1 :
名無し三等兵 :
02/07/25 05:56 ID:DEkRfV1b
2getですか?
3 :
第一総軍 :02/07/25 07:53 ID:jXPvkEhT
ありがとうございます。仕事が落ち着いたら長沙でも書き込ませていただきます。
をつ
あ〜ぁ、始まっちゃったぽ。 無駄なスレッド立てちゃダメだって。あまりにも駄スレだよ。 メールでやれば良いのに。 参加者限られてるんだし。
太郎がこなけりゃ駄スレにならず、と。
7 :
零戦太郎 :02/07/25 13:56 ID:???
陸軍ヲタが必死になったところで零戦はWWII最強の戦闘機だった。 陸軍は零戦を採用しない時点で糞である。
>>1さん乙。
9 :
名無し三等兵 :02/07/25 13:57 ID:J6VmSrK1
何このスレ・・・・・・・? /ヽ /ヽ / ヽ / ヽ ______ /U ヽ___/ ヽ | ____ / U :::::::::::U:\ | | // ___ \ ::::::::::::::| | | | | | U :::::::::::::| | | .|U | | ::::::U::::| | | | ├―-┤ U.....:::::::::::::::::::/ | |____ ヽ .....:::::::::::::::::::::::< └___/ ̄ ̄ :::::::::::::::::::::::::| |\ | :::::::::::::::::::::::| \ \ \___ ::::::
大陸派遣 ↓ 便衣兵を蹴散らす ↓ (゚Д゚) ウマー ↓ 前進… ↓ 更に前進… ↓ 補給線延びる ↓ (;゚Д゚)マズー
(;゚Д゚)マズー ↓ 主力撃滅を試みる・・・ ↓ 機動力が無いので取り逃がす ↓ (;゚Д゚)マズー ↓ こうなったら大陸打通だ! ↓ 抵抗が激しくなり・・・ ↓ 補給が尽きる ↓ (;゚Д゚)マズー
12 :
第一総軍 :02/07/25 23:12 ID:Ff1FN2d3
すみません。明日は早番なのでもう寝ますが、初めての方は前スレを読んでからどういうスレかご判断ください。 前スレでは、ビルマ侵攻作戦、第一次アラカン作戦、インパール作戦。一号作戦等の特集を皆で続けてきましたので。
同じ中国軍でも、ビルマ戦線でスティルウェル将軍指揮下にあった中国軍は 本国よりずっと強かったろう。「メリルの略奪者軍」とはよくいったもの、 日本軍がビルマで多くの死者を出して退却していただけのことはある。 この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。 蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、 ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。 ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ ての援助を停止すると警告した。 スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。 スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、 大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、 やつを突きぬいた」 「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)P252
14 :
第一総軍 :02/07/27 00:12 ID:5bOR4sZc
第三次長沙会戦(日本名第二次長沙作戦) 中国軍編制 第9戦区 第19集団軍 第26軍 第32師 西北軍 第41師 蒋介石傍系軍 第44師 蒋介石傍系軍 第79軍 第82師 蒋介石傍系軍 第98師 蒋介石直系軍 暫編第6師 湖南、湘西武装組織 第4軍 第59師 粤軍 第90師 粤軍 第102師 蒋介石傍系軍
15 :
名無し三等兵 :02/07/27 00:13 ID:5bOR4sZc
第27集団軍 第20軍 第133師 川軍 第134師 川軍 暫編第54師 元中共兵 第58軍 新編第10師 真軍 新編第11師 真軍 第30集団軍 第37軍 第60師 蒋介石直系軍 第95師 蒋介石直系軍 第140師 蒋介石直系軍 第78軍 新編第13師 川軍 新編第16師 川軍
16 :
名無し三等兵 :02/07/27 00:14 ID:5bOR4sZc
戦区直轄部隊 第10軍 第3師 蒋介石直系軍 第190師 蒋介石直系軍 預備第3師 蒋介石直系軍 第73軍(一部) 第77師 蒋介石直系軍 第99軍 第92師 蒋介石直系軍 第99師 蒋介石直系軍 第199師 蒋介石直系軍 野戦重砲第1旅 手元資料でも多少の食い違いがありますが、実際に戦ったのはこれらの部隊でしょう。
17 :
名無し三等兵 :02/07/27 00:17 ID:5bOR4sZc
日本軍編制 第十一軍 第三師団 第六師団 第四十師団 独立混成第九旅団 第三飛行団 独立山砲兵第一連隊 独立野砲兵第十五連隊 独立工兵第二連隊
18 :
今夜はテロ :02/07/27 00:16 ID:zX2BvDmt
ライス( ゚д゚)ノカンパンドゾー
19 :
第一総軍 :02/07/27 00:55 ID:5bOR4sZc
尚、この方面の中国軍師(師団)の編制内容ですが、手元資料の第4軍第102師を見ると師団砲兵を持たない1938年型(民国27年)歩兵師の編制であったようです。 以前第一スレの後半に中国軍師団編制シリーズを特集した際に1939年型と書き込んで紹介してあります。 どうも、38年型(民国27年)と呼ぶのが正しいらしいですが。
20 :
第一総軍 :02/07/27 01:06 ID:5bOR4sZc
続きです。 但し、若干の特科兵が足りないようで、やはり何年型と言っても基本型に過ぎないようです。 尚、第10軍の第190師は、やはり第一スレの後半の特集で1940年型歩兵師として紹介した編制のようです。 これは師(師団)の山砲兵営や騎兵連、戦車防御砲連等の特科兵が1938年型より充実しており、流石は蒋介石直系軍と言ったところでしょう。
フィリピン軍ってば、スイス軍みたいな国民軍(動員された市民軍)と アメリカ軍・警察軍(常備軍)の二本立てで編成するつもりだったのね。 どっかで聞いた構図。
23 :
第一総軍 :02/07/28 23:42 ID:LoLIcbeT
ばばぼん♪様、いつ頃からシリーズ開始出来そうでしょうか? それにしても最近日本陸軍関係スレが乱立の傾向ですね。なぜ今更。 それに何故かこのスレや前スレを上げると随分前に偽者氏が立てた中国陸軍スレがその上に更に上がってくるし。
24 :
第一総軍 :02/07/29 01:03 ID:tisFVUwE
19の書き込みですが、第一スレを読み直したところ私はちゃんと1938年型と書いていました。
ちょっと時間がかかりそうです。 米比軍側の戦闘序列が以前紹介させていただいたHPに載っている以上のものがないのと (つ〜か、アレが一番詳しい)、戦闘自体がパターン攻略ぐらいまでメリハリがないので書きづらいです。 マレーなら役者も多いし、盛り上がる要素が多いんだけど。
26 :
第一総軍 :02/07/29 23:39 ID:T8ztqbGK
そういう事でしたら、私のほうでのんびりと「長沙」を続けつつお待ちしております。
ちょっと外れますが、『歴戦1万5000キロ』 藤崎武男著 を読んでます。 なかなかの良書だと思うのですが、第一総軍さん、ばばぼんさんはもう 読まれましたか?
>>27 先週買ったのですが、まだ斜め読みの状態です。他の資料を読む必要があるので〜。
著者が新聞記者→ライターで生計を受けていたせいか、他の同種の戦記と比べて非常に丁寧な印象を受けます。
佐藤和正と似た雰囲気かな? はっきり言い切れませんが、買って損はないっぽいです。
どうでもいいけど、この夏の中公文庫の「戦争の記憶フェア」の、オビの煽り文句は凄いねぇ。
去年辺りの「呉松クリーク/野戦病院」の頃からブチ切れてるよ(笑)
29 :
第一総軍 :02/07/30 23:36 ID:4DQG9W0h
まだ入手しておりません。立ち読みしてから購入を検討してみます。 因みに昨日、第一野戦軍〜第四野戦軍を購入しました。 例によって中国語なので熟読は出来ませんが、国共内戦時の両軍の部隊についての資料になると思います。 今までは、国共内戦史しか軍事中心の資料が手元に無かったもので。
30 :
帝国陸軍 :02/07/31 00:59 ID:O2JiVS0Q
どうでもいいけど、ここで製造した「打通太郎」を はやいとこ引き取ってもらえませんか。 軍事板全体に打通作戦されても困ります
31 :
第一総軍 :02/07/31 01:38 ID:MlvLnzFt
打通太郎氏はここで製造されたとは言い切れないですよ。 少なくとも現在暴れている彼は日本軍ファンではないですから。 しかも一人ではないらしいし。コテハン名乗るようになってからも幾つか微妙に違うハンを使っていますし、以前は普通の会話も出来たのですが、最近の方は別人らしく単に機械的な書き込みに終始しておられるご様子。
32 :
第一総軍 :02/07/31 01:41 ID:MlvLnzFt
しかも、ここで打通作戦ネタをはじめたのは今年に入ってからですが、打通太郎氏はは遥かに以前から活動中です。 又、彼の書き込みを見るとあまりうちの打通作戦研究から影響は受けていないようですよ。
33 :
第一総軍 :02/08/01 23:50 ID:aULcvN4o
長沙ネタは近日中にゆるゆると再開いたします。 私の書き込みは時間がかかるのでスレが下がりがちですし、保全を兼ねて適当に雑談や情報交換も可です。
生まれて初めて夏やせしつつあります。ええ、暑さに胃腸をやられました(痛) これはこれで嬉しいのですが、食事がとれずへろへろの状態です。 んなわけで、比島、順調に遅れております(藁) 叢書のカバーの色って、シャツに付くのね(泣)
ノモンハン事件の真相と戦果 ソ連軍撃破の記録 / 小田洋太郎/著 田端元/著
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30999096 旧軍批判論者は怒るかもしれないが、私見を述べる。
ソ連当局は日本軍国主義者5万人以上を殲滅して、自軍損失は一万人以下と言い
続けてきた。戦果は重複して数え、損害は限定的な算定に留めるのは、戦意高揚
プロパの常道。ソ連がそれ以来ずっと満州国に攻めてこなかったのはノモンハン
での甚大な損害を懸念したがゆえというこの本の主張には、説得力を感じる。
ほぼ同時期に、ナチスドイツとの秘密議定書でポーランド・バルト侵攻を確約
していたソ連が、なぜ「傀儡」満州国に限ってはそうしなかったのだろうか。
以下のサブタイトル希望 W・・・「勝って来るぞと勇ましく」 X・・・「敵は幾万ありとても」 Y・・・「天に代わりて不義を討つ」
37 :
第一総軍 :02/08/04 23:37 ID:A2UEJBAD
第三次長沙会戦(日本名 第二次長沙作戦)の非常に 簡単な解説 その1 1941年12月8日、太平洋戦争勃発後、日本軍はイギ リスの拠点九龍及び香港の攻略を開始したが、蒋介石は 9日、各戦区に対し機を失せず攻勢をかけ、日本軍を牽制 する様に命令を発し、特に第四戦区に対しては広州付近 の日本軍を攻撃し香港のイギリス軍に策応させる事とし た。 この命令によるものか、中国軍第4軍(3個師)、暫編 第2軍(2個師?)は長沙から南下し、更に仏印国境にも 兵力を増強するなどの動きを示した。 これに対し漢口にあった日本軍第十一軍司令官 阿南 中将は、中国軍を牽制し香港作戦、南方作戦に協力する為、 江南地区に攻勢を執る作戦を支那派遣軍総司令官 畑大 将に具申し認められた。 本格的な攻略戦ではなく牽制目的の為、作戦期間は約 2週間の予定であった。 一説には阿南大将は一応成功したと考えていた第一次 長沙作戦(中国名 第二次長沙会戦)が中国側の勝利と する逆宣伝に神経を逆撫でされていたことも関係してい るのではないかとも言う。 計画としては、第六師団、第四十師団、独立混成第九旅 団は12月24日に洞庭湖東側地区で攻撃を開始、第三師 団は一部兵力で25日から一部兵力で第四十師団の攻撃 を支援し、主力の到着を待って第六師団の右側に位置し て攻撃を開始し、各1個大隊からなる3個支隊は主力の 側背等の援護に当てる。 又、第三十四師団、独立混成第十四旅団は南昌付近で攻 勢を行ない、主力の作戦に策応することとされた。
38 :
第一総軍 :02/08/04 23:37 ID:A2UEJBAD
第三次長沙会戦(日本名 第二次長沙作戦)の非常に簡単な解説 その2 中国軍は日本軍第十一軍の集結により攻勢が近いことを察知し、第9戦区に対し4個軍の増援を送り込み、天炉戦法をもって日本軍第十一軍を包囲殲滅することとした。 より具体的には、敵との中間地帯を焦土とし、食料の運び出しや道路の破壊を行なうとともに、決戦地区である長沙付近に日本軍を誘い込み、四周から出撃して包囲殲滅するというものである。 中国軍第9戦区の配置は概ね以下の通りである。 第27集団軍の第20軍(3個師)は日本軍主力前面に配置、第五十八軍(2個師)はその右翼方面黄岸市で整訓を行ない戦区直轄軍とする。 戦区直轄の第99軍(3個師)、第30集団軍の第37軍(3個師)は第二線に配置、同じく第78軍(2個師)はその右翼。 戦区直轄の第10軍(3個師)は長沙を死守、それを囲むように第19集団軍の第4軍(3個師)、第26軍(3個師)、第79軍(4個師)、戦区直轄第73軍(1個師)を配置していた。
39 :
名無し三等兵 :02/08/04 23:50 ID:7G/Id2a1
40 :
第一総軍 :02/08/04 23:55 ID:A2UEJBAD
ええと、今日はここまで以下次号です。 例によって誤字脱字等があるのはご容赦ください。直したい点は過去ログにも多数ありますが、無償労働なのを言い訳にさせて頂きます。 36様、次スレがあるとしてもまた1年くらい先になりそうですよ。盛り下がりっぱなしですから。
41 :
第一総軍 :02/08/05 23:06 ID:votSxdhw
第三次長沙会戦(日本名 第二次長沙作戦)の非常に簡単な解説 その3 12月24日、日本軍第六師団、第四十師団、第三師団の一部は中国軍第27集団軍第20軍(3個師)に対し攻撃を開始。 第9戦区長官 薛岳は第20軍に関王橋等の陣地に後退し日本軍の前進を遅滞するよう命令し、第30集団軍第37軍(3個師)、戦区直轄第99軍(3個師)に対し、迅速に汨羅江両岸陣地につくよう命じた。 当時、天候は大雨雪の為、日本軍機械化部隊の使用は困難であり、両軍は泥の中で27日まで死闘を演じたが、中国軍第20軍第133師は遂に日本軍第三師団によって突破、更に航空、砲兵の支援を受けて中国軍左翼、戦区直轄の第99軍第92師の陣地を攻撃した。 続いて日本軍第四十師団は中国軍の右翼、第30集団軍第37軍第6師を、第六師団は同じく第95師の陣地を攻撃、3個師団共28日正午には中国軍の陣地を突破して汨羅江の渡河に成功し、第37軍(3個師)、第79軍(4個師){※1}と激戦を展開した。 中国軍第20軍、第37軍、第99軍、第79軍による汨羅江北岸地域での頑強な抵抗により、日本軍の前進は遅滞され、第19集団軍、第30集団軍、第27集団軍第58軍等、合計10数個師を瀏陽河沿いの約100キロに及ぶ陣地に配置することに成功した。
42 :
第一総軍 :02/08/05 23:09 ID:votSxdhw
第三次長沙会戦(日本名 第二次長沙作戦)の非常に簡単な解説 その4 香港は既に25日に陥落し、中国軍を牽制するという目的は達していたが、日本軍は中国軍主力が長沙方面に退却したものと判断し、以下の様に追撃を決定した。 第三師団は迅速に長沙に進撃。 第六師団は麻石山、鴨婆山陣地を突破後、主力は架?梨市方面に追撃、一部は長沙に進撃。 第四十師団は一部を吾?口付近に残し、主力は金井に向け進撃。 独立混成第九旅団は主力の左翼方面を援護する。 第三師団は昼夜兼行で進撃し、1月1日に長沙攻撃を開始、第六師団は第37軍第95師を攻撃、1月1日に架?梨市付近を確保し第三師団の後退路を確保し、第四十師団は第三師団の側背を援護した。 一方、蒋介石は12月30日、一部兵力で長沙を死守し、第二線兵団を用いて日本軍を長沙に包囲し、戦いの主導権を握るよう命令し、第9戦区長官 薛岳は第10軍(3個師)に長沙を固守させる共に第二線兵団の配備を進めさせた。
43 :
第一総軍 :02/08/05 23:14 ID:votSxdhw
第三次長沙会戦(日本名 第二次長沙作戦)の非常に簡単な解説 その5 日本軍第三師団の一部約千名は砲兵、航空の支援を受けて1月1日、長沙への攻撃を開始したが、第10軍預備第10師(師長 方先覚) の頑強な抵抗を受けて成功せず、2日午前、1個連隊約4千をもって再度攻撃を行なったが預備第10師はその副団長(副連隊長)を 失いつつも日本軍を撃退。又、同時に別の1個連隊は第190師の陣地を攻撃し、 一部では日本軍の突撃を6回も撃退する激戦となり、日本軍は中国軍倉庫付近まで進出したが、これは野戦重砲第1旅の砲撃により 撃退された。 正午、日本軍の攻撃により預備第10師が苦戦に陥ると共に、第190師陣地には毒ガスが使用された為{※2}守備隊の損害は惨重となった。 午後、更に手榴弾戦を交えるほどの接近戦で中国軍は陣地を死守し、夜に入って日本軍は2個中隊からなる決死隊を派遣したがこれ をも撃滅することに成功した。 これに対し3日早朝、日本軍は第六師団の一部(歩兵2個連隊、山砲1個連隊)を長沙に投入し、第三師団の戦闘の間に城門東側から 東北側に侵入。 しかし、13時には又も野戦重砲第1旅の砲撃で大きな損害を出して阻止された。 3日にも日本軍の攻撃は進展せず{※3}、携帯弾薬の消耗により、夜には長沙よりの撤退が命令された。 勿論、中国軍の損害も大きく、預備第10師、第190師の戦闘兵は殆ど失われ、輜重、衛生等の後方部隊より人員を補充しての戦いであり、 4日には殆ど戦闘能力を喪失していた
44 :
第一総軍 :02/08/05 23:16 ID:votSxdhw
第三次長沙会戦(日本名 第二次長沙作戦)の非常に簡単な 解説 その6 4日朝、第19集団軍第26軍(3個師)、第79軍(4個師)、第 4軍(3個師)は長沙の日本軍包囲を完成、城内の第10軍と信 号弾で連絡し、反撃を開始した。 日本軍も急いで退却を開始したが、撤退路には既に第19集団軍 (3個軍計10個師)、第27集団軍(2個軍計5個師)、第30集 団軍(2個軍計5個師)、戦区直轄第99軍(3個師)が待ち構 えており、一部小部隊の玉砕等大きな損害を受け、第40師団、 独立混成第九旅団等の決死の救援を受けて漸く撤退に成功した。 中国軍はこれを大勝利として宣伝し、日本軍の死傷5万6千9 百名、捕虜390名と発表した。一方中国軍の損害は不明である が、戦闘の経過から見て大きなものであったと推定できる。 実際には日本側の損害は戦死1591名、負傷4412名であったが、 日本軍が各地で快進撃を続けていたこの時期、連合軍が殆ど唯 一(本当はウェーキ島があるが)日本軍を破った戦いであり、 他の連合国に対し中国軍が充分に日本軍を牽制する戦力を持 っていることを証明する事となった。
45 :
第一総軍 :02/08/05 23:18 ID:votSxdhw
第三次長沙会戦(日本名 第二次長沙作戦)の非常に簡単な 解説 その7 一方、日本軍側はどう考えていたのであろうか。 この作戦は戦史叢書「香港・長沙作戦」にあるが、この続きで ある「昭和17、18年の支那派遣軍」によると第二次長沙作戦は 一応目的を達したと述べられており、服部 卓四郎著「大東亜 戦争全史」にもほぼ同様の記述が見える。 元々本作戦は、香港作戦、南方作戦への策応作戦であったが、24 日の攻撃開始の直後25日に香港は陥落しており、作戦の意義そ のものが無かったという考え方もある。 一方、日本軍第十一軍の侵攻を察知した中国軍の香港救援を断 念させたという側面も無視できず、又、南方作戦の要、仏印の後 背を守ったという見方も出来よう。 この様に作戦目的を達したかどうかの評価は難しいものがある が、作戦的にはこの戦いに限って言えば中国軍のほうが1枚も2 枚も上手であり、日本軍はその強力な戦闘能力によって中国軍 の周到な包囲陣を斬り破ったに過ぎない。 ※1,「民国軍事史略稿」にはこう記述されているが、「抗日戦 争八年」の部隊配置図を見る限り第78軍(2個師)の方が正しい 様に思える。 ※2,この戦闘中、中国側資料にはしばしば日本軍の毒ガス攻撃 の記載がある。但し、手元の日本側資料からは確認できない。 ※3,中国側資料にはこうあるが、日本側資料では長沙の大部分 の占領には成功したとするものもある。主観の相違であろうか? 第三次長沙会戦編、一応完。
46 :
第一総軍 :02/08/05 23:56 ID:votSxdhw
長沙編は非常に簡単に終了してしまいました。 かなり手抜きですが、まあ読み物としてはこんな所でしょうし、更に詳しく考察するには時間とお金が必要です。 後はばばぼん♪ 様のシリーズをゆっくり待ちつつ雑談ですかね。 次シリーズについても簡単には考えています。 ばばぼん♪ 様、お大事に。復帰をのんびりとお待ちしております。
47 :
:02/08/06 00:08 ID:???
i 、 i! i,`ヽ、 i | i 丶、 ,i :| i;::_,、-、`1_ | .:| -'‐'"1i !、'i゛ヽ:;、__ ヽ:::|| | /' _,、‐'" '`‐、 ヽ|i!r'/ \ W'" ̄''‐-、_. \ `''‐-―一
以下のサブタイトル希望 Z・・・「天に代わってお仕置きよ」
49 :
第一総軍 :02/08/06 23:55 ID:cS843Zt0
不義を討つでは?
50 :
打通さん :02/08/07 00:07 ID:???
どんなに日本陸軍を貶そうとも、支那派遣軍は大陸打通作戦の3000キロ
行軍を成し遂げ、かつ最後まで百万の精鋭は健在だった。隼や双軽が低馬力
だとか疾風が工作不良だとかケチをつけてみたところで、大陸打通作戦に
おける航空支援の重要さは否定できないはずだ。中国大陸に限って航空戦
が無意味だったとすれば、それはアメリカのほうにこそあてはまる。航空
作戦で中国の排日侮日を煽り立てて支那派遣軍を駆逐しようとの目論みは
完全に外れたということだ。
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/army/1027054277/187
51 :
名無し三等兵 :02/08/07 00:10 ID:QLrJmOjT
>>50 へっ!打通さんとやらよぉ〜
100マンも兵隊送り込んで航空支援もあって蒋介石・八路軍
蹴散らせなかったのは、お前の責任だろ!
ボケ!
もうなんでいいスレを汚すかなぁ<打通
53 :
打通さん :02/08/07 00:25 ID:???
>100マンも兵隊送り込んで航空支援もあって蒋介石・八路軍 >蹴散らせなかったのは、お前の責任だろ! アメリカだって太平洋方面より欧州方面のほうに兵力を割いた のだから、これでおあいこだ。大陸打通作戦は3000キロ にもわたって中国軍を破り続けて、最後まで百万の精鋭健在。
54 :
第一総軍 :02/08/07 00:31 ID:K4r9BXC9
多分打通さんは本当は日本軍嫌いなんじゃないでしょうか。
55 :
名無し三等兵 :02/08/07 00:32 ID:QLrJmOjT
>>53 ホンと頭痛くなる・・
中国持て余してるのにアメリカとも戦争する・・・・・・
「中国から撤兵するのは英霊に申し訳が立たん」
お前みたいなドアホが、上層部に居たから300万もの
犠牲者が出たんじゃ!! チェルノブイりの水でもお前は飲みに往け!
56 :
第一総軍 :02/08/07 00:48 ID:K4r9BXC9
対打通さん戦争はこの辺で切り上げましょう。アンチ打通さん軍団も泥沼に巻き込まれますよ。 それこそ中国戦線。あ、もしかして打通さんはそういう皮肉を込めてこんな書き込みつづけているのか? さて、私の新シリーズはどうしようかな。長沙シリーズは反響ゼロですし、もっとメジャーな戦いが良いのかも。 しかし、そもそも日本陸軍にメジャーな戦い等あるのか? 関東軍の滅亡シリーズも有力候補です。
57 :
打通さん :02/08/07 00:54 ID:???
>長沙シリーズは反響ゼロですし、 日中戦争は1938年武漢陥落以降、事実上の停戦状態だった。 これは黄文雄氏がその著書で力説している通り。日中戦争が再開 するのは、大陸打通作戦になってから。但しビルマ戦線は別だ。
お待たせいたしました。例のシリーズ、始めます(待っていたのか?w)。 当初、米陸軍の公刊戦史と叢書をつきあわせつつ、他の資料も絡めて何かやろうと考えていたましたが、 翻訳に時間がかかるため、参考程度に留めることとしました。 代わりにといってはアレですが、米側資料として懐かしの第二次世界大戦ブックス「マニラ占領」を中心としました。 初版1971年だから、米公刊戦史より新しいのでのまあいいか、と自分をごまかしつつ(藁) 今日は第一弾として、さわりの部分だけ。 次はいつか不明(笑)
A.南方侵攻作戦における比島攻略作戦の位置付け 「対米戦の際、フィリピン(ルソン島)を攻略する」という計画が定められたのは大正七年のこと であった。その後、何度か見直しが行われたが、いずれも海軍側の邀撃作戦のために必要な問 題、すなわち「根拠地の破壊」「自軍前進根拠地の確保」を解決するためのものであり、当然の ことながら陸海軍共同作戦として計画された。 そもそも、「大陸志向」の陸軍と対米戦重視(絶対視)の海軍との間に、比島作戦に対しての温 度差があった。南方侵攻作戦において陸軍は「仏印→マレー半島→シンガポール→ジャワ」と 「台湾→比島→ジャワ」の両ルート同時侵攻を唱え、海軍は米海軍との戦闘を睨んで「比島重 視」を主張した。 いずれにしろ陸海軍共同の作戦となるのだが、陸軍が陸地伝い(←この言葉は不適切な表現 かも知れない)に行けるマレー半島を重視していたために陸軍戦力はマレー半島攻略の第二十 五軍に集中し、マレーよりも海軍の協力が得られやすい比島の第十四軍のそれは二の次とされ た。 いうなれば比島作戦は、米艦隊迎撃に必要な根拠地(マニラ)の確保を優先したい海軍と、早 期の南方進出を容易とするため敵拠点(シンガポール)の占領を急ぎ、同時に蘭印への足がか りをつかみたい陸軍との妥協的な性格が強い。
B.独立予定植民地「フィリピン」 1.米西戦争からアメリカ領有まで アメリカが米西戦争によりフィリピンを領有したのは1898年(明治31年)のことであった。これ には歴史上ありがちな、大国と民族自決運動の「蹉跌」が存在する。 1989年4月24日の米西戦争開戦から一週間後の5月1日、マニラ湾海戦において米東洋 艦隊がスペイン艦隊を全滅させると、予め米側と「将来、独立させる」との密約を結んでいたエミ リオ・アギナルド将軍率いるフィリピン革命軍が蜂起し、スペイン軍を攻撃した(直後、フィリピン 人による議会の選挙が行われ、アギナルド将軍は初代フィリピン大統領に選出させる)。 当初、陸上へ威力に劣る米軍はこれを歓迎していたが、後に米軍の優勢が確実になると次第 に邪険にされるようになり、マニラ攻略戦の際には米側から参加を拒否された(占領後も進入を 禁じられた)。 1898年12月10日の米西のパリ講和条約によりフィリピンはアメリカに2,000万ドルで売却さ れた。当時の米大統領マッキンレイは、「米国はスペインの苛政よりフィリピン人を救い、これを 再びスペインに還付したり、他に譲渡してはならないが、フィリピン人の現状は未だ独立自治の 能力を認め得ず、依ってその時期の到来するまで、これが扶育の任に当たるは米国の義務な り」とし、大統領としてのフィリピン領有を宣言した。 その後、翌年には米軍と比革命軍との間で散発的な戦闘が起こり、アギナルド将軍は比革命 軍を解散、対米ゲリラ戦を約二年間に渡って展開する(米比戦争)。
2.独立間近まで 1934年、米連邦議会を通過し、当時の米大統領フランクリン・D・ルーズベルトが批准したフィ リピン独立法(タイディングス・マクダフィー法)をフィリピン議会(自治権の一環として存在した)が 受託したことによって、フィリピンの独立が決定した(1945年独立予定)。 当時、比国内にはルソン島北部の飛行場やコレヒドール島を初めとするマニラ湾沿岸の要塞 地帯等、米軍施設が無数にあった。独立に際してこれらの施設は当分駐留することとなったが、 当然ながら、フィリピン国民の反感を買うこととなった。タイディングス・マクダフィー法の前年にア メリカ側から提示された独立案(ヘア・ホーズ・カッティング法)はフィリピン議会から激しい反発を 買いフィリピン議会から拒否されていたが、「後にフィリピンが独自に防衛に必要な軍事力を持て ば、自然と米軍は出ていくだろう」ということで棚上げになった。 タイディングス・マクダフィー法により新たに選出されたマヌエル・ケソン初代大統領はフィリピン 軍強化のため、当時、米陸軍総参謀長を務めていたダグラス・マッカーサー陸軍大将を招聘す る。 今日はここまで。 フィリピン独立史、痛々しくておもしろいです。
62 :
打通さん :02/08/07 01:03 ID:???
中国軍と一口に言っても、第一次・第二次上海攻防戦での中国軍やビルマ 戦線の中国軍はかなりよく闘っており、日本陸軍も少なからぬ損害を出し ていたとおれさまは記憶している。「爆弾三勇士の唄」だとか、ビルマ 方面全期間戦没者17万以上とかいう話も聞いている。
例によって、誤字脱字誤変換は御容赦下さい。 あと、直接関係ない話は容赦なくすっ飛ばします(笑)
我が大日本帝国陸軍は 「打通太郎」に対して宣戦を布告せり。 銃剣突撃の上、打通市民婦女子は強姦、 男は郊外に集めて処置せんとす。
>>64 銃剣突撃の上、打通市民婦女子は強姦、
男は郊外に集めて処置せんとす。
スタイルは異なる・・・・・ 打痛嫌いは共通。
66 :
打通さん :02/08/07 16:18 ID:???
神聖な皇軍である、帝国陸軍を揶揄するべからず。 我が陸軍は貧弱な装備ながら、鍛錬された精神力であそこまで戦ったのだ。 ナラズ者の中国は強姦されても仕方なし。
67 :
次スレ :02/08/07 16:25 ID:???
家出厨房の戦闘能力V「家を出てから幾日ぞ」
68 :
第一総軍 :02/08/08 23:42 ID:KOmoGA/L
折角ばばぼん♪様が新シリーズを始めて下さったので揉め事はこれくらいにしましょう。 私の新シリーズは関東軍の滅亡に決めようと考えています。 協力者募集中です。
>>66 *
我が陸軍は貧弱な装備ながら、鍛錬された精神力であそこまで戦ったのだ*
兵下士官は、優秀。 上層部は君と同程度の頭脳(チンパン並)
>>68 第一総軍さん、次テーマ興味ありです。
が、協力となると・・・どのレベルを想定されているのでしょうか(汗
戦史叢書以外のよりコアな情報探しですかなぁ・・・
71 :
第一総軍 :02/08/10 01:00 ID:76VZb5C+
70様、まあ何でも有りですよ。 ソ連軍の侵攻に関しては戦史叢書も今の目で見てそんなに詳しくないみたいですから。
72 :
70 :02/08/10 01:07 ID:???
>>71 そうなんですか。
となると、昨今出版されるようになったロシアの研究者の本などが詳しいのかも
しれませんね。
個人的には内蒙古の状況に関心がありまして。
我がルーツに関わる問題でもあり。
73 :
70 :02/08/10 01:08 ID:???
あ、内蒙古は関東軍じゃなくて駐蒙軍でしたね。 ちと第一総軍さんの趣旨とは異なるか。
74 :
第一総軍 :02/08/10 01:11 ID:76VZb5C+
駐蒙軍についても情報があれば提供をお願いいたします。 私はどうも過大に評価されているようですが、殆ど市販の資料で研究中ですから半可通に過ぎませんよ。
75 :
70 :02/08/10 01:17 ID:???
>>74 私も市販の資料を乏しい資金で買ったり立ち読みする程度です。
有閑階級ではない故・・・嗚呼
第一総軍さんのレベルには及びませんが、適時フォローさせて頂くということで(出来るのか!?
よろしくお願いします。
76 :
第一総軍 :02/08/10 01:21 ID:76VZb5C+
今後とも宜しくお願いいたします。そしてお休みなさい。
77 :
見た? :02/08/11 00:28 ID:???
日本の花火は世界一イィィィィ!
陸軍の輸送船に火器が不足していたので、打ち上げ花火を 対空秘密兵器(ハッタリ用)として搭載したって噂もあるので 77はあながち煽りとも言いきれんな。
79 :
打通さん :02/08/12 01:32 ID:???
マリアナ・レイテ海戦で連合艦隊が消滅してた時期に、陸軍は大陸打通作戦 を敢行し、3000キロ勝利行軍を成し遂げた。明治以来、最悪の宿敵だっ た中国を完膚なきまでに破り尽くし、国際発言の場に出られなくせしめた。 「抗日戦争」なる神話は音を立てて崩壊してしまった、これほどまでに 胸のすくような気持ちのいい日本軍勝利の戦いが、他にあったろうか。
80 :
名無し三等兵 :02/08/12 01:37 ID:5xsWrfNM
>>59 フィリピン攻略には、もう一つの目的があると思う。
「米国世論を刺激して早期に決戦を強要するため」
age
82 :
名無し三等兵 :02/08/12 12:11 ID:U20S13rN
サヨによると日本陸軍は2週間で30万人を皆殺しに出来るほど原爆並みにすごいらしい。
中帰連や永富博道とか盛んに証言者としてしゃべりまくっているが・・ 撫順戦犯管理所を作っていじめまくった周恩来は極悪人だな。 まあそういうダークサイドは彼らは教えないし無かったことにしたいんだろう。
只今、夏の強行軍(三日間全力出撃+飲み)の疲れを癒やしつつ、部屋の模様替えをしております。
終わったらまた始めますので、もうしばらくお待ち下さい。
>>59 の訂正
正:陸軍は主攻ルートの「仏印→マレー半島→シンガポール→ジャワ」と
助攻ルートの「台湾→比島→ジャワ」の両ルート同時侵攻を唱え、
誤:陸軍は「仏印→マレー半島→シンガポール→ジャワ」と
「台湾→比島→ジャワ」の両ルート同時侵攻を唱え、
>>80 もちろん、その種の政治的な目的もあったと思う。
ただ、それだとハワイだけで事足りてしまわないだろうか?
最初、中国共産党は近代兵器を大量に所有したが、彼らには使い方が分からなかった。 この混乱期の間に、日本軍とかつての満州軍のパイロットと整備員達は次に何をする べきかわからず、数百名が中国共産党の傭兵として契約し、航空機の操縦と中国人に 航空機の使用訓練を行ったのである。 新生共産中国空軍は、日本軍の軍用機を使用したことにより、理屈の上では北部中国 において最強の航空戦力であった。 「サムライたちのゼロ戦」(ロバート・C・ミケシュ 講談社)
駄通が闖入しているようで
>>69 「チンパン」に指揮されて戦った「有能」な兵士???
兵士はチンパンに疑問を抱かないんすか?
それに、このスレはそのチンパンの立案した作戦について考察しるスレッドやし。
88 :
第一総軍 :02/08/14 23:19 ID:DKFnGP4a
さて、どういう順序で考察をはじめましょうか。 一応、関特演時の代表的な師団編制と終戦時の関東軍の代表的師団編制の比較等、関東軍の弱体化から話をはじめましょう。 来週あたりからゆるゆると開始したいと思います。
89 :
名無し三等兵 :02/08/15 14:41 ID:O813jh4b
>>84 真珠湾、フィリピン、それにアメリカ本土も考えてたんじゃないかな?
実はミッドウェー作戦も、島を攻撃して敵主力艦隊を誘引という、フィリピン作戦と同じ発想。
イ-400も、もともとアメリカ本土攻撃用でしょ。
90 :
名無し三等兵 :02/08/15 14:47 ID:AIQFwNuX
あげ
サイパンは、いうまでもなく太平洋戦争末期の激戦地である。 米軍約七万七千人が攻撃したとき、島には日本軍約二万九千人、日本人市民 約二万七千人、島民約三千二百人がいた。 戦闘が終わると、生き残った日本兵は八百六十人、日本人市民八千九十一人、 島民約三千人と記録されている(米軍側の損害は、死傷者、行方不明者合計 一万六千六百八十六人)。 そして、死亡した日本人市民約二万人の多くは、戦火に追いつめられて島の 北端で、あるいは最後の総攻撃に加わり、あるいはマッピ山頂から身を投げ、 あるいは包囲する米兵の眼前で海に入水して自決した。 児島襄「天皇と戦争責任」(文春文庫)の「サイパンと日本の心」より
92 :
打通さん :02/08/18 18:13 ID:???
http://member.nifty.ne.jp/~monju/f3.html ところで大陸共産化における日本の責任について一言付け加えると、台湾で
外省人(共産主義政権を嫌って蒋介石とともに台湾に渡ってきた人たち)から、
違う観点からの日本の責任問題を聞いたことがあった。戦争終結によって日本軍
が解体したとき、日本軍が使った大量の武器のほとんどが共産軍に渡ったという
のだ。その武器を手に共産軍は、日本軍との戦闘で消耗し疲れきった国民党に
反撃を開始、ついに大陸は共産化されたというのである。(1990.12.15 記)
93 :
打通さん :02/08/18 18:19 ID:???
