ちなみに立花家の報告は「40万人」 実際は2万の軍勢だから、どこも15倍から20倍で編纂してたのかな。
600get
601 :
名無し三等兵 :04/07/04 02:50 ID:jbRi6Qoe
‖ ‖ ‖ /⌒ヽ ‖ √.M. ̄ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ○ /<`Д´>ヽ < イ スンシン ζ。//。ζ ‖\⌒巛巛 ⌒ゝ | 李 三振 将軍参上ニダ!! ミ 皿ゞ 彡 (;;;;;36;;;;;)○) \___________ ゝvv| /;;;;;;∧;;;;;\ / ̄ |vvv| ̄ ̄\ ̄ ̄ ̄ ̄ ──── __ ‖==|vvv.|==‖========== \ ‖==ヽvv |==‖===========‖ ‖◎ ‖■‖◎ ‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖ ==================== \:::::::::::::::::::::::::::::/:::::::\:::::::\:::::::\:::::::\:::::::\::/ 从从从从从从从从从〜从从〜从〜从从〜从〜从从〜〜〜〜
>>601 あんたは気味の悪い人だ。
よくそういう絵が描けますね。
感心する前に、それを思う。
戦線維持アゲ
救国の英雄 李舜臣
605 :
八十島 :04/07/06 09:19 ID:luXFRr+a
漢城からの撤退も、海岸寄りなら勝算あってのことなんですかね?
>>343 にあるように、日本側の食糧の欠乏という事情もあったが、
明の側から講和を申し出てきたということが大きい。
講和が謀略である可能性もあるが、その場合でも日本軍の名誉は失われない。
交渉が不調に終わっても、海運を仕える南方なら確実に勝利できる。
また、碧蹄館の大敗で窮地に立っていた明軍首脳に恩を売ることで、
講和を促進させるという意味もあったと思われる。
明に対しては碧蹄館で叩いて十分に力を誇示できたので、
あとは晋州城に集結している朝鮮軍を撃滅すれば戦争は終わり、
と秀吉は考えていたようだ。
>>598-599 が何気にスルーされてるな。
在日と半島の連中よ。海戦ばかり注目せずに、
およそ日本側の陸戦での戦果が
現実とかけ離れたものだということに目を向けろよ。
そんなんだから、いまだに大半の小説家に
「島津が20万の大軍撃破、首級38000・それ以外にも戦死80000」
などというヨタを書かれてしまうんだぞ。
碧蹄館会戦についていえば、 合戦参加者である天野源右衛門(当時立花家臣)が覚書を残していて、 それには敵の軍勢を「二万余」としている。 江戸時代に書かれた軍記物語の類では明軍の兵力が誇張される傾向があるようだ。 一方、蔚山包囲戦を明の史書はこう記している。 「この戦いはこれを謀ること数年、海内の全力を傾注し、 朝鮮通国の兵を挙げたにもかかわらず、一旦にして委棄してしまった。 後に敗報が明京に至るに及び、朝廷をあげて恨みなげいた」 当時の明朝が必死で戦争をしていたことがよくわかる。 江戸時代の人にとっては、ほとんど世界そのものであった大明帝国の 国の総力を挙げた反撃が、兵力4〜5万だったなんて想像もつかなかっただろうから、 仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけど。。。
(自分達よりはるかに劣る戦力しか持たない)敵水軍を見たら一目散に逃げなさい なんて命令出したのは秀吉ぐらいだろうね。
そんな命令は出ていない。 1592年11月10日付けの藤堂・加藤・脇坂あての命令書にはこうある。 ・来年春に秀吉が渡海して朝鮮の反乱を平定する予定である ・それまでは敵が仕掛けてきても城を堅固に守り、手出しをしてはならない ・これからは敵船を乗っ取っても手柄とはしない ・熊川に警固船を残して、それ以外の船は回送すること ・兵糧・弾薬を送るが、むやみに消費してはならない 兵糧・弾薬の輸送を優先するので、水軍は最小限の戦力で守っていればいい、 朝鮮水軍は放置しておいて構わない、と秀吉は考えていたようだ。
611 :
名無し三等兵 :04/07/17 21:41 ID:op6VDXzJ
予想以上に生産力のない朝鮮で 継戦能力を維持するには補給は大事だし、 秀吉の指示は妥当な判断じゃないか? 李舜臣は熊川を五回攻撃してすべて失敗している。 また、水陸防御策をとり巨済島を勢力下においてからは 朝鮮水軍は動きかとれなくなった。
>>609 そういうのも「ヨタ話」のひとつなんでしょうね。
>>594 大名以外、朝鮮の役の際に亡くなった武将達。
原田宗時 (伊達家臣・対馬にて病没)
戸沢光盛 (戸沢家当主・肥前名護屋へ馳せ参じる際に病没)
色部長実 (上杉家臣・朝鮮の地で病没)
岡 利勝 (宇喜多家臣・朝鮮の地で病没)
得居通年 (豊臣家臣・来島通総の兄 朝鮮の地で戦死)
伊東義賢 (伊東家臣・朝鮮の地で病没)
部将クラスの戦死は? 脇坂の武将が戦死していたと思う。
>>613 以外ではこんなところか。
脇坂左兵衛(脇坂家臣・閑山島海戦で戦死)
十時伝右衛門(立花家臣・碧蹄館で戦死)
菅正蔭(菅達長の子・鳴梁海戦で戦死)
有名無名の死者がいるけど所領的には下位ばかりかな?
国内の戦でも部将クラスの戦死なんて滅多にない。 何かの決戦や存亡に関わる戦ならともかく。
618 :
名無し三等兵 :04/07/20 22:35 ID:VirVjSIa
石高キボン
この中で一番有名なのは、十時伝右衛門連久かな? 以下コピペ。 <十時 伝右衛門> 立花家の侍大将。十時連貞(立花四天王)の従兄弟。 勇猛果敢にして膂力衆に超ゆ。通称「生摩利支天」。 一番槍・一番首・一番乗りの功多数、感状は数十通を数える。 筑後遠征時、偵察任務中に水浴びをし敵兵に発見されたが、 赤裸のまま敵兵をなぎ倒しゆうゆうと帰陣した。 軍規に厳しい道雪にもこの不埒な武勇伝が報告されたが、 その武勇を認めて苦笑するしかなかったそうである。 朝鮮の役で出征し、文禄の役最大の合戦「碧蹄舘の戦い」で先陣を受け持ち、 縦横無尽の働きをした。同合戦にて毒矢を受けて死去。 その生涯は家中で常に話題にのぼる人物であった。 石高はよくわからないが、1000石という説がある。
620 :
名無し三等兵 :04/07/21 22:47 ID:euFQFc1k
中川秀政も毒矢にやられてなかったか?
毒矢とは卑怯だな。
毒矢、二ダーやシナでは普通でうすが
毒矢といえばモンゴル軍が有名だが・・・ やはり遊牧民族から学習したのか?
毒矢といっても「痺れる」程度のものだけどね。 でないと膨大な矢の応酬で皆死んじまうぞ。 特に碌な具足つけてないような郎党連中は。
高い致死性のある毒は運用上も難しく 生産性、コストにも問題があったのではないか。
バイキンがタクサン
629 :
名無し三等兵 :04/07/24 16:18 ID:rTyV99ZL
現在「倭城」といわれている城塞遺跡は、 秀吉政権が威信をかけて築造した「仕置きの城」である。 日本軍は開戦当初は朝鮮側の邑城(城塞都市)を一部日本式に改修して使っていたが、 明軍の重火器部隊の前で平壌邑城がもろくも潰え去った経験から、 永久要塞としての「仕置きの城」は純日本式のノウハウを結集した築城となった。 朝鮮の邑城は塁線を一周させただけの単純な構造なので、 巡らせた城壁の一部でも破られると全体が瓦解する脆さがあった。 倭城の大半は、江戸時代初期に多く見られる「平山城」の構造をとっている。 山城部分と平地の居館、港部分を長大な城壁(登り石垣)で連結し、 その城壁内に何万人にも上るであろう将兵を収容できるように、 段々畑のように加工し、たくさんの曲輪(防御された平坦地)をつくった。 防御面での空堀・竪堀の多用も倭城の特徴である。 織豊系城郭では石垣造りが基本であり、 中世城郭の防御施設である空堀・竪堀はあまり見られないが、 倭城では周囲が全て敵という極限の軍事的緊張下にあったため、仕える技術は全て用いた。 日本国内では石垣と竪堀の併用は見られないが、 倭城では石垣の外部に竪堀で二重三重の防御線を構築している。 このほか天守の位置も特徴的である。 日本国内では、城主の権勢の象徴又は司令塔として最後の根拠地となる位置にあるが、 ほとんどの倭城ではその天守が最前線に位置し、いわばトーチカの役割を担わされている。 以上、「秀吉の野望と誤算−文禄・慶長の役と関ヶ原合戦−」(文英堂)より抜粋。
631 :
名無し三等兵 :04/07/25 13:46 ID:n6fnVC1A
>>630 ご苦労。今日から貴様は二等兵を名乗ってよし!
朝鮮の役は信長が生きていれば100%勝ったよ。秀吉が負けた理由は 現地での食糧補給ができなかったこと。(あまりに朝鮮が貧困で) もう一つは敵の水軍が健在だった事。織田信長だったら倭寇(中国人の 反政府組織)に鉄砲や資金援助をして中国朝鮮沿岸を壊滅的に襲わせる。 そうすれば敵は日本に遠征にこなければならないだろう。そこを鉄甲船 で迎撃すれば安全に渡海できる。後はプサンやニンポーを割譲させれば よい。あんな貧乏な国を支配してもメリットはない。次はインドだな。
がっちり印度!
>>630 これじゃ大阪城すら太刀打ちできんな。
防戦で日本側が善戦したのもわかる。
では、熊本城は朝鮮の役の戦訓を受けて、対大砲使用の城に仕上がっているのかな?
>>632 とはいえ冷静に考えると、明国と普通に国境を接するようになるだけ。
地力も低い半島を制圧する意味がはたしてあるかどうか…。
信長公なら、半島よりも貿易、交易に力をそそぎ、その邪魔をする勢力を
成敗という方向な気がする。
そして半島よりも台湾やジャワのほうに進出していたりして…。
大平洋を堂々と公海する安宅船などの船団…。みたかったなぁ(妄想
>>635 言われているほど、日本は大砲の攻撃には難儀していない。
というか、日本式の城に明の大砲はほとんど役立たなかった。
行ってみるまで朝鮮があんなに酷い国だとは思わんでしょう?
朝鮮の一般認識として、平壌城と晋州城は堅城として灘かかっさたそうだけど 相対的にはたいしたこと無さそうだ
数百年にわたって本格的な戦闘をやってない民族が、 数百年前の実戦経験に基づいて作った城塞、だからねぇ。 そしてそれを攻めるは、百年ちかく戦乱が続き 攻城戦のノウハウを学びまくった連中。 そんな城塞が防衛力として有効なほうがおかしいです。
朝鮮出兵も大東亜戦争も、よく点と点の支配しかしなかったから 補給で苦しんだってあるけど、点と点の支配ってどの戦争でも同じじゃないの? 面の支配ってどんなの?
組織的抵抗を行える勢力の壊滅と、 あと住民を(最悪でも)中立の立場におかせること。
行政が行われることじゃないの。
>>637 当時の明の大砲って、どんなんですっけ?
フランキーとか
‖ ‖ ‖ /⌒ヽ ‖ √.M. ̄ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ○ /<`Д´>ヽ < イ スンシン ζ。//。ζ ‖\⌒巛巛 ⌒ゝ | 李 三振 将軍参上ニダ!! ミ 皿ゞ 彡 (;;;;;36;;;;;)○) \___________ ゝvv| /;;;;;;∧;;;;;\ / ̄ |vvv| ̄ ̄\ ̄ ̄ ̄ ̄ ──── __ ‖==|vvv.|==‖========== \ ‖==ヽvv |==‖===========‖ ‖◎ ‖■‖◎ ‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖ ==================== \:::::::::::::::::::::::::::::/:::::::\:::::::\:::::::\:::::::\:::::::\::/ 从从从从从从从从从〜从从〜从〜从从〜从〜从从〜〜〜〜
>>645 ファランキ砲?
青銅製の国産砲じゃなかったっけ?
日本が一番敗けた戦いはどれくらいの被害を出したの?
