1 :
勘兵衛:
プライベートライアンのパクリ
3 :
菊千代:02/11/12 21:13 ID:???
4 :
3get?:02/11/12 21:13 ID:???
兵農未分離の時代に百姓と武士との階級闘争を描くな、ゴルァ!
>>5 まあまあ、エンターテイメントとしては、一級品なんだからさ(w
荒野の7人のパクーリ
>6
それ以前に、戦国時代には基本的に騎馬隊なんて存在していないのに、
騎馬隊を描くではこの板の軍オタを唸らせることは難しいそ。
>9 騎馬隊というほど数が出てこないし(w
>>9 戦国時代の騎馬隊って鉄砲がでてくるまでは最強の
兵種じゃなかったの?
村に突入した騎馬2頭
前衛がナギタナ(槍?)で蹴散らし後衛が弓でしとめるのに燃えた
>>12 最後の戦闘…
竹千代が自分の周りにあきれるくらいに刀を突き刺して、とっかえひっかえ敵を斬っていく…
あれは軍事的に正しい。
骨を断つ際の刃こぼれと、刃に付着した脂と血糊で、刃物はあっという間に切れなくなる。
特に、脂は雨の中でも、容易に落ちないからな。
剣豪将軍・足利義輝も、最後の戦闘でそうしたものだ。
夜戦で種子島を捕獲した久蔵萌え!
15 :
名無し三等兵:02/11/12 21:53 ID:s9ZkwCa5
騎馬の武士は、戦闘になると馬からおりて、徒歩で戦います。
当時馬は財産でしたから、大切にしました。
武田騎馬隊は騎馬で突撃なんぞしません。
>>11 当時の日本の馬は、
大きさがポニーよりちょっと大き目くらいだったので、
騎乗戦闘は難しかった。
騎馬武者と言えど大抵は、下馬して戦ったそうな。
>>13 エヴァの惣流・アスカ・ラングレーも似たようなことを#19で……。
ヌルハチ騎兵隊まだかな〜
武田騎馬隊が騎兵銃ならぬ手槍を使っていたのは史実ではないのか?
まあ、野武士(落ち武者同然?)だから戦国の常識は通用しないのかも。
>>13 骨や脂よりも鎧を斬ると刃こぼれしちゃうからじゃないの?
史実では足利義輝は薙刀で戦ったそうだ。
卜伝免許皆伝だったから刀で戦ったという俗説が生まれたと言われてる。
指揮官兼参謀としての勘兵衛は有能だろうか?
>>22 知らなかった・・・
でも凄いよね、征夷大将軍なのに塚原卜伝から新当流免許皆伝貰ってるんだから。
他に誰かいない、そんな人?
>>15 あの映画で出てくる馬は苦労して集めた純粋な日本馬だと映画版で聞きました。
映画の中で騎乗戦闘をしてたのに、実際の戦場では出来なかったなんてことはないと思うが。
戦国時代の農民は農閑期に動員されたりして軍隊経験を持つ者が少なくないから
村に何人かは元足軽がいた筈で、侍を探して右往左往するのは変という批評を読んだことがある。
本当のところはどうなんでしょう。
とりあえず豪雨の中で火縄銃が大活躍してる時点で軍オタ的にはアウトではないかと。
よく浮世絵で先頭を旗もった雑兵が走って
その後ろを騎馬武者が走って
さらにその後ろを道具もった雑兵が走るの見るけど
あれは違うの?
あと日本刀は切るのは始めの2〜3人であとは
鉄の棒で相手を叩き殺すのが現実だったと聞いてます
>>24 基本的にエライ方は刀を振るうことは無いね(除:暴れん坊将軍)。
免許皆伝といいても殿様芸だし。
義輝や北畠具教は例外中の例外で、剣ヲタが将軍や国司であった感じ。二人とも好きだけど(w
>21
いや、やはり骨、脂でしょう。足軽、雑兵以後の戦闘は切るというより、鎧の間を
突き殺すか叩き殺す、になる。刀も反りのあるものから直刀になっていきますし。
織田の鉄砲足軽は火縄を濡らすと死罪と軍法で定められていたそうな
随分前に見て忘却の彼方だが、七人の侍たちの役割分担はどうだったけ?
37 :
名無し三等兵 :02/11/12 22:24 ID:6G6Lt6kl
これで七人だが、誰か埋めて呉れ
勘兵衛:指揮官
平八:
勝史郎:
七郎次:
久蔵:
五郎兵衛:
菊千代:
38 :
名無し三等兵:02/11/12 22:24 ID:c2e56Zqv
威力偵察
予備兵力の確保
縦深戦闘
キルゾーンへの誘導
ドイツでリメイクしないかな
7台の黒騎士とか(w
>>35 映画の中では、何か勘兵衛が行ってたと思うんだが、おれも忘却だ。
勘兵衛…リーダー兼軍師
五郎衛…集団の接着剤
平八…ムードメーカー
勝四郎…兵隊(実は貴重な若気の行ったり来たり)
七郎次…軍曹
久蔵…冷徹無比なスナイパー(武器は剣だが…)
菊千代…道化型の英雄
というのが、俺の理解なんだが…
五郎衛と平八は参謀兼下級指揮官のような気がする
>>39 これは有り難い(感謝)。DVDが欲しくなりますた。週末にも買ってくるか。
異常に基本に忠実な勘兵衛は用兵が何たるかよく分かっているな。
創作物で尊敬出来る真っ当な指揮官はヤンと勘兵衛だけだ。
刀では3人までしか切れないらしい
後はぼろぼろになった刀で殴るか、武器を変えるか
実際乱戦になると槍や弓のほうが使えるような気がする
45 :
44:02/11/12 23:01 ID:???
かなりおぼろげな記憶だが
一人目 腹を切って殺す
二人目 首を切る、のどを刺す
三人目 頭を少しえぐって殺す
四人目 武器切り替え
46 :
一夢庵:02/11/12 23:31 ID:8eg0QIMW
日本刀神話が根強いが、
実際槍が一番。
戦場では上級武士は替え馬と槍は数本、小者に持たせて戦った。
鎧の下に着込み(鎖帷子)着ているから刀は役に立たない。
いくらねた刃をあわせても無理だ。
だから、槍や鉞や鉄棒が有効。
包丁で肉の塊を切れば脂が纏わりついて切れない。
実際の戦場は刺す、突く、殴るが主流。
日本刀が多く残っているのは観賞用としてだったから。
47 :
名無し三等兵:02/11/12 23:36 ID:4Dk8JAOS
忍者がでてこない。。
勘兵衛…リーダー兼軍師 ミラー大尉
五郎衛…集団の接着剤 メディク
平八…ムードメーカー ユダヤ人の人
勝四郎…兵隊 途中で切れた人
七郎次…軍曹 軍曹の人
久蔵…冷徹無比なスナイパー お祈りしてるひと
菊千代…道化型の英雄 アパム
最後の山賊 タイガー戦車隊
>>46 と言う話もあるが、実際には弓鉄砲に石礫の方が主力兵器。
槍はどちらかと言う補助兵器。
混戦や敵の敗走後の掃討戦などくらいにしか使用されなかったと言う話もある。
因みに太刀や刀はどちらかと言うと護身用の「武器」。
傍証として、織田信長が伊勢で行った一向宗の虐殺の話がある。
籠城側に武装解除して開城すれば命だけは助けてやるとしながら、
武装解除された一向宗を虐殺。
一向宗側は命懸けの反撃に出た結果、織田側は結構な被害を出している。
当然武装解除されていたので槍や弓鉄砲などは持っていなかったが、
何故か刀は持っていた。
50 :
24:02/11/13 00:04 ID:???
>>29 >>30 さんきゅ。
そ〜言えば徳川家康も何流か忘れたけど結構剣術(馬術も)上手かったんだってね。
なのに息子達には「剣術なんぞ大将にはいらん」と説教していたそうな。
>>25 全くなかったって訳じゃないけど、基本的には乗馬戦闘はしなかったって話だよ。
確か『武功夜話』に、
大坂の陣ン時にどっかの藩が乗馬戦闘を仕掛けて鉄砲喰らって敗走したんだけど、
それを見ていたか聞いていた作者は、
「最近の若いモンは戦の仕方を知らんようだ。
馬は戦場から何里の所で降りて、対鉄砲用の盾を持って近付くんだ云々」
って話があるくらいだから。
射撃戦も白兵戦もどっちも大事
だって射撃戦と白兵戦は連携して行われるんだから
スレ違いだゴォラ、と罵倒されるのを覚悟で質問。
西洋の剣の刀身はあんなに幅広なのに(あれなら「殴り殺す」のはよく分かる)なぜ日本刀
は細身なの?主力武器でないから携帯性を優先させた、ということなのでしょうか?
54 :
49:02/11/13 00:57 ID:???
騎馬武者=竜騎兵・・・というか
>54 御教授感謝
そういえば拝一刀は胴田貫でしたね。
ワシも最近の学説で、戦国時代の騎馬武者は敗走する敵を追撃する時と
自らが戦地を脱出する時以外は極力馬から降りて戦ったと聞いたぞ。
あと死傷原因の半数以上は弓に由るもので刀で一対一で斬りあう事も
実際は功名がけの首取り以外は思ったほど多く無いとの事。
おお、良スレだ。>58氏、出来ればその書の出版社はーーちくま新書か。ふむふむ、探してみます
戦国時代の合戦の戦死者の死因で一番多かったのは「投石による打撲傷」だそうだ。
・・・激しくカコワルイ。
62 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/13 22:01 ID:vntmy8CP
まあ朝鮮出兵時にも朝鮮兵や明の兵に日本兵は石を投げたのだろうか(苦笑
(まあ相手も同様に投げて来たのだろうか)
まあ鉄砲が主力と言うが長篠の織田軍38000の鉄砲は3000であり
1000丁と言う説も有る訳だから鉄砲隊が主力とは言えず
弓隊の数も恐らく鉄砲隊以下であるなら槍兵が基本的に主力であると見て
良いだろうが(まあ矢張り雨天では銃や弓を使えない訳だろうし
これに余りに依存するのは城の防衛時以外は困難である訳だろうか)
島津の騎銃兵等も銃だけではなく剣や槍の扱いも
かなり優秀だったと言う事だろうか
63 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/13 22:06 ID:vntmy8CP
まあクレッシーの際のイングランド軍は10000の兵に対し
ロングボウ兵が3000程度は居たかと思うから
こちらの方が射撃に依存した軍隊である訳だろうか
仏軍等はどうか知らぬが雨天イングランド軍に騎兵突撃や
重装歩兵が突撃を掛ければ弓は使えないので脆い部分も有っただろうか
64 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/13 22:15 ID:vntmy8CP
武田軍の鉄砲隊も1500居たと言うから
これを用いて織田軍の鉄砲隊を牽制すれば
一方的に槍兵が銃撃され続ける事態とは成らなかったかも知れないが
まあ塹壕から射撃して来る敵を牽制するのは困難であり
自軍の鉄砲隊も敵の歩兵を足止めする為の壕迄は
車竹束等で守る必要は有るだろうか
(まあ壕が何重にも成っている場合は車竹束は其処を超える必要は有るだろうから
壕を埋めてから前進すると言う方向だろうか)
65 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/13 22:19 ID:vntmy8CP
66 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/13 22:22 ID:vntmy8CP
まあ何せ雨天に自軍のクロスボウ兵の弦をカバーして雨から守る事も
知らなかった仏兵であるから雨天での突撃等
思い付かなかった可能性と言うのも有る訳だろうか
(まあ只雨天でも短時間は弓を射撃可能だろうから
ある程度射撃させるかカバーを外させる必要は有るだろうが)
67 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/13 22:32 ID:vntmy8CP
>雨天でなければ仏騎兵は
>恐らく敵の直前迄は下馬しては移動しなかっただろうし
上失礼雨天であればの間違いだが
敵の弓兵や銃兵を避ける為に雨天突撃したと言う例は実際有るのだろうか
(まあ只砲兵は恐らく雨天でも使用可能だろうか)
68 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/13 22:40 ID:vntmy8CP
まあ朝鮮出兵時に陸戦でやられたと言う朝鮮や明の兵士も
銃にやられたと言うより長槍兵にやられたと言うのが
正解であるかも知れぬが(まあ明や朝鮮の兵士の槍は短槍であり
盾を持ち乍ら片手で使用する物だろうか
まあ盾と鎧で全身をカバーするのは無理であり鎧の無い場所を
長槍で一方的に突かれていた訳だろうか)
69 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/13 22:57 ID:vntmy8CP
>まあ鉄砲が主力と言うが長篠の織田軍38000の鉄砲は3000であり
まあ矢張り攻城戦でも無い限り3000の鉄砲より30000の槍の方が
強い訳だろうか(苦笑
70 :
名無し三等兵:02/11/13 23:05 ID:PAqmqdjT
次郎長親分の刀も胴太貫だったような気が。
71 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/14 00:19 ID:wDS/tzKY
>銃にやられたと言うより長槍兵にやられたと言うのが
まあ弓は軽量な盾で止められても
銃を止めるには竹束が必要であると言う事も有るだろうが
馬を下りて戦争って言ってるけど
アメリカの騎兵隊は馬に乗ったままインディアンと
戦ってたんじゃないの?
73 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/14 00:51 ID:wDS/tzKY
まあ後装式銃が出る迄は米の騎兵も
確かインディアンの弓兵にやられていたのではないのか(苦笑
74 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/14 01:08 ID:wDS/tzKY
アジャンクールで雨天3万の仏兵が突撃していたら
ロングボウ兵が2/3である英1万2000は壊滅していた可能性は有るだろうか
(まあ重騎兵は疲労を避ける為に敵の目前迄乗馬で良いだろうか)
>>72 馬の種類が違う。
日本の馬は小さいんだよ。
現代であれば道産子が一番当時の日本原産馬に近いのかな?
各地の郷土資料館とか歴史資料館に行くと、
偶に当時の馬の骨とかから復元されたモンが飾っているけど、
馬の頭の位置が私のように成人平均男子よりも小さい人間の肩くらいまでしかなかったよ。
よく太平洋戦争等の写真に小さい日本馬が写っているけど、
あれでも輸入馬を混ぜて大きくしたヤツだ。
それと欧州でも下馬して戦闘ってのは結構あったよ。
76 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/14 01:25 ID:wDS/tzKY
>それと欧州でも下馬して戦闘ってのは結構あったよ。
まあこれはロングボウやパイクで所詮完全な装甲の無い
馬がやられるからだろうが
短槍兵はどうか知らぬがハルバード兵にも乗馬突撃は阻止されていただろうか
(まあしかし銃剣を構えた兵に槍は兎も角サーベルで突撃するのは困難ではないのか)
<下馬戦闘
馬に乗りながらだと、戦列を組みにくいのでは?
歩兵は、高所に拠り、戦列を組み、戦列前方に障害物を構築するなどすれば
騎馬突撃に対抗可能だという話が有ります。
>>78 まあ、あれだな…現代人がイメージする「馬」とはかけ離れたイメージなんだよな。
だいたい、おれらが「馬」と言われて思い浮かべるのは、サラブレッドだ。
あと乗馬の専門種であるハノーバー種。
そんで、カウボーイがよく使う、クォーターホース。
これらは、日本の在来馬に比べると「巨大」なんだよな。
在来馬は、体形的にはポニーとか、ロバに近いんだよな。
80 :
75:02/11/14 17:14 ID:???
>>76 おお! 猊下に始めてレス貰っちゃったよ。かなり嬉しい。
> 短槍兵はどうか知らぬがハルバード兵にも乗馬突撃は阻止されていただろうか
例えばスイスの傭兵隊とかですね、猊下。
>>77 拠点防衛などでは頻繁に下馬戦闘したらしい。
もともと馬に乗っている人って、
騎馬=騎士・貴族(だけじゃあないけど)=士官
だから、歩兵の為に率先して戦ったり、
歩兵が動揺して逃げ出すのを止めたりしなきゃいけなかったって話です。
これがおそらく「高貴なる義務」ってヤツなんでしょうね。
とりあえず
>>58に出てる本を読んでからにしろ。
でないと前提知識が無いまま無意味な議論になるぞ。
>>78 戦闘にも使われる馬なんで気性荒いです。 噛まれるとシャレにならんぞ。
83 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/14 19:46 ID:jGjOeHZO
>> 短槍兵はどうか知らぬがハルバード兵にも乗馬突撃は阻止されていただろうか
>例えばスイスの傭兵隊とかですね、猊下。
まあスイスはパイク兵(長槍兵)主体だろうが
他の国の矛槍兵(ハルバード兵)や槍兵(これは片手で使う槍を持つ盾を装備する兵だが)
に整列されれば果たして槍騎兵も飛び道具を封じられる雨天でさえ突撃は可能だったのかと言う事だろうが
他にも杭や柵・壕等を使われればどうだったかと言う事だろうが
其の様な地形を避ける為の下馬突撃に対しても
弓兵が全軍の2/3も存在する様な軍隊では
アジャンクールの様に泥沼地を通らせて疲労させる等しないときついのではないのか
(雨天では装甲の無い兵科も突入して来るだろうし更に不利とは成るだろうか
まあ晴天時でも下馬装甲騎兵やパビスを持つ兵が突入して弓を封じた後
装甲の無い兵科を突入されればどうかだろうが)
ポワティエの様に下馬騎兵に乗馬騎兵を突入させた例も有るだろうがこれは何度も
上手く行く物では無いかと思うが
84 :
75:02/11/14 19:58 ID:???
某研とその取り巻きはスレ違いと思うのは野暮であろうか(苦笑
86 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/14 20:10 ID:jGjOeHZO
まあ西欧の弓兵やマスケット銃兵は殆ど皮鎧程度だろうし
まともに白兵戦等出来る物ではないだろうが
(まあ故にアジャンクールの英兵は2/3程度は白兵戦等出来ぬ兵科と言う事だろうが
其れでも疲労した仏下馬騎兵に対しては十分な戦力だった訳だろうか(苦笑)
日本の弓兵や鉄砲足軽の場合は畳具足や桶側胴が装備されており白兵戦の能力は
其れ成りに有ると言う事だろうか(まあ只まともに戦って槍兵に勝てる訳では無いだろうが)
>>某研究者猊下
猊下は七人の侍自体については如何なる感想をお持ちでしょうか?
88 :
75:02/11/14 21:13 ID:???
>>85 上まあその指摘もっともであると思い以後ROMるべきであろうか(苦藁
軍板の連中はこんな名作も見てないのかよ?(w 日本人として恥ずかしくない?
90 :
ちなみに角川「天と地」は怖くて見てない:02/11/15 14:27 ID:iBV3G+xu
「乱」なら好きだけどな。「7人のサムライ」名作なのはわかるが いかんせん古くて。
・・・最近「The Charge of the light brigade」(邦題 遥かなる戦場)いう
クリミア半島1854年における軽騎兵旅団の全滅突撃映画(アルマ+バラクラヴァ)みたけど、
黒澤の「乱」に数カットまったく同じシーンがあった。
監督自身、この映画好きだといってるし、やっぱ同じ戦争映画仲間、理屈じゃなく
本当に自分の好きな戦争映画を撮ったということで、黒澤は好きだなあ。
もっとも、「乱」の3の城炎上および梓が原の合戦は、あくまで戦国屏風の再現を
めざしただけで、戦術の考証的にはアレだけど。
ま、合戦幻想プロモーション映像ということで
>>90 角川の「天と地と」な…特に、クライマックスの川中島を観た時の俺の感想を書いておくな。
「歩兵戦はファランクスで、騎兵戦はナポレオニックですか?」
軽騎兵の突撃萌え。
あそこを「川中島」と言われてもねぇ・・・
94 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 17:48 ID:Sg9ySOZ5
>猊下は七人の侍自体については如何なる感想をお持ちでしょうか
まあ細部は良く覚えていないが
基本的にはこれはアクション映画と見て良いだろうか
しかし日本の槍兵8000・弓・鉄砲隊2000と
英の重装騎兵・歩兵4000・弓兵・銃兵6000が
戦ったら何れが勝つだろうか
まあ弓や銃の使えない雨天では矢張り前者かも知れぬが
まあ銃弾を弾く為に回転する兜や傘も有る様だが
頭部にのみ防弾効果を持たせても無意味と言う意見も有るだろうが
(これは西欧や日本等の鎬の付いた兜と比べ防弾効果は高い訳なのだろうか)
塹壕等を使用する際は意味は有る訳だろうか
まあしかし兜より陣笠の方が防弾効果は高かったと言う事は
無いのだろうか
肉弾戦だと兵士自身のスペック(心技体)も関係するじゃん!
ミニマム級の星野みたいな足軽とボブチャンチンとかアンドレみたいな白人戦士相手だと
分が悪いんじゃない?厨らしく意見してみるが。
96 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 18:11 ID:Sg9ySOZ5
>ミニマム級の星野みたいな足軽とボブチャンチンとかアンドレみたいな白人戦士相手だと
まあ只この時代の白人の体格と言うのも
大きくは無いのかも知れぬが(苦笑
(食事の量だけなら恐らく日本兵の方が
多いかも知れぬが肉の量だけならどうだろうか)
97 :
白人厨:02/11/15 18:52 ID:???
>まあ只この時代の白人の体格と言うのも
>大きくは無いのかも知れぬが(苦笑
>(食事の量だけなら恐らく日本兵の方が
>多いかも知れぬが肉の量だけならどうだろうか)
日本人の食事って炭水化物が主体だから、今のタイ人みたいに細くて華奢だったんじゃ
ないの?白人全てがボブとかアンドレとは云わないけども、筋力は白人が上じゃないの?
ある日本人格闘家いわく「同じ体重でも、パワーは白人>日本人」って雑誌で読んだ事あるよ。
もっと具体的に装備を吟味しないと、どちらとも云えない予感。個人的にはどっちが勝っても
辛勝ってかんじで死傷者続出って感じだけども。
98 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 19:10 ID:Sg9ySOZ5
>日本人の食事って炭水化物が主体だから、今のタイ人みたいに細くて華奢だったんじゃ
>ないの?
まあ只肉を全く食べない様な人間でも蛋白質が体内で製造され
筋肉が大量に有る場合も有る様だが
99 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 19:14 ID:Sg9ySOZ5
まあ多少の体力差が有るとは言え
弓以外には小剣と皮鎧しか無い様な兵が
長槍・畳具足或いは桶側胴・日本刀で武装した兵士に
勝てるのかと言う事だろうが(苦笑
種子島銃は伝来以来、雨では消えません。
101 :
白人厨:02/11/15 19:22 ID:???
>弓以外には小剣と皮鎧しか無い様な兵が
>長槍・畳具足或いは桶側胴・日本刀で武装した兵士に
>勝てるのかと言う事だろうが(苦笑
16世紀のヨーロッパの方が防具の質が上なんじゃないかな?
盾もあるでよ。
102 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 19:29 ID:Sg9ySOZ5
上まあ重装騎兵や歩兵ではなく弓兵の装備の事だが
(弓兵は皮鎧と小剣しか無い訳だろうが)
重装歩兵もプレートアーマーを着ているのは一部であり
槍兵には盾は有るとしても矛槍兵には無いだろうし
盾が有るとしても足等を突かれていた可能性は有る訳だろうか
(まあ手足に装甲の有る兵も存在する様だが全てでは無く
彼等も胴体には鎖しか無い訳だろうし
頭部や肩等を槍で殴られてダメージを受けていた訳だろうか)
下馬騎兵は完全鎧も有るだろうがスカートとタセットが一体化しておらぬ
旧式の鎧ではスカートを跳ね上げられて其処に槍を突き込まれる様な事も有り得たのではないのか
(まあ只其処を盾や武器で防護されて乱入されれば厄介で有る場合も有っただろうが
所詮日本の槍兵や銃兵・弓兵と重装騎兵の数を考えればどうだったろうか)
103 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 19:34 ID:Sg9ySOZ5
>16世紀のヨーロッパの方が防具の質が上なんじゃないかな?
胴体は兎も角写真を見る限り頭部や手足の部分の厚みは
余り無かったかと思うが手足や頭部の防弾効果はどうだったのだろうか
>盾もあるでよ。
まあ彼等のパビスより日本側の盾の方が一般的に言って大型の様な
気もするがどうだろうか
白兵戦用の盾に関しては所詮長槍兵の前には
盾から出ている頭部や手足等を攻撃されればどうかと言う事だろうが
(自分の片手用の槍は日本の長槍兵には届かないので一方的にやられる危険も
有る訳だろうが)
104 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 19:37 ID:Sg9ySOZ5
まあ銃には盾は効果が無い訳だろうし
車竹束の様な物は西欧の軍隊に有り得たのだろうか
(まあ板を車に取り付けた様な物は有る様だが
あれは防弾効果は有るのだろうか)
105 :
名無し三等兵:02/11/15 19:42 ID:VDLTaFNU
16世紀になれば、大筒も考慮すべきでは?
106 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 19:43 ID:Sg9ySOZ5
まあしかし大砲と言うのは雨天使用可能なのだろうか
17世紀は兎も角16世紀に大砲の集中運用というのは
西欧で行われた訳なのだろうか
107 :
名無し三等兵:02/11/15 19:43 ID:VDLTaFNU
武士は弓馬の腕を磨くとべし、鎌倉時代あたりでは言われたたような…
>>101 英人は知らないけど、
オランダ人はインドシナを植民地にすると、
平均身長が20cmくらい伸びたって話を聞いた事がある。
やっぱ身長は食生活が関係しているよ。
んで、近世、近現代はともかく中世の欧州の食生活は非常に貧しい事から、
戦国時代くらいの日本人と比較してもそれほど差はないんじゃないかな?
どうだろう、何一つ物証がないいい加減な与太だけど・・・
109 :
名無し三等兵:02/11/15 19:45 ID:VDLTaFNU
>>108 西洋の食文化は東洋に比べて貧しいです。
稲と麦の生産性の差はおおきい。
ヨーロッパで人口一億人を超えてる国がないのはそのため。
110 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 19:47 ID:Sg9ySOZ5
>武士は弓馬の腕を磨くとべし、鎌倉時代あたりでは言われたたような…
まあしかし雨天は弓等使えないだろうし弓ばかり訓練していては
彼等は歩兵の長巻にやられていた可能性も有るだろうか(苦笑
111 :
名無し三等兵:02/11/15 19:48 ID:VDLTaFNU
>>106 大筒は自軍の景気付と相手への脅しが主な目的かな。
まあ,元寇のころからだけど…
112 :
名無し三等兵:02/11/15 19:50 ID:VDLTaFNU
>>110 雨が降ったから,戦ができずとは,今も昔もいえないような…
雨が降ったら,弓をしまって、槍を取り出す出せば良いのでは?
ちなみに武士の大手柄のひとつは一番槍だし
113 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 19:53 ID:Sg9ySOZ5
>ちなみに武士の大手柄のひとつは一番槍だし
まあしかし鎌倉時代には槍ではなく
太刀ではないのか(まあ下馬時には長巻も使われていた可能性は
有るだろうか)
114 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 19:56 ID:Sg9ySOZ5
まあ矢張り弓は兎も角太刀で歩兵の長巻に勝てるのかと言う事は
有る訳だろうが
115 :
108:02/11/15 19:56 ID:???
>>109 失礼、言葉足らずでした。
食生活と人間の平均身長の関連性、
そして戦国時代の日本人と中世欧州人の平均身長のデータ、
これらのデータを何一つ持っていない>与太と言う意味です。
それとスレ違い&誤字と推察致しますが、
食「糧」の生産量の違いと言う意味であれば完全に同意致しますが、
食「文化」の富貧に関しては主観が大分影響しますので発言を控えさせて貰います。
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
19〜20世紀になって欧州はようやく東洋の先進農業技術を(一部)入手した云々〜〜
と言う話もありましたね。
それまでの欧州の穀倉地帯は大分北の方にあるポーランドだったんですから・・・
116 :
名無し三等兵:02/11/15 20:03 ID:VDLTaFNU
>>113 まあ、戦場で生き残り,なおかつ大手柄を上げるために、
そのときそのときに臨機応変に使い分けてたでしょう.
また,忘れていけないのが,部下の郎党の存在。
騎馬侍は上級で、その他に歩兵を常につれていたはず。
一種のコンバインどアームズってやつですか?
117 :
名無し三等兵:02/11/15 20:15 ID:CnjCAYRd
>>115 こちらこそ、言葉足らずのカキこすみません。
身長に関して、やはり貧しい土地に住む民族は
背が低い(あちらで比較して)けいこうがあるはずです。
当時の甲冑などから、身長を計った見たら面白いかも。
脚本に忠実にみると
ここの百姓達は「前の村、その前の村も焼き払われて逃げてきた」というから
農村同士の抗争でも敗北した「百姓界の落ちこぼれ」ではないかと
だからろくな実戦経験のない流民のなれの果てと考えたほうがよいのでは
以外に実戦経験厚そうなのは平八
実映像では、「ずいぶん人は斬られたであろうな」という五郎兵衛の問いに
「人は斬りだすときりがないでな、その前に逃げることにしておる」と言ってるけど
脚本ではその後に「わしなぞ人を斬った覚えは無い。気がついたらいつも、
相手の方が倒れておるでな」というセリフが続く
近代戦でも、修羅場くぐった人がよくこういうことを言う
平八の偉いところは、自分の限界を知っていること
だから、「逃げる」ことと「奇襲」の重要性を理解している
野武士の館の夜襲を進言したのは、一番強そうな久蔵と平八だったし
などと、作品を行為的に解釈してみるテスト
119 :
118:02/11/15 20:30 ID:???