蒋介石軍は約五百万人。陸軍四百三十万人のうち、約百万人三十九個師団が 戦時中の米国の援助で、完全な米式新装備を身につけてるほか、戦車二千台、 飛行機千二百機、米英両国からの贈与艦艇と接収した日本艦隊をふくむ海軍 も保有していた。 一方、毛沢東軍はそれまでの「人民戦争」で兵力を増やしてはいたが、 正規軍百二十万人といううち、正式の師団編成は三個師団にすぎず、ほかに 二百万人の民兵がいたが、小銃は三人に一挺という劣悪装備だった。 内戦が開始されると、蒋介石軍の参謀総長陳誠は「三ヶ月以内に共産軍を 全滅させる」と、かつて支那事変開幕にさいしての杉山元陸相の言明に似た 自信をひれきした。 事実、まず満州で開かれた戦いでは、常勝の林彪軍もあっけなく敗退して、 陳誠参謀総長の予言は的中するかにみえた。 だが、一九四七年五月、ソ連軍が関東軍から接収していた旧日本軍のぼう大な 武器弾薬を毛沢東に供給したのがきっかけとなり、あわせて蒋介石政府の腐敗に 助けられて、毛沢東軍はじりじりと民衆の支持と戦果を拡大しながら、中国本土 の統轄への道を進んだ。 指揮官 下 / 児島襄/著 (文春文庫)の「林彪」編より
94 :
第一総軍 :02/08/19 23:12 ID:gM+so8Jy
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その1 今回、関東軍の滅亡シリーズを開始するに当って、大き な問題が最初から立ちはだかっています。 ビルマ戦シリーズは「遠い戦場」 中国戦シリーズは「抗日戦史論集」「民国軍事史略稿」 「抗日戦争八年」その他 という、比較的良く纏まった相手側資料を参照するこ とが出来ました。 しかし、関東軍の滅亡シリーズに関しては残念ながら 相手側研究者の手による資料が入手できませんし、仮に 出来ても私の能力では解読不能です。 そこで次善の手段として、相手側資料との対比が良く なされている「ソ連軍侵攻と日本軍」を基礎資料として 使用し、その他の資料を補助としてシリーズを開始しよう と思います。 「ソ連軍侵攻と日本軍」は恐らく現在でも入手が可能 な良質の資料であり、はっきり言ってこれさえ読めば日 本語で読める他の資料は要らないくらいなのですが、丸 写しでは国書刊行会の商売の邪魔になってしまいますし、 私の信条「無意味に小難しくして象牙の塔にせず、まと もに読みさえすれば凡そ解る程度の内容に纏める。」よう 心掛け、主として兵団単位の行動を追ってみるつもりです。 大体、他の人にわかる様に書けないと言う事は、自分で も丸暗記しているだけで実はちゃんと理解できていないとい[ うことだと思いますから。
95 :
第一総軍 :02/08/19 23:13 ID:gM+so8Jy
今回使用予定の主な資料一覧を書いておきます。 「ソ連軍侵攻と日本軍」中山 隆志著 国書刊行会 「太平洋戦争師団戦史」別冊歴史読本 新人物往来社 「日本陸軍部隊総覧」 同上 「日本陸軍機械化部隊総覧」 同上 「日本陸軍連隊総覧」 同上 「帝国陸軍の最後」 伊藤 正徳著 光人社 「太平洋戦争陸戦概史」 林 三郎著 岩波新書 「ソ連軍機甲部隊1939〜45(1)(2)」 グランドパワー 「日本軍機甲部隊の編制・装備(2)(3)」 同上 「秘史 満州国軍」 小沢 親光著 柏書房 「千島占領」ボリス・スラヴィンスキー著 共同通信社 「日本軍が銃をおいた日」 ルイス・アレン著 早川書房 「大東亜戦争全史」 服部 卓四郎著 原書房 その他、簡単に参照する予定の物として、 「支那事変、大東亜戦争における師団の編制」 「東北大討伐」 「偽満傀儡政権」 「戦史叢書 関東軍(2)」 「満州国史」その他を考えております。
96 :
第一総軍 :02/08/19 23:14 ID:gM+so8Jy
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その2 まずは、日本軍師団の戦闘力の実像に迫らねばならない。 昭和14年に戦われたノモンハン事変の主力、第二十三師団の編制を見てみよう。 手元資料ではあまり詳しくないが、幾つかの資料組み合わせると大体以下の編制であったと思われる。 第二十三師団(旭)昭和14年当時 師団司令部 歩兵団司令部 歩兵連隊 歩兵大隊3(各歩兵中隊4、機関銃中隊1)、歩兵砲中隊 他 歩兵連隊 同 上 歩兵連隊 同 上 師団捜索隊 乗馬中隊1、装甲車中隊1 他 (軽装甲車5) 野砲兵連隊 野砲兵大隊3 他 (十榴12、野砲24) 工兵連隊 工兵中隊2 他 輜重兵連隊 自動車中隊1 ばん馬中隊1 他 その他 装備の詳細は不明だが大胆に推定すると、小銃8,760〜9,060、軽機324強、重機76〜78、重擲弾筒324強、連隊砲12、速射砲12、十榴12、野砲26、軽装甲車5。 この師団は事変の前年、昭和13年編制の新設師団で、他の20番台師団の多くが常設師団の歩兵連隊を基幹として編成されたのに対し、第二十三師団の歩兵連隊は全て昭和13年に新設された部隊である点、戦闘力的に一段劣ったものであったと考えられる。 又、恐らく事変当時は戦時編制されていない減少戦力であった可能性が高い。 この師団はノモンハン事変で殆ど壊滅的な損害を受け、後に機械化師団として再建、更に馬匹編制に改編され昭和19年にフィリピンに派遣された。
97 :
第一総軍 :02/08/19 23:15 ID:gM+so8Jy
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その3 次に一部が増援された第七師団の編制を見てみよう。 当時の第七師団の詳しい編制は手元資料では明らかではないが、各種資料を勘案すると大体以下のようであったと思われる。 第七師団(熊) 師団司令部 歩兵旅団 歩兵連隊 歩兵大隊3(各歩兵中隊4、機関銃中隊1、歩兵砲小隊1)、歩兵砲中隊1、速射砲中隊1 他 歩兵連隊 同 上 歩兵旅団 歩兵連隊 同 上 歩兵連隊 同 上 騎兵連隊 騎兵中隊2、機関銃小隊1 他 野砲兵連隊 野砲兵大隊3、十榴大隊1、他 (十榴12、野砲24?) 工兵連隊 工兵中隊2、他 輜重兵連隊 その他 装備の詳細は不明だが大胆に推定すると、小銃10,600〜11,770、軽機432強、重機102〜106、 重擲弾筒432強、大隊砲24、連隊砲16、速射砲16、十榴12、野砲36。 この師団は所謂常設師団であり、その歩兵連隊は何も 編制時期が古く、精鋭部隊であると判定できる。 但し、第二次ノモンハン事変には増援として参加した のみであり、更に参加人員からみて明らかに戦時編制さ れていない減少戦力であったと思われる。 この師団は事変後3単位師団に改編され、騎兵連隊は 捜索連隊に、野砲兵連隊は山砲兵連隊にそれぞれ改編さ れ北海道の防衛に当った。
98 :
第一総軍 :02/08/19 23:17 ID:gM+so8Jy
ノモンハン事変ではこれらの師団に加え、戦車連隊2 個、飛行集団、満州国軍興安第二師(興安騎兵団4個、迫 撃砲団、他)を主力とする興安支隊が参戦した。
今日、東宝の「沖縄決戦」を借りてきて観ました。 欝になりますた(+_+)
100 :
第一総軍 :02/08/19 23:34 ID:gM+so8Jy
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その4 では、相手側であったソ連軍の師団編制を見てみよう。 これについては私が云々するより、第一スレ時代のばばぼん♪様の書き込みが詳しいので再掲させて頂く。 ばばぼん♪様ごめんなさい。手を抜きました。
101 :
第一総軍 :02/08/19 23:36 ID:gM+so8Jy
643 名前:ばばぼん♪ 投稿日:2001/03/02(金) 23:49 さて、おまけの張鼓峰事件頃のソ連軍狙撃兵師団の編制です。 これは芙蓉書房刊、富永亀太郎著「我ら張鼓峰を死守す」に出ていたものですが、狙撃兵師団の編制は独ソ開戦頃まで大体同じのようです。例によって、ペーパープラン上のものです(^^;
102 :
第一総軍 :02/08/20 00:30 ID:nlzDl+OK
師団司令部 狙撃兵連隊 連隊本部 狙撃兵大隊 大隊本部 狙撃兵中隊(狙撃兵小隊×3、機関銃 小隊) 狙撃兵中隊(同じ) 狙撃兵中隊(同じ) 機関銃中隊(三個小隊:重機×12) 重火器中隊(対戦車砲小隊、迫撃砲小隊:45mm対戦車砲×2,82mm迫撃砲×2) その他(通信、化兵各一個小隊) 狙撃兵大隊(同じ) 狙撃兵大隊(同じ) 連隊砲中隊(3個小隊:76mm歩兵砲×6) 防空小隊(高射機関砲×3) 対戦車中隊(3個対戦車砲小隊:45mm対戦車砲×6) 騎兵小隊(約40名) 工兵小隊(約45名:一個大隊分の渡河機材40m分) その他(通信、化兵、軍楽各一個小隊) 狙撃兵連隊(同じ) 狙撃兵連隊(同じ) 偵察大隊(車載歩兵、騎兵、装甲車等) 戦車大隊(偵察小隊、軽戦車中隊×3) 軽砲連隊(三個大隊、各大隊は野砲中隊×2,十二榴中隊×1:76mm野砲×24,122mm榴弾砲×12) 重砲連隊(二個大隊、各大隊は十五榴中隊×3:152mm榴弾砲×24) 高射砲中隊(三個小隊:45mm機関砲 or 76mm高射砲×6) 高射機関砲中隊(二個小隊:) 工兵大隊(一般工兵中隊×2,技術中隊×1,材料廠)
103 :
第一総軍 :02/08/20 00:53 ID:nlzDl+OK
狙撃兵は各分隊が12名という以外は以前書いたもの とほぼ同じです。なおこの本によると小隊は「軽機、擲 弾銃、狙撃銃×各1、自動小銃×2、小銃×6(あ、一人 分足りない ^^;)」の分隊が三個、「擲弾銃×3、小銃×9」 の分隊が一個で編制されるとありますが、まあ、これも 「こうあるべき」ということでしょうか。 前回書いたのと同様、重砲大隊は欠く場合もあります。 恐らくは、戦車大隊などもそうだと思います。 ちなみに朝鮮戦争当時の北朝鮮軍歩兵師団の編制でも 同じように重砲連隊を欠いています。 以上、再掲。尚、この編制内容は「コマンドマガジン 日本版」掲載の物とほぼ一致する。
104 :
第一総軍 :02/08/20 00:54 ID:nlzDl+OK
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その4 更に第二次ノモンハン時のソ連軍戦車旅団の編制。 コマンドマガジン日本版によれば、1935〜39年の戦車 旅団は戦車大隊4個を基幹とし、戦車128輌を装備する とある。装備戦車はBT5又は7、T26等。 前者は信頼性を別にすれば初期のV号戦車を上回る性 能であり、後者も火力だけはほぼ匹敵する。 誤解を恐れずに言えば、当時の日本軍九七式中戦車で も何とか対抗は可能である。(火力は明らかに劣勢だが) 但し、当時の主力戦車は八九式中戦車、九五式軽戦車だっ た。 問題は自動装甲車旅団で、これが良く解らない。 機械化旅団のことだとすれば戦車大隊3個、タンケッ ト大隊1個、自動車化狙撃兵(機関銃)大隊1個で、B T戦車96輌、タンケット19輌、装甲車24輌、又は戦 車大隊2個、タンケット大隊1個、自動車化狙撃兵(機 関銃)大隊2個で、戦車86輌、タンケット16輌という ことになる。
105 :
第一総軍 :02/08/20 00:55 ID:nlzDl+OK
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その4 ソ連軍の主な参戦部隊は以下の通りとなる。 第57独立狙撃軍団 第36自動車化狙撃師団 第57狙撃師団 第82狙撃師団 第5狙撃・機関銃旅団 第6戦車旅団 第11戦車旅団 第7自動装甲車旅団 第8自動装甲車旅団 第9自動装甲車旅団 その他 モンゴル(外蒙古)軍 第6騎兵師団 第8騎兵師団 日本軍 戦死8,327名 負傷8,646名 満州国軍 死傷2,895名(主力興安軍のみ) ソ連軍 戦死・行方不明7,974名 負傷・戦病15,952名 モンゴル軍 不明 以下次号
106 :
第一総軍 :02/08/20 01:00 ID:nlzDl+OK
私も沖縄決戦見たいんですが、近くのビデオ店にも石丸にも無いんですよね。 注文してまで見たいわけじゃないし。
107 :
名無し三等兵 :02/08/20 20:54 ID:Ffw6MEWp
陸軍の仮想敵国は中国である。だから中国軍より強ければ、米軍の足元に及ばなくても何も問題はない。
>>107 だったら仮想敵国以外の国と戦争しないでください
大陸打通作戦の3000キロ勝利行軍は、いくら褒めても褒め足りないものがある。 中国の強欲で動物的な靖国・教科書攻撃、台湾・チベットへの暴行に対抗するためにも、 今こそ「大陸打通作戦3000キロ勝利行軍を称える会」の結成が望まれる。 そして、「打通党」におれさまの一票を衆議参議両方に投じたい。
265 :世界@名無史さん :02/08/19 21:51
>>261 名前:打通さん
大陸打通作戦の輝かしい 3000キロ行軍が否定されたことにはならない。
君に今説明してやろう。
シーレーンを、南洋の諸島を、そしてソコに住む人々を守る事が任務だ。
太平洋戦争当時、君が大好きな打通作戦を行った当時、日本はモットやるべき
事が有った。
無意味な作戦を行い国費を浪費し、人命を軽んじ・・・・・・・・・・・
もう少し考えてみなさい。
意味が、判らなければ書きこみはもう止めなさい。
レスの中に紛れ込む、AA以上に君の書きこみは迷惑だ。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1005404745/265
111 :
第一総軍 :02/08/23 01:34 ID:ttMgCi/E
皆さん、ここで戦わないで。
大日本帝国陸軍の軍人たるもの 常在戦場だ! 天に代わりて厨を鬱。
おれさまはかねてより大陸打通マンセーと絶叫してきた。中国との戦争が 余計な浪費という意見もあるが、アメだって陸軍主力は欧州に回してる。 どうして日本だけが陸軍主力をも太平洋に向けなければならないのだ。 そもそも明治以来そして今もなお、日本にとっての宿敵は中国のはずだ。 靖国のA級戦犯が、教科書がどうのこうのと文句をつけてくるのもアメリカ ではなく中国だ。「カイロ宣言」なんてものがそのまままかり通っていたら、 米中軍事同盟が継続してしまい、日米安保なんて絶対なかった。日本陸軍が 最後の大作戦で大陸打通3000キロ勝利行軍を完遂し、中国軍なるものは 自分の国の国土と住民をも見棄てて平気な、ただのゴロツキチンピラの集団 だということを世界中に示してやったのだ。
>>113 :(打痛)打通さん
君、考えてみなさい。
>アメだって陸軍主力は欧州に回してる。
ドイツは陸軍国、欧州制覇には陸軍は必須(海軍は脇役)
>どうして日本だけが陸軍主力をも太平洋に向けなければならないのだ。
主力は一番強い相手に割り当てるのが当たり前なのだ。
>明治以来そして今もなお、日本にとっての宿敵は中国のはずだ。
明治以来、帝国陸軍の仮想的はロシアだ!(君は基本的な事すら解っていない)
当時中国大陸で、悪戯に戦線を拡大しても日本国に利する所は無い。
致命的に重要なのは、マリアナ諸島防衛。そしてシーレーン。
君が言っているのは、たわ言その物だよ。≪聞くに耐えない≫
犬小屋の火を消すのに夢中になって、家を全焼させた人間を誉めてるのと
君の文章は変わらんよ。
115 :
名無し三等兵 :02/08/24 02:25 ID:SxaAa27F
打通=某研の亜種
>犬小屋の火を消すのに夢中になって 中国は日本の足を引っ張り、他のアジア人を抑圧してきた「白人の犬」。
>>117 ←駄痛発見
>中国は日本の足を引っ張り、他のアジア人を抑圧してきた「白人の犬」。
国のアチコチ植民地であったが?
抑圧者としてモットも弱そうな日本を、抵抗の対象としていたダケだが?
君、近代史中国編を読んで見なさい。
119 :
名無し三等兵 :02/08/24 13:29 ID:yPpVSg+W
121 :
第一総軍 :02/08/24 23:54 ID:11aYwF+e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その6 尚、日本側死傷者は第一次ノモンハンも含め19,786名 とする数字もある。 日ソ両軍とも上記編制に書かれていない独立した砲兵 部隊なども多数参戦しているが、総兵員数については、 日本軍だけで7万5千〜5万等幾つもの説がある。 結局、「参戦」した人員を何処まで数えるかで変わって くるのだろうが、実際のところは編制からみてソ連軍の 方がやや多かったのではないだろうか。 戦車については日本側は軽装甲車や予備戦車も含めて 92輌、ソ連側はモンゴル騎兵師団の戦車大隊も含めて戦 車550輌以上、装甲車450輌以上とも言われ、数字から見 て旧式戦車主体の日本軍も数以上に健闘しているように 思える。日本軍歩兵の奮戦もあり、ソ連側は戦車旅団潰滅 を含む比較的大きな損害を受けていたようだ。 航空部隊の総数については日本側約500機、ソ連側約 2,500機、損害は日本側83機、ソ連側207機で見た目に は日本側優勢であるが、当時の航空隊は陸戦への協力に 消極的であり、陸空別々に戦っていた観がある。 又、上記の数字が正しいとすれば、以前良く言われたソ 連機撃墜1,200機という戦果が出鱈目であったこともわ かる。 日本側は敗れたとはいえ、兵力と特に装備の劣勢にか かわらず善戦しており、ソ連側に大きな損害を与えたと いうことは言えよう。
122 :
第一総軍 :02/08/24 23:56 ID:11aYwF+e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その7 次に関特演時に増強された関東軍の戦力について見て みよう。
123 :
第一総軍 :02/08/24 23:57 ID:11aYwF+e
昭和16年初頭、関東軍の大体の編制 関東軍総司令部 第三軍 第八師団 第九師団 第十二師団 第一戦車団 独立守備隊1個、国境守備隊4個 第四軍 第一師団 独立守備隊1個、国境守備隊4個 第五軍 第十一師団 第二十四師団 第二十五師団 第二戦車団 独立守備隊1個、国境守備隊3個 第六軍 第十四師団 第二十三師団 国境守備隊1個 関東軍直轄 第十師団 第二十八師団 独立守備隊6個、国境守備隊1個
124 :
第一総軍 :02/08/24 23:57 ID:11aYwF+e
これに加え、関特演によって第二十軍、関東防衛軍司令部が新設され、内地から第五十一師団、第五十七師団が増援、更に朝鮮軍の第十九師団、第二十師団隷下に加わった。
125 :
第一総軍 :02/08/24 23:58 ID:11aYwF+e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その8 上記の師団の編制内容に話を進めよう。 第一師団の例 師団司令部 歩兵団司令部 歩兵連隊 歩兵大隊3(各歩兵中隊4、機関銃中隊、歩兵砲小隊)歩兵砲大隊(歩兵砲中隊、速射砲中隊)、通信中隊 歩兵連隊 同 上 歩兵連隊 同 上 師団戦車隊 軽戦車中隊2 他 捜索連隊 乗馬中隊1、乗車中隊1、軽装甲車中隊1、自動車中隊1 砲兵団司令部 野砲兵連隊 野砲兵大隊4、他 工兵連隊 工兵中隊3、器材小隊1 輜重兵連隊 大隊2(計ばん馬中隊3、自動車中隊3) その他 兵員約2万強、小銃約9千、軽機約360、重機約110、 重擲弾筒約342、十年式擲弾筒14、大隊砲18、連隊砲 12、速射砲24、自動砲18、軽戦車30、軽装甲車7、 九五式野砲12、十糎榴弾砲24、四年式十五糎榴弾砲 12、他 ほぼ同様の編制を持つ師団 第八師団、第十師団(戦車隊欠)、第十二師団、第十 四師団(戦車隊欠)、第二十四師団(戦車隊欠)
126 :
第一総軍 :02/08/24 23:58 ID:11aYwF+e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その9 第九師団の例 師団司令部 歩兵団司令部 歩兵連隊 歩兵大隊3(各歩兵中隊4、機関銃中隊、歩兵砲小隊)歩兵砲大隊(歩兵砲中隊、速射砲中隊)、通信中隊 歩兵連隊 同 上 歩兵連隊 同 上 騎兵連隊 騎兵中隊3、機関銃中隊1 砲兵団司令部 山砲兵連隊 山砲兵大隊3、他 工兵連隊 工兵中隊3、器材小隊1 輜重兵連隊 大隊2(計ばん馬中隊4、駄馬中隊4、自動車中隊1) その他 兵員約2万5千、小銃約1万、軽機約381、重機約114、 重擲弾筒約336、十年式擲弾筒17、曲射歩兵砲36、連 隊砲12、速射砲26、自動砲18、九四式山砲36、他 ほぼ同様の編制を持つ師団 第十一師団、第二十五師団、第二十八師団(砲兵は 九九式十糎山砲12、九四式山砲24)
127 :
第一総軍 :02/08/24 23:59 ID:11aYwF+e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その10 機械化された第二十三師団の例 師団司令部 歩兵団司令部 歩兵連隊 歩兵大隊3(歩兵中隊4、機関銃中隊1、大隊砲中隊1)、連隊砲中隊、速射砲大隊、通信中隊 歩兵連隊 同 上 歩兵連隊 同 上 師団戦車隊 捜索連隊 乗車中隊2、軽装甲車中隊2、自動車中隊1 砲兵団司令部 野砲兵連隊 野砲兵大隊4、他 工兵連隊 工兵中隊3、器材小隊1 輜重兵連隊 自動車中隊6 その他 兵員約2万3千、小銃約1万1千、軽機約354、重機約 114、重擲弾筒約342、十年式擲弾筒14、大隊砲36、 連隊砲12、速射砲36、自動砲18、軽戦車30、軽装甲 車14(軽戦車の可能性有り)、九六式十五糎榴弾砲12、 機動九〇式野砲36、他
128 :
第一総軍 :02/08/25 00:00 ID:X1q+FeNd
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その11 このように、各師団ともノモンハン時よりかなり増強された状態であり、各国境守備隊は連隊規模の歩兵に砲兵、工兵を配属した混成旅団に近い充実した戦力を持っていた。 以下次号
南京虐殺云々の議論はこれまで何度も見てきたが、細部ではなくて日中戦争 全体を見て言うべきだ。虐殺だ何だといっても日本軍占領区はいくら傀儡と はいえ中国現地人の自治政権ができていることを見逃してはならない。 つまりいくら表向き抗日抗日と叫ぼうが、中国軍は常に日本軍に連戦連敗、 そしてその敗北を身にしみて感じた中国人たちが親日自治政権をつくる、 また日本軍もそれ以上の攻撃は加えず、そのまま放置しておく。
130 :
第一総軍 :02/08/25 02:31 ID:rmwEecTC
打通さん 他所でやってください。これ以上続くと私も書き込みできなくなってしまいます。
131 :
勧告 :02/08/25 03:06 ID:???
第一総軍さん、メールマガジンに移行した方がいいと思いますよ。 板全体が荒れる原因にもなっているし、正直な話、あまり見てる人も少ない。 日本陸軍は人気がないですし。 内容も議論とは程遠く、個々人がバラバラに 編成や戦史を単に披瀝するに留まっているように思います。 「見たい人が見ればいい」とお考えなら、なおのこと、 打通氏を排除できるメールマガジンをお薦めします。
漏れはここちゃんと見てますんで気にせず続けてください。>打通さん除くALL このスレが無くなると軍板のレベルがまた下がっちまうし。
133 :
第一総軍 :02/08/25 03:25 ID:MgwUyzKT
荒れる原因ですか。打通太郎氏は太古から存在してるはずですが。 続けるかどうかは思案中です。
134 :
名無し三等兵 :02/08/25 04:30 ID:pUHxWpEi
>板全体が荒れる原因にもなっている
>正直な話、あまり見てる人も少ない
>日本陸軍は人気がない
根拠の無い決め付けとしか聞こえない。
>内容も議論とは程遠く、個々人がバラバラに
>編成や戦史を単に披瀝するに留まっているように思います。
仮にそうだとして、それのどこが不味いのか?
>>133 正直相手にする必要無いと思います。
第一総軍氏のカキコにレスがつかない一方、107〜120、みんな駄痛講談。 駄痛こそがみんながレスつける人気者か、駄痛自身の自作自演かのどちらかだ。
ある国民政府軍部隊の軌跡 →日本軍に投降、親日政府側部隊になる →日本降伏、主を失った親日軍部隊はは八路軍に吸収される →国民政府軍に襲い掛かる
>>136 相変わらず駄通の毒電波が入ってるが、
>>129 は歴史事実だと思う。汪精衛
の南京維新政府は日本傀儡・漢奸とされたが、筆頭の汪精衛も含めてそれら
は元国民党員・国民党軍兵士だった。また汪精衛は蒋介石とは違い、孫文の
国共合作政策を踏まえ、大規模共産党弾圧を指令したことはなかった。
汪政権と延安政権とは、重慶や日本以上に親密だったらしく、その交渉の
やりとりも多く記録されている。国民党軍といっても親日汪政権についた
ものも多く、主を失った彼らの多くは共産党軍に寝返ったのだろう。
138 :
136 :02/08/25 12:42 ID:???
ついでに言えば旧満州国政府軍と警察部隊も八路軍に吸収された。 1947年9月、蒋介石は陳誠を東北掃共司令に任命、 官僚的な陳は愚かにも旧満州国部隊17万に解散命令を出した。 止む無く彼らは中共軍に武器を持ったまま投降。
>第一総軍さま 関東軍の編成の末尾にある兵器数ですが、配備定数でしょうか? それとも実数でしょうか?
141 :
第一総軍 :02/08/25 23:12 ID:000NZFM+
140様、ノモンハン時の物は定数で、関特演時は実数です。但し、大体の。 私が調査した際、野戦病院等の直接戦闘以外の部隊はメモしてこなかったので。 尚、定数以外に増加配備された小銃も含んでいます。
>>387 >>389 駄痛 発ッ〜〜見!!
相手をしない様に。 何故って? メルアドが出てるから。
おっ〜ォ!! 129、387は自作自演って奴ですね(W 駄痛って≪アホ、バカ≫が徒党を組んだ状態ナ訳だぁ
>>143 彼は月末に携帯電話の請求書を見て自殺を考えるかもしれません。
駄痛ネタは飽きた? 大陸打通作戦こそ日本陸軍史上最大の作戦であって、打通作戦の抜きの 日本陸軍なんて、欧州戦抜きの米陸軍と同じだぞ。打通を語らずして、 日本陸軍を語ることはできない。
145 打通ネタは、ウットウシイので止めれ!
わかったわかった。 いくらなんでも駄痛ネタだけで賛同罵倒のジサクジエン続けたらしまいに ゃバレるわな。もう第一総軍氏でさえもウンザリしてるようだし。 誰も反応しなくなったからつい・・・、しかし投稿禁止だけは勘弁 してくれ、おれさまも反省する。いくら何でもしつこすぎた。
148 約束守れるのか????? 守ってる間は敬礼! 破ったら心底軽蔑
どうせならおもいっきしメルアド晒しとく。 メルアドに「0」と入れるつもりはなかったが、適当な文字をいれた つもりが、たまたま手が滑って「0」が入り、気がつかずにこうなった。 自業自得だけどな、とほほ・・・
>>150 名前:打通さん
メルアド出すのは止めた方が良いと思われ!
世の中色んな人がいるからサッ!!
いいんじゃないかなぁ<打通 ワタシはネタとしては評価してたけど。 南京事件とか他の問題に飛び火せず、 ネタ(エンターテインメント)に昇華させられるなら、全然問題ないと思う。 メアドさらす必要もないでしょ。 ここは「2ちゃんねる」なんだし。 なお、ワタシ個人としては自分のサイトを準備中です。
俺はそんなに寛大になれないな、打通には。 ネタ・釣り師としては度が過ぎている。他板でも評判悪過ぎ。 本気だとしたら病気。救いようがないね。 せめてこのスレからは消えてくれ。
え? 他の板でもやってるの!?(+_+)
156 :
第一総軍 :02/08/26 01:25 ID:wDQ80FZL
打通さん、私も別にネタとか釣りとかを全て否定はしません。 ただ、無意味にもめるだけのスレにしたくないだけです。特に政治的な問題はパスしたいです。 まともな議論を活発化させるためのネタや釣りなら許容範囲です。 もともとあなたはある程度知性ある人物だと感じますから、もっと色々な話題で問題提起するという方法もあると思います。 でもそれではエンターテイナーにはならないのか。
まともにこちらのレスに反応を示さないでただダラダラと同じレス を書き込まなければ、誰もお前のことは責めないだろうよ。
今後の行動を注視する→打通 正直あまり期待はしていないが。
ノモンハン事件でソ連側は、ソ連の損害九千二八四名、日本軍の損害は 五万二千〜五万五千名と発表したため、日本軍の大敗と信じられていたが (当時の日本軍の参戦者は延三万以下で五万もの損害が出るはずがない)、 これはスターリンの粛清を恐れたソ連の将軍達が誇大の勝利を過小の損害 を必要とし、常に実数の二〜三倍の損害を与え、ソ連の損害は僅少と報告 したからである。 しかし、実情は全く違う。ソビエト体制の崩壊による公文書公開でソ連 側の大損害が判明した。 損害状況 戦死 負傷 合計 日本軍 八、七四一名 八、六六四名 一万七、四〇五名 ソ連側 九、七〇三名 一五、九五二名 二万五、六五五名 [ソ連側損害は最新の数字、「ロシアの記憶」モスクワ軍事出版社一九九八年による]
満州国実業部大臣 丁鑑修氏は幼少のロシア少年を保育し後にソ連に帰国させた。 彼はソ連陸軍の参謀になり、丁氏に「ノモンハンでソ連軍は日本軍の2倍の戦死者 を出し、戦車は全滅した。飛行機の損耗も日本軍の比ではない。ソ連が土壇場にな った時、日本軍が攻撃を中止し、私共も命拾いした」と連絡した(鬼塚知應「惨たり 燦たりノモンハンの夕映え」)。 「日本軍の傍受電によると、ソ連の損害は甚大でバイカル湖以東の病院は負傷者の 収容に忙殺され、西行き列車には患者が満載されているのがわかった。患者は三万三千 〜四万名と考えられる」(「ノモンハンの真相」玉田美郎。当時、戦車第四連隊長)。 辻政信氏も傍受電で、「ソ連軍は、損害の甚大なことを中央部に訴えており」と、 記述している。 これに戦死者の数を入れると、ソ連軍の損害は五万名以上になる。
161 :
勧告 :02/08/26 17:11 ID:???
私の意見をタダの敵対的クレームと受け取られたのは残念です。 しかし、ばばぼん氏の方向性は正しい、というか、 全体が建設的方向に向かう、とても良い機会かと。 かつてのどこかの国みたいに、死守して、がむしゃらに突撃ばかりが、 前進する手段ではないと思います。 打通太郎に辟易しているのは皆さん同じでしょうが、 スレを死守せんと奮闘する「護国太郎」とでもいうような ヒステリックな感情をぶつけられると滅入るので、もうきません。 では。
ソ連の装甲車に至ってはフォード製で機関銃でブスブス貫通した。今日でも 小口径銃の貫通弾跡のあるソ連戦車や装甲車が放置されているが、この報道に ソ連軍との注がなく、また、ソ連軍の放置戦車をアサヒグラフ(平成十一年 五月十三日号)は日本軍戦車とデタラメな注記をしている。後期でも手榴弾 や火炎瓶、擲弾筒で戦車が破壊炎上したのが報告されており、後期には無効 だったと強調するのは疑問である。日本軍の無能を述べんとする意図的なもの を感じる。後期の苦戦は弾丸がなくなり、大砲が破壊されたからである。 ソ連軍には当時、近代装備がなかった。防弾鋼板も自国製がなく、英国の造 船所が軍縮で捨てた鋼鉄版を買って戦車に貼ったものである。空軍やトラック 積載部隊など台数が多いだけで質的には近代的とは言えなかった。 [戦果] ソ連戦車 八〇〇台以上を破壊 日本戦車 二九台の損害
最後に日本兵士の強さを記したい。歩兵は四十キロの装備を背負い、一日四十 キロを歩いた。六キロ行軍と言い、一時間に六キロを歩いたが、十キロでも背負 って歩き続けるのは苦痛である。当時の若者は米一俵(六十キロ)を担いで走る 事が出来る体力があったからであろう。工兵も小銃、弾薬の装備の外に枕木一本 を片手で支えて歩いたと語った。正に世界最強の精兵だった。参謀達は、「無理 だが兵がどうにかやるだろう」と、兵の工夫に期待し、兵はそれを果たしたが、 精兵故に苦戦を招いたのである。
164 :
名無し三等兵 :02/08/26 22:06 ID:GNvdBtaC
皇軍太郎さんのレスに一言。 硫黄島の戦いでは米軍の方が死傷者数で日本軍を上回りましたが、 米軍の勝利には間違いないですよね。 ノモンハンの結果、紛争理由となった国境線を巡る 主義主張の対立はどちらが有利な形で解決されましたか? 開戦時点での戦略目的をより達成した方が 勝利を得たと判定すべきではないでしょうか。 朝鮮戦争でも金日成の危機に介入した中国人民義勇軍は アメリカ軍を中心とした国連軍の何倍もの人的損失を出しつつ、 平壌を奪回した上で塹壕戦にもつれこませて戦線を膠着させるのに成功しました。 その結果が今日の朝鮮半島情勢の不安定要因へストレートにリンクしています。 もちろんソ連軍に比較した下士官や兵士の質の優秀さが大健闘をもたらし ソ連軍に辛勝を余儀なくさせた点は大いに評価し称えるべきかとは思われ。
太郎にマジレスとても切ない
>>164 名前:名無し三等兵さん
良い文章なのだが読みづらい。! 改行してねッ!(^^v
駄痛 そして、皇軍太郎さんのレスに見え隠れしているのは、
兵は精強しかし首脳部無能を、ただただ礼賛で覆い隠そうと見える事。
自殺攻撃礼賛に至っては反吐が出そうになる。
<英霊を腐すつもりは無い>
無いナイ尽くしを、過剰な精神力主義で突破しようとする姿勢は、
現代にも通ずるモノが在るが、精神力より英知を注ぎ解決の
糸口を探す姿勢は首脳部にこそ重要だと思う。
167 :
第一総軍 :02/08/26 23:36 ID:J4RalXAS
勧告さん本気で書いていらっしゃるのでしょうか? 私は情報を集める為に2ちゃんねるという巨大掲示板を利用しているので、限られた人だけが利用するメールマガジンは目的からしてあまり意味は無いと思っています。 当初第一スレを立てた頃は、私からはあまり情報は書き込まずに相手側の情報書き込みを期待していましたが、これは全く失敗でした。 その後、私から色々と情報を書き込みするようになってから、それを補足する形で色々な情報が集まるようになったのです。 HPについては私はネット技能がゼロですので、当分手を出すつもりはありませんし、そもそも不可能です。 又、2ちゃんねる以外でここまで多くの人が見て意見してくれる場所があるのならそれについては考慮する価値があるとは思います。 ただ、一つだけはっきり申し上げたいのは打通太郎氏が発生したのは去年のそれも前半だったはず。 前スレで打通作戦シリーズを特集したのは今年に入ってからです。 更に言えば、打通太郎氏の書き込みを見ると、内容的に前スレでの私の特集は殆ど影響を与えていないのは確かです。 是非読み直していただければ誤解が解けると思います。 私の特集からは、中国国民党軍の強い抗戦意思と善戦が読み取れるはず。 太郎氏の書き込みに有るような、国民を捨てたチンピラゴロツキ集団といった印象は全くといって感じられないはずです。
168 :
第一総軍 :02/08/26 23:43 ID:J4RalXAS
訂正 全くといって良いほど感じられないはずです。 あなたがもし「逆打通氏」の様な方で無いならお解りになるはずです。 日本や中国の陸軍については目障りだから書き込むなと仰るわけではないでしょう? あまり政治的な書き込みはしたくないのですが、意外に思われるかもしれませんが私は過去に市民(左翼系)団体に拘っていた時期があります。 そこまでお見通しであったのなら説明する言葉もなくなってしまいますが。 とりあえず前スレ読んでみていただくことが一番です。
>私の特集からは、中国国民党軍の強い抗戦意思と善戦が読み取れるはず。 > 太郎氏の書き込みに有るような、国民を捨てたチンピラゴロツキ集団 >といった印象は全くといって感じられないはずです。 一般的に言って、中国軍は弱くはない。 朝鮮戦争での中国軍は膨大な犠牲を払いながらもアメリカ軍をも38度線 に押し返している。日中戦争は共産党軍ではなく国民党軍だが、彼らとて 中国人民兵士である以上、日本軍の侵略大攻勢を前にして、そうやすやす と逃げ去ったとは思えない。ただ海軍連合艦隊が消滅しても日本陸軍の方 は衰えることはなかったというだけのことだ。「百万の精鋭健在」とは 言うが、中国はその百万の精鋭を中国大陸に釘付けにしていたのである。 封鎖や爆撃がいくら加えられても、硫黄島や沖縄など、上陸米軍の損害は 日本陸軍と同等以上の損害を強いられている。
上で皇軍太郎(=駄痛太郎?)のカキコが続いているが、確かに誰が見て も日本軍国主義の傀儡であった偽満州国が、ああも長くソ連との国境沿い で存続していたのは、専ら彼ら日本陸軍の軍事的実力であったのだろう。 ソ連でさえも日本陸軍の一個師団にふりまわされたあげく、満州国を承認 するに至った。しかし直接南京をはじめ日本の侵略暴行を受けた中国人民は、 これを看過することはできなかった。
在中空軍強化やレイテ海戦などの海上封鎖や航空爆撃は、機甲部隊に頼らない 日本陸軍に対してはあまり効いてはいなかったのではないか。ベトナム戦争 ではWW2以上の航空爆撃が為されたが、ベトコン撃滅には至っていない。
172 :
名無し三等兵 :02/08/27 00:37 ID:ilMzN31y
「八路軍にも米式装備を」 スティルウェルの提言に従っておれば在支日本軍はまた、違った 戦闘体験をしたかもしれない。 或いは総指揮を朱徳が執れば 南京・武漢・長沙・衝陽で見られた都市防御戦は無かっただろう。 易々占領→ただし兵を守備に割く→守備に割く兵が惜しいので折角占領しても これを放棄→此れが延々続くが時間の経過は中国有利、日本不利になって 20年続けば日本は経済破綻。
日本軍はドイツ軍やソ連軍のようにまとまった単位で捕虜にならないから、 兵員損害のキルレイオがいくらアメが優位でも、かなりやりにくかったろう。
♪勝って 来るぞと 勇ましくー ローヤルゼリーで ブンブンブン
>「八路軍にも米式装備を」 >スティルウェルの提言に従っておれば在支日本軍はまた、違った >戦闘体験をしたかもしれない。 それなら支那派遣軍といえども、ビルマ戦線なみの壊滅状態で終戦を 迎えることになったかもしれないね。でもスティルウェルは蒋介石や シェンノートと仲違いしたあげく、CBI司令官解任にされてるから。
#米中側が航空戦力増強で支那派遣軍を駆逐できなかった理由を、誰か教えて下さい。 マッターホーンにより、中国・成都に前線基地が建設されるはこびとなり、 インド・カラグプルにB−29専用基地とその大規模な兵站支援施設が 設置された。米国の膨大な資金と約四〇万の中国人労働者をつぎ込んで、 一九四四年五月までに成都地域の四ヶ所にB−29専用基地が造られる と共に、爆撃機の飛行場を保護する戦闘機用基地が数箇所に建設された。 それらの基地まで、数千の支援要員となる技術者、兵器係、コック、倉庫 管理係に加え、予備部品(交換用エンジンも含む)、爆弾、食料、燃料を 運ぶ必要があった。中国の基地から一〇〇機のB−29による攻撃を実施 するには、およそ二三〇〇トンの物資を運び入れるほかに、肝心の爆撃機 をインドの後方基地から中国まで飛ばす必要もあった。 日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳
こっちが総軍氏にろくな情報を提供できないからなあ・・・ ROM専ですけど頻繁に見てます。 最近芙蓉書房の陸軍オール部隊名鑑を買いますた。
手軽で便利なweb上データベースとして重宝しております
>国民を捨てたチンピラゴロツキ集団 打通作戦の時の国民党軍が、「意図的な戦略的後退」であったとすればの話だね。
180 :
勧告 :02/08/27 14:42 ID:???
>>179 国民を捨てたのはどちらかといえば日本の関東軍だね。
ソ連侵攻の非常時こそ玉砕戦を挑んで国民を守るべきだったが。
その名前はどうにかならんもんかね>勧告氏
高圧的に見える
打通はHN変えただけみたいだな・・・
184 :
勧告 :02/08/27 15:21 ID:???
第一総軍さま
HPはばばぼん氏が制作しているとの話しなので、今はそちらに期待しております。
もちろん開かれたものですので、どなたでもアクセス可能なはずです。
また、直接管理可能ですので安全性も飛躍的に向上するでしょう。
2ちゃんねるとうまく連携し、誘導するように図れば打通氏との住み分けも
可能ではないでしょうか。
打通氏は第一総軍様の想像するように一人ではないとすれば、
今後もこのスレは定期的に猛爆を受けることは必定です。
しかもこの2ちゃんねる「陣地」は残念ながらそれに対して非常に無防備です。
…先日はたまたま敵一機ほどが操縦ミスで塹壕の目前に墜落しましたが(藁
後方に強力な陣地を構築し、こちらには斥候を置くだけで第一総軍様の
戦略目標は十分達成できるのではありませんか。
つまり当方には日本軍の排斥や思想を論ずる意志はありません。
打通氏が展開していたのが先だった点は同意するとしても、
タイムリーなスレであったことでここは絶えず彼等の「打通」に曝されているし
多くの打通氏がここを「主敵」としているとは思いませんか?
>>176 昭和19年段階だと、米軍は既に飛び石作戦に移行しており、
兵力が大きい支那派遣軍と直接対決するよりも、背後の日本本土を
攻撃して継戦能力を奪う方が効率的だと考えるはず。
目前のやたら大きい戦術目標に手を出して損害を被るより、
抵抗能力の薄い戦略目標を攻撃するのは当然だ。
そもそも成都基地へのB29進出目的が製鉄所を含む北九州工業地帯の
壊滅にあったし。
(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
打通ごときでグチャグチャもめても・・・ 食いつく人間は食いつく人間で、放置するだけでしょうが。 スレ汚しスマソ
日本陸軍は機甲部隊や重火器に頼らない歩兵と軽火器主体の軍隊だったからこそ、 硫黄島や沖縄など、空爆や封鎖の激しい中でもあれだけ粘り強く闘えたのだと思う。 機関銃や重戦車などは全く論外で、38式歩兵銃とチハ戦車で良かったのだ。
187 :名無し三等兵
堕痛臭さがプンプンする。
>>187 の編成でソ連が主敵などとぬかしてるんだっら妄想狂だよ
>ソ連が主敵などとぬかしてるんだっら 満州国を承認した時点で、主敵では無くなっていたと思う。
>>189 じゃなぜ関特演をやったんですか?
なぜソ連は満州国を打倒したんですか?
