能となったが、ドイツの前線100m内でも攻撃するスツーカ
急降下爆撃機の近接航空支援とあいまって残り一両の突撃砲はソヴィエトの攻撃を頓挫
させた。この一両で確認戦果9(ドイツの突撃砲は戦場に撃破された残骸が残されている場合
のみに戦果を認められる)をあげた。
戦闘の2日目、ドイツの4両の突撃砲が初日と同様にした。ソヴィエトの諸兵科連合攻撃
は突撃砲の対戦車射撃とスツーカの時機を得た近接航空支援で撃退された。戦闘中、
数度にわたり、ドイツ歩兵は撤退の覚悟をしたが、突撃砲が時宜を得て到着して塹壕を
守った。Rzhevは諸兵科連合によるドイツ側の防衛成功であった。空地協同と突撃砲の
戦術上の敏捷性がこの成功の秘訣であった。スツーカの攻撃がソヴィエトの主要な機甲攻撃
を停止させ、突撃砲がその他を停止させる。突撃砲の運用は様々な防勢任務におよぶ。例えば、、
固定陣地防御static defense positions(主陣地primary、代替陣地alternate、予備陣地supplementary
positions)、機動防御mobile defense、限定反撃limited counterattacksなどである。恐らくは
突撃砲の最も大きな寄与は陣地を保持する擲弾兵の覚悟を一層固いものとしたことであろう。
今日において戦車駆逐車を陸軍が受容することの潜在的意義
対戦車ミサイルの現行世代は装甲技術に対して有していたかもしれぬ優位を失い
つつある。現代のソヴィエト戦車(T-80)は正面装甲700mmに加えて装着blazer装甲
を有する。現在、TOWとドラゴンの成形炸薬弾頭は最大装甲厚500mmまでを貫徹する
ので、つまり、これらのミサイルではソヴィエト戦車を正面から撃破できないという
ことである。TOW弾頭を改良し装甲貫徹力を高めてもソヴィエトの装甲の発達を
招くことになる。これは古来からの盾と矛の競争である。
東部戦線での戦例が示すように、戦車駆逐車は非常に優れた戦車殺しである。
東部戦線で設計され運用された戦車駆逐車はあらゆる戦術任務をこなすことができた。
防御にあっては戦車を対戦車戦闘から解放して、防御の成功の核心である反撃に備えて
予備に控置することを可能とした。防者は主導権を奪取して攻撃に出ることで
士気を向上させる必要がある。戦車駆逐車は戦車と同様の欠点があるものの、限定的な
攻勢能力もあることを示した。近接地形close countryにおいては、とりわけパンツァー
ファウスト型の兵器の導入により向上した歩兵の近接対戦車兵器に対しては歩兵の防護が
必要である。
第二次世界大戦の東部戦線の事例はまた、戦車駆逐車は戦車を経済的に代替できる
という事も示している。ドイツは旧式戦車の車体を突撃砲にすることで生産費用を低減
させた。突撃砲から砲塔を省くことで費用は大幅に節減された。今日でも戦車駆逐車を
戦闘部隊に導入することでえられる節約できるであろう。レオパルドU戦車の設計者
Paul-Warner Krapkeはこう述べている。
戦車駆逐車の調達費用は突撃戦車assault tankより30%も低くなりうる。
その理由は主として、遥かに単純な兵器であること、つまり、MBTの主要な
条件の一つである正確な走行間射撃の必要がない。これは伝統的な砲塔と
その構成装置、精緻な砲塔駆動装置、電動あるいは油圧作動のslip-ring、
ジャイロ安定主砲装置と照準装置、複雑な計算機、組み込みテスト装置が
不要であり、さらには操縦手が装填手を兼ねるので4人目の乗員の場所も
いらない。これは調達コストを低減させるばかりでなく、ライフサイクル
コストも低減させる。通常の20年の用役の間に調達コストのおよそ10倍にも
ライフサイクルコストは嵩む。
駆動装置と砲の予備部品はたいした問題とはならない。MBTの車体を元に
するので、戦車駆逐車の修理部品はそのまま互換性がある。Paul-Warner Krapke
の提案した東部戦線型の戦車駆逐車の砲はMBTの砲と同一である。 砲の予備部品
については戦車駆逐車の射撃管制装置はMBTよりも簡素である。戦車駆逐車はMBT
よりも容易く砲を大口径に換えることもできる。
戦車駆逐車には士気面での利点もあるだろう。東部戦線でのドイツの事例では
戦車駆逐車がともにいると歩兵は蛸壺に留まって戦闘した。戦車駆逐車は
”戦車熱”、戦車に対する恐れを鎮静する。米国陸軍の軽歩兵部隊も戦車熱にかかる
可能性はある。中距離対戦車防御ではドラゴンしかないからである。軽歩兵を
戦車駆逐車で増援reinforce/増強augmentすると軽歩兵の保持力に決定的な効果がある。
空輸可能な装輪戦車駆逐車も技術的に可能であり、一切の研究ならびに開発費用は
かからない。
戦車駆逐車の戦車砲はミサイルを費用節減上代替しうる。Walter StoneがInternational
Defense Reviewの最近号で述べているが、「対戦車砲を再び導入する機は熟した。
経済的にも論拠はある。砲弾はミサイルよりもそしてロケットの多くよりも安価である。」
例としてヘルファイアは26000$であり、FOG-M(fiber-optic guided missile)はおよそ30000$
である。いつかはミサイルの費用があまりにも高額となり、備蓄するのは不経済
ということになるだろう。戦車砲弾は数百$であり、比較的安価に生産できる。費用面から
みると戦車砲のみが優れた戦車殺しである。2000m付近、中距離対戦車交戦の限界距離では、
戦車砲は対戦車ミサイルと同等か優るということは記憶に値する。
高速ミサイルの開発などの新たな技術は戦車駆逐車の可能性を高める。高速ミサイルは
2つの発射母体から射撃されることになるだろう。発射装置を装備した装輪車両とMBT
の主砲である。高速ミサイルはその速度と重量による大エネルギーで目覚しい。
基本となる対戦車ミサイルはロケット推進で秒速1524m(5000フィート)に達する。
総重量は77s(170ポンド)で、目標に命中するとuあたり毎秒117348sの力
(平方フィートあたり毎秒758703ポンドの力)を加える。この衝撃を軽くあしらえるのは
ロッキー山脈ぐらいだろう。
マッハ5で、3km(1.6マイル)を超える射程で飛翔時間はおよそ2.5秒。戦車長が
発射された瞬間にミサイルを見れたとしても経路を避けて機動する時間はない。
硬化弾頭(タングステンか劣化ウラン)が目標に命中すると、貫徹するばかりか
内部に半ば熔け、破片となって剥がれた装甲板や隔壁が飛散する。ミサイルのエネルギーの
突然の放出で戦車は文字通り爆発でばらばらになる。
高速ミサイルの圧倒的な性能と戦車駆逐車に搭載することに適していること、さらに
生産コストは8000$から10000$と比較的低いことがあいまって中対戦車防御の手段として
実現性ある選択肢となっている。
結論
合州国はこれまで戦争を望遠レンズを通してみてきており、あまりにも戦争全体に重点を置きすぎ、
戦争の低い階梯には注意をほとんどはらわなかった。長射程交戦は最大の関心が寄せられてきた。
長射程戦闘のために調達された兵器は最も有利な状態で(戦争ではありえぬ完璧な実験条件で)
みられてきた。中および近対戦車戦闘はここ10年間、ほとんどなおざりになっている。
おそらく、中央戦線の戦闘で最も重大な瞬間はソヴィエトが中距離から近距離で攻撃隊形に
以降するときであろう。
戦車駆逐車は歴史で実証され、有効な中距離対戦車兵器であり、さらなる戦術上の利点も
ある。戦車駆逐車が居ることで、士気面にも影響があり歩兵は五感が逃げるように唆すときも
留まって戦うようになる。戦車駆逐車はRzhevの戦いが示すように諸兵科連合戦闘団の一員に
足る。戦術的には戦車駆逐車は戦車以外の点目標の攻撃にも用いることができ、開豁地の
歩兵に対してキャニスター弾を撃つこともでき、高速ミサイルの発射母体ともなり、
防御時同様、攻撃時も支援できる。
軍事予算がますます関心を寄せられている中、戦車駆逐車は比較的安価で、ほとんど
出来合いの対戦車戦闘手段である。戦車駆逐車の生産に必要なものは既に開発済みである。
車体、砲、射撃管制装置は既にある。研究開発費用が掛かるのは原型を作るコストのみで
あろう。装輪戦車駆逐車については、砲塔と原型車両は既にMECARとラインメタルが作って
ある。装軌戦車駆逐車は、新たな装甲の前に効かなくなりつつある対戦車ミサイルと違い、
高初速砲の優位性と高速ミサイルの可能性という有利さがある。砲弾がミサイルよりも
費用面で有利であることは既に取り上げた通りである。戦車駆逐車はまた戦車(陸軍の
最も高価な兵器の一つ)を機甲がそのために設計されている攻勢作戦(FM100-5が詳述
している)に控置できるようにする。
牽引式であれ、装輪式であれ対戦車砲は軽歩兵師団が渇望する対戦車防御を与える。
両者ともに空中展開可能であり、師団の展開を遅らせることはない。旅団本部に対戦車部隊
を与えることで、旅団長は最も可能性のある機甲接近経路の対戦車防御を強化することが
できる。装輪戦車駆逐車は、戦術機動性が大であり、敏捷性があり、戦場を枢要点へと
迅速に移動できる。
装輪戦車駆逐車は後方戦闘を担う憲兵にとっても有用であろう。現在の憲兵の対戦車
戦闘能力は笑うほか無い。後方地域で機甲脅威と対決せざるをえないとすれば、
装輪戦車駆逐車は撃破、或いは少なくとも脅威を封じ込める可能性を大いに高めるだろう。
中距離核戦力削減条約intermediate nuclear force reduction treatyと通常兵器削減の可能性
があるこの時代において、戦車駆逐車は防御兵器として解釈しやすいだろう。
防御任務遂行を第一とし、必要時のみ攻勢作戦を遂行するよう設計されているからである。
さる著名なソヴィエト事情通の専門家が最近述べたように、ソヴィエトが通常兵器削減を
攻勢態勢を向上するために利用する場合、戦車駆逐車はさらに有用となるだろう。
ソヴィエトの戦車数の優位をわずかな予算で和らげるとともに、世論には防御兵器として
受け入れられるからである。
米国陸軍はこの歴史により実証された対戦車手段を中対戦車問題と装甲の絶え間ない向上
という問題への正統な解決策として再び検討すべきである。戦車駆逐車は最高の対戦車砲弾を
撃つこともでき、開発されれば高速ミサイルの発射母体となることもできる。陸軍と海兵隊は
軽戦力及び重戦力双方において対戦車駆逐車を真剣に検討すべきである。
#以上で終わりです。かなりうろ覚えで紹介してたことがわかり赤面の至りです。
訳も酷いですが。
ここで意識されている第三世界の機甲脅威については湾岸戦争後はどうなったか
ちょっとまだみていません。また、中対戦車防御についてはドラゴンからジャベリンに
更新されていて、射程も伸びています。ただ、交戦時間についてはジャベリンも
いろいろ言われていたと思います。
乙〜良スレ(;´Д`)はぁはぁ
>398 >399 有難う御座います。自分でも分かる誤訳と知識がなくてしている
誤訳とがあるので気をつけて下さい。例えば、射撃管制装置と訳していますが
これは良く聞く言葉だからそう当てはめて置き換えただけで実際にどのような
用語が英語であり、それに対応する言葉が日本語でどういう関係にあってという
ことを知って訳しているわけではないのです(汗。
訳していて思ったこと。
10年以上前で公開資料のみを使って話をすると、積層装甲というかチョバム
装甲の話が出てこないということが新鮮でした。
また、高速ミサイル、つまり、今のLOSATは確かにM1車体に搭載して試験
されている話もあり、画像を見たことが有ります。
#6月25日発行のパンツァーはストライカー特集でした。今まで知らなかった
のですが、偵察大隊、おそらくRSTA大隊は25mm機関砲搭載ICVを使用している
そうです。これは面白そうなので画像などを探してみようかと思っています。
World Exclusive: GM Defense Stryker
Out on patrol in 8x8 Light Armored Vehicle
h
ttp://trucktrend.com/roadtests/ultimate/163_0112_lav/index.html ということでまず探せた画像です。LAV-Vの車体に25mm機関砲搭載砲塔を
載せています。なので車体があること自体は確認できたということで良いかと。
パンツァーの記事ではカナダのグリズリーやコーディアックの画像なども
鮮明にでており、メーカーの変遷が扱われていて面白かったです。
LAV-25はイラク戦争でも見かけましたし、25mm機関砲自体はブラッドレー
が搭載していたはず。あとはLAV-ADあたりが20mmか25mmをスティンガーと
一緒に搭載していたと思います。
で、次に今SBCTは3つあるのですが、どの旅団の偵察大隊かというあたりが
問題です。イラクでRSTA大隊の車両が炎上したときと思われる画像では
砲塔は載って無かったですし。C-130への搭載はともかくとして25mmを搭載すると
旅団の戦闘力がこんなに違うから是非載せるべしという話がずっと前
strategypageに出てたのを思いだせたきりです。
第25歩兵師団第1旅団(SBCT2)の第14騎兵連隊第2大隊のサイトを見た限り
では砲塔をのせている写真はないようです。
第14騎兵連隊の同窓会というか後援会のサイトではフォートルイスからみる
マウントレーニアの写真が出てました。第14騎兵連隊の第1大隊がSBCT1、
第2大隊がSBCT2、第4大隊がSBCT3、第3大隊がSBCT5にそれぞれなる予定のようです。
このうち第3大隊についてはまだ開隊されていないとのことです。
各大隊の現況報告は大隊長から今年2月発送の会報に掲載されているというくだりが
あるので一応最新情報でしょうか。
次にイラク展開中のSBCT1についてはこちらに写真があります。
このうちの第14騎兵連隊第1大隊が偵察大隊ということになります。
h
ttp://www.strykernews.com/gallery/albums.php #偵察大隊ではなくて、歩兵大隊隷下か中隊隷下の偵察小隊のほうの話
だったのかも。それにSBCTについては能力増強をするという話があり、SBCT5、6
から先に適用して1〜4にも順次更新していくという話もありましたし。
仮にこの話の中で25mm機関砲砲塔搭載の話がでてきているのなら画像をいくら
探しても出てこないということになります。
#ということで、ちょっと分かりませんでした。25mm機関砲砲塔を載せた場合
C-130に載せられるのかというあたりも知りたかったのですがそれも不明です。
404続き
グローバルセキュリティにおいてある教範をざっとみると
大隊隷下に偵察小隊があります。RSTA大隊の教範は置かれていないようです。
仮に陸軍になくても海兵隊のに準拠すれば良いでしょうし。また、現地改修という
可能性もあるし、試験運用しているという可能性もあります。さらに
代替車両として使っているという可能性もあるし。
#ついでに気になる教範を見つけたので訳せたら訳します。教範の場合は
用語がきちっと関係を持って組み立てられているので挫折するかもしれません。
1987年発行 対戦車小隊、中隊、大隊の戦術運用 という題名で
この時期は第9歩兵師団(自動車化)(#本当は時期によって名称が変わります
のでこれは正確な言い方だとは限らないんですが)が自動車化編制で演習を
していた頃に出ていることになり、中対戦車防御の筆者の言う長距離対戦車防御
を担う存在だったことになるかと思います。
#えぇ、ということで一旦戦車駆逐車関係は脇に置いて置きます。
たぶんこっちのほうが関係が深いと思うので先にします。
>>406 ガンガッテ下さい。応援しております。
ちなみにGabel博士のSeek, Strikem and
Destroy:U.S.Army Tank Destroyer
Doctrine in World War UはCGSCのサイトに
置いていますね(現在読んでいたりします)。
けっこう面白いので今日身のある人はぜひ御一読を…
(´-`).。oO(まぁ、このスレに来るような人はすでに読
んでいたりするかも…)
FM 7-91 対戦車小隊、中隊、大隊の戦術運用
陸軍省本部 ワシントンD.C. 1987年9月30日
目次
序言
第一章 序論
1-1. 目的 1-2. エアランドの戦場 1-3. 能力及び限界
第二章 対戦車部隊運用の基礎
2-1. 相互支援を提供する 2-2. 警戒を提供する 2-3. 側射を求める
2-4. TOWのスタンドオフを用いる 2-5. 掩蔽および隠蔽を用いる
2-6. 縦深で運用する 2-7. 諸兵科連合戦闘団の一部として運用する
第三章 対戦車小隊の運用
第一節 目標捕捉
3-1. どこを探すか 3-2. どうやって探すか 3-3. 目標情報を他の情報源から
第二節 目標認知と識別
3-4. 目標の徴候 3-5. 目標の識別 3-6. 熱線での徴候
第三節 交戦
3-7. 射程の見積もり 3-8. 目標露出時間の見積もり 3-9. 交戦の際の制約
第四節 射撃統制と配分
3-10. 射撃統制手段 3-11. 射撃様式 3-12. 射撃計画 3-13. 対戦車射程カード
第五節 射撃陣地
3-14. TOW陣地に関する考慮事項 3-15. 選定 3-16. 主陣地、代替陣地、予備陣地
3-17. 陣地占領 3-18. 準備 3-19. 陣地の種類 3-20. 射撃陣地間の移動
3-21. 陣地間の経路 3-22. 地上高
第六節 戦場での移動
3-23. 移動の基礎 3-24. 非接敵時の移動 3-25. 機動
第七節 攻勢作戦
3-26. 接敵前進 3-27. 攻撃
第八節 防勢作戦
3-28. 野戦での組織 3-29. 防御における対戦車支援
第九節 後退作戦
3-30. 遅滞 3-31. 撤退
第四章 対戦車中隊の運用
第一節 編制と戦闘陣地
4-1. 任務編成 4-2. 陣地
第二節 射撃統制
4-3. 中隊射撃の調整 4-4. 交戦の優先順位 4-5. 射撃統制の原理
第五章 独立対戦車大隊の運用
5-1. 機能 5-2. 指揮と参謀の関係 5-3. 整備
5-4. 補給 5-5. 能力と限界 5-6. 運用の指針
5-7. 支援先部隊との調整 5-8. 戦術運用 5-9. 戦務支援
補遺A 編制
用語集
参考文献
認証署名
#本当は目次はちゃんと中身をみてからでないといけないのですが
中身をきちんとみるには訳すのが手っ取り早く、時間が掛かっているうちに
次へ興味が移ることになるので雰囲気だけでもということで訳してみました。
表題から分かるとおり、これ一冊で小隊から大隊まで一気に論じています。
で、補遺Aを見ると分かるのですが、対戦車部隊の編制は親部隊によりまちまち
だったようです。
乙です。勢力的ですねぇ。
ちょと羨ましい(笑)
臼砲もストライカー偵察車は25mm砲塔無しだったと記憶してます。
fact fileにも載ってなかったかと。
採用前にカナダからLAVVを借りてテストしてたんで、ソレが流れてるのかしらん。
そういえばRWS(ですっけ?リモコン機銃)も使われてるのかどうかが謎。
イラクで撮影された時は、ピントルマウントされて、車長が手で操作してましたが。
もしかしたら、RWSにハメ込んだり外したり出来る様になってるのかしら。
ちと妄想気味です(^^;
>351 軽歩兵師団の正しいIT進化型
レス遅くてすみません。確かにそうなのかもしれませぬ。
ただ、そういいきるにはもう少しROADの歩兵師団あたりを調べたいなぁと
思っています。
実は情報と指揮統制と通信関係は当時の用語がそれなりにあって難しい分野なので
手を付けてなかったのです。移動交換端末MSEというのがあるのですが、これを
断片的な話で追って行くのは結構骨だったりします。イラク戦争でも使われている
んですが。
>407 実は拾ってきてまだ未読だったりします。訳せるかどうか不安な気もしたので
教範の方を先にしたという話もあります。さらに例によって戦車駆逐車教義について
扱ったSAMSの論文も拾ってきたのですがこちらも未読です。
>408 RSTA大隊(偵察、捜索、目標捕捉)大隊の装備車両はこれまで
LARS3?装備のICV(歩兵輸送車)とMGS(機動砲)代替車両のATGM車だと
思っていました。LARS3はRWS(遠隔武器装置)とは違って偵察装置に
特化してます。ハッチの外に上半身を出して箱を覗き込みながら箱の取っ手
を握っている写真があった気がします。
仮に25mm機関砲を搭載している部隊がある場合は編制が面白くなりそうです。
ATGM車の代わりなのかもしれませんし。ナジャフとバグダッド間の車列護衛に
ついている大隊の存在が伝えられましたが、この大隊の場合、25mm機関砲は
役立つかもしれません。
FM7-91 序
この教範は対戦車小隊、中隊及び大隊の戦術運用を記述することを目的としている。
戦術概念や脅威機甲戦力に対するTOW運用の統合の戦技などを扱う。内容には
TOW運用の基礎、攻勢及び防勢作戦における戦術及び戦技、エアランドバトル戦場
における諸兵科連合戦闘団への対戦車部隊の統合を含む。この教範はしかるべき
歩兵或いは機械化歩兵大隊結節と中隊結節における教範と併用されることを意図している。
(#以下の意見受付宛先、配布制限を略)
導入
NATO及びワルシャワ条約機構軍の装備、技術、戦術の開発と改良は現代の戦場の様相を変え続けて
いる。仮想敵軍(Threat forces)は敵する部隊の位置を突き止め破壊する能力をかつてなく向上
させている。技術の進歩により、新たな兵器、通信、捜索手段が続々と生まれている。
技術により、兵器の正確さ、攻撃力、射程は向上している。さらに、自動車技術の発達により
機動部隊の機動力は多大な進展をみている。
1-1. 目的
これからの戦闘は巨大な火力と衝撃効果をもつ、高度な機動部隊が特徴となる。
これが顕著なのは、ワルシャワ条約機構軍であり、自動車化、機械化、および機甲化部隊
から構成されている。これらの部隊は戦場で敵部隊を圧倒し蹂躙するよう編成されている。
TOW装備の対戦車部隊は歩兵及び機械化大隊に空前の戦車撃破能力を与える。機動力、
長射程、限定視界下での交戦能力により、歩兵大隊が脅威を撃破する能力を高める。
対戦車部隊の編制はH版とL版の装備及び編制表による(補遺Aを参照せよ。)
以下はこの教範が扱う対戦車部隊の種類である。
(1) H版TOE編制の歩兵及び機械化大隊の対戦車小隊
(2) L版TOE編制の歩兵および機械化大隊の対戦車中隊
(3) 州兵の対戦車大隊(独立)。独立対戦車大隊の運用は第五章で扱う。
1 - 2. エアランド戦場
機甲部隊により支配される戦闘においてはいかなる局面でも、成功は諸兵科連合戦闘団を
適切に用い維持することに大きく掛かっている。機甲部隊の屋台骨は戦車であるが、
歩兵、対戦車兵器、砲兵、対空、工兵、近接航空支援の均整ある調整された投入無しでは
戦車は今日の戦場で生残することはできない。
エアランドバトルの構想と基礎は機動部隊同様に対戦車部隊にもあてはまる。
戦車と同じく、対戦車部隊も単独で戦場で運用されるわけではない。諸兵科連合戦闘団の
歩兵、機甲、その他の部隊とともに運用される。対戦車部隊の長射程対戦車火力は
敵諸兵科連合戦闘団の統合を破壊する上で鍵となる。
#序章の途中ですが
Stryker brigades will trade places
http://www.tribnet.com/news/story/5226051p-5160463c.html 第2歩兵師団第3旅団(SBCT1)と第25歩兵師団第1旅団(SBCT2)は
現地の装備を引継ぐ形で交代するとのことです。
つまり、SBCT1がイラクに送り込んだ装備をそのままSBCT2が受けて
部隊の人員がフォートルイスと北部イラクで交代するということになります。
SBCT1は11月に派遣されたので10月に交代するのであれば駐留期間は1年未満で
終わることに。
>419の記事でも取り上げられていますが
議会で7番目のストライカー旅団を作ろうという話がある模様です。
新聞記事のみで未確認ですが。議員のサイトを回ると出ているかもしれません。
G2MILあたりから探す方が速いかもしれませんが。
OIF(イラクの自由作戦)についての報告書がCALLに掲載されています。
序言はフランクス大将で内容についてはNYタイムズやLAタイムズが既報。
#ということで、FM7-91を中断してOn Pointを訳せるところまで訳してみようと
思います。序章も半ばなのですが。
ちなみにOn Pointは500ページを超えるらしいです。が、参考文献と注は
たぶん訳さないのでどんくらいになるのかな。
Fm7-91の次は、捜索、打撃、撃滅せよに行こうかと思ってたのですが
第三歩兵師団のOIFでの編成と戦闘がUAの編制に影響があるという話があちら
こちらで出ているので。SBCTへの関連はよりあるだろうと。
#最近思っているんですが、SBCT1の任務は次第に進化、発達していったという
表現を新聞記事で見かけます。そしてLSA(補給の軸となる基地)アナコンダ
(バクダッド北のバクバにある)からの車列護衛をSBCTがしているという話が
出てきます。なので、モスルでイラク国軍を訓練しているだけではなさそうです。
ですが、どれだけの部隊が車列護衛についているかは不明です。1個大隊という
話がLAタイムズだったかに出ていましたがあれはナジャフの話でしたし。
"On Point"
イラクの自由作戦における合州国陸軍
序文
合州国陸軍 大将Tommy R. Franks(退役)
私の38年間の軍役はヴェトナムでの砲兵前進観測員もあり、OIFでの米国中央軍司令官で
終っている。その間に私は士官としてまた下士官として戦訓の価値が分かるようになった。
間近な戦争での成功と失敗を学ぶ事は指揮官がより戦術、戦技の腕をあげていこうと
研鑚する上で欠かせない。
On Pointに結実している熱烈な仕事振りと献身ぶりはこの信念を深めるものである。
が、本書は単に戦役の正史(a standard campaign history)に留まらない。作戦自体と同様に
細部までも分析している点でこの研究は類稀である。
研究を開始させたのは陸軍参謀長Eric K. Shinsekiであるが、本書は陸軍の視点を超越している。
OIFは真に統合戦闘作戦joint combat operationであり、5年前にはできなかったであろう
密接な相互支援と協力を各軍は戦闘空間において実現した。本書は
イラクの砂漠、山岳、都市、空において行われた統合戦争joint warfareの主要点を詳細に記述し
ている。
戦争の人間的次元、とりわけ男性たると女性たるとを問わず軍人の資質、彼らが戦争を戦い、
歴史的勝利を収めたわけだが、は本書の主題の一つである。
何百という兵へのインタビューと詳細な地図や図によって、本書は将来の戦争と訓練を形作る
手引きとなるとともに、米国の戦闘教義warfighting doctrineを改善する一助となるであろう。
著者達は戦争の戦訓の核を把握しようと精励した。その結果が各級の指揮官の参考となる
この研究となった。
本書を読み進むにつれて、私は米国の勇敢な兵、水兵、海兵、航空兵らと仕えた大きな
名誉を再び思い起こした。
Tommy R. Franks大将
合州国陸軍 退役
目次
序文
序
謝辞
序論
第一章 砂漠の嵐作戦から不朽の自由へ 陸軍の絶え間ざる進化
第二章 準備、動員、展開
第三章 走りながらの開始
(写真頁)
第四章 進撃
第五章 体制を孤立させる
第六章 体制の崩壊
第七章 波及
第八章 移行
イラクの自由作戦研究班について
戦闘序列
語彙
参考文献
序
On Pointは事実が入手できるようになってすぐのイラクの自由作戦に関する研究である。
陸軍指導者はこの研究の着手を2003年4月30日に認可した。陸軍参謀長Eric K. Shinsekiは
指示の中で、”迅速かつ徹底的に陸軍の成果を研究し、統合および共同の中で演じた任務
を評価し、戦略、作戦、戦術上の戦訓で将来の戦闘に適用でき普及すべきものを得ること”
としている。
我々イラクの自由作戦研究班(OIF-SG)は、これを3つの作業に分けた。
戦訓速報a "quick look" lessons-learnedの発表を6月、戦域からの帰還後30日内に行った。
本書On Pointは2番目の成果であり、2004年1月にはほとんどが完成した。
最後に、最も大きな成果として119000件の文書、およそ2300回に及ぶインタビュー、
69000枚の写真の収集がカンザス州フォートレーベンワース諸兵科連合研究所図書館
the Combined Arms Research Libraryの支援および援助をうけて行われた。
指示は明確であり、展望はたちどころにあきらかとなった。かいつまんで言えば、
On Pointは陸軍を唯一可能な文脈で語るのである。つまり、統合環境joint enviromentに
おける諸兵科連合地上戦闘部隊としてである。ほかに叙述の方法はない。陸軍は統合作戦
なくしては、戦闘はおろか戦域に到達することすらできない。従って、イラクの自由作戦
研究班は実戦部隊および各軍の戦訓収集班other services' collection teamsの同僚から
多大な支援、援助を受けている。また、Center of Military Historyと部隊付歴史家unit hisotorian
からも献身的な貢献を受けた。どこでも手厚い援助を我々は受けることができた。例外は
手榴弾を投げて撃ちかけてきたイラク人戦闘員1、2名くらいである。統合軍司令部
Joint Forces Commandの統合戦訓班からイラクの自由作戦研究班に派遣された連絡将校
a liason officerは統合作戦の各軍について仕事を進めるうえで助けとなった。
諸兵科連合地上部隊集団the CombinedForces Land Component Command(CFLCC)付歴史家、
第五軍団付歴史家、陸軍物資集団the Army Material Command付歴史家、各兵科付歴史家の
支援も手厚かった。
戦域にいく兵と同様に、我々は2箇所の補充センターreplacement centersで訓練を受け、
我々の大半は軍か民間予備航空部隊Civilian Reserve Aif Fleetで戦域に展開した、戦域では
作戦域を自由に行動した。班員は欧州、トルコ、デラウェア州ドーヴァー航空基地から
テキサス州フォートブリスに及ぶ合州国内の数十箇所の基地を訪問している。限られた
時間の中で進めるために、他の者の援助も受けている。あらゆる局面で熱心で熱意ある
支援を受けることができた。
歴史を解釈するのは難しい。進行中の出来事を解釈するのはさらに難しい。
On PointはOIFの歴史の雛型でもなく、OIFにおける陸軍を扱ったものですらない。
我々は歴史を拙速に書くことの危険性は承知しているが、現時点での知見、Frederick M. Franks, Jr.