×行為的
○好意的
120 :
白人厨:02/11/15 20:45 ID:???
勉強になるスレだなあ。
戦国期の武士が当時最強って事で終了ですか?
ドイツ騎士団もモンゴル軍には敵わなかったようだし。
こりゃまた凄い釣り師が現れたもんだ。
122 :
名無し三等兵:02/11/15 20:49 ID:AQUdDw8M
私もとっても好きな映画です。
12年前に、上京して渋谷の映画館ではじめてみたな。
落ち武者狩りに怒る勘兵衛のシーンも忘れられないですね。
123 :
名無し三等兵:02/11/15 20:54 ID:AQUdDw8M
戦国末期の織田,秀吉、徳川あたりならイングランド軍とあたっても負けないだろうけど…
お互い地球の反対側だから,あまり意味無し
数が日本側が圧倒的に多いからね。
中国に対しても当時の動員力は互角に近かったようだ。
>>124 確かに小田原攻めのように補給体制を整えた上で大軍を動員出来たら、
銃の配備率も結構あったからかなり有利に戦えるかも・・・
ただ、騎兵と砲兵がいなかった点をどう評価するかが問題だね。
126 :
名無し三等兵:02/11/15 23:23 ID:o5UPpyrX
当時の日本は目新しい物好きだから、有効と思えば取り入れたろうけど。
騎兵に関して,北米大陸では、コロンブス以前に馬は絶滅してて
いなかった。 インディアンは西洋人が持ち込んだ馬を取り入れて,使いこなしたよ。
127 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 23:43 ID:TK1OjPqP
>ドイツ騎士団もモンゴル軍には敵わなかったようだし。
まあアルスーフの様に騎兵が挑発されず
パビスを並べてクロスボウを発射すればどうだったのかと言う事だが
モンゴル軍にパビスの様な盾は存在した訳なのだろうか
雨天では騎兵も槍騎兵の多さで独騎兵が勝つだろうか
しかしモンゴル側は槍歩兵で騎兵を阻止すると言う事は可能なのだろうか
(槍歩兵は独・モンゴル何れが強いのだろうか
まあモンゴル槍歩兵が騎兵を阻止出来ても
独側は槍騎兵を下馬させて突入させ槍歩兵の数を更に増させると言う方向も有るだろうが)
128 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 23:45 ID:TK1OjPqP
>ただ、騎兵と砲兵がいなかった点をどう評価するかが問題だね。
まあグスタフアドルフ迄は砲は余り西欧側にも無かったかと思うし
騎兵は長槍歩兵の槍襖や弓兵・鉄砲で阻止可能だろうか
129 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 23:50 ID:TK1OjPqP
>しかしモンゴル側は槍歩兵で騎兵を阻止すると言う事は可能なのだろうか
まあしかしこの時代の槍歩兵は騎兵を阻止できたかと言う事だが
弓やクロスボウ・杭や柵・壕等を使えば一応は阻止出来たろうか
130 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/15 23:52 ID:TK1OjPqP
まあしかしモンゴル軍の槍歩兵・槍騎兵はこの時代の西欧軍よりは
比率は少ないと言う事だろうか
イングランド軍もこの時代はロングボウは無く
クロスボウのみで有ったのだろうか
またスレ違い気味に。各人注意セヨ
132 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/16 00:05 ID:6u2GWUWX
晴天時は独軍は騎兵を下馬させてパビスを構えつつ
クロスボウでモンゴル兵を叩くと言う方向であり
モンゴル兵がクロスボウを盾で防護すれば
槍兵をパビスで防護しつつ突入させると言う方向だろうか
雨天は槍騎兵でモンゴル騎兵を叩いた後
モンゴル歩兵が騎兵を阻止出来ねば其の侭騎兵突撃すれば良いだろうか
133 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/16 00:08 ID:6u2GWUWX
まあアラブ兵を破ったリチャードであれば
モンゴル兵にも同様の方法で勝てた可能性は有るだろうか
134 :
名無し三等兵:02/11/16 14:15 ID:tnREa/lF
90>91
>ファランクス&ナポレオニック
そういわれると見たくなるのだが・・・もう10年間、ビデオ屋で「天と地と」
手に取っちゃ「どうせ・・・時間の無駄だ」と戻すのを繰り返してきたので(笑)
黒澤さん自身、例の「影武者」で長篠の馬柵&3段撃ち再現して、なんだか
ジェフリー・パーカーだかダーマーだか殺人鬼みたいな名前の西洋の軍事研究書でも
日本人の発明した3段撃ち凄いんです〜!なってるけど、いい加減修正すべきでしょうな
135 :
名無し三等兵:02/11/16 14:20 ID:tnREa/lF
まあ7人の侍スレで、元亀元年ころの野武士いうことなんだろうけど、
もし映画にするなら個人的には森鴎外「山椒大夫」の泣く子も黙る
応仁の乱の頃の、地頭さまの家の子郎党武士団なんか、こじんまりと
して研究対象としては、好きだな
>黒澤さん自身、例の「影武者」で長篠の馬柵&3段撃ち再現して
再現でなくて創作捏造だろ(w
スレ違いって言われてるんで、誰か新スレ立てないの?
138 :
名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/16 16:15 ID:IAapDTK3
そういえば前の方のレスで、投石が大きな武器だったって書いてあった
けど、それは所謂「白川の印地打ち」みたいな連中の事?
139 :
名無し三等兵:02/11/16 21:45 ID:yUTEZrI5
製作に当たったスタッフが出演者がすべて戦前、戦中派で全員何らかの軍事訓練を受けた経験者だというのがリアリティーにおいて最近の戦争映画との最大の違いを産み出してると思うのだが。
>139
その影響でコヴァが(以下略
>>138 かなり近いのかも
石礫を手で投げる
当り所がよっぽどよくないと殺せはしないが、怪我をさせる事が出来る
だから近接して投石し、挑発等に用いていたようだ
場合によれば調子に乗りすぎて近付き過ぎ、弓鉄砲を一方的に食らう事も
142 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/16 23:17 ID:kUOM1hY+
まあ日本の特質は寧ろ飛び道具ではなく長槍兵の多さだろうし
スイス以外は短槍兵の比率もかなり多かったのではないだろうか
143 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/16 23:29 ID:kUOM1hY+
まあ後は弓兵や銃兵にもそこそこは装甲が有り
白兵戦の際に予備兵力として使えると言う事だろうか
”戦争”の武器は弓・鉄砲でしょうが。
145 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/16 23:35 ID:kUOM1hY+
まあしかし雨天に弓や銃が城内以外から使えるのか
弓や銃も地形やパビス・車竹束・完全鎧等で止められ得る訳だろうが
映画「グラディエーター」の冒頭に出てくるローマ軍(考証的にどうなの?)と
鎌倉期の武士団がぶつかったらどうなるものか?
147 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/16 23:39 ID:kUOM1hY+
まあしかし雨天でも石や投げ槍は
使われ得た訳だろうか
148 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/16 23:50 ID:kUOM1hY+
>鎌倉期の武士団がぶつかったらどうなるものか?
まあ弓を上手く使えばローマ兵を叩け騎兵突撃も止められるだろうが
ローマ歩兵にも盾が有る訳だろうし弓の効果は限定されるかも知れぬが
長巻・刀とグラディウス+盾では何れが勝つだろうか
(まあ乱戦ではローマ兵の方が強いかも知れぬが)
只日本兵は盾が余り無いのでピルムを止められるのかと言う事だろうが
雨天にずぶ濡れで戦ったら、速攻で体力を消耗しちゃうでしょ。
当然、合戦では双方とも雨しのぎの対策をしていたわけで。
雨天では攻める側は不利なわけで。
攻め手が圧倒的でないかぎり、合戦は雨天延期だったんじゃないのでしょうか?
150 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/16 23:55 ID:kUOM1hY+
まあ只雨天にローマ騎兵に突撃を受ければどうだったのかだろうが
ローマ騎兵も投げ槍とグラディウスだけだろうから
機動力は高いとしても日本の騎兵に圧倒的優位を保てたかと言う事だろうか
(まあローマ騎兵を杭や柵等で阻止すると言う方向も有るだろうが)
151 :
146:02/11/16 23:56 ID:???
ローマ軍にはカタパルトがあるし、三国志に出てくるようなデカいクロスボウが
映画には出てくるんで、飛び道具的にはローマ有利かなと。
152 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/16 23:57 ID:kUOM1hY+
まあ只カタパルトやバリスタは日本の陣形がファランクスでは無いなら
余り効果は無いのではないのか
>>150 日本の騎兵は弓騎兵ですから比較すること自体が無駄ですよ。
マジでそんだけ氏復活してくれないかな・・・・
155 :
名無し三等兵 :02/11/17 00:00 ID:DnO36JZM
迷惑かけるのもナニですから、「中世 日本軍対西洋軍を妄想で語るスレ」でも立てたら?
マンセー
157 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/17 00:02 ID:A/RvAG51
まあ矢張りマケドニアファランクスに弓を封じられる雨天突入されれば
これを阻止出来るのかどうかだろうが
>>158 誘導乙。
某研も自分で立てたスレを粗略にしてはいけませんな。
一応名物コテハンなんだから、考えて行動しようよ。謝罪と賠償しろとはいわないが。
160 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/17 00:08 ID:A/RvAG51
これだけ長槍兵の比率の高い軍隊と言うのは
他にはスイスのパイク兵位しか
無いと言う事だろうがまあ戦国時代の日本の長槍兵は
スイスのパイク兵の模倣との意見も有るがどうだろうか
(弘安の役後に既にモンゴルを模倣した槍兵は
出現していたのかも知れぬがこの槍の長さはどうなのだろうか)
アニメのガンバの冒険も、七人の侍をイメージして、原作から構成しなおしたらしいね。
ガンバ、ボーボ、ガクシャ、ヨイショ、シジン、イカサマ、チュウタと七匹だし。
百姓の戦い方は軍事理論的にはあの戦法でOKらしいけど
俺だったら百姓に長槍持った奴と盾持った奴を半々にして
前列は盾を持った奴立たせてそいつらの盾の間から後段の
長槍を出させて密集体系で騎馬武者に突っ込ませるがなー
>>162 恐らく隊列が崩れてばらばらになって各個撃破されると思われ。
一般的に攻勢に転じた歩兵部隊が無惨な敗北を喫する戦例は多い。
歩兵側が突っ込んでどうするね。
盾の隙間からではまともに叩きあいもできないし。
騎兵相手の槍兵隊は槍の長さとその槍ぶすまこそが
防御力であろう。
>>162 密集隊形の歩兵部隊が、歩兵のみで攻撃前進が可能だったのは
ファランクスやスイス農民兵のみ
どちらも規律と訓練度が高い。
練度の低い百姓動員兵では陣形が崩れて終わる。
紀元前のヨーロッパの戦いで前列に短い槍を持った槍兵
を置き後列に長い槍を持った槍兵を置いて槍の密度を
二倍にして連勝した国なかったっけ?
ギリシャだろ
168 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/17 18:58 ID:hpAOQMTK
まあ其の槍襖に盾を構えた下馬騎兵や徒歩武者等が
乱入して来る危険も有る訳だろうし
其れで近接戦闘に持ち込まれたら脆い部分も有るだろうか
(まあこれは投げ槍やバリスタ等での阻止
或いはハルバード等で盾の上から粉砕すると言う方向も有るだろうが)
169 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/17 19:01 ID:hpAOQMTK
>槍の密度を
>二倍にして連勝した国なかったっけ?
まあこれはマケドニアファランクスだろうが
側面攻撃やバリスタ・カタパルトの攻撃に脆いのではないのか
側面は騎兵で防げてもカタパルトやバリスタ・ピルムはどうだろうか
170 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/17 19:08 ID:hpAOQMTK
>まあ其の槍襖に盾を構えた下馬騎兵や徒歩武者等が
>乱入して来る危険も有る訳だろうし
まあ只槍兵がファランクス程に密集しておれば
盾を構えてさえ乱入は困難だろうか
>>170 密集するのと、密集しながら行動するのは全く別問題だね
幼稚園児でも密集だけなら出来る。
172 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/17 19:14 ID:hpAOQMTK
>密集するのと、密集しながら行動するのは全く別問題だね
まあ移動速度を極端に落とすか
移動時は密集しなければ移動は可能だろうか(笑
七人の侍にバリスタ、カタパルトは出てこないと思う
174 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/17 19:17 ID:hpAOQMTK
騎兵も下馬戦闘主体であれば槍の長さは
歩兵並みに長くて良いと言う意見も有るだろうが
これは矢張り乗馬戦闘が主体であった故なのか
或いは騎乗時の取り回しを考えての物だろうか
(まあ室町時代は騎兵に太刀持ち等の従者が存在しただろうし
騎乗時は彼等に歩兵用の槍でも持たせれば良いだろうが
戦国時代の騎兵には従者は存在しないのだろうか)
>>172 スペインのテルシオは、行軍隊形から移行するのに半日かかったらしい
密集→分散隊形のような戦闘行動が可能だったのは、マリウス改革以降のローマ軍団だ
どっちにしても、素早い行動を可能にするのは訓練度
ちなみにマケドニアファランクスの最前列の槍兵が短かったというのは俗説らしいぞ
13ウォーリアーズは中世初期のヨーロッパの小規模な攻城戦の実相をよく再現してると思う。
村落の周囲に丸太で補強された土塁を築き、その外周に壕を堀り、障害物を設置して敵の侵入を阻害する。
さらに、村落の入口には移動式の障害を設置する。
敵が襲来したら土塁の後ろから弓や投槍、投石で敵の接近を防ぎ、敵が侵入したならばそこに戦力を集中して撃退する。
騎兵突撃を破砕するため主人公たちが即席の槍兵となったが、あれは対騎兵戦の典型的なテクニックだ。
映画としての評判は芳しくないが個人的にはグラディエーターよりお気に入り。
>177
かのマイケル・クライトン原作ですな
今更だが
>60
正しくは
「鉄砲と日本人」→ちくま学芸文庫 (単行本・洋泉社 1997年)
「謎解き日本合戦史」→講談社現代新書
・・・ちくま新書の棚を探して本屋を流離ってしまった俺。
自分で調べないのが悪いんだけどね。
今までの日本の合戦を描いた物の内で比較的忠実に描かれているのは
実写でなくて今年公開の「クレヨンしんちゃん」らしい。ネタでなくて。
戦場荒らし
182 :
名無し三等兵:02/11/18 18:44 ID:x0SPoeLd
村娘の“しの”を犯っちゃった勝四郎は野武士と
五十歩百歩ということでよろしいでつか?
>>178 映画のほうは、もろに「七人の侍」だったけどね。
184 :
名無し三等兵 :02/11/18 22:46 ID:m2EBRSGM
DVD初期不良とかで全数回収済みで売ってねぇyo!
185 :
名無し三等兵:02/11/19 03:09 ID:5XTEAQC6
戦国ヲォタって結構いるんだな。。。。。。
>>182 どーみても、しのが勝ちゃんを犯っちゃったよーに見えるんスけど。ハァハァ
>186
「意気地無し!それでも侍か!!」
ビビッてたね。後でからかわれてたね。
>>180 以前に他のスレにもありましたが、軍事ネタでも正確な考証が評判に
なってました(「ブタのヒヅメ」の筋肉の身のこなしなど)
大河ドラマも頑張ってはいますが、通説に基づいているので考証が…
(長篠の合戦などはいい例でしょう)
>>188 てか、原作になる時代小説の考証が問題と思われ…
190 :
名無し三等兵 :02/11/24 22:40 ID:myIryNbo
都内でDVDどこか売ってる場所ないかい?
191 :
名無し三等兵:02/11/25 19:57 ID:kxGx7Gsm
もうちょい待てば売り出すよ!
192 :
名無し三等兵:02/11/26 01:39 ID:sOqUlFgL
たしか、黒澤監督がなんかのインタビューでいってたけど
でてくるキャラクターの好みが国によって違うってのがおもしろかった
たしか、アメリカ人は勘兵衛、フランス人は久蔵、イタリア人は菊千代、を好む人が多い
とか言ってた
194 :
名無し三等兵:02/11/29 16:00 ID:LOBH46tx
>193
居るけど,何か?
も
199 :
名無し三等兵:02/12/09 01:32 ID:4s3yKWPR
はげ
200 :
200:02/12/09 21:36 ID:???
200get!
種子島三丁
侍
野武士って風じゃなかったね、あの映画では。
なんか野武士の頭領はちゃんとした武将のような格好していたね。
204 :
名無し三等兵:02/12/14 16:48 ID:7dafxQwv
頭領だからアリなんじゃない?もっと下品な前立、後立ならなおよいと思う。
ただでかいだけの環貫の後立で錏が総金箔押しとかどうだろ?
ついでに前立も付けて練り革金箔押しで「金」の一字。
205 :
名無し三等兵 :02/12/14 18:52 ID:tt/Hf3F3
立派でも敗残兵ならぬ落ち武者なんでしょ?(w
というよりも武将クラスの格好の者たちが多いような気がするのだが、
落ち武者狩りとうをで手に入れたにしてみても、妙に小奇麗だし。
207 :
名無し三等兵:02/12/14 19:55 ID:TR0zdUU2
個人的なイメージとしてはそもそもの落ち武者が他の落ち武者狩りして鎧兜うばう→頭悪いからとにかく派手な光物付けて威張って喜ぶ。みたいな
兜は立派なのに体は前胴に褌のやつとかめちゃくちゃな装備が多くてまあありかなと。
>>58 後、この時代の野武士や下級侍を知るには、装備や兵法、手柄の立て方(首取り)
から補給や日常生活をつづった江戸初期の絵草子「雑兵物語」がお勧め。講談社
から現代語訳でも出ているし、どこか忘れたが文庫版もある。
これを読むと糧食の調達が現地での略奪を基本としていてロジスティックに重き
を置かずに苦杯をなめた旧日本軍を彷佛とさせて興味深い。
>これを読むと糧食の調達が現地での略奪を基本としていてロジスティックに重き
>を置かずに苦杯をなめた旧日本軍を彷佛とさせて興味深い。
それって旧日本軍よりも八路軍などの中共軍を彷彿とさせるんじゃないか?
“緇重、輸卒が兵隊ならばトンボ、蝶々も鳥のうち”とからかわれていた
のが旧日本陸軍。実際大陸での駐留軍を悩ませていたのは便衣隊と並んで
この敵地で糧食の調達問題で、本質は変わっていないのでは?
八路軍などの中共軍にとっては自国なのだし。
211 :
名無し三等兵:02/12/15 19:14 ID:08YFB6E4
日本に限らずどこの国、時代でも輜重兵が軽く見られがちだが、そもそも八路軍は輜重部隊が存在しないから問題外だ。
昔も兵糧奉行はやはり軽く見られた。名のある兵糧奉行なんて聞いたことないのがその証拠だ。
中共軍にとって自国とはいえ、
糧食の調達が現地での略奪を基本としていたことの否定、又は擁護にはならんぞ。
秀吉は天下統一の最終戦である小田原城攻めで初めて大規模な糧食輸送
システムをつくり出して船で大量の米を運ばせて北条軍を降伏に追い込んだ
そうだが、これなどは戦国の世では例外という事なのだろうか。
当時の文献に由ると足軽は自分で干し米をもって戦に臨んでいたのでせいぜい
1カ月の戦闘が限度で後は現地調達しか手が無かったとあるが。
つーか、野戦軍が1ヶ月を超えるような長期の作戦行動なんてほとんどなかった
215 :
名無し三等兵:02/12/15 21:47 ID:MMqWoBe6
八路は常時駐留してるならバランス考えててましだが、ちょっと大規模な作戦になるとめちゃくちゃ。輜重部隊は無いし村に合わせた兵力配置も無視する羽目になるから数十人の部落に数百人集まった日には…やはり戦国はこんなかんじ?
216 :
名無し三等兵:02/12/15 21:55 ID:08YFB6E4
てか一人で食料一ヶ月分なんか携帯できないぞ…一週間がせいぜい?後はやはり…各自村々家々にかけあって行くが、後の方になるともう分ける食料が無いと断られ…以下略
一ヶ月分の食料か・・・
カロリーメイト30個
なんとか持てそう
218 :
名無し三等兵:02/12/15 22:27 ID:NXbe+PUl
あと米を大量に渡すと足軽は酒やらに替えてすぐ使い潰してしまうから、せいぜい三日しか渡さないとも聞いたな。これはまだ兵糧部隊がまともにいるところの話だろうけど。
しかしカロリーメイトとは…
先述の「雑兵物語」によると足軽達は、打飼袋という糧食袋をじゅず状にしばって
首から下げてそのひとつの房ごとに一食分の米を入れて陣笠で煮て食べたとの事。
これで馬隊が追い付くまでの野戦の間4、5日は食いつなげるが、いよいよ底を
つくと味方領地にいる内でもよその部隊から奪い取ったりしたらしい。また
これは生米(籾米)なので干し飯(いい)にしておけば倍以上携帯出来て行軍
しながら齧れたようだ。
敵領地に入ってからはとにかく食べられる物は草や木でもなんでもかき集め、
松の皮もじっくり煮込んで粥に入れて食べたり、打飼袋の米籾が芽を吹いたら
のびた所で芽も根も一緒に煮て食べたり、あるいは里芋の茎をあらかじめ
干して縄にして味噌で味付けたものを馬の荷縄に使用して後できざんで味噌汁
の具にしたそうだ。また敵陣の井戸水もたいてい糞がいれられて汚染されて
いるので絶対飲まないように徹底していて、湧き水ですら杏の実を用いて毒消し
して上澄みだけを飲むようにしたと書いてある。
また馬隊の足軽の話しによるとまず水が大切で一人一日分として一升(1.8リットル)
用意し、米は一人一日六合(1.1リットル)、塩は十人で一日一合(180ミリリットル)
味噌は十人で一日二合(360ミリリットル)ずつ準備したり、昼間の戦闘だけでは無い
ので夜食の分も用意する必要があると明記してあるので兵糧部隊がしっかりしている所は
それなりに計画的に糧食を配給しようとした様。また
>>218に書いてあるように一度に
何日分もこれらの糧食を足軽達に渡してしまうと飯を食わずに米から酒を作って
濁酒で飲んでしまうので、篭城以外は5日分以上の米は渡してはいけないものだ、とも。
221 :
名無し三等兵:02/12/16 07:20 ID:9IeDMkWr
陣笠を鍋がわりにするのって絵巻物なんかに載ってるけどほんと?
練り革か木の漆塗りの陣笠を火にかけたら表面ぼろぼろになりそう。鉄製でも毎日常用したらすぐだめになると思うのだが。
そもそも陣笠自体それほど普及してなかったと思う。
「雑兵物語」は実は後世の創作ではないかという書き込みを見たことがある。
当時(江戸期)の間違った常識の持ち主でさえ、ツッコミどころがあった程だと。
とは言え具体例が多そうでなんとなく面白そうだ「雑兵物語」。
224 :
名無し三等兵:02/12/16 15:39 ID:oykUwWbS
あれよく古本屋で見掛けるからけっこう売れたのかな。
手持ちの陣笠見ても思うけど、内側のパッドとか顎紐とか簡単には外せないし、にわかには信じがたい。こんなものを鍋がわりにする位なら他に何なりとあるだろうと思う。竹筒一本でもあれば飯は炊けるし
なるほどね・・・
勉強になります。
226 :
名無し三等兵:02/12/16 16:12 ID:PKgqSP14
>一ヶ月分の食料か・・・
>カロリーメイト30個
>なんとか持てそう
貴様は戦闘時に一日400kカロリーで持つのか? カロリーメイト
だと300箱だろう。
しかし、侍衆が武器を見つけたときに見せた憎悪から、合戦に敗れた後の百姓の攻撃というの相当恐ろしいみたいだね。
合戦での疲労と空腹の状態で、動きが鈍り少数のところを襲われるからね。
ついでに、ドイツの三十年戦争でも、少数になった兵士は百姓とかに殴り殺されたらしい。
エッチングに描かれている(ジャック・カロ)のを見たことがある。
>侍衆が武器を見つけたときに見せた憎悪から、
襲うはそれが原因じゃないだろ。単に落ち武者狩りはビジネスとしてやっているだけ、
当時では、非常に手っ取り早いビジネスだろう。
それに捕まえた侍の身柄は自分達の村で奴隷のように酷使したり、
人買に売り飛ばしていたからな。ビジネスだ。
ビジネスを考える奴に感情は無し!
というか当時は侍も民衆も「互いに」人攫いをやってたからな。
人攫いは一大ビジネスで、落ち武者狩りもその一環の中の小さなイベント。
なにしろ組織化された織田・豊臣の軍団でさえ
隙を見せたら内部で殺しあってたほどだし。
他人イコール襲う対象。
231 :
名無し三等兵:02/12/16 18:45 ID:W2929eUd
利害関係むきだしの時代といったふうでしょうね。今もある意味そうかもしれませんが。菊千代が「百姓ほど汚いものはないんだ!」みたいな発言してますが、そうでなければ生き残れない時代だと思う。
落ち武者狩りは案外祭みたいな雰囲気だったのかもなぁ…
232 :
名無し三等兵:02/12/16 19:34 ID:XjoEta2v
七人の侍で驚いたのは、このブラックを守るにはぁって演説ぶち始めたことだな。
騎馬戦はなかった、武功夜話は偽、雑兵物語は捏造……。その手のなかった本は
ジャンルがあって、古事記から月面着陸までなかった事になってる。煽りみたいな
ものだから、鵜呑みにするのはどうかと。ただ殺人を目的とした馬術があったのは
事実だよ。
↑
デムパ?
234 :
名無し三等兵:02/12/16 21:24 ID:7CdxfBGc
でんぱ
明らかにデムパだな
236 :
名無し三等兵:02/12/16 22:33 ID:7xh9VMB1
さて、
野武士が最後の雨の戦いに勝つにはどうしたらよかったんだろうか?
237 :
:02/12/16 23:05 ID:???
238 :
名無し三等兵:02/12/16 23:23 ID:9IeDMkWr
いちおう劇中、勘兵衛が
「敵も苛立っている。これ以上攻撃を引き延ばせ無いはずだ。明日の朝かならず来る」
みたいなこといってますんで、勘兵衛の経験も考慮して、あの日しかなかったと仮定できないでしょうか?
239 :
ぷん:02/12/17 00:04 ID:/XiTmwdR
現在の農家にしろ政府の農業保護政策によって肥え太ってる
のが実態、なおかつ自給の農作物で食ってるし、田舎が多いから
物価安いし都会的な贅沢は必要無い。
あの映画で百姓が分不相応な武具を大量に隠し持っていたがまさに
余り金が大量にあった訳だ、思えば刀狩は支配者にとっては先見の
明があったという事かな?
ところで・・・・
おれはあまり詳しくないけどこのスレ話脱線しすぎじゃないの?
途中からオナニースレになってるし、洋ピン嫌いなんだ、、、、
関係ないけどさ。
西洋を対比させるのも結構だが疑問系の結語で思慮深さを装いつつ
己の専門分野を誇示してスレタイから逸脱したネタばかりやるのは
好ましくない、俺も含めてストレートな感覚を持った人間はその
やり方に良い印象は持たないだろう、どう考えてもスレ違いな発言
ばかりを連発して自分のペースに持ち込みたいだけの人間が居ます。
その人間は満足だろうが俺としては不愉快だ。
以上
駄目だよ、そんなこと言っちゃ
信者が湧いてくるぞ
241 :
ぷん:02/12/17 01:18 ID:/XiTmwdR
>百姓ほど汚いものはないんだ
というのは、戦後の食糧難の時に感じた黒沢の心の叫びだったのかも。
244 :
名無し三等兵:02/12/17 19:54 ID:FA7LDoQa
む。
皆さんはどの戦闘シーンが
お気に入り?
私はやはりラスト一戦で
最初に突破して来た野武士に
菊千代が一太刀浴びせて
スッ転ぶシーンかな。
漏れもラストのヤツかなー
あの泥臭さが堪らなく(・∀・)イイ!よねー
いや、最後の勘兵衛が皮肉の台詞をいうシーンかなあ。
あの台詞本当に痺れるよ。
247 :
名無し三等兵:02/12/17 20:32 ID:xx0uGD5A
245氏。そう、あれが雨じゃなければあれほどの迫力は出無いと思う
勘兵衛が弓で戦うシーンもよかったね。あの雨の乱戦の中整然と矢を撃ち放つ様が玄人を感じさせた。
やはりこういうシーンの間合いとかが当時斬新だったんじゃないかな。今見ても感動するし。
あとは迫力も。疾走する騎馬に追いすがって切り込むとか現代じゃ考えられないと思う。前述のシーンも演技とはいえ突っ込んで来る馬に立ち向かって切り込むとかすごくないかな。
野武士が落馬するシーン……すげぇ!
落馬し百姓の槍衾に追いたてられる野武士。
カナーリ残酷なカタルシスを感じるとともに、
集団戦で不利になるとはこういうととなのかと思った
250 :
名無し三等兵:02/12/17 23:51 ID:j5giyix3
ツンツンつつかれてグサーみたいなあれですな。
溝をはって逃げてるのもリアルだったねー。
>250
>>227 >>228で話の出た「百姓の憎悪」ってのは
むしろこういう場面で出るんじゃないか。
無論、闘争本能とサディズムも同時に沸き起こるわけだが
野武士の方は多分、落馬して時点で戦意喪失。
吶喊時の獰猛さとはうって変わって逃げることしか頭に無い人間を、
容赦無く嬲り殺し!
