4 :
じんべえ:03/05/27 18:44 ID:UlC+l3BB
土浦日大の男子制服わ
海軍の士官服が元
結構似てる
俺のちんぽのカリの裏側にはちっちゃいイボが一つあります。
俺はこれをIP(重要地点)と命名してます。
6 :
じんべえ:03/05/27 18:51 ID:UlC+l3BB
7 :
名無し三等兵:03/05/27 19:04 ID:F2RiW3i9
8 :
名無し三等兵:03/05/27 19:09 ID:F2RiW3i9
あ、いけね漏れの玉に有るのは黒子だった。
爆心地って奴?
9 :
じんべえ:03/05/27 19:10 ID:UlC+l3BB
弾裏ににきびできたことある?
あれきついよ
10 :
名無し三等兵:03/05/27 19:12 ID:F2RiW3i9
(((((((((((((((;゚Д゚))))))))))))))) ガクガクブルブル
(((( ;・∀・)))ワクワクブルブル
12 :
名無し三等兵:03/05/27 19:14 ID:c0p53b4f
泣ける話スレも復活キボン
13 :
名無し三等兵:03/05/27 19:14 ID:F2RiW3i9
白い軍服を着用するときは汗染みがしないように防水スプレーをしている。
>>15 またパンツが透けると、みっともないので
ステテコは欠かせない。
そうなの?
だからモッコリしてるのか。
18 :
名無し三等兵:03/05/27 20:35 ID:jZE28z0d
うろ覚えだけど、どっかで読んだ話。
日本軍の空の神兵、パラシュート部隊は一般には秘密にされていた。
その降下訓練の一部を、豊島園の落下する乗り物で
一般人に混じって行っていた。
その際、秘密訓練なので学生服を
軍から支給されてこれを着ていくのだが、
早稲田の防止、東大の上着と統一されていなかった。
それで豊島園に向かったら、本物の早稲田学生や、
東大生にからまれて乱闘、警察に御世話になったが、
身元を明かさなかったために警察署から返してくれなかったという
珍トラブルがあったと聞く。
しょうも無い知識だね。
>豊島園の落下する乗り物
これって戦前からあったのかなあ?
>>18 石油技術者たちの太平洋戦争に書かれてた訳で。
豊島園じゃなくて読売遊園地にあった落下傘塔やね。
ちなみに、海軍も同じ所で訓練してたりしていて、お互い、変な奴らだな
と思っていたらしい。
23 :
じんべえ:03/05/28 00:10 ID:74pGVbJN
橘中佐の軍刀は軍歌では関の兼光となっているが
ホントは蜂谷関の兼延だ。
はっきりいって名刀の部類には入らない。
戦後の刀狩で行方知れずになってしまった
24 :
山崎渉:03/05/28 15:50 ID:???
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
25 :
名無し三等兵:03/05/28 21:46 ID:a17zjv5r
26 :
名無し三等兵:03/05/29 20:20 ID:wTt11RW/
確か、旧軍に亀の甲羅状の匍匐前進用のよろいがあったな。
あれって、どこかのホームページで見たのだが、URLを失念した。
残念。
しょうも無い知識だあね。
匍匐全身用装甲なら各国の特徴あるものが開発されている
どこの国も考えてる事は同じってこった
戸山学校軍楽隊が演奏したレコードのなかに
金楽手が独唱したものがある。
彼は後のキング専属歌手永田絃次郎でオペラにも出演したが
戦後、帰国事業の甘言に騙され北朝鮮に渡ったが行方知れずに..
>>26 それだったかどうか、GUN誌の古本の巻頭白黒(!)グラビアに載ってた
のを見たことあるぞw 棺おけの後を切り取ったような角張った形で、尻から
下は丸見え。前方の銃眼から軽機らしきものが突き出ていた。
33 :
名無し三等兵:03/05/30 21:53 ID:Nk3gO++W
F―22
は配備されない
34 :
名無し三等兵:03/05/30 21:56 ID:0VI+FpYZ
サントリーの会長と裏千家の家元は一緒に特攻機で飛び立ったがエンジン故障で引き返した。
次の出撃の順番待ちをしていたら戦争が終わった。
すごい運だ。
>>30 金楽手は戦後NHKで声優として活躍し60年代に帰国事業で帰国。
その後、共和国のプロパガンダ映画に多数出演したとされているとされている
が親交のあった黒柳徹子女史がユニセフ大使に就任した際に調査したが出演し
たとされた映画が自体がじつは製作されていなかったという。
旧日本陸軍の擲弾筒は工作精度に問題があり、一万回に一回の確率で筒内爆発の可能性があった。
製造元では、輸入した工作機械でなら問題はおきないので納品個数と納期を緩めてもらうようお願い
したが、「かまわない。納期は絶対だ」といわれ、そのまま生産。
当時の職人がなんかに投稿してたな。
>>32 ずいぶん前だが、詳細な写真のある本見たぞ。
この甲羅に向けて試射、角度ゆるいのに穴がボコボコあいてて意味ねーとか思った。
>>37 信じられないが、本当だ!!ですね。
うーん、びっくり。
どうせ兵隊なんて消耗品だから
その考えも解るけど、するなよって感じです。
以前、『ナチスドイツのヒムラーは副官のヴォルフを「ヴォルフちゃん」と呼んでいた』というレスがあったが。
ソ連のスターリンはモロトフのことを公然の場でも「モロトフちゃん」と呼んでいたそうだ。
信じられないが、本当だ。
旧軍の擲弾筒は、射手と装弾手の2人で使用するが、
ときどき、擲弾筒に二重装填する事故があったそうだ。
この場合、発射すると擲弾が擲弾筒内であぼ〜んします。
擲弾筒は1門に付き一万発も撃たない。つーか、撃てない。
英軍の小型50mm迫撃砲でもそう。
普通の砲でも砲身命数があり、指揮官は射撃弾数を砲歴簿でチェックしていた。
八九式重擲弾筒には、ライフリングが切ってある。
44 :
名無し三等兵:03/06/01 21:14 ID:CYrCFaUD
一万発撃つ撃たないにかかわらず、この場合一発あたりのアボーンする確率は同等という罠。
危険な代物であることは変わりない。
>40
原語でかいてくれ
モロトフカ?モロトフシュカ?
47 :
名無し三等兵:03/06/01 21:55 ID:ffsHGvkV
>>38 でも爆発の破片なんかを防ぐためには充分有効な気がするんだけど…。
…なんで普及しなかったんだろう?(←半分くらい本気)
48 :
名無し三等兵:03/06/01 21:57 ID:n2npp0sv
49 :
名無し三等兵:03/06/01 22:13 ID:QlOlROqN
野砲でも筒内爆発の危険は常に有るのでは?
大砲は手入れを怠ると可燃性のススが溜まって暴発すんじゃなかたっけ?
砲兵じゃないから詳しくは知らないが。
>>41 漏れなんかやりそうだな時々 マヂで。
なんか工作精度より問題かもしれんな。
>>43 ライフリングがあっても弾丸に銅環が付いてないと意味が無い
戦前に藤永田造船所で最初に建造された二等駆逐艦は、その名を取って、
「藤(ふぢ)」と名付けられた。
しかし、この時一等海防艦には、旧戦艦の「富士(ふじ)」が在籍していたりする。
この艦は旧式化した後は哨戒艇37号として太平洋戦争を生き抜き、敗戦時は
Surabayaにあった。
戦後、JavaとSingaporeの引揚げ輸送をしていたが、1946年6月、ジャワ島中部
で、Indonesia独立軍の武装機帆船に攻撃され、奪取されている。
これは、Holland海軍の軽巡洋艦トロンプによって奪回され、7月にHolland海軍
が接収して退役した。
1953年に海上警備隊に供与されたLSSLに、再び「ふじ」の名前が付けられて
いたが、これの退役は、1971年。
この船の退役前に、砕氷艦「ふじ」が竣工しており、一時的で同音異義語に
せよ、同一艦名の船が海上自衛隊に存在した。
>>47 それが現在の防弾チョッキという形に落ち着いたのでは。
どこかのホームページで、旧軍の亀甲羅と防弾チョッキが
一緒に分類されて置いてあった。
亀甲羅も実際は、盾常態にして、
遮蔽物として使ったような事も書いてありました。
56 :
43:03/06/02 20:21 ID:???