大将が砂漠の嵐を後に云った如く、変化のほのかな兆しを捉えて、磨きあげる
のは意味のあることだと信じている。
我々は本書を兵や軍の戦闘に詳しいものを念頭において書いた。戦闘ばかりでなく
場面の内幕での多大な努力、これが戦勝をさらに高めるのだが、についても取り上げている。
本書は兵、各軍の同僚、その他の者にとって意味がある、関心をひくような知見をいくばくか
でももたらせるような作戦級の歴史である。本作戦の歴史の決定版や最終版ではないが、
本作戦を扱う歴史では言及され、陸軍の遂行した任務を解き明かす手助けとはなるだろう。
本研究の目標は何が何故起きたかについての議論を始めることにある。
できる限り、我々は均整に留意しつつも兵の話をとりあげるようにした。
本書はOIFについての満遍ない歴史とはいえない。部隊によってはしばしば取り上げられる
こともあり、一切でてこない兵らもいる。これは記述に登場しなかった部隊や兵の努力が
記述に値しなかったということではなく、時間と空間の制約で厳しい決断を迫られたから
である。我々にはたちどころに明らかとなったことは、米国は軍が統合の一員としての
奉仕と成果に大きく誇りを持っているということであった。
GREGORY FONTENOT大佐(退役)合州国陸軍
E.J. DEGEN中佐 合州国陸軍
DAVID TOHN中佐 合州国陸軍
#ここで序は終わりです。
長くなりますので訳の途中に関わらずレスを付けたくなったときに頂けると
幸いです。また、訳しながらもgoogleのNEWSをみてSBCTのことは追う必要が
ありますし。それと訳のつっこみは大歓迎です。
callの誰でも見れるところに原文が置いてありますのでそちらが絶対的に良いです。
#297KB 超えているんですが1スレの容量制限って256KBだったような?
ちょっと聞いて来ます。
>433 有難う御座います。雑談スレで聞いたのですが512kbみたいです。はい。
謝辞
歴史家が既に亡くなって久しい人々について書く傾向にあるのはゆえなきことではない。
まず、死者は書かれても批判しない。さらには出来事の記録が完全となるには時間を要し、
何が起きたかとどんな意味があるかを把握するには時間を経ることが必要であるから。
これら全てをひっくるめてOn Pointを書き上げた我々は記録をまとめ、起きたことの意味を
明らかにしようとしている多くの人の助けに負っている。
全員の名前をあげるには余りにも多いし、大きく助けて頂いた人々の名前を載せ忘れて
しまっているだろうけども、我々を支援して頂いた多数の人々の中からわずかでも感謝する
こととした。
第一にそして最大の感謝を陸軍参謀長Eric Shinseki大将とその職を継いだPeter Schoomaker大将
本研究を命令し維持していただいたことに捧げる。また、背後を顧みることなく専念させて
頂いたことにも感謝したい。合州国陸軍訓練及び教義集団US Army Training and Doctinre
CommandのKevin Brynes大将には適切な資源を配慮、とりわけ仕事を成し遂げる上で相応しい
人材を頂いた。陸軍G3、戦略、計画、製作担当副司令官deputy director of Strategy, Plans,
and Policy, Army G3のMark O'Neill准将と上級軍事研究学校校長director of the School of Advanced
Military StuidiesのJim Greer大佐はイラクで班を率いて我々に知見を披瀝し、至らぬ点では
ご指導を賜った。chief of staff, Initiatives GroupのChuck Taylor大佐は班を支援して頂き
収集作業が”参謀研究”staff studyにならないよう、陸軍参謀が政策上の参考とするため
必要とする場合に資料を提供して頂いた。
諸兵科連合センターCombined Arms Center司令官Jim Riley中将と諸兵科連合センター、訓練担当
のTim Livsey准将、及び指揮幕僚大学the Command and General Staff College副学長Jim Hirai准将
には支援を頂いた。実地に学ぶ事ができると判断されて、Hirai准将は指揮幕僚課程と
Advanced Military Studiesの生徒数名を繰り上げて班に加えて頂いた。准将は正しかった。
彼らは実地に学んだ。また、彼の副官aide de camp Travis Rooms少佐抜きでは班は着手
することすらできなかっただろう。
諸兵科連合センターCombined Arms Center参謀長Dave Buckley大佐、指揮幕僚大学学部長
dean of the Command and General Staff College Greg Lynch、Resource Management副参謀長
Steve Spataroは班とともに働き、場所、情報技術支援、予算支援、出張、班員の住居、装備、
輸送、維持を整えていただいた。彼らなくしてイラクはおろか駐屯地を出ることすら
敵わなかっただろう。
フォートレーベンワース資材統括Fort Leavenworth Resorce ManagementのRuth Eckertは
航空便の予算と支出管理をし予算内で仕事ができるようにしてくれた。彼女はこれら全てを
微笑みを絶やさずにこなしてくれた。また、出張に必要な山ほどの命令と書類も作成してくれた。
上級軍事研究課程の秘書Candi Hammとフォートレーベンワース輸送局 Fort Leavenworth Transportation OfficeのRose Cantrellは、命令の処理、旅券発行など数人分の仕事をこなし、個人の領収書の処理や
膨大となった文書記録の整備を我々にとりかからせるなどあらゆる点で手助けをしてくれた。
指揮幕僚大学教育技術統括のLynn Rolf大佐(退役)は文書記録を整備しデータを作成するのに必要な
ものを懇願し、借受け、購入してくださった。あるときなど、彼の班は60以上のコンピューターを
インストールし、環境を整えて、繋ぎ、我々の仕事がおわったときには教室へと再び戻してくれた。
また、機密文書記録the classifled archivesをつくり、電子文書記録を一から立ち上げ、文書記録を
支援するハードを整えてくれた。フォートレーベンワースの情報技術統括も加わり、機密電話と通常電話を引いてくれた。
CGSOC(指揮幕僚課程)生徒数名は班に加わり、課程終了後もフォートレーベンワースで
我々を手伝ってくれた。Glenn Reed少佐は後方担当将校として班が必要なものを送り、必要に
応じて活動の報告をしてくれた。Cindy Dillard少佐は助手として我々の配偶者と陸軍が所在を
把握できるようにしてくれた。班の各員の所在を常時把握するのはたやすくはなかった。
幾つかの国に班員がいることがしばしばであったからである。Audrey Hudgins少佐は
文書記録の様式を定めて非常に楽に検索して見つかるようにしてくれた。warren Reeves
二等軍曹Staff Sergentは4月から10月まで班で補給軍曹supply sergentおよび運用軍曹operations sergentsとして、ノート型PCやデジタル録音機などあらゆる物品を管理した。彼は
忍耐強く、徹底的であり、疲れ知らずで、時に応じては紛失した備品をブラッドハウンドの
如き粘りで追跡した。
C.P. watkins少佐は情報技術関連備品の品質管理をし、班が戦域で使用するイリジウム秘話電話
encrypted Iridium phonesを入手するのに火の輪を潜り抜けてくれた。彼がクウェート、イラクに
我々が必要な備品全てを持って来てくれた。現地で備品が作動するようにしてくれ、
我々が持ち帰るように取り計らった。Ike Wilson少佐、Travis Rooms少佐、John Townsend大尉は
キャンプドーハで前方指揮所the forward command postを運営し、落伍したり、移動時間を忘れた
班員には厄病神であった。かれらは我々が時間通りに動き、CFLCCの規定を守るように見張って
くれた。
戦域では 第五軍団G3計画課副長のScott Emmel大尉が我々のイラク国内の福利、給養、移動を
一人で担った。ときとして30人にも及ぶ班員の戦域内各地への移動を調整するのは、忍耐と
感銘的な説得力が必要だった。また、運転し、護衛し、我々が収集する間あちこちの部隊で
待っていてくれた多くの兵にも感謝する。最後に我々を迎え入れ、躊躇なく支援してくれた各部隊
に感謝する。
戦闘研究所Combat Study InstituteとKevin Farrell中佐には多くの面で支援して頂いたが、その最大は
我々にミズーリ州航空隊州兵Phil Davis掌軍曹Master Sergentを貸して頂いたことである。彼の
民間では第一級の編集者である。空軍とOn Point(本書)で彼は週7日間、夏と秋の間働いた。
10月に入り、彼は州軍航空隊を退役したが、民間の仕事は継続した。
時折、我々は彼を悪意ある呼び方をしたり、空軍への忠誠を疑ったりしたのは、彼が
多くの悪文を見つけては赤線を引いたからである。CSI(戦闘研究所)の編集者Robin Kernは
本書のレイアウトでいい仕事をしてくれた。
7月半ばには、収集班は一部を除いて原隊assigned unitsに復帰、2003年10月1日までは執筆者3名、
その後は2名となった。それでも我々はCenter for Army Lessons Learned陸軍戦訓収集センター
のLarry Saul大佐のたゆまぬ支援が必要であり続けた。Travis Roomsは、管理支援をしてくれた
Gregory Chancey軍曹Sergentとともに戦域での第二段階の評価を支援してくれた。
7月に統合軍司令部Joint Forces Commandの戦訓班Lessons Learned CellのJay D. Wells大佐
は我々の仕事と同班との間の連絡役となった。陸軍研究班と統合軍司令部班との間で双方から
情報が流れるように整えてくれた。Kevin Woods中佐と統合先進戦闘計画
Joint Advanced Warfighting Program司令官Mike Peaseは敵が考えていたであろうことを
理解するのを助けてくれた。合州国海兵隊戦闘評価班のPhil Exner大佐、Dave Wessner中佐、
Daryl Gibson氏は第一海兵遠征軍 I MEFの作戦を理解する手助けをしてくれ、貴重な情報を
提供してくれた。
陸軍軍事史センターCenter of Military Historyはインタビューの仕方について助言を賜るとともに
、収集を閲覧させて頂いた。軍事史総監chief of Military HistoryのJohn Brown准将、
CMHのBill Epley中佐(退役)そして多くの司令部付歴史家は要請をすると、しばしば直ちに
返答してくれた。陸軍資材集団Amry Material CommandのRandy Talbotと第三陸軍のSteve Holcomb
中佐はなかでも助けになった。第五軍団付歴史家のCharles Kirkpatrick博士はインタビューと文書を
提供してくれるとともに、仕事の間、助けとなる批評をしてくれた。また、口コミで広めて
くれた。Rick Atkinson
(#たぶん この人だと思います。つまりワシントンポストの軍事担当名物記者)
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/nation/nationalsecurity/abroad/iraq/field/atkinsonrick/ は我々の成果を読み、役立つ助言と積極的な励ましを頂いた。
我々が、ピュリッツァー賞受賞者が相談に乗ってくれていると言いふらすのを彼は見逃して
くれた。
第一草稿は120名を超える方々が読み、感想を頂いた。CFLCC(統合軍地上部隊司令部)
の前全般支援副司令官Hank Stratman少将と第二歩兵師団参謀長Dan Bolger大佐にはとりわけ
多大な時間を掛けて批判的に読んで頂き、役立つ感想を賜った。ほかにも沢山の方々に
読んで頂き読後は質問に答えて頂き、我々の仕事がより正確となるようにともに努力して
下さった。これらの者の中には、未だにイラクに居られる者も含まれるが、困難な環境下で
週七日間働き続けているにも関わらず我々が情報を入手できるよう時間を割いて頂いた。
退役上級将校も時間を割いてくださり我々の研究を助けて頂いた。
砂漠の嵐で第七軍団を率いたFred Franks大将は戦域まで我々とゆき、上級顧問senior mentor
としてインタビューし、大きな主題を明らかにするのを助けて頂いた、Gordon Sullivan大将
とHal Nelson准将は質問に回答していただきフォース21Force XXIの進展に関する情報を
頂いた。Dennis Reimer大将は質問に忍耐強く答えていただき、彼の陸軍参謀長としての任期
を調べる資料を探すのを手伝ってくださった。
(#Gordon Sullivan大将は元陸軍参謀長でAUSA陸軍協会会長
Dennis Reimer大将も元陸軍参謀長)
6月にQuent Schillare中佐(退役)が音声筆耕者transcriptionistsの一団と司書を導入して
くれた。インタビューをテープ起こしし文書記録を纏めるのに助けとなった。
彼らの多くは退役軍人であり、筆耕する内容を理解していたので筆耕のみならず、
重要なインタビューをえり分ける上でも助けとなった。我々が仕事を進めた速さを考えると
彼らが2300回のインタビューを分類してくれたのは掛け替えのない値打ちがあった。
Ed Burgess氏と諸兵科連合研究図書館Combined Arms Research Libraryは惜しみなく
図書館の機密文書庫を我々の作業場所として用いさせてくれた。彼らは文書庫を7月と8月の
大半、週7日間、常時開放し利用させてくれた。Jack Burkett中佐(退役)は
研究助手を務めてくださり、シャーロックホームズの如き風格でで手掛かりを明らかに
してくれた。事実に争う余地があるように思われ、確定するように求められると、彼は複数の源
に徹底的にあたり、相互参照するのが常だった。
我々の抱えた問題はデジタルカメラ普及によるものもあった。部隊は我々に文字通り
何千枚というデジダル画像をくれた。我々は撮影者を特定しようとした、というのも
いくつかはGIの撮った写真にしては出来が良すぎたからだ。陸軍第55通信中隊
(合州国陸軍戦闘撮影)55th Signal Company(US Army Combat Camera)のJeremiah Johnson軍曹
sergentはgee whizソフトを使って著作権のある写真があるかを調査した。10月に班に加わった
Rose Dawsonはソースを突き止めては著作権請求を出した。Johnson軍曹はまた
戦闘撮影がとった何千枚もの画像を持って来てくれた。現在のところ、文書記録には
79000枚の画像がある。
Mark Osterholmは作戦を図解する画像を大変良く作成してくれた。Markは軍に服役serveした
ことはないが、たちまちのうちに学んで部隊を区別し上級軍事研究課程の生徒を羨ましがらせる
速さで作戦図を作った。Sandi Milesは著作権問題を担当し、参考文献作成を手伝い、編集過程中
計画を見守った。我々は統合軍司令部Joint Forces CommandのJim Dubik少将を長とする熱心で
徹底的な編集委員会に恵まれた。Dan Petrosky中将(退役)、軍事史総監John Brown准将、
Williamson Murray博士、Rick Sinnreich大佐(退役)が委員だった。彼らは注意深く草稿を読み、
2003年11月14日にフォートレーベンワースでの一日がかりの会合で評価を伝えてくれた。
それは明解な指導となった。
悪書を書こうとしたり事実や解釈で誤りを犯そうなどとするものはいない。
On Pointには誤りがあるであろうが、その全ての責任は我々にある。
#ここまでで謝辞が終わり。
謝辞中にあるように、この文書はカラーの作戦図と画像が沢山入っています。
なので、是非原文に当ると良いと思います。英語は読めなくても面白いです。
>>444 とりあえず、お疲れさまです。
それにしてもこの文書、PDF版公開は後日なのか…
早く公開してホスイ・・・
>445 有難う御座います。
既に昨年中にほぼ完成し、NYタイムズとLAタイムズが報道してるとのことです。
(そうLAタイムズの記者が書いていました。thunder runという本を書いた人です)
ワシントンポストではどう取り上げていられるのかちょっとわかりませぬが。
乙〜読むだけで手一杯でございます。
感謝しております。
>447 ありがとうございます。誤訳の塊なのでいろいろと突っ込んで頂くと
嬉しいです。また、是非原文の図表類、とりわけおそろしいほど網羅してある
戦闘序列など一見の価値があります。戦術統制と作戦統制の違いを
どっかから調べておく必要があるんですけども(戦闘序列でどこの司令部に
配属されて、戦術統制なのか作戦統制なのかを区別してます)。
導入
価値を根底におく組織全てには最も純粋な形での自己イメージがある。
それは一枚の精神的な写真、全ての善悪の粋である。組織の基礎にある
ものであり、その一員にとってははらわたの底からの感のこもった反応を
もたらすものである。
陸軍にとっての自己像は、10人に満たないであろう歩兵の小分隊が、見知らぬ
敵地を巡察patrollする姿である。それは密林や樹生地だったり市街地だったり
する。一番手前の兵士が先頭を歩いている、つまり先導している。あるときは
状況を打開すべく慎重に移動し、あつろきは分隊が任務を達成すべく急速に
移動している。
先導兵the point manは進路を探るのに集中している。途上の危険と可能性
を見抜こうとして。方位兵the compass manは方位と指示を出して、次に進み
分隊が目標に向かって進み続けるようにする責任を負っている。成功も失敗も
この二人の兵がどれだけうまく協働できるかに掛かっている。どこにも着かぬ
安全な道は命取りとなる伏撃ambushへまっすぐ通じる道と同様意味がない。
先導を務めることは名誉であり、責任であり、大いなる危険である。
最も信頼され、熟練し、実地に智慧のある兵がこの責任を担う。
先導兵を選ぶのは難しい。先導するとは、一人ではなく多くの戦士達の一員
として動くということである。頭上では空軍が空を制し、地上目標を素早く
猛烈に、効果的に攻撃する。頭上からも沖合いからも攻撃し、海軍は抗し難い
戦力で、不抜の制海により不断の補給を保証する。海軍とともに、ときには
先導し、ときには支援して海兵隊は独自の諸兵科連合戦闘団で戦闘する。
誰が、先導し、後続し、支援するかは任務に応じて変わる。肝心な点は
先頭に立っているときであっても、先導兵は文字通り分隊の一人として、
また各軍の一人として、チームの一員である。
On Pointはイラクの自由作戦OIにおける合州国陸軍の魅力的な物語であり、
広い読者の関心をえるだろう。が、特定の読者、つまり、兵と防衛を
生業とする者を念頭においている。陸軍内に対しては、On Pointは2つの
狙いがある。OIFでの戦闘作戦遂行について兵を教育することと陸軍が
変革を続けるにあたっての教訓を与えることである。
焦点は陸軍と進行中の作戦における陸軍の役割にあるので、On Point
はOIFの通史seminal historyではない。
本書は厚顔にも陸軍が統合部隊の中で中核的役割を演じたと主張する。
各軍とともに、陸軍はバース党体制を決定的な地上戦闘で打倒し、敵の
首都を取り、イラク軍と準軍事部隊の大半を野外およびユーフラテス渓谷
において撃滅し、イラク人を数十年に及ぶ抑圧から解放した。さらには
陸軍は米国の関与として存在し続け、戦場での勝利を戦略的成功へ変えようと
努力している。
T
意図的に陸軍の視点からみているが、OIFは陸軍の勝利ではない。
OIFは1986年のGoldwater-Nichols国防総省再編法に体現されている
統合概念と意図の結実ぶりを示した。OIFは合州国と同盟国coalition partners
の共同勝利である。また、テロリズムに対する進行中の世界戦争としての
数ある作戦のうちの一つに過ぎない。統合チームの一員として
米国の兵士は世界、地域、国内の安全を確保する先頭に立ってきている。
OIFは陸軍および世界中での共同軍事作戦の背景で行われた。
米国の兵士がイラク国境を越えつつあるとき、戦友らはバルカンで
平和を確保し、フィリピン軍を訓練、支援し、中南米で対麻薬作戦
を遂行し、国内の主要施設を防護し、抑圧的で脅威を与えてきた
タリバンから解放されたアフガン人らと巡察し、テロとの世界中での
戦争とさらには合州国の安全保障と国益のために様々な任務を遂行
していた。米国の決意、国力、国益、価値観の現れとして、米国の
兵士は異国にて、国家の先頭として配置についている。
解放作戦
戦闘作戦は2003年3月17日に開始されたが、OIF(イラクの自由作戦)
Operation Iraqi Freedomの準備は1991年3月1日に開始されていた。
これは第1次湾岸戦争the first Gulf Warが集結した翌日である。広義の
文脈では、OIFとは合州国の中東および南西アジア地域への持続的な関与の
最新章である。米国の国家安全保障はこの地域の安定と繁栄に直結して
いる。それで、国家は国力の要素、外交、情報、軍事行動、経済を用いて
さだかならぬ目標を目指している。制裁と国際調査の執行し、クルド人と
イスラム教徒を保護し、イラクに飛行禁止地域での違反に対応するという
ように軍事は砂漠の嵐終結以降、イラクに対する合州国の政策の中核で
ある。これらの努力は地域戦略を支援するものである。共同かつ調整された
地域での存在感がOIFの軍事的成功の条件を整えた。合州国は軍が戦域への
進入を可能ならしめ、イラクの脅威を阻止できる軍事能力を維持しつつ
大部隊が展開、運用できる基盤を確立した。
時には、この地域での関与はかつてほどには効を奏さない。これは
トルコが北部戦線構築の為の地上軍展開を許さなかった事や、NATO加盟国
間でイラクでの米国の軍事行動に大して支援する合意を取り付けられなかった
ことなどで示されている。 にもかかわらず司令官らはかつてない柔軟性flexibilityと
軽快さagilityでこの種の問題に対応した。12年間の関与の努力の成果なくしては
OIFは不可能だっただろう。
イラクを解放する軍事作戦は四段階に分かれる。段階に分けて構成をみる
ことで作戦は紛争の全様相、戦闘、平和支援、人道および治安支援へと及ぶ
ことが明らかになる。それゆえ、戦略的に成功するには各段階での成功が必要
であり、まさに他の手段をもってする政治の延長としての作戦に不可分に行動を
結び付ける。
軍事作戦はサダムフセインとバース党員を権力の座から下ろすのみに
留まらぬ戦略目標を支援した。戦略目標には安定し、治安が良く、繁栄し、
平和で民主的で、列国の一員として十全に活動するイラク国家の樹立が
含まれていた。この文脈で言えば、主要な戦闘作戦の終了は戦闘や作戦の
終結を意味せず、単に長期作戦の次段階への以降に過ぎない。
第一段階 地域および国際支援を確保、イラク側体制の抵抗力を減じ、
空輸網the air bridgeを確立、戦域への連絡線を確保、戦術弾道ミサイルと
大量破壊兵器の阻止、米軍を警戒させ、展開し、態勢を整える。
要約するとこの段階ではイラク軍を無害化するneutralize条件を整えた。
第二段階 戦闘空間の形成、連合軍coalition forcesの態勢を整え、
戦闘作戦を遂行する。イラクの指揮統制の低下を目的とする初期作戦に
始まり、主要な地形を奪取seizeする。これらの行動は進行中の外交及び
対戦術弾道ミサイル及び大量破壊兵器作戦と並行して行われる。
第三段階 通常戦闘作戦の開始となる決定的な攻勢作戦decisive offensive
operations。航空作戦、前段階地上作戦preparatory ground operations、バグダッド
へと北方へ向けての進撃を含む。バグダッドの確保secureとサダムフセイン及び
バース党体制を権力の座から下ろすことで頂点に達する。
第四段階 敵対終了後作戦post hostilities operationsでは戦闘から、人道支援と
再建を含む安定化及び支援作戦への移行を目指す。関心を惹く点としては
計画者は早くから連合軍がイラク領土のある地域を解放すると、それらの地域では
第四段階へ移行するが他の地域では第三段階の戦闘作戦が継続するということで
ある。この第四段階へのなだらかな移行は全様相作戦の特徴であり、今作戦の
決定的な特徴の一つである。第三段階と第四段階を遂行する部隊間の距離は数mの
こともあり何マイルのこともあり様々である。指揮官及び兵に高度な柔軟性、主導性、
熟練が必要とされる。
陸軍:イラク自由作戦の最前列にて
砂漠の嵐以後の12年間、陸軍及び各軍は冷戦後の時代に適応し、作戦で得た戦訓を
適用し、作戦環境の趨勢の変化を予測し、戦闘能力を向上させる技術の進歩を活用
しようとし続けてきた。本書ではこの適応と能力の向上の幾つかをみてゆく。
例えば、砂漠の嵐作戦の直後、陸軍は情報基盤戦争の可能性を認めた。陸軍は
師団全体をネットワーク中心戦闘を遂行できるデジタルリンクした部隊へと改編した。
デジタルリンクにより地上作戦の展開速度は増大し、地上戦力の攻撃力と生残性は
高まるという仮説を元にフォース21Force XXIを設計、編成した。
Blue Force Tracking(BCT)自軍位置表示装置は指揮官に靡下部隊の位置を
示し、指揮官が指示と地形を伝えられるようにするもの、battle command on the move
(BCOTM)技術と陸軍戦闘指揮システムArmy Battle Command System(ABCS)により陸軍は
イラクの自由作戦OIFの構想を実現できた。
統合作戦と訓練を支援する為、1992年に陸軍は戦闘指揮訓練計画the Battle Command
Training Programに作戦班を設置した。この新たな作戦班では統合訓練能力が確立される
までの間、訓練の間隙を埋めることが意図されていた。 BCTPの作戦班Dは統合下における
陸軍部隊の訓練を支援するため次のような態勢をとった。2002年秋、作戦班Dは訓練支援の
ためにクウェートに展開、ついで戦争に備えて留まり、班員らは共同軍地上部隊司令部
the Combined Forces Land Component(CFLCC)参謀となって勤務した。
砂漠の嵐以後の10年間、問題に対応し、相応しい場合には統合チームを先導
すべく陸軍は訓練を再編し教義を書き換えた。統合教義は合州国大西洋軍US Atlantic Command
が姿を変えて統合軍Joint Forces Commandとなり、訓練と統合教義開発の責を担うように
なってから急速に発達した。各軍とともに、陸軍はますます”統合”能力を増す
組織の発達と訓練を支援した。
陸軍が自身の基本教義を変えたのは統合教義に適合するためばかりでなく、
環境の明らかな変化に適合する為でもあった。陸軍は、非連続noncontiguous、全様相戦争を
行うための教義を開発した。2001年6月に刊行された陸軍野外教範3−0、作戦は
砂漠の嵐以降の年月の作戦環境の評価を反映している。この評価はこの間の作戦で得られた証拠と
将来の作戦がどのようになるのかを慎重に検討した上でのものである。多大な研究を行って
陸軍は現在の作戦環境the contemporary operating environmentCOEを想定conceiveし、将来の訓練
と戦闘開発の文脈を作り上げた。COEは高度な知能と柔軟性を持ち非対称性の優位を
戦闘空間にわたって追求する敵で溢れている複雑な戦闘環境となっている。この環境で訓練し、
移動間戦闘指揮battle command on the moveBCOTMよりネットワーク化されたシステムを
運用することで、陸軍はFM3-0で示された構想を作戦化できるようになった。
COEでは、陸軍は21世紀初頭の作戦がどのようになるかを見積もったestimate。
イラクでの戦闘は見積もりが正しいことを示したが、同時に陸軍はなおこの流動的な
作戦環境で運用するには組織と訓練に手を入れる必要があることも明らかとなった。
陸軍はまた合州国中央軍US Central Command(CENTCOM)の地上部隊として、地域でのイラクの
現存していた脅威に対して多大な努力と資源を注いだ。陸軍はCENTCOMの指示により、第三軍
Thrid Armyを改編revamp、再編reorganizeし地上部隊司令部として運用した。
陸軍はクウェートに紛争作戦contingency operations支援のため5億$以上を掛けて空港、港、
宿泊施設、司令部、指揮所などの基盤を作った。さらには、南部監視SOUTHERN WATCH作戦と
関連して、陸軍はCENTCOMに直接戦域関与の大半を提供し、1ヶ月未満で決定的な戦闘作戦を
成功裡に終らせる条件を整えた。CENTCOMの他の部隊が同様に重要な投資をしたことは
明らかである。
陸軍特殊作戦部隊の兵士は統合特殊作戦チームの一員としてイラクへの道を先導した。
合州国の特殊作戦部隊はOIF中抜きん出ていた。彼らの卓越は統合組織the joint communityである
合州国特殊作戦軍US Special Operations Commandと各軍の能力を向上させる努力、そして
一層大きかったのが特殊作戦部隊同士と、特殊作戦部隊と通常部隊との間での統合能力を
向上させる努力の上になりたっている。特殊部隊作戦SOF operationsの作戦計画への統合は
多大な効果があった。
連合国の兵や海兵はD-dayに地上攻撃を先導し、通行帯lanesを切り開き、第五軍団と
第一海兵遠征軍First Marine Expeditionary Force(I MEF)の本隊の攻撃に先立ちイラクの監視所
observation postsを破壊した。第7騎兵連隊第3大隊が第三歩兵師団(マルヌの岩)、第五軍団
(勝利軍団)、統合軍地上部隊司令部、そして国家の先頭にたって進撃するとき、全米国が
ともにあった。
陸軍はタイトル10に定められたとおり他軍を支援した。
(#原注 タイトル10とは合州国連邦法を指す。統合司令官および他軍種に部隊および
支援を提供するよう各軍の責任を定める。OIFでは陸軍はタイトル10による様々な責任を
果たしている。これには補給の大半の供給や共通物品については他軍種に戦務支援を与えた
ことなどが含まれる。)
陸軍は真の統合軍の構想を実行し、戦域全体で弾道ミサイル防衛を行い、砲兵および
ロケット火力を提供し、6個大隊以上の工兵engineers、補給logisticians、憲兵military police、輸送
transporters、野外救急支援medical evacuationを海兵隊の
戦友に与えた。これら全ての場合でも、さらには取り上げなかったより多くの場合において
も、陸軍と米国の兵士は作戦展開中、先頭にたって奉仕した。
#ここでふと思ったんですが、湾岸戦争の公式戦史である
”旋風の戦争”や”確かな勝利”の導入と比較するととても面白いかも
しれません。確か全然調子が違ってた気がします。
初物尽くしの戦役campaign
OIF(イラクの自由作戦)では初例となることが多くあった。恐らくは、OIFは朝鮮戦争以来の
初の”統合”一貫作戦coherent campaignである。同時にアフガニスタン、バルカン諸国で作戦を
続行し、国内防衛Homeland Defenseを支援しつつ、米国の統合部隊は大規模かつ複雑な作戦を遂行した。OIFでは、共同統合地上部隊が朝鮮戦争の第八軍以来初めて全ての地上作戦を指導directした。
合州国第三軍は統合共同司令部a joint and combined headquartersとなるCFLCCの核として地上作戦の
遂行の責を担い、空地作戦air-ground operationsを統合し、戦域支援作戦theater support operations
を指導した。
(原注 技術的には海兵隊も地上部隊を提供したので、CFLCCは正確にはCJFLCC、つまり、
共同統合軍地上部隊司令部Combined Joint Forces Land Component