252 :
名無し三等兵:02/12/18 00:09 ID:T1dEh9A3
>>9 は本を読みすぎのバカだな。
さしあたっては。
253 :
名無し三等兵:02/12/18 00:16 ID:T1dEh9A3
254 :
名無し三等兵:02/12/18 00:25 ID:whfVtWzt
なるほど。
波というか揺らぎみたいなのが大きい状況だと揺り返しがすごいことになるんだろう。ワーッとおされたらワーッと返すみたいな風かな。そして弱者は徹底的にやられる。なんか見たことあるような光景だと思ったが、これはねずみ退治かも。
強者が一瞬のミスで即座に弱者になって搦め捕られて即死、みたいなそういう感性っていいね。
自分は野武士だって獰猛そうだけど内心は怖くて仕方がないことのあらわれだと思う。
仲間といる時は大勢で心強いし仲間の手前もあるから強そうに振る舞っていたが、
一人落馬して仲間から孤立してしまい、それまで押さえつけていた恐怖心が頭をもたげてくる。
あの農民に追い立てられ逃げ回る野武士は人間の孤立への根元的な恐怖を表現していたのではないのだろうか?
256 :
名無し三等兵:02/12/18 00:51 ID:T1dEh9A3
>>210 バカだな。お前。分かってるようで分かってない。
日本軍の調達は略奪ではなく、物々交換。
このくらい知っとけボケが。
257 :
名無し三等兵:02/12/18 00:56 ID:T1dEh9A3
>>maro
あのなあ、雑兵物語は江戸時代の中期に差し掛かってまとめたもの。
島原の乱よりだいぶあとだよ。(乱の経験者が海老の如く腰が曲がっていた時代)
戦国の気風も薄れ、当時を知る人は全くいない。
今だって、戦争体験者はいるが、今よりももっと平和ボケした時代の本。
258 :
名無し三等兵:02/12/18 00:57 ID:z5CkPCTn
255氏
むむ。確かに
社会に隷属する利点と欠点を村人と野武士に表現させたのかも。
野武士は序盤を見ても矢で撃たれた仲間を見捨てるシーン等があるが、
これは農民以上にシビアな世界という意味もあるだろう。
農民は田畑を基幹にした集団全体で守るべき共有物なりががあるからそれにそったある程度の協調社会が形成されている。
しかし野武士はそれがない。来る者は拒まないが死ぬ者も助けない。
一人を見捨てることで集団全体に及ぼす影響が農民に比べて極めて低いのだろうね。
そして結局はそれが最後に勝負を分けたのかもしれない。
259 :
名無し三等兵:02/12/18 01:04 ID:T1dEh9A3
上のほうで日本に騎馬戦がなかったから七人のサムライの光景もなかった
というような四角四面の教条主義者がいるが、映画のような光景がなくとも、
40人ほどの狼藉者で馬使いの集団だったらあれくらいの騎馬戦はやるよ。
騎馬武者が騎射をしていたのもうなづけるだろう。
蒙古馬も日本馬と同じくらい小さいがユーラシア大陸を制覇した。
これは騎馬集団があっというまにある一点の戦場に集中する事ができたからで、
機動力の優秀さはこうしたところにあらわれる。
のんびりした騎兵の一騎打ちをやっていたのは西洋くらいのものだろう。
馬を単騎使用した闘い方はいろいろあるだろうから、映画での闘い方も
リクツの上では納得がいくというものだ。
260 :
名無し三等兵:02/12/18 01:11 ID:T1dEh9A3
上のほうで誰かが、この映画は戦時体験者で出来ているといっていたが
至言だ。
結局、黒澤が描きたかったのは、紙芝居のような時代劇ではなく、
戦いに臨んだ人間をどれだけリアルに描けるか、ということだったのだろう。
当時としては野心的だった。
あれがリアルかどうかは定かでないが、戦争体験から、死の恐怖、
ことに及んでの心理的な同様などなど、目の当たりにした現実を
想像の世界に活写した。だから、おもしろい。
ゴジラ映画の第一作が空襲体験を知った人たちが作ったからこそ
真に迫っている部分があるように。
>>118を書き込んだものだけど
>>255氏
そのへんは、平八が怯える百姓達に
「敵は怖い。誰だって怖い。だがな、向こうだってこっちがこわいんだ」って言う
セリフをいみじくも証明してますな。
野武士と百姓の違いは所詮、武器の量と実戦経験だってことで。
野武士が殺されていけばいくほど、百姓側の鹵獲武器と実戦経験は増え
(当然敵の数自体も減るわけだから)、相対的に彼我の差は縮まる訳で、
最初はびびりきってた百姓兵が、バリケードの中で
「意気地のねえ(野武士の)奴らよ」って余裕かますまでになるんですな
>>246 漏れはあの勘兵衛のセリフ、単なる皮肉には思えなかった
「勝ったのは百姓だ」というのは、
あの戦で得たものは何か、侍と百姓の差を言ったのだと思う。
七人の侍が得たもの=戦の間の飯だけ(平八、五郎兵衛、久蔵、菊千代は命を失った)
百姓が得たもの=年2回の収穫期に根こそぎ収奪されない平穏な生活
戦の手柄を通じて禄や領地を得ることで食っている侍と
自身が食い物を生産している百姓の、「戦」の意味付けの違いを
勘兵衛は嘆息したのではないかと
脚本では「百姓は土とともにいつまでも生きる」っていうセリフが続くし
263 :
名無し三等兵:02/12/18 10:42 ID:QXkR33t+
そういえば野武士は何人逃げ延びたのかな?
落馬してするっと逃げた一人と
笠錏?の兜冠って目立ってた一人がやられてなさそう。
二人取り逃がした?
相手の数を数えてた勘兵衛が
「野武士はもうおらん!」
と言ったのは解ってて言ってたのかな?
日本は世界で唯一、馬を去勢しなかったそうだが(明治まで)
これは騎兵としての使い方をしなかったからじゃないの?
265 :
名無し三等兵:02/12/18 14:20 ID:T1dEh9A3
266 :
f:02/12/18 14:21 ID:M9eVNykM
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>自身が食い物を生産している百姓の、「戦」の意味付けの違いを
勘兵衛は嘆息したのではないかと
脚本では「百姓は土とともにいつまでも生きる」っていうセリフが続くし
そうかなあ。敢えてその続く台詞を入れなかった事を考えると。
黒澤は皮肉台詞ととって演出したんじゃないのかな?
何故ならそれまでの伏線というかストーリーの流れで、
百姓達に対して図太いところを演出しているから。
その印象ではやはり皮肉だろうなあ。
少なくとも俺が勘兵衛の立場だったら皮肉を言うだろうし。
269 :
名無し三等兵:02/12/18 17:29 ID:T1dEh9A3
戦国時代に騎馬隊が存在しなかったと言うほうがドキュソだろう。
だから本の読みすぎ、アタマで考えないパアというわけ。
270 :
名無し三等兵:02/12/18 17:30 ID:T1dEh9A3
>>252=253=269=270=釣り下手DQN
こいつは真性だろ。
272 :
名無し三等兵:02/12/18 18:06 ID:T1dEh9A3
>>271 逃げも隠れもしないから、言いたい事(反論)をはっきり言ったらどうよ?
IDさらしてね。
273 :
名無し三等兵:02/12/18 18:07 ID:T1dEh9A3
>>271 は、IDをさらして話も出来ないほど内気なのですか?
↑=
>>252=253=269=270=釣り下手DQN
まず君がソースを出せば?
275 :
名無し三等兵:02/12/18 18:41 ID:T1dEh9A3
>274
ソース?
何のソースかね。言ってる意味が分からん。
とにかく、もごもご小学生みたいな言い方をせずにハッキリ言ってみなよ。
騎馬隊に関してキミは戦国時代に存在しなかったと言っている。
そのソースを逆に知りたいよ。
「騎馬隊」という概念が問題だが、騎馬武者というものは存在した。
それだけで充分だろう。
つまり騎馬戦を実行するものとしての騎馬隊は存在したと言う事。
秀吉の折には朝鮮まで馬を送っているのだよ、当時の武士は。
なんとも香ばしいキチガイが登場してくれましたね。
騎馬武者がいたから騎馬戦をしたということにはならないよ。
映画一つ楽しむのにも煽り合わにゃならんのか、、、
>>276 ほっとこうよ。
軍オタだけでなく歴史オタにも基地外は多いので時間の浪費。
>>257 >雑兵物語は江戸時代の中期に差し掛かってまとめたもの。
まあまあ、何もあの本が全て正しいと言っているつもりではないです。
遠い昔語りを庶民の言葉で綴った江戸初期の足軽用戦争サバイバル読本
としてなかなか新鮮だったので引用してみました。とは言えかなりの
情報量で、話し半分としてもいろいろ戦国のいくさや死生観を知るヒント
にはなると思うのだが…。
後、種々のエピソード例えば敵の首を取ってから重いので鼻だけ削いで
持って行くも鬚のついた上唇も付けていないと男か女か判らないので
恩賞の対象にならぬと主人に叱られやる気をなくす足軽というような
生なましい話しはあまり他の書物では目にしていなかったので新鮮だった。
280 :
名無し三等兵:02/12/18 21:52 ID:T1dEh9A3
>>276 ほほう。
では、騎馬戦がなかったと言う証明がキミには出来るか?
逃亡はいかんよ。
騎馬武者がいたということは騎馬戦が出来たと言う事だ。
では、何のために騎馬武者がいたのか?
説明にならんだろう。
一体、どういう理由で「騎馬戦がなかった」と言えるのか、
どうせソースを出せと言っても無理だから、
論理的に答えてちょんまげ。
281 :
名無し三等兵:02/12/18 22:13 ID:Pf0oAabP
>>280 まずは騎馬戦の定義をせよ。
騎馬武者が戦闘加入した=騎馬戦
騎馬武者が集団で突撃=騎馬戦
騎馬武者が後方で指揮=騎馬戦
どれ?
乗馬して戦闘してたら騎馬戦じゃないの?
宣教師ルイス・フロイスは当時の戦闘を見て「彼ら(騎馬隊)は戦いが
始まる前に下馬してしまう」と記しているそうだが。
>>268 うーん。漏れとしては、勘兵衛をそんな捨て台詞言う人間と
思いたくないんだよねえ
落ち武者狩り事件で激昂した菊千代のことを理解できる
「大人」の侍が
ドナルド・リチーなんかは、268氏の説とってるね
(でもあの御仁、日本社会のことよくわかってないから、
「野良犬」で村上刑事が目の色変えてすられた拳銃探すのを
「終戦直後で銃が貴重品だったから」なんて書いてたからなあ)
そういえば、70年代のリバイバルで「七人の侍」がブームになったのは
「侍(=全共闘)たちがこんなに一生懸命戦ったのに、百姓(=一般市民)は簡単に裏切る」
っていう全共闘世代の共感があったからだと小耳にはさんだことがあるが、
>>260氏の言う通り、戦中世代の黒澤監督はじめスタッフが
そういう解釈で昭和20年代にこの映画つくったのかは疑問
物心ついた歳には既に修道院に放り込まれていて軍隊経験の乏しい人間の証言を全面的に信じるのはいかがなものか
私の記憶が正しければ、長篠合戦の馬防柵は野生馬の襲撃を防ぐためのものではなかった筈だが。
それともあれは後世の講談師による創作ですか?
>>285 お前は世界史板の武士対イングランドスレでも同じ文句言ってたな?
>>287 わたしは世界史板には逝ってないですが何か?
同じ騎馬さむらいでも関東と関西で闘いの前に下馬するかどうかの違いが
あると聞いたことがある。もちろん馬に乗り馴れてそのまま突っ込むのは
関東武者。
>>289 信長時代の秀吉の小部隊が武田軍と交戦した際に
武田側が「なんと、上方勢は馬を入れる習慣がない」
と驚いた逸話を聞いた。
自分は鈴木某の本より信憑性が薄いと感じたが。
全共闘時代の事は良く知らないんだけど
やつらが侍のツモリだったなんて聞くと鼻で笑いたくなるなー
292 :
名無し三等兵:02/12/19 00:45 ID:2DgT434A
>宣教師ルイス・フロイスは当時の戦闘を見て「彼ら(騎馬隊)は戦いが
>始まる前に下馬してしまう」と記しているそうだが。
それは鈴木某という人の書いた本にあったでしょう。
しかし、実際のフロイスの本にはそうは書いていない。
訳本だが、たんに
「我々は馬に乗って戦うが、日本人は馬から下りて戦う」
と書いてあったはず。
わざわざ「戦いが始まる前に」とは書いてなかったはず。
手元に本がないので調べて欲しい。
この違いは重要で、フロイスがどんな状況でその光景を言ったのかのヒントになる。
またフロイスはあの本で一般的な事柄を簡略に対比して言っている。
今で言えば、「乗馬戦闘より徒歩戦闘を主体とする」というふうに読めばいいだけ。
騎馬戦がなかったとか、馬に乗って戦わなかったとは言っていない。
あの人の本はひどいですよ。都合の良い部分だけを抜き出して
何故か分からないが、自分好みの結論に持って行こうとする。
293 :
名無し三等兵:02/12/19 00:51 ID:2DgT434A
上記フロイスの原本がないので、間違っているかもしれぬ。
その点は容赦。
ただ、いずれにしてもそのことをもって「騎馬戦がなかった」とは
言えないと思うよ。
日本人が乗馬、騎乗の訓練に熱心だというのは当時の外国人も
言ってたと思う。「弓馬の道」というのは武士の習いとして語り継がれて
いたとしたら「騎馬戦やりません」とはならないだろう。
七人の侍のごとき状況があるとすれば、馬を率いた連中がああした
戦闘行為をしたところで何ら疑問はない。
全然関係無いけど流鏑馬ってのは騎馬戦闘には含まれないのか。
295 :
名無し三等兵:02/12/19 01:04 ID:2DgT434A
>そういえば、70年代のリバイバルで「七人の侍」がブームになったのは
>「侍(=全共闘)たちがこんなに一生懸命戦ったのに、百姓(=一般市民)は簡単に裏切る」
>っていう全共闘世代の共感があったからだと小耳にはさんだことがあるが、
そりゃないとおもうよ(笑
だいいち、七人の侍のリバイバルを指示したのは全共闘体験者じゃなく
一般人。なんでも全共闘体験と結び付けたがる一部の知識人(それ派の)
による牽強付会の評論だろうよ。
296 :
名無し三等兵:02/12/19 01:05 ID:2DgT434A
297 :
名無し三等兵:02/12/19 01:08 ID:2DgT434A
加藤清正が朝鮮の役のとき、女真のいる満州の一部に進攻したけれど
そこで遭遇したのが騎乗から弓を打つ騎馬戦の連中だった。
これは撃退したと伝えられているけれど、銃と槍で武装した歩兵集団の
戦国武士と騎射の遊牧民との戦闘様式の違いが生じている。
蛇足だが、この例から言うと、鈴木某の「日本の白兵主義否定」は、
世界的な相対性から見ると、眉唾であることを予感させる。
298 :
名無し三等兵:02/12/19 01:14 ID:2DgT434A
>295
あったとしても、ほんの一部の仲間内の評価の仕方でしょう。>全共闘
?騎馬戦って乗馬突撃のこと?
それなら、日本ではありませんでした。
馬の体格が小さかった(今のポニー並み)ので。
>>295 初上映時は軍国主義だ反動だと、相当叩かれたらしいし、
その年のキネマ旬報のランキングでは(確か)3位でありました。
当時、映画関係のライターといえば、あっち系一色だったから
そういう解釈でもしなければ面子を保つことができなかったのかも。
機動隊員が長髪切って一般企業に就職していく学生達を見て、
「勝ったのはアイツ等だ…」と長嘆息する方が似つかわしいと思うけれど。
>>299 それが理由になりますかね。鈴木某氏など最近の「学者」がしきりにいってますが。
教えていただきたいのですが、
日本馬はだいたい140センチ位の体だったといわれます。それより
少し低いくらいが平均だったのかもしれません。
ところが、このくらいの大きさで充分だったのではないでしょうか。
といいますのも、現在のサラブレッドが大きすぎるのであって、
世界的に見てもイギリスあたりで産出されるのがとくに大型で特種なのです。
世界を制覇した蒙古馬など体130センチくらいしかありません。
どういうイメージが湧きますか?
それと、競馬場では最近見かけませんが「アラブ馬」というのがいます。
これは文字通りアラビア人が乗っていたのでしょうが、西洋人はこれらの
馬に勝てなかったのではないですか?
この馬は大きくはなく体高140センチ(日本馬と変わりません)、大きいので
150センチ。
このアラブ馬を実際目の前で見るとやはり迫力があります。なんのかんのといって
馬は人間の5〜6倍の体重がありますからね。
それに、人の身長は世界的に今のほうが大きい。つまり昔は人も小さかった。
日本馬が小さいから戦闘騎乗に適さなかったと言うのは、これだけの理由を見ても
大変に眉唾だと思うのですが、いかがでしょか?
>落ち武者狩り事件で激昂した菊千代のことを理解できる
「大人」の侍が
うーんそうかなあ。なにより侍自身もとより百姓に疑いの目を持っていたから、
そう同情するとは考えられない。実際「竹槍で襲われた身で無いとわからない」
と断言しているしね。多少は「しょうがないな」と気はあるかも知れないが、
基本的には皮肉ととっても問題無いだろう。
戦争を経験したものだから、人間の内面を見た結果だと思うがな。
>294
騎射戦が行われたのは蒙古襲来時まで、流鏑馬はその当時の武士の訓練を
表している。
>301
あのーサラブレッドも、もとはアラブ馬と掛合して出来たものですが。
ここはアンチ鈴木某が多いな。
>302
掛け合わせた相手が超大型のイギリス馬だろ。
こいつはサラブレッドより大きいのじゃなかったか。
アラブ馬はサラブレッドより小さいよ。見たことないか。
10年ほど前までは走っていたがね。中央で。
地方じゃ今でもどこかにいるかもしれない。
305 :
名無し三等兵:02/12/19 11:21 ID:2DgT434A
>初上映時は軍国主義だ反動だと、相当叩かれたらしいし、
>その年のキネマ旬報のランキングでは(確か)3位でありました。
その傾向はずっと続きましたね。「用心棒」も古い本を読むと同じような
評価を受けている。なんと70年代まで。
ああいう評論が日本映画をつまらないものにして行った一因でしょう。
それは今でも続いている。
西欧では馬は戦争には関係無く絶対に傷つけたり殺したり
してはいけないとされてたとか
日本では長篠の合戦を例に出すまでもなく
馬を殺すことに躊躇しません
だから日本では集団戦になってしまい騎馬戦にはならなかった
と聞き及んでおります
というか、組み打ちで首を取らねばならない事を考えると
他民族以上に騎馬を騎兵らしく使うのは不可能に見えるが。
さらには徒歩の郎党と連携しての首取りも考慮すると
騎兵のみが機動力を発揮するのもあかん。
309 :
名無し三等兵:02/12/19 19:19 ID:2DgT434A
>>306 >>307 そういう多面的な見方はいろいろできるし、それぞれに納得できるものがある。
ところが例の鈴木某の本を見ると無茶苦茶なんだな。言っていることが矛盾ばかり。
西洋騎士は相手を生け捕りにするなどの手柄を明確にしたかったから白兵にこだわった
が日本はそうでなかったから弓矢などの遠戦志向だった、
と言ったかと思えば、
別のところでは、日本は誰が誰の首を取ったか証明するのが先決で、無個性な集団戦は明治までなかった
と言って見たりする。
主張がつぎはぎだらけで、結局その場その場で「白兵主義否定」(通説批判)
日本人や馬はひ弱だった、
といった好みの主張をせつな的にしているだけ。
詐話師によくあるタイプ。論理的な不整合、非体系的。学問と言えるものではない。
310 :
名無し三等兵:02/12/19 19:22 ID:2DgT434A
70歳にもなるとボケが来るから仕方ないのかも。
>>309 そんなことを言ってなかった気がするが、
西洋の騎士は、同じキリスト教徒なら、度量を示して手加減をすることがあるから、
手加減のしやすい白兵戦を好んだと言っていた筈だが。
>>310 OK。
そうも言っていた。が、論旨は変わらない。
かれの唯一のよりどころは軍忠状。
あとは主観でちりばめられている。
314 :
名無し三等兵:02/12/19 20:51 ID:3Zfi+1AJ
西洋の騎士は槍や剣などの武器を好み、飛び道具を下賤な武器として嫌った
騎士や貴族と戦うとき、捕虜にしなければ身代金を得ることが出来なかった
従って白兵戦を西洋の騎士が好むのは理由がある。
これらの理由を日本の武士は持たない。
弓馬の道との言葉があるように、射撃戦の伝統がある。
まあ、素人が書いた本としてはいいのでは。
一般の戦国オタクの脳内妄想が酷すぎるので、それ程気にならない。
その鈴木氏が鉄砲使いで有名な雑賀鈴木一族の末裔だから
極端ともいえる“遠戦”論を提唱しているというのは本当なのかなあ
一つの見解としては面白いと思うが無批判に信じるのはやはりまずいでしょ
319 :
名無し三等兵:02/12/19 23:19 ID:2DgT434A
>302
オレは、そう単純なものじゃないと思うね。
鎌倉までは騎射、以後は槍、とかいった大雑把な区分けをする考えは
どうかと思う。段階発展説はまことしやかに聞こえるので、すぐにそのような
概説をしたがりたいものだが、
むしろ、前の段階で会得したものは包摂されて次の時代に継承されるのが
普通ではないか。
刀槍、弓、鉄砲という戦い方がずっと長く続いたわけだから、失われた戦い方
というのはそんなにないと思う。新しい戦い方は生じても。
騎射にしても戦国期を通じて普通に行われていたように思う。
証拠は絵巻物だ。成立年から信憑性(当時の様子をリアルに伝える)の高い
とされる大阪の陣絵巻にも騎射する武士の姿は難なく描かれているし、
騎馬戦の武士はそこいらじゅうにいる。
ごくふつうの乱戦描写というふうに描かれている。
この絵巻物の中には人さらいの描写もあり、藤木某という左翼歴史学者も
傍証として採用している。
同じ絵の描写が一方では証拠品とされ、一方では無視されるというのでは
不公平だろう。
都合の良い史料のつまみ食いだけはチェックしておきたいものだ。
藤木某は名古屋市博物館にある絵巻物から長篠の戦いで鉄砲三段撃ちは
無かったとも言っているな。
藤木某と鈴木某、大人気だな。
でも連中ぐらいの毒をもってせねば、古臭い戦国像を修正できないのも事実。
鈴木某についてもっといえば、古典の読み方が目茶目茶。
「太平記」で白兵戦の描写があると太平記特有の白髪三千帖と決めつける。
「そんなはずはない」
と。その証拠はかれの軍忠状の統計数字というわけだが、そのサンプルと来たら
たしか100にも満たなかった(南北朝)。
あんな資料の取り上げ方をするのだったら何でも言える罠(w
で、都合のいい描写があったら、「この部分は本音が出ている」とか。
よく編集者が何も言わなかったと感心する。
そりゃちょっと極論なほうがインパクトあって売れるからねえ
だからそんな目くじら立てて指弾しなくてもいいんじゃない
鈴木さんの本を盲信しちゃう人のほうが問題でしょ
>鈴木さんの本を盲信しちゃう人のほうが問題でしょ
アンチ鈴木の中には、鈴木氏の本すら読まないで、
勝手に批判してる連中がいるので、そちらのほうが問題だと思うが。
>>324 日本刀の話、白兵戦の話になると、なんでもかでも盲信した意見をかます人が
後を絶たないのが問題と思うが。
現実問題としてなんでもありの戦争では馬は輸送の任務くらいしか
役にたたなかったのではないか?
突撃してくる騎馬隊に撒きビシ撒いたり毒矢を射かけたりしたら
敵の毒矢を見ただけで馬も怖気ずいて戦争にならないのではないかな
>>326 毒というものが馬に分かるのか?
騎馬隊というのは神出鬼没、奇襲性、機動性が本来だから、
あらかじめそこに地雷を巻いておく、という芸当は難しいのじゃないか。
>>299 >馬の体格が小さかった(今のポニー並み)
これってよく目にするんだけどさ、中国や、朝鮮の馬もそうだったわけ?
もしそうでなければ、日本にも輸入出来そうなのになとたまに思う
>>327 その機動性を生かせる地形が日本にどれだけあるかだな。
極めて騎馬戦闘を行えるのは限定的と言えるのではないか?
>>325 おいおい正気か?否定する論旨を読まないで、
否定するのはおかしな話だろ。
盲信してる奴はそいつは読んで批判点が無かっただけのことだから。
読まないで批判している奴は荒らしているだけだろ。
つーか、鈴木氏の著作に対して否定的な意見を述べた人間が
読まないで批判してると決めつけるのは頭悪し
弓や種子島の射程を考えれば、交戦時の彼我の離隔距離はせいぜい100メートル以下
騎兵が運用できる余地は十分にあると思われ
>盲信してる奴はそいつは読んで批判点が無かっただけのことだから。
自慢するなよ。
地形を考慮したら?
何故に地形を考慮したら騎兵は運用できないの?
>>331 >鈴木氏の著作に対して否定的な意見を述べた人間が
>読まないで批判してると決めつけるのは頭悪し
誰がそんなこと言った?中にはそう言う香具師がいるというだけだが。
>>335 きっと「日本は山地が多い」なんてお間抜けな理由だと思われ。
↑地形が戦術にも影響するということを理解できないドキュソ
>>338 水を差して悪いが100メートル程度のダッシュも出来ないほど日本の地形は錯雑してないぞ。
では、君が考えられる騎馬戦闘可能というか効果を発揮する
地形の具体的定義とはいかに?
相手に知識を求めて切り抜けようとするのはイタイんですけど・・・・
341=痛いところをつかれる質問されて動揺して負け惜しみを言ってる厨
>>340 あなたは関東の人だろうか?
京浜東北線や東武伊勢崎線、常磐線に乗って
いちどゆったりと気持ちを落ち着けて窓の外の風景を眺めてみるがいい。
今は一面ビル家並みでひしめいているが、これがかつては広大な原野だった。
もちろん湿地帯もあった。しかし関東ローム層に覆われた果てしない大地を
想像することが出来るだろう。
ここが武士の故地だったと、思いを馳せる事が出来る。
まだ、騎馬隊が存在したとかいう結論までにはなっていないぞ。
騎馬戦闘が出来うるか?そしてそれがどのような形で行われたか?
が疑問とされているし、騎馬戦闘が出来たという主張の者も、
騎馬隊は存在したとかまでは誰も言ってないぞ。
戦国と一口に言っても、時期と場所でまったく違うだろうな。
厨の疑問
徳川家康も槍合わせは、生涯に一度しか見たことがないとどっかで聞いた、
まして騎馬突撃なんて見なかったんじゃないか?
長槍隊の槍衾は、対騎兵用だったんだろうか?
どっちかというと、弓兵や銃兵を守るためのもののような気がする。
>>341-342 どうも自作自演臭いな。
騎兵突撃といっても、追撃や側面攻撃が主で正面攻撃は珍しかったと思う。
ところで、日本の地形条件が騎兵戦闘を全く成立させないという理由にはなり得ない、
ということでファイナルアンサー?
ま、多少影響は与えるだろうが。
騎兵戦闘の定義を希望。
全然実態が見えてこない。
実像が見えてこないなら尚更日本の地形のせいで騎兵が運用できなかったとは言えないね
351 :
名無し三等兵:02/12/20 22:09 ID:6a56FrNM
弓兵が主力だとか騎兵突撃が存在したとか、地域次第で様々だと思う。新しい戦術が試されつつも時に復古したりしていたのでは。
そもそも本来は何年頃の何地方ではどうだったか?
というレベルの話じゃないのかな?
今の日本の感覚で話すと同じ国だからおおよそ同じはず。みたいに考えがちだけど、実際はかなり違うと思う。
実像が見えてこないなら他国と同様の騎兵が存在したとは言えないね
誰か現場に行って見てこい
354 :
名無し三等兵:02/12/20 22:21 ID:6a56FrNM
他国って西洋?
西洋と同じだと思ってる人いるのかな?
日本独自の乗馬戦闘が存在した派と一切無かった派の話と違うの?
島津は徒歩が多かった。
西国は火器保有率が高く、東国は騎兵保有率が高い傾向にあると聞いたことがあります
359 :
名無し三等兵:02/12/20 22:28 ID:bz17xY50
とりあえず
七人の侍で乗馬突撃が存在するのは、
時、中世
場所、日本
という設定である以上、特に問題無いよね?
有効かどうかはともかく。
だめかな。
当時の合戦の絵を見ている限り、騎馬武者も部下の歩兵と固まって
戦闘しているようだが。騎馬武者だけで固まって戦闘しているようには描かれていない。
>>358 そうなのか?
馬が無いから、島津兵は歩度を訓練で高めておいたとか聞いたが?
戦国時代は中世じゃないでしょ
いや、中世だろ。
366 :
名無し三等兵:02/12/20 22:42 ID:1z2H3lLC
騎馬だけの部隊の利点って機動力位しかないと思いますし、だから野武士が全員乗馬しているのは個人的には好きではない。
でも、その映画の設定を飲み込む為の可能性を色々思案するのが楽しかったりしませんか?