>>53 重擲の弾の上下には、リング状の物がついています。
また、旧陸軍の手榴弾の上下にあるエッジ状の物も
擲弾筒に使用していた時のなごりです。
ドイツのMP38短機関銃を設計したのはシュマイザーではなくフォルメルである。
>>56 薬室がある後込め砲ならともかく、砲身先込めの擲弾筒では砲身と弾丸の
クリアランスを確保する関係で銅環とライフリングがぴったり密着しないので
せっかくのライフリングもあまり役に立たない気がするのだが....
初期のライフル銃も先込めだんべ
61 :
43:03/06/03 21:40 ID:???
>>59 確かに・・・
しかし、
>>60で言っている先ごめ式ライフルの弾は、火薬ガスの圧力で
弾が膨らむようになっているし・・・
でも重擲弾筒のガス圧で、ライフリングにリングが食い込むだろうか?
それより、あの短い砲身の中で一回転もしていないライフリングで
何か役に立つんだろうか?
でも、以前写真で見たのは確かだし・・・
>>62 シュマイザーはベルクマン社の技術者。
MP38はエルマ社のフォルメルさんが開発しました。
エルマ社はライカのレンズも作っている。
う〜んカメラに興味があれば誰でも知ってるか・・・・
ヒューゴ・シュマイザーは設計者でもあり、ハーネル社の支配人でもあるのだが。
確かにMP38は設計しなかったが、エルマ社だけで無く、ハーネル社もMP38/40の生産を受け持った。
ちなみにシュマイザーが設計したのはMP42/MP44の突撃銃の方。
>>61 ソ連のAKに付けるロケットが先込め式で、
弾を砲身からライフルに沿ってくるりと回しながら入れるそうですね。
>>65 しょーもねー。
>>66 しょーもねー。
68 :
名無し三等兵:03/06/04 01:43 ID:kVg53x1x
>>67 小銃擲弾などは打ち出す擲弾の方にライフルに合わせてネジ切ってあるよ。
でも、擲弾筒は違うんだよね。
69 :
名無し三等兵:03/06/04 04:02 ID:y3CujzRt
海軍の飛行機には緊急用にサントリー角瓶が積んであった。酒保で売ってる
碇マークの羊羹は黴びてる確率が非常に高い。
海軍に羊羹を納入していたのは老舗の虎屋。
市価よりかなり格安だったが、上品すぎて兵からの人気は今ひとつだった。
昭和19年のある日(作戦行動中)の戦艦武蔵の兵員朝食
・麦めし
・玉ねぎ味噌汁
・タクアン2切れ
・福神漬(小皿にひとつまみ)
空母蒼龍の柳本艦長は戦場にあっては自らこの兵員食を頼んだとも言う。
72 :
PANZER読者:03/06/04 08:01 ID:19PCFfE7
朝霞駐屯地には日本で唯一、現状保存で可動状態の61式戦車が教材として置いてある。
>>71 なんだっけ?
大和が撃沈された日はご馳走の予定だったが、
撃沈されて兵士達の胃袋が満たされずってのが
前スレにあったね。
まさにしょーもねー。
海軍だと士官食は自腹で兵食は官給だったっけ?
華やかりし頃、遊び過ぎて給料前に士官食で無く、兵食を食べている士官が居たそう。
>73
撃沈されていなければ、夜食の汁粉を食べられたのに……、という話でしょうか。
もし食べられなければ撃沈されて戦死、食べていれば沖縄で戦死。
>>74 陸軍も自腹。あと、将校集会所の当番兵の給与も将校全員に割り振られていた。
>>72で思いだした。
三菱重工の小牧工場には、F-86の三号機が展示されている。
通常、こうした一桁号機がメーカーに帰ってくる事は珍しい。
なぜなら、こいつは会社整備中に社員が事故死したため。
翼の下に下ろされていた増槽の、強制除去用のリンクを押しちゃったらしい。
78 :
43:03/06/05 20:42 ID:???
1997年3月号”GUN"に書いてありました。
火薬ガスの圧力で、リングがライフリングに食込むそうです。
79 :
名無し三等兵:03/06/08 08:07 ID:3PeMl24k
>>77 86の増槽って、火薬での強制排除だっけ?
てことは、リンク押したら、ダイナモ発電→あぼーん、てことか…
米の軍用チョコレートは、平時に食べてしまわないように、わざと不味く作られている。
>>80 普通の米で売ってるハーシーもまずくて食えんのだが。
米の軍用食は、わざとでなくとも 不味いが
粉っぽくて喉乾いちゃうよな
>81
大学の化学系専攻の先輩の話によると、日本のチョコが欧州に比べて不味い
のは、日本では地震があるためにプラントの反応塔の高さを制限されているの
で、カカオ豆をローストする過程でどうしても差ができてしまうからだ、ということ
らしいのですが…じゃあなんでアメリカのチョコはあんなに不味いのか。やっぱ
国民性ということですかね。
85 :
名無し三等兵:03/06/08 16:20 ID:4xSIdHMv
ハーシーのキスチョコはおいしいほうだが。
旧軍の乾パンも美味しくないんですがなにか?
兵が非常食をこっそり食べないように、薄味にしているんだってさ。
あと、食べ飽きないようにね。
88 :
名無し三等兵:03/06/08 19:47 ID:9+QCTotu
航空機搭載の非常食も、搭乗員や整備員がおやつ代わりに食わないように
激マズな味付けだそうだが・・・非常時に激マズなもん食って鬱にならんか心配。
非常時だから味なんか気にしてられない、と言うのはわかるけど、
最悪、それが「最後の晩餐」になるかと思うとねぇ・・・
>88
どうせみんな酒保でまんじゅうとか羊羹買い込んで持ってきてるから、あんまり
関係ないのでわ(笑)
工兵隊ではダイナマイトをサカナに一杯やったとか。
舌が痺れるのがタマランとか。
通信信号用アルコールに火をつけてにおいを飛ばし、
呑むというのが明治・大正期にはやった。
三笠爆沈の原因もこれ。
弾薬庫の前で火をつけたオスタップをひっくり返してしまったそうな。
ガイシュツ?
作家のアーネスト・ヘミングウェイが発明したカクテル「ヘミングウェイ」は
シャンパンに黒色火薬を混ぜたシロモノだった。のちにシャンパンとアブサン
に変更された。
旧軍のものと同じ製法で作られた乾パンというものを食べてみた事があるが、
とても硬い。凄い硬い。しばらく噛んで唾液で湿らせないととても砕けない。
確か焼き方が違うんだったかな>乾パン
>93
「のらくろ」に、乾パンがとんでもなく固いので、塹壕から手を伸ばして乾パンを
差し出して敵の狙撃兵に割ってもらうというエピソードがあったっけ。
乾パンは二度焼きするので堅いんです。
>>80 おもいだした!!