Commandである。が、本書では戦域で広く使われていた通称を採用する)
また朝鮮戦争以来の初として、陸軍州兵Army National Guard(ARNG)歩兵大隊が部隊として
戦闘作戦に参加した。陸軍州兵軽歩兵大隊7個がパトリオットミサイルの安全確保secureと
重要な補給物資の警備guard vital suppliesのため展開した。うち6個大隊は進撃して、イラクで
戦闘作戦を遂行した。
他にも重要な初例がある。幾つかの戦域で治安作戦security operationsと支援作戦
support operationsを同時に遂行しつつ合州国軍が複数の戦域で戦闘したのは第二次世界大戦
以来のことであった。例をあげると、2003年6月9日の時点で、369000名が海外展開しており、
うち140000名は予備役the Reserve Componentsである。兵が任務でいる国は120ケ国におよび、
遂行中の任務は戦闘、抑止deterring adversaries、同盟勢力の訓練training the nation's allies、
国家の重要資産の防護protecting nation's vital assetsと多岐にわたる。
OIFでは特殊作戦と通常作戦の統合でも多くの初例があった。アフガニスタンを端緒とする
特殊作戦と通常作戦の統合という考えはOIFでは可能性のほぼ限度まで推し進められた。
CENTCOMが特殊作戦部隊の作戦統制the operational controlに通常部隊を配属したときに
特殊作戦部隊と通常作戦部隊の統合は分水嶺を越えた。
(# 作戦統制とは、辞書によると、
譲渡可能な指揮権限で戦闘司令部以下の全結節の指揮官が行使する。作戦統制は
戦闘統制combatant command、command authorityに内包される。作戦統制は委譲可であり
部隊に対して以下の指揮権能を発揮する。編成、司令部および部隊の運用、任務付与、
目標指定など。また、任務の遂行に必要な指導権限を与える。軍事作戦、及び
司令部に付与された任務の達成に必要な統合訓練のあらゆる側面に関しての指導権限
を含む。作戦統制は部隊の指揮官を通じて行使されるべきであり、通常、統合部隊司令官
や各軍あるいは機能軍司令官が行使する。付与された任務の達成に必要と司令官が
判断する、司令部と部隊の編成とこれらの部隊の運用に関する全面的権限を通常、作戦統制
は与える。作戦統制は、それのみでは補給に関する指導権限や軍政、規律、内部組織、
部隊訓練に関する指導権限を含まない。
空地調整と統合がこれまでになく進んだことも重要な初例である。地上作戦ground maneuverは
航空作戦と同時に開始され、イラク体制側が焦土戦術 scorched earth campaignをとったり、
油田を大量破壊兵器に転じるのを防いだのではあるが、OIFにおいては航空作戦の重要性は強調
しすぎるということがない。イラクの空を支配することで、連合空軍は地上での迅速な支配を
可能とする戦闘を形成した。地上の戦術作戦の風向きを航空戦力は決定的に
変えた例も幾つかある。航空及び会場発射精密誘導兵器PGMsと巡航ミサイル攻撃は、
情報intelligence、捜索surveillance、偵察reconnaissance システムが発見した目標に迅速に対応した。
同じく重要なのは、砲兵と陸軍攻撃航空の統合が功を奏し、統合教範や砂漠の嵐以後の10年の
訓練で練習してきた連携を産み出した。
OIF参加部隊は統合教義として姿を現しつつある構想を運用した。CFLCCの確立はGoldwater-Nichols
法以来開発され、陸軍および統合模擬演習imulationsおよび訓練で試行されてきた統合教義の成熟振りを
示している。”走りながらの開始running startは近年の合州国の先制政策policy of preemptionと迅速支配
rapid dominanceという統合構想から生じたものである。宇宙に基盤の大部分をを置く指揮統制網に支援された
精密弾薬と地上作戦の統合により、10年前には想像されているのみだった方法で戦闘作戦を行うことができる
ようになった。
”初例”と姿を見せつつある統合構想の実行という文脈にあっても、OIF(イラクの自由作戦)
には、変わっていない強い流れもある。まず、地上戦闘作戦は物理的に厳しいものでありつづ
けている。地上作戦はその軍を打ち負かし、地形を奪取し保持し、人口を支配することで
体制を覆す中核である。作戦では息を呑むような技術の優位を生かしはしたが、結局には
個々の兵士と海兵が敵と一人で互いを視界に入れて戦うのである。高度技術のセンサーでなく、
人間こそが21世紀にあっても消耗不可能であり続ける。
#今日、太平洋軍司令官が環境アセスメントを踏まえてハワイにストライカー旅団
の配備をするか否かの決定を発表するとの報道。
Army to reveal Stryker plan today
http://the.honoluluadvertiser.com/article/2004/Jul/07/ln/ln03a.html ヒッカム空軍基地にはC-17が8機配備が計画されているとのこと。
HSV(高速度船)についても1行だけ触れています。
#7番目の旅団については、米国内の6つとは別に欧州に新設するという話が
あるようです。ワシントン州選出の下院議員(民主党)によるとかりにフォートルイス
の旅団1個が動く場合でも他から1個旅団を持ってくることになるとか。
その議員さんのHPをみると、トライデントのSSGNへの転換やボーイングの
767タンカー問題なども扱っている方です。他には漁業問題にマイクロソフトなども。
イラクの自由作戦の主題
陸軍の視点からはこれらの初例と砂漠の嵐以後の進展の流れはOn Pointにおける主要な
主題であるが、本書には繰り返しでてくる主題が幾つかある。米国の兵士の資質および
兵privateから中将におよぶ意思決定の質の高さは戦闘の叙述、報告、目撃談から得られる
おそらくは最も重要な知見である。他にも主題はあるが、兵らの抜きん出た仕事ぶりは
主題の中でも頂点にあり、主要な戦闘作戦の速度と比較的わずかだった人的損害の理由である。
兵はそれぞれ決定的に勇敢であり、熟練し創意的であることを示した。同様に敵も
未熟なこともしばしばであったが、勇敢であり柔軟性があった。
主要戦闘作戦終結後に、連合のたちどころの成功はイラクの装備が劣り、無能で
あったことにのみよると説明しようとした観察者もいた。これでは両者の格差に触れていない。
連合の兵士soldiers、水兵sailors、航空兵airmen、海兵marinesは敵よりも練度が高く、より素早く
対応できるということを実証した。論じるべき主題は沢山ある。何が起きたのかを理解しさらなる
研究のために問題を提起し、陸軍や軍一般への意味を検討する上でそれぞれの探究領域は広く
相互に重なる。分類だてると、それらは五つの広い領域に分けられる。
指揮統制Command and Control
この分野は、BFT(自軍位置表示装置)、衛星通信、通信と状況認識を支援し指揮統制を
可能ならしめる種々の技術手段を含む。また、CFLCCから中隊にいたる各結節echelonがどのように
運用し寄与したかをも含む。教義、訓練、意志決定の事例もこの論題に含まれる。
諸兵科連合作戦Combined Arms Operations
諸兵科連合作戦の相乗効果を描いたOIFにおける戦闘小話は無数にある。On Pointでは
諸兵科連合作戦という語に共同統合joint integrationの有効性、とりわけ特殊作戦と通常作戦の共同統合を含めた。機動と火力の結合により特別な効果をもたらすことと、工兵、歩兵、攻撃ヘリattack
helicopters、砲兵、機甲を含む小さい戦術部隊が戦術効果をもたらすことに焦点をあてた。
諸兵科連合作戦は各軍の訓練方法および各軍の教義と統合戦術、戦技、手続tactics, techniques, and proceduresの成熟によりもたらされる。効果を複合させ、陸軍の個々の兵科armsや部門branchesを
統合することは戦場で多大な益をもたらす。
共同統合と支援Joint Integration and Support
この分野は諸兵科連合作戦の一部だが、共同統合は、複数の軍団が参加する作戦における
戦術級の上級higher tacticaや作戦級の段階で別個に精査するに値する。この主題を精査することで
CFLCCの観点から作戦級operational-level戦闘を調べられるようになる。本作戦はGoldwater-Nichols法の目的が
結実したおそらく最初の作戦である。
展開と維持Deployment and Sustainment
部隊を戦域theaterに送り維持するにあたり、砂漠の嵐以後の10年で開発された原則を
適用したが、成果をあげた点もあり失敗した点もある。高速海上輸送fast sealiftとC-17の調達や
港湾管理者single port managersの集約などは展開を合理化するうえで効果をあげた。
その一方で、統合展開システムと旧来の時間段階戦力展開表方式time-phased
force and deployment list (TPFDL) およびこれによる部隊展開手続を更新しようとしたが、期待さ
れたほどの益はなかった。同じく、”ジャストインタイム”補給"just-in-time logistics"などの構想
は説明されていたほどの成績をあげられなかった。戦域を開設Openし維持sustainするのには予備役
部隊に頼っていたが、その展開は要求に間に合わなかった。これらをふくむ問題により
戦場で部隊を維持するのには困難があった。
情報と知識Information and Knowledge
情報の伝達と知識への変換能力では各軍the servicesは長足の進歩を遂げた。が、
ネットワーク中心戦争"network-centric" warfareを遂行する能力という目標には届かなかった。
これについて留意すべきことは各軍は情報作戦を行うにあたって協調したものの、その成果を計る
のは困難だということだ。なぜならば、データは未だに明らかでなくかつ構想が未だに成熟しきっ
ていないためである。
独立してとりあげるに値する領域は他にも二つある。二つともイラクでの作戦の背景をなし
将来への影響がある。
準備Preparetions
12年間の戦域基盤を建設する努力、長期的な地域関与の継続、
指揮、統制、通信、コンピューター、情報、捜索、偵察
Command, Control, Communications, Computers, Intelligence, Surveillance, and Reconnaissance (C4ISR)
への多額の投資、戦争遂行前6ヶ月間で多大な資材配備を終えたことが成果をあげる舞台を
整える上で不可欠だった。逆に、この戦域での成功はより未開の戦域において統合軍はどの
ように作戦すべきかという疑問を生じさせた。これは統合遠征能力には大きな欠陥がある
ことを示唆している。
都市作戦Urban Operations
陸軍の改まった教義、訓練と指揮官、計画者、兵らの周到な的を絞った準備により
高い能力を持つ市街戦闘部隊となった。戦車とブラッドレーは、都市環境で運用
されるために大急ぎで設計されて手早く配備された装備により増強されて、
困難な環境でも生残り、かつ有効であることを示した。計画者は都市戦闘に
革新的なシステムに基づく方法を適用した。これは兵及び指揮官の都市戦闘遂行を
基本的に変えた方法であった。その結果、兵はさしたる損害を受けず、破壊もせず、
付随的損害collateral damageもあたえずに都市地形を支配した。
On Pointのどの話、叙述、論考にもこれらの主題の一つかそれ以上が含まれている。
総じて、OIF(イラクの自由作戦)は”良い知らせ”の話である。が、作戦は改善が
必要な分野があることを明らかにした。米国の兵士はOIFで明らかとなった五つの欠陥
を乗り越えるため柔軟にその場で工夫した。これらの問題は成功した要因と同様に
On Point中の話、叙述、論考の多くで現れている。
戦務支援Combat Service Support(CSS)
CSSの難題は陸軍運用のあらゆる面、教義、組織organization、訓練、資材material、指揮官育成
leader development、人員personnel、施設facilities(DOTMLPF)に跨ることである。
近年のジャストインタイム補給への移行からCSSの兵及び部隊の訓練と装備に到るまで
CSS関係者および陸軍は運用を再考しなければならない。現行のシステムは効率性を
機能性よりも重視している。これは部品及び補給品の交付distributionからCSS部隊の装備品
に到るまでそうである。戦時には、成功を計る唯一の物指しは機能するか否かのみ
である。近年の組織、装備、訓練資源training resorces、教義で行われた”節約”により
CSS部隊の多くは任務を達成するのに苦労している。
全部隊の戦闘で勝利する能力
非連続作戦環境a noncontiguous operating environmentとは、定義からして安全な地域がない
ということである。戦域に居る全部隊は任務を成し遂げるには戦闘する備えがなくてはならない。
OIFではこの考えが浸透し、地上部隊の人員配置 manning、装備、訓練に関する教訓 implicationsに
満ちている。
戦術情報 Tactical Intelligence
現行の情報戦場運用システムIntelligence Battlefield Operating System(IBOS)は
上級結節向けであり、軍団以上の結節の支援では機能した。が、
現在の作戦環境(contemporary operating environment、COE)においては
旅団以下においても直接正面にいる脅威を探り分析する必要がある。これまでは
軍団より上に重点があったことと、通信と分析支援が不適であったこともあいまって
機動指揮官maneuver commandersは正面、或いは後方または側面の敵の情報を得るため
に文字通り戦闘することを強いられていた。
現役/予備役の組み合わせActive Component/Reserve Component Mix
現行の組み合わせは冷戦後の現実にみあっていない。予備役は国内警備homeland security、
主要戦闘major combat、安定化作戦及び支援作戦stability operations and support operationsを
支援しつつ同時に危機対応部隊を支援しており、任務と組織構造の全面見直しが必要である。
さらに、現在および将来の作戦構想にみあった、短期の予告で長期展開を可能とする動員
および運用方式へと改められねばならない。
上記の分野は全て陸軍で少しでも過ごした者ならば改善が必要なことは
驚くに値しない。が、OIF(イラクの自由作戦)はこれらの問題の深さ、幅、広さに
ついてはっきりとした争う余地のないデータを示した。これまでのより理論的な
分析や論考ではこのような明解さは欠けていた。過去12年間は問題の各分野で
改善があったとはいえ、さらに改善の余地はある。これらの広い範囲での主題は
将来戦力the future forceにむけてどのように陸軍が変革 transformationを続けていくかに影響する。
この意味では、一番新しい戦争が陸軍を次の戦争へと導く手助けとなる。
観点と意味
OIFへの陸軍の参加に関する本研究では3つの大きな互いに関連する観点が明らかとなり
これらの観点は本書にも織り込まれている。それは作戦campaigns、準備preparation、間隙
seamsである。OIFにおける陸軍および統合全体の成果の良い点も悪い点も多くは、これら
三つの観点へと辿り着く。
端的に述べると、米軍の主要な地上部隊として、陸軍は戦役および作戦の継続
sustained campaigns and operations中、優れた地上戦闘部隊であることを実証した。陸軍は
統合作戦joint campaigning、そして作戦持続sustained operationsにおいて基本的かつ決定的な
面をなしている。
作戦持続は、一連の遠隔精密地上攻撃standoff precision and ground engagementsののちの
”清掃”以上のものである。遠隔精密地上攻撃は必要であるし成功するために条件を整えるが、
成功と同義ではない。圧倒的な戦闘力で、敵がどこに隠れていようとも見つけ出し、隠れる能力を
上回り、決定的な敗北を与え、地域に良い変化をもたらすのは、戦闘と交戦の成功を戦役の成功
へと繋げる能力である。
陸軍がなければ、世界で最高の海軍、空軍、海兵隊もOIFや同様の戦役を成功裡に決着する
ことはできない。地上作戦持続は戦闘以上のものである。決定的な軍事行動と
その勝利を拡張して戦域戦略目的とより高度な国家政策の達成の組合せである。
作戦持続には共通使用補給common-user logistics、
(#DOD辞書によると
common-user logisticsとは
資材または役務支援で、各軍、国防総省官庁、多国籍同盟勢力が他の軍、国防総省官庁、
国防総省以外の官庁、と作戦内の多国籍同盟勢力に対して与えるもの。
通常、特定の補給品と役務に限定され、特定の部隊や部隊種、特定の時間、任務、
地理的範囲にさらに限定される。CULとも呼ばれる。)
戦域対空およびミサイル防衛支援、敵戦争捕虜の警備、心理作戦psychological operations支援、
民生civil affairs、その他多くの任務が含まれる。これらは栄誉をうける機会には殆ど恵まれな
いが、これら無くして統合戦役joint campaignsを成功裡に終えることはできない。
戦域対空およびミサイル防衛支援、敵戦争捕虜の警備、心理作戦psychological operations支援、
民生civil affairs、その他多くの任務が含まれる。これらは栄誉をうける機会には殆ど恵まれな
いが、これら無くして統合戦役joint campaignsを成功裡に終えることはできない。
準備は戦役を成功させる鍵の一つである。これはOIF(イラクの自由作戦)の勝利を理解する
基本である。上でも論じているが、戦役が成功する基本要素であるのでさらに触れておく。
本書を通じて描かれているように、準備とは多くの微妙な意味合いがあり外交から
戦術級においてまで行われている。準備、あるいは最近の同義語では、”状況を整える”は
米国が戦争を行う際の中核として再出している。多くの点において、当時の資源、時間、
政治的、外交的制約を考慮すると準備はよく練られており総じて”80%解決”している。
陸軍がこれらのまちまちな程度の準備を生かし、統合し、あるい、そこから回復したかは
全兵士の体験と陸軍の成功の基本となる部分である。
間隙seamsという概念は本研究の分析から浮かんできた。間隙は、垂直間、水平間、
組織的、構造的である場合がある。注意深くdeliberately閉ざさないsecureと、間隙は弱点を露出し、
敵のつけこみexploitationに対して統合軍joint forceが弱みをもつことになる。が、場合に
よっては間隙は強固な点となることもある、というのは二つかそれ以上の組織が増強し、
円滑な移行を注意深く行おうと関心を集中させるからである。おそらくは最も悩みの種と
なる間隙は軍事でいう「三街区の戦争Three-Block War」、つまり一つの戦場、或いは都市のわずか
一街区の中に全様相作戦full-spectrum operationsが行われることである。これを三街区の戦争
と呼ぶことすらも間断ない紛争の全様相に間隙を作っている。どのように地上部隊が
”なだらかに変化する”或いは”境目がぼやけている”第四段階作戦への移行に対処しているかは
現在進行中の戦役の主要な特徴である。
これらの論点は陸軍に限らず戦役を通じて見出すことができる。本研究は詳細な分析や
議論の場としては適切ではない。より包括的な、作戦級、統合戦役joint campaign級のOIF研究が
そのような分析に必要な深さ、幅、視野を与えてくれるだろう。それでもなお、どの戦争にも陸軍
の進展に影響を与える教訓が沢山ある。ともかくも控え目に言ってOIFからは学ぶべき事が多く
ある。
On Pointは題名に留まらぬ。それは本書の中心となる主題であり、その主題の核は
兵士である。先頭に立つ兵士はその資質と柔軟性、勇気、創意を、バンカーヒルBunker Hillから
バグダッドにいたるあらゆる戦闘の先行者らと同様に示した。同じく重要なことは
北はモスルMosulから南はサマワSamawahまで彼らは先頭に立ち続けている。かれらはイラクに
民主主義と持続する平和、つまり米国が宣言した戦略目標の条件をつくるため重要な仕事をしている。
本書の構成
第一に、On Pointは統合及び共同軍a joint and combined forceにおける陸軍の話である。とはいえ、
第五軍団の兵は2003年3月21日にただイラクの国境に現れたというわけではない。また、戦役は
バグダッドへの道を戦った戦闘兵combat soldiersらに限られるわけでもない。
戦場での勝利には軍全体が協調して努力することが必要である。10年以上に及ぶ多くの準備と支援
により兵らは出発線に立てたのである。さらに、支援活動も戦闘自体と同様に感銘深く、困難で
あった。これらの兵、水兵、海兵隊員、航空兵、沿岸警備隊員coast guardsmenらに公平を期すには
数巻を必要とし本書の範疇を超える。
本書は大きく三部に分かれる。第一部は、導入、第一章、第二章からなり、陸軍がどのように
OIF(イラクの自由作戦)に備えたかを論じる。準備は砂漠の嵐作戦が終了した翌日に始まり、
イラクの自由作戦で最初の兵士が開始線the line of departureを越えたときに終る。
導入では陸軍の各軍および統合軍the joint community内で位置付ける。第一章は陸軍の
1991年から2003年への変遷を辿る。イラクで2003年に勝利した陸軍は1991年にクウェートで
勝利した陸軍とは別物である。1991年から2003年の間に陸軍がどのように成長、進化して
ゆきイラクの自由作戦の陸軍を作り上げたかを理解するのは不可欠である。第二章では
戦闘に向けての最後の準備、2002年夏からDデイ(D-day)までを扱う。この期間の努力により
合州国大陸 the Continental United States (CONUS)から欧州、そして勿論南西アジアにおける
全ての準備は整った。
第二部は、第三章から第六章まで、地上作戦を主要戦闘の終結、これは部隊により異なるが
およそ4月10日までの期間を扱う。これらの章では掃討sweepしつつ進む巨大な矢印と
個々の兵士の話の釣り合いをとるようにする。各章は戦闘の各段階で起きた出来事のおおまかな
要約、つまり、進撃の矢印the sweeping arrowsに始まり、三つか四つの出来事の詳細なほとんど
それ単独のみでの記述へと続く。冒頭の要約では戦闘に影響する平行して、あるいは支援して
行われていた行動やなんらかの重要性のあるものをもとりあげる。また、統合及び連合軍
地上部隊の戦闘という観点を要約では取り入れる試みをした。戦闘段階という語はある意味では
誤用である。というのは章立てでは、あらかじめ作戦も目的も定まっていたかのような印象を
与えるからである。正式な作戦命令operations orderでは、走りながらの開始running startが終わり
進撃march up-countryを始めるとか、バグダッドの孤立化isolation of Baghdadや体制の除去
regime removalなどについて触れているものはない。
さらに正確を期すならば、作戦は時間上、位置上、目的が重なり合っており、多数の交戦
engagementが生起したがそれぞれ性格は異なっていた。
けれども、カリフォルニア州の面積の国中で同時に複数の作戦が行われるという分散化
した複雑な戦場においては、単純に生起した順に出来事を並べると、読者は戦場中を飛び回る
ことになり、どうしてある作戦が実行されたのかという脈絡がつかめなくなりかねない。
そこで明解さをえるために、作戦や交戦は時系列ではなく目的別に分類された。
これで読者はどうしてある行動がされたかが分かるようになった。これには
出来事の順序を追うという点では多少困難が生じるということはあるけども。
各章冒頭の時系列は読者が出来事の順序をに混乱せず、作戦上の背景を知ることが
できるようになっている。さらには文章中の時刻はグリニッチ標準時刻 Greenwich
Mean Time ("Zulu")からクウェート時間local Kuwait time(+3時間)に修正されている。
本書中の、兵士の話や小話には様々な目的がある。第一に読者に戦場で兵が
受けた試練や苦難をよりよく理解してもらうこと。第二に戦場中で起こっていた
ことの例として、戦争の様々な側面を詳細に論じること。そして最後に話や小話
は読者に戦闘をした各兵士を紹介することにある。イラクで勤務した男性及び
女性らは米国の断面図をなし、米国兵と市民の善を象っている。兵らの成功は
陸軍の成功であり、米国の成功である。
On Pointの最後の部では戦役の影響について論じる。イラクの自由作戦は
これまでに米軍が行ったうちで、最も統合された共同部隊と統合戦役joint campaignが
特徴である。OIFはまた新たな千年紀に入って二度目の戦争であり、その意味
でも意味がある。陸軍にとっては、砂漠の嵐以来の主要作戦 major campaignである。
10年のデジタル化 digitizationと各軍間の相互運用能力 interservice interoperabilityへの
投資の成果が初めて試されたときでもあった。陸軍の視点からの概観としては
陸軍の将来戦力に向けて続いている変革への影響も示唆している。これらの影響は
既に述べた広い分類に分けられて、さらなる論議の開始点となり、最後には計画決定
へと繋がる。
これを書いている間も、イラクでの作戦は続いている。兵は他の官庁other agenciesや
組織とともにイラクを安定化stabilizeし民政への移管the transition to civilian ruleを支援
するため働き続けている。主要な戦闘作戦の終結が宣言されたにも関わらず、兵は
バース党体制の残党や連合の存在に反対するその他の集団と戦い続け、そして死に続け
ている。この任務は目新しくも無く陸軍の伝統にのみあるというわけでない。この意味
では、陸軍は決定軍としての役割、戦場での勝利を戦略の成功に確実に繋げるという
役割を果たし続けている。
#これで導入が終わりです。第25歩兵師団第2旅団は291両のストライカーを
導入、あわせて訓練施設や滑走路に取り付け道路などの整備をするとのこと。
改編は2007年に完了するとのことです。現在、同旅団はアフガニスタンに展開中。
#ここで気付いたんですが、OEF(不朽の自由作戦)つまりアフガニスタンでの
タリバンおよびアルカイダとの戦いについても同様の内容の報告書や研究班が
ある可能性があるなぁと。海兵隊のカンダハル付近の飛行場への展開や
第10山岳師団の戦闘などは関連があると思います。タリバンはシャヒコット渓谷に
塹壕をほって迫撃砲を直射で撃ってきたそうですが。
485 :
保守上げ:04/07/10 16:41 ID:CQYVd7cl
先日、NHKBSで州兵イラク派遣ドキュメンタリー番組を放送していました。
ご覧の方も多いと思いますが、ハンビークンに鉄板溶接したり
鉄板足りなくてドアに防弾チョッキくくりつけたり、日露の後備部隊みたいな感じで、
予備役の哀感・悲哀がひしひしと伝わりました。
ストライカーも8×8ばかりじゃなくて、6×6(騎兵・指揮用)、4×4(ハンビー代替)
と展開したほうが良さげに思いマス。つーか、アメさんは将来的にソフトターゲットの装甲化をやるんでしょうね。
その対極、メルカバAPCが開発中とか、この分野はニッチつーか模索中つーか五里霧中の感ありです。
あと、イラキでのヘリボーンと海兵とストライカーの軽歩兵グループの評価が気になります。
FCSのデータどりのために、戦闘継続してるわけじゃないでしょうけど(w
雑文スマソ。
>485 州兵というと第81機甲旅団がいまバクバのアナコンダ基地にいます。
ハマーの装甲強化、小銃弾対策と地雷対策はあちこちで聞きます。一部では
寿命が縮むとか、海兵隊に比べて陸軍の取組みはどうだとか、ハマーじゃ
無理だからM113を使うべきとか。
<ストライカー
イスラエルは結局採用せずメルカヴァ車体の重APCの国内開発ということに
なったようです。namerという名前がでています。同様にヨルダンでも重APCを
以前から開発しています。
4×4や6×6の車体を開発するかはちょっと分かりません。ストライカー
旅団の狙撃班が全地形車両を使っていたり、SBCTの歩兵大隊内でもハマー
が広く使われていることを考えると車種を増やさないのではないかと思います。
最近面白いと思ったのは105mm榴弾砲搭載型です。現在はストライカーが155mm
榴弾砲を牽引していますが、こちらに変わるのかどうか。軽歩兵に榴弾砲が
どの位必要なものかという問題もありますけども。
<イラクのヘリボーン、海兵隊、ストライカーの評価
SBCTに関する評価は今これから第一章を訳してそこに出て来るといいなぁと思って
います。先は長いですが。ヘリボーンについては戦闘の経過を追う章にならないと
でてこないかもしれませんが、場合によっては不朽の自由作戦のアナコンダ作戦で
アパッチとチヌークに触れているかもしれません。海兵隊については陸軍の研究
なので大きな流れでのみ触れられるに留まるかも。
第一章 砂漠の嵐作戦から不朽の自由作戦へ
陸軍の絶え間なき革新
本章の構成
1990年代:世界情勢と将来の陸軍の再定義
新たな国防総省における陸軍 統合共同体の発展
陸軍の変革
不朽の自由作戦
結論
脚注
JANUSの戦闘だった。工業化時代の戦争の棹尾であり、知識基盤、情報化時代の戦争の
端緒であった。旧来の連続もあったが、新たなものも登場していた。
Frederick M. Franks, Jr.大将 米国陸軍訓練及び教義集団司令官
Army 1993年10月号 ”20周年のTRADOC:明日の勝利が始まる地”
1990年代に米国陸軍が経験してきた歴史は新たな脅威とと世界安全保障環境の変化による
課題への対応の歴史である。それは陸軍が将来の戦争をどのようにとらえ、遂行するかの
記録である。1991年の砂漠の嵐終結から2002年の不朽の自由の決定的戦闘作戦の終結までの
11年間は注目に値し、伝統ある組織が注意深く、内部から変革していく時期であった。
ある場合には陸軍が必要を認めて変化したこともあり、ある場合には予期していなかった
状況に対応した結果であることもある。目下、陸軍はイラクの自由作戦の時点で
変革を完了していない。2003年3月に戦争した陸軍には変革の途上にある新たな軍と
未だに冷戦に対応して設計され組織されている軍が含まれていた。二度の湾岸戦争の
間には、魅惑的で、惹き付け、そしてしばしば痛みを伴う移行と成長の時代が挟まれている。
後世の視点からは、この時代は、認識と焦点がなだらかに変わっていくのをおおまかに三つの時期に
分けることができる。冷戦と砂漠の嵐直後の戦後の幸福感の時期、陸軍が出現しつつある
なじみのない安全保障環境にどのように対応すべきかという長期間の論争の時期、
そして、急速に変化する環境において作戦できる”将来戦力”への”変革”をする決定と
試みの時期である。これらの変化は統合教義の発展が加速し、合州国大西洋軍
US Atlantic Command (ACOM)、後の統合軍Joint Forces Command(JFCOM)
による統合訓練の成熟という状況でおきた。
>>486 レスありがとうございます。
>M113
最近読んだ、フランクス将軍とトム・クランシーの共著に出てきました、ベトナムのくだりでw
>不朽の自由作戦のアナコンダ作戦
軍事研究7月号にオペレーション・スイフト・フリーダムがのってました。
FOBライノをヘリーボーン強襲し、そこからカンダハルをLAV機動部隊で攻略
まあ最近「二重投資ではないか?」と思う今日このごろです。
では、翻訳きたいしてます、乙〜!