負けより伝染病だな
伝染病より食料危機だな
想像を絶するぐらい荒地が多く食糧と水が不足したそうだ。
>>652 明軍とかは補給どうしていたんだろうねw
>>649 平壌戦における明軍の戦果の記録が残っている。
(攻城戦)
首級:1285 生擒(捕虜):2 馬:2585 倭器(武器?):455
(追撃戦)
首級:359 生擒:3
撤退する小西軍は雪を口に含んで飢えをしのぎ、
凍結した大河をいくつも渡りながら撤退したが、
その間、草鞋履きの兵の多くが凍傷で足の指を失い、
栄養不足から鳥目になるものも続出したと言われている。
捕虜が非常に少なく、落伍兵のほとんどは殺害されたようだ。
655 :
名無し三等兵 :04/08/03 00:29 ID:GvoFCh6Z
>>654 この馬の多さは想像以上だな。
小西の兵は約1万ほどいたそうだが、それが本当だとすると、
馬1頭につき兵4人となる。
一般的に言われる当時の兵制の認識は誤っているんじゃないのか?
656 :
名無し三等兵 :04/08/03 01:16 ID:V1d5unkx
>>655 だね。
まさかすべて放棄したわけじゃないだろうし
輸送用?
荷駄用だと思うニダ.
半島は街道が未整備だったらしいから、荷車が使いにくかった所為で内科医。
騎馬兵の馬なら撤退時には当然乗るだろうから、輜重兵の馬じゃないかな。 荷物を運ぶだけなら訓練もそれほどいらないので、現地調達でもまかなえる。 運ぶべき兵粮は尽きていたから、足手まといとして放棄されたんじゃないかと。
それはガセだって 昭和以前に遡れない
>>661 軍事板にある李舜臣スレや、このスレにある評価、客観事実について奴らに教えてやれ。
目を醒まさせる事がとても大切だからね。
このスレ読んでて思ったんだが
朝鮮人?が主張している
補給路を断ったとは日本〜半島間ではなく
釜山〜前線への補給路の事じゃないの?
>>380 読んでみると
>陸上輸送しなければならなくなった
ってある。
日本〜半島間で陸上輸送なんておかしな話だ。
釜山〜前線と考えれば辻褄が合う。
そういった意味で考えれば「補給路は断たれていない」という
主張は間違っていると思うが・・・・・・。
朝鮮人の主張する 「補給路を断った」 の主語は 「李駿臣」 これは誤り。
>>665 朝鮮人も日本人もそのへんのことは曖昧にして
「補給路を断った」
と大概は言いふらし、見聞きした人もそれを漠然と信じている。
補給路を断ったとはどういうことか、補給の実際はどうだったか
ということをこのスレや、他の李舜臣スレでは通常の書物より踏み込んだ
追求をしているように感じるよ。
>朝鮮人?が主張している
>補給路を断ったとは日本〜半島間ではなく
>釜山〜前線への補給路の事じゃないの?
というあなたの問題設定の方が論議の前提を固定化しているようで、
むしろ疑問に思える。
「補給路は断たれていない」
という主張は釜山〜対馬間の事を指しているのであり、
事実を確認しているだけ。
しかし普通、「日本は李舜臣の活躍で補給を断たれた」と大雑把に言ってしまうと、
釜山〜対馬間の補給だと勘違いしてしまう。
そのことへの是正を求めている。
668 :
名無し三等兵 :04/08/15 15:18 ID:2tVCFs6s
んで結局、 「現代朝鮮人が唯一抗弁できる材料(粉飾つきで)」 でしかないんでしょ?<李舜臣 李舜臣を自慢する前に、 自分たちが李舜臣の子孫ではない、”その他のゴミクズ”の末裔だと 言うことを自覚して欲しいものです。
669 :
名無し三等兵 :04/08/20 08:04 ID:bGh2Lrg/
ぶっちゃけ、日本軍はなんで負けたんだ? つーか、別に負けてなかったけど、太閤が死んだので撤退しただけか?
勝ったとは言えない。負けてもいないが膠着状態に陥り 厭戦気分が蔓延していた。攻められても負ける事は無いが 攻勢に出ると補給線に不安があり前に出れない。 秀吉の死は良いキッカケ。 秀頼政権の基板固めの為には外征などしてる場合じゃない。 ただ、言えることは朝鮮出兵の数年間で全羅道周辺の朝鮮民衆が 絶滅していないという事は生産活動が続いていたという証拠。 ちゃんと作物を育て、収穫できる牧歌的な瞬間があったという事だ。 つまり歴史上類を見ない秀吉の略奪や虐殺は有り得ないという事になる。
671 :
名無し三等兵 :04/08/20 17:16 ID:F0MvTbeX
>歴史上類を見ない秀吉の略奪や虐殺は有り得ないという事になる。 そりゃ、神話だと思う。
日本最大の英雄・豊臣秀吉が何十万の軍勢を使って行った朝鮮侵略を、 数十隻の船で破った(戦死者もほとんどいない)李舜臣将軍は世界最大級の英雄だね、 日本人の俺はうらやましく思うよ。
釣りに見せかけて、本気でいっている場合があるところがかの国の恐ろしいところだ
age
>>669 講和するのか継戦するのか、日本側の思惑がバラバラだったのも一因。
小西・石田と秀吉・加藤など。その挙句現地の一部武将が勝手に外交しちゃうし。
日本史学者の資料絶対主義の資料でなく 戦国時代の軍法や武将が手紙に書いた戦争の仕方の ノウハウ、武将が部下に出した命令の指令、上記にある 石田光成が戦況を詳述した情報分析などの 『生きた試料』を軍事板の皆さんはどのように 直接的に触れられているのでしょう?ご教授ください。 日本の武将の考え方って明治の先輩たちの考え方と同じくらい になる最強のアイデンテティになると思うのです。
>日本史学者の資料絶対主義の資料 意味不明。 一次資料にあたらない研究者が居るのでも思ってるのか?
≫677 そうでなく、資料絶対主義とは字面だけをよんで結論を出す 風潮のこと。一次資料二次資料などの概念で分けるのでなく 事実として当時の制約を受けながらも現代にも活かせる だけの内容を持ち、彼らの考えを伺え知れるだけの内容を持つ 内容を持つ当時の手紙や軍法等の内容を持つものを見たい。 一次資料などという概念を用いては書いておりません。 日本史学者をわざわざ引き合いに出すのは彼らの問題を認識する 能力が軍事学、歴史学(先輩絶対主義)、民俗学等に特化しており 世界史を語る学者とは違い全ての材料を使って相対的、総合的に 結論を出すという思考法が絶対的に不足しているから。 日本史も世界史の一部だし、外国の学問であったら、一次資料二次資料 などに関係なく一般の人たちでも歴史上の人間が何を考え、何に直面したか 彼らの立場になって考えれると思いますよ。 でも、日本は絶対に違いますね。 日本人は自分たちの歴史上の先輩がどういう風に考え、どういう困難に 直面したかは学者のいったことをつなぎ合わせてしか考えられていないと 思います。井沢元彦の学会に対する反論もこういうとこにあるのでしょう。 だからひとつ仮説が出てくると、それに突然左右され極論がなされる。 組討をやったから日本には組織的に戦闘ができてなかったとほのめかす 鈴木眞哉とか、日本の船は外洋渡航をする能力がなかっただの、 それこそ三千挺の鉄砲だの、、、。 当時のリアルな実態を知っていればこんなことは起こらないはずですね。 そしてそういうことを知らないから世界史的に日本を捉えられない。 一次資料二次資料などというのはそれこそ『概念』なんだとしか思えません。
>>678 君の言う『生きた試料』に直接当たるのは普通の活動では難しいのでは?
武将の手紙の全文なんて研究者の肩書きがないと見れないし・・・
一般の軍ヲタは出版物の引用部分くらいしか『生きた試料』に直接当たることはないなぁ・・・
>678 なんか関係ないことをいろいろごた混ぜにして批判してるっぽい。 問題の切り分けをしっかりやったほうがいいのでは? なんかよく分からんが危機感を抱いてることだけはひしひしと伝わってきたんで、 とりあえず自分で頑張ってみたらどうよ。 学問始めるのは年齢制限は無いし、 大概の大学教授は単位と就職しか頭にない馬鹿学生の相手するのにゃ飽き飽きしてるんで ちゃんとしかるべきコネを通して協力を依頼すれば、君が見たがってるような資料を見るのに 協力してくれる可能性はけっして低くないと思うよ。
>>678 科学哲学と論理学を学び概念把握能力・文章を整理する能力を身につければ
あなたは良い研究者になれるかもしれない
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1090124419/ 563 :名無し三等兵 :04/08/06 23:38 ID:???
>>561 36000から37000(実数にいたか不明)を5000から7000で迎撃し勝利。
敵の死傷者は10000内は超えなかった模様。(後に星州で再集結し再度出撃している)
大昔の逸話では20万を1万で迎撃し38000の首を取り、
それ以外に戦死80000人の損害を与えたとある。
最近では5000で20万を破ったという説も出たが
36000前後説が広まったのでどちらも小説以外では見ない。(小説では多い・・・)
敵の半数は兵士ですらなく、北京の博徒や乞食などを
強制的に駆り立てたものでもある。
これが砲兵を担当したので、他の戦線で一度も起きた事がない
大規模な自爆かつ誘爆を引き起こした。
このあたりは大正時代の日本の書物でも触れたものがあるが
昭和になってから完璧に無視されている。
勝利の要因は↑「敵兵の低質と自爆」と「城が完璧なまでに整備されていた」点だな
565 :名無し三等兵 :04/08/07 00:04 ID:??? ちなみに泗川城は2つあり、片方に500人程度の島津の一隊がいた。 数日前に彼らが攻撃された時は、なすすべもなく半数以上討ち取られ 義弘の元に逃げ込んでいる。 (樺山か誰かが救援したいと言ったが、義弘はもう一つの城は未完成なので 勝ち目はないという理由で却下している)
>>682-683 結局何が言いたいの?
つまり「島津が強くない」ってことを言いたいわけだね。
必死なのは分かるけど、恣意的な資料や見解のつまみ食いに見える。
>>684 これがそう見えるなら、そうとう重症だ。
こうしてみると、江戸時代に書かれた マ ヌ ケ な 書 籍 が 明 軍 三 十 万 騎 なのに、「敵は二万余」とかなり正確な申告をした天野源右衛門は素晴らしい。 立花家そのものが捏造・誇大喧伝などと無縁な気風だったんだろうが。
687 :
名無し三等兵 :04/09/17 14:14:44 ID:sJ8q8oRB
誘爆に乗じた出撃をした島津の戦術眼は確かだったのでは?
688 :
名無し三等兵 :04/09/17 19:35:55 ID:lLIg0fQX
自爆ってなんだよ。 そんなショボイのか明の大群は?
689 :
名無し三等兵 :04/09/18 01:42:35 ID:7S+JPyf1
だろうね。この時は。
690 :
名無し三等兵 :04/09/18 01:51:42 ID:6OQR5Czm
この事に死ぬほど詳しいサイトとかないの?
徳川軍が兵を(朝鮮まで)出さなかった 水軍がダメだった。 ('A`)
>>676 ,678
ちょっと亀レスですが、
>>343 で石田三成の書状を紹介した者です。
史料を見たいなら、専門家の肩書きなんて必要ありません。
図書館を徹底活用すればよいのです。
私の場合、まず大きな本屋で興味のある分野の専門書を購入します。
専門書というのは、参考文献が明示されているものです。
これをとっかかりとして、参考文献を一つずつ当たって検証します。
専門書や論文が多いので、都道府県立の図書館に行きます。
そこにも参考文献が載っていれば、それも調べます。
それを繰り返していくうちに一次史料に達します。
まあ、武将の手紙なんてそれこそ星の数ほどありますし、
軍記物語になると活字化されていないものも多いです。
信長や家康のような全国区の武将となると全文書がまとめて本になっています。
(古文書なので、読むのに骨が折れますが・・・)
地元の武将なら、郷土資料のコーナーに置いてありますし、
在野の研究家による本も多いです。
注意すべきなのは学者は史料の捏造は普通しないのですが、
自説に都合のいい史料だけを引用してしまう傾向があることです。
ですから、幅広くいろいろな文献に当たる必要があります。
以上のように、日本史の場合、ひたすら文書文書で、
非常に地道な作業の積み重ねで史料分析を行うわけです。
ただ、日本史学者はこの段階で思考が止まってしまう傾向が多いのはご指摘のとおりです。
理想をいえば、軍事学・民俗学など関連分野で専門知識のある人が
歴史学的な方法論で史料分析を行い、
日本史学者が全体をコーディネートできればいいのですが、
関連分野の学問の素養が徹底的に不足しているので現状では難しいものと思われます。
勉強になるなあ
朝鮮の馬鹿な農民を支配するより植民をしていたらどうよ?