188だけど ソ連は満州国を承認した。 ↓ 日本国の満州国支配力低下を図る。 ↓ 傀儡政権/革命を起こさせ自国の支配下 との狙いが在った筈だが?? **ソース本は、無くした御免**
>>191 好意なぞなかったのは、そのHPの一番下、
>昭和20年4月5日、ソ連邦政府は本条約の期限満了(昭和21年4月)後に延長しない旨の通告を行い、
>同8月8日にわが国に対して宣戦を布告した。
で明らかだよ〜
だったら中国だって満州国を承認して、日本国の満州国支配力低下を図り、 傀儡政権/革命を起こさせ自国の支配下、というテもあったはずなのにね。
191はマン臭太郎
>>193 好意ではなかったとすれば、日本の関東軍の戦力を恐れたからだろう。
>>194 そしたら漢奸だろ(w
自国の領土って言ってんだから
>>196 パヴロフ打通太郎によると、ノモンハンでソ連は関東軍に懲罰と教訓を与えたそうだぜ
[関東軍」「ノモンハン」と言う話題が出ると たまに現れるのが 「日本軍は『武士道精神』により航空機で敵地上部隊を攻撃しなかった」 の奴。アホとか馬鹿でなく此処まで来れば電波の域。 まあ、川崎・三菱に命じて開発させた「直協機」て何だったのか・・・唖然 本人に言わせりゃ「降伏勧告文を敵陣に投下する機体」だったりして(苦笑
>ノモンハンでソ連は関東軍に懲罰と教訓を与えた ノモンハンがどうあれ、ソ連は満州国の承認を行った。満州国は合法。
>>200 >昭和20年4月5日、ソ連邦政府は本条約の期限満了(昭和21年4月)後に延長しない旨の通告を行い、
>同8月8日にわが国に対して宣戦を布告した。
合法が誰にとってかは知らんけど、儚き命だったね
ソ連さえも認めていた満州国をいつまでも日本の侵略なんて逝ってる 中国やアメリカのほうがおかしかったのだ。大体わずか一万ちょいの 現地駐屯日本軍に、三十数万の張学良軍はなぜあんなに簡単に消され たのか。現地住民・兵士の人望が日本軍になびいていたとしか思えない。
203 :
第一総軍 :02/08/28 00:08 ID:dLkrdwFO
177様、私も持っています。本当は帝国陸軍編制総覧が欲しいのですが、高かったので社会に出た当時(昭和63年頃)購入しました。 編制総覧はもっぱら図書館で閲覧です。 勧告様、誘導や検索しなければ行けない場所では私の戦略目標の達成は期待できません。 私もばばぼん♪様のHPには期待大ですが、彼はどちらかというと戦術単位、私は戦略単位に嗜好が分化しているので、もしHPに掲示板が出来たとしてもそこで私が大きな顔で長期連載するのはとても失礼なことだと考えています。 又、私は専門的である事よりも、解りやすさや裾野の広さを遥かに重視します。 第一スレ時代から何度も書いたような気がしますが、象牙の塔は趣味ではないし何といっても美学に反します。 専門的であっても、同種の思考の人間だけでは思考のバランスを欠くと思います。 この点からも、通りすがりに気楽に立ち寄って読める現在の形態は比較的望ましい物なのです。 但し、2ちゃんねる軍事板の総意として「出て行け」と言われれば出て行く用意があります。調査結果の発表等も面倒くさくなって同時に止めてしまうでしょうけど。 私としても打通さん関連に限らずスレが荒れるのは非常に不愉快です。しかし、相手にしなければいずれ収まりますし、相手にしすぎる方が彼等の術中に嵌って荒らしている様な感じにもなります。
過去スレ改めてみると、 ここは荒されまくりだな。 ほんと良く続いているよ 荒されてない時は 2〜3人以外誰も来ないし。
205 :
第一総軍 :02/08/28 00:17 ID:dLkrdwFO
あと、「勧告」よりも「提案」の方がまだ幾分角が立たないですよ。私の様におじさんになる前に人格を良く練らなくては。 186様、面目ない。今回はちと大人げ無さ過ぎました。
>合法が誰にとってかは知らんけど、儚き命だったね ソ連の満州国潰しはヤルタ会談での米英ソ間密約協定によるものだが、 だからといって満州国建国それ自体の正統性は確かなものがあった。
相手にしないほうがよろしいかと・・・ここの板の殆どがどっちの ほうが正しいか分かっていますよ。 沖縄戦の話しとか日本軍と米軍の師団編成の比較とか前から随分 楽しませて貰ってます。応援してますのでこれからも面白いレスを どうかこれからもお願いします♪
あわわ 「満州太郎」が跳梁跋扈し始めたダロが。 無臭性エロネタと同じで、 このスレは下の方でひっそりと小人数が肩を寄せ合うように集うもんじゃん。 上げちゃダメなんだよ。
209 :
202 :02/08/28 00:38 ID:???
満州国建国は何ら道義に反するものではなく、これを認めない中国と アメリカこそが不正だった。アメリカはヤルタ密約協定で日露戦争時代 のロシア帝国主義の復活を明確に承認している。これで米英ソこそが 前世紀的な帝国主義の権化であったことがよくわかる。
210 :
202 :02/08/28 00:53 ID:???
>だからといって満州国建国それ自体の正統性は確かなものがあった。 だからといって満州国建国それ自体の正統性が否定されたことにはならない、 に訂正する。張学良政権は民心をすっかり失っており、僅かばかりの日本陸軍 相手に完全消滅。現地軍の独走云々は些末な問題、むしろそれだけで一網打尽 にされた張学良軍の弱さこそが問題。腐敗した中国軍閥のいうことを間に受け て日本軍の行動を悪とみるほうが間違ってる。ヤルタ密約協定は、満州問題に ついてアメリカと中国に道理が全くないことを明確に示している。
シェンノートの在任中、いろいろなことがらが、シェンノートを飛びこえ
て処理され、ついに彼は、スチルウェルよりもっとみじめに、引退すること
になるのであった。
スチルウェル召喚問題にかんし、シェンノートは、蒋介石をはじめ中国に
いるだれよりも、おおくの責任があった。中国軍および政府の再編成に抵抗
するため、シェンノートが、蒋介石の手さきとして、もしあれほど便利につ
かわれなかったならば、蒋介石も、スチルウェルをたやすく罷免することは
できなかっただろう。
<中略>
シェンノート、および彼の中国における航空戦略の支持者たちについて、
公正にいえば、彼らが直面したおおくのジレンマは、彼ら自身がつくったも
のでもなければ、スチルウェルがつくったものでもないということがいえる。
すくなくとも、一部は、日本にはやく勝つための、ルーズベルトの偏見と、
連合諸国のなかでの中国の役割にたいする妄想などが、中国における大敗退の
原因となっている。スチルウェルもシェンノートも、ともにこの幻想のとりこ
になってしまっていた。
http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm 「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン)より
>>205 186ですがこちらこそ偉そうな口聞いて申し訳ないです。
自分は警備師団の独立歩兵大隊の戦闘についてちまちま
調べています。
年が逝ってから興味を持ち始めた分まだまだアレな状態ですが。
第一総軍三等兵> メルアド欄に半角でsageって書くように。 自分でスレを上げるから、要らんもん呼び込んじゃうんだからさ。 いくら千客万来でも太郎は歓迎しないのではないんかい?
| 俺の立てたスレなんだ!!!
| age続けるんだ!!!
| 自作自演もやる!!!
| きっと職人さんも来てくれる!!!
\_______________
∨ カタカタ____ ___
∧_∧ ||\ .\ |◎ |
<.#`Д´> || | ̄ ̄| |:[].|
∧_∧ . ┌( つ/ ̄l| / ̄ ̄/ ..| =|
∧_∧ ( TДT) |└ ヽ |二二二」二二二二二二二二」
( TДT) ( つつ  ̄]||__) | || | ||
(つ つ / / / ./ ̄\ / || / ||
と_)_) (___)__) ◎ ◎ .[___|| .[___||
∧
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|
>>1 よ、もういいんだ・・・・・・・
| 本当に良く頑張った・・・もう充分じゃないか・・・
| 楽になっていいんだ・
215 :
名無し三等兵 :02/08/29 07:44 ID:LYKsRdeF
>だからといって満州国建国それ自体の正統性が否定されたことにはならない、 >に訂正する。張学良政権は民心をすっかり失っており、僅かばかりの日本陸軍 >相手に完全消滅。現地軍の独走云々は些末な問題、むしろそれだけで一網打尽 >にされた張学良軍の弱さこそが問題。腐敗した中国軍閥のいうことを間に受け >て日本軍の行動を悪とみるほうが間違ってる そして日本の指導で満州国軍が創立されるが、45年8月9日、ソ連侵攻の日 抵抗も無く瓦解・・・酷い場合はは日本人指揮官を殺害して武器と物資を 持ったまま逃亡する部隊が続出・・・ 「五族協和」「王道楽土」と言う言葉だけが空しい
216 :
名無し三等兵 :02/08/29 14:37 ID:jz+4WuU+
朝鮮が南北分断され、米中ソをも巻き込んだ動乱となったのは、 アメが最後までソ連の対日参戦を望んで妥協した結果であって、 日本が特需景気で儲けたというのは、アメがそれまでの日本の価値 を見直したからだ。ソ連の南下がそんなにイヤならポツダムにも 出向かず断固として対抗手段をとるべきであったろう。
217 :
パヴロフ2等兵 :02/08/29 21:16 ID:OATFE3+v
>パヴロフ打通太郎によると、 私と駄痛と何の共通点があるというのだ。日本陸軍はノモンハンの敗退で ソ連赤軍が自分たちよりは確実に強いのだということを知り、ドイツと呼応 しての対ソ攻撃を断念した、これはよいことだ。日本陸軍はのび太には威張 っているが、ジャイアンには頭があがらない、スネオのようなものだった。 米英さえバルジなどの損耗に耐えかねてエルベ川で対独進軍を断念したのに、 ソ連軍は「単独で」ドイツの首都ベルリンを陥落させてしまった。ドイツの 兵器は凄い科学技術は凄い、しかしソ連はもっと凄かった。渡辺洋二氏の本 で読んだが、日本は基礎工業力がなくてドイツの改良型DBエンジンの複製 ができず首無しエンジン続出だったとのこと。そのドイツの首都ベルリンを 陥落させてしまったソ連軍は、スネオにとってはジャイアン以上の存在だ。 大内兵衛博士らの親ソ全面講和が通っていたら、日本の街はクリモフで 溢れかえっていたことで疑いはない。
所詮は傀儡王朝の傀儡軍隊→「満洲國國軍」 もし「マン臭国」に正当性があるならあんな形で瓦解する筈が無い 20世紀の東亜細亜に咲いた徒花
>>217 パヴロフ2等兵
>私と駄痛と何の共通点があるというのだ。
厨房of厨房
大陸打通作戦の3000キロ勝利行軍と硫黄島・沖縄攻防戦は、日本陸軍の抗戦 能力が連合艦隊消滅後でも空爆でも海上封鎖でも決して衰えてはいなかった証拠 とみるべきだろう。さもなくば中国軍は国民を棄てたゴロツキチンピラ集団だ。 レイテなどの連合艦隊消滅・中国大陸とサイパンの航空基地増強、それでもなお 大陸打通3000キロ、硫黄島、沖縄・・・・これでも日本陸軍は弱くなってた?
221 :
第一総軍 :02/08/30 03:01 ID:JiqnYf+3
夜勤明けで生活のリズムが狂ってしまいました。今ごろ目覚めてしまうとは。 207様、様子を見つつ考えたいと思います。 213、214様、千客万来も上げて書く理由の一つですが、他にも理由が有りまして。 荒れるのは不本意ではありますが、第一総軍はかなり人が悪い面もあるので今回の事態を結構楽しませてもらっています。 年をとると色々な楽しみ方を覚えるもので。 212様、戦術というか小単位部隊戦闘は私の疎い部分です。是非独歩大隊の戦闘について教えてください。
>第一総軍さま のんびりいきましょうよ、我々は。
Japanese military forces occupied the eastern third of the country
and controlled all of the seaports and main railroads and highways.
General Yasuji Okamura commanded the undefeated, veteran China
Expeditionary Army, consisting of l armored division, 25 infantry
divisions, and 22 independent brigades? of infantry, 1 of
cavalry, and 10 of mixed troops.
http://www.army.mil/cmh-pg/brochures/chinoff/chinoff.htm
Chiang noted Fourteenth Air Force successes in disrupting Japanese
lines of supply along the railway from Wuchang, and endorsed further
diversion of Hump tonnage to sustain these efforts at the expense of
ground operations.
Stilwell was equally obstinate. He blamed the reverses on Chiang's
unwillingness to reform command and training practices of Chinese
Army units. He also believed Chiang had to make common cause with
the Chinese Communists to defeat the Japanese. He denounced Chiang's
decision to divert Hump tonnage from his ground forces to the
Fourteenth Air Force.
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-C-ChinaD/
In the summer of 1944 Stilwell had once more to give his full
attention to China, when the Japanese launched a large-scale
offensive and Chiang's forces were unable to prevent them from
overrunning Chennault's airfields. Stilwell's proposal, supported
by the President, was to put Stilwell in command of the threatened
Chinese forces, including some Chinese Communist units that were
fighting the Japanese. When Chiang refused to accept Stilwell, the
President recalled him. The volume concludes with a well-documented
account of these dramatic events, including the mission of General
Hurley to China as the President's representative.
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-Guide/Guide-CBI.html
第一総軍さん、フリーメールのアドレス持ってます?
…このスレが消えてしまうのは嫌だな(。´Д⊂)゚。
>勧告さん ワタシのHPなのですが、企画中の同人ゲームがメインの企画です。 戦史関係はどこまで載るか解りません。 あ、ゲームと言ってもウォーゲーム関係だから、これそもそもが戦史と関係しますね。 なお、ワタシは打通が「荒らし」だとは考えていません。 上の方にありましたが、「某研の亜種」だと考えてます。 他の板やスレでアレをやるのはともかく、ああいうのがいてもいいと思うんですよ。 なんというか「プロジェクトK」みたいで(笑)。 それにdet落ちストッパーの役割も担ってくれてるし。 >第一総軍さん ワタシが元々戦術級志向だっただけに、方向性の違いは当然のことと考えます。 だからいいんですよ。いろんな人がいろんな興味を持って、それぞれに自分のペースで活動する。 理想的だと思いますよ。ここは。 >212さん ワタシも激しく興味があります。 是非とも気長に続けて、どこかで公開して下さい。 なんならうちのサイトを提供しますよ。 >228さん 皆の努力次第ですよ。 まあ、こつこつやりましょうや。
ばばぼん♪様こちらのフリーアドレスで届くと思います。 皆様、今撤退を決定した訳じゃないのですが、不規則勤務なせいと元もとの遅筆が原因ですので御気使い無く。 その内再開すると思います。
231 :
☆☆探してみてねリークだよ☆☆ :02/09/01 23:13 ID:tf66WTVm
232 :
名無し三等兵 :02/09/02 03:18 ID:/NkGVOKn
山砲の話題が出ないですね。。 日本陸軍攻撃力の要だったと思うのですが。 分解すれば人力でも運べてしまうという機動力。
運べるんだけど、運ぶ奴は死ぬ思いをするという機動力。 弾丸重量も制限される諸刃の剣。
打通太郎が担いでくれます。 より日本陸軍らしくするため、砲弾は各砲1発という漢らしい構成。 敵が目の前まで来ないと発砲しません。 徹底的に所在が秘匿されているので、味方にも在り処がわからないという罠
皆様もうしわけありません。 かねてより遅筆で、私の研究を期待してお待ちいただいていた方々にはご迷惑をかけていましたが、最近、私の仕事が多忙を極め、とうとう絶筆のやむなきに到りました。 今後、私はこのスレを維持できなくなりますが、折を見て発表を再開したいと思います。ただし、打通太郎氏もいることですし、自動的にこのスレは維持できる可能性もあります。 では、皆様ごきげんよう。
駄痛太郎なんかにこのスレ任せたら、ヤツの自分勝手な妄想で 埋め尽くされるだけだよ。あいつは断固隔離しなきゃ・・・ 騙りや自作自演もやってきたり、もう迷惑千万だ。
5月26日の益陽占領を手はじめに、日本軍は6月10日に長沙をおさえ、26日には 衡陽の飛行場を占領したが、町そのものは8月8日まで攻撃に抵抗した。その後は補給 の欠陥で日本軍の行動が遅くなったが、福州は陸戦と陸海空の攻勢の共同作戦を併用 することで、10月までに占領された。そして、衡陽と広東から別々の攻撃で11月 11日に桂林と柳州両方が占領された。その後日本軍は南部への別の交通路を確保す るために行動を拡大した。これは海での損失とアメリカ軍の西太平洋への侵入で要請 された。同時に日本軍は貴陽に進み、12月初めには独山と都奄占領したが、日本軍 の重慶侵攻が近いという一時的なパニックを起こしたものの、日本軍はこの一つの前線 に深入りしすぎたことを認めて1週間以内に都奄ゥら撤退した。 第二次世界大戦歴史地図 タイムズ・アトラス / ジョン・キーガン/編 滝田毅/[ほか]訳
235様、私を騙っても注目されませんよ.
シケが92式10mm加をえっこらと引いてる絵に萌しながら(というかシケで引けるか問題だか 笑)調べてみると陸軍結構重砲揃えてたみたいだね。 155oカノン砲なども配備していたみたいだし。 しかしこれら重砲郡って大戦中米軍にまともに運用されたのかな?
240 :
239 :02/09/04 02:27 ID:???
訂正 >>しかしこれら重砲郡って大戦中米軍にまともに運用されたのかな? しかしこれら重砲郡って大戦中米軍に対してまともに運用されたのかな?
>>240 沖縄戦の際、集中運用してます。
それ以前はあまり聞いたことがないけど。
一九四三年に出版されて絶大な人気を博したウェンデル・ウィルキー の『ひとつの世界』は、高い志のもとに団結し、ほとんどキリスト教国の ような価値観を有し、西洋世界を愛する「民主」大国たる中国、という 神話をつくり上げるのに大いに貢献した。「皆無」という言葉はまったく 妥協の余地のない強いものだが、バーバラ・タックマンはこの言葉を使って こう書く。「親中国派や教会のグループなどによる強力な宣伝に眼を覆われた アメリカの一般大衆は、実情の認識が皆無である」。中国の実情が少しずつ 明らかにされていったのはようやく一九四四年十一月、解任されたジョゼフ・ スティルウェル将軍が口を開き始めてからのことだった。これでタックマン の言葉を借りると「やっと汚れに汚れていた中国というきたないシーツを 洗濯する日が来た」のである。 誰にも書けなかった戦争の現実 / ポール・ファッセル/著 宮崎尊/訳
242 :中国抗日戦争神話を突き崩した大陸打通作戦 :02/09/06 22:06 ID:??? 初めから3〜5000km追跡を念頭に置いた行動なら評価をするに 吝かでないが、行き当たりバッタリの果ての3000km故に、陸軍首脳部の 評価としては、無能の証明にしか値しない。
>初めから3〜5000km追跡を念頭に置いた行動なら 大陸「打通」作戦なのだから、あれは初めから3〜5000km 追跡を念頭に置いた行動だった。岡村寧次大将は国民党軍事顧問 にもなった、中国人も認めた名将だった。
トコロデ、堕痛。 マルチハンドルは止めれ
>岡村寧次大将は国民党軍事顧問 >にもなった、中国人も認めた名将だった。 しかし・・・1949年、北平・天津・徐州・南京・上海・・・ 次々に共産軍に攻略され此処に進退窮まった国民政府は台湾に逃亡。 岡村さんは何を指導したのか? 確か辻正信氏も南京で国共内戦の顧問をしていた。
>解任されたジョゼフ・ >スティルウェル将軍が口を開き始めてからのことだった。 アメリカ人たちが口を極めて罵倒しているのは腐敗した蒋介石の国府軍についてのみ 朱徳の率いる八路軍については、当時の米国の軍人、ジャーナリストなど高く評価 している。 スティルウェル解任の経緯は「米式装備を八路軍にも供与すべき」とした、スティルウェル の案に蒋介石が感情的になったのが一因。 味噌もクソも一緒に論ずべきではない。
>朱徳の率いる八路軍については、当時の米国の軍人、ジャーナリスト
>など高く評価している。
でもヤルタ協定では蒋介石の中華民国を正統政権とすることに決まってるんだよん。
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1945Yalta.html ソヴィエト連邦は、中華民国を日本国の束縛から解放する目的で、自国の
軍隊によりこれに援助を与えるため、ソヴィエト社会主義共和国連邦と中華
民国との間の友好同盟条約を中華民国政府と締結する用意があることを表明する。
↑あんた本当に堕通か?
250 :
第一総軍 :02/09/07 00:16 ID:ji74g10W
打通作戦シリーズは前スレでやっているのでわざわざ書くのも面倒くさいのですが一応。 243様、一号作戦(通称大陸打通作戦)について言えば、無計画に進撃したのではなく、文字通り鉄道線の打通の為に(航空基地覆滅ももう一つの目的だが)概ね計画的に進撃しているといえます。 初期の日中戦争で無計画に進撃していたのはある程度事実ですが、打通作戦とはまた別の問題です。 打通さん、本当はとっくに解っているのでしょうが、岡村大将は軍事顧問といっても病気療養中の上、GHQの監視下にあった為台湾には渡っていません。 「白団」の名目的な代表者として軍事顧問の人選にかかわっただけです。 246様、指導も何も、「白団」が台湾に渡ったのは国民党が台湾に逃れてからです。 よって、北平・天津・徐州・南京・上海・・・の失陥には全く関っていません。 「白団」依然に台湾に渡って軍事顧問を務めた根本中将でさえ、金門島戦に参加したといわれるだけで、それ以前の大陸戦には関与していないはずです。 更に言えば、「白団」は戦闘指揮を行なう組織ではなく、幹部教育や動員等の制度の確立を行なった組織です。
251 :
第一総軍 :02/09/07 00:18 ID:ji74g10W
訂正 依然→以前
252 :
247 :02/09/07 00:25 ID:???
>248 >でもヤルタ協定では蒋介石の中華民国を正統政権とすることに決まってるんだよん そんなこと判りきってらい 「国民革命軍第八路軍」なんだから。帽子のマークは当然「青天白日」だし
>岡村大将は軍事顧問といっても病気療養中の上、GHQの監視下にあっ
>た為台湾には渡っていません。「白団」の名目的な代表者として軍事
>顧問の人選にかかわっただけです
そもそも「白団」は内戦が終わって国民党軍が台湾に逃れたあとに
国民党軍再教育のために結成された軍事顧問団で、内戦敗北の責任
は全く無いのだ(
>>246 )。寧ろ共産土民軍に敗れたふがいない
国民党軍の再教育に携わったわけだ。
254 :
246 :02/09/07 00:27 ID:???
第一総軍様 小生の調査不足でした。 内戦当時の国民政府軍顧問の有名人は辻ーんでした
255 :
第一総軍 :02/09/07 00:32 ID:ji74g10W
細かな話で恐縮ですが八路軍の正式名称は、「国民革命軍第十八集団軍」です。 元々は確かに「国民革命軍第八路軍」でしたが、国民党軍の改編の際に「〜路軍」の呼称を廃止し、「〜集団軍」に改めたのです。 ただ、中共軍では既に有名になった八路軍の名称を独自に使いつづけました。
256 :
第一総軍 :02/09/07 00:45 ID:ji74g10W
246様、いえいえ。私も調査不足は沢山あります。 昨日某所で書き込んだ内容そのままなのですが、「名刀を持っていることと名剣士であることはイコールではない」と思います。 資料を幾ら持っていても正しく理解して使えなければ無意味ですし、場合によってはなまじ自信が有るだけに有害でも有り得ます。 資料オタの私が言うのも矛盾ですけど。
大陸打通作戦のことなら、何でもおれさまに聞いてくれ!! ●大陸打通作戦が発動されるまでのアメリカの対中政策 ●大陸打通作戦を発動するにあたっての作戦目標・計画 ●大陸打通作戦の進撃状況 ●大陸打通作戦におけるアメリカ・中国政府首脳の対応 ●大陸打通作戦における支那派遣軍将兵たちの愛国心と闘魂 ●大陸打通作戦に参加した朝鮮人兵士たち ●大陸打通作戦の3000キロ勝利行軍を完遂した優秀な日本軍戦車 ●大陸打通作戦を空で支えた陸軍航空隊の隼・双軽・疾風 ●大陸打通作戦によって変えられたアメリカの対中政策 ●大陸打通作戦を指揮した陸軍将校らの国際的評価
258 :
第一総軍 :02/09/08 04:19 ID:P1aAFrnb
そういえば246様、辻ーんの顧問としての行動について何かご存知のことがあったら教えていただけますか? 実は私はよく知らないのです。
緒戦における日本陸軍の東南アジアでの勝利を、あれは本国から遠く離れた 地域での少数の駐留軍に勝っただけとケチをつける者もいる。五味川純平氏 などがそうだ。しかし西欧諸国にとってアジアの植民支配は自国の経済基盤 を支えるものであったはずで、現に第一次大戦後もブロック経済という債務 支払いにアジアの植民地に重税をかけて賄うやりかたは続いていた。
八路軍の正式名称は、「国民革命軍第十八集団軍」だそうで、共産党軍なぞ 日中戦争当時は国民党政権下に従属した一集団にすぎなかった。本体の国民 党政権が唾棄され、共産八路軍が期待されるくらいに、大陸打通作戦がもた らした成果は大きかった。打通作戦は他の戦域とは違い敵の本国で勝利行軍 3000キロを成し遂げたのだから、文句のつけようの無い大勝利だ。
>>260 :ダツウマン一号 :02/09/08 12:34 ID:???
↑
物凄い馬鹿発見!
262 :
261 :02/09/08 19:15 ID:???
>>261 :名無し三等兵 :02/09/08 18:33 ID:???
↑
物凄い馬鹿発見!
263 :
246 :02/09/08 21:30 ID:???
元、大佐参謀、辻政信氏の国共内戦の関わりあいについて残念ながら詳しい資料は ありません。 ただ、台湾出身の反蒋介石的文化人で内戦時期に国民政府の内政部に勤務していた 楊逸舟氏の「蒋介石評伝」によれば辻氏はアメリカのマーシャル特使、ウェデマイヤー中将 バー少将ら他の顧問同様「口を酸っぱくして」東北地域に展開している国府軍の優秀装備部隊を 華北にまで下げて東北を放棄してでも華北地区以南を保持するよう勧めたという。 この忠告に反し蒋介石は東北に固執、各地に展開した精鋭部隊は僅か一年少々で 瀋陽、四平、長春、錦州など都市に相互連絡できない状態で包囲され各個に崩壊。 辻氏は1948年5月に国防部顧問を辞して帰国。 このときの辻氏が国民政府の通貨政策の失敗例を指摘している。 辻氏の記述という、インフレの推移 法幣1元が 1945年に1937年当時の6、000倍価値が下がる 1946年に60,000倍 1947年に100万倍 1948年には何と1,000万倍!ワイマール・ドイツも真っ青である。 「戦勝国」でありながらこの始末。
264 :
第一総軍 :02/09/09 01:15 ID:wZOzvoL+
246様、情報ありがとうございます。 私も最近、戦後の国共内戦に興味が湧いてきたので、いずれこの場で取り上げてみたいと思います。 まあ、まだまだ資料の解読に時間がかかりそうなので何時のことになるか解りませんが。
>>241 香港攻略とコレヒドール攻略はどうかね?
267 :
第一総軍 :02/09/09 23:03 ID:XVLBpT6e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その12 次に太平洋戦争中の関東軍兵力の増減について簡単に見てみよう。 関東軍は、開戦時の南方攻略作戦に戦車連隊や航空部隊などの一部支援部隊を派遣していたが、南方作戦の完了に伴って派遣兵力の多くは再び満州に戻ってきた。 その後の兵力増減を主要兵団について見てみると以下の通りとなる。
268 :
第一総軍 :02/09/09 23:04 ID:XVLBpT6e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その13 昭和17年 増加 第七十一師団 4月編成。 増加 戦車第一師団 6月戦車団から編成。 増加 戦車第二師団 同 上。 増加 教導戦車旅団 6月編成。 減少 第五十一師団 年末、ニューギニアに転出。
269 :
第一総軍 :02/09/09 23:05 ID:XVLBpT6e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その14 昭和19年 減少 第二十七師団 1月、北支に転出。 減少 第二十九師団 2月、グアムに転出。 減少 第十四師団 同、パラオに転出。 増加 第百七師団 5月編成。 減少 第九師団 6月、台湾に転出。 減少 第二十八師団 同、宮古島に転出。 減少 第六十八旅団 同、レイテへ転出。 増加 第百八師団 7月編成。 増加 第百十一師団 同 上。 増加 第百十二師団 同 上。 減少 第一師団 同、レイテに転出。 減少 第八師団 同、ルソンに転出。 減少 第十師団 同、ルソンに転出。 減少 第二十四師団 同、沖縄に転出。 減少 戦車第二師団 同、ルソンに転出。 増加 第百十九師団 10月編成。 増加 第百二十師団 同 上。 増加 独立戦車第一旅団 同 上。 減少 第二十三師団 同、ルソンに転出。 減少 第十二師団 12月編成。
270 :
第一総軍 :02/09/09 23:05 ID:XVLBpT6e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その15 昭和20年 増加 第百二十一師団 1月編成。 増加 第百二十二師団 同 上。 増加 第百二十三師団 同 上。 増加 第百二十四師団 同 上。 増加 第百二十五師団 同 上。 増加 第百二十六師団 同 上。 増加 第百二十七師団 同 上。 増加 第百二十八師団 同 上。 減少 第七十一師団 同、台湾に転出。 減少 第十一師団 3月、本土に転出。 減少 第二十五師団 同 上。 減少 第五十七師団 同 上。 減少 戦車第一師団 同 上。 減少 第百十一師団 同、南朝鮮に転出。 減少 第百二十師団 同 上。 減少 第百二十一師団 同 上。
271 :
第一総軍 :02/09/09 23:06 ID:XVLBpT6e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その16 増加 第三十九師団 5月、支那派遣軍から転入。 増加 第五十九師団 同 上。 増加 第六十三師団 同 上。 増加 第百十七師団 同 上。 減少 教導戦車旅団 同、本土に転出。 増加 第百三十四師団 7月編成。 増加 第百三十五師団 同 上。 増加 第百三十六師団 同 上。 増加 第百三十七師団 同 上。 増加 第百三十八師団 同 上。 増加 第百三十九師団 同 上。 増加 第百四十八師団 同 上。 増加 第百四十九師団 同 上。 増加 独立戦車第九旅団 同 上。 増加 第百五十八師団 8月編成。
272 :
第一総軍 :02/09/09 23:06 ID:XVLBpT6e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その17 ※1,独立混成旅団以下の部隊は基本的に省略した。 ※2,転出先は最終地。 ※3,転出部隊にはこの他に、各種独立部隊約200があり、その中には混成旅団級の戦力を持つ派遣隊12個を含む。 ※4,満州で編成された兵団の多くは、転出した兵団の残置人員や国境守備隊、独立守備隊等を基幹として編成された。 ※5,第五十九、第百三十七の2個師団は厳密には朝鮮の第十七方面軍だが、北朝鮮の対ソ兵団である為この表に含めた。 こうして見ると、17年中はむしろ増強され、18年には動きは少なく、19年から徹底的な兵団抽出が始まり、20年前半には在来の精鋭兵団は全て転出してしまったのがわかる。 一方、増加部隊の殆どは現地で編成された部隊であり、既設の兵団の増加は僅かに支那派遣軍からの4個師団に留まっている。
273 :
第一総軍 :02/09/09 23:14 ID:XVLBpT6e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その18 次に対ソ戦に関して関東軍と密接な関係にある朝鮮軍後に第十七方面軍について見てみよう。 減少 第二十師団 昭和17年末、ニューギニアに転出。 減少 第十九師団 昭和19年末、ルソンに転出。 増加 第七十九師団 昭和20年2月編成。 増加 第九十六師団 同 上。 増加 第百十一師団 同、関東軍より転入。 増加 第百二十師団 同、関東軍より転入。 増加 第百二十一師団 同、関東軍より転入。 増加 第百五十師団 昭和20年2月編成、本土から4月転入。 増加 第百六十師団 同 上。 増加 第三百二十師団 昭和20年5月編成。
274 :
第一総軍 :02/09/09 23:15 ID:XVLBpT6e
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その19 ※1,第五十九、第百三十七の2個師団は厳密には朝鮮の第十七方面軍だが、北朝鮮の対ソ兵団である為関東軍の方に含めてある。 これによると、昭和19年末までに朝鮮の在来師団2個も全て転出し、その後8個の新設師団を編成又は転入した。 しかし、8個師団の内3個師団は済州島にあり、その他の4個師団も南朝鮮にあって対米作戦に備えていた。 以下次号。
275 :
第一総軍 :02/09/09 23:23 ID:XVLBpT6e
追加 上記兵団の移動などの点で、多少ごちゃごちゃしていることをお詫びしておきます。 やっつけ仕事で書いてしまいまして。 後に書きますが、朝鮮の第十七方面軍と関東軍の関係もこちゃごちゃの原因ですが。
276 :
246 :02/09/11 00:18 ID:haa8hJoN
>第一総軍殿 どーなんですかねー 3桁師団の充足率とか実力は・・・巷間の話では当時の関東軍は (ただし3桁師団)「一個分隊に小銃が1〜2丁、他はゴボー剣のみ」 とかの寒い話も聞きますが。 或いは、 ソ連軍が国境全面からなだれ込んだ時の兵力は60個師団 戦車5000、飛行機4000と推定されていたが これに対する関東軍は頭数だけは70万を算していた。 が、半分は訓練を受けていない弱兵であった。関特演当時の 3個師団にも当たらない実力である。 飛行機は1200機あったが殆どが使い古したガタガタの練習機である。 戦車は数だけは500あったが中国戦線と南方で酷使されたものである。 油も弾薬も大半が南方へ持ち出されていた。 中国戦線からの応援もようやく2個師団が奉天に辿りつたばかりであった。 (「戦わざる関東軍」より抜粋)
277 :
第一総軍 :02/09/11 00:29 ID:/DYsxmhR
246様、まあぼちぼちそういった方面についても一緒に考えてまいりましょう。 遅筆の為遅れがちですが、以下の予定で考えております。 関東軍新設師団の編制定数とその実態(第一総軍の推定含む) ソ連参戦時の満州国軍 ソ連参戦時の関東軍戦闘序列 各兵団の戦い まあ、その40以内で終わりにしたいですね。
スミマセン。 日米開戦当時の中国の駐留していた戦力を教えていただけないでしょうか。 兵員数、主要装備、また、関東軍・満州国軍などの概略的編成などです。
中国人のあれだけの憎悪にも関わらず靖国神社が今なお存続していることは、 大陸打通作戦という正義の鉄拳が戦後中国の対日発言権を叩き潰したことを 象徴しているとしかおれさまには思えない。東京裁判という日本が最も不利 な立場にあったその時こそ、中国にとってはチャンスだったはずなのに。
280 :
第一総軍 :02/09/11 23:18 ID:5otUcFh1
278様、それだけで1シリーズになってしまいますよ。 どのレベルでのご希望かわかりませんが。 特に主要装備などは各兵団の装備を細かく調べたり推定したりして積み上げていかないとなりませんから。
>>280 至極大雑把な物で結構です。
どのくらいの規模であったのか、という程度で。
282 :
212 :02/09/12 03:32 ID:???
>>282 ありがとうございます。が…なにがなんだかさっぱり(笑)。
国民党政権は、大陸打通3000キロ正義の鉄拳を浴びせられた時点で、 「すでに死んでいた」。もはや蒋介石の意思とは無関係に、内部崩壊だ。
丹羽特別戦車隊ってどーなのよ
286 :
第一総軍 :02/09/14 00:46 ID:jdD4Mfsp
278様、ご注文の情報ですが現在のシリーズと平行して調べるのは私の処理能力ではちょっと無理があります。 一応本職の方もそこそこ多忙で、更にご注文内容が非常に多岐に渡っていて一言でお答えできる性質のものでもないですし。 県立クラスの図書館でなら戦史叢書等も置いてありますからお急ぎでしたらご自分で調査されるほうが早いと思いますが、日米開戦時の大陸の兵力はご注文に有った支那派遣軍、関東軍、満州国軍だけでなく、汪兆銘政権軍、内蒙古連合自治政府軍、華北治安軍等もあります。 御参考までに。
287 :
第一総軍 :02/09/14 01:20 ID:jdD4Mfsp
因みに手元資料の1つによる1941年12月の支那派遣軍は21個師団 20個独混旅団 2個騎兵旅団 その他よりなっていたようです。 訂正 関東軍シリーズの1944年の第十二師団ですが、入力ミスが有りました。 12月編成を12月台湾に転出にしてください。
288 :
名無し三等兵 :02/09/14 01:23 ID:Y84bjcOu
289 :
246 :02/09/15 01:21 ID:???
国共内戦といえば関東軍を抜きに語れないと思います。 蒋介石氏は「中国の中の蘇聯」でソ連が中ソ同盟条約下にあるにも拘らず 関東軍100万から接収した兵器を理不尽にも秘密裏に中共側へ引き渡した ことを、其の惨敗の原因の一つに挙げています。 しかるに前述の楊逸舟博士は 「関東軍と言っても降伏した時点で100万の兵に行き渡るほどの 兵器はもはや無かった筈・・・せいぜい、五個〜8.5個師団相当・・・」 と、蒋介石の「悪い事は他人の所為にする・・・」性癖を批判しています。 さて、この内戦は双方合わせて、延べで無く実数ベースで常時500万 以上が3年半にわたって相戦った中国史では未曾有の兵乱なんですが 軍板では話題としてパッとしません。 「相戦った」と言っても大規模戦闘ごと国民政府軍の大半が投降するか、戦闘前に 寝返りを起こしているからです。馴れ合いの観なのでしょうか。 海空戦では、その後の中台紛争も含め WW2以後初めて巡洋艦級の戦闘艦艇が空襲で撃沈される 同じく駆逐艦が魚雷艇に撃沈される 撃沈された側もした側もWW2の余剰兵器で。といったことも パッとしない理由でしょうか・・・
290 :
246 :02/09/15 09:01 ID:???
>WW2の余剰兵器で これは50年頃までのことです。 台湾に退却した国民政府軍、空軍はそれでも時折、B―24J轟炸機で 上海空襲を実施したりしてましたが中共側にレーダー網とミグ15が 整備されだすと、余りに危険が多いのか止めてしまいました。以後は P―2Vとか単機での偵察のみになっています。 50年代中盤になると初めてサイドワインダーを実戦に使用したのは有名。
蒋介石軍は約五百万人。陸軍四百三十万人のうち、約百万人三十九個師団が 戦時中の米国の援助で、完全な米式新装備を身につけてるほか、戦車二千台、 飛行機千二百機、米英両国からの贈与艦艇と接収した日本艦隊をふくむ海軍 も保有していた。 一方、毛沢東軍はそれまでの「人民戦争」で兵力を増やしてはいたが、 正規軍百二十万人といううち、正式の師団編成は三個師団にすぎず、ほかに 二百万人の民兵がいたが、小銃は三人に一挺という劣悪装備だった。 内戦が開始されると、蒋介石軍の参謀総長陳誠は「三ヶ月以内に共産軍を 全滅させる」と、かつて支那事変開幕にさいしての杉山元陸相の言明に似た 自信をひれきした。 事実、まず満州で開かれた戦いでは、常勝の林彪軍もあっけなく敗退して、 陳誠参謀総長の予言は的中するかにみえた。 だが、一九四七年五月、ソ連軍が関東軍から接収していた旧日本軍のぼう大な 武器弾薬を毛沢東に供給したのがきっかけとなり、あわせて蒋介石政府の腐敗に 助けられて、毛沢東軍はじりじりと民衆の支持と戦果を拡大しながら、中国本土 の統轄への道を進んだ。 児島襄 指揮官 下 林彪編より
292 :
age :02/09/17 10:00 ID:MfeISDXR
昭和16年12月上旬の陸軍防空戦力 防衛総司令部(東京) 東部軍(東京) 防空旅団司令部 高射砲122(京浜地区、太田、仙台、新潟、富山) 照空灯81 聴音機105 第17飛行団 飛行第5戦隊(柏、松戸) 97戦25 飛行第144戦隊(調布) 97戦19 独立飛行第101中隊(調布) 97司偵9 中部軍(大阪) 防空旅団司令部 高射砲92(名古屋、阪神地区、京都、宇治山田、福井、和歌山) 照空灯84 聴音機108 飛行第13戦隊(大正、伊丹) 97戦37 97司偵3 西部軍(福岡) 防空旅団司令部 高射砲88(広島、関門地区、福岡、鹿児島) 照空灯78 聴音機107 飛行第4戦隊 97戦37 97司偵3
293 :
sage :02/09/17 10:02 ID:MfeISDXR
北部軍(札幌) 高射砲40(札幌、室蘭、大泊、小樽、函館、青森、秋田、釜石) 照空灯18 聴音機18 朝鮮軍(京城) 高射砲80(鎮海、京城、平壌、興南、城津、羅南、羅津、南陽、新義州) 照空灯32 聴音機42 台湾軍(台北) 高射砲36(台北、高雄、日月潭) 照空灯18 聴音機18
In summary, the record of U.S. airpower in China will long remain
one of the brightest pages in Air Force history. From the advent of
the China Task Force in July 1942, to the end of May 1945, U.S.
planes destroyed 2,135 enemy planes, with another 773 probably shot
down. Of these, 1,284 were destroyed in air combat at a startling
ratio of ten enemy planes for each U.S. aircraft lost. Another 598
enemy planes were probably destroyed on the ground. Japanese merchant
shipping losses amounted to more than 2,135,489 tons, with 184 ships
or 392,440 tons probably destroyed, and 538 ships, or 779,550 tons
damaged. Of 99 Japanese naval losses not included in this total
damage, 33 were destroyed, 22 probably sunk, and 44 were damaged.
A total of 18,888 Japanese river craft, less than 100 feet long,
are similarly not quoted herein.
The Fourteenth knocked out a total of 817 bridges, 356 of which were
definitely destroyed, and 461 damaged. More than 1,225 locomotives
were destroyed and 1,500 were damaged. In operations against Japanese
ground forces, the Fourteenth killed 59,454 troops and 18,689 horsed.
In the final year of operation, when Japan was gradually being deprived
of her vital supply lines to Southeast Asia and the Southwest Pacific,
the Fourteenth Air Force became more than a harassing and holding force.
It blossomed into full maturity as a powerful striking force, a stalwart,
hard-hitting organization that had grown from meager beginnings because
its personnel, from ground crewmen to the Commanding General, eliminated
the word "defeat" from its lexicon.
http://www.341stbombgroup.org/intel/14hist_pg4.htm
295 :
名無し三等兵 :02/09/18 00:45 ID:er5jZmZm
WHAT THE 14 AIR FORCE HAS DONE TOTHE JAPS
======4 JULY 42 TO 30 SEPT 44======
―AIR COMBAT―
JAP LOSSES OUR LOSSES
DESTROYED 1023 PROBABLE 516 DISTROYED 105
―OTHER JAP PLANE LOSSES―
TO GROUND FIRE 7 DESTROYED ON GROUND 357
TOTAL JAP PLANE LOSSES 1385 DESTROYED 625 PROBABLE
JAP CASUALTIES FROM June TO Sept 30th
24,479 TROOPS 6122 HORSES
―JAP SHIPPING LOSSES―
SHIPS OF 100 FI OR MORE
DESTROYED 317 SHIPS PROBABLE 103 SHIPS DAMAGED 266 SHIPS
709,639 TONS 200,350 TONS 410,300 TONS
TOTALING MORE THAN 1000000 TONS !