>489
M113についてはシェリダンと並んでベトナム戦争の頃の話ではよく言われます。
でもarmor in Vietnamでは好意的に扱われている叙述もでてきます。
派生型も多くあり、M577司令部車とかM132火炎放射装甲車とかITVとかが
でてきます。
<二重投資
確かに海兵隊があって、陸軍があって、両方に似ている部隊ができるのでは
ないかという懸念はあるかも。ですが、海兵隊のLAV-25の場合は偵察部隊ですし、
MEUは航空支援の存在と車両の扱いが陸軍と異なるようですし、任務もかたや
沿岸部でかたや内陸への長期間の投入も考えているようですし、いろいろと違う
ところもあるのではないかと思います。
ヘリと装甲車についてはAAN(次の陸軍)ではティルトローター機と装甲車両
の組み合わせなどがでてきていたかと思います。ここいらは記憶だよりですが。
これらの三つの時期は陸軍が冷戦体制からOIF(イラクの自由作戦)を戦った軍へと変わっていく
中での知的、物理的、精神的な進展を明らかにしている。もちろん、論理的に時期に分けて
いるが、現実には連続しており変化は絶え間なく続いていた。
この時代に見た目には圧倒的な勝利ののちに、組織としての陸the institutional Army軍が自身を批判的に再検討する
明らかな意思を示したということは注目に値する。その結果は革命というよりはしばしば
紆余曲折する発展の道のりであった。士官、兵、文民が懸命に、典型的な報われぬ下仕事"nug work"をして
現実に発展をもたらしたのであるが、本章では陸軍の組織としての改革の推進役となった
将官らに焦点をあてていく。
陸軍の上級指揮官として、将官らは陸軍のこれからの生き残りと国家への有用性のために
献身した。彼らは構想、指導、そして第一線の兵達のあからさまな抵抗や大きな惰性を
押しのける原動力を与えた。陸軍は統合共同体とともにこの道を選んだ。また、陸軍は複雑で
困難な国内、国際環境に対応しつつもこの努力を続けた。2003年に勝利に輝いた陸軍が
1991年に勝利に輝いた陸軍とどこが違うのかをみるにはこの発展をあとづけることが欠かせない。
これより、砂漠の嵐作戦(ODS Operation DESERT STORM)の”確かな勝利”からOIF
での主要戦闘作戦の終結、そして平和支援作戦への移行、この移行は今日なおも続いているが、
を通じての米国陸軍の成長と経験と変革についてみてゆく。
(#原文ではここに図1 イラクの道路網及び都市位置概要図 milがみれない場合
globalsecurityを OIF study group on pointにも掲載されています。)
”嵐”の前後
合州国が主導した連合国のサダムフセインの1990年のクウェート侵攻に対する成功は
後世からみると勝利は確実だったように思われる。戦略面では湾岸戦争時の連合を結束させ、
戦争を遂行させた状況は確固たるものだった。正当な理由のないクウェートの主権の侵害は
集団行動の教科書通りのような理由となった。地域安定、世界経済、環境保全への脅威と
サダムのクウェートやサウジの油田に対する欲望は当時にあって明白で現前にある危機であった。
その結果がイラクに対する結束の堅い直ちの徹底的な集団行動への明瞭な決議だった。
砂漠の嵐の作戦と戦術の特質も同様に明らかなものだった。第1次湾岸戦争の
戦闘や交戦は定型的であり、第二次世界大戦の欧州での戦闘を反映していた。合州国陸軍の
エアランドバトルにあわせた通常戦力と連合国部隊は20世紀で4位の規模の軍隊と大規模な
準々決勝(open-quarter)で対戦し、空ではほとんど敵対を受けなかった空軍が上空から支援した。
結果は圧倒的で完勝であり、息を飲むほどのものだった。言い換えるとこの勝利は
陸軍の冷戦期教義、装備、訓練、組織を実証したように思われた。
が、砂漠の嵐はあらゆる戦争と同様にJanusに似ている面があった。
ある面には馴染みがあったが、ある面には将来の戦争の性格を示唆するところがあった。
精密弾薬とGPS(Global Positioning System)は技術、とりわけ情報技術が将来の戦闘作戦
のありかたを根本的に変えることを示唆していた。Alvin and Heidi Tofflerがいうように、
砂漠の嵐には情報が支配する第三の波の戦争の種子が含まれていた。
(Alvin and Heidi Toffler, War and Antiwar: Survival at the Dawn of
the 21st Century (Boston: Little, Brown, and Company: 1993), 64-80.
(#
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594010938/ref=pd_rhf_p_3/249-8658971-8886727#product-details)
戦争では将来の戦争の要素を示唆しつつも、各軍が精密弾薬precision munitions、M1エイブラムス主力戦闘戦車
M1 Abrams Main Battle Tankといった先端技術製品にしてきた投資が正しかったことを裏付けた。とはいえ、砂漠の嵐は
最後の対称的、大規模な機械戦争 symmetrical, large-machine warsであろう。
精神および心理面では、砂漠の嵐作戦は各軍が国家の戦争を決定的に戦闘し勝利できることを明らかに
した。米軍がイラク軍を排除する速度は、北ベトナム軍の戦車が南ベトナム大統領宮殿の芝生を
踏みにじった、或いは人質救出が失敗しイランの砂漠のデザート1の黒こげとなった死体といった
記憶を消し去ってくれた。砂漠の嵐は、ある意味では国家と軍にとってカタルシスであった。
ベトナムから砂漠の嵐への道は陸軍にとって変革と受容を容易にできた旅路ではなかった。
各軍ともにベトナムの重荷を背負ったとはいえ、一番のしかかったのは陸軍だった。
ベトナムから帰還した陸軍は自信がぐらつき、ベトナムでの経験をどこかに押しやり
たかった。が、陸軍はくよくよ思い悩まず言い訳でごまかしたりしなかった。むしろ、
士官らの中には経験から教訓を早く学ぼうとする一団が現れた。戦車が南ベトナム大統領宮殿の
前に入ってくるよりも早く、陸軍"Big A" ArmyはNATOと通常戦闘作戦による西ドイツの防衛へと向き
戻った。
欧州では気が休まる事はなかった。ソヴィエトは、少なくともその兵器と戦術は上回っているように
思われた。1973年の第四次中東戦争the 1973 Arab-Israeli warにおけるエジプト陸軍の
ソヴィエト兵器と戦術使用による成功は欧州防衛にとって悪い前兆だった。イスラエルは1967年
の大勝ののちでは無敵に思われた。それが、5年後のヨム・キプール戦争the Yom Kippur Warで
は敗北寸前だった。おそらくはイスラエルが勝利で傲慢となったことで1967年の戦争から
重要な教訓を学べなかったのだろう。その結果、イスラエルは、戦術的、作戦的、心理的に
奇襲を受けた。さらには、中東戦争はソヴィエトの戦争方法を裏付けているように思われ、
米国陸軍と空軍はこぞって寒気を覚えた。
従って、陸軍、空軍ともにソヴィエトの兵器と戦術がアラブ諸国とりわけエジプトに与えた優位
への対抗策を検討することに精力を傾けた。その成果はめざましかった。1970年代と1980年代、
陸軍指導層は、教義、訓練、装備開発materiel development、調達acquisitionを改革して軍の
再生をもたらした。同時に、空軍の戦術航空軍Tactical Air Commandはヨム・キプール戦争で明
らかとなった対空脅威に対抗する手段を熱心に追求した。
砂漠の嵐は1980年代の陸軍の改革努力が有効であったことと、戦争の性格を変えうる技術の
登場を示した。陸軍はビッグファイブで戦いに挑んだ。M1エイブラムス戦車、M2ブラッドレー
歩兵戦闘車、MLRS(多連装ロケットシステム)、パトリオット対空ミサイル、AH-64アパッチ
攻撃ヘリである。これらの兵器は本来ワルシャワ条約機構と対決する為に配備されたものであり、
カリフォルニア州フォートアーウィンのNational Training Center(NTC)での何百回という無血戦闘で
エアランドバトル教義を用いて繰り返し練習してきていた。じつのところ、1991年に帰還した兵
らの多くはNTCの対抗部隊the NTC Opposing Force (OPFOR)である第32州兵自動車化小銃連隊
the 32nd Guards Motorized Rifle Regimentがイラク共和国防衛隊よりも手強かった
と感じていた。1991年3月の停戦後、陸軍は戦勝の輝きと世人の賞賛に包まれた。が、
砂漠の嵐に勝利したばかりのビッグファイブの陸軍は新たに迫る国際的、国内的、防衛、安全保障
関連、政治として経済の難問の数々の嵐に耐えなければならなかった。登場した脅威と
将来おこりうる戦闘には陸軍が示して見せた能力ではそぐわなかった。この難問を
解きほぐしつつも、陸軍は1990年代の減勢の傾向にあって能力があり機能する軍を維持
することに集中した。第32代陸軍参謀長Gordon R. Sulivanがいったようにこれには
陸軍の変革そのものが必要だった。
(General (Retired) Gordon R. Sullivan and Michael V. Harper, Hope
is Not a Method (New York: Times Business, Random House, 1996), 5.)
1990年代:世界情勢と将来の陸軍の再定義
2003年3月20日早くから5月1日のGeroge W. Bush大統領が主要戦闘作戦の終了を宣言するまで、
兵士は水兵、海兵、航空兵、沿岸警備隊員、他国の軍人らと共に、情報化時代の最初の戦争と
当時既に認められていた戦争を戦った。それまでの12年間の論争、理論、教義、政治に関する
論争は最良の方法を予想しようというものだったがOIFでの戦闘で試された。以下の話は
時には苦労もしたこの混乱して課題に満ちた10年余りの期間における陸軍の経験と論争、変化と
成長についてである。
国内及び国際環境
Sullivan大将が支持した変革を定義し実行することが1990年代を通じての組織としての陸軍の
中心課題であった。問題はどのようにするのが最良かであり、戦力近代化に決定的に新たな道
をとって技術的に飛躍していくべきなのか、それとも従来のビッグファイブに基づく装備を
活かしつつ次第次第に前進していくのかということであった。この問題に対しては
陸軍の立場のみでなく、統合の視点からも対応すべきであった。陸軍はこの回答を試験と
分析の中で見出し、やがてその結果はOIF(イラクの自由作戦)の戦場で実証された。
国内及び国際環境はこの進行中の論争を形作る上で肯定的にも否定的にも大きな役目を果たした。
国際的には、世界は冷戦期の比較的固定された構造から解き放たれて、国家と軍にとって
目の回るような安全保障上の問題をもたらした。ソマリア、ルワンダ、ハイチ、
バルカン諸国、中南米、フィリピン、東ティモールの都市や野外での活動に米国は関与し、陸軍の
自己像、つまりその役割role、任務mission、求められる能力について、直接かつ尾を引く影響を受けた。
第一次湾岸戦争直後の国内政治の展望も同様に厳しいものであり、米国の戦後の反応の典型
であった。古き冷戦の強敵と新しいイラクの脅威が立て続けに打ち破られて長く続く平和を期待していた。
さらには、米国人は”平和の配当”"peace dividend" が経済が後退recessionから立ち直るよう国内需要
喚起に使われることを熱望していた。それどころか、圧倒的な軍事的成功を前にして、米国の指導者と
市民らは軍の能力は予想される将来の安全保障環境に於いては過剰だと考えていた。明白な脅威が
不在であるため軍を削減する事が賢明との見方を助長した。戦略的に見通しがなく意思決定者も
市民もどんな軍事力が必要か合意に達することが難しかった。このような不透明な政軍環境では、
防衛予算は対立する党派政治や各軍の競争に弄ばれ、国内計画を支援する魅力的な資金源となった。
その結果として政策は米軍全体、とりわけ米国陸軍が新たな安全保障環境で
人員を配置し、装備し、訓練し、配備し戦力を維持する上でにとって大きな重圧となった。
こうして、予算の制約により軍は即応態勢を維持しつつ、予期はしているが未知の脅威の数々の
拡大に対応する能力を新たに配備する釣り合いをとることを余儀なくされた。この状況により、
陸軍は共通の防衛のための軍事力に人員を配置manし装備equipし訓練すること、それも安価に行う
ことを強いられた。その結果が、比較的安価な、教義の開発、実験、ビッグファイブの
全面改装を必要としないで能力を大きく向上できるある種の技術への投資となった。
このようにして、陸軍は各軍とともに多くのことをよりわずかで成し遂げるという課題に取組み、
大戦間期のGeorge Marshall将軍とDwight Eisenhowerの時代以来初のわずかな資源で対応し工夫していく
という経験をした。
減勢Downsizingしつつ変革Transformationへの舞台を整える
1991年の勝利の直後、当時の陸軍副参謀長the vice CSAだったSullivanは第三軍
the Third Army参謀に次のような見解を語っている。「米国人が我々に望むのはたった一つ:
我々が勝利することである。君たちが成し遂げた事は彼らの期待通りだった。君たちは勝利した」
( Richard M. Swain, Lucky War: Third Army in Desert Storm (Fort
Leavenworth, Kansas: CGSC Press, 1997), xv. )同時にSullivanが
深く理解していた事は、それからの年月において機能し続けるには陸軍は大きく変わらねば
ならないということだった。さらにきたるべき財政的、資源的制約により変革の速度と
範囲が影響されるということも理解していた。第一にそして真っ先に、冷戦期の陸軍の
動員解除demobilizationがすでに第四歩兵師団、第五歩兵師団、第九歩兵師団、第二機甲師団で始まって
いたがその速度が速められた。次に明らかになったのは第三機甲師団はドイツに1991年夏に帰還
していたが、1992年春には旗を仕舞い、第二装甲騎兵連隊、第八歩兵師団、第七軍団とともに
ドイツで閉隊deactivateとなった。動員解除の速度は上げられ、1993年夏には陸軍兵員数は786000名から
500000名へと減勢していた。
冷戦期の陸軍の動員解除だけが変化する原動力だったのではない。SullivanはCarl E. Vuonoについて
1991年に陸軍参謀長となった。彼には陸軍の組織、装備、訓練、部隊運用が新たな趨勢に対応して
根本的に変化する必要が絶対にあると分かっていた。Sullivanが彼の任期の旗印として語ったのが、
”変化と連続”だった。彼は陸軍の変わらぬ価値と資質を保ちつつ必要なところでは変化することを
構想していた。言い換えると、陸軍はソヴィエトに集中することから、世界に出現しつつある脅威に
集中することに切り替える必要があった。陸軍は作戦環境の変化を予期し、パナマPanamaと砂漠の嵐で得た
戦訓the lessons learnedを取り入れる必要があると彼は信じていた。
変化への勢いをつけるために直ちに、SullivanはFredrick M Franks, Jr.大将を1991年夏にTRADOC
(訓練教義集団)司令官に任命した。SullivanもFranksも陸軍のベトナム後の再生の中で
指揮官commanderとして過ごしている。Creighton Abrams、William Depuy、Don Starryといった
将軍らが再生を先導した。SullivanもFranksも、ベトナム後の時代と同じく、国家戦略を理解し、
それをもとに教義、戦闘開発、訓練を作らねばならないと分かっていた。Franksの就任にあたって
与えた指導の中で「君は我々に報告し、そして、この”新世界秩序”、我々が
生きているGoldwater-Nichols時代にあって戦争をどう考えるべきか教えることになる。
我々が将来の教義、組織、装備、訓練について考えることは年季を積んだ職業軍人professionalsによって
精力的かつ周知された議論によらなければならない。」
(Gordon R. Sullivan, General, CSA, SUBJECT: "Reshaping Army
Doctrine," Memorandum for Lieutenant General Frederick M. Franks,
Jr., 29 July 1991. )
SullivanもFranksも陸軍が本質的には保守的であり、どんな変化でも根付くには兵士が彼らの
将来構想を受け入れる必要があることが分かっていた。 これはイスラエルにとってのヨム・キプール
戦争のような衝撃が陸軍には欠けていることを考えるととりわけ重要だった。こうして、彼らは
砂漠の嵐後の陸軍における自己満足という惰性に抗する勢力momentumを作りあげる必要に
迫られた。そこで彼らは幾つかの手を平行して進めた。
陸軍省the Department of the ArmyにおいてはSullivanはthe Loisiana Army Maneuvers Task Force(LAM-TF)
を実験のための総本部”general headquarters"として組織し拠出した。
(Personal Message for General Galvin, et al. (senior Army commanders),
"Louisiana Maneuvers, 1994," DTG 091415MAR92. )
LAM-TFはTRADOCの所在地であるフォートモンローFort Monroeにて、将来有望な若き
Tommy Franks准将brigadier genralのもと1992年春に”立ち上がった”。 LAM-TFの役割には
実験を行うことと、将来について構想し変化を主導することを促進する上で広く啓発"pot stirring"
することとが含まれていた。
前TRADOC司令官Starryに副司令官として仕えた経験から
(#
http://web.wilson.k12.pa.us/buildings/sh/staffpages/pisdav/zzGenFranksbio.htm)
、Fred Franks大将はTRADOCがどのように機能するかわかっていた。彼は様々な会合で将来の課題に
対する早期の見通しを作っていった。これらの会合には砂漠の嵐と同戦争で示された戦争の明らかな
変化についてのものも含まれ、専門家や未来予想家futuristsにも相談し、有能な士官に戦争における明らかな
趨勢と検討し米国および他国陸軍がどのように将来について実験し検討しているかの研究を担わせた。
彼の結論は陸軍が変化を検討すべき主要分野は次の五つというものだった。
初期および強制力を伴う投入 Early or forced entry(予想される作戦戦域に陸軍はもはや前方駐留していない)
乗車および降車機動 Mounted and dismounted maneuver
戦闘空間の縦深にわたる火力 Fires across the depth of the battlespace
戦闘指揮 Battle command
戦務支援 Combat service support
Franksは親兵科のために働いてきた縦割り"stovepiped"組織であった既設の戦闘開発局combat development offices
を解体し、戦闘研究所battle labsで代えた。その機能はこれらの構想や領域において変化を予期するため実験すること
である。戦闘研究所では意図的に伝統的な陸軍兵科の境界を越えて、これまでの垂直的な開発方法を破り、より全体的で
創意に富んだ解決を目指した。
また、SullivanとFranksは教義と部隊訓練でも変化をもたらそうと決めていた。教義の変更は陸軍の根本教義である
野外教範FM100-5作戦Field Manual (FM) 100-5, Operationsの書き換えに始まった。陸軍戦闘訓練センター combat training centersであるNTC、統合準備訓練センター、Joint Readiness Training Center(JRTC)
(当時はアーカンソー州フォートチャーフィーに所在)、戦闘機動訓練センター(the Combat Maneuver Training Center (CMTC)
ドイツのホーヘンフェルスHohenfels所在)は将来を予期して訓練の修正を検討し始めた。
これらの動きと、変化と連続という双子の主題により陸軍はバグダッドの宮殿へ究極に葉繋がる、
そして1991年にクウェートから帰還した陸軍とは大きく異なる陸軍への道を辿り始めた。
YBBアクセス規制により一時投稿不可となりました。いま見直すと
downsizingは減勢じゃなくて縮小が正しいなど間違いが多いです。
#オーストラリア国防省がLAV−25(ASLAV)12両と人員120名の増派を決定。
イラク国軍の訓練チームの移動やバグダッドの自国外交官、新大使館を建設中の
業者の警護などが目的とのことです。
人員を出す部隊は、第2騎兵連隊、第5/7王立オーストラリア連隊。
木曜日にASLAVはダーウィンから出発。
#HSVを使うんでしょうか。東ティモール派遣された部隊だったかも。
お疲れ様です。
今、あらためて読んでます(この頃やることが多くて(つД`) )
この文書、PDF化されるのはいつかのう…
(´-`).。oO(最近PDF文書の方が読みやすかったり)
と、とりあえず保守をかねてレス。
>>506 レスありがとうございます。同じくPDFになるのが待ち遠しいです。
#On Pointについて
global securityに全文掲載されました。いま第四章を読んでいるところです。
全部読んでから翻訳すべきなんですがこれまでは第1章を読んだだけで
訳しに入っていました。
内容については
予備部品の補給、通信、それから陸軍ヘリについては率直に問題があったと
書かれています。また、走りながらの開始と航空攻撃開始日と地上攻撃開始日と
バグダッド南方への開戦第一撃についても多めに書いています。
このうち、陸軍の攻撃ヘリによる縦深攻撃の失敗は、空中機動や垂直包囲
をする将来軍の構想などに影響があると思います。BUA(旅団行動部隊)
の編成の原型になりそうな話についてはまだちょっと分かりません。旅団が
ユーフラテス河沿いの各都市を大隊をどう使って包囲し、封じ込めて、道路交差点
や橋梁を確保して次へ前進したかという話が続いています。
第三歩兵師団についてはクウェートに早期に揃って密度の濃い訓練をしたと
書かれているので、その期間にいろいろ試していたのかもしれません。
また、旅団偵察中隊については、ハマーよりはM113が良いとしてハマーの
替わりにM113を与えてM1と組んで部隊を編成している部隊長の話が出てきました。
第二装甲騎兵連隊はルイジアナ州フォートポークからワシントン州フォートルイスに
移転してSBCTに改編するとの記事がでています。話のもとはワシントン州の連邦議員。
また、議会は7つめのSBCTのため予算拠出を今会期でする見込みとのこと。
記事では、SBCTが受けている理由として、人員規模に比して広い面積を
イラク北部で担っていることがあげられています。
#これでワシントン州に3つ アラスカ州に1つ ハワイ州に1つ
東海岸のペンシルヴァニアに1つ(州兵)となります。
# モスルに展開していた101空中強襲師団については安定・維持作戦を
成功された例として扱われている気がします。これに対してファルージャ
などは失敗例として見られていた気も。
夏休みなので、こまめに保守sage。
何時も読ませてもらってはいるのですが、何しろ今日も今日とて午前様・・・
( つ皿T)
>509 レス有難う御座います。On Pointを第8章まで読み終えたのですが
意外だったことが二つ。
まず直接には書かれていないのですがドイツ駐留の第1機甲師団がオーストリア
領内の鉄道輸送を認められずドイツから船で運ばれたせいで当初計画どおりに
クウェートに到着できなかったことが大きな影響を与えているらしきこと。
当時のDoDの記者会見でラムズフェルド国防長官がオーストリアのアルプスを
通過しての鉄道輸送を同国の中立性維持の見地から認めてもらえなかったと
話しているのと、On Pointで第1機甲師団が当初では到着している筈だったという話が
出て来るのを勝手につなぎ合わせています。
次に第82空挺師団はフセイン体制が早期崩壊したときに備えてバグダッドに
空挺作戦を準備していたということ。
SBCTについては第173空挺旅団をバシュール空港へ空挺降下と空輸し、それから
M1とM2とM113を少数空輸するのにC-17が89回出撃したと書いています。同じ
出撃数でSBCTの1個大隊を輸送できるとも。
全体としては第7章implicationsが一番面白そうでした。また
イラク戦争中の車両損害についてはSFTTが意外と近い線だったようです。
第7騎兵連隊第3大隊が戦争でM1を2両失ったという話が出てきます。
#陸軍については今後に増設される10個旅団の開隊地の発表がありました。
これは国防総省全体での基地配置見直しとは別な動きだそうですけども。
511 :
保守上げ:04/07/29 18:47 ID:0Ge912VD
暑中お見舞い申し上げます
35t+10t(パッケージ装甲)の”ストライカー中戦車”なんて妄想したりしてます。
レシプロのエアバスA400M×4機で3両空輸可能。
予算削減のためにも、例の74式後継を共同開発つーのも・・・ありかと。
ストライカーMGS機動砲の射程だとT-72と刺し違えるような気がします。
あまりMGSは好きくないです。
ブラックホークダウンの原作を読みました。
映画の方はまだ見てないです。
パキスタンとマレーシアのAPC救出部隊が
SBCTの原型なのでしょうね。きっと。
では、皆様ご自愛のほどを。
保守sage
過去ログ一覧で>511のカキコが反映されないのは何故だろう・・・?
>>512 意地でも上げてみる
>>502-504 Fred Franks大将とシュワルツコフは犬猿の仲だったらしいですが
海岸側のイスラム・海兵軍団の進行速度が好調で、
第七軍団の機甲挺身作戦が、「ヘルメリー・パス」とならず
中央軍司令官はおかんむりだったようです。
第七軍団の師団間の境界幅が15〜20kmで機動の余地がなかったとか
2ACRを1IDが超越前進したりとか
Fred Franks大将も大変だったようです。
重師団の総括としてのIBCTに意義がありそうです。
雑文スマソ。あげ〜!あげるのじゃ!!!
疑問1
DAT落ち寸前で、なんで保守sage するの?
疑問2
防空・ヘリは軍団・師団から派遣するらしいけど
独立旅団の場合、軍団予備のヘリって存在するの?
さげ〜!
>511 暑中見舞い有難う御座います。SBCTについては源泉はソヴィエトとの
大規模な通常戦争が欧州中央平原で生起する可能性よりも、第三世界、とくに
米国の軍事力行使が可能でありまた必要であるとみていた南西アジアへの即時
介入能力を向上させる動きがでてきたあたりにあるかと。編制的には諸兵科
連合が中隊結節で固有で行われているあたりが面白いです。それで各時代毎に
想定は変わります。当初はイランへソヴィエトが進出を押さえる想定でした。
湾岸戦争後にはイラクのクウェート侵攻直後にサウジ防衛を単独でせざるを
えなかったら?になり、それから最近ではコソボ航空攻撃の際に地上部隊を
投入できなかったのか、そして、一番近いところではイラク戦争の北部戦線
に機動力ある戦力を投入することはできたのか、です。
>513 フランクス大将については、”熱砂の進撃”だったかな、マイケル=クライトン
と共著になっている奴をまだ読んで居なかったりします。トミー フランクス大将も
ほぼ前後して登場するので訳文が一層読み難くなっているかもしれません。
進撃については英軍の第一機甲師団(米海兵隊の下だったと思います)も
夜間にあやうく友軍車列に砲撃を降らせる寸前までいった場面が戦史物に出てきました。
地上攻撃開始日時を前倒しにしたことが影響していたのかも分かりませんね。
>514 ヘリについてはSBCTの固有編制に組み込むべきと提議している記事を
みたことがあります。TFオリンピア(モスル展開のSBCT基幹とする多国籍部隊)
ではヘリ部隊がついてますが、指揮統制の関係は不明です。川にOH-58Dが
墜落して捜索中にSBCTの兵が水死したり、捜索現場の警備中にRPG攻撃を受けたり
かなり長い事新聞記事でも扱われていました。
スレ乱立対策のため一応保守
臼砲も保守sage
>514氏
DAT落ちはスレの順番でなく、タイムスタンプで判断されるからです。
で、時節柄、あんまり上に出したくない・・・と。
軽歩兵師団の運用についての授業のシラバスと思われるものを見つけて
読んでいます。付録の一部は秘密ということで省かれていたりしますが、
どうもレーベンワースの戦術力学という講座か課程があったみたいです。
その中で群島防御、グッドウッド防御というものを盛んに論じている
のですが、その基本になる反斜面防御自体よく知らなかったりします。
欧州における80年代の軽歩兵師団の話なので、中から高烈度紛争における
軽歩兵師団の運用ということになると思うんですが。
#最近知ったんですが、「ヨーロッパ史と戦争」の著者のマイケル・ハワード
って軍事歴史家として著名だったんですね。リチャード・シンプキンの本に出てきたり、
陸軍参謀長の推薦図書に入っていたりして驚きました。
#他にクルーセーダーをパラディンと比較して調達する意味あいについて論じた
ランドの研究報告を読んだんですが、最後になって重量の問題を切り出して
ました。かかれた当時は、EFOG-Mやコマンチなどもまだ健在で、支援兵器として
応答時間と到達距離を比較するグラフに登場したりしてます。
#フォークランドの軽歩兵について読んで引っ掛かっている点は軽歩兵を
そうあらしてめているのは装備や編制ではないという話が繰返し出て来ることです。
駐米の英国武官の軽歩兵に関するインタビューでも繰返しでてきた台詞なんですが
なんか起源があるみたいですが不明。
>反斜面防御
Lans丼かトルエン丼の解説を待ちましょう。
簡単に申しますと、敵から見て稜線の向こう側等の、敵から見えない斜面に布陣します。
敵からは直接観測し難く、直射火器は稜線を越えなければ撃てないわけで、防御側としては
平原ではアウトレンジされるような、短射程の対戦車火器等を有効に使えます。
後続部隊からの火力支援も限られるので、携行対戦車火器の使用には重要なファクタですな。
SBCTがらみのネタは、先んじるようなモノは一切無いです(苦笑)
やっぱ装輪と大口径機関砲は、とっても相性が悪いという事が再確認されたって話くらい。
どっかのスレで述べたんですが、カタログスペックでは投射弾量に優れていても、
単射か、ごく短いバースト射撃でしか車台が安定しないのであれば、105mm砲を選択した
MGSのコンセプトは分からなくもないと。
でも開発苦労してるようですな。MGSまで割り切るんなら、高価なM8AGSでなくとも
VFM5クラスの装軌車輌で妥協しても良いかとも思うですが。
とりあえず車高は低いぞ(`・ω・´
お値段低いかは保証しませんが。
>軽歩兵をそうあらしてめているのは装備や編制ではない
ジョンブルらしい言種ですな(笑)
是非聞いて見たい話ではあります。
でわ、犯斜面陣地の開設を(w
基本は対潜丼の仰るとおりです。
稜線に反対側に陣地を敷けば、稜線の影になり陣地への直射を阻害できます。
また陣地配備も、敵が稜線に出るまで秘匿できます。
そして稜線を超えた敵に対し、殆どアンブッシュ状態で射撃を行えます。
さらには、攻撃された場合も、敵は稜線で分断される為、
後続部隊が攻撃先鋒を射撃支援できないという利点も見逃せないです。
(非常に重要な利点)
ただし、弱点としては稜線が邪魔をして、我も敵の状況を把握する事が困難だと言うことです。
よって稜線に警戒部隊を派遣し、可能であれば、それをカバー出来る位置に偵察(観測)部隊を配置出来ればベストです。
また、稜線まで一気に距離を詰められるので戦闘距離が短めになりやすいという点も見逃せません。
よって、味方反射面陣地の後方の次の稜線に斜面陣地を築けて火力集中できれば最高。
でも、そんな地形はそうそうありませんが(w
これは対戦車陣地に限らず、大抵の場合に有効です。
特に敵が大規模な砲兵を有し、長距離支援火力が強力な場合に有効。
逆に、我が装甲ATM車両や高性能FCSなどで長距離攻撃能力が敵に優位にある場合、
斜面陣地による火力集中により敵を接近前に叩く方が良い場合も多いでしす。
つまり反射面陣地をとる場合は
1)敵に遠距離射撃能力で劣る場合
2)味方の防御力が劣る場合
に特に有効な戦術かと・・・
まあ、こんな感じかと
>520
これは推測ですが…
「軽歩兵をそうあらしてめているのは装備や編制ではない」
これは装備や編制により軽歩兵が決められる訳ではなく、
あくまでも軽歩兵としての任務があり、それにより装備や編制が決められる
と言う意味ではないでしょうか?