>678 どうも例としてあげている人物がおかしいような気がするんだがなあ。 >井沢元彦 この人、典型的な「学者のいったことをつなぎ合わせてしか」 ものを考えられないタイプの人間なんだが。だって彼のかく日本史の 本に出てくる話は、梅原猛らの怨霊説を元にして諸説を取りまとめて いるだけだぞ。 >だからひとつ仮説が出てくると、それに突然左右され極論がなされる。 組討をやったから日本には組織的に戦闘ができてなかったとほのめかす 鈴木眞哉とか 鈴木眞哉は学会に属している専門の学者ではあるまい。 彼は在野で、自力で史料を読んで自分独自の説を連呼しているだけ。
>697 日本側に取り込むのですか?
700get
保守
日本から農民を送って現地生産すべきだった 生産性のかけらもない現地に期待しすぎたんだよ
703 :
名無し三等兵 :04/10/14 12:47:51 ID:Ps12QHNF
渤海湾に上陸して最短距離で北京をつくべきだった
704 :
少佐 :04/10/14 14:59:13 ID:QGoqxGPn
白兵戦が中心で略奪しまくる当時の戦争で補給線がそれほど重要とは思えない。 やはり豊臣軍は白兵戦が弱かったのだろう。 焼物文化を持ちかえれた等の功績もあるが、朝鮮の竹槍持った百姓に負けた日本 は朝鮮なんか攻めるべきじゃなかった。
705 :
少佐 :04/10/14 15:03:57 ID:QGoqxGPn
火縄銃は確かに強力な武器だが、それはあくまで命中すればの話しだ。 当時の銃は命中したらまぐれといっていいほどのお粗末な性能だ。 さらに雨の時は撃てないし、一発撃つと最低30秒は装填にかかる。 戦局を変えるほどの決定的な武器じゃないのだ。
706 :
少佐 :04/10/14 15:06:10 ID:QGoqxGPn
チョンや中国の弓は連射に優れた半弓だろ? あれを撃ちまくられたら、豊臣軍は逃げるしかない。 この戦争の陸での戦いにおける決定的兵器は半弓だ。
708 :
少佐 :04/10/14 15:13:03 ID:QGoqxGPn
当時の日本の馬は木曾馬みたいな牛のような馬だけだ。 とにかく走るのが遅い。 だから騎兵戦術など生まれようが無かった。 対する中国は騎兵隊があったし、半弓撃ちまくり。 機動力や連射性から豊臣軍は勝ち目ゼロだ。 それでもピョンヤンまで行ってるんだから凄まじい闘魂だよ。
709 :
名無し三等兵 :04/10/14 15:14:31 ID:AvI7dZ3G
これだから証左はダメなんだよ
710 :
少佐 :04/10/14 15:15:39 ID:QGoqxGPn
>>707 射程が短いといっても最大射程は400メートルだよ。
火縄銃が狙って当たる距離が50メートルということを考えたら、
勝てないだろよ。
>>705 火薬と弾丸は早盒で10秒間隔、しかも専門の鉄砲足軽は銃を変えながら
うつから、実質五秒ほどで打てる。たしかそれが元となって
釣瓶撃ちという言葉が出来たんだが?
佐官ならもう少し専門知識を持たないと参謀肩章吊れないぞ〜
712 :
少佐 :04/10/14 15:19:58 ID:QGoqxGPn
当時の日本の主力武器は6メートルの槍だ。 しかし半弓を撃たれまくったら全滅してしまう。
713 :
少佐 :04/10/14 15:22:56 ID:QGoqxGPn
>>711 5秒で撃てたことを実証する資料は何も無いし、仮にそうでも当たる
距離が50メートルでは半弓を撃たれまくったら全滅してしまう。
一対一ならともかく、集団戦で火と閃光を発する 火縄銃部隊にむかって平常心で弓を引ける、そんな 部隊がいたら、俺もそいつらを尊敬するがね・・・ 現実は非常ですよ佐官殿
715 :
少佐 :04/10/14 15:28:49 ID:QGoqxGPn
>>714 死亡者続出覚悟で攻めるのが軍隊というもんだよ。
それに装填がクソ遅く、さっぱり当たらない火縄銃がどれほどの
恐怖を与えたかは疑問だ。
名人で50メートルの距離でようやく当たるのが火縄銃だよ。
716 :
名無し三等兵 :04/10/14 15:32:10 ID:yGCEmNxE
>>704-705 朝鮮人のお前がいくら夢見ようが、
お前の祖先がみっともないくらいに豊臣軍に蹂躙された
歴史事実は消えないんだよ。
残念だな。
いい加減にデマをほざくのはやめろよ。
717 :
名無し三等兵 :04/10/14 15:34:28 ID:bGuBFLGE
>>715 だから「集団戦」でと714も言ってるだろう?
朝鮮の役の比較的信用できる向こう側の文献とか見ても
「倭人の鳥銃には抗し難い」 とまともな朝鮮人および
明国の武人が言ってるんだが?
718 :
名無し三等兵 :04/10/14 15:37:42 ID:yGCEmNxE
少佐とか打通とかのコテハンが、 デタラメばかり並べ立てる宣伝屋であるのを お前らいい加減に気づけ。
719 :
セイラ・マス・大山 ◆q.I9V7ewls :04/10/14 15:38:10 ID:I767ATJI
>>708 馬に関しては中国や韓国の馬も当時は同じようなものだw
少佐にマジレスしても無駄 根拠ゼロの妄想をかき込んで喜ぶ馬鹿、もしくはそれを演じて楽しむ人の共通コテだから
721 :
名無し三等兵 :04/10/14 15:41:08 ID:yGCEmNxE
なにが「白兵戦に弱かった」だ。 ヨタレやくざみたいな宣伝をするのだけが こいつらの生き甲斐なんだろうが、 だれもまともに相手にしなくなってるよ。 最悪の朝鮮人だな。
722 :
少佐 :04/10/14 17:29:03 ID:QGoqxGPn
この戦争は明からサルと言われた秀吉が始めたものでやる意味などなかった。 朝鮮に手を出すとろくなことがないんだよ。
723 :
少佐 :04/10/14 17:30:31 ID:QGoqxGPn
>>721 朝鮮や明は半弓で弓矢を連射しまくるんだから、近付くだけでも大変
だったはずだよ。
724 :
少佐 :04/10/14 17:35:53 ID:QGoqxGPn
ズバリ秀吉が目指すべきは北方領土だったといえるだろう。 これなら簡単に取れただろうし、後世に多大な恩恵を与えたはずだ。
結局、鉄砲と日本刀の優秀さに行き着くんだなあ。
優秀な武器を持ってながら負けるんだからな・・・。 韓国人の優れた体格は武器の性能差も覆すぐらい凄かったんだな。
>>726 夢見るのは勝手だけど、
それを現実と信じて道を誤らないように…。
もう半分以上は誤っているが。
このままじゃ悲惨な未来が待っているよ。
729 :
少佐 :04/10/15 16:58:52 ID:5KBZ1Rsg
この戦争で日本は焼物文化なども得たのだが、失ったものがあまりにも大きい。 まず朝鮮が非常につけあがった。 「日本の武士は朝鮮の百姓の竹槍が怖くて逃げたニダ!おけけに我が国の高度な 技術が生み出した亀軍艦の前に日本の船は沈没しまくりニダ」と言われるはめに なってしまった。 はっきり言ってやらんほうが良かった戦争だ。
730 :
少佐 :04/10/15 17:06:33 ID:5KBZ1Rsg
朝鮮や明の半弓が手強かったのは解るが、補給線を断たれた訳でも無い のにボロ負けして帰って来た武士達はやはり情けなかったと言える。
>>726 韓国人の優れた体格は武器の性能差も覆すぐらい凄かったんだな。
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{ ヽゝ '-'~ノ
λ ''゙゙''-''-─、 /-'^"
ヽ,_ ^~^ (
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732 :
少佐 :04/10/15 17:16:40 ID:5KBZ1Rsg
>>731 朝鮮の併合は朝鮮側が日本にお願いしてきたことだからだ。
734 :
完全理論武装論者 :04/10/20 00:15:52 ID:JWGm1KTb
秀吉が朝鮮出兵する祭に、朝鮮出兵とは無関係の東松浦半島に 堅牢な名護屋城をなぜ築いたのか?誰も問題にしないとは嘆かわしい 秀吉の朝鮮出兵の本当の理由はここに隠されているというのに 今の時代、この名護屋城築城の本当の意味を読み取ることのできる 賢者は私以外におらぬのか?
735 :
完全理論武装論者 :04/10/20 00:22:34 ID:JWGm1KTb
明智光秀が本能寺の変で織田信長を討つ祭、本能寺とは無関係の安土城に 攻め入って火を放ったのはなぜなのか?誰も問題にしないとは嘆かわしい 本能寺の変の本当の理由はここに隠されているというのに 今の時代、この安土城炎上の本当の意味を読み取ることのできる 賢者は私以外におらぬのか?