CNNの面白ニュースで、それについてありましたよ。
最近、100年前のチョコレートバーが南極より発見されて、
製造元に返されて、製造元の本社の博物館に展示されている。
これは、100年ほど前に南極調査に訪れた
米探検隊がゴミと一緒に埋めたもの。
これを近年、南極にゴミを残していけないと言う運動を受けて
掘り返して回収したら発見された。
味は80さんの理由で、
「ゆでたジャガイモより少し美味しい程度」だと書いてありました。
このゆでたジャガイモの表現をなぜか憶えている・・・。
まだ食べられる状態だったそうです。
まさにしょうもねー知識。
>>90 ルソン戦記で出てきますね。
二人でとぼとぼ歩いていたら、道に赤い包みが落ちている。
開けたら羊羹で久しぶりの甘いものなので
喜んで食べたら、あとで喉がひりひりする。
よくよく考えたら、調べたらダイナマイトだった。
腹を壊してはと心配したが、何ともなかったみたいです。
ちなみに、戦後のダムの工事現場でも似たような事件があって、
ダイナマイト倉庫から記録してある数よりずいぶんへっている、
調べてみたら酒のさかなに食べていたと言うものです。
ダイナマイトは美味いらしい。
まさにしょーもねー。
ちなみに、極限状態で腹を壊すとすぐに死に直結するので、
腹を壊すことをものすごく恐れていたみたいです。
正露丸は万能薬である。
世界史版ジョークスレより転載
核兵器の理論を発見したのはドイツ人
核分裂反応を成功させたのはイタリア人
効果を立証したのは日本人
ルパン三世のセリフ
ドイツ人の三大発明はビールとカメラと戦争
>>102 ビールも、古代オリエントになかったか?
105 :
名無し三等兵:03/06/09 12:03 ID:0jU3Img9
ダイナマイトはグリセリンだから甘味があって美味いらしいが
少しづつちぎって使えば固形燃料替わりになるC4プラスティック爆薬で食事を暖めていた米兵士は
うっかりC−4を食ってしまい数日間生死の境をさまよったらしい
陸軍の乾パンは、その昔は重焼麺麭と言った。
重傷につながり縁起が悪いと言うことで乾麺麭に改名。
最初の頃のものは、今のものより大きくて(手帳サイズくらい)硬い。
南極にあるスコットの越冬小屋に残されている食料は、
いまだに食える品質である、らしい。
えっ?軍板とは板違いだ?
そこは、まあ、ロバ−ト・ファルコン・スコットはイギリス軍人だった、
ということで、ひとつ・・・
ソ連のブレジネフ首相がエジプトのサダト首相を食事に招いてでのこと。
ブレジネフ「このウオッカを一杯飲み干せば空母をエジプトにあげましょう」
サダト「アラーよ、祖国のためですお許しください」
ブレジネフ「もう一杯飲めば戦車もさしあげましょう」
サダト「アラーよ、祖国のためですお許しください」
三杯目も飲み干したんだけどナニをもらったか忘れた・・・・
>109
そりゃぁ、ちみ。かくへいきだろ(・∀・)
上まあ2行目にして既にジョークである訳だが(苦笑
| (゚∀゚)ノキュンキュン!
/ ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄
ヒトラーは最低一日一回は卓球をした。
去る2月26日、台北の動物園で世界最長寿のアジアゾウ「林旺:リンワン」が老衰で死去した。
享年81歳。(アジアゾウの寿命は一般に50年程度)
戦時中はビルマ方面で日本軍の物資運搬に活躍。
戦後は中国本土、次いで台湾にてやはり軍用象として荷物を運び続けた末、
1954年動物園に引き取られ、人気者として余生を過ごして居た。
動乱の20世紀、人間という奇妙な生き物の愚行にここまでつきあってくれたゾウさんに感謝。
>>117 ええ話や・・・。・゚・(ノД`)・゚・。
長崎に投下された”ファットマン”は、投下後の姿勢が安定せず、
投下試験では目標にまったく命中しなかった。
関係者いわく「いちばん安全な所は、目標の中央だな。」
と、言ったとか。
>119
実際本来の投下地点に落ちてないし(ってこれは地図の読み違えが原因だけど)。
>>120 それは、むしろ爆撃機の機長の軍規違反のせいでは?
「有視界爆撃をするように」と言われていたが、その時小倉と長崎上空は
雲に覆われていて、長崎上空の雲の切れ間から適当に落とした、という話
じゃなかったかな?
日本空母で艦上繋止をやった事が在る
ハワイ作戦での悪天候の北太平洋航路
爺さんから聞いた話。旧軍の銃器は質が悪い物があったらしい。
多分、南部式拳銃だったが、たまたま、暴発して、止まらなかった
らしい。この音を聞いた敵が、機関銃を持っていると思って退却
したとか、良くありそうな、しょうもない話。
124 :
名無し三等兵:03/06/17 09:09 ID:OmltcFm6
>>90 >>98 ダイナマイトは、羊羹みたいな感じで「甘くておいしい」らしい。
酒のさかなになるの?
125 :
名無し三等兵:03/06/17 09:12 ID:OmltcFm6
>>70 海軍では和菓子職人も軍属として採用していたが、そいつの作った羊羹
のほうが好評だったらしい。
126 :
名無し三等兵:03/06/17 09:15 ID:dRBMsfR+
日本陸軍の擲弾筒は、アメリカ軍にも大好評であり、唯一、アメリカ兵が
奪ったものを実用にしていた。
ただし、本来地面に据えて撃つものを、体格の大きいアメリカ兵は、膝に
据えて撃ってしまい、大腿骨を折る事故が続出。アメリカ陸軍の負傷理由
のトップになっている。
KNEE MORTORかw
擲弾筒って発射時にそんなに反動あるの?
ちょっと疑問。
>>128 そりゃ、500gぐらいある物を数百メートル飛ばすんだから、それなりに反動はありますよ。
少なくとも、フルスイングのバットで殴られるより、ダメージが大きいと思われ・・・。
子供の頃に読んだ、歩40か歩63かの戦友会が編纂した連隊史には、発射時に
天蓋状になっている木の枝に擲弾が触れて発射員の直上で爆発したり、それを
おそれて開けた場所で使うと射撃のマトになったりで全然使いものにならず、
かといって捨ててくるわけにもいかずで、本当に難儀をした、という話が載って
ましたです。
擲弾筒の弾って、プライベートライアンで迫撃砲の弾を
手榴弾代りに使ってたみたいにつかえるの?
擲弾筒の場合は専用の弾だったと思われ。
そりゃあ投げれば使えるとは思いますが500gの重さの物を人力で投げるのか??
>>129 >フルスイングのバット
いや、その例えはおかしいと思う
大砲みたいに爆発の圧力で飛ばすならともかく
推進薬で飛ばすなら砲口を飛び出した瞬間の初速は足が折れるほどではないと思うが…
>>124 逆でつ。
戦前に日本で製造されたダイナマイトは粗悪なテングサから抽出したゼラチン
を使っていたから檄辛味です。
>134
薄くスライスして食べるとうまい、と聞いたことがある
美味しいかどうかは個人差があるのでは。
>>132 前スレ既出だが、専用弾も在るけど手榴弾も使えた。
日本軍の手榴弾が円筒形してるのはそのためもあるのだ。
>>133 原理的には迫撃砲と一緒。
台座の底部が湾曲してるので膝に当てると誤解したらしい。
確か擲弾筒は衝撃で壊れるので石に据えての射撃も禁止されていたよね。
139 :
132:03/06/17 23:35 ID:???
>>137 それは分かっているのですが>>131の文だと専用弾も投げられるのか?