確かに常に自分の軍事理論に自身を持っているジョンブルの言いそうな言い回しではあります(w
(でも、実際に英国、なんだかんだいって強いですからね。ほんと、あなどれません)
Kojii.net - 今週の JDW 誌より (2004-8-4 号)
◎New Army brigades unveiled
米陸軍は、推進中の "変革" の一環として新編する 10 個の BCT(UA) (Brigade
Combat Team (Units of Action)) について、配備先を公表した。
この組織改編によって、米陸軍の基幹戦闘単位である旅団 (または UA) は、
現在の 33 個から 43 個に増えることになる。ただし、新たに編成される 10
個の BCT (UA) は、現行の旅団よりも規模が小さい。
現在、BCT(UA) のうち最初の 3 個が編成を進めているところで、これらは第
3 歩兵師団、第 101 空挺師団 (航空強襲)、第 10 山岳師団 (軽歩兵) に、
それぞれ配属される。2005 年には、今度は第 4 歩兵師団 (機械化)、第 10
山岳師団、第 25 歩兵師団 (軽) に BCT(UA) が配属される。2006 年には、
第 1 騎兵師団と第 82 空挺師団にそれぞれ 1 個ずつ、第 25 歩兵師団につ
いては 2 個の BCT(UA) が配属される。なお、これらの配備計画については、
国防総省が推進中の基地閉鎖計画とのからみで、内容が変更される可能性が
ある。
第 25 歩兵師団に配属される BCT(UA) のうち 1 個は空挺部隊として編成さ
れ、アラスカの Fort Richardson に配備されてパワー・プロジェクション任
務を担当することになる。
これら BCT(UA) の新編に伴い、米陸軍の兵員数は 30,000 名ほど増加するこ
とになる。また、米陸軍では基地再編などで 50,000 名の兵士を配置転換し
て、戦闘任務に就ける計画を進めている。
◎US Army to buy more 105mm howitzers
一方、ストライカー部隊については、新開発の NLOS-C (Non Line-of-SightCannon) を配備する。
現在は 155mm 牽引砲 M198 を使用しているが、
陸軍で砲兵部門のトップを務める David Valcourt 少将によると、
M198 はメンテナンスの手間がかかる上に機動性と生存性に劣り、
"まったくハッピーではない"との由。
そこで導入される NLOS-C は、車輌とセンサーをネットワーク化する
FCS (Future Combat System) の構成要素の中で、もっとも先進的なもの。
2008 年からの配備が予定されている。
米陸軍では、105mm 榴弾砲をストライカーの車体に載せる検討もしている。
これはストライカーを製造している米 GDLS (General Dynamics Land Systems)
社が提案したものだが、これを導入すると、兵站支援上の負担を増やす事態になってしまう。
米陸軍では、現用中の M109A6 パラディンに代わって NLOS-C を配備する等の方策により、
現在は 7-8 種類ある火砲を、NLOS-C、M119、M777 の 3 種類に統合する方針。
<反斜面陣地の解説 ありがとうございました。戦術力学の話では
西ドイツの都市や林などが網目状に拡がっているそうなんですが、この網目を
利用して強化拠点を作り、網目の間に入り込んだ機甲部隊を後射や側射で
消耗させる構えを築く。敵は消耗を甘んじて突進し続けるか、歩兵を投入して
時間を消費して掃討せざるをえなくなるという話でした。どうも、この講義が
行われた前後の年の論文には軽歩兵関係のものが目立ちます。
また、ジャベリンが話題になった時期が1990年代半ばごろにあり、これを
利用して反斜面に陣地を構えて対戦車防御をするという論文がでています。
最近では、艦船への自爆テロ対策で艦船にジャベリンを配備することを
検討しているものがあったり。
#軽歩兵の浸透の話を幾つか読んだので、棚上げになっていたSBCT歩兵中隊の
戦闘の話の二つ目、対戦車戦闘がなんとなく分かってきました。
軽歩兵の浸透については、朝鮮戦争や北朝鮮の特殊作戦軍団の話が多くひっか
かります。戦車中隊の保安作戦(security operation)を扱った論文でも
朝鮮半島での夜間の警備が枕としてでてきていました。
SBCT関係についてGAO(政府会計検査院?)のSBCTに関する報告書が出ました。
気温が高く、高いところにある空港からはストライカーを搭載したC-130は
離陸できないという同報告書の指摘が新聞で取り上げられています。問題になって
いるのは、FCSもC-130で戦域内輸送を条件としつつも重量制限はストライカー
と同様に38000ポンドになっていること。これらについて、国防総省では
機動性研究を行っており、来年には議会に説明するとのことです。
<訳すもの
On Point、SBCT歩兵中隊の戦闘、フォークランド紛争のイギリス歩兵、戦術力学
と宿題が積み重なっています。短いのは戦術力学ですが、実は付録についている
リチャード・シンプキンの本を纏めた部分が英語力が劣っているため太刀打できない
状態です。いま、Race to the Swift(同氏の本で唯一市販されている)を読んでいる
ですが、段落を2度読んでなんとなく分かる状態です。これまでテーマが限られた
ものしか読んでこなかった報いだと思います。ともかく要望のあったフォークランド
ものからやってみます。避難所に掲載してゆきます。
ホッシュ
保守
現在、第2章までイギリス歩兵のフォークランド紛争の話を訳しました。
内容は第5歩兵旅団には厳しい書き方かもと思います。
2章の陸上作戦の推移や指揮権の移動などを見ているとさらに微妙な意味合いも
ありそうですが。それに関してはよく把握できず。
第5歩兵旅団を中心にフォークランド紛争を取り上げた本もあるみたいですが
無料で手に入るものがあるかどうか。
#ストライカーの最近の話
・ペンシルヴァニア州兵の旅団をSBCT化するにあたり施設建設をするのですが
その入札の資格基準を決める業者が選定されたという報道がありました。
・米空軍の報道発表でC-17からMGSを装備した工兵分隊車両を空中投下することに
成功したというのが8月19日にありました。
その他
SBCTの旅団数を巡る政治関係まで押さえた論文を見つけました。昨年、SBCTに
ついて様々な代替編制案を出している論文があって、その中に論文の意義として
政治決定者が旅団数を減らす代わりに旅団の数は維持して規模を減らす場合の
選択肢ともなるとわざわざ書いていた意味がやっと分かりました。
実はネットを検索語を工夫して捜索すると当時からあった話題みたいです。
議会の軍事委員会の証言とか読んでれば押さえられたのでしょうけど。
また、昨年8月のSBCT1が初期作戦能力を獲得した前後に出た非難する文書に
ついても背景が推察されていました。
おひさしです。
フォークランドの話、楽しみにしてます。
米国意外の陸軍、なかんずく歩兵部隊の詳細なドキュメントには、なかなか触れる機会が無いのです。
>旅団数を巡る政治関係
ふと、陸自の連隊削減と地元自治体の関係を思い出しましたが、その伝の話ですかね?(違うかな)
旭川第9連隊が解隊された時、地元自治体が地域経済に対する影響を理由に反対の陳情を行いました。
その中に地元の社会党支部が名を連ねていたのは、嘘のようなうる覚えの話(怪しいゾ)
>531 SBCTの旅団数を削る話
・C-130に搭載するのが事実上無理な重量となったということは同盟国のC-130の
支援を戦域内で受けられないということであること。
・変革していく際の予算の割り当てとしてSBCTに巨額の予算を注ぐ妥当性
などから旅団数を削減する、或いは別な編制の旅団を整備するなどの話が
あり、国防省の高官などやBreaking the Phalanxの著者などが絡んでいた
ようです。結局、陸軍としてはSBCTへの支持が揺るがなかったことから
議会も予算を削らなかったという話のようでした。多少他に読んだ話と混ざって
いるかもしれませんが大筋としてはそんな感じです。
<イギリスの軽歩兵の話
頑張って訳しています。一番の中心が第4章なのですがまだ第3章で止まっています。
<最近見つけた話
自転車歩兵、つまり銀輪部隊の話を軽歩兵師団の機動力ということで取り上げている
話を見つけました。
保守
Tall Afarの話が続いています。ナジャフと違って重戦力ではないんですが
郊外に部隊が集結しているとかの報道も。
#軽歩兵の訳 続けてます。
#陸軍戦争大学の学生研究論文も閲覧できることが判明。変革で探すと大量に
HITしました。
ここで保守ageですよ。
>535 続き Tall Afarの話など
第2歩兵師団第3旅団から第25歩兵師団第1旅団への交代の時期が近づいています。
第25歩兵師団第1旅団についてはシアトル地元各紙が式典を報道。
ということで交代前に大規模な包囲捜索作戦をしたのだろうかと思って調べて
みました。
Tall Afarのグーグルニュースでの初出は8月11日国防総省の発表でした。
その内容を以下に関連箇所のみ訳してみます。
In other news from Iraq, Stryker Brigade soldiers detained 13
suspected anti- Iraqi force members during a cordon-and-search
operation in the Tall Afar region Aug. 10. The suspects were
taken to a multinational Force facility for questioning.
別のニュースでは、ストライカー旅団の兵が8月10日にTall Afarで反イラク
勢力とみられる13名を包囲捜索作戦で拘束。容疑者は尋問のため多国籍軍部隊
施設に送られた。
#ナジャフで11MEU、同MEUの作戦統制下でイラク国家警備隊、陸軍2個増強歩兵大隊
1個陸軍航空大隊がサドル師のマフディー軍団と聖廟周辺や墓地で戦闘をしているという
ニュースの末尾に出てきています。
次は8月18日の新聞 戦死した子息の小隊にラベンダーを入れた枕を送る母親の話から
Herring's platoon was responding to a report of an improvised
explosive device in Tall'Afar on April 27. On the way, the vehicle
Herring was in was hit with a hand grenade. Herring was taken to
a hospital in Mosul, where he died the next day.
Herringの属する小隊は4月27日にTall' Afarに仕掛け爆弾があるとの知らせを
受け対応。向かう途中、Herringの乗っていた車両が手榴弾で攻撃を受けた。
Herringはモスルの病院に運ばれたが、翌日亡くなった。
Islamic online 8月21日
Najaf Shrine Handover Talks Underway
http://www.islam-online.net/English/News/2004-08/21/article08.shtml In Tall Afar, west of Mosul, the nephew of the director of a
state electricity company was killed, when gunmen opened fire
outside the home of his uncle, Beshir Mohammed, deputy Mosul
governor Hazem Kalawi said.
A medic at the local hospital said Mohammed and his son were
wounded but in a stable condition.
モスルの副知事Hazem Kalawiによるとモスルの西のTall Afarにて
国営電気会社の統括者Beshir Mohammedの家の外で銃撃を受けた甥が
殺害された。
同地域の病院関係者によると、Mohammedと子息は負傷したものの容態
は安定している。
Two killed, dozens injured in Mosul clashes 8月30日
http://www.abc.net.au/news/newsitems/200408/s1187606.htm At least two Iraqis have been killed and dozens injured in
fierce clashes with United States soldiers in the northern town
of Mosul.
Insurgents armed with rocket-propelled grenades launched attacks
on two separate US convoys near Tall Afar on the outskirts of the
city. The soldiers returned fire.
Local hospitals said 35 civilians, including women and children,
were caught in the crossfire. There were no American casualties.
北部の町モスルで米軍兵と激しく衝突し、少なくともイラク人2名が死亡し、数十名が負傷。
モスルの郊外Tall AfarでRPGで武装した内乱者が米側の別の車列二つに攻撃をかけ
米兵は撃ち返した。
同地の病院によると女性と子供を含む民間人35名が戦闘に巻き込まれた。
米側の損害は無し。
Talks under way to end Baghdad fighting, French hostages threatened
http://www.channelnewsasia.com/stories/afp_world/view/103878/1/.html n the north, two people were killed and at least 34 civilians
wounded when US soldiers battled insurgents in the town of Tall
Afar overnight, medics said.
Among the wounded were 26 women and children, many of whom were
sleeping on rooftops to escape the worst of the summer heat.
医療関係者によると、北部ではTall Afarで夜通し米兵が内乱者と戦闘し
2名が死亡し少なくとも34名が負傷。
負傷者のうち26名は女性か子供。その多くは夏の酷暑を避けるため屋上で
寝ていたもの。
30 reported killed in Iraq violence 9月4日
http://www.rte.ie/news/2004/0904/iraq.html Separately, in northern Iraq US-led forces backed by warplanes
have gone into action against insurgents near the city of Mosul.
It has been reported that at least 13 people were killed and 52
were wounded in the clashes in the town of Tallafar.
Witnesses said the fighting began when Iraqi troops, backed by US
forces, tried to conduct searches in the area.
これとは別な事件で、イラク北部で軍用機の支援を受けた米軍を中心とする部隊が
モスル付近で内乱者に対して行動に出た。
報道によるとTall Afarの町での衝突で少なくとも13名が死亡し52名が負傷した
とのこと。
目撃者によると米軍の支援を受けたイラク軍が同地域で捜索しようとしたところ
戦闘が始まったとのこと。
#反戦サイトではクルド系民兵のペシュメルガの存在を指摘しているところが
あります。一方、イラク国軍の訓練をSBCT#1がしているニュースもありました。
イラク国軍とクルド人勢力との関係はまだ調べていません。
Violence flares in northern Iraq 9月4日
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3627092.stm US-led forces launched an operation against insurgents
near another northern city, Mosul. Heavy fighting left at least
11 people there dead and 40 wounded, according to local doctors.
Most of the casualties were civilians, they said.
米軍を中心とする部隊が別の北部の都市モスル付近で内乱者に対する作戦を発起。
同地の医師によると激しい戦闘により少なくとも11名が死亡し40名が負傷。
負傷者の大半は民間人とのこと。
(この記事続く)
The bloodshed in Kirkuk followed news of clashes in Talafar, 50km
(31 miles) west of Mosul.
The US military launched an operation to root out militants in
Talafar - described by the US military as "a hotbed of anti-Iraq
activity".
During intense fighting, the US said, four insurgents were killed,
and a US helicopter was brought down, injuring two crew.
There was fierce fighting around the helicopter site, as US air
support was called in.
Local doctors said a number of civilians, including woman and
children, were among the dead and injured.
Mosul was once seen as a success story by the US, our correspondent
says, but is now the scene of frequent battles between US forces and
their opponents.
キルクークでの流血はモスルの西50km(31マイル)のTalafarでの衝突の知らせ
に続くものだった。
米軍はTalafarから武装勢力を駆逐するべく作戦を発動。米軍筋によると同町は
反イラク活動の温床とのこと。
米軍によると激しい戦闘で内乱者4名が死亡し、ヘリが不時着。乗員2名が負傷。
ヘリの不時着現場では激しい戦闘があり、航空支援が要請された。
同地の医師によると、死傷者には女性と子供を含む多数の民間人が含まれると
のこと。
BBC特派員によるとモスルはかつては米軍にとって成功例だったが、いまや
米軍とその敵対勢力が激しい戦闘を繰り広げる舞台となっているとのこと。
US military in major offensive in northern Iraq, no word on French hostages
http://www.khaleejtimes.com/DisplayArticle.asp?xfile=data/focusoniraq/2004/ September/focusoniraq_September29.xml§ion=focusoniraq
TALL AFAR, Iraq - US forces launched a major offensive in northern
Iraq Saturday against suspected militant infiltrators from Syria.
イラク Tal Afar発 米軍は北部イラクで土曜にシリアからの武装密入国容疑者
に対して大攻勢を発動。
(この記事続く)
Eight Iraqis were killed and as many as 40 wounded in the morning
operation in the town of Tall Afar west of the main northern city
of Mosul, medics said.
医療関係者によると、イラク北部の主要都市モスルの西Tall Afarの町での
朝の作戦でイラク人8名が死亡し40人もの多くが負傷。
The US Army痴 2nd Infantry Division entered the city at 8 am (0400 GMT)
to hunt down a 鍍errorist cell?and detained one wanted individual,
the military said.
軍事筋によると米陸軍第2歩兵師団は同市に午前8時(GMT0400)にテロ細胞を狩る
ため入り、目的としていた人物1名を拘束したとのこと。
the city of Tall Afar has been a suspected haven for terrorists
crossing into Iraq from Syria,?it charged.
Tall Afar市はシリアからイラクへ越境するテロリストの天国と疑われてきた
と同筋。
US tanks rolled into the mainly Shiite Turkmen town and helicopter
gunships flew overhead, an AFP correspondent on the scene reported.
米戦車はシーア派トルクメン人が多数の同町へ入り、上空を武装ヘリが飛行して
いたと現場のAFP通信員は報道。
Amid heavy fighting, air strikes were called in and a bomb was
dropped near the city, the military acknowledged.
激しい戦闘の最中、航空攻撃が要請され市付近に爆弾が投下されたことを
軍筋は認めた。
Soldiers killed two insurgents after coming under rocket-propelled
grenade fire while guarding an OH-58D Kiowa reconnaissance helicopter
forced to make an emergency landing, it added.
不時着を強いられたOH-58D偵察ヘリを守っているときにRPGで攻撃を受けた後、
兵士は内乱勢力2名を殺害とのこと。
The cause of the crash landing was still under investigation, it said.
墜落の原因はなおも調査中とのこと。
#US tankというのが不思議です。増援? それとも装甲車両全般を呼んでいる?
US Forces Kill 16 Iraqis in Mosul, Fallujah
http://www.islam-online.net/English/News/2004-09/04/article02.shtml BAGHDAD, September 4 (IslamOnline.net & News Agencies) ? Bloody clashes
erupted Saturday, September 4, between US-led forces and Iraqi fighters
in the north of the turbulent country, only hours after the US forces
raided an Iraqi army post and houses in Fallujah.
バグダッド発 9月4日(イスラムオンライン 通信社)9月4日土曜に米軍を中心と
する部隊とイラク戦士との間で不安定な同国北部にて激しい衝突が起きた。これは
米軍がファルージャでイラク軍駐屯地と家屋を襲撃してからわずか数時間後のこと
である。
Twelve Iraqis were killed and sixty others injured when heavy clashes
erupted Saturday in Tall Afar, west of the Iraqi city of Mosul.
イラクの都市モスルの西、Tall Afarで土曜におきた激しい衝突で
イラク人12名が死亡し60名が負傷。
"Civilians are being brought in into the hospital. We expect the
number of casualties to increase," Reuters quoted an Iraqi doctor
as saying.
「民間人が病院に運び込まれている。負傷者の数は増える見込みだ」とロイターは
イラク人医師の言を引用した。
A US UH-58 helicopter was also forced to land near Mosul with its
two crew members aboard injured, a US military spokesman said.
米のUH-58ヘリがモスル付近で不時着を強いられ登場していた乗員2名が負傷と
米軍報道官は語った。
He said it was not immediately clear what forced the helicopter
to land.
ヘリの不時着の原因は目下不明とのこと。
Explosions and exchange of fire were still raging in the city with
US helicopters hovering over the scene of the clashes.
市内では爆発と銃撃がなおも続いており米ヘリが衝突現場上空を飛行している。
Thirteen killed, 58 wounded in northern Iraq clashes
http://www.turkishpress.com/turkishpress/news.asp?ID=26241 AFP: 9/4/2004
TALL AFAR, Iraq, Sept 4 (AFP) - Thirteen Iraqis were killed and 53wounded in heavy clashes between US forces and insurgents in Tall
Afar, west of the main northern city of Mosul, medics said.
Dr. Fawzi Ahmed, from the local district hospital in this mainly Shiite Turkmen town, said 13 Iraqi civilians had been killed and
53 wounded.
The US Army reported three of its troops wounded and the Iraqi National Guard two.
Witnesses and police said the fighting broke out at around 8:30 am (0430 GMT) when US forces, backed by national guard troops,
surrounded two neighbourhoods and started carrying out house-to-house
searches.
Columns of smoke filled the sky as insurgents lobbed mortar rounds and fired Kalashnikovs in response to the US armoured vehicles,
warplanes and helicopter gunships, an AFP reporter witnessed.
The US Army`s 2nd Infantry Division entered the city at 8:00 am (0400 GMT) to hunt down a "terrorist cell" and detained one wanted
individual, the military said.
"The city of Tall Afar has been a suspected haven for terrorists crossing into Iraq from Syria," it charged.
Amid heavy fighting, an aircraft dropped a one-tonne bomb near the city, the military acknowledged.
Soldiers killed two insurgents and detained 18, the US military said,adding that an OH-58D Kiowa helicopter made a controlled landing near
Tal Afar after being hit by gunfire. None of the crew were seriously injured.
US forces left the town at around 2:00 pm (1000 GMT), but insurgents were hunkered down in their positions around Tall Afar for fear of
a fresh assault by US and Iraqi government forces.
13名死亡し58名が負傷 北部イラクの衝突で
AFP 2004年9月4日
イラク Tall Afar発 9月4日(AFP) 北部の主要都市モスルの西のTall Afarでの米軍と内乱者の激しい
衝突でイラク人13名が死亡し53名が負傷したと医療関係者は述べた。
主としてシーア派トルクメン人が居住する同町の病院のFawzi Ahmed博士によるとイラク人の
民間人13名が死亡し53名が負傷。
米陸軍の発表では兵3名が負傷しイラク国家警備隊員2名が負傷。
目撃者と警察によると戦闘が始まったのは午前8時30分ごろ(GMT0430)で米軍が
国家警備隊の部隊の支援を受けて二つの地区を包囲し家屋捜索を開始したときだったとのこと。
内乱者は米の装甲車両、軍用機、武装ヘリにに向かって迫撃砲やカラシニコフで応戦し空は
黒煙で覆われたとAFP記者は証言。
軍筋によると米陸軍第2歩兵師団はテロ細胞を狩る目的で市に入ったのは午前8時(GMT 0400)で
目的の人物1名を拘束したとのこと。
同筋によると、「Tall Afar市はシリアからイラクに越境するテロリストの天国の疑いがある」と
のこと。
激しい戦闘の中、航空機1機が1トン爆弾1発を市付近に投下したことを軍筋は認めた。
兵は内乱者2名を殺害し18名を拘束と米軍筋は伝え、また、OH-58Dカイオワが銃撃を受けて
制御を保ちつつもTal Afar付近に着陸したとのこと。乗員に重傷者は無し。
米軍は同町を午後2時頃(GMT1000)に離れたが、内乱者は米軍とイラク政府軍の新たな襲撃を
警戒して陣地に立てこもったままである
U.S., Iraqi Forces Launch Northern Offensive
http://www.rferl.org/featuresarticle/2004/09/8dfdab33-e7eb-4640-8cf8-0cd3542aa355.html 4 September 2004 -- U.S. and Iraqi troops today launched an offensive
in northern Iraq against suspected militants, killing at least two insurgents.
2004年9月4日 米およびイラク軍部隊は北部イラクで武装勢力と見られる者に対して
攻勢を発動し、少なくとも内乱者2名を殺害。
The U.S. military said in a statement that air strikes were called in
amid heavy fighting and a bomb was dropped near Tall Afar, some 50 kilometers
west of the northern city of Mosul.
米軍の声明によると、激しい戦闘の中で航空攻撃が要請され北部の都市モスルの西
およそ50kmのTall Afar付近に爆弾1発が投下されたとのこと。
It said U.S. soldiers killed two militants after coming under attack
while guarding a helicopter force to make an emergency landing.
また声明によると緊急着陸を強いられたヘリを警備していた部隊が攻撃を受けた後に
米軍兵士が武装勢力2名を殺害。
Unconfirmed reports said a total of eight insurgents were killed in the
fighting.
未確認の報道によると戦闘で合計8名の内乱者が殺害されたとのこと。
#9月4日の戦闘の報道はまちまちですが、多くはAFP(フランスの通信社)が
下敷きになっている模様。
DoDとイスラムオンラインとターキッシュプレスのサイトをそれぞれ
検索すると8月下旬以前からのTall Afarの話が拾えると思います。
Tall AfarについてはBBCかどこかでトルクメン人の比率は半分とする
話があったと記憶していますがソースは忘れました。
タル アファルの話は続いています。町の包囲を部分的に解除。住民には
戻ることを許された者もいるそうです。
トルコ外相の抗議が伝えられています。
タルアファルにTFオリンピアのハム准将が立ち入り。新市長および新警察署長
とともに市中心部のオトマントルコ時代の城塞にある警察署までいく。
・護衛は12両程度のストライカー
・トルコ軍連絡将校2名が同行
モスルの西部でRSTA大隊がパトロール中小火器による伏撃にあい、車長の軍曹が
戦死他5名が負傷。モスルとバグダッドの病院で手当てを受ける。SBCT#1の
死亡者はイラク展開以来これで18人目。
Kidnapped by Ansar Al-Islam: How Scott Taylor Survived and Was Saved in Iraq
h
ttp://www.antiwar.com/deliso/?articleid=3606 タルアファルの話 反戦サイトのタルアファル入りして誘拐監禁され数時間で
解放されたカナダ人記者のインタビュー。
9月4日の作戦ではトルクメン人が米軍に対して家屋捜索に難色を示したことで
クルド人部隊が投入されたということになっています。
また、イラク警察と武装勢力の関係についてもいろいろと言われています。
Kosovo: Successes and Failures of International Civil and
Military Involvement Debate held at European Studies Centre,
St Antony's, Oxford, 30th March 2004
h
ttp://www.lse.ac.uk/Depts/global/Kosovodebate.htm 今日の朝日にでていた1.5万人で軍民が協力して平和構築をする部隊を提言
と言う話を探していて引っ掛かったサイトです。コソボでセルビア系に対する
アルバニア系の迫害が起きた事件が取り上げられています。
#シカゴトリビューンもタルアファル入りしてストライカー旅団の情報将校を
もとに記事が出ていました。
ども、ご無沙汰です。
某板の某スレが祭りとなり、それの監視と適度な介入に集中していた為、殆ど軍板にくる余裕をなくしていました。
ところで、本日アリアドネンの「図説 アメリカ軍対テロ戦争部隊の戦い」を購入…
この本、やられました…すさまじく厨なタイトルで、しかもアリアドネンな為、視界から削除してたのですが…
実は、軍事研究の図説シリーズの連載の対テロ戦関連をまとめたものでした…
第9章にはSBCTの記事もまとめられております。非常に便利です。
たまたま開いたのですが、速攻買いますた(w
他にも「ベルリン陥落1945」とPANZER臨時増刊「イラク戦争」を入手
イラク戦争は前作の湾岸戦争の増刊に近い構成のようです(とりあえず買ったので、内容は良く見てなかったり(w
しかーし、なんといっても英軍の編成記述があるのが高ポイントです!(これの為に買いました→駄目人間
ああ、給料前だというのに…食費全滅
さらに、今月の軍事研究に、記事が出始めていましたが…
米陸軍の緊急派遣海上旅団ユニットに興味持ち始めています。
なんでも、装甲大隊x1、機械化歩兵大隊x1を中心に支援部隊で構成
これを補給物資などと一緒に5隻の高速輸送艦に搭載し待機させようという計画…
しかし…こんなの作ったら海兵隊の立場はどーなるんでしょうか?
そして軍事研究で「装甲大隊」と書かれていた部隊…
戦車大隊とは違うものなんでしょうか?
SBCTとの住み分けはどうなるのか?
興味は尽きません(w
Lansとしては、装甲大隊があるあたり、SBCTよりお気にになる可能性を感じています(w
いや、以前から主張しているようにSBCT内に戦車1個大隊が配属されれば、それでもOKなのですが
この部隊、まだ詳細は不明ですが、かなーり期待してます。
どうもお久しぶりです。
緊急派遣海上旅団ユニットについては初耳だったので早速調べていますが
まだ探せていません。検索すると海兵隊の話ばっかり引っ掛かります。
検索語を expeditionary brigadeとするとMEBがまず出てくるし。
JDWのサイトにいって用語を調べないとちょっとグぐるのは無理かもしれません。
装甲大隊については
BUA(旅団規模行動部隊)が確か2個大隊で大隊の中がどうとかいう話が
あった気がします。それがそのまま船に乗っている話なのかもしれません。
或いは装甲騎兵連隊の末裔というか発展型の部隊なのかも。
海兵隊の話では2002年に旅団規模の遠征部隊を派遣するという話が
出ている本が一応ありました。
>560
謎の旅団ユニットですが、実は軍事研究に略称が載っていたのですが、
立ち読みの後、忘れました(w
アルファベット3文字なのは確かなのですが…
そこで、その記事を思い出しながら書いた訳名称ですので
ぜんぜん違う名称の可能性が大です(自爆
申し訳ないっす。
後で調べて書こうと思ったのですが・・・まさか早速調べてしまうとは(汗
>装甲大隊
そうですね、装甲騎兵大隊の可能性は高いかも?