>>734-735 の現実の姿
(´Д`;)ヾ ドウモスミマセン
∨)
((
(;´Д`) オネガイシマス
( 八)
〉 〉
ヾ
(´Д`;)、 コノトオリデス
ノノZ乙
小、中、高校生といじめられ続けて
退学して引き篭りの毎日。
737 :
完全理論武装論者 :04/10/20 00:45:44 ID:TbUiGACS
┌──┐ │ ::::::| │ ::::::| |_______X_┐ / ━━ | ┌| °°|┐ └| __四__|┘ ノ / / <おーい、グッチさんこいつどうすんだよぉ。 |  ̄ ̄ / /::::::\∞/\ /:::::::::::ヽ/::::::::\ |::::|| :::::::::::|\....\ ────────────┐ ────────────┘ ./ ̄\┌┐ ┌┐┌──┐│ | |⌒| | | | | | .└┐┌┘│ | | | | | | | | .| |. │ | |_| | | |_| | .| | │ \_/ \_/ .| | │
739 :
名無し三等兵 :04/10/20 01:01:57 ID:+3+RKIUn
(´,_ゝ`){安土城に火を放ったのは信長の次男信雄で事後秀吉により責任を追求され後継者の地位を剥奪された。このことにより不服な柴田勝家は打倒秀吉を宣言する。 朝鮮出兵に関しては秀吉の天下統一に朝鮮から祝賀の使者が送られるが服従要求しにきたと勘違いした秀吉により始まった。 正直そんなモーロクが統一してしまったは日本ひどいニダ
741 :
名無し三等兵 :04/10/20 01:19:53 ID:+3+RKIUn
(´,_ゝ`){ちなみに名護屋城は朝鮮出兵失敗を歴史の根底から消す為に秀吉本人が取り壊しを命じた。完全犯罪である。 朝鮮の歴史にはこの時代を狂った日本が暴れ出したと書いている。 攻め込まれること自体理解不能だっただろう
742 :
名無し三等兵 :04/10/20 03:33:48 ID:nwA5rEUj
ニダニダ
743 :
名無し三等兵 :04/10/20 08:12:04 ID:bk3tPvJe
>>741 秀吉は、出兵中に死亡している。
秀吉が死んだ後、家康や三成の働きで撤兵することになったはず。
744 :
名無し三等兵 :04/10/20 08:20:09 ID:nwA5rEUj
< テキトーこいて頭いいフリしただけだーーーーーーーーーー!! < ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨\ /∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨ /:|. | | /:| / .:::| ∨ / :::| | ...:::::| /u ::::| i ノ (  ̄ ̄⌒゙゙^――/ ::::::::| /_,, ⌒ u . _ ::::::::::::\ / \\゙.l | / ::// ̄● ̄ ̄/ ::::::::\ |● ::::::| . | | / :::: / :::::::::://u :::::::\ /i,.\_:::::::| u::::: / :::::::::// :::::::::\ / \( (\|. ::::::. // ̄) ) :::::::::\ / u ) )_ ^ ^  ̄ ̄ ,,、( ( i し./ :::::::::::::\ / / /__,,____,/ ̄ \ ))u ノ ( ::::::::::::::::::::\ / ヽ |.. | /└└└└\../\((\ '~ヽ :::::::::::::::::/ \ ) し ∨.|llllllllllllllllllllllllllllllll∨lllll| ) / / :::::::::::::::::/ \⌒ | |.|llllllllllll;/⌒/⌒ 〕 ::u::::::::::::::::/ | | |.|lllllllll; ./ . . | ::::::::::::::::::::/ .| | |.|llllll|′ / . | u .| :::::::::::/ .| | |.|llll| | .∧〔 / u:::::::::::::| ヽ}.∧lll | ../ / / :::::::::::::::::\ i/| \┌┌┌┌┌ /. / /::: :::::::::::::::::i ( ゙゙^^¨^¨゙゙¨  ̄ ̄ ̄| i/::::::::::: u i ヽー─¬ー〜ー――i | :::::::::::::
745 :
諸葛肛明 :04/10/20 08:45:38 ID:+ttPYC4+
少佐の話を聞いていると、朝鮮軍の短弓の前に、秀吉日本軍は全く歯が たたなかったように感じられる。しかし、史実は日本軍はほぼ朝鮮全土を 制圧し、秀吉の死という政治的理由で撤兵するまで戦線を維持し続けた。 つまりは火縄銃で武装した日本軍の方が強かった、というのが史実だ。 当時の李氏朝鮮には、両班という常備軍が存在していたのは知っての通り。 韓国の史家が説明しているが、この常備軍というのが極度に弱体化しており、 名ばかりのものになってしまっていた。日本軍侵攻の知らせに動員をかけても 数千人程度しか兵力が集まらず、武器庫に入ればほとんどの武器が 錆びついていて、兵士を呆れさせたらしい。 少佐の説明どおりに、短弓が威力を発揮すれば、日本軍を圧倒できた かもしれないが、おそらく訓練もろくにしておらず、満足に弓を 扱える兵士もいなかったのだろう。
746 :
諸葛肛明 :04/10/20 08:56:14 ID:+ttPYC4+
李氏朝鮮は、もともと軍事クーデターによって成立した政権だった。 そのため李朝自身が、同じように軍事クーデターによって倒される ことを警戒して、軍部を冷遇する傾向が強かった。 加えて、文を尊び武を卑しむ儒教の影響もあって、軍事は軽視されて いた。だから両班といっても、額面どおりの実力をもつ常備軍では なかったのだろう。 現代の韓国が徴兵制をとり、ヨン様だのタレントが兵役につくのは 国民の義務だ、などと発言しているのを見ると、時代は変わるもんだ という気がする。
優秀な武器を持ってながら負けるんだからな・・・。 韓国人の優れた体格と愛国心は武器の性能差も覆すぐらい凄かったんだな。
748 :
名無し三等兵 :04/10/20 13:42:50 ID:+3+RKIUn
(´,_ゝ`){倭乱はね元冠と同じく1回目に比べ2回目は全く中に入れてもらえなかったんだよ
749 :
完全理論武装論者 :04/10/20 14:21:41 ID:3s5lKZdO
豊臣秀吉が朝鮮出兵する祭に、朝鮮出兵とは無関係の東松浦半島に 堅牢な名護屋城をなぜ築いたのか?1 朝鮮出兵の祭、豊臣秀吉はわざわざ東松浦半島に堅牢な名護屋城を築いてから 朝鮮半島へと兵を送り出していった。 戦略的見地で見て、朝鮮半島の軍事的制圧・占領が目的ならばその大拠点となるべき 守りに固い堅牢な城は、朝鮮半島の最初に上陸占領した地点に作るのが常識のはず なぜ朝鮮半島からはるかに離れた九州東松浦半島に守るための堅牢な城を作る必要があるのか? またなぜそんな堅牢な名護屋城作りに何年も費やしてから、朝鮮半島へと攻め入ったのか? またなぜそんな堅牢な城が徳川幕府時代には活用されず、すぐに壊されてしまったのか? それらがすべて結びつく結論がたったひとつだけある。 それが豊臣秀吉の朝鮮出兵の本当の理由なのだ。
750 :
完全理論武装論者 :04/10/20 14:22:49 ID:3s5lKZdO
豊臣秀吉が朝鮮出兵する祭に、朝鮮出兵とは無関係の東松浦半島に 堅牢な名護屋城をなぜ築いたのか?2 朝鮮半島に秀吉が出兵させたのは秀吉が晩年のころで、すでに天下は秀吉のものとなっていた。 秀吉は中国の明をも支配下に治めようとして、朝鮮出兵を思い立ったと歴史史家は口を揃えて 言うが、本当にそうなのか? 秀吉はもうそのころは晩年で若くはない、しかも自分の跡を継ぐ世継ぎの心配もあった。 日本国内でいえば秀吉の天下とはなったが、地方によっては何かあれば即座に秀吉に 叛旗を翻しそうな大名は数多くあった。 秀吉の天下は磐石で安定していたわけではなかった。 そういう状態なのに最低でも10年はの長期戦となる朝鮮出兵と明征服を企むだろうか? 朝鮮半島占領や明国占領までに秀吉本人が死んでるかもしれないのに、秀吉が征服欲に まみれただけのバカな人物だと思うだろうか?
751 :
完全理論武装論者 :04/10/20 14:23:30 ID:3s5lKZdO
豊臣秀吉が朝鮮出兵する祭に、朝鮮出兵とは無関係の東松浦半島に 堅牢な名護屋城をなぜ築いたのか?3 天下を取ったばかりで国内ですら磐石でないのに、晩年の年老いた秀吉が 征服欲のみで朝鮮出兵を思い立ったと、歴史史家は言い教科書にもそう載る。 なんという愚かな現代人たちだろう、きっとあの世でキレ者秀吉も大笑いしてるに 違いない。 「いまの時代のこの程度の人間ばかりならば、10年あればわしが天下を取って見せる」と 秀吉は豪語するに違いない。 秀吉の目的はたったひとつ、「ワシが天下を取ったのなら今度は豊臣家で、その天下を磐石に してみせると」 秀吉の朝鮮出兵の本当の目的はこのためだった。 秀吉の取った天下を豊臣家で永代まで続けていけれる磐石な基盤作り、そのためには たとえ今は家臣であっても、将来に渡っていつか豊臣政権を脅かすような存在に なるうる大名は始末しなければならない。 豊臣政権で天下を磐石にするのに邪魔な大名とは誰のことかもうおわかりでしょう。 そう家臣である徳川家康の朝鮮半島への追放(転封)こそが、秀吉の朝鮮出兵の 本当の理由だったのだ。
752 :
完全理論武装論者 :04/10/20 14:24:10 ID:3s5lKZdO
豊臣秀吉が朝鮮出兵する祭に、朝鮮出兵とは無関係の東松浦半島に 堅牢な名護屋城をなぜ築いたのか?4 秀吉の目論見 秀吉が家臣である徳川家康を総大将にして朝鮮出兵を命ずる ↓ もし家康が主君秀吉の命令に逆らえば領地没収して家康に切腹を命ずることができる ↓ 仮に家康が朝鮮出兵をして戦死してくれればもうけもの ↓ 家康が朝鮮出兵での合戦で失態を演じて敗走しても、責任を家康に取らせて切腹させれる ↓ 家康が見事に朝鮮征服を成し遂げれば、手柄として関東の地から朝鮮全土の大名へ転封できる ↓ 朝鮮全土大名へ大出世した家康が、朝鮮半島の民の不満を治めることができずに 領地内で暴動を起こせば家康に責任をとらせて切腹ののち領地を没収できる ↓ 仮に家康が朝鮮半島をうまく治めることができても、明国が大軍を率いていずれせめてくる そうすれば何かと理由をつけてすぐに援軍を送らず、家康を見殺しにする ↓ もし豊臣政権内でごたごたがあって、家康が反豊臣として蜂起しても朝鮮半島からは 上洛することは非常に難しい ↓ 万が一家康が朝鮮半島から上洛してきた時の備えとして名護屋城に豊臣方の堅固な 城を作っておけば、家康の上洛を九州で阻止できる
753 :
完全理論武装論者 :04/10/20 14:24:57 ID:3s5lKZdO
豊臣秀吉が朝鮮出兵する祭に、朝鮮出兵とは無関係の東松浦半島に 堅牢な名護屋城をなぜ築いたのか?5 家康の栄転名目(転封)の朝鮮半島追放と、家康寄りの大名も栄転目的(転封)で 朝鮮半島に追放すれば、国内は完全に豊臣政権で磐石になる。 まさに殺さず生かして力を奪い取る完璧といえる策に秀吉は完全に溺れた。 そうして朝鮮出兵は決断された。 しかし家臣である家康以下他の大名もバカではない。 戦国の世を渡り抜いてきた、ひとくせもふたくせもある強者揃いの武将たちだ。 秀吉の本当の目論見ぐらい見破っている。 しかし表立って逆らえば秀吉に殺される、だからやる気のない戦いをダラダラと 朝鮮半島で繰り広げてきた。 必死になって戦ったのは秀吉の目論見を見破れない大名か、朝鮮半島に転封される 恐れのない子飼いの大名だけ そしてその絶体絶命のピンチを家康は他の転封されそうな武将たちと、協力して ダラダラと戦い秀吉の死によって切り抜けれることができた。 終わり
754 :
完全理論武装論者 :04/10/20 14:25:41 ID:3s5lKZdO
朝鮮半島に攻め込んでから、守り用の堅固な名護屋城を建築すれば どんな大名からでも怪しまれる。 だから朝鮮に出兵する前に名護屋城を作った。 秀吉とはそういう計算高い男
もうろくしたから。
>もし家康が主君秀吉の命令に逆らえば領地没収して家康に切腹を命ずることができる できなかったね,残念!
757 :
諸葛肛明 :04/10/20 14:57:59 ID:+ttPYC4+
>>747 日本軍と戦った主力は、事実上明軍であったことをお忘れなく。
徳川転封説か。おもしろい。
しかし弱点もある。まず第一に史料の裏づけがない。
そもそも徳川つぶしを狙うなら、わざわざ朝鮮転封などしなくても、
国内でインネンをつけて取り潰しを画策したほうが、簡単だよ。
事実、徳川は豊臣家をそうやって潰したわけだしね。
758 :
名無し三等兵 :04/10/20 15:29:12 ID:+3+RKIUn
(´,_ゝ`){と言うかリスクが大きい 家臣の家康が豊臣転覆を狙って唆した方が説得力ある。竹中半兵衛が早死にしたのがイタイ
759 :
名無し三等兵 :04/10/20 15:35:03 ID:+3+RKIUn
(´,_ゝ`){秀吉の実行力+黒田竹中の二兵衛の策謀があってこその千成り瓢箪 秀吉だけなら…朝鮮出兵=ヤリ逃げ
760 :
完全理論武装論者 :04/10/20 17:22:15 ID:3s5lKZdO
>>757 史料がないのは当然
朝鮮出兵の本当の理由を語らない秀吉の腹の中を、家臣が推測して史料にしてしまえば
「謀反の恐れあり」「主君を冒涜」などといいがかりをつけられて、その大名は
切腹させられてお家は断絶させられる。
秀吉が口にしない限り、これがたとえ秀吉の本心だろうと状況証拠で断定できても
後々に降りかかる災いや言いがかりされるきっかけを考えたら、誰も史料には残さない。
史料に絶対出てこれない本心。これが歴史というもの
761 :
完全理論武装論者 :04/10/20 17:32:22 ID:3s5lKZdO
>>757 秀吉は国内でもあれこれインネンをつけて家康潰しを狙ったが、その度に家康に
うまく逃げられてばかりだったろ
言葉や態度に用心深い家康を潰すのは並大抵の策では無理なわけ
そこで朝鮮出兵して朝鮮を領地にしてしまえば、家康や反豊臣方の大名を
堂々と島流し目的で転封できる。
いろいろと理由があって殺せない武将を、だったら島流しにして力を奪うのと同じこと
鎌倉時代以前の昔は九州に島流し目的の転封が多かった。
しかし家康や反豊臣大名を九州に島流しするだけでは完全に安心できない
そこでより遠い朝鮮に島流し転封を狙った
762 :
諸葛肛明 :04/10/20 17:37:31 ID:+ttPYC4+
>>760 そうなると、歴史推理にすぎない、で片付けられちまうな。
秀吉の朝鮮出兵については、当時の膨大な文書によって史料的に
研究できる。朝鮮経由で入明が目的だった、という説も史料の
裏づけがあるから、説得力がある。
まあ、歴史推理も面白いことは面白いんだが。
ところで俺の提示した、徳川家を朝鮮転封するよりは国内で
取り潰したほうがいいのでは。という疑問に対する反論は?