と言う事になると思ったのでそういったレスをしました
台湾政府が、中国空軍のパイロットに向けた対中放送で、
「軍用機で亡命すれば、その機種に応じた懸賞金を与える」と公表し、
現在もその”公約”を守っている。
事実、軍用機で亡命したパイロットには金塊による支払いと、
台湾空軍将校のポストが用意されているのだが、
1、この情報を「とにかく飛行機で亡命すれば懸賞金をくれるらしい」と、
勘違いしたための民間機ハイジャックが続出。
中国国内線のセキュリティ・チェックが甘かったこともあり、
毎週のようにハイジャック機が台湾に着陸。
週に2回ハイジャック機に乗っていて、
台湾側の空港係員と顔見知りになったスッチーもいたほどだが、
言うまでもなくハイジャック犯は政治亡命者とは認められず、
台湾政府は強制的に国外退去させていた。
2、現在、最高金額の賞金がかけられているのは、
中国空軍のSU−27だが、
”台湾解放”は中国の大きな目的であるにも関わらず、
亡命を恐れた中国空軍は、当初、台湾に亡命するには航続距離の足りない、
(つまり、軍事的には新鋭戦闘機の意味がなくなってくる)、
内陸部にSU−27を配置せざるを得なかった。
>>124 三島さんの本にC4(だっけ?)を食ってノビた奴の話が出てたような。
>>126 質問スレでそれに関して何度か質問があったので調べてみたんですが、
どうしても米兵が擲弾筒で大腿骨を折った事故に関する記述が見つからなかったんですよ。
確実な資料をご存知ですか?
(だから最近はKNEE MORTORという名前は別の理由でつけられたのではないかと思っています)
144 :
名無し三等兵:03/06/18 09:49 ID:DHj7IVdd
もしかして「膝丈サイズ」の迫撃砲って意味なのか!?
146 :
128:03/06/18 11:43 ID:???
20年程前に
>>126さんの書き込みにあったような内容の文献を目にしたことがあり
(タミヤの日本陸軍歩兵セットの解説だったかなぁ?...)
その時は大した知識も無く「へ〜」くらいに思っていたのですが
その後何年かして擲弾筒の構造を知ってからずっと疑問に思っていました
今回みなさんの博識により長年の疑問に終止符を打つことが出来ました
ありがとうございました
147 :
142:03/06/18 12:19 ID:???
>>145 海の人からレスがもらえるとは思わなかったっす。
んで、"knee mortar"という名がついた別の理由としてこのHPでは、
ttp://www.multipointproductions.com/heroes/henri/weapons.htm ”The Japanese called it a "Leg Mortar" as it was carried strapped to the leg,
but a mis-translation in Allied reports led to the term "knee mortar" and the
belief that it was fired holding the curved plate against the thigh.”
日本軍が足に巻きつけて運んだため『レッグ・モーター』と読んでいたものを
連合軍が調査報告を出した時に間違えて『ニー・モーター』と書いてしまったとあります。
もちろん擲弾筒を足に巻きつけて運んだというのは事実では無いですが、
興味深い内容だと思います。
>>142 だいぶ前の「丸」に掲載されていた米軍の捕獲兵器マニュアルで、
89式重擲弾筒をヒザ撃ちする図(もちろん誤りなわけだが)を見た記憶がある。
「台座がちょうど膝に当てるとちょうどよい形になっているためヒザ撃ち可能と誤認されたらしく、
実際に鹵獲した擲弾筒をヒザ撃ちした米兵が骨を粉砕された記録がある。」
とかいう解説まで書かれていたような。
他に同種の記憶ある方いませんか?
私も子供の頃(1980年前後)に「丸」 「COMBAT☆MAGAZINE」「Gun」「モデルガンチャレンジャー」の4誌を読んでいて
そのうちのいずれかで八九式擲弾筒の膝撃ち事故についての記述を読んだ記憶があります
どの雑誌だったか失念してしまいましたが…
なぜ、あんな紛らわしい格好にしたのでしょう?>八九式擲弾筒の台座部分。
一種の地雷だな。
154 :
名無し三等兵:03/06/19 12:39 ID:0U+sNeDH
>>149 米軍からは「膝砕き」と言うあだ名を頂戴したらしい(w
>>151 鹵獲されたときに、敵兵の足を砕くため。
つまり、非常に高度なブービートラップ。
156 :
142:03/06/19 12:50 ID:???
>>151 駐鋤の役割を果たすためと思われます。
擲弾筒は手持ちで発射角を変えますから、丸みがあるほうが地面に食い込ませやすいと思われます。
>>149-150 なるほど、そういうものが存在したんですね、ありがとうございます。
一度読んでみたいなぁ。
あと海の人にもお手数かけさせてしまいました。
たとえ捕虜となっても敵に反撃する
うーむ、日本の兵器には大和魂が入っていたのだな!!
158 :
151:03/06/20 00:42 ID:???
>>156殿、ご教授感謝。
なるほど、言われてみればその方が安定しそうですね。
でもあの丸みは誘っているとしか思えない。「お膝にのっけて」とw
>>158 >「お膝にのっけて」
そんな事を言うと擬人化ニーモーター(ざくざくゴスロリ風味)を描く絵師が(w
いや、見てみたいなあと思ったんですけどね。
>>67 あれは使うと旋条にガタが来て、マトモに弾が撃てなくなるので評判が悪い。
イスラエル建国後の話。
ある時、杉原千畝を讃えて記念植樹が行われる事になった。
当初、桜の木を植える予定だった。が、諸般の事情により変更される事になった。
それはユダヤ教で神聖な木とされる杉だった。
イスラエル人が杉原という名字の意味を知ったのは、植樹が終わった後だったという。
イスラエル初代首相イッサー・ベングリオンはパレスチナゲリラがミュンヘン
のオリンピック村イスラエル選手宿舎を占拠したときに「人間の命は地球より重い、だが
銃弾一発よりは軽い」と発言しパレスチナゲリラとオリンピックイスラエル選手団
を壊滅させた。
のちに日本の首相が意味を勘違いして日本赤軍を釈放して世界中の笑いモノになった。
163 :
名無し三等兵:03/06/21 22:30 ID:AJNEtOog
>>161 杉原にビザをサインしてもらったユダヤ人は、彼の名を「センポ」と読んで覚えていたために、日本政府に照会してもしばらく日本人の恩人が誰なのか判明しなかった。
>>163 それは杉原千畝の遺族が宣伝してる説です。
ソ連侵攻直前までリトアニア駐在した駐在した日本大使は杉原千畝だけですし
杉原が臨時発行したヴィザには"Senpo Sugiura"と"Tiune Sugiura"の二種類の
サインが存在するからわからないはずがない。
ヒトラーはユダヤは皆殺しと言ったがWWTで助けられた上官がユダヤ人
であった彼は何もされずにヒトラーも公共の場でちゃっかり
「彼には感謝している」と言った
湾岸で糞味噌に言われているクウェート軍
兵力2万 空軍 ミラージュF1 29機 A−4 31機 ガゼルヘリ 24機
陸軍 1万6千戦車 280両 装甲車 450両 155自足砲百門
海軍 ミサイル艇 8隻
しかし陸軍の機械化率は当時の自衛隊を軽く超えていており
空軍はA−4はイラク軍車両16台を撃破するほどであった
>>165 政権をとった後自宅に呼んでたはずだぞ
あと親を看取ったユダヤ人医師をずっと尊敬してたそうだ
>>166 まぁ、それでも湾岸直前のイラクには遠く及ばないなぁ。
>162
そんなベングリオン首相でも、モサド初代長官、
イッサー・ハレルに言わせると、
「私が知る限り、最も理想に近い政治家」だそうだ。
イッサー・ベングリオンの通称が大イッサー
イッサー・ハレルの通称は小イッサー
ああ本当にしょうもない知識。
DC-2改造爆撃機で冬戦争に参加した、カルル・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵は、
ビアフラ独立戦争に参加。
物資の空輸作戦に参加したり、ミニコイン機で敵飛行場の襲撃をしたりしていた。
>170
その仇名の語源が、イッサー・ハレルの方が小男だったからだとか。
昔イッサーハレルはオレンジ農園で働いていた
アンゴラの救出作戦だったかな?
