>929
なんて名前の船?
933 :
名無し三等兵:03/01/12 22:11 ID:NVzsw59I
工場長>藁谷
船の名前>おおくぢら
>933
うわ……。あの船、そんな曰く付きの船だったんだ……。
でも、工場長の名前がなんだかネタっぽ(以下検閲により削除
935 :
>81:03/01/12 23:43 ID:NVzsw59I
http://www2.odn.ne.jp/jwes-hiroshima/history31.htm 日本海軍でもこれに倣い、呉海軍工廠建造の、水雷敷設
艦「八重山」(昭和6年進水)軽巡洋艦「最上」(昭和10
年竣工)級では大幅に溶接が採用された。
しかし、横須賀海軍工廠で建造された潜水母艦「大鯨」
が溶接歪みが大きく、船型を保持し得ず失敗、解体され鋲
構造に変えられた。
その後、日本海軍は軍艦の主要部分に溶接を使用しなか
ったために、雷撃による被害時に気密性に劣り、誘爆を起
こしやすく脆かった。
どうやっても溶接で歪むんで、船体を輪切りにし、そこをリベット留めする
工法は正式なものとして戦後いろんな船に使われましたとさ
938 :
名無し三等兵:03/01/13 00:21 ID:+VL7i8QS
日本における潜水艦の全溶接工法は「帝国陸軍」の輸送潜水艦「まるゆ」で最初に採用された。
939 :
名無し三等兵:03/01/13 00:22 ID:+VL7i8QS
「まるゆ」の製造工場はボイラー工場や日立製作所蒸気機関車工場だった。
940 :
名無し三等兵:03/01/13 00:54 ID:9UKGFogx
>>906 なんか探せば特定出来そうなエピソードやね。
旧海軍の潜水艦は、重油タンクまで鋲接だから潜行中に重油が漏れて
大変だった、とか。
まるゆの艇長は戦車長
まるゆの艦内トイレは、1斗缶を切った物。
急速潜行した場合、中身をふりまきながら艦内を転げ回った、とか。
トイレついでに、伊号のトイレはポンプによって潜航中でも艦外排出できるスグレモノ。
コレだけは米英独に勝っていた。
しかし、深い所で使用すると詰まってしまい、
最悪の場合内側に噴出してくるとか。
南太平洋のある島が独立し、軍隊が設立された。
といっても隊長1人に兵士5人といった超ミニ編成。
日本の新聞記者が取材にいき、記者の前に全員集合。
右向け右で1人間違え、回れ右で2人間違え‥
隊長は頭かきかき
「練習した時は、間違えなかったんですけどねー」
国名は覚えていないが
恐らく、世界最強の軍隊では‥
モンゴル海軍と並ぶいいネタですな。国名、どこだろ。
949 :
名無し三等兵:03/01/15 23:10 ID:MOpoOahe
>948
アンドラ陸軍が似た感じらしい。
ピレネーの山中にあるアンドラはWW1でドイツに宣戦布告したが、講和会議で
存在を忘れ去られてずっと戦争状態のままWW2に突入した歴史あり。
世界で唯一WW1とWW2がつながった国。
950 :
霧島:03/01/15 23:13 ID:h2zqQJqI
>>949 過去ログで誰かが書いてた思うが、まだ日露戦争続けてる国があるらしいよ。
951 :
名無し三等兵:03/01/15 23:18 ID:MOpoOahe
>950
旧ユーゴあたりのなんとかっていう共和国だっけ?
王制時代にロシアの顔を立てて宣戦布告したけどそのままという…
でも政体が王制→共和国になった時点で国家の連続性がなくなったから
その時点で戦争おわりってのが公式見解だったような気がする…
モンテネグロ
953 :
結論 ◆HBXGLiwX0s :03/01/16 00:11 ID:znnWiEl1
タイ王国海軍の司令部は川のほとりにある。しかも観光名所のワットアルンの隣に、、、
だからワットアルン観光に行く渡し舟に乗ると必ず軍人と一緒になる。
先日不肖宮嶋の婦人自衛官の写真集をプレゼントしたら非常に喜ばれ、ワットアルン観光の後カオサン近くの船着場まで、戦闘艇で送ってもらった。
954 :
名無し三等兵:03/01/16 00:22 ID:74+Phe1E
数年前行った「餃子の王将」の店員は、厨房か工房のころ、
駐屯地から小銃の弾倉盗んで追いかけ回されたと話していた。
ブルガリアはWW2ではブルガリアはドイツと枢軸同盟を組んでいたにもかかわらずWW2に参戦はしておらず
さらに、大戦中の戦闘はイタリアとの地域紛争とソ連に寝返った後の対独戦という、枢軸軍としか戦ったことがない枢軸軍という、わけのわからない軍隊。
そのわけのわからないブルガリア軍の、さらにわけのわからない装備がすごい。
東欧諸国の例外に漏れず、ブルガリアはドイツからの供与によって戦いもしないのにドイツ製戦車を与えられ、さらにそれを対独戦に使用。
さらにソ連軍の戦車供与によってさらに多種多様の戦車が用いられることになり
ある写真ではルノーR35、スコダLTvz.35、ブラガ38t、W号戦車、パンターG、T34/85がすべて1つの写真に収まって隊列をつくっている。
↑ラスカンのネタだな。
ラスカン完全版出ないかな…。
騎兵師団の話とか単行本未収録でやんの(´・ω・`)
例によって子ネタ集
その1
戦車はTankと呼ばれることになった。
これは、秘匿名称をWater Careerとしていたが、英国の官庁では、委員会の名称が
その頭文字で呼ぶ習慣があり、このままではW.C.Councilとなるため、Tank Supply
と改められたのである。
その2
第一次大戦中、戦車の生産に際し、軍部から生産工場に秘密兵器だから、守秘義務
の厳守、番人の配置、交通遮断が求められたが、工場では逆に秘密にしないことにした。
曰く、「この奇態な装甲車はロシアから注文された水槽車である」と従業員に説明し、
ロシア文字で、”取扱注意 ペトログラッド行”とペンキで書き付けた。
これにより、見る人は皆、「奇妙な形の水槽車を注文するとはロシア人って奴ぁ」と思い
込んでしまい、かくして秘密は守られたそうな。
その3
第一次世界大戦の最初の戦車、Mk,I戦車は、最初の頃、57mm砲弾が不足していたため、
日本製の砲弾を急遽輸入して間に合わせたそうな。
↑「機甲入門」のネタだな。
日本に57ミリ砲弾が売るほどあったのか。
とある潜水艦が任務を終えて寄港中
飛行機が飛んできて
「きゅ〜そくせんこ〜〜〜〜」
といった所、良く見ると味方の陸軍機
また飛行機が飛んできて
「きゅ〜そくせんこ〜」
こんどは味方の海軍機
艦長、だんだん面倒くさくなり
「次ぎに飛行機が飛んで来たらこれを甲板に広げろ」
その時、付近を偵察していた味方の海軍機が見たものは
我 目 下 潜 航 中
と言う文字を甲板に広げた味方の潜水艦であった。
三番目に飛んできたのは米軍機だったって落ちかと思った(w
>962
グリム童話じゃないんだから(笑)
レイテ沖。小沢機動艦隊前衛駆逐隊。
前衛哨戒を行った彼らが夜になって艦隊の隊列に復帰。
とりあえず最後尾と思しき巡洋艦の後に続き、
隊内電話を取ると聞こえてくるのは英語ばかり・・・
ん?
待てよ
こ こ は 米 艦 隊 の ど 真 ん 中 で は 無 い か ?!
最後尾なのをいい事にそのままコソーリ遁走したそうなw
魚雷の一本くらい撃たなかったのか。
あ、最後尾じゃ無理なのかな?
>>965 後から考えたら魚雷撃てば必中の距離に米空母がいたらしいが、
その時は「見つかったら袋叩きにあって全滅する」という思いが
先行したらしい。まあ、何というかひたすら「突然の出来事に驚
き、慌てふためき、背筋が凍りつき、呆然とする」状態だったよ
うで・・
ちなみに「松」級の第43駆逐隊でのお話。
いきなり雷撃されたらアメ公もビビッて大混乱に陥っただろうにな
968 :
山崎渉:03/01/22 11:30 ID:???
(^^;
いい加減次スレ立てろと
とりあえず終了までやるでつ
972 :
名無し三等兵:03/01/29 11:18 ID:+aXaaWmn
極限状態とやってる事の情けなさ
みたいな歴史の対比が出て来て
このスレ大好きなんだけど。
単独で次スレはダメ?
歴史で現実に起こった事は
決してしょ〜もない知識ではないと思うよ。
それにこんな話しが読めるとこは
ネットでは他にないし。
個人的には、スレが存続できるようなら、次スレ立てても
別に悪くは無いんじゃないかと思う。
もし需要が無くなってDat落ちするようなら、再建せずに
>970に合流すれば良いし。
もっとも合流しちゃ駄目って程でもないので
正直どっちでも良いけどね。
ココしばらくの停滞ぶりを見れば、スレ統合もやむをえないんではないか、と。
誰かネタ振れー。
まぁ、ハンス ウルリッヒ ルーデルが一人の人間だってのが信じられれば
たいていのことには驚かなくなると思う。
硫黄島が米軍の次の攻略目標だと知った日本軍部は
硫黄島を爆薬で吹き飛ばして沈めるべく、
必要な爆薬量の計算まで行った
>>976 確か栗林司令が硫黄島に着任した時に参謀に
「この島を確実に守り抜く方法は無いか?」、と尋ねたら
「そんなのは簡単です。島を爆薬で吹き飛ばせばいいのです」
と、言うやりとりがあったとか言う話を聞いたが…マジな気がしてきた。
ロシアの潜水艦”クルスク”の沈没地点は、
クルスクの全長よりも短い。
つまり、沈没地点でクルスクを立てると、艦体の一部が
海面に出てくる。
幕末に活躍した、大村益次郎(村田蔵六)は、医者だった。
彼が名を挙げたのは、西洋医学所から依頼を受けた小塚原における処刑さ
れた女性の女性器の解剖で、鮮やかな手つきで、膣、子宮口、子宮、喇叭管、
卵巣をいちいち示しながら解剖していったという。
で、同じ日、桂小五郎が小塚原に吉田松陰の遺体を貰い受けに来ていた。
帰路に村田蔵六と桂小五郎がばったり出くわしたことから、長州藩の兵法指南
役に就任する切っ掛けとなった。