763 :
諸葛肛明 :04/10/20 17:38:31 ID:+ttPYC4+
>>761 おっと、カキコが前後したようだな。スマン。
764 :
完全理論武装論者 :04/10/20 17:49:47 ID:3s5lKZdO
>>762 秀吉が家康を国内で潰せない、いますぐ殺しておきたい家康なのに潰せない殺せないから、
渋々家臣にして取り込んだりしたんだろ
史料(証拠)がないからダメとかいったら、状況証拠だけで推理して判決を下す
裁判はどうなるの?
状況証拠の推理だけで人を捕まえたり裁いていることばかりだよ、司法の世界では
765 :
諸葛肛明 :04/10/20 17:54:16 ID:+ttPYC4+
>>761 うーん。ちょっと動機が薄弱だなあ。
九州や関東なら不安だが、朝鮮なら安心という根拠は?
海で隔てられているから、といっても日本は大軍を渡海させ、
同時に撤収もしている。朝鮮から徳川勢が大兵力をもって、
反攻してくるのも十分可能なはずだよ。
それよりも、完全に叩き潰すほうが安心なんじゃないか。
766 :
完全理論武装論者 :04/10/20 17:55:27 ID:3s5lKZdO
>>762 60を越えたジイさん(秀吉)が朝鮮や明の征服を企んで
朝鮮出兵をしたという史料を、なんであっさり信じるのか不思議だ?
国内の天下を取るのでさえ何十年もかかってるのに
秀吉が生きてるうちの数年やそこらで、明国を支配できると思う?
秀吉はそんなことですら計算できないような、バカでもうろくはしてないよ
767 :
完全理論武装論者 :04/10/20 18:00:47 ID:3s5lKZdO
>>765 だから家康が朝鮮から渡海できないように、水際で防ぐために水軍も隠し持てる
要塞化した名護屋城を作ったのでしょうが
名護屋城の地形と場所を確認してよ、朝鮮からの渡海を防げる
軍事的要の場所に作ってあるから、しかも城下の湾内に水軍も配置できるという
格好の場所にあるよ名護屋城は
768 :
諸葛肛明 :04/10/20 18:03:48 ID:+ttPYC4+
>>764 そりゃムチャクチャな論理だ。
井沢元彦みたいな小説家が、歴史推理をもとに小説を書いたり
するのは面白いし、それはそれでいいんだが、正統な歴史学では
史料の裏づけが必要であることは言うまでも無い。
史料的裏づけがあるほうが定説として扱われるのは、歴史学の
常識だよ。
裁判にしても、状況証拠と物的証拠が対立すれば、物的証拠を
採用するのは、これも常識。無実の物的証拠があるのに
状況証拠で有罪にされちゃたまらんわな。
769 :
諸葛肛明 :04/10/20 18:09:39 ID:+ttPYC4+
やっぱり完全理論武装論者の説に、どうしても説得力が無いのは それならば国内で叩き潰したほうが、より完全に徳川の 不安を取り除けるのでは、という疑問に十分答えていないからだ。 仮に秀吉の立場になって考えてみろ。 徳川が自分の亡き後、天下を取ろうとするかもしれない。それを防ぐ 最善の策は何か。それは徳川を完全に亡きものにすることだ。 それならば、それを実行する手段は・・・。 と必死で考えるはずで、徳川を亡きものにするのは難しそうだから、 次善の策は、などと考えるほど秀吉がノンキな状況認識をしていたとは 考えにくいな。
770 :
完全理論武装論者 :04/10/20 18:42:40 ID:3s5lKZdO
>>769 だから戦争というのは大将を倒しただけでは終わらないんだよ
家康を国内で叩き潰すというのは、家康軍と合戦して家康軍を完膚なきまでに
潰さないといけない。
でもその家康軍との全面対決の合戦は一度失敗したでしょうが(小牧の戦い)
その時に秀吉はわかったんだよ、家康軍を武力で持って倒すのは無理だと
だから家臣にして取り込んだ。
でもいずれ秀吉か家康が死んだら、また秀吉対家康軍との全面対決が必ず起きる。
その時に必ず秀吉軍が勝つとは限らない
だから、全面対決で負けることがないように、片方を海の彼方へ引き離そうとしたんだよ
771 :
完全理論武装論者 :04/10/20 19:19:27 ID:3s5lKZdO
>>768 古書記録をまともに信じるとはお人好しもいいところ
当時の天下人秀吉にとって都合の悪い部分はすべて改ざんしてあるというのに
古書や歴史書の改ざん捏造なんて当たりまえだけどな
あんたが警察や官庁の公文書をすべてうのみにしますか?
その公文書には警察や官庁にとって都合の悪い部分は、すべて載せてないか
改ざんしていますよ
自民党や創価学会が発行する新聞でもそうでしょうが
自分たちの組織にとって都合の悪いことは絶対に新聞に書きませんよ
現在でもこれなのに、昔だったらもっとひどい改ざんや隠し事が行われていましたよ
>771 脇からすまんが、んなこと言い出したら「理論」自体が成立しない。 物的証拠の下支えをもたない推論の積み重ねは、 いくらそれを積み重ねたところで「理論」には昇華しえないぞ? せめてHN名を「完全推論武装者」に変更キボンヌ
数年前、NHKの堂々日本史?(その時歴史は動いたの前番組)で雑賀衆が 朝鮮に寝返った仮説を紹介していたけど、他にも寝返った武将は存在したのかな?
774 :
諸葛肛明 :04/10/20 20:23:12 ID:+ttPYC4+
>>773 「サヤカ」という寝返り武将がいて、その子孫が今でも韓国にいる、
という話のことだろ。サヤカというのは「左衛門」をまんま読んだもの、
という仮説を聞いたことがある。
NHKのヤツは、雑賀をサヤカと読んだ、という説だろうな。
完全理論武装論者が歴史学者で無いことはよく解った(笑
ま、俺は歴史推理は嫌いじゃないし、このネタで伝奇小説でも書けば、
面白いかもしれないが。
徳川家をどうするとか言う理論(推論?)、どっかのスレで読んだなあ。 結果はおしてしるべしだったけど。 別人だよね?
777 :
完全理論武装論者 :04/10/22 00:53:31 ID:6S+4Mq1C
>>772 歴史や軍事を史料でしか語れない人が多いな
もっと心理学や深層心理を勉強した方がいいよ
名探偵コナンやシャーロックホームズを見たまえ
現場に残された証拠だけで犯人を探し出したりはしない、被害者の置かれた状況や心理
加害者と思われる人物の状況や心理など、ありとあらゆる面から推理して犯人を捕まえる
日本人に欠けているのは物証(文書史料・発掘史料)でしか、推理できないチャチな脳みそだ
いいかげん史料だけで推理するのはやめたまえ
名探偵コナンやシャーロックホームズたちに笑われるよ
778 :
完全理論武装論者 :04/10/22 01:04:54 ID:6S+4Mq1C
私は小さい頃からシャーロックホームズの本を何十冊も読みあさった シャーロックホームズの難事件で犯人を特定する推理はすばらしかった 現場に残された証拠はもちろんのこと、ほんの小さな現場の変化でも見逃しはしなかった また、事件の関係者全員のささいな言動や細かい仕草などや、服装から履いている靴、さらには 靴についている泥や洋服に付着している花粉、ありとあらゆる面から推理して犯人を特定していった 私はシャーロックホームズの本を読めば読むほどはまっていった。 物証や証拠がなくても現場の変わった様子や変化、関係者の言動や態度などの心理で 犯人を特定することができるのだと、私は多くのことをシャーロックホームズの本で学んだ あなたたちも一度シャーロックホームズの本を読みあさってはどうだろうか? 史料だけで歴史を判断することはきっとなくなりますよ
誰だ、こんな粗悪な燃料を投入した馬鹿は!
どうせコピペだよ
781 :
名無し三等兵 :04/10/22 23:01:28 ID:potIAcxg
>>777-778 推理小説の例えはちょっと違うような気がするな。
推理小説の場合、あらかじめ容疑者も絞られていて、
物的証拠や状況証拠もたくさんある中で、推理力を働かせ、
全ての矛盾を解き明かし、犯人を追いつめる頭脳ゲームだ。
始めに容疑者の置かれた状況から心理学的に犯人は誰かと決めつけて、
それに反する証拠を全てデッチアゲだと決めつけてしまう名探偵はいない。
秀吉の意図について推理するなら、まず、膨大に残っている史料の中から、
それこそ「ささいな言動や細かい仕草」でもいいから、自説の根拠を探すべきだろう。
二、三ヶ月前のレスに比べるとレベルの低下が著しいな。 ・・・もちろん漏れも含めて。
783 :
名無し三等兵 :04/11/06 12:01:35 ID:j2i4oA7U
当時の邑城の弱点の一つに城壁の北門(日本における鬼門)があった 軍事上の要求ではなく、風水思想における施設である これは領主が年に一度だけ、元旦早朝に出入りする目的のものだ (朝鮮の役だけでなく、日露戦争などでもここを突破されている) これは今後、研究されても良いだろう 李舜臣だけではないが彼らの活動が影響し、当初の兵站計画を変更し 兵糧米の輸送と造船に、その労力を費やさなければならなかったのは 確実なところである また海軍の再評価によって李舜臣の名が発掘された点については 単に戦訓として認めて良いのではないだろうか?
再評価って軍事的な物ではなく日韓併合時における政治的な物だったのでは?
一揆勢は日本軍を苦しめたの?
日本史板の朝鮮征伐スレでも書いたが、
朝鮮義兵というのは指導者(義兵将)はほとんど両班(支配階級)であり、
「日本軍の圧政に耐えかねた民衆の決起」などではなかった。
また、民衆反乱も起きているが、日本軍にではなく朝鮮王朝に対するものであった。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1095691351/276 朝鮮正規軍が瞬時に全滅してしまったので、
やむなく各地で義勇軍を募って戦ったということであり、日本の一揆ともかなり違う。
ちなみに召募した将が現役官人なら官軍、現役官人でなければ義兵という扱いになる。
朝鮮各地における決起は、具体的な戦果に乏しく、多くは日本軍に簡単に掃討され、
俗に思われているような兵站線の寸断も全くできていない。
官軍は義兵が功をたてることをねたんで常に妨害を加え、
義兵もまた官吏の無節操を罵って、相互に連携協力することがなかったためであった。
ただし、日本軍の後方戦線を一時的にでも脅かし、
前方(平壌方面)における兵力集中を遅延させる効果はあったといえるのではないか。
朝鮮征伐に関するサイトを誰か作ってくれないかなぁ 需要自体はあると思うんだけどな
age
で、結局、2つの侵攻戦で日本は総計何万の兵員を送り込み、内何万が生還できたのよ? 過去スレを読んだが、今一わからん。 個人的推定でいいから誰か教えてくださいませ。
791 :
名無し三等兵 :04/11/27 16:39:38 ID:g7PAt5fc
792 :
名無し三等兵 :04/11/28 05:35:45 ID:riKXemnq
数万死んだとしか教科書にも書いてないからなー ルイスフロイスによるとほとんどは病死や餓死らしいけど 日本軍らしいねまったく (-o-;)
餓死はともかく、戦争の戦死者の死因の大半がが病死でなくなったのはつい最近
逃散で帰国した人数はどんなもんなんだろうね。
明軍の戦死も大半は凍死と病死なわけで、 いかにも長期間の膠着した戦争っぽい。
明軍の捕虜になった日本兵はどうなったの? 手足切断されたり玉潰されて食べられたりしたの?
797 :
名無し三等兵 :04/12/01 20:55:09 ID:qgJ2eath
秀吉がもう少し長生きすれば補給に困ったのは大陸側では?