もちろんまだ飲み込めてませんが。
近世は安土桃山から
>>360 そのとおりなんだが、だから、違うんじゃないかとも思う。
何を言いたいかというと……
従者に囲まれた騎馬武者というイメージは封建的な武者であり、
軍団もまた封建的な制約から自由でないため、西洋の近世的な集団騎兵は
考えられなかったとされているわけだろう。
ところが当時の合戦絵巻の中には単独で騎馬戦をやっているやつが沢山いる。
集団的な行動には見えないが従者とは関係なく弓を放ち、刀や槍を振り回している。
戦国絵巻の多くは江戸期に描かれたものだから、信用が置けないというなら
話はストップだが、
代々伝えられてきた絵を後年模写して伝えら得ているものも多い。
中でも成立年が事件と近いと見られている大阪の陣屏風などを見ると
騎馬武者はかなり頻繁に登場し、従者らしき者と同一行動をしているような
者もいれば単独の者もいる。絵の描き方は自由気侭で軍事的統率を
描写しているとは言い難い。したがって必ずしも写実とは言えないだろう。
だが確実に言えることは、騎馬戦というもの(騎馬武者が刀槍を振るう姿)
をきわめて自然に空気のように描いているということだ。
統一した行動をする騎馬隊の絵はないが、騎馬武者のかなりな頻度での
自然な描かれ方、自由な単独行動をする騎馬武者。
つまり一つの軍団の中に、従者のいない騎馬武者の集団「騎馬隊」
というものも存在したのではないかように思うがどうだろう。
文言史料に関しては知らないのであてずっぽうだが。
369 :
名無し三等兵:02/12/20 23:22 ID:6a56FrNM
368殿
同意見です。
まだ某研の荒らしの方がマシだな
>>368 >つまり一つの軍団の中に、従者のいない騎馬武者の集団「騎馬隊」
>というものも存在したのではないかように思うがどうだろう。
それも推論の域を出ないのではないのかな。
騎馬隊というものがあったのなら、そういう編成を管理する職制があるはずだ、
戦国時代にはそれは無いし、江戸時代にもその名残の職制が残っていてもおかしくない。
また、弓ならともかく刀や槍を活用できる場があるのかという疑問だ。
日本では野戦でも、野戦築城が普通だったから、弓等の遠戦武器のほうが
効果あるのでは?
これも推論だけどね。
武田家の槍奉行の隷下戦力は騎馬武者10〜15、足軽5〜10なのだそうだが
これは掩護の歩兵を随伴する騎馬隊ではないかな?
それはいつのころの記録でそうなっているの?
そもそも源平の頃は騎馬戦も盛んだったが、弓は半弓だった。
時代の流れとともに騎上では扱いにくい武器ばかりでてくる。
重藤の弓は半弓ではないですが何か
半弓じゃなくて、短弓じゃないの?
騎馬武者が小規模な封建領主か、その有力な家臣である戦国日本では
騎兵のみで編成された部隊ってのは成立しにくい。
騎馬武者だけで大規模な部隊を編成する場合、その騎馬武者の足軽などは
一体誰が管理するのか?
指揮官のみで編成された部隊などに意味があるのか?
などの不都合が大量に発生する。
日本の軍勢は大名、家臣それぞれが、領民を武装化して編成されたものであって
家臣>領民を分離するのは、その支配体系を破壊するに等しい。
379 :
名無し三等兵:02/12/21 18:33 ID:Eefj+YY0
領民は徒歩戦闘しか出来ないということ?
というか、馬をかって養える人達って限られるのでは?
いや、最近では牧場の経営も苦しいらしいよ
382 :
名無し三等兵:02/12/21 19:19 ID:VfWaw/K4
それは領民が自前で馬を出すっていみ?
>>379 徴集された農民=足軽は、通常騎乗しない
騎乗するにはある程度の身分が必要。
384 :
名無し三等兵:02/12/21 23:37 ID:VfWaw/K4
と、思うんですが、
騎馬隊が存在したと仮定すると、
やはり徴集兵にも乗馬させないと、絶対成立しないと思うんです
前述されたように、指揮官しか乗馬しないとすると、それで騎馬隊を編成するのは無理があるので。
ただ気になるのは、
当時、騎馬隊が編成されていたとされる説が存在することで、その根拠は一体どこに?
徴集兵にも乗馬させたケースがあると解釈されているんでしょうか?
もしそうならば、
論点は騎兵の戦闘時の有効性ではなく
「徴集兵には乗馬が許されるケースがあったのか?」
について論じ合うべきかと思います。
385 :
名無し三等兵:02/12/21 23:44 ID:9WliddZV
大名の馬廻り(親衛隊)なら、小規模な騎兵部隊を編成できるかも
身分の高い直臣の集団で指揮系統が統一されており
全員騎乗を許される身分でもある。
ただし、最後の防衛戦力のような性質であり
騎兵部隊的用とに使われる可能性も低い。
某書籍に1500石クラスの武士の布陣は、
隊長侍に侍2人、鎗侍2人、旗印1人、太鼓・ほら貝・鐘に各1名、そして
騎馬侍5人(馬5頭)と続き以下足軽で鉄砲10人、弓隊5人、鎗隊5人、
小荷駄隊(馬9頭)とある。この騎馬侍5人は隊長の指揮の下で動くので
あればそれが騎兵部隊的用兵になった可能性もあるのでは。
>>386 その後残された足軽はどうなるのでしょう?
中隊長が、各小隊長を集成して班を作り、その班を独立して運用するような
無茶な想定ですな。
フルカラーデジタル画像で再上映してほしいな。
総勢33名の戦闘員からなる部隊に何で小隊長が5人もいるんだ?
>隊長侍に侍2人
が部隊指揮官と隷下部隊指揮官だろ
>鎗侍2人、旗印1人、太鼓・ほら貝・鐘に各1名
は本部要員
とすれば、騎馬侍は騎兵部隊として運用できるんじゃないか?
>389 儂もそんな気が。
近代戦で例えると足軽が歩兵と砲兵の役割、旗印と太鼓・ほら貝・鐘が司令部と
通信の役割で騎馬侍はある程度自由に動ける機甲といった感じ。小荷駄隊は
輸送でしょうか。
こう考えると人数は少ないが戦国当時の編成はそれ自体で独立運用できる中隊の
ような部隊がそれぞれの禄を持った武士の元で大小さまざまな形で編成され、
それがさらに集まって○○軍という形を成していたのでは。
>>386 それは直卒の部隊です。
千石以上の高禄武士にはそれ同数以上の与力が配備されます。
あと、足軽と称される傭兵を雇ったり…だから小隊長クラスが多いのでは?
騎乗の侍というのは一種のステータスで=騎兵的役割というわけではないのでは?
392 :
名無し三等兵:02/12/22 11:30 ID:MPYGts3A
つまり戦争になると徴集兵が増員されるから、
騎馬に乗るような侍は指揮する立場になるってことですか。
そしてあったとおっしゃる方は士分だけの騎馬隊を想像してるのですか?
あと、↑のは鉄砲とか槍を持つ者は直轄の部隊で、騎馬のみ指揮官いう意味でいいの?
書く順番の気がするな。
隊長侍(領主、騎乗)に騎馬侍5人、徒歩侍2人、鎗侍2人
旗印1人、太鼓・ほら貝・鐘に各1名だとニュアンスが
変わるような。
>>392 はい。
戦国期以前の資料にも、馬に乗る郎党 という存在が見受けられますから、ここの
騎乗の侍もそういう存在かと。
士分だけの独立した騎兵隊というのは、伝令・索敵以外には?ですね。
隊長侍=中隊長
騎馬侍5人=小隊長
侍2人=中隊付き軍曹
鎗侍2人、旗印1人、太鼓・ほら貝・鐘に各1名=中隊本部付き要員
足軽で鉄砲10人、弓隊5人、鎗隊5人=直轄小隊兵員
小荷駄隊(馬9頭)=中隊段列
+寄騎衆=小隊兵員
こんな感じ?
与力衆というのはこの場合の隊長より下級の武士とその家臣なわけで
小隊長はいらんと思われ。
なんか歴史板逝けって言われそうなんですが・・・・
>>395 それに個人的な主従関係が絡んで・・・もうゴチャゴチャ。
上位者は下位者の家臣に対する命令権はないし・・・・
近代軍とはマタークかけ離れてるなあ・・・・・
>>396 戦時には徴集された農民兵が大量に増加するわけだから
彼らを指揮する小隊長が必要なのは当然では?
>398
寄騎衆=小隊兵員ってのが変だと言うことでしょ。
ここに千石取りの武士が含まれてもいいわけだから。
小隊丸ごとくるほうが近いような。
大名から見て陪臣になる数十石の騎馬侍がいたとして
直臣の与力に指揮はできないだろうし。
まあ、職制に騎馬奉行というのでもあれば、
容易にわかるのだがな。
401 :
名無し三等兵:02/12/22 17:22 ID:WoUEuBFB
この話けっこう煮詰まってきたように思います。
あまり予備知識無かった私ですが、大規模な騎馬隊は居なかったように思えてきました。
あったとされる方の意見も、小規模な身辺警護要員といった規模にとどまる。ということですね。
>小規模な身辺警護要員といった規模
そうではなく、ある程度の身分の人の移動手段であっただけでは?
403 :
名無し三等兵:02/12/22 17:33 ID:WQfxl0OM
伝令の移動手段でもあるな
無線機が存在せず、各級指揮官は独立した領主で、さらに錯綜した地形が多い日本では
伝令の数が北朝鮮軍並に必要だろう。
さらに敵斥候の浸透を防ぐスクリーンを形成するための、小規模な騎馬前衛隊も必要だろうし
騎馬武者の需要が多い割には、軍馬の数を揃えるのは金がかかる
そんな現実の中、大規模な騎兵部隊を作るのは無茶だろ。
馬を多く揃えても、補給部隊へ優先的に持っていかれるだろうな。
物資を大量に運べるほうがいいから。
悪党、野武士、野伏せり、夜盗、盗賊、スッパ、ラッパ、草、
に萌え。
戦場の主役は彼らです。(花形は正規の武士だけど)
そんなオレは藤木久志信者です。
「雑兵達の戦場 中世の傭兵と奴隷狩り」(読了)
「戦場の作法 村の紛争解決」(未読)←読んだ人と内容について
語り合ったりはした。購入予定。
で、あとお勧めなのが
「戦争と平和の中近世史 シリーズ歴史学の現在7」
これはかなり(・∀・)イイ!!ぞ。
>404
輜重は牛じゃないのかな?
馬だとしても牽引用の駄馬で、乗馬用の馬は使わないのでは?
407 :
名無し三等兵:02/12/22 18:23 ID:WQfxl0OM
>>406 牽引するのは輓馬、駄馬は荷を担ぐ。
小荷駄は武器・弾薬、大荷駄で食料などを運ぶ
戦闘部隊に随伴する小荷駄部隊は、機動力の高い駄馬が使用される。
乗馬にしても駄馬にしても、ある程度数を揃えると大量の糧秣と水が必要になる
馬は人間の5倍食い、食料の重量は人間も馬も変わらない。
>>407 日本には水は溢れている。
飼葉は稲の藁で上等だから、保存のきく藁はどこにでもあった。
>>406 どちらにしても、輜重の重要性と任務の内容から優先されるだろう。
>>408 防御側は当然のことながら、藁や食料などは防御拠点に収容しているだろう
>>408 飲める水は汚染されてるだろう
藁じゃ軍馬にならないよ
穀物も食べさせないと力が出ない
>そうではなく、ある程度の身分の人の移動手段であっただけでは?
そりゃないでしょう。
成立年が早く史料性が高い関が原屏風、戦国合戦図屏風などを
どう見る?その光景は無視できないだろう。
長篠合戦合戦図を見ると随伴足軽とともに押し寄せる騎馬隊が描かれている。
騎馬武者だけで構成された部隊ではないが、騎馬戦を得意とする武者の
集合体は存在したということだろう。
これを「騎馬隊」と呼ばないと言うならそれまでだが。
>>411 無茶を言うなよ(w
今の川と違うのだ。
藁を食わさないで何を食わせるの(w
今の競走馬も藁が基本だよ。
その成立年とは?
具体的に特定できるの?
そして、それの確認できるソースは?
>413
当時の馬用の兵糧は主に大豆です。
それだけでは消化不良を起こすので、
藁を混ぜているだけですが。
>>411 シナなど外国の水は飲めないが、日本の川は世界でも希な
清流ということを知らないのだろうか?
日本の人口が増大した一因でもある。
>>413 俺が通っていた乗馬クラブでは
青草と、固形飼料がメインだったが?
藁が主力だと、カロリーが少ないから1日中喰わなければならないのでは?
穀物が中心なら、カロリーが高いから
食事時間が少なくて済む
はっきり言って、そこら辺の雑草だけ喰わせれば、1日中食事時間になるぞ。
>>416 四国とか中国地方は、水が足りないため溜め池を大量に作っているのではないかね?
>>414 それと洛中洛外図(桃山期)に馬に乗った武装集団が街路を駆け巡る姿がある。
専門的な職能集団だろう。
こうした連中がいるわけだ。
>418
っでそれは江戸初期だと認されてるの?
結構、絵とかは調べてみると比較的後に描かれた物であると
わかったものがあるから、即断はできないのだよ。
>>420 >洛中洛外図(桃山期)に馬に乗った武装集団が街路を駆け巡る姿がある。
なんで、それが集団的騎馬戦闘の証拠なの?
たんに駆け巡っているだけじゃないか?
それだけじゃ、移動手段の域をでないよ。
小規模な騎馬集団の存在を否定している香具師はいないと思うんだが
乗馬した前衛警戒部隊は、存在しただろう
しかし大規模な騎兵集団は疑問符が出るだけで
>>419 それは灌漑用。
あなたの曰ってるのは香川県あたりのことだろう。
雨量が少なく流域面積も狭いので、米の生産量が増えるに連れ灌漑設備として
建設されてきた。
馬に与える水はいくらでもありましたよ。
川は目の前にあるのだから(w
>>422 まあ、実際に目で見て自分の頭脳を働かせてくれ。
それ以外に言うべき言葉を持たない。
ところで騎馬奉行の存在は?
>>421 そこまで疑いをもたれてもね(w
オレの責任じゃないよ。
何でもそうやって都合の悪いものには蓋をしつづけていなさい。
>小規模な騎馬集団の存在を否定している香具師
いやそれを認めているのは君くらいしかいないのだが。
>>425=427
まあ、お前が脳内で都合よく解釈しただけのようだね。
都合よく解釈したいのならいつまでもそうしておきなさい。
>>429 厨房だな。
洛中洛外図がいつごろ成立したのか、逆に知りたい。
その他絵巻物がその時期でないと証明する仕方を知りたい。
キミよりもはるかに専門性豊かな人たちが下した判定なのだが(w
>>430 持ち出してきた当人が、自分でソースを出さず、
相手にソースを求めるとは。
痛いレスですな。
>432=DQN釣られ師
>>431 >相手にソースを求めるとは。
??????
別に求めてなんかいないがな。
435 :
名無し三等兵:02/12/23 02:43 ID:D90uW/wg
領主が家臣で小規模な騎馬隊を編成するとして、
前衛の警戒部隊や身辺の警護というのはあくまで戦闘要員ではないですよね?
戦闘要員として使用されたなら、
家臣を最前線ですり潰すつもりで使用したのか、
それとも他に足軽の様に雇ったのか?
傭兵のような騎馬部隊が存在する可能性はあるんでしょうか?
馬に乗れる身分の者が限られていたならばちょっと考えがたいと思いますが。
足軽は運が良くて生き延びれば、一生の内の何度かのいくさの度に使える
侍が変わる事もあり得たが、戦場で馬に乗れる身分の侍はそうそう転職は
出来なかったハズ。
>>420 気になるので質問:
「洛中洛外図」には、成立時期も内容も異なったものが数多くあるので、
そういう場面を描いたものもあるのかも知れませんが、
まさか上賀茂神社の競馬(くらべうま)のシーンのことではないですよね。
誤解だったら勘弁して下さい。
>>437 失礼。信長が上杉謙信に送った国宝の図ではないです。
>>435 騎乗の資格を身分で限定されていると考える前提は何かを知りたいのだが。
またその身分というものを前提にしたとしてもヒエラルキーの上層の一部
ではなく、もっと広範であったとは考えませんか?
そのような家臣団を持っていたのが武田であったとか。
また、武士の成立が職業的芸能集団であったという説があるそうですが、
そういう存在をどう考えるのか?
長篠合戦屏風は江戸時代を下って描かれたものが有名ですが、
それには明らかに騎馬部隊の突撃が描かれている。
ところが江戸初期に描かれた最古のものは武田側の場面が欠落している。
さて、これをもって「騎馬隊の突撃はなく、後年描かれたものは想像の産物」
と果たして言えるものだろうか。
何らかの理由で紛失した武田側の描写を参考に描かれたと考えるのが自然だが。
事実、後年描かれたものを見ると前のものを参考にした描かれ方のように思うが、
どうなのだろう。
441 :
名無し三等兵:02/12/23 12:26 ID:5S1bf2AJ
439どの
私が言ったのはあくまで、〜ならば〜となるのではないか?という仮定ですので。
騎馬専門職が存在し、それらの構成員は必ずしも高い身分とは限らないというお考えでしょうか。
私は騎馬隊が存在したならば、そのようなケース以外に考えがたいと言うことを逆説的に仮定したまでで、
私自身は逆に低い身分の者も乗れるならば騎馬隊が存在してもおかしくない、ただ、地形や馬格、屏風絵等といった点で否定するのは根拠としては乏しいではないかと思います
439どのとは決して相反する考えではないと思いますが。
ふ、騎馬武者と騎馬軍団と混同してる香具師が殆どだな?【禿
漫画日露戦争萌えの妄想多いな?せめてネタ本の坂の上の雲読んでくれ。
騎馬武者は軍団じゃなく一人一人が自営業みたいなもの。
屏風絵は写真じゃない。恩賞目当ての絵詞。足軽や供回りが省略されれば
個々の騎馬武者が集まって見えるのは推理して欲しいところ。
NHKでも蒙古襲来絵詞やってたし正に自営の騎馬武者の話【禿
たしかに司馬遼太郎の秋山好古がらみの騎兵のあれ、
人口に膾炙してるぶん、誤解の流布につながってるな。
騎士と騎兵、騎乗武者と騎乗歩兵、いろいろあるでよ
>>442 屏風絵で描かれたものをそのようにしか見る事が出来ないとは……。
蒙古襲来の絵巻は由来がハッキリしているから恩賞との関係を重視するのはまだしも
押しなべて言うとはねえ。
人の描くものには意識的な部分の外に、無意識の部分が多く存在する。
その無意識の部分を読み解くのが批評なわけだ。
昔の絵にはそれ以上に歴史を経た我々の特権があって、その無意識の部分を
有利に読むことが出来る。
屏風絵の中に描かれている騎馬武者に関して「足軽が省略されている」と
しか読まないようでは、もはや議論や思考の入る余地はない。
先入観から抜け出ようとしない頭脳には何を言っても無駄。
供回りのいない騎馬武者ほど脆いものはありません。雑兵物語でも供とはぐれた武者が
討ち取られる場面があります。
大物見と呼ばれる威力偵察においては騎馬の小集団の戦いがあったと思われますが。
・・・屏風絵は正確な記録を目指したものというより、祖先の勲を描いたもので、誇張や
省略があるのは当然かと。
馬を小規模な騎馬隊に編成するよりは、
荷駄隊にまわして編成したほうが、有益な感じがするのですが。
ふ、戦技は専門だが美術史は皆さんと同等のレベル【禿
しかし、日本画に遠近法とか写実が入ってきたのがいつかな?
それ以前の画法は作者の脳内で処理されたイメージを書いている。
えらい人は大きく書かれるし騎馬武者を書きたければ空間を無視して
武将が屏風の空間に詰めてかかれる。(軍団と見るトリックね禿
使い番、ホロ武者なんかは小人数組んだろうが軍団じゃないしね【禿
448 :
名無し三等兵:02/12/23 15:53 ID:nARpSoE6
駄馬と乗馬と軍馬と輓馬の区別を付けてくれ
普通の馬は戦闘の騒音や興奮に耐えられない
軍馬は耐えるように訓練されているから、馬格・血統の良い非常に高価な存在なので
多数流通しない。
騎馬民族=ヤマト朝廷?に制覇されて以来、戦力とは常に裸足の農民兵だった。
豪族と農民兵(防人)、国主と農民兵(雑兵、足軽)、革命家と農民兵(陸エンタイ.海援隊)
和種の農耕馬ではサラブレッドの体格には適わず。日露戦争に造った騎馬隊もコサックと
華々しい戦闘を交えることは無かったのは坂の上の雲にある通り。
>>449 間違い
日本騎兵用の軽種(馬の種類)は、それなりに評価されている
問題なのは砲兵用の重種(輓馬)で
通常、大砲を牽引する場合6頭必要なのだが、馬格が劣等だったため
8頭必要な場合も多かった。
騎兵用の乗馬は、開国後から積極的にヨーロッパから輸入しており
日本の和種は利用されなかった。
暴れん坊将軍吉宗公はアラブ種の乗馬に乗ってたそうな
あの時代劇のオープニングもあながち嘘ではないなw
で、そのアラブ種と国産種の交配なんかは行われなかったんだろうか?
453 :
449:02/12/23 20:50 ID:???
う〜〜〜ん絶対数が問題だろ?
信長が黒人家来にしたが黒人種の土着日本人出来なかったし。
鈴木ムネオの子分のムルワカは違う!【禿
ところで結局馬を輸入したなら間違いといわれてもな〜〜【禿
禿げは黙ってろ。
重箱のスミをつついてスマンが。
> 騎兵用の乗馬は、開国後から積極的にヨーロッパから輸入しており
> 日本の和種は利用されなかった。
間違い
牝馬はほぼ和種。
したがって日本の軍馬は雑種馬。
なお日清戦争のころはほとんど和馬、
日露戦争のころから雑種馬が増えていく。
> 暴れん坊将軍吉宗公はアラブ種の乗馬に乗ってたそうな
ちょっと違う
「ペルシャ馬」
ただし当時「ペルシャ馬」と呼ばれた馬にアラブ馬が混じっている可能性はある。
ちなみに、幕末以前の外国馬の輸入例はほかにも結構ある。
宣教師バリニャーノが秀吉にアラビア馬を献上。
オランダ商館が家光にペルシア馬の種牡馬を献上(和馬に発情せず)。
家綱の時代ペルシア牡馬2頭が渡来、和馬とのあいだに子馬をもうける。
そして吉宗が27頭(牡21頭牝6頭)のペルシャ馬を輸入。
各地の牧に分与して子馬も生まれている。
その後家治がペルシア馬を輸入するなどしたが、幕末までの西洋馬の移入は
明確な効果を見せていない。
(南部馬の体格向上に吉宗のペルシア馬が効果があったという説もある)。
>>447 >>449 お前はどうして
【禿】
という文句を入れたがるのか?
聞きたい。
自信のなさの証明だと見るよ。
正々堂々、いい文章もかけそうなのだから、やればいいのに。惜しい!
>日本画に遠近法とか写実が入ってきたのがいつかな?
遠近法は必ずしも写実性に関する客観評価と比例はしない。
日本人は上のほうにある洛中洛外図のあたりの表現法で意識的な遠近法を
得ている。
小林英雄風に西洋近代の遠近法を基準にするなら江戸後期だが、それは
西洋画風をとりいれたもの。日本人自身の主観的な写実性=遠近法は、
江戸期においては北斎、広重など世界的にも最高水準の独自の領域を開発している。
戦国屏風を馬鹿にしてはいけない。
>>447 ついでにいうと、西洋近代画法をなぞった画風など何の意味もない。
要は、時代の主観をどうリアルに描いたかにある。
それが江戸期の日本画が高く評価されている理由。
西洋画風を真似た古い絵など世界中どこにでもある。
騎馬武者
「騎馬隊」という概念をひとまずおいて、
日本で騎馬武者の集団的活動が存在したかどうかを、
数多く残された武者絵から判断するには、肯定するしかないと思います。
武者絵は大きく分けて合戦絵と、平時の風俗絵があります。
このうち風俗絵に関してはほとんど全てに馬が登場します。
これは武士を描いた絵の大きな特徴とされています。
有名な長谷川信春(戦国期から江戸)の絵を一例にあげておきましょう。
http://www7.ocn.ne.jp/~kita3079/Hasegawa-Tohaku.htm 馬を訓練する風景、放し飼いの風景、厩に入れている風景、
犬追物など武芸の遊興、訓練などなど無数です。
非常に貪欲な馬への親しみがあったということです。
ただの駄馬としか使っていなかったとか、単なる「移動するだけの手段」
とは申しがたいといえるでしょう。
騎馬武者の騎射の姿も弓を放つ態勢(前かがみになる)の特徴が
いずれもきっちりと描かれており、当時を髣髴させるものがあります。
馬ですばやく目標に接近して矢を放つ。今で言うと戦闘機の機銃掃射の
ようなものだったのでしょう。
合戦絵ではそれに対して白刃、なぎなた、槍で対抗する武士の姿があります。
これは機動部隊に対して白兵戦に持ち込もうとする歩兵の姿です。
そういうのが戦場の有様だったのではないでしょうか。
>>460 絵画が当時の習俗を正確に表現してると思うのは危険。
戦国時代?に犬追物は廃れていましたし。
当時の大名の職制からも騎馬集団の大規模活動は無理です。
(織田家や豊臣体制なら?もありますが)
極端な話、戦国期の大名は現代のヤクザ組織と同じ。
一次組織から末端まで分立してて、トップには末端の構成員
に対する直接の命令権がない。
各単位から騎馬武者だけ引きぬいてまとめる事など不可能。
直轄の部隊を常時編成できる先見の明と資金力があったのは、
織田信長か、豊臣秀吉ぐらい。でも両家に騎兵集団があったという話は
聞かないしね。
ヨーロッパの戦争絵だと、歩兵の集団も描いている(テルシオなど)が
日本の場合雑兵は描かず、主に有力な武将などが中心なので
武将の行動を描く点では忠実だが、実際の戦場を描いているかどうかについては
激しく疑問。
>>461 犬追物は室町末期には廃絶されたと言われていますが、16世紀半ばまでは
行われていました。戦国時代です。
>大名の職制からも騎馬集団の大規模活動は無理
言いたいのは南北朝以後、騎乗戦(騎射戦)が衰退し徒歩戦が盛んになった
という通説の一方で、
馬廻りの事どもには武士は依然高い関心を払いつづけたということです。
このことは否定なさらないと思います。
だとしたら騎馬武者を大量に抱えた郎党が多数存在し、これらが集積した軍団が
存在しても不思議はないだろう、ということです。
>>462 暴力団とて現代的な組織のひとつです。
というよりも現在では建設請負業に似たものがあるでしょう。
また、確固たる組織を誇るサラリーマン社会においても、
林立的な縦割的性質は現在の組織でも露呈します。
別部署の部長が他の部署のヒラに命令を下すことはありえない。
近代軍で言えば本部の参謀が直轄でない中隊下士官に命令を下しても
動かないのと同じ。
逆にいうと、戦国武士団でも最上位の棟梁を頂いた命令系統は存在します。
それをもって直轄的な騎馬集団を形成したと言う話は聞き及んでおりませんが
組織論としては可能性は否定できません。
>>463 しかし絵画の世界をまったく無視して良いとは思いません。
雑兵がたくさん描かれた絵は存在していますし。
>>460 釣り師?
>「騎馬隊」という概念をひとまずおいて
ひとまずおいとかれては・・・・・・
スレタイとは明らかに異なっている現在の問題の焦点は何?
>ただの駄馬としか使っていなかったとか、単なる「移動するだけの手段」とは申しがたいといえるでしょう。
この長文を読んでいると首を捻らざるをえない。
戦国時代(脳内で各自翻訳して欲しい。レス主と話を合わせるだけだから)に馬は存在しなかったという設問にならあなたのこの結論に至る過程の記述は正しい。
個人として戦場に乗馬したままで臨んだ武将はおそらく存在していたと思う。
>だとしたら騎馬武者を大量に抱えた郎党が多数存在し、これらが集積した軍団が存在しても不思議はないだろう
何故こういう結論になるのですか?
だとしたら騎馬武者を大量に抱えた郎党や、これらが集積した軍団にたいする軍忠の類が全く存在しないのは何故?
弓・槍・刀を用いての戦働きは賞するに値するけれども、高価な馬の中でもさらに希少な戦場に乗り入れ可能な馬を大量に消費しても評価の対象にはならないということなのでしょうか?
>逆にいうと、戦国武士団でも最上位の棟梁を頂いた命令系統は存在します。それをもって直轄的な騎馬集団を
>形成したと言う話は聞き及んでおりませんが組織論としては可能性は否定できません。
推論と可能性ですか・・・・・・
>>465の組織論としての可能性ですが、貴方の言う「戦国武士団でも最上位の棟梁を頂いた命令系統」とは具体的には誰を指しているのですか?
直轄的な騎馬集団を形成しうる組織?私には見当がつきません。
失礼ながら、貴方は所謂戦国時代について系統的な学問を修めた経験はあるのですか?