先遣部隊として装甲騎兵大隊はバランスが取れていると思います。
(そもそもの任務がそうですし)
そこに、制圧確保任務の機械化歩兵大隊が組めば、緊急展開部隊として
非常に有効だと思います。
SBCTより、重い任務にも行けます。
となると・・・
SBCTが空輸で緊急展開した後、それで足りないような場合や限定的な攻勢に出る場合などに、
この緊急展開旅団を後詰として派遣する・・・とかの想定なのでしょうかね?
軍事研究の今本屋に出ている号の海外ミリタリーニュースのところで見つけました。
ARF Army Regional Flotilla 陸軍地域小船隊 でJDWの本年7月7日号掲載
内容の要約のようです。
船はLMSR(大型中速RoRo船)が中心でこれに弾薬運搬船などが加わって
5隻。これを3つ作ることで今の陸軍事前集積船団の能力を向上させるみたいな
ことが書かれています。船団の載せる装備には飛行場の能力向上キットなども
含まれるとか、港湾アクセス向上キットみたいなのも積んでいると書かれていた
気が。ここいらはうろ覚えですが。
確かMEUの場合戦車は1個小隊だけだった気がしますが、このARFの場合は
どの程度まで考えているんでしょう。装備からすると比較的設備の整わない
港湾沖合いにて浮き桟橋を設けて装備を下ろし、内陸の空港と港湾の改修を
進めて以後の軍民の活動を助けるため橋頭堡を確保する部隊という感じが。
ちなみに補給物資は30日分を搭載するそうです。IBCTの時に言われていた
4個師団(曖昧)を30日以内に投入という目標でも出てきた数字ですが。
<ARF
その後ググッテみたところ下院軍事委員会の小委員会にて2004年3月24日で
議会証言が陸軍事前集積装備についてされていますが、その中で出てきています。
army logistician(陸軍補給)という雑誌があるのでそちらだと構想の早い
時期の形を探れるかもしれません。
>562
おお、それです。ARF。
その船団に陸上部隊は装甲大隊x1、機械化歩兵大隊x1を中心に支援部隊と供に積載というのも書いてあったと思いました。
(そんな所ばかり、覚えてる私…ああ編成マニアの血のせいか?)
あと、補給品の30日分は2.5個師団分とかも書いてあったような?
うう、昨日、食費まで投入してしまったので、買ってないんす、軍事研究(悔
昨日の夜から、備蓄食料で生きてます(まさに自爆
しかし、ARFは本気なのでしょうか?
このままでは海兵隊の存在意義が敵前上陸だけになってしまうような・・・
海兵ちん、ぴんちっ!
なんかこのスレのカキコ久しぶりだなぁ…
>>562 Army Regional Flotilla、ググるとこんなものをみつけますた。
合衆国参謀本部の計画・作戦・即応局と戦略・計画・政策局の各責
任者(ともに准将)の下院軍事委員会内即応問題特別委員会での証
言です。
tp://www.house.gov/hasc/openingstatementsandpressreleases/108thcongress/04-03-24johnson.html
なんかARFを使ってSBCTの輸送・展開も構想されているようです。
それにしてもSBCT-1の戦死者も18人になりましたか…
第4歩兵(デジタル重)師団のイラクでの死者が約1年の作戦活動で
79人。
第4師団のような重師団は治安(安定化)作戦や対ゲリラ戦には向かないとして、
SBCTに期待していた論者もいましたが、SBCTは期待通りの活躍をしているんで
しょうか。
はやくSBCT-1のAARを読みたいところです。(帰国は11月でしたっけ?)
566 :
565:04/09/23 23:37:41 ID:???
>>563 ケッコンしちゃいましたね(つД`)
(´-`).。oO(そりゃ、あの記事見りゃだれしもググってみるよなぁ…)
>>565 たぶんその死者には戦域内での事故死なども含まれていると思います。
例えば、ついて早々パトロールに出かけたら水路沿いの道路が崩れて水路に
2両が転覆、乗っていた兵士が複数名水死した事故がありました。
また、たしかプールに入っていて感電死という事故もあった気が。
一方でTFオリンピアというくくりでみるとOH-58Dが川に墜落して乗員が
死亡していますがこれなどは入っているのかどうか。
戦闘というか敵対行動による死傷者に加えて事故死の人数も出てくるし
日本にいる私でも知っているのは米国内の基地地元紙がHPを持っているおかげ
だと思います。負傷者が米国のウォルターリード軍病院にて療養中だから
義捐金をとかの記事が良く引っ掛かります。
>565 SBCT-2の先遣隊が現地に行ったという話がありました。SBCT-1が
車両を置いて帰還し、SBCT-2と車両を取り替えるそうです。旅団の規格化の
効果ということで喧伝されているのかも。
>566 議会証言によると昨年の6月には構想がまとまって陸軍の副参謀長に
出されていたと書かれています。でもLMSRだと折角の高速双胴船はどうするん
だろう。戦力投射にはLMSRで戦域内はC-130のかわりにTSV(戦域支援船)
として使うんでしょうか。
わーい、みんなでケコーン
はっ、重婚になってしまうではないか(w
今議会証言を読んでいるんですが、HEMTTってC-17で運べなかったかも。
確かそんな指摘がGAOの8月に出された報告書に載ってた気がします。
それがこのARFに積まれていることで補完できるという話が出てきました。
これらを読むかぎりでは、基本的には船舶による海上備蓄と思われますが、
わざわざ機械化歩兵大隊を含むと書かれているようなので、重装備の海上待機だけではなく、
少なくとも1個大隊分の人員は船団に乗船待機もしくは待機港湾に駐屯なのでしょうか?
今後、米軍が大規模な敵前上陸作戦を行う可能性は、そうはないでしょうし・・・
現在の海兵隊の最大の存在意義は、海軍と密接した緊急展開能力にありましたが・・・
ほんと、どうなるんでしょうか?
なんで海兵隊の拡大じゃなく、わざわざARFなんでしょう?
効率悪いように思えてならんのですが・・・
たんなる海上備蓄船団なら判るのですが・・・わざわざ大隊を乗せるとなると
ちょっくら話が変わってくると思います。
は、ま、まさか・・・いずれ統合化でもするんじゃないでしょうか?
でも、伝統を重んじる海兵が簡単に統合に合意するとも思えませんが(w
でも・・・陸軍がこれ以上に緊急展開能力拡大に注力するようなら・・・
海兵隊も吸収してしまったほうが、普通は合理的ですよね・・・
10年後、まだ海兵隊はあるのでしょうか?
もともと陸軍の事前集積装備のうちAPS-3が洋上備蓄だったのだけど
これに替えてARFを3つつくり、太平洋、インド洋、地中海に置くつもりだと
しています。
ARFについて内容は
LMSR 戦車大隊1個 機械化歩兵大隊1個 輪番制の旅団支援部隊、戦務支援部隊の装備 15日分の補給物資
LMSR 師団以上結節 軍団以上結節の装備搭載 戦域開設、維持装備 SBCTの支援も可能な装備
例えば、900シリーズのトラック、FMTV、HEMTT、PLSなどSBCTの旅団支援大隊や戦務支援中隊が装備するもの
26フィート浅水深RoRo船 人道支援 災害救援装備
弾薬輸送船
補給物資搭載船 2.5師団を30日分
#TSVや陸軍舟艇に港湾の荷揚げ機材などはARFに組み入れて使われると
書いています。(#日本とクウェートに陸軍舟艇がいると知りました)
#議会証言を読む限り戦車大隊1個、機械化歩兵大隊1個というのは従来のAPS
での戦車大隊2個、機械化歩兵大隊2個のセットとは違うセットがイタリアや
洋上備蓄では採用されておりARFはその流れを汲むという話みたいです。
#海兵隊との関係については昨日引っ掛かった本を読んでそこからという
感じでしょうか。
#海兵隊自体はリベリアへの投入やハイチへの投入をみても使い勝手が
いいようなので今後もあり続けると思います。
この議会証言を見るとCINC(総司令官)という言葉を戦域司令官に使わずに
戦域戦闘司令官と言っているあたりが面白いです。
<ARF
いま読み返したら洋上待機じゃないですね。LMSRが主体で装備を戦車大隊×1
機械化歩兵大隊×1にする。本国で普段使っている装備と同等にするなどと
書かれています。
議会証言の二つ目、JDWで取材を受けてた陸軍参謀長補佐G-4を読んでます。
他にも机上演習でARFが導入されたとか、ARFの一部として陸軍舟艇を常に
稼動状態に保つにはどうとかの話などが引っ掛かります。
・SBCT-1の車長がパトロール中に狙撃を受けて戦死
・フォートルイスに基地がある第75レンジャー連隊第2大隊の兵がイラクにて
車両運転中仕掛け爆弾により死亡
・これでSBCT-1の展開中の死者は19人に。
#陸軍第1軍団の座間移転については日本政府が否定的な意向を米側に伝える。
朝日では在韓陸軍を撤退してSBCTを戦力投射する形に切り替えるのだろうかという
見方が一部にあるとかかれていた気がします。
横田とグアムのどっちに空軍司令部が残るかについてはグアム説が正しい
感じになってきています。今月の軍事研究によるとグアム移転説の初出報道
は東京新聞とのこと。
#ちょっとkey hole positionという言葉を調べています。
錯雑地形、特に朝鮮半島のようなところでの戦車の運用について書かれた話や
第9自動車化師団の大隊長の話などで出てきた言葉で、これをきちっとおさえ
られると中対戦車防御の戦車駆逐車の話の視点の意味がはっきりとするかなと。
あともう一つはHシリーズ編制の歩兵大隊についてなんか資料が欲しいところですが。
たぶん、Houseをもう一度読むと出てくると思います。たぶん、対戦車中隊が
あったはず。M901の中隊がM2ブラッドレー導入の頃まであった感じがします。
あとは偵察と夜間浸透の話を押さえてイギリスの軽歩兵の話に繋がるかなと。
フォークランドの地上戦闘は夜間攻撃で長引くと翌日の正午あたりまで続く
感じで書かれています。パトロールについてはちょっとまだ分かりません。
おひさし。
Division86のTOE-J機械化歩兵(ブラッドレイ)大隊にも、M901x9輌を装備する
対戦車中隊は配備されてました。
M113装備の機械化歩兵大隊には、当初TOWチームを載せたM113A1が18輌。
後にM901中隊に更新されたりしてます。
どっかにあったんですけどねー>TOE-H編制表
1年前の引越しのドサクサで、ナニをドコへやったやら( つ皿T)
ぬーん、私の手元にもTOE-Jの機械化歩兵大隊しかないですぅ…
とりあえず書いときます。
大隊本部
本部中隊/大隊偵察小隊/大隊衛生小隊/大隊支援小隊/大隊整備小隊/大隊迫撃砲小隊/大隊通信小隊
機械化歩兵中隊x4
中隊本部(M2x1、M113x1)x1、機械化歩兵小隊(M2x4)x3
対戦車中隊x1
中隊本部x1、対戦車小隊(M113x1、M901x3)x4
補足
大隊偵察小隊(M3x5=(小隊本部+4個偵察分隊)、M2x1=機械化歩兵分隊)
大隊迫撃砲小隊(M577x2、M106x6=6個迫撃砲分隊)
でもって、M113装備のTOE-J機械化歩兵大隊があったりするのもヤヤコシイ(笑)
TOE-H大隊には、M125自走81mm迫撃砲中隊(9門)もあったです。
確か
・大隊本部(M106x6)
・3個機械化歩兵中隊
・対戦車中隊(M901x9)
・迫撃砲中隊(M125x9)
という編制だったと。
どうもお久しぶりです。フォークランドを地道に進めながら脱線して
アンチアクセス戦略(要するに戦力投射の基盤を覆す戦略)についての話を
読んでいます。あとはガントラックの話をglobal securityで見つけたので
これも読んでます。もともとはcallの資料ですがこちらでネット公開されて
いました。
ガントラックについてはベトナム戦争の時の話もありそうですが。
<TOE-J
M2ブラッドレーもTOW装備、M901もTOW装備ということでかぶってしまうんですよね。
専任で対戦車をするにしても他の歩兵中隊と能力が同等というのは大きいかも。
迫撃砲については昔の編制のほうが数が多いですね。M106は107mm
http://www.inetres.com/gp/military/cv/arty/M106.html SBCTの場合は120mmが4門で口径は大きくなっていますが数は減っている。
MGSが迫撃砲を補うという話を上のほうでどなたかしてましたが
昔の編制なら無反動砲があったかも。
機械化大隊の対戦車中隊を削る決定がされたのは1994年の秋だそうです。
ITV(#M901のこと)については1990年に能力不足という指摘がされ、
M3で更新すべきではという意見があったようです(元ネタ未読。
>M901とM2@TOW
M901はアウトレンジな対戦車車輌、M2は近接戦闘車輌なわけで、運用が違うわけです。
距離にして3000m位違う場合があるにょ。M2のTOWは、基本的には自衛用ですから。
上のM113配備なTOE-J大隊には、機械化歩兵小隊に2輌のM901ITV班があったりしますが(笑)
>ITV(#M901のこと)については1990年に能力不足という指摘がされ
M113系は、湾岸戦争で機動力不足が指摘されましたからねぇ。
M3で更新すべき、というのは、再編に伴う"ブラッドレイ余り"も一因かもしれないです。
>SBCTの場合は120mmが4門で口径は大きくなっていますが数は減っている
Force XXIでは、機甲/機械化歩兵大隊も同様ですね。
臼砲なんかは、SBCT大隊なら重迫中隊があっても好い、とか思うわけですが。
いや、HNが臼砲だから、てワケでも無いんですが(笑)
HからJへの移行では、基本の機械化歩兵中隊の数自体が変化している点も見逃せないと思います。
Hでは機械化中隊x3 迫中隊x1 対戦車中隊x1ですが
Jでは機械化中隊x4 迫中隊x0 対戦車中隊x1になっています。
つまり支援火力としての迫中隊を削り、近接戦闘力としての中隊を強化してる訳です。
ですが、この裏には、M113からM2への変換による、車両あたりの歩兵数の減少
そして、逆にM113からM2への変換による支援火力の増大があると思います。
H時代のM125は82mmなので、機械化部隊の支援火力としては、いささか不足を感じてしまうと思います。
しかし、M2に車両が交代すれば、その火力は25mmチェーンガンとなり
下車歩兵への火力支援として、また対軽装甲車両に対して、かなりの効果を期待できます。
そうすれば82mm迫よりは、M2+歩兵の増量の方が、運用の柔軟性および継戦能力の増大に繋がる
そう考えられたのではないでしょうか?
ちなみに120mmクラスの迫撃砲の増加は、私も賛成派
ですが、120mm重迫と120mmMGSどちらが支援火力として有効か?とか考えると…
正直、微妙に思えます。
ただ、120mm重迫のほうが、確実に運用は楽だと思いますが(w
M901についてネットで拾った掲示板の書き込みによると
1980年代のM113装備歩兵大隊には
戦闘支援中隊に1個12両編制対戦車小隊(中尉指揮)
3個列線中隊−武器小隊−1個2両編制対戦車班
大隊合計で18両
師団86編制
1個対戦車中隊(4両編制3個小隊)
4個列線中隊−1個2両編制対戦車班
実際の運用では多くの部隊、例えば第24歩兵師団などではITVを全て対戦車中隊に組み込み、
2個6両編制小隊+1個8両編制小隊にしていた。
ブラッドレーが配備された後もM901は保有し続けたが余分であることが明らかとなった。
加えて、もともとM901は機械化歩兵戦闘車両/ブラッドレー戦闘車両ができるまでの繋ぎとして
出てきたのであった。
整備にとって悪夢だったが、M901が更新したM220 TOWCAPよりは良かった。
(両上は開け放しの防弾布に囲まれているだけのM113改良型の後部の足掛かりに立ちたいですか)
第一次湾岸戦争でM901をあまり見かけなかったのは起倒式砲塔を立ち上げたままにしておけず、
走行間射撃ができなかったことと後ろについていくのに大わらわだったことが原因である。
イラクの自由作戦では既にお払い箱となっていた。
M981 FISTはM901 ITVの派生型。これもM7A1ブラッドレーFIST Vがイラクの自由作戦で登場
するまでの繋ぎである。
どこも凄くはないが、それなりの流儀で働き、ジープ搭載TOWよりはましだった。
M901がM2導入により余剰となるのはM2装備中隊や小隊同士が相互援護したり、
これまでのM113では対戦車火力に欠けるとして送れなかったところに行かせたり
できたということはあるんじゃないかと想像しています。
大隊指揮官からすると、歩兵中隊の数も増えて対戦車火力も一応あるし
対戦車中隊を作戦上頼らずとも良くなったということかもしれません。
かといって対戦車中隊を核にもう1個中隊戦闘団を作るには色々と
不足しているし。
ここいらについては元ネタのレポートを要約してみます。
TOWの射程は3750mと90年頃の資料でも言っています。確か改良されるにつれて
公称射程は延びた気がするんですが。
でもM3で対戦車っても、TOWの再装填大変そうですな。
>TOWの射程向上
ワイヤ引っ張って(というか置きながら)飛んでいくんで、ココが改められないと、
そうそう射程延びないんですな。
最新型でも3750mと記憶。ワイヤレスタイプも開発中とか。
>M901御払箱
ああまで圧倒的な数的優勢を誇った、ワルシャワ条約機構軍の消滅があると思いますね。
それが今やタスクチームに編合されるMBTだけで足りるし効率的、と。
M901のような単能車輌は、効率化の過程で淘汰された、という事でしょう。
FORCE XXIは機甲大隊も機械化歩兵大隊もシンプルに3個中隊で、M1、M2とも44輌づつ。
湾岸戦争でのブラッドレイに関する教訓は、といえば、先鋒は任せられないという事になるですかね。
MBTが盾を務める必要性が周知されました。(それが間に合う規模の紛争ですたし)
海兵隊のLAV-ATは、イッパツ見せ場がありましたけどねー(笑)
と放言しつつ。元ネタのリポート、心待ちにしておりますm(_ _)m
>586
<M3で対戦車
最近のARMORにM3の降車偵察班の訓練でもまずTOWの再装填作業が多いけど
実際には夜間浸透や対偵察では貴重な戦力だからと言う話でいろいろ訓練や
運用のことが書かれている記事がありました。
<TOW
コモンミサイルというのがどこまで構想が進んでいるのかちょっと不明です。
IBCTでも対戦車中隊はヘルファイア装備の話が出てきた資料がどっかにあった
のですが。
<M901の退役
M113装備機械化歩兵大隊を根幹とする任務部隊でもM901は活躍していなかった
と元ネタを読み返すとありました。正確には活躍の場を与えられていない
という感じです。対抗部隊の編制がソヴィエトの自動車化連隊なので
一応ソヴィエト崩壊とは関係ないかもしれませぬ。報告書の時期は
1990年10月。イラクのクウェート侵攻が8月上旬。第24歩兵師団がサウジに
ついた頃くらいでしょうか。82、101、アラブ湾岸諸国軍、それから海兵隊と
24位かな。ここいらはちょっと曖昧です。エジプトは部隊送ったんだった
かな。M1導入が湾岸後だった気がします。
<展開速度
96時間で1個旅団。30日間で4個師団の目安は見直されるという話が議会証言
で出てきました。30日で2.5師団で、96時間は1個大隊くらいでしょうか。
良スレ保守
>展開時間
96時間で1個大隊では展開部隊として少ないのでは?
1大隊では展開しても可能行動にも限界ありますし、
やはり旅団戦闘団を基本に考えたいところ…
という事で
最初の168時間(1週間)で1個旅団戦闘団
30日(1ヶ月)で2個師団+軍団直轄&支援部隊
(通常、2個師団で1個軍団を組む場合が多いので)
と予想してみまつ
(実は、よく見ると書き方が違うだけで量的に名無し氏と大して変わらない罠)
>活躍出来ないM901
戦線が動き出すと使えないんですね。
怒涛のWP機構軍の第一波をガクブル(((;゜д゜)))で待ち構えつつ、敵方斜面陣地あるいは
稜線射撃で、突進してくる敵戦車を漸減するのれす。
こっちから打って出るとなると、不期遭遇戦にでもなったら、まさかその場で停止して
ランチャー上げるわけにもいかず。
それでも戦車の展開規模が限られる海兵隊あるいはSBCTだと、LAV-ATやストライカーATGWが
登場するわけです。この場合、ストライカーATGWがヘルファイアだろうがLOSATだろうが、
本質は変わらないはずです。
対抗部隊がソ連式なのは、想定戦場規模の大小には関らないんじゃないでしょうか。
いや、元ネタ読む事などかなわないので、どういう文脈で書かれてるのか知らずに
発言してるわけですが。
ひょっとして臼砲、SBCT太郎氏のキルゾーンに嵌りつつあるのでしょうか。
稜線ごしにランチャー上げて見るM901の気分(笑)
>展開時間
有事の際の米軍来援の意思より、能力が心配になって来ましたな(苦笑)
大読売新聞によると、「米軍の再編が、極東地域の軍事力の空白につながってはならない」そうで。
どうやら日本は、その責任から無条件で逃れられるとでも思っているようで・・・・・・(-.-;
591 :
太郎:04/10/05 15:05:36 ID:???
<M901
背景には対抗部隊のTOW搭載ハマーは戦闘に寄与しているのに、M901は総じて
戦闘に影響を与えていないと言う講評がたびたび仮想敵対抗演習の訓練部隊に
与えられたということがあると書かれています。これを裏付けるデータをまず
固めて、ついで訓練部隊の出した作戦命令、関連する教義などを調べていました。
第9自動車化師団は当時解隊される過程にあったはずですが、自動車化の経験
で大隊長が書いていたのとおそらく似た戦術を対抗部隊側が取っているのが
とても興味を惹かれました。
M901は確か起倒式ランチャーを立ち上げるのに分単位で時間がかかり、
かつ走行中は立ち上げたままで走れないそうです。
また、戦力の集中の観点からoverwatchに頼りすぎると逐次投入を招く
という批判の論文を参考文献で引いています。直接にM901を指している
わけではないですが、TOW搭載ハマーでは突撃ができないのは同様だなと
思います。
<展開時間
1個大隊が96時間というのは各種の展開速度についての報告書で
可能な線としてあげられている数字なのでそのまま、30日で2.5個師団は
ARF(陸軍地域小船隊)の補給物資の数字からそのまま持ってきました。
展開については、対象となる地域での同盟国、基地提供国に対する
政治的、外交的、心理的な様々の手段を駆使する戦略が注目されるとランド
の報告書は言っています。
とはいえ、展開というか戦力投射については昔から米軍には制限が
加えられてきたわけで。
例えば、80年代のトリポリ爆撃作戦ではイギリスからのF111がスペイン
上空を通過できずに大回りしたとかです。
Raids Focus on Insurgents South of Baghdad
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A7898-2004Oct5_2.html バグダッドから南のユーフラテス川に掛かる重要な橋を
ストライカー装甲突撃車両にのった約600名の米兵が確保 とあります。
#SBCT-2がクウェートに向けて出発したことが報道されているので
SBCT-1の部隊だと思います。2紙で書いているから海兵隊のLAV-25とは違う
んだろうし。1個大隊程度が派出されているんでしょうか。600名というと
RSTA大隊(偵察捜索目標捕捉、つまり騎兵)の規模が近いはず。ここは
確認しないとだめですが。ただ、戦地に長い間駐屯しているので歩兵大隊も
それなりに人数は減っているのかもしれないし、そこいらはちょっと不明です。
>展開時間
そうかARFもありましたね。
ではそのあたりを考慮すると…
96時間(半週間)1個大隊=緊急派遣として空挺1個大隊、もしくは海兵大隊ユニット(地域・状況によって選択)
168時間(1週間)1個旅団=先遣部隊としてSBCT、もしくはARF派遣(地域・状況によって選択)
30日(1ヶ月)=主力として1個軍団到着(上記部隊に加え、新たに2個師団の派遣)
(受け入れ態勢や補給物資はARFで前送・準備済)
合計2.5師団相当の部隊となります。
こんな感じで考えるとバランスよさげに思えます。
596 :
太郎:04/10/07 15:32:38 ID:???