SMALL SHIPPING LESS THAN 100 FT
DESTROYED 2260 SHIPS PROBABLE 365 SHIPS DAMAGED 2315 SHIPS
NAVAL VESSELS
DESTROYED17 PROBABLE13 DAMAGED19
ECONOMY SPECIAL OPERATIONS
1 TON JAP SHIPPING 1 TON JAP SHIPPING
壁にはられた図表には、「フライング・タイガーズ」のががやかしい
戦果がかかれているが、シェンノートは補給品獲得に必死だった
http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm 「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン)158頁より
シャノルトは古くからの敵手スチルウェルに援助を求めた。洪将軍に火砲や 弾薬を空輸する許可を出してほしいと要請の電報を打った。スチルウェルの 司令部は言質を与えないように、貴提案は「当地において最善の取り扱いを 受けている」と返電を打ってきたが、なんの処置もとらなかった。シャノルト はさらに電報を送り、五百トンの補給を要請した。今度ははっきりした回答がきた。 諸楊軍の位置 彼の任務 急速に変化する状況 中国軍の現有装備の誤れる用法 不適切なる軍の用法等に鑑み 貴官提案の小火器と弾薬五百トンの空輸は無駄な 努力に終わると思われる。米軍の全努力は空中より継続せらるるものとす。 大日本帝国の興亡 4 / ジョン・トーランド/著 毎日新聞社/訳
297 :
第一総軍 :02/09/19 23:13 ID:QoMVxqTq
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その19 それでは新編された関東軍の代表的な兵団の編制について幾つか見てみよう。 第百七師団の例 師団司令部 歩兵連隊 歩兵大隊3(各歩兵中隊3、機関銃中隊、 歩兵砲小隊1)、連隊砲中隊、通信中隊、 乗馬小隊 歩兵連隊 同 上 歩兵連隊 同 上 捜索連隊 乗車中隊2、軽装甲車中隊1 野砲兵連隊 大隊3、他 工兵連隊 工兵中隊3、器材小隊1 輜重兵連隊 ばん馬中隊2、自動車中隊2(但し1個欠) 通信隊 装備についてはよく解らないが大胆に推定すると以下 の通りとなる。 小銃約7千弱、軽機約270、重機約72、重擲弾筒約255、歩兵砲18、速射砲6、四一式山砲6、軽装甲車7、十五糎榴弾砲9、野砲9、山砲4、他
298 :
第一総軍 :02/09/19 23:14 ID:QoMVxqTq
この師団は昭和19年5月に編成された師団で、駐屯隊 等を基幹とした為、当時の関東軍新編部隊としては装備 優良と見られていた。 編成の経緯からして、ソ連侵攻時には概ね装備は充足 していたと考えられるが、私が独自に関特演時の第一師 団や第十二師団と装備数を比較してみると興味深い結果 がみられる。 小銃約78%、軽機約75%、重機約72%、擲弾筒(合計) 約72%、歩兵砲100%、速射砲約25%、自動砲0%、軽 戦車(軽装甲車含む)約19%、砲兵火砲(合計)約67% 因みに関東軍自身は第十二師団と比較して戦闘力60%と判断していた。 以下次号。
打通作戦の時の中国軍の行動が「戦略的撤退」などという物言いはどう考えても おれさまにはナンセンスとしか思えない。前線で戦ってる兵士やそこの住民を 見棄てて我先に退却しては、住民も兵士も自分たちは見棄てられた存在だとい うことでますます抗日戦意が低下してしまう。ウェデマイヤー将軍も、医療施設 を整えるなどして安易に前線の兵隊を見棄てないようにしたのだ。ウェデマイヤー の著作に「第二次大戦に勝者なし」というのがあるが、彼の在任していた中国戦線 に限ってならばまさにそういうことになるだろう。他はともかくこの戦域は朝鮮 戦争やベトナム戦争にも繋がっていく、アメの失策であったとしかいえない。
日本にとっては満州国を認めない中国は満州国を認めたソ連よりも凶悪な敵だ。 だから中国こそが何よりも最優先で打倒される必要があったのだ。しかしアメは 楽な方法で日本を降伏に追い込みたくてソ連に対日参戦を依頼したし、ソ連はソ連 で関東軍が本土や南方に送られて弱化するとこれ見よがしに攻めてきたわけだ。 そこで思い出されるのがノモンハン事変だが、最終的には敗退を余儀 なくされたとはいえ満州国を守りきった日本陸軍は凄かったはずだ。
昭和16年度〜20年度にかけてのトラックの生産量が民需・軍需合わせて合計 128,520台。軍需用の生産量はそのうち約83,520台というところです。 これは最初から軍用として生産された分であって、民需用に生産された後 に軍に徴用されたものは含まれないと思われます。 参考資料「昭和産業史」
302 :
第一総軍 :02/09/23 00:29 ID:5h7IKOzd
ちょっと訂正。 上記の第百七師団の編制は、編成時のもので、後に挺進大隊が増加されています。 よって編制表は以下に訂正します。 第百七師団の例 師団司令部 歩兵連隊 歩兵大隊3(各歩兵中隊3、機関銃中隊、 歩兵砲小隊1)、連隊砲中隊、通信中隊、 乗馬小隊 歩兵連隊 同 上 歩兵連隊 同 上 挺進大隊 挺進中隊3 捜索連隊 乗車中隊2、軽装甲車中隊1 野砲兵連隊 大隊3、他 工兵連隊 工兵中隊3、器材小隊1 輜重兵連隊 ばん馬中隊2、自動車中隊2(但し1個欠) 通信隊 装備は上記のものより多少は増加されていると思われますが、挺進大隊は師団内の歩兵からの差し出し人員で新編されていますから大差はないと思います。
303 :
第一総軍 :02/09/23 00:31 ID:5h7IKOzd
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ 番外編 今回はちょっと寄り道して第一師団のレイテ転出時の編制を見てみましょう。 第一師団 師団司令部 歩兵連隊 歩兵大隊3(各歩兵中隊3、歩兵砲小隊1、機関銃中隊1)、連隊砲中隊、通信中隊、作業小隊 歩兵連隊 同 上 歩兵連隊 同 上 捜索連隊 乗馬中隊1、機関銃小隊1 野砲兵連隊 野砲兵大隊3、他 工兵連隊 工兵中隊3、器材小隊1 輜重兵連隊 ばん馬中隊2、自動車中隊2
304 :
第一総軍 :02/09/23 00:32 ID:5h7IKOzd
例によって装備は一部不明な点があるので大胆に推定 すると以下の通り。 小銃約7千弱、軽機約260、重機約114、重擲弾筒約243、歩兵砲18、速射砲12、四一式山砲6、十五糎榴弾砲9、十糎榴弾砲18、野砲9、他 これを前回同様、関特演時の第一師団のものと比較し てみると、以下の通りとなる。 小銃約78%、軽機約72%、重機約100%、擲弾筒(合計) 約68%、歩兵砲100%、速射砲約50%、自動砲0%、軽 戦車(軽装甲車含む)約0%、砲兵火砲(合計)約75% 前回の物も同様だが、砲兵火砲の性能は考慮せずに数 量だけ比較しているが、同じ第一師団同士の比較は興味 深い物と思う。 概ね最盛期の6割程度の編制装備でレイテに赴き、そ の1割程度を上陸前に撃沈され、その上で米軍師団相に 善戦している。 第一師団については過大評価する向きもあるので評価 は慎重にしなければならないが、最盛期の6割以下の実 力でレイテにおいて米軍師団と概ね対等に戦ったという のは誉めすぎだろうか?
> 第一師団については過大評価する向きもあるので評価は慎重にしなけ >ればならないが、最盛期の6割以下の実力でレイテにおいて米軍師団と概 >ね対等に戦ったというのは誉めすぎだろうか? この時期で日本軍が戦った相手は比島人抗日軍(ゲリラ含む)も多かったはず。 比島はもともと他のアジア諸国と違いアメリカとの結びつきが強くしたがって レイテ海戦以降かなり激烈な抗日戦をやってる。打通作戦の中国軍よりも戦意 旺盛だったのではなかろうか。一方日本側は制海権も制空権も無くなっていた。 それでも山下大将の日本陸軍は最後までマッカーサーの米陸軍を釘付けにして いたのだから、日本陸軍の戦闘能力はもっと高く評価されるべきだ。
306 :
名無し三等兵 :02/09/23 01:11 ID:scltOOXE
>>第一総軍殿 感服して拝見しております。 第一師団の善戦は、大戦後半の日本陸軍の中で 特に際立っています。ジャングルや洞窟を利用せず、 ほとんど正面切ってあれだけ戦った例は他に無いのでは ないでしょうか? 第一総軍殿のレイテ戦考察をぜひお聞きしたい。
>第1総軍様 県立図書館お昼寝室(旧県議会本会議場)のあのNORADもかくやの大スクリーンで 研究発表OFF会ひらきたいところですね
>研究発表OFF会ひらきたいところですね おれさまもぜひ参加したい!!
>>308 お前、OFF会後の飲み会、参加禁止な。
>>308 打通作戦の研究レポート、まとめとけよ!
>レイテにおいて米軍師団と概ね対等に戦ったという
AM誌10号の記事中によると、第28連隊第3中隊第1小隊長であった佐藤克彦
氏は、昭和20年3月9日富士演習場で行った実弾射撃訓練で3000メートルの
距離で初弾から畳1枚分の目標に命中させることができ、大いに驚いたそうです。
「M4を圧倒できるとは考えていなかったけれど、少なくとも、互角にやれたの
ではないか」とも語っていらっしゃるそうです。
こちらにもインタビューがあります。
http://isweb4.infoseek.co.jp/photo/muwsan/q&a1.htm
ほとんどネタ本とはいえ、三野正洋氏は「続・日本軍の小失敗の研究」で、 大陸打通作戦について「無謀を成功に変える日本陸軍には脱帽」といってる。 圧倒的な数のしかも支援航空戦力の強化された中国軍を相手に、そんなこと が本当にできたのだろうか。日本陸軍とはいったいどういう軍隊なのだろう。
一つの例外をのぞき、ルソン島で第六軍の麾下部隊となった全師団は、 少なくとも以前に一度、作戦に投入されたことがあり、それら師団の大半 は二度、戦闘を経験した。六個師団全将兵の三分の一にも達する隊員が、 三年間も海外に派遣されたままであった。これらの隊員は疲れ、戦いに うんでいたが、休息したり、気力体力を回復するための時間をあたえられ ていなかった。補充部隊の到着は遅々としており、またその員数が欠員を うめるには非常に足りなかったので、第六軍は非戦闘員の死傷により生じた 定員不足は、うめることができなかった。 「ドギュメント神風 下」(デニス・ウォーナー ベギー・ウォーナー 妹尾作太男 徳間文庫)より
314 :
第一総軍 :02/09/25 07:16 ID:hMjLE2ao
今日は休みなのでちテレホ明け前にちょっと訂正。 第百七師団の装備の比較で連隊砲が抜けていました。 小銃約78%、軽機約75%、重機約72%、擲弾筒(合計) 約72%、連隊砲50%、歩兵砲100%、速射砲約25%、自動砲0%、軽 戦車(軽装甲車含む)約19%、砲兵火砲(合計)約67% 第一師団の連隊砲の装備数に間違いがあり、更に比較で連隊砲が抜けていました。 小銃約7千弱、軽機約260、重機約114、重擲弾筒約243、歩兵砲18、速射砲12、四一式山砲12、十五糎榴弾砲9、十糎榴弾砲18、野砲9、他 これを前回同様、関特演時の第一師団のものと比較し てみると、以下の通りとなる。 小銃約78%、軽機約72%、重機約100%、擲弾筒(合計) 約68%、連隊砲100%、歩兵砲100%、速射砲約50%、自動砲0%、軽 戦車(軽装甲車含む)約0%、砲兵火砲(合計)約75%
ノモンハン事変がいくら敗北とはいっても、満州国は依然として健在だし、 太平洋戦争のように支那派遣軍の抽出を要するほどの損害ではなかった。 また太平洋戦争でさえも陸軍は最後まで抗戦力を維持しており、支那派遣軍 の他戦線への抽出は数個師団にすぎず、百万の精鋭は最後まで維持されてた。
316 :
碇義朗 :02/09/26 00:10 ID:???
>第一師団については過大評価する向きもあるので評価 >は慎重にしなければならないが、 十一月一日、海軍の決死的な協力のもとに、陸軍の第一四段を主力と する陸上部隊のオルモック上陸が決行された。このとき、敵の陸上基地 から発進したP38、B24などの波状攻撃を受けたが、疾風戦闘機隊の奮戦 によって敵の攻撃を阻止し、わずかに「能登丸」一隻の沈没だけで上陸 作戦を成功させた。 この輸送掩護に際し、第二十四戦隊の吉良勝秋曹長(のち航空自衛隊、 三頭空佐で退官)は、単機でP38の十機編隊を攻撃して二機を撃墜し、 富永第四航空軍司令官により即座に准尉に特別昇格させられた。
SOUTHWEST PACIFIC AREA [SWPA, Far East Air Force (FEAF)]: In the Philippine
Islands, B-24s over Ormoc Bay on Leyte Island attack a Japanese convoy,
claiming 1 transport sunk and another damaged; P-38s hit smaller shipping in
Ormoc Bay, strafe vehicles from Ormoc to Valencia, Mindanao Island, and bomb
San Enrique; on Mindanao Island, B-25s pound Matina, Libby, Davao and Likanan
Airfields; the 17th Reconnaissance Squadron (Bombardment), 71st Tactical
Reconnaissance Group, arrives at Tacloban, Leyte Island from Biak Island with
B-25s; the 432d Fighter Squadron, 475th Fighter Group, arrives at Dulag,
Leyte Island from Biak Island with P-38s.
http://paul.rutgers.edu/~mcgrew/wwii/usaf/html/Nov.44.html
ペンタゴンの軍首脳者たちのかんがえは、総体的に、シェンノートの航空作戦
計画、およびそれをささえるための大量補給の努力は、アメリカの兵力、資材の
浪費であって、ほかの作戦を妨害するものであるということに一致していた。
シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に
制約をあたえていた。それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国
に補給がえをしたためである。
この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の
危機にかんする統合参謀本部の公式報告に記述された。この公式報告は、シェン
ノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された文書のなかでも、
いちばんおかしな内容の文書であった。
http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm 「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン サンケイ出版)
319 :
第一総軍 :02/09/26 23:22 ID:CYNdtLF7
ちょと遅れましたが、お返事を。 オフ会には何時でも前向きですが、私は不規則勤務なので週末に休めるとは限らないので後は運次第ですね。 どちらにしても、水戸近辺の方はあまりいないように思いますが。 東京辺りまでなら予定が合えば出て行きます。
スチルウェル支持の統合参謀本部 統合参謀本部は、シェンノートの主張を否決しようとたくらみ、ほかの戦域 の経験を引用して、つぎのようにのべている 「わが軍が航空兵力で断然優勢をたもっている戦場において、ドイツ軍および 日本軍と戦った経験から、航空兵力だけでは、訓練もじゅうぶんで断固とした 決意の地上軍の進撃を阻止できないことが、すでの証明されている。 われわれはイタリアにおいて、強大な航空兵力をもっても、地上軍の進撃を 阻止することができなかったので、シェンノートが、中国にある比較的小さな 航空兵力をもって、日本軍に決定的な打撃をあたえられるとはかんがえられない。 日本軍船舶にたいする爆撃の効果があればあるほど、日本軍の中国での進撃は、 つよくなるであろう」
統合参謀本部の報告によれば、必要なことは“中国軍の再編成と、中国軍自身が、 日本軍の進撃を阻止するために完全に任務を遂行すること”であった。シェンノート の作戦計画は誇大妄想にすぎない。時間はどんどん経過しており、現実には、スチル ウェルが蒋介石から全権を委任されることが必要である、と要求していた。 「中国にのこっている軍事力を、日本軍にたいして有効にしようできる一人の人物に、 すべてまかせる時がきたとおもう。日本軍の脅威に対処できるように、中国の軍事行動 を調整できる人物は、中国政府にも、中国軍のなかにもいない。 これまでに、中国軍を、日本軍と効果的に戦わせることのできたただひとりの人物が いる。その人は、スチルウェル中将である」
322 :
第一総軍 :02/10/03 23:12 ID:uiJTmZ6+
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その20 さて、今度はお待ちかね?の関東軍根こそぎ動員師団の編制を見てみよう。 これらは昭和20年7月に基幹部隊に根こそぎ動員人員多数を集めて8個編成され、素質、装備共に大きな問題を抱えていたといわれる師団である。 第百三十四師団の例 師団司令部 歩兵連隊 歩兵大隊3(各歩兵中隊3、機関銃中隊1、歩兵砲小隊1)、連隊砲中隊、通信中隊、乗馬小隊 歩兵連隊 同 上 歩兵連隊 同 上 挺進大隊 挺進中隊3 野砲兵連隊 野砲兵大隊3、他 工兵連隊 工兵中隊3、器材小隊1 輜重兵連隊 自動車中隊2、ばん馬中隊2 通信隊 装備についてはいつもの通り一部不明な点があるが、 これまたいつも通り大胆に推定すると、以下の通り。 小銃約7千弱、軽機約264、重機約72、重擲弾筒約255、歩兵砲18、速射砲6、四一式山砲6、九五式野砲27、他
323 :
名無し三等兵 :02/10/03 23:12 ID:uiJTmZ6+
上記の数字は編制上の定数に一部増加装備を含めてい るが、定数を満たしていたものとして関特演時の第一師 団と比較してみよう。 小銃約78%、軽機約73%、重機約65%、擲弾筒(合計) 約72%、連隊砲50%、歩兵砲100%、速射砲約25%、 自動砲0%、軽戦車(軽装甲車含む)0%、砲兵火砲 (合計)約56%
324 :
第一総軍 :02/10/03 23:13 ID:uiJTmZ6+
なんか連続書き込みすると名無しになってしまった。 非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その21 では、実際の充足率はどうだったのか? 第百三十四師団は重機関銃の充足が不完全、砲兵は九 〇式野砲と十五糎加農砲各1中隊(各3門?)の他は旧式野砲(改造三八式?)と軽迫撃砲の混成、定員約1万6千名は若干不足だったという。 同じ編制の第百三十五師団についてみると、歩兵用重火器は定数の半分、砲兵火砲は改造三八式野砲と十糎榴弾砲計10門と迫撃砲11門、兵員は約4分の1が欠員だという。 各師団とも約4千名は5月〜7月入隊の未教育補充兵である。 詳しい数字は不明点が多すぎて推定困難だが、無理を 承知で第百三十五師団の状態を基準に、小銃の充足率を 定数の75%、連隊砲、歩兵砲、重擲弾筒、速射砲を定数の 50%と仮定し、関特演時の第一師団と比較してみる。 小銃約58%、軽機約37%、重機約33%、擲弾筒(合計)約36%、連隊砲25%、歩兵砲50%、速射砲約13%、自動砲0%、軽戦車(軽装甲車含む)0%、砲兵火砲(合計)約44% 関東軍自身はこれら根こそぎ動員師団を第十二師団 (第一師団とほぼ同様の編制)と比較し、戦闘力15%と 判定していた。
325 :
第一総軍 :02/10/03 23:14 ID:uiJTmZ6+
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その22 最後に陸戦の華形、戦車部隊について見てみよう。 ソ連侵攻時の関東軍には独立戦車第一、第九の2個旅 団があったが、そのうち昭和20年7月に編成された独立 戦車第九旅団について見てみよう。 但し良質の資料が手元に無い為、以下の表には大きな 誤りがある可能性を否定できない。 独立戦車第九旅団の例 旅団司令部 戦車連隊 本部、軽戦車中隊1、中戦車中隊2、整備中 隊? 戦車連隊 同 上 旅団整備隊? 旅団輜重隊? 装備を戦車に限って見てみると、九七式中戦車40輌、九五式軽戦車20輌、その他に旅団司令部の所属戦車と各連隊の整備中隊に予備戦車が有る筈で、保有戦車数は70輌前後になるだろう。 尚、九七式中戦車の一部は47粍砲装備の新砲塔チハ車に更新されていたと思われる反面、不足分を八九式中戦車で代用されていた可能性も無視できない。
326 :
第一総軍 :02/10/03 23:15 ID:uiJTmZ6+
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その23 もう一つの独立戦車第一旅団はより本格的な兵団で、歩兵隊、 砲兵隊、工兵隊を含む小型戦車師団タイプだったというが、 詳しい資料が手元に無いのが残念である。或いは本土における 独立戦車第八旅団に類似の編制であったのかもしれないが、 そうだとすると装備戦車は120輌を若干上回っていたことになる。 いずれにしても、ソ連の戦車軍団、機械化軍団とまとも に戦えるような装備ではないが、占守島の例などからみ て、敵戦車部隊がいない戦場においては一定の戦術価値 があったと思いたい。その場合であっても、大きな損害 は覚悟しなくてはならないだろうが。 私の個人的見解だが、日本陸軍が戦車部隊を大規模機 動作戦より歩兵直協に使用していたのは作戦思想的には 時代遅れであったかもしれないが、自身の戦車部隊の実 力を考えると実は正解であったのではないだろうか。 アメリカ、イギリス、ソ連に対して戦車の大規模機動戦 を行なっても戦車の性能や制空権の問題で成功するとは 考え難いし、中国軍に対してはその戦場の広大さと中国 軍の膨大な兵力、前近代的性格から考えて、退路遮断や 後方撹乱に充分な威力を発揮するとは思えないからだ。 専門家諸氏に猛反発を受けてしまうかもしれないが。 以下次号
> 私の個人的見解だが、日本陸軍が戦車部隊を大規模機動作戦より歩兵直協に
>使用していたのは作戦思想的には時代遅れであったかもしれないが、自身の
>戦車部隊の実力を考えると実は正解であったのではないだろうか。
アメがベルリン進撃を断念したのは、European Theater全体でアメの陸軍
が47万5000も失われ、とりわけ歩兵が足らなくなったからだと思う。
機械力がいくらあっても、歩兵が湯水の如く使えたソ連には分が悪かった
のだろう。太平洋戦争でも、太平洋方面で数少ないマッカーサーの陸軍が、
比島戦線に釘付けにされて、欠員が生じていたとか。しかし日本本土上陸
に必要なのは、まさに歩兵に他ならず、アメはソ連の助力を必要とした。
アメの機械科学がいくら優秀とはいえ、「歩の無い将棋は負け将棋」だ。
http://www.archives.gov/publications/reference_information_papers/82/appendix.html
>47万5000も失われ、 57万5000に訂正。 さらに付け加えれば、歩兵は敵陣に入ると武勲をあげ補給物資を得て、 「と金」になる。支那派遣軍はまさに大陸打通作戦の3000キロ 勝利行軍を完遂して、「金」になったのだ。
329 :
名無し三等兵 :02/10/04 15:28 ID:Kzf3H4Lj
330 :
:02/10/06 06:04 ID:LsA2kP+2
「戦場の女王」 は、砲兵では?
戦争の勝敗を決する一番の要素は歩兵、その次が航空戦力だ。大東亜
決戦の天王山だった大陸打通作戦の3000キロ勝利行軍は、そのこと
を明確に示している。打通作戦が締めくくりになった1945年初頭のアメ
の在外陸軍は確か68個師団が欧州、21個師団が太平洋・アジアであっ
たと読んだ覚えがあるが、
>>327 で損耗率が丁度その比率になってるから
これでそう間違ってないと思う。アメは対日戦の三倍以上の陸軍を対独
戦に向けてたにも関わらず、ベルリン以東はソ連領になってしまった。
アジアでも戦後の火種になることはわかりきったはずなのにソ連対日
参戦欲しさに満州権益を与えている。だからやはり歩兵の錬度×数こそ
が戦争の勝敗を決する、最も重要な要素なのだとおれさまは考える。
>第1総軍さん 非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ 御疲れサマでした。 勉強になりました。<(_ _)>
335 :
:02/10/06 23:09 ID:LsA2kP+2
>打通太郎さん 非常に簡単な打通作戦シリーズ 御疲れサマでした。 勉強になりませんでした。<(_ _)>
欧州戦線での喪失57万5000人か… 戦争末期のフィリピンだけで65万近くも喪失した帝国陸軍はやっぱりDQNとしか 言いようがないな。しかもこれ、餓死・戦病死がほとんどだろ? これじゃ人肉食もはびこるわな。
>戦争末期のフィリピンだけで65万近くも喪失した帝国陸軍はやっぱりDQN 比島方面帝国陸海軍人軍属全部で65万だったが、50万人失ったものの残りの 15万は最後までマッカーサーの米陸軍と戦闘中だった。一瞬で消滅したヘタレ 連合艦隊とは違う。それに、比島現地人ゲリラの襲撃も凄かった。
http://www.yasukuni.jp/annai/gaiyou.html 大東亜戦争における帝国陸海戦没者数は、靖国神社に記録された通り。
ただし空襲を受けた民間人の死者は算定されていない。しかしそれを
含めてもなお、ソ連の死者はその10倍なのだから上には上がいる。
Q3:一般市民の犠牲者はどのように扱われていますか?
A:なんらかの形で国のための任務を与えられていたか否かという点が、
合祀を行う対象を決める上での判断基準となっています。第二次大戦に
おける米軍の空襲による犠牲者などは一般的に含まれません。しかし、
犠牲者が勤労学徒として動員された場合や、強制疎開などの移動中に亡
くなった場合などは合祀されます。
例えば、沖縄から鹿児島へ強制疎開する途中、撃沈された輸送船に乗って
いた生徒達、ひめゆり部隊や従軍看護婦、終戦後、ソ連軍の侵攻を内地に通
報し命を絶った樺太真岡の電話交換手達、ソ連軍の侵攻で虐殺された満州開
拓の従事者といった人々も祀られています。
http://www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion1 (J)/yasukuni/Yasukuni.(J).htm#3
大東亜戦争では軍民合わせて211万の英霊が靖国に移された。おれさまに
言わせれば、軍隊としての損害は戦死より捕虜のほうが大きい。特に中国軍
の捕虜になることは最低最悪で、それは死より苦痛な阿鼻叫喚ものである。
「生きて虜囚の辱めを受けず」は英断で、そのお陰で支那派遣軍百万の精
鋭を中核として、帝国陸海700万を内外に維持することができたのだ。
最悪の比島戦線でさえもマッカーサーの陸軍が釘付けになっていたのだから、
それらの700万は戦力にならないとみるのは間違いだとわかる。
http://www.geocities.com/Tokyo/Flats/2847/Ymtcnn.htm シャンハイでの中国人による残忍行為を写したドキュメント写真
打通もそろそろシャレじゃ済まなくなって来た感じだな。
>15万は最後までマッカーサーの米陸軍と戦闘中 いや違う。餓死寸前でジャングルを彷徨中。 組織崩壊した状態で、逃げ惑いながら現地人の畑家を荒すので、 現地人を敵に回してしまった。 ほんと、どっちがゲリラなんだか判らない有様。 もう、戦力とかなんとか言ってられないよ。
日本陸軍は中国大陸では無敵で、大陸打通3000キロを縦横無尽に駆け巡った。
344 :
第一総軍 :02/10/12 23:11 ID:EC6GZr8f
まだ関東軍の滅亡シリーズは続ける予定です。 近日中にちょっとだけ書き込めるかと思います。
誤>日本陸軍は中国大陸では無敵で、大陸打通3000キロを縦横無尽に駆け巡った。 正>日本陸軍は中国大陸では無難に、大陸打通3000キロを縦横無尽に逃げ回った。
346 :
334 :02/10/13 02:40 ID:???
>344(第一総軍サマ) 大変失礼なレスをしてしまいスミマセンでした<(_ _)> 326の >以下次号 を見落としてしまいました。期待して御待ちします。 >336 どなたか存じませんが激しく同意。
347 :
第一総軍 :02/10/13 23:35 ID:jqxrn7Oi
334様、いえいえ、私が誤解を招く書き方をしてしまったのですよ。 非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その24 普通ならここでソ連参戦時の関東軍の戦闘序列に話を 進めるところだろうが、マイナー軍好きの私のこと、ここ で最終期の満州国軍について簡単に書いておきたいと思 う。 初期の満州国軍は、旧軍閥の帰順部隊などから編成さ れ、合計30個前後にものぼる各種旅(旅団)を保有して いたが、これらは当然軍閥軍同様私兵的性格が強く、国軍 としての信頼性に欠けるものであった。 その後、順次素質の悪い兵を退役させると共に、新たに 国軍として募兵した新兵を編入し、治安作戦などに一定 の戦果を挙げていた。 終戦時の満州国軍は兵員約15万、11個軍管区を数え るまでに成長していたが、昭和20年に入ってからかなり の部隊を工兵などの補助部隊に改編し、余剰となった兵 器を関東軍の新編部隊用に転用されていた。 また、それまで数多くあった混成旅の一部?を歩兵旅 に改編する等、残っていた戦闘部隊についても変動が大 きかったようだ。
348 :
第一総軍 :02/10/13 23:36 ID:jqxrn7Oi
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その25 ここで、簡単にソ連参戦時の満州国軍の戦闘序列について書いておこう。 但し、手元資料数種が例によって微妙に食い違っている為現在も新たな資料を取り寄せ中で、断定的な書き方を避けて敢えて大雑把にしておこう。
349 :
第一総軍 :02/10/13 23:37 ID:jqxrn7Oi
満州国軍 地方部隊 第一軍管区 歩兵旅1、工兵隊5、輜重隊2、汽車(自動車)隊1、通信隊、軍楽隊 第二軍管区 歩兵旅1、工兵隊5、輜重隊2、汽車(自動車)隊1、通信隊、軍楽隊 第三軍管区 歩兵旅1、工兵隊4、輜重隊1、汽車(自動車)隊1、通信隊、軍楽隊、山砲営1、騎兵団1 第四軍管区 歩兵旅1、工兵隊4、輜重隊2、、通信隊、軍楽隊 第五軍管区 歩兵旅2、混成旅2、輜重隊2、通信隊、軍楽隊 第六軍管区 歩兵旅1、工兵隊4、輜重隊2、汽車(自動車)隊1、通信隊 第七軍管区 歩兵旅1、工兵隊3、輜重隊1、通信隊 第八軍管区 歩兵旅1、工兵隊2、輜重隊1、通信隊 第九軍管区 騎兵旅1、野砲営1、輜重営1、通信隊、 軍楽隊 第十軍管区 独立騎兵団2、野砲営1、通信隊、輜重営1、軍楽隊 第十一軍管区 歩兵旅1、工兵隊2、輜重隊1、通信隊
350 :
第一総軍 :02/10/13 23:37 ID:jqxrn7Oi
中央部隊 第一師 第二師 禁衛隊 高射砲隊 鉄石部隊(歩兵、騎兵、鉄路警護旅各1) 鉄路警護軍(鉄路警護旅6) 江上軍(砲艦4、砲艇16他、江上軍3個団) 飛行隊(戦闘機約100機) 以下次号
日本軍は負けた負けたと言われるが、完敗全滅したのは海軍だけで、 陸軍は百戦無敗の支那派遣軍百万の精鋭を中核に、まだピンピンしてた。 戦争の勝敗は最後に残ったものが勝ち、枢軸軍では日本陸軍こそ最強だった。 これはちょうど第一次大戦で、イタリアがぬけトルコがぬけオーストリア がぬけ、最後に残ったドイツが枢軸最強であったというのと同じ理屈だ。
>351 枢軸?WW1で?
…確かに下半身はピンピンしてたな。 >戦争の勝敗は最後に残ったものが勝ち、枢軸軍では日本陸軍こそ最強だった で、45年8月以降に日本軍は残ってたワケか? 横井とか小野田というのを除いて。
打通作戦に不満があるとすれば発動が遅すぎたこと。インパール作戦と同時に 発動していたら、牟田口はディマプールまで進軍できて、あのような大量餓死 の悲劇は回避されたであろう。史実でも打通作戦がビルマ戦線に与えた影響 は非常に大きかったはずだ。所詮無益なたられば論ではあるが、牟田口司令官 一人を責めるのは間違いだとおれさまは言いたい。
>>354 >牟田口司令官一人を責めるのは間違いだとおれさまは言いたい。
正解!!
彼のような狂人又は、思考力の無い人間を将官にして仕舞った、
大日本帝国の軍事機構にこそ問題の根源が有る。
頼るべき物は行き過ぎた*精神力礼賛主義*の日本陸軍
しかし軍隊に<組織に>必要な物とは
「目標達成に必要な物は何か、手段は?」これらを組み立て、最適化する能力。
この能力に列強中最も劣っていたのが日本陸軍
最も秀でていたのが米軍であった。
他人に死を強要するのは作戦とは言えない。
精神力ダケで万事良しなら、飛行機も爆弾も銃も要らない。
気功師一人だけ居れば良い。
>「目標達成に必要な物は何か、手段は?」これらを組み立て、最適化する能力。 >この能力に列強中最も劣っていたのが日本陸軍 でも劣っていた割には中国軍には連戦連勝、大陸打通3000キロ。 支那派遣軍百万の精鋭は健在。 >精神力ダケで万事良しなら、飛行機も爆弾も銃も要らない。 制空権の無い場所での陸軍の快進撃はまず考えられない。だから大陸打通 作戦の3000キロ勝利行軍が為しえたのは、秋から出撃した4式戦疾風 をはじめとする、陸軍航空隊の技量であったと断言できる。
近頃本当にこの人って精神病かなんかで病院の中から書き込んでるんじゃない かって思うようになってきた・・・
それ言っちゃうと、編成ばっかり書いてるのも パッと見、荒しみたいだし。
キルレシオひとつとってみても、日中戦争は日本陸軍の栄光だった。おれさまの 言う「キルレシオ」は当然捕虜を含んでいる。寧ろ捕虜大発生こそ、敵の士気の 崩壊を物語るものであり、ドイツ軍のタイフーン作戦やブラウ作戦でソ連軍捕虜 が大量に出た時、ソ連当局は懸命に過小評価しようとする一方、戦後これに厳罰 を加えた。中国でいえば汪精衛はじめそれらは「漢奸」として歴史から抹殺される。
いいかげん、ネタとか荒らしとかいうレベルを超越しはじめたと思うのだが……
同意・・・・
362 :
第一総軍 :02/10/18 01:25 ID:ZwAdug3h
某スレで偽者が出たみたいですね。いい加減にしていただきたいものです。 別に名無しで書き込めばいいだけでしょうに。
あるこう〜 あるこう〜 わたしは〜 げんき〜 あ〜るくの〜 だいすき ど〜んど〜ん ゆ〜こ〜う〜〜
やけに陽気な打通さんだな。これなら許すw さ、さ、皆さん行進です。38式担いで元気良く! 第一総軍閣下も先頭で抜刀して行進の指揮を。
>>354 漏れの脳内妄想では、打通作戦は開戦直後(できれば開戦前)に発起して、
43年からはシンガポールー釜山間の鉄道路で
毎月30万トンの原油を内地へ輸送しているのだが。
インパール作戦は43年3月から実施、
米機動部隊と相討ちして再建中の日本機動部隊は
シンガポールから出撃してこれを側面支援。
366 :
三等兵 :02/10/22 00:00 ID:zpMfbpiB
日本軍の戦力の一つ、対戦車砲と戦車・・・。 この二点はどうしようもなかったらしいね。 ノモンハンでは敵戦車にピンポン玉のようにはじかれ、敵弾はかなりの角度でも有効打をだしたそうな。 で、活躍した対戦車砲にラ式なるものもあるが、これはどうもドイツ製らしいのだが、 敵からの鹵獲品を後方で補修して使ったために、かなりゴチャゴチャにはなっていた模様。 実際日本とドイツの37mm速射砲では日本製がドイツ製の約7割の性能しか有しておらず、 慢性的な弾薬不足で戦車を確実に倒せる距離まで、ひきつけねばならずかなりの苦戦を強いられた。 戦車は戦車で貧弱な砲・弾・エンジン・装甲等が災いし、数で勝るソ連戦車隊を相手に激しく苦戦。 結局歩兵の火炎瓶で敵戦車を撃退し、戦闘の中核を担うことは出来なかった。
>敵弾はかなりの角度でも有効打をだしたそうな。 でも97式中戦車は、4輌出撃して損失はたったの1輌だったんだよん。
馬鹿呼ばわりされることを承知でいえば、日本陸軍こそドイツ陸軍にも勝る、 枢軸国中で最強の軍隊だった。太平洋やインパールでは餓死病死続出で、 死亡キルレシオでは日本陸軍が圧倒的に酷いが、捕虜大発生はソ連参戦まで ずっと無かったからだ。捕虜は戦死体にも勝る多大な戦果で、情報収集も 勝利宣伝も強制労働も思いのままだからだ。だからソ連もドイツも中国も 自軍捕虜に対しては厳罰主義で臨んでいたわけだ。 捕虜になったほうが敵に負担をかけて合理的との三野正洋氏の指摘もあるが、 ソ連で捕虜として敵に負担をかけた功績で「ソ連邦英雄」になった将兵が居たのか。
>>368 少なくとも漏れは
戦陣訓も督戦隊も無い軍隊に徴兵されたい。
ついでに言えば
捕虜発生率が低くても一旦、収容所で尋問されたら、
べらべら喋らんでいい事まで喋ってしまう国の軍人捕虜は、、
対戦国に多大の貢献を成し遂げたのである。
シベリア抑留では民主化運動を率先して遂行した国の軍人捕虜は
対戦国もあきれる程の節操なし集団だったのである。
>捕虜になったほうが敵に負担をかけて合理的との三野正洋氏の指摘もあるが、 三野はやはりDQNだな。捕虜にタダ飯食わせておくほどお人よしな 軍隊なんて、世界のどこにもありゃあせん。
372 :
三等兵 :02/10/22 21:21 ID:???
>>367 それ以前にソ連軍の戦車は日本軍の戦車が倒せる程度の旧式戦車で、
兵員錬度は日本軍より劣るという2点があったから出来たことでは?
ソ連軍が仕掛けたピアノ線を罠と知らずに、身動き出来なくなったところを良く撃破された。
とか、
多量にやられた戦車を必死こいて回収、修理をしてやっとこさ数をそろえてたそうな。
それ以前に工場出荷時で、既に装甲が満身創痍の97式中戦車は兵器として既にどうかと・・・。
>多量にやられた戦車を必死こいて回収、修理をしてやっとこさ数をそろえてたそうな。 日本戦車はリサイクル機能に優れた、素晴らしい戦車だった。
安普請ともいう
375 :
三等兵 :02/10/23 05:38 ID:???
単純に戦車が減っても、補充されないから必死に修理しただけだろ?
アメだって神風特攻で損傷した軍艦を、修理してまた使ってる。おかげで 命中はしても撃沈に至ったものは少ない。
>>372 装甲が薄いから、ふすまを張り替えるみたいに簡単だったのかも
380 :
三等兵 :02/10/23 20:44 ID:???
>>378 装甲が常時割れるような戦車だったから、装甲の補修ぐらいならお手の物だったかもしれないですね。
加瀬英明氏だったか、インパール作戦はインド独立への重要なステップ であったというような論説もあったが、いかがなものか。占領できたのが コヒマだけだったというのがお寒いと思うのだが。インド打通作戦成功な らともかくも。おれさまの妄想では、大陸打通作戦をインパール作戦の前 にやっておけば、チベット独立にも繋がっていたのではないかと考えている。 植民地支配にしても、中国の支配は最低最悪で、チベットのような非武装 の仏教国を潰してしまったわけだ。
382 :
第一総軍 :02/10/24 23:31 ID:85c9vs4w
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その26 今回はソ連軍師団等の編制について見てみよう。 とはいっても、私はソ連軍の狙撃師団については良い資料を持っていない為又も第一スレ時代のばばぼん♪様の書き込みを利用させて頂きつつ、私流の纏め方をしてみることとしましょう。
383 :
第一総軍 :02/10/24 23:31 ID:85c9vs4w
1943年以降狙撃師団編制 師団司令部 狙撃連隊 狙撃大隊3(各狙撃中隊3 迫撃砲中隊) 短機関銃中隊1〜2/(2個は親衛師団) 偵察中隊1 対戦車砲中隊2 歩兵砲中隊1 重迫撃砲中隊1 狙撃連隊 同 上 狙撃連隊 同 上 榴弾砲連隊 大隊3(中砲大隊2 重砲大隊1)/無い場合多し 軽砲連隊 大隊2 対戦車砲大隊 中隊3 対空大隊 中隊2〜3/(親衛師団のみ) 工兵大隊 中隊3/(親衛師団のみ) 偵察中隊 支援部隊 段列
384 :
第一総軍 :02/10/24 23:32 ID:85c9vs4w
師団装備 152mm榴弾砲8 122mm榴弾砲24 76mm野砲16〜24 37mm対空砲12〜18 76mm歩兵砲36 120mm迫撃砲18〜27 82mm迫撃砲81 45又は57mm対戦車砲36 重機27〜54 軽機251〜336 自動小銃(恐らく1938年型半自動小銃)753〜672 小銃、短機関銃、対戦車銃は不明。但し、グランドパワー誌による自動車化狙撃大隊は対戦車銃18挺を装備しているのでそのまま当てはめると162となる。 小銃については狙撃連隊装備のみを計算すると1944挺になるが、他に騎銃や、狙撃部隊以外の装備もあるはずなので不明としておいた。 短機関銃はもし小銃部隊と同様の人員であると仮定すると189〜378(親衛師団はその二倍)又は324〜648だが編制内容は良く解らない為不明とした。 ※上記装備では、偵察中隊装備を一般中隊と同じとし、工兵大隊装備は不明なので参入していない。
385 :
第一総軍 :02/10/24 23:32 ID:85c9vs4w
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その27 上記は親衛狙撃師団等の優良装備師団の編制であるとの事であり、一般狙撃師団の装備を上記資料から概算すると以下の様になると思われる。 師団装備 76mm野砲16〜24 37mm対空砲12 76mm歩兵砲36 120mm迫撃砲18 82mm迫撃砲81 45又は57mm対戦車砲36 重機27 軽機251 自動小銃(半自動)753 小銃、短機関銃、対戦車銃不明。 日本軍側資料によるとソ連軍師団編制は以下の通り。 狙撃師団(甲) 狙撃大隊9 偵察大隊1 榴弾砲連隊1(24門) 軽砲連隊1(36門) 対戦車大隊1(18門) 高射砲大隊1(12門) 工兵大隊 狙撃師団(乙) 狙撃大隊9 軽砲連隊1(24門) 対戦車大隊(18門、36挺) 高射砲中隊(6門) 工兵大隊
386 :
第一総軍 :02/10/24 23:33 ID:85c9vs4w
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その28 ここまでに書き込んだ装備は編制表から単純に概算した物で正確を期し難い部分もあるが、日本軍編制も同様の概算値であるので簡単な比較には丁度いいだろう。 砲兵比較 ノモンハン時第二十三師団 10榴12 7.5野24 関特演時第一師団 15榴12 10榴24 7.5野12 レイテ時第一師団 15榴9 10榴18 7.5野9 第百七師団 15榴9 7.5野9 7.5山4 第百三十四師団(定数) 7.5野27 第百三十四師団(実際) 15加3 7.5野3 軽迫? 第百三十五師団(実際)10榴10 迫撃砲11 狙撃師団(戦前)15榴24 12榴12 7.5野24 狙撃師団(優良)15榴12 12榴24 7.5野16〜24 狙撃師団(一般)7.5野16〜24 これを見て気づくのが、関特演時第一師団の強力さである。この砲兵装備なら優良装備の狙撃師団(親衛等)と比較してそれ程見劣りしない。ノモンハン時の第二十三師団が善戦した事を考えれば控えめに見ても親衛師団と互角に戦えそうである。 又、意外に思えるのが第百七師団の砲兵装備が一般狙撃師団のそれを上回っている点である。根こそぎ動員の第百三十四、第百三十五師団の実際の砲兵装備も一般狙撃師団になら互角といっていいだろう。 だが公平を期して言えば、ソ連軍は他に数百門を有する砲兵師団等を幾つも投入して狙撃師団を支援できる態勢に有ったのに対し、関東軍は有力な支援砲兵をフィリピン、沖縄、本土に抽出されて弱体化している状態であった。
387 :
第一総軍 :02/10/24 23:34 ID:85c9vs4w
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その29 歩兵装備比較 ノモンハン時第二十三師団 重機78 軽機324 関特演時第一師団 重機110 軽機360 レイテ時第一師団 重機114 軽機260 第百七師団 重機72 軽機270 第百三十四師団(定数) 重機72 軽機264 第百三十四師団(実際) 重機不十分 軽機不明 第百三十五師団(実際) 重機36? 軽機132? 狙撃師団(戦前) 重機216 軽機243 狙撃師団(優良) 重機54 軽機336 狙撃師団(一般) 重機27 軽機251 狙撃師団(戦前)については自信が無い計算で、自分でも?な数字だが一応掲載した。ペーパープランだというが目安程度にはなるだろう。 例によって関特演時の第一師団の優秀性が目を引くが、第百七師団でも一般狙撃師団を明らかに上回り、優良狙撃師団に近い装備である。 根こそぎ動員師団(実際)2個は流石に見劣りする装備だが、それでも一般狙撃師団の6割強の装備を持っているとは言えるし、もし定数を揃えていれば互角以上だろう。
388 :
第一総軍 :02/10/24 23:35 ID:85c9vs4w
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その30 迫撃砲、歩兵砲比較 ノモンハン時第二十三師団 連隊砲12 大隊砲18 擲弾筒324 関特演時第一師団 連隊砲12 大隊砲18 擲弾筒356 レイテ時第一師団 連隊砲12 大隊砲18 擲弾筒243 第百七師団 連隊砲6 大隊砲18 擲弾筒255 第百三十四師団(定数) 連隊砲6 大隊砲18 擲弾筒255 第百三十四師団(実際) 不明 第百三十五師団(実際) 連隊砲3? 大隊砲9? 擲弾筒127? 狙撃師団(戦前) 歩兵砲18 82mm迫撃砲18擲弾銃972 狙撃師団(優良) 歩兵砲36 82mm迫撃砲81 120mm迫撃砲27 狙撃師団(一般) 歩兵砲36 82mm迫撃砲81 120mm迫撃砲18 歩兵砲について第一師団はほぼソ連軍師団に匹敵し、第百七師団は多少劣るといったところか。 但しソ連軍の歩兵砲が野砲転用だとすれば性能的に連隊砲は兎も角、大隊砲は大きく見劣りすることになる。 日本軍連隊砲、大隊砲は軽量故に戦場での機動力については優れていると考えられるから射程の劣勢をどこまで カバーできるかが評価の分かれるところだろう。 根こそぎ動員2個師団(実際)の装備はやはり大きく劣っている。 迫撃砲は予想通りソ連軍の独壇場だが、機動力により優れた擲弾筒を大量に装備した日本軍師団が何処までこれに 対抗できるかが又も評価が分かれる。 これら「歩兵の大砲」については、威力と射程のソ連軍、機動性の日本軍という色分けができるが、優劣は単純には評価出来ない。 ソ連軍優勢か?といった程度にしておこう。
389 :
第一総軍 :02/10/24 23:37 ID:85c9vs4w
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その31 対戦車砲比較 ノモンハン時第二十三師団 37mm砲12 関特演時第一師団 37mm砲24 20mm自動砲18 レイテ時第一師団 37mm砲12 第百七師団 37mm砲6 第百三十四師団(定数) 37mm砲6 第百三十四師団(実際) 不明 第百三十五師団(実際) 37mm砲3? 狙撃師団(戦前) 45mm砲36 14.5mm対戦車銃不明 狙撃師団(優良) 45又は57mm砲36 14.5mm対戦車銃162? 狙撃師団(一般) 45又は57mm砲36 14.5mm対戦車銃162? この分野ではもはや比較にならない。日本軍の対戦車砲は至近距離から側背面を狙わねば効果が無い状態であり、数量的にも大きく劣っている。 連隊砲等へ頼みのタ弾の供給も始まっていたはずだが、それを言うならソ連軍歩兵砲も対戦車威力を発揮するだろう。 ソ連軍といえども装備が定数通り充足しているとは限らないが、結局歩兵の勇戦に期待するしかない。 以下次号。
大体においてヨーロッパ戦域は、ジャングル病、マラリア、デング熱、 そのほか熱帯特有の病気に冒されないだけでも、まともな戦場といえた。 大戦中もっとも病気が恐ろしかった戦場は二つあり、一つはビルマで、 もう一つはニューギニアだった。イギリス軍の経験では、一九四三年 にビルマ戦線で戦闘による負傷者を一人後方に移送するたび、戦闘以外 の原因で後方に移送する者は百四十人を数え、その大半がマラリア および他の熱帯性の病気の罹患者だった。この数字は一九四四年には、 徹底した防御策と新薬の導入により六十人に落ち、一九四五年には 四十人へと激減した。それでもなお、罹患者数は実に多い。 アメリカ軍に目を向けてみよう。アメリカを離れなかった軍人や非戦 闘区域にいた軍人などを含め、アメリカ軍全体で考えると、戦闘による 負傷で戦闘不能になった者の率は、わずか一八%にすぎない。ビルマ、 ニューギニア、その他の熱帯地域で戦った軍人は、イギリス軍と同様、 数多くの熱帯性疾病の危険にさらされた。罹患者は敵軍による負傷者 より多い。敵軍がいなくても、病気の危険は去ってくれないからだ。 アメリカ軍はメラネシアにあるサンタクルス諸島のヌデニに飛行 基地をつくろうと企てたが、多数の工兵が次々とマラリアに倒れ、 計画を放棄せざるを得なかった。それに加え「内国地帯」(軍事用語 =交戦国内で作戦地域を除く地域)での事故率が、飛び抜けて高かった。 一九四三年だけで、軍事関係の飛行事故で五千人が死んでいる。 第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著 大貫昇/訳
391 :
第一総軍 :02/10/25 23:10 ID:Tbrv4RXr
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その32 ソ連軍の主戦力、機械化部隊2種の編制に入ろう。 1943〜1944型戦車軍団編制 軍団司令部 戦車旅団 戦車大隊3 自動車化短機関銃大隊(中隊3 迫撃砲班 重機関銃班)対戦車砲中隊 対戦車銃中隊 高射機関銃中隊 戦車旅団 同 上 戦車旅団 同 上 自動車化狙撃旅団 大隊3(各中隊3 迫撃砲中隊 対戦車銃中隊 対戦車砲小隊 短機関銃小隊) 重迫撃砲大隊 偵察中隊 軽自走砲兵連隊 重自走砲兵連隊 重迫撃砲連隊 戦車駆逐連隊 高射機関砲連隊 対戦車大隊 ロケット砲大隊 偵察大隊 自動二輪大隊 工兵大隊 通信大隊
392 :
第一総軍 :02/10/25 23:10 ID:Tbrv4RXr
軍団装備 T34/85戦車200 装甲車31 装甲兵車43 152mm自走長榴弾砲20 85mm自走加農砲20 132mmロケット発射機8 76mm加農砲48 45mm対戦車砲46 37mm高射機関砲16 120mm迫撃砲42 82mm迫撃砲52 14.5mm対戦車銃207 12.7mm高射機関銃55 重機47 軽機415 火炎放射器10 短機関銃2963 半自動小銃又は騎銃7180 人員11,964 その他車両多数 戦車「軍団」と銘打っているが、見ての通り実際の規模は「師団」規模である。 もしこの定数を揃えているとすれば誠に恐ろしい戦力であり、当時の弱体化した関東軍で対抗出来る筈もない。 しかし、上記の装備を合計すると人員数を上回りかねない数であり、実際この装備を本当に充足していたかは多少疑問も有る。 関東軍に残された2個戦車旅団の装備戦車が約200輌と言われるが、ソ連戦車軍団1個で充分始末できるだろう。 戦車性能はここに書くまでも無いが、せめて一式、九七式改でなら劣勢ながらも多少は打つ手もあるかも知れないが、実際にはより旧式の戦車もかなり混じっていたはずの関東軍である。 尚、戦車軍団に所属しない戦車旅団も存在し、歩兵支援等の任務に使用されていたらしい。
393 :
第一総軍 :02/10/25 23:11 ID:Tbrv4RXr
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その33 1944年型機械化軍団編制 軍団司令部 機械化旅団 機械化狙撃兵大隊3? 他 機械化旅団 同 上 機械化旅団 同 上 戦車旅団 戦車軍団参照 自走中砲連隊 自走重砲連隊 戦車駆逐連隊 高射機関砲連隊 重迫撃砲連隊 対戦車大隊 ロケット砲大隊 偵察大隊 自動二輪大隊 通信大隊 工兵大隊
394 :
第一総軍 :02/10/25 23:11 ID:Tbrv4RXr
軍団装備 T34/85戦車192 装甲車48 装甲兵車35 152mm自走長榴弾砲20 85mm自走加農砲20 132mmロケット発射機8 76mm加農砲64 45mm対戦車砲52 37mm高射機関砲16 120mm迫撃砲54 82mm迫撃砲100 14.5mm対戦車銃375 12.7mm高射機関銃55 重機109 軽機731 火炎放射器10 短機関銃4900 半自動小銃又は騎銃10,098 人員17,457 その他車両多数 機械化「軍団」も戦車軍団と同様、その名称にかかわらず「師団」規模である。 主戦力は機械化旅団3個であるが、装備戦車数は戦車軍団と殆ど変わらないこともあり、機械化軍団の方が使い勝手の良い部隊に見える。 私はソ連軍に詳しくないが、旧式化したT34/76戦車も終戦時まで運用されていたはずなので、或いはこの様な機械化軍団や歩兵支援用の独立した戦車旅団に配備されていたのかもしれない。識者の情報を待つ。 その他、極東ソ連軍には戦前期からの旧式戦車(BT7やT26等)を装備した独立戦車大隊も存在し、T34等の大型戦車が行動困難な地域で相応の活躍をしたらしい。 又、後に書くことになる戦闘序列によると戦車師団の存在も確認できる。ソ連が戦車「師団」を運用していたのは戦前から独ソ戦初期までの筈なので、これも極東で関東軍と対抗する為に残された編制の古い戦車部隊であると思われる。やはり装備戦車も旧式が主体だろうか。 以下次号。
395 :
第一総軍 :02/10/25 23:14 ID:Tbrv4RXr
例によって不完全な資料による考察ですが、間違いなども色々あるかと思います。 気づいた方は御指摘ください。 沢山書いたので疲れました。今度誰か奢って下さい。
396 :
名無し三等兵 :02/10/25 23:45 ID:tKh9WEOm
一般的に言って、中国軍は決して弱くはない。朝鮮戦争でも共産軍主力は 中国軍だったし、ベトナム戦争でも明らかに中国が参戦してた。北ベトナム が存続していたのも中国経由での後方支援があったからこそで、その代金を めぐって中越戦争も起こってる。
↑ 蛇通様を穴から呼び出す呪文 唱えちゃダメ!
398 :
名無し三等兵 :02/10/26 00:04 ID:G+iEgxgi
お疲れ様〜>第一総軍様
399 :
第一総軍 :02/10/26 01:58 ID:F2XGP9iq
訂正を発見しました。 386の砲兵比較を 第百三十四師団(実際) 15加3 7.5野3 旧式野砲+軽迫? 第百三十五師団(実際)旧式野砲+10榴10 迫撃砲11 に訂正します。 又、改行の関係上読みずらい部分が多くなったことを将来分も含めてお詫びしておきます。
400 :
400 :02/10/26 03:18 ID:???
get
蒋介石が岡村寧次大将ら旧日本軍将校らを国民党軍事顧問として重用した一方、 抗日戦争の英雄とされたはずの張学良は釈放しなかった。これはやはり満州事変 でイチコロ負けした、味方のザコよりも、大陸打通3000キロ勝利行軍で中国 軍をボコボコに壊滅させた、敵ながら優秀な人材とをしっかり区別していたからだ。
打通的には中国軍=ゴロツキ集団だろ。 そのゴロツキに雇われた旧日本軍将校・・・。
>そのゴロツキに雇われた旧日本軍将校・・・。 ゴロツキどもを、まともな軍隊に少しでも近づけるよう、手ほどきをしたのだ。
>>403 要するに節操のない将校というわけだな。
405 :
言っちゃワルいが :02/10/29 08:31 ID:g201x9SR
蒋介石つーのは、いつでも他力本願で、外国のヘルプばっかしだった、 アメリカの近代兵器援助を独り占めできたのも蒋介石だけだったのに、 負け戦ばっかし、 終戦時には日本は世話にもなったものだが、 他国のふんどしで戦をすることしか知らない武人ではない、 奥さんの宋美令にも頭が上がらなかったらしい、
>>390 日本軍のシベリア派兵のときは性病罹患による戦闘力喪失が深刻な問題であった。
略)
派兵当時、戦死傷による戦線離脱のそれよりも、はるかに多くが性病罹患によって
後送されていたのである。
戦地に於ける性欲処理は帝国陸軍にとって重視せざるを得ない問題となっていた。
そこで内地の公娼制度に準じ、専ら性欲処理を専門とする女性を戦地付近の
拠点に置く事になったのが、軍事史的に見ても稀な従軍慰安婦制度の始まりである。
以下略)
おれさま戦争責任論 日本が中国から日中戦争のことでずっと恨まれるのは、輝かしい勝利の証。 ロシアはドイツにあれだけ住民虐殺をほしいままにされたにも関わらず、恨み言 が言われることが全くないのは、戦争で勝てたからだ。プーチン大統領もそう 言ってた。中国の場合は大陸打通作戦でボコボコにやられたままで内戦に突入、 日本占領に関して何らの発言権ももち得なかった。この怨念はずっと消えまい。
>>407 中国は日本の政治に十二分に発言権をもってるだろうがボケ。
怨念どころか高笑いしてるだろうよ。
>>408 打通タンは「日本の政治」ではなく
「日本占領」に関して「発言権を持ち得なかった」と
書いたように見受けられるが。
>409 一時的な「占領」に関与するより、 駄通氏が称揚する旧軍により被った被害をネタに 現実の「政治」に延々と干渉するほうが中国にとってはお得、 怨念を持つどころではありますまい
>駄通氏が称揚する旧軍により被った被害をネタに >現実の「政治」に延々と干渉するほうが中国にとってはお得、 1972年まで日本は中国と国交が無くて、たかられるのはその後から。 少なくとも戦後27年間は中国との関係を断つことができた。打通作戦 についても重慶を落せなかったとか、インパール作戦に間に合わなかった とかの不満な点もある。しかし、最後の大作戦で中国をコテンパンにやっ つけてグウの音も出させないようにしておいたことが、どれだけの福音 であったことか。連合国で最も強硬に対日懲罰を主張したのは圧倒的に 中国だったはずだ。この時期にこそ中国軍は弱い以前に、自分の国の国土 と住民を放り棄てても海外資産の確保が優先なゴロツキチンピラの集団だ と内外に示しておいたことが、どんなに有意義であったことか。
中華民国って知ってるか?駄通サンよ。 しかし毎度毎度何処の精神病院から書き込んでいるのやら・・・
413 :
第一総軍 :02/11/02 23:42 ID:Z30QKysO
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その34 一部以前の記述と重なるが、満州、朝鮮方面の主要兵団の増減を確認してみよう。 朝鮮からは昭和18年1月に第二十師団をニューギニアへ、19年12月には第十九師団をフィリピンへ転用し、在朝鮮の師団数はゼロとなった。 20年に入ると第一次計画として第七十九師団を新設(但し関東軍に転出)、内地から第九十六師団が増強、第二次計画では第五十八軍司令部と2個師団を新設、関東軍から2個師団が増強。第三次計画で更に1個師団が新設され更に1個師団が関東軍から増強された。 これによって朝鮮の第十七方面軍は2個軍、9個師団、3個独混旅団基幹に成長したが、しかしこれらの内3個師団、1個旅団は済州島、4個師団、1個旅団が南鮮にあってそれぞれ対米作戦に備えており、対ソ作戦兵団は第三十四軍の2個師団、1個旅団のみであった。
414 :
第一総軍 :02/11/02 23:44 ID:Z30QKysO
満州からは19年2月から20年初めまでに方面軍司令 部1、軍司令部3、師団10、戦車師団1、飛行師団2 とその他補助部隊多数が転用されたが、補填は方面軍 司令部1と新設師団6のみであった。 20年2月、国境守備隊等を改編して師団8、混成旅 団4を編成したが、在来の師団3、戦車師団1及び軍需 品の3分の1と幹部多数を内地に、新設の3個師団を朝 鮮に転用された。 4月にソ連より中立条約の不延長が通告され、5月支 那派遣軍から第三十四軍司令部と4個師団(内警備師団 3)が増強、7月に8個師団と7個独混旅団を新設して一 応の態勢を整えた。 当然ながら新設師団の戦力は低い物であり、ソ連軍と の真面目な戦闘には自信が持てなかった。 その為関東軍としては不延長通告後尚1年の有効期間 がある中立条約を利用して新設兵団の訓練と装備を行な うこととし、具体的な作戦としては7月に「満州の広域 を利用して敵の侵攻を破砕するに努め、やむを得なくなっ ても連京線、京と線以南の要域を確保して大東亜戦争の 遂行を有利ならしめることと」に決定した。
415 :
第一総軍 :02/11/02 23:45 ID:Z30QKysO
非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その35 今回は漸く関東軍の戦闘序列に入ろうと思うが、何分大部隊であり、簡単にさせて頂く。 関東軍総司令部 1HA 3A 79D,112D,127D,128D,独混132B,機動1B,混101連隊,羅津要塞守備隊,重砲兵連隊3,独立重砲中隊1,独立臼砲中隊1他 5A 124D,126D,135D,15国守,9遊撃隊,独立速射砲大隊1,野戦重砲兵連隊1,独立重砲兵大体2,同中隊1,迫撃砲大隊1,工兵隊司令部1,独立工兵連隊1他 1HA直轄 122D,134D,139D,独立工兵連隊1他 これらの部隊は東満一帯の防衛を担当した。
416 :
第一総軍 :02/11/02 23:46 ID:Z30QKysO
3HA 30A 39D,125D,138D,148D,重砲兵連隊2,独立重砲兵大隊1,独立野戦重砲兵大隊1,独立臼砲大隊1,工兵隊司令部1,独立工兵連隊1他 44A 63D,107D,117D,独立9TKB,2遊撃隊,独立速射砲大隊1,野戦重砲兵連隊2,独立重砲兵中隊1他 3HA直轄 108D,136D,独混79B,独混130B,独混134B,独立1TKB,11遊撃隊,野戦高射砲連隊1,同大隊6,同中隊1,野戦機関砲中隊12,高射砲連隊1,要塞重砲兵中隊1他 これらの部隊は南満一帯、満州西部の防衛を担当した。
417 :
第一総軍 :02/11/02 23:47 ID:Z30QKysO
4A 119D,123D,149D,独混131B,独混136B,12遊撃隊,独立速射砲大隊1,独立野砲兵大隊1,迫撃砲大隊1他 これらの部隊は北満一帯の防衛を担当した。 34A 59D,137D,独混133B,独立野砲兵大隊1,迫撃砲大隊1,永興湾要塞守備隊他 これらの部隊は第十七方面軍の対ソ兵団として北鮮の防衛を担当した。尚、同方面軍の他の7個師団と2個独混旅団は対米兵団である為割愛した。 2航空A 独立飛行団1,教育飛行団1,飛行戦隊1他 ※Aは軍、Dは師団、Bは旅団、TKBは戦車旅団を指す。 以下次号
我が帝国陸軍は永久に不滅ですっ!
>そのゴロツキに雇われた旧日本軍将校・・・。 雇われたのではなく、指導にあたった。岡村寧次大将の「支那派遣軍百万の 精鋭健在」というのはやはり本当で、そうでなければただの敗残兵を軍事顧問 に招待する理由など、どこにもあろうはずはない。
少なくとも支那派遣軍に関しては連戦連勝で、敗戦責任を問われる 筋合いはどこにもなかった。だから、岡村大将をはじめ支那派遣軍 将校たちは、戦後も引き続き常勝将軍で通ったわけだ。
>命乞いして拾われたただの傭兵 命乞いして捕虜になり強制労働にこき使われた米英仏独ソ中各国の兵士たちは? ま、日本軍将校は優遇されたわけだから全然違うのだがな。岡村らがA級戦犯 だとすれば、犯罪者を匿ったのはやはり駄痛のいうゴロツキ国民党軍だったか。 また昭和天皇はじめ旧日本軍戦争指導者たちを冤罪にしたアメリカ占領軍も、 実は同じ穴のムジナだったのかもしれんなあ。戦争責任って何だろう・・・
嗚呼、帝国陸軍軍歌「陸軍えもんのうた」 ♪あの国いいな、攻めたらいいな、あんな国、こんな国、いっぱいあるーけどー ♪みんな、みんな、みんな、打通してくれる、へたれた根性で打通してくーれーるー ♪日本を勝手に動かしてぇーなー(ハイ、クーデター!) ♪軍、軍、軍、とっても大好き、日本〜軍〜!
とりあえず、中国に100万人の兵力が展開してたら、主要装備として 一人につき一丁の「マグナム」が下半身に装備されてるわけだから、 発砲したがる「マグナム」の抑制が必要ですな。 南京で暴発したりしないように。
>>422 そのゴロツキとやらにあっさり雇われているから傭兵なんだよ。打通サン。
他方では多数の部下将兵が大陸で刑死、または国共内戦に巻き込まれ戦死してく中でな。
427 :
佐藤晃 :02/11/07 21:28 ID:???
ルメイの無差別焼夷攻撃の暴挙は全国各都市に拡げられた。老若男女の区別なく 住宅ぐるみ焼き払って回った。防空戦闘隊は本土決戦のための戦力温存とかで迎撃 もしない。戦略拠点外の全国の都市を護る高射砲などない。B29のなすがままである。 そして遂に原子爆弾、ソ連の条約無視の参戦と続く。 昭和天皇はポツダム宣言の受諾を決意された。無条件降伏である。 陸相阿南惟幾は本土決戦で一端敵に大打撃を与え、しかる後、より有利な条件での 和平を主張した。陸軍は狂気のように本土決戦、一億玉砕を叫んだ。ということに戦 後史ではなっている。確かに陸軍の中にその様な空気は濃厚であった。しかし、阿南 をその同類にしてしまうのはいかがなものであろうか。 結論から言えば、阿南は昭和天皇に劣らぬ終戦の立て役者である。陸軍に徹底抗戦 論があって当然である。本土には本土決戦に腕を撫す百万の大兵がいる。支那大陸に は百戦無敗の大軍がある。中央省部には血気盛んな若手参謀がいる。太平洋の孤島に 於て補給を絶たれ、玉砕を繰り返した無念を、海軍に頼る必要のない本土決戦でこそ 晴らしてくれよう、と戦意を燃やして当然である。
>命乞いして拾われたただの傭兵だよ。 V2号を設計したフォン・ブラウン博士らが戦後アメリカの宇宙産業に吸収されたのは? あ、ゴロツキに雇われた用心棒と一緒にしたら失礼かもな。
ゴロツキに雇われた岡村一派を崇拝しているわけか駄通は。
ゴロツキに雇われるくらいな自決すべきなんじゃないの?駄通的にはさ。 玉砕太郎なんだろw
タウゼン玉砕前ニハ慰安所へ赴キ、 女体へ銃剣突撃ヲ敢行セントス。
432 :
第一総軍 :02/11/07 23:28 ID:CvLHYHeV
Lans様、資料の提供感謝します。他にも良いサイトがあったら宜しくお願いいたします。 現在対日参戦時のソ連軍戦闘序列を製作中ですが、部隊数が多すぎて嫌になってきます。 又、ここから先の書き込みは殆ど「ソ連軍侵攻と日本軍」からの物になってしまうのでテンションも下がりっぱなしです。 ここまでは何とか各種資料を使用して自分で考えて書き込んできたのでやりがいも有ったのですが。 あっ関係ないですが、昔のコマーシャルで「やりがい」という貝を背中につけて「おまえのやりがい大きくなったじゃないか」とか話をするのがありましたね。現在の私の「やりがい」はたにし程度ですよ。
>432 第一総軍さま なんといっても滅亡シリーズですからね。 ソ連の編成から、総戦力を確認した段階でいやになるのも当然です。 (でも、欧州戦線はもっと鬱になりますよ。しかも、本土決戦突入してますし) でも、第一総軍さまなら、この滅亡シリーズで資料をそろえれば 次に・・・ 「いかに、この関東軍戦力で史実以上の抵抗が出来たか?」などの考察展開も可能でしょう。 実は、そのあたりに期待してたりします(汗) 資料サイトもなんか見かけたら出しますね。 といっても、編制・戦力系サイトなんて、そうは見かけないんですよね。 基本的には、今まで読んだりして溜めた書籍が基本になってしまいます。 日本人の書いたソ連満州侵攻は一兵士の目から見た本が殆どで・・・ 感傷的であったりして、当時の絶望的雰囲気はひしひしと伝わって良いのですが・・・ 残念ながら資料としての意味合いが低いのが多いというのがとても残念です。 (国会図書館に公刊戦史でも見に行けば一発なんでしょうが、そう時間もないですし) (その意味でも第一総軍さまの、この企画は非常に有効かと思います) ただ、一般市販本の中では、題名は忘れましたが、ソ満国境の要塞部隊の侵攻初期の奮戦を描いたものに良いのがあったように記憶しています。 文庫化されてましたが・・・タイトル・・・なんだったかなぁ・・・ (とりあえず、草葉の陰から応援します)
どうも、お久しぶりです。
仕事が忙しく、フィリピン戦の原稿がなかなか進みません(+_+)
シナリオ作成と平行してやると方向性が分散してダメだな。楽しいんだけど(笑)。
>>433 佐藤和正著「最後の関東軍」でしょうか。
東寧東方のソ満国境に展開していた独立混成第百三十二旅団(第一国境守備隊)の奮戦記です。
光人社NF文庫に入ってます。
>434 ばばぼんさま >佐藤和正著「最後の関東軍」 そう、それです! (ありがとうございますです) 結構、良かったです。これ。 確か、元参謀さんでしたっけ?著者の方は? で、資料としても、結構信頼が置けるし、客観的に両軍を描いてると思いました。 日本の当事者の書いた戦記物としては珍しいかな?と (特に陸軍関係としては・・・) (海軍関係は、客観的なものが多いように思えるのですけど)
確か、編集者上がりのノンフィクション作家だったかと<佐藤和正 小説風のドキュメンタリーを書く人ですね。 この人は日本海軍ものも多く書いてます。 大戦末期の対ソ戦についての市販資料はなかなかコレというのが見つかりません。 どうしても関東軍の壊走と置き去りにされた民間人に焦点が行きがちです。 北方での戦闘を扱った、中山隆志著「一九四五年夏 最後の日ソ戦」は如何でしょう。 地理的な知識がないと少々読みづらい(←経験者 ^^;)のですが、ソ連側の資料とつきあわせて書かれたものです。 著書は元陸将補で、現防大教授の方です。中公文庫に入ってます。
一九六二年、昭和三七年夏のことである。牟田口はインパール戦当時の英軍 現地作戦参謀A・J・バーカーからの書翰に接した。彼は目下「デリーへの進軍」 という戦記を執筆中であり、牟田口に質問を寄せてきたのである。 牟田口はコヒマ占領直後ディマプール突進を企図し、それが実現できなかった 経緯を書き送った。バーカーの返事は以下の通りである。 「(前略)佐藤将軍がディマプールを奪取しえたであろうという貴殿の信念は 全く正しいものであります。数日前、スタッフォード将軍(筆者注・ディマプール 方面の英第三三軍団最高司令官)にこの件に関し尋ねましたところ、若し第三一 師団(筆者注・烈)がコヒマ牽制のために極く少軍のみを残し、更に急進してい たならば、彼は“窮地に陥っていた”(A proper mudle)ことであろうと申し ていました。(後略)」 牟田口は祖国日本ではなく昔の敵国英軍に理解者の存在したことをせめてもの 慰めに世を去った。 当時、コヒマ占領さるの報告にスタッフォードは、我が耳うを疑って「トヘマ の間違いではないか」と何度も聞いた、という記録もある。 また当時第二師団参謀として牟田口軍と砲火を交えたアーサー・スウィンソンは その著「四人のサムライ」の中で、次ぎのように記している。 「あの決定的瞬間にたまたまディマプールにいたこの本の著者の見解では、彼は 成功していたと思う。当時のディマプールは全地域にわたって、狼狽と混沌の中 にあった。何千と言う苦力が道路にむらがっていた。血走った日の通信隊の列が ぶっつかりながら動いていた(略) こうしてディマプールを手中にすれば食料・弾薬、ガソリン、輸送車が無尽蔵 にあったのだから牟田口は確かに勝っていた。当時の状況としては、勝負はまっ たく髪毛一本の競り合いだった(略)」
439 :
第一総軍 :02/11/10 00:05 ID:xO9EviIU
皆様、ソ連軍の戦闘序列ですが、部隊数が多すぎるので番号を省略して「狙撃師団3」とかいう風にさせて頂きます。 それでさえもう暫くかかりそうですが。
「戦後 戦死者5万人の謎を解く」(大庭忠男 著) 中国大陸で昭和20年8月15日以後の「戦死者」51,000名(海軍700名含む) 中でも悲惨なのは「上官命令」で閻錫山軍に参加させれらた兵たち 戦死してもあとから「自由意志による参加」とされ遺族年金も支給されず こーゆ〜点から見て岡村寧次とはただ陰険狡猾な蒋介石に利用された 世間知らずのボンボン将軍だったってこと。
441 :
第一総軍 :02/11/10 23:05 ID:1o1T4XUs
極東ソ連軍 ザバイカル方面軍 17A 直轄 狙撃師団3、独立戦車大隊2、戦車駆逐砲旅団1、各種砲兵連隊4、高射砲連隊1、同大隊3、迫撃砲旅団1、駆逐戦車連隊1 36A 2C 狙撃師団3 86C 狙撃師団2 作戦集団 狙撃師団2、陣地守備隊2 直轄 戦車旅団1、独立戦車大隊2、装甲列車隊2、各種砲兵連隊7、戦車駆逐砲連隊1、高射砲兵師団1、同大隊2、攻城工兵旅団1 39A 親衛5C 親衛狙撃師団3 94C 狙撃師団3 113C 狙撃師団3 5穿貫砲兵C 親衛穿貫砲兵師団2 直轄 戦車師団1、戦車旅団2、自走砲連隊3、加農砲旅団1、戦車駆逐砲旅団1、同連隊1、親衛迫撃砲旅団1、各種砲兵連隊8、高射砲兵師団1、同連隊1、同大隊1、攻城工兵旅団1 53A 18親衛C 親衛空挺師団1、親衛狙撃師団2 49C 狙撃師団2 57C 狙撃師団2 直轄 榴弾砲旅団1、戦車駆逐砲旅団1、各種砲兵連隊3、独立高射砲兵師団1、同大隊2、攻城工兵旅団1
442 :
第一総軍 :02/11/10 23:06 ID:1o1T4XUs
6親衛戦車A 親衛戦車軍団1、親衛機械化軍団2、自動車化狙撃師団2、自走砲旅団2、親衛オートバイ大隊1、独立戦車大隊3、独立特別任務大隊1、軽砲兵旅団1、各種砲兵連隊3、高射砲兵師団1、自動車化工兵旅団2 機械化騎兵集団 騎兵師団1、自動車化狙撃師団1、機械化旅団1、戦車旅団1、オートバイ連隊1、戦車駆逐砲旅団1、高射砲兵連隊2、各種砲兵連隊1、モンゴル騎兵師団4、モンゴル自動車化装甲旅団1、モンゴル独立戦車連隊1、モンゴル砲兵連隊1 HA直轄 狙撃師団2、戦車師団1、戦車旅団1、パラシュート大隊1、独立装甲列車隊3、親衛機械化軍団1 12航空A 6爆撃飛行C 爆撃飛行師団2 7爆撃飛行C 爆撃飛行師団2 各種飛行師団9、各種飛行連隊4、独立重爆飛行大 隊1 ザバイカル航空A 高射砲師団3、駆逐飛行師団1
443 :
第一総軍 :02/11/10 23:08 ID:1o1T4XUs
1極東HA 1赤旗A 26C 狙撃師団3 59C 狙撃師団3 直轄 野戦陣地守備隊1、陣地守備隊1、戦車旅団3、独立戦車連隊1、親衛自走砲連隊3、加農砲旅団1、軍団砲兵旅団2、戦車駆逐砲旅団1、迫撃砲旅団1、親衛迫撃砲旅団1、高射砲兵師団1、同大隊3、工兵旅団2 5A 17C 狙撃師団2 45C 狙撃師団3 65C 狙撃師団4 72C 狙撃師団3 直轄 陣地守備隊1、戦車旅団5、親衛自走砲連隊6、独立走装甲列車隊1、親衛加農砲旅団1、 加農砲旅団4、強力榴弾砲旅団3、軍団砲兵旅団4、榴弾砲旅団2、戦車駆逐砲旅団1、 同連隊1、特別強力加農砲連隊2、同大隊2、迫撃砲旅団4、同連隊1、親衛迫撃砲旅団3、 同連隊6、高射砲兵師団1、同大隊3、自動車化突撃攻城工兵旅団1、攻城工兵旅団2、 自動車化工兵旅団1、独立ポントン橋大隊1 25A 39C 狙撃師団3 直轄 狙撃師団1、陣地守備隊6、戦車旅団1、独立装甲列車隊1、加農砲旅団1、軍団砲兵旅団1、特別強力砲兵旅団1、戦車駆逐砲連隊1、高射砲兵連隊1、同大隊2、独立工兵大隊2、独立攻城工兵大隊1
444 :
第一総軍 :02/11/10 23:08 ID:1o1T4XUs
35A 直轄 狙撃師団3、野戦陣地守備隊1、陣地守備隊1、戦車旅団2、軍加農砲旅団1、強力榴弾砲旅団1、戦車駆逐砲旅団1、迫撃砲旅団1、親衛迫撃砲連隊1、独立装甲列車隊2、高射砲兵連隊1、同大隊3、 チュグェフスク作戦集団 狙撃師団2、陣地守備隊2 HA直轄 87C 狙撃師団2 88C 狙撃師団2、騎兵師団1 機械化軍団1 9航空A 19爆撃飛行C 爆撃飛行師団2 直轄 各種飛行師団6、各種飛行連隊4 沿海航空A 11防空C 高射砲師団3、駆逐飛行師団1
445 :
第一総軍 :02/11/10 23:09 ID:1o1T4XUs
2極東HA 2赤旗A 直轄 狙撃師団3、山岳狙撃連隊1、陣地守備隊1、戦車旅団3、独立装甲列車隊6、独立装甲トローリー大隊1、加農砲連隊3、迫撃砲連隊4、戦車駆逐砲連隊1、親衛迫撃砲連隊1、高射砲兵連隊1、同大隊2、独立ポントン橋大隊1、独立工兵大隊1 15A 直轄 狙撃師団3、陣地守備隊2、戦車旅団3、駆逐戦車旅団1、加農砲連隊5、榴弾砲連隊1、戦車駆逐砲連隊2、迫撃砲連隊2、親衛迫撃砲連隊2、高射砲兵師団1、同連隊1、同大隊4、ポントン橋旅団1、自動車化突撃工兵旅団1、独立工兵大隊2 16A 56C 狙撃師団1、同旅団1、同連隊1、同大隊1 直轄 陣地守備隊2、狙撃旅団2、同連隊2、同大隊1、戦車旅団1、独立戦車大隊2、加農砲大隊1、独立砲兵大隊2、独立対空大隊1 HA直轄 5C 狙撃師団2、同旅団1、戦車旅団1 カムチャッカ防衛地区隊 狙撃師団1、同連隊1、同大隊2 独立装甲列車隊2、戦車駆逐砲旅団1、加農砲連 隊1、榴弾砲連隊2、高射砲兵連隊2、同大隊3、 自動車化工兵旅団1 10航空A 18混成飛行C 各種飛行師団2 直轄 各種飛行師団6、各種飛行連隊3 在アムール航空A 2個防空軍団 高射砲師団2、駆逐飛行師団1 その他太平洋艦隊 但し、16A、カムチャッカ防衛地区隊の部隊は太平洋艦隊主力と共に樺太、千島方面の作戦に従事、87C(2個師団とする資料と3個師団とする資料有り)の部隊は北海道侵攻の準備を命じられており、実際には南千島占領に使用された。 ※HAは方面軍、Aは軍、Cは軍団(狙撃)を指す。 なにぶん部隊数が多いので入力ミスもあるかも知れないが、概ねこんな感じです。 以下次号
>第1総軍さま 改めて見ると、矢張り、巨大な戦力ですね(圧倒的とも言うかも) 主要戦力で・・・ 狙撃兵師団:55個 親衛狙撃兵師団:5個 戦車軍団/戦車師団:3個 戦車旅団:24個 機械化軍団/機械化師団:6個相当? (私も数え間違いの可能性は大ですが、2、3個の間違いはどーでもいい感じですな) これに対し関東軍の主力は 歩兵師団:24個 機動/戦車旅団:3個 要塞守備戦力や砲兵足して考えても・・・ 第1総軍さまの両軍師団比較を考慮して・・・もうだめぽ よく、攻撃3倍の法則とか言われますが、実際の総数で3倍なくても あんなもの局所的な3倍優位を各地で確保され、他は拘束に徹されれば 総戦力で1.5〜2倍も差があれば、防御側は崩壊しますって。 普通は。 で、この場合、単純な主要部隊だけでソ連は2倍以上を確保。 やっぱり・・・だめぽ >436 ばばぼんさま 「最後の日ソ戦」探して見ます。情報感謝です。 しかし「最後の・・・」というタイトルが多いですね(w
国共内戦後、蒋介石は張学良を釈放せず岡村寧次を軍事顧問に招きいれた。 これは中国人が必要としたのは愚鈍な抗日指導者よりも、知勇兼備・常勝無敵 の侵略日本軍であった証拠なのだと解釈すべきだろう。
>448 近代軍事の専門家として、旧日本軍将校を招聘したのは判りますが、 それを「知勇兼備・常勝無敵」と賞賛するほどのものはどうかと・・・ 正直、当時の中国指揮官より、マシな程度かと・・・ しかし、旧軍なんかを参考にした為に、結局・・・ 最終的に旧軍将校の招聘は失敗であったに1票・・・
450 :
名無し三等兵 :02/11/15 23:45 ID:8H4fKNN1
age
451 :
パヴロフ2等兵 :02/11/15 23:59 ID:BTQqrMpG
>近代軍事の専門家として、旧日本軍将校を招聘したのは判りますが、 日本と中国で同レベルの守旧派が慣れ合いで手を結んだだけなのでは。 蒋介石の国民党政権は中国人民からも唾棄され腐敗したアメリカの傀儡 政権に過ぎず、本来の中国政府はむしろ延安の共産党政権であったのだろう。 打痛野郎がさわいでいるようだが、中国兵が弱かったのとは違う。 アメリカに使われた国民党政権が腐っていただけ。
452 :
第一総軍 :02/11/16 00:15 ID:RsbXxpp8
「白団」問題は何故か定期的に語られる傾向にあるようですが、私は以前書き込んだ認識に変わりは無いので今回は大人しくしておきます。 関東軍の滅亡シリーズについてはいよいよ対ソ開戦編に突入しますが、少し頭を整理しておきたいので暫く時間を頂きます。
454 :
440 :02/11/16 00:58 ID:???
>453殿 貴殿はスターリンの狡猾さに気付いてませんね。 確かに「中華人民共和国」成立まで「中ソ同盟条約」はあくまで国民党 政府との条約であった。(ここまでは貴殿の指摘どおり) しかし旧満州に残された関東軍装備の大半は共産軍に引き渡された。 これを知った国民政府は在満ソ連軍に抗議するも、暖簾に腕押し。 関東軍が崩壊したあと国民政府軍は旧満州の接収に乗り出したが 北満・東満地区ではことごとく八路軍に先手を押さえられている これを黙認していたのがソ連軍。 要はスターリンは「両道」を掛けていたということ。
455 :
440 :02/11/16 01:02 ID:???
補足です >旧満州に残された関東軍装備の大半は共産軍に引き渡された 一旦、ソ連軍により武装解除したものが 八路軍に渡ってるケースが多いということ いかにソ連軍といえども現場指揮官の判断でこれは出来ないでしょう
バカロフ>本来の中国政府はむしろ延安の共産党政権 そうだとすれば、中国はサンフランシスコ条約に定められた戦勝連合国 には入っていないことになる。日本の降伏文書調印はあくまで中華民国 に対してであるからだ。 やはり日本は中国に負けたわけでは全くなかったのだ!!
>要はスターリンは「両道」を掛けていたということ。 ヤルタ協定ではとりあえずアメリカの要求を通したにしても、国民党と共産党で、 どっちがほんとうの「中国」なのか、徹底的に殺し合わせて決める必要があった のだと思う。中国は人口が多すぎるから、内戦は人口調整にもなったろう。
HANDBOOK ON JAPANES MILITARY FORCESから 日本軍が常識に反して無理な戦闘を行うわけ 「日本軍は最強で自軍が勝つのは当たり前である」と思い込んでいた。他の国民であればその任務には不十分と考える兵力で日本軍が進んで敵陣地を攻撃するということは 彼らのいわゆる軍事的優位という自信に基づいている。この自信の説明には日本軍の心理状態、国民特有の虚栄心、および過去の軍事的成功の分析を必要とするが この研究のおよぶところではない。 日本の将校にとって「面目」および「不屈」に対する考慮は非常に大切であり、それゆえ彼らは「机上の」誇張した格調に耽りがちになる 彼らは装備が不完全な軍隊(中国軍)に対しては放胆であることを証明したが、一流の優れた装備を保有する軍隊に対しては より慎重な戦法を選ぶのが当然のことと思われる。 過去6年間の実線が示した多くの機会があったにもかかわらず、日本軍は常識的な戦術および戦技の一定の基本原則に違反し続けてきた このような違反を改めない彼らの性癖は、主として敵に対する不適切な判断および敵も保有する同等の軍事能力を信じないことが基礎になっている 最近の経験が日本軍の役にたったか否かは不明。 日本軍の戦術原則…日本軍は最強なので必ず攻撃すること
日本軍の戦術原則…日本軍は最強なので必ず攻撃すること 日本軍は戦術原則上、固有の攻撃の優位性に強く固執し 作戦要務令は断固として攻撃にでるべきであると述べている。すべての作戦行動の目的は 局所的に予期された日本軍の優位が最大限に実現されるよう、迅速に敵に接近することである 敵兵力が明らかに優勢なとき、また日本軍の指揮官が一時的に防御にまわったときでさえ 彼は攻撃の機会を得て、主導権を握るためにあらゆる努力をすることを期待される 日本軍は攻撃にはある特殊な効果があると信じているようであり、防御戦闘は 明らかに優勢な敵に直面したときにおいてのみ採るべき消極的な行動の形態と見なされている 防御の場合でさえ、攻撃の原則が強調される。この教育の結果および攻撃に対する信念の双方から 日本軍将兵はすべての伝統的な戦術によれば、状況が明白になんらかの形態の防御活動を要求する場合においても しばしば攻撃の決定に達する。 彼らの戦術思想では、時間および空間の要素にほとんど重きを置いていないことが判明している。結果として、しばしば 努力の結集および全兵種の共同が軽視される。 包囲、日本軍は包囲がより好ましい作戦行動であると思考している。包囲のときは断固として正面から圧迫をかけ 同時に主力による側面攻撃をして包囲を遂行する 一般に主張されている戦術原則とは反対に、日本軍はかなり数字上の優位性が無くても進んで二重包囲を試み 時おり奇襲、および欺瞞に頼らねばならない劣勢の兵力のときでさえ、包囲できると見なしている 陣地攻撃においては、日本軍は攻撃を推し進めて戦果を得るため、死傷者の数をまったく無視している 防御、一般に日本軍にとって防御体制の戦闘は不愉快であり、いやしくも帝国陸軍がこの戦闘隊形を強要されることを 彼らは非常に認めたがらない。彼らは防御を好まないことを、そのように宣言しているので この戦闘形態を説明している戦術的研究問題は極端に少ない。
防御の目的は、優勢な敵軍隊に対して火力により、または兵力を地形および人工防御工事の後方に適切に配置して 多大な損害を与え、最初の兵力の劣勢から攻撃への移行を正当と認める点まで変化させることにある。 防御は死にいたるまで保持される主陣地に基礎をおいて 日本軍の規則および軍事著作物によれば、防御は消極的形態の戦闘であり、本質的に、また精神上 非日本的という烙印を押されているので、将校が喜んで防御解答を提唱するような戦術研究問題を書くことは非常に困難であった 研究した問題では将校学生の攻撃に対する情熱を抑制するため、授業上の方策として事前に師団長による防御の基本決定がなされていた このように防御が強制されたときでさえ、日本軍将校は攻撃に復帰したいという考えが真っ先に頭に浮かび、規模の大小を問わず 協同であると否とにかかわらずほんのちょっとしたことで腹を立て、手早く反撃をしかけた。 …ここまでアフォだと、部隊の展開などを研究する意味はないですね 日本軍も大量の戦死者で我国の人口抑制に貢献してますが、ナニカ?
461 :
440 :02/11/17 21:25 ID:???
1945.8.15以後の中国での戦闘における 土糞と武人 【澄田賦四郎中将】 部下に閻錫山軍に協同して共産側に当たるよう勧誘、意に反して閻軍は本拠 太原を共産軍に包囲されて苦境に。閻錫山は金銀財宝を持って飛行機で逃亡 澄田中将も「ワシが帰国したら義勇兵2,3万連れてくるから」とこれまた 逃亡。残された元泉少将、今村方策大佐(今村均の弟)らは自決。残りの多数は 戦死するも、帰国した澄田中将は国会答弁で「戦闘の参加は本人の自由意志」 と証言。このため戦死者の遺族には年金は支給されず。 【田中久一中将】 第23軍司令兼香港総督 米兵に対する虐殺のかどで一旦は死刑宣告を受ける。 再審の結果、無罪に(国民政府の工作による?) 保釈されてから再三、何応欽国民政府軍総司令の勧誘を受けるが、これを拒否 その後突然、中国側の裁判が開始され田中中将は戦犯として市中を引き回され 銃殺される。岡村や澄田のように勧誘に応じておれば彼もまた無罪になったであろう。 「暴を以って暴に報いず」蒋介石は立派な事を言っているが 大勢の日本軍人が国民政府から「戦犯」として処刑された事を 忘れてはならない。
462 :
第一総軍 :02/11/18 04:21 ID:15Ag5RUf
460様、ご自分の捨てハンをお創りになっては如何?
うちの父方のお爺ちゃんは満州で鉄道の運転手。 戦後は国鉄職員 母方のお爺ちゃんは南方で戦。 戦時中の事はほとんど語ってくれない。
バカロフがいくら共産党軍こそが本物の抗日中国人民の軍隊などと中国を弁護 しようが、やはりヤルタ協定では国民党政権を支持することに決まったのだし、 なによりも、 ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権を回復する ということで、ルーズベルトはこと満州問題に関しては、「大西洋憲章」 の原則を適用することはなかった。満州の中国への無条件返還などという 中国抗日戦争の主張は、ルーズベルトさえ否定した馬鹿げた妄想だった。
465 :
270 :02/11/18 14:07 ID:???
>>464 でソ連は結局、朝鮮戦争前に満洲から撤退、
租借地の旅順口の使用権は中共に返還され
その前に紅軍の進駐を手引きして関東軍の武器を引き渡しました。
軍官学校で共匪の士官に操作法や戦術を伝授して中国へ送りましたとさ。
ヤルタ密約でのソ連参戦決定が大陸打痛作戦のおかげかどうかは知りませんが、
国際共産主義運動の極東における勝利が
ポツダム宣言が出るに到っても即時受諾しない
往生際の悪い日本軍国主義者によって
もたらされたのは確実なようです。
戦時中の米中同盟が戦後の日米同盟に変わったのは幸いですが、
それだけで太平洋戦争に突入した甲斐があったと思うのは、
同時代を生きた当事者にとって辛すぎる判断ですね。
あっ、打痛のオナーニのおかずには、
日本人の生命財産なんて味をまずくしたりしないよね。
>戦時中の米中同盟が戦後の日米同盟に変わったのは幸いですが、 >それだけで太平洋戦争に突入した甲斐があったと思うのは、 >同時代を生きた当事者にとって辛すぎる判断ですね。 う〜む、中国の共産化による中ソ同盟の成立によって、必然的に日米同盟がもたらされる ってわけか。 冷戦体制化での中ソ戦争の勃発による米中同盟の成立ってなことになってたら、 その後の歴史は大きく変わったんだろうなぁ。日中も緊密な関係になってたろうし、 いまごろ「チャンコロ」とか口走る自称右翼も存在しなかったかも(w 外れネタなんでsage
さて、ゴミレスだらけでそろそろ半分使い切ったわけだが。 第一総軍閣下はまたも次スレを立てるのであろうか。
469 :
パヴロフ2等兵 :02/11/18 19:53 ID:qjUwzwBd
>やはりヤルタ協定では国民党政権を支持することに決まったのだし、
それはヤルタ協定がアメリカ本位の決定であったことを示しているだけ。
ソ連は
>>465 氏が説明している通り、後にも先にも共産党軍支持だった。
470 :
で、 :02/11/19 00:36 ID:???
意に添わぬ日本軍人を「戦犯」として処刑しまくった国民政府 日本軍人に「赤化洗脳」をしたうえで活かして送還した共産政府 どっちがDQN?
>471 あまり打通さんの自演ってないとおもうな。打通さんは直球攻撃一筋だから(w だからこそ打通さんなんだと思う(w >468 ほう、このLansの前で「某研究者」を名乗るか・・・ それは、30年戦争への宣戦布告かね。 >マジレス ところで、関東軍の対ソ戦時の装備、人員の充足はどの程度だったのでしょう? このあたりの情報は・・・殆ど残ってないのかなぁ・・・ いやぁ、末期のドイツ軍と比べてどうだったかな?とか・・・ 相手は同じ、ソ連軍だし 敗戦国の末期状態を比較するのも、おもしろいかな?っとか思って・・・
473 :
第一総軍 :02/11/19 23:47 ID:M20puTpe
Lans様、一応シリーズ内の師団編制の例や両軍師団の比較をご覧頂くしかないですね。 書き込んだ以外の師団についても多少は調べてありますが、まあ充足の良い例として第百七師団、悪い例として第百三十四、第百三十五師団を参考にしてください。 その他の師団については編成時期が近い方の師団が参考になると思いますが、私の資料の範囲では細かな充足率は不明の師団もありますね。
>473 ありがとうございます。 実は、第一総軍様にシリーズは確認しておりました。 で、他にも知りたいなとか思いまして。。。 (特に、重要な機動予備である戦車旅団など・・・) (個人的に、地道に探してみますわ(w
>458-460さん 確かに、基本的には、この通りだとは思います。 しかし、これは、一般的な通常部隊の事であり 事満州国境には、通常とは異なる、要塞駐留の防御専任部隊も存在していたはずです。 これらの部隊は、ごく少数ではありますが、防御の専門訓練と装備、陣地を持っていました。 よって、これらの部隊とぶつかったソ連軍は、それなりの損害を受けたようです。 つまり、日本軍「でも」防御をやろうと「思えば」やれるのです。 (ただ、一般的な部隊は、それをやろうとしないだけで・・・) さらに、戦例として、硫黄島のような例や、沖縄の例もあります。 (沖縄の場合、逆襲(つまり攻撃)をやろうとしたが、タイミングを取れず、結局、大きな逆襲は1回しか出来無かったというだけですが・・・) また、攻撃一辺倒も、それなりの意味があります。 島嶼防衛戦などで、海上からの補給を絶たれ、回復の見込みが、全く無い場合、 これは、防御中心では、いつか敗北します。 その為に、どうせジリ貧が決まっている場合、手持ちの全てで、戦局の打開を図る つまり、反撃するというのも、意味があります。 (ただし、戦理に反した無謀な突撃はいけません・・・) (でも、旧軍は、それを行い易い体質と言うのも認めたりしますが(汗) よって、島嶼防衛での日本軍の反撃自体は、意味があるのです。 (だから、作戦よりも戦法に問題が・・・)
(続き) また、話は戻って、満州国境付近での死守傾向ですが・・・ 十分な広大な満州という地積のために、十分な縦深の予備陣地を 物理的に準備できなかった日本軍は、国境付近の陣地を捨てれば 機動力の劣る日本軍では、ソ連の追撃を振り切れずに 後は、開豁地で包囲撃滅されるのがオチです。 それを防ぎ、主力が後退する為には、国境陣地帯が、敵の進撃を極力遅らせるしかありません。 彼らには、後がないのです。 開豁地で包囲殲滅するなら、陣地を死守した方が、まだ戦友の為になる。 そう信じて、彼等は死守命令を発令し、またそれに従ったのだと思います。 (でも・・・他の戦線などでは、無謀な意味のない死守命令が多かったのも事実) (でも、その場合も、どうせ下がっても逃げ切れない場合が多かったようです) (欧米の軍隊と日本軍の機動力、機械化の差は破滅的なほどです) ああ、もう少し、一般部隊の中級将校のレベルが高ければ・・・ 最後の結果は変わらなくても、その過程は随分違ったものになったかもしれません。
477 :
金成日 :02/11/20 14:17 ID:???
ウリナラの軍隊とソックリニダ! 貧乏で合理的でない思考回路はウリナラと全く同じ。 早速参考にさせてもらうニダ ウリも国内じゃ天皇と同格扱いニダよ
478 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/20 15:29 ID:DAsj4onb
まあしかしロシア歩兵の戦闘能力や士気・補給能力はどうだったのだろうか 日本軍側もパイロット等と異なり歩兵は割に精鋭が残っていたと言う事は 無いのだろうか まあ所詮歩兵が主体であるなら馬や自転車等で機動力をカバーすると言う方向も有るだろうが 24時間全力で走れる兵員輸送車に馬や自転車では矢張り追い付かれるだろうか
479 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/20 15:42 ID:DAsj4onb
まあ一旦車両の入れない様な山に退避し其処で休息してから (まあ車両は入れないが馬や自転車なら入れる場所も有るだろうか) 山を下って再度移動すると言う位しか無いだろうか
480 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/20 15:52 ID:DAsj4onb
まあしかし馬は兎も角自転車では不整地でさえ 兵員輸送車に追い付かれるだろうか(笑
>478 ソ連軍の士気は欧州戦線の勝利で上がっていたと聞きます。 また、日本側は・・・精鋭の半数は南方に引っこ抜かれ 補充は、末期の緊急編成師団がいくつか・・・って感じです。 (末期の緊急編成師団は、その編成理由が物語るように、装備、人員ともに) (詳しくは、このスレの第一総軍様のカキコを)
482 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/20 15:58 ID:DAsj4onb
まあ只ロシア軍に赤外線センサー等無いだろうし 日本軍の機動力が低いとしても夜間移動されれば追撃は困難だろうか (夜間移動して昼間山にでも身を隠せれば 機動力等無く共良いだろうか)
483 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/20 16:04 ID:DAsj4onb
まあ只山に潜んでいる事を読まれて昼間包囲され夜出れなく成る 或いは山に入れぬ様に封鎖される危険も有るだろうが 山が巨大であれば其れを車両等で完全に包囲する訳には 行かないだろうか
>478/479/480 逃走関係ですが、車両だからといって24時間走り続けは厳しいです。 故障もあれば、燃料補給も要員の休息も必要です。 しかし、それらを総合しても、徒歩、自転車、馬移動より早いです。 特に479は、実際の後退はそんな感じで行われていたそうです。 (それも、常に追いつかれる恐怖と戦いながら) >480 日本軍の自転車は現代のような自転車ではなく、 不正地走行能力はママチャリより悪かったようです。 (30年代〜40年代前半の一般自転車が近いです)
(ああ、偽者どころか、本物が来てしまった・・・(汗)
>482/483 当時の脱出話には、そういう話が多いですね。 逃走は夜間 主要幹線道路を避けて後退 でも、広い満州 補給の切れた(すなわち、食料の絶たれた)状態で、どこまでも逃げれるもんじゃありません。 餓死か降伏か・・・自決か・・・ 悲惨なもんです。敗走は。
487 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/20 16:11 ID:DAsj4onb
ロシアはおろか米英独軍でさえ 夜間移動する地上部隊を捕捉するのは困難だろうが 天候の良くなって仕舞ったアルデンヌでは 夜間移動して昼間身を隠すと言う方向で進軍するのは無理だったのだろうか
488 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/20 16:13 ID:DAsj4onb
>補給の切れた(すなわち、食料の絶たれた)状態で、どこまでも逃げれるもんじゃありません。 まあ馬を沢山連れて其れに食料でも積むか 其れが尽きたら馬自体を食料とでもするしか殆ど無いと言う事だろうか(苦笑
489 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/20 16:15 ID:DAsj4onb
まあ矢張り森林の多い欧州では歩兵は兎も角 機甲部隊の通れるルートと言うのは限られると言う事だろうか
490 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/20 16:16 ID:DAsj4onb
アルデンヌの場合悪天候時も空爆は防げただろうが 歩兵は兎も角機甲部隊は地上部隊に発見されて攻撃を受けていたと言う事だろうか
>487 夜間移動は西部戦線ドイツ軍の基本です。 しかし、夜間移動は行軍速度も上げられないので、急速な進軍は不可能です。 よってバルジでは昼間に移動可能な天候をまっていたんです。 これは、満州撤退の日本軍にも言えます。 夜間行軍は絶対に速度が落ちます。理由は・・・闇夜 街灯なんてないんですから (あって、星明かりや月明かり、ただし、それは、敵に発見される可能性も上がるという事・・・) >488 やってます(w それでも、結局は足りないって事ですな。 >488/490 その通りっす。 アルデンヌでも、一時的でも天候が回復すると、 あっという間にヤーボがやって来たそうです。 米英軍はバルジ後半で、包囲されたバストーニュに対する、 大規模空中補給(パラシュートによる補給投下)さえ、行っています。 いつも、悪天候で、常時、連合空軍が黙っていた訳ではありません。 また、歩兵部隊といっても、補給は幹線道路に依存する場合が多いので そこを攻撃されれば、歩兵部隊とて前進に困難を起します。 また、補給の減少は弾薬類の欠乏に繋がり、戦闘能力自体の低下なども現れます。 (結局、戦闘能力を維持するには、幹線道路や線路から大きく離れちゃ駄目なんすよ) (欧州だろうが、満州だろうが・・・。そこを外れた場合は、戦闘力の喪失を覚悟した撤退(敗走)って事です) (極端な話、そうなった部隊は第2線に収容され、再編成されるまで、存在しないも同然です)
結果論からすれば、枢軸で最後に残ったのはドイツ軍でも日本海軍でもなく、 日本陸軍だったんだぞっ!! 機械化が遅れているからといって、日本陸軍の実力を低く評価するのは間違いだ。
493 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/21 07:34 ID:dUlZh17M
まあ欧州は森林が多い訳だろうし 戦車も路外には出れず昼間は隠れ場所は無いと言う事だろうか (無理に木を薙ぎ倒したりして森林内に入っても見つかるだろうし 村や市街地に隠れるしか無いと言う事だろうが 夜間の内に常に其処に入れるかは疑問だろうし村や市街地が 敵に封鎖されている場合も多いと言う事だろうか 裏技としては水中にシュノーケルだけ出して隠れる様な技も有るだろうが 夜間でも道路しか動けないのであれば敵の追撃が有るだろうし 上手く水中に隠れるのは困難だろうか 矢張り敵歩兵に追跡されておれば村や市街地の建物等に隠れるのも 困難と言う事だろうか) まあ路外への補給も不整地対応能力に優れるハーフトラックでの輸送と言う方向も有るだろうが 所詮鉄道には及ばないだろうし 欧州では森林が有るので路外での車両の行動は困難だろうか
>493 森林と言っても、道路際に車両が隠れる程度の場所は、いくらでもあります。 よく、写真でも、森の際に偽装して隠れてる戦車の写真ありますよ。 さらに、小道などでは、上方は道の両側の枝で隠れるので、上空からの発見は難しくなります。 (特に、夏季は有効・例:ノルマンディー戦など(6月〜8月) ただし、このように森に隠れる場合、手前の開豁地からのキャタピラ跡などを消しておかないと、 「あ、あそこに隠れてるな」と上空からバレバレなので、偽装時には注意が必要です。
>492 枢軸としての、ww2の参加は一番遅い・・・ (中国戦線は長いけどね) 後、怖くないので、後回しにされたという話も・・・
496 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/21 11:46 ID:PmNYW/5/
まあ道の周辺に戦車を隠すとしても敵歩兵に隠している所を見られればアウトだろうし 敵歩兵が道路周囲に伏せておれば其れを防ぐのは夜間でさえ困難かも知れぬが 只隠し場所が割れたとてWW2の場合上空から見えなければ空爆は困難と言う事だろうから 戦車を地上から攻撃して隠し場所から出すという行為も必要とされる訳だろうか まあ或いは敵戦車が隠れている付近に発煙弾でも投げ込んで位置を上空に示すと言う方向も 有るだろうか
敵戦車の集結地を発見した場合の対処 ・砲兵、もしくは空軍に連絡(無線、発煙弾など) ・連絡座標に集中射撃(爆撃) (例え目視できなくても、怪しい所に集中) (地上連絡班が居れば、修正情報を受けつつ砲爆撃) 戦車に直撃しなくても、周囲にいるはずの乗員や弾薬、燃料類に大きな被害が与えられます。 戦力を奪うという事は、必ずしも、直接の兵器の破壊でなくても可能です。で、混乱した敵集結地へ、歩兵なりなんなりが突入すれば、まるごと捕獲の可能性も(w 周囲に突入する戦力がなくても、攻撃を受けた敵は、その集結地を放棄して、他の場所(大抵は後方)に行くので、敵の後退もしくは撃破と言えます。 (その地点にまだ、いるようであれば、第2、第3の攻撃を指向すれば、いずれは全滅か降伏か逃げるかします。) たまに、やけになって反撃に出てくる場合がありますが、そんな調整されていない単独の攻撃の効果はたかがしれています。 そもそも、隠れて集結してる時点で、劣勢の場合が多いのですから・・・ また、戦車が歩兵に見つかる心配という部分では、本来、戦車単体で集結する事は少ないです。 大抵は、一緒に歩兵もいますし、集結地の周囲は、戦車兵や歩兵が立哨やパトロールにより警護されます。 その警護の目的は、上記のようにならないように、敵歩兵の偵察を阻止する為です。 (攻撃側は、なんとか、その目をくぐり抜けて、敵の集結地を発見しようとするわけですな) このように、歩兵の任務というのは戦闘以外にも多岐に渡ります。 (だから、歩兵は必須) 各兵科の連携運用はww2に限らず、軍事の王道です。 この、上手い、下手が強い、弱いに繋がります。 で、日本軍は・・・・あまり上手いとは思えないっす。(理由は次に)
日本軍ですが・・・ なんか、資料や文献を読んでも、どうも連携が下手。特に、他兵科との連携が上手くいっていないように思えます。 通常、連隊単位あたりまでは、単一兵科を中心に編成されていますが、この内部での結束は非常に強いように思えます。 実際、どうも日本軍というのは「連隊」を中心に考えるようで・・・将兵の帰属意識の中心は「連隊」にあったように思います。 (連隊旗などに、それは象徴されます) よって、下位士官は連隊内で専門的な経験を得ていくので、その専門範囲では、非常に有能になるというのは推測できます。 しかし、問題は、その上です。 同一兵科の集団である連隊内の結束が強すぎるあまり、他兵科に関する知識は少なく、 結果として諸兵科連合が下手になる傾向が強いのではないかと・・・ このあたりにも、旧軍の歩兵偏重の考え方のもとがあるのではないか?とも思います。 (歩兵連隊の数が一番多いですから・・・しかも、砲兵はあくまでも分割されて支援しますし・・・) 戦争初期の師団長などは、そのあたりは十分な教育も受け、大丈夫なのでしょうが 中期以降の師団では、どうしても、歩兵連隊長からの昇進で師団長になり場合も多いでしょうし・・・ 師団長としての経験が短いということは、諸兵科連合の経験も少ないのでは? (砲兵上がりの場合は、そのあたりの感覚が随分違うとはおもいますけど・・・) 教育も、時間がなくなる中期以降は練成時間削減で全般教育をあきらめ、専門教育に特化していくのも想像に難しくないですし (さらに、諸兵科連合したくても、大規模な砲兵や戦車がつけれる場合が少ないというのも一因かもしれませんが・・・) このあたり、日本軍の中盤以降の中堅将校の資質について、なんか良い文献とかありませんかねぇ?
いえね、書物などで、日本物はやたらと「連隊」単位で書かれているですよ。 第?連隊があーした、こーしたと・・・ ところが、欧米のでは 米独は師団、もしくは戦闘団単位が多いんですよね。 特に独の場合は、戦闘団の内容はすぐに変わるので 帰属意識は師団にあるのではないかと思うのです。 いつも、集成運用なので、自然と諸兵科連合になれていると・・・ 米軍の場合は、砲兵がいつも十分にあるため、必ず戦闘団運用となり、 砲兵も含めた連携の感覚が育ちやすいのかな?とか・・・ (逆に砲兵のいない状況が考えられないという弱点も・・・) ソ連の場合は・・・ 個別の部隊が、ただひたすらに機械的に任務に邁進し、その結果、連合すりゃ良い。 失敗したら、また一からやるだけ、はじめさえタイミングがあえば自動的に連携するさ (諸兵科連合を考えるというより、教本で順番や配置を決めてあるから、後はそのままやれってだけ) (上手くいけば、自動的に諸兵科連合運用になる) な感じなので、日本よりも悪いかと思いますが・・・ ただし、物量があるので、その戦闘システムが上手く働いた場合、驚異的な破壊力を生んでしまうと・・・ こんな感じで捉えてみたりしてみたのですが・・・ どうでしょう?
やっぱり中国のチャンコロはゴロツキのナラズモノ集団なのであろうか
上まあ二人が合体融合した訳であろうか(苦笑
502 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/21 22:38 ID:H1Ll8yPV
まあ戦車も単に道端に隠しただけでは低空に下りた爆撃機に 発砲等した場合発見される危険も有る訳だろうが 爆撃機も余り低空に下り続けると制空権が無い状況でも偵察車両や対空車両の20mm等の攻撃を 受け得るだろうか
日本軍の諸兵連合に関しては、兵科毎のセクショナリズムもさることながら、 予算不足による事前研究そのものがおざなりになった感があります (で、結局、教本には現地部隊が協力してやれ、みたいな感じの書かれ方をしてしまう)。 極端な例ですが、ノモンハン事変の際に観測機が砲兵(野戦砲兵)の着弾観測のために飛んで来るんだけど、 今まで航空機による着弾観測の訓練をしてこなかったために全く当たらず、 怒って独断で観測機が帰ってしまったことがあります。 日本陸軍の場合、連隊=本籍地と密接に関わっているため、どうしても連隊中心の記述傾向が強いのです。 てゆ〜か、娑婆での人間関係がそのまま部隊内に持ち込まれ兼ねない。 戦史としてどう書かれるべきかはともかくとして、精神の拠り所は間違いなく連隊でしょう。 下手をすると独歩の方が出身地とかがバラけてたりします。 ちなみにうちの父は徴兵されていれば第五十連隊のはずでした。
504 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/22 00:28 ID:AQei5G8v
>発砲等した場合発見される危険も有る訳だろうが まあ敵の地上部隊に発砲しなく共移動すれば目立つ危険も有るだろうし 爆撃機に概略位置を把握され其処に機関砲や爆弾を叩き込まれる危険は 有るだろうか
505 :
少佐 :02/11/22 00:51 ID:hyauADhI
自動小銃があればガダルカナルは守れた!
小銃があっても補給がなけりゃ(以下略
507 :
第一総軍 :02/11/22 02:20 ID:AQrrYvoF
こういうのを「降臨」というんですね。 暫くのんびりしようと思っているので楽しませていただきます。
508 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/22 05:42 ID:AQei5G8v
まあ只専門の対空戦車も メーベルワーゲンが240 オストヴィント40 ヴィルベルヴィント90 38トン対空戦車140であるから これだけで万単位の連合軍爆撃を抑えるのはどうかだろうが(苦笑 まあ只ハーフトラックの20mm・37mm 牽引式の対空砲は 恐らく500以上は有っただろうが多勢に無勢だろうか (まあ其れで仮に地上部隊は爆撃から逃れられても 都市や基地が重爆撃機や砲撃で粉砕されればアウトだろうか) しかし偵察車両の20mmでは対空射撃は困難だったのだろうか (20mm装備の偵察車両も500以上は有っただろうか) まあ独の対空車両は未完成のオストヴィント以外は皆砲塔が手動であり 高速の爆撃機には追随出来ぬと評判が悪いが 非装甲の20mm単装機関砲であれば手動でも対応は可能だったかも知れぬだろうか
509 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/22 05:50 ID:AQei5G8v
制空権の無い状況でも夜間前進→昼間戦車は隠れ歩兵は其れを捜索されぬ様に防護 を繰り返せば独軍であればかなり前進出来たかも知れぬが 夜間或いは悪天候下の進軍では独側も近接戦闘が多く成り戦車やMG42等の性能の優位を 生かせなく成る状況が多くなった訳だろうか (まあ昼間も歩兵だけでは戦車と連携した連合軍地上部隊を 阻止し難かったと言う事は有るだろうか)
いい加減日本陸軍スレってことを思い出しましょうね
511 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/22 06:04 ID:AQei5G8v
>まあ独の対空車両は未完成のオストヴィント以外は皆砲塔が手動であり 失礼これはクーゲルブリッツの間違いだが >夜間或いは悪天候下の進軍では独側も近接戦闘が多く成り戦車やMG42等の性能の優位を >生かせなく成る状況が多くなった訳だろうか まあ只道路上の戦闘が大半なら側面攻撃は対戦車砲しか無いだろうし これを歩兵で排除出来れば(まあ只昼間は兎も角夜間ではきついだろうが 昼間対戦車砲を排除しても夜間再配置されば厄介だろうし 機甲部隊を前進させたいのであれば 歩兵部隊は昼間にかなり戦車より先行して道路の周囲を確保する必要は有るだろうが) 夜間と言え共敵戦車とは正面からぶつかり合う訳だろうが 500m以内の戦闘が多く成るとすれば相当の重戦車でないと シャーマンの76mmで装甲を貫かれるだろうか(苦笑
512 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/22 06:13 ID:AQei5G8v
>(まあ昼間も歩兵だけでは戦車と連携した連合軍地上部隊を > 阻止し難かったと言う事は有るだろうか) まあ対戦車砲を森林内に移動して道路からの敵戦車の攻撃に 備えるしか無いだろうか (夜間歩兵が前進して対戦車砲を陣地に配置し これで昼の敵戦車の砲撃を防ぎ 昼と成った後に車両が前進する為に敵の対戦車砲を排除しておくと言う事だろうか まあ対戦車砲も発砲後は位置を把握され空爆を受け得るだろうが 歩兵が戦車に砲撃を受け続けるよりはましだろうか(笑)
513 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/22 08:07 ID:AQei5G8v
>500m以内の戦闘が多く成るとすれば相当の重戦車でないと >シャーマンの76mmで装甲を貫かれるだろうか(苦笑 まあ500mではファイアフライでは特殊撤甲弾を使えば 250mm程度の装甲は抜ける訳でこれはヤクトパンターでさえ危うく 森林内の道路上でファイアフライを迂回する訳にも行かぬだろうから 車高の低い突撃砲や自走砲を使用して敵を先に発見して始末するか (射界の問題は500m以内の戦闘であれば問題とは成らないか) 対戦車砲で仕留めると言う方向だろうか
514 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/22 08:12 ID:AQei5G8v
まあ自走砲も先に発見されていないとしても一旦発砲したら 其の光を見て概略位置に他の敵戦車に発砲される危険は有る訳だろうから 発砲後は速やかに位置を変更する必要は有るだろうか (まあ只道が狭く起伏も無い状態なら同時広範囲に連発されれば きついかも知れないだろうか)
515 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/22 08:14 ID:AQei5G8v
道沿いに照明弾を連発すれば敵戦車を1km程度先から 発見可能な場合も有るだろうが 相手に此れをやられれば夜間でも空爆を受ける危険は無いのだろうか
>某研究者さん >装甲部隊からの対空射撃 基本的には、見つかっていないようなら行いません。 (わざわざ見つかる必要ないです、それに、対空車両が必ず同行してるとは限りませんから) で、見つかったと思ったら、 射撃可能な対空車両は射撃、他は・・・逃げます。 各車の対空機銃があっても、それは、逃げながら撃つので、本格的な撃墜はほとんど不可能。 うまく、相手がびびって、攻撃軸をはずせればラッキーというのが、各車両単位の対空射撃です。 専門の対空車両も、実際は、敵機進路前方に弾をばら撒き続けて、そこに敵機が突っ込むのを期待するのもなので、 手動でも、うまく射撃を調整すれば、結構効果があります。 少なくとも、敵機の攻撃軸をずらす位の効果は期待できます。 (それで直撃しなくても、至近弾での被害は周囲にでますが・・・) >西部戦線、道路上の至近戦闘 バルジの時に、かなりの戦例が見受けられます。 接近戦では、簡単にパンターも撃破されてたりします。 特に、出会い頭の戦闘では、砲塔回転と連射速度の高いシャーマンもかなり活躍しています。 しかし、調整された攻撃を受ける場合、米軍戦車では大きな被害を受ける場合が殆どです。 やっぱり、調整された諸兵科連合による攻撃は大事です。
>自走砲の待ち伏せ そのとおりです。数回射撃したら陣地変更が基本です。 >道沿いに照明弾を連発すれば 問題はその方法です。 どうやって、照明弾を連発するか・・・ 照明弾も無限にあるわけではないですから、一晩中、上げ続ける訳にはいきません。 (そんなのは、朝鮮戦争後期かベトナムの最前線ぐらいなもの、それも、相手の攻撃の前兆が見られた場合に限られます) ちなみに、夜間の低空航空対地攻撃(戦術爆撃)は、めったに行われません。 当時の航空機で、夜間の低空飛行は危険です。 でも、たまに行われる事はあったようです。 (それでも、昼間に比べれば、攻撃の回数も成果も段違いに低くなります) (なんといっても、目標を発見しずらく、戦果を上げれる可能性が低いのに 航空機を危険を冒して飛ばすという事自体に問題が・・・)
>503 ばばぼん♪様 >観測機 くー・・・情けなくて泣けてきました・・・ なんなんでしょうか?この連絡の悪さ・・・ 直協の直射砲兵との連携は上手いのに・・・ (というか、直協砲兵(歩兵砲/大隊砲/山砲)は、砲兵と言うより歩兵の一部ですが・・・) 日本軍(特に連隊レベル)は砲兵の支援射撃をなんだと思っているのでしょう・・・ 火力こそ、戦闘の根幹なのですが・・・ (連隊砲、大隊砲では、十分な支援射撃は出来ません。あれはただの直協砲っす) (いくら、直協砲があっても、それだけで攻撃するのは・・・発想がww1以前です(嘆) >戦史としてどう書かれるべきかはともかくとして、精神の拠り所は間違いなく連隊でしょう。 戦史として連隊単位で書かれるのは、別にいいのです。ただ、そこに書かれている事を読むと 結局、連隊単位でしか行動してないので・・・ その為に連隊単位で十分に書けてしまうという事自体に問題があったのではないか? という意味なんです。 精神の拠り所以上に軍事思考の範囲も連隊内で止まっているように思えます。 しかし・・・本気で連携下手だったんですね・・・ まあ、さらに歩兵内での連携も出来なかった中国軍相手の時代が長すぎたのかもしれません。 あまりにも、低レベルな相手と戦い続けた結果、自分が時代に取り残されていった事に気が付かなかったのかも・・・ ちょうど・・・ 中国相手に連戦戦勝したから日本は強かったと言い続ける打通軍団のように(w (そうか、打通さんは自らを持って、それを我々に示したかったのか!) (そんなわきゃないか(w
黄文雄著「日中戦争知られざる真実 中国人はなぜ自力で内線を収集できなかったのか」(光文社) はしがきより 日中双方の小中学校の歴史教科書が教える内容も詳しくないというより、 むしろ捏造、歪曲に満ちている。 もし良識ある学者なら、悪逆非道だったのは日本軍よりも中国軍の方であり、 しかもその「悪逆」は中国の伝統文化に基づいたものだったとわかるはずである。 〜つまりこの戦争は基本的には内線の一環であり、またはその延長だった。 日中戦争において、被害者はむしろ日本の方だった。 「中国人は日本人に感謝せよ」 #カイロ宣言とヤルタ協定を比べてみれば、打通作戦によってこそ、 #中国軍がゴロツキチンピラの集団だと世界に認識されたのだとわかる。
520 :
名無し三等兵 :02/11/23 09:52 ID:pL9i9Bmh
満州では、100万関東軍を30年間養える膨大な食糧が備蓄されていたそうだ。 だから、侵攻したソ連軍将兵達は、日本の降伏が不思議だったらしい。 ソ連軍にかっぱらわれたそうだ。 その一部だけでも日本人避難民の食糧にできれば、どれだけの人々が助かったことか。 せめて護身用の武器ぐらい持たせてもらいたかったものだ。
そう! 満州は、東亞の要塞であったのであります! しかし運無く蒙昧にしてスラブの蛮軍の侵入を許してしまった我が皇軍将兵は焦土作戦に転じ、 有り余る食料を全て食してしまったのです! 前線では部隊内・部隊間を問わず、毎日毎夜、大食い大会が繰り広げられたのであります! 嗚呼、何と強靱な胃袋を持つ我が皇軍将兵! そして今、我が皇軍将兵の息子達はニューヨークでのホットドック大食い選手権で大活躍しているのです!
>>519 打痛作戦が有っても無くても
日本に本土決戦を断念させるには、
ソ連が外務省筋の都合の良い夢を打ち砕いてくれるという
ヤルタの合意は必要だった訳ですが何か?
中国がムカつく、一度ぶった斬りにしてみたいと思うヤシはいないのか?
>>523 例えば私について言えば
中国共産党と中国国民党はムカつく、
一度ぶった斬りにしてみたいですが、
中国そのものは一部の悪人と一部の変な伝統習慣を除いて
ほとんどムカつきません。
この国に昔、色んな事を学んだ先人たちを貶めたくない気持ちもありますし。
毛沢東と蒋介石とはムカつきますが、
汪兆銘はムカつきません。
ついでにこの国との戦争を長引かせたおかげで、
中国を対日戦勝国に仕立て上げ
日本を金甌無欠(きんおうむけつ)と誇らせなくした、
裕仁もムカつきますが、打痛さんはどうですか?
やはり兵隊に食わせる飯さえ満足にない軍隊ははたして「軍隊」といえるのであろうか。 飢餓戦線に放り込んだ兵士は、戦術的にも戦略的にもとても役に立ったと思えず、 ただ、ボロ雑巾のように死んでいったわけであるが。唯一有り余っていたのがコンドームで 飢餓状態で性欲が減退していた兵士は河渡時に弾薬・乾パンの防水用に利用したということ であるが。無知蒙昧な陸軍を賛美することは 果たして彼ら多くの戦病死者に対する手向けとなるのであろうか。 …はっ…いや、帝国陸軍は世界最強であるっ! 大陸には100万の軍隊が健在、チャンコロなど…
厨酷政府もチョン並みに卑怯だぞ。 ただ賢いのでチョンより上手。
527 :
第一総軍 :02/11/25 00:08 ID:KAgHdARw
某スレで書いてきましたが、個人的な問題発生の為2〜3週間お休みさせていただきます。 掲示板のチェックはしていますので簡単なレスは出来ますが、連載物は暫く無理になりそうです。
おれさま中国指導者評価 毛沢東(最終勝利者)>>汪兆銘(敗れたが責任は取った)>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>蒋介石(敗れてなお国民を棄てて国外逃亡)
保守ってやつです。
打通ってやつです
>第一総軍 様 お早いお帰りを!でもって武運長久を!!
532 :
うむ。 :02/12/03 23:25 ID:???
フィリピンで大活躍中である。 この後タイに転進し、パッポンで市街戦を展開する予定だ。 女とくんずほぐれつの…
533 :
大陸 打津夫 :02/12/03 23:38 ID:GAmDoiRA
534 :
名無し三等兵 :02/12/04 00:10 ID:DVDpJTHF
533>あんた・・暖簾ですか
531> 武運長久・・・・・プッ。
何げにテスト。
実にどうでもいいことですが、 某スレでワタシの大叔父が牟田口某を攻撃しています(w
マッカーサーのニューギニア作戦は、一九四四年九月に終了した。日本軍は ニューギニアとそれに隣接する島々で一四万八〇〇〇名の将兵と、同海域へ向 かう途上の艦艇を失った。二年にわたる作戦行動のあいだ、暗号解読員から マッカーサーのもとにしばしば正確なデータが届けられていたにもかかわらず、 彼が管理し、チャールズ・ウィロービー准将(マッカーサーのバターン時代から の歴戦の勇士)の指揮下におかれた情報将校たちは、ニューギニアの日本軍戦力 を終始過小評価していた。マッカーサー本人も、戦闘で死傷した日本兵の数を 一貫して実際よりも多く語った。そして、部下の死傷者数をつねに実際より少 なく見積もり、ジャングルの戦闘で病気にかかったり疲労困憊して行動不能に 陥った数千の将兵については一言も触れなかった。 日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳
一九四四年末までに、蒋介石はもはや有力な盟友と見られなくなっていた。 日本軍は中国東部での攻勢でさらに八省を手に入れ、さらに一億人の中国人 が日本の支配下に置かれ、米軍飛行基地は放棄のやむなきにいたり、中国の 東海岸は封鎖された。帰還命令を受ける直前の十月四日、スティルウェル は日記に書きつけた。「陸軍省が私に味方しているのは明らかだが、この 戦域は無価値とみなされ、われわれは何も期待されていない」 日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳
大陸打通作戦は無意味だった。何故なら中国大陸そのものが無価値だったから。 そして、そこに住む住民もみんな無価値だった。中華民国軍は敗退したのでは ない。ごみのような中国と中国人を棄てて、戦略的撤退に成功したのである。
>537 それはどこのスレですか? ヒントを、是非!
テスト兼ねて。
>>541 ヒント:牟田口と言えば何作戦?
つ〜か、ワタシも最初に見たときはビビりました(笑)
543 :
第一総軍 :02/12/06 23:25 ID:15BXiiYF
暫定再開 非常に簡単な関東軍の滅亡シリーズ その39 今回は追加、訂正編。 シリーズ その2 第二十三師団の参戦兵力について、戦時編成されていなかったのでは?と書いてあるが、予想通り確認出来た。 歩兵連隊の定数 3,172名の所 歩兵第六十四連隊の参戦 2,388名 75.3% 歩兵第七十一連隊の参戦 2,404名 75.7% 歩兵第七十二連隊の参戦 1,705名 53.6% 捜索隊の定数 318名の所 同参戦 275名 86.5% 野砲兵連隊の定数 1,872名の所 同参戦 1,579名 84.3% 工兵連隊の定数 593名の所 同参戦 371名 62.6% 輜重兵連隊の定数 442名の所 同参戦 181名 41% 通信隊の定数 202名の所 同参戦 144名 71.3% となっていた。
544 :
第一総軍 :02/12/06 23:26 ID:15BXiiYF
シリーズ その3 この書き込みでは第七、第二十三師団のみが参戦した様に見るが、第二師団主力や第四師団の一部も出動していた。但し、これら2個師団の死傷者が少ないことから本格参戦と言えるかは疑問も有る。 シリーズ その5 ソ連軍自動装甲車旅団(装甲自動車旅団の方が語呂がいいので以降そう統一します)の編制について、機械化旅団か?と書いていい加減な説を書いたが、日本側資料を元に訂正する。 装甲自動車旅団の編制 旅団司令部 捜索大隊 中隊3(2個中隊は各装甲自動車16輌、1個中隊は車載狙撃兵) 装甲自動車大隊 中隊3(各装甲自動車約15輌、軽装甲自動車約10輌) 狙撃大隊 車載中隊3(各狙撃小隊3、機関銃小隊1{4挺}、砲兵中隊{76mm砲4}) 防空、化学、工兵各1中隊他 つまり、装甲車計107輌以上、自動車化狙撃大隊1という有力部隊だった訳でである。ソ連軍装甲車は45mm砲を搭載する実質的に他国の主力戦車並の火力を誇るものであった。
545 :
第一総軍 :02/12/06 23:27 ID:15BXiiYF
シリーズ その5(4と書き込んであるが間違い) 両軍死傷者の訂正 日本軍 戦死8,327名 負傷8,646名(第二次のみ) 第一次は戦死159名 負傷119名 不明12名 (山縣支隊のみ。他に航空隊の損害もある筈) 満州国軍 死傷2,895名(主力興安軍のみ) ソ連軍 戦死・行方不明7,974名 負傷・戦病15,952名 モンゴル軍 約800名(内戦死280名) シリーズ その6 日本側死傷者について、「第一次ノモンハンも含め19,786名とする数字もある。」と書いたのは誤りで、これは第二次のみの数字であった。 尚、日本側損害について3万以上の数字が記載されている資料も見受けられるが、元ネタはどうも当時の内地政治家等の伝聞らしい。 私見だが、第二十三師団潰滅、第七師団も大損害という話から概算すると、当時の戦時編制された師団は2万以上の人員を有するはずだから 3万以上の数字を予想しても不思議ではない。但し実際は前述の通り戦時編制になっていなかったのは確かなようだ。
546 :
第一総軍 :02/12/06 23:28 ID:15BXiiYF
シリーズ その7 朝鮮軍が隷下に加わったと書いたのは間違い。 対ソ戦に関して密接に関係すると訂正。 朝鮮の第十七方面軍が隷下に加わったのはソ連侵攻後。 シリーズ その10 機械化された第二十三師団の編制に追加 去年特集した簡単な日本軍師団編制でも疑問を持ったのだが、機械化の程度が判明した。 去年の推定通り、歩兵連隊の自動車化はされておらず、砲兵、輜重兵等が自動車化されていたのみ。 恐らく必要に応じて自動車を配属するつもりだったのではないだろうか。 シリーズ その11 国境守備隊について、「混成旅団に近い充実した戦力」と書いたのを、混成旅団〜混成連隊に近いと訂正。 各隊によって規模にかなりの違いが発見された為。 以上追加、訂正編でした。 尚、再調査によっても独立戦車第一旅団の編制が不明のままです。ご存知の方教えてください。 以下次号
暫定再開 非常に簡単な大陸打通作戦シリーズ その39 今回は追加、訂正編。 シリーズ その2 中国軍がゴロツキ・ナラズモノだったのは間違い、私がゴロツキナラズモノ であったのであろうか。
「戦争」とか「大戦闘」がゲームなら君の見解が正解だろう。 歩兵一人何ポイント、戦車一台何十ポイントとか得点が入るとかの。
アメリカは日本本土上陸を控えて、満州の日本軍を圧迫するためにソ連の 力を必要としていたから、ソ連の要請を受け入れた。さらにソ連の参戦に名 目をあたえる知恵をつけてやった。 一九四三年の米英ソによるモスクワ共同宣言を楯にとったらいい、という のである。当時まだ批准されてはいないが、国連憲章草案第百三条の「国際 連合憲章による義務と他の国際協定の義務が矛盾する場合は、憲章に基く義 務が優先する」、ゆえに、ソ連は、平和と安全を維持する目的で、国際社会 に代って共同動作を取るために、日本に宣戦する。 右の趣旨を文書でトルウマンから受取ったスタアリンは、たいへん感謝したという。
551 :
541 :02/12/08 15:02 ID:???
>ばばぼん 様 まさか例のスレを立てた方が・・・ですか?
>>551 いえ、単にワタシの大叔父の名前をハンドルにしてレスを付けているだけです。
当の本人は十年ほど前に他界しています。
でも、なかなか軍板等では見ることのない名前なので、初め見たときは引きました(^^;;;
553 :
軍軍軍 :02/12/09 14:06 ID:???
大日本帝国陸軍 第一総軍閣下age
>546 第一総軍閣下 光人社NF文庫に最近「機甲入門」が出てました。 ぱらぱらとめくった所、旧日本機甲部隊専門の本でした。 後半に編制についての言及もあったと思いますので、もしかしたら、なにか書いてあるかもしれません。 (すいません、この本、結局買わないで、ハンニバル戦記かいますたので、詳細はわからんです) (この程度の情報ですみませんです)
555 :
Lans :02/12/11 14:06 ID:IAgjV2vN
第一総軍閣下が「独立戦車第一旅団」の編制を探しております。 どうやらグランドパワー2001/4月号の特集が・・・ 特集: 日本軍機甲部隊の編成・装備-3(敷浪 迪) 「第2章機甲兵団の発端と戦車団の創設 機甲兵団の編成-続 戦車第二師団、戦車第三師団、戦車第四師団、 独立戦車第一旅団、独立戦車第二旅団、独立戦車第三旅団、独立戦車第四旅団、独立戦車第五旅団、独立戦車第六旅団 第一挺進戦車隊、第二次兵備の戦車連隊、独立戦車第七旅団、独立戦車第八旅団、独立戦車第九旅団、 北支那方面軍独立軽装甲連隊、陸軍機甲本部の所管学校) とあるようです。 どなたか、グランドパワー2001/4月号をお持ちの方おりませんか? ご協力を
独立戦車第一旅団の(簡単な)編成 隷下部隊 ・戦車第三十四連隊 編成時(昭和十九年八月五日) 第一中隊:九五式軽戦車 第二中隊〜第四中隊:九七式中戦車(57mm.砲) 合計:九五式軽戦車×十四輌、九七式中戦車×三十六輌 終戦時(昭和二十年八月十五日) 第四中隊は九七式中戦車改受領のため南満造兵廠に移動中終戦。 ・戦車第三十五連隊(昭和十九年十月十一日編成下令) 戦車第三十四連隊と同じ。 終戦まで編成・装備等の変更はなかった模様。 って、こんな感じでしょうか。
このスレで協力できることが少ないですが、そんじゃ転載をば 昭和19年10月11日令甲第135号により編成下令 戦車第2師団の残留部隊基幹 戦車第34連隊(臨時第1独立戦車隊を11月15日改編) 戦車第35連隊(昭和19年10月15日編成) 旅団歩兵隊 旅団砲兵隊 旅団工兵隊 旅団整備隊 戦車師団を縮小したような編成ですが、輜重隊が欠なのが不思議です また同書(GP2001年4月号)には戦後奉天に集積された 第34連隊第2、第4中隊の車両が掲載されていますが、新砲塔チハは見受けられないようです。 また、独戦第9旅団の戦車第51/第52連隊は教導戦車旅団、四平戦車学校残部を基幹に 編成されたとのことですので、機材・人材とも案外良質なものを手に入れた?のかもしれません。 この本、内地配備の独立戦車旅団に関しては編制表等もあり詳細も確認できますが、 満州配備の2個旅団はやはりはっきりしない点が多いようです。
被った上に遅い・・・
560 :
第一総軍 :02/12/11 23:39 ID:W3AJD3q3
おおっ皆さん資料の提供感謝致します。 グランドパワー誌は所有していたのですが、今回の皆さんの書き込みで漸くわかりました。 全体の編制は558様、戦車連隊の編制については ばばぼん♪様の資料を合わせると全体像が見えてきますね。 各連隊の中隊所属戦車が50輌、整備中隊に恐らく2〜3輌、連隊本部に恐らく2〜3輌で連隊保有戦車は54〜56輌。 2個連隊で108〜112輌、旅団司令部に3〜4輌あるとして旅団の保有戦車は推定111〜115輌といった所ですか。 その他、Lans 様ご紹介サイトも今後参考にさせて頂きます。 シリーズについてですが、短期間ながら打通作戦以上の規模の戦闘ですから、どの様に纏めたものか思案中です。
たまには自分で保守。
打通作戦では南北縦貫3000キロの勝利行軍を続けたのだが、農村区域 には無縁で、従って共産党に利する行動であったのだろう。毛沢東が日本 軍国主義に感謝していたという話もよくわかる。 全国農村化こそ、おれさまにとっての中国のあるべき姿だ。中国は欧米技術 崇拝を止めて農村に帰るべきだったのだ。毛沢東は、それを成し遂げたのだ。 モーゲンソー計画は、まさに中国にこそふさわしかったのだ。
第一総軍かっか ほっといても、打通さんが保守してくれるよ。 ここが住まいだから。
564 :
名無し三等兵 :02/12/18 11:16 ID:+jL6mUAn
自動小銃は無理だとしても。せめて百式短機関銃を大量配備してホスかった・・
565 :
少佐 :02/12/18 12:43 ID:v6WuOE4S
日本軍は食料生産力が低かったから、食料を持って移動することができなかった 訳じゃないんだよ。 食料を持たない方が移動が早くなるという戦略だったから、食料を略奪に頼って いたのだ。 食料があったら、日本軍はもっと戦えたぜ。
>564 禿同!! できれば後期の型が良いなぁ。
>565 >食料を持たない方が移動が早くなるという戦略だったから 裏を返せば・・・ 十分な食料を輸送すると、通常の部隊移動に支障をきたすという事では? それは、日本軍の輸送能力の低さを端的にあらわしていると思いますが・・・ >食料があったら、日本軍はもっと戦えたぜ。 の前に 輸送力が十分にあったら、日本軍はもっと戦えたぜ。 だと思いますです。はい。 で、輸送力が低かったのは・・・と繋がっていく訳ですね。はい。
>輸送力が低かったのは 輜重が極楽蜻蛉だったから
>>567 それを言っちゃうと、
「前線に物資を潤沢(←この単語は誤解を招きかねないので、注意すべき)に運べるような軍隊だったら、
果たしてあのような戦争を戦っただろうか?(←独伊側の反対側で参戦した事態を含む)」というとこに行き着きます。
「貧乏だから戦争した国」の筆頭にあげられると思うのです<当時の日本帝國
保守
下士官兵は精強であり,将校は狂信的に作戦を遂行する.だが,高級将校は無能である.
新たなネタ提供できないので、第一総軍氏
>>545 の記事に追加させていただきます。
ノモンハン事件(第二次)第六軍損耗状況。
出動人員58,825名、戦死7,306名、行方不明1,002名、戦傷病10,617名(第六軍軍医部資料)。
ただし同資料には、戦車団、第一師団、飛行集団、独立守備隊、高射砲群及び満軍のデータが
ないという重大な欠陥あり。それら諸部隊を含めれば、出動人員約7万6千名となる筈。
また陸相あて報告によれば、最低の数字で戦死8千、戦傷病1万とのこと(畑元陸相による)。
出動人員75,736(満軍除く)、戦死8,629、戦傷9,087との説もあり(7師団関係資料)。
なおソ連軍損害は死傷者18,500名とも(1980年代公表)。
573様、ありがとうございます。 ええと、海軍関係スレなどなら間違った事を書いても突っ込んでくれる人がたくさんいるのですが、ここでは自分で訂正しないとなかなか間違いが見つからないという問題点が有ったりします。 それ故、あまり気楽な事が書き難かったりして遅れていますが、年明けあたりから少しづつ再開していくつもりです。 お願い。間違いに気づいたら突っ込んでくださいね。
インパール作戦は敗退だったが、東亜解放へ向けての意義ある作戦だった。 チベット・中印紛争で屈辱的惨敗を喫したのは、戦後のインドが軍備を解体 されたから。インパール作戦が成功していれば、インド国民軍は健在だっ たはずだ。無意味な太平洋艦隊決戦こそ早めに放棄ずべきだった。
>>85 、
>>93 38式歩兵銃も4式戦疾風も日本陸軍兵器は、中国人もその値打ちを認めていた。
さらば〜 にほんよ〜 たびだ〜つ ぐんは〜 一号作戦 だ〜つ〜う〜 ちゅうごく チンピラ ごろつき どもを みんなまとめて やっつけま〜く〜り〜 かなら〜ず ここへ〜 かええ〜ってくると〜 てをふる〜 ひと〜に〜 えがおで〜 こたえ〜 たいりくだつう 3000キロを はるばる あ〜る〜く〜 一号作戦 だ〜つ〜う〜
>>579 いや、そりゃ第一総軍氏ではなく打通の方では・・・・・?
582 :
第一総軍 :03/01/02 00:39 ID:JR9CdNy2
鳥肌 実氏がどのような方か知りませんが、私の外見について2ちゃん関係では、ばばぼん♪ 様や参謀殿しか見た方はいないかな。加藤六郎氏は最近ご無沙汰のようだし。 真面目な話、日本陸軍の泥臭さに惹かれます。スマートではないところ。 装備が劣っていてもそこそこ善戦している戦闘力にも。 ですが、入りたくない軍隊では上位の方でもあります。
打通=旅順虐殺太郎
584 :
名無し三等兵 :03/01/03 15:35 ID:23DePD5X
このスレに書いて良いものかどうか分からないのだけど、 半藤一利の最新刊「遠い島 ガダルカナル」ってどう思った? なんか川口支隊の闘いとか全然描かれてなくて、 俺的にはイマイチな内容だったけど。
_, .. ..,_ _,.-'" ` 、 _, '.:: ヽ ,. '".::: ヽ ,r'.:::::::: y ,".:::::::: ! i :::::::::: i i :::::::::: '" `,丶 ,. '"... ,_ i i ::: ,.-'"" ヽ, i ,'",v,..-_ ヽ ,.. i i'"`.::::: i , i =、 `- ' i =- γ"ヽ ヽ::::::::::. i ソl ヽ,_ ,.-" i ヽ::::::::::::.."::::":::::i ヽ i ヽ ::::::::::::::::::::::::...ヽ -,. ,/." ` i ::::::::::::::::::: i i :::::::::::::::::::: ,. -=−- y ヽ ::::::::::::::::: ..:::: /, ヽ :::::::::::::. ... ..::/ i, i" ::::::::::::....:::::.....:: ,..- '" ,.'"ヘ i :::::::::::::::::::::: _,.. -='" ヘ i :::::::::: ヽ、::: _,.-=" ヘ=-.,,__ _,..-='",;;;; .,_ i^" ,.-, _,.",;;;;;;;;;;,,ヽ ,.-='";;;;;;;;;;;;;;;;;;;,, `; i ;-=" _,.i ,..-'",,;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ヽ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,,ヽ i ヽ,..- '",.. -'",;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ヽ
さて、現在日本はアメリカの植民地のような国ではあるが、
もし強欲な中国に占領されていたらどうだろう。
非常に恐るべき想像をすることができる。
何故占領されなかったかというと、
中国方面では日本主力陸軍がボコスカに蹴散らしていたから中国は
日本本土まで来ることができなかったわけではある。
なので現在は虐殺されたと嘘っぽいことをふりまいて利益を搾り取ろう
ということが考えられる。
ここで日本陸軍の一号作戦(大陸打通作戦)を見てみよう。
中国側は精鋭部隊40万人を反撃のため召集。
日本側は15万人の兵力、理由は「中国軍は弱いから」。
結果。
日本側:戦死者840人、戦傷2300人。
中国側:戦死者36700人、戦傷21868人。
なるほど、確かに大虐殺だ・・。
てか中国ほんとに弱ッ。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/1758/log6.htm
588 :
陳誠大好き :03/01/05 16:34 ID:U8hH1KWD
おひさしぶりです。 ひさびさに戻って参りました。皆さんお元気なようで頼もしいかぎりです またよろしくお願いします。
>>250 >岡村大将は軍事顧問といっても病気療養中の上、GHQの監視下にあっ
>た為台湾には渡っていません。「白団」の名目的な代表者として軍事
>顧問の人選にかかわっただけです
蒋介石が欲していたのは岡村大将個人よりも、常勝の派遣軍百万精鋭だった。
支那派遣軍は最後の最後まで確かに剛勇無双百万の精鋭が健在であって、
決して敗残兵の集まりではなかったことの証左。蒋介石が無力な敗残兵
を欲していたとは思えない。
グングング―ン(--)>
591 :
ほっぺ戦闘団 :03/01/06 16:05 ID:J23GPqSa
戦後、 人民解放軍の装備は旧日本軍からの接収兵器が多く、 それゆえに、 国民党軍との戦いに負ける気がしなかったそうだw
167>私の特集からは、中国国民党軍の強い抗戦意思と善戦が読み取れるはず。 167> 太郎氏の書き込みに有るような、国民を捨てたチンピラゴロツキ集団 167>といった印象は全くといって感じられないはずです。 中国国民党は一貫して戦略的撤退作戦に成功し続けたのだと思う。打通3000 キロどころか、大陸丸ごと放り棄てても金目のものを奪って国外逃亡できれば それこそ大勝利と呼ぶにふさわしい。蒋介石と毛沢東は甲乙つけがたい勝利者。
あれ?打通さん、芸風が少し変わった? 言ってう事の根幹は変わってないけど(w >592 そうだね。金あれば、日本軍が弱ってきたとこで、再度国外から潜入し 反旗を揚げることもまた可能。 これは中国人には三国志などの時代から繋がる思想でもあるし・・・ しぶといんだよ。中国軍は・・・ しぶとい=強いんだよ そりゃ「戦術能力は低いけど」国や軍としてみれば 決してあなどれないよ。 叩いても叩いても投入される人的資源は・・・脅威以外のなにものでもない。 それは朝鮮戦争でも明らかだし。 それを相手に、日本陸軍はよくやったとは言えると思いますよ。 戦術的優位が日本にあったのは、私も同意します。がしかし 戦略的優位は明らかに中国にあったと思います。 つまり、日本軍の戦いはある意味「無謀」
どうせ打通しか勝てなかったんだからさ、他の戦線は無視してひたすら 重慶目指して進軍すればよかったんだよ。マリアナ決戦よりはましな選択。
595 :
第一総軍 :03/01/08 02:04 ID:0tHcBkbO
陳誠大好き様、ご無沙汰でした。ご帰還を歓迎いたします。 ええと、最近サボっているのでかわりに雑談ネタを。 私は去年から福祉関係の仕事をしているのですが、そころある利用者さんが第三十三師団の山砲兵連隊にいたそうです。 いくつか教えてもらった点を箇条書きにしてみます。 1,補充兵では無く、第三十三師団編成時から終戦まで従軍していた。 2,山砲は九四式山砲であった。九九式山地十榴は見たことは無い。 3,当初支那で作戦していたが、後でビルマに派遣された。自分の部隊はビルマ侵攻作戦開始時には支那に残されており、ラングーン占領後にピルマに入った。 4,中隊は4門で、本当は駄載の筈だが、実際は2門が駄載、残り2門はトラックに載せて運んでいた。 5,インパール作戦時には砲の一部は残していった。かなり高い山を越えて運んだ。 6,敵戦車に徹甲弾を命中させると停止し、反転して逃げていった。タ弾については知らない。 7,インパール戦後、負け戦の中で臨時に編成された独立部隊に配属された。 8,独立部隊は林砲兵隊といい、満州から運んできた九〇野砲2門で1個中隊を編成した。編成地はマンダレー。 9,九〇野砲は本当は牽引車で引くのだが、牽引車が無くてトラックで牽引していた。 10,負け戦まの中で生き残ったのは九〇野砲のおかげ。射程が1万4千mもあるから後方から砲撃できた。 11,内地には昭和22年に帰ってきた。 12,印度国民軍を見たことが有る。 13,ビルマ女性は貞操観念が固くて手を出さなかった。 14,慰安婦は朝鮮人が多かったようだ。 以上です。
596 :
第一総軍 :03/01/08 02:09 ID:0tHcBkbO
又しても誤字が多いですが、興味深い話も含んでいると思います。 この利用者さんはかなりいいおじいさんで、穏やかで面倒見が良く、ちょっととぼけた性格です。 頭はかなりしっかりしているは上の証言でもわかる思います。
597 :
名無し三等兵 :03/01/08 03:30 ID:Cro6uJkf
>第一総軍様 その利用者の方が所属されていた部隊は山砲第33連隊/福家大佐)なのでしょうか。 あの過酷なビルマ戦、筆舌に尽くし難い苦労をされたことと思います。 しかし九〇野砲の活躍という話には興味大です。 ノモンハンの時もこの砲を装備した部隊(独立野砲兵第1連隊/宮尾大佐)がしばしば敗走する友軍の危地を 救ったそうですから。
598 :
第一総軍 :03/01/08 03:37 ID:0tHcBkbO
597様、連隊はそうです。個人情報なのでそれ以下の所属や階級については伏せておきますが。 いつもにニコニコと機嫌よく話してくれますが、大勢の戦友が戦死したとのことでもあり、話を聞くにも少し気が咎めることもあります。 それにしても野砲の射程まで鮮明に覚えているあたり、年齢を考えるとたいしたものですね。
歴史と旅臨時増刊9月5日の連隊旗でつづる太平洋戦史という雑誌。平成四年発売だけど古本屋でなにげなく買いますた。誰か知ってますか? かなり気に入った資料なんですが。 巻末の日本陸軍部隊編成一覧なんかはかなりの出来です。 全師団の概略が載っててこれで通称号を知りました。
600 :
名無し三等兵 :03/01/08 04:02 ID:Cro6uJkf
>第一総軍様 なるほど、やはり鮮烈な記憶は忘れ難いものなのでしょうね。 その方のご健康と長寿をお祈りいたします。 個人のプライヴァシーに関わることなのでなかなか聞きづらいこともあると思いますが、 第一総軍様の聞ける範囲内で記録を残すことも(公開の判断・場所は別にして)、ある意味 後世にとって貴重な記録になると愚考する次第です。 私も年配の親族の話をなるべく聞こうと思うようになりました。 あの戦争の意味はともかく、後に続く者にとっては貴重な経験談ですので。
大陸打通作戦のおかげで、日本は中国に対しては圧倒的に優越しているのだ ということが国民感情レベルで保たれることになった。このすがすがしい 優越感は、いつまでもいつまでもかみ締めておきたいものだ。
昭和12年10月1日(上海戦の最中)、ロンドンで吉田駐英大使が日本の新聞記者 に次のように語りました。 「“5日に行われる反日大会の司会”をカンタベリー大主教が引き受けたので抗議の 書簡を送った。大主教は、支那側の逆宣伝による根拠なき作り事を何ら確かめもせ ず受諾している」と。 また10月2日の中外新聞は 〔ロンドン発1日同盟〕 支那軍の全面的敗退に狼狽した支那側のデマ宣伝はいよ いよ露骨を加えてきた…ロンドン駐在支那大使館では毎日のように日本軍を中傷 する記事を流して、英国民の反日気勢を煽っている。 その上在支外国通信員を動かす等の間接方法をも併用、絶体絶命、泣き落とし政策 で英国民の同情を得んと必死になっている。従って日本側の反駁ないし抗議はとも すれば無視されがちである。…外人目撃者のいない場所に関しては、今なお…デマ が行われている。 9月28日のロンドン・タイムスは 「英国政府は26日、支那側のマークを付したる 日本軍飛行機二機が広徳・安徽方面に現れ、爆弾を投下したとの支那政府の覚書を 受領した」 と報道し、ラジオも同趣旨の放送を行った。 と伝えています。 英国は、中国の流すデマを何ら確かめもせず垂れ流しているのです。 それだけではありません。香港は10月初め(上海戦の最中)には、中国への武器 輸送基地となっていました。 広東の兵器工場は日本軍の爆撃で使えなくなったので、飛行機は香港で組み立て られてから空中輸送され、自動車は広東まで鉄道で運ばれて、そこから道路を奥地 に輸送されていました。
駄通も 今年で 4年目か 早く死ね
この時の武器援助も半端なものではありません。ソ連をはるかに上回るものです。 当時の、新聞に発表された記事では 英国より支那に支給しつつある武器弾薬で十月中旬現在確実に判明せるもの (×印は交戦法規で禁止されているもの) 既に支那に到着せる物 飛行機 高速度戦闘機2機、 軽戦闘機6機、 駆逐機5機、 偵察機40機、 V・I七型偵察機9機、 爆撃機10機、 その他30機、 合計102機、 飛行機捜査聴音器20台、 高射砲四門、 高射砲弾80トン、 同3800箱、付属器具20箱、 強烈爆薬(T・N・T一箱50ポンド 入り)2200箱、 敷設水雷100内外 十月中旬支那に向け輸送途中にあったもの 飛行機7機、 飛行機用モーター12台、 飛行機部分品250トン、 飛行機用機関銃70挺、 ×焼夷弾十万発、爆弾(大型)105箱、 高射砲22門、 野砲8門、 武器220箱、 機関銃150挺、 小銃2000挺、小銃(自動式九ミリ)2600挺、 同(ヴィーカス7.2ミリ) 3000挺、 小銃弾180万発、 同8740箱、 弾薬396トン、機関銃及び弾薬101箱、 弾薬(数量不明)、 同31トン、 戦車10台、 十型戦車13台、装甲自動車42台、 乗用自動車150台、 無電機3台、 ガスマスク8箱、 軍需品200箱、 ×クローリンガス入り筒150箱、×ガス円筒入り6筒、 敷設水雷23個、 各種爆薬物200箱、 ダイナマイト70箱、 ×液体ガス(数量不明)、手榴弾280箱、 ブラックパウダー95箱、 特別軍需品13箱、 弾丸及び弾薬30(単位不明)、×チューブ入りガス10(同)、 (後略) とあります。 新聞は「英国より支那に輸送されたガス類およびダムダム弾が、 すでに戦場鹵獲品中に多数発見せられつつあることは人道無視の行為であって…」 と英国を非難しています。
605 :
山崎渉 :03/01/12 21:12 ID:???
(^^)
世界最強アメリカ陸海軍といえども、敵のホームグラウンドに近づけば勝ち戦 でも損害が増えるのは硫黄島や沖縄で証明済み。日本本土上陸はアメリカにと ってそれこそ冒険もの。アメリカが大嫌いなソ連と妥協してでも回避しようと 考えたのも当然。しかしソ連が参戦し国土政体が保障されるともあれば日本が 同盟無しの孤立無援で世界を相手に抗戦継続することにどんな意義があるのだろう。 日本は戦前も戦後も何かとドイツに見習うべきとの意見もあるが、そうだとした ら日本もドイツに倣って首都陥落まで本土決戦を敢行すべきだったのだろうか。 そんなにドイツ軍隊・ドイツ式戦後処理が立派だというのなら・・・・
打通さーんもう壊れた何とかですなぁ・・・
日本も国土は獲られたままだし政体も変わったんだけどね
まだまだこのスレの戦闘は終わりそうにありませんなあ 第一総軍閣下。 でもこのスレ、連戦連敗かと。どこかに掲示板借りてカキコすれば?
ぷるぷる様、その本私も持っています。新人物往来社の師団戦史が出る前は重宝したものです。 おじいさんの件ですが、よく聞き直した所、林ではなく小林砲兵隊に配属されたとの事です。 ちょっと陸戦史集で調べてみたところ、小林砲兵隊の存在は確認できなかったのですが、イラワジ川前岸陣地の支援に山砲兵第三十三連隊第一大隊に補充された九〇野砲4門が活躍した記述が有りました。 おじいさんの記憶では独立部隊だったとの事で(中隊に主計将校がいた)多少食い違いがありますが、結構記憶と一致しているとも言えます。 記憶によると、4門では無く2門。これは、砲は届いていたかも知れないが、砲兵がいなかったので編成されたのは2門だけだったとの証言もあります。 小林砲兵隊と陸戦史集の第一大隊が同一のものかどうかは不明ですが、山砲兵に九〇野砲が補充されたのは間違い無さそうです。 因みに小林砲兵隊は小林大尉が指揮官で、1個中隊編制だったという事です。 609様、私には残念ながら何が「戦闘」で何が「連敗」か全く話が見えません。
一九四五年の初め、エドガー・スノーとのインタビューで、ルーズベルトは 「カイロでは、蒋介石についての私の見方を形づくることはまったくできなか った。あとから考えてみると、彼について私が知っていることといえば、すべて 夫人が蒋と彼の考え方について述べたことばかりである」と、告白している。 #S・シーグレーブ「宋王朝」P258より
重慶やシコウを攻略できなかったのは、進軍の命綱であった4式戦部隊が ヘタレ海軍の尻拭いのために太平洋方面に引き抜かれたから。おれさまは 決して中国人民がその後急に抗戦能力を高めていたなどとは思わん。 もう少しで中国のチンピラへなちょこ弱虫低脳ゴロツキ野郎どもをトコトン 追っかけ回して、国民党政権を解体に追い込んでおけたところなのに残念。
>>589 >蒋介石が欲していたのは岡村大将個人よりも、常勝の派遣軍百万精鋭だった。
最初からそう書けばよいのにね、打通さん。
張学良を誹謗したいあまり
岡村を持ち出して下らない比較をする誘惑に勝てなかったんだね。
>張学良を誹謗したいあまり >岡村を持ち出して下らない比較をする誘惑に勝てなかったんだね。 いや、張学良を釈放しても人脈はせいぜいゴロツキのあつまりしか得られないが、 岡村大将を軍事顧問にすれば剛勇無双支那派遣軍の勇士たちがついてくる。
ゴミスレageの時間がやってまいりました。 晒しアゲ。
618 :
第一総軍 :03/01/20 23:13 ID:PX9MC9Aj
617様、全然似ていませんよ。第一総軍は歳の割に童顔で全体に微笑したような表情を作るように心掛けています。 仕事柄身についた癖です。それにもっと人懐こい印象があると言われます。 いずれお会いする機会があるといいですね。
第二〇爆撃機兵団司令部は、一九四五年三月三十日のシンガポール爆撃後 に解散された。それまでに日本本土に投下した爆弾の総量は、八〇〇トンと アメリカ側資料は述べている。 第二〇爆撃機兵団は、一九四四年六月から一九四五年三月までに、日本 本土のほか、東南アジアの日本占領地域や満州(中国北東部)、中国、台湾 などの重要目標を空襲した。日本本土空襲を含め、成都からの出撃機数は のべ一三三八機、投弾総量は三六二三トンであった。 作戦10ヵ月間の第二〇爆撃機兵団の損失は、B29合計一二四機、搭乗員 合計五一〇人にのぼった。機体の損失率は九・二パーセント強にたっする。 ただし、損失機は、あらゆる原因による損失の合計である。搭乗員損失は、 戦死および行方不明の合計である。
まだ似ていないなあ。軍装趣味は無いし。 是非もっといい男の写真を見つけてきていただきたい。
622 :
山崎渉 :03/01/22 11:13 ID:???
(^^;
打通作戦は何にも増して最優先にやるべきだった。連合艦隊が頼りにならず 海上封鎖が深刻化するなかで、南方の陸兵・邦人を救出するにはこれ以外ない。 日本本土が封鎖されては大変だとも言われるが、それをいうならはるか南方の 異国の土地にとりのこされた陸兵と在外邦人はどうなるのだ。彼らのほうが 本土での銃後の国民よりずっと苦しい状態にあったろう。
大陸打通作戦がなかったら、在外邦人の大勢が難民化して、そのほとんどが 餓死病死か、通州事件のごとく華僑や中国人に虐殺されてたかもしれない。 在外邦人が日本に帰ることができたのも打通作戦のおかげで、重慶決戦 もやっておいたらもっと大勢の人々が助かったであろう。
打通の住処あげ
無条件降伏にしても、南方の陸兵を安全に引き上げるための打通街道は必要だった。 打通街道をつくっておかないと、ドイツのように難民が追放されてもっと悲惨だ。
打通さん、自分専用のスレで語ってくれませんかね。
>打通さん、自分専用のスレで語ってくれませんかね。 まさにここがそれである罠。
仕事忙しくてさー。 まじ、ある程度まとめてあるヤツ、校正したりする時間内のよ。 どうでもいいけど、アフタヌーソでやってる「げんしけん」の大野加奈子タンにハァハァ(;´Д`)
「ノモンハン事件の真相と戦果 」によると、日本軍は実質的に勝っていたようだ。 日本軍は2万以下なのに、ソ連軍は、表向きは5万以上、真相は23万以上も動員していた そうだ。おまけに、失った戦闘機は1500機以上。ソ連戦闘機は150機体制でも数機の 日本戦闘機に勝てなかった。ソ連軍は「日本の戦闘機に出会ったら逃げろ」と指令していた。 豪州沖でのゼロ戦VSスピットファイアーでも、英国軍は同じような指令を出していた。 ロシア側は少しずつ情報公開しているが、今後の調査でさらにソ連側の被害の規模は大きく なると認めている。 ソ連軍参謀の証言も漏れていて、少なくとも死者は日本軍の2倍以上。戦車はすべて破壊 され、ディーゼル燃料への交換で、火炎瓶攻撃が効かなくなったというのも疑問とのこと。 シベリア鉄道は、治療所へ運搬される負傷したソ連兵で満杯。 ソ連軍は土壇場まで追い詰められ、もはやこれまでというとことで停戦が成立して命拾い。 しかも、日本軍は国境線を越境しての空爆を禁じられるなど、手枷足枷をはめられていた。 しかし、日本軍の戦略では、少数の兵力でソ連軍の進撃を食い止め、その間にシナ・朝鮮・ 内地から援軍を集め、一ヶ月で10個師団、さらに第2次動員で23個師団に増強し、30個 師団の極東ソ連軍と全面戦争をする予定で、その実行を開始していた。関東軍特殊演習も この戦略構想でやったんだろう。それを知ったソ連は、1個師団の日本軍に苦戦しているの に10個師団も来られてはたまらんと、ドイツに停戦の仲介を依頼。ドイツが提案し、ソ連が拒 否していた独ソ不可侵条約の締結に応じることに方針転換。一方、現場に無知な日本政府 は不拡大方針の下、勝手に停戦に応じやがった。「昭和史の論点」(文春新書)によれば、 日本外務省は「軍には負けたという意識がないので困る」というように嘆いていたそうだが、 本当に日本軍は負けてなかったんだ。秀吉の朝鮮への出兵と同じで、戦闘には勝ってるの に文人の外交交渉の稚拙さで負けたことにされてしまっただけ。もっとも国境線の確定では、 必ずしも日本が一方的に譲歩させられたわけではなかったけど。
>第一総軍 様 いっそのことスレを代えちゃいましょうか?
さてさて、またも強力なデムパがやってきました!
ようだそうだ同じようなとのことやったんだろう応じやがったによればいたそうだが本当に日本軍は負けてなかったんだ
偉大なる大日本ティムポ陸軍マンセー!!
いつ変えた?
中国大陸で終戦を迎えた陸軍部隊の戦車等の車両が中国(中華民国)に接収され、 その後の国共内戦で使われました。この内戦中に中華民国軍(蒋介石)の部隊で 中国共産党軍に投降したものが多く、そのため日本製戦車が朝鮮戦争までの間、 中国共産党軍の主力として活躍していたこともある。終戦後、使用された戦車 ならドイツよりむしろ日本の方が多いと思う。
おまえら、日本陸軍の兵器はそんなに悪いのか。アメのみならずソ連や ドイツと比べても悪かったのか。ソ連やドイツに技術で及ばなかった? アメが一流、独ソが二流、日本は三流? なら中国の軍隊・工業はいったい何流だったんだ?
中国ごときの自国で兵器生産すらできないような国と比較しても意味ないじゃん。 なんで中国ごときと比較したがるの? そんな国にすら勝てなかったわけだが・・。 勝ったところで一体何を得られたのかも?だしな・・
>そんな国にすら勝てなかったわけだが・・。 中国が戦勝国だというのなら、イタリアやフランスだって戦勝国だ。 とにかく中国なるものはその存在自体が巨大な汚物の吹き溜まりにすぎ なかったということだ。「抗日戦争」なんてまったくのいんちき。 大陸打通3000キロの栄光に、抗日戦争の虚構は脆くも崩れ去った。
>>640 打通さん中国に相当恨のある方ですね。製造業でリストラでもされたの?
俺にとっては別にどうでもいい国だけど。
>中国ごときの自国で兵器生産すらできないような国と比較しても だからもう中国人って頭悪すぎ。あれは猿に近い知能しかもたない愚劣 きわまる人間以下の存在だったのかもしれない。
打通さんは中国に職とられて怒ってられるんですね
そうか打通の暗い毎日が、あのレスを書かせているんだね。
久々に打痛叩きが復活したな…
東京大空襲の悲劇は、日本軍に広範囲に大都市をカバーしうるだけの 高射砲部隊が用意されてなかったことが大きい。おれさまはドイツヲタ は大嫌いだが、それでも高射砲だけは向こうから買っておいて損は無か ったろう。ウルツブルグ射撃レーダーが国産化されたのは降伏間際だった。 へたれ連合艦隊なぞ信頼せず早め早めの準備が必要だった。
日本の敗因を知る上で、駄痛の発言は非常に参考になる。 日本軍の悪しきところがよく表れているじゃないか。
649 :
名無し三等兵 :03/02/02 00:25 ID:2FcN/lEN
♪國を出てから幾月そ とても良い表題ですね ナイス・ネーミング!
>高射砲だけは向こうから買っておいて損は無かったろう。
その買った高射砲はどこを通って日本に来るのかな?潜水艦も恐いが
米機動部隊に南シナ海辺りをうろうろされたら、シーレーンは一発で
断ち切られるわけだが。
>>646 あれだけ痛い書き込みを壊れたCD並みに繰り返されたら…
少なくともコテ叩きにはならないと思うよ。
>第一総軍 さま お元気ですか?
652 :
名無し三等兵 :03/02/02 22:51 ID:dw4DYlnp
高射砲なんか当時の日本の技術ではB29まで届かなかったよ、 届いてもVT信管も無いのに撃墜できん。
>>652 久我山の砲は見事に撃墜しましたが何か?
654 :
名無し三等兵 :03/02/02 23:44 ID:qNwbb9J+
陸軍の15サンチ高射砲ですね
で、何門有ったのかと。
大陸打通作戦とは、東亜解放に燃える神兵たちが3000キロ歩いた 栄光の足跡なのだ。日本陸軍が現地住民を敵に回したなら、それはありえない。
657 :
名無し三等兵 :03/02/03 12:56 ID:ePRU7v4O
》654 サンチは海軍の呼称
>653 米軍側には該当する損害記録がありません。 日本側の誤認である可能性が。
すれ違いかもしれんが・・ 海軍の秋月級の主砲ぶっ放したら 効果があっただろうか??
660 :
甲種幹部候補生 :03/02/03 21:57 ID:nzPiH0cV
二門で一個中隊を編成しました 米戦略空軍に衝撃を與へたのは事實のやうです
つーか15cmが配備されてから久我山上空にB29が現れなくなった ってのは単なる誇張だったのか?
まぁ神兵と言ったところでクソもすればションベンもするし 下手なところに弾があたれば死んじまうし死んだら腐って終わりだし
>661 5式15センチ高射砲が配備された時点で、久我山近辺を 飛行して爆撃する目標は、すでにありませんでした。
終戦までに配備された2門で計44発しか発射していないんじゃぁねぇ…。 驚異もへったくれもない罠。 別に五式が優秀ではないとは言わないけど。
兵器は数を揃えて、十分な補給と整備ができないとね・・・。
>659 うちの爺ちゃんが乗ってた『四阪』は東京湾で高角砲撃ってたってよ。 でも、機関砲の方が効果があったとかいってた……。
と言うか高射砲、高角砲の開発も例によって、 それも大戦末期でさえ陸海軍がバラバラに開発してるんじゃあなあ。 陸海軍が現場レベルに至るまで仲が悪かったとは思えないが、 一度硬直化した官僚組織の齎す害悪とはつくづく怖いものだ。 (厨房な意見だがせめて高角砲と高射砲を長10サンチに統一するとか・・・なあ)
久我山の15サンチが撃墜しかけたのは フィリピンで捕獲したB−17だったんだよ あれには東亜総統特務隊が乗っていて、テニアンに行く予定だったんだが… 参考資料「東亜総統特務隊」作者 小林源文
そうだったのか!!
堕痛召喚age
失礼。ageてなかった
浮き砲台の長門のほうが役に立つような気がしてきた・・・ 15cm2門なんて…
674 :
名無し三等兵 :03/02/09 19:13 ID:Q6Ogc78k
違ふよ 敵機の來ない所に高射砲台を作る者はゐない 米編隊が火網に捕捉されたことはあった そのため、以後久我山上空を避けたのも事實 戦後、米上陸軍の第一波が上がるや調査に賭け付けて來たものだ
675 :
名無し三等兵 :03/02/09 21:51 ID:WWdqwRh7
恐るべし陸軍高射砲部隊
でも昭和20年に入っても、大半が八八式ってのがどうも
>>674 場所を避けようがないくらいの数が揃ってれば良かったのにね。
荒らしじゃないですから。 昭和20年の8月に久我山上空を飛行ルートとした 爆撃目標って何かありましたっけ? 真面目な質問です。
679 :
名無し三等兵 :03/02/10 00:35 ID:9S+61OAC
確か東京は5月末の時点で爆撃リストから外されていたと思うけど。 夏にかけては地方都市が爆撃されてた。
ホントに久我山の15cm高射砲が米軍の脅威なら、 なんでB-29の攻撃目標にならなかったんだろね? 艦載機やP-51を使っても良いし。 田んぼの畦道を歩いている小学生を銃撃する米軍機が、 友軍に脅威を及ぼしている敵をそのままにするかな? それと上陸第一波で調査チームが久我山に来たなんて いうのは、日本側で言ってるだけでしょ? 15cm高射砲以外にも早々に調査された兵器はいくら でもあるよ。
681 :
c :03/02/10 15:41 ID:U9WwSZoc
15cm高射砲の陣地設定だって、初期の昼間高高度爆撃 が行われていた当時、中島飛行機の武蔵野製作所を目標 にしていたし、都内上空に侵入する時は中央線に沿って 飛行したため、久我山に陣地を作っただけで昭和20年8 月の段階では無意味になってしまったんだよ。 話はちょっと変わりますが、ドイツはB-17を一機撃墜 するのに何発の砲弾を発射したか、ご存知の方いませんか? 勿論、統計上ですが。
書き方がキツかったらごめんね。 煽るつもりは全然ありませんので。
685 :
名無し三等兵 :03/02/10 21:52 ID:vD4qbc69
事実を推測で覆すことは出来ないよ
驚異を覚えたものをつぶしに来なかったという不思議な事実はあるけどな。
>驚異を覚えたものをつぶしに来なかったという よけて通れば済むものな
単に意識されてなかっただけだろ
そもそも、五式高射砲は何回対空戦闘を行ったんだ? そんで通算でどれくらいの戦果を挙げたんだ?
戦果はゼロです。
>689 戦闘回数は不明ですが、使用弾薬数が44発という 点から推理すると一桁の前半が精々ではないかと。
一回の戦闘で、何発発射しているんでしょうか? 5式15センチ高射砲は2門配備されていたんですよね。
配備後、終戦までに2門で合計44発発射。 うち、一号砲は計4発試射、二号砲は1発試射。 で、残り40発(以上、「大砲入門」)。 2門の発射数が同じだとすれば、1門あたり20発(おおざっぱだが)。 これくらいじゃ、一回分にしかならないと思う。
岡村寧次「あの時の蒋介石の伝言は、実に生意気なことを言うと思っておったんですよ。 ところが向うは日本を負けさせたあとのことまで決めちゃっているんだから、 非常に親切なんです。事実そうなんでして、終戦後判りましたけどね。 工作なんか一切ダメです。向うはどうにかして日本をあんまり痛めないうちに 戦いをやめさせなければと考えていたんですね。 戦いが終わって、重慶から出てきた友人が皆言いましたよ。私なんか何も 知らずに、アメリカのほうの牽制のために、一ぺん重慶大進攻作戦をやろうと した。実際物を知らざるも甚だしいものだと、あとで思いましたがね。 カイロ会談以降は何をやってもダメでしたね。バカだったと後悔していますよ。 何も知らずに・・・・・」
695 :
名無し三等兵 :03/02/13 08:04 ID:Sof1Ew4t
話半分に聞いとけ それと、陸軍の戦力と、外交問題とは別な話だよ しっかりしろ
リアル社会に友達のいないまま勝手気ままな書き込みを続けていたけど、ついに腹を括った。
おれさまは、これからも多分活動するがその前に満天下へ謝罪する。
岡村寧次自身が華北の八路軍を根絶するつもりで、とどのつまり数百万の民衆を殺戮させたのは、
もちろん日本敗北後の国共内戦の再開による中共の勝利を待ち望んでいたからじゃ毛頭無い。
彼が戦後の国民党軍再建にほとんど名義貸しだけであれ協力したのも、
三光作戦の実施命令と動機はまったく同一であるのをそんな事も理解できないまま、
米英の東亜政策を非難する開戦詔書の趣旨に沿わんがため打通作戦を発動せしめた
米英と中国との紐帯を断ち切る偉大な戦略家としての岡村寧次を崇めていたおれさま。
カイロ会談の時にはルーズベルトが中国を米英と並ぶ三大国の一つと持ち上げたのに、
米英ソだけの間のヤルタ密約では満州の特殊権益が中国へ返還されなかったのも、
実は打通作戦のおかげではなくて、ソ連が欧州正面の兵力を極東に転進できるようになったから、
そんな誰にも分かる真実に目をつぶるどころか、朦朧としたまま勘違いしていたおれさま。
打通作戦が岡村寧次自身の本来の主義と背反するのを気が付かなかったおれさま。
>>694 で彼自身漏らしたように、
共産党の天下とりの危険を三光作戦で回避したと誤認したあげく、
もはや日本本土が危ないというのに今更国民党を潰すことが可能でアメリカを牽制できると
その程度の洞察力しか無かったナインティナイン岡村を名将と錯覚したおれさま。
日本軍国主義が中国を救ったという黄文雄と、
米中同盟の絆を断ち切ったというおれさまとでは、
絶対的な矛盾があるのも気が付かなかったおれさま。
もう生きるのに疲れた。
回線切って首吊って死にたい。
でも怖くて死ねないんだ。
これからも生き続けるだろう。
だからおれさまが他スレを荒らすのも、
必要悪だと御寛恕願いたい。
>>696 だーからー、ネタならネタでもっと面白いことを書けや、白雉が。
そもそも一介の軍司令官でしかない者に何を期待してたんだ、あ?
698 :
名無し三等兵 :03/02/16 01:29 ID:jBpDduEZ
がんがれ打通さん。
699 :
名無し三等兵 :03/02/16 08:03 ID:B0yglm2v
軍司令官の地位は重いよ 部下の師団長ですら大臣級なんだから
701 :
名無し三等兵 :03/02/17 00:18 ID:m02vpfoT
それは職務権限の違ひであって上下の問題ではない また佐官級が政治を引回すのが非常時日本の問題点だった 打通は面白い男だ 人と同じ事ばっかり言ふ奴等より存在価値は高い
堕痛ッ! 勇気を持て、立ち向かえ! そして今日中に市寝や!
703 :
名無し三等兵 :03/02/17 09:08 ID:bnTJpQmJ
↑ おまへが士ね ねっとのアイドル 打通ちゃん がんがれ!
>>703 とりあえずおまいは旭川でウイスキーをしこたま飲んでそのまま外で寝てろ(w
>>703 遠からず私は、終末を迎える。*再発も近い様だ。
しかしだ、≪堕痛≫キャラは、堕痛と称し人命の乱費を称える書きこみを
繰り返したコノ人間は許せない。
・菌症日・と同類の最低級人物。
頼むから俺より早く染んでくれ。
**電車・道路には飛びこむなよ、社会の迷惑だ。**
因みに私が奴の自作自演を最初に見つけた。
「わずかなサイゴン米と食糧切符を手に解散」忘れられた戦場ビルマ <前略> この頃、宮邊戦隊長は、部隊の実記録を整理して「飛行第64戦隊略歴」 を作成、この資料に写しが現在、防衛庁防衛研究所戦史室に保存されている。 当時は、戦隊の戦闘詳報などの公式書類から、個人の日誌、写真に至るまで、 記録類はすべて破棄するよう命じられており、この簡単な資料のみが64戦隊 の戦歴全体の概要を今に伝えている。 一方、勝利を収めた英空軍は、東南アジア全域における日本軍との戦いで、 空中勤務者4858名が戦死または行方不明になったと記録している。しか し戦後、かれらが守るために戦った英植民地、インド、ビルマは相次いで 独立し、アジアで戦った英軍の犠牲はまったくの無駄であったという声が 澎湃と上がり、復員した英軍将兵を苦しめた。やがて英国では、欧州での 戦いに比べ規模も小さく、植民地の防衛という、後世から見て大儀なき戦い であったビルマでの戦争は、半ば意図的に忘却の彼方に押しやられた。
Operations at the Pacific area.
Number of ships
Operations Manpower
Cargo
(米軍動員艦艇・兵力・積載)
Gilbert isl. 63 35.214 148.782
Marshall isl. 122 85.201 293.792
Marianen 210 141.519 437.753
Leyte 110 57.411 214.552
Palau's 109 55.887 199.963
Iwo Jima 174 86.516 180.447
Okinawa 434 182.821 746.850
http://www.euronet.nl/users/wilfried/ww2/1945.htm
Second World War 1939-45 691,000 men and 35,800 women enlisted in the
Australian Military forces (AIF and Militia), 45,000 men and 3,100
women enlisted in the Royal Australian Navy, 189,000 men and 27,000
women enlisted in the Royal Australian Air Force 35,000 deaths from
all causes (all services) 66,553 (all services) 7,289 in the war
against Germany (of whom 234 died while captive), 22,376 in the war
against Japan (of whom 8,031 died while captive)
http://www.irishaustralia.com/Australian/Defence/ozatwar.htm AUSTRALIANS AT WAR
インパール作戦は勝ち負けに関係なく、大東亜共同宣言の趣旨に従って絶対 にやる必要があった。打通作戦と同じく、発動が遅すぎたのがいけない。 数ヶ月早く打通作戦と航空支援も同時に並行してやってれば、ディマプール 攻略も不可能ではなかったはずだ。そうすればインドは戦後軍事大国となり、 中国のチベット侵略も撃退されていたことだろう。 マリアナ作戦こそ、全くやる必要はなかった。
釣られても良いんだけど、最近疲れ気味で・・・。
ミッドウェイに逝く必要はあったか? ガ島にまで飛行場をいきなり建設したのは、まともな判断か? 真珠湾は、まあ、ともかく(といっていいのか?)、、、
713 :
ムタグチしれーかん :03/03/02 19:14 ID:zGEUtOOd
67 名前:実習生さん :03/02/04 20:41 ID:JxmXLdSF マリアナ決戦を早く放棄して、重慶を目指すべきだった。打通作戦はビルマ 方面の支援にもなる。他の戦線で全て負けている時期に、中国に対してだけ はトコトン勝ちまくって、中国軍はこんなに弱いんだぞ、とばかりに日本の 圧倒的優越性を世界中に誇示される。抗日戦争などとは笑止千万、中国の 土地と住民は友軍からはゴミのように棄てられていった。 南方で補給を絶たれた同胞を救おうとの国民としての連帯感と愛国心に 燃える日本軍にとって、金と女と権力にしか興味のないチンピラゴロツキ のあつまりなぞ、まったく敵ではなかった。「虐殺」などとはお仕置き を受けたドブネズミどもが、逆恨みと負け惜しみをいってるだけだ。 打通さん教育板まで出張ご苦労さんです。
ヤルタやポツダムでの米英ソ交渉をみてると、満州権益の譲渡とか東欧における 残留ドイツ人の追放だとか、ソ連の要求が通るばかりだった。本来ならこうした ソ連の拡大主義に対しては、ベルリン封鎖やキューバ危機のように、断固たる 態度で臨むのが正しいやり方だ。欧州戦が終わったのに大東亜戦が終わらない というのは、戦略的にみて米英側に著しく不利なものだったらしい。
あの装備や補給でで日本陸軍はよくやった。 というよりも、日本兵はよく戦った。 そういう意味では当時最強だったと思います。 誰でも知ってることですが、言わずにおれない。
>716 誰でも知ってるからいまさら言えない。
日本陸軍と日本陸軍兵とでは評価は全然違う。 これが帝国海軍と帝国海軍兵とではあんまり変わんないね。
海軍に予算取られまくりの貧乏陸軍にしては よく頑張った。感動した!!
720 :
名無し三等兵 :03/03/11 22:15 ID:DrhLThc5
日本陸軍兵とは何だ 北京の日本語学校へ行け!
721 :
名無し三等兵 :03/03/11 22:20 ID:DrhLThc5
昨日は陸軍記念日でした。 日本陸軍の榮光に乾杯しますた。
日本陸軍は組織も兵器もボロくて、米英独ソの軽蔑の的だった? 38式歩兵銃も95式軽戦車も一式戦隼も四式戦疾風もクソで、 どれも太平洋でアメの軍隊に太刀打ちできるものではなかった? それならばなおさら打通だ。日本陸軍は他のどことやって負けようが、 中国よりは確実に上なのだということを証明してやるのだ。 一式戦隼は時代遅れの弱馬力?、四式戦疾風は稼動難の不良品? 日本の兵器技術はクソで、米英独ソに太刀打ちできない? ならばなおさら、中国と「だけ」戦争すりゃあよかったんだ。
723 :
山崎渉 :03/03/13 14:49 ID:???
(^^)
他のどの戦場でも徹底的に負けまくっている中で、中国に対して「だけ」は 勝ちまくるこの快感。中国をコテンパンに打通しまくったことで、すがすが しい優越感に浸ることができたのだ。
保守・・・
726 :
名無し三等兵 :03/03/16 21:07 ID:6YznfCi5
日本帝国軍人は忠烈国に報ゆべし 山嶽よりも義は重くわが本分を誤りて 不覚の汚名を取る勿れ
巡回保全
やっぱ日本の場合は38式歩兵銃担いだ陸軍歩兵が一番。機械化部隊なんて 基地ごと航空爆撃の的にされるだけだ。トラック島の日本海軍基地などが典型。
特攻機が多数用意されていた本土決戦なら、水際撃滅も可能だったとおれさまは 考える。制空権が全くない状態で戦わされた南西太平洋なんかとはわけがちがう。 残念なことにソ連がアメに媚びて参戦してきたから降参となったのだ。
マッカーサーの比島作戦ってどうよ。比島掃討戦は沖縄・硫黄島攻防戦
の間もずっと続けられ、133,000の損耗の末、最後まで続いたそうだが。
To many observers at the time, the quarter-million figure put
forward in June by the Joint War Plans Committee could well have
seemed intimidating. By comparison, the combined casualty figure
for MacArthur's campaign through the Philippines, Okinawa, and Iwo
Jima was 133,000. For Normandy, from D-Day through 48 days of conflict,
losses were 63,360. For the Battle of the Bulge they were 59,000.
http://www.odci.gov/csi/monograph/4253605299/csi9810001.html#FOOTNOTE-33
マッカーサーは日本本土攻略は少ない損失でラクにやれると主張してたけど、 それならたかが餓死寸前の比島残留日本軍こそ、とっとと片付けちまえば よかったはずだ。なのにマッカーサーの師団は最後まで比島に釘付け、 しかも彼の部隊はひどい欠員が生じていたとのこと。 戦後マッカーサーが案外本国で人気がなかったのも、これが原因だろう。
懐かしい『スコードリーダー』シリーズの日本兵駒って 戦闘力どうだったの? おりは『スロス・オブ・アイアン』で足を洗っちゃった口だから 見たこともないんだけど。 ソ連の凶暴化ルールは(数が揃うと)厄介だったけどさ。
ドイツが米ソのみならず英そして仏までが占領に加わっているのに対し、 アメリカより前から戦っていたはずの中国は日本占領に加わっていない。 この違いに注目すれば、打通作戦が中国に与えた損害の大きさがわかる。 惜しむらくは重慶を落とせなかったことだが、これは太平洋で海軍が 惨敗してそっちのほうに兵力が引き抜かれたからしょうがない。 重慶を落としていれば、台湾は戦後すぐに独立できたのに、残念。
「中国人強制連行」は、事実だったと思う。その数は実に一億人。 >539 :名無し三等兵 :02/12/05 20:43 ID:??? > 一九四四年末までに、蒋介石はもはや有力な盟友と見られなくなっていた。 >日本軍は中国東部での攻勢でさらに八省を手に入れ、さらに一億人の中国人 >が日本の支配下に置かれ、米軍飛行基地は放棄のやむなきにいたり、中国の >東海岸は封鎖された。帰還命令を受ける直前の十月四日、スティルウェル >は日記に書きつけた。「陸軍省が私に味方しているのは明らかだが、この >戦域は無価値とみなされ、われわれは何も期待されていない」 > >日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 >ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳
中共にとっての日中戦争は専ら「戦略的後退作戦」。打通作戦で日本は 勝ったのではない、懐に引き込まれただけだ、というのは中共に対して。 広大な国民党支配区域に攻め込ませて、その間に漁夫の利を取ろうという のが毛沢東の持久戦論。
736 :
名無し三等兵 :03/04/04 23:22 ID:cvTA2QZt
ノモンハンの勝敗ですが、参謀次長の中島(鉄蔵)沢田(茂)が敗北だと認め、とくに後者は
帝国陸軍開闢以来の大敗北だと表現しています。これにより中島は予備役へ稲田は転出
したのですが、処分であることは疑いありません。一方ご指摘の通りジューコフも従来説の
ようにキエフ軍管区への転出はザバイカル軍管区の重要性からみて栄転ではなく左遷と
すべきでしょう。ただ同時に大将に昇進しており、お咎めなし程度でしょう。北集団の
シュブニコフも左遷されています。
ジューコフは「一生涯で最も苦しかったのはノモンハンだ」としており、またソ共極東副部長
コワレンコも「戦車は全滅し飛行機は半減、戦死者は日本軍の2倍出て、捕虜も同数だ。
ヨーロッパに送らねばならないウラル越えの鉄道は負傷者の阿鼻叫喚のウメキ声で埋まった。
本当によい時期に日本は停戦の申し込みをしてくれた」としています。
http://ww1.m78.com/past/log7-1.html
737 :
名無し三等兵 :03/04/04 23:32 ID:ACs6d6js
〉726 誰だ、歌詞をそのまま書き込んでるのは とは言へ、曲名キヴォンヌ
739 :
名無し三等兵 :03/04/05 23:03 ID:oBJobkNX
打通氏のいう通り日本軍は強い! ♪父よ貴方は強かった
740 :
名無し三等兵 :03/04/05 23:13 ID:oMerfT3U
サンパチ銃は、猿肉狩りに活躍デス
741 :
名無し三等兵 :03/04/06 10:30 ID:Tin7WXlq
三八式は、銃器にとって最も重要な命中精度に於て優れてゐた まさにスグレモノ 陸軍造兵廠に乾杯!
三八式、良いっすね!! おれは騎銃が特に好き!
743 :
名無し三等兵 :03/04/06 17:17 ID:hrmHOvMD
事実、擲弾筒は優れていて、米軍は密林の戦いで手を焼き、戦後ハンドグレネードとして採用したのである。
744 :
名無し三等兵 :03/04/06 17:18 ID:hrmHOvMD
陸軍造兵廠に乾杯
>743 >戦後ハンドグレネードとして ハンドグレネ−ドって手榴弾のことでは?
746 :
名無し三等兵 :03/04/06 17:23 ID:hrmHOvMD
失礼、グレネードランチャー!
大陸打通作戦はムダだった論者へ質問。 大陸打通作戦を止めて、何作戦をやれば勝てたのか、答えて欲しい。 降伏にあたってはできるかぎり勝てるところで勝っておいてそれから、 というのは自決した阿南陸軍大臣の言だったはずだ。
それはだな、満州事変を起こさずにシナと米国と貿易して経済を発展 させてだな。第二次欧州大戦のドサクサで東南アジアを独立させれば良 かったんだよ。陸軍の無能どものせいで何もかもブチ壊しだ。
American casualties were also high. Ground combat losses for the
Sixth and Eighth Armies were almost 47,000, some 10,380 killed
and 36,550 wounded. Non-battle casualties were even heavier.
From 9 January through 30 June 1945, the Sixth Army on Luzon suffered
over 93,400 non-combat casualties, including 260 deaths, most of them
from disease. Only a few campaigns had a higher casualty rate.
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-C-Luzon/
シナ人いくら殺しても、日本の若者の命とはつりあわない。
>749 一つの例外をのぞき、ルソン島で第六軍の麾下部隊となった全師団は、 少なくとも以前に一度、作戦に投入されたことがあり、それら師団の大半 は二度、戦闘を経験した。六個師団全将兵の三分の一にも達する隊員が、 三年間も海外に派遣されたままであった。これらの隊員は疲れ、戦いに うんでいたが、休息したり、気力体力を回復するための時間をあたえられ ていなかった。補充部隊の到着は遅々としており、またその員数が欠員を うめるには非常に足りなかったので、第六軍は非戦闘員の死傷により生じた 定員不足は、うめることができなかった。 「ドギュメント神風 下」(デニス・ウォーナー ベギー・ウォーナー 妹尾作太男 徳間文庫)より
>>747 駄痛作戦をやらなければよかっただけ。
やっても敗戦、やらなくても敗戦ならやらんほうがマシ。
やっても敗戦、やらなくても敗戦なら、対日戦勝国から中国だけ内戦状態 にして事実上外してやったほうがいい。またブーゲンビル・マリアナ作戦 こそやらないほうがマシなまでの、恥ずかしい負け戦だった。
まあ、帝國陸軍としては(アメリカと)陸続きでなくてラッキーだったのよ。 民間人ほったらかしでにげだすし。(蒙満の警備にいてもけちらされてたのかな?)
http://ftp.metalab.unc.edu/hyperwar/USA/USA-A-Papua/USA-A-Papua-A1.html Comparative Table of Strength and Casualties
Buna-Sanananda Operation
Regimental combat teams Strength entering combat zone Casualties
Killed in action Other deaths Wounded in action Sick in action Total casualties
32d Division: 26 September 1942-28 February 1943
126th Infantry 3,791 266 39 816 2,285 3,406
127th Infantry 2,734 182 32 561 2,813 3,588
128th Infantry 3,300 138 29 557 2,238 2,962
41st Division: 2-23 January 1943
163d Infantry 3,520
(Plus estimated strength) 300
3,820 85 16 238 584 923
Total 13,645 671 116 2,172 7,920 10,879
758 :
名無し三等兵 :03/04/16 20:57 ID:3YiDu3pd
↑全人員損害のうち、病気のよるものが8割近くって?
759 :
山崎渉 :03/04/17 10:42 ID:???
(^^)
>やっても敗戦、やらなくても敗戦ならやらんほうがマシ。 ならば同時期の帝国陸海軍の他の作戦は全てやらないほうがマシだった。 とくに連合艦隊再建は、やるだけ予算のムダ使い。 カイロ宣言以来、在支米空軍は大幅強化されてた。打通作戦はそれに 対抗すべく行われた、航空決戦でもあった。ホワイトハウスの対中政策 において、圧倒的に重視されたのが航空作戦だ。だから打通作戦が 無価値なら、打通された中国大陸そのものが無価値ということになる。 おれさまは何も800機の米中空軍に、200機の帝国陸海航空が ガチンコ勝負できたなどというつもりはない。ガチンコ勝負できなか ったからこそ、陸戦と陸海空の共同攻勢ということになったのだ。
761 :
山崎渉 :03/04/20 05:30 ID:???
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
おれさまは別に帝国陸軍が永久に中国大陸に駐留すべきとはいってない。 ただ中国に巨大な損害を与えて内戦に突入させ、国際的発言権を完全に なくさせて、そののちに撤退すればいいってことだ。これなら中国は 事実上対日戦勝国の地位から外されることになり、万万歳だ。
「巨大な損害」を与えようとすると、逆に敵は結束してしまう。 日本軍が大陸で暴れまわってるうちは内戦になんかならない。 結論:駄痛戦略ではいつまでたっても大陸から足抜けなんかできない。
>日本軍が大陸で暴れまわってるうちは内戦になんかならない。
Growing U.S. disquiet over Nationalist inaction even prompted
some American interest in the Chinese Communists. Stilwell had
complained to Marshall and Roosevelt that as many as 500,000
Nationalist soldiers were preoccupied with blockading the
Communists rather than fighting the Japanese.
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-C-ChinaD/
USAは本来は敵である共産勢力に肩入れしてまで日本を中国大陸から追い出したかった。 とうぜん2次大戦終わったら赤との戦いに突入したわけだが。 結局日本が大陸に居座る為には黒幕アメリカを打倒する必要がある。 でなければUSAは日本が大陸から去るまで共産勢力だろうがなんだろうが 肩入れし続ける事になるだろう。
766 :
名無し三等兵 :03/04/21 17:15 ID:pEPAbY2M
硫黄島で20万の米軍に攻められて米兵2万6千人を戦死させた帝国陸軍2万人の兵士は賞賛に値する。
昭和五式軍服を止めたあたりから弱くなったような… 赤い帯に黄色の☆の軍帽はカコイイが。
768 :
名無し三等兵 :03/04/21 17:58 ID:KMvoxW3E
軍帽は改45式から終戦まで同じ物だった様な。 昭5式の方がカコイイ事は同意汁。
やはり詰襟はキツイのだろうか? 昭5式は満州事変や二・二六事件のイメージが強烈だが テレビや映画に出てくる「兵隊」はほとんどこれですね。
中国 中国のゲリラの数は、ほかの被占領諸国のゲリラを合わせた総数よりも 多かったはずだ。種類もあらゆるゲリラが存在した。蒋介石派、毛沢東派、 自分たちの勢力拡張を画するグループなどさまざまで、こうしたパルチザン がいっしょになって、日本軍の大部分と二十個師団もいた対日協力の中国軍隊 を押さえつけた。日本の降伏後、またも中国人同士でいがみ合う戦争に戻った。 最初に日本が採用して成功したやり方だった。 ジェイムズ・F・ダニガン&アルバート・A・ノーフィ 「第二次世界大戦 あんな話こんな話」
>最初に日本が採用して成功したやり方だった。 駄痛の思うツボだったのか?
打通作戦はやっぱ、やっておいていいことづくめだろ。国民党政権が潰れて 中国内戦・米中決裂、それによって受けた日本の利益は計り知れない。 あの作戦で日本が何か損をしたというのなら、具体的に挙げてみてくれ。
あの時期にやっても無意味。 やるなら対米戦の始まる前にやらなきゃ無駄無駄。
>やるなら対米戦の始まる前にやらなきゃ無駄無駄。 いや中国との戦争は、とっておきの非常手段。海軍がきちんと南方海上護衛 をやって東南アジアの輸送航路を確保し、インド・中国を封鎖してくれれば、 わざわざ陸路で攻めるインパール作戦や大陸打通作戦は必要なかった。 うまいものは後に残しておいて、ゆっくり味わって食べるものだ。
ビルマ作戦は援蒋ルートを潰すのが目的だと思ってた。
>>775 当初のビルマ作戦は、ラングーン(現ヤンゴン)〜雲南省の援蒋ルートの遮断が主目的。
あと一つには、英領ビルマの英国支配からの解放ということがあったことも忘れちゃいけない。
ただし、援蒋ルートは、日本軍のビルマ占領後、インド方面から別ルートが開拓された。
そして、昭和19年になると、日本軍の劣勢は覆いがたくなる。
それを打開する…いや、その時点でもう無理だとは思うわけだが、打開したいという思いが各所で募っていく。
ビルマ方面の日本軍は、その打開役を自分でしたいと考え、インパール作戦を立案するわけだな。
チャンドラボーズ率いるインド国民軍からのインド解放の要請もあったし。
ただ、作戦の意思決定や計画の立案過程は、あまりにも陸軍内の人間関係の情に流されたもので…。
まあ、あとは関係図書が伝える通りだ。
>うまいものは後に残しておいて、ゆっくり味わって食べるものだ。 それで結局御馳走を食い損ねておまけに食パンの耳が御馳走になるような 生活になるんでは更に無意味無駄無駄。
おれさま実力ランキング論 帝国陸軍>>>ドイツ陸軍>>>>>>>>>>>>>>>>>>連合艦隊 理由は、「最後に残った者が勝ち」だ。連合艦隊はレイテ海戦で完敗全滅、 ドイツ陸軍滅亡よりも半年も早く、しかも戦果は非常にお寒いものだった。 その一方連合艦隊が消滅しようがドイツが滅亡しようが、帝国陸軍は中国大陸 で大暴れ、チンピラゴロツキの群れを面白いようにバタバタと倒しまくって、 内戦状態・米中決裂にしてしまった。
海軍も陸軍も最後は無くなってしまいましたが、何か?
無謀な戦争しかけて完敗全滅しただけの海軍が、最後まで残った陸軍より 人気があるのは、見栄えの良さと戦後軍人の宣伝力の差だと思う。あらゆる 力の差を見せ付けられて戦意喪失しただけの海軍が善玉ってのも詭弁。
>778 うんうん漏れもマジで大陸打通作戦凄いと思うよ。でもチンピラゴロツキ ってのはどうかな。朝鮮戦争での中国軍は国民党軍出身者が大半だった そうだし。アメリカは太平洋戦争とは違い最前線の日本を補給基地に でき有利に戦えたにもかかわらず、中国軍の人海戦術に苦しめられた。 その中国軍を、支那派遣軍はずっと制圧し続けてたんだから凄い。 それを思えばあのとき日本が内外で徹底抗戦してたならと、アメリカ人 は身震いしたに違いない。
783 :
名無し三等兵 :03/04/27 06:41 ID:D8SzytiV
日本陸軍ってイジメやシゴキが凄まじかったんでしょ?非道なことをやった のも陸軍だし。 だから兵士の親は陸軍より海軍に入れたかったんだよね。海軍の方がエリート っぽいし。でも死ぬ確立が高いから辛くても陸軍にって思ったんだって。 独り言。。ブツブツ。。。
>>783 私的制裁の内容については陸海軍共にやっていることは同レベル。
巡検後の甲板整列も、内務班での説教もやられる方(新兵)からすれば
たまらないものであることに違いはない。
>日本の降伏後、またも中国人同士でいがみ合う戦争に戻った。 共産主義の理念なんて今では中国でも否定的になってる、結局それもゴロツキ がゴロツキ同士で権力闘争に励むための口実にすぎなかった。「抗日戦争」の 結果として明らかになったことは、ゴロツキはいつまでたってもゴロツキのまま、 ゴロツキ同士の権力闘争しか頭になかったということだ。 >最初に日本が採用して成功したやり方だった。 大陸打通作戦は大成功、日中戦争は日本の成功であり、輝かしい勝利だった。
↑とりあえず、早く市ね! お前が関わるとスレが穢れる。
>>786 駄痛は自己神聖化という旧軍のたどった道に忠実に従っているので
付ける薬はないと思われ。
中国人は、世界で唯一靖国神社のA級戦犯がどうのこうのと生前の罪を理由に 死者に鞭打つ、最低最悪の野蛮人だ。人肉食と並ぶ、中国人特有の民族性だ。 中国人同士の殺し合いなら、誰も日本を非難できまい。ざまあみろだ。
なんか訳わかんこと言ってるよ。 お前が早く死者の仲間になれよ(w
南京事件の総括〜虐殺否定十五の論拠 田中正明著 謙光社 P.246より なおついでながら一言つけくわえると、明清時代の虐殺記録は 前掲の『揚州十日記』や『蜀碧』の中にその虐殺方法の残忍ぶり が克明に伝えているが、近代では中国共産軍の大衆殺害方法「六 十大刑罰」としてこれが継承されている。そのうち三,四その例 をあげれば「沾油ばく(食へんに莫)」(人間のテンプラ)、 「控眼割耳」(目を抉り耳を削ぐ)、「開胸?」(生きたまま胸 を割き内臓を出す)、「仮剥皮」(生きたまま顔の皮を剥ぐ)、 「打鉄」(全身に釘を打ち込む)などであり、これらは昭和三年 の済南事件、十二年の通州事件の際、日本人居留民に対して実施 されたものである。 これらの猟奇的なまでに凄惨な人間屠殺の方法は、およそ淡白 を好む日本民族のなし得るところではない。日本の戦史にもその 例をみない。南京事件で中国人の証人が、「生きうめ」「心臓え ぐり」「妊婦の腹をたち割って、赤子を銃劔の先で刺した」「耳 を削ぎ鼻を削いだ」等証言しているが、これらの虐殺方法は、実 は他ならぬ中国人自身の伝統的虐殺方法なのである。
似非打通はどっか行け。
>>783 国民の中から、大量の人数を受け入れる点で、
どこの国の軍隊も、その国のその時点の文化を共有する面がある。
当時の日本の職人の世界で行われたシゴキなども、
相当のものだったことがおおいそうだ。
そして、外国軍隊にも、その傾向は当然ある。
ベトナム戦時の海兵隊を舞台にしたフルメタルジャケット、みてるんでしょ?
The final casualty account should be understood in the context of
the overall campaign. There were slightly more than 55,000 Allied
troops, mostly Americans, at Aitape. Among these troops perhaps
twelve infantry battalion equivalent size units bore the brunt of
the fighting.* Incomplete statistics are naturally suspect, so the
following calculations must be regarded as only very rough approximations.
http://www-cgsc.army.mil/carl/resources/csi/Drea/Drea.asp ニューギニアの戦い
>>772 >打通作戦はやっぱ、やっておいていいことづくめだろ。国民党政権が潰れて
中国内戦・米中決裂、それによって受けた日本の利益は計り知れない。
打通作戦やらなくても戦後の中国内戦や米中決裂は不可避だろ。
第二次国共内戦初期の紅軍は満州を根拠地にして
ソ連軍から武器支給を受け満州の戦略資源を活用することで
苦しい時期を耐えぬけたのだから。
↑その手の結果論なら、初めから戦争するなってことだね。
>>796 そんなこと言わずもがな。
本気で解決する気があるのかを疑わせるような作戦地域の拡げかたとか、
泥沼に自分からはまりにいった戦争>日中戦争
?
馬鹿を相手にすんな! スルーしる。
800get!
実は阿南陸相の「まずは一勝、降伏はそれから」が正しかった。満州守備隊にせよ、 天皇陛下のご性談とはいえ、すぐに武装解除ってのは間違い。もっとも司馬遼太郎 (末期に無理矢理臨時徴集され、帝国陸軍の悪口ばっか)のような戦意不足の臨時 徴集兵ではいくら数を揃えてもどうもならなかったのかもしれないが。 無意味な作戦というのなら、ブーゲンビルやマリアナやレイテでの連合艦隊 にこそ当てはめなくてはならない。支那派遣軍のように、勝てるところは 勝っておいて、内外で日本軍の威信を維持しておくことが大事だ。
802 :
_ :03/04/30 11:31 ID:???
分かった、だから市ね!
ホワイトハウスで対日侵攻に伴う犠牲がかなり懸念されてたことは確かだろう。 そうでなければ、2万千の硫黄島守備隊を全滅させるのに2万5千の損害 を出したアメリカ海兵隊や、2個半師団の正規軍しか置いてなかった沖縄 で6万5千もの損害を出した米陸軍は「無能」ということになる。
The Coast Guard's final major amphibious action was at Okinawa.
Operation Iceberg proceeded along the same successful formula that
other Allied invasions had taken. Carrier aircraft and surface ships
shelled and bombed the island for nine days prior to the landings.
The Coast Guard had a total of 53 ships that participated, and another
six with partial Coast Guard crews accompanied the invasion forces.
These transports, cargo vessels, amphibious force flagships, and more
than 40 LSTs and LCIs formed part of the overall force of more than
1,400 vessels carrying more than 548,000 soldiers, sailors and Marines.
http://www.uscg.mil/hq/g-cp/history/h_pacwar.html #沖縄攻めに米軍は総勢548,000人以上を動員したそうだ。
ソ連に対日参戦を督促したのもアメリカだしな
There is reason to believe that the operation for the occupation
of Japan following the landing may be a very long, costly and
arduous struggle on our part. The terrain, much of which I have
visited several times, has left the impression on my memory of
being one which would be susceptible to a last ditch defense
such as has been made on Iwo Jima and Okinawa and which of
course is very much larger than either of those two areas.
According to my recollection it will be much more unfavorable with
regard to tank maneuvering than either the Philippines or Germany.
http://tigger.uic.edu/~rjensen/invade.htm スチムソンも7月2日トルーマンに宛てたメモで、対日本土攻略の困難性を述べてる。
>>801 阿南陸相は正しかった。
一撃後の和平論こそ、
ジリ貧からドカ貧への道。
>>804 と
>>806 は
ネームを入れ忘れているな。
ではなくて、
意図的な多数派工作だな。
アメの航空技術が優れていて、日本がガチンコ決戦など挑めたことはないと いうのは認める。 しかしながらアメリカのやったことは明らかに国際法・人道に反する市民無差別 大量殺戮であって、偉そうにナチやソ連を批判できるものではないということだ。 東京大空襲や広島長崎の原爆は軍事的勝敗とは関係の無い、ただのホロコースト。 ベトナム戦争で枯葉剤撒き散らして、勝った勝ったといってるのと同じ。
「怨みに報いるに徳をもってせよ」(以徳報怨) 全中国住民に離反され、共産革命で国を追われたチンピラゴロツキが、 こんなことを言っていたのだ。聞いたか、なんともお笑いじゃないか。
だぁからー、その、「国際法・人道に反する市民無差別大量殺戮」とやらの 出撃基地はどこかなー? 堕痛なぞやっても意味ないってことだ(w 久しぶりに来たけど、堕痛は本当に進歩しないな(W
>堕痛なぞやっても意味ないってことだ(w 打通作戦が無意味なら、他に何作戦をやれば勝てたんだ? だいたい太平洋方面は海軍の持ち場であって、陸軍はあまり関係無い。
>だいたい太平洋方面は海軍の持ち場であって、陸軍はあまり関係無い。 こんなこと逝ってるからボロ負けしたと思うんだが。
>こんなこと逝ってるからボロ負けしたと思うんだが。 でもそのおかげで太平洋ではボロ負けしたが、大陸打通はボロ勝ちしたぞ。 支那派遣軍を太平洋に回せば、絶対国防圏を死守できたと証明されるのなら、 おれさまは今までの発言を全て撤回しよう。
>>813 そうやって混ぜっ返してうやむやにするのも前と一緒。
本っっっ当に学習しないなぁ(w
支那派遣軍を太平洋に回すうんぬんと、堕痛の正当性は全然別の話だろうが。
815 :
甲種幹部候補生 :03/05/04 12:19 ID:9Lzpu0Kk
大陸の兵力を引抜いて太平洋の要地に置いたら好影響があったらうと思ひます 例えばルソン、沖縄
打通って、ハン板で柳一族みたいなもの?
>大陸の兵力を引抜いて太平洋の要地に置いたら それをいうなら南西太平洋に放置された陸兵をサイパンに回して、 陸軍用塹壕を掘っておいたら、だろう。それでも孤立した島では補給が できず玉砕は時間の問題だ。全ては連合艦隊がヘタレだったからだ。 史実でも飛行訓練は満州で行われてる。あくまで満州を戦略拠点として 確保しておけば、爆撃にも封鎖にも耐えられる。史実でもソ連が参戦して 満州が崩れないかぎり、降伏が考えられたことはなかった。
そもそも日中15年戦争をさっさと終らせて大陸における日本の権益を確実なものとしていればアメリカは文句をつけようが無かった。 陸軍がヘタレ中国軍を片付けることすら出来なかったために海軍は余計な戦争を強いられるハメに陥ったのだ。 連戦連勝を叫んでいても中国は屈服しなかったのだから、陸軍は口先だけのふぬけ集団。これは誰もが認める歴史的事実だ。
>>817 つまり、関東軍の代わりに兵力を引き抜かれるのが、戦争中期以降の
支那派遣軍がなしえた最大の貢献という訳だ。
堕痛なんぞ、もっての外だな。
ホンモノの駄通はどうした?駄通の中の人?
821 :
無料 :03/05/05 04:02 ID:vRlwJuhl
通りすがりのもんだけど、外野から見てると「打通さん」の意見、 破綻してるんだけど。 これって釣り?。あんまりいい釣り方じゃないne-
823 :
名無し三等兵 :03/05/05 04:50 ID:r7vp6dGV
内野から見たって破たんしてますが、何か。
反論レスが何べんついてきても、そのたびにネタにしてしまうからな。
お前、本物じゃないじゃん!
そろそろ打通も軍事板の自然現象になりつつあるな
帝国陸軍が打通した中国大陸は、「戦略的に無価値だった」でいいんだ。 国際戦略的に無価値な場所を進撃しただけだった、それで構わない。 要するに中国そのものが国際的に価値の無い汚物の吹き溜まりにすぎ ないんだと、打通作戦によって証明されたことになるのだ。
>国際的に価値の無い汚物の吹き溜まりにすぎない そんな不毛の地を求めてやまなかった日本人はアホとしかいいようがないな
832 :
北斗星 :03/05/11 18:26 ID:FIrXZ4j7
我が陸軍は我が海軍と共に世界最強の存在でした かたはらに秋草の花かたるらく ほろひしものは懐しきかな 牧水
駄星も登場か…。
835 :
名無し三等兵 :03/05/14 00:22 ID:GrrVQ1vc
陸海は車の両輪です 喧嘩は止めませう さう言へば共産党に佐々木陸海って名前の国会議員がゐますね
なんか朝鮮戦争って、日本のためにやってくれたようなもんだな。 日本人なら毛沢東にも金日成にもスターリンにも感謝しないと。