結局、
>>460の冒頭で貴方が誤魔化したとうり、所謂戦国時代において騎馬集団が存在したということを論証することは不可能なのです。
>>467 問題の焦点は騎馬武者が映画のように横行したかどうかの可能性でしょう。
それを無いとする「立論」に対する反証ですよ。
「騎馬隊」とは騎乗武士の集団という意味で概括されるだろうと言うくらい
含みおいていただきたいものです。
「系統だって」戦国を研究しないと論じる資格がないようなことを言ってますが、
騎馬隊が存在したことをどうして軍忠状で証明されないといけないのですか。
現に軍忠状からだけでは騎乗の有無は確認できないでしょう。
軍忠状の類でなくともさまざまな記録文献に出てくる参上した騎馬武者の数
を見ておけば良いではないですか。
妙な問いかけになりますが、
「専門研究者」とおぼしき方らしいのであえてうかがいますが、
「(騎馬武者の)集積した軍団に対する軍忠の類」
とはどのようなものを要求しているのですか?
軍忠状は配下のものが目上の者に対して手柄話を提出するものでしょう。
私にはピンとこないので説明していただきたいです。
>>468 だから、騎馬武者の集団運用があったのなら、
それを編成する記録があるはず、
またその編成を管理する職制が存在しなければならず、
それを証明するのは一切ないのです。
禿】はシャア大佐=TV軍事評論家=自称美術板常連ベンゼン中尉だよ。
あいてしなさんな
悪魔の証明だな
騎馬部隊が存在しないことを証明することは出来ない。
挙証責任は、存在すると主張する側にある。
存在しない証拠が無いから、あったと主張することは出来ない。
>>469 このさい確認しておきたいのだが、あなたは、戦国時代に於ける騎馬武者の
実体として、ある騎馬武者が複数の従者を従え、きままにふらふらと戦場に
はせ参じ、他の雑兵足軽軍団のなかに気侭に混入して進軍し、戦場に着いたら
馬から下りて足軽軍団に混じりこむ、
というそういうイメージを抱いているのでしょうか。
それとも、他にどんなイメージを抱いているのか、聞きたいものです。
騎馬武者を集団運用をすることを目的とした
職制が無い→騎馬武者が気侭に戦った。
という図式がなんとも強引な。
>>469ではありませんが・・・
>>472 関が原の合戦をイメージしてください。
東西の各大名を対峙する二つの戦国大名の各部隊だと思えば理解しやすいかも。
東西の各大名から騎兵だけ集めたり、鉄砲組をまとめたりなど出来ませんよね。
ある程度自由に戦い、日和見したり、裏切ったり・・・・。
実際の騎馬侍たちもそれぞれの持ち場で自由に戦ったのだと思います。
。
小隊の標準構成を考えればいいんじゃないのか?
騎馬武者はその指揮官として、鉄砲や弓を主武器とする指揮をしていたのではないのか?
鉄砲や弓は、今では、軽機や重機だろう。
槍はあくまでも自動小銃だな。
長篠の馬防柵は後世の創作なの?
1500石の例が出てたが、あれだと騎馬装備率2割近かったりする。
馬を含む混成部隊対策として馬防柵は有効だと思われ。
指揮官といっても近代軍隊の人数で言えば小、分隊長クラスまで
載せられるわけで、騎乗したまま戦闘参加することは騎馬部隊の存在とは
別に当然あっただろ。
騎乗指揮官なら馬防柵があれば下馬したって問題ないだろうし、
下馬したところで大きな影響はないだろう。
下馬して戦闘する事例は珍しくなかった訳だし。
あれは、純粋な騎兵突撃対策ではないのか?
後世の創作でなければだが。
>>474 言われている意味はよく分かるのです。
しかし、関が原ともなると10万レベルの軍勢ですから、
これらをひとまとめにして騎馬軍団を形成するというのはちょっと考えにくい
というのは私にも分かります。近世的(近代的)な常備軍の性格がないと
とても無理だとは思います。
しかし、軍勢の単位で見ると(実際はどうだったのか知りませんが)
万レベルのかなり大きな規模の動員がなされている。
小早川秀秋が一斉に裏切り攻撃をしたという話ですけれど、
一将の判断で一万〜二万(実際はどれだけだったのか)が一斉に寝返り、
全体の形成を一挙に決めた話は、ある意味壮大と感じます。
そういう指揮命令系統(上のほうで言うと
「戦国武士団でも最上位の棟梁を頂いた命令系統」)
になるわけですが、そういった行動が可能だったなら、
統率された軍団が存在したというふうに理解するしかない。
騎馬軍団というものを組織化することも可能性としては不自然でない。
まあ、そういうことが言いたいわけで。
ですから、万単位の大規模な軍勢が統率された行動が出来るくらいなら、
その中のいくらかの単位の騎馬勢と言う存在がいても不思議でない。
当時の武士の馬に対する嗜好性などを加味すると、なおのこと
「文献上には現れないが、絵画上では現れる」
騎馬武者集団を想像したいわけなのです。
ふ、各時代の戦略兵器がなんであったか考えれば答えが出てくる。
騎馬集団戦が出来たのは槍、長柄、太刀、サーベルが主兵器だった短い期間。
ヤマト朝廷成立と一騎うち(集団戦じゃないか【禿)の鎌倉以前の話。
弓、てつはうが戦場の主兵器になった以降は農民徴用の歩兵戦がメインになった。
これは歩兵と騎乗での飛び道具使用の効率、命中率
と逆に的になった場合の投影面積を考えればわかるな?【禿
馬を防弾装甲すると機動性そのものが失われる。
あくまでも刃器、長兵の時代のロマンに過ぎぬ。
481 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/26 06:35 ID:95SjZhnO
しかし中国やモンゴルの騎兵に装備されている装甲は
通常の弓は兎も角クロスボウを防げるのだろうか
(何れにしても近距離で足を狙われればきついだろうが)
>>478 馬防柵というのは後世の表現かもしれない。
柵自体が歩兵対しても有効だろうに、
柵をこえている間不利になるし、
後世の表現でなくとも、馬は当該作戦地までの移動手段であるならば、
柵を用意する必要もあるだろう。
何故ならあればそれだけ進攻を遅らせることができるのだから。
長篠合戦は以前NHKの番組で扱っていたけど
馬防柵使用の火点陣地構築の間囮部隊で足止め
馬防柵完成後囮部隊を後退させ
火点陣地まで武田軍をおびき寄せて戦線を膠着させる、
その隙をついて別働隊による武田軍主力と本拠地との分断
との事だった筈。あんまし関係ないか。
まぁ絶対壊れない馬防柵というのは存在するのだろうか
まぁ簡単に壊れる馬防柵を設置するのは意味があるのだろうか
ふ、なまじ長篠合戦屏風などがあるから思考が膠着するのだな【禿
ふ、『信長公記』を読めば信長の意図していることは明白ではないか【禿
誰だ!我我には毛が三本足りないと言ったのは!
俺達は頭が良いのだぞ!
誰も言ってくれないから自分で言っているだけだ!
それのどこが悪い!
悔しかったら人間並みの知恵のあるところを証明してみせろ!
↑ふ、騎馬隊っていうぐらいだからいくら強固な柵作ったって迂回すれば無意味【禿
モンゴル騎馬隊恐れて造った万里の長城の評価と同じ【禿
私は自分が頭がいいとか言ってはいない。
ただ本物の軍人の正確な知識と意見でそうでない意見を論破してしまうだけだ。
つまり相手が反論出来ないだけで頭は普通であろう【禿
>まぁ絶対壊れない馬防柵というのは存在するのだろうか
>まぁ簡単に壊れる馬防柵を設置するのは意味があるのだろうか
対戦車障害物と対戦車トーチカで構築された
パックフロントという風に考える事はできないのか?
工兵が活動できなきゃどっちみち撤去できないんだし、
壊れやすいかどうかは問題にはならないだろ。
>ふ、騎馬隊っていうぐらいだからいくら強固な柵作ったって迂回すれば無意味【禿
上まあ敵拠点を迂回して何処に行くつもりなのだろうか(苦笑
>>485 騎馬隊実在派ということでいいのかな?
>騎馬隊っていうぐらいだからいくら強固な柵作ったって迂回すれば無意味
???意味不明。
強固な柵があれば迂回するし、強固でなければ騎馬隊だから無問題?
申し訳無い。私にでも読んでわかるような文章をかきこんでほしい。
ところで
>モンゴル騎馬隊恐れて造った万里の長城の評価と同じ
これは何かの比喩?それとも冗談?
もし中国の古代史になんの知識もないのなら論点は絞ったほうが良いと思う。
かりにこの評価が正しいとして、これは俗に言う長篠の戦いでの例えとして
本心から適切だと思う?
>本物の軍人の正確な知識と意見で
これは破綻した思考と同意語?
永久要塞と野戦築城を混同している【禿が馬鹿を晒しているスレはここですか?
489 :
484:02/12/26 22:02 ID:???
>対戦車障害物と対戦車トーチカで構築された
>パックフロントという風に考える事はできないのか?
>工兵が活動できなきゃどっちみち撤去できないんだし、
>壊れやすいかどうかは問題にはならないだろ。
そういう理解のしかたでもべつにかまわないよ。
では何故、信長はそういうものを構築したのだろうか?
P.S.回りくどい表現ですまない。
>>486が何某かどうか確信がもてないので
違っていたら謝る。
ふ、指揮官たるもの言葉による意志伝達で誤解を生じめたことに猛省!!
わたしはアンチ騎馬軍派。
日本画の本質。農民徴用兵が軍の主体。足軽銃兵による集団戦が論拠。
確かにここでは反語、皮肉は誤爆のもとじゃな?【禿
>>479 騎馬集団による先頭が皆無だったとまではいいません。しかしそれでも百単位の騎馬運用は?
だったと思います。理由は既出。
織豊期以降は各大名による在地領主層の解体・統合化が進められ、財力もついてきたので
479氏がイメージする騎兵隊的な存在が出現してもよいのですが・・・・・記録には残っていません。
どうしても源平期に代表される、騎馬武者=一騎討ちのイメージが染み付いていたからでしょうか。
>>490 指揮官を詐称する芸風はシャアと同じだけど
もしかして同一人物?
激しく気持ち悪いのでやめて欲しいんだが。
私はシャアでは無い【禿
>>493 ネット上で指揮官を称する場合
1 本当にBOCを卒業した現役自衛官
2 ただの詐称
1の場合、本職でもネット上で指揮官を称するような馬鹿は即刻退職して欲しいし
2なら回線切って首を吊って欲しい。
つまり、やめてくれ。
>>489 馬防柵というから誤解が生まれるので、関が原戦で西軍が構築した「掻き揚げの城」
といった物に近いのでは?
地形を利用して簡単な堀を巡らせ、残土で土塁を設ける。
簡単ですが大変有効で、関が原ではこの簡易陣地で石田勢が東軍主力を引き受け、
半日以上優勢な戦いを展開しています。
・・・・物見から報告を受けた武田の宿将たちが止めるのにも関わらず、例の勝頼チャンが
ヽ(`Д´)ノウルセェーナ!オヤジヲコエルンダヨ!ウワァァーン!
と正面攻撃させたのが敗因かと。
>>490 一応、正論かと。
話はそれますが、こう考えると、あの野伏たちは千石クラス以上の勢力なんだよな。
さっさとどこかの大名に仕官すればよいのに。
・・・・それに地元の御領主様は何してたんだろうか?
・・・・・ま、黒沢明の歴史物はリアリティは?なのだが・・・・娯楽作品だから硬いことは・・・
>>496 ヲイヲイ
20人程度の山賊と、20人を動員できる小領主は全然別物だぞ。
>>495 まあ、馬防柵と言った方が判り易いからそう言ってるんだろうな。
>>496 野伏連中はもともと傭兵兼山賊のような奴等だった訳だが。
>>497 ほとんど騎乗で武技に練達、おまけに鉄砲まで・・・・
しかるべき伝手があれば「〜牢人」とか言って陣借できますよ。
>>499 だから、戦の間だけは雇用されてるんだって。
戦が終わればハイそれまでよ。そんな連中。
>>499 土地からの収入に頼る領主は、継続的に補給や兵員の補充が可能だが
山賊は戦闘技術に長けているものの、兵站に難がある
手持ちを失ったら、略奪に走るほか無い。
使い捨てなら山賊、軍の中核に据えるなら小領主
山賊が仕官してきても通常の大名なら、真面目に相手しないだろう。
>>500 恩賞も獲得できなかった・・・・百姓相手じゃ強いのに・・・・
騎馬隊の存在はまだ確認されていないということか。
>>504 「当然、常識的に存在すると思ったことは当時の人は書いていない」
これは某「アンチ騎馬隊」の御仁が自己主張するために用いた文句
なんですがね(w
>>505 あのう、あると主張するのなら、
そちらの方に挙証責任があるのは分かってますよね?
某騎馬隊信者さん?
資料をあたって見たんですが・・・・・武田氏軍役状によると軍勢百人に対し、
騎士十二人、槍五十八人、鉄砲七人、弓十人、旗持ち七人、手明き十二人
となってます。
個別の軍役ものってますが、初鹿野伝右衛門で、乗馬1、槍5、鉄砲弓旗各1
所領195貫でほぼ中堅層かと。
あの甲斐武田家でさえ騎馬侍は全体の1割強です。
やはり「騎馬隊」は・・・
資料は朝日文庫「武田軍記」小林計一郎著です・・・・・
509 :
名無し三等兵:02/12/27 16:24 ID:R7uCN2Mk
「七人の侍」の最大の間違いは、
百姓衆が武装してない事です。戦国時代なのに。
関係ないこと書いてすみませんでした。
>>509 一部の百姓が戦場荒らしして獲った槍とかで武装していたが。
例えば、武田の百足衆は騎兵部隊ではないのか?
>511
当時の記録にあるの?
え? 百足衆って後世の創作だったのか?
515 :
名無し三等兵:02/12/27 17:19 ID:OJTDy8bh
>>514 百足衆が後世の創作だとするお前の根拠を先に述べるべきではないかな?
さあ、形勢悪しと見て
論点そらしが始まりマスタ
>>516 その前に、それがその時代にあったものを証明するソースを出すべきじゃないのか?
>>506のいうようにあると主張するものに挙証責任がある。
A 百足衆は実在していた&騎兵部隊だった
B 百足衆は実在していたが騎兵部隊ではない
C 百足衆は架空の存在
Cを主張する奴は居ないようだ
A,Bについてが論点だろ?
↑決め付けによる展開イイ!
武田百足衆信者は敗走したな。
次は何出してくるかな?
もうなにがなにやら、、、
【禿
ってなんて読むの?
526 :
526:02/12/28 16:04 ID:???
527 :
勿論軍オタはヴァカだが・・【禿 :02/12:02/12/28 17:50 ID:4C8ALlHV
ふ、論破したスレはつまらんな?【禿
だれも反論できず黙り込むからな【禿
528 :
507:02/12/28 18:10 ID:???
百足衆は正式には「むかでの差し物衆」。
伝令集団ですよ。
ちなみに甲斐武田家の職制にも騎馬集団を先頭指揮する部門はありません。
武田には倉科とかいう騎乗ばかりの国人衆だか土豪だかがいたとか
小さな集団だが。だから極めて小規模に限定すれば(あくまで)一応はいたんだろう
ただ足軽を中心とした一般の戦国時代の軍隊も下級指揮官の現場裁量で
下級指揮官自身が乗った馬を追撃等に使ったとか
それと大阪の陣の伊達の騎馬鉄砲隊はどうなんだろうか
530 :
507:02/12/28 18:36 ID:???
>>529 同意です。ただ、騎馬軍団というような有力な戦闘単位の存在が?なだけです。
大阪の陣の頃は大名による集権化が完成しつつあり、伊達家の騎馬鉄砲隊の
存在も不思議ではないと思います。
>>530 馬上で使用する馬上筒は江戸時代に入って結構たってからの考案のものらしいです。
少なくとも大きな戦乱があった時代には、そのようなものがあった痕跡は
今だ確認されておりません。
伊達家の騎馬鉄砲隊ね〜
大坂の陣でのみ登場し、しかも役にたたなかった。
伊達家の騎馬鉄砲隊を持ち出したら、その時点で負けだよ。
武田関連のスレを読んでごらん、あの基地外達もそれだけは口にしないよ。
っていうか何時から勝ち負けの話になったんだ、、、
騎馬隊が近世以前のこの国で編成されたと
誰かだ言いはじめたときからじゃないのか?
上訂正
騎馬隊が近世以前のこの国で編成されたと
誰かが言いはじめたときからじゃないのか?
536 :
名無し三等兵:02/12/29 08:17 ID:b35Yv+UG
馬上で火縄取り扱うのは難しいからな
通常の種子島では不発続発だろう。
ふ、命中率が下げるほうが問題だ。【禿
レス止まったな。みんな大晦日でそれどころではないか。
それでは、良いお年を。
レスをしろ!
>【禿
ひきこもってないで、恥を偲んで世間に復帰しろ
542 :
○:02/12/31 17:13 ID:???
ふ、小官は剥げではない。
今、革命の準備に忙しいのだがな
543 :
○:03/01/01 06:33 ID:???
今夜は誰もいないと思ったのだが
ふ、イスラム圏は暦が違うのだな。
ひとつ悧巧になったぜ。
革命いまだならず、、、
結局、大規模、小規模問わず騎馬隊が存在したソース、史料が、
何一つ出てこなかったね。
ぎゃは
いちよ!
いちはいずこ!
全世界は知らんと欲す!!
騎兵隊問題は一段落しようだから、
史実の問題は脇に置いといて、
映画の中での戦術を考えてみたい。
第一の疑問はなんで野武士達が騎兵突撃繰り返すのかってこと。
最初のうちは農民を甘く見ていたといえば理屈が立つが、
防御された拠点に騎馬兵を突っ込ませるってのはどう考えても最悪。
市街戦に騎兵は不向きということは、応仁の乱でわかった事。
野武士軍の多正面攻撃も軍事セオリー違反。
もちろん、各方面の農民側守備隊を牽制するために、
守備隊拘束用の小部隊を各方面に配置することは必要だが、
主力部隊は一正面に集中して攻勢をかけるべきだろう。
わたしゃあの映画好きだけど、
娯楽映画に「軍事的正確性」を求めては、黒沢監督が気の毒。
騎兵が村の中に突っ込んでくる方が、
村の手前で下馬して乗馬歩兵として戦うより迫力あるし、
野武士隊があちこちからほぼ同時に攻撃してくる方が、
一カ所だけで攻撃してくるよりサスペンスが高まる。
それでいいんじゃないかなあ。
馬に乗った野武士vs竹やりの農民の方が映画の絵づくりとしては見る方に
どちらが悪者、良い者か分りやすかったのではと書いてみるテスト。
後は547のレスで当ってるのでは。
>>548 悪役は百姓もそうではないか?
あまり百姓をよく撮ってないから。
>>548 この戦いの当事者は野武士と百姓。
侍達の雇い主である百姓からすれば、
野武士に収穫を渡すより安いコストで、
野武士より強く、
村人に乱暴せず、
戦いによる村人の損害を最低に押さえられ、
(↑つまり村人の代わりに死んでくれ)
しかも野武士を追い払ったらすぐに村を出て行ってくれる、
(↑重要。そのまま居残って「領主」になられたら最悪、まあ木村功一人なら居残ってもOKだが)
侍を雇う必要がある。
といってもこれは百姓側に徹底的に都合のいい条件で、
実際にはこれらの条件の一部に欠ける侍を雇わざるを得ない可能性大ということは、
百姓達も充分認識している。
(志村喬を雇えたのは映画でしかありえない僥倖)
そのために様々な対策を取るのは当然。
こうした対策を考えられない百姓なら最初から逝ってよし。
たしかに三船がいうように百姓はこずるいけど、
それはある意味当然のこと。
悪人というより、現実的というべきではなかろうか。
551 :
550:03/01/04 16:47 ID:???
すまん 誤>>548→正>>549
うん、いいよ。
ただしそれを言い出すと、坊主に化けて幼児誘拐犯を騙した勘兵衛も悪人。
たしかに悪人じゃなければ生きにくい時代だから、
登場人物はあらかた悪人という見方も出来るとは思う。
>>553 戦術、戦略においてはずるいを悪人とするのは無理だろう。
いかに騙せるかという要素も当然必要なのだから。
無論、百姓のずるさも生抜くための戦術、戦略とみれば、
誰も悪人ではないのだけどね。
何を持って善とし何をもって悪というのでしょうかな
戦国時代は強いものが悪人。
ヒキコモリの集団では真の軍人が悪人かな?【おお禿
ところで、
話はかわるが、NHK大河ドラマMUSASHIの第一回(1月5日)。
完全に七人の侍だったな。
原作より大分落ちるのは仕方がないが、
最初の騎馬襲撃に失敗した野盗軍団が、
徒歩で夜襲をかけるところだけは、
このスレッドで評価されそう。
>>558 いやいや失敗するまで夜盗が敷地内にまで騎馬で突撃してたというのは、
あまりにも間抜けかと。
しかし主人公と敵キャラのメイク、髪型、バンダナ?
までヴァカボンドのパクリだったな?【禿
・・・もう駄目ポNHK
oohage
種子島三丁って野武士としてはよい装備だろう。
戦国時代、鉄砲3丁くらい戦場で簡単に盗めそう
に思うんだが
564 :
某研究者:03/01/07 19:53 ID:7u/Hiuhk
>しかし主人公と敵キャラのメイク、髪型、バンダナ?
まあこの様な格好は現実にあり得たのだろうか(苦笑
オイオイ、おまえら臆病モンなのは仕方ないとして記憶力も無いのか?【禿
関が原の戦いでは当時の世界中の火縄銃の1/3が使われたってあっただろ?
喧嘩弱いなら頭ぐらい鍛えろよ?ナア【おお禿
アンチ鈴木眞哉は、威勢があった割には、
呆気なく完全に崩壊して逃げていなくなってしまったね。
おお、剖検!敵キャラはバンダナ巻いて居たんだよ。漫画でもナ【禿
剖検以外のオマエラ!
でも軍オタなら鉄砲の数についての解説をわすレンナよ【おお禿
↑軍オタは臆病ヒッキーの上に真性ヴァカだったんだ!!【おお禿
(ラピュタは本当に有ったんだ!の口調で【禿)
【禿) のおかげで駄スレに堕ちたな
570 :
某研究者:03/01/07 21:55 ID:7u/Hiuhk
まあ世界で最も男性的である存在は侍
女性的であるのは日本の女であるなら
双方が同時に存在していた日本の文化と言うのは
矢張り意味は有ると言う事かも知れぬが
(まあ只これが人間の真に有るべき姿と言う物かは
矢張り異論は有るのかも知れぬが)
571 :
某研究者:03/01/07 21:59 ID:7u/Hiuhk
>(まあ只これが人間の真に有るべき姿と言う物かは
> 矢張り異論は有るのかも知れぬが)
米国がこれを時代錯誤として非難したからと言って
米国等より強い宇宙人が後でこれを認めたりしたら
後者が正しいと言う事に成りはしないだろうか
>まあ世界で最も男性的である存在は侍
たぶん世界中から異議続出です
アメリカからカウボーイ
イギリスからジェントルマン
フランスから騎士
スペインから闘牛士
ドイツからランツクネヒト
ロシアから親方
他多数
573 :
某研究者:03/01/07 22:07 ID:7u/Hiuhk
上まあ切腹も特攻も出来ぬ連中が
侍より男性的である等と言えるのだろうか(苦笑
スレ違いを続ける某研氏は退去して下さい!
自説を語るのに、このスレを使わないで下さいよ!
575 :
某研究者:03/01/07 22:25 ID:7u/Hiuhk
上まあ只何も脱線せねば創造性も欠如するだろうし
其れこそ貴殿等の非難する日本病・日本的弊害ではないのか
>>575 貴方はまず空気を読んで下さい。
つーかいい加減sage覚えろ
577 :
某研究者:03/01/07 22:46 ID:7u/Hiuhk
武蔵も木刀では無く普通の刀で小次郎と戦っていたら
負けていた可能性も高いのだろうか(苦笑
都合が悪いレスは無視する姿勢
…厨房と同じだな
>>577 sage無い理由を教えてくれませんか?
何らかの信念があるのでしょうから。
579 :
某研究者:03/01/07 22:55 ID:7u/Hiuhk
>何らかの信念があるのでしょうから。
まあ私の信念等は自己の保身・不死追求だけだろうし
単に面倒だからと言う思考経済の論理が働いているだけだが(苦笑
>>579 長文投稿繰り返す手間に比べれば、sageと打ち込む手間が面倒だとは思えないが
つーかスレ違いの内容書き込むならせめてsageろ!!
581 :
某研究者:03/01/07 23:05 ID:7u/Hiuhk
>長文投稿繰り返す手間に比べれば、sageと打ち込む手間が面倒だとは思えないが
まあ私に取っては其の様な慣れていない事をする方が
面倒である訳だが(苦笑
ふふふふふっふ。ヒキコモリが慌てて思わず軍板の古参、剖検にも噛み付いたな?【禿
まさに弱さを晒されるのが怖い一心だな?
剖検は軍オタだが古参だけあって自説はシッカリ主張している。
俺は涼とするね。
木は何してるんだ・・・(溜息)
>583
不調法モノ!ひかえおろう〜〜〜〜【禿
てか晒し怖いのかい?
>571って数日前に雑談スレで某研に絡んでた椰子?
もうなんというか・・・>【禿、まず慌てず落ちつけ
588 :
某研究者:03/01/08 00:17 ID:9mKGfyAL
>まあ世界で最も男性的である存在は侍
>女性的であるのは日本の女であるなら
まあ人間の本質は所詮米が何を言っても遺伝子操作でもせねば変えられず
人間が最も人間らしく生きた時が日本の戦国時代であるのかも知れぬが
やはりこれを認めぬ者も多い訳だろうか
>>575 だ・か・ら、脱線するなら「自分が立てたスレ」でヤレってことだ!
真面目に「七人の侍を軍板的に考察している同志」に迷惑をかけるな!
日本語と空気を読めや!!
オレ以外にも冒険をウザいオナ野郎と思ってるヤツがいたんだな。
ナニが猊下だよ、トリップも付けない粗チン野郎がw
狙撃スレにしろ軍オタ同士で喧嘩するなよ?【禿
ん?【禿?・・・・シャアだ!!シャアがきたああ!!
♪今はいいのさ全てを忘れて、一人残った屍の俺が・・・♪
このスレだけなんか釣れてないな?【禿
最高のシャレが決まった直後なのに【おお禿
やっぱ剖検までののしる己の姿を臆病者ながら反省したのか【クリスタル禿
593 :
某研究者:03/01/09 14:34 ID:CDHXZUHu
>まあ世界で最も男性的である存在は侍
>女性的であるのは日本の女であるなら
歴史上世界で最も男性的・或いは女性的であると言う存在は誰なのかと言う事だろうが
両者は共に日本に存在すると言う可能性は無いのだろうか
(イスラム教徒の男もイラク等に見られる様に特攻は余り出来ないから
男性性では日本に劣るかも知れぬが
特攻を行う者も自国民を守る為や自己の尊厳を守る為の死と言うより
殉教での現世からの開放・天国への逃避と言う弱さ故の物も有るだろうか)
594 :
名無し三等兵:03/01/09 15:39 ID:vLK7KDFY
>>566 まっとうな反論が出ないからだろ(w
お前、頑張ってみな
しかし鈴木真哉の新書本一冊で正論と決め付ける必要はないのでは?
私は武道板で日本刀と首切りを広めた張本人ではあるが・・・・
つうか日本史専門じゃないんだけど、例えば鎌倉室町辺りまで軍勢といえば何十騎、
何百騎という単位で書かれているんじゃないの。
これは騎馬武者の集合体で全然協調しなかったから元軍に蹴散らされたとなっているけど
↑アンチ鈴木DQN
また叩かれに来たのか?w
599 :
595:03/01/09 22:16 ID:???
だから一冊の新書本で戦況が圧倒的に変わるわけで無いのであり・・・・
ましてや歴史相手に断定はできん。
野太刀や騎乗太刀個人戦も有った訳であり。
西南戦争や新撰組の斬り込みもヤリや弓じゃなくて日本刀(長めだったらしいが)じゃん?
俺は武道板にこの本紹介したし鈴木氏から手紙も貰ってるからアンチでもないが(w
600 :
595:03/01/09 22:18 ID:???
むしろ、ここで疑問点を議論して平凡社に送れば鈴木氏に届くよw
>>595 そのような武器は首取戦で使われるものでしょう。
それは鈴木氏も指摘されているものでは?
602 :
595:03/01/09 22:51 ID:???
騎馬武者同士の騎乗太刀の撃ち合いは結果として首の取り合いかもしれんが
雷除けが首実験の為に作られたのと同じで結果論だろ?
どちらが強いかを生死を賭けて戦うのに弓やヤリでなく太刀を使ったのが本質。
確かに名著だが(私も武道板で・・w)全てそれに当て嵌めるのは偏る嫌い有ると見た。
>>602 基本的な主力武器は弓だろ。弓取りと言う言葉もあるくらいだから。
弓で離れて攻撃できるに越したことないだろ。
604 :
某研究者:03/01/09 22:59 ID:t8LiAvAO
まあしかし戦国時代には騎馬弓兵は廃れ
槍騎兵が主体と成ったのではないのか(笑
605 :
595:03/01/09 23:09 ID:???