<展開時間
一番先に動くのは海兵隊か、空挺師団の即応指定旅団かもしれませんね。
第82空挺師団は1個旅団を輪番制で即応指定していますし、ボスニアなど
欧州軍の戦域内だったら、第172空挺旅団が出る可能性があると思います。
ただ、第172空挺旅団がイラクのクルド人自治区の飛行場に空挺降下した
ときは米本土からのC-17に載せてでした。出発飛行場も駐機場をC-17に
譲るために戦闘機部隊が他に移動してたという話がありましたし。
第172空挺旅団については欧州軍独自の情報システムや、編制内に多数の
車両を装備するなどしているという話がありました。
#同じように地域軍独自の計画ということでは、USFK(合州国在韓国軍)
が120mm砲弾で対コンクリート弾とキャニスター弾を開発、配備したという
ニュースがG2milで紹介されていました。120mmHEAT弾のプローブを取り除いて
金属製の帽子をかぶせてやり、コンクリにのめりこんだところで起爆する弾と
タングステン球を多数発射する弾です。後者は建造物に対しても付随的被害を
局限しつつ使うことができると書かれていました。
これで、ストライカーの機動砲型の105mm砲以外に120mm砲装備のM1戦車も
壁抜き能力を持つことになりますね。
<陸軍第一軍団の座間移転
今日付けのワシントンポストだと第一軍団はでてこず第一軍が移転する案が
あると書かれています。
Japan Plans to Press U.S. on Troops
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A9634-2004Oct5.html 米陸軍は野戦軍を実質的に廃止(ベトナム戦争のあたり)して、
いまある第一軍は予備役や州兵の訓練支援を統括する大陸東部の管理組織という
印象がHPではあります。司令官は中将。日本の新聞では毎日、朝日とも第一軍団
の座間移転案を報道しています。
ということは、第一軍が在韓米軍と同様に第一軍団の上に来る形で座間に来る。
陸軍の将官、たぶん大将が米軍と自衛隊との窓口を代表する形になることを
構想しているんでしょうか。
陸軍の軍団は例えば欧州には第五軍団が居たりするので海外駐留は
ありえると思うんですが。
維持レス。M901の話の要約をしつつ、フォークランドを訳して、
SBCTの話をさがして議会証言を読んでいます。
国防総省には役職がたくさんあることにきづいてちょっとびびっています。
太平洋軍司令官に空軍大将が推薦されたら、ボーイングのタンカーリース
疑惑でマケイン議員が反対して辞退したという話でもともと読み出したんですが。
国防長官 副長官 次官 統合参謀本部議長 各軍長官 各軍参謀長
他の地域軍司令官との関係を質問状で準備した回答を読んでいると
ゴールドウォーター=ニコルス法というのを実際に読まないといけないかもと
感じたり。
U.S. Forces Capture Insurgents' Weapons
http://www.nytimes.com/2004/10/07/international/middleeast/07raids.html SBCT大隊のバグダッド南方での包囲捜索作戦に同行したと思われる記事
・文中に大隊長の中佐や大尉が登場、車両数が72両とあります。
・ブラッドレーと比較して走行が静粛であり、夜中に街中を移動しても
住民を起こさないと賞賛されています。
#大隊一部ではなくて1個全部が出された模様。
#SBCT-1から最初の一人が帰還したというニュースもあり
11月にSBCT-1帰還と書かれているのですが、1月の総選挙まで延びるんでしょうか。
#ストライカーは車体上部のハッチが地面から高いところにあり、車体幅も広い
ので路上に置かれた爆発物に対してハマーよりも上半身を出して警戒している
機関銃手が負傷しにくいかも。
保守
#今月の軍事研究、石川巌さんの記事が座間移転を取り上げていました。
軍団がくるかどうかについても推察しているところがあり、軍と軍団についても
その違いを第1軍団や在日本米陸軍を中心に解説していました。
記事中で空軍大将が太平洋軍司令官に推薦された意義について触れているくだりが
ありました。これまでは海軍の地位だったそうです。本人辞退ということで
次はどうなるんでしょう。
韓国では自国内の米軍が日本から指揮されることへの懸念も報道されて
います。
その韓国はクルド人自治区に大規模な部隊を派遣。式典が現地で開かれた
そうです。
#在韓米軍司令官の議会証言をみると基地の移転と兵舎の立替えが平行して
行われている模様。また、パトリオットを韓国がドイツから購入するまでの
繋ぎとして韓国にあらたに大隊が展開し、これまでの部隊と統合して旅団を
作るそうです。
#記事中で一番目を引いたのはフォートルイスに防衛駐在官がヤキマの使用
について連絡のため常駐しているという話でした。フォートルイスの地理に
ついても触れられていました。
>601の路肩爆弾による攻撃について戦死者の姓名が地元各紙に掲載。
総合すると状況は以下の模様。
攻撃を受けた際の任務などについては
モスル市の主要道路交差点のある地区で遠隔路肩爆弾の操作がされていると
みられる建物を強襲。その帰路でという話と
月曜の午前のパトロールからの帰路でという話があります。
ストライカー3両の車列の1両目と2両目の間に野菜を積んだトラックが割り込み自爆。
2両目の車長が戦死。同車の操縦手が重傷。つづいて小火器による銃撃があった
とのこと。負傷者は二つの旅団からでており、全部で9名。うち3名は重傷。
車長は車長ハッチから上半身を外に出した姿勢だったとのこと。
所属は第14騎兵連隊第1大隊でSBCT-1のRSTA大隊。
この強襲はSBCT-1がSBCT-2との合同任務で帰還前にSBCT-2に対する訓練
だったと書いている地元紙もあります。
#地元紙は戦死者の義父とarmytimesのモスル在記者に取材。
帰還したら8ヶ月の休暇で旅行の予約もしていたということや人柄に経歴
(卒業した高校名など)などが取り上げられています。
本日の産経新聞に興味深い記事が…
4/2バグダットから南方30Km付近のユーフラテスの橋梁し進んだ第3師団の先鋒は橋に着いた時点で
カタールとクウェートの司令部からのイラク軍に関する情報が全く入らなくなった。
その後、3日未明になり、戦車など約30輌を伴う5千から1万のイラク軍が目視され、
米軍側は当初なすすべもなくイラク軍の猛攻に遭遇した。
というものです。
司令部と前線の間には「情報格差」が存在したと指摘、戦車や装甲車は走行中にコンピュータによる情報受信が出来ず、
いったん侵攻を停止して情報収集をせざるえず、その間にイラク軍の接近を許すケースもあったとあります。
また、通信帯域幅やソフトの問題で、情報のダウンロードに長時間が必要だったり、
一度、前線のコンピュータシステムがダウンすると10〜12時間も回復できず、情報の空白が生まれたともあります。
このような経験から、前線指揮官の中には
「最先端のITはイラクの前線の戦闘では、ほとんど役にたたず、日ごろの戦闘訓練や高性能の火器、航空機による近接支援が最も有効」
と従来の戦術の重要さを再認識するよう強調している。
と記事を締めています。
この機密報告書は「ランド研究所」が米国防総省の委託でまとめたとあります。
>605
情報有難うございます。早速探してみました。
恐らくその元記事がこちらです。前線というのは大隊長のことみたいです。
司令部は必要な情報は入手しており満足していたのですが大隊長までは
降りてこなかったという話です。
この話はバグダッド市内にサンダ-ランを仕掛ける直前の時点で、バグダッド
とカルバラ間の最後の地形障害である川に掛かる橋を確保したところ
イラク軍1個旅団が来るがその中身について情報が手に入らない状態だったのが
蓋をあけてみたら3個旅団を戦車20両、ブラッドレー14両で迎え撃つハメ
になったそうです。
ランドの報告書については元記事の著者らはみているとのことです。
報告書を取りまとめた研究員にインタビューしていたりします。内容の多くが
非公開指定だそうです。これはランドの報告書ではよくあることみたいです。
アンチアクセス戦略についての報告書でも各想定毎に非公開の報告書があると
いうことが触れられていました。
国防総省の委託についてはランド内に各軍種に応じて契約のもと研究する
センターがあり、陸軍の場合はアロヨセンター(読みはこれでいいのか不明)
が行っています。
http://www.technologyreview.com/articles/04/11/talbot1104.asp?p=1 #ちなみにこの記事を紹介する形で米紙でも報道しているところがありました。
#今軍事研究で図解を大量に入れてOn PointとThunderRunなどを底本に
してイラク戦争の戦闘の経過を追う記事が連載されています。
この目標ピーチでの戦闘はたぶん来月か再来月あたりには掲載される
ような勢いだと思います。
バグダッド南、西、北にそれぞれ地域目標を設定して包囲する話が
あってその中で旅団の通過に必要な橋梁を確保するという流れだった気が
します。
維持レス投下。
#M901が開発されているあたり、DRS(師団改編研究)が行われていて
自動車化師団に繋がる高度技術実証師団が作られかけていたころはTOWの
長射程、高命中率(8割)がもてはやされていた時代だったのかも。
重対戦車中隊という話を読んでいるとTOW発射器を132とか142とか持った
編成の大隊が構想されています。当時の師団内にあるTOWをどう集中して
運用するのかという話みたいです。
ちなみにTOWの射程は地上発射型の場合3000mと公称されていました。
後々3750mまで延びる模様。
#またも閑話休題
本日のニュースステーションにて第1軍団を取材、最新鋭部隊に迫る
と出ていました。
高確率でストライカーが登場すると思います。
装備はSBCT-1とSBCT-2で人員のみの入れ替えだったので部隊練成で
普段より使用は激しかったもののまだ新しい奴だと思います。
人員はSBCT-1の人員は既に一部が帰還しているものの、取材時期も
あるのでSBCT-2でしょうか。アラスカの部隊が装備受領前に部隊単位で
来たりするんだろうか。TVが見れるところに居れたらなぁと思います。
#ニュースを見ているとモスルばかりでなくクウェートでもストライカー
関係の契約が実施地に含まれているものがあります。なので、クウェートでも
一部整備を行っている可能性があります。
とすると、部隊の分遣以外でイラク中央部や南部でストライカーが幹線道路
を走る姿がみられているんでしょうか。それとも、C-17に載せて戦域内でも
輸送しているのだろうか。
>611 ありがとうございます。早速DLしました。
朝日新聞の自衛隊連載物と微妙に内容が一致するシリーズ物みたいですね。
ヤキマの演習も見られるとは思っていなかったです。
感想
レポーターが詳しく紹介した車両は偵察型だと思います。車上面の装備が
LARS3でした。このスレでも上のほうでたぶん張ってあると思います。
h
ttp://www.raytheon.com/products/lras3/ また、将官が二人登場しましたが二人とも星二つ。
准将、少将、中将、大将、元帥と星が増えるので少将ということになります。
このうちパーキンス将軍は在日の司令官ということでしたが朝日の取り上げ方
ではマッカーサーと印象がかぶさるようで損していますね。中将じゃなくて
少将だったのかな。ちょっと調べてみる必要が。
さらに歴代司令官の肖像写真か肖像画のコーナーらしきところで
日本占領期を日本占領だけとりあげてみたり、細かいところではしょるのは
ちょっと残念です。
そして「21世紀の軍隊」として、ストライカーは取り上げてもUnit in Actionは取り上げない、というオチ(笑)
>614 最近 BUAなどは全然見て無かったです。
>613 考えたら本当に日本占領の際の写真なのかもしれませんね。
歴代の司令官の肖像なら司令官室の中に飾りそうな気がします。
ストライカーが少しだけ出てくる記事で面白いのがあったので以下に貼ります。
ナジャフ包囲のときストライカーをふくむ車列がバラドから出ていたと思いますが
そこいらの事情を伺わせる記事です。
内乱により軍事の補給計画に支障
改善しつつあるものの、軍は兵を装備する目標達成になおも苦心
John Hendren and Mark Mazzetti ロスアンジェルスタイムス記者
2004年10月19日 ワシントン発
戦前に内乱が長引き激化することを予測できなかったことで軍はイラクでの戦闘に必要な
装備を全て供給するのに苦労していると、軍事筋は月曜に語った。
イラクの地上司令官が上官に不足について不満を述べた昨年12月以降陸軍は兵士の装備供給に
かなりの進展があった。しかし、侵攻後についての予測では米軍部隊に対する襲撃が長引くこと
は含まれておらず、補給計画者らはイラクの道路がさらに危険になりつつあるなか兵士へ装備
を届けようとして一層の苦労を強いられることになった。
内乱により部隊装備に陥穽があったことが明らかになったと、陸軍の補給を監督するさる
高官は述べる。
「戦域での通信、基盤には問題があった」ヴァージニア州フォートベルボアの
陸軍資材集団で支援作戦を統括するGary Motsekは言う。「我々がしなくてはならないと
考えていたことに基づいて予想したよりも明らかに戦争は長引いており、それに戦争の
性格も変化している。」
最も目に付くのはボディアーマーと車両の装甲が不足していることだった。
1月にはイラク内の全米軍兵士がボディアーマーを持ち、修理を必要とするハマーの数は
昨年冬以降数百両からゼロへと低下したものの、なおも多数の車両には装甲がない。
国防総省の今後出される研究によると、激しい使用によりヘリ、ハマー、戦車の重要部品は
慢性的に不足しているとのことである。
「戦域からの要求は何度も、何度も変わる」と部隊即応と取り組むある陸軍高官は述べる。
「18ヶ月前には我々は今ごろイラクから退出していることになっていた。なのに
なんとも多額の購入をしていることか」
補給問題が脚光を浴びたのは先週、陸軍予備役部隊がイラクで、食糧、燃料その他の補給を運べ
との直接命令を拒絶したことがきっかけである。サウスカロライナ州の第343補給中隊は
燃料トラックの状態が劣悪であり装甲車両の護衛がなくては自殺任務をやれと命じられている
のだと考えたと部隊の家族は述べる。陸軍は調査を始めている。
陸軍高官によると、部品と装備の備蓄を改善し、戦車やヘリの稼働率を飛躍的に引き上げ、
新たな補給が届くまでの日数を短縮したとのこと。とはいえ、分野によってはなおも
目標に届いていない。
重要装備を戦場で届けるのに掛かる日数は昨年12月時点の53日から先月は24日へと短縮
された。が、陸軍の目標は14日であり、達成できない主な原因は内乱勢力が中心的な
戦略として路肩爆弾やRPGで補給車列を攻撃しているためである。
対策として、陸軍は修理をイラクでこれまでよりも行うとともにクウェートに部品を備蓄
している。クウェートからの危険な800マイルを辿る部隊や契約業者の数を最小限度に押さえる
ため、イラク中央部および北部への装備はバグダッドから車で1時間のバラドにある配分センター
へ空輸される。道路は安全でないとみて、海兵隊は装備をイラク中央部に直接空中投下し
始めている。
イラクの内乱の激烈さはペンタゴンの計画者が当初予想していたよりも装備を疲労
させている。
未公開の「装備疲労研究」によると、タイムス記者にはその一部分が説明されたのだが、
国防総省のトラック、戦車、ヘリの通常の疲労に対処するのに年間ざっと960億ドル掛かる。
陸軍の装輪ストライカー車両は現在イラクに展開しているが、月間の走行平均距離は
1200マイルである。これは予想平均208マイルのほぼ6倍である。
ハマーは訓練時と比較して6〜8倍、ヘリは通常と比較して2〜3倍だと高官は述べる。
同研究によるとM1戦車とブラッドレーの履帯通常の4倍交換されているとのことである。
内乱勢力が攻撃を激化させるについて酷使されるようになったにも関わらず、陸軍資材
集団は稼働率を飛躍的に上昇させることに成功している。
当時のイラク地上司令官陸軍中将Ricardo Sanchezが2003年12月4日に上官への手紙で不足を
訴えて以降、チヌークの稼働率は目標の75%を超えて73%から78%へ上昇。ブラックホーク
UH-60Aは同じ期間で66%から80%へ、Sanchezが不平をもらした対迫レーダーTPA-36とTPA-37
については86%から100%へと上昇したとMotsekは述べる。
陸軍補給処でゼロ勘定、つまり保管されていない物品の率は昨年の25%〜40%から今年は
平均14%へと低下、これは平時目標の10%をわずかに上回るのみである。
軍事高官は陸軍の目標では装備について100%の稼働率を求めてないことを強調した。
また、外部の専門家は、大きな軍事衝突では必ず司令官は状況の変化に対応して装備更新を迫られる
ことを指摘する。
イラクの米軍のおよそ40%を占める予備役は現役よりも装備要求では優先順位が低かった
ことをペンタゴン高官は認める。911攻撃以前にはペンタゴン内に予備役の装備を現役の水準まで
引き上げようとする動きは全く無かった。
そうするには現在、数年の期間と数十億ドル掛かるとのことである。「予算では予備役の
順位は低かった。今や予備役は高い優先順位の役割に用いられている」とある陸軍高官は
匿名を条件として述べた。「イラクへいく次の輪番部隊でも問題は解決できそうにない。
不可能だ。」
とはいえ、目下の状況は戦争開始時よりもはるかに改善されている。開始時には
多数の部隊で装甲板が無く、ドアも天板も装甲されていないハマーが支給された。
兵士は間に合わせで車両に鋼板を溶接して装甲にし床板には砂嚢を並べた。徐々に
陸軍は特殊な装甲キットを部隊に支給したり、非装甲車両を装甲型に更新してきた。
5ヶ月が過ぎた時点でも、カリフォルニア州兵の1等軍曹Paul Balbaによると、彼の中隊は
補給車列や重要人物の武装警護にあたっていたが、部隊のハマーの大半は完全に装甲
されていたが、全てではなかったとのことである。
#ランドの報告書の要約はあと少しなんですが普段やりなれてないことなので
教義について報告書が言及しているところで躓いています。雑駁なまとめ方
をすると、攻撃についてはそもそも教義では触れておらず防御についての記述を
応用する他無く、火力支援と援護監視は隊攻撃隊形での対戦車中隊の位置は後尾
にされることが多く、前衛に対して援護を与えられる位置につくことは少ない。
ということです。
ただ、取り上げられている教義をそれぞれグローバルセキュリティに出ている版
で読むとTOWについては集中運用と火力の配分(目標をダブらせない、敵全体を
包み込む、大隊と地形分析してキルゾーンを調整する)ことが重視されている気が
してきます。こうなると、この報告書で参考に取り上げられている援護監視について
とりあげている記事のほうがより適切なのかも。
10月14日に陸軍がMGS(機動砲)型の初期低率生産を承認したとのことです。
カナダのMGS導入する構想も生きているようで実現性研究の契約をしたとGDが
発表したとの事です。これで全10派生型全てが全率生産か初期低率生産に
入ったと報道発表に書かれています。
#たしか、8月末のGAOの報告書では対戦車型を6個旅団分作ってしまって
MGSの代替車両にしていたようです。
#歩兵輸送、迫撃砲搭載、指揮、火力支援、偵察、救急、対戦車、工兵、MGS、NBC
で10なのでいつのまにかNBCも生産に入っていたことに。
#イラクにはMGSとNBCは配備されていないはずですし、戦地にいくSBCT-2も
MGSの訓練は受けていないでしょうけどこれはどうなるんだろう。C-17で車両を
送り込んだりするのかな。
#報道ステーションの特集では鳥篭装甲をフォートルイスにいる車両も付けていた
のを思い出しました。
やっと訳せたので以下にはります。
massというのを物量なんだけど集中にしたり、指揮官と参謀のあたりで
よく意味がとれていなかったりするんですが、S3 Airというのは作戦航空参謀
なのかも。ほかにおかしいところはキラー戦車ですね。killer tankを指名
しておくという話でこのキラーを日本語にできなかったです。
1989年ミリタリーレビュー 6月号
攻撃の失敗と援護の欠陥
攻撃における集中と速度の不足
攻撃は敵推定陣地に対する強力な準備砲撃で開始された。
青機械化任務部隊(2個戦車戦闘団、2個機械化戦闘団およびM901中隊)は
旅団攻撃の初期突破を果たすべく時刻丁度に出撃線を越えた。
後続の機甲任務部隊は機械化任務部隊を超越して戦果を拡張し
敵自動車化小銃大隊(MRB(-))を覆滅する準備を終えていた。
にもかかわらず旅団攻撃は各個撃破されてしまった。
機械化任務部隊は敵防御をわずかでも突破する前に敵戦車7両
により撃滅された。機甲任務部隊は別の経路に転じなければ
ならなかった。そして、自動車化小銃大隊の残余に撃破された。
各大隊の攻撃の時間差があったので敵車両は再配置することが
できた。赤障害には遭遇せず、赤砲兵による青損害は最低限度
だあった。つまり、集中の原則に反したことで逐次攻撃に
つながり撃破されたのである。
赤指揮官が主導権を得たのは青部隊が決定的な時点に
戦闘力で防御側を圧倒することに失敗したためである。
準備陣地から防御側は多数の青車両を撃破し、青が対応する
暇を与えたがため後続の青部隊を撃破するため戦車と機械化歩兵
を再配置することすらできた。躊躇い勝ちな、或いは逐次の
投入で赤部隊を陣地に拘束し火力と衝撃で圧倒することに
失敗したため対応する時間が得られたのである。
防御側の当初の戦闘外哨−戦車3両−が一度に2,3両ずつの集団で
来る青の先導2個中隊戦闘団を撃破。濃い煙と青砲撃により
戦車3両はようやく後退。青機械化任務部隊は遅々とした
逐次攻撃を続け赤部隊の前衛中隊の戦車6両に撃滅された。
以下の議論は以上のような敗北の原因を分析していく。
残念なことに青攻撃の敗退は仮想敵対抗演習場でも陸軍
戦闘訓練仮想システムといったコンピューターシミュレーション
でもごく日常的におきている。ランド研究所の最近の研究では
仮想敵対抗演習場での青攻撃52回中成功したのはわずか13回のみ。
ランドの研究では成功を青部隊が任務地形目標にある程度の
戦闘力を保ったまま位置することとして判断している。
任務、敵、地形、部隊、可能時間の要素はいかなる戦闘作戦
においても慎重に考慮しなくてはならないことは周知のことである。
どんな戦技でもあらゆる状況でうまくいくわけではない。
本記事で論じる集中と速度の要素はあらゆる型の地形に適用できる。
とはいえ、任務、敵、地形、部隊、可能時間の他の要素によっては
他の戦術策が必然となることもある。明らかであるのは、任務、敵、
地形、部隊、可能時間により必然でないにも関わらず過度に援護に
依存するのが今日の陸軍においてあまりにも日常的な慣例となって
いることである。過度に援護に依存することが戦力の逐次投入と
攻撃の失敗に繋がることが大変に多い。
遅々とした逐次攻撃を構想する指揮官などいない。部隊の壊滅を
前提として立てられる計画などない。にもかかわらず敵防御に対し
集中と速度を用いることができないため成功できないのである。
攻撃における速度と集中
自部隊の移動の速度と組織だった統一性が決定的な要素である。
エルウィンロンメル
旅団階梯以下においては速度と集中は攻勢作戦の決定的要素である。
現代の戦場の状況は戦術防御側に大きく有利である。対戦車誘導弾と
戦車の直射により、第2次世界大戦の500mから2500m超へと戦闘は延伸
した。直射戦闘は攻撃側の接敵行軍のより早いところで始まり、
損害はさらに増加し、攻撃側の集中と攻撃速度を減じる。こうして
攻撃側は実際の敵陣地の前面で壊滅することがしばしばである。
集中とは一般に決定的な所と時に決定的な戦闘力を集中する
ことであるとされる。旅団階梯以下においては、同じ場所に
ある期間において敵直射兵器を圧倒するに足る直射兵器を集中
することと言い換えられる。例えば、任務部隊指揮官は敵の3〜4両
小隊に自部隊を集中させて、敵防御を深く突破することを追求する。
速度が全てである。敵に再編成する時間を与えてはならない
ロンメル
米陸軍野外教範100-5作戦を引用すると、「速度は成功に不可欠である
奇襲をもたらし、敵との戦力差を保ち、攻撃部隊の保全に資し、
防御側が効果的な対抗手段をとるのを妨げる」また、「速度は
集中の不足を補い、攻撃が目的を達するのに必要な衝撃力を与える」
ともある。速度はまた、部隊や隊形の機敏性の反映でもある。
ある一点をどれだけの速さで部隊が通過できるか。どれだけ素早く
隊形が別の軸へと移動できるか。敵が反応できるよりも早く部隊の
戦闘力を展開できないのであれば、攻撃は遅々としすぎている。
また、攻勢作戦では集中と速度の間には重要な相互依存がある。
交戦地域をあまりにも遅々として進む集中隊形は余計に直射兵器の
再配置を許してしまい、一層砲撃をひきつけ、敵が主防御の前面に
予備を反攻に投じる時間を与えてしまう。距離的にも時間的にも
あまりに離れすぎた部隊が拙速で攻撃した場合、各個撃破される
ことになる。つまり、各部隊は別個に交戦地域に入ることになるから
である。集中と速度をともに用いることができる部隊のみが
戦力を保ちつつ成功を収めることができる。
米国とソヴィエトの攻勢構想の比較
ソヴィエトの攻勢構想における技術は米国教義の援護と支援攻撃とは
著しい対照をなしている。ソヴィエト攻勢の目標は主導権を作戦を
通して保ちつつ、敵防御を突破するに足る速度と集中を作り、維持する
ことにある。被害を低減したちどころに防御部隊を打ち破るため
圧倒的な戦力比率が作り出される。例えば、1945年8月の満州作戦に
おいては、ロシア第5軍は攻撃第1梯団に39個小銃大隊を配した。
突破戦区では作戦密度は1.1kmあたり1個師団、1kmあたり砲迫250門、
1kmあたり戦車および自走砲30両に達した。目標となる防御部隊が
撃破しえない集中が小さい地域に緊密に詰め込まれた。防御側の
直射兵器の制圧は主として大量の砲撃、近接航空支援、ヘリにより
行われる。戦車とBMP(ソヴィエトの装甲人員輸送車)は停止、休止無し
に直接目標に突撃する。戦車は指定目標に小隊または中隊で集中射撃する。
下車歩兵が目標を掃討し敵車両を撃破する役割を果たすのが最近の傾向で
あり、さらに攻撃の速度と集中を向上することに一役買っている。
このような形の攻撃は、仮想敵演習場の対抗部隊連隊がまねており、
しばしば成功を収めている。対抗部隊は対応できない速度である一点で
防御側を圧倒するのである。
援護という慣習
米陸軍ではとりわけ大隊階梯以下において援護の使用を強調した攻撃理論
に重点を置いている。1970年代に援護が編み出されたのは、攻撃側の隊形
の脆弱性を低減しつつ防者に戦闘力を向けるという試みからだった。
直ちに広まった理解では、「俺が動いている間掩護してくれ、そうすれば
お前が動いている間俺が掩護する」ということだった。理論上では、
静止して援護している部隊の集中射撃が、移動している友軍と交戦して
いる敵直射兵器を撃破することになる。そして、ある時点で突撃段階へと
いたり、敵部隊の撃滅を完遂することになる。
初期の「戦闘方法についての教範」が予想していた状況から戦場は
発展し続けている。戦場での対戦車誘導弾の数は著しく増大した。
各々のBMPと歩兵分隊がいまや車両撃破能力を持つ。直射兵器の正確性
と生残性も目覚しく向上した。ソヴィエトの障害能力は向上したが
我が工兵能力は比較するに変化が無い。1970年代には守備する1個自動車化
小銃中隊が攻撃してくる大隊任務部隊を撃滅できると考えるのは夢想で
あった。今や仮想敵演習場では日常の出来事である。
今日部隊が行っている援護はもともとの理論での援護と大変異なる。
シュリーフェン計画の実行と同様、攻撃部隊は援護部隊を増やすために
削られ続ける。大隊、中隊、そして小隊までもが攻撃中に援護部隊を
指定する。時には、わずか1、2両が実際に突撃しているだけで他の車両は
援護していることさえある。こうして、逐次攻撃となり、集中は損なわれ、
攻撃の速度は致命的なまでに低下する。防御側が戦闘を掌握し、自由に
再配置し増援することができるようになる。
攻撃中に、援護部隊は応急防御を確立することになる。難点は
敵はこの時点でおそらくは準備陣地にいることである。さらに
援護部隊は通常、敵砲兵の射程内にいるから車体隠蔽戦闘陣地
にいる敵直射兵器と間接火力の全力の双方に対して脆弱である。
結果として損害をこうむり、さらに編成が乱れ、逐次攻撃となる。
一般的に敵の状況が不明で地形が敵に有利なときほど、援護部隊
により戦力が回される。これは攻撃側の危険性を最低限にするため
の保守的な方法である。不幸なことには、とるべき行動は逆である。
攻撃により集中し、より少数の援護車両をより慎重に配置すべきである。
援護を増やして危険性を最小限度にするうちに、攻撃の主要な要素
である集中と速度をも低下させてしまう。攻撃とは常に多大な危険性を
はらんだ作戦であるという事実は変わらない。指揮官は、大部の部隊の
援護に依存して戦力を浪費するか、敵を打倒するために速度と集中
に重点をおいてより大なる危険性を受け入れるかを決断しなくては
ならない。
攻撃の失敗の解剖
赤1個自動車化小銃中隊を撃破する任務部隊の通常の計画は以下のような
流れである。
敵推定陣地に対する準備砲撃
任務部隊の攻撃軸に沿いの敵部隊撃破と障害突破を目的とする下車歩兵中隊攻撃
出撃線からボックス、ダイヤモンド隊形等で任務部隊前進
目標から2500m〜2000mで大隊援護部隊として指定を受けた中隊/中隊戦闘団が
援護
任務部隊残余は効果ある直射火力を受けるまで隊形のまま、受けたのちは
敵を破壊するため躍進で突撃
この計画は実行可能で集中と速度の原則に適っている。では実際に
どのように実効され、どうして逐次攻撃となり、速度と集中が失われている
のかを見てみよう。
集合地域から目標まで4000mまで
大隊指揮官は明確に、緊密で機敏な隊形を求めている。
残念ながら攻撃のこの段階に以降の失敗の原因がある。
計画では通常車両間距離は100mである。中隊戦闘団間の
距離は150m〜200mが望ましい。が、この基準を守れる
部隊はわずかである。塵埃、混乱、煙、操縦手の技量の差
などでゆっくりと、徐々に隊形は間延びしていく。
ドーザー付き戦車は不整地では速度が出ないためさらに
間隔を広げる。戦闘団間の間隔も500m〜1000mに広がる。
目標から4000mでは任務部隊は長さ3km、幅1500m〜
2000mに広がってしまっている。もはや機敏な隊形とは
いえない。指揮官の命令と、実際に部隊全体が指定された
点に到達するまでの遅延も著しいものになっている。
部隊は即応性、方向、統制、戦闘衝撃を失ってしまった。
4000mから3000m
敵集中砲撃が任務部隊に打撃を与える。各車両はハッチ
を閉じたので部隊の統制はさらに分解する。車長は
前方、側方、後方の車両が見えなくなる。車両の中には
速度をあげたり、落としたりして他車を視界に入れようと
するものもでてくる。中隊戦闘団内、中隊戦闘団同士の
間隔はさらに不規則となり、隊形は間延びし続ける。
小隊長と中隊長はなおも指揮をとり続ける。が、統制を
失ってしまっている。視察ブロックを通して自身では
自部隊を見ることができない。
任務部隊は特定の時間枠内で指定された一点に
集中戦闘隊形を注ぐことはできなくなっている。そして
敵部隊を攻撃せよとの命令は、長い時間枠に散らばった
装甲車両の小集団が到着することになってしまっている。
部隊は、M163、戦車橋、戦闘工兵車両、
工兵小隊などの戦闘支援車両の統制が困難なことにも
苦しめられる。戦闘支援は任務毎に任務編成されるので
任務部隊隊形内の同位置を移動することは通常なく、
大抵統制上の問題を増やすことになる。
3000mから2000m
先導部隊の突撃を支援するため、戦車重編成戦闘団
か戦車中隊が目標から2500m〜2000mで援護陣地を確立する。
戦闘団の隊形は組織が崩れてしまって広がっているから、
陣地に入るまでに5分〜7分掛かる。その間、先導中隊
戦闘団は移動し続け、援護部隊が火力支援の準備を整える
より前に敵直射を受けることになる。援護部隊はまた、
煙や塵埃により悩まされる。さらに、車体掩蔽している
敵からの直射および間接射撃に対して地形を防護に使うため
個々の戦車が再配置するので援護を始めるまでの間に
また時間が過ぎていく。援護部隊の戦果には恐らく酷く失望
させられることになる。2000m超の射撃訓練を多くこなす
部隊はほとんどないので、援護部隊は車体掩蔽陣地にいる
敵車両を撃破することができない。任務部隊の戦闘力の