半島の北半分は農業生産が少ないのに大量の兵を置いたから 地元の農民とかも相当やばそう、餓死も多かっただろうなぁ
799 :
名無し三等兵 :04/12/01 21:37:02 ID:cHQSpBdM
(・∀・)豊臣秀吉太閤殿下の『朝鮮征伐』はカッコイイ!!
800
>799 朝鮮侵攻作戦が原因で豊臣家の股肱の臣が大量離反。 豊臣家滅亡の原因となったのが”カッコイイ”?
福島とか加藤が関ヶ原で東軍についたことを言ってるようだ
804 :
名無し三等兵 :04/12/06 08:58:34 ID:FBkLP7Gu
戦死者は千人単位?万人単位?
征伐
朝鮮の三道勤王軍10万が壊走した龍仁戦闘での 日本側戦力について知ってる人いる? あまりにも屈辱的な敗戦だったので 韓国では、ほとんど教えて無いらしいが。
なにそれ?
>朝鮮の三道勤王軍10万が壊走した龍仁戦闘 10万じゃなくて、13万だろう。 日本軍に占領された漢城を奪還する為に 全羅道、忠清道、京尚道の正規軍兵力をかき集め 13万の大兵力で三道勤王兵を編成して漢城目指して 進撃する途中、龍仁で脇坂安治の軍勢に惨敗した戦闘だな。 戦闘の展開は、まず山に立て篭もる少数の日本軍に対して 朝鮮軍の攻勢で始まったんだけど、返り討ちにあってしまって 助防将2人と古阜郡守、咸悦縣監が戦死し多くの兵力を失ってしまう。 そして次の日の朝に、日本軍の騎馬隊に宿営地を急襲され 本隊も敗走してしまい、総指揮官だった全羅監司も騎馬隊の追撃を 受けたが、兵士達が逃げながら放棄した兵器と荷物が日本軍の追撃を邪魔したので なんとか逃げ延びたと記録に記されている。 圧倒的な兵力を持ちながら、少数の日本軍に負けるという 誠に情けないケースなので他の戦闘とは違って韓国では あんまり話題に上らない感じだよ。
当時の日本に「騎馬隊」なんてものあったのか?
ないだろうな
>>811 多少はあったといっても、単に戦闘の結果としては歩兵を切り離して騎馬のみで攻撃したというようなのばかりだからねえ・・・。
近代的な意味で「騎馬隊」として編成され訓練された部隊は存在していなかったが、場合によっては随伴歩兵を切り離して騎馬のみで攻撃する事もあったってところでしょ。
だから詳しくはあっち読んでよぉ。 俺も向こう読んだだけだからw
「近代的な意味で」なんて当時どこにもないと思うが 鈴木眞哉の影響は大きいな
>>814 つまり近代における騎兵のように単科の兵科として騎馬隊を編成、訓練していたかどうかって事だよ。
その意味で戦国時代の騎馬隊は近代の騎兵のように編成時から集団運用を前提とし整備されたヨーロッパの騎兵とは大きく異なるんでないかい?
ちなみに漏れは鱸信者じゃないよ。否定派というわけでもないけどね。
あーでもあんまり時代が上がっちゃったりすると西洋の方もアレだからなー。 17世紀ぐらいになればキチッとしてきたんだけどねえ。
騎馬隊と言っても騎馬弓兵じゃないのか?
>>815 だからどうしたというのか?
脇坂安治の騎馬隊が13万の朝鮮軍を蹴散らした事に文句を言いたいのか?
結局。
騎馬隊の実態がどうであろうと、歴史事実は消せないのだよ。
シズガタケ七本槍の一人脇坂が、 縦横無尽に槍を振るい、馬上からひ弱な朝鮮人兵士 たちを次々になぎ倒す壮観を思い浮かべる事が出来る。
>>818 まあそんなに熱くならないで。
815だが別に朝鮮の役での日本の騎馬による活躍を否定するつもりは毛頭無いよ。
漏れが問題にしているのは、君も書いたようにシステムとして日本の騎馬隊の実態がどのようなものであったかという事。
つまり騎馬隊の定義についてチョコッと議論してみたかったんだよ。大元のレスが日本に「騎馬隊」があったかというものだったからね。
>>820 熱くなるより、
あなたがそうしてその議論に執着したがるのか、
がむしろ不思議。
勝てるなら誰でもいいということか?
>820 あなたは、きっと古代ケルト人やゲルマン人の騎馬隊についても 騎馬隊と呼ぶことを認めないでしょうね。
これは凄いな。事実なら脇坂が日本最強だ。
>これは凄いな。事実なら脇坂が日本最強だ。 しかし、海戦では脇坂のせいで苦戦を強いられている。 要するに、人事の失敗って奴だな。 もし、小西のかわりに先鋒を任せていたら 朝鮮国王を捕らえることができたかも知れない。
>>808 朝鮮王朝単独で13万も動員できたの?大分サバ読んでるような気ガス。
脇坂安治は野武士出身なのでこの類の奇襲・ゲリラ戦は巧いね。
後、関ヶ原のときも奇略で城一つを少数の兵力であっと言う間に掠め取っている。
上は間違いだった。無視してくれ。
>>826 は小牧・長久手の戦いのときだったわ。修正しとく。
>朝鮮王朝単独で13万も動員できたの?大分サバ読んでるような気ガス 参謀本部編纂「日本戦史・朝鮮役」によれば、 当時、李氏朝鮮でまともに訓練されたプロの兵士ってのは数千人程度らしいから、 サバ読み+一般民衆も「兵力」としてカウントしちゃったってとこなのかな。
なんだ、数千人の兵士に対して十数万もの兵士で侵攻して勝てなかったのか。
>参謀本部編纂「日本戦史・朝鮮役」によれば、 >当時、李氏朝鮮でまともに訓練されたプロの兵士ってのは数千人程度らしいから、 >サバ読み+一般民衆も「兵力」としてカウントしちゃったってとこなのかな。 厳密に言えば、当時の朝鮮では将校や下士官クラスを除けば プロの兵士というのは存在しないよ。 当時の朝鮮は国民皆兵制を採択しており、16歳以上60歳以下の男子は 全て毎年、一定期間の軍役を負担しなければならない。 (王族、両班、賎人は軍役を免除される) 「日本戦史・朝鮮役」に出てくる数千人という数字は おそらく、戦争開始時点において軍営で軍役についていた 兵力を指していると思うよ。 平時なら、軍役につくかわりに軍布の納付で済ませることが多いが 戦時においては動員可能兵力は全て招集するから、三道勤王兵13万も サバ読みとは言えないし、一般民衆をカウントしたというのも正しくない。
>>831 つか、当時の朝鮮王朝にそれだけの大軍を養う力あったん?
兵隊の給与は自弁です。だって、税の一種だもん。
>>831 なるほど。
>>830 明を無視せんでくださいよw
この戦いって実質「日明戦争」みたいなもんだから。
龍仁における脇坂安治の活躍は、記録によるとこうだった。 朝鮮軍が朝食にかかっている時を狙って、日本軍は奇襲攻撃をかけた。 奇襲隊先頭の騎馬武者数人は金色に輝く仮面をつけ、 白地に蛟竜を染め抜いた旗を背負い、太刀を振り回して突入した。 続く日本兵は鬼面をかぶり、獣の皮を羽織って、朝鮮軍の度肝を抜き押し寄せた。 朝鮮軍は大混乱に陥り、勅書・印綬を紛失し、兵器・軍糧を投げ捨て敗走した。 襲撃した脇坂軍はいわゆる騎馬隊ではなく、 騎馬武者が郎党を引き連れている一般的な部隊編成だったようだ。 しかし、朝鮮兵が戦いに不慣れな新参兵ばかりだったために、 日本軍の軍装に恐怖して総崩れになったらしい。
>835 それは朝鮮王朝実録を元にした記述かな? 「燃藜室記述」と「?中雜録」では、奇襲してきた日本軍を騎兵として認識していて さらに、その先頭の5騎が上で表現したような姿をしていたと記録している。 (歩兵を示すような単語は無かった) それに、後続する日本兵は鬼面をかぶったと記されているが 鬼面とは、おそらく面頬を指しているものと思うけど 面頬は一般的に馬上武者がつけるものだったんじゃない? おそらく、原文にも後続する日本兵が徒歩とは記されていない筈だ。 もちろん、総力を上げての攻撃だから足軽も全員突撃したんだろうが 先頭に立った騎馬武者が数騎にすぎなかったということは無かったと思うよ。 それから、新参兵ばかりだから負けたというのは韓国側の言い訳にすぎない。 当時の朝鮮は国民皆兵制だから練度に関しては、常時動員状態に近かった 北方守備兵力を除いては、どこも似たようなものだったし、三道勤王兵の 主力は全羅道の精兵だったから敗走した言い訳にはならない。
>>836 つまり元々弱いから正規兵でも意味無しって事?
>836 >「?中雜録」では 乱中雑録と書くつもりが間違って入力してしまった。 >837 というか、日本軍が強すぎたんだと思うよ。 朝鮮軍も日本以外の国との戦闘では、そこそこの 戦いぶりを示している。
女真なんかには野戦では瞬時に殲滅されてるな。 これは明も同じだが。
↑だけど、主張はどうでもよくて、大事なのは最後の部分だけね。 >碧蹄館の戦いの際にも先陣の予定だった >立花勢をさし置いて、毛利と宇喜多が先陣争いをしたらしいし。
要するに何が言いたいんだ。
故白石一朗がNHK人間講座で言ってたけど、 文禄の役下の水軍は指揮系統がバラバラで、 水軍総督の九鬼嘉隆より格上、同格の陸戦の得意な大名がほとんどだったから 陸戦と同じ感覚で、それぞれの船団が先陣を取ろうと抜け駆けをして 地理、海流を知り尽くした李舜臣のゲリラ戦法の餌食になり各個撃破されちゃったらしい。 白石氏は朝鮮の亀船について「足も遅いし、沿岸でしか使えない」としてほとんど評価してなかった。 水軍の苦戦は、船の性能というより指揮系統の問題なのかなと思った。
age
補給戦が延びきった。兵士が前線で皆餓死した。戦闘死よりも餓死の方が多かった。
>>845 あんた、なんで唐突にそんな問題提起するの?