だから戦国時代以前は戦場の主役は徴兵の農民兵でなく親子代々のプロの武将だった。
しかも一騎撃ちを敵味方で繰り返して勝負を決めた。
やくざの仁義切ることの源流でもある名乗りや鯨波を合わせたりした。
弓も確かに太古からあった。しかし平家物語で那須の与一が遠射で扇の要を射た時は敵味方喜び、
更に敵兵を射たときはブ〜イングが起きたとある。
弓があっても正規の戦闘で武将同士は良き敵ござんなれ!と組み合ったのである。
平家物語と新書本では重みが違うのだ。那須の与一の話はみんな知ってるし・・
???
605は何が言いたいの?
平安期から室町期に至るまで戦場の主役はプロの武将?
北面の武士も鎌倉の御家人も従者は戦場につれてこなかったの?
戦国期の騎乗の武士はプロの武将とは呼べないの?
平安期の武士の社会的立場はゴゾンジ?
承久の乱は一騎撃ちを敵味方で繰り返して勝負を決めたの?
若いうちに本を読んでおくことは良いことだと思う。
でも平家物語を語りたいのならヨソでやってほしい。
受験のときもこんな皮相な観点で歴史を騙る心算かい?
あぁそうそう、『太平記』も面白いよ。一度読んでごらん。
607 :
595:03/01/10 07:34 ID:???
606こそ何がいいたいのだ。単に鈴木論を唯一絶対とするために?幼稚なスリカエをやっている。
戦場に勿論従者を連れっている。しかし名乗りを挙げるのも戦うのも武将である。
名乗りだけ武将が挙げて一騎撃ちを従者にやらせる?とでもいいたいのか。
武家は元々貴族から分派した。西洋でも然り。さらに地方分権が進み国主、荘園主にさぶらい
さらには荘園主そのものが武家になって豪族、領主が登場した。
従者は問題外としてプロの軍事集団である。
戦国時代にプロの騎乗の武将いなかったか?・・・織田信長以降はいた。
プロはプロでもプロレタリアート出身の武将豊臣、松永、やや遡って斎藤道三。
これを下克上といって戦国時代には不可欠な特徴だ。・・・キミの受験こそ心配だw。
この分じゃ太平記も絵本で読んだのかな・・と心配である。
>>605殿
>戦国時代以前は戦場の主役は徴兵の農民兵でなく親子代々のプロの武将だった。
ん〜、“親子代々のプロの武将”、こういう人達は、戦場の花形(指揮官)ではあっても、
主役じゃあないと思うな。主役は傭兵、野武士、夜盗くずれ、野伏せり、といった連中
であったんじゃなかろうか。
指揮官同士の一騎撃ちで勝敗を決めることもあった、もしくは、一騎撃ちのあと、
部隊間での乱戦へ移った、と思うんだけど。
で、戦術的勝利の後には、野武士らによる、人取りや掠奪、苅田などの乱暴狼藉で
相手に戦略的ダメージを与え、自らは富んでいくと。
「切り取り強盗は武士の習い」ですよ。燃え。
武家って、最近の説では
荘園にいた低階層者の自警団みたいなものが発端っていわれてないか?
日本史板で見たんだが・・・
610 :
605:03/01/10 14:18 ID:???
農民兵と野武士、野盗は時期が同じ。いずれも下克上の戦国時代から。
武力を徴兵農民に頼る事になってから無頼の徒も切り取り次第が出切る様になった。
それまでは貴族出身の武士が実際戦いあった。先祖代々飲まず食わずの農民や無宿人と
代々栄養の行き届いた貴族、武士を比べて貰っては困る。
小野の妹子など遣唐使、遣隋使は結構水難事故に遭ってるが全員死んで妹子一人辿り着いた史実がある。
貴族は栄養がよく体格も良かった。平民の水夫(かこという)は栄養も悪く舟と共に沈んだ。
・・これは歴史上有名な話。
ゴロツキや百姓の一揆が発生するのは皆が食えるようになってから。
このころ無宿人は餓死して羅生門に捨てられてた。
今のような無職のゴロツキで貴族社会を判断してもらっては困る。
611 :
605:03/01/10 14:31 ID:???
武家が貴族出身で占められていた時代までは刀は主武器だった。
農民兵の増加と戦闘の規模が大きくなること=銃器、飛び道具、弓槍の使用は
その後の変遷であると鈴木氏は訂正する必要がある。
今川義元までは平民とは違うのだよ!
武士は貴族階級なのか?
613 :
618:03/01/10 15:21 ID:???
605に史実を訊ねても無駄。
こいつに日本における「貴族」の定義や、こいつの言う「親子代々のプロの武将」を
聞いてごらん。多分基地外ぶりを発揮するから。
絵本の平家物語を読んで感激したんじゃないの(W
ていうかさぁ、鎌倉末期ごろの一揆との戦いでは
侍所の〜百騎、という軍勢が土民とやりあって結構負けてるんだよな
無論土民も何千人という数で、下層の武士なんかも混じってるんだろうけど
1騎、という数え方は従者もいれた数え方だっけ?
ところで
>ゴロツキや百姓の一揆が発生するのは皆が食えるようになってから
これは的を得てるとおもう、平安時代までの浮浪人、というのは、
戸籍に入れなかったりして税金をちょろまかそうとしたり、賦役をちょろまかそうと
した中間階層が「こんな奴知りませぬ」とかいったもので、純粋な浮浪人はいなかった
というのが一応通説。だってそこまで生産力は高くなかったから。
615 :
605:03/01/10 21:01 ID:???
>>612 消防じゃないのなら相当頭ワリ〜。605=595のレス読んでないのか?
百歩譲って武士と貴族の装束の共通性に気づけよバカ野郎!(たけしの口調で)
≫613=606
論破されて泣きながら感情論に入ったところ(w
606と名乗ると負けたことがバレルので消防みたいに618とかいって誤魔化している。
議論で来いや!論破されて泣くな!
≫614
工房から台某以上と見た。
覇権争いに負けた豪族は隼人とか蝦夷とか差別用語で呼ばれた。後世の人が土民と解してもおかしくない。
しかし、農民が食えなくて年貢で縛られていてどうやって刀(槍、弓は更に後世)を入手したのか?
正倉院の御物に戦争用に備えた刀があるように武器は厳重に管理していたのだ。
敵のを奪ったとすれば食えなくてフラフラの劣悪な体格の土民?が頑強な貴族の中でも
更に頑強さを売りにしている武士から力ずくや金品で刀を手に入れたとは考え難い。
・・・即ち覇権争いに負けた一族+領地の農民=土民あつかいが正解。
歴史は他人の資料鵜呑みじゃなくて洞察力や観察力、脳を働かせよう!!特に606(w
さてここら辺で論破終了かな?
616 :
618:03/01/10 22:02 ID:???
正直、マジレスすべきなのかどうか・・・・・・
釣り?
それとも反鈴木眞哉房はアフォばかりと自作自演をやっているのか、、、
こいつの文章力やレトリックの拙さはわざとかな。
高校卒業できたら世の中で働くこともあるだろうが、最低限人の名前は間違えるなよ!
ヒッキー予備軍の相手をしてやる漏れって、なんと親切なんだろう(w
「貴族」の定義や、君の言う「親子代々のプロの武将」とは絵本の平家物語をイメージするということで納得。
議論できずに論破されて泣いたということだね(w
>百歩譲って武士と貴族の装束の共通性に気づけよバカ野郎!(たけしの口調で)
君の絵本どこかにUPしてくれないか。考証の甘さを笑ってやるから。
これが君の言う議論かい(w
>>606さんや
>>613の問題定義に何一つ答えられないのは反証できないのだろうが
簡単な質問に答えてくれ。それとも議論できずに論破されて泣いて逃げるのかい(w
>覇権争いに負けた豪族は隼人とか蝦夷とか差別用語で呼ばれた。後世の人が土民と解してもおかしくない。
隼人を差別用語だという話。何故そう思いこんだの?
古代史の知識が僅かでもあれば隼人や蝦夷にかんしてこんな誤解はもたないだろう。
日本語が不自由だからまともな文章が書けないのと、民族学校の誤った記述が君の歴史認識の根源なのかな。
>正倉院の御物に戦争用に備えた刀があるように
正倉院の御物が実用に耐えるのか、何か勘違いをしていないかい?
なんか弱い者虐めをしているみたいで鬱になってきたよ・・・・・・
617 :
605:03/01/10 22:25 ID:???
正倉院御物と聞いて玉虫の厨子とか社会の教科書レベルしかない厨房くんに虐められた覚えはないが?(w
ネットとか調べろよ。御物に打ち刀が30振りぐらいある。
合戦の度に豪族に貸していたとの見解がある。いいものは貸し出しの時安い刀に繰り替えられた逸話まである。
これを踏まえないで大人に論戦挑むとは笑止。
キミは既に論破されている(w
隼人、エミシ、蝦夷が差別用語って知らない無知を自分で晒したな?
中国人が自国を中国、日本を東夷、西洋を南蛮と蔑んだのと同じ。
大和の和の語源の倭だって差別用語。キミだけ知らなかったわけで今、失笑買ってるよ全国で。
絵本とかは607で私が皮肉った言葉。同じように反応するのが幼児性たるところかな?
一つ聞くが問題定義ってなんだ?(w
議論できる相手は論破してきた。キミはその資格さえないようだな?
618 :
618:03/01/10 22:53 ID:???
618と宣言したいじょう約束は守るが漏れは厭厭書きこんでいるんだぞ。
>隼人を差別用語だという話。何故そう思いこんだの?
これだけに答えてくれ。
続きは次のレスに書くから・・・・・・
なんのために行を改めたんだか、意味なかったな・・・・・・
619 :
618:03/01/10 23:09 ID:???
>中国人が自国を中国・・・・・・西洋を南蛮と蔑んだのと同じ。
あんさん、ほんまに大丈夫か?
血圧が上がっているなら今日はもう寝たほうがいいぞ。まじで。
>御物に打ち刀が30振りぐらいある。
数は時代によって区区だからどうでも良いが、実用品と御物の違いを知らんのか?
自慢のネット技術で平安期より前に納められた実用に耐える古刀を検索してみろよ。
つうか。悪いこと言わんから今日はもう寝ろ。
620 :
618:03/01/11 00:02 ID:???
605には難しいか・・・・・・(生きているのか一寸心配。最近姿を見せない息子を探しに部屋のドアを
開けたら、デスクの前に腐乱死体を発見。とかいう記事を見かけたら漏れが殺したことになるのかな?)
ハドソン・マーク(筑波大学):隼人の民族形成と大和国家
隼人族の民族形成についての既存の学説は、社会的、地理学的隔離による民族的差異の維持を
強調している。民族についての原始的な見解に基づいて、隼人族を東南アジアのどこかで発生
したものだとする、全体として無批判な受容が行われている。この論文では、逆に、南九州と
大和国家の相互作用が、隼人族形成の主たる原因であり、彼らが東南アジア起源であるとする証拠は
弱いことを議論する。この論文は、拙著「The Hayato In Ruins of Identity」を発展させたものであり、
日本の学者角林ふみおによる最近の批判を述べる。
www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/godhand/aomori/log5.htm
鈴木厨にはホトホト困ったもんだ。
622 :
606:03/01/11 01:59 ID:???
>戦場に勿論従者を連れっている。しかし名乗りを挙げるのも戦うのも武将である。
>名乗りだけ武将が挙げて一騎撃ちを従者にやらせる?とでもいいたいのか。
従者に一騎撃ちをやらせる?すごい発想だね。君はこういう幼稚なスリカエを多用しているの?
管見だが君は騎乗の身分と従者の身分を全くわかっていないんだね。
>武家は元々貴族から分派した。西洋でも然り。さらに地方分権が進み国主、荘園主にさぶらい
武家=貴族。これがわからん。説明を求めても答えられないようだし、、、
西洋の話はもっとわからん。本末転倒という言葉を知ってる?
痴呆分権が進み?だっけ、西洋でも日本でもよいが何時の時代の話?
>さらには荘園主そのものが武家になって豪族、領主が登場した。
なんだかな〜 ARAKIさんが墓場から起きだしてきそう(w
>従者は問題外としてプロの軍事集団である。
? ? ?
>戦国時代にプロの騎乗の武将いなかったか?・・・織田信長以降はいた。
君の言う「戦国時代」って? ? ? 時代区分が皆目わからん。
>プロはプロでもプロレタリアート出身の武将豊臣、松永、やや遡って斎藤道三。
笑えばいいのか?
多分、斉藤道三は親子二代で国取りをしたことすら知らないんだろうな、、、
>>598 おい、鈴木厨房、お前、このスレに関して、アンチ鈴木論への
反措定の立論(逆にいうと、鈴木肯定論)をとりあえず述べてみよ。
話はそれからだ。
624 :
865:03/01/11 02:14 ID:???
消防じゃないのなら相当頭ワリ〜。606=622のレス読んでないのか?
≫605=621=623
論破されて泣きながら感情論に入ったところ(w
605と名乗ると負けたことがバレルので消防みたいに名無し三等兵とかいって誤魔化している。
議論で来いや!論破されて泣くな!
>>624 なにをそう舞い上がっているのか理解に苦しむが、
とりあえず、623は全くの別人だからね。マレ人である。
えーと・・・・時代区分をはきーりさせて議論なさっては?
同じ戦国期でも北条早雲の頃と織豊時代では軍制もマターク違いますし。
ただ、戦国期でも武田上杉北条今川など安定した領国経営をしていた
大名たちの軍制は小地主&従者を中心にしています。(武田氏軍役状などより)
主を持たぬ雑兵集団は上方のごく限られた範囲にしか存在しなかったとおもわれ。
(織豊後期までは)
土民というのは小地主&従者のことでは?
> 618殿
気持ちはわかるけど、あまり突っ込むと引きこもっちゃうから、
もっと優しく、理解する努力をしてあげて下さい。
> 覇権争いに負けた豪族は隼人とか蝦夷とか差別用語で呼ばれた。後世の人が土民と解してもおかしくない。
=「大和朝廷に破れた辺遠の豪族は、大和朝廷の小中華主義によって異族と規定された。」
っていいたかったんだと考えてやれば、一応まともな学説準拠になるでしょう。
差別用語問題だって、今差別的と思われてる言葉は歴史がはじまったときからずっと差別語だと思ってるだけ。
言葉狩りやってるおばさんなんかによくいるじゃないですか。
土民はですね。隼人や蝦夷とつなげて考えると分からなくなる。
単に「戦いに破れ領主の地位を失った豪族(とその一党やら領民やら)が、土民になった。」
ってことがいいたいんですよ。
でもまあ…、
弓が縄文時代からあったことは知らないらしい。
槍が矛より新しいトレンドであることは知っているらしいが、そもそも槍と矛の違いがわかっているのだろうか。
いや、そもそも矛を知っているのだろうか?
…ウウム、やっぱり618殿にまかせるわ。
629 :
605:03/01/11 05:25 ID:zqmVWPmY
>618
隼人族って逝ってる時点で差別用語って気づけよ(w
長々と検索で調べたこと書いてるけどキミが朝廷がワザワザ反抗勢力に何で呼び名をつけたか
理解できないことの弁明にはなってない(w
>622=606
確かに稚拙な618よりさらにおヴァカですな?キミの引用の
>>>>戦国時代にプロの騎乗の武将いなかったか?・・・織田信長以降はいた。
>>>君の言う「戦国時代」って? ? ? 時代区分が皆目わからん。
に至っては歴史に首突っ込む前に日本語勉強しなさい!といいたい。
織田信長以降は農民出身のプロレライアートのプロフェッショナルな武将がいたと
論を展開してるのが理解出来ないのか?レトリックがキミらには難しいかな?
簡単にゆうと618,606はまるっと論破されている!!まあ努力すれば使えるようになるかな。
628は最近矛と槍の違いについて知ったのではしゃいでいるのかな?
キミに江戸時代まで続いた矛の後継武具の名前が分かれば本物なんだが・・・・
まあ期待するほうが無粋かな?(w
私の論文には弓や槍は太古より使われてると言及してあるのが読めないのか?
キミも矛なんて言い出す前に日本語検定受けて下さい。
・・・また論破してしまったな?
>>623 まずは騎馬隊に関して指摘しよう。
騎馬隊が存在したソース、史料が出ていない。
よって騎馬隊は存在しなかった。
まずこれではどうだ?
あるというほうに挙証責任があるのは分かるよな?
>>630 ごく小規模ならあり。
用途=索敵、伝令
甲斐武田家の百足の差し物衆など。
有力な戦力となるような数百人規模のものは明治になるまで存在しない。
>>631 確かに、鑓等を持ち込んで騎乗戦闘した騎馬隊は確認できていないですね。
633 :
631:03/01/11 10:26 ID:???
話を蒸し返すようですが、下ばえや藪が密生している雑木林が
広がっている日本の地形では、騎馬隊の運用は困難かと。
また、当然その中で槍(手槍程度でも)をとり回すのも不自由。
サイドアームとして太刀や刀必要性は高かったのでは?
鈴木某氏は主に大名の感状などを資料としているので、偏った結果になったのでは?
(感状が出るのは一番槍、一番乗りなど。刀が用いられる局面ではない)
>>633 現代の兵器で見れば、刀は拳銃なわけで。
雑木林でも応急的に使ったかもしれませんが、
別に槍が使えないと言うことでもないと思います。
(槍でも種類がいくらかありますから)
635 :
628:03/01/11 11:09 ID:???
>629 古代大和朝廷に「蝦夷」さんや「隼人」さんが何人もいるのは何故かなあ。
その他の衆へ、つまらぬことをしてしまった。
許せ。
636 :
631:03/01/11 11:18 ID:???
>>654 合戦場の殆どは河原(姉川の戦い)や尾根(三増峠の戦い)や農閑期の田畑など
開闢地だったわけで。
でも関が原のように山間地に戦闘範囲が広がった場合は切り合い&組討に
移行したとおもわれ。
幾らなんでも雑木林の中で長物は・・・・どうでしょうか?
では、絵巻物に槍を振るう武者の絵があるがあれは何だ?
存在しないものを描くわけがないだろう。
638 :
631:03/01/11 14:07 ID:???
どこの合戦ですか?
皆無とはいってませんが何か?
また絵巻物でつか(w
写真と絵巻物の区別がつかないイタイ香具師のいるスレはここですか?
絵巻物も西洋の戦争絵画みたいに、雑兵もびっしりと書き込まれて
なるべく写実的なら参考にできるんだけどね。
ブライテンフェルト会戦の絵なんかは、テルシオの槍がハリネズミようだった。
641 :
631:03/01/11 17:50 ID:???
初期の大坂城攻城戦の屏風?などなかなか参考になるのですが。
登場している将兵が右肩に抜き身の刀を乗せ(もちろん棟を肩側にして刃を外に向け)
走っていたりする。
こうしないと、転んだときや、味方に接近したとき危険なのだそうです。
>>641 その絵巻物がすべて史実を物語っている根拠とは?
>>639 >>642 では、キミらは藤木学者が大阪の陣の屏風から立論しているのも
イタイ、ってことを言うわけだな。
都合の悪い史料には目をつぶる。
良くない事ですヨ!
屏風図、絵巻物は歴史を検証する第一級の史料。
これらを自分の考えに遇わないからウソと一蹴する態度はどうかと思うねえ。
>>644 絵巻物に描写されている個人の装備や風俗を否定している奴は居ないよ。
問題となっているのは、当時の軍隊の規模や編制であって。
絵巻物の通り、当時の部隊編成が行われていて
騎馬と徒歩兵の比率が、絵巻物そのものだとでも主張するならご自由に(w
>>640 西洋の戦争画は後世になって描かれた近代的な画法によるものでしょう。
日本でいうと江戸時代に戦国時代を描いたような。
同じような価値だと思いますが。
>絵巻物の通り、当時の部隊編成が行われていて
>騎馬と徒歩兵の比率が、絵巻物そのものだとでも主張するならご自由に(w
一体なんの「絵巻物」を想定していっているのか、応えて欲しい。
長篠合戦
手元の長篠合戦図屏風の武田側を見ると
騎馬武者と徒歩武者の比率が4:1から5:1程度の比率に見える
しかし実際はそんなに騎馬武者がいなかったことは周知の事実。
>>650 長篠合戦図の武田方の編制のことを言うのだったら、
当らずとも遠からずじゃないか。
中世的騎馬武者軍団が見事に押し寄せている。
騎馬隊の光景とはああしたものだったろう。
なお後年江戸期に入って描かれた之れらの屏風図の信憑性(想像の余地)
については、
初期の図が現存(武田方が紛失)していることから、模写されたと
考えられ、史料価値はあると思う。
>>651 比率のことは問題じゃないと思うがね。要は表現されたものが
どのような真実を伝えているかだ。
日本の武士団自体が、戦力に関しても数字的な史料を多く残していない
ように、絵師にそのような「軍事的数値」を写実化する意識はなかったの
だから、その点を付くのは本質じゃない。
長篠合戦図屏風には、騎馬武者だけの軍勢なんて存在しない
伝統的な騎馬武者に徒歩兵がついて行く、中世型軍隊なら確認出来るが?
あの屏風から、騎馬隊を想像出来る方がおかしい。
>>653 >日本の武士団自体が、戦力に関しても数字的な史料を多く残していない
伊達・上杉・佐竹・真田・北条・徳川・毛利・島津・・・・
近世を生きのびた大名家なら間違いなく莫大な数字的な史料を残しているのだが。
北条家の史料だけでも数年間では読みきれないよ。
>>654 騎馬隊の概念が問題とずっと以前のレスから発言があるだろうが。
>>657 同一の戦場で多数の騎馬武者が存在しておればいい。
要は、
要は「馬に乗って戦う武者の光景は皆無」
と断定してしまっているところが鈴木厨に関する問題。
このスレで当初から生じている論題に関する事だ。
「騎馬隊」の概念付けがスレの本題でないことに気づけ。
>>658=アンチ鈴木厨
>要は「馬に乗って戦う武者の光景は皆無」
>と断定してしまっているところが鈴木厨に関する問題。
乗って戦う武者の光景がよく見られたと言うソースは?
>>659 写真でもお望みか?
だったら無理と言っとこう。
世間一般で言う「ソース」なら出しているつもりだがね。
>>660 レス番を提示して言わないと説得力ないよw
662 :
名無し三等兵:03/01/11 21:51 ID:EUgsMsBu
ソースまだあ?
またソース,ソースか。
しょうがないなあ(w
長篠合戦屏風で充分。
>>664 何でそれが当時の戦場を正確に描写していると言えるの?
>>659 >乗って戦う武者の光景がよく見られたと言うソースは?
一般的でなかったというソースなら各戦国大名の着到状や軍役状を参照。
軍勢の中の騎馬の割合が人目でわかります。
細かい風俗、装備など以外、画像に頼るのはきけん。
ってゆうか、もう絵巻物は勘弁して(泣
なんで、みんなアホォの相手をしたがるの。
タタクト面白いから?
騎馬隊を空想してもいいじゃん。
ソースなんか有りはしないいんだから。
口汚く罵るしか能のない香具師は放置しようよ。
スレタイに戻ろうぜ。
例えば「第一次攻撃が失敗した時点で漏れが攻撃側の指揮官なら」とかいうのはどうだろう。
いま、仕事で辞書の用例チェックしてたんだが、
研究社のリーダース英和、さすがにしっかりつくってあるな。
infantry の用例として
「・mounted infantry 騎馬歩兵」
が挙げてあった。
誤訳や珍訳をまねきそうな例を、きちんと把握している。
軍オタよ、英語屋に負けるな。
>667
仕切りたがりのアホ
>>667 669よ、そう逸るなw
んじゃ、667氏のリクに応えて。
オレが野武士なら、どう考えても百姓の中に玄人(軍師)が居ると見て、
その玄人を人質か何かで誘い出し、種子島で狙撃させるなね。
誰がよそ者(侍)か分かるように、恭順者or内通者が必要だけど。
この映画一回観ただけのうろ覚えなのだが、
時代設定は何時なのだろう?
元和の戦いの頃かな。
元亀以前ということは無いよな。
> 670
玄人は態度物腰で遠くからでもわかるから、内通者がなくても侍はわかる。
志村喬を倒せなくても、侍を一人でも二人でもへらしていけば、
相当有利になると思う。
宮口精二が「よし、俺が首領を撃ち殺してやる」と復讐にくると怖いが…。
> 671
町の荒廃の様子や、野武士の横行で無政府状態になった地域という点で、
16世紀前半といいたいが、種子島を考えるとそうもいかない。
個人的には永禄年間がイメージ。
織豊政権以降は、地域にもよるが、再建・秩序の復活・高度成長ってイメージがあるもんで、元和には見えない。
個人の主観的印象だから、671にケンカ売るつもりはなし。
でも、何故大坂の陣の頃に思えたのか理由を聞かせてくれたらうれしい。
673 :
671:03/01/12 02:38 ID:???
>>672 農民が安易に侍を雇えると考えるところと、それに応じる侍がいるところから
なんとなく17世紀前半の話かと、、、
もし16世紀の話なら、たとえ数丁でも種子島を保持している野武士がいるのなら
近隣の領主が討伐隊をだして手に入れようとするのではないかと、、、
あと、なにかの論文で伊達家の各種軍役について種子島の占有率は天正年間が
ピークで慶長年間には最大占有率が半分ぐらいに落ちこんで、槍が増えている
という記述を読んだことがあるので。
大坂の陣のとき、伊達家の主力は槍だったらしい。
まとめると、戦乱の時代であれば陣借り等戦場周辺で何かをしたほうが貧しい村を
襲うより実入りが良いのではないのだろうか。
また、戦乱の時代であれば貴重な人的資源を人攫い等で失うことは領主勢力の
介入を招くのではないのだろうか。
そして、種子島が貴重品である時代ならば、野武士たちは最後まで使用しなかった
のではないだろうか。堺が火薬の大量生産をはじめた以降の頃に私は思う。
鉄砲のことを「種子島」と呼んでいる時点で元和はない。
>>671 鉄砲は従来考えられている1543年よりもはやく日本に伝わっている可能性も否定できないのですけどね。
銅銃、銅砲ならば、応仁の乱時にすでに使用が確認されているようです。
騎馬隊は確認できないか。
677 :
某研究者:03/01/12 09:44 ID:gDhZHt6I
まあしかし明や朝鮮軍と言うのは大砲の葡萄弾で
日本側の銃をアウトレンジすると言う意図は
無かったのだろうか
(矢張り葡萄弾が車竹束等で
防がれていたと言う訳では無いだろうが
日本側の陸戦での勝利の要因は銃と言うより長槍兵の存在が大きかった可能性も
有るだろうか)
相変わらず某研はピントが外れているな。
厨房的な質問スマン
「種子島」などから「鉄砲」へと呼称が下世話のレベルで全国統一された根拠はあるの?
関西では鶏肉を普通は「かしわ」というけど関西以外では「チキン」と言い直さないと通じないよね。
有名な話なら松尾芭蕉が「コオロギ」と「キリギリス」を現代の意味で言えば取り違えているけど、時代や地域によって昆虫の呼称はまちまちだし、田舎の年よりと話すときは今でも脳内変換をしないといけない。年よりというのは自分の覚えている言葉しか使わないし。
680 :
671:03/01/12 12:24 ID:???
「種子島」について私が言いたかったのは
天正年間まで諸大名は火力の増強に勉めていたが、各種兵科のなかで火力のみが
突出しても効果が薄いことを覚り「鉄砲」を必要としなくなったという論文を前提にしている。
むしろ用語については映画のなかで安易に使われていると思う。根拠は無いけど。
681 :
671:03/01/12 12:50 ID:???
> 672
鉄砲が貴重品という視点。ごもっとも、全面同意。
問題はいつごろまで貴重品だったかという点。
関ヶ原の戦場に膨大な鉄砲が使用され、そのほとんどすべてが国産品であると考えられる以上、
元和年間には鉄砲生産力は過剰になっていたと思われる。
672殿は、その時代だから野武士でも銃が手に入ったとお考えと思うが、
私としては、あれだけ大事にしているんだから、まだ余剰鉄砲などない、
16世紀後半の早い時期と考えたいところ。
だが、堺や国友で鉄砲の量産が軌道に乗った後という、
672殿のお考えももっとも。
そう考えると、永禄はちょっときびしいか。
> 675 使われているのは東南アジア型の火縄銃で、
侍達は対銃戦闘や銃器の使用法を一通り心得てますから、
種子島以後の銃器普及時代でしょう。
しかし、あの火縄銃、専門家が見ればきっといつ頃のものかわかるんだろうな。
黒沢監督の「完全主義」が、ホンモノなら、時代設定がわかるかも知れないが、
江戸末期につくられたホンモノの火縄銃って「完全主義」である可能性もあるな。
682 :
672:03/01/12 12:55 ID:???
681の書き込みは671ではなく672。
671殿すまん。
681のトップも
>672 ではなく>673だった。
重ね重ねすまぬ。
>そのうえ、671殿の論旨を誤解していた。
逝ってきます。
種子島
686 :
某研究者:03/01/12 20:28 ID:kewXPCB6
まあ矢張り敵を前後から挟んでいるのに後ろの人間が
全く攻撃しない等と言うのは馬鹿げているだろうが
(まあ左右からでも同時に攻撃されれば対応は難しいだろうか)
これを肯定したら時代劇の殺陣等は殆ど成り立たぬだろうか(苦笑
687 :
山崎渉:03/01/12 20:59 ID:???
(^^)
宮本武蔵も多人数は相手にせず逃げろ、と書いたそうで、
どうしても相手にする時は、移動しつづけて相手の集団から
距離を置き、集団の角の方を各個撃破しろ、とか書いてたんだっけ?