大きな部分はわずかな戦果のために後ろに残されることになる。
2000mから1500m
このころになると先導戦闘団が直射により損害を被り始める。
任務部隊の援護部隊は効果有る支援を与えるだけの態勢になく、
先導戦闘団は1個小隊を援護部隊として置き、攻撃を継続する。
これは濃密な敵射撃に対する通常の対応である。付け加えると、
我々は各階梯の指揮官に不明確な状況においては援護をおくよう
訓練している。とはいえ、このときはまさに集中と衝撃力が
敵を圧倒するために結集されねばならぬときであり、逐次的に
援護をおくことで集中を損なうべきときではない。
損害が増すにつれて、攻撃速度は低下し続けていく。
先導中隊戦闘団の遅い運動に邪魔されて2番目の戦闘団は停止
する。この時点では、任務部隊中、実際に動いている車両は
6、7両のみとなっている。他は援護しているか停止位置にある。
1500mから800m
任務部隊は敵防御の直射が最も威力有る地域に今や入っている。
目標上の下車歩兵は敵車両を妨害、撃破することである程度の
支援となる。けれども、攻撃速度が遅々としているため、
敵は再配置し、局所反撃をすることができる。こうして、
歩兵部隊は戦闘不能に追い込まれてしまう。敵の砲撃が
任務部隊に集中し、装甲人員輸送車とM901に効力ある損害を
与える。
先導戦闘団はいまや直射により大損害を受けつつある。
中隊指揮官は自部隊の大半を援護とし躍進を短縮する。
かれは、ラビットドリルと呼ばれることもある、
1、2両が前進し他が援護する方法を実行する。任務部隊
階梯では、援護部隊は前進して射撃を継続する。戦闘団の
他は停止して、先導戦闘団の進展があったときに移動。
敵(車体掩蔽している)は一度に1、2両のみに集中
するのみでよく、先導中隊戦闘団は大損害を受ける。
車長が前進するのに安全な道を探すので、各躍進毎に
さらに時間が掛かるようになる。敵損害は1500m以下で
出始める、射程が縮まるに従い青部隊の射撃は向上する。
任務部隊はこの時点で戦力を集中させず逐次的に攻撃を
遂行。攻撃は先導躍進部隊の速度にまで低下する。
隊形は統制を効かせるには出だしから広がりすぎている。
間隔をやっと詰め終えるのは、敵の直射が最も威力ある地域
内であり、そこで停止してしまう。任務部隊のエネルギーは
猛烈で積極的な攻撃から遅々とした消極的なにじり寄りへと
変わってしまう。敵と交戦している車両はごく少数であり、
衝撃力は失われてしまった。
800m
この時点で先導戦闘団は戦闘不能となっている。任務部隊
指揮官は残余部隊で突撃できるまで接近できたと考えている。
次の戦闘団の突撃を援護部隊が支援することになる。戦闘団は
いまや目標に向かい迅速に突進を開始する。しかし、青車両の
密度は20両を超えず、敵直射兵器の残余により容易に撃滅
されてしまう。任務部隊指揮官はかくて援護部隊を突撃に投じる。
またもや、最後の1000mから800mを突撃する車両の密度は低く、
敵残存車両により撃破されてしまう。あるいは煙や砲撃により
突撃車両のうちには目標に到達するものもあるだろう。が、
任務部隊の歩兵車両は目標に向かってにじり寄るうちに赤砲兵
により撃滅されてしまっている。歩兵の支援無しで目標を戦車で
掃討して、残存青部隊の全ては完全に撃滅されてしまう。
再度の青任務部隊攻撃は目標を達成できずに終息する。
攻撃失敗の原因は多々あるが、
隊形が広がりすぎて迅速に機動することができないこと
各階梯で数知れぬ援護により戦闘力が浪費されたこと
突撃段階で集中に欠け、敵が少数の目標に集中できること
攻撃速度が遅いので青任務部隊軸が早期に判明し、
敵部隊を再配置し、敵砲兵、近接航空支援、ヘリが集中でき、
敵反撃部隊を早期に投入できること
攻撃が成功するための技術
緊密で機敏な隊形
戦力を集中して
高速で可能な限りの短時間のうちに用いるために
任務部隊は集合地域の時点から緊密に統制されねばならない。
車両間隔20m、部隊間隔50mが効果的な隊形である。
全車両とも前方、側方、後続部隊を見られるため、任務指向
防御状況第4段階やハッチ閉鎖状態でも部隊は統制できる。
運動の開始から目標への到達まで、速度は中隊及び大隊無線網
で告げられる。加速は一定で徐々に行われる。この方法により
間隔は最小に保たれ、非常に機動性ある機敏な隊形となる。
隊形は目標に到達するまで変更されない。この技術を訓練する
ことで大隊任務部隊隊形は長さ600m以下で幅200mとなる。
前方分遣隊
任務部隊偵察小隊は任務部隊の運動に不可欠な情報を得るため任務部隊指揮官に
より直接運用される。偵察小隊は前方戦闘部隊として用いられてはならない。偵察
小隊は作戦点と地上航法点を確立し側方早期警戒と敵障害と部隊の解明のため、早め
に出発すべきである。また、指揮官の指示する報告必要事項についても情報をもたら
す。とはいえ、状況を打開し、場合によっては任務部隊の前進が継続できるよう障害
を除去できる戦闘部隊が任務部隊に先立つ必要はある。機械化戦闘団はこれと同様の
前衛任務を成功裡に遂行できる。機械化戦闘団は本隊の通過を容易ならしめるため前
方を運動する。高速度と緊密な隊形がこの部隊には不可欠となる。直射援護と同様の
効果は集中砲撃と煙幕によっても得られる。ある程度減耗した場合、戦闘団の残余戦
車は射撃陣地を確立して本隊の突撃を支援する。残余歩兵は降車して目標上の敵車両
の撃破につとめる。この部隊は開豁地形では通常本隊の2km先を先行する。
もう一つうまくいった方法は1個戦車小隊にM901数両を編合して先導
部隊とすることである。部隊によってはこれを本部および本部中隊長
かS3(作戦および訓練将校)が指揮して、指揮統制と技量を確保する。
この部隊は上記の機械化戦闘団より速度は遅い。目標に接近する
にあたってはできるかぎり戦力を後ろに置くようにしつつ戦車とM901で
躍進する。この部隊は本隊よりも通常30分先発する。指揮官の兵に対する
比率の高さと車両数が少ないことにより大変に機敏な隊形である。
その主要任務は本隊の突撃段階において支援を行うことである。
側方部隊としてこの小部隊を用いるのもよい。任務部隊の側面を
動き、突撃段階には必要に応じて援護部隊となる。さらに効果が
あるのは目標地域に増援しつつある、或いは任務部隊に反攻しつつ
ある敵部隊を運動中に撃破して敵の再配置に乗じることである。
規模と統制のおかげで任務部隊には不可能な地域を抜けて機動
することができる。
援護
任務、敵、地形、自部隊、時間の要素によっては援護は集中砲撃、
近接航空支援、煙幕で遂行できる。TOWは徒歩、ヘリにより投入
、或いは車両により浸透して予期せぬ地域から支援を与えることが
できる。TOWを防御背後深くに航空投入して再配置中の敵部隊や
陣地にこもる防御部隊を背後から撃破するのも成功している手である。
既に述べたように前衛部隊、1個機械化戦闘団であれ、それよりは
小型である戦車小隊とM901班であれ、必要に応じて突撃段階に
援護を与えることができる。もちろん、任務部隊が目標から2500m
以内に達したら、撃破されぬためには速度と集中が必要である。
砲撃と107mm迫の煙幕がこの運動を支援する。任務部隊は高速に
運動するので、最後の3000mの間、敵陣地を制圧するに十分な
砲撃が得られる。任務部隊指揮官は援護する戦闘車両の指定と
配置には留意しなくてはならない。戦闘団指揮官の援護部隊を
配置しようとする性向を制限することで各階梯で自らを掩護する
自然な傾向を抑制し、戦闘力が浪費されることを防ぐ。
不明確な状況での保守的傾向はこのようにして容易く克服さあれる。
言い換えれば、任務部隊指揮官が援護部隊の指定と配置を統制
するのである。おそらくは戦車班やTOW班ごとに組ませて。
(フォートレーベンワースでのエアランドバトルの将来2004研究草稿に
よると攻撃側は防御側から1kmで攻撃側優位の地帯に入ると結論されている。
1kmのところで防御側の撃破率は1対1をわずかに超えて有利である。
明らかに、この地帯に到達し目標と抜けるまでの集中と速度が大である
ほど、自軍の損害は生じ難くなる。)
砲線
突撃段階は目標から2000mであり、任務、敵、地形、自部隊、時間に
よっては反攻に対処したり、再配置する部隊を撃破するための
静止直射兵器は少数でよいこともある。伝統的にこの任務を
遂行する最小の部隊は小隊とされている。けれども、小隊は
集中を犠牲にして支払う値段としては大きすぎることは実証
済みである。うまくいった手では個々にキラー担当戦車か、
技量の高い戦車班を指名するというのがある。キラー戦車は
折り紙付きのベテランで部隊内で一番の射術の専門家である。
作戦中に各車で17両から20両を撃破する。指名戦車班も同様に
高度な技量の戦車乗りである。各中隊はキラー戦車1両か
戦車班1個を指名しておく。計画や対応訓練の一環として
指名された車両は集中隊形から離れて特定の任務を遂行する。
例えば、大隊は右翼戦闘団に敵反攻部隊の勢いを削ぐため
1個班で砲線を敷くよう命じることがあろう。こうすれば損害を
限定しつつ集中と速度を保つことができる。
降車歩兵攻撃
任務、敵、地形、自部隊、時間により降車歩兵攻撃が
求められる場合、最もうまくいく手は歩兵に敵を撃破
するため目標に突撃させることであり、任務部隊が
到達するまで目標を保持させることではない。
あたう限りの敵を撃破したら、中隊は目標から撤退し
敵残余は砲撃で釘付けにするか撃破させる。砲撃は
必要に応じて任務部隊が500m以内に接近するまで
目標を叩く。ついで任務部隊の突撃の支援を受けて
歩兵が残存敵陣地に突撃する。
指揮統制
最も通暁し最も才能があり戦闘にあたって狡知に長けた
任務部隊指揮官は実際に戦場にいなくてはならないことは
明白である。任務部隊指揮官の指揮統制を増大させる手に
大隊副長を戦場に置くというのがある。戦闘中は
大隊戦術作戦センターは主として、旅団に対する情報回路、
敵の行動を判断する分析手段、間接射撃、近接航空支援、
ヘリを戦闘に統合する場となる。これらの任務は全て
作戦参謀、航空参謀、情報参謀、戦場情報統制センター、
火力支援担当が適切に訓練されていれば遂行できる。
戦術作戦センターは通常時の上級作戦参謀将校が戦闘長
(battle captain)として統制する。大隊長、大隊副長、
作戦参謀が装甲車両で戦場にいることで、任務部隊の
戦術能力、機敏性、技量は劇的に向上する。実際、
技量の高い指揮官、例えば本部及び本部中隊指揮官が
戦場に加わることは大いに有利である。主攻、つまり
実際の戦場には最大の才能が常に注がれるべきである。
場合によっては、戦車中隊副長が中隊のM113兵員輸送車
に位置して指揮統制を高め、戦車中隊長の仕事を軽減
することもある。機動性があり、戦闘団指揮官をより
介助し、M113歩兵中隊の戦友と同等の生残性がある。
これらの手はすべて実地で成功した。仮想敵演習場で
多数統合レーザー交戦装置を用いた大隊級の部隊対抗
作戦で試されている。実際のところ、これらの手を
用いた任務部隊は防御側に有利の2対1、3対1の戦力比率
でも防御を突破することができた。
任務、敵、地形、自部隊、時間の状況によっては
集中と速度の概念を取り入れたときにのみ攻勢作戦が
成功することもある。遅々とした逐次攻撃は失敗
する事が決まっているかせいぜいピュロスの勝利となる
だけである。成功する攻撃とは
迅速かつ統制のきいた運用ができる緊密で機敏な隊形を
用いること
不適切な援護技術により速度を鈍らせず常に機動すること
各個交戦により部隊の集中を浪費しないこと
突撃段階では敵直射兵器を破壊するか、機能を低下させるため
砲撃を集中すること
敵に乗じられる間隙をおかず部隊を連続的に投入できるように
すること
攻撃側部隊の撃破が有利となるよう目標にあたう限り迅速に
到達すること
集中と速度を攻撃において維持し、過度に、そして不経済な
援護に依存しすぎる傾向を回避する部隊が今日の戦場において
より大なる戦果を得るのである。
#以上です。結局、大隊の隊形内で前衛を援護できる位置にM901がつくと
隊形を転換するにも、隊形を維持するのにも都合が悪い。かといって側方で
警戒させるにも単独では出会い頭の交戦に弱く増強しないといけないし、
仮にさせたとしても速度が遅いので本隊から離れ気味になる可能性もある
ということだと思います。
機敏性という言葉が良く出てきましたが、これは隊形を転換したり、
別の攻撃経路に隊形全体が移動する能力のことを指している模様です。
元の言葉はagilityなのでRPGのキャラパラメーターでは良く見かける
言葉ですが。
>>648 乙です。ところで、できれば名前欄に文書の名前か、識別できるキーワード入れていただけませんか?
個人的に印刷して読んでるんですが、いまいち切れ目が分からなくて…
>649 今後気をつけます。読んでくださって嬉しいです。今の作業手順としては
PDFファイルを画面上半分に広げて、メモ帳を下半分に広げて上下を見ながら
訳していってある程度溜まったら、同じ英単語を同じ日本語で訳しているかを
チェックして、ある程度以上酷いところだけもう一度訳しなおす感じです。
区切りはある程度は元の文章と対応していますが、実際には1レスあたり1つ
誤訳、とりわけ文脈的な理解が不足しているためのものが入っていると
考えてくださると嬉しいです。というわけでそこまで全然考えていなかった
のです。そうですね、この文章の題名は長いので名前を付けるとすれば
”援護過剰に警鐘”、”こうすればNTCで勝てる”、くらいでしょうか。
#いま重対戦車中隊というここで批判されているM901が作られた背景に
繋がるあたりを読んでいます。M2やM1と比較するからなんですがM113と組んで
アクティブディフェンスで用いられればそれなりにということで。階梯のどこに
どの規模で対戦車部隊を纏めるかを旅団以下で検討した話です。戦区と編制の
話が絡んでいて面白いです。
#といいつつもフォークランドにまた手をつけてます。次スレをそろそろ
立ててそこでは名前欄にもなんか入れて続き物で訳そうかと思っています。
おひさしぶり&乙です。
大変興味深い内容です。この週末にでも、じっくり読ませていただきます。
「COMBINED ARMS」でも引っ張り出して検証してみようかしらん(笑)
Guard activates Stryker Brigade
http://pennlive.com/news/patriotnews/index.ssf?/base/news/1098696011170120.xml ペンシルヴァニア州兵第28歩兵師団第56旅団 SBCT化への一歩を式典で祝う
#これは6個目です。5個目はハワイなのですが今土地取得やSBCT化による
環境汚染の拡大について地元団体から訴訟攻勢を受けている模様。
#戦争広告代理店という本を読みました。NHKの王道をいく人が書いた本
という印象。セルビア人側のPR面での反攻というのもあるのかも。
ストライカーについてもその名称の制定を含めていろいろこういう要素は
あったのかもしれません。
#今月のパンツァー、イラク展開を控えた欧州の米師団の演習でM113A3が
登場していました。すると欧州軍の即応パッケージのM113中隊はM113A3装備
なのかもしれません。また、M1戦車の開発史はちょうどM901関係の歴史を
見るうえで丁度のタイミングで助かりました。1979年のGAOの報告書はネットに
あるはずです。探してみます。
654 :
649:04/10/29 19:07:09 ID:???
わがままを言ってしまってすみません。
今、前スレ投下分の「米国陸軍における機械化歩兵教義の歴史」、Wordファイルに移しながら
読んでます。
全部読んだらPDF化して保管するつもりですが、段組や段落分けが正しいか自信がないので、
どこかにアップしてチェックしていただくわけにはいきませんか?
>654 UPして頂けるのなら喜んでチェックというか原文と照らし合わせます。
二重孤児の論文は訳していてとても勉強になりました。
照らし合わせてどこが違うかなどはここに書いていいですか。
>>648 大変乙でした。
確かにM901の攻撃的運用は困難でしょう。
ナースホルン(ホルニッセ)で攻撃しろ、と言われたらオイラも頭を抱えるでしょう(w
これを見るまではロンメルの攻撃法は損害が多いと思っていましたが、
やはり有効射程下では損害に構わず迅速に移動しないといけない訳ですね。
射撃のために移動し、移動のために射撃する、ということでしょう。
>>651 パパ、この論文、SLG上ではそのまんま行われますよね。
戦力の集中と効率的援護射撃、迅速な接敵・・・
面白い!
乙です。
ブラボー!
非常に興味深い面白い記事でした。
私的にはM901の問題は、防御はともかく
攻撃時には、攻撃態勢での前進が出来ないので
援護位置に付いて戦闘態勢に入るまで時間がかかりすぎ
その間に攻撃の衝力は低下し、本来援護するはずの突撃部隊が
援護開始前に壊滅してしまう可能性を秘めている事ではないでしょうか…
せめてM901のTOWの攻撃範囲内に攻撃前進の発起線があればいいのでしょうが
今の時代、そんな敵に近い距離で悠長に攻撃準備できないでしょうし
(昨今は交戦距離の著しい拡大がありますので)
今のM901は防御任務がやっとなんでしょうかね。
SBCTスレで、非常に興味深い記事の翻訳が掲載されました。
ここの住人さんにはお勧めです。
(といっても、大半は既に重複要員ですかね。
こことSBCTと戦略戦術スレ…重複しない住人(ROM含む)っているのでしょうか(w
(旧編成スレもそうでしたけど)
>658
とりあえず、落ち着いてください
Lans丼・・・狂喜乱舞してますな・・・
>658 お久しぶりです。
1,100 Stryker Brigade soldiers return home
http://www.king5.com/localnews/stories/NW_102904WABstrykerbrigadereturnLJ.4f764d0.html SBCT-1の将兵1100人がフォートルイスに帰還
#期間延長はないみたいですね。大統領選後にファルージャで作戦が噂されていますが。
ちなみに10月22日にストライカー旅団の兵5名が負傷という話があったのですが
TFオリンピアのサイトには出てこなかったのでTFタコマのほうかもしれません。
#GAOの1979年度の報告書はそれらしいのをみつけました。M1戦車については
後の年代にもいろいろ報告書が出ているようです。またハマーについても報告書が
1984年に出ていました。第9自動車化師団関係でハマーの配備が遅れたという話が
ありましたが恐らくそれと繋がるのだと思います。
Lans丼・・・・・・芸を磨いたな( ̄▽ ̄:
というか、TFR氏まで見てるとは思わなかった(笑)
>M1@1979
まだ105mm積んでたですね、このころは。
付記
>SLG上ではそのまんま行われますよね
「COMBINED ARMS」は射的ゲーム色が濃いので、どうせ手間と金投じるのであれば
「ASSAULT」の方がススメではあります。
それはさておき、SLGでなくても将棋やチェスでも好い。ボードゲームからは重要な事を
一つ学ぶ事が出来ます。
前提条件を多く要する戦術/装備では、それがその条件を満たす前に、戦場に決定的局面が訪れ
そして過ぎ去ってしまう、という事ですな。
身に覚えがないとは言わさんですぞ?丼諸兄よ( ̄▽ ̄y-oO
665 :
649:04/10/30 20:41:59 ID:???
わはははは
我ながら見事な誤爆である。
これほどの誤爆はそうはみれまい(w
ちなみに、私も
ASSAULT(当時購入)
と
COMBIND ARMS(こちらは数年前になって、ようやくルールブックを入手(w
では
ASSAULTがお勧め。
>身に覚えがないとは言わさんですぞ?丼諸兄よ( ̄▽ ̄y-oO
ええ、ありますともさ!特に将棋は誰もが起きやすいように思えます。
(純粋思考ゲームですから)
でも、私は基本は速攻型ですよ。
一時期会社で流行ったコマンド&コンカーでも
速攻Lansとして恐れられた事もありました(w
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
Lans丼誘導感謝。誘導する先へ誤爆とは、芸の精進も忘れないナイス!(*゚ー゚)b
ここ数年、わたしの脊髄の中の人は、「援護」と言ったって、どうやらいろいろあるらしいぞ、と申しております。
今回の訳分だと、サポートとかカバーなのでしょうか?
松村将軍や、コンバットスキルズで、カバーリングフォースが多彩な役割を果たしていることに衝撃を受けて以来、刷り込まれているんですが。
つか、陣地確立、という文を読んで、脊髄の中の人が何かささやいています。
陣地と聞くと、つい工兵さんが補強してくれた防御陣地を思い浮かべてしまうのですが、この場合は攻撃経路の途上ですから、自車の隠蔽が容易な地形を事前に見ておいて、そこにもって行く…つうような事でしょうか?
サバゲなんかで、イイ感じの遮蔽をとって前進して行くようなイメージなのか…
噴煙爆煙の影響も重く見られているようですな。そういえば、ヤキマ演習でも90発砲!激しい土煙!急旋回でそれをかわしつつ前進する90(*´Д`)ハァハァとかあった…
つか、キラー戦車任務をヴィットマンと重ねて(*´Д`)ハァハァしてしまいますた。
など脊髄反射を頻々と…
M901ですが、当時からNBC防御能力に欠けるとか、リロードしづらくてマズーとか、言われていた気がします。
んな事言ったらM2/M3だって同じような気がしなくはないですが…
>665 ごめんなさい。既に消えています。もう一度出来ればお願いします。
訳語について
援護の場合はoverwatch 掩護の場合はcover 遮蔽の場合はscreenで
統一しています。
煙については煙幕の可能性もあるのですが明確に煙幕弾だと分かる場合を除いて
煙としてしまいました。英語では区別がないのです。
陣地についてはpositionで位置と陣地が同一です。構築陣地の場合で区別が
必要な場合は準備陣地prepared positionと書かれているようです。
キラー戦車についてはハンターキラーとかもそのまま日本語になっているようで
あいかわらずいい訳語が見つかりません。
669 :
649:04/10/31 18:10:35 ID:???
>669 ファイル有難うございます。自分のつたない訳をこうして数ヶ月を経て
再会すると、読んでくれた方に頭が下がります。
とりあえず図表の類や注記、参考文献などが問題になりそうですが
どうすればいいでしょう? アクロバットはファイルメーカーを持って
いないのでPDFファイルから図表だけ取り出せるかどうかも知らないのですが。
特に図表で重要なのはなかったかな。原文を見てみます。
<キラー戦車
これは原文でkiller tank つまり敵の防御中の戦車などを始末することを
任せるため特に部隊から選ばれた戦車のことです。駆逐戦車はtank destroyer
で突撃砲assualt gunと似た特定の形状の戦車をさす分類名称なので違います。
>669 いま見比べながら読んでいます。今だったら違う風に訳すだろうという
箇所もちらほら。というか第一章の第一文からして微妙に言葉を落としています。
それにしてもワードでここまで纏めている方が居ると知り感激です。
>>688 サンクス。とても参考になっています。
ポジションを取る、という略語で、サバゲで使ってたことがあります。似たような言葉が自然発生的に使われているのかもしれませんね。
土ぼこりについてですが、ヤキマ演習を見るとかなり恒常的に発生しているようです。
区別する必要が無いのかもしれませんね。
キラー戦車は、今のところそれで良いのかも。
キラー戦車の任務ですが、ややニュアンスが違うかもしれませんが、側防火器の制圧に似た印象を受けました。
日本軍はそう言った任務をどう表現していたか…側防阻止とかそんなんだったような…うろ覚えスマソ。
>>672 ソベル大尉は、バンドオブ・ブラザーズだったと思います。
#とりあえず速報版ということで原文から章名と見出し、小見出しを抜き出しました。
論文審査記録
概要
謝辞
本文
第一章 序論 方法論 文献批評
序論
方法論
本論文の意義と文献批評
原典
第二章 基礎となる経験:第二次世界大戦における機械化歩兵
フラーとリデルハート
ドイツ軍
第2次世界大戦の永続する伝統
降車機動と諸兵科連合
第2次世界大戦における趨勢の総括
第三章 機械化歩兵教義:第二次世界大戦後と歩兵戦闘車両
序
核兵器の登場
ドイツ連邦共和国軍の戦術的影響
ドイツ連邦共和国軍と米軍の解釈(#下線無し)
ソヴィエト教義:戦略級、作戦級、戦術級をとおしての一貫性
挑戦と鎖:BMP(#下線無し)
ソヴィエト機械化歩兵の作戦級における重要性(#下線無し)
ベトナムの影から出る米教義
米国のIFV
ベニングの手番:チャタフーチーの25mm砲
小括
今後の問題
第四章 結論
専門化した機甲歩兵?
全体の結論:過去の混乱、今日の諍い
作戦級の戦争との関係(#下線無し)
合州国陸軍機械化歩兵
提言
参考文献
初回配布先一覧
#本文中の斜字体 下線部についてはちょっとお待ちください。
#本文中に図表は一切無しでした。
#これは速報版ということで明日朝和訳のページと照らし合わせて抜けがないか
確かめます。
次スレが整備されたので、うめつつ雑談
>キラー戦車
これは、意味を取るならば「対戦車任務専任車両」とかなるのでしょうかね?
適当に言葉作ってみましたが…長いなぁ(w
>キラー戦車
ふと、思いついたのですが…
これは歩兵分隊に狙撃兵を含む時と同様に思えてきました。
なんとなく、プライベート・ライアンでの狙撃兵の活躍を思いだしたりして(w
COMBATではケリーでしたっけ?一番射撃が上手かった奴は。
(実際は、WW2歩兵分隊に必ずしも狙撃兵が配属されていた訳じゃないんですけどね)
でも、アフガニスタンのソ連軍は、狙撃に対抗するために軽機手を訓練したり、中隊にカウンタースナイパー・スナイパーチームを作ったりしますた。
>狙撃手
昨今のスナイパー・チームとは異なるのかもしれないですが、
・狙撃手は射撃の名手であるとともに、優れた普通化隊員でなければならない
とされ、その役割は、
・敵指揮官クラス、あるいは組扱い武器の操作員の殺傷
・その機材(照準眼鏡とかですな)による警戒
などでした。
かつては分隊に1人ずつ、適性を認められた者をこれに任じてまして、状況に応じて
小隊長、あるいは中隊長が一括して掌握する事が相応しい場合もある、とされてたです。
さて、その4では、欣喜雀躍ちうのLans丼が、変じて悦びのベリーダンスを踊り狂いそうな程
美味しそうな記事が展開ちうですが。
こっちはうめうめ。
あと19KB〜19KB〜
うめうめ。
>677
分隊指名射手 squad designated marksmanという奴と
狙撃チームとが別々にSBCT中隊にはあります。前者はSDMと略されています。
SBCT-1の写真ではM-14にでかい暗視装置をつけたのを装備している狙撃手が
でてくるのですがたぶんこれが後者だと思います。
路肩爆弾をよく仕掛けられている地点を市街地内から夜間監視して
仕掛けに来たところを狙撃していたらしいです。
夜間にストライカーに乗せて伏撃を試みるような話がシアトルタイムズ
の記事に出てきたような気もします。
>678 AK-47ではエンフィールドを使って谷をまたいで狙撃してくる
ムジャヒディンに反撃できなかったという話を聞きます。このためドラグノフ
やRPKで反撃したとか。車載の砲塔では仰角がなく斜面の上方に砲を向けられ
なかったとかとも。
>・敵指揮官クラス、あるいは組扱い武器の操作員の殺傷
>・その機材(照準眼鏡とかですな)による警戒
機甲突撃の最中にあたって、敵全体に目を光らせつつ敵戦車を狙っていくキラー戦車は
まさしく狙撃兵の上記任務に対応するものではないか?とか思う訳です。
敵中における戦車は火点の中心であり、反撃の中心でもある訳で
その意味では、指揮官や組扱い武器に相当する重要目標であると思う訳です。
まさに分隊指名射手の車両版ではないか?と…
ちなみに SBCTその4には萌え萌えですよ。はい。
682 :
649:04/11/04 22:15:38 ID:???
ちと身辺が立てこんでしまい、来られずに申し訳ありません。
目次、ありがとうございます。さっそくWordファイルに反映し、リンクを張ります。
図版などですが、プロテクトされていないかぎり、Acrobatを使えば元ファイルから抽出できると思います。
On Pointの編集をやっていた(図版の挿入など)のですが、今は「ストライカー歩兵中隊の戦闘」を
しこしことコピペしながら読んでます。
>682 あちらでも書いたのですが、当方アクロバットファイルメーカーを
持っておらずワードのファイルを抽出できないのです。よろしければ
ワードのファイルをあげてください。下線と斜線部を原文どおりにしますので。
#OnPointの編集。こっちは攻撃計画を読んでから手をつけてませんでした。
いまフォークランドを訳しつつ旅団の話を読んでます。
SBCTについて その4
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1099234986/ の本スレのほうでUA関連の翻訳が佳境に入っていますね。
>>265 組織改編
・Division '86 Army of Excellence (AOE)
〔機械化歩兵〕M1戦車58両×4コ大隊/1コ師団
〔機甲〕M1戦車58両×5コ大隊/1コ師団
・Force XXI Mobile Strike Force
M1戦車44両×5コ大隊/1コ師団
・future combat system(FCS)の
units of action/units of employment(UA/UE)
M1戦車14両(中隊)×9コ?中隊/1コ旅団
アメサンはころころ改編するので興味深いです。
過去スレでUAは4単位(4コ旅団)で、機動大隊×2+騎兵大隊×1/1コ旅団
になるとあった気がしますが、「その4」の最新情報だと3単位(3コ旅団)ぽいです。
続報・詳報をシロウト向けに、あっちで特集してくらはい。
では専門家諸先生がた、頑張ってください。楽しみにしています。
梅。
>684 旅団を師団間で柔軟にやりとりすることを目指しているようです。
あちらのスレにおおまかにUAの編制について資料から抜き出しましたので
ご覧下さい。
>>685 148 名前: 14 [sage] 投稿日: 04/11/14 13:18:45 ID:???
旅団戦闘団の2個任務部隊は同一規模となる。各任務部隊は2個戦車中隊と2個機械化
歩兵中隊からなる。偵察小隊は現行のをそのまま引き継ぐ。
中隊本部は本部小隊内にM1A2 1両とブラッドレーA3 1両を装備する。任務部隊
本部中隊は標準作戦班のかわりに戦車1個班(section)とブラッドレー1個班を持つ。よって
任務部隊の戦闘力は M1A2 38両 M2A3 38両。
旅団戦闘団は M1A2 78両 M2A3 78両 となる。
#1個中隊のブラッドレーは 本部小隊に1両と2個4両編制小隊で9両
大隊では 本部班2両と4個中隊分で38両
旅団戦闘団では 本部班2両と2個大隊分で78両
>なるほど
従来の戦車中隊:1コ戦車小隊(4両)×3小隊+2両=14両
→UAの戦車中隊:1コ戦車小隊(4両)×4小隊+2両=18両
全面的な四単位への移行ですね。
イラク駐留中のNew3IDも4コ旅団編成ですから。
フォース21とAOEをガラガラポンして「こんなんでました」って感じでしょうかw
>>686補足
むしろ
UA1個中隊:中隊本部1両+4両編制小隊×2=M1・M2各9両
UA1個機動大隊:大隊本部2両+9両編制中隊×4=M1・M2各38両
兵種の最小レベルが小隊単位か中隊単位か
>>148の文章だと、どちらともとれる表現で紛らわしいです。
UAの中の人も混乱しているのでしょう(笑
ここまで末端レベルまで混成しちゃうと
将来、ロシアや中国やフランスと、クルスクみたいな大戦車戦をするときに
困らないか心配です。まあその時は、再改編するんでしょうがね。
スレ汚しの余計な雑談スマソ。今後も期待しています。
>687
中隊は2個機械化歩兵小隊と2個戦車小隊から編制されることを強調しないと
混乱するですね。
>688 対空砲兵が軍団対空大隊などに絞られる感じがしてます。ここいらは
ADAを読んで確認しないといけないですが。戦車戦についてはあまり考えて
いないかも。NTCの対抗部隊を戦地に送って代わりの対抗部隊が州兵になる
という話が出てましたし。機甲科としては旅団偵察大隊が増えることになる
ので人数的には増えるのですが装備はハマーなのかも。韓国に1個旅団は
残るんでしょうか。残る旅団の改編がいつ行われるかによってもこの編制
に対する評価がわかるかなぁと思います。