あちこちスレ渡り歩いて、自分のテリトリーを保守したいんだろ。
多分、1なんだろうな。
ルイスフロイスによると日本側の死因の大半は風土病らしい
何か話がループしてるな・・・
明海軍の戦果はどんなもんなんだろうか 全部朝鮮水軍の戦果にされてるのか
850 :
名無し三等兵 :05/01/13 14:43:32 ID:7/vrC9+b
欧州と違って東アジアには外洋海軍と言えるものが長らくなかったように思える。 これはやはり中国の存在が大きいだろう。 大陸国家の中国は外洋からの侵略など脅威ではなく、脅威はもっぱら西の遊牧民族だった。 周辺諸国も中国がそんな状況だから陸軍には力を注いでも外洋海軍の発想がなかった。 一方、欧州はハンニバルのローマ遠征など外洋海軍には歴史があるから、外洋海軍の運用法を熟知していた。 しかし東アジアでは外洋海軍が始めて見出されたのは鄭和の艦隊くらいだな 秀吉時代の日本も、沿岸海軍の運用には経験豊富な勢力が揃っていたが、外洋海軍はまったく無知だった。 そのために外洋海軍の運用法を理解しておらず。 せっかく落とした朝鮮半島の海軍基地をあっさり空けたおかげで簡単に制海権を奪い返された。 それが最大の敗因だな。 朝鮮出兵自体は秀吉の無謀な侵略のように言われるけど、純軍事的に見れば十五万の兵力を送り込んだ日本は、北京までの征途はそんなに困難ではなく。 朝鮮どころか明すら打ち破ることも不可能ではなかったはずだ。
ローマ時代に外洋海軍て無理あるだろ 地中海と東アジアを一緒くたにして語るのもおかしい せいぜいハンザ同盟と大航海時代からだと思うがな
>>850 「外洋」に対する言葉は「沿岸」
近代までの舟はすべて「沿岸」航行。
つまり「外洋艦隊」なんて存在しなかった。
あたりまえのことだが、人間は陸に住んでいる。
その陸上運輸の効率化のため舟と海路は存在した。
中国大陸(ユーラシア大陸)は、それ自体が海のようなもので、
その中にある川、運河を利用して航路を得ていた。
実際の海そのものは行動の自由を許さない拒絶された空間
(今の宇宙のようなもの)
で、外に出られなかっただけの話。
外敵の存在云々以前の話だ。
日本国内においても主要航路は瀬戸内海。(ここに海賊がいた)
せいぜい日本海。太平洋航路ができたのは江戸になってから。
人類は海という宇宙の中に点在していたわけ。
秀吉の朝鮮での海の戦い方も、陸の戦い方の延長に過ぎなかった。
ま、よーするに装備火力戦術練度と圧倒的な質的優位を持った大軍を送ったのに ボロボロになって列島に戻ってきたわけだ。 戦闘に勝っても戦争に勝てるわけではないという好例だな。
>>853 それはもう、錬度では圧倒的ですって
何せ日本軍は百年に渡る戦争を勝ち抜いた猛者達ですから。
一方、朝鮮半島の方は長らく戦争なんて経験してなかったからね。
戦闘になれば一方的に蹴散らされたのは仕方がないでしょう。
>碧蹄館の戦いの際にも先陣の予定だった >立花勢をさし置いて、毛利と宇喜多が先陣争いをしたらしいし。 これが本当なら、2万の明軍を1万8千(小早川・立花)で破ったどころではない。 日本軍は総出動で迎え撃ったということではないか。
韓国あたりでは、この秀吉出兵を物凄く脚色しているな。 終始、防衛側の主導権を握っていた明軍をこき下ろし 日本軍を打ち破ったのは農民達の武装蜂起だと主張している。
ヘキテイ。 宇喜多は予備戦力じゃなかったのかい。 やったのは小早川だろうが。
韓国の某シミュレーションゲームでは日本勢の装備が裸に手斧でした。
>>858 そうやって文化度とか、知性とかをどんどん低下させてくれれば愉快じゃないか。
民度の遅れた野蛮人を間近に従えて眺めるのも面白いものだからな。
李朝建国から二百年が経っていたが、伝統的に武人を軽視する傾向にあり。 特にこの時代は、公称が20万だが実際には陸軍が6万で海軍が2万 しかも陸軍は機動部隊は存在せず。各道守備軍のみだった。 さらに明軍は公称300万で実働60万だが、その大部分は中国全土に展開し外地で動けるのは10万程度 おまけに新興勢力の満州族によって国力は大きく衰退していた。 対して日本軍は朝鮮半島に出兵したのは18万人、予備戦力として15万人を用意した。 つまり明軍と李朝軍の双方を足しても、秀吉軍には及ばなかった。 しかも織田信長が確立した鉄砲隊を使った方陣を発達させ、鉄砲や大砲の戦いに長けていて。 当時としては東アジアでもっとも近代的で実戦経験が豊富な軍だった。 それだけにこの戦力なら、北京までの千八百キロの進軍も決して不可能ではなかっただろう。 敗退したのは結局のところ、外征を知らなかったために補給の確保の重要性を認識していなかったに尽きる
>>860 いや、失敗は人脈というか彼との意思疎通の手段を持ってなかったということ。
今で言う情報の欠如だったと思う。
力攻めで一つの大国を征服するのはすでに近世のこの時代は無理に近く、
清国にせよ、長年にわたる明国との軋轢、服従、角逐を経て先端を開き、
数十年の歳月をかけしかも内通者を得て征服することができた。
すでに異文化、異文明の様相を呈していた日本が
しかも海を渡り、内通のかけらも持たず、正面から力技で
しかも10年に満たない期間で達成する事業としては荷が重すぎた。
まあ、そういう正々堂々、正直に物事を運んでいこうとするのは
日本人ならではの発想なのだがね。
>>860 だから「それでも」力不足。
清との戦いでは、明は野戦では一方的に撃破されるので
敗戦の連続の後は要害に立て篭もり火砲で迎撃した。
この戦いでは清正にせよ島津にせよ、篭城した日本軍に対し
明側が強攻するというパターンが多い。
>860 大砲は明・朝軍のほうが進んでいた。 ただこの時代の大砲には榴弾はないため野戦では役に立たなかった。
>篭城した日本軍に対し明側が強攻するというパターンが多い。
>>630 氏の紹介してる本読んで驚いたけど、
明軍は倭城攻城戦で異常に多くの戦死者を出してるな。
明史によれば2000人の篭る食糧の尽き果てた蔚山倭城を攻略するために、
明は2万人の犠牲を出している。それでも結局蔚山倭城を落とすことは出来なかった。
この後、泗川倭城、順天倭城でも同じような失敗をしてるから、
これは日本の戦国時代で培われた実戦本位の築城思想、築城術が、
明側のそれ(築城に道教やら儒教の影響、朝鮮ではこれに風水が入り込む)を
遥かに上回っていたということなんだろうな。
なんせ、これですから。 >倭城では周囲が全て敵という極限の軍事的緊張下にあったため、仕える技術は全て用いた。 >日本国内では石垣と竪堀の併用は見られないが、 >倭城では石垣の外部に竪堀で二重三重の防御線を構築している。
>>865 歴史家(歴史学者w)は、
「文学者」
でもありますからね。
(ヤレヤレ)
朝鮮型の砦は周囲を壁で囲ってるだけなので大砲が一発当たれば簡単に穴が開き 崩壊した。
蔚山での明軍には凍死と疫病死と衰弱死がべらぼうに多いと聞いた。 なんせ清正達は未完成とはいえ城郭内に住めたのに対し テントに毛が生えた程度の装備で野外に宿営したので 先にまいったとのこと。しかも厳寒。
モンゴメリーが著書で李舜臣を誉めていると韓国人が主張しているのだが、 具体的になんと書かれているか分かりませんか? 著名は「戦争の歴史」だったかな←うる憶え。
そんな話聞いたこと無い、やっぱ東郷つながりか
872 :
名無し三等兵 :05/01/17 06:17:38 ID:qxGKO55d
naver韓国人で李舜臣を評価している外国人として WW2で活躍したイギリスのモンゴリー将軍の著書(戦争の通史?) と 日本海軍の佐藤鉄五郎中将が上がっているのだが原文不明。 佐藤中将は戦史が専門だから何か書き残しているのかな? 貴族院でも朝鮮に関係していたみたいだし。 東郷平八郎の李舜臣高評価発言はどこにも記録がなく、 戦後になって流布されたのが実態のようだ。
鉄太郎?
>871 病死者数>>>戦死者数は近代までの常識。 それを知らんと軍板では笑いモンになるがね。
ある意味焦土作戦
876 :
名無し三等兵 :05/01/17 18:49:33 ID:YNEPYZYB
佐藤って日露の第二艦隊参謀長のか?
>>868 蔚山って半月ほどの滞陣なんだが。
兵糧も尽き果て、井戸も明軍に押さえられた城側に
疫病死と衰弱死がいても不思議じゃないけど、
李氏朝鮮のバックアップを受けれるはずの明軍ですら
こんな有様だったの?
だとしたら日本の武将たちにとっても、明にとっても半島は地獄の戦場だな。
朝鮮半島は疫病や寄生虫による被害がおおい地域だった まぁそれには理由があるんだけどね
880 :
名無し三等兵 :05/01/18 20:32:15 ID:Jufr/rVl
計画性のない非現実的な命令を強要したのさ 高官は死なないから
age
豊臣秀吉は無謀とも言える朝鮮征伐を行った人物であったが、一方で日本史史上初めて日本という島国だけでなく東アジア全体を見渡した人物だと評価することが出来る もし徳川家康がもっと東アジア全域を見渡すことが出来る人間であり、鄭成功の台湾支援を決めることが出来れば、その後の日本史は大きく変ったのではないか? 日本もイギリスのような海洋覇権国家を目指すことが出来たのではないか? そんな一つの妄想をすることも出来るな。 台湾と朝鮮半島を早めに押さえれば、もっとうまく経営も出来たでしょうし
鄭成功の頃は既に家康死んでるだろ
ならば黄門様のお力添えを
887 :
884 :05/01/22 01:13:58 ID:???
888 :
名無し三等兵 :05/01/23 21:23:59 ID:9ZUuOzEH
>>883 国体維持のためには贅肉はいらない。無駄は極力そぎ落とした健全な政治体制こそが
世の中の理想であれば、朝鮮半島や大陸、台湾にいたっては保有することが既に体制崩壊の元。
しかも長い戦乱の末、国民は疲れていたし、社会は極めて不安定な状態。徳川家康自身も
豊臣政権崩壊時には70を超える老体であったから、自分の野望のために国力を費やしてまで
外国遠征する意味が無い。
徳川家康が国際情勢を見る目を持っていたからこその鎖国政策だったし
欧州や東亜国家との付き合いも相手をよく分析した上での限定的な交流に抑えた。
東国遠征もしなかったのは豊臣の失敗を見ていたからだし、家康なりのきちんとした
目算と理論に基づいて、300年に及ぶ幕藩体制の基礎を築いたんだ。
逆に国際的視点を持っていないと夜郎自大に陥って秀吉みたいに政戦略共に欠いた
意味のない戦争ばかりが繰り返されることになる。その結果が豊臣家の滅亡。
歴史にIFはないというのは有名な言葉だけど、秀吉が自分よりもまず豊臣政権繁栄のために
努力していたなら、訳の分からない朝鮮出兵なんてしなかったよ。
つまり、朝鮮出兵する秀吉を見て日本の誇りとか偉大なる業績と言う輩は氏ねということだな?
何で晋州城を放棄したのだろう? あれだけ犠牲を払った要衝なのに。
891 :
名無し三等兵 :05/01/24 14:03:08 ID:tItdRb/6
>>888 内政完遂の為の外征だったんだよ。
徳川家は遠方の雄藩の力を殺ぐために鎖国して自主貿易を事実上禁止し、
その上参勤交代で財政を圧迫した訳だ。
秀吉公は外征で雄藩の力を浪費させようとしていたことを忘れては
いけない。
同胞が血で血を洗う内戦状態や国土農民の疲弊を招く事態を未然に避け、
外征により力の逃がしどころを他所に求めた秀吉公の朝鮮征伐に関しては、
また違う評価があっても良い。
朝鮮征伐の戦争目的は何なんだろうか。
一応、明制圧が公式発表だが、本当の目的とは限らない。
朝鮮制圧、あるいは、朝鮮南部の切り取りぐらいが目的かもしれない。
>>891 が言ってるような、日本に残った大大名の対策の要素もあるんじゃないかと思う。
家康の朝鮮移封とかが狙いだったりして・・・
単純に秀吉の頭に虫が湧いていただけだったりして。
やっぱり徳川家を予定通り朝鮮に出兵させられなかったことが朝鮮出兵最大の失敗点だな
>>892 秀吉自身の焦りがあったのかも知れないな。
何せ、天下人になったと言ってもすでに当時としては高齢だ。何時死んでもおかしくない
だいたい秀吉自身も織田信長の天下取りを横からひっ浚ったとこがある。
早いとこ自分が偉大な皇帝になって、権力を強化しようと思ったのかも知れない。
>>888 そういうのを盆栽思考って酷評する人もいるよ。
まあ、秀吉の朝鮮出兵はあまりにも無計画だった。せめて十分に朝鮮半島の内情を調べてからやるべきであり
秀吉の判断自体は私も評価しないが、日本史上、白村江の戦い以来初めて日本列島以外に覇権を求めた。
そんな方向に秀吉の出兵を解釈が出来る。
秀吉の朝鮮出兵があったからこそ日本はアジアで唯一 近代化に成功し欧米に対抗できたようなものだよ。
スレの流れからは離れるけど 結局、李舜臣はジャンヌ・ダルクと一緒で ネーション・ステイトの為に造られた神話って事でいいのか? 史実ではどっちも序盤は勝ったけど、その後はさっぱりだめ そして近代に至るまで忘れられた存在だった
899 :
名無し三等兵 :05/01/27 20:42:08 ID:FhPbe7u9
ジャンヌほど実績ないし 明と屈辱外交やってた重臣のほうが功績があるよな
900
>>899 ジャンヌの実績も実際のとこたいしたことないよ。だいたい神がかりの農奴の娘が功績を上げられるもんじゃない
ジャンヌは捕虜となって殺されたが、あの時代は捕虜は身代金を支払えば解放されたが。
王は支払わなかったとこ見れば、もう使い道がないと見限っただけだろう。聖女や救いの主と言われるようになったのは、悲劇の最後を向かえたあとだろ
>>901 フランス防衛の要地オルレアン解放
パテーの快勝
そしてランスの戴冠式・・・
これらを成し遂げたジャンヌの功績も901の前では微々たるものなのか・・・
>>902 結局序盤は良かったけど
途中から駄目になって悲惨な末路を送ったって事ですな
ジャンヌをフランス国民の英雄として蘇えらせたのはナポレオンだそうだ
李舜臣は帝国海軍?
二人とも軍艦の艦名に使われてる所もそっくりだな。
フランスと韓国ではストが頻発するし
たしかにニダーはアジアの御仏蘭西ですかねw
904 :
名無し三等兵 :05/01/28 20:18:29 ID:8sTJWoPL
李はきっかけにさえなっていないが?
905 :
名無し三等兵 :05/01/31 16:25:43 ID:OT0HUCwv
いちおうジャンヌの勝利の延長線にフランスの勝利があるが 李の勝利はほとんど日本の撤退に貢献してないでしょ?
ないな
907 :
名無し三等兵 :05/02/10 10:25:16 ID:ggAMX22h
じゃあ朝鮮で一番活躍したのは李舜臣でなければ誰よ?
>907 いつの時代も民衆
>>907 宗主国と日本
いつの時代も同じで自分達は当事者になれないw
910 :
名無し三等兵 :05/02/13 10:34:35 ID:tdAMWWt6
朝鮮の王子を捕らえていたのだから、彼を王として親日政権樹立すりゃよかったのでは? 満州国のごとし。
黒人にチンコを咥えさせられアナルを犯されるチョン!
チョンと間違われて黒人に袋にされた中国人もいるし(別に良いんだけど、日本人でも間違われて襲われる危険大)、
他のアジア系にとってもチョンは物凄い迷惑。
http://news.ncmonline.com/news/view_article.html?article_id=3062bb5075a6e5c7e119537f020273ba Many Koreans serving prison terms in the United States are expected to apply for transfer to Korea in August
when the Korean government ratifies an international treaty to accept prisoners of Korean nationality from foreign countries.
Most Korean prisoners will request transfer because the treaty contains measures that make it easier for the transferred inmates to receive parole or reduction of terms,
according to Korean American pastor Soo Min Lee, who has been advocating for prison transfer for nine years.
"Because of their small physique, they easily become targets of sexual assaults,
or errand boys for others' drug trafficking," he said.
大爆笑!!!
保守
913 :
名無し三等兵 :05/02/17 22:02:03 ID:hFUHMulP
914 :
名無し三等兵 :05/02/17 23:36:03 ID:bCYwajr9
>>913 ちょっと意味がよく判らないんだけど、日本産の木材は弱いの?寿命が長いの?
まあ強度は弱いけど長く持つ、ってのもあるのかもしれないが。
915 :
名無し三等兵 :05/02/18 02:38:50 ID:BM36GgSu
そういう話を聞くと在日が法隆寺に放火しないか心配になる。
松は水に強くて強度もある。杉よりはシロアリには弱く、耐久性では劣るそうだ。 日本産だから弱い、とは聞いたことがないな。材質による優劣はあるだろうけど。
和船は様々な木材をその特性に応じて適材適所に使用されてる。日本の船が杉で出来てるという話は嘘。 朝鮮の船が松で出来てるって話も眉唾で、大規模な艦隊を編成するには山が幾つも禿山になる程の 大量の木材が必要で、朝鮮の役当時、日本では木材不足が起こったようで、伊勢の場合「神宮の森以外 何処の木を切ってもよい」とされたほど。 そんな大量の木材を、松だけで大量の船を建造するのに必要なだけ用意するのは困難だし、合理的とも 思えない。
918 :
名無し三等兵 :05/03/04 01:31:58 ID:PS0Yy5E+
ただ、松の木は曲がりくねっているのが欠点。 だから長くてまっすぐな材を得にくい。 もっとも日本ではこの「曲がり」を生かし、松は梁材に用いる。
イスンシンの神話は元より、島津が数十万の明軍に連戦連勝とか妙な見方ばかりされるけど、きちんと見れば極々常識的な戦争ですね。
age
327 :名無し三等兵 :04/05/21 15:25 ID:???
>>319 >実際は宇喜多はじめ諸隊が逃げ送れた兵を襲ったり追撃を仕掛けたりしてる。
>にも関わらず敗残兵の掃討すらできなかったわけで、
そのソースは何よ?
根拠は?
855 :名無し三等兵 :05/01/13 17:02:12 ID:???
>碧蹄館の戦いの際にも先陣の予定だった
>立花勢をさし置いて、毛利と宇喜多が先陣争いをしたらしいし。
これが本当なら、2万の明軍を1万8千(小早川・立花)で破ったどころではない。
日本軍は総出動で迎え撃ったということではないか。
684 :名無し三等兵 :04/09/16 01:39:20 ID:???
>>682-683 結局何が言いたいの?
つまり「島津が強くない」ってことを言いたいわけだね。
必死なのは分かるけど、恣意的な資料や見解のつまみ食いに見える。
685 :名無し三等兵 :04/09/16 11:32:23 ID:???
>>684 これがそう見えるなら、そうとう重症だ。
この頃約350万ほどだった朝鮮の人口は150万ぐらいまで減ったらしいよ。 一方的にボコるだけボコって「今日はこの位にしといてたる」って去っていったような感じだね。 もっと徹底的にすりつぶせばよかったのになぁ。今うだうだ言う奴もいなくなるだろうし。 明もダメージから立ち直れず清に折れかけの木を押し倒されるように滅亡した。 この戦争で一番得をしたのは清のヌルハチなわけだが。
当時の朝鮮の人口ってそんなもんか。 あの国に宗門開帳 日本は人口2000万ぐらいかね?
925 :
追加 :05/03/19 16:04:01 ID:???
あの国に宗門人別帳のような歴史人口資料があるなかな?
木造が当たり前の時代の木の使い方はもっと繊細だよ。 船一隻を同じ材で造ろうと言う考え自体が信じられないほど、雑。 内装指物の類まで含めたら十種類ぐらい平気で使いそうだ。 機械力が無い頃の木造の常識はことごとく失われたと見ていい。
928 :
名無し三等兵 :2005/03/21(月) 14:49:08 ID:pe3lWmoa
>>923 鉄炮 vs 大砲 の合戦と考えるべきなのかな。
でも、ヌルハチ自身も大砲を軽視して、自ら大砲にやられているわけだし。
朝鮮征伐初心者なのですが、両役をイデオロギー抜きで 軍事史として客観的に勉強出来る本はありませんか? 戦国時代の本は腐るほど店頭で見かけます、なんか この時代だけ出版量が他分野に比べて少ない?気がします。
>930 李氏朝鮮が行った人口調査はいい加減なので注意。 税金払えない->両班に頼んで奴隷契約の代わりに統計からは削除。 そんなことが普通に行なわれてました。 だから1904年から1910年の僅か6年で人口倍増(ねずみのDNAでも もってたのか?)なんて統計になっちゃうんです。
age
>>930 戸籍に登録されていなかった人口が結構多かったという説も。
934 :
チョナン・カン ◆.jMGTy6iYI :皇紀2665/04/02(土) 00:24:22 ID:UC7OGpYB
独島は韓国の物だ
935 :
レコバたん ◆nmRecoBANs :皇紀2665/04/02(土) 00:54:35 ID:ycwRsjjT
936 :
チョナン・カン ◆.jMGTy6iYI :2005/04/05(火) 21:38:35 ID:iSpgId5C
独島は韓国の物!!
937 :
少佐 :2005/04/05(火) 21:48:27 ID:TdXmQGWj
我々は朝鮮人を馬鹿にしがちだが、この戦いで朝鮮の民衆は手製の弓矢 をこしらえ、鍋釜を溶かして鉄のやじりを作ったと言われる。 もちろん鎧もカブトも無い。 白兵戦武器は竹槍や鎌だったらしい。 普通に考えたら鉄砲、使いなれた鎧カブト、刀槍の日本軍が負けるはずが 無いのである。 だが負けた。 精神力は最期の武器ということをこの戦いは教えてくれる。
938 :
少佐 :2005/04/05(火) 21:53:32 ID:TdXmQGWj
竹槍で日本の武士団に襲いかかる朝鮮の民衆。 日本刀で竹槍を叩ききられ、腕も叩ききられても歯で噛み付いて最期の 抵抗をしようとする朝鮮の民衆。 もう鬼のような闘魂! 日本の武士団はこれに敗れた。 徹底した拷問虐殺、焼き討ち、略奪がまずかったとしか言いようがない。
939 :
現地兵 :2005/04/05(火) 22:02:05 ID:XNON9Ywx
李舜臣は自軍の戦力の限界と役割をよく知っていた良将であることは間違いない。 天才的な名将ではないが。 彼は自軍が戦力や質の点で日本軍に及ばないことを認識している。 彼は正面からぶつかり合うようなことを可能な限りやめているし、ゲリラ戦に徹している。 俗説のように日本軍は制海権を失ってはいない。李舜臣は補給艦などをゲリラ的に散発的におこない、 日本の補給に常時プレッシャーをかけ続けた。それが自軍の限界だと知っていた。 きわめて状況判断にすぐれた良将であることは間違いない。 ・・・・と韓国人にいったら怒られた・・・・。なにが悪かったんだ。
>李舜臣は補給艦などをゲリラ的に散発的におこない 変な日本語になってるぞ、現地招集兵こと軍事初心者
942 :
名無し三等兵 :2005/04/05(火) 23:17:03 ID:OtfON5rC
そんなにいねーよ かき集めの農民軍を更に帳簿上で水増し
943 :
チョナン・カン ◆.jMGTy6iYI :2005/04/05(火) 23:22:03 ID:iSpgId5C
少佐を見つけた
>>941 引用サイトをちゃんと読んだのか?
それとも韓国の自爆兵か?
945 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 06:54:23 ID:yVYweeyv
自爆ですな。 戦前からいた官軍は初戦で壊滅。 あとは腹を空かした恩賞目当ての流民を集めた雑軍。
946 :
89男 :2005/04/08(金) 19:37:36 ID:41OS6q5o
戦後のドサクサに紛れて、駅前の一等地を乗っ取って、パチンコ屋をやって、 莫大なカネを稼いで、脱税しているようなチョンは、自分の国に帰って下さい。 って言うか、一家揃って、氏んで下さい。
947 :
名無し三等兵 :2005/04/18(月) 21:12:33 ID:/EUwOEFf
ちょっと聞きたいのだが。 一般に日本軍は補給が途絶して飢えに苦しんだといわれるが全部隊が最初から終わりまで飢えていたわけじゃないだろ? 漢城以北や籠城した部隊以外にどこでいつ飢えていたんだ?
948 :
名無し三等兵 :2005/04/18(月) 21:55:25 ID:HT1kEpJQ
俺も知りたい
949 :
名無し三等兵 :2005/04/19(火) 13:55:16 ID:LAWEa4CA
泗川や順天では食料不足の話は聞かないからなあ
950 :
少佐 :2005/04/19(火) 13:58:07 ID:007F0HFa
手製の弓矢、石ころ、竹槍、鎌などを持った朝鮮の百姓はグルカ兵のような ものだったんじゃないかと思われる。
スレ違いですけど、 英軍はフォークランドやコソボや湾岸戦争時に いち早くグルカ兵を投入して殺してましたね。 傭われ兵はやっぱり一番最初に最前線送りですか。
952 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2005/04/19(火) 14:23:50 ID:WJqlSuCS
>951 何のための兵隊雇ってるとでも? フランスだって外人部隊が前衛部隊を勤めるだろ。 ・・・自国民殺したくないから、兵隊雇ってるんだろ?
SASとグルカは常に最前線だな。 グルカがナイフもって突撃するのをSASは後ろから見てて、 グルカ兵ごと航空支援で消すw
954 :
名無し三等兵 :2005/04/20(水) 06:46:26 ID:R6RlpFHq
沙也加の逆バージョンは十数陪の規模でいると思うのだが日本軍の朝鮮兵は目立たないな。
955 :
名無し三等兵 :
2005/04/21(木) 20:53:27 ID:FyJ/dPS7 飢えとは