記憶があいまいだな。。。
689 :
某研究者:03/01/13 01:37 ID:r2u4wLtf
>どうしても相手にする時は、移動しつづけて相手の集団から
>距離を置き、集団の角の方を各個撃破しろ、とか書いてたんだっけ?
まあこれは現実には相手と戦っている時に足が止まり
其の間に他の敵に移動されて包囲され得る故に
矢張り敵に包囲される可能性の無い狭い場所で無いと
1人(或いは少数の人間)で多人数と戦うのは困難である部分も有るのではないのか(苦笑
>黒沢監督の「完全主義」
黒沢は自分の興味のないところは案外にぞんざい。
むしろ表現のためには意識的に歴史無視をやる。
晩年はそれが裏目に出て「影武者」「乱」の城のつくり(堀のない天主など)
などにマニアからすればおかしなところが沢山露出している。
七人の侍については風俗描写が素晴らしく、いつの時代かを特定するより
アバウトに戦国100年のどこかを適当に理解しておけば楽しめる。
「種子島」が「鉄砲」と呼ばれるようになったのがいつ頃なのかは
確たる根拠はありませんが、種子島と呼ばれた時期はかなり初期であった
らしい事と、七人の侍の時代設定や写実性の話は昔からあって、
同様な論が展開されていた記憶があること。
また、元和の時分だと鉄砲はあふれていたから、農民が村落防御するなら
当然鉄砲は備えていただろう事、侍もまず鉄砲の準備をするだろう事。
>>691 そこをあえてこだわってみると・・・・
勘兵衛が旧友と再会する場面で「天守が燃え落ちたとき堀に入って難を逃れた」
という内容の話をする場面があった。
落城時に天守が燃え落ちたのは安土か大坂城。
自分としては大坂の陣の頃かと。
熊本城も西南戦争の折に燃えちゃったけど
696 :
某研究者:03/01/13 19:56 ID:9IgG9QDU
>まあこれは現実には相手と戦っている時に足が止まり
>其の間に他の敵に移動されて包囲され得る故に
万一囲まれれば死角から攻撃されて即アウトだろうし
この様な戦法にはリスクが有るだろうし
狭い場所で戦い多数の敵を倒しても疲労の問題も有るだろうし
矢張り狭い場所で機動防御し乍らの後退
或いは単純に逃げるしか無い訳だろうか(苦笑
相変わらず某研はピントが外れているな。
それが芸風だから良しとする
なんで某研という人はいつも「まあ」で書き出すの? しかも文章の意味と論点、何を言いたいのかがよくわかりません。スレ違いスマソ。
>>699 そういうレスをすると、半可通が「軍板歴短いだろ」とか反応するぞ。
>>699 冒険は、2chにおいては風のようなものだよ。
人によってはつむじ風、ある人には突風、ある人には台風、
そしてある人にはそよ風・・・。
>>701 そよ風でも良いのだが、「ヒッキーの腐臭」をまき散らすのは止めて欲しいですわ(w
どっちかつうと、臭い足の臭いを悦んで嗅いでる変態?
もちろん水虫だらけの足。
他人がそれをどう思うかなんて想像力は無い。
>>701 最近SAGEることを覚えたらしい(w
シノプスの数が足りないから外部情報を認識して理解するのに時間がかかるのかな。
>>703 他人とコミュニケーションとれる人格ではないね
自己完結してるんだから、自分のホームページでオナニーしていればいいのに
なぜ2chに来るんだろ?
……露出プレイ好み?
自分が壊れていくところを確認中というイタイ香具師のいるスレはここですか?
ここは自作自演の多いインターネットですね。
世に馬鹿たるべく定められた人がいて、彼ら自身が進んで馬鹿なことをするだけでなく、
運命そのものが否応なしに彼らに馬鹿なことをさせるのである。
ラ・ロシュフコー箴言
710 :
605:03/01/14 05:53 ID:???
なんで剖検を攻撃する?
剖検批判する資格有るやつ軍板にいるのか?
足臭い、オタ臭い、ピント外れ、まあ等多用し断定できナイ、馬鹿、自分が壊れている・・・・
みんな軍オタ共通の性格じゃないか。
弱者同士でさらに虐めが存在する今の厨房社会そのものだな。
オマエラはずくない?
剖検が弱そうでも有名だったり、影響力あるから気に入らんのか?
>>710 ひがみだよ。
あと捻じ曲がったイデオロギーかな。
>>694 信貴山城の天守に水掘があったのでしょうか?
自分としては織豊期を戦い抜いたが運に恵まれず、大坂方でまた敗戦、鬱々として
いたところで百姓達とであった、というイメージなのですが。
あと、津本陽の小説で読んだのですが(恥 当時の野盗群の戦闘力は侮れないものがあり、
家康の子、松平忠吉も野盗討伐中に負傷し命を落したとか。
・・・剖検叩きに参加してませんが・・・・いいですよね?
(戦国板より 1)
115 :無名武将@お腹せっぷく :02/08/31 13:52
松平忠吉はこの戦いで島津の松井三郎兵衛に手傷を負わされたというのが通説であった。
このため松井の活躍は脚色され、ある講談では松井が一人で
東軍に切込みかけ、東軍を「前後ではなく左右に」100-200メートル
追い回すという冗談にもならない話さえ存在する。
しかし最近は忠吉の負傷も直正と同じ鉄砲の狙撃であるという認識に変わり
ドラマでもこれが採用された。
(戦国板より 2)
49 :無名武将@お腹せっぷく :02/07/23 02:06
直政とともに追撃の先頭にあった松平忠吉も、この狙撃を受けて重傷を負い、
直政ともども士卒の介抱をうけて後送された。
「島津奔る」本文より抜粋。
松平忠吉はステガマリの狙撃で負傷となっていて、描写自体は簡潔です。
自分のせいとは言え、早いところ男色云々から離れたいなぁ。
(戦国板より 3)
636 :無名武将@お腹せっぷく :02/10/17 19:23
>・松平忠吉は実は島津の大剛の士と格闘などしていない、負傷も直正と同じ鉄砲の狙撃
これは「葵 徳川三代」でもこういう流れになってたよね
亡研ってアレだろう。
その日読んだやつを一行コピーして一人で悦んでる自家発電マシーン、、、、、、
知性の欠片も無いのだから的を得た論を展開できない哀しさ、、、、、、
二行以上の文章を綴れない可笑しさ、、、、、、
間尺に合わない自己顕示欲、、、、、、
いとあわれ。
719 :
713:03/01/14 16:15 ID:???
>>715 信貴山城は山城だから空掘りなのではと思っただけでつ!
松平忠吉のことはすみませんでした!
・・・底まで言うこと、ないだろーー!!(号泣
ヽ(`Д´)ノ
空堀でも堀には違いない。
59×がマタデムパをだしはじめたとオモワレ
722 :
719:03/01/14 21:11 ID:Nx6BleA/
水掘っていってるでしょ?
空掘りだと燃える天守を(W
723 :
605:03/01/14 21:12 ID:???
安心しろ。一度、論破した香具師を更にイタメ付ける趣味は無い。
手応え無い品。
724 :
722:03/01/14 21:29 ID:???
>>715 誤解して正直すみませんでした。
>>723 なんだ60xだったのか。空掘も水掘も堀ちえみも区別つかないかたでしね。
空堀でも深ければ助かる。大坂城をみよ。
>718
鈴木厨のお前に知性うんぬんと言われてもなあ(w
727 :
718:03/01/14 23:52 ID:???
なんか、指名されちゃったな(w
鈴木氏の著作は4・5冊読んでいるけど、最近の本は、、、、、、
多分このスレの住人は全員、良質のものなら知性を含めて全てがヒッキー君を超越していると思うが、、、、、、
今度は漏れが相手をしてやろうか(w
基地外ぶりを漏れにも見せてくれ〜
溺れている野良犬の頭を棒で打つというやつだね(w
ところで
>剖検が弱そうでも有名だったり、影響力あるから気に入らんのか?
60×=亡研なのかどうかは知らんが、この程度の奴に影響力なんか有るのか?
>>727 えらそうな事を言う前に、自分の意見をきっちりのべたらどうだ?
アンチ鈴木厨の知能レベルがよくわかるスレだな。
↑曰く、相当レベルは高いとな!
731 :
605:03/01/15 17:22 ID:???
鈴木氏とは書評を交換した仲(w
別にアンチじゃないってのはこのスレの前のほうの経緯で分かる筈。
しかし鈴木マンセーが刀と首切りだけの薄い知識だけなんで論破しただけ(w
デべ〜〜トしてるだけなのでアンチじゃないけどゥザイ方を叩いただけかな?
ツマランものを論破したなへへへへへ・・・・・
>>730=アンチ鈴木厨
騎馬隊その存在や騎馬隊が騎乗戦闘をしたことに関するソースはいつでるの?
しかし、なんだな。
鈴木さんも自分の名前を知らない相手からきた手紙に、律儀に返事をだしたばかりに陰でこんなことになっているとは思いもよらないだろうな。
>鈴木氏とは書評を交換した仲
>刀と首切りだけの薄い知識
この二つが、こいつの生涯での唯一の自慢話(w
出版社もこの状況を知れば、こいつは相手にするなと手配書をだしたりして(w
734 :
605:03/01/15 19:52 ID:???
まあ、完璧に論破されて面白くないのは分かるけど(w
早く単なる信者から、自分の知識と考察で著者に対等に議論できるようになりな!
上の2つの点が君の羨望の的とは気の毒だったな?(w
コイツなに煽ってるんだ?
馬鹿?
かわいそうな人でし
おもうに、60Xの想像を絶するXXXさに氏も何らかの対応をしたのじゃないのか。
こいつの妙な屈折はその辺りにあるのではないのだろうか。
738 :
605:03/01/15 21:52 ID:???
まあ、デベートで勝てないと
735みたいに状況が分からない振りしたり(w
736の如くかわいそうって逝ってみたり(先逝ったら勝ちなのか?w
・・・論破された自分は可哀相じゃないのかな?
737みたいに自分に有利=論敵に不利な白昼夢を語り出して脳内ドーパミン分泌して
論破された痛みに耐えようとするのか?
頑張れ!!一回論破されたからっていのちまで持って逝かれたわけじゃない(w
知性と肉体を磨いて出直してコイ!!
この機会に弱虫ヒキコモリから漢に成長してくれや。
それでこそ論破も生きる。
「知性知性」と言っている人ほど知性的な文章が書けていないのが面白い。
740 :
735:03/01/15 22:05 ID:???
俺は別に605と”デベート”した覚えはないが
…なかなか痛い奴だな
議論の内容以前に、恥ずかしい姿晒している。
鈴木の問題じゃなくて、冒険のようなキャラも得ず、
魅力のない「知性」をひけらかしている718、お前の問題なんだよ。
742 :
605:03/01/15 22:44 ID:???
ちなみに727に見られる通り605=718ではないからな(w
更に自分が論破されたって分からん香具師は500番ぐらいから読みなおしてミレ。
今回はそんなに高度な論戦は張ってないはずだから分かる筈(w
743 :
735:03/01/15 22:54 ID:???
605の主張の抜粋
>>599 >どちらが強いかを生死を賭けて戦うのに弓やヤリでなく太刀を使ったのが本質。
>>605 >だから戦国時代以前は戦場の主役は徴兵の農民兵でなく親子代々のプロの武将だった。
>しかも一騎撃ちを敵味方で繰り返して勝負を決めた。
>>607 >武家は元々貴族から分派した。西洋でも然り。さらに地方分権が進み国主、荘園主にさぶらい
>さらには荘園主そのものが武家になって豪族、領主が登場した。
>>611 >武家が貴族出身で占められていた時代までは刀は主武器だった。
>農民兵の増加と戦闘の規模が大きくなること=銃器、飛び道具、弓槍の使用は
>その後の変遷であると鈴木氏は訂正する必要がある。
>>615 >しかし、農民が食えなくて年貢で縛られていてどうやって刀(槍、弓は更に後世)を入手したのか?
>正倉院の御物に戦争用に備えた刀があるように武器は厳重に管理していたのだ。
基地外認定いたしますたヽ(゚∀゚)/
真面目に相手するのもあほらしい。
致傷のいるスレはここですか?
マジ、ヤバイんちゃう。
>>743 ほう、743で見る限り605は結構スルドイ歴史の切り口を持ってると思う。
折れは鈴木とか知らんが。
746 :
718:03/01/15 23:34 ID:???
>基地外ぶりを漏れにも見せてくれ〜
>>742 まさか本当にみれるとは。
ほかにも妙なのがあるけど、こいつは自分でかきこんだのがどれか、誰にもわからんと思っているのかな。
>>743 まっとうな一説だと思うがなあ。
どこがキチガイなんでしょう?
解説求む。
罵声を浴びせるだけでまともな説明が一切ないレスが多すぎ。
「アンチ鈴木」説はそれなりに持論を述べているようだが、
それへの抗弁は罵声だけというのがスレ全体の感想。
なお、
>>599 のような説も頷ける。
何かの本で読んだが、山中鹿之助と毛利の何とかという武将の
「一騎打ち」の話が軍記物にあるらしい。
架空の話だとしてもそういう「価値観」が当時あった事実は否めない。
>>747=
>>745=
>>742 >何かの本で読んだが、山中鹿之助と毛利の何とかという武将の
>「一騎打ち」の話が軍記物にあるらしい。
>架空の話だとしてもそういう「価値観」が当時あった事実は否めない。
もういいよ。ゲップがでた。ごくろうさん。
749 :
735:03/01/15 23:58 ID:???
>>747 600レス以降で、反論が出ているよ、とっくに
750 :
某研究者:03/01/16 00:09 ID:fAEB8Osd
まあほぼ同じ重量の刀を
片手で振るうのと両手で振るうのでは
2刀でさえ後者のスピード・パワーに付いて来れるのかと言う事だろうし
2刀も短い方の刀が足先を守れるのかと言う事は有るだろうし
其処を長刀で突かれたらどうするのかと言う事だろうが
長い方の刀で足を守り
短い方の刀で上体を守れば
何とか成るかも知れぬがどうだろうか
(矢張り両手で高速に振り回される両手剣の
パワーを片手で受け止める事・或いは受け流す事さえ
困難である可能性も有るだろうか)
751 :
某研究者:03/01/16 00:19 ID:fAEB8Osd
武蔵の短い方の刀と言うのは
単なる脇差よりは長かった様な気もするが
足先を狙って来る刀を受けられる長さだろうか
なんかオリジナリテイのあるアンチ鈴木派の論理に鈴木派は罵声だけでしか対応してない。
はたから見てるとどちらが正しいと思えるかと言えば・・・・・
>750そういえば打刀になる前の太刀は馬上での片手撃ちで使うと聞いたことがある。
刀身も先細りで反りが大きいのもそのためとか?
>>748 >もういいよ。ゲップがでた。ごくろうさん。
そういう態度が「鈴木派」ですか。
あの話とか史料はかなり有名でしょう。
どうして当時の人たちの書いた生のリアルな文章を素直に読まないのだろう。
テキストとして。
とても考究する姿勢とは思えない。
当時の人たちには少なくとも後世の我々(鈴木を含む)のような
「白兵主義アレルギー」「歴史家的野心」等等の功利的、イデオロギー的
意図はなかったのだから。
自由に読み込んで考えるべき。
まあ双方落ち着け。
755 :
某研究者:03/01/16 01:26 ID:fAEB8Osd
しかしマンゴーシュはかなり短いだろうし
あれでは長い物でないと上体も完全に
カバー困難かも知れぬが
(後は矢張りレイピアの重さ(1.5kg)がネックだろうが
白人の体力なら0.8〜0.9kgの片手持ちの長刀より
素早く扱えるのだろうか(まあ只これを両手で扱われてはきついだろうか)
756 :
605:03/01/16 01:27 ID:???
まあ、日頃、ヴァカボンドの漫画本と親が見てるNHK大河ドラマしか知らなくて
平凡社の新書版で刀と首切り1冊しか知らない鈴木派?には歴史資料読めというのは酷かもしれん。
748氏は資料を読み御自分で判断している。そういう人には正論で反論しないと益々周りの反感買うだけだよ。
俺は思う。最初は借り物の知識で恥をかいても、いずれは持論の展開のできる人物にはなってもらいたいと思う。
折角、軍板でデベートし有ったエニシだからな?
757 :
某研究者:03/01/16 01:38 ID:fAEB8Osd
>長い方の刀で足を守り
>短い方の刀で上体を守れば
>何とか成るかも知れぬがどうだろうか
まあしかしこれでは同時に二人には死角からで無く共
対応不能であり
双方の人間が足先を同時に狙って来たらアウトだろうか
まあ狭い場所或いは戦場で死角と成る左右や後方を味方がカバーしている状況なら
達人も一人で多くの敵を倒し得るだろうか
758 :
某研究者:03/01/16 01:43 ID:fAEB8Osd
何処ぞの双刀将軍の様に長剣を2本使えば
足先等を狙われる事は無く
死角以外からなら同時に二人迄であれば対応可能である訳だろうか
(しかし二人の何れかが二刀であれば同時に3本の刀等
2刀でさえ受けられぬ訳であるし対応困難な場合も有るだろうか)
605的知性の論理
数の概念が無い。
ふ、数字?専門的な言葉で言うテンキーというやつだな。
適当にうちこめば良いだけの話ではないか。難しく考える必要はないのだぞ!
>>742 >ちなみに727に見られる通り605=718ではないからな(w
>>756 >748氏は資料を読み御自分で判断している。そういう人には正論で反論しないと益々周りの反感買うだけだよ。
語彙が貧しい。(漢字の誤りはキリが無い)
ふ、言葉だと。読む人間が努力をして理解すれば良いのだよ!
曖昧で良いのだよ!曖昧で!後で間違いを指摘されても責任転嫁ができるではないか(大藁
>>747 >それへの抗弁は罵声だけというのがスレ全体の感想。
抗弁=批判
>架空の話だとしてもそういう「価値観」が当時あった事実は否めない。
「価値観」=観点
>>753 >そういう態度が「鈴木派」ですか。あの話とか史料はかなり有名でしょう。
軍記物=史料。かなりイタイ。
>「白兵主義アレルギー」「歴史家的野心」等等の功利的、イデオロギー的意図はなかった
「白兵主義アレルギー」。問題の性質が蓋然性であるいじょう、アレルギーという用語は明らかに間違い。
「イデオロギー的意図」。ブルジョアの圧政を克服するプロレラリアートという図式はこの国の歴史学を長らく停滞させた病理ではあるが、ここでの問題にイデオロギーが介在する余地は無い。
>>756 >748氏は資料を読み
史料でもイタイが「資料」と「史料」の区別もつかない。
我田引水。
ふ、議論など不要じゃ、我の思い込みこそ唯一にして絶対の真理なのじゃ!
>>747 >何かの本で読んだが、山中鹿之助と毛利の何とかという武将の
>「一騎打ち」の話が軍記物にあるらしい。
>架空の話だとしてもそういう「価値観」が当時あった事実は否めない。
>>753 >あの話とか史料はかなり有名でしょう。
>どうして当時の人たちの書いた生のリアルな文章を素直に読まないのだろう。
>テキストとして。
>とても考究する姿勢とは思えない。
この架空の話をどう考究すれば良いのだろう?
軍記物に伊達騎馬鉄砲隊があったから、そういう「価値観」が当時あった事実は否めない?
軍記物の太閤出生の与太話を、当時の人たちの書いた生のリアルな文章として素直に読むのか?
そもそも山中鹿之助の「一騎打ち」の話がでている軍記物の記述だが、そこに至る過程を無視して良いのか?
605の論理を援用しよう。
太平洋戦争末期。我帝國の臣民は竹槍で武装し訓練をおこなっていた。
竹槍が米軍のヤーボや各種銃器、火炎放射器、砲兵による大口径弾にたいして、十全に抗せることは論を待たない。
そは、当時の人たちの書きし生のリアルな文章として現代に残れり。そういう「価値観」が当時あったという事実を我我は銘記すべきなのである。つまり竹槍さえあれば我我は米軍に勝てるのである。
605の論理は学問ではない。それ以外のなにかである。
プロレラリアート⇒プロレタリアートに訂正。
762 :
605:03/01/16 07:49 ID:???
さっそく反論らしきモノでっち上げてきたな。少なくとも心意気だけは買ってやろう(w
さて、718=727=748はどんな持論の持ち主なのだろう?
>>718 :名無し三等兵 :03/01/14 15:44 ID:???
亡研ってアレだろう。
その日読んだやつを一行コピーして一人で悦んでる自家発電マシーン、、、、、、
知性の欠片も無いのだから的を得た論を展開できない哀しさ、、、、、、
二行以上の文章を綴れない可笑しさ、、、、、、
間尺に合わない自己顕示欲、、、、、、
いとあわれ。
763 :
605:03/01/16 07:54 ID:???
さらに718の持論?(w
>>727 :718 :03/01/14 23:52 ID:???
なんか、指名されちゃったな(w
鈴木氏の著作は4・5冊読んでいるけど、最近の本は、、、、、、
多分このスレの住人は全員、良質のものなら知性を含めて全てがヒッキー君を超越していると思うが、、、、、、
今度は漏れが相手をしてやろうか(w
基地外ぶりを漏れにも見せてくれ〜
溺れている野良犬の頭を棒で打つというやつだね(w
ところで
>剖検が弱そうでも有名だったり、影響力あるから気に入らんのか?
60×=亡研なのかどうかは知らんが、この程度の奴に影響力なんか有るのか
↑俺625=冒険と勘違いしている。日頃の自作自演の後遺症か?
764 :
605:03/01/16 08:01 ID:???
さらに718の妄想とあせり(w
>>746 :718 :03/01/15 23:34 ID:???
>基地外ぶりを漏れにも見せてくれ〜
>>742 まさか本当にみれるとは。
ほかにも妙なのがあるけど、こいつは自分でかきこんだのがどれか、誰にもわからんと思っているのかな。
↑また、自分の誤りを周りから指摘されるとコテハン一人でやってると妄想が始まったようだな?
765 :
605:03/01/16 08:11 ID:???
さらに718の姿勢(w
>>748 :718=727=746=748 :03/01/15 23:54 ID:???
>>747=
>>745=
>>742 >何かの本で読んだが、山中鹿之助と毛利の何とかという武将の
>「一騎打ち」の話が軍記物にあるらしい。
>架空の話だとしてもそういう「価値観」が当時あった事実は否めない。
もういいよ。ゲップがでた。ごくろうさん。
↑今度は俺605の抜粋集(743=735煽ろうとして正論だったので自爆)の正当な評価に対して
747氏と俺605を同一人物としている(w
相変わらず正論や持論での反論は出来ず罵倒しかしていない。
766 :
605:03/01/16 08:20 ID:???
以上、敢えて全文を挙げたが718が感情的な冒険個人攻撃、アンチ鈴木派への罵倒、
しかもアンチ鈴木派の立場で論破した俺605と冒険や746氏、747氏を同一人とする妄想ぶり(w
鈴木氏の著作4,5冊読んだと逝ってる割に書名も挙げず718以前の自分の番号も明らかに出来ないとは(w
・・・論破されたと見なされても仕方ないよな?
767 :
605:03/01/16 08:35 ID:???
さて、605番台の論争で完璧に論破されて自分の過去ログを明らかに出来ない718ががんばって反論をしてきた。
>759
605の抄録集作って煽ろうとして却って論旨の正当性が明らかになったことは前に同じ。
718は論理的に反論する持論を持ってないので数字の大きさの不統一性や変換のミスを指摘してるに過ぎない。
これは誰が見ても反論や鈴木論の肯定論にはなっておらず、子供の喧嘩レベル(w
768 :
605:03/01/16 09:00 ID:???
>760
軍記ものや絵巻物、絵画は過去ログにある通り当然主観やノイズ、欠落が含まれている。
それは私や718、鈴木氏の著作でも同じことである。
問題は多くのノイズの中から真実の断片を探し出しそれをもとに論理的不整合の無いオリジナリテイのある持論が展開できるか出来ないかにある。
718は鈴木氏の著作を無批判に受け入れるだけだから当然持論も展開出来てない。
罵声とキー変換に文句をつけて軍記物からは全く得るものは無い(見る人による!)と子供じみた反論?である。
>761
論破したからラリアートになってしまったかな(w
ところでそれで?何?アンチ鈴木派の論拠は?
769 :
bloom:03/01/16 09:14 ID:BUmVFfIG
770 :
某研究者:03/01/16 10:09 ID:GfplVojT
まあ武蔵が木刀で槍使いを倒したと有るが
矢張り槍使いの後退スピードより剣士の前進する速度の方が
高速であり槍側は間合いを詰められれば
これが十文字槍であれ何も出来ぬ訳だろうか
まあ以前最も男性的な存在は侍であり
最も女性的な存在は戦国時代の女と描いたが
最も女性的な存在と言うのは戦国時代では無く平安時代の女だろうか(苦笑
(まあしかしイスラム教徒の女或いは纏足等をしている中国の女等はどうなのだろうか)
771 :
某研究者:03/01/16 10:13 ID:GfplVojT
まあしかし鎧無しで小次郎の燕返しを受けられる
西欧の剣士等当時は存在したのだろうか
>718=727=748 さん
あなたは無残だ。やめなさい。
読んでいて哀れになった。
「知性」でいうなら、上記ボウケンの文章ほうがはるかに高い。
プロレタリアートはIME一発変換できるが、
「プロレラリアート」は無理だな。プロレスファンならまだしも(w
ブラインドが出来ず必死でキーを叩く姿が目に浮かぶ(爆
774 :
名無し三等兵:03/01/16 11:29 ID:5P9b5AV3
> >「白兵主義アレルギー」「歴史家的野心」等等の功利的、イデオロギー的意図はなかった
> 「白兵主義アレルギー」。問題の性質が蓋然性であるいじょう、アレルギーという用語は明らかに間違い。
> 「イデオロギー的意図」。ブルジョアの圧政を克服するプロレラリアートという図式はこの国の歴史学を長らく停滞させた病理ではあるが、ここでの問題にイデオロギーが介在する余地は無い。
この一文にこの人の全知性がさらけ出されている。
終わったね。
>>770 んーでも、長物使いの側が、相当に手練であれば、
十分に剣士の速度を減殺できるような牽制ができると思うのですが…。
というか、武蔵や彼が立ち会った豪の者クラスだと、もはや、得物云々と言うよりも、
個人的な能力・技能がどうであるか、という話になってしまうと思うのですが…
>605の論理を援用しよう。
>つまり竹槍さえあれば我我は米軍に勝てるのである。
これには、なにも、ないけど。
なにも、かかないと、みとめたことになっちゃうよ〜
おもしろいから、もっと、つづけてくれ〜
/`'-、 、" `i、 あっはっはは
.,/ ヽ、 ,:' ヽ はっはは
/ `-、 ,! ヽはっはは
.i ゙'、_,,,.,--‐'''''"'''ー′ " っはははっ
.! ` i、っははっはは
.| ゙lははっはは
.゙l !ははっはは
│ |はっはは
! /⌒ヽ !はっっはは
| /⌒ヽ ,!はっはっはは
⌒ ; ''"´ ; ⌒ はっはは
⌒ ヽ ''''''' \______/ ,:' . ⌒ っははっはは
.ヽ \ / ,:' ,,-‐'""`'. あっはっはは
..r'"""゙''''''''ー-、、゙i、 \ / ,:' ,:' ヽっはは
.l゙ ゙i、 \./ ,:',、" 丿 丿ノ
.l゙ `-、 _,,,,-'" ,/っははっはは
`i、 ``'ー-、、,__、 ._,,,,,、、--‐''''"` ,/ あっはっはは
アンチ鈴木はただの荒らしに成り下がったな。
778 :
某研究者:03/01/16 20:07 ID:GbZr8Hu7
>まあしかし鎧無しで小次郎の燕返しを受けられる
>西欧の剣士等当時は存在したのだろうか
盾+剣でも盾の届かない足先を狙われればきつい部分も有るだろうし
重いバスタードソードやツヴァイハンダーで
燕返しに対応可能だろうか
(まあ小次郎の刀でツヴァイハンダーを受けられるかと言う問題は有るだろうが
ツヴァイハンダーは重いので反応は鈍い故に回避或いは受け流しが可能だろうか
親鈴木派も反鈴木派も冒険は特に「嵐ケテーイ」だな。
ここは七人の侍を軍事板的に楽しむスレだろ?
単に自説を主張するなら、三国・戦国板でスレ立ててやってくれ!
お前ら皆必死過ぎ。
戦国板も最近は皆必死で妙な雰囲気になってるんだが・・・・
781 :
名無し三等兵:03/01/16 21:36 ID:5P9b5AV3
>>777 逆だろ。
776は「605」を煽っているだけ。
782 :
605:03/01/16 21:51 ID:???
もう718を論破する必要は無い。
同じ軍オタ。デベートで勝つときもあれば負ける時だってある。
718よ!次回もガンガレ!次は同じサイドだったらいいな?
・・・鈴木厨は傷だらけの718晒してないでドンドン前線に出て来い!
718一人矢面に立った感じだ。志ある香具師は718の衣鉢をかつげ!
そして良き戦いをしようぜ?俺たちアンチと・・・(これが騎馬武者一騎撃ちのスプリットだな)
結局738以降754・779・780以外で合計何人が書き込んだのだろう?