その時の救出部隊のあだ名がチャーリーズエンジェルス
イスラエルのベングリオン首相は「思想的理由」につきネクタイの着用はおろか所持も公然と拒否した。
>171
そのビアフラで、オジュク将軍のキャラに心酔し、
売れないルポを一生懸命書いていた記者が、その後・・・。
湾岸前にアメリカ軍はT72に恐れを必要以上抱いてた・・・しかし現実
>>171 ゲーリングが一時仕えていた探検家エリック・フォン・ローゼン伯爵と
この辺のヒコーキ野郎カール・フォン・ローゼン伯爵は同一人物でしたっけ?
しょうもないスレなのでついでに質問ということで
>>176 >売れないルポを一生懸命書いていた記者〜
本多?
>176
かの、フォーサイス御大のことで・・・。
「ビアフラ物語」が各国語に訳されて出版されたのは、
「ジャッカルの日」デビュー作以降のことでした。
ついでに
1937年2月、ドイツ内務省人種政策局は、ドイツ人美術家を
監督する帝国造形美術院に対し次のような要請を行った。いわく、
「ドイツの家族を描く場合、子供が一人か二人しかいない絵が
依然として跡を絶たない。少なくとも四五人は描くべきだ」
幸い文部省のブロックによりこの要請は拒絶されたが、
さすが子供を5人以上出産した場合母親に勲章を与えたドイツ帝国と言うべきか・・・
>>178 >エリック・フォン・ローゼン伯爵
カルルの親父。
親父は親父で、フィンランド独立戦争に自前の飛行機を持ち込んで参加。
この時持ち込んだ飛行機に書かれていたのが、ローゼン家に伝わる幸運の印
『青いスワチカ』 で、これをキッカケに、フィンランド空軍は、識別マーク
として 『青いスワチカ』 を書き入れるようになったのは有名な話(多分……)
ソ連は10人生んだら
英雄なる母という称号と、もの凄く手厚い生活の保護を受けます。
9人しか産めなかった人は悲惨だな
>>182 なるほど・・・スワスチカの件は把握していましたが血は争えない
>>165 ゲーリングも、リヒトホーフェン戦闘機隊で一緒に戦ったユダヤ人を見逃したり、
ミュンヘン一揆で負傷した際、手当てをしてくれたユダヤ人一家を国外逃亡させた
りしてます。
「誰がユダヤ人であるかは、私が決めることだ」
Hermann Wilhelm Goering
>>179 ついでに言うと、小説『ジャッカルの日』がベストセラーになって大もうけした
フォーサイスは印税で傭兵を雇いギニアでクーデターを起こしてビアフラ人の
国を作ろうとした。
・・・結局失敗しちゃったのだが、それをもとにまた『戦争の犬たち』を書いて
またまた大ヒット。転んでもタダでは起きないお人だ。
>186
ゴエリング?
ごえっぺるす?
>>188 oウムラウトは便宜上oeと表記されます
発音はエーっぽい音になります
エリコンなんかもそうです
>>186 空軍のミルヒ将軍もユダヤとの混血ながらもゲーリングのお引きで重職に付いてましたな。
ターボのKKK(kuhnle,kopp&kaush)、一時MTUに買収されてたみたい
(現在はボルグワーナー)
>>190 それが元でノイローゼになって自殺したんじゃなかったっけ。>>ミルヒ
>>192 自殺したのはウーデット&イェショネク
ミルヒ当人はナチ党の協力によって自分の出生を
「アーリア人貴族とミルヒ夫人との不倫による私生児」とした
書類にサインして自らの出自を捏造、1972年まで存命していました。
家系捏造ネタをもう一つ
父系にユダヤ人の血を持つワルツ王ヨハン・シュトラウス。ナチ時代に
ユダヤ人音楽家の楽曲はおおむね迫害を受けたが、シュトラウスの作品は
「偉大なワルツ王の音楽ほどドイツ的で、ドイツ国民に親近感を感じさせる音楽はない」
などナチ党に持ち上げられ、国民的芸術と奨励されていた。
この際にナチ党はユダヤ人の出自を示すシュトラウスの祖父の結婚証明書を没収、偽造を行ったりもしている。
ついでにベルリン五輪から始まった聖火マラソンに比べるとマイナーだが、
ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートはオーストリア併合後の1939年に始まったものである。
195 :
名無し三等兵:03/06/22 20:03 ID:jAP245zR
戦艦「三笠」で割と 有名(かもしれない)メトロポリタン・ヴィッカース社製の電気機関車がたった1輛だけ輸入された事がある。が、当時の日本では他に例を見ない奇抜なデザインと互換性の無さから不詳を買い、後に大改造されたそうな。
エリッククラプトンは筋金入りの鉄
199 :
名無し三等兵:03/06/22 21:44 ID:RBNtc3Pc
「ハクション大魔王」で魔王が居候しているカンちゃんの家のパパは少年戦車兵だった。
>>199 元上官の軍曹殿が遊びにくる話があるよ、しかも軍曹殿が魔王ソックリ!
タイトルは第13話 ■大魔王は二人でごじゃるの話
>>201 ああ、そう言われれば、そんな話を覚えてる!!
203 :
名無し三等兵:03/06/23 01:51 ID:Q/jzsmuW
日本陸軍の98式軽戦車の懸架装置は旧来通りのシーソー式だったが、バネが
車内に収納されていたので、当初海外ではトーションバー式ではないかと誤解
された。
「我は海の子」、第2(3かも)種軍歌に認定されてたって
てのは既出すか?
205 :
名無し三等兵:03/06/23 02:14 ID:fFZ+r8OX
>>204 童謡「汽車ぽっぽ」は元々は「兵隊さんの汽車」という名前だった
歌詞は以下の通り
きしゃ きしゃ ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ
兵隊さんを のせて シュッポ シュッポ シュッポッポ
僕らも 手に手に 日の丸の 旗を 振って 送りましょう
万歳 万歳 万歳 兵隊さん 兵隊さん 万々歳
207 :
名無し三等兵:03/06/23 04:19 ID:iJinB+Lf
アメリカ軍は日本人捕虜を大量虐殺してたよ。しかも超残酷にマターリと。
詳しくは「リンドバーグ日記」を読んでね(廃刊ですが古本屋でみつけてね。ちなみに作者はあの大西洋横断の彼です)
「ダメおやじ」も軍隊経験者。
>>208 ハクション大魔王、ダメおやじくらいの年代だと、
あの時代の親の世代は、従軍経験者が多かったのかもね。
向田邦子脚本の人気ホームドラマ「だいこんの花」の森繁久弥は
軍艦「陸奥」の元艦長の役だったが、ドラマの続編が作られると
架空の軍艦「日高」の元艦長に替わっていた。
金日成の出身小学校とされている小学校の校歌のメロディーは、
「ごんべさんの赤ちゃんが風邪引いた」。
このメロディーに、ああ素晴らしい学校、ああ素晴らしい金日成とかの
歌詞が盛り込まれていると聞く。
総連関係よりの情報。
>>207 そのリンドバーグ自身、
自分の息子の誘拐事件に関して疑惑が持たれている。
(軍事には関係無いけど)
日本軍を丁重に扱ったと有名なオーストラリアだが・・・捕虜にしたパイロットを
輸送機から投げ捨てた事件もあった・・・・
シンガポール陥落後、アイルランドで暴動が起きた・・・・そしていまでもシンガポール
が落ちた日にアイルランドの酒場に行くと日本人は歓迎される(らしい)
しょうもないし関係ないか・・・・
北朝鮮の某曲(公的)は軍歌「日本海軍」の完全パクリ
>>211 >「ごんべさんの赤ちゃんが風邪引いた」。
リパブリック賛歌じゃないか?
>209
>従軍経験者
「巨人の星」の星一徹も出征経験有り、らしい。
>>216 >「巨人の星」の星一徹も出征経験有り、らしい。
それはモロじゃん。
期待された新人が、軍隊で肘を壊して、
仕方なく編み出したのか、
反則スレスレの大リーグボール送球ではなかったかな?(名前うろ覚え)
これは、カーブを使った送球でランナーめがけて投げて、
すると、ランナーがボールを怖がって避む。
そこでアウトという技です。
しかし、これは走者妨害だし、倫理的に良くないという事で
一徹は野球界から追い出されます。
>>207 海兵隊員が、捕虜の日本兵の金歯をえぐりとった、ってやつですね。
星飛雄馬の最大のライバル、アームストロング・オズマはベトナム戦争に従軍して戦死している。
221 :
名無し三等兵:03/06/23 21:02 ID:qj8sfc4x
ちゃんと学術的な本でも
ガダルカナルかなんかで
「捕虜の将校を尋問したいのに指揮用の軍刀欲しさに片っ端から殺してしまう」
というアメリカのお偉いさんが困っている話が出てきます
ポルポト政権の民主クメール政府に日本赤十字社が送ったランドクルーザーは
「ヒロヒト号」である。
>>221 ソースはどのような本でしょうか?
小林よしのり?そんなこと逝ってると笑われるよ君。
鉄人28号は日本軍の秘密兵器である。
シンレッドラインに似たような話があったな
まああれは仮想戦記だが
226 :
名無し三等兵:03/06/23 21:10 ID:qj8sfc4x
>>223 日本兵は何をしゃべったかという岩波の本
>小林よしのり?そんなこと逝ってると笑われるよ君。
勝手に結論付けて論評しないでね
岩波書店の社長は北朝鮮の日本人拉致はなかったと公言して、公開公開質問状を
つきつけた在日韓国人ジャーナリストを告訴したが拉致は事実だったので敗訴した。
岩波といえば「きけわだつみのこえ」の内容を歪めているね(w
現在、岩波から出版されている「きけわだつみのこえ」は「わだつみ会」とは関係ないし
タイの小学校の教科書によるとアンコールワットを建設したのはタイ人。
>>230 で、そのしょうもない知識は軍事と関係あるの?
>>231 カンボジア内戦のときドサクサ紛れにタイ陸軍がアンコールワットを占領しようと
したが失敗して「タイの建造物だから勝手だろ」って逝ってアンコールワットを
タイ空軍が爆撃したんだよ、で、最近タイの王様がアンコールワットを見学して
「どこの国の空軍が爆撃したの?」って逝ってカンボジアで暴動が起きた。
第二次大戦まで、陸軍陸地測量部では、岬角を表わす字として、「崎」を用いていた。
なので、風早崎、石廊崎と陸地測量部の地形図には書かれている。
一方、海軍水路部はこうした岬角を表わす字は「埼」を用いる。
従って、前述の風早崎は、風早埼として、石廊崎は石廊埼として、海軍水路部の水路図
に記載されている。
ヒトラーの父アロイスは私生児だったため、40歳になるまでヒトラー姓を名乗れなかった。
もしそのままだったならアドルフ=シクルグルーバーとなっていた。
236 :
名無し三等兵:03/06/23 23:11 ID:VZbzoYys
ヒトラーには父違いの兄がいて、米国に渡り、WW2では米海軍に従軍していた。
ヒトラー伍長はWW1ではフランスのドイツ軍占領地でねんごろになったフランス娘がいて妊娠させてしまい、息子ができた。
ヒトラー自身は兄や息子に特別な優遇をしたわけではないし、生活に干渉しなかったらしい。
チャップリンの映画「独裁者」はカラーフィルム版が存在する。
ラストでトメニアに戻ってきたユダヤ人たちと収容所から戻ってきた独裁者
ヒンケルがダンスするというシロモノだったのでボツになった。
239 :
名無し三等兵:03/06/24 04:23 ID:4dTcXcH4
まさかと思うけど・・・
サザエさんのフネが従軍看護婦だった、と信じてる人はいませんよね?
本人の虚言だということが明らかなのです。
240 :
_:03/06/24 04:50 ID:???
241 :
名無し三等兵:03/06/24 09:58 ID:LWnt8gBZ
>>214 へー やっぱりそういうのってあるんだ。
北朝鮮の軍歌の中で日本の軍歌「歩兵の本領」とそっくりなフレーズが
流れてたよ。そのうち日本が真似したと言い出すかもな。
>>239 え、違うんか?
フネさんって赤十字の従軍看護婦で、奉天会戦か旅順要塞攻略で負傷した波平さんを
看護したのが馴れ初めじゃなかったっけ?
あと確かノリスケさんとマスオさんは南方出征帰還兵だったはずだけど・・・。
オレの記憶違い?
脳内ソースほど情けないモノもないけどな。
>>241 というか、大半は八路軍が歌っていたものをそのままパクったと思われ。
八路軍は、軍歌のメロディの大半を日本の唱歌(国産、輸入モノ問わず)からパクっていた(その中には「ごんべさんの赤ちゃん」もあったはず)。
以前どこかに書いたが、「まだ沈まずや定遠は」の『勇敢なる水兵』も、八路軍では『革命歌』という軍歌になっていた。
247 :
ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E :03/06/26 22:03 ID:clDtZSkI
「ムゴイ」は「蒙古」が訛って出来た言葉。
金正日が酔うと歌うのはラバウル小唄
射撃の巧さを誉めるときは「ナカノイ、ナカノイ」と言う
(中野学校の卒業生みたいだという意味らしい)
249 :
名無し三等兵:03/06/26 22:31 ID:pBmA6PUP
火薬は甘い
と親父から聞いて爆竹ほぐして舐めたみたあの夏
黒色火薬は・・・・
>>249 それはダイナマイトは甘いの間違いか勘違いだろうね。
黒色火薬はしょっぱいのか?
炭素(要するに炭の粉)・硝酸の粉末・硫黄の粉末
嘗めて美味しいとはとても思えない……
硝酸は肉の味付けや保存料として結構昔から使われてたりする。
狩りの獲物に火薬塗りつけておいたりしたそうだ。
今は食品添加物としては体に悪いんで規制されてるみたいだけど。
かつて薬売りの富山といえば有名だったが、
種子島の火薬(硝酸)も富山で盛んに生産されていた。
その生産方法を知れば、肉に火薬を塗りつけるような事は
しなくなると思われ……
マジレスすると、よく知られているアノ方法ではなくて
ヨモギを発酵させて作るのだが、
実際は莫大な火薬の消費をそれだけでは支え切れない為に、
堺の商人がインドから硝石を輸入していたのでした。
明治以降になるとチリからチリ硝石が輸入され、
第1次大戦の頃になってやってハーバード・ボッシュ法により
窒素固定が可能になりました。
>>254 し尿を使って火薬を作っていたのは別の藩。
炭はどこにでもあるし、硫黄は火山国だからたくさんあるし、
硝石ってイマイチ何処にあるか分からん、し尿以外。
258 :
名無し三等兵:03/06/27 12:59 ID:ro6Em638
ナウル島>硝石
>>257 戦国時代は、中国からの輸入だそうな。>硝石
タクシーの業界用語で「大和交通」「日本交通」「帝都交通」「国際交通」
の4大タクシー会社の事を「大日本帝国」というそうです。
大日本帝国憲法
【解説】大和交通,日本交通,帝都交通,国際交通の都内タクシー会社4社の縄張りを定めた法律.
【用法】「弘美ちゃん,もうそろそろ帰るわ.もう電車ないからタクシー呼んでよ.」
「つばさ,じゃあ帝都にするわね.」
「なんで帝都なの?」
「ここらへんは帝都だって大日本帝国憲法で決まってるのよ.」
日本逓信郵送(郵便ブツを運ぶ特殊法人)も
にってい
と呼ぶラスィ(笑)
受験界で大東亜帝国
みんな知ってるので略
264 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :03/06/27 18:50 ID:pjRj066z
>>263 そいやあのへん、一昔前に比べて随分偏差値が上がったと聞いたけど、
受験人数のピークが過ぎつつある今はどんなもんだろ?
大東亜帝国は関東の奴しか分からんと思われ。
硝石の採取方法。
古い家の床下の土を採取し、水に溶かして精製する。
・・・人体から放出された窒素分が、床下の土に溜まる、らしい。
>>265 大東文化大
亜細亜大
帝京大
国士舘大
の頭の文字。6大学>日東駒専>大東亜帝国の順だったかな?
もう大分昔の話なんで細部に間違いがあるかも・・・
東は東海大だと聞いたが
旧ソ連軍では、徴兵された新兵に心理テストを課し、
配属の折の資料にしていた。
「ここにレンガがあると思ってみたまえ。
それで、何を連想する?」
「はっ、家のペチカであります!」
「共産主義社会の建設であります!」・・・ところが、ある新兵、
「女のおケツであります!」
さすがに軍医も「それはどうしてだね?」と聞いたところ、
新兵「はっ!それしか頭にありません!」・・・さて、配属はどうなったろう?
>>270 いいですね。
ロシア・ジョークシリーズは好きだよ。
ある港町に、護衛艦が入港、一般公開をやったときのこと。
岸壁から繁華街までが離れているため、
地方連絡部(ほとんどが陸上自衛隊)がサービスでマイクロバスを出し、
艦から繁華街までの無料シャトルバス?を、やっていた・・・が、
護衛艦から上陸する乗員、パラパラと降りてきては、2〜3人で、
「バスは出ないんですか?」とせがむんだが、バスは1台しかなく、
ピストン輸送も間に合わない・・・で、最後には地連の隊員がキレて、
「これが陸なら、分隊ごとに人数をまとめるとかするはずだ」
「艦内放送でバスの時間を流すとか、掲示板に貼り出すとか方法があるだろう」
「これだから海上は駄目なんだ」「うん、海上はなっとらん」
しかし、艦から降りてもバスに乗らないで、決して近くはない街への道程を、
とことこと歩いていくひとりの幹部、私服だからそうとはわからないが、
「あ、あれ、艦長・・・」
さっきまで海自をこき下ろしていた地連の隊員、
「いやあ、幹部たるもの、ああでなくっちゃあ・・・」粛然と見送っていた。
歩いたほうが立派なの???
いまいちよくわかりません。解説してちょんまげ。
>>273 艦長といったら専用車を用意してもらえるくらいの立場だから。
一般隊員が「バスに乗りたい」(楽したい)と言ってる中、立場の高さを行使せず、
遠路を徒歩でこなすその心意気が感動を呼んだ、ということ。
・・・もしかしたら、お忍びで行きたいところがあっただけかもしれないけど(苦笑
艦種にもよるのだろうが、
艦長と言うと階級はどれぐらい?
巣鴨プリズンのある担当者が食料を横流しして女を囲っていたことがあった。そのため
に囚人たちはひもじい思いをしたがこれを連合軍による復讐と見てひたすら耐え忍ん
でいた。
しばらくして我慢の限界に達した一人が取り調べの検事に抗議したところ横領が発覚し
て担当者某は処罰され、食事も正常となった。
277 :
名無し三等兵:03/06/30 21:10 ID:jgXAB4Wz
>275
通常のDDで2等海佐、
DDHやDDGで1等海佐。
エジプトがイギリス領だったころの話
砂漠の駐屯地に赴任してきた新任の大佐が駐屯地の角に見窄らしい小屋をみつ
けて、先任将校に「あれはなにかね?」と訪ねた。すると「大佐殿、慰安の為
にラクダを飼っているのです、此処は僻地なのでラクダでも大変な人気なのです」
と答えが返ってきた。「ほほう、次は誰の番なのかね?」と大佐が尋ねると先任
将校が自分の番だが大佐に順番を譲ってくれるというではないか!
そして、大佐がラクダ小屋でパンツを下げようとした時、先任将校が目を丸めて
「大佐殿、失礼ですが、このラクダに乗って町まで女を買いに行くのですよ」と
声を潜めて指摘したとかしなかったとか。
>>276 巣鴨プリズンで第一陣に逮捕された人たちは
非常に食料の待遇が良かったそうな。
というのも、人数が少なく米兵と一緒のメニューだったから。
麻はコーヒーから出てパンケーキは食べ放題、タバコは余るほどくれるしと
言った状態で、正直逮捕されたという実感がわかなかったらしい。
が、第二陣が来ると、戦犯には戦犯の待遇がされるようになったと
誰だったかの手記で読みました。
それは、その後の話でしょうね。
よくニュースなどで見られる航空機からの空撮。それが日本で最初に試みられた時は日本海軍の飛行船を使って撮影された。
当時御病気だった大正天皇のために撮影されたこのフィルムは現存しており、関東大震災前の貴重な東京の風景がタイムカプセルのように収められている。
その映像の中には飛行船を操る若い操縦士の姿も写っているが、その操縦士の正体は大西瀧治郎(当時30歳)である。
東郷平八郎は2回ほど映画に出演した事がある。
その最初は昭和5年の『撃滅』。原作が小笠原長生中将、監督がその息子の小笠原明峰という作品で、内容は推して知るべし。
二度目の出演は昭和8年の『此一戦』(監督 鈴木重吉)。ただし、この時東郷は機嫌が悪かったのか、カメラがまわっても微動だにしない。
監督が「閣下、一言お言葉お願いします」と懇願すると、直立不動のまま「私は東郷であります」と一言だけ言って、帰っていった。
第97号海防艦は、終戦までに完成が間に合わなかった一隻だが、戦後の復員輸送に使用するため建造が続けられ、20年12月にようやく完成した。
守るべき国も失っていた不幸な艦だが、それよりもこの艦の最大の不幸は機関が完成した当初からいかれていたことだった。
哀れ、せっかく完成したのに使用する事ができず、そのまま解体された。
軍艦も浮いている以上は沈む事もある。その中でも衝突による沈没は、どのような理由であれ情けないことには違いは無い。
その中でももっとも情けないのは、終戦後の昭和21年7月に起きた戦艦日向と第59号海防艦の衝突事故。
これにより第59号海防艦は船体がへし折れて沈没してしまったのだが・・・当時の日向は着底中であった。
戦前日本の軍楽隊が行進曲を演奏した場合、他国と比べて少々速めのテンポで演奏するのが常だった。
原因は、当時の世界における標準的な行進の歩数が一分あたり112歩だったのに対して、日本では114歩であったため。
歩数が多ければテンポが速くなるのは自明の論理。言うまでもなく、日本人の足の短さが原因である。
昭和18年春の第十五軍。司令官牟田口廉也中将は、貴下の一部隊にある訓練の指令を出した。
それは、わずかばかりの食塩だけを携行し、密林の中で一ヶ月近く生き延びろというものだった。
結果、この部隊はかろうじて生き延びる事ができたらしいが、この報告を聞いた牟田口中将、満面の笑みとともに胸に秘めていた作戦の実行を決意した。
言うまでもない。「インパール作戦」である。
ミッドウェイ直前、日本軍の暗号を解読して待ち伏せていた・・というのは有名な話。
同じ頃、呉市内や郊外に住む子供たちに流行っていた噂話は、「次はミッドウェイだぞ」というものだった。
太平洋戦争に参加したもっとも古い日本艦艇は、105号哨戒艇。
ポンコツでありながら比島近海の船団護衛に従事し、最後はオルモック輸送で航空機の集中攻撃を受けて沈没した艦だ。
開戦当初にフィリピンで自沈していた巡邏艇を引き揚げて再生したものだが、その前歴は米西戦争で自沈したスペインの元砲艦だという。
ゆえに、この艦が竣工したのは例の初代大和や砲艦赤城とほぼ同じ明治20年頃らしい。
日清戦争の直前に購入された巡洋艦和泉が、史上初の防護巡洋艦エスメラルダであることは有名な話。
しかし、海軍創成期に在籍した砲艦乾行が、ダーウィンの探検で有名なピーグル号の後身であることは、意外に知られていない。
3の付く潜水艦が不幸を呼ぶ事は有名だが、駆逐艦の場合は「蕨」が付く艦が不幸な目に合うらしい。
・若竹型二等駆逐艦「早蕨」 1932年、基隆沖で遭難沈没(行方不明)
・樅型二等駆逐艦「蕨」 1927年、美保ヶ崎沖で事故沈没(軽巡神通と衝突)
ミッドウェイ海戦で空母四隻が一挙に失われた最大の原因は、空母の非不燃化にあったといえる。
四隻のうち加賀を除く三隻が魚雷による処分であるが、その理由は被弾の衝撃でポンプの運転系統が故障し、消火不能ゆえの放棄であった。
その後、南太平洋海戦での翔鶴でも同様の被害が発生した。しかし、この時は消火ポンプは動き続ける事が出来た。
実は、煙突の熱煙冷却装置(冷水ポンプ)の配管を、消火ポンプの配管にも接続させていたのだ。
日本の下向き煙突の構造だからこそ出来た、ナイスアイディアである。
ゴルゴ13のモデルの人物は現在、小学館の常務取締役である。
>282
>ビーグル号の後身
『聯合艦隊軍艦銘銘伝』によると同名異艦らしいですが。
蒼龍は雷撃処分だったはず。
>>284 ありゃ、そうでしたか。まさしく「しょうもない知識を披露」してしまいました。
>>285 蒼龍砲術長の述懐より
誘爆の爆風で艦外に叩き落とされた蒼龍砲術長の山本滝一中佐は、海上で出会った航海長に総員退官命令が出された事を知る。
しかし、負傷していたため泳ぐ事が出来ず、そのまま死を覚悟していた。
その状態で潮に流されていたら、艦首の砲座に避難していた乗員たちに助け出されて九死に一生を得る。
しかし、なお意気盛んな乗員たちに総員退去が下ったと言えずに躊躇していたところ、救助の駆逐艦が接岸する。
以下はその後の証言。
「くわしくは覚えていないが、駆逐艦にあがってから、駆逐艦長と激しく口論した気がする。彼は上司からの命によって蒼龍を処分すると言い、私は戦争は大局的には勝っているのだから(引用者注 山本中佐の勘違い)、蒼龍は曳航して帰るべきだと主張した。
(中略 この後砲術長は、負傷と疲労で人事不省となる)
それから何分経ったか、何時間過ぎたのか分からないが、夕闇近くであったのだろう。私は天井に跳ね飛ばされるような大きなショックを受けた。「やられたッ!」と思ったが、もう頭も上がらず腰も動かなかった。
同艦(引用者注 駆逐艦・春風)には私の他に蒼龍の者がいっぱい収容されていた。そして後日あの時の音について次のように語ってくれた。
私が聞いた音は一つだけだったが、あれが蒼龍の最後の時であって、駆逐艦からの三発の葬送魚雷で蒼龍は静かに傾き、そしてついに一本棒に垂直に立ちあがり、柳本艦長以下数百人の生霊を抱いて、数千尋の海底深く「スーッ」と吸い込まれて姿を消した。・・・・」
半藤一利 編『太平洋戦争軍艦戦記』内収録、『空母蒼龍・悲劇の葬送』より
『太平洋戦争日本軍艦戦記』(半藤一利 編)は、数少ない愛国丸の乗組員証言や、蒼龍砲術長による「蒼龍も自沈だった」という証言など、なかなか面白い記載が多いが、
おそらく一番重要と思えるのは、文芸春秋が昭和45年に纏めた、「あなたの選ぶ日本海軍の名艦艇5隻」の再録だろう。
まだ将官の生存者も多い時期の事とて、かなり有名どころも寄稿しているのだが・・・
三川軍一は、当然第一次ソロモン海戦の5隻(鳥海 青葉 衣笠 加古 古鷹)。
草鹿任一は大和は別格として、自分が艦長を務めた(そしてトラブルを起こした)北上と扶桑、そして女婿と兵学校長時代の主席が死んだ艦(伊24、文月)。
草鹿龍之介は赤城、翔鶴、大鳳、大和、武蔵を挙げ、「これで航空艦隊を作り、三式弾で防備すれば不敗艦隊!」と、少々ボケ気味。
福留繁は何かの負い目があるのか、ただ一言「関わりがあった艦だ」とだけ述べて、金剛 出雲 長門 武蔵 神風を挙げるだけ。
某スレでおもちゃになってる富岡定俊は、順当に大和、赤城、大淀、雪風で、あと個人的思い入れか伊26を挙げている。
黛治夫は当然、自分が乗艦経験がある艦(龍田 長門 古鷹 大和 利根)で、もちろん自慢話込み。
淵田美津雄は、エンガノ岬に沈んだ4隻(瑞鶴 瑞鳳 千歳 千代田)。
板倉光馬は意外にも、自分が外見でカッコイイと考えた5隻(陸奥 飛龍 阿賀野 雪風 伊176)だった。
他にも「戦艦大和の最後」の吉田満や、大戦末期の神風艦長・春日均(意外にも神風を挙げてない)、映画「連合艦隊」の松林監督など。
で、当然まだ生きていた栗田健男中将も寄稿していて、
愛宕「レイテ湾に向かう途中、パラワン水道において敵潜の攻撃を受け、最期を遂げた」
金剛「真珠湾攻撃にあるいは比島沖海戦に活躍した」
熊野「第七戦隊旗艦として、南方にあるいはミッドウェイに、比島沖海戦に活躍した」
大和「比島沖海戦には奮戦偉功をたて、沖縄特攻隊として進撃中、九州南方にて沈没せり」
・・・などと、かなり突っ込みどころがある選択と理由付けをしている。
ありゃ、あの別冊文芸春秋の「あなたの選ぶ日本海軍の名艦艇5隻」が今も読めたのか。
ウチの原本は小さな漏れがぶっ壊しちゃったし、古書店で入手したやつは欠落あったし。
吉田満の「艦そのものにはあまり興味はない。感心があるのはそれを生み出し、動かし、海底へと送り届けた人間たちの方」(ウロ)というコメントが印象的だった。
同じ本にあった死神艦w「雪風」の4人の艦長の対談はどこかに再録されていないだろうか。