784 :
某研究者:03/01/17 08:19 ID:WjFBSrHJ
装甲の無いモンゴル兵を斬る事に特化し薄くなった後の日本刀が
(以前は皮製の胴丸を斬る為に刀身は厚みが有った訳だが)
モンゴル軍撤退後も薄い侭だったのは
槍や銃の登場で鎧が鉄製と成り斬る事が困難と成った故に
鎧の無い部分を斬る事に特化した故なのだろうか
785 :
某研究者:03/01/17 08:23 ID:WjFBSrHJ
>モンゴル軍撤退後も薄い侭だったのは
まあ単にモンゴル軍の再度の来襲を恐れていた故かも知れぬが
モンゴルが再度攻めて来ると言う認識は彼等に有った訳なのだろうか
所謂女型の幅の広い長巻や長刀と言うのも
厚みは無いのであれば装甲の無いモンゴル兵に対抗して作られた可能性も
有るのか単に体力の無い女が使うから鎧を斬る事は諦めて
鎧の無い部分を斬り抜く事に特化していた訳なのだろうか
786 :
某研究者:03/01/17 08:25 ID:WjFBSrHJ
>厚みは無いのであれば装甲の無いモンゴル兵に対抗して作られた可能性も
>有るのか
或いは単に中国から輸入された長刀の原型も刃の部分の幅が広い訳であるし
これが残っていた物に過ぎぬ可能性も有るだろうか
787 :
某研究者:03/01/17 08:53 ID:OAnuMhB3
>装甲の無いモンゴル兵を斬る事に特化し薄くなった後の日本刀が
所謂鎌倉時代末期に登場した段平造りと言う物だろうが
モンゴル上陸が無ければこれの登場は
鉄砲の登場で鎧が鉄製と成る迄遅れていた訳だろうか
しかし薄い男型の長巻や長刀と言うのは
無いのだろうか
788 :
某研究者:03/01/17 08:59 ID:OAnuMhB3
>まあしかし鎧無しで小次郎の燕返しを受けられる
>西欧の剣士等当時は存在したのだろうか
まあ大型の盾でも使えば受けられるのかも知れぬが
盾無しでこれを受けられる剣士は存在したのだろうか
789 :
bloom:03/01/17 09:06 ID:VMaiMy3x
790 :
名無し三等兵:03/01/17 09:36 ID:C+O/UEXx
>まあ単にモンゴル軍の再度の来襲を恐れていた故かも知れぬが
>モンゴルが再度攻めて来ると言う認識は彼等に有った訳なのだろうか
3回目の襲来も当然ながら予想していたという話は聞いた。
またこちらから朝鮮半島への逆襲の計画もあったそうだから、
もし日本刀の形式がそのような理由で変化していたならば、
以後も影響があったかもしれない。
791 :
某研究者:03/01/17 09:39 ID:OAnuMhB3
>もし日本刀の形式がそのような理由で変化していたならば、
>以後も影響があったかもしれない。
まあモンゴル第一次襲来直後に変化しているから
装甲の無いモンゴル兵を有効に倒す為に
刃が薄く成ったと言う事の様だが
鉄の鎧の登場と言うよりモンゴル第三時襲来や
逆襲計画の為に段平を残しておいたと言う事なのだろうか
(しかし戦国時代迄残ったのは恐らく
鉄の鎧の所為だろうが)
792 :
某研究者:03/01/17 09:50 ID:OAnuMhB3
>装甲の無いモンゴル兵を有効に倒す為に
まあ実際は南宋や高麗の兵が大半だろうが
絵を見ると一応装甲の有る兵も居るが
彼等は弓或いは長巻で殴り付けられれば
衝撃を余り吸収出来る型の鎧では無いし
矢張りやられていたのだろうか
(まあしかし槍は通用し難いタイプの鎧だろうか)
793 :
某研究者:03/01/17 10:03 ID:OAnuMhB3
>衝撃を余り吸収出来る型の鎧では無いし
>矢張りやられていたのだろうか
長巻は確か7kgであるしこれをまともに受ければ
プレートアーマーでさえ厳しい訳だろうか
(まあ只重いのでモンゴル側の槍は
上手く受けられたのかと言う事だが
モンゴル兵の機動力が彼等の方が軽装なので高いとしても
集団戦では逃げ場が無いから槍を持つ兵が長巻を持つ歩兵に仮に踏み込まれれば
一撃でアウトだった可能性も有るだろうか
軽装の兵も指揮官が重装備であれば彼等と行動を共に必要も有る訳なら
機動力は余り生かせなかった可能性も有るだろうか)
794 :
某研究者:03/01/17 10:16 ID:OAnuMhB3
>長巻は確か7kgであるしこれをまともに受ければ
>プレートアーマーでさえ厳しい訳だろうか
鉄+皮の複合鎧の大鎧や
皮のみの胴丸等では一撃でアウトだろうし
戦国時代の鉄の鎧でもこれをまともに受ければ
厳しいだろうか
剖検様。
刃物は重さだけで切れ味が決まるわけではありません。
刃筋が立たなくては・・・・・
力任せに、重さに頼って叩きつけても鎧は両断できません。
なんなら剣道の胴を試し切りなさっては?
諸外国の武具と日本の武具を単純比較するのも無意味です。
長巻きの用途もご存知ですか?
今から某研をNGワード登録することにした
はっきり言ってウザイ
だ!か!ら!
特定の連中を話題にするだけでもアラシなんだ!
こいつは人から蔑まれて悦んでいるいる変態。
いないものとして無視しろ!
冒険は軍板の名物だろ。イジメタリ無視すんな。
俺も軍板来たての時は797みたいなレスして、
798みたいな人になだめられたなぁ。
水雷太郎が荒しだった頃の話。
800 :
某研究者:03/01/17 22:11 ID:CpOSg4Er
>力任せに、重さに頼って叩きつけても鎧は両断できません。
まあ長巻で腕は両断していたと言うし
皮製の鎌倉時代の胴丸位なら切断出来ぬのだろうか
>諸外国の武具と日本の武具を単純比較するのも無意味です。
まあモンゴルやサラセン軍・トルコ軍と西欧は戦っていたし
日本の亜細亜での傭兵と言うのは日本刀或いは他の日本の武器を使用していたのではないのか
(矢張り彼等が裏切る等して西欧の軍隊と戦う事も有っただろうか)
元寇や朝鮮出兵等も有るだろうし少なく共日本と大陸の軍隊の
武器の比較が無意味とは思えないが
つか、本物臭いけど、何でトリップ出さないの?>某研
802 :
某研究者:03/01/17 22:18 ID:CpOSg4Er
>つか、本物臭いけど、何でトリップ出さないの?>某研
まあ最近は私と同じ名前を使う他者が出ていないからであり
其れが無ければ最初から何かと批判も多いトリップ等を
使う予定等無かった訳だが(笑
確かにその通りだけど、ニセモノっぽいよ>某研
804 :
某研究者:03/01/17 22:33 ID:CpOSg4Er
鉄板が一体化されていない鱗鎧や札鎧(これは日本の戦国以前の鎧も同様だが)では
片手剣でも受ければ打撃を吸収出来ず
厳しい場合も有るだろうか
>>800 閣下も火縄銃と村田銃とM16を同列に論じたりはなさらないでしょう?
日本刀とバスタードにレイピア・・・・・
あと、時代ごとの戦術戦略等、大幅にことなるのでは?
乾燥した皮の強靭製はかなりのもので、十分鋳鉄のこざねの代用になりえたとか。
浅草の団左衛門の資料で目にしたことがあります。
>>797 陀通さんや閣下はAA貼りやコピペよりもずっと良心的ですよ。
マターリ、マターリ・・・・
806 :
某研究者:03/01/17 22:48 ID:CpOSg4Er
>日本刀とバスタードにレイピア・・・・・
まあバスタードソードは兎も角片手剣やレイピアに関しては
亜細亜で日本の傭兵と戦ったかも知れぬ西欧の兵が
使っていた可能性も有るだろうか
807 :
某研究者:03/01/17 22:50 ID:CpOSg4Er
オランダ軍と戦っていた台湾の軍が
日本刀をある程度使っていたと言う可能性は有るだろうし
東南亜細亜や中国に日本刀を改造した刀も色々と残っている訳だが
>>806 へし折られていたでしょうね、レイピアは。
当時の明国に対する重要な輸出商品であった日本刀の(それも大量生産の奈良物)
優秀さは、広くアジア諸国で知れ渡っていたとか。
809 :
某研究者:03/01/17 22:55 ID:CpOSg4Er
>へし折られていたでしょうね、レイピアは。
まあ只レイピアは1.5kgと日本刀(0.9kg)より重い訳だが
矢張り材質や日本刀の様に硬軟二重構造で無いので
脆い部分も有る訳だろうか
810 :
某研究者:03/01/17 22:56 ID:CpOSg4Er
まあ兎も角小次郎の燕返しを鎧や盾無しで受けられる剣士は
西欧のみ成らず世界に存在したのかと言う事だが(苦笑
811 :
某研究者:03/01/17 23:00 ID:CpOSg4Er
>それも大量生産の奈良物
これも切れ味は悪いだろうが
硬軟二重構造は維持されており重さの割には
強度は高かった訳だろうか
>>810 鋼の材質が違います。鋳鉄と鋼鉄くらいに(・・極端?
佐々木小次郎じたい謎の多い人物で・・・燕返しも・・・・
813 :
某研究者:03/01/17 23:08 ID:CpOSg4Er
>鉄板が一体化されていない鱗鎧や札鎧(これは日本の戦国以前の鎧も同様だが)では
>片手剣でも受ければ打撃を吸収出来ず
>厳しい場合も有るだろうか
まあ鉄製の札鎧でも片手剣は兎も角両手持ちの太刀を
まともに受ければ厳しい部分も有る訳だろうが
同時代の中国の明甲鎧の胸部や腹部の鉄板はかなり一体化されており
ここは片手剣位なら耐えられた可能性も有るのではないのか
(しかし槍の突き等に対してはどうだろうか)
明甲鎧はローマのプレートアーマーが消えた後・西欧にプレートアーマーが出て来る迄は
最強の鎧だった可能性は無いのだろうか
(矢張り鉄板部分の厚みはどうなのかと言う事も有るだろうし
弓に対しては大鎧に比べて防御力はどうだったのかと言う事は
有るのかも知れないが
明甲鎧を装備出来る兵と言うのは矢張り中国では少数だった訳なのだろうか)
814 :
某研究者:03/01/17 23:13 ID:CpOSg4Er
>同時代の中国の明甲鎧の胸部や腹部の鉄板はかなり一体化されており
日本にも雅楽等を見るとこの種の鎧が使われており
恐らくかなり早い時期に入っていた筈だが
同種の物が作られなかったのは何故なのだろうか
プレートアーマー系の鎧は洋の東西を問わず
刀槍用ではなく強靭な弓、とくにクロスボウ
に対する防備のためだったのでは?
816 :
某研究者:03/01/17 23:17 ID:CpOSg4Er
まあ弓に対抗する為の大鎧はプレートでは無く札鎧だが
明甲鎧はクロスボウに対抗して作られた物なのだろうか
817 :
某研究者:03/01/17 23:28 ID:CpOSg4Er
まあ只明甲鎧も鉄板が一体化された型の桶側胴や
胴丸等と比べれば(腹部は側面等が一体化されていない為に)
防御力は恐らく落ちるだろうし
これが出てきた時点で導入する意味は無かった訳だろうが
鉄板が一体化されている型の鎧は
銃よりもモンゴルの影響で大量配備された槍に対抗する為に14世紀には出ていたのだろうか
818 :
某研究者:03/01/17 23:41 ID:CpOSg4Er
まあ長巻で歩兵や弓騎兵は兎も角槍騎兵を阻止するのは困難だろうし
長巻(或いは長刀もか)は室町時代の雑兵には扱い難い武器であったかも知れぬから
歩兵の主要武器は槍に置き換えられたと言う事なのだろうか
日本の騎兵の主兵装が槍と成ったのもモンゴルの影響であり
これを長巻で阻止するのは困難であるから歩兵に槍(或いは長刀か)が
普及したと言う事なのだろうか
819 :
某研究者:03/01/17 23:46 ID:CpOSg4Er
>日本の騎兵の主兵装が槍と成ったのもモンゴルの影響であり
これは弓の使えぬ雨天での攻撃を考えた
或いは弓を訓練するのが面倒であり
当時は何よりも数を揃える必要が有ったと言う事も
有るのかも知れないが
820 :
某研究者:03/01/17 23:52 ID:CpOSg4Er
821 :
某研究者:03/01/17 23:54 ID:CpOSg4Er
まあしかし錆びている南蛮胴と言うのは
元々は銀色だったと言う可能性も
有るのだろうか
822 :
某研究者:03/01/18 00:04 ID:TysEHkrt
823 :
某研究者:03/01/18 00:07 ID:TysEHkrt
824 :
某研究者:03/01/18 00:15 ID:TysEHkrt
まあしかし上の鎧の靴は良く見るとブーツの様な形状にも見えるが
これは関連は無いのだろうか(笑
825 :
某研究者:03/01/18 00:26 ID:TysEHkrt
826 :
某研究者:03/01/18 00:39 ID:TysEHkrt
まあツヴァイハンダーより長巻やポールアックスの方が
実用的では有るのかも知れないが
長巻やポールアックスで槍は折れたのだろうか
827 :
某研究者:03/01/18 02:14 ID:TysEHkrt
828 :
名無し三等兵:03/01/18 10:13 ID:hRZKN5pY
アクション映画を見続けていると、
今のハリウッドとか香港映画とかよりも、
昔の西部劇とか黒沢とか三隅研二の時代劇の方が良くなってくるんだよね。
829 :
某研究者:03/01/18 10:43 ID:TysEHkrt
…勝ったのはわしらではない。
某研だ。
実際、何故だろう?
ウルトラセブンを観て育った世代が面白味のない特撮をつくっている。
アニメも似たようなもの。
黒沢監督の作品も晩年はカメラワークはみるべきところがあるけど、作品的には今一つ。
これは別の話だけど、「坂の上の雲」もクダラナイ作品になると思う。
脚本がまともに話を終らせられない、あ・の・nozawaだし、半島の植民地支配の反省などという
司馬氏が望みもしないシーンをうんざりするほどみせられるのは目にみえている。
「二百三高地」のようなクオリティは、もう求められないのだろう。
>>831 「203高地」ですか?
自分としては昭和三十年代以前のモノクロ国産戦争映画がイイ!!です。
ヤパーリ戦争体験者が演出に関わるか否かはおおきいかと
七人の侍も復員者がスタッフとして製作に関わったんですよね。
三船敏郎なんかもそうだし。
833 :
名無し三等兵:03/01/18 13:27 ID:kq2ZCJ6Y
>昭和三十年代以前のモノクロ国産戦争映画
スレ違いスマン。
お勧めの作品を三つ四つ教えてもらえませんか?
岡本喜八の独立愚連隊シリーズなど東宝戦争もの、
キスカ、
そして戦中のハワイマレー沖海戦といったあたりか。
反戦反軍的なものとしては兵隊やくざ、暁の脱走あたりが面白い。
(ヘンなイデオロギーが入ってなく、体験者の納得のいく反戦反軍になっているので信用できる。)
>>834 やっぱ「兵隊やくざ」シリーズ。
あ!笑ったでしょ!?
でも今では出来ませんよ、こーゆう考証がしっかりしているエンターテーメント。
あと題名は忘れましたがラモウ守備隊の玉砕を扱った奴とか。
B級の娯楽作品でも、最近の文芸大作より言葉使いとかきちんとしてると思います。
レンタル屋で手当たりしだい借りてみては?
七人の侍も野伏がべいべい言葉を使っていて、ああ雑兵物語とか読みこんでいるなと
感心しました。今の大河ドラマの臭い台詞回し・・・・なんとかなりませんかね。
あと、かなり古いが新東宝の「戦艦大和の最期」は今からみれば特撮はチャチだが、
異様な臨場感があった。
838 :
836:03/01/18 14:51 ID:???
体験者の存在は貴重なんですよね。
見る側にも存在するからいい加減なことは許されない。
だから、どのような思想が含まれているにしても、それなりの
臨場感があった。黒澤作品にしても。
839 :
834:03/01/18 15:33 ID:???
キスカはみました。面白かったです。
十何年か前の夏に民放で戦争映画特集をしたときに。
日本の一番長い日とかも面白かったですね。
何年か前にNHKのBSで古い戦争映画がまとめてラインアップされていたのに
直前でさしかえられたことがあったけど、もう地上波では放送しないのかな。
840 :
某研究者:03/01/19 09:51 ID:FebKgI4e
燕返しもプレートアーマーの上から殴り付ければ
かなりの打撃を与えられる様にも思えるが
一撃で戦闘不能と成る様な打撃を与えるのは
難しい訳だろうか
841 :
某研究者:03/01/19 09:54 ID:FebKgI4e
>一撃で戦闘不能と成る様な打撃を与えるのは
>難しい訳だろうか
まあ同じ場所を何度も殴り付ければ
或いは戦闘不能と出来ると言う事も有るかも知れないが
> 837
新東宝の「戦艦大和」ですね。
講和の翌年(1953年)の作品で、
やっとアメリカの検閲なしで、
戦争映画をつくることができるので、
スタッフは燃えてますね。
843 :
名無し三等兵:03/01/19 23:30 ID:ZtSjsBwc
>>842 OK。
あれは、そんな時代の作品だったのか…。
七人の侍は昭和29年だったと思う確か(?)
西暦で言うと1954年。
両者を比べると映画的完成度では雲泥の差がある。
当時の最先端黒沢が戦艦大和を撮れなかった。
しかし、今になってみると、当時の「戦艦大和」が七人の侍と似た、
ある種の感慨を与えてくれる。
本当は黒沢がそのテーマ力のある「戦艦大和」を作るべきだったのかもしれない。
後年「トラトラトラ」で失敗してしまったが、
理屈っぽく言えば、時代が取らさなかったのだろうと思う。まだ、黒沢に。
すでに黒沢なく、また彼を受け継ぐ秀才のない日本映画では七人の侍の
イミテーションどころか、戦艦大和も取れそうにない。
七人の侍は完結したが「戦艦大和」はいまだ完成していないと思う。
黒沢を継ぐ秀才、そして、黒沢が時代によって作れなかった「戦艦大和」の
完成品を見ることの出来る日はいつか……
選ばれて在ることの恍惚と不安と双つわれにあり、
われにその値なし、されどわれまた御身が寛容を知れり、
ああ! ことなんたる努力ぞ! されどまたなんたる熱意ぞ!
845 :
名無し三等兵:03/01/20 01:53 ID:Bnsqty+h
トラトラトラこそ、現代版七人の侍なるはずだったんだよね。
海軍のチームワークで、無謀なハワイ攻撃を現実化していくという。
士族階級の黒沢の終生のあこがれは侍と海軍軍人。
>>843 >すでに黒沢なく、また彼を受け継ぐ秀才のない日本映画では七人の侍の
>イミテーションどころか、戦艦大和も取れそうにない。
わざわざ「風邪の用心棒」とやらでそれを証明してくれるみたいですしな。
なんだよパチスロって・・・(シネ
847 :
某研究者:03/01/20 11:53 ID:j1cL8bNG
>まあ同じ場所を何度も殴り付ければ
>或いは戦闘不能と出来ると言う事も有るかも知れないが
まあしかしどの程度殴ればフルプレートを来た兵士を
無力化可能だろうか
>>844 おっしゃってる意味が良く分からないのですが・・・。
849 :
844:03/01/21 02:08 ID:???
>>848 前レスを読んでこのフレーズがうかんだので・・・・・・
別に黒沢監督を代弁しているわけでもないし、843をからかったわけでもないのだが、、、、、、
気に障ったのなら謝る。
850 :
山崎渉:03/01/22 11:19 ID:???
(^^;
アンチ鈴木厨が敗走したかと思えば、
某研にこのスレが狙われてしまったな。
↑
よせよ。
相手をしてもらえるとおもって、また基地外が降臨するぞ。
そうなる前に埋めるか。
そうなる前に埋めるか。
85X=59X=6X5?
アンチ鈴木馬鹿登場キボーン
黒澤は、勝新太郎を下ろしてから、自己満足に浸っていたような気がする。
しかし、黒澤をつれて、関東大震災の後をつれて歩いた兄はすごいな。
写真とか検索するとすごい。
騎馬隊
刀と首切りだけの薄い知識
>知性の無いアホの皆様え
俺はお前が1番大切にしているものを奪ってやる。
娘なら強姦して嬲り殺してやる。
その時は俺を思い出せ。
俺がお前の子供を深みに引きずり込んでやる。
息子なら正視できないような死体にしてお前に届けてやる。
子供ができたら気をつけろ。
偶然かもしれないが、俺がやったのかもしれない。
俺はお前を絶対に赦さない。
自分が犯した愚劣な行為を思い出せ。
俺はお前が1番大切にしているものを奪ってやる。
娘なら強姦して嬲り殺してやる。
息子なら正視できないような死体にしてお前に届けてやる。
その時は俺を思い出せ。
俺はお前が1番大切にしているものを奪ってやる。
自分が犯した愚劣な行為を思い出せ。
ネットの匿名性を悪用したお前を絶対に赦さない。
嘘だと思って笑っていればいい。
自分が犯した愚劣な行為を思い出せ。
俺はお前が1番大切にしているものを奪ってやる。
娘なら強姦して嬲り殺してやる。
息子なら正視できないような死体にしてお前に届けてやる。
俺はお前を絶対に赦さない。俺はお前を絶対に赦さない。
俺はお前を絶対に赦さない。俺はお前を絶対に赦さない。
俺はお前を絶対に赦さない。俺はお前を絶対に赦さない。
御旗盾無
前のように、騎馬隊は存在したとかいう電波を
豪快にとばしてくれる香具師は出てこないのかよw
>>863 敢えて乗ってみるか(w
確かな。海音寺潮五郎が『源義経』で、義経がヨーロッパにも類を見ない、
騎兵の集団運用をあの時代にやってのけた、と激賞している文章があると記憶してるんだが…
これはどうよ?
>>864 それは確固たるソースに裏打ちされてるの?
867 :
某研究者:03/01/30 17:17 ID:T1CIg4SC
まあ騎馬槍兵は兎も角騎馬弓兵の集団運用は確か欧州では
ビザンツ帝国程度だっただろうが
パルティアやモンゴルの騎兵よりも上だったかは
疑問であるのではないのか(苦笑
868 :
某研究者:03/01/30 17:20 ID:T1CIg4SC
まあ日本の弓の射程はアラブ・モンゴル・ビザンツ帝国よりも
上だろうが
集団運用能力に関してはどうなのだろうか
(少数の騎兵で敵を引き付けて側面から伏兵が攻撃する事等は
出来ていたのだろうか)
869 :
某研究者:03/01/30 17:29 ID:T1CIg4SC
まあ弓の使えない雨天以外でなら
同時代の西欧の槍騎兵に敗れる事は
恐らく無いかとは思うが(笑
>>864 戸部新十郎
白石一郎
永井路子
桜田晋也
ぐらいが漏れてきには限界
海音寺潮五郎は司馬と津本の中間ぐらいかな
娯楽小説に書いてることを敢えて俎上に載せるの?
しまった!
偏差値の低い香具師の英作文なみの短い文を綴ってしまった!
もしかして、このスレで一番低能なのは漏れ?
872 :
某研究者:03/01/31 23:26 ID:VPEloSYX
まあ日本刀も引いて・或いは押しても斬れる訳だろうし
太刀筋と言うのは直刀に比べ見切り難い部分は
有る訳だろうか
873 :
某研究者:03/02/01 01:24 ID:ly/KFVHP
まあ両手持ちの曲刀と言うのはシュヴァイツァーサーベルと
日本刀とその中国等での派生品しか地球上には無い訳なのだろうか
874 :
某研究者:03/02/01 12:42 ID:ylSGkvxx
>まあ日本刀も引いて・或いは押しても斬れる訳だろうし
まあ皮鎧や綿鎧に対しては引いても恐らく斬れないだろうし
これが有効なのは鎧の無い部分に限られる訳だろうか
875 :
某研究者:03/02/01 12:51 ID:4a5FEMP7
まあしかし突きが掠めても敵を斬れかなりのダメージを
与えられると言うのは大きい訳だろうか
876 :
某研究者:03/02/01 13:00 ID:4a5FEMP7
まあしかし清の軍隊も200年日本刀を使っていたのなら
これを使った独自の剣術を編み出していた可能性は無いのだろうか
おいアンチ鈴木厨どうしたの?
879 :
某研究者:03/02/02 14:31 ID:CSLK2hx0
女の場合は日本刀より
非力な者でも使える軽量な長巻の方が良いだろうか
(長刀では長過ぎて特に相手にスピードが有る場合踏み込まれればきつい場合も
有るだろうか)
長柄兵器なら長刀より攻撃パターンの多い十文字槍の方が
良いだろうか
880 :
某研究者:03/02/02 14:41 ID:CSLK2hx0
相手より足が速ければ十文字槍
遅ければ軽量な長巻を用いれば
良いだろうか
881 :
某研究者:03/02/04 01:03 ID:oSpy/MVt
信玄が後10年生きておれば
信長も武田配下と成るしか生きる道は
無かっただろうか
まあ只信玄死後に信長が結局反乱を起こし
結局天下を取っていた可能性も有るだろうか(苦笑
882 :
某研究者:03/02/04 01:08 ID:oSpy/MVt
まあ信長も上洛しようとしていた武田に降伏しようとしていたのは事実であるし
武田が死んでおらねば確実に配下と成っていた訳だろうか
883 :
某研究者:03/02/04 01:12 ID:oSpy/MVt
まあ所詮信玄に降伏しようとしていた男を最強等と
崇めるのも限界は有る訳だろうか(苦笑
まあ某研究者が軍事板から溶けて蒸発してしまえば
レスもしやすいのだろうか(苦笑
>>881 マジで取り合うと、そのことにも文句がきそうだけど(w
正直、どうかなあ…と思う。
三方が原の合戦後、信玄は三河まで進出しているわけだけど、
この方面の徳川諸城を抜いて、さらには、尾張・美濃の織田方の諸城を抜くのは、
相当に困難があるんじゃないかな(美濃国境に進出していた秋山氏の軍勢と合流にしても)。
結局ね。信玄の死を口実に、越前に引きこもっちまった朝倉氏の出方次第。
しかしながら、朝倉氏の引きこもりは、必ずしも信玄の死ばかりでもない。
義景は、大名としてはヘタレだし、家中統制も限界にきていたわけだから。
実際、攻勢に出てきても、1軍団長レベルで、どうにかなる相手。
本気がコワイのは毛利だけど、そちらも距離の問題もあって、
信玄の動静が伝わるまで本気にならないだろうし、行動にタイムラグが発生するだろう。
あとは、本願寺勢力さえ何とかすれば…
浜松に篭もっている徳川軍が、連絡線を断とうとする行動に出つつ牽制すれば、
正面の織田方に対する合戦への求心力を信玄も奪われる。
三河・尾張の諸城をどれだけ落とせているかにも拠るけど、信玄のほうに分がないと思う。
所詮、2万数千程度の軍勢しか動員できていないわけだし…。
>本願寺勢力
の本山は戦略機動力が他大名の軍勢と違って皆無に等しいから、石山に放置が基本線かな。
ただ第二次信長包囲網での毛利や離反した荒木が図ったように西方の勢力との連携をする場合
が考えられるからそれだけは抑えておくと。
ただ、各地での一向一揆がやっぱり怖いなあ…特に起り易そうなのが三河…
本山の指令で一揆衆が武田の道先案内をする可能性もあったかも…
>>886 ブタにエサをやるな! スレが臭くなるからな。
889 :
某研究者:03/02/05 05:47 ID:onGtqJOT
>三河・尾張の諸城をどれだけ落とせているかにも拠るけど、信玄のほうに分がないと思う。
まあ徳川を先に殲滅すれば後は所詮雑兵であるとの見方も有るだろうが
どうなのだろうか
890 :
○:03/02/05 09:56 ID:???
>信玄が後10年生きておれば信長も武田配下と成るしか生きる道は無かった
基本的に亡犬のは読まんのだが、、、、、、
こいつの駄文を読んでると妙な既視感にとらわれたよ。
しばらく考えて気がついた。
こいつの戦略、戦術、補給の概念は田中芳樹並だな。
つまり亡犬も第二のヤン・ウエンリーには成れるということか。
言い換えれば人類全体の知性の平均よりも一寸下ぐらいに亡犬が位置している。
と言えば亡犬を褒めすぎか、、、、、、
騎馬隊は創作上のものであると確定。
892 :
某研究者:03/02/08 21:09 ID:euACESoL
まあ日本の馬も40kgの大鎧を来た兵士を乗せて行軍可能なのだから
戦国時代の15−30kgの鎧を装備した兵士を乗せた場合は
騎馬突撃も可能だったのではないのか(笑
アンチ鈴木厨のような厨房もう出てこないのか?
894 :
名無し三等兵:03/02/21 22:50 ID:pP4uwHj8
アンチ鈴木厨死守age
騎馬隊
この作品の良さは「陣地構築」に尽きる
q∧η∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(,,・Д・) < ここ、すごい良スレですねコゾウ!
/ ||y||ブ \_________
ノ_/'ノゞヽ
899 :
山崎渉:03/03/13 15:51 ID:???
(^^)
900get!
901 :
山崎渉:03/03/17 21:39 ID:???
902 :
名無し